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2022年12月18日

急激なゼロコロナ緩和で混乱の北京へ

人にもよく言われるが、私はどちらかと言うと運がいい方だと思う。

9月末にツアーが終了して、メンバーはそのまま銀川に帰ったのだが、私はレコーディング仕事があったのでそのまま北京に行った。

そしたら運のいいことに銀川市がロックダウン。
銀川には帰れないのでそのまま1ヶ月半ほど北京に滞在していたら、今後は北京がどんどん危なくなって来た。

銀川の方がまだマシとばかり北京をあとにした瞬間に、全ての北京市民は毎日のP C R検査が義務付けられ、検査結果が健康アプリに反映されてQ Rコードが緑色でなければ、商店や施設、タクシーにも乗れないという有様である。

銀川はそれほど厳しくなく、外地から帰って来た人は3日間のうちに2回P C R検査を受ければその後は健康アプリのQ Rコードは緑色のままで、それを施設入口のリーダーにかざせばどこにでも自由に出入りすることが出来る。

帰って来てから半月ほどは平和に過ごしていたのだが、11月25日にいきなり都市封鎖の通達が来た。
これは銀川の感染者数というより中国全土の感染者数がこれまでになく増えたことにより、地方政府もそれぞれに危機感を高めたためではないかと思う。

人生6度目の隔離(>_<)

銀川もついに都市封鎖!(◎_◎;) たかだか数十人の感染者で200万人以上の自由を奪うなんて凄いわぁ〜(>_<) 隔離は人生5度目だけどロックダウンは初めて!!デリバリーも出来んなるん?!(◎_◎;) 口コミで連絡来たので酒とか肉とか買いこんだ〜5日間と言うから飲んだくれますか〜(笑) って上海は4日と言われながら3ヶ月ロックダウンされたからのう〜 ((((;゚Д゚)))))))

末吉覚さんの投稿 2022年11月24日木曜日

隔離最終日〜(の予定なのぢゃがどうなることやら) マイナス13度の霜降る中、毎日のおつとめ敷地内PCR検査に凍えながら並ぶ〜 外国人はアプリが対応してないから手入力で時間かかるのよね〜後ろの人怒らんといてや〜ほんま怒りたいのはお互い様なんやから(>_<)

末吉覚さんの投稿 2022年11月28日月曜日

キタキタキターーーー!!! 最初の通知では11月29日までと書かれてるやろ〜今日は30日なのに何の通知もなく隔離は続く〜(涙) 食料はゲットしたからええけど酒が足りんのう・・・ 12月からのツアーも必然的に延期(涙)無職状態は続く(>_<)

末吉覚さんの投稿 2022年11月29日火曜日

今回のロックダウンは「ソフトロックダウン」程度のもので、飲食の店はデリバリー以外は営業禁止。私の住むマンション群は出入り禁止だが、そうでもなく自由に出入り出来る地区もあり、どうやらマンション群の社区と呼ばれる自治体に判断を任されているようだ。

ところが隔離中の11月24日に、新疆ウィグル地区の火災で死亡者が出て、それが防疫用柵で消防隊の到着遅れたためではないかということで、全国でゼロコロナ政策に反対する抗議活動が起きた。

私などは「第二の天安門事件に発展するかも」と心配していたのだが、拍子抜けのように政府はゼロコロナ政策を大幅に緩和することを発表した。2022年12月7日のことである。

これを受けて銀川では、スーパーや商業施設に入るための48時間以内の陰性証明の提示が不必要となった。
当然隔離もなし崩しになくなった・・・。

そんな頃である。北京でレコーディングの話が来た。

いや、話はだいぶ前からあったのだが、ゼロコロナ政策による厳しい行動制限や、外地からの流入規制、そして都会よりいつも1テンポ遅れて対策が変わるこの銀川に、北京から帰って来てちゃんと入れるのかという心配があったので「今は北京には行けない」と言うしかなかったのだ。

ところがこの12月7日の規制緩和の発表に続いて、中国で省を跨ぐ移動の際の陰性証明の提示が撤廃された。

これはコロナ禍で長くツアーを廻っていた私に取ってはとても嬉しいニュースである。
実はI T大国の中国で、便利に思えるそのアプリの数々、特に省ごとに違う健康アプリのほとんどは外国人には対応していないのだ。

ところが北京に住む友人の話によると、規制が緩和されたと言っても、飲食店などに入るためには48時間以内の陰性証明が必要で、ところが規制緩和に伴ってP C R検査場を次々と閉鎖しているので、今度はちゃんと検査を受けられる検査場を探すのが大変。特に私たち外国人にとっては外国人に対応していないP C R検査場というのもあるから更に大変である。

こんな笑い話も伝わって来る。
「陰性証明が必要なんだけどどこにも検査やってないじゃない」
「検査なら病院行ってやれ」
「その病院に入るのに陰性証明が必要なんだよ!!」

銀川のような逆に対応の遅い地方都市はまだよいが、北京など大都市では急激な政策転換によってかなりの混乱が起こっているようだ。

そんな大混乱の中、12月9日に北京行きが決まった。出発の頃には北京で爆発的に感染者数が増えているという噂も聞くが、銀川の友人たちなんかは
「お、いいじゃん!!帰って来たらメシ食おう」
と笑う。
感染したらメシどころじゃないのに何を言ってるんだろう、とその時にはわからなかったが後にそれがわかることとなる。

さて、そうなると心配なのはP C R検査である。北京の友人夫婦は、久しぶりに私と飲むことを楽しみにしてP C R検査を受けているのだが、毎日検査しても結果が全然反映されず、結局8日間検査を受けてないことになっており、飲食店どころかどこの施設にも入れないのだ。

北京で陰性証明をゲットするのは難しいだろうと思い、私は出発前に銀川でP C R検査をすることにした。

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噂通りP C R検査場が減って来ているので長蛇の列である。

検査は今までは無料だったのだが、今回から有料になっていた。3.5元と言えば円安とは言え70円程度である。安い!!
10人分の検体を1つの試験管にまとめる方式の検査である。

結果はだいたい半日後には出る。夜汽車に乗って朝着く頃には検査結果がアプリに反映されていることだろう。
外国人はQ Rコードを読み取るだけではダメで、そこから手打ちにパスポート情報などを入力するのだが、スペルなどちょっと間違えただけで結果は反映されない。
私も実際それでP C R検査を受けているのに反映されずにQ Rコードが黄色になって困ったことがあったが、この検査場はいつも必ず反映されるので安心なのである。

さて、いつものように夜汽車に乗ったらすぐ寝られるようにガンガンに酒を飲んで銀川駅へ〜

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これまでは厳重な健康アプリや行動アプリのチェックがあったのだが、それらが全くなくなり何もチェックされなかった。

北京に着いた。地図アプリを開いたら見慣れない赤いものがたくさんある。
「疫情高风险」つまりここには感染者がいるから大変だよ、という意味である。

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北京に着いてからも全く何のチェックもなく、昔検査場だった場所に看板だけがまだ撤去されずに残っていた。

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そこからは地下鉄に乗り換えるのだが、見ればきっと同じ列車に乗って来たのだろう、防護服を来ている親子連れらしき乗客もいた。

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きっと感染爆発と言われている北京に行くのに、娘だけは感染させないようにという親心なのだろう。
「コロナは怖い病気だよ」と宣伝してゼロコロナ政策をやっていた政府は、いきなり「オミクロン株は全く怖くない」と言い始めた。人民は自分の身は自分で守るしかない。全国の薬屋から解熱剤などの風邪薬が全て売り切れたという噂である。

地下鉄も、一時期はガラガラだったと聞いたがそうでもなくそこそこの乗客がいた。

20221217_6.jpeg

レコーディングまでには時間があるのでスタバにコーヒーを飲みに行ったら陰性証明の提出を求められた。

それから、知り合いの中国人がやっている日本料理屋に行ったのだが、そこはホテルの中の施設という厳格なはずの場所なのに、そこでは陰性証明の提出は必要ではなく、Q Rコードをスキャンして「この場所に来た」という足跡を残すのみであった。きっと規制緩和を受けての対応が店によって違うのだろう。

日本語が上手なママさんは病気で出勤してないということだが、来たことを告げると喜んでメッセージを送って来た。
「実はコロナにかかってしまったんです」
と泣いている。

ママさんはガンの闘病生活もしており、そこにコロナは大変だろう。
「もうね、家とスーパーマーケットだけしか行ってなかったのに感染しちゃうなんて、なんて酷い国なの!!」
と怒っているが、ママさん・・・ここはあなたの国です・・・(笑)

しばらくメッセージでやり取りをした後スタジオへ。

出迎えてくれたのはドラムをレコーディングする歌手本人とエンジニアの二人。手にはアルコール噴霧器を持っていて、握手の度に消毒したり、決してマスクを外さなかったり、とてもコロナを恐れているように見えて緊張したが、理由は他にあったことが後に判明する。

香港のAlex Toという有名歌手のレコーディングやった〜 若く見えるけど実は同じ世代らしく、古いソウルやディスコの音を求めてらっしゃったので、スネアに紙を貼ってみたり、タムを全部外してみたり、色々遊びながら試してみて楽しかった〜

末吉覚さんの投稿 2022年12月10日土曜日

レコーディングは順調で、5時には全ての作業を終えて「飲みに行こう」ということになった。歌手も一緒に行くのかと思ったら「帰る」と言うので、結局エンジニアと二人で深酒をすることとなる。場所は日本居酒屋だったのだがそこでも陰性証明の提出は必要ではなく、Q Rコードをスキャンして足跡を残すのみであった。

前述の友人ご夫婦も招待しようと連絡したらショッキングな事実を伝えられた。
私と一緒に飲むのを楽しみにして、そのために飲み屋に入るためにP C R検査を受けて、結果が出ないので毎日毎日検査を受け続けていたのだが、先日出た結果が「陽性」。厳密には「ひとつの試験管で検査した十人の中に陽性者がいた」というもので、彼ら自身が陽性なのかどうかはわからない。

そもそも10人がひとつの試験管で検査するなんて、まるで毎日ロシアンルーレットをやっているようなものである。
せめてもの救いが、昔なら有無を言わさず収容所のような隔離施設に送られるのだが、今は緩和されて自宅で自主隔離となっているようだ。

エンジニアと盛り上がって飲んでいる時にまたショッキングな事実を聞いた。
「歌手が一緒に飲めなくてすみませんと謝ってましたよ。実は彼も陽性で」
って陽性なのにスタジオ来てたの?・・・というより一瞬でそこまで緩くなったということか・・・

そして彼自身も私にショッキングなことを言った。
「実は妻も陽性で家で寝てるんです」
って私は今陽性者と同居している男とマスクを外して酒を飲んでいるの?!!

あれだけ幻覚だった中国のゼロコロナ政策が、一瞬のうちにここまで緩くなっているのが信じられない。

酔いも覚めてしまったので帰ろうと、院子の同居人に連絡を取る。

院子というのは中国伝統的な長屋式住居で、ひとつの庭(院子)を囲むように3方もしくは4方の建物が建っており、院子を共有してそれぞれの棟は独立して緩い共同生活を営むという、友人と暮らすなら願ってもない生活環境である。
今は北京市内にはこういう伝統的住居は無くなって全て高層マンションになってしまったが、辺鄙な場所にはまだ残っていて、私の院子も市内から30kmほど離れた辺鄙な村の中にある。

ところが同居人が言うには、その村にはタクシーの乗り入れも出来なければ、この村の住人である証明書(出入証)がなければ入ることが出来ないと言うのだ。

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もう緩いのか厳しいのかわからないゼロコロナ政策緩和!!あるところではとてつもなく厳しく、あるところではとてつもなく緩い・・・

その日は友人宅に泊まらせて頂いて、翌朝冷静になって考えてみて怖くなった。
例えマスクをしてたとしても感染者と一日スタジオで一緒にいて、その後感染者の同居人と一緒にマスクを外して酒を飲んでた私は、普通で考えると当然感染しているのでは?・・・

少なくとも濃厚接触者であることだけは確かである。ちょっと昔ならこれだけで隔離施設行きである。

私はもう既に6回隔離されていて、病気より何より隔離が怖い。
あともし感染してたとしたら、今度は人に感染してしまうのが怖い。特に一緒にバンドをやっているメンバーにである。

ちょうどバンドのグループチャットでは感染について色々面白おかしいやり取りがされていた。
北京のスタッフに対して、「北京は大変なの?じゃあなんか菌がついてるの郵送してよ」
とか何の冗談なのかよくわからない。

私だけ大真面目に昨日のレコーディングの話をして、「このまま北京に滞在して様子を見ようか?」と提案してみる。

ところがシリアスになっている私をよそに「イエィ!!」と盛り上がっている。
「Funky早く帰って来て感染してよ」とか「Funkyは僕らの救世主だ」とか訳がわからない。
こちらはとりあえず銀川に帰ったら1週間ぐらいは自主隔離かなと思っていたのに、「じゃあ火曜日のリハが終わったらみんなでFunky囲んでメシ行くからな!!」と大盛り上がり・・・

過去のチャット履歴を見ると、どうやらどこかのバンドのメンバーが感染してツアーが中止になったらしい。
布衣楽隊の冬のツアーは本来ならもう始まっている予定だったが、先月のゼロコロナ政策による締め付けのため来年1月からに延期になった。
だからこの12月の間に出来ればメンバー全員感染しておきたいのだ。

「コロナは一度感染すると半年はもう感染しない」という医者の発言がネットで出回っている。

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もう一体何を信じていいのやらわからない(>_<)

銀川に帰り着いて、私はまだ感染しているのかどうかはわからない。
P C R検査を受ければもっと色んなめんどくさいことが起きるだろうから怖くて受けられないのだ。

もう今ではP C R検査を受けなくてもこの国で生きてゆける。
省を跨ぐ移動も何の障害もなく出来る。このような無症状の感染者が平気で中国じゅうを飛び回っているという事例はきっともっともっとたくさんあるのだ。

なのに政府発表による中国のコロナ感染者の数は減ってゆく一方である。
もう誰もP C R検査を受けないのに、一体何を根拠にこの数字を出しているのか?

そのうち中国政府はこう発表するかも知れない。
「我が国の偉大なるゼロコロナ政策を大成功を収め、ついにこの国ではひとりのコロナ患者もいなくなりました!!」

上に政策あれば下に対策あり。
この国の人民は政府の発表に翻弄されながらも逞しく「自分の身は自分で守って」生きてゆくのだ。

銀川に戻ったその日、政府は「行動アプリ」の撤廃を発表した。

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これまで、過去1週間(ちょっと前までは2週間だった)に行った都市の一覧が出るアプリである。仲間内は大喜びでこのニュースを拡散した。

しかしだからと言ってこの国の国民の行動の監視が緩まるわけではない。
「コロナに関して」ということだけであることに間違いはなかろう。

ゼロコロナ緩和・・・まだまだ混乱は続きそうだが、このまま上手く着地して収束してくれることを願うのみである。

Posted by ファンキー末吉 at:14:09 | 固定リンク

2022年11月10日

中国の若いバンドのレコーディング

布衣のツアーが終わり(14本キャンセルで涙)、最終日の西安が終わったらメンバーは銀川へ、私は北京に仕事があったので久々に北京に帰って来たら銀川がロックダウン!(◎_◎;)

仕事もなく、1ヶ月ほど失業者として暮らしていたが、そんな時に飛び込んで来たこの仕事・・・甘粛省から出て来た若いバンドのアルバムレコーディングでドラムを叩くという仕事である。

ところが送られて来たドラムの打ち込みが病的に凄い!(◎_◎;)
言葉でなんと説明したらいいか難しいが、ブレッカーブラザースの「スポンジ」という曲で、ドラムのテリーボジオがサックスソロの間ずーっとドラムソロみたいに叩きまくってるのをドラムマシンで全部打ち込んでいるのだ(>_<)

「お前、これ何日かかって打ち込んだん?3日?」
打ち込んだデブのアレンジャーに聞いてみた。

「3日じゃ無理ですよ(笑)」・・・てどんだけ神経質なん?!(◎_◎;)
んでそんだけ神経質でなんでそんだけ太ってるん?(笑)

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というのも、彼らが「レコーディングの前に是非一緒にお食事を」というから飯食いに行っての会話である。

中国も新しい時代に入っているのに、この若い世代が「仕事の前に是非お食事を」と言うのは、これって中国人の遺伝子に組み込まれてるんか(笑)と思う・・・

もうひとり若いプロデューサーがまた神経質で・・・(>_<)

「これがスタジオのドラムセットのリストです。Funkyさん選んで下さい」
って叩いてもないから選べんがな・・・

「スタジオの人がどれが一番いいセットか知ってるから選んでもらって〜あ、そうそう、ヘッドはあまり古いやつだとどんだけチューニングしてもあかんからそれも含めて、ね」

と言ってたのだが、いざスタジオに来てみたらこのソナーのドラムセット!!

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ソナーのドラムは久しぶりなのだが、このタムフォルダって初めて!(◎_◎;)
どうやって外すん?(>_<)

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色々やってみて発見!!この黒いところを回すとスポッと抜けるのな!(◎_◎;)

そしてソナーあるある、ソナーだけがネジの種類が違うので普通のチューニングキーが使えないのな・・・

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スタジオの人に「ソナーのチューニングキー持って来て〜」と言ったら持って来てくれたのがこのドライバー(>_<)

初めてドライバーでチューニングしたわ!!(笑)

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スネアがいっぱい並ぶ・・・

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ちょっと叩いてみて一番いいやつを選ぼうとしたら、痩せてる神経質な若いプロデューサーが・・・

「これは全部叩いて下さい。曲によって全部変えます」

!(◎_◎;)

あのね、まあドラマーによって違うのかも知れんが、ワシなんかは一番いいやつを選んでそれで全部叩く。
まあスネアによって音色が違うのはわかるが、一番いい音を出すスネアと、それより落ちるけど音色が違うスネアとどっちを選ぶという話である。

また「シンバルも曲によって全部変えますから」ってあーた!!(>_<)

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まあお前らのアルバムや、お前らの好きなようにすりゃええわ〜
というわけで、太った方の神経質なアレンジャーが打ち込んだみたいにドラムを叩きまくる〜
いや〜久しぶりに1曲で2時間以上かかったなぁ〜(>_<)

そしたら若いスタッフが来てスネアとシンバルを入れ替える〜!(◎_◎;)
なんか「先生は休んでて下さい。僕らが全部やりますんで、先生は出来上がったら来て叩いて下さい」みたいな〜
見事な敬老精神(笑)

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でもねぇ〜・・・結局毎曲スネアチューニングするのは私なんですけど・・・(涙)

というわけで夜中の11時に6曲全部完了!!飲みに行くぞ〜!!・・・と思ったら「中国太鼓も叩いて下さい」と(>_<)

まあええわ、酒奢ってくれる言うから何でもやりまっせ〜!!

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そして夜中の12時にやっと打ち上げ〜隔離で来れなかったメンバーが酒の差し入れをしてくれたのでそれを飲む〜
中国は酒持ち込めるっつうのがええよなぁ〜・・・

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主なメンバー達は片付けをしてから来るというわけで、ワシは太ったアレンジャーと共に先に来たのだが、まあ持ち込み酒はいいとして、こんな高そうな肉とか勝手に頼むわけには行かんので〜

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ツマミ程度のんを頼んで持ち込み酒を飲む〜

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そしてみんな揃って乾杯し、「肉の注文は任せる!!」と言ってずーっと心待ちにしてたのだが・・・

焼肉屋なのに結局最後まで肉は来なかった(>_<)
まあ若いバンドにこんな高そうな肉を奢らせるわけにはいかんからな(笑)

それにしても今日一番不思議だったのが、スタジオに若いのが訪ねて来て、
「Funkyさんが来るって言うから待ってたんです。僕は実は昔ドラムを叩いていて・・・」

写真を撮り忘れたが、聞けば若いのにこのスタジオのオーナーの一人だと言う・・・
そして彼がプレゼントしてくれたのが・・・

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絵?!(◎_◎;)・・・彼が趣味で描いたんですと!(◎_◎;)

いや〜なんぼプレゼント言うたかてこんなんもろたん初めてやわ〜院子に持ち帰って飾っとこう〜谢谢!!

というわけで酔っ払って帰って次の日の列車で銀川に帰る〜!!
そう言やバンドの名前聞いてなかったけど頑張れよ〜!!(笑)

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Posted by ファンキー末吉 at:11:08 | 固定リンク

2021年10月17日

布衣2021年ツアー北京1

出会った時は結成10周年コンサートに10人しか集められなかったバンドが、26年も続けると北京の中堅クラスのライブハウスをソールドアウトに出来るんやなぁ・・・シミジミ

この日はライブ撮影が入るというので、パール楽器の代理店である中音公司にPearlのドラムセットを用意してもらった〜

モニターなのにツアーではほとんどPearlを叩いたことないっつうのはさすがにあかんやろ〜・・・

私はドラムはPearl、シンバルはSabianのモニターなのでシンバルも持って来てもらってセッティング〜

リハをやってたら「サンバ隊5時に入ります〜」とか言ってたので、今日はオープニングアクトにパーカッショングループが入るのね〜と思ってたらライブでも一緒に一曲やるの?!(◎_◎;)

言うといてよ〜一応ドラマー兼プロデューサーなんやから〜(>_<)

言うといてくれたらリハぐらい見学に行ってコンセンサス取れたのに〜
・・・ってそれより布衣は毎回マルチで録音しとるけど録音の準備せないかんやん〜・・・

「いや、録音はいいよ、ぐちゃぐちゃになっちゃうし」
・・・てあーた!!・・・やっぱ信用してないのね(笑)

本番開始!!

いや〜いっぱい入ったなぁ・・・
客が入るとライブも盛り上がる〜

ダイブ!!

今回から新しい拡張機材を買って32chのマルチで録音出来るようにしたので、観客席にもマイクを立てて客の声援もばっちし録れるようになった。

ドラムの後ろにもカメラをセッティングして、ちゃんとミックスしたドラムソロ!!
(アンコールのプロレス技は手持ちのスマホカメラです〜)

いや〜映像はどんなんやろうなぁ〜いいライブビデオになりそうじゃ・・・

それにしても何故急にここだけ撮影が入ったんやろ・・・
タダなのか?!!タダだったのだな!!!(笑)

翌日は北京ダックを食っていざ3回目のツアー開始!!
今回は28本で今年の58本はこれで終了!!

デブによる北京ダックの食い方(笑)

Posted by ファンキー末吉 at:10:31 | 固定リンク

2021年8月13日

教え子・・・

泉くんというドラマーがいる・・・

もう30年近く前になるだろうか、アメリカのバークリー音楽学院を卒業して、「日本に帰るのもなんかなぁ〜」ということで北京に来て、その後北京現代音楽学院の先生をやりながらJazz活動などをやっている。

当時は音楽学院と言うとクラシックを教える学校がほとんどで、ロック、Jazz、ポップスなどを教えるところは本当に少なかったので、今になってみると、中国の音楽界で活躍しているドラマーはそのほとんどそこで泉くんに教わったということになる。

先日のドラムフェスティバルで会ったドラマーも
「俺は泉先生の生徒だよ、こいつも。まあ中国のほとんどのドラマーはそうだよ」
などと言っていた(笑)

こいつら

20210727DaTong30.jpg

それはそれで凄い話なのであるが、私はと言うと、「誰に師事した」というのもなく、まあ心の師匠としては村上ポン太さんなどがいることはいるが、実際ドラムを教わったこともない・・・

まあどんな楽器もそうなのであろうが、ドラムもある程度の技術を持つと、あとは生き様というか、なんかもっと別のものが大切なような気がしている・・・

中国では「ドラムを教えて下さい」とやって来る若者がたくさんいた。
こんなヤツもいた)
こんなヤツも)

もう最近では「じゃあ1年俺と一緒に生活しろ!!」と言う(笑)

「包丁一本サラシに巻いて〜」という歌があるが、その昔日本の料理人の世界でも、弟子入りして数年は包丁も握らせてもらえないという話があった。

毎日毎日皿洗いをしながら師匠の仕事を見る。
「ああ包丁を握りたい」と思っても「まだ早い!!」と言って怒鳴られる。

数年経って、「もういいだろう」になった頃、スポンジに水が染み込むように教えが浸透してゆくという話だ。

ドラムだって同じだと思うぞ・・・

「俺のドラムを学びたかったら、まず俺の生き様を見ろ!!それがロックだ!!」
などと言って突き放す(笑)

実際それについて来た人間というのは、実はドラマーではなくキーボードの張張(Zhang Zhang)!!
「僕の全てはFunkyさんから教わったんです」
と言うが、さもありなん、出会った時はコード3つしか知らなかったんだから「全てを教えた」と言っても過言ではあるまい(笑)

まあ自分自身が人から教わったことがないわけだから、「人に教える」ということは、私にとってはそれはそれは大変なことである。

「クリニック」と言って呼ばれるものは、「1日だけ」教えるわけで、必然的に「生き様」など教えられるわけもなく、「上っ面のテクニック」だけを教えて帰ることとなる。

まあ呼ぶ方もそれで満足なのだから別に問題ない(笑)。
こちらもそこに誰がいたのか覚えていて、その生徒の将来を案じて・・・とかも全然ない(笑)。

そうでない場合はと言うと・・・北朝鮮でロックを教えるプロジェクト!!

彼女たちはこの私の「ロックの愛弟子」だと思ってるし、最後に教えた一平(イルピョン)などは、「Funkyさんは私の最初のドラムの先生です」と言っていたのでやっぱ「教え子」である(笑)

朝鮮総連のイベントに出演して、平壌に行く団体があると言うことで、ファンキー末吉モデルのスティックを彼に渡してもらうように、ステージ上からそれを託した時に、
「会いたい人に自由に会いにも行けない世の中にしたのは私たち大人です。あの子たちにそんな世の中を変えてもらいたい」
とスピーチしながら泣いた・・・

「日本人は悪い人ばかりだ」と教わって育った彼らに、「敵国の音楽」である「ロック」を教えた・・・
短い時間ではあったが、そのこと自体が「ロック」であり、「生き様」を教えたことであると思っている。

今はドラムを叩いてないかも知れない。
でもどこかに私と共有した時間を覚えていて、それを抱きながら「世界をもっとよくしよう」と頑張って生きているのだとしたら、それこそ紛れもない「私の教え子」である!!(涙)


まあ北朝鮮にはいたとしても、この中国にはなぁ・・・と思ったらいた!(◎_◎;)

20210813Oshiego2.jpg

これはある大学生から布衣に宛てたファンレターである。
そこには大体こんなことが書かれている。

「自分は大学生で、今バンドをやってます。
実は自分は山東省临沂の出身で、2010年ぐらいにFunkyさんが地元の大劇場で演奏するのを見ました。
(注釈:これか?)
その頃自分はまだ8歳だったので、わけもわからずそれを見てましたが、Funkyさんの爆発力に震撼させられ、わぁ〜ドラムってこういう風に叩くんだ〜と思いました。
その後頑張ってドラムを練習してましたが、16歳の頃、学業とのプレッシャーで続けることが難しくなって来ました。
ところがある日、ひょんなことからFunkyさんのドキュメント映像を見て、電気に打たれたようなショックを受けました。
それからFunkyさんの映像を探しては見たりしてたのですが、自分が一番感激したのはFunkyさんの生き様です。
あの時、何もわからない小学生の子供だった私が、あの日もう一度スティックを手にしてドラムの前に座りました。
思えばあの10数年前のFunkyさんの演奏、あれが私のロックの扉を開いたんだと思います」

おったんやなぁ・・・シミジミ

似たような話で彼女!!

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彼女も小さい頃、青島の私のクリニックに参加してたらしい!(◎_◎;)

その時の様子・・・

その後打楽器奏者への道を歩み、今では世界の色んな賞を受賞してミュンヘン音楽学院への留学が決まっているという・・・

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もうね、彼女の演奏が凄いのよ〜・・・

もうね、スネアという楽器だけ取るとワシより断然上手い!!(>_<)

彼女のプレイから「ロック」を感じるのは私の贔屓目?・・・

お父さん曰く、「小さい頃に貴方の演奏を見たのは大きく影響してるだろう」とのこと・・・

彼女からこんなメッセージが送られて来た・・・

20210813Oshiego1.jpg

「先生、私はあなたのことが大好きです!!!!ずーっとあなたを尊敬してます。
当時私を認めてくれて励ましてくれてありがとう御座います。
これからもあなたから学び続けます!!!」

ってあーたドラムセットは別にして、打楽器奏者としてはもうワシからなんぞ学ぶことなんかないやろ!!(笑)

そう言えば彼女もやっぱ私の色んなドラム映像を見まくっているようじゃのう・・・
ネット社会の新しい影響力やな・・・

まあどこで誰に撮られてアップされてるかわからん世の中やから、毎回毎回悔いが残らんように叩いとかないかんのう・・・(>_<)


また先日の河南省開封での美女!!

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一番前のど真ん中に陣取ってワシばっか見て、ワシにばっか質問!(◎_◎;)

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ワシが男前やからと思ったらそうでもないらしい(笑)
「ドラムのチューニングについて教えて欲しい」
と言うのでLaoWuが「じゃあリハ時間に会場おいでよ」ということでちょっとしたクリニック・・・

そして彼女はこの夏休み、わざわざ銀川までやって来て2日間私のクリニックを受講した!(◎_◎;)

その時に聞いたのだ、彼女も実は小さい頃唐山のクリニックに来てたと・・・

このブログの中でも書いているが、ここのドラム教室の先生もこの時の北京でのクリニックを見に来ていたらしい・・・

そんな連鎖の中で今も私はこの活動を続けている・・・
大事なことは「今もやり続けている」ということである。

もしやり続けていなかったら、冒頭の若者は「ロックの扉」をこじ開けられて(笑)再びスティックを持つことはなかったかも知れない・・・
(その方が貧乏ロッカーより幸せか?笑)

全中国を廻る活動は2008年からだが、大きい会場では1000人以上入ってたわけだから、100本廻ったとしたら、少なく見積もっても数万人の子供ドラマーが私のドラムを見ている・・・

その多くはきっと受験戦争とかでドラムをやめてしまってるだろうが、何人かはまたスティックを手にして、私から受け取った「爆発的な感情」を胸に抱いて新しい人生を生きているのかも知れない・・・

1回その土地に行ってドラムを叩いたからと言って「教えられること」なんかほとんどない。
上っ面のテクニックとかじゃなくて、何らかのこの男の「生き様」を感じ取ってくれさえすれば、それが私の一番「教えたい」ことである。

「教え子」と呼べる人間はほとんどいないが、
でもその「生き様」がその子の人生を大きく変えたのだとしたら、それはそれで立派な「教え子」なのではないか・・・

多くの教え子達に恥ずかしくない人生を送らないかんのう・・・

そんなことを思う今日この頃であった・・・

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2021年4月22日

ワクチンレポート

2021年4月20日、中国は北京にてワクチンを打って来た〜

私の周りのSNS(日本)では、ワクチンはどれだけ危険だとか、ワクチン打っても感染したとか、ヒステリックに反対の声を上げる人をよく見かけるので、「私の場合はどうだった」というのをアップしとこうと思う・・・

まず国外でワクチンを接種する場合、カンボジアでは日本大使館がこのようなアナウンスを流していた。

末吉覚さんの投稿 2021年4月21日水曜日

中国では知らんが、まあ似たようなもんであろう・・・要は「自己責任で」ということである。

北京の院子で一緒に暮らしている方言(FangYan)はとっくに受けたということで打て打てと勧めて来る(>_<)

ご丁寧に「外国人がワクチンを打つ場合」という案内文まで送り付けて来る始末(>_<)

天邪鬼なのかそう言われればどんどん打ちたくなくなる(笑)・・・ってかめんどくさいのよねぇ〜案内文も中国語やし、こんなに漢字がいっぱい並ぶと読むのにもアレルギー反応が〜・・・

ってなことで、鬱陶しいので「ワシは打たん!!」と返事したらまたうだうだと〜(>_<)

末吉覚さんの投稿 2021年4月21日水曜日

もうね、何がイヤってめんどくさいのがイヤなの!!
噂によると中国人には無料だが外国人は有料という話もあり、「金払ってめんどくさいことをする」というのが生理的にイヤなのよね〜・・・(>_<)

ってなことでほっといたら、今度は布衣のマネージャーからメッセージが〜

末吉覚さんの投稿 2021年4月21日水曜日

ツアーが始まるのでそれまでにみんな打ちましょうね〜ということなのだろう・・・
聞けば寧夏回族自治区では外国人に打てる施設(システム?)がないということで、「北京に行くならついでに打って来い!!」ということなのだろう・・・

まあそこまでお膳立てされたらしゃーないなぁ〜・・・というわけで行ってきた〜!!

末吉覚さんの投稿 2021年4月20日火曜日

外国人専用なのかいきなり英語で喋りかけられる〜(>_<)
中国語で喋ってよ〜カンボジアから帰って来てもう英語なんか忘れてもーたし(涙)

「中国名で予約しとくから着いたら自分の名前に変えてね」と言われているので、布衣のマネージャーから送られたメッセをそのまま見せて、その中国人名を検索してもらうが見つからず、探したら私の名前で予約されていた!(◎_◎;)

もう既に名前変更されてたのね・・・

ちょっと写真を撮るような雰囲気ではなかったのでここからは文字情報だけになるが、まず同意書にサインをさせられる。

末吉覚さんの投稿 2021年4月20日火曜日

「英文と中文とどちらがいい?」と言われるのでもちろん「中文」(笑)
そして問診票に記入・・・

「过敏(アレルギー)」という欄があったが、私のように花粉症に毛が生えた(花粉症に毛は生えん!)ようなのはどうなのかと迷ってはみたが、「薬を打ってアレルギー反応が出たことがあるか」という意味であると判断して「否」にチェック!!

まあそんなこと言ってたら日本人のほとんどは花粉症やから打てんもんなぁ・・・

それから全く並ぶことなく、診療室に入り、「腕をめくれ」と(笑)
い、いきなりですか・・・

薬を取り出してその表示を見せる。
「中国産ですけどいいですね?」

いや、選択肢は他にはないやろ(笑)

まあ考えるに中国産を嫌がる外国人もいるのかも知れない・・・
薬や粉ミルクや、一時期は騒がれたからなぁ・・・

そういや中国人はこの中国製ワクチンを信じているのだろうか・・・
周りでは全く疑う声を聞かない・・・

この情報統制された監視社会で、どれだけ政府が都合の悪い情報を隠したって、人民はその独自の情報交換によって身の安全を守って来たのだ。
中国人はそうやって生きて来たのだ・・・

というわけで私自身の結論!!(注:私個人の考えですよ)

中国人のやることに間違いはない!!
従って中国製は安全!!(笑)

ということでうんうんと頷いただけですぐに接種!!
「筋肉注射だから痛い」と聞いてたが全く痛くなく、絆創膏貼ってはいおしまい!(◎_◎;)

「今日一日は風呂に入らないで下さいね。そして最低でも3日は酒を飲まないこと」
強く説明される・・・

ワシ、ここに来る前に酒飲んで来ましたがな・・・(>_<)

末吉覚さんの投稿 2021年4月20日火曜日

打ち終わったら30分様子を見ますのでそのまま外で待ちなさい、と・・・

末吉覚さんの投稿 2021年4月20日火曜日

え?・・・行動は全く思慮深くないが、どちらかと言うと「考え過ぎる」人間であるワシは、ここで色々と悪いシミュレーションを始めてしまう・・・

「飲酒が原因でこの30分の間にアレルギー反応が出てショック死!!」
と不安になったらちょっと頭がくらくらして来た気もするが、基本的に何事もなく30分(笑)
ちなみに金は取られなかった!(◎_◎;)

「健康アプリ」にはこのような情報がアップされてます〜

末吉覚さんの投稿 2021年4月21日水曜日

その後は実は飲み会・・・はてさて飲むべきかやはり禁酒すべきか・・・

一応「ワクチン打ったので飲みません」と断ってたのだが、「私は打っても飲みましたよ」という人間が続出!(◎_◎;)

でも一人の日本人は、「私は打った後、夜8時ぐらいから目眩がして、翌日も朝から具合が悪く会社に行けないような状態でした」という人もいたので、これは全く「人によるのだな」と解釈!!
その後も一応飲んでません!!(キッパリ)

それにしても一時期タバコを吸わない人にも勧めてた中国人が、「自分は打ったけど飲酒してどうもなかった」としても人に酒を勧めないなんて時代が変わったなぁ・・・

なんか中国人がみんな「いい子」になってしまったようでつまらんぞ(笑)

思えば独裁体制とITによる徹底的な監視社会により、結局コロナを封じ込めた政府に対する「信頼感」みたいなのが生まれて来てるようにも見える・・・

この国が一枚岩になったら怖いぞ(笑)

それにしても中国に比べると、遠く眺める我が日本の政府のなんと「無策」なことよ・・・(涙)
これでは色んな意味でこの国に負けてしまうぞと何気に不安なワクチン接種日であった・・・(笑)

Posted by ファンキー末吉 at:10:46 | 固定リンク

2021年3月29日

お子さん生誕100日目パーティー

中国ではよくあるパーティーで、その子供をネタにみんなで集まって飲んで、飲み代は結構ご祝儀でペイして、ヘタしたら「儲かる」という・・・!(◎_◎;)

まあ中国の音楽界では重鎮のLuan3兄弟、末っ子の栾三儿がいつ結婚したのかも知らなかったが、子供が出来てもう100日というのも驚きである。

まあ「ご祝儀」というのはどの国でも頭の痛い問題である。
一体いくら包めばいいのか、どのように渡せばいいのか・・・

特にこのデジタル化が進んでいる国で、まさかご祝儀もスマホで?・・・・
などと考えてもいたが、やっぱ昔流に現金を紅包(HongBao)に包んで持ってゆくことにした・・・

っていくらぐらい入れるもんなの?(>_<)

人に聞いても「関係によってその額は変わる」とのことで、この辺の判断が一番難しい・・・

ちなみに名前がある人や金持ちほど額は増えると言う((((;゚Д゚)))))))
いやね、名前はあるが金のないワシはどうすればいいの〜(涙)

ちなみにこの3兄弟の次男坊はLuanShuという国内ナンバーワンのプロデューサーである。
彼が日本に来た時にちょうどうちの娘の誕生日で、彼はレストランに友達呼び集めて全部で10万円以上の食事を奢ってくれた!(◎_◎;)

もしワシが金があったらその弟の子供100日目にぽんと10万円ぐらい包んでやりたいもんだが、如何せん金がないのと、それより彼らにワシは金を借りている・・・
「ご祝儀ぽんと払うぐらいなら金返せ」と言われかねない(>_<)

まあしゃーないなぁ〜・・・「最低っていくらぐらいなの?」と聞いて、とりあえず「千元」包むことにした。

ワシの今の生活ではちと痛いのう・・・(>_<)

末吉覚さんの投稿 2021年3月29日月曜日

さて会場として送られて来た住所に着いたのだが、看板も何もない!(◎_◎;)
どうやら金持ちが宴会やるのは一般人客が来るような場所ではないらしい(>_<)

末吉覚さんの投稿 2021年3月29日月曜日

何やら小さな門みたいなのがあるので入ってみたら・・・

宴会場にステージが!!(◎_◎;)

招待状が来ているわけでもなく、出欠を取ってるわけでもないので基本自由席!!
「ここに座れ」と言われて座る〜

末吉覚さんの投稿 2021年3月29日月曜日
末吉覚さんの投稿 2021年3月29日月曜日

このテーブルには大御所はおらず、まあワシが一番歳上のようなので、遠慮なく先に飲み、先に料理に手をつける・・・
目上が先に手をつけなければ誰も手をつけられないでしょ〜しゃーないなぁ〜・・・

それにしてもワインが美味い!!(涙)
酒の味がわかるわけではないのだが、高いもんはやっぱ美味い(号泣)

末吉覚さんの投稿 2021年3月29日月曜日

3兄弟のうち、長男、三男は裏方、次男はスターなので、やはり司会進行は次男が・・・

末吉覚さんの投稿 2021年3月29日月曜日

ちょっと遅れて主役が登場〜!!
抱いているのが奥さん。初めて会ったと思っているが、どうや向こうは会ったことがあるような様子なので敢えて「久しぶり」と言っておく。
どの道、中国に入ったのは1年半ぶりなのだ。誰と会っても「久しぶり」で、「この前会っただろ」はあり得ない(笑)

末吉覚さんの投稿 2021年3月29日月曜日

ちなみに右側は次男の嫁、去年中国の映画大賞で最優秀主演女優賞を撮った・・・
現在彼女と次男とのデュエット曲を日本とのリモートで録音ちう〜

料理が美味いのよ〜

末吉覚さんの投稿 2021年3月29日月曜日
末吉覚さんの投稿 2021年3月29日月曜日
末吉覚さんの投稿 2021年3月29日月曜日
末吉覚さんの投稿 2021年3月29日月曜日
末吉覚さんの投稿 2021年3月29日月曜日
末吉覚さんの投稿 2021年3月29日月曜日
末吉覚さんの投稿 2021年3月29日月曜日

末吉覚さんの投稿 2021年3月29日月曜日

あとは入り乱れて飲む!!(笑)

末吉覚さんの投稿 2021年3月29日月曜日

セッションが始まる・・・ってか昔はこんなぐたぐたのセッションって大嫌いだったのよねぇ〜
曲確認しよや〜構成確認しよや〜コード統一しよや〜
どうせやるならちゃんと演奏しよや〜
でもなんかもう慣れた!!(笑)

「なんかロックの曲やろうぜ!!」
になって、長男がいきなり歌い出したのが崔健の曲!(◎_◎;)
日本で言うと「ほなラウドネスやろか〜」みたいな・・・(笑)

やはりぐちゃぐちゃで終わる・・・
会ったことあるかないか不明だが、女性歌手も出て来て歌う・・・

まあこれはコード進行がずーっと同じなので楽かな・・・(笑)

そこからまたグダグダに歌うか飲むかなのだが、
長男の嫁(これも中国音楽界の重鎮)がやって来て、
「やっぱ国内最高峰のドラムは違うわよねぇ」
ってこのグダグダセッションで言われても〜(涙)

思えば「殿堂入り」という言葉があるが、
私もBEYONDのWINGみたいに、「ドラムセットに座るだけで人が満足する」みたいなレベルに来ているのか?!(◎_◎;)

いかんのう・・・ドラムが下手になる(笑)

末吉覚さんの投稿 2021年3月29日月曜日

そして例のごとく食い終わった飲み終わった人間から適当に帰る(笑)
いや〜結婚式であろうがどんな宴会であろうが「締め」というのがないのが中国である・・・

ファンキー末吉ブログ:お子さん生誕100日目パーティー https://www.funkyblog.jp/2021/03/post_1472.html いや〜高級中華料理久しぶり!!高いワイン久しぶり!! ご祝儀やタクシー代の出費は痛いが、これも中国で仕事するには欠かせない行事である!! しゃーないなぁ〜・・・(笑) - Spherical Image - RICOH THETA

主役の赤ちゃんと三男夫妻はとっくに帰ってしまっているのだが、長男次男がドロドロに酔っ払っているので(名誉)長男としては帰るわけにはいかん(>_<)
追い出されるまでグダグダに飲む!!(笑)

末吉覚さんの投稿 2021年3月29日月曜日

代行を頼んだ長男の家まで同乗して、あとはタクシーで院子まで〜
遠いのよ〜なんぼタクシー代安いからって2000円近く(>_<)

まだまだ無職の身では出費である(涙)

でも考えてみれば、ご祝儀15000円+タクシー代2000円でこの高級中華料理と高級ワイン飲み放題ってまあまあ・・・(笑)

友人としての(ワシの場合は「家族」としての)結びつきを強めることは今後の仕事のためにも大切な「行事」なのよね〜

隔離も終わったしぼちぼち働かなのう〜・・・(>_<)


Posted by ファンキー末吉 at:15:53 | 固定リンク

2019年12月25日

個性の塊!!才能の宝庫!!

前回のこの修羅場の仕事の前にこのバックの仕事は決まっていた。

「Funkyさん〜曲数が多くて大変な仕事なんだけどひとつ頼むよ!!」
そう言ってLaoLuanから頼まれていた。

どんなイベントなのかはその時には聞いてない。
まあどんなイベントであろうがやることは同じ、
曲をもらって、それをライブアレンジにアレンジして、バックバンドのメンバーに指示してそれを完璧に仕上げる・・・それだけである。

と言いつつ、例によって中国!!曲が出て来たのはイベントの1週間前!!(>_<)
中国あるある〜である。

私は自身はいつも前日にやるのでいいのだが、他のミュージシャン、特にピアノの弾き方やギターの弾き方まで完璧にコピーしなければならないギタリストやキーボーディストは大変である。

早く譜面を書いて渡して上げなければそれだけ演奏の質が下がってしまうということになる。

かと言って私はこの修羅場をまだやっているわけだから譜面を書く時間なんてない(>_<)
ということでネットで譜面書いてくれる人を募集した。

手を挙げてくれた高橋亜土さん、やり始めて気付く、
「これ1曲に1時間かかったとして、26曲だと26時間かかるじゃないですか!!」
つまり他の仕事をやりながら1日数時間ずつやってたのではリハーサルにも間に合わないということになる・・・

困った時のよーしーずということで渋谷有希子にも応援を頼み、二人が徹夜して1日で全部書いてくれた!(◎_◎;)

いや〜大助かり!!、譜面がなくって100回聞くより、譜面を見ながら数回聞く方が数段頭に入りやすい。

「みんな各自コピーしといてね」という現場もあるが、それは各人にこの20数時間の労働を強いているわけだし、それぞれがコードなどを間違って採ってたりすると、それこそリハでぐちゃぐちゃになって能率が悪い。

やはりバンマス(バンドリーダーの意)が「これで!!」と大きな指針を提示することが大事なのである。

つまり、この「譜面起こし」でバンマスの仕事のほとんどは終わっているというわけだ。

こちらの修羅場が終わったら、全曲聞いて、コードが間違ってないかチェック!!
間違えてる部分はメンバー全員にそれを通達する。
ストリングスやギターの大事なフレーズなどはここで注意書きとして送っておく。




その通達には、中国ではWeChatというアプリを使う。
というか、リハーサル場所の共有やファイルの共有、更にはギャラの振り込みまで、中国ではこのアプリを持ってないと仕事が出来ないというぐらいである。

「バンマス仕事」をやりながら、「ドラマー」としてドラムのコピーもせねばならん。

ドラムが入ってなかったり、エレドラだけであっても、一応そのフレーズはコピーして譜面に書き込んでおく。
レコーディングの場合はこのエレドラの音色にこだわってこのように完成したとしても、生演奏の場合は生ドラムで叩いた方がライブ効果としてよかったりするからである。

特殊な音色や世界観など、プログラムを走らせないと無理な楽曲も多く、それぞれの歌手に手配をお願いする。

「誰か私の代わりにプログラム走らせるの担当してくれない?」

メンバーグループの中でそう発言してみるが、誰も尻込みして手を挙げてくれない(>_<)

誰もいなければ自分でデータ取り込んでドラムのところから自分でプログラムを操作しなければならない。
(ちなみにX.Y.Z.→Aとかプログラムが少ない現場ではいつもはそうしている)

まあ実質私には時間がないから無理なのである。
誰もいなければ誰か雇わねばと思ってたらキーボーディスト扬乐(YangLe)が手を挙げてくれた。

ちなみにこの作業はキーボーディストがやることが多いが、ラップシンガー爽子(Shuangzi)の場合はベーシストがやってたり、プロデューサーがその操作専門でツアーに同行したりもする。

キーボード奏者を二人にしてもらってて正解!!
結局この扬乐(YangLe)はキーボードを弾かずにプログラム操作に忙殺されることとなる・・・


いざリハーサル!!

メンバーはコーラス以外、扬乐(YangLe)を含めて皆初対面!!
「若手」というにはおっさんばかりだが、私と一緒に一時は中国全ての仕事を一緒にやってた一流プレイヤー達はもう大御所となってしまい、きっとギャラも高くて呼べないのであろう・・・

私を若いミュージシャンと組ませる、その意味は「若手を育てる」ということである。

グループメッセージには
「あの偉大な大先輩と一緒に仕事をさせてもらうんだから一生懸命大先輩の仕事を勉強させて頂きます」
という書き込みがあるぐらいで、私としてはこうなるともうどんな仕事であろうが手は抜けない。
とにかく仕切り、そしてドラムのプレイにはどこをどう切り取っても「完璧」であるしかない。

緊張感漂う中、初日のリハーサルは終了!!
次の日には歌手を招いてリハーサルである。

ここで歌手の意見を取り入れて変更とかあり得るのでフレキシブルに考えておかねばならない。

最初の歌手はLaoLuanとこの歌手で顔見知りなのでさらっと終わったが、
次の歌手は実は採譜するのも大変な電子音楽で、これがまたとびきりの美人なのだが、クールビューティーで全く笑わない((((;゚Д゚)))))))

プログラムデータも送られて来ていたが、やっぱバランスとかも気になるのだろう、カラオケにドラムだけ生で足してということになった。

1曲叩いて聞いてみる。
「こんな感じでいいですか?」

「いいわよ」
クールビューティーは全く笑わない((((;゚Д゚)))))))

次の曲はもらってた音源と違う曲で、結局叩くことは出来ないので、
「これは今日は無理なので当日出来るようにしときますから」

「いいわよ」

また全く笑わない((((;゚Д゚)))))))

見れば他の歌手はマネージャーや付き人などがついて来てるのに彼女はひとり。
データが違ってたりしていると自分でパソコンを開いてデータを送る。

こいつ・・・全部自分でこれだけの音楽を作っとるのか!(◎_◎;)

美人なのに美人なのに・・・(涙)
↑(自分で言っててあまり意味がわかりません(笑))

このクールビューティー、私とは結局ひとこと、
「你的头发很酷!!(あなたの髪型かっこいいわねぇ)」
というのを交わしただけであるが、それでも笑顔を見せない。

いや、怒っててこんな会話にはならないわけだから、彼女にとってはその時は精一杯の笑顔だったのかもわからないが、きっと「破顔一笑」というのは出来ない人なのかも知れない・・・

そこから入れ替わり立ち替わり歌手がやって来てリハーサル終了!!

ラグタイムあり、ブルースあり、スウィングJazzあり、民族音楽から民謡、テクノにブルーグラスまで何と多彩な歌手たちの集まりであろう・・・

どんなイベントなんだろう・・・興味が湧いて来る・・・


ライブ当日、私は前日に東京でX.Y.Z.→Aのライブがあったので、
そのライブの終了後そのまま羽田に行って3時の飛行機に乗り、6時に北京着、そのまま会場に入った。

どうやらこのイベントは中国最大のIT関連会社テンセント主催。
この会社は中国最大のSNS「WeChat」と共に、中国最大の音楽配信サイト「QQ」も運営している。
(このブログ記事「今や中国の著作権ビジネスは日本より進んでいる?!」に出て来る音楽配信サイト)

つまり今日のこの出演者達はこのサイトで音楽配信をやっているアーティストなのだろう・・・

演目は3部に分かれていて、バンドを連れて来る人、カラオケで歌う人もいるが、半数以上は私がバンマスを務めるこのバンドが演奏することになる。

出演順に記憶を辿ってレポートしてみよう・・・

1、许均:バンドを連れて来たのでこちらの演奏なし、中国ロック

2、鹿京周:中国では珍しいラグタイムブルース(大村はんがやっているようなジャンル)と典型的なブルーグラスの楽曲を歌った。ギターを弾きながら歌う歌手だが、プログラムを走らせる曲なのに勝手に弾き始めて、結局プログラムなしで演奏(>_<)
<こんな曲>
鹿京周-芭提雅

3、林侧:アコギを使った不思議なポップスを歌う
<こんな曲>
清晨幻想曲-林侧

4、张羿凡:叙情的なポップスを歌う
<こんな曲>
环岛之旅-张羿凡

5、何小河:浮遊感漂う不思議なポップスを歌う
<こんな曲>
天尽头 - 何小河Doris

6、张浅潜:しわがれたロックな声で歌うシンガーソングライター、かなり古い歌手で、20年近く前から名前は聞いていたが残念ながらこの日歌った曲の音源は見つからず・・・

7、张楚:この日のイベントのハイライト!!私が90年に最初に北京に行った時に私を黒豹のライブに連れて行ったパンクスである。
次の日にこの曲を
「中国人は蟻だ!!大きな足で踏み潰される」
と言ってホテルの部屋で歌ってくれた。
「マイマイマイマイ」のサビが最後の方になると「マビマビマビマビニママディビ」、つまり「Fuck Your Mother!」になると聞いて、「よしお前の歌を俺が街中で歌ってやろう!!どこで歌って欲しい?」と聞くと彼はこう言った。
「Tian An Men Square」
かくして彼の見守る中、ギターを持って天安門広場に立った私は、密告おばさんとかに囲まれて怖くて歌えず、「お前らはこんな中でロックをやってるのか!!」と激高して今があるというまさにその曲である。
今の時代、パンクになって「Fuck Your Mother!」になることもなく普通にこの曲を歌って終わった(笑)

さてここでちょっと休憩が入り、私は楽屋でバンドメンバーに説教をすることとなる。

そもそもが、今日の本番に向けてLaoLuanがみんなに激を飛ばしている。
「みんな、Funkyさんをよく見て、決してミスをしないように!!」

LaoLuanにとって私は「絶対に間違わない人」・・・

いや、私だって人間だからやっぱ間違ったりもする。
ここまでの演奏だって、リム叩くところスネア叩いたり、小さな間違いだったらちょっとは合った。

でも人にはわからない。
それをうまく処理してミスに聞こえないように叩いている。

「絶対にミスをしない!!」
これを常に目標に掲げているので、少々理想からは下がったとしてもこの程度で済んでいるだけに過ぎないのだ。

それに比べてこいつらと来たら・・・

「ミストーンが多過ぎ!!それにどうしてカウント入れても入らないんだ?聞こえないのか?」

だいたい一番間違うヤツに限って言い訳が多い。

「ドラムまで遠いからカウントが聞こえないんです」
じゃあ見とけよ!!
「私の場所からは見えないんです」
言い訳すんな!!集中しろ!!

まあ次のステージからはコンダクターマイクという、曲席には聞こえないがメンバーにだけ聞こえるようなマイクをドラムの横に置いてそこに向かってカウントを言うことにする。


次のステージ、私のバンドが演奏したものだけ抜粋すると、

10、马梓皓:R&Bシンガー。リハでは自らライブアレンジを仕切って、前半は自分ひとりでギター弾いて歌い、2番からバンドが入るというアレンジになった。
<こんな曲>
马梓皓《已读不回》

11、莫非定律:男女二人組のキーボードとボーカルのユニット。質の高いポップスを歌う。
<こんな曲>
一次性劫难 - 莫非定律More Feel

12、宋黛霆:Jazz歌手かなぁ・・・Jazzフィーリングのボサノバの曲でJazzドラマーとして楽しくドラムを叩かせて頂きました。
<こんな曲>
宋黛霆的一首《RawAffections(feat》

13、Tngahook:京劇風のサウンドで、中国ならではの日本人にとっては全く新しいサウンド。電子ドラムの部分を生ドラムで叩かせて頂きました。
戏子

14、董晓禾:これもJazz歌手なのであろう、4コードで延々即興のように歌ったり、古い民謡であろう楽曲をオールブルース調のJazzにアレンジして歌ったり、残念ながらアップされている音源は見つからなかった・・・

15、晓月老板:こりゃもう、古い民謡をJazzとかにアレンジして最高!!久しぶりにSwing Jazzを楽しく叩かせて頂きました!!
<こんな曲>
晓月老板-虞美人·听雨


ここでまた休憩が入って、3ステージ目。

18、李文琦:これはレコーディングも私がやったし(その時の逸話はこちら)、まあLaoLuanとこ所属の歌手なので全く気を使わずこんな感じ〜

19、朱婧汐:リハでカラオケに合わせてドラムを叩いたものの、本番はやっぱ「要らんわ」となったのかコーラス隊だけ参加でバンドは参加しなかったので、私はいそいそとこのクールビューティーのライブを袖から見た。



いや〜・・・圧巻やった!!!(◎_◎;)・・・客席に向かっても全く笑わん(笑)

他の歌手は少なくとも観客とコミュニケーションを取る。
笑顔を振りまくまではいかなくても、何らかの方法で客席と一体化を図ろうとするのだが・・・

この歌手はまるで「私の歌を聞きなさい!!それだけでいいから」と言わんばかり・・・

つまり一切の「媚び」がないのだ((((;゚Д゚)))))))

特に圧巻だったのはこの曲!!
Intelligent高级智能

曲のテーマとなるリズムリフは、ともすれば2拍ずれてるように取れるリフで、
ご丁寧に頭に2拍フレーズを入れてもっとわからなくしているだけでなく、
歌もちょうど2拍待ってから歌うのでどこが頭か一瞬わからなくなる・・・

よーしーず、2/4を入れずによく譜面にした!!

それにしてもこの娘・・・ほんまにこのオケを自分で打ち込んで作ったのか?!(◎_◎;)
電子音楽系の仕事が来たら彼女に発注したいわ!!(笑)

私も仕事で時々このようなスタイルのアレンジをするが、
これはとにかく時間がかかるのだ・・・

「音色」こそが命なので、例えばドラムの音色ひとつ決めるのに数時間かかる・・・
イメージに合ったシンセの音色を、コンピュータの中の何万という音色から探し当てるのに、ヘタしたら一晩徹夜することだってあるぐらいだ。

それをこの美女がやっているのだとするとそれこそが物凄い!!

いや、決してブスを卑下しているわけでも何でもない。
「美人でいる」ということは、一日の中でそれなりにそのために時間を費やさねばならないと思うからである。

ひとつの曲を徹夜で仕上げて、髪はボサボサ皮膚はボロボロでリハにやって来るのだったらまだわかる。
元々顔立ちがいいのだからスッピンでやって来るのだったらまだわかる。

彼女は「美人である」ということをキープするために時間をかけながら、このオケを作っているということが物凄いと思うのだ・・・

この曲、サビでリズムがなくなって「Lie、Lie、Lies・・・」と呟く。
よーしーずが採譜する時に「コードがぐっしゃぐっしゃで何弾いてるかわからない」と泣いていたが、そのぐしゃぐしゃの混沌としたところから「Don't trust anyone」と歌ってそこを抜けるところがこの曲最大の魅力なんだと思うが、1番ではサビと同じく裏声(もしくは高音の綺麗な声)でそこを歌い、2番では地声で歌って曲が終わる。

ライブでは2番のこの部分を絶叫し、そのままステージに座り込んだ!(◎_◎;)

客を置いていくにも程がある。
おそらく前客席はぼーぅ・・・私はステージ袖で鳥肌が立った・・・

ちなみに、噂によるとこの歌手の他の曲はアメリカのビルボードでチャートに入ったという噂である。

朱婧汐新歌登录Billboard TOP 40流行指数榜

日本で言うと坂本九から始まり、ラウドネス、オルケスタデラルスに続く快挙である。

私は昔、日本でアジアの音楽を紹介するラジオ番組をやっていたが、
その時にフィリピン人の歌手がチャートに入ったのを紹介した時に、
「いつの日にか次は中国人歌手がチャートインする時代が来るよ」
と発言した。

そして、当時「アジアブーム」に沸く日本の音楽界がみんな、
「テレサテンに続け」とばかり、中国人歌手を演歌班に所属させていることを痛烈に批判した。

「この人たちは日本なんか経由しなくても自力で中国人観客だけでマジソンスクエアガーデンを満杯にするんですよ!!何班でもいいからその会社の一番メインの班に置いてこそしかるべきでしょ!!」

今となってようやく日本の音楽業界は聞く耳を持たざるを得なくなったことだろう。
彼女たちは日本なんか飛び越えて「世界」を見てる。

日本だけですよ、取り残されているのは・・・


さて、話がそれた。
バンドは最後の歌手「馬条」で仕事納め。

この「馬条」の音楽が素晴らしかった!!

男前でも何でもないこの「おっさん」の男臭い歌声に涙が止まらない。

「若くなきゃ売れない」とか「流行りの音楽をやらなければ売れない」とか誰が決めた!!

不器用な(かどうか知らんが)おっさんが一生懸命人を愛する。
そして男臭い声でその「気持ち」を歌う。

そこには「売れる」だの「売れない」だのはない。
「いい」か「悪い」かだけなのである。

売れてる音楽が必ずしも「いい音楽」とは限らない。
同様にいい音楽が必ずしも売れるとは限らないけど、
彼の音楽を聴いてたら、私はもう「いい音楽」しかやりたくない、と強くそう思ってしまう。

項羽と劉邦の最後の戦いの時、四面楚歌に陥って最後に項羽は自分の兵隊にこう言った。

「ほら見ろ、俺たちは強い!!決して俺たちが弱いから滅ぼされるのではない!!天が俺たちに天下を取らせなかった、それだけのことだ」

天下を取れなくても項羽は歴史に残る英雄だし、私も後世に「下らない音楽をやった人間」だという不名誉を残すぐらいだったら別に一生売れなくてもいい。

「天が私を売れさせなかった」
それだけのことなのである。

彼の歌声を聞きながらそんなことをずっと考えていた・・・

この日の最後の曲。
コンサートが終わったら、バックステージで通り過ぎる人みんながこのメロディーを口ずさんでいた。

間違っても「ヒットする」というど真ん中の曲ではない。
しかしこれはきっと世界中の誰が聞いても「いい曲」である。

昔「ヒット曲を作れ」と躍起になってやらされていた時代、
例えこんな曲が出来たとしてもきっとボツになってただろう。

「こんな曲が売れるもんか!!もっと今のヒット曲を勉強しろ!!」
これが日本の音楽業界である。

だから日本のチャート番組を見ても聞いても、どれも似たようなテイストの曲ばかりになる。

イベントをやったとしても、売れてるアーティストを集めたとすると、基本的にはJーPOPの似たような出演者ばかりになるだろう。
とてもこのような個性豊かなアーティスト達が集まる、というかこんなアーティストが存在することすら無理であろう、それが日本の音楽業界である。

このイベントの出演者がどうしてこうも個性的なアーティストばかりだったのか・・・
それはきっと主催者のテンセントが音楽配信会社だからではないかと思う。

日本のレコード会社は何千万円もかけてレコードを作り、
何億円も宣伝費をかけてそれを売っていった。

今もその幻想を捨て切れずにそんなビジネスモデルを展開している。

CDなんか作っても、若者に渡したら
「これどうやって聞くんですか?」
と聞かれる時代に、である。

「スマホで聞くんだったら、まずこれをパソコンに取り込んで、そこからスマホに転送するんだよ」・・・

今やパソコンにCDドライブすらついてない時代なのだ・・・

「Jazz?そんなもん今の時代に売れるか?民謡?民族音楽?論外だね」
そんな幻想に取り憑かれている限り、今日の出演者の音楽などはどれも「論外」と感じるだろう。

でも配信会社は何千万もかけて音源を作るわけでもないので基本的に敷居が低い。
それぞれのアーティストが自分で作った作品を「売れないだろう」という理由で配信しない理由などありはしないのだ。

だからこんなに個性豊かなアーティストが集まったのだと思う。

さあ日本の音楽業界の皆さん、この個性豊かな才能の塊を見てどう思う?
いや、見やしない、聞きやしないだろう。

欧米の話じゃない、自分たちより遅れてると思ってるアジアの話なのだ・・・

そう思ってるうちにこの国の若者達は日本なんか飛び越えてどんどん世界に出てゆくだろう・・・
きっとそうやって日本だけが取り残されてしまうのだ・・・

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2019年12月 9日

やってもやっても終わらなう(>_<)

時は11月29日(金)の真夜中のことである。

既に日付が変わって30日になった頃、私はカンボジアから名古屋に行く乗り換えで深セン空港にいた。

そこでWeChatのメッセージを受けることによってこの物語が始まる・・・


「日曜日までにDEMO作って〜」

まあアレンジだったら一日頑張れば出来るのでOKを出したらなんと4曲メドレー!(◎_◎;)

これって4曲ぶんの労力と同じなのよねぇ・・・(>_<)

アレンジ仕事はまずメロディーを打ち込むことから始まる。
パソコンに楽曲を取り込んで、メロディーとコードを(私の場合)LogicというDTMソフトに打ち込む。
それを4曲ぶんやることから始まる・・・

パソコンさえあれば出来るので、豊橋への移動や、ライブハウスの楽屋とかでも作業をしていると・・・

「ちょっと待った!!その4曲は順番とか変更になる可能性が出て来たので先にこっちの仕事やってくれ〜」
とメッセが来る。

「友谊地久天长」・・・聞いて見ると「蛍の光」の中国語版である。

困ったなぁ・・・「蛍の光」は「蛍の光」、
裏メロとかコード進行とか考えようにも、どうやっても「パチンコ屋の閉店」になってしまうのだ(笑)

渡された原曲はこれ!!

「ハーモニカを入れてくれ」というオーダーはおそらくこの原曲から来ているのだろう・・・

締め切りの日曜日は本当はHSK中国語の試験なのだが、4曲プラス1曲増えているのでもう試験など受けているヒマはない。

ぶっちして試験場の前で作業!!

データを送って「直し」が必ず来るのでひたすら待つが、
夕方になっても返事がない・・・

「こりゃLaoLuanの身に何かあったのでは・・・」
と心配して奥さんにメッセを送る・・・

「ああ、あの人昼間酒飲んで、午後は酔い潰れているのよ〜」


酔い潰れている?!(◎_◎;)

しゃーないなぁ〜・・・こちらも酔い潰れますか〜
と名古屋空港で飲んでたらやっと返事が来た。

「歌手が歌を録音するから至急カラオケ送れ」・・・と

ということは直しなしのOKなのね!!
紆余曲折あったが「期日通り」に「仕事納め」!\(^o^)/

苦労して打ち込んだ生ギターとハーモニカは
「やっぱり生て録り直そう、ミックスも日本でやってね」
・・・と。


とりあえずギタリストとエンジニアをブッキングして、
朝いちで香港経由でまたプノンペンへ〜

今回プノンペンはくっくまバンドと一緒にFunky末吉トリオでライブ!!
ベースのよーしーずを空港で待ちながら直しの作業をする・・・

よーしーずが着いたらまずホテルをチェックイン!!
(ちなみに一泊5ドル)

ナイトマーケットに連れて行き、




行きつけのライブハウスに寄ってカンボジア人従業員自称「タカシ」を紹介し、

ライブ会場となるHIBACHIに行ってオーナーの土井さんを紹介し、

張張夫婦の到着を待って、これは絶対食わせたい「ステーキ生胡椒和え」!!


まあその間LaoLuanは待たせてたわけだが、
まああいつもワシを待たせて酔い潰れてたんだからバチは当たるまい(笑)

・・・とそしたら「メドレーの方はいつ出来るのか?」
と・・・
!(◎_◎;)

まあ「仕事ひとつ納めてもうひとつ」になるので働きますか〜
・・・と徹夜で仕上げてて気付く。


ワシは何でドラマーなのにテンポチェンジやフィルやグルーブや、一生懸命機械で打ち込んでるの?
それにベースもキーボードもおるんでしょ?
つるっと弾いてもらって録音すればええやん!!


・・・というわけでくっくま孤児院でリハーサルのついでに・・・

メドレーも録音してセルフ打ち上げですき焼き!!

こちらには前回一緒にセッションしたJAZZギタリストの山内さんがいることを思い出して、最後のJAZZ風指定の曲を実際に弾いてもらおうとレコーディング中にまたメッセ、


「全体をダンスミュージックに変更する可能性あり」


・・・4曲全部作り直し?!(◎_◎;)


また徹夜して一生懸命打ち込んで次の日ライブ!!

打ち上げで土井さんとこのカラオケ!!

見ての通り私はひたすら仕事・・・
実は蛍の光にもやり直しが来たのだ!!(◎_◎;)

「監督が蛍の光もロックに変更してくれと」


・・・って納めたと思ったらこれもまた作り直し?!(◎_◎;)

「ロックはFunkyさん得意でしょ?」

いやいや、得意不得意の問題じゃなく、このまるまる5日間のワシの労力はまるで無駄に?・・・(号泣)

ロックギターなんか、パソコンでせっせこ打ち込むよりギタリストがさくっと弾いた方が早い!!
・・・というわけでリベリオンのギタリスト山崎に振って色々指示してやってもらっているのだ。

何とか徹夜でやってもらって朝DEMOを送ってKepへ向かう!!

もちろん4時間かかる車の中では今度はメドレーの方をアレンジ・・・(涙)

蟹を食う!!

浜辺でくつろぐ張張を見ながら、

ビールを飲みながらではあるがメドレーのアレンジ!!(>_<)

夕方にはサンセットを見ながらまた蟹を食い・・・


プノンペンに戻ってもアレンジ!!

そこでまたショッキングなメッセージが・・・

「Funky!!メドレーちょっと待った!!曲が変わる!!」

・・・(>_<)

もうね、寝てないしボロボロだけど酒だけは飲むのな(笑)


ここでこれら料理の写真をよーしーずや張張に送ろうとして間違えてこの仕事グループに送りつけてしまう(>_<)

でもまあ「家族」だし、何より私がどれだけ大変な思いをしてやってるかわかってるので、
「好好(HaoHao)!幸せなのが一番だよ」
と優しい言葉(涙)

飯も食わずにひたすら働く日本のスタジオ仕事と違い、
さすがどんなに忙しくても飯だけはちゃんと食う中国!!
こういうところが大好きです・・・


さて、プノンペンから日本に帰るトランジットの香港空港でまたメッセージを受け取る・・・

『Funky!!更に5曲のメドレーと更に1曲のアレンジ頼む!!」

(>_<)・・・もうね、出来るんか?・・・
まあ来た仕事は拒まないポリシーなので並行してまた始める・・・

ここまでで仕事を受けて1週間!!
まだ1曲も仕上がっていないのだ(>_<)

ちなみに中国ではそれにどれだけの労力と時間をかけようが、仕事納めしなければギャラは振り込まれない!(涙)

既成事実を作るためなのか何なのか、
「よし!!本ちゃんレベルでレコーディングしてから監督に聞かせる!!」
となりレコーディング!!


ベースとエンジニアはお隣の仮谷くん、
キーボードはご近所のへーすけさん。

メドレーは変更になった曲はへーすけさんにアレンジしてもらい、
ギターはリベリオン山崎に自宅で並行して録音してもらう。

ちなみに蛍の光アレンジ5バージョン目!(>_<)

やっとOKになったこの曲と、無理やりねじ込んでOK取ったメドレーと、
この日しかスケジュールがないのだからドラムをもう録る!!

ドラム録り直前にまたメッセージが・・・

「イントロを総取っ替え!!原曲と同じにして下さい」

(>_<)

幸い原曲のイントロはドラムは入っておらずキーボードだけなので、
へーすけさんに「原曲のイントロそのまま貼り付けてもいいからワシは先にドラムを録る!!

録った後に「キー変えて〜」・・・(>_<)

ドラムはキーは関係ないのでよかったが、その他の楽器は全部変更してもらってあとは任す!!
ワシは今からライブなの!!!!

「この作業やりながらライブもやってんの?!(◎_◎;)まるで五体投地だね(笑)」
・・・このやり取りのグループ名を「五体投地」に変更!!

ライブ終了後にまたメッセ・・・
「最後の曲にストリングス入れて盛り上げて〜」
徹夜でストリングスを打ち込む・・・

「メドレー構成変えて〜」・・・無理!!(>_<)
・・・いや、ファイルの切り貼りで出来るかも・・・

「Funky〜北京に来れるスケジュールないのか?!!」

先方もう号を煮やしたのだろう、
思えば・・・

初日:29日夜中に深センにてメッセージ受けて始まる
2日目:豊橋TOセッションやりながら着手
3日目:HSKぶっちして作業
4日目:名古屋空港からプノンペン
5日目:くっくま孤児院で生楽器でDEMO
6日目:HIBACHIでライブやりつつ作業
7日目:ケップにて蟹食って浜辺で作業
8日目:プノンペン戻って作業して東京戻り
9日目:TOセッションやりながら作業
10日目:TOセッションやりながら作業
11日目:X.Y.Z.→Aのリハやりながら作業

ここまでやってまだひとつもOKが出ていない!(涙)

12日目(今日):X.Y.Z.→Aのリハ終わったら北京飛ぶ

ちなみに中国の仕事はこれだけ頑張ったとしても最終的にOKが出なければお金はもらえない!!(笑)

は、は、は、大笑い・・・愉しきかなこんな人生なんて(X.Y.Z.→Aの新アルバムの歌詞より)

Posted by ファンキー末吉 at:09:13 | 固定リンク

2019年11月27日

布衣2019年秋のツアー河北省と北京

河南省「南陽」の次は河北省への移動日なのだが、
なぜかそこに一泊せずにライブ終わったらそのまま夜汽車で移動!(◎_◎;)

まあ南陽にはまだ高速鉄道が通ってないから、どうせならこれが一番楽だと踏んだのだろう・・・

夜汽車はもう飽きた!!(>_<)

しかし、ライブ終わってから時間もなく、駅も小さな駅なのでメシ食えないだろうということで、ライブハウスのオーナーがいっぱい差し入れを〜

そしてそのほとんどが「インスタント火鍋」!!!

これが凄いわぁ・・・
夜汽車のコンパートメントの中でも完璧にあの「火鍋」を作ることが出来る!(◎_◎;)

ライブ終わってそのまま夜汽車に飛び乗り、メシは差し入れのインスタント火鍋!!これが結構本格的で美味い!!「僕が作ったらもっと旨くなりますから」とヤオヤオ君。他の乗客おったらイヤやろうなぁ・・・「いやその人誘って一緒に食べますから問題ないですよ」 これが中国!!好きである・・・ - Spherical Image - RICOH THETA

しかし匂いが物凄い(笑)

近くを通っただけで、いやその車両に入っただけでもう火鍋の匂いが充満してるのである(大笑い)

「これ、ワシら身内の四人部屋やからまだええけど、見知らぬ人と同じ部屋やったらどないなんの?

連中の答えは至って簡単であった・・・
「同じだよ。その人たち誘って一緒に食べればいいだけだから」

その昔、携帯もなく決して娯楽が多くはなかった中国では、
こうして見知らぬ人と話すこと、コミュニケーションこそが一番の娯楽であった。

だから自分の食べ物は隣の人に勧める。
飲み物を勧める、タバコを勧める。

そんな良き時代は過ぎ去って日本と同じく「隣の人など知らん」という世の中になっては来ているものの、まだそういう文化が残っているということがワシは嬉しいぞ!!

「過酷な移動」だと思えば「過酷な移動」でしかない。
でも「旅」をしてるんだと思えばこんな楽しいことはない。

さて、着いたらいきなり10度を切る寒さ(>_<)
ここからはツアー最後の4本連続、そして寒さとの戦いである。

前回も行ったこの会場ではあるが、
実は「歴代機材が一番どうしようもなかった小屋」だったらしく、
スタッフと共に早めに会場入り!!

ここにも守り神ならぬ守り猫がいた・・・

ドラムはそんな悪いセットではなかったので気持ちよくドラムソロ!!
(そもそも外音はよう聞こえんからわからん(笑))

そして打ち上げは隣の火鍋!!

これがよくなかった(>_<)
大人しくしてた我が肛門が遂に反乱!!

次からは便意との戦いとなるのであった・・・(>_<)

寒いのも便意に悪い(>_<)
ここから北京の気温もどんどん下がってゆき、夜中には零下となる勢いである・・・

腹は緩いが、北京に着いたら北京ダッグは召さねばならぬ!!

北京着いたら北京ダッグ!! - Spherical Image - RICOH THETA

通常北京ダッグは炙った鴨を甜面酱につけて、ネギなどの薬味と共に饼(Bing)に巻いて食べるものだが、最近ではまあ砂糖につけたり色々新しい食べ方があるようだが・・・

それにしても・・・

若者が編み出した新しい食い方!!(笑)
まあいいのよ、旨く食えればそれで・・・

そのままリハに行くのだが、史上初!!リハの途中で中座してトイレへ!!(>_<)

緩いのう・・・
「もしステージの途中でまた緩くなったらお前ギターソロ延々やっとけな!!」
と小畑にそう指示するが、残念ながら伝説を作ることなく無事にドラムソロ!!

トイレと友達になったので、この楽屋のトイレに洗濯機があるのを発見!!
これ助かるのよねぇ・・・

そして翌日の移動はお隣の廊坊は近いのでいいのだが・・・

もうね、どんどん寒くなる(>_<)

ライブは室内なのでよいが、次の日の移動・・・っつうかタクシー拾うのがもう地獄!!(>_<)

もう当然と言えば当然ながらついに風邪を引いてしまいました(>_<)

Posted by ファンキー末吉 at:18:20 | 固定リンク

2019年8月11日

ラジオで生演奏生放送((((;゚Д゚)))))))

中国も変わったなぁ・・・先日監獄から出て来たばかりの爽子(Shuangz)を由緒ある北京广播电台で生放送で歌わせようとは・・・((((;゚Д゚)))))))

北京广播电台と言えば、45周年記念のイベントに爆風スランプで出て、
「客を煽り過ぎた」という理由(不明)で、コンサート中に警察がロック仲間である中国人スタッフを満場の客の前でめった打ち!!
そのまま制止を聞かずに最後まで演奏した私たちは銃を持った恐ろしい人たちに別室に監禁されるという事件があった・・・

また、ここのスタジオは李慧珍のアルバムをレコーディングしてた。
エンジニアのKeizoのギャラを計上して提出してたら、
「Funkyは私たちを騙している」
と問題になったなぁ・・・

当時、エンジニアはスタジオについているもので、
それを別に計上するなど「水増し請求」だというものである(笑)

いや〜このエンジニアっつのが全く芸術的ではなく本当に「機械エンジニア」(>_<)
夕方になったらさっさと帰るし!(笑)

いや〜色々と思い出のある北京广播电台であるが、
国家が運営するそんな老舗の放送局が、
ワシが知るだけでもう3回監獄に入っているこの犯罪者(笑)を生で2時間喋らせるというのはどういうことか!!(笑)

危険じゃないのか!!
そう言えばまた別の刺青だらけのラッパーがテレビで共産党にそぐわない禁止用語を連発して、それから刺青が目の敵にされ服とかで隠さないとテレビに出れない時期もあったなぁ・・・

まあ私が生放送だと聞いたのは実は放送局に着いてから。
それまでは客入れての公開録音ぐらいに思っていた。

そりゃこの状態では
「Funkyさん、回線が6chしかないから今回はカホンか電子ドラムにして下さいよ」
と言われてたのも頷ける。

カホンも電子ドラムも全くの「別の楽器」なので、
「ヤダ!!」と言って拒絶してたら、生ドラムどころかちゃんと大きなサブミキサーまで持って来てた!(◎_◎;)

さすがに初めてやなぁ〜北京广播电台の生放送スタジオにバンドが入って生演奏生放送!(◎_◎;) 生放送なのでドラムのチューニングもサウンドチェックもへったくれもない!!DJが喋ってない時に静かにセッティングして泣いても笑っても17時から生放送!! - Spherical Image - RICOH THETA

でもアンプはないのでギターはアコギ、
モニターはDJと同じ回線のヘッドホンをタコ足にして聞くことになる。

ところが私は張張(Zhang Zhang)が出すプログラムのクリックを聞かねばならない。
いつもイベントなどではクリック専用のイヤモニを渡されるのだが、
放送局にそんなものがあるはずもなく、
ミキサーも別回線でクリックを出すことは出来ない。

しゃーないなぁ〜・・・と張張(Zhang Zhang)がパソコンから直でクリックの回線を出す。
音量は大きくないがしゃーない、それで一度サウンドチェック代わりに演奏してみよう・・・

・・・って実はちゃんとそのためのサウンドチェックの時間が取られえているわけではない!!
日本でもよくある昼からの帯の番組のようで、
DJがオンエアに乗ってる時にはみんな声を潜め、
音楽や録音物を流している時にちょちょいと音を出す程度である(>_<)

ところが音を出してみると、
私はクリックとプログラム、まあこれは同じパソコンから出しているからいいとして、
ベースやキーボード、そして生音のアコギや歌なども全く聞こえない(>_<)

あかんやろ・・・(涙)

17時からの生放送の時間は刻々と迫っている。
人間追い詰められると脳みそが高速回転するらしい。

「そうだ!!みんなが聞いているそのヘッドホンの回線、あとひとつ余ってる?」
実は60歳の誕生日の時に李慧珍が誕生日プレゼントでこんなヘッドホンをくれたのだ。

もうね、6万円もするヘッドホンなんて失くすのが怖くて持ち歩けるかい!!
と思ってたら、一度飛行機で使ってみたらノイズキャンセリングが素晴らしく、
嘘のような静寂の中でiPadに落とした映画が楽しめる。

ちょうどこの収録終わったら最終便で寧波に飛ぶので持って来てたのよ〜

電源を入れずにケーブルを繋ぐと普通のヘッドホン!!
クリックを聞いているインナータイプのヘッドホンの上からこの大きなヘッドホンを被ればクリックと共にみんなのお供聞ける!!\(^o^)/

ちょっと圧迫で耳が痛いけど(笑)

というわけで生放送開始まであと5分のところで回線だけは確保した!!
そのまま本番!!!!

ちょっと心の片隅で心配してはいたが、刺青だらけのこの犯罪者(笑)、
DJに振られた話題を素朴にちゃんと真面目に答える。

ここで「Fuck You!!」など口走ったら冗談でなくこいつは終わる!!
「Fuckin Goverment!!」などと口走ったら一族郎党命が危ない(笑)

あとで聞いたのだが、
ラップなので中に危ない歌詞はいくつかあったらしい。
聞けばそれを瞬間的に察知して違う言葉に入れ替えたりハナモゲラにしたり、
物凄い反射神経でそれら全てを無事に乗り切ったらしい!(◎_◎;)

凄いぞ爽子(Shuangz)!!
そんだけの才能があるんだからもう監獄はやめような(笑)

2時間の生放送、なかなか緊張感の連続でかなり疲れたけど、
まあドラムもいいプレイが出来たしなかなか楽しい経験をしたぞ。

意外だったのは、セキュリティーがむっちゃ緩かったこと・・・

何せ放送局はクーデターが起こったらすぐに占拠されるところ。
昔だったら入口でIDやパスポート、持ち物の検査まで厳しかったのに、
いくら顔認証が発達しているからと言って、これだけの不審な荷物(笑)をノーチェックで持ち込めてIDチェックもしなかったというのは、やはり中国も少しは平和になったのか・・・

ならんならん(笑)

まあでもこんな犯罪歴のあるラップ歌手に2時間生放送で喋らせるんだから、
そういうことに対する緊張感は昔に比べたら確実に薄まっている。

逆に「ロック」自体がもう恐るべきパワーを失っているということか?
・・・考え過ぎか・・・

中国は恐ろしい速度で今も変化している。
私としてはこれが悪い方向ではなく、平和な世界へと向かっていることを願うのみである・・・

Posted by ファンキー末吉 at:20:43 | 固定リンク

旧パスポートとの戦い(>_<)

私は中国に3つ銀行口座を持っている。

ひとつは工商銀行、あと二つは招商銀行、
でも使っているのはひとつだけ。
確かよーしーずが口座を開く時に一緒に行って開いた招商銀行のやつ・・・

昔はそんなもんなかったが、
今ではその口座はネットと連携していて、
キャッシュレス社会の中国ではもうそこから現金を引き出すこともない。

ところがよーしーずがいざ現金を引き出そうとしたらこんなATMにこんなアラートが出たらしい・・・!(◎_◎;)

はてさてワシのあと二つの口座は長いこと使ったことないがどうなっておるのじゃろう・・・
というわけで土曜日なのだが銀行にやって来た。

こちらの銀行は土日も営業してるから助かるのよねぇ・・・

まずATMで二つのキャッシュカードを入れて残高照会してみる・・・
招商銀行の方は残高ゼロだったが、工商銀行の方は2000元近く入っとる!(◎_◎;)

そうそう、この口座は日本への航空チケットを買うために作ったもので、
その昔はeチケットなどなかったので現金を旅行会社にまで持って行ってたが、
その頃に「振込」とやらが出来るそとなって、
一番振り込むのに便利なこの工商銀行の口座を開いたのだった・・・
(工商銀行が一番支店が多い)

まあ当時は振込は最寄りの工商銀行で出来たが、
チケットを発券したら必ず旅行会社まで取りに行かねばならなかった(>_<)

今のようにスマホでチケット選んでスマホで決済してそのまま乗れるなんて夢のような世界である・・・

でもここで3万円近く眠らせておくのももったいないぞ!!
特に最近は複数の口座を持つことが禁止されてたり、
いきなりこの金を没収されたりしたらどうなる!!

・・・というわけで引き出そうとしたらよーしーずと同じメッセージが(>_<)

これはいかん!!
よーしーずは新しいパスポートに切り替えたばかりで、
古いパスポートと一緒に持って行って事なきを得たそうだが、
はてさてワシがこの口座で登録しているパスポートは古いのだっけのう新しいのだっけのう・・・

まあとやかく考えるより窓口に持って行けばわかるだろう。
番号札を取って並ぶ・・・ついでにこの口座もネットで操作出来るように申請すれば言う事なし!!

順番が来た!!
番号札と今のパスポートとこのキャッシュカードを窓口に提出する。

「ああ、この登録されているパスポート番号はこの番号と違いますね」

え?!!(◎_◎;)

「古いパスポートを持って来てくれないと手続き出来ません」

え?!(◎_◎;)

実のところ、招商銀行の方は(まあ時代もあるのだろうが)こんなに厳しくはなかった。
「番号が違いますけどパスポート更新したんですね。こちらで変えときます」

ああ、なんていい時代だったんだろう・・・
日本がどんどんマニュアル社会になって住みにくくなってゆく中、
中国は本当に住みやすいいい時代だった・・・

呆然としている私に窓口のお姉ちゃんは訝しそうにこう言った。
「まさか失くしちゃったんじゃないでしょうね・・・」

あのね、パスポート更新なんてもう8年も前のことよ、
もうどこに行ったかなんて家探ししたって出て来まへんがな(>_<)

ワシはとっさに笑顔を作った!!
イケメンの田端翔が、ビザかなんかの件でどうしても融通を利かせてもらいたく、
どうしようもなかったので担当者の若いお姉ちゃんを口説いて事なきを得た話を思い出したのだ。

昔は窓口ではお釣りとかも投げてよこして、
品物が目の前にあるのに「没有(メイヨー)」と言ってた時代も今は昔・・・

「スマイル0円」ではない、「スマイルは金が稼げるんだ」とばかり少しは笑顔を見せるようになった中国の服務員、ワシの満面の笑顔を見てニコっと笑い返したと思ったら・・・

次の人の番号のボタンを押して私の書類を突っ返して終わり(>_<)

そう言えばワシはその時に田端翔に言ってたのだ。
「お前はええのうイケメンやから・・・ワシやったら脅すしかないもんなぁ・・・」

そうなのだ、最初からこの人相で脅してたらよかったのだ!!
いやいや、窓口はガラスで仕切られていてマイクを使って話しているので脅しは通用しない・・・

つまりどうしようも無い!!・・・しゃーないなぁ〜・・・(>_<)

トボトボと帰ってネットで色々と調べてみるに、
工商銀行は特に厳しいらしく、新旧のパスポートと共に日本大使館で発行した「同一人物証明」、つまりこの新しいパスポートの人と古いパスポートの人とは同じ同一人物ですよという証明を取って持って来なければならないらしい!(◎_◎;)

同一ってあーた!!どうせ銀行には昔のパスポート情報が入ってるんやろ?
姓名と誕生日と、ヘタしたらパスポート写真も入ってるかも知れん。
それと今のパスポートとってその番号しか違わんやん・・・

名前変わっとらんし、瀬年月日変わっとらんし、
何より顔はだいぶ老けたけど変わっとらんやろ!!
どう見たって「同一人物」でしょうが!!

しゃーないなぁ〜・・・中国の「役所」はある意味日本より厳しいからのう・・・(>_<)

というわけでどうやら大使館に行って「同一人物証明」とやらをもらって来るしかないようだ・・・
調べてみると、古いパスポートを失くしてても証明は発行してくれるらしいが、
その代わり月曜日に出したら水曜日にやっと出来上がるらしい・・・

地方に行っては蜻蛉帰りで帰って来て1日しか北京に滞在しないワシには無理!!(>_<)

というわけでこの2000元が引き出せるようになるのは、
次にレコーディングで長く北京に滞在する10月になってしまうのう・・・

それまでに没収されるなよ〜・・・(>_<)


その夜、方言とメシを食いに行った。

今では北京市内には少なくなった店の外で食べるスタイル、
うちはかなり郊外にあるのでまだ残っているが、
こういう古き良き北京の風物詩もどんどんなくなっている。

「発展」とはすなわちそういうもん。
「昔は良かった」と言ってもそんな不便だった昔に戻りたいなどと思う中国人は誰もいない。

昔はビールが2元(30円)、野菜の炒め物は8元(120円)、肉が入っても12元(180円)ぐらい。
それが今では二人で1000円近くする(>_<)

物価は高くなり、昔のような人情も少なくなり、
便利にはなったけどどんどん日本のようなマニュアル社会になってゆく・・・

敢えてまた言わせてもらおう・・・ちょっと不便だったけど昔は良かった・・・

中国ももう十分「住みにくい」ぞ(>_<)

夏は40度、冬はマイナス15度、春は黄砂が吹き荒れ、今からが北京の一番いい季節・・・でもこれも1週間ぐらいですぐ寒くなります (>_<) こうやって外でメシ食べるのもどんどんなくなってゆく・・・これが「発展」というものです (>_<) 昔はビール2元、野菜8元、肉モノでも12元か今では全部で日本円で1000円ほど・・・昔はよかった・・・ - Spherical Image - RICOH THETA

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2019年7月16日

還暦記念亜州鼓魂ライブ

7月13日は渡辺英樹さんの命日でもあるので毎年英樹さん絡みのイベントを行っていたが、今年は「60歳だろ?中国じゃもの凄いことなんだぜ」ということで中国の仲間がイベントを立ち上げてくれた。

曲順

M01:出发
M02:我爱你亲爱的姑娘
M03:羊肉面
MC
M04:流星
M05:小卢的初恋
VCR(BEYONDの3人からのメッセージ)
MC
M06:七到天门
M07:Memories(记念黄家驹)
VCR(艾梦萌からのメッセージ)
M08 红舞鞋
(ドラムのリズムに乗せて李慧珍登場)
M09 向前走
MC
M10 不安
MC
M11 亚洲鼓魂
M12 力量
M13 Let Me Be Free
VCR(爽子からのメッセージ)
MC
M14 这是我
MC
M15 礼物

EN 生日的歌


ライブはまず友人代表としてLuanShuのお話から始まった。

「Funkyさんは無私の心で中国ロックや中国流行音楽に多大な貢献をし・・・」
いや、一応お金もらってるんやから「無私」ではないと思うが・・・
まあ中国ロックの黎明期は楽器やCDや教材やら色々持って来てやったからな、その部分は「無私」かな・・・

以下は彼のWeChatの書き込み・・・

相识于1991,没想到会一路同行持续合作到今天,Funky桑不只是亚洲鼓魂,对待音乐的态度他是我一直学习的典范,他对中国流行音乐所作出的无私奉献和真爱值得敬佩,他是真正的摇滚战士[强]老方生日快乐

まあ出会ったん90年やけど・・・(笑)まあええか・・・


そして布衣!!
「布衣の曲でヒットした曲って全部Funkyの曲なんだよな・・・(笑)」

はい、でもVoThMの曲もやりました!!
英樹さんの命日やしな・・・

ここから二胡が入るわけだが、
今回呼んだのは上海で知り合った美人二胡奏者!!

そのまま「ろう君の初恋」!!

その後にBeyondの3人からのメッセージを流して、亜州鼓魂の最後のインスト2曲。
この時にどうしても喋りたいことがあったのよねぇ・・・

彼らと出会ったのは91年のこと。
同じ所属事務所の紹介で爆風の4人とBeyondの4人が会った時、
こちらの4人はみんながみんなWingがボーカルだと思って疑わなかった。

Beyondのライブも見たことがない日本人には、
やはり一番ルックスがいいのがWingだったわけである。

そして一番スケベなのもWingと黄家駒(笑)
「要日本的女朋友〜」とか言いながら毎日飲んでいたが、
結局色々女の子紹介しても黄家駒は全部玉砕!!(笑)

そんなバカな毎日のある日、
Wingから電話がかかって来て、黄家駒がテレビ局で事故にあって意識不明の重体と聞く。

急いで病院に駆けつけ、それから1ヶ月近くずーっと病院に詰めていた。
そして1993年6月30日、医者が臨終を告げた時に、
まるで映画のようにWingが卒倒して私の腕の中に倒れて来た。

そして気が触れたようにケケケと笑ってこんなことを言う・・・

「あいつは今、真っ白でとっても気持ちいい所にいるんだって・・・
そこは酒を飲むよりも、セックスするよりももっと気持ちいいんだって・・・カカカ」

私は思った、
音楽、特にJazzのような即興性の高い演奏の時に、
色んな偶然が作用して時々ふわっと身体が浮いたような、
そんな真っ白な世界に行く時がある・・・

そう、彼はそこにいる・・・

でもそこには7つの扉があって、
ひとつを開けたらまたその向こうに扉がある。
音楽を精進して、その7つの扉を全部開けた所に彼がいる・・・

だから亜州鼓魂の最後の2曲はこのコンセプトの下、
天界への7番目の扉〜Memoriesでアルバムを終える・・・

Memoriesは香港で行われえた黄家駒の葬儀の時に書いた、彼への追悼曲である。

日本でJazzなんかやってても誰にも興味など持たれず、
それでも毎月SOMEDAYというJazzのライブハウスでセッションをやっていた。

ある日Beyondの4人がライブを見に来てくれて、
演奏に大喜びだった黄家駒が私にこう言った。

「凄いよ!!全くもって凄い演奏だった!!
今度はいつやるんだ?次も絶対に見に来る!!」

それが彼が私と交わした最後の言葉となったのだった・・・

その後「艾梦萌」からのメッセージを紹介して、渋谷有希子が歌う「红舞鞋」、
間髪置かずにドラムのリズムから入って李慧珍の登場である。

この後のMCで、何やら彼女が長々と喋っている・・・
私は同期のクリックを聞くためにイヤホンをしてるし、
ライブ録音の回り込みを避けるためにモニターに何も返してないので全く聞こえないが、
見れば私への感謝の言葉とか思い出とかを喋りながら泣いているようだ!(◎_◎;)

彼女のWeChatの書き込み・・・おそらくこんなことを言いながら涙ぐんだのだろう・・・

18岁认识Funky桑,他把我从一个音乐小白一路教会我什么是一个专业歌手的品质,早早就让我见识什么是中国最顶尖的乐手,让我学习了当年最top的唱片制作模式~谢谢你Funky桑,爱你 [爱心][爱心][爱心]再次祝生日快乐

お前が泣くとこちゃうやろ!!ワシを泣かせるとこやろ!!(笑)

そしてLaoWuも参加して、
「小さい頃、このアルバムが欲しかったんだけど金がない。
だから仲間うちで献血に行って血を売ってこのアルバムを買ったんだ」
というMCに続いて、亜州鼓魂の1曲目から3曲目までをメドレー!!

圧巻やったな・・・


その後に爽子(Shuangz)のメッセージが流れるのだが、
実はもともと、このライブに彼も参加する予定だった。

ところが文化部に申請を出そうとしたある日、
「爽子が全く連絡が取れないんだ。きっとまた捕まって監獄に入れられたんだろう」

!(◎_◎;)

あのね、長いことイベントやコンサートやっとるけど、
出演者が監獄に入れられたから出演出来んなんてこいつぐらいや!!(>_<)

まあまたケンカだったらしいが、
監獄から出て来た時にはもう文化部への届出は終わっていて、
こうしてメッセージだけで参加というわけだ・・・

彼の代わりに四暗刻のラッパー揚洋(YangYang)が歌ってくれた。

そして本編最後の曲「礼物」!!
バイク事故で亡くなった唐朝楽隊のベーシスト「张炬(Zhang Ju)」のために作った曲である。

この追悼アルバムで「お前も何曲かプロデュースしてくれ」と言われ、
その担当となった布衣と初めて会って今がある。

これで本編終わってアンコール・・・と思ったら誰も引っ込まず、
結局そのまま続けてアンコール(笑)

亜州鼓魂の中に収録されている誕生日の歌、
原曲は24歳の誕生日だが、揚洋(YangYang)が今日のために60歳の詞を作ってくれてラップする。

それで全て終了なのだが、当然ながらアンコールが来る。
しゃーないなぁ〜・・・でドラムソロ!!

これで全て終了!!よくやった!!

これを見てたある人がこんなことを呟いた・・・
「歴史やな・・・」

そう、30年の私と中国との歴史がここにある。
願わくばこのまま歴史を紡ぎ続け、10年後にまたやろう!!

70歳記念ライブ!!(笑)

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2019年6月15日

監視対象?(笑)・・・そして香港デモの話

申し遅れましたが、ワタクシどうやら中国政府から監視対象にされているようです(笑)

去年の年末なのですが、カンボジアのプノンペンから布衣のライブのために北京を往復した時の話・・・

北京の第2ターミナルっつうのは、搭乗手続きのカウンターんとこに入る前に一度手荷物の検査があるのよね〜

まあ別にX線の機械に荷物を通すだけなのだが、
その時に係員がやって来て「パスポートを見せろ」と言う。

「荷物を開けろ」ではなく「パスポートを見せろ」?!(◎_◎;)

「あんたここ最近で3回ここに出入りしてるよね、一体何やってんの?」
ここで「おかしいな」と思うのは、その職員がパスポートも見ずに「3回」と言ったことである。

あとでスケジュールを調べてみると、
ここ数日では確かに12月23日にプノンペンから北京に入って、
そしてこの日、25日にはまた北京からプノンペンに飛ぶ。
しかしもう一回は?と調べてみると・・・

だいたい一ヶ月前ぐらいに香港から北京に入っている。
確かに「3回」、しかし解せないのは、この渡航は第2ターミナルではなく、そこから遠い第3ターミナル。

ちなみにこの職員が私に声をかけて来た段階ではまだパスポートを提出してないので、職員はX線を通した私のトランク、もしくは私の顔を見ただけでこの渡航歴がわかったということである。

しかもこの第2ターミナルから遠く離れた第3ターミナルの入国情報までわかっているということだ!(◎_◎;)

おまけに「ちゃんとビザあるよ」と言ったら
「それは知ってる」

・・・!(◎_◎;)・・・知ってるのか?!!

この話を聞いた友人は「きっと顔認証でしょう」と言う。
どこかにカメラがあって、そのカメラが私の顔を認識した途端にアラートが鳴る→職員が飛んで来て職質・・・というわけではあるまいか・・・

友人は続けてこんなことを言う・・・
「中国ではよくある話ですよ。だからファンキーさん、ブログやフェイスブックに政府批判とか書き込まない方がいいですよ」

まあ私とて別に中国政府に対して反政府運動をしているわけでもなんでもない。
ただ「悪いことは悪い」と言ってるだけなのだ。

ただこれが本当に中国政府が「危険人物である」と認定したとすると、
まあ私の入国やビザのことはまだいいとして、
私が音楽活動で参加している全ての人たちに迷惑がかかる(>_<)

例えば一緒にツアーを廻っている布衣、彼らが次にツアーを廻る時にはもう許可が下りないかも知れない・・・

こんなこともあった。
7月13日の私の還暦祝いコンサート、
刺青だらけのラップシンガーも私の曲を歌ってヒットしているので、
「お前も時間あったら来てあの曲歌え!!」
と言ってたのだが、しばらくして彼が音信不通・・・

周りの噂では「また監獄に入れられたらしいよ」・・・(>_<)

まあまたケンカかなんかだろう、しばらくして出て来たらあっけんからんと
「出て来ました〜7月13日は大丈夫ですよ」
と・・・(笑)

布衣のマネージャーは「キー!!やめて〜!!」
いやね、ここで君の名前を入れて文化部に申請を出すと通るものも通らんのよ・・・(>_<)

「許可が間に合わないから」と丁重にお断りした・・・

そんな「国」なのだ。
ドラマーでプロデューサーで代表曲の作曲者でもある私が、
「危険人物」だと政府に烙印を押されたとしたらこのバンドの将来はどうなるのだろう・・・

だからせめてフェイスブックとか中国から見れない外国のサイト(それでも監視対象なら見るけど)には書き込むが、WeChatやWeiboなど中国のサイトには絶対にそんな(こんな)内容は書き込まないことにしている。

日本なら反政府的な言動を「かっこいい」と見る向きも無きにしも非ずだが、
中国では周りに大きな「嫌悪感」を抱かせる。

「バカかこいつ(>_<)」みたいな感覚であろう・・・
次に思うことは
「このバカのせいでとばっちりを食ったらたまらん」
ということで友達はどんどん減ってゆくだろう・・・

それを「いい」とか「悪い」とか言うつもりはない。
これが「現実」、中国人はこの「世界」の中で「頑張って生きて」いるのである。


さて香港返還以来一番大きなデモとなった今回のデモ。
事の発端は「逃亡犯条例」、つまり「香港に逃げ込んだ中国の犯罪者は中国に引き渡しなさいよ」というものに反対するデモなのではあるが、根っこの部分は「一国二制度を守れ!!」、まあ簡単に言えば「民主化運動」の流れである。

自由の街だった香港がどんどん中国に飲み込まれてゆく・・・それに対する反対運動である。

まあ香港政府は97年までは「イギリス」だったので中国は手も足も出せなかったが、
返還されて「中国」になったら、「一国二制度を守る」と言いながら自治をないがしろにしてどんどん中国が支配して来る・・・

いや、あの人たちは本当に無茶をする。
そもそも「催涙弾」なんて日本では最近いつ使われた?
その催涙弾から身を守るために雨傘をさしたところから「雨傘運動」・・・

でも今回は2014年のその大規模なデモよりもはるかに大きなデモ行動となり、
政府側は催涙弾のみならずゴム弾の顔面射撃!(◎_◎;)

あかんやろ・・・(>_<)

当然ながら中国の報道ではデモ隊のことを「暴徒」、
つまり「暴徒鎮圧のために仕方ないんですよ」と・・・

そんなものを世界の誰が信用するか?(笑)

中国独特の社会主義、つまり彼らは「独特」だからそれでいいのである。
それで世界に通用する、いや「通用させる」気でいるのだ。

一説によると、香港の警察には制服に識別番号がついていて、
今回の「暴徒鎮圧」にはその識別番号がない、もしくは認識番号が「ニセモノ」である警官が投入されている、と。

つまり中国共産党が送り込んだ軍隊が香港人を鎮圧している?・・・

天安門事件の時に、
中国人は中国人を殺せない、だからウィグルとか別の民族の部隊を使ったと・・・!(◎_◎;)

香港人に香港人は殺せない、だから大陸から部隊を投入して鎮圧している、と・・・(>_<)

殺すんか?!(◎_◎;)・・・やめてくれよなぁ・・・と言ってもあの人たち本当に何をするかわからんからなぁ・・・(>_<)

また一説によると、学生側の方にもアメリカから送り込まれた(?)過激な学生とかがわざと騒ぎを大きくしているとか?・・・

いや、色んな情報が交錯していてようわからん(>_<)

私としては30年前の天安門事件の時のように死人が出ることだけは勘弁して欲しいと祈るばかりである・・・

若くして日本で死んだ友人が残した曲がこの民主化運動を支えている・・・
若者が血を流すこと、死んでゆくことなどが彼の思いではない!!

ところでここからは笑い話なのだが、
中国の西北部、香港からむっちゃ遠いところで生まれ育ったヤオヤオ君
初めて来た香港で、着いてすぐにWingさんと飯を食いに行って、そのレストランで流れていたこのデモのニュースにびっくり。

とにかく、ニュースの詳しい内容よりも、こんなニュースが「報道されている」ことにびっくりなのだ・・・

もちろん中国ではこんな風には報道されない。
「暴徒」やもんなぁ・・・

駅前で街宣活動をやっている法輪功を見て目を丸くする。

もちろん中国ではご法度、即逮捕である。
巻き添えを食うと困るのでこんなの見たら逃げ惑うであろう、ヤオヤオ君も腰が引けている(笑)

もちろん誰にでも見れるWeChatのモーメンツには上げないが、
布衣のメンバーしか見れないグループに法輪功の写真をアップしたら、
「すぐ消してくれ!!見つかったらこのグループが消されちゃうよ」
とひとりのメンバー・・・

無理もない、このグループの誰かが法輪功に関係しているとかなろうもんなら、
この全ての人間にどんな迷惑がかかるかわからないのだ。

それが中国・・・

ちなみに「消してくれ」と書いたメンバーは、以前私に
「共産党なんか大っ嫌いだ。好きなヤツなんかいるのかよ」
と小声で言った人間。

いくら大っ嫌いでもそれを大声では言えない。
また、周りの人間が大声で言ってたら「やめてくれ」と言わざるを得ない。

それが中国人・・・

天安門事件の後に生まれて、
中国共産党に大切に育てられた新人類のヤオヤオ君、
せっかく初めて香港来たのにずーっとホテルにいるので、
「ちょっと外にでも行って来いよ。地下鉄乗ったらデモやってるとこにも行けるよ」
と言ったら、
「ブルブルブル、そんなところ恐ろしくて行けませんよ。僕は大陸の人間なんですからね、行ったらもう帰って来れません((((;゚Д゚)))))))」

遠巻きに見てて逮捕はされんて!!(笑)
・・・でもまあ気持ちはわかる!!

万が一このヤオヤオ君のような人が間違って逮捕された場合、それを無条件で中国に引き渡すのではなく、ちゃんと司法として分立した香港で裁判を受けさせるべきだ、とこのデモ隊は主張しとるわけね。

まあ政府が許可した内容のデモしか出来ない中国と違って、自由にデモが出来て自由に報道出来るだけ香港はまだマシか・・・

しかし今回、香港の地下鉄駅の切符売り場が大混雑であったらしい。
普段ならSUICAのようなプリペイドカードで入場する若者たちも、
記録が残って政府(というより中国共産党?)に調べられないようにみんな切符を買ったからだと言う・・・

香港がどんどん中国に飲み込まれている・・・


さてここからが「オチ」の笑い話なのだが、
布衣でギターを弾いている小畑秀光、
私がツアー中に「ダライ・ラマ」の本を読んでたら、彼がそれを見てこう言った。

「あ、この人、むっちゃ悪い人間らしいですよね」

???

・・・ツアー中いつも彼と一緒にいるヤオヤオ君の顔を思い出した。

まあ、中国政府にとってはダライ・ラマは許しがたい極悪人かも知れんけどな・・・(笑)
みんな、外の世界を見よう!!色んな情報を見聞きして、それで色んなことを自分で判断しようよ!!


シメとして・・・

この運動をやってる人たちは
「海外の人に多くこれを伝えたい」
と言う。

自分たちは「歴史を作ってるんだ」と・・・

中国は海南島を次の香港にしようと計画している。
環境保全も考えて島にはもうガソリン車も持ち込めない。
全て電気自動車である。

観光と貿易に力を入れて、
完全に中国政府の管理の元での自由貿易港・・・

それが成功して「新しい香港」が出来たとしたら、もう今の香港など要らなくなってしまったとしたら、一体中国は今の香港をどうしてしまうだろう・・・

将来香港がどうなってしまっても、
それに反対を唱えたたくさんの香港人がいたことを「歴史」として刻みたいと言うなら、
私も「監視対象」であろうが(笑)、私なりに面白おかしく書いたこの文章に込めて、今の香港のことを「記録」としてこのブログに残しておきたいと思う・・・


ps。今しがた入ったニュースで、香港が逃亡犯条例の施行延期を決めたという情報もある。

政府高層深夜急召會議 林鄭料今宣布暫緩修例

まだまだどう決着がつくかわからないこの動き・・・
本当に死人が出るような事態だけにはなって欲しくないと心から願うぞ・・・

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2019年4月25日

労働ビザとの戦い

アメリカがトランプ政権になってから外国人の労働ビザが取りにくくなったのと同じように、中国でもどんどんと厳しくなって来たようだ。

「ようだ」と言うのは、私は仕事の出来る簡単なビザを持っているのだが、それがどんどん厳しくなって来たそうで、そのままだとヘタしたらドラム叩いてる時に公安がステージに上がって来て、そのまま連行されて強制送還・・・なんて噂もある((((;゚Д゚)))))))

こりゃちゃんとした労働ビザ取らないかんなと思い立ったのが去年の夏。
それからずーっとその戦いを続けている・・・(>_<)

今ではこんなにややこしいのよ〜(涙)
何よ!このランク分けって(号泣)

これはねぇ、中国には今アフリカからの不法労働者が多く、
それが中国人の労働を奪ってるとか、
アメリカのメキシコ人みたいなことが起こっとるんですと・・・

だから「学歴のないヤツは要らん」と!(◎_◎;)

あのね、学歴に関係ない職業として音楽家を選んで、
ここに来て学歴で弾かれると・・・(涙)

あとね、60歳はもう定年でしょ?
何でビザ必要なん?
60歳になったら申請も受け付けんと!(◎_◎;)

もうね、だから去年から命がけでずーっと戦ってるのよ・・・(>_<)

まずは日本で色んな証明書を取り寄せる。
卒業証明書はまだいいが、警視庁行って無犯罪証明書!(◎_◎;)

よかった〜犯罪歴なくって(>_<)

まあ書類を、いっぱいいっぱい手に持って中国に渡る。
それを持って「就業許可証」というのを申請するんだけど、
これがまあ大変なこと大変なこと(>_<)

まず芸能ビザみたいな項目を見つけたのでそれで申請しようと頑張る。
「人民大会堂ぐらいの施設で自分名義のコンサートを行ったことがある」
という資格を見つけて、
「ワシ、爆風名義なら武道館どころか代々木体育館もやったことあるやん!!」
と思ったら、
「国の主催イベントじゃないの?じゃあ遊びでしよ?」

!(◎_◎;)

中国は国家に認められた第一級音楽家免許を持ってる人しか音楽家と認められんからなぁ〜
ロックなんかでそこで演奏したってそれは金出せば誰だって出来ることでしょ・・・みたいな?・・・(涙)

ワシなんかワシなんか、別に音楽大学出てるわけじゃないし、
職に関して何にも資格を持ってるわけじゃないしぃ!!(号泣)

もう学歴ないわ資格ないわ、ここに来てこんだけコンプレックスにさいなまさせられるとは夢にも思わんかったぞ(>_<)

そこでついに発見した・・・「経営者ビザ」!!

ワシは中国人が日本で起こした会社の代表取締役!!
曲がりなりにも立派な「経営者」ではないか!!

しかもその会社は中国の音楽ビジネスの会社の「関連会社」である!!
もうすぐ60歳でも経営者で申請したら通るかも知れんぞ!!

いや〜人助けやと思て会社起こすの手伝っててこんなところで役に立つとはのう・・・

というわけでそれで申請しよう!!
ところがここで問題が・・・

ここで「就業許可証」が出たとしたら、
今度はそれを日本に持って行って日本の中国大使館でZビザを発行!!

発行には数日かかるので、秋の布衣の長い長いツアーの合間にはその申請が出来ない(>_<)

じゃあ布衣のツアーが終わってから日本に帰って申請して、
それを中国に持って行って・・・

「末吉さん、それ持って中国に入国したら、1ヶ月から1ヶ月半は出国出来ませんよ」

!(◎_◎;)

では冬に日本で全くスケジュール入れずに北京に行ってひと月半滞在するか・・・

「あ、その時期は春節があるから無理ですねぇ」

(>_<)・・・あのね、ワシにどうしろと言うの(涙)

というわけで春節の辺りの日本ツアーの間に日本で申請して、
それ持って春の布衣のツアーで入国したらそのままひと月半どころか2ヶ月以上中国国内ですがな!!\(^o^)/

というわけで日本にて無事にZビザをゲット!!

ツアーは広東省から始まるので、
カンボジアかベトナムから直で広東省に入れば近いではないか〜・・・
っと思ってたら、

「Funkyさん、入国したらすぐに住居証明取らなきゃならないのに、広東省だと取れないでしょ」

!(◎_◎;)

しゃーないなぁ〜・・・というわけで広東省を飛び越えて一度北京まで飛ぶ(>_<)

北京の公安で住居証明書を発行!!

今回北京に戻って来たのはビザの申請のためなのよね〜 トランプ政権のアメリカと同じく取得がどんどん大変になる(>_<) まずは住宿登记表を取るために公安局・・・ 公安怖い・・・何もしてなくてもしょっぴかれそうで・・・中国ではシャレにならんからのう・・・ガクガクブルブル - Spherical Image - RICOH THETA

そしてそこからまた引き返して広東省からツアー開始!!

・・・ところが2週間後に就業許可証の申請のためにパスポートが必要というわけで、福建省の移動日に北京にとんぼ返り(>_<)

そしてまたすぐとんぼ返りでツアーに復帰したら、今度はまた2週間後に居留許可証の発行のためにまた北京に来いと・・・(>_<)

しかも!!

あなたは「経営者」ということでビザを申請してるんですからね!!
経営者らしい格好をして来て下さいよ!!

経営者らしい格好って・・・(>_<)

しゃーないからライブハウスのオーナーから借りた!!

これ・・・オーナーが結婚式の時に来たっきりなんですと・・・
ちなみに中の白いシャツは現地で買いました(>_<)

安徽省芜湖から始発の高速鉄道で、途中南京乗り換えの時に牛肉麺食ったら汁が飛んでこの有様(>_<)

着なれんものはこれやから・・・(>_<)

半日かけてやっと出入国管理局へ!!

ここで仲介業者に釘を刺される。
「中に入ったら中国語話さないで下さいよ!!喋れないことにしといたら私が全部自分で説明出来ますから」

ボロが出るのか?経営者のボロが出るのだな!!(涙)

でもまあ「面接」というほどちゃんとした面接ではなく、一応「本人確認」ぐらいで終了!!パスポートを預けてこれをもらう。

ここからツアーにとんぼ返りして、乗る飛行機、鉄道、ホテルのチェックインなど全てのところでこれがパスポート代わりになるのだ!!

嫌やなぁ・・・「これ何や」言うて職員に突っ返されるの(涙)

「もうこれで最後ね!!」
と仲介業者に確認するのだが、
「じゃFunkyさんはいつパスポート取りに来るんですか?」

!(◎_◎;)・・・3回北京に往復したらよかったんちゃうん?あんたがパスポートを旅先にでも送ってくれたらええやん・・・

「この紙がないとパスポート受け取れません」・・・(>_<)

それによく見ると「取証期限」というところに4月25日と書いてある・・・
その期限が切れたらこの用紙の有効期限が切れて列車や飛行機に乗れないかも・・・

((((;゚Д゚)))))))

スケジュールを見てみると、ちょうど25日は山東省临沂から同じく山東省青島までの移動日・・・
むっちゃ大回りになるけど北京行きます!!行かせて下さい!!(涙)

もうね、パスポート失くした時にあれだけ大変だったんだから、この紙切れの有効期限切れたら・・・終わる!(>_<)

というわけで今日!!
とんぼ返りで北京に帰って来てパスポートゲット!!
そこにはこんな居留証が押されてたのでした!!\(^o^)/

しかしここからまた戦いが始まる・・・

ビザは2年間あるが、それを更新する時には60歳を超えてるのでおそらく受け付けてくれないだろう、と・・・

!(◎_◎;)

ほなどうすんの?!!・・・
そうですねぇ・・・自分名義の会社でもこちらにあれば・・・

60歳になるまでに就労先を変更せねばならんので新たに会社起こすのは間に合わんぞ・・・

そうや!!日本の会社はLuanShuの会社の子会社なので、
そこの総経理であるワシを親会社の名義に入れてもらえばいいのではないか?!!

60歳まであと3ヶ月ない・・・間に合うのかワシ・・・

戦いは続く・・・そしてワシはどんどんホンモノの「経営者」になってゆく・・・

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2018年9月25日

布衣秋のツアー2018北京麦田フェスティバル

元々はこの日は青海省「西寧」から次の寧夏海賊自治区銀川までの移動日だったのだろう、近くを拾ってゆく理想の組み方だったのにここにいきなり北京でのイベントが飛び込んで来た・・・そう想像している・・・

このおかげで過酷な移動(>_<)・・・一行は4時半に起きて北京へ向かふ・・・

4時半起きで北京へごー!! 本来なら寧夏回族自治区の銀川への移動日だったのがイベントが飛び込んで来たのよね〜しゃーないなぁ〜・・・ せっかく高山病反応にももう落ち着いて来たんやけどなぁ〜・・・まあ来よう!! - Spherical Image - RICOH THETA

北京空港には主催者が用意した車が迎えに来ているのだが、
如何せん会場は北京市内の南の方・・・結局2時間近く車に揺られるハメに・・・

青海省より遠いやん(>_<)

ふう・・・国内線なのに2時間15分って中国はやっぱデカいなぁ〜・・・ イベント主催者のよこした車で会場入り〜(市内南なので1時間以上(>_<)) - Spherical Image - RICOH THETA

会場に着いたらもうイベントは始まっていて、
私たちの前はラッパーのステージで、ドラマーはいなかったのでタムを持って来てもらってステージ袖でチューニング・・・

会場はもう溢れんばかりの客・・・!(◎_◎;)

前の演者が終わると一応客席からは見えないように幕が上がるのだが、
音はそのまままる聞こえのままサウンドチェック!!

麦田Festivalセッティングちう〜 - Spherical Image - RICOH THETA

サウンドチェックが終わったら申し訳程度に一度ステージを降りて、
幕が降りたらまた出て来てライブ開始!!

ここまでの映像がロードムービーにまとめられてます・・・

このように和やかにコンサートが終わると思ってたら、
実はとんでもないことが起こって来る・・・

ふと気づくと客が一団となって何かを叫んでいるのである。

「下去!!下去!!」

ステージ上では聞き取れなかったのだが、後で聞いたらいわゆる「帰れコール」!(◎_◎;)

LaoWuの態度を見てたらいたって普通なのでまさかブーイングが起きてるとは思わな買ったが、実はこのイベントはロックイベントではなく、麦田というレコード会社が主催する「流行歌」のイベントだったのだ・・・

流行歌ファンにだってロックが好きな輩はいる。
ロックファンは布衣のステージに狂喜乱舞するが、
それが流行歌ファンには不快でたまらない。

なにせ彼女たちは徹夜で並んでこの一番前の席を取っているのだ。
前からはわけのわからないウルサい演奏、後ろからはわけのわからない連中の歓声・・・
彼女たちからしたら「ウルサいわねぇ!!もうやめてよ!!」ということだったのだろう・・・

また中国では今だにロックコンサートでは日本では危険なので禁止されているモッシュやダイブをしたりするが、
まあ見ての通りぎゅうぎゅうなのでそれが出来る状態ではない。

それでも後ろから押されたりするのだろう、キレた流行歌ファンが、
徹夜で並ぶために持ち込んだ折り畳み椅子を後ろのロックファンのところに投げつけて流血騒ぎにもなったと言う・・・

BuYiMaiTian2018WeiBo.PNG

乱闘も起こってたのだろうが、如何せんステージからは客席はもう一面の「豆粒」なので状況が全くわからない・・・

とにかくこの「ロックバンド布衣」の登場によって、「流行歌ファン」と「ロックファン」の間に大戦争が勃発したということなのだ!(◎_◎;)


LaoWuは「帰れコール」を受けながら全く動じることなくステージを進めてゆく・・・

以下は私が後で思ったこと・・・

思えば私が最初に出会った頃、布衣結成10周年と銘打って小さなライブハウスで記念ライブを行ったが、そんな節目の記念ライブにも関わらず客は10人。

その後一緒に何度かライブもやったが、まあ・・・客がいたことがない(笑)

別に男前でもファッショナブルでもない、「農民ボーカル」とまで言われているこの男・・・
器用でもないので流行りの音楽を作ることも歌うことも出来ない。

「これをこう変えればもっと売れるのに」
という考えすらなく、ただ自分が出来ることだけを変わらずずーっとやり続けて来て今がある。

満場の拍手で迎えられたって、客から「帰れ」と言われたって、
この男にとっては自分が歌えるたったひとつのこの「自分の音楽」を歌うしかないのだ・・・

だからいつもの通りに「自分の音楽」を歌った・・・そういうことなのだと思う。

でも私なりに言わせてもらうと、
布衣の音楽はそんな激しいロックばかりではない。

我爱你亲爱的姑娘」、これは私が作った映画音楽の挿入歌で、
中国人では知らない人はいないというぐらいに「流行」した音楽でもある。

激しい曲では「出発」、これも何かの大きなタイアップになって知名度が高い・・・
(・・・って有名なのん俺が書いた曲ばっかりやないの〜(笑))

この場にいた流行歌ファンはどう思っただろう・・・
「こんなウルサい音楽、やめてしまえ」
と思ってたら自分でも知っている曲が演奏されて、それがこの毛嫌いしてたこのバンドの曲なのだ・・・

そしてソロ回し・・・いわゆる「技術の祭典・・・
まあちょっと違うけど、言うならば「サーカス」や、もっと言ったら「雑技団」みたいなもんである。

いくらロックが嫌いな流行歌ファンだって、長年命をかけて培って来た「芸」というのはわからないわけはない。

小畑秀光のギターソロ!!

実はこれは私の「ミス」であったのだが、
「イベントだろ?ロックファンが多いんだったら小畑のソロを入れとけよ」
とLaoWuに助言していたのだ。

「ギターソロは曲中にもいっぱいあるじゃん」
と言うのを、
「曲中のソロは中国人ギタリストでもみんな弾いてる。でもギター単独のソロなんて中国人ギタリストには誰も出来ないだろ」
と言って説得したのだが、もちろんこの時点でこのイベントが「流行歌イベント」だとは夢にも思ってない。

まあ小畑にとっても客が実は大ブーイングをしてるなんて夢にも思ってないわけで、
たとえ思ったとしてもこいつのは「命がけで客を煽る」しか選択肢ないのだかしゃーない(笑)

人数比のほどはわからないが、「流行歌ファン」と「ロックファン」が戦争をしてたのだとすると、この頃にはもう「ロックファン」が大圧勝だということである。

布衣のステージ終了!!

終了〜!! - Spherical Image - RICOH THETA

そして次の日の移動の時に雑談でこの「帰れコール」の事を初めて聞くこととなった。

WeiBoという中国のTwitterみたいなサイトにあるこのイベントの主催者アカウントにある布衣もページには、既に何百という書き込み・・・
・・・というよりここがまた「流行歌ファン」と「ロックファン」のなじり合いとなって炎上している・・・

BuYiMaiTian2018WeiBo2.jpg

日本だとロックファンが歌謡曲をバカにして・・・みたいなことはあったかもわからんが、流行歌ファンがロックファンに対してこんなに敵意を燃やすなんてやっぱり「中国ならでは」なのだろうか・・・

ジャニーズのイベントにメタリカが出演したってこうにはならんぞ・・・と思うが、もしその時にメタリカが全ジャニーズファンを自分のファンにしたとしたら、「ロックって凄いなぁ」と私は思うぞ!!

布衣もなかなか善戦したのではないか?
中国ロックもなかなか素晴らしい!!

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2018年6月27日

生楽器の新しいレコーディングのやり方

弦や管の生楽器レコーディングはアレンジャーにとって晴れの舞台!!

打ち込みやバンド録音などは長くやっていても、
これら生楽器をアレンジしたことない、もしくは出来ないというアレンジャーも少なくない。

日本の場合、これら生楽器のレコーディングは予算もかかるし「敷居が高い」というのもあった。

その昔、バブルでスタジオミュージシャン全盛だった頃、
売れっ子ミュージシャンは高級カーを乗り回してスタジオをハシゴしていたと聞く。

彼ら売れっ子ミュージシャン達にとって、
ぽっと出の新米アレンジャーなど格好の「イジメ」の標的であったとも聞く。

当時はコンピューター譜面などはなかったので、
一生懸命手書きで書いたオーケストラ譜(スコア譜)を、
写譜屋さんという専門業者に出してそれをパート譜に書き直してもらう。

売れてる写譜屋さんなどは写譜ペン一本で家が建ったと言われていた時代である。

人間が手書きで書いているのだから当然ミスが出る。
優秀な写譜屋さんは音楽的に判断してそのミスを直してくれてスコア譜にしてくれたとも言うが、それでも人間がやってるので当然ミスは出る。

#やbなど明らかに写譜ミスだろうという音でも、
意地悪なプレイヤーはワザとそのように間違えて音を出す。

アレンジャーの耳を試しているのだ。

「音は濁っているけどどれが間違いかわからない」
とパニクっているアレンジャーに容赦なく罵声を飛ばす。

「おい、アレンジャーさん、この音はこれの間違いじゃねーのか!!」

そんなことが平気で行われていたというのだから、生楽器のレコーディングはさしずめ「戦場」である。

かく言う私もスタジオでイジメられたことはある。

「音が濁っている」と感じたら、
とっさにどのパートが間違えているのかを聞き分けて指示を出す。

それが瞬時に出来なければ罵声が飛ぶのだから「命がけ」である。

特に弦楽オーケストラのビオラなどは小学校の音楽の時間に習った「ト音記号」でも「ヘ音記号」でもない「ハ音記号」で書かれているのでとっさにどの音なのかが口に出せずにしどろもどろになったりする。

レコーディングが終わると冷や汗で身体はネトネト、
しかしそんなことが私の音楽人生には大きな「経験」となった。

経験値が高くなるともうナメられることもないし、
何よりも、いつの間にやら録音に来るミュージシャンよりも、私の方が数段歳上になってしまった(笑)

いつの間にやら、ストリングスだったら中国ではこのオーケストラ、みたいな「チーム」が出来上がって来る。

彼らは「プロ」なんだからどなた様の書いた譜面でも演奏する。

小沢征爾が中国に来た時に呼ぶオーケストラなどが、私の仕事なんかにも来てくれるということになってしまうのだ。

中国のスタジオミュージシャンは「1曲いくら」なので、
当然ながら順調にレコーディングが進んで早く家に帰れた方が「時給」が高くなってよい。

「アレンジャーいじめ」なんかやってるヒマなんかありゃしないのだ。
一致団結して、なるだけ高いレベルの演奏を短時間で録り終えれるように一緒に頑張る。

弾き方のニュアンスなどを書き込み忘れてたって、
棒弾きなどしてアレンジャーをイジメているヒマなんかない。

「こう弾けということだろうな」などとコンマスが判断して、
もうとっとと指示を出してリハーサルを始めている。

こちらはそれを聞いて「そうそう」とか頷きながら(笑)、
万が一これがライブなどで演奏される時のために、それをスコア譜にメモ書きで追加しておくのだ。


しかしこれだけシステムが出来上がっていても、
それでも私にとってはオーケストラのレコーディングはやっぱり命がけである。

気を抜いたら失敗する。

前回映画音楽の時にこんな失敗があったのも、
気を抜いてアシスタントなど使って
「低いなとか思うところがあったらオクターブ上げたりして譜面整理しといて」
などと指示していたからだ。

現場で音が違って聞こえる・・・
こんな風に書いたつもりはないのだが、
でもどこが違うか全くわからない・・・

冷や汗をかきながら譜面をガン見してどのパートが間違えてるのかを探るが、
どう聞いても誰も間違っていない・・・

時間切れ(>_<)

オーケストラを帰してからひとりで検証してみると、
実は原因は、アシスタントがどこかのパートをオクターブ上げるか下げるかする時に、間違えて5度上げるか下げるかして譜面を印字していたのだ。

譜面が間違っていた(>_<)

他の楽器のコードを変えて事なきを得たが、
それ以来気を抜くこともなく、毎回命がけで現場に挑んでいる。

ところが先日、
布衣の次のリーディングソングに弦を入れたいということで、
鼻息荒くして現場に行った時に肩透かしを食らった。

いつものように譜面を印字してそれとにらめっこ。

「このアレンジでいいのだろうか」
そんな気持ちを飲み込んで
「昨日まであれだけ試行錯誤してこれに落ち着いただろ!!自分を信じろ!!自分が書いたこの譜面を信じるのだ!!」
と自分に言い聞かせる。

これ即ち「自分との戦い」・・・

ストリングス録音です〜毎回ながら緊張します〜 今日のオーケストラはいつもの人達とちゃうからな〜なおさらです(>_<) 頑張るもへったくれもない、夕べ書いた自分の譜面を信じるしかない!! ちゃんと書いたからちゃんと録れるじゃろ!! - Spherical Image - RICOH THETA

私は指揮こそしないが、
オーケストラに指示を出すのと、生の響きがどう聞こえるのか勉強のために、
いつもブースに入って指揮者の位置で聞くようにしている。

ちなみに、今どき中国でのポップスのオーケストラ録音に指揮者など来ない。
みんなクリックとBaoHaoという小節番号を録音したトラックだけを聞いてそのまま録音するのだ。

つまり、そのBaoHaoの録音こそが指揮者の代わりとしてアレンジャーの大きな仕事なのである。
(中国ならでは)

ところがエンジニア曰く
「あ、BaoHaoはもう録音してありますから」

更には
「ブースで聞かなくてもいいですよ。コンソールで聞いて下さい。あとは僕らがやっときます」

オーケストラのコンマスがやって来た。
いつもの人とは違う。

おそらくいつもの人は国家級の偉い人になってしまったのでその下が来たのだろう。

「じゃあ譜面を下さい」
コンマスは自分の弾くパート譜ではなく全部のパートがあるスコア譜を要求、
ブースに入らずにコンソールルームでスコア譜を見ながらオーケストラに指示をし始めた。

「何小節目、ニュアンスとしてはスラーで弾いてみようか。
セカンドバイオリン、この部分モタらないように気をつけて」
など指示をしながら簡単にリハーサル。

「こんな感じでいいですか?」
と私に確認してその場でレコーディング開始!(◎_◎;)

つまり「ディレクション」という一番の「戦いの場」をコンマスが私の代わりに全部やってくれるのだ・・・

ワシ・・・全くやることないんですけど・・・(笑)


時々弾き方に関して
「これはこのような弾き方がいいですか?それとも」
などと選択肢を出して来るので
「こっちがいい」
と選べばそれだけでよい。

そして逆に私がディレクションするよりも音に対する要求が厳しい。

私ならOKとして後で聞き直して判断するテイクでも、
早めに止めてさっさとやり直しをさせる。

「餅は餅屋」である、きっとその方が高いクオリティーを短い時間で録り終えることが出来るのだ・・・

あっと言う間にレコーディングは終了し、
オーケストラをバックにMV撮り!!

これは1曲分のためにスタジオを押さえると、
スタジオ代もオーケストラのギャラも割高になるので、
「1曲半」としてMV撮りのために先ほど弾いた譜面を2回通り最初から最後まで弾いてくれという風にブッキングしたためである。

私はもう役目を終えたので、
最初のテイクはスタジオの中で聞いて、
実際自分の書いた譜面がどのような生音として響いているのかを勉強のために頭に叩き込んでおく。

2回目はコンソールルームでもう一度、バンドの中でどう聞こえるのかを最終チェック!!

まあ問題があるはずがない。
そのままさっさとオーケストラは帰って行った。

「录得很好!!(素晴らしい録音でした)」
そう言ってコンマスを褒めると、
「写得好!!写得好!!(あなたの書いた譜面がいいからですよ)」
と言われる。

この瞬間が「合作愉快!」
戦い終わったアレンジャーとプレイヤーが心を交わす至福の時間である・・・

・・・とか何とか言いながら今回ワシ・・・全く戦ってないがな(笑)

これらのブッキングを全部やってくれたLaoLuan曰く、
「最近はもうアレンジャーは現場に来ないよ」

!(◎_◎;)・・・そこまでシステム化が進んでいる?・・・

中国最高峰のアレンジャー、三宝や捞仔などは、
もうメールでここに譜面とDEMOを送りつけるだけで、
あとは全部このチームが完璧に録音して送り返して来るそうな・・・!(◎_◎;)

考えてみればドラムも最近そうよなぁ・・・

データが送られて来て、ガイドで打ち込まれたドラムパターンを聞いて、
そこにドラマーとしてアイデアを加えてひとりでレコーディングして、
ちょっと迷った部分があったらテイク2も録音しといて、
データをネットで送ってそれで仕事終わり。

それもこれも私自身がプロデューサーでもあるので、
「この音楽だったらこうだろう」
というのを織り込んでゆくから出来ている部分もある。

オーケストラでこれが出来るというのは、
やはりこのエンジニア自身もその「センス」があるからではないかと思う。

日本ではエンジニアは文字通り「技師」であり、
音楽の内容には口を出さないという不文律があるが、
中国では参加する全員がプロデューサーなので(笑)
それによってこのシステムが成り立っているのではないかと思う。
(まあまかり間違えば時々このせいで大混乱を生むのだが・・・(笑))


さてまた長い長い前置きはさておいて、
今回北海道ツアーの間に更に民族楽器もレコーディングせねばならなくなり、
さっそくこのシステムを使わせてもらった。

その都度このようなショートビデオが送られて来て状況が伝わって来るのだが、
最初は「録り終わったらmp3で送ってね〜確認するから」と言ってた私も、
そのうち「いいや、もう聞かないからそっちで勝手に録っといて」となった。

奏者も知り合いで何曲が一緒に仕事をしてるので、
「こんな弾き方もあるわよ」
と色々送って来てたのだが、
「それもいいねぇ〜じゃあそのバージョンも録って入れといて」
でそれでいいのだ。

聞くのは全部録り終わってデータ送ってもらってから選べばよい。

釧路でファンキーはんと大村はんのライブをやっているうちにレコーディングは無事に終わったようだ。

ライブ終了後に携帯を開くと、
データと共にこんなメッセージが添えられていた。
「写得好!!真好听!!(いいアレンジだ。とってもよかったよ)」

その場には一緒にいないが、アレンジャーとミュージシャン、
そしてこの「チーム全体」が作った音楽が高いところに昇って行った気がしてとても嬉しかった。

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2018年4月10日

若きアレンジャーにお説教

中国での本職は「スタジオミュージシャン」なので、長い長いツアーに出ててもやはりレコーディングの呼び出しを食らう・・・

まあスタジオ仕事なんてある時には寝るヒマないぐらい来るが、
ない時には全くないので必然的にある時にどんな無理してもやっとかねばならない・・・

というわけでツアーの合間にひとり北京に戻ってレコーディングをする!!

レコーディングはもともとは1曲だったんだけど「北京におるんか?ほなうちのも〜」「ほなついでにうちのも〜」で結局3曲に〜・・・ いやありがたいことです〜仕事のあるうちにやれるだけやっとかんと、ない時には全くないのがこの商売ですからなぁ・・・ - Spherical Image - RICOH THETA

いや〜足掛け4ヶ月ぶりに院子に帰って来て、
バカ犬どもが相変わらずのバカだったのと、
バカ鶏がまだ生きてたのに癒される・・・

セッティング終わってプロデューサー待ち〜足掛け4ヶ月ぶりの院子だがバカ犬も元気だったようぢゃな、バカ鶏も老衰で死なず食われもしなかったようぢゃな・・・ - Spherical Image - RICOH THETA

この院子も壊されてビルになってしまうためまた立ち退きである(>_<)

昔ながらの北京の長屋風情ももう今の北京にはどんどんなくなって来て、
貧乏なミュージシャンは住むところを追われた天然記念物のトキのように(?)どんどんと人里離れたところに移り住まなければならないのだな・・・シミジミ・・・


さて、感傷に浸っているヒマはない。
1曲目の依頼はBeyondのドラマーWingさんから、
元Beyondの敏腕プロデューサーLeslieんとこの歌手のレコーディングだそうである・・・

1曲目はWingさんからの依頼で元BEYOND敏腕プロデューサーLeslieんとこの歌手!!なんとシャッフルの2バスでした!(◎_◎;) 続いて香港のJamesさんのお仕事・・・って友達ばっかやな(笑) いや、どんな仕事も基本そんなもんです。中国は友達からしか仕事は来ません!!友達いないと生きてゆけません!! - Spherical Image - RICOH THETA

敏腕プロデューサー、オーストラリアで隠居してたと思ったら業界に復帰するのな!(◎_◎;)

それでWingがそれを助けて、大スターでありながらこうしてレコーディングを手伝っていると・・・相変わらずやな(笑)

2曲は香港のJamesさん!!

「1曲ドラムレコーディングして欲しいんだけど」
と言われても
「この日しかスケジュールないよ」
と言うしかない。

それならばということでこの日に一緒にレコーディングしてしまおうとなった・・・

1曲目のレコーディングで音もモニターも決まってしまっているので、
それならば同じ日に何曲でも録った方がよい。

・・・というわけでそれも順調に録り終わり、
3曲目は若きプロデューサーWangWeiの仕事!!

他のスタジオでレコーディングだとまたゼロからセッティングと音作りとシステムを組み直さねばならないのでわざわざうちの院子まで来てもらうことにした。


ところでこのWangWeiからは実は旅先でこんな仕事の依頼もあった。

「アコースティックギターのレコーディングをしたいんだけど・・・」
ということで、前回北京に呼んだ三好3吉さんを紹介してくれと言うのだ。

私はイヤな予感がして、3吉さんではなく、キョンマのライブで一緒になった長谷川くんを紹介した。

3吉さんは自宅にレコーディング設備を持ってないので、
プロデューサー本人が立ち会わないこのようなレコーディング形式では、
わざわざ外のスタジオを借りてレコーディングすることになる。

「イヤな予感」とはそこである・・・

そもそもが「紹介してくれ」なんて言いながら、結局やり取りは全部私を介して本人同士は直接やり取りはしない。
つまりは通訳業務からディレクション、スタジオなんか借りてたらそのブッキングからエンジニアとのやり取り、料金の支払いまで全部私がやらねばならないのだ(>_<)

長谷川くんなら腕は確かだし、自宅にスタジオがあるなら対処出来るかもと思ったのである・・・


このような日中の間のディレクション作業はもう既に何本もやっているが、
蓋を開けてみたら今回が今までの中で一番トラブった(>_<)

仕事の内容は、ギタリストにDEMO音源を送って、
「押尾コータローのように弾いて下さい」
というもので、
まあ押尾コータローじゃない人に「押尾コータローみたいに弾け」というのがそもそも失礼なのだが、まあそれは中国なので大目に見てそのように長谷川くんにお願いした。

ところが出来上がってみたら、
「これだとDEMOの弾き方と同じじゃないですか、押尾コータローみたいに弾いて欲しいんです!!」
って・・・(>_<)

あのねぇ・・・コイン入れたらジュースが出て来る自動販売機じゃないんだから、
参考音源送って自分の思い描く音がすぐに出来上がって来るわけないじゃろ!!

「わかりました、こちらのレコーディング終わったらそちらに行きますので、その時にFunkyさんに詳しく説明します」
・・・って俺に説明してどないすんねん!!
お前もアレンジャーやったら譜面でも何でも用意して、出してもらいたい「音」をギタリストに伝えんかい!!

こんなギター一本だけの曲やったらそりゃギタリストにアレンジさせてるのと同じやないかい!!一曲ぶんのアレンジ料払いやがれ!!


あちらのレコーディングとやらが終わって夜の11時に院子に着いたWangWeiは、
とりあえず私に平謝りに謝って、最後に長谷川くんとやり取りをしてこの件は一件落着・・・
こんこんと説教してからドラムのレコーディングを開始する・・・

「今から3曲って大丈夫ですか?」

夜中の11時から3曲ドラムかぁ・・・まあ10年前はよくやってたなぁ・・・(笑)

思えばあの頃はひと握りの有名アレンジャーと、私を含むひと握りのミュージシャンが中国国内の全ての仕事をやっていた・・・

その後、彼のような若いプレイヤーが台頭して来て、
第一線だったミュージシャン達は「高過ぎるから」と言って敬遠されるようになって来る。

彼はもともと、いつもバンドメンバーが揃わない布衣のベースのトラとしてLaoWuが連れて来てワシに紹介した。

「Funkyさんと一緒にプレイ出来て光栄です。とても勉強になりました。
安い仕事でよかったら僕の仕事もやってもらえませんか」
というわけで、今では一流どころよりも彼のような世代のミュージシャンの仕事が多い。

「お前、一体いくつ仕事受けてんの?」

彼のノートの中のメモ書きを見たら、それこそ1ページが真っ黒になるほどのプロジェクトが詰め込まれている!(◎_◎;)

無理じゃろ・・・(笑)


昔、日本がバブルだった頃、
私の師匠に当たるN氏が同様に手当たり次第に仕事を受けては、それを片っ端から若い衆に振っているのを見ている・・・

「Nくん、何よあの仕事は!!そんなことやってたらもうこの世界から干されちゃうわよ」

怖〜い怖〜いスタジオミュージシャンのトッププレイヤーがN氏にクレームを言ってるのを聞いたことがある・・・

干されるも何もその後バブルは数年で弾け散ってしまった日本と違って、
私が中国でスタジオミュージシャンとして一番忙しかった10年前のあの時代と同じく、
今も世代を超えたミュージシャンが同じように寝るヒマもなく仕事をしている・・・

中国のバブルは長く、そしてはじけない・・・いやこうなってくると、単にこれは中国の音楽ビジネスの「普通の姿」かも知れんな・・・

日本のあの頃と同じく、10年前のあの頃は毎日徹夜・・・
というより2日間寝ずにぶっ続けに仕事をして数時間仮眠をして・・・
そんな生活をしてて学んだことがある。

「おい、徹夜はなぁ・・・結局効率が悪いぞ!!」

2日間寝なかったらミスも多くなり能率も下がり・・・
結局夜はちゃんと寝て朝早く起きて仕事をする方が効率がいいのだ。

リズムが全くアレンジされてない曲のドラムを手探りであーでもないこーでもないと一緒に考えて2曲録り終わった頃、彼がため息をついてこう言った。

「もう今日は2曲で終わりにして、あとはまた後日叩いてもらえますか?」

・・・それがいいそれがいい。
ツアー先からまた帰って来てレコーディングしてやるからとにかく寝ろ!!
そして頭の中をクリアにしてもっと「準備」をちゃんとしておけ!!

その方がよっぽど効率よく仕事が出来るぞ!!
(つまりもっと仕事が受けられるぞ)

いやいや、お前の場合は仕事の量はもっと減らした方がいい!!
・・・と言っても減らさんやろうなぁ・・・

日本がバブルの頃にそう言われて仕事減らした人はおらんかったもんな(笑)

Posted by ファンキー末吉 at:06:54 | 固定リンク

2017年11月13日

スタジオミュージシャンのツラいお仕事

北京に来てから「スタジオミュージシャン」として数々の名盤を録音して来た。

特に中国ロックの歴史に金字塔を打ち立てた許魏(Xu Wei)の「时光漫步」というアルバムは、「ドラマーFunky末吉」の名を中国じゅうに鳴り響かせる「名仕事」となった。

このレコーディングの時は「バンド」としてレコーディングしている感覚で、
「叩き終わったから聞いてよ」と許魏(Xu Wei)に言っても、
「別にお前が満足してる出来なら聞く必要はないよ」などと言ってたぐらいである。

このような「一緒にモノを作り上げる」という素晴らしい「仕事」もあればそうでないものもある。

今やっている新人歌手のアルバムレコーディング・・・これが久しぶりにツラい(>_<)

まあ「お仕事」やからね、楽しい仕事ばかりとは限らないが、
「そんなに自分のDEMOがいいならそのDEMOをそのまま発売すれば〜」
と言いたくなる。

若い女の子が初めて曲を作って、DTMで一生懸命DEMOを作った。
それに愛着があるのは重々理解出来る。

でもね、生ドラムって打ち込みのドラムのその音色と全く同じには出来ないのよ!!

どこから拾って来たかわからないドラムフィルを聞かせて、
「こんな感じで叩いて」というのは即ち
「これと同じじゃなきゃイヤ」というのと同じね・・・(>_<)

まあ同じことを叩ける「腕」はあるよ。
でもこの曲のこの場面でそれ叩くって「ドラマーとしてどうよ」という話である(涙)

昔、とあるレコーディングでアレンジャーの郭亮(Guo Liang)がプロデューサーと意見が衝突してこう発言したことを思い出した。

「もうこうなっちゃったら俺の"音楽"じゃない。お金も要らないから俺の名前をクレジットから外してくれ」

もうね、ワシもこの場でそう言ってこんな仕事終わらせたい。
だけどそれをやったらワシに仕事をくれた「家族」のような仲間たちに迷惑がかかる・・・(>_<)

「Funkyってこんなダサいドラムフィル叩くんだ」
とか
「こんな歌を邪魔するようなドラム叩くんだ」
とか言われようが、この「仕事」は最後まで遂行するしかない・・・

まあでもそんな心配をするほどこのアルバムが売れることはないだろう。
「人間ひとりの才能」なんか小さなものでしかないのだ。

片や、戦えば負け知らず、その恐ろしい形相が見えただけで敵が戦わずして逃げ去ったという「項羽」、
片や、司馬遼太郎が「背が高くて髭だけが立派なろくでなし」と表現した「劉邦」、
歴史は結局、
「こいつはバカだから空っぽの袋のようなものだ。物を入れればどれだけでも大きくなる」
という劉邦に天下を取らせた。
優秀なブレインがみんな彼のところに集まって来たのだ。

自分で全てを決めるスーパーマンのような項羽は、最後には「四面楚歌」となって
「我らは弱くて滅ぼされるんじゃない。天が我らに天下を与えなかった。それだけだ」
と言って、同じお国訛りを話していた目の前の一兵卒に首を捧げて死んでいった・・・

アルバムに参加するドラマーがドラムマシンのように何の思い入れもなく叩いて録音されたアルバムが天下を取るか?・・・

そんなドラムマシンのようなお仕事も過去にはあったことはあった。

汪峰(Wang Feng)という中国を代表するロック歌手
世界的人気女優「章子怡(Zhang ZiYi)」の旦那と言った方が通りがよいか?)
のレコーディングの時、若いアレンジャーは自分の打ち込んだドラムのパターンをそのまま叩いてくれと言った。

ハイハットをウラで踏んだり複雑怪奇なそのパターンをワシは時間をもらって完全に再現し、
「これキープしてもう1テイク録らせてくれない?」
と言って、ドラマーとして自然に叩いたテイクを録って聴き比べてもらった。

「凄いよ、このテイク、ハイハットをウラで踏んでるんだよ」
大喜びでそういう若いアレンジャーを尻目に、汪峰(Wang Feng)が選んだテイクは自然に叩いたテイクだった。

だから汪峰(Wang Feng)は「天下」を取ったのだ。

ところがこの現場にはこの若い新人歌手にそんな意見を言える人間はいない。
なにせお金を出しているのはその父親、
つまりこの歌手こそが「クライアント」なのだ。

「どうやったら売れる」とか説得しても無駄である。
彼女は自分の思い通りにやることが「売れる」ことだと思っているのだから・・・

叩くしかない・・・
どんなダサいフレーズだとて叩くしかない・・・(>_<)

「時給」が低くならないように、
なるだけ効率よく彼女が満足するように叩いて、
終わったらすぐに飲み屋に駆け込んで、
酒で全てを洗い流そう・・・

思えば今までスタジオ仕事には恵まれていた。

「スタジオミュージシャンは娼婦みたいな仕事」
などと娼婦になったこともないくせに(笑)そんな風に言ってたこともある。

私のような「感情移入型」のミュージシャンは、
ウソでもいいからその曲を本当に心から愛して叩かないといい結果は出ないのだ。

だからレコーディングが終わったらどの曲も本当に愛していた。
その愛した曲を中国の人民みんなが愛した。

そしてそれを叩いているワシのことをみんなが愛してくれた。

恵まれ過ぎてるよね・・・

そんな仕事ばかりじゃない(>_<)
今日は何とか「機械」になって、思いっきり「クライアント」を満足させてやろう・・・

そして飲むのじゃ・・・飲んで忘れて明日も頑張るのじゃ・・・

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2017年9月16日

香港とイギリスで活動するバンドのボーカリスト募集!!

JASRAC本の執筆が当時の精神状態を追体験するので、「これはたまらん」とちょっと逃避しに出かけて行った。

うちの村にはビールと白酒ぐらいしか飲めるところはないので、
中国では法律的には自転車と同じ、しかも飲酒運転は取られないという電動チャリにて出かけて行った。

ところが乗ってみるとバッテリーの容量が心もとない・・・

近所に住む香港の大スターWINGさんのマンションの1階に寿司屋がオープンしてたのを思い出して、そこで一杯飲みながら充電させてもらうことにした。
(中国は日本と違って基本的に充電は必ずと言っていいほどさせてくれるのよ〜)

まあそこの寿司屋が不味かったら目も当てられないので、
久しぶりにWINGに連絡して「お前んとこの1階の寿司屋は美味いのか?」と聞いてみる・・・

そしたら彼がもらった連絡でこんなことを返してくるのだ・・・

「Funky〜実は俺の友達の香港の老外(欧米人のことを称してこう言う)のバンドがさぁ〜、英語で歌えるボーカルを探してるんだ。
ボーカル見つかったら早速アルバムをレコーディングしたいらしいんだけどどこの国の人でもいいから誰かいない?」

というわけで香港とイギリスで活動するどんなバンドかわからんバンドのボーカルになりたい人大募集!!(笑)

バンドのデモ

https://soundcloud.com/puntgunsdemo-n-umero1/therapy-v5-master/s-2aWxV
https://soundcloud.com/puntgunsdemo-n-umero1/punt-guns-v5-master/s-qBEP5

バンドのスタイルはFoofigtersやNirvanaのようなスタイル。
男性ボーカルで英語で歌えることが条件。

その後香港で住んで活動するのか、または日本から通うのか、生活を保障してくれるのかどうか等は一切未定(笑)
ご自身で直接そのバンドと交渉して頂くことになります。
(当然ながらやり取りの言語は英語)

我こそはと思わん方は、ご自身の歌をアップしたYouTube等のアドレスを、ご自身のプロフィールや紹介文(英語)と共にこちらに送って下さい。

こちらとしてはそのメールをそのまま先方に転送します。
後のやり取りは全てご自身でやって頂いて、
その後どのような問題が起こっても当方は一切感知しません。
全てご自身で解決して下さい。

まあ海外のチャンスなんてだいたいそんなもんよ〜
我こそはと思われる方は是非〜

Posted by ファンキー末吉 at:21:53 | 固定リンク

2017年9月14日

尖閣諸島でロックフェスティバル

いやね、最初に言っとくけど酒の上の話ね、酒の上の(笑)

私のように外国で暮らしている人たちの中にはやっぱり「変わってる」人がいっぱいいるが、もう20年以上の付き合いである北京のN嬢も相当変わっている人間だと思う。

私と同じく中国人の血が入っているわけではない純粋な日本人だが、
「私はもう日本には帰らない。死ぬ時は中国で死ぬ」
(どっかで聞いた話やな・・・笑)
と豪語してやまない。

旦那も中国に来てもう長いが、同じくもう日本に帰るつもりもなくここ北京を終の住処と考えているのだろう・・・

そんなご夫婦とある日一緒に飲んだ時(よく一緒に飲むのだがその時は)、
たまたま私が北朝鮮に初めて渡航する前の夜であった。

北朝鮮にロックを教えに行く・・・

私にとってはそれは「死」を覚悟して行くようなもので、
帰って来れない可能性もあるということから、その日はまるで「遺言」のように色んなことを話したのだろうと思う。

当時は尖閣諸島の問題が日中関係を大きく揺り動かしていてその話にもなった。

「私はね、尖閣諸島は日中友好のシンボルとして永遠にどの国も不可侵な存在にすればいいと思うの!!」
とN嬢(酒の上での話よ、酒の・・・笑)。

「北朝鮮が核兵器とテポドン開発してるなら、まず尖閣諸島に落として島をなくしてしまえばいいと思うの!!」
(全く酒の上だけの話ですよ!!笑)

など酒宴は死地に赴く友人を送るべく(笑)なんか変な風に向かっていたのだろう・・・

香港の活動家が尖閣諸島に上陸して逮捕されたという事件の話になって、
「中国や日本やに限定するからダメなのよ、いろんな国がいっぺんに上陸するのよ」
とN嬢・・・(うんうん、酒の上の話ね・・・笑)

そこから話が
「じゃあ色んな国の人がいっぺんに上陸して平和のためのロックイベントをやろう!!」
になったのだと思う。

「じゃあ俺は北朝鮮からバンド連れて来る!!」
「僕は中国のロックバンドに声をかけます」
「韓国のおっさんメタルバンドならひとつ知ってるぞ」

船の手配をどうするかとか音響業者がとかも話したかなぁ・・・もう昔過ぎて覚えとらん(>_<)

とにかくむっちゃ盛り上がって楽しい酒宴だったのを覚えている。


ところが先日、ひょんなことから久しぶりにまたN嬢と飲むことがあって、突然こう言われたのだ。

「尖閣諸島でロックフェスティバルの話、どうなりました?」

・・・って俺がやるん?・・・!(◎_◎;)

「いや〜ファンキーさんに言っとけば何とかなるかと思って(笑)」

ならん!!(キッパリ)

まあその日には北朝鮮出身の北京に住む在日コリアンもいて、あわやまた大きな話になりそうだったので早々と退散させて頂いた(笑)


そして数日後、今度はN嬢の旦那さんと会った時の話・・・

「ファンキーさん、聞きましたよ、いよいよやるんですって?尖閣諸島でロックフェスティバル・・・」

!(◎_◎;)・・・お前ら夫婦の中でどんな話になってんねん!!!

やるならお前らでやりなさい!!
お前らがやるならドラムなら叩きに行ってやる!!・・・ってやるんかい(笑)

やらんよ〜これは酒の上だけの話やからね〜酒の上の話よ〜(笑)

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2017年6月30日

酸菜白肉(SuanCaiBaiRou)

自分にとって「おふくろの味」って何なんだろうと思うことがある・・・。

香川県の中華料理屋「平和園」の3階で生まれ、
食事と言えば病院の食事などを作っていた人が退職してうちの従業員の「まかない」を作る人間として雇われていたので毎日その「まかない」を食って育った私にはあまり「おふくろの味」という記憶がない。

強いて言えばその「まかない」がお世辞にも美味いものではなく、
結局コックさんとかが作ってくれた店の料理がかろうじて自分の「家庭の味」みたいなもんなのだろうか・・・

店もたたんでおふくろは高知に引っ越して隠居し、
そこでおふくろが作ってくれた「鳥の唐揚げ」は平和園のそれと同じく「マスタード」をたっぷり溶かした醤油につけて食べる、それが言わば「おふくろの味」なのであろう、時々無性に「鳥の唐揚げ」をこのようにして食いたくなる・・・。


ところで現在娘が語学留学で北京に来て、
旅ばかりで「一緒に暮らした」という実感がないまま大きくなった娘と「初めて」と言っていいほど「一緒に暮らす」という生活をしている。

娘は小学校に上がるまでは東京で中国人の母(私の元嫁)と共に暮らし、
6歳の頃半年ほど北京で暮らしたが、その後は離婚と共に私の母親と共に高知で暮らし、再婚と共に八王子で暮らしている。

北京で暮らしてる時には全ての日本語は忘れてしまい中国語しか喋れなかったのが、そのまま高知に引っ越したら中国語など全部忘れてしまって土佐弁しか喋れなくなってしまった(笑)

そんな娘が北京に来て真っ先に「食べたい」と言った中華料理がこの「酸菜白肉(SuanCaiBaiRou)」である。

日本語のレシピは台湾の有名店のような料理を作る為のものばかりで、
実際は「酸菜(酸っぱい白菜の漬物)」と「豚肉」だけで簡単に出来る中国東北地方の家庭料理である。

中国語のレシピ

これを元嫁がよく作っていた記憶はある。
日本ではこの「酸菜(酸っぱい白菜の漬物)」が手に入りにくかったので、
代わりにザワークラウトを使っていたのを覚えている。

そしてなんと娘もその味を覚えていたのだ!!!(◎_◎;)

こちら(北京)にやって来てから色んなレストランでこの料理を注文した。
この味はちょっと違う、この味はママの味に似てる・・・等々

そしてしまいには自分で作り始めた!!!(◎_◎;)

あーでもないこーでもないと色々と味を調整してゆく・・・
近づけたいのは遠い昔の記憶に残る「おふくろの味」である。

私はすぐさまアメリカに住む元嫁にメッセージを送った。
離婚以来ほとんど会うこともなく別々に暮らしていたこの母娘の間に、
幼い記憶に残っている「おふくろの味」を求めて娘が試行錯誤している様を是非彼女に伝えたかったのだ・・・

元嫁からは絵文字で涙マークが送られて来た。
嬉しかったのだろう・・・

ザワークラウトはキャベツで出来ているので、娘が食べた料理は厳密には酸菜白肉(SuanCaiBaiRou)ではない。
でも娘の中ではもうそれが「酸菜(酸っぱい白菜の漬物)」に変化している。

まるであの時に、母親が異国の地でどうしても食べたかった郷土料理を、
あり合わせで何とか作った母親のその味の向こうにある本物の方の味を追い求めているかのようである・・・

娘がいつの日か結婚して子供が出来たとしたら、
自分の子供にこう言ってこの料理を作ってあげるのかも知れない。

「私が小さい頃にあんたのおばあちゃんが作ってくれた料理よ」

そうやって「おふくろの味」というものは時代を超え、国境を越え、子孫に伝えられてゆくのかも知れない・・・

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2017年5月25日

むっちゃ便利な中国のレンタル自転車サービス

先日、日本の「未来世紀ジパング」という番組で紹介されていたので私からもちょいとレポートしようと思う。

東京でこのようなサービスは見たことはある。
LuanShuのベイエリアの部屋の近くには江東区のレンタル自転車というサービスがあったを見たのだが、めんどくさそうだったので結局登録はしなかった・・・

実は中国にはもっと進んだサービスがあるのは聞いてはいたのだが、
存在こそは知っていたが使ったことはなかった。

前回上海に行った時にやたらこのレンタル自転車を多く見たので試しに登録してみた!!(ドキドキ)

Mobike.PNG

登録自体は非常に簡単!!
このアプリをDLして、デポジットを299元WeChatで支払って、電話番号やパスポート情報など個人情報を入力する・・・

入力してしばし待たされたが、しばらくしたらメッセージが来てもう使えるようになった!(◎_◎;)

あとは自転車の後部にあるQRコードをWeChatで読み取ったら自動的にカギがカチャンと開いてもう使えるようになる。

MobileKey.jpeg

最初に料金をチャージするように促されるが、
デポジットはデポジットで解約した時に戻って来るだけで、
料金は料金で別途チャージしとかなければならないのね・・・納得・・・とりあえず100元ほどチャージしとく・・・

1回30分1元(日本円で約15円)と格安なので、
100元(日本円で約1500円)もチャージしてたら100回乗れるぞ!!(100回も乗るんやろか・・・)


さて上海で登録したからと言って北京で乗れるかどうか・・・
実は上海だけのサービスで北京では使えないとなったら大損ではあるが、
見てみると駅などにいっぱいこの自転車が置かれてある!(◎_◎;)

MobikeRed.jpg

よしとばかり使ってみようとするとエラー!(◎_◎;)

なんとこのシステムには既にいろんな会社が参入していて、
ワシが登録したのはオレンジ色の自転車、これは赤・・・
その他、緑やら黄色やらいろんな会社の自転車があるようだ・・・

MobikeCoulor.jpg

とりあえず目の前にあった「黄色」もアプリをDLして登録してみた・・・

MobikeYellow.jpeg

まあ使い勝手は全く同じなのだが、
オレンジのはスマホをかざすとカチャっと鍵が解錠されるのに対して、
黄色のはスマホに番号鍵の番号が送られて来る。

どちらの自転車も基本的にどこに乗り捨ててもOK!!
これが実はむっちゃ便利なのである。

例えば自分の自転車でどっかまで行くとすると、
帰りも必ずそこを通らなければならない。

行きは自転車で行ったけど帰りは飲んだからタクシーで〜
とかいうと、翌日には自分でわざわざ自転車を取りに行かねばならないのだ。

タクシーを探しながらとりあえずモバイクで移動しつつ、
見つかったらそこで乗り捨ててタクシーに乗ってもよい。

至るところに自転車が乗り捨てられているので、
どんな辺鄙なところに行ってもアプリを開けばGPSで近くにある自転車を検索出来る。

MobikeKensaku.jpeg

当然ながら需要の多い地下鉄駅などではむっちゃたくさんの自転車が乗り捨てられてるということになるのだが、
見れば業者が定期的に回収に来ているようだ・・・!(◎_◎;)

MobikeKaishu.jpeg

うーむ・・・完璧なシステムではないか・・・
どうして日本ではこれが出来んのやろ・・・

まあ土地の広い中国と違ってどこにでも乗り捨てられたら困るというのはあるかも知れんが、
駅などでの駐輪場の設置とかここ数十年でも遅々として進まんし、
まあ何か新しく変わろうとすると遅々として進まんのが日本という国なのかも知れん・・・

中国ではこのシステムが出来たおかげで自転車泥棒がめっきり減ったというのと、
番組では中国の経済を活性化させるために車の渋滞の軽減、
そしてPM2.5に代表される環境問題に対して有効であるということで国家が推進している民間プロジェクトでもあるらしい・・・

日本でもこれが広まれば同様の効果はあるはずじゃぞ・・・

写真は江東区で実験的に行われているレンタル自転車サービスの駐輪場・・・

MobikeJapan.jpeg

中国と違って何と電動アシスト!!!(◎_◎;)

中国やったらいっぱつでバッテリーとか盗まれてしまうやろうなぁ・・・(笑)

Posted by ファンキー末吉 at:09:59 | 固定リンク

2017年4月28日

印鑑大作戦!!

もうね、日本ってホンマめんどくさい(>_<)

LuanShuの日本の会社の口座を開設してくれることになったのだが、
代表取締役が外国人の場合、「もしも何かがあった時に電話で相談出来ないので」一日に動かせるお金は100万円までです!(◎_◎;)

もう既に1000万円以上が動くプロジェクトが始まってるのにそれでは全然足りんじゃろ・・・(>_<)

こっちが通訳用意するからとか、日本語勉強させるから(笑)とか色々言ってみようとは思っても、これは「規則」というよりは銀行によって独断で決める「裁量」みたいなもんだから、その担当者にあーだこーだ言ってもどうにもならない・・・

「でも、末吉さまが今は取締役ですが代表取締役になられてれば末吉さまにお電話差し上げることが出来ますのでその制限は外れます」

!(◎_◎;)・・・代表取締役ってふたりでもええの?!!

役員がワシしかおらん「有限会社ファンキー末吉」みたいなんしかやったことなかったから知らんかった(笑)

はよ言わんかい!!
知ってたらそうしてるがな・・・(>_<)

銀行が言うには「会社の実印があれば末吉さまが帰国なされてしなければならないことはないはずですが」と言うのでたかをくくっていたが、先ほど発注した業者の方から連絡があった。

「法務局に問い合わせたところ、代表取締役になられる方の実印が必要です」

はよ言わんかい!!
数時間前なら日本に帰る小畑に持たせたがな・・・(>_<)

ワシはこれから鄭州、西安、上海、新疆ウィグル自治区とツアーなので日本に持って帰るヒマはない。
誰か日本から取りに来させようかとも思ったけど、連休前なのでチケットが高い(>_<)

だったら連休前に日本に帰る人行く人を探そう!!

日本でいるとこんな発想は出て来ないかも知れないが、
中国社会はとかく「ネットワーク」の世界、
友達の友達が偶然その日に日本に帰る、行くということは十分にあり得る・・・

見れば上海のイベントの前日の出演者にWeiWeiWuuさん!(◎_◎;)
さっそく連絡を取ってみる・・・

「2日に日本に帰りますよ〜」

そうかぁ・・・
2日に着いたのでは3日から連休なので連休前に手続き出来んなぁ・・・

この銀行が言うには、
申請してから1ヶ月以上経ってしまうと審査を最初からということでまた口座開設
遅くなると言うのだ・・・

「他に誰かおらんか〜」
中国在住日本人のネットワークを探してみる・・・

「ゆうき君が1日に上海から日本に帰るそうですよ〜」

30日に娘が北京から上海に行くのでその時に実印持って来てもらってそのゆうき君とやらに渡せばよい!!

「そのゆうき君とやらのWeChat教えて〜」

WeChatIDを教えてもらって繋がろうと思ったらもう繋がっとる!(◎_◎;)
どこで会ったことある人なんやろう・・・
と思ったら「本の即売飲み会https://www.funkyblog.jp/2012/11/post_824.html」でゴールデン街で一緒に飲んだ人ではないか!!!

もうこれで一件落着!!と思ってたら、
今度は中国人ネットワークから連絡が来た。

LuanShuにも
「誰かお前の友達で日本行く人いないか?」
と聞いていたのだ。

「航空会社の友達に聞いてみるよ」
と言ってたのだけれども、
送られて来た連絡先はとある航空会社の社長(>_<)

あのね、社長じゃなくても従業員でも誰でもいいんですけど・・・
・・・ってまあ社長でも日本に行くならそれでいいんですけど・・・(>_<)

「LuanShuから紹介されたって言えばいいの?」
あとはワシが受け渡し等を詰めればいいんだけど、
全く面識もない人なら名刺替わりに「紹介者の名前」は絶対必要である。

「○○航空の朱社長の紹介だと言えばいいよ」

ってまた別の会社の社長かい!!!(◎_◎;)
こいつ社長しか友達おらんのやな・・・(>_<)

まあいい、どっかの航空会社の社長さんだろうが、その社長さんの友達の他の航空会社の社長さんであろうが、誰だろうが、信用出来る人が日本に持って行ってくれるならそれでいい・・・


それにしてもひと息ついたら我ながら凄いと思った・・・

日本にいて何か北京に持って行ってもらうものがあったら、
日本のネットワークでこれだけ探せるか?・・・

日本にいる中国人のネットワークって?・・・
それにしても日本のどっかの航空会社の社長に託す?・・・・(笑)

何はともあれ実印届いたら法人の定款変更して、
晴れて会社の銀行口座が開設か?・・・

いや、まだまだ落とし穴があるような気がしてならん(笑)

Posted by ファンキー末吉 at:17:07 | 固定リンク

2017年4月11日

作品は極上だけど人間は極悪(笑)

表題は北京のラップシンガー爽子(Shuangz)がやめた事務所の人間が彼を称して言った言葉である(笑)

まあ事務所としては彼を見出して、
ワシに手付金まで払ってデビューさせる段取りをつけてたのに彼女と手に手を取ってタイに逃避行じゃあ腹も立つわのう・・・

「あいつだけは絶対潰してやる!!」
と豪語ししながら、
「でもあいつの作品だけは極上なんだけどなぁ・・・」
で表題の発言となるわけである(笑)


そんな極悪なラップシンガーの全国ツアーが始まった!!

ShuangzTour2017Poster.jpg

うちの院子で一緒に暮らしている布衣なんかは結成20周年と称して2ヶ月半出ずっぱりのツアーを廻っている(今年は21周年と称して結局毎年やっているのだが)が、デビューしてまだそこそこ数年の若造がこれだけのツアーが組めたら大したもんである。

このツアーの前には「唐果(TangGuo)」(元「星光現場(XingGuangXianChang)」TestamentやLoudnessなどが演ったこともある)北京最大のライブハウスで2デイズ満杯にしている。
(ちなみに彼はこの小屋の動員記録を持っているらしい)

しかし全国ツアーとなれば大手事務所に見放された彼にはなかなか大変であろう・・・告知を見るに全部がライブハウス!(◎_◎;)

いや、布衣だってライブハウスなのだが、
メンバーとまあせいぜいマネージャとエンジニアの方言(FangYan)ぐらいを引き連れての貧乏ツアーなら今の彼らぐらいの動員なら必ず黒字になるだろうが、「歌手」だとバンドメンバーに固定ギャラを支払わなければならないので大変である。
(ちなみに「バンド」だと儲かったぶんをみんなで(中国の場合はエンジニア等にも同様に)均等に分配する)

ワシは真っ先に「採算」を心配した。
「極悪」と言うのだからメンバーのギャラなんか平気で踏み倒しそうなもんである・・・
「一本でも踏み倒しやがったら次以降のスケジュールは全部キャンセルしてやる」
という腹づもりで戦々恐々としてツアーに挑む・・・(笑)


さてツアー初日は遼寧省の省都「瀋陽(ShenYang)」!!
なんと車移動!!!(◎_◎;)

・・・まあ経費節約ね、ええよ・・・気楽に考えてたら車で8時間(>_<)

まあ敬老精神で(笑)ワシには後部座席全部をひとりで使わせてもらってるので、しこたまビール買い込んで酔い潰れて横になって寝れる・・・

初日の移動日はこうして潰れ、着いたら地元の知り合いが労をねぎらってメシを奢ってくれた。

8時間かけてやっと着いた〜 瀋陽は朝鮮族の焼肉が有名だそうで、北京でもよく見る三千里の本店なう〜 - Spherical Image - RICOH THETA

そして再び酔い潰れてホテルでバタンQ(死語)・・・
車の中で寝てても決して疲れは取れてないのね・・・と実感(>_<)


翌日は元気にサウンドチェック!!!

ラップ歌手「爽子」のツアー初日!!青島もそうだったが、まだライブハウスというものがない街では箱バンが入っている店の営業前にライブを行う・・・ 往々にしてドラムが鳴らないようにされてるので大変(>_<) - Spherical Image - RICOH THETA

ところが終わってから「このまま車で石家庄(ShiJiaZhuang)」まで移動です!と・・・!(◎_◎;)

遼寧省瀋陽から河北省石家庄まで960km・・・これって絶対10時間はかかるんですけど・・・(涙)

飯食って移動したら間に合わんと言うことで、
コンビニで10時間飲むだけのビールと好みの激辛ソーセージも買った・・・

初日終わって河北省まで車で960km移動!(◎_◎;)・・・ってとうきょから九州まで行けるやん!!(>_<) 何で車やねんと思ったら直行便の飛行機はないわ列車移動も早起きで大変なのね・・・ 飯食って酔い潰れて車に乗ろうと思ったら少しでも早く着くようにと車中食・・・ コンビニで10時間飲むだけのビールと好みの激辛ソーセージも買ったしだんだん楽しくなって来たぞ!!(笑) - Spherical Image - RICOH THETA

ところがいざ移動してみると、パーキングで休み休みで結局14時間!!(>_<)
14時間移動の乗り打ちって過去のワシの歴史の中でも最大級の乗り打ちです(涙)

ところがここで問題発生!!

ホテルの駐車場に着いたところで、駐車場代を払えと言う駐車場の管理人と、
「なんでホテルで荷物機材降ろすだけのホテルの駐車場で金払わなきゃなんないんだ!!」
と爽子(Shuangz)が激怒、いきなり助手席のドアを開けて飛び出して行ってその管理人に殴りかかって行った!(◎_◎;)

おいおいやめろよ!!(>_<)

こいつはタダでさえケンカでブタ箱放り込まれてリハがキャンセルになったことだってあるのだ・・・

みんなが一斉に車から降りて彼を止めるが、何発かは命中したのだろう、おじさんがうずくまって寝ている・・・

みんなは「当たってないのに大げさなんだよ」と取り合わなかったが、
結局は救急車や警察まで来る大騒ぎ・・・(>_<)

「ああこのまままたブタ箱だな、今日のライブはキャンセルだな」
などと考えながら、一番気になるのはギャラのこと・・・
「例えキャンセルになっても今日のギャラは絶対に取るからな」
と戦々恐々・・・(笑)

何でツアーに出てここまでギャラのことを心配せないかん・・・(>_<)


ホテルで仮眠してから会場へ出発・・・
その時にちょうど停電でエレベーターが止まっていた。

いつもは温厚なギタリストが階段で降りて来てフロントに噛み付いている・・・
「まあまあまあ」とみんながなだめるのだが・・・

そもそももう14時間乗り打ちの移動なんてやめようよ(>_<)
明るく元気なんワシだけやん・・・(>_<)

気を取り直してサウンドチェック!!

14時間の車移動の後にそのままライブという歴代最強の乗り打ちライブです!! 終わって私は夜行列車で北京に行ってから武漢に飛びます〜 - Spherical Image - RICOH THETA

その後ワシは夜汽車で武漢、そのまま日本に飛んで爽子(Shuangz)の内モンゴルに合流というスケジュールなのでした・・・

つづく

Posted by ファンキー末吉 at:08:45 | 固定リンク

2017年1月30日

中国卓球ナショナルチームの忘年会

今年の春節、つまり旧暦の1月1日は、私たちが使っている新暦(グレゴリオ暦)で1月28日。
日本ではもう正月気分が抜けた1月中旬から、中国ではぼちぼち年末気分が始まる・・・

いろんなところで「年会(NianHui:忘年会)」が行われ、
気の早い人たちはもうとっとと仕事を休んで早々と里帰りや海外旅行などで中国人の大移動が始まり出すのもこの頃からである・・・

そんな中で全く休まない人たちがいるらしい・・・この人たちである!!

PingPong2017Photo.JPG

スポーツに全く興味がないので誰が誰やらわからんが、
知ってる人にはヨダレもんのメダリストが勢ぞろいらしい・・・

聞いた話によると、
毎年恒例で政府の偉い人が春節には彼らを慰問に来るそうで、
彼らはみんなが浮かれる春節でさえ変わらぬ厳しい練習を行っていると言う・・・!(◎_◎;)

そんな彼らを労ってあげようと、
関係者や友人たちが手弁当で忘年会を企画してあげたのがこの日の会のようだ・・・

乗馬の騎手で全国優勝の記録も持つLuanShuもその「関係」から
「よっしゃ一肌脱いでやろう」
ということになったのだろう、仲間のミュージシャンに召集が来た。

ちなみに誘う時に「帮个忙(BangGeMang)」という言葉を使ったけれども、
これは中国語で「助けて下さい」、つまり「ノーギャラである」ということである(笑)

まあワシにとっては誰かが自分のドラムを必要としているなら銭金の問題ではない。
喜んで参加させて頂いた!!

今日のお仕事は中国国家体育局卓球チーム(日本で言ったら愛ちゃんがいるようなところ?)の忘年会にお呼ばれしてドラムを叩きます(何じゃそりゃ・・・笑) ここは国家体育局訓練場の卓球の部屋。実はテーブルは全部卓球台です(笑) ポーズは一応卓球のつもり・・・ - Spherical Image - RICOH THETA

ご覧のようにここは国家体育局訓練場!!
(日本で言うとオリンピック強化訓練所??)

このテーブルも実は卓球台に布を被せたもので、手作り感満載である・・・

「Luan組」とも言える気心の知れたミュージシャン達が集まって来て軽くリハーサル、
しばらくしたら卓球のメンバー達が集まって来た・・・

忘年会がもう始まる模様です。 ユニホームとか着てないので全くわかりませんが金メダリスト(中国の卓球のトップって世界のトップ?)とかごろごろいたりアホなミュージシャンが混ざって飲んでたりするカオスな会のようです(笑) - Spherical Image - RICOH THETA

もうね、ユニフォームとか着てないとまるで普通の若者たちなのね!(◎_◎;)
なんか普通の若者の宴会に紛れ込んでいるような気持ちだが、
写真をSNSにアップすると知ってる人は知ってるようで、
「あ、マーロンだ!!」
とかメダリストの名前をつぶやいて来る・・・

ワシ・・・誰が誰やらさっぱりわからん(>_<)

ちなみに日本でのお隣さん(笑)が卓球一家らしく、
「サインをもらってくれ!!」
とメッセージが来る・・・

丁寧(Ding Nei)さんとかいう人を発見!!

PingPong2017DingNei1.JPG

もうこうなって来ると普通にコンパに来ている若者やな!(◎_◎;)・・・
押しかけて行ってサインをねだる・・・

PingPong2017DingNei.JPG

ちなみにこれ、スマホによるデジタルサイン(笑)
時代ですなぁ・・・

PingPong2017DingNeiSign.PNG

でもちゃんとしたサインも頂きました!!
しかもメダリスト勢ぞろい!!!!!!(◎_◎;)

PingPong2017Sign.JPG

もうね、ワシには全く価値はわからんが見る人が見たら家宝ものらしい!(◎_◎;)

ちなみにこれが今日の「ギャラ」ね(笑)
いや、全然いいですよ、ワシがドラムを叩いて皆さんの厳しいトレーニングの少しでも励みになれば・・・

大盛り上がりで会は終わり、彼らはまた明日から厳しいトレーニングに戻るのだろう・・・
ワシらミュージシャンは日本居酒屋に集まって打ち上げ(忘年会)。

そこでLuanShuからみんなに紅包(HongBao:お年玉)が配られた!!

「ワシのんは?」
「お前は歳上だから要らねぇだろ」
「(>_<)」

というわけでパチリ!!

红包!!ワシは歳上なのでナシ(>_<) - Spherical Image - RICOH THETA

素敵な忘年会でした!!

Posted by ファンキー末吉 at:04:00 | 固定リンク

2017年1月27日

こたつ・・・

やっぱ日本人はこたつですよね〜
・・・というわけでワシは北京でも畳を敷いてこたつを入れてある

「日本ならではの文化」と言ってもよいこの「こたつ」・・・

ところが今回「浏阳(LiuYang)」で連れて行かれたレストランでこんなものを見かけた!!

KotatsuLiuYang1.jpg

電気を入れてそこに足をおく・・・
しばらくしたら足がポカポカと温まり、まるでテーブルが日本の「掘りごたつ」のようになる!(◎_◎;)

街に出てみると至る所にこんなものが売られている・・・

KotatsuLiuYang2.jpg

そして地元の張老師のご自宅にお呼ばれした時に見かけたこのこたつセットはその高級版!!
「掘りごたつ」が進化したものと言えはしないか・・・

KotatsuLiuYang3.jpg

ちなみにこれらのこたつはお隣の長沙の人間も、その隣の湖北省武漢の人間も「見たことない」と言う。

もちろん北京でもワシが行った数多き中国の街でも見たことがない代物で、
どうやらここ「浏阳(LiuYang)」にだけある代物のようだ・・・

ちなみに地元の張老師の話によると、
張老師が小さい頃には電気ではなく、木炭を燃やしたやつで同様にこたつにしていたらしい・・・

つまり「江戸時代のこたつと同じ?!!」・・・!(◎_◎;)

この土地から全く他の土地には伝わらずに日本にだけ伝わった?
もしくはこの土地と日本だけが独自にこのこたつ文化が発達した?・・・

まるでミステリーである・・・

あまりにワシが感激しているので、
張老師はお土産にこのこたつを買ってくれた。

値段のほどは1個150元(2千円ちょい)・・・安い!!!(◎_◎;)

しかし飛行機の委託手荷物にするために空港でちゃんと梱包してもらう値段はほぼそれと同じ(笑)

まあ高いのか安いのかわからない状態で北京の院子にこの「浏阳(LiuYang)」のこたつがやって来た!!!

KotatsuBeijing1.jpg
(ちなみに張老師はふたつプレゼントしてくれた)

畳の部屋にあったこたつをロビーに持って来て、
このままでは高さが低いのでブロックで高くして・・・

KotatsuBeijing2.jpg

ロビーに立派な掘りごたつが出来た!!!

KotatsuBeijing3.jpg

ちなみにこのロビーは南側に面しているので陽当たりはいいのだが、
ガラス1枚で外と接しているので気温は外気と全く同じである(>_<)

というわけでせっかくのロビーなので今までは冬は誰もロビーに出て来るような住民はいなかったのであるが、
なんと室温がどうであろうが足がぽかぽか暖かければ身体がとても暖かいのだ!!!(◎_◎;)

昼間は太陽の直射熱で、部屋は温まらないとしても上半身も非常に暖かくなるので、外気が零下であろうが身体はぽかぽか上着など脱いでしまうぐらいである。

何よりもいいのが、こたつと違ってソファーなので作業をしてても腰が痛くならないことである!!

問題は一度ここに足を突っ込んだら、もう2度とここから出ようとしないことである(笑)

今はビールを買って来て日本のテレビを見ながらこうしてブログなどを書いている。
今日は旧正月の大晦日・・・

こたつとテレビで全くの年末気分である(笑)

年末気分のまま今晩の飛行機で日本に帰ります〜

Posted by ファンキー末吉 at:13:30 | 固定リンク

2017年1月 1日

高級マッサージ

中国では元旦は単なる一日の祭日でしかないので普通の祭日のように仕事がある。

去年は大晦日にこれで元旦の朝移動してこれ・・・

もう十数年前だろうか、大晦日にレコーディングしてて、
年越し寸前に仕事が終わり、
じゃあということでスタジオの隣のサウナに飛び込んだ・・・

ところが「浴池(YuChi)」と書かれたその施設があかんかった(>_<)

大浴場にはお湯が入っておらず、サウナにも電源は入れられてない。
仕方なくシャワーだけを浴びるのだが、そしたら従業員に紙制のパンツを渡されてマッサージルームへ・・・

またマッサージルームが赤いルームライトなんか灯されていて見るからに「抜き系」(>_<)
現れたマッサージ嬢も化粧ばっちしでドレスなんか着てて・・・

中国語喋れたら「交渉」されちゃうので、
「ワタシ外国人、中国語シャベレマセン」
のノリね(涙)
「Massage Please!!」とかね(泣笑)

通常マッサージはうつ伏せから始めるのでさっさとうつ伏せになるが、
太ももを数分撫でてたマッサージ嬢はすぐに仰向けにして、
また太ももなどを撫でながら今度はつるんと紙パンツの中に手を滑らせて来る。

こちらとしては全く通常のマッサージをしに来ている言葉の通じない外国人を装ってるので、
向こうとしても強引にそっち系に持って行って通報されたりしても困る。

しゃーないのでつるっと手が滑った振りをしては紙パンツの中に侵入して来るのである(笑)

こちらとしても命がけである。
「立ったら抜かれる」
とばかりその時は三井はんの顔を思い浮かべて寝たふりを決め込んだ。

數十分その戦いは続き、頃を見てガバッと起きた振りをして
「あ、寝てた。マッサージ終わった?サンキュー気持ちよかったよ」
と言って事なきを得た・・・

「せっかくなんだから抜いてもらえばいいじゃん」
などと思っている読者の諸君は考えてみて欲しい。

そんな場末の施設で大晦日に抜いてもらって、
そのまま悲しい気分で新年を迎えてどうしようと言うのだ(号泣)


それ以来ワシは信頼出来るマッサージ店しか入らない!!
ちゃんとした韓国サウナか盲人マッサージ!!

ところがここに来て海南島の仕事から帰って来たらどうも五十肩が痛くてたまらない(>_<)
時はまた大晦日の夜。。。いつもの盲人按摩は開いてないだろうし、韓国サウナに行くにも排ガス規制で車が使えない・・・

というわけで近所のセレブ街の一角のマッサージ屋に飛び込んでみた・・・

Massage2016-1.jpeg

まあ見るからに高そうではあるが、年越しである!!
ちょっと贅沢してもよかろうということで飛び込んだ!!

高級マッサージ店 - Spherical Image - RICOH THETA

豪勢な個室に連れて来られ、服を着替えさせられ・・・
ベッドの上にはご丁寧に薔薇の花なんかが置かれていた!(◎_◎;)

いや、何よりもどうして浴槽がある?・・・
これ、新手のソープみたいなんちゃうん?(>_<)

マッサージ嬢が部屋に入って来た・・・

化粧っ気もなく、ちょっと太っていて失礼だがあまり美人でもない性格の良さそうな彼女を見てワシは直感的に感じた。

「この人は抜かん!!(王様のジェスチャーを真似ながら)」

桶に入れたお湯に足を浸しながら彼女がちょっと肩を揉んでくれる・・・
「う、上手い!!(◎_◎;)」

マッサージはマッサージする相手との相性も必要なので、
おそらくその相性がぴったりなのだろう・・・

「左肩が痛くて腕が上がんないのよ〜」

「五十肩」という中国語があるのかどうかわからんのでとりあえず症状を説明すると、
「あら、それだったらひとつ上のコースがいいわよ、むっちゃ気持ちいいから」

まあ「むっちゃ気持ちのいいコースがあるから」と言って抜き系を勧めるマッサージ店もあるが、彼女が勧めたのはオイルマッサージのコースだった。

このオイルマッサージというのが実はワシは全く好きではない。

何を好き好んで初対面の女の前ですっぽんぽん(にさせるのは抜き系だが)になって、シャワー設備もない店舗で身体に油塗られてそのまま帰らねばならんのだ!!

・・・と思ったが、
「そうか、そのためにこの浴槽があるのか・・・」
と思い直して決意!!

日本円にして7000円ほど、
普段の盲人マッサージやタイでやるマッサージに7回行けるが、
まあ日本でも2時間たっぷりマッサージやってもらったらそれぐらいするだろう。
一年頑張った自分へのご褒美である・・・

ところがこのオイルマッサージが今までに味わったことのない感覚!!
指圧というのを転がしながらやる感覚で、
痛いと言えば痛いのだが、中国語で言う「酸っぱ痛い(中国では肩がこってる状態を"酸っぱい"と表現し、このような感覚を酸痛(SuanTong)と言う)」という感じで全然苦痛ではない。

しばらくして彼女が
「ちょっと携帯貸して。写真撮ってあげるわ」
と言うので何を撮るのだろうと思ったらワシの背中を撮ってくれた。

Massage2016-2.jpeg

もうね、びっくりである。
オイルマッサージってこんなんなるのね!(◎_◎;)

悪い血が全部浮き上がって来て、
特に背骨の辺りの何とかというツボと何とかというツボは特に悪いらしい・・・

「左が特に悪いけど右も同じようにやっときましょうね」
と言って左右同じようにやり終わってまた写真を撮る。

Massage2016-3.jpeg

「ほらね、やっぱり左の方が悪いでしょ」
やはり悪いところの血が浮き上がって来るようだ・・・

「これだったらバークアンやった方がいいわよ」
バークアンというのは丸い壺みたいな容器に火を入れて肌にくっつけて真空にして血を吸い出すあれかと思ったがのだが聞いてみると違うらしい・・・

料金表見せられて「むっちゃ気持ちいいから」と言われて頼んでみた。

そしたらうつ伏せなのでよくはわからんが、
今度は背中を何やら道具のようなものでガリガリ擦るのだ!(◎_◎;)

そりゃ皮膚としては擦られて削られてるんだから痛いは痛いが、
まあそんなに我慢出来ないほどのものではない。

やり終わってまた写真を撮ってくれた。

Massage2016-4.jpeg

まあきっと壺を使って血を吸い出すのと同じで、溜まった悪い血を出しているのだろう。

「今晩はお風呂入らないで下さいね」
え?!(◎_◎;)・・・風呂入れへんの!!

けっきょくオイルは風呂で洗い流すのではなくタオルで拭くだけで終わってしまったが、
不思議なことに全然上がらなかった左肩が全く問題なく上がる!!(◎_◎;)

一日経った今でも皮膚の痛みはそれは少々あるが、
肩こりとかいうものが綺麗さっぱりすっ飛んで行った状況である。

会員になれば今後安くなるわよと言われたけど、
普段の10倍近い値段のこのマッサージに今後来続けてゆく経済力があるかどうかわからないのでお断りしたが、
仕事に対する真面目さ、仕事のレベルの高さに感激して彼女には200元チップをあげた。

記念にパチリ!!

Massage2016-5.jpeg

中国にもこんなプロがいるんだなぁと感心!!
日本円で1万円ちょっとでこのレベルだったらなかなかいいかも知れんぞ・・・

また一年頑張って、次の大晦日にでもチャンスがあったらまた行くとしよう〜・・・


Posted by ファンキー末吉 at:08:52 | 固定リンク

2016年11月 3日

スケジュール管理どころかSIM管理も(>_<)

20数年来の老朋友LuanShuの満を辞したアルバム発売とソロコンサートのことをずーっと手伝っている・・・

まあ前回の青島でもそうだったのだが、
「友人を助けてる」と言う作業がいつの間にやら「音楽監督」の仕事となってたりする。

まあワシにしてみればいいのよ、
こいつらがいたからワシは今中国にいるわけで、
中国的に言うと困った時はいつも助け合う!!
これが文化大革命の嵐、もっと言うと4000年の戦乱の歴史を生き抜いた中国人民の生活の知恵である・・・

元はと言えば10月に予定されていたこの大きなコンサート、
いろんな要因でドタキャンになって11月28日に執り行われることになっていた。

まあでもこの10月のキャンセルは有希子(よーしーず)とかにはことの外ダメージを与えたらしく、
「このためにもう渡航チケットいくら無駄になったと思ってるんですか!!」
とおかんむり(笑)

まあでも中国のミュージシャンはよくやっている。
ドタキャンとドタキャンの合間にどれだけ実入りのある仕事を入れてゆくか・・・

もうね、中国でのスケジューリングなんて「芸術」!!(笑)
そんな中で20数年生きてるワシがこの11月28日が12月21日になったっつうのには切れた(>_<)

ワシはこのために既に北京ー関空のチケットを押さえている。
前日は宣化(XuanHua)というところでひとりドラム活動なので、
Pearl関係に無理を言って、終了した11月27日の夜汽車を取ってもらって、
そのまま朝北京に着いて関空に飛ぼうというスケジューリングにしている。

ところがこの飛ぶ日にコンサートをやることになったのが11月28日・・・
航空チケット取り直しである(涙)

ワシが押さえているチケットなんか激安チケットなんで、
変更もキャンセルも出来たもんじゃない・・・

このチケットを捨てて新たに29日当日に高知に間に合うチケットを取るしかない・・・
(しかも東京羽田経由・・・高いし遠い・・・涙)

それがドタキャン(>_<)

もうね、言ってやりましたよ!!
この度重なるドタキャンでワシがどれだけ損失を被ったか・・・(涙)

まあ損失は弁償するということで、
この日にブッキングしていた寺内の損失も弁償してもらうことでまあ一応は話は落ち着いた・・・

ところが次に絶対に問題発生するのが次の決定日におけるリハーサル、本番のすべてのミュージシャンのスケジューリングである・・・

「全てのミュージシャン、スタッフのスケジュールを表にしろ!!」
まあ「音楽監督」の端くれ、とにかく若いスタッフに檄を飛ばす・・・

そんな中でワシのスケジュールにぽっかり「12月17日LuanShu押さえ」・・・
・・・ってこれ何?・・・

当のLuanShuも「これ・・・覚えとらんなぁ・・・」(笑)

まあ本人も覚えとらんのだからこのスケジュールをカレンダーから抹消!!
あとは同じ日に仮押さえである王偉(Wang Wei)からの仕事で許飛(Xu Fei)の四川省ツアーと、
何やらわからんがWINGが「押さえといてね」というスケジュール(笑)

LuanShuのが外れたのだからこのどちらかを決定にせねば・・・
と思ってたら、外れたと思ったその日の仕事のスタッフからWeChatでメッセージが廻る・・・

零点(Ling Dian)のボーカル周晓鸥(Zhou XiaoOu)の仕事だったのね・・・
グループにはちゃんとLuanShuも加われていて、
まあこれがこの前言ってた仕事なのね、と・・・
(本人忘れてたけど・・・笑)

でも詳細を見るに、テレビの収録で場所も小さいのでひょっとしたら電気ドラムになるかも・・・(>_<)

あのね、電気ドラムってドラムじゃないから!!
全く違う楽器でワシ専門外で叩けんし・・・

じゃあ競合してる他のスケジュールの発注主と連絡を取る・・・

許飛(Xu Fei)はまあ12月3日の北京が参加出来る人じゃないとダメなのね、
じゃあWINGは・・・

なんと雲南省ツアー!!!!(◎_◎;)

雲南いいとこ
雲南いいとこ
雲南いいとこ

もうこれ行くしかないでしょ!!・・・
・・・ところがこういう仕事に限ってなかなか決定が出ない(>_<)

もうしゃーない・・・両方にOKだと言ってどっちかがドタキャンになるのを待つ!!(笑)

でもね、これが結構うまくいったりすんの・・・(驚)
結局11月27日の大阪行きチケットも、
航空会社から「遅延になります」連絡が来て、
「そんなん困るがな、次の乗り換え間に合わんし!!」
と乗り換えもないのにゴネたら激安なのにキャンセル出来たり、
まあ中国式にはこれなんやろうなぁ・・・(笑)


そんなこんなで北京空港ではすったもんだやりながらスケジュール調整の嵐・・・
そして日本着〜・・・

というわけで、ワシらモバイラーはそれぞれの国の空港を降りたらまずすることはSIMカードの交換である!!

日中の行き来ではメインのiPhoneのSIMと緊急連絡用のMarshall PhoneのSIMとを入れ替えるだけでメイン着信電話の入れ替えは終了だが、中国と日本ではそれぞれiPad用のSIMも使っている・・・

前回タイで前々回使ったSIMをiPadに挿してみたが、
期限切れでずーっと圏外なので、
中国に帰る時に中国のiPad用のSIMに交換して機内で使えないSIMをぶち捨てた!!

さて今回日本に帰国して、メインのiPhoneとサブのMarshall Phoneの入れ替えはばっちし!!

iPadに入っている中国用データ通信SIMを抜いて、タイのコインとかSIMなんかと一緒にしまってある日本用フリーテルSIMを取り出して挿す!!

MySIM.jpg

・・・っと思ったらやっぱ圏外!(◎_◎;)

老眼なのでよく見えないのでiPhoneの虫眼鏡ソフトで拡大して見て見る・・・

MushimeganeThaiSIM.jpeg

diacってこれ・・・タイのSIMやん!!!(>_<)

っつうことはワシ・・・
タイから帰る飛行機の中で・・・
わざわざ期限切れで使えんSIMをiPadから抜いて・・・
中国のiPad用のSIM入れて・・・
ほなこのタイのSIMは使えんのやから捨てるわ言うて・・・

日本のフリーテルのSIM捨ててもーたんやな!!(号泣)

スケジュールもSIMも管理を間違えると大変なことになりまする・・・(>_<)

Posted by ファンキー末吉 at:01:45 | 固定リンク

2016年10月29日

スケジューリング崩壊の男

全くもってどうしてこんなことが起こるのかわからない!!(>_<)
今日10月28日と29日はカレンダーに「爽子上海」と書かれているではないか・・・

日にちが近づいて来たら
「ぼちぼちリハをやりましょうか」
と連絡が回るだろうと思ってたらそれがさっぱり回って来ないので当の爽子に問い合わせてみた・・・

「え?月末にはライブはありませんよ・・・」

え?!(◎_◎;)・・・

月の間違いかとも思ったが、
月が変わればこんなにすぽっと週末になるのも難しいしまさか月違いではないと思うのだが・・・

中国ではWeChatというLINEのようなアプリでスケジュールのやり取りからギャラの振込から全てが成されるので、
過去の爽子とのやり取りを調べてみるがこれに関するやり取りが全然見つからない・・・

ワシのこのスケジュール入れたの誰〜?・・・

いや、書き入れたのは紛れもなくワシ自身ぢゃが、
問題は誰からこのスケジュールをブッキングされたのかということである・・・

爽子と言えばバンドのキーボードはあのデブだし、
まあ他の仕事もあいつと一緒な場合が多いのでとりあえずヤツに聞いてみる・・・

「あ、それ僕です・・・張墙という歌手だったんですが、別の人に決まりました」

(>_<)・・・なぜ早くそれを言わん・・・
・・・ってか週末にスケジュールをこんだけ長く押さえてたら、
毎週末に何十本もの音楽イベントが行われているこの国でこのスケジュールのために何本仕事を失ったかわからんぞ・・・(涙)

っていうかこいつ・・・
仕事詰め込み過ぎてスケジュール管理ぐちゃぐちゃ過ぎ!!(>_<)

先日もFunky末吉Trioのライブ、
「え?今日ライブなんですか?僕聞いてませんよ」
と抜かす
のでWeChatでのやり取りをスクショして送りつけてやった!!

ZhangZhangWeChatMessage.JPG

そうそう、今後はスケジュールに書き入れる時にその時のやり取りまで書き入れるのぢゃ、そうすればその仕事の発注元をすぐに検索出来るようになる・・・

しかし問題はこのぽこんと空いたスケジュールをどうするかである・・・
止まったら死ぬでぇ〜動いてなかったら死んでしまう・・・


ところで冬になるといろんな動物は基本的に活動量が落ちるらしい・・・

いやぁ・・・それにしても北京は近頃まためっきり寒い・・・
ワシには珍しく「休みたい」とか思うというのは、
歳のせいだというよりはひょっとして基本的に活動量が落ちて来ているのかも知れない・・・

月で暦を作ってた旧暦というのは実は本当にうまく出来ているらしく、
旧暦で春節を過ぎると暖かくなるし、
中秋の名月を過ぎた頃からほんといきなり寒くなる。

冬はマイナス15度、夏は40度、春は黄砂が吹き荒れ、秋だけが良い季節なのに1週間ぐらいですぐ冬になってしまうのだ・・・

全くもって夏生まれの南国育ちが何を好き好んで北京だの八王子だの・・・(>_<)

寒いと肉体の動きが鈍くなるだけでなく、
どうやら脳の働きや精神状態にも大きな影響が出るようだ。

一番よくないのが寒いと「悲観的」になること・・・

その昔、借金で首が回らなくなった時にタイに行って、
足裏マッサージなどしながら
「ま、何とかなるか・・・(笑)」
となって本当に何とかなったことがある。

そうよ、暖かいところにいるときっと人間は「楽観的」になるのよ・・・
・・・ということでちょちょいとチケットを検索してみる・・・

ThaiAirTicket20161028.JPG

安い!!!(◎_◎;)

2万円ちょいで往復出来るのな・・・
ちょいと夜行バスで高知まで行って来るわ〜みたいなもんではないか・・・

このアレンジ
https://www.funkyblog.jp/2016/10/post_1153.html
の仕事が終わったら自分へのご褒美にポチっとしようかな・・・

などと思いながら、気がついたらまだ終わってないのにポチッ!!(笑)

いや〜アレンジ料だけもらって歌入れやミックスダウンまで付き合ってらんないでしょう・・・
後は任せるから〜というわけで「一泊一日」の弾丸ツアー!!


そして出発の前日、デブと一緒に唐朝老五(TangChaoLaoWu)のリハーサル!!

11月19日上海中国ロック30年の歴史コンサート唐朝老五のリハーサル!! 超高速のツーバスがあるのでX.Y.Z.→Aモードで上半身裸で叩いてます!! - Spherical Image - RICOH THETA

もうね、リハの初日だったけど汗だくでドラム叩いた甲斐があって、
「リハーサルそんなにたくさん要らないよね、どれかキャンセルして休みにしよう」
ということになった\(^o^)/

そうするとすかさずデブ・・・
「あ、僕30日は地方でコンサートがあってリハに参加出来ないのでこの日をキャンセルにしましょう」
・・・ってあーた!!またダブルブッキングしとるやないかい!!(>_<)

姑息なこいつのこと、言い出すに言い出せなかったと見えて、
このチャンスにここぞとばかりダブルブッキングを解消する(笑)

そしてふとWeChatに目をやると・・・
とある別仕事のWeChatのグループ・・・
ミーティングのスケジュールのについてヤツのこんな発言・・・

「11月31日のミーティングなんですけど・・・
僕はその日外地でコンサートがあるので参加出来ません」

またかい!!!(◎_◎;)

前回のミーティングの時に「31日なら空いてます」と言ってたではないか!!
なんで参加出来んのを「出来る」と言ってスケジュールを入れる?!!(>_<)


・・・ということは・・・
30日と31日の仕事がなくなったということは・・・
ワシ別にこんな弾丸で帰らんでもええやん・・・

というわけでタイ!!

ThaiImmigration.JPG

11月1日にはリハが3つとミーティングがひとつ入っているが・・・
まあギリギリまでゆっくりするとしよう・・・

Posted by ファンキー末吉 at:01:39 | 固定リンク

2016年10月27日

360度画像で綴るファンキー末吉のとある北京の一日(+α)

この日は王暁旭(Wang XiaoXu)の会社に呼び出された・・・

着いてみるとこの会社の幹部連中が雁首揃えてワシを待っている・・・

开会ing~ #theta360 - Spherical Image - RICOH THETA

要件はふたつあったらしく、
ひとつはワシの右隣に座っている姜魏(Jiang Wei)という歌手のミニアルバムをプロデュースして欲しいと・・・

彼とはこの時に初めて一緒になってから、
まあその後バンドもうまくいかなくて解散、
彼はソロでの活動を始めたが、その時に王暁旭(Wang XiaoXu)から1曲アレンジを頼まれた。

それがねぇ・・・
まあアーティストにはよくあることだけど、
自分の作品を愛し過ぎて人にいじられたくない感じ?・・・

あと性格が優柔不断で、その時は「いいな」と思うんだけど、
後で家に帰って聞き直したら「うーん・・・ちょっと・・・」になる感じ?・・・(笑)

まあアレンジはしたものの結局ボツになり、
結局その金はもらったのやらもらわなかったのやら・・・(笑)

そんなこいつを王暁旭(Wang XiaoXu)は捨て切れなくて、
結局ずるずると8年間も契約を切らずに置いている・・・

ここに来て「ぼちぼちアルバムでも出さねば、だったらファンキーかな」とでも思い立ったのだろう(笑)

いや、いいですよ(>_<)

じゃあね、基本的にバンドで作りあげる!!
パソコンで作ってヤツと二人でやってたらまた同じ結末じゃ。
バンド形式でリハやって、大決定になったらもうスタジオ入ってレコーディングする!!
それしかない!!

ついでに
「彼ととことん話する時間が必要だからね」
とスケジュールについてはクギを刺しておく・・・

めんどくさいが仕方がない(>_<)
こいつはこいつで中国ロックに十分貢献した男だ。
困っているならワシが助けてやらねばなるまい・・・


あともうひとつはこの事務所が契約している南征北战と言うユニットがあって、
それがテレビのオーディション番組でカバー曲を歌うののアレンジをして欲しいということ・・・

一度この時にSNSでカバー曲を募集したユニットである。
曲が決まったのね、よかったよかった・・・

「こっちからやる!!」
まあ当然であろう・・・めんどくさくないもん(笑)

ということでメシ!!

干杯!! #theta360 - Spherical Image - RICOH THETA

いや〜それにしてもこの片手の指がないという噂の董林(Dong Lin)という男・・・
聞けば別にこの会社の人間というわけではなく、
単なる株主というか投資しているとか・・・

なのにワシがこの会社に行く時には必ずいて、
手ぐすね引いてメシ!!そして酒に連れてゆく(笑)

最後は(かな?)タバタバーにてミーティング(かな?)これも北京では重要な仕事!!(これホント) - Spherical Image - RICOH THETA

みんなワシと飲みたいのね(笑)

ワシは車で行ってのだが
代行頼めばいいじゃん」
ということでしゃーないのでお付き合いした・・・

ちなみに連れて行ったのは田端翔の開いたタバタバー!!
まあ聞けばまだまだ赤字だと言うので業界の酒飲みを連れて行って贔屓にでもしてもらえればと思ったのだが・・・

いや〜この人たちって酒飲む量がハンパじゃないのよ(>_<)
このままこので一緒に飲んでたら死ぬと思って退散、
車を捨てて来た今度は田端翔がプロデュースして開店させたラーメン屋さん!!

さて今日は360度カメラのテストもあって、私の北京の生活ぶりをいろいろとアップしましたが、毎日こんな生活をしてるわけではあります(笑)まあ半分ぐらいかな・・・(苦笑) 飲んでるだけのようで実はこれはこれでちゃんと「仕事」になっていて、今週じゅうに1曲、年末までに8曲のアレンジがこんな中から発注されてゆきます。 中国人の全てがこんな酒飲みではありませんが、ヤツらととことん付き合ってたら胃袋と肝臓がいくつあっても足りないので、逃げ出して田端翔プロデュースでオープンしたラーメン屋でひとりで飲み直し!! - Spherical Image - RICOH THETA

なぜここに車を捨てて来たかと言うと、
最近実家でお母さんとケンカして家を飛び出した田端翔は、
今や彼女と犬を連れてうちの院子で住んでるのよね〜

てすと〜360度カメラ@Funkyスタジオ北京のロビー - Spherical Image - RICOH THETA
(一番大きな犬が彼の犬)

というわけで仕事終わったら一緒に代行が運転する車で帰ればタクシー代節約になるだろうということで、仕事終わるまでキープした焼酎をロックで飲む!!(飲むんかい!!)

まあヤツらと飲んでたら焼酎のロックなんてビールぐらいの感覚になってしまうのぢゃ・・・


というわけでこの日は酔い潰れておしまい!!
次の日から南征北战のアレンジを開始する。

でもねぇ・・・アレンジって考えてみたら割りに合わない仕事よねぇ・・・

一生懸命徹夜して作ったアレンジがボツになると、その一晩の時間は全くの無駄(>_<)
プレイヤーとしてのスタジオ仕事はひとつのプレイがボツになってもすぐにやり直せばそれで済むけど、
まあプレイヤーの数倍のギャラはもらっても結局それ以上の手間と労力をかけてるから大変やわのう・・・

・・・というわけで、一発OKを出すためには、
とりあえずDEMOを本チャンと同じレベルで作るべきだと悟ったので、
仮のギターソロを田端翔に弾いてもらう。
(まあ、とは言えDEMOなので「ワシもう寝るから自分で何バージョンか弾いといて〜」ってな感じですが・・・笑)

それをメールで送りつけたら難なく一発OK!!!(◎_◎;)

まあ尺を短めに作ってあるのでそれを伸ばせというのと、
民族楽器を入れろ〜電子楽器をもっと入れろ〜など要望を受けてステージ2へと登ってゆく・・・

今日びパソコンには無限に電子楽器の音色があり、
それを全部聞くだけで一晩では足りない・・・(>_<)
まあ順調でも一音色選ぶのに1時間はかかるかな・・・

というわけで移動の新幹線でも仕事をする!!

新幹線の中でも仕事!! - Spherical Image - RICOH THETA

「出来たよ」と第2弾のDEMOを送りつける!!
(この間に一晩徹夜・・・(>_<))

「牛逼(NiuBi)!!!(Funk'n Greatの意)」と大絶賛!!\(^o^)/

まあこうして一発OKの仕事も珍しい・・・
「今日時間あるか?アーティスト本人呼びつけるから事務所来て会ってやってくれ」

最後の関門である・・・
ここでご本人から「これはちょっと・・・」と言われたら「ふりだしに戻る」である・・・

念のため今回は車を置いてゆく(笑)

どうせ事務所に着いたらみんな
「今日はこの後空いてるか?」
と聞いてゆくのだ・・・

結果は・・・一発OK!!!

キーを半音下げて、後半のサビを転調して、
ついでに「日本の楽器も何か入れてよ」・・・

まあ「直す」のではなく「付け加える」のならなんぼでもやるぞ!!
終わりが見てて来た・・・

「すぐにレコーディングしてくれ!!スタジオを押さえる!!」

まあドラムだベースだギターだはうちの院子でやるとして、
歌入れとミックスはもう立ち会わないからそっちでやってくれ、
というわけで最終形のDEMOを送りつけて確認してからまずドラム録り!!

ドラム録り!! - Spherical Image - RICOH THETA

エンジニアの方言(FangYan)は布衣(BuYi)のツアーで2ヶ月半出ずっぱり(なんと羨ましい生活・・・)なのだが、マイクも全部セッティングしてくれているのでいつでもレコーディングすることが出来る!!

ちなみにひとりでレコーディングする時には、
VCNというのを使ってiPadを使ってドラムのところからメインのコンピューターを遠隔操作する!!(近代的・・・)

しかしひとりでやるからどこまででも追求出来てドラム録りが終わらんのよね・・・(涙)

やっと終わったら有希子(よーしーず)を叩き起こしてベース入れ!!

ベース入れ!! - Spherical Image - RICOH THETA
(注:すっぴんは勘弁してくれということで写真は後日撮り直し・・・笑)

ギター入れ!!

ギター入れ!! - Spherical Image - RICOH THETA

完成!!そしてそれを聞きながら飲む!!


ちなみにこの酒はイタリアで買って来たレモンを漬け込んだ酒!!
甘くて口当たりがいいのでグイグイ飲めるが相当酔っ払う(>_<)

完成した作品を聞きながら飲むのは至福の時間のひとつである・・・ - Spherical Image - RICOH THETA

まあ自分とこにミュージシャンが常駐してくれるのはレコーディングの点でも非常に便利だが、こうして飲み相手に困らないのも助かるぞ!!(笑)

・・・とこんな感じで北京の夜は更けてゆく・・・

Posted by ファンキー末吉 at:08:03 | 固定リンク

2016年10月12日

またもや中国ロック界を騒がすインタビュー記事

目が覚めたらまた微信(WeChat)でこんな記事がいっぱいいっぱいリツイートされている。

这个日本人亲身经历了黄家驹的离世,见证了中国摇滚26年,如今却待在中国不愿离开
(この日本人は黄家駒の死を経て中国ロックの26年を見届け、今も中国にいて離れたくないと思っている)

自分の記事がネットを騒がすことはよくあったが、これはちょっと大きいな・・・
ちょいとここに残しておこうと思う・・・


不得不说,日本的大仙儿太多了。但要科普的话,滚君最先想到的不是什么大牌乐队,而是常年混迹在中国的"怪蜀黍"Funky末吉。
(言うまでもなく、日本には大仙人はたくさんいるけれども、一番伝えるべきだと私が思うのはどんなビッグなバンドよりも、この長年中国にいる「変なおじさん」Funky末吉であろう)

最近のネット言葉「怪蜀黍(変なおじさん)」で始まるこの長い長い文章は、
その膨大な取材力と筆者の思い入れと共に、
読み進むにつれて、本当にこの変なおじさんが中国ロックと共に長く生き、尻尾が8つに分かれた妖怪となってこの世に存在しているかの印象を受けるようになって来る(笑)

很多朋友都见识过他的鼓技
(たくさんの友人たちは彼のドラムの技術は目にしたことがあるだろう)

ということで紹介されているのが許魏(Xu Wei)の楽曲と伝説のコンサートでの鼓三儿とのドラムバトルの映像(ワシ・・・ほとんど写ってないがな・・・笑)

その後鼓三儿も死んでしまったのでこの映像も伝説化してしまってるなぁ・・・

そしてどこから拾って来たのかX.Y.Z.→Aのアー写を爆風スランプとして紹介してるのはご愛嬌として、Funky末吉が90年から黒豹やBEYONDと出会った話が始まってゆく・・・

そしてこのインタビュー映像となるのだが・・・

愛ちゃんの結婚インタビューの中国語に比べたらワシの中国語・・・ヘタやな(>_<)

ある日香港からインタビューさせてくれと言われて、
微信(WeChat)の無料音声通話で寝っ転がって話していた記憶があるが・・・
こんな風に使われていたのね(笑)

この写真なんかどこから探して来たんやろ・・・
WINGおらんし・・・喜多郎さんおるし・・・(笑)

そしてここからが不思議なのだが、
他曾家日本的高知新闻上连载过几期他与Beyond的故事,其中就详细描述了家驹去世时的场景
(彼は日本の高知新聞での連載においてBEYONDの話や、その中には家駒がこの世を去る時の場景について書かれてある)

高知新聞の連載を香港で入手したのか?!!!(◎_◎;)

そしてその文章を中国語に訳している・・・
新聞の写真まであるし・・・(驚)

まあその内容は私の自叙伝に書いたのと同じなのでここでは割愛するが、
日本人に向けて日本語で書かれた本がこうして中国語で紹介されるのは初めてのことで、
それがやはり中国人にとってはインパクトがかなり大きかったのだろうと思う・・・

世界中の中華圏では知らない人はいない日本では全く無名なロッカーがその日本で死んでゆく・・・
その無念さ、無力感、絶望感・・・

それを胸に抱いて亜州鼓魂というアルバムを作り、
そしてその中の家駒への追悼曲「Memories」の音源が紹介される・・・

なんかねぇ・・・この中国語の文章を読んでるうちにいろんなことが思い出されて来て胸が熱くなった。

ワシが絶望したのは「人が死ぬ」ということではない。
この高知新聞のタイトルでも書かれているように、
「無名は価値がないのか?」
ということなのである。

まあいわゆる「芸能界」というところの価値観とこの日に「決別」したのであろう・・・
そして中国に渡って、この新しい「仲間たち」と新しい価値観を求めて戦って来た。

Funky和中国一代最朝气、最热血的年轻人一起变老,也见证了中国摇滚乐的兴衰和发展
(Funkyは中国のあの輝ける世代、最もエネルギッシュな若者と一緒に年を取り、そして中国ロックの繁栄と衰退を見届けて来た)

そして最後には当時のステージ衣装であった毛沢東のTシャツ、
つまり「毛沢東を背負って」ドラムを叩く写真が紹介されている。

まさしく「怪蜀黍(変なおじさん)」(笑)

この記事は黄家駒を中心に綴られていてあまりにも「伝説」っぽ過ぎて、
「何や俺・・・もうすぐ死ぬんちゃうん?」
などと思ってしまうが、
このまま生き続けてドラムを叩き続ければきっと尻尾が8つに分かれて「怪蜀黍(変なおじさん)」が更にもっと怪物化してゆくことだろう・・・

人間を超えるぞ(笑)

日本では自分のインタビュー記事なんか破って捨ててしまいたいものばっかりだったが、
大きな情熱でこの記事をまとめて下さった著者に敬意と感謝を捧げます。

どうもありがとう・・・

Posted by ファンキー末吉 at:06:59 | 固定リンク

2016年10月 3日

コンサートドタキャンで〜iPad忘れて〜暴飲暴食!!

泰安というところにいる・・・
霊山「
泰山」の麓である。

ワシは前回パールドラムの活動で来たことがあるし、
よく考えたらここでロックイベントをやると言って振り回されて結局バックれられたではないか!!!(怒)

まあいい、イベントが実現せずに声をかけた人間が逃げて、
ワシが声をかけたミッキー吉野さんとかに頭を下げればそれでよい(涙)

だが、今回10月5日に予定されていた張嶺(Zhang Ling)の北展(3000人のホール)でのコンサート!(◎_◎;)のドタキャンはいろんな意味で衝撃が走った・・・

何せ大きなコンサートだということで半月前からメンバースケジュールを押さえて10本近くリハーサル!(◎_◎;)

あのね、こちらの仕事って「リハーサル代いくら」っつう概念がないから、
まあ言うなればリハなんて何回やったって一銭にもならん(>_<)

いわゆる「タダ働き」なのだが、
リハが始まったら何やら知らない歌手というか、
まあシンガーソングライターなのだろう、一緒にコンサートやると言う。

ワシは知らなかったが大分おっさんで、
まあその時代の偉いプロデューサーなのだろう・・・

ところがこの人の音楽が全部コンピューターで作ってて、
コードの概念はないわループはハネてるのとイーブンのとごっちゃになっとるわ・・・(>_<)

張嶺(Zhang Ling)が、
「今回は大変だろうからお前のギャラだけ多くしとくからよろしく頼むわ」
と言ってた理由がわかった・・・(>_<)

しかもベーシストである張嶺(Zhang Ling)はその人んとこではベース弾かんし(>_<)

「逃げたな・・・こいつ・・・(涙)」
最初のうちはプログラムのベースでやってたのだが、
そのうちその人がベーシスト連れて来て、それが全く使えん(>_<)

この温厚なワシが思わず癇癪起こしたもんな・・・(涙)
「お前、譜面見てんの?他の人の音聞いてんの?」・・・(号泣)

そんなこんなでワシはもう本当に苦痛だった・・・この仕事(涙)
だから「ドタキャン」と聞いて内心は「もうやらなくていいんだ」とちょっとホッとした。

でも考えたらもう5本リハをやってるのでそれは完全に「タダ働き」である。

どうも煮え切らない気持ちが残るので、
「よし!!これでちょっとヒマになったんだから暴飲暴食しよう!!」
と心に決めていた。

今日の泰安のイベントは前乗りで、
実はその前にはリハが入ってたのだが、
本番がキャンセルなので当然ながらリハもキャンセル、
この日は「前乗り」だけが「仕事」である。

よし!!それならば昼から飲まねば!!(笑)
といろいろと策を巡らせる・・・

ちょうどよーしーず(渋谷有希子)が四川省かどっかのイベントから帰って来るというので、それを空港まで迎えに行って、その足でワシをどっか市内で飲めるところまで送って行ってもらおうと、
実は空港に行く時に既にツアーの荷物は準備して載せてある(笑)

かくしてタバタバーに続いて翔くんが麦子店(MaiZiDian)にオープンさせたという油麺の店に行くことにした。

ShichimenchoKanban.jpeg

油麺
ShichimenchoAburasoba.jpeg

台湾まぜそば
ShichimenchoTaiwanmazesoba.jpeg

この店ならば集合場所の北京南駅まで地下鉄で30分なのでそれまでべろんべろんに飲んでやろうと思ってたら、なんと着いてからわかる、この店7時オープンなのよね・・・(>_<)

しゃーないから開店前から上がり込んでビールでも飲んどこうと思ったらよーしーず(渋谷有希子)がひと言、
「ファンキーさん、忘れ物はありませんよね!!」

何を言ってるのかこの女!!(怒)

ワシなんか暴飲暴食しようとして昨夜からちゃんと荷造りして、
スティックも入れてステージ衣装も入れて、
iPadは出かける直前まで使うから・・・

あ、iPad忘れた!(◎_◎;)・・・

もうね、何でこうなるのかさっぱりわからん!!
iPad忘れたらライブが出来んではないか!!(涙)

「取りに帰りましょうか」と言われるが、
そんなことのために往復また2時間もかけて暴飲暴食も出来ずとなるのが自分で許せん(>_<)

途方に暮れてたら翔くんが助け舟、
「うちの彼女がまだ院子(ユエンズ)にいると思うんで持って来させましょうか?」

実は最近この田端翔くんも彼女と犬と共にうちに引っ越して来て、
うちの院子(ユエンズ)は総勢7人の人間と3匹の犬と1匹の鶏が住んでいるのだ・・・(笑)

「それは助かる!!」
ということでiPadは解決、あとは暴飲暴食だけなので、よーしーず(渋谷有希子)に運転させて名コック橋場さんの店に行くことにした。

GebaGebaKanban.jpeg

いや〜日本でもこれだけのレベルの日本料理食べさせてくれるとこないよ!!
まずは前菜で生牡蠣のあん肝ソース!!

GebaGeba1.jpeg

ビールを飲んでたのぢゃが「これは日本酒やな」ということになって冷酒も注文!!

GebaGeba2.jpeg

刺身に続いてはカニ〜!!!!

GenaGeba3.jpeg

ローストビーフ〜!!!

GebaGeba4.jpeg

これは赤ワインやなということでワインも注文して、
その後は日本酒に合う料理は日本酒、
ビールに合う料理はビール、
ワインに合う料理はワインと暴飲暴食を繰り返す!!

GebaGeba5.jpeg

そしてトドメは鯖寿司!!これがもう絶品なのよ・・・(涙)

GebaGeba6.jpeg

コック長の橋場さんとはもう10数年の付き合いになるが、
一度飲みながらこんなことを聞いたことがある。

「中国の日本料理屋の刺身って生臭くて食えない店も多いのに、
どうしてこの店の刺身はこんなに美味しいの?
やっぱり仕入れてる場所が違うんでしょ?」

これに対して橋場さんはこう答えた。

「全く一緒ですよ。その辺の市場です。
魚が生臭いっつのはむしろ仕入れより何よりも処理です。
魚っつうのはねぇ、1秒1秒腐っていってるんです。
ほっといたら魚の周りにぬめりが出る。
それをどれだけマメに拭き取るかですよ。
包丁もまな板もマメに拭く!!
中国人のコックにはこれがなかなかわからんのですな・・・」

GebaGebaHashibasan.jpeg

音楽も一緒である!!

レコーディングが終わったら「ミックスダウン」っつう作業をするが、
ひとつひとつのトラックからマメにノイズを掃除してからエフェクターとか処理をしないとどうしても音がクリアにならない。

その地味なマメな作業をしてるかしてないかで製品のレベルっつうのは全然違うのよね〜

食材を日本から直輸入したから美味しい刺身が食えるわけではない。
何も高い機材買ったからいい音楽が出来るわけでも何でもないのだ・・・

いい「作品」を食わせてもらった!!いい酒を飲ませてもらった!!
これだけ飲み食いしてふたりで1万円いかんかったぞ!(◎_◎;)

安くしてくれたんやな・・・(涙)

よし!!ワシも日々頑張っていい「作品」を作るとするか・・・

Posted by ファンキー末吉 at:07:31 | 固定リンク

2016年9月29日

譜面のデジタル化

物忘れが激しいのは歳のせいではない!!(キッパリ)

小学生の時のあだ名は「忘れ物の帝王」!!
まあせっかちが災いして注意力散漫っつうかなんつうか、
譜面を書いては書いてはどこかに忘れてしまう(>_<)

渡辺英樹さんとやってたVoThMというバンドでは、
ツアーの度に書き込みした譜面が見つからない見つからないと大騒ぎし、
結局都合3回最初から書き込み直したもんな・・・(涙)

先日の推乐队The Pushのライブの時なんか、
そのコンサート会場に譜面を忘れて帰って紛失(>_<)
次のライブの時には最初っから全曲書き直さなければならない・・・(涙)


そこで考えた!!譜面をデジタル化してデータ保存しておこう!!

・・・というわけでゲットしたのがScanner Proというアプリ!!
譜面を書いては書いてはこれでスキャンしてデータ化していってた・・・

ScannerPro.jpeg

このソフトの優れたところは、
カメラを書類っぽいものにかざすだけで自動的に歪みや角度を変換してちゃんと画面からスキャンしたような切り取りをしてくれることである(驚)


ところが譜面というのはリハとかするとどんどん変更点や注意点などが出て「書き込み」をしてゆくものである・・・

仕方ないので譜面もリハに持って行って、
何か書き込みがあったら譜面の方に書き込みをしてそれをScanner Proでいちいちスキャンし直してたりした。


ところが先日よねまりゅうセッションのリハの時に、
サックスの人がpiaScoreというアプリを紹介してくれたのでさっそくゲット!!

なんとこのアプリは譜面にデジタル書き込みが出来るのだ!\(^o^)/

というわけでScanner ProのデータをpiaScoreに移行しては使っているのだが、
最初のうちはScanner Proと同じように幾つかの譜面がひとつのPDFファイルになったそのページ順を並べ替えてライブで使っていたのだが、
ふと見ると「セットリスト」という便利なものがあるではないか!!

というわけで譜面は全部1曲ごとに分けて保存し、それを読み込んでセットリストで曲順にする。

セットリストで開かれている譜面に書き込みをすると、
大元の譜面が書き込みによって変更されているので便利である(驚)

piaScoreSetList.jpg

1曲ごとの譜面ファイルには表紙がついて、
その表紙は好きな画像に変更出来るのでその歌手の写真にでもしとけばファイルを探す時にわかりやすい・・・
(いろいろと小技が用意されてて楽しめる)

そしてありそでなかった特筆すべき機能は「メトロノーム」!!!(◎_◎;)

piaScoreMetoronome.jpg

いやお恥ずかしい・・・「譜面」と言いながらこんな書きなぐりのメモだけでもワシにとってはとても大事な「譜面」なのじゃよ・・・

この懐かしい首振りメトロノームがちゃんと左右に振れながらテンポを出してくれる!(◎_◎;)

但し現状バージョンでは本当に首振りメトロノームをちゃんと平らなところに置かなかった時のようにちょっとリズムがヨレる・・・
何もそんなところまでシミュレーションしなくても(笑)と思うのだが、
まあメモリーの専有率によるバグであろう、
ワシとしては別に音は出さずに振れるのを見ながらカウントをそのテンポで出せればいいのでこのままでも良いが、まあ次のバージョンアップでは改善されるだろう・・・

しかも、このメトロノームのテンポは楽曲、つまりひとつの譜面ファイルに対して紐付けされていて、
セットリストによって譜面をめくる、つまり次の楽曲になるとちゃんと次のテンポになる!!!(◎_◎;)

これ、ありそでなかった便利な機能・・・

コンサートなどでテンポ出しのためにメトロノームアプリは色々使っていたが、
せいぜいテンポがメモリー出来ても数個までで、
例えばコンサート全部20数曲が全部メモリー出来るアプリなんか存在しないが、
このソフトだと譜面に紐付けされるので全曲大丈夫である!(◎_◎;)

テンポを見るだけのために使っても便利じゃ・・・

ただ、現状でひとつのセットリストでメトロノームを使うか使わないかのオンオフだけなので、打ち込みの曲でクリックを聞きながら叩く曲などメトロノームが必要ない曲でも表示される。
仕方ないのでそんな曲は一番遅いテンポにしといて、
ゆーっくり動くメトロノームを気にせずに眺めるようにしているが・・・(笑)


ところでこのブログを書くためにいろいろ調べてたら、
どうもこのソフトは大きな音楽会社などが開発したのではなくひとりの個人が開発したようで(天才かっ)、
おそらくこの開発者はクラシックのピアノ譜面とかを念頭に置いてソフトを開発したのだろう、こうして変なドラマーがそれと全く違う使い方をするので面食らっているところだと思う・・・

まずこのソフトは譜めくりが簡単になるようにいろいろ機能を開発しているが、
(最終的には首を振っただけでカメラでそれを感知して譜めくりが出来るらしい!(◎_◎;))

そもそもがバンド譜面なんかそもそもなるだけ1ページ譜面にまとめて書いて、
まあ長くてもせいぜい2ページまでにまとめるように書く。

ドラマーは1曲終わったらすぐにカウントを出さねばならなかったりするので、
そんな曲つなぎの場合は2つの譜面を並べてファイリングしておく。

当然ながらテンポ出しのメトロノームは複数用意しておいて、
すぐさま次のテンポでカウントを出せるようにしておくのだが、
それがこのソフトで全く必要なくなるは素晴らしい!!

1ページ譜面を数曲セットリストに取り込むと画面の左右に2曲が並び、
そうするとこのソフトのメトロノームは左のページの譜面のテンポに紐付けされるようなので、ワシの場合1ページ譜面の左側には白紙ページを挿入して2ページ譜面に変換している。

ドラマーの場合、譜面は左側に置くので、
画面の右側が白紙で左側が譜面の場合はより大きく首を捻らなければならないので都合が悪いのよ〜ん。

左側の白紙ページもただ白紙じゃもったいないので曲順のテキストを貼り付けてみたら、これがまた「曲順表」も貼り付けなくて良くなるので思わずむっちゃ便利\(^o^)/

今まで
1、紙の譜面をファイリングした冊子
2、複数のメトロノーム
3、それぞれの曲のテンポを記入した曲順表
という3つのモノが譜面台の上にところ狭しと並んでいたのがこのiPadProひとつで良くなったわけだ!(◎_◎;)・・・

しかも紙の譜面と違って野外イベントで風が吹いても飛ばない!(◎_◎;)
暗いステージでも譜面灯が必要ない!(◎_◎;)

もういいとこばっかじゃありませんか〜!!(感涙)


というわけで今後はもう手書きの譜面はやめようと、
次の現場からは新しい譜面も全部このソフトの書き込み機能で作成した。

piaScoreNewScore.jpg

しかしこのpiaScoreって譜面作成ソフトではないので、
なにぶん1ステージ全部が手書き譜面だとさすがに読み込みに時間がかかるようだ・・・
(こんな使い方してたらそのうちバグるな・・・笑)


デジタル譜面制作がだんだん楽しくなって来て、
さすがに「夏休みの宿題をやる前に鉛筆を削るところから始める」というワシは、
iPadで手書き譜面を書くためにこのアイテムを購入した!!

ApplePencile.jpg

そう、アップルペンシルね!!

でも買ってみてから思った・・・
ワシって別に絵やイラストを描く人間でもないし、
譜面を書く以外には全く使わないのにこんなもんに1万円以上出すってどうよ・・・(>_<)

それよりも心配・・・こんな小さいもん・・・絶対失くすぞ、これ・・・


あ、そこで突然今気がついたこの事実!!

・・・そもそもがiPad失くしたら・・・っつうかiPad現場に持って行くの忘れただけでもうライブ出来んぞ!(◎_◎;)

・・・うーむ・・・これだけの金と労力をかけたがいきなり冒頭より便利になっとる気がせんなった・・・(>_<)

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2016年9月26日

中国のヤなとこ日本のヤなとこ

まあ中国のヤなとこを挙げれば枚挙にいとまがないが(笑)、
先日のリハスタからの帰り道では本当に腹が立った・・・

BusKoutsuudome.JPG

とある小さな交差点、
こちらの道路は非常によく流れていて、
交差する道路はむっちゃ渋滞・・・

ところがその渋滞の交差点にバスが突っ込んで来て、
そのままこちらが青信号になっても前に行くことも下がることも出来ない・・・

しかも2連結バス(>_<)

これが30分ずーっと道をふさいでるおかげでこちらは全く動きが取れない。
当然ながらこちらの道路も大渋滞となるわけだが、
こちらの後ろの方の車は割り込んででもワシらの車の前に出たいと思って遠い遠い後ろの方から対向車線を走って来るのだが、
そうすると右折してこちらの車線に入って来た車と正面でぶつかることになり、
「お前が下がれ」だ「いやもう下がれない」だのダンゴになって渋滞に拍車をかける(>_<)

もうね、こんなことが珍しいのじゃなくしょっちゅう起きるのだ(涙)

また、小畑を迎えに行った空港の駐車場・・・
1度目は定刻通り朝の4時半に行ったのだが飛行機は2時間遅れということで一度院子に引き返し、今度6時半に行ったら駐車場はごった返している・・・

そんな中に駐車線の2台のど真ん中に駐車してる人・・・(>_<)

ChuushajouKuruma.JPG

もうね、「民度が低い」と言ったらそれまでだけど、
日本人だってバブルの頃「エコノミックアニマル」と言われ、
ジャパンマネーで現地人のほっぺた叩いてもっとひどいことをしてた。

生まれて初めて地下鉄で席を譲られたのは北京だったし(笑・・・そして涙)
中国の民度は徐々に上がって来ているのを実感している今日この頃である・・・


ところが民度が世界一高いと個人的に思っている日本でヤなことがあるとこれは本当に落ち込むしかない・・・(>_<)

日中友好こども(大人も可)サマードラムスクールの会場を後にして、中国人ご一行を連れて電車で東京まで帰り道、
渋谷有希子嬢が住む街の駅に停まった時にその駅名の看板を写メ撮って送ってやろうかと思って開いた入り口に向けてカメラを向けたら、
自分が撮られてると思ったのかなぁ、一瞬固まった人がいたので、
「違うんですよ」
という感じで一度カメラを下ろして、人がいなくなったら撮ろうと・・・

そんなことをしてたら、きっとワシがそれをやっているドア越しの隅っこの場所を取りたい人がいたのかな、いきなり「何やってんだよ」と怒って来た。

まあ邪魔になったとしたら自分が悪いのでぺこりと頭を下げて座ったら、
その人・・・ずーっと「どこのバカだよ」と怒っている。

中国人ご一向も「何事か」とこっちを見るけど、
一度はもう会釈で謝っているし、
中国人ご一行に気を使わせても悪いので聞こえない振りしてたら、
そのままずーっと「どこのバカなんだよ」とか「バカが!!」とかずーっと大きな声の独り言みたいに喋り続けている・・・

いや、先日Facebookの友人の投稿でも似たようなことをUPしていた。
電車の中で友人と立ち話をしてたら同じように注意・・・というかその場合は絡まれるレベルになって警察にまで行ったらしい・・・(恐)

日本の電車の中は中国に比べたら圧倒的に静かである。
反面「静かにしなければならない」という圧迫感がある。

もうここまでやると「電話禁止」どころか「会話禁止」やな・・・(笑)

まあ優先座席付近で携帯は電源を切ろうというのはわかるが、
そもそも長い時間電車で移動せねばならない時にこの「電車内通話禁止」というのは結果「余計な仕事」を増やすことになって仕事効率が落ちるぞ・・・(>_<)

新幹線だとデッキに出てかければいいのだが、従来線だとそうはいかない・・・

急ぎの電話だと近くの駅で降りて電話で話して次の電車に乗る。
乗り換えが悪いとそのせいで何十分も到着が遅れる・・・

だから(というか海外でいることが多いので)ワシは基本的に
「電話しないでくれ、メールで連絡くれ」
ということにしている。

でも電話でやれば1分で終わるやり取りもメール等でやろうとすると同様に何十分もかかったり、返事が遅かったら急ぎの用事で間に合わなかったりするから仕方ない。

その気持ちはわかる!!!
でもね、シンガポール行ったらもっともっと規則が厳しいの・・・

MRT(地下鉄)には様々の禁止事項
・列車内、駅構内でのポイ捨て
・列車内、駅構内での喫煙
・列車内、駅構内をうろうろ歩き回る?
・切符を折り曲げる??
すべて最高5000Sドルの罰金!(◎_◎;)

まあね、どんだけ罰則が多くてもそのお国に行ったらそれを守るよ。
当然ながら日本でそれが禁止ならそれは守る・・・

まあそれが「窮屈」かどうかは別にしてね・・・

そもそもワシは別に電車で隣の人が電話してても気にならない。
中国語は日本語よりうるさく聞こえるし、
別に電話してようがお喋りしてようが気にならない。

まあ日本では多数決かなんかで気になる人が絶対多数なのね・・・

しゃーない・・・この国に来たらそれを守る。
それは当たり前のことである・・・


などと考えていたら今度はワシの電話が鳴った(>_<)

いや〜ワシは中国にいる時は日本のSIMをMarshal Phoneに挿して、
取りあえずボリュームを最大音量にしている。

日本の電話が鳴る時なんて、
今ではもう施設に預けているお袋の容態ぐらいなもんで、
それはもう「緊急電話」なので最大音量にしているのだが、
日本に帰って来たら逆に中国のSIMを入れてて、
そしたら中国のセールス電話が鳴るので電源を切ったりしておくのだが・・・

何の間違いがそれがまた最大音量になってたらしい・・・(>_<)

もうね、Marshal Phoneって呼び出し音もむっちゃ「ロック」なのよね・・・
それが電車内に鳴り響く・・・(>_<)

慌てて電源を切った・・・

そしたらもうね、先ほどのおじさん鬼の首を取ったように
「うるせーな!!どこのバカだよ!!」
を大声で連発する(涙)

まあ悪いのは電源を切り忘れたワシなのだ。
申し開きも出来ない・・・

だけどここで立ち上がって謝りにでも行ったら間違いなくこのおじさんと言い争いになる(>_<)
そうするとまた中国人ご一行にむっちゃ気を使わせてしまうことになり、
せっかくの楽しい旅が台無しになってしまわないか・・・

そう思って、心の中で何度も何度も
「ごめんなさいごめんなさい」
と手を合わす。

しかしおじさんは容赦をしない・・・

結局30分ほどだろうか、
ワシら一行が乗り換えで電車を降りるまでずーっと
「バカが!!バカが!!」
を大声で繰り返していた・・・

確かにそのバカはワシなんだけれども、これってきっと中国人だから日本語わからんだろうと思って言ってるのかなぁ・・・

本当に日本語わからんかったら気にしないだろうが、
日本人で気の弱い人だったらもう居場所がなくて途中下車するか、
ひょっとしてもっと気の弱い人なら自殺するかも知れんなぁ・・・(涙)

シンガポールは確かに日本の数倍規則は厳しいが、
それを破った人間に対して罰金以上のこのような制裁を加える人はいない。
(と思う・・・少なくともワシは見たことはない)

「日本って住み辛いなぁ・・・」
こんな時にまた思ってしまうのだ・・・


まあそんなことがあって、ご一行も無事に投宿先の新大久保に着いて、
丸亀製麺があったのでみんなを連れて行った。

丸亀製麺と言えば北京のが最悪だったので(笑)、
少しでも本場に近い讃岐うどん(香川県の会社ではないですが)を食わせてやりたいと思って、
彼らの投宿先の新大久保近くの丸亀製麺を探して連れて行った。

まあでもうどんって中国人10人で食うもんじゃないな(笑)
ひとりで10人分いろんなうどんを注文して、みんなでシェアして食べてみて、
美味しかったのをまたお代わりしたらええやん・・・
とひとりで注文してると後ろで待ってる人ずーっと待ってないかんのな(笑)

すんまへんなぁすんまへんなぁと頭を下げながら、
みんなの座っているテーブルに配ってこれは醤油をかけるこれはタレにつけるなど説明して、やっと一息・・・

好物の醤油うどんをすすってたら、
店のおばちゃんがやって来て床のある部分を見て烈火のごとく怒って大声で叫んでる。

「誰なの!!これー!!!」

見ると携帯の充電器を床のコンセントに挿して充電している・・・
剣幕におされて慌ててコンセントを抜いて携帯を取って帰った中国人に
おばちゃんは更に怒鳴り続ける。

「ダメでしょう、そんなことしちゃー!!!」

中国では普通にOKどころか無料サービスとして充電器の充電までしてくれるぐらいだから何も考えずに充電しちゃったのだろう・・・

「日本じゃ充電しちゃダメなんだよ」
と中国語で優しく言ってやると、
おばちゃんは言葉が通じないと思ったのだろう、
慢心の力を込めて両腕でバツ印を作って彼に向かってこう叫ぶ。

「ダメー!!!」

もうねぇ・・・
「お前はコント番組の佐藤蛾次郎か!!(笑)」
というぐらいの大袈裟なポーズで、店中に響くような声で怒る・・・

まあその中国人も恥ずかしくて小さくなっているので、
ワシは全然気にしない感じで敢えて別の話題を振る・・・

ここで詳しく説明とかしてたら彼のメンツはますますズタズタになっちゃうからね・・・

確かに日本では勝手に充電すると「電気を盗んだ」ということでこれは「窃盗罪」である。

ワシもそれに気付いてたらうまく説明してやめさせるのだが、
うどん配るのに忙しくて気付かんかった・・・(>_<)


なんかね・・・窮屈(>_<)


先日も夜中に羽田に着く便で帰ったので、
初めて「天然温泉平和島」の「深夜パック」なるものを利用してみた。

深夜便で帰国、もしくは来日して、
タクシーでホテルに行くような人種じゃない人間は、
多かれ少なかれワシのような「バックパッカー」であろう(笑)

ワシらみたいな人間が「泊まる」時に一番気にするのは
「デバイスの充電」
である!!

ところがこの施設の全てのコンセントは・・・

Juudenkinshi.JPG

いや、わかるよ!!勝手に充電したらこの国では「窃盗罪」でしょ!!
でもひとつのデバイスを充電して与える損害っていくら?・・・

ここまで目くじら立ててその小さな損害を守ろうとする「商売」ってどうなん?・・・

中国という国は、まあ最近はよくなったとは言っても、
ワシの知る限り世界で最も「サービス」の悪かった国であろう・・・

そんな国でさえ、携帯の充電を頼むと、
仏頂面したレストランのお姉ちゃんでさえ
「しゃーないわねぇ」
とわざわざカウンターで充電してくれる・・・

サウナなんかでは預けている電話が鳴ったらわざわざ風呂場にまで電話持って来てくれるぞ(笑)

「充電出来ないんですか?」
カウンターのお兄ちゃんに聞いてみた。

お兄ちゃんは丁寧に教えてくれた。
「モバイルバッテーリーを300円でレンタルしますんでそれを使って充電して下さい」

いや、電気をバッテリーに充電してそれで充電するぐらいなら、
最初っからお金払って直接充電した方が環境に優しいんですけど・・・

そもそもワシのデバイスは多い(>_<)

iPhoneにiPad Pro、Marshal Phoneにモバイルバッテーリー・・・
そして何よりもパソコンでしか出来ない仕事もあるわけだからパソコン自体も充電しなければならない・・・

「コンセントからの充電も出来ますよ。30分300円になります」

!(◎_◎;)・・・全てのデバイスとパソコンを充電したら・・・
300円×3+300円×パソコンが満充電出来るまでって・・・

入浴料よりもっともっと高いやん!!!(涙)

確かに勝手に充電するのは「窃盗罪」、これはわかる!!
でも世界的にサービスが最低レベルであった中国でどこでも充電ぐらい無料でしてくれるのに、
これが世界的にサービスが高度だと言われてる国の「商売」なのであろうか・・・

窮屈じゃぁ・・・住みにくいのう・・・


などと思いつつ先日の上海ツアー・・・
北京駅に着いたら、座る場所がとっても少なくてみんな床に座ったり立ってたり・・・

なのにその少ないベンチってこれ(>_<)

BeijingStation1.JPG

その向こうの列ってこれ(涙)

BeijingStation2.JPG

もうね、電車の中でワシに怒ってたおじさん!!
渡航費出すから中国来て、
ここで大声で同じように30分「どこのバカだ!!!」って怒鳴っててよ〜

丸亀製麺のおばちゃん、丸亀製麺より高い時給出すからここで
「誰なの!!これー!!!」
って犯人探して、北京駅じゅうに聞こえるような大きな声で、
遠くからでも見えるような大きなバツ印作って叫んでよ〜
「ダメー!!!」って・・・

どっちもおそらくケンカになるな・・・(笑)

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2016年9月17日

蕁麻疹・・・

旅をしていて一番困るのが旅先での病気である。

二十数年間中国語を喋って生活しているとは言え、
ワシの中国語レベルなんて所詮は「生活レベル」。

生まれついての健康体で、生活の中に「病気」などがないので
必然的に病名とか病状を伝える中国語力が全くなく、
医者に行っても薬を買うにも親しい中国人に行ってもらう必要があり、
だから旅先で病気というのが一番困るのよねぇ・・・

実は今回旅先で「病気」というか蕁麻疹が出た(>_<)

JinmashinUde.jpeg

天津の打ち上げで、疲れているのにカキなど海鮮を食ったせいか、
北京に帰った途端に二の腕にぶわーっと出たのだ・・・

まあカキに当たってこのぐらいで済むなら俺って凄いなぁ・・・
など思いながら飛行機に乗る頃には足にも出た・・・

JinmashinAshi.jpeg

ライブ終わって天津から夜中の2時に院子着いて4時半に起きて、
10時間かけてやっと湖北省利川というところに着いたわけだから、
そりゃもう疲れてるからじゃろう、なんか身体じゅういっぱい出た(>_<)

人間の身体には自然治癒力があるんだから寝れば大丈夫!!
とばかり昼寝をしたら本当にだいぶよくなった(笑)

まあこの程度だろうと、夜は地元の若いバンドの連中と飲む!!

元々は前回恩施(EnShi)に来た時の老師が、
「ごめん今日は行けない」
ということでワシと飲みたい若いバンドの連中をよこして来たのだ。

「ありがた迷惑」とも言えるこの風習・・・(笑)
「自分が行けないから全く知らない人に代わりに接待して来い」と・・・

まあ「ご馳走してくれる」というのだから人見知りを押して飲みに行ったというわけだ。
(まあこれが後にとても助かることとなる・・・)

宴もたけなわで酒を飲み、碗を割り、
そんな時に張嶺(ZhangLing)からメッセージが入る。

「9時半から俺の部屋で曲聞きながらミーティングしようぜ!!」
もうこちらは十分にへべれげなのでそのままホテルに帰る・・・

主催者が気を使ったのか彼の部屋はスウィートルーム!!
そこにワインを買って来て飲みながらというわけだ・・・

JinmashinSweatRoom1.jpeg
JinmashinSweatRoom2.jpeg

ここでまたへべれげになって酔い潰れ、
朝になると蕁麻疹なんかどこ吹く風!(◎_◎;)

翌日はすっきりとして朝飯食って、現場に到着!!
ところがサウンドチェックの時にまたモコモコと今度は身体中に出て来だした(>_<)

JinmashinZenshin.jpeg

ホテルに帰ってしばし寝てみたがよくならないので、
「よし、病院に行こう!!」
と思い立ってはたと困った・・・

ワシひとりで医者とか薬屋とか行っても言葉がなぁ・・・

そして思い立ったのだ!!
ワシにはもう地元に「仲間」がいるではないか!!!!

WeChatでグループチャットを組んで、
昨日飲んだ全ての若い衆に事情を書いて写真を送る。

「それは大変だ」
とばかりみんなやれ医者だやれ薬だとやり取りをしていたのだが、
打ち込むよりも喋った方が早いと思ったのだろう、
最後の方はボイスメッセージのやり取り・・・

これが方言がキツくてワシには全く聞き取れんのよな・・・(笑)

JinmashinYaritori.jpeg

まあなんじゃかんじゃで若い衆が薬を届けてくれた。
左が西洋の薬で右が漢方薬。

JinmashinKusuri.jpeg

それを飲みながら色々考えた。

食物だったら一度よくなってまたぶり返すっておかしくないか?
何か新しい食物のアレルギーが生まれたんじゃないか?・・・

アレルギーなど全く持ってなかったワシがある日突然ブリーチ液にアレルギーが出て、
今では頭皮に液をつけないようにやって貰えるところでしか髪染めしない。

友人の元ちゃんなんか今まで全然大丈夫だった「魚」で突然アレルギーが出てそれを食べられなくなったとか・・・

そう言えばワシも天津で食った2時間後に蕁麻疹が出て、
今日は朝飯食った2時間後にまた蕁麻疹が出とる・・・
(昨日の晩飯はその後泥酔なので蕁麻疹の具合がわからん)

何か共通の食材はないか?・・・

天津

羊、牛、貝、カキ、ザリガニ・・・

ホテルの朝飯
JinmashinAsameshi.jpeg

豚、鶏、卵、小麦、米、芋・・・

ってひとつも食材かぶってないやん!!!!(>_<)

理数系の頭を色々とひねって考えてみる・・・
きっと何かが抜け落ちているはずだ・・・

そもそもが食材が問題で2時間後に症状が出たと考えるより、
何かの原因で一瞬で症状が出たと考えてみてはどうか?・・・

頭皮がそうだったように接触によってすぐに反応が出ることもあるし、
精神的にも何かの原因で出ることもあると言う・・・

1、症状が出たのは天津から帰ってひとりで可愛い従業員がいる日本居酒屋で一杯やった時・・・
2、飛行機の中・・・
3、会場に着いてサウンドチェックをしようと思った時・・・

・・・ってこれ全部誰か可愛い子ちゃんがおるやん!!
居酒屋は従業員、飛行機はスチュワーデス、会場はケイタリングのお姉ちゃん!(◎_◎;)

張嶺(ZhangLing)の部屋で飲んでた時にはおっさんばかりやし、
これはひょっとして美女を見るとアレルギーが出るのでは?・・・

そうなのか!!美女怖いぞ!!まんじゅう怖い!!
特に20代の美女が一番怖い!!

皆さん、お願いですからワシに美女を与えないで下さい!!!


PS.おっさんばかりでこれから重慶ー成都のツアーなのであれからめっきり症状は出ていません(笑)

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2016年9月 4日

ウォーターフロントに新居が出来た(?)

26年来の親友が日本でマンションを買った・・・

もうね、東京湾に面したこんな場所ってワシ・・・行ったこともなければ全く知らんし(>_<)

WaterFrontView.JPG

これ、そのマンションのベランダ一面から見える夜景・・・(>_<)

まあ聞けば中国のとある有名歌手もこの同じマンションの物件を買って、
じゃあということで友人のオリンピック選手もここを買ったという・・・

しかも1億円のマンションふたつ(>_<)

もうね、全くついていけません!!
外国人なんでローンが難しかろうと現金でぽんと買うもんね(>_<)

まあ中国では土地の所有権は国から70年の租借権を買うわけで、
70年経ったらお国に返さなければならない物件よりは、
一度買ったら永遠に自分のものになる日本他の不動産は中国人にとってはやはり魅力的な物件なのであろう・・・

まあ投資目的とかセカンドハウスとか人によっては色々目的は違うのだろうけど、
この26年の親友は、「お前の部屋もあるから」とそう言う・・・

実際、カギをもらって今回の来日の時にこの部屋にやって来たら、
「お前の部屋」と言われてる部屋にはこんな写真が飾られていた・・・

FunkysRoomPhotograph.JPG

もうね、実際とっても感激するよね・・・(涙)

実はこの男、ワシが2005年に結婚して貧民街で住み始めると言うので、「スラム街で車は必需品だろう」ということでジープを一台プレゼントしてくれた!(◎_◎;)

まあ出会った頃はヤツも貧乏なミュージシャン、
ワシは出来ることなら何でもやってやったが、
このインタビューでヤツは
「Funkyも中国ロックのためなら一度たりとも金なんか言ったことがない」
などと発言してるが、
全くもって「伝説」というものは後になっていろいろ尾ひれがついてゆくもので、
ワシは金は欲しいのよ〜(涙)ただそれを払えるほどみんな金持ちじゃなかっただけなのよ〜(号泣)



(スマホ等で映像が見られない方はこちらを〜)

まあね、言うならば今では中国ロック界の大御所になってしまった彼が、
中国ロック界を代表していろんな形でワシに恩返しをしてるのかも知れないが・・・

それにしても車や家って・・・高い(>_<)

あまりに気後れしてしばらくこのマンションには足を運ばなかったのだけれども、
今回の来日でどんなもんだか一度泊まりに来てみた・・・

いや〜夜景やなんじゃは酔い潰れて終電で泊まりに来るワシにとってはどうでもいいのじゃが・・・都内から近い(>_<)

八王子のように、
駅に着いてから更にタクシーに乗らねばならないのではなく、
電車でそのまま最寄りの駅まで行ける!(◎_◎;)

今までは帰り着けない時にはホテルとか取ってたけど、
当然ながらタクシー代の方がホテル代より安い!(◎_◎;)

このマンションのいろんな管理業務はワシの日本での秘書である茜ちゃんが管理業務を行っているのだが、
「社長、あの部屋行くなら粗大ごみ捨てといて下さいね」
と頼まれる・・・

まあいつまでたっても「自分の部屋」という意識はないので、
「泊まらせてもらってるのだから」
という意識でめんどくさい手続きをして粗大ごみを捨てに行く・・・

KouTouKuMansionGomi.JPG

もうね、日本のゴミ捨てって本当にめんどくさい・・・
(でも環境のためにはとてもいいのだろうが・・・)

コンビニで江東区のゴミ券かなんか買って、
問題はコンシェルジュ(なんか「管理人さん」っつうのではなく「コンシェルジュ」と言うらしい???)さんに台車を借りに行かねばならないとのこと。

コンシェルジュとやらがこれがまた美人!!
例えて言うとこんな感じ・・・

ワシはただでさえゴミ捨てとかそんな社会的なことが全然出来んので茜ちゃんに聞きつつ処理をする・・・

「私の名前言って私から依頼されたと言えば大丈夫ですから」
と言うので、その美人コンシェルジュさんにその旨を伝えて台車を借りる・・・

「ちゃんと入館届け出して入館証もらって下さいね」
というわけで・・・

KouTouKuMansionGyoushaJPG.JPG

あのう・・・これって完璧に「業者さん」なんですけど・・・(>_<)

一応ワシ・・・自分が買ったわけではないけど、
このマンションに「自分の部屋」を持ってて鍵も持ってて・・・

まあ言うならば同居人っつうか「住人」なんですけど・・・(>_<)

しゃーないなぁ・・・金髪に短パン、汚いTシャツに首には手ぬぐい(タオル)巻いてるもんなぁ・・・こんなマンションの住人にこんなヤツはおらんやろ・・・やっぱどう見ても「業者さん」やろ・・・

というわけでちゃんと入館届けには

会社名:有限会社ファンキー末吉
名前:末吉覚
業務:粗大ゴミ捨て

と書いて、電話番号などちゃんと自分の日本の携帯番号まで書いてやったぞ(笑)

まあゴミちゃんと捨てて、台車ちゃんと返して、
入館届けに退館時間もちゃんと書いて・・・

「どうもご苦労様です」
と礼儀正しく言われるので業者らしく礼儀正しく礼をして・・・

問題は次に来る時もきっと入館届け書かされるんちゃうん!!(>_<)

まあ次の来日はいつになるか決まってはいないが、
次にここに泊まる時にはもうちょっと金持ちっぽい格好をして来るしかないのう・・・

Posted by ファンキー末吉 at:16:29 | 固定リンク

フェスティバルのハシゴ(2016年夏)

これだけ中国じゅうで山ほどの音楽フェスティバルが催されているんだから、スケジュールがガッチンコしない方がおかしい・・・

去年はこんな感じでフェスをハシゴし、今年も去年に負けずの移動距離を飛ぶこととなる・・・

もともとは周韧(Zhou Ren)の北京でのフェスが8月26日に入っていて、
爽子(ShuangZi)が同じイベントの最終日28日に入った。

そしてその間の27日に長春でのイベントが入ったので、
北京ー長春ー北京という移動を余儀なくされることになったのである。

26日のイベントのサウンドチェックは前日25日に行われることになったのだが、一緒に住んでいる布衣(BuYi)も同じく26日に同じイベントのサウンドチェックだと言う・・・

このイベントは各出演者の近所に送迎バスを出してピックアップして廻るというので、少々早く出る必要はあるが布衣のバスに便乗させて頂いた。

ガラの悪いのがどんどん乗り込んで来る・・・(笑)

まあこれが乗り合いバスやったら普通の人は絶対に乗らんわな(笑)

会場は北京市内とは思えないむっちゃ広い芝生の公園だった!!

なんと主催者は以前のこのドタキャン騒ぎ(これこれ)の主催者と同じで、
そのうちひとりは20年前からの友人でもあるので、
「26日にドラム叩き終わった瞬間に飛び出しで空港まで行きたいんだけど」
と相談しておく。

「よっしゃ、じゃあお前のために車一台用意しとくよ」
これで解決!!
タクシー呼んだり待たせたり、余計な手間が一気になくなった・・・(嬉)

当日!!
また布衣もバスに乗って早めに会場入り!!

バスに乗るミュージシャンもみんな「敬老精神」に溢れているので(笑)
ワシは最後部座席でごろんと横になれる。

いや〜これ全然違うのよ・・・疲れのとれ方が・・・(ホント)

さて会場着いたら先に布衣のライブ!!
そして周韧(Zhou Ren)!!

ちなみにどちらのギタリストも苗佳(Miao Jia)が弾いているので、
みんなが「なんだこれ苗家音乐节じゃねえか」とか
「苗家和他的朋友们じゃねえか」とか彼をからかうのがツボに入って、
ワシも彼を見る度にそう言ってからかう・・・

ワシはこの日の出演は周韧(Zhou Ren)のみ!!

彼のメニューにはドラムソロのコーナーもあり、
ネットにUPされてたので貼り付けとこう・・・

ドラム叩いたら即飛び出しで空港まで!!

何とか間に合って長春へ!!

着いたらワシを待ってすぐにゲネプロだと言われていたが、
結局は朝いちにゲネプロということで数時間ほど仮眠・・・

早起きしてサウンドチェック!!

ここでの出演はワシは李夏(Li Xia)と張嶺(Zhang Ling)のみ!!
のみったってふたつ出演するわけだが・・・(笑)

オープニングメドレーと唐朝老五のふたつがドタキャンになったからなのだが、張張(Zhang Zhang)はそのふたつに参加しているので、
レギュラーの鄭鈞(Zheng Jun)とワシと一緒の張嶺(Zhang Ling)と含めてまた4つ!!

ちなみに前回の北京のイベントではワシが4つでヤツは5つ・・・

なーに今回はリハのスケジュールがなかっただけで
次の上海はLuanShu周曉歐(Zhou XiaoOu)唐朝老五と、おそらくBEYONDのベーシストSTEAVEこと黄家強とオープニングメドレーも入るだろうから5つじゃ!!!

と指折り出演バンドの数を数えて自慢するのも馬鹿馬鹿しいと思い直し、
いくつでもいい!!中国ロックの歴史に残るぐらいいい演奏をすることが大事なんだよと自分に言い聞かす・・・

ちなみに今回の李夏(Li Xia)の演奏、
全くワシのせいではないのだが、2曲目はベースが変則チューニングでチューニングを下げるのだが、きっと全体的に全部半音高い(>_<)
こちら3番目のバンド)

もうね、やめて欲しいのこんなミス(涙)
ライブ終わって散々責めたが、本人はチューニングが狂ってることすらわかってないので全く気にせず飲んでるし〜(>_<)

ChangChunGuiXianDrink.JPG

ちなみに前回の北京のイベント
「Funky〜久しぶり〜!!」
と声をかけられたこのイベントの主催者・・・

もう女漢子(NvHanZi:女性の豪傑の意)っつうそのまま!!(>_<)
土佐のはちきんのようにキンタマが8つあるんではないかというぐらい・・・

前回の北京では打ち上げで各テーブルを回って白酒でイッキをし、
酔い潰れて若いミュージシャンに担がれて帰って行ったが今回もこんな感じ・・・

ChangChunYaoGun30Drink.JPG

想像するにきっと20年前出会った時にはペーペーのロック好きだったのだろう。
それが入党かなんかして今では共産党幹部かなんか・・・
昔好きだった仲間たちを呼び集めて大きなイベントをやりたい!!
私の今の力ならそれがやれる!!・・・

・・・ってなもんではなかろうか・・・
中国ではこういうロック世代が今政府の重要ポストに入ってたりするので、
経済のバブルと相まってロックが非常に盛んなお国柄になっているのだと言えよう・・・

そのおかげで爽子(ShuangZi)や李夏(LiXia)などの若い世代のバンドが日の目を見るようになってるんだから、中国ロックのためにワシも一緒に飲んで彼女を盛り上げてやろう・・・


まあ何じゃかんじゃで打ち上げも終わって朝5時起きで北京戻り!!
一昨日出演した北京のフェス会場へ向かう・・・

一昨日車の手配をしてくれた主催者である古い友人がワシを見つけてこう言う。
「おかえり〜Funkyさん、今日はどこに行く車を手配しようか?(笑)」

いや、もうどこも行きたくないし・・・と苦笑いで返すと、真顔でこんなことを言った。

「いや〜Funkyさんのドラムはやっぱ違うよ。
イベントには元スコーピオンズ(だっけか忘れた)とかのドラマーも来てたけど、
やっぱ全然違うよ。あんたは最高だよ!!」

主催者からこんなことを言われるなんてミュージシャン冥利に尽きるぜ・・・(感涙)

この日は爽子(ShuangZi)のステージだけなので、
他にも掛け持ちをしている苗佳(Miao Jia)を
「どうだい、苗佳和他的朋友们のイベントは?」
などとからかう(笑)

「かんべんして下さいよ」
と照れながら、
「でもFunkyさんの方が飛び回ったり一番忙しいじゃないですか」

まあ彼は同じところで4つのバンド、
ワシは北京ー長春ー北京で4つ。
張張は最初の北京がないが長春ー北京で5つ。

でもまあ「誰が一番忙しかった」とか「誰が一番稼いだ」とか関係ない!!
「誰が一番いい音を出したか」っつうのが一番大切なのである。

最後の爽子(ShuangZi)のステージも頑張って叩かせて頂いた。
ステージ袖で主催者である友人がこっちを見て親指を立てている。

これがやっぱ一番嬉しいよね。

ChangYangYinYueJie2016ShuangZi.JPG

ChangYangYinYueJie2016Drumming.JPG.JPG


爽子(ShuangZi)はこのイベントの大トリだった。
(偉くなったのう・・・)
スタッフが片付けに入り、ちょっと「祭りの後の寂しさ」が心に湧き出て来る・・・

「そうだ、ギャラを渡さなきゃ」
他のアーティストは最近ではみんなWeChatで振り込み(ホンマ便利になった)なのだが、
爽子(ShuangZi)はヤクザなので(笑)いつまでたっても現金でぽんと渡される。

中国の最高紙幣は100元札、たかだか1500円ぐらいなのだから、
数万円ぐらいのギャラだったらちょっとした「札束」になる。

写真に撮ってブログにUPして、
「こんなにもらいました!!でも日本円に両替したらちょっとしかないのよ〜」
とウケを取ろうと思ったら、渡された札束がむっちゃ薄かった(>_<)

おい!!爽子(ShuangZi)!!!

まあいい、金のためにドラムを叩いてるのではないのだ!!
そのままひとりで日本居酒屋行ってキープしてる焼酎を飲みながら3日間の余韻に浸った・・・

これでいいのだ!!
これでいいのだ!!

幸せじゃぁ〜
ドラム叩いて酒を飲む
今日は東へ明日は西へ〜
(名句)

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2016年8月22日

リハが組めるわけがない(>_<)

北京に帰って来た・・・
前回の北京ライブライブ以来だからほぼ一ヶ月ぶりである・・・

実は週末に3つ音楽フェスの仕事が入っている。

まず26日は「紅焼肉」という老摇滚(LaoYaoGun:ロックの大御所)のバンドのボーカル、周韧(ZhouRen)で北京のロックフェスに出演する。
1日飛ばして28日はラップ歌手の「爽子(ShuangZi)」で同じフェス。

ところがその間の27日に吉林省の長春というところに行かねばならない。

これが前回の「中国ロック30年の歴史コンサート」のツアー版。
その後11月には上海でもブッキングされている。

前回は「オープニングメドレー」と「唐朝老五」と「LuanShu」と「爽子(ShuangZi)と4つのバンドでドラムを叩いた。

同様に今回も
「え?ファンキーさんいるの?」
となると、
「じゃあうちでもドラム叩いて!!」
ということになる。

まあそれはいいのだ。
嬉しい限りである。

今回も数えてみると、
唐朝老五」「張嶺(ZhangLing)」と「オープニングメドレー」、
そして「ドラマーが来れなくなったんだ(涙)ファンキーさんいるなら叩いて」という「李夏(LiXia)」(笑)

全部で4つね、はいはい・・・

と思ったら今度はBEYONDのベーシストSTEAVEこと黄家強のバンドのドラマーとしても?・・・

先だっての日中友好こども(大人も可)サマードラムスクールに参加した王暁旭(Wang XiaoXu)が鶴の一声、
「家強のバンドのドラマーは最近今の状況に胡座をかいてて緊張感がないから、
俺の権限で次の長春からドラマーはファンキーさんにお願いする!!」
と来ている。

まあ「今回は5つね」・・・

本番は問題ない。
まあ叩けばよいのである。

問題はリハーサルである。

今日西安から帰って、周韧(ZhouRen)のリハが5日間毎日入っている現状で、
爽子(ShuangZi)も含めてあと5つのリハをどこで組めばええのん?

もう分刻みである(>_<)

・・・ところが中国という国はそう時間に思い通りになる国ではない(涙)
北京のフェスティバルはこのリハのスケジュールの中で会場まで行ってゲネプロをやらねばならないのだ・・・

まあゲネプロ優先したらリハは無理やな(笑)

ただでさえ朝早くに集合して遠い遠い会場までゲネプロに行って、
帰って来て2本リハーサルして、
その合間にThe Push推乐队のレコーディングまで入っとる(>_<)

そして長春の主催者側からの爆弾発言・・・

「ゲネプロは前日の26日なのにファンキーさんが来れないってどういうことですか!!」

どういうことですかってそれなら「26日と27日」って二日間ってブッキングするべきなんちゃうん!!(涙)

ワシがトランジットでタイに行ってる間にいろんなバンドはワシの代わりに他のドラマーで何回かリハをやっていて、ワシが北京に帰って来たら更に1回か2回か合わせて本番・・・という腹積りでいたのだが、
リハのスケジュールが取れないどころかゲネプロにまで来れないんじゃぁ・・・

ということで
「すみません、やっぱそのドラマーで本番もやります」
とまず「唐朝老五」から連絡が来る・・・

まあ1曲しか演奏しないのに4回もリハをやるというこのプロジェクトには、
このスケジュールではなかなか参加出来ないのだから仕方がない(>_<)

「すみません、じゃあオープニングメドレーも今回は・・・」
はいはい、こちらこそすみません、ではそのように・・・

黄家強からは連絡が来てないが、
リハが取れないゲネプロも参加出来ないでは「まあ今回は」ということになるだろう・・・

「次は是非」ということで11月の上海は押さえられているのだが、
今回の教訓で前日もスケジュールを空けておこう(笑)

じゃあこれでいいのね・・・と安心してたらこんなメッセージが届く・・・

「Funky桑 26号晚我让摇滚三十年给你定最晚的一个航班去长春
所以你晚上演完出后务必要赶到啊
全演唱会的人等着你到了一块儿大彩排走台
你角色太重要别人替代不了
辛苦到时候赶赶场啦 机票订好后我发消息给你」

ファンキーさん、26日の夜は長春に行く最終便を中国ロック30年側に押さえさせるから、あなたはフェスでの演奏が終わったら必ず間に合うようにそれに乗ってね。
全出演者はみんなであなたの到着を待ってからゲネプロをやるから。
あなたはとても重要な立場なんだから他の人には代われないの。
ご苦労だけど間に合うように来てね。
チケットが取れたら情報を送るから。

(>_<)

26日7時半に北京の南の外れの会場で演奏が始まって、
(予定通りに始まればですが)
8時過ぎには終わって、
(予定通りに終わればですが)
タクシーかなんかを待たせておいて、
(予定通りちゃんと待っててくれればですが)
それに飛び乗って10時までに北京の北のはずれにある空港に着いて
(予定通り着けばですが)
11時の飛行機の飛び乗って
(予定通り飛べば)夜中の1時には会場着いてゲネプロ?・・・

それを全出演者が雁首揃えてワシの到着を待つ?・・・

もう勘弁して下さいよ(>_<)
ワシいなくても他のドラマーでやって下さい!!
お願いします・・・(涙)

ZhouRenPaiLian.jpeg

写真は毎日ベタで行われている周韧(ZhouRen)のリハーサル・・・

5回もリハ必要か?と思ったが、
久しぶりのライブで、古い曲もバンドでリアレンジして、
新しいスタイルの「紅燒肉楽隊」としてステージに立ちたいのだろう・・・

そもそもこのバンドの26日出演さえなければ全てのバンドでゲネプロも出来てリハも出来て、一番丸かったのだが・・・

自分をご指名でお願いされてそれを自分で断るのはやはり心苦しい・・・
出来ることならその望まれるものをなるだけ全部実現してあげたい・・・

物理的に無理で先方から断られる方が気が楽である。

まあ女性を自分から振るより振られた方が気が楽なのと同じか?
振られたことしかないが・・・(笑)

Posted by ファンキー末吉 at:09:28 | 固定リンク

2016年8月 2日

喜欢!(XiHuan:好き!❤️)

元はと言えばこの張嶺(Zhang Ling)の撮影の時のことである。

カメラマンのアシスタントとしてえらいべっぴんさんが来てはるなぁとは思っていた。

まあ男とはアホなもんなので、ちらちらとワシの方を見ている視線を感じるような「気のせい」は、まあ大女優と会った時にもそういう風に思うのだからこりゃもうどうしようもない(>_<)

人間とは「煩悩」の生き物なのだから、
偉大なドラマーを目指す人間としてはどれだけその「煩悩」を振り払うかが日常、
それこそスティックを持ってない全ての時間がその「鍛錬」なのである。

そう、それは「撮影」という仕事(でもないが)の時であろうとそうなのである!!
・・・と心の中で強くそう思いながら煩悩を打ち払う・・・

ところがどうも「どこかで会ったことがある」などと思うのはどうしたものか・・・(>_<)

まあ有名女優さんだったら「どっか」では見てるだろうからいざ知らず、
一般人の美女とそう出会う機会はない(というか若い娘に至っては皆無である)ので、
まあそれも「煩悩」のひとつなのかなぁと思ってたら思い出した!!

彼女は去年BB-King追悼ライブの時にドラムを叩いていた女性ドラマーではないか!!(◎_◎;)

BB-KingTributePhoto.JPG
(左から6番目の金髪の女性)

まあなるほどね、ギタリストがカメラマンでドラマーがアシスタントで、
みんなでブルース仲間の張嶺(Zhang Ling)の撮影を助けているなんてのはよくある「いい話」である。

まあドラマーだったらワシのことを意識するのも当然だろうし、
ワシの撮影が終わったら
「一緒に写真撮って下さい」
と言うのもまあ当然の流れであろう・・・

一緒にぱちり・・・

そしてその後、彼女が自分のWeChatにUPした写真を見て愕然となった・・・

XiHuan.jpg

まあ写真はいい!!
それに添えたこのコメントは何じゃ!!!!!!!

喜欢!(XiHuan:好き!❤️)

ちなみにハートマークは「意訳」としてワシが勝手につけたものだが、
ニュアンスとしては「喜欢!(XiHuan)」は「Like」、
「愛(Ai)」は「Love」で「想(Xiang)」は「Miss」なので、
面識はあるが話したこともないような関係で「Like」というのはまさに「好き!❤️」ということではないのか〜〜〜!!!!!!!!!!!!

まあそういうことを美女から言われたことがほとんどないワシにとっては、
まあ例えてみると生まれて初めてオナニーをしたぐらいの衝撃がここにある・・・

まあ冷静になって考えてみたらワシのルックスが「好き!❤️」なわけではないじゃろうから、
まあドラマーとして「好き!❤️」なのであろうと逸る心を押し留める・・・

奇しくも翌々日はマッド大内さん、佐々木隆さんが北京に来て一緒にライブをやるではないか!!・・・

・・・まあそれにご招待してお近づき・・・
いやいやドラム談義でもしてお近づき・・・
いやいやドラマー同士の交流が始まって中国ロックの発展のために何かお役に立てばと思う次第につき、
まあ「しゃーないな〜」ということで、次の日にメッセージを送ってみる・・・

「明日は日本から凄いドラマーが来て一緒にライブをやるよ、来る?」

まあね、ちゃんと彼女のWeChatをGetしてるのもこれも中国ロックの将来のためやからね、誤解なきよう・・・

ところが待てども待てども返事が来ない!!(待っとったんかい!!)

これはひょっとして・・・
好きで好きでたまらない人から思わずメッセージが届いてびっくりして、
恥ずかしくて返事が出来ない?・・・いや、それはちょっと困るなぁ・・・
などと思いながら当日(笑)

まあ一応
「来るの来ないの?名前入れとくよ」
とメッセしてみると・・・

「ごめんなさん、今日はデニスチェンバースのクリニックを友達と見に行くの・・・」

そうかぁ、デニスチェンバースが今全中国を廻っていて、
ワシも見たかったのじゃが残念ながら同じ日だったのよね・・・

まあこれが他のどうしようもないドラマーだったら少々「カチン」と来たかも知れないが(笑)、
相手がワシも大好きなデニスチェンバースだったら負けてもそれは仕方がない。。。

でもまあ、中国のライブハウスは演奏開始が遅いので、
「じゃあそっち終わったらよかったらおいでよ、友達の分も2名で名前入れとくから」
とメッセージを入れておく・・・

一応ライブは「9時」と告知されているが、
「開場」とか「開演」とか書いているわけではなく、
まあリハの時から「開場」っつうか客は入ってるし、
もし9時になって客足が悪かったら9時半とか、
まあ中国だから適当にユル〜く始まる。

この日は「ファンキーさん、まだ始めないの」と出演者に言われても、
「まあのんびり始めようや」
となかなか始めなかったのは、
決して自分のトリオが最初だから彼女にそれを見せたいためではなくね・・・
まあ、ひとりでも多くの若いドラマーに見せなければっつうかね、
なんと言うか、まあ中国ロックの将来のためにね・・・

まあ30分遅れで始まって、
張張と渋谷有希子とのファンキー末吉トリオも終わり、
それに佐々木隆を加えての超絶ツインドラムセッションが終わって、
汗だくになってステージを降りてしばらくして客席に彼女の姿を見つけた。

「間に合ったんだ?・・・」

そう聞くワシに彼女は
「ごめんなさい、さっき着いたばかりなの・・・」

「でもまあ、最後の布衣(BuYi)のセッションでも叩くからね」
(ワシ満身の笑顔ね)

まあ今演奏している小畑秀光マッド大内セッションが終わればワシのドラムを叩く勇姿を彼女に見せてあげることが出来る・・・

いやね、別に彼女が好きなのはワシのドラムであって、
別に彼女の気を引こうっつうんじゃないよ。
中国ロックのためにね・・・

ところがワシはそのステージが終ってまさに自分がステージ上がろうとした時に見たのだ・・・
彼女が一緒に来た男性と腕を絡めて仲良くライブを見ているのを・・・

(涙)・・・「友達」って「彼氏」だったのね・・・

布衣(BuYi)セッションが始まった。
「それでも一生懸命ドラムを叩くぞ!!」
と思って張り切るワシを尻目に・・・

彼女はライブを見ずに彼氏と手に手を取ってそのまま帰ってしまった・・・(号泣)

もうね、わけがわからない!!
ライブハウス来たのはいいけどドラム聞かずに帰るって、
この娘ワシの何が「好き!❤️」なの?・・・

ひょっとして顔か?!!(◎_◎;)

まあオーストラリアでは(おっさんばかりではあるが)モテ期を実感したことはしたが、若い女性ドラマーがワシのドラムより顔が好きってあーた・・・

などと考えていたらドラムのリズムが「煩悩」によって乱されるので、
一生懸命「煩悩」を振り払ってドラムを叩く・・・

「心が揺れる」は即ち「リズムが揺れる」・・・
このぐらいのことで心動かしてちゃぁ立派なドラマーとは言えない!!

最後の曲「喝不完的酒(HeBuWanDeJiu)」で3人のドラムソロ!!
まずはマッド大内がフリーな感じのロックスタイルで叩いてワシにバトンを渡す。

受けたワシは間を取ったロック+フュージョンスタイルで叩いて佐々木さんにバトンを渡す。

ここで初の試みなのじゃが、
佐々木さんのポリリズムを駆使した超難解なドラムソロは、
基本となる「1、2、3、4」がないと単なる「デタラメ」に聞こえてしまう・・・

「じゃあ佐々木さん、私が叩き終わったらテンポ出しますからそれに合わせてドラムソロ叩いて下さい」

別にハイハットでも何でもよかったのだが、叩いたのはライドシンバルのカップ。

「チーン」・・・

「1、2、3、4」はとりあえずはハイハットを踏んでみる・・・

何年か昔、店の新年会の時だったか佐々木さんのドラムソロに合わせてカウベルを叩いたのだが、
「本当に合ってるの?」
という不安と共に冷や汗をかきながらカウベル頭打ちを続けてたもんだが・・・

この日は違う!!
何と「何を叩いているか」が全部わかるのだ!!(◎_◎;)

リズムとはとどのつまり「時間の流れ」である。
細分化された細かいリズムを聞きながらそれに合わせていったって仕方がない。

時間軸を大きく取って、
「1小節が1拍」
みたいな気持ちで叩くのだ。

「チーン」

合間にハイハットを4分で踏むと「チゥチッチッチッ」、
しかしこれは私自身が1小節を細分化して固定してしまうので、
もう「チーン」だけにして、頭の中で「1、2、3、4」と数える程度に留める。

そうすれば佐々木さん自身もこの「チーン」と「チーン」の間を4分割ではなく3分割、場合によっては5や7で分割してもよい。

「自由度」が生まれるというわけだ。

更にその「チーン4つでひとつ」みたいなもっと大きなうねりを感じて来る。
「空間」を「表現する」というか「感じて来る」のである。


(そのうちネットにライブ映像がUPされると思いますのでそしたらここにUPします)


そうするとこの「チーン」の響きが何かとても高尚なものに聞こえて来る・・・

最初のうち佐々木さんの何拍子かわからない複雑なポリリズムをあっけにとられながらポカンと聞いていた観客も、
「あ、これ・・・4拍子なんだ・・・」
と気づいて来る・・・

ひとり、またひとりと気づいては、舞台下手の佐々木さんに目が釘付けになってた観客も、
ハッと気づいてワシの方を見る。

誠に不思議な光景である。
観客が、超絶ドラムソロをやってる演者だけではなく、
「チーン」しか叩いてないワシの方を交互に見るのだ・・・

「神様が降りて来る」
と音楽をやってる人間の間で言われる感覚があるが、
この時こそまさに「神」が見えた!!

いや、「神」というとキリストのように西欧系をイメージするが、
この場合は明らかに東洋系・・・

この「チーン」の間に頭の中に数えてる「1、2、3、4」・・・
これが「ポクポクポクポク」に聞こえて来るのだ・・・

「チーン・・・ポクポクポクポク」

そう!!これはまさにお経!!
降りて来た「神」はまさしく「ブッダ」!!!

そうなのだ!!
ワシはついに全ての煩悩を克服して「ブッダ」と共にいるのだ!!

そう言えば昔はさっぱりわからなかった佐々木さんのドラムソロが、
全部が全部手に取るようにわかる・・・

人生は難解なものだが、
もしも人生を俯瞰で見ることが出来たらこんな感じなのかも知れない・・・

「神の世界を見た」

これは人間界ではあり得ないほどのトリップを生み出す・・・
もう美女がどうであろうとか自分がモテ期であろうとかどうでもよい!!

「解脱」とはこのことである。

ワシは今「神」と一緒にいる!!
しかもそれは「ブッダ」である!!

なるほどワシの顔は「ブッダ」・・・
そりゃ悟りを開きたい美女も寄って来るだろう・・・

しかし人生とは「無」・・・美女を追っかけてどうなる・・・

ドラムソロが終わるとシーンとしてた客席から山のような拍手が起きて、
ステージを降りる時には店のオーナーが大感激でワシをハグして来る・・・

みんなも一緒に「神」を見たのだ・・・

楽屋でもワシはハイになっていた・・・
「Funkyさん始まる前はむっちゃ暗かったのにむっちゃ楽しそうね」
渋谷有希子はそう言うが、
何せワシはついに「解脱」したのだ!!

世の中にもう「苦しみ」などひとつもない!!

マッドさん、佐々木さんは北京が初めてなので、
「明日早いけど一杯飲みに行きますか?」
などと誘ってみる。

それが実は美女が来たら誘ってみようと思ってた店だなんてことは、
もう既に「解脱」してしまったワシには全く関係ない!!

人生とは「無」なのだ!!美女がどうしたと言うのだ!!

しこたま飲んで、ドラマーが3人集まって高尚なドラムの話をするでもなく・・・下ネタ(笑)

もうね、ワシなんか「解脱」してるんだからね、
ここまで来たら「ドラムの話」も「下ネタ」も、
人生を俯瞰から見たらそんなものは全く同じに等しいものなのよ!!

そのまま楽しい宴がいつまでも続くと思ったら、
「もう3時ですよ、ぼちぼち帰らなくていいんですか、明日は7時起きですよ」
という渋谷有希子の言葉で現実に引き戻され、タクシーに乗って帰って撃沈・・・

朝起きたら頭は痛いわ気持ち悪いわ・・・完璧に二日酔い!!

老呉(LaoWu)の運転で空港まで送って行ってもらう・・・
これから3日間のサマードラム教室なのだ・・・

GedatsuhaTooi.jpg

「なんじゃこの顔は!!」
自撮りの写真を見てびっくりする。

解脱して「世の中の苦しみから解放された」顔なんかではない!!
「世の中の全ての苦しみを背負った」ような「二日酔い」ではないか!!

煩悩じゃ〜煩悩にまみれておる!!
まみれて〜ラーラララー・・・


ps.最終形は「4小節+2拍」という形で天に昇りました・・・

Posted by ファンキー末吉 at:19:13 | 固定リンク

2016年7月27日

撮影という仕事・・・

Big Johnこと張嶺(Zhang Ling)から「来週空いてるか?」と連絡が来た。

どうもバンドの宣材写真がいいものがないのでみんなでちゃんと撮らないかということらしい・・・

久しぶりやなぁ・・・こんな本格的なスタジオで撮影するのん・・・

ZhangLingPhoto.jpg

思えば爆風スランプやってて一番苦痛だった仕事がこの「撮影」とやらである。

こんなことに「遺伝」っつうのがあるのだとしたらうちの上の息子もそうなのだが、
スナップショットを撮ろうとカメラを向けるとぷいとよそを向いてしまう・・・

ワシも小さい頃そうだったらしく、
我が家には自分の「アルバム」というものが存在しなかった。

何故だかわからないのだが小さい頃からカメラを向けられるのが嫌いだったようだ・・・

それが「職業」となって、
多い日など一日でいくつもの取材が行われ、
朝から晩までこんな撮影スタジオに缶詰になる生活に疑問を持たずにはいられなかった。

「俺は日本一のドラマーになるために東京に出て来たのだ!!」

なのにスタイリストに今まで着たこともない・・・一生着ることもないような服を着さされてカメラを向けられる・・・

そのストレスはある日の撮影でピークに達した。

ブッキングされたスケジュールの通りに撮影スタジオには、
紙で出来た大きな男性器(つまり「ちんちん」)の模型が作られていて、
メンバーが揃ったらカメラマンはワシらにこう言った。

「はい、脱いで!!」
・・・え?・・・

呆然とするワシらにカメラマンは口調を荒げる・・・

「脱いで全員この後ろに立って!!」
・・・え?・・・

「仕事」に対して真面目な順(誰だっけ?自分だったかも)からTシャツを脱ぐ・・・

「はい、下も全部脱いで!!」
・・・え?・・・

どうせその模型で下半身は隠れるのだ、
(そうでなければ雑誌は発売出来んじゃろ)
どうして下半身まで裸にならねばならん!!!

さすがにその時にはパンツだけは脱げずに、
「仕事」としては少しでも「ミッション」を拒絶した最初の仕事になったと記憶している・・・
(ワシらは4人が4人共とても「マジメ」だったのだ)

「チッ」っと下打ちが聞こえたのか聞こえなかったのか、
今となってはどのような攻防があったのかは覚えてないが、
そうしてちんちんの模型の後ろで笑ったりポーズをとったりさせられているワシらにカメラマンは最後にこう言った。

「はい、じゃあ4人で抱き合って!!」

もうね、何が悲しくてバンドメンバーの素肌を素肌で感じ合わねばならない!!(涙)
もう気持ち悪くてねぇ・・・(やったのか?!(◎_◎;)・・・やったのだな・・・)

それから・・・でもないが、もともと写真嫌いなのだから仕方がないが、
大御所のカメラマン(誰だっけ・・・篠山紀信じゃなかったと思うが)が来た時なんかも態度が偉そうで相当カチンと来た。

かと言って乗せ上手なカメラマンとマンツーマンの個人写真は、
「お、いいね、いいね」
とか乗せられて西城秀樹のローザのようなポーズ(笑)を取ってたりする(>_<)

乗せられたワシが悪いのよ、
なんでドラマーが歌手みたいなポーズをせないかんの・・・(涙)

乗せ上手と言えば「安珠」という女性カメラマンはワシが一番心を許したカメラマンだった。

「末吉くんねぇ・・・」
(彼女だけはワシを「ファンキーさん」でもなく「末吉くん」と呼んだ)

「末吉くんって武士顔だと思うのよね・・・」

その頃はどんな髪型をしてただろう・・・長髪だったかも知れないが、
「おデコ見せた方がいいと思うんだよね・・・」
爆風時代ワシが自分の髪型を人に触らせたのはその日が最初で最期だったと思う・・・

別にファッションにこだわりがあるわけでも何でもない。
ビジュアルを気にするポリシーも一切ない。

でも黒人音楽を愛して家出をして・・・
つまり「全て」を捨てて東京に出て来て、
ファンクバンドを組んで「アフロ」にした。

カメラマンやレコード会社や、
そんな人たちにとってボーカル以外の「プレイヤー」など「添え物」である。
どうしてそんな奴らに俺の「アフロ」を触らせなきゃなんない!!

頑なに心を開かなかったワシの心を溶かしたのは、
偶然この女性カメラマンのそんな一言だったのだ・・・
(お元気にしておられるだろうか・・・)

「武士だったらいいのよ。武士だったら・・・」

今でも「武士道」は「ロックの生き様」だと思っている。
きっとその時も何か思うところがあってこの緩んだ顔がきっとキリッとしてカメラに写ったのであろう・・・
(写ったものを自分で見ることはまずないので覚えてはいないが・・・笑)


メイクも嫌いだった。
顔にベトベト変なものを塗られるあの感覚が嫌いである。

ZhangLingPhotoMake.jpg

でもまあ今では、張嶺(Zhang Ling)のメイクをしていた彼の奥さんが、
「Funkyさん、テカテカしてるからあんたも塗ったら?」
と言えば
「はいな〜じゃあ頼むわ」
と抵抗なく言える。

考えてみたら何を塗られたってガマの油に匹敵するワシの顔の脂に匹敵するわけはないではないか・・・(笑)

ZhangLingPhotoYakamashi.jpg


撮影自体も昔のあのギスギスした雰囲気と違って和やかに進む・・・

カメラマンに
「Funkyさん、ちょっと斜に構えてみようか」
とか言われた時に、
「おいおい、Funkyの腹は大丈夫か」
などと触られてるところ・・・

やかまし!!(笑)

そう言えばこのカメラマンは全員の名前を普通にスラスラと呼んでいる・・・
昔は予め覚えて来るカメラマンも少なかったが、
頑張って勉強して来る人もやはりつけ刃なのでうろ覚えであった・・・

「このカメラマンは俺たちをリスペクトしてる・・・」

そう感じたのも当たり前、彼は去年のBB-Kingトリビュートセッションでギターを弾いていたミュージシャンであったのだ!(◎_◎;)

まあね・・・有名人ではあるとしても、
この「Musician's Musician」の張嶺(Zhang Ling)がそんなにビジュアルのために割けるようなたくさんの金があるわけがない。

きっとミュージシャン仲間同士でうまくやってるのだろう・・・

ワシにしても別に「仕事」ではない。
彼に「頼まれた」から「いいよ〜」で時間を割いているだけの話である。

報酬なんかもちろんない。
その代わり彼はワインを一本持って来た。

スタジオにてワインがグラスに注がれる。
車だったのでご遠慮したが、その「気持ち」が嬉しいじゃないか・・・

「終わったらメシ食いに行こうぜ!!」
そんな誘いも嬉しかったが、
夜の9時から始めて夜中の1時までかかったのでもう結構くたくたである(>_<)

昔の人は「カメラは魂を抜かれる」と恐れてたと言うが、
まあヘビーメタルのツーバスほどではないがかなり寿命は吸い取られている気はする・・・(笑)

車じゃなく電車で行けばよかったな・・


思えばあの頃の日本はバブルの真っ只中だった・・・

カメラマンも雑誌社も、そしてレコード会社の新人ディレクターも、
この新人バンドを足がかりにして何とか上へ向かおうと必死だった・・・

今は中国も負けず劣らずのバブルである。

しかし基本的にメンツを重んじる中国人は、
「被写体」の「心」を踏みにじってまで「仕事」をしようとは思わない。

あの頃のバブルって何だったなだろうな・・・

あの頃も、そして今もきっと、
撮影スタジオにはその時一番流行りの、もしくは最先端の音楽をかけながら撮影が進む・・・

昔はそれがイヤでねぇ・・・(>_<)

だってただでさえワンワンと共鳴する撮影スタジオで音楽なんか流されたら、
カメラマンがこちらに対して指示する言葉が全然聞き取れんではないか・・・

新曲のプロモーションだったらその曲ばかりをループして流す。
そんなもん流されたら撮影されながら自分のプレイのあら探しばかりしてしまうではないか・・・

「音楽止めて下さい」と言ったこともある。

どうしてなのか全く理解されなかったが、
「わがままなタレントさんがそう言うんだから仕方ないか」
みたいな白けた感じの撮影現場になったことを覚えている。

今ではあの頃よりももっと難聴になってる上に、
中国語なのでこんな状況で音楽なんか流されたら全く聞き取れない(笑)

でもよく考えたらカメラマンだって被写体にどうして欲しいか伝える時には必ずジェスチャーも加えるから全く問題ないではないか・・・

音楽だって張嶺(Zhang Ling)が、そしてギタリストでもあるこのカメラマンが好きなブルースが延々と流れていて、
ワインでも飲みながら和気あいあいと撮影してたらきっとご機嫌で数本は空けてたんじゃないかな・・・

年を取るのもなかなかいいものだ。
若い頃にはわからなかった色んなことが今になってやっとわかるようになって来る。

もしあの頃にもっと色んなことがわかってたら・・・
ワシももっとビジュアルに特化したドラマーになれてたかな・・・

なれへんなれへん!!(笑)

ZhoangLingPhoto2.jpg

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2016年7月 3日

中国共産党建党95周年文芸晩会

2016年7月1日
日本では浜松で爆風スランプデビュー前の下らないアホ曲を演奏してる頃、
中国では共産党建党95周年の式典が厳かに執り行われていた・・・

まあこんな映像をブログにUPするだけで
「なんと香ばしいヤツ」
などと思われても仕方がないが(笑)、
実はこのイベントの最後の方で演奏されている「国際歌」という曲(1時間4分辺り)はワシがアレンジしたのだ!!(キッパリ)

いや、でもワシは全く共産主義とは関係ないし〜・・・(笑)

まあこの全世界共産主義者のテーマソングのような楽曲を、
アレンジしたのは日本人・・・ファンキー末吉
オーケストラ等手伝ったのは日本人・・・堀田星司
ドラムを叩いているのは日本人・・・ファンキー末吉
ベースを弾いてるのは日本人・・・仮谷克之
ギターを弾いているのは日本人・・・田川ヒロアキ
オーケストラ録音とミックスをしたのはアメリカ人・・・Wyn Davis

・・・などと書くと、時代錯誤な香ばしいヤツから
「こいつらはアカか!!」
と糾弾されるかも知れないが、
(名前を伏せて欲しい方は直接ご連絡下さい〜伏せ字にします〜笑)
世界から見たらもっと時代錯誤に見える強大なこの中国共産党の式典の一番大事なこの部分を、このように殆ど資本主義国の人間が作り上げているところが「今の中国」である。

3コーラス歌い終わった後に行われる「入党宣言」の部分、
この部分に一番苦労した・・・

ここで初々しい新しき共産党員が入党宣言をする時に、
列席した幹部たちは感激して涙して、
テレビ放送を見た全中国人民は
「共産党牛逼!!(Fuck'n Greatの意)」
とテレビに向かってロックピースを高々に挙げるようにアレンジする・・・

そんなことが「Must」として求められるこの仕事で、
まあ全中国人民がこんなお下劣なロック言葉で共産党を賞賛したかは別にして、
まあ列席した幹部たちの反応は映像を見る限りでは上々なようだ・・・

DEMOの段階ではこの入党宣言の部分、
仮にLuanShuがこの宣言文を読み上げただけで
「共産党牛逼!!(Fuck'n Greatの意)」
とロックピースを高々と挙げそうになったが、
この宣言文を若い女性リーダーが読み上げてそれを団員が復唱する姿はさすがにインパクトがあるな・・・

党の規則を厳守し、
党員の義務を全うし、
党の決定を忠実に執行し
規律を守り、秘密を保守し、
党に忠誠を誓い、
共産主義のために生涯奮闘努力し、
党と人民のために全てを犠牲にすることも厭わない・・・

希望に満ちたこの若者たちはいつまでその心を持ち続けるのだろうか・・・

そんな若者たちの入党宣言に聞き惚れる幹部たちは、
その昔、同じように党のために全てを犠牲にして、
国民党の圧政から人民を救い、日帝の侵略から人民を守り、
こうして強大な一党独裁の大国を作り上げた。

そして今は経済は資本主義、政治は社会主義の「中国独自の社会主義」を歩み、
当時考えていた理想とはちょっと違うけど、まあ昔では考えられなかったような豊かさを享受している・・・

先日天津で一緒にライブをやった趙衛(Zhao Wei)なんかは昔は軍人だった。
同じように軍に忠誠を誓い、
軍の楽団での演奏の仕事で日本にやって来て、
日本からの出演者「アリス」を見て感動し、
軍をやめてロックギタリストとなって今に至る・・・(笑)

中国ではそういうロックミュージシャンは多い。

中国ロックを作り上げて来た当時の老摇滚(LaoYaoGun:ロックの大御所の意)たちの多くは、両親が文化大革命の嵐を音楽をやることで生き抜いて来た。

当時は党の音楽をやることしか選択肢がなかった彼らの両親達は、
同じように子供達に音楽をやらせることで次の時代の嵐を乗り越えて貰えればと楽器を買い与えた。

ところが時代は変わり、彼らが傾倒したのは党の音楽ではなく、「ロック」と呼ばれる当時は党が毛嫌いするけしからん音楽だったのだ・・・

そしてまた時代は変わり、その党の大事な式典の音楽はこうして、
当時彼らが戦った敵国の、そして以前は忌み嫌ってたロックにどっぷり染まったチームが制作している。

もちろんこの党幹部たちはそんなことはつゆ知らず、
この希望に満ちたこの若者たちの入党を自分の人生と照らし合わせて涙ながらに見つめているのだろう・・・

この若者たちが幹部になる頃、
中国共産党はどのように変わっているかはわからない。

この幹部たちが目を剥くような「新しい中国共産党」を作るのかも知れないし、
ツーバスでドコタコドコタコ叩いている時にも頭打ちで手拍子を叩くこの幹部たちのように、
「変わりたくても絶対に変われない」
のかも知れない・・・

でもこのアレンジを聞いた中国のロック仲間はこう言うのだ。

「Funkyがやりやがったぜ!!共産党の式典にこれだぜ!!
むっちゃロックだぜ!!牛逼!!(NiuBi:Fuck'n Greatの意)」

クレジットには絶対に載らない、
もし載ったとしても絶対に抹消されるであろうこの仕事をやったのは日本人とアメリカ人だったことをワシは誇りに思い、
何故か最近中国からブロックされているのかアクセス出来なくなったこのブログにこっそり書き込んで、
ぺろりと舌を出してこうつぶやくのだ・・・

してやったり(笑)

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2016年6月27日

Wyn来たりてご馳走三昧・・・

LAメタルを代表するレコーディングエンジニア「Wyn Davis」。

Dokkenのプロデュースや数々のロックの名盤のレコーディングから、
ワシとは99年にX.Y.Z.→Aのレコーディングをお願いしてもう15年以上の大友人である。

今回はLuanShuのソロアルバムのミックスのために北京にお呼びした。

45kg痩せたと言うが、やはり飛行機の座席はエコノミーだと2席買わねばならず、
今回はどうやらビジネスシートを購入してやって来たと言う・・・

レコーディングの話はまた後でチャンスを見て書くとして、
今回はその北京での歓迎ぶりについて書いてみたいと思う。

そもそもここ中国でもたくさんの外国人エンジニアと合作したプロジェクトは数多いだろうが、ワシが見るにそのほとんどは「失敗」だったのではないかと思う。

これにはいろんな理由があるのだろうけど、
ひとつにはアジア人と西欧人のメンタリティーの違い・・・

多くの場合は結局は「仕事」の関係で終わってしまい、
その後に何も産んでいない・・・

特に中国人の場合
「金さえ出せばこのレベルの仕事をやってもらえるのだな」
で終わってしまっている場合が多いではないか・・・

「上手いドラマー」は数多いが、
そのバンドにとって本当に「いいドラマー」というのはなかなかいないのと同じで、
その作品に「生命」を吹き込む「何か」が欠けていればそれこそ「臥龍点睛」ではないのか・・・

アメリカ人は確かに「ドライ」である。
Wynもギャランティーのみならずホテルのランクや、
市内移動の交通費とか話し合いの時に非常に細かいところまでビジネスライクに言って来るが、
さて「音楽」となると非常に熱意を持ってやってくれる。

失敗した多くの例は
「金さえ出せばいいんだろ」
「金さえ貰えればいいんだ」
の関係で終わっていたのではないのかなと思ったりする。

多くの白人の中にはアジア人を蔑視したりする人も多いと聞くが、
Wynは非常にアジア好きというか、
まあワシが頼めば本当に安いギャラで来てくれる(笑)

まあそうでなければ布衣(BuYi)などアマチュアに毛の生えたようなバンドのレコーディングなどやってくれるわけはない。

そういうところやはり「熱情」を持ってくれていると思う。

そしてバンド達はそれに感謝し、
そして彼のやったそのクオリティーの高い「仕事」に感謝し、
そしてそれが「フレンドシップ」となって今に至るのではないかと思う。

最初の数日はワシも北京にいるのでなるだけ一緒に食事をしてやろうと夜は全て彼のために空けているのだが、
まあ毎日毎日入れ替わり立ち替りいろんなミュージシャンが彼にご馳走を振る舞いにやって来る・・・

まず初日はLuanShu本人・・・

WynInBeijingLuanShu.JPG

まあこれは彼を呼んだ張本人としては当然であろう・・・
(それが毎日続くのは大変なことだとは思うが・・・笑)

次の日はワシが日本食でもご馳走しようかなと思ったら、
ラップ歌手の爽子(Shuangz)が
「僕がご馳走します!!」
と言って超高級宮廷料理を振る舞った!(◎_◎;)

WynInBeijingShuangz1.JPG

WynInBeijingShuangz2.JPG

そう言えば爽子(Shuangz)もワシがプロデュースするはずのデビューアルバム
いつの間にやらワシを通さずに(笑)Wynにミックスしてもらっている・・・

いや、いいのよ。別にみんな勝手に連絡取って仲良くしてもらえれば・・・(笑)

爽子(Shuangz)曰く、
「彼は僕のアルバムの恩人ですから命がけでご馳走しないと」

刺青だらけのBad Manな彼も、
素顔はシャイな非常にいいヤツなのである・・・


次の日は零点(LiangDian)の番である。

まあ彼らはご馳走せないかんな!!(笑)
ワシがプロデュースしたボーカル脱退前の最後の2枚のアルバムから、
わざわざ北京に呼んで6万人コンサートのライブ録音からいっぱいお世話になった。

WynInBeijingMaLaXiangGuo.JPG
(汁なし激辛鍋「麻辣香锅(MaLaXingGuo)」)

この日は「挨拶だけ」ということでまたメンバー全員でモンゴルの(彼らは内モンゴル出身のバンド)羊肉をということだったが、
次の日は布衣(BuYi)の接待でモンゴル料理!!

WynInBeijingMongGuBao.JPG

この日は布衣(BuYi)がご馳走する予定だったが、
それを聞いた爽子(Shuangz)が、
「老呉(LaoWu)が奢るって?ダメダメ!!彼に奢らせちゃ!!僕が奢る!!」
と言って乱入して来た。

「僕は本当に老呉(LaoWu)を尊敬してるんだ。
彼らは貧乏なバンドだから絶対に奢らせちゃダメ!!」
と譲らない・・・

「お前だってアルバム出したばかりの新人だろ?」
と突っ込みたくなるが、
やはり彼は歌手で、自分の収入の中からミュージシャンを雇うのと、
老呉(LaoWu)のように全ての収入をバンド全員で等分に割るのとは全然実入りが違うのかも知れない・・・

WynInBeijingMongolianFood.JPG

これ・・・やっぱ高いぞ・・・(笑)

その後この宴席を中座してワシはそのまま飛行機に乗って日本に帰ったが、
永康(YongKang)のパールドラムの活動の後に半日だけ北京に帰ってまたご一緒した。

この日こそワシが日本食でもご馳走しようと思ってたのだが、
これまた爽子(Shuangz)が「僕が奢ります!!」と言うのでご馳走になった。

WynInBeijingShuangz3.JPG

それにしてもこの奥さん(だか彼女?)・・・
いつぞや彼の背中一面には「彼女の刺青」を彫っていると聞いたが、
この彼女(だか奥さん?)がその彼女なのかは聞く勇気がなかった・・・(笑)

WynInBeijingHuTong.JPG

その後「胡同(HuTong)」(路地裏・・・と言っても今は観光地)に行って、老北京のヨーグルトを飲んで別れを惜しんだ・・・

まだBeiBeiが現れてないが
「お前、スケジュール取って命がけで接待しとけよ!!」
と言ってあるのでワシがもう北京にいなくても誰やかれやが接待してくれるだろう・・・

思えばWynもこんなにたくさんの仕事をして、こんなにたくさんの人に愛されている。

「みんなFunkyが紹介してくれたんだよ」
と本人は言うが、今では勝手にみんなが連絡を取ってアメリカ行って勝手にレコーディングしておる。

これでいいのだ!!

こうやって国を超えて友人達が仲良く中国の新しいロックを作り上げてくれることはとても嬉しいことである・・・

Wyn Davis・・・また北京か日本か・・・WINGが次のアルバムを頼みたいと言ってたから香港で?・・・もしくは何もなくてもひょっとしたらLAでまた会おう!!

WynInBeijingWithFunky.JPG

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2016年6月20日

中国共産党の歌?・・・

LuanShuからの仕事で「国際歌(インターナショナル)」という曲のアレンジを頼まれた。

もちろんこの曲は中国ロックの大御所「唐朝(Tang Dinasitey)」が演奏してアルバムにも入ってたのでよく知っているし、「中国ロック30年の歴史コンサート」でも自分自身演奏したことも記憶に新しい。

でも調べてみるとこれって中国共産党の曲だと思ってたら、
「インターナショナル」というぐらいでパリで生まれた共産思想を讃える国際的な歌なのな!(◎_◎;)

こちら(Wikipedia)

日本語バージョンもあったのな!(◎_◎;)

歌声喫茶で歌われていた?!(◎_◎;)

いや〜誤解のないように最初に言っておくが、
ワシは別に共産主義者でもないし、
このブログで共産思想を讃えたいわけでも何でもない。

ただこの国では中国共産党とのつながりを一切断ち切って生きてゆくことは不可能なのでこのような話になるだけで、世が世ならワシ自身も特高か何かにしょっ引かれかねないようなことを書いているわけで・・・(笑)

実際、もうだいぶボケてワシとあまり話も出来なくなったうちのおふくろの年ぐらいになると、
「アカ」だとかいう今や死語となった言葉が差別用語として平気で使われたりしてたし、
それが部落差別や朝鮮差別とごっちゃになってわけのわからん貶し言葉になって息子に話してたり・・・(笑)

今になって思ってみると、
ここ中国ではそれが日本と比べたらもっと違った「ねじれ方」をしてたわけで、
この「唐朝(Tang Dinasitey)」のドキュメント映像なんかを見ると色んなことを考えさせられたりする・・・


(個人的には旧友のひとりであるベースの張炬が生きてて動いているなんて久しぶりに見たのでうるうる・・・涙)

歌詞を見ると
「飢餓に苦しんだ人民たちよ一緒に立ち上がって革命を起こそう」
みたいな感じだが、
もちろんのことこのバンドのメンバーはもう飢餓に苦しんだ時代の人間ではない。

ただ、この国ではこの時代、この共産党の曲を「ロック」にして歌うことには大きな意味があった。

まず「共産党の歌を歌う」ということで、明らかに「共産党と敵対してない」ということがアピール出来るわけで、こうして彼らのデビューアルバムにも収録されているわけだから「許可」という点では有利であるという「計算」はあったのかも知れない。

でも「仕方なくこれでも演奏しておくか」というのでも決してない。
それは今回のアレンジの仕事でのLuanShuのダメ出しの中のこんな言葉にも表されている。

「Funky、このアレンジの方向性は違うよ。
俺たちの世代の人間にとっては、この曲はもっと厳粛で荘厳なものなんだ」

唐朝(Tang Dinasitey)」の連中にしたって決してこの曲をバカにしたりしてたわけではなく、
きっと同様に厳粛で荘厳なものとして捉えていたのだろうと思う。

ところがそれを「ロック」で演奏する・・・それがまずひとつの大きな「ねじれ」である。

実のところ自分がこのイベントで演奏してみて、
この曲のワシの印象としては「なんて覚えにくいメロディーなんだ」と思った。

決してポップなメロディーでもないし、
途中でキーが転調しているのにベースがルートを弾いてなかったりするとトーナリティーがぐちゃぐちゃで、
歌い出しが同じなのに後半は違うメロディーなのでそれに合わせてコード進行も全くもってポップになりようがない・・・

しかし今回アレンジしてみて、
もう朝から晩までこのメロディーが頭にこびりついて離れないのだ・・・(>_<)

曲というものはそれ自体に「命」があり、
それを生み出した人、歌い継いだ人の思いが「魂」として乗り移るものなのかも知れない・・・

実際、世界じゅうで
「いつか素晴らしい未来が来る」
と信じて共産革命に身を投じ、
その夢をこの曲に託して歌いながら弾圧と戦い、
そして命を落としていった人たちがたくさんいたのだろう・・・

あいにく未来はその人たちの想像したような世界ではなかった。
しかしその「気持ち」は時代がどれだけ変わっても同じである。

唐朝(Tang Dinasitey)」がこの曲を歌いながら夢みた未来は決してそんな「赤い」世界なんかではない。

「いつか俺たちが自由にロックをやれる時代が来る!!」
そんな未来だったのではないのか・・・

今ではこの国でも当たり前に自由にロックが出来る。
でもあの時代にそんな「未来」なんてそれこそ・・・

世界じゅうの労働者が団結して世界じゅうの飢えた人々を解放して、
誰からも搾取されることのない平等で明るい未来

と同じぐらいの難しい・・・それこそ「荘厳な」夢だったのではないのか・・・

この曲を聞いて感動している娘たち(今はもういいおばちゃんだろうが笑)とて、
これを聞いて決してそんな世界を想像してるわけではない。

「何よこれ・・・かっこいい・・・こんな音楽初めて聞いた・・・(呆然)」

若者たちだって、
「スゲー!!ロックだぜ!!牛逼(NiuBi:ファッキングレートの意)!!」

拳を挙げるのだって決して中国共産党に対して挙げてるのではない。
見たこともない素晴らしい世界・・・
「ロック」という世界に対して挙げているだけなのである。

そこがもう完全にねじれ切っているのだ・・・


さて長い長い前置き(笑)は置いといて、
そんな曲のアレンジを発注された日本人・・・(笑)

ワシとて国際歌は「唐朝(Tang Dinasitey)」のバージョンしか聞いたことがない日本人というだけで相当ねじれている・・・

まず感覚をニュートラルにするためにねじれを解くべくオリジナルバージョンを聞いてみる・・・

いや〜何層にもねじれているものを全部解くと・・・笑えるな・・・(笑)
まあ笑を押し堪えて心をニュートラルにしてアレンジに臨む・・・

オーケストラのアレンジはバンドアレンジの数倍大変なので、
打ち込み機材をフル動員して何とかストリングスオーケストラだけで第一部を構成・・・
(これだけでほぼ一晩の重労働・・・)

ちなみにこの部分は女性歌手がフランス語で粛々と歌うんだと・・・
(オリジナルはフランス語やしね)

そして転調して一気にロックに!!

この部分は男性歌手が歌い、
それからが難しいのが90人の共産党員が入党宣言をするのでそれをバックでオーケストラ使って盛り上げてくれ、と・・・

入党宣言?・・・ピンと来んなぁ・・・
と思ったらこんなんを渡された。

KyousantouNyutousengen.jpg

・・・いや、こんなん見たってピンと来んし・・・(笑)

とりあえず丸々24時間かかってDEMOを完成させてLuanShuに聞かせるが、
なんと数日後には共産党の偉い人に聞かせなきゃならないということで、
「このレベルのDEMOじゃダメなんだよね・・・」

まあどの国でも「クライアント」というものは音楽的「耳」を持ってない場合が多い。

例えばシンセでピロピロ鳴っている音源から
「これがあの歌手が歌っていると想像して下さい」
とか、打ち込みのオーケストラから
「これが本物になるんですよ」
と言ったって想像出来るわけがない。

もう「仕事」もこの辺のレベルになって来ると、

リズムセクションはもうDEMO段階から本物を録音!!
オーケストラは本物そっくりに打ち込み!!
出来れば本チャンと同じレベルの仮歌・・・

・・・というわけでワシひとりではもう手が回らなくなり助っ人を発注した。

実は前回の映画音楽の仕事で日本からアレンジャーを募集したら、
本当に才能あふれる日本人アレンジャーがいっぱい応募してくれた!(◎_◎;)

まあ事情が事情なので、返事が遅い人や、
「あれ?締め切りが言われなかったので来週やろうと思ってました」
という人とは縁がなかったが、
中でも堀田くんというアレンジャーはいっぱい仕事を手伝ってくれて、
自分が書いた弦のレコーディングに立ち会いたいと自腹で北京までやって来たりもした。

早速連絡を取ってまた「仕事」として発注する・・・

「まずワシの打ち込んだMIDIを送るんで、
それを本物そっくりな弦にして送り直して〜」

から始まって、

「ついでに全編木管も入れといて〜」
「ロックの部分のリズムも直しといて〜」
「つなぎの部分も一考しといて〜」

・・・ってほぼ丸投げやん!!(笑)

まあ説明するんが難しいな・・・
「共産党の曲やねん」
「・・・はぁ・・・」
「最初は女性歌手がフランス語、真ん中は男性歌手が中国語」
「・・・はぁ・・・」
「その後は90人の入党宣言」
「・・・何なんですか?それ?・・・」

「ワシもようわからん・・・(笑)」

まあね、ええのよ!!
とにかく老百姓(LaoBaiXing:庶民の意)」が聞いて感激して涙して、
最後に曲が終わったら全員スタンディングオベーションして
「共産党!!牛逼(NiuBi:ファッキングレートの意)!!」
になればそれでいいのよ!!

「・・・」
わからんか?・・・いや、わからんやろうなぁ・・・(笑)

けどこれが堀田くんの作ったオーケストラがかなりいい!!
そのままLuanShuに送って、LuanShuはLuanShuでそれに仮歌と入党宣言の朗読を録音して送りつけて来る・・・

ワシもう面倒くさいのでそれそのまま堀田くんに送ったりして、
とりあえず打ち込み段階のDEMOは完成!!

今日は朝からそれに生ドラムを入れ、
ベースを入れてギターを入れて・・・
堀田くんは堀田くんで並行して更にちゃんとしたデータとなったフルオーケストラを製作・・・
仮歌を入れて最終的に仮ミックスして共産党のお偉い方に聞かせて・・・

・・・まああとは知らん(笑)

ところがドラムを録れ終わって、
全体像聞いてみたらこれが結構いいのよな・・・

入党宣言の朗読部分は本当に感激して涙が出て来たし、
最後のかき回し叩き終わったら両手でロックピース挙げて叫んでもーたがな・・・

「共産党!!牛逼(NiuBi:ファッキングレートの意)!!」

音楽って偉大やな(笑)

まあ7月1日の式典ではこれが流されて老若男女の共産党員が聴き終わったら全員ロックピース挙げて「共産党!!牛逼(NiuBi:ファッキングレートの意)!!」・・・

せんやろ(笑)

現場で見たいなぁ・・・でもその日は浜松でライブやな・・・
映像が入手されたらUPします〜

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2016年6月15日

豆豉鲮鱼油麦菜(DouChiLingYuYouMaiCai)と涮羊肉(ShuanYangRou)

油麦菜(YouMaiCai)という野菜はどうも中国にしかないようだ・・・

2003年にWyn Davisが初めて北京に来た時
「美味いなぁ、これ。何て言うんだい?」
と聞かれて辞書で調べたら適当なものがない・・・

「Chinese Lettuce」というのがあったので取り敢えず「中国のレタスだよ」と説明したことを覚えている。

中国語で料理の名前はそのまま材料を並べたり調理法と併記したりしてわかり易いが、
豆豉(DouChi)というのは黒豆の調味料
鲮鱼(LingYu)というのも調味料というか、塩魚を小さくちぎったようなものである。

まあ要約すると
「中国のレタスみたいな野菜を塩魚と一緒に黒豆で料理したもの」
である。

こんなん・・・

DouChiLingYuYouMaiCai.jpg

決して高級料理でも何でもない。
これを最初に食ったのは2000年の頃、本格的に北京に拠点を移して間もない頃かな・・・
王暁旭(Wang XiaoXu)という男に奢ってもらって以来大好きになって、
それから今に至るまで野菜を食うというとこれを注文する・・・

この王暁旭(Wang XiaoXu)という男、ワシのことが大好きなのだろう(笑)
しばらく会ってないと思ったら「最近ヒマか?メシ食いに行こう」と誘って来る・・・

数年会わないこともあるが、そんなこんなで結構連絡だけは取るような友人のひとりである。

先日、彼に呼び出されて久しぶりにベロンベロンになるまで飲んだ。
今回はその時の思い出話から「人と人の付き合いはどうあるべきか」という話を書いてみたい・・・


まず、この映像が最近中国人の間で多く廻されている。



(スマホ等で映像が見られない方はこちらを〜)

ワシのことを知ってる人は「Funkyらしいな」と思うだろうし、
知らない人は「何だこの日本人スゲー!!」という感じらしい。

何よりも今や中国でベストプロデューサー賞をもらうような大プロデューサーになったLuanShuが手放しで絶賛しているのだ、「誰この日本人?」みたいな感じなのだろう(笑)

彼とはもう26年の付き合いになるが、
それこそどん底の頃から大成功の頃までずーっと一緒にいる「家族」のような間柄である。

ワシにはその他有名人の友人も非常に多く、
そのほとんどの人間はペーペーの頃からの付き合いなので、会えば
「久しぶりだなぁ!!偉くなりよってオメー」
ってな仲である(笑)

そんなワシの交友関係を見て小畑秀光はとても驚いて
「ファンキーさん、この国で一体何人の人間を助けて来たんですか?」
と聞くのだが、どうもこの
「助けて来た」
というニュアンスがあまりピンと来ない。

「僕なんか"こいつは助けてやんなきゃ"と思ったってひとりも成功してないんですよ。
こんなたくさんの人間が大成功してるってことはそれだけもの凄いたくさんの人間を助けて来たってことでしょ」
と小畑秀光・・・

まあ「確率論」としてはそうなのかも知れないがニュアンスがどうも違う・・・
その違いが今回この王暁旭(Wang XiaoXu)と飲んでて明確にわかったのだ。


ところで最近この王暁旭(Wang XiaoXu)の会社が羽振りがいいようだ。

中国大陸のプロデューサーと香港のプロデューサー、
台湾と韓国と、そして日本のプロデューサーでチームを組んで国際的なプロデューサー集団を作るんだと(笑)

まあ当然ながら日本人プロデューサーとしてワシの名前を使っていいかということで呼び出されたのだが、
(というよりその時点でもう名前を使っとる笑)
何やら会社の人間にどんどん昔の知り合いが増えとるようだ!(◎_◎;)

WangXiaoXuGongSi.jpg

ワシの隣のDongLinと呼ばれる片手のない怪しい男は同じ会社であることは知ってたが、
真ん中の林峰(Lin Feng)という男は久しぶりにこの日会ってびっくりした。

張張(Zhang Zhang)が酒場でピアノを弾いてた時そこで一緒に歌を歌ってた。
ワシもその後映画音楽の仕事で1曲500元というタダみたいに値段で歌をレコーディングしてもらったことがある(笑)

今はもう歌は歌ってないらしいが、不動産を4軒も所有してて、嫁も子供もいてこの会社で働きながら幸せに暮らしているらしい・・・

実はあの頃、当時のワシの同居人だった森本くんという日本人が作って一晩大事に寝かしてたカレーをこいつら若いミュージシャン達が全部食ってしまって怒って大変だったのだ。

もちろん久しぶりの再会なのでたっぷりとそのネタで苛めてやった(笑)

そしたら罪滅ぼしか何なのか後に1曲アレンジの仕事をくれた!(◎_◎;)
まあ彼も彼で偉くなったということか・・・(笑)


そしてそれから王暁旭(Wang XiaoXu)の知り合いの店へとハシゴ・・・
そこで相変わらず見栄っ張りの王暁旭(Wang XiaoXu)は高級バーのその店長を呼び出してこんなことを言う。

「こいつは俺のマブダチでFunkyっていうんだ。
Funky、こいつはこの店の店長。
もう面通ししたからな!!
今後はいつでもこの店で俺のツケでいくらでも飲んでいい!!」

「いいよ、いいよ。酒ぐらい自分の金で飲むよ」
と遠慮するのだが許してくれない。

「バカ、絶対遠慮なんかすんなよ!!
お前は今後この店で一銭も払わず好きなものを飲み食いしていい!!
友達だって何人連れて来たっていい!!
絶対遠慮なんかすんな!!」

本当に遠慮なんかしたら殴られそうな勢いである(笑)

そこで彼はこんなことを言ったのだ。

「あの時、お前に奢ってやった豆豉鲮鱼油麦菜(DouChiLingYuYouMaiCai)、覚えてるか?
あれからお前は必ずあの料理を頼むよな。
実はあの頃、俺の給料は500元しかなかったんだ。
だからお前に奢ってやれるのはあの豆豉鲮鱼油麦菜(DouChiLingYuYouMaiCai)ぐらいが精一杯だった。
でも今の俺はお前が友達と毎日この店でどんちゃん騒ぎをするぐらいの金は払ってやれる。
だから絶対に遠慮なんかすんな!!俺のツケで飲みに来い!!」

ここで頭の中で何か「なるほどな」と思った部分がある。


北京に来て間もない頃、
LuanShuをはじめ、北京の若いロッカー達がなけなしの金でワシに涮羊肉(ShuanYangRou:ラムしゃぶ)を奢ってくれる・・・

「いいか、Funky、野菜なんか食うなよ。まず肉を食うんだ!!
そして肉で腹一杯になったらその隙間に野菜を食え!!」

今にして思えば当時貧乏だったロッカー達は、
精一杯の「気持ち」としてワシに「肉」をいっぱい食ってもらいたかったのだろう。

ワシはそれが「ロック」だと思って今だに涮羊肉(ShuanYangRou)を食う時には肉しか食わん!!(笑)

ある時、お袋を連れて北京に行った時、
「お礼に今日はお袋が日本料理を作ってご馳走するよ」
と選んだ料理は「天ぷら」・・・

市場に行って海老とか高級食材を買う分にはいい。
「天ぷら油ある?」

今では笑い話である。
「Funky 、実はあの時俺たちは貧乏でなぁ。
そんなにたくさんの油なんか手に入らないからご近所さんに借りに廻ってさぁ・・・(笑)」

そんなLuanShuもワシの結婚祝いに中古だが車を一台プレゼントしてくれるまでになったし、
今度日本に会社を作るらしいが、ワシもその株主に入れてくれてると言う・・・

要はその時にお互いに自分が出来る精一杯のことをお互いにやってあげている、
そしてその付き合いが当時よりも偉くなっても今も並行して同じように行われてるだけの話なのだ。

あの頃は楽器の買えない中国のロッカー達に機材や教材や音源などを買って持って来てやる財力がいくらでもあったが、今は金はないのでドラム叩いたりアレンジしたり、音楽で何かやってやるしかない。

今でも一緒に暮らしているが、
貧民街から今ではロックスターになった布衣(BuYi)老呉(LaoWu)にもいつもこう言っている。

「いいか、遠慮なんかすんなよ!!
俺はお前らの音楽を助ける!!お前らは俺の北京での生活を助けろ!!(笑)」

ヤツらにとってはワシは確かに「恩人」ではあるが、
関係としては共に酒を酌み交わして夢を語る「友人」であり、
助けたり助けられたり、それこそ「対等」な関係なのである。


王暁旭(Wang XiaoXu)はこの日、とあるチベット族の歌手を連れて来た。

「こいつはちょっと難しいヤツでなぁ・・・漢民族に対しては俺以外には全然心を開かないんだよ」
などと言いながらワシを紹介した。

WangXiaoXuTibetanSinger.jpg

「Funky、こいつのアルバム手伝ってやってくんないか」

まあワシにとってはもう「金ならない」のだが、
幸い人に助けてやれる「音楽」だったらまだまだいくらでもある。

ふたつ返事で引き受けた。

ちょっとポーカーフェイスなヤツなのでワシに対して心を開いてるかどうかはわからない。
ただワシも中国ではプロデューサーとして有名なので非常に緊張していることはうかがい知れた。

そんなシャイな彼が別れ際に突然こんなことを言う・・・
「Funkyさん、僕、あなたのために1曲歌います」

酒場の前の道路に立って、通行人に見られるのも気にせず彼はワシの顔を見すえながらチベット語の歌を歌ってくれた・・・

そこで考える・・・
彼はワシに自分の歌の実力をプロモーションするために歌ったのか?

いや違う!!

身に余るほどの光栄のお礼に、貧乏な彼がワシにやってあげられることは「歌うこと」しかなかったのではないか・・・

今やワシのために車のみならず家の一軒ぐらい買ってくれるだろう「友達」もいる。
歌ぐらいしかワシにしてあげられない新しい「友達」もいる。

「大きなものをもらったからありがたい」のではない。
「自分の精一杯のものをくれた」ということがありがたいのである。

もしワシが「何だこれだけか」みたいに思うような人間だったとしたら・・・
きっと今のワシはないだろう。

同じように
「こんだけしたげたんだからFunkyさんはこんだけしてくれるだろう」
などと思っている人間だったとしたら・・・


人を利用する人間は所詮は人に利用されるのだ・・・


小畑秀光の質問に対する正しい答え・・・
ワシの周りに成功した人間が多いのは・・・

そんな素敵なヤツらが多かったからみんな成功したんですよ、きっと・・・


王暁旭(Wang XiaoXu)は次に飲んだ時にワシにこんなことを言ってた。

「あのチベット人歌手がさあ、まだ遠慮してんだよな。
遠慮なんかすんな!!Funkyは俺のマブダチだ!!
俺が頼んでんだからお前のアルバムぐらい喜んで作ってくれるさ」

おい!!(笑)

まあお前のためではなく、彼が一生懸命歌ってくれたその「心」に対して、
ワシが彼に出来ることは何でもやってやるよ・・・

お前には・・・じゃあその高級バーでお前のツケでガンガンに飲んでやるよ(笑)

・・・てなこと言いながらワシはきっとこいつに奢ってもらった豆豉鲮鱼油麦菜(DouChiLingYuYouMaiCai)のことをいつまでも忘れないのだ。

あの頃はみんな貧しかった・・・
でもそんな連中に奢ってもらった中華料理の味は今だに忘れない。

みんながみんな成功した・・・
今ではもっともっと高級な中華料理をいつでも奢ってくれる。

でもあの時の500元の給料の中から奢ってもらったあの豆豉鲮鱼油麦菜(DouChiLingYuYouMaiCai)や、ロッカー達がなけなしの金で奢ってくれた涮羊肉(ShuanYangRou)の味にはどんな高級な中華料理だって決して敵いはしないのだ・・・

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2016年6月14日

丸亀製麺北京店・・・あかんやろ(>_<)

丸亀製麺と言えばこの訴訟を思い出す。

ワシも香川県出身の人間として、正直言ってこれにはちょっと「カチン」と来た。
そもそもが丸亀製麺は香川県のうどん屋ではないのだ!!

同じくカチンときているうどん県人が多いのか、
丸亀製麺の本場高松への出店は大失敗に終わっている・・・

「競合店が多すぎて・・・って何言いよるんかのう、
香川県なんかどこ言ってもうどん屋あるんやきん競合店のない場所なんかあらへんがな」
というのがワシの聞いた地元筋の情報である。

かと言って、ワシ個人としては丸亀製麺は香川県のうどんチェーン「はなまるうどん」より美味いのではないかと思っている。

まあいくらチェーン店と言っても人間が作るので店によって微妙に味が違い、
八王子の自宅近所で言うとあきる野店八王子店より断然美味いと思ってるし、
逆に本場高松のはなまるうどん田町店はこれらのレベルなど足元にも及ばないほど美味かった・・・

日本に来日して八王子に泊まった中国人には必ず丸亀製麺をご馳走して大喜びされ、
そんな丸亀製麺が北京にも出店していると聞いて足を運んで見た。

丸亀製麺王府井apm店

MarugameseimenMenu.jpg

まあ吉野家もそうだが、中国独自のメニューを置いているぶんにはワシとしては別に構わない。
吉野家がその命である「牛丼」の味を世界共通にしてくれているならそれでいいと思っている。

まあワシとしては必ず頼むのが「醤油うどん」!!

香川県に住んでいる頃には全く食べたことがなかったのだが、
この食い方が本当にうどん独自の味が味わえるのでうどん屋では必ずこれを注文するのだ・・・

しかし北京の丸亀製麺にはメニューにない(>_<)

まあな、あれは醤油自体も名物である「香川県の醤油」でしかあの味にならんやろうからな・・・
というわけで次にいつも頼むのが「ざる」と「釜揚げ」である。

有希子(よーしーず)は「ぶっかけ」を頼み、二人分の注文はこんな感じ・・・

MarugameseimenUdon.jpg

日本だとこれに揚げたての天ぷらを白ご飯に乗せて「天丼」が加わるのだが、
あいにく北京では「天ぷら」のメニューはこのかき揚げとエビぐらいで、
後は全てが「フライ」なのだ(>_<)

MarugameseimenTopping.jpg

まあ白ご飯というメニューはないが、
中国独自の丼ものはあるのだから頼めば白ご飯だけでも注文出来そうなものだが、
日本だとご丁寧に「天つゆ」まで用意してくれているところが中国ではそれがない(>_<)

MarugameseimenChoumiryo.jpg

って言うか、なんで酢やら香菜やら・・・おろし生ニンニクなんてうどんに入れるか?!(◎_◎;)

老呉(LaoWu)は日本でワシが選びに選んでやった純うどんメニューには目もくれず、
中国独特のメニューである「とんこつうどん」・・・

MarugameseimenTonkotsu.jpg

あかんやろ・・・(>_<)

食ってみたがとんこつスープだったら麺はやっぱラーメンでしょ・・・
うどんって基本的にそんなにスープが絡まんし、
とんこつである必要性が全くない!!

かと言ってざるや釜揚げのつけ汁は醤油が違うのか全くダメで、
有希子(よーしーず)が頼んだぶっかけに至っては、
「ああだからおろし生ニンニクとか香菜とか色んな調味料を加えんといかんのやな」
と思わせる味・・・

うどん自体もまあ「腰」はあるのだが、
「麺」というよりは「小麦粉」を食ってる感じで「味」自体がそんなにない(>_<)

考えてみたら遣唐使で派遣された空海が中国で学んで、
生まれ故郷の香川県に伝えたこの「うどん」たるモノ・・・

ただ小麦粉を練ってお湯で茹でただけのモノが相当「深い」食い物に進化しとるんやな・・・

坂出の昔の実家の向かいに「おか泉」といううどん屋があって、
全然チェーン店でもない小さなその店のうどんが好きでよく通ってたら、
今や宇多津に自社ビル建てて超有名店になってしまっている。

ココ

メシ時には必ず1時間以上並ばなければ入れないほどだが、
大将はまだワシの事を覚えてて、
「お母さんは元気なん?」
とか言ってお土産を包んでくれたりした。

知り合いの中で唯一「白い粉売って大成功した人」である(笑)

北京のこのうどんと何が違うのかわからんが、
粉が違うんか?水が違うんか?・・・

噂に聞くと、この丸亀製麺の中国でのチェーン、
中国側に乗っ取られてるというか、日本側は撤退しているという噂もある。

吉野家はその命である「牛丼」の味は中国でも守り続けているのに、
この「うどん」自体の味を失ってしまったうどんチェーン店というのも何かなぁ・・・

そう言えば10年以上前にSOHO現代城というところに看板も出さずにやっていた「川福」、
あの味はしっかりと「うどんの心」を守ってたような気がしたなぁ・・・

音楽も一緒やろうけど「チェーン店化」したらなかなか難しいな・・・
「おか泉」の大将みたいにどこまで大きくなっても最終的には自分で味を見ていかないかんのやろうなぁ・・・

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2016年6月12日

「いい買い物」と「どうしようもない買い物」

まず「どうしようもない買い物」から・・・

もともと人生がバックパッカーのようなこのワシは、
いつもリュックにパソコンとiPad等電子機器を入れて、
基本全てをデータ化しているのでそれとちょっとした着替えだけを入れておけば世界中どこででもそれだけで暮らしてゆける・・・

ところがパソコンは老眼のため17インチのMacBook Proで、
iPadもiPad Proにしたので背負うにはもう重くて仕方がない(>_<)

そこで目をつけたのがこれ!!

KaimonoSukeboSuitesCase.jpg

・・・しかし値段が微妙よねぇ・・・・5万円近くする(>_<)

結局周りの反対にあって挫折し、
ネットで調べたら何と!!・・・

スケボー付きのリュックが5000円で売られているではないか!!!

KaimonoBad.jpg

というわけで迷わず購入!!

実はこの写真、X.Y.Z.→Aのツアーの時のホテルで撮ったのよね〜
つまりネットで買ってホテルに配達してもらった・・・

もちろん日本のネットよ!!
なのに梱包を見たらこれ!!(>_<)

KaimonoBadBox.jpg

中国製やん!!(号泣)

もうね・・・センスからして中国(涙)
中国で住んでるのに日本のネットで買って届いたら中国製(>_<)

ご多分に違わず不具合続出!!(笑)

まずはハンドルの位置が最大に伸ばしても低過ぎ!!
これでは背筋が曲がって腰が痛くなって長くは運転出来ません!!(>_<)

そして底!!!

KaimonoBadSoko.jpg

スーツケース型の5万円のはスーツケース部分にふたつの車輪が付いていて3輪スケボになっているのに、これは2輪スケボにそのまま底版を取り付けてある・・・

つまり曲がるために傾けたら道路に底版を擦ってしまう(涙)

KaimonoBadShuft.jpg

そしてスケボ部分を折りたたむ蝶番の部分だが、
このどでかいネジをせっせこ緩めて畳んでまたせっせこ締める・・・

全然「ワンタッチ」じゃないし・・・(涙)

まあね、中国製でこの部分「ワンタッチ」になんかこだわられた日にゃ逆に「強度」の問題で危なっかしくて乗れないし・・・(>_<)

KaimonoBadHikizuru.jpg

でもね、スケボを折り畳んだままハンドルを伸ばせば、
これキャリングケースとしてズルズル引きずって使えるなぁ・・・

今までは重たい17インチのMacBook Proと、
最近になって更にiPad Proまで加わって重たくて仕方ないリュックを背負って、
空港内はカートに乗せて、シャトルとかに乗る時にいちいち下ろして・・・

みたいな手間が省けるぞ!!

・・・と言いながら実はこの状態では車輪がひとつしかないわけで、
底版を床にズルズル引きずりながら引っ張ってる形になる・・・

・・・というわけで車輪を購入!!

KaimonoBadNeji.jpg

小田原のライブの時にぱんちょマンさんに付けて頂きました!!

めでたしめでたし・・・ちゃうがな!!結局あれから一度も使ってないがな!!

・・・というわけでずーっと北京で埃かぶってますから、
もし「欲しい」という方がおられましたら、
次の来日の時にLive Bar X.Y.Z.→Aに持って行って置いときますのでメール下さい。

お値段は取り敢えず5000円!!
そのまま熊本にでも募金して下さい。

まあこれでこのリュックも日中を何度も往復してやっと少しは世のため人のためになるじゃろう・・・(笑)


・・・というわけで今度は「いい買い物」!!

先日WINGの香港リハーサルの時に女人街をぶらついてたらあったのよねぇ・・・これ!!

KaimonoGood.jpg

ちなみに女人街というのはこんなところ・・・

KaimonoNvRenJie.jpg

まあ得てしてこんなところは値段があってないようなもので、
最初に吹っかけられた値段の半分ぐらいが落としどころとよく言うが、
ワシがこれが実は「値切り」というのが非常に苦手である。

そこで強い味方!!香港在住のももさんが値切ってくれた。

GekitetxuMomosan.jpg

写真真ん中の人ですが、いや〜人相悪いですねぇ。。。(笑)

実はももさん、この激鉄MAXの撮影のために、
「香港で一番人相の悪い人紹介して〜」
と言ったら紹介された人で、本当は笑顔の素敵な優しいオジサマです。

まあでもバトルのような香港の値切りでこの人相で本気で立ち向かって行ったら勝つわのう・・・(笑)

店員「500元!!」
ももさん「200元!!」
店員「300元!!」
ももさん「200元!!」
店員「250元!!」
ももさん「200元!!」
店員「230元!!」
ももさん「じゃあ230元!!」

と、この値切りが魚市場のセリのように物凄いスピードで一瞬で決まるのだ(驚)

まあそんなわけで結局この便利なキャスター付きリュックが日本円で5000円以下で手に入った・・・

現在はこれさえあれば、昔のリュックに着替えなどを満載して、
電気機器はこれに入れて引きずって何日でも旅が出来る。

今回のこの怒涛のスケジュールでも非常に助かったぞ・・・

何せリュックふたつとも機内持ち込みの荷物に出来るので、
預けた手荷物を待つ時間が短縮されてこの分刻みのスケジュールを無事にこなすことが出来た。

ももさんありがとう!!!
また香港行ったら飲みましょう〜

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2016年6月 3日

怒涛のスケジュールが始まる・・・

まあ音楽業界も「水商売」なんだから、
仕事はある時にしかなくて、ない時には全然ない。

だからある時に無理してでもやっとかなければならないのだが、
何せここ中国ではブッキングが全て突然過ぎる(>_<)

このふたつの仕事が来たのも先月、同じくベーシストの王偉(Wang Wei)という人間からのブッキングである。

そもそも彼は布衣のライブでトラに呼ばれてワシと一緒にやってから、何かっつうとワシと一緒にやりたがる。

「Funkyさん、とある歌手のバックバンドを僕らバンド組んでバンド形式で一緒にやりませんか?」

そう誘いが来たのは半年前、数回リハーサルをやって、
結局本番はスケジュールが合わず、一度も本番には行っていない(笑)

もともとはこの6月5日はアメリカのツアーが入ってたので
「行けないよ〜」
と言ってトラを入れてもらってたのだが、
「キャンセルになったので行ける〜」
と急いで連絡入れて初めての参加となる。

これが許飛(Xu Fei)という歌手。

アメリカツアーのために空けてたこのスケジュールにこれが埋まっただけで十分だったのだが、
「5月30日〜6月2日と6月8日は空いてますか?」
と連絡が来る。

もう芸術的である!!
3日はレコーディングで5日に許飛が西安なら、
ちょうどそこにすっぽり入るスケジューリングではないか!!

というわけで邵雨涵(Shao YuHan)の長沙が8日に入る。
(それにしても先日初のコンサートを開いてもう湖南大劇場でワンマンやるのか・・・凄いなぁ・・・ワシが関わり合うとブレイクするという都市伝説は本当かも・・・笑)

まあこれで万々歳なのである!!
5月29日まではちょうど張嶺(Zhang Ling)のツアーなので、
そこからまあ恐らく長沙からの戻り日になるであろう6月9日まで綺麗に埋まった!!

・・・なんてことが中国であり得るわけがない(>_<)

まあワシも悪いのだが、
5日に西安で8日に長沙なら途中一度日本に帰れるな・・・
と弾丸帰国スケジュールを入れている。

LuanShuが日本に会社を興すと言うので
(何やるんやろ・・・本格的に日本で音楽業務でもやるんかなぁ・・・)
「株やるからお前も役員になってくれ」
(それでワシ何やるんやろ・・・まあくれるもんは貰っとくけど・・・笑)
と言うのでどうしてもこのスケジュールで帰国して会社設立せねばいかんらしい・・・

まあこれがアダとなったな・・・

「じゃあ長沙入りは7日で、着いたらゲネプロね〜」
ワシ・・・6日に西安から帰国して7日にそのミーティング入れとるんですけど・・・

フライトを調べて、ミーティング後に上海経由で夜中に長沙に入れることがわかってそれを伝えると、
「ゲネプロどうすんのよ〜」
と泣きが入る・・・

ゲネプロって前回も夜中から始まったでしょ!!(涙)

だいたい中国でそんなに時間通り進むことの方が稀なので十分だろうと思っていたのだが、
しゃーないのでミーティングを6日の夜に動かしてもらって、
その夜中の便に飛び乗れば朝の3時過ぎに上海に着いて、
そこから朝いちの便で長沙に飛べる・・・

ちなみに6日に成田に着くのは午後1時35分、
そこから役所が開いてる時間に八王子まで帰ってとんぼ返りでミーティングしてそのまま羽田・・・

しゃーない(>_<)
まああとはスケジュールを押さえている6月2日までで邵雨涵(Shao YuHan)と許飛(Xu Fei)のリハを組めばそれで何とかなる・・・

というわけでリハーサル組みが始まる・・・
中国ではWeChatというLineのようなアプリでメッセージを交換するのだが、
まず邵雨涵(Shao YuHan)の方でコーラスの女の子だと思うひとつの発言からまた状況が一変した。

「私6月2日までは仕事入っててダメ〜」

おい!!

そもそもリハは5月30日〜6月2日の予定でしょ!!
それだから仕事受けたんでしょ!!

当然ながら
「じゃあリハは3日からやるしかないな、皆さんスケジュールは?」

3日はレコーディングで4日は許飛(Xu Fei)の西安が入ってるんだから無理でしょ・・・(困)

しゃーないから無理言ってレコーディングを2日にしてもらう。
もともと5日だったのを許飛入れたいから3日に動かしてもらったのだが・・・(>_<)

じゃあ3日と4日にリハしましょう!!

ワシ「4日は許飛で西安に行くから午前中じゃないとダメ!!」
スタッフ「じゃあ4日は朝8時から12時までリハです〜」
コーラスのお姉ちゃん「何で朝なの〜朝8時なんて声出ないじゃん!!」

おい!!

元はと言えばこのお姉ちゃんのせいでぐちゃぐちゃになってるんでしょ!!
などと言っても仕方がないので
「すみませんねぇ・・・ワシのせいで・・・」
と謝っておく・・・(涙)

そこで疑問・・・許飛(Xu Fei)のリハってどこでやんの?・・

バンマスの王偉(Wang Wei)に連絡する。
ちなみにこのふたつの仕事はどちらも彼がバンマスで、
しかも長沙の方は自分は来れないのでトラを入れてバンマスだけをやっている(驚)

「じゃあ3日の昼にしましょう」
おい!!・・・お前が入れた邵雨涵(Shao YuHan)のリハが入っとるじゃろ!!

「皆さん、リハ時間変更です。夜の20時からになります」

みんな「え〜なんで夜なの〜」
ワシ「すんませんねぇ〜ワシが昼間リハーサル入ってて・・・」

って何でワシが謝らないかんの!!!(怒)

というわけでマトメ・・・

ワシは今日3日は13時から19時まで邵雨涵(Shao YuHan)のリハやって〜
20時から恐らく夜中まで許飛(Xu Fei)のリハやって〜
夜中に帰って来て明日4日は朝6時に荷造りして出発して〜
8時から邵雨涵(Shao YuHan)のリハやって〜
12時きっかりに飛び出して空港行って西安行って〜
着いたら許飛(Xu Fei)のゲネプロやって〜
5日にコンサートやって〜
6日に西安ー成田に飛び乗って〜
八王子とんぼ返りして会社設立して羽田行って〜
上海行きに飛び乗って7日の朝3時に着いて〜
朝一番の便に乗って長沙行って邵雨涵(Shao YuHan)のゲネプロやって〜
8日は邵雨涵(Shao YuHan)のコンサート〜

さてと・・・出発するか・・・
まあ年末年始も似たようなスケジュールやってたから出来んことはないやろ・・・(笑)

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2016年5月17日

続・日本に家を買いに来る中国人・・・そしてワシは仕事に追われる(>_<)

もうね、「続々」と言ってもいいぐらい(笑)
この人たちねぇ、ホントに金持ちなのよ・・・

この前北京でレコーディングが終わったらそのまま「メシ行こう」となって連れて行かれたのがそんなおひとりのご自宅・・・

もうね・・・お屋敷!!!(◎_◎;)

調度品はねぇ・・・まるで西安の兵馬桶(笑)
何せ掘り出して土偶がちょっと欠けてる感じがもう「調度品」というよりは「博物館」(驚)

通された居間はプロバンドがリハーサルする都筑スタジオや芝浦スタジオ並みに広い!(◎_◎;)

そこに並ぶ料理が逆に豪勢なのではなく普通のイスラム料理なのが逆に凄い!!
「この店はなぁ、美味しくていつも長蛇の列でなかなか食べられないんだぞ」
と言いながらそこのシェフが自宅でそこの料理を作ってくれてるのだ(驚)

ワインがまた超高級!!

・・・というよりそれを飲むグラスがまた高級で、
「乾杯〜」と言ってグラスをぶつけると「チーン」といって音がいつまででも共鳴して鳴り止まん(驚)

居間には池があって・・・って部屋の中に池があるのよ!!
中には鯉が何匹も泳いでいて、それは全部日本から空輸したんだと!(◎_◎;)

そんなところに住んでる人が日本で5000万ぐらいの家なんて見たらまるで「箱庭」やんな・・・
日本人からしたら軽井沢の5000万の別荘なんて「むっちゃ高級やん」ってな感じやけどな(涙)

まああんまし高い物件はなかなか借り手がつかんかったり投機目的としては有利ではないということで5000万ぐらいとこでも買っとくか、みたいな・・・(眩暈)

それより何億もする物件なんてそんなに売ってないがな・・・ふつうの日本人高過ぎて買えんし(>_<)


というわけで今回のLuanShuの来日にはそんなお金持ちグループの中のひとり、
中国を代表するオリンピック選手が一緒に来日した。

ここまで来ると「国の宝」なので国家は税金を免除にするんだとか・・・(驚)
まあ税金もかからんし家でも買うとこか、みたいな・・・

もうね、ワシ不動産なんか全然わからんし、秘書の茜ちゃんに丸投げ!!(笑)

これで美味いメシだけ一緒に食えれば万々歳と思ってたら、
今回はLuanShu、いろいろレコーディングの仕事持って来たのよね〜・・・

日本で2曲ギターと2曲ブラス・・・
「最近知り合った日本人のプロデューサーとやってみたい」
と言うので
「それは是非是非そうして下さい(笑)」
とばかりワシはブラスだけを担当・・・
・・・と言いつつちょうどその日は名古屋空港から北京に帰るので寺内に丸投げ!!(笑)

そもそもワシはそのために来日したのではなく、
高円寺でのひとりドラムと、翌日の昼間千葉朝鮮学校と終わってそのまま夜豊橋っつう無茶なブッキンツのために来日したのよ〜

激安チケットが11日の夜中出発の便だったのでたまたま数日前に着いただけで、
まるで「仕事する」みたいなつもりはなかったのよ〜

ところが着いたその日にLuanShuから
「急ぎでドラム1曲レコーディングしてくれ」
と発注が来る。

夜中にせっせこドラムをセッティング、
「いつでも録れるよ」
となってアレンジが仕上がるのを待つ。

YonakaDrumSet.jpg

詞が上がったらすぐに彼が仮歌歌ってDEMOを録り、
北京に送って歌手がそれを練習するらしい・・・

アレンジはアメリカで張毅(ZhangYi)が担当しているらしく、
アレンジが上がったらアメリカから送って来るから、
そのデータに合わせてすぐにドラム録って、
そのままベースとギターも録って、
北京でボーカルと生のストリングスレコーディングして、
それが送られて来たらそのまま日本でミックスして、
その合間に東京と軽井沢で物件を見る!(◎_◎;)

もうね、これやっぱ無茶苦茶なスケジュールでしょ・・・

いつでもドラムが録れる状態のまま車運転して到着する彼らを迎えに行く。
とりあえずツラ突き合わせてうまいことスケジューリングしないと、
結局ワシが動けるのは翌日の高円寺のライブの入り時間までしかないのだ・・・

昼間にスケジューリングして夜は不動産の人と食事、
その合間にホテルの部屋で仮歌を録る。

あとはアレンジを待ってからドラム録り・・・
と思ったらメシの方が先になってしまった(>_<)

「あれ?飲まないの?」
・・・って車やし〜それにアレンジ上がったらすぐにドラム録らな・・・

「ドラムは明日でいいよ」

!(◎_◎;)

・・・そやなぁ・・・美味しいもん食べて酒飲まんのもなぁ・・・乾杯!!

というわけで結局車は駐車場に置いたままカプセルホテルに泊まる・・・
・・・と実はこれが後にスケジュール的に大変なこととなるのだ(>_<)


カプセルホテルで朝8時に起きて、車運転して八王子まで帰って、
まずDEMOの音源に仮歌を乗せて簡単なDEMOにして北京に送る。

そしてお隣のエンジニア仮谷くんを呼び出してドラム録り!!

本来ならばプロデューサーが立ち会ってディレクションするのだが、
「遠いから行かない!!お任せ!!」
と言って物件を見に行った(>_<)

「お任せ!!」はいいのだが、そうすると叩き終わった音源をドラムの音大きめに仮ミックスしてWeChatで送って、それ聞いて「ここ直して」に対応して、また叩いて仮ミックスして送り直して・・・

時間かかるのよ・・・(涙)

なんとか高円寺の入り時間ギリギリまでやって無事脱出!!・・・
と思ったら
「歌手の人のための歌のガイドDEMOを作ってくれ」
と・・・!(◎_◎;)

「朝送ったでしょ・・・」
「あんな簡単なんじゃダメ!!歌手が聞くんだから仮歌もちゃんとエディットしてドラムとベースも本物入れて製品レベルのDEMOにして!!」

!(◎_◎;)

マルチが送られて来てまへんがな・・・(涙)

いや、アメリカから何やらファイルは送られて来たのだが、
それは中国でDLしやすい形式で日本では開かんかったので、
ドラムは実は2ミックスのDEMOに合わせてレコーディングしたのだ・・・

時差はあるけど向こうが夜中だろうが何だろうが
「すぐ送れ!!」
とアメリカに連絡して取りあえずドラムと同じやり方でベースだけ録音!!

アメリカからマルチが届いたらDLしてそのベースデータも入れて仮歌入れて仮ミックス・・・

ちなみにワシは高円寺のライブハウスにいるのでこの作業は仮谷くんがするのだが、
物件見てるLuanShuから、アメリカの張毅(ZhangYi)から、北京のスタジオから、
全ての連絡はワシに来るのでいちいちライブハウスの外で電話したりもう大変!!(>_<)

「え?夜ライブだって?みんなで見に行くよ」
・・・って逆に大変だから来なくていいし・・・って思ってたら来た。

これはそのオリンピック選手がWeChatにUPした投稿・・・

KouenjiHitoriDruming.jpg

看日本鼓王现场演出,鼓王的梦想就是世界巡演到处流浪,在九十年代大红大紫的时候选择来了中国,值得尊敬的艺术大家

「日本のドラムキングのライブ、ドラムキングの夢は世界じゅうを放浪しながらツアーしたいんだと。90年代一番売れてた時に中国に来ることを選択したんだと。ほんと尊敬に値する大芸術家だわ」

・・・ってあーた!!中国の国宝級の金メダリストが高円寺のアンダーグラウンドなライブハウスの最前列にいること自体がおかしいでしょ!!(◎_◎;)

というわけでそのまま飲み!!
終電乗り過ごして何とか帰宅してちょっと仮眠して千葉の朝鮮学校!!

ChibaChousenGakkou2016Stage.jpg

もうね、大阪の朝鮮学校ん時もそうだったけど、
学校が七輪をたくさん持ってて校庭で焼肉焼くのな・・・(>_<)

ChibaChousenGakkou2016Yakiniku.jpg

在日の幹部クラスの人に捕まってマッコリのビール割を飲まされて、
「どうしてこの後にスケジュールを入れてしまったのだろう」
と後悔しながら新幹線に飛び乗って豊橋へ・・・

もちろん新幹線の中でも中国からアメリカからひっきりなしに連絡が入る(>_<)

開場時間ギリギリに会場着いてすぐにイベント開始!!
今回は「ファンキー末吉公開処刑」と銘打って
「アマチュアバンドの曲を一度聞いただけですぐに叩けるかどうか」
ということをやらされる(酒の上で「出来る」と豪語したのでこうなったのであるが)イベントである。

結果はこちら

もうね、「Helpカード」と言って、一度だけ聞き直せるカードを出すと、
その代わりにバーボンをロックで一気飲みせないかんのでもうベロンベロン(笑)

そんな打ち上げの中、中国から
「アメリカから送られて来たマルチデータがグーグルなので中国では開けん」
と来る(>_<)

「VPN入れろよ!!」
と言いたいところを我慢して、
こちらでDLしてQQメールで中国に送る・・・

QQメールは大容量のファイルも送れて便利なのよねぇ。。。

・・・と言いながら中国語なのでそれを使ってない仮谷くんからファイル便で送られて来たファイルが「日本語なのでDLわからん」ということでそれも送り直す・・・(>_<)

この日は宿は取らず、ライブハウスが布団用意してくれてそこに泊まるということで、
ライブハウスが仕事場となって作業の後、
翌日は朝から田川くんがギター入れ・・・

もうね、「通訳用意するから直接やり取りしてね」の世界・・・(>_<)

午後はブラスのレコーディングと仮谷くんのミックスが同時進行・・・
そんな中、秘書の茜ちゃんから連絡が入る。

「物件決まりました」

え、誰がどこの物件買ったの????!!(◎_◎;)

いや、言わなくていい・・・
ワシはもう夜の便で北京帰りますんで後のことは皆さんでやって下さい・・・(>_<)

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2016年5月12日

中国で活動したい若い(おっさんも可)ドラマー求む!!(女子も可)

中国ロックの歴史も語り始めると長くなるが、
その中での一場面、北京で最初に出来た日本居酒屋の大将、田端さんには当時大変世話になった。

(ワシの著書「大陸ロック漂流記」に書かれているそれに関するページ)
IzakayaChoji.jpg

田端さんはその数年後に亡くなってしまい、
ひょんなことから田端さんに息子がいたことを知る。

しかもヘビーメタルなどを聞いたがばかりにグレて学校もやめて今だに金にもならないバンド活動なんかをやっている。

バンド名をNever Beforeと言う。
(サイトはこちら

ワシもこのライブを見に行った。
なかなかいいバンドである。

見ての通りドラマーはスウェーデン人の女性なのだが、
その後病気になってバンドを正式に脱退している。

ヘルプのドラマーを入れて全国ツアーなどを廻っていたが、
そのドラマーも来れなくなってこのイベントこのイベントではワシがドラムを叩いた。

もちろんギャラなんか出るわけはない。
「バンド貯金」なるものがあってその中から美味いもんとかビールをご馳走してくれた(笑)

まだまだペーペーのバンドである。
しかし考えてみたらヴァッケン・メタルバトルの中国大会の最終予選にまで毎回残ってたり、
サブステージとは言え中国最大のロックイベントに出演出来るなんてアンダーグラウンドバンドにしてはなかなかのもんではないか・・・

「まあヒマな時にはいつでもドラム叩いてやるよ」
とは言ってるのだが、
この仕事、やはり連休とか週末とかに集中するので、
今度のイベントもパールドラムのツアーが入っていて叩いてあげられない。

「まあ気長にドラマー探しますわ」
と言うので
「ほなブログで募集したろか?」
というわけでこんなブログをUPしているというわけだ。

さて、メンバーの中ではこのギターの田端翔くんが日本人ということで、
取り敢えずはすぐに中国語が喋れなくてもバンド活動は出来るという好条件!!

しかし「食ってゆく」のは並大抵のことではない。

「油そばの店を一軒立ち上げますからそこでバイト出来ます」
と言ってたが、いざこうしてブログを書き始めたらその話は潰れていた(笑)

タバタバーもまだ給料を払って従業員をというレベルではないだろうから、
バンドのメンバーみんなでお手伝いをしてタダ酒ぐらいは飲めるだろうが、
それだけで生活してゆくのは難しいだろう・・・

まあいいことばかりを並べていざ中国に行ったら「こんなはずじゃなかった」などとなってもいけないので辛めに書いておこう。

まずは「貧乏に強いこと」、これが絶対の条件です。

住む部屋も今の北京の物価を考えたらろくなところには住めないだろう。
でも食うものはまあ庶民が食ってるものはまだまだ安いし、
ビールも大瓶一本100円しないので最低の生活で死ぬことはない。

ビザは最近はキツくなってワシの持っているMビザというビザも3ヶ月に1回は国外に一度出国せねばならない。

まあ香港でもいいわけだから3ヶ月に1回鈍行で2日かけて貧乏旅行するのもいいだろう。
「バックパッカー」の才能も必要やな(笑)

さて肝心のドラムの方だが、
ワシも叩いてみて思ったのだが、結構難しい。

シャッフルの曲も多く、3連を叩いた事のないドラマーにはちと難しいかな・・・

メタルのゴリゴリのしか叩けないという人よりは、
いろんなジャンルを柔軟に叩いてゆける人の方がいいかも知れない・・・

まあとは言ってもスタジオミュージシャン的である必要は全くなく、
別にみんなでリハーサルで作り上げてゆくのだから個性のあるドラマーだったらそれでいいかなと思う。

とりあえずサイトに何曲かUPされているので聞いてみて、
「俺(私も可)にも出来そうかな」と思ったら自分の叩いている音源か何かを送ってもらえれば翔くんに転送します。

ワシ的には一番好きな曲はこれなのだが・・・

とサイトにUPされてない曲をUPするならアルバム全部UPしちゃれ!!
というわけでこちら!!
(注:中国からはVPNがないとDropboxにアクセス出来ません)

「いいじゃんこのバンド!!俺(私も可)やりたい!!」
と思った方はこちらにメール下さい。

まあ1年ぐらいは腰を落ち着けて貧乏に耐えてやっていける人じゃないと難しいかな・・・
おっさんでもいいけど家庭とか持ってたら1年ほったらかして遊んでるのも難しいでしょう・・・
オリジナルメンバーが女性ドラマーなので女性でもいいけどサバイバルが難しいかな・・・

まあ兎にも角にも中国語を勉強せんと生きてはいけんからな、
その辺も頑張らないかんな・・・

でもねえ、辛いことばっかり言ってるけど、
もし成功したらデカいよ!!

全曲英語で歌ってるから中国のヒットチャートに乗って流行歌のように大スターというのは無理やけど、
ロックバンドとしてひとつのステイタスを作ったらこの国はおそらく現在世界で一番ロックフェスの多い国やからね・・・

日本で才能を持て余してる若いドラマーよ!!
新天地で貧乏に耐えて1年頑張ってみないか!!

連絡を待つ・・・

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2016年5月11日

楽屋は同窓会

2016年5月9日、工人体育館にて行われた「中国ロック30年の歴史コンサート」の模様がネットにUPされている。

フルバージョンはこちら

それぞれの演目も別個にUPされているので、
ゆかりのある方々の思い出なんかと共に紹介していこうと思います。


まず最初の「オープニングメドレー」に関しては、
曲目についてこちらで説明してますが、
面白かったのはリハーサルの時、
この曲は総監督が直々に色々指示を出すのだけれども、
最後の「国際歌」に関して「みんなで揃えて手拍子をするように」とか色々ウルサイ(笑)

きっとこれだけが「お国」のもんだから、
何か粗相があったら大変だという感じなのだろうか・・・
なかなか「中国的」で面白かった。

この「国際歌」を歌っているのが李夏(LiXia)。

老呉(LaoWu)と同じく寧夏出身で、
毎年ESPミュージックアカデミーが行っている「馬場の中心で愛を叫ぶ」というイベントで去年来日した。

立東(LiDong)というオルタナティブロックのバンド
(同じ名前で民謡ロックのようなアコースティックバージョンも演奏したりする)
をやっていて、過去には小畑秀光も飛び入りしたことがある。

中国好声音というオーディション番組に出たことで有名になり、
そのイベントにワシがドラマーとして呼ばれて一緒に出たり、
モンゴルの草原イベントではトリを飾ったりしている。

昔は貧民街の院子でワシらと一緒に住んでいたが、
ワシらが立ち退きで今の院子に引っ越して来たら彼も偶然近所に引っ越して来たのでまた「ご近所さん」である。


このオープニングメドレーはワシがドラムを叩いているが、
次の出演者「爽子(ShuangZi)」もワシが叩く。

映像はこちら

彼とも色んな思い出があるが、
まずは彼のデビューアルバムをプロデュースするということで知り合ったのだが、
結局は彼女と手に手を取ってタイに逃亡して流れてしまった(笑)

その後別の人間によってアルバムは完成され、
その中にはワシがその時に作った曲も収録されているらしく、
今回のライブではその曲も演奏された。

彼と一緒にライブをやるのは彼のデビューアルバム発売ライブの時以来だが、
実はVoThMの北京ライブも見に来ていて、打ち上げの時に
「あのベースの人をレコーディングに呼べるか」
などと言ったりしてたので、渡辺英樹さんが生きてたら一緒にやるチャンスもあったのにね・・・(涙)


次の出演者は天堂(TianTang)

もうね、歴史だけは長いがあんまし売れないうちに「大御所」になってしまったバンドなのだが(笑)、
ベースの九(Jiu)というのがいつも色々バンドのために動いていて、
最初に出会った時には「この曲をアレンジしてくれ」と頼まれたのだが、
そのアレンジが素晴らしいということで次には
「Funkyさん、うちのバンドに入りませんか」
と来る(笑)

中国のバンドはライブ収入だけが命なので、
ワシのように日本でスケジュールが入る人間は「バンド」という形では無理ですと断ったのだが、
結局そのアレンジ料は今ももらえていない(>_<)

まあ「バンドのメンバーにしたらドラムの能力だけじゃなくこのアレンジ能力もタダで使えるから」とでも思ったのだろう(笑)

その後そのアルバムはLuanShuがプロデュースして制作することになり、
当時ドラマーが不在だった彼らのレコーディングに「仕事」としてドラムを叩いたのでまあよしとしている(笑)

もうね、会えば必ずモノを頼むのがこいつ(>_<)

先日も洛陽のイベントで一緒になったのだが、
「久しぶり」ということでWeChatアドレスを交換したらさっそく彼が経営かなんかしている音楽学校のためにビデオコメントを撮って送ってくれと言って来る(>_<)

もうね、慣れた(笑)・・・憎めないハゲである。


そしてステージは初対面の若いバンドを挟んで唐朝老五(TangChaoLaoWu)!!

ここでもドラムを叩きました・・・こちら

彼は唐朝脱退後に絵を描いたり芸術家として活動していたが、
そのギタースタイルである早弾きギターソロとはちょっと違うアコースティックなものを追求していたようだ。

当然ながら彼のような伝説のギタリストにファンが求めるものは、
やはり変わらずロックで早弾きで〜みたいなものなのだが、
今回の選曲は、彼のやりたいアコギの世界観と、
ファンが求める早弾きロック曲とがどちらも混在していてよかったと思う。

「一緒にツアーを廻ろう」と言われているのでツアーが実現することを楽しみしているぞ・・・


また若いバンドを挟んで、張楚(ZhangChu)!!
(ライブはこちら)

実は彼との間にはには書いたのだがブログには書き切れなかった大きなエピソードがある。

初めて北京にやって来た1990年の時、
最終日にホテルのボーイに
「いつもお前たち若者が遊んでるところに連れてってくれ」
と頼んで連れて行かれた音楽茶座・・・まあカラオケのあるパブみたいなものなのだが、
そこのウェイターに
「Do you have any Rock'n Roll Music in Beijing?」
と聞いた時に、従業員控え室からそれを聞いて
「Oh!! Do you wana Rock'n Roll?!!」
と叫んで飛び出して来たイカれたパンクスが彼だった。

「お前はラッキーだ!!今日はバンドが4つ出るパーティーがある。お前も行くか?」
と言って連れて行かれた地下クラブで演奏していたのが黒豹

「中国にロックを見つけた!!」
と興奮したワシが今に至るきっかけを作ったのは実は彼だったのだ。

そして実はその次の日、
「天安門広場で彼の歌を彼の代わりに歌ってやる」
となって教えてもらった曲がこのライブでも歌っている蚂蚁蚂蚁(MaYiMaYi)という曲

今はオシャレにレゲエかなんかで歌ってるけど、
「中国人は蟻と同じだ!!大きな足で踏み潰される!!」
というパンクな曲だった。

サビの「マイマイ・・・」というのがライブでは
「マビマビ・・・(Fuck Your Motherの意)」
となるという恐ろしい曲をいざ自分が天安門広場で歌うとなると恐怖で身体がすくんで歌えなかったというエピソードもある。

当時は文字通りロックをやるのも命がけだったからね・・・


そしてステージは黒豹のライブ!!
単体の映像が見つからないので彼らのドキュメンタリー番組を!!

5人目のボーカル加入のエピソードを語っているが、
数々の思い出があり過ぎてとてもじゃないけどここでは書き切れない・・・

またチャンスを見て書いてゆこうと思う。


そしてステージはBEYONDのベーシストSTEAVEこと黄家強!!

もうね、会うの10数年ぶり(感涙)

最後に会ったのは確かこの時のライブの打ち上げだったと思う。
あれから彼は日本人と結婚して子供が二人いると言う。

チャンスがあったら一度その奥さんともお会いしてみたいものだ・・・

ライブを見て思ったのだが、
同じ曲でもWINGが歌ってるのと全然違うな(当たり前か・・・)

最後の「光輝歳月」を聞いたら不覚にも涙が出て来た。

人種差別と戦って生きた黒人の曲、
「虹があんなに美しいのは色と色とが分かれてないからだ」
と歌った黄家駒はもういない・・・

黄家駒が東京女子医大病院で死んだ時、
途方に暮れた3人が
「中心を失ってしまってこれからどうやって活動してゆこう」
とワシに相談して来た時の彼の姿を思い出しちゃってね・・・

今は彼とPAULが仲違いしちゃってBEYOND再結成の話は流れてしまったらしいけど、
またいつでもいいから3人集まって再結成して欲しいなと思っているのはワシだけではあるまい・・・


さてステージはもうラス前となってしまって鄭鈞(Zheng Jun)!!

ライブ映像はこちら

彼とは一緒に飲んだりはしてたのだが仲々一緒に演奏するチャンスはなく、
実は今回からのツアーメンバーとしてオファーが来たのだが、
残念ながら一本だけスケジュールが合わなくて流れてしまった・・・(涙)

また次のチャンスを心待ちにしているぞ・・・


そして大ラスはLuanShu!!

ライブ映像はこちら!!

ゲストボーカルの周暁欧(Zhou XiaoOu)とは零点(LingDian)のプロデュースをしてた頃から数多くの思い出があるが、
それもここでは書き切れないので別の機会に書いてゆきたいと思う。

馬上又はマグロ漁船のヨウヨウさん。

去年実現しなかったこの企画、今年こそは実現したいと言っていた。
楽しみにしてます〜

そして李漠(LiMo)ともたくさんのエピソードがある。

結婚して子供を産んでしばらく産休してたので会うのは数年ぶりで、
見た感じプロデューサーのLuanShuとあまりうまくいってないように感じたが、
「何か困ったことがあったら訪ねて来い」
と耳打ちしておいた・・・


さてライブ終わって打ち上げ!!
もう写真撮るのも忘れるぐらいのぐっちゃぐちゃ(笑)

特にプロデューサーなんだろうが偉い女性の酔っ払い具合が半端じゃなく、
ワシも何度となくイッキさされて、ご本人は白酒飲み過ぎで酔い潰れて両肩支えられて連れて帰られた豪傑である。

リハーサルの時から
「Funky〜久しぶり!!」
と言われたのだが実はワシはどこで会ったのか全然覚えてない(笑)

まあ今年で26年北京にいるんだから会ったことのある人も数も半端じゃないのでいちいち覚えてないのだが、
昔若かりし頃(失礼)はやはり相当なロックファンだったのだろう。

それが今は共産党幹部ぐらいまで上りつめちゃったんじゃないかな、
この豪傑のおかげで今回のコンサートを開くことが出来たのであろう。

中国ロックが生まれてこの日でちょうど30年、
当時中国政府から忌み嫌われていたロックの洗礼を受けた若者たちが、
今は政府の中枢に入ってたりする。

その人たちが今の中国のロックを支えているのだ。

この日はそんな連中ととことん飲ませて頂いた・・・
またチャンスがあったら集まろう!!

素敵な仲間たちに乾杯!!

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2016年5月 9日

中国ロック30年の歴史コンサート

「5月9日空いてるか?」
最初にワシにそう声をかけたのはLuanShu・・・

遊びの誘いかと思ったらコンサートがあるというところから始まった。

次に声をかけたのが爽子(ShuangZi)

「ドラマーが最近忙しいのでファンキーさん今度から僕のバンドで叩いてくれませんか」
と言われてOKは出したものの、
「5月9日です」
と言うので
「その日はスケジュールが入ってるから・・・」
と断ろうと思ったら同じイベントだったというわけだ。

その後中国ロックの歴史の人「唐朝老五(TangChaoLaoWu)」からも連絡が来る。

ワシのインタビュー記事の中でも出て来る伝説のギタリスト。
彼の登場が中国ロック界においてどれだけインパクトがでかかったが想像される・・・

彼の場合は
「バンド組んでツアーとか廻りたいんだけど」
と人に相談したら
「じゃあドラムはファンキーしかいないよ」
とみんなに言われて連絡して来たと言う(笑)

また「5月9日空いてる?」と言うので
「ひょっとしてこのイベント?」
ということであれよあれよと言う間に3つ叩くことになった。

ちなみにLuanShuは「礼物(LiWu)」という曲を演るということで、ギタリストとして彼も呼ばれている。

結局、中国ロックにゆかりが多い人はいろんなバンドで呼ばれるから出番が多くなるということらしい・・・

ちなみに唐朝老五(TangChaoLaoWu)のバンドは、
「ベースは誰にする?」
と言うので、
「日本人ベーシストだったら紹介するよ」
ということでなし崩しに有希子(よーしーず)に決まり、
リハをすると言うので行ってみたらキーボードは張張(ZhangZhang)だった(笑)

ギタリストは、よく一緒に仕事をしている「姚林(YaoLin)で、
このイベントの音楽監督も務めてるらしい。

彼から「オープニング曲もお願いしますよ〜」ということで結局ワシの出演は4バンド!!
しかし張張(ZhangZhang)はそれにレギュラーの鄭鈞(ZhengJun)の出演もあるので5つ!(◎_◎;)

デブ・・・よく頑張るのう・・・(笑)

まあワシらは基本的に「ミュージシャン」として呼ばれているわけだが、
ワシだけは何故か「特別ゲスト」としてクレジットされてポスターに写真まで載っている!(◎_◎;)

20160509Flyer.jpeg

ワシも「中国ロックに貢献した出演者」とされていることは非常に光栄なことだとありがたい気持ちで一杯である。

まあワシの場合には何のしがらみもないのでいいが、
出演者の交渉はかなり難航したという噂で、
例えば唐朝老五(TangChaoLaoWu)の場合はバンド名を芸名として名乗っているものの、バンド自体はとっくの昔に脱退していて、
当の唐朝(TangChao)とはあまり仲がよろしくないようで、
「あいつが出るんだったら俺は出ない」
みたいなこともあるだろうし、
LuanShu自体も黒豹を脱退してからバンドと日本JVC相手に訴訟騒ぎまで起こしているが、
これに関してはもう雪解けしてるようで、
「俺のギャラが黒豹より安かったら出ないよ」
ぐらいで解決したとかしないとか・・・!(◎_◎;)

まあそんなこんなで(というかスケジュール的なものが大きいのだろうが)出演出来なかったロックレジェンド達がいくつかいるわけで、
イベントとしてはオープニングのプログラムとしてそのレジェンド達の代表曲をメドレーにして、それをまだ売れてないロッカー達に歌わせようということになったようだ。

CHINA ROCK 30 オープニングメドレー

まず1曲目は何勇(HeYong)姑娘漂亮(GuNiangPiaoLiang)

「この曲も中国人なら誰でも知ってる曲なんですか??」
メドレーのDEMO音源を渡されて訝しがる有希子(よーしーず)(笑)

まあ日本のアマチュアバンドのデモテープのようなこの曲もあの時期一世を風靡した。
「お嬢さんお嬢さん、綺麗だね。警察警察、銃持ってるね」
というこの歌は当時の中国においてはむちゃくちゃインパクトがあった曲である。

彼との思い出は、若くして亡くなった唐朝のベーシスト張炬(ZhangJu)の葬式の時・・・

若いミュージシャン同士仲がよかったのだろう、号泣し、酒を飲んで暴れ、他の人とケンカをする彼を「パンクだなぁ・・・」と思ってぼーっと見てた。。。

2曲目は竇唯(DouWei)高級動物(GaoJiDongWu)

この曲は確か彼が九州の音楽イベントのために来日した時に、
ドラマーが来れなくて代わりに叩いた記憶がある。

黒豹のボーカルとして一世を風靡しながら、
脱退してその後はこの路線(現在はもっと難解な音楽)を進んでいるが、
あのまま黒豹に在籍していたら・・・と考える人間はワシだけではないだろう。

中国ロックを大きく変えたのは実はひとりの女性だった・・・
などという話は長くなるのでここでは割愛して私の本を読んで頂こう(笑)

さて次の曲は許魏(XuWei)蓝莲花(LanLianHua)
!!

自分がドラムを叩いてる曲が中国ロックのレジェンドに選ばれてるなんて光栄の限りであるが、確かに彼と一緒に作り上げたこのアルバムは中国ロック界に金字塔を打ち立てた。

それまで「中国人民よ立ち上がれ!!」とメッセージを発信していた崔健(CuiJian)に変わって、「僕はこんなに弱いんだ」というメッセージ
(一緒に飲んでる時に「絶望の中で一筋の希望を見た」ってのが君のメッセージだね、と本人にそう言うと「それ以上言わないでくれ、泣いちゃうから」と答えたのが印象的だった)
を歌にして、高度成長についていけない多くの若者に絶大的に支持された。

その辺の話は実は、昔関西大学の教授に頼まれて「中国ロックと中国社会」という論文を書いたことがあるのでそれをUPしておくのでおヒマな方はそちらを読んでみて欲しい。

こちら

さて次の曲こそがその崔健(CuiJian)
http://www.yaogun.com/artist/cuijian/cuijian.htm
の一無所有(YiWuSuoYou)
http://www.iqiyi.com/w_19rta4g2k1.html

ちょうど30年前の今日、1986年5月9日にここ「北京工人体育館」にて第1届百名歌星演唱会という連合国国際平和年を記念したイベントが開かれ、
そこで崔健がこの曲を歌ったことが「中国ロックの始まり」とされる。

日本だと「いやラウドネスが、いやBOWWOWだ!!」とか「やっぱ頭脳警察じゃないかなぁ」とか論議が絶えないところだろうが、全人民が認める「これがこの国で最初に生まれたロックだ」というのがあるということが中国の特殊性であろうか・・・

そしてメドレー最後の曲は中国共産党の曲、「国際歌」前述の唐朝が伝説のファーストアルバムの中に収録して若くしてバイク事故で亡くなった張炬(ZhangJu)が歌った曲である。

彼らが初めて日本に来た時に、
「ライブをやりたい」
と言うので、目黒ライブステーションに頼み込んで日本のバンドのイベントにねじ込んでもらって数曲演奏したことが懐かしい・・・

唐朝老五(TangChaoLaoWu)とのリハの時もその話が出た。

今でもその時に覚えた片言の日本語で話しかけて来て懐かしい思いがした・・・

張炬(ZhangJu)の死は中国ロック界では大きな事件で、そしてその後も大きな影響を与えて来た。

彼の追悼アルバムとして作られた「礼物(LiWu)」は2006年の"第六届百事音楽風雲榜頒奨盛典"にて、2005内地(大陸)最優秀歌曲賞、最優秀ロック歌曲、最優秀ロックアルバム、最優秀歌詞の4部門の賞を獲得するなどして、LuanShuもベストプロデューサー賞を受賞して今の地位を不動のものとした。

ワシ個人としてはこのアルバムのために若いバンドをプロデュースしてくれと頼まれて布衣楽隊(BuYiYueDui)と出会い、ボーカルの老呉(LaoWu)とはそれが縁で今でも一緒に暮らしている。

まさに張炬(ZhangJu)がくれたひとつの「礼物(贈り物)」のような「縁」である。

そんな「若手バンド」だった老呉たちも今では「大御所(まではいかないかな・・・古株)」ぐらいの位置に来て、その後の時代を担う「若手」が「爽子(ShuangZi)」である。

彼は自分の代表曲をメドレーにしたのだが、
そのトリに持って来たのがワシが書いた曲である。

ドラムや人生だけじゃなく、自分の曲がまた中国ロックの歴史に刻まれるのもまた嬉しいもんだね。。。

そんな今日のイベント、北京時間19時(日本時間20時)からネットで生中継されるそうな。
こちら→http://music.le.com/izt/rockchina30/index.html?from=timeline&isappinstalled=0
(見逃した人もきっとこのアドレスでアーカイブが見れると思う)

是非この中国ロック30年の歴史の節目を一緒に体験して頂きたい・・・


蛇足だがやはり書いておこうと思って加筆!!

30年前の今日、この北京工人体育館にて中国ロックの歴史が始まって、
そしてこの日にワシはいろんな思い出のある中国ロックの仲間たちと共にこのステージに立っている・・・

しかしこの友人たちの誰も知らない中国ロックの暗部の物語が私にはある。

同じくこの場所で、爆風スランプが出演したイベントにて、
中止命令を聞かずに届け出を出した4曲全てを演奏した私たちに対して、
銃を持った国家権力はPA席で若い中国人スタッフをめった打にし、
ボロ雑巾のようになった彼の「ロックのシンボル」である長髪を持って引きずって行った。

ドラムとギターアンプのベースアンプの生音だけで演奏を終えて、
胸を張ってステージを降りた私たちを、
銃を持った国家権力は別室に軟禁した。

ひょっとしたらその部屋だったかも知れない楽屋でこの文章を書いている。

若い中国人スタッフがボコボコにされたPA席に今日は国家権力が圧力をかけに来ることはないだろう・・・

しかしそんなことは多かれ少なかれ今日のこのステージに立っている中国ロックの立役者達はみんな経験している。

そうやってこの国で「ロック」をやって来たのだ・・・

平和になった。
この国でもこうして自由にロックが出来る時代が来た。

でもいつかまたこの国が動乱の世の中となって、
この国の若者たちが「ロック」で立ち上がる日が来たとしたら・・・

私は喜んで彼らと共に「ここ」で戦ってゆく覚悟である。

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2016年4月29日

アメリカツアー中止でバトル勃発(>_<)

そもそもはと言えばこいつが悪いのである!!

ZhangZhang1.jpg

今回のツアーはBig Johnこと張嶺(Zhang Ling)が自分のアルバムレコーディングのためにアメリカに行った時に盛り上がって決まったことのようだ・・・

ワシはだいぶ前から言われて6月1日から20日までのスケジュールを押さえている。

現地に住む中国人ミュージシャンHはBig Johnと20年来の友人。
レコーディングも彼の家に寝泊まりして一緒にアルバムを作り上げたらしい。
彼が現地のアメリカ人コーディネーターJと共に頑張ったのだろう、
数日前に喜び勇んでメッセージが送られて来た。

AmericaTourSchedule.jpg

「凄いだろ!!無名の中国人のライブがこれだけ取れたんだぞ!!」
聞けば過去にはジミヘンなどが出演してそこから有名になったという老舗のライブハウスもあるらしい・・・

Hは興奮してWeChatのグループチャットでばんばんメッセージを送って来る。
通知音で夜も眠れないほどである(笑)

ワシなんかはボストンに行けば息子の慧(さとし)が近所にいるはずだからその話をResしたり、北京発着の便か東京発着にするか、そんな話のやり取りをしてたのだが、
ワシ以外のメンバーのResが少々悪い・・・

重い腰を上げてBig Johnが
「張張(Zhang Zhang)、お前確か11日か何かにスケジュールが入ってたとか言ってたよなぁ・・・あれどうなった?」
と聞く。

返事がない・・・

そうなのだ、この男は困ったことがあるといつも返事も返さないし電話にも出なくなるのだ(>_<)

青島の大きなコンサートの音楽監督を一緒にやった時、
一番忙しい制作途中にヤツが消えた・・・

だいたい仕事の割り当てをして勝手に消えられると仕事が滞って仕方がない(>_<)
「ヤツはいないもの」だとして割り当てを変更して結局自分ひとりでやる羽目となる・・・

そしてほとぼりが冷めた頃「Funkyさーん〜」とか言ってなに食わぬ顔して現れて来るのだ・・・

まあヤツが来れないなら他のプレイヤーを調達すればよい。
Johnの華南ツアーもそうやって乗り切った。

ところがBig Johnの次の書き込みで流れが大きく変わった。
「じゃあ俺も11日北京で仕事あるんでそれ入れるわ〜」

「え?!(◎_◎;)」

まあワシも和佐田もX.Y.Z.→Aのアメリカレコーディングの時には日本で仕事が入っていてそのためだけにアメリカ日本を往復したことがあるので「まあそんな風にやるのかな」と思っていたら・・・

翌日はこのバンドでの音楽フェスティバルのリハのために全員が揃う。
その時に状況が一気に明るみに出た。

実は張張(Zhang Zhang)が入れていたのは11日一本の仕事だけではなく、
11日までびっしりとスケジュールを入れていたのだ!(◎_◎;)

「じゃあアメリカツアーは12日からにしよう」

そう決まるのはまあ当然の流れなのだが、
その旨をBig JohnがWeChatで送った瞬間にバトルが勃発した。

「&#☭〄;$※♂☞?!!」

もうね・・・一晩中通知音が鳴りっぱなしでアメリカからずーっとBig Johnを詰ってるの・・・(>_<)

まあ自分が一生懸命ブッキングしたライブをドタキャンされて、
ライブハウスのオーナーにも面子が立たんかも知れん、
アメリカ人コーディネーターにも面子が立たんかも知れん・・・

「まあまあ、せっかくスケジュール押さえてるんだから、
張張(Zhang Zhang)の代わりに別のキーボード立てて予定通りツアーやろうよ〜」

ギタリストが助け舟を出す。
しかしもう時は遅し、Big Johnとてこれだけ言われてもう後には引けない。

「お前なぁ、ギャラの提示も出来なくて何言ってんだ!!」

まあBig Johnにしてみれば行ったはギャラ払えませんではワシらミュージシャンに悪いのでその辺は昔から突っついてたのだろう・・・

しかし無名の中国人ミュージシャンがアメリカでギャラ売り出来るほどアメリカのマーケットは甘くはない。

もうね、話は泥沼・・・
「お前とはもう友達でも何でもない!!」
とまで飛び出す始末・・・

「メンバー各位、アメリカツアーは中止になりました。
そもそもお金にもならないのにこんなに長く中国離れてたら食っていけないでしょ。
皆さん自分の仕事入れて下さい」

あのね、もう既にいろんな仕事をこのスケジュールのために断ってるの・・・(>_<)

まあ気持ちはわかるよ。
11日にきっとオイシイ仕事が入ったのだろう。
それをやっとけばしばらく金には困らずに自分の好きな音楽が出来る。
気持ちはわかる!!

でも日本人ミュージシャンとしてなかなかそうはやってられない。

そもそもが日本の老舗のライブハウスなどでは、
「あ、すみません、このスケジュール、オイシイ仕事が入ったので他の日に移してくれませんか」
などと言い出そうものなら
「うちの店二度と出入り禁止!!」
となるだろう。

どんな小さな仕事でも「決定」になったらそれは「決定」!!
ドタキャンなどは絶対に許さない!!
というのが日本の社会である。

それに比べたら中国などはかなりユルい・・・

しかしまあそのユルさのお陰で、
10年前親父が危篤になった時に、
「そりゃそっちが大事だ!!帰っておやり」
とばかり全ての仕事をドタキャンして日本に帰って親父の最期を看取ってやれた。

まあ
「中国人同士なんだからうまくやって下さいよ」
というのがワシの本音なのだが、
そこに「面子」というのが入って来ると中国人同士ほど始末に負えないものはない(>_<)

問題は「中国ロックへの面子」にまで発展した。

AmericaTourPoster.jpg

Big John個人の名義では集客も心配なので
「Chinese Rock All Stars」
と銘打ってライブをブッキングしてたのだが、
関係者全てから
「Fuck you Chinese Rock!!」
と言われているとHは言う。

「Fuck you Chinese Rock!!」
つまり
「中国ロック糞食らえ!!」
お上品に言うと、
「中国ロックさん、うんこ召し上がれ」
ということで、
これはもうBig Johnのせいで中国ロック自体の名誉が地に落ちてしまったではないか!!ということである・・・

「ほな誰か他のChinese Rock Starでスケジュールの穴埋めしたらええんとちゃうん」
というわけでHが昔馴染みの罗琦(Luo Qi)という女性ロッカーと連絡を取って来た。

酒場でケンカして片目を潰さた伝説のロックシンガー。
その後麻薬で姿を消して、後に政府の麻薬撲滅運動に協力して復活したという伝説の人である。

ワシがデビューアルバムをプロデュースして大ヒットした歌手「李慧珍(Li HuiZhen)」は偶然にもこの罗琦(Luo Qi)の後を担うようなスタイルで一世を風靡したのだ。

しかし人には不思議がられるが、ワシ自身は実は罗琦(Luo Qi)とは一度も面識がない。

そんな伝説のシンガーとアメリカをツアーで廻れるなんて夢のようだ・・・
と思ってたら「スケジュールが急過ぎて無理なんだって」と連絡が来る。

「誰かいないか?」
ということで名前が挙がったのが今度は「李漠(Li Mo)」ひょんなことから共通の知り合いがいるものだ・・・
Hに「あいつのファーストアルバムはうちで録ってやったんだぞ」と言うとびっくり!!

トントン拍子に李漠(Li Mo)で予定通りツアーを廻って全ての面子が落ち着いてちゃんちゃん!!・・・と思ってたらここでまた問題が勃発した(>_<)

何とHがWeChatでBig Johnとの絶交宣言から彼の悪口を書きまくって来たのだ・・・

(>_<)

もうね、いい加減にして欲しい(涙)
ここまで問題を大きくされたら、
もしワシがアメリカ行ってツアーしたとしても写真のひとつもUP出来ない。

それを見る全ての人がこの書き込みを思い出して「気分悪く」なるのだ。

そりゃワシはアメリカをツアーで廻るのが夢だが、
それをやって色んな人がイヤな気分になるぐらいだったらやめた方がいい。

アメリカ行きは諦めて、リハーサルの合間に空いたスケジュールの調整をいろいろやっている。

5月初旬は中国でもゴールデンウィークで音楽イベントが多く、
その掛け持ちでリハーサルのスケジュール組みも大変なのだ。

いくつかの現場でこいつが一緒にいる。

ZhangZhang2.jpg

ワシよりもはるかに多くのレギュラーを抱えてて、
ワシなんかふたつの現場で既にスケジュールが衝突してるというのに、
「お前、それだけ掛け持ちしててよくスケジュールが衝突しないなぁ・・・」
と言った時のこいつの答え!!

「衝突?・・・一度も衝突なんてしたことありませんよ・・・」

お前なぁ・・・もともとはと言えばお前から始まったことじゃろ!!
(ふりだしに戻る)

ワシがこの国でちゃんとスケジューリングしてゆけるようになるのはまだまだ先の話のようだ・・・

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2016年4月24日

ヴァッケン・メタルバトルin中国

居酒屋兆治の田端さんの息子、翔くんが、
「すみません、ドラム叩いてくれませんか」
と言うのでふたつ返事で引き受けた。

とりあえずは5月1日の蘇州MIDIフェスティバル、
そして今回の鎮江(ZhenJiang)だったのだが、
「コンテスト」と聞いていささか不安になった・・・

アマチュアバンドのコンテストにワシなんかが参加してもいいのだろうか・・・

コンテストと言えば爆風スランプの前身バンド「爆風銃(Bop Gun)」も「EAST WEST」と言うコンテストから出て来たのだから懐かしいことこの上ないが、
そもそもが若かりし頃の好戦的で性格の悪いワシらは、楽屋なんかで他のバンドに闘志をむき出しにしてたのだから、そんな殺伐とした雰囲気のところにワシなんかを呼んだバンドなどが一緒にいて他のバンドから反感を買ったりしないだろうか・・・

「いいんですよいいんですよ」
と言うのでリハーサルに行って来た。

NeverBeforeRh.jpg

いや、人相悪いな・・・特にボーカル(笑)

リハ後にはみんなでタバタバーに行ったのだが、
そこでこの人相悪いのがバーカウンターでカクテル作るのな(笑)

NeverBeforeVoCkocktail1.jpg

NeverBeforeVoCkocktail2.jpg

NeverBeforeVoCkocktail3.jpg

いや、オシャレなの作れば作るほど似合わんぞ(笑)

まあでもバンドでバーをやってるっつうのはええわな(全員酒飲みの場合)
リハ後のミーティングも自分のバーでやることが出来る・・・

そこで聞いた話、実はこのコンテストはドイツ最大のヘビーメタルイベント「ヴァッケン・オープン・エア」への出場権をかけた「メタルバトル」というイベントらしい。

「ヴァッケンってどっかで聞いたことがあるなぁ・・・」
と思ってたら何かのテレビ番組で今年は日本からはラウドネスが出場するというと言ってたイベントではないか・・・

「えっ!(◎_◎;)ラウドネスが出るんですか!!」

ラウドネスっつうか二井原実の大ファンであるボーカルが狂喜乱舞!!
人相悪いのに人間可愛いのな・・・(笑)

「よし!!イベントではグランプリ取って絶対ドイツ行くからな!!」

なんかワシの中では妄想がどんどん広がっていって、
「ラウドネスを紹介してやるぞ」
という感じから、酔いが進むにつれ
「中国の無名のバンド、ラウドネスを完全に食った」
とかにまで妄想が広がってゆく・・・・


そして当日、会場である鎮江(ZhenJiang)は生憎の雨・・・

MetalBattle2016.jpg

コンテストなのに野外でやるんかい!!(◎_◎;)

なんかコンテストと言うより、
これも全世界で開かれる「ヴァッケン・オープン・エア」のメタルイベントのひとつなんなんだろうなと思った。

MetalButtle2016Poster.jpg

ワシなんかもうグランプリ取るつもりやからな、ドイツ行くつもりやからな!!
まあワシの場合、強く信じ込んだらそうなっちゃうから怖いよね・・・(笑)

命懸けでドラム叩いたら、集まってるメタルファン呆然・・・
対バンのドラマーとかステージ袖でワシと記念撮影撮りまくり・・・

ほんまワシって「ミュージシャンズミュージシャン」やなぁ・・・(笑)

出番が終わったら対バンと酒飲みに行って盛り上がるし、
やっぱこれは「コンテスト」と言うよりは「メタルイベント」やな・・・

さて結果は最終日が終わってみないとわからないということで、
バンドのベーシストが残ってその結果をメンバーに伝えるということらしい。

もうワシなんかドイツ行く気まんまんやからな!!

ところがビール飲みながら何の気なしに聞いたこの一言で打ちのめされた・・・

「ところでドイツってスケジュールいつなん?」
「はい、8月4、5、6日です!!」

ワシ・・・日中友好こども(大人も可)サマードラムスクールが入ってるから参加出来んやん(>_<)

しゃーないな・・・グランプリ取れたらお前らだけで行って来い!!(涙)

MetalButtle2016Tshirts.jpg

まあこのパスとTシャツだけ記念でもろとくわ・・・

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2016年4月21日

中国ロック30年の歴史コンサートのリハ開始!!

悪いのは自分だ、よくわかっている(>_<)

WINGのワールドツアーで香港、オーストラリア、マレーシアの美味いもんばっかりを食い、そのまま日本に帰ってX.Y.Z.→Aのツアーでまた暴飲暴食!!

帰る前日には二井原が「反省会ぢゃ!!(バーべQやって昼から飲むの意味)」と言うので昼から飲んで、そのまま終電で蒲田まで行って北京戻りの激安朝5時発の飛行機に乗って・・・

それからである。
11時にはミーティングと言うのでビジネスランチでビールを飲んだ・・・

15時からはミーティングなのでよかろうと思ったのだが、
実はそれはレコーディングだった(>_<)

夜の12時に終わった時にはもう身体がおかしくなっている・・・

あまりないことなのだが頭痛がひどく、
身体の節々の関節が痛くなり、
腹は下すし思いっきり踏ん張れないのでドラムも叩けない(>_<)

夜中にやっと院子に帰り着いて寝ようとしても、
身体の節々が痛くてなかなか寝付けない(>_<)

夕方からリハ・・・

実は5月9日には「中国ロック30年の歴史」みたいなオムニバスコンサートがあって、
ワシは
栾树唐朝老五爽子の3つのバンドでドラムを叩くということで、その色んなリハが細々とブッキングされている・・・

この日はその第一弾!!元唐朝のギタリスト老五のリハ!!

中国ロックの黎明期を築いた大御所ロックバンドのギタリストで、
ワシのインタビューでもこのように引用されている伝説のギタリストである。

古くは中国ではロックのバイブルのひとつとなったワシのソロアルバム「亜州鼓魂」に参加してくれたのだが、
会ったのは15年前の彼の結婚式の時以来、
そして一緒に音を出したのは・・・

20数年前、彼らが日本のレコード会社と契約して初来日した時に、
目黒ライブステーションに無理やり出演させて頂いて、
そこで一曲だけ一緒にセッションしたっきりである。

その後ベースの张炬(ZhangJu)が北京でバイク事故で亡くなり、バンドは次第に求心力を失って活動停止・・・

彼がバンドを脱退してソロになってからは一緒に音を出すチャンスは一度もなく、
今回なんと初めて「バンド」として音を出すことになったのだ。

WithTangChaoLaoWu.jpg

TangChaoLaoWuRh.jpg

歴史の人と久しぶりに音を出す感激・・・
長年の友と久しぶりに音を出す感激・・・

腹具合が悪く、無理して気張ってもいつぞやのように漏らしてしまうことなき感激・・・(涙)

それにしてもこんなレジェンド達に囲まれてワシの顔も名前も小さくポスターに載せられていること自体が感激じゃよ!!
20160509Flyer.jpeg

リハはしばらく続く・・・ゆっくり寝て体調を整えるのぢゃ・・・

Posted by ファンキー末吉 at:12:34 | 固定リンク

2016年3月21日

日本に家を買いに行く中国人

前回志賀高原でご一緒したLuanShuの親分Hさんだけでなく、
LuanShu本人も家を買うと言うので物件を探しに一時帰国・・・

いやね、土地の値段がバカ高い北京の人たちにとって、
日本で1億円ぐらいの物件なんか安い安い!!

ほんま北京市内に1億円以内で家買おうと思ったら大変よ・・・

それに中国は家を「所有」するわけではない、
70年間の「租借権」を買うという形らしい。

つまり土地は全て「国」のものなのであるから、
「70年の間自由に使っていいからその分お金を払いなさい」というもの・・・

これってワシは、もし70年経つ前に売買したとしたら当然ながらそこから70年間の租借権となるのかと思ったら実はそうではないらしい・・・

例えば20年住んで中古で物件を売却したら、
そこにはあと50年しか住めないということである(驚)

この制度が始まってまだ20年も経ってないだろうが、
あと50年経ったら全ての物件はどうなるのだろう・・・
そこにどんな人が住んでようが国が全部没収してしまうのだろうか・・・

はっきり言って国はまだそんなに考えてないのだということらしい。
「到了再说吧(その時が来たら考えよう)という感じで、
買う方は買う方で
「70年後にはどうせワシ生きてないし〜」
ぐらいにしか考えてなくて全中国でこのシステムが定着してしまっている(驚)

まあ中国人にとってみたら、
北京より安い金で日本に家買ったら永久に自分のものになるだけでなく、
ヘタしたら自分の子孫にまで財産が残せるんだからこんなオイシイ話はないだろう・・・

でもそれはそれで大変なんちゃうかなぁ、
そんな大金をどうやって両替するのだろう、どうやって持ち出しするのだろう・・・

何か多額の送金は国が制限し始めたということで、
まさか現金をバッグに詰めてハンドキャリー?・・・

んなわけないか・・・
金持ちは金持ちでワシにはわからんいろんな方法を知っとるんやろうなぁ・・・

まあ「お前が持って行け」と言われて現金で1億円渡されたら持って行くけど(笑)

場所は軽井沢と野沢温泉を所望らしい。
まあ北京に比べたら空気も格段にいいからええかも知れんな。

「自分が泊まらない時は管理も頼む」と言うので十数年ぶりに軽井沢でペンションやっとる幼馴染を訪ねてゆく。

まあ管理はそいつに任せて、使ってない時はワシが別荘代わりに泊まりに行ったるぞ〜

Posted by ファンキー末吉 at:04:16 | 固定リンク

2016年3月16日

またまたドタキャン(>_<)

日本人の一流ミュージシャンばかりでバックバンド再開!!という使命を受け、
前回とはひとりを除いて全く違うメンバーが集まった。

前回はワシ自身が参加できなかったが、実は今回はワシ自身もドラマーとして参加である。

実は迷ったのよね〜・・・
長年の朋友WINGのオーストラリア、マレーシアツアーのために26日に香港に飛ぶ飛行機が押さえられているので、本来ならば本番のスケジュール26日が完全にぶつかっている・・・

今回のこの上海でのバックバンドの仕事は「自分が仕事したい」というよりも、中国の音楽界の活性化や日本のミュージシャンが将来もっとバリバリに中国で仕事をしてもらいたいがためのもので、むしろ日本の一流ドラマーに来てもらった方がよい。

しかしまあ主催者側もワシがいてくれなければ不安だということで考えた!!

だいたいにして朋友WINGは夜型の人間である。
リハが行われるのはだいたいにして夕方開始が多い。
(それでも寝坊して来る時もある・・・笑)

香港でのリハは27日から開始ということは確認しているので、
万が一昼からのリハになったとしても27日の朝いちで香港に飛べば間に合うであろう・・・

しかしこの段階でワシはWING側には「27日のリハ当日に香港入るよ」とは伝えてない。

この辺は「センス」である。
後にこれが大当たりで大きく助かることになる・・・


さて、お声をかけさせて頂く方には
「中国の仕事はドタキャンが多いから」
と仕事の発注の時点でお伝えしているのだが、
(そのためにちゃんと前渡金を取って渡している)
人によってはなかなか詳細が詰まらないと不安な人もいるようだ。

まあその気持ちもわかるので、間に立ったワシは一生懸命中国の事情を説明する。

今回も
「空港でWi-Fiをレンタルするのにフライトが羽田か成田か知りたい」
という方がいて、
「もう羽田ということでオーダーは出してるんですがまだ回答がないんですよ」
と説明した。

思えばその時にこんな発言をしなければよかったのだ・・・
「前回はこの段階でドタキャンになりましたけどね(笑)」

「言葉が運命を呼び込む」というのは本当にあるのかも知れない。
まさにこの発言をメールで送りつけた瞬間にワシのWeChatがメッセージを受信した・・・

またまたドタキャン(>_<)

もうね、先方の平謝りが凄いのよ・・・(笑)
(まあ2回連続なのでそうなのだろうが)

でもワシとしては前渡金ももらっているので「没問題(MeiWenTi)」と返事しておく。

しかしこの辺においては日本人ミュージシャンとしては考えが分かれるようだ。
前回も
「そんなことだろうと思った。パスポート返して下さい」
と少々お怒りのメールをお送りになった方もいて結構ショックを受けた・・・

まあ日本の非常にシステマライズしたやり方に慣れている方にとってはこれらのことは許せんことかも知れんが、ワシなんかは前回はただ人助けで皆様のために一生懸命前渡金も取って一番働いたわけぢゃが、今回は初めてもらう側になって・・・

もうね・・・全然「没問題(MeiWenTi)」!!\(^o^)/

スケジュールをしばらく押さえるだけでお金もらって、
(ワシの場合はLaoLuanとこに入るのだが)
結局はその金返さずにスケジュール空いて別の仕事も入れられるなんて天国よ〜(笑)

そこで前述の香港行きのチケットが生きて来る!!

実は前渡金をゲットした瞬間にWING側にチケットの変更、もしくはキャンセルをお願いしようか迷ったのよ・・・

まあ
「自分の都合なので先に自分で上海ー香港のチケットを押さえてから連絡しよう」
と思ってアプリでポチリ!!!・・・

・・・しようと思ったら何故だか指が重い・・・

まるで左門豊作と対決する星飛雄馬の腕に左門豊作の弟妹達がへばりついてピンチングを邪魔する(古っ!!)みたいな感じである。

「まあいいや、そのまま置いといて上海行きのチケットがFixされたら取るか」
とずーっと置いといたのが助かった。

ヘタしたら26日香港行きのチケットも失ってこの上海ー香港も無駄になってたかも知れない・・・

もうね、この国で生きてゆくにはいろんな「テクニック」が必要!!(>_<)

会場は全部国のモノ、許可は全部国の鶴の一声、
共産党一党独裁であるこの国で日本のようなシステマライズされた状況を期待したって絶対無理なのである。

でも中国の仕事もどんどん状況はよくなっている。
前渡金を2度もゲット出来るなんて10年前には考えられなかった。

次もまた同じような仕事が来るだろう・・・しかもまた直前に(笑)

ホント、こんなんでいいと思って頂ける日本の一流ミュージシャンの方は、
これに懲りずに是非また私の誘いに乗って下さい(ペコリ)

皆様が更に大きく羽ばたけるチャンスがこの国にはあると思ってます。

Posted by ファンキー末吉 at:09:27 | 固定リンク

2016年3月14日

中国のロックスターに口説かれる渋谷有希子(笑)

アメリカにレコーディングに行ってた老呉(LaoWu)が帰って来た。

「お、帰って来たか〜何が食いたい?」
というわけでみんなで火鍋を食いに行こうと決まったその瞬間、
「Funky〜今日またうちでみんなが集まるからさ〜おいでよ〜」
とメッセージ・・・

前日しこたま飲んだ青島料理屋のオーナーである。

「ロックバンド〇〇や〇〇のメンバーなんかも来るよ〜みんなお前が来るの待ってるよ〜」
と顔ぶれを見ただけでどれだけ飲むメンバーなのかが想像出来る・・・

「今日は別の集まりがあるから無理!!!」
と返事をしておくのだが、それでもばんばんにメッセージが来る上に、
そのメンバー本人からもばんばんにメッセージが来るのでもう仕方ない。

「じゃあこっち終わったら顔出すよ〜」
と言って「晩飯のハシゴ」となった・・・(>_<)

もうね、超満腹でこの青島料理屋行って、
絶品青島料理や毎日空輸される青島生ビールなどを前にしてまた暴飲暴食を繰り返すのは目に見えている・・・

このメンツなら絶対にエンドレスの怒涛の飲み会になるのも目に見えているので、
「私は行きません」
ときっぱり断っていた有希子(よーしーず)・・・

ところが電車で行くにはうちからは遠すぎるので
「送るだけ送ってよ〜」
ということで車の運転を頼んだのだが、
着いて「じゃあちょっと顔だけ出そうかな」となったのが悪かった。

HeiShanDaoBeer.jpg

ちなみにこれが、その日のうちに飲まなければ次の日には飲めなくなるというので毎日青島から空輸されるという、北京でこれが飲めるのはこの店だけだろうという青島ビールの搾りたて生ビール!!

その向こうにちらっと映っているのがワシと有希子(よーしーず)、
この後にイッキが始まり、いきなりアクセルをトップギアに入れて周りのテンションについて行くワシを尻目に、飲めない有希子(よーしーず)は隣でちょこんとお茶を飲みながら座っていた・・・

ところがこの写真を撮った人間の右隣に問題のロックスターが座っていた。
中国で一番レコードを売ったロックバンドのキーボード「H」である。

前回会った時には彼は中国で一番金を稼いだロックバンドに新加入した女性ドラマーと結婚目前ということで、
「よ、嫁さんは元気か!!」
と言うとそこからちょっと態度がおかしくなる・・・

別れたのか・・・!(◎_◎;)
と思ったのだが、まあ男女の仲にはいろんなことがあるので深く追求せずにいた。

ところがそこからこのロックスター「H」の態度が少しおかしい・・・
テーブルの反対側からやたら有希子(よーしーず)に話しかけてたと思ったら、
最後には彼女の隣に座って一生懸命口説いている(笑)

ちなみに有希子(よーしーず)は北京に移り住む時にはワシの教材などを使って一生懸命中国語を勉強していて少しは喋れるのだが、
その後こちらに移り住んでからはちょっと脳みそが中国語を拒否したりして(周りが全部中国語だと中国語学習者は時々このような現象になったりする)それからほとんど進歩していない。

当然ながら「Funky〜ちょっと通訳してくれ〜」となる(>_<)

中国語になるとまずは
「有希子(よーしーず)はお前の彼女なのか?」
が来る。

「運転手です!!(キッパリ)」

そしたら今度は有希子(よーしーず)に
「Funkyは貴女の何なんですか?」
と聞くので、彼女も少ないボキャブラリーで一生懸命答える。

「大哥(DaGaダーガー:お兄さん、もしくは親分の意)かなぁ・・・」

まあ友人の彼女じゃなきゃ本格的に腰を据えて口説けるってなもんだろう、
「わかった、じゃあまあ学生(XueShengシュエション:この場合は弟子とか生徒とかの意)ってことだな。わかった!!俺は彼女のことが好きなんだ。お前から付き合えと言ってくれ!!」

!(◎_◎;)

だいたいにして考え方がおかしいだろう・・・
たとえ彼女がワシの弟子だったとしても
「こいつと付き合え!!」
と言ったら
「先生がそう言うなら付き合います!!」
となるか???(笑)

めんどくさいので右隣のLaoLuanの方を向いて見て見ぬ振りをする・・・

最初は手を握ったり目と目を見つめて愛の言葉などを囁いていたのだろう、
また言葉が通じなくなって「通訳してくれ」とワシを呼ぶ。

「ちょっと通訳してくれ、
俺は家を二つも持ってるし、お前を養って行ける生活力もある」

!(◎_◎;)

まあそのまま訳したら有希子(よーしーず)は激怒、
まあ日本人女性からしたら当然の反応ぢゃわのう・・・(笑)

ここでワシは彼の友人として少し中国人のメンタリティーを説明しておきたい。

その昔ワシの秘書をやっててくれた貧しくも美しい美少女がモデル事務所にスカウトされた時の話・・・

学校も行けてない、ひょっとしたら戸籍もないかも知れない彼女を説得するために、
その彼がこういう言い方をしたのが印象深かった。

「お前は自分が美人だということがわかってるのか。
この国で美人ということは金を稼げるということだ。
お前がこの仕事をやって金を稼げば、
お前の妹はお前がやりたくて出来なかったことを全てやることが出来るんだぞ」

この辺の考え方が日本人独特のフィルターを通して見ると「即物的」に映るのかも知れないが、
有希子(よーしーず)を口説くロックスターの考えは決してそんな
「女を口説くのに金や財産」
みたいな考えでこの発言が出たのではない!!(キッパリ)

まあ片言の中国語で一生懸命
「私たち会ったばかりでお互いのこと何も知らないでしょ」
ということから始まったようだが、
「じゃあ僕は自分のことを話すね」
となったわけだ。

日本人なら「愛」とか「気持ち」とかそんなものだけを語るべきであって、
「金」とか「財産」とか「生活力」などを口に出すと「いやらしい」と感じてしまうが、
中国人にとっては、「愛」とか「気持ち」とかだけで一生懸命口説いて、
いざ付き合い出してから「金」もないよ、「財産」もないよ、
挙げ句の果てには「生活力」もないからお前食わせてよ、というのは「騙し」である。

ちゃんと自分が生活力があることを知らせて、
「だからちゃんとした気持ちなんだよ」
というむしろ誠意みたいなもんなのだ・・・

しかしもう有希子(よーしーず)としてはこれを聞いた途端に
「受不了(ShouBuLiaoショウプリャオ:絶対に受け入れることが出来ない感情を表す)」
である。

ワシはもうテーブルの反対側に避難して、LaoLuanや集まったモンゴリアン達とモンゴル民謡を歌って盛り上がっている。
見ればロックスターはまだ有希子(よーしーず)を一生懸命口説いているようだ(笑)

YouxizPaoNiu.jpg

青島から空輸したその日の搾りたて生ビールは全部飲んでしまい、
どこでも売っている青島ビールの瓶ビールもたくさん空けた後にやっと、
「じゃあ帰るか」
となった。

免許があって酒が飲めない理想的な運転手である有希子(よーしーず)は、
車に乗るや否やハンドルのところに突っ伏してこう言った。

「もう〜〜疲れた!!!もう〜〜イヤ!!!」

(笑)

「日本での例えはちょっと見つからないが、アメリカで言ったらボンジョビのキーボーティストに口説かれてんのよ!!お受けするでなくてもしばらく相手してあげれば〜」
と言うのだが、女性の感情としてもうイヤでイヤでたまらないようだ・・・

中国に来て今年でもう26年。
数々の有名美人歌手とも仕事をしたり出会ったりしたけど、
一度として「口説かれた」ことはない。

寄って来るのは全部「男」(>_<)

「ふぁんき〜(声が2オクターブほど低い)」
その昔はその後「電話番号教えてくれ〜」(涙)
今は「WeChatで追加してくれ〜」(号泣)

ところが中国に来てまだ一年もたたない駆け出しのベーシストがロックスターに口説かれるんだから、世の中というのは公平には出来てないのう・・・(シミジミ)

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2016年3月13日

タバタバー始めました

と題したWeChatメッセージが回って来た。

伝説の日本居酒屋「居酒屋兆治」の息子、田端翔くんからである。

居酒屋兆治は北京で最初に出来た日本居酒屋。
名物オヤジだった田端さんには爆風スランプの北京公演で大きなお世話になった。

(ワシの著書「大陸ロック漂流記」に書かれているそれに関するページ)
IzakayaChoji.jpg

その後グレて高校を中退し、メタルの道を突き進んでいた彼だが、
どうやって生活していってたのだろう・・・

聞いてみたら「日本居酒屋でバイトしてた」ということである。

「親の背中を見て育つ」とはよく言う言葉であるが、
まさしく父親の背中を見て同じようなバイトを選んでいるところを面白く感じていたが、
バイトだけではなく自分で何軒かラーメン屋を開いては潰していたことを聞いて、
「DNAというか父親の影響って本当に大きいな」
と思ったものである。

そのラーメン屋とやらには行ったことはないのだが、
本人がWeChatの書き込みで、よそのラーメンを食べて、
「俺に作らせてくれたらもっと美味いラーメンを作るのに」
というのを見て、味の方はなかなかのものであっただろうと想像するが、
なぜ潰れたのかというとそれは「許可関係」だということである。

北京でメタルバンドなんかやってても「食えない」わけだから、
通常だったら「じゃあバイトでも探すか」になるところが、
彼の場合は「じゃあ物件探してまた店を立ち上げよう」となるところが「親の背中」である(笑)

そんな彼を、同じく居酒屋兆治の田端さんにはお世話になったという勝山に紹介した。

勝山としては
「居酒屋兆治って名前の店立ち上げたら凄いことになるんじゃないか」
とか言ってたのであるが、本人は、
「それではあまりにプレッシャーが・・・」
とか言いながらも、いつかは父親の伝説の店の復活は夢のひとつではあるようだ・・・

ワシとしても
「そりゃ天国の田端さんも喜ぶだろうな」
などと漠然と思ってはいたのだが、
まあそんな大掛かりな店はスカンピンの彼にしてはまだまだ夢のまた夢のことであろう・・・

「小さな物件を見つけたんでバンド仲間と油そばの店をやろうと思うんです」
などと言っては物件が流れて実現しなかったりしていた。

「なんで油そばなの?」
と聞くと、
「厨房の規模を考えるとラーメンはスープの分大変だから油そばにしたんです」
とかなかなか海千山千のモノの考え方・・・

中国ならではの、
「この物件は無許可営業になるので先行投資もあまりかけられないし」
などのことにもちゃんと気を配っている。

そもそもがスカンピンの彼がどうやって店などを立ち上げられるのかとも思ったが、
その辺投資家を探して来たり、親父譲りというかいわゆる「サラブレッド」のようにワシなんかは感じてしまう。

そんな彼をいつものように「メシでも食うか〜」と誘った時に
「今市内に物件探しに来たところなんです」
と言ってた矢先、その4日後にこの「バーを開きました」のメッセージ。

びっくりしたなぁ〜(もう!!)
というわけで、有希子(よーしーず)と方言(FangYan)を誘って仮オープンのその店に行ってみた。

TabataBar.jpg

なんと想像以上にデカい店ではないか!!!(◎_◎;)

しかも場所は北京市内の一等地!!
雑居ビルの2階で入り口を探しにくいとはいえ、
東京並みに家賃が高いと言われている北京でこの規模の店って相当なもんではないのか・・・

TabataBarCounter.jpg

ずーっと調理場に引っ込んでいた翔くんが出て来たのでパチリ!!
店は妹(写真左)やバンド仲間など友人たちと回しているのだろう。

料理を運んで来たのは刺青だらけのバンドのボーカル!!(笑)

TabataBarWaiter.jpg

いや〜オシャレな店なのにカウンターの中にはこんなん(笑)やら、
翔くんの彼女も結構タトゥー入ってるし妹はピアスばりばりやし、
そんな「ロック」な若者たちをカウンターの隅に座って心配そうに見守っていた女性から挨拶をされた。

「ファンキーさん、お久しぶりです」

居酒屋兆治はマスター田端さんのキャラがあまりに強過ぎたので記憶に薄かったが、
それは20数年ぶりにお会いする田端さんの奥さん、つまり翔くんのお母さんであった。

居酒屋兆治が土地開発で立ち退きになってブルドーザーが取り壊しに来る時に、
屋根の上に登って「中国はそれでも法治国家か!!」と叫んだという伝説の人・・・

その後店は潰れて田端さんも亡くなり、
女手ひとつで二人の子供を育て上げた。

子供はグレてヘビーメタルなど訳のわからんものを始め、
刺青だらけの彼女や友人たちとこうして店を立ち上げている・・・

この日は泣き夫と重ねてその息子の姿を見ているのかも知れない・・・

自分勝手な思い込みかも知れないけど、
「これを足がかりにいつか居酒屋兆治という名の店やってくれたらいいなぁ」
などと思っているのはワシだけだろうか・・・

この店が成功したらそれを足がかりにでもいいし、
もちろんバンドで成功したらそれを元手にでもいいぞ。

どっちにしろ頑張れ!!田端翔!!

TabataBarPoster.jpg

篮堡国际中心2座2楼236 Bar dot.
地下鉄駅出口のお粥屋の右側の階段を上がって2階

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2016年3月11日

心のスキマ埋められた?・・・

来る3月25日の審決に関して弁護士とミーティングのために帰国していた。

弁護士としてはもう提出するものは全て提出してしまい、審決を待つのみなので仕事としては第一ラウンドは一段落である。

「じゃあ食事でもしましょうか」
というわけでちょいと飲み過ぎてしまったようだ・・・

「もう一軒飲みに行きましょうか」
その辺から記憶が少し曖昧である・・・

場所は新宿歌舞伎町、確か風林会館をちょっと新大久保方向に歩いた右手の雑居ビルの中だと思う。
カウンターだけの店で、ママさんとえらい美人な女の子がふたり・・・

店の奥にはアップライトのピアノが置かれている・・・

水割りを作ってくれた美女が、いつの間にやらそのピアノの前に座ってクラシックを弾いている・・・
そしてもうひとりの美女がフルートを吹き出してピアノと一緒に演奏する・・・

「Jazzの店ですけどいいですか?」
と言ってたような気がするが、演奏曲目はクラシックである。

ところが今度はママさんがピアノに座ってJazzを奏でる・・・
弁護士がマイクを握って「わが心のジョージア」を歌う・・・

そうそう、この弁護士は自分でバンドなんかもやってたりして、
だから著作権に強いのだ。

いつの間にやらアコギがあって、ワシもジョージアを一緒に弾いている・・・
そしてマイクの前でワシがVoThMの曲を弾き語り・・・

そして美女たちの作ってくれた水割りをまた飲む・・・

気がついたら中央線に乗っていた。
ポケットの中には店の名刺が・・・

ピア新宿ビル6Fピアノバーなり沙・・・

電車が揺れたのでつり革につかまり、
もう片方の手で名刺をポケットにしまった・・・

八王子に着いてあーちゃんと飲みに行き、
酔いつぶれて寝て起きたらポケットから名刺は消えていた・・・

美女の写真を撮ったような気もするが、iPhoneの中には写真はなかった。
きっとまた同じ店に行ってもその店はないのかも知れない・・・


飛行機に乗って北京に帰って来た。
迎えに来た渋谷有希子(よーしーず)の車に乗って院子に向かう。

「この辺、何やら賑やかだよねぇ・・・」

空港近くの道の左側、昼間は閑散としているのに夜になるとレストランとかの看板が並ぶ街並みが現れる。

「行ってみようぜ!!」
道を左折して賑やかな路地に入って行く・・・

空港からすぐ近くなのだが、逆に空港までの交通機関が路線バスしかないので、
便利なのか不便なのかわからない住宅地に、こんな夜遅くまで開いているレストランや、
チェーン店の小さなホテルなどが立ち並び、
その小さな街の中に一軒の小さなバーがあった。

「入ってみようぜ」

運転が出来るが酒は飲めないという素晴らしい運転手の渋谷有希子(よーしーず)とその小さな門をくぐる・・・

30席ほどのテーブル席は地元っぽい若者でいっぱいである。
他の街からここまで飲みに来るわけはないので地元に住む若者なのだろうか・・・

オーダーしたジャックダニエルコークを運んで来たウェイターが、
「Funky老師でしょ?」
と声をかける。

聞けばドラマーだそうだ。
この街に住んでいて、バンド仲間6人でこのバーを開いたのだとか・・・

店の隅には小さなステージがあって、男性歌手が上がって来て歌を歌い始める。
女性客がその大して男前でもないその歌手の歌に狂喜乱舞する・・・

不思議な空間である・・・

それから何人かが「一緒に写真を」と言ってやって来るのだが、
店の中にこれだけ女性客が多いというのに何故か男ばっか・・・

昨日は美女に、そして今日は男に心のスキマを埋められているのか・・・

そして不思議なことにそのジャックダニエルコークは飲んでも飲んでも減らないのだ・・・

ふと見るとウェイターが、グラスが空くとまた新しいジャックダニエルコークを持って来て交換しているようだ・・・

エンドレスに飲むことになるのでとても酔っ払ってしまう・・・
このまま意識を失ってしまったら目が覚めたら廃屋かどこかで寝ている可能性があるので早々に立ち去ることにする。

「埋单!!(お勘定!!)」と言って100元札を出すのだが、
店の若い衆がそれを押し戻す・・・

翌日になったらこの100元札も木の葉かなんかに化けているかも知れない・・・

気がついたら院子で寝ていた・・・
店の写真を撮ったような気がしたが何故かIPhoneには保存されてなかった・・・

明日あの街に行ってみたらあの店はあるのだろうか・・・

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2016年3月 9日

日本人の一流ミュージシャンばかりでバックバンド再開!!


日本の一流ミュージシャンで中国人のバックバンドという話、先日ドタキャンになったばかりだが、旧正月も明けて晴れて仕切り直しということでまた話が来た。

しかし相変わらずスケジュールが急で、何と3週間後の週末4日間というスケジュールである(>_<)

前回のミュージシャンはほぼ全員スケジュールがNGで、結局今回は最初っから探し直さねばならない(>_<)

前回はワシが参加出来ないということでドラマー探しが大変だったが、
今回はキーボーディストが見つからずに大変で、困り果てて井上鑑さんや難波弘之さんなど超大御所にまで連絡したが、まあ空いてるわけないわのう・・・(困)

最終的には人からご紹介してもらったりして何とか全てのミュージシャンのスケジュールは「仮押さえ」させてもらったが、毎度ながら大変なのはここから!!

ちゃんと「前渡金」をゲットしてミュージシャンに半金をお振り込みせねばならない・・・

前回もそうだが、中国独特の「事情」でドタキャンになったりしたら、それは日本人ミュージシャンに取っては全く関係ないことなので、中国の仕事ではこの「前渡金」を取らないと「大決定」というわけにはいかないのだ。

幸い「契約書」的にはLaoLuanのところに前回の契約書が残っているので、その名前だけを今回のミュージシャンの名前に書き換えればよい。
ビザの発給に必要な「招聘状」も同様である。

ところが実は大変なのは「両替」・・・(>_<)

その昔、人民元から日本円とか外貨に両替するには、必ずその外貨を人民元に両替したレシートが必要であった。
つまり持ち込んだ外貨以上の外貨を持ち出すことは出来ないということである。

ところが今ではそれがなくなって、基本的には外貨持ち出しはOK!!
ただ今回のように5人分の前渡金となると額が大きくなって大変である。

その上に昨今の中国人の爆買いツアー・・・
中国政府としては中国人が無制限に外貨を持ち出す現状を何とかせねば手持ちの外貨が全部日本に流れて行ってしまう・・・というわけで当然ながら制限をかけているようだ。

もしワシが日本円金持ちだったら、
「いいよ、日本円で立て替えとくから」
と手持ちの日本円でミュージシャンに先に振り込んでおいて、
LaoLuanはワシにWeChatで送金でもすれば一番簡単なのだが、
あいにくワシの暮らし振りはそんなに豊かではない(>_<)

幸い今回弁護士ミーティングのため帰国するので、
「昨日3月8日の正午までに日本円を受け取れれば日本に持って帰ってミュージシャンに振り込むことが出来るよ」
ということに相成った。

ところが3月8日は月曜日で、制作側の担当者は外国、社長は地方で社判を押せないとか色んな問題があったが、LaoLuanの「社判は後でいい!!先に金をよこせ!!」という鶴の一声で午前中に何とか人民元をゲット!!

それをLaoLuanが銀行で日本円に両替!!
・・・しかし爆買いの昨今の状況のせいか、銀行自体に日本円をそんなに置いてない(>_<)

「空港なら外貨は十分に置いてあるはずだ!!」
ワシは帰国の荷物を持って先に空港に向かう。

渋谷有希子(よーしーず)にも一応パスポートを持って徴集をかけ、
中国人であるエンジニアの方言(FangYan)にも徴集をかけておく。

ワシら外国人のパスポートでは7000元しか両替出来ず、
中国人のIDだと確か2万元まで両替出来るからである。

かくしてみんなでしっちゃかめっちゃかで何とか両替を済ませ、それを持ってぎりぎり飛行機に飛び乗ったというわけである。

ちなみに人民元を日本で日本円に両替することも可能だが、
レートが非常に悪く、中国で両替するよりも2〜3割損することもザラである。

その昔、香港ドルを日本で両替しようと思って大変な目にあったが、
これと同じで、日本でドルに両替する人の方が日本で人民元や香港ドルに両替する人よりも圧倒的に多いわけで、多ければ手数料も安いし、少なければ手数料が高いのは当たり前である。

今では銀聯カードで中国の口座から日本円を引き出せるが、それも既に制限がかけられていてすぐに限度額に来てしまう(>_<)

日本人ミュージシャンが中国でバンバン仕事をする時代はもうすぐそこまで来ているとワシは思うが、問題はここやな・・・

今年の10月には人民元が国際通貨になるという噂じゃが、
そうなるともっと外国送金とか楽になるんやろか・・・

そしたら今や日本では死滅してしまったかも知れない「インペグ屋」っつうミュージシャンブッキング会社も合わせて復活するかも知れんな(笑)

いや、むしろそれを望む!!
もう人助けでこの作業続けるのも限界!!(>_<)

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2016年2月19日

25年来の親友来日

1990年、最初に北京に行った時にひょんなことから地下クラブで演奏する当時まだアンダーグラウンドだった黒豹のライブを見ることになり、その時から一番の友人となっているLuanShu

いい時も悪い時も一緒にいる25年来の親友である。

ここ最近精神を病んで静養していたようで、
彼が受けた映画音楽の仕事などを彼が出来なくなったからワシが引き継いでやったりしてたが、
いやなるほど、このレベルの仕事をずーっとやり続けていたら病気にもなるわ・・・

「ゆっくり休めばいいよ」と思ってそっとしておいたが、
先日ひょんなことから一緒に飲んだ。

LuanShuDrinking2016.jpg

この写真を彼がUPした時のコメントがこれ。

这一刻很快乐,Funky先生家中小聚,一位伟大的音乐家、技艺精湛的打击乐鼓手,是我的老师兄长,57岁Metal打一宿!Jazz,Blues是用鼓说话的人,我们从91年相识至今从他那里学到很多知识[调皮]我制作的很多专辑都有老方的鼓声[抱拳]

楽しいひと時、Funkyさんと家で飲んだ。
偉大なる音楽家で、テクニカルな打楽器奏者、私の先生であり兄。
57歳でメタルを叩き、ジャズやブルースなどはドラムで話をするような人。
91年(注釈:本当は90年)に知り合ってから今まで、彼から色んなことを教わり、
私のプロデュースした数多くのアルバムには全て彼のドラムが入ってます。

なんか嬉しいね。
ワシも酔っ払って「旧正月はどうすんの?日本においでよ」と言ってたのだが、
日本へのマルチビザを取って本当に来日の運びとなった。


前回の来日は2009年。
奥さんと一緒に来日したのだが、その時は1週間の滞在で、
「いくら両替したかわかんないからとりあえず100万円両替したんだけど、2人で1週間これで足りるかなぁ・・・」
と言うので
「お前なぁ。100万あったら2人で3ヶ月暮らせるよ!!」
と言ってたのだが、結局100万で足りなかったほどの大豪遊!(◎_◎;)

今回の来日にはいくら持って来るのかなと思って羽田まで迎えに行ったら、
「Funky、両替しなきゃ」
と言う。

人民元を日本で両替するとレートが非常に悪く、
例えば100万円両替したとしたら10万円ぐらい損するかも知れない。

銀聯カードで1日10万ずつ日本円引き出せるからそうしたら〜」
と勧めていたが、結局は両替したのだろう、また札束を持ち歩いていた(笑)


滞在は銀座の一流ホテル。
メシはとりあえず近所の寿司屋にした。

銀座で寿司・・・(笑)

いや〜日本にいる中国人の友人も集まって日本酒飲んだので、
気がついたら酔いつぶれて歩けなくなったワシ・・・

「じゃあ同じホテル取ってやるからそこで寝ればいいよ」
と銀座の一流ホテルに部屋取ってそこに担ぎ込まれる酔っ払い(笑)

滅多に経験出来ない銀座で2泊を過ごすこととなった・・・

2日目はコンサートを見たいと言うのでマドンナのチケットを取ってやった。
1枚5万円のVIP席・・・

これは実はソールドアウトだったので当日券を狙おうと思ったのだが、
運良くFacebookで「行けなくなったので安く譲りたい」というのがあってそれをGET!!

ワシは見に行かずホテルで寝ていて帰りを待つ。
大事な任務はメシの段取りなのだ。

前日が寿司なので肉がいいなと銀座で夜中に開いている焼肉屋を予約!!

LuanShuYakiniku.jpg
LuanShuYakinikuSet.jpg

極上カルビや希少部位6種盛りなど、
人民元に換算すると「安いなぁ・・・」

円高に動き出してはいるもののまだまだ日本円は安く、
その上、北京の物価はどんどん上昇しているので、
銀座の高級店と言えど今では北京に比べたら安いのである・・・


次の日からは志賀高原にスキー!!
移動は新幹線、当然グリーン車である。

この日は彼の奥さんの誕生日ということで、
あらかじめホテルの一番いいレストランを予約し、
ちゃんと名前も入れたケーキを用意している。

YongMeiBirthday.jpg

ところがやって来たのは彼らだけではない。
この日に合わせて中国から有名映画監督やらLuanShuの乗馬クラブのオーナーでもある弁護士夫婦とその子供、
「彼女が日本で誕生日祝うんだったら僕らも行かなきゃね」
ということで集まって来た。

なんと滞在期間ずーっと車をチャーターし、
その中国人運転手と助手の二人の滞在費や高級ディナーまで振る舞うという大変なお金持ち!!

もうね・・・ディナーコース10人分で一食軽く10万超え!(◎_◎;)

ちなみにこの中国人運転手、顔が北朝鮮のトップの方と酷似している。

LuanShuDriver.jpg

和佐田が昔MCなどで
「末吉の携帯には金正恩の電話番号が入ってますからねぇ」
などとジョークを言ってたので、彼の番号を保存する時に名前を「金正恩」と入れたのだが、
彼から電話がかかって来ると「金正恩」と表示されるので心臓の鼓動が速くなってしまう(笑)

さてそんな御一行、スキーをすると言うならワシも10年ぶりに滑らねばならんじゃろうということでウェアーをレンタル!!

LuanShuUchidaYuya.jpg

いや〜金正恩はいるわ内田裕也はいるわのわけのわからない団体となっております(笑)


内田裕也役の大きな仕事は「ロッケンロー」ではなくメシの段取り。
前日は「肉のコース」だったので次の日は日本食がいいと言うので探しまくる・・・

しかし周りには「レストラン」というものがない。
仕方ないので近くの温泉旅館に片っ端から電話して、
「食事だけで利用出来ませんか」
と聞きまくる。

しかしどこもそんな営業はしてないのよね〜
「金ならいくらかかってもいい!!一番いい日本料理を食わせてくれ!!」
とまくし立てる。

実際「金に糸目はつけないから一番いいものを」というオーダーなのだ。

全ての旅館に断られたが、
ひとつだけ「木戸池温泉ホテル」というところだけがそのオーダーに応えてくれた。

ここの女将さんが実は娘が爆風のファンだったらしく、
「高校生だった娘を車で長野市民会館まで送って行ったわよ」
と語ってくれた。

女将さん、無理言ってすみませんでした。
御一行とても大喜びでした!!どうもありがとう御座います。


次の日は最終日。

ワシの身体は10年ぶりのスキーでハンパない筋肉痛!!
使う筋肉が違うじゃろうということで途中スノボに乗り換えたら、
結局は最後には全身くまなく筋肉痛!!(>_<)

午後は滑るのは諦めて、
スキーをしない奥様方を「野猿公苑」に連れて行った。

温泉に入る猿が見れるというのだが、
なんと車では入れずに30分山道を歩かねばならない(>_<)

全ての筋肉が死んだ頃、初めて見た!!
本当に猿が温泉に入っていた!(◎_◎;)

LuanShuSnowMonkey.jpg

いや〜まだまだ知らない日本の名所ってあるんやなぁ・・・

奥様方も大喜びで、
LuanShuの奥さんに話によると、
弁護士さんもこの辺が気に入って、
この辺に家を買おうとかいう話である!(◎_◎;)

買うんだったら管理とかどうすんの?
とLuanShuに聞いたら、
「あ、あの人ね、世界中どこ行っても気に入ったらすぐに家買って、
自分でもどこに家買ったか忘れてるような人だから気にしなくていいよ」
とのこと・・・

どこまで金持ちやねん!!!(◎_◎;)


さてこの日は今度はその弁護士の奥さんの誕生日!!
「昨日の日本料理がいいな」
と言われるが、運悪く「木戸池温泉ホテル」は休日(>_<)

仕方ないのでホテルのレストランで牛肉しゃぶしゃぶコース!!

もうね、りんご食べて育った「りんご牛」とかね、
また一食10万円超え!(◎_◎;)

でもね、まあ喜んでもらえたらそれでいいのよ。
お金で「幸せ」を買えるなら安いもんかと思い出して来た。

LuanShuWithFunky.jpg

そしてワシは次の日の朝一番のバスで長野駅まで出て、
名古屋空港から上海に飛ぶ。

彼がわざわざ早起きして見送りに来てくれた。

監督と彼らはタクシーをチャーターして野沢温泉に向かい、
弁護士さん一家は金正恩の運転で成田に行って香港に飛ぶらしい・・・

ワシは上海ー無錫ー蘇州ー連雲港ー青島とひとりドラムでツアー回ってから北京に帰る。
ちなみに青島はLuanShuの故郷である。

「え?青島行くの?
俺、旧正月に青島に里帰りしてないから行かなきゃと思ってたんだ。
じゃあ22日に北京帰ったら青島で合流しよう!!」

また続くんですね・・・(笑)

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2016年1月15日

これはワシが全部悪い(>_<)

中国のブルースマスターBig Johnこと張嶺(Zhang Ling)のリハが始まった。

「新しいバンドを作りたい」というわけでワシと張張(Zhang Zhang)が呼ばれたのだ。

ZhangLingBandRh.jpg

サックスにはニューヨーク帰りの金浩(Jin Hao)、
ギターにはニュージーランド華僑のRobin、
中国の民族楽器「阮(Ruan)」など国際的なバンドである。

ZhangLingBandJinHaoRobin.jpg

ZhangLingBandRuan.jpg

特に金浩(Jin Hao)は昔のJazz仲間であったがその後ニューヨークに行ってしまったので何と会うのは10年ぶり!(◎_◎;)

「Big Easyがあった頃は楽しかったねぇ」
昔話に花が咲く・・・

2000年に北京に移り住んでから
「自分より上手いミュージシャンがいない、これでは自分が下手になる」
と悩んでいた頃、この店で張張(Zhang Zhang)が弾いているのを見つけてここまで育て上げた。

同じくこの店でJazzをやっている張嶺(Zhang Ling)や金浩(Jin Hao)と夜な夜なセッションしながらお互いの腕を磨いていた。

そう言えば金浩(Jin Hao)はFacebookでワシを見つけて繋がった時に、
「張嶺(Zhang Ling)と凄いバンド組んだんだって?」
とメッセージくれた。

張嶺(Zhang Ling)がちょうどその頃アルバム作りのためにニューヨークに行ってたので、
「張嶺(Zhang Ling)がそっち行ってるよ?」
とメッセージを送ると、
「知ってるよ。俺んとこ泊まってるんだもん」
と笑った。

きっと一緒にアルバムを作ったのだろう、
リハーサルの時も金浩(Jin Hao)が色々意見を言ったり、
まるで長年の「バンド」のようで楽しかった。


さてリハが終わり、ワシはパールドラムの活動で「连云港(どこや?)」という土地に行かねばならない・・・

確か夜遅い便だったので一杯飲むぐらいの時間はありそうだ。
張張(Zhang Zhang)に「付き合え」と言って辛い鍋をつつく。

本当は「麻辣香锅(MaLaXiangGuo)」という汁なし激辛鍋を食いたかったのだが、
運悪く改装中か引っ越しか潰れてしまったのか、
仕方がないのでその隣の店で「麻辣鱼锅(MaLaYuGuo)」を食った。

MaLaYuGuo.jpg

さてここからが本題である。

スマホのスケジュール欄を見ると、
「2205 73H 0^ E T2 -- 1:40 」
と書かれているので、
「22時発なら20時に空港着けば間に合うな」
とタカをくくってビールをお代わりしている。

「美味い激辛汁なし鍋食わねえか?」
と、運転手代わりに居候の有希子(よーしーず)も呼び出している。

うちは空港から近いので帰り道に送ってもらえば済むのじゃよ〜(笑)

ビールを2本飲んで満腹で有希子(よーしーず)の運転する車に乗り込む。
そしたら一緒に连云港(どこや?)に向かう担当者の沙泳江(Sha YongJiang)からメッセージが入る。

「俺はもう空港着いたよ」

国際便と同じく2時間前ぐらいには空港に行くようにしているのぢゃが、
国内便では中国人は1時間前とかに来るのが普通なのに
「いやに早いなぁ・・・」
とは思っていたのだ。

思えばこの時に「早いねぇ」などと返信していればよかった・・・

いや、そうだったとしても結果は変わらないのだろうが、
空港に着いた頃に「俺はもう搭乗したよ」とメッセージが来てから初めて「おかしいな」と思ったのだ。

スマホのスケジュール欄を見直す・・・

「MU5165 PEKLYG 2025 2205 73H 0^ E T2 -- 1:40 」
なんと2205は到着時間で1:40は飛行時間ではないか!!!!(◎_◎;)

カウンターに行ってみると既に搭乗手続きは終わっていて結局「乗れない」(>_<)

沙泳江(Sha YongJiang)に電話する。
「あちゃー!!そりゃ仕方ないなぁ・・・じゃあ明日の便で来いよ。
1日2便しかないから朝の便は南苑空港からだけど・・・」

(>_<)・・・

南苑空港と言えば初めて行ったのはこの時・・・
そして前回の布衣(BuYi)の内モンゴルコンサートの時にもこの空港だったが結局飛ばなかった(>_<)

これ・・・


朝の便が1日1便だったらこれが飛ばなければ仕事が飛ぶ(>_<)
乗り遅れるなんてことは論外である!!

朝7時半に起きて2時間かけて南苑空港へ向かうのぢゃ・・・

成田の向こうで住んでる人が調布空港へ向かうようなもんぢゃが・・・
悪いのは誰でもない、ワシが悪いのぢゃ〜・・・(涙)

Posted by ファンキー末吉 at:04:45 | 固定リンク

2016年1月10日

ドタキャン(>_<)

日本の一流ミュージシャンばかりでバックバンドを!(◎_◎;)という仕事だが、
昨夜の夜半過ぎ、WeChatにて一本のメッセージが届いた。

抱歉各位老师,由于此次录像演员EXO,周笔畅,方大同以及一位主持人都无法按时到场,再加之阿兰昨晚急性阑尾炎住院,导致15号的录像无法完成,因此取消。但是,《唱游天下》北京站还是要做的,目前总制片人与台里领导正在协调延期录像的时间,初步确定是在春节之后。等具体的时间确定了,我会及时与各位老师确认。非常感谢大家一直的支持!谢谢大家!

みなさまどうもすみません。
今回の収録に関してEXO,周笔畅,方大同とひとりの司会者がどうしても現場に来れなくなってしまい、その上阿兰が昨夜急性盲腸炎で入院してしまいました。
そういうわけで15日の収録は無理となりキャンセルとさせて下さい。
でもこの《唱游天下》北京バージョンの企画はやり続けます。
次の日程はプロデューサーとテレビ局で話し合っていますが、おそらくは旧正月以降だろうと。
具体的な日にちは決定したらお知らせします。
みなさま本当にこの企画を支持して下さってありがとう御座います。

これを受けて私は大慌てで先方に次の2点を確認する。

1、受け取った前渡金は返さない。
2、次に日にちが決まった場合は新しい仕事としてまたスケジュールを押さえた時点で前渡金を払う。

つまり大事なことは、
「先日各ミュージシャンが受け取った前渡金は返却しなくていい」
ということである。

まあ「前渡金」なのだから返却する必要はないはずだが、
念のため強くこの辺を確認したら想像以上にあっさりと・・・

明白,让你费心了,虽然录像不准时开始但是烤羊腿还是要继续的

つまり
「了解です。気苦労かけましたね。
この収録は予定通りにはいきませんでしたが、羊の足の丸焼きは続きますので」

・・・ってまるで普通・・・!(◎_◎;)

まあミュージシャンには十分なだけの前渡金を取ったつもりだったが、
先方は「これぐらい端た金だ」ぐらいに思ってるのか、
はたまた中止延期はどうせ赤字だからと「慣れている」のか・・・

どっちにしろ、中国の音楽ビジネスがこのようにちゃんと「前渡金を取れる状態になった」ということはワシの知る長い歴史の中で物凄いことである。

でもこれって逆にアメリカやヨーロッパでもなかなかないことちゃうん?・・・・

ミュージシャンの中には
「何だこの仕切りは!!」
と怒る方もいらっしゃるかもわからないけれども、
「これだから中国はね」
などと感じるとしたら、そりゃもう日本でだけ仕事をしてればいいと思う。

ワシの経験では確かに日本ではこんな間近なドタキャンは滅多にないが、
ドタキャンされて前渡金を笑ってそっくりゲット出来る仕事なんて逆にない。

ドタキャンがしょっちゅうある中国、
滅多にないが前渡金はもらえない日本、
もうどちらが「進んでいる」などとは言えない世の中になったな・・・

まあミュージシャンの方々には振り回されて大変だったでしょうが、
これに懲りない方は次の機会にも是非よろしくお願いしたいと思います。

旧正月明けか・・・ワシもスケジュール空けとこっ!!(笑)

Posted by ファンキー末吉 at:06:34 | 固定リンク

2015年12月29日

前渡金ゲット!!

ここだけの話、北京では現在仕事の数に対してミュージシャンが絶対的に足りていないのだ。

先日もリハーサル中にそのバンドのベーシストからいきなり
「12月29日にリハで1月3日本番の仕事が出来ないか」
と耳打ちされた。

29日はこうして日本戻り、
そして1月3日は豊橋でイベントが入っているので無理である。

悲しそうに頷いてまたベースを弾く彼・・・
そして昨日には「キーボードが見つからないんだ」と泣きが来た。

有希子(よーしーず)はキーボードでこんな仕事受けてくれないかなぁ・・・」

ライブで左手でベース右手でキーボードを弾くのを見てた彼は藁をも掴む思いでそんなことを言う・・・

「あ、大丈夫大丈夫!!スケジュール聞いとくから」
勝手に安請け合いするワシ(笑)

日本でもキーボードとして仕事をしてたみたいだから大丈夫じゃろう。
スケジュールは大丈夫そうなので勝手にOKしておいた(笑)

あとは言葉の問題のみ!!
頑張って覚えたての中国語で直接コミュニケーション取るよーに!!・・・

・・・とまあ、こんなに数日後のスケジュールがぽんと決まるんだから全てのミュージシャンがそれに合わせられるはずがない。
いつもどこかで誰かがミュージシャンを探しているというのが現状である・・・


さて前置きはさておいて、
前回のテレビの収録のバックバンドの話・・・

国内有名歌手の曲をアメリカやイギリスの有名アレンジャーにアレンジさせて、
それを日本の一流ミュージシャンに演奏させようという企画・・・

ネット番組などで国内全てのミュージシャンが駆り出された話は書いたが、
結局のところこの数多い(ネットも含む)テレビ番組が、
それぞれ国内トップのミュージシャンを片っ端から押さえていったら、
そもそもいくら若手のミュージシャンが育って来たと言ったって足りるわけがないのだ。

そこで日本人ミュージシャンに目をつけた・・・

ここは敢えて胸を張って自慢させてもらうが、
「日本人ミュージシャンは腕がよくて仕事が真面目である」
という中国の音楽界での評判はワシが25年間の活動の中で築き上げて来たものである。

だから「日本人ミュージシャンを集めてくれ」と言われたところで、
ヤツらは別にそれぞれのミュージシャンの音源など必要としない。

「ファンキーが一流と言うのだからそれは一流に違いない」
と暗黙のうちに思われてしまっているのである。

いわば「ブランド」である。

だからその期待に応えられるであろう友人を集めた。
彼らなら私の25年間に泥を塗ることは絶対にないだろう。

しかし初めての「中国の仕事」がの方が彼らとワシの友情に泥を塗る可能性はある(涙)

だからワシは
「スケジュールを大決定にするには必ず前渡金を支払うこと」
という条件をつけた。

それなら例えドタキャンになったとしても、その空白のスケジュールに対して報酬を支払っているわけなので少なくとも友情にはヒビは入らないだろう(笑)

ところがこの「中国人から金を取る」ことこそがどんな難曲を初見で演奏するよりも難しいことなのである。

というわけで「中国人には中国人を」で間にLaoLuanを立てた。
そしたら何と彼がちゃんと前渡金を取ってくれたのである(驚)

ワシがリハーサルをしているスタジオにLaoLuanが金を届けに来た。
リハを中断して分厚い封筒を受け取る(恐)

周りに気付かれないようにそっと中を覗くと、
日本円だけではなく中国元も混ざっている。

「明日日本に帰るから日本円に両替して持って来てね」
と言ってたのだが、中国人の日本爆買いツアーのおかげで近頃では日本円に両替は数日待ちという状況らしい・・・

中国元の最高紙幣は100元で日本円でたかだか2千円程度なので、
こうしてちょっとまとまったギャラとかになると札束いくつにもなるのだ・・・

日本人のミュージシャンを紹介して、
彼らへの前渡金に中国人がどさっと札束を渡す・・・

凄い時代になったもんじゃのう・・・

問題はその「額」が日本人ミュージシャンにとって満足出来る額なのかということである。

封筒の中身を確認したいのはマウンテンマウンテンなのだが、
いかんせんスタジオの中では他のミュージシャンの目がある。

今日の過酷な移動のまず最初、北京駅では、
ただでさえ置き引きやスリが多いので札束の封筒なんて出せやしない・・・

トイレの中でとも思ったが、大きなトランクを外に置いてたら置き引きにあってしまう・・・

天津までの寝台車の中でカーテンを引いてこっそり金勘定しようと思ったが、
日本の寝台車と違って仕切りのカーテンがない・・・

天津駅に着いて駅前のホテルで仮眠を取ろうと思ったが外国人宿泊禁止(>_<)

タクシー捕まえて天津空港まで行く途中にとも思ったが、
運転手に見られた日にゃぁノックアウト強盗されてしまって目も当てられない・・・

結局天津空港に着いて障害者用の大きなトイレの中で封筒を開いてみた。

なんとその額は立派に日本人ミュージシャンが満足出来る額であろうとワシにはそう感じた。

まあLaoLuanがいくら取ってるかは知らんが、
そもそもLaoLuanがいなければこの金は取れなかったわけだから、
結果ミュージシャンが満足する額が残ればそれでよい。

かくして帰国したらこの金を各ミュージシャンに振り込む!!

そしたら1月には彼らが北京にやって来て、
それこそ期待通り以上の演奏をしてくれるだろう。

すると北京のミュージシャン達はきっとワシにこう言い出すのだ。
「ファンキーさん、ほんとミュージシャンが見つからないんです。困ってるんです、日本から呼んでもらえません?」

日本人は世界一真面目で腕のいい民族だと思っている。

ところがそのギャランティーはワシの知る限りこの30年上がっていない。
北京は年々上がっているだけでなく、ここに来ての円安人民元高。

上海バンスキングの時代のように、
活動の場がない日本に見切りをつけて中国に稼ぎに来る・・・
いや、渋谷有希子(よーしーず)のように中国に引っ越して来るようなミュージシャンがどんどん増えて来たとしても不思議ではないと思うぞ・・・

中国人はその昔、戦乱の続く祖国に見切りをつけて、
新たな場所へ飛び出して行ってそこの言葉と文化を学び、
「華僑」となってそこを新天地としていった。

島国根性に見切りをつけて
日本人も飛び出していって「倭僑」となってそこを新天地としてゆけばいいのだ!!

ワシがよく講演会などで話している「倭僑のススメ」である。

中国人なら「華僑」?
日本人なら「倭僑」?

じゃあフランス人なら「仏教」?・・・

おあとがよろしいようで・・・

Posted by ファンキー末吉 at:05:29 | 固定リンク

2015年12月24日

日本の一流ミュージシャンばかりでバックバンドを!(◎_◎;)

怒涛の年末年始の移動スケジュールの第一弾、
無事に成田ー関空ー煙台ー北京の移動を終えたワシは、
その夜ほぼ徹夜で20曲ほどの譜面起こしをしてそのまま6時出発でリハーサル・・・

ダンス系の歌手らしくドンチキものとバラードばかりなのでその辺は楽だったのだが、
問題はそのままリハ終わりの別ミーティング!!

実は数日前にこんな発注があったのだ・・・

1)仕事の性質:テレビの娯楽番組が、ライブスタイル。
2)収録時間:2015年1月14日リハーサル、15日午後予備放送帯 の収録 、夜は視聴者付きの撮影。
3)仕事内容:6人の中国歌手が1人2~3曲の伴奏(全部で15曲ぐらい )
4)作品の背景:流行音楽のジャンルを経て、作品はアメリカとイギリス著名な音楽プロデューサーが新たに編曲して,そして米英両国の専門のプロミュージシャンスタジオで録音しました。
5)バンドの要求:いつも有名な歌手のコンサートで伴奏する、専門のバンド 。
6)時間ノード:2015年12月20日夜8時前に、参加することができるかどうか 返事しなければならない、確認後歌のオーディオ資料を送りします。
時間が厳しいから、よろしくお願いします。 ありがとうござい❗️@有希子

日本語が少々変だが、これは渋谷有希子に送られて来た原文!!(笑)
そして回り回ってワシのところにこれと全く同じ中文が送られて来る。

トドのつまりは要するにみんなでよってたかったワシを捕まえたかったようだ・・・
ワシの中国の携帯は日本にいる時は方言(FangYan)に転送されるが、
同じ内容で方言(FangYan)の電話がいろんな知り合いからの電話で鳴りまくる(笑)

そうしてプロデューサーがついにワシにたどり着いて、
「至急に」ということでワシがこのスケジュールが空いている日本の一流ミュージシャンを探すという羽目になったのだ・・・

ちなみにワシはその日は全中国ひとりドラムツアーの活動で连云港(どこや?笑)に行っているので参加出来ない。

ベースはバンマスで渋谷有希子は大決定ということで、
キーボード二人とギター二人は何とか見つけたが、
(決定になったらお名前出しますが、まあいつものセッション仲間の一流ミュージシャンです)
問題はドラマー!!(>_<)

何せもともとはワシに頼もうとしてたのだから、
ファンキー末吉レベル、もしくは「それより上手い」ドラマーを求められている・・・!(◎_◎;)

いや〜「何ぴとたりともワシより上手いドラムは叩けまい!!」という思い込みだけでここまでやって来たので自分より上手いドラマーを探すのは骨が折れるのよね〜(笑)

以前WINGの仕事でワシのスケジュールが合わなくて、
菅沼孝三と長谷川浩二に打診したことがあったのでこの二人には真っ先に連絡したがスケジュールがNG(>_<)

岡本敦夫さん、そうる透さんにも連絡したがNG(>_<)

あ、今年のサマードラムスクールに参加して下さった長谷部徹さんがいるぢゃないか!!
と電話をかけたがNG(>_<)

サマードラムスクールと言えば衛藤浩一さんがいるが、
去年のような「おいた」をされた日にゃぁワシが25年間築いて来たものを一瞬で無にしかねないので彼だけはハナから外した(笑)

あと誤解のないように言っておかねばならないのが、
ワシの友人のドラマーで「俺には声かかってないよ」という人も多々いるが、
別に「一流じゃない」とか「ワシより下手」とか思ってのことではない。

この仕事は「バックバンド」の仕事である。
例えばひぐっつぁんが生きてたとしても決して声をかけることはなかっただろう。

バックバンドに長けてる人、すなわちスタジオミュージシャンの中から色々探していたのである・・・

やっぱね、住んでたところが「ロック界」なのでスタジオミュージシャンにそんなに知り合いおらんな・・・
仕方がないので渋谷有希子に「ワシより上手いドラマーを探せ!!」ミッションを出す。

「もし探せられなかったら村上ポン太さんを呼ぶからお前が仕切れよ!!」

ひえ〜!!!!!

村上ポン太さんはワシの憧れのドラマーで、
日本のドラマーの中でワシが一番影響を受けた人ではあるが、
何せ「大御所」過ぎて、また「あの時代」の人なので酒や女の武勇伝が物凄過ぎて、
まあワシら世代のミュージシャンでポン太さんを「仕切れる」人間はいない(笑)

思えば今の若い人もワシのことをこんな風に思ってるのかなぁ・・・

まあ結局はいろんな人からの紹介で、ワシとは直接の面識はないとある一流スタジオミュージシャンにお願いしたのだが、まあこれも大決定となるまではまだお名前は伏せておこう・・・

さてそれまではずーっとそのプロデューサーとWeChatという中国のLINEみたいなツールでやり取りをしてたのだが、
「じゃあ北京に帰って来たら会って話をしようじゃないか」
ということになってこの日にミーティングが行われたわけだ。


指定された店はなんと「羊の足の丸焼き」の店!(◎_◎;)

「何でワシの好物を知っている?!!」
とびっくりしたが、
「ファンキーさん白酒は飲みますか?」
と来たので少々雲行きが怪しくなって来た・・・

「ミーティング」と称して結局は酒を飲まされていろんなことをうやむやにされることがこの国では本当に多い・・・

ワシは自分が紹介したミュージシャンに少なくとも「前渡金」を取ることを何よりも優先するミッションとせねばならない。

ドタキャンの多いこの国の仕事で、
前渡金も取らずにこの一流ミュージシャンのスケジュールを移動日も合わせて4日間も押さえ続けることは、すなわち
「衛藤浩一を中国に放り込む」
のと同じぐらい危険なことなのである・・・(笑)

こういう話し合いは中国人同士の方がいい場合が多いので方言(FangYan)も同席させる。

ところが
「ついでにLaoLuanのスタジオ行ってワシのiPhoneの充電ケーブル取って来て〜」
と別ミッションを命じたのがいけなかった。

「じゃあ僕は7時半にはスタジオに行かねばならないので最初に顔出したらすぐ出ます」

ってあーた!!それだと全く役に立たんじゃろ!!!
充電ケーブルなんていつでもいい!!今日はとにかくここにいろ!!

兎にも角にも方言(FangYan)と二人でその店に出かけて行ってそのプロデューサーと会った。
乗りがDongLinとちょっと似ている・・・

HitsujiMeeting.jpg

まあDongLinも爽子(Shuangz)の仕事とかをくれたりもしたが、
その大半は会って熱くロックを語って終わるだけである。
今回も前渡金の話をはぐらかされて飲んで終わったのでは、
スケジュールを押さえて待ってくれてる日本のミュージシャン達に申し訳が立たない・・・

ところがビールを頼んで羊を焼いて、
世間話に花が咲いて「これから本題に」という時に方言(FangYan)がこんなことを言い出した。

「じゃあ僕はあなたの充電ケーブル取りに行きますのでここで失礼します」

って行くなー!!!肝心の本題の話をしてから行け!!!

どうもこの時間しかスタジオには人がいないらしい・・・
充電ケーブルなんかいつでもいいし、最悪捨ててしまったっていい!!

お前は頑張って金の話をするのぢゃー!!!!!

「だってこのためだけにLaoLuanがスタジオの鍵開けに来てくれるんですよ・・・僕から今更断れませんよ・・・」

ところがこの「LaoLuan」という言葉にプロデューサーが反応したので
「知り合いですか?」
と聞いてみた。

「ああ、マブダチだよ」

じゃあ話は早い!!中国人には中国人、しかも音楽業界のドンみたいなLaoLuanに間に入ってもらったらどんな人間ももうトラブルを起こせない\(^o^)/

早速LaoLuanを電話で呼び出した。

まあもともと充電ケーブルみたいなどうしようもない用事でこの中国音楽界のドンみたいな男を呼び出しているのだ。
「仕事だ」と言ったら来てくれないわけはない。

LaoLuanが来る前にプロデューサーといろいろ世間話をしてみる。

LaoLuanと知り合いなら、こんなに色んな人に声をかけなくてもいっぺんで私と連絡取れたじゃないですか」

「いや〜日本、日本というのが頭にあったのでLaoLuanのことは全く思いつかなかったよ〜(笑)」

「そもそもがどうして有希子(よーしーず)と繋がってるの?」

「俺は眼鏡蛇楽隊(COBRA)のスタッフでもあるからさぁ・・・」

そうかぁ・・・有希子(よーしーず)もどんどんこの業界に深く入り込んでいってるんだなぁ・・・
と感心しつつ、とりあえず彼女がバンマスを務める今回のバックバンドのレベルは大したもんだよと説明しておいた。

「日本人ミュージシャンは真面目だしね。その仕事にはきっとあなたも満足すると思うよ」

「わかってますよ。俺が何年あなたの熱烈なファンをやってると思ってるんですか!!」

ドラマーだったのか!(◎_◎;)・・・

ドラム話で花が咲いている頃、LaoLuanがやって来た。
日本人ミュージシャンにギャラを払った場合の税金や会社間のやり取り、領収書の発行など業務的な話は一瞬で終わり、話題は先日のあわや強制送還話で盛り上がった。

どこの国の人にも絶対にウケるネタをたくさん持っている人生って素晴らしい(笑)

まあこの仕事はLaoLuanの会社が間に入ってうまくまとめてくれるだろう。

前払金さえ受け取ったらこの仕事は「決定」である。
日本の一流プレイヤーが中国のバックバンドの世界に大挙して進出して来るのである!!

「俺はね・・・中国のミュージシャン達に彼らの一流の仕事を見せてやりたいんだ」
酔っ払ったワシはまたLaoLuanにこんこんと語る。

ワシがこの国でスタジオミュージシャンとして仕事をし始めた時、
レコーディングで譜面を用意したりDEMOを聞かせたりすることすらなかった。

時間通りスタジオに来るのなんて今でもワシぐらいである。

この国の色んなことをワシが変えていった・・・
「だってそうした方が結局最終的に音楽のレベルが高くなるからいいだろ?」

ひと握りのミュージシャンが全ての仕事を独占している時代は終わって、
今ではワシも会ったことのない若手ミュージシャンがいっぱい仕事をしている。

「そいつらにこの日本の一流ミュージシャンの仕事を見せてやりたいんだ。
そうすればこの国の音楽のレベルがまた上がる!!」

ひいては「この国のロック」のレベルが上がるのだ。
これも全て「中国ロック」のためなのである。

実現するといいなぁ・・・

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2015年12月22日

年末年始の移動スケジュール

張張(ZhangZhang)と李夏(LiXia)が来日してたので忙しかったが、
今日から年末年始にかけてもっと忙しくなる。

まず今日は岡崎亭から二日酔いで成田に行くところから始まる・・・
北京に行くのではない、なんと関空に飛ぶのだ!(◎_◎;)

それというのも中国の便利過ぎるネットでのチケット押さえにより、
先月「今から大阪やけど飛行機やと安いかな」と検索してポチっとしてしまったチケットがなんと一ヶ月後、
つまり今日のだったのだ(>_<)

このチケットを生かすために今日の北京行きは関空からのを取った・・・

朝6時に岡崎亭を出て、10時のフライトだと思ったら11:55のフライト(>_<)
3時間待ってやっとチェックインして更に1時間半待つ・・・

そして関空から煙台経由で北京に飛んで20:20着!!

それからである。
明日23日は歌手のバックのリハーサルなので今晩全曲譜面起こしをして、
なんと朝9時からという無謀な時間なのでヘタしたらほぼ徹夜でリハ!!

翌日24日は内モンゴル自治区の包頭(BaoTou)に飛んで
25日は包頭(BaoTou)で布衣(BuYi)のライブ!!

26日北京に戻って27日はまた歌手のバックのリハ。
28日もリハだが、終わったら天津に移動しておく。

というのも、またうっかり一ヶ月違いでポチっとやってしまった関空ー北京便を生かすために、
なんと心ある人が29日で大阪で講演会を入れてくれたのだ!!(感謝感謝)

29日になるだけ早く関空に着く安い便ということでなんと天津から関空に飛ぶ!!

本当は28日に北京でライブが入っていたのだがドタキャンでよかった。
さもなくばライブ終わりで有希子嬢が車で天津まで送る予定だったのだ・・・(笑)

29日は大阪着いて講演会やって、
30日は朝一番で北京に帰る。

このチケットを生かすためだけのために講演会を入れてくれたというわけだ・・・

関西方面の皆様、年末のお忙しい時ですがおヒマがあれば是非来て頂きたい!!

講演会

ファンキー末吉"中国ロックを語る"

〔日時〕'15年12月29日(火)午後7時
〔会費〕1,500円(一般),1,000円(アジア図書館会員) 
〔お話〕ファンキー末吉 〔定員 30名〕

日本の人気バンド「爆風スランプ」のドラム担当。
ヒット曲「Runner」を作曲するなど活躍。
中国ロッカーたちに出会ったのをきっかけに現在は、中国と日本を行ったり来たりしながら音楽活動を続けるファンキー末吉さんが今年、『ファンキー末吉 中国ロックに捧げた半生』を出版。ファンキーさんに、中国ロックの魅力を語ってもらいます。

※この日、ドラム演奏はありません 。※あったか~い中国茶サービスあり。
※要予約(電話、FAX、メール)※ファンキーさんの著書お持ちの方にサインプレゼント!

〔主催/問合せ/申込み/会場〕
 アジア図書館
TEL06(6321)1839
FAX06(6323)1126
〒533-0032 大阪市東淀川区淡路5-2-17
阪急京都線・千里線、地下鉄堺筋線「淡路」下車、西口より徒歩4分。

HPはこちら
E-mail:info@asian-library-osaka.org


さて29日にこれが終わったら30日朝イチで北京に飛んで、
何とかその日のうちに江西省まで移動して、
31日は江西省新余というところで歌手のコンサート!!

そこからが大変である。
次の日1月1日は湖北省武漢というところでパールの活動でドラムを叩かねばならない。
31日のコンサートが終わったら車で5時間かけて向かうか、
もしくは1日の朝一番の列車が取れたらそれに乗って向かう!!

1日にドラム叩き終わったらその日のうちに北京に戻らねばならない。
一応最終の飛行機を押さえてある。

2日は朝一番の飛行機で関空に飛び、うにちゃんところで新年会お歌のライブ!!


ファンキー末吉お歌のライブ&新年会!

Tesoroグループの新年会に、爆風スランプのドラマー「ファンキー末吉」さんがやってきます!
お店でドラムが叩けないので、今回はなんと、末吉さんがお歌Liveをやってくれます。
こんなレアなイベントありませんよ〜
*末吉さんは中国から当日移動の為、万が一来られなかった場合は、チャージを返金させて頂きます。

開催日:2016年1月2日

OPEN 18:00〜
末吉さんは19:00頃ご来店予定です。

チャージ¥1000

詳細はこちら


そして3日は豊橋AVANTIでライブという行程である!!

【ロックセッション#48~新春拡大版 & ファンキー末吉参加決定~】

   2016年1月3日(日)
   場所【AVANTI新店舗】
         豊橋市三弥町元屋敷128-3
   開場16:00
   開演17:00  

   演奏者・観客共 1000円 1ドリンク制

       ※ 時間・料金にご注意ください。

詳細はこちら


毎日が移動!!・・・これが我が人生である!!(笑)

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2015年12月11日

中国式ビジネスミーティング

昔馴染みの王暁旭(Wang XiaoXu)という若い衆から久しぶりに連絡が来た。

なんか「久しぶりに会いたい。迎えに行く」とまで言うので、
本当はそんなヒマはなかったのだが、
まあこいつも最近は偉くなっていろいろ仕事もくれたりするので
「しゃーないなぁ・・・」
という感じで出かけて行った(笑)

「中国ビジネスは胃袋でやる」とよく言われるが、
ワシにとってはこれが「ビジネスミーティング」だと思ったことはない。
「朋友と酒飲んで、気がついたらいつの間にか一緒に仕事をしてる」という感じである・・・

わざわざうちまで迎えに来てくれて、連れて行かれた店が「麻辣香锅(MaLaXiangGuo)」という激辛汁なし鍋」のチェーン店、
思えばこの望京店に初めて行ったのも彼とである。

あの時は彼に頼まれてアレンジした女性歌手が連れて行ってくれたのだが、
「辛いの大丈夫?」
と聞くので、
「大好きだよ。大辛頼もう!!」
と答えていたのだが、
出て来たこの鍋がむっちゃ辛くて食えないほどだった。

「やっぱ大辛は違うねぇ・・・辛くて食えないや」
と汗だくになってそう言ったら、その歌手が笑ってこう言った。

「実はね、初めての人に大辛は無理だと思って微辛にしたの(笑)

そんなワシもそこに通い詰め、今では胸を張って「大辛」を頼むことが出来るようになった・・・

MaLaXiangGuo.jpg

もうこれはビールなしでは食える代物ではないのでビールも頼む・・・
気がついたら「会わせたい人がいる」というその人が来るまでにふたりで4本空けているではないか・・・

いろいろ昔話に花を咲かせる・・・

「あいつは今なにしてんの?」
とかの質問に、意外と
「あいつとはあれ以来会ってないよ」
と渋い表情で答えられることが多かったことがびっくりした。

若い頃はといえば貧乏で、
彼は裏方としてそんなバンド仲間を何とかデビューさせてやろうとワシまで引っ張り出して来て、
全く金にはならないのだがワシも一生懸命やったげたりして、
まあ終わってメシ食って酒飲んで、笑ってそれで終わり・・・

ワシなんかはそんな楽しかった日々を思い出すのだが、
みんな大人になって、それぞれいろんな方面で偉くなって・・・

そうすればみんないろいろあってぶつかって仲違いするのな・・・(悲)

まあそれでもワシはと言えばこいつがこんなに偉くなってもこうして懐かしがって声をかけてくれる・・・
思えばワシほど中国の音楽界の中で全ての人に好かれてる人間はいないらしい・・・

どの国でもそうなのだろうが、
「派閥」みたいな感じでいつも誰かと誰かが対立している世知辛い世の中で、
ワシだけはその全ての派閥の人間から悪口を言われたことがない・・・

「でもなぁ・・・あいつの性格は一生治らないよ。
性格ってのは小さな信仰(XinYang)みたいなもんだからな」
と毒づく彼の言葉を聞いてはっと思った。

中国に来て25年、今でもこうしてこの異国の地で仕事が出来ているのは何もワシのドラムの腕だけではない。

「才能」とは「音楽」だけのもんではないのだ。
こうして昼から辛いもん食って酒が飲める「胃袋」だってそうだろうし、
何よりも日本では「変わり者」でしかないワシの「性格」がこの国の人間に非常に合っていた。

ワシが信じて来た「信仰(XinYang)」、それは日本語に訳すと「生き様」のようなものなのだろうか・・・
この年になって今更もう変えることなんか出来ないし、
もう死ぬまで一生このまま生きてゆくしかないのだが、
それをこんなに多くの人が愛してくれてることが何よりもワシがここで一番嬉しく思うことである。

4本目のビールが空き、追加注文をする頃に「会わせたい人間」とやらがやって来た。

「すみません、先にもう飲んで食ってやってました」
と一応礼を尽くして深々と頭を下げる。

向こうは何か頼みごとがあるからワシを紹介してもらったのだろうし、
当然ワシの方が年上で、音楽業界でも大先輩なはずなのに、
日本で生まれ育ったワシはついついここで偉そうにすることが出来ない。

これがまた中国人の琴線に響くのだろう・・・

「Funkyさんに最初に油麦菜(YouMaiCai)を食べさせたのはこの俺なんだ」
王暁旭(Wang XiaoXu)が変な自慢をする(笑)

そうそう、最初にこいつが「ご馳走したい」と言ってメシに連れてってもらった時、
まあ当時はヤツも貧乏だったので小さなその辺のレストランだったのだが、
そこで日本では滅多に見ることのなかったこの野菜を初めて食べてしばらくハマってしまったのだ・・・

「黄家強を俺に紹介してくれたのもFunkyさんなんだよ」

そうそうBEYOND復活コンサートの最終日に呼ばれてこいつと一緒に香港まで行ったっけなぁ・・・

「あの時、打ち上げにまで連れて行ってくれて、周りは黒豹だBEYONDだスターばかりだろ、俺なんか緊張しちゃって大変だったんだから・・・」

そんな彼も今ではその黒豹だのBEYONDのベーシスト黄家強だのをブッキングするイベンターとなっている。

「確かあの時は貧乏旅行でなぁ・・・」
ワシもついつい思い出話に参加する。

当時香港直航便は高かったので深センまで飛んでそこから陸路で香港入り、
ふたりでバックパッカーが泊まるような安宿に泊まってまた陸路で深センから帰った。

「当時は再婚直前でお前にいろいろ悩みを聞いてもらったよなぁ・・・」
そうそう、そんな時代もあったのである。

その「会わせたい人」というのは何やらダンスとファッションショーと音楽を融合したみたいなことを考えていると熱く語る。

もう既に酔っ払って辛さでハイになっているワシは酔いに任せてこう言った。

「新しい朋友よ、私はあなたともしそのプロジェクトを一緒にやって、
成功しようと失敗しようと構わない。
ただ10年後、20年後にお互いに悪口を言うこともなく、
あなたとこうして楽しく酒を飲んでいたい。
それだけですよ!!」

新しい友とまたビールを何杯か乾杯して、
そしてその日一日は終わってしまった・・・(>_<)

まあいい、こうして中国の仕事は回って行くのだ(笑)

20151210BusinessMeeting.jpg

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2015年12月 8日

日本のアレンジャーは優秀やなぁ・・・(驚)

前回ブログでこんな募集をしたらたくさんの人が応募してくれた(驚)

いや〜一般論としては
「ネットで募集なんかやめとけやめとけ!!ロクな人間集まらんから」
と言われるが、それがそれが皆さんとても優秀な人ばかりで本当にびっくりした!!

おかげで本当に週末までに新たな発注曲15曲が全て終わってしまったのだ!(◎_◎;)

また驚くべきはそのクオリティー!!
その中の数曲は
「Funky老師、この曲のメロディーは本当に素晴らしい!!」
と滅多に褒めないはずの制作側が手放しで絶賛する・・・

ワシも当然何曲か作ったが、
そういう曲に限って自分の作ったのではなかったりして実は心の中には少々の「敗北感」などが渦巻いたりする・・・(笑)

まあ「外国語習得」でもそうなのだが、
例えば「ここまで喋れる」となると「それ以上のレベルの会話」が求められ、
いつまでたっても「自分は下手なんだ」と思わされてしまうのと同じように、
「ここまで出来るんだ」と思われたら「ほなこれも!!」と言われてしまうから大変である。

「こんなに素晴らしい曲なんだからオーケストラは是非生で録音してちょうだい!!」

もうね・・・「ガビーン!!」(涙)
この人たちね・・・生オーケストラの録音がどれだけ命がけかがわかってない!!(号泣)

まず、それぞれの優秀な助っ人さんが作って下さった音楽を、
指揮者よろしくワシが全部把握する必要がある!!(涙)

譜面だけ出力してもらって「この通り弾いてね」というわけにはなかなかいかないのだ・・・

もうね・・・「飛行機代出すから皆さん北京に来て自分の曲は自分でディレクションして」と言いたくなる(涙)

どれどれ何曲生で録るのかな・・・とメールを確認してみると・・・

我们也考虑了一下这15首音乐里哪些用的多,挑选出了7首希望能录制真乐器的:1个人情感描述 2牺牲 3悲壮 4卓妍爱情主题 5卓妍悲伤主题 6队长爱情主题 7队长悲伤主题。

・・・って7曲も生で録るんかい!!!!(◎_◎;)


あのね、労力だけではない、予算も当然ながらハンパじゃないのよ・・・

予算を司っているのはLaoLuanなので、
「おいおい、制作側こんなこと言ってますよ」
とメールを送っておく。

「予算がないから」と断ってくれたら言うことないのだが、
「じゃあ金曜日にスタジオ取るから全部の分数出しといて〜」

実際にレコーディングする分数によって値段が変わるんだろう、
7曲全部聞いてストリングス部分の分数を計る・・・

「全部で21分ぐらいだけど・・・」

恐る恐るそう返事を返しておくと・・・
「じゃあ金曜日にスタジオ取ってオーケストラ押さえとくから」

あと3日間!!!!(◎_◎;)

しゃーない・・・やるしかないか・・・
ワシの曲は2曲、これはまあ今からやれば今晩出来るとして、
助っ人さんがやってくれた5曲、
これは別ギャラとして譜面を出力してもらうとして、
全ての曲のマルチを取り寄せて、
それに譜面番号に合わせて「BaoHao」という中国ならではの「小節番号つぶやきトラック」を録音せねばならない・・・

それから受け取った譜面を指揮者よろしく完全に理解して当日ディレクション・・・

・・・って助っ人さんひとり作品納めてもらってから全然連絡取れんし(涙)←イマココ

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2015年12月 4日

もうね、映画音楽手伝ってくれる人大募集!!(涙)

「まだやっとったんかい!!」と思われるでしょうが、やってもやっても終わらんのです!!(涙)

空港に18時間足止めされて、
やっと出られたと思ったらそのままミーティングへ・・・

そのまま強制送還になったらこのミーティング飛ばすしかないと思ってたら、
1時間遅れで間に合うのな(>_<)

大プロデューサーからみんなワシを待ってましたがな・・・

もうね、18時間寝ずに空港で足止めされてる方がこの2時間のミーティングより気持ちが楽っ!!(>_<)

お偉い人は挨拶だけしてどんどん帰って行って、
残されたのは映像編集の女の子と方言(FangYan)とワシ・・・

この前の予想では、きっと映像編集はどっか大手の会社に丸投げしてしまって、
そこのチーフはベテランの恐いオッサンか何かで、
それが偉そうにワシの音楽に片っ端からダメを出しているのかと思ったらこんな可愛い小娘????

寝不足の頭で状況を整理してみるに、
このミーティング場所はおそらくこの映画(テレビドラマやけど)の関連会社。

見ればホワイトボードには
今年の仕事として十何本の映画と数十本のテレビドラマのタイトルが並んでいる。

「不可能的任務」というのもあったので、
ひょっとしたら今年公開されたミッションインポッシブルの仕事もしてたのかも知れない。

映画見に行ったらタイトルに中国の会社の名前がバンバン入ってたのよねぇ〜
予算がなくって制作が一度頓挫したという噂は聞いたけど、
きっとバブルの中国の会社が再投資して公開にこぎつけたのかなとか邪推してたらひょっとしてこの会社?・・・!(◎_◎;)

なんて感心してる場合じゃない!!

もう現場には監督の姿はない・・・
つまり全権は既にこの女性プロデューサーに移っているのではないのか・・・

「映画は監督のもの」が崩れて「この映画はこの女性プロデューサーのもの」

そしてこの女性プロデューサーのところの女性スタッフ、
連絡を取ってる女の子からこの映像編集のスタッフは女性ばかりのひとつのチーム?!!

「私は音楽のことはよくわからないから」
というこのプロデューサー、自分のチームのこの女の子たちの意見を絶対的に信用してたとしたら・・・(恐)

今まで連絡係の女の子が状況を大きく左右するような意見を言ってたり、
この映像編集の女の子が既にOKの出ているワシの音楽を平気でボツにしたりも頷ける・・・(>_<)

方言(FangYan)が一生懸命映像編集の女の子に食い下がっている。

「あんたねぇ、この部分の音楽どうして新しいの書かなくちゃいけないの!!
既にOK出てるこの曲当てればそれでいいでしょ!!」

方言(FangYan)ははっきし言って女だし若いしというのでこの娘をナメている。
そしてそのナメている相手が自分たちが一生懸命作った音楽をぽんぽんとボツにするのが許せないのだ・・・

しかしワシはそうは考えない。
女だろうが小娘だろうが、現在この娘が音楽に関する決定権を持ってるのならば、
この娘こそが「クライアント」である。

・・・涙・・・

もうね、いいの!!仕事が早く終わればそれで!!(泣)
方言(FangYam)もね、早く帰ろ!!

映像に参考曲を当てて「こんなのを作ってね」と言ってるんでしょ。
お前が「この曲の方がいい」と思うのならそれ当てて提出して、
ダメなら新しいの作ればいいじゃん・・・(涙)

さすがにその夜はぐっすり寝て、
また寝ずにずーっと音楽を作っている・・・

もうね、あそこは「映画工場」なので、
「こんな音楽をつけて欲しいな」という参考音楽は莫大な数の楽曲がデータとして揃っているのだ。

この娘はその莫大なデータの中から自分の感性に合うやつをどんどん選んで貼り付ける・・・

通常テレビドラマの音楽は映画と違って全部に音楽をつけない。
(中国ではそうだが日本ではどうなの?・・・)

まあ5〜6集ぶん、多くても9集ぶん音楽つけて、
あとはそれを使い回して最後までうまくまとめてね、みたいな・・・

通常の仕事は50分ぶんぐらい書いたらそれで仕事納め、
しかしワシは既に90分ぐらい作って、
それでも足りないから同じぐらいまた作れと言ってるのだ。

それもこれも、プロデューサーが、
「この音楽、前に使ったわねぇ・・・もう使えない」

・・・って何回も使ってよ!!

映画だと2時間びっちりと音楽をつけるが、
それでもまあ90分を超すことは少ないだろう・・・

つまりこの人たちはテレビドラマの音楽を映画と全く同じように作ろうとしてるのだ・・・

45分ドラマの44集・・・
つまり「33時間の映画」の音楽を作れと・・・(号泣)

作業を始めてから思うのだが、
無尽蔵にある世界中の音楽のストックの中からこの娘が選びに選んで参考曲というのは、
当然ながら世界的によく出来た曲ばかりである。

それを「これよりいい音楽を作ってね」というのだから「無茶」である(涙)

そこでもうワシは頭にきた!!
あっちが「映画工場」ならこちらは「音楽工場」になって、
そのミッションを人出を借りて全部こなしてやる!!

・・・というわけで映画音楽出来る人!!
ミッションを分け与えるのでメール下さい。

但しオーケストラが書ける人が欲しいです。

だって参考曲って全部オーケストラ入ってるし・・・(>_<)
これ全部生でやったら赤どころか破産してしまうので、
サンプリング音源でなるだけ生と同じように作れる人が必要なのよ〜・・・

ギャラいっぱいあげたいところだけど曲が多過ぎてこちらが破産してしまうので、
とりあえず安い値段でやってもらえる人〜

おりましたら是非手伝って下さい〜

・・・ってなブログ書いてへんで曲作らんかい!!←イマココ


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2015年12月 1日

強制送還その後・・・

前回の続き・・・

いつの間にやら夜が明けつつある・・・

監視のためかずーっと付き合ってくれてる職員さん(夜中の部)は非常に人当たりのいい人で、
デバイスを充電するのにコンセントのところにへたり込んでいたら椅子を持って来てくれたり、
また、朝になったら「腹が減っただろう」と外に出て食べるものまで買って来てくれた(涙)

ちなみに職員たりともペットボトル等の水は持ち込み禁止らしく、
身体が温まるようにとインスタントミルクティーを買って来てくれて、
わざわざ職員の部屋からお湯まで入れてくれた。

身体が温まるより何より心が温まったぞ(涙)

しかし状況は全然進展していない(>_<)

何せ頼みの綱の中国国際航空は「パスポートのない人間は乗せません」とはっきりと断ったと言うのだ。

これはますます映画「ターミナル」みたいになって来た・・・

でも映画の主人公は空港に一ヶ月住んで美女と恋をするが、
ワシの周りには女っ気のカケラもない(>_<)

映画では主人公は母国が内戦状態なので帰るに帰れなかったが、
ワシの場合は乗れる飛行機さえあれば帰れるのである!!

しかしその飛行機がなかなかない(>_<)

煙台経由は一度入国することになるのでダメ、
直航便は結局明日の朝までないのだ・・・(涙)

JALとのシェアコード便はあることはあるが、
「あれはJALだからうちの便ではない」
とかわけのわからんことを言う・・・

「じゃあJALに聞いてみたらどうかなぁ。日本の航空会社だったら便宜を図ってくれるかも知れないよ」
とワシはその職員にそう言った。

「そうだねぇ・・・その線も聞いてみよう・・・」
職員はそのまままた外に出て行ったまま帰って来ない・・・

きっと交代の時間だったのだろう、代わりに来た人はその人に比べるとあまりやる気のなさそうな人だった(>_<)

中国のLINEみたいなWeChatにも書き込んだらLaoLuanが心配して電話をくれた。

ひと通り事情を説明したら、
「航空会社に知り合いがいるから調べさせよう」
と言う。

まあ北京で3回調べて出て来なかったと言うのだ、
出て来ないとは思うけど、飛行機が飛んで行った青島でももう一度探してもらいたいものだ・・・

新しい職員さんにもう一度青島に電話をかけてもらっても
「そんなものないってよ」
でおしまいなので、ダメ元で何とかもう一度ちゃんと探して欲しい・・・

それと同時に帰国する便の手配である。
乗れる便がなければ本当に映画のようにここに暮さねばならない(涙)

時間は9時を回った。
大使館が開く時間なので藁をもつかむ思いで電話してみた。

そう言えば前回電話をした時もパスポート紛失の時だった・・・

「うーむ・・・これは初めてのケースですねぇ・・・」
大使館の人も頭を抱えながらいろいろ親切にアドバイスをくれる。

要は飛行機に乗せてくれさえすれば日本には帰れるのだ!!

JALとANAなら日本の航空会社なので何かと便宜を図ってくれるかも知れないということで電話番号を調べてくれたのでかけてみた。

電話口に出た日本の女性も非常に親切で、

1、夕方の東京行きには空きがある
1、外に出れなくてどのように購入するか
1、ボーディングパスの受け渡しはどうするか
1、T2からT3までの移動をどうするか

等いろんな問題を真剣に考えてくれた。
中でも一番の問題はT2からT3の移動だったが、
なんと職員さんが連れて行けば大丈夫だろうということになった。

職員さんもね、寝ずにずーっと交代で監視して、
ほんともう早く出て行って欲しいのよね。

じゃあクレジットカードで購入してボーディングパスを中で受け渡しということで何とか問題はクリア出来るのではということになった\(^o^)/

あとは空港関係と問題を詰めれば乗れると言う・・・

「それでお値段の方なのですが・・・」
一応確認のための値段を聞いて腰を抜かしそうになった。

12000元!!

つまり正規料金で買うことになるので20数万円が片道だけで飛んで行ってしまうのだ(号泣)

もうね、普段往復している片道切符7回分が一回の帰国で消えるのよ・・・
「もう帰るのやめて空港で住もうかな」
などと思い始めた時に一本の電話が鳴った。

LaoLuanである。
「パスポート青島で見つかったよ!!」

もうね、言葉ではいい表せない感激よ!!
誰もいない空港のイミグレーション前で小躍りしたもんね(涙)

きっと「3回探した」と言ってもちゃんと探してなかったのだろう。
LaoLuanがコネを使ってちゃんと探させたら出て来たということなのだろう。

今はパスポートが青島から届くのを待っている・・・←イマココ

あと2時間・・・いや〜14時間待ったのだ。それぐらいどうってことない!!
皆さんもくれぐれもパスポートの紛失には気をつけましょう!!!

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強制送還・・・

2015年11月30日、X.Y.Z.→Aのライブを終えたワシは中国東方航空MU526に乗るべく関西空港へと向かった。
その日はあまり腹が減ってなかったので関空のバーでシャンパンを2杯とワイン1杯、
出国してからビールを1杯飲んで搭乗口へと向かった。

飛行機は45分遅れだったので酎ハイを1本買ったのだが、それがいけなかったのかも知れない・・・

飲み干さずに酎ハイ片手に搭乗・・・
片手でパスポートと搭乗券を手渡しチェックしてもらう・・・

そのまま座席、確か32のJに座ったまではよかった。
新しく買ったスケボー付きのリュックが座席の下に入らないのでごぞごぞするためにパスポートと搭乗券を座席前のポケットに放り込んだ・・・

そしてお決まりのようにそれを機内にそのまま忘れて来たのである(>_<)

まあ前にも同じようなことはあった。
「あ、忘れた」と気付いてそのまま飛行機に取りに帰ったり、
スチュワーデスさんが持って来てくれたこともあった・・・
(結構やっとるやないかい!!)

ところが今回は飛行機から降りてバスでターミナルに向かったので取りに帰ることが出来ない(>_<)

職員さんに事情を話すと
「ここで待て」
と言って探しに行ってくれた・・・
(と言うか別にその人が探しに行くわけではない、電話で航空会社とかに探させるのだろう・・・)

そしてこう通告された・・・「見つかりません」

当然ながらワシのポシェットやリュック、服のポケットまで他人の手によってちゃんと調べられる。
見つからなかったら彼らだってむっちゃ面倒くさいのだ。
飛行機の中から掃除したゴミの中まで何度も調べたらしい・・・

「中国語は分かるか?」
役人のような担当者が何人か来てそう聞くが、
まあ言われる前からどうなるかは分かっている。

「強制送還」である。

「機内に行って自分でもう一度探してみることは出来ませんか」
そう尋ねたが、飛行機はもう別の便として青島に飛んで行ったとのことである。

ほんの少しの可能性としては、
青島で機内清掃した時に見つかるということもあるかも知れないが、
まあ3度探して見つからなかったと言うのだから可能性は低いだろう・・・

どっかに紛れ込んでなくなったのか、
見えにくいところに落ち込んで見つからないのか、
どっちにしろ今パスポートがないのだから入国は出来ないのだ。

朝いちの便で日本に帰るしかないのだが、
「じゃあこのベンチで朝まで待つの?」
と聞くと
「別の小さな部屋を用意します」
とのこと。

強制送還の人間にもある程度優しいのね・・・(笑)

「パスポートがないのに飛行機に乗れるの?」
と聞くと
「その手続きはこちらでやるから」
とのこと。

一応パスポートチェックのカウンターで入国カードを提出する。

「日本のIDは持ってるか?」
と言うので運転免許証を出したらやはりそれではダメなようだ。

日本ではマイナンバーを巡って色んな意見が飛び交っているが、
政府が発行した写真付きのIDがない国って先進国では日本ぐらいちゃうか・・・

ただiPhoneの中にはパスポートスキャンのデータが入っていたので、
それを見せたら何とか順調に手続きは出来たようだ。

何でもデータで持ち歩いとくもんだ・・・

手続きが終わるまでワシは入国審査のところのベンチで待っているのだが、
見ればひとり職員さんが残って座っている。

きっとワシを監視しているのだろう・・・

そりゃそうだ、考えてみれば十分アヤシイわのう・・・
このまま人が見てない隙にゲート乗り越えて入国しちゃうかも知れんし・・・

今回長くここにいたので初めてわかったことぢゃが、
飛行機が着いてない時間ってカウンターの職員はみんな引っ込んでしまって数人しか職員がおらんのな・・・

Kyouseisoukan1.jpg

隙を見て入国したら中国での仕事キャンセルせんでもええがな・・・
・・・ってもう二度と出国出来んわい!!!

はてさて、長い待ち時間の間この文章を書いているのだが、
「帰りのチケットを自分で取れ」
と言われていろいろ探しているが、
条件が厳しくて便が取れない・・・

まず「乗って来た空港と同じ空港へ」
そして「直航便で」
(まあそりゃそうじゃわのう、パスポートなしで乗り継ぎ出来んし)

そして面倒くさいのが「T3はダメ、今いるT2から出る便」
・・・ってこのターミナルって乗って来たMUぐらいしか飛んでないんですけど・・・

それじゃあいつまでたっても送り返せんということで、
日本国内の他の土地、そしてT3発着でも空港内を通って何とか入国せずに乗れるよう考えてくれてるようだ・・・
もうチケットはこの人達に任せた!!

ちなみに当然ながら自腹で取らねばならん(>_<)

待つこと5時間、何やら偉そうな人がやって来てワシにこう言う。
「どこも経由しなくて直接日本に行く1日の我が社の便はない。2日ならあるがどうする?」

ワシは「部屋を用意してくれる」と聞いてたので「それもよかろう」と答えた。
まあ明日の朝8:45になったら他の航空会社の便も聞いてみてくれるということで安心してまたそのまま待つ。

隣には相変わらずワシの監視のためかひとりの職員がついている。
そのまま待つこと2時間、さすがにワシは聞いてみた。

「部屋を用意してくれるとか言ってたけどそこへはいつ行けるの?」

するとその職員は笑ってこう答えた。
「部屋なんかないよ」

え?!!!(◎_◎;)
「するってーと2日まで待つってずーっとこのベンチで待つの?・・・」

職員はゆっくりと首を縦に振った・・・←イマココ

Kyouseisoukan2.jpg

速報はこちら

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2015年11月18日

映画音楽・・・怒ったらあかん!!(>_<)

日本でツアーを廻りながら、実は映画音楽制作は続いている・・・!(◎_◎;)

もうね・・・もの凄い!!(涙)
いやね・・・語るに語り尽くせん!!(泣)

日本へ向かう前に起こった大事件がこれ!!

もうね・・・歌う人替えてレコーディングし直すなんて無理!!(>_<)

元々は制作側が自分とこ所属の女優さんに歌を歌わせようとするからこんなことになるのだ・・・
その歌が上手くないからと言ってこれはもうこちら側の責任でも何でもない!!

LaoLuanが必死で説得に回る・・・

そもそもがどうしてその女優さんに歌わせたいのか、
それは万が一その曲が大ヒットしたらその女優さんはそれを引っさげて全中国を営業で莫大な金を稼ぐことが出来るから・・・

この国では儲かるのは「歌手」なのだ、
自分とこ所属の女優が「売れっ子歌手」に化けてくれたら会社としてもこんないいことはない・・・

それにしても
LaoLuanの説得は全くもってツボを突いている。
「別の歌手が歌ったらその利権は会社には落ちませんよ、その歌った人が持って行ってしまうじゃありませんか」

制作側もそんなことは重々承知である。
「だから別の歌手に歌ってもらって名義はうちの女優にするの!!」

そんなこと許されるわけはない!!・・・誰しもそう思うだろうがこの国ではそれも可能なのだろう・・・

そこでのLaoLuanの説得も非常に的を得ている。
「声が違う人が歌ってたらそれ持って営業に行けないじゃん!!ここは何が何でも本人の"声"じゃなくっちゃダメだろ?」

「じゃあその仮歌の声を大きくしてうちの女優の声に被せて!!」

そう言えばX.Y.Z.→Aが初めてアメリカでレコーディングした時にテレビで見た映画でそんな話があった。

歌の下手な歌手のミックスで、プロデューサーが
「本チャンの声を下げて仮歌をもっと上げろ!!」
と同じように指示する。

最後にはミキサーがこう泣きを入れるのだ。
「プロデューサー、もう仮歌しか出てません!!(涙)」

映画のそのシーンを思い出して苦笑いする。
二井原なんかが爆笑しながら通訳してくれたそのシーン・・・

現実にそうなったら現場では誰も笑いやしない(>_<)
みんな頭を抱えてしまうだけなのである・・・

エンジニアの方言(FangYan)は泣きながら仮歌をエディットして本チャンの歌と全く同じタイミングで被せてゆく・・・

「これ以上無理です!!(涙)」
となったテイクを制作側に送りつけてワシは日本に発った。

それからずーっと日本でツアーを廻ってたが返事が来ない・・・
「どうなったのかなぁ・・・」
などと心配してたら、実はそんなことが吹っ飛ぶぐらいの大問題が勃発していたのだ!(◎_◎;)


岡崎でのライブ会場でそのメールを受け取った。

「Funkyさん、ちょっと見て下さい!!オープニングの映像編集が終わったんだけど、何となく音楽と合ってない気がするの・・・」

オープニングテーマはこの時に既にOKが出ている。

しかし映像はワシが見た感じでも確かに合っているとは言い難い・・・

そりゃそうだ、監督の要望はこの最初の時点から「緊張感があって、インストで、年寄りが聞いても楽しめる、オシャレでPOPな、Clubミュージックサウンド」
という要求である。

ワシはてっきり007みたいな映像を考えているのかと思ったら、
戦争映画よろしく1分42秒ずーっと戦闘シーンなのである(>_<)

そもそもが「Clubミュージック」などこの映像に合うわけはないのだ(涙)

落胆してても仕方がない、今から全部作り直すのは無理だ、
頭をフル回転で働かせる・・・

そこで思い出したのがこの曲!!

仮タイトルが「Theme Of The War」つまり「戦争のテーマ」
戦闘シーンには持って来いではないか!!!!

送られて来た映像ファイルは非常に大きく、
日本でダウンロードすると2時間はかかってしまうのだが、
幸いiPhoneのプレビューで見るとすぐに見ることが出来る。

「この映像にはこの曲が合うよ」
というプレゼンには映像にその音楽を貼り付けて送りつけるのが一番説得力がある。

ワシはまずそのプレビューを別のiPhoneで撮影して、
その映像にこの音楽を貼り付けてとりあえずLaoLuanと方言(FangYan)にだけ送り付けておく。

まずはこのDEMOで大体の形を見せておいて相談して、
いざ制作側に送りつける時には2時間かけてDLしたその映像にこの音を貼り付ければよい。

むっちゃ仕事が早い!!
ライブ会場でのリハ前に受け取ったメールの解決策は、
リハが終わって本番前にはちゃんと送られているのだから・・・

LaoLuanはもう困り果てていて、
「Funky、いつ北京に戻って来る?一緒に会いに行って制作側と話し合おう」
とメッセージを送って来たそれとほぼ同時にこのDEMOを受け取り、
「これは凄いわ、映像にぴったりじゃないか・・・」
と舌を巻く。

この音を映像に合わせてみた時に
「ワシは天才かっ!!」
とつい自画自賛してみたが、実はこれは非常に「運」がよかっただけの話なのだ。

何せもともと戦闘シーンをイメージして作った曲の上に、
5拍子のリズムなのでClubミュージックよりもアクセントの位置が多く、
乱暴にシーンをつないだ映像でもどこかのアタックにあってたりするのだ。

そしてライブ終了後にはDLした映像に音を貼り付けて、
それを制作側に送り付ける時間を相談・・・

・・・というのは実はこんな出来事があったからである。


先週ひょんなことから中国の映画音楽家のヨウヨウさんが北京のうちのスタジオにやって来た。
その時にワシらが今やっている映画音楽制作の話を笑い話として彼に話してたら「3つの大事なアドバイス」をくれた。

1、金を受け取らなければ仕事は開始しない
2、誰の言うことを聞くのかひとり決めてその人以外の意見は聞かない
3、仕事は早くやり過ぎない

彼はこの条項を必ず契約書に入れ込んでから仕事を始めるのだと言うが、
1はまあLaoLuanが間に入っているのだからうちには関係ない。
2はうちの場合主導権が監督から制作側に移ったような感じで振り回されているのだから確かに大事な項目である。
(彼曰く、現在のうちの状態なんかまだマシな方で、金を出したスポンサーなんかが口を出して来たらもうやってられないそうだ)

3は実はうちにとっては大きなアドバイスだった。
何せワシの「仕事」は中国人にとったら驚異的に「早い」のである。

毎回毎回LaoLuanが「Funky、全くお前は凄いよ」と言うのに気を良くしてどんどん仕事が早くなってゆく・・・

これが危ないのだそうだ。
「そしたら発注側は自分の要求はこんなに簡単なのかと思ってどんどん無茶な要求を出して来るようになっちゃうだろ」


だから今回は送り付けるまでにわざと時間を置いた。

ワシとてスーパーマンではない。
これはたまたま偶然「合った」だけで数時間で出来上がったが、
「ああ簡単なことなのね」とか思われてまた無茶な要求を振られたのでは本当に困ってしまう。

ワシはタダの「音楽家」であって「魔法使い」でも何でもないのだ(>_<)


さて翌日たっぷりと時間を空けて音楽を貼り付けた映像を送り付けた。
反応はすこぶるよい。

「個人的な感想としてはとてもいいと思うわ」

いつも会社の意見なのか自分の意見なのか文句ばかり言う連絡係の女の子が珍しくそんなことを言う。

送り付けたのはDEMOの音源をエディットしたものなので、
ワシはもう既に方言(FangYan)に
「本チャンのテイクをこのようにエディットして最終形を作れ」
と指示してある。

ところがここに来てまた意外なダメ出し(>_<)

「映像編集者からこの曲は平坦だからオープニングに相応しくないとダメが出ました」
・・・って突然出て来たその映像編集者って誰?!!!(◎_◎;)

結局は最初のオープニングで「1分10秒から変えてくれ」ということになったが、この部分・・・何度変えたら気が済むの?(涙)
変えろと言われて作り直して既にOKが出たんとちゃうの・・・(号泣)

LaoLuanがここで「待ち」を入れて数日、
結局はこのような原因でぐちゃぐちゃになってしまったようだ・・・

日本ではわからんが、中国ではこのような長いテレビドラマの場合、
「音楽を作る人間」の他に「作った音楽を貼り付ける人間」を雇う。

ここからはワシの想像だが、ワシらなんかが雇うその業者なんかと違って、
きっとこの会社が丸投げした会社は有名で地位の高い会社だったのだろう、
その「とっても偉い」映像編集者とやらが、
「こんなんじゃ貼り付けられねーよ〜音楽作り直させろ」
とでも言ったのだろう。

もうこうなるとLaoLuanの仕事である。
「いい加減にしろ」とでも会社にクレームを入れてるのだろう、
待つこと1週間余、返事が来たのはツアー最終日前の岡山のことだった。


「Funkyさん、新しいオープニング映像が出来上がったんで見てみて下さい」

メッセージと共にまた大きな映像が送られて来る。
2時間かけてまたDLして見てみる・・・

「えーと・・・これ・・・音が何も入ってませんよね・・・」
恐る恐るそう返信する。

「そうよ、映像だけを送ったからそれに音楽つけてちょうだい」
!(◎_◎;);

・・・音楽に合わせて映像を作るんじゃなかったのか・・・

もう被害者意識が植え付けられてしまっているのだろうか、
実はこのやり取りは単なるミスコミュニケーションだった。

どうやら
「11月8日にあなたが送って来た音楽をつけてちょうだい」
ということらしい。

11月8日に送ったのは「Theme Of The War」のDEMOだったので、
その本チャンを編集して送ればいいのだなと判断、
さっそく方言(FangYan)に指示して編集させる。

「これが終わったら仕事納めやから頑張れ!!」
目先にニンジンをぶら下げるのも忘れない。

思えば新しく勃発したオープニングテーマの問題で、
エンディングテーマの問題がすっかり忘れ去られている。

このままうやむやになってしまえば本当に「仕事納め」なのである\(^o^)/

方言(FangYan)は頑張った!!
一度は直しを入れたが、最終的に出来上がった新バージョンは素晴らしいミックスだった。

映像に貼り付けてみる。
さすがにDEMOに合わせて編集しているだけあって、タイミング等もばっちしである。

自信満々で制作側に送り付ける。
すぐさま返事が来た。

「この曲じゃないわよ!!11月8日にあなたが送って来た曲よ!!」

!(◎_◎;)

「11月8日に送った曲ってこれですけど・・・」
「違うわよ、イントロが全然違うじゃない!!」

しばらくしてまたメッセージが届く。
「あ、この曲でした・・・」

一同胸を撫で下ろす。

ああもうこれで仕事納めなんだなとみんなが安堵したその瞬間、
また新たなメッセージが届く。

「40秒辺りから盛り上がりに欠けるわよね〜直して!!」

!(◎_◎;)

完成形を送り付けてるんだからもう直せないんですけど・・・(涙)

ここで方言(FangYan)とLaoLuanが激怒する。

「ヤツら全く何もわかっちゃいない」
「無茶苦茶ですよ全く」
「クソッタレ!!」

など3人だけのグループチャットで罵声が届いて来る。

「まあまあまあ」
とりあえずなだめて制作側にメッセージを送った。

「じゃあ40秒から何か別の楽器を被せます」

これにはさすがに方言(FangYan)も
「Funkyさんは本当に優しい人ですねぇ・・・」
と感嘆するが、このワシが「優しい」なんてわけはない。

ケンカしたって仕事は終わらない、
ワシはちゃんと仕事が納められさえすればそれでいいのだ。

「楽曲と構成はOKなんですね?」
とちゃんと確認のメッセージを送ってある。

要は楽曲がOKで構成も直す必要ないなら何かダビングするだけで仕事納めなのである。

はてさて更に何をダビングしよう・・・
ストリングスとホルンはもう使ってあるし、
ディストーションギターも既に使っている。

あとは管楽器ぐらいだが対旋律によってメロディーの合間は既に何かの楽器が埋めてしまってある・・・

うーむ・・・とりあえずコーラスでもダビングして分厚くしてみるか・・・
昔だと軍隊のコーラスでも呼んで生で録音出来たのだが、
今はギャラも高くなってそうもいかないので取り敢えず打ち込みで頑張ってみるか・・・←イマココ

Posted by ファンキー末吉 at:09:36 | 固定リンク

2015年11月 5日

中国でのインタビュー記事(翻訳)

先日ネットで仲間内が盛んにリツイートしてる記事があったので見てみると、ワシのことが書かれている記事だった。

自分の見られ方は日本と中国では大きく違っているが、
中国でもこれほど感激を与えてくれる記事は初めてだった。

猪俣未来さんという方が翻訳して下さったので、
原文と共にここに(注釈も入れつつ)残しておこうと思う。


关于funky桑,他们说:
2015-10-07 + Freak

ファンキーさんについて彼らが語ったこと

在中国摇滚历史上经常会有一些传说:
某一年,京城来了一个弹吉他特别牛逼的人,他无师自通,横扫京城,弹的出神入化,没人知道他什么来头,这人就是唐朝乐队吉他老五。

ある年、北京にとんでもないギター弾きが現れた。
その男は独学でギターをマスターし、その神業ともいえる演奏で北京中を荒らし回った。
彼がどこから来たのか、誰も知らなかった。
その男が、唐朝楽隊(楽隊=バンド)のギタリスト、老五(劉義軍)である。

又是某一年,来了一个日本人,他无意间听到了张楚的歌,深受感动,自此痴迷中国摇滚乐,留在中国,带来了很多的技术和先进理念,对中国摇滚乐有特别大的贡献,这人就是funky。

またある年、一人の日本人が中国を訪れた。
彼はたまたま張楚の歌(注:実は黒豹なんだけど張楚でも間違いではない)を耳にして深く感動し、それ以来中国ロックにのめりこむことになった。
彼は中国にとどまり、数多くのテクニックや先進の理念をもたらし、中国ロックに多大な貢献をした。
その人物が、ファンキー末吉氏である。

这张由FUNKY末吉觉牵头制作的专辑<亚洲鼓魂>,参与者有黑豹乐队吉他手李彤,前主唱峦树斌,唐朝吉他手刘义君,崔健乐队贝司手刘君利,面孔乐队贝司手欧阳,BEYOND乐队吉他手黄贯中,蒙古歌手图力古尔等人。

(これらの写真はファンキー末吉氏が制作責任者を務めたアルバム『亜洲鼓魂(アジア・ドラム・スピリット)』である。黒豹楽隊のギタリスト李彤、元ボーカル巒樹斌、唐朝のギタリスト劉義軍、崔健のバックバンドのベーシスト劉君利、面孔楽隊のベーシスト欧洋、BEYONDのギタリスト黄貫中、モンゴル人歌手トリゲルなど、そうそうたるミュージシャンが参加している。)

Freak:Funky曾任布衣乐队专辑的制作人,这样的传说是真的吗,到底有没有这么神?

ファンキーさんは以前、君たち布衣楽隊のアルバムのプロデューサーをしていたけど、ファンキーさんの伝説というのは本当なのかい? 本当にそんなにすごい人なの?(神という表現をしてる)(驚)

布衣乐队:有啊,他传授给我们一甲子的功力,开国际玩笑呢。

布衣楽隊: 間違いないよ。ファンキーさんは俺達に60年分のテクニックを伝授してくれたからね。冗談だけど。

苗佳:这个不是神,你去他的录音棚看他参与过的中国唱片就知道了,前后参与过几百张中国的原创音乐唱片,不管是主流还是摇滚,这对于一个音乐人来说,你能做这么多音乐简直太不可思议,他只用了二十年时间。

苗佳(布衣のギタリスト):ウソだと思うなら(神じゃないと思うならという表現をしている)(驚)、ファンキーさんのスタジオに行って、今までに参加した中国のアルバムを見てみればわかるよ。ポップスからロックまで、合わせて数百枚のオリジナルアルバムを制作しているんだ。一人のミュージシャンがこれだけの音楽を作れるっていうのは、全くどうかしてるぜ。だって、彼が中国で活動を始めてから、まだ20年しか経ってないんだから。

作为鼓手,合作过的音乐人有陈琳《爱就爱了》、杨坤《那一天》、韩红《红》、许巍《时光,漫步》《每一刻都是崭新的》《在路上》、汪峰《生无所求》、爽子《无能为力》等等。
作为编曲制作,合作过的音乐人有零点乐队,布衣乐队,李慧珍,艾梦萌等。

(ファンキー末吉氏がドラマーとして制作に参加したアルバムは、陳琳の『愛といえば愛』、楊坤の『あの日』、韓紅の『紅』、許巍の『時間よゆっくり流れろ』『1分ごとに新しい』『道の上で』、汪峰の『生無所求(1)』、爽子の『力不足』など多数に上る。
アレンジャーとしては、零点楽隊、布衣楽隊、李慧珍、艾夢萌などと合作している。)

吴宁越:你在中国想录一张牛逼的摇滚专辑就非常难,因为所有的录音室没那么多录摇滚乐队的经验,更没有那么多录优秀摇滚乐队的经验,所以技术水平还是有差距的,你看funky,他想得到的一个鼓,从日本拿过来,他为了一个牛逼的鼓的声音花了二十多年,他找到Wyn Davis才找着这个声音,完了他把那个录音师找到北京做了这个录音棚,他找了二十年的鼓,直接就传到我们这了,现成的就有了这个鼓的声音。

呉寧越(布衣のボーカル): 最高のロックアルバムを中国で制作するのはすごく難しいことだ。すべてのスタジオがロックのレコーディング経験が豊富なわけではないし、その中でトップレベルのロックバンドのレコーディング経験が豊富なスタジオなんてさらに少ない。技術のレベルにはまだ差があるんだ。
ファンキーさんを見てみろ、手に入れようとしたのはドラムの音だけだ。日本から来て、彼は最高のドラムの音、それだけのために20年以上費やした。彼はWyn Davisと出会って、ようやくその音を見つけることができた。Wyn Davisというレコーディングエンジニアを見つけ出して、ようやく北京に自分のスタジオを作ったんだ。彼は20年間探し続けたドラムの音を、俺達に直接伝えてくれた。すでに出来上がったものがあったから、俺達のドラムの音が作れたのさ。

Wyn Davis:Gun's and Roses、Doken、No Debut等乐队的录音师,除了布衣,他还参与过爽子专辑的后期缩混,7月份签约唱片公司的零点乐队,新专辑也将由Wyn Davis制作。

(Wyn Davisとは:Guns N' Roses、Dokken、No Doubtなどのレコーディングエンジニアで、布衣以外に、爽子のアルバムの後期ミックスダウンにも参加している。
今年7月にレコード会社と契約した零点楽隊のニューアルバムも彼の制作である。)

录吉他,录人声,他告诉你怎么怎么录,人声准不是最重要的,有感情是最重要的,就像每个人都有权利谈恋爱,一个穷光蛋一个残疾人,都是有谈恋爱,谈一段辉煌恋爱的可能性,所以这张专辑都是表达一种爱,和你准不准没啥关系,最重要是你有没有得到那份感觉,只有过来人才能告诉你这个话,而且只有过来人告诉你这个话你才会听,一个年轻人告诉我准不重要,我说去死吧你,对吧,你没资格说这个话。

呉寧越: ギターのレコーディングにしても、ボーカルにしても、ファンキーさんはどのように録るべきかという話を俺達にするんだ。ボーカルの音程が正確かどうかは二の次で、感情がこもっていることが最も大切なんだと。それは例えば、誰もが恋をする権利があって、貧乏人だろうが身障者だろうが、誰もが輝くような恋をする可能性がある、だからこのアルバムは、愛の一つの形を表現したものだ。音程が合ってるかなんてどうでもいい、いちばん大事なのは、君らが愛を表現するという気持ちを持ってるかどうかなんだよと。
こういうことが言えるのは、経験が豊かな人だけだし、またそういう人でないと、言っても誰も聞かないよね。どこかの若造が、俺に音程なんてどうでもいいなんて言ったら、お前死ねって言ってやるよ。そうだろ? そいつにそんなこと言う資格はないから。

但是他告诉我们很多这方面的经验,也给我们很多的帮助,从录音到做人,他大起大落最成功的时候,超级巨星,完了他告诉我们当巨星也没什么,他到中国就是因为不想当巨星,因为每天做太多的综艺节目,类似什么爸爸去哪儿这样的,每天大量时间消耗在那里,他觉得没意思。

だけどファンキーさんは、この方面のたくさんの経験を聞かせてくれたし、それが俺達にはすごく役に立っている。レコーディングについても、人としての振る舞いについても。
彼が一番成功してた時でも、要するにスーパースターなんだけど、スターになるなんでどうでもいい、スターになりたくないから中国に来たんだ、毎日たくさんのバラエティ番組、『父さん、僕達どこに行くの』みたいなやつに出て、そこで長い時間をムダにするなんてつまらんからな、と俺達に語っていたんだ。

他来到中国找摇滚乐找了一个星期,没找着,最后一天晚上碰到张楚,他跟张楚去看演出,去看黑豹演出,跟张楚去的时候是写好遗书的,因为这个太恐怖了,你一日本人到中国看摇滚乐,张楚那时候是胖子,rockrock的感觉,funky女朋友和工作人员一看说,你别去太危险了,funky写好遗书,早上七点如果我没回来就是我死了,回日本也别找我了。

彼は中国に初めて来た時、中国のロックを1週間探し続けて見つけられなかったんだけど、最後の晩にたまたま張楚と出会って、ついて行って黒豹のライブを観たんだ。張楚について行くとき、日本人が中国でロックを観るのがあまりにも危険な状況だったから、遺書を書いていったんだ。
あの頃張楚は太っちょで(注:呉寧越が後「太っちょ」ではなく「パンク」と訂正)、一目でロックな感じだったから、ファンキーさんの彼女もホテルのスタッフも、張楚を見たとたんに、危ないから行くなって止めるもんだから、ファンキーさんは明日の朝7時になっても俺が戻ってこなかったら死んだと思え、日本に帰っても俺を探すな、と遺書を書いたんだ。

他去看黑豹乐队,我草,太牛逼了,他说的是日本语言,在一堆中国摇滚青年中间喊日本语,你想想。栾树跟大家说,不要激动,这是日本歌迷,没关系,这是歌迷。然后funky说,我是日本人,我就喜欢中国摇滚。非常传奇的,特别有探险精神,他还去过朝鲜,从中国跨过鸭绿江,走过去又走回来,那是边界,分分钟有被打死的情况,跟他一起去的人,到鸭绿江就不敢走了,没有人再往前走了,他一个人从鸭绿江跨过去,跨回来。

彼が黒豹のライブを観た時のこと、俺はスゲェなと思ったけど、日本語しゃべったらしいよ。大勢の中国人ロッカーの中で、日本語で叫んでたんだぜ、考えてもみろよ。
(注:呉寧越が後に「日本語ではなく英語で『君たちと演奏したい、一緒にドラムを叩こう』と興奮して叫んだ」と訂正)
巒樹(当時の黒豹のキーボード担当)はみんなに、エキサイトするな、この人は日本人のファンなんだから大丈夫だ、って。ファンキーさんは、僕は日本人だ、だからこそ中国ロックが好きなんだ、と言ったんだ。まさに伝説だね。
ファンキーさんについて特にチャレンジャーだと思ったのは、北朝鮮にも行ったことだ。中国から鴨緑江(中国東北部と北朝鮮との国境の川)を越えて北朝鮮に行って、また戻ってきた。あそこはしょっちゅう人が殴り殺されてる国境で、ファンキーさんと一緒に国境まで行った人も、鴨緑江から先へは行かなかった。他に誰も行かなかったのに、ファンキーさんはたった一人で鴨緑江を越えて行って、戻ってきたんだ。

FREAK:这真的是人格魅力。

Freak: それはまさに人間的な魅力だね。

吴宁越:就有特别大的,这种探险的精神。

呉寧越: 特に大きいのはチャレンジ精神だよ。

FREAK:他现在也有演出,作为演出嘉宾你去的会比较多。

Freak: ファンキーさんは今も現役でライブをしていて、呉さんがゲストとして出ることも多いよね。

吴宁越:他就疯狂的要演出,因为他知道自己年纪大了,也不可能天天练,必须要大量的演出才能够保持自己的状态,他现在身边很多玩音乐的朋友都去世了,前两天还去世了一个,而且就在前几个月来中国我和们一起演出,还挺年轻挺健康的,突然心脏病发就去世了,这种对他刺激比较大,感觉分分钟就要挂了,所以每一场演出都是最后一场,尽量多一点演出,他这种态度,你说中国大乐手有几个能够弯下腰去这种小酒吧,没有吧,很少像funky这种超级巨星,就在这种地方演,他玩儿的是音乐,不是明星。

呉寧越: ファンキーさんはクレイジーなくらいライブをしたがってるよ。なぜかというと、ファンキーさんは自分がもういい年だし、毎日練習できる状況でもないから、自分のパフォーマンスを維持するにはライブを大量にやるしかないとわかっているからね。
ファンキーさんの音楽仲間の多くが、もうこの世を去っているんだ。ついこの間にも一人亡くなったし、それから何か月か前に中国に来て俺達と一緒に演奏した、まだ若くて元気そうな人が、心臓病で突然亡くなった。このことはファンキーさんにとって影響が大きくて、1分1分を大事にしよう、毎回のライブを自分の最後のライブのつもりでしよう、そして少しでも多くライブをしようと、そんなマインドでいるんだ。
中国の有名ミュージシャンの中に、こんな小さなバーでライブをしようなんて思う人間が何人いる? いないだろ? ファンキーさんみたいにこんなところでもライブをするスーパースターはごくわずかだよ。彼はどこまでもミュージシャンであって、タレントではないからね。

苗佳:funky桑是真的艺术家,他就算在一个特别小的酒吧里演出,他也要把他的头巾带起来,换上衣服,真的,这是日本音乐家跟中国最大的区别,特别职业。

苗佳: ファンキーさんは真の芸術家だよ。たとえ小さなバーでライブをするときでも、バンダナを頭に巻いて、ステージ衣装に着替える。ホントだよ?
そこが、日本のミュージシャンが中国のミュージシャンと一番違うところだね。本当にプロだよ。

吴宁越:尊重这个现场。

呉寧越: そういうライブには敬意を払うよ。

苗佳:因为我经常就会因为要多开十分钟车,我就少带两份效果器,特别有这种可能,今天演出只有一个我就马上会飞回来,能少带就少带,他绝对不会有这种,他们不是这样的,真不是这样的。

苗佳: 俺は、車で10分余分にかかるからとエフェクターを持ってこないことがしょっちゅうあるけど、今日のライブですぐ戻ってきたのは俺だけだったよ。
持ってこないで済むものは持たずに済ませよう、なんて考えは、ファンキーさんには全くないんだね。彼らは本当に、そういう人たちではないんだ。


Posted by ファンキー末吉 at:06:46 | 固定リンク

2015年11月 3日

映画音楽間もなく終了!!(か?)

「映画は監督のもの」と言われるが、
なるほど「売れる曲を作れ」と言われるより、
「監督が気に入る曲を作れ」というミッションの方が
不特定多数の機嫌を取るよりも楽だし分かりやすいし、
何よりもそこにいろんな高い音楽性を入れてゆけるのでやりがいがある。

まあ日本の歌謡界とやらで
「聞く人はバカなんだからそんな高い音楽性を入れると売れない」
などとと言われたことがあるが、
そんな世界よりは断然やりがいのあるのがこの世界である。


そもそも今回のこの仕事、今では映画音楽界でも大家となっているLuanShuが受けた仕事が彼がやれなくなってしまい、その兄のLaoLuanがワシを紹介して今に至っている。

仕事的に言うとLaoLuanがワシの「クライアント」なのであるが、
そことワシががっちりと意思疎通が出来ているとこれが非常にやり易い。

最初は片头曲(オープニングテーマ:ここの最後に書いてるやつね)の製作から始まり、
ワシがX.Y.Z.→AのSusperiumを持って行ったら、
「歌モン作ってどうすんだよ!!こんなのを作るんだよ!!」
と言って軌道修正してくれてから、その後彼がワシの作った音楽に口を出すことは全くない。

その後「戦争のテーマ(ここに書いてあるやつね)」を作った時には、
制作側とのWeChatの連絡網の中で手放しで「非常好(とても良い)!!」と言ったっきり、
それから彼の主な仕事は、ワシの曲を受け取ったら「收到(受け取ったよ)!!」とか「特別好!!(むっちゃ良い!!)」など「褒めちぎる」ことであるかのようだ(笑)

まあこれは非常に助かる援護射撃である。
「どれどれ」と制作側がそれを聞いて、その先入観で同じように「非常好(とても良い)!!」とか思ってくれたら言うことはない。


ところが最後にこれが崩れた(>_<)
制作側のトップが、片尾曲(エンディングテーマ)のイントロがどうしても気に食わないと言い出したのだ。

やり取りは関係者が全部参加するWeChatのグループチャットで行われてるのだが、
LaoLuanが少々キレかかってるので「まあまあまあ」とばかり、
「じゃあイントロ作り直しますんで〜」
と明るく書き込んでおく。

イントロなんか何度でも作り直してやればいいのだ。
曲や仕事ごと全部ボツになるより全然いい(苦笑)

とりあえず仮歌を入れた段階で聞かせないと判断が出来ないということで、
張張の(元)彼女のムーヤオをブッキングした。

MuYaoRecording.jpg

相変わらず可愛いねぇ・・・
性格も彼の歴代彼女の中で(全部知っている)一番いいのに別れやがった・・・
なんてことはいいとして、
取り敢えず曲のキーに関しては「ちょっと高いかな」とは言われたけど、
X.Y.Z.→Aと同じAmのキーにした。

彼女のアドバイスによると、(彼女の歌入れもそうだったが)
ちょっと高いキーで歌手がスタジオで努力して歌い上げた方が結果が良いということだ。

まあ歌うのが女優さんで「歌手」ではないのが心配なので一応Gmのキーでも歌ってもらう。

高いキーで聞いた先入観もあるのだが、
この曲は「確かに歌いやすいは歌いやすいんだけど・・・」というその低いキーはどうも暗く聞こえてしまう。

そう、やっぱマイナーキーのゆっくりとしたバラードってどうしてもジメっとしてしまうのよね〜
監督が「片尾曲(エンディングテーマ)にはパワーが必要」と言ってたので、
歌い方も中国人歌謡歌手が好む「囁くように」というのは避けて「喉を開いて」歌ってもらった。

まずはLaoLuanに聞いてもらってOKをもらってから参加者全員に送りつける。

LaoLuanは例によって「非常好(とても良い)!!」とメッセージを送り、
ワシ個人にはこんなメッセージを送って来た。

「この曲って李慧珍(Li HuiZhen)に書いた曲だろ?」

厳密には違う。モンモンというアイドルに書いたのだが、
彼女の喉もやはり李慧珍(Li HuiZhen)と似てるところがあり、
結局は中国ロックバラードを書く時ってワシはいつも李慧珍(Li HuiZhen)のことが頭にあるのかなと思ってしまう。

そりゃそうだ。彼女のアルバムがワシの作曲プロデュース出世作であるし、
その経験から知らず知らずのうちにムーヤオへのディレクションもそのような方向になってしまったのかも知れない・・・

歌の人も含めてスタジオミュージシャンって凄いからねぇ、
「こう歌って」と言ったら本当にどのようにでも歌える(驚)

作曲者が同じというのもあるが、
きっとワシのディレクションを受けて李慧珍(Li HuiZhen)のようになってしまったのだろう。

ワシとLaoLuanは20年前のあの頃の気持ちに浸ったりして、
「これはいい作品だ・・・」
と感慨にふけっていた。


ところが制作側のトップの女性プロデューサーはこれを聞いて猛烈なダメ出し!!

「聞いたけどこれ、まるで男性が歌う歌みたいじゃん!!アレンジ全部やり直して!!」

LaoLuanはこの段階で既にキレてしまってWeChat上であわや喧嘩が始まりそうである。
ワシは「はいはい、じゃあアレンジやり直します」とコメントしておいた。

アレンジなんか何度でもやり直してやればいいのだ。
曲や仕事ごと全部ボツになるより全然いい(だんだん涙)

実はここで彼女が「ロック」というものに拒絶反応があることが段々明らかになって来た。
「ロックって何がロックなのか私には全然わからないけどね、よくないものはよくないの!!これは私の考えだけど会社の考えもほぼ同じよ」

そりゃそうだ・・・あんた会社のこのプロジェクトのトップだものあんたの考えが会社の考えですよ(>_<)
となったわけである。

ところが実はこの段階で監督はこのバージョンにOKを出している。
「映画は監督のもの」という原則がここで大きく崩れて来たのだ。

「ねえ、監督とプロデューサーってどっちが決断権強いの?」
方言(FangYang)がニヤニヤして親指と人差し指を擦り合わせるジェスチャーをしながらこう答える。

「金払ってる方が偉いに決まってるじゃないですか」

しかし彼も面白くないのだろう。
「全くもって何も音楽のいい悪いもわかっちゃいない!!」
と文句を言う。

「いい悪いは関係ないんだよ、その人が好きか嫌いかだよ。決断権持ってる人が嫌いなら仕方ない。もうひとつ柔情版(優しいバージョン)作るしかないね」

LaoLuanはLaoLuanで
「クソッタレ!!何で二つもバージョン作らなきゃなんないんだ!!」
とまだ怒りが収まらない様子・・・

プロデューサーは直々に彼にご機嫌お伺いの電話をかけて来たと言うが、
まあワシが働けばいいのよ、ワシが働けばね・・・(どっぷり涙)


さて、柔情版(優しいバージョン)となるとキーも落として仮歌を歌う人も変えた方が良い。
実は大きく変わっているのに、声が同じであることが原因となって
「全然変わってないじゃない」
などと言われたら元も子もない。

LuanShu青島コンサートでムーヤオと共にコーラスをやってくれた王馨悦(Wang XinYue)に発注した。

WangXinYueRecording.jpg

いやね、ワシもうディレクションせんし・・・
ワシがしてまた「ロック」になったらたまらんし・・・

というわけでディレクションはLaoLuanに任せてビールを飲む。
飲みながら久しぶりに李慧珍(Li HuiZhen)にメッセージを送ってみる。

「いやね、今映画音楽やっててね、バラード書いたらLaoLuanが君に書いた曲だろって。
やっぱ俺のロックバラードって君がルーツなのかねぇ・・・
今柔情版作っててLaoLuanがディレクションしてるんだけどね、
目標は"李慧珍に似ないこと!!(笑)」

「どんな目標よ!!でも、知ってるわよ、貴方が私を愛してるってことは(笑)」
など冗談を言い合ってたのだが、送った曲を聞いた途端に今度は彼女が怒り出した!(◎_◎;)

「むっちゃいい曲じゃないの!!その人たち耳悪いんじゃないの!!私が歌うわ!!(怒)」

いや、あんたまで出て来たらややこしいので勘弁して欲しい(苦笑)


とかなんとかやってるうちに柔情版(優しいバージョン)完成!!
送りつけたらまたダメ出し(>_<)

「全く変わってないじゃないの!!」

いや、大きく変わってるし(>_<)・・・
思うにこれはやっぱイントロやな・・・

ということでワシはもうアイデアがないのでニューフェイスの園田くんに発注して、
新しいイントロに差し替えてさっさと女優さんの歌入れ!!

いや〜この辺はさすがLaoLuanは上手いなぁ・・・
既成事実を積み重ねてどんどんやり直しをさせないように持ってゆく・・・

歌さえ入れてしまえばあとはイントロ直すだけだもんね〜(笑)


幸か不幸かその歌入れの日はワシは日本にいて参加出来なかった。
WeChat上でLaoLuanは
「順調に終わったよ〜歌い手さん真面目で一生懸命頑張った!!」
と全員にメッセージを送って来たが、エンジニアの方言(FangYan)は、
「勘弁して下さいよ〜」
とばかり徹夜で歌をエディット!!(笑)

なにせ歌が下手だったらすなわち「曲が悪い」になってしまうので命がけである(涙)

「コーラスをいっぱい入れて歌を誤魔化せ!!」
LaoLuanからミッションが下る!!

仮歌を入れてくれた二人に来てもらってその歌に被せて本チャンコーラス入れ!!

MuYaoWangXinYueChoRecording.jpg

いや〜サビでは主旋律もちゃんと歌ってもらってるもんね〜
コーラス上げたら主旋律歌ってる人リードボーカルと合わせて4人!!

まあこれだったら文句ないでしょう・・・


・・・と思ったらまたダメが出た。
「サビの歌に力がないのよ〜何とかならないかしら・・・」

歌う人に力がないもんは私の力では何ともなりません!!(>_<)

仕方ないので方言(FangYan)に指示する。
「仮歌のトラックも重ねてツインボーカルみたいにしろ!!」

今度は仮歌のリズムをリードボーカルにぴったり合わせるよう徹夜でエディット(涙)
そしてミックス!!

ちゃんとミックスしないとダメなのよ〜
バランス悪いだけで「曲が悪い」になっちゃうからね〜(かなり涙)

やっとのことで摇滚版(ロックバージョン)と柔情版(優しいバージョン)とふたつのミックスを終え、全員に送りつけた。

返事が来ない・・・

間接的に催促する。
「では片头曲(オープニングテーマ)の1'42"バージョンを作りますので、片尾曲(エンディングテーマ)は皆さんのOKが出たら2'45"バージョンを作ります」

まあ直接的に言うと「早くOK出せ!!」ということである(笑)
何せこのOKが出てエディットバージョン納めたらこの仕事は終了なのである!!\(^o^)/

いや〜いっぱい曲作ったなぁ・・・


M0001PianTou0142+Masterd.wav
PianTou Short Masterd.wav
M0004Opening+Masterd.wav
M0116FeiJi+Masterd.wav
M0130ChuZheng(Long)+Masterd.wav
M0343DaJia+Masterd.wav
M0425JieHunShi+Masterd.wav
M0512ZhanMen+Masterd.wav
M0554ZhanMen2+Masterd.wav
M0622GuiYi+Masterd.wav
M0840JinZhang+Masterd.wav
M1048JinZhang2+Masterd.wav
M1154TuZhu(Qing)+Masterd.wav
M1200TuZhu(Zhong)+Masterd.wav
M1250PainOfTheWar+Masterd.wav
M1510Sadness+Masterd.wav
M1819Zhui+Masterd.wav
M1900Zhui2+Masterd.wav
M1926JueYi+Masterd.wav
M2042RequiemBig
PianTou(Sadness)+Masterd.wav
PianTou(YinMou)++Masterd.wav
TheEndOfTheWar(Medium)+Masterd.wav
TheEndOfTheWar(Slow)++Masterd.wav
TheEndOfTheWar(Up)+Masterd.wav
ThemeOfTheWar+Masterd.wav
TuZhuRen(Slow)New+Masterd.wav
QingSong.wav
Cujian15-4451.wav
PianWeiQu(Gm)Rock Masterd.wav
PianWeiQu(Gm)2 Masterd.wav
事件音乐+1.wav
事件音乐2.wav
事件音乐3.wav
事件音乐4.wav
事件5.wav
事件6.wav
gaoxiao+chang欢快+轻松.wav
轻松搞笑 gaoxiao duan.wav
RequiemSmall+Masterd
TheneOfSuZhuoYan+Masterd.wav
忧伤主题1.wav


返事が来た!!

「エンディングテーマは摇滚版(ロックバージョン)でいくわ!!
柔情版(優しいバージョン)は劇中で使う!!」

やった〜!!\(^o^)/

まあ「OKです」とはっきり言わないところが制作側の葛藤が垣間見えるようだが(笑)
まあワシにとってはこれは「OK」ということである。

片头曲(オープニングテーマ)のエディットバージョンを作って送りつけて、
じゃあ最後に摇滚版(ロックバージョン)のエディットバージョンを送りつければ仕事納めである!!\(^o^)/

今日は日本居酒屋で祝杯を上げようと居酒屋を予約しようとしてたその矢先に電話が鳴った・・・


「Funky〜今制作側から電話があって、やっぱ歌が悪いんだ、歌う人を変えてレコーディングし直してくれって・・・」

しばし呆然・・・未だかつてないような脱力感が全身を覆って立ってられなくなった・・・


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2015年11月 2日

ストリングス録音は命がけ

やっぱ映画音楽と言えばオーケストラ録音である。

バンド録音とオーケストラ録音と何が違うかと言うと「譜面」、
バンドはコード譜だけぽんと渡して後は「ヘッドアレンジ」でその場であーだこーだ指示を出せばよいが、オーケストラ楽器はそうはいかない。
必ずちゃんと「パートごとの譜面」を書いて渡さないと「だいたいで」ということが出来ないのである。

オーケストラ、特にストリングスはもう何十曲もレコーディングしたが、
昔は中国元も安く物価も安かったので日本の4分の1ぐらいの予算で録音出来たが、
今はミュージシャンギャラからスタジオ代、お車代など雑費に至るまで相当値上がりしてるので大変である。

今回のミッションは予算削減のため「基本的にMIDIて作って小編成の生を上に被せる」というもの。

まあ確かに最近はサンプリングのストリングスの音色も本物同然だし、
更に上に本物を被せるとちょっと聞いただけでは生か打ち込みかわからない。

ところがワシが使っているLogicのKontaktというソフトが、
MACのOSをEl Capitanにアップデートした途端に使えなくなった(>_<)

まあMIDIデータを細かくエディットしてより本物らしくする作業とか大変なので、
新しいニューフェイス(日本語変か?)の園田くんに全部振った。

ところがここからトラブルが始まったのである・・・

園田くんのミッションは、
1、末吉の打ち込んだストリングスがそのまま使えるレベルかどうかチェック
2、使えるものはそのまま使って、使えないものは送られたMIDIをエディットして自分の音源で出力、それに差し替えるか足すかして使える音源を作る
3、生を入れる楽曲はその譜面を出力してレコーディングに立ち会う
というもの。

ところが曲数がやたら多い(>_<)

ワシももうどの曲にどんなラインを描いたか忘れてるし、
データだけを送られて来た園田くんも正確に把握出来てないままスタジオに入ったのが間違いであった。

DianShiJu2015StringsRecording.jpg

いつも使っているストリングスチームの、
今日はトップの赵坤宇(ZhaoKunYu)はツアーに出てて来れず、
代わりに若いトップバイオリンが来て大御所のメンバー達に緊張しながら指示を出していた。

片头曲(オープニングテーマ:ここの最後に書いてあるやつね)は結構するっと録音終了!!
戦争のテーマ(ここに書いてあるやつね)は転調が多いので結構大変そうだったがこれも何とかそつなく終わった!!

そして片尾曲(エンディングテーマ)で問題が起きたのだ。

誰が歌うのか全然決まらず、
女優さんが歌うと決まってからキーも決まらない。

何せ「このキーでいいですか?」と仮歌まで入れて伴奏までつけて送っているのに、
返事は「差不多(ChaBuDuo)」(>_<)

差不多って「そーねだいたいね〜」ですよ!!(怒)

もう安全策で一音低いバージョンで譜面を出力した!!
高かったり低かったりしたらもう知らん!!(>_<)

ところがこの曲のレコーディング中に問題が起きた!!
間奏のややこしいコードに「あれ?こんなライン書いたっけ?」という音が鳴っているのだ。

ちなみにワシはストリングス録音はストリングスが演奏するブースの中で聞く。
そうすると音が濁ってたり揃ってなかったりするとよくわかるからである。

「ちょっと待って下さい」

間奏終わったAメロはストリングスお休みなので、
長いストリングス録音の歴史の中で初めてレコーディングを中断しての譜面検証である・・・

ちなみに日本のスタジオミュージシャンは当時とっても怖くて、
自分の書いた譜面のどの音が違ってんのかも即座に答えられないアレンジャーはナメられるだけでなく、ひどい時には罵声まで飛んでたというから、
ワシはそれに鍛えられて、もの凄い緊張感で全て完璧にやって来た。

文字通り「命がけ」!!答えられなかったらその場で腹かっさばいて死ぬ覚悟でやっていた。

当時はコンピューター譜面とかなく、
「写譜屋」という職業の人がワシの書いた全楽器が一覧出来るスコア譜から、
手書きでひとつひとつパート譜に書き直してそれぞれのパートの人に渡すのだ。

人間がやってるんだから当然ながらミスが出る。
音が違ってたり臨時記号が抜けてたり、
そんな写譜ミスを敏感に察知してすぐに指摘出来なければならない。

「チェロの人、今ここんとこ弾いてたのはCのナチュラルですか?写譜ミスです、C#に直して下さい」
とか瞬時に指摘出来なければならなかったのだ。

ところがコンピューター譜面に慣れたせいか、
あと現場も数多くこなし過ぎて慢心したか、
いや、基本的に「譜面出力」を他の人に任せたのが悪かったのだろう、
今までは全部自分でやってたのだから・・・

この曲はAmでアレンジしたものを土壇場でGmに変えたので譜面を見ただけでどの音がどう絡まっているのか咄嗟にわからない(>_<)

違っているのは2ndバイオリンだということはわかるのだが、
どの音をどう変えればよいかが咄嗟に出て来ない(>_<)

「MIDIで作ったストリングスを聞かせろ!!」

あまり待たせるとストリングスチームのモチュベーションが下がるので大急ぎでチェックするが、なんと生で弾いているラインとMIDIのラインは全く同じ。

つまり譜面は間違ってない????

とにかくブースの中でストリングスだけを聞いてる分には音は濁ってないので、
とりあえずストリングスチームには先に帰ってもらって原因を究明する・・・


先に種明かしになるが、
実は間違ってたのは譜面だった。

正確にはMIDIをトランスポーズする時に、
何かの拍子に間奏だけ5度下にトランスポーズされてしまってたのだ。

その音でMIDIからストリングのサンプリングを鳴らすので、
結果的に譜面とMIDIで作ったストリングスの音は同じだったというわけだ。

トランスポーズにも微妙にそのキーに合わすコマンドもあるので、
微妙に1stバイオリンとハモっていたので余計によくわからなくなってしまっていた・・・(>_<)

もう録音してしまったものは仕方ないので、
このストリングスに合わせて全ての楽器の音を変更する。

ちょっとアバンギャルドなコードではあるが成り立たないことはない。

もともとのコード

Eb△7|A7 on C#|D7/D7 onC|Gm onBb/G7 onB|Cm/A7 onC#|Dsus4| D7|

というクラシカルな綺麗なコード進行が、

Eb△7|A7 sus4(b9)|D7/D7 onC|Gm onBb/G7 onB|Ab△7/A7(b5) onC#|Dsus4| D7|

というなんともアバンギャルドなコード進行になってしまった・・・


まあこれはこれで「ロック」なのでいいとして、
あとは本チャンの歌を入れてそれにコーラスを被せてオシマイである!!

・・・ところがそうは順調にいかないんだな、これが・・・(涙)

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2015年11月 1日

便利過ぎるのも考えもの(>_<)

中国のIT関係は既に日本の比ではないぐらい進んでいて、
特に便利なのは以前も説明したがWeChatというアプリ!!

まあ日本でいうLINEのようなものなのだが、中国ではこれで何でも出来る!!

一番便利なのは金の支払いや振込!!
商店や食堂で勘定を支払うのから、ネットショッピングから知人にギャラの支払いやら受け取りやらも出来るから驚きである。

今日びギャラは現金でもらうよりも「じゃあWeChatで支払うわ〜」と言って支払いメッセージが届くだけなのでありがたみもへったくれもないが・・・
まあ支払う時にはネットで支払うよりも簡単!!

WeChatPayment2.jpg

航空チケットもこのように「指紋で支払う」を押すと、
ワシのように中国の銀行口座とWeChatを紐付けしておいて、
Qunarという旅行アプリに自分のパスポート情報を登録しておくだけで、
iPhoneの指紋認証でワンタッチで支払うことが出来る。


ところがこれが問題なのである!!

前回の南武朝鮮初級学校での南武サランフェスタ2015終了後、
予定通りそのまま夜バスで大阪に走るか、
それとも関空ならこれで探せばもっと安いのがあるんではないか・・・
などと思ったのが大きな間違いである。

見ればなんと260元!!(5000円ぐらい)
ついついポチリ!!一瞬で予約が完了した・・・

酔っ払って金に関する行動を起こすもんじゃない、
実はこれは年末のチケットを検索してた日付のままで、
なんと12月22日の便だったのだ!!(>_<)

当然ながらこのテのチケットは変更、キャンセル、乗員変更不可である(涙)

その時は悔しくって仕方がなかったが、
時が経つにつれ「なんとかリベンジ出来んか」と考え始めた。

そして昨日のことである。

その頃の渡航スケジュールでいうと、
では12月22日に実際にこの便に乗って関空に行き、
関空から北京までのチケットを実際に押さえれば間違って取ったこのチケットを捨てなくてもいいのではないのか・・・

日本では1月3日に豊橋AVANTIでセッションに呼ばれているので、
本来ならば名古屋往復を取って当日にでも間に合う時間に名古屋に飛べばと思っていたのだが、
この成田ー関空を生かして2日に関空に飛べばリベンジ出来るのでは・・・

うにちゃんが宝塚に店を開いたというので、
2日にその店で何かイベントやらせてもらってそのままうにちゃんちに泊めてもらって、
次の日ゆっくり豊橋まで行けばいいのではないのか・・・

今度はちゃんと日付を確認してポチリ!!
一瞬でチケット予約が完了!!

念のためチケット予約の確認をしてみるが・・・
そこに何やら取った覚えのないチケットが・・・

12月30日:大阪ー北京
1月4日:北京ー大阪

???・・・さっき取ったチケットにまたがってこんなチケットを取るはずがない!!

よくよく調べてみると、
これはX.Y.Z.→A大阪公演の翌日、11月30日に北京に飛ぶためのチケットである!(◎_◎;)

つまり・・・一ヶ月間違えてチケットを押さえてしまっている・・・(涙)

往復3万円程度と安かったからついポチリとしてしまったやつだ・・・
もちろんのこと、このチケットは変更もキャンセルも出来ない。

またこれが格安チケットなのに珍しくANAのチケットなので悔しいったらありゃしない。
ANAは映画が見れたりいろいろ乗り心地がいいのよ・・・(涙)

つまり現状でブッキングされているワシのチケットは・・・

12月22日:成田ー関空、関空ー北京
12月30日:関空ー北京(工程が逆ならよかったのに)
1月2日:北京ー関空
1月4日:北京ー関空(工程が逆ならよかったのに)

これを全部生かすためには、
まず12月22日に北京まで飛んで、
12月30日のチケットを生かすために一度大阪まで飛び、
30日にこのチケットで北京に戻って来て、
ちなみにワシは1月1日に武漢で仕事が入っているので翌日31日には武漢に飛び、
1月1日最終便で北京に戻って、
1月2日の便で大阪飛んでうにちゃんとこでイベント、
1月3日には豊橋AVANTIでイベントやるので、
1月4日の朝一番に名古屋から北京に飛んでそのまま北京ー大阪に飛び乗って帰る・・・無理か(>_<)

3万円の帰り分は捨てることになるが、
更にもう3万出して12月29日にでも大阪で何かイベントでもあれば、
その稼ぎがまあせいぜい4万5千円ぐらいになるなら何とかチケットの半分は生かすことが出来るぞ・・・
(主催者さんの家に泊まること前提)

誰か29日関西方面でイベント入れて〜!!!・・・・死ぬか・・・

Posted by ファンキー末吉 at:17:52 | 固定リンク

2015年10月30日

映画音楽が終わらない(>_<)

まあ今回は今まで数多くこの国で受けて来た映画やテレビドラマの音楽よりは順調と言っていいだろう・・・

ある仕事などでは、制作側の代表としてこちら側と連絡を取る女の子が実は実は社長の女だったりしたこともある・・・(>_<)
必然的に自分の意見は何でも通るものだと思ってるから素人のくせに「あーしろこーしろ」と音楽的に無茶苦茶なことを言って来る・・・(笑うしかない涙)

ところが今回はワシにこの仕事を発注したLaoLuanが間に立ってくれてるので非常に楽である。

同様に制作側の若い女の子が「あーしてくれこーしてくれ」とメッセージ送って来るのだが、
時々LaoLuanが「それはお前個人の意見か?それとも会社の意見か?」と釘を刺してくれる。

何しろ最初の打ち合わせの時に制作側トップの人間と親しい彼が来てくれたおかげで、初対面のワシが制作側の全面的な信頼を背負って順調に仕事が出来ているのだ。

まあ順調と言っても問題はいろいろある・・・

もともと最初は「緊張感があって、インストで、年寄りが聞いても楽しめるオシャレでPOPな、Clubミュージックサウンド」などという不可解なミッションを受けた片头曲(オープニングテーマ)から始まった。

日本側から仮谷くんとへーすけさんにも作ってもらったが、
「緊張感とオシャレでPOPなClubミュージックって同居しないような気がするんですけど・・・」
と泣きが入る・・・

まあワシだってそう思ってるのよ!!
・・・というわけでひとりで頑張って作って何とかOKが出た。

ところがこの「OK」っつうのが実は当てにならなかったのだ・・・(>_<)

「Funkyさん、オープニングとエンディングの絵を作ってるんだけど、
片头曲(オープニングテーマ)1分42秒、片尾曲(エンディングテーマ)2分45秒でよろしくね」

って今すぐ送ってくれみたいなこと言うけど、
まあ片头曲(オープニングテーマ)は送ったDEMOをエディットして1分42秒にすればいいとして、
片尾曲(エンディングテーマ)はまだどの曲になるか決定は出てないでしょ・・・

歌モノの曲はこの前のミーティングで聞かせた「ヒロインのテーマ」しかないので、
とりあえずはそれをちゃんとしたバンドアレンジで作り直すとして、
まずは片头曲(オープニングテーマ)をエディットして1分42秒にして送りつけておく。

すぐさまダメが出た(>_<)

「1分10秒から始まって最後までを作り直して下さい」

ところがこの「作り直して下さい」というのはエディットの問題ではなく、全部作り直せということだった!!(>_<)
つまり同じメロディーがもう一度出て来るのは禁止!!

そしてこのオーダーがまた難しい(>_<)

「不思議で神秘的な感じで1分10秒から最後までずーっと盛り上がり続ける」
・・・て「不思議で神秘的」と「盛り上がり続ける」はなかなか同居はせんぞ・・・!(◎_◎;)

まあ不可能を可能にするのが「仕事人」である。
何とかそんな感じ(どんな感じや?)で作った新しい片头曲(オープニングテーマ)と、
ヒロインのテーマのバンドバージョンをアレンジして送りつける。

何と片头曲(オープニングテーマ)は一発OK!!!(◎_◎;)

しかし片尾曲(エンディングテーマ)はダメが出た。
そのダメの理由が予想だにしないダメ・・・

「詞がないの送られて来たっていいか悪いか判断出来るわけないでしょ!!」

!(◎_◎;)・・・曲を決めるのに詞が要るのか・・・

印税制度がそんなに確立されてない中国では、作詞は基本的に「買取」である。
しかもLaoLuanは中国で一番売れっ子の「梁芒(LiangMang)」という歌手に発注した。

ワシが作曲した全ての音楽がもし全部詞付きだったとしたら、
彼へのギャラだけで全ての制作費がいっぺんに吹っ飛んでしまうぐらいの超高額作詞家である(>_<)

もし曲が何度も変わってその度に彼に作詞料を払ってたら・・・(恐)

まあでもこういう人の方が制作側からのいろんな要求に応えられるスキルを持っているのでいいかも知れない・・・
(この曲で決めるぞ!!)

何せ「詞が悪かった」ら「曲が悪い」と言いかねない人たちなのだ・・・
(まあどの仕事のクライアントはそんなもんなのだが)

ところがこちらとしては誰が歌うかわからないとキーが決まらないのでアレンジが出来ない・・・

「誰が歌うんですか?!」
やいのやいのと催促入れてやっと決定が出た!!

「もうひとりのヒロインの女優さんが歌います」

(>_<)・・・

もうね、大変なの・・・
何本か前の仕事の時に同様に役者さんが歌うっていうから、
アレンジした張張(ZhangZhang)とうちのスタジオ来てもらってレコーディングしてたんだけど、
まあ役者さんなんで当然上手くはないわな・・・

ワシと張張(ZhangZhang)はもうわかってるから、
「わぁ〜非常にいいですねぇ〜ここのところもう一度歌い直してもらえますか?
いやぁ〜役者さんはやっぱ感情移入が凄いですねぇ〜
メロディーのあるセリフだと思ってもう一度ここのところ歌い直してもらえますか?」
などおだてておだててやっとベーシックなテイクを録り終えた。

今日び音程もリズムも後でエディットで直せるから、
「このレベルだったら何とかなるだろう」
ということでやっとこさOKテイクを録って、
気持ちよく帰ってもらって後でゆっくりエディットしようと思ってたら、
プレイバックを聞いた途端にエンジニアの方言(FangYan)がこう言った・・・

「全然お話しになりません!!レベルが低すぎます!!もう一度最初から歌い直して下さい!!」

(>_<)

「え?そうですか?じゃあ何度でも頑張ります!!」
歌好きで真面目な性格のその役者さん、またやる気満々でブースに戻って行く隙に、
「アホかお前は!!!」
と方言(FangYan)をつねり上げた。

「このレベルの歌手がお前の求めるレベルまで歌えるようになるのに何時間かかると思う!!
いや、今日じゅうに終わると思うか?さっさと帰してお前が朝までエディットするのとどちらが早いか考えてみろ!!」

というわけで今回も恐怖の歌入れが最後に残ることになったのだが、
問題はその女優さんのキーが何なのかということである。

片尾曲(エンディングテーマ)は日本ではX.Y.Z.→AのWINGSにも収録されている「For Whom The Bell Tools」として知られているが、
この曲はサビの「ミ」の音が一瞬一番高く、二井原の喉には「裏声」というものが存在しないのであのようにシャウトになっている。

もともと中国の歌手に書いた段階ではこの部分は裏声で歌って欲しいということになってたので、
とりあえずX.Y.Z.→Aと同じAmでデモを作って制作側に渡した。
(二井原のキーって実は普通の女性歌手より高い)

ご丁寧にカラオケまでつけて、
「歌う人にこのキーでいいか確かめてもらって下さい」
高いならキーを下げるし、そのままでいいならもうストリングス録音しちゃうよ!!

でも帰って来た返事がなんと「差不多(ChaBuDuo)」(>_<)

差不多:形容詞 〔非修飾〕(程度・性状・数量・時間・距離などが)あまり差がない,似たりよったりである,まあまあである

つまり「ちょうどいい」か「高い」かを聞いているのに「まあまあかな」と返って来たのだ・・・(>_<)・・・どうする?!!!

ストリングスのレコーディングは迫っているのでとりあえずAmとGmの譜面を用意して待機してたら、
思いもよらないクレームがぶつけられて来た。

「イントロがよくないわ。曲がよくないのかしら・・・新しいの作り直して!!!」・・・(◎_◎)

これにはワシもLaoLuanもぶったまげた・・・
制作側トップの女性プロデューサーはどうも「ロック」が生理的に嫌いなのだ。
イントロのロック的な展開でもう「聞く耳持たん」状態になっているのだろう・・・

LaoLuanが一生懸命説得するがしかし・・・

「これはね、私個人の意見だけどね、会社の意見もだいたい同じね」

そりゃそうだ・・・あなたは会社の中でこのプロジェクトのトップなんだからあなたの意見は会社の意見ですよ・・・(涙)

ちなみに監督はそのバージョンでOKを出したけど、
制作側としてはもう引っ込みがつかなくなってどんどんと意固地になる・・・

このままどうなる?・・・作り直しか?・・・そうでなくとも女優さんはちゃんと歌えるの?・・・

そして問題はそれだけではなかった!!
その後すぐに始まったストリングスのレコーディングで過去最大のトラブルが襲って来るのである・・・続く(もう続きたくない・・・涙)

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2015年10月27日

老哥のロックイベント

老哥(LaoGe)というのは中国ロック界伝説の人である。

その話を普通の日本人に話すには、まず「文化大革命」というものを知らねばならない。

中国では日本人には到底信じられないようなとんでもない時代があった。

社会主義は最高!!資本主義に走るヤツは弾圧!!
毛沢東最高!!新聞の文字で毛沢東の途中で行換えしたヤツは弾圧!!
弁当包んでる新聞紙で毛沢東の文字破いたヤツは大弾圧!!
赤は共産党の色だから今日から信号は赤は進め青は止まれ!!
労働者が一番偉いのであるから勉強するヤツは弾圧!!
書物や文化財は全部焼いてしまい、
知識階級はみんな農村に行って農業しろ!!
まあいきなり農業出来るわけないんだから大きな飢饉がやって来るけど、
文句言うヤツは全て弾圧!!

などという無茶苦茶な時代である・・・

この「弾圧」っつうのもハンパじゃない。
三角帽被せられて公衆の面前で嬲り殺しにされたり、
誰かがそうなったらもうその一族郎党全て生きてゆくことは出来ない。

これを弾圧する兵隊が「紅衛兵」という恐ろしい軍団・・・
・・・と言っても年端もいかない学生達であったりする。

学校なんか行かなくていいから毛沢東語録だけは完全に暗唱し、
それを掲げて資本主義に走った反社会主義分子を徹底的に弾圧して回る。

音楽はもちろん毛沢東を讃える革命の歌しか存在せず、
そんな中でロックなど聞くのなんてまず無理〜みたいな、そんな時代である。

しかしどんな世の中にもダメと言われたことをやる人間がいる。

一般人ならまず不可能だが、この老哥の友人は政府高官だからそれが出来た!!
なんとビートルズのLPを手に入れてそれを聞き、
エレキギターとエフェクターまで手に入れたのだ・・・

当然ながらこのような行動は「資本主義に毒されている」として厳しい弾圧の対象となる。

紅衛兵に見つかれば、いや毛沢東の名の下に絶大な権力を持つ紅衛兵には「証拠」など必要ない。
そんな噂を聞いただけでいきなり弾圧に来るのだ(恐)。

運悪く、老哥の友人の政府高官はそれが見つかった(>_<)

そうなれば一族郎党全て「殺される」と言っても過言ではあるまい。
命どころか家財道具、財産、持ち物一切没収である・・・。

当然ながらそのビートルズのLPやギターなども全て没収された。
ところが老哥はなんと紅衛兵の詰所にその一切を盗みに行ったのだ!(◎_◎;)

これがどれほど命知らずなことかは、
まあ北朝鮮で首領様の家にエロ本盗みに行くとか、
山口組の組長の家にリカちゃん人形盗みに行くとか想像してみれば良い。

それよりも数倍何十倍も危険で命知らずなことなのだ!!

老哥は捕まらなかった。
そしてビートルズを研究し、ディストーションという音色を研究し、
その後あらゆるロックのアルバムをレコーディングするエンジニアとなる。


私が1990年最初に北京に行って、
奇しくも6月4日、天安門事件の1年後に天津体育館で黒豹のドラマーとしてドラムを叩いた時、
老哥はそのPAエンジニアとしてそこにいた。
(中国はレコーディングエンジニアはPAエンジニアを兼ねる場合が多い)

黒豹のみんなは彼を私に「老哥(LaoGe)」と紹介し、
「みんなの一番大きなお兄さんだよ」とその名前の意味を教えてくれた。

当時まだ見習いの立場だった黒豹のドラマー趙明義(ZhaoMingYi)のことを
「あいつはまだまだ全然ダメだ。お前が黒豹に入るのが一番いい」
と私にそう言ったが、爆風スランプは当時既に大きな企業体となっており、
メンバーはもとより数多くのスタッフ達がそれで食ってる状況だったので、
日本の仲間を裏切ることは出来ないのでその申し出は断った。

そもそもその時代、
ロックなんかやってて彼らの夢が叶うなんて誰も思いやしなかったのだ・・・

ところは彼らは数年後には中国ロック史上レコードを一番売ったバンドとなり、
ロックバブルの申し子となって巨万の富を稼ぐことになる。

そして老哥はどうなった?・・・

エンジニアという仕事は一緒の現場にいないと顔を合わすことはないので、
実はその後25年、私は彼とほとんど会うことがなかった。
一度ぐらいどこかのパーティーで会ったぐらいだろうか・・・

そんな老哥が大きなロックパーティーを開くというので、
まずは私が参加している「The Pushu 推乐队」が、
後に「Big John 張嶺」が出ることになって2つのバンドでドラムを叩くことになったというわけだ。

でっかい会場を借り切って、チケットは招待券のみ、
そして来場者は飲み放題食い放題という本当に「パーティー」である。

LaoGePertyBeer.jpg

出演バンドがまた渋い!!

中国ロックを支えて来た人たち、
そして新しい世代のロッカー達と言っても私なんかは10年前にイベントでよく一緒になってたわけだからもう既に10年選手!!大御所である。

みんな老哥に世話になったヤツらばっかりなんやろうなぁ・・・

LaoGePertyProgram1.jpg
LaoGePertyProgram2.jpg

当然見に来る客も古い中国ロックファンばかりである。
会場歩いてるといろんな昔仲間に声をかけられたり、
とある知らない人に声をかけられてサインを求められたのだが・・・

LaoGePertyBook1.jpg
LaoGePertyBook2.jpg

とある写真家が中国ロックの歴史を写真で綴った本・・・
中にはちゃんと私の写真があった・・・

こうして文字通り中国ロックの1ページを飾ることが出来た自分の人生をちょびっと誇りに思うぞ・・・
まあこの人には負けるけどな。

LaoGePertyLaoGe.jpg
(ステージ上で挨拶をする老哥)

中国ロック関係者の中でワシより年上なのは彼ぐらいだろう。

お互いまだまだ出来ることがあるだろう、長生きしような(笑)

Posted by ファンキー末吉 at:20:44 | 固定リンク

2015年10月15日

映画音楽いよいよ大詰め!!

突然「25日までに全曲納めてくれ!!」とミッションが下った!(◎_◎;)

まあ当初から「10月に放映する」と言ってた気がしてたがそれはいくら何でも無理なので忘れていたが、ひょっとしたらワシと制作側とのやり取りを見ていたLaoLuanが見るに見かねて期日を決めてくれたのかも知れない・・・

通常テレビドラマの仕事は最初から5話とか10話とかまでに音楽を貼り付けて、
「あとはそっちにお任せしますわ〜」
と言って仕事納めにしたり、
もしくはこちらは音楽を作るだけで貼り付ける専門の業者に発注したりすることもある。
(中国だけのシステム?日本ではどうなの?・・・)

今回は監督が非常に音楽好きで、2Mixと共に大体20トラック以内にまとめたマルチトラックを納めればいいことになっている。

自分でいろんなトラックをミュートしたり、
特定のトラックをミュートしたりいろいろするらしい・・・!(◎_◎;)

まあそんなこんなで今回は貼り付けの作業が要らないので楽は楽なのだが、
どこに貼り付ければいいのかわからない音楽を一生懸命作り続けるのも大変である。

25分ぐらいの宣伝用ダイジェストムービーが送られて来て、
「これに貼り付けてるような音楽作ってね〜」
と言われるのだが、
これなら別に中国語わからなくてもいいので仮谷くんとかへーすけさんとかにも作ってもらってたのだが、
ここに来て新しいニューフェイス(日本語変か?)が登場!!

Sonoda.jpg

園田芳雄くん・・・通称小雄(XiaoXiong)
なんと日本人なのにこちらで映画音楽やって食っているというツワモノである!!
しかも中国人と結婚してもう10年日本人と会ったことがないというので日本語がちょっと変(笑)

彼はオーケストラのアレンジや譜面も書けるというので、
今までワシがひとりでやってた仕事を完璧に分担することが出来る!!

とりあえずはワシがアレンジした弦のパートを全部MIDIとWAVで出力して彼に渡す。
小作品はもうこのWAVでよければ生は入れないし、
生っぽくなければ彼にMIDIから別のWAV作ってもらって、
生でレコーディングする曲は彼に譜面を出力してもらえればよい!!

とりあえずリズム録りに専念して昨日やっと全曲録り終えた!!

ベースはうちに居候している渋谷有希子、
ギターは北京で生まれ育った居酒屋兆治の田端さんの息子田端翔くんを稼働!!

TabataShoRecording.jpg

抗日映画なのに日本人ばっかやな(笑)

どうやら今回のようなテレビドラマの音楽は、
曲の長さが全部合わせて50分ぐらいならもう仕事納めらしいが、
最初のうちは長さをカウントしてたがもう完全に50分は超した時点でカウントをやめた(>_<)

宣伝用のサンプル映像は短い時間でいろんな場面を見せて見る人を惹きつけておかねばならないことから、当然ながらドンパチ系のアップテンポの音楽が多様されるが、
大元の映像を見てみると決してこんなにテンポ感は速くない。

むしろゆっくりとした場面が多いのでワシは頼まれもせずに大元の映像に合わせていろんな音楽作っていってたから必然的に長い曲が多くなってしまうのだ・・・。

分数だけで仕事をしたらとっくの昔に終わっているのぢゃが、
やはりどうせやるならちゃんとレベルの高い仕事をしたい。

この仕事は元々はLuanShuが受けたもので、
何やら忙しさと高レベルの作品へのプレッシャーで潰れてしまって出来なくなったらしい。

それでワシのところにお鉢が回って来たわけだが、
まあこのレベルの作品を第一線で作り続けてたら潰れるわのう・・・

ワシなんかもう次の仕事来たらこのレベルの作品はもう生み出せんし(笑)

LuanShuは元々張張に仕事を発注しており、
映像を見ないうちから張張は頼まれて既に幾つかの楽曲を作っていた。

ワシが仕事を引き継いだということはこの張張の仕事も使ってやらねばならん。
まあお互いいろんな仕事を持ちつ持たれるでやってるのだからこれも「助け合い」である。

ところがそれを制作側とか監督とかに提出するのに色々とテクニックが必要である。

全画面を見てその適当な場所、
「何分何秒のところにぴったりの音楽を作りましたんで聞いてみて下さい」
と言って提出する。

もう何が何やらわからんので表に書いて整理!!

DianShiJuGongZuoBiao.jpg

それぞれ作った人は責任持って自分の作ったマルチトラックをエンジニアの方言(FangYan)に送ってね〜
その時にファイル名を必ずこれと同じにしてね〜
仮タイトルでファイル送られてももうどれがどれだかわからんからね〜

21日に大きなライブがあるので、
(まあライブはワシにとっては「お休み」みたいなもんぢゃが)
方言よ〜生オーケストラが入らない曲はもう先にミックスするのぢゃ!!
22日には生オーケストラ録って、あとは歌入れして終わり!!

・・・って歌誰が歌うの?!(◎_◎;)

歌う人決まらんかったらキーが決まらんから弦のアレンジ出来んのよ〜
(まあリズムも基本的にはそうなのぢゃが中国は「キー変わるかもわからんからその時はもう一度弾き直ししてね」で発注出来る)

主役の女優さんが歌うの?
ワシ知らんからね!!歌のディレクションはせんよ!!(怖)

作詞は売れっ子の「L」という作詞家に発注したらしい。
いろんな賞の授賞式などにドラマーとして呼ばれた時には必ず何かの曲で受賞している一流作詞家である。

「あいつに頼んだらむっちゃ高いんちゃうの?」
LaoLuanにこっそり耳打ちする。

「そうなんだよ・・・」
とLaoLuanがしかめっ面で首を縦に振る。

こちらは「印税」という概念がないので曲や詞は基本的には「買取り」。

「ヤツって今いくらでやってんの?」
恐る恐る買取額をリサーチしてみる。

「まあうちの仕事だったら安くしてくれてこれぐらいかな・・・」
LaoLuanはしぶしぶと指を二本立てた。

「2万元?!!(◎_◎;)」

ワシが一番売れっ子の頃、国内最高額として設定したギャラが1万元、
もう10年経ってるとは言え、2万元っつうたら今日本円で40万円ですよ??!!

安くしてこれぐらいなんだから他では4万元取ってたりするだろう・・・
1曲詞ぃ書いて80万円!!(◎_◎;)

いやぁ・・・日本の買取料金ってまだ7万円?・・・
もう既にゼロがひとつ違う世界やな・・・(恐)

「いや、高くてもな、彼ぐらいのレベルの作詞家に発注するところに意味があるんだよ」

まあ映画音楽の主題歌とかもよくやってる人なので、
物語の世界観をうまく詞ぃに入れ込んでくれたりのスキルが高いから助かるは助かる。

エンディングテーマのデモを聞かせたって
「詞がないからわかんない」
と突っ返すのが今回の制作側である。
(まあどこでもクライアントというのはそんなもん)

詞が御門違いだったら「曲が悪い」と言いかねないのでこれは非常に助かるは助かる・・・

「まあね、高いのは高いけど、詞にはL、曲はFunkyさんっつう大御所の名前を並べることこそが何よりの説得力なんだよね・・・」

おいおい・・・ワシ・・・大御所?!(◎_◎;)

だったら同じギャラくれ〜いや半分でええからくれ〜!!!(号泣)

Posted by ファンキー末吉 at:16:29 | 固定リンク

2015年9月27日

映画音楽制作開始!!

なし崩しに映画音楽(テレビなんだけどこう表現する)の仕事が始まった・・・

世話になっているLaoLuanからの依頼なのでギャラも決めず前金ももらわずに始めてしまっているが、まあ中国式に彼のことなので悪いようにはしないだろう・・・

オープニングテーマを死ぬ気で作って反響がよかったと思ったら、今度は
「新しいサンプル映像が仕上がったので送ります。ここに当ててある音楽を参考にして作って下さい」
と新たなミッション・・・

見ればどこから引っ張って来たか戦争映画でよくあるオーケストラ曲が満載・・・

よくよく聞いてみれば1曲聞き馴染みがあると思ったらLuanShuが昔別の映画でやった音楽である。
彼の仕事もよく手伝ってたからなぁ・・・

それにしてもこの簡単なメロディーで見事に气氛(雰囲気)を盛り上げている・・・
しゃーないなぁ・・・こいつがここまでやったんだからワシもやるか・・・

と重い腰をやっと上げた・・・

聞けばどうも今回の仕事ももともとはLuanShuに来た仕事らしい。
あまりの多忙と乗り越えなければならない作品水準とのプレッシャーで潰れてしまって今回は受けられなかったという話である。

・・・ということは彼が乗り越えられなかった壁をワシが乗り越えるのか?・・・(怖)

・・・てな感じでモチュベーションが上がり過ぎて、
まあ結局のところそれは自分に跳ね返って来るのだけれども、
気がついたら勝手にもの凄い大作に着手してしまっている自分がいる・・・

まず戦闘シーンでは緊張感を持たせるために敢えて7拍子にして、
まあ数あるハリウッド映画のようにb5などの音を多用して緊張感のあるメロディーを被せる。

そこから更にモチーフを転調して行って、
そこにあわよくば今回作ったテーマメロ、
まあこの辺はポップスの作家としてはお手のモノなのだが、
それをそこにうまくはめ込んで行くのがこれがなかなか難しい・・・

転調に転調を重ねて、どのような転調で次に入った時が一番気分が高揚するかを計算して、
結局のところ戦闘部分(ポップス的にAメロと呼ぼう)から次に行く時は5度転調、
テーマメロ(ポップス的にサビと呼ぼう)から次に行く時には6度転調がよいという結論に達する。

ちなみにここまでで時間的には既に一晩が経過していて、
転調をどう組み合わせて元のキーに戻るかの段階で一度寝落ちしている・・・

寝ながらもずーっとメロディーを考えていて、
起きても結局そのまま作業という感じ・・・(笑)

「そうだ!!これは数学なんだ!!」
と悟ってアルゴリズムなどを書いてみる・・・

Algorithm.jpg

おうっ!!これで断然わかりやすくなった!!
さすがは元神戸商科大学(現兵庫県立大学)管理課学科(いわゆるコンピューター学科)で、
COBOLだのアセンブラだの今では全く何の役にも立たんコンピューター言語を学んでいただけのことはある!!(半年で中退したけど・・・笑)

よく書かされてたなぁ・・・アルゴリズム
テストなんかでも必ず書かされてたもんなぁ・・・(2回しか受けてないけど・・・笑)

まあこれを見るに・・・
上に伸びて行くのがAメロから次に行く時の転調、
下に伸びて行くのがサビから次に行く時の転調・・・!!

(ちなみに右下のんはテーマメロのメモ)

いろんな順列組み合わせはあるだろうが、
とりあえずはAメロ2回やってサビ2回、あとは1回ずつやって戻れば元のキーになる!!(喜)

まる1日かかってやっと構想がまとまったのでそこからさっそく打ち込み作業に入る。

昔はCuBassとVSTプログラムで打ち込んでたが、
最近はLogicに乗り換えてKontaktとかいうのを使っている。

オーケストラ音源ってメモリー食うから大変なのよねぇ・・・(>_<)

パソコンがすぐにフリーズするので、
メモリーとの戦いで何とかフルオーケストラ立ち上げて転調ごとに楽器を替えて盛り上げてゆく・・・

サビの部分は7拍子よりは6拍子だろうということで一応最後まで何とか打ち込み終わって既に2晩経過してしまっている(>_<)

ところが聞いてみると7拍子って1小節の長さが結構長いので思いの外間持ちがしないのよね・・・(涙)

しゃーない!!全部を5拍子で作り直そう!!・・・で寝落ち(>_<)

寝ながら7拍子のメロを何とか5拍子に変換しつつ、
起きたら最初っからそれを打ち込み直す・・・

そこで発覚!!・・・5拍子でb5のメロディーとかってミッションインポッシブルと全く一緒なんですけど・・・(涙)

何とかそれに似ないように工夫しながら三日三晩ほぼ不眠不休でDEMOを仕上げて制作側に送りつける。

そしたら・・・寝たなぁ・・・こんなに寝たの久しぶりぐらい・・・風邪も引いてたけどどっか行ってもーた(笑)

ネットを覗いてみると中秋節の飲み会やら、
WINGのマネージャーの結婚式の大パーティーやら、
「わをん〜あ」の楽しそうなライブレポートやら・・・

ワシは一人で三日三晩何をやってたんやろうと思うとちょっと悲しくなって来た・・・

そもそもがこの作業って何のためにここまで自分を追い込むのだろう・・・

ライブだったらそこに客がいる。
レコーディングだったら少なくとも共同作業なのでその場の関係者と一緒に作り上げる。

でも三日三晩、ただ自分の音楽への追求のためだけのために自分を追い込んで、
それを聞かせるのはたかだか監督と少々のスタッフだけ・・・

ちょっと涙・・・

ところがふとその連絡チャンネルを見てみると、
制作側から手放しの絶賛の嵐!(◎_◎;)

やっぱ伝わるんやな・・・

ちょっと感激しながらメッセージを読んでいると・・・
「ではこの調子で引き続きよろしくお願いします」

!(◎_◎;)・・・これが続くのか・・・

うーむ・・・今日は頼まれたロックバンドのリハーサルがあるので「忙しい」ということにしよう(笑)

しばらく酒も飲まずメシもろくろく食ってないので痩せてしまった・・・
このまま行ったらガリガリになって痩せこけてしまう・・・

今日はバンドの連中の奢りでしこたま飲むことにしようそうしよう(笑)


Posted by ファンキー末吉 at:10:17 | 固定リンク

2015年9月24日

中国の幼稚園の園歌制作秘話

中国の幼稚園からその園歌を作ってくれと依頼が来た!(◎_◎;)

幼稚園って国の機関??
そしたら依頼主は仮にも中国共産党??

・・・なんてことは一瞬頭をかすめたけど、
別に中国共産党が直接ワシに発注するわけではない。
LaoLuanという25年来の付き合いからの依頼である。

彼はワシと一緒に中国ロックの歴史に数々の貢献をして来た人間なので、
まあ何でワシに頼んだかと言うときっと「ロック」である。

「ファンキー、ちょっとロックな曲を頼むぜ〜」
発注の際にこんなことを耳打ちする(笑)

まあ幼稚園児にロックだ何だはわかるわけないので、
これはクライアント(この場合はLaoLuanのことをそう呼ぼう)の趣味、
まあいいように考えて彼のロック仲間からの依頼だとすると依頼主もロック好きなのかも知れない・・・

幼稚園児にロックと言うと思い出すのがこれである。

このような経験則から、ワシの頭の中では「ダダダダダン、ハイ!!」というのを入れようというのが決定稿になってしまっている・・・

まあ北朝鮮の幼稚園児が初めて聞く「ダダダダダン」でつい「ハイ」と一緒に叫んでしまったのだからこれはある意味「王道」であろうと経験則がそうワシにつぶやくわけである(笑)

曲想としてはその時から頭の中にこの曲があった。

向前走(李慧珍)

この曲は実はもともとはワシが中国に来始めた頃知り合った山東省の「369(San Liu Jiu)」とかいう団体のために書いた曲である。

サビで「369(San Liu Jiu)」と一緒に叫ぶように作った曲だったのだが、
その後「李慧珍」という歌手のプロデュースを頼まれた時に製品化されてなかったこの曲を提出したら、
「向前走(前に向かって進む )」という発音と
「向钱走(銭に向かって進む)」が全く同じであったことから、
現代の拝金主義を皮肉る「ロック」な楽曲となって世に出たというものである。

この曲を作った時には非常に手応えがあって、
その山東省の担当者もいっぺんで好きになってくれたし、
後にロック関係者にDEMOを聞かせた時も
「お前外国人なのに何で中国人が好きなツボを知ってるんだ?」
とびっくりされた記憶がある。

ネタをバラすとこの曲の元ネタは実はこの曲・・・

別にメロディーをパクったわけではない。
要は「空気感」である。

この曲は中国ロックの創始者「崔健(Cui Jian)」の曲で、
彼が崇拝する毛沢東の長征をロックになぞらえて
「新长征路上的摇滚(新しい長征の道の上である「ロック」)
と歌ったもので、当然ながら中国共産党の逆鱗に触れることとなる。

ワシはその当時の崔健(Cui Jian)の音楽に拳を上げる若者達の「空気感」を知ってたので、それを単に「曲調」にしたものである。

もともとこの幼稚園の園歌に関しては
この曲なんかが今の子供達は大好きな曲だよ」
と言われていたのだが、今回は敢えて無視した。

ここが最大の博打ではあったが、
今回は「頭を使って計算して子供が喜ぶ曲」よりも、
それを発注しているロック世代の人間に「いい」と思わせた方が勝てるんではと思ったのだ。

今日び子供ほど「子供騙し」が通じないもので、
大人の喜ぶモノの方がいいのではと思ったわけだ。

もちろんこの路線がボツになったらこの曲の方向性で書き直せばいい。
だけどこっちの方が楽しいでしょ・・・(笑)

方向性さえ決まったらまずはキャッチーなメロディーを考える。

子供が歌うんだから簡単なメロディーでなくてはならない。
そして作った第一弾メロがこれ!!

幼稚園園歌第一弾DEMO

仮歌を入れなければ理解されないだろうということで、
下手な歌をエフェクトでオクターブ上げて歌っている(恥)

歌詞は仮なのでとりあえずこの曲の雰囲気で
「一只白羊,两只白羊」
と羊の数を数えてるだけである。

子供の大好きな曲の曲想はボツにしながら、
仮歌の詞の世界観にはそれを用いているのは我ながら「姑息」である(笑)

「途中にどっか簡単な英語で子供達が叫ぶ部分も作ってね」
と言われていたので「Let's Go!!」とか安易な合いの手も入れている(笑)

まあこれで「いいねぇ〜これで決定!!」となったら言うことないのであるが、
まあ「音楽制作」というのはそうは上手くいかない(>_<)

これはLaoLuanの段階での意見だろうけど、
「もっとグルーブを出してくれ」
「サビはもっと世界観が変わるものに」
とかいろいろ注文が来る。

ワシとしては最初っから最後まで同じ詞を連呼してるみたいな世界観があったのでここからが「クライアントとの戦い」なのであるが、
この時点で割り切らなければならない大きなことがある。

自分の歌う「自分の曲」を作るんだったらそこには何の妥協も要らないが、
この「仕事」は「自分の作品」を作っているわけではない。

例えば自分のバンド、例えばX.Y.Z.→Aに自分の曲を持って来た場合、
例えば橘高が自分の弾き易いようにフレーズを変えた場合、
「じゃあそれでもいいや」
というのは「妥協」だろうか・・・

本当にこだわってる部分では「いやこう弾いてね」という時もあるが、
それは逆に弾き手である橘高にとって作曲者に対する「妥協」なのであろうか・・・

どちらも「否」である。
これは「バンド」の作品なのであるから既に「妥協」ではない。

この点を理解してないと、
「自分の作品をクライアントが違うものにしてしまった」
という苦しみと戦いながら「仕事」をせねばならないのだが、
クライアント自身を「バンドのメンバー」なのだと理解してしまえばそれでよいのである。

「はいはい」とばかり変更してDEMOを送りつける・・・

幼稚園園歌第二弾DEMO

変更点はサビと、
「グルーブ」とかよくわからんので乱暴にテンポを上げてループのパーカッションを入れただけ(笑)

あとは「ハモのメロディーも考えといてね〜」と言われたのでこの段階で付け加えている。

幸いにもOKが出て作詞家に発注して歌入りのDEMOを作っていよいよ発注元に聞かせる段階である。

この辺の作業はもうLaoLuanの元だけでやるのだが、
発注した作詞家がヒット曲などばんばん書いている梁芒(Liang Mang)という作詞家!(◎_◎;)


做最快乐的自己

自己动手 创造高手
劳动就是种享受
真诚合作 关心朋友
这个集体最优秀
欢乐自由 尽情遨游
梦是一个大气球
我们笑声 充满了整个宇宙

磨练自己 强健身体
我在游戏中学习
一起前进 一起努力
每个人都有个性
特立独行 聪明绝顶
挥手我就能飞行
睁开眼睛 生活像动漫电影

听幸福开花的声音啊
我们像种子长大成森林
阳光中苏醒

彩色的梦 就像蜡笔
画出理想的楼梯
自我鼓励 充满自信
遇见困难很坚定
轻松成长 无忧无虑
每一天都很美丽
热情洋溢 做最快乐的自己
(热情洋溢 快乐是最好成绩)
2015梁芒


何と子供が歌うには少し深過ぎやしないか・・・
深過ぎてワシが見てもようわからん詞を幼稚園児が理解して歌えるのか・・・

もともとは同じ簡単なフレーズを連呼する曲にしたかったのだが、
ここに作詞家が「こだわり」を出したのだろう、
「自分の曲」からどんどんと離れていってしまっている・・・

まあ詞の直しはワシの範疇ではないので傍観していたら、
詞ではなく今度はメロディーに直しが来た(>_<)

「Funky〜同じメロディーが何度も続き過ぎるからってダメが出たんだ・・・どっかちょこちょこっと変えてくれる?」

(>_<)

もともとのポリシーと全く違う方向に直しが来てしまったが、
「まあいい」とばかり「ちょこちょこっと」直して送りつける。

幼稚園園歌第三弾DEMO

まあ何とかOKが出たので(内心ホッ・・・)あとはフルコーラスを作ってレコーディングすれば終わりである。

「間奏はAメロとかちょこちょこっと繰り返してサビに戻るとかでいいから〜」
と言われてたのでそのように作ってDEMOを送りつける。

幼稚園園歌第四弾DEMO

もともと「この詞では幼稚園児が歌うには長くないか?」とも言われていたけど、
外国人であるワシは詞のことにはよくわからんのでスルーしていたが、
こうしてフルコーラス聞いてみると「少し長いかも知れない」ということで、
この段階でサビ戻りのAメロを半分にしている。

詞をいじるには作詞家の承認が必要だろうからワシなりにズバッとぶった切って、
中国人に「これでちゃんと意味通る?」と確認してから送りつけているから話してくれてるはずである。

LaoLuanと発注元がその後どういうやり取りをしたのかはわからないが、
「間奏は子供達が一緒に手を叩いたり何か遊べる部分が必要だね」
ということになった。

それもそうである。
バンドのボーカリストでさえ長いギターソロの間は間が持てなくてヌンチャクとか振り回したりするのだ(笑)
幼稚園児が間奏の間何もせずに大人しく待っているはずがない・・・

「ダダダダダン、ハイ」とか「Let's Go!!」とかいろいろ入れて最終段階のDEMO
!!

幼稚園園歌第五弾DEMO

これでOKが出たらあとはレコーディングするのみである。

幸い映画音楽の仕事でレコーディングがあったのでその隙にこの曲のドラムとベースも録っておく。
こんな時にベーシストが常駐しているの楽である。

ピアノは張張、ギターは居酒屋兆治の田端さんの息子翔くんは今回時間がなかったので日本にオケを送って田川くんに録音してもらう。

ところが全てオケが完成したところでLaoLuanがこんな爆弾を投げかけて来た・・・

「Funky〜このキーだと子供達が歌うのはちょっと大変じゃないかなぁ・・・」

あんたねぇ・・・仮歌入れてたんでしょ!!
「キーが合わない」と思ったらどうしてその時にキー合わせして送って来ない!!(>_<)

ワシは小学校の校歌作った時からてっきり
「五線譜の中にメロディーが収まってればよい」
とばかり思っていた・・・

よく考えてみたら幼稚園児は声変わりしてないから女性の声域かも・・・

悪い予感というのは当たるもので、
Aのキーで作ったこのオケは見事に裏キーであるEのキーとなってしまった(>_<)

ドラムを除いて全部録り直しである・・・(涙)

かくしてどったんばったんでオケが仕上がり、
子供達の歌入れとなった。

YuanGeKids.jpg

ちなみにこの子たちは張張の彼女が教えてる生徒たちである。
その場でこんな譜面を渡されてそれを見ながら初見で歌う・・・

YuanGePuz.jpg

ちなみにこれは中国なんかでポピュラーな「数字譜」で、
「1、2、3、4、5、6、7」がそれぞれ「ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ」に対応していて、オクターブ上だと数字の上に点、下だと数字の下に点、
音符の旗の数を数字の下に書いて休符は「0」という、
慣れればこの上なく簡単で便利な代物である。

これを見ながら先生と一緒に初見でレコーディング!!

YuanGeRecording.jpg

いや〜彼女たち、もう立派なスタジオミュージシャンです!!

こうして出来上がったのがこの曲!!
中国の幼稚園園歌完成版

うん、なかなかイケてると思うぞ!!
子供達が歌い継いでくれると嬉しい・・・

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2015年9月21日

映画音楽制作よもやま話・・・

ワシが初めて映画音楽の仕事をやったのは「香港大夜総会」。
その時から渡邊孝好監督にはいろんなことを教わった。

人物などに「テーマ」を作ってそれを場面場面に当ててゆく
という手法はこの時に学んだものである。

今でも映画音楽等の仕事を請け負うと、
まず登場人物を把握して、具象やキーとなるモノ、
例えば「愛のテーマ」だとか「宝石のテーマ」だとか、
まあだいたいいくつぐらい「テーマ」を作ればいいかを考えて、
与えられたファイルの番号と秒数とで場面を指定して、
「M○○:ファイル名○○番○○分○○秒:○○のテーマ○○バージョン」
とかいう「表」を作成する。

あとはこれを元に張張やその他優秀な若い衆と手分けしながら作ってゆくのだ。

「M○○番ワシがやったから〜逆に○○番のテーマが思いつかないからそっちやって〜」
とかメールで密に連絡取り合いながら、ファイルはお互いに送りあって共有し、
双方のパソコンでそれぞれの映像に貼り付けて同じものを見れているようにする。

生楽器が必要な曲はそのMIDIファイル
(当時はお互いQuBassを使っていたのでQuBassファイル)
を送ってもらってこちらのスタジオで録音する。

まあこれで順調に仕上がった映画もあれば、
この「人物ごとにテーマを振り分ける」ことに縛られ過ぎて暗礁に乗り上げることもあった。

「この人物だから必ずこのメロディーを使わなくてはならない」
という縛りがあり過ぎると結局はそれに縛られていいものが出来なくなってしまうのだ。

「Funky、映画音楽で一番大切なものは何かわかるか?
"气氛(雰囲気)"だよ!!これが一番大切なんだ!!」

ワシが音楽をやって2006年に大ヒットとなった映画「疯狂的石头」の監督「宁浩(NingHao)」がワシに言ったこの一言が今では「バイブル」というぐらいまでになってしまっている。

この映画はワシの中国でも大出世作となってしまったが、
いかんせんギャラが法外に安かったことも有名になってしまい、
「金がない時はファンキーに頼めば何とかなる」
となってしまってもうやってられなくなってしまった(>_<)

何せひとつ映画音楽を請け負ったら数ヶ月はパソコンの前でずーっと同じ姿勢で座り続けてゆくという生活になってしまうのだ・・・

多い時には1年に映画一本とテレビドラマ数本を請け負ってたので、
まさに安いギャラで不眠不休の生活が続く社畜ならぬ「映画畜」である(>_<)

方言(FangYan)がまだうちに来てなかった頃は、
場面ごとの音楽の指定から出来た音楽を画面に貼り付けるのまで全部自分でやってたのだから死ぬほど忙しい・・・

ひとり仕事の最後にやったのは確か中国のホラー映画で有名な監督のコメディー(笑)
(「疯狂的石头」がコメディーだったので必然的にコメディーばっか来る)

この監督は外国映画のパロディーを多用してその音楽とそっくりな音楽を全ての画面で要求するから大変だった(涙)

例えば「ゴースト」のろくろを回す場面でのプレスリーの「アンチェインド・メロディー」、それと全く同じオリジナル曲を求めて来るのだ・・・(号泣)

映画音楽は「气氛(雰囲気)」なんだから、
シンセ一本でも上手くやれば非常に効果的なBGMとなる。

ところが「歌モノ」を求められるとフルコーラスのメロディー作って、
アレンジしてバッキング全部フルで作らなければならない。

おまけに詞!!
韓国の映画のパロディー部分では朝鮮族中国人に朝鮮語で詞書いて歌ってもらいましたがな(涙)

「だってアメリカの映画なんてよく詞の入った音楽使ってんじゃん」
監督が胸張ってそう言うので、
「版権買い取ってそのまま使いなはれ!!!」
とつい怒鳴ってしまった(笑)

その時に使ってた若い衆が「赵兆(ZhaoZhao)」というキーボティスト。

もうやってられなくなったのでそのまま彼に丸投げしたら、
それを足がかりに2008年の北京オリンピックでは開幕式だか閉幕式だかの音楽の一部を担当するまで登り詰めよった!(◎_◎;)

いや、いいのよ。ワシは別に若い衆を使って楽して金儲けしようなどとはこれっぽっちも思っていない。

ワシはどうせどこまで行ってもドラマーだし、
ドラムやめて映画音楽家として一生暮らすつもりも毛頭ない。

ワシの知ってることは何でも教えてやるから、
映画音楽家になりたいヤツはワシを踏み台にしてどんどんのし上がってゆけばそれでいい。

そう思うのには少々わけがあって、
実は「疯狂的石头」の時にワシがどうしても「气氛(雰囲気)」を理解出来ないということで、
最後の最後に「雰囲気モンのBGMだけ誰かに発注しよう」ということになった。

そこで連れてこられた人間がたまたまワシとも知り合いだった「原芸(YuanYi)」という人間・・・

まあ数シーンにBGM当てて彼の仕事は終わったのだが、
ポスターやクレジットには「音楽」のところにファンキー末吉と共に彼の名前がクレジットされている!(◎_◎;)

そのお陰で今や彼は一躍映画音楽家としてかなりの地位に登り詰めてしまった・・・

その後方言(FangYan)がワシのところにやって来て一緒に音楽をやるようになるのだが、その時にワシにこんなことを言った。

「原芸(YuanYi)さんとこは今や工場みたいになってて、若い衆10人ぐらい抱えてそれに全部仕事やらせて大儲けしているというのに貴方は一体何なんですか」

その後何かのパーティーで原芸(YuanYi)と会った時に、
昔は貧乏なロックミュージシャンだった彼が、
ブランド物の服を来て宝石類の装飾品まで身につけているのに少々カチンと来た。

同じ大ヒット作に名前を連ねて、その利用の仕方で人生はこうも変わるものなのか・・・

まあ自分が「うまくやれなかった」という「嫉妬心」もあるのかも知れない・・・
でもそれからというもの(元々性格的にそうなのだけれども)
若い衆の上前をハネたり、そんな風にして金を稼ぐのだけはやりたくないと強く思ったものだ。

だからワシは一緒に仕事をやる若い衆には必ず自分の取り分を削ってもちゃんと十分な報酬は渡す。
(全体が少ないのでもらった人が十分と思うかどうかは別にして、それでブランド物の洋服や装飾品を身に纏う気には全くならん)

通常クライアントには下請けは紹介しないものだが
(紹介すると自分を飛ばして直で仕事を取り始めるゆえ)
ワシはむしろどんどん紹介して、映画音楽家として羽ばたきたけば直で頑張ればいいぐらいに思っている。

原芸(YuanYi)はロックバンドでキーボードも弾いていてワシとはそこで知り合ったのだが、
彼は映画音楽家としてこれだけ知名度が上がったらもうバンドなんてやってられないだろう。

逆にワシはどれだけ映画音楽家として知名度が上がったとしても、
ドラムだけはこれ絶対にやめるわけにはいかない。

逆にドラムのためなら映画音楽なんていつでもやめたっていいのだからこりゃもう立場は「逆」である。

まあそんなこんなもあって、これだけ中国の映画音楽界で名前があっても、
ワシは今だに映画音楽は「アマチュア」なんだなと思うな。

前回マグロ漁船のヨウヨウさんから自分がやり切れない映画音楽の仕事をちょびっと手伝ったが、
結局ワシのやった仕事では監督のOKが出ずにヨウヨウさんがやり直して、
その仕事を見たらやっぱ「プロは違うなぁ・・・」と感心した。

彼の場合はもうDEMOの段階から生のストリングスオーケストラを使うのだ!(◎_◎;)

「監督なんてDEMO聞いてそれから生を想像するなんて出来ないからね。最初から生の方がOKが出やすいんだよ」
と言うが、
長い経験の中で「これは絶対にOKが出る」という確信があるからこそ出来る技である。

ワシもオーケストラが書ける(アレンジ出来る)というのは映画音楽をやる上においては非常にメリットとなったが、たかだか「書ける」レベルからこのレベルまでにはまだまだ長い階段を登らなければならないんだなと実感した。

ヨウヨウさんの場合は奥さんがマネージメントから始まって、
クライアントが喜びそうな方向性まで旦那に説明出来るので羨ましい・・・

やはりワシぐらいの中国語力で初対面の監督と完璧に意思疎通するのは難しいので、
方言(FangYan)が来てからというもの、必ず彼を交えて打ち合わせをして、
監督の意志を後からゆっくり彼に噛み砕いて説明してもらうことにしている。


・・・というわけで前置きが長くなったが、
今回の仕事、最初にその映画会社のプロデューサーと会うのも彼に一緒に来てもらった。

2015MovieMeeting.jpg

もうね、ここが「勝負」なの!!
まだ正式に契約してない段階で、ここで話が全然噛み合わなかったら
「この人大丈夫かなぁ〜他の音楽監督探した方がいいんじゃない」
になるので必死である・・・

そもそも今回の仕事は、今や映画音楽家の大家となってしまったLuanShuのお兄さんLaoLuanからの仕事である。

このプロデューサーのいくつかの映画もLuanShuが音楽をやったらしく、
LaoLuanも来てくれたので旧知の仲よろしく会話が弾む・・・。

方言(FangYan)が会社のスタッフと一緒に映像データをコピーしに行った時なんか、
もしLaoLuanがいなかったら、このプロデューサーと二人っきりで30分話が持ってたか不安である・・・

結局LaoLuanとプロデューサーが昔話で盛り上がってる中、無事に映像データをコピーして持って帰った。

ここからが大変である。
何せ45分ドラマの41集をこれから全部見なければならないのだ(>_<)

映画ならせいぜい2時間も見れば終わるが、テレビドラマの大変なところはここである・・・。

ドラマの内容はいわゆる「抗日」、しかし炎上しないように言っておくが、
第二次世界大戦を扱ったドラマは日本帝国主義と戦ったアジア諸国にとっては全て「抗日」である。

いわゆる「反日」の片棒を担いでいる仕事ではないことは一応ここに記しておこう・・・。

まあ想像するに一党独裁の検閲の厳しいこの国で、「抗日」とつけば許可が下りやすいのだと思うが、
ワシにとっては疯狂的石头のヒットによってコメディーばっかやらされてた時代から比べて、
こうして「戦争映画」まで発注が来るようになったことは喜ばしいことである。

何せ戦闘シーンにはメタルが合うからのう・・・

ミッション・インポッシブルとメタリカの関係のように、
ワシの頭の中では既にX.Y.Z.→Aの曲を使うことが大前提になってしまっている。

オープニングテーマは「緊張感のある音楽で」ということなので、
すぐに思いついたのは、アルバム「IV」に収録されている「Susperium」、
ライブでもほとんど演奏してないコアな曲である・・・

この曲のマルチは手元にないので、ではということで録り直すことにする。
こんな時にスタジオに常駐しているベーシストがいると楽である。

ギターは・・・というと小畑は最近こちらに近寄って来ない(?)ので・・・
・・・と思い出した!!居酒屋兆治の田端さんの息子がメタルをやっていると言ってたではないか!!

というわけで翔くんに音源送って「コピーしといてね」!!
そして中国語詞を老呉(LaoWu)に発注!!

翔くんも近所に住んでるし、詞もかけて仮歌も入れられるボーカリストが院子にいるということは非常に便利である。

2015MovieLaoWuLyrics.jpg
(突然映像を見せられて詞を考える老呉(LaoWu))

かくして「Susperium中国語版」が出来上がった!!
布衣(BuYi)の新曲として発売してもいいほどのいい出来である。

これだけではと思い、X.Y.Z.→Aのアルバム「WINGS」に収録されている「For Whom The Bell Tolls」のアコギバージョンを打ち込みで作っておく。

この曲はもともとバラードだったのぢゃよ。
ヒロインの心情にぴったりなので一応そのヒロインのテーマとして、
あわよくばエンディングテーマとして使えればと思ってちょちょいとDEMOを作る。

後はそれを方言(FangYan)がいいプロモーショントークと共に制作サイドに送りつければ第一段階としてはOKである。

しかし今度はそれを聞いたLaoLuanから厳しいメッセージが・・・(>_<)

「Funky、何考えてんだ!!歌モン作ってどうすんだよ!!映画のオープニングテーマってのは例えばこんなのを書くんだよ」

参考として送られて来たのが先日のLuanShu青島音楽会でも演奏したこの曲・・・

この世界観で緊張感のある音楽って難しいなぁ・・・よし!!
とばかり思いついたのがこの「Susperium」のオケにオーケストラを入れてインストにする!!

というわけで徹夜してストリングスとホルンを入れて送りつけておく・・・

すると今度は布衣のツアーに出ている方言(FangYan)から
「Funkyさん、あれだと緊張感が下がって歌バージョンの方が全然いいです!!」

アホか!!歌があかんと言うから徹夜して作ったんやないかい!!

「Susperium中国語版」を聞いた制作側から、至急にということでミーティングのスケジュールを出される。
ワシは制作側がLaoLuanと同じく「何考えてんだ!!」になってたらどうしようと気が気でない・・・

でもLaoLuanからのメッセージでは
「インストバージョンは中々いいんじゃない」
と方言(FangYan)とは真反対の意見だったのでちょっと安心。

まあいずれにせよ、このミーティングの時にある程度満足出来るものを出しておかないと仕事自体が流れてしまう可能性もあるのである。

焦ってまた徹夜して全く違うアプローチの曲も提出しておく・・・

かくして監督と初対面ミーティング。
開口一番に監督はこう言った。

「デモを聞きましたが・・・メタルは困るなぁ・・・個人的には好きなんだけどお年寄りも見るドラマなんで・・・」

(>_<)・・・仕方ない、ここで諦めては仕事を失ってしまう・・・
パソコンを出してプレゼンする。

「インストバージョンは聞きましたか?」

こういう時のために数多く送っておくと役に立つのだ・・・
パソコンでインストバージョンを監督に聞かせる。

「うん、劇中には使えるかも知れないけどオープニングはねぇ・・・」

まあ劇中に使えれば何とかレコーディングした甲斐はあるというものだが、
何かひとつぐらい決定稿がないと仕事自体がボツってしまう可能性もある・・・

「ヒロインのテーマは聞きましたか?」

聞いてないというのでその場で聞かせる・・・

「うん、これはいいんじゃないかなぁ・・・エンディングテーマとしてもいいかも知れない・・・」

よっしゃー!!ひとつゲット!!
あとはオープニングテーマを作り直せば何とかなるだろう!!

緊張感があって、
インストで、
年寄りが聞いても楽しめる
オシャレでPOPな、
Clubミュージックサウンド

・・・って緊張感とオシャレでPOPなClubミュージックって何か同居しないような気がするんですけど・・・(>_<)

まあいい!!不可能を可能にするのが職業音楽家のプロフェッショナルである。
頑張って作るのぢゃ!!←イマココ

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2015年9月10日

抗日ドラマの音楽?!(◎_◎;)

久しぶりにテレビドラマの音楽の仕事が来た。

監督から資料が送られて来て、サンプル映像を見たら戦争モノ!!
爆弾ドッカンドッカンでこりゃメタルがふんだんに使えそうな映画である。

以前やった「上海森林」というドラマではテーマソングにX.Y.Z.→AのWINGSの中国語バージョンを使わせて頂いた。

通常テーマソングはタイアップ先の歌手とか、主役の役者とかのヘタクソな唄で録音されるのだが、
X.Y.Z.→Aのバージョンを聞かせて
「これを歌える歌手が国内でいますか?!!」
とアシスタントの方言(FangYan)が力説して二井原の中国語バージョンがそのまま使われることになった。

二井原凄いなぁ・・・

今回は戦争映画と言っても、
サンプル映像を見る限り近代兵器みたいなんはバンバン使われてるし、
隊長は美人兵でセクシーなタンクトップを着て、長髪なびかせてばっちりメイクしてるって何よ・・・(笑)

などと突っ込みながら見ていたのだが、
よくよく見るとこれ、国民党軍が共産党軍とアメリカ軍と手を組んで日本軍を打ち破るという・・・

抗日ドラマ?・・・(注:「反日」ではないからね)

まあ中国の映画とかドラマは抗日が多い。
実は前回の「上海森林」も最期には戦争シーンで抗日となってた。

これはやっぱお国柄である。
映画会社としては多額のお金を投資して土壇場で国からストップがかかったら大赤字であるが、「抗日」と付くとまずはストップがかからないのだ・・・。

まあいい、仕事は仕事である。
問題は方言(FangYan)がちゃんと交渉ごとをまとめてくれるかどうかである。

監督側とつないでギャラの交渉をするのだが、
こいつは何故かワシの値段をむっちゃ高く設定するので困る。

そりゃ前回の「疯狂的石头」は日本円で100万かからずに1本の映画音楽を作ってしまって、
それがタイタニックを抜く興行成績を稼ぎ出したんだから、
ワシの名前と共にその安いギャラも有名になってしまい、
何かというと安い仕事ばっか来るのでそれを阻止したいのもわかる。

しかしただでさえ映画より安いテレビドラマの仕事である。
その何倍もふっかけるのはふっかけ過ぎではないか?・・・

前回も寧夏電視台の仕事で法外な値段をふっかけて企画自体がボツとなった(>_<)

「ファンキーさんの名前は今やブランドなんだから安い仕事なんてしてはいけません!!この値段は最低の値段です!!」
ってあーた・・・ワシ仕事せずにごろごろしとるぐらいやったら安くてもええから仕事したいのよ〜・・・

ギャラ交渉は今日から始まるらしい。
なぁ〜安くてもええからこの仕事取ろうよ〜・・・

真面目だけが取り柄の頑固で融通のきかないこの男
いくらで交渉して仕事を取るのか断るのか・・・

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2015年9月 5日

恩人の息子

日中を行き来して仕事をする上において、言うまでもなく一番の出費は飛行機代である・・・。

最近は抗日70周年の軍事パレードのせいかドタキャンが増えているが、
大事な仕事のために北京に帰って来てその仕事がキャンセルになって何も仕事をせずに日本に帰ったりはあっても、このようにスケジュールの狭間で、この一本のライブのために2泊3日で北京に来なければならないような小さなライブはキャンセルにならなかったりする・・・(>_<)

まあ関空北京往復2万円やったからええか(安っ!!)ということでこのライブのためだけに帰って来た。


渋谷有希子が北京に来てから、中国での「ファンキー末吉トリオ」のメンバーが固定して、張張と共に精力的にライブをやっている。

数ヶ月前に江湖(JiangHu)というライブハウスでこのトリオでライブをやった時、
Kevinというアメリカ人がライブを見に来ていて声をかけてくれて、今回のこのライブが実現した。

でも最初は何かイヤな感じだった・・・

だって中国語も喋れずにやり取りは全部英語、
「ギャラは?」という質問には「うちは飲食を店から提供するからタダでやって」みたいな感じである。

「今日の江湖(JiangHu)のオーナーは2000元くれたからそれでは受けられない」
と一生懸命英語で答える。

「じゃあオーナーと相談する」
から始まって何とギャラ2000元で今日のライブが決まったのだ。

実はあの日の江湖(JiangHu)は珍しく超満員だったので2000元くれたのだが、
通常好きなJazzなどやってる時にこんなにチャージバックをくれることは滅多にない。

それを客の入りに関係なく2000元くれる店、
しかもうちから車で15分という一番近い店なのである。

今後ともここに定期的に出してもらえればなぁ・・・

そんな気持ちもあったのでこの仕事を受けたのだが、今日の土壇場になってこのメール(>_<)

「Good afternoon. I hope you are doing well. Unfortunately because of the weather we will probably not have very many people coming tonight. That means we will not have much money. If you still want to come play would it be okay to give you 1000? We would really like to have you guys come for another show as well when we have a lot of people. Then we would be happy to pay more. Please let me know what you would like to do. Sorry for the inconvenience. 」

さてと・・・これをどう考えるべきか・・・

一応張張にも転送して意見を請う。

「多少钱都无所谓!我要演出我要演出我要演出我要演出我要演出!!!」
(お金なんてどうでもいいの、ライブやりたいライブやりたいライブやりたい!!)

まあそこまで言うならしゃーない、「OK」と返事して小屋に向かう。

まあ2000元が1000元になったのは痛いは痛い(>_<)
このためだけに北京往復してるので、飛行機代を6割回収出来ると思ったのが3割になったのだから・・・

でも全ては「フレンドシップ」なのだと思う。
ワシが自分の都合で勝手にキャンセルしたらそこに「フレンドシップ」はなくなるが、
こうしてライブ前にわざわざ書いて来てくれるのも「フレンドシップ」である。

普段ここに出ているバンドはノーギャラで、
その変わり飲み放題食い放題で出演している。

ワシらはギャラもらってるので飲食はお金を出して頼もうと思ったら「悪いから」ということで奢ってくれた。

ワシは「これが中国人だったらどうだろう」と考えた。
ひょっとしたら出演した後に「雨だから客の入りが見ての通りだろ」ということでいきなり値切って来るかも知れない。

中国語が全く喋れないこのアメリカ人、結構いいヤツかも知れないと段々好きになって来た。

WithKevin.jpg


前置きが長くなったが、この日のライブにはひとりの若者が来ていた。
西洋人ばかりのこのバーで、客席にいる長髪のこの若者の存在は気になっていたのだが、
ライブが終わって物販のところに来たら、
「サインして下さい」
と出したCDがなんとX.Y.Z.→Aの「WINGS」!(◎_◎;)

重慶でも橘高ファンの女の子がいたので、ひょっとしたら日本語の上手い中国人かも知れないが、聞いてみたら日本人だと言う。

そして会話の中で彼から信じられない言葉が飛び出したのだ。

「居酒屋兆治ってご存知ですか?」

ワシが初めて北京に行ったのは90年の時、
当時外国人が投資をするには国家のいろんな許可が必要で、
外国人専用の住居に住まわせられたり高い税金をかけられたり、
そんな中で奥さんの名義で居酒屋を開いた、日本人が北京で商売をやる草分のような人、それがこの居酒屋兆治のオヤジ、田端さんだった。

(ワシの著書「大陸ロック漂流記」に書かれているそれに関するページ)
IzakayaChoji.jpg

「僕、その田端の息子です」

ワシは飛び上がるぐらいびっくりした。
「田端さんに息子さんがいたのか・・・」

その後爆風スランプのライブを実現するべく奮闘してくれて、
田端さんのおかげでやっとコネが出来て崔健とのジョイントライブが実現した。

当然ながら当日まで毎日兆治に通って田端さんと飲んだ。

爆風スランプが翌日に出演した北京広播電台45周年記念のコンサートでは公安が中止命令を出してスタッフを満場の観客が見る前でボコボコにした。
その後、ボロボロになったスタッフとメンバー、爆風のマネージャーも一緒にやって来たのも居酒屋兆治。

「明日のコンサートは出演辞退しますからね」
2日間の予定を初日でこれなので出演辞退を宣言するマネージャー。
「いや出る!!」
と言うワシに
「明日はサザン北京公演の初日なんですよ!!
爆風が何かやってサザンのコンサートが中止になったらどうするんですか!!」
というマネージャー。

「俺はサザンのためにロックやってんじゃねえ!!!!」
そんな大ゲンカをやらかしたのも居酒屋兆治である。


「お父さんはねえ・・・伝説の人だったんだよ」
ワシは初めて会う息子さんにそう言った。

そんな田端さんももう他界していて、彼はお母さんと一緒に住んでいると言う。

「お母さんもねぇ・・・伝説の人なんだよ」

東三環路にある日本企業がたくさん入っている商業ビル「发展大厦」の向かいにあった居酒屋兆治は、開発の煽りで立ち退きとなったが、兆治は最後の最後まで立退かなかった。

ブルドーザーが来て店が強制撤去されるという時に、
彼のお母さんは屋根に登ってブルドーザーに向かってこう叫んだという・・・

「中国はそれでも法治国家か!!」と・・・

そんな伝説の両親の元で北京で生まれた育った彼は、
その後日本人学校の小中学校に通い、ワシは知らなかったのだが時々ワシの北京でのライブも見に来ていたらしい。

その後、外国人が中国語で勉強する国際学校の高校に進み、
高校一年生の頃グレ始めて学校を中退・・・

その頃に見たバンドがワシの知り合いでもある「窒息(ZhiXi)
それからヘビーメタルの人生を歩むことになったのだと言う・・・!(◎_◎;)

田端さんの息子さんがヘビーメタルねぇ・・・
えも知れぬ感動が心を満たした。

「ロック」とは「精神論」だと思っている。
「ロック」な両親から生まれた彼が、本当に「ロック」という音楽をやっている・・・

グレた彼が「ロック」によって救われたのか、
はたまた死んだ父親に導かれるように本当に「ロック」を志すようになったのか・・・

家も近いということだから今後ともこの恩人の忘れ形見と共に北京のロック界を盛り上げようかのう・・・

WuthTabataShou.jpg

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2015年8月20日

8月19日誕生日の方々

まず、お祝いはしてないけどLive Bar X.Y.Z.→Aのオーナー「被告勝山(笑)」こと勝山亮さん!!遅ればせながらおめでとう御座います〜

そしてあのBEYONDのドラマーWINGも同じ誕生日だったのな・・・
誕生パーティーに呼ばれたので行って来た。

ちなみにパーティーは前日18日の夜、高級カラオケルームで行われると言う・・・

9時半ということだったのだが早めに出て9時過ぎには着いた。
そしたら入り口に座ってた若者に声をかけられた。

うろ覚えだったがどうやらWINGと同じ事務所の若いバンドの連中のようだ。
一度一緒に鍋を食ったことがある。

彼らを連れて部屋に上がる・・・
誰も来ていない(>_<)

「先に飲もうぜ!!」

大先輩の大スターのバースデーライブである。
これを言ってあげないと若いバンド達は場違いで緊張して楽しめない。

ワシがこれを言ってあげないと誰も飲めんもんな・・・

WingBirthday20150819.jpg

人が集まり始めた・・・

まあこんな高級なところなんで若いバンドも居場所がなかろうと、
なるだけそいつらと一緒にいてやる。

ワシも日本の「芸能界」とやらに放り込まれた時に同じような思いをしてたからのう・・・
こいつらにそんな思いをさせたくない・・・

WingBirthday3Drumer20150819.jpg

黒豹のドラマー「赵明义(Zhao MingYi)」も現れたのでドラマー3人で記念撮影・・・
・・・ってルックス全然違うなぁ(笑)

ルックスって言うより「人類」として違う「種族」やな・・・(笑)

12時過ぎると日が変わって19日になって誕生日ということでケーキが運ばれて来る。

WingBirthdayCake20150819.jpg

いや〜男前は被りもんでも何でも絵になるなぁ・・・(笑)
写真を撮りまくられます!!さすがはスター・・・

WingBirthdayPhoto20150819.jpg

この誕生日パーティー、飲み放題でそのお金はもちろんWING自身が払います(驚)
「スターも大変やな」と思いながらいっぱい飲せて頂いて帰路につきました。


さてもうひとり同じ誕生日なのがギタリストのBeiBei!!

派儿(Paier)というユニットを組んだ時から世話をしてる(笑)ヤツだが、
まあ仲間内で一番運が悪い(笑)というか、
ユッコ嬢に至っては、
「あの人と一緒にいたら悪いモードをもらっちゃいそうなんでなるだけ会いたくない」
などと言い出す始末(笑)

そんな願いが届いたのかユッコ嬢はリハが入り、
ワシはひとりで例によって時間より前に指定された場所に向かったらBeiBeiとばったり・・・

この陰気臭いヤツと二人っきりで飲む羽目となる(笑)

また連れて行かれたのがこの名前の店(>_<)
(钓鱼岛とは尖閣諸島の意味)

BeiBeiBirthday2015DiaoYuDao.jpg

まあこういうところも含めてBeiBeiである(笑)

元々はバースデーライブをやろうと画策してたようじゃが、
さすがは仲間内で一番運が悪いだけあって軍事パレードや店の都合などで見事に中止になって結局この店にしたらしい・・・(笑)

まあ羊肉串と海鮮の店で料理は美味いのだが、
钓鱼岛欢迎您・・・尖閣諸島に歓迎されるとは思わんかった(笑)

BeiBeiBirthday2015Welcom.jpg

長くふたりで飲んでたが、やっと人が集まり始めた・・・

BeiBeiBirthday2015Girls1.jpg

ん??・・・

BeiBeiBirthday2015Girls2.jpg

んん???・・・

美女ばっかやないの????・・・・
しかもみんな「90后(90年代生まれ)」!(◎_◎;)

「お前この前結婚するとか言ってたのどうなった?」
「振られました」

それで仲間内がいろいろ紹介してるんやな・・・(笑)

「50后(50年代生まれ)」としてはこれだけ世代が離れると全くと言っていいほど会話が噛み合わんので(笑)男どもと音楽談義に花を咲かせていると、
結局男どもはみんな音楽談義、美女達はみんなスマホ、とここにぴしゃっと境界線が出来てしまう・・・(>_<)

仕方がないので盛り上げるべく、
「じゃあ質問です!!BeiBeiはこの中で一番好きな女性は誰ですか?!!」

BeiBeiBirthday2015Girls3.jpg

恥ずかしそうに隣の女性を見るBeiBei・・・

「そうよそうよ!!だってこの娘に対する態度だけ違うもん!!誰が見たってそうよ!!」
分かり易いやっちゃな(笑)美女達もこれをきっかけで盛り上がる・・・

毎年毎年「結婚式には是非来て下さい」を繰り返すBeiBei・・・今度こそは頑張れよ!!

トイレに立ったついでにワシが支払いを済ませた。
全部で900元(2万円弱)は痛かったけど、
昨日スターにいっぱい奢られたからな・・・幸薄き若い衆に少しは還元することにしよう・・・(笑)

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2015年8月19日

北京暮らしの便利不便

北京暮らしも20年前から比べるとかなり便利になったが、
不便なことと言えば相変わらずネット規制であったりするが、
これには「上に政策あれば下に対策あり」でVPNを使って対処!!

ところが「法律」に対してはなかなかどうしようもない(>_<)

「明日から軍事パレードのため奇数ナンバーは奇数日のみ、
偶数ナンバーは偶数日のみしか運転しちゃダメよ!!」
とかがいきなり発令されて文句も言えないのだからこれはもう仕方ない・・・

北朝鮮と同じく、この国では「軍」と「党」に逆らうことは最大の御法度なのだ・・・


まあ時々ご無体なことは言われるが、
それ以外では非常に便利になったというか、
ひょっとしたらいろんな部分「日本より便利」かも知れない・・・

これって日本にある?的な便利なものを挙げてみたいと思う・・・


まず前回チケットを取るのに紹介したこのアプリ「Qunar」!!

ワシは日本ではこのアプリ「Skyscaner」で安いチケットを検索するのだが、
このアプリの方が絶対的に安いチケットを検索してくれる。

しかも支払いがWeChatで出来るというのがありがたい!!

ワシはLINEが「中国のSIMを挿した途端にアクセスを遮断してインストールし直すしかなくなるという」という暴挙に出たためにアプリごと削除してもう二度と使う気はないが、
日本ではWeChatよりシェアが大きいLINEでも同じような支払いシステムはあるのかな?・・・

Qunar」からチケットを選択して支払いの画面。

WeChatPayment1.jpg

ちなみに「Skyscaner」だとここから各航空会社(もしくはチケットを取る旅行会社)のサイトに飛んで、それぞれにクレジットカードの番号を打ち込んだりここからの手間が非常に多いが、
Qunar」にはワシのパスポート番号などの情報を打ち込んであるので次のワンステップでもうチケットが購入となる。
(ちなみに「Skyscaner」だと導かれたサイトによってはパスポートの有効期限やらいろいろ打ち込まねばならず、やっと打ち込んだ時にはそのチケットはもうなくなっていたということもあった)

WeChatPayment2.jpg

WeChatにはワシの中国の銀行カードが紐付けされていて、
「指紋で支払う」はいわゆるiPhoneの指紋認証のことである。

WeChatの乗っ取り被害では張張が以前乗っ取られたことがあったが今ではほぼそんな被害を聞くこともなくセキュリティーはかなりしっかりしているようだ。

タクシーに乗った時などにも
「支払いは現金?それともWeCha?」
と聞かれるほどである。


次に代行運転のアプリ「e代驾

これはちょい前にブログにUPした時に「日本でもあるよ」というメッセージは頂いたが、中国ほどこれほど多く使われているとは思えない・・・

eDaiJia.jpeg

アプリを起動するとこの画面のように近所にいる代行運転手の位置と名前が表示され、
あとはクリックして運転手からの返事を待てばそれでよい。

折りたたみ式自転車に乗って来たり、電動スケボに乗って来たりするのが笑える(笑)


そしてタクシーを呼ぶアプリ「滴滴打车」!!

DiDiDaChe.jpeg

これも起動するとこの画面のように近くにいるタクシーが表示される。

以前はタクシーの乗車拒否が生活上の大きな問題であったが、
これが現れてからそんなトラブルは聞かなくなった・・・

「どこまで行く」というのを入力するので、
「そんな遠くには行きたくない」という運転手は返事をしなければいいのだ。

雨の日など車が少ない時にはアプリが
「いくら追加金を支払いますか?」
と聞いてくる。

「じゃあ5元」とか「10元」とか選んで、
「だったら行ってやるか」というタクシーが手を挙げるのを待つ。

まあ日本でも店がタクシー呼んでくれて到着まで店で飲むというシステムがあるが、
それをタクシー会社の壁を越えてデジタルに大々的に行っているというシステムである。

ちなみに代行もタクシーもWeChatで支払うことが出来る。


支払いに関しても「デビットカード」を国際的にしたような「中国銀聯」で大体全ての店舗で支払うことが出来る。

この「中国銀聯」の素晴らしいところは、
日本のいろんな商店でも使えるだけでなく、
日本のATMで中国の口座から日本円で現金を引き出すことも出来る!!(◎_◎;)

噂によると両替手数料もリーズナブルらしく、
前回帰国した時に試してみたら、
日本のキャッシュカードと全く同じように「残高」として引き出し可能な日本円が表示された!(◎_◎;)


まあこうなって来るとみんな現金を持ち歩かなくなってしまうので、
レコーディングの仕事などをした時にどさっと札束をもらうことがなくなった・・・
(中国の最高紙幣は日本円で2000円程度なので大きな仕事は札束が来るのだ)

「銀行口座ある?」
と聞かれて、ネットバンクに登録している口座番号をWeChatで送る。
(ほぼ中国人でWeChatをやってない人はいない)

「じゃあ送金するよ」
と相手もスマホを使って送金、
ワシも銀行のアプリで残高を調べる。

銀行のアプリは、
もうATMのように暗証番号を入れるだけで
(文字認証は必要)
自由に振り込みや残高照会が出来るので便利である。

逆に支払う側になった時にはこの画面から銀行口座に入って振込先を入力すればそれでよい。

ZhaoShangBankApp.jpeg


さて、上記のような便利グッズ、
「日本にもあるよ」と探してくれる人もまた多く現れるだろう。

しかし現状で日本ではそんな便利グッズが中国ほど普及している現実は見たことがない。

チケットは何倍ものステップをクリックしてクレジットカード番号を入力し、
代行は電話で呼び、タクシーも電話で呼び、
振り込みは銀行に行ってATMで振り込む。

便利なチケット獲得もあるだろうし、
代行やタクシーアプリ、ネット振り込みも存在はしているのだろうが、
中国のように周りの人がその「全て」を普通に使っているという現状はどう考えてもないだろう。

ひとつにはスマホの普及率もあるかも知れない。
(日本はガラケーの時代が長かったからなぁ・・・)

例えば時代のタイミングもあるのだろうが、
中国では「ビデオ」という磁気録音は全く普及せずにいきなりDVDになった。

音楽業界で「録音物を販売する」というシステムは、
日本で全てをダウンロード販売に移行した場合、
レコード会社やレコード店、あらゆる旧メディアの産業が大きな痛手を被るのもあり、ゆるやかに新しいシステムに移行してゆくような気がするが、
中国の場合は全く気にしないので移行がむっちゃ早い(>_<)

そのためにどんな企業が潰れようが全く気にしないのである。

ネット本に押されている「本屋さんを何とか存続させよう」という動きは、
中国人のメンタリティーとしてはきっと「???」なのに違いない。

「豊かになれる者から先に豊かになりなさい」
と鄧小平は「先富論」の中でそう言った。

後に続く「そして後に続く人を助けなさい」など誰もかれもが忘れてしまっている・・・

近代化で便利になった反面、
昔のよき時代の胡同(フートン)などはどんどん取り壊されている現状を見て、
寂しいと思いながらももうこの便利さから戻れないのが人間なのであろう・・・

北京の胡同

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2015年8月 3日

若き天才ピアニストとの出会い

羅寧(Luo Ning)
・・・

大陸の中国語では「罗宁」と簡体字で表記するが、
本人が好んで繁体字で表記しているようなのでここではこちらで表記する。

その昔、北京にJAZZが入って来た頃・・・

こちらで住む欧米人などがJAZZの生演奏を聞きたがるニーズがあって開店された
北京最初のJAZZクラブ「CD Cafe」で演奏してた当時「若者(笑)」・・・
・・・今は大御所となった北京のJAZZマスター達・・・

中国ロックの創始者「崔健(Cui Jian)」のバンドメンバーとして活躍していた彼ら、特にサックスの「劉元(Liu Yuan)」はCD Cafe」の株を買い取って、
自ら夜な夜なその店で演奏すると共に後輩の指導も積極的に行っていた。

当時北京のJAZZミュージシャンは数えるほどしかおらず、
Jamセッションをやったって彼のライブのメンバーと同じメンバーしか演奏出来ないないのだから必然的に後輩を育ててゆくしかなかったのだろう(笑)

ワシも当初から彼らとセッションをしてた「JAZZ仲間」だったのだが、
ある日とんでもないテクニックを持った若者が現れ、
「お前どこでそんなこと覚えたんだ?」
とびっくりしたことが何度かある。

クラシックばっかりやってた若者が、
劉元(Liu Yuan)から「これやってみろ」と言われ、
やってみたら「出来た」・・・

・・・なんだ簡単じゃん、JAZZって言うの?これ?・・・

そんな天才達がアメリカに留学し、本格的にJAZZを学んで帰国しているのが今の北京のJAZZシーンである。
(注:JAZZクラブでは相変わらず北京滞在の欧米人プレイヤーが中心となって演奏しているが、彼ら帰国組は既に「別格」となっている)

そんな中にこの羅寧(Luo Ning)がいた・・・(のだろう、今回初顔合わせの時に彼の態度からその時代に面識があったであろうことを感じ取った)

どの国でもロックやJAZZや、そんなマニアックなジャンルをやってたところで食うに困ることが多い。
彼も帰国してからは一番「金になる」流行歌のアレンジやプレイの仕事を中心に活動していたようだが、
ある日キューバに留学して帰って来てからこのようなスタイル(ラテンJAZZピアニスト)になったと言う・・・。

この話をしてくれたのは、同じピアニストとして
「国内のピアニストとして唯一崇拝しているのは彼だ」と言う張張(Zhang Zhang)である。

昨日行われたこのピアノコンサート、
ワシの25年来の友人である老栾(Lao Luan)栾树(Luan Shu)の末弟、栾三儿(LuanSanEr)の請け負った初の大仕事だということで、
ワシは半年以上前からこのスケジュールを押さえられていた。

「海外からもゲストを呼ばねばならないんだけどこの前のオルガンの人は呼べないか?」
と頼まれて大高清美さんに打診、
(さすが北京で何度もライブやってると違いますな)
しかしカシオペアのコンサートと被っていてNG、
それではということで向谷実さんに打診、
「あとはお前が英語で直接やり取りしろよ」
と言ってたら全然やり取りがダメで実現しなかったところ、
どこからか引っ張って来た外国人女性ピアニストを中心にこんな面子でコンサートが行われることと相成った・・・

PianoCarnival2015.jpg

羅寧(Luo Ning)の出演は、
「国内で誰か凄いピアニストっていないか?」
と聞かれた張張が強く彼を推薦したからである。

これは想像なのだが、制作サイドとしては
「ドラムはFunky、ベースは有希子(ようしーず)でいいんでねーの?」
と思ったのだが羅寧(Luo Ning)自身は不安だったのだろう、
数ヶ月前に一度リハーサルが行われた。

その時に渡された譜面がこれ(>_<)

LuoNingKashgar.jpg

ここから少し「読譜力」という話になるが、
まあ独学ではあるが昔から譜面は少々読めてたワシではあるが、
「譜面なんか全然読めへん(30年前の話)」と言ってた和佐田と一緒にスタジオ仕事をした時、
アニメのメドレーかなんかで勧進帳みたいな譜面を渡され、
ワシが四苦八苦しているのを尻目に和佐田がすらっと弾きこなしていたことがあってびっくりした。

「譜面なら読めるよ」と言いつつ、
譜面を渡されて初見で弾く現場よりも譜面を書いて初見で弾かせる立場だったワシが、いつの間にか「経験値」として和佐田に追い抜かれてしまっていたのだ・・・

そんなこんなで「これではいかん」とばかりいろんなセッションに身を投じて、
初見でいろんな難曲を叩きこなしたりしながら精進はしているつもりなのじゃが、
この1枚目の一番下の段から2枚目に渡る32分音符のキメだけはもう如何ともし難い(>_<)・・・

これをほぼ初見で弾きこなしているユッコ嬢は凄いなと思いながら冷や汗ダラダラで初リハーサルは終わった。

まあ完璧には叩けてはいなかったのぢゃが、
「まあ大丈夫だろう」ということでそれから数ヶ月・・・

サマードラムスクールが終わった次の日、
朝一番の飛行機で北京に飛んでそのままリハーサル・・・

これが全く忘れていてまるで叩けない・・・(>_<)

そうなって来ると今度はプレッシャーでますます叩けなくなるのな・・・
四苦八苦のリハーサルが3日間続き、
「何とかついてゆく」ぐらいのレベルでリハーサル終了・・・

リハの録音(自分用にHHの横で録音したので音質はナニですがちょっと聞いてみて下され)

さて1曲でこれですから先が思いやられます(>_<)
2曲目の譜面はこれ!!

LuoNingHabana.jpg

思うにこれら譜面はきっと本人が書いているのではないのな・・・
きっと弾いてる音源を聞いてお弟子さんか誰かが譜面に起こしているのだろう、
何度やってもイントロが合わないと思ったら、
これはきっと「4小節目は3拍子ではなく2拍子だろう」と解釈!!

つまりこれは4分の7拍子なのだ!!

「好きこそモノの上手なれ」で少々でもラテンの知識があってよかったが、
ラテンなんかで時々ある7拍子のフレーズで、
しかもそれを「1、2、3、4」という乗りではなく「ターターター」とベタっと演奏する(>_<)

彼にしてみれば「何で出来ないかなぁ・・・」という感覚なのだろうが、
これを理解しなければまず初見で叩けるフレーズではない。

当然ながら3段目の3小節目は譜面的に間違いで、
音源を聞いてみて2拍3連のよくあるラテンのキメだと理解、
途中に出てくるラテンでよくあるキメも書き加えておき、
ドラム譜だけでは構成がわからないのでコードを書き加えておく・・・

あとこれはワシ自身の話だが、
「曲が書けなければバンドが終わる」
で「作曲」という作業に手を染め始めたアマチュア時代、
幸いアレンジなどで生計を立てられるようになってふと気付く・・・

ドラマーとして遠回りをしてないか?・・・

そんなヒマがあったらもっと基礎練習すればもっともっと高みに登れるのではないかと悩んでた時期を経て、
「こんな人生を歩んだからこんなドラムが叩けるんだ」
と悟ってから、ワシは自分の強みは「音楽の理解力」だと思っている。

作曲家として、アレンジャーとして曲を解釈して、
その曲の作家やアレンジャーが求めるであろう構成力をドラムで表現する。

そしてこの曲のようなむっちゃ早い曲の場合、
「今どこを演奏しているのか」ということを見失わないために、
普通のドラマーだったら「小節数」だけが頼りであるところ、
「今演奏しているコードが何である」ということがわかるということはとても強い武器になるのだ。
(JAZZの人はみんなやってると思う)

・・・と言ってもこれぐらい早いテンポの上に、
ラテン特有の8分や16分(この譜面の取り方だと4分や8分)で食ったりされるのでもうふーふー言いながらついて行かねばならない(>_<)

何とか曲やキメを把握して、
「じゃあ通してやってみましょう」
ということになって初めてわかるのだが、
冒頭の「Piano Solo」というのはフリーソロからカウントで入ったりするのではなく、
全くのキメフレーズがあって早弾きの6連符を聞き取って、
カウントなく全員同時にイントロに入らなければならない.。

しかも「そのテンポで」というのではなく微妙に早かったり、
「ターターター」とベタっと演奏してたりするので、
入るのが一瞬遅れただけでもうついてゆけない(>_<)

結局まともにイントロが演奏出来たのは3日のリハーサル
(1日に2回ぐらいしかこの曲はやらないので都合6回)
のうちこの1回だけ(>_<)
(と言ってもまだちゃんと叩けていない)

リハの録音

この段階ではドラムは合わせてないが、
譜面最下段1小節目のキメは彼の音源を聞いたらこのように弾いているものの、
一緒にやってゆくと2拍目は8分喰いではなく頭で弾いているのではと分かって来る。

その方が2−3のリズムに乗っていて弾きやすいのである。

ラテンを叩くJAZZドラマーでもちゃんとしてない人が多い中、
彼は本場キューバで勉強して来ただけあって2−3だ3−2だはさすがにちゃんとしていて、
逆にこちらがそれにちゃんとしてれば完璧に一緒に「乗る」ことが出来る。

譜面の下の方に書いた2拍3連のキメも、
実際は杓子定規にこんな風に弾いているのではない。
微妙に「訛って」いるのである(>_<)

「どんなキメなの?やってみて」
と言うと
「じゃあクラーベを叩いて」
と言うのだが、
それが「1、2、3、4」の頭打ち手拍子ではなく、
「2−3のクラーベ(3拍目は喰う)」を叩いて初めてこの2拍3連のキメが理解出来るのだ。

「2−3に対して訛っていて、必ずしも1、2、3、4に対して正しくないが、2−3に対して正しい」
という「乗り」なのである・・・。

まあこれが・・・なかなか合わない(笑)

結局1曲通して全部完全に叩けたことがなく大舞台にて本番!!(>_<)
皆さんワシの精神状態のほどを想像出来ようか・・・

PianoCarnivalStage.jpg

サウンドチェックの時に1曲通してみるがやはり叩けない(>_<)

本番前に彼がこう言った。
「テンポが早いから叩けないんじゃない?ちょっと落とそうか?」

これでワシのプライドはズタズタになった・・・

本当はもっと速くしたいのにワシのために妥協する?・・・
それでドラマーとして胸を張って生きてゆけるのか?・・・

「いや、イメージトレーニングしてるから本番は大丈夫!!いつもの速さでやって!!」

そう言ったのであるが、やはり安全策を取ったのか本番は少々速度を落としたようだ・・・

まあところどころヨレてはいるが、自己採点80点ぐらいの演奏は出来たと思うが・・・
ちょっと悔しい・・・

これが「ロック」だったらドラマーとして人に妥協させたりしたか?・・・

「専門のジャンルじゃないから」と言い訳することは出来るだろう。
でもそれをやってるとそのジャンルの音楽しかやれなくなってしまう。

この世にはこんなに素晴らしい音楽がたくさんあるのに、である。

頃を同じくして張張がWeChatでこんなメッセージを発信した。

「ここに皆さんに声明を発したいことがあります。
私は22歳で北京にやって来て酒場でピアノを弾いて来ました。
世話になっているお兄さんお姉さん、そして恩師の皆さんのお陰により、
今こうして音楽を探求する入り口まで来ています。
偉大な音楽の世界の中では私はまだまだひよっこです。
まだまだ全ての音楽のジャンルを勉強し尽くしたわけでもなく、
皆さんとの仕事の中で、ライブの中でいつも勉強し続けている状態です。
だから皆さんにお願いがあります。
お仕事の中で私を老師(先生)とか大師(大師匠)と呼ばないで下さい。
そう呼ばれた場合、私は返事をしません。
名前を呼び捨て、もしくは小張とお呼びください。
よろしくお願い致します」

このコンサートの大トリは張張率いる「子供が喜ぶ映画音楽メドレー」。
8曲全てをアレンジし、打ち込んでレコーディングし、
バンマスとして、またプレイヤーとして頑張ってトリを飾った。
(偉くなったよのう・・・シミジミ)

まあストリングスのアレンジは手伝ってやったが、
基本的にワシはただの「ドラマー」として参加。

クリックに合わせて8曲ポップスを叩くなど、
別に「酒を飲んでても出来るし〜」などと言って笑ってたが、
まあ羅寧のコーナーが終わって全身脱力して一杯やりたい気持ちではあったけど、
酒もなかったし「仕事」だから飲まずにそのコーナーに挑んだら、
何の因果か1曲目が始まった時にクリックを流しているイヤホンが腰につけているワイヤレスボックスから抜け落ちた!(◎_◎;)

それを接続し直すには両手を使わねばならないのでドラムは叩けない・・・
幸い最初の数個のクリックは聞くことが出来たので、
そのテンポでみんなにはカウントを叩き、
両手がふさがるのでバスドラだけを踏みながら両手でイヤホンを挿し直した。

ちょっと手間取ったが、1回目のAメロが終わった頃事なきを得て、
クリックが聞こえた時にそのクリックとそのバスドラはぴったり合っていた!!

打ち込みの音の中で流れているリズムを刻んでいる音源を聞いて何とか狂わないようにバスドラを踏んでいるからである。

こんなにぴったりと合っていることは珍しいが、
少々ずれてもそれをうまいこと修正する「経験値」は持ち合わせている。

何せ爆風デビュー当時から、
キーボードがいないバンドのために自分で打ち込んで、
それに合わせてクリックを聞きながらドラムを叩いて来た。

仕事では自分がアレンジして打ち込んで、
それを自分で出しながらどんなトラブルにも対処して来た。

これが自分の「本職」!!
酒飲んだりナメてかかったりしなければどんな状況に陥っても最低限(それを人は「最高」と言う)レベルをキープすることが出来る。

でもこの日のコンサートで、
羅寧のコーナーがなく、この「本職」だけをやってたとしたら、
演奏終了後の満足度たるやどの程度のものだっただろう・・・

何も「本職」が今ではあまりに簡単になってしまったので卑下しているわけではない!!

「仕事」なのだからお金をもらってドラムを叩く。
それがいくらであろうと「仕事」であり、
例えそれがタダであろうとドラムを叩くのが「人生」である。

羅寧とのセッションで学んだことは多い。

JAZZを始めてもう30年、ラテンを学んで20年、
そんじょそこらのプレイはもう問題なく出来るようになったが、
「本職」ほど叩けているかどうかは疑問である。

世の中にはまだまだ学ばねばならないことが多い。

張張はコンサート終了後
「今日のプレイは自分としては70点ぐらいだったけど、
これからももっと精進して頑張りたいと思う」
とWeChatにメッセージを残していた。

ワシも自分のJAZZはまだまだ70点ぐらいだと思う。
でもこの天才ピアニストがワシをこのレベルまで連れて来てくれた!!

2000年から10年ほど北京に拠点を移して活動していたが、
その時に困っていたことが
「ガチでバトルが出来るプレイヤーがいない」
ということだった。

だから張張が酒場で弾いているのを見つけて彼を育てた。
だが今は彼が崇拝するレベルの若いプレイヤーがこうして育っている。

中国の音楽界の中では「老師」「大師」「亜州鼓王」とか呼ばれ、
その名声にふんぞり返っている場合ではない。

今から羅寧にこんなメッセージを送ろうと思う。

「親愛なる偉大なピアニスト、そして私の新しい音楽仲間へ。
昨日は君の音楽でいろんなことを勉強出来た。
ドラマーとして、君の音楽がもっともっと私を育てていってくれると感じたセッションだった。
もしよかったら私のことを先輩だとか大師だとか思わずに、
一緒に音楽を探求する仲間として今後も一緒にセッションをして欲しい。
合作愉快!!」

彼との超絶なプレイの音源は、
そのうち映像がネットでUPされると思うのでその後にここに貼り付けたいと思う。

PianoCarnivalLuoNingTeam.jpg

PianoCarnivalZhangZhangTeam.jpg

合作愉快!!

Posted by ファンキー末吉 at:08:09 | 固定リンク

2015年7月 8日

章子怡(Zhang ZiYi:チャン・ツィイー)

今年もまた汪峰(Wang Feng)のレコーディングに呼ばれて行って来た。

過去のブログを検索してみたが、
最初のレコーディングはこれ
最新はこれ
・・・と毎回毎回アルバムを作る度に呼んで頂いてありがたい話である。

いつも仕事が終わって別れる時には
「是非俺のコンサートでも叩いてくれよ」
と言われるのだが、
日中を行き来しながら彼のような第一線の大きなツアーの仕事を受けることは難しい・・・

結局アルバムのレコーディングの時だけ会う「音楽仲間」のようになってもう数年が経つ。

その「音楽仲間」が最近結婚したというニュースは聞いていた。
しかもその相手が国際的大女優「章子怡(Zhang ZiYi:チャン・ツィイー)」!!

まあ会ったら「どうだよ?有名女優と結婚した気持ちはよ〜」などとからかってやろうとも思ってたが、章子怡(Zhang ZiYi:チャン・ツィイー)ともなるとそのレベルが違うのでその下世話な言葉を飲み込んでいた矢先に・・・

「Funky、紹介するよ、嫁さんの子怡(ZiYi)」

!(◎_◎;)・・・って呼び捨てやん!!
・・・って嫁さんなんやから当たり前か・・・

・・・ってかあの章子怡(Zhang ZiYi:チャン・ツィイー)が素っぴんやん!!!

・・・とか、決して「ミーハー」ではないはずのワシも一瞬頭の中が混乱してしまう・・・

まあ意識すればするほど態度は無関心を装うのは小学生レベルの人間の常なので、
ワシはその大女優に見向きもせずに、
今から叩くドラムの打ち合わせを汪峰(Wang Feng)と一心不乱にやることとなる。

・・・とか言いながら滅多に見ることのないこの大女優の素っぴん顔をちらりちらりと盗み見ながら、
「顔小っちゃっ!!」
とか思ってる自分を見つけては、動揺を隠せない。

何せ汪峰(Wang Feng)は毎回、中国のドラマーが叩けないものをワシに発注するのだ。
ヘタしたらもう既に別のドラマーが叩いたものをボツにしてまでワシを呼ぶ。

そんなふらふらとしてる「心」の状態ではちゃんと彼の高い要求を満たせるかどうかわからない!!

弱い心よ消え失せろ!!
今から命がけの戦いが始まるのだ!!
そんなことでどうする!!

そう自分を叱咤激励してブースへ向かう・・・

そしてまたブースの入り口横のソファーに座っている大女優をチラ見したりして自己嫌悪に襲われたりするのだ・・・

そんなこともあってか、1曲目は結構手こずってふうふう言いながらやっと仕上がった(>_<)

「心が弱いのう・・・」などと考えるのも「雑念」だから、
何とか「無心」になるべく何も考えないようにして2曲目に挑むのだが、
そこで大女優は今度はコンソールルームに入って来てワシの叩いてる姿を笑顔で見つめている!(◎_◎;)

ワシのドラムを叩いてる姿が大好きな汪峰(Wang Feng)が、
きっと「おい、見てみろよ、凄いだろ」などと嫁さんを呼び込んだのだろう・・・

2曲目は「完全に機械と一体化しろ!!」というミッションで、
打ち込みのドラムとオカズまで完璧に全く同じように叩く・・・

そんな中で気持ちが乱れたら機械と一体化なんて出来ないのよ・・・(涙)

人間なんていくつになってもアホなもんで、
「どうするよ、ドラム叩いてるワシ見て惚れてもうたら・・・」
などと馬鹿なことを考えたりする(>_<)

結局いつもよりちょっと時間はかかったが2曲完璧に仕上げて、
いつものように汪峰(Wang Feng)に親指を立てられながら見送られてスタジオを後にした。

そしてまた帰りがけに大女優の素っぴん顏をチラ見してしまう自分・・・

アホやねぇ〜アホやねぇ〜
ホンマ別に大ファンでも何でもないのよ〜

ワシは章子怡(Zhang ZiYi:チャン・ツィイー)というより鞏俐(Gong Li:コン・リー)のファンなのよ〜

その昔、彼女の出演してる映画は片っ端から全部見たし、
中国行ってはブロマイドなど買って部屋に貼ってたら、
その後知り合った前の嫁がそれを見て、
「そんなに鞏俐(Gong Li:コン・リー)が好きなら彼女と結婚すればいいでしょ!!」
とむっちゃキーキー言われたことを思い出した・・・

・・・ってそんな話どうでもええやん!!
このブログは汪峰(Wang Feng)とのレコーディングの話を書くんとちゃうかったん!!

あ・・・タイトルも既に章子怡(Zhang ZiYi:チャン・ツィイー)になってるし・・・(>_<)

Posted by ファンキー末吉 at:11:14 | 固定リンク

2015年7月 7日

B-B-King追悼ライブ

B-B-Kingと言えばその昔(20年以上前)、
ハードロックカフェのこけら落としの時に呼ばれたというのが中国ロック界でのひとつの「伝説」である。

当時中国共産党はロックを目の敵にしていて、
こけら落としに呼ぼうとしたロックアーティストは全て許可が下りなかったが、
「ブルースは黒人の民謡」
ということで許可が下りたという話がまことしやかない伝えられている・・・

また、エピソードとしては
中国ロックの創始者「崔健(Cui Jian)」がそれを見に来た時に、
警備をしていた警察が彼を中に入れなかった。

「どうして中に入れてくれないんだ」
と言う彼に警察はこう答えたと言う。

「それはお前が崔健(Cui Jian)だからだ!!」

そんな話があったからかどうなのか、
あれから20年、確かにB-B-Kingはこの国の音楽好きにとても愛されてきたようだ。

5月18日、いつも張張とのトリオでライブをやらせてもらってる江湖というライブハウスで追悼ライブがあるというので行って来たが、
「へ〜」と思うぐらい満杯で客が入っていたのでびっくりした・・・

その時のメインゲストは中国ブルース界の大御所Big Johnこと張嶺(Zhang Ling)である。

そこに「犀牛(XiNiu)」というギタリストがいて、
「来月また何かB-B-Kingの追悼ライブやろうよ〜」
と言ってこの日のライブと相成った。

BBKing.jpg

さっそくWeChatでグループを組んで情報が回って来る。
ご丁寧にこんなタイムテーブルまで・・・

试音时间表:
1、15:00-15:40 OOC
2、15:40-16:20 Little Inn
3、16:20-17:00 Blues Nation Revival
4、17:00-17:40 张岭(With Eric&Larry)
5、17:40-18:20  Blue flame
6、18:20-19:00 弥藏
7、19:00-19:40 Funky末吉&有希子(With 犀牛/张张)
 
演出时间表:
▲ 20:3-20:45纪录片
1、20:45-21:15 Little Inn
2、21:15-21:45 Blue flame
3、21:45-22:15 弥藏
4、22:15-22:45  OOC
5、22:45-23:15  Blues Nation Revival
 ▲23:15-23:25  祷告

本来ワシは19時に入ればいいのだが、
17時の張嶺(Zhang Ling)のところでもドラムを叩くと聞いていたので、
まあ遅刻するのも嫌いだから16時を目処に会場に入った。

このタイムスケジュールでは16時にはもう二つ目のバンドがリハをやってるはずなのだが・・・

誰もいない(>_<)

ワシは思わず「会場間違えた」と思ったね(笑)・・・
誰も来ないのでしゃーないから飲む!!

BBKingDrinking.jpg

ちなみにワシはドラムを叩く前は飲まないのだが、
まあブルースはいいかな・・・てな感じでこの日は昼から飲む!!

WeChatで連絡を回したらほどなくして張嶺(Zhang Ling)が現れた。
人数は次第に集まって来たがメンバーは揃わないのでリハは出来ず、
とりあえず飲む!!

BBKingWaiting.jpg

結局リハはしたのか?しなかったのか?のまま本番!!(笑)

BBKingStage.jpg

いや〜客が集まったなぁ・・・!(◎_◎;)

この日は「商業的ライブではない」ということで入場料無料!!
とは言え、北京で2番目に大きなこのライブハウスが平日に満杯!!
しかも「ブルース」というアンダーグラウンドの音楽で、である。

まあ張嶺(Zhang Ling)も最近は歌を歌ってそこそこ有名人ではあるし、
まあそういう意味ではファンキー末吉の名前もそこそこはあるのだが、
所詮はワシらは「Musician's Musician」であり、
本当に音楽好き以外はその名前すら知らない存在である。

つまりこの北京という街には1000人を超える音楽好き、ブルース好きがいるということなのだ!!!(◎_◎;)

いや〜ワシはまずそれにびっくりした(笑)

BBKingAudience.jpg

ステージ上には有名歌手などはひとりもいないが、
アメリカ帰りの若いブルースマン達が本当に素敵なブルース、
敬愛するB-B-Kingのナンバーを歌う・・・

そして大御所登場!!

BBKingZhangLing.jpg

いやね、ワシがもう2週間以上経ってもこのブログを書こうと思ったのはこのドラマーである。

BBKingZhangLingHaiz.jpg

前回の江湖にも来てたのだが、
まあその巨体をパワーに生かすこともなく、
まあそんなに上手いドラマーではないのだが、
セッションが終わってそのまま酔い潰れてソファーの上に上向けで寝ていて、
その様子がまるで「人間」というよりは「山」だったので「むっちゃファンキーやなぁ・・・」と記憶に残っていた。

しかしこの日、彼が張嶺(Zhang Ling)の車に一緒に乗って来たこと、
そして吃りがあるのでよく聞き取れなかったが、確かに「我爸(私のお父さん)」という言葉を使ったことでワシの記憶が蘇って来た。

確か彼がまだ小学校の頃、スタジオ仕事で張嶺(Zhang Ling)が連れて来た子供、
それが彼だったのだ・・・

きっと知的障害があるのだろう、その時もちょっと会話がうまく成立しなかった・・・

「おう!!あの時のお前の子供!!」
ワシがそう言うと張嶺(Zhang Ling)は笑ってこう言った。

「そうなんだよ、ドラムやってればこうして親子で一緒にいる機会も増えるだろ」

ワシはこの言葉に非常に感激した!!

若い頃からワシは「上手くなる」ことだけを考えて目指して来た。
足手まといになる下手くそは切って来たし、
それこそ自分が切られないようにがむしゃらに頑張って来た。

ここまで来て自分の腕にある程度満足して来て、
それこそ上手くなったからこそ手に入れられる音楽的な喜びを多く知って、
今までのこの人生を間違ったものだと思ってはいない。

でも全く違う別の人生だってちゃんとあるのだ。

もともとドラムなんて楽器はワシみたいに「突き詰めよう」などと思わなければこんな簡単な楽器はない。
それこそ「誰にでも出来る」楽器であり、
そしてブルースは確かに奥が深い音楽ではあるが、本来は「誰でも一緒に遊べる」音楽ではないのか・・・

昔は第一線のスタジオミュージシャンとして、
「最近のヒット曲はドラムは全部Funky、ベースは全部張嶺(Zhang Ling)だよね」
と言われてた時代を経て、
「人の音楽はもうやりたくない。自分の音楽をやりたいんだ」
とCD-Bluesというライブハウスを作って後輩を育成し、
そして今はブルース歌手として、そして音楽界の重鎮として、
そして自分の育てたブルースマン達と一緒に親子でこうやって音楽を「遊ぶ」・・・

素敵な人生じゃないか、と思う・・・

彼の息子がドラムを叩くのは、アメリカ帰りの素敵なブルースマンEric!!

BBKingEric.jpg

そこには「大御所の息子だから仕方ねぇなぁ・・・」などという感情はない。
間違えて拍子が裏返ったりするとドラムのところに行ってアピールする。

BBKingEricAndDrumer.jpg

まあジャムセッションなどで酔っ払ったドラマーとかがよくある光景である(笑)
別に知的障害だからどうのということもない・・・

後半はいろんなミュージシャンが入れ替わり立ち代りセッション!!

BBKingSession.jpg

ワシも呼ばれてステージに上がる!!

BBKingFunky.jpg

『ふぁんき〜!!!」
Ericなんかと違って歓声が野太いのな!!(>_<)

まあいい、ワシこそはMusician's Musician!!
おっさんの音楽ファンの心はワシが鷲掴み!!

・・・などと喜んでいたら、
「ようしーず〜!!」
ユッコ嬢が登場したら歓声がもっと野太い!(◎_◎;)

おいおい、おっさん達、お前らワシに虜なんとちゃうん!!(涙)

張嶺(Zhang Ling)までもがユッコ嬢をフィーチャリングしてツインベースセッション!!

BBKingTwinBass.jpg

おっさんファンの心はこれでメロメロ!!(>_<)
ワシのおっさんファンを取らないで〜(涙)

小畑秀光も頑張りました!!

BBKingObata.jpg

真央くんも頑張りました!!

BBKingMao.jpg

そして最後には「B-B-Kingのドラマー」としてステージに呼び込まれた外人ドラマー!!

BBKingDrumer.jpg

誰?誰?そいで誰のツテ?・・・

ようわからんがきっと張嶺(Zhang Ling)の知り合いなのだろう・・・

BBKingFinale.jpg

かくしてB-B-King追悼ライブは大盛り上がりで幕を閉じた。

老いも若きも、日本人も中国人もアメリカ人も、健常者も障害者も全ての人間が無料でブルースを楽しめるイベント、こんな素敵なイベントが北京で出来たことにとにかくびっくりである。

B-B-Kingさん、極東の街であなたの音楽(精神)は立派に受け継がれております!!

Posted by ファンキー末吉 at:09:37 | 固定リンク

ニワトリはお節介なロッカー?

北京のファンキー村とも言うべきワシらの院子(ユエンズ)には
人間が5人だけでなく犬が4匹とニワトリが一匹いる。

ニワトリがなんでいるかと言うと、
去年ここに引っ越して来た時にもともといたのだと・・・

このまま「ニワトリは要らない」と言うと殺されて食われてしまうだろうから、
可哀想だということでそのまま飼っているのだということだ。

ところがこのニワトリが夜中の3時半頃には大声で「コケコッコー」と啼くもんだから最初のうちは本当に出て行って絞め殺して食ってやろうと思った(>_<)

大家は隣に住んでいるらしく、地元の老夫婦で夜が早いので、
「夜9時以降にワイワイ騒いでなんかいたら怒鳴り込んで来てすぐに追い出されるよ」
と老呉(LaoWu)達に強く釘を刺されている。

「ニワトリが3時に啼くのはいいの?」
素朴な疑問を投げかけてみるが、そこが中国!!それはいいのだ!(◎_◎;)

日本の感覚だと夜9時にちょっと騒いだだけで怒鳴り込んで来るような大家が、
夜中の3時半に決まって大きな声で啼く動物を飼ってたりしたらタダでは済まないようなもんだろうが・・・

人間は「ウルサイ!!」と怒鳴り込めば騒ぐのをやめるが、
ニワトリは怒鳴り込んでもやめないので「没办法(MeiBanFa:仕方ないの意)」なのだそうだ(笑)

まあ中国人の大らかな面が見え隠れするエピソードではあるが、
ワシとしては毎朝3時半に起こされたのではたまったもんじゃないが、
不思議と「没办法(MeiBanFa:仕方ないの意)」だと思って来ると慣れてしまって今では啼いていることも気づかずに熟睡してしまっている・・・

今や飼っている動物の数と住んでいる人間の数とが同じなんだからさぞかし「動物好き」だと思われるかも知れないが、
放浪癖のあるワシは世話をしなければならないペットなんかには全く興味がないどころか、このように自分の生活を乱される存在ははっきり言って「嫌い」である。

特に犬は甘えてすり寄って来るから嫌いだ。
(昔は実家で犬飼ってて可愛がってたのにねぇ・・・)

犬は人が犬を怖がってるかどうかを瞬時に見分けるようで、
犬嫌いのお客さんが来ると突然吠えるくせに、
犬を叱り付けるお客さんには媚びてゆくというのがまた嫌いだ・・・

ところがニワトリは違う!!
どんな人間にも媚びはしない!!

YuanziGongJi.jpg

見よ、この威風堂々とした佇まい!!
犬なんかに比べたら全然「ロック」である。

犬よりも弱く、人間にすぐに殺されて食われてしまうというのに、
その人間に絶対に媚びたりしない・・・

「我が道を貫く」という点では正に「ロッカー」ではないか・・・

それに比べて犬の生き様と来たら・・・)>_<)

YuanzGou.jpg

「ね、ね、僕は可愛いでしょ・・・」
と言わんべくする寄って来る(>_<)

ワシはいつも思うのだ・・・
「お前の人生(いや?犬生か?)それでいいのか!!」
と・・・

野生の動物は自分の弱い部分、
内臓が集結している腹の部分を決して外的に見せない。

ごろにゃんとして腹を出してさすってもらって喜ぶなんて
(可愛がっとるんやないかい!!)
「動物」としてそもそもがおかしい!!

ワシはお前らにもっと逞しく育って欲しいのぢゃ!!
(育てとるやないかい!!笑)

それに比べてニワトリは違う!!

エサは基本的にあげてないようだが、
見ると子犬のドッグフードを食っている!(◎_◎;)

ニワトリのくせにドッグフードを食って生きてるなんて・・・(驚)

しかもエサをもらうために飼い主に媚びたりなぞ絶対にしない!!
媚びるぐらいだったら犬のエサを盗み喰いしてでも生きてゆくのだ!!(笑)

昨日ファンキー村北京に泊まりに来ていた日本の客人が、
3時にあまりにウルサイので目が覚めてネットで検索したらしい・・・

「ニワトリはどうして朝啼くんですか・・・」

答えはこうだ・・・
「ニワトリは鳥目なので(当たり前か・・・)夜は真っ暗で怖い。
朝になって夜が白々と明けて来たら嬉しいのだ」と・・・

「朝が来たよ〜もう怖くないよ〜」
そう言って喜びを他の人(動物?)に伝えているのだ。

「みんな〜朝だよ〜もう怖くないよ〜嬉しいよね〜朝だよ〜」

そんなことを夜中の3時(北京は緯度が高いので夏は昼が長い)に大声で人に知らせるのだ(>_<)

ワシはこの話を聞いてふと思い出した・・・
こんな性格のドラマーいるよねぇ・・・

人に良かれと思って一生懸命やるんだけど・・・やられた人には実は迷惑だったとか・・・(笑)

「どうやったらそのニワトリの啼くのを止められますか?」
その答えはこうだったらしい・・・

「何ぴと足りとも彼らの喜びを止めることは出来ません!!」

(>_<)・・・

似たような性格のドラマーがそばにいる人にはひとつのアドバイスを与えよう。
彼は決して人に迷惑をかけようと思っていろんなことをやってるわけではない!!
彼は全て「良かれ」と思ってやっているのだ!!

周りの人も早く「没办法(MeiBanFa:仕方ないの意)」の境地に至ることである。
そうすれば夜中の3時に彼が何をやろうがだんだん気にならなくなって来る・・・(笑)

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2015年7月 6日

スタジオ仕事の変遷

昨日、ワシは朝から飲んだり夜も飲んだりしてただけではない。
昼間はちゃんとスタジオ仕事をやっていた・・・

Studio20150705.jpg

エンジニアは今や北京最高のエンジニアとなったKeizoさん、日本人である。

JVCビクターで長く修行し、筋肉少女帯などのレコーディングの時もアシスタントとして橘高と朝までレコーディング(笑)していたと言う・・・

当時はProtoolsなどなく磁気テープを回すので、
Recボタンを押すアシスタントの仕事は責任重大である。

ボタンを押し間違えて、録音すべきところじゃないところを消してしまってアーティストに土下座して謝ったり、
そんなことが日常茶飯事だった時代・・・

テープレコーダーにはわずかなタイムラグがあり、
拍の一拍目からパンチインする場合には、
Recボタンをほんの少し前に押してやらなければ録音する音の頭が欠けてしまう恐れがあるので、アシスタントエンジニアは命がけでそれを練習する。

それも今は昔、Protoolsが現れてからレコーディングのやり方は大きく変わった。

「非破壊録音方式(?)」を採用しているため、どこでRecボタンを押そうが、
後からそれを前後に引っ張って調整出来るので、まあ適当に押せばそれでいい・・・(笑)

ところがこのKeizoさん、今だにアシスタント時代の癖でパンチインするほんのちょっと前にまだ命がけでRecボタンを押している(笑)

かくいうワシも、昔アナログのテープレコーダーを回していた頃はドラムはパンチインは出来てもパンチアウトが出来なかったので、
今だに「パンチインなどせずに最初から最後まで一気に叩かねば」というプレッシャーがある(笑)。

とか言いながら小さなミスなどでは
「ここは後でパンチインしよう」
とか考えながら叩くようになって来ることは果たして「進歩」なのか「退歩」なのか・・・という話である。


さて先日は初めてのプロデューサーの仕事に行って来た。

エンジニアも初めての人のだったのだが、
叩き終わったらこの人が恐るべき速さでワシの叩いたドラムをエディットしてゆく!(◎_◎;)

ProtoolsEditing.jpg

まあ一箇所ぐらいだったらエディットの方が早いかも知れないが、
何箇所もエディットするぐらいなら叩き直した方が早い。

ワシやKeizoさんならまず叩き直すぞ・・・

っつうよりワシはそもそもドラムをエディットされることには抵抗がある。

リズムとはそもそもが「物語」のようなもので、
例えば人間なのだから機械のように完璧に正確なわけではなく、
「あ、突っ込んだ」「あ、モタった」「あ、強すぎた」「あ、弱すぎた」
などを極度の集中力の中で察知、解決してゆく「戦い」の流れが「リズム」なのである。

そこに必然的に「戦い手」の感情や性格、ひいては「生き様」が表現されるというものだ・・・

だからやたらめったらエディットされるとその「物語」がなくなってしまうのだ(>_<)

通常リズム録音には「ドラム絶対」の不文律があり、
ドラムのテイクがいい感じで歌ってたら、
後に録音するベースやギターなどは全てそのドラムに合わせる。

だからドラムこそは楽器の中で一番「歌」わなければならないのだ。

ループなどには完璧に合わない時もあるが、
その場合は最悪ループの方をエディットして合わせる。

それがこの現場ではループどころか波形を見てProtoolsの拍子の縦の線とズレてるドラムは全部強制的にエディットして合わせるのだ!(◎_◎;)

それが尋常ではない速さでその作業をやるのでワシはしばしそれに見とれていた・・・

そもそもワシは機械に合わせるのは得意である!!

ワシが北京で初めてスタジオ仕事をした時のアレンジャーがテクノの人で、
ワシがあまりにループとばっちりリズムが合っているので、
他のアレンジャーがワシのドラムがまさか人間が生で叩いているとは思わなかったという・・・

と言っても「機械的だ」という意味ではない。
あまりにもループとの親和性がいいのでまさか生で叩いたとは思わなかったのだ。

その後中国のヒットチャートではワシのドラムとループをうまく混ぜて使うアレンジが流行ったが、まあそんなことはメトロノームとちゃんと合わせる練習をしていれば誰にでも出来る。

だがここに来て、ここまで切り貼りされるとその自信もだんだん揺らいで来る・・・

ワシ・・・こんなにズレてるの?・・・

例えて言うと化粧美人が素っぴんの自分の顔を見た時のような気持ち?(化粧美人になったことないからわからんが・・・笑)

少し化粧をすると、してない部分が目立つのでどんどん化粧をしなくてはならなくなるのと同じように、
一箇所エディットすると他のエディットしてない部分が目立ってしまって、
ついつい全部を同じレベルにエディットしなくてはならなくなる・・・

ノーメイクの非常に野性的なワシのお顔が、
バリバリにメイクされてケチのつけようもないぐらい美人になりました!!

ProtoolsEdited.jpg

まあ言えばブラックジャックの顔みたいにツギハギなのだが、
聞いててそんなに違和感はない。

機械的になったかと言うとそうでもなく、
表情豊かかと言われればエディット前から比べるとそうでもないが、
感情の起伏が全部殺されているかと言われれば決してそうではない。

思うにワシはよく人に「変わってる」とか「性格がおかしい」とか言われて来たが、
思うに「喜怒哀楽」が人より激しいのであろう。

社会生活では人によく迷惑をかけるが、
音楽ではそれは立派に役に立っている。

その大きな喜怒哀楽をそのまま音に出せばいいのであるから、
迷惑をかける周りの人には悪いがまあ「これでいいのだ」と思う。

現代のレコーディング技術では、歌入れが、
感情さえ込めて歌えば音程もリズムも全部後から直せるという時代なので、
このまま行けばドラムもそういう時代が来るのかも知れない・・・

「じゃあもうメトロノームに合わせなくてもいいか」
と思う考え方もあるかも知れないが、
ワシは逆に、
「エディットする必要もないぐらい正確に叩いてやる!!」
と燃えている。

「上手くなる」ということと「感情の起伏がなくなる」というのはまるっきり別問題なのだ。
「上手くなると面白くなくなる」というのは「言い訳」としかワシには聞こえない。

歳を取って円熟期を迎えていても、
破天荒でとっても素敵なおっさん達がワシの周りにもいっぱいいるではないか!!


ちょうど「ファンキー末吉のドラムループ」なるものを発売する話が来ている。
ワシはそこでこれ見よがしに見せてやろうと思う。

むちゃくちゃ感情的に激しく、どのループとも親和性のよいむっちゃ正確なドラムをループにしてやろうじゃないか!!

「性格美人」は化粧をしなくても「美人」なはずぢゃ!!はっはっはー!!(なんの高笑いなのか意味不明)

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2015年7月 3日

中国の代行運転システム

今のファンキースタジオ北京はかなり辺鄙なところにある。

以前の場所もかなり辺鄙なところではあったが、当時
「こんな辺鄙なところにも人が住んでるんだなぁ」
と思ってたそのもっと辺鄙なところに自分が住むことになろうとは夢にも思わなかった・・・(>_<)

まあ開発の煽りで貧乏なミュージシャン達は、
まるで生きる場所を追われる天然記念物のトキのように
(見たことないから知らんけど)
どんどんと辺鄙なところに追いやられるのよ〜

などと強がりをいいながら田舎生活を余儀なくされている・・・

まあどれぐらい田舎かと言うと、
今日出演した北京市内のど真ん中にあるライブハウスまで、
車で行けば30km、高速使って早ければ30分、まあ必ず渋滞するので1時間ってとこかな・・・

ところが電車で行くと、最寄りの地下鉄駅までバスで30分、
地下鉄を乗り継いで、着いたらまた歩いて結局2時間はかかる(>_<)

北京のライブハウスはだいたいどこも酒を奢ってくれるので(ワシにだけか?)
本来ならば2時間かけてバスと地下鉄で行くのだが、
モンゴルで飲み過ぎたし、もう今日ぐらい酒はいいじゃろということで車で行った・・・

ところが飲んでしまった・・・(経緯は省略)

まあいつものことですな。
でも中国には強い味方の「代行運転」がある!!


というわけで代行運転の話・・・

そもそも中国が飲酒運転にむっちゃくちゃ厳しくなってもう10年?・・・
何せ検問で酒量がある程度以上あったら裁判もせずに即逮捕拘留!!

ワシなんか仕事のスケジュールがあろうが帰国スケジュールがあろうがいきなり1週間とか音信不通にされちまうのよ・・・((((;゚Д゚)))))))ガクガクブルブル・・・

てなわけでこの国にも当然の如く「代行運転」という商売が始まった!!

日本では「タクシーの料金よりちょっと高いぐらい」ぐらいが目安なのだろうが、
ここ中国ではタクシーの料金自体が安いので代行もやっぱり安い!!

八王子から新宿までタクシーで行ったらそれこそ数万円かかるかも知れないが、
ライブハウスからファンキースタジオ北京まで30km乗ってもタクシー代100元!!
まあ今円安のレートでもたかだか2000円・・・

ところがその代行のやり方が根本から変わっててびっくりしたのが今回のこのブログネタ。


まず最初にワシが代行を使ったのは数ヶ月前、
その時は一緒に飲んでた人が呼んでくれたのだが、
何と若者がひとりで折りたたみ式の自転車を乗って来たのにはびっくりした。

ご存知の通り日本では一台の車に2人の運転手が乗って来て、
ひとりが降りて飲酒した人の車を運転、
2台が並走して目的地まで行き、
それを運転した運転手はもう一台の車に乗って帰る。

その若い青年は自転車を折りたたんで車に積む・・・

「あんた・・・順義からこの自転車で帰るの?!(◎_◎;)」
「没办法(MeiBanFa:仕方ないの意)」
「!(◎_◎;)どのぐらいかかるの?・・・」
「2時間ぐらいかなぁ・・・」

そして着いたらスマフォのアプリで距離と値段清算・・・

78元!(◎_◎;)・・・安すぎる!!

今考えるとこれは何かの間違いだったのだろう・・・
タクシーより安いなんかあり得ん・・・
ワシは「釣りはいらないよ」と彼に100元渡した。

その後も何回か代行は使ったが、だいだい市内から150元ぐらい。
タクシーよりちょっと高いぐらいである。

運転手が気持ちのいい人だったら200元渡して「釣りはいらない」と言う。
その人はその金でタクシーに乗って帰って、また客を探すのだ・・・


ちなみにどうやって代行呼ぶかと言うと、「e代驾」というアプリを使う。

アプリを起動させると近くに代行運転手がどこに何人いるか地図に表示され、
即時にその全ての運転手に連絡が行き、
登録している電話番号に代行やりたい人から電話がかかって来るというスグレモノ・・・

それぞれの運転手のアイコンには顔写真とID、電話番号が振られていて、
それをクリックして見てイヤな人間なら断ることも出来る・・・

ちなみに早いもの勝ちで、
ひとりが電話が通じると後の運転手にはその旨通知されて電話がかけられなくなる。

運転手は地図で表示されたワシの場所までやって来て、
自転車を積んで運転して、
その間もそのアプリは距離計算をして値段も表示される。

もちろん会社には彼の仕事ぶりが全部データとして残るというわけだ・・・


さて昨日のライブ、うっかり(笑)飲んでしまったので代行を呼んだ。
しかし代行が乗って来たのは自転車ではなく、これ!!

ElectricSkateBoad.jpg

何と電動機付きスケートボードである!!

ちなみに日本では電気で「自走式」の乗り物は「車両」と見なされ、
ちゃんと登録してナンバーを取得せねば道路交通法違反になるが、
中国では電池で動くのは「自転車」であり、
それがどんな形状のものであろうが届け出は一切要らないようだ・・・

走行距離は搭載している電池によって違うようだが、
20kmや30kmは平気なようだ。
電池がなくなったら漕いでも行けるし折りたたんでタクシーにも乗れる・・・

個人的にはちゃんとライトがあって道を照らせるようになってるのがツボに入った・・・

欲しい!!(日本では道路交通法違反なので乗れません)


さて今回の代行運転手、初っ端から何か態度が変だった。
携帯を貸せというので貸したらアプリを開いてどうやら自分でキャンセルしてるようだ・・・

まあ何か別のアプリで走行距離を測って値段を出すならそれはそれで・・・
と思って見ないふりをしていたのだが、
着いたらいきなり何も見ずに「260元」と言い放つ。

つまり適当に値段を言って全部懐に入れようという魂胆だ!(◎_◎;)

昔のファンキースタジオは出稼ぎ労働者の吹き溜まりにあったので、
刺青だらけのロック仲間を呼び出して取り囲んで優しく説教してやってもよかったのだが(笑)、
今のファンキースタジオはもっと田舎の昔から住んでる人たちの閑静な村なので、
ここで夜中に声を荒げるわけにもいかない。

とりあえず優しく
「いつもは150元ですよ。メーター使ってないんですか」
と言ってみる。

考えてみれば彼もたかだか会社に払うマージンをケチるためにあまりにも「無謀」な商売をしている・・・

このままロック仲間に取り囲まれて
「なんだそれは!!」
となったら一銭ももらえない可能性だってあるのだ。
彼には「出るところに出る」ということが出来ないのだから・・・

まあでもワシはもう「戦う」のはJASRACだけでいいので、
とりあえず200元だけ渡してさっさと帰ってもらった。

それを聞いたエンジニアの方言(FangYan)は
「なんで僕と老呉(LaoWu)呼ばないんですか!!」
と怒っていたが、
「お前みたいな小太りと老呉(LaoWu)みたいなロッカーなんか労務者なんかわからん人間と金髪が夜中におっさん取り囲んでワイワイやってたら、それこそ大家が怒って家賃値上げとかになっちまうだろ」
と、今にも代行運転手を追いかけてゆこうとする方言(FangYan)を止めた。

別にワシは「人間が丸くなった」わけではない。
「能率がよくなった」のである。

さっそくアプリを開いて代行会社に苦情の報告をする・・・

それを見てた方言(FangYan)、
メッセージの送信だけでは生ぬるいというわけでそこの苦情受付に電話をする。

何せこのアプリの中には彼の個人情報が全部入っているのだ。
彼がワシに電話をかけた時間、
そして自分で代行をキャンセルした時間、
それにアプリには彼が実際この近所を走っている位置情報もちゃんと載っているではないか・・・

これでもう彼は「代行運転」という仕事をすることが出来なくなっただろう・・・

たかだか100元ぐらい懐に入れようとするなら、
ニコニコ笑って誠意のある仕事をすればいいのだ。
そうしたらワシはいつも150元のところ200元払ってやってる。

同じ200元だけど気持ち良く払ういつもの200元ではなく、
まあでも口論などもせず、感情も高ぶらず、
ゲーム感覚でアプリの苦情受付のやり方を学んだ200元だったのでまあよいとしよう(笑)

ps.・・・などとこんなブログを書いている今、ユッコ嬢の中国の免許証が届いた!!
もうこれで代行を呼ぶこともなくなるだろう・・・

酒が飲めずに免許持ってるヤツ大事!!!


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2015年6月 5日

渋谷有希子中国の歴史的バンドに加入決定!!

「これどういう意味?」
iPhoneを持ってユッコ嬢がやって来る。

見ればWeChatに肖楠(XiaoNan)からメッセージが入っている。

肖楠(XiaoNan)とは1989年に中国で最初に出来たガールズバンド眼鏡蛇楽隊(COBRA)のギターボーカルである。

WeChatというのは日本でいうLINEみたいなもんで、
LINEにはない色々便利な機能があるのだが、
その中でも特に便利なのが翻訳機能!!

メッセージを長押しすれば「翻訳」というコマンドが現れ、
それをタッチするとそのメッセージを機械翻訳してくれるというものだ。

まあ機械翻訳なので結構しっちゃかめっちゃかではあるが、
他にも「百度翻译」というアプリもあり、
これはなかなか頑張って翻訳してくれるのでコピペしてそれを使ったり、
まあユッコ嬢ぐらいの中国語力でもこれら機械の力を借りればメッセージのやり取りぐらいは出来る。

要はそれを超える内容のメッセージが来た時にワシの部屋の門を叩くわけだ。
(暑いので門は開けっ放しだが・・・笑)

まあ会話というとまだまだ(と言っても一ヶ月でここまで喋れるようになるのは大したもん!!)じゃが、
肖楠(XiaoNan)が今晩うちに来ると言うのでほな通訳でもしたろかと待ち構えていた。

数年前の再結成肩慣らしライブぶりの再会だが、
何と彼女はユッコ嬢がうちの院子で暮らしていることを知らなかった!(◎_◎;)

まあ話の内容は予想通りユッコ嬢に眼鏡蛇楽隊(COBRA)に加入して欲しいということじゃったが、
ワシに連絡が来るのではなく直接本人に連絡が来るのが不思議である・・・

数日前老呉(LaoWu)から
肖楠(XiaoNan)とは親しいか?」
と聞かれたので、
「25年来の知り合いだよ」
とは答えていた。

「じゃあきっとお前に連絡が来るよ。ベーシスト探してるからな」

思えば布衣のベーシスト林那(LinNa)眼鏡蛇楽隊(COBRA)のベーシストでもあるので、
アメリカ人の旦那がアメリカに帰るというので一緒に移住するとなったらどちらのバンドもベーシストを急募せねばならないというわけだ。

ところが肖楠(XiaoNan)はワシに連絡をすることもなく直接ユッコ嬢と連絡を取り、
その後ろにワシがいることにびっくりしている・・・

「誰からの紹介で彼女を見つけたの?」
と聞くと、予想通りLaoLuan・・・

「女性ベーシスト探してるんだったら"友達"にいいのがいるよ」
と言ってふたりを繋いだらしい。

思えば先週LaoLuanの家で飲んだ時、
家にウッドベースがあるので「なんで?」と聞いたら、
「え?知らないの?俺は音楽学校で専攻してたのはベースなんだよ」
と言われ、ユッコ嬢のことをやたら「師匠!!師匠!!」と呼んでいた(笑)

まあこの中国音楽業界のドンのような人間に"友達"と呼ばれるというのは凄いメリットである。

「他にも老呉(LaoWu)からも林那(LinNa)からも彼女を紹介されてたしね。
彼女は今や中国の音楽界で知らない人はいないわよ」

更には
「歌も歌ってたわよね」
と言うので何のことか聞いてみたら
昨日の張張とのトリオでユッコ嬢がSlapしながら歌っている映像ももう既に見ているというわけだ。

中国は今ではもう、演奏能力から舞台上のルックスから、
既に説明もプロモーションもする必要がないというインターネット時代だというわけだ。

「時の人よ、いろんなところから引っ張りだこでしょ?」
と言ってたが、
なるほど今日も何かの食事の時に一緒になった人のバンドでもベースを弾いてくれとメッセージが届いていた。

知り合った人と名刺交換をするわけでもない、
バーコードをスキャンするだけで連絡から動画共有まで出来るというWeChatというツールの便利さである。

そう言えば近所(と言っても電動自転車で30分かかるが)にオープンした日本居酒屋で飲んでた時に偶然昔馴染みのミュージシャンがやって来て、
「ちょうどいい、紹介するよ」
とユッコ嬢を紹介しようと思ったら、
「知ってるよ、凄腕のベーシストだろ、Big Johnから聞いたよ」
と言う・・・

10年ぶりに会うミュージシャンでもこうなんだから確かに
「中国の音楽界で知らない人はいない」
というのも過言ではあるまい。

林那(LinNa)が秋にはアメリカに行ってしまったら、
まず全中国どこに行っても各会場500人以上は動員するビッグなバンドになってしまった布衣のベーシストとして、
そして大きな音楽イベントなんかでは必ず呼ばれる中国ロックの老舗バンド眼鏡蛇楽隊(COBRA)のベーシストとして、
もう生活には困らんな・・・

滞在一ヶ月でもう地盤が出来たっつうのは凄いな。

あとは語学やな・・・
まあ女性は男性よりもこの辺の能力は高いからな、
頑張るのじゃユッコ嬢!!

金持ちになったら日本居酒屋でワシに馬刺しを奢ってくれ〜

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2015年5月31日

推乐队The Push

北京音楽業界のドンのひとりでもあるLaoLuanからの紹介で加入したピンクフロイドのようなバンド「推乐队The Push」のライブが今月23日に開かれた。

いや〜舞台装置や照明にもこだわる彼らのこと、
布衣のように着の身着のままでふらっと行って歌って帰るというわけにはいかない・・

専属の照明スタッフは朝の10時から会場に入ってメシも食わずにセッティングしてようやく本番に間に合うという有様である。

昼過ぎに会場に来てみたら、
狭いライブハウスのステージに山ほど照明が組まれていて、
しかも電源の形状がライブハウスのと合わずにハンダ付けするところから作業が始まったということである・・・

プログラムを流す専属のスタッフがいて、
メンバー全員がイヤモニでクリックを聞いて演奏する。

まあクリックに合わせてドラムを叩くのはお手のもんではあるが、
何せ彼らの曲は全てがテンポが遅いので逆に大変である。

こちらから聞けます(外国からでも大丈夫かな?)

サウンドチェックが終わると控室ではたくさんのマスコミが詰めかけていて囲み取材が始まる・・・

なんとこのマイクの数!!(驚)ワシはとんでもないバンドに新加入したのではなかろうかと思ってしまう・・・

TuiYueduiInterviw1.png

囲み取材はこれでもかこれでもかと延々続き、開演時間の21時になっても終わらない(>_<)

まあ中国はそういうところ時間にはルーズなのでいいかと思っていたが、
控室から会場に降りてみると・・・
なんと山ほどの客がいたのでびっくりした!(◎_◎;)

TuiYueduiAudience.jpg

この満場のオーディエンスが大盛り上がり・・・
というわけではない。

何せ彼らのデビューアルバムのタイトルは「发呆(FaDai)」
辞書で調べてみると
「動詞 (びっくりしたり,別のことを考えて)ぽかんとする,ぼんやりする,きょとんとする」
という意味・・・

ボーカリストが冒頭のMCで
「我们是推乐队。今天大家一起发呆」
とつぶやく。

通常ロックコンサートでは「一緒に盛り上がろうぜ!!」と言うのに対して、
彼らは「一緒にぼんやりしましょう」と言うのだ(驚)

500人を超えるオーディエンスが全員ぼんやりしてステージを眺める。
さしずめ照明ショーをぼんやり眺めに来るコンサートというところであろうか・・・

TuiYueduiStage.jpg

これだけ照明を当てられたら当然ステージは暑い・・・
頑張ってドラムを叩く・・・

TuiYueduiDrumming.jpg

彼らの曲の中でも少しは派手な曲の冒頭ではちゃんとドラムソロもくれていたが、
全曲クリックに合わせるので小節が少しでもずれてたら大変である。

その他ちゃんとロートタムを叩くソロ部分ももらっている。

TuiYueduiRotoTom.jpg

いや〜日本ではなかなかこんなソロは出来んから楽しいなぁ〜(笑)

まあ持ち込む設備が多すぎてそう頻繁にはライブをやれるバンドではないが、
次は一応7月31日に上海でのライブが決まっている。

あとワシは最初マグロ漁船のスケジュールとぶつかっていたのでNGを出していたが、
6月21日の寧夏音楽フェスティバルにも出演が決まっていたらしく、
ちょうど老呉(LaoWu)からお誘いが来たので日本から小畑も呼んで老呉(LaoWu)のバンドで参加する。

どうせいるのだからということで推乐队The Pushでも叩くことになるだろう・・・
ロートタムも持ち込んで、照明もまた持ち込むんか?
イベントでの出演って彼らどんなやろう・・・

いろんな意味で楽しみである。

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2015年5月21日

零点(LingDian)完全復活!!

北京に帰って来て今回は長く滞在するとなるといろんな人から電話がかかって来る。

「Funkyさん〜帰って来たんですか!!」
この日は零点(LingDian)のギタリスト大毛(DaMao)である。

年上を重んじる中国の風習においては彼こそが零点の「リーダー」ということになるのだが・・・

いかんせん頭がちょっとおかしい(笑)

以前復活のお手伝いをした時
零点(ゼロポイント)復活計画
零点(ゼロポイント)リハーサル開始!!
零点(ゼロポイント)のリハーサルは続く・・・
戦争勃発?!!
も、結局彼と彼の奥さん(何人目や?)に引っ掻き回されてワシは手を引いた。

その後、弟であるドラムの二毛(ErMao)が麻薬で逮捕され、
オリジナルメンバーである彼とキーボードの朝洛蒙(ChaoLuoMeng)だけを残してメンバーを一新、再出発をしたという噂は聞いていた。

朝洛蒙(ChaoLuoMeng)とはあれからもよく仕事をしているので彼から情報はよく入って来るし、
新ボーカルの老五(LaoWu)はワシが北京に帰って来ると必ず「飲もう」と言って連絡をくれる。

電話の着信に「大毛」と表示されると、
「またこいつに無理難題を押し付けられるのでは」
と反射的に身体が身構えしてしまうのだが、
今回は「毎日リハーサルをやってるから見に来てくれ」ということで電話を切った(ホッ)・・・


リハーサルが始まった。
月末から彼らの故郷である内モンゴルのツアーが始まるのでそのリハーサルだということだ。

NewLingDianRh.JPG

新ベーシストの楊海東は初対面だったが、
マニピュレーターからマネージメントから全部知り合いである。

NewLingDianDrumBass.JPG

新ドラマーのSaraは彼女が17歳の頃からの知り合いである。
手数を売りにしているソロドラマーで、一度呼び出されて
「私もファンキーさんみたいにいろんな仕事したいの」
と相談を受けたことがある。

「住んでる世界が違うんだよ」
ワシはそう説明した。

「天才」と呼ばれる子供ドラマーはこの国でたくさん見て来たけれども、
彼女も含めその多くはバンドをやることもなく、
そのままクリックと伴奏だけを相手にドラムを叩き続け、
彼女もそうだがそのままドラムの先生となって同じような子供ドラマーを育ててゆく。

「君もバンドをやればいいんだよ。バンドのドラマーってのはソロとは全然違うからね」

そして10数年経って彼女が加入したバンドが、
中国ロックの歴史の中で一番金を稼いだと言われる商業ロックの頂点のバンド・・・

それにしてもSara・・・会う度に身体が横に大きくなってゆくけれども毎日何を食ってるんだ?(笑)

ワシと同じくその身体には「幸せ」が詰まっているんだな!!!
(彼女は黒豹のキーボードとの結婚が決まっている。おめでとう!!)

NewLingDianSara.JPG


今回のツアーはホールクラスの単独コンサートらしく、
過去のヒット曲と新しいアルバムの曲を20曲以上演奏するフルメニューである。

過去のヒット曲はさすがに懐かし過ぎて目頭が熱くなった・・・

2003年、中国ロックの歴史の中では初めてとなる、ロックバンドによる工人体育場での6万人コンサート(リンク)、日本人は誰も知らないが、それを作り上げたのはこのひとりの日本人ドラマーだったのだ。

リハーサルの時は大毛と二毛が兄弟喧嘩を始めて、
最後には大毛が怒って帰ってしまった。
「バンドのプロデュースとは喧嘩の仲裁」
とばかり双方をなだめて翌日からまたリハーサル・・・

一生懸命アレンジしたなぁ・・・ヒット曲メドレーも作ったし・・・

その時にアレンジした数々の彼らのヒット曲が、また形を変えて目の前で演奏されている・・・懐かしいなぁ・・・

そして新しいアルバムの曲・・・

復活に向けてワシが考えたのは「バンドの底力」。
だから高い演奏能力が必要なリフとかセクションをいっぱい作ったが、
所詮は二毛(ErMao)では「無理」だったのだろう。
ドラムがSaraに変わってそれが完全に蘇っている。

もう既に金はもらっているのでお蔵入りしようが別に構いはしないのだが、
(中国ではこういうのがとても多い)
やはり自分が思いを込めて作った作品がこうして世に出るのはとても嬉しいことである。

今回はワシは全くの「部外者」で単なる「見学」なのだが、
みんなにいろんな「意見」を求められるので仕方ない。

士気を上げるために「とてもいいよ」と言いながら思うところを小出しにアドバイスする。

そして予想通り終わったらメシ!!!!(笑)

NewLingDianMeshi.JPG

まったくもってこいつらと酒を飲むのは命がけである(>_<)

「Funky、7月11日は空いてるか?」
ボーカルの老五が突然そう聞く。

彼らの故郷である内モンゴル包頭(BaoTou)でのコンサートには是非来て欲しいということだ。

「よし、じゃあFunkyの段取りをしとけよ。会社が出さないんだったら俺が個人で出すから!!」
マネージャーにそう言い放つ老五・・・

そうまでして来て欲しいんかい!!(笑)

秋にはアメリカでレコーディングしたいということで、
ネット電話でWyn Davisにつないだ。

Wynも懐かしい零点(LingDian)と話せてとても嬉しそうだった。

ちなみにSaraは英語が喋れるので今回はワシの「中英通訳」はナシ!!(ホッ)
ロサンゼルスで大毛(DaMao)と酒買いに行って中ー英の間に入ってコンビニの店員に一生懸命「売れ」と交渉した苦労を思い出す・・・(笑)

「今回はワシは行かんからな、お前が酒買うの頑張れよ!!」
とSaraに言うと、
「え〜?!!何で来ないの??お前も来いよ!!」
とみんな・・・

え?ワシも行くの?・・・!(◎_◎;)
まあ飛行機代出してくれるなら行くけど・・・(笑)

まあまた「会社が出さないなら俺が自分で出す」と言い出すんじゃろうな・・・スケジュールが空いてたら是非ご一緒させて頂こう・・・(笑)


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2015年5月20日

映像いろいろ

中国ではライブをやったらすぐに映像がUPされるので面白い。

前回のライブもすぐにネットに出回っている。

2015.5.11 Funky末吉 七道天门@江湖酒吧

2015.5.11 Funky末吉 拉丁爵士@江湖酒吧

2015.5.11布衣乐队Funky 喝不完的酒@江湖酒吧

ご覧になってわかるように広告がかなり鬱陶しい(笑)
まあ広告収入がどれだけ大きなマーケットになっているかをうかがわせるな。

何せ中国の若者など今や誰もテレビなんぞ見ないのだ。
400以上あるテレビ局は万年ソフト不足だし、
インターネットで面白い番組探した方が断然楽しめる。

人気番組になると広告収入が大きいので予算がかけられる。

毎週制作費200万元(今のレートで4000万円!(◎_◎;))かけて「テレビの水準を越えろ」を目標に始めたオーディション番組が大当たり。
もう今やテレビなんぞ誰も見なくなったというわけだ・・・。

まあネットの世界は見るだけでなく、
ユーザーはどんどん「発信する」立場になるのでライブをやるとすぐにこんなのもUPされる。

贝贝老师请收下我的膝盖与少女心

ちなみにこのサイトにスマホでアクセスすると、
このような動画を簡単にUP出来るアプリを勧められる。

そんなのが出回っているから中国でライブなんかやるとみんなステージ見ずにスマホで撮影ばっか!!(笑)

まあ今やロックは「拳」を挙げる時代ではなく「スマホ」を挙げる時代なのね・・・(笑)

極め付けはこれ!!

青岛天骄《栾树个人作品音乐会》高清全场

これは前回ワシが音楽監督を務めた栾树のソロコンサートのドキュメントじゃが・・・
もうここまで来ると「テレビ番組」やな・・・2時間半のコンサートが全部収録されていてそれがタダで見れる(驚)

もちろんこれはオフィシャルなもので、
テレビ局にこの映像売って全部の出演者に許諾取ってはした金もらって誰も見ないテレビなんかで放映するより、
こうして無料で全国の人に見てもらった方がメリットがある。

「生まれ故郷の青島以外でもこれをやって下さい」
などと言われたらこんな大きなプロモーションはない。

日本ではほんとはした金でテレビ局に全部権利取られて、
それをネットで流してもいちいち削除される。

要は「影響力」が欲しいのか「金」が欲しいのかということである。
中国で「影響力」が欲しかったら日本のテレビ局みたいなやり方は誰も相手にしない・・・

面白いのは栾树をはじめ中国の大スター達が共演するこの映像が10万ヒットいってないのに、
数年前までほんの無名のアンダーグラウンドバンドの映像が20万ヒット超えてることである。

Live生活4K演唱会电影:布衣 2014.07.11

これは布衣が行った初のホールワンマンのフル映像!!(◎_◎;)

老呉も今やスターの仲間入りやな(笑)

そして最後はベトナムでUPされていた前回のホーチミンライブの映像!!

VUA TRỐNG CHÂU Á SUEYOSHI AT ACOUSTIC BAR

VUA TRỐNG CHÂU Á SUEYOSHI TRÌNH DIẼN TẠI ACOUSTIC BAR một bài HEAVY METAL dành cho các bạn yêu thich Rock.

Posted by Acoustic on 2015年5月13日

いや〜嬉しいねぇ〜
ドラム叩けるうちにいろんな外国行ってこんなことやりたいな・・・

どなたかアフガニスタンとかイラクとかブッキングして〜(笑)

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2015年5月19日

ギャラの取りっぱぐれ(>_<)

まあ中国ではよくある話ではあるけれども、
これに関しては長い経験の中からいろいろとうまい方法を編み出している。

まずは「(1)損して得取れ!!」

「いくらでもいいから、そしてタダでもいいから仕事しとけば後々いいことあるよ」
と判断した場合、
「別にギャラは要らないよ」
と言ってそれでも一生懸命仕事をやってあげる。

「(2)後払いはもらえないと思え」

これは昔の日本のスタジオ仕事でもそうだったが、
その日にくれなければ後にくれるという確率は断然低くなる。

そういう場合はもう「もらえない」と判断して(1)の範疇に入れ込んで諦める。

「(3)中国人には中国人をぶつける」

基本的に「本人としか話をしない」という中国人だが、
外国人が喧嘩をするとネイティブな中国語の人には必ず負けるので、
とりあえず交渉ごとは中国人と中国人でしてもらった方が話がまとまりやすい。

ワシの場合は長い付き合いの人には自分で話すが、
初めての人とか映画音楽のように契約書を結んだ方がよいモノに関しては必ず中国人を間に入れる。

上記のような経験則によりここ数年このような事件は起こらなかったけれども、
今回はちょっと話が違ってしまったようだ・・・(>_<)


事の始めはと言うと一本の電話である。

いろんな勧誘電話が多い中国では基本的に知らない番号の電話には出ないのだが、
何の気なしに受けた一本の電話が発端である。

「Funky!!俺はギタリストの@@、CD Bluesで会ったことあるだろ、覚えてる?」

もちろん覚えていない(>_<)
でもそう言うと元も子もないのでとりあえず要件を聞く。

「秋にツアーを廻りたいんだけれども・・・」
いろいろ相談を持ちかけられる・・・

「仕事取るのにどうしてもMVが必要なんだけどどうやって撮ったらいいかなぁ・・・」
取りあえずうちに来れば〜ということで会う日を決める。

もちろんそこにアシスタントである方言(FangYan)も同席させる。
すなわち(3)の原則である。

うちに現れたギタリストの@@、ボーカリストの奥さんも連れて来ている。
ところがいろいろ話すに考えが多すぎて全然話がまとまらない。

MVの撮り方にもいろんなやり方があるが、
「どれだけのモノを撮りたい」
というのがあって初めて方向性が決まる。

もちろんそれによって予算も大幅に違って来る。

カメラ何台も置いて、マルチレコーディングしてなどと言ったら、
録音やシューティングだけでなく編集やミックスダウン、
更に追求して差し替えなどやってたら1ヶ月仕事になってしまう。

まあJazzミュージシャンだと言うし、
「だったら昼間のライブバーでも借りて一発録音でやればいいんじゃないの?」
とアドバイスする。

まあその時にちゃんとギャラの話をしとけばよかったんだけど、
これは(3)の原則があるので方言(FangYan)
「後でちゃんと話しておけよ」
と釘を刺しておく。


それから何度かやり取りするのだが、
譜面を用意しろと言ってもロクでもないのが送られて来るし、
なんかわけのわからんデモとかも送られて来るし、
「仕切りが悪い」の典型的である。

また考えがいろんなところにぽんぽん飛ぶので収拾がつかない。
「決定になったものだけ伝えてくれればいいよ」
と釘を刺す。

MVもまだ取ってないのに秋のスケジュールなんか押さえたって何の役にも立たないのだ(>_<)

かくしてMV収録の日取りが決まり、その前日に方言(FangYan)がギャラの話をした。

同様に「バンドに加入してくれないか」というPushというバンドは、
「照明とかにお金使って予算もないだろうから」
ということで「2000元でいいよ、リハ代も要らない」と指示していたのが、
なんとその数倍のギャラを先に振り込まれたりしてる事実もあるので、
「取りあえずお金もないだろうから1000元って言ってみなよ」
と指示した。
「別にそれが500になっても構わないから」
と付け加えてもいる。

まあ要は「人助け」である。

現実、そんな「人助け」で安いギャラでやってあげた映画がその年のタイタニックの興行成績を抜く大ヒットとなって、
一躍ワシを「売れっ子映画音楽家」に祭り上げてしまったということもあったし・・・

ところが方言(FangYan)が悲しそうにワシに言う。

「お金の話をした途端にいきなり機嫌が悪くなって・・・」

それでも「払う」と言ったのならそれでよい。
イヤな役回りは方言(FangYan)に任せて、ワシは笑顔で音楽の話だけしておけばよい。

まあこれも(3)の役割分担である。


かくして現場に到着・・・和やかに撮影は始まるが・・・
まあこれが仕切りが悪い悪い(>_<)

「一応全部の譜面は印字して持って来てね」
と念を押してるのに持って来てない(>_<)

見ればベーシストが譜面を持ってたのでそれをもらって全部コピーに走る・・・

オリジナル曲は全く使えないほどの手書き譜面で、
コピー楽曲は6枚綴りの勧進帳譜面・・・(>_<)

時間は1時から5時までの4時間しかないので、
「時間もないから大事な曲から順番に撮っていこう」
と提案。

彼が最初に選んだのがその勧進帳の曲(>_<)

なんで????
ツアーブッキングするためにはまず奥さんの歌うオリジナル曲でしょ???

まあ「仕事」なのでよい。
「じゃあやるよ」となると、ただでさえややこしいその譜面で、
いろんなセクションが書かれてないので叩けない。

「これはドラムは上段のメロディー部分に合わすの?それとも下段のベース部分?」
質問してもキョトン・・・

「じゃあ原曲聞いてみよう・・・」
おいおい、あるんだったら予め送っておけよ!!!!(>_<)

むっちゃ難しいタワーオブパワーのようなそのセクションを譜面に書き込んで、
「じゃあやってみるよ」

ベースは違うことやってんじゃん!!
ギターは違うことやってんじゃん!!

「ゆっくりの速度からやるよ!!」
確認しては譜面を書き直してやっとセクションが出来上がり、
「じゃあ撮るよ!!」

結局誰かが間違えたりして何度も何度も撮り直し・・・

だいたいこの曲撮ってツアー先に送りつけて何かメリットあんの?・・・
徒労感満載だが、ドラマーとして初見でこの難曲を完璧に叩けるという「満足度」はある。

他の誰が間違えてようが、自分が完璧なら「OK」を出して(笑)次に進む・・・

奥さんが歌うオリジナル曲、これはボサノバ曲なのだが、
譜面がぐちゃぐちゃなのでベーシストがそれを書き直すのに大きな時間のロス。

でもまあ簡単な曲なのであっと言う間に終わる・・・
何故これを先に収録せん!!!!(>_<)

じゃあ次のオリジナル曲をやるのかなと思ったら、
「時間がないのでそれは今日はやらない」
とのことで、
「じゃあSpainをやろう」
となる。

何故Spain????(>_<)

もうこうなって来ると何の目的やらわからなくなって来る。
オリジナルを後回しにして何故Spain???
それでライブツアーが組めるの???・・・

馴染みの深い曲だったので譜面をチェックしてなかったが、
これはよく知られてるバージョンではなく、
変拍子も入るしユニゾンのセクションも全然違うバージョン(>_<)

これを初見でやんの?・・・

まあいい、ドラマーとしては大きな挑戦である。
セクションごとにまた細かくチェックしてゆき、
違ってるところは指摘して譜面に書き込んでゆく。

「じゃあ最初からやるよ」

やれるわけがない(>_<)
まあそれでも簡単にするところは簡単にして最後まで通すか通さない頃に時間切れ・・・

「ふう・・・」
と一息ついて帰ろうとする前に方言(FangYan)に「金の話はしたの?」と釘を刺す。

「いえその話は出てません・・・」
おいおい、その話を出すのがお前の仕事じゃろ!!!(怒)

もう一度ギタリストを捕まえて話をして帰って来て、
「今日はギャラなしだそうです。次の時にということで」

アホか!!

(2)の原則である。
長く付き合おうと思う人間にはよいが、
このままこのギタリストに付き合ってずーっと「先生」をするつもりもないので、
「次はない!!今日もらえなければもう次はないから今日もらえ!!」
と言い放つ。

方言(FangYan)も「もうこれ以上言えない」と困り顔。

「よし俺が言う!!」
とギタリストを呼び出して座らせる。

向こうの言い分はこうだ。
「お金の話なんか一度も出なかったじゃないか。突然言われても困る」

こちらの反論はこうだ。
「昨日ちゃんと話したでしょ」

あちらの再反論はこうだ。
「昨日言われたって払えるわけないじゃん」

とどのつまりには
「金払えなんてそんなヒドい話はない!!」
となる。

まあ最後にはテーブルを叩いてコップを割ったり、
奥さんがヒステリックにわめいたり大変(>_<)

まあまあまあ・・・

カメラを回していた映像担当者が心配そうに寄って来た。
彼は今日出会って開口一番に
「お会いできて光栄です。私は中学の時にあなたのアルバム亜州鼓魂を聴いてました」
と言ってた人間である。

顔を近づけて耳打ちする。
「じゃあギャラももらえないようですから、俺の音と映像は一切使わないで下さいね。勝手に使ったら告訴しますから」

まあ相手は怒ってるので話してもしょうがない。
「じゃあそういうことで〜」
と笑って手を振って場を後にする。

笑顔、笑顔・・・どの世界でも一番大切なのは笑顔である!!


夜にはCD BluesのオーナーのBig Johnに会ったのでこの話をしてみる。

ロック界(流行音楽会も含む)では誰もワシに未払いを起こすような人間はいない。
もう二度とワシの周りの人間と仕事が出来なくなるからである。

(1)の逆のパターンである。
1000元ぐらい払っといてお近づきになっといた方が逆に得なのである。

まあJazz界はまた世界が違うから、とりあえずその世界のトップの人間に一報入れておいたというわけだ。

別にそのギタリストを追い込もうというのではない。
彼も今日の映像を使おうと思ったら次の機会には
「Funkyさん久しぶりdす〜」
と笑って電話をかけて来るのだ。
それが中国人(笑)

その時にBig Johnに一報入れておくことで彼もBig Johnにとりなしを頼んだり出来る。

まあヤクザの世界と同じやな(笑)

Big Johnは
「あいつかぁ・・・金がねえんだよな・・・」
と頭を掻く。

そうなのだ。
だから決してこのギタリストを攻撃してはいけない。

弱気を助け、強きをくじく・・・

彼がワシよりも強い立場だったら堂々と胸を張って攻撃すればよいが、
自分より立場の低い人間にそれをやっては「任侠」がすたる。

まあこのギタリストも100元でも払っておけばよかったのだ。
もしくは金がないなら自分を偉そうに見させるよりも「ない」と素直に相談すればよかったのだ。

まあそれでもワシは一日出向いてドラムの練習させてもらって、
またちょっと上手くなったからそれでいいか(笑)

北京の仕事はこの時代になってもこうやって進んでゆく・・・

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2015年5月15日

中央電視台の密着取材

・・・と言っても別にワシを専門に密着しているわけではない。
寧夏が生んだロックスター(笑)老呉(LaoWu)に密着しているのである。

前々から寧夏電視台がわざわざ北京にまで来て密着取材などしてたが、
中央電視台と言うとNHKのようなもので
「ヤツもついに全国区になったんじゃのう・・・」
などと感慨に耽る間も無く、密着はワシにも執拗に及びちょっとノイローゼ気味になるまでそれは続いた(>_<)

ことの始まりは小畑なんかと寧夏に行った時
何やらカメラがずーっと密着しているので、
「ああ、いつもの寧夏電視台だな」
と思っていたら、後にそれが中央電視台であると聞く。

まあ別にどこの電視台でもいいのぢゃが、
やっぱ密着する人によってされる側の負担は大きく変わって来る・・・

担当は若い女の子。
まあ男でも女でも密着される側はそんなに変わらないのぢゃが、
その「仕事ぶり」が非常に@@なのである(ふさわしい言葉が浮かばない(>_<))

「その時一緒にプレイした外国人である渋谷有希子や小畑秀光のインタビューをするから通訳してくれ」
というのはまあいいだろう。

ワシレベルの中国語で通訳って非常に疲れるのよ・・・
でもまあ「人助け」だと思って手伝ってはあげたのだが、
密着は徐々に老呉(LaoWu)からワシの方に移り、
「ではファンキーさんにインタビューを」
ということになる。

そして
「インタビューの前にちょっと取材させて頂けませんか?」
で提示された時間が4時間!!!(◎_◎;)

さすがに「何をそんなに聞きたいの?」となった(>_<)

「どうして中国に来たのかとか、
どうやって老呉(LaoWu)と出会ったんですかとか」
いろいろ言うのだが、日本だと
著書がありますのでそれ読んでください」
で終わるのだが、うーむ・・・中国ではどうすべきか・・・

ふと見るとエンジニアの方言(FangYan)が隣でぼーっと座っている・・・

ワシはすかさず中央電視台にこう言い張った。
「ああ、そういうことなら先に彼に取材して聞いて下さい。彼は全部知ってますから」

「ちょ、ちょっと!!何てこと言うんですか!!」
と突然ワシを睨む方言(FangYan)。

ワシかて4時間喋ってそれと同じこと取材で4時間喋るなんて出来るわけないやん!!

とりあえずその場は逃げて、
「ではインタビューは次に北京にいらした時に」
ということになった。

そもそもがこの企画というのが老呉(LaoWu)たち寧夏のバンドが集まって起こそうとしているロックムーブメント「寧夏制造」の取材で、
5つのバンドをそれぞれ5つの取材班が密着取材し、
それぞれにその「キーバーソン」をも密着取材。

その老呉(LaoWu)の「キーパーソン」というのがこのワシだということだ(>_<)

5月8日、飛行機から降り立ったワシを迎えに来た方言(FangYan)が開口一番にこう言った。
「ここ数日中央電視台がうちの院子に泊まり込んでるんですよ・・・」

その時は別に「へー・・・」ぐらいしか思わなかったが、
そこからがある種「地獄」の始まりだった。

院子に着いたら既にテレビカメラが回っている。

ワシはその朝八王子を出発して、
まずスーパーあずさで一杯!!

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東京駅で乗り換えて成田エキスプレスで一杯!!

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成田に着いて渋谷有希子と合流して、
チェックインしていつもの寿司屋で一杯!!

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この後に日本酒を2本飲んで、搭乗前に缶チューハイを買って機内でも一杯!!

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もう顔ぱんぱんでテレビ出演どころの騒ぎではない(笑)

もともと着いたその日の夜には人と食事の約束があるので、
着いたらその時間まで仮眠しようと思ってたのじゃが、
寝てようと何してようとカメラはワシの部屋まで入って来てそれこそ「密着」する(>_<)

「これはたまらん!!」と早めに出ていつもの麻辣烫(MaLaTang)

0508MaLaTang.jpg

ビールにすこぶる合うのでべろんべろんで帰宅したら、
また「これでもか」とカメラが待ち構えている。

撮ってもいいから
「もう寝ます」
とばかりこてんと床に入るのだが、
「明日は何時に起きますか」
と聞くので
「いつも7時ぐらいには起きますけど・・・」
と答えると本当に7時にカメラが待ち構えている(>_<)

「仕事するから」
とパソコンに向かうと
「何の仕事してるんですか」
といちいちウルサイ(>_<)

そう言えば寧夏のホテルでもずーっと密着してワシの仕事の風景などもずーっと回していたな・・・(涙)

どうせ撮られるならロビーで仕事しても同じだろうとばかりパソコンをロビーに持ち出してコトコトやってたら、
「ファンキーさん、すみませんが部屋で仕事してて下さい」

なんで?・・・

するとしばらくして老呉(LaoWu)がやって来る。

ファンキーさん、新しい曲なんですけどいろいろ相談を・・・

カメラが回っている・・・
ヤラセか・・・(>_<)

それだけではない、翌日は
「どうしてもレコーディングの絵を撮りたいのですが、
すみませんが何かレコーディングしてくれませんか?」

ドラムを組み立ててマイクを全部立ててる方言(FangYan)・・・

「別にヤラセやったらレコーディングするフリだけでええんちゃうん!!」
ワシらの思惑は大外れ、
ブースの中で音決めからドラムを叩く絵を撮り終えた後には、
コンソールルームに入って
「今やってたやり取りをコンソール側から撮りますんで同じようにもう一度やってもらえますか」

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もう方言(FangYan)も泣きそうである(笑)

翌日も胸元にマイクをつけられて、
そのままトイレに逃げ込んでウンコしてたら、
出て来たら老呉(LaoWu)と一緒にずーっとワシが出て来るのを待っていた(>_<)

うんこブリブリを聞いてのか?聞いてたのだな!!(涙)

老呉(LaoWu)とふたりの取材が終わったらワシひとりのインタビュー、
しかもたっぷり2時間!!!(>_<)

もう勘弁してくれ〜とも言えず、
ワシの他の仕事の現場にも着いて来てカメラが回る。

「ファンキーさんはいつも車で仕事に行くんですか?」
と聞くので
「車の時もあるし電車の時もあるなぁ・・・」
と答えると、
「いつもの姿を撮りたいので、では今日は途中から電車に乗って下さい」

ヤラセでわざわざ地下鉄に乗らされるワシと渋谷有希子(>_<)

雨だし機材重いし、
何よりもその「徒労感」でリハ行く前にもうへとへと(涙)

老呉(LaoWu)とのライブは当然ながらステージの上にまでカメラが上がってそれを撮る。
張張との間に立たれたらアイコンタクト取れないから大変なのよね〜(涙)

ライブ中もステージ後もカメラは回る・・・
最後に車に乗り込む時に一言。

「お世話になりました。撮影は今日までなので私たちもう帰ります」

思わずスタッフをハグする方言(FangYan)、
嬉しかったのか、嬉しかったのだな・・・(笑)

「今度は取材なしで食事でもしましょうね」
ワシも笑顔で別れた。

嬉しかったのじゃ・・・(涙)

ヤラセは多かったが、
でも考えてみれば仕事熱心なスタッフじゃ。
こっちがこれだけしんどいんだから向こうはもっとしんどかったじゃろう・・・

いつ放送なのかわからんが、
まあ放送されたらその映像はまたネットで回るだろう。

日本と同じく使われているのはほんの少しかも知れんが・・・(涙)

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2015年5月10日

ピンクフロイドみたいなバンドをやることになった・・・

「友達のバンドでさぁ、むっちゃいいバンドなんだけどドラマーがいないんだ。お前やったってくれないか」

25年の付き合いである老栾(LaoLuan)の紹介となればイヤとは言えん・・・
というわけで夕べ初対面でメシを食いに行ってきた。

初対面でも向こうはワシのことを知っているのだから待ち合わせも簡単である。
待ち合わせ場所に突っ立ってたら向こうがワシを見つけてくれた。

バンドの名前は「推(Push)乐队」といい、
ピンクフロイドのようなバンドをやりたくて去年結成したらしい。

年齢は若くないが、それぞれが音楽プロデューサーとして活躍しているメンバーで構成されていて、なるほどこのテの音楽をやるならそうだわなぁ・・・

ワシも中国に最初に来た頃はピンクフロイドが大好きで、
最初に地下クラブで黒豹と出会った時、
「ファンキンガバメントはロックを恐れている!!
だから俺たちはロックを聞くこともやることも出来ない!!」
と言っていた彼らのために秘蔵のピンクフロイドの全てのCDをプレゼントした。

そのおかげか否か、大物になった中国のバンドのインタビューなどを見ると、
「影響を受けた海外アーティスト」という質問にみんな必ず「ピンクフロイド」と答えていた。

彼らもその流れか否か、これほどピンクフロイドに入れ込んでいるバンドも珍しい・・・

何せこのバンドには専門の音響と照明がいて、
ライブハウスであろうと必ず映像を流すプロジェクターや照明機器などを持ち込むと言う。

ピンクフロイドと同じように視覚効果を自分たちの音楽のひとつの要素として考えてるバンドは中国では珍しいだろう・・・。

今月23日にライブハウスでライブがあるのだが、
照明スタッフは朝10時に入ってメシも食わずに頑張らないとセッティングが間に合わないという(驚)

写真を見るにビジュアルにもとても気を使ってるようなので恐る恐る聞いてみた。
「ファッション関係は・・・苦手なんですが・・・」

彼らは笑って
「ドラマーはいいんだよ!!いつものままでどうぞ!!」
というわけでこのビジュアルの中にバンダナ短パンで参加する(笑)

いろんな話で盛り上がったが、
ピンクフロイドの裏話は一番面白かったなぁ・・・

The Wallをレコーディングの頃はデイブ・ギルモアとロジャー・ウォーターズは顔も合わせたくないぐらい仲が悪くて、ドラムのニック・メイソンがふたり別々にリハーサル、
つまりドラムとベースでリハーサルして、その意見を持ってドラムとギターでリハーサルする。

次の日にまたベースに聞かせて文句が出たらまたギターとリハーサルして・・・(驚)

キーボードのリック・ライトはドライな人で、
「もらったギャラ以外のことは何もやりません」
という人らしく、結局ニック・メイソンがひとりで頑張ってあの名盤を作り上げたのだそうだ。

またニック・メイソンは実家が金持ちで、両親は
「フェラーリなら買ってやるがロックをやる楽器なら絶対に買ってやらん」
という人だったらしいのだが、
バンドが貧乏だった頃、ニック・メイソンが親からフェラーリを買ってもらってはそれを売っ払ってバンドに必要な楽器を調達してたと言う・・・

「やっぱドラマーって偉大だよな・・・」

おいおい、ワシはやらんぞ!!
ワシはリック・ライトでええからな!!
いくらでもいいから必ずギャラくれよな!!

毎回どんだけ赤字になっても照明とか舞台機材に手を抜いたことはないという彼ら、果たしてワシに払うギャラは残るのか・・・
それとも「バンドのメンバー」ということでロハになるのか・・・(怖)

来週からリハーサルである・・・

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2015年4月19日

VoThM天津北京ライブ

もう中国で数年間やり続けている「Funky末吉和他的朋友们」のライブ、
いつもライブを組んでくれる老呉(LaoWu)が既にアンダーグラウンド界では有名になったというのもあり、
最初は20人ぐらいから始まったこの定例ライブも今では動員数が必ず100人は超える勢いとなって来た。。。

今回もVoThMが中国でライブをということで組んでもらったのだが、
本当はレコーディング機材を持ち込んでライブレコーディングでも出来ればと
「同じ小屋を2日間ブッキングしてね」
と言ってたのだが、一日が天津、もう一日が北京ということになって、とりあえずライブ音源をマルチでレコーディングするのはあきらめた・・・。

この小屋選びもなかなか難しい。。。

キャパが大き過ぎると客席がガラガラで寂しいし、
オーナーに熱意がないと一生懸命宣伝してくれないので集客が出来ないという状況もある。

個人的には昔よくやらせてもらった「蓝溪」という店が、
終わった後にいつも目をうるうるさせてビールを持って来て、
「また是非うちでやってくれ!!」
と言いに来るオーナーが大好きで、小屋を探している老呉(LaoWu)
「あそこでやれば?」
と言うのだが、
「うーん・・・あそこはちょっと小さすぎるだろ・・・」
ということでご縁がない。

この定例ライブももうあそこのキャパを超える規模になって来たということか・・・

天津のこのライブハウスも老呉(LaoWu)に紹介されて一度やったことがある。
(その時の模様はこれ

大学のそばにあることもあって若い学生客が狂喜乱舞して小畑が
「僕はまるでスーパースターになったみたいです」
と喜んでいたのが記憶に新しい。

ここのオーナーから頻繁に「機材も一新して改装したからまた是非やってくれ」とメッセージが来てたのを老呉(LaoWu)に振ってたので「よし」とばかりここをブッキングしたのだろう。

天津師範大学の南門の同じストリートに引っ越したこの店
JiuGeLiveHouse.JPG

「LiveHouseとは和製英語で、アメリカ人なんかからはヌードショーの店を連想させて全く通じないよ」
と聞いたことがあるが、ここ中国では日本からこの和製英語が入って来て完璧に定着してしまっている。

もともとは「酒吧」すなわち「酒場で演奏する」と言ってたのだが、
だんだん機材とかも本格的になって来て、
本当に「LiveHouse」になって来たのはここ数年のことである。

日本が「Jazz喫茶」から「LiveHouse」に進化して来たのと似ている・・・

VoThM_TianJinJiuGe.jpg

店が新しくオシャレになったのと関係があるのかないのか、
狂喜乱舞の前回のライブとは違って客層が落ち着いた気がするが、
それでも100人を超えるオーディエンスは十分楽しんでくれたように思う。

ただ・・・演奏時間が長かった・・・(>_<)

最初に新宿ゴールデン街Acesのマスターでもある山下剛史の演奏が30分、
その後に小畑秀光が30分、
そして張張(ZhangZhang)と渋谷有希子によるピアノトリオが30分、
その後に老呉(LaoWu)のステージを1時間足らずやってからVoThMのステージを1時間以上やるのだから、客もさながら昼からこのリハーサルで全てを叩いているワシが死んだ(>_<)


というわけで翌日の北京ライブは全員に「曲目減らしてね」ということで全体で2時間のステージを目指す(無理なのぢゃが・・・)

小畑の出番はやはり最後にすることにした。
最初に激メタルをやられると身体のダメージが後の演奏に残ってしまう・・・

この日のライブは黄昏黎明DDCという新しいライブハウス。

よくやらせてもらってた江湖から分かれたライブハウスだという・・・

VoThM_DDC1.jpg
VoThM_DDC2.jpg
VoThM_DDC3.jpg

前日に演奏しているのでリハもがっつりやらず、
初っ端の山下剛史も3曲(うち2曲伴奏)にして、
張張とユッコちゃんのトリオも3曲でソロ短め、
次のVoThMも10曲に減らしてもらい、
老呉(LaoWu)は5曲、
体力が極度に消耗する小畑秀光は最後にして3曲にしたにもかかわらず、
この頃にはもう体力が限界で「神様」を見てるような始末・・・

しかし「ライブは水モノ」とはよく言ったもんで、
この日のライブは数年間の「Funky和他的朋友们ライブ」の中で最高の出来だったようだ。

小畑曰く張張トリオは今まで見た中で最高の演奏だったらしいし、
VoThMはワシがドラムを叩かせて頂いてから最高のライブだったし、
最後の小畑の時のドラムソロは「神がかっていた」と言う・・・

ユッコちゃんは「今まで聞いたことないフレーズがいっぱい出てた」と言うけど、
全く覚えてないところを見るともう「気絶」に近い感じで叩いてたのだろうし、
「背中に後光のようなオーラが見えた」と言うが、
ひょっとしたらその瞬間は本当に死んでいたのかも知れない(笑)

みんなでお茶している時に
「あと余命いくばくもないと宣告されたら」
という話を誰ともなくしてたが、ワシは確実に
「別に今と変わらんと思う」
と答えた。

別に「悔いのない人生を歩んでいる」とかかっこいい話でも何でもない。
「お前は既に死んでいる」の世界なのだ(笑)

次の「Funky和他的朋友们」は5月11日に江湖でやる。

張張とユッコちゃんのトリオをちゃんとやりたいので、
今回はこのトリオと老呉(LaoWu)とだけでという話になってはいるが・・・

まあまた増えたら増えたで・・・

余命いくばくもないのはまあ人間ならば誰でも同じなので、
ドラム叩けるうちにいっぱいこんなライブをやっとこうと思う今日この頃である。。。

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2015年4月18日

VoThM北京レコーディング&ライブ(食事編)

長かったマグロ漁船のリハーサルも終わり、
そのまま次の日の11日朝一番でワシは北京に飛び立った。

夜にはVoThMのレコーディングで英樹さん達がやって来る。
食を充実させるのは中国関係にて絶対的な「基本」とも言えるもので、
無謀だとは思ったが、空港から直で向かったのがワシが最近一番ハマっている麻辣烫の店!!

BaPoChuanChuanXiangMaLaTang.jpg

この辛い鍋に漬けた具材を、更に辛い唐辛子の粉をまぶして食す!!
とてつもなく辛いので合法的に飛びます!!(笑)

中国が初めてという英樹さん、丸山さん、
そして関空から合流したゲンちゃんと東京からAce'sの山下剛史くん、
最初の食事の洗礼がこれでいいのかと思ったが、
特に丸山さんは辛いものにハマってゆくこととなったようだ(笑)

次の日の昼はこちらで貿易の仕事をなさっている山崎さんのご馳走で北京ダック!!

VoThMBeijingRecBeijingDuck.jpg

ところが山崎さんが麻婆豆腐を頼んでしまったので丸ちゃんの辛いもの好きに拍車がかかることとなる・・・

VoThMBeijingRecordingMaPoDouFu.jpg

夜はここ数年中国で大流行している「巫山烤鱼」。
焼いた魚を辛いスープで更に煮るという絶品の食物です。

VoThMBeijingRecordingKaoYu.png

そして3日目の夜は羊の足の丸焼き!!

「羊嫌い」の英樹さんもこの頃にはだんだん変化が見られるようになる。
何せ日本で食う羊とこちらで食う羊は根本が全く違うモノなのだから・・・

VoThMBeijingRecordingKaoYangTui.jpg

3日目である14日からライブを共にする小畑秀光と渋谷有希子が合流するので、
飛行場から直で「ラムしゃぶ」に合流してもらう!!

VoThMBeijingRecordingShuanYangRou.jpg

ちょうど中国ジャージが7種類仕入れてみてたので、
ちょうど7人揃い踏みしてみました!!

VoThMBeijingRecordingZhongGuoYiFu.jpg

これで翌日からの天津、北京のライブにレディーゴーです!!(笑)

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2015年3月22日

美人だからスターなのかスターだから美人なのか

今回の北京行きは夜の食事があっと言う間に埋まってしまった・・・。

「Funky〜帰って来てんだって?メシでも食おうぜ〜」
LuanShuから電話があった時も
「夜はもういっぱいなんだ〜昼メシなら〜」
と言ったら大笑いされた。

そうそう、最初に北京に来始めた時もそうだったなぁ・・・
結局昼夜ずーっと飲んでた・・・(笑)

そんな中で一番に約束を入れて来たのが彼女、李慧珍(LiHuiZhen)である。

LiHuiZhenJacketPhoto.jpg
(デビューアルバムのジャケット)

『Funky〜いつ北京に帰って来んの〜ご飯でもどう〜?」
WeChatというLINEのようなツール
(ちなみにLINEは中国のSIMを挿しただけで使えなくなるのでワシはもうオサラバする)
で連絡が来た。

今では頻繁に会うこともないが、
年に一度ぐらいこうして一緒に食事して昔話に花を咲かせたりする・・・


彼女がまだ18歳の頃、ホリプロの中国40万人オーディションで銅賞に勝ち残りながら、田舎から北京にやって来たストレスで太ったり吹き出物が出たりして実質干されてしまった。

同期がどんどん鳴り物入りでデビューしてゆく中で、
ひとり取り残されたようになってた当時の彼女、
このデビューアルバムを私がプロデュースすることになり、
結果このアルバムの曲はヒットチャートを総ナメにして彼女は同期を飛び越えて大スターとなった。

「誰も相手にしてくれなかった私を貴方だけが相手にしてくれた。
貴方は私の恩人です。
貴方がいなかったら私は今も誰にも相手にされずにいたと思う」

そんな言葉をくれた彼女も今はもういい歳である。

「あの頃はホントに田舎もん丸出しって感じで可愛いかったねぇ」
WeChatでそんな会話を交わす度に、
「貴方ったらいつもそればっか!!今も私は田舎もんよ」

ネットで出回っている写真は華々しいステージ写真ばかりで、
昔の面影を残す写真は皆無だったのだが、
数年前にこの写真を見つけて彼女に送りつけた。

LiHuiZhenSwimingPhoto.jpg

「おっ、見つけたぞ!!昔の写真!!これこれ、こんな感じやったなぁ〜」
と喜ぶワシに冷たく言い放つ彼女、
「何言ってんの、これこの前撮ったばかりの写真よ・・・」

げげっ!!この前って言ったら30代も半ばではないか・・・

「お前、おかしいぞ!!(笑)」
とその頃からワシは言う。

会う時はいつも素っぴんだし、
ワシばっか歳取って太ってゆくのに不公平ではないか・・・

去年の待ち合わせではワシが渋滞で遅れてしまい彼女を待たせてしまったが、
今回はワシが先に着いて彼女が渋滞で遅れている。

「先に食べてて〜」
車の中から写真付きメッセージが微博(中国のTwitterのようなもの)で送られて来る。

LiHuiZhenDrivingPhoto.JPG

お前なぁ・・・いくつや?・・・もう四十路やろ・・・

40歳で素っぴんでこれ・・・
ワシは腹いせ(?)に彼女の奢りになるのだからと高級牛肉を頼みまくってやった(笑)

酒も飲まないし、当然ながらあまり大食らいでもない彼女の代わりに、
当然ながらこの高級牛肉は全てワシの胃袋に収まることとなる・・・

LiHuiZhenWithBeef.JPG

いや〜高級牛肉も美しいがお前もかなり美しいぞ・・・

「お前・・・いくつになった?」
そう聞くワシに笑顔で答える。

「もうすぐ40歳でーす」

LiHuiZhenPeace.png

40歳でこれ・・・!(◎_◎;)
素っぴんでこれ・・・!(◎_◎;)

女は恐ろしい・・・というよりスターはホンマ恐ろしいな・・・

もともとはお顔で売ってた歌手ではなかったわけだから、
歌が売れてからお顔もスターになった?・・・
もしくはもともとお顔もスターだった?・・・

そんな彼女とまたいつものように昔話・・・

前回はお母さんも一緒で、
その前は確かワシが出演しているライブハウスの狭い路地に赤いベンツのオープンカーを乗り付けて来よって、
「どこのヤクザがこんなとこに高級車乗り付けよって」
と思ったら彼女だった(笑)

その前は「私バンドやりたいの」ということで呼び出されたのじゃったが、
今回は何の話だろうと思ったらなんと!!!

LiHuiZhenWithBaby.JPG

ネットで出回ってたこの写真に、
「お前の子供?まさかね、妹の子供だろ」
とコメントしてなしのつぶてだったが、
きっとちゃんと会って説明しときたかったのぢゃろう・・・

「へへ、私の子供よ」
おいおい!!お前まだ独身じゃろ・・・

まあいい、お前が幸せならワシはそれでいいぞ!!
まあまた子育てが一段落したらバンドでも何でも一緒にやろう!!

次会うのはまた1年後か?
来月北京でライブがあるからよかったら1曲歌いにおいで〜

BeijingLive20150416.jpg

Posted by ファンキー末吉 at:09:47 | 固定リンク

2014年11月30日

マグロ漁船日本より出港!!

ファンキー末吉、田川ヒロアキ、渋谷有希子、どうでもいいけど小畑秀光(笑)のスケジュールを合わせたら実は年内には4人揃って北京でリハーサルをするスケジュールがない(>_<)

せっかく前渡金をもらって出港が決まったのに年内何も動かなければ先方の熱が下がったりしても困るので、
苦肉の策でスケジュールが合った田川くんだけを北京に呼んで、
とりあえずはワシと二人で曲作りのリハをということになっていた。

そこでちょっと思い立ったことがあり、ワシはプロデューサーにこう聞いた。
「監督ってさぁ、最初のリハーサルから見に来たりすんのかなぁ」

「いや、最初は関係者誰も来させないよ。
曲作ってる時に横からあーでもないこーでもないと言われたら出来るもんも出来なくなっちまうだろ」

願ったりかなったりである。
ワシはこんな風に提案してみた。

「ほなお前が日本に来い!!
そしたら他のメンバーも時間によっては参加出来るではないか!!」

これにはプロデューサーも
「どうしてここに気がつかなかったのだろう」
である。

基本的に4人のミュージシャンが北京に来る経費より、
プロデューサーひとりが日本に来る経費の方が数段安い上に、
北京にまでは行けないけど半日ぐらいのスケジュールなら捻出できるということで4人のスケジュールも合わせやすい・・・

こんな話になったのが実は2週間前、
ワシは北京にいたので一生懸命招聘の書類を作っていた。

ワシの個人会社「有限会社ファンキー末吉」は、
当初の目的である「節税」を大きく超えてしまって「大赤字」の会社なので商業ビザを発給する能力はなく、
いつものように「友人訪問」の旅行ビザを申請する。

もう慣れたもんだが実はこれがとても大変(>_<)
こちらで全ての書類を作って日本から原本を取り寄せる。

ビザの発給には何日かかるので逆算すれば何日までに原本が届かなければ間に合わない、即ちリハは北京でやることに・・・

ところがこの制作会社が裏技を出した!!
「商業ビザ」である。

いや〜大きな会社は違うな、
結局旅行ビザは間に合わず、その商業ビザの発給待ち・・・

分刻みでスケジュールを押さえたユッコちゃんと秀光くんはとりあえず待機。
田川くんはビザが間に合わないとなったらすぐ北京に飛ぶという段取りで、
とりあえずはワシはもともと北京にいる予定だったのでこうして先に北京まで来ているというわけだ。

ビザが間に合えばプロデューサーと一緒に日本に飛び、
間に合わなければ田川くんに来てもらって北京でリハをする。

というわけで結果的にはビザは間に合ったのだが、
今度はその分刻みのスケジュールでリハを組んだり、
プロデューサーのホテルを押さえたり、これが大変(>_<)

そして何より大変なのが明日から実質4日間のリハが終わった後、
観光で8日まで日本に滞在するプロデューサーが
「何かいいライブを見たい」
というリクエストに応えるのが大変(>_<)

昔は「ぴあ」を買ってぺらぺらとめくったら一目瞭然だったのが、
今はネットでひとつひとつ調べないかんの?(>_<)

メタリカとかボンジョビとか来日しとらんの?
日本の有名アーティスト誰か大きなコンサートやってないん?

いかん・・・選択肢が多すぎて調べられん・・・(>_<)

昔は中国人と言えば西城秀樹だ五輪真弓だが人気だったが、
今ではネットにより世界中の全ての情報が入るのでこちらとしても勧めようがない・・・

前回LuanShuが来た時はミーシャのコンサートがあったのでチケット取ってあげたらことの他大喜びだった。

やっぱ日本のトップクラスのコンサートは制作(照明や舞台等も含めて)一流やから、彼ら中国の音楽関係者は是非一度は見といた方がええやろな・・・

欧米のアーティストのコンサートがあればなお良い。
日本まではやって来ても中国にはなかなか行かんからな。

LuanShuの時はマンハッタントランスファーが来日してたから行ったがこれも中国ではなかなか見られんから喜ばれたな・・・

どなたか12月5、6、7日に何かオススメのコンサートありませんか〜
あったらこちらに情報ちょうだい〜

まあ「仕事」やと言うても「友遠方から来たり」て命がけで喜ばせてあげなければ中国社会では生きてゆけない・・・

明日から忙しくなりそうぢゃ・・・

Posted by ファンキー末吉 at:16:28 | 固定リンク

2014年11月20日

マグロ漁船出航決定!!

前回のマグロ漁船が出航しなかったため、声をかけた渋谷有希子さんには大きな迷惑をかけてしまった。

と思ったらまたすぐに大きな話が転がり込んで来るのがここ中国である。

ことの始めは青島コンサートのリハーサルの時、
歌手として参加する馬上又が小声で話しかけて来た。

「ファンキーさん、大きな仕事があるんだけど是非あなたにやってもらいたい」

小声で話しかけて来るのでまるで「悪だくみ」である。
「ここでは詳しく話せないが」ということでワシはリハ終わりに彼に電話をかけた。

まるで一緒に悪だくみをしてるようである(笑)

聞けば本番30本の上にリハーサルが60本入り、
その全てのギャラが日本より高い(驚)

あまりにも大きな企画なので中国の音楽界にはまだ秘密にしたいのだろう、
というわけで詳しい内容はまだここでは書けないが、
要はロックミュージカルみたいな仕事である。

但し、いつもみたいな音楽監督の仕事でもなく、演奏者としての仕事でもない。
いや、厳密に言うと「演奏者」なのぢゃが、むしろ「出演者」である。

「え?俺・・・演技なんか出来んよ・・・」

戸惑うワシに彼はこう説明する。
「演技をする必要はない!!
ファンキーさんはいつものようにドラムを叩いてくれればいい!!
ドラムを叩いてるだけでヘタな役者より表現している、そんなプレイヤーを探してるんだ」

というわけで同じぐらい存在感を持つプレイヤーとして彼から田川ヒロアキの名前が上がった。

どこかで会ったかな?・・・映像でも見たのかな・・・と思ったら、
何度か田川くんを北京に連れて来てライブをやったうちの1本を偶然見に来ていたそうだ。

いろんな人を北京に連れて来たが、
それがこうして「仕事」としてつながってゆくということはおせっかい冥利に尽きることである・・・。

ドラムとギターは決まった、じゃあベースは?・・・
ということで先日の北京ライブに監督はじめ関係者全員が渋谷有希子さんのプレイを見に来たというわけだ。

結果は満場一致で決定!!
ついでにその時に出演してた小畑秀光まで乗船決定となったオマケ付きである(笑)

ちなみに彼は終演後に送って来たメッセージの中でこう語った。

「監督たち飯に連れてくから先に出るよ。
みんなみんなあんたのこと大好きだって、ばっちしだよ!!」

このライブは彼にとっては「ファンキー末吉ありき」のこの作品を監督にプレゼンする大事なライブでもあったのだろう・・・。

彼は昔からワシに絶対的な信頼と尊敬の念を抱いてくれてる。
きっかけはこんな些細なことだった。

一緒にレコーディングとバックバンドをやって中国ロックの新しい時代を作った許義(XuWei)の最初のライブの時・・・

当時ワシはこちらのスタジオミュージシャンとして絶頂期で、
多い時にはヒットチャートのほとんどのドラムはワシが叩いているような状態だった。

中国ロックに憧れてこっちに移住して、
やっていることは音楽を金に変えるような毎日じゃ日本でいたって同じじゃないか・・・

そんな悩みを抱えていた頃で、
それを「神がかり」ということで解決しようとしていた。

エイトビートの4拍子の曲なんてもうどんな状態でも叩ける、
でもだったらそれで満足するんじゃなくもっと上に行こう・・・

楽屋で出番直前までひとり、譜面とにらめっこをしているワシに彼が声をかけた。

「ファンキーさんはいつもそうやって真面目に仕事しますけど、
それはやっぱ日本人特有の気質というものによるんですか?」

ワシは一瞬きょとんとしたが意味がわかって笑ってこう答えた。

「ほら、神業ってあるじゃん・・・
でも人間はいくら頑張っても神にはなれない。
偶然時々神が降りて来る時があるだけよ。
人間が出来ることは努力と準備だけだからね。
それしか出来ないならそれを出来るだけやっとかないともったいないだろ」

結果その許魏(Xu Wei)の北京ライブは伝説のライブとなった。
神が降りて来たのだ・・・

それ以来、彼はワシの「仕事」には絶対の信頼を置いている。
今回このマグロ漁船を出向させるために提出した数かぎりない資料、
それを監督、制作会社、投資方に見せる時に彼は胸を張ってこう言ったという・・・。

「ほら、ファンキーの仕事は完璧だからね」

ところが人間は神にはなれないのでその後いろいろミスが出て来るのだが・・・(>_<)

さて、そんな彼ももう偉くなった。
当時はいちキーボード奏者だったが、今では音楽プロデューサー、歌手として有名になった。

ワシが音楽をやって大ヒットした映画「疯狂的石头(クレイジーストーン)」の続編映画は、
ワシではなく彼がその音楽を担当したのだからもうワシなんかよりは「大御所」だろう(悔)。

何度も「一緒にバンドをやろう」と誘われた。
「三顧の礼」よろしく貧民街にも何度も足を運んでくれたが、
こちらのスケジュールは直前に決まり、日本は数ヶ月前に決まるので、
ライブ収入が全てのバンド活動で「その日は私は無理です」ではこちらでバンドなんかやっていけない・・・

そんな彼からの仕事なので間違っても前回のように「ドタキャン」はなかろうとは思うのだが、
自分だけならいざ知らず、日本人ミュージシャンを呼ぶんだったらやっぱ「前金」である。

スケジュール押さえるなら「まず前金」!!

というわけで9日間のツアー中ずーっと4人のスケジュール調整、仮契約書の作成、
等いろんなことをやってたのでいつものように旅先ブログ更新が出来なかったわけだ。

ちなみにこの「仕事」で一番キツいのが「中国語」(>_<)
ワシレベルの中国語で契約書クラスの翻訳は無理なのだが、
契約書の草案も全てワシが作った。

簡単な契約書である。
「これこれのスケジュールをいついつまで押さえさせてね〜お金いくら払うからさ〜」

本契約はまたちゃんとやるとして仮契約は簡単であるほどよい。
これにサインして前金さえもらっておけば、後は仕事が潰れようが友情は潰れない(笑)

というわけで田川くんは日本にいるので後回しとして、
末吉、ユッコ、小畑が中国にいるうちにそれぞれ契約をしてとっとと前金を受け取っておくことである。

誰かひとりでも前金を受け取って初めてマグロ漁船「出港!!」ということになる。

白羽の矢が立ったのが小畑秀光!!
彼の帰国スケジュールだけが二人より早く、
14日の10時から12時までなら北京空港でインターセプト出来る。

契約書の内容を何度かやり取りして最終的なものにして、
小畑に見せても中国語なんでどうせわからんし、とりあえずこう命じた。

「10時に北京の国内線に着いたら国際線の出発ロビーに行って、
ギターを抱えたまま時刻掲示板の下で待ってろ!!」

ただでさえ高所恐怖症で飛行機に乗れない男が、
格安航空券のせいで寧波ー北京ー上海ー東京(ちなみに寧夏と上海はすぐ近所)という3度も飛行機に乗らねばならないスケジュールの上にこんな大仕事を仰せつかったのだ、本人も気合を入れたのだろう・・・

ObataWaitingAtAirport.JPG

ここなら見つけてくれるだろうと思ったのかこの大きなぼんぼりの下を選んで、
このギターをルパン三世の五右衛門よろしく抱きかかえて座っていたらしい(笑)。

さて音楽プロデューサーの馬上又、どうやって本人を見つけるのか不安でしょうがなかったが、
ワシが「絶対見つかるから」というので不安を抱えながら行ってみたらすぐ見つかった。

「まるで武士やなぁ・・・(笑)」と彼の弁・・・

しかし実はこの馬上又という男、ガタイがデカい上にロッカーなので全身刺青である。
そんな男に声をかけられ、全然言葉も通じない上にいきなり中国語の契約書を見せられ
「サインしろ」
と言われる・・・

やっぱ偉いな、小畑秀光・・・失うもんがないというのはホンマに強い!!
こいつはきっと臓器売買の契約書でもサインしてたやろうな・・・(笑)

というわけで前金ゲット!!!!!!!

ObataMaekin.jpg

よくやった小畑秀光!!これにてマグロ漁船出港決定!!!

日本のみなさん、来年は基本的に中国にいますので日本の仕事は・・・
企画がぽしゃれば喜んでやります!!(キッパリ)

これがあるから中国はまだまだ安心出来んな・・・(笑)

Posted by ファンキー末吉 at:17:24 | 固定リンク

内臓の反乱

唐山から北京に帰る朝、内臓と肛門を甘やかしてはいかんとばかり食ったのが激辛担々麺!!

TangShanDanDanMian.jpg

どうもこれがトドメになったようだ・・・

まあファンキー末吉の内臓と肛門に生まれたからには今更キミタクの内臓と肛門になるわけにはいかん。
まあヤツらも頑張ったのだろうが、
「一ヶ月以上連続のライブ=一ヶ月以上毎日の暴飲暴食」
のトドメに激辛担々麺はもう許せなかったのかも知れない・・・

もうええ加減にして下さい!!

そんな声は聞こえては来るのだが、
まあ北京に着いたらユッコちゃんたちは北京ダッグを食ってたのでご相伴・・・

NaizouHanranBeijingDuck.jpg

そいて晩飯に激辛汁なし鍋を食ったのがいかんかった(>_<)

NaizouHanranMaLaXiangGuo.jpg

そこから何やら身体の調子が悪い・・・(>_<)

また院子が寒いのよ・・・
何しろテラスっつうかロビー部分は薄いガラス一枚で外と隔てられているだけなので、
まあ言うならば外気温と温度は同じ!!

NewYuanzLobby.JPG

この状態の空間をたかだか3000Wの電気ストーブで暖を取ろうというのだから無理である(>_<)

ワシ「前みたいに石炭燃やそうぜ」→FangYan「イヤ!!」
ワシ「じゃあ暖炉入れようぜ」→FangYan「イヤ!!」
ワシ「じゃあ老呉(LaoWu)んとこみたいに練炭」→FangYan「イヤ!!」

まあこのFangYanっつうのが強情なんだ・・・

まあ薪であるとか石炭であるとかの手配もそうだが、
練炭の灰を処分するのもそもそもはこいつなのだ。
まあ嫌がる気持ちはわかるが・・・このままマイナス15度の冬が来たら死ぬぞ・・・

などと言い合いをしてるうちに・・・ハクシュン・・・
寒くていられないのでこの日はスタジオに布団を敷いて寝た。

StudioSleeping.jpg

そしたら夜中に吐くは下すわ・・・(>_<)
・・・完璧に内臓の反乱である・・・

翌朝ユッコちゃんを空港に送るのもFangYanに任せて一日中寝てたら、
マグロ漁船のプロデューサーが心配して薬持ってやって来た。

NaizouHanranChiYao.JPG

漢方薬なのだが、「香港で手に入れたヤツだからな」というのを強調する。

聞けば中国大陸で売られている漢方薬にもバッタもんが多いらしく(笑)
これは香港のものだから安全だということらしい・・・。

しかし問題は飲む量である(>_<)

「食後にふたつ」というのだが、
この「ふたつ」とは決して「ふた粒」という意味ではない。

なんとこの小瓶を「ひとつ」としてふた瓶飲めと言うのだ!(◎_◎;)

いや〜仁丹2ケース飲んだことある?・・・
相当気持ち悪いで(笑)

今度はこれ・・・ひとケース全部飲み切った頃には便秘(>_<)

わからんなぁ・・・今まで滅多に薬になんか頼ったことなかったからなぁ・・・
内臓よ!!もう暴飲暴食をやめてやるからいい加減で機嫌直せ!!!

Posted by ファンキー末吉 at:13:24 | 固定リンク

2014年11月19日

9連チャンの中国ツアー始まりは波乱・・・

いや、別に中国では定例ライブやらツアーやらいろいろやっとるけど、
よく考えたら自分名義で9本連続でツアーが組めるって凄いな・・・

別にライブはライフワークなんで軽く考えてたら大変やった・・・(飲み食いが)笑

毎日移動っつうのも結構大変やな。
ホテルの連泊がなければ洗濯が出来ん(>_<)

あと、よく考えたらワシは前回の青島終わってから1ヶ月以上ほぼ毎日移動しながらライブやってたんやな!(◎_◎;)

ドラム上手くなったかな(笑)

いや、叩いてる時間なんか1日2時間足らずなんやから毎日がこれ「移動」である。
腰に悪いのよね・・・(>_<)

まあ寄る年波か蓄積疲労か、
はたまたこれから小出しにするいろんな原因で毎日ブログを更新出来なかったので、
ここにずどどどんとダイジェストでまとめてみたい。

まず今回始まりの波乱ぶりをまとめてみたい・・・

一緒に回ったユッコちゃんのブログにあるように、
ワシは名古屋空港から夜中着の便で北京入りしたが、
まあ言葉も通じずに村の連中と仲良くしてたようぢゃ。

翌日の取材日を経て大高さんが北京入り。
小畑は激安上海乗り換え便なので本番ギリギリ着。
老呉(LaoWu)の奥さんに迎えに行ってもらってほっといて北京のライブハウス江湖に入る。

ライブの模様は毎日新聞の大高さんの記事を〜

ここで実は私は大きな仕事をいくつも並行している。

その中でも一番大きなのが「マグロ漁船」こと来年の大きなロックミュージカルの仕事、
この音楽プロデューサーと監督がこのライブを見に来るのね。

まあワシありきで話は進んでいるということぢゃが、
ここでユッコちゃんが目に留まれば前回のマグロ漁船出航せずの穴埋めが出来るだろうということでワシも必死なのぢゃよ・・・

結果、初めてワシのドラムを見る監督も、その他スタッフもワシのことは気に入り、
「聞いた通りだろ」と音楽プロデューサーも鼻が高い。

そしてベーシストは・・・一発OK!!

さすがユッコちゃん、腕だけじゃなく華もあるからな・・・
と思ったら意外なところから
「あのギタリストも呼べないかなぁ・・・」
と意外なところから小畑が・・・(>_<)

いやね、呼ぶ前からイヤな予感がしてたのよ・・・
呼んだらこれがあるやろ?そしたらまたこいつがオイシイとこかっさらっていくんじゃないかと・・・

家に帰ってもこいつがおるし、ツアーに出たら同じ部屋やし、
いい加減面倒見てるんやからもうええやろと思ってたら嫁が「呼んだげなよ、喜ぶよ」と言うので渋々飛行機代を出してやったのだが、案の定こいつばかりが喜ぶことになるのがもういい加減・・・飽きた!!!(笑)

この日は昼間WINGと一緒に取材だったので小畑とも久しぶりということでライブにも来てくれたのだが、
この日しか北京にいないという時に限って電話がかかって来る。

a href="https://www.funkyblog.jp/2014/10/post_1012.html">青島コンサートの立役者でもあるLaoLuanは、
まあ今では一番仕事を振ってくれてる人間だし引っ越しやスタジオ作りにお金を借りてたりするし、
いろんな話もあるので今日会っとかねばということで一緒にした。

WINGも小畑と久しぶりということで関係ないけど小畑も・・・(>_<)

ChinaTour2014LaoLuanWing.jpg

というわけで言葉が通じないのでただ美味しいものを食ってるだけの小畑をほっといてビジネスミーティング・・・
・・・って小畑くん、写真ぐらいちゃんと撮ろうよ・・・(涙)

男前のWINGだけが写っておらず、オッサンふたりですんませんという感じである(笑)

WINGはWINGで、「来年こそは世界ツアー廻ろうぜ〜」と決意を新たにするし、
LaoLuanはLaoLuanで「青島のコンサートがむっちゃ評判でFunkyに音楽監督頼みたいという歌手が何人か来てるんだけど・・・』

・・・って無理!!!マグロ漁船だけでいっぱいいっぱいです!!!!

・・・というわけで既にいっぱいいっぱいなのか、
実はこの時にライブハウスにiPadを忘れて来てしまっているのです。

このiPadはひとりドラム等の伴奏を再生させるための大事なもので、
Live Bar X.Y.Z.→Aの常連さんが紹介してくれたiRiffPortという特殊なケーブルで再生させている。

これが古いタイプのiPadにしか対応してなく、
iPadMiniだの新しい小さなコネクターはアダプターをつけて変換しても認識しない。

仕方がないので現地現地で古いiPadの購入手配とデータ復帰、
そして小畑が新たに加わったマグロ漁船の詰めをしながら9本廻る羽目になってしまったのだ・・・

続く


ひとりドラムツアーの軌跡はこちら

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2014年10月 7日

リハーサル大詰め!!

今回のLuanShu青島ソロコンサート
前半は彼が手がけた映画音楽をバンドと管弦楽オーケストラで演奏する。

どんな雰囲気かと言うと、きっと日本だと久石譲さんのコンサートみたいな感じだと思う。

ただ久石譲さんと一番違うところは、
彼がボーカリストでもあるから自分で歌うナンバーがあるというところだ。

そしてもうひとつ違うところは、
彼が他の有名歌手に書いた曲、プロデュースした曲を演奏するに当たって、
その有名歌手本人が参加して自らその歌を歌うというところが大きく違う・・・。

今日のリハーサルではその有名歌手が勢揃いして最後に歌う「礼物(LiWu)」をやってみた。

LuanShuQingDaoStarSingers.JPG

1995年にバイク事故で他界した唐朝のベーシスト「張炬(ZhangJu)」の追悼アルバムのリーディングソングである。

日本だとロック界と歌謡界ははっきりと住み分けが出来てて、
歌謡界のスター達がロック界の追悼アルバムの曲をみんなで歌い分けるみたいなことはなかなかないだろうが、
ここ中国では文化大革命が終わってポップスとロックが一緒に入って来たのでこのような有り様になっているところがワシにとって一番「住み良い」感覚なのだと思う・・・

有名歌手たちが勢揃いしてワシに挨拶したりするが、
まあ彼らのアルバムやライブとかでドラムを叩いてたりするのでそれもしかりだが、
マネージャーなのか誰なのかスタッフに深々と挨拶されても誰なのかがさっぱり思い出せん(笑)

きっと誰かアンダーグラウンドの歌手かバンドのマネージャーとしてワシと面識があるに違いないと思いながら生返事を返す(笑)

有名歌手が勢揃いしてるのでメディアもいっぱい来ている。

とりあえず音楽監督なのでインタビュー・・・
相変わらず外国語でのインタビューって大変やわ(>_<)・・・
(もう慣れたけど)

LuanShuQingDaoFunkyInterview.JPG

音楽監督と言えば昨日逃亡した張張(ZhangZhang)も音楽監督である。

実はBaoHaoを入れる途中でワシが飲み会があったので張張に「後は任せた!!」と逃亡したら、
その後彼ももういっぱいいっぱいだったのだろう、若いエンジニアに「後は任せた!!」と逃亡していた(笑)

事情を聞いて早朝からスタジオに駆けつけたワシは、
朝まで徹夜で頑張って作業をした若きエンジニア共にBaoHaoを完成させてリハスタに向かった。

その張張(ZhangZhang)にもインタビュー!!

LuanShuQIngDaoZhangZhangInterview.JPG

お、偉くなったのうデブ!!(笑)

今回の仕事はお前が一番頑張ったんだからオイシいところは全部お前が持ってゆけばよい!!
ワシは別に25年来の友人を助けるためにここにいるんだからお前はこれをステップにもっと頑張るのぢゃ!!・・・

・・・というわけで今日は有名歌手のコーナーを順番にリハーサルしたのぢゃが、
歌手の意向により構成とかを変えた曲は、
それに連動してオーケストラ譜面が変わるのでもう譜面は赤入れて真っ赤っかである(涙)

明日は最初っから全曲通してみる。

パンフレットの入稿は終わっているのぢゃが、
それによって曲順が変わるかも知れない・・・

まあパンフレットなんかワシにとってはどうでもいい。
明日で曲の構成を全部フィックスして、
8日に青島に移動して9日に青島のオーケストラとガチの勝負!!

10日には泣いても笑っても本番である!!!

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2014年10月 6日

弦楽オーケストラとの戦いが始まる・・・

ある時期、中国ではバンドのアレンジも出来て弦のアレンジも出来るアレンジャーを血眼になって探していた時代がある。

それこそ「金ならいくらでも出す」という有り様だったのだが、
バンドのアレンジが出来る人は弦を書けないし、弦の人はクラシックしか書けないからというのがその理由である。

しかし時代が天才を生み出すというのはこのことで、
弦のアレンジでは北京では大御所では三宝(SanBao)、
若手では張毅(ZhangYi)などが、ワシが一緒に仕事をして「スゲーな〜こいつのアレンジ・・・」と思う作品を数多く残している。

張毅(ZhangYi)を例に取れば、
彼はピアニストで、リハ会場ではよくJazzを弾いていた。

もちろん若い世代である彼はロックの洗礼も受けていて、弦のアレンジの中に「ロック」というエッセンスも入れて来る(驚)・・・

世界各国どんな国でも金を稼げるのは「流行歌」しかない現実の中、
ワシがドラムを叩いた数々の作品の中に、
彼がアレンジした弦の間奏部分は間違いなく中国の歌謡界に新しい「ロック」の息吹を持ち込んでいると確信している。

そんな彼も先日ひょんと連絡が来て
「今日本にいるんだ」
と言うのでアーリー爆風の八王子のライブに誘って飲んだが、聞けば
「もうアメリカに移住するんだ」
ということで日本に立ち寄っていたとのこと・・・

LuanShuの懐刀である彼がアメリカに行ってしまって今回の青島コンサートに参加出来ないがゆえに、ドラマーであるこのワシが今こうして彼の代わりに弦の部分の全てを担当せねばならない・・・(>_<)

改めて彼の作品を聞きながらそれをストリングス譜面に起こしたり、
またそれを同期するために打ち込んでプログラムデータを作ったりするしてるうちに改めて
「こいつホントにスゲーなぁ・・・」
と心底またそう思った・・・

凄い作品を目にすると「何でこんなことが出来るのだろう」と思うのだが、
本当に「コイツこれ作った時は気が狂ってたんじゃないのか・・・」などと思う・・・

もちろんクラシックの英才教育を受けているのだろう、
楽典に乗っ取った緻密なクラシカルな面と共に、
それにぶつけてくる不協和音・・・

いや、クラシックにも不協和音の世界はあるらしく、
それは筋少の仕事の時にエディーこと三柴理から学んだ。

しかし張毅(ZhangYi)のそれはまた種類が違う。

新世代の彼は自分のベイシックであるクラシックと、
好きで弾いているJazzと、
仕事のために取り込んでいる(のかどうかはわからんが)あらゆるロックなり全てのものが融合してその作品となっている。

ファンキー末吉というドラマーが、
Funkドラムから始まりソウルミュージックを経てロックに行き、
Jazzに行ってラテンなどを経てまたメタルをやっている・・・
その感覚と彼ら新世代の音楽家達の感覚が非常に似ているなと思ったりもする・・・

まあドラムに関してはワシはそれが「本職」なので胸張って偉そうに言いたいことはたくさんあるが、
中国があの時代に求めていた「バンドも弦も書けるアレンジャー」という点では、
何の音楽教育も受けたことのないただのドラマーががむしゃらに自分で勉強したから出来ているような今のレベルのものにしては、
「中国」という国はワシに(今回の仕事も含めて)分不相応な大舞台をいつも与えてくれていると感謝している。

そこで日本の音楽界のことを考えてみるに、
「どうしてこの国では張毅(ZhangYi)のような若い才能が育たないのだろう」
と思って仕方がない・・・

日本のような優秀な音楽集団の中で、ワシよりこのテの才能がある人はいっぱいいるはずなのだ・・・

その原因のひとつにはやはり「弦は高い」というのはある!!
中国は日本の4分の1の値段で弦楽オーケストラが雇えるのだ。

誰もそんな高い金を払って冒険したくないから、
相変わらず一握りの「弦の人」にだけしか仕事を発注しないというのはある!!

しかし自分の経験から言わせてもらえば、
ある時期のスタジオミュージシャンの世界・・・
バブルの頃、スタジオミュージシャンがみんなベンツに乗ってスタジオをハシゴしていた時代・・・

ワシもそうだが初めて弦や管を書きましたみたいな若手アレンジャーは、
彼ら一流のスタジオミュージシャンにコテンパンにイジメられた(>_<)・・・

当時はコンピューター譜面なんかないから、
手書きでオーケストラ譜を書いてそれを「写譜屋」という業者に出す。

当時のバブルの時代では「写譜ペン」と呼ばれる譜面を書くペン一本で家を建てたという写譜屋がゴロゴロいた時代である。

手書きから手書きなんだから当然書き間違いがある。

写譜屋がスコア譜(全パートが書かれている何段にもなった譜面)からパート譜
(各パートの人が見る自分だけのパートの譜面)に書き換える時にミスがあるかも知れないし、
当然ながらオーケストラ譜を書いた時点でミスがあったのかも知れないが、
そんなミスをスタジオミュージシャン達は逆手に取ってアレンジャーをイジメたりした。

写譜ミスであろうと書きミスであろうと、
容赦なく明らかに間違いであるその音をわざと弾く・・・

当然ながら音が濁る・・・
アレンジャーがそれに気付かなければ・・・
「お前に耳は節穴か!!!この音が変だとは思わないのか!!」
とボロボロである。

ヒドい時には譜面に間違いがなくてもわざと間違えた音を弾いてアレンジャーを試したりしたという・・・

弦の場合はまだビオラの「ハ音記号」というあまり馴染みのない譜面記号で譜面を書くのがシンドいだけで、まあ管と違って「移調楽器」ではないのでまだよい。

管は例えばトランペットはBb管、つまりピアノの「シb」の音が「ド」だったりして始末に負えない(>_<)

アルトサックスはEb管だし、ホルンはF管だし、
オーケストラ譜の何段もある譜面のうち全部のパートの「キー」が違うのだ(>_<)

とっさに読めるわけないじゃろ!!!(涙)

今はコンピューター譜面ソフトで全部「C」のキーに直して書いて、
それを各管のキーに移調してもらって、
五線の上や下にはみ出たものをオクターブ上下して調整する
(移調楽器の譜面はそのキーの五線譜の中に収まるのがその楽器が鳴り易いと言われているからである)
という作業が出来るが、当時はコンピューター譜面などない時代である。

緊張してガチガチでスタジオに入る・・・
怖いスタジオミュージシャン達が睨んでいる中レコーディングが始まる・・・
緊張して聞きながら音が濁る部分を発見する・・・
ストップをかけて録音を止める・・・
「え?何だよ」と怖い人達が睨む・・・

「すみません、この小節・・・チェックさせて下さい」

プレイバックする・・・
確かに濁っている・・・

さて誰がどの音をどう間違って弾いているのか・・・

それがわからなければそこからが地獄・・・
その怖いスタジオミュージシャン達はワシをあの手この手で吊るし上げて来るのだ・・・

脳にはビルの屋上から飛び降り自殺をしたぐらいの(したことないけど)多量のアドレナリンが分泌される・・・

「誰かが実音でFの音を弾いてますね・・・」
命がけでその音を特定して突きつける・・・

「ビオラの人・・・譜面にシャープが抜けてました・・・その部分F#に直して下さい」

このやり取りで下着はベトベト・・・
ドラムを叩くどわーっと出る汗ではなくじとーっと出る「冷や汗」である。

それを何度もやってレコーディングは終了・・・
まさに寿命を縮める「命がけの戦い」である。

まあ端的に言うと「アレンジャー潰し」やな・・・(笑)

何でこんなことが起こるかと言うと、
弦だ管だという人は昔から音楽教育を受けたエリートばかりだから、
「音楽も知らないような若造がいい気になるんじゃねえ!!」
というプライドが高いのだ。

特に当時のバブルの時代では駆け出しのアレンジャーよりも彼らはもっと稼いでたわけだから「それをイジメても当然」みたいな感覚もあったのだろう。

一面、それはワシを始めいろんなアレンジャー達を鍛えた。
その戦いに勝ち残れない人間はもう二度と弦だの管だのをレコーディング出来ないのだから過酷である。

一面、そのハードルが高過ぎてバンドのアレンジャーがこの世界に飛び込めなかったというのもある。

ワシの場合はラッキーである。

管に関してはTOPSのみんな、例えば寺内に譜面渡して
「これ吹いて〜」と言えば間違えてる部分は勝手に直してくれたし、
まあ「末吉さん、これはないで〜」と突っ返されたこともあるけど(笑)、
「友達関係」という中から楽しく「管のアレンジはどうあるべきか」というのを勉強させて頂いた。

弦に関して言えばワシを育ててくれたのはやはり「中国」である。

私のソロアルバム亜洲鼓魂の「天会への番目の扉」という曲で、
ワシは初めてオーケストラの譜面を書いた。

それは管の時と同様に松原さんという師匠がいて、
ワシの譜面の間違いを直し、一緒に中国まで行って棒を振ってくれてこの作品を作り上げたからこそ今のように他の弦の仕事が自分で出来る礎となった・・・

また、中国人はどこかドライだから、日本人と違ってある種恵まれていたというのもある。

中国の弦の人も日本の人と同じように高いプライドを持っているが、
そのプライドの消化の仕方が日本人とちと違う・・・

日本人のよくわからないドラマーが譜面書いてこれ弾け・・・
みたいな仕事でも、彼らにとっては単なる金をもらえる「仕事」なのである。

国家の一流弦楽団の一員である自分は日本人とは小沢征爾ぐらいしか仕事をしたことはないよ・・・でもそんなものは関係ない!!

彼らにとって大事なものは「時給」!!

つまり何ぴとであろうが能率よく金を稼がせてくれればそれでよい!!
小沢征爾もファンキー末吉も関係ない!!どちらも単なる「雇い主」なのだ(笑)

能率よく早く仕事が終わって、完成レベルもまあまあ高く楽団の知名度にもキズをつけず、
あわよくば喜んでもらって次も仕事をもらえればそれでいい・・・

かく言うワシもここのバンマスには
「またお前の仕事かよ・・・」
と言われるぐらいよく一緒に仕事をした。


さてここまでが前振り(長いなぁ・・・笑)

今回使うオーケストラは青島のオーケストラで仲間内で誰もこれまで一緒に仕事をした人はいない。

心配なのでということで、
いつも仕事をしているその北京のバンマス(トップバイオリンの人)がひとり青島に行って彼らの中に入って演奏することになっている。

指揮者は?・・・ワシはそう聞いたが答えは・・・いない・・・

実は中国では弦のレコーディングにはきっと世界では珍しいであろう特殊な方法が取られていて、これとドンカマさえあれば指揮者など要らないのだ・・・

BaoHao・・・

いわゆるドンカマに合わせて小節番号を録音するトラックのことをこう言う。
(漢字でどう書くかは知らん・・・爆号?・・・)

多くの曲はストリングスは曲の後半から弾き始めたりするので、
その間待ってる小節にはBaoHaoは録音しない。

弾き始める直前に「準備(ZhunBei)!!」と入れて、
そこから小節番号を入れる。

「準備(ZhunBei)!!」、「75」、「76」、「77」・・・

76小節目から弾き始める人はその小節番号を聞いて弾き始めるし、
77小節目から弾き始める人も同様である。

いや〜確かにこれは中国人らしい合理的なシステムだと思うんだけど、
いかんせんライブの時などにクリックのチャンネルからこの声が聞こえると最初は鬱陶しかった(笑)

でも慣れると小節を見失わないから非常に便利・・・

まあ中国の全てのオーケストラはこの方式に慣れてしまっているので、
オーケストラの入ったポップス曲ではこれがなければ一緒に演奏出来ないのだ・・・

「じゃあお前BaoHao録れ!!」
と張張(ZhangZhang)に命じて昨日一緒にスタジオに入った。

LuanShuQIngDaoBaoHao.JPG

別にワシがやってもいいのだが、
速いテンポで100を超える数字を言うには中国語ネイティブじゃないと早口過ぎて舌が回らないのだ(笑)

何と今回はオーケストラ使う曲が20曲近くある(>_<)

それ全部にこの作業をやらねばならんのぢゃが、
譜面のチェックも含めてまず最初に自分のアレンジした曲からやってゆく・・・

いや〜・・・譜面に間違い多いなぁ・・・(涙)

きっと眠たかったんやな(泣)・・・
もう青島にそれを送ってしまっていると言うのに・・・(号泣)
それを自分の譜面に手書きで直しながら作業を進める・・・

当日、初顔合わせの時にそれを口頭で直しながら戦うしかない・・・

そしてある曲のこと・・・
小節番号が絶対の世界になると、この曲のように後にリハーサルでリピートがカットされたりすると地獄である・・・

LuanShuQingDaoLiWuScore.jpg

ちなみに中国人ミュージシャンはリピート記号やダルセーニョなどに弱い。

だいたいがそのままリピートせずに譜面をベタで最初から全部書くのだが、
ワシは知っている・・・譜面が長くなるとその譜面をめくる時に彼らは音符があろうがなかろうがその間堂々と休み、ゆっくりめくり終えた後に何食わぬ顔をして堂々と弾き始めることを・・・

あのバブルの頃、写譜ペン一本で家を建てた人がいるのは頷ける。

彼らは見やすい譜面であると共に、
どこで譜面をめくるのが一番適切かまで考えてページに譜面を収めていたのだ(驚)

リピートやダルセーニョがない譜面は見易いが長くなってしまい、
譜面の枚数が多くなるとめくる時にめくるノイズが出る・・・はこれ日本・・・
中国では・・・演奏者がその部分サボって弾かない(笑)

しかし今度はリピートをつけるとBaoHaoが大変(>_<)

「66」、「67」、「68!!そして61に戻る!!」、「61」、「62」・・・

・・・と実際にカウントしている小節数ではなく、
譜面に書いてある小節番号を録音してやらねばならない・・・

2カッコに飛んで1小節でダルセーニョする時なんかもっと大変である。

「39」、「40!!そして67に飛んで!!」、「67!!すぐ27に戻って!!」
と録音してやらねばならない・・・

ところが一番大変なのはこんな状態でリハーサルでリピートがなくなった場合である。

1カッコを飛ばして2カッコに行く自体は簡単である。
譜面から1カッコの部分をぐしゃぐしゃに塗りつぶしてしまえばよい。

しかしそうなると2カッコ以降の小節番号が元々の表記とずれてしまうので、
それから後の小節番号を全部書き直してやらねばならないのだ・・・(涙)

書き直したぞ!!譜面間違いも直したぞ!!
後は青島で戦いだ!!

まだ見ぬ青島のオーケストラとの戦いは前日の9日!!

間違いは夕べ全部直して、(厳密には今日と明日のリハでも確認して)
それを9日に出会い頭にヤツらに突きつける!!

ちゃんと弾けなかったらお前らの負け!!
音が濁っててそれがこちらの原因だったらワシの負け!!

指揮者がいないのだ。
張毅(ZhangYi)もいないのだ。

ワシがやるしかない!!(キッパリ)

戦いの火ぶたはもう落とされてしまっているのだ!!!
今日は朝から山ほどの譜面を持ってスタジオに行って、
また全ての曲の譜面とBaoHaoをチェックする・・・

勝負は時の運だけど、女神に微笑ませるためには、
人間が出来ることと言ったら「努力」と「準備」しかない!!

それを全部やり切ってから神の審判を仰ごう・・・

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2014年10月 3日

風呂桶

北京の緯度は盛岡と同じくらい・・・
冬は当然ながらマイナス15度を下回る寒さになるが、
その代わり(?)夏は40度を超える暑さとなる(>_<)

春は黄砂が吹き荒れ、一年のうちで「いい季節」というのは秋だけなのだが、
これがまた秋っつうのがあっという間に終わる(>_<)

今回北京に来たのが9月20日、
ちょうどひとりドラムの盛岡からやって来たのであまり違いは感じない・・・

短パンとTシャツで降り立ったのだが、
まあ「過ごし易い」といういい季節である。

院子に着いて生活を始めるに、「暑くも寒くもない」という感じではなく、
どちらかというと「暑かったり寒かったり」で、
それでもマイナス15度の冬や40度の夏とは比べ物にならないほど「過ごし易い」。

ところがリハの前半が一段落する9月末ぐらいになると今度は突然寒くなった(>_<)
雨なんかが降るともう上着なしでは外を歩けないぐらいである・・・

昔の院子からコタツを持って来たので引っ張り出して来た。

Kotatsu2014.JPG

いや、言うは簡単だがこれが大作業である。
何せまだ全ての荷物は段ボールに入ったままなので、
まずそれを収納する棚を準備して、
ひとつずつ開けては中身を取り出して収納しながらコタツ布団と電源ケーブルを探す・・・

ちなみにタタミは昔特注したものをそのまま持って来た。

タタミなんぞ中国では超高級品で、
日本料理屋か、もしくはよっぽど金持ちが日本式の部屋を作ろうという時にしか発注されない・・・

日本のように「京間の一畳」とか決まった単位はなく、寸法を指定して作ってもらう。
昔の院子の寸法で作ってもらったが、まあ新しい院子の部屋でもちゃんと使えている・・・

コタツは上海のKさんの伝手で上海の業者から買って送ってもらった。
いくらだったか忘れたが、まあ日本に比べたら決して安くない・・・

まあ何じゃかんじゃ言ってワシの北京の暮らしぶりなんて結構贅沢なのねぇ・・・
と思いつつ、それならばということでやはり「風呂」がないとということで頑張った!!

中国人はもともと湯船に浸かるという習慣がなく、
シャワー文化なのでこれがなかなか同居する方言(FangYan)や老呉(LaoWu)などに「風呂桶」への執着が理解してもらえない。

「いいじゃん、ちゃんとお湯出るんだからシャワーで・・・」
という感じで
「何でそんなものを苦労して手に入れなければならないのだ」
という感じである(>_<)

まあワシとて方言(FangYan)によく
「金がないんだからそんな贅沢な音響設備よりもまず絶対に必要なものから少しずつ買え」
と口を酸っぱくして言ってるのに、何故こんな「風呂桶」のような無駄なものを買わねばならないのかが理解に苦しむようだ・・・

嫌がる彼らを無理矢理説き伏せて「垃圾天堂(直訳:ゴミ天国)」、
まあワシが「泥棒市場」と呼んでいる中古家具市場に行こうと車に乗り込んだが、
前の村が開発のためお取り潰しになってるんだからそんなところが残っているわけがない。

探しに探して別の泥棒市場を見つけたが、
トイレはたくさん転がっていたが風呂桶なんかはやはり売っていない。

泥棒市場は壊されたマンションとかからドアやら家具やら拾って来て売っているところなのだが、
シャワー文化の中国人に風呂桶なんか売れないし、
それ以前に貧乏人の住むところにはそんなものを置くスペースなどないので拾ってこないのだろう・・・

しゃーないので高級家具売り場にやって来た。
イオンぐらいの敷地にドでかいビルいっぱい家具を売っているところがたくさんあるのだ・・・

そこには風呂桶がいっぱい売られているが、
浴槽からシャワーが生えてたり、
ただの瀬戸物の桶をそうやって高級化して何千元も取っている(>_<)

何千元って・・・日本円で何万円の上の方・・・払えんな!!(キッパリ)

前回買ったヤツが木製の桶で800元(日本円で2万円弱・・・今円安のため)
今回も木製を選んだのだが最安で1300円(2万円越したな)涙・・・

しかし考えてみたら10年前から物価が2倍近く上がってるんやな・・・(驚)

これじゃあ庶民は生きてゆくのも大変やし、
そしたら暴動起こしたり政府に煽られて反日運動で暴れたりもするわなぁ・・・

ちなみにこの木製風呂桶売り場には木製のサウナ室が売られている・・・

「誰がそんな高級品買うんじゃ?・・・」
とは当然の疑問なのだが、実はこれは決して「一部の金持ち」が買うものではない!1

これを理解するには中国のマンションの売り方を知らねばならないのだが、
日本と違って中国のマンションは買う時に「内装」を買い手がやる。

間仕切りやら埋め込み家具やら、当然ながら風呂桶も自分で選んで「設計」するのだ。

想像に難くないが、庶民がやっと「マイホーム(死語)」を手に入れるのだ。
そこにどんな家具を入れますか?どんな風呂桶を入れますか?

どうせそれ込みで銀行にローンを組むのだ。
どうせなら最高級の家具で埋めたいと思うのが人情であろう・・・

これで中国のバブルが成り立ってるんだなぁ・・・としばし感心・・・

そしてやっと我が家に風呂桶が来た!!

NewYuanzBathRoom.JPG

まあタイル張りに木製の風呂桶が浮いていると言えば浮いているが・・・
本当はここにジャグジー付の瀬戸物の・・・

とか思いつつも金がない・・・(>_<)

いいのよ、風呂なんて、入れれば・・・
というわけで初入浴・・・日本人にはやっぱ風呂ですなぁ・・・

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2014年9月29日

求む!!数字譜からMIDIデータに打ち直してくれる人〜

中国には400以上のテレビ局があると言うが、
寧夏電視台は寧夏回族自治区自体が中国の中でも最も小さな省
(と呼ぶとまた文句を言う人がいそうだが)
であるのだからその中に置いては最も小さなテレビ局であることは疑いの余地がない。

そんな小さなテレビ局のロックコンテストの話はとうに流れている。

当たり前だ!!
こんな小さなテレビ局に日本のテレビ局でも払えないような法外なギャラを請求して話がまとまるわけはないのだアホな方言(FangYan)め!!(笑)

まあ実現するかしない話に乗ったところで実現しなければ押さえたスケジュールは全てパー(死語)
まあマグロ漁船がしゅっこうしなかったためスケジュールに大穴が空いてしまった渋谷有希子さんのようになるのがオチなのだが、
かと言ってそういう仕事に一切乗らなければこの国で「仕事」なんかやっていけるわけはない。

ワシはLuanShuの仕事で昨日やっとsourcesの力も借りて管弦楽オーケストラ書き下ろし4曲、新たな譜面起こし4曲、既にある譜面の確認作業7曲とバンド譜面12曲と同期プログラムの打ち込み3曲完了したばかりで少し余裕が出来たので、
老呉(LaoWu)が持って来たこんな仕事にも耳を傾けた。

まあ今では寧夏出身のバンドとしてはアンダーグラウンドではあるが一番売れてるバンドとなった布衣(BuYi)のボーカルである。
寧夏電視台が彼が歌う寧夏の民謡アルバムを作ろうという話には頷ける。

しかし「予算は出るから海外からも著名なプロデューサーを集めて録音してくれ」と言うのはちょっとマユツバっぽい(笑)

まあ彼が知っている海外のプロデューサーはワシぐらいなのだから、
「友達に仕事が入って少々でもお金になれば」という友情からワシに話を振るのはわかる。

しかし「じゃあ日本のプロデューサーにも数曲」と言われると困ってしまう・・・(>_<)

日本にも優秀なプロデューサーは数いるが、
名前を出しただけで中国人が誰しも知ってるプロデューサーなんてこんな仕事なんかやるはずはないのだ・・・

「じゃあ中国人が知ってる日本人の有名プロデューサーって誰?」
と聞いてみる・・・

坂本龍一・・・無理!!(>_<)
久石譲・・・無理!!(>_<)

この辺の大先輩に間違ってもこんな仕事振れるわけないやないかい!!!

他に若いミュージシャンから名前を聞くのは椎名林檎のプロデューサーとか・・・
世代が若いと今度は接点がないから無理!!(>_<)・・・

じゃあというわけで名前が出た同世代のプロデューサーって・・・小室哲哉・・・

いや、連絡先さえ分かれば彼になら面識もあるし言い易いからええよ・・・
でもその前にもうちょっと話をちゃんと決め込もうよ・・・

というわけで取りあえず寧夏電視台が企画を進めるにも、
決定して人に振るにも自分がやるにしても曲を決め込んでおかねばならない。

寧夏という小さな街にも民謡はたくさんあるらしく、
でも当の本人の老呉(LaoWu)は数曲の有名な曲以外知らないと言う・・・

とりあえず楽譜を買って来てめぼしい曲を選んでみる・・・
中でも有名らしいのがこれ・・・

NingXiaMinGeYanLeiHuarBaXinYanLe.jpg

おっ!!やはり数字譜・・・
日本では滅多に見ることがないが、この数字譜というのは慣れれば五線譜よりも断然便利である。

仕組みは簡単!!

「1・2・3・4・5・6・7」はそれぞれ「ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ」に当り、
オクターブ上は数字の上に点、オクターブ下は数字の下に点を打つ。

休符は「0」で、数字の下の下線は音符の旗の数に当たる。
つまり下線が1本だと八分音符で、2本だと16分音符ということである。

簡単なデモと言っても簡単なアレンジをせねばならないので、
私のやり方はまずメロディーをMIDIで打ち込んで、
純粋にメロディーだけを聞いてそれに合うテンポ決めてコード付けをして、
まあ簡単にギターでも弾いて老呉(LaoWu)に聞かせ、
メロディーを覚えさせて歌わせればそれでよい・・・

ところがここ数日で管弦楽オーケストラ書き下ろし4曲、新たな譜面起こし4曲、既にある譜面の確認作業7曲とバンド譜面12曲と同期プログラムの打ち込み3曲やったワシとしては、もう力尽きててそれをやる「ヨイショ」が出ない(>_<)

というわけで、簡単な打ち込みが出来る人でおヒマな方〜この作業8曲ぶんやってもらえませんか〜
ギャラは出ませんが次にお会い出来るチャンスの際には是非ビールでも奢らせて下さい(ペコリ)

8曲ぶんの数字譜は下記にUPしておきます〜
ほんとおヒマな方で物好きな方で結構です〜
出来る方は是非〜

数字譜はこちら

Posted by ファンキー末吉 at:10:19 | 固定リンク

2014年9月23日

10月10日青島に向けて大仕事開始!!

元黒豹のキーボーディスト、後にボーカル、
そして現在では音楽アワードでベストプロデューサーに選ばれたことのあるLuanShuのソロコンサートが出身地の青島で行われる。

ワシのスケジュールが9月20日から本番の10月10日までベタで押さえられてたが、
北京に着いてみたらワシはその音楽監督という立場だった。

もうひとりの音楽監督(デブの)張張がいっぱいいっぱいでやり切れてない譜面書きや、
ストリングスオーケストラのもろもろの処理などをやって昨日からリハーサルが始まった・・・

北京には大きなリハーサルスタジオ・・・
というよりはそれは楽器のリース会社が運営しているスタジオで、
日本で言うとレボとかサンリース(やっけ?)みたいなもん?・・・
それが北京には3つある。

ひとつは一番最初に出来た天音スタジオ、
と言うより「関係(グアンシー:コネの意)の強い北京ではみんなその社長の名前で呼ぶのでここは「白克(BaiKe)のスタジオ」、
そして次にオープンしたのは「宣芸兵(XuanYiBin)」のスタジオ・・・

そしてその後にオープンして現在一番需要が多いと見られる「焼飛(XiaoFei)」のスタジオ・・・
今回のリハーサルはこのスタジオで行われた。

北京市内の南東に位置するのでうちからは40km・・・(>_<)

スタジオに着いたらドラムセットは一応セッティングされているが、
スネアやシンバルがマウントされてない。

「え?自分で持って来んの?聞いてないよ〜・・・」
などと思ったら、おもむろに倉庫に案内される。

「ご自由にお選び下さい」ということらしい・・・

スネア

XiaoFeiSnare.JPG

シンバル

XiaoFeiSymbal.JPG

ついでにシンバルスタンドも何本でもご自由に〜!(◎_◎;)

XiaoFeiSymbalStand.JPG

ついでにドラムセットも気に入らなかったらこの中からどれでもお好きなものを〜!(◎_◎;)

XiaoFeiDrums.JPG

いや、選べんし・・・(笑)

取りあえずセットしてくれているドラムセットでええし〜
というわけで、使い放題のシンバルを並べてみたら今回はこんなセッティング・・・

XiaoFeiDrumSet.JPG

しかし貧乏性と言うか、
中国のドラムセットは何故か口径が小さいタムが用意されるのでいつものように小さいタムを左に寄せてイアンペイスセッティングにしたのだが、
よく考えたらここにはこれほど山ほどドラムセットがあるのだから大きな口径のを注文しとけばそれで足りたような気がする・・・(>_<)

しかし考えてみたら中国の音楽界は進歩した・・・

外国のアーティストが中国でコンサートをやると決まったら、
特にアメリカなんか機材リストに細かいから、
要望に合致する機材なんかありはしない・・・

困った主催者はいつもワシにドラムセットを貸してくれと言ってそのリストを提出してた・・・

今では中国は手に入らないものはない・・・
しかし機材だけは豊富になって人間が育ってないというのがワシのここ最近の印象だったがそれもぼちぼち変わって来ているようだ。

LuanShuのスタジオの助手・・・というより彼の親戚だという話だが、
沈文静という女の子・・・

ShenWenJing.jpg

彼女がやって来てからというもの、中国との仕事が非常にやり易い。

例えば去年のメドレー制作の仕事・・・
この連絡の窓口は全部彼女がやっていたのだが、
日本で言う「ほうれんそう」報告、連絡、相談が全部出来る!(◎_◎;)

デジタル世代なのでメール送ってもほぼリアルタイムに返信が来るし、
音資料のまとめ方、その送り方なども使う方の求めるセンスをちゃんとわかっている。

今回びっくりしたのは、ついたらぽんと渡されたこのセット・・・

LuanShuQingDaoScoreBook.JPG

これは譜面を入れるファイルで、
バラバラの譜面を曲順通りにこれにファイリングすれば、
それをめくるだけでいいでしょみたいなグッズで、
日本では当然ながら各人が必要ならば用意する。

ちなみに左側は今回のコンサートのロゴと名前と日付、
右上には担当楽器、ワシの場合は「音楽監督、ドラマー」と書かれている。

書き込みがあるだろうから筆箱に、
書いては消せるようにボールペンではなくシャーペン、
そして消しゴム、そしてシャーペンの芯までちゃんとある!(◎_◎;)

至れり尽くせりなのであるが、
ケータリングのこの膨大な食物は結局ワシの胃袋に全部収まるので困ったものであるが・・・(笑)

XiaoFeiFood.JPG

かくしてリハーサルが始まった・・・

初日は各曲の構成とアレンジをチェック!!
今日の二日目にはこれにもう一人のドラマーが入り、
ワシのための中国大太鼓とロートタムがマウントされ、
コーラス隊が入り、最終形ではこれにストリングスオーケストラと管楽器も入る!(◎_◎;)

更にはそのオーケストラ譜面に間違いがないか全てチェックして、
あと弦が1曲と管を1曲新しくアレンジせぇと・・・

親友の晴れ舞台のためぢゃ、やりましょう!!!

Posted by ファンキー末吉 at:10:47 | 固定リンク

2014年9月20日

音楽総監督?!!!(◎_◎;)

忙しい時は明日のことだけしか考えられない。

それでも「今の目前のこと」だけではなく「明日」なんかを気にしているなんざやっぱファンキー末吉は違うなぁ・・・

などと悦に入っている場合ではない!!

元々は元黒豹のキーボード、ボーカルのLuanShuがソロコンサートを開くというところから話は始まっている。

青島出身の彼は、故郷に錦を飾るべく青島のでっかい劇場を借り切って、
過去に作品を提供した歌手たちと共にでっかいコンサートを開くことになっている。

名付けて「LuanShu作品音楽会」!!

というわけでワシのスケジュールを9月20日から10月10日までベタ押さえにしていたLuanShu、
最近はスタッフ一同WeChatというLINEみたいなソフトで打ち合わせをするのだが、
ここだけの話、毎日数限りなくアラームは鳴るし、
ポスターデザインの打ち合わせなどワシは関係ないのでずーっとスルーしてた。

そう言えば数日前「@Funky」というスコメントでワシに対するメッセージがあったが、
「オープニング曲なのですが・・・」
と言って音楽ファイルが送られて来た。

同じく@に張張(ZhangZhang)の名前もあったので、
「ねぇ、これってどういうこと?俺がアレンジすんの?」
と張張に聞いたところ、
「うーん・・・ファンキーさんはいいです。僕がやりますのでとりあえず北京にいらした時に・・・」
との返事・・・

そもそも北京の若い衆の中で、
この張張と韓陽というベーシストだけは特別だとワシは思っている。

「弟子」というのは基本的に持ってないが、
中国でそれに相当するのはドラマーではないがやはりこのふたりであろう・・・

なにせある日ワシがべろんべろんに酔っ払って、
吐くに吐けない、潰れるに潰れられない状況に陥った時、
まあワシはそういう時にはとりあえずウンコをするのでトイレに立った。

もう千鳥足というよりべろんべろんである。
そのままトイレに行ってウンコをするのだが、
ご存知の通り中国のレストランはウンコの個室にドアがついてなかったりする・・・

しかもだいたいにして和式、悪ければ床に穴があいているだけのトイレである。

ワシの中では「酔っ払ったしクソして帰るか!!」
ぐらいだったのだが、彼ら二人にとっては
「ファンキーさん大丈夫かなぁ・・・」
と大心配・・・

とどのつまりには二人ともワシがウンコしているドアのない個室に来た。

「ファンキーさん・・・大丈夫ですか?・・・」

ドアがないのだから防ぎようもない(>_<)
あまりにもバツが悪いので酔い潰れた振りをしてたら、
二人で相談してワシのケツを拭いて担いで家まで連れて帰ってくれた・・・

ワシなんかバツが悪いのでずーっと酔い潰れた振りである(涙)

まあ文字通りワシの「ケツを拭いてくれる」頼もしい若い衆である。
「じゃあ北京に行くぐらいにまたゆっくり考えればいいね」
とばかりそれらのスレッドを一切無視して北京に着いてから考えることにした。

ところが一昨日、張張から
「ファンキーさん、もう忙しくってやってられません!!
せめてこのストリングスの譜面、ファンキーさんがやってくれませんか」
と泣きが入る。

見ればゲスト歌手が歌う有名曲、
コンサートでは生のストリングスが入ると言うので、
その作品を聞いてストリングスパートを譜面にして弦楽団が演奏出来るようにしてくれと言うのだ。

これって実は大変な作業・・・

日本でもそうだが、その辺のアレンジャーでは弦楽器の知識がないので、
いざそれを譜面にしろと言ってもシンセじゃないのでなかなか難しい・・・

ワシはふとファンキー村の仮谷くんのことを思い出して、
「この音源からViolin1、Violin2、Viola、Celloのパート譜を書いて欲しい」
と発注。

ちなみに弦楽器の習慣でViolaのパートは「ハ音記号」という通常ワシらが見たこともないような調号を使ったりするのでやっかいである。

弦のアレンジをやったこともない人には結構負担な作業なので、
「まあこれでスキルがちょっとでも上がれば」
ということでギャラと共に一応締め切りも伝えてみると、
「今日は別の仕込みがあります」
と断られてしまった(>_<)

まあ仮谷家忙しいのはファンキー村にとってもよいことなので別の人間を探す・・・

ストリングス・・・ストリングス・・・
おうっ!!そう言えばやっちんとこの事務所所属のストリングスチーム「sources」はその本職ではないか!!

ということでリーダーの綾太郎くんに発注!!
「喜んで」というわけでこんな頼もしい人間はいない!!

一段落して張張からのメッセージを整理する。

「9月20日に北京に着いたら僕が迎えに行きます!!
そのままスタジオに入って仕事をしましょう」

あまりよくわからない・・・
いちキーボード奏者といちドラマーと、
雁首付き合わせて何をやると言うのだ?・・・

成田空港で時間があったのでWeChatのログを遡って覗いてみる・・・

そこで発見したこのポスターの原稿!!!!!(◎_◎;)

LuanShuQingDaoConcertPoster.JPG

上段そうそうたるゲスト歌手の下にバンドメンバーの紹介・・・

え?ワシの名前が一番上?・・・肩書きは「音楽総監」?!!!
つまり「音楽総監督」?!!!(◎_◎;)

アカンやろ・・・そんな大仰な肩書き・・・一生懸命仕事せないかんやん・・・(涙)

よく見るとその下にも張張が音楽総監督として名前を並べとる・・・
こいつ・・・またワシの尻を拭くがごとく今まで全ての仕事を全部ワシの代わりにやってくれたんやな・・・(感涙)

というわけで北京空港に着いたら痩せこけた(ウソ)張張が文字通り「待ち構えて」いた。
ワシを車に乗せてそのままスタジオに運ぶ。

まずは仕事の整理・・・
明後日のリハまでにまだ書き終わってない譜面をどちらが担当するか振り分ける。

細かい振り分けをしてて発覚したのだが、
コンサートで生のストリングスオーケストラ使うって絶対1曲だけのわけない!!
と思ったら出るわ出るわストリングスの入る曲・・・

譜面がなかったのはsourcesに発注した曲だけだったのぢゃが、
他の曲はレコーディング譜面があると言うが、
現場で変更があったり間違いがあったり、
それを全部聞いてチェックせねばならんと・・・・

デブと顔を見合わせる・・・

泣きそうな張張の顔を見てるとつい、
「わかったよ、ストリングス関係は全部ワシがやる!!」
と宣言してしまった・・・

まあ今まで文字通りケツ拭いてくれてたんだから今度はワシがお前のケツ拭いてやろう・・・

・・・と言いながら実はこれもこっそりsourcesに発注したのよ〜(笑)
ワシらがやるより、弦のことは弦の専門家に頼んだ方が早いし確実でしょ〜

というわけで綾太郎くん!!ワシらのケツを拭いてくれ〜
Facebookメッセージ送ったから見といてね〜

イケメンに〜
ケツを拭かせる〜
デブとワシ〜

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2014年9月17日

渋谷有希子を救え!!

さてと、前回こんな仕事が来たので渋谷有希子さんをブッキングしたのだが、
ここが中国This is Chinaで、このマグロ漁船は結局出港しなかった(>_<)

つまり「ドタキャン」である。

中国ではよくこんなことがあるのでワシは大きな仕事は必ず「前金」をもらってやっている。
中国に「前金制」を導入するのは大変だったのよ〜

まあワシの記憶ではワシが最初にこのシステムを中国の音楽界に持ち込んだ。

全てが朋友朋友(ポンヨウポンヨウ)の「関係(グアンシー:コネの意)」の上に出来上がっているこの国に
「仕事するなら半金は前金でくれよね」
などと言うと
「お前は友達ではないのか!!」
と激怒されて全ての仕事を失ってしまう羽目になりかねない。

「すみませんねぇ・・・私は外国人なんで外国のシステムでひとつよろしくお願いしますよ〜」
ということで長い時間かけてやっとこのシステムを定着させた。

もちろん日本はこんなシステムではないのでウソではあるが立派に方便!!

今回は初めて仕事をする相手なのでアシスタントのFangYanにキツく「前金を必ず取れ」と命じていた。
まあ向こうも「払います」と言うので話は進んでいたのだが、
ワシがちょうど年末の大橋セッションのお断りを入れようかなと思ってた矢先、
「やっぱりあの話はなかったことに」という連絡が来た。

まあワシはいい。日本よりもむしろ北京でぼーっとしてた方が仕事があるのだ。
問題はこのために全ての仕事をキャンセルした渋谷有希子さん、
これではあまりに可哀想ではないか・・・

というわけでとりあえず大高清美さんとのトリオをブッキング!!

2014/11/05
美女と野獣トリオin北京
2014/11/06
美女と野獣トリオin寧夏回族自治区大武口
2014/11/07
美女と野獣トリオin寧夏回族自治区銀川
2014/11/08
美女と野獣トリオin寧夏回族自治区銀川

それだけで帰らせるのも可哀想だろうということで老呉(LaoWu)に相談・・・

布衣も最近は有名になってるので、
「何本ぐらい組む?1ヶ月ぐらい廻るか?」
と頼もしい(笑)

ところが今度は大高さんから
「そんなに長く中国に居られません〜」
と泣きが入ったので、じゃあということで張張をブッキング・・・

彼も最近売れっ子になって忙しいだろうということで結局このぐらいだろうというスケジュールが送られて来た。

11.9上海育音堂
11.10常州迷宫Livehouse
11.11苏州WaveLivehouse
11.12杭州酒球会
11.13宁波城门口

おうっ!!前回ひとりドラムで行った土地が含まれておる・・・
この前対バンした日本人バンドの方々は対バン出来るのかのう・・・

今回はワシ主催じゃないので老呉(LaoWu)につなぐので対バン希望の方はご連絡下さい〜

それにしてもノービザ15日間目一杯の滞在で帰ってゆく渋谷有希子さん、
この9本だけでも穴埋めとまではいかんな・・・

どなたか日本に帰った後も何かブッキングしてあげて〜連絡先はこちら(HPより)

Posted by ファンキー末吉 at:18:24 | 固定リンク

2014年8月 1日

渋谷有希子さんこんな仕事やる?・・・

こんなこと直接メールで書けばすむことなのだが、
あまりにも「中国的」というか、
あまりにも中国の音楽界の「今」を表してる内容なので公開でお伺いしたいと思います。

このブログはいろんなミュージシャンも見てますが、
もしあなただったらこんな仕事受けますか?・・・


まず状況を説明しとかねばならないのが、
今中国はオーディション番組花盛りです。

まあこれは私が関わっただけでも2006年5月13日のブログ・・・
まあでもこの頃はもうオーディション番組ブームとしては下火なのである。

しかし2006年9月21日のブログによるとそれでもこの娘はそれに出て大スターとなっている・・・

この「下火になっても絶大な影響力」というのが中国の恐ろしいところで、
次に一大ブームになるのがインターネット番組によるオーディション・・・

2013年4月18日のブログによると、
この頃には全てのミュージシャンがこの仕事に駆り出されて仕事が回っていかず、
2013年6月21日のブログによると、
この頃には回って行かない仕事が海を越えて日本のミュージシャンのところに回って来ている。

ワシぐらい経験値が高い人間がこのように3日間徹夜してやっとひとつの仕事が終わるという状況を、
北京のミュージシャンはみんながみんな毎日それをやっているというのがこの頃の現状だった。

ところがこの頃からちょっと流れが変わって来る。
オーディション番組にプロの歌手が出演し始めたのだ(驚)・・・

そりゃそうだ、何億人が見るこのテの番組に出演して、
勝ち残ってゆく限りそれはその歌手のプロモーションとしては絶大な「価値」が出て来る。

ワシの知り合いの歌手もこれに出演して歌手としてまたランクを上げたし、
「バンドをやろうぜ!!」と誘われるその誘いは大概は、
「バンド組んでこのオーディションに出ようぜ」という誘いで全部断っている(笑)

そりゃそうだ、勝ち残ってゆく限り延々スケジュールを押さえられ続けるようなそんな生活が外国で住んでいるミュージシャンに出来るわけがない!!

しかしそれが「仕事」になったらどうだろう・・・


さてここまでが前振りだったが、ここからが本題。

中国では既に有名な歌手であるTさん(ちなみにワシは顔見知りではない)、
既に有名な歌手でもこのオーディション番組には絶大なプロモーション効果があるし、
テレビ局としても有名歌手が出演してくれたら宣伝効果になるということで、
じゃあということでこの番組に出ることにした。

今やプロモーションが必要ない超トップの歌手以外にとってはそれほどこの番組のプロモーション効果はでかいのだ。

じゃあプロモーションと言う限りにはランクの高い見せ方をせねばならない、
というわけでまず白羽の矢が立ったのがワシ・・・

まあ毎週参加曲を視聴者がびっくりするようなランクの高いアレンジをして、
他の歌手のバンドでは無理なようなランクの高い演奏で・・・
というので目を付けられていたのだろうが、
そこで「じゃあベーシストも日本から呼ぼう」ということになった。

そこで前回大高清美さんと共に中国にやって来た渋谷有希子さん、
あなたに白羽の矢が当たったのです!!

まあこの裏側にはうちのアホなアシスタント方言(FangYan)があなたのセクシーなプレイに悩殺されて、
先方にグイグイとあなたをプロモーションしたのではとワシは思っているが、
兎にも角にも先方はではこの人でと決まったようである。

そこで夕べの夜中、仕事の詳細が送られて来た。

これが笑ってしまうほど中国的で・・・と言っても「悪い意味」ではない、
日本人ミュージシャンにしては喉から手が出るほどオイシイ仕事でもある。

方言(FangYan)はワシにこうメールを書いて来た。


「この仕事にはいい面と悪い面があります。
まずいい面から説明しましょう。・・・」

と来た(笑)・・・いつものヤツの話の持って行き方である。

「この歌手の会社はあなた方にちゃんとしたギャランティーを出します。
私が交渉した高額なギャランティーを先方は呑みました。
要求した渡航費、滞在費も全部先方が出します。
おまけに日本式のギャランティーの支払いである、
リハーサルは本番の半額というのも呑みました」

ちなみに中国の一本のバックバンドの仕事は日本のギャラより高い。
でもリハーサルのことが考慮されてないのでリハが長いとやっぱり割に合わなかったりする。

最近の不景気な日本で一本のバックバンドのギャラはいくらが大体想像はつくが、
この本番のギャラは実はその相場よりも高い・・・
・・・ということは、この「リハは本番の半額」で仕事が決まったということは、
日本の仕事に換算してもトップクラスの「お仕事」ということになる。

「オーディション番組は全部勝ち抜くと13週、
毎週本番があり、そのために4日リハーサルをします」

ということは全部勝ち抜けばゆうに日本円で何百万円持って帰れる仕事となる(驚)


ところがここからが「悪い面」である。

「まず仕事始めは11月10日以降、
ここで大切なのは、それがまだ決定ではないこと」

つまりスケジュールを押さえていても開始が遅れることもあり得るということだ。
開始が遅れれば13週の最後も遅れるから押さえるべきスケジュールはもっと多くしとかねばならない。

「そしてこの仕事の期間は最大で13週、
その間基本的に別の仕事をしてはいけません。
する場合はこの仕事を絶対的に優先せねばなりません」

まあ高いギャラをくれるわけだから優先はするよ・・・
ワシのほとんどの仕事はレコーディングだからこれは大丈夫じゃろう・・・

「そしてこれが問題なのですが、仕事のタームが確定しません。
13週のスケジュールをベタ押さえさせて頂きますが、
このオーディションの途中でこの歌手が負けてしまった場合、
仕事はその瞬間に打ち切りとなります。
確率は低いですが、もし初戦敗退したらそれで終わり、
事務所もこのために押さえたスケジュールを賠償したりはしません」

つまりこうだ、
渋谷有希子さん、あなたは13週のスケジュールをこの仕事のために押さえ、
日本の仕事の全てを捨てて北京に来て、
うまく行けば何百万持って帰れる、
もし初戦敗退したら1週間分のギャラだけ持って帰って何も仕事のない日本に帰る(笑)

まあワシはいいのよ、北京にいれば何ぼでも仕事はあるから、
よかったら13週ずーっと北京で遊んでてもらってもいいぞ(笑)

さあ渋谷有希子さん、この「遠洋漁業のマグロ漁船」のような仕事やるか?!!

大漁になれば何百万!!
海がシケればボーズで帰る!!

どうですか?みなさんだったらやりますか?・・・ちなみにワシはやります!!(キッパリ)

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2014年7月14日

55歳の誕生日

この年になって誕生日を祝おうとかそんな気持ちは別にない・・・

もともとが「記念日」とかが苦手なのだ。
自分の誕生日も忘れて何事もなく過ぎてゆくこともよくあった。

今年は7月13日が日曜日ということもあって、
52歳の時にやったように北京でマラソンライブなどでもやって、
次の日に日本に帰って55本連続ライブツアーでもやろうと思ってたのだが、
月末には寧夏回族自治区だの青海省西寧だの布衣のツアーや、
ひとりドラムで湖北省のむっちゃ田舎に呼ばれたりもしてるので連続は無理だろうということで連続ライブはやめた。

新しいファンキースタジオの工事もあるし、
まあ工事や引っ越しの片付けなどしながら夜はいつものように飲めばいい・・・
ぐらいに思っていたら、11日のライブの打ち上げの時に、
「えー!!ファンキーさん誕生日なの?じゃあ何かパーティーでもしないと!!」
ということになった。

布衣のスタッフから電話があって、
「19時半から两个好朋友を押さえたからね」
と言うので、
「こりゃ楽器持ち来んでセッションでもするのかな」
と思ったら単なる飲み会だった(笑)

このライブハウスのオーナーも元々はワシらの院子出身なので、
「ファンキーさんの誕生日なら自由に使って〜」
ということなのだろう。

山ほどのビールを冷やして、串焼きを焼きながら、
別に何をするわけでもなくだらだらと飲む・・・
それだけである。

ほんとにささやかなもんである。

同じ誕生日である元黒豹のボーカル秦勇(QingYong)も誘ったが、
あいにく最近売れっ子になって北京にいないとか・・・

ワシは別に彼のように有名人なわけではないのだけど、
周りの人は同じように見るのか、
「ファンキーさんの誕生パーティーにしてはささやかですねえ」
と言う人もいるにはいた。

「ファンキーさんの誕生日だったらきっと何百人も集まっているのだろう」
とでも思ってる人も多い・・・。

「ファンキーさんのお友達は何人来ますか?」
と聞かれたが、別にこの辺の若い衆数人しか呼ばなかった。

ちゃんと告知廻してパーティーなんか開いたりしたら、
それこそワシがドラムを叩いた蒼々たる大歌手達がみんな花束など送りつけて来て大変なことになるだろう・・・

まあ突然だったし呼ばなかったのよ〜

でもそれがよかった。
若い衆は有名人など来ない方が気が楽だし、
気心が知れた連中だけでダラダラ飲むだけの誕生日もなかなか素敵だったぞよ。

実は数日前にこんな話を聞いたのだ。

この日はもう既に大仕事を終えて寧夏に帰った老呉(LaoWu)と、
キーボードの張張(ZhangZhang)、ベースの韓陽(HanYang)、ギターのBeiBei
「ファンキーがもう年老いてドラム叩けなくなったら俺たちみんなで養ってゆくんだからな、わかったな」
という話・・・

老呉(LaoWu)は確かにもう一緒に暮らして長いし家族のようなもんだし、
デビューアルバムもワシがプロデュースしたし、
布衣に2曲書いた曲は今でも彼らの代表曲になっている。

張張(ZahngZhang)も二十歳ぐらいの頃酒場で弾いてたのをワシが見初めて今では売れっ子ミュージシャンになっているし、
韓陽(HanYang)も最初にやったスタジオ仕事はワシの仕事だったし、
ドラマーには弟子はいないが彼ら二人が本当にワシの弟子のようなもんである。

BeiBeiはもうしょーがない。
何度も何度も「助けてくれ」と言っては今でもワシの力を借り続けている。

しかしそれにしても「みんなでファンキーの老後を養おう」という発想はいかなるもんか・・・

ちょうどパーティーには日本人エンジニアのKeizoとその妻Narumiちゃんが来てたので、
「これこそ中国人らしい発想だよねぇ・・・」
と話をしていた。

時代が変わって、
ロックが一番熱かったあの北京はもうない。
一緒に夢を語った若者はみんな成功してここにはいない。

25年もここにいれば周りにいる人間も変わって来るけれども、
ひとつだけ変わらないのはこの中国人のメンタリティー・・・

これがあるから「ああやっぱ北京はいいなぁ・・・」といつも思う。

「地縁と血縁と金しか信じない」と言われている中国人だが、
特に北京の人間は「友達のためには人をも殺す」と言われている。

敵に回したらこんなやっかいな人達はいないが、
こうしてど真ん中に飛び込んだらこんないいヤツらはいない。

「ファンキーさんの日本の周りだってきっとそうですって」
とKeizoは言う。
「そうそう、ただそれを日本人は中国人と違って口に出さないのよね」
とNarumiちゃん。

まあでもこうして口に出してくれる方が嬉しいよねぇ・・・
ただその方法論がちょっと笑えるだけで(笑)

老呉(LaoWu)の話ではその時みんな一斉に
「そうだそうだ!!そうしよう!!そうするべきだ!!」
と即答してたのに対して、いつものようにBeiBeiだけが反応が鈍かったというので、
さっそく酒の肴にヤツをイジメてみる。

「おい!!お前だけワシを養うのがイヤらしいなっ!!!」
「な、な、何言ってんですかファンキーさん・・・養うに決まってるじゃないですか・・・」

大笑いでみんなが話に首を突っ込む。
「何言ってんですか、僕だって養いますよ!!」

まあ酒の肴である。
ワシだとて本当にヤツらがワシの老後を養ってるだろうなんてことはないと思う。

しかし・・・それが起こり得るのがこの国だからこの国は素敵なのだ・・・

現に(この日は呼んでないが)こうして院子が引っ越しで金が要ると聞いたら、
メール一本でワシが中国にいなくたって100万近い金をぽんと貸してくれる仲間がいる。

そんな仲間だって出会った頃は今の彼らよりももっとペーペーだったのだ。

こんな若い衆に囲まれて、何の発展的な話もせず、
ただひたすらダラダラと飲む誕生日・・・

これはこれでとっても素敵な誕生日だったぞ!!
ありがとうな、みんな。

55birthday.JPG

頑張って大きくなれよ!!

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2014年7月13日

布衣@保利剧场

このライブはネットで生中継され、こちらでアーカイブも見れるようなので、
おヒマな方はそれを見ながら(聞きながら)ででも読んで頂きたい。

布衣はそもそもがこんな大きな会場でやるようなバンドではない。

ライブ盤にもなったレコ発ライブには数百人集まって、
「俺たちのどこにこんだけファンがいたんだ?」
と本人達がびっくりしてたぐらいだ(笑)

まあその後動員数は伸びてゆき、
今ではバーなどでやるとコンスタントに100人以上は確実に集まると言うが、
この保利剧场というところは座席数1500・・・

アカンやろ・・・ケタが違い過ぎや・・・(笑)

しかも入場料VIP席が800元(約1万2千円)言うたら高過ぎやろ!!
それまで50元でライブやってたバンドが・・・(笑)

どうしてこんな場違いなブッキングになったかと言うと、
この会場では毎年アンダーグラウンド(とは限らないが)ロックバンドのアンプラグドコンサートを何日間かに渡って催しており、
その主催者と一緒にこのイベントをやっているのがLaoLuanという私に一番仕事を振ってくれてる人間。
(20数年来の付き合いで、ワシの院子の引っ越しのため100万円近い金をぽんと貸してくれる人でもある)

今年は5日間連続で開催ということでいろんなバンドをブッキングしてたのだが、
ちょうど一日埋まらない日があって、それじゃぁということで布衣がブッキングされたということらしい・・・

まあなれそめはどうあれ、こんな大きなチャンスを得たわけだ。
頑張るしかあるまいということで何となく(笑)ワシもブッキングされていた。

そしていざ北京に来てみたらドラマーは3人いる(笑)

ひとりは現在の布衣のドラマーである方方(ファンファン)、
そしてデビューアルバムの頃のドラマーである武鋭(ウールイ)、
そして何故かワシ・・・(笑)

まあ武鋭(ウールイ)はワシが書いた彼らの大ヒット曲「我爱你亲爱的姑娘」を歌っている本人だし、
コーラスも出来るしなかなか役に立つ。

でもワシ・・・何すんの?・・・

というわけで、ワシがこの国に初めて持ち込んだロートタムを探し出して来て、
ついでに「中国大鼓も用意してくれ!!」と言って用意させた中国の大太鼓!!

ちなみに日本の大太鼓はレナード衛藤という太鼓奏者とセッションした時、
酔っ払って「ちょっと叩かせてよ」と言ったら、
「末吉さん、酔っ払って叩いたって鳴ってくれないよ。なにせ俺たちよりも長く生きてる木で出来てるんだからね」
と笑ってたしなめられた。

ひとりの太鼓奏者が一生かけて鳴らしこんで、
その代で無理なら次の代の太鼓奏者がまた一生かけて鳴らして初めて、
何百年も生きたその木がその太鼓奏者に反応して鳴ってくれる・・・

・・・と説明されたようにとても神聖なものであるのに対し、
中国の大太鼓はその辺のスタジオの倉庫に埃まみれでほっぽり出されている・・・。

こいつは別に酔っ払って叩いてもちゃんと鳴るのよ〜(笑)

というわけでこのセッティング!!

BuYiBaoLiSeting.JPG

おうっ・・・我ながら惚れ惚れするのう・・・

布衣の曲は民族的な曲が多く、それは中国大鼓を叩かせて頂き、
現代的な曲はロートタムを叩かせて頂くことにした。

そして特筆すべきは3人のドラマーだけではなく、
もともとはバンドに中国琴の奏者がいたのでそれは外せないとして、
同じく中国民族楽器の笛奏者!!

許魏のコンサートツアーの時に一緒だったのだが、
これがまた美人でワシだけでなくみんな結構メロメロだったぞ(笑)

今回はLaoLuanが
「あれから音沙汰なかったから久しぶりにブッキングしたんだ」
と言ってたが、ワシは覚えているぞ!!

ツアーの最終日近くに現場に男を連れて来たのぢゃ。
いや、男と言ってもマネージャーだと紹介してたのぢゃが、
何となくワシら・・・面白くなかったな・・・(笑)

そんなこんなで音沙汰なくなったのかどうかは定かではないが、
いや〜あれから10年かぁ・・・
久しぶりに会ったがついつい見とれてしまうなぁ・・・

というわけでベースの林娜と共に美女3人組!!

BuYiBaoLiMeiNv.JPG

残念ながらステージのワシの一番遠い方・・・(涙)

というわけで運命のライブが始まる。
今回ワシに代わって全てのアレンジや仕切りをやってたのはギタリストの苗佳(MiaoJia)。

彼は爽子のバンドでもバンマスをしていたが、
いや〜今回の頑張りは褒めてやりたいぐらいぢゃった。

それに比べてボーカルの老呉(LaoWu)はのんびりしていた。

数年前、何かのライブの時に彼が緊張していたのでこんなアドバイスをしたことがある。

何をいっちょ前に緊張してやがる。ワシがムカデの話をしてやろう。
ある日なぁ、蟻がムカデを見てこう言ったんだ。
「ムカデさん、あなたは凄いですねぇ。
そんなにたくさんの足を全部コントロールしてそんなに上手く歩いてらっしゃる。
私にはとてもマネ出来ません。凄いですよ!!」
それを聞いて、「そうなのか」と思った途端、ムカデは足がもつれて歩けなくなったんだとよ。
お前は所詮はまだまだ虫けらだよ。考えてどうする?!!歌えなくなるだけじゃないか。
今日まで客もいないライブハウスで歌って来て、
今日たまたま客がたくさんいる会場で歌う。
そしてまた明日から客がいようがいまいが歌ってゆく。
それだけだよ。

ワシが見る限りヤツはあれから「緊張する」ということをしたことがない。

客がいようがいまいが、どんな大事な場面でもどうでもいい場面でも、
ただいつもと同じように自分が歌える歌だけを歌って来た。

そして今日も歌う・・・それだけのことなのである。

結果・・・布衣のコンサートは大成功に終わった。
客の入りもまあ満杯とはいかないが3日間の中では一番多かったと言う。

何よりも関係者が大喜びで拍手喝采を送っていたと言う。

チャンスはどんな人間にも平等にある。
チャンスがないと思ってる人間にも実は平等にある。

チャンスがない人間ほど「自分はチャンスがないから浮かばれない」と思っているが、
そんなヤツほど実はそのチャンスをモノに出来ていなかったりする。

毎日毎日同じように歌ってて、その上にチャンスが来て、
そしていつの間にかそのステージが上がってゆく。

そういうのこそが「実力」というのではないか・・・

老呉(LaoWu)よ、布衣はこのチャンスを見事にモノにし、
そのステージがいちランク上がった。

このまま何も考えずに歌い続けたら、
いつの間にやら最高のステージまで上がれるかも知れんぞ。

月末の寧夏と青海もよろしくな!!

BuYiBaoLi.jpg

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2014年7月 9日

新しいファンキースタジオ北京の仲間たち

11日は布衣の大きなコンサートがあり、
毎日夜の11時過ぎまでリハーサルをしている。

それから片付けたりしてメシ食ったりして、
遠路はるばる帰って来て寝るのは夜中の1時や2時である。

朝早くからスタジオの工事が始まるのでドッタンバッタンギーギーはまあ許そう、
しかしこのバカ鶏が夜中じゅうコケコッコーと泣いているのには腹が立つ!!

こらバカ鶏!!お前は夜中も朝もわからんのか!!

そもそもどうしてうちの院子(ユエンズ)に鶏がいる?
食うのか?食うためなのだな・・・

と思いきや、老呉(LaoWu)に聞いてみたら、
前の院子(ユエンズ)が取り壊されるとなって、
この犬を飼ってた人と鶏を飼ってた人と、
どちらもがそれぞれを置いて行こうとしてたので、
まあ犬の方は生まれたばかりの子犬が2匹もいるし、
鶏の方は「要らないんだったら殺して食うか」という話になってたのでもらって来たらしい・・・

食わんのか・・・(落胆)

まぁしゃーないな・・・犬と共に可愛がってやるか・・・
但し、明日夜中にコケコッコーと鳴きやがったら絞め殺す!!

NewFunkyStudioDogAndChicken.JPG

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2014年7月 8日

院子(ユエンズ)の大引っ越し

「先に豊かになれる者から豊かになれ」
とは改革開放を推し進めた鄧小平が言った言葉である。

おかげでこの国は「社会主義市場経済」などという、
社会主義なのか資本主義なのかようわからん国になってしまっている・・・

まあ経済は資本主義なんだから「金」こそが全てである。

人民は我先に豊かになろうとして、
国は貧民街などをどんどん取り壊して土地を開発してゆく。

煽りを食うのはいつの世も貧乏人ばかりで、
ワシが貧乏なロッカー達と暮らしていた貧民街にももう取り壊しの波がやって来た。

貧民街の外れにあったワシらの院子(中国式家屋)は真っ先に取り壊しの波に呑まれ、
天然記念物のトキが住むところを追われてどんどん世界の外れに追いやられるように、
ただでさえ辺鄙なところに住んでいたワシらは更に辺鄙なところに追いやられてゆく・・・

昨日北京に着いて直接リハーサルスタジオに向かったので、
酔い潰れて連れて来られたここがどこなのかよくわからない。

二日酔いで目覚めてMAPを開いてみる・・・

NewFunkyStudioMap.jpg

なんじゃ〜ここは〜!!!
空港よりもまだ外側、北京と言うよりは順義ではないか!!!

ちなみに赤いピンが昔の院子。
ここでも相当辺鄙なところだと言われたのに・・・

まぁしゃーないわなぁ・・・
貧乏人が昔のようにスタジオ付の家に住もうなどと思ったらもうここまで来るしかない・・・

前の院子では、取り壊しが必ず来るとわかってたので、
録音設備には金をかけたが部屋そのものには金を一切かけなかったが、
今回はエンジニアの方言(FangYan)がこだわりにこだわって、
専門の設計士に発注してちゃんとしたスタジオを作っているようだ。

NewFunkyStudioZumen.jpg

ワシは唯一クーラーがあるということから、
右側下の将来方言(FangYan)の部屋になるところで寝ていたのだが、
朝からギーギーガタガタうるさいと思ったら何人もの職人さんが工事をしていた。

見るにちゃんとした吸音材を入れて本格的なスタジオ作りのようである・・・(驚)

NewFunkyStudioGongren.JPG

この部屋は右側上の部屋で、ギターや歌などを録るブースとなる。
ドラムは右から2番目の部屋で録ることとなるが、
その左がコンソールルームで、一番左がワシの部屋になるらしい。

専用のトイレ兼バスルームがついているが、
別に要らんのよね〜そんなに風呂入らんし・・・(笑)

さて院子と言えばその中庭が魅力なのだが、
外に出てみるとこれが相当広い!!

NewFunkyStudioYuanz.JPG

正面が今工事をしているスタジオ部分(ワシと方言の部屋も含む)なのぢゃが、
左側手前がトイレとバスルーム、奥がメシなどを食うダイニング、
右側手前がキッチンで、奥が客間となるそうだ。

それだけではない。
このスタジオの奥に更に院子があるのだ!!

NewFunkyStudioYuanz2.JPG

ここにも部屋が5つあり、老呉(LaoWu)と奥さんが住んでいる。
残りの部屋は全部客間になるということで、
こりゃ何人でも泊まれる素敵なスタジオになるに違いない!!

方言(FangYan)がドヤ顔でワシに説明するのだが、
「ところでファンキーさん」
そこで真顔になって金の話を始める。

「えー!!そんなに金が要るのか?!!」

ワシは卒倒しそうになる。
取りあえず金策と工事と片付けか・・・

ま、何とかなるでしょう・・・
(何とかせないかんなぁ・・・)

新しいファンキースタジオ北京、8月末には稼働開始の予定!!

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2014年6月 4日

北京定例ライブwith D-Drive

北京で毎月を目標で行っている「Funky末吉和他的朋友们」のライブ。
もう何回目になるのか忘れたけど、
今回は日本からD-Driveというバンドがやって来て一緒にライブをやった。

彼らとは岡山のひとりドラムで一緒になって、
そのテクニックの高さとか歌を歌わないとかポリシーの貫き方に感動して、
「北京においでよ、自腹で(笑)」
と言ったら本当に来てくれた。

女性がふたりいるのでうちの院子で暮らせるのかなと心配してたけど、
ドラムのChiikoちゃんは中身オッサンやし、
Yukiちゃんは埃アレルギーだったので埃っぽい客間を避けてワシの寝室を使ってもらったら、
まあ何とかアレルギーも起こらずに暮らせたようだ。

ここに泊まれるっつうのがまあひとつの「才能」やな(笑)

贅沢を言えばキリはないけど、
住むところの条件を高くするとホテル代とか経費がかかる。
必然的にハードルが高くなってバンドが身軽に動けなくなる。

経験出来たら何かの肥やしになるものを、
ハードルが高くなるがために経験出来なかったらそれだけ進歩も遅くなる。

その代わりワシが日本では食べれない美味しいものをたらふく食わせてやるからな(笑)

というわけで着いてその日は昼夜と美食!!どこも観光せず(笑)
次の日は昼間美食!!夜は羊の丸焼き!!!

20140603KaoQuanYang.JPG


さて満腹になって吐きそうになりながらいつものようにひとりドラムからライブは始まった。

ところが変なオッサンがステージの上に上がって来て、
ずーっとスマホでワシの動画を撮り続けている。

次の張張と韓陽とのトリオの時もずーっと撮っている・・・

20140603Trio.jpg

この張張の前にどんと立ちはだかって動画撮ってるのがそのオッサン(笑)
さすがに亀仙(グイシエン)が上がって来て引き摺り下ろしたけどな・・・

そうそう、亀仙(グイシエン)と言えばYukiちゃんが好きになって大変やった(笑)

GuiXianAndYuki.JPG

Yukiちゃん達が帰る時には
「いや、俺には感じる。彼女はきっと俺に気があるはずだ」
ってアホやろ〜(笑)

まあ亀仙(グイシエン)の話はおいといて、
ライブはその後バックのメンバーは変わらずにBeiBeiのユニットPair、
そして老呉(LaoWu)と続き、最後にD-Drive。

20140603DDrive.JPG

亀仙(グイシエン)なんぞYukiちゃんの真ん前にかぶりつきである(アホ)笑

ところがYukiちゃんのマーシャルがどうも具合が悪い(>_<)
セッティング換えの時に電源がぶちぶち切れるのはきっと電源コードのせいなのだろうが、
替わりのコードはないので騙し騙し使ってたら、今度はシャーというノイズが出始めた。

曲間にワシがステージに上がって電源落としてみたりいろいろしてたのだが全然直らない。
ふと見ると亀仙(グイシエン)がのしのしとステージに上がって来た。

「おいおい、お前が上がって来たって何の役にも立たんじゃろ」
と突っ込もうと思ったら、平手でいきなりマーシャルの横っ面を張り倒した。

ピタッ!!・・・ノイズ止まったがな(笑)

悠々とステージを下りてゆく亀仙(グイシエン)、笑い転げながら下りてゆくワシ・・・
かくしてライブは大成功!!

一緒に見てたBeiBeiも老呉(LaoWu)も大感激である。

彼らの顔を見ながらワシはどうしてこんなバンドを中国に連れて来るのかよくわかった。
ワシは彼らに刺激を与えたいのである。

インターネットがいくら発達したってやっぱ生でライブを見るにはかなわない。
彼らの演奏を見て、その後のヤツらの演奏にまた何かの変化が生まれる。

中国ロックがまたひとつ発展するのである。

D-Driveのみなさん、本当に素晴らしい演奏をありがとう。
あなた達の演奏は中国ロックの将来に必ず何かの影響を与えます。

中国ロックを愛する者のひとりとして心からお礼を言いたい。

また来て下さいな〜
Yukiちゃん〜亀仙(グイシエン)が待ってるよ〜(笑)

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2014年4月26日

頑張れ若い衆!!偉くなるのぢゃ!!

手数セッションとのジョイントツアーファイナルから翌日にはVoThMのツアーに出ていた。

最終日は豊橋だったのぢゃが、その翌日には名古屋空港から北京に飛び、
帰りは関空に降り立ってそのままひとりドラムツアーとなる。

飛行機のチケットというのはかなり前から押さえないと安いのがないので、
元々はパールの全中国ドラムクリニックツアーがあるというので押さえていたのだが、
またこれが中国なのでころころ予定が変わって結局何もないのに北京に飛ばなくてはならない。

キャンセルの値段も調べたりしていたのぢゃが、
よく考えたらひとりドラムツアーの翌日から和佐田と三田くんのブルースバンドのツアーにつながっていたので、
ずーっと東京にいないので今抱えている日本の仕事のドラムをレコーディングするスケジュールがない。

じゃあということで北京でその仕事のドラム録ればいいやと思ってたら、
ぽこんとまた別のレコーディングの仕事が入って来た。

中部国際空港から北京に着いてそのスタジオに直行する。
見れば若いアレンジャーである。

よく聞くと一度ワシの院子(ユエンズ)に来たことがあると言う。
(若い衆数が多過ぎて覚えられないのよね〜)

偉くなったのう・・・

こんなに売れてる歌手のプロジェクトをプロデュースして、
全権を任されて一存でワシのような高いギャラのドラマーを自分の意志でブッキング出来る・・・
中国の音楽界においては結構なポジションにいると思うぞ。

HaozRecording.JPG

そしてワシのレコーディングが終わるのを待ち構えていたかのように現れたのがベースの韓陽(HanYang)、
この曲のレコーディングベーシストとしてブッキングされていたのだ。

韓陽(HanYang)こそうちの若い衆の中の若い衆、
何せ彼の初めてのスタジオ仕事はワシが与えた仕事で、
それをきっかけに今では売れっ子のスタジオミュージシャンになっている。

二人が顔見知りなのも同じ世界で生きてる証拠、
何やら話が盛り上がっているようなので聞いてみるとまた別の若い衆の話題である。

趙兆(ZhaoZhao)というキーボーディストがいて、
Jazzが弾けるというので韓陽(HanYang)とトリオでよくライブをやっていたのだが、
それがこのアレンジャーの大学の先輩に当たるらしい。

彼には「ゴースト(笑)」として映画音楽の仕事なんかを振ってて、
「仕事を振ってもクライアントとは接触させるな」
という原則が日本にもあるだろうが、
ワシは別にその後クライアントと直で仕事やってもらって構わないと思っているので直でつなげたら、
案の定その後はそれをきっかけに映画音楽の仕事を直で受け始め、
しまいには北京オリンピックの閉会式の音楽のひとつを制作するほどになってしまった。

そういうことを嫌う人間もいるが、ワシは別段イヤではない。

若い衆はワシを踏み台にしてどんどん大きくなればいいのぢゃ。
どうせワシは映画音楽みたいな仕事を一生毎日やり続けるのも困るのでやりたいヤツがやればそれでいい。

最近趙兆(ZhaoZhao)は最近ではもっと偉くなって
いろんな大きな仕事をしている、「あいつ凄いよなぁ」という話題である。

おい!!最近ピアノトリオに来なくなったと思ったら偉くなっとったんかい!!(笑)

韓陽(HanYang)と会うのも久しぶりなので、
彼のベース入れが終わるのを待って一緒にメシを食いに行った。

見れば1曲分の報酬として結構分厚い札束を受け取っていた。

「最近1曲いくらで弾いてるの?」
と聞いたら、もう全盛期の頃のワシと同じギャラになっていたのでびっくりした。

偉くなったのう・・・

ちなみにワシは今ではもっと高くしていて、
どうしてもという人だけが呼んでくれればいいと思っている。

そうすることによって腕のよくてまだ値段の安い若い衆に仕事が廻ればいいではないか。

メシを食ってたらドラマーが呼ばれてやって来た。
一度紹介したことがあると言うが覚えていない(>_<)

若い衆いっぱいいるからなぁ・・・
向こうは覚えているがこっちはなかなか覚え切れん・・・

韓陽(HanYang)が彼を呼んだのは「相談に乗って欲しい」ということだった。

彼はロックドラマーで、バンド系の仕事は多いのだが、
レコーディングの仕事をしたいと言うので韓陽(HanYang)が趙兆(ZhaoZhao)の仕事を紹介したのだがうまくいかず悩んでいると言うのだ。

韓陽(HanYang)はずーっとワシの仕事っぷりを見てるので、
それを例にいろいろアドバイスをして来たそうだが、
今日ここに本人がいるんだから直接聞けということである。

ドラムのことならなんぼでも教えてやるぞ〜

まあ自分の覚えたことはもったいないから人に教えないという人もいたが、
ワシは全然気にしない。

ワシのプレイは生き様から来とるからマネしても叩けないのよね〜(笑)

というわけでしこたまドラム談義、というよりレコーディングにおけるプロデューサーとのコミュニケーション方法ね。
まとめるとこんな感じである。

プロデューサーってドラマーじゃないからね、
彼らの言うこと真に受けちゃダメよ。
今日の仕事だってね、アレンジャーはサビの繰り返しでタムを入れている。
一応仕事だからその通りに叩いてみるけどね、
要は「盛り上げたい」というのが彼の場合タムだっただけで、
他の手法でもっと盛り上がったらそれでいい。
要はその言葉の内側にある「どうして欲しいか」というのを感じ取って形にするのが仕事ぢゃよ。

まあこればっかりは経験がモノを言うということで、
明後日うちでレコーディングするワシの仕事で叩いてもらおう。

大丈夫、慣れればすぐにレコーディングなんか出来るようになる!!
要は経験値です!!

頑張るのぢゃ若い衆!!
みんな偉くなってワシに美味いものを奢るのぢゃ!!!

HanYangDeHang.JPG

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2014年3月26日

北京の4つのミーティング

今回は大高清美さんと渋谷有希子さんに始まって、
秀光とRebellioNも来たので滞在2週間でほとんど仕事らしい仕事はしていない(>_<)

というわけで最終日の今日に全てのミーティングが集中した。
午後から3本、最後は中国にありがちな酒と晩飯付である。

ところが出発前にメールが来る。
先日寧夏回族自治区で大高さん達とライブをやった時、
寧夏電視台の人が来て
「バンドコンテストの番組をやりたいから音楽監督やってくれ」
という話が来ていたが、その具体的な話である。

内容より何よりスケジュールである。
「ワシが空いてる日はこれだけよ〜」
とメールを送っていたのだが、
彼らはその空いてる日を全部押さえてそれでスケジューリングした新しい企画書を送って来た。

ふたつ目のミーティングは必ずスケジュールの話になるだろうから、
取りあえず行きのタクシーで寧夏のメールには目を通しておく。


さてひとつ目のミーティング!!

去年尖閣諸島の問題で流れてしまった「日中友好こども(大人も可)サマードラムスクール」の企画、
これがいきなり大決定になって中国側からの応募30人でもう明々後日締め切ろうと言う。

中国の仕事はなかなか動かないが、いざ動いたらすぐに決まる。
ワシは日本側と連絡して企画を大決定にして全てGOせねばならない。

中国語の企画書はもう作って送ってあるが、
至急日本語の詳細を作らねばならんのだ・・・(院子に帰ってやろっ!!)

ついでに全中国ひとりドラムのスケジュールも合わせようとするが、
そこまでやるとキャパを超えるので取りあえず「それは後で」と逃げ出しておく。


そして駆け込んでふたつ目のミーティング!!

これがいつもの峦树(Luan Shu)の仕事なのだが、
長々とミーティングをしているのだが、
ネイティブの中国語はこの日のワシにはあまり理解出来ず、
結局わかったのは青島で何やら大きな音楽祭をやるということらしい。

隣にはよく一緒に仕事をするストリングスのアレンジャーが来ているので、
ワシはよくわからんがきっといつものようにバンド側の取りまとめなのだろう。

問題はスケジュール!!

寧夏電視台がこれだけ押さえてしまうと、
このプロジェクトで1ヶ月押さえてくれと言われても無理である。

通常日本人だったらここで「無理です」で仕事を断るのであるが、
中国で20年仕事をしているワシはそんなことはしない!!(キッパリ)

スケジュールがバッティングしても取りあえず「やる!!」と返事しておくのだ。

まあ「ドタキャンされる国なので最終的にはドタキャンしてもいい」という理論もあるが、
中国では通常この段階の話では往々にして「大決定」ではないのだ。

ひとつの仕事だけでぼこっとスケジュールを押さえていて、
それがドタキャンでぼこっと空いてしまったら目も当てられない。

両方やる方向で押さえておき、
万が一両方ともGOになったら最終的には双方でスケジュールを調整してもらえばいいのだ。

もちろん二つの仕事を同時にこなすと死んでしまうが、
この世界、仕事がない時はずーっとないので、
ある時にやっとかなければ結局飢えて死ぬのだから同じである。

演奏するであろう曲をみんなで聞いて、
まあワシが何を担当するかはわからんが、
ドラムはもちろんのこと、アレンジだったらそれもやるし、
譜面を書くならそれもやる!!(またゴースト使うかもわからんけどな・・・)

この綱渡りが出来ないと中国ではこの仕事が出来ないのだ(ホント)。
幸いにも今までダブルブッキングで仕事を断ったことはない。

最終的に何とかなるのがこの国なのである。


そしてみっつ目のミーティング!!

まあこれはミーティングと言うより「メシ」が主で、
先日せっかく目の見えないゴーストがやったアレンジを断ったロッカー
「お金は会社が払いますから」
と言うのを断って
「今度メシ奢ってくれればそれでいいから」
となったそのメシを奢ってもらうのだ。

これは実は中国では次の仕事につなげるために非常に大事な「仕事」なのだ。

この会社の彼とはもう知り合って10年になるが、
まあ金になる仕事も振ってもらってるが、だいたいは金よりも「メシ」である。

でもまあ「その節は迷惑かけたなぁ、食ってくれよ」というものである。

彼が用意したのが「牛すじ鍋」と「羊の背骨焼き」。
ワシが20年中国で美食三昧しているのに北京でまだ食ったことのない美食があったなんて驚きである!!

NiuBanJinHuoGuo.JPG

KaoYangXieZi.JPG

美食にうなりながらビールを飲み、久しぶりに会ったので情報交換していたら、
どうやらワシがやることになるであろう寧夏電視台のバンドコンテストは、
どうやら彼が他のテレビ局に持ち込んだ企画が廻り廻ってここに来てのだろうという話が出た。

だいたいロックだバンドだと言うと全中国でそれ関係の人間はどっかでつながっている。
この広い中国で、あるところまで来ると音楽界など「狭い」ものなのである。

その狭い世界で「ファンキーは最近何してる?」と言って、
「いや実はねぇ・・・」と話題に事欠かないことがその狭い世界では重要なのだ。

この国の仕事は「いる人」にしか来ない。
日本にいて「仕事なら呼んで下さい」なんてのはこの国ではあり得ない。
この国に「いない人」などに仕事は来ないのだ。

ちなみにひとつ目のミーティングの時にその会社でいた人間はこの時に一緒に飲んでいるし、
ふたつ目のミーティングの人達も私も彼もよく一緒に仕事をしている。

この世界はどこかで誰かが必ずつながっているのだ・・・

先日のライブの時にRebellioNに
「国内最大のイベントをやるから出演してくれ」
と言ってた
DongLinもつい最近までこの会社でいたのだ。

そのイベントの話も出始めたのでそうそうにおいとました。
もうひとつプロジェクトを抱えたら潰れてしまう。
大決定になったら教えてくれればそれでいいのだ。


さて最後のミーティング!!

ここまで別のプロジェクトが詰まって来たら寧夏の方も詰めなければならない。
院子に帰ってこれを紹介したLaoWuと、
ある時はアシスタント、ある時は便所掃除と石炭焚き、
またある時は「经纪人(JingJiRen:マネージャーと言うか社長みたいに偉い存在)」となって方言(Fang Yan)にギャラの交渉をしてもらわねばならない。

先方の送って来た企画書とスケジュールを一生懸命解読して、
「ファンキーさんぐらいならこれぐらい取らなきゃ」
とまたむっちゃ法外な値段を提示する。

友人関係の安い仕事ばっかやっているのでワシには「法外」としか聞こえないが、
彼らにしてみたら
「テレビ局なんてスポンサーからがっぽり金取るんだからあんたが値段を安くする必要はない!!」
となかなか手厳しい・・・

でもいいのだ。万が一それで通れば大儲けだし、
敬遠されてボツになったら現状のようにスケジュール調整で頭を悩まさずにすむ。
ぽっこり空いたスケジュールに全中国ひとりドラムツアーを入れて青島音楽祭を入れればいいだけの話だ。


この時間になって全ての処理が終わった・・・

あとは「日中友好こども(大人も可)サマードラムスクールの日本語ページを立ち上げるのみ!!
数日後にページ立ち上げてUPしますのでお楽しみに〜!!

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2014年3月22日

村のレストランと洗濯と重金属ライブ

今回北京に帰って来る時に、アシスタントの方言(ファン・イエン)に、
「もの凄くいい知らせともの凄く悪い知らせがあります。どちらから聞きたいですか?」
と言われた。

「どっちでもいいから早よ話せボケ!!」
と言うと、
「では悪い知らせから話します」
と言って話し出したのが、
「みんなが愛してやまない私達のレストラン状元紅(ジュアンユエンホン)が閉まってしまいました」

ガビーン!!

もう北京ファンキー村の社員食堂と化していたあのレストラン、
坂田師匠酷似の女主人にももう会えないのか・・・

前回は北京オリンピックの煽りを受けてか四川省に帰ってしまい、
その後村人がひっきりなしに「戻って来てくれ」と電話をして結局戻って来てくれたが今回ばかりはどうもそうはいかないようだ・・・

村人としては悲しい限りである・・・・

ZhuangRangZhuanYuanHong.JPG

じゃあ「いい知らせ」というのは何ぢゃ?と聞くと、
「新しい水道管を工事しているので水が出るようになります!!」

おうっ!!これは凄いぞ!!もう1年以上断水してたからのう・・・

というわけで洗濯!!!

LongTimeNoSentaku.JPG

いや〜1年ぶりに洗濯したなぁ・・・
よく着る服は持って帰って来て日本で洗濯してたけど、
今回みたいに2週間の滞在だと最初の頃にライブやった服はもう腐ってしまうからのう・・・(>_<)

いや〜それにしても誰ぢゃ「北京は大気汚染で大変」などと言ったヤツは・・・
帰って来てからずーっと青空ぢゃぞ!!(時々悪い時もあるが・・・)

BeiJingLanTian.JPG

この日は夜に日中重金属ライブが行われた。

日本からは小畑秀光のバンド「秀光」、そして高校生バンドの「RebellioN」が日本から、
布衣はツアーのため、同じく寧夏のバンド「核楽隊」。小畑の仲良しの亀仙(グイシエン)のバンドである。

まずはオープニングアクトよろしくファンキー末吉ひとりドラム!!
何故かと言うと、早く叩き終わって早く酒飲みたいからなのよ〜

そして小畑秀光を呼び込んで亀仙(グイシエン)がベースで4曲ほど、
そして秀光の登場!!

リハの時からTOMOさんのベーステクニックは好評だったが、
本番ではやっぱ響太のドラムに注目が集まったところでドラムチェンジ!!

小畑の仲良しのドラマー、李浩(リーハオ)と、
最近小畑が知り合った中国人ギタリスト、
なんとメタル先進国フィンランドでメタルバンドをやってるというツワモノである。

HidemitsuIWithLiHao.jpg

いや〜それにしても誰ぢゃ「中国と日本は仲が悪い」などと言ったヤツは・・・
全然仲いいではないか!!(国は時々仲が悪い・・・)

それにして小畑秀光、
ワシがほったらかしてるうちに自力でいろんな友達を見つけて来るなぁ・・・

彼はもうすぐフィンランドに帰ってしまうが、
「是非フィンランドに来てくれ!!うちに泊まればいいから」
と言う・・・

しゃーないなぁ・・・行きますか・・・(笑)

さてその後再び響太が参加して3人の秀光で結構長いステージをやったが、
これがまたワシの友達にウケた。

特に響太のドラムにはみんな度肝を抜かれて、
いろんな人間が来てはワシに「あのドラムは誰なんだ?」と聞く。

ワシもついつい目が響太に釘付けで、
最後の方でふと見ると小畑秀光が死にそうになって歌っておる。

いや〜ステージ最初の方からもう連続14曲ぐらい全力で歌っておるからのう・・・
しかも小畑だけ全部のセッションのリハもやったから昼から全部で28曲歌いっぱなし(笑)

そりゃもうこのぐらいになったら既に命がけでしょう!!
でもみんな響太ばかり見て誰もあいつのことを見てない(大笑)。

いや〜ワシは笑ったぞ!!
あの死にそうな顔が可笑しくってのう・・・

それより面白かったのは、
せっかくInitiation中国語版「没收你的一切」という曲があるにもかかわらず、
しかも秀光バージョンで一生懸命練習してリハではちゃんとやっていたというのに、
本番で頭が飛んでいてこの曲やるのを忘れとる(笑)

日本でバンドであれだけ練習したのに(泣笑)

この日は中国の業界関係者がいっぱい見に来てたので、
これ歌ってたら運命変わったかもわからんのにな・・・

さすが小畑秀光!!\(^o^)/
突き進めアンダーグランドの道!!(笑)

ライブは続き、その後のRebellioNもウケた。

DongLinという得体は知れないが力を持っている音楽関係者が、
「もうすぐ国内で一番大きなイベントをやるんで是非参加してくれ!!」
と熱く語り、RebellioNのお父さんが目を輝かしていたので、
「話半分に聞いといた方がいいですよ」
と言うのだが、親としてはやはり期待も大きいのでなかなか話半分に聞けない。

じゃあと言うことで最後の方は話半分に訳しときました(笑)

中国の仕事はスケジュールが決まってギャラが決まって、
理想を言えば前金で少しでももらえなければ「仕事」ではありません!!(キッパリ)

そんな話は山ほどある国なので当てにしてはいけませんよ、お父さん!!(キッパリ)

さてライブも最後のバンドは亀仙のバンド「核楽隊」。
ボーカルの李夏(リーシア)が最後に小畑秀光を引っ張り上げて紹介する時にこんなことを言って紹介したので胸が熱くなった。

「紹介するよ、俺の友達の秀光、あいつは俺と一緒で何もない。
仕事もなければ人に助けてもらって生きている。
俺と一緒さ。みんなヤツを応援してくれ。いいか?」

客がウォーと盛り上がって不覚にも目頭が熱くなった。

HeYueduiWithXiuGuang.jpg

誰ぢゃ「中国と日本は仲が悪い」などと言ったヤツは・・・

Posted by ファンキー末吉 at:15:32 | 固定リンク

2014年3月20日

日本人の来ないライブ

Funky末吉和朋友们の定例ライブ、
月いちを目指して北京を中心にもう2年間以上やり続けている・・・

今回は日本から大高清美さん、渋谷有希子さんを招いて、
江湖酒吧で行われた。

思えば昔からいろんな日本人ミュージシャンを連れて来ている。
目的は「この演奏を中国の仲間に見せたい!!」というものである。

この凄い演奏に度肝を抜かれて、
大きな刺激を受けて中国のプレイヤー達のレベルが少しでも上がればよい。

いつ頃からかもう北京の日本人達と接点がなくなった。
ワシはどっぷり中国人社会で生きている。

一応ライブをやる時にはブログ等でこちらの日本人に向けても告知をするのだが、
幸か不幸かここ数年日本人の客がライブにやって来たことはない。

先月のライブを取材に来たとある日本の新聞社がびっくりしていた。
「どうしてひとりも日本人の客がいないんですか?・・・」

うーむ・・・まあ布衣がライブやったってひとりも日本人は見に来ないではないか。
ファンキー末吉がやったってそりゃ中国人しか見に来ないさ・・・(笑)

まあ日本人客にも来て欲しいのはマウンテンマウンテンなのだが、
10年前とあるJazzのライブでイヤな思いをしたことがある。

Jazzをやる気まんまんで日本からJazzミュージシャンを呼んでライブをやるのに、
入り口でワシを見かけた日本人客はワシにこう言ったのだ。

「今日は楽しみにしてます。もちろんRunnerはやってくれるんでしょ?」

どうしてこうなるのかワシには皆目わからない。

こうして爆風スランプなんか誰も知らない異国の地にやって来て、
自分が純粋に追求する自分の音楽を、
自分が一生かけて追求するJazzをやる時にも、
一生ワシはこの過去の呪縛から逃れることが出来ないのか?・・・

中国人は違う。彼らは純粋にこの「凄腕のドラム」を聞きたいのだ。
ロックが出て来るかJazzが出て来るか、はたまた中国語のポップスが出て来るか、
何をやるかわからない毎月のワシのライブを楽しみに来てくれる。

だから自然と日本人客から疎遠になってしまったのかも知れない・・・

ところが今回17日に行われたライブには日本人客が数人いてびっくりした!(◎_◎;)

「どこでこのライブを知りました?」
驚いてそう聞くと
「よくこの店には来るんですが日本人が演奏しているのでびっくりしました」
と言う。

他にも「爆風スランプを聞いてドラムを始めました」という日本人も来ていた。
彼は偶然このライブのことを知って見に来てくれたと言う。

誰も「Runnerやって欲しかったです」とは言わない(笑)

ワシは大高さんのあの超絶な楽曲の数々を演奏したかったのだ。
それを中国人に見せて度肝を抜きたかったのだ。

でもなに人であろうが、こうして足を運んでくれて、
楽しんで帰ってくれたらそれだけで嬉しい。

翌日には寧夏回族自治区銀川市に飛んで、いつものライブハウスでやった。
もちろん日本人などいない。

平日なのに客は満席!!
ヘタしたらワシは北京のバンドよりもよく銀川に来ているのだ。

そして翌日はそのバーの支店、
これが何百席の客席があるむっちゃでっかいおしゃれなバー・・・

ここが見事に満席になった(驚)

1ステージ目を終えてステージを降りると、
「私日本人です」という人に声をかけられた。

「え?寧夏に日本人がいるの?」

ワシはびっくりしてこう聞き返すが、
「はい、16人います」
とのこと。

きっと大使館とかで調べた人数なのであろう。
もちろん偶然このバーに来たら日本人ドラマーが演奏しているのでびっくりしたと言う。

よく考えたらもう爆風スランプでドラムを叩いている年数よりも、
ワシはこうしてひとりで叩いてる年数の方がはるかに長いのだ。

時代がもっと流れて、そのうち爆風スランプすら知らない人が偶然見に来るかも知れない。

それでいいのだ。
ワシはこうして生きて、そしてこうして死んでゆくだろう。
その人生の1ページをこうして共有してくれたらそれでいい。

今月は22日にもライブをやる。
日本から秀光(小畑秀光のバンド)と高校生バンドRebelioNを呼ぶ。

北京和僑会という在中国日本人団体があり、
このライブのことを宣伝してくれた。

こちら

今後もライブの度に告知してくれると言う。

何か私自身の中で「時代が変わった」という感覚である(笑)
もう日本人に背を向けて生きてゆかなくてもいいワシの中の「時代」になってるのかも知れない。

改めまして今回は大高清美さん、渋谷有希子さん、
素晴らしい演奏をどうもありがとう御座いました。

今度は日本でやりましょう!!

「美女と野獣」中国から凱旋ライブ

場所:Live Bar X.Y.Z.→A

Org.大高清美
Ba.渋谷有希子
Dr.ファンキー末吉

ゲスト:Gt.Vo.小畑秀光

3月に北京、寧夏回族自治区を回って帰国したこのメンバーにより、
中国で大盛り上がりに盛り上がったライブを再現します。

店のオーナーのリクエストによりこのメンバーに飛び込まされて演奏した小畑秀光付!!

18時半開場19時半開演

チャージ:3000円

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2014年3月16日

中国ビジネスは胃袋でする!!?

これは20年前に日本がアジアブームに湧いた時ビジネスマンの間で言われてた言葉である。

まあ時代が変わって中国の音楽界にも「契約」なる概念が出て来た昨今、
ビジネスはどんどん近代化されて来たというのにやはり今だに基本はこうなのかなと思う。

先日は河北省で死ぬほど飲んだし、
でもそのおかげで老人バンド(全員歳下だが>_<)と仲良くなった。

昨日はLaoWuと飲んでる時彼が、
「酒が飲めなくてバンドが売れるわけないだろ!!
黒豹を見てみろ!!零点を見てみろ!!みんな大酒飲みじゃないか!!
俺たちが売れないのは俺が酒が飲めないからさ、は、は、は」
と笑ってたが、
なるほど大酒飲みはいろんな飲み会に行って歓迎されるし、
そうすれば「関係学(GuanXi:コネ)」が何より大切なこの国ではそれを人よりも多く手に入れることが出来る。

そう言えばワシも全ての老摇滚(LaoYaoGun:大御所ロックバンド)の連中と死ぬほど酒を飲んでたから今がある。

まあワシは実は酒はそんなに強くはないが、楽しければ後先考えずに飲み、
記憶をなくして大暴れしているワシを幸運にもみんな好きになってくれただけのことであるが・・・

昨日はワシにアレンジを頼んだロッカーと会って来た。

言っちゃ悪いが、こいつはちょっと性格が暗い(>_<)。
数年前からDEMOを聞かせては意見を問い、持って帰っては悩み、
結局「仕事」になったことがない。

今回は会社の方がちゃんと「仕事」として発注してくれたので、
じゃあということでワシもゴーストライターにアレンジを発注した。

今回のゴーストは目が見えないゴーストである。

本人は第一級身体障害者手帳を持っているが、
ステージの上ではボーカリストやギタリストがそっちを向けば、
本人はあたかも健常者のようにそっちを向いたり、
二井原が車で家まで送って行く時に、
最後の曲がり角を曲がったら何も言わないのにシートベルトを外し出したり、
とどのつまりはうちのスタジオで二井原がハードディスクを失くして、
ワシら健常者が一生懸命探しまくっているのに、
「あの机の横にぶら下がっているのはそれではないんですか?」
などと見事に探し当てていることなどから
「実際は見えているのでは?」とか「彼のサングラスには度が入っている」などと噂されている人物である。

芸名を「田川河内ヒロアキ」に改名しようとしているという彼に発注をして、
またこれがちゃんといいギターを弾いて完璧なDEMOにしてそのロッカーに渡している。

本人にメールを送って聞いてもらい、
先月会った時にまたあーでもないこーでもないと言うので、
「じゃあ次の段階はスタジオに入ってレコーディングしようじゃないか」
ということになっていた。

アレンジ料の提示も会社から受けているので、
あーだこーだはレコーディングしながら詰めればよい。
彼のDEMOの素材も全部入れてみて、
実際に彼が一番好きだというワシのドラムで叩いてみたらフィーリングは全然違う。

ところがここに来て暗い性格の彼(>_<)、またあーだこーだと言う。
「ファンキーさん、いつが空いてますか?食事を一緒にしましょう」

食事をするのはやぶさかじゃないのだが、
あとはスタジオに入るだけなのでスタジオで飲んでもいいじゃないか、
めんどくさいなぁ・・・と思いながら待ち合わせ場所に向かった。

朝連絡すると言いながら来なかったのでワシと小畑は実は既にメシを食ってしまい、
じゃあお茶でもしながらミーティングしようと思ってたら、
そこに来ても「ファンキーさん何か食べましょう」としつこい。

まあ「腹が減ってるんだな」と思って付き合うことにした。

2度目の昼飯となるががんがんに飲まさせて頂いて、
まあ暗い性格の彼にしては飲めない酒を飲みながら明るくいろんなことを話していたが、
最後に膝を正してこんなことを言い出した。

「ファンキーさん、怒らないで下さい。
実はこの曲は、誰の手も入れずに僕ひとりで作り上げていきたいんです。
でもファンキーさんはもう着手して下さったから会社から必ずお金は払わせます。
本当に怒らないで下さい。僕はファンキーさんが怒っちゃったらもう生きてゆけません」

深々と頭を下げるが、ワシは「ははあ、そういうわけなのね」と納得した。

何故金もない彼がわざわざこんな高級な火鍋屋をセッティングして、
飲めない酒を一生懸命飲んでワシに付き合って、
それが中国式の「誠意」なのである。

まあワシも日本人的には、
別にメールで事情さえ説明してもらえばこんな「無駄」な時間は使わなくてすむし、
そんなヒマがあったら別の仕事に時間使った方が数倍いいのだが、
中国的にはそれでは「気がすまない」のだ。

ありがたく頂いて、またしこたま飲んで楽しく過ごしてあげた。
中国に来たらせめてその「無駄」を楽しむようにしたい。

その後一本の打ち合わせも飲みながらやったし、
夜はLaoWuの誕生日ということで飲んだので、
この日は朝から4食ぶっ続けで食って飲み続けているという日であった。

これを「仕事」だと思うとやってられない。
そのロッカーとはもう数年間こんなやり取りばっかなのだ。

これは「仕事」ではない、「飲み」なのだ。

「お前最近どうしてる?ちゃんと食えてるか?
曲はどうだ?俺だったらこうするけどな、お前はどう思う?」
そんな「飲み会」を数年間続けているだけなのだ。

聞けば小畑と同じく金もなく家もなく、
今日のこの高級火鍋はなけなしの金でワシに奢ったのであろう。

ワシが飲むのは「酒」ではない!!その「気持ち」を飲んで酔っ払ってやるのだ。
それが中国での「生活」なのである。

「仕事」なんかではない。
ちゃんとその「生活」を送っている人にだけこの国では「仕事」が回って来る、
それだけの話なのだ。

夜にはその会社の担当者から連絡があった。
「そういう事情ですのでお金を支払います。どのようにすればいいですか?」

ワシは電話をかけてきっぱりとこう言った。
「金はいいから今度奢れ!!とびっきり美味いメシを頼むぞ!!」

アレンジ料の何割かを現金でもらうより、
とびっきりの美味いメシを奢ってもらう方が結果的に高かったりする(笑)

それよりも何よりもこの国はこれで「仕事」が回ってゆくのだ。
それはどれだけ近代化した中国になっても変わらずこうなのだ。

というわけでせっかくゴーストやって頂いた田川河内ヒロアキさんには悪いですが、
やってもらったアレンジの金を取りそびれてしまいました(ペコリ)。

その労賃は私の胃袋に入ってしまいましたので、
胃液かウンコで返されても困るでしょうから、
田川河内ヒロアキさんには私が日本でまた美味しいものでもご馳走させて頂きます。

手数セッションと五星旗3rdのツアーの時にでも是非!!

3月28日(金)飯田Canvas 0265-52-3620 18:30/19:00
3月29日(土)岐阜SoulDyna 058-240-7999 19:00/19:30
3月30日(日)京都FanJ 075-711-0711 18:00/18:30
3月31日(月)大阪南堀江Knave 06-6535-0691 18:00/18:30
4月1日(火)岡山Desperado 086-225-5044 19:00/19:30
4月2日(水)高知X-pt. 088-885-2626 18:30/19:00
4月3日(木)松山SalonKitty 089-945-0020 18:00/18:30
4月4日(金)福山Cable 084-983-1666 19:30/20:00
4月5日(土)神戸ChickenGeorge 078-332-0146 18:00/18:30
4月6日(日)梅田RoyalHorse 06-6312-8958 19:00/19:00
4月7日(月)名古屋ell.FITS ALL 052-201-5004 18:30/19:00
4月19日(土)吉祥寺RockJointGB 0422-23-3091 18:00/18:30
前売:4500円 当日:5000円(ドリンク代別)

ps.北京在住の皆様〜今月は2本ライブやりますよ〜

funky末吉和他的朋友
时间: 03月17日 周一 21:30-23:30
地点: 北京 东城区 江湖酒吧 交道口南大街东棉花胡同7号
费用: 50元(现场票)
类型: 音乐-小型现场
主办方:江湖酒吧

↑↑これはCasiopea3rdの大高清美さんと美人ベーシスト渋谷有希子さんとです〜

また日中重金属対決ライブもあります!!

【Funky和他的朋友们】中日摇滚之夜
时间:
03月22日 周六 21:30-23:30
地点: 北京 朝阳区 亮马桥路21号汽车电影院内两个好朋友酒吧
费用: 50元(现场)
类型: 音乐-小型现场
主办方:两个好朋友酒吧2kolegas

このページの日本語訳には笑える・・・

Posted by ファンキー末吉 at:09:10 | 固定リンク

2014年3月13日

ゴーストライター

実はワシにもゴーストライターがいる。
と言っても仕事をいろんな人に振ってこなしてるだけで、
振ってる仕事が一番多いのはお隣の仮谷くんである。

制作を発注しても、結局は一番しんどい仕事であるクライアントとの詰めは自分でやらなければならないので、
時には「末吉のゴーストですと言って直接電話しろ!!」と言う。

まあゴーストが直接クライアントとやり取りすると既にもうゴーストではなくなり、
今後の仕事は直接クライアントからゴーストに行ったりするので「仕事を失う」ということになるのだが、ワシはあんまし気にしない。

中国で自分が音楽を手がけた映画が大ヒットしてしまい、
映画音楽を年に数本、テレビドラマを数本抱えている生活になった時、
ワシは迷わず仕事を若い衆に振った。

監督との詰めも全部振るので次からはそいつに仕事が行くことになるが、
そうやって若い衆が北京オリンピックの閉幕式の曲を作るまでなっても別段何とも思わない。

「今度会ったらしこたま奢れよ!!」
というぐらいである。

もともとワシはドラマーで、
毎日パソコンの前でずーっと音楽を作ってる生活など「無理」なのだ。
それが「本職」のヤツに任せればよい。

ところが人はワシのことを作曲やアレンジやプロデュースが「本職」だと思ってる人も多い。

「バンドのアレンジかぁ・・・だったらファンキーさんだな」
とばかり発注が来たのがちょっと変わり種の今回の仕事。

退職した老人達が、昔を思い出してバンドをやろうというもの。

その子供達はもう音楽大学などに進む立派な音楽家で、
そこから回り回ってワシのところに発注が来る。

「ファンキーさん、もう楽器もろくに弾けないしさぁ、
お金もあんまし出ないから簡単にちょちょいとやればいいからね」
と言うので、そのまま仮谷くんに振った。

ちなみにこの値段設定が難しい。
友人から搾取するわけにはいかないのでなるだけたくさんギャラをあげたいところではあるのだが、
今までの経験で言うと、そのままスルーして全部あげてしまうと、
結局は中国語と日本語の通訳だとか、最終的な直しや整合性を取るのに結局自分がタダ働きする羽目になるのだ(>_<)

まあ安い金ではあるが、「ちょちょいとやってくれれば」と発注する。

ところがこれがちょちょいとやると絶対に「直し」が来るのだ(>_<)
結局自分が出て行って直しをする羽目になる。

日本人なんだからどうしても中国人の痒いところに手が届かないのだ。

最後の詰めもいろいろややこしいので、
「そんなのリハーサルで詰めればいいじゃん」
と開き直る。

プレイヤー達の弾くフレーズを全部デモと譜面で指定するって実はあんまり意味ないのよねぇ・・・
各人が弾きやすいように変えてもらった方が全然いい。

「じゃあリハーサルに来て下さいね」
というわけで北京のお隣の河北省の省都、石家省まで向かっている。

自分が直した部分は覚えているが、
ゴーストが作った部分は知らないので、
今電車の中で一生懸命ゴーストが作ったアレンジを聞いて覚えている。

やれやれ、これじゃあどちらがゴーストなのかようわからんなぁ・・・(笑)

Posted by ファンキー末吉 at:11:07 | 固定リンク

2014年1月16日

Wingの新年会(旧正月前なので忘年会?)

中国は1月1日は(元旦)という祝日であるだけで、
その日だけ祝日で前後は普通に仕事している。

ところがその後にやって来る旧正月は「春節」と言って、
その前後数週間は仕事にならないほどの盛り上がりである。

だからこうして元旦を越してもうすぐ春節と言うと、
年は新しいけれども気持ちはもうすぐ新年という変な感じ・・・

今回Wingとメシ食った時に彼から
「会社の忘年会があるからおいでよ」
と言われたが、来てみるとやっぱ新年会みたいな変な感じだった(笑)

WingNewYearParty.JPG

まあそれにしても豪華なパーティーである。
ワシや小畑のテーブルは「芸能人」席なのか、
Wing様、黒豹のドラムの趙明義さま、と豪華・・・

楽器もセッティングされていてセッションが始まる。
中でも一番有名なWingが「じゃあ俺が最初に歌うよ」ということでドラムを叩く。

WingNewYearPartyWingSinging.JPG

歌う曲はもちろんBEYONDの曲。
中国人なら知らない人はいないので全員が大合唱出来る。

WINGは自分でギターを弾いて伴奏出来るのだが、
リードギターのパートは誰かに弾いてもらわねばならない。

この曲は信楽団のギタリストが「弾けるよ」というので弾いてくれ、
ベースはギタリストが急遽ベースを弾く。

次の曲ではそのギタリストがリードパートが弾けるというので、
今度はワシがベースを弾いた(笑)

WingNewYearPartyFunkyPlayBass.JPG

同じ時間に店では「今夜こそ山田」というイベントで素人さんがベース弾いてたようだが、
この「酔いどれJAM」の影響か、何か今年は高知の新年会といいベースをよく弾いてる気がする(笑)

もちろんドラムもばんばんに叩き、ドラムソロも披露!!

WingNewYearPartyFunkyDruming.jpg

ネタはX.Y.Z.→Aのライブなんかでもやってたように、
右手ー左手ー右足の3個の連打は3文字の「新年好」と叫び、
右手ー左手ー右足ー左足の4個の連打は「马年快乐」と叫び、
だんだん文字と手数を増やしてゆくというもの・・・

全世界に通じる「ネタ」を編み出したというわけやな(笑)

その後、小畑秀光を呼び出して「Initiation」の中国語版「没收你的一切」を歌わせる。

酔っ払ってるので足がもつれて大変であった・・・(汗)

汗だくでステージ降りたら次は美女達がステージに上がる。
まずは新人歌手らしき美女の弾き語り・・・

WingNewYearPartyBeutifulSinger.JPG

そしてこんなパーティーでよく会う美人歌手のZhaZha・・・

WingNewYearPartyZhaZha.jpg

「この会場の人はほとんどみんな私達の結婚式に来てくれたわよね」
・・・てお前、信楽団のギタリストと結婚したんかい!!!(◎_◎;)

10年前とあるオムニバスで数曲プロデュースを頼まれ、
その中にも彼女がいたのだが、
ワシの担当は布衣だったので彼らの住む貧民街にスタジオ作って今がある・・・

歴史に「もしも」はないが、
もしも彼女の担当だったらワシと結婚してた?・・・

そんなことは、ない〜!!(王様風に両手を横に振って)

例の新人歌手らしき美女がマネージャーに連れられて各テーブルを廻っている。
聞けばこの会社の杭州の会社の所属らしく、
ちょっとうだつの上がらない感じのマネージャーが一生懸命頑張っている。

コネがなければ何にも出来ないのは日本でも同じだが、
中国はやっぱそれが極端である。

一生懸命彼女を連れてテーブルを廻るそのマネージャーに好感を持ったワシは、
よっしゃとばかり彼女にお近づきに「なってやろう(笑)」と、
近づこうと思ってはたと気が付いた。

ワシ・・・ドラム叩いたばっかで汗だくで身体臭いのよね・・・(涙)

だから言ったのだ!!
身体臭いから3日振りに風呂に入ろうと思って入ったが、
どうせドラム叩いたらまた臭くなるのだ。

今日入らんでも明日でよかったではないか!!!!!

結局どうでもよいいつものおっさんばかりと盛り上がる新年会であった・・・

Posted by ファンキー末吉 at:10:05 | 固定リンク

2014年1月 9日

中国ロックの創始者「崔健(CuiJIan)」が春節晩会に出演!!

ニュース元はこれ。

http://www.56.com/u/ipad-NTYxOTcyOTA.html

「春節晩会」というのは日本で言うと「紅白歌合戦」みたいな番組である。

これに関しては「崔健も体制に迎合したか」とかいう意見もあるが、
ワシにとっては「中国共産党もついに崔健を出しますか!!」とびっくりした。

崔健とは長年の知り合いではあるが、
Jazzのセッション以外一緒にプレイはしたことないし、
一緒に飲んだことは数回あるが、学芸大学の滝寿司で飲んだ時、
「俺の音楽は政治とは関係ない!!
寿司職人はここの寿司のように美味しい寿司を作るのと同じように、
俺はいい音楽を作るのが仕事だ。
同じように政治家は人民を豊かにするのが仕事だ」
と言った彼の言葉が今でも頭に残っている。

彼ほど「ブレない」男は珍しい。
ワシにとっては「気難しい」男であるが、
ワシは「中国ロックの創始者」として彼をこよなく尊敬している。

まさか彼から「春節晩会に出させてよ」とお願いしただろうはずもなく、
あれだけ彼を、いや「ロック」を目の敵にしていた共産党が、
その創始者である彼にその看板番組に出演させるということがショッキングな出来事である。

二十数年前、北京の地下クラブで当時まだアンダーグランドだった黒豹のライブを見た時、
その後一緒に飲んだ峦树(LuanShu)は、
「ファッキンガバメントはロックを恐れてる!!だから俺たちはロックを聞くこともやることも出来ない」
と言った。

「共産党はもうロックを恐れる必要はなくなった」
ということなのか・・・

昔、北京のお姉ちゃんがつくスナックに行った時、
若いお姉ちゃんと話を合わせる話題が全然ないので、
「どんな音楽が好き?」
と聞くと台湾香港の音楽ばっかだし、
「ロックは?」
と聞くと「ロックって何ですか?」と来る。

カチンと来て店にいる女の子全部呼び集めて、
「よし、俺は今からお前らの国のロックの歴史を教えてやろう!!」
と一席ぶった。

「中国のロックはな、1986年に崔健という偉い人が一无所有という曲を作った時に始まったんだ!!」
と導入部分を話した瞬間に、
「86年って私達誰もまだ生まれてません〜」
と来て身体中の力が抜け落ちた(笑)・・・

あの日・・・
「中国人民よ立ち上がれ!!」
崔健がそう叫ぶと人民はみんな拳を上げた。

「共産党を打倒しろ!!」
と叫んだら人民はみなその拳を共産党に向けただろう。

だから共産党は崔健を徹底的に弾圧した。

しかし人民が「ロック」を求めたのは「今は昔」
もうみんなが求めているのは「金」だけである。

豊かになれさえすればそれでいいのだ。

ワシなんかはこんなことを想像してみた。
ひょっとして、あの頃崔健の音楽を聞いて拳を上げてた若者が、
出世して中央電視台のディレクターになってたり、
自分の青春の象徴である崔健に自分の是非自分の番組に出て欲しかったりしたのではないか・・・

こんなことを想像してたら頭の中にこんな曲が聞こえて来た。
「就職が決まって〜髪を切ってきた時〜もう若くないさと〜君に言い訳したね〜」

中国ロックと天安門事件の話を人にする時に、
ワシはウッドストックと安保闘争を例えに使ったりする。

ベトナム戦争に対する反戦ムーブメントから
ウッドストックやその後のロックが花開いたとしたら、
日本では安保闘争からフォークムーブメントとして花開いた。

大学を占拠して機動隊を火炎瓶で攻撃して催涙弾の水平射撃を受けた若者達、
武力で国家権力を倒して革命を起こすことを夢見てた若者達・・・
そんな若者達も大人になって、10年後の安保改正の時には誰も集まって来なかった。

みんな生活に追われて安保どころじゃなくなったのだろう・・・

髪を切って体制側に就職した者、
本当にヒッピーとなって世の中からドロップアウトしてしまった者・・・

でもそんな人達もみんな心の中で「安保」を持っている。

ワシは学生運動の世代よりは後だったので政治には全く興味がないが、
ヒッピー文化はいろんな「ロック」から影響を受けた。

「コミューン」よろしく「ファンキー村」なるものを作ったり、
北京の村ではまるで「原始共産主義」のような生活である(笑)。

思えばアメリカやイギリスでなく中国や北朝鮮であることからして「らしい」・・・
上から押さえて来る「権力」に対して損を承知で牙をむくのも「らしい」・・・

髪の毛を切って紅白にも出て、大きなものに巻かれて「大人」になったけれども、
やっぱりいつまで経っても捨て切れない「安保」がワシにもある。
(政治は興味がないが言葉の便宜上の「安保」ね)

そんなことを考えていると、
「崔健が春節晩会に出たってそれはそれでいいのではないか」
と思えて来る。

変わったのは「時代」であって「崔健」ではない、
そう思わせてくれればそれでいいのだ。

彼のことだ、きっといつものように楽しそうに演奏するだろう歌うだろう。
それが彼「らしい」。

今はネットで中国の番組も見れるだろうから旧正月には彼の「今」を見ようかな・・・

Posted by ファンキー末吉 at:23:25 | 固定リンク

2013年10月 6日

マキシムレストラン

天安門広場を中心に広がる北京市内の中でも、
だいたいの音楽の仕事はその東北の方向にある朝陽区がほとんどなので、
市内の南の方に行く機会はほとんどない。

ところが昨日、北京ダックを食いに久しぶりに北京駅南部を通ったら・・・

MaximRestaurantBeijing.jpg

おおっ!!マキシムレストラン!!!!こんなところにあったのか・・・

1990年、最初に北京に行った時、
最終日に知り合った不良どもの連れて行かれて初めて中国ロックと遭遇したのがここである。

タクシーに乗せられた時は身の危険を感じてとてつもなく長く感じたのだが、
実際はこんな近くにあったのだ・・・

仲良くなったホテルのボーイは
「奴らは不良だ。危険だから行ってはならない」
と泣いて止めるし、ワシはワシで仲間に
「ライブは朝の4時までだと言うから、5時に帰らなかったら大使館に連絡してくれ」
と、全くあの頃の中国ではロックを見るのも命がけだった。

実際その不良どもに連れられてこのマキシムの階段を上がる時には足が震えたし、
運良く黎明期の黒豹のライブを見た時には逆に興奮で身体中が震えた。

その翌月、奇しくも天安門事件の1年後である6月4日、
彼らの天津体育館のライブでドラムを叩いた時は、
「ファンキー、会場に着いたら絶対に口をきくな。外国人だとバレたらどんな目に遭うやらわからない」
と強く念を押されていたので、この時も「死」を覚悟した。

ドラムソロをぶっ叩いて、
割れんばかりの大歓声と裏腹に誰も立ち上がらず座ったままだったのは、
当時は立ち上がったら逮捕されるのだと聞いて後から足が震えた。

数年後、北京工人体育館にてラジオ局の開局イベントに爆風スランプが出演。
中止命令を無視して演奏を続行!!

2万人の観客の目の前のPA席で、
出音を消そうとする公安が、それを阻止しようとするワシの友人の中国人スタッフをボコボコに殴り、当時はロックの象徴であった彼の長髪を鷲掴みにして引きずり回すのをドラムを叩きながら見ていた。

音の出ないマイクと生音のアンプとドラムの音だけで演奏を終えたワシたちは別室に連れて行かれ、
心配してやって来たその友人の仲間が、ボコボコにされて恐怖に震える友人の長髪にひざまずいてキスをした。

「お前達は外国人だからいい。俺は中国人なんだ。絶対ヤツらに殺される!!」
そう言ってブルブル震えている彼の肩を抱きながら、
「こいつを殺したら俺はトラックでも盗んで中南海に突っ込んでやる!!」
と心に決めた。

この国でロックをやるのは文字通り「命がけ」だったのだ・・・


時は流れ、ロックブームが到来し、
当時ヤツらが「ファッキンガバメント」と呼んでいた中国政府は、
「ロックは金になる」とばかり相反するふたつの勢力は裏で手を結んだとばかり、
今では反政府的な歌を歌わない限り自由にロックをやることが出来るようになった。

若者は流行りのファッションを着替えるように、
テクノが流行ればハードロックの洋服を脱ぎ捨ててそれを着るように、
中国のロックも時代と共にめまぐるしく様変わりをした。

あの時かけた「命」は一体何だったんだろう・・・
中国でドラムを叩く時にいつもそんなことを考える・・・

「どう生きるか」は「どう死ぬか」と考えた方が結論が簡単だからという単純な理由でそこに向かって突っ走っていただけかも知れない。

ドラムを叩く時は「これが最後の演奏になる」と覚悟する。
実際に何度も「死」を覚悟したのだ、簡単な話である・・・

北朝鮮に行ってロックをやるなんてワシにとったら危険でも何でもない。
あの頃にヤツらと一緒に中国ロックの黎明期を作り上げるのは文字通り本当に「命がけ」だったのだ。

全中国ドラムクリニックツアーで、
子供達が課題曲としてメタリカを叩くのを見て不思議な気分になる。

あの頃ロックを聞いて拳を振り上げてた若者が大人になって、
田舎に帰ってドラム教室の先生になり、
あの頃に聞いてたロックを子供達の課題曲に指定し、
なに不自由無く育った子供達はそれをそのまま受け入れて演奏する。

平和になった・・・と言えないこともない・・・

それは決してロックの先人たちが命をかけて今の社会を作ったのではなく、
単に「時代が移り変わった」だけなのかも知れないが、
兎にも角にもあの頃には絶対に想像だに出来なかった世の中に今はなった。

北朝鮮だっていつかはそうなるんだと信じても何ら不自然ではない。

平和だ・・・

小畑秀光が路上で歌っているのを見てまたそんなことを考えた・・・

Posted by ファンキー末吉 at:11:35 | 固定リンク

2013年8月 8日

小小舞台(小さな小さなステージ)

もう何度目になるだろう・・・
亜洲鼓魂ライブとか誕生日マラソンライブとかやってるから実はもう結構回数を重ねているかも知れないが、
毎月を目標にやろうと決めてから数回目、今回がある意味一番いいライブだったかも知れない・・・

いつもは張張(ZhangZhang)が来て即興性の高いことやって混ぜ返してくれるのだが今回はあいにく忙しくて来てくれない。

飛び入りで歌うことになってた破碎楽隊の江巍も来れなくなって、
結局はいつもの布衣BeiBeiのユニットPairだけである。

まあワシには「ひとりドラム」という強い武器があるので全然気にしないが、
問題はPairのボーカルの安敏捷(An MinJie)が突然脱退したということである。

まあBeiBeiもよくボーカルに逃げられる男である・・・(笑)

いや、笑い事ではない。
最初のボーカル妮子(Niz)に逃げられてから一度ボーカルを換え、
それにも逃げられてやっと見つけたボーカルが安敏捷(An MinJie)だったのだ。

実はこの最初のボーカル妮子(Niz)とBeiBeiは彼氏彼女の仲だった。
まあ言うなれば夫婦喧嘩がバンド仲に飛び火したようなもんである。

「ファンキーさん〜誰かいいボーカルいませんか?」
そう泣きついて来たBeiBeiにワシはこんこんと説教した。

「お前なぁ!!歌もうまい、ルックスもいい、その上オ○ンコもいいなんて、
(スミマセン、ワタシ外国人、表現ガチョット直接的ネ)
いくら中国が広いったってそんな都合のいい女がいるわけないじゃろ!!」

ワシは「1、二度とボーカルを変えない。2、二度とボーカルとヤらない」を条件に
(スミマセン、ワタシ外国人、表現ガチョット直接的ネ)
最後にもう一度だけ助けてやることにして今がある。

まあ逃げ出した二人目のボーカルは仕方がない。
BeiBeiが妮子(Niz)と作った楽曲の数々を聞いて、
「これはイケる!!」
と思って自分でレコーディング費用を出すことにしたが、
思ったよりも金がかかるしこれは回収出来ないなと判断して逃げ出したのだ。

酒場で歌っていた安敏捷(An MinJie)を引っ張って来た時、ワシは
「これで最後だからな」
と念を押したが、まあ言ってみれば安敏捷(An MinJie)はよく頑張った。

BeiBeiにプロトゥールスの使い方を教えてやって、
「お前が自分で操作するんだったら別にいつでもスタジオ使っていいから」
とほっぽり出していたら、これが毎日毎日昼から夜中まで歌入れをしている。

BeiBeiのあまりに厳しいディレクションにベソをかくこともしばしば・・・
そんな甲斐あって今では安敏捷(An MinJie)ももう大歌手の貫禄がある。

ところが1枚CDを出して評価が少々高かったぐらいですぐに大金持ちになれるほど中国も甘くはない。

安敏捷(An MinJie)の結婚、出産もあってPairの活動が出来ないうちに、
生き馬の目を抜くこの世界からはとんと置き去りにされた感は否めない。

BeiBeiは作曲や編曲の能力を認められてスタジオ仕事などをやって稼いではいるが、
こうなって来ると潰しのきかないのがボーカルである。
いろいろあって脱退したのもうなずける。

まあバンドが売れなくて解散するのと似たようなもんである・・・

「じゃあライブどうすんのよ・・・」
ワシはすぐさま電話をかけてBeiBeiに聞いた。

「実は・・・妮子(Niz)に声をかけたんです・・・」
そう答えたBeiBeiに、
「お前!!またなぁ!!・・・」
と説教しようとするのを遮って、
「大丈夫です。彼女はついこないだ男の子を生んだばかりですから・・・」

まあこんないきさつでとりあえずは妮子(Niz)と一度やってみようということになった。

ワシのこの北京定例ライブは「商業的ではない」というポリシーを持っていて、
参加する人は平等に「金のため」ではなく、「自分の音楽」のために参加する。

Pairなどはボーカルとギターだけのユニットなので
こんなイベントでもなければバックバンド雇わなくちゃなんないんだからライブなんか出来ようはずがない。

だからやりたい新曲でも持って来ればリハしてやってあげるし、
他の歌手でも誰でも参加したい人はバックをやってやる。
新しいボーカルのオーディションとして利用してくれるのも全然問題ないぞ!!

というわけで子連れのリハーサル開始!!

NizAndBaby.png

授乳とかあるので仕方がないのよ〜
リハの途中にオムツ変えたり授乳したりもう大変(笑)

歌の方はあれから10年歌ってなかったと言うが、
「なんかしっくり来るなぁ」と思ったら、
まあもともとオリジナルを歌ってたのは彼女なのだからそりゃそうである。

なんか安敏捷(An MinJie)の歌がもの凄く「大人」で、
彼女の歌がもの凄く若く聞こえたのは気のせいだろうか・・・

その謎はライブが終わってから解けることとなる・・・

などと謎めいた言い回しをせずとも明くる日がもうライブである(笑)
院子からせっせこと機材を積んで先にライブハウスに入る。

例によって遅刻魔のBeiBeiは来てないが
後で聞いたら妮子(Niz)を迎えに行ったが授乳があるから6時まで出れないとのことなので許す(笑)。

いつも張張(ZhangZhang)とのセッションから始まるこのライブも、
今日は張張(ZhangZhang)がいないので「ひとりドラム」から始める。

まあ「ひとりドラムツアー」で慣れているので全然大丈夫である。
相変わらずどん引きしてるのか度肝を抜かれているのかわからない客席の反応を全く気にすることもなく叩きまくり(笑)、
終わった拍手を聞いて「あ、受けてたんだな」といういつものパターン。

どうせどん引きされてても叩くドラムは同じなんだから気にするだけ損なのよね〜

そしていよいよPairの出番。
楽器のセッティングもあるだろうから妮子(Niz)は置いて先にプレイヤーから呼び込む。

BeiBeiを呼び込む時には毒舌をたっぷり込めてやる。

「知り合ったのは私が音楽監督を務めた零点のスタジアムコンサートの時、
ギターの裏でエフェクターの切り替えをしてたのがこいつです」

から始まって、
「終わってしばらくしてから電話かけて来たんだけど全然覚えてませんでした〜」
と続いて、

「『僕レコード出したいんです!!』と言うので
『バンドやってんの?』と聞いたら『やってません』
『じゃあお前が歌うの?』と聞いたら『歌えません』
『じゃあどうやってレコード出すの?」と聞いたら、
『僕は何曲も素晴らしい曲を書いたんです。ボーカルを紹介して下さい』
『そんなこと出来るかい!!自分で探して出直して来い』
と言って探して来たのが彼女なんです」
と言って妮子(Niz)を呼び込んだ。

ライブ後に他のメンバーはワシが彼氏彼女のネタを言うのかと思ってヒヤヒヤしていたと言うが、ワシもそこまでバカではない。
ボーカル脱退をまだ正式に表明していないPairのボーカルが今日はどうして彼女なのかをお茶を濁してうまく説明してやりたかっただけのことである。

「つまりこの妮子(Niz)はPairのオリジナルメンバーなんですよ。
皆さんが聞いたPairのアルバムは実は彼女とBeiBeiが作った曲。
今日はPairのオリジナルバージョンをお楽しみ下さい」

こう紹介すれば、別に今日だけボーカルが変わったんだなと思ってくれてもいいし、
今日やってみて妮子(Niz)はやっぱダメだなと思ったら次に誰が来て歌ってもいい。

Pairのライブが始まった。

BeiBeiもいつもちょろちょろと余計なこと考えてミストーンは多いし、
ベースも今日は韓陽(HanYang)が来れないのでテクニック的にはちょっともとないので、
まあ今日はいろいろ「事故」があるだろうなと思ったら、
BeiBeiのギターが初っ端からもの凄く「しっかり」していたのでびっくりした。

まるで人が変わったようである。
妮子(Niz)も10年歌ってないと言うので舞台でどうなのかと思ったが、
なんかもともとこのバンドで歌っていたボーカルのように堂々と歌っている。

そこでいろんなことを思い出した。

10年前ワシらはこうやって毎日リハーサルをやっていたのだ。
あーでもないこーでもないと曲を作って、
ああそれだったらこうして転調すればいいよと教えてあげたり、
その時の記憶が全部呼び戻されて来た。

考えてみたら妮子(Niz)はリハーサルだけを一生懸命して、
結局一度もライブをやることなく脱退したのだ。

昨日のリハーサルの時に感じた不思議な感じはこれだったのだ。

妮子(Niz)も脱退してからいろいろあっただろうが、
その間の歌を全く歌ってなかったという人生を全部カットして、
ワシらはタイムマシンに乗ってあの時の次の瞬間に来て、
妮子(Niz)と一緒にこうして「初ライブ」をやっているのだ・・・

ワシがストリングスアレンジをやった海妖(HaiYao)という曲もやった。
あの時あんなにあーだこーだやってやっと作り上げたこの大曲を、
彼女は今日初めて人前で歌っているのだ。

そして最後の曲「小小舞台(XiaoXiaoWutai)」で彼女は涙を見せた。


路灯已不太亮 影子都摇摇晃晃
(街灯はもう明るくなく、影がゆらゆら揺れている)
空荡荡的街 也不再匆忙
(がらんとした街、もう慌ただしくもない)
倦了累了哭了 每天平凡地收场
(疲れて泣いてイヤになって、毎日の平凡な幕引き)
没有人抚慰我疲惫肩膀
(誰も私の疲れ果てた肩を抱いて慰めてはくれない)

经过的人 怕触摸彼此冰冷的目光
(通り過ぎる人と冷たい視線を交わす)
也许心中 和我一样 想放声歌唱
(ひょっとしたら心の中は私と同じ、声を張り上げて歌いたいのかも知れない)

如果有一个小小舞台
(もしも小さな小さなステージがあったとしたら)
让我站在中央 做着美梦 唱着我的心情
(私をその中央に立たせて美しい夢を見させて、私の気持ちを歌わせて)


曲の最後のギターと歌だけになる部分、
「如果有一个小小舞台(もしも小さな小さなステージがあったとしたら)」
で彼女は泣いた。

声を詰まらせながら歌い終えた彼女は、
その小小舞台(小さな小さなステージ)を降り、
授乳のためにそのまま家に帰って行った。

彼女がやっと立ったその小小舞台(小さな小さなステージ)に残されたワシは、
もう一曲だけひとりドラムでWings中国語版を演った。

いいステージは伝染するのか、続く布衣のステージももの凄くよかった。
まるで何十年も一緒にやってるバンドのようだ。

でも考えたらワシも彼らともう8年一緒にやっている。
ファーストアルバムを一緒に作ってから、
来月発売になるアルバムでもう4枚目になるのだ。

20130807BuYi.jpg

ライブは大成功に終わり、
ワシもその小小舞台(小さな小さなステージ)を降りた。

いつの間にかその小さなライブハウスは満席になっていた。

お客さんは口々に「とてもよかった」とワシに言い、
チャージを渡しに来た若いオーナーは
「ビール飲むかい?奢るよ。何本でも飲んでいいよ」
と言った。

今日一緒にやってくれた出演者にいつものように100元ずつ配ったら、
今回初めてワシの手元にいくらか残った。

100元と言えば日本円で1500円もないが、
50元の入場料で店が半分取ったらお客さん4人分の収益である。

それぐらいは払わなくちゃと思って毎回ワシは足りない分は自腹で払っていた。

飛行機代を払って往復し、自分で金を払ってライブをやってりゃ世話ないが、
でもこの外国で、毎月でもいつでもこんな自分名義のライブをやることが出来る日本人なんてワシしかいないのだ。

晩飯もみんなで食っていつもワシが払っていたが、
今回はその晩飯代をさっ引いてもワシの手元に27元残ったのだ。

BeiBeiが帰り際にこう言った。

「ファンキーさん、すぐレコーディングを始めます!!
テレビドラマで使ったというあの曲を僕に下さい!!」

安敏捷(An MinJie)に歌ってもらった挿入歌を、
彼は妮子(Niz)でPairの2枚目の曲としてレコーディングするつもりなのだろう。

止まっていたタイムマシンが動き出した・・・
こんなこともあろうかと曲の権利はテレビドラマ側に渡さずに置いてある。
曲ぐらいなら何曲でも提供してやるぞ。

「来月のライブは9月4日にCD Cafeでやるからな。遅刻すんなよ」
そう言って別れようとしたが、やはり憎まれ口のひとつでも叩いてやらねば気が済まない。

「あ、そうそう・・・」
と言ってBeiBeiを呼び止めて耳元で囁いた。

「もうヤるなよ!!こんどヤったらもう二度と助けてやらんからな」
(スミマセン、ワタシ外国人、表現ガチョット直接的ネ)

「勘弁して下さいよ・・・」
笑いながらBeiBeiはこの小さな小さなライブハウスをあとにした。

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2013年7月16日

黒豹25周年のドキュメント

中国のテレビ番組かなんかなのだろう。
こんなドキュメントがネットで流れていた。

うまく表示されない場合はこちらこちら

番組ではワシのことは触れていないが、
いくつかの写真で若かりし頃のワシが登場している。

そう、中国ロックの歴史の中で一番CDをセールスした黒豹というバンドとワシはいつもそばにいた。

それどころか番組の中の1998年オリンピックスタジアムで彼らが叩いていたドラムセットはワシのドラムセットである(笑)


あの頃はワシが中国に入れ込むのをみんな「理解出来ない」という表情で傍観していた。
今ならこんな風に説明出来るかな・・・

「北朝鮮のように自由にロックが出来ない国、
そんなマンガみたいな国は世界には実際にあったんだ。
そしてそんな国で実際に命がけでロックをやっている若者が本当にいたんだ」

実際、命がけでロックをやって来た中国ロックの創始者「崔健(CuiJian)」のいばらの道を横目で見ながら、
ワシの老朋友たち黒豹はまた違った道を歩んではいた。

殺されることはなかったにしろ、
企画したコンサートは政府の妨害にあって中止されることもしょっちゅう。

そんな弾圧の中、彼らを突き動かしたのは「反体制の精神」でも何でもない。
今から考えると、
「ロック・・・かっこいいじゃねえか」
という若者独特のヒロイズムだったのかも知れない。

ロックが一番熱かったそんな時代を北京で一緒に生き、
そしてロックが商業化されてゆくに従ってワシらの距離は広がっていった。

その後ボーカルの「竇唯(DouWei)」が脱退し、
このドキュメントは5人目のボーカル「张淇(ZhangQi)」が加入し、ニューアルバムをリリースするところで終わっている。

実はそのアルバムにはワシも「趙明義(ZhaoMingYi)」から
「どうしても叩けない曲があるんだよ〜叩いてくんないか」
と呼ばれて2曲ドラムを叩いたが、
後にその曲はボツになったらしく、アルバムには収録されていない。

まあちゃんとギャラはもらったのだからどうでもよいが・・・(笑)


インタビューの中でギタリストの李彤(LiTong)はこう発言している。

「もし俺たちが楽器が弾けなくなっても、
後継者達がそのブランドを継ぐだろう。
黒豹=誰というのではない、黒豹はひとつの旗(a symbol of Spirit)なんだ」

あの日、趙明義(ZhaoMingYi)と飲んでる時、彼はこう言った。

「誰か若いドラマーを募集してドラムの座を譲る。
俺はドラマーを引退して黒豹の株主として生きてゆくさ」

ワシはそれを聞いた時に「いいアイデア」だと言った。

頃は同じくジャーニーが若いフィリピン人ボーカルを入れて大復活を遂げていたが、
バンドが会社になって引退したメンバーが会長職に残る形式なんて聞いたことがない。

あの頃、ロックをやってはいけない国でロックをやってた若者たちは、
ロックで大儲けしてそのブランドを守り続け、
今度はそのブランドを「ロックで儲けたい」と思っている若者たちに継承させて、
自分たちはその配当をもらって生きてゆく。

ロックが一番熱かった時代は過ぎ、こうしてロックはまた商業化されてゆくのだ・・・

黒豹の行く末は世界のロックの行く末を暗示しているのかも知れない・・・

Posted by ファンキー末吉 at:13:50 | 固定リンク

2013年7月 9日

スタジオミュージシャンという職業

「ファンキーさんは中国で何やってんですか?」
とよく聞かれるが、迷わず
「スタジオミュージシャンですよ」
と答えると、大体の日本人は不思議そうな顔をする。

日本でテレビなんかに出てた人がどうして外国行ってスタジオミュージシャンなんかやらなきゃなんないんだろう・・・とでも言いたそうである(笑)


ワシにとってスタジオミュージシャンは憧れの職業だった。

尊敬するドラマーは村上ポンタさんだし、
その世代のスタジオミュージシャンは皆ワシの憧れの人達である。

ワシも何とか日本でスタジオミュージシャンとして活動したかったのだが、
中国と違って日本は「バンド」はバンドの世界、
「スタジオミュージシャン」はスタジオミュージシャンの世界があって、
「芸能人」と見られているワシはどうしてもそこに入ってゆくことが出来なかった。

代官山プロダクションに所属して、
社長の新田一郎からいろんなスタジオ仕事を紹介され、
「お前は立派にスタジオが出来る腕を持っている」
と言われて小躍りしたもんだが、
当時はバンド内部にいろんな危機もあり、
新田一郎はワシにむしろプロデューサーとしての資質を見出してそれを徹底的に叩き込んでくれた。

あのスタジオミュージシャン達になくてお前にあるものは何だ?
それはバンドの「名前」だ。
ヤツらだってそれが喉から手が出るほど欲しいんだ。
お前が一番メリットがあることは何だ?バンドを大きくすることだろ。
お前が一番得をすることは、お前の前にいる中野や河合がもっともっと輝くことなんだ。

精神的には一番苦しかった時代だが、
ここで勉強したことが今一番ためになっている。


その後所属事務所がアミューズになって、
当時のトップに人とのミーティングでこんなことを言われた。

「爆風スランプ以外の仕事はしないで下さい」

新田一郎の時代にも、結局スタジオ仕事というのはバンドの「名前」を利用するものが多かったわけだから、
所属事務所としてはそんな「はした金」でこのブランドを利用されたりしたらたまったもんじゃない。

「じゃあバンドの名前を出さなかったらいいですか?」
ワシはとことん食い下がる。

「私と和佐田はバンドのメンバーである前にプレイヤーなんです。
それを捨ててまでバンドなんてやるつもりはありません!!」

そうまで言ったか言わないか、さすがに相手はプロである。
ビシっとこう断言した。

「アミューズは末吉くんを含めた爆風スランプとビジネスをしたいのであって、
末吉くん個人とビジネスをしたいわけではない」

まあ日本の中でも大会社であるアミューズのトップからこれだけ断言されるというのもなかなかもの凄い(笑)

結局「やるなら金は取らないで下さい」なのか、
「そんなはした金どうでもいいや、勝手にやれ」なのか、
何となくずるずるとセッション活動などはやり続けることになったのだが、
結局スタジオ仕事というのは意に反して廻って来るわけはなかった。

当時としては天下の爆風スランプのメンバーに、
「一曲いくらでドラム叩いて下さい」
などと言える業界人などいるわけがないのだ(笑)

結局今でも「ファンキー末吉」と言えば「爆風スランプの人」で、
いつまで経ったってスタジオミュージシャンなんて世界とは遠い遠い世界の人だと思われているのがワシにとっての「日本」という国の現実である。


その点、中国では爆風スランプなど誰も知らなかったから楽である(笑)

この国では、
「中国ロックの先人たちと今の中国ロックを作り上げた日本人ドラマー」
という一種の「伝説」じみた存在であると共に、
何よりも「とてつもなく優秀なドラマーである」と思われている。

「優秀である」のであるから譜面が書けたりアレンジも出来たり作曲したり、
ひいては音楽ビジネスにも長けているわけだからプロデュース仕事は当然出来るだろう・・・

・・・とこの国の人達の考えってとてつもなく単純である(笑)


最初にこの国でスタジオ仕事をやった時は可笑しかった。

「噂のファンキーさんとやらと是非仕事をしてみたい」
ということでとあるアレンジャーが私を使ってレコーディングをした。

しかし彼は当時流行りの「テクノ」のアレンジャーで、
生ドラムを使うのは生まれて初めてのこと。

参考となる曲を聞かせて、
「テンポは○○です。では叩いて下さい」

?????

「あのう・・・クリックだけ?・・・オケとかはないんですか?・・・」

そう言った瞬間に彼の顔にありありと
「これだから外国人と仕事は出来ないんだ。言葉が通じない(怒)」
とばかりの表情が現れる。

「よく伝わってませんか?あの曲をお聞かせしましたよね。
そんな感じでイントロが8小節、Aメロが8小節、サビが8小節です。
ではどうぞ!!」

「ではどうぞ」って言われたってどんな曲かもわからない(笑)

「せめてメロディーはないんですか?」
と聞いてみる。

「メロディーが必要ですか?」
とても意外そうな顔をしながら、彼はクリックに合わせて仮歌を入れた。

ワシ・・・クリックと仮歌だけを聞きながらドラム叩いたんですけど・・・(爆)

考えてみたら彼はテクノのアレンジャーなので、
ドラムマシンのようにスイッチを押したら最高のグルーブが出て来るものだと思ってたのだ。


これは笑い話として、それから彼とは何度も仕事をして、
一緒に中国のヒットチャートに何曲もヒット曲を送り込んだ。

彼はワシのドラムをサンプリングして、
それを打ち込みのドラムと混ぜてうまく使った。

業界人はあまりにクリッックに対して正確なワシのドラムに
「え?これ生ドラムなの?」
と驚愕し、この国のその後のスタジオ仕事のやり方が変わっていった。

ワシも彼から学んだものは多いし、
彼はワシとのコミュニケーションの中で「生楽器」というものを学んだ。

何作目からは
「やっぱりパンチインせずに最初っから最後まで叩いたテイクが一番いいね」
ということを覚えてしまい、
その後彼とのレコーディングは地獄を見ることになるのだが・・・(笑)


昨日の汪峰(Wang Feng)の仕事では、
贾轶男(Jia YiNan)という若いアレンジャーがいろいろ指示を与えるのだが、
これがまたドラムマシンに慣れている世代は言うことが恐ろしい。

「ファンキーさん、この曲のこの部分はハイハットを裏で踏んで下さい」
とかいろいろ無理難題を要求する。

自分がプログラムしたドラムパターンと全く同じでなければ気がすまないのだ。

カチンと来たワシは少々時間をもらってそのパターンを練習して、
完全に叩いてテイク1を録る。

「スゲーや!!このパターンが生ドラムになった!!」
小躍りしている彼に冷静に水を差す。

「じゃあこれをキープして、もう1テイク別パターンを録らせて下さい」
今度はドラマーとして叩き易いパターンで叩く。

「どっちがいい?」

彼はもちろん自分の考えたドラムパターンがいいと言うが、
今度は当の本人の汪峰(Wang Feng)が頭を抱える。

ブースに戻って来てお茶を飲みながら語る。

「頭で考えたことって実際やってみると企画倒れになることが多いよ。
身体が自然に動いてそうなるものっていうのは一番自然だったりする。
頭で考えたことは頭でしか理解されないけど、
身体が自然に動いたものは身体がそれを理解する。
要はどっちが歌い易いかということだよ」

ドラマーはフロントマンを輝かせるのがその仕事だ。
尊敬する村上ポンタさんはこんな名言を残している。

「歌ってるヤツでも吹いてるヤツでも弾いてるヤツでも誰でもいい。
思いっきり輝きたかったら俺を呼びな。一番輝かせてやるぜ!!」


昨日のレコーディングではワシが参加した汪峰(Wang Feng)のアルバムももう3枚目になる。

3枚も一緒に作るとお互いにもう理解し合っている。

香港のライブが終わって、寝ずに飛行機に乗って北京に着いて、
そのままスタジオ行ってセッティングして、ドラムをチューニングして叩く。

打ち込みと完全に同期するように機械的に、
しかもそれに人間ならではの「感情」を入れて叩く、
そんな種類のワシにとっては簡単な曲から録ってゆく。
まあ疲れててもそれぐらい叩けないことではない。

しかしそれが終わってシングル曲になった時に汪峰(Wang Feng)はこう言った。

「ファンキー疲れてるだろ。今日はもう終わりにしよう」

仕事なのだから疲れてる姿など微塵も出さないように努力しているのだが、
「音楽」というのは不思議なもので、それが「音」で伝わってしまうのだ。

1枚目、2枚目とワシはもの凄く高いレベルのドラムを叩いた。
次には
「ファンキーだったらこれぐらい出来るはずだ」
そう思って曲を用意して来るのだ。

その「期待」に答えられないようじゃこの仕事はやっていけない。


その日はゆっくり寝て次の日には絶好調で叩きまくった。

「OK!!」
叩き終わったプレイバックも聞かずに汪峰(Wang Feng)は即OKを出した。
そこらじゅうに折れたスティックが散乱していた。

「どうもありがとう」
そう言って札束をどどんとくれる。
(中国の最高紙幣が日本円でたかだか1000円ぐらいなので、5曲も叩くと必然的に札束がどどんと来るのだ)

お金をもらうことはもちろん嬉しいことだが、
何よりも人に感謝をされてお金をもらえるこの仕事がワシは素晴らしいと思う。


ポップスの歴史が始まってからが浅いこの国では、
ワシよりも年齢が上のスタジオミュージシャンは事実上いない。

また、ワシよりも経験値の高い現役ミュージシャンもいない。
(みんなこの歳になったらもっと実入りのいい生活に入ってるしね)

だから一番先輩としてワシはこの国の後輩ドラマー達に対していつもこう思っている。

「今回お前じゃなくてどうして俺にこの仕事が来たのか、
このドラムテイクを聞いてゆっくり考えてみろ。
お前は今までこれほど命懸けで叩いて来たか?」

ワシは日中を行ったり来たりしているので、
スケジュールが突然決まるこの国のたくさんの仕事は断らねばならなくなる。

その時にはお前がこの仕事を受けて、
俺のドラムをお前が死に物狂いでコピーして、
そして次からはお前がその仕事をやればいい。

お前らが全員俺を越えた時には俺は喜んで引退してやろう。


スタジオミュージシャン・・・素敵な職業である・・・

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2013年6月21日

ファンキースタジオ八王子が中国の音楽工場になる日々

王様のツアーの最終日に中国から電話がかかって来た。
「この2〜3日どんな感じ?」

最近どうしてる?と聞いてるのかと思って、
日本でツアーしてるだの次は無錫だ上海だ香港だの、
北京にはその帰りに汪峰のレコーディングで1日だけ北京行くけどねぇ〜とか話してたら、
「違う!!この2〜3日のスケジュールを聞いてるんだ。
メドレーのアレンジを頼みたいんだよ。ギャラもちゃんと出るし・・・」
と来た。

また例のよってネット番組の仕事である。
このブログでも時々紹介しているが、
最近の中国ではテレビなんかよりネットの方が視聴率がよい、
つまり宣伝費が集まるということで制作費が出る、
というわけで1本の番組に2000万以上の制作費を出して、
それを毎週毎週製作しては放送したりしてるんだから制作側も大変である。

ついに来たな・・・

もう正味回っていかないのだ・・・
あちらのトランぺッターのアルバムをプロデュースしてるのだが、
キーボードの張張(ZhangZhang)がこの番組に掛かりっきりにされているので、
全ての仕事は張張(ZhangZhang)待ちというわけで全然進まない。

頃は同じくして江建民(Jiang JianMin)という、
北京に引っ越して来た台湾で一番売れてたアレンジャー
からの仕事の連絡が来る。
「6月28日から7月4日までの間でどっかレコーディングしてくれ〜」

何と日本からの渡航費まで出すと言う(驚)

6月28日は高田馬場で王様のツアーファイナルやし、
29日には無錫まで飛んで全中国ひとりドラムやし〜
7月1日に上海でライブやって、2日から香港やから無理〜・・・

忙しい時ほど仕事が入ると言うけど、
汪峰のレコーディングもここ最近飛び込んで来て、
「香港から日本への飛行機をキャンセルしても来てくれ」
と言うのだからよっぽどミュージシャンが回ってないのだろう・・・

まあ北京まで行くのは無理だが、こっちで録ってもいいなら出来るぞ・・・
というわけでメドレーの仕事は引き受けた。

ところがネット番組っつうのは毎週生放送で流してるんだから〆切がキツい(泣)

「ひとりの歌手は20日しかスケジュールがないから、
その曲だけでも20日までに仕上げてくれ」

メドレーは全体を作らないとその1曲がどうなるやらわからんので、
こりゃ王様ツアーから帰ったら徹夜やぞ・・・

・・・と思ったらやはり疲れていたのかすぐ寝てしまった・・・

今朝起きてうむと考えた。
誰か代わりにちゃちゃっとアレンジしてくれる人はいないもんか・・・

早起きして仮谷くんにメールを書いてみるが、
夕べは岡崎トリオだったので深酒しているのか起きて来ない。

でもメドレー仕事はワシや仮谷くんのような人は機械で打ち込まねばならないので非常に手間がかかるが、キーボーディストだったら早いぞ・・・

・・・ふと思い出したらうちの近所にHeysukeさんというキーボーディストが住んでいるではないか・・・

電話番号は知らないのでメールと、
ついでにTwitterでつぶやいたらすぐに連絡が来た(驚)

「忙しいところすみませんが・・・」
というわけでさっそくかけつけてもらう。

それまでに仮谷くんと手分けして8曲のメロディーを打ち込んでおく。
それを聞きながらクリックに合わせてピアノでも入れといてもらえれば何とか形になる。

中国から連絡が来た。
「北京時間6時には伴奏を送ってくれ」

うーむ・・・Heysukeさんは5時には出て他の仕事に行くので、
そこから2時間で歌を歌えるオケを作るにはドラムなんか打ち込んでたら間に合わんなぁ・・・

というわけで生でドラムを叩く・・・
ベースも仮谷くんに生で弾いてもらう・・・

曲の長さが15分以上あるのでBounceに時間がかかる・・・
ファイルを送るのも時間がかかる・・・
向こうは向こうで受け取って全部聞くのにも時間がかかる・・・

その間にギタリストをブッキング・・・

西野やすしさんが24日にうちで何かレコーディングするとか言うとったんで、
「その前の日とか徹夜する気ありますか?」
と聞いたら、それより何よりそうなると早く来るために京都から徹夜で車運転せなあかんので危ないのでやめた。

田川くんに「徹夜する気ある?」と聞くと、
「面白そうだから徹夜します」
と来たのでとりあえずキープ・・・

中国側から直しが来る・・・
直してまた中国に送る・・・

あれ?・・・〆切から逆算すると、
ギターを録る前に必ずドラムは録り終えとかないかんから、
結局ワシが徹夜?・・・

うーむ・・・直しの決定が来るまでとりあえず今寝とくか・・・

それよりも今回うまくいって「また来週も」となったらどうしよう・・・と取らぬタヌキの皮算用・・・

誰かに振るか?・・・
いや、やり取りは全部中国語やし、
曲の長さをカットするには必ず歌詞をチェックして切らないと大変なことになるので中国語が分かる人が大前提・・・、
何より中国人受けするアレンジってそこの空気吸ってる人じゃないと無理なのよねぇ・・・

やっぱ次来たら断ることにしよう・・・(笑)

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2013年5月27日

中国のオーディション番組に出演する日本人歌手

中国ではオーディション番組が花盛りである。
生バンドで伴奏する番組が多く、
優秀なミュージシャンが全部それらに駆り出されてしまっているので仕事にならないほどである。

かく言うワシも、先日とあるミュージシャン仲間から誘われた。
「6月から1クール頼むからドラム叩いてもらえないか・・・」

もちろん断った。
スケジュール的に絶対に不可能なのだ・・・(涙)

火曜日に生放送、
そのためには月曜日にゲネプロ、
週末までには全曲リハーサルをすませ、
参加者達全員にそのオケを送っておかねばならない。

生放送が終わったらすぐに次の週のを準備・・・
それが3ヶ月延々に続くのだ!!(恐)

この時に言った彼の言葉
「ファンキー、頼むよ〜・・・ギャラも結構出るんだよ〜」
というのをみなさんとりあえずここで覚えていて欲しい。


さて数あるオーディション番組にの中で一番有名なのが冲刺好声音という番組だという。
なんとテレビ番組ではない。ネット番組なのである!!(驚)

「なーんだネットTVか・・・」
などとナメてはいけない。

日本のように数局だけがしのぎを削っている小国ではない。
中国のテレビ局は400以上もあり、
今やそのチャンネルのどこを選ぶかというより、
それだったらということでみんなネットTVを見るのだ。

視聴率が集まれば当然ながらスポンサーが集まる。
スポンサーが集まれば金が集まるので制作費が潤う。

このネットTVは
「テレビのクオリティーに負けてたまるか!!」
をスローガンに何と一本の制作費に200万元、
つまり日本円で2400万円かけて製作するのだ!!(驚)

今日本で1本に2400万かけて作る歌番組ってある?(笑)

だからこそバンドにもちゃんとギャラが支払われる。
「ファンキー、頼むよ〜・・・ギャラも結構出るんだよ〜」
という言葉はここに起因するのである。


さてこのお化けネットTV冲刺好声音
今期の音楽プロデュースは峦树が請け負ったおかげでワシの周りのミュージシャンは全てこれに駆り出されている

もちろんこのバンドからも「ドラム叩いてよ〜」と声がかかる。

いや〜お前ら、実はドラムが目的じゃないじゃろ・・・
2人のキーボーディストが毎回曲を分担してアレンジをし、
譜面を書いてプログラムが必要なら打ち込んで・・・
それを毎週毎週延々に繰り返す・・・

ワシが参加すればアレンジも出来るし譜面も書けるし打ち込みも出来るし・・・
便利やから使いたいんやろ〜〜〜〜(笑)

日本のスケジュールは数ヶ月前には決まってしまってるからな〜
いきなり言われて3ヶ月間ずーっとベタで仕事はやれんよ〜〜〜(笑)


話変わって、
ワシはワシで(6月はお休みするが)毎月北京で自分のライブをやることにして、
今月も21日に行ったのだが、
この番組のおかげでデブのキーボード張張(ZhangZhang)が忙殺されていて、
毎回毎回来れるやら来れないやらがわからない。

今回も「来れるか?」と電話をしたらちょうどゲネプロ中で、
それが終わったら折り返しすぐに電話がかかって来た。

「番組で出演者を探してるんだ。
前回お前のライブで歌った日本人歌手ってこの番組に出ること可能か?」


その日本人歌手というのは宮脇詩音
Live Bar X.Y.Z.→Aのオーナーでもある上海のKさんの店を手伝いながら中国語の勉強をしている。

言っておくが、中国のオーディション番組はケタ外れなのである。

ワシが昔プロデュースした艾梦萌(Ai MengMeng)という歌手は、
そのオーディション番組の走りであるお化け番組に出て今では有名歌手の仲間入りをした。
(その物語はこちら

現在1回の番組制作費に200万元使って作られているお化け番組に、
どんな手を使ったって出演さえ出来れば、それだけでもう中国じゅうに顔が知れる有名人の仲間入りとなるのだ。

当然ながら厳しい予選を勝ち抜いて来た人ばかりである。
アーカイブを見ると「これがアマチュアか?」という歌手ばかりである。

ワシの想像だが、
きっとこのような「プロ裸足」の歌手たちはいろんな中国のオーディション番組を掛け持ちしているので、このように大事な時に参加者が不足して来たのだと思う。

昔ワシが演奏したオーディション番組でもそうだった。
せっかく勝ち残った歌手が突然次の回からは出演しなくなったりするのだ。

理由は「プロダクションが決まったからもう出演しなくていい」というのから、
「他のオーディション番組でもっといい成績だからそっちに行く」とかいろいろである。

全くもってこれが中国、プロ裸足はこんなところでもプロが裸足で逃げてゆく商魂たくましさである。

厳しい予選をすっ飛ばして途中から参加出来るだけ無茶ラッキー!!
「これは出るべきやで〜」


彼女は中国語がまだまだ喋れないのでマネージャー代わりをしていたKさんから夕べ連絡が来た。
「プロデューサーから連絡がありました!!出られるそうです!!」

彼女はKさんにとって友人の娘なので「親代わり」のようなものだが、
「親」ってやっぱ大変である。

「すぐに北京来て、1週間滞在して、火曜日には生放送の本番なんですが・・・
それに付き添う通訳がいないんです・・・」

自分が行けないからワシに行ってくれと言うのじゃが・・・無理!!!(笑)

かくして北京じゅうの中国語喋れる日本人を探したが、
みんな当然ながらそんなにヒマではない。

そう言えば深センに引っ越して自分で会社起こした男がいたのう・・・
奥野竜太郎・・・後は頼んだぞ!!どろん!!


ps.張張(ZhangZhang)からメールが来た。
「聞いたか?計画は成功したな。じゃあお前のあの曲の譜面を送ってくれ」

・・・お前ひょっとして・・・自分の仕事を1曲ぶん楽するために彼女をねじ込んだ?・・・

勝ち抜いたら次の曲もワシが譜面を書け、と?・・・
勝ち抜き続けてる間じゅうずっと?・・・無償で?・・・ギャフン(>_<)・・・

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2013年5月21日

SIMカード

いろんな外国に行くので各国のSIMカードを持っている。

もちろん各国でそれが使えるようにSIMフリー携帯である。
SoftBankだけ、docomoだけしか使えないようなダサい携帯は使ったことがない(笑)

飛行機が着く時にSIMピンでSIMカードを抜いてその国のSIMに入れ替えるのだが、
先日台湾での乗り換えでどうやらSIMを一個失くしてしまったようだ(>_<)

日本の電話用、中国の電話用の2つの大事なSIMは無事だったが、
どうやら失くしてしまったのは中国のネット接続用のようだ。

「ようだ」と言ったのは、
もう老眼なので小さなSIMに書いてある文字が読めないのだ。

またSIMっつうのはそれ自身に電話番号を書いてあるわけではなく、
電話会社のマークを見ながら、
「これは何用のSIMだったっけ」と想像するしかない。

このSIMは唯一「ローミング」が出来るやつで、
老呉(LaoWu)の名義で買ってもらったヤツである。

中国のIDとかが必要でいろいろ大変だった。

失くしたのですぐに老呉(LaoWu)に知らせてカードを止めてもらわねばならないのだが、
乗り換え地の台湾では結局ローミングが出来るSIMはこれしかなかったのでネットにつなげない(>_<)
飛行機の中なのでこのためだけに台湾のSIMを購入することも出来ない。

通話用の中国のSIMと日本のSIMを2枚挿している、
同時待ち受けが出来るスグレモノ携帯はGSM形式なので台湾では使えない。

仕方がないので日本のSoftBankのSIMをiPhoneに挿し直してSMSで送る。

SoftBankのSIMは通話専用で、
月額980円のパックにしているのでネットにはつなげないがSMSは送れるのだ。

こうやってSIMを差し替えたりしてる時にSIMを失くすんだから何か方法を考えねば・・・(>_<)

そして日本に着いてから考えた。
失くさないようにちゃんとビニールに入れておこう、と・・・

物販で本を売る時用にお釣りを入れる小さなビニールがあったので、
それに入れてそのビニールをしまった。

そしてどこにしまったか忘れてしまってまた失くしてしまった(>_<)!!!

いろんなところをひっくり返して探しまくったが見つからない・・・
見つからないどころかまたわけのわからんSIMが出て来たりして、
結局手元にはこんなわけのわからんのがたくさん出て来てしまった・・・

SIMCARDS.JPG

例によってSIMカードに書かれた小さな文字は読めないし、
読めても電話会社の名前から国を特定出来るほど知識と記憶力はないので、
仕方がないのでiPhoneに挿して携帯に電話して、
表示される国番号から特定してゆく・・・

こりゃもう国ごとにちゃんとビニールに入れて、
ついでにその国の通貨も一緒に入れて、
ちゃんと大切に保管・・・ってどこに保管すれば失くさないんじゃろ・・・

SIMたくさん持ってる人〜どうやって保管してます?・・・

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2013年4月28日

モンゴル人の歌

ここで言う「モンゴル人」とは、厳密には「モンゴル族中国人」なのだが、
日本人が「関西人」を別の人種のように言うのと同じように、
ここでは敢えて「モンゴル人」と言わせてもらう。

いやホント別の人種(笑)

北京の仕事の大きなものの中に「未払金の回収」というのがあるが、
そんな中の一人がモンゴル人だったので行って来た。

当然ながらいきなり酒!!(涙)

彼らは毎食ごとに白酒を飲むという豪傑である。
当然ながらビールなど飲まず白酒(号泣)!!

救いは「奶茶(NaiCha)」と呼ばれるミルクティーと、
羊肉料理の油で胃に膜を作り、
50度を越えるその酒から胃袋を守ることである(命懸け)・・・

彼らは飲むと歌う、歌うと飲む・・・

前回内モンゴルの草原まで行って飲んだ時と同じく、
北京のモンゴル料理屋さんでも飲めや歌えや歌えや飲めや・・・

その場に居る人が入れ替わり立ち替わり歌っては飲むのだが、
「私はドラマーです。ファンキーさんを尊敬してます」
というドラマーがやって来て歌を歌った。

冒頭にホーミーを使っている(驚)

ホーミーとは、
喉で倍音をコントロールしながらひとつの喉で複数の音程を出す唱法である。

この人はまあシンセサイザーのフィルターをコントロールしてるぐらいのものだが、
おそるべくは後半の人、
先ほどの映像でギターを弾いてた人だが、
彼は倍音を完璧にコントロールして、
まるでもうひとりの人が口笛を吹いているように聞こえる。

周りが騒がしいので注意して聞いて欲しいが、
これは決して口笛でメロディーを吹く人がもうひとりいるのではなく、
この人が低音と口笛のような音を両方出しているのだ!!(驚)

「どうしてこんなことが出来るの?」
と聞いたら、
「吐いたことあるかい?」
と奇妙なことを言う。

ゲロを吐く時のように喉の奥から声を出して、
その倍音をコントロールするのだそうだ。

マネしようとしたら本当に吐いた(涙)

モンゴル人おそるべし・・・

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2013年4月25日

初めての中国語曲

上海で中国語を勉強している日本人歌手宮脇詩音ちゃん、
今回は初の中国語曲を歌うということで着いてすぐにその曲をレコーディングしてみる。

ディレクションはBeiBei、エンジニアは方言
おいおい、二人とも何か普段と熱の入り方が違うぞ・・・(笑)

まあ90年生まれの美女で歌も美味いとなったらほっとくわけがない。
特に方言は美女のためなら水深15cmの湖に飛び込む男なのである!!
(いかん・・・思い出しただけでまた笑いが・・・)

ワシは通訳とちょっとした発音のアドバイス
(・・・と言うのも、ネイティブの中国人は「Xuだよ、どうして発音出来ないの?」としか言えないが、学習したことがある日本人だけが、「ウの口でシーって発音してみぃ」というアドバイスが出来るから・・・)
をした後にこてんと寝てしまったが、
この二人が盛り上がって夜中まで詩音を放さない。

BeiBeiは「今日は用事があるから帰る」と言いながらずーっと居座るし、
方言に至ってはBeiBeiが帰っても最近凝っている「お茶」を勧めて夜中の3時まで話し込んでいたらしい(呆)

まあその話を翌日聞いた時に、
また方言のアホさ加減に大笑いすると共に、
たかだか数ヶ月の中国語学習で片言でもネイティブの中国人と何時間もコミュニケーション出来る彼女に感心した。

これならちゃんと中国語のMCも出来るのではないか・・・

ワシはひとつだけ大事なアドバイスをした。
「中国語は速く喋った方が通じる」

これは経験則なのだが、
日本人はとかく発音を丁寧にしようと思ってゆっくり喋ろうとするが、
そうすると逆に発音のアラが出て通じなくなる。

どうせ外国人はそれぞれの発音のエレメントは正しくないのだ。
むしろ大事なのは「四声」と言われるイントネーション。

これもネイティブが速く喋ると既に崩れてしまっている。

どうせ日本人より発音の下手な田舎の中国人がたくさんいる国なのだ。
ネイティブのように速く喋った方が中国人には聞き取り易いのである。

かくしてライブ本番、
張張(ZhangZhang)とのJazzセッションに続いて、
中国人歌手の揚青(YangQing)が3曲歌い終わったら彼女を紹介する。

舞台に上がってとりあえずは喋らずにそのまま歌い、
1曲終わってのMCはなかなかのものだった。

もう1曲日本語の歌った後に問題の中国語曲。

「初めて中国語の歌を歌います」
と言っておけば掴みは問題ない。

問題はちゃんと歌えるかどうかである。

かくして・・・

ちゃんと歌えた!!!

いや〜彼女この1曲でこの日のライブ全部持って行ったなぁ(驚)
来月は5月21日にやるからまたおいで〜


ps.ところでこの映像で仲間内が一番笑ったのがBeiBeiである。

美女に気に入られるべく一生懸命ギターを弾くのだが、
頑張れば頑張るほど萎縮して顔がゲゲゲの鬼太郎化してくる。

そして人生何をやっも運の悪い彼は何度も譜面を落とす(笑)。

やっと廻って来たギターソロでここぞとばかり頑張って弾くのだが客は誰もBeiBeiなど見ていない(爆)

一番前で撮影しているおそらくは揚青(YangQing)だろうが、
ギターソロだろうがボーカルしか写してないのだ(涙)

いや~笑った笑った・・・

BeiBei~お前の恋はまだまだ遠い!!
まずはギターを精進するのぢゃ!!

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2013年4月24日

90后(JiuLingHou)の女性歌手達

中国で、理解不能な新人類、現代っ子のことを総称して「80后(BaLingHou)」と呼ばれ出してからもう久しい。

「80年代生まれ」という意味なのだが、
この言い方で言うと59年生まれの私は「50后(WuLingHou)」、
聞いただけでもの凄いインパクトである(笑)

中国は78年に経済開放したと言うから、
「80后(BaLingHou)」の子供達は共産主義のイデオロギーの時代を知らず、
89年に起こった天安門事件も知らず、
一人っ子政策もあり、親戚一同から一人が愛され、
豊かさを享受しながら育った新世代である。

インターネットにより世界中の情報も自由に手に入る時代に育った彼らは、
それこそ文化大革命の荒波を乗り切った世代からは理解不能な人類・・・

そんな彼らももう今や30代となり、
この新しい中国でバリバリに仕事をしている。

うちの若い衆だとキーボードの張張(ZhangZhang)
ベーシストの韓陽(HanYang)、ギタリスト(と言うより作曲家プロデューサー?)の貝貝(BeiBei)などがそれである。

10年前に出会った頃にはペーペーの20代だったのが、
今や若手として音楽界でバリバリに仕事をしている。

中国の音楽界ももうすぐ彼らの時代となるだろう・・・

そんな彼らを脅かしているのが「90后(JiuLingHou)」と呼ばれる更に新世代。
中国も確実に変わっていってると実感せざるを得ない・・・


実は今日は「Funky末吉とそのお友達ライブ」。

前回のライブの大好評を受けて、
ワシはこんなライブを毎月中国で行おうと画策している。

もともとは隣人である布衣(BuYi)のドラマーとしてドラムを叩いたり、
バンドではないのでなかなかライブが出来ないBeiBeiのユニット「Pair」にライブをやらせてやろうというところから始まったのだが、
やればBeyondのWingだの有名人が遊びに来て飛び入りしたり、
眼鏡蛇(COBRA)」が肩ならしに出演したりと、
なかなか「凄いこと」が起こるライブになって来た。

毎月続けてたらそのうちにもっと凄いことになるぞ(笑)・・・
ということで現在そのように考えている。


実は今回のライブには上海で知り合った90后(JiuLingHou)の日本人歌手を呼んである。

宮脇詩音というAvex所属の歌手なのだが、
Live Bar X.Y.Z.→AのオーナーであるKさんの友人の娘で、
今は上海でKさんのところに住み込みながら中国語を勉強している。

前回の上海でのライブに一緒に出演したのだが、
カラオケで日本語の自分の持ち歌を歌う彼女にちょっとしたアドバイスをした。

「中国なんだから中国語の曲歌ったら〜」

まあ言うのは勝手だが言われた方は大変である。
何をどうしていいやらわからない(笑)

幸い20年以上中国で仕事をしているワシには、
中国語のオリジナル曲など山ほどあるのだ。

既に未発表曲をいくつかメールで送って選んでもらっている。

今日のライブが決まった時、老呉(LaoWu)からメールで、
「出演者は全部で誰と誰?告知始めるから教えて〜」
と言われたので、
「あんたも出る?」
と軽く詩音ちゃんにメールしたら、
「え?中国語曲まだ1曲しか歌えないのにライブなんて無理〜(>_<)」
とばかり丁重にお断りされた(笑)

まあいい、人の世話など無理強いしてやるもんではない。
気がむいたらやればいいよ〜
ぐらいで結局毎度のごとく布衣(BuYi)とPairだけでライブを組んだ。

どうせ張張(ZhangZhang)も仕事が終わったら駆けつけて来るだろうし、
蓋を開けてみればどうせ毎回出演者は結局増えているのだ。

ところがそれから一生懸命考えて、
清水の舞台から飛び降りるようなつもりでメールしたのだろう
「やっぱりやります!!」
と返事が来た。

よっしゃ〜!!ゲストその1決定!!!

BeiBeiに連絡取って、「今回のバンドメンバー誰?」と聞いてみる。
そのメンバーにそのまま詩音のバックをやらせればそれでいい。

ところがBeiBeiから思いがけない返事が帰って来た。
「ボーカリストの安敏捷(AnMinJie)がテレビの仕事で来れなくなったんです(泣)」

「ほな誰か歌手呼べば〜」
軽く答えるワシ・・・

「ほな誰か探します〜」
と答えるBeiBei、知り合いの歌手に声をかけた。

「オリジナルを歌ってる歌手なんですけど・・・」
と彼女のオリジナル曲をメールで送って来た。

ギターとボーカルだけで歌っているDEMOなのだが、
これがなかなかいい感じの曲で、
「やっぱ90后(JiuLingHou)は違うなぁ・・・」
と舌を巻く。

彼女と詩音ちゃんでBeiBeiと演奏して、
その後に駆けつけて来た張張(ZhangZhang)とワシの曲などセッションして、
最後に布衣(BuYi)でシメればいい感じのライブになるではないか・・・

・・・と思ってたら直前にBeiBeiが慌てて電話をかけて来た。
「あの女性歌手ダメになりました(困)」

事情を聞くとこういうことらしい。

「そいでそのライブって誰が出るの?」
「そもそもFunkyのライブで、あと布衣(BuYi)とかJazzの人とか・・・」
「FunkyってあのFunky?」
「そうだよ」
「私出ない!!!」
「え?」
「あのFunkyさんでしょ?私なんかが恐れ多くて歌えるわけないじゃん!!」
「え?そんなことないよ」
「何言ってんの!!私の曲なんか聞かせたらまだまだだなとか言われるに決まってるじゃん!!私出ない!!」

いや・・・顔はともかくとしてそんなに怖い人ではないと思うんだけど・・・(泣)

日本人の皆様には別に違和感はないかも知れないが、
ワシは中国人がこのような行動を取るというのが信じられない。

通常中国人だったら「恐れ多い」とは考えない。
中国でワシがスタジオミュージシャンとしてやっていけるのはひとえに、
「え?このドラムがこの値段で?」
という中国人の即物的なモノの考えによるものである。

若い歌手からしたらワシと知り合うことによっていろんな「チャンス」が生まれるだろうと考える人も多い。

実際そのまま「うちでレコーディングすれば〜」でレコードを出してスターになった女性歌手もいる。

チャンスなど飛び込んで初めて手に入るもので、
それをこうもいとも簡単に放棄するのがさすが90后(JiuLingHou)!!

中国も豊かな新時代に突入したんだなとしみじみとそう思った。

結局BeiBeiは彼女をあきらめて別の歌手を連れて来た。
それがまた英語、日本語、朝鮮語を操る才女で、
オリジナル曲も英語で歌詞を書いて来ている(驚)

その女性歌手に彼女の話をしたら、
「へ〜・・・私なんかふたつ返事よ〜
Funkyさん?凄いじゃん、やった〜って感じ〜」

これもある意味90后(JiuLingHou)(笑)

今日のライブはそんな日中の90后(JiuLingHou)と、
BeiBeiや張張(ZhangZhang)達80后(BaLingHou)、
そして老呉(LaoWu)達70后(QiLingHou)、
だいぶ離れてワシ50后(WuLingHou)が入り乱れてのライブとなる。

楽しそうやなぁ〜今月から毎月こんなライブやるど〜!!!

20130424Live.jpg

場所:蓝溪酒吧

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2013年4月23日

中国人の「仕事」ときたら全く・・・

小畑秀光が金もないのにグッズを作りたいと言うので、
人民元だったらあるから中国で作るならいいよということで作ってやった。

上海に日本人がやっている会社もあるそうで紹介されたのだが、
やはり日本人の「仕事」はいい仕事をするだけあって単価も高い。

いろいろ調べてみたら北京のアンダーグラウンドバンドは鄭州の会社を使っているらしい・・・

まあバンド連中がいつも使っている会社なら大丈夫だろうということで発注した。
サンプルを作らせてみたらモノはなかなかいいようだ。

まずはハチマキ!!

ObataGoodsHachimaki.JPG

まあこんなもんは悪く作ろうにも作りようがないのでまあ完璧と言ってよかろう!!(喜)

次は旗!!

これはさすがにどんなもんが出来て来るやらわからんかったので、
サンプルを作らせてチェックして問題なさそうなので発注した。

「大きいのはこのサイズで、小さいのはハチマキの絵柄のサイズね!!」
と言ってたにも関わらず出来て来たのがこれ!!

ObataGoodsHata.JPG

小さいのが大きいのとほとんど変わらんやん!!!

これはワシ自身が受け取ったので文句を言ってやった。

「小さいのはハチマキの絵柄と同じサイズって言ったよね!!」
その時の答えがまことに中国人らしい。

「だってそんなに小さかったらかっこ悪いじゃん!!」

かっこ悪いかどうかはワシが決める!!
お前が決めるな〜!!!!!!!(怒)

そう言えば昔Wingの北京での大きなコンサートの時に、
香港人の舞台監督が泣いていた。

「この人達、舞台監督の言うことなんて何も聞かないんですよ。
バトンを上げる人は指定したタイミングでなんか上げやしない。
このタイミングが一番だろ!!
とばかり自信持って自分のタイミングで上げて威張ってんですから(泣)」

大小2種類の旗を作るつもりが大中小になってしまったが、
まあ中の使い道は考えるとしてまた新たに小を発注する(涙)

そんなこんなしてたらTシャツが届いた。

ObataGoodsTshirts.JPG

ちゃんとサンプルも作ってもらってチェックしているのでモノは心配ない。

こんなにいっぺんに持って帰れないので
半分ぐらい持って帰ろうとばかりトランクに詰め込む。

大きさはS,M,L,XLといろいろあるので、
それぞれ半分ずつもって帰ろうと思うのだが、
どれがSでどれがMやらわからない。

首元のタグに書かれているのだが、
襟が小さいTシャツなので首元に埋もれていて、
いちいちビニールを開けてみないと確認出来ないのだ。

どうしてちゃんと分類して箱に入れて来ん!!!!(怒)

ちなみに段ボールを見ると、
ひとつの箱にはL40,S40と書きなぐっている。
もうひとつの箱にはMとだけ書かれている。

じゃあMの箱にはMだけが入っているのだろうとそれを取り出してトランクに詰める。

問題はもうひとつの箱である。
そこにLとSが40ずつと、残りXLが入っているのじゃな!!
とばかりビニールを開けて自分で分類する(涙)

これはSだなとわかったらSと、
LだなとわかったらビニールにLとマジックで書いておく。

どうしてその作業を業者がやっとかん!!!(怒)

そして分類していくうちに不思議なことが起こって来る。
なんとこの箱の中にもMが混じっているのだ・・・

悪い予感がしてトランクにしまったTシャツを開けてみる。
そしてさすがのワシもそこで叫び声を上げた。

SやらLやらも入っとるやないのーーーー!!!!!!(怒)(怒)(怒)

結局業者は2つの箱にでたらめにいろんな大きさのを放り込んでいるのだ(涙)
そして何の意味もないS40,L40という数字を段ボールに書きなぐっているのだ(号泣)

仕方がないので全部開けて自分でマジックで書き込む羽目となる・・・

発注してくれた老呉(LaoWu)にはこの話はしていない。
どうせ、
「モノはよかったんだろ、だったらいいじゃない」
と言われるのがオチである。

「分類までちゃんとしろ」などと言ったら、
「日本人って全くどうでもいいところに細かいよな」と言われるのがオチである。

どうでもよくないっ!!!!!!(怒)(怒)(怒)

まあこの業者に発注している全てのアンダーグラウンドはこんなことでクレーム言ったことはないんじゃろうからワシが何も言えることではない。

安かったしモノはいいからまあよしとするか・・・(泣)

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2013年4月18日

ネットテレビのお仕事

と言っても今回はワシがやっているわけではない。

とあるトランペットプレイヤーのアルバムを請け負って、
その打ち合わせでスタジオに行き、
張張(ZhangZhang)に振ったアレンジが出来上がってないので
「何やってんだ?」
と聞いたら
「今日はリハーサルやってるわよ」
と言われたので覗きに行ったのだ。

リハーサルスタジオに入るとメンバーはほぼ顔見知り。

ストリングスアレンジで有名な张毅(ZhangYi)と張張(ZhangZhang)がキーボード群に囲まれて横並びに並んでいる。

見れば張張(ZhangZhang)の顔には心ばかし疲れが見て取れるようだ。

「何やってんの?何の仕事?」
笑顔でそう聞くのだが、
「ファンキーさんが忙しいって言うから僕らがしっちゃかめっちゃでやってんじゃないですか」
と涙顔。

そう言えば発注元はトランペッターのと同じなので先月からワシのスケジュールをかなり細かく聞いてきてたのは実はこちらの仕事の方だったのじゃな・・・

聞けば、前回ワシがやったテレビのオーディション番組の、
今回はそれのネット版であると言う。

中国の若者はもうテレビなんか見ないと言うが、
ネットテレビでこれだけのミュージシャンを雇う予算が出るというのが凄いと思う。

確かに中国には400を超えるテレビ局があるのだから、
そこに広告打つよりは人気のWebサイトに打つ方が効果があるかも知れんのう・・・

このネット番組は毎週月曜日の20時から生放送で行われる番組だそうで、
出演者が決まったらその歌う曲10曲を、
张毅(ZhangYi)と張張(ZhangZhang)が手分けしてアレンジして譜面にして、
打ち込みの部分はまた手分けして打ち込んで、
終わったら毎週毎週こうやってリハーサルして・・・
毎週月曜日には生放送でそれを演奏して・・・
終わったらまた次の週の10曲をアレンジして譜面にして・・・

6月までそれが毎週毎週・・・って出来るわけないやん!!!!

いや〜2人より3人でやれたら思たんかな・・・無理っ!!!!

というわけで早々にリハスタを後にした。
こりゃ張張(ZhangZhang)当分使い物にならへんなぁ・・・

ドラムには艶楽隊王欄や、ギターには天堂楽隊羊力がいたが、
日本ではスタジオミュージシャンとロックミュージシャンはバシッと線を引かれていて、中国では上の方はもうぐっしゃぐっしゃなのだが、
でもお前ら、「仕事が忙しい」言うてバンドのライブに穴あけたりしてたらいつの間にやら「ロック」が出来んようになってしまうでぇ〜

ふ、ふ、ふ、ワシは明日から寧夏省行ってドラム叩いて来るし〜

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2013年3月25日

続編(ライブに飛び入り)

中日摇滚交流大派对(日中ロック交流大パーティー)の2日後に、
張張(ZhangZhang)老呉(LaoWu)のライブがあると言うので行って来た。

張張(ZhangZhang)は自らのユニット「化现场(HuaXianChang)」というアシッド系のユニットをやっており、
基本的にはDJを中心としたインストを演奏してるのだが、
毎回ゲストボーカルを迎えていてこの日はそれが老呉(LaoWu)だということである。

このライブハウスのオーナーはもともとワシらの院子に住んでたヤツで、
おまけにドラマーだということからワシが行くと必ずタダ酒を振る舞ってくれる。

わしはこの日に散々タダ食いされたので元を取るつもりで出かけていったのだ(笑)

布衣(BuYi)の曲がテクノアレンジになったり、
タダ酒飲みながらなかなか楽しくライブを見てたのだが、
最後の曲のソロ回しのコーナーとなったので、
「これは小畑秀光に飛び入りささないかん!!」
とばかりヤツをステージに連れて上がった。

ヤツとて酔ってべろんべろんなのだが、
一昨日のライブを見てファンになった客も多く、
それなりに客を楽しませて降りていった。

「さて飲むか」と思ったら今度はワシにソロをしろと呼び出される。

「飲んだらドラム叩けんのよね〜・・・」
と思いつつもしゃーないからステージに上がる。

飲んだ酒を全部吐きそうになりながら何とか叩き終えてステージを降りたら、
また「まだソロが残っているぞ!!」と呼び出される。

この曲には寧夏省で酒を飲む時の「はしけん」のような掛け合いがあるのだ・・・

いわゆる中国語のラップ・・・

歌詞もないし「無理じゃ」と言うのだが、
客席が盛り上がって降りるわけにはいかない・・・

仕方ないのでハナモゲラでラップするのだが、
酔っ払ってるので「ほんじゃらほい!!」とかアホ丸出し(恥)

見事に中国のYouTubeことYouKuにUPされてしまいました・・・

小畑秀光のソロ(4:00辺り)
酔いどれドラムソロ(6:30辺り)
アホ丸出しラップ(8:30辺り)

どーもすみません!!!!!

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2013年3月23日

中日摇滚交流大派对(日中ロック交流大パーティー)

そもそも小畑秀光らが北京に来ると言うので、
「なんかライブをブッキング出来んか?」
というわけで老呉(LaoWu)にブッキングしてもらったものだ。

「平日なんで客来ないよ〜。それでもいい?」
と言うので、
「いいよ〜別に〜羊の丸焼きをみんなに食べさせてあげられれば」
と言ってたのだが、
眼鏡蛇(COBRA)」の参加が決まってちょっと周りが騒がしくなって来た。

眼鏡蛇(COBRA)」は1989年に結成された中国初のガールズバンドで、
とんと噂を聞かないと思ってたらまた再活動を始めたのか、
あまり客の入らない商業的ではないライブ肩ならししたいということだったらしい。

まあこちらとしては大歓迎なのだが、
問題は羊を何匹丸焼きにするかということである(笑)

老呉(LaoWu)
「チケット50元(羊の丸焼き一皿付)」
と告知してしまってたため、
あまりたくさん客が来たら羊が足りなくなるのだ(困)

彼は「大丈夫だよ、一匹で足りるって!!」
と言うが、ワシは、
派儿(Pair)布衣(BuYi)と小畑秀光や一緒に日本から来たLOUD'N'PROUDだけで一匹食ってしまいまんがな」
と主張し、
結局チケット代が羊代に満たなければワシが払うということで二匹となった。


かくして3月20日、いつものようにゆるーくゆるーくライブは始まった。

出番は例によって直前まで決まらない。
眼鏡蛇(COBRA)」はもともと一番いい位置の3番目にしていたのだが、
(中国のライブはアメリカなどと同じく開始時間が遅いので、トリだと時間が遅過ぎて必ずしもいい出番とは言えない)
「ファンキー!!出番もっと早くしてよ」
とワシに言われたって困るのだが
「じゃあ一番最初にやる?」
と言うと
「それじゃぁ遅れて来る友達が間に合わない」
とかいろいろ言うので2番目にしてもらった。

確かに中国のライブなんぞ時間通り始まることはないので、
客もそれがわかってて時間通りには来ないので出番が最初だと客がいない可能性もある。

結局、突然出演出来ることになったデブの張張(ZhangZhang)をトップにして、
9時開始のオンタイムでライブが始まった。

ChinaJapanRockPertyZhangZhang.jpg

メンバーは、ベースには売れっ子スタジオミュージシャンの李劍を連れて来たので、
ワシがドラムを叩いてトリオでワシの曲を中心に3曲ほどの演奏。

「今日はこのトリオで3曲ほど演奏させてもらいます」
ワシがそうMCで言うと、客席で眼鏡蛇(COBRA)肖楠が、
「3曲しかやんないの?もっとやれば〜」
と突っ込むので、
「何言ってんの!!みんなアンタ達のライブを見に来てるんだから3曲でいいの!!」
と言うと笑いが起きた。

実際その通りなのであるからして・・・

というわけでいよいよ中国ロックの大御所!!
中国ロックの歴史の中で最初に結成されたガールスバンドの登場である。

ワシは「さて次は20年ぶりに会った友人のバンドです」と紹介したら、
「20年は言い過ぎでしょ」
と笑っていたが、
実際結成から既に24年が経つ歴史的なバンドである。

ChinaJapanRockPertyYanJingShe.jpeg

久しぶりのライブなのか少々緊張しているように見受けられたが、
それでも昔のナンバーを一緒に歌っているファンがいたり、
ワシも20年前に見た彼女たちのライブを思い出しながら懐かしい気持ちになった。

次の派儿(Pair)はボーカルの安敏捷の出産のためしばらく活動を休止していたが、
復帰後初のワシとのコラボである。

ChinaJapanRockPertyPair.JPG

安敏捷の歌は「まるで大歌手のようなパフォーマンス」と絶賛された素晴らしいパフォーマンスでした!!

ChinaJapanRockPertyAnMinJie.JPG

さてその次は日本からLOUD'N'PROUD。!!

と言ってもバンドのメンバー全員が来れたわけではないので、
ドラムのようちゃんがキーボードとギターを弾いてアコギバージョンで歌った。

ChinaJapanRockePertyLoupra.JPG

それにしてもドラムやギターやピアノや、
どんな楽器でも演奏出来るようちゃんってやっぱ凄いな(驚)

冴も歌が上手いし、お客さんも十分に楽しんでたな。
途中の中国語の歌「何日君再来」も見事なもんでした!!

そしてここで飛び入りゲスト!!

ChinaJapanRockePertyYuna.JPG

いや〜文化祭では上手く歌えたとは聞いていたが、
生で初めてステージで歌うの見たが・・・ほんま、ちゃんと歌えるのな!!(驚)

音程は外さんし、裏声も上手く使いながら完璧に1曲歌い切った!!
いや〜これが実は一番拍手が多かったな・・・

激鉄オムニバスには彼女の曲も入るということになっているので、
引き続きレコーディングも頑張って欲しい!!

舞台上に居残って応援してくれた冴もありがとう!!


さてここで問題の(笑)小畑秀光!!・・・

ChinaJapanRockPertyXiuGuang.jpg


老呉(LaoWu)
が日本に来た時、彼の「ひとりメタル」を見て非常に感激してて、
「是非北京でもひとりでやってくれ〜」
と言ってたので敢えて1曲ひとりメタルをやってもらったのだが・・・

いや〜これが中国人にウケた!!(大笑)

これがまた「神様」というのがいるのか、
途中のギターソロでストラップが外れてギターが落ちるのな(爆)

当然ながら爆裂している小畑秀光、途中でやめるわけがない。
床の上に立てたギターを弾いては客を煽り、
最後にはギターを持ってストラップをつけた途端に、

「気合い入れるぞ!!デャアアアアアアアアア!!」

あーた、中国人に日本語で言ったって伝わるわけないから、
これは単に自分に気合い入れてるだけやん!!(爆笑)

しかし煽られて中国人がみんな拳振り上げるのがワシは可笑しくって可笑しくって・・・(涙)

ChinaJapanRockPertyXiuGuangBand.jpg

すぐさまワシとようちゃんがステージに上がってバンド編成になるのだが、
いや〜曲のテンポが速いこと速いこと・・・

ワシはほんまツーバスで死ぬかと思いました(涙)

客は盛り上がるというより大笑い!!
後にも「ファンキーよく生きてたな」と言われる伝説のライブとなりました。

ChinaJapanRockPertyBuYi.JPG

そして最後は今やアンダーグラウンドバンドの中ではかなりメジャーなバンドとなってしまった布衣(BuYi)!!

実は前回日本に来た時老呉(LaoWu)は悩んでいた。
結成当初からのオリジナルメンバーであるギタリストの張巍が脱退してしまったのだ。

毎晩毎晩ワシは飲みながら彼を説得した。

「もう既にあいつとは音楽の方向性が違って来てたじゃないか。
今後布衣(BuYi)はお前ひとりのバンドになるわけだから、
時々ミュージシャンを入れ換えながら自分の好きなように歌っていけばそれでいいんだよ」

実際、今回はドラムはワシが叩いてるし、
今では本人も吹っ切れて、
逆にリフレッシュして楽しんでいいライブが出来るようになったようだ。


バンドをやるのはつくづく大変である。

小畑秀光は
「腕はあるのにうだつの上がらないバンドがいっぱいいる」
と言う。

「そんなヤツらはみんな北京に来い!!」
激を飛ばしたが、
実際仕事を休んで自腹でチケット買って北京まで来れたのは冴とようちゃんぐらいなもんなのだ。

そりゃ小畑秀光みたいに家もなく仕事もないヤツはいいが、
普通みんなが毎日死に物狂いで戦っているのは「生活」なのだ。

派儿(Pair)はボーカルの出産で活動停止を余儀なくされたし、
眼鏡蛇(COBRA)布衣(BuYi)はメンバーチェンジを繰り返している。

それでもバンドを続けてゆくんだからいろんなことがある。

ところがこの日のパーティーは全てのバンドがみんな「いい状態」で、
それぞれがキラキラと楽しくやっていたのが非常によかった、
と見た人はみんな大喜びしていた。

出演者が楽しんでいるから客も楽しいのだ。

眼鏡蛇(COBRA)はMCで
「ファンキーに感謝するわ」
と言っていた。

いやいや、ワシはプロデューサーでも何でもない。
ただ知り合いを集めてワイワイしてただけなのである。

しかし客席には中国のベストプロデューサー賞も何度も受賞し、
中国映画音楽の巨匠の域まで来ているLuanShuも来ていたし、
BEYONDのWINGも来てたので引っ張り出して1曲歌わせた。

ChinaJapanRockPertyWing.JPG

いや〜BEYONDの曲は「誰か弾ける人〜」と言うとすぐに演奏出来るんだから凄いよなぁ・・・

ともかく、「ROCKは国境を越える」と言うが、
「うだつの上がらないバンド」も「香港の大スター」も、
音楽はその「国境」さえも越えてしまうのだ。

チケットの売上は全部羊代に化けてしまうので出演者はもちろんノーギャラだし、
かと言って「日中友好」とかそんな大きな「お題目」も全然ない。

やったところで誰にも得はないし、やらなくったって誰も損はしない。

「おうっ楽しかったなぁ。また呼んでくれよ」
と言って帰ってゆく友人達を見ながら、
「なんなら毎月やってもいいかな・・・」
などと思ってしまった・・・


ところで羊肉!!

ChinaJapanRockPertyKaoQuanYang.JPG

こんなのが二匹まるまる焼かれるんだから胃袋も大満足である!!

前回と違って大きな羊だったので少々お高い・・・
二匹でだいたい3000元(約4万5千円)!!

でもチケット代50元がまるまる羊代に充てられるのだから、
客が60人も来たら十分元が取れるぞ!!!

と思ってタカをくくってたら、
実際にはそのぐらいの客はいたはずなのに、
チケットの売上は1000元ちょいしかないのだ(>_<)!!!

あとは全部タダ見タダ食いかい!!!!(涙)

ワシは赤字分の2000元(約3万円)を払いながら思った。
「来月もやろうと思ったけどやっぱやめよう・・・(涙)」

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2013年3月16日

北京にお住まいの皆様へ

私は明日17日にまた北京に参りますが、
今回はいろいろイベントがありますのでご案内差し上げます。


まずロック好きには3月20日!!
「汽车电影院」の中の「两个好朋友」というライブハウスにて、
日中のバンド入り混じってのロックイベント!!

21時頃開始予定
チケット代:50元(羊の丸焼き一皿付)
お問合せ: 010-64368998
住所: 北京朝阳区亮马桥路21号枫花园汽车电影院内两个好朋友酒吧

出演:日本からはファンキー末吉、小畑秀光、Sae&Yosuke(ラウプラ)
中国からは布衣、派儿、眼镜蛇(コブラ)

特に 眼镜蛇(コブラ)は1989年に結成された中国最初のガールズバンドです。
私とは20年ぶりに再会!!楽しみです。


次はビジネス関係の方々には翌日3月21日!!
講演会があります。

「和僑会」というのがあるのですが、
その会合にて「ロックは国境を越える!!中国~北朝鮮」という講演を行います!!

WEBサイトで確認 ⇒http://www.bjwakyo.cn/html/xwpd/k/1126.html

【日時】 3月21日(木) 16時00分~17時30分(15時30分:開場) 【費用】 会員、又はゲスト(初回参加者に限る)の方は無料。
※非会員で2回目以降のご参加は300元
【会場】 国際交流基金(日本文化中心)
多目的ホール 朝陽区建国門外大街甲6号 SK大厦3階301 地図

【タイムスケジュール】 15:30~16:00
受付、名刺交換 16:00~16:05
開会の挨拶 16:05~17:05
ファンキー末吉氏による講演 17:05~17:20
質疑応答 17:20~17:30
事務局よりお知らせ、
閉会 18:00~
場所を移して懇親会(自由参加、費用@150~180元)
【お申込み】 北京和僑会事務局(山口)まで、ご連絡下さい。
北京和僑会事務局 kyo@tomonos.com

「話は聞きたいがこの日には予定があって来れない」
という方のために18日の昼食をご一緒する予定もあります。
そちらに合流したい方は私にメール下さい。


でも基本的に1週間ずーっと院子で毎日レコーディングしてます。
慰問に期待方は差し入れ持っておいで下さい〜

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2013年2月19日

今日からまた北朝鮮・・・

「こんな御時世に!!」とまた怒られてしまいそうだが、
ワシが前々からスケジュールを入れているその出発直前にあの国は毎回なんかやり出しよるんだから本当に困ったもんである。

まあ毎回毎回土壇場になるまで本当に入れるかどうかわからないのでとりあえずスケジュールだけは入れておくのだが、
今回はなど出版したりしたので本国にそれが伝わってどのような影響が出るのかも読めなかったし、
まあ入れなかったら北京で飲もうぐらいのつもりでこっちに来てたら土壇場でビザが出たそうなのでやはり行って来ることにした。


昨日はいろいろ持って行くモノを買いに北京の街へと出て行った。

日本国は経済制裁をしてるのだから日本でモノを買って持って行くといろいろ問題が多かろうといつも北京で買い揃えるのだ。

まあ同じことかも知れないが、
どうせ日本国が知らないだけでこの国からは山ほどの物資や金があの国に流れているのだから、経済制裁だけやってほったらかしとけばいいなんて実は何の意味もないのだ。

中国という国は国際舞台では「核実験なんかけしからん!!」と口では言いながら、
裏ではこの手付かずの市場に湯水の如く投資しているのだ。

そりゃそうだ。
中国が開放された時に、いち早く投資した人間は大きく儲け、
遅れて投資した人間はそれでも儲け、
二の足を踏んでた人間は結局儲けることが出来なかったことを、
この国のほとんどの人間は身体でそれを知っている。

あの国が開放された時には今度は一番儲ける人間になりたいと、
全ての商売人はあの国にばんばん湯水の如く投資をしているのだ。

しかし中国人と来たら「儲かる」ことしかしないので、
これから世界じゅうが役に立たない経済制裁をもっと強化したとしたら、
結局は楽器だのドラムの部品だの、
生活に直結しない「儲からない」ものは全部後回しになってしまうのだ。

結局は庶民が、子供達が、弱い者だけが犠牲になるだけで、
上のモノ達はいつの世も甘い汁しか吸わないという図式がここにもある。


取りあえずワシは北京でドラムのヘッドを探した。

20年前、北京でもドラムヘッドなんかどこにも売ってなかった。
あの頃はドラムヘッドだギターの弦だは全部ワシが日本から運んで来てたのだ。

時代は変わって今はこんなドラムショップまで出来ている。

BeijingDrumShop.jpeg

オーナーの宣芸兵だって昔は五道口で小さな楽器屋をやっていて、
そこにワシは呼ばれてサインをしに行ったりしてた。

今では北京有数の巨大な楽器レンタル会社となり、
外国のアーティストなどのリクエストに備えるために全てのドラムセットやパーツを揃えている。

「あんな国に何しに行くんだよ」
彼はドラムヘッドを袋に詰めながら笑いながらワシにそう言った。

「お前らの国だって同じようなもんだったじゃないか!!」
ワシはそう言って笑う。

そう、あの国の今はこの国の数十年前と同じなのである。

この国の「今」がそんなにいいのか?
そりゃ自分は金持ちになったからいいかも知れんが、
お前の子供がいつ大気汚染で病気になったとしてもこの国は何の保証もしてくれんぞ・・・


国の話はもういい。
ワシにはあの国にロックの生徒たちがいるのだ。

部長が卒業して、今は新部長の時代。
笑顔の素敵なハナちゃんや、後輩の一平や、
あとベースのやたら上手かったペコちゃんがいる。

ペコちゃんも来月には卒業なので、
何かチョッパーベースのテクニックを伝授してあげたい・・・

そう思って日本で教則DVDをポチってしまった。

ChopperKogaDVD.JPG

まあ日本にもベースの教則ビデオは数あるが、
例えばワシが江川ほーじんのDVDで勉強してそれをペコちゃんに伝授するのもキモチワルイではないか・・・(笑)

どうせ勉強するならキャワイイ方がいいし、
何よりペコちゃんが江川ほーじんのようになっても困るけど、
KOGAちゃんのようになるなら大歓迎ではないか!!(笑)

というわけで一応このDVDも持ち込んでみるけど・・・持ち込めるかな・・・(不安)


北朝鮮ロックプロジェクトまとめはこちら

Posted by ファンキー末吉 at:06:42 | 固定リンク

2013年2月18日

愛のチャンピオン

北京に着いてずーっと寝ていた・・・
飲み過ぎやな、きっと・・・(笑)

朝起きたら中国のTwitter微博(WeiBo)でこんな動画が廻って来てた。

懐かしいなぁ・・・誰がこんな映像作ってたんやろ・・・


当時爆風スランプはサポートメンバーを入れずに4人で演奏出来る方法を模索していた。
ワシがピアノを弾いたりトリガーでシンセを鳴らしたり・・・

結局は「客にいらぬ緊張感を生む」ということで元のスタイルに戻ってゆくのだが、
個人的にはそのスタイルを突き進めて行ったとしたら
爆風スランプはある種の新しいテクニカルなジャンルを打ち立てることが出来たのではと思っている。


さてこの曲だが、黄家駒の追悼曲として作った記憶はある。

ライブアレンジの時に中野が「ここにドラムソロを入れろ」と言い出して、
「なんて突拍子もないことを言い出すんだ」
と思ったのを覚えている。

もともとワシが音楽的に高いことを言い出して、
中野が「それは客層にそぐわない」ということで修正することが多かった当初、
その真逆にこんなことを言い出したのが不思議だったのを覚えている。

当時Jazzに傾倒し出して久しかったし、
「どんなテンポのどんな曲想の曲にもドラムソロが入れられる」
と豪語してたので、負けず嫌いのワシは二つ返事でそのアイデアを採択したのだ。

ドラムソロはテンポに合わせて叩くソロとフリーのソロに大別されるが、
試行錯誤の末にこのソロはリズムのないフリーソロにした。

今にして思えばこの時に既に今のドラムスタイルが確立してしまっている。
要は「気持ち」なのである。


ツアー初日の千葉県文化会館でこれを初お披露目した時、
今はアミューズの社長になっている当時マネージャー部門トップのT氏が、
「スゲーよ!!末吉ぃ!!ホントにドラムが泣いているみたいだったよ」
と絶賛した。

それと同時に古くからのワシの友人は、
「末ちゃんひとりが別のところを見ている」
と複雑な表情をした。

結果・・・ワシだけが自分が見ているところに進んでいって今がある。
この曲を皮切りに爆風スランプと違う道をワシは歩み始めたのだ・・・


あれから20年・・・
黄家駒がワシらを置いて行ってからもう20年になる・・・

アジア圏での彼の地位と相反して、
日本でのマスコミの報道は寂しい限りであった。

そんなマスコミや日本が嫌いになって中国に逃げたり、
中国が嫌いになって日本に逃げたり・・・

いろんなことがあったがワシはまだ「そこ」にいる。


そう言えば昨日、WINGからメールが来てた。
「6月10日はヤツの誕生日なんだ。
あれから20年だよ、何かライブやんないか?」

残念ながら日本でスケジュールを入れてしまってたので断りのメールを入れたら
何とワシのためにわざわざ日にちをずらしてくれた(驚)

それを皮切りに今年は全世界ツアーを組みたいのだと言う。
11月には日本でもツアーを組んでくれよ、と・・・(笑)

面白くなりそうだ。
BEYONDなんぞ、そのドラマーのWINGなんぞ、
相変わらず日本では誰も知らない「無名人」なのだ。

小畑秀光がギタリストなのでヤツに運転させて、
彼らと日本じゅう津々浦々ライブハウスツアーを廻るのも楽しい。


死んだ人は歳をとらないが、
ワシも相変わらずあの時と同じものを見て、
まだ同じものを追いかけている・・・

彼は相変わらずの笑顔でそこからワシを見守っている・・・

気がついてみたらワシは、
人生のもうほぼ半分近くを彼と一緒に過ごしているのだ・・・

Posted by ファンキー末吉 at:07:28 | 固定リンク

2012年11月24日

本の発売記念即売飲み会in北京

明日から福岡ー京都ー大阪ー高知と続く即売飲み会ツアー(?)だが、
そのまま北京でも即売飲み会が決定!!

日時:12月4日(火)19時〜
場所:北京市朝陽区麦子店78号(農展館北路)華康ホテル内2F西側「ジパング」
TEL:+86 10 6586 6541
facebook JIPANGU Page:https://www.facebook.com/pages/JIPANGU-BEIJING/123554347750128
mixi JIPANGU Page:http://page.mixi.jp/view_page.pl?page_id=194770

本をご購入(130元)の方には誰にも言えなかったDEEPな裏話をとことん語ります。
日本酒におでんをつまみながら盛り上がりましょう!!

Posted by ファンキー末吉 at:19:49 | 固定リンク

2012年10月23日

中国ロックを作り上げた日本人ギタリスト

甘利匡輔という男がいる。

日本ではその名前を知る人はほとんどいないだろう。
中国でも今はその名前を知る人は少なくなったが、
ワシ世代、もしくはそのせめて10年やそこら下の中国ロックファンでその名を知らない人はいない。

ワシなんかが中国に行くもっともっと前、
天安門事件より更に前に彼は北京に留学し、
中国ロックの創始者「崔健(Cui Jian)」のバンドに入った。

いち留学生がその中国ロックの創始者と共に、
中国ロックの歴史に残る名盤を作り上げたのだ。

CuiJianJieJue.png

奇異な運命である。

留学生仲間と対バンライブで崔健(Cui Jian)と一緒になった彼は、
その後「バンドを手伝ってくれ」という連絡を受ける。

人生にはいろんな出会いがあるが、
多くの出会いはそこに飛び込まないがために「縁」がなく終わってしまうが、
崔健(Cui Jian)の1枚目をすり切れるぐらい(当時はカセットしかなかった)聞いてて大ファンだった彼は二つ返事でそこに飛び込んだ。

そこから彼の崔健(Cui Jian)との「青春」の日々が始まる・・・


実はこの甘利匡輔という男、帰国して八王子近辺に住んでいたのだ。

昨日ワシは彼と20年振りに会って酒を飲み交わした。

FunkyWithAmariKyosuke.JPG

ちなみにワシらは北京で会ったことはない。
前回会ったのも彼が帰国した1992年のことだったと思う。

「あの頃はとにかく落ち込んでて、何も話す気になれなかったんです」
と彼は言う。

そりゃそうだ。
中国にいればロックの「歴史」の人、
日本に帰れば誰もそんなことは知らないただの「人」なのだ。

そのギャップを埋めるのに彼は10年かかったと言う。
今は楽しく「日本人」として(笑)生きていると言う。


ワシが最初に北京に行ったのは90年、
彼が帰国したのは92年。

だが彼は崔健(Cui Jian)と「青春」を共にし、
ワシは黒豹(Hei Bao)と共にし、
北京ではそのふたつは交わることはなかったが、
ここ八王子でそれが交わった。

「あの頃はよかったねえ」
そんな話でいつまでもいつまでも酒を飲み交わした。


2年前、崔健(Cui Jian)が来日した時に彼のところに連絡が来て、
そのステージに呼ばれて一緒に「快让我在雪地上撒点儿野」を演奏したと言う。

「どうして僕なんか呼んでくれたんでしょうね・・・」
彼はそう言ってたがワシはこう言い返した。

「例え大スターになっても
崔健(Cui Jian)にとってはいつまでたっても甘利くんは青春なのよ!!」


1枚目を一緒に作ったADOというバンドと別れ、
崔健(Cui Jian)は「自分のバンド」を組む為にメンバーを探していた。

甘利くんを見つけて毎日毎日リハーサルをした。

昼飯を食って2時頃集まり、
休憩なしでずーっと彼の曲を演奏する・・・
何時間も何時間も練習する・・・

甘利くんにとっても辛くも何ともない。
彼が留学時代に見たあのステージの感動、
すり切れるほど聞いたカセットのあの曲、
憧れの崔健(Cui Jian)と一緒にプレイしているのだ。

日が暮れて「腹が減ったなぁ」となるとみんなでメシを食いに行く。

当時はビールの次は白酒、しかも二鍋頭(ErGuoTou)しかない。
それを飲む・・・ひたすら飲む・・・

毎日毎日ぶっ倒れるまで飲んで、また翌日休みなくギターを弾く。
そんなことを3年間、毎日毎日続けた・・・

当時は「打ち込み」の機械なんて存在しない。
崔健(Cui Jian)にとっても自分の「音楽」を作り上げるためにはどうしても「バンド」が必要なのだ。

こうして作り上げた数々の名曲の中に甘利くんの「ギター」がある。
崔健(Cui Jian)にとっては甘利くんのギターがなくては自分の「サウンド」は出来なかったのだ。

その頃ワシも遅ればせながら中国に行き、
黒豹と出会って天津体育館でドラムをぶっ叩く。

「会場に着いたら絶対に口を開くな」
そう言われたよね?!!
うんうん、言われた言われた(笑)

外国人がステージに上がってロックをやる・・・
そんなことをやったらどんな目に遭うやらわからない・・・
そんな「時代」だった。

甘利くんはそれをワシより前に3年間も崔健(Cui Jian)と一緒にやり続けていた。

雪の中でプロモーションビデオも撮った。
いろんなところにツアーも行った。

その後、甘利くんは北京から去り、
ワシは黒豹(Hei Bao)たちと商業ロックの黎明期を築いた。

ふたりの日本人のうち、ひとりが築き上げた「ロック」に、
もう一人が引導を渡したようなものである。

「何で帰国したの?」
素朴な疑問として甘利くんに聞いた。

「金がなかったんですよ・・・」

今でもそうだが諸外国と違って外国人が「アルバイト」など出来る国ではない。
崔健(Cui Jian)がいくらロックの創始者だったとしても、
バンドメンバー全員を食わせるほど金持ちでもない。

みんな貧乏だった・・・でも楽しかった・・・

ワシも黒豹(Hei Bao)相手に毎日飲み明かしたあの日々を思い出して目頭が熱くなった。

この映像は甘利くんが帰国した後に行われた崔健(Cui Jian)の北京でのライブ映像である。

メンバーは変わっても、
崔健(Cui Jian)は甘利くんと一緒に作り上げた歌を今も歌っている。

最後に彼の代表曲である「一块红布(一切れの赤い布)」を紹介したいと思う。

女が男に赤い布で目隠しをする。
「何が見える?」と聞かれて男は「幸福が見える」と答える。
とても気持ちがよく、自分がどこにいるのかもわからない。
女は尋ねる。「どこに行きたい?」。
男は答える。「あなたの行くところに」。
女は尋ねる。「何を考えてる?」。
男は答える。「あなたが主で私は従だ」と。
ここは荒野ではないと男は感じる。
例えそれが既に干からびてしまってても、自分にはそれを見ることが出来ないから。
男は渇きを覚える。女はその口を優しくふさぐ。
僕はもう歩けない。僕はもう涙も出ない。身体はすっかり干からびてしまったから。
でも僕はずーっとあなたに着いてゆく。だって一番苦しいのはあなた自身なのだから・・・。

「ファンキーさんなら分かると思う」
甘利くんはこの曲の話が出た時にそう言った。

西側社会では「反体制」というくくりでしか語られない崔健(Cui Jian)、
でも彼ほど毛沢東を敬愛し、中国を愛している人間はいない。

「この歌は・・・悲しいのよ・・・」

崔健(Cui Jian)はこの曲を演奏する時に共産党を表す赤い布で目隠しをしてトランペットを吹く。
甘利くんは何万人の中国人が涙しながら拳を上げるのをステージの上から見ていた。

中国ロックはこうして・・・始まった・・・


そしてワシは、崔健(Cui Jian)が、甘利くんが作った「中国ロック」のレールの上を、
今もまだひとりとぼとぼと歩いている。

日本人が誰も知らないひとりの日本人ギタリストが作った道の上を・・・

Posted by ファンキー末吉 at:08:24 | 固定リンク

2012年10月14日

中国美女の友人達

李慧珍(Li HuiZhen)からバンドをやろうと誘われてからもう数ヶ月経っている。

中国のTwitter微博(WeiBo)などで「今日から北京に帰るよ〜」などとつぶやくと、
「いつまでいるの?」とResが来るが、残念ながらスケジュールがなかなか合わない。

年末にはEP(日本で言うシングルみたいなもん)出すからね、
と言うので年間スケジュールを送ったがなしのつぶて。

どうも全然スケジュールが合わなかったかららしいが、
今回はやっとお互い北京にいるということで、
「じゃあむっちゃくちゃ美味しいお肉をご馳走するわ」
ということになった。


向かった所は香港式火鍋,
ワシはちょっと早く着いてしまったので先に座っとこうとばかり中に入ったら、
いきなりLaoLuanの奥さんに遭遇。

「何やってんの、こっちよこっち」と彼らの部屋に連れて行かれる。

「いや、李慧珍とメシ食いに来たんだけど・・・」
と言いながら、じゃあ彼女が来るまで先に一杯やっとこうとそこに座り込む。

そこにはこの前一緒に飲んだ美女が座っていた。

SunTing.jpeg

元女子十二学坊の二胡奏者の孙婷(Sun Ting)である。

女子十二学坊などそれぞれのメンバーに何の発言権もなく、
給料もひと月2000元ぐらいで、文句を言ったら
「代わりなんかいくらでもいるんだから」
とクビになる。

彼女も早々とやめて今に至るのだろうが、
この周り(このテーブル)にいる人脈を見ると、やめて正解だったのではと思う。

性格も明るくて楽しいお嬢さんで、前回飲んだ時には二胡も弾いてくれた。

ちなみに隣で騒いでいるアホなオッサンが、
昨日ブログで書いた黒豹のドラマー趙明義である(笑)

「周りにいる人脈」というのは彼のことも含まれる。

今日のテーブルの流行音楽界や映画界の偉い人達だけではなく、
まあご覧の通りアホなオッサンなのだが、業界では(特に裏社会)では大きな力を持つ。

そう言えばこんなこともあったなぁ・・・
と李慧珍が来てから思い出話に花が咲いた。


李慧珍はお母さんを連れて来た。

深々と私に頭を下げる。
「娘をこんなに長きに渡って支持してくれてどうもありがとう」

彼女とはもう20年になるが、彼女の人生も決していいことばかりではなかった。

ホリプロが全中国で行ったスカウトキャラバン、
「中国の山口百恵を探せ」
で3位に入賞した彼女も、北京の水が合わなかったのか、
来てすぐに吹き出物は出るわ太っちゃうわ。

日本側は「これでは・・・」ということで
彼女を外して他の娘を入れて「中国のホリプロ3人娘」として売り出した。

しかし彼女の歌のうまさは中国側も何とかしたいということで、
その後ワシと出会ってソロアルバム「亜洲鼓魂」で彼女を起用。

そしてその後にプロデュースした彼女のアルバムは鳴り物入りでデビューしたホリプロ3人娘よりもヒットした。

しかしその後事務所ともめて干される時期もあり、
脳に大きな病気をして生死をさまよう手術もした。

今は、まあトップ歌手というわけではないが有名歌手のひとりだし、
高級車を乗り回すほどの金持ちでもあるが、
思えば彼女の人生の中で、ワシと出会ったことが一番「幸運」だったのかも知れない。

お母さんは彼女が北京に来て太ったことにより不運が訪れたと思ってるのか、
今のような痩せている彼女が好きだと言うが、
ワシはあの出会った頃のあの田舎者の感じの彼女が好きだ。

数年前に撮った写真だというが、その頃の面影がある写真がこれ!!

LiHuiZhenPhoto.jpeg

残念ながらこの写真はお母さんはあまり好きではないらしい(笑)


思い出話に花が咲いてる頃、私たちの部屋に突然美女が飛び込んで来た。
ホリプロ3人娘のひとり、張茜(Zhang Qian)である。

ZhangQianPhoto.jpeg

いや、不覚にも写真を撮り忘れたので、
彼女の写真の中からその日のイメージの写真を選んだのじゃが、
いやいやこんなもんじゃないぐらいびっくりするぐらい美人じゃった!!!

とりあえず彼女の写真のサイトがあるのでこちらを見て想像して欲しい。

ちなみに李慧珍の写真はこちら!!

ふたりとも18やそこらの小娘だったのが、今や40歳。大人の女である。

人生いろんなこともあっただろうが、まあ二人とも高級車を乗り回して、
それなりに楽しい人生を歩んでいるのじゃろう。

いろんな思い出話を語りながら食った料理はとっても美味しかったぞ!!

また奢ってくれ〜!!

Posted by ファンキー末吉 at:12:41 | 固定リンク

2012年10月13日

黒豹(HeiBao)のレコーディング

ワシが中国にいるのは黒豹(HeiBao)あってのことである。

天安門事件の翌年、ふらっと来た北京旅行の最終日、
音楽茶座(まあカラオケ屋みたいなもん)のボーイに
「今日ロックパーティーがあるよ」
と言われ、「危険だから行くな」という仲間を振り切って、
「朝までに帰らなかったら大使館に連絡してくれ」
と言ってひとり飛び込んだ地下クラブで、
当時アンダーグランドだった彼らの演奏を見て血が逆流し、
「俺も中国人になる!!」
と言って今がある。

中国政府が「精神汚染音楽」として締め付けを厳しくしている時代、
ロックが本当に「ロック」だった時代である。

その後天津体育館での彼らのコンサートにドラマーとして参加してドラムソロをぶっ叩いた。

「会場に着いたら絶対に口を開くなよ」
外人だとバレたらどんなことになるかわからない、そんな時代だった。

ドラムの趙明義(Zhao MingYi)がその時から、
ワシが北京に来る度に金魚のウンコのように後を着いて来た。

「何かドラムのアドバイスをくれ」と言うので、
「お前はおどおどして叩いてる。俺はナンバーワンなんだと思って叩け!!」
と言った。

ホテルの部屋で「俺はナンバーワンだ!!」と叫ばせた。
「声が小さい!!もう一度!!」
何度も何度も叫ばせた。

「それだけで見違えるようにドラムが上手くなった」
とその話は人づてに中国で伝説になっている。

そんな彼もそのうちにバンドのマネージャーも兼ねるようになり、
商売もやって夜総会を5軒も経営しながらこんなことを言い出す始末。

「俺は商売人の中でドラムが一番上手い、ドラマーの中で商売が一番上手い(笑)」

諸外国と同じく、ロックがよかった時代はあっという間に過ぎ去り、
黒豹(HeiBao)は彼のマネージメントの元、
ボーカリストを次々にチェンジしながら過去のヒット曲を演奏して金にする商業ロックの権化となり下がった。

それでも趙明義(Zhao MingYi)はワシの人生では節々に大きな出来事を運んで来る。

北京に引っ越して来て、中国ロックがどんどん商業化されてゆく中、
「俺はここで何をしてるんだ・・・」
と悩んで失意のどん底にいた頃、突然彼から電話がかかって来た。

「今、二毛(ErMao)と一緒にあなたが叩いた許巍(XuWei)のアルバムを聞いてました。
音楽の中でドラムがどれほど大切なのかがよくわかりました。
僕たち二人は最初からもう一度あなたにドラムを教わりたい」

何かそのひと言で悩みが全部吹っ飛んでしまい、
「お前らにもまだ音楽を聞く耳はあったんだな(笑)」
と憎まれ口を叩きながら嬉しくてちょっとほろっとした。

中国で一番金を稼いだバンド「零点(LingDian)」のプロデュースをやることになったのも趙明義(Zhao MingYi)の強い推薦があったからである。


そんな彼からまた突然電話が来た。

「ファンキーさん!!北京にいるのか?!!そりゃよかった!!」

聞けば黒豹がアルバムをレコーディングしているが、
1曲どうしても叩けない曲があるので叩いて欲しいと言う。

まあ零点(LingDian)でも後期は全部ワシが叩いてたし、
売れているバンドが実際に演奏しないのは別に日本だけに限ったことではない。

何より、この長い付き合いで実は黒豹(HeiBao)と「仕事」をしたことは一度もなかったので、
それが嬉しくて喜んでスタジオに駆けつけた。

HeiBaoDrumset.jpg

彼のドラムセットがセッティングされている。
セッティングもそのままで叩かせてもらうことにした。

曲を作ったキーボードの惠鵬(Hui Peng)と共に、
趙明義(Zhao MingYi)がどう叩いてくれといろいろ注文をつける。

本当は自分がこう叩きたいんだけどどうしても叩けないのが、
ワシがどんどんとそれを実現させてゆくのが楽しくて仕方ないようだ。

「ファンキーさん!!あなた何叩いても機械のように正確ですよ!!凄い」

と言う彼に、
「おう!!お前専属のドラムマシンだと思って何でも言え!!」
と答える。

フィルなんかも「もっと叩きまくって埋めてくれ」と言うので、
「お前、ライブはどうすんだよ!!」
と言うと、ギターの李彤(Li Tong)が、
「練習すんだよ!!それしかないだろ!!」
と笑った。

商業ロックの権化として若いロッカーから忌み嫌われている彼らの、
そんな笑顔を見てるうちに、
「ああ、こいつらもやっぱ音楽好きなんだな」
と思ってちょっとほろっとした。

叩き終わって、
「クレジットどうすんの?
俺は別に自分の名前でなくてもお前が叩いたことにしてもいいよ」
と言うと、
「ファンキーさん、それはいかんでしょう・・・
これを自分が叩いたなんて言ったらみんなに総スカン食っちゃうでしょ」
と頭をかいた。

FunkyWithHeiBao.JPG

そう言えば前回飲んだ時に、彼はこんな面白いことを言っていた。

「ファンキーさん、僕ドラムやめようと思うんです。
黒豹(HeiBao)の新ドラマーは全国でオーディションして、
もうどんどん若いミュージシャンにバトンタッチしていっていいんじゃないかな、と」

「それはいいアイデアだ!!」
とワシは絶賛した。

どうせ過去のヒット曲で稼いでいるバンドである。
それが誰が演奏してたってそのヒット曲さえあればいい。

要は黒豹(HeiBao)が「会社」みたいになって、
自分は株主、運営するのは別のミュージシャンというわけだ。

こんなことをやったバンドはいないし、
まあいかにも趙明義(Zhao MingYi)らしいアイデアだが、
オーディション自体が全国的に大きなプロモーションになるし、
何よりも若手にチャンスを与えられるというのがよい。

まあでもレコーディングの時のあの嬉しそうな顔を見る限り、
そのアイデアはまだまだ実現されまい。

まあそれまで「一番商売が上手いドラマー」として頑張ってくれ(笑)


あの日、「世界がなくしたロックがここにある」と感激して中国に来たワシは、
黒豹(HeiBao)がどんどん商業化されてもまだ取り残されたようにそこにいる。

もう今は交わることはほとんどないけど、
商業化するならとことん商業化すればよい。

ワシはいつまでもあそこで、あのままの自分のままで、
ずーっとお前達を「よき友人」として見守ってゆきたいと思うぞ!!

Posted by ファンキー末吉 at:17:07 | 固定リンク

2012年10月12日

曲を作るということ

昨日若い衆にメシを奢ってもらいながらふと思い付いた。
「そう言えばお前ら、新しいアルバム制作らしいなぁ・・・」

彼らの前作にはワシの曲は入っていない。
BeiBei
「僕はこんなに素晴らしい曲をこんなにたくさん生み出したというのに、
それを形に残さなければこんなもったいないことはないとは思いませんか」
というゴリ押しの電話を何度も何度もかけて来て、
「相手にしないより一度付き合ってあげた方がまだ楽だ」
と思ってアルバムを作ってやっただけの話なのだ(笑)

しかしその全ての楽曲には彼の魂が入っていて、
それに突き動かされてついつい一生懸命アレンジしてしまった・・・

「曲を作る」という作業は「ゼロから一を生み出す」ことで、
それはそれは大変な作業だと思う。
「アレンジする」という作業は「一を百にも千にもする作業」で、
ワシに取ってはまだ気楽な作業である。

十分「職業」としてやっていけるが「作曲」は無理!!!(> <)


こう言うと不思議に思われることが多かったが、
ワシは作曲という作業が嫌いである。

「今だに日本ではドラムの収入より印税の収入が多い人間が何を抜かす!!」
と思うかも知れないが、嫌いなもんは嫌いである。

まあRunnnerを生み出してから、業界の人から
「Runnnerのような曲を作って下さい」
というアホな発注ばかり来ててから嫌い度は加速したが、
やはりもともとそんなに好きではなかったのであろう。。

それなのに何故作曲なんかやり出したかと言うと、
爆風銃(バップがン)というバンドには曲を書けるメンバーがいなかったからである。

1980年にEstWestというヤマハのバンドコンテストに出場して落選。
その時に「オリジナルがないからだ」ということで、
自分が書くしかなかったから一生懸命書いていただけの話である。

決して楽しくはない。
どうしようもない曲を書いては練習スタジオでみんなにボロクソに言われる。

「ほなお前が作れ!!」と言うのだが出来るメンバーがいないんだから仕方ない。

後に作曲家になった友人に相談したら、
「ドラムを最初に叩いた時のことを思い出せ」
と言われた。

「メトロノームにぴったり合うことなんて、偶然の偶然でしかなかっただろ?
10分に1回偶然合えばいい方だったのに、
ずーっと叩き続けてたら、それが5分に1回になり、
8小節に1回になり、1小節に1回になり、
最後には全発ぴったり合うようになる。作曲も同じだよ。
お前は才能がないから1000曲かけばまぐれで1曲ぐらいいい曲が出来る。
でも次の1000曲にはまぐれが2曲ぐらいある。
ずーっと続けてたらそのうち書く曲全部いい曲になってるよ」

ああ、そんなことでいいのか・・・
と思ってそれから毎日1曲ずつ書いていって、
練習スタジオでボロカスに言われて続けてまた書いて、
1年かかって何とか2曲だけ出来た曲で翌年グランプリをとった。

ところがその「まぐれ」は続かない。
「コツ」がつかめて来ると、そのある程度のレベルでないと満足出来ないから、
結果、昔みたいに「この程度のレベル」で「1曲出来た」と言えないのである。

産みの苦しみである。
その時から「何となく苦手」だった「作曲」という作業は「嫌い」になった。

爆風銃(バップがン)もその後ホッピー神山や斉藤かんじがメンバーになって、
ワシは「作曲なんて出来る人がやればいい。ワシはもうええやろ」とばかり、
ころころ変わるベーシストのためにレパートリーを譜面に書く作業をしていた。

ワシが譜面が読めるのはその時のこの作業があったからである。


思えば「バンド人生」である。
ドラマーなんてひとりで音楽出来ないんだから、
ドラムを叩きたかったら「バンド」をやるしかない。

「バンド」をやりたかったら「バンド」のために一生懸命「何か」をせねばならん。

その中にある時は「作曲」があり、ある時は「譜面」があった。
それだけの話なのだ。

その後、爆風銃(バップがン)は解散し、爆風スランプとなった。

言い出しっぺのバンドの創設者であり運営者、
つまりリーダーなのであるから影となり日陰となって頑張ったが、
その後、江川ほーじんの脱退が決まり、
「それまでにヒット曲を出さなければバンドは終わる」
という事態となった。

苦しんで苦しんで「Runnner」を生み出した。

運良くヒットしてこれで開放されると思ったら、
「次にヒット曲が続かなければ一発屋でバンドは終わる」
となって、また苦しんで苦しんで「リゾラバ」を生み出した。

そして頭の中で何かがぷつんと切れて中国に行ってしまった。


夕べBeiBeiが「曲が足りないんですよ」というので、
昔のデモ音源を引っ張り出して来てみんなで聞いていた。

もう忘れてしまってる曲もあるし、
どうしようもない曲もあるけれども、
誰も歌ってくれなかったいい曲もたくさんある。

やはり、もう「ある程度のレベル」ではないとというのはまだ続いているのだ。

その代わりもう「毎日1曲作る」などは出来ない。
今では年に数回、盆と正月ぐらいに(笑)ふと
「ああ、こんな曲いいんじゃないかな」
と思い付くことがあり、それをその場にいる誰かに歌ってもらうことがある。

羊肉麺という曲もそうだった。

思い付いて夜中に隣の老呉(LaoWu)を
「おい、お前、これを歌え」
と叩き起こしてデモにした。

人の曲など演奏するのはイヤだという布衣(BuYi)のメンバーを一生懸命説き伏せた。

「俺は今まで世に出した曲だけで数百曲ある。
出てない曲も含めたら何曲生み出してると思う?
その俺が言ってるんだ。この曲は意識して生み出すレベルの曲ではない。
必ずお前らの運命を変える。俺を信じてこれを歌え!!」

そしてその後、この曲は彼らの代表曲となる。

「ファンキーさん、どうしてこんな曲を思い付いたの?」
とBeiBeiは聞くがどうしてなのかよく思い出せない。

ただ、「思い付いた」のである。
わざと出来るレベルのものではない・・・


盆と正月(笑)にたまたまこんなことがある以外は、
今でもワシは苦しんで苦しんで曲を作る。

今回のX.Y.Z.→Aの新譜でも全然湧いて来なくて苦しんだ。

昨日BeiBeiが昔のデモを聞きながら、
「不思議ですねえ。中国に来てから書いた曲と、
日本にいる時に書いた曲と全然違いますねえ・・・」
と言ったが、その通り!!

曲とは「生活」の中から出て来るものなのだ。

まさにX.Y.Z.→Aの曲を書かんと頑張ってた頃、
ワシは寧夏省行って羊肉食ってたんだから中国的な曲しか生まれて来ない(笑)

X.Y.Z.→Aの曲は日本に帰ってからモードを「ロック」に切り替えて一生懸命作った。

思えばこの「何重生活も出来る」人間だからいろいろ曲が作れるというのはある。
(まあ、もっと才能のある人は生活を変えなくても頭を切り替えるだけで作れるのだが・・・)


昨日のデモを聞いてたら、それぞれの曲にそれぞれの「生活」があった。

北京に引っ越して、ドラムでも作曲でもアレンジでも、
とにかく「仕事」をせねばならないのでがむしゃらに作ってた時代・・・

李慧珍とまた一緒にやろうと思って書いた曲や、
イスラム教の友人のために一生懸命作った曲、
その他中国の大歌手に書いた曲もあれば、
今では大歌手になっている歌手がデモを歌ってくれている曲もある(驚)

曲なんぞパソコンの中で眠ってても何の役にも立たない。
BeiBeiよ!!使いたいならなんぼでも持って行っていいぞ!!

残った曲はDropBoxの中に入れて置こう。

ワシが死んだらみなさん、ご自由にお使い下さい。
但し、いい曲もあるけどホンマ話にならんような駄作もありますんでそのつもりで!!(笑)

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2012年10月11日

若い衆のリハーサル

北京に帰って来ていろいろ仕事を整理してたが、
半月で仕上げなければならないテレビドラマの音楽は、
その後直しに直しが来て4ヶ月もやり続けていたが、
無事に2本とも終わったようである。

「ようである」というのは、
結局は今回の仕事は最初にテーマ曲を何曲か作った後は、
方言(Fang Yan)と若い衆達が全部作り上げてくれたから知らないのである。

まあワシがやってたらとっくの昔にケンカしてテーブルひっくり返していただろう。

アホだとばかり思っていた方言(Fang Yan)もいつの間にか大きく育ち、
契約書の問題でキレそうになったのも我慢し、
主題歌を誰が歌うかでまたひと揉めし、
その頃にはもう悟りの域にまで行って、
仕事とは太極拳のようなもの」と言い出す始末。

若い衆が一番苦手な金の回収も、あと残す所2万元のみであると言う。

まあワシなんか
「それぐらいやったらばっくれられてもしゃーないな〜」
と思うところだが、彼はやはり最後までちゃんと仕事をやりたいようだ。

金が無事回収出来たらテーブルの上に並べ、
スタジオの維持費と日本に遊びに来る金を残して頑張ってくれた若い衆と山分けしてちゃんちゃんである。

若い衆も思ったより多くもらえて嬉しがっている。
そりゃそうだ、頑張った人間から多く持っていけばよい。
ワシはこのスタジオが回っていけばそれでいいのよ〜ん。

もうこの「映画音楽家」っつうのをずーっと続けるつもりもないし〜(笑)


若い衆と言えばBeiBeiというギタリストが今うちにリハーサルしに来ている。

WakaishuRehearsal.jpg

派儿(Pair)」というユニットでCDを出したが、
ボーカリストが妊娠して休業していたのが復帰して活動再開するらしい。

レコーディングはワシがドラムを叩いているのだが、
今回は若いドラマーを連れて来てそのリハーサルをうちでやっている。

まあ何でわざわざこんな遠くまでリハしに来るのかよくわからんが、
ワシが帰って来てることも知らなかったのできっと「タダ」だからだろう(笑)

まあいい、若い衆がリハしたらワシが損するわけではない。

「金のない奴ぁ俺んとこへ来い!!」である。
「俺もないけど心配するな!!」である。

「ファンキーさん、いるんですか?そりゃいい!!」
彼はついでに若いドラマーにドラムを教えてくれと言う。

まあいい、若い衆が上手くなったらワシが損をするわけではない。
40年近くドラムを叩いているワシを追い抜くにはあと30年は頑張らねばならんのだ。

頑張りなはれ!!頑張りなはれ!!

というわけでレコーディングではどう叩いているか、
君のテクニックではこう変えた方がいいよとか、
大事なのはフレーズではないリズムであるとか、
まあ大事なことをいろいろ教えてやる。

ボーカルはアコギを弾きながら歌うようだ。

昔はワシや張張(Zhang Zhang)などがライブを手伝ってたが、
もっと活動を広げるためには編成を小さくして、
ボーカルもギターを弾いた方がライブがいっぱい出来るぞということらしい。

いいことである。

ワシとかのスケジュールを待ってたのではいつまでたってもライブなんか出来ない。
若いドラマーを育てて、ボーカルもギター練習してというのは素晴らしい。

ギターの弾き方も含めてアレンジしてやる。

もともと彼らの曲は全てワシがプロデュースしたのだ。
言うならば「ワシの作品」なのである。

せっかく作品を生み出しても、
「売れなければもう歌わない」
とかご無体な現実が多いのはどの国も同じである。

どうせなら自分たちでいつまでも歌い継いで欲しい。
そしてどうせなら高いレベルで頑張って欲しいもんじゃ。

頑張りなはれ!!頑張りなはれ!!

頑張った人はそのあとワシにビールを奢りなさい!!
今日はお前らの金で飲むからな!!

まあビール1本30円やけど・・・(笑)

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2012年9月29日

中国人とのケンカの仕方

子供を寝かせ付けようとしたら子供より先に寝てしまい、
目を覚ましたらまだ夜で、テレビで夜のニュースをやっていた。

元中国公使の宮家さんが出演してコメントしてましたがな・・・

懐かしいなぁ・・・
X.Y.Z.→Aの北京公演はこの人のおかげで実現出来たのだ。

北京の公使邸にもおよばれしてメシ食いに行ったこともありますがな・・・

宮家さん自身もベースをやってて、
外務省に務める人間ばかりでバンドをやってたこともあるそうだ。

そんなこんなで和佐田とは盛り上がって酒を飲んでたなぁ・・・

北京の公使をやめられて次はイラクのバグダッドに赴任されたらしいが、
帰って来られて北京だか日本だかで飲んだ時には
「イラクはひどいところでした」
と言うので、やはり当時は戦時中やったからかと思ったら、
「メシが不味いんですよ・・・
中国は何じゃかんじゃ言ったってメシだけは美味いですから」
と言うのには思わず、
「弾丸や爆弾が飛び交う状況よりもメシかい!!」
と突っ込みそうになった。

その後和佐田が
新橋の元SOMEDAYの入り口でベースを抱えた宮家さんとばったり会ったらしいが、
政界から身を引いてバンドマンになったのかと思ったら違うのね。
(んなわけないやろ!!)


チャンネルを変えたら「加藤嘉一」さんという人が
「中国で一番有名な日本人」としてコメントしてた。

知らんなぁ・・・ワシは聞いたことがないが・・・

矢野浩二」さんという人も先日テレビで喋ってたが、
この人の名前はよく聞いたことがある。

でも中国で一番有名な日本人と言えばワシはやっぱこの人だと思う。

まあ知名度は矢野さんの方が高いかも知れんが、
憎まれ具合と言ったら彼の右に出るものはいない(笑)

役名「佐藤主任」こと渋谷天馬くん、生きとるかぁ?・・・殺されてないか?(笑)

まあ彼が演技が上手いからこそ日本兵「佐藤主任」を中国人はここまで憎めたのだ。
日中関係がどのようにこじれようが、安心しろ!!
お前が中国人に憎まれるのだけはずーっと変わらんぞ!!(笑)


・・・と冗談はさておいて、
その後ばんばんに流されるあの国連での日中の答弁にはさすがに気分が悪くなって来たな・・・

また他の国の人が誰もおらんところで世界の経済大国ふたつがキャンキャン言ってるのが哀れに見える・・・(涙)

中国側の答弁が何か「品がない」と感じた人も多いだろうが、
まあ中国語は言語的に「歯に衣着せぬ」言語なのをさっぴいても・・・

まあ中国ってあんなもんやろうなぁ・・・

日本としてはその土俵に登って同じように喧嘩せないかんのやから、それこそが「哀れ」である・・・

まあ今さらなのであるが、
中国人とケンカするにはもっと別のやり方があったんとちゃうかなと思う。

ジャイアンにはジャイアンに対する戦い方があるし、
スネ夫にはスネ夫に対する戦い方がある。

中国人に対しては
「テーブルの上で笑って握手をしながら、
テーブルの下で一番強力な武器を突きつける」
というのが常道やと思うけどな。

一番最初にその武器を大上段から振りかざすと、
だいたいの中国人は怒り狂ってあのようになる。

ジャイアンを暴れさせたらもう手に負えない。
例え国際司法がどのような結論を出しても、
自分の力を誇示してそれを全てひっくり返すだろう。

こっちも必死になってどこまでもこてんぱんにやっつけると、
恨みに思ってどこまでもどこまでも報復に来る。

中国人とだけは喧嘩せん方が身のためである。


宮家さんがもしご在任だったとしたらどうしたかな・・・
とか漠然と考えた・・・

ベース持ってロックで解決・・・無理やな・・・

まあここまで来たら解決はせんわなぁ・・・
うまいこと喧嘩出来る人がおらんかったんが日本の一番の痛手やったんかもな・・・

Giaian.jpeg

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2012年9月17日

文明国の資質

愛国無罪・・・なんか物凄い状況になって来ましたなぁ・・・

嫁が「私が北京にいた頃はこれほどではなかったよね」と言うので思い返してみたが、
あの頃はたしか靖国問題でもめていたと思うが、今は領土問題である。

靖国問題は過去の戦争のこと、
だが領土問題は現在のこと。

こりゃ解決するわけないわのう・・・

日本政府のみなさん!!言っておきますが、
この国って国際司法がどんな結論出そうが必ず
「尖閣諸島は自分たちのもんだ」
と言い張ります!!

絶対に譲歩はしません!!

まあこれは中国と断交覚悟で、
尖閣諸島に自衛隊でも送り込んででも守るしかないわのう・・・
(断交してもワシはあっちでドラム叩くやろうけど)


中国のTwitter「微博(WeiBo)」でもちょこちょこメッセージが来たが、
キツいのは一度来てこのように返信したら慌てて削除しおった(笑)

これはワシにとっては伝家の宝刀!!
これに逆らえる若者は中国にはおらんわのう・・・


と思ったらまた新たな書き込みが・・・

「听说有人在微博上骂你,是吗?
(誰かが微博でお前を攻撃したらしいけど本当か?)
放心我们这些接受过你帮助的朋友会支持你的,
(安心しろ我々お前に助けられた朋友はお前を支持する)
不要伤心!那些傻逼会得到惩罚的!
(傷つくことはない。あんな腐れマンコは俺が懲らしめてやる)」

天堂楽隊のベーシスト「久(ジョウ)」なのだが、
こいつはいつもながらタイミングが悪い(苦笑)

もう沈静化しとるんやからまたぶり返すなよ!!と言いたい・・・

まあこいつはロック界では歴史は長いは長いが、
まあ影響力という点ではまあまあであるが、
そこに李慧珍がレスをした。

「我们都在!(私たちがいるわよ!!)
他给了中国摇滚音乐人 20多年无偿的帮助,
(彼は中国のロッカーに20数年も無償の援助をして、
帮助那些新人完成对音乐的梦想!
(その新人達の音楽の夢をかなえてあげた)
他应该得到尊重!(彼こそ尊重されるべきなのよ!)」

これにまた「久(ジョウ)」が追い打ちをかける。

「不管世事怎么变,你永远都是中国摇滚界的好朋友,
(世の中がどれだけ変わったってお前は永遠に中国ロックの好朋友だ)
这一点不会变。(これだけは変わらない)」

ま、伝家の宝刀ですな、これで鎮火!!

「あなたのことは大好きですが魚釣島は私たちのです」
とか
「あなたも日本人です魚釣島をどう考えますか?」
などというユルい書き込みも自ら削除してしまったようだ。


あ、そう言えば
「次に北京に帰る時はいろいろ注意して下さいね」
というものもあったが、
帰ると言っても貧民街やからなぁ・・・

この貧民街に住む食い詰めた日雇い労働者にとっては、
尖閣諸島がどこの領土であっても全然関係ないからなぁ(笑)

仕事をすると言ってもロック界は味方ばっかりやから、
基本的に反日感情に接する機会がほとんどないからなぁ・・・

日本人と会うことも滅多にないし(笑)


というわけでここからが本題。

ワシのようなケースは「特殊な例」と言えるのかも知れないが、
逆に「中国国民」という大きな中で言うと普通であるとも言える。

大部分の中国人は貧民街の人達と同じく、
政府がどうなったって自分らの生活が変わるわけではないのだ。

だが一部の血気盛んな若者が今「暴徒」と化している。

「魚釣島は我々のもの、蒼井そらはみんなのもの」
というスローガンが表してるように、
そのノリは「政治のもの」というよりはもっとユルい。

蒼井そら自身も微博(WeiBo)で日中友好を呼びかけたらしいが、
「政治と私たちの関係は別よ」
ということは実現出来ても、領土問題までは解決しない。

もし中国政府が魚釣島を手放したとしたら、
彼らは反日に向けてたその矛先を中国政府に向けるだろう。

この流れで反政府運動をされたら天安門事件の二の舞である。
こりゃ戦争してでも魚釣島を手に入れるしかないわのう・・・

ちなみに天安門事件は日本では
「民主化を叫んだ若者を独裁政権が武力で鎮圧した」
と報道されているが、
このような側面もあったということは西側諸国には知られていない。

プロパガンダがあるのは何も共産圏だけではない。
「ほら社会主義はよくないでしょ、資本主義万歳」
というプロパガンダに隠されて何も見えないようにされていたことを
ワシは当時ロッカー達の付き合いで強く感じていた。

そう言えばロッカー達はみんな天安門事件を経験しているが、
今暴徒と化してる若者はそれを経験していない・・・

時代は繰り返すのか・・・(怖)

「中国は4000年の文化があると言うが文明はない」と言われる。
デモで焼き討ちをするなどおよそ文明国家の国民がやることではない。

上海では日本人に対する傷害事件が起こったと言うが、
日本で逆に中国人に対してそんな事件が起こったとしたら、
ワシは同じ日本人としてそれはどうかと思うぞ。

日本は世界に誇る「文明国」である。

どこかの焼肉チェーンの社長が、中国人従業員の給料明細に
「尖閣諸島は日本のものです」と書いて渡したという噂があるが、
もしそれが本当だとしたらワシはこう言いたい。

「そんな恥ずかしいマネはしなさんな!!」

中国人だと見たら優しくしてあげればいいのだ。
「あんたの国では今、我々日本人がヒドい目にあってるけど、あんた達は大丈夫?
我が国では絶対あんた達をそんなヒドい目に合わささないからね」
と言ってやればいいのだ。

要は「人間の資質」の問題である。
それが出来る国を「文明国」と言う。

中国はまだまだである。日本はきっと出来るぞ!!

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2012年9月 7日

バラードにおけるドラムの叩き方

中国のTwitter「微博(WeiBo)」でやたらRTが回って来るので見てみたら、
この曲が回って来てた。


想你

XiangNiLaoWu.jpeg

艺人:老五
作词: 老五
作曲: 蒙古民歌
编曲: 关天天
吉他: 高飞
贝斯: 仮谷克之(日本)
鼓手: funky末吉觉(日本)


おうっ!!これは!!!あの時レコーディングした曲ではないか!!!

ちょうどバラードにおけるドラムの叩き方をブログに書こうかなと思ってたので、
この曲を使って説明したいと思う。

こちらで音楽を聞くことが出来ますのでどうぞ。
(中国バランスでドラムが小さいのが残念ですが・・・)


まずバラードなのだから「優しく」叩く部分がほとんどなのだが、
そこでまず根本としてわかってなければならないことがある。

それは
「スローボールは決して力のないボールではない」
という原則である。

「巨人の星」という昔の漫画で、
主人公の星飛雄馬は、最後に大リーグボール3号という魔球を編み出す。

力一杯投げるその超スローボールは、
その反動が自身の筋に大きな負担をかけ、
そして自らその野球生命を断った。

バラードのドラムもこのように「命をかけて」小さな音で叩かねばならない。

中国でも若いドラマーがバラードを叩いているのを見て思うのだが、
ただ「弱く叩いている」のでは何の意味もないのだ。

ニュアンスを言葉で言うのは難しいが、
「大きな爆発力を秘めて小さな音で叩く」とでも言うべきか・・・


ワシは山ほど中国のレコーディングの仕事をしたが、
そのほとんどはバラードである。

自分のドラムを聞くと、
「ああ何て悲しいドラムを叩くのだろう」
と思うことがある。

それなりに歳を取って世の中のいろんな悲しみも分かって来て・・・
というのもあるだろうが、
実はこれにはひとつのテクニックがあるのだ。

例えばこの曲の場合、
1分25秒辺りからサビが始まるが、
ドラムは決して100%爆発してはいない。

サビは短く1分38秒辺りでいきなり終わるのだが、
ワシはその瞬間が一番「悲しく」感じる。

このドラムは実はとてつもない爆発力を秘めているのに、
それを押さえて押さえて一度ドバラドンと締める。

そこにワシなんか
「人生にはどうしようもないこともあるんだ」
と聞こえてしまって仕方がないのだ。

音の大きなドラマーが、精一杯音を押さえて叩いている音色と、
音の小さなドラマーが精一杯大きな音を出している音色とは、
例えそれが同じ音量の音であろうが根本的に違うものなのだ。

だからドラムは音の大きな方が「表現力」が大きいということになる。
出力の大きなスピーカーの方が音がいいのと同じ道理である。

とてつもなく大きな爆発力を、
とてつもなく大きな力で押さえて叩いている・・・

それが「悲しさ」として伝わって来る。

この曲はどんどんと盛り上がってゆくのだが、
90何パーセント爆発するものの、
最後までドラムは「押さえている」のだ。
それが「悲しさ」となって聞こえて来るのである。

それはその後ろにとてつもない爆発力が聞こえて来て初めて感じる感情なのである。


そして音粒の揃え方・・・
私は基本的に大きく分けてスネアを4種類の叩き方で叩く。

一番フォルテシモは全力でリムショットを叩く。
(リムとヘッドを同時に叩くの意味)

毎回同じ角度で叩けるように、
左手を振り下ろして膝に当てた時にちょうどリムショットになるようにスネアの高さを調整してある。
(だからワシの左ひざは、左手が当たる部分はもう痣になっている)

そしてピアノシモの音では、左足をちょいと爪先立たせると、
リムショットにはならずAメロなどに使う優しい音色にすることが出来る。

大事なことはその叩く強さが常に均一であることである。

この曲のAメロの時に、一瞬ボーカルは強く歌うが、
ドラムはそれについてゆかずに淡々と叩いているところが「悲しい」。
(2拍目はリムのみ、4拍目はスネアでその音色を参照のほど。リムのみの音がスネアより大きいのがちと残念だが・・・)

まあ特にこのスネアのショット、
この時に毎回強さや音色が変わったりしたら興ざめなのである。

このふたつの音色の間に、
「リムショットはするが弱く叩く音色」

「リムショットをしないが強く叩く音色」
も合わせて4種類を使い分ける時があるが、
どの道いちばん大切なのは、
その音色を「全発同じ強さで同じ音色で」叩くことである。


あとはリズム感と言うかグルーブ感。

8ビートを遅くしたのがバラードのリズムであるが、
実は頭の中では8分音符ではなく16分音符、
特にこのぐらいのテンポの曲だと頭の中では32分音符が鳴っている。

2分30秒辺りのサビの繰り返しのフィルなどは、
音符としてはタコトコタコトコの16分だが、
ノリとしてはタットコトットコタットコトットコと倍のビートが聞こえて来る。

このビートが頭の中で鳴っているか鳴ってないかが大きな違いである。

2分50秒辺りからの間奏は、
音符は16分だがノリは32分である。

フィルも段々32分音符が増えて来て盛り上げるが、
32分を叩いてない時にもそのビート感があるかないかで「リズム」というのは大きく違うのである。

3分15秒辺りに非常にシンプルなフロアとスネアの8分打ちがあるが、
これを8分のリズム感で取ったのでは全然間持ちがしない。

ドンドンドンドンと聞こえるこの音の裏で、
聞こえてないドコココドコココドコココドコココのこの細かいリズムが鳴っていて初めてこのフレーズは成り立つ。

まあフィルだけではない。
全体的にその細かいビートがあって初めてリズムが成り立っているのである。


少々余談にはなるが、
リズム部分でも実は「ゴーストノート」というのを多用している。

ドラムをソロにして耳を凝らして聞かなければ聞こえないが、
8分音符しか聞こえてない部分にも実は、
聞こえるか聞こえないかの音量で16分音符の小さなスネアの音が入っているのだ。

このボリュームコントロールは実は非常に難しい!!

フォルテシモの音が毎回同じ音量で同じ音質である訓練はされているが、
このように聞こえるか聞こえないかの音量の音を全く同じにコントロールするのは至難の技なのだ。

ゴーストノートを入れたはいいが、
音量や音質がまばらで、時々聞こえたりなんかするとビートが無茶苦茶になってしまう。

いろんなゴーストノートがあるが、
1小節のパターンだとすると例えば、
ひとつ目はベロシティー10、ふたつ目は30、
小節の最後はちょっと聞こえるように50とか、
それは決めてしまえば次の小節も全く同じく叩く。

レコーディングの時にワシは、
1小節目を何度もやり直して、
うまく抜けたらそのまま全部ぶっ続けで録音したりするのは、
要はこの組み合わせを作っているのだ。


人間だからそんなに機械のように正確には同じにならない。
しかしそれを「命をかけて」同じにするところに「戦い」がある。

例えば2番になってベロシティー10のところを20で叩いてしまった。
そしたら2小節目から命をかけて同じく20で叩くのだ。

その「戦い」の連続を「リズム」と言う。

「フィルを叩いたらちょっとだけ速くなった!!」
アドレナリンが出まくっている頭の中では、
それはスローモーションのように次の1発で何とかしようとする。

「あ、この1発がほんの少し大きかった!!」
次の1発で何とか解決しようとする。

その連続を「リズム」と言う。


ワシはこれを「初恋」に例えて説明したりする。

強く抱きしめたら壊れてしまう。
弱く抱きしめたら逃げてしまう。

だから命がで一番相応しい力で叩き続ける。

何故命をかけられるのか、
それはひとえに「愛」である。

その「音楽」を壊したくないという「愛情」
「絶対に壊してはいけない」という「責任感」

つまり「リズム」とはそれを叩く人の「人生」なのである。


そして最後に、
「ドラマーはバンドの指揮者である」

1曲をどのように盛り上げて、
ある時は強く歌い、ある時は弱く歌い、
それは歌手がやっているのであるけれど、
作り上げているのは実はドラマーなのである。

アレンジャーが作り上げたこのややこしいセクションを、
ワシは「自分の歌い方」で歌い上げる。

その中には「こう歌ってくれ」というのが強くある。

朋友がこの曲を引っさげて、
零点(ゼロポイント)のみんなを蹴散らして世に出てゆく。

その姿を想像しながら構築した。

願わくば実世界でもそのようになって欲しいと心から願う。
頑張れ!!朋友よ!!
羊肉の恩がある!!ワシはお前のためなら何でもやるぞ!!(笑)

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2012年9月 1日

北京ライブ

荷物が多い時には八王子からリムジンバスで成田に行くのだが、
13:40分発というとちょうどよいバスがない。

仕方がないのでかならい早いが7:00のリムジンに飛び乗った。

成田で4時間ほど時間をつぶせばと思って着いてみたら、
乗るはずの中国国際航空のカウンターが閉まっている。

よくよく調べてみるとワシの乗る便は羽田発ではないかー!!!

前回もこんなことがあったが、
その時は別の成田発の便に変更してくれたのだが、
今回は着いてすぐにライブ会場に飛び込みなのでそれでは間に合わない。

すぐさま羽田行きのリムジンに飛び乗る・・・

羽田に着いてみたらワシの乗る便は北京で航空管制によりまだ着いてないらしい。
助かったが・・・今度はライブに間に合うのか・・・

ま、ええか・・・中国やし・・・(笑)


結局2時間遅れで北京着、
着陸したらすぐにライブのメンバーにその旨を伝え、
すぐさまトイレに駆け込む。

今日のライブハウスは北京の胡同(フートン)にあり、
トイレは共同の、しかも仕切りがなく穴があいているだけのトイレなので、
トイレットペーパーもある空港の洋式トイレでウンコしとくに限る!!

しかしウンコを済ませてイミグレーションに来たら、
乗客は全て入国審査を終えて人が誰もいなかった・・・

NobodyImmigration.JPG

20年間ここに来ておるがこんなん初めてじゃぞ!!
係員がおらんかったら入国出来んやないかい!!!

結局Special Lineという特別なところで入国審査を受けて無事入国!!
ライブハウスに着いたら懐かしい「小すいか」のドラムセットが置かれていた。

Kosuika.JPG

爆風デビュー当時に作ってもらった「すいかドラム」のJazz用として作ったやつである。

オーナーのひとりであるドラマーから
「うちのドラムセットはひどいだろ?
余ってるドラムセットがあったら貸してくれないか」
と言うので貸し出してやってるのだ。

今回のライブは、この店がもうすぐ閉めてしまうということで、
仲間うちが「それならば」ということで毎日いろんなライブをやっていて、
「Funkyも是非なんかやってくれ」
ということで「Funkyとその仲間達」というライブをブッキングされたというものだ。

20120831JiangJinJiu.JPG


ここに来たら必ず近所の雲南料理屋に行く。

今回もサウンドチェックが終わってその店に行くと、
店長らしき「おばはん」がワシにいきなりこう言った?

「あら?今日はあんたのライブなの?」

いつも行く店とは言え、なぜに雲南料理屋の「おばはん」に?・・・
と思ったらこの「おばはん」もオーナーのひとりだと聞いて納得・・・


ライブハウスに戻って来たら客がちらほら集まって来てた。
気になるのは最前列に陣取っている美女ふたりである。

こんなことを書くとまた日本(八王子)で総スカンを食うが、
およそワシが日本でライブやっても客席でお目にかかることはないほどの美女。

「気が散るなあ」と思いながら「ひとりドラム」からライブ開始、
キーボードの張張(ジャンジャン)を呼び込んでデュオで「Funk版エリーゼのために」と続き、
更にベースの韓陽(HanYang)を呼び込んでトリオで数曲演奏した。

張張(ジャンジャン)はもとより韓陽(HanYang)がびっくりするほど上手くなっていたのでびっくりした。

後で聞いたら
「ぶっつけ本番だから緊張感が高かった」
とのこと。

これはある意味大切なことかも知れない。

アウェイインザライフというミュージカルの時、
ソニンちゃんがドラムを叩くというので仮谷くんが指導をしていた。

どうしても手がついていかなくて叩けないフレーズの時、
「ソニンちゃん、試しにその時になったらテンションを上げてみぃ。
アドレナリンが出れば叩けるかも知れないから」
とアドバイスをしたが、さすがはプロの女優、
その時になったらいきなりテンションを上げたら本当に叩けた。

素晴らしいバッターは球が止まって見えるというが、
同様にテンションをもの凄く上がった状態では、
頭の中で時間が早く流れると言うか、
Jazzなどのインプロビゼーションに瞬時に反応出来るようになったりする。

1拍1拍の中で普段よりも多くのことが考えられるので、
「反射神経」がよくなるような感覚なのだ。


第一部は自分のオリジナルを中心としたJazzの演奏で、
第二部は布衣(BuYi)のボーカリスト老呉(LaoWu)を迎えて彼の曲、
いや、ワシが書いた曲もあるしアレンジやプロデュースに関与した曲も多いので、
それも踏まえての「Funky末吉のステージ」である。

来ている客もみんな大合唱している。
かぶりつきの美女も大合唱している。

布衣(BuYI)のファンか・・・(驚)

思えば最近は布衣(BuYi)のライブでしかここに来てなかったので、
客席は立錐の余地もないような状態ばかりしか見たことなかったが、
思い起こしてみれば布衣(BuYi)が初めてここでライブやった時、
その時はワシがドラムを叩いたのだが、
その時は今日の客の入りよりも少なかった。

ワシが個人名義で北京でライブをやったのは1年前の誕生日の時以来、
今年はスケジュールの関係でマラソンライブはやってないが、
こんなライブもまたやってもいいなぁと思ったら、
老呉(LaoWu)から
「来月もやるかい?」
と言われてびっくり。

「ここが閉めてしまうっつうので毎日ライブやっとるんとちゃうの?・・・」

頭を掻きながら老呉(LaoWu)が説明する。
「今年いっぱいは閉められないよ。
だって客が入っててウハウハなんだもん・・・(照)」

やっぱ中国やなぁ・・・ほな来月もやりますか!!!(笑)

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2012年8月31日

北京に帰るのだが・・・ん?緊張感は?・・・

二井原達が貴州省でイベント出演中止命令が出たと言うので、
ワシはワシで焦っていろいろ水面下で動いていた。

イベントの主催者が自粛として出演中止させたと思ってたが、
本人からのメッセージを見るに、
「中止させられた」・・・ということは「政府」にか?・・・

「日中関係悪化のため、日本との音楽交流は軒並み禁止」
と聞いては落ち着いてられん!!

ワシはこのまま北京に着いてその足でライブハウスで自分名義のライブなのじゃよ・・・

友達のライブハウスがもうすぐ立ち退きで閉めてしまうというので、
軒並み仲間達が日替わりでお別れライブをやっておる。

ワシもJazz用のドラムセット「小すいか」を貸し出してやってるからにはということでブッキングされたのじゃが、
ワシ名義のライブ、つまり「日本人名義」のライブはちと都合が悪いのう・・・

いや、中止やドタキャンは別に慣れてるのでどうでもいいのじゃが、
同じく貴州省ではラウドネスより過酷なスケジュールで着いたらすぐドタキャンを告げられたし・・・)
困るのは「査察」である。

まあ反日感情も少々は心配しておったが、
よく考えたらワシの行くところ必ず「友達」のいるところなので、
まあワシに生卵なんか投げつけたりしたらそいつの命が危ないわのう(笑)

先日ワシの微博(WeiBo:中国のTwitter)に書き込んだヤツはすぐに発言削除したし・・・

「査察」が何よりも困るのは、ワシはこの国では「不法就労」だからなのじゃよ・・・

アメリカで言うグリーンカードに当たる「Zビザ」を取ったこともあったが、
毎年の更新がむっちゃめんどくさい上に、
ノービザで15日間滞在出来るようになってからというもの、
別にワシは必ず月に何回かは行き来するのでいいじゃろうということでずーっとノービザである。

音楽の仕事というのは日本もそうだったが「取っ払い」で
現金でもらって領収書も切らないので別にノービザで仕事をしているという「証拠」は残らない。

別にな〜〜んにも困らないので20年間ずーっとそうなのよ〜ん・・・

しかしまあ日本人ではワシぐらいじゃが、
ここに来てアフリカ人とかいろんな外国人の不法就労が問題となって、
中国政府の規制が厳しくなって来ている。

今では外国人は入国して24時間以内に滞在している場所を届け出ることが義務化された。

これがワシにはちと厄介である。
ホテルならチェックインと同時にパスポートナンバーがオンラインで登録されるが、
ワシの住んでいる貧民街は「外国人が住んではいけない場所」なのよね〜・・・

つまり「不法滞在」!!(笑)

だからワシは焦ったのよね〜
「中止」はいいが「査察」に来て、
「お前どこに泊まっとるんじゃ?居住証明は?!」
と言われたら大変めんどくさいことになってしまう・・・

ヘタしたら不法就労もバレて銀行口座の人民元全部没収されたらどうすんの〜

居住証明は賃貸契約書があれば最寄りの警察署で取ることが出来るので、
アホのアシスタントの実家でそれを取れとずーっとそう指示しているのだが、
「ファンキーさん、そんなものは必要ありませんて」
と頑なにそれを取ろうとしない。

最初はめんどくさがってるだけなのかと思っていたが、
今回はいいチャンスだと思ってラウドネス出演中止のことをメールに書いた。

「お前な、今日本では大騒ぎやぞ!!
全ての日本との音楽交流は政府が中止命令を出したんや!!」

ところが冷静に彼が一言、
「そんなことは北京では誰も知りません」

え?!!

ワシは喰い下がってまた調べさせる。
そしたら、
「調べたんですが中国政府としてはそんな命令は出した事実はありません」

え?!!・・・

「ファンキーさん、ここは中国なんです。
黙って中国人である私の言うことを聞きなさい!!
いいですか、問題というのは起こってから処理すればそれでいいんです。
問題が起こってないのに先に処理したら、
それは問題があるということを露見するようなもんじゃないですか」

え?!!

北京では日本大使館の車の国旗が燃やされ、
人民の80%がそれを正しいと思っているようなこの国で、
不法滞在の日本人が今晩自分名義のライブを行って、
不法就労として人民元を受け取ってそれで酒を飲む。

お前は「それでいいのだ」と・・・

さすがは「上に政策あれば下に対策あり」の国・・・
まあええ、お前もPAエンジニアとして現場に来ておるのじゃ!!
何かあったらお前が責任持って対処するよーに!!

ほな!!

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2012年8月10日

仕事とは太極拳のようなもの

アホだと思っていた方言(FangYan)のここ最近の成長ぶりは目覚ましい。
洛陽の山の中から帰って来たら、
さっそく憔悴し切った様子で泣きが入った。

「ファンキーさん、もうあの仕事、もう限界を超えました・・・」

よくよく聞いてみると二つ目に受けた方のドラマ、
最初にワシらを訪ねて来てその後ワシらの仕事に対して一番大きな評価を与えていた監督が、
「もうやっとれん」
と言って降りてしまったのだと言う。

つまり「味方」がいなくなった・・・

「ほな今、誰が窓口になってんねん」
と聞くと、社長の美人秘書、20歳そこそこの小娘が、
今では直接方言(FangYan)にあーしろこーしろと指示を出すと言う。

当然ながら今までOKが出て作り上げてた全てが「やり直し」である。
「何よこれ、キー!!」
と片っ端からダメを出すだけではなく、
「全編音楽で埋めてよ!!少しも空間空けちゃダメよ!!」
などと無茶なことを言う。

まあ監督も逃げ出すわなぁ・・・

ワシだったら
「ド素人が黙っとれボケ!!一番偉い人間出さんかい!!」
と怒鳴りつけるところだが、
流石は方言(FangYan)、ずーっと耐え忍んで彼女の無理難題を聞いていると言う。

あまりに可哀想になったので
「んじゃぁケツまくるか?」
と言ってみた。

「ファンキーさん、これは"仕事"なんです!!
院子(ユエンズ)を存続させるためにはどうしても金を稼がなければならないんです!!
ここでやめたら若い衆にギャラ払ってそれで終わりですから院子(ユエンズ)には全然残らないじゃないですか!!
ここは何としてもこの仕事、やりとげなきゃなんないんです!!」

おう、これが数年前までTDに1曲1週間かけて、
能率よりも自分の理想しか言わんた人間か・・・(感涙)

「相手に何度もやり直しをさせてはいけません!!
ここは何とか一発で相手を納得させる仕事をするのです!!
さもなくば僕たちの時給はその辺の日雇い労働者を下回ります!!」

時給まで計算出来るようになったんか!!(号泣)

「仕事というのはねぇ、太極拳みたいなもんなんです。
相手がこんな風に打って来た、
それを正面から叩くんじゃなくこうやって円を描いてかわすんです。
それでまた打って来る。
それをこうやって絡めて上に放り上げるんです。
そしたら最終的に僕らは勝つんです」

この言葉にはワシは心底びっくりした。

ワシは自分では好戦的な人間ではないつもりなのだが、
実のところしょっ中どこかとトラブルを起こしている。

JASRACしかり、日本人学校しかりである。

「ロックは弱い者の味方」と思ってるので、
弱い者に権力等で圧力をかける輩が許せないのだ。

ところがこのケンカの仕方、
よくよく考えてみると実は大きく間違っている。

ワシはまず相手を一番大きな力で殴る!!
そして次の相手の出方を見てから握手をする。

これは実は中国では一番よくないケンカの仕方なのである。

中国人は
「テーブルの下で拳を握りしめながらテーブルの上で握手をする」
とよく言われる。

中国人とはケンカしてはいけないのだ。

中国は広い。こてんぱんにして誰も相手にしなくなったヤツを、
この広い中国では必ず誰かが相手にするのだ。

そして力をつけて必ず仕返しに来る。

自分が力があるからと言って力で相手を倒すと、
それより力のある者に倒される。

ワシの場合は必ずいろんなシミュレーションをして戦うが、
頭を使うヤツはもっと頭のいいヤツに騙される。

力を奢る者はもっと力を持つ敵に滅ぼされ、
策を施す者は、もっと策に長けている敵に滅ぼされるのだ。

孫子の兵法の1ページ目にこう書かれている。
「絶対に負けない方法、それは戦わないことである」
と・・・

方言(FangYan)、今回は勉強させてもらった!!
この調子で残りの仕事も頑張るよーに!!

ほな!!ドロン(死語)

Posted by ファンキー末吉 at:13:52 | 固定リンク

2012年8月 3日

テレビドラマの仕事は続く・・・

「6月いっぱいの〆切やったんちゃうんか!!」
と思わず突っ込みたくなる。

中国では〆切を守らないのは〆切を作った方だったりするから笑うしかない。

1本目に受けた仕事は会社に経験者が少ないので言うことがころころ変わるし、
2本目は社長の美人秘書が口走った意見が、
監督を飛び越えて絶対命令として伝えられたりするから大変である。

そのふたつを同時進行でやってるのだ(凄!!)

「僕もうやってられません!!
音楽を映像に貼付ける専門家雇っていいですか?」
方言(FangYan)から泣きが入る。

ワシはもともと
ギャランティーの中から経費として半分は使うつもりで計算している。
スタジオがあるのでスタジオ代はかからないし、
ミュージシャンや作詞家(これはお隣の老呉なのだが)、
そして制作を発注するいろんな仲間に
たくさんお金を落としてあげられればそれでよい。

その経費まで節約することはないのだ。
仲間にバラまくつもりで使い切ってしまえばそれでいいのだ。

しかし「仕事」というのは長引けば長引くほど「時給」が低くなっていってしまう。
「僕ら、もう日雇い労働者ぐらいの時給ですよ」
方言(FangYan)が泣きを入れる。

1本目の会社は金払いがよく、前金の半分はもとより、
大部分の音楽は作ってしまったので更に30%くれている。
しかし仕事が遅い(涙)

2本目の会社は言うことがむちゃくちゃな上に金払いが悪い(号泣)

「前金受け取らんかったら絶対仕事始めんからな!!」
強く言っておいたので何とか前金はもらったがいつ終わるかわからん(泣)

主題歌を歌う歌手は女性の予定だったのが
いつの間にやら男性に変わっとる(ごうなきびっくりまあく)

男性だったら隣の老呉(LaoWu)、
女性だったらBeiBeiんとこのボーカル安敏捷(An MinJie)ということにしてたのだが、
いつの間にやら「歌手はこちらで決める」と言い出しとる。

「そのギャラはこっちは出さんぞ!!会社側持ちやぞ!!」
固く確認させる。

そりゃそうだ、有名歌手なんか連れて来られた日にゃ
そのギャラでワシらの制作費なんていっぱつで吹っ飛んでしまうのだ。

「女性歌手はまだ探してるそうです。
男性歌手は周晓鸥(Zhou XiaoOu)に決まったそうです」
脱退した零点(ゼロポイント)のボーカルではないか!!


彼とはいろんな物語がある。

彼らの6万人スタジアムコンサート

リハーサル中にメンバーは喧嘩を始めるし、
金だけはちゃんとくれたけど内容は想像を絶するほどぐしゃぐしゃであった。
(まあそれも中国では「普通」か・・・)

そんな中にWyn Davisをアメリカから呼んでライブレコーディングしようと言うのだから
当時ワシのストレスはもう限界に来ていた。

着いてみたらWynの要求した機材が全然揃ってない。
ワシは昼から夜から機材探しに走り回る。

見るに見かねたレコード会社の社長がひとつ探してくれた。
でもあとひとつ足りない。

「確か周晓鸥(Zhou XiaoOu)の自宅スタジオに同じのがあったような・・・」

社長はその足でたまたま会社に来ていた彼に聞いてくれた。
しかしその時に彼は社長にこう答えたのをワシはたまたま聞いてしまったのだ。

「あれは俺個人の機材だ。これはバンドの仕事だろ?
個人のものをバンドには提供出来ないよ」

ワシは無性に腹が立った。
「俺は誰のためにこれだけ頑張ってんだ!!
お前らバンドのためだろ!!つまりお前のためだろ!!」

それ以来彼にはあまりよくない印象を持っていたが、
時が経てば何となく分かる。
ぐしゃぐしゃのバンド内で彼もいい加減バンドに対して限界だったのだろう。

その後数年で彼はバンドを脱退した。
今ではソロボーカルとして、また映画やドラマに大活躍の「大スター」である。

まあLuanShuが仲良くしてるので何度も一緒に飲むし、
彼の曲を録音してあげたりしたが、
「スターはワシなんかより同じような人達と一緒にいればそれでいいだろ」
とワシは思っている。

ワシは周りの貧乏なミュージシャン達と一緒にいる方が全然楽しいのだ。


さあ、というわけで今日は彼の歌入れ。
ドラマの制作会社はどうしてもワシにディレクションしてくれと言う。

「あいつなんか自分のスタジオで自分で録ったらそれでいいだろ」
映画音楽のイベント用の曲もそうやって録ったし、
まあ二井原がいつもひとりで自宅で録るようなもんである。

「しょせん彼らは有名人が好きなだけなんですよ!
だいたいそんな金があるんだったら僕らにもっとくれるべきですよ!
彼ひとりで僕らの制作費全部持ってゆくじゃないですか!!」
どうも腹の虫がおさまらないようだ。


こいつとずーっとあーだこーだ言っててもしゃーないので
一緒にLuanShuのスタジオへと出発する。

「このスタジオ代もあっち持ちやからな!!」
もちろんそう念を押してである。

久しぶりの再会。
「ファンキーsan!!久しぶり!!何しに来たの?」
彼はこれがワシの仕事だということを知らない。

「え?ファンキーsanの曲なの?そりゃ早く言ってくれないと」
早く言ってたっつうの・・・

「曲?聞いてくれた?・・・」

「え?まだ聞いてないけど?大丈夫!!聞いたらすぐ歌えるから」

それは間違いない。
ワシも彼なら1時間、
遅くても2時間でレコーディングは終わると思って来ている。

もう一緒に零点(ゼロポイント)のアルバムを2枚も作ってるのだ。
彼の歌の上手さはじゅうじゅう知り尽くしている。

レコーディングが始まった。
ワシはパソコンを広げてこの原稿を書きながら聞いている。

「ほら見てみぃ!!あいつの歌に問題なんかあるわけないんじゃ」

そう思いながら聞いていたが、
逆にどんどん彼の歌に引き込まれていった。

これ・・・まるで零点やん・・・

そりゃそうだ!!
これは中国のロック史上一番金を稼いだバンドのボーカルの歌なのだ。

数年前一緒に零点最後の2枚のアルバムを作った時の、
いろんな思い出を思い出しながら懐かしくなって、
いつの間にかパソコンの蓋を閉じてディレクションをしていた。

毎回語尾の処理の仕方を変えて工夫するのだが、
そのいちいちが「零点」なのだ。

後期の数年間しか一緒に仕事しなかったが、
あの数年もワシにとっては「青春」だった。

そしてそのもっと前から、全ての中国人はそれに熱狂し、
それに自分の「青春」を重ねた。

歌い終わった頃にはワシは立ち上がって絶賛した。
「お前・・・やっぱ上手いわ・・・」
制作会社が彼に払う金だけの価値はあると思った。

「いやいや、ファンキーsanの曲がいいんですよ」
その芸能界っぽい「褒め合い」には興味はないのだが、
ドラマの制作会社の人達も来てるので、
言わばこのパフォーマンスもワシの「仕事」なのである。

いつまで経ってもワシは零点最後のプロデューサー。
そして彼の「仲間」であり「先輩」である。

今でも大スターの彼がワシを立てる。
それを見て制作会社は少ないけどワシに支払った金は価値があると思ってくれればそれでいい。

あとはエンディングテーマ曲・・・誰になるんじゃろ・・・
有名女性歌手は知り合いじゃなかったらなかなか大変やぞ・・・(怖)

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2012年7月23日

艾敬(Ai Jing)北京コンサート

艾敬(Ai Jing)というシンガーソングライターがいる。

1990年代半ばに香港返還の女心を歌った「我的1997」という曲が日本に紹介されて話題になった。

彼女とは10年に一度ぐらい会う。
最後に会ったのは五星旗の香港公演の時か?・・・

いや、一度電話かかって来て北京の事務所に呼び出されたこともあったような・・・

とにかくゆうに10年は経ってるだろうが、
またひょこっと彼女から電話がかかって来て呼び出されたのが半月ほど前のこと。

「私の工作室(仕事場)で会いましょう」
というので、てっきりレコーディングスタジオだと思ったら画廊だった。

画家になったんか?・・・(驚)

詳しいことはわからんが、
とにかく11月に北京博物館でコンサートをやるので手伝ってくれと言う。
しかも日本から東京フィルハーモニーオーケストラを呼んで演ると言う。

バンドの部分も日本人ミュージシャンでということで、
ワシにそのバンドの部分をお願いしたいと言うのだが、
この話がまたちょっと分かり辛い。

ドラムを叩くのかと思ったら
「BOOMって今何をやってる?彼らとやりたいんだけど」
と来る。

そう言えば彼女の日本コンサートはBOOMがバックを務めたが、
ワシとてもう日本の業界のことはようわからんぞ・・・

というわけで、成田に着いたら担当者に連絡を取ってみる。

その人は昔はBOOMの担当ではあったがもう外れていて、
まあ結果としてはBOOMとしては無理だということである。

ワシは企画書に載っている制作会社に電話をしてみる。

「制作はそちらだという話ですが?」
クラシック界のことはよくわからんがそこは大きな事務所で、
これはそこの北京事務所の仕事で、
基本的には東京フィルハーモニーのブッキングはすることになっているが、
まだ詳細が出てないのでよくわからないということらしい。

まあとにかく、
「じゃあオーケストラ部分だけじゃなく、
バンド部分もそちらで仕事として受けてもらえますね」
と強く念を押す。

だいたいにして北京博物館でソロコンサート、
しかも日本からオーケストラを呼んでというのは中国人初のことである。
よくある話で、日中の間に立ってそれがドタキャンにでもなった日にゃぁ目も当てられない。

中国の仕事は土壇場になるまで本当にやるかどうかなんてわかりゃしないのだ・・・

日本の状況をメールで説明すると、
今度はその制作会社の中国事務所のスタッフからぶーぶー言われる。

「何で私じゃなく日本事務所に連絡取るのよ!!」

やっぱワシに日本との間を取らそうと思っとったんか?(苦笑)

「じゃあ東京フィルハーモニーがお前と直接連絡取るか?
同様に日本のミュージシャンは直接お前に連絡取れんから、
必然的に全部ワシんとこに来るじゃろ!!
日本側の責任者がいない仕事はワシは絶対やりまへん!!!」

かくして艾敬(Ai Jing)が日本に来て、
明日はその事務所の人とミーティング、
今夜はミュージシャンとアレンジャー紹介して
「一緒に居酒屋で食事でもしましょう」
ということに相成った。

人助けはやぶさかじゃないし、
酒を奢ってくれることも全然やぶさかじゃない。

運転手に小畑秀光を雇って、都内へごー!!!

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2012年6月30日

ユナちゃんへ

せっかく遠く北京まで来てくれたのに
おんちゃん忙しくてあんまし相手出来なくてごめんな。

でも日本におる時より楽しそうにしとると聞いて、
おんちゃんちょっと嬉しかった。


昨日ライブ見に行って、
パンクバンドの音楽を聞きながら突然ポコダンス踊ったのよかったなあ。

まあポコダンス言うても、
ユナはご飯が美味しかったり楽しかったりするとすぐ飛び跳ねるからそれと一緒なんやろうけどな。

そんな風に何でもすぐに身体で表現出来るって素敵やな。
パンクスの兄ちゃん達って逆に
「あ、ここでポコダンスせなあかん」
とか思って無理やりやっとるとこもあるからな。

音楽聞いて嬉しくなって、広いとこ行って飛び上がってたら、
それが偶然パンクの音楽でポコダンスやった言うのが素敵やったな。


音感がええっつうのも凄いな。
おんちゃん音楽の仕事しとるけどとてもそんな風に出来んもん・・・

きっと音楽を聞く時にユナみたいに
「好きやから聞いとるんや」
みたいのがもうないんやな。
頭使うていろんなこと考えながら聞いとる。

好きなことはもっと素直に好きやと思えたら、
おんちゃんももっとユナみたいになれるかも知れんのにな。


ユナの腕には自分の歯型がアザになって残ってたな。
思い通りにいかん時には悔しくて自分の腕を噛みながらガマンしてたんかな。

腕のアザの数だけ世の中はうまい事いかんっつうことやな。

おんちゃん達は自分の腕を噛んでガマンすることはないけど、
きっと心の中で自分の心を噛みちぎってガマンしとるんやな。

生きてゆくためにはいろんなことをガマンせなあかんから、
もうおんちゃんらの心は噛みちぎられて残ってないんやな。
そやからユナみたいにほんまに心からモノを楽しめたり悔しがったり出来ん。

ユナが見たり感じたりしてることが、
おんちゃんらはもう見たり感じたり出来んのかと思うと寂しくなるな。


ヒデ兄ちゃんも言うてたけど、
中国っつう国は「何でもあり」やからな。
別にユナが突然大きな声出したり飛び跳ねたりしても、
まあ別にどうも思わん人達ばっかりやからな。
オンマもその分気が楽やったから、
ユナもその分気が楽やったんかも知れんな。

でもおんちゃんらもホンマは、
嬉しい時にはユナみたいに大声出して飛び跳ねたいし、
悲しい時には叫びたいんや。

でもそれをやったらいかんと思うてるうちに、
いつの間にやら自分が嬉しいのか悲しいのかすらわからんなってしもた。

人に迷惑かけたらいかん思て、
一生懸命ガマンして生きようとしながら、
結局は人に迷惑ばっかかけて生きて来た。

一緒やのにな・・・


ヒデ兄ちゃんにはすぐ打ち解けてラブラブやったけど、
おんちゃんにはちょっと時間がかかったな。

それはおんちゃんがユナに壁を作ってたからやと思う。
ユナは「鏡」みたいなもんやからな。
こっちの気持ちがそのまま映し出されるんや。

オンマがユナとカナダ行って、
「この子はユニークなだけなんや」
と悟って帰って来た話聞いた。

ちょっと変わってるからって、
それに対して壁作ったらあかんな。

変わってない子供なんてそっちの方がキモチワルイのにな。


オンマはいつもユナのこと見てて、
何言うてもふんふん聞いてくれて、
ユナにもわかるやろ、オンマはユナのこと大好きやからな。

楽しい時にはまた飛び跳ねたらええ。
悲しい時にはまた叫んだらええ。

オンマが言うてた。
「この子はな、明日は絶対に今日よりええねん」
そうやって生きてるユナは素敵やな。

心を噛みちぎって生きていかないかん世の中やけどな、
明日は絶対に今日よりええねん。
余計なこと考えたらあかん。
ひたすらそれを信じることやな。

おんちゃんいろいろ勉強になった。

先に日本に帰るけどな、
今のうちにいっぱい美味しいお肉食べて、
帰ったら学校でまたお勉強して、
また行きたいなぁ思たらいつでもおいで。

チャンスがあったらヒデ兄ちゃんと大阪行くわ。

ほな元気でな。
みんなユナのこと大好きやで。

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2012年6月29日

小畑秀光残念ながら帰国

パキスタン航空の激安チケットのため、
着いてから72時間以内にリコンファームをせねばならんというのをすっかり忘れていて、
あわや帰国は不可能かと思われたが、残念ながら乗れてしまったようだ・・・(笑)

思えば到着直後、腹ぺこの状態で体重を計り、
毎回メシを食う前に
「その体重より上回ってたらメシ抜き」
と言ってたのだが、そのうち体重計るの忘れてしまっていた・・・

太ったな、きっと・・・

ライブが終わって後半は廃人のように食って寝て食って寝てしてたからのう・・・
まあ体調も優れんかったようやし大丈夫か・・・

モンゴル人と飲んだ時は大変で、
帰ってからもべろんべろんで、
「僕が日本で嫌われることをあの人達は嫌わなかった」
と泣きながらそればっか言ってたなあ・・・

その後ばーちゃんの写真に向かって「それでもあきらめない」を泣きながら歌ってた。
心に沁みたぞ、この歌は・・・

昨日はLuanShuの乗馬クラブでまたしこたま飲んだ。

「数時間後に搭乗やのに酔い潰れたらこりゃ絶対帰れんぞ」
と言ってたら、酔い潰れたのはワシと金ちゃんだった。

LuanSHuが歌ってくれた崔健(ツイジェン)の曲というのは、
中国に初めてロックが出来たその記念すべき曲であり、
当時留学していた金ちゃんにとっては思い出の曲である。
そして彼自身が歌う黒豹(HeiBao)のヒット曲・・・

金ちゃん号泣・・・

後に黒豹(HeiBao)を脱退して訴訟騒ぎまで起こした彼が、
こうして友達のために昔の持ち歌を歌ってくれるまでなったということは、
「年をとるということは素晴らしい」と思わざるを得ない。

ロックのなかったこの国に、
崔健(ツイジェン)という偉大な人がロックを生み出し、
黒豹(HeiBao)が生まれ、後にロックバブルとなる。

そのお手伝いをワシがして、
金ちゃんがそのお手伝いをした。

中国のロックはそのほんの少しではあるがワシらが作ったのだ。

そんなことを感じたのか小畑くん、
いきなりギターを持って、
「アコギでひとりメタル」
を始めた。

ピックもないし、もうソロなんか音が鳴らなくて大爆笑だったが、
LuanShuもいきなり携帯で動画撮り始めたぐらいインパクトあったなあ。

「ロックは楽器でやるもんじゃない」っつうのを地でやってたな(笑)
(動画取り寄せとこ・・・)

ロックンローラー小畑秀光!!
無事に帰れて寂しいぞ!!(笑)

お前にとっては生き辛い日本かも知れんが頑張れよ!!
また来いよ!!

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2012年6月28日

制作会社と金のトラブル

方言(FangYan)が怒っている。
「制作会社の別の人間から電話かかって来て契約書を変更してくれと言うんですよ!!」

彼はそう言って、送られて来た変更された契約書を見せるのだが、
まあ中国語なので詳しくはわからないが、
まあ「仕事を始める前に半金、終わったら全額支払ってね」という項目を、
「最初に10%、デモ作ったら10%・・・」
とか小出しにしたいということらしい。

金がないのだろう・・・


まあワシとしてはちゃんと払ってもらえれば少々遅れてもいいのであるが、
ここは中国、いろんな要素が複雑に絡み合って難しい。

まず取りっぱぐれは日常茶飯事なので金をもらわずに音源を渡すのは危険である。
デモも音質を落としたmp3などのファイルで送りはするが、
それを平気で使ってしまうのも日常茶飯事。

そして中国ならではの「面子(メンツ)」

こればかりは人の感情なのでどうにもコントロール出来ない。
方言(FangYan)も十分やってくれたので、
「これでは我々の面子が丸つぶれじゃないですか」
と怒っているのをなだめるのも大変である。

「ほなこういうことにしませんか」
ワシはひとつのやり方を提案する。

監督としては我々の仕事を気に入ってるようなので、
現状出来ている部分、
第一集の音楽を全部完成させて、
主題歌、挿入歌、を歌も入れて仮ミックス、
それを監督に送りつけて離れられなくするのだ。

それにしても今回選んだ若い衆のレベルはもの凄い。
ワシがやったんではここまで出来んというレベルで音楽をつけておる。

だから主題歌も頑張って作らせて頂いた。

だいたいうちは作ったらすぐにレコーディング出来て、
歌詞も隣の老呉(LaoWu)がすぐ作ってくれて仮歌まで歌ってくれる。

通常一番手間がかかるドラムをすぐに録れるので、
デモのレベルと言うよりは本チャンレベルである。

「これは捨てたくない」と思ったら監督から担当者を説得するだろう。

方言(FangYan)はそれを受けて、
「私たちはまだお金を受け取ってないのにここまでやりました。
このままの状態では続けられません。
お金が振り込まれるまで全ての作業を停止します」
というメールをデモと共に送りつけたようだ。

まあ、通常これで解決して作業続行となるのが常なのだが、
ここで向こうが面子を言い出したら話がまたこじれる。

中国人はなかなか難しい・・・


今回は
「契約書にサインまでしてそちらに郵送しているのに、
それを土壇場で覆すとは何事か」
という面子だが、
その昔も似たようなことがあったが、それは
「約束の時間に遅刻するとは何事か」
という面子だった。

いや、ワシが遅刻したのではなく、
先方がスケジュールを変えて変えて、
結局最後の約束の時間に間に合わないという電話を受けたマネージャーが、
「こんな仕事はやりません!!」
とテーブルをひっくり返してしまったのだ。

ワシ自身はその映画は気に入っていてもう半分ぐらい音楽は作っていたのだが仕方がない・・・


まあ中国ではこのようなことは日常茶飯事である。
もし今回この条件を呑んで作業を続けてたとしても、
結局お金が振り込まれない、最終的にギャラを値切られる、等
考えられるトラブルは山ほどある。

まあ運を天にまかすしかないな・・・


それにしても今回の若い衆は凄いな・・・
このままやってたらあと数日で39集全部本当に完成させてしまうだろう・・・

話がまとまらなかったら、
制作会社はこのレベルの仕事を捨てて、
やっつけで最初からやれる、もっと安い人達を探すだろう。

そして中国のテレビドラマの音楽のレベルはどんどん下がってゆくのだ・・・

ワシらは今回の若い衆に最大限の誠意を払って、
もう1本やっているドラマのギャラから彼らにギャラを支払う。

これでいいのだと思う。
彼らはワシらの「宝」なのだ。


もう1本のは半金ももらってるし、
主題歌も完パケしたし、
大部分の音楽はもう貼付けていて、
あとは張張が来て効果音的な音を入れれば終わる。

今月までに5集ぶんと言ったら5時間で終わるだろう。
テレビドラマの音楽はひとつが完成したら後は早いのだ。

願わくば問題が解決して、
もうひとつのもこのまま第39集までやってしまいたいもんだ。
ここまで出来たらあと3日で終わるじゃろう・・・

やれるもんやな・・・

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2012年6月27日

モンゴルパオで酒を飲む

零点(ゼロポイント)復活計画はこの後すぐに座礁に乗り上げた。

大毛(DaMao)、二毛(ErMao)という兄弟が、
結局はギャラを全部持って行ってしまい、
新加入のボーカリスト「老五(LaoWu)」や、
オリジナルメンバーである「朝洛猛(Chao Luomeng)」にまでギャラを渡さないという始末。

こうなると「バンドの問題」というより「人間性」の問題である。

それからも「アレンジしてくれ」という電話は来ていたが、
「金を払ったらやってやる」
と言って口座を確認するが一向に振り込まれないので相手にしていない。

そうやって彼らは「誰にも相手にされない」まま1年が過ぎた。

新ボーカリストの「老五(LaoWu)」はそのまま零点(ゼロポイント)を脱退したと聞くが、
そんな彼からいきなり「メシでも食おう」と電話があった。

時を同じくして「零点(ゼロポイント)のマネージャー」と名乗る女性から電話があった。
ワシは彼らの仕事のやり方を非難し、
「お前がその辺の仕事を責任持ってちゃんとやるなら仕事してもいい」
と強く言った。

折しもこの日は、
昼間はその零点(ゼロポイント)のミーティング、
夜はそこを脱退した老五(LaoWu)と食事というスケジュールとなった。

ところが昼間のミーティングはドタキャン。
メンバーである朝洛猛(Chao Luomeng)が、
「ファンキーをミーティングに呼んでどうすんだ。
バンドがミーティングして、決まったことを仕事として発注すれば終わりだろ。
俺は夜ファンキーと会うから俺から伝えておくよ」
ということになったそうだ。

さて、夜の食事の場所はワシも行ったことがない超高級モンゴル料理屋さん。
羊が何匹も機械で回されて焼かれている。

99DingZhanFangYangRou.JPG

その広大な敷地にはモンゴルパオがたくさん立ち並び、そのひとつに通される。

99DingZhanFangMengGuBao.jpeg

宴会の開始である。

ごらんのように飲めや歌えやで全然仕事の話はしていない。
こちらでは「仕事」=「飲む」なのである。

最後に朝洛猛(Chao Luomeng)が一言こう言った。

「ファンキー、老五(LaoWu)のこと、頼むよ」
これだけが数時間かけて行われた「仕事」、
これだけがこの高級料理の代償なのである。

もちろん「友達」のためなら何でもする。
ワシらはこうして酒を酌み交わし、「同じ釜のメシ」を食った「仲間」なのである。

零点(ゼロポイント)の話は結局出なかった。
仕事として動き出したら正式に発注が来るだろう。

何ぴと様からの仕事でも金さえくれたら「仕事」である。
ちゃんと仕事として整うのを待つばかりである。


ただひとつ気がかりなのは、
彼が今日歌ってくれた「思念」というモンゴルの曲・・・

これは外モンゴル、つまりモンゴル共和国のロックバンドの曲だったらしいが、
彼らから版権を買い取り、零点(ゼロポイント)復活のシングル曲としてワシがアレンジした。

ボーカルも脱退してしまったので、
あの曲が世に出ないというのだけが残念で仕方がない・・・

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2012年6月25日

小畑秀光北京ライブ

それにしても、思い立ったらすぐ北京でライブがブッキング出来るワシって我ながら凄いなと思う・・・

まあそれは「客が入らなくてもいい」という前提なのであるが、
今回はWINGに小畑くんを紹介するという目的のためだけなので、
WINGさえ来てくれれば別の他の客はどうでもよい。

両個好朋友というライブハウスは、
ワシら北京の院子(ユエンズ)に住んでたドラマーが立ち上げたライブハウスなので、
開店以来ワシはここで金払って酒を飲んだことがない。
ブッキングも空いてればいつでもOKなので簡単なのである。

かくして小畑くんにも羊を食わせてやろうと丸焼きを一匹注文した。

ObataMaruyaki.jpeg

羊代1000元(訳12000円)を安いと見るか高いと見るかであるが、
まあ入場チケット50元で20人来れば元が取れるか・・・

・・・と言いながら20人も来ないのである。
結局は金払った客は8人、残りはワシが自腹ということである・・・

まあ客が8人でもライブはライブ。
汗かいてタダ酒飲んで、羊食ってハッピーーーーならそれでいい。


金ちゃんの娘、ユナもライブは大喜びだったようだ。
オープニングアクトの老呉(LaoWu)のステージに突然上がって来た。

どうもユナは耳がいいので、
スピーカーから出ている音が嫌いなのだそうだ。
楽器の生音を聞きたくてステージに上がったのだろう。

ベースの韓陽(HanYang)がステージ下手、
老呉(LaoWu)が真ん中に立って歌ってたのであるが、
ユナはちょうど空いているステージ下手に立って、
しばらくふんふんと音を聞いて、
飽きたのかそのままぷいとステージを降りて行った。

日本ではスタッフが上がって来て連れて降りるだろうが、
ここでは誰も何もしない。

中国のライブは何でもありなのである。


老呉(LaoWu)率いる布衣(BuYi)レコ発ライブの時、
「羊肉麺」という、今では彼らの代表曲となったその曲のイントロの時、
ひとりの女の子が花を持ってステージに上がって来た。

これは大きなコンサートでもよくある光景である。
きっとCDを買ってこの曲が好きになったのだろう。
この曲が始まったら上がって来て老呉(LaoWu)に花を手渡す。

お嬢さん、でもちょっと考えてみて下さい。

老呉(LaoWu)はギターを弾きながら歌っているのです。
イントロのギターも見ての通り彼が弾いているのです。
歌も1番はひとりでギター弾きながら歌うのですよ。

ギター弾きながら、歌いながら、花束を受けとれますか?!!

ライブ録音にはバッチシ、彼がギターをやめて、アカペラで歌いながら花束を受け取っている様子がありありと記録されている・・・


まあこのように中国のライブは常にこうなので、
ユナが上がって来て佇もうが、そのままドラムを叩こうが、何でもありである。

でもよく考えたら、世の中は「何でもあり」であるべきなのだ。

ユナは突然奇声を上げたりして周りの人間をびっくりさせるが、
人はみな叫びたくなる時があるのではないか。

楽しい時、悲しい時、
人は大声で叫びたい時にも「社会性」というものでその感情を押し殺して生きている。

だからユナの音感のように、
人はもともと持っていた能力をその「社会性」によって殺されて育ってゆくのではないか・・・


てなことを考えながらドラムを叩いてるうちに老呉(LaoWu)のライブが終了し、
「社会性」から程遠いアホがステージに上がって来る。

思えばこいつも、
音楽をやるからと言ってコードもドレミファも知らず、
譜面も読めず、一般音楽理論も知らず、
ただメタルが好きだというだけでギターを弾いている。

ユナが「音楽が好きだ」というのと同じように、
彼は「メタル」だけは「上手い」のである。

アホは世界を救う!!
この日はたまたま来ていた8人の中国人を救った。
世界中の人間を救うためにはあと1万年ぐらいかかるかもわからんが、
とりあえず8人救った。

最後の曲の前に「ひとりギターソロ」の部分も作っていたのだが、
予定より1曲早くギターソロを弾き始める。

ObataBeijingLive.jpeg

後ろで韓陽(HanYang)がぼーっと立っている。
彼の頭の中では
「ギターソロが1曲早まっただけで、後残り2曲である」
と考えているに違いない。

「何でもあり」の中国なので、
ワシはドラムんとこを降りて行って堂々と韓陽(HanYang)に耳打ちした。

「次は1曲飛ばして最後の曲だからね!!」

韓陽(HanYang)は不思議そうに頭をかしげた。
「ファンキーはいつこのギタリストとそんな打ち合わせをしたんだろう、
予定ではあと2曲ではなかったのか?・・・」

ギターソロ終わってカウントを出すと、
間違いなく最後の曲に入った。

アホの気持ちアホのみぞ知るである。

アホがステージで興奮してもっとアホになっとるんだから、
「これはきっと5曲目なんかすっ飛んで、
いきなり最後の曲だと思ってソロを弾いてるに違いない!!」

そういうワシの読みは正しかった。
アホは自分が1曲すっ飛ばしていることさえ知らなかったのだ。


かくしてライブは終わった。
羊も焼けた。

LetsEatMaruyaki.jpeg

WINGも感動して上機嫌で帰った。
次にこのアホがいつ北京に来るかは彼の胸先三寸である。

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2012年6月23日

中国のネット規制との戦い

小畑秀光が来て、
今度は100時間に留まらず滞在中ずーっと配信し続けようとしている。

迷惑な話である。
ヤツが配信すると仕事が手につかんのよね・・・

風邪を引いてるらしく、来てすぐに寝てしまいよったが、
それをUst配信しているので、
隣の部屋でいながらついつい寝姿を見てしまう・・・

どういうわけだかUstが止まったので様子を見に行く。
ネットの回線が悪いのかVPNの調子が悪いのか、
またつなぎなおして仕事に戻る。


ここ中国ではUstreamやYouTube、
Twitterなどのサイトにはアクセス出来ないように中国政府がブロックしているのだが、
「上に政策あれば下に対策あり」
でVPNというやり方で、その「壁」をくぐり抜ける。

まあてっとり早く言うと、
「私は今中国からアクセスしているのではありません。
外国からアクセスしてるんですよ」
という形にしてパソコンを「騙す」のである。

いろんな会社があって、
無料で、もしくは有料でそのサービスを提供しているのだが、
私は有料の12vpnというシステムを使っている。

だいぶ前にUS119$払ってサービスを開始したのだが、
1年の値段がこれと言う割には、
よく考えたらもうそれから長いこと金を払っていない。

同じユーザー名で自分のiPhoneにもiPadにもインストールし、
小畑くんのiPhoneにもiPadにもインストールして、
全部いっぺんにアクセスしたりしてたからなのか、
何故か夕方からiPhone系から一切vpnが使えなくなってしまった。


まあこのシステムは規制との「いたちごっこ」なので、
とりあえず「プロファイル」というものを最新にしとけば直ることがあると言うので4台とも最新にする。
それでもダメなので古いバージョンにする。

どうにもこうにもつながらないので中国でのネットの神様、小龍に電話して相談する。

「やって見たらこちらでもダメでした。
他の業者のも試してみたけど全滅です!!」

何ぃ〜!!中国政府はついに新しい戦いに突入したのかぁ〜!!
「戦いだぁ〜!!」
プロはいろんな方式を用意しておくというので、
VPN EXPRESSというのをインストールしてみる。

あ、これだけはうまく動作するようだ。
小龍に電話して情報交換しているうちに、
何故か12vpnがまたつながるようになった。

一体何だったんだろう・・・

ツイートには中国で住む日本人から
「うちは大丈夫ですよ」
という書き込みもある。

ワシと小龍だけを集中的に狙ったのかぁ〜!!
中国政府ぅ〜デァアアアアアアアアアア!!

というわけで小畑秀光の北京滞在、
こちらこちらで配信してます。

はてさてどんなことになりますやら・・・

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2012年6月22日

ユナの奇跡

戦友である金ちゃんが北京に来ている。

彼女の娘が発達障害であることは書いたが、
別にワシは人道主義とか子供が好きだとかそうなことは毛頭ない。
戦友が楽しく過ごしてくれて、太って帰ってくれたらそれでいいのである。


戦友の娘はユナちゃんと言う。

中学生になってもうちの下の息子と同じぐらいの知能と言うのは、
まあ親御さんには大変なことである。

一緒に院子(ユエンズ)で暮らしてはいるが、
まあワシはずーっと仕事をしているので別に面倒を見ているわけでもない。

ただ金ちゃん65kgのアップグレードのためにメシぐらいを一緒に食っている程度のことである。


昨日から仕事をほったらかして北朝鮮プロジェクトの執筆をやっていた。
今日もずーっとやってて、夜はそのミーティングに出かけた。

中国のミーティングは酒をがんがん飲むということなので、
すなわちほろよい気分で院子(ユエンズ)に帰って来たら、
2つのドラマ音楽を仕切らねばならない方言(アホのアシスタント)が、
「ファンキーさん、ちょっと聞いて下さいよ」
と言ってProtoolsのファイルを開く。

てっきりドラマ音楽の仕事に関するものなのかと思ったら、
ユナちゃんの歌をアカペラでレコーディングしたのを聞かせている。

「アホか、そんなヒマあったら仕事せんかい!!」
と思ったが一応戦友の娘のことなのでふんふんと聞いてみる。

アニメの曲とかいろんな曲を彼女はアカペラで歌ってた。

「音程とリズム感、とってもいいでしょ」
彼は嬉しそうにそう言う。

ワシは子供ドラマーが嫌いという話でも書いたが、基本的にそうである。
「そのような子供にしては」というレベルにワシは興味がないのだ。

まあ今一番忙しい時期を、
まあこんなよそごとをやりながらでも一生懸命やってくれてるアホなアシスタントの顔を立ててその録音を聞いてやった。


聞いてても別段たいくつなので
スタジオにあるギターを持って一緒につま弾いていたら、
ひょんなことから不思議な現象に気がついた。

どの曲もギターで伴奏して「何かのキー」なのである。

分かり易く言うと、
通常アカペラで歌った場合、
絶対音感がない限りドレミファソラシドはその人のキーで決めるので、
その独自のキーで歌って録音した歌に合わせて伴奏しても、
絶対に「キー」が合わないのだ。

そりゃそうだ。
確率から言うと、ピアノでは1オクターブに12の音しかないが、
実際にはそのドとレの音の間には無限の「音程」があるのだ。

絶対音感のない人間がでたらめに音を選んで、
偶然そのピアノが選んだ12個の音になる確率の方が低いということになる。

ところがユナがアカペラで録音した楽曲の全てのキーは
必ずどこかのキーに当てはまっている。

絶対音感?・・・
ワシは酔い潰れて寝ている戦友を叩き起こした。

「原曲の音源全部持って来て!!」

かくして発覚した。
彼女が歌っているキーは見事に原曲と同じキーであったのだ(驚)


これがどれだけ凄いことかを音楽を知らない人にもうまく説明してみよう。

世界の二井原実も、でたらめに歌ったらそれはどのキーかわからない。
ジャスト半音違うと言うならまだしも、
確率的にはその「ドとレの間」の無数の音程に帰着するのが確率的には正しい。

また、偶然絶対音感的に正しい音程で歌い始めたとしても、
歌い終わったら必ずしもそのキーであるとは限らない。

爆風スランプも「涙の陸上部」という歌をアカペラで歌ってたが、
Dのキーで歌い始めても、終わる頃には平気でDbまで下がってたりしてた。


ところがこのユナの音感は一体何なんだ!!

ユナはポニョは数カ国語で歌えるし、
言語的に能力が優れていることは聞いていた。

実際、こちらで教えた中国語はほぼ完璧にオーム返しする。

中国語では「四声」というイントネーションが何よりも大切なのであるが、
例えば「おいしい」という日本語の「しい」が固定的に頭にある日本人にとって、
「希望(シーワン)」という単語を勉強した時に、
日本人は「おいしい」の「しい」でしょ、と考えるので違った「四声」で発音してしまうのだ。

「何も知らない」ということは素晴らしい。

私も二井原も、全ての専業音楽家が出来ないことがこの子は出来る。

裏返して言えば、
人間は本来生まれもって出来ることを、
その「先入観」によって出来なくしているのではないか。


「テレビドラマの音楽は大事だけど、
お前は明日、彼女のデモタープを録れ!!」

ワシはアホなアシスタントにそう命じて寝た。

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2012年6月20日

私バンドをやりたいの

仕事というのはない時には全然ないが、
ある時にはどんどん重なるものである。

今うち(ファンキースタジオ北京)はさしずめ「工場」である。

幸いアホのアシスタントが「使える」ようになって来たので、
彼を彼を司令塔にして、
現在製作中であるドラマ音楽は張張(ジャンジャン)に、
新しいドラマ音楽はキーボード「L」とキーボード「H」と私と3人で、
よっしゃー!!同時に制作開始するぞー!!
と思いきや、昨日の夜8時に来る予定だった張張は現在朝4時になってもまだ来ない。

キーボード「L」は昨日の夕方2時間「H」は3時間遅れで来たが、
私は李慧珍に呼び出されて美味しいもんを食いに行って酔っ払って帰って来ている。

まあ中国の仕事はこんなもんである。
仕事の発注元もこうであることを願うのみ!!


李慧珍は前回の大高さんらとのライブにも来てくれた。

ライブ終了後に「話があるの」と言ってたが、
日本勢をホテルに送り届けねばならないのでその日はお引き取り頂いた。

内容はわかっている。
「バンドをやりたい」と言うのだ。
その前から電話などで本人からそう聞いている。


「三顧の礼」というのが中国の文化にある。

劉備玄徳が諸葛孔明を軍師に迎える時、
彼のあばら屋を三度訪れて礼を尽くしたというやつである。

奇しくも彼女は私ごときに同じように三度ずーっと待ちぼうけをくらって来たことになる。
ゆえに私は今回、逆に礼を尽くして呼び出しに応じたというわけである。


約束の時間に指定されたレストランに行くと、
彼女の名前を言っただけで別室に通された。

ところが本人はいない。
入れ墨だらけのおっとろしい兄ちゃんが一人で座っていて、
そのおっとろしい兄ちゃんがワシに会釈する。

全くもっていつも入れ墨のおっとろしい兄ちゃんに会釈されるのも肝を冷やすもんである。


顔に印象はないが、そう言えばこの入れ墨には印象がある。
「昔会ったことあるよね?」
隣に座り込んでダベり始める。

ビールを頼んで二人で飲み始めるが誰も来ない。
1時間が経過し、ビールが4本空いた頃、やっと彼女が来た。

「ごめんね〜警察に捕まってねえ」

彼女の新車のベンツのスポーツカー(どれだけ金持ちやねん!!)のナンバーが仮ナンバーだったため止められたらしいが、
自分の名前を言ってCDにサインしたら見逃してくれたらしい。

有名人やん!!!


彼女と出会ったのはもう20年前。
ホリプロが中国の山口百恵を発掘すべく全中国で大々的に行ったオーディションで、
彼女は堂々3位に入賞したが、
日本側は彼女ではなく別の歌手を立てて「中国ホリプロ3人娘」としてデビューさせた。

その後彼女は私と出会い、
デビューアルバムを私がプロデュースして、
皮肉なことに中国ではそちらの方がヒットしたというわけである。

その後彼女は事務所と揉め、
思うように活動出来ない時期から
「私バンドをやりたいの」
と言っていた。

その後身体を壊して入院したり、
事務所の圧力でほされてたり、
数年音沙汰がなかったが、
それが解決して別の事務所と契約して今に至る。

その事務所は彼女を「流行歌手」として売り出すために、
彼女をロックから遠ざけていた。

しかし今はもう事務所とも契約が切れて自由に活動出来るので、
原点に戻って「バンドがやりたい」ということになったと言う。


この国では音楽やって儲かるのは歌手だけである。

彼女の営業ギャラは詳しく知らないが、
まあ彼女クラスだと日本円で100万円だとして、
それを彼女達は全中国で年間100本廻るのだ。

事務所は通常取り分20%なので、
カラオケ持って廻っていればそのほとんどの収入は彼女の懐に入る。

しかし「バンド」となれば4人バンドだったら彼女と合わせて5で割るのだ。

まあバンドメンバーに取ってはオイシイ話だが、
歌手がその割に合わないことをわざわざやりたいと思うんだから相当の覚悟である。


ワシはもうこの国は20年と長いが、
「バンド」という形で活動したことはない。

日本にはワシの終の住処とも言うべきX.Y.Z.→Aがあるし、
何よりもこの国では「ライブ(営業コンサート)」によってその収入のほとんどを得るわけだから、
「その日は日本で仕事が入ってます」などと言ったらバンドのメンバーに迷惑がかかってしまうのだ。

しかし彼女はその辺も考えていた。
バンドのメンバーはドラム、ベース、ギターとプログラマー、
ワシが来れない時にはプログラマーがドラムをプログラムして、
ワシのポジションは永遠にワシのために空けておくと言うのだ。

覚悟決めとんなあ・・・

出会って20年、
別々に歩き出して15年、
その別れた道がまたひとつになるならそれはそれで素晴らしいことであるが・・・


バンドのメンバーがやって来た。
全身入れ墨のおっとろしい奴ばかりである。

ワシだけ入れ墨ないし、
そもそも年齢層が全然違うぞ・・・


まあこっちの話は始まってみないと始まるかどうかもわからないのだ。
取りあえず「決まったら教えてね」で飲む。

LiHuiZhenNewBand.jpeg

激ウマ高級ステーキ肉のマカオ火鍋、ごちそうさん!!

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2012年6月18日

仕事とは〜忙しい時にしか〜来ないもの〜

金ちゃんが来て美味いもんばっかり食ってるので、
付き合ってこちらまでどんどん体重がアップグレードしてゆく・・・

昨日は昼飯をたらふく食った後のおやつ時、
「ちょっと小腹がすいたから冷麺でも」
ということになって焼肉屋に入ったのがまずかった。

「ビール飲むんやったらツマミも要るなあ」
ということで肉も焼く・・・

こりゃ体重どこまでいくかなあ・・・
と思ってたらアホのアシスタントから電話が来た。

「ファンキーさん、
また別のテレビ連続ドラマの仕事が来ましたけどどうします?」


ワシらが現在請け負っているテレビ連続ドラマの仕事は、
突然
「今月中に5話の音楽を全て仕上げて下さい」
と言われて、助手はずーっとてんやわんやなのだ。

「どうしますってお前、受けるに決まってるやん!!」

ワシらの仕事は、ない時には全然ないのだ。
ある時に仕事やっとかんでいつやる!!


先ほど監督とミーティングに行って来た。
「今月中に39話全部完成させて欲しい」
と監督は言う。

39話、全部見るだけで単純に39時間、
残り1週間ちょいで39時間分の音楽を作るのか・・・

まあだいたい仕事なんてそんなもんである。
ない時は全然ないが、ある時は同時に来る。

電話だって普段鳴らないくせに、
珍しく電話がかかって来た時に同時に他の電話が来たりするではないか。


ワシは人間を集めた。
出来ればキーボーディストが望ましい。

映画音楽とかの仕事は、その半分以上の仕事が「作曲」というより「雰囲気作り」なので、
キーボーディストだと画面を見ながらすぐに弾けるので作業が速いのである。

ちなみにワシが自分でやると、
手で弾けないで全部打ち込まねばならない。

遅い・・・


昔そうやって若い衆にどんどん仕事を振って、
今では先日のオリンピックの閉幕式の音楽までやるようになったヤツもいる。

偉くなってしまったヤツは置いといて、
更に若い衆をふたりばかり呼び出して、
「今月中に39集全部作るからよろしくね」
と伝える。

「げげっ」と尻込みするが、
働きたくないヤツは仕事なんてしなくていいのだ。
泣いても笑っても2週間足らず、
その間寝ずに仕事をしたいか、
仕事せずに寝たいかだけの違いである。

仕事したくないヤツは別にずーっと寝てればいい。

「この2週間弱で数ヶ月分を稼ぐのぢゃ!!
そしたらお前のキツい嫁さんもきっと喜ぶ!!
あとは仕事せずに嫁と遊んでろ!!嫁さんもっと喜ぶ!!」

ドラマの内容がママ友の話だと言うので、
一番恐妻家の若い衆を選んだ。

彼を中心に2人のキーボーディストとワシでこの音楽を作る。
今やってるヤツは明日張張(ジャンジャン)に全部振る。
素材はもうほとんど作っていて、
後はそれをはめ込んだり、雰囲気作りの音楽を爪弾くだけでよい。

たかだか5時間ぢゃ!!頑張れデブ!!


「疯狂的石头(クレイジーストーン)」の映画音楽をやった時、
後から音楽に参加して名声だけを持って行った「Y」は、
今では大きな会社を作って十数人の助手に音楽をやらせて荒稼ぎしていると言う。

ワシはそのようにだけはなりたくないと思う。

もともと住むところが違うのだ。
ワシはステージの上でドラムを叩く人間で、
仕事を選ばないからたまたまこんな仕事も来るだけのことである。

彼らがこれを踏み台にして、
後々映画音楽界でのし上がってもらえばそれはそれでいい。

そう思って数年前のこんな感じの時も、
惜しまず全部彼らに与えてやった。

出世してワシの手の届かないとこに行ったヤツもいれば、
張張(ジャンジャン)みたいに、今だにまだワシのそばにいるヤツもいる。

それでいいのだ!!
やっしゃー仕事開始するのぢゃ!!

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2012年6月17日

金ちゃんかっこえ〜

彼女と最初に会ったのは1991年か92年、
当時中国と韓国がまだ国交を結んでない頃、
韓国籍でありながら中国に留学してたツワモノでした。

かっこえ〜

当時中国には北朝鮮からの留学生も多く、
そこに韓国籍の留学生も受け入れるという学校は少なかったのですが、
たまたま私が定宿にしていた戯劇学院だけが受け入れてくれたということで知り合うこととなりました。


戯劇学院は、最初に知り合ったロッカー「張楚(ZhangChu)」
(彼が私を地下クラブに連れて行って黒豹と出会い今に至る)
の知り合いである加藤(ジャータン)が留学していた学校なので、
加藤(ジャータン)が卒業後は太郎、その後は金ちゃん、
と歴代この学校の留学生が私の通訳をしてくれてたのでした。

ですから、中国で戦ってロックをしていた私にとって
金ちゃんは「戦友」であります。


92年爆風スランプで北京広播電台開局45周年イベントに参加して、
中止命令を受けても中止せず、
ブッキングしたロック仲間は公安にボコボコにされて、
その長髪を掴んで別室に引きずられてゆくのを、
私はステージ上から、金ちゃんは客席からそれを見てました。

「コンサートで立ち上がったら逮捕される」
まだそんな時代でした。

「俺は殺される」
とその後身を隠していたそのロッカーがほとぼりが冷めて帰って来て、
それを慰める意味もあったと記憶してますが、
朝鮮族中国人である当時の金ちゃんの彼氏の
北朝鮮の国境の街だと言うその実家にみんなで遊びに行きました。

国境の川は冬は凍るので、
「徒歩で渡って北朝鮮岸で記念撮影しようぜ」
と悪ふざけになり、
結局ひとりだけ金ちゃんは川の半ばで立ち止まってどうしても川を渡りませんでした。

「あんたらはええわ。日本人やし中国人や。
私は韓国籍なんや。捕まったらどんなことになるやらわからん!!」

いや、日本籍でも捕まったらえらいことやったけどな・・・(笑)


金ちゃんが帰国しても私はよく実家に遊びに行きました。
大阪のディープなところで純粋な日本人はほとんど住んどらん(笑)

お母さんとも仲良くさせて頂いて、
今でも大阪行ったら時々お母さんに会いに行ったりしとるけど、
今から考えたらお母さん、ちょっと心配しとったんかもな。
ワシら仲良かったからな・・・

あの辺の在日の人は、
日本人と結婚するなんて民族を売るぐらいのことやったからな・・・

しかしそんな心配をよそに、
私と金ちゃんの仲は恋愛に発展することもなく、
今だに「戦友」でここに至ります。


戦友には発達障害の娘がいて、
その娘を連れて今十数年振りに北京に来ております。

私がJASRACや北朝鮮と戦ってるうちに
一緒に中国で戦ってた戦友は今度は「人生」と戦っていたのです。

数年前には娘を連れてカナダに行って、
そこでいろんな発達障害の子供達とそれを取り巻く環境を見て、
「この子はちょっと変わってるだけなんや」
と気付き、今は子供を普通の中学校に入れとるそうです。

発達障害の子供は何かひとつの能力に長けることがあり、
どうもこの娘はそれが「言語」らしい。

ポニョは数カ国語で歌えるし、
日本語で伝わらんもんは英語で言うたら伝わったり、
きっとこの旅で中国語も覚えてしまうかも知れません。

外国への旅はこの娘にとってもきっとええ刺激になるでしょう。

「この子は凄いでぇ」
金ちゃんは言います。

「この子にとってはな、明日は必ず今日よりええねん。
毎日毎日、明日はまた今日よりええと言うて暮らしとる」


金ちゃんは私より数日先に北京に着きましたが、
まあ中国語も喋れるので大丈夫。
私が空港から直接老呉(LaoWu)のライブに行ったら
娘とふたりでそのライブを聞いてました。

娘も初めて聞く中国ロックを気に入ってるようでした。

「何これ?あの頃のロックと同じやん・・・」

崔健(ツイジェン)はら始まった中国ロックは、
その後商業的になって形を変え、
でもいつまでたっても変わらないのが老呉(LaoWu)の歌なのです。

「涙が出て来たわ・・・」
金ちゃん、そんな涙やったらなんぼでも流しぃや。

この娘を一生面倒みてゆく決意で、
何事もポジティブに、
関西人的に全てを「笑い」に変えてゆく金ちゃん。

ほんまにかっこえ〜と思います。


X.Y.Z.→Aのツアーの時に久しぶりに会ったら
「金ちゃん59kg」だったのが、
先日のやっちんツアーの時には
「金ちゃん65kg」ぐらいまでパワーアップしてたので、
この北京滞在で是非「金ちゃん70kg」ぐらいまでアップグレードさせたいと思ってます。

「世の中になあ、
私がまだ食べたことない美味しいもんがあるんやということが許せへんねん!!」
と金ちゃん。

かっこえ〜


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2012年5月28日

またもやパスポートを紛失?!!!

菊田さんのライブは19時からというのに、
その会場であるホテルに着いたのは19時をとっくに過ぎていた。

高級ホテルのロビーのラウンジに小さなドラムセットとギターアンプ、ベースアンプ、そして気持ちばかりのボーカルアンプが置かれている。

「これってラウンジのハコバンやん!!」

目の前にはオーナーらしきアメリカ人が時計を見ながら睨みをきかせている。
「お前の国ではどうだか知らんが少なくとも中国ではお前が考えてるほど物事は思い通りに進まんのじゃい!!」
と逆に睨みをきかせながらドラムをセッティングする。

大体この状況でタダでさえ音の大きなワシにドラムを叩かせるのが間違っている!!
はるばる日本からやって来た納さんに45分ステージを3回もこんなところでやらせるのが間違っている!!

40分遅れて始まった1ステージ目はワシはずーっと腹が立ってしょうがなかった。
アメリカ人オーナーが腰を抜かすぐらいの音量でぶっ叩いてやろうかとも思ったが、
そしたら「仕切り」ではなくワシの「音楽」が悪いと言われるので、
苦手ではあるが最上級の小さな音で叩く。

ドラマーにとって小さな音で叩くことは大きな音で叩くことよりも数倍も難しい。

レコーディングをする時など、
90%の音量でずーっと叩きながらところどころ100%のアクセントを入れる
(もしくは100%で叩いてアクセントでは「根性」をプラスして120%)
などワシにとってはもう普通に出来るテクニックなのであるが、
10%の音量でずーっとバラけずにキープしながら、
アクセントを毎回20%で打つなど至難の技である。

何倍もの集中力と冷や汗をかきながら1ステージ目を終えた途端にJohnに対して怒りがこみ上げて来た。

ワシはまだいい!!友達だからね。
でも菊田さんは初対面でしょ?!!
納さんは初対面でしょ?!!
何でお前がこの人たちをこんな目に合わせるの?!!・・・

電話だとケンカになるのでSMSで
「こんなのはブルースフェスでも何でもない!!
タダの酒場でのハコバンじゃないか!!
そんなのはハコバンミュージシャンにやらせればいいんだ!!
いい加減にしろ!!」

折り返し電話がかかって来たらうっとーしいので電話を切って2ステージ目を叩く。

要は「修行」なのである。
Jazzを始めて数十年、やっと音量をコントロール出来るようになって更なるステップに進んでいる、そう思えばよいのだ。

そういう点での経験値があるので8ビートよりもSwingモノの方が叩きやすい。
ドラムソロさえなければ結構この音量でもコントロール出来そうだ。

「ワシも上手くなったもんじゃのう・・・」
などと自画自賛しながら2ステージ目終了!!
見れば客席の隅っこの方に張張(ジャンジャン)が小さくなって座っている。

「よっ!!来たか!!じゃあお前もピアノ弾くか?」

客席に弾き語り用のピアノもあるので一応そう誘って見るが、
「無理です〜!!こんな厳粛な雰囲気なところで弾けるわけありません!!」
と恐れをなす。

そりゃそうだ!!ワシでさえこれは大きな「戦い」なのだ・・・

携帯の電源を入れると老呉(LaoWu)からメッセージが入っている。
「両個好朋友で10時から羊の丸焼きやるよ〜」

こりゃハコバンの演奏なんて早く切り上げて行かねばならない。
羊肉好きを豪語する納さんに、
日本では絶対に食べられない羊の丸焼きを食べさせてあげるのだ・・・

「元々7時から45分、8時から45分、9時から45分の予定だったから、
休憩短くして詰めれば何とか10時には終わりますよね?」

菊田さんにそう聞いてみれば
「オーナーがアメリカ人なんで契約にウルサイんですよね。
始まったのが契約より40分遅れてるんでちょっとナーバスになってるみたいですが聞いてみます」
と困り顔。

でもさすがにシカゴで20年以上ブルースマンとして活躍している人は違う。
オーナーと流暢に英語で話して、
「10時前に客がいなかったらその時点で終わっていいが、
ひとりでも客がいたら契約通り10時までは演奏してくれ」
ということで話がついた。

まあ元々は9時45分には終わると思ってたんだからまったくもってJohnの話とは違っていたのだ・・・
などと考えてたらちょうどJohnからメッセージが入った。

「ファンキー、お前がなるだけLIVEブッキングしてくれって言うから俺も頑張ったんだぜ。
どんな場所だと駄目だとか言われてないんだから俺だってコントロール出来やしないよ。
俺だって苦労してやっとこのブルースフェスティバルに協力してくれるところを見つけたんだ。
ここのオーナーはとてもブルース好きで、俺たちの活動にも賛同してくれてて、
そんなところで演奏することの何がそんなに気に食わないんだ?
俺はこれっぽっちもそれが悪いことだとは思わないよ」

自分勝手な理論だとは思ったが、
「まあお前の意見は参考にはするけど」
と付け足しているところに友情も感じてちょっと考えてみた。

こいつだって一生懸命このフェスティバルを成功させようと頑張っているのだ。
菊田さんが泊まるホテル代を協賛するのにそのホテルで一回演奏するぐらいの話も必要だろうということも想像出来る。

昨日の「照明もなく真っ暗で演者の姿も見えなければ譜面も見えないので演奏不能」というのと違って今日は少なくとも演奏は出来る。
ワシが怒ってばっくれたりしたら今度はJohnだけではなく菊田さんにも迷惑がかかってしまうだろう。

まあワシがこれまで叩いたことのないぐらいの小さな音量で叩くことが出来ればそれでいいのだ!!
その昔ライブハウスでやる気なさそうに叩いている若いドラマーに説教したことがあったではないか!!

「やるんだったら全力でやれ!!
そんなみっともない姿を見せるぐらいだったらドラマーなんてやめちまえ!!」

Johnには
「お前の頑張りは重々わかっている。
俺は俺で与えられた任務を頑張るから。
でも国外の音楽家の中にはこういう環境を嫌がる人もいる。
もしやるなら莫大なギャラを取るだろう。
そのことも分かってやってくれ。
まあとにかくいろいろお疲れさん!!」
とメッセージを送って3ステージ目を頑張る!!


「スローボールは力のないボールじゃないんだ」
これは若い衆によく説教垂れる時に使う例えだが、
「思いっ切り」小さな音で叩くのは「命懸け」なのだ。
やってやろうじゃないか!!!

と思ったら菊田さんがいきなり客席に飛び出してそれぞれの客のテーブルの前でソロを弾く。
BGMよろしく雑談をしてた客が喜んで拍手をする、写真を撮る。

最後にオーナーのところに行って煽る。
オーナーも喜んで親指を立てる。

この菊田さんのパフォーマンスにワシの目からウロコが落ちた。

この人は違うんだ!!
どんな国のどんな場所で演ったって、
この人はいつも「ブルース」を心から演奏してるのだ。

「Do you enjoy BLUES?」

ブルースを心から愛し、
ブルースで聞く人を同じように幸せにしたいと思っている、
そんな素晴らしい歌が、ギターが、MCがそこにあった。

「ドラムソロ振らないでね、今日は無理だからね」
と言ってたのだが盛り上がって最後には振られてしまった。

ワシのドラム歴の中で一番小さな音量のドラムソロに、
それをかき消すぐらいの大きな拍手が来た。

曲が終わって菊田さんはちらっと時計を見ながらオーナーに言った。
「どうですか?時間ですけど終わっていいですか?」

「いいじゃないですか、もう一曲やろうじゃないですか」
ワシもつい盛り上がってそう言った。

とっても小さな音の、とっても熱いステージが幕を閉じた。

ドラムを片付けているワシにオーナーが寄って来て
「あなたはいつもどの店で叩いてるの?」
と聞いた。

「僕はハコバンのミュージシャンではありません。
レコーディングミュージシャンですから」
と答えながら我ながらちょっと恥ずかしくなった。

ミュージシャンにハコバンもスタジオミュージシャンもない。
あるのは音楽を愛するか愛さないかだけのことなのだ。


「何かいろいろ考えさせられる日だったなあ・・・」
と思ってその場を後にしようと思ったら、
パスポートや現金、クレジットカードや実印まで入れているポシェットがない!!

携帯はドラムのケースの上に置いてあるのだが、
その携帯でいろいろメッセージ送ったり大高さん達のピックアップなどを指示してたのでポシェットをそこに置いて来たのだ!!

さっき座っていたロビーのソファーを血眼になって探す!!
今回はパスポートだけでは済まない!!
全てのものを再交付せねばならないのだ。

おまけに今日は土曜日、
明後日まで大使館は空いてないので6月のやっちんのツアーには絶対に間に合わない!!!!

「俺が演奏している間にこのソファーに誰か座ったか?!!」
ホテルのボーイに血眼でそう聞くが、
「ロビーなので沢山の人が座って行きましたが・・・」

ワシは頭を抱えてソファーに座り込んだ。
前回はまだそれをギャグにして笑い飛ばす元気があったが、
今回はもう完全に打ちのめされた。

そもそもワシがハコバンだの何だの下らないことを考えるからこんなことになったのだ。

神様はいるのだ!!自分の心の中にいるのだ!!
そして自分の甘えた心に容赦なく罰を与えるのだ!!

ホテルじゅうの人が大捜索をしてくれている。
監視カメラの映像をプレイバックして見てくれると言う。

でも無理だ・・・きっと見つからない・・・
これは俺が悪いんだ・・・
音楽の神様に対して邪な考え方を持ってしまった俺が悪いんだから・・・

力なくうなだれているワシにオーナーのアメリカ人が寄って来て言った。
「あなたの探しているモノはこれですか?」

見れば確かにワシのポシェットである。
ロビーではなく張張(ジャンジャン)のテーブルに行った時に忘れて来てウェイターが忘れ物として処理してくれてたのだ。

助かった〜!!!


その日は羊肉の丸焼きを食ってしこたま飲んだ。
納さんは翌日の朝一番で帰った。

次の日はブルースフェスティバルの最終日で
菊田さん、John、そして張張(ジャンジャン)や三科さんも飛び入りしてセッションした。

全部が終わってJohnと笑顔でハイタッチした。

全ては「ミュージシャンシップ」である。
「フレンドシップ」のない「ミュージシャンシップ」なんてあり得ないのだ。

よく若い衆に説教垂れる時に使う自分の言葉を思い出した。

「俺はな、こうしてこの年になって今でもドラム叩いて生活していることを本当に幸せだと思うよ。
お前らぐらいの若い頃の俺の仲間はもうほとんど音楽をやめてしまっている。
でも俺がこの年になってもまだドラムを叩いてられるのは、
金がいくらだっていい、こうしてドラムの仕事をくれる人がいるからだろ。
だからどんな仕事だって手を抜いちゃいけない!!
今日もこうしてドラムを叩いてられることを心から幸せだと思わなきゃならない!!」

何年ドラム叩いてたって自分はまだまだなのである。
偉そうに人に説教垂れてたってまだまだなのである。


その日予定されていた両個好朋友のライブは中止になったので、
大高さんと三科さんにはいっぱい観光してもらった。

「ファンキーさんにいっぱいお金使わせちゃったね」
と大高さんは言うが、
まあ二つ分のセッションをしてるので皆様にご馳走ぐらいはそのギャラで十分まかなえる。

たかだかこのぐらいの金を後生大事に持ってたって墓場まで持っていけるわけじゃない。
「友遠方より来たりて酒を飲む」
中国人なら例え家計が破綻しようが仕事をクビになろうが誰だってそうするだろう。

ワシはそれよりも大高さんや、三科さんや、納さん、
そして菊田さんのような素晴らしいミュージシャンと一緒にやれたことによってまた少しドラムが上手くなった。
それこそがお金で買えないほど大事なことなのだ。

あんな小さな音でもドラム叩けるようになったしね(笑)


ブルースフェスティバルの全ての演目を終えたJohnから電話があった。
「夜中にごめんね。一言お礼を言いたくてね」

ミュージシャンシップ溢れる素晴らしい仲間から、
お金では買えないフレンドシップを沢山もらった。

ありがとうみんな。
また世界のどっかで一緒に楽しいセッションをしよう!!

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日本超級VSOPブルースフェス本番終了!!

菊田俊介さんがブルースフェスティバルに参加するため北京にやって来た。
ドラムはワシなので大変忙しい・・・

納浩一さんはバークレーでの先輩らしく、
紹介がてら一緒に北京ダックを食べに行く。

いや〜日本人同士は言葉が通じるからええね〜

この日は17時から日本超級VSOP(大高清美、納浩一、三科かをり、ファンキー末吉による一応バンド名やが・・・また御大層な名前つけたもんやな〜・・・)のメインステージでの本番(本番までが遠かったのう・・・)、
そしてちょっと時間が空いて21:45から例によって別のホテルで菊田さんのライブと聞いている。

ベースはBig John自身が弾くと聞いてたが、
菊田さんの話ではライブは19時からで、しかも
「Johnは自分のバンドがメインステージで本番なので来れない」
と言う。

「ベースは納さんという話ですが・・・」
と言う菊田さんの話を聞いてびっくりしているのはワシだけではない。
当の本人の納さんが一番びっくりしている(驚)

早速JohnにSMSを打って確認する。

昨日からアシスタントなどを使って、
昨日の仕切りがどれだけ悪かったか、
それがミュージシャンに対してどれだけ悪いことなのかを散々伝えているので電話をかけるよりSMSの方が気兼ねしないと思ったのだ。

SMSメッセージも心なしかちょっとキツめの書き方である。

「リハの時に確認したよね!!
菊田さんのステージは21:45からで、
ベースはお前本人が弾くんだよね!!」

何せ19時にはレストランを予約してて、
四川料理大好きな納さんに本場の麻婆豆腐を食べてもらうのだ・・・

すぐにJohnから折り返し電話がかかって来た。

結局は菊田さんの情報が正しく、
例によって予めスケジュールを確認してようが無駄であったのだが、
もっとしょげた声で電話が来るのかと思ってたら予想外に明るい声だったので念のためちょっと確認してみた。

「今日のそのステージとやらは昨日みたいなんじゃないだろうね!!」

ワシも性格がねちっこいのかまた散々昨日の仕切りの悪さをねちねちと喋り出したが、
「アイヤー、Funky!!その話はもうやめようぜ!!」
と言うので一応鉾を収めた。

アメリカ人相手に契約不履行とかで訴えられるのはワシらではなく彼なのである・・・


メインステージに戻って日本超級VSOPの本番!!

「この雰囲気はちょっと違うからオリジナル曲のインストはやめましょうよ」
と大高さんは言ってたが、ワシは大高さんのオリジナル曲を推した。

酒を飲んで簡単なブルースの曲で踊って騒いでいる客がし~んとしたって構わん!!
こんな所にまで来て別に客に迎合する必要はないのだ!!

オルガンという楽器を見たこともない、どうやって弾くのかも知らない客にその超絶テクニックを見せてやればいいのだ。
大高さんの曲は素晴らしいのだから自身持ってそれをやればいいのだ、と。

結果、予想通り客はぽかんとしてたがそれでいい。
遅れて出て来た三科さんが一発で客を持ってゆく。

ライブは大成功!!アンコールまで来た。


納さんとワシは終了後すぐにホテルに駆けつけて菊田さんのステージである。
しかしこの時点でもう既に大きな「無理」が待っている。

そもそもこのスケジューリングで19時にホテルに着けるわけはないのだ!!

ワシはポンコツ車を走らせて初めてのそのホテルまで飛んでゆく・・・

続く・・・

Posted by ファンキー末吉 at:07:22 | 固定リンク

2012年5月26日

日本超級VSOP3日目:ブルースフェスティバル無事に(?)開幕!!

だいたいにしてこの悠久の大地でどうしてこんなに分刻みに行動せねばならないのか・・・

まあ自分が入れてしまったスケジュールなので仕方ないが、
この偉大なミュージシャン達に対して「悪いなぁ」と思うことしきりである。

現代音楽学院でのクリニックを終えて、
とりあえず皆様にホテルにチェックインしてもらう。

その後にワシは19時30分からメインステージでオープニングセレモニー、
後のお三方は19時15分からサブステージで演奏と聞いている。

この時点でワシにはもう「サウンドチェック」とか「リハーサル」とかいう概念はない。
お三方もどうせそんなもんはないだろうと思っている。

人間「それで出来るんだ」と思ってしまうと二度とそんなものに出会うことはなくなるのだ・・・(悲)

ところがホテルに着いた頃から主催者のBig Johnがひっきりなしに電話をかけてくる。

「ファンキー!!どこにいるんだ?!!
すぐ来てくれ!!お前がいないとサウンドチェックが始まらない!!」

考えてみれば不思議な話である。
オープニングセレモニーの曲はドラムがもうひとりいて2台のドラムが並んでいるはずなのだ。

それよりワシはオープニングより何よりお三方のピックアップの方が気になる。
誰かがピックアップに来てくれるという話だったが、
案の定「誰もピックアップに来れない」と言う。

「ファンキー、お前が連れて来てくれ」
と言われたってワシもその場所がどこかも知らない。

結局Big John本人が来てくれてとりあえずサブステージの方に向かう。

着いたところは会場のすぐ近くのホテルの中庭。
何かのパーティー会場のような感じでワインなど飲物がビュッフェ形式で並んでいる。
そこに申し訳程度のみかん箱のようなステージがあるだけなのである。

(慌ただしかったので写真がないのがまことに残念です)

「ここでやるの?・・・」
三人ともちょっと固まる・・・

ワシもこの状況には少々戸惑ったが、
「ワインとか飲み放題だから・・・」
と取りあえず矛先を胃袋に換えてからメインステージに向かう。


メインステージでは他のバンドがリハーサルをしていた。
だいたいにしてそれだったらワシを慌てて呼ぶ必要はないのだ!!(泣)

仕方なくぼーっとそれが終わるのを待つ。
まったくもって中国では「時間を有効に使う」ということが出来ないのだ・・・

オープニングセレモニーが始まる予定の19時半近くになってやっとそのリハーサルが始まる。

BluesFestexival2012Opening.JPG

仕切りも何もあったもんじゃない。
さすがのワシも少々イライラして
「今何待ち?!!」
とか怒鳴ったりする。

ダンサーも入って4つのパートに分かれている楽曲を、
それぞれのパートごとに演奏してサウンドチェックをするのだが、
「それじゃあ最初からやりますから」
と言われたって、
もう客がみんな入って来てしまっているのだがそれが本番なのかリハーサルなのかもわかりゃしない!!(涙)

まあどっちにしたってやることは同じなのだ。
最初っから通してやってみたら何とそれが本番だった!!(驚)

まあ終わればいいのよ、終われば・・・

さっさとステージを降りるワシの電話が鳴った。
みれば三科さんの電話である。

「もうやめちゃっていいですか?演奏出来る状態じゃないんです」

ワシは急いでサブステージの方に向かった。
気が気でなかった。
何せあの状況は「サブステージ」でも何でもない。
単なる「ホテルのハコバン」なのだ・・・

せっかく今までキツいスケジュールながら楽しんでやって来てくれたのが、
この一発で全て台無しになってしまったらワシは皆さんに合わす顔がない・・・


緊張しながら現場に着いたら大高さんがワインを飲みながら座っていた。
隣で三科さんが笑い転げながら
「私もワインもらっていいですか?まだ飲んでないし・・・」

ワシはまだ事情を呑み込めてないので助手を使って機材を片付けさせならが責任者を探した。
「いや〜私たちも音響で呼ばれただけですから何もわかってないんです」

もう有無も言わさず撤収!!

ワインを飲み干さないうちにホテル側の責任者と思われる外国人がやって来て英語で「コントラクト」だの「ノーペイ」だの捲し立てるのを無視して撤収して帰る。

誰も見てないパーティー会場のみかん箱の上で、
ステージライトもなく真っ暗で譜面も見えない状態で演奏が出来るわけがないのだ。


「取りあえずメシを食おう!!」
会場近くのレストランにとりあえず案内する。

道々三科さんはまだ笑いこけていてハイになっている。
「ファンキーさん、もうダメ!!今日また大高さんと2人部屋だったら朝まで笑いこけて寝れない!!」

聞けば、着いてとりあえずサウンドチェックをしてたらホテルの人に
「マスク取りなさい!!」
と怒られる。

サウンドチェックでマスクしてちゃダメなの?と取りあえずマスク取ると、
今度は「6時半に客入れなんだから今頃何やってんの」と怒られる。

「来たのが6時半過ぎてるんですけど・・・」
と思いながら「とりあえず音が出ればいいや」と即終了!!

「何時からやるんだっけ?」
と音響スタッフに聞くと、ある者は「7時から」と言い、ある者は「7時半」と言い、
うーむどうしたもんか・・・と思ってると、
「何やってんの!!早く演奏しなさい!!」
とホテルの人間にまた怒られる。

「じゃあ演奏しましょう」と思ったら客は全部セレモニーに行ってしまい人っ子一人いない。

「じゃあ待ちましょう」・・・と客が帰って来るまで待って演奏を始めると、
最初のインストの段階で誰かがステージに上がって来て、
「何やってるんだ!!ボーカルはいないのか?!!早く歌を歌え」
と言う。

大高さん、すぐさま納さんに「終わるからね」と叫んでインスト終了!!
すぐさま三科さんの歌モノを演奏し始めるが、
その頃にはもう野外である中庭は真っ暗。
ステージライトもないので譜面は全然見えない。

また譜面台がないので椅子をステージに置いてそれを譜面台代わりにしているのだが、
もうそれでも暗くて全然見えないのでベースソロを弾きながら窮屈に身体を折り曲げて譜面に目を近づけて一生懸命譜面を見ようとしているその姿が三科さんのツボに入ってその後すーっと笑いこけているというわけだ。

また屋外で風も強いので譜面がすぐに飛んで行ってしまう。
三科さんが自分のiPhoneを重し代わりに譜面上に置くのだが、
何せダルセーニョなどした時にはそのiPhoneの位置を動かさねばその部分が読めないのだから、
窮屈な格好で見をよじらせながらベースを弾きながらiPhoneの位置を移動する姿がまたツボに入って笑いっぱなしというわけだ。

赤ワインを飲みながら大笑いでこんな話をしている皆さんに
「いやー・・・普通これって怒るところなんですけどねえ・・・」
と言うと大高さん、
「もしこれが去年だったら絶対に出来なかっただろうけど・・・
人間力上がったのかな・・・(大笑)」

そうかぁ・・・この国で生きてゆくというのは「人間力」だったのか・・・

中国を大嫌いになる人はまずこんなことがあったら「腹が立つ」のである。
逆に中国を大好きになる人は「笑う」のである。

大高さん、既に中国にハマって来ているご様子である。

今日のお詫びに明日は昼食に北京ダック、
夕食に納さんが食べたいと言ってた四川料理をブッキングしております。
女王様の大好きな中国ワインも白酒もいくらでも飲んで下さい。

一応明日のメインステージでこのメンバーでは最終ステージです。
翌日は納さんが先に帰ってしまうので地元のミュージシャン呼んで馴染みのライブハウスでセッションしましょう。

Posted by ファンキー末吉 at:10:13 | 固定リンク

日本超級VSOP3日目:現代音楽学院にてクリニック!!

寧夏省銀川から北京に帰る飛行機も、
「それが一番飛行機代が安い」
ということで朝一番の飛行機である。

毎日ライブをやってその後毎日5時起きを強いるのはこの偉大なミュージシャン達に対して非常に心苦しいのではあるが、
悪いことにこの日は昼間に音楽学校でのクリニックも入れてしまっている。

VSOP_Clinic.JPG

電光掲示板に歓迎されながら、結局現場に着いたのはクリニック開始時刻の15分前。
満席の生徒達の目の前でセッティングをしてそのままクリニックライブ。

元々はワシではなく大高さんと納さんをメインにいろいろ語ってもらおうと思ってたのだが、
いかんせんしょっぱなに中国語で喋ってしまったので当然ながら質問は全部ワシに来る・・・

ワシの中国語力なんて知れてるのだから、
会話の流れで予想されている話題とまるで違う単語をぶつけられると脳の処理能力をオーバーしてしまって何を言ってるのか全然聞き取れなくなってくる。

「それでは何か質問があればどうぞ!!」
というクリニックの場で、
「毎月いくら稼いでるんですか?」
という質問をいきなり言われても何を言ってるのかわからんぞ!!(笑)

クリニック終了後も機材を片付けながら質問攻めにあうのだが。
用意してくれてた英語の通訳は一切役に立たず、
結局はワシが納さんや大高さんの通訳にかけずり回ることとなる。

「オルガンという楽器を初めて見て感激しました。
とどのつまりシンセとの違いというのは何なんですか*」
という質問はまあよかろう。

「それでこれっていくらするんですか?」
とか、納さんのところでは
「このベースはいくらで買えるんですか?」
とか、

中国の若者よ。そんな質問ばっかりするな!!!!!

そう言えば昨日の寧夏でも若いベーシストが、
「あのベーシストのプレイには本当に感激したよ。
僕もあの五弦ベースを買うことにしよう」
と言うので、
「アホか!!あのベースを買ったからあのプレイが出来ると思うなよ!!」
と釘を刺しておいた。


帰り道、大高さんがやけにご機嫌である。

「凄いわぁ・・・
何をやっても"初めて見た"っていう反応って日本ではなかなかないもん・・・」

そうなのだ。こちらでは「オルガン」という楽器を誰も知らないのだ。
エレクトーンもあんまり普及してないので足鍵盤すら見たことがない。

張張(ジャンジャン)にアレンジを頼んだ時、
オルガンのチャンネルにはPADと同じく棒弾きの白玉が入ってたので、
「アホかオルガンっつうのはそうやって弾くんとちゃうんじゃ!!」
と説教したことがある。

何せ見たこともないんだから奏法がわかるわけがないのだ。

「ファンキーさん、ローランドに言うからふたりで全中国ツアーしよう!!」
とご機嫌な大高さん・・・

その後に「こんな国もうイヤー!!!」と言いかねないほどの仕切りと遭遇することをこの時点でまだ誰も想像だにしていない・・・

Posted by ファンキー末吉 at:09:35 | 固定リンク

日本超級VSOP初日終了!!

Org.大高清美、Bass.納浩一、Dr.ファンキー末吉にVo.三科かをりを加えたメンバーで「日本超級VSOP」と銘打っての中国ツアー、
中国のことだからいろいろぐちゃぐちゃなのはワシはもう慣れっこであるが、
訪中2回目の三科さんはともかく初めての大高さん、納さんには耐えられるのか・・・

まあ何がぐちゃぐちゃかと言うと、
まずはその招聘元であるブルースフェスティバルがぐちゃぐちゃである(笑)

シカゴのブルースマン菊田俊介さんも招聘されているが、
「何日から何日まで」という話は聞いていても、
「何時にどこで誰と何をやるのか」ということは全然聞いてないのでワシにメールで聞いて来る(笑)

ワシだってわかんないのよ~ん・・・

この日の午後には「オープニングセレモニーの曲を演奏する」というリハーサルが入っていたので、
「まあ詳しいことはその時にBig Johnに聞けばいいや」
と思っていたが、蓋を開ければ下記のようなものであった。

25日、19:15~21:15 サブ会場のホテルのラウンジにて三科かをりのステージ
しかしその横を見るとメインステージでは同じ時間にオープニングセレモニーが入っている(驚)

「ワシはどっちに行けばいいの?」・・・
もちろんリハまでやっとるんだからオープニングセレモニーに行けということだろう。

「ほな誰がドラム叩くの?」
ホテルなんでドラムは叩けないんでドラムレスでやれ、と・・・

うーむ・・・これはお三方にどうやって伝えるべきか・・・

まあ取りあえず飲ますのだ!!食わすのだ!!
それで「中国」というのが少しは分かって来てくれた時に、
「何気なくさらっと」普通のように言えばすっと身体に入って来てくれるだろう。

問題は初中国の第一食目である。
ここで素晴らしいメシを食って頂ければ後の流れはずいぶんスムーズになるはずだ・・・


というわけでお三方が着く前に既に
「晩飯は何を食うべきか」を考えながらリハをする・・・

ブルースフェスティバルのオープニングセレモニーのためのリハなのだが、
またこのリハが段取りも何もあったもんじゃない。

何せドラムが2台、ベースがふたり、ホーンセクションが5本も入っているのに譜面ひとつ渡されないのだ。

3曲を乱暴につないだデモテープが送られては来たが、
現場に入ってみると構成も何もあったもんじゃない。

だいたいこの大人数のリハを譜面なしで行うというのが無理な話なのだ・・・

BluesFesReh.JPG

みんな勝手に耳コピしてるから好き勝手なコード弾いとるし、
ブラスに至っては誰も譜面を書いてないのでセクションなど吹けるわけがない!!

仕方ないのでドラマーのくせにワシがコードを確認し、
ブラスに口ずてでフレーズを伝授する。

何故ワシが呼ばれたかわかったぞよ・・・


さてリハが終わって初日のライブ会場に行って、
ひとりドラムをセッティングしながらお三方の到着を待つ。

ちなみに三科さんはお二人とは初対面。
飛行機の中で譜面を渡して、それを初見で演奏しようと言うのだから
いくらワシでもこのお二方でなければこんな無茶振りは出来ない。

これが日本だったら「なるだけリハをやりましょう」となるのだが、
着いたら「とりあえず音が出たらすぐメシに行きますからね!!」(笑)

飛行機の到着が遅れ、飛び込みで会場に入ったお三方、
持ち込みシンセの電源コードを忘れたりトラブルはあったが、
まあこの国はトラブルがある方が当たり前なので「なんとかなる」のである。

第一食目のメシは考えたあげく「ラムしゃぶ」!!

VSOP_ShuanYangRou.JPG

これだととりあえず辛いものを食べれない人も大丈夫!!
いきなり辛いもので腹壊されても困るからね。

「ワインはないの?」と赤ワイン好きの大高さん。
でも「ラムしゃぶには白酒ですよ」と言うワシの勧めに従って、
納さんと共に二人とも小瓶の白酒を注文し、
何と食い終わる頃には二人ともそれを全部飲み干している(凄)

これはワシがステージのMCで言ったところ会場がざわついたほど凄いことなのである・・・

「この人たち、白酒を一本空けてこの超絶な演奏をしてるのか?!!」
本番は全て初見のぶっつけ本番なのにライブは大盛り上がりで幕を閉じた。

2回目の三科さんは経験があるのでいいが、
「こんな音楽がウケるの?」と不安げだった納さんと大高さんにはライブ前にこう言って安心させていた。

「ブワーっと弾きまくってドピャーっと叩きまくって、
フンギャーとシャウトしまくればドッカーンとウケますから!!」

ライブが終わってワシは胸を張って言った。
「ほらね、ウケたでしょ(笑)」

「私もうこっちで活動する!!
日本なんてもうダメ!!こっちはこれでいいんじゃない!!」
と大高さん。
とっくにこちらの仕切りの悪さのことは忘れてしまっているようだ(笑)

よしよし、これでこのツアーも楽しくなるだろう。
今晩は3時間しか寝れずにそのまま5時起きで寧夏省に飛ぶのだが、
今のところクレームが出る状況ではなさそうだ(笑)

寧夏省では美味いもんバンバン食って頂いて、
「中国らしさ」をもっと満喫してもらおう(オー!!)

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2012年5月22日

友遠方より来たりて仕事これ手につかず・・・

中国と日本のメンタリティーの一番大きな違いは「友達」という点ではあるまいか。

社会主義の影響か、中国では
「遠方から友が来ますんで仕事休みます」
というと大概通ってしまう。

上司も「それやったらしゃーないな〜」ということで平気で休ませるし、
それが1週間とか続いて、
「お前一体何が起こってんねん!!早う仕事に来んかい!!」
となっても、
「いや、とっても遠いところなんですよ。しかも外国」
とかなったら、また「しゃーないな〜」になってしまう(笑)

ワシはいわゆる
「仕事のためなら家族も犠牲」
みたいなちゃきちゃきの日本人の性格なのであるが、
ここは北京なのである!!
昨日はタイ、一昨日はミャンマーにいたがここは中国なのである!!

そう、中国らしく今日の今日までそんなことは全く忘れて南国で一日5食と毎食ビールの生活をしていたが、
しかしもう明日が本番なのである!!ぼちぼち段取りを決めねばならない。

とりあえず明日23日は愚公移山っつうライブハウスでライブ。
24日は寧夏省に行ってライブ。
25日は戻って来て昼間音楽学校でライブしてブルースフェスティバル。
26日もブルースフェスティバル(やと思う)
27日は納さんは日本に帰って残りで両個好朋友でライブ

ということは決まっているのだがその詳細はどれも未定である。

探したらポスターがネットで出回っている。

YuGongYiShanPoster.jpeg

ふむふむ、夜の9時半開始なのね・・・

三科さんの名前がないのは、
ブルースフェスティバルで彼女を招聘したBig John
「フェスティバルの前に彼女が北京で歌われては困る」
と言うからである。

日本人的にはこれを杓子定規に取るが、
「要は名前が出なければいいんでしょ?」
ということで「名前を出さずに歌う」ということで話がついている。

この辺が「中国」である。

そして「北京」でなければフェスティバルの前でもいい、
というわけで24日には「北京以外の場所」ということで寧夏省をブッキングしている(笑)

ポスターがあった。

2012YinChuanJazzNight.jpeg

ふむふむ・・・これはきっとワシのバンドとして出演するのじゃな。
そう言えばその前にドラムクリニックやってくれと言うとった・・・

次の日帰って来てからはワシの仕切りではないのでBig Johnに任せておけばいいだろう。
明日はフェスティバルのオープニング曲のリハだとか何とかでリハーサルに呼ばれているのでその時に本人に聞けばよい。

問題は、まず差し当たってのこの2日間の「美味い飯」である。

これだけのメンバーをギャラで呼んだら大変な額になるが、
みなさん「美味いもんをご馳走しますんで」ということで手弁当で来てくれている。

ワシは命懸けで美味いもんを食わせねばならんのじゃよ!!!!!

というわけでみなさんの到着時間を調べてみると午後16時半。
リハをやってるのでワシは空港まで迎えに行けんので若い衆をブッキングする。

「お前、車手配してこれ持って空港に迎えに行け!!」

KuukouPickingup.jpeg

いや〜これほど完璧な手配が出来るのは日本人だけやな、よしよし!!

というわけで入り時間等の打ち合わせをしてたが、
16時半に飛行機が着いたら会場にはやっぱ18時は過ぎるなあ・・・
21時半からライブが始まるとしたらその間4時間のうちにサウンドチェックもしてリハもしてメシも食わねばならない・・・

うーむ・・・リハはええか・・・2時間メシに取ろう!!
飛行機が遅れたらサウンドチェックもなしで直で東直門の鬼街に来てもらおう・・・

ライブが終わって暴飲暴食してもらいたいところだが、
次の日は朝5時に起きて寧夏省に飛ばねばならんのでここは我慢でゆっくり寝てもらおう。

そして7時の飛行機に乗って10時に着いて(国内なのに遠っ!!)、
そのまま沙湖に遊びに連れてゆく!!

問題は「メシ」である。
観光地のメシって高いだけで決して美味くはないのよね・・・

よっしゃちょっと遠回りになるが、まず銀川市内に行ってメシ食ってから沙湖に行こう!!
午後はホテルでゆっくり休んでもらってリハは・・・まあええか・・・

ワシがドラムクリニックを先にやっとくのでそれが終わるぐらいに来てもらえば・・・

よっしゃ、次は楽器の手配やな、
「おーい!!ワシの機材全部梱包して準備しとけよ!!」
とアシスタントに言った途端、嫌なことを思い出した・・・

ワシの機材は年末にパスポートと共に全部盗まれたやないの!!!

うーむ・・・こりゃ今晩じゅうに全部システムを新しく作らないかんのやな。
データ残っとるかなぁ・・・確かバックアップしてたと思うけど・・・

ま、なかったらなかったで何とかなるか・・・(笑)

つづく・・・

Posted by ファンキー末吉 at:22:01 | 固定リンク

2012年4月24日

中国ではもう作曲家が食ってゆけなくなる?!

北京に来てから毎日ブログを書いているが、
別に「ヒマ」だからというわけではない。

連続テレビドラマの粗編集のデータが届いたが、
60分を越すドラマが28本、
つまり全部見終わるのに30時間近くかかるということだ。

まあ1週間の滞在はこれを見るだけで終わってしまうだろう・・・

その前に、と今日は実はのんびりしてたのだが、
先日BeiBeiに頼まれて日本でドラムとベースを録った曲のギター入れをするというので、
まあ自分の仕事ではないがちょいと付き合っていろいろ意見を言ったりしていた。

毎度の如く「じゃあメシを食いに行こう」ということになってびっくりする情報を耳にした。

現在北京の全てのレコーディングの仕事はペンディングになっていると言う。
その原因は政府がいきなり
「18元出したらどんな曲でも合法的に使い放題」
だとかなんだとか・・・

思えば年末にパスポート盗まれてからめっきり中国によりつかなかったので、
ここ最近こちらでちゃんと仕事をした記憶がない。

レコーディング関係の仕事をしてないのでこの辺の噂話を聞くこともなかったし、
最近中国のTwitter「微博(WeiBo)」もあまり覗いてなかったが、
そう言えばこんなリンクがしきりにRTされてた時期があったなぁ・・・

402d8238jw1drnlexc17kj.jpeg

すまんすまん、こんな長ったらしいファイルを添付するこたぁなかったな。

漢字ばっかで読むのも億劫なぐらいで結局何が書いてあるかようわからんが、
要するに
「販売から3カ月を経た録音作品は、著作権者の許可なく使用できる」
ということらしい。

噂話の18元という金額がどこから出たかわからんが、
タダで使い放題だとしたら作曲家にとってはもっと致命的である。

ワシはこちらでの仕事は作曲よりもドラムやアレンジプロデュースが多いのでいいが、
BeiBeiのような「作曲家」にとっては、
今まで1曲書いたら5万円から10万円ほどの現金収入になっていたのが、
いきなりそれがタダか、もらえても200円になってしまうのだからたまらない。

音楽業界は30日に施行される(人民の意見を吸い上げる〆切という噂もあるが)まで、
とりあえず全てのレコーディングはペンディングにしておこうということらしい。

「何で政府はこんなことやってんの?何の得があるの?」
と聞いてみたが、これはあくまでも「噂」だが、
どうもこういうことらしい。

近頃は歌手がべらぼうに金を稼いでその「力」が巨大になり過ぎている。
中国のTwitter「微博(WeiBo)」や、
YouTubeにあたる優酷(YouKu)などで反政府的なメッセージを発信したり、
その増長振りは目に余る。

だからその「力」を少しでもそいでおくのだ、と・・・

でもこの「噂」はある部分では信憑性に欠けるところがある。
こんな法律を作ったところで困るのは「作曲家」で、
ヒット曲を持ってる歌手達は相変わらずそのヒット曲を歌って荒稼ぎをする。

この国の音楽界で儲かるのは歌手だけなのだ!!

しかしまあその「ヒット曲」すら誰でも無料でカバー出来るわけだから、
歌のヘタな歌手にとってはこれも致命的かな・・・

カバー曲が乱立するとすればワシのようなアレンジャーは逆に仕事が増えるかな・・・

などと考えたりしていたが、
飲み話の中でのほんの一言で重要な事実に気がついた。

「音楽はみんなのものである。
革命を推進するためのものであり、
誰かが個人的に占有するものではない」
という考え方の国が隣にあるではないか・・・

そう、このシステムは北朝鮮のシステムそのものなのだ。

北朝鮮の国家体制は中国の文化大革命の頃に似ているとワシは何度も発言したことがあるが、
忘れてはならない、いくら市場経済でシステムが成り立っていようが、
中国はまぎれもなく「社会主義の国」なのだ。

SF小説とかではよく
「世界を滅ぼすのは中国人だ」
などと書かれることがあるが、
逆に言うと「世界が中国のシステムに近づいている」という現実はあると思う。

ビデオテープからDVDに市場が移行する時、
日本や諸外国はその業種がすぐに潰れないようにゆっくりゆっくり移行していったが、
中国なんてビデオやMD、DATなどは普及する間もなく次のメディアに食って変わられた。

そして今はダウンロードビジネス・・・

CDを売る業者がどれだけ潰れようが関係ない。
何せ
「白い猫でも黒い猫でも鼠を取るのがいい猫だ!!
豊かになる者から先に豊かになりなさい!!」by鄧小平
という国なのだ・・・

ナップスターが出て来て音楽が無料でやりとりされることに抗議したメタリカは、
逆にそのファン達に総スカンを食ったのもひと昔。

思えば昔は日本のCDだってプロテクトされてて自由にファイルのやり取り出来なかったけど、
いつの間にやらもう自由にやり取り出来るようになっとるなぁ・・・

CDなんか誰にでも出せるようになって、
歌のヘタな歌手もいくらでもエディットして上手く化粧出来る世の中になって、
結局は誰もCDなんか買わなくなってから久しい。

思えばワシがJASRACと喧嘩しているからではなく、
周りで楽曲を著作権登録しない人が増えた。

「どうせ登録したって金だけ取られるだけで売れやしないのだ。
それよりもっと広く曲を聞いてもらってプロモーションになればいい・・・」

なんて今の中国の音楽界のシステムそのものやぞ!!!

その昔、中国の放送局で日本の曲を放送していて、
「じゃあ著作権量払え」
と言ったら
「音楽は空気の振動でしょ?どうして空気にお金払わなければならないんだ」
と言われたという話を思い出す。

中国政府は「音楽」をどうしようとしてるのだろう・・・
昔の社会主義国のように「音楽はタダ」だという世の中にしたいのだろうか・・・

これに関しては私も正しい情報をまだ持ってない。
教えて〜詳しい人〜

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2012年4月23日

中国の連続テレビドラマの音楽の仕事

前回「映画音楽」だと聞いていた話は実は連続テレビドラマの音楽だった。

まあ映画だろうがテレビだろうがやることは同じなのだが、
映画の長さは長くても高々2時間たらず、
テレビは1時間ドラマが30本とかその量がハンパじゃない。

まあ仲間内では
「テレビドラマなんて主題歌作ってそれを何バージョンかアレンジして、
適当にそれを散りばめときゃそれでいいのさ」
などと言われている。

そりゃそうだ!!
2時間の仕事を同じように30時間やったら死んでしまう・・・(泣)

それに30時間もあったら台本の量だけでハンパじゃないのだ!!(大泣)

ワシは外国人なのでこの「台本を読む」という仕事が一番シンドイ。
2時間の映画の台本でさえ読み終わるのに1週間はかかる。

ましてや30時間と言うと・・・(恐)

というわけで前回北京に来た時にアホのアシスタントに、
「お前が全部読んで、最終日にどんな話か要約して俺に伝えろ!!」
と命じていたのだが、
「ファンキーさん、無理です!!中国人の僕が必死に読んでも1週間はかかります」
と泣きが入った。

この方言(Fang Yan)という男、昔は全く使えなかったと思ったら、
惚れた女にかっこいいところを見せようと水深15cmの湖に飛び込んで頭を打ってから何だか少しずつ使えるようになって来ている気がするので、
ワシはいっそのことこう命じてみた。

「よし、じゃあ俺はまずDEMOを何曲か作るので、
お前が台本の何ページのどの部分に合うかを考えて、
"これはこのシーンのために作った曲です"と監督に提出しろ」

日本の映画業界は知らないが、
中国の映画音楽では「音楽監督」というのと「作曲」というのがある。

つまりこいつに「音楽監督」をやらせて自分は「作曲」だけやろうという魂胆なのである。

しかしそれ以前に彼には大きな使命がある。
「ちゃんと契約書を交わして前金を取る」
という重大な任務である。

往々にして中国で仕事を受けても、
いざ仕事を始めてみたらその話はお蔵入りして金は取れないということがしょっちゅう起こる。

実際ワシも何本かの映画音楽の仕事はギャラが未払いである。
制作会社が借金抱えてトンズラしてしまったら一体どこから金を取れと言うの?!!(号泣)

というわけで映画音楽やアルバムのプロデュースなど制作が長期にわたる仕事では必ず「前金」をもらうことにしている。

ただ、いくら中国の映画音楽界に名前があると言っても、
一緒に仕事したこともない相手にぽんと大金を払うというのも会社としては腰が重い。

だからとりあえずちょびっとだけタダで仕事をするのだ。

スケッチ程度のDEMOと主題歌候補曲、
今回はX.Y.Z.→Aの「WINGS中国語版」を出してみたのだが、
これが見事に監督の心にヒット!!

よくある話で、仕事も正式にまだ始まってないのに「直し」が来る(笑)

「ちょっと長過ぎるから短くしてくれ」
とかいう要求は方言(Fang Yan)のところで切り貼りして処理する。
そして「どうしてもそれ以上」ということになったら胸を張ってこう言う。

「じゃあ前金半分振り込んで下さい。そしたら正式に取りかかりましょう」

というわけで今回ワシが北京に来る前にめでたく前金が振り込まれた。
正式に仕事開始である!!(メデタイ)

まあここからが大変なのである。
何せ最初に彼らが言ってたのは
「上海バンスキングのようなJazzの楽曲」
だったのだ。
それがいつの間にやらメタルになってしもとる(笑)

今後もこのように言うことがころころ変わることは想像に難くない。

まあ前金さえもらっていれば後は何回直しをしようが、
「〆切」があるのはこっちではなくあっちの方なので気が楽である(笑)
本輿入れてお付き合いしましょ!!

そして最後の難関!!後金の集金!!

これはレコーディングでもそうであるが、
最終的にOKが出た音源は後金がもらえなければ絶対に渡さない!!
それまでに渡す音源にはわざとノイズを入れておくとかいろいろ工夫をこらして本チャンでは使えないようにしておく(笑)

ほんと、中国で仕事するのは、
その仕事の内容よりも「集金」の方が大変なのよ・・・(苦笑)

というわけで今回は集金も監督との刷り寄せも全部方言(Fang Yan)がやる!!
頑張れ方言(Fang Yan)!!
辛い仕事は全部お前がするのじゃ!!(笑)

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2012年3月29日

Big Johnという男

張嶺という男がいる。
英語名をBig Johnというらしいのでここではそう呼んでおこう。

彼は中国ロックの創始者である崔健(Cui Jian)のベーシストだったことで有名で、
その音楽性の高さでも知られる崔健(Cui Jian)が使っていたということはすなわちそのベースの腕も相当のものであるという証拠である。

事実、ワシが北京でスタジオミュージシャンを始めた頃、
ドラムを叩き終わったら必ず彼が来てベースを弾いてたし、
一流歌手のバックをやればベースは必ず彼だった。

そしてワシが彼に非常に興味を持ったのは、
Big EasyというJazzクラブで彼と再会した時のこと。

毎週水曜日の夜、彼はここでベースを弾いていた。
「1曲レコーディングやればその何倍ものギャラがもらえるのに何で酒場でベースなんか弾いてるんだろう」
素直なそんな疑問は彼とそこで何度かセッションしたらすぐに吹っ飛んだ。

彼はJazzをもっとしっかり勉強したかったのだ!!

なるほどそれまでの彼はロックやブルースのプレイヤーでJazzというイメージからは遠かったが、
その店で毎週毎週Jazzをやっているうちにみるみるうちに「Jazzベーシスト」になった。

北京にも小さいながら「Jazz界」というものがある。

同じく崔健(Cui Jian)のバンドメンバーだった劉元(Liu Yuan)金佛などがその中心人物で、
まあ劉元(Liu Yuan)は自分のJazzクラブを持っているのであまりBig Easyには現れなかったが、
久しぶりにBig Easyで金佛とセッションした時には、
「Funky!!あっちの世界に行っちゃったと思ったら戻って来たのかい」
と言われた。

どういう意味かと言うと、
「流行音楽なんてクソみたいな音楽やって金稼いでるって噂聞いたけど、
ドラム聞いて安心したよ。またJazz界に戻って来てくれたんだね」
という意味である。

崔健(Cui Jian)が最初に日本にやって来た時、私はバンドのメンバーをいろんなJazzクラブに連れて行った。

当時まだ新大久保にあったSOMEDAYではJamセッションが行われていて、
Jazzを始めたばかりの私はその時彼らと一緒に恥をかきながら飛び入りして武者修行したもんだ。

それから彼らは北京に帰ってJazzの創始者となった。
Big Johnは別として彼らは流行音楽に背を向けてひたすらJazzだけを追求した。
だからこそこんな発言が出るのである。

そう言えばBig Johnもその頃から仕事で一緒になることは少なくなったが、
その後、彼は北京の老舗のJazzクラブ「CD Cafe」を買い取ってオーナーとなったと聞いた。

「もう流行音楽の仕事なんてやってないよ。
そんなことでお金稼ぐより、
今みたいに毎日自分の音楽をやって暮らした方が数倍幸せさ」
と彼は言う。

ベースの腕はと言うと、
去年三科かをりさんを北京に連れて行った時に一緒にプレイしたが、
持ち込まれた十数曲の譜面をあっさり初見で弾きこなしたし、
「こいつ・・・上手くなりよったなあ・・・」
と感心するほどになっていた。

そりゃそうだ。
数年間RealBookと共にあらゆるJazzのスタンダードを弾きこなしたんだからそりゃ上手くもなっとるだろう・・・

「うちでブルースフェスティバルを開催するんだ。
あの素晴らしい女歌手をまた呼びたいんだけど・・・」
そういう連絡を受けてワシはすぐに三科かをりさんをブッキングし、
今日はその打ち合わせでまたCD Cafeにやって来た。

「今日のライブは若いミュージシャン達のJazzバンドだよ」

BeijingCD_CafeYoungJazzBand.JPG

見れば何人か知り合いがいる。
ベースの奴は確か・・・爽子(Shuangz)のライブで一緒だったなあ・・・
ドラムの奴も見たことあるんだけど・・・どこで会ったっけ・・・

「どうだい?なかなかのもんだろ?」
彼はちょっと自慢げにそう言った。

北京では若者がJazz離れし出してから久しい。
同じ腕があるなら流行音楽のバックでもやってた方が何倍も金を稼げるのだ。
それなのに好き好んで金にもならないJazzなんかやる若者がまだこんなにいたんだ・・・

ピアノを弾いているのは何と12歳の少年だと言う。
ソロを弾けば平気でアウトしてモード奏法に入るし、
バンマスが目配せするとラテンから何からすぐにリズムを変える。
「お前が育てたのか?」
びっくりしてそう聞くとBig Johnは恥ずかしそうに頷いた。

ワシと一緒にSOMEDAYで武者修行した仲間達が、
昔のCD Cafeで若いミュージシャンを育てて、
彼らがもう大御所になってしまったら今度はBig Johnがもっと若いミュージシャンを育てている。

「よっしゃ!!ワシも1曲ぶっ叩いてみるか!!」
少々酒は入っていたがドラムで乱入する。

北京の一番若い世代とのセッションはとても楽しかった。

ワシが育てた韓陽(Han Yang)というベーシストはもう流行音楽の仕事をバリバリこなす売れっ子だが、
仕事に伸び悩んだ時にワシにこう相談して来たことがあった。
「僕はどうしてあの偉大な先輩達を越えられないんでしょう・・・
彼らにあって僕にないものって一体何なんですか?」

その答えが浮かんで来て韓陽(Han Yang)に電話した。
「どうしてかわかったぞ。とどのつまり"生き様"さ」

自分の能力を超えた難曲に毎日挑んで暮らしたあの頃のBig John、
誰でも弾けるような流行音楽を毎日弾いて荒稼ぎしている今の韓陽(Han Yang)。

韓陽(Han Yang)もいつの日か、
「Funkyさん、もうお金なんか要らない、僕はこの音楽をやりたいんです」
と言ってくる日が来るかも知れない。

経済成長が著しく、みんな自分よりどんどん金持ちになってゆくと焦って暮らす北京の若者達・・・
胡同(フートン)と呼ばれる昔ながらの風景をぶち壊して高層ビルが立ち並ぶ今の北京の街並み・・・

人も社会もみんな目まぐるしく変わっていっても、
飛び切りの素敵な仲間が暮らす北京という街は、
ワシにとってはいつまでもいつまでも「素敵な街」なのです。

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2012年2月12日

凄い時代になったもんじゃ・・・(Gtalk編)

いやー年末のX.Y.Z.→Aライブを日中をネットでつないで敢行した時も凄かったが、
今回はレコーディングである!!

もともとは「急ぎの仕事」ということで電話が来たのが始まりである。
中国語で子供の歌を録音してくれと言う。

日本で中国語をネイティブに歌える子供を探すのは至難の業じゃが、
中国ならいくらでもいる。

ゆえにそのレコーディングは北京でやる!!

・・・とここまではいつもの仕事のやり方なのでいいのじゃが、
ところがそのレコーディングの日にワシはおふくろの入院とかがあって北京に行くわけにはいかん。

しかしいつも一緒に仕事をしている仲間達がいるので別にワシがわざわざそっちに行かなくてもおそらくは完璧にやりこなしてくれるだろう・・・

ということで段取りだけすることにして「お任せ」していた。

日本の古いアニメ曲だというのでまず向こうで歌われている歌詞を取り寄せる。
日本には出版社とかいろいろ難しい関所がたくさんあるので、
クライアントさんとしてもなかなか一筋縄にはいかない。

「その中国語詞は日本語の元詞と比べたらちょっと意味が違うところがあるじゃないか!!」
というわけで結局全部作り直すことになる。

まあこの辺も作詞家ならたくさん知り合いもいるし、
LaoWuもよくそんな仕事を振ったことがあるので慣れたもんである。

アレンジは日本で制作スタッフ側がやるというので完成したバッキングデータを取り寄せて、
メロ譜も取り寄せて送りつけてある。

これで詞のOKが出たらそれで問題なし!!

というわけだがまあこの辺は紆余曲折あって何とかOK!!

ところがクライアントの北京支社のお偉いさんが、
「じゃあ私もそのスタジオに見学に行きましょう」
となって日中が大慌て!!

日本側の制作スタッフも
「制作側だけでお任せしてもらうことになってたのに・・・」
と慌て気味。

往々にしてこんな時には「お偉いさんの一言」によってこれまでやって来たことが水泡と化すことも珍しくないのだ。

しかも中国側に実際に仕事を振っているワシ自身がその人のことを全然知らない。
中国側に取っては「どこの誰やら全くわからない人」が現場に来るのだ・・・

うーむ・・・すぐにチケット取って北京に飛ぶか・・・
と考えたが間に合わない。

よし!!ということでまたネットでつなぐことにした!!

前回はFacetimeというAppleのシステムを使ったが、
これはお互いがApple製品、しかもパソコンにはOS Lionが入ってないと使えない。

どんなパソコンのどんなシステムでもつながるやり方はないのか・・・
と探すこと数日、
Gtalkというのがよさそうだというので試してみた。

Gmailアドレスさえ持っていればパソコンは選ばない。
うちのアシスタントのWindowsパソコンでも大丈夫なのじゃ!!

中国携帯のSMSなどでやりとりしながらスタジオにGtalkをつないだ。

よくストリングスをレコーディングしたり、
ドラムで中国ロックの名盤に参加したりしたスタジオが映像に現れた。

GtalkCapture.png

懐かしい・・・

そう言えばパスポート盗まれてから今年になってまだ一度も北京に帰ってないのだ・・・

懐かしい仲間とお喋りしているうちにふと気がついた。
日本側の制作会社も同じ時間にパソコンの前でずーっと待機しているではないか・・・

何とかその人達にもこの映像を見せてやりたい。
何とか3人でビデオチャットが出来ないものか・・・

しかし基本的にパソコンのカメラをひとりに独占されてしまうのでそれは不可能のようだ・・・

じゃあ何とかiPad2を使ってつなげないものか・・・

というわけで探してみるとVtokというアプリが見つかった。
これはGtalkをiPad2で使うことが出来るというものだったのだ。

自分のパソコンとiPad2をつないでみるとこれがバッチシつながる。

ところが日本の制作側のパソコンとはうまくつなげなかった。
他のシステムはないものか・・・

一番オーソドックスなシステム「Skype」があるではないか!!

というわけでiPad2と制作会社のパソコンをSkypeでつないで、
うちのパソコンの画面の前に置いて北京の映像を見せる。

制作側の声はiPad2から出るので、
必然的にワシのパソコンのマイクで拾って北京のクライアントにも聞こえる。

ワシも含めて3者が相談しながらうまくレコーディングが出来たぞ!!

最終チェックは大音量で歌を流してもらい、
それを聞いて3者がOKを出してレコーディング終了!!

後は北京から送られて来る歌データを転送して日本でミックスダウンが行われて完成!!というわけだ。

いやー凄い時代になったもんじゃ・・・

いや、この分じゃとこれからもっともっと凄いものが出て来るぞ!!
楽しみじゃ・・・

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2011年12月31日

帰国のための最後の関門!!

こちらからの続き・・・

本来ならばこのまま出入国管理局に行って、
予定通りVISAのハンコが押された臨時パスポートを受け取ってくればそれで終わりのはずなのだが、
それがそのようにうまくいかないのが中国である。

不測の事態を想定して一応飛行機は一番遅い便を取ってある。

9時から窓口業務開始ということで8時半には院子を出発する。
外気温はマイナス7度。
「寒いね〜」と言うと、
運転手として、そして不測の事態に備えて一緒に行ってくれる老呉(LaoWu)が、
「大したことないよ。寧夏ではマイナス20度もザラだから・・・」

車を運転しながら
「どうするよファンキー、書類に不備が〜とか言われたらさぁ」
と冗談を飛ばすが、
それが容易にあり得るのがこの国なのである。

出入国管理局に着いた。
まだ窓口は空いてないが長蛇の列である。

9時になって全員が2階にある窓口に殺到するが、
そんなに「我れ先に」とならないのはやはり外国人窓口だからか?(笑)

人は多いが流れはスムーズである。
書類を出してパスポートをもらってそれだけに流れ作業。

よくある失敗でその書類を失くしたというのがあるが、
昨日からずーっと握りしめているので問題ない。

非常に速い単調なリズムで列が短くなってゆき、
そのリズムを止めたのがワシのところだった。

窓口のお姉ちゃんがピタリと手を止め、
「シッシッシッ」と犬を追い払うような仕草で
「配骂你(PeiMaNi)」みたいなことを言う。

Peiという発音から一瞬「赔钱(PeiQian)」、
つまり「弁償しろ」という単語を連想してしまったために頭の中が真っ白になり身体が固まった。

実際には数秒のことなのだろうが、
かなり長い時間固まってて我に返ったらお姉ちゃんはまだ「シッシッシッ」という動作をしている。

「何を弁償すればよろしいのでしょうか・・・」
なるだけ丁重に聞いてみる。

お姉ちゃんは「チッ」と舌打ちしてゆっくり言い直した。
「ペイマネー!!Pay Money!!」

見ると「シッシッシッ」とされている方角にはお金を払う窓口があった。

「何じゃ英語かいな!!それやったらそう言いなはれ!!」
無事に金払って手続き完了!!

飛行機は夜の便なので後は飲むのみ!!!!

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2011年12月30日

ネットを使ったX.Y.Z.→Aのスーパーライブ

パスポートを盗られてしまって出国出来ないので、
「じゃあ29日のファンクラブライブは中止かな・・・」
と思ったら誰もそんなこと口にしない。

まあ「口にする」と言っても厳密にはメールでやり取りしてるのだから口にしてるわけではないのだが、
「とにかく3人でもやる方向でいこう」
とみんながみんなそんな気持ちである。

そんなやり取りの中、たしかパスポートを盗られて途方にくれている列車の中でのやりとりか?
橘高がちらっと言った一言
(まあ厳密にはメールなので言ってるわけではないのだが)

「末吉さん、そっちでドラム叩いてネットで繋げません?
こっちの音聞かずに勝手に叩いてくれたら僕らそれに合わせて演奏しますんで」

うーむ・・・こっちの音と映像をリアルタイムに送るシステムはいろいろあるが、
どれも中国の遅い回線では「ライブ」という点では信頼性に欠けるものばかりやのう・・・

しかし同じように他の音を聞かずに勝手にドラムを叩くなら、
別にリアルタイムでなくてもレコーディングして送ったって同じではないのか?・・・

そんな考えが頭をよぎった時に既にこの企画が出来上がったと言っても過言ではないだろう。
何せうちにはスタジオがあるのだ。
レコーディングだってネット経由でそんなデータのやり取りをしとるじゃろ。

というわけでパスポートの問題が解決した28日の夜、
飛び込んで来たスタジオ仕事の後にレコーディングを開始することになった。

レコーディングのやり方はいろいろ考えられるが、
CDとかに合わせて叩いたら一番きちんとした演奏が録音出来るとは思うが、
それではおそらく「ライブ感」というものがなくなるだろう。
ここはいっぱつドラムだけで、他の楽器が鳴っているかのようにひとりで最初から最後まで「ライブ」として叩くしかなかろう・・・

通常のライブのように気合を入れる。
フルライブを一人で叩くのである。

曲つなぎなども通常のライブの通りつなぐ。
目をつぶればいつものライブと同じ光景が目に浮かぶように叩くのである。

これが実は想像以上にキツい!!

ライブではメンバーが隣にいてお互いに励まし合って山を登るようなものなのだが、
これをひとりでやるとなると相当の精神力が必要となる。

叩いている時は歌を口ずさんでいる。
ギターソロもメロディーを口ずさんでいる。
そうでなければ今自分がどこを叩いているのかわからなくなってしまう。

「頭」ではなく「身体」で覚えているからこそ出来るのである。
新曲ばっかりだったら恐らくこの企画は自滅してしまっただろう。

1ブロックずつ汗だくになって録音してゆくうちに少しずつ誘惑が頭をもたげて来る。
「ライブじゃないんだから、レコーディングなんだから、
別に途中で止めてパンチインすればいいじゃん」
と・・・

特にX.Y.Z.→Aのライブには速いツーバスの曲が多いので、
シンドくなったらそこで止めて続きをそこから録音出来たらヒジョーに楽である。

しかしすんでのところでその考えを押し戻す。
そんなことをしたらワシはライブでもシンドくなったらそうしようと考えてしまうではないか!!

「ロックとはあきらめないこと」とか何とか偉そうに言いながら、
そんな奴に限ってすぐにあきらめる癖がついてしまうのだ!!

フィルが少々ヨレようがテンポが少々走ろうがモタろうが、
ワシはライブではそう叩いておるのだ。
それが上手いと思われようが下手だと思われようが全ては自分の「責任」である。

・・・と言い聞かせながら1ブロックずつ叩いてゆくのだが、
そこで問題発生!!
Fasterでの客との掛け合いはどうするよ?!
XYZでのベースソロはどうするよ?!

これらはドラマーがその部分の長さを決めているのではなく、
二井原や和佐田がそれを決めているのだ。
ドラムが先に長さを決めてしまってみんな後からそれに合わせて演奏出来るのか?

まあとりあえずはチャイナを叩くなりそれなりの合図をちりばめておいて一応レコーディング終了!!

いやーこの汗の料は確かに「ライブ」である。


さてそれをMP3に落としてメールで各メンバーとスタッフに送りつける。
「それぞれの長さはこんな感じだよ」とか
「曲のつなぎはこんな感じだよ」とかも細々と。

そして当日、新しく買ったiPad2で日本とつないでみる。
回線はカクカクしていて決っしてよくない。
リアルタイムだと絶対無理なレベルである。

今回使ったシステムはFaceTime。
相互方向の音と映像のやりとりではなかなか画期的なシステムである。

回線が途切れたりアプリが落ちたりするのでバックアップシステムとしてiPhone4sも隣に並べておく。
中継が途切れたらどちらでも繋がりやすい方を呼び出してもらえばよい。

日本側の音はヘッドホンで聞かねばならないので、
繋がる先がiPadかiPhoneか変わる度にヘッドホンを抜き差しするのも大変なので、
どちらの音もミキサーに繋いで両方同じヘッドホンで聞けるようにしておく。


メンバーが現れた。
二井原には曲繋ぎのカウントの説明をしておく。
いつもは歌から入る曲でも必ずカウントで入らなければならない。

和佐田がやって来た。
ベースソロの大体の長さときっかけのフィルなどを説明する。

橘高も来たのでみんなで全曲合わせてみる。
非常に高度なテクニックが必要だが出来ないことはなさそうだ。

「そいで末吉さんも一緒に叩いてくれるんでしょ?」
と橘高。

もちろんそうするつもりである。
ワシの叩いたドラムの音に合わせて演奏しているみんなの音に合わせてワシは一緒にドラムを叩くのだ。

もちろんそのこちらのドラムの音は向こうには流さないし、
映像は数秒遅れるから絶対的に叩いてる姿が音とシンクロするわけはないが、
要は気持ち!!一緒に「汗をかく」ことが大事なのである。

日本側のiPadの映像(つまりワシが叩いている映像)はモニターの画面に映し出され、
そのモニターは本来ドラマーがいるべき位置に置かれていたらしい。
(誰かその時の写真あったら送って〜)


こうしてライブが始まった。
ワシの声も向こうに聞こえるし、
向こうの声も途切れ途切れながらこちらに聞こえるのでまるで会場に一緒にいるようでさる。

演奏の方はこちらではよく途切れるのでよくわからんかったが、
評判を聞くにばっちしだったらしい。

特にワシはFasterで合図のチャイナを叩くと同時に二井原が掛け合いの最後の「ホー!!」に入ったのには鳥肌もんやったなあ・・・

何でわかるんやろ・・・

和佐田もワシが考えた通りにベースソロをベースソロを組み立てて、
考えた通りにボケて、
考えた通りに二井原が突っ込んで、
せやのに合図と共にちゃんとリフに入って曲に戻る。

やっぱパーマネントバンドって凄いな。
みんなが阿吽の呼吸なんやな。

ライブ終わって怒涛のファンクラブ飲み会、
ワシは悪ノリして坂出マイラブ熱唱したり、
風呂入ってそれを中継したり、
しまいには布団に入って寝転んだりしっちゃかめっちゃかでした。

改めてこのバンドの凄さとファンクラブ会のアホさ加減を思い知ったな(笑)

二井原が絶賛しているブログ


そんな凄いバンドがファンと共に(笑)ツアーに回ります。
皆さん恐れ入りに来なさい!!(笑)


「X.Y.Z.→A IS BACK → THE ROAD #2 2012」

3月4日(日) 横浜 SUNPHONIX HALL (EVENT)
         「横浜メタル地獄 スペシャル!」
         出演:X.Y.Z.→A / さかもとえいぞう with 少年ハンサム隊

3月11日(日) 梅田 ShangriLa

3月17日(土) 千葉 LIVE SPOT LOOK

3月18日(日) 熊谷 HEAVEN'S ROCK

4月7日(土) 豊橋 ell.KNOT

4月8日(日) 名古屋 ell.FITS ALL

4月10日(火) 広島 NAMIKI JUNCTION

4月12日(木) 京都 都雅都雅

4月13日(金) 岡山 MO:GLA

4月14日(土) 神戸 WYNTERLAND

4月21日(土) 渋谷 club asia

チケット情報など詳細は来年だそうです〜♪

Posted by ファンキー末吉 at:16:05 | 固定リンク

パスポート紛失!!その3日目

こちらからの続き

結婚式で飲み過ぎて二日酔いのまま出入国管理局に向かった。

日本大使館からもらった臨時パスポートと、
それに貼り付けたその前までに集めた書類、
それをこれ見よがしにカウンターのお姉ちゃんに突き付ける。

今までの手続きに不備はない。
当然ながらこれで手続きが終了のはずである。

ところがお姉ちゃん、
「フン」という感じでワシを見て吐き捨てるようにこう言った。

「居住証明書!!」
げげっ!!まだそれが要るんですかいな(>_<)!!

もうホントにヘコみそうである。
昨日届けたのはShaの住所だったのだがそれをメモしていない。
電話をしても電源が入ってないとアナウンスされる。

でも考えてみたら彼だってどうせちゃんと届け出なんか出してないんだから実は何の役にも立たない・・・
かくなる上はこのためだけに本当にホテルにチェックインするか・・・
それにしてもこの子供銀行のようなぺらっぺらの臨時パスポートが本当に身分証明書になるのか?!!

考えろ!考えろ!!・・・

そこで思い出した。
Facebookを見て心配して電話してくれた北京在住の日本人Fさんがいたではないか!!

さっそく朝っぱらから電話で叩き起こして住所と所轄派出所名を聞く。
試しにその書類だけ出して見ても
「証明書!!」
と言ってまた突っ返されるので仕方がない、
Fさんとその派出所で待ち合わせをして一緒に証明書を発行してもらう。

そのままそれをカウンターに叩きつける。
その後、写真を撮って貼り付けたりいろいろカウンターをたらい回しにされたりしていよいよこれでOKかと思いきや、

「それで?あんたいつ帰るの?」

ここでワシはブチ切れる。
「いつ帰るってあーた!!今朝の飛行機で帰る予定でしたがな!!
帰れるんやったら帰っとるわい!!
いつ帰る?こっちが聞きたいわい!!いつ帰れるんじゃい!!」

とりあえず口喧嘩は声の大きなもんの勝ちなので、
これには相手もビビったようである。

「最速で1月1日かな・・・」

1月1日はどうせ休みやからヘタしたら休み明けの4日にもらって5日戻りになってまうやないのー!!!

怒ったらあかん!
怒ったらあかん!!

今度は泣いてみる。
「子供が病気でどうしても明日帰らないかんのですぅー」

まあ色男に甘えられたらお姉ちゃんも悪い気はしないだろうが、
こんなオッサンに甘えられたらそれはキモチワルイだけである。

しかしそれが良かったのかいきなり態度が軟化した。
「ではこちらの書類に何故早く帰国せねばならないかの理由をお書きください」

「孩子生病很着急要回国」

書類をしげしげと見てるお姉ちゃん・・・
ドキドキしながらそれを見つめるワシ・・・

「12月31日の朝にビザが出来ますのでその午後か夜には帰れます」

やったー!!
小躍りするワシにお姉ちゃんがまた水をさす。

「んでどの便で帰るの?チケット番号は?」

あーた!!今やっと帰れる日取りが判明したんやからチケット番号なんかあるはずないやん!!

「ほなチケット取ってからもう一度おいで」
ギャフン(>_<)!!!

もう参りました!!
私が悪いんです!!
日頃の行いが悪いからこんなことになるのです!!
来年から人が変わったほどいい人間になりますから頼むから帰らせて下さい!!!

ワシはすぐさまいつも使ってる航空会社に電話してチケットを押さえ、
その電話をそのまま渡すが
「チケットがないと申請出来ない」
と突っぱねられる。

チケットなんて今日び全部電子チケットでんがな・・・

途方に暮れるがふと思い立つ。
電子チケットということはメールが送られて来る。
そしたらそのメールを印字すればいいのではないか・・・

メールを印字する手法は昨日既に確立してしまっている。
困難は人間を強くするのだ。

神だのみで全部の書類をまた同じカウンターに叩きつける。

ポンポンポン・・・
お姉ちゃんは無表情に書類にハンコを押し、
黄色い書類をぽんと投げて渡した。

「これを31日の朝一番に持って来ればワシはその夜には帰れるんやな!!」
何度も何度も念を押した。

大きなどんでん返しさえなければ
(それがあるのが中国なのだが・・・)
ワシはやっと31日には帰れるはずである。

ただ考えてみるに、
これがワシではなく普通の旅行者、
特に中国語が喋れなかったり現地に友達がいなかったりしたら、
果たしてその人はいつになったら出国出来るのだろうか・・・

海外旅行をする人はくれぐれもパスポートを盗まれないように・・・

続く・・・こちら

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Wingの結婚式

ワシが今回中国に来たのは何もドラムクリニックのためばかりではない。
20年来の親友である彼の結婚式に参加するためでもある。

Wingとは本当にいろんなことがあった。

最初に会ったのは彼らBEYONDが日本で活動するようになった時。
所属事務所のスタッフから紹介されて一緒に飯を食いに行った。

共通言語の中国語が喋れるということもあり、
ドラマー同士というのもあり、
それから1年はいつも一緒にバカなことばっかやって騒いでた。

そんな中、BEYONDのボーカルの黄家駒が日本のテレビ局の事故で死んだ。

ワシは香港に帰る彼らと一緒に葬式に参加して失意の中の彼らを少しでも支えてあげようと努力した。

それからしばらく3人で活動していたBEYONDも活動停止し、
個人活動に入った頃の彼が人生で一番大変だった時期かも知れない。

そんな彼に追い打ちをかけたのが彼の婚約者の死である。

2002年10月1日夕方、
香港の彼の自宅の浴槽にて彼の婚約者が死んでいるのを彼自身が発見した。

BEYONDは今年で結成20周年を迎え、
10周年目はボーカルの黄家駒が不慮の死を遂げて
何の大きな10周年記念活動も出来なかったので、
今年こそは活動停止中のみんなが集まって何かやりたいねと言ってた矢先である。

失意のどん底にある彼を慰めるためにワシはまた香港に飛んだ。
(その時の様子はこんな感じ)

自分もどん底の時もあっただろうし人のどん底を見ることもあるが、
あの時の彼ほどどん底はない。
10年に一度、彼は一番大切な人を失っているのだ。

たまたまワシはその直後に彼の日本での小さなライブツアーをブッキングしていた。

こんなことになるなんて夢にも思ってなかったので
「久しぶりだし日本に遊びにおいでよ」
ぐらいの軽い気持ちだったので、
「キャンセルしていいよ。こんな状況だし」
と言ったのだが、彼は小さな声でしかも力強くこう言った。

「行くよ、歌うよ・・・」

バンドが解散してドラマーがドラム台を降りて前に出てきて歌を歌うなんてちょっと考えても無理な話である。
事実彼のそれまでの低迷がそれを証明している。

ところが結果的にその事件後初の彼のステージとなったそのライブは素晴らしいものだった。

黄家駒の遺作となった「海阔天空」歌う前に彼はこうMCした。

「これは黄家駒の残した素晴らしい曲です。
僕は彼ほどはうまく歌えないけど、
黄家駒・・・天国でそれを聴いて笑わないでね」

客も何人もいない各会場で、
彼は黄家駒や婚約者に向けて歌を歌っている。

「いやー・・・Wingって素晴らしいボーカリストやねえ・・・」
ベースを弾いてた和佐田がその歌に恐れ入ってた。

それからBEYONDは再び再結成して3人で過去の歌を歌い回した。
ワシは今でも彼の歌が一番好きである。

彼は再びスターダムに返り咲き、
今では立派な「歌手」として中国全土をツアーで回っている。

人生いい時もあるし悪い時もある。
今回彼に呼ばれたのがまた悲しい出来事ではなく、
こうしてメデタイことなのだから言うことはない。

ワシは大使館から結婚式場に直行した。

着の身着のままである。
そりゃそうだ、荷物を全部盗まれた上に着替えに帰る時間すらないのだ。
風呂にも入ってなければパンツも替えてない。

まあ中国では結婚式も葬式も正装ではなく普段着なので、
少々クサいかも知れないが間に合わないよりマシである。

WingWedding.JPG

結婚式は盛大に行われた。

中国式に新郎からは新婦の両親に、
新婦からは新郎の両親にお茶を注ぐという儀式があり、
その時にふと思い出した。

そうかぁ・・・あのお父さんはもう亡くなってたんだな・・・

いつぞやの彼のツアーで
「今回のギャラはしばらく待ってくれないか」
と言われたことがあった。
「お父さんが死んだので、できる限りの葬式を開いてやりたいんだ」
と言っていたなぁ・・・

人生にはいろんなことがある。
いいことも悪いこともたくさんある。

ワシがパスポート盗まれたことなんか、
人生のひとつの笑い話にしか過ぎないのだ。

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パスポート紛失!!その2日目の続き

2日目からの続き・・・

北京市内は渋滞が問題になっていて、
政府は曜日によって市内を運転できる車のナンバーを制限したりいろんな対策をしているものの、
「うちの車この曜日には運転出来んのやったら、
しゃーないな〜もう一台買うちゃろ!!」
という富裕層も多く、依然として何の解決にもなっていない。

列車が着いた北京西駅から出入国管理局までがまた大渋滞のルートなので、
タクシーを拾おうにも皆乗車拒否である。

仕方ないので地下鉄を乗り継いでやっと最寄りの駅まで行って、
道行く人に最寄の派出所を聞くのだがまたこれが遠い!!

北京の冬は湖南省よりもはるかに寒く、
「身を切る思い」というのはこのことである。

やっとの思いで派出所に着いて、
「パスポートを落とした」
と告げると、
「パスポート番号は?」
と相変わらずの共産主義仏頂面でつっけんどんに返される。

だいたいそのパスポートを無くしたんだから番号なんて分かりようがないようなもんだが、
そこはそうそうこれだけこちらでいろんなやり取りをしてるとiPhoneの中にそのデータぐらいは残っている。

パスポート番号を告げると、
「どこに泊まってたの?検索するから!」
と言う。


そう言えば法律が変わって、
外国人は入国して24時間以内に居住先を届けねばならなくなってると言う。

ワシが住んでいるスラム街は外国人が住んではいけないところなので、
ホテルに宿泊記録が残ってないワシは「法律違反」ということになる。

「何言うてまんねんな!
ワシはこっち着いてすぐに湖南省に行きましたさかい
こっちでは一泊もしてまへんがな!!」

などと苦しい言い訳をするのだが、
そんなもの湖南省のホテル情報からパスポートナンバーを検索して、
入国記録と照らし合わせたらすぐにバレるウソなのであるが、
拍子抜けにそのウソがすんなり通る。

データベースが繋がってなくて北京から湖南省のデータは検索出来ない、
もしくはアメリカのように連邦制に近いのかも知れない。

ともあれ、それなら湖南省で既に盗難届を出していることはバレないわけだ。

ひと安心した途端に
「じゃあ今日の宿泊先は?!!」
ちゃんとホテルを取って宿泊先を確保してから来いと言うのだ。

既に午後3時を回っていて、
そんなことしてたらとてもじゃないが役所が閉まる5時までに手続きが終わるはずがない。

ワシはふと隣でぼーっと突っ立ってるShaを見た。
「こいつです!!こいつんとこに泊まってます!!」
Shaはいきなりのことで一瞬驚きはしたが、
すぐに気がついて話を合わせてくれた。

彼の住所を登録して無事手続き完了!!
また同じ道を歩いて出入国管理局に向かう。

窓口の係員はどこでも一緒でここも相変わらず無愛想である。

「じゃあパスポートのコピー出して!!」
なんて言われたってそのパスポートを紛失してるんだから出しようがないじゃろ!!!

という前に考えろ!!
先日の北朝鮮渡航の際にパスポートコピーのやり取りをしてただろ。
メールしてそれを送り返してもらう。

「ほら!!」
iPhoneに表示されたパスポートコピーを鼻高々に見せるが、
「ちゃんと印字して持って来い!!」
と突っ返される。

iPhoneから印字・・・iPhoneから印字・・・

そうだ!!近くのコピー屋とか写真屋とか、
そこには必ずパソコンがあるから、
そこに行ってそのパソコンにメールして印字すればいい!!

寒空の中またコピー屋を探して彷徨う。

しかしこれがワシじゃなくって普通の旅行者だったらどうなるんだろう・・・
ましてや中国語が出来ない人がパスポートを紛失して、
宿泊先はと言われてもパスポートなしではホテルにも泊まれず、
パスポート番号はと言われてもわかるはずもなく、
ましてやそのコピーを提出しろと言われたってそりゃ物理的に不可能じゃろう・・・

何とかコピー屋で印字してもらい書類を提出して大使館に駆け込んだのが5時ぎりぎり。
何とかここまでは間に合ったのだがここでもらった臨時パスポートとやらをまた出入国管理局に持って行ってビザをもらうのはもう今日は間に合わない。

「まあいい、泣いても笑っても明日朝いちでこれを持って出入国管理局に行けばもうそれで手続きは終わりじゃろう」

その考えが甘かったとまた打ちのめされるとは夢にも思わず、
ぺらっぺらの子供銀行のような臨時パスポートを持ってワシは大使館を後にした・・・

続く・・・こちら

Posted by ファンキー末吉 at:10:43 | 固定リンク

パスポート紛失!!その2日目

初日からの続き・・・

パスポート遺失届は出したのであとは大使館に行って臨時のパスポートを発行してもらい、
その後に中国の出入国管理局に行ってビザを発行してもらって帰国ということらしい。

また列車の中でこれらを調べること自体が非常に大変である。
充電器は1個しか持ち歩いていないため、
iPhoneはパソコンから充電しようとか、
ネットにはなるだけiPadで接続してとかいろいろ考えていたのだが、
そのパソコンもiPadも盗まれてしまっている。

facebookやTwitterなど見てる場合じゃないのだが、
何か情報はないかと思って見てみると、
いろんな人がいろんな情報をUPしてくれてわかったことだ。


6時頃目が覚めたらまだ鄭州だった。
となりで寝ているShaの話では10時には着くと言うので、
まあ起きてても仕方ないので二度寝する。

しかしこの時に気がつくべきだった。
「鄭州から北京まで4時間で行けますか?
飛行機だって2時間かかるんですよ!!」


電話が鳴った。
取ってみると大使館からであった。

「パスポートを紛失なさったそうで」

今にして思えば不思議である。
なぜ大使館がこのことを知っているのか?
そして何よりどうしてワシの電話番号を知っているのか?

しかもかけて来たのはワシの日本の番号である。

以前ワシは日本大使館と全面戦争覚悟でこんな書簡を送りつけたことがある。
(実際には書簡を託した人がビビって渡さなかったのだが、
ここまで大きな問題になってしまって大使館の人もワシのブログでこの書簡を見ることとなったと聞く)

敵対してるとばかり思っていた大使館の人のこんなにも優しい対応に心暖かくなりながら、
「10時には北京に着きますから着いたらすぐにそちらに向かいます」
と言って電話を見た。

もう10時過ぎとるではないかい!!!

隣で寝ているShaを叩き起こして聞いてみる。
「この列車は10時に着くんとちゃうんか?!!」

Shaは慌てて車掌さんに聞きに行った。
帰って来た時の彼の表情が忘れられない。
バツの悪そうな顔をしながら、
「着くのは2時だそうだ。悪いな、ファンキー・・・
そうだ、食堂車行こう!!
昼飯でも食って、そいでビールでも飲もうじゃないか・・・」

ワシは中国ではいろんな経験をしているが、
共通して言えるのは「没办法(MeiBanFa)」
つまり「アカンもんはアカン!!しゃーない!!」である。

イライラしてもアセっても、着かないものは着かないのである。

ワシは大使館に電話を入れてその旨を伝えたが、
電話を切ったらまた折り返し電話がかかって来た。
先ほどの担当者である。

「現地で取って来た書類はどんな書類ですか?」
ワシが内容を読み上げると担当者は困ったようにこう言った。

「その書類ではダメです。
出入国管理局が発行するパスポート遺失届が必要なのです」

「ほな北京着いたらまずはその出入国管理局とやらに行くということですね?」
と聞くと担当者は更に困ったようにこう言った。

「必ず盗難届を出した管轄の出入国管理局で届けなければダメなのです。
管轄が違うと受付けてくれません・・・」

パスポートがない身で飛行機には乗れず、
列車に12時間揺られてやっとここまで来てるのに、
同じ思いをしながらまた現地まで帰れ、と・・・

茫然となってるワシに担当者は言った。

「それでは今持ってる届出のことはもう一切忘れて下さい。
北京に着いたらまず派出所に行って、
今"北京で落とした"と言って遺失届を出して、
その足で出入国管理局に行ってパスポート遺失届をもらって来て下さい」

日本人なのだからもっと杓子定規なのかと思ってたら、
さすがは「中国の」日本大使館である。
やり方が「中国的」と言うしかない。

二重に盗難届を出したらオンラインでバレてしまわないか不安ではあったが、
まあ他に選択肢はない。
ワシは着いたらすぐさま派出所に向かった。

しかしそこで待ち受けていたのはそれよりももっとややこしい大問題だったのだ・・・

続く・・・こちら

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2011年12月29日

パスポート紛失!!その初日

ワシは岳陽発北京行きの夜汽車に乗っていた。

岳陽ではあれから警察を呼び、被害届を出し、
パスポートなしでは国内移動もなかなかままならないので被害届の中にちゃんとパスポート番号など詳細も書いてくれた。

思えば湖南省の街はどこへ行っても寒かった。
緯度は低いのだが、それだから各部屋に基本的に暖房をつけてないのである。

コンサートホールも暖房はつけられておらず、
照明に照らされて本来とても暑いはずのステージ上でも、
子供達はコートを着込んだままドラムを叩いている。

そりゃそうだ、楽屋なんかでも平気で窓を開けっ放しにしてるんだから、
この会場と外気温の差はほとんどない。

窓ガラスを割られた車の前で調書を取られている時も寒かった。
思えば派出所に行ってこの盗難届を作っている時だけが暖かかった思い出だ。

「絶対見つかるよ!」
みんながそう言って慰めてくれる。
「中国の警察を信用しろ」と・・・・

それが一番信用出来ないんやけどな・・・(。-_-。)

まあ地元の人の言うには、
「これが中国人だったらそりゃ警察も一生懸命動かんかも知れんよ。
でも被害者が外国人や言うたら警察としても面子の問題がある。
特に担当警察官は昨日のあんたのステージを見てるんだよ」

まあ早く捕まるにこしたことはない。
ワシはこのまま北京に着いて次の日、
もしくは翌々日の29日の朝いちには飛行機に乗って日本に帰らなければX.Y.Z.→Aのファンクラブライブに間に合わないのだ。

二井原実はいつもワシにこう言う。
「ファンキー、お前にはなあ、
"強く思い込んだことが実現する"
という能力がある。
くれぐれも人を恨んだり悪いことを思いなさんなや、
ほんまにそうなってまうで」
と・・・

しかしワシはこの時こう強く念じた。
「泥棒さん、ワシの荷物を持って逃げてる時に事故に逢いなさい。
お前は死んでもええから、パスポートだけはすぐに私の手に返しなさい」

しかしその念も虚しく、ワシはこうして夜汽車に乗っている。

タイムリミットはワシが北京の日本大使館でパスポート遺失届を出すまで。
その瞬間にそのパスポートは失効し、
たとえ出てきたとしても使うことは出来ないのだ。

とりあえず寝よう・・・

夜汽車は走る。
日本大使館のある北京に向けて。

何の荷物もない手ぶらのワシを乗せて・・・

続く・・・こちら

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2011年12月11日

BeiBeiについに彼女が・・・

明日日本に帰るので羊でも食べようと出かけて行った。

YangTui.jpeg

羊のもも肉を自分で焼いて食べる素敵な店である。
お供は北京の若い衆のひとりであるギタリストのBeiBei。

まあ彼は7時に待ち合わせと言えば絶対7時には来ないので、
老呉(LaoWu)の奥さんとふたりで1匹食い終わったぐらいにやっと現れた。

見れば美女をひとり連れている・・・
毎度の如く「頑張っているなあ」と思ってまたちょっかいを出す。

「BeiBeiのこと好きなの?」

たいがいこう聞くと美女は、
「そんなんじゃありません、ただの友達です」
と答えるのだが、今回はちょっと反応が違う。

なんと
「嫌いです!!」
と笑って答えるではないか・・・

まさかとは思ったが構わず2匹目の羊を食いながら、
彼女がちょっと席を立った時に説教してみる。

「お前なあ、美女連れて来てワシとばっか話し込んでてどうする!!
頑張って彼女とお近づきにならないでどうする!!」

ワシはこちらではドラマーの弟子はいないが、
BeiBeiやら張張やら、
彼らと言えば「生き様」までワシから学んでいて女性に対してはからきしである。

特にBeiBeiは毎回美女を連れて来てはこっぴどく振られているのでついついおせっかいを焼いてしまったというわけだ。

ところが今回は違う!!
「僕・・・彼女が出来たんです・・・」

まじまじとまた美女を見る・・・カワイイではないか・・・

日本の誰かアイドルに似てる気がするが名前を思い出さない。
SoftBankのCMとか映画Azumiとかで主役をしていた・・・

たしかひらがなで5文字だったと思うのだが漢字を思い出さない・・・

そう言えば検索ではひらがなで入れれば「これですか?」と漢字を出してくれることを思い出してひらがなで入れてみる。

「何を探してるんですか?」
美女が興味ありげに覗いて来るので、
「君は日本のとても有名なアイドルに似てるんだよ、
今その写真を探してるんだよ・・・

彼女が覗き込むiPhoneでひらがなを入力・・・「あやとちえ」・・・

ヒットしたのはおばはんの写真ばかり・・・
「この人が私と似てるんですか・・・」
と彼女・・・

いや別に綾戸智絵さんが悪いわけではない。
歌も上手いし素晴らしいシンガーである。

でもワシが探しているのはあなたではないのですよ・・・

苦労してやっと探し当てた「うえとあや」・・・

BeiBeiGirlFriend.jpg

ちょっと似てると思いません?・・・

BeiBei頑張るのぢゃ!!
飲みに誘ったらワシのことより彼女を気にかけて、
寝ても覚めても彼女を気遣うのぢゃ!!

まあそのうち振られるとは思うが、
頑張ればその時間を少しでも延ばすことが出来る!!

頑張るのぢゃ!!

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2011年12月10日

新聞記者と酒を飲む

院子でひとりコタツに座ってメール処理等地味な仕事をやっていた。
アホのエンジニアの隣の老呉(LaoWu)もいないので
「今晩のメシは何にしようかな」
と思っていた矢先に一本のメールが来た。

「北朝鮮のお話をお伺いしたいのですが・・・」

見れば日本の新聞社の北京駐在の方である。
こりゃうまいこと言うてメシでも奢ってもらおう!!
・・・ということで「今北京にいますよ」と返信。
すぐに返事が来ていそいそと出かけて行った。


実はこのようなメールは先月も一本あった。
東京の新聞社の方である。

新聞社の方もアホなワシのブログを見とるんやなあ・・・

とりあえずこういう場合にはワシはこう返事をすることにしている。
「ブログの中から引用して使ってくれる分には、
何か誤解を与える記事になったとしてもブログに立ち戻って誤解は解けるけど、
それをどんな人がどのように記事にするかわからない状態でいきなり取材を受けるのは、
こと北朝鮮関係においてはちょっと危険だと思ってます。
情報という点ではブログに書けない面白いネタもたくさん持ってますので、
とりあえずお会いして情報交換ということなら喜んで」

まあ例を出して言うと、
ワシのブログから
「JASRACはヤクザのみかじめ」
という部分だけを取り出して記事にされても、
ブログからの引用だと実際ワシが言いたいことは
「ワシの著作権印税をちゃんとワシに分配せぇ!!」
と言っているということは後にわかってもらえるが、
北朝鮮関係の取材をしていてその一部分をデフォルメされたらえらいことになる・・・

特に「よど号」関係な・・・(笑)


東京の新聞社の方とはその話で盛り上がって、
その人の情報ソースである「宿命」という本をわざわざ送って来てくれた。
非常に面白い本で、ワシは700ページ近いこの本をもう2回も読破している。

まあ「メンドクサイ性格」と思われている(知られている)のか、
幸いブログの言葉尻を取ってあーだこーだ文句を言う輩は今のところいないが、
とりあえず浅はかな知識で文句を言って来るような輩がいた日には、
そいつの家まで行って延々論破出来るだけの知識だけは蓄えている。

北朝鮮と関わり合うのは大変なのじゃよ・・・


というわけで今回、
北京駐在の日本の新聞社の方ということで、
これが想像以上に楽しい食事会となった。

彼は朝鮮人民の立場で物を考える人で、
情報交換どころか逆にいろんな有益な情報や考え方を教えてもらって非常に感謝!!

ワシははっきり言って「マスコミ」は嫌いである。
でも「ジャーナリズム」は別やな。
(果たして今の日本のメディアにどれだけ「ジャーナリズム」というものが残っているかは別にして・・・)

まだふたりの新聞記者としかお会いしてないが、
どちらも「この人ならいい記事を書いてくれるのでは」と思わせてくれる人だった。

夕べはどうもごちそうさまでした。

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2011年11月29日

Wyn Davisと私(その2)

スタジオを作ろうと思い立つ数年前から北京でスタジオミュージシャンの仕事を始めた。

日本では「ミュージシャン」というよりは「芸能人」というイメージが強いのか、
それでもいくつかの仕事には呼ばれて行ったことがあるが、
北京に移り住んでからのあの「売れっ子ぶり」とは比べ物にならない。

「爆風スランプ」など知りもしない中国人は、
色眼鏡なくワシのことを純粋に「腕のいいドラマー」だと評価してくれた。

しかし困ったことにドラムをちゃんと録れるエンジニアがいない。

「マイクは何を使ったらいいの?」
とか
「角度はこのぐらいか?」
とか、そんなことワシに聞かれたってわからんわい!!
ってなもんである。

中国人のおかしな物の考え方で、
「このぐらいドラムが叩けるんだからそれぐらいのことは知ってるだろう」
ということなのだが、
日本では全ての「プロフェッショナル」には「職人的分業化」が進んでいて、
「ワシはドラムを叩く人、エンジニアはそれをいい音で録る人」
ということで当の本人はマイク選びや立て方なんぞ知るよしもない。

仲のよいスタジオのエンジニアとは、
徹夜でマイク選びや立て方を一緒に研究したりしたこともあったが、
「料理はセンスだ」という言葉があるように、
レコーディングこそまさに「センス」である。

そこで非常に役に立ったのが「あの時食べた極上の料理」、
すなわちWyn Davisのドラムサウンドだったのである。

いろんなプロデュースの仕事も多く、
バンドものの時には総合的なバンドサウンドも全てWynのそれをイメージした。

そんなこんなでいつの間にか、
ドラムは叩くわマイクは立てるわ、
挙げ句の果てにベースやギターの録音まで手伝ってやるような変な生活が始まることとなる。

「何でも出来るは何にも出来んと一緒やでぇ、ほんま・・・」
と苦笑いするワシに二井原は笑いながらこう言った。

「何言うてんねん、ホンマに何にも出来んに比べたら全然ええで」

確かに現実的に外国人であるワシが
地元の人間の仕事を取ってまでのし上がってゆくにはこのぐらい出来てイーブンだったのかも知れない。

そんな中、バンドのレコーディングの中でもバジェットのある
零点(ゼロポイント)をプロデュースした時にはWynにミックスを頼んだ。

我が師匠は快く「中国値段」でミックスを引き受けてくれたが、
1枚目のレコーディングの時には録った音に対して容赦ないダメ出しが来た。
現地のエンジニアが録った音に対してもワシにクレームが来る。

「だってお前がプロデューサーだろ?!!」

試行錯誤をしながら何とか零点(ゼロポイント)の次のアルバムを録って、
LAの彼のスタジオまでミックスに行った時、
彼はワシにこう言った。

「うん、よく録れてる!!
それがミックスにとって一番のHelpだよ。
You are a good engineer!!」

別にワシはエンジニアになろうなどと思っちゃいない。
30数年間耳元でシンバルをガンガン叩いてて破壊されている耳で
純粋に「音がいい、悪い」など聞き分けられるわけがない。
実際高音部分にノイズが乗ってたってこの破壊された耳には既に聞こえやしないのだ。

でも「いい音楽」は録ることが出来る。
「一流の味」を知っているコックは、
その味の「詰め」までは出来なくてもある程度のものが出来るのだと思った。

そんなこんなで
「アレンジの時、レコーディングの時に既にミックスのことを考えてる」
ということが大事なことなんだなということを学習して今に至る。

この爆風スランプトリビュートアルバム
18曲もの収録曲がありながらこれほどスムーズにミックスが進むのは、
ひとえにこの「師匠」の教えをこの不肖の弟子が忠実に守っているからである。

「師匠」は相変わらずミックスの合間に難しいミックスの奥義を教えたり、
誰も知らないProtoolsのショートカットを教えたり、
でもそのほとんどはもう右耳から左耳に流れてしまっている。

師匠!!プロデュース仕事はもうこの辺まででいいんです。
しばらくドラムを叩いてないんで今はちょっとドラムが叩きたくてうずうずしている頃なんで・・・(笑)

Posted by ファンキー末吉 at:15:20 | 固定リンク

2011年11月 7日

外国語で歌うということ

そう言えば昔よく
「中国語で歌を出したいんですけど」
と有名歌手から相談を受けたりしていたが、
「何言うてるんですか、
中国人が先に中国で成功したいのに
中国語も喋れないあんたがそれを押しのけて成功するわけないでしょ!!」
といつも言ってて嫌われたのか最近とんとそういう相談がない。

二井原実という隣人がいるが、
彼は英語も喋れなかったのにアメリカに打って出て成功した。

まあ喋れなかったと言うと語弊があるかも知れないが、
メンバーより先にアメリカに渡って英語学校に通い、
まあ「自分は人よりは喋れる」というレベルになってから。
ネイティブの歌唱指導を受けて英語の歌を歌うのは相当大変だったらしい。

「今のは音程はよかったが発音が・・・」
とか、
「今のは発音がよかったがリズムが・・・」
とか、
とどのつまりは
「今のは音程も発音も全部よかったが、
心なしかニューヨーク訛りなんだな。
メタルだからやっぱLA訛りで歌ってもらわなきゃ」
で二井原は諦めた。

「何度でも歌いますから、
マグレでいいからそちらで選んで下さい・・・」

こうして1行にまる一日、
1曲にまる3日間かかったりしながらラウドネスのアメリカデビュー盤は完成したと言う。

今日は昼間は紅焼肉楽隊のドラムレコーディングをしてから
夜はWINGの歌う「神話」をレコーディングした。

別にWINGが日本に進出したいわけでもなんでもない。
ただワシに頼まれて爆風スランプトリビュートに参加してくれただけの話である。

BEYONDは日本語の歌も出していたし、
彼自身もコンサートで日本語の歌も歌っていたので大丈夫かと思ったが、
これが想像以上に大変やったな。

中国人にありがちな濁点のあるなしの間違いや、
広東人が苦手な「L」と「N」の違いや、
発音っつうのはそういう耳で聞くとなかなか大変なんやな、これが。

ひとつ面白かったのが、
ワシが一生懸命ディレクションして正しい発音で録り終えた時に、
彼はこう言ったのである。

「僕、間違えてるよ。だってサンプラザはそう歌ってないもん」

神話のオリジナル盤を取り込んでお手本として流しながらレコーディングしているのだが、
たしかにその部分、WINGは「ボク」と歌って、
発音は正しいのに自分が間違いだと言ったが、
実際聞いてみると中野は「ボキ」とか「ボキュ」とか歌っているように聞こえる。
(一番のサビ前「僕たちは泣いていたね」の部分)

まあ外国人に指摘されるまでわからないぐらいそれはあまりにも「自然」なので、
おそらくそれに気づいた日本人は今まで皆無であろう。

そう、もともとそういうことばかりを考えて歌を録ること自体が間違えているのだ!!

歌は「心」なのであるからして、
発音が「気にならない」ぐらいの「歌」を録ればそれでいいのだ!!

と思いつつ結局数時間もぶっ続けてレコーディングしてしまった・・・

まあその甲斐あって素晴らしい「神話」が出来上がったと思う。
皆様、くれぐれも重箱の底をつつくような耳で発音を聞かないように!!

日本に帰ったら時間を見てサイトにUPします!!

WINGさん、ほんまにご苦労様、本当にありがとう!!

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2011年10月20日

ついでに四方山話

中国人で嫌いな人というのはあまりいない。

こんな性格だから人に騙されたりもするが、
日本人にはヒドい目に合わされたことはあるが不思議と中国人にはない。

まあ「いけ好かないヤツ」と言えばまず挙げるのがひとりのモニターエンジニア。

零点(ゼロポイント)スタジアムコンサートのサウンドチェックの時、
モニターから突然何も聞こえなくなったので一生懸命ジェスチャーで伝えていたが、
今度は突然爆音で鳴ったので慌ててまたジェスチャーで伝えた。

「何やってんだよ〜」
とその後彼に言うと
「そりゃ器材の問題だ!!俺のせいじゃない!!」
と胸を張られたのには非常に腹が立った。

そんなヤツがワシよりも高いギャラで仕事をする大御所なのが気に食わない!!
(金が絡むと人間突然心が小さくなるのよ・・・笑)

それから若い衆と飲んでるとよくこんな話をする。

「お前ら間違ってもあんなヤツにはなるなよ。
日本のエンジニアを見てみろ!!
X.Y.Z.→Aで100本ツアーを廻ってた吉田くんなんて、
毎回毎回ライブが終わると必ず楽屋に来て、
"今日はモニターどうでしたか?"と聞く。
例え小屋の器材が悪くったって絶対そんなせいにしない。
それが"音楽"ってなもんと違うか?!!」

「爽子(Shuangz)」のライブの打ち上げでまた別のいけ好かないヤツと会った。

映画音楽家Yはもともとはとあるバンドのキーボーディストとして知り合ったが、
2006年に「予算がないんです〜」と泣きつかれて映画音楽を担当した
「疯狂的石头(クレイジーストーン)」の最終音入れの時に監督が連れて来て再会した。

監督の要求は高く、
結局いくつかのBGMは作り切れないということで監督が彼を呼んだのだ。

結局彼が作った部分はほんの少しなのだが、
クレジットには「音楽」というところにワシと共に彼の名前が載っている。

まあ今にして思えば監督の音楽に対する要求はそれはそれは高く、
ワシは何度も直しをし、それを何度も監督に聞かせ、
彼の場面においてはそんな作業を彼もやってくれるかと思ったら、
まあ中国人にはよくあるのだけれども
「電話に出ない」「メールを返さない」
で結局ワシが全部やった。

まあいい。
ワシが音楽監督なのだからそれも含めて全て「ワシの音楽」である。

怒濤の如く音楽制作が終わり、
その映画は結局中国でタイタニックを上回るほどの動員記録を樹立した。

ワシは一躍「映画音楽家」として時の人となったが、
その後年に数本の映画やドラマの音楽をやる生活に突入する羽目になり、
スティックではなく毎日マウスを握る生活が嫌になって日本に逃げて来た。

YもYでその後いろんな映画の仕事をやったのだろう。
そのひとつの大型映画がまた大ヒットして、
今ではトップクラスの映画音楽家となった。

まあそれはそれでいい。
その後彼は会社を立ち上げ、
10人の若い衆に音楽を作らせ、
それを自分の作品として仕事を量産していると聞く。

まあワシとてその後、
張張(ジャンジャン)やら若い衆と映画音楽をやったりしているが、
根本的に違うのは、
「俺は別に映画音楽家になろうと思っているわけでもない。
お前がこの仕事を将来やりたければ、
これをチャンスだと思って頑張れ!!
監督とはお前が打ち合わせをしろ!!
気に入られたら後はお前が自分の仕事としてやっていけばいい」
というところである。

若い衆のうちひとりは北京オリンピックの閉幕式の音楽(の一部)を任されるなど、
今では音楽家としてトップクラスに躍り出たのもいるが、
相変わらずワシはこのままである。

ワシはYと違って「人の上前をはねる」ということが出来ないのだ。

この日、打ち上げに現れた彼の服装が気に食わなかった。
ブランドもののシャツにゴールドのネックレス、
ブランドもののバッグに腕時計。
それにスーツではなくGパンを履いているところが
「これは普段着ですよ。いつも普通にこれを着てますから」
という感じで腹が立つ。

またそのGパンのベルトがブランドものっぽいのがトドメである。

だいたいこのアンダーグランドのラッパーの打ち上げに、
そこまでブランドもので着飾って来る必要があるのか?
みんなTシャツにジャージ(ラッパーやからね)、
「ロック」なんだからスタッフだってスーツ着てるやつもおらんぞ!!

ワシも中国のスター達に知り合いも多いが、
ヤツらが公の場に姿を見せる時にスーツなので着飾るのはわかる。

でもお前は「裏方じゃろが!!!」

まあ「金」のことになると人間心が小さくなってしまうので、
ひょっとしたらこれは完全にワシの「ヒガミ」なのかも知れない。

でも昨日行ったジャニーズの芝居、
IkemenDesunePoster.jpg
を見て改めて思う。

汗みどろの稽古をして来た若きジャニーズのスター達、
それに携わる本当に演劇を愛するたくさんのスタッフ達、
そんな人達と彼はやっぱ「何か」が違う。

人間どう生きようが人の勝手なのでワシがとやかく言うことではないが、
ワシはやっぱり「こういう世界」で生きて来たし、
「こういう世界」でずーっと生きてゆきたいと思うから、
「こういう世界」の人間の方が一緒にいて居心地が良い。

舞台「美男ですよ」
11月末まで全国廻りますので行ってやって下さい。

http://www.ikemen-desune.com/

素晴らしい舞台でした!!
(私は楽器指導として少しだけご一緒させて頂きました)

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2011年10月16日

「爽子(Shuangz)」のライブ

ShuangzAndFunky.jpg

中国のラップ歌手「爽子(Shuangz)」のライブに参加して来た。

仕切りも何もあったもんじゃない。
一昨日着いてから誰も「何時にどこに行け」という連絡すらないのだから・・・

まあこのままばっくれたところで罪はないが、
やはりちゃんと調べて自分で行ってしまうのがワシである。

着いたらドラムセットがふたつ置いてあった。

ShuangzFaBuHui2Drums.jpeg

聞けば3人のドラマーが代わる代わる叩くと言う・・・

しかしドラムセットはあってもシンバルが1枚もない・・・
「取りに行ってます」
まあこの辺はよくあることなのでいいだろう。

しかし「この曲はプログラム聞いて叩いて下さい」と、
ぽんとiPod touchを渡されるのはどうしたものか・・・

ShuangzFaBuHuiProgram.JPG

音響スタッフに言ってミキサーは持って来させた。
PAにつなぐべきシールドもあった。

しかしヘッドホンがない!!

「もうひとりのドラマーが持って来てるからそれを借りよう」
と言うのだがそいつのはミニジャックでこのミキサーにはつなげない。

仕方がないのでクリックでミキサーのレベルメーターが振れるのを見ながらリハーサルする。
よっぽどテクニックがなかったらこんなこと出来まへんで!!

しかし考えてみたらメーターをガン見せねばならんので譜面を見れない!!

他にも同期を使わない曲で「テンポが遅い」だの「速い」だのクレームが来たので、
「よっしゃ!!全曲クリック聞いて叩いてやる!!」
とイヤホンをはじめ自分のシステムを取りに帰る。

まあ考えてみれば歌う人と違ってラップの人は、
テンポがちょっと速いだ遅いだっつうのはとても気になることなんやな。
でもそやったらあらかじめ言っとけよと言いたい。

リハもそこそこでシステムを取りに帰り、
戻って来た時には既に満場の客が入っていた。

客前でセッティング・・・まあこれも中国では慣れたもんである・・・

そんなこんなでやっと楽屋に着いたらプロデューサーDが現れた。
左手をいつもポケットに隠していて、
一説によると「ヤクザともめて指を切り落とされた」とか噂される謎の人物である。

「この前の会社は結局どうなったの?」
ワシは聞いた。

もともとワシは前の会社から仕事を頼まれたのだ。
しかし仕事が始まったら彼が暴走してコントロール不能となり、
最後には前金だけもらったままこの仕事は流れた。

なのにこの左手のない男はまたここにいる。
「またあんたが金出してこのアルバム作ったの?」

彼は言う。
「あいつは俺にしかコントロール出来ないからな。
でもそれもまたロックだろ?」

まあワシはそんな輩と直で仕事をやる気はないが、
誰かがちゃんと金を払ってくれれば逆に相手がどんなヤツでも構わない。

「実はなあ・・・」
彼は小声でこんなことを話した。

「お前の作ってくれた世界観なあ、
ありゃ全くもってニュービー(Fuckin' great!!の意)だった。
でもなあ、あいつもガキだからなあ、どうしても消化不良になっちまったんだ。
それで今回は自分たちだけでアルバム作ったというわけさ」

日本でバンドやっててもよく
「大衆はバカなんだからそんな高度なことやったって誰もわかんねーよ!!」
なんてことを言われて言い争いをして来た。

結局そんなバカな音楽しかやれない世界はイヤになって「芸能界」とやらを後にした。

爽子(Shuangz)に最初に作ったDEMOは妥協せずに高度な転調を盛り込んでいた。
ラップは基本的に同じ音程でずーっと歌うわけだからバックが絶え間なく転調すればその場面場面で色が変わる。

ただそれを理解して完璧に演奏出来るJazzミュージシャンが北京にはあまりいないというだけの話である。

この日ワシがドラムを叩くことになっている曲にはこの曲も入っていた。
それほど複雑ではないにしろサビになると転調してみんなで大合唱出来るようになっている。

それどころかアメリカ持って行ってWyn Davisにミックスを頼むとか、
基本的には全部ワシが敷いたレールに乗って全てが作られている。

しかしライブが始まってみてワシはちょっと考えるところがあった。

ShuangzFaBuHuiAudience.JPG

爽子(Shuangz)のファンは強力である。
始まる前から待ちこがれて熱狂し、
そんな熱いオーディエンスをワシは、
10年前の許魏(Xu Wei)、20年前の崔健(Cui Jian)で体感したことがある。

そんなオーディエンスが中国の音楽界を変えていった。

この日は崔健(Cui Jian)の曲を爽子(Shuangz)も歌った。
きっとプロデューサーDが彼を説き伏せて歌わせたのだろう。

彼も、オーディエンスもまだ生まれてなかった頃に、
中国じゅうの若者が熱狂した歌を、
80年代生まれの若者達がまた熱狂して歌う。

爽子(Shuangz)はそんな「大人達」のいうことを、
自分なりに一生懸命消化してここまで来ている。

ワシの作った2曲は形を変え、
それなりに彼が一生懸命に消化しながら、
やっぱライブではワシの力が必要だからワシを呼んだのではあるまいか。

アンコールに彼がネットで最初に発表した曲をやった。

最初っから最後までずーっと同じリズムとアレンジ、
そんなどうしようもなくアンダーグランドな曲にオーディエンスが熱狂した。

もともとはワシは「この曲を何とかしてくれ」と頼まれたのだ。

今なら
「この曲はどうにもならん!!このままが一番なんだ!!」
と言うだろう。

でも「大人達」は彼をもっと上に連れてゆきたいと思う。

彼をはじめ、ステージ上に立つ全てのミュージシャン、
そして客席のほとんどの若者はタトゥーを入れている。

入れてないのはワシぐらいのもんである。

爽子(Shuangz)は二の腕に両足、
背中には今の彼女の顔と全身の絵を彫っている。

「大人達」がそんな彼に未来のレールを敷く。

例えばワシが布衣羊肉麺という曲を書いた。
ずーっと自分たちの音楽しかやって来なかった彼らは最初戸惑い、
でもボーカルのLaoWuだけは最後までワシのことを信じて歌い続け、
結果この曲は今では彼らの代表曲となった。

それは例えて言うと、彼らにワシが
「階段を一足飛びに飛び越えられるハシゴ」
を与えたというだけではないのか。

「大人達」には彼らの未来が見える。
しかし爽子(Shuangz)には決してそんなものは見えはしない。

そんなもの見えてたら今の彼女の顔を自分の背中一面に彫りますか?!!

彼が見ているものは「今」だけ。
そして同じように「今」しか見られない若者達がそんな彼の歌に熱狂する。

そして彼らがまた「新しい中国」を作ってゆくのだ。

プロデューサーDは打ち上げでワシに言った。
「お前との付き合いは永遠だからな!!
こいつの二枚目と三枚目、またお前の力を借りるぞ!!」

ワシはまた彼に「一足飛びに階段を飛び越えるハシゴ」を与えるだろう。
そして彼はまた苦労して、
そのハシゴを解体して低いハシゴにしてしまい、
ワシは怒り、あきれ、あきらめ、
彼は「大人達」の思惑とは別に彼なりの人生を歩んでゆくだろう。

プロデューサーDはワシに
「こいつを中国を代表するロッカーにしてやってくれ」
と言う。

でもそれをするのはワシではない。
とどのつまりは「彼自身」なのである。

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2011年9月27日

中国のラップ歌手「爽子(Shuangz)」のその後

前回、女と手に手を取って逃げ出した「爽子(Shuangz)」であるが、
戻って来てアルバムを制作しているらしいことは聞いていた。

事務所と喧嘩して逃げ出して、
ワシはその事務所に雇われたわけだからもう手を貸すわけにはいかない。

友人のスタジオに詰めてずーっとやっていたらしいが、
結局ワシは一度も顔を出さなかった。

そんなある日、アメリカのWyn Davisからメールが来て、
「Funky、また素晴らしいアーティストを紹介してくれてありがとう!!
お前のプロジェクトなら俺はいくら安くてもやってやるから言ってくれ!!」
と、えらい感激して言うのだがとんとあてがない。

よくよく聞いてみると、
結局この「爽子(Shuangz)」のアルバムはWynんとこでTDしたようだ。

ちゃんとワシが引いたレールの上をワシなしで歩いていたのか、
と少々腹立たしい気持ちはあったが、
まあ人のトラブルに首を突っ込んでろくなことはないので放っといた。

ところがここに来て、
その昔の制作費を出したDongLinという男から電話がかかって来た。

「来月15日ヒマか? 爽子(Shuangz)の新作発表ライブで1曲叩いてくれ!!」

どうもこのDongLinという男はよくわからない。
前回は結局ワシに前金を払って本人にトンズラされたのに、
もう懲りていると思ったらまた新しいプロジェクトにも顔を出している。

いや、口ぶりではまたこれにも金を出しているのだろう・・・(不思議)

まあスケジュールだけ押さえて忘れていたら、
今日、中国のTwitterとも言われる「新浪微博」が騒がしい。

ShuangzAndFunky.jpg

【亚洲鼓王Funky末吉和爽子】
@FunkySueyoshi 在日本家喻户晓的摇滚乐队"暴风"领队鼓手,被誉为亚洲鼓王。
本次爽子新专辑中,有两首作品的旋律是老Funky亲子操刀谱写。
10月15日,爽子新专辑首唱会,Funky将作为助演嘉宾出席,鼓迷和爽磁绝不可错过。

まあてっとり早く言うと
「アジアドラムキングが爽子(Shuangz)のために2曲作曲した!!
次のライブではゲストでドラムも叩くからみんな見に来い!!」
というわけだ。

ワシのリンクがついているもんだからみんなRTしまくって、
フォロワーは増えるわRTは来まくるわ・・・

曲を聞けるリンクも貼られていたが、
最近の中国のサイトは外国のIPアドレスから曲を聞けなくしているので日本からは聞けなかったが、
まあタイトルに見覚えがあるのできっとワシがアレンジした曲だろう。

アレンジと言ってもラッパーは詞しか書かないので、
必然的にサビをつけたワシが「作曲」ということなのだろう。

中国にしてはちゃんとしている!!(笑)

まあワシにしてみれば前金をもらっているので途中で投げたその仕事をどうしようと知ったこっちゃないが、
まあワシに何も言わずにワシの引いたレールを自分のレールのように走ってたんじゃ少々面白くなかったところが、
まあいつもの中国らしく最後に全部帳尻を合わせて来る。

念のために北京のアシスタントに
このイベントはギャラが出るのかどうか電話で確かめさせた。

「何かギャラではないけど紅包は出るそうですよ」

まあ前金をもらっているので出なくても顔出しには行くが、
紅包(ご祝儀)まで出るというのはなかなか破格である。

ひとつだけ心配なのは、
X.Y.Z.→Aの「I Promise You」をラップにして歌わせようとしてたのだが、
ワシが作曲したというもう1曲がこの曲だったらワシはX.Y.Z.→Aのメンバーに申し訳が立たんぞ・・・

ま、二井原の歌が並の中国人歌手で歌えるわけないからまあありえんやろうなあ・・・

・・・と言いつつちょっと心配な今日この頃である。

Posted by ファンキー末吉 at:15:44 | 固定リンク

2011年9月13日

乗馬クラブに集まる大金持ち達のパーティー

気がつけば毎年参加している。
(もちろん客としてではなく演奏者としてだが)

だいたい乗馬を楽しもうと言うのだから金持ちであろう。
毎年9月の第二土曜日に試合か何かが開かれるのだ。
金持ち達が集まって、そのパーティーのためにどでかいステージが組まれ、
有名人達が客として、そして出演者として集い、
ワシのようなミュージシャンがタダ酒を飲む(笑)

この日は雨だったので「馬術館」という奥内でステージが組まれたが、
外ではやっぱ乗馬の試合が行われていた。

RichMansPartyHorseRace.jpg

ワシらは馬術館でセッティング・・・
しかし例によって仕切りが悪い!!

前の日にmp3で送られて来た曲は一応譜面にしておいたが、
いきなり見知らぬ歌手(こちらは覚えてないが向こうはやたら親しそう)から、
「じゃあファンキーさん、今日はこの曲を頼みますよ」
と譜面を渡される。

RichMansPartyScore.jpg

なんやこれ!!まるで赤本やないの!!

まあ歌手の人が一生懸命曲を説明するので、
とりあえずこれに書き込んで自分なりにシミュレーションする。

「まあリハなりで一回やっとけば大丈夫でしょう」
とタカをくくってたら馬術の試合が終わっていきなり客が入って来た。
リハも何もなくいきなりぶっつけ本番である。

進行表もへったくれも何もない。
ただいきなりステージに上がらされて、
「じゃあオープニンング曲、叩いて!!」
と言われる。

「オープニング曲って何でっか?」

言うが早いかピアニストがラテンのリズムを弾き始めるので適当に合わせて、
ある程度したら目と目を合わせてエンディング、
そしてまた何やらリズムが始まるので適当に合わせてたら司会者が出て来て話を始める。

「それでは一番目の歌手を紹介しましょう!!」
と言うので適当に終わらせてステージを降りる。

出て来た歌手は「李漠(Li Mo)」。
一夜にしてスターになった例の彼女である。

RichMansPartyLiMo.jpg

そしてバンドを引き連れて彼女が歌った曲は、
うちでレコーディングした昔のロックナンバーだった。

何故だか涙が出て来た。

「客なんか関係ない!!
私はここにいてこれを歌う!!
それだけのもんなのよ!!」

とでも言いたそうな彼女の態度がとてつもなくかっこいい。
そうだ、スターになっても彼女はいつまでもここにいるのだ!!

数曲(ワシにとっては)懐かしい曲が終わり、
バンドがステージに降りてカラオケであのヒット曲を歌う。

そうそう、この曲を否定してしまったら身もふたもない。
彼女はここにいて、そしてあそこにもいるのだから・・・

歌のコーナーが終わってオークションのコーナー。
何やらどでかい「書」がオークションにかかる。

落札額は15万円!!(約180万円)驚!!

そういや去年は白い馬が出品されて1千万とかで落札されてたっけ・・・
中国の金持ちはとてつもなく金持ちである・・・

ワシはもうこの頃からガブ飲み!!
どうせ「仕事」ではないのだ。
仕切りも悪いし、
同じぶっつけ本番だったら若いドラマーもいるからそいつに叩かせればいい!!

結局予定してた曲は1曲もやらず、
また何やらセッション風の遊びをやったっきりでイベントは終了!!
「ギャラは酒だから!!」
とばかり死ぬほど飲んで帰ったワシのポシェットにはこんなのが入っていた。

RichMansPartyHongBao.jpg

あ、一応ギャラも出たのね・・・もうちょっと真面目にやった方がよかったかな・・・(笑)
まあ来年もまた呼ばれるだろうからスケジュール空けておこう!!

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2011年9月 1日

Appleのやり方にもの申す!!

まあ別に毎日誰かにもの申しているわけではないのぢゃが、
これは前々から思っておったことなのでこのチャンスに声を大にして言っておこう。

もともとワシはAppleとかSonyとかいう会社が嫌いである。
何かっつうと「独自の方式」なんぞを作り出して互換性というのを無視する高飛車な商売・・・
パソコンも昔はVAIOを使っていたが、
CDとかを取り込むとその「独自のファイルフォーマット」とやらで取り込むのでイヤになった。

既存のMP3とかWMAとかで取り込むな!!
我が社の方式で取り込んで、
ファイルのやりとりをする相手もみんな我が社のパソコンを使うのぢゃ!!

という商売がどうも鼻について仕方がなかった。

MACももともとそうだったのぢゃが、
週刊アスキーなる雑誌のレポートのためにiPhoneなるものを買ったがために、
あれだけ嫌いだったMACに全てのシステムを移行してしまった・・・

そのおかげで我が家にはスタジオも含めて5台のMACと5台のiPhoneと1台のiPodと1台のiPadがある。

言うならばワシはAppleのお得意様である!!
Appleに頭を下げられるならまだしも高圧的な商売をやられる筋合いはない!!

まあAddobeかなんか相手に高飛車な喧嘩をふっかけてFlashが使えないのはいい。
使えないのは「製品の欠点」と言えばそれまでである。

ところが壊れた自社製品の修理がこれだけめんどくさいというのはどういう了見じゃ!!

ワシはカスタマーセンターにクレームを言う時によくこの言葉を使う。
「自分たちが楽になるために客にめんどくさいことをやらすっちゃあどんな了見じゃい!!」


事の始めはうちの3歳の息子がiPadを離さないところから始まる。

ただでさえこの親の血を受け継いでいるのだ。
取り上げようにも取り上げられるわけがない!!

かくしてワシのiPadはこの3歳の息子専用のおもちゃになってしまったのじゃが、
これがいきなり画面が映らなくなってしまった。

機械には強い方なのでいろいろ調べてみたが、
これは内部の問題ではなく液晶、もしくはそれに関係する回路がいかれているしかない。

ソフトウェアならいざ知らず、
ハードウェアまではワシの手に負える分野ではないので修理に持ち込む。

まあこの会社の方針としては
「バッタもんの修理屋には持ち込むなよ!!
純正んとこで修理しなはれや!!」
という方針なので純正のアップルショップを調べてみる。

バカでかい探しにくいAppleのサイトから修理と言うキーワードで探し、
最終的に八王子に一番近い吉祥寺店でiPadという欄に印が入っていることを確認し、
車で1時間近くかけてそこまで持ち込んだが、
「この印はiPadを売ってますという印で、
修理は全て渋谷か銀座のアップルショップに持ち込んで頂かないと
うちではお預かりで来ません」

こりゃちとおかしくないか?
「お前んとこで売ってるもんなんやから
お前んとこで預かってお前が渋谷に送ればええじゃろ」
と言うが取り合ってくれない。

どうせアップルショップに持って行ったところでその場では直せない。
必ず1週間以上待たされて戻って来るのぢゃ。

ワシは腹が立ったのでそのまま北京に持ってゆき、
前回iPhoneを直してもらった店に持ち込んだ。

iPadRepair.JPG

「アップルの優良ディーラー」という看板があるが、
おそらくはバッタもんである。

その証拠にその場でちょちょいと直してくれた。
新品のようになったiPadと、壊れた液晶部分をどどんと渡されて850元(1万円足らず)!!

iPadRepaired.jpg

ワシは昔爆風が武道館でコンサートをやった時のことを思い出した。

武道館の外ではテキヤがバッタもんの爆風グッズを売りまくっている。
ワシは事務所に言った。
「やめろと言ったってやめんのやったら、
ほな人ひとり雇ってそれぞれのテキヤからパーセンテージ取ったらええねん!!
自分ちのグッズ売上よりヘタしたら売上多いかも知れんで」

しかし事務所は聞き入れない。
海賊版のない世界でも理想なこの国で、
その御本家のお膝元でバッタもんを売る商売を、
何故その御本家が取り締まらないか今でもワシは不思議であるが・・・

そんなこんなで自分なりに結論を出した。

グッズを見てみろ!!
御本家よりもバッタもんの方がよく出来てるやないかい!!
どれもこれも安くて購買欲をそそるグッズやないかい!!
そりゃ御本家は負けるわのう・・・


Appleさん!!
ワシはもう二度とお前んとこで修理せん!!
お隣の国にはお前んとこよりもサービスのいい修理屋がいくらでもあるんじゃ!!

自分らが楽するために客に不便をかけよって、
それでも「サービス」かい!!

というわけで無事iPadは修理完了!!
しかしこれはすぐさま息子のところに行ってしまう・・・

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2011年8月30日

日本ラーメン横町in北京にもの申す!!!

うちの院子からほど近い望京というところに「ラーメン横丁」なるものが出現し、
今月だけでワシは4回行っているということは
「北京滞在の日はそこに行かない日の方が少ない」
ぐらい通っているというわけである。

RiBenLaMianStreet.JPG

初日に行ったのは「富山ブラック麺屋いろは
しかし味は美味しいのであるが残念!!スープがぬるい!!!

ワシは別に美食家でもないしラーメン通でもないが、
この「スープがぬるい」というのだけは許せない。

味がどうのというレベルではなく「手抜き」である。
スープなんてちゃんと湧かしていれば誰が碗によそったって同じように熱いんだから。

ラーメン屋の店長というのはその味に誇りを持って、
ひとつひとつ魂を込めて作っているという印象があったので、
ワシはこっそりと従業員を呼び出して中国語でこう聞いた。

「店長さんいる? もしくは日本人スタッフいる?」

別にクレームをつけようというのではない。
店長の魂がこんな下らない凡ミスで穢されているのが残念だったのだ。

ワシはきっと厨房の中から汗だくになった店長が出て来ると思ったが、
出て来たのは隣の店の日本語を喋る従業員だった。

「あれ? 日本人いないの?・・・」

仕方ないのでワシは彼に、
「味は申し分ないのにスープがぬるいのもったいないよ」
とだけ言ってその店を後にした。


次の日は「札幌みその味噌専門」に行った。

「ラーメンを食べる前にゆで卵をまず食べて下さい。
ラーメンの味が見違えるほど変わります。無料です」
と書いた張り紙があり、テーブルの上にはゆで卵がどどんと置かれている。

しかし今度は麺が少し堅かった。

厨房を見ると日本人らしき人はいない。
麺の湯で加減というのはスープに次ぐラーメン屋の「命」ではないのか?
それをここの店長は中国人にそれを任せて平気なのか?・・・


失望して次の日は「これが最後」とばかり「TETSU」に行った。
例の日本語を話せるスタッフがいる店だ。

RiBenLaMianStreetTETSU.JPG

この店も不味かったらもう二度とこのラーメン横町には足を踏み入れまい!!
そんな強い決意の下で訪れた最後の店だったのだ。

ところがこの白味噌ラーメンは絶品!!
スープまで残すことなく完食してしまった。

ふと見ると若い日本人スタッフが忙しく走り回っている。
聞けば中国語も出来ないのにひとり異国の地に送り込まれているらしい。

「素晴らしい!!あんたがいるから初めてこの味が出せたんだ!!」

RIBenLaMianStreetJapaneseStuff.jpg

ワシは非常に気持ちよく北京を後にして、
徐州に行ってそのまま日本に帰った。
そして次にまた北京に戻って来て、
さっそくまたワシはこのラーメン横丁にやって来た。

新しいラーメン屋を開拓するか、
もしくはまた再びTETSUか・・・

やはりここは冒険は出来ない。
確実に美味いラーメンを選ぶべきであろう・・・

というわけでまた同じく白味噌ラーメンを頂き、
変わらぬレベルの高さに舌鼓を打った。

例の日本人スタッフはこの日は自分でラーメンを茹でていた。
テーブルまでやって来て、
「今日は材料が思う通りに入らなくて苦労したんですけど、
スープのお味の方は大丈夫ですか?」
と聞く。

ドラムの音が毎日毎日違うように、
同じように作ったってスープの味が毎日違うというのは想像に難くない。
ましてや日本のようにマニュアル通りに材料がやって来る国ではないのだ。

誰がどのような考えでこんなところに
「日本ラーメン横丁」なんてものを作ったのかは知らないが、
誘われて日本からのこのこ出店して、
自分の「命」とも言えるその味を中国人スタッフだけに任せて日本で悠々としている他の店の店長さんの気が知れない。

それは例えて言うと
「X.Y.Z.→Aのレコーディング終わったから、
中国人さん、勝手にミックスして中国のお客さんに売っといてや」
というのと同じではないのか?

あなた達がやっていることは自分たちの、
そして日本の文化である「ラーメン」の恥を異国で広めているだけだ!!

自分で来れないならせめて彼のような素晴らしいスタッフを派遣して、
自分の命が少しでも間違いなく異国の人に伝わるように努力をせねば、
そもそもあんたたちの「命」はたかだか
「麺が堅くてスープがぬるい」ような、
例えて言うと
「チューニングも出来ないアマチュアミュージシャン程度」
だったということだ!!

ワシはこの日本人スタッフに聞いた。
「あんた休みないの?」

「はい、12月の最終日まで毎日休みなしです」

ワシは彼の肩を叩いて言った。
「今度、店終わったら飲みに行こな。是非ともワシに一杯奢らせて!!」

異国の地で誰ともわからぬ変な日本人に声をかけられて、
少々ビビりながらも「はい、ありがとうございます」とうなずく彼であった。

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2011年8月17日

戦争勃発?!!

過去、中国のロック史に残る争いとして、
歴史上一番レコードを売った黒豹の第二期のボーカリスト巒樹(LuanShu)が、
第三期ボーカル秦勇(QinYong)黒豹
そして日本のレコード会社JVCを相手取って起こした訴訟がある。

自分が歌っている音源をあたかも秦勇(QinYong)が歌っているかのように商売をしたと言うのだ。

昔の仲間を告訴するなんてことはやめた方がよい。
その頃巒樹(LuanShu)は誰にも相手にしてくれる者もいなくなり、
そんなことを知らないワシがいつものように
日本から遊びに来て彼んちに泊まったりしてたもんで、
今では
「いい時もどん底の時もずーっとそばにいた朋友」
となって今でもしょっちゅう仕事もしている。

ワシは今回北京に戻って来て、
何故か零点からリハのブッキングがないなと思ったら突然ミーティングに呼ばれ、
脱退したボーカルの周曉歐(ZhouXiaoOu)を相手に訴訟を起こすと言うのだ。

聞けば周曉歐(ZhouXiaoOu)が地方の営業の仕事で「零点」という名前を使ったらしい。

まあ例えて言うと、もし
「ラウドネスを脱退した二井原がラウドネスという名前で仕事をしたらタッカンがどれだけ激怒するか」
という感じだが、
彼らの場合はもっと流行バンドなので、
国内にふたつの零点が現れたら誰もバンドの方なんか見向きもしない。
彼らにとったら致命的に「絶対に許せない」ことなのである。

「そんなヒマあったら練習せーよ!!もっと上手くなりなはれ!!」

しかしやつらは既に訴状を用意し、
マスコミを呼び、明日宣戦布告をすると言う。

「ファンキーさん、明日から全中国が大注目する訴訟劇が始まる。
いい宣伝になるから今晩すぐ1曲アレンジしてくれ。
急いでレコーディングしてネットにUPする!!」

ひぇー!!!

まあ金さえもらえば別に急ぎの仕事でも何でもするが、
人の争いで金をもらうのも何か武器商人のようですっきりしない。

院子に帰る道すがら周曉歐(ZhouXiaoOu)方面の友達にも電話を入れる。
「零点が訴訟まで考えてるから気をつけろって伝えといて!!」

そして零点側にも「訴訟劇の最中に絶対俺の名前を出すな」と伝えておかねば・・・

こんなことに巻き込まれて敵など作りたくない。
中国の音楽界は狭い。
人と恨まれなんかしたら商売なんて出来やしないのだ・・・

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2011年8月14日

雨漏りとの戦い!!

北京ではうちのような辺鄙なところに住むのはむっちゃ金持ちか、
もしくはこの村の住人のようにむっちゃ貧乏かどちらかである。

政府はどんどんと開発を進めるもんだから、
近隣の村を潰された住人もどんどんうちの村に引っ越して来て、
小さなこの村に掃き溜め労働者が2万人もひしめきあっていると言う・・・

この村もいずれは潰される。
ということで大家はやっきになって増築ばかりやっている。

こんな話があったり、こんな話になってたり・・・)

そんなこんなもあって恐らく地盤が沈下したのもあるのだろう。
最近のスタジオへの雨漏りがひどい!!

また異常気象で暴風雨が続くのでなおさらである。
夕べも夜中に集中豪雨があった。

夜中に叩き起こされたらスタジオはくるぶしまで水が浸かっている。
ドラム等全ての楽器は退避させてあるが、
基本的にどの部屋も多かれ少なかれ水浸しなんだから始末に負えん。

「日本はこういうのって全部大家が責任持って修繕してくれるよ!!」
と言ってみると、
「中国もそうです!!
どうして僕らが自分の金で大家の持ち物を修繕しなきゃなんないんです!!」
とは言うが、ここからが中国と日本の大きな違い、
大家はどうせあと数年で潰されるんだから余計な金をかけたくないのである。

しかも胸を張って!!(笑)

詰め将棋の好きなワシはいろいろシミュレーションして提案してみる。
家賃を下げてもらうように交渉してもダメ、
じゃあ水浸しの部屋はもう使えないんだから解約するから安くしろと言うと、
その部屋に別の人間を住まわせるからダメ。

こんな水浸しの部屋に住む人間いるの?
と聞くが、この村は北京で一番貧しいスラム街なのだ。
安ければ住むやつはなんぼでもいる・・・

まあワシも言わば不法滞在の不法就労みたいなもんだから強くは言えない。
こうなったら「自分たちで」直すしかないのである。

スタジオにどうしてこんなにたくさん水が入って来るのかというと、
どうも隣の建物との間の狭い空間に多量の水が溜まり、
それが壁を伝って入って来るのでは、と。

ということで我らが老呉(LaoWu)の出番である!!

貧乏なミュージシャンは何でも直せる!!
とばかり彼はひとりその壁の間に入り込んで防水塗料を塗り付ける。

LaoWuFangShui.jpg

頑張れ老呉(LaoWu)!!我らが未来はお前の修繕能力にかかっている!!!

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2011年8月 5日

サーディンディンのアレンジ

アウェーインザライフの仕事で2ヶ月日本に滞在した張張
彼を日本に呼ぶ時にワシはわざわざ彼のお父さんの前で彼にこう言った。

「生き馬の目を抜く芸能界で、
お前が2ヶ月この北京から姿を消した時点で、
今の仕事は全てもっと若いミュージシャンに奪われてしまって、
帰って来た時には本当にゼロからのスタートになってしまうに違いない。
でも俺はお前は日本に来て勉強出来ることがたくさんあると思う。
今の地盤を全部犠牲にしても有り余る経験を俺はさせてあげられる。
北京に帰ったらまたゼロからやり直すんだ。
今の地盤にしがみついてこのまま終わっていくか、
それともそれを今全部捨ててゼロからやり直すのか、
それはお前の人生だ、お前が決めろ!!」

彼は二十歳の頃から酒場で超絶ピアノを弾いて両親を養っている。
それを知っているからこそワシは敢えて彼の父親の前でこれを言ったのだ。

彼は結局ワシの申し出を呑んで、
その結果、その仕事が終わって北京に帰って、
仕事を失うどころかよりステップアップしていろんな歌手が彼を求めた。

そのひとりが雲南の少数民族の歌手、高洪章であり、
そして今回の萨顶顶(サーディンディン)である。

あれから長らく張張は彼女の仕事をやっていることは知っているが、
今回「助けて下さい」とワシにストリングスアレンジの発注が来た。

まあ日本人にしてみたら不思議に思うかも知れないが、
ワシはもう既に中国では数十曲ストリングスアレンジの仕事をやっている。

パソコン等機械を使ってだけ音楽をやっている音楽理論の「いろは」も知らない輩が
「僕はアレンジャーです」
と胸を張っている現状に怒りを感じてワシは独学でこれを習得した。
今ではワシの生活を支えるひとつの「仕事」である。

「何でも出来るっつうのは何にも出来んっていうことやで!!」
というのがワシの座右の銘で、
だからこそ
「ドラムを極めて墓場に行きたい」
という人生を送っているのではあるが、
ある日、朋友二井原から
「何でも出来るっつうのは、ほんまに何にも出来ん人に比べたら素晴らしいことやで」
と言われてからそっち方面にも胸を張って頑張れるようになった。

張張もよほど困ったのだろう、
「この曲のストリングスアレンジをファンキーさんに頼みたい」
と言って来た。

まあワシもその辺の日本人の似非アレンジャーに比べたら経験はあるが、
所詮はドラマー、「その道のプロ」ではない。

しかし張張はどうしてもワシに頼みたいと言う。

まずは大雑把にアレンジして張張に送りつける。

「これでいいのか悪いのか?
あんましめんどくさいと俺、やらないよ?」

ワシとて「ヒマ」な人間ではないのだ。
北京のあらゆる歌手が全て「めんどくさい」人間であることは
ワシこそが世界で一番理解している「外国人」である。

彼曰く、
「いやー、ちょっとOK出ないと思いますねえ。
ちょっと昔ボツになったアレンジのDEMOを送りますから、
それ聞いてちょっと作り直して下さい」

ワシ曰く、
「そんなつもりはない!!あかんかったらお前がやれ!!
俺はもともと人助けでやっとんのじゃ!!
何日もそれに付き合うつもりはない!!」

まあそう言われれば一番板挟みになって困るのが張張なのであるが、
結局そのまま本人に聞かせたら何とストリングス部分はそのままOK!!

ただ、今までのように打ち込みを使ってバッキングを作るのではなく、
「久石譲のようにピアノでバッキングを作ってくれ」
と言う。

まあ日本のロック界でもいろいろ逸話はあるが、
ワシも例に漏れず、
「彼女は世界的な歌手なんでしょ、
久石さん紹介したげるから彼に頼めば?!!」
と無下に電話を切ろうとしたが張張は切らせない。

「ストリングスとピアノだけで全ての人が涙するように持って行って欲しいんです!!」
と涙ながらにそう言う。

中国にはワシの友人でもある「三宝(sanbao)」というその辺の大家がいる。
「そいつに頼めばぁ・・・」
と言うのだが、どうしてもワシにやって欲しいらしい。

ここまで来るとワシは専門外も甚だしい。
しかももともとワシへの発注は「ストリングスをアレンジして欲しい」ということで、
それがOKになってるのだから仕事は終了!!
早くギャラくれ!!飲みに行く!!てなもんである。
ピアノだ何たらワシへの発注外であるし何より「専門外」である。

ところが張張が作った何バージョンものDEMOが全部ボツになる中、
ワシが作ったDEMOがその歌手本人の琴線に触れたらしい。

「あなたの作ったストリングス、ピアノ、全て素晴らしい!!
願わくばイントロもそれでやって最後のサビもそれをやって欲しい!!」

まあこのように書いていれば、
日本の皆さんは「え?末吉さん凄いなあ」と思うやも知れないが、
何のこっちゃない、中国は「採用されて初めてギャラ」なので、
とどのつまり「いいように使われてるだけの話」である。


聞けば彼女は中国の歌のコンテストでグランプリを取って、
流行歌でデビューして成功せず、
流行のディスコを歌って成功せず、
ルーツに戻って民族音楽を歌って世界的に成功した。

だから「変なアレンジャー」に自分の人生を任せるつもりはないのだ!!

彼女は僕にこう言うんですよ。
「この曲はね、私がモンゴルの大草原に行って作ったの。
あの感激をね、メロディーにして歌ったの。
だからアレンジも同じ感動にして欲しいの」
もうやってられませんよ。

大事なのは彼女の「気持ち」を理解してあげること、
そしてそれを「表現」してあげること。

「久石譲のように」と言っても、
本当に久石さんを呼んで来たところでそれが出来るものではないのだ。

彼女はとにかく歌が上手い。
DEMOのボーカルトラックを聞いただけで涙が出て来る。

人にはそれぞれ「人生」がある。
それをどうやって表現してゆくかは人によって違う。

奇しくもワシはドラムによってそれを表現し、
彼女はそれを歌によって表現した。

とどのつまり「同じ」なのである。

最終的にどうなるかはわからないが、
とりあえずワシは明日命がけでこれを完成させる!!

それは彼女のためでも張張のためでもない。
「このミッションがワシをまた高い所に連れて行ってもらえるなら」
それにまさるものはワシの人生にはないのだ!!

こんな素晴らしい「音楽家」が間接的ではあれワシに助けを求めてて、
ワシが明日一日頑張って、もし彼女がまたそれを「素晴らしい」と言ってもらえたら、
それはひとりの「音楽を愛する者」としてこんなに素晴らしいことはないのではないか!!

そんなことを言いながら、
今日は酔っぱらったのでもう寝る。

明日ちょっと一生懸命やってみようと思う!!

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2011年7月24日

零点(ゼロポイント)のリハーサルは続く・・・

今回で3回目になるのか?
演奏レベルもちょっと上がって来て、
何とかぐしゃぐしゃにはなりそうになるものの最後までいけるようになった。

何よりもみんなの顔色が変わった。

「有点儿意思!!(ちょっと面白いね)」
とみんなが口々に言う。

階段を一歩踏み出した実感がそう言わせるのか、
久しぶりにバンドで音を出した感触がそう言わせるのか、
おそらくその両方であろう。

彼らは「バンド」であった頃を思い出して来ているのだ。

ワシはギタリスト席にいるのでいつも大毛をこう言って励ます。
「上手いじゃない。こんなにテクニックがあるなんて思わなかったよ」

もともと彼らは成功する前は実力派のバンドだった。
しかし莫大なあぶく銭が、あの芸能人の生活が彼らをダメにした。

思い出すんだ!!あの頃を!!

モンゴルの片田舎からみんなで出て来て、
北京の院子に住んで一緒にカップ麺をすすりながら、
箱バンの仕事をし、オリジナルを作ってはレコード会社に売り込んだ。

「あの日に戻ってやり直そう!!」ただそれだけのことなのだ。

「若い頃はねえ、怖いもの知らずだったから何でも弾ける気になってた。
でも大人になったら実は弾けてないことがわかったんだ」
と大毛は言う。

みんなそうなんだよ。
それに負けたらもう楽器は弾けない。
それを乗り越えるのよ!!

ボーカリストはとくとくとワシにこう言った。

「最初にこのアレンジをもらった時にはね、
まるで陌生(見知らぬものの意)でね、
こんなものが自分たちがやってどうなるのかさっぱり見えなかった。
でも実際にやってみたらちょっとずつ分かって来た。
昔ツイジエン(中国ロックの創始者)だって、
最初に作った曲は全部当たり前のコードだったけど、
そこに外国人から新しいギターの弾き方を導入した。
それを初めて聞いた時には俺たちはぶったまげたもんだよ」

それそれ!!それをワシは君らにやらせたいのだよ。
今まだそれが自分のものになってないうちは消化不良をおこすかも知れない。
でもいつの日かそれが自分のものになった時に「新零点(ゼロポイント)」は誕生する。

思えば爆風にはいろんな優秀なプロデューサーがついたが、
悲しいかな、どれも「バンド」のプロデューサーではなかった。

ドラマーじゃない人が指定するダサいドラムのフレーズにケチはつけるわ、
どんな一流のプロデューサーに対してもでかいツラするこのドラマーに、
その偉大なプロデューサー達はみんなきっとイヤな思いをしたと思う。

でもその人達から学んだノウハウをワシは、
今度は「バンドのプロデューサー」として人に与えてあげたい。

くじけそうになっているメンバーを励まし、
飲んでは「ロックとは何か」を語り合い、
それぞれのメンバーのいいところを引き出して伸ばしてやり、
それと一緒に音を出しているメンバーがいかに幸せかを説き、
バンドとはどれだけ楽しく素晴らしいものかを教えてやり、
そしてどうなればそのバンドがよくなるかを提示してやる。

バンドの6番目のメンバーとして、
一緒に泣いたり笑ったりしながら共に上へ登ってゆく。

それが出来るのがワシだけなんだからもうちょっと頑張ってやってみようと思う。

1曲だけではなんだから、
彼らのモチュベイションのためにも2曲目をぼちぼちアレンジしよう。
難易度は少しだけ落として、
「ほら、お前らもう昔に戻って来てるんだ!!
これぐらいだったらもうすぐに弾けるじゃないか!!」
そう言ってまた彼らの笑顔が見たい。

演奏終わってみんなで顔見合わせてニコーっとする、
そんな「バンドの姿」を見たいからこの仕事をやってるんじゃないかな。

そんな風に思えて来た今回のリハーサルであった。

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2011年7月20日

ちなみにまた飛行機の中で5時間強・・・

そして帰りの飛行機。
嫁は4時半起き、ワシは前の日のライブから徹夜で飛行機に乗り込んだ。

8時半発の中国国際航空CA181

8時には搭乗したのだがこれがまたなかなか飛ばない。
日本には台風が近づいていてそれで降りられないのか?

何か空港が混雑ということで順番待ちらしいが、
結局搭乗口のところで待つこと3時間。

そしてやっと滑走路の方に動き出したと思ったら突然、
「ご気分の悪いお客様が出ましたので」
ということでまた搭乗口に引き返す始末!!

そしてまた順番待ち・・・

「キャンセルの方は5分以内に申し出て下さい」
というのは前回の時と似ているが、
一番違うのが機内食の対応である。

ワシは毎回搭乗したらすぐに熟睡してしまうのだが、
前回は機内食が配られてそれで起きた。
空の上で機内食を食ってるのかと思ったらまだ飛んでなかったのでびっくりしたが、
今回は結局いつまでたっても機内食が出なかった。

「子供が朝から食ってないんで何か食うもん出してくれ」
と言うと
「機内食はもう長い時間経ってしまって食べることが出来ません」
とのこと。

どうやらずーっと暖め続けている機内食は数時間で賞味期限が切れるらしい。

結局子供には持っていたクッキーなどを食わせ、
自分はビールを頼んで我慢する。

しばらくしたら通路を食事のワゴンが通過する。
運んでいるのが業者の制服だったのできっとこれは外から運んだものなのだろう。

「よっしゃー食うかー!!」と思ってたらいきなり発車。
そのまま離陸してしまった・・・

結局機内滞在時間5時間強。
自己最高記録であった。

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PS.生誕52周年記念4時間マラソン亜洲鼓魂ライブ

写真がいっぱい送られて来たので掲載したいと思います。

20110717_1.jpg

まずライブは「ひとりドラム」から始まりました。

この「ひとりドラム」っつうのは非常に疲れる!!
ステージというものは「人間力」を表現しているものだとすると、
バンド数人でそれをやっている、その数人分をひとりでやらねばならない。

まあその大部分を「顔」で表現しているわけですが・・・(笑)

そしてボーカルに老呉(LaoWu)を迎えて布衣のナンバーを演奏。

20110717_2.jpg

彼らのナンバーの中にも私が作曲した曲もいくつかあります。
特には映画、「疯狂的石头」の中で挿入歌「我爱你亲爱的姑娘」は全国的に有名にはしたが、
本人曰く
「別にそれによって金持ちになったとかそういうことは一切ない」
とのことです(笑)。

まあ「羊肉麺」に関しては完璧に彼の代表曲となった。
春節に田舎に帰る若者は列車の中でこの曲を聞きながら涙し、
バブルの音楽業界で疲労困憊した大人たちはこの曲を聞いては涙してワシにメールして来たりした。


羊肉麺

ろう君が一番自慢なのはお母さん
一番幸せなのがお母さんが誕生日に作ってくれる羊肉面

ある日ロックと出会ったろう君
家にも帰らなくなりロックの日々
お母さん待っててよ
いつか大成功してお母さんを幸せにしてあげる

息子よあんたは幸せって何なのかをわかってない
お母さんが一番幸せなのはお前がおいしそうに食べる顔を見ることなんだよ

帰っておいで 苦しい時には
おうちであんたの大好きなものを食べさせてあげる
帰っておいで 苦しい時には
あんたの大好きな羊肉面を食べさせてあげる


お母さん心配しないで
こっちの生活はなかなかですよ
毎日刺激もあるし美味しい食べ物もたくさんある
いつか大成功して
お母さん呼び寄せて一緒に暮らすんだ

息子よあんたは幸せって何なのかをわかってない
お母さんが一番幸せなのはお前がおいしそうに食べる顔を見ることなんだよ

帰っておいで 苦しい時には
おうちであんたの大好きなものを食べさせてあげる
帰っておいで 苦しい時には
あんたの大好きな羊肉面を食べさせてあげる


ある日ろう君はいなくなった
誰も彼のゆくえがわからない
彼の机の上には彼が作った曲が置いてあった
曲名は「大好きなお母さん」

息子よあんたは幸せって何なのかをわかってない
お母さんが一番幸せなのはお前がおいしそうに食べる顔を見ることなんだよ

帰っておいで 苦しい時には
おうちであんたの大好きなものを食べさせてあげる
帰っておいで 苦しい時には
あんたの大好きな羊肉面を食べさせてあげる


そして次は「派儿(Pair)」のコーナー。

ギターのBeiBeiは、零点(ゼロポイント)のギターの大毛の弟子で、
6万人コンサートの時にアンプの裏でエフェクターのスイッチを踏んでいた。

その後「僕アルバムを出したいんです!!」と電話が来て、
話を聞いてみたらボーカルもいなければバンドメンバーもいない。
ただ「僕には素晴らしい曲が何曲もあるんです!!」というキチガイである。

その後ボーカルは2度メンバーチェンジをしてこの安敏捷となり、
レコーディングはうちの院子でこのメンバーでやった。

その中でもワシがオーケストラまでアレンジした「海妖」は、
もう彼らの曲というよりはワシの曲と言っても過言ではない。

なんでワシにこんなものが作れるのかようわからんが、
盆と正月など(?)年に何度か気が狂った時だけどうも何かが乗り移るようである(笑)

そして次はまた「ひとりドラム」、言わば「52歳のヘビーメタル」のコーナー!!

X.Y.Z.→Aのマルチから作ったドラムマイナスの音源で演奏するのですが、
これが本気で「疲れる!!」。

いやーこのメンバー3人分のオーラを背負って叩くんですから命がけです!!
オーディエンスもこれが一番ウケてたようです。

そしてピアノに張張、ベースに韓陽を迎えて、
「7th Door to Heaven」や「ろう君の初恋」などインスト曲を演奏した。

20110717_4.jpg

この男、ここではこのような冷静な顔をしているが、
実は布衣のコーナーの中で一度慌ててステージを降りた。

みんな「どうしたんだ? 感激して泣いてんのか?」などと言ってたが、
そのまま帰って来ずに彼抜きで1曲演奏した。

後で聞いたら「どうしてもウンコが我慢出来なかったらトイレに行った」とのことである。
まあ4時間もライブやってたらいろいろあります!!(笑)

そしてこのトリオにゲストの三科かをりさんが乗っかって数曲。

20110717_5.jpg

いやー相変わらず凄まじいな、彼女・・・

いつも言うけど「有名だから」と言うだけで人を幸せにしている気になっている歌手などには彼女の歌を是非聞かせてやりたい!!
日本で歌っている有名歌手などのうちほとんどは
その「名声」がない外国に行って裸一貫で歌うたったら単なる「ヘタクソ」な歌手なのだ。

翌日の彼女単独のライブでも大喝采を浴びてました。

そして最後に亜洲鼓魂の楽曲を4曲演奏して終了!!
いやーなかなか濃い素敵なライブだったと思います。

4時間と言わず5時間でも6時間でもまだまだいけるな!!(笑)

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2011年7月19日

生誕52周年記念4時間マラソン亜洲鼓魂ライブ

いや〜いつも通り中国っつうとこはちゃんと始まらない!!

リハーサルもミュージシャンが揃わないので2回しかやってないし、
そのうち1回は老呉(LaoWu)はいないので彼の声をマルチに録音して、
それを流しながらリハーサルをした。

ゲストで呼んだ三科かをりさんのリハはまだやれてないので、
「当日は10時入りね」とリハ後に全員に伝えたにも関わらず、
前の日に「明日何時入り」と全員からSMSが届くのはまだしも、
当日の朝7時に
「今仕事から帰って来ました。仮眠してから行くのでちょっと遅れます」
とメールが来たのが張張だというのが恐ろしい。

だいたいギタリストのBeiBeiっつうのと、
この張張っつうのが「遅刻王」と異名を取るふたりである。

ある時、とある友人が彼らふたりと飯を食おうと待ち合わせをした。
集合時間の7時に店に行ってもふたりとも現れない。
酒でも呑みながら根気よく待ってたが現れない。

夜の10時にやっとBeiBeiが現れた。
それをツマミに張張はもう来ないと思って呑んでたが、
来ないと思ってた張張がやって来た。

夜中の2時だった・・・

基本的にお前があの三科さんの難しい曲が弾けないというから当日早く入って初音合わせをしようということになったのだ!!
弾けるんだったら別にリハに来なくてもいいが、
弾けないんだったら寝ずにでも来い!!

まあ銭金お払い出来るライブではないので強いことは言えない。
今回の4時間ライブはワシのひとりドラムコーナー以外は基本的にベースの韓陽と張張は出ずっぱりなのだ。

ワシのアホのアシスタントには
「明日は10時入りだからライブハウスがその時間にちゃんと開くように、
お前がカギ預かるか誰かに来るように手配するかちゃんとしとけよ」
と電話しておいたが、当日の朝になって、
「ファンキーさん11時って言ったじゃないですか。
店にはそう伝えたから11時じゃないと開きませんよ」
と抜かしやがる。

どうもワシの発音の「10点(シーディエン)」と「11点(シーイーディエン)」が紛らわしいらしく聞き間違えたらしい。

まあそれはワシが悪い!!
それならば諦めるしかないとばかり全員にまたSMSを送る。
「入り時間は10時ではなく11時になりました」
と。

早い人はもう出発の準備をしててもおかしくない時間である。
しかし返信が来たのはベースの韓陽のみ。

ということは他の人間はまだ起きてないということなのじゃ!!!

まあいい、今日はライブ録音もするので、
11時に着いてアホのアシスタントとふたりでセッティングをするのじゃ!!

と早々と出発しようと思ったら、
「ちょっと待って下さい。
僕のアシスタントが10時に来るはずなんですがまだ来ないんです!!」

お前いつの間にアシスタントなんか出来たんや!!

まあそのライブハウスの若いスタッフだということだが、
アホのアシスタントのアシスタントなんで、
普通に考えたらきっと「アホ」である。
「10時に出発するからね」と9時頃電話を入れてからというもの、
出発直前に電話を入れても電話に出ない。

「きっと寝てるんじゃ、ほっとけ!!」
と見捨てて出発しようとしたが、
「僕アシスタントいないと困ります」
アホのアシスタントが泣く。

まあワシとてこんなアホではあるがいないと困るので、
「どこに住んでんねん!!」
と聞くとうちのすぐ前だと言う。

「お前なあ、最初っから電話やのうて起こしに行かんかい!!」
ということでアホのアシスタントのアホなアシスタントのおかげで大幅にまた遅刻!!

そしてライブハウスに着いて、
「カギは誰が開けるの? 店の人が来るの?」
と聞くと、
「カギは僕のアシスタントが持ってますんで彼が開けます」

見ればアホのアシスタントのアホなアシスタントが、
ポケットからカギを出してライブハウスのドアを開けている。

「ほな最初っからこいつを叩き起こして10時に入ったらよかったんちゃうん!!」

まあこのぐらいで怒っていたのではアホとは付き合えない。
とりあえずセッティングをしながらメンバーの到着を待つ。

時間通りに来たのはやはりベースの韓陽だけ。
「BeiBeiと張張に電話して起こしといて」
と言いつけてワシはひたすらセッティング。

「ふたりとも来る道の途中だそうです」
という韓陽の言葉などワシはまるで信じていない。
その証拠にしばらくしてBeiBeiは本当に現場に着いたので張張はやっぱりまだ来ない。

今度はワシが直々に電話をする。
「今どの辺じゃ?!!」
彼は慌てふためいている様子で一生懸命こう言う。

「今そちらに向かってる道の途中です!!」
お前はそば屋の出前かい!!!

というわけで結局一番後に来てもらうことになってた三科さんよりも後に張張がやって来て、
当日合わせでちょっとだけリハーサルをして本番が始まった。

というか譜面を忘れた張張に、
「じゃあリハの時は俺のんを見せてやるから本番までにコピーしに行って来い」
と言いつけていたので彼が帰って来るまで開演が押したのではあるが・・・

しかしまあ始まってみるとなかなか素晴らしいライブだったんじゃないかな。

Pairの曲や布衣の曲や、
そして懐かしい亜洲鼓魂の曲などを演奏したのであるが、
考えてみれば外国人であるワシがこれほどの中国の曲に関与しているというのがもの凄い!!

しかもこれは「有名歌手」を一切省いた、
本当にアンダーグランドのものだけで4時間のコンサートが出来るのだ。

いつの日かワシが関与したいろんな有名歌手もこんなオムニバスコンサートに参加してくれるかも知れない。
いや、実際今回も李慧珍や栾樹など、
オリジナルを歌ってくれた人達も今回「遊びに行くよ」と言ってはくれてたが結局来れなかったようだ。

でもMengMeng(モンモン)とか懐かしい友人もたくさん来てくれて客席も華やかだった。
今度は彼女が歌ってるワシの曲なども歌ってもらってもいいなとかも思いつつ、
まあ商業的なイベントではないので「ぼちぼちいこか」と羊を食った。

今回は
「入場料は友人であっても必ず払うこと」

「羊肉は必ず金を払ってから食べること」
というのを命がけで徹底したので、
前回のように持ち出しをすることもなく、
アホのアシスタントも含め、参加したメンバーに少ないながらギャラをあげることも出来そうだ。

とにかく感謝すべきはこの仲間達である。

その友情に甘えつつ、
現在このライブ録音も何とかミックスして発売しようと画策している。
ひとりドラムの演奏ではあるがX.Y.Z.→AのWings中国語版も収録出来るかも知れない。

プロデューサーはアホのアシスタント!!
ワシが日本に帰ってる間に全曲ラフミックスして各メンバーに聞かせておいてちょ!!

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2011年7月16日

零点(ゼロポイント)リハーサル開始!!

最近の一番大きなプロジェクトとなった零点(ゼロポイント)復活計画!!
それにしても腹が立つ。

バンドが活動停止してからというもの、
奴らには「収入」というものがない。

早い話「人から借金しながら生活」しているのである。

それなのにドラマーの二毛(ErMao)は、
郊外ではあるが広大な院子を借りていて、
そこにこんな豪勢なリハスタまで作っている。

Y_m.jpg

写真はこの部屋の半分ぐらい、
それが院子(中庭)を囲んで四方にあるひとつの建物の半分ぐらいの広さなので、
建物としては全部でこの写真の16倍、
院子も含めれば30倍以上の広さがあるということになる。

この生活を「収入なし」で続けるためには、
いったい人からいくらの借金をしていることやら・・・

そしてその中にはこいつに踏み倒されたワシのギャラも入っているのだ・・・

まーしゃーない!!
金のないところから金は取れないので、
まずは彼らを見事復活させて金持ちにさせてからたっぷり取り返すしかないのだ。

リハーサルが始まったが、現状では演奏はひどいもの。
末吉スタイルのロックアレンジではディストーションギターとアルペジオギターと2本入ることが多いが、
人手が足りないのでアルペジオギターを弾いていたワシがヘタしたら一番上手いぐらいである。

このレベルのバンドをX.Y.Z.→Aクラスの演奏力にするには一体どれだけの莫大な労力と時間が必要なんだろう・・・

精神的にも疲労困憊でリハを終えた時、
二毛(ErMao)がワシに言った。

「このスタイルのドラムをいくら頑張ったってファンキーにはかなわない!!
もっと金の儲かるようなのやろうぜ!!」

「そうよそうよ!!零点はあんな素晴らしい財産がたくさんあるんだから、
むしろそれを使ってそのスタイルを貫くべきだわ!!」

「試しに」ということでベーシストで参加してもらっている二毛(ErMao)の妹
(彼らはギタリストの大毛(DaMao)を筆頭に4人兄弟みな楽器をやっている)
まで口を揃えてこう言い出す始末。

お前ら今まで楽器弾けなくたって
「俺たちは売れてるから」
というのを言い訳にずーっとそれから逃げて来た!!
(日本でもそんなバンドが多いが)
今バンドが売れてない状態でまだそんなことを言うか!!

「これがちゃんと演奏出来なかったらお前らの未来はない!!
ワシはもう助けようがないからな!!」
と始まったこのプロジェクト、
「やっとれるか!!ボケー!!」
ともうぶっちして帰ろうと思ったら、
彼らに投資している社長がワシを呼んで、
「ファンキーさん、これお約束のプロデュース料の半金」
と札束をどどんと渡した。

ま、ええか・・・のんびり構えて頑張るか・・・

中国人はまことに飴と鞭の使い分けが上手い。
金さえもらえば「感情論」はない。

あと数ヶ月ワシが頑張って奴らがダメなら、
そりゃもうワシのせいではない、奴らが悪いのである。

わずかな救いは、
今まで自分でギターを弾く気もなかった大毛(DaMao)が、
今回は誰よりも早く来て頑張って練習していることである。

あんた長男でしょ、弟ちょっと何とかしてよ・・・

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2011年6月24日

零点(ゼロポイント)復活計画

中国のロック史の中で商業的に最大に成功した、
つまり「一番金を稼いだロックバンド」である零点は、
麻薬によるメンバーの逮捕から始まって、
数年前にボーカリストの脱退を受けて完全に活動を停止した。

最後の打ち上げ花火である6万人スタジアムコンサートと、
最後2枚のアルバムはワシがプロデュースさせて頂いた縁で、
数年前にも一度ワシはメンバーひとりひとりに
「お前らを救えるのは俺だけだ!!」
と言ったことがある。

中国のロック事情、
マーケット戦略、
豊富な経験値でモノが言え、作れ、
そして何よりもメンバー間の人間関係をうまくやれるのはワシだけだ。

ボーカリストが脱退した今、
メンバーに対して対等にモノが言え、
メンバーが絶対的にそれを聞いてくれる人間関係があるのはワシだけなのである。

考えてみれば昔はそれがアダとなったのかも知れない。
実質のシンクタンクであるドラマーは、
ワシをしっかと懐に抱き、
ワシを使ってバラバラになったメンバーを頭ごなしに言うことを聞かせようとしたのではあるまいか。
だからボーカリストはそれに嫌気がさして出て行ったのではあるまいか。

どのバンドも似たようなもんである。
思えば爆風スランプも同じくロックバンドの形態を持ちながら商業的な音楽活動をしていたところでは非常に似ていたかも知れない。

彼らと打ち合わせのためにテレビ局に行き、
そこでバラエティーに出演する彼らが終わるのを待ちながら、
「ああこんなこと俺も昔やってたなあ」
と思った。

ワシはそんな生活がイヤで今に至るが、
彼らは何せ莫大な金がそれによって転がり込んで来るのだ。
家を買い、外車を乗り回し、
メンバーがサッカー賭博で何百万円、何千万すった頃にはバンドももう下火になっていた。

彼らの収入のほとんどは全国を回る営業の仕事。
そのほとんどがカラオケか口パクである。

実際ワシが彼らのアルバムを録ろうとした時、
「待ってくれ、もう何年もドラム叩いてないんだ」
と言ってたぐらいである。

ただベースの王笑冬だけは違っていた。
彼はもともとスタジオミュージシャンであり、
零点(ゼロポイント)をやりながらもいろんなスタジオ仕事をこなしていた。

優秀なミュージシャンである。

しかし今回は彼が不参加を表明した。
理由は「もう疲れた」ということである。

彼は昔は零点(ゼロポイント)があるゆえに、
スケジュールがバッティングしていろんな大きな仕事を受けられなかったりしたが、
今となっては国内の全ての仕事は全部受けることが出来るのだ。

「同じベースを弾くならこっちの生活の方がましだ」
と思うのも無理はない。
彼はある意味もう「頂点」にいるのだから。

最初のミーティングの時に彼の不参加を聞いて、
ワシは「こりゃちょっと前途多難だなあ」と思った。

新しいボーカリストの歌は申し分ないが、
昔の曲を歌えば全てオリジナルと比較されるのだ。
どうやってもそれを越えることは出来はしない・・・

だからバンドでガツンとやって、
「零点(ゼロポイント)はやっぱ凄い!!」
と言わせてからの新ボーカリストなのである。

しかし王笑冬がいなくなった今、
プレイで人をあっと言わせるメンバーはいない。
ギタリストなんてまたしゃーしゃーと別の若いギタリストを連れて来てる始末である。

お前、また自分で弾く気がないな・・・

日本で最大の売り上げを記録したサザンオールスターズもそうだが、
バンドは売れて来るとどうして「バンド」ではなくなるのか?
爆風でこそそれはなかったが、
いろんなバンドがもうメンバーではなくスタジオミュージシャンが録音したりする。

こんな奴らだけが残って、
零点(ゼロポイント)のあらゆるヒット曲だけを継承して、
それでまたあのていたらくで大金を稼ぎたいと言うのか?

半分やる気をなくしていたワシに、
一番そんなことを言い出しそうなドラマーから意外な発言を聞いた。

「宣伝費とか大金を投資とかそんなことをもう言うな!!
俺らはゼロからやり直す!!
バンドのバスに乗ってもう一度またキャバレー廻りからやり直すんだ!!」

この言葉がワシを動かした。
長い中国ロックの歴史で本当にこれをやったバンドはいない!!
文字通り零点(ゼロポイント)からやり直すんだったらワシは手を貸すぞ!!

というわけでここ数日ずーっと彼らのアレンジを考えてた。
そしてついさっき出来上がった。
難易度が高い「ロック」である。

長いメールと共に彼らに送った。

これが叩けないようなら、
これが弾けないようなら、
もうバンドをやめろ!!

今、中国は黒豹などが頑張って小さなクラシックロックブームが始まりつつある。
零点(ゼロポイント)はそれには呼ばれなかった。

そう言えばワシは黒豹の連中にもこう言ったことがある。
「お前らを救えるのは俺だけだ」と・・・

しかし彼らはワシを選ばなかった。
零点(ゼロポイント)はワシを選んだ。

黒豹のみんな、
悪いけどお前らが今まで作り上げて来たものは全部ワシらがもらう!!
零点(ゼロポイント)はそれを全部踏み台にしてお前らの頭の上に君臨するだろう。

与えられた時間は半年!!
それまでにワシが彼らを何とかしてやろうではないか!!

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2011年6月11日

いろいろミーティング

北京で仕事がない場合は結構いろいろミーティングに駆り出される。
これをやらないと次の仕事がないのだから仕方ない。


まずボーカリストの脱退により活動を休止してた
中国最大の売り上げを記録したロックバンド零点(ゼロポイント)が、
新しいボーカリストを招き入れて活動を再開する。

活動休止までプロデュースしてたのがワシだったので、
今回もワシがプロデュースさせて頂くことになった。

まあバンドというのは人間関係が一番大変なので、
メンバーのうち誰は誰がいいと言い出したらまとまらない。
ワシだったらメンバーの誰も文句を言わないというわけだ。

これもまた「人間関係」でやっている仕事と言えよう。


人間関係と言えば、
7月17日に亜洲鼓魂コンサートをやるのだが、
その時にせっかく三科かをりさんをゲストで呼んだので、
せっかくだから18日も彼女のライブをやれないかと思って、
北京の老舗のJazzクラブ「CD Cafe」に行って来た。

今は張嶺というベーシストが株を買い取って経営者となっているが、
彼と話していて非常に興味深かったのが、
「俺はもう歌謡曲とか人のバックとかやらないよ。
人のために音楽やるぐらいだったら
しんどくてもこの店で自分の音楽やってた方がマシだよ」
という言葉である。

八王子で店をやってるワシにしてみたら非常に興味深い発言である。

そんな彼だからこそワシは三科さんのブッキングをお願いした。
しかしメールで送った彼女のURL、
例えばYou-Tubeとかは中国政府がブロックしていて見れない。
仕方ないのでワシが自分で資料を持って行って聞かせたのだ。


音を聞いて一言、「いいね、やろう!!」

中国も変わった。
これで話が決まるというのは昔ではありえなかったのだ。

「それでいくら儲かる?」
とかから話を始めなければならなかったのもひと昔、
「金」の話はおろか、「こいつは有名なの?」の一言もなかった。

北京にもやっと「ミュージシャンシップ」が根付いたのだ!!
20年かかったけど・・・


そして次のは新彊ウィグル自治区の歌手とのミーティング。
とあるドラマーからの紹介で会うことになったのだが、
行ってみると怖そうな人達がたくさんいる。

XInJiangGeShouMeeting.JPG

ウィグル族は基本的に漢民族や日本人とは全然違うので、
こちらから見るとまるで「外人」である。

また彼らはウィグル語で喋るのでこちらは全然わからない。
ワシに言う時だけ「中国語」になるのだ。

まるでワシが「中国人」で彼らが「外人」みたいじゃが、
実は逆なんだなあこれが・・・(笑)

この歌手は家が金持ちなのか、
自分の曲を30曲レコーディングしてアルバムを発売したいらしい。
まずは「ドラムが音楽の要」ということでワシを訪ねて来たのだそうだが、
この怖い人達は何をしに来たのかと言うと、
「ワシが彼を騙さないかどうか見極めに来た」んだと思う。

彼はその怖い人を紹介する。
阿凡提楽隊HAZIKENさんです!!」

おうっ!!あの伝説の!!・・・

何度かライブも行ったことあるし、
向こうもワシのことを知っていた。

こうなると話は早い。
「同じロック界」で住んでいるのだ。
人を騙そうにも同じ世界の人間を騙しようがない。

いきなり雰囲気が和んで話はトントン拍子に進んだ。
まずは来月ドラムを録音するが、
恐らくこの2枚組のアルバムはワシがプロデュースすることになるだろう。

後にして思えばその他ふたりのウィグル人(カザフ族という話だが・・・)は
結局一言も口を開かなかった。

機嫌が悪いのでも何でもない。
きっと彼らは「中国語」が分からないのだろう・・・(笑)


中国は広い。
そしてその広い中国のとんでもない田舎にドラム叩きに行って
また現地の人と友達になる。

「どこに行っても友達がいる」
そして
「その友達が決してワシの悪口を言わない」

「関係(コネクション)」が一番大切なこの国で、
これこそがワシがこの国で20年間培って来た「信用」なのである。


金にもならないこともやる。
失ったものは労力と時間で、得たものは「信用」。

人にも騙されたりする。
失ったものは時間と金で、得たものは「信用」。

ワシがこの国で20年間作って来たのは結局それだったんだなと実感した。

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2011年6月10日

飛行機の中で5時間・・・

広東省と言えば香港の隣である。
最終日が終わって
「ちょいと足を伸ばして香港まで」
ということで広州からの帰りの便を一日遅らせてもらって香港に遊びに行った。

ところがお隣の深圳だったらまだしも、
広州からだとこれがちと遠かった・・・

バスで3時間、イミグレーション等の時間もあるのでおおよそ半日、
しかし交通費は190元(2千円ちょい)っつうのは安い!!


香港は冷房がキツい。
外は死ぬほど蒸し暑く、部屋の中に入れば凍えるほど寒い。

これで風邪引かん方がおかしいじゃろ!!!

というわけで、一日遊んで帰る頃にはもう鼻声・・・
行きはバスだったが列車に乗って広州まで帰って来た。

昼の14時過ぎの列車に乗って16時過ぎには広州駅に着く。
広州駅から空港まで結構距離があると聞いていたので地下鉄に乗り、
予定時刻の17時過ぎにはもう空港に着いている。

ここまでは順調!!

時間通りに飛行機に乗り込む。
そしていつものようにこてんと寝る。

疲れている時はそのまま着陸するまで起きないこともあるが、
まあだいたいは食事が運ばれて来て目が覚める。
腹が減ってないので断ってまた寝ようとしたが、
何か周りの雰囲気が違う・・・

まだ離陸してないやないの?!!

到着地の北京が雷雨のため飛び立てないと言うが、
それにしても先に食事を配るということは、
その片付けの時間を計算してもあと当分は飛び立たないということだ。

まあ中国では飛行機の中で携帯なんぞ当たり前なので、
とりあえずiPhoneの「インターネット共有」で、
パソコンをiPhone経由でネットにつないで仕事をする。

同時につぶやきながら日本のみなさんにウケを取る。
CA130219:25発の飛行機は22:40分には北京に着く予定だったが、
気がついたらずーっと座っててそのままもう到着時間を過ぎているではないの〜
などなど・・・

この時点で機内で3時間閉じ込められてしまっているのだ・・・

機長のアナウンスでは、
「荷物を預けてない人はフライトをキャンセルして降りてもかまいません」
と言うが、ワシは預けているのでどうしようもない。

不思議なことに乗客は誰も騒ぎ出したりしないことである。

中国人は不思議である。
協調性がなく自分勝手で列に並んだりしないくせに、
このような時には誰も騒がない。

例えばトローリーバスが故障して動かなくなった時、
「しゃーないなー」とばかり乗客は一致団結してそのバスを降りて押したりする。

思うに「どうしようもない事態」に日本人よりも慣れているのであろう。
所詮ここで騒いだって飛行機が早く出発するわけではないのだ・・・

4時間が過ぎて機長もさすがに、
「荷物がある人もフライトキャンセルして降りたい人は乗務員に申し出て下さい」
と言う。

ついでに
「もう夜も遅いし、荷物を取り出すスタッフも大変なんでバラバラに言わないでよ」
などと日本では考えられない暴言を吐いているが、
それに怒り出す乗客もおらず、
誰ひとりとして降りようともしない。

ツイッターでは
「もう降りてとっとと休めば」
というアドバイスが多かったが、
「ここで降りたら負け」みたいな意地もあるし、
何よりも誰も降りてないんだからちょっと降りるのは勇気が要る・・・

結局5時間が経過した後に機長はついにこうアナウンスした。
「この飛行機は飛びません!!みなさん降りて下さい」

これに文句を言う乗客もおらず、
みんな別に平然と飛行機を降りてゆく。

面白いのでツイキャスで配信してみた。

日付のスタンプを見るに、日本時間1時50分。
こんな夜中だというのに30人の物好きさんがこれを見ているというのが驚きである。

飛行機を降りたはいいが誰も何も案内しない。
こうなると航空会社の問題になるので、
空港スタッフに詰め寄ったところで何の解決にもならない。

他にも何機か飛行機が欠航となったので空港は人で溢れている。
それを順次ホテルに連れてゆくんだから大変である。

しかし問題はそれを誰も案内しないことである!!(笑)

結局誰も案内せずにホテルに着いた(笑)
さすが中国人、誰も並ばずに我れ先にチェックインする。

「ふたりで一部屋ですよ!!」
とカウンターで言われるが、
ワシはひとりなのでどうすればいいの?

結局カギを渡されて、
「後で相部屋の人が部屋に行きますから」
ということだった。

「相部屋の人が怖いオッサンだったらイヤだなあ」
と思いながらシャワーを浴びて、
とりあえず全ての電子機器をコンセントにつないで充電してる時にドアが空いた。

バタン

ワシを見たその人はびっくりしていきなりドアを閉めた!!
向こうにとってはワシこそがその「怖いオッサン」だったのだ・・・(笑)

「ふたりで一部屋ですからね」
と優しく言って部屋に招き入れ、そのまま知らない人と寝た(苦笑)

翌日はまた何の案内もなくいきなりドアをノックされて起こされる。
そのまま何の案内もなく空港に連れて行かれ、
何の案内もなく代替え便を自力で探して乗って北京に帰った。

結局香港の鉄道駅に向かおうかなと思ってから
ちょうど24時間後にやっと北京に着いたわけだ。

あまりに嬉しかったのでツイキャスで日本のみなさんをワシの院子に案内した。

おしまい!!


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2011年6月 7日

ドラムを教えるということ・・・

こうして全中国をクリニックツアー(もう既に「コンサートツアー」となってしまっているが)で廻って、
全国各地のいろんな老師(先生)達と会う。

「僕は北京でドラムやってたんだけどやめて田舎に帰って、
全然違う仕事についたんだけどやっぱ音楽のそばにいたいと思って、
それで脱サラしてドラム教室始めたんだ」

という老師もいれば、

「ドラムなんか叩いてて金になりますか?
生徒集めて教室やった方が全然儲かるじゃないの!」

という老師もいる。

人それぞれである。
ワシはもちろん前者の老師の方が個人的には好きだが、
まあ人の人生である。ワシがとやかく言うことではない。


日本では有名ドラマーがモニターとなってドラムの売り上げに貢献するが、
中国ではこの老師たちがモニターとなる。

それはパールドラムの中国の代理店である中音公司の、
そのドラム担当である沙が考え出した中国ならではのシステムである。

「有名ドラマーをモニターにしたって、
若い衆は必ずしもパールドラムを買うとは限らない!!
先生をモニターにしたらその生徒は必ずパールを買うではないか!!」
という発想で始めたそうだが、
まあ今のところはそれが中国マーケットでは成功してると言えるだろう。


そして、日本のドラム教室はロックをやりたい若者が習いに来たりするが、
中国ではピアノなどの習い事と同様その生徒のほとんどは子供である。

ロック好きには時々、
「あいつのどこがモニターに値する腕がある?!!
あんなのは子供騙して金にしてるだけじゃないか!!」
などと言うやつもいるが、
ワシは決してそうは思わない。

「いいドラマーが必ずしもいい先生とは限らない」
そしてその逆もまた真なのである。

まあ稀には菅沼孝三のように
世界的なドラマーでもあり教室をいくつも持つ優秀なドラム教師でもある人もいるが、
ワシはと言うとやはり根気がないのか「人に教える」というのはからっきしである。


ある時、院子に若いドラマーがワシを訪ねてやって来た。

「僕は今までドラムを練習して来てわかった。
僕が伸び悩んでいる原因はいい老師と巡り会わなかったからだ!!
高名なファンキーさん、お金はいくらでも払います。
是非僕を弟子にして下さい!!」

ワシは聞いた。
「君はどうなりたいの?」

「決まってるじゃないですか、あなたのようになりたいんです。
国内の大きなコンサートは全部僕が叩き、
レコードは全部僕が叩き・・・」

無理〜!!!!


更にこう聞いた。
「じゃあどんな音楽が好きなの?」

「何でも好きです。ロックもジャズも・・・何叩いたっていいです!!」

ワシはこんこんと言った。
「お前は決して音楽が好きなわけではない。
金儲けが好きなだけだ。
本当に音楽が好きなら俺と一緒にここで住めばいい。
1年も一緒に住めば俺から学べることはいっぱいあるぞ!!」

まあ住んだとしてもだいたい数日で泣いて逃げてゆくだろう。
酒飲んで毎晩さんざん説教されてスティックも握らせてもらえないんだから・・・

日本の職人気質に、
「お前はまだ料理の心を知らん!!
包丁を持つなんて10年早いわ!!!」
みたいなのがあると聞くが、まさに「ドラム道」だとてそれだとワシは思う。

不思議なことにドラマーにはひとりもいないが、
ベースの韓陽、キーボードの張張などはワシから巣立って行って、
今では若手で一番仕事の多いミュージシャンのひとりとなった。

ワシから「音楽とは何か」、「仕事とはどうやってするのか」、
など、まさにワシの生き様からモノを学んだのだ。

全くもってワシはいい「先生」ではない。
ワシが教えられるのは「生き様」であって「ドラム」ではないのだ。


今回非常に熱心な老師がいて、何かと言うとワシに質問する。
「ファンキーさん、
やっぱシングルストロークはテンポ200まで練習しないとダメですよねえ」

菅沼孝三だったらそこで的確なアドバイスが出来るだろうが、
そんな「基礎練習」とやらをやったことのないワシは、
非常にバツが悪いのではあるが「知りません」と答えるしかない。

テンポ200でツーバスを踏むこともあるが、
それは「その楽曲をどうしても演奏しなければならない」ので
単に死にもの狂いで叩いているだけである。

ただ「プロ」として、「大人」としてそのことに「責任感」があるから、
テンポ120の時と同じようにヨレずにモタらずに、
また絶対にくじけて音量が下がったりしないように、
とにかく「負けない」、「誤摩化さない」で人生を賭けて戦っているだけのことである。

これで負けたらワシのドラム人生はその時点で終わりなのである。


そしてその日、教育熱心なその老師はひとりの子供ドラマーにドラムを叩かせて、
それをワシに聞かせてこう言った。

「どうです、この子は? 上手いでしょ? この子の前途をどう思いますか?」

そんなことを聞かれて
「うん上手いですねえ、頑張りなさい」
以外に一体何を答えてやればいいのだろう・・・

前途も何も、これら数多くの子供ドラマーのうち、
大きくなってもまだドラムを叩いてる子はほんの一握りなのだ。
またそうなったとしてもどうせ今と同じように伴奏に合わせてドラムを叩いて、
一番うまくいったところでこの老師たちと同じように、
また同じような子供達を集めてドラム教室をやっているといったところである。


ドラム教師が悪いと言う意味ではない。
今まで行った中で大きな教室では生徒が600人以上いる。
ひとりが2000円ずつ月謝を払ったとしても月収100万円は下らない商売なのだ。

その昔、17歳でバリバリに叩きまくる女の子ドラマーのDVDを見たことがある。
その娘も今では先生となって北京で教室を開いている。

「どうして私にはファンキーさんのような音楽の仕事が来ないのでしょう・・・」
呼び出されて相談を受けた時にワシはこう答えてあげた。

「そりゃそうだよ。生きて来た世界が違う。
あんたはいつもひとりでドラムを叩いて来た。俺はずーっとバンドをやって来た。
それだけの違いだよ・・・」


多くの子供ドラマーは決して「音楽」をやっているわけではない。
ただ「ドラムを叩いている」だけなのだ。

その証拠に、もし最後まで決して「子供だ」ということを隠して、
果たして彼らの「音」が大人のそれと同じように通用するか?
それを聞いた人は同じように拍手をするか?

「それを聞いた人は同じように涙するか?」
と書こうと思って気がついた。

そもそも彼ら自身が本当に涙したことがあるのか?

「世の中はこんなにも矛盾に満ちている」と、
その「怒り」をドラムにぶつけたことがあるのか?
「世の中にはどうしようもないことがあるんだ」と、
その「悲しみ」をドラムで表現したことがあるのか?

彼らにはその表現すべき「人生」がないのだ。

ワシは老師達にはよくこう言って話を誤摩化す。
「まあ彼らが大人になって、初恋でもして失恋でもして、
その時にまだドラムを叩こうと思ってたら、
それが彼らの音楽へのスタート地点じゃないですか」
と・・・


そんな子供ドラマーの中に、
広州に住む日本人の男の子がいた。

前回会ってから時々メールをくれるのだが、
今回はちょっとメールの内容が大人びていた。

「先生のドラムを聞いてドラムの素晴らしさを実感した」

ワシはちょっと興味を持って彼を食事に誘った。
身体も大きくなってもう中学2年生だと言う。

同じような質問をする。
「君はどうなりたいの? 何をしたいの?」

少年から今までどんな中国の若者が答えたのとも違った答えが返って来た。

「どんどん音楽が好きになって来て、だんだんこんな風に思って来たんです。
出来たら将来もずーっとドラムを叩いてるか、
もしくは何か音楽に関する仕事について僕はずーっと音楽のそばにいたいって」

彼ははもう入り口まで来た。そこからが「音楽」のスタートだ。

別に音楽は他の仕事をしながらでも出来る。
高校行ってバンドをやるもよし、どっか大学行ってバンドをやるもよし。

「君のその夢は必ずかなうよ」

日本の高校に行くことになったら、
家もそんなに遠くないというから、うちの店でアルバイトでもすればいい。
うちに出ているいろんな素晴らしいミュージシャン達の生き様を見て、
そこから何かを学んで自分の生き方を考えればいい。

貧乏さえ苦にしなければ、一生音楽と共に生きてゆくなんて簡単なことなのである。

「僕は音楽で僕の気持ちを伝えたいんです」
と彼は言った。

果たして10年後、彼が本当に音楽をやり続けているかどうかはわからない。
その「伝えたい気持ち」を別の仕事で表現してたとしても別に構わない。

彼の音楽は・・・つまり彼の「人生」は今始まったばかりなのである。
今からどんな「人生」を作ってゆくのか、それこそが彼の「音楽」なのである。

また広州か、八王子で会おう!!(笑)

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2011年6月 1日

亜洲鼓魂コンサートのリハーサル

怒濤の2日間超難曲のセッションを終え、
朝まで飲んでそのまま北京にやって来た。

そのままうちの院子で始めてのリハーサルである。
メンバーは下記の通り!!

ベース:韓陽
ギター:BeiBei
キーボード:張張
ボーカル:LaoWu
ボーカル:安敏捷

どれもワシが公私にわたって世話して来た人間だから気が楽である。
中国では金も取れない代わりに金も払わなくていいので楽なのである!!(笑)

リハーサルのギャラもへったくれもない!!
当日いくら払うかも言わなくてよい!!
またノーギャラだったらそれはそれでよいのである!!!

若い衆よ、頑張れ!!
7月17日のライブが成功したからと言って誰も何の得もしないが、
その夜には羊肉と美味いビールをご馳走するぜよ!!

何よりも君らがこれによって
音楽的にまた少しでも高いところに行けるようになってくれたらそれでよい!!

加油!!(中国語で頑張れの意味)

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2011年5月23日

これchan来たりてギターやっぱ弾く

河南省焦作を後にして、車で新郷まで走って列車に乗り、
昼過ぎにやっと北京に着いた。

まったくもってこの3日間の移動は凄まじいものがあった・・・

院子に着いて一息ついた頃、是方さんからメールがあり、
「北京に着きました〜いろいろ観光廻ってます〜」
とのこと。

今回は奥さんと共にパック旅行で来たらしい。
観光から食事からガイドまで全部ついてる旅行らしい。

夜にホテルに迎えに行ったら何と5つ星の高級ホテル!!
たまにはこんなツアーもええもんやなあ・・・

翌日も朝8時から万里の長城ということなので、
とりあえず軽く両個好朋友に連れて行った。

この日はアメリカ人のバンドがやっていて、
例によって「友達だ!!」と言えばタダで入れる(笑)

まあ人のライブもタダで入る代わりに自分のライブも誰も金を払わないというわけだ・・・(苦笑)

今日はオーナーもいたのでバンバン酒も出る(笑)
まったくもってこの店は儲かっているのやらいないのやら・・・

通り道なのでじゃあJazzクラブもということで次はCD Cafeに連れて行った。

先々週は知り合いのJazzバンドがやってたので乱入したが、
今日はアマチュアロックバンドがふたつやっていたので楽器を借りて乱入した。

ご満悦の是方さん、
「今度また旅行がてらライブやりに来ようかな・・・」

歓迎です!!
また是非〜

KorekataInBeijing.JPG
(運転してくれたLaoWu夫婦と両個好朋友にて)

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2011年5月 3日

亜洲鼓魂コンサートVol.1おわた〜

この日の中国のTwitterではベースの韓陽(HanYang)がこのようにつぶやいてた。

「みんな亜洲鼓魂って知ってる?
僕が小さい頃聞いて感激して身震いしたアルバム。
そしてこの作者、実は長年に渡って中国の音楽を助けて来て、
同時に僕たち若いミュージシャンを育てて来た。
本当に感謝したい!!
そして今晩、恐らくこのアルバムが出てから初めて
この曲がライブで演奏される。
きっと僕は感激でまた身が震えると思う。
ありがとうファンキーさん!!」

終わってからまたこうつぶやいていた。

「僕はもうNew Beeee!(Fuckin' greatの意)としか言いようがない。
このようなパワー、このような激情、
そしてこのような年齢のこのような青春!!
ロックとは素晴らしきかな!!
パワーと希望の源、羊肉を一緒に食べましょう!!」

69fac005jw1dgtblxd9aij.jpg

UPされてる写真がまたアホ面である!!(笑)

まあいい!!アホなのだから仕方がない!!
しかしアホなのは実はルックスだけではなかった!!


実は今日のライブはチケット50元、
羊の丸焼きはワシが買って、
ひと皿10元でそれを売って、
それで足りなければワシがその分払おう、と・・・。

昼から羊の仕込み!!

KaoQuanYangZhunBei.JPG

これを手作りの炉で焼いてゆく!!

67a00debjw1dgt49xrrgfj.jpg

ワシが頼んだのは小さいのを2匹、
羊肉が日本円で1万ぐらい、
その他運送費や焼く炭の値段とかでもっとかかる。

まあ日本円で1万5千円ぐらいか・・・

ライブ前に焼き上がったらワシが呼ばれて、
それに最初に包丁を入れることとなる。

まあそれは金を出してるのがワシだからそりゃそうだろう!!

しかし包丁を知れたその瞬間!!
子羊一匹分はあっという間に周りの人間の胃袋に収まった!!

ワシも一口食ったが相当の美味である!!

しかし今からドラムを叩くに当たって、
ビールも飲まず、この極上の羊肉をたらふく食うわけにもいかない!!

「もう一匹はライブ終わってからな!!頼むよ!!」
ワシはそう言い残してステージに上がった。

ライブは大成功である。
特にワシの「ひとりドラム」は観客の度肝を抜いた。

そりゃそうだ!!
所詮は何をやるにも大切なのは「人間力」である!!
ひとりしかいないんだからバンドの時より何倍もオーラを出して頑張る!!

まあ2時間のコンサートぐらいワシにとっては「お茶の子さいさい」である。
(使っててようわからんが実はどんな意味や?)

しかし終わってみたらもう既に羊肉はない!!
ワシが手にしたのは最後の一切れであった!!

まあいい!!
ひとり10元出してこれだけ食ってもらったら、
恐らく2匹分の羊肉の金はもう出ているであろう・・・

しかし中国はそんなに甘いところではなかった!!

この羊肉を食った全ての人間は実は誰も金を払っていない!!
焼き上がって切り取られたらすぐさま、
周りの人間の胃袋に収まっている!!

このライブハウスの怖い女将までもが、
「こんないいプレゼントをしてくれたんだから、
今日はあなたのビールはお金は要らないわ!!」

まあこの店に来て金を払って酒を飲んだことの方が少ないのだが、
誰が「今日はみんなに羊肉を奢るよ!!」と宣言した?!!

まあもともとの考えでは、
今日の入場料を全てこの羊肉に充てて、
足りない分はワシが払おうというアイデアもあった。

しかし蓋を開けてみたら、
今日は実は誰も金を払ってライブを見に来てない!!

みんな「ファンキーの友達だから」と言ってタダで入っているのだ!!

100人近くはいたぞ!!
全然見たこともない外人も大勢いたぞ!!
お前ら亜洲鼓魂の時代の中国と違うねんぞ!!

とわめいてももう後の祭りである。

幸い参加したミュージシャンは誰も「ギャラが欲しい」などと思っていない。
キーボードの雷子(Leiz)なんかすぐさま中国のツイッターでつぶやいてた。

「今日はとっても楽しかった。
舞台袖で韓陽(HanYang)と話してたんだ。
僕たちがみんな小さい頃に聞いてたあの曲を、
今日は僕たちが演奏したんだよ、って」

みんな誰もギャラを要求することなく笑顔で帰って行った。

いや、ありがとう、みんな!!
・・・ってかこの中国の風習ってちょっとちゃうんとちゃうの!!!

というわけで第二弾が今日決まりました!!

7月17日(日)同じくこのライブハウスにて、
「ファンキー末吉52歳の誕生日を迎えて、
52歳と4日後に初めてドラムを叩くバースデーパーティー」

しかもこの日は昼間っからぶっ続けて4時間叩き続けます!!
昼間誕生日パーティー、夜はライブという声もありましたが、
ワシはドラム叩く前は酒が飲めんので昼からライブします!!

4時間なんてお茶の子さいさい!!
(ってどういう意味や?)

亜洲鼓魂に参加した歌手の方々、
その他ファンキーさんが参加した数多くの歌手の方々、
奮ってご参加下さい!!

チケット代は52歳にちなんで52元!!
おつりは出しません!!

小銭のない人は60元でも100元でも払って、
おつり分はファンキーさんの誕生日プレゼントにして下さい!!

この日は友達と言えど、
誕生日プレゼントと思って必ず金を払って下さい!!!

というわけで次の亜洲鼓魂ライブは7月17日(日)に決定!!

・・・実は13日のワシの誕生日は嫁との結婚記念日でもある。
願わくば嫁もライブに来て欲しいものなのじゃが・・・

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2011年4月19日

あの美少女秘書のその後・・・

彼女と会ったのは彼女がまだ15歳の頃。
(中国の歳の数え方は数え年なので16歳と言っていた)
黒豹のドラマーに騙されて安い金でプロデュースさせられた
そのレコーディングの小間使いとして働いていた。

生まれがとてつもなく貧乏なのだ。
ワシが今暮らしてるような貧民街で生まれ育ち、
ひょっとしたら戸籍もなかったかも知れない。

義務教育分は知らないが、とりあえず高校には行ってない。
「君の夢は何なの?」
と聞いた時、
「勉強がしたいの」
と言ったのが心に残っている。

ワシは彼女に仕事の傍らワシの電話秘書をしてもらい、
かかって来た仕事の電話を日本にいるワシにメールで転送したりしてくれていた。

「掃き溜めに鶴」という言葉が適切かどうかはわからないが、
18歳の頃はモデルのスカウトが来たり、
その美貌はますます磨かれて来たようだ。

その後「白雪(バイシュエ)という歌手のマネージャーとなって
全国飛び回って忙しくしていたが、
去年会った時には、一緒に飲んでいても数限りないショートメールは来るわ、
彼女に恋する男どもからひっきりなしに電話が来るわ、
もうこのぐらいの美女になるとゆっくり落ち着いて酒も飲めない。

その時はひとりの男性に、
「じゃあおいでよ、友達と一緒に飲んでるから」
と言って電話を切ったのだが、
喜び勇んで来たその男性は、
傍らにいるワシらなんかを見てそそくさと帰って行った。

「一緒に飲めばいいじゃん!!」
という理論は恋する男性には通用しない。

ある時は男を連れて来たので、
「よ、恋人が出来たか?」
とからかったら、
「そんなんじゃないの、ただの友達よ」
と言うので、こっそりその男に、
「彼女のこと好きなの?」
と聞いたら、頬を赤らめて
「好きです」
と答えたこともあった。

数限りない男達が彼女に恋い焦がれ、
そして玉砕して行ったのをワシは見て来た。

ワシも恋い焦がれてはいたが、
デブのキーボードにかっさらわれたので見込みなしである。

見込みはないのに呼び出されたらいそいそと出かけてゆくんだから
男というのは悲しい生き物である。

この日も今更何の期待感もなく、
そのくせいそいそと風呂に入って服を着替えたり、
それなりに気を使って出かけて行った。

約束の店に着いて、
「何飲む?」
と聞いた途端、彼女の開口一番にひっくり返りそうになった。

「私、飲めないの。妊娠してるから・・・」

相手は誰じゃい!!
ワシでなくても世の男はみな興味津々であろう。

聞いてみればお相手はワシら音楽界の仲間ではなく、
白雪(バイシュエ)から紹介された建設会社の社長さん。
まあ金はあるんだろうが、ルックスは別にそんなにぱっとしないらしい。

なみいる男どもが全て玉砕していったというのに、
何故にこの男だけが紹介された会ってすぐにこの美女をモノに出来たのか・・・

「试试吧(試してみなよ)」が口説き文句だったらしい。

そんなに簡単でええのか!!
ワシも含め全ての男どもは勘違いをしていた。
こんな美女なんだから誰もが真剣にアプローチしていたが、
こんなんでいいのである!!

失敗した・・・

後悔してももう遅い。
彼女はもう人妻となり、11月には子供を出産する。
玉砕した数多くの男ども、
みんなで彼女とその羨ましい旦那の前途を祝おうではないか!!

WithLiLi.jpg

おめでとう!!麗麗(LiLi)
幸せにな!!

PS.18歳の誕生日にワシがプレゼントした化粧品も結局今まで使われなかった。
結婚式の時も結局化粧をしなかったらしい。
26歳の今まで化粧をしたことがないと言う。
美女は化粧品も必要ないのだ・・・はあ・・・(ため息)

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2011年4月15日

亜洲鼓魂コンサートへの道

北京に来ている。

BeiBeiのレコーディングをやって、
終わって飯を食いつつそのまま
布衣がライブをやるというのでみんなで見に行った。

・・・というより「飲みに」行った。

布衣も今ではアンダーグランドの中では有名になったが、
やはりバンドであるからして本人が歌いたくても歌えない曲とかもある。

先日とあるライブで一緒にやって、
そんな曲を思いっきり歌って彼の楽しかったようだ。

「じゃあソロプロジェクトとしてライブやるか?」
と言ってはみたが、
やはりボーカルがそれをやるとメンバーがやはり面白くないらしい。

BeiBeiはBeiBeiで、
バンドではなくボーカルとのユニットだったらライブをすることもままならない。
毎回ミュージシャンにギャラを払って雇わねばならないからである。

ワシは真ん中でまたアホ話をしながら飲んでたのだが、
誰かがワシのアルバム、亜洲鼓魂の話をし出してふとひらめいた。

「ワシ名義のライブだったらお前らどちらも助かるんじゃないのか?」

目がキラリと光ったLaoWuが興奮して乾杯する。
「そうだ!!亜洲鼓魂コンサートをやるんだ!!」

実はこのアルバムを発売した時に、
ストリングスオーケストラも全部入れてあのアルバムを再現したコンサートをやりたかった。

しかし当然ながらそんな予算もなく、
日本では売れなかったのでスポンサーも現れず、
中国では売れたが海賊版ばっかなので誰も儲からず、
結局その話は流れてしまっていたが、
こうしてそのアルバムを聞いて育った若い衆達と一緒に、
自由が利くライブハウスでやる分には何も問題ないのだ!!

最初は小さいところで始めて、
毎月やっているうちにこのアルバムに参加したスター達、
黒豹や唐朝やBeyondの連中や、
李慧珍をはじめとするこのアルバムでスターになった人達も集まって来るかも知れない。
(いや、ヤツらはみんなワシに恩があるから呼べば必ず来るな・・・)

とりあえずは小屋を押さえる。

昔院子に住んでたドラマーが開いたライブハウス、
北京两个好朋友酒吧」に連絡してみた。

「5月2日なら空いてるよ」

しかしワシが次に来る便は5月1日の夜中便である。
綿密なリハーサルをやる時間がない。

「よし!!当日リハで出来ることをやろう!!」

何もあのアルバムの曲をメインで持って来る必要はない。
布衣の曲、Pairの曲などを中心に、
時間が足りなければ張張とのセッションもやりーの、
全中国ドラムクリックでやっているひとりドラムもやりーの、
とりあえずはタイトルチューンの亜洲鼓魂1曲ぐらいでええんとちゃうの!!

よし!!とりあえず5月2日を皮切りに、
毎月ちょっとずつライブをやって、
将来は「亜洲鼓魂コンサート」と銘打ってでっかくやってやろうじゃないか!!

それにしても日本だけじゃなく中国にこれだけ楽曲を残しているっつうのは我ながら大したもんじゃと思うのう・・・

ギャラは参加した人間で均等に分けて、
みんなで羊を1匹買ってその場で丸焼きにして食べよう!!
(「北京两个好朋友酒吧」は最近羊を丸焼きに出来るオーブンを買ったらしい・・・)

雨が降らなきゃいいのじゃが・・・

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2011年4月10日

李慧珍(Li HuiZhen)

中国のツイッターをやり始めて彼女と久しぶりに繋がった。
「ご飯でも食べましょ」
ということで待ち合わせをし、数年振りに会った。

彼女はワシが最初に中国でプロデュースをした歌手である。

その後、そのアルバムの曲は中国のグラミー賞に当たる作曲賞を受賞し、
中国のヒットチャートを荒らした

その功績により日本レコード大賞アジア賞なるものも頂いたが、
その受賞パーティーの席で堀さんはスピーチでこう言った。

「アジアブームと言われてますが、
いろんな会社が中国に莫大な投資をして、
結局得をしたのはファンキー末吉だけです!!(笑)」

最近彼女は当時の中国側の社長と会って裏話を聞いたらしく、
結局ホリプロが出した6000万の出資金は、
当時は直接中国に投資出来なかったので、
その中継会社となった香港の会社に流れ、
結局中国側にも、もちろんワシのところには流れては来なかった。

ホリプロスカウトキャラバン中国版として鳴り物入りで行われた
全中国からスターを探すオーディション、
そこで歌はナンバーワンだったのにホリプロから捨てられたのが彼女だった。

中国の「ホリプロ3人娘」として鳴り物入りでデビューするという
その3人の中から彼女は外された。

そんなことは知らないワシは中国ロック話で彼女と盛り上がり、
中国側からの強いオファーもあって彼女を自分のソロアルバムに起用した。

そのアルバムは中国のロックのバイブルのひとつとなり、
今だに彼女は彼女が歌ったその中の曲
「Let Me Be Freeは歌わないの?」
と言われるという。

サンプラザ中野という偉大な作詞家と一緒にいたがために、
「自分で作詞をする」
などということなど夢にも思わなかったが、
あの時はがむしゃらに曲を作って詞を書いた。

「言いたいこと」がたくさんあったのだ。

「あの頃はお互い気が狂ってたねえ」
ワシらはそう語り合った。

誰にも伝えられない想いをワシは楽曲に込め、
彼女はワシの分身としてそれを歌った。

まだ10代だった彼女はもちろんのこと、
ワシも若かった。
「商売」などと考える余裕もなく、
ただがむしゃらに「音楽」をやってた。

このアルバムのTDを陣中見舞いに来たアミューズのマネージャーは、
この曲の彼女のシャウトを聞いた時に涙を流してこう言った。

「ヤバいよ!!末吉さんがどっか行っちゃうよ・・・
爆風が・・・なくなっちゃうよ・・・」

彼の言う通り、ワシの夢は彼女と一緒にこの中国大陸を駆け巡った。

ホリプロの撤退と共に彼女は事務所と契約でもめ、
ほされた期間もあり病気になった期間もあり、
新しい事務所は彼女から「ロック」のイメージを払拭すべく、
彼女から極力ワシを遠ざけた。

そのおかげで彼女は「スター」となったが、
数年前、安徽省のテレビ局が彼女をゲストに呼ぶ番組の中で、
ロックファンであるその番組の若いディレクターが
サプライズとしてワシをブッキングして合肥までワシを呼んだ。

思いもよらぬサプライズで号泣した彼女は、
ワシの手を握りしめて泣きじゃくった。

一緒に行った嫁はそれを見て呆然としていた(笑)

「あの頃はねえ、
誰にも伝えられない思いがたくさんあっの・・・」

それが「芸能界」である。
彼女はその中で今まで頑張って来た。

夕べのふたりの写真を中国のツイッターにUPした彼女、
6万人近くいる彼女のフォロアーは、
ある人は「誰よこのオッサン?」と言い、
ある人は「バカねえ、この人がいるから彼女がいるのよ」と言う。

一番印象に残った書き込みが、
「バラードなんかもうくそっ食らえだ!!ロックを歌ってくれ!!」
というものだった。

「また一緒に何かやろうか・・・」
そう言って夕べは別れたが、
本当に何かが始まるかどうかは神様のみぞ知る。

「縁」とはたかだかそういうものなのだ・・・

WithLiHuiZhen.JPG

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2011年4月 5日

貧乏人から太陽を取り上げるな!!

雲南省に着いて楽しい仕事が始まっているが、
北京の院子の騒動の顛末が面白いので
雲南レポートより先にそちらをレポートしたい。

もともとこの院子というのは庭みたいな意味で、
北京伝統の四合院と言えば聞こえがよいが、
コンクリートの箱みたいのを3方にどどんと置いて、
その真ん中が住民共通の庭となるものである。

うち間取りはこちらを参照のほど

この3方全ての部屋を一人で借りて、
このひとつの「院子(この場合は庭も含めて全て)」を独り占めする、
これがワシの思う究極の贅沢なのじゃが、
マンションなんかを指す「楼房(Lou Fang)」と違って、
いわゆる「平屋」という意味の「平房(Ping Fang)」というのは、
今や豊かになってしまった北京人はなかなか住もうという気にはならない。

まあ土地だけはあって、
手っ取り早く家(というよりただのコンクリートの箱)を建てればいいんだから、
最近では人里離れたうちのような貧民街か、
逆に超豪勢な都心の四合院かしかお目にかかれない。

往々にしてトイレや風呂はなく、
ここに住む貧民の一番のメリットはこの真ん中の院子(庭)なのである。

それを大家は自分が政府を騙して金儲けしたいがために貧乏人からたったひとつのそれを奪おうとする・・・

「ファンキーさん、2階なんて作られたらこの院子(庭)が死んじゃうじゃないですか!!
断固戦うべきですよ!!」
とうちのアホのエンジニアは鼻息を荒くするが、
ワシは外国人の住めないこの地区に内緒で住んでいるのでそう強いことも言えない。

「まあ上がそう言ってんだったらしゃーないんじゃない?!!」
と取り合わなかった。

ところがいざ雲南省に出発しようとしたら、
院子の入り口で警察までやって来て大騒ぎをしている。

FangYanBaoJing.JPG

聞いたら「警察に通報した」と言う。

「見て下さいよ!!
こんなところにこんな雑な作り方で壁なんか作られたら、
隣は共同トイレでいろんな人がここ通るのに危ないじゃないですか!!」

大家も巻き込んで警察とやりやっている方言を後に、
ワシはそそくさと雲南省に出発した。

その後彼からメールが届く。
「警察は相手にしてくれなかったけど、
この話をツイッター(中国の)にUPしたから見て下さい」
と。

これである。

「ファンキーさんの院子に」
と書かれてあるのでうちにもResが来て大変だが、
「貧民から太陽を取り上げるな!!」
と盛り上がっている。

Resにも大家に対して、
「金さえ儲かれば他の人が死のうが生きようが構わないのか!!」
など話がどんどん飛躍してゆく。

とどのつまりには方言はこんな激を飛ばす。


こんな詩を知ってるか。

ドイツで昔、共産党員を皆殺しにし出した。
私は何も言わなかった。
何故なら私は共産党員じゃないし・・・

今度はユダヤ人を皆殺しにし出した。
私は何も言わなかった。
何故なら私はユダヤ人じゃないし・・・

今度はカトリックを皆殺しにし出した。
私は何も言わなかった。
何故なら私はカトリックじゃないし・・・

最後に私を殺しに来た。
ししたら誰も何も言わなかった・・・


「みんな!!今回俺は声を出して言った!!
だけど声が届かない!!
誰か俺たちのために立ち上がって声を上げてくれる人はいないのか!!」

そんな叫びが実ったかどうなのか、
大家は彼に折衷案を出した。

「2階は作りますが、
屋根は透明の素材にしてあなた達の太陽は守りましょう」

方言の叫びがついに届いた!!
院子は2階建てになっても太陽は残るぞ!!


・・・ん?・・・待てよ・・・
これから気温40度を越える夏がやって来るというのに、
天井に透明な素材で蓋なんかされた日にゃ蒸し焼きになってしまうぞ・・・

方言・・・まことにいいヤツなんじゃがひとつ詰めが甘い・・・

Posted by ファンキー末吉 at:11:00 | 固定リンク

2011年4月 4日

貧乏人が村を追われる日・・・

北京に帰って来たら向かいの院子から音が聞こえている。
ふらふらと遊びに行ったら貧乏なミュージシャン達がリハをしていた。

BinbouBandRh.JPG

うちのスタジオでは張張が雲南省ツアーのためのデータを作っている。
「メシを買って来たから食おう」
と言うので
「ビールがなきゃいやだ!!」
というと
「隣の院子が宴会してるからもらって来よう」
と窓越しにビールがやって来る。

我が院子、この世の天国のロックステイションなのだが、
ここに来て物価の値上がりとかも凄まじく、
ついに家賃もまた値上がりした。

6年前ここを借りた時の既に倍近くなっとるやないの!!

貧乏ミュージシャンは天然記念物のトキのように、
また住むところを追われて遠くに行かねばならないのか・・・

事実、この村は数年後に取り壊しになるという話である。
一昨年のある日、大家が勝手に院子に屋根をつけた時には、

「中国政府がここを買い取る時に、
院子(庭)だと人が住んでないので金にならんが、
家屋のように見せかけると金になる」

ということでせっせこ仮説の屋根を作っては数日後に撤去していたが、
ふと見ると今度はせっせこ2階を作っているようだ。

YuanziGaiErLou.JPG

なんでも
「2階を建ててると倍金がもらえる」
ということらしいが、
2階なんか作られたら自慢の院子(庭)は意味をなさなくなってしまうし、
朝から天井でとんちんかんやられる住民にとってはいい迷惑である。

うちにはアホのエンジニアと共にもうひとり居候がいるが、
彼は騒音にたまりかねてスタジオに非難した。

StudioFuton.JPG

うち(八王子)でも
酔い潰れて帰れなくなったえとーさんはうちのスタジオで寝たりするが、
こちらは基本的に土間なのだから、
そこに布団を敷いて寝た方がよいというのはよっぽどである。

村の中でもちょっとでも金をもらおうという算段で改修工事ばっかやっている。

こういうのを中国語で「騙銭(Pian Qian)」という。
偏見を承知で言えば、
国民のほとんどが「人を騙してでも儲けられればいい」と思ってるこの国で、
本当の意味でも「民主主義」なんてまだまだ先に話である。

Posted by ファンキー末吉 at:14:05 | 固定リンク

2011年3月23日

李漠(LiMo)と食事会

李漠(LiMo)」から電話があった。
どうしてもその日に一緒に食事をと言う。

ワシはその日はライブハウスで行われる
日本の震災に対するチャリティーライブに呼ばれていたのだが、
まあ出番前で酒は飲めないがリハ終了後に行けないことはない。

集まってみると彼女のバンドメンバーが勢揃いしていた。
彼女はこう切り出した。

「4月にね、イベントがあってそれに出るんだけど、
みんなスケジュール空いてるかなあ・・・
是非またみんなと一緒にやりたいんだ」

5月にも6月にもあるから是非お願いねと彼女は言う。
権利ビジネスのない、
コンサート収益だけが生活の糧であるミュージシャン達にとって、
もちろんこんなありがたい話はない。

「アイヤー、4月半ばは結婚式なんだよ〜」
などと言ってるメンバーにワシが突っ込む。

「じゃあそれはトラでワシが行ってやるからお前はドラム叩け!!
心配すんな嫁さんのことはワシに任せて心おきなく仕事してこい!!」
など和気あいあいに酒が進む。

「私の1枚目のアルバムはみなさんのおかげで無事に発売することが出来ました。
今度は2枚目を作ることになってます。
私はまたみんなと一緒に作りたいの。
制作費をもらったからこれみんなで分けましょ」

2000元(約2万5千円)が入ったさほど分厚くない封筒をみんなに配る。
ワシにもひとつ、うちのアホのエンジニアにもひとつ。

「おいおい、ワシらふたりでひとつで十分やぞ・・・」
と言おうと思ったがやめた。

ワシは知っている。
今やスターの仲間入りをした彼女のアルバムは、
当然ながら彼女の手を離れて会社が制作をする。

もう昔のようにアンダーグランドバンドじゃないんだから
制作費が全部で1万元なんてこともないだろうし、
制作費を彼女に託されるということもないだろう。

彼女はウソをついた。
きっとこの金は彼女があれから自分で稼いだ金か、
もしくは制作費ではなく次のアルバム制作のためにもらった彼女のギャラだ。

しかし彼女が言う
「またみんなと一緒に作りたいの」
という「気持ち」はウソではない。

この金はまさしく彼女の「気持ち」なのだ。

ワシにしても2000元でまたアルバム1枚作るなんて大赤字だし、
1曲2000元のミュージシャン達がこの金で10曲レコーディングさされるなんて
「仕事」として考えるとバカみたいな話である。

でもみんなありがたくこの金を受け取った。
彼女の「気持ち」を受け取ったのだ。

いろんな仕事をして、
いっぱいお金をもらうこともあれば
「これっぽっちかよ」という仕事もある。

でももらってこんな嬉しい金はない。
「1枚目の時はごめんね」と言って渡したのではない。
彼女はこの金で「未来」をつなげたのだ。

ワシもそんな彼女の「気持ち」をありがたく頂いた。

乾杯!!

LiMoAndBandGanPei.jpg

Posted by ファンキー末吉 at:09:22 | 固定リンク

2011年3月21日

不意打ち突かれて思わず号泣!!

風邪気味なので布団かこたつに潜り込んで
日本のツイッター中国のツイッターなどを見てはアホな書き込みをしてたのだが、
ふとRTされていたこの映像をみて号泣してしまった。

まさに不意打ちである。
なんでこんなに涙が出て来るのかわからない。


日本のテレビ局の事故で死んだこの駒くんは
今では中華圏では「ロックの神様」となった。
何十年たっても彼の歌が流れてない日はない。

「今から日本を拠点として頑張るんだ」
ということで活動を開始した頃の事故である。
「志半ばで若くして死んだ」
という風に皆は言うが、
近くにいたワシはどうも今だにそうは思えない。

「ヤツは死んで神様になった」
それだけである。

現実、BEYONDは香港では大スターだったが、
これほど中華圏の大スターとなるのは彼が死んだことを受けてからである。

何も有名になることが大事でも何でもないが、
「彼はここで死んで神様になることに決まっていた」
とワシなんかは思わざるを得ない。

彼は一生のうちにやるべきこと以上のことをやり尽くしたのだ。


同様にひぐっつぁんやキヨシローさんが亡くなって、
「若いのに惜しいことをした」
という声にはワシはどうも違和感を覚える。

「あんた達んところにワシも早く行きたいのに、
そんな偉大な人がぽんぽん先に行かれたらたまらんわ〜」
って感じである。


中野や河合や、この映像に一緒に映っているそれぞれの人が、
あれからそれぞれの人生を歩んでいる。

ただワシだけがまだ駒くんと一緒に、Wingと一緒にいる。

人生はそれぞれである。
ワシはやっぱり日本を離れて心は彼らと一緒にいることが決められてたのだろう。


北朝鮮に行って帰って来て、
「何で俺はこんなことをやってるんだろう」
とひとりで酒を飲んでいた時、
突然彼のこの笑顔が浮かんで来たことがあった。

「そうかぁ、お前が行きたかったんかぁ!
お前は生きてたら絶対行ったわなぁ。
せやから俺に行かせてるんかぁ。
何や、そうやったんかぁ。行って来たでぇ、楽しんでもらえたかな?」

そうやってひとりで泣き笑いして飲んだことがあった。


今日の映像の彼はワシにこんなことを言っている。
「ファンキー、泣いても笑ってもどうせ人は死ぬんだ」
と。

大震災でいーっぱい人が死んで、
それぞれにまたいーっぱい大切な人がいた。
有名かどうかは関係ない。
それがたったひとりであってもかけがえのないものである。

その人はそのたったひとりの中で神様となる。


まあ被災こそしてないがそこそこ大変な今日この頃、
ワシはふと
「あいつだったら今どうしてるかなあ」
と考えた。

「あいつだったら」と考えることこそが、
死んでもその人と一緒にいるというか、
魂は死んでないというか、
そんなことなのかも知れない・・・

まあ影響力は今のワシとは比べ物にならないが、
ヤツはやっぱ基本的には同じことをしてただろうな・・・

ワシはやっぱドラムを叩くのだ。
日本中で不謹慎と言われたらよその国で叩く。
ドラムを叩いて生きて、ドラムを叩いて死んでゆく。

「そやで、そんなもんなんやでぇ」と彼が言っている。

今日は中国の歌手のレコーディング。
明日は何やらわからんチャリティーライブ、
でもこうやってドラムを叩いて生活出来ること自体が素晴らしい。

彼の笑顔に負けないようワシも今出来ることを精一杯頑張りたいと思う!!

KomaIei.jpg

ちなみにこれは我が家の彼の遺影。
日本に来て「女朋友、女朋友」とウルサイので、
誕生日にみんなでダッチワイフをプレゼントした時の写真である。

ちなみにこれが彼の最後の誕生日となった。

今は北京のスタジオに神棚のように飾られている。
こんな写真を遺影にしているのは中国広しと言えどもワシぐらいじゃろう!!
は、は、は!!

Posted by ファンキー末吉 at:11:24 | 固定リンク

2011年3月19日

一度日本に帰ったらもうこちらに戻って来れない(笑)

「日本から中国に変える中国人が殺到し、
それを受けて航空会社従業員がチケットを買い占めして
希望者に高値で横流しをしているせいで、
チケットの値段が1万元を越す高値となり一般人は入手出来ない」
というデマが飛んでる。

中国の会社だったらいざ知らず、
日本の会社、諸外国の会社ではいくらなんでもこれは無理じゃろう(笑)
こんなことがまことしやかに流れるということは、
この中国という社会は平然とそれが行われているということだ。

だいたい「節電で風邪引いたよ」というと、
「何で?」と聞かれる。

「だって誰も監視しているわけじゃないんだろ。暖房つけろよ!!」
がこちらの物の考えである。

いろんな買い占めとか何かが日本で問題になっているが、
いやいや中国人に比べたら全然問題ではない!!
日本人は素晴らしい!!と再び声を高らかに叫びたい。

ところで今、帰りのチケットを手配しているのだが、
北京から東京まではいつでも飛べるが、
東京から北京のチケットはなるほど今月は一席も空席がない。

中国人よ、何をそんなに慌てて帰国する?!!
ワシはSARDSの頃でもこの国を離れんかったじゃろ!!

ほんまこの国の人達が何かに踊らされて何かをやると、
人数が多いだけにやっかいである。

Posted by ファンキー末吉 at:13:53 | 固定リンク

中国は中国で大騒ぎ

一昨日の夜北京に帰って来て、
「中国では今塩か買えなくて大変なんだ」
と聞いて大笑い。

中国のツイッターでも
「もうダメだ!!風邪に乗って放射能がやって来る!!」
とかデマが飛ぶので、
「お前なあ、東京がまだ大丈夫やのに中国なんてまだまだ大丈夫じゃい!!」
と檄を飛ばしていたが、
もともとこの国民、中央からの放送は
国が都合のいいようにねじ曲げて報道していることを知っているので、
その反面デマに流されやすいという面はあるのかも知れない。

だいたい
「塩の中に含まれている何たらという化学物質が放射能の影響を受けて...」
など庶民には理解出来ないデマほど庶民を振り回す。

結果「塩が入手出来なくなるぞー!!」ということになり買い占めが起こる。

MaiBuDaoYan.jpg

またこの国の人は並ばないから余計に大変やな〜(笑)

ニュースなんか見ても福島の映像ばかりを流すので、
日本全体がこのような状況に陥っていると錯覚するので、
「次は中国だ」みたいに思うのだろうか・・・

日本の皆さん、日本の元気な部分も頑張って海外に発信せねばどんどん誤解されますぞ!!

Posted by ファンキー末吉 at:08:50 | 固定リンク

2011年1月16日

北京での仕事全て終わり(?)日本に帰る

アレンジの仕事というのは、
いつも思うがドラムのレコーディングに比べて非常に大変である。

ワシのこちらでのギャラはアレンジはドラムの5倍の値段だが、
一昨日のように1日に6曲レコーディングしてしまえば断然アレンジよりは割が良い。

アレンジはまず仕事をもらってアレンジするのに1日、
直しを入れて(今回はキーぐらいだったがたいがい直しが入る)1日、
リズム録りに1日(今回は2日でも終わらなかったので3日)、
場合によっては歌録りに立ち会いTDに立ち会うと1週間仕事である。

今回の仕事はラテンのアレンジで、
ベースには今では若手ナンバーワンとなった韓陽、
ギターには新彊ウィグル族Kermanを呼んだ。

こうやって友人に仕事を振ってあげられるところはいいとこなのだが、
今回はパーカッションがスケジュールが合わず録りこぼれている。
Kermanはスパニッシュギターの名手であるがエレキは専門外なのでエレキのソロも録りこぼれ。

これらは日本に持ち帰りということになる。

田川くん・・・弾いてくれるかのう・・・
パーカッションは・・・ゲンタ来てくれんかのう・・・

録り終わったらそのデータ持って月末にまた帰って来ねば・・・

Posted by ファンキー末吉 at:10:35 | 固定リンク

2011年1月14日

仕事だってしているのだ!!

ラップ歌手のレコーディングが流れ
毎日酒飲んで遊んでいるように見えるかも知れないが、
まあ実はその通りではあったのだが一昨日からちゃんと仕事をしている。

BeiBeiのリハーサルをし、昨日はそれをレコーディング。
そして今日はいっぱいドラムを録音する。

毛寧という国民的歌手のアレンジを頼まれ、
Logicを使って初めてアレンジしたのだが、
それが非常に評判がよく、さっそくレコーディングしようということになっている。

「せっかくだから別のも1曲叩いていってよ」
ということで数曲録ろうということになっているが、
「そしたらうちのも1曲」ということで曲がどんどん増えてゆく。
中国では「1曲いくら」なので商売としては嬉しい限りである。

こんな時に限って
「ファンキーさん北京にいたら1曲お願いしたいんですが」
と連絡が来る。
「今日にしなさい!!そしたらいっぺんに出来るから」
と返事をする。

ドラムなんてヘタしたら別のスタジオで録るとすると、
ドラム運んで1時間、
セッティングに1時間、
音決めに30分、
レコーディングはヘタしたら30分、
そして片付けにまた1時間、
運んで帰るのに1時間とかかかるので、
出来たらひとつのところで一回でやってしまいたい。

明日はその自分のアレンジにベースやギターをかぶせて仕事終わり!!
明後日には帰ります。

うん、今回はいっぱい仕事した!!

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2011年1月12日

新年会(LuanShuのバースデーパーティー)

「ファンキーが北京にいるのか?」ということで
「11日夜に乗馬クラブに集合!!」というメールが届く。

空港の近くの辺鄙なところにある大金持ち相手の乗馬クラブ。
だいたい北京は金持ちになるほど、
または貧乏人になるほど辺鄙なところに移り住むが、
うちの院子なんかよりもっと辺鄙なんだから金持ちの度合いももの凄い。

PertyHouse.JPG

こんな豪勢な建物が広大な敷地に何個もあるのだ。
馬を走らせるトラックもあれば体育館のような馬舎もある。

中に入ってみればロビーに池がある。

PertyLobby.JPG

専属のコックが派遣され、

PertySheff.jpg

ケータリングがずらりと並ぶ。

PertyCataring.JPG

LuanShuは昔から乗馬クラブを持っていたがこれほどではなかった。
うちの母と親戚が初めて北京に来て、
それではここで天ぷらを作りましょうと言った時、
あとで話してくれたところによると彼らは金がなく、
あんなにたくさんの天ぷら油が買えないのでお隣に借りに行ったということである。

そんな昔の乗馬クラブにひとりのロシア人がいた。
名をBaNaと言い、ワシのヘタクソな中国語を一生懸命聞いてくれた。
後に乗馬クラブを閉めることになり、
国に帰ったのか音沙汰聞かなかった彼がそこにいた。

PertyWithBaNa.JPG

ワシは小躍りして抱きついた。
昔からオッサン顔だったので20年たってもまるで変わっていない。
まるでタイムスリップしたかのようにあの頃のままのBaNaがそこにいた。

昔話に花が咲く。
ホットワインをしこたま飲んだ。

ホットワインは趙明義の昔の彼女だったドイツ人、
アンディーが初めて中国に伝えて乗馬クラブでみんなで飲んだ。
みんな彼女のことを大好きで、彼にはこいつしかいないと思ってたのに、
彼はあんまり美人でない彼女と別れて、
後にはキャバレー(売春あり)を何軒も経営し、
「俺は嫁はいないが200人のお姉ちゃんといつでもセックス出来る」
という人間になった。

「みんな偉くなっちゃって変わっちゃったね」
とワシは言う。

「人は変わらなければ生きてゆけないんだよ」
とBaNaは言う。

みんな貧乏で、安酒飲んでロックと夢と、
そんなアホな話ばかりしてたあの頃の友達はみんな変わってしまって、
今は会っても車の話と家の話、女の話と商売の話、
世知辛い話ばっかで何も面白くない。

「あの時代はもう帰って来ないんだ」
とBaNaは言うけど、
ワシは何とかかろうじて生息している貧乏なアンダーグランドバンドと一緒に暮らしている。

泣いたり笑ったりふたりでいろんな話をしているうちに、
ふと会場の片隅で居場所もなくひとりでぽつんと座っている李漠(LiMo)を見つけた。

「よっ!!一夜にしてスターになった気分はどうだい!!」
さっそく呼びつけてからかってみる。
しどろもどろにジョークを返す彼女を見てワシは全部理解した。

「周りが突然あまりにも変わってしまって、自分の居場所がなくって困ってるんだろ」

先日の焼き肉にも顔を出さなかった。
「彼女どうして来ないんだ?」
とみんな言ってたが、彼女の今日の表情が全てを物語っている。

「俺が昔スターだった話、知ってるか?
このBaNaと知り合った頃、日本ではちょうど今のお前みたいな感じだった。
バンドが好きでドラムが上手くなりたいだけの人間がある日スターになっちまって、
居場所がなくって中国に逃げて来た。
でもなあ、今でこそわかる。
スターなんて砂で出来た城みたいなもんだ。
それをみんながむしゃらに守って生きている。
場違いなテレビとか毎日駆り出されるだろ?
右見ても左見ても大スターばかり。
俺もあの頃は"こんなスター達の中で何で俺がいるんだ"と思ってた。
でもそのスター達だって逆に
"すっげー!!ロックスターが今隣にいる"
とか思ってビビってんだ。
そんなもんさ」

事実この日の李漠(LiMo)の周りは大スターばかり。
ワシは彼らがペーペーの頃から一緒だから何も思わないが、
さすがに初めてここに放り込まれたらそれはビビってこうなるのもわかる。

「確かにお前はずーっとアンダーグランドの人間だった。
金にもならないロックを歌っているバンドのボーカルだ。
そして今もしょせんはそうなんだ。
そのことにコンプレックスを持ってたってしかたない。
むしろそのことに胸を張れ!!誇りに思え!!」

中国の芸能界の歴史の中でも、
若くもない、美人でもない、ただロックが好きで歌がうまいだけの人間が、
ある日を境にに突然大スターになるなんてことはなかなかない。

「お前は俺たちと一緒なところで生きて来た人間だ。
それが何かの運命でここに来た。
日本で俺がそうなった時は俺はそれに背を向けて逃げて来た。
でもお前は逃げずに頑張るんだ。
お前が頑張ればアンダーグランドの人間みんなが幸せになれる」

頃は数ヶ月前、誰も彼女がこんなになるとは夢にも思ってなかった頃、
ワシは彼女を呼び出して説教をした。

「お前な、そうやって今までやって来たメンバーをないがしろにしてると、
お前が失敗した時はいい、万が一大成功でもしてみろ、
みんな表面でいい顔して心の中で軽蔑する、
お前はそんな人間になりたいのか?!!」

ワシだって彼女がその後こんなことになるとは夢にも思ってなかった。
しかしこれも運命である。

間に合った!!

彼女は既にバンドメンバーに電話をして、
今後1年の自分のギャラをみんなで分けたいと申し出ている。

ほんと、間に合ったのである。
今日はベースの韓陽と会ったが、
みんな彼女の成功を祝福している。

このまま彼女が一本何十万元の歌手になっても、
自分のところにその4分の1が入るなんて思ってない。
要はその「気持ち」が嬉しいのだ。

「お前はな、いつまでたっても俺たちと一緒なところにいる。
お前が生きて来たところに胸を張れ!!
そこには奴らがいて俺がいる。
お前はそこにもいてここにもいる、そんな数少ない人間のひとりなんだ!!」

セッション大会が始まり、
今までどこに言っても隠れるように隅っこで隠れていた彼女も、
いつの間にか大スター達のマイクを奪ってハナモゲラで歌を歌う。
スター達だってしょせんは一皮向けばワシと同じアホばかりなのである。

「もう帰ります。今日はほんとに・・・初めて楽しかった・・・」

彼女はそう言って先に帰って行った。
これでもうしばらくはこの世界でも迷うことなく生きてゆくだろう。

またもし迷うことがあったらワシがいる。
一緒に頑張って来たバンドメンバーがいる。
「変わらなきゃ生きてゆけない」世の中でも、
ずーっと変われなくて不器用に生きている仲間もいるのだ。

頑張れ李漠(LiMo)!!アンダーグランドの星!!
俺たちはずーっとお前を見守っているぞ!!

PertyWithLiMo.jpg

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2011年1月11日

銀行カード無事ゲット!!電気も無事(?)ゲット!!

朝早くに起きて銀行に行った。
番号カードを取って順番を並んで、
窓口でさっさと書類とパスポートを出す。

「一昨日、ここのATMでカードなくした!!
カードの番号はこの書類!!
私のIDはパスポート!!」

これだけである。
ついでに最後に引き落とした時間が携帯にショートメールで届いているので、
「これがカードなくした時間!!」

中国語はこれだけで済んだ。
見れば別の係員がノートと輪ゴムでとめられた沢山のカードを持って来て、
ワシの銀行名とカード番号からカードを特定し、
名前をパスポートで照合して、
「はい、ここにサインして」
で終わりである。

めでたしめでたし!!

ということで院子に帰ったがまだ電気は通じていない。
大家さんが機材を持って一生懸命直している。

ワシは布団にくるまってiPadで映画を見ていた。
気がつけば周りはすっかり暗くなって来て、
ふと見ると他の部屋は電気が来ていてうちだけ来てないではないか!!

大家んとこに殴り込みに行く。
「なんでうちだけ電気来んのじゃ!!」

大家の説明では、
どっかが漏電している恐れがあるのでコンセントを全部おおもとから抜けと。

8部屋もあってスタジオには山ほど電気機器があるのにあいにく今日はワシしかいない。
懐中電灯を持って全ての部屋のコンセントを抜いてまわった。
それでもダメだというので全ての電球を外してまわった。

やっとOKになったので今度はひとつづつ電球を入れてゆく。
原因はスタジオの電球の回線だった。

とりあえずは騙し騙しではあるが電気はつながった。
こたつの中で仕事をするぞ!!

Posted by ファンキー末吉 at:15:29 | 固定リンク

2011年1月10日

ラップ歌手のミーティング

今回は本人抜きでミーティングが行われた。

「個人的な問題は解決しました。
頑張って曲作りに励みます」
とメールをもらっていたのでこうして極寒の北京まで帰って来たのじゃが、
実はそれ以外にもいろいろ問題が多いらしい。

事務所が連絡しても返さない。
勝手に自分で仕事をブッキングする。
出番直前にドタキャンする。

等いろいろ問題を起こしているらしい。
事務所としては「コントロール不能」ということで、
とりあえずこのプロジェクトを停止しようということである。

もちろんもらった前金は返さないが・・・

ミーティング場所には彼との連絡係も含め、
いろんなアレンジも振っていた苗佳(MiaoJia)と、
いつもながら何の仕事をやってる人なのかよくわからんDongLinという男がいた。

左手をいつもポケットにしまい、
「ヤクザとの抗争で指を失った」とかまことしやかに噂されるアヤシイ男である。

この男、昔はワシに
「スタジオを作るからお前それを自分のスタジオとして自由に使え」
という話を持って来たところからの付き合いである。

「貧民街に作ったばかりでんがな!!」
と言うと、
「マンションも借りてやるから引っ越せ!!」
と言う。

おまけに
「このスタジオを自分で使う分にはお金はいらん。
好きに使え!!
そして外部に貸して儲かった金は3割お前にやる!!」
という好条件付きである。

こちらの有名プロデューサーがスタジオをいくつも持ってたりする話を聞くが、
それがどういうシステムなのかがよくわかった。

つまり「DongLinのスタジオ」と言ったところで通りが悪いが、
「誰々のスタジオ」等、有名プロデューサーの名前があった方が通りがよいというわけだ。

バブルの北京ではそんなスタジオが山ほど出来ている。
ワシぐらいでそんな話が来るぐらいだから超有名ブロデューサーがいくつもスタジオを持っているわけだ。

まあ結局ワシは貧民街で貧乏なアンダーグランドバンドと暮らす道を選んだが、
その後も彼は
「ロックのオムニバスを作るからプロデュースしてくれ」
とかわけのわからんプロジェクトを持って来る。

しかもどれも途中で尻つぼみになっているんだから力があるのかないのかよくわからん男だが、
このラップ歌手のプロジェクトにも恐らく金を出しているのだろう、
今では「あいつはこの男の言うことしか聞かない」ということで乗り出して来たようだ。

彼はいつものように熱く中国ロック論をぶちかます。
「崔健、黒豹、唐朝、あの時代からNiuBi(ファッキングレートの意)なロックが現れていない!!」
が彼の口癖である。

事務所は「売れるアルバムを作ってくれ」というのに対して、
彼はいつも「ファンキー、ロックだ!!NiuBiなロックを作ってくれ!!」と言う。

ワシは彼に説明する。
「ロックは時代と共に生まれ、育ってゆく。
あの頃のロックはあの時代のものなのだ」
と。

しかしワシはこのラップ歌手は次の時代を担うロックスターになれると思っている。
歌詞がワシの中国語力では全部は理解出来ないが、
要するに何か「空気」のようなものである。

アンダーグランドの底辺にいる24歳の不良の歌を、
全国の道に迷った中学生がみんな口ずさんでいる。

「あと5年したらその子供達が時代を作ってゆくことになる。
その時に彼は時代を代表するロックスターになってるに違いない」

そんな「錯覚」を人に生ませるかどうかがまた「才能」である。
そんな「錯覚」をした大人達が金を出し、
ワシという人間を引っ張り出し、
そしてその「錯覚」を現実のものにしようと走り出した時、
その本人は女と手に手を取ってタイに逃げ出した。

よくわからない。人は
「あいつは母親がいなかったからなあ・・・
女っつうのに対する感情が俺たちとは違うんだろ」
と言うが真偽のほどもわからない。

とにかく事務所はさじを投げ、
ワシは前金だけをもらってこのプロジェクトは中断した。

ワシは言う。
「どんなに才能を持った人間でも、
上に行けるか行けないかはまた別の才能である。
彼が本当にトップに行ける人間だったとしたら、
旧正月が終わったら帰って来てまた始めるだろう。
そうでなかったらただそこまでの人間だったということだ」

ミーティングを終えて飲みに行く。
キャッシュカードの一件のため金はないが、
でも奢ってくれる友達がたくさんいて、
院子には電気が来てないが泊めてくれる友達がたくさんいて、
そう言えば昔のロッカーはみんな、
国から与えられる単位(職場)を放棄して毎日友達んとこで酒飲んでそんな生活をしてたなあ・・・

今は昔、変わるものは大きく変わるが、変わらないものは全然変わらない。
ワシはまだまだ変わらずに生きてゆこう・・・

Posted by ファンキー末吉 at:12:44 | 固定リンク

その続き・・・

銀行に行った。
9時に開くというので8時半に行った。
「今日は担当者がおらんので明日9時に来い」
と追い返された。

今日は日曜日。
中国の銀行は年中無休だが、
さすがに日曜日にはやれない業務もあるのか・・・
とあきらめようと思ったが、
ふと手元を見ると持ち金がない。

カードを紛失したのは農業銀行、
ワシのカードは招商銀行なので、
とりあえず招商銀行に行ってカードを再発行出来ないか聞いてみよう。
前回から更に数年が経過しているため、
パスポート番号が更新のためまた変わっている。

まあどちらにしろめんどくさいのだ・・・

農業銀行よりは大きな銀行である。
心なしか対応もよい。
順番待ち番号を取る前にお姉ちゃんが事情を聞いて教えてくれる。

「カードの再発行は最低でも1週間かかります。
その銀行が翌日カードを返してくれると言うなら、
うちであなたがそのカードの持ち主だという証明書を出しますので、
それを持って明日そちらの銀行に行くのが一番早いですよ」

親切に順番カードまで取ってくれて無事証明書発行!!
午後からミーティング!!

Posted by ファンキー末吉 at:12:31 | 固定リンク

2011年1月 9日

極寒の北京に着いたら悲しいお知らせ3連発!!

常夏のペナンから極寒のペキンである。
気温差40度・・・

マイナス15度の北京空港に降り立った時、
迎えに来てたLaoWuから「悲しい知らせ」を2つ聞いた。

ひとつは友人が結婚祝いにプレゼントしてくれたオンボロジープ。
車検に出したのだが、もう製造20年経ってしまったので車検が通らないというのだ。

ボロくってすみません号・・・
君は中国ロックのために本当によく働いてくれた。
修理代が購入代よりも高くかかってしまったが、
君と暮らした5年間のことは忘れない・・・

Borokuttesumimasenngou.JPG

そしてもうひとつは「院子が数日停電している」ということ。
これは命にかかわる!!

もともとマイナス15度のところにあるただの「コンクリートの箱」なのだ。
コタツもエアコンも使えないとなると寝たらそのまま凍死してもう起きて来ないことにはなるまいか・・・

服を着込んで、ドテラまで着込んで布団に入った。
朝早くLaoWuに起こされる。
旧正月で田舎に帰る彼を送りに行くのだ。

空港に着いて暖をとってる時に発覚した。
キャッシュカードがない!!!

夕べ村の近くの銀行でお金を下ろした後、
どうもそのままATMから取り忘れてしまったようだ・・・

中国では1回の作業で2000元しか取り出せず、
更に続けるには「継続」を押し、
それで終わりなら「カードを取り出す」を押す。

「カードを取り出す」を押したらそのカードを忘れるわけはないので、
きっとそのままにして現金だけ取って帰っていったのだ・・・

当然ながら次にこのATMを触る人はもう暗証番号は入っているのだから、
1日の限度額2万元までそのままお金を引き出すことが出来る。

しかし私のカードは
現金を引き出したら自動的に携帯にショートメールで知らせてくれるので、
現状ではまだ誰かが引き出したということはないようだ。

「すぐ行ってカード取って来る」
と言うワシをLaoWuが止めた。

「まだ銀行開いてないから無駄だよ」

どうも中国のATMはそのまま30秒操作されなかったら、
カードを回収したまま機械を停止してしまうらしい。
銀行が開いたら職員はそのカードを回収し、
引き続きATMが使えるようにするのだと言う・・・

銀行が開いて幸いカードが回収されていたとしても、
中国の銀行は通帳がなくカードと暗証番号だけなので本人確認が大変である。

前回は(こちらに顛末が)
パスポートが更新によりパスポート番号が登録してたのと変わってたので大変だったが、
今回はその時から既にまた更新されているのでまた大変である。

こんなことなら10年のパスポートにすればよかったと思うが、
5年のパスポートでも出入国のハンコでいっぱいになるので無理である。

うまくいけばおなぐさみ・・・
いかなければ・・・

ワシの今まで中国で稼いだ金を全て失うことになる・・・

Posted by ファンキー末吉 at:08:26 | 固定リンク

2010年12月22日

あかん・・・中国のTwitterにハマってしもた・・・

何度か書いたか中国では国家が
TwitterだのYouTubeだのにアクセスするのをブロックしている。

まあ一党独裁国家で人民が敵国アメリカのサーバーで好き勝手に反政府運動を繰り広げられては都合が悪いのだろうが、
ここが「上に政策あれば下に対策あり」の中国人の凄いところで、
別に国家がアメリカのサイトにアクセス出来ないようにしようが関係ない!!

YouTubeの代わりにはYouKu
そしてTwitterの代わりには微博がある。

ページに行ってもらえばわかるが、
何とフォロアーの数が桁違いである!!

ワシの日本の知り合いで一番フォロワーが多いのは、
中国関係で知り合った蓮舫さんだが、
それでもフォロワーは20万人である。

ところが中国の知り合いは桁は数百万なので恐れ入る!!!
自国にこれだけ人数がいると別にアメリカに頼らなくても自分たちで全部出来てしまうのだ・・・

友人に
微博やれよ、自分のプロモーションにも役立つよ」
と言われて、
まあ登録するだけならと思ってIDだけは取っておいた。

ところがここに来て誰かがワシのアカウントで
「私はファンキー末吉です。フォローして下さい」
と呟いたもんだからたまらない。

誰がやったかわからんが、
きっとワシが使った友人のパソコンにそのままIDが残ってたのだろう。
それを 知り合いの有名人がRTしたもんだから、
いきなり「ファンキーさんも始めた」とばかりいろんな人がフォローし始めた。

つぶやいたらいかん、つぶやいたらいかん・・・

そう思いながら数日、
ここに来て黒豹のドラマー、趙明義のつぶやきを見てついつぶやいてしまった。

临沂の友人達よ!詳細を教えてくれ!!
誰かが黒豹の名前を使って商売をしている!!
黒豹は今北京にいるのに誰が今日临沂でコンサートをしてるのだ?!!
これは詐欺だ!!」

おりしも临沂のワシが行った時のパール倶楽部のオーナーから
「黒豹のボーカルの秦勇が来るんだけど遊びに来ないか?」
とメールをもらったばかりである。

調べてみるとその体育館コンサートに秦勇を呼んだ主催者は、
堂々と彼が黒豹から脱退前の写真をポスターに使って宣伝したのだ。

HeiBaoGuangGao.jpg

そのつぶやきを临沂の公安局が返信するほどの騒ぎになっている。


もともと黒豹というのは中国で最初に「海賊バンド」が現れたバンドである。

もう20年近く前であろうか・・・
当時「ロック」というだけでテレビには出れなかった時代、
大ブレイクした黒豹の曲は全中国人が知っているが、
いかんせん誰もその顔をはっきりと知らない・・・

顔を知る術はその発売されたカセットテープのみである。

そこである若者はこんなことを考えた。
「あのカセットテープの写真のような格好をして、
バンドを組んで彼らのコピーをし、
自分たちが「黒豹」だと名乗ってコンサートをしようじゃないか・・・」

黒豹本人が認識しているだけで2件そういう事件があったんだから
実際にはもっともっとこんな輩が現れていたのだろう。

どうしてこれが発覚したかと言うと、
一生懸命コピーはするもののやはり素人である。
体育館クラスのワンマンコンサートで、
客が次第に気がついて来た。

「これはひょっとしてニセモノではないのか・・・」

誰かが「ニセモノだ!!」と叫んだが最後、
数万人の観客は「騙された」とばかりステージになだれ込み、
そのバンドのメンバーをめった打ち!!

まあだから発覚したのだが、
発覚してないコンサートはきっと山ほどあったことだろう・・・

懐かしくてつい彼に向かってつぶやいてしまった。

いやー懐かしいねえ・・・李慧珍のレコーディングの時にもお前、
「黒豹の名前を勝手に使うな」と言って大もめした
ねえ・・・

日本語だけど写真があるからこのブログのアドレスを見せてやろうと貼付けたら、
当の本人の李慧珍がそれを見て、
「ファンキーさん・・・私・・・涙が出てきちゃったわ・・・」
と発言。


彼女はその後ワシのプロデュースによってヒット街道を走って今がある・・・

この話は中国でも有名で、
ある日など地方のテレビ局が
「彼女をびっくりさせたいのでサプライズゲストで来てくれませんか」
と安徽省まで呼ばれたことがある。

番組の中でワシが登場したら彼女は号泣・・・
ベタだったがいい番組だった・・・


そしてふと見ると・・・5分間に10人ずつワシのフォロアーが増えている・・・

あかんやん!!
日本のTwitterだけでいいかげん大変やのに中国のまでやってられるかい!!

しかしモノは考えようである・・・

中国ではUstreamも規制されているが、
ツイキャスなら中国からでも見れる。
このアドレスをつぶやいといてやろう・・・

明日は西野さんのライブで高田馬場に行く。
あの超絶ブルースギターを中国人に生中継してやろうじゃないか!!

いろんな有名人がツイキャスで生中継して、
当然ながらそれを見る人は全て日本人である。
中国人しか見ないツイキャスなんて非常に面白いんではあるまいか?!!

明日このアドレスでライブ配信します。
メンバーが許せばリハから配信しようと思うけど、
すまんが明日は全部中国語で解説してみようと思う。

何人の中国人が見るだろう・・・
中国語でつぶやかにゃつぶやかにゃ・・・
(注:日本のTwitterにはそのつぶやきは反映されませんのであしからず)

Posted by ファンキー末吉 at:23:50 | 固定リンク

2010年12月20日

女性ロック歌手「李漠(LiMo)」のその後

いい話があったのでここでご紹介しときたい。

李漠(LiMo)あれから一度訪ねて来た。

「ファンキーさん、私・・・今後のライブでの収入をバンドと分けることにします」

レコードが商売にならない中国ではコンサートでの収入だけが全てなので、
ソロでレコードを出した彼女にしてみたらこれは並大抵の決断ではない。
ワシの知る限り中国でこのような決断を下した歌手は皆無である。

ワシは言った。
「お前もクソ貧乏なんやから一生とは言わんでええ!!
向こう一年とかな、メンバーも銭金やない、気持ちの問題や!!」

LaoLuanにもすぐさま電話して、
「今後李漠(LiMo)のライブがあったら
ワシやのうてあのバンドのメンバーをブッキングしてや!!
メンバーの都合が合わんかったらワシがやってもええけど、
まずは優先的に彼らにやらしてやってや!!」
と伝えた。

これでいいのだ!!
貧乏でも仲間がいればこの国では生きてゆける。
頑張れ李漠(LiMo)!!

・・・と思ってたらここに来て状況が一変した。

LuanShuとやっていた映画音楽の仕事が終わり、
この年末に公開されるということで大々的に記者会見が行われた。

中国に一大北海道ブームを巻き起こし、
中国人観光客が北海道に大挙して押し寄せ、
観光収入が激増したと知事が感謝状を贈ったというエピソードもある、
その大監督が撮ったその続編の映画であり、
彼の前作「唐山大地震」は100億円を越す興行成績を残しているという、
言うならば今中国で一番売れている監督の期待の最新作である。

その主題歌を李漠(LiMo)が歌った!!

監督はLuanShuに面子を重んじて、
この大作の貴重な主題歌を彼んとこの無名の新人に歌わせたのだ。

全中国人が注目する記者会見で彼女はこの歌を歌い、
そのプロモーションビデオはこの監督自身の手によりこの映画を編集して作られた。


(ブラウザによって再生出来ない場合にはこちらへ)

《最好不相见》
曲:栾树 词:仓央嘉措 演唱:李漠

最好不相见,便可不相恋。
最好不相知,便可不相思。
最好不相伴,便可不相欠。
最好不相惜,便可不相忆。
最好不相爱,便可不相弃。
最好不相对,便可不相会。
最好不相误,便可不相负。
最好不相许,便可不相续。
但曾相见便相知,相见何如不见时。
安得与君相诀绝,免教生死作相思。
最好不相见,便可不相恋。
最好不相知,便可不相思。
最好不相伴,便可不相欠。
最好不相惜,便可不相忆。
最好不相依,便可不相偎。
最好不相遇,便可不相聚。


中国の古い詞を用いたこの曲は一瞬にして全ての中国人の心をとらえた・・・

昨日LuanShuから電話がかかって来た。
「ファンキー、いろいろありがとうな。
おかげで李漠(LiMo)のHPは2日でアクセス1千万を越えたよ」

もともとはと言えばお前が
「こいつを何とかしたいんだ、頼むよ」
と言ってワシに預けたのだ。
ワシはアルバムをレコーディングしてやるぐらいしか出来なかったが、
最後にはお前が自分の手で落とし前をつけた。

これでいいのだ!!

大々的に配られている彼女のプロモーション盤にはちゃんと、
バンドのメンバーの名前もワシの名前もアホのアシスタントの名前もクレジットされている。

LiMoCredit.jpg

ド貧乏なひとりのロック歌手が一夜にして大スターになった。
ワシの助言は彼女を取り巻く全ての人間を幸せにした。

これでいいのだ!!

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2010年12月17日

だいたいがそんなに予定通りにいくわけがない・・・

北京空港に着いたらすかさずアホのアシスタントに電話する。

「んで? 最初のレコーディングは結局誰になったの? BeiBei?」

その最初のレコーディングの人がミーティング終わりでワシを2時に迎えに来て、
そのまま一緒に院子に帰ってレコーディングという段取りになっている・・・

・・・はずである・・・

「あ、BeiBeiはレコーディングしないそうです」
ひょうひょうと答えるアホのアシスタントにちょっとキレそうになりながら、
「あ、そう。じゃあ紅焼肉楽隊は?」

紅焼肉楽隊のことはよくわかりませんが・・・私のレコーディングは明日の朝9時です」

だいたいワシは数日前から彼に、
「滞在時間は2日間だけである。
BeiBeiが2日間押さえているが、紅焼肉楽隊もやりたいというので、
お前が全てに連絡取って時間調整して、
最初にレコーディングする人が2時にワシを迎えに来て・・・」
とメールを書いているのに、
結局こいつは自分のレコーディングしかブッキングしてないのだ・・・

力なく電話を切ってBeiBeiに電話する。
「今日はレコーディングないの?!!」
心なしか語気がちょっと荒い・・・

「あれ? ファンキーさんは今回は紅焼肉とか他の仕事が忙しいんでしょ?」
「他の仕事は関係ない! お前はやるのかやらないのか?!!」
「いや今回はベースの韓陽がツアーでいないから出来ないんです・・・」

元はと言えばこいつが
「ファンキーさん月末に一度リハーサルして、
じゃあ来月は16日と17日に2日間かけて録っちゃいましょう」
というから今回の行程を組んだのだ。

日にちを決める前にちゃんとミュージシャンのスケジュールを押さえとかんかい!!!

というわけでデブに電話する。
「いつでもレコーディング出来るぞ!!メンバー招集しとけ!!」

力なくラップ歌手のミーティング場所に着く。
このプロジェクトだけがちゃんと前金をもらっているのでこちらとしても力が入る。
予定をオーバーしつつ中国の音楽市場について力説し、
大体の方向性と今後のスケジュールを決め込んでゆく。

後は旧正月にそのラップ歌手を日本に招聘して、
そこでリーディングソングを数曲レコーディングしてそのままTD。
旧正月開けにはその他の楽曲を仕上げて、
予定通り春にはアルバムをリリース・・・と・・・

「ところで新曲が全然上がって来ないんだけどどうしたの?」
とちょっと元気のないラップ歌手を心配してみる。

「彼はちょっと心情不好なんだ・・・」
と周りが笑いながら言う。
「何だ何だ? 色恋沙汰か?・・・ま、いい。日本にはその彼女も来るんだろ?
温泉連れてってやるから!! お前は全身入れ墨なんで無理やけど・・・」

冗談も交えながら普通に受け答えていたが、
後で聞いたら色恋沙汰から派生した暴力沙汰だそうである。
まあ彼は被害者なのだそうだが、今中国ではネットで大きく騒がれているらしい・・・

「それより何より彼のビザって本当に下りるんですか?・・・」
スタッフが心配そうに聞く。

聞けばどうやら犯罪歴もあるようだ・・・

ワシの横にちょこんと座っているおとなしい少年・・・
ステージでは全中国の若者を魅了するこの少年は実はとどのつまり・・・

・・・全中国の不良の親玉なのだ・・・そしてワシはその親分・・・(涙)

ビザは下りんじゃろ・・・旧正月明けたら北京でゆっくりレコーディングしましょう・・・

Posted by ファンキー末吉 at:09:48 | 固定リンク

2010年12月16日

こなせるのかこのスケジュール?!!

先月は和佐田のツアー中国などで数日しか家にいなかった。

ツアーから帰ってすぐ「また中国行かにゃぁ・・・」とこぼしたら嫁が涙目になったので、
とりあえずは爆風のライブもあることだしということで日本にずーっといたら、
結局今回北京に行く数日に全てのことをやってしまわねばならない・・・

今から数時間後には羽田に行って北京に飛ぶが、
正午に着いてまずラップ歌手の制作ミーティング。

これは既に前金をもらってしまったので最優先にさせてもらっている。

1時にそいつの事務所着いて、
DEMOなど聞かせてミーティングして、
基本的に2日間レコーディングで押さえているBeiBeiに迎えに来させて、
一緒に院子に帰ってレコーディング・・・

・・・と思ったらデブからメール・・・
「ファンキーさん、この2日間で紅焼肉楽隊のレコーディングリハする時間ありますか?」

「んなん知らんがな、BeiBeiに聞きなはれ!!」
とばかりうっちゃっていたが、また何がどうなってるのかBeiBeiが連絡が取れない。

国際電話かけるのももったいないのでアホのアシスタントにメールして振っておく。
しかしこんな時に限ってこいつは仕事を取って来るのだ・・・

「ファンキーさん、この2日間で1曲ドラムのレコーディング出来ますかねえ・・・」

お前が全ての人間に連絡して時間を調整すんならワシはかまわんぞ!!
まず16日は正午に着いてラップ歌手の事務所でミーティングするので、
最初のレコーディングの人はワシを2時にそこに迎えに来なさい。
その後その日は夜中まで入れ替わり立ち代わりレコーディングすればよろしい。
次の日は朝からすればよろしい。
ワシは夜の8時には出発して揚洲に向かうからそれまでの時間は全部お前に任せた!!

アホなりに頭を使ってそのレコーディングは次の日に朝に入れたようだ。
どこの世界にもロックミュージシャンは朝起きないので賢明な判断である。

それでもメールでアレンジした仕事のミーティングは入れられるやわからないし、
旧正月に招聘するラップ歌手の手続きもやる時間があるやらわからない。

なんじゃかんじゃで揚洲に行ってしまえばこちらのもんである。
「没問題(MeiWenTi)」という言葉があり、いわゆる「ノープロブレム」なのだが、
それと平行して「没办法(MeiBanFa)」という言葉もよく使う。
「There is no choice」すなわち「しゃーない!!」である。

Wyn Davisが中国に来た時にこんな言葉を残した。
「そりゃノープロブレムじゃろ・・・何事も全部しゃーないんやからなあ・・・」

北京にいなけりゃそりゃ「没办法(MeiBanFa)」・・・
せやから「没問題(MeiWenTi)」、全てOKなのである。

さてワシはそのまま夜汽車に揺られて揚洲まで行って、
18日の朝に着いてそのままドラムクリニックを行う。
終わったらお決まりの大宴会・・・

しかしワシは19日の夜にはでプロJam爆風スランプ大会のセッションリーダーをやらねばならない。

揚洲という場所がどこにあるかようわからんが、
一番近い国際空港は上海のようだ。

終演後に酒を飲み、そのままそこのパール倶楽部のオーナーがワシを車に乗せ、
5時間かけてワシを上海空港まで乗せて行ってくれるらしい・・・

ほんまに間に合うんか?・・・

予定通り朝一番の飛行機に乗れれば午後2時には成田に着いて、
そのまま夕方には八王子についてセッションをしているはずである。

では日本のみなさん!!19日にLive Bar X.Y.Z.→Aで会おう!!
(順調に行けばの話やが・・・)

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2010年11月16日

いっぱい仕事したどー!!

昨日いち日ふて寝したので今日は働いた。

まず午後からラップ歌手のミーティング。
散歩も兼ねて歩きとバスと地下鉄で相手の事務所まで向かう。
1時間ちょいということはこの貧民街は日本で言うと八王子ぐらいの位置にあるのね・・・

着いたらラップ歌手はギタリストを連れて来ていた。
今彼が一緒にいろいろDEMOを作っている相方だ。

通常こういう場合は話がややこしくなる。
会社が選んだプロデューサーより、
いつも一緒にやっている人間の言うことしか聞かなくなるというのはよくある話だ。

しかしこのギタリスト、苗佳(Miao Jia)張楚(Zhang Chu)のバンドでも一緒だったし、
今まさにレコーディングしようとしている紅焼肉楽隊のギタリストでもある。

RUN DMCがエアロスミスのWalk This Wayをカバーしたように、
「X.Y.Z.→Aのカバーやんなよ」という意見にも一緒に飛びついて来る。

事務所の社長も飛びついて来た。
この事務所の社長も古くからの友達である。

金を出すのは事務所だが、
その事務所の人間が全面的な信頼を置いてくれるということは非常に仕事がやりやすい。

じゃあ帰ろうと思ったらもうひとり来るから待ってくれと言う。
待ってたら別会社のDである。

きっとこのプロジェクトに投資してるのか何かであろう。
彼には数年前「ロックのオムニバスを作るぞ!!」と声をかけられ、
あてにしてX.Y.Z.→Aの中国語バージョンまで作って企画が流れてしまっているので貸しがある。

「ファンキー、NewB(牛のおま○こ、つまりファッキングレートの意)なRockアルバムにしてくれよ」
の一言で終わる。

ここで全ての関係者のベクトルがひとつに集約した。
「ファンキーに頼めば世界レベルのRockになる」
これだけである。

知り合い以外が関係者にいない、
この状態をなし得るまでにワシは20年の月日を費やしている。
ロック界でファンキーを知らなければ「モグリ」なのである。


あと重要なこと、事務所と契約書を交わしてサインした。

これは昔にはなかったことだが、
金の支払いまでちゃんと明記されており、
明日にはちゃんと前金が振り込まれるだろう。

仕事成立!!

別れ際に苗佳(Miao Jia)がワシの肩を抱いてこう囁く。
「ファンキーさん、いろいろ助けて下さいね」

ワシは言う。
「助けてもらいたいのはこちらの方さ。
ラップ歌手とワシの間に立っていろいろよろしく頼むよ」

彼は言う。
「いやいや、僕はいろいろあなたから学びたいんです」

どうも金ももらうつもりはないようだが、
いやいやちゃんとギャラは払いますよ。
プロデュースの名前に一緒に連ねてもいい。
こういう損得なしで燃えている人材が一番必要なのよ!!


みんなと別れて張張を訪ねて行った。
彼がプロデュースしている歌手のアルバムのミックスをファンキースタジオ八王子でやりたいと言うのだ。

中国のデブでも日本のデブでも仕事をくれるデブはいいデブである。
(鄧小平の白猫黒猫の理論より)

別にデブは今日のレコーディングが終わったらデータを持って来ると言うのだからわざわざ行かなくてもよかったのじゃが、
その歌手というのが会ったことのない人なので、
これは一度脅しをかけに・・・いや、ちゃんと面通ししに行かねばと思ったのだ。

想像するにこのプロジェクトはその歌手が自分で金を出している。
そしてどんな人間にも「感情」があり、中国人は特にそれが強い。
大事な金を払う相手をちゃんと見極めておきたいというのは人情である。

そのスタジオとやらは初めて行くスタジオだったのじゃが、
そこのエンジニアがワシのソロアルバムを聞いて育った世代だった。

「やっぱりファンキーさんでしたか。あのアルバム聞いてました。
一緒に写真を撮って下さい」

こういうシチュエーションはその金を出す人に大きな安心感を生む。
すかさずデータの受け渡しについていろいろ打ち合わせをし、
ミックスの方向性、特に中国のマーケットにどう合わせるかを話し合う。
この辺は外国人ではまず出来ない技なので先方には更なる安心感を生む。

最後に金の支払いについて話をして終わり。
みんなワシが必ず前金を取るのを知っているのでそれも尊重してくれる。


院子に帰ってしみじみ思う。
ワシは20年ここにいるからそれが出来るのだ。

どんなところにでも10年頑張れば地盤が出来、
20年頑張ればそれなりの地位が出来る。

日本やアメリカに仕事を振る時に、
「高いだろ」
と言われたら必ずワシは
「中国値段でいいよ」
と言う。

「悪いねえ・・・」
とみんな言うが実はわかっていない。
不景気のどん底であがいている日本より、
ドル安であがいているアメリカより、
バブルまっただ中の中国の方がヘタしたらギャラが高いのだ!!

まあ今は円高なので両替して持って帰ろうとは思わない。
突然没収されるリスクはないとは言えないが、
北京のスタジオの維持や何やらこちらでも金が出てゆくのだから仕方がない。

日本政府よ!!円高をいつ止めてくれる!!!

ま、どっちでもいいけど・・・

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2010年11月15日

ふて寝するしかないなあ・・・

北京に帰り着いた。
寒い・・・

もともと今日は紅焼肉楽隊のレコーディングであった。
しかしドタキャン。

もともとBeiBeiのレコーディングとスケジュールの取り合いをしてたんだから、
じゃあBeiBeiのをやるかと思ったら北京にいない。

じゃあラップ歌手のShuangzのアルバムから着手するかと思ったら連絡が取れない。

3つのアルバムを同時に録ろうと言うんだぞ!!
ワシが北京にいるうちに少しでもドラムを録っとかにゃおらん時にダビングとか出来んじゃろ!!

というわけで3つとも停滞・・・
ということは3つともまたいっぺんに始まるということなのだ・・・

なんでこうスケジューリングがうまいこといかんかのう・・・
全てが行き当たりばったりやから仕方ないが・・・

それをうまく処理しようとあがいてるからあかんのやな。
こっちも行き当たりばったりでやらな噛み合ん!!

次に北京に来れるスケジュールを見てみたら、
秘蔵っ子ツアーが終わって五星旗オリジナルのライブをやった翌日。

今回日本に帰ってすぐ秘蔵っ子ツアーに出て、
帰ってまたすぐ北京に飛んだら今月は全然家庭におらんっつうことやないの!!

いかんいかん、いくら仏の嫁でも鬼の嫁に変身してしまうじゃろ・・・

爆風のライブが終わった後は数日空いているが、
全中国ドラムクリニックがここで上海か広州を入れようとしている。

一ヶ月前に行き当たりばったりのスケジュール入れるんやめようや・・・

そこがダメなら次の週末と言うが、
クリスマスっって飛行機高いやろうしやめようや・・・

みなさんねえ!!
ワシに仕事して欲しければちゃんとスケジューリングやろうよ!!
いついつからいついつまでってまずスケジュール押さえてから、
やるべきことは先先にやって、後は飲むなり遊ぶなりすればええんとちゃうの!!

っつうこってふて寝!!

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2010年11月 9日

レコーディング3本

中国で「仕事」と言ってもそれが即「仕事」となることは少ない。
昔は「胃袋で仕事する」と言われてたように、
まず一緒にメシを食って、そしてやっと「仕事」になったのだが、
もう中国に来始めて足掛け20年にもなると最近はそれもない。

その代わりやっぱり「話半分」に聞いてないとダメである。
「これをやるから頼むよ」
と言われてそのまま順調に仕事になることは少ない。


ラップ歌手のアルバムも全然動いていない。
「じゃあお金提示して」
と言ったら全然よりつかなくなるのだ。

しかしもう「契約した」と言うからあと一歩だろう。
「お話ししたいことがある」とまた呼び出されている。

そんな時は
「毎日院子でレコーディングしてるからお前が来い」
と言っておく。
いちいち付き合ってちゃ身が持たない・・・


昨日は張張紅焼肉楽隊を連れて来た。

というより
「僕も紅焼肉楽隊に入ったんだ。
メンバーはこれで全部、つまりドラマーがいないんだ。
ロックと言えばファンキーさん、是非ドラムを叩いてくれないかなあ・・・」
と言う。

じゃあとりあえず音を出してみよう・・・
ということでレコーディングスタジオにアンプやらPAやらを持ち込む。
うちも別部屋にちゃんとリハーサルスタジオを作っておいたのだが、
隣の布衣のリハスタでやった方が早いので今では倉庫になってしまっている。

RehearsalInYuanz.jpg

Wyn Davisの「ブースには物を置くな」という言いつけを守って、
最初はがらんとドラムだけだったのが、
ギターダビング用にアンプは数台起きっぱなしだし、
ベースアンプからPAまで来てしまったらちょいと狭い・・・
部屋鳴りを重視してドラムを隅っこに置いてないのでなおさらである。

しかし八王子のスタジオで8人でリハーサルしたことを考えるとまだマシである。

リハが終わり、「じゃあこんな感じでアルバム1枚録ろう」ということになって、
張張にちょいと耳打ちした。

李漠(LiMo)の話、聞いたか?
メンバーがちゃんとレコーディングfeeについて話し合ってないと、
結局契約は歌手名義になって一銭ももらえないということになりかねんよ。

中国は印税がないので、収入は全てライブでの収益にかかっている。
しかしレコーディングして発売されたアルバムが歌手名義になると、
ライブも歌手名義になって、そのギャラをバンドで等分する歌手は少ない。

来週からレコーディングしようという話になっているが、
どうせまた金の話がちゃんと出来なくて延びてゆくのだろう・・・


ちゃんと順調なのは今日からレコーディングが始まるBeiBeiの2ndアルバムだけである。

順調と言っても
「2枚目作るぞ!!」
と言い出してもう半年ほど経っているのでその程度のものなのだが・・・


また中国では実際に仕事が始まったら〆切が異様に早い。
(まあ始まるまでもたもたしてるんだから当たり前なのじゃが・・・)
だからきっと年末はこの3つのレコーディングを同時にやってるような気がする・・・

とりあえずやっつけられる仕事からやっつけてしまおう・・・

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2010年10月17日

中国の結婚式

日本ではほとんど人の冠婚葬祭には出ない!!
出ようにも「礼服」とやらを持ってないのだ!!

中国では別に葬式も普段着でよいので出たりするが、
結婚式にはなかなか縁がなくて列席出来なかった。

古くは唐朝のギタリストの結婚式に出たのが6年前、
この時は純中国風だったが、その後仕事仲間の結婚式に出た時は純正洋風だった。

今回はこちらで秘書をやってくれてた石蘭が結婚するという連絡をもらい、
重慶を日帰りで帰れば参加出来るとばかりよろこんで参加させてもらった。

お相手は元その上司であった横澤さんと言うが、
長い付き合いじゃがそんなこと全然知らんかったぞ!!!!

ま、いい!!めでたいことである。
いくら普段着でいいと言っても日本人も多く列席するであろうから、
先日香港で買った中国服を着させて頂いた。

ShiLanJieHunYiFu.jpg

しかしズボンは持ってないのでいつものジャージである。
許せ!!!

まあいい、服装は別に「自由」なんだからジャージが悪いとは言わせないが、
問題は「紅包(HongBao)」つまりご祝儀である。
日本でもこの辺はほんとによくわからないのだが中国でもなおさらである。

とりあえず「紅包(HongBao)」の封筒を買ってタクシーに飛び乗る。

ShiLanJieHunHongBao.jpg

タクシーの運転手に
「結婚式行くんだけどいくらぐらい包めばいいかねえ」
と聞くと、
「800元から始まって1800でもいいし、2800でも、
要はその人との関係がどれだけ深いかによるなあ」

そんなに高いんかい!!

数年前まで300元ぐらいだったのにもう数倍にも値上がっているぞ・・・
しかもタクシーの運転手のような「庶民」がそう言うなら、
業界人の石蘭なんていくら包めばいいんじゃ?・・・

ちなみに「八」という数字が末広がりで縁起がいいというので「八」に絡む数字にすると言う。
日本では2万とか「2で割れる」数字は縁起が悪いと言うので、
じゃあ日本円なら「1万円」か?・・・少なければ次は「3万円」やのう・・・

どの道困った問題である。
ワシは社会常識がないのじゃ!!
「社会常識を勉強するヒマがあったら音楽理論でも勉強してた方がなんぼかいい」
と思ってこの年になってしまったんだからもう取り返しがつかない。

とりあえず「1万円」にしたが少なかったかのう・・・

会場はホテルの宴会場、式は純然たる西洋式だったが、
ところどころに中国式な儀式があって興味深かった。

ShiLanJieHunDaoCha.jpg

まずは新郎新婦のご両親を舞台に上げて、
新郎が新婦の両親にお茶を飲ませる。
そして新婦が新郎の両親にお茶を飲ませる。
新郎の父君はお亡くなりになっていたので母君だけだったが、
石蘭が日本語で、
「お母さん、お茶をどうぞ」
と言ってたのが興味深かった。

中国では「結婚」というのは「家と家との結びつき」という意識が強いんだなあと改めて思った。

そしてお決まりの乾杯!!
ここで新郎新婦が手を交差して酒を飲むのが中国式!!

ShiLanJieHunGanBei.jpg

「なんでこうするの?」といろんな中国人に聞いたが何故だかわからない。
「マレーシアの中国人もこうしてましたよ」と聞いたので、
きっと中国の昔からの何かのしきたりなのであろう・・・

あとは新郎新婦が各テーブルを周り、
誰もシメをしないうちに三々五々帰って行って終わりである。

どうしてシメをしないのかも不思議であるが、まあそれも「中国」なのであろう。

今回の結婚式は平和だった。
誰も酔い潰れてないし、名物の「1対何百」のイッキ大会もない。

通常中国の結婚式だと新郎側と新婦側でイッキ大会になり、
特に新郎側は「うちの大事な娘を持って行きやがって」というのもあり、
命がけで飲まされるものだと言う。

だからだいたい結婚式にはひとりやふたり「酒飲み」の友人を必ず用意する。
酒を飲むためだけにブッキングされるのだ。

私の友人にもひとりいる。
寧夏省の友人「馬向東(マーシャンドン)」である。

YinChuanDEBU.jpg

今度は寧夏の結婚式にも出席してみたいものだ・・・

お幸せに、横澤さん、石蘭さん!!

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2010年10月15日

イベントキャンセルの実情

今日はレコーディングの途中でひとりの魑魅魍魎がラップ歌手「爽子(Shuangz)」を連れてやって来た。

先日「9月までにアルバムを完パケ」という無茶な要求をして来た男である。
当然ながら今は10月なのでその話はとっくに流れている。
今度は「来年の4月までに完パケ」という話である。

もともとこの男も少々うさんくさい。
先日
「じゃあ1曲アレンジするからそれ聞いて決めようよ」
ということで1曲アレンジしたのじゃが、
結局本人は大喜びだったもののどこからもギャラが支払われていない。

まあこっちの仕事は金をもらわなければ絶対に「使える」形にしては渡さないので問題はない。
間違っても「カラオケ」なんぞは渡さない。
そのままライブで使われて金も払わないような
そんな目に合ってたまるもんかという感じである。

アレンジ聞いて、
「ああ、ファンキーさんいいな・・・やってもらいたいなあ・・・」
と思ったらどうしても金を払わねばならないのだ。

この辺、まあこちらで覚えた処世術・・・

当然ながら本人はワシにやってもらいたいと思う。
会社もそう思うのだが、根本的な問題として実は彼とまだ契約してなかったのだ。

よくある話、よくある話・・・

いろんなところからワシに爽子(Shuangz)の話が出る。
「ファンキーさん今度爽子(Shuangz)やるんだって?」
はまだいいものの、
「爽子(Shuangz)のことでお会いしたい」
という会社も現れる始末。

今では爽子(Shuangz)はラップを歌うアンダーグランド歌手としては頭ひとつ飛び抜けた存在である。
そこにいろんな金の亡者がまとわりついて来るのは仕方のないことである。

要は「誰がワシに金を払うのか」ということである。

1曲無償でやったアレンジをエサに魑魅魍魎達を手玉に取る。
これもこちらで覚えた処世術である。

その魑魅魍魎のほとんどは「演出公司(イベンター)」である。
この国はコンサートでしか金を稼げないんだから仕方がない。
コンサートのギャラを吊り上げるまえに立派な名刺が欲しい、
つまりレコードは名刺なのである。

「大丈夫、金さえ払えばこいつに最高の名刺を作ってやるぜ」
ってなもんである。

そんな魑魅魍魎から今日聞いた話、
「どうして最近イベントがことごとくキャンセルになるのか」

中国経済は今バブル。
昔は国の組織しか企画出来なかった音楽イベントも今では誰でも企画出来るようになった。

しかし「音楽が国のプロパガンダ」だったのは今も昔、
今では「音楽は金儲け」の時代なのである。

国が金を出して企画するイベントはまだいい。
個人が能力もないのにイベントを企画して、
蓋を開けてみたらステージも作れなくてキャンセルになる、
そんなことが今日び日常茶飯事。

ワシだけでこの夏3つのイベントがドタキャンになっているが、
ベーシストの韓陽なんて一ヶ月に9つドタキャンになっているというからもの凄い。

もともとこの北京だけで1年で100近いイベントがあるというので。
全国では何百、しかもその全ての出演者は同じバンド。

じゃあと言ってその全てのバンドが儲かっているわけではない。
ひどい話になると、出演バンドが現地に着いた。
ステージは出来てない、イベントも開催出来ない。
主催者は逃げた、帰りの切符ももらえない。

そんなイベントが相次いでいると聞く。

中国のバンドの諸君!
音楽は決して「金」ではない。
しかし自分の身を守るために最低限「金を確保する術」を知らねばならない。

金のない奴ぁ俺んとこに来い!!
俺もないけどいろいろ教えてやるぜ!!

Posted by ファンキー末吉 at:23:24 | 固定リンク

不思議な現場

映画音楽制作も佳境に差し掛かり・・・と言うか全然佳境に差し掛からないんですが・・・

ワシだったら今月末に〆切だったら今頃うちでせっせこコンピュータと格闘し、
何日に監督に聞かせるからOKが出たらミュージシャン押さえてレコーディング・・・
と来るところ、ミュージシャンと一緒にあーでもないこーでもないと、
結局数日間のんびりと時間が過ぎている気がするのはワシだけだろうか・・・

ドラムなんかそんなに出番はないので、
ヒマなもんで走り書きのメモからちゃんと譜面にしてあげて、
気がついたら今日はバイオリンの人が来てちゃんとそれをレコーディングしていったり、
まあ進んでないように見えて進んでるのかも知れない。

今日は昼間に香港から知り合いが来てたので、
昼飯でビールを飲んでスタジオ入りした。
「酔っぱらっちゃったよー」
ってなもんでスタジオ入りしたところで誰もとがめる人もおらず、
ワシ抜きで制作はどんどんと進んでいるような進んでないような・・・

MusicFactry.jpg

結局ワシは酔い潰れて寝てしまった・・・

目が覚めたら目の前においしそうなつまみが・・・
「ビールあるよ」と言うので結局また飲んでしまう・・・

「晩飯はじゃあラムしゃぶでも食うか!!」
と一同レコーディングそっちのけで食いに行く。

RecordingShuanYangRou.jpg

これがレコーディング中の食事ですか?!!
ビールどころか白酒まで出て来てみんなでイッキしとるし・・・

ひとりだけ車で来ていた張張以外はもうガンガンに飲んでいる。
結局そのままスタジオに帰るんで張張以外は仕事が出来る状態ではない。
「ワシら監督するからお前仕事頑張れ!!」
ってなもんで結局飲んでいる。

DrinkingStudio.jpg

ワシはまた酔い潰れて寝てたら気づいたらみんなで録音したやつを並べて聞いていた。
17日には監督が聞きに来るそうな・・・

出来てたんや・・・

ワシが映画音楽制作をする時はシーンごとに曲番号を振って、
台本のページもつけて表にしてから片付けてゆくのじゃが、
そんなもんが全然ないんだから進んでるのか進んでないのかも全然わからない。

「明日は車で来るなよ、ガーンと飲むからな」
と言われても今日も飲んでたんだからよくわからない。

まあお役に立っているんだったらそれでいいじゃろう。
明日は明後日の重慶の用意をして行かねばならんのう・・・

Posted by ファンキー末吉 at:03:25 | 固定リンク

2010年10月12日

ところ変われば音楽制作変わる

映画音楽とかを「劇バン」と言って、
日本のスタジオ仕事では
「劇バンだからギャラはごめんね」
と言って1日で数十曲まとめて録ったりする。

ワシはやったことないが和佐田なんかはオーケストラと一発録りで、
誰かがミスをしたら全員でやり直しなので、
譜面初見でノーミスで演奏という過酷な仕事となる。

それもこれも日本はスタジオ代が世界一高いのだから仕方がない。

ところが最近では音楽ソフトウェアの充実と、
誰でも自宅スタジオを持てる環境となったので少し違って来たのは日本も中国も同じである。

ワシも北京にスタジオを作った時に「元が取れますか?」と人に聞かれたが、
音楽制作をする人間にとってよそにスタジオ代を支払わなくてもいいのはとても大きい。

今回映画音楽を一緒にやっているLuanShuも自分でスタジオを持っているので、
言ってみればスタジオは使い放題!
予算に入らないというわけである。

今回は大監督の仕事で予算もあるということで、
「生バンドでやる!!」
ということで集められたこのメンバー、
考えてみたら非常に効率的なメンバーである。

ギタリストの趙衛はそうでもないが、
キーボードの張張はピアノプレイだけでなくテクノ系のアレンジに長けているミュージシャンだし、
ベースの李劍もMacを操って器用にアレンジをするミュージシャンである。

そうなるとこの制作現場は考えてみれば非常に効率の良い音楽工場のようである。
趙衛がギターを録音してる隙に張張が音色を探し、
隣では李劍が電子系のループ等を作っている。
ワシはドラムが終わればブラスをアレンジし、
サンプルを出力してメインコンピュータに貼付ける。

ひとりの力では出来ないものをみんなの力を借りてもっとレベルが高いものを作ろうとするなんて、
団体競技の苦手な中国人らしからぬやり方である。

ここで発覚したのが最近ヤツらの使っているソフトウェアが変わって来ていることである。

録音はProToolsを使ってやるのは変わらないが、
以前はWindowsPCでCuBaseを使うのが主流だったが、
最近はMacでLogicを使うのが主流なようだ。

当然ながら海賊版である。

もう10年近く前になるが、
売れっ子アレンジャーが近々ソフトウェアを一新するのに
ハッカーの若い衆に最速のパソコンと共にシステムを発注してたので
ワシも便乗して作ってもらった。

10万そこそこの金で世界中の優秀なソフトと音色が入って届けられた時には肝をつぶしたが、
それよりも何よりもそれを使いこなすのに半年ぐらい徹夜せねばならないのが辛い。

何せループだけで何万音色あるのだ。
それぞれのソフトでどんな音色があるのか試すだけで数ヶ月かかってしまう。

それを今から全部Logicに変えてまた最初からやるのは気が遠くなるが、
しかし周りがみんなそうなって来ているなら互換性の問題でワシもそうならざるを得ない。

Logicのソフトウェアと音色は60G以上あるというのでワシのMacProにはもう入らない。
それより何よりワシはもう海賊版生活からは足を洗って、
今では日本でちゃんと正規版を買っている。
海賊版をひとつ入れてトラブルに見舞われるよりは
正規版買って業者に文句言う方がはるかに楽なのである。

「ファンキーさん、この際パソコンごと買い替えちゃいなよ」
とみんな言う。
代わりに買ってソフトも全部入れてあげるよ、と・・・
見ればMacは日本より中国の方がはるかに安いのだ・・・

いかんいかん!
そうやってまた半年間眠れない生活になるのはもうよそう・・・

アレンジャーという仕事は多かれ少なかれこのように機材の進歩についてゆかねばならないのが非常にめんどくさい。

当分ドラムだけ叩いて生活するしぃ・・・

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2010年10月11日

ドラムだけや言うたやん!!

北京に着いてそのままスタジオに行って撮ったばかりの映画を見せられる。
まだ編集したてでこれから更に30分ほど削らねばならないという段階のものである。

画面の隅には「音楽制作のサンプル」とずーっと字幕が入っている。
データなんぞ渡したらそれが次の日には海賊版になってすぐに出回る国だから仕方ない。
零点の6万人コンサートの映像を編集している時に、
外部にどうしてもデータを出さねばならないとなった時、
「ほなお前ずーっとアホなこと喋っとけ!!」
と、音に合わせて若い衆に喋らせてた記憶がある。

「冯小刚」という監督は今では中国のナンバーワンの映画監督で、
前回の映画は7億元(約100億円)の大ヒットとなり、
その前の北海道を舞台に撮った映画は、
おかげで中国人旅行客が大挙して押し寄せて来て北海道が感謝状を贈ろうとしたほどの大監督である。

ラッシュを見てそれを記者に喋ったりしないように、
データを渡された瞬間に秘密を守る契約書にサインするほどである。

今日ラッシュを見るために集められたのは、
ドラムにワシと、キーボードに張張
ギターに輪廻楽隊趙衛
ベースは韓陽が呼ばれるのかなと思ってたら艶楽隊李劍が呼ばれている。
打ち込みが出来てアレンジにも長けているからということらしいが何で?・・・

まずみんなで2時間を越える映画を見るのだが、
字幕のない外国語の映画を2時間見るのはワシとしては非常に疲れる。
実は半分ぐらいしか聞き取れてないのよ・・・

見終わったらみんなで意見を言う。
この部分はこうしたらいいよ、とか・・・

「ファンキーさん、あなたの意見は?」
と聞かれても、せめてデータもらって何度も見て一週間ぐらいくれないとアイデアなんか出まへんがな・・・

「困るなあ、ファンキーさん。
今回はドラムはあんまりないからあんたにももっと一生懸命頑張って欲しいんだ」

あーた!!前回酒飲んでこの話持って来た時
「今回は手伝って欲しいんだ。あなたのグルーブが必要だ」
とか言ってたやん!!

早い話、この大仕事をみんなで手分けして今月中に終わらせてしまえというわけなのね・・・
みなさんの後ろに隠れてこそこそしときます・・・

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2010年9月29日

歌手(Singer)とボーカリスト(Vocalist)の違い

これはワシだけのかんがえかも知れんが、
ワシは歌手(Singer)とボーカリスト(Vocalist)とは全然違うものではないかと思っている。

中国語で歌手(GeShou)と主唱(ZhuChang)と言う。

主唱(ZhuChang)と言うぐらいだから「主力で歌う」、
つまり「バンドあってのボーカリスト」である。

ワシもいろんなバンドをやって来たし、
仕事でいろんなバンドや歌手と仕事をする。

歌手がいい、ボーカリストがいいと言うわけではなく、
何となくこのふたつは全然違うものだと感じるのだ。

ワシが今まで会った人間の中で、
こいつは根っからのボーカリストだなあと感じるのが、
一人は二井原実、もう一人が老呉(LaoWu)である。

二井原はX.Y.Z.→Aで初めてバンドを一緒にやったが、
最初のリハーサルの時にびっくりしたのは、
ボーカリストのくせに誰よりも早くスタジオに来て、
ひとりで録音マイクをセッティングし、
音作りにいろいろ意見を言いつつ
「ほなこの曲はこんな感じでいきまひょか」
となったらいそいそとバンドの音を録音し始める。
最後には家に帰ってボーカルメロをあーでもないこーでもないと録音し、
「こんなんでどーでしょ?」
とバンドのみんなにメールで送る。

自分のバンドなのにねえ・・・

早い話がこの男は自分は「喉」という楽器で「バンドの一員」として参加しているという意識なのである。

思い起こせばドラムにワシ、ベースに和佐田しか決まってなかった頃、
とにかくギタリストは「自分が憧れるぐらい凄いギタリスト」にこだわった。

「こんなもの凄いミュージシャンの隣で歌える自分はなんて幸せなんだろう」、と・・・

自分のバンドじゃろ・・・
・・・ってそれ以前に「歌手」って「隣」じゃなく「前」で歌うもんじゃろ・・・

まあ二井原の例は「特殊」だろうと思ってたら老呉(LaoWu)の例はもっと特殊である。

布衣(BuYi)のドラマーとして朝陽音楽節というイベントに出た時の話、
ギタリストとベーシストはその時我々の院子にいなかったので、
結果的にワシら二人でバンドの器材を運ぶこととなる。

まあワシは特別ゲストやし、
まあ敬老精神(笑)で彼が手伝ってくれるのもわかる。
しかしボーカリストが朝から山ほどのギターエフェクターを積み込んで、
自分で車を運転して運び、着いたら自分でそれらを下ろし、
セッティングまでしてみんなの入りを待つってのはさすがに初めて見る光景である。

まあ彼がギターも弾きながら歌うギターボーカルなので普通の歌手よりはプレイヤーに近い感覚であるのも理解出来るが、
今や布衣(BuYi)と言えばアンダーグラウンドではもうかなりの名声を得ているバンドとなっている。
よくある話でその評価のほとんどは「歌」に集まっていて、
今では「バンドを呼ぶ金はないからあなたひとりで歌いに来て下さい」とまで言われる始末。

まあ呼ぶ人のとっては布衣(BuYi)の楽曲を本物が歌ってくれればそれでいいわけで、
多くのボーカリストはこの時点で「歌手」となる。

あのライオネルリッチーでさえ、
コモドワーズを離れてソロになった時のインタビューで
「ソロとバンドは何が違いますか」
と聞かれ、
「いやーソロはバンドの器材を運ばなくていいからねえ」
と答えたとか答えなかったとか・・・

だいたいバンドの一番めんどくさいのがメンバーの意見をいちいち聞かねばならないことである。
ソロになったら一人で全部好きなように決めればよいし、
ギャラだってメンバーで等分に割らなくてもよいし「独り占め」である。

中国にもそうやってバンドのボーカリストからソロになって大成功してる例も多い。

さてくだんの老呉(LaoWu)であるが、
どうしても断れなくて一度だけ一人で歌いに行ったらしい。

大概のボーカリストはこの時点で味をしめてソロに転向したりするのだが老呉(LaoWu)は違った。

「ほら、俺達いつも一緒にいるだろ、
一緒に地方行ってさあ、
一緒に演奏してさあ、
ほんのちょびっとの金もらってさあ、
それみんなで全部使い切って美味いもん食ってさあ、
飲んで騒いで楽しいじゃない。
それがひとりぼっちで行ってさあ、
孤独で居場所もなくって寂しくてしょうがないよ」

幸か不幸かこのライブが評判がよく、
いろんなところから出演依頼が相次いだ。
彼は今ではこう答えているそうだ。

「どうしても一人で来て欲しかったらさあ、
悪いけど友達5人連れてってもいい?」

当然ながら
「それならバンドのメンバー連れてった方がマシだ」
となる。

めでたしめでたしである。

何でワシが突然こんなことを言い出したかと言うと、
先日ブログに書いた李漠(LiMo)のことである。

昨日別のリハで韓陽(HanYang)に会って、
彼女はまだちゃんとバンドのメンバーに筋を通してないと聞いたからだ。
こんな狭い北京のロック界で、
彼女が契約したことどころか、
彼女が会社からいくらもらったかまでみんな知っている。

1万元と言えば彼女にとっては大金だが、
みんなで分ければ微々たるもんである。

今日のいくつかのミーティングのあい間に彼女を待ち伏せてワシはこう詰め寄った。

「その金をみんなで分けろ!
金を使っちゃったと言うなら俺が貸してやる!!」

ワシは1年間スタジオを提供して実は「金をもらう側」なのでとんだやぶ蛇であるが仕方ない。
たった1万元のために彼らが何年も頑張って作ったロックが「ウソ」になってしまったら中国ロック界にとって何よりの損失ではないか!!

今頃彼女はバンドのメンバーとちゃんと話をしているはずである。
いや、そうでなければ彼女が売れた時この歪はもっと大きくなって、
口では彼女におべっかを言いながら心の中では彼女を軽蔑するような、
そんな「歌手」になってしまうのだ。

まったくもってただでさえ中国にはそんな歌手が多いのだから・・・

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2010年9月25日

女性ロック歌手「李漠(LiMo)」

李漠(LiMo)という女性歌手がいる。

オリジナルのロックナンバーを歌い、
失礼を承知で言わせてもらうとちょっとブサイクで、
それがまた「ロック」を醸し出していていい感じである。

韓陽(HanYang)とか馴染みのミュージシャンと一緒にバンドを組み、
うちで延々1年以上アルバムをレコーディングしていた。

前回北京に来た時にLaoLuanから
「今回彼女と契約してアルバムを発売することになった」
と聞いてちょいと心配していた。

「彼女と」ということはそれはバンド名義ではないということ。
そしてそのうちでレコーディングした音源をそのまま出すということ。

うちはそりゃ人助けでやってるので銭金はどうでもよいが、
それにしてもそれをそのまま勝手に発売して何の見返りもないというのは少々面白くない。
相手がLaoLuanじゃなかったら殴り込みに行くところだ。

またバンドメンバーにとっては、
「バンド」のために一生懸命頑張って、
やっと1枚のアルバムを作り上げたと思ったらそれが個人名義のアルバムとなってしまい、
何よりもそれからブッキングされるライブのメンバーが自分たちではないということだ。

ドタキャンになったが10月2日の天津の音楽祭ではワシがドラムを叩くことになっていた。
バンドのドラマーの気持ちを考えると複雑な心境である。

要は「順序」の問題なのである。
ワシとて本人から
「あの音源発売することになったけどお金にならないの」
と言われてたら「しゃーないなー」で終わってしまうが、
本人からではなく他所から聞いたら
「どーなってんの?」
ということになる。
バンドのメンバーとて同じである。

よけいなおせっかいとは知りながら彼女を呼び出した。
とくとくと話すワシの言葉を目に涙をためながら聞いている彼女がまたブサイクでよい。

こいつが美人だったらきっとワシは助けてなかっただろう。
何より美人だったら元々こんな金にならないロックなんてやってなかっただろう。
「美人」はそれだけで金になるのだから・・・

おせっかいついでにLaoLuanに電話した。
「これはメンツの問題だ!!
あれを発売して少しでも金が入るのならそれをバンドのメンバーで分けようぜ」
金が入らなくたってそれでもいい。
これで奴らはLaoLuanとのコネクションが出来、
何らかの仕事をまた振ってもらえたりする。

中国の仕事は全て「関係学(コネクション)」で出来ている。
ひとつの仕事が金になるならないよりも「関係学(コネクション)」を作れるだけで大きな功績なのだ。

これでいいのだ!!

PS.うちで録った彼女の作品をここで聞くことが出来る。
久々に聞いたがなかなかいいぞ!!頑張れ!!

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2010年9月15日

行ったり来たりの生活がまた始まった・・・

LuanShuから先日呼び出しをくらい、
さんざん酒を飲まされて仕事を山ほど振られた。

嫁が日本で出産して、北京に戻ろうかと思ったら
粉ミルクや餃子など子供を育てるには不安な事件ばかり起こるので、
結局日本で育てることになってしまったのでワシも八王子に定住している。

「ファンキーがいないなら生ドラムの仕事はやらない」
ということで最近あんまし第一線にいなかったように見えてた彼であるが、
今回大きな映画音楽の仕事を請け負って、
「是非また力を借りたい」
ということになったということだ。

酔っぱらいながらも「映画音楽」と言われると警戒してしまう。

中国映画「瘋狂的石頭(Crazy Stone)」の音楽を担当して
その映画がタイタニックを抜く動員記録を樹立したということから、
ある年など1年に2、3本映画音楽をやりつつテレビドラマの音楽もやっていた。

もともとこの仕事も知り合いの知り合いが監督で、
「予算がないんだ」ということで人助けのつもりでやったのだが、
それがこれほどの大ヒットとなってしまったおかげで、
ワシの名前と共にワシのギャラの安さも有名になってしまったというわけだ。

朝から晩までパソコンに座って映画音楽作ってる毎日より、
毎日ドラム叩いて美味しいビールを飲んでる生活の方が楽しいので今ではこのテの仕事はやってない。

もし「1本映画音楽をやってくれ」と頼まれてたら、
いくら酔ってても「それはちょっと・・・」と言ってたところだろうが、
「今回の映画は生バンドを使いたい」ということならやぶさかではない。

聞けばヤツのギャラはワシの10倍近くあるやないの!!!

まあ銭金ではない、
ドラムを叩いてくれと言うならどこにでも馳せ参じねばなるまい!!

というわけで今日本で押さえてる全ての仕事の合間のスケジュール、
たとえそれが2日間であろうが全て押さえられた。
合間があれば北京に往復するのだ・・・

「北京にいるんだったらこれもやってもらおう」
で、その仕事よりもバックバンドの仕事が先にばんばん入る。
「譜面を書け」と言うんだから「バンマス」の仕事だろう。

昨日も1日かけて9曲譜面を書き上げた。
今月末に一度リハーサルにやって来て、
店のライブだけのために一度日本に帰って来て、
10月2日には朝イチの便で北京に飛んで、
そのまま空港に待機している車に乗せられて天津まで行く。
音楽イベントはもう始まっていて、
ワシが着き次第その歌手の出番が始まるという予定らしい。

大丈夫なんか?・・・

まあいい、中国では何とかなるのである。
今回も直接空港から入り時間に間に合っている。
まあ間に合わなくても何とかなるであろう・・・

まあ行ったり来たりだと空港で必ず泥酔して飛行機に乗ることにしているワシは
必然的に飲み過ぎとなってしまう。

たまには飲まずに飛行機に乗るとするか・・・

Posted by ファンキー末吉 at:06:26 | 固定リンク

2010年9月12日

北京も蜂!!!

日本での蜂騒動に続いて北京の院子にも蜂の巣があったことが発覚!!

「ファンキーさん、これスズメバチですよ。やばいっす!!」
と言う方言(FangYan)に
「ほな片付けといてな」
と言い残して日本に帰ったが、
真面目なだけが取り柄の彼である、
本当に自分で一生懸命駆除したようである。

その時の写真・・・

PekinmoHachi.JPG

完璧に素人仕事であるが何とか完全防備をして、
殺虫剤らしきスプレーにライターで火をつけて蜂の巣を燃やしている・・・

大丈夫やったんか?・・・

北京に帰って来たら生きてたんでまあ無事だったのだろう・・・
数々の伝説を作る彼であるが、
もしこれで火事でも起きてたら笑えない伝説になるところだった・・・

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2010年9月 7日

北京のお仕事とは

基本的に北京にいないと仕事が来ないのである。
「あ、いないのか、じゃあ別の人に頼もう」
で、いないとどんどん仕事がなくなって来るのが常である。

まあどの国もそうなんじゃろうが、
ここ北京は仕事が全て「関係学(コネクション)」で出来上がっているから尚更である。

ワシの場合はもう20年になるので「関係学(コネクション)」も強いし、
何よりも当時貧乏だった奴らが出世して一緒に仕事をしているので、
もうこれは「一生の付き合い」である。

仕事をするためにはまず「飲む」から始まるが、
(最近は大分近代化して来たが)
ワシの場合は仕事のために嫌な人間と飲んだりする必要がなく、
長年の友達と飲んでたらそのまま仕事になるので楽である。

最近は全中国ドラムクリニックツアーがまた始まったのでしょっちゅう北京にいる。
そしたら仲間内と飲むことも多く、
「ファンキーが帰って来た」
みたいな感覚が彼らにはあるのじゃろうが、
どっこいワシは「行ったり来たり」しているだけなのじゃ。

先日飲んだ時に、
「いるのか?じゃあ11日にちと仕事してくれよ」
と言うので安請け合いしてたら、
小さなチャリティーライブではあるが、蒼々たる大物歌手達のバックである。
「譜面も書いてね」
と言われたのできっとこれは「バンマスをやれ」ということなのじゃろう・・・

寧夏の最終日にはどこも遊びに出ずに10曲譜面を書いた。
夜の便で北京に帰って来たら2曲追加が来てた。

朝方まで書いて早起きして、
今度はそのドラム譜を書く。

自分がバンマスの時は往々にして、
曲のコード進行やアレンジの面ばかり把握していて、
実際ドラムをどう叩くのか覚えてなかったりするので大変である。

だいたいこういうのは当日の朝やることにしている。
年をとって頭も悪くなって来てるのでその日にやった方が物覚えがいいのだ。

今日、明日とリハーサルして明後日一度日本に帰り、
明々後日スペクトラムトリビュートのリハーサルをして、
その翌日朝一番で帰って来てそのままライブである。

月末には来月にもこんなスケジュールを入れてくれた。

いやいや、大変だというわけではない。
世界中いろんなところで自分を必要としてくれてるということは、
ドラマーとして非常に嬉しいことである。

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2010年9月 1日

方言(Fang Yan)の恋

北京である。
着いてさっそくアホのアシスタントの方言(Fang Yan)に捕まった。

恋をしているそうである・・・
お相手は前回布衣のツアーで寧夏省に行った時に出会った女性であるらしい。

アホであるだけに思い込みも激しいらしく、
メールで仕事のやり取りをしてるのに内容はほとんどそのことばかりである。

您也去银川么?我也很想去......
我刚回来就想再去,银川真是好地方!
而且我还遇到一个特别好的姑娘!
她很漂亮,人品正直,心地善良,我现在满脑子都在想她......

また銀川に行きたい!
行きたくって仕方がない!!
寝ても覚めても彼女のことばかりなんだ!!!
みたいなことである。

アホなことこの上ないが、
面白いので若い衆連れて飲みに行って酒の肴にした。

「お前なあ!!
そんな若くて美人で金持ちで、
性格もよくってオシャレで高級車乗り回してるような娘が、
何を間違えてお前なんかになびくと思う?
無理無理!!逆立ちしたって無理!!」

そんなワシのいたぶりを聞いて彼はこう答えた。

「Funkyさん、僕にとって結果がどうであるかは問題じゃないんです。
今彼女のことを想うだけで僕は幸せなんです。
今僕が幸せだということの方が結果より大切なことなんです」

アホのくせになかなかいいことを言う・・・

「明後日の寧夏省のロックイベントにはお前は呼ばれてないの?」
そもそもワシが今回北京に来たのもその仕事のためであるが、
明後日出発というのに誰からも連絡が来ない。
噂ではでっかい野外イベントなのに会場がまだ出来てないらしい・・・

「呼ばれてませんけど僕は自腹ででも行きます!!」

さっそく恋のお相手にショートメールを送る。
彼女も何かこのイベント主催の一角を担っているらしい。
さっそく明後日のチケットまでブッキングし始める始末。

「ファンキーさん、朝7時の飛行機ですけどいいですか?」

イベント中止やったらワシ行ってどうせいと言うの?
でも羊肉旨いし、おもろそうやから行ってくるかな・・・

頑張れ方言(Fang Yan)!
お前の玉砕はワシが見届けてやるぞ!!

FangYan.JPG

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2010年8月21日

再び香港ぬぁう!!人民元の話

なんかTwitterなんかブログなんかわからんようになって来ましたが、
先週往復7000km行って帰っただけの旅から帰って、
またすぐに香港に来ているんだから「旅好き」と言われても仕方ないが、
これぐらいになって来るともう「旅」ではなく「移動」である。

夕べの「移動」は羽田からであったが、15時半には家を出て、
八王子からバスで羽田、
そして空港で飲んで飛行機で飲んで、
香港に着いた頃には既にべろんべろんなのにまだ飲みに行く。

Twitterというのは恐ろしいもので、
ワシが何かあるごとにつぶやいているので、
地元のTwitter仲間がホテルの前で待ち伏せしているのだ。

ホテルの前のバーはエンジェルが出没するので、
チェックインもせずに荷物をひきずったままその裏のレストランに入った。


何を話したかあんまり覚えてないが、
香港在住のMac_HirakiさんとBucky_Bluesと、
とにかくべろんべろんで朝まで盛り上がった。

おふたりとも商売をなさってる方なので普段聞けないいろいろ面白い話が多かったと思う。

ちょっとだけ覚えているのが
「人民元は危険だよ、香港ドルに替えといた方がいいよ」
という話である。

ワシは中国で稼いだ人民元はそのまま両替せずに中国の銀行口座に入れている。
人民元を稼いで人民元を使って生活してたのだからそれが「自然」である。

しかし相手は「中国」である。
北朝鮮がある日デノミをやって大失敗したように、
ある日突然この人民元が紙くずになってしまう可能性もないとは言えない。

中国の銀行だって果たしてちゃんと信用出来るもんかどうか・・・

中国の銀行には口座はあっても「通帳」というものがない。
あるのはキャッシュカードだけである。

そのキャッシュカードがカードの磁気が弱ったか何かでいきなり使えなくなった!!

仕方ないので銀行に行く。
通帳がないのでカードだけを持ってゆくことになる。
身分証明はパスポートだけである。
窓口で手続きをしている兄ちゃんがパスポートを調べてこう言った。

「登録されているパスポート番号はこれではありません!!」

何でや?!!
おもむろにパニックになるワシ・・・
聞けばどうもこの口座を開いた時には前のパスポートで、
更新したらパスポート番号が変わってしまったのだ。

こうなると「お役所仕事」のこの国はどうにもならん。
何をどう頼み込んでもらちがあかないのだ。

下手な中国語を駆使して粘ること数十分。
窓口の兄ちゃんもいいかげんウザくなって来たのか、
「そしたらこのカードを作った支店に行って相談してみればぁ」
と言う。

ワシが口座開いたんこの支店じゃなかったの?・・・

あんまし記憶はないが、とりあえず言われた支店に行ってみた。
同じように新しいパスポートと使えなくなったキャッシュカードを出す。

「あら、パスポート番号が違うわねえ・・・」

今度はお姉ちゃんである。
そしてこのお姉ちゃんがいい加減だったから助かった。
「ま、いいか・・・」
とそのまま新しいパスポート番号でキャッシュカードを作ってくれたのだ!!

めでたしめでたし・・・

でも考えてみればめでたくもないぞ!!
いつどこでどんないい加減な手続きで自分のカードがいきなり人のものになることがないとも言えない。

何かトラブルが起こった時、
中国という国はこの「金」の出所を調べる。
日本円から両替したならそのレシートを提出させる。
中国で稼いだものならその出所、そして税金、
そして何よりもビザ・・・

ワシは労働ビザを持ってない・・・言うならば不法就労・・・
もらう金も全て「取っ払い」・・・いわゆる「ヤミ金」である・・・

当然ながら中国政府としては・・・「没収!!」・・・

怖いよー怖いよー・・・
かと言って全額引き出してタンス預金にすると今度は泥棒が怖い
貧民街にそんな大金持って暮らすなんて命が要らんのと同じじゃよ・・・

マジでこれは香港ドルに替えといた方がいいか?・・・

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2010年8月10日

北京和僑会設立パーティー

Keizoの嫁さんであるなるみちゃんから「出てね」と言われ、
何の集まりかもよくわからないまま参加した。

もともと和僑という言葉は、
和僑会が世界各地で設立される10年近く前からワシが使ってた言葉である。
「責任取ってタダでドラム叩け」
ということらしい・・・

ミーティングに行ってワシが真っ先に言った言葉は、
「ドラムってみなさんが考えているよりはるかに大音量なんですよ」
だった。

会場は北京有数の高級ホテル、ケリーセンターである。
もともとは1Fのビュッフェルームで叩くことになってたので、
ロビーの業務にすら支障が出る可能性がある。

それを聞いた担当者の鈴木さん、
今度はビビりまくって講演会がある会議室に移してくれということにあいなった。
その方が無難である・・・

若い衆とドラムを積み込む!!

WakyokaiDrumsetting1.JPG

伴奏を流すアンプとフルセットを積んだら車は一杯になってしまい、
仕方がないので
「それぞれタイコを抱いてから座るよーに」
ということで全員やっとこさ車に乗り込んだ。

高級ホテルの会議室にセッティング!!

WakyokaiDrumSetting2.JPG

この頃からワシは「何か場違いなんじゃないか・・・」とは思っていたが、
会議が始まり、日本大使館首席公使のスピーチが始まった頃には、
「こりゃいかんやろ・・・」
と思い出した。

ここでドラムを叩くんか?!!

WakyokaiSpeech.JPG

近年まれに味わったことのない緊張感がワシを襲う!!
経済界のお偉いさんや名だたる経営者に、
日本大使館のお偉いさんまで来られた日にゃぁ、
ワシの存在自体がもう既に「場違い」である。

だってワシは2000年から北京に住んでたが、
日本大使館に届けを出したこともなければ、
こっちでまっとうな商売をしてる人と違ってワシがもらう人民元は全て「裏金」。
ビザだって持ってないし、いわゆる「不法就労」ではないか!!

にぎにぎしく紹介を受け壇上に上がる。
こりゃ毒舌のひとつも言っておかねばならないとばかりおもろいことのひとつも言って叩き始める。

こんな場違いな場でも何とか盛り上がってくれたようだ。
よかったよかった・・・

会場を1Fのビュッフェに移して懇談会。
昔は北京にいる日本人て変わり者が数人しかいなかったのに、
今ではこんなにたくさんの人がこちらで商売をしてるのね。

ワシは中国人社会で生きてるから日本人と会うことも滅多に無いが、
店とかをやってらっしゃる方には「ノーギャラで叩きに行きますよ」と言った。
和僑同士の相互助け合いの精神である。

「その代わり飲み放題食い放題にさせて下さいよ」
というと
「その方が高くつきそうですからやっぱギャラ払います」
で落ちがついた。

みなさん、異国の地でいろいろ大変でしょうが頑張って下さい!!

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2010年8月 3日

北京帰って8時間飲んだ・・・

昼の列車に乗ったら3時過ぎにはもう北京に着いている。
中国はどこでも新幹線みたいな特急列車でつながっていてほんと便利になった。

4時にとある会社に呼ばれてミーティング。
新しく歌手と契約したのでプロデュースしてくれと言う。
聞いたら9月いっぱいでアルバム一枚?・・・無理じゃろう・・・

まあ今月中に1曲やってみてから考えましょうと言って後にした。

6時半からケリーセンターというホテルで「和僑会」のミーティング。
「和僑会」というのはワシが「和僑のススメ」とか言って講演をしてる頃から
実は全世界に存在してたらしい。
「和僑会」で検索するといろんな国の和僑会がヒットする。

ワシももともと中国人が外国に出て行って
華僑となってその国を新天地とするバイタリティーを見習え!!
とさんざん和僑和僑と口にしてたのだが、
こうして見ると日本人もなかなか捨てたもんではないなと思う。

8月8日に北京和僑会設立のパーティーがあるというので、
私も和僑の一員としてそこでドラムを叩かせてもらうことになった。

北京にお住まいの方は、ケリーセンターの豪華なビュッフェが150元で食い放題、
ビールも飲み放題が付くというのでメシ食ってドラム聞きに来るだけでもお得です。
是非お集まり下さい!!
(北京和僑会のパンフレットはこちら

ということで会場の下見とミーティングに来たわけじゃが、
いかんせん時間が早過ぎる!!

というわけで5時からひとりワインを飲み始めた。

6時半ごろ和僑会の人々がわさわさ集まって食事!!
そしてビール!!

しばらくしてワシはBeiBeiに呼び出されたので中座して飲みに行く。

BeiBeiはPairというユニットのギタリストだが、
まあよく言えば単純、悪く言えばアホである。

もともとこのユニットのボーカルと恋仲になり、
男女の喧嘩からユニット解散の危機となり、
その後ボーカルを替えて再始動した。

「お前なあ!!
歌も上手くてルックスもよくて性格もよくて、
その上自分の彼女としてもいいなんて、
中国広しと言えどそんな女性ボーカルがいるかい!!」
とさんざん説教をし、
バンド内恋愛を全面的に禁止することを条件に今もいろいろ助けてやっている。

その後いいボーカリストが見つかって今に至るが、
自分の彼女はまた別の女性ボーカルである。
去年それと失恋、ワシはまたこう説教した。

「お前なあ!!まだわからんか?!
女性ボーカルがお前を好きなのはその音楽の能力だけ!!
みんなお前を利用してんの!!
そうじゃなきゃあんな美人がお前なんかと付き合うわけないだろ!!
(むちゃくちゃ言う)
なのにお前は自分の彼女よりも自分のユニットのボーカルを大事にする。
そりゃ当たり前なんじゃがまあ彼女は怒るわのう!!
何でみすみすそんなめんどくさいことに自分を放り込むかのう・・・」

というわけで私生活でも女性ボーカルと付き合うのを禁止して今に至るが、
この日はまたひとりの美人を連れて来た。
歴代の彼女もかなり美人だったが、
今まで見たこともないぐらい美人である!!
(写真を撮り忘れた!!)

いやーワシも仕事柄歌手やらモデルやらいろんな美人と会うことはあるが、
今まで見たどのアイドルよりも美人である。

ちょっと腹が立ったので彼女に聞いてみた。
「何やってる人? 歌うたってるの? それともモデル?」

すると
「そんなんじゃないです、まだ学生です」
と答えるその仕草がまたカワイイ!!

おじさんもうむっちゃくちゃ腹立っていきなりこう聞いた。
「BeiBeiと付き合ってんの?!」

これでウンとでも言われたらもうBeiBeiを殺してしまうところだったが、
「そんなんじゃないんです。ただの友達です」
と来たもんでおじさんいきなり大喜び。
またその時のBeiBeiの情けない顔を肴に飲む飲む!!

せっかくだからもっと美人を呼ぼうということになって、
薄幸の元美人秘書を呼び出した。

そしたらなんとその美人秘書は男の子を連れて来た!!
「なになに? 彼氏出来たの?」
とからかうと、
「そんなんじゃないの、ただのお友達」
と答える。

またその男の子の情けない表情が非常におもしろい。
「あんたLiLiのこと好きなの?」
と聞くと、恥ずかしそうに
「好きです」
と答える。

BeiBeiに
「あんたこの娘好きなの?」
と聞くと同様に
「好きです」
と答える。

いやーおもしろいなあ・・・
ふたりの男がふたりの美女を好きだと言うが、
美女は二人ともその男を「ただの友達」と答える。

でもこうやって一緒に飲んでるんだからチャンスはあるだろう。

頑張れ若人!!
この美女たちはなかなか難攻不落だが、
命をかけて頑張れば夢はきっと叶うぞよ!!

いやー気がつけば夜中の1時を過ぎていた(らしい)・・・
どうやって帰ったかも覚えていない。

楽しい酒は時間を忘れるのう・・・

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2010年7月27日

北京なう!!・・・トイレの話・・・

北京のトイレ事情は昔からいろんなところでネタにされているが、
今では我が貧民街を除いてはかなり改善されている。

我が貧民街は下水(中国語では汚水という)が完備されてないので
基本的には汲み取り式のぽっちゃんである。

「トイレ」という「箱」はあるが「大便室」という「箱」はなく、
基本的には穴がいくつか開いてあるだけで仕切りはない。

BeijingToilet1.JPG

ワシも中国に来はじめて20年以上になるが、
今だにここでウンコをする勇気はない。
ましてや日本人である嫁はや、
ということで、
北京ファンキースタジオにはキャンプ用の移動式トイレを買った。

BeijingToilet2.jpg

まあこれでもスターなんかがレコーディングに来ると、
「こんなところで用は足せない」
と言うのだから中国人も弱くなったもんだ(笑)

このトイレは風呂場の中にあり、
(と言ってもコンクリートの同じ「箱」の中というだけだが)
ワシがシャワーを浴びに行くと、
きっとLaoWuのところに泊まっているのであろう見ず知らずの若い衆がウンコをしていた。

昔はギョっとしたもんだが今では慣れっこで、
そのまま服を脱いでシャワーを浴びる。

トイレはシャワーの方に向かって設置(というほどのもんでもないが)されていて、
一応仕切りのカーテンは用意してあるのだが、
誰も使わないのでもうボロボロになってしまっている。

つまり見知らぬ同士がすっぽんぽんで対峙してそれぞれの用を足しているのだ。

慣れとは恐ろしいものだ。
今では別にぽっちゃんトイレでウンコも出来る。

というかそうせねばならない状況に陥ったらそうなってしまうのだ。

あれは貧民街に暮らしてしばらくしての頃。
ワシは日課であるジョギングで村はずれを走っていた。

よくある話でウンコしたくなり、勇気を持ってぽっちゃんトイレに飛び込んだ。

村はずれの人通りのないトイレであるが、
往々にしてそういう時に限って先客がいる。
3つ並んだ穴のど真ん中にしゃがんで新聞を読みながらウンコをしているので、
どうしてもそのオッサンの隣にしゃがむしかない。

しゃがんでブリブリとやってはたと気がついた。
「ジョギング中なので紙を持って来てないではないか!!」

もちろんそんなぽっちゃんトイレに紙など常備しているはずはない。
このまま拭かずに家まで走るか・・・その勇気もない。

どうせ勇気が要るのである。
ワシは中国人がよくするように隣のオッサンに声をかけた。

「ニイハオ!!」

後はお決まりのウンコしながら世間話である。
初めてぽっちゃんトイレに入ってウンコした時、
後から隣に入って来たオッサンに声をかけられて
「何じゃこいつ!!やめてくれー!!」
と思ったが、今回は立場が逆である。

「新聞にいいニュースはありますか?」
相手は新聞を読んでるんだからこの会話しかない!!
そしてしばし意味のない会話をした後にオッサンが立つ。
すかさずワシは言った。

「読み終わったその新聞くださいな!!」

中国で生きてゆくのは全くもってバイタリティーが要る・・・

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2010年7月 5日

iPhone修理とiPed探し

実は我が家にはiPhoneがたくさんある。

私個人で日本用と中国用に電話番号が違うのに2台所有している。
日本用のはSoftBankで購入したモノで、SoftBankのSIMカードしか使えないが、
中国用のは香港で購入したSIMフリー版である。
日本で使うとDOCOMOのキャリアを選択したりするので面白い。

あともうひとつは中国で買ったモノで、
これが破解(PoJie)版と言ってSIMロックされたモノを無理矢理解除したモノである。

これが廻り廻って娘のモノとなったのだが、
ある日これを娘がトイレに落としてしまった。
幸いにも電源ボタン以外は無事だったのでそのまま使っていたが、
破解(PoJie)するのにはこのボタンがやはり必要で、
いろいろあって結局立ち上がらなくなってしまったのだ。

こちらでAppleの正規ディーラーと言っても大概ニセモノである。
先日もMacBookを日本で修理に出した時に、
「どこかで一度修理しましたね、純正ではないパーツが入ってます」
と言われた。

北京の正規ディーラーは純正じゃないパーツを使うんかい!!

ということで、このiPhoneを買ったのもどうせ正規ディーラーではないのだから、
(もともと正規ディーラーが破解(PoJie)版を売るわけはない)
そこで買ったiPhoneも直せるはずである。

ちなみに日本で外国製のiPhoneを修理する店を見つけたが、
この壊れたiPhoneは修理出来ないと言われた。

まあ出来ればもうけものと思ってその店に預け、
電話番号を伝えて向かいのバッタもんパソコンショップに行く。

iPadのまがいもん、iPedというものが売られてるらしく、
いろんな人から「それを買って来てくれ」と言われているのだ。

しかしどの店に言っても「そんなものは知らない」と言う。
中国人は今や安い海賊版よりも性能の良い正規版を求めるのだ、と。

ちなみにiPadは8万円ほど、iPhone4に至っては18万円の高値で売られていた。

ネットで調べるに、iPedは深圳産で値段は1万円少々、
きっとネット販売が主流なのではないかと思われる。

そんなこんなしてるうちに電話が鳴った。
先ほどiPhoneの修理をお願いした店である。
こんなに早く電話が来るということはやはり「お手上げ」だったのか・・・
と思いながら電話を取ると、
「直ったよ、取りに来な」
とのことである。

「この部品がイカレてたんだよ」
と言って見せてくれたのがこれ。

iPhoneParts.jpg

電源部分を司るパーツらしい。

一瞬にしてそれを入れ替えて修理を終えるなんて、
さすがはAppleの正規ディーラー!!(笑)

ちなみに日本でも恐らく他の国でも数日から一週間、
Appleの正規工場まで郵送してやっと修理出来るというのに・・・

バッタもんばかりのこの国・・・便利なんだか不便なんだか・・・

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2010年7月 4日

北京に来てみたらスケジュールぐっちゃぐちゃ!!

今日HPのスケジュールを更新していて頭ぐっしゃぐっしゃになった。

まず今月末に予定されていたWing中国ツアーの北京公演がキャンセルになっていた。

まあそれはいい。ヒマになるのはいいことだ!!
しかしそれがあるからついでとばかりブッキングしていた天津での張張のライブはどうする?

どうせ天津の小さなライブハウスで何かやるのだ。
このためだけに渡航しても絶対に赤になるじゃろう。

まあ中国はドタキャンもされるけどしても怒られないので(笑)、
まあこの小さなライブはキャンセルしようと思っていたが、
天津の日本人雑誌の人から取材依頼が来て初めて知った。

このライブ・・・ワシ名義のライブやないの!!!

そりゃキャンセルも出来んわのう・・・
まあその数日後に全中国ドラムクリニックツアーが入ったので、
まあそれとくっつければいいか・・・

と思ったらそのツアーは8月15日にも入っている。

スケジュールの打診が来た時には12日13日の山本恭司、江川ほーじんセッションが終わったら空いているよとは答えたが、
その後に西やんから16日に京都RAGでやろうと言われたのでOKを出していた。

そうなると問題である。
15日の貴陽というところは日本から直行便はないので、
14日にはどこか中国の国際空港を経由して現地に入っておかねばならない。
そして15日のクリニックが終わったらとりあえずその国際空港にその日のうちに入っておく。
そうすれば16日の朝いちの便で関空に飛んでかろうじて京都に間に合うということになる。

日本でいる時にはよくこんな無茶なスケジューリングをしてたが、
それは日本が「狭い」からである。
この小さな島国でその日のうちに移動出来ない距離ではない。

しかし中国は平気で数日かかる土地だってある。
飛行機の乗り換えだってどうなってるかわからない。
何より飛行機がちゃんと飛ぶかどうかもわからない・・・

大丈夫なのかこのスケジュール・・・

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2010年4月24日

和佐田ツアー初日終了!

京都「都雅都雅」は、X.Y.Z.→AのPAエンジニアとして100本ツアーを共に廻った吉田くんの古巣であった。
和佐田が「若いのにごっつい音を出すヤツがいる」と言ってスカウトし、
その後中国に渡り、今では日本人PAエンジニアとして活躍している。

中国のエンジニアには頭に来たことがあるので、
彼のような真面目で優秀な人材が中国に来てくれることは大歓迎である。

「零点(ゼロポイント)」の6万人コンサートの時、
サウンドチェックでモニターが聞こえず、
ある瞬間に爆音で聞こえ出したので
「下げろ下げろ!!」と大慌てで叫んだ。

リハが終わって売れっ子中国人エンジニアに
「何やってんねん!!」
と叱ったら、平然として、
「これは機材の問題で俺の問題ではない!!」
と言い放ちよった。

こんな輩がワシよりも高いギャラを取ってんのだから腹が立つ。

吉田くんは100本ツアーの時、
毎回終わったら
「モニターはどうでしたか?」
とか楽屋に聞きに来る。
どんな絶悪なライブハウスの状況でも、
「音」というものには絶対的な責任を負う。

これが日本人が誇るべき「職人気質」というものではないか!!

ところが彼が中国に来て、ワシはいろんな現場を紹介したが、
それで即仕事があるというわけではなかった。
中国の仕事は全てがその「関係学(コネクション)」から成り立っているので、
どんなワシの大嫌いなエンジニアでもその関係学が強固であるならば、
このワシごときが何を言ってもそれを崩して新しい人間に変えることなど出来はしないのだ。

まあそんなこんなで苦労しながら異国の地で頑張っている吉田くん、
昨日は偶然ビザの関係で里帰りしていてふらっと都雅都雅に遊びに来た。

張張(ZhangZhang)とも顔見知りなので、
ライブ終了後にホルモン!!

ZhangZhangYoshidaHorumon.JPG

なんかツアーに出ていつものメンツと中国語で酒飲んでいると、
まるで自分が中国に帰って来たみたいである。

「最近はやっと何とか食っていけるようになりましたよ」
と吉田くん。

今でこそ「一番忙しいレコーディングエンジニア」として活躍しているKeizoだって、
北京にやって来て数年は食えなかった。

中国人の関係学をぶち破って、
外国人がそこに割り込んで仕事を取ってゆくなんてことは至難の業なのだ。

「僕に仕事が来るようになったのは北京オリンピック以降なんです」
と吉田くんは言う。
金にまかせてあらゆる先進機材を買いまくった中国、
今世界で一番いい機材を持っているのはアメリカか中国である。

しかしハードウェアーが素晴らしくてもそれを使いこなせる人材がいない!!

最近
「うちの仕事は全部あなたにお願いしたい」
という会社が現れたので、吉田くんは
「なんで僕なんですか?」
と聞いたらしい。

「私は音がいいとか悪いとか全然わからない。
でもあなたに頼んだら出てなきゃなんない音は必ずちゃんと出てる。
だからあなたに頼みたいんです」と・・・

ドラムだって何だって同じである。
リズムが狂わず、音量も安定していて、
曲を完全に把握して叩いてさえいればドラマーはそれだけで食っていける。

逆にそんなことも出来ない輩が多過ぎるのだ!!

ちょうどそんな時、香港のWingからメールが来た。
「7月の2週間の大陸ツアー、スケジュール空いてるか?」
と。
当然ながら吉田くんも名指しである。

「最終日がちょっとスケジュールぶつかってるんですけどねえ・・・」
と吉田くん。

ぶっちしなさい!!ぶっちしなさい!!
またふたりで中国じゅうに「日本人の職人魂」を見せて廻ろうじゃあーりませんか!!

気持ちはもう中国に飛んでしまった京都の夜であった。

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2010年3月27日

布衣ライブat彊進酒

この日は布衣のライブがあるというので駆り出されて行って来た。
「ドラム叩いた後、酒を飲みたいだろ?」
というわけで2部制の第1部にドラムを叩いてくれということである。

昼間は院子の彼らのリハーサル室でリハーサルをやっていたので、
「ほな君らの終わったら教えてちょ」
と言っておいたのじゃがいつの間にかリハーサルが終わっていた。

「別にお前はリハなんかいらんじゃろ」
ということである。

日本では数曲老呉(LaoWu)と一緒にやったが、それ以外の曲はほぼ2年振りである。
果たしてまだ覚えとるんかと心配していたが、
やってみるとこれがなかなか覚えておるもんじゃ。

また、他の楽器が次にどんなパートに行くのかは、
その音を聞いていれば何らかの変化があるので、
注意深く聞いていればほぼ間違いなく叩くことが出来た。

ふむふむ、ワシも納浩一のレベルまで来たかな・・・(ウソ)

客は超満員!!

出世したなあ・・・

とくにびっくりしたのが、羊肉麺なんかもう全員が大合唱しとる・・・

今となればこの曲は彼らの代表曲となってしまったが、
思えばあの頃は彼ら自身は私が書いたこの曲をあまり気に入ってなかった。

いや気に入ってないというよりも、
「自分たちのものではないから違和感がある」
というものなのであろう。
レコーディングして、初めてこの店でこの曲をやるかやらないかの時、
ワシはギタリストの張威(Zhang Wei)にこの店でこう言った。

「俺はな、日本では既に数百曲の楽曲を世に送り出している。
自分の中ではどれも自分の生み出した子供みたいなもんで、
どんな曲でも平等に可愛いのだけれども、
その中でもヒットしている曲もあれば全然ヒットしてない曲もある。
でももう数百曲も子供がいると、
生まれた瞬間にこの子供が優秀かどうかわかってくる。
何か大きな生命が生み出される時にはそれがわかるもんなのさ」

それでも張威(Zhang Wei)はやっぱりずーっとこだわりがあったようだ。
ただひとりボーカルの老呉(LaoWu)だけがそれを信じた。
人の歌なんか歌ったことのない彼が、
毎日ギターを弾いてこの曲を練習していた。

老呉(LaoWu)があの時ワシのことを信じなかったら、
全面的にワシに委ねなかったら、
恐らくこの曲はこれほど中国に浸透することはなかっただろう。
レコーディングしてそのまま捨てられる子供で終わっていたのだ。

打ち合わせも兼ねてライブを見に来てたデブのキーボードが感激してこう言った。
「すんげーなー・・・布衣の現在の代表曲って2曲ともファンキーさんの曲じゃないですか・・・」
まあ1曲は映画音楽を歌ってもらってその映画がヒットしただけじゃが、
この羊肉麺は「老呉(LaoWu)のボーカルを何から何までわかって書いたとしか思えない」と言う。

厳密に言うとそれは間違いである。
そりゃいっしょに貧民街で暮らしてるんだから彼のことはよくわかっているつもりだが、
これは実はワシが彼に「合わせて」曲を書いたのではなく、
彼が「ワシの表現したいもの」に全面的に「身を委ねた」だけなのだ。

こうやって人の能力に素直に身を委ねられるアーティストと、
ひたすら我が道をゆくアーティストがいる。
前者が老呉(LaoWu)で、後者が張威(Zhang Wei)であるというだけで、
別にそれがどちらが正しくてというわけではない。

老呉(LaoWu)はワシと縁があったというだけのことである。

ライブが終わっていつものように店の奢りでビールを飲み、
新加入の若い布衣のドラムで2部を見終わった後、
老呉(LaoWu)がワシにそっとギャラを渡した。

500元!!!
貧民街ならじゅうぶん一ヶ月ぐらい生活出来るではないか!!

数年前には1日に3本ライブハウスをブッキングして
全部でみんなで50元しかもらえなくてビール代にもならなかったバンドが、
今やひとり500元ももらえるようになったのか・・・

老呉(LaoWu)のおかげで羊肉麺が生命をもらい、
羊肉麺のおかげでバンドがメンバーの生活に生命をもらえている。

素晴らしい!!

中国のロック界もまだまだ捨てたもんじゃない!!

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2010年3月26日

あえなく解決

日本人学校に行って来た。
初めて来たが、想像事情に厳重な警備である。

Nihonjingakkou.jpg

ここは治外法権。
一歩入れば中国ではなく言わば「日本」である。

だから脱北者が駆け込んで来たり、
いろいろ問題があるので警備を厳重にせざるを得ない。

入るのにパスポートの提示が必要と書かれているが、
あいにく持って来てなかったので運転免許証を見せて取り次ぎをお願いする。
アポを取ってなかったのでちょっと手間取ったが、
担当者が出て来るまでそんなに待たされなかった。

「すみません、脱北者の問題とかいろいろあって、
アポのない人をそう簡単に中に入れるわけにはいかないんです」
ということで門のところでお話をした。

「飛鳥ヒロキ君ですか? 昨日面接に来ましたねえ・・・」

聞けば話はこういうことである。
まず日本人学校のシステムはそれぞれの国によって事情が違うので様々であるが、
北京の日本語学校ではとりあえず先生の話をちゃんと理解するレベルの日本語が必須であり、
そのレベルに達しない生徒を入学させるわけにはいかない。

ところがこれが杓子定規な日本で話されると
「日本国籍を持つ子供に教育を受けさせないつもりか!!」
と噛み付かざるを得ないが、
さすがは中国で仕事をしている日本人はニュアンスがちょっと違う。

「ヒロキ君は今一生懸命日本語を勉強してますので、
昨日面接をした時にもレベルは上がってたのですが、
まだもう少しだなということをお母さんにも話させて頂きました」

「もうすぐ4月じゃないか?
入学には間に合わないじゃないか、どうするんだ?」
とワシとか母親とかは焦っているのじゃが、
この担当者の受け答えを聞いていると全然大丈夫だと感じた。

つまり、
「このまま日本語の勉強を続けて頂いて、
面接も定期的に続けて、
レベルに達したと判断した時に随時入学すればよい。」
ということである。
別に親の日本語レベルの問題ではない、本人のレベルである。

「1年経ってもレベルに達さなければ2年から入れてくれるのか?
もしくは小学校からいきなり浪人で1年からやり直すのか?」
という質問は愚問であった。
もともと
「子供なんてすぐに言葉覚えるんだからとりあえず入学させろ」
と怒鳴り込んで来たわけなんだから・・・

どんな不器用な子供でも数ヶ月あればまあ日本語を聞き取るぐらいにはなるじゃろう。
とりあえず聞き取れるレベルにくれば、
学校内には専門に日本語の先生もいてマンツーマンで教えてくれるシステムもあるらしい。

いろいろ雑談で聞いてみたら、
公立の日本人学校の場合は言葉が出来なくても受け入れるところはあるけれども、
北京の日本人学校は大使館直属ではあるもののあいにく私立であり、
過去このような受け入れによりいろんな問題が起こって来たことから、
一応規則としてはそのような規則になっていると言う。

まあ、「上に政策あれば下に対策あり」の国である。
「別にどうしても4月に入学しなくてもいいんじゃないの?」
ってな感じにこっちも思えて来る。

ワシは著作権料を別の人に払われるとブーブー文句言うが、
別に4月が7月になろうが文句を言う筋合いはないぞよ!!

門の前で記念撮影して帰路に着く。

NihonjingakkouKinensatsuei.jpg

ヒロキ君、頑張って日本語を勉強するのじゃ!!
恵美子ねえさんが7月に北京に引っ越して来るまでにはちゃんと日本語学校に通えるようになるんじゃぞ!!
お姉ちゃんが頑張ってお父さんの店を再建させてあんた達を立派に養ってゆくからな!!

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日本人学校に殴り込み!

中国を愛し、音楽を愛し、
そしてこの地でガンに冒されて死んでいった飛鳥さんのために
飛鳥倶楽部を再建しよう!!ということで北京に来ている。

ところが飛鳥さんは日本人、奥さんは中国人、
そのふたりの子供であるヒロキ君の国籍は日本。
中国で生まれ、中国で育ったので現状ではまだ中国語しか喋れない。

もう小学校に上がる年なので、
この4月からは北京にある日本人学校に入ろうということで一生懸命日本語を勉強している。

昨日亡き飛鳥さん宅でご飯をご馳走になっている時に
「今日は日本人学校の面接だった」
というのを聞いて「あれ?」と思った。

「日本語を喋れないと日本人学校に入れない」と言うのだ!!

ワシの前妻は中国人だったので子供をインターナショナルスクールに入れようと考えたこともあるが、
「両親のうちどちらかが英語を喋れないと受け入れない」
と言われた。
「親が学校側とコミュニケーション出来ない」
ということと、
「子供の言語が英語となった場合、親とコミュニケーションブレイクダウンに陥る」
ということが理由らしい。

同様に日本人学校も、
「母親が日本語を喋れないので受け入れられない」
と言っているという・・・

小学校は「義務教育」じゃぞ!!

仮にも日本の国籍を持つ子供が、
「日本人として義務教育を受けたい」
というのを日本人学校は拒むのか?!!

ワシの娘も実は北京の小学校に半年ほど通ったが、
本来ならば中国人の通う小学校に日本国籍を持つ人間が正式に通うことは非常に難しい。
仕方ないので「裏金で」ということになり莫大なお金を払って学校に通わせてもらった。

娘は当時日本語しか喋れなかったが、
何のこっちゃない、通えばすぐに中国語しか喋れなくなり、
日本に帰って日本の小学校に通えばすぐにまた日本語しか喋れなくなった。

子供なんてそんなもんである。
そりゃその時々には少し苦労するが、
言語の問題はそんなに大きくないとワシは思っている。

ところが「日本語が喋れない」という理由で義務教育を拒否されたら、
この子はどうやって北京で教育を受ければいいのじゃ?!!

未亡人である奥さんがワシのように中国人学校莫大なお金を払って通わせることは不可能じゃぞ!!
ということは、
「日本国はこの日本国籍を持つ子供に教育を受けささない」
ということを言っているのである!!

そんなアホなことあるかい!!

ということで今日、早起きをして日本人学校に殴り込みに行ってくる。
「お前なあ!!ワシを誰やと思うとる!!
大問題にされたくなかったら面接とか四の五の言わずすぐに入学を許可しろ!!」
ってなもんである。

飛鳥倶楽部再建以前にまだまだいろんな問題が山積みである。

Posted by ファンキー末吉 at:05:26 | 固定リンク

2010年3月25日

いい知らせと悪い知らせ

北京空港に降り立ったらいつものように老呉(LaoWu)が迎えに来てくれた。
駐車場に止めたら金を取られるし、
到着楼だと駐車禁止を取られちゃうので
いつも着いたら出発楼に上がって電話をしてそこでピックアップしてもらってたのじゃが、
最近はそういう輩が多いので出発楼に出迎えは禁止になってしまった。

ところが「上に政策あれば下に対策あり」のこの国では、
「出迎えではないですよ、見送りですよ」
ということで助手席に人を乗せてればOKとなる。

というわけで今日は彼は奥さんを助手席に乗せて堂々と「出迎え」に来てくれた。

開口一番彼が言った言葉が、
「いい知らせと悪い知らせがあるけどどっちから聞きたい?」
である。

まあ別にどっちから聞いてもどうせ両方聞かねばならないのだからどっちでもいいと答えたら、
「じゃあまずいい話、
うちの村が潰されて立ち退きになるという話、
あれは運良くまだまだ数年先の話になりそうだ」

貧民街を潰して都市開発をしようという政府の政策に追いやられて、
住むところがなくなった天然記念物のトキのように貧乏ミュージシャンの大移動がもうすぐ始まるはずだったのじゃが
まあこれでしばらくはもう一安心である。

「そして悪い話、
それを受けて大家が家賃を値上げするぞと言い出した」

北京の土地の値上がりは往年の日本の比ではなく、
ちょっと前から比べてもう3倍、
1平米3万元(45万円)するんだから完璧に八王子より高い!!

それに伴って賃貸しの部屋代もどんどん上がってゆき、
おまけに隣村も潰されて住むところを失った貧民がうちの村に流れて来ているので完璧に貸し手市場である。

ま、値上がりも仕方あるまいと思ってその値段を聞いたら、
「今年から5万元(年間75万)って言うんだよ」
と言うので腰を抜かしそうになった。

今まで25000元だからいきなり倍である!!

老呉(LaoWu)が一生懸命値切ってくれて結局年間3万9千元(約60万)
まあ8部屋あってこのぐらいの値段は日本だと安いが貧民街では法外である。
大家は村が潰される前に稼げるだけ稼いでおこうという魂胆であろう・・・。

ま、仕方ない。嫌なら出て行くしかないのだ。
5月にまた半年分納めなければならないので銀行行って引き出して奥さんに託した。

FangJianFei.JPG

北京もむっちゃ住みにくくなって来てるんですけど!!!!

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2010年3月 2日

やっと帰国

昨日から雪が降っており、今日帰れるかどうか微妙であった。
「飛行機が飛ばなかったら飲もう」
と飲み会を企画する気が早い奴もいる。

朝になったらうちの貧民街では雪が積もっていたが、
交通量の多い道路なんかは何とか大丈夫そうである。

そうそう、飛行機なんて車と違って別に滑走路が凍っててもそんなに問題はあるまい。
現在進行形で雪が降ってて視界が悪ければ問題だけど・・・

SnowAirport.jpg

搭乗口から見る飛行場はまあ何とか大丈夫そうである。

搭乗!!

しかしこれが搭乗してからがなかなか飛行機が動かない。
アメリカの飛行機会社なので英語のアナウンスを聞いて何とか理解し、
中国語のアナウンスを聞いてそうだったかと確認する。

やっぱ滑走路に雪があっても大変なのか、
何やら知らんが20台の飛行機が離陸を待っているらしい。

ひたすら寝る・・・

起きた頃やっと飛行機が動き出した。
いつもだったら上空でメシが配られてる頃である。

予定をかなり遅れて成田に着く。
パーキングに預けている車を取りに行く。
これだけで小一時間かかっている・・・

そして成田から八王子まで・・・これが遠い!!!

結局朝6時に院子を出て、八王子に着いたのは夕方6時。
LAまで行けるやん!!!

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2010年2月28日

今日は旧正月最後の日

いつも仕事をしているプロデューサーが
「うちにメシ食いに来いや」
と言うので行ってみたら、
そうそうたるメンバーが集まってがんがんに飲んでいた。

2ndNewYear.JPG

役者もいれば歌手もいればロックスターもいれば、
まあ「いつもの連中」なのじゃが、
何でこんなに盛り上がっているのかワシだけがわけわからない。

聞いてみると、今年の旧正月は2月14日。
28日がちょうど15日目。
旧正月最後の日ということで15日目は正月と同じように過ごし、
14日目は当然ながら大晦日と同じように過ごす。

つまり酒飲んで大騒ぎするのである。

よう酒飲む民族やなあ・・・
ワシなんか日本の正月で酒飲んで、
中国の正月で酒飲んで、
そいで正月最後の日にまた酒飲んだら大変ですわ・・・

実際中国人は旧正月前後一ヶ月は働かないのですわ・・・

これは中国本土だけのことではない。
全世界で中華系の従業員がいる会社はこの時期全く稼働しなくなる。

タイで仕事をしている時もそうだった。
「この時期はダメだ!スタッフがみんな里帰りしてるんだ・・・」
マレーシアでもそうだった。
アメリカでもきっとそうだ。

経済効果悪過ぎるやん!!!

夕べは遅くまで爆竹がぱんぱん鳴り響き、
今日は朝早くからまたぱんぱん鳴り響き、

これに関しては経済効果良過ぎるやん・・・

ま、ええわ。ワシも覚悟決めて今年3回目の正月を楽しもう。

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2010年2月27日

あなたのファンからというメール

そう言えば中国の友人からこんなメールをもらった。

あなたのひとりのファンの文章と、
デブのキーボードがライブハウスでやっている「ろう君の初恋」の映像があったんで送ります。

http://blog.sina.com.cn/s/blog_645a3bab0100fy1g.html

とのことである。

そのサイトにいってみると、いきなりワシのソロアルバムの写真と、
ワシのドラムを青島で見たということ、
そして友人に推薦されてこの映像を見たと書かれている。

中国にはワシのドラムに影響された人間は多い。
しかし彼は純粋にこの曲に感動し、
悲しい時はこの曲を聞き、
そしてその恋が終わっていったと書かれている。

五星旗のレコードを出してくれたレーベルのプロデューサーが
こんなことを言っていたのを覚えている。

「Jazzが衰退していった一番の原因は、
人にカバーされる楽曲がなくなって来たからだ」

この曲は進藤陽悟のアルバムでもカバーされたのだが、
その時はリリカルなピアノソロの演奏で全然違和感がなかったのだが、
彼らの演奏はもう既に原作とは遠く離れてしまっている。

昨日のライブでもこの曲は演奏されたが、
だいたいこの曲にドラムソロを入れようなどとはワシは思ったこともないし、
ブラシを使って思いっきり爆発しているドラムソロは、
どちらかというと「初恋」というより「ロック」である。

しかし言い方を変えると、彼らの初恋は「ロック」だったのかも知れない。

自分の生み出した楽曲を愛してくれて、
それを語り継いでくれるというよりも、
別物にして楽曲がひとり歩きをしている姿がワシにはとても嬉しかった。

今度デブが日本に来たら、
是非またこの曲を一緒にプレイしたいものだ。

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80后のライブ

夕べはデブのキーボード
「ライブがあるんだけど見に来ませんか」
と言われたので行って来た。

9時からだというのでちょっと遅れて着いたら、
デブはおらず、ステージではDJが曲を流している。

80HouLive1.JPG

「ライブじゃないの?・・・」

どうもこのDJというものがワシにはよくわからない。
人の音楽を流すだけで何が「ライブ」なんじゃろう・・・

まあそんなことを言ってるからワシは「古い世代」なのじゃ。
何せこのデブらみんなは80年代生まれ、
「80后」と呼ばれる新世代なのだから・・・。

1時間ぐらいたってバンドが登場。

80HouLive2.JPG

DJの「機械のリズム」に合わせてインプロビゼーションを繰り広げる。

おっ、凄いぞ・・・

もともとこのデブはバカテク(死語?)であった。
初めて見た時に
「お前は中国Jazz界のトップになれるぞ!!」
と声をかけた。

彼もワシのソロアルバムを聞いて育った世代なので喜んで食いついて来た。
しかし後に彼はCとAとGのキーしか弾けないことが発覚。

「1オクターブは12音しかない!
だからあと9つ、
つまりあと3倍練習しろ!
そしたら全てのキーで弾けるようになる!」

このテクニックで全キーを制覇したら、
冗談じゃなく中国のJazz界、
いや世界的なプレイヤーになれるぞ!!

ワシは夢膨らんで彼にいろんなことを教えた。
コード理論やJazz理論、モード奏法からアウト奏法まで、
ありとあらゆる奏法を叩き込もうとしたのは、
当時ワシが北京に移り住んで一緒にバンドが出来るほどのレベルのプレイヤーがいなかったのが大きな理由であろう。

いないなら育てる!!
それだけのことである。

しかし彼はそれに背を向けてHip Hopユニットでデビューを目指した。

「アホか!お前はそれだけの腕がありながら歌謡界に行きたいのか!!」
さんざん彼に説教したが、
考えてみれば彼は20歳そこそこからもうキーボード一本で両親を養ってきてるのだ。
この中国でナンバーワンの「プレイヤー」になったところで大金持ちにはなれないが、
「スター」になったら想像もできない大金が転がり込むことになる。

仕方がないので彼らのデビュー曲をプロデュースしてやった。
これである。

まあ今聞けばなかなかよく出来た作品なのじゃが、
ワシは何か面白くなかった。

だってこれ・・・お前じゃなくても出来るじゃん!!
あの超絶ソロはお前じゃないと出来んもん!!

結局このユニットは思惑通りにデビューすることが出来ず、
彼はその後ワシの背中を見ながらスタジオミュージシャンとなった。
歌謡曲をプレイするので必然的に全キーで弾けるようにはなったが、
もうワシ自身が彼をJazzプレイヤーとして育てようという情熱は失った。

ところがライブでの彼のプレイを聞いて、
いきなり初めて彼と出会った時の衝撃が蘇った。

いつの間にやらアウト奏法、3拍フレーズはもちろんのこと、
それより難解である5拍フレーズまで自分のものにしてしまっている。

10年かかったがヤツはちゃんとワシの教えたことを身につけたんだ・・・

80HouLive3.JPG

歌手が登場した。
彼女が歌うアメリカンポップスをDJと共にデジタルにアレンジしているのが気持ちいい。

デジタルが中国のアレンジの主流となって、
ワシは1年寝ずに全てのデジタルソフトウェアを勉強し、
それをおしげもなく彼に教えた。
ソフトウェアを共有することによりワシが彼に仕事を振れるからだ。

こうして重慶雑技団をはじめとし、
数々の映画音楽、テレビドラマの仕事を彼に振った。

「こんな仕事・・・やってられるか・・・」
と、その後この世界に背を向けて、
デジタルからも背を向けてX.Y.Z.→Aのように身体張ってぶつかる音楽に戻っていったワシと違って、
彼はその全てを「自分の音楽」にした。

いや、もともと好きだったのだろう。
その好きなものを融合したらこの日のこんな音楽になったのだ。

最後にラッパーが出て来た。

80HouLive4.JPG

おいおいおい!!ハッパ吸うアクションで歌うなよ!!
10年前だったら即逮捕じゃぞ!!

平和である。
中国も平和になった。

そしてその中国を彼ら80后が引っ張ってゆく。

新世代が自分たちのやりたいことをやっているこのライブ。
ワシは非常に楽しまさせて頂いた。

デブは4月に来日し、筋少のエンゲキロックの仕事を手伝ってもらう。
3ヶ月も日本にいるのだ。
時間があればでもライブをやってもらうことにしよう。

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2010年2月26日

中国でのドラム教本チューニング編収録終了

分刻みのスケジュールの中、
順調に終わったので次の現場に行くまえにレポート。

DrumTuningVideo.jpg

「共鳴を恐れるな!!ミュートなんか貼るな!!
ひとつを叩けば全部がワンワン鳴る。
それがドラムぞ!!」
みたいなことがちゃんと中国語で言えたかどうかは不安じゃが、
まあ後は字幕で何とかフォローしてくれるじゃろう。

字幕の原稿書かねば・・・(涙)

ところでこれらの仕事、もちろんノーギャラである。
パールのドラムを中国に浸透させるために金なんか取ってられません!!

ということで日頃のお礼にSavianの限定モデルのシンバルを贈呈された。

Savian100.jpg

世界で限定100枚しかないという記念シンバル。
ご丁重に物々しい木の箱に入っている。

どうやって持って帰るんじゃ?・・・

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不思議やなあ・・・

日本にいる比率が多くなって、必然的に中国語を忘れている。
思うように喋れなくて、発音も悪くなってるのを自覚する。

しかし喧嘩をすると非常に流暢にに喋れる。
っていうか喧嘩するためには流暢じゃなきゃいかんのだが・・・

飲み屋から出るとタクシーが拾えない。
また服装を春の日本のまま来てしまっているので非常に寒い。

凍えながら交差点の近くまで行ってやっと1台拾えた。
すかさず乗り込んで行き先を伝える。

「この車線からは曲がれないな!あっちの車線の車を拾え!!」
などと言うもんだからワシもいきなり戦闘モードになる。

「Uターンでも大回りでも何でもしろ!!仕事だろ!!」

「交差点近くじゃなく、
もうちょっと後ろで拾ってくれたらここで曲がれたのに・・・」
とかうじうじ言い続けるので、説教する。

「それはお前の勝手であり、客にとってそれは関係ない。
だいたいお前はサービス業というものをどう考える?
お前がよければそれでいいのか?
客がよければそれでいいんだろ!!
結局大回りして儲かるのは誰だ?
お前だろ。
客は大回りしてでも行けと言ってるんだ。
黙っていけばよかろう!!」

あとは何を喋ったか忘れた。
何も考えずに延々言葉だけが出続けるんだから凄い!!
運転手にとっても口論しているヒマがあったら走った方が早いのでとっととメーター倒して走ってゆく。

全く中国で暮らすというのは毎日エネルギーが必要なのじゃよ・・・

今日の仕事は全部中国語を使う。
1時から中国語で話してドラム教本のチューニングの部分を収録。
3時から泰山日中ロックフェスティバルの打ち合わせ。
5時から克爾曼(KAHRIMAN)とレコーディングの打ち合わせ。

夜はデブのキーボードがライブなので見に行くだけじゃが、
昨日のリハビリで中国語力が戻っていることを願うばかりである。

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2010年2月25日

めんどくさいなあ

車で出かけようと思ったら無理だった。
ワシの(というかロック村で共有の)車のナンバーの末尾は5、
なんと今日は五環路の中には入れないという。

またこの数字の法則がよくわからない。

月曜日(星期一という)は末尾が2と7、
火曜日(星期二という)は末尾が3と8、
水曜日(星期三という)は末尾が4と9、
木曜日(星期四という)は末尾が5と0、
金曜日(星期五という)は末尾が6と1、

覚えられんぞ!!
星期一なんだから1と6にせーよ!!

というか東京だったら
「環八内にこの車は入れません」
などとやった途端に大パニックになるぞ!!

相変わらず無茶するなあ中国政府・・・

明日は明日で五環路内のスタジオを取っていたら、
「私の車は明日五環路内に入れません」
と言われてスタジオ変更したぞ!!

渋滞より何より経済効果が悪いと思うんですけど・・・

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2010年2月 1日

「集金」というお仕事(?)

ワシはどうも人より「偶然」が多いと見える。
サンフランシスコの交差点で日本から旅行に来ている知り合いと偶然すれ違ったり、
飛行機で知り合いに会うなんざしょっちゅうである。

今回はまた、行きの飛行機でLAで知り合った日本人と一緒になった。
奥さんと北京に旅行に行くところらしい。

そして座席に着いたら今度は隣にソン・ルイという日本に住む中国人ギタリストが座っていた。
前回一緒にバックバンドの仕事をしたミュージシャン仲間である。

聞けば今回も曲世聡の仕事だというので、
そう言えば前回のギャラをまだもらってないので見に行くことにしたのだ。

いわゆる「集金」である。

仕事内容はまたバックバンドというが、
行ってみると音楽賞の受賞イベントで、
生バンドの出演は2曲のみ。
しかも夕べのゲネプロは朝4時までやっていたというのだから、
今回の仕事はワシでなくってよかったと胸を撫で下ろす。

KayouShow.JPG

いわゆる「歌謡ショー」のステージは、
ワシひとりで見るにはあまりに退屈だった。

そう言えばワシはあんましコンサートを見に行くことがない。
コンサートは「見に行く」ものではなく「出演しに行く」ものだったのじゃ・・・

しかもこれはもう既に「コンサート」ではない。
有名歌手、女優等をしこたま呼んで、
授賞式の公開録画を金を取って体育館クラスでやっているだけのもんである。

授賞式ももちろん見に行ったことはない。
「出演する」か、もしくは「受賞しに」行くだけである。

数年前は受賞すると思ってなかったのでジャージとか汚い格好で行ったら、
参加したロックオムニバスが最優秀ロックアルバムを受賞し、
プロデューサーだけではなく参加者みんな壇上に上がれと言われ、
みんな正装してるのにあまりに恥ずかしいのでこそこそ逃げ帰った記憶がある。

それにしても受賞イベントはつまらない。
昔はもっと知り合いがいっぱいノミネートされてたり、
自分がレコーディングした曲が受賞したりしてたものじゃが、
ワシらが参加しなくなったから受賞する音楽がつまらなくなったのか、
はたまた単に時代が変わったか・・・

そんなことを考えながら待てども待てどもバンドが出て来ない。
もう飽きてしまって早く帰りたいのじゃが、
帰ってしまってはまたギャラをもらいそびれてしまうので我慢して見る。

「先にギャラくれよ」と言ってもみたのじゃが、
「仕事終わって一緒にメシ食おうよ、その時に渡すよ」
と言われたら待つしかない。

ほんま中国って何でもかんでもメシ食わねばならないので大変である。

やっと授賞式が終わったが、
ヤツらは機材片付けがあるので、
「どこメシ行くの?先に行っとくよ」
と言って先に会場を出た。

思えば今回はまだ一度も北京料理を食ってない。
これが今回最後の食事になるので是非北京料理を食いたかったのじゃが、
指定されたレストランは何と香港レストランだった。

ちょっと残念じゃが中華は中華なので、
腹がへってたまらないので先にいっぱい頼んでやけ食いした。

GuangDongCai.JPG

当然ながらみんなが集まった頃には満腹である。
おまけに車で来ているので酒も飲めない。

ながーいながーい酒盛りに付き合ってやっとギャラがもらえた。

ShuukinNoOshigoto.JPG

ごっつい札束をもらってむっちゃ稼いだように見えるが、
実は最高額紙幣が100元(1500円ぐらい)なので、
日本円にすると何ぼにもならんのよーん。

でもまあ、遊んでるみたいなもんやからええか・・・

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2010年1月31日

中国人経営の日本料理屋

昨日は友人のスタジオのドラムのチューニングをしていた。
まあ「人助け」である。

この「人助け」が一日仕事になるのが「中国」である。
何故なら必ず「お礼にメシでも食おう」になるからである。

まあ泰山ロックフェスティバルの話もあったのでちょうどいい。
この話が実現したら舞台制作の一切は彼らにお願いしようと思っていたのだ。

「じゃあ日本料理でも行こうか」

ぎゃー!!やめてくれー!!
ワシはこっち来てから日本人バー巡りをしているので全食日本料理なのじゃー!!
羊肉食わせろー!!辛いもん食わせろー!!

しかし彼らはすっかり日本料理を食う気まんまんで予約までしているというので仕方がない。
連れて行かれたところは中国人が経営している日本料理屋。
非常に高級店である。

食べ放題飲み放題のプランにして日本酒を頼む。
山ほどの料理が運ばれて来る。
食べ放題だからと言って食べきれないぐらい頼むのが中国人である。
とりあえず刺身でもつまんでみる。

不味い・・・

ほんと、中国人が経営する日本料理屋ほど不味いものはない。
もうこの段階で山ほどの料理を食う気にならなくなる。

最後に鉄板焼きが始まる。

TeppanyakiChina.JPG

肉なら食えるぞ!!!

まあ神戸牛のように霜降りでも何でもないが、
アメリカのステーキだと思えば全然食える味である。
要は肉であればいいのじゃ。

たらふく肉食ってえみちゃん達と合流。
また日本人バー巡りである。

結局全部で7軒廻って二日酔い。
今日こそは中華食うぞー!!!

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2010年1月30日

韓国人サウナ

院子はもう水道管が凍っていて水が全然出ない。

つまり「風呂に入れない」!!

まあ北京は乾燥しているので数日入らなくても大丈夫なのじゃが、
それでも日にちが経って来るとさすがにそうもいかない。

近所のスラム街にも公衆浴場はあるが、
浴槽にお湯がたまってなくてシャワーだけだったりするし、
町中にある公衆浴場は抜き系だったりするので危険である。

そんな中、ワシは隣町「望京(ワンジン)」に出来た韓国人サウナがお気に入りである。

フロアに入ったら床暖房で床が暖かいし、
エコ意識もなくお湯が溢れるほど浴槽から流れ落ちている。

サウナのテレビが朝鮮語なのと、
タオルも与えられずお兄ちゃんが濡れた身体を拭いてくれるのだけには今だに慣れないが、
仕事終わりにゆっくり浸かるもよし、
仕事前にざばっと風呂に入るもよい。

今日はスタジオでドラムのチューニングと、
それが終わればその関係者とメシ食って飲まねばならないし(辛いなあ)、
その後はまた美女たちと合流して飲み歩かねばならない(辛い辛い・・・)。

さてひとっ風呂浴びに行って来るか!!

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美女と北京で飲み倒す!!

いやー・・・辛い仕事である・・・辛い辛い・・・(笑)

先日メルマガで送ったように現在飛鳥さんの娘さんと一緒に北京に来ているわけじゃが、
ひとくちに「店をやりたい」と言っても北京の他の店がどんな感じなのかを見なければ話にならない、
というわけで、今回は「1日10軒飲み歩くぞ!」というわけで、
北京中の日本人バーを飲み歩いている今日この頃である。

北京で長く暮らしてはいるが、
暮らしているのが中国人のまっただ中なので、
こんなにたくさんの日本人バーがあるのかと今更ながら驚くばかりである。

お供はこの話の言い出しっぺであるなるみちゃんと、
あと、飛鳥さんと同じ岩手県人会である吉野譲。

気がついてみると3人の美女と飲み歩いているのである。

ustreamでweb配信させない中国政府にたてついて、
違法ソフトを使って配信出来るか実験も兼ねながらやっているので、
配信が成功した時にはその映像は美女と飲んでいる時ばかりである。

「末吉さん、キャバレー行く時は配信切ってないとヤバいですよ」
とありがたいメールが届いたが、
考えてみれば日本人美女と日本語で話しながら飲んでいる映像を配信したところで日本と何も変わりはない。

誰かiPhoneでセキュリティーを破れる方法を教えてくれぃ!!!
そしたらワシは町中をiPhoneで配信するのに・・・

明日は午後からスタジオにドラムのチューニングに行くのでとりあえずそれでも配信してみよう。

www.blasty.jp/barxyzにて可能な限りゲリラ配信中!!

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2010年1月29日

中国からはTwitterが出来ない?!!

中国政府は国内のインターネット接続に関して6つの「関所」を設け、
常に人民のインターネット接続を監視していると言う。
だから国外のサーバーに接続する速度は非常に遅い。

これだけではない。
驚くべきことにYou-Tube等アメリカのサーバーには接続出来ないようになっているのだ。
同様に店の配信システムであるustreamにも接続出来ない。

同様に今回北京に来て発覚したことが、Twitterにも接続出来ないということである。

You-Tube等は反国家的な動画を配信されたらたまったもんじゃないという考えも理解出来るが、
Twitterなんてもんがそんなに国家を脅かすようなことか?・・・

しかし中国人はたくましい。
「上に政策あれば下に対策あり」
という言葉があるように、
政府が取り締まればその抜け道を考えて「うまくやる」のである。

海賊版ソフトがこれだけはびこる国である。
そんな政府のセキュリティーなんぞぶっ飛ばしてしまうソフトが出回っている。

Free VPN

このパソコンがアメリカのIPアドレスに接続しようとしているのではない、
とパソコンを騙してしまうソフトなのである。

中国の若い衆はみんなパソコンにこのソフトをインストールして、
自由にYou-Tube等の動画を楽しんでいる。
もちろん「関所」のせいで速度は非常に遅いが・・・

ところが政府もバカではない。
ワシが北京にやって来てTwitterに接続出来ないことを知り、
それではとこのソフトを立ち上げてみると、
何と見事にこのソフトを使っても接続出来ないようになってしまっている。

若い衆に電話をして聞いてみる。
「あのソフトが使えなくなってしまってるみたいだけど・・・」
答えは簡単である。

「新しいバージョンのが出てるからそれ使ってみぃ」

それだけの話である。
永遠に「いたちごっこ」なのである。

中国政府よ。こんな規制をしたところでどうせ「いたちごっこ」なのである。
金と労力の無駄じゃ!すぐ規制を解きなさい!!!

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2009年12月21日

LaoWuは偉大やなあ

院子に帰って来たら水道管に凍結防止処理がなされたいた。

LaoWuIdaiyana.JPG

ミュージシャンのくせに何でも出来る!!
貧乏がそうさせたのか、出来るからずーっと貧乏で不自由がないのか・・・

彼曰く、
「嫁にも言われたことあるよ、なんであんたはそんなに貧乏なのって、
でも俺は答えたんだ、この生活をやってるからあくせく働かなくていい、
朝から晩までバンドの練習以外お前とテレビ見たり毎日遊んでるだけじゃないか。
こんな生活はよっぱど金持ちかよっぽど貧乏かしか出来ないよ」

けだし名言である。

ワシここまでサバイバルなミュージシャンは彼以外会ったことがない。
彼に空港まで送ってもらって今から日本に帰る。

山ほどの土産である。

YamahodonoOmiyage.JPG

画面下から順に、
前回好評だったビールがいくらでも進む唐辛子の激辛スナック、
武漢名物鴨の喉笛、
寧夏名物手づかみ羊肉、
29日には客と一緒に全部食らうのじゃ!!

Posted by ファンキー末吉 at:15:26 | 固定リンク

2009年12月20日

空港にて物思う・・・

文無しでもLaoWuが空港まで送ってくれるし、
電子チケットやからパスポート出したらチケットくれるし、
武漢着いたら迎えが来てるから金使うことない。

中国はほんまに金使わんでええから楽やわ・・・

それはそうと昨日のコンサート、
思い起こせば結構歴史に残るいいコンサートやったに違いない。

通常歌謡曲系のコンサートでは「チェイサー」と言って
最後の曲が終わったら歌手の退場のためにエンディングとかをリピートで演奏するのじゃが、
通常はその段階で客はぞろぞろ帰ってしまい、
ひどい時にはチェイサーが終わったら1万人の客が全員帰ってしまっている。

早っ!!

しかし今回は珍しく、
ドラムを片付けているのに大半のファンは帰らずにずーっとアンコールを続けている。
こんなことは中国のコンサートではなかったことである。

中国人・・・合理的やから無駄なことせんし・・・

また、歌謡曲系のコンサートでは出モノ腫れモノ何でも来いじゃが、
あれもやりたい、これもやりたいでいろいろやっても、
まあ成功する企画はせいぜい半分ぐらいである。

ところが昨日のコンサートでは全てが大成功。

しょっぱなの軍隊ダンス(この監督・・・ほんまこれが好きやなあ・・・)
ダンスがバシッと決まって大成功。
小さい頃アニメが好きでということでアニメメドレー、
ドラえもんから始まって聖闘士星矢まで日本語で歌う。
大盛り上がり・・・
ヒット曲のメドレーも電子音楽風にダンスも交えて大成功。
マイケルジャクソンメドレーではムーンウォークからダンスをビシっと決め、
お決まりのバラード(これが大半なのであるが)では、
デブのキーボードがもらい泣きするほどの歌唱力を見せつける。

そう言えば日本にはここまで歌えて踊れるエンターティナーっておらんなあ・・・

基本的に中国の歌手は歌がうまい。
今回のコンサートもそうなるだろうが、
よく大きなコンサートはすぐに海賊版DVDとして発売されるが、
無修正のその音源を聞いて、
バンドはミストーンがあっても歌手が音を外すことはまずない。

彼はMengMeng(モンモン)のようにテレビのオーディション番組で出て来た歌手なのじゃが、
人口比率で言うと応募者の数は日本のオーディション番組の比ではない。
顔がよい、キャラクターがずば抜けているだけでは勝ち残っていけないのだ。

少なくても歌はもの凄く上手い!!これは中国で歌手やるなら必須である。

その上、彼は80后(80年代生まれ)と呼ばれる中国の新世代である。
ネットと海賊版で全ての情報を手に入れ、
一人っ子政策で好き勝手に育った宇宙人世代である。
ワシが「なんだかなあ」と思うことは彼らにとっては当たり前のこと、
中国という国はこの宇宙人世代が牽引しているのである。

ギャラはもらいそびれたが、まあ次の仕事もワシだろう。
その時にもらえばよい。

このバンドのメンバーも全て80后、
デブのキーボードも含め、全てワシが育てた新世代のミュージシャンなのだから・・・
ぼちぼちドラマーも育てにゃいかんのう・・・

おっと出発の時間だ、搭乗するとするか・・・
武漢まで2時間・・・毎度のことながら・・・国内線が遠過ぎる・・・

Posted by ファンキー末吉 at:07:42 | 固定リンク

ギャラもらうん忘れたぁ!!

文無しである・・・

しゃーないなぁ・・・武漢へ出発ぅ!!!

眠い・・・

Posted by ファンキー末吉 at:06:37 | 固定リンク

2009年12月19日

終わったどー

いやー長かったなあ・・・
これで終わると思ったら思いっきり叩かせてもらったぞよ。
歌謡曲ごときでミスなんかしてたまるかい!!

完璧なドラムです!!!

今から慶功宴。
胸を張って酒を飲ませて頂きます!!

明日朝6時出発で武漢やけど・・・

Posted by ファンキー末吉 at:23:36 | 固定リンク

ゲネプロは長かったぁ・・・

なにせ1回通して、晩飯食ったらまた最初っから通したもんなぁ・・・

ZhangJieGenePro.JPG

北京工人体育館、キャパ1万2千人。
まあ日本で言うと武道館である。

新人のくせに売れてるらしいから金あるでぇ・・・
(しかし往々にしてバンドには回って来ないのであるが)

出モノ腫れモノ何でもあり!!
バンドのメンバーも多いけどダンサーもうじゃうじゃ・・・

ちなみにこの写真はダンスのリハをしているように見えるが、
実はバンドのサウンドチェックである。
日本だと何時から何時までは照明、何時からはバンド、
と時間をちゃんと分けてやるのが普通だが、
ここ中国では我先にいっぺんにやってしまう。

さすがバス停で並ばずにダンゴになってバスに乗る民族・・・

だいたい「ドラム下さい」とか言われてドンドンとか叩いてるのに、
全然違うテンポで「イーアルサンスー」とか叫びながら
それに合わせてダンスを踊ってるわ、
照明は勝手に色合わせしてるわぐしゃぐしゃである。

サウンドチェックも、まずドラムをひとりで叩いて、
その音が大きいか小さいかをそれぞれのミュージシャンに聞いて、
全員回ったら次はそれにベースを一緒に弾いて、
ベースの音が大きいか小さいかをまた全員に聞いて・・・
という風に順列組み合わせで全員を回ると、
バンドのメンバーが多いので結局ドラムは1時間ぐらい叩き続けている。

このやり方は5−6年前に韓紅という歌手のコンサートでドラムで呼ばれた時、
その時の台湾の舞台監督がやり出したのが最初だったと記憶している。
ミュージシャンにはすこぶる不評だったがそれから定着してしまった。

それにしてもダンサーは凄い!!
全楽器が大音量で別のリズムを延々刻んでいるのに、
全然違う別の曲を踊ってるんだから・・・


さて夕方頃になって歌手が登場!!
見て下さい!!
リハ装束がもうマイケルそのものです!!!


ZhangJieMickelSokkuri.JPG

凄いですねえ。
もちろんMJメドレーもやります!!
ダンスも踊ります!!
ムーンウォークもやります!!

勇気あるなあ・・・

Earth Songに至っては映像もMJと同じです!!
(著作権どうなっとるんやろう・・・)
しかしアレンジがちょっと違ってて、
中国らしく二胡が入っていて、

ZhangJieGtAndErhu.JPG
(画面右手)

この曲のためだけに呼んだ二胡奏者がそれはそれは美人で・・・
(お近づきにはなれなかったが・・・)
それが最後にはステージの一番前でギターふたりに挟まれて弾きながらのけぞるのよ・・・

客席で見たい・・・

いやーやる前は「なんだかなー」と思うことがいっぱいあったが、
ここまでやってくれると何か・・・凄い!!

思うに今の時期、武道館クラスでこうも真っ向からMJを再現する歌手は世界広しと言えど中国だけでしょう・・・

中国人おそるべし・・・

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2009年12月18日

風呂に入るのも命がけ


中国古来の院子(ユエンズ)というのはその作り上
風呂に行くにもトイレに行くにも一旦部屋から出て行かねばならない。
夜中のトイレなんぞ命がけである。

外は零下、サウナに行こうと着込んで外に出るが、
車のエンジンをかけようとして思いとどまる。
この凍った鉄の塊の中でこのオンボロ車がエンジンがかかるまでに凍え死んでしまわないとも限らない。
またこの車ときたら夏はエンジンの熱気で外気より暑いくせに
冬はすきま風で外より寒い。
サウナ上がりに湯冷めしてしまう可能性大である。

そう言えばうちの風呂桶はLaoWuが直してくれたからうちでも風呂が入れるではないか・・・

風呂場に行く。
お湯をひねってみる。
出ない。

水道管が凍っているのだ・・・

部屋に帰ってコタツにくるまって考える。
さてどうしたものか・・・

困った時のLaoWu頼み。
隣なのにコタツから出たくないので電話で呼び出す。
ニ井原がパソコンが壊れたらワシを呼び出すのと同じである。

お湯を持ってLaoWuが現れる。
貧民街では通常部屋の中で練炭ストーブを炊いて(危険やなあ)暖をとるのでその上に置いてあるヤカンにいつもお湯があるのだ。

お湯の温度を調節してお湯をためる間またこたつに飛び込む。
この間にもう体は冷え切ってしまっているのだ。

お湯がたまった頃、覚悟を決めてこたつの中で服を脱ぎ捨てて全裸になる。
えいやとばかり覚悟を決めて外に飛び出す。
零下の院子を駆け抜けてお湯にざっぷん。

わっちっち!!

お湯の温度が熱すぎた。
飛び出して水でうめる。
しかし浴室も外気の温度と同じである。
凍え死にしてしまうのでまた意を決して浴槽に飛び込む。

わっちっち!!

まるで熱湯コマーシャルである。
これをくり返すうちにお湯もうまり、
身体も温まってゆっくりお湯に浸かれるというもんである。

出る時はもう身体も温まっているので裸で院子に出ても大丈夫。
身体から物凄い勢いで水蒸気が出ている。
全然寒くない。

部屋に入って服を着ていざ出陣!!
今日は会場入りしてゲネプロ。

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2009年12月17日

ドラムセットを持ち込んだ

日本ではだいたい全てのライブは自分のセットでやるが、
中国では持ち込まないのが普通である。
リハーサルスタジオは機材リース会社を兼ねており、
ここでリハーサルをするということは即ちここに機材を使うということである。

北京には3つこのような会社があり、
そのひとつはオーナーがドラマーなのでよいが、
あとのふたつの場合ワシはそのドラムをあまり信用していない。
特にワシはパールのモニターなので
その会社の一番のドラムセットがパールとは限らないのでなおさらである。

VisionGreenDrumkit.JPG

持ち込んだこのセットはパールのVisionシリーズ、
中国のパール工場が作った初の国内流通バージョンである。
ワシはこのシリーズの宣伝で全国を廻っているのである。

今回ドラムセットを持ち込んだのは、
このスタジオが用意してくれるパールのセットが必ずしもいいものとは限らないのもあるし、
ドラムより大切なヘッドがちゃんとしてない可能性もあるし、
チューニングがぐしゃぐしゃである可能性もあるし、
でも何よりも今回の歌手が「アンコールでドラムソロをやりたい」と言い出したからである。

勇気あるなあ・・・
いくらワシがギターやピアノの心得があってもアンコールでソロをやらせろとはよう言わんもんなあ・・・

まあ自分のコンサートである。
やりたいことは全部やればよい。
当日はドラムセットを2台用意して、
アンコールでは彼がドラムソロをやりながらせり上がって来るということで、
それをサポートするために自分のドラムセットも持ち込んだのである。
当日はワシは自分のセットを、
彼はこのスタジオが用意したセットを叩くことになる。

叩けるというレベルでもないドラマーにソロが出来るのか?!

・・・出来るのである。
ワシが手取り足取り教えてやろう。
ドラムソロとは即ちパフォーマンスである。
ワシがやるなら難度の高いパフォーマンスが求められるが、
歌手が叩くのに難度は必要ない。

Wingを見てみろ!!
ワシが2時間一生懸命ドラム叩いて、
アンコールで出て来てちょこちょこっとドラム叩いただけで観客の全てを持って行ってしまう。

ドラムはやっぱ顔やでぇ・・・

彼は中華圏で一番のドラムスター、
今は歌を歌っているが、彼がドラムを叩いてくれさえすれば客はそれでいいのである。
しかも彼はショービジネスの世界でいろんなことを知り尽くしている。
彼のドラムソロを手本にして組み立てればそれでよい!!

まずせり上がって来る時にはスネアの連打。
上がり切ったらそのままタムに移動し、
フロアタムまでいったらいきなりツーバスとシンバルで乱れ打ち。

「難しくないか?」
歌手は心配そうに聞くが、
お前がやりたいような複雑なリズムソロは、
テクニックが必要な上に出来たとしてもそんなに効果がない。
ツーバスとシンバルの乱れ打ちぐらい実は誰でも出来るのだ。

そしてゆっくりした速度からシンバル+バスドラ、
そしてスネア、
これを交互にゆっくりから始め、速度をじょじょに上げて速くする。
これだけで観客は狂喜乱舞よ!!

「こんな簡単なことで?」
歌手は心配そうに聞くが、
「じゃあ俺がWingのドラムソロをそのままやってやろう!!」

Wingはこの辺のことを知り尽くしているので、
彼はバスドラ+シンバルではなくスネア+シンバルである。
その時に同時に首も振る。
タンというのを身体ごと打ってるような感じですな。
これをゆっくりからだんだん速くしてゆく。
そして最後にバスドラも交えて乱れ打ち。
客は狂喜乱舞よ!!

「わかったか!!ドラムは所詮は顔よ!!
お前はWingに負けず劣らずルックスがいいんだから絶対に出来る!!自信を持て!!」

なんか言えば言うほど悲しくなって来た・・・

Posted by ファンキー末吉 at:15:14 | 固定リンク

風呂桶なおった・・

さすがうちの村長ことLaoWuは天才である。
貧乏がそうさせるのかもともと器用なのか、
何でも自分で直してしまう。

Furookenaotta.JPG

今日はリハ終わって帰って来たら風呂に入ってみよう・・・

Posted by ファンキー末吉 at:12:39 | 固定リンク

2009年12月16日

リハは続くよだらだらと・・・チャット・・・

ドラム台の横にパソコンを置いて、
叩いている時は無理でもヒマがあればメールチェックしている。

ComputerByDrumkit.JPG

昨日は田川くんから別件でメールが来て
そのままメールチャットになってしまった。
(それぐらいヒマなのよん・・・)

>ところで、ヤンクンの時の舞台監督は、ファンキーさんが泣かせた人ですよね。
>OPで鼓笛隊を提案してきたあの監督(笑)。

ワシが泣かせたかなあ・・・泣かされた記憶しかないがなあ・・・

そうそう、あの時は日本から田川くんも呼んで一月滞在してもらって一緒にこの大仕事やったんじゃったのう・・・
何でYangKunのオープニングで軍服着た鼓笛隊が行進せないかんのか今でもようわからんが、
他にもいろいろあったのう・・・
「ベンツの中で女はべらせて歌え」とかのう・・・
YangKunの歌は全部失恋の歌で女はべらせて歌う歌は1曲もないっつうねん!!

>そういえば、ファンキーさんがプロデュースの時、ゲネ前の舞台上で寝ていたのを思い出します。
>本当の大物だと思いました。(笑)

いやーもう・・・疲れ果ててな・・・
コンサートの前日にVIP席の招待券を持ってS社長んとこ行って朝7時まで飲んでたのよ。
音楽監督は誰にでも出来るけどYangKunとS社長を仲直りさせるのは中国広しと言えどワシしかおらんからな。

またステージ上が照明で暖かくて寝やすいのよ。
「ドラムの番になったら起こしてね」ってね。
爆風のツアーでも二日酔いでよくこうやって寝てた。

今回も寝るでぇ!!
あんましたいくつなもんで・・・(笑)

>寝ても寝なくてもギャラは同じですし(笑)

音楽監督でギャラいっぱいもらっても、
あれだけやること多くて神経もすり減らして、
それよりはドラマーでこうやってだらだらやってる方がよっぽどええわな。

あ、リハが始まった。
またチャットしよな!

ほな!!

Posted by ファンキー末吉 at:14:15 | 固定リンク

2009年12月15日

リハは続くよだらだらと・・・取材・・・

だいたい何が仕切りが悪いってベースが来てないのである。
遅刻するようなヤツじゃないのになあと思って待ってたが、
今日は他のライブがあるので遅くなると言う。

じゃあ遅く始めろよ・・・

待てども待てども来ないのでだらだらしてたら
いきなり取材の人間がうじょうじょ来だした。

中国はよくあるのよ、リハの様子を取材するって・・・

ワシが音楽監督の時はうっとおしくて喧嘩してたけど、
今回はワシの仕切りではないのでどうでもよい。
テレビ用に演奏しろと言うのでベースなしで演奏してたら、
何やらメディアが全部ドラムんとこに集まって来ている。

見れば歌手がドラムのそばで歌っているではないか!!

やめてくれよぉ・・・
と曲が終わったらそそくさとドラムから逃げ出す。
そしたら何か当日のゲストの歌手かなんかが来てインタビューが始まる。

ZhangJieCaiFang.JPG

もうリハどころではないので外に逃げ出してタバコ・・・
をみんなは吸うのじゃがワシは吸えないのでまた戻って来て写真撮影。

聞けば明日明後日はもうゲネプロということであるが・・・
まだ全曲合わせてないぞ・・・

まあ何とかなるのじゃ、中国では・・・

AkireruDebu.JPG

デブもあきれる中国のリハーサル。

Posted by ファンキー末吉 at:19:39 | 固定リンク

音楽監督の立場とドラマーの立場

中国でこのような大仕事を受ける時には「音楽監督」という立場で仕事を受ける時が多い。
前回はYangKunという大歌手の復帰コンサートであった。

彼は苦節10数年、S社長に拾われて大ブレイクしたが、
事務所移籍に関してS社長ともめて、その結果鬱病を煩って一線を退いた。
そんな彼が満を持しての北京でのソロコンサート、
心配性の彼が訪ねて来たのはS社長の親友であったはずの私である。

「これは相当な覚悟でワシんところに来てるな」
と思ったワシは快く音楽監督を引き受けた。
それからの毎日は筆舌に尽くしがたい。

まず困るのが「舞台監督」との衝突である。
ワシとYangKunとはデビュー前からの付き合いだし、
レコーディングもライブも数々やったので心も通じ合っている。
ところが初めて会うその舞台監督のわけのわからん要求にキレるのはワシだけではなかったようだ。
当のYangKunも
「あいつの言うこと聞かなくていいから。
音楽は俺とお前で作ればそれでいい」
と言ってたぐらいで、最後にはその監督が何を言おうと誰も相手にしなくなった。

昨日のリハーサルでその監督を見た時には目を疑った。
「彼が今回の監督なの?・・・誰が呼んだ?・・・」
ワシは小声でプロデューサーの曲世聡に聞いた。

「前回のYangKunのコンサートが素晴らしかったんで僕が呼びましたが?」

アホか・・・あの監督がどれだけめんどくさいか・・・お前は知らんから・・・
と言おうとしてふと考えた。
別に今回はワシの立場は音楽監督ではない、
音楽監督はこいつである。
つまり監督がまたどんなめんどくさいことを言い出しても聞くのはワシではない、こいつなのである。

「よしよし、君がよければそれでいいではないか」

ワシは今日もリハに行く。
リハはだらだらと続く。
しかしリハが終わればそれで終わりである。
夜中に全部アレンジをやり直したりしなくてよい。
次の日に目を赤くしてやって来た彼の意見を聞いてまたドラムを叩くだけである。

楽しいかな、ドラマーの立場・・・
今はちょっと風邪ひきさんなので、
直ったらバンドのメンバー連れて飲みに行こうかな。

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2009年12月14日

風呂桶壊れた

中国人は欧米人と同じくシャワーしか浴びんが、
日本人はやっぱ風呂である。

この院子に引っ越した時に真っ先に購入したのがこの風呂桶。
ついでにこの桶にいっぱいのお湯を沸かすための給湯器が右側。
これがまた高かったのよ・・・。
風呂はやっぱ中国では贅沢品やね。

Furookekowareta.JPG

そしてこの風呂桶に先日お湯を入れようとして発覚。
風呂桶の木が乾燥により割れ目が出来てお湯が漏れてしまうのだ。

久しぶりにLaoWuに会ったので修理を依頼する。
彼は何でも直せるサバイバルなミュージシャンなのだ。

どのように直すんじゃろ?・・・

まあ彼のみが知ることじゃが、
直るまでワシは風呂に入れない。
韓国人が開いたサウナがあるので当分はそこに通うことになるな・・・

めんどくさいので入らない可能性もあり・・・

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2009年12月 8日

リハは続くよ果てしなく・・・

だいたいバンドのメンバーが多い!!

ドラム、ベースにパーカッション、
ギターはふたりにキーボードもふたり、
コーラス4人に音楽監督やらマニュピレーターやら、
そりゃ広いスタジオじゃないとという気持ちはわかるがこれは広過ぎじゃろ・・・

ZhangJieRhStBig.JPG

映っているのでまだ半分である。
左側にまだ同じぐらい広さがあり、
そこにコーラス隊が陣取っている。

しかしリハも佳境になって午後を過ぎると
このスタジオにどんどん知り合いのミュージシャンが集まって来る。
どうもこのスタジオは2時から別の歌手が使うらしい。

「ラッキーね、仕事2時に終わるあるよ、メシ食いに行くアル」
デブのキーボードがワシに耳打ちする。
「よっしゃ!!今日は昼から飲んだる!!」
とワシ。
「昼から飲むアルか、じゃあ私もつきあうアル」
とデブ。

今回北京に着いてからずーーーーーっと働きっぱなしやないかい!!
今日ぐらい飲まんでどうする!!

飲む気満々でリハにも気が入る。
「おう・・・ファンキー、頑張っとるなあ・・・」
次のミュージシャンが次々やって来て感心する。

ところが2時が過ぎ、3時になってもリハは終わらない。
いくら「いつも待たされるから待たせてもいい」という中国人でも
「早くしろよ」というモードになって来る。

「ぼちぼち終わるな・・・」
というモードになって演奏にもいっそう気が入る。

終わった!!・・・機材を片付け始めるメンバー・・・
「よし!!飲みに行くぞ!!」
ワシもドラムの持ち込み機材を片付けて帰ろうとすると、

「終わりじゃないよ、別の部屋に移ってまだやるよ」

がーん!!!!・・・まだ続くのね・・・

スタジオがまた狭いのじゃ・・・

ZhangJieRhStSmall.JPG

Posted by ファンキー末吉 at:16:52 | 固定リンク

こりゃなかなかやろ・・・

夕べも2時ぐらいまでリハやってて、
今日は前半の最終日ということで午前中から。

こうもはかどらないのはひとえに仕切りが悪いからである。
曲は直前に届いたが、譜面はないし、
ワシなんか一度聞いただけでそれをメモし、
それをみながら「さあやるぞ」と言われたって
自分で書いたこんな譜面しかないんだからどんな曲だかすら思い出せるわけがない。

JianPuDrum.JPG

ワシが音楽監督の現場は出来れば全てのパートが何を弾くかがわかるような譜面、
少なくともコード譜ぐらいは書いて来る。
つまり現場に入る前にアレンジは終わっているのである。
(まあそれだからそれが出来ない音楽監督はワシを呼ぶのであるが・・・)

もちろんワシの場合は五線譜で譜面を書くが、
中国の場合は「数字譜」が一般的である。
「簡譜」とも言う。

こんな感じ

JianPuStrings.JPG

一番複雑であろうはずのストリングスの譜面がこれである。
出て来る音はご想像の通りである。

一時が万事・・・最終リハはまだまだ続く・・・

Posted by ファンキー末吉 at:13:57 | 固定リンク

2009年12月 7日

潰れかけた屋根

中国古来の住宅形式である「院子」というのは、
四方を(貧乏村では三方を)住居だ囲み、中庭を作る。
通常はこれをその4軒の家の共有部分とするのであるが、
この貧民街では比較的裕福であるワシはその全部を借りている。
(8部屋あって中庭あって月々数万円・・・
しかし暖房は自分で石炭・・・涙・・・)

夏は太陽によって暖められたコンクリートの箱である部屋は外気より暑くなり、
そして冬は外気と同じ温度まで下がるので、
こうして院子にビニールを被せて温室効果を狙うのじゃが、
まあ気休めぐらいにしかならないのじゃが
それでもということで冬支度として毎年ビニールを被せる。

しばらく日本にいた間に2回ほど大雪が降ったそうで、
そのおかげでもう屋根が潰れかけている。

TsuburekaketaYane.JPG

あと1回大雪が降ったら潰れるじゃろう。
今年は北京に大雪が降りませんように・・・

Posted by ファンキー末吉 at:13:35 | 固定リンク

2009年12月 6日

いきなりリハ

寒いよーーー
暖冬の日本と違って北京はほんまに寒いーー

空港から院子に帰ってとりあえず石炭をくべて
そのままオンボロ車でリハスタに向かった。

悪い予感というのは当たるもんで、
新幹線の中でチェックした曲順表にはちゃんと「マイケルジャクソンメドレー」が入っていた。

ほんまにやるんや・・・

リハスタに着いたら「ビリージーン」が聞こえて来たので、
そのスタジオに行ったらハオズがいた。
北京で一番スタジオ仕事が多いドラマーである。

「お前がドラムなの?ほな俺いらんやん・・・」
と言うと、
「Funkyのスタジオは隣!!」
とたしなめられた。

この時期、北京中の歌手がマイケルジャクソンメドレーやるんかい!!!

突っ込み満載のままリハーサル開始!!

ZhangJiePaiLian1.JPG

どんな完璧主義ぶった歌手が来るのかと思ったら来てなかった。
リハがどうしてこんなにたくさん必要かやってみてわかった!!

仕切りが悪いから時間がかかるだけやないの!!!!!

だいたい30曲近くもあってメドレーも何曲もあるのに譜面ひとつない!!
みんなそれぞれコードとって来るんだけどみんな違ってるしぃ!!

まあそのぶん自分もいい加減でいいから助かるけど・・・

・・・てなこと言うてるからこんな時間(夜中の2時)までリハやってたやん!!
もう帰って今日は寝る!!

Posted by ファンキー末吉 at:23:46 | 固定リンク

2009年11月 2日

長い一日

曲世聡から久しぶりに電話があったのは一昨日の夜。
12月の彼が音楽監督を務めるコンサートのオファーと、
こっちにいるうちに3曲ほどドラムのレコーディングをしてくれないかというオファー。
もちろん大歓迎なので今日の午前中にレコーディングして、
午後から二胡のコンサートというスケジューリングにしていた。

スタジオ押さえとか、最終的なスケジューリングで連絡を取り合った時点では
お互いにまだ知らされていない・・・

その後昨夜UPしたブログで書いたアホな服装問題でもめてた頃、
実はベースの韓陽(HanYang)が一本の電話を受けていた。
陳琳(チェンリン)が自殺したって噂だけど何か聞いてる?」
まさか・・・ってな感じである。

院子に帰ってブログを書き終えた頃、知らない電話番号から電話が来る。
「友人からこの電話番号を聞きました、
○○の記者ですが、Funkyさんは陳琳(チェンリン)ととっても親しかったということなので・・・」

親しいと言っても、どちらかと言えばワシは陳琳(チェンリン)とというよりも
その旦那のS社長と親しかったからなあ・・・。
彼らが別れてから縁がなくて連絡取ってないし・・・。
彼女の新しい旦那は仕事はやったことがあるが電話番号も知らないし・・・。
などと喋ったらさっさと電話を切りよった。

おいおい!!
お前が持ってる情報をワシに教えんかい!!!

ネットで調べてみるが、
どこもその真相をまだつかんでない。
だからワシんとこまで電話がかかって来るのだ・・・。

状況はよくわからんが死んだことは間違いないらしい。
人の生き死にはここ数年よく見てるのでとりあえず考えない。
死ぬということは単なる「形を変えて生き続ける」ということらしいではないか。

釈然としないまま仮眠を取って、
朝7時に起きてレコーディングに出発しようと思ったら、
何といつの間にか大雪である。
車に機材を積もうにもこのありさま・・・

BeijingOoyuki.JPG

やっとこさで機材を積んでスタジオに・・・。
それまで死んだ人のことは忘れている・・・。
いや、忘れるべきなのだ、ましてや自分で命を断ったと言うならばなおさら・・・。

しかし曲世聡と会ったらまたいろんなことを思い出してしまう。
ヤツが初めて北京に来て、初めて生ドラムをレコーディングしたのがワシ。
それも全て陳琳(チェンリン)の曲ではないか・・・。

ワシらはいつも現場に一緒にいた
ワシに言わしめても田舎モンの彼が今や大プロデューサーになっていられるのも全て陳琳(チェンリン)のおかげではないか・・・

同じことを彼も考えていたのだろう。
陳琳(チェンリン)との思い出はお互い相当に深いものである。

思えばワシが最初に中国でやったスタジオ仕事も陳琳(チェンリン)の曲だった。
むっちゃくちゃ旨い四川料理を作ってくれる、
素朴で歌好きの女の子がスターダムにのし上がってゆく最初から最後までワシらはずーっと一緒にいたではないか・・・

でも言わない・・・考えない・・・。
ワシの周りの死んだ人はみんなワシにこう言ってるではないか・・・
「生きてる人間は今を生きろ」と・・・

しかし今日と言う日は会う人会う人、
陳琳(チェンリン)の話・・・聞いたか?』
が挨拶である。

レコーディングが終わって二胡の現場にかけつける。
ここの方がまだ気が楽である。
韓陽(HanYang)とか以外とは別にその話はしないから・・・。

でもその韓陽(HanYang)だって陳琳(チェンリン)の仕事で知り合った仲間じゃないか・・・

思い出が多過ぎる。
過去にメルマガで配信したのだけでもこんなにある。

http://www.funkycorp.jp/funky/ML/47.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/48.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/55.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/56.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/58.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/59.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/63.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/64.html

これだってそうである。
この時に聞いて涙してた音楽こそ陳琳(チェンリン)の音楽だったではないか!!
彼女が死んだお父さんに向けた詞を書いてオーケストラと共演した曲・・・。
あの時、生のオーケストラと一緒にコンサートやって、
リハーサルの時にあんまし奴らが不真面目なんで沖衡(ZhongHeng)が怒ったよねえ。
「これは彼女が死んだお父さんに向けて書いた大切な曲なんだ。
頼むから一生懸命やってくれ」って・・・

お父さんが死んで、君まで死んだらお母さんはどうなる?・・・


秦勇のライブ
を見に来て、
「ねえ、この短期間にどうやってこれらの曲を作り上げたの?」
と聞かれたからこう言ったよねえ。

「簡単だよ、うちの院子においで。
曲を発売するからレコーディングして、それを演奏するからリハーサルして、
そんなんじゃない世界がここにあるから。
銭金じゃない、みんなやりたい音楽をやってる世界だってあるんだよ」

でも君は来なかった。
高いところに立ったら吸い込まれそうで怖くなるけど、
それでも飛び降りたいと思うほど辛かったのかい?

だったらどうして訪ねて来てくれなかったんだろう・・・

みんなそう思ってるよ。
今まで一緒にいろんな音楽を作り上げて来たんじゃない。
この中国の今の流行歌は全て僕たちが一緒に作り上げて来たんだよ。

仲間じゃないか・・・

僕は明日もう日本に帰るから・・・
君のことを誰も知らない国に帰る。

悲しいこともあることはあるけど、
でも僕は楽しく酒を飲む。

美味しいものを食べて好きな音楽をやって、
友達ともいろいろ会っておこう。
君みたいに悩んでる人もいるかも知れないしね。

そしてもう君のことは忘れるよ。

だって僕はまだ・・・生きてるから・・・

さようなら、陳琳(チェンリン)、僕はまだこの世で音楽をやるよ。

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2009年11月 1日

民族音楽番組に出演

二胡の劉継紅さんのコンサート、
明日は本番なのだが、今日はテレビの収録である。

「民族音楽の番組では最高峰の番組なんです。
ファンキーさん一緒に出て下さい」
と言われたので、
「テレビ嫌いだからヤダ!!」
ととりあえずは断っていた。

だいたい中国のテレビに出たってワシが得することは全然ない。
有名になったってギャラが上がるわけでもなく、
イヤな仕事がまた増えるぐらいだったら出ない方が全然よい。

X.Y.Z.→Aで出れるんだったら考えてもええけど・・・(無理か)・・・

まあどうしてもと言われると、
延々と話し合いながら断る労力よりも出た方が楽なので
「仕事」として引き受けさせて頂いた。

今回はミュージシャンがみんな売れっ子になってしまったため探すのが大変だったが、
いつものメンバーがスケジュールを空けて集まってくれた。
ドラムやベースアンプを運んで別のところでリハをし、
収録スタジオにまた運んでセッティングするのは大変じゃが、
一流の民族奏者(中国で最高峰ということは世界一の人達か・・・)が演奏する
中国最高峰(ということは世界一ということか・・・)の楽曲に混じって、
私の「ろう君の初恋」と「Memories」を演奏してくれるということは非常に光栄なことである。

リハも一生懸命やり、やる気まんまんで収録スタジオにやって来たら、
ワシらを見てプロデューサーが何やらけげんそうである。

そりゃそうだ、ドレスで着飾った一流の民族奏者に混じって、
ワシらだけ普段着なのである。

「こんな服で出演するつもりですかぁ!!!」
劉さんがきーきー噛み付いて来る。

「いけませんか?・・・」

一応いつも来ている服よりはいい服を着て来たのじゃが、
まあお気に召さないと言うならステージ衣装も持って来ているのでそれに着替えよう。

「テレビに短パンで出るつもりですかぁ!!!」

更におかんむりとなる。
短パンにTシャツはワシの正式な「衣装」じゃぞ・・・

「ひょっとして明日のコンサートもそれで出るつもりじゃないでしょうね!!!」

もちろんそのつもりじゃったが、
あんましきーきー言われるので
「正装しろと言うなら予め言ってくれたら用意するのに」
と一応言ってみる。
用意するにも持ってないのじゃが・・・

「明日DVDのシューティングが入ることは言ってましたよね。
つまり撮影するんだからそれようの衣装を着て来ることは伝えているのと同じですよね!!」

またきーきー言われるので大きく反論してみる。

「中国のあらゆる有名歌手のコンサートDVDを見てみなさい。
ワシが堂々とこの服を着てドラムを叩いてるから。
誰もこの服をダメだと言う歌手はいないよ。
これはワシの正装なんだから」

まあ焼け石に水である。
「住む世界」が違うのである。
彼らにとってテレビやコンサートではドレスやタキシード、
短パンなんぞはもっての外なのである。

それだったら最初から言え!!
拘束時間がどれだけで、労力がどれだけで、
ギャラがいくらで条件が何々、
折り合いがつけばやるし、
条件が飲めなければやらないし、
いきなり言われたって無理でしょう。

・・・と言いながらもし正装が条件なら断ってただろうなあ・・・
・・・映画賞のレッドカーペットも結局ぶっちして帰ったもんなあ・・・

やり合ってる場合じゃない、
もうすぐ収録が始まるのだ。

「ちょっとその上着脱いでみて下さい」
上着の下は筋肉少女帯のTシャツである。
「うん、なかなかいいんじゃない?」
プロデューサーはそう言うが、
何で民族音楽に筋肉少女帯なのかがワシにはよくわからない。

「髪の毛は彼はバンダナを巻きますから大丈夫ですよ」
劉さんが助け舟を出すので一応巻いて見せる。
メイクさんがやって来てみんなにメイクするのだが、
ワシの様子を見て
「うん、この人はこれでいいんじゃない?十分よ」
と言われるところからしてバンダナの威力は偉大である。

MinZuTVnoYiFu.JPG

これよぉ!この格好のどこがいかんのぉ!!
短パンがいかんと言うので思いっきりジャージですが・・・

そして本番が始まる。
前のふたりだけがちゃんとしてればバックバンドなんてどうでもいいのよ・・・

MinZuTV.JPG

と思ってたが・・・やっぱ浮き過ぎじゃろう・・・
明日はちゃんとした服装を持ってゆくとしよう。

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2009年10月31日

ロック村の酒とロックの生活

北京空港に着いてLaoWuに迎えに来てくれとメールする・・・
返事がない。
電話する・・・出ない。

しばらくしてLaoWuの奥さんから電話が来る。
「今リハーサル中よ」

仕方がないからタクシーでロック村に帰る。
空港から近いので運転手さんに嫌な顔されながら、
院子の入り口に着いたらリハーサルの音が聞こえて来る。

まさにロック村。

自分の院子に帰らずそのままLaoWuの院子に直行してリハ見学。
終わったらメシ。

村のレストランに行ったら別の院子のミュージシャン達がいたので合流。
ビールを頼む。

酔っぱらって「ライブ行く時に起こしてね」と言って寝る。

起きてみんなとライブハウスに行く。
このライブハウスのオーナーもロック村出身である。
ここに来て酒に金を払ったことがない。
いつも奢りである。

「よっ、帰って来たのか」
会う人会う人に声をかけられる。
従業員も出演者も会う客会う客みんなロック村出身である。

タダ酒なので飲み過ぎてバタンQ(死語)。
粗大ゴミのように車に乗せられて帰って寝る。

まさにロックな生活である。

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2009年10月26日

北京の若い衆

寧夏省、雲南省に長いツアーに行っていた布衣の連中が帰って来た。
老呉(ラオ・ウー)がエンジニアとして方言(ファン・イエン)まで連れて行ってしまったので、
今回、そして前回は院子に誰もおらず寂しかった。

この方言(ファン・イエン)という男、
去年の布衣のライブ録音の時からうちに常駐しているエンジニアの卵である。
真面目なだけが取り柄の、機転が利かない、要領が悪い、
まあよくあるタイプの憎めない人間である。

あまりにアホなので温厚なワシでも時々癇癪を起こしてしまったりするが、
基本的には彼が院子のスタジオに常駐してくれているのでFunkyスタジオ北京がどうにか存続していると言っても過言ではない。

今回は布衣のみんなが話してくれたツアーのこぼれ話。

まずツアーは布衣の故郷である寧夏省銀川から始まり、
そこのライブハウスに来ていた美女に一目惚れしたことから彼の苦難が始まる。

「だいたい20代そこそこで高級車乗り回している美女が
お前なんか相手にしてくれるわけないじゃないか」

みんなはそう言って彼をバカにするが、
真面目なだけが取り柄な彼は、
空いてる時間は全部彼女の尻を追いかけ、
音響の、設営等の仕事は例によって能率が悪いので、
結局彼は銀川にいる間はほとんど寝ていない。

下馬評のごとく、まるで相手にされることなく銀川を後にし、
一行は雲南省へと向かう。

常春の楽園である雲南省でみんながその大自然を満喫している間、
彼ひとり風邪で寝込んでしまっている。
銀川で寝てないせいか、はたまた恋煩いの病か。
彼らを呼んだライブハウスのオーナーが一生懸命みんなを接待している間、
彼だけひとりで寝ている。

これでは可哀想だと地元の人間がミルクティーを彼に振る舞った。
「これを飲むと風邪なんか吹っ飛んでいっぱつで元気になるから」

実はこのミルクティー、なんかアブナいモノが入っていたそうで、
その通り、彼は一発で元気になった。
街に出てゆき、見るもの聞くものがバラ色である。
露天で言われるままに物を買う。
頭に巻くバンダナと銀のブレスレット。

だいたいにしてお前がいつこんな物を身につけるんじゃ?

80元もした銀のブレスレット、
実際は5元ぐらいの価値だろうとみんなは言うが、
彼はアレルギーで、つけているとすぐ蕁麻疹が出てしまう。

役に立たんやん!!

よし、ワシが買い取ってやろう。
嫁へのプレゼントである。
その代わり、そのバンダナとやらとブレスレットを身につけて写真を撮らせてくれ。

FangYan.JPG

ハイになってバッタもんをつかまされて、
この格好で喜び勇んで帰って来た彼を、人はみんな「アホ」と呼んでいる・・・


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2009年10月25日

北京に戻って来た

久しぶりの北京である。
1ヶ月以上帰って来ないことはここ数年ではなかったのではなかろうか・・・

院子に帰って来たら前回取り付けられていた屋根がなくなっていた。

YuanzYanenashi.JPG

聞くところによると、前回屋根を取り付けたのはワシの仲間たちではなく、
ここの大家が「測量」のために取り付けたと言う・・・。

測量?・・・何のことかと思えば、
何と都市計画でこの村を潰して近代化しようという計画があるらしい。
そのために誰にどのくらいの立退料を払えばいいのか測量しているらしく、
院子のような中庭がある場合はそこは建物ではないと測量されてしまうので、
ちゃんと屋根をつけてその面積も建物ですよと換算してもらうためらしい。

え?・・・この村がなくなるの?・・・

一瞬びっくりしたけれども、
この写真の向こう側に映っている高圧電線、
こんなものを引っ越しするのは並大抵のことではない。
計画はあっても実現するのは数年先のことではないかという噂である。

まあいい、潰されるなら潰されるで、
機材一式持ってみんなで別のところに引っ越せばそれでいいのだ。
どれだけ街を近代化しようが、
近代化されてないところは絶対にある。

こうして住むところを失った天然記念物のトキのように、
貧乏なロックミュージシャンの放浪の生活は続くのじゃ・・・

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2009年9月 7日

セルフ打ち上げ

ワシは大仕事で何かを生み出した時には、
それを大音量で聞きながら酒を飲むのを愛する。
仮ミックス途中で洛陽に行ってしまったので仮ミックスをまだ聞いていない。

夜汽車でしか寝てないワシはまる二日間風呂に入ってないので、
まず北京に着いたら三日ぶりの風呂!!
そしてずーっとネットにつなげなかったのでいろいろメール仕事をする。

本当はメンバーにデータをUPして聞かせたいのじゃが、
まだデータを受け取ってないので仕方がない。

なんじゃかんじゃしているうちに
スタジオに人が来ている時間になったのでデータを取りに行く。

もう夕方である。
ビールとつまみを用意して、若い衆集めて
「さー今から聞くぞ!!」
ってなもんである。

ところが1曲目を再生してみると、
ストリングスは大きすぎるしコンプはかかり過ぎてるし、
「お前・・・これはないじゃろ・・・」
というぐらい音がひどい。

仮ミックスを頼んだエンジニアも北京ではもう既に有名なエンジニアとなっているのだが、
いかんせんワシにどうやってこれで酒を飲めと言うのか・・・
ワシの求めているものが・・・
いや、要するにワシらの10年の歴史をお前はわかっとらん!!!

メンバーがこれを聞いて同じように感激しながら酒が飲めるか?
仕方がないからミックスをやりなおす。

ところがそうなると開かないファイルが現れて来たりする。
アルバムを録っていると試練に見舞われる曲が次々と現れて来て、
日本では「眠れなくて」のデータを消してしまうし、
アレンジの時はアルバムタイトルチューンの「Yesterday Today Tomorrow」で譜面ソフトがトラブった。

ストリングス録音の時は「Z to A」が開かんかったし、
ここに来て開かなかったのもまたこの曲である。

原因はファイルではなく院子のスタジオのプロトゥールスにあるようだ。
仕方ないのでMacBookのプロトゥールスで開いて作業する。

そしてこういう時に限って院子名物、「停電」である。
かまうもんか!!MacBookは電池でも動く。
ヘッドホンをかぶってひたすら作業する。

「絶望の〜風よもっと吹け〜」
ってなもんである。

呼び集められた若い衆がもう飽きてしまった頃、電気が復活!!
「よし、大音量で聞くぞ!!」
自分で考えた仮の曲順通りにBounceしてゆく。

全部をWavファイルに落とした後に、
それをMP3に変換してWebにUPする。
そのアドレスをメンバー全員にメールすればそれで終わりである。

いやいや、メンバーにメールする前にもう一度Webから音を聞いてみてチェックせねば・・・

最後の曲になる前に酔い潰れて寝てしまった。
セルフ打ち上げ、いつの間にか終了であった。

メンバーにメールを送り、飛行機に乗って日本に帰る。
明日はX.Y.Z.→Aのジャケットの撮影があるのでみんなFunkyスタジオに集合する。

よく考えたらそこでみんなで聞けばよかったのではないか?

いやいや、少しでも早くみんなに聞かせてやりたいのよ。
一日早くみんなに聞かせるために一日無駄にした。
バンドとは突き詰めればそのようなもんである。

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2009年9月 6日

大仕事その2管楽器とパーカッション

ストリングスオーケストラが帰って行った後、
スタジオが次の管楽器録音のために大幅なセッティング替えをしてる間、
先ほど録ったストリングスを片っ端からデータ整理してゆく。

ブースの中で聞いているので録ったものをいちいちプレイバックしていない。
また、どの部分はどの部分を貼付けるとか計算しながらやっていたので、
それだからこそこれだけ短時間で録り終えることが出来たのだが、
自分の耳が、そして頭が少しでも悪ければそこでおしまいである。

ひとつひとつの録音を丁寧に聞いてゆき、
数テイク録ったものは一番いいものを選んで貼付けてゆく。
そんな作業をやっているうちに管楽器奏者がやって来た。

今回は管楽器はホルンだけである。
通常の編成では2本呼んでダブルで重ねて4本にするが、
何故かひとりしか呼んでくれていない。
「中国で最高のホルン奏者なんだ。ギャラも最高級だよ」
聞いてみるとひとりで800元(約1万2千円)持ってゆく。

日本のスタジオミュージシャンより高いやん!!

同時録音ではなくダビングだからひとりでよろしい!!
ポケットマネーでレコーディングしてるんだから破産してしまうわい!!

だいたいホルンはオープニングの曲のイントロの8小節だけしかないのだ。
時間で言うと20秒足らず。
譜面を見せたらあからさまに「これだけ?」という顔をしている。

「4本ダビングしてくれるかい?」
そう言うとよろこんで、
「没問題!!(ノープロブレム)」

・・・そりゃそうじゃろ・・・

BeijingStringsHorn.JPG

結局6本ダビングして5分足らずで帰って行った。
5分で800元・・・ワシは一体何をやってるんじゃろ・・・

いかんいかん!
音楽をつきつめる時に金を考えるとよくない。
もともと予算をそのままスタジオに渡しているのだ。
ブッキングもスタジオが責任持ってやってくれる。
ワシは音楽だけを考えていればいいのだ。

パーカッションが着くまでエディットを続ける。
「パーカッションは何時に着くの?」
ワシは9時40分の夜汽車で洛陽に行かねばならないのだ。
「楽器は・・・6時だな。奏者は・・・子供を迎えに行かねばならないので7時だ」

ブッキングしたのは女性。
一流の奏者であるが主婦でもあると言う。

「仕事だからすぐに来るように言いなさい!!」

人の都合よりワシ自身の都合である。
いくらコネで友人を呼ぶにしても金を払うのはワシなのだから・・・

奏者が先に到着した。
まずシンバルを録音する。
「どのシンバルがいい?」
向こうはワシがドラマーであることを知ってるので意見を請う。
とりあえず一番大きいのを選んで叩いてもらう。

このシンバルロールというのは言わば「芸術」である。
同じ打楽器奏者としてこのシングルストロークにはため息が出る。
ワシもよくドラムのレコーディングでやらされるが、
とてもじゃないけどこれだけ粒立ちのよいロールは叩けない。

そりゃそうじゃ、
この人たちはこのシングルストロークだけをひたすら練習して生きて来たのだ。
ロールに「命」がある。

あっと言う間に録り終わり、次は合わせシンバル。
猿のおもちゃみたいに左右からがしゃんと合わすのかと思いきや、
合わせシンバルは横にして、
叩くときに空気を逃がすように一瞬こすり合わせるのだ。

プロじゃ・・・

これもあっと言う間に録り終わり、
そうこうしているうちにティンパニが届く。
この引っ越し業者が実は今回のレコーディングの中で最高額の1200元(約2万円弱)を取ってゆく。

BeijingStringsTimpani.JPG

ティンパニはこの曲の要である。
機材レンタルして自分で叩けと冗談を言われるが、
とてもじゃないけれどもこのレベルで叩けない。
同じ打楽器奏者として悔しくはあるが、「餅は餅屋」である。
それに命をかけて生きて来た人にはとてもかなわない。

これもあっと言う間に録り終えてさっさと帰って行った。
所要時間10分そこそこである。
ちなみにギャラを聞いてみるとやはり最高額の800元。

ワシ・・・ドラムセッティングして30分、
音決めして30分、
いろいろ注文聞いてレコーディング30分、
片付けで30分。

ワシなんか2時間いろんな技を駆使して2000元なのに、
この人シングルストロークだけで10分で800元・・・

いかんいかん、金のことを考えて音楽は出来ん!
とりあえず全部録り終わったのだからビールを注文して
セルフ打ち上げをセッティングしつつエディット作業を再開。
順調に行けば仕上がった音をiPhoneに入れて夜汽車で聞ける予定だったが、
結局はエディットが間に合わず、そのまま夜汽車に乗る羽目に・・・

早く聞きたいよー・・・

洛陽から帰ったら仮ミックスをしてメンバーみんなにも聞かせてやるのさ!!

大仕事これにて終了!!

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2009年9月 4日

大仕事その1ストリングス

9時入りと言えばラッシュアワーなので8時に院子を出る。
雨が降り出して道路が少々混みだした頃スタジオに着いた。

8時半、まだ誰も来てないのでしばしスタジオの門の前で待つ。
「日本人は時間の観念が違うねえ・・・」
カギを開けに来たスタッフはそう言うが、
自分が遅刻したらそれが原因で今日録り上げることが出来なくなるかも知れないのに、
それでもゆっくりと来ようとする中国人の性格を疑いたくなる。

譜面の整理などをしてオーケストラメンバーの到着を待つ。
入り時間の10時より前にコンマスのKunYuが到着した。
小沢征爾やヨーヨーマとも競演経験がある実力派である。

BeijingStringsLeader.JPG

彼が心配そうに「譜面を見せてくれ」と言う。
全曲のスコアを見せると、
「美しい!!まるで問題ないじゃないか」
そう、いいアレンジはその譜面が芸術的に美しくなるのである。

そう、今回のアレンジはどれも自信作。
いつもはコンソールルームでガラスの向こうから指示を出すのであるが、
今回はブースの中に入って指示することにする。
中に入って生音を聞いた方が音程とか響きとかがよくわかるからである。

BeijingStringsCondact.JPG

「中で棒でも振るのか?」
とスタジオの連中がからかうが、
クリックに合わせてやるレコーディングは別に指揮者はいらない。
みんなクリックを聞いているのだから。

でも指揮どころかリズム指導までせねばならない事態になることをこの時点では想像だにしていない。

雨が降ったので大渋滞となり、
バイオリンとビオラがそれぞれひとりづつまだ着いてないが、
「じゃあ始めるか」
と言う。
この辺が中国である。
24人もいるのだからひとりやふたりいなくても変わらないさと言うのである。

まあ、待ってて録り終えなくてもいやだから、
少々不満ではあるが録り始めてるうちに到着。
ダブルにかぶせてるうちには全員揃った。

日本のレコーディングシステムではダブルにするとギャラも倍必要だったりするが、
ここ中国ではギャラの中に必ず「ダブルにする」というのが含まれている。
だから

トップバイオリン8
セカンドバイオリン6
ビオラ4
チェロ4
コントラバス2

の24人のオーケストラを揃えても、
実際にはその倍の48人のオーケストラが鳴っているということになる。

1曲目は彼らの得意とするバラードにして正解。
30分もたたないうちに1曲目が終わり、次の譜面を配布。

BeijingStringsFumenHaifu.JPG

順調である。
この調子で行けば予定通り半分録リ終えて昼飯ということになる。
2時半までしか時間がないんだからメシ抜きでやってくれればいいのにと思うのだが、
ここ中国では日本人的なそんな考えは通用しない。
「腹が減ってはいい演奏も出来ないだろ!」
ということで食事の時間は絶対なのだ。

曲によってはその場でスコアを直したりもする。
トップバイオリンにフレットもないような高い音を弾かせたりしているのだが、
それがあんまりよくないのではと言うのだ。

BeijingStringsFumenCheck.JPG

ブラスをアレンジする時にもそうだが、
こういう音はそれが弾ける人がいて始めて成り立つ。
弦の場合はセカンドバイオリンとかがそれをオクターブ下で支えることによってフォローする。
まあしかし結局は
「もっと大編成だといいけどこの編成だからオクターブ下げておこう」
ということになる。
こんな時に馴染みのオーケストラだと楽である。

予定通り午前中の曲を録り終えてメシ!!

BeijingStringsBento.JPG

時間がないのにメシの時間どころか食後の休憩までとる。
焦っても仕方がない。
This is China!! これが中国なのである。

午後の部開始!!

しかし音がだらけきっている。
コンマスなんぞ明らかに
「私満腹で弾けません!」
という音である。

そんなになるまでメシ食うなよ!!

仕方がない、いろいろ指示しながら士気を上げる。
彼らの苦手なロック的なキメとかではリズム指導などもしながら、
最終的には予定通りぎりぎりの2時半には全曲録り終えた。

神業である。

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大仕事の準備

ストリングスを8曲も録るのは初めてである。
前の日に譜面とデータを持ってスタジオに行ってくる。

StringsScore.JPG
(8曲だと譜面の量もハンパじゃない)

日本から持って来たプロトゥールスのデータをコピー。
ファンクラブ用にTDが終わった曲も多いのでデータが大きい。
やっとコピーが終わって開こうと思ったら、
プロトゥールスのバージョンが違っていて開かない。

中国では海賊版を使うために低いバージョンを使っているスタジオが多いことを忘れていた。
すぐさま院子のスタジオまでタクシーを飛ばし、
全てのデータを低いバージョンでSAVEし直す。

前の日にこの作業をやっててよかった。
当日でいいやと思ってたらタイムアウトになるところだった。

何せこの日は弦の人達が3時から仕事があると言うので
朝9時集合で10時からレコーディングである。
2時過ぎには終えようと言うと1曲30分の計算である。
トラブルなんかに見舞われたらまず録り終えれなかったところである。

だいたいかなり前からこの日に大仕事をやるぞと言っているのに、
かまわずにこの日に仕事を入れるのが中国である。

まあ大丈夫だろう、この人たちは前回の「Wings」も30分で録り上げている。
「Funkyの譜面はいつも難しいからなあ・・・」
とボヤイていたそうだが、今回は変拍子の曲はないから大丈夫。
前回の「びっくりミルクMetalicaオーケストラバージョン」のような超難曲ではない。
(あれはいつになったら発売されるのだろう・・・)

あとは管楽器と打楽器の手配である。
ティンパニを運ぶのに引っ越し会社を呼ばねばならない。
こちらでは大きな楽器は引っ越し会社が運ぶのだ。

「んで?ティンパニはお前が叩くのか?」
ドラムが叩けるからティンパニが叩けると思ったら大間違いである。
レコーディングでドラムが終わったら「じゃあコンガも叩いてよ」と言うのが中国人である。

まるで違う楽器やっつうねん!!

「んで?シンバルはお前が叩くんだろ?」
これも悪いがプロにお任せする。
この人達はシングルストロークでティンパニやシンバルをロールすることに命を懸けている人達である。
一生をそれだけに懸けていると言っても過言ではない。
基礎練習が嫌いでライブで修行しようとしているドラマーとは粒立ちが全然違う。

「んじゃあ打楽器は夜ね」
おいおい、言ってなかったっけ?
ワシはこの日の夜の列車で洛陽まで行かねばならないので
夕方には全てを終えねばならない。
全部の楽器は夕方までにまとめてよ。

いろいろあったが何とか準備万端!!
世紀の大仕事が今日始まる。

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2009年9月 3日

80万のSTUDERの卓

中国はバブルなので金持ちがうじゃうじゃしてるのか、
いきなりメールが来て、
「今Yahooオークションに出ているSTUDERの卓を競り落としてくれ」
と言う。

「お前がそんなの競り落としてどうすんの?」
と聞くと、
「あれ?言ってなかったけ?俺は北京に今度10個のスタジオをオープンさせるんだ」

何をやってそんなに金があるのかわからんが、
確かに昔は数千万したSTUDERの卓が80万とは安い!!

ところがワシはYahooオークションのIDを持ってないので競り落とすにもオークションに参加出来ない。
何よりも京都のスタジオだと言うからひょっとしたら知り合いかも知れない。
「連絡先が分かれば直接連絡とって交渉してやるよ」
と言うが、競り落とさないと連絡先も分からないのでその時は流れてしまった。

数日たってまたメールが来る。
「あの卓がまたオークションに出たから競り落としてくれ」
お前なあ・・・俺はそれに付き合ってるヒマはないの!!
北京で誰かID持ってる日本人探してそれに競り落としてもらえ!!
金振り込むぐらいだったらやってやる!!

と無下にあしらっていたのじゃが、
本当にID持っている日本人を探し当てて競り落としてしまった。

「ちょっとそこ行って取って来てくれないか」
軽く言うが、この人は京都と東京がどれだけ離れているかわかってない。
それにそもそもこんな巨大な卓をどうやって北京まで運ぶんじゃ?!!

「大丈夫、3つに分割出来るからそのまま北京に送ってもらえば」

税関は?手続きは?・・・
とりあえずワシはもう成田で、今から北京に行かねばならないので、
着いてからまた話をしようと言うと、
「連絡先わかったから連絡だけとってくれないか」
というので、しゃーないから電話した。

「はじめまして、STUDERの卓の件で・・・」
と喋り始めたらすぐに、
「その声は・・・ひょっとしてFunkyさん?・・・」

なんとそのスタジオは知り合いのスタジオだった。
X.Y.Z.→Aのライブ録音もしてもらったことがあるではないか!!

「とりあえず今は成田で今から飛行機乗るので、
詳しいことは着いてからメールでやりとりしましょう」
と言い残して飛行機に乗った。

北京に着いたらメールが来ていた。
「これもご縁ですねえ・・・
オークションに出したらひとつだけ連絡が来て、
一応それが競り落としたことにはなってるんですけど、
それから何の連絡もないし、恐らく悪質ないたずらでしょう。
4日まで待ってリミットが切れたらFunkyさんにお譲りしますから」

それ・・・同じ人間なんですけど・・・

買い手に連絡とってぶーぶー言う。
「とりあえず、その競り落とした日本人に連絡させろ!!
事情を説明してその後はFunkyがやるからと言えばそれでいい!!」

やりたくないが双方の知り合いとなればやってやるしかない。
「とにかく知り合いの貿易会社を探せ!!
その会社まで納めるまでだったらやってやる!!」

めんどくさいことがまた増えてしまった。
今からストリングスの譜面とデータを持ってスタジオに行く。

Posted by ファンキー末吉 at:11:04 | 固定リンク

2009年8月21日

久しぶりの北京

夜遅く着いたのでわからんかったが、
よく見るとトタン板で屋根が出来ていた。

YuanziNewRoof.JPG

院子らしさが全てなくなってしまったが、
直射日光が当たらないぶん少し涼しいようだ。

それにしてもこの木は実は雑草。
切っても切ってもすぐに屋根より高く育ってしまう。
中国人のたくましさを象徴するような雑草である。


まあ今回もいろいろたまった仕事をせねばならないのじゃが、
それよりももう完パケのスケジュールが迫っているX.Y.Z.→Aの10周年記念アルバムのストリングスの手配が一番重要である。

今回は既に毎月のライブで新曲を1曲づつ発売しているので、
それらの曲も全てリミックスし、
更にはストリングスを入れられる曲は積極的に入れてゆこうということになっている。

成田までの道のりで既に発売した7曲を聞いてみると・・・
これが入れようと思えば全部入るのよ・・・
メタルにストリングスって・・・合うなあ・・・

とりあえずいつも使っているスタジオのオヤジ、
いやいや彼とももう20年来の付き合いでもう家族みたいなもんなのじゃが、
彼にちょっと相談してみる。

「例えば7曲録音したらいくらになるかなあ・・・」

中国がいくらストリングスが安いと言っても、
7曲全部入れたらそれなりに高い値段となる。

日本では1時間いくらで値段を換算するが、
中国では1曲いくら。
前回Wingsの時にはちょっと裏技を使った。

通常5分を超えると(最近は3分になってるらしいが)2曲分と換算されるので、
とりあえず分数は言わず、ストリングスが入る部分しか聞かせない。
弾いている時間が5分以内だから10分を超える大曲でも1曲でいいでしょ、
というわけである。

また、本当はM1の「Heavy Road」とその大曲の「Wings〜Fire Bird」は別の曲なのじゃが、
実はメロディーは同じメロディーであることから、
「ほら同じ曲でしょ。イントロで使うから」
と嘘を言って全部で1曲にしてもらっている。

今回も1曲フルでストリングスを入れる曲よりも、
おそらくサビだけとかそんな使い方をしたり、
それよりも何よりもイントロダクションで使おうと思っている小曲までを1曲と換算されてはたまらない。

「今回は1曲いくらではなく、時間いくらでやってもらえない?」

まあ長年の付き合いである。親身になってストリングス隊と交渉してくれる。
「ま、弾いてくれる人達もみんな友達だから悪いようにはせんじゃろ」
と彼が言うように、
ワシはもう既に数十曲ここでストリングスをレコーディングしているが、
来るのはいつも同じメンバー。
トップのスタジオミュージシャンはいつも同じ連中となるので、
(これは小沢征爾が指揮をするときも同じ)
当然ながらワシとも顔なじみである。

彼らにとっては譜面の準備が完璧で仕事が早いワシの仕事は「ありがたいお仕事」である。
うちの院子の木のようにたくましい中国人と値段交渉するのは本当に骨が折れるが、
交渉を頼んでいるのも中国人なのでまだマシである。

交渉が成立したら日本帰ってひたすらストリングスアレンジをやるぞ!!
うまくいったら全曲ストリングス入れたりして・・・

それも全てはこの値段交渉次第である。

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2009年5月29日

北京楽器フェアー

相変わらず中国の仕事のブッキングは大雑把なものなので、
土壇場になるまでワシはどこに行って何をやるのかも聞いていない。

まあ「ドラムを叩く」のであろうことは疑う余地はないので、
とりあえずスティックとマイナスワンの伴奏を流す器材だけは準備しておく。

毎年ドラムフェスティバルがこの頃に開催され、
毎回参加出来ないワシは「来年こそは参加して下さい」と言われているので、
てっきり今回はドラムフェスティバルに参加するのかと思ってたら、
「ドラムフェスティバル29日に行われます。ふるって参加して下さい」
とメールが廻って来た。

もう29日に日本に帰るチケット取ってもうたがな・・・

もっと早く言えよ!
ってなもんであるが、
じゃあワシの今回の仕事は何なんだろう・・・

器材を持って指定された場所に来てみたらそこは楽器フェアーの会場だった。

GakkiFair.JPG

なるほど前回と同じようにまたパールのブースでデモ演奏すればいいのね・・・
去年のVisionツアーでやったプログラムを演奏して初日は終わり、
万里の長城を見に行ってるというパール本社の方々の帰りを待つ。

そして現れたのが彼

Percussionist.JPG

と彼

MarchingDrumer.JPG

今回はパーカッションの大家とマーチングドラムの大家をアメリカから連れて来たと言う。
それぞれに素晴らしいパフォーマンスを見せてくれた。

そして二日目は彼らとセッションしろと言う。
とりあえず晩飯を食いながら親交を計る。

コミュニケーションは英語なのでかなり大変だったが
酒を飲めばどこの人間だろうが同じである
酒と料理と下ネタで盛り上がる。

レストランでしか提供されない黄ラベルの青島ビール。
通常の青ラベルよりクリーミーである。

QingDaoYellow.JPG

ワインにしようかどうしようかと言うのでお薦めした老酒。

HuangJiu.JPG

日本では紹興酒と呼ばれたりするが、
紹興酒は紹興という街で作られた老酒のいちジャンル。
英語ではChinese Rice Wineとメニューには書かれているが、
中国語で黄酒と呼ばれたりするのでYellow Rice Wineと紹介してはみたが、
一口飲んで彼らが名付けたのがFunky SAKE
ペンを取り出して翌日のセッション曲を譜面に書き始める
タイトルがFunky SAKE
いったいどんな曲になるのだろう・・・

FunkySAKE.JPG

次の日演奏してみたら大好評。
見も知らずのアメリカ人と日本人が、
前の日にさらさらっと書いた譜面だけをたよりにセッションする。
息もぴったり。

少々でも打楽器をかじってる人にとってはヨダレもののセッションであっただろう。
次の日も軽くセッションして会場を後にした。
午後の便で日本に帰る。

ファンキー末吉ひとりドラムツアーの軌跡(こちら

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2009年5月 9日

戻って来たら北京は夏だった

前回は寒くてコタツにくるまってたというのに、
ほんの2週間ちょい留守にしてただけでもう夏になってた。
ほんと北京は春だ秋だの過ごしやすい期間は非常に短い。

今朝は早く起きて
1週間の和佐田ツアーで溜ってたメール仕事をこなしながら、
コタツを片付けたり毛布を片付けたり、
夏支度をしてたらあっと言う間に集合時間である。

今日はPairの全中国ツアーの初日。
もともとは大連から始まる予定だったが、
やはり最初は北京の小さいところで肩ならしをしてからということで
今回突如ブッキングされた。

ワシは和佐田ツアーの最終日の高知から直入りしてるので、
大連だったら間に合わなかったかも知れないのでよかったと言えばよかったのじゃが、
それにしてもこのギリギリの移動、
はっきり言って老体にはもうしんどい・・・

会場に着いたらポスターが貼られていてそこにはワシの名前も・・・

PairPoster.JPG

なになに?・・・2009年度巡演城市・・・

上海、広州、シンセン、成都、重慶、西安、武漢、長沙、杭州、天津、フフホト、長春、大連、青島、ハルビン、貴陽、包頭、南宁、銀川、岳陽、常徳、蘇州・・・

こんなに廻るんかい!!!

このテの小型ツアーはライブハウスを廻るので必然的に客が入る週末だけがブッキングされる。
つまりワシは今年じゅう毎週末このギリギリの移動をせねばならんというわけか・・・

6月からはパールのドラムクリニックツアーも始まると言う。
それもスケジュールは全て週末である。

どうなるワシのスケジュール・・・

久しぶりに合ったメンバー達、
「今回はいつまでいられるんだい?」
にこやかに聞かれてもついどよーんと答えてしまう。
「明日もう帰りまんねん」
目を白黒させながら再びこう聞くメンバー達。
「じゃあ今回はこのライブのためだけに帰って来たの?」
力なく頷くワシ。

やりとりを聞いてたBeiBei、
悪そうに近寄って来てこう耳打ちする。
「今回はライブハウスなんで300元しか出ないんですけどいいですか?」

いいですかも何ももう来てしまってますがな!

PairKanban.JPG

入り口の看板にはライブの値段が書かれている。
成人40元、学生30元
それでも学生10人分のチケット代をワシにくれると言うんだから
それでもかなり頑張ってくれたのだと思うしかない。

サウンドチェックの合間にMengMeng(モンモン)から電話が入る。
「社長のスケジュールが今しかないの。今から会社に来れないの?」

行けまへん!!

だいたいどんだけ偉い人か知らんが、
ワシはこういうスケジュールの人間なんやから、
そちらが合わせてくれんと一緒に仕事は出来まへん!!

めんどくさいので全部デブのキーボートプレイヤーZhangZhangに振ってぶっちする。
この親娘と付き合ってたら身体がいくつあっても足りないのじゃ。

汗をだらだらかきながらデブが電話で話し終わって、
泣きそうな顔で哀願する。

「MengMeng(モンモン)の次のアルバムなんですが、
会社の社長はもう張亜棟(ジャン・ヤードン)にお願いしてるんですけど、
彼女はどうしてもファンキーさんにお願いしたいと言うので、
是非社長に一度会って欲しいとのことなんです」

張亜棟(ジャン・ヤードン)とは中国で一番売れているプロデューサーで、
当然ながら値段も一番高い。

「張亜棟(ジャン・ヤードン)に払える金があるんだったらそれでいいじゃん!
ワシは金のない奴の面倒見るので忙しいの!!」

また泣きそうな顔で哀願するZhangZhang。
「あの人達の申し出を断る労力を考えたら、
一度だけでも社長に会う方が全然楽なんですけど・・・」

仕方がない、来週末の来北京は予定を一日早めることにする。
社長がそのスケジュールじゃ駄目ならワシゃもう知らん!!

レコーディングするならもう八王子に来てやってくれ!!

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2009年4月19日

村のレストランが帰って来た

二井原実田川ヒロアキなど、
北京に来たことのあるミュージシャン全てに舌鼓を打たせた村のレストラン「状元紅」。
オリンピックの締め付けにより潰されて早や半年。
その跡地には「紅辣椒」というレストランが出来ていた。

HongLaJiao.JPG

大繁盛だった「状元紅」と違っていつ見ても客が入っていたためしがない。
最近では「全品2割引」と張り紙をしているが客が入っていたためしはない。

「レッド・ホット・チリペッパーだってよ。
ロックな名前じゃないか。今日はここで食べよう」
と口にしたうちのアホなエンジニアはみんなに総スカンにあう。

「俺達は状元紅が帰って来てくれるのを心待ちにしてるんだ。
誰がこんなレストランに食いに行くか!!」

そんなみんなの思いが通じたのか、ついに状元紅が戻って来た。

ZhuangYuanHong.JPG

跡地には紅辣椒がまだ陣取っているので、その斜め前にオープンである。
これでもう紅辣椒の先行きは決定的になったと言えよう。

「ロック村の社員食堂」というべき状元紅。みんなでいそいそと食べに行った。
味はもちろんのこと、二井原実が「坂田師匠」と名付けた女主人も健在である。

SakataShishou.JPG

坂田師匠、いつもはむっつりしてるので「アホの坂田」に酷似しているが、
きっと初めてのことなのだろう、「一緒に写真を撮ってください」などと言われて、
初めて見るこの笑顔がスパイスとなり、この日は少し食い過ぎたようだ。

嫁が大好きだった「インゲン豆の唐辛子炒め」も健在ならば、
二井原実が絶賛したチャーハンも健在である。

極寒の冬も越して気候もよくなって来た。
皆の衆、北京に来るなら今ぞよ!!

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2009年4月 5日

飲んだ飲んだ

突然香港からJamesがやって来たから大変である。
10年ぶりの北京と言うからいろんな人を紹介してくれと言う。

ちょうど日本から大友さんが来てたし、
日本人エンジニアのKeizoなんかも呼び出して市内で外食。
普段貧民街から出ないのでこれはワシにとってもいいチャンスである。

毎日北京ダックとかおいしい物を食べさせて「アワビ話」満開!
今回のツボは、

「その後そのアイドル、新しい名前がついたネ。
コンサートで誰かが叫んだ。
黒アワビ!!
それから全員が彼女をそう呼ぶ・・・。黒アワビ!!」

初対面の大友さんKeizoは抱腹絶倒。
次には何か一緒に仕事出来ればいいね。

ところがこうして私が夜な夜なおいしい物を食って酒を飲んでる時にも、
梁棟(Liang Dong)はひとり院子に残ってドラムの練習。
ワシは午前中は彼に説教し、午後はリハーサル、夜は飲みの毎日である。

「あいつなあ・・・全然進歩しないんだよ・・・どうしたもんかなあ・・・」
ロック村の村長である老呉(ラオ・ウー)に相談してみる。

「あいつはダメだよ。思考が間違ってる。
つまりあいつは焦ってるのさ。
早く習得して有名になりたい、金を稼ぎたい、
親戚のLuanShuみたいに成功したい、
そんな気持ちがある限り無理だよ」

「そうだなあ・・・俺も中国人ミュージシャンは少し焦り過ぎていると思う。
みんな顔に金って書いてるようなもんだ。
まあ周りがみんな金持ちになって何で俺だけって気持ちがあるんだろうなあ・・・」

「その通り。
俺達を見てみろ。
布衣楽隊結成して今年で14年。
今だに成功してない。
でも俺達も何か迷った時にはお前の生き方や、
お前の友達、盲人ギタリストやXYZのボーカルなんかのことを思い出して物事を決めるんだ。
中国人の全てのミュージシャンは周りにそんな人間がいないからな。
中国の古い物語でこういうのがあるんだけど、
達人に人が物を教えて下さいと来る、
達人はでは私と3年暮らしなさい、
その間一切何も教えない、
たいがいの人間はその3年が我慢できなくて逃げて行ってしまうけど、
ども実はその3年の間に実はその奥義の多くは既に伝えてあるんだ、
3年我慢できた人間は
その後にちょっとしたことを教えるだけでびっくりするほど進歩する。
つまり奴はまだ教えるには早いのさ」

深いなあ・・・

明日は日本に帰るというその日。
LuanShuはここぞとばかりドラムのレコーディングをブッキングする。
また悪いことに1曲目は叩きまくりのロックスタイルである。
ツーバスを使ったテクニカルなフレーズに梁棟(Liang Dong)の目はらんらんと輝いてる。

「お前なあ・・・こんなもんいくら練習したって金にならんぞ!
一番金になるのは最後に5分で叩いたバラード!
一度曲を聞いただけで曲の全てを把握し、
Aメロはこの強さ、Bメロはこの強さ、サビは一番盛り上げて、
一打たりともその強弱、打点の揺れがない。
そして歌心な!!
それが出来たら中国じゅうの仕事は全部お前のもんだ!!」

つまりは毎日院子で練習させていることだけである。
理解してるのやら理解してないのやら・・・

レコーディングは夜中に終わり、そのままLuanShuらと朝まで飲む。
これも久し振りのことである。
事情を話して彼らからもうまく説明してもらう。
非常に熱心に聞いてて頭では理解してるんだろうけどダメなのである。

アルコールも回り、最後にワシは業を煮やして怒鳴りつける。
「明日は午後の飛行機で日本帰って、
月半ばにまた北京帰って来るけど、
明日の午前中に最後にもう一度叩いてみて、
それでもこんな簡単なこと出来ないんだったら、
もう次から来なくていい。
お前には無理だ!!」

梁棟(Liang Dong)はもう泣きそうである。
ワシはもう知ったこっちゃない。
別にワシが惚れ込んで教えてるわけでもないし、
もともとはBeiBeiのツアーのためにやってやってるわけだから、
人助けのためにまた人助けしてるようなもんである。

酔いつぶれて寝てドラムを叩く夢をみる。
ここ数日毎日ドラムを叩いてたからなあ・・・

しかし目が覚めてみると
それは隣で練習している梁棟(Liang Dong)のドラムだった。
「なかなかいいじゃない。
それでいいんだよ。やっとわかったか」
遠慮なく誉めてやる。

「ま、これを1年も続けるとお前もいっぱしのドラマーになれるよ」
と言うと、
「い、1年もやるんですか・・・」

ダメだこりゃ・・・

空港まで送って行ってくれた老呉(ラオ・ウー)が言う。
「ま、次に戻って来た時にはまたもとに戻ってるだろうよ。
今はやっとのことで心が平静を保っているけど、
またしばらくしたら焦りが頭をもたげてくる。
同じことだよ」

ワシもそう思う。
改革開放が進むバブル真っただ中の中国で、
真の意味でのロックをやってゆくのは難しい・・・

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2009年3月31日

若手の育成

北京に帰って来てPairというユニットのリハーサル。

このユニットはBeiBeiというギタリストのユニットで、
ワシがプロデュースしたゼロ・ポイント6万人コンサート
ギターアンプの後ろでエフェクターを踏んでた若造が
「ファンキーさん、僕アルバムを出したいんです」
と言い出したところから始まる。

「ほう、君が歌うのかい?」
と聞くと、
「いえ、ボーカルがいないんです。
誰か紹介して下さい」

アホか!!

というところから苦節5年。
うちの院子でレコーディングし、
アメリカからWyn Davisを呼び出してミックスしてもらい、
この度やっとアルバムが出るのか出ないのか・・・

最近わかったのじゃが、
「自分のためには使えないまれに見る強運」
を持ったワシが助けてあげた人はほとんど大成功している。
しかしこの
「不運を絵に描いてゲゲゲの鬼太郎みたいな顔にした」
ようなこの男にはどうも通じないようである。

「アルバム発売の前に全国ツアーをやりたい」
と言うので、
まあ「助けてやるなら最後まで」という気持ちでOKした。

しかしワシとて毎回そんなスケジュールを空けられるとは限らない。
また、中国は土壇場でいきなりスケジュールが変わるのでなおさらである。
ここは別のドラマーを育成して、将来は独り立ちさせてやるに限る。

ということで青島から梁棟(Liang Dong)というドラマーを呼び寄せた。
彼は先日日本に遊びに来たLuanShuから
「うちの親戚がドラム叩いててお前に教えを請いたいと言ってるんだ。
よろしく頼む」
と言われたので遠慮なく呼び出した。

ワシがドラムを教えるにはまず一緒に飲んで語る。
「音楽とは何ぞや?!」ってなもんである。

日本でもそうじゃが、
だいたい若いドラマーは目先のテクニックにしか興味がない。
中国人には「どうやったら金が稼げるか」という話が一番分かりやすいので、

「俺がスタジオ仕事でそんな超絶テクニックを使うことがあるか?
一番大事なのはリズム、グルーブ!それが一番金が稼げるの!!」

と言うのじゃが、
それでも目先のテクニックにしか目がいかないのが常である。

Pairの曲の中で一番簡単な曲を叩かせる。
基本リズムだけの簡単な曲なんかが実は一番難しい。
「オカズを入れるな!」
と言ってるのにほっとくといろいろ小手先に走っている。

「お前!リズムもちゃんと叩けんくせにオカズを入れるな!
クリックからヨレてるのがわからんか!!
オカズはリズムがちゃんとヨレなくなってからじゃ!!」

まあ鬼太鼓座が入団してすぐに10km走らされ、
ちゃんと走れるようになるまでスティックは持たさないよりはマシである。

LiangDongPractice.JPG
(えんえんクリックとリズムだけをやらされる梁棟)

まあ何とかサマになったかなと言う頃、
ワシは市内に出て行ってLuanShuのレコーディング。
勉強になるだろうと彼を連れて行った。

今日の仕事は映画音楽のロック版で、
オーケストラががんがん入ってて
テンポも指揮に従って変わりまくるオケに合わせてドラムを叩く。
リットやアクチェルなどを完璧に合わすのは至難の業だったが、
何とかパンチインを繰り返して録り終えて、
シンバルロールをダビングしている時に気がついた。

梁棟(Liang Dong)がドラムブースの中でらんらんと目を輝かして見ているのである。

「お前・・・ずーっとここにいたの?・・・」
「は?・・・見させて頂いてましたが・・・」
「んで?・・・勉強になった?・・・」
「はい!とっても勉強になりました!」

「お前!音楽が聞こえなくてドラムの音だけ聞いてて何が勉強になるの!!
ここでずーっといてどんな曲なのかもわかんないだろ!!
俺が音楽に対して何を苦労してどう乗り越えたかがドラムだけ聞いてたんじゃ全然わかんないだろ!!」

朝まで説教である。
全くもって若手を育てるのは難しい。
今日からリハーサルが始まる。

若手だらけである。
先が思いやられる・・・・

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2009年3月18日

汪峰のレコーディング

久し振りの北京でのレコーディング仕事。
オリンピックもあり、金融危機の煽りもありで、
音楽業界はしばし沈黙状態であったが、
ここに来てまたぼちぼち活動が活発化し始めたようである。

汪峰と言えば中国を代表するロック歌手であるが、
バンド出身というのもあり、自分の音楽は自分で全てプロデュースする。
ドラム録音でこれほど意見を言う歌手は二井原実か彼ぐらいであろう。

もちろんブッキングも彼自身が自分でやる。
日本にまで電話かけて来て
「いつ帰るんだ?!それじゃあ間に合わない」
とすったもんだあったが、
結局ワシが帰るまで待っててくれたんだな、と思ったら、

なんと既に録音してあるドラムをボツにして録り直すのであった!!

それほどまでしてワシのドラムが欲しいのか!
それほど他のドラムでは満足出来ないのか!

ドラマーにとっては嬉しいことこの上ないことである。

WangFengRecording.JPG

写真右は彼んとこの若いアレンジャーなのじゃが、
これがよくある話でなかなか要求が難しい。
「ここでハイハットを裏で踏んでくれ」とか無理難題が来るのじゃが、
それは彼らの世代ではドラムマシンしか知らないのでこうなるのである。
謹んで無茶な要望を実現してあげる。

パンチインを繰り返しながら最後まで録り終え、
「じゃあこれキープして最初っからもう一度叩いていい?」
これもいつものやり方である。

だいたいにしてドラムというのは、
このように頭を使って叩いても結果がよくないものである。
OKになったオカズももう身体が覚えてしまっているので、
ステージでのライブ演奏のように最初っから最後まで一気に叩く。

「ファンキー!!最高だよ!!」

汪峰がガラスの向こうで叫ぶ。
「本当はこう叩いて欲しいのに」と思ってるアレンジャーも、
プロデューサーが大満足しているのに文句は言えない。

2曲目は最初っから最後まで思い通りに叩く。
もう誰も文句を言わない。
あっと言う間にレコーディングが終わった。

「次はいつ北京にいるんだ?」
別れ際に彼が聞く。
これはすなわち「またドラムをお願いしたい」ということじゃが、
実はドラムはもう既に全部録音し終わっていることをワシは知っている。

既に録音が終わっているオケというのは、
そのドラムのヨレに合わせてリズムが微妙に揺れているので難しい。
自分のリズムで同じようにヨレながら叩いてやらねばならないからである。

中国広しと言えどこれが出来るのはワシぐらいであろう!(自慢)

それにしても汪峰の曲というのは悪く言えばどれも同じ、
よく言えばひとつのスタイルが確立している。
帰り際にはサビのメロディーが頭に残って離れないということはキャッチーであるということでもある。
人のことは言えないが
「よく同じリズムで同じコード進行で曲が作れるよなあ」
ってなもんである。

このアルバムもまた大ヒットするのであろう。
また中国のロックの名盤に参加してしまったという実感である。

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2009年3月16日

北京で仕事がてんこもり

XYZのライブが終わってすぐ北京に帰って来た。
いろんな人が待ちわびていて電話が鳴りっぱなしである。

今日から毎日BeiBeiの全国ツアーに向けてのリハーサル、
加えて明日はロック歌手汪峰のレコーディング。
その合間をぬってパールドラムの全中国ツアーの打ち合わせをせねばならない。

リハーサルはうちの院子で行われることになった。
BeiBei達が住む市内からはちと遠いが、
スタジオ代が要らないということと、ワシに気を使ってのこともあるとは思う。

何せこのBeiBeiと来たらとかく時間を守らない。
デビューアルバムのレコーディングリハでワシは切れたことがある。

「お前、助けてやってるワシが時間通りに来て、
助けてもらってるお前が遅刻するとは何事ぞ!!」

デブのキーボードのZhangZhangっつうのもまた時間を守らない。
ある時ふたりがとある友人と飲み屋で待ち合わせして、
夜の7時という約束なのにその友人ひとりしかいない。
10時頃ZhangZhangが遅れてやって来て、
ふたりで飲んでたら夜中の2時頃やっとBeiBeiがやって来たという逸話もある。

自分ちでやるなら誰が遅れようが来るまで自分の仕事が出来るので時間が無駄にならない。
遅れること1時間以上たってやっとリハーサルが始まった。

BeiBeiRhearsal.JPG
(今回はうちのリハーサル室ではなく、隣の布衣のリハーサル室を借りた)

6時からパールドラムの全中国ツアーの打ち合わせが入っている。
そこにBeiBeiを連れて行って紹介し、
彼がブッキングしようとしている彼らの全国ツアーと、
パールのクリニックツアーとを連携させたいのじゃ。

何せふたつとも
「じゃあ週末はツアーね」
とブッキングが乱暴なので絶対にスケジュールががっちんこするばかりか、
ヘタしたらどちらもワシのスケジュールを見ずにブッキングしたりするから大変である。

クリニックはだいたい昼間行われるので、
昼間クリニックをやった土地で夜BeiBeiのライブが出来れば言うことない。

しかし1時間以上遅れてリハをやってるんだから時間通り5時に終わるわけがない。
「5時半に黒タク(中国では白タクをこう言う)を呼んでるから一緒に行こう」
まあ5時半なら順調なら間に合う時間なので5時半まできっちりリハをする。

そしたら今度はその黒タクが待てど暮らせど来やしない。
打ち合わせの時間を遅らせようとするが今日はもう時間がないと言われる。

明日はリハをやめて打ち合わせとレコーディングである。

万事がこんな調子でBeiBeiとパール、ふたつの全国ツアーがブッキング出来るのか?!
ワシは毎週末過酷な移動で泣かねばならないのではないか?!

ここ中国では蓋を開けてみなければ何もわからない。

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2008年12月17日

こたつ

そして北京に帰って来た。

・・・寒い・・・
暑いとこや寒いとこや、毎日居場所が違うので風邪をひいてしまった。

上海の友人、Kさんが送ってくれたこたつを組み立てる。

Kotatsu.JPG

やっぱ日本人はこたつである。
うちの部屋・・・もう北京の貧民街とは思えない・・・

ちょっと暖を取ったらもう日本に帰る。

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2008年11月20日

北京・・・寒すぎ・・・

シンガポールは32度だったのに北京は1度である。
院子に帰って来たらバンドの連中がレコーディングしていた。

YuanziRec.jpg

左の端は最近エンジニア見習でやって来た方言(Fang Yan)なのであるが、
家が遠いと言うことでレコーディングがあるとうちに泊まる。
前回も青島から帰って来たら
突然の寒波で気温が3度。
その頃はまだ石炭を売りに来てないので暖房はナシである。
酔っ払って帰って来た方言(Fang Yan)が
外気と温度が変わらない彼の部屋でホゲーっと寝ているのを見て
「こりゃこいつそのうち凍死するな」
と思ったらまだ生きてた。

「俺のいない時は勉強だと思って友達のバンドとかレコーディングしてあげなさい」
と言ってあったので、
真面目だけが取り柄の彼は毎日レコーディングしていたらしい。
(もちろんタダで)

一昨日からめっきり寒くなったという北京。
服を着込んで電気ストーブひとつでレコーディングしていたバンドの連中も、
「これでは寒くて指も動かない」ということでやっと石炭を購入、
ワシが帰って来た時には自慢の畳の部屋もそこそこ暖かい。

問題は誰がこの石炭を炊き続けるかである。
数時間ごとに石炭をくべてないと消えてしまい、
そうなるとまた薪から火をつけねばならないので大変である。

嫁がいる時は夜中なんか凍えて目が覚めたりしたら、
お互いに膀胱のあたりをつつき合って、
おしっこが我慢できなくなった方が石炭をくべに行くことになっていたが、
酔っ払ったら凍死するまで起きない人間が相手ではそうもいかない。

仕方がないので近所の貧乏人に金を与えて定期的に石炭をくべてもらおう。
そうなるとまた泥棒が心配なのじゃが・・・

明日からまたドラムクリニックで山西省に行く。

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2008年9月 9日

宗教とは

ミュージシャンの受難は続く。

「オリンピック期間中、北京にいたってライブはないし、
それだったら俺の田舎に来ないか?」
メンバーのひとりの実家の近くに、
機材も持ってて音も出せる部屋もある友人がいると言うのである。

物価がどんどん高くなっている北京と違って、
田舎の生活はなかなかのものである。
バンドのメンバー全員でその友人の家にこもって毎日練習していた。

「いいもんだなあ・・・
朝起きたら練習して、
飯食って練習して、
ビール飲んで寝て・・・」

ところが1週間ほどしたある日、
その練習場に突然警察が踏み込んで来た。

中国の警察は本当に恐ろしい。
ドアをノックして捜査令状を出して中に入れてもらうような、
そんな日本のような甘っちょろいもんではない。
例えて言うと、いきなりドアを蹴破って「ホールドアップ」という感じである。

別に彼らがロシア人力士のように大麻を吸っていたわけではない。
その部屋の持ち主である友人が法輪教であったと言うだけである。


法輪教はもともとは気功の集団である。
友人の若いドラマーも昔、法輪教に入っていて気功を勉強していた。
彼曰く、とてもよい気功の論理であったと言うが、
その周りの人間がつぎつぎ捕まるので恐ろしくなって法輪教をやめたと言う。

中国政府が法輪教を徹底的に弾圧しだしたのは、
ある日のこと、法輪教が天安門広場で彼らが何万人集まって集会を開き、
「何じゃ?」と思ってるヒマなく、
集会が終わったら何万人が一瞬のうちに跡形もなく消え去り、
その後にはゴミひとつ落ちてなかったと言う事件からであると聞く。

時の支配者、江沢民は激怒した。
よりによって自分のおひざ元で
このような一糸乱れぬ統率力を見せつけられたのである。

殺せ!徹底的に根絶やしにしろ!

中国で別に警察が人民を逮捕するのに、
日本のようにややこしい手続きや逮捕状など必要ない。
警察に「確信」があればそれだけでいい。


事実、その友人は法輪教であった。
だからそのアジトである部屋でうるさい音を出している奴らも一緒に逮捕してしまえ!

とまではいかず、彼らは無関係ということで結局逮捕はされなかったが、
警察がもし「お前らも法輪教だな」と「確信」したら即逮捕である。
誤認逮捕なんて怖くない。
間違って逮捕された人民だって「いやー・・・ひどい目にあった」ぐらいである。

ロシア人力士のように
「納得できない!法的手段に訴える!」
と言ったって無駄である。
ここ中国ではそれこそが「法」なのだから。


北京のワシの院子に住んでいる貧乏ミュージシャン、
その奥さんは顔の皮膚病で悩んでいる。
見ればどうも薬品か何かにかぶれたように見える。

薬を処方してもらえば悪化し、
医者に診てもらえば更に悪化し、
残るは「神頼み」しかない。
彼女は熱心に何たらという宗教を信じている。

これも一種の気功である。
瞑想とかダンスとかをうまく取り入れて、
わかりやすく人間の持つ潜在パワーを引き上げて病気を治す。

その旦那であるミュージシャンはいつも
「嫁が法輪教でねえ・・・」
と冗談で笑い飛ばすが、
本当に法輪教だったら彼らどころかワシの身も危ないので、
これはかなりのブラックジョークと言えよう。

「こういうのはなあ、日本人にはきっと効かないんだ。
いろんな情報もあるし、頭もいいし、
でもな、中国では文明のない農民とかが本当に心から信じる。
そしたら本当に医学では説明がつかないような奇跡が起こるんだ」

そんな奇跡を目の当たりに見た人間は心底それを信じ、
人間の潜在パワーはそれによりまた奇跡が起こる。

その嫁さんの皮膚にはまだ奇跡は起きていない。
ワシなんかが見るに、
「日本でちゃんとした医者に診てもらえば?」
と思うのじゃが、
その医者が女の命であるこの顔をこんなにしたんだと思ってる限り
医学だって万能ではない。
思えば日本人にとっては「科学」こそが心から信じて疑わない「宗教」なのである。

「何をやったって治らない。
毎日毎日皮膚が痒くってしかたがない。
うちの嫁がこの宗教に出会わなかったらきっともう自殺してただろう」

彼にそう言われて「なるほどな」と思う。
その宗教が本物かウソものか、
ワシはそんなことはどうでもいいのではと思っている。
ワシの友人が少しでも幸せになってくれればそれでいい。


八王子のスタジオが何かバイオリズムがいいと思ったら、
二井原曰く、周りの宗教家や学生が毎日お経を唱えているからではないかと。
その宗教自体はワシは昔強引な勧誘にあってから大嫌いなのじゃが、
宗教はもともとは「みんなが幸せになって欲しい」というものではないのか。

学生さん、毎日毎日、ワシや二井原の幸せのために祈ってくれてありがとう。
ワシらもみんながもっと幸せになれるように音楽すっからな。

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2008年9月 6日

こちらの業者の仕事ときたら・・・

残暑厳しい日本と違い、北京の秋の過ごしやすさときたら格別である。

涼しい秋風、乾いた空気、
ビール飲んで先日出来上がった畳の部屋にごろんとなるのは至福である。

夕べはちょっと肌寒かったので、こりゃタオルケットだけでは風邪をひいてしまうなあ、
とばかり秋物の布団を出すことを決意。
実はこのたたみの台は箱になっていてそこにいろんなものが収納できるのじゃ。

中国の家具ときたら木なんかすぐに変形してしまうし、
今回はこだわって特上の木材をと発注した。
完全オーダーメイドの畳が1枚6千円程度なのに対して、
その大きさのこの箱だけで1個4万円近くする。

こんな貧民街なんか政府にいつお取り潰しにされるかわからないので、
どこに引っ越してもこの箱と畳と共に移動すれば同じ環境が手に入るというわけである。

「ミュージシャンは畳の上で死ねない」と言うので、
将来的にはこの畳をかついでドラムを叩いたらステージ上でも畳の上で死ねるぞ、
と思ってたら嫁に
「死ぬ時は普通うつぶせに倒れるから畳の下になるんちゃうん」
と諭された。
ミュージシャンはやはりどうしても畳の上で死ねないようなので、
せめて生きてるうちにたっぷり畳でごろごろしたい。

よし布団を出そう!

重い腰をあげて立ち上がった。
ちょっと小さめなので軽い畳をひっぺがす。
箱の蓋には開閉用の紐がついている。
それを引っ張ればぱかっと・・・

ぱかっと開くはずじゃが・・・

こりゃいかん。
あんましここで力を入れたら紐が切れてしまう。
どうやら業者があまりにぴったり寸法を作りすぎたので、
木の微妙な膨張のせいか箱が開かなくなってしまったのじゃ・・・

TatamiTrouble.jpg

トンカチとバールで格闘してやっとこじ開けたら今度は閉まらない。
完璧に見えた業者の仕事であったが、
こちらの仕事なんて蓋を開けてみたらそんなもんである。
て言うか、その蓋が開かないのだから・・・

大騒ぎの末、結局布団はここには仕舞ってないことに気付いた。

しまらないオチでした。

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2008年9月 2日

貧乏ミュージシャンの苦難は続く・・・

「ギャラ少し前借り出来ませんか・・・」
テレビドラマの音楽の続きをやらせていたデブのキーボードから泣きが入る。

オリンピック期間中はコンサート等も許可が下りず、
レコードも発売が出来ないのでミュージシャンは開店休業状態である。
請け負っていた映画音楽も四川省地震のため撮影中止となってるし、
そんな中でこのテレビドラマだけが中止にならないのもワシ、
ひいてはこのデブも非常にラッキーなことである。

しかしいかんせんこのテの長期に渡る仕事というのは、
基本的に全部仕上がるまで金がもらえないので、
他の仕事が全然ないデブ達ミュージシャンは仕事はしてても金が回らず、
生活費そのものがなくなってしまうというわけである。

しゃーない、ワシが立て替えておいてやろう。
今日はその主題歌のTDではないか。
アシスタントにある程度やらせておくから飯でも食いに行こう。

ところがそのアシスタントがいつまでたってもやって来ない。
電話をかけると入院したと言う。
尿結石である。

中国では基本的に医療は全額本人負担である。
うちの村では怪我なんかしても病気になっても病院なんか行かない。
家族にひとり重病人が出ただけで一族郎党まとめて破産してしまうという国である。
農村などでは見殺しどころか家族のために病人を殺すこともあると言う。

入院なんかしたらいくらかかるの?・・・

幸いうちのアシスタントは北京の実家で暮らしていて、
両親が彼のために医療保険をかけていたらしい。
保険料もばかにならないだろうが、破産するよりましである。

近所の貧乏ミュージシャンに聞いたら、
やはり保険なんかかけている奴は皆無。
みんな病気にでもなったらそれでおしまいである。

みんな健康には気をつけろよ!!


保険と言えば火災保険にも入ってない友人のライブハウスが火事になったと言う。
このオーナーはうちのロック村出身でドラマーときているので、
行けば必ずタダで飲ませてくれるいいライブハウスであったが、
まあ貧乏なミュージシャンとロックファン相手に商売している店が
火災保険に入る金はあるまいなあ・・・

火事が起こったのが運悪く(運良く)オリンピックの閉幕式の時。
煙を見た通行人が消防署に通報。
警察がかけつけて来て事情徴収。

「よりによって閉幕式に時に火事起こすなよ」
と担当の警察官。
ライブハウスも災難だが担当警察官もえらい災難なのである。
ヘタしたら責任とらされてクビということもありうる。

「よっしゃ!火事は起こってなかったことにしよう。
わかったな!火事は起こってなかった!
その燃えカスは自分たちで何事もなかったかのようにちゃんと片付けとくこと!」

半焼しているライブハウスをミュージシャン仲間で片付ける。
でもこれはむしろラッキーなことである。
オリンピックをぶち壊すようなことをした関係者は、
二度と店など開けないばかりか
将来どんな迫害を受けるかわかったもんじゃない。

何せ「火事は起こってなかった」のである。
燃えた機材を買い替えてリフォームすればすぐにでも営業出来る。
これが火事が一日遅れていたら容赦なく「お取り潰し」であっただろう。

仕事が一段落したら様子を見に行って来よう。
ドラムセットぐらいはワシが責任もって修繕してやるぞ。

営業が再開したらまたばんばんタダ酒飲ませてくれよ!!

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北京に帰って来た

ナンバーの奇数偶数による車の通行規制はまだ続いている。
昨日は奇数日だったので貧民街の貧乏ロッカーが空港まで迎えに来てくれたが、
よく考えたら今日は偶数日なのでこの村から出ることが出来ん・・・

不便な毎日はパラリンピックが終わるまで続くらしく、
何よりもショックだったのが、

村で一番おいしいレストランが潰れてしまっていた

のである。

うちの嫁がこの貧民街に連れて来られて、
「もしこのレストランがなかったら私はもう泣いて帰っていた」
と言うぐらいこのレストランの味は絶品だった。
この味は二井原実、田川ヒロアキ、等ここに来たことのある全ての日本人の舌も魅了し、
「他で御馳走してくれたどんな高級料理よりもここがおいしかった」
と言わしめるものであった。

潰れた、いや潰された理由は、「煙」だと言う。
オリンピックに備え、中国政府は貧民街のレストランに
「空気が汚れるからレストランで飯を作るな!」
と通達したと言う。
他のレストランはデリバリー専門で対応したが、
このレストランは村の偉い人たちにも御用達だったので、
まあいいだろうとばかりそのまま営業していて、
もっと上の偉い人の目にとまり潰されたと言う噂である。

北京の大気汚染は飯作る煙が原因か?!!

デリバリー専門で営業しても同じだけの煙が出るし、
村で人気の羊肉串の店も、
結局は外で焼いてたのを店の中で焼くので煙の量は同じである。

貧民いじめるヒマがあるなら公害を垂れ流す金持ちを規制しろ!!

貧民街に住むロッカー達が鼓楼にあるライブハウスで演奏していた時、
ちょうどその時、同じく鼓楼で殺人事件があった。
ライブハウスの外は外国人記者でいっぱいである。

警察がライブハウスに飛び込んで来てオーナーを脅す。

「お前ら、記者に何か喋ったらどうなるかわかってるだろうな。
何を聞かれても私は知らないで通すんだぞ。
わかったか」

ミュージシャン上がりのオーナーは青くなってうんうん肯くしかない。
貧乏生活からやっと開いたこの店を
こんなことで潰してしまったんでは元も子もない。

万事がこうである。
パラリンピックが終わるまで貧乏ミュージシャンの苦難は続く・・・

村の噂では、四川省に帰ってしまったレストランのオーナーは、
パラリンピックが終わったらまた戻って来て、
また村の中で同じ味のレストランを開いてくれると言うことである。

その頃にはまたロッカーにとって楽しい毎日が始まることを心から願う。

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2008年7月28日

北京空港にて

ワシは怒っているのじゃ!!

オリンピック前は全てのイベントがことごとくキャンセルになるので、
今回の靖江(どこや?)、徐州のドラムクリニックもキャンセルになる
と踏んで日本でのスケジュールを入れていたが、
そういう時に限ってキャンセルにならないもんで、
仕方ないので日本から自腹で渡航費払って現地まで自力で向かう。
そのレポートは日本に帰ってからゆっくりUPするとして、

ギャラより高い交通費・・・(鯉のぼりの節で歌ってちょ)・・・

はミュージシャンの心意気なのでよい!
しかし問題は中国政府が
「オリンピック前は飛行機、列車に大型電子機器を持ち込むな」
と言うのである。

ワシのドラムクリニック用のシステム(このブログ参照のほど)は、
ひょっとしたら預けることも出来なければ持ち込むことも出来ないかも知れないと言うのである。

自分が好きで金払って中国の子供たちにロックを教えに行くのはいい!
しかし中国政府のために金を払って新しいシステムを構築するのはどうも腹が立って仕方がない。

MDと小さなミキサーを使った新しいシステム
DrumClinickNewSystem.jpg

まあそれもいい!
菅沼孝三の言う通り、MDこそが「絶対に止まらない」安全なシステムであることも事実である。
八王子ムラウチ電気で買ったこの1万2千円のミキサーも
ひいては「ロックで世界平和」のために少しでも役に立てば本望であろう。

それはいいのである!
ワシが怒っているのはそれだけではない!


地方都市からやっとの思いで北京に帰って来たワシは、
いつものように同じ貧民街に住む老呉(LaoWu)に空港まで迎えに来てもらう。
「ワシはお前らの音楽を助ける、お前らはワシの生活を助ける」
持ちつ持たれつ(中国語でどう言うか知らんが)である。

「明日は午後の飛行機で日本帰るからまた空港まで送ってね」
と言うと老呉(LaoWu)は悪そうにこう言う。

「この車は奇数ナンバーなので明日は街を運転できない」

何やと!!!
オリンピックに向けて市内の渋滞緩和のためにナンバーによる運転規制を始めたと言う。
ワシら貧民街に住むミュージシャンは車がなかったらどうやって生活するよ?!!

北京には半日しか滞在しないが、
その間に仕事を済ませておこうと若いミュージシャンをブッキングしていたが、
「ファンキーさん、僕の車偶数ナンバーなんで12時過ぎないとそっち行けません」

何じゃそりゃ!!

村の入り口には門番がいて、許可証がないと村に入れない。
ChuRuZheng.jpg
村の入り口まで迎えに行こうとも12時越したら車を運転することも出来ん。

だいたいこんな貧乏な村の出入りを規制してどうしようって言うの!!!

テロリストは少なくともここの村の住人より金持ちやからこんなところには来んぞ!
言うちゃ悪いけど生き馬の目をえぐり抜くようなこの国で、
日雇労働者として地方から流れて来たこの村の住人ははっきり言って頭も悪い(失礼!!)。
この国を転覆させるようなことを考えたり、
またそれを実行するような頭を持ってたらそもそもこんな貧民街には住まん!
そんな村の出入りを規制するぐらいやったら、
悪いやつがいっぱい住んでる金持ち地区を規制しろ!

レコーディングが始まろうとしたその時、例によって停電。
UPS(電源安定器)は先日の大雨と落雷で壊れてしまったので
いきなりパソコンの電源が落ちる。

だいたいこの時期に毎日大雨っつうのがおかしいんとちゃうん?!!

だいたい北京はもともと雨が降らない土地とちゃうん?!!
オリンピックのために人口雨を降らせているという噂が頭をよぎる。

そうなると全ては疑惑である。
うちの村はもう数週間断水している。
オリンピックのために貧民街にまわす水はないと言うのか?
停電もオリンピックのせいか?

日本ではエコが叫ばれているけど、
ワシの村ではもう数週間風呂にも入れなければ
しょっちゅう停電してるから電気も使ってないぞ!!

電気もなければレコーディングも出来ないので酒を飲む。
ついつい口に出る言葉は

「反対!奥運会!!(オリンピック反対!!)」

回りの若い衆達が慌ててワシの口を押さえる。
「そんなこと言って誰かに聞かれたりしたらどうするんですか」と・・・
知ったこっちゃない。ワシは数時間後には日本に帰るのじゃ!
くそったれオリンピックが終わるまで北京には帰らんのじゃ!

「僕たち・・・どこにも逃げるとこないし・・・」

涙声で訴える若い衆を隣村の朝までやってる食堂に連れて行って酒を飲む。
「ワシはもう9月まで帰らんからな!
お前らワシの仕事ちゃんとやっとけよ!!
ワシはもう知らん!!」

酔いつぶれて寝て、
そのまま黒車(中国では白タクのことをこう言う)を呼んで空港まで来た。
白タクまで奇数ナンバーと偶数ナンバーを用意せなあかんとは何事ぞ!!
空港に着いたら厳重な警備でボディーチェックされる。

BeiJingAirPortChecking.jpg

出国する外国人が目につくのは気のせいか?
中国政府は外国人のビザの延長、更新を規制している。
ワシの友人のアメリカ国籍のミュージシャンも仕方なく帰省している。

空港でビールを飲んで、
酔っ払ったふりをして大声で叫んでやった。

「オリンピック反対!!俺はボイコットするぞ!!」

ただし日本語で・・・

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2008年7月18日

榻榻米

明日で日本に帰る。
オリンピックはボイコットして夏休みじゅう子供たちと八王子で暮らすのじゃ。

そのためには仕事を全部今日までに終えなければならない。
重慶雑技団とテレビドラマの音楽と布衣のニューアルバム・・・
まあ終わるわけがない。

重慶雑技団は引き続き日本に帰ってインターネット経由でやり続けるとして、
テレビドラマは主題歌を今晩レコーディングして後はデブのキーボードに任せて、
布衣は・・・ま、ええか、お前ら後は自分でやれ!

それよりも大事なのは、
ワシの住処の大改造。
何と貧民街に畳の部屋を作ってしまったのじゃ!!

TaTaMi.jpg

居心地がいいのじゃぁ!!
もうこの部屋から出たくない!!

「お前らレコーディングは自分らでしなさい!!」
と、昨日は一歩もここから出ずに畳でごろごろした。

中国語で畳のことを榻榻米(ターターミー)と言う。
日本から輸入することを覚悟していたが、
日本料理屋や、金持ちの中国人の住居のために
中国にもちゃんと榻榻米(ターターミー)業者がいた。
寸法も言った通りの寸法で作ってくれる。
全て手作りである。

ちょっと小さめの寸法のを8枚作ってもらったのじゃが、
1800元(約3万円)と言うので24万円ほど覚悟してたら、
何と8枚全部で1800元だった。

安い!!

その代わり、台にするために収納にもなる箱を特注したがそれはちと高くついた。
まあこの村が開発のために潰されたら箱ごと持って引っ越しすればよい。
貧乏なロッカー達と畳担いで引っ越しする様も圧巻であろう。

何よりもそのために専門の清掃業者を呼んだのじゃがそれが安い!!
ひとり1時間15元(約200円)だと言うから日本とゼロがひとつ違う。

LinShiGong.jpg

家具を運び込む前に全部拭いてくれ、
部屋のすみずみまで掃除してくれる。

畳を見てみんな「なんじゃこりゃ?!」・・・
日本の文化をとくと説明してやった。

ほな清算を・・・
と思ったらいきなり20元に値上がりしていた。
日本人だと思ってボラれたに違いない・・・

もう明日帰る・・・

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2008年6月10日

ところ変われば募金も変わる

前回のメルマガで四川省大地震へ何か援助が出来ないかと言う話を書いたら、
やっぱそんなことを考えてる人は多いと見え、いろいろメールを頂いた。

とある人は何とか被災地の子供たちのために文房具を送りたいと関係者に相談したら、

・新品を送るとピンハネされる
・政府や赤十字みたいなところに送ってもやはり殆どがピンハネされる
・ということで、中古の文房具を信頼の置けるところもしくは人に直接送る
というのがよい

とアドバイスされたそうである。

彼女はワシに言う。
「その文房具をドラムに詰めて担いで四川省まで行ってくれ」
と・・・

こりゃほんま本腰入れて行くしかないか?・・・

知り合いが現地の教育機関に受け入れを要請してくれている。
ひとりではドラムセットすらも担げないので、
隣に住んでる布衣のボーカルに
「お前らどうせヒマなんじゃろ!」
と言うことで声をかけたらふたつ返事でOKだった。

まあ生き死にの段階がすんで、
衣食住が何とかなってから初めて「教育」だろうから、
ワシらが受け入れを許可された頃は少しは復旧が進んでいると言うことじゃろうが、
おそらく宿舎はその受け入れ先の学校となったとしても、
まあワシらの住んでる環境とそんなに違わんしなあ・・・

何とか冬になる前に行かなきゃ凍死するなぁ・・・


しかし彼から中国での募金の状況を聞いてびっくりした。
なんと中国では募金をしたらその名前と金額が公表されると言うのだ。

これは募金の額を吊り上げることには貢献しているが、
自分の名前と額を村に張り出された貧民達はたまらない。
誰それはいくらだからと更に募金をするために借金をする。

とある売れっ子の女性アイドルが被災者のために献血をした。
そのことが報道されると国民全てが怒り狂ってネットで彼女を叩きまくった。

「お前、金持ちなんじゃろ!血じゃのうて金送らんかい!!」

香港のとある超売れっ子歌手が何百万(日本円で)も募金した。
しかし彼よりも金持ちの事業家は中国にはたくさんいる。

「お前、誰それはもっと募金したぞ!お前はたったそれだけか!!」

ネットで叩かれまくって彼は
もう百万単位ではどうしようもないので千万単位の募金をする。
そしてそれよりもっと募金をした人が公表され、彼はもっと叩かれる。

これやったらせん方がマシなんちゃうん!!

ドラエモン募金みたいのんがこっちにもあって、
ある番号に電話をすると電話代から10元が募金として送られるのじゃが、
ワシなんかもうそれで叩かれたらと思うとドキドキよ。
そうやって病気のように毎日募金をする貧民はたくさんいると言う。

でもその金は果たしてちゃんと現地に届くのか?
届くと信じて募金するしかないのじゃが、
現実この国でのその横領は非常に問題になっている。

送られたテントが被災地ではなく受け取った幹部の庭で使われてたり、
物資の横流しは日々ネットで報道されて国民の知るところとなる。

「日本では被災地に国と社会とどっちが多く金を払う?」
変な質問を布衣のボーカルからされる。

「いや?・・・日本では国はまず絶対救済せなあかんし・・・
全力でそれせんかったら次の政権ないし・・・
いや、中国はその政権交代自体がないし・・・」

非常に答えにくい質問だったが、彼から先にこう答える。
「中国ではなぁ。被災地に送った金はほとんどが社会、
つまり国民からの募金なんだ。
政府はオリンピックに費やすお金の数分の一しか使ってない」

被災者よりもオリンピックが大切と言うわけか?
でも政府関係者はこの国では一番金持ちやぞ!
政府要人の個人資産を公表して、
彼らの個人資産からも募金させたらんかい!

先日ネットの書き込みで四川省の被災者をなじった少女が、
翌日にはその本名と住所と電話番号まで公表されて警察に保護された。
逮捕ではなく保護である。

そうじゃなきゃ間違いなく殺される・・・

ワシにも友達がいるが、中国のハッカー達の技術は物凄い。
ひとつの書き込みからその本人を特定するなんぞ朝飯前である。
奴らなら政府要人の個人資産なんぞすぐにハッキング出来るだろう。

その途端に殺されるか・・・

ドラム担いで被災地に行ったところで、
この国がそんなにすぐによくなることはあるまいが・・・

ロックで出来ることなんてほんの小さいことなのよね・・・

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2008年4月 4日

中国のJAF

ワシの車はオンボロである。

岡崎はんが初めて中国に来て
初めてこの車に乗った時に発した言葉が
「ポンコツやな」
であった。

今時「ポンコツ」と言う言葉が非常に新鮮だったので褒められたような気がしたが、
決してそんなことはないだろうと言うことは運転してみて初めてわかる。

こっちで買ったタンスが壊れた時に、
こちらの生活十数年のN嬢が
「中国の家具はね、壊れたのを直して直して最後に強いタンスに育つのよ」
と言って嫁を感激させていたが、
この車はラジエーターを直し、マフラーを直し、
最後にはエンジンまで積み替えていて
既に中身は新品であろうと言うぐらい修理したのにまだ壊れる。

冬になるとエンジンがかからんし、
夏になるとラジエーターパイプが熱で爆発する。

街中でエンコすることもしょっ中で、
「押しがけ」と言う言葉さえ知らなかった嫁も
今では「北京いち押しがけがうまい嫁」である。

いつもは壊れるとロック村の村長が飛んで来て直してくれるのじゃが、
今日ばかりは状況が違った。
明日からは布衣の四川ツアーのため、
そのボーカルであるロック村の村長は既に列車で24時間かけて成都に行っているのだ。

ワシはプロデューサーであり、メンバーではないのであるが、
本場の四川料理に目がくらみ、
ノーギャラなのにドラマーとして同行する約束をしてしまったのだから仕方がない。
明日の朝の飛行機で行かねばならないので今日中に仕事を終わらせるべく無理をしたのがいけなかった。

いや、無理をしたのはワシばかりではない。
車もきっと無理をしてしまったのじゃろう。
帰り道の高速道路で突然うんともすんとも言わなくなってしまった。

こうなったらいつも馴染みの(こんな馴染みがあること自体情けないのであるが)
近所の修理工場に助けに来てもらおうと電話をしたのじゃが、
今日に限って
「悪りぃなぁ。今日は車が出払ってるんで行けない」
とそっけなく切られてしまった。

万事休すである。
このまま高速を人力で押して帰ることも考えたが、
仮にも「北京ジープ」、巨大である。
夏のエンストで道端まで押してゆくだけでへばってしまったことを思い出してあきらめた。

片っぱしから友達に電話をかけて救いを求めると、
なんと中国にもJAFがあることが判明!!

これしかない!と言うわけで電話をかけてJAFを呼んだ。

ChineseJAF.jpg

てきぱきとした処置で車を牽引車とつなぎ、
「どこの修理工場に入れますか?」
と非常にプロフェッショナルである。
「うちの近所の修理工場まで」
と言うと
「それは遠すぎる」
と言われたので、とりあえず高速から下してから考えようと言うことになり、
そのまま牽引車の助手席に乗せられた。

ちょっと感激である。
この読者の中にも中国のJAFの牽引車に乗ったことのある輩はそうはおるまい!
と感激している場合ではない。
車をとりあえずどうするかと言うことである。

高速を降りるとそこには韓国系の怪しいサウナと言うかホテルと言うか売春宿がある。
「ここでいいですわ。
この駐車場に止めさせてもらって
明日修理工場の人間に取りに来させますわ」

逆に日本だとこう言うことは難しい。
ある時、京都から関空まで行くリムジンバスのバス停で、
「どうしてもここで買わなきゃならない物があるので
5分間だけこのトランク見といてもらえませんか」
と切符売場のおばはんに頼んだら
「そのような業務は取り行っておりません」
と無下に断られた。

コインロッカーに預けろと言うのだが、
あいにくそれに入る大きさではない。
ヒモかなんかあればそれにトランクをつないで、
片方に結び目を作ってそれをコインロッカーに入れて施錠出来るのではと思い、
(そんなことを思いつくこと自体が貧乏くさいのだが)
「何かヒモみたいのありませんか?」
と聞くと、
「そのようなものは取り扱っておりません」
とまた無下に断られる。

「じゃあヒモ買って来ますんでその間見ておいて下さいよ」
と言っても
「その間トラブルが起こっても責任持てませんので、
そのようなことは一切お受け致しかねます」
と取り付く島もない。

ワシは頭に来て、
「じゃあトランク置いて行きますからね。
周りは全部階段でこんな重いもの持ち歩けないんだから仕方ないでしょ。
別にそれに関して責任とれと言ってるわけじゃない。
誰かがこれを盗みに来たとしたらあんたはそれをじーっと見てればいいから。
俺は勝手にこれを置いて行くだけだからね」
と言ってヒモを買いに行って、
当初の計画通りトランクをコインロッカーに固定してから買い物に行った。

中国だったらまずこのようなことはない。
今回も簡単なものである。
「半日止めさせてよ。
明日修理工場が取りに来るからさあ」
で済む。

当然「お前ここの客か?」と来るが、
「金払うからさあ」
で済むのである。

ご丁寧に従業員4人で、牽引車から外したワシの車を押してくれる。
最初は30元と言ってたのじゃが、
最後には「やっぱ40元くれ」と言う。

「押してくれたからかなぁ」
と思ったら違った。
「僕ら4人だから」
であった。

お前らに行くんかい!この金!!

国際問題の渦中の国であるが、人民はスーダララッタ(死語)と暮らしている。

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2008年2月 9日

子供生まれてワシ、ついに神となる(何じゃそりゃ?)

48歳にして第三子の誕生である。
この子が成人する頃にはワシは70に手が届こうとしていることになる。

生きとるやろか・・・


それはよい。
人類最大の痛みと戦いながら子供を生むのは「女」と言う高尚な生き物である。
ちなみに嫁にとっては第一子。

どれぐらい痛いのかと言うと、
聞いた話によると「男」が小便をしてそのままキン○マをチャックで挟んでしまい、
もんどおり打ってひっくり返ったところに運悪く金属製のポールがあり、
「キン!」と言う金属音が出たとか出ないほど強く打ちつけてしまい、
ぱんぱんに腫れあがったキン○マを子供がサッカーボールと間違えて思いっきりキックしてしまい、
「これでは死んでしまう!」とばかり消毒液と間違えてタバスコを振りかけてしまった・・・
と言う痛さの更に47.5倍ほど痛いらしい。

「男」なら必ず気が狂うと言うほどの痛さらしいが、
それを「女」と言う生き物は気絶することもなく、
麻酔とか科学の力を借りることもなく自力でそれを乗り越えて出産するのであるから
尊敬の念を通り越して偉大としか言いようがない。

ちなみにワシの第一子は、
ワシが病院の食堂でステーキ定食を注文し、
不謹慎だがビールを頼もうかと迷っている瞬間に生まれた。
第二子はレコーディングで2バスを踏んでいる時に生まれた。

そして嫁代わり、第三子となるのであるが、
立会出産とまではいかなくても、
今度は嫁のそばでこの偉大なる作業を見守ろうとスケジュールを押さえていたのじゃが、
それはこれ、ここは中国ではないのでそうそうスケジュール通りに生まれはしない。

中国ではスケジュール通りなのか?
それが実にスケジュール通りなのである。

ある日のこと、とある音楽仲間から電話があって、
「明日スケジュール空いてるか?」
と言うので
「空いてるよ。どうしたの?」
と答えると、
「言わなかったっけ?明日俺の子供がうまれるんだ。パーティーやるからおいでよ」
と来る。
生まれるんだと言われても、
ワシも一応2月13日が予定日ではあったが、
別にその日にパーティーをブッキングしたりはしない。

頭の中ムルンピョ(疑問符)ばかりでパーティー会場に行くと、
場はまさに生まれたばかりと言うほど大盛り上がり。
「生まれたの?」
と聞くと、
「生まれたさ。今日だって言ってあっただろ」

????

お前らレコーディングとなっても全然時間守らんのに、
子供生むとなると何でこんなに時間に正確なの?・・・

中国の女性はこんなにも予定日ぴったりに出産するのか・・・
ムルンピョ(疑問符)だらけのワシの顔を見て、
ははぁ・・・とばかり彼は言った。

「日本では帝王切開はしないのか?」

そうなのである。
今日び、中国でお金持ち層の人たちはまず帝王切開で出産するのである。
お金持ち層の女性が出産で苦しみたくないのか、
いやいや、それよりも何よりも大事なことが・・・

・・・風水・・・

そう、何月何日の何時に生まれた子供は風水がよい!
それに合わせて正確に帝王切開で出産するのである。

恐るべし中国人・・・


ところがうちの(今度の)嫁は日本人・・・
それほど風水が大切か?自然分娩に勝るものなかろう・・・
と言うわけで日本で出産である。
当然ながら子供とてそうそう予定通りに出てきてくれはしない。

予定を2週間早まって破水したその時、
ワシは北京で見事に酔いつぶれていた。
不謹慎極まりないと言うことで罰があたり、風邪まで引いている。

その日はWingの工人体育館でのコンサートのゲネプロであり、
ワシは携帯電話を首からぶらさげながらドラムを叩く。
携帯が鳴ろうものなら全ての作業は中止である。
「生まれたか・・・」
アーティスト、スタッフ全てがかたずを飲んでワシを見守る。

「間違い電話でした・・・」

作業続行。
ここが関西なら全員がその場でずっこけていたことだろう。

そして陣痛が始まったと言う連絡を受けた頃ゲネプロは終わり、
ワシは突然呼び出されたレコーディングへとかけつける。

そこでももちろん携帯を首からぶらさげながらドラムを叩くが、
夜中に叩き終わっても連絡なし。

Wingが用意してくれたホテルに帰ってからメールが来た。
「今、分娩室に入りました」
嫁のお母さんである。
出産の大先輩である。
偉大である。

そして無事出産!
男の子である。

Ryunosuke0sai.jpg

名前は「龍之介」。
中国の暦で「丁亥の年、寅の刻」に生まれた「龍」である。
縁起が良いことこの上ない。

しかしこの髪の毛のもじゃもじゃが・・・


WingConcertDruming.JPG

よし、ワシもどうせ親父としてろくなことはやってやれんが、
せめてこの子のために頑張って最高のドラムを叩いてやろうじゃないか!!

まるでこの日は我が子の誕生パーティーさながらの盛り上がりの中、
円形ステージのど真ん中にセットされたドラムセットで叩きまくる。
「神が降りてくる」とでも言うのか、「息子が龍になって降りてくる」とでも言うのか、
確かにこの日のワシのドラムは神がかっていたかも知れない。
全てのアーティスト、スタッフはこの日のワシをこう称賛した。

「お前、もう亜洲鼓王(アジア・ドラム・キング)どころじゃない。
今日からお前は亜洲鼓神(アジア・ドラム・ゴッド)だ!」

龍を生んだのワシではなく嫁なんですけど・・・
ま、いいか・・・その名に負けないぐらいワシ・・・頑張るのじゃ!

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2007年12月17日

シェイクスピアをロックで!

破碎.聲音のドラマーから電話があった。
「師匠!お久しぶりです!大偉(ダーウェイ)です!」
以前こいつが自分の結婚式だっつうんで助っ人ドラマーとしてライブに参加して、
その後一緒に飲んでからそのメンバーとは親しくしているが、
もともとこいつがおらんからワシが駆り出されたわけで、
別に面識のあまりないこいつを弟子にした覚えもなければ、
実は名前を言われたからと言ってワシには全然その顔を思い出せない。
聞けばとある演劇でバンドのドラマーとして参加しているらしい。

「ヘビーメタルバンドが演劇に参加してるんです。見に来ませんか?」

そう言えば上海で一緒になった窒息と言うバンドもそんなこと言ってたなぁ・・・
と思ってよくよく聞いてみたら、
彼が助っ人ドラマーとして参加している痛苦的信仰窒息とふたつもバンドが参加するらしい。
しかもふたつとも筋金入りのアンダーグラウンドなバンドである。

きっと演劇のバンド役かなんかで出演してるのだろうと思って行ってみたら驚いた。
「中国話劇生誕百周年記念演劇」
演目は何とシェイクスピアの「コリオレイナス」

・・・何じゃそりゃ・・・

話劇と言うぐらいだから音楽劇(ミュージカル)ではない。
しかも「お堅い」イメージが強いシェイクスピアにどうしてアンダーグラウンドのバンドが?・・・

しかも主役はワシは詳しくは知らんが、中国では舞台役者の第一人者、
監督は古い世代の大御所中の大御所。
つまりここ中国の現状で言うと、文化大革命の時代の人たち。
およそロックには、
いや新しいものにはまるで無縁であろう人たちなのである。

頭の中はムルンピョ(疑問符)だらけの中、
7時半の開演時間ぴったしに劇は始った。
いきなり窒息の演奏である。
ワシが上海
「お前らこんな音楽やってる限り一生売れん!」
と言う褒め言葉(?)を贈ったそのままの、
重金属と言うか、ボーカルはただグォーとがなっているだけのデスメタルである。

その演奏に合わせて数十人の出演者が全員飛び出して来る。
壮観である。
そして驚くべきはその後、
劇中のバックミュージック、効果音、全ては彼らが生で演奏しているのである。

もちろん生声で喋る演劇に、
大音量のヘビーメタルはそのまま被せることは出来ない。
セリフのバックの演奏はベースだけ、ギターだけ、バスドラだけ等
実に緻密に計算されているのである。
セリフがない部分、役者が叫んだその直後、登場人物が入れ替わるジングル、
等々の部分には遠慮なく大音量のバンドの演奏となる。

敵軍が登場!
上手からはもう一台バンド車が現れて、
今度は痛苦的信仰の演奏が始まる。
そして戦闘シーンではふたつのバンドが両軍を代表してヘビーメタル合戦を行う。

・・・デスメタルとハードコアの掛け合い・・・

凄い!
許されるのか?!こんな演出!!

第一幕の最後は痛苦的信仰のオリジナル曲で締める。
シェイクスピアにハードコアである。


第二幕までの休憩時間、ワシはプログラムを眼を皿のようにして探した。
音楽監督の名前を・・・

ワシも中国ではいろいろ映画音楽をやらせてもらっているのでよく分かる。
この音楽をつけた人間は天才である!

ワシ流の映画音楽理論で言うと、
登場人物、心理状態等においてそれぞれテーマを決め、
そのテーマをメロディー、楽器等で割り振ってそれをコンセプトとするが、
この演劇では見事にそれをロック、しかもデスメタルとハードコア、
そしてその楽器を巧みに使って完璧にそれを表現している。

しかし音楽監督の名前が・・・どこを探してもないのである!!

舞台は第二幕。
ふたつのバンドに役者ふたりもギターを持って参加する。
RockSkakespeare1.jpg

これまたウルサイ!
ぐちゃぐちゃのヘビーメタル(と言うかデスメタルとハードコアが一緒になったような)である。
その部分はセリフがないから別にうるさくてもかまわないのであるが、
演奏が終わり、セリフを言い終わった役者が、
バンドのメンバーよろしくギターをかき鳴らして自分で効果音を入れるところなんぞ、
この演出家、タダモノではない。

演出家がロックを分かっているだけではなく、
名前がどこにも紹介されてないこの音楽監督は、
実に完璧に「ロック」と言うものを理解している。
ギターを、ベースを、全ての楽器を完璧に理解しきっている。
そうでなければこのような・・・

陰謀うずまくシーンでは必ずベースが、
ミ、ファ、シb
いわゆる最低音であるEのコードから半音上の音であるFをぶつけて、
そしてそのFから元キーであるEのフラット5の音にあたるBbをぶつける・・・
ある種ヘビーメタルの王道である。

対抗する軍隊のシーンでは、
ギターが深いロングディレイをかけて、
16分音符のフレーズをそれにからませて演奏する・・・
ある種プログレッシブロックの王道である。

またある部分ではピンクフロイドよろしく、
バスドラを2回づつ、
心臓の音のように踏むだけで役者の心理状態を演出する。
これもある種王道である。

きわめつけは、
ふたりのギタリストがステージ左右に座り込んで、
メタリカのバラードばりの泣きの演奏を奏でながら、
後に役者が出てきてそれに乗せて絶叫する。

鳥肌ものである。

ありえん!
日本で言う大御所と言うと、
唐沢寿明で同じくシェイクスピアのコリオレイナスを演出した蜷川幸雄か?
彼がここまでロックの「奏法」を理解してバンドのメンバーに指示できるか?

もしくは合議制よろしく、
バンドが「このシーンではこんなのどう?」とか言って自然発生的に決まった?・・・
それもありえん!
そうだったとしたら、
このふたつのアンダーグラウンドバンドは、
少なくともワシよりもっと素晴らしい映画音楽家である。

どちらにしても、
これは「ロック後進国」であったはずの中国のそのレベルの音楽ではない!
日本にだってこんな演劇があったか?!!!

ワシも日本では映画や演劇の音楽もやったが、
やっぱ流行歌(歌謡ロック、J-POPも含む)最全盛の日本において、
その「ロック」と言うのは封印せざるを得なかった。

中国は日本より顕著である。
ロックは果てしなくアンダーグラウンド。
ロック好きな劇団が有名ロックバンドとコラボレイトしているのとは次元が違う。
共産党幹部が、ごみだめの中の精神異常者とコラボレイトしているようなものなのである。

もしそうだとしたら日本のロックは、
少なくともロック後進国であった中国には遙かに後れを取っていることになる。

ワシは焦った。
ニッポン!何をしている。
ワシを呼べ!XYZにこれをやらせろ!!
ワシ以外に日本人で誰がこれをやれる?!・・・

日本人で?・・・
じゃあ欧米人なら?・・・

そうだ、きっとこれは欧米で演じられたことのあるロックとシェイクスピアとのコラボレイトなんだ。
バンドは既に演じられた欧米のロックバンドのプレイをコピーしてるんだ。
だから音楽監督の名前がないんだ。

すなわち音楽は全てコピー!
それなら納得がいく。
もしそうじゃなきゃ大変だ!
中国のロックは日本を追い越し、
ついに欧米までを追い越したと言うことになる。


欧米人は肉食ってるから強いだ!
んだんだ!
ワシらも頑張って肉食ってあんなになるだ!
んだんだ!


ワシは気を取り直して観劇する。
舞台はついにはクライマックスを迎え、
ミュージカルならありうるであろう最後のロック演奏もなく、
最後のセリフひとつで幕を閉じる。

あれ?
派手好きな欧米人ならこんな演出はしないがなぁ・・・

カーテンコール
RockSkakespeare2.jpg

最後にバンドのメンバーを代表して窒息のギタリストがこう言った。

「役者の皆さん、スタッフのみなさん。中国ロックを支持してくれてありがとう」

ワシはいても立ってもいられなくなって、
終演後すぐさま大偉(ダーウェイ)に電話をした。

「音楽監督は誰なんだ?!」

詰問するワシに彼は不思議そうにこう答えた。
「そんなのいないよ。俺達が1か月のリハーサルで彼らと一緒に考えたのさ」

しばし呆然・・・

ロック後進国だった中国は、
ここに完全に日本どころか欧米を追い越した。
革命の演劇しかやらなかったであろう大御所監督が、
忌み嫌われていたアンダーグラウンドのロックと手を結んだのである。

聞けば今日で公演は最終日だったらしい。
彼らはロングランしたこの演劇の立役者として脚光を浴びることもなく、
またいつもの貧しいロッカーの生活に戻ってゆく。
客の来ないライブハウスと暖房もない院子の生活に戻ってゆく。

そしてワシはまた彼らに同じことを言うだろう。
「お前ら、こんな音楽やってるうちは絶対売れん!」
そして彼らはまた同じことを言うだろう。

「ま、どっちでもいいや。毎日楽しいし・・・」

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2007年12月14日

あの美少女秘書は今?

ベースの韓陽(ハン・ヤン)から
「今日ライブがあるんだけどヒマだったら来ませんか」
とメールが来たので久しぶりに貧民街を出て行ってみた。

BaiXueFaBuHui.jpg

ライブと言っても彼名義のライブではなく、
「白雪(バイシュエ)」と言う歌手のバックである。
キーボードはデブの張張(ジャンジャン)、
ギターは元Core Of Soulの宋睿(ソン・ルイ)
みんな友達である。
結局朝6時まで飲んで盛り上がるハメとなった。

さていくら奴らがワシのことが大好きで、
「ファンキーのおかげで今がある」
と涙ながらに思い出話をしたところで、
もう既にこちらでも「ロック仙人」と呼ばれだしているワシが
まさかそれぐらいで朝までベロンベロンになるまで連中と付き合ったりしない。

ワシらの盛り上がりを一気にピークに持ってゆく懐かしい娘がそこにいたのである。
その名を「麗麗(リーリー)」、その名前の通り、麗しき美少女である。

初めて出会った時、彼女はまだ15歳(中国式数え年で16歳)。
とあるスタジオで小間使いとして働いていた。
家が貧しいため、学校にも行ってない。
今のワシの住んでるとこみたいな貧民街に一家は住んでいて、
夜道が危険だと言うことで毎日スタジオのソファーで寝泊まりしていた。

(その頃の写真)
LiLiWithTshirt.JPG

そしてワシは彼女ともっとお近づきなるために、ウソ!本当は純粋に彼女の将来ために、
ワシの携帯を留守の時に転送して要件をメールしてもらうと言う「電話秘書」の仕事をしてもらった。

このぐらいの年の少女は数年間で驚くほど変わってゆく。
この頃にワシは日本からのおみやげで化粧品を買ってきた記憶がある。
ワシも化粧品のことは一切わからないので、
店員さんに選んでもらうのに使った写真がこれである。

(ちょっと大人になった彼女)
LiLi1.jpg

後にはワシが中国語の教材本を出すと言うことになって、
そのナレーションも手伝ってもらったりもした。

別に恩を売ってもっとお近づきなろうとかそんなことを考えたわけではない。
純粋に「彼女のためになれば」と思ってのことである。

(その時に本の中で使用した写真)
LiLiPhoto.jpg

こんな美少女を世の中の男がほっとくわけはない。
彼女の心を射止めたのは
よりによってこれがこの日のステージでキーボードを弾いている張張(ジャンジャン)!!!
よりによってこんなデブ・・・いやいや、若い人同士素晴らしいことじゃないですか・・・涙・・・

もともと、ワシが彼女を連れだしてJazzバーに行き、
そこでキーボードを弾いてたのがこのデブである。
いや別に少女を酒場に連れて行ってどうのこうのと言う邪念があったわけではない。
純粋に音楽を愛する彼女に生のライブを見せてやりたかっただけである。
(これホント!)

なのにこのデブは・・・
いやいや、まあ彼の超絶プレイにぶったまげたのはワシだけではなかったと言うわけよ。

・・・涙・・・


と言うわけで月日は流れ、
彼女もデブとは無事別れ、
「ファンキー・・・俺・・・振られちゃったよ・・・」
と言う可愛いデブに「ざまみろ」とも言わず酒を飲ませてやったり、
その後彼女はモデル事務所のスカウトに合ったりもしながら、
(その感動的なエピソードはこちら
結局はその夢のような話も断りながら、
次に務めた会社がこの白雪(バイシュエ)の事務所だったのである。


果たしてライブ会場の受付に彼女はいた。
目を疑ったが間違いない、彼女である。
まさに数年ぶりに見る彼女である。

びっくりさせてやろうとばかり、入場する関係者に資料を渡している列に並び、
いきなり彼女の前に立った俺を見て彼女は絶句・・・

「ファンキー・・・」

心なしか彼女の眼に涙が浮かんでいたと思ったのはワシの錯覚だろうか・・・
数年ぶりに再開するワシらが一生懸命言葉を選んでいる瞬間に、

「ファンキー、来てくれたのか、嬉しいよぉ!!久し振りぃ!!!」
横からデブの張張(ジャンジャン)が割り込んで来てワシに抱きついた。

おいおい!俺が抱擁したいのはお前じゃなくてぇ・・・

彼女はもう次の関係者の接待をしたり忙しそうである。
暑苦しいデブの抱擁の中、
「よし、今夜は絶対このデブを肴に盛り上がってやる!」
ワシは心にそう決めた。

かくして飲み会は絶好調に盛り上がった。
若い衆と飲むのは久しぶりだったし、
日本からは宋睿(ソン・ルイ)も来てるし、
張張(ジャンジャン)が盛り上がって来ると麗麗(リーリー)の話を出したら急にしおれてしまうし、
面白くて仕方ない。

白雪(バイシュエ)のライブ打ち上げなのに、
こちらのテーブルは誰も彼女なんか相手にせず勝手に大盛り上がりしている。
事務所が案内してくれた3次会のカラオケボックスには結局ワシらしか残ってなかった。
アーティストを送り届けて麗麗(リーリー)が戻って来た。

「ふー・・・私にもちょうだい!!」
昔仲間のワシ達のグラスを奪い取ってビールを飲んだ。

「お酒飲むようになったの?・・・」
目を丸くするワシにちょっと笑って彼女は答えた。

「私・・・もう22歳よ・・・」

まだ22歳かい!!!!
白雪(バイシュエ)付きのマネージャーになってもう3年。
もう事務所でのポジションも大したもんだろう。

「給料上がったかい?」
ニコっと笑ってうなずく彼女。
「仕事はどう?楽しい?」
ちょっと苦笑いして彼女はまたビールを飲んだ。

「あのモデルの話・・・断って後悔してない?」

ちょっと考えてから彼女にいつもの笑顔が戻って来た。
大きくうなずく彼女にビールをついでやった。

ま、社会に出ればいろいろあるさ!
彼女にとってはワシらも非常に懐かしい昔仲間である。
嫌なことは忘れて今日は飲もう!

最後に記念写真。
LiLiPinBoke.jpg
ピンボケなのは、
映してくれたPAの吉田君が彼女の美しさに見とれていたからである。
(と言うことにしておこう)

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2007年5月31日

MIDI音楽学校にてクリニック

先日の清算をしにMIDI音楽学校に行って来た。

と言っても決してギャラの清算ではない。
このイベントは何ぴとたりとも決してギャラは払わない。
出演者全てノーギャラなのである。

しかし二井原と田川くんとその介添人の渡航費まで自腹で出して、
そのホテル代まで自分で出すわけにはイカン!
とばかり苦手な金銭交渉ではあったが、
「ホテル代ぐらいは出してぇな」
とダメもとで言ってみたらふたつ返事でOKしてくれたのでその金を取りに行ったのである。

しかし何だ・・・
渡航費出してホテル代まで出して、
スタッフやローディーまで全部連れて大赤字で世界中から集まってくるバンドを横目で見ながら、
自分だけたとえそれがたったの1500元(2万円ちょい)であろうが金をもらうのも悪い気がするなぁ・・・

と言うわけでつい
「ほな代わりに今度学校に来て無料でクリニックしますわ」

ClinicAtMIDI.jpg

ま、これも世のため人のため、まわりまわって世界平和のためである。

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2007年5月23日

・・・平和やなぁ・・・

日本から帰って来たらいきなり電話で呼び出された。
「明日ヒマか?」
だいたいこちらの仕事はこのノリでブッキングされるので、
まあ何のことやらわからないながら出かけて行った。

途中のうちの近所の交差点。
信号が青になったにもかかわらず車が進まないのでふと見てみると、
Sheep.jpg
なんと羊飼いが羊を連れて幹線道路を横断しているのである!!

ちなみに、
普段ひっきりなしにクラクションをならす中国人ドライバーも、
羊相手になす術もなくおとなしく通り過ぎるのを待っていた。

・・・平和やなぁ・・・

呼び出された現場に着いてみれば、
そこで何やら「リズムクリニック」とやらが始まると言うのである。
スタジオで一番売れっ子のベーシスト、張嶺(ZhangLing)と、
崔健(CuiJian)のバンドのドラマーとして活躍している貝貝(BeiBei)がちょっとしたデモ演奏を披露し、
終了後、
「さあ、それではみんなで写真を撮りましょう!!」

RythmClinic.jpg

ワシも一緒に呼ばれ、
招待されたマスコミがバチバチと写真を撮る。
それで今日のプログラムはおしまいである。

それだけ?・・・

ちなみに今日呼ばれた人、
全てこの国では名だたるドラマーとベースプレイヤーである。

まるでワシらがここで教室やるみたいやん!!!

まあここ中国ではよくある話である。
数年前も
「新しく音楽教室が開校するから来てくれ」
と呼ばれて行ったらでかでかとワシのポスターが貼られていて、
堂々とここの客員講師として宣伝されていた。

もしワシの名前に釣られてここに入校した生徒がいたらそりゃサギやん!!
と思ってその点をつついてみたら、
「それだったら本当に我が校で講義してもらってもかまいませんよ」
と丁寧に言われたが、
そんなヒマはないだろうから丁重にお断りした。

・・・平和やなぁ・・・

次の日はカナダのシンバルメーカー「Sabian」の人から
「ドラムコンテストの決勝戦があるから見に来てくれ」
と言われていたので出かけて行った。

DrumContest.jpg

全てのプログラムが終わり、
ワシ同様に呼び出されてやって来た全てのSabian中国地区モニターであるドラマーは、
舞台上に呼ばれ、マスコミ達がそれを写真に収める。

でもワシ・・・モニター言われたって・・・
まだシンバル1枚ももらってないんですけど・・・

我が愛する街・・・北京・・・平和である・・・

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2007年5月10日

さすが中国

もうライブの隠し撮り(堂々と撮っていたが・・・)がUPされてました。

http://www.6rooms.com/watch/562206.html

これは日中お友達ライブでの田川くんのソロ曲。
ぶつぶつ切れるけど、我慢して最後までバッファすれば後はきれいに見れるよ。

それにしてもこの曲だけUPされたんじゃ、
世界の二井原がただの司会者とカメラマンではないか!!!
後ろで手拍子してる姿が特に・・・(涙)・・・

世界平和はまだ遠い!!!

ps.インタビューはちゃんと撮られてた。
http://bn.sina.com.cn/rock/2007-05-04/23277031.html

しかしU-Tubeでは二井原実と言うのは・・・
http://www.youtube.com/watch?v=teT7nJza1mo

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2007年2月20日

廟会は楽し

中国は旧正月である。
日本で言うと初詣みたいなもんであろうか、正月は神社とかで廟会が催される。
出店がたくさん出て楽しいので今年も出かけて来た。

MiaoHuiGate.jpg

中は人だかりで、午後ともなるとすし詰め状態で動けなくなるが、いろんな屋台が出て楽しい。

MiaoHui1.jpg

紙芝居もあったし、

Kamishibai.jpg

お面屋さんも出てたし、

Omen.jpg

鯉のぼりも売っていた。

Koinobori.jpg

モンモンのポスターを発見!!

AiMengMengPoster.jpg

そうかそうか、やっと日の目を見れてよかったねぇ・・・

さて、こうして買い物や買い食いなども楽しいが、毎年入ってみたくて入ったことのないこの出店

MisemonogoyaPoster.jpg

見るからに「見世物小屋」である。
暖冬の今年と違って去年は非常に寒かったので入りたくて入りたくてしょうがなかったが断念した。

一番見たい出し物がこれである。

2HeadGirlPoster.jpg

ふた首女・・・
まさに「親の因果が子に報い・・・」の世界である。
こんなのがなければ場末の見世物小屋とは言えない。

入場料は10元。
高いのか安いのか微妙な値段である。
日本で言うと街の空き地に出来たお化け屋敷に1000円払うようなものであろうか・・・

期待に胸を膨らませて中に入ってみると


客はまばら・・・
それでこそ場末の見世物小屋!!
これで客が超満員だったら逆に興醒めである。

MisemonogoyaAudience.jpg

入った時には1ステージ目最後の出し物をやっていた。
カンフーSHOW!!
しかし別に身体を鍛えてるような少年ではないのだが、奇妙なカンフーのようなポーズをしながら、最後には皮膚に針を刺して、それにレンガをくくりつけて引っ張り上げると言うショーであった。

GongFuShow.jpg

そして5分の休憩の後、2ステージ目が始まる。
入れ替えはない。
入れ替えなんかしてたら見る客がいなくなるからである。
飽きるまで何回見てもいいと言うことになっている。

MagicShow.jpg

最初の出し物はマジック。
客はぴくりとも反応せず、拍手もない。
これでこそ場末の見世物小屋である。
客席でワシひとり興奮に胸躍らせていた。

そして早くも次の出し物でワシの興奮は最高潮の達したのである。

SnakeShow.jpg

出たぁー!!!蛇女である。
ポスターの蛇とは全然違うどじょうのような蛇を5分ぐらいかけてゆっくり口に入れてゆく・・・
いや、結局は口に入れると言うより先っぽをちょこっと咥えただけでおしまいである。

チープである!
チープ過ぎる!!!

更に二人組みで見るからに柔らかそうな鉄の棒を曲げるカンフーSHOWや、先ほどの蛇女の行うマジックSHOWなどが続き、そしてまたもや蛇の登場!!!

SnakeShow2.jpg

今度は2匹である。
司会者は「鼻から蛇を入れて口から出す」と言っているが、なんのこっちゃない、鼻に1匹の頭を入れ、口にもう1匹の尻尾を咥えているだけである。

シュール過ぎる!
渋すぎるぜ!!!

そしてクライマックスはついにふた首女の登場である!
司会者がカーテンを開け、大きな箱をステージに運び込み、その箱を開けると、中には果たしてそのふた首女が座っていた!!

2HeadGirl.jpg

もちろん前のおばはんの方に後ろから女の子が首をのせているだけである。
またどうしてひとりがおばはんでひとりが若い女の子なのか理解に苦しむところが非常によい!!
ワシはもう脳みそが沸点に達し、何を考えることも出来なくなり、夢心地の中、司会者からマイクを向けられたそのおばはんが「ニイハオ」と言うのを聞いた。

ああいいものを見た!
今年はいい年になるであろう!!

Posted by ファンキー末吉 at:17:30 | 固定リンク

2007年2月 8日

大変だぁ!!

今日はオーケストラとの競演である。
しかしそんなことが「大変」なわけではない。

入り時間が早いので目覚ましを7時にかけていたら、何故か5時に鳴って起こされてしまった。
しかしそんなことが「大変」なわけではない。

仕方ないから今日着る衣装選びでもするとしよう。
「オーケストラから浮かないように黒い服を着てきてくれ」と言われているので、
まあドラマーなんだから黒いTシャツがタンクトップでも着てゆけばいいようなものなのだが、
昨日届いた招待状を見ると、今日は映画人のイベントで、参加者は赤い絨毯を歩いて舞台に上がるらしい。
アカデミー賞みたいなもんか・・・

まあそんなことが「大変」なわけでもない。
物置から懐かしい衣装を引っ張り出して来た。

ISHOW.jpg

絹ではないがそのような光沢があり、ロック的でもあるので髪の毛振り乱してドラムを叩いてても様になる。
問題はこの下に穿くズボンである。

ここ数年、ジャージとか短パンとかぼってりしたズボンとかしか穿いたことがないが、この服にはとてもじゃないがピシッとしたズボン以外は合わないのである。

Gパンはひとつしか持ってないが、ここ数年穿いたことがない。
最後に穿いた時にはやっとの思いでボタンを留めたが、立ってて苦しいのはいいが、座ってドラムを叩ける状況ではなかったので、結局ボタンを外して社会の窓全開でドラムを叩いた記憶がある。

皮パンが光沢もあり理想なのじゃが、亜州鼓魂のレコーディングの時に股が破けてしまい、応急処置で自分が縫ってそのままである。

眠気眼で嫁が、「ほな私の皮パン穿いたら?」とタンスを指差すので引っ張り出して穿いてみた。

だいたいうちは服を共有できる夫婦である。
一般的に女性の方が男性より体脂肪率が高いので、慣れない異国の地での生活を「食生活」で楽しくしている嫁の皮パンなら絶対に穿けると思って足を通してみたら、
そう・・・足を通しただけで終わってしまい、とてもチャックを上げるまでいかない・・・

サァー・・・(血の気が引く音)・・・

俺は嫁に付き合って毎晩うまい物食って、安いもんでビールがんがん飲んでるうちにここまで来てしまったのか!!!

物置を引っ掻き回して、たったひとつしかないピシッとしたズボン、昔のGパンと皮パンを引っ張り出して来る。
足を通してみると、何とか足だけではなく腰も通るようである。

息を思いっきり吐いて腹筋に思いっきり力を入れて、ようやくボタンをとめ、鋲のついた分厚いロックベルトでぎゅうぎゅうに締める。
心なしかベルトの上からお肉が覆いかぶさっているような気がするが、まあ何とか赤い絨毯の上を歩けないことはない。
問題はどうやってドラムを叩くかである。

かくなる上は今から腹筋を繰り返し、もちろん本番までは絶食!
待ち時間は爪先立ちで過ごし、時間が許すなら車なんか使わずにドラム担いで会場まで歩いてゆくしかない!

そうかぁ!そのために神様は俺を2時間早く起こしたに違いない!!

と言いながら、朝からこんなアホなブログ書いてるうちに時間になってしまった。
とりあえず衣装持って会場行ってから考えよう。

Posted by ファンキー末吉 at:07:11 | 固定リンク

2007年2月 5日

泥棒

先日のことである。

草木も眠る丑三つ時。
嫁のけたたましい声で目を覚ます。

「パパ!!起きて!!泥棒よ!!」

院子の外の大門ががちゃがちゃ鳴り、外では犬がけたたましく鳴いている。

YuanziMap1.JPG

だいたいうちに泥棒が入ると言うのは普通では考えにくい。
うちの院子の外の大門が夜になると閉まるので、(と言っても鍵はかかってはいないが)
その門を開け、うちの院子の門を開け、そしてうちの寝室の門を開けて忍び込むのだから大変である。
見知らぬ人が入れば犬は吼えるわ、周りのロッカー達には見つかるわ、通常ならば外部からはなかなか泥棒には入りにくいシチュエイションである。

ところが泥棒は入った。
外の大門ががしゃがしゃいっているところを見ると外部の人間である。

「盗まれたものはないか?!!」

見れば枕元のテーブルに置いてある嫁の携帯がふたつとも(ひとつは日本の、ひとつは中国の)なくなっている。
ワシの中国の携帯は枕元で充電していたので無事だったが、寝室の入り口に無造作に置いてあった日本の携帯は見事に盗まれていた。

YuanziMap2.JPG

夜型の生活を送る重田はまだ起きていて、ちょうどヘッドホンをしていたので物音は聞こえなかったと言う。
スタジオには500万円とも言われる高級機材があり、リハーサルルームにはドラムやギターアンプ、ベースアンプ、そして簡易レコーディングが出来る録音システムもあるが、それらには目もくれず、犯人は外の大門を開け、カギをかけてないワシの院子の門を開け、そしてその日たまたまカギをかけずに寝てたワシらの寝室にわき目も振らず直行し、大胆不敵にも嫁がフゲーっと(かどうかは知らんが)寝ているそのすぐ隣の携帯電話をわしづかみにし、そして帰る時にドアの横に置いてあるワシの携帯を持ち、ジャラジャラとうるさいキーをつけたそのケースをドアの外に捨て、一目散に外に逃げて行ったと見える。

ワシはすぐさま3つの携帯に電話をしたが、電源をじゅんぐりに切られ、最後にはどの電話も鳴らなくなった。
重田はすぐさま外に追いかけて行ったが、その姿を見つけることは出来なかった。

嫁の中国の電話はプリペイド式なので、今チャージされてる分を使い切ったらそれで終わりなのでよいが、日本の電話はこちらでローミングされており、そんなもんでじゃんじゃん電話されたらたまらないのですぐさまSoftBankに国際電話して電話を止めてもらった。

腹が立つのは日本の電話はSIMロックがかかっているため、こちらではROMを焼きなおすとか、大改造をしないと使えないのに盗まれてしまったことである。
盗んだ者にとって実は何も価値がないのに盗まれたと言うのが今となってはくやしくてたまらない。

今はこれにこりて、夜中は必ず院子の門と寝室のドアにはカギをかけて寝ているが、しかし腹の虫はおさまらない。
犯人は必ず現場に戻って来ると言うので、今度はいろいろ仕掛けをして報復してやれと頭をめぐらす。

1、犯人がドアを開けたら上から金タライが落ちてくる!
(ドリフターズ的で楽しいが、その割に犯人に与えるダメージが少ない)

2、ドアを開けたら頭から水をぶっかぶる!
(冬なので効果てき面だが、水は夜中には凍ってしまう可能性もある)

3、水ではなく満載したうんこをひっかぶる!
(精神的に与えるダメージは最高級だが、後の掃除が大変である)

4、日本のATMで使われている特殊塗料入りのボールが炸裂する!
(後の追跡にとっても効果的だが、中国では入手困難である)

5、院子の門が鉄製なので電流を流しておく。
(電気代が高い)

6、門を開けた途端に打ち上げ花火の水平発射!
(発火装置の製作が難しい)

7、長い竹を水平に思いっきりしならせて、一歩中に入ったら顔面にハリセンをかませる!
(ちょうど顔面に当たるように調整するのが難しい)

アイデアとしてはいろいろ出るのじゃが、それを実現するための仕掛けを実際に作るのは実は非常に骨が折れる。
実は仕掛けとして一番簡単なのは手榴弾なのである。
うちの院子の門は写真のような掛け金でカギを止めるようになっているので
MenYaoShi.jpg
その掛け金の一方に手榴弾のピンを結びつけて置くだけで、門を開けばその力でピンが抜け、手榴弾が落下し爆発・・・
一番簡単な仕掛けである。

しかし院子まで全部爆破してしまっては元も子もないので殺傷半径1メートルぐらいの手榴弾がないかどうか専門家に聞いてみたら、(周りにそんな専門家がいるんだからワシの交友関係も大したもんである)
なんと練習用の手榴弾がちょうど殺傷半径1メートルぐらいだと言う話である。
これはいい!と思っていたらそこには大きな穴があった。
よく映画なんかで見る手榴弾は、ピンをかっこよく口かなんかで抜いてそのまま投げて爆発しているように見えるが、実際はピンを抜いてから手榴弾のケツを何かにぶつけてから投げるらしい。
つまり、ピンを抜く、手榴弾のケツを何かにぶつける、と言う2アクションが必要だと言うことである。

と言うわけで手榴弾は却下・・・

そんなこんなでその後も日々いろんなアイデアを考えているのじゃが、何よりも犯人の捕獲を目的とすると、犯人を門のところで撃退するのではなく、中まで引き入れてから仕掛けが作動するような時差装置が必要である。
出来れば仕掛けが作動してから門を閉めてしまい、それからゆっくり犯人をいたぶるのが望ましい。

何かそんな時差装置はないか・・・
そんなある日、高知の子供たちに電話をしてたら向こうからテレビの音が聞こえて来た。

「ピタゴラスイッチ」

そうだ!この教育番組のピタゴラスイッチこそその理想の時差装置ではないか!!!
毎週このコーナーの始まりには、スイッチを入れると鉄球等が転がっていろんな仕掛けをONにしてゆき、最後には「ピタゴラスイッチ」と言うタイトルが出てくるこの装置こそが理想の時差装置である。

犯人が院子のドアを開ける。
その時にこのピタゴラスイッチはONとなり、犯人の気づかないところでレールの上を鉄球がゆっくり転がってゆく。

レールの端まで来ると玉は籠の中に静かに落ち、その籠が重さで下に下がることにより、次のふたつのレールの鉄球のストッパーが外れ、別のレールを転がり始まる。
ひとつは向かいに住む老呉の寝室まで転がって、彼の枕元のブザーのスイッチを押し彼を起こす。
もうひとつは寝室の中の敷布団の下に敷いたマッサージの機械のスイッチを入れ、ワシら夫婦を音もなく振動で起こす。

ワシらが実は目を覚ましていることを知らない泥棒は、わざとカギをしていない寝室のドアをそっと開ける。
寝室のドアは内開きなので、ドアに取り付けたヒモはドアの入り口の上に置いてある洗面器を支えてあるつっかえ棒を引っ張り、つっかえ棒が外れた洗面器は中に入った水を泥棒の頭からぶちまけると共に、その洗面器に取り付けられたヒモが引っ張られ、院子の入り口に仕掛けてあるシャッターの留め金を外し、シャッターが勢いよく音を立てて閉まると共に泥棒が最後に見るのはそのシャッターに書かれた文字。

「アホが見るブタのケツ!」

それを最後に泥棒は視力を失う。
何故ならば洗面器に入っている水は、ただの水ではなく唐辛子入りの激辛水だからである。

焼けるような目の痛さに藁をもつかむ思いでそばにある藁をつかむと、今度は頭上から臼が落ちて来る。
臼には栗が真っ赤に焼かれて待機していてここぞとばかりに泥棒目がけてはじけ飛んでゆく。

「うわっちっち!これはたまらん」

とばかり泥棒は手探りで風呂場まで行くのだが、飛び込んだ浴槽の水の中にはカニがかくれていて、泥棒の大事なところをチョッキンと攻撃する。

「んぎゃー!」

と声にならない悲鳴を上げた泥棒はここでウンコを満載したバケツにけつまづき、頭からウンコをひっかぶり命からがら浴室から脱出する。
その頃になってピタゴラスイッチの時差装置によってやっと発火装置に火がついた打ち上げ花火が一斉に水平発射を始める。

「たまや~かぎや~」

そう、狙いはひたすらタマである。
タマを直撃された泥棒はあまりの痛さに失禁し、その尿が床に滴り落ちた瞬間に床に流された220Vの電流がそのまま尿を伝わってタマタマを襲う。
命からがら院子の出口までたどり着いた泥棒は狂ったようにそのシャッターを蹴破り、院子の鉄製のドアに手をやった瞬間に「ジュッ・・・」っとおいしそうな音がして手が焼け焦げる。

「あちちちち」

とばかり傍らの洗面器に手を突っ込むと、その中に入っているのは水ではなく瞬間接着剤A液である。
ピタゴラスイッチによって既に電気で真っ赤に焼かれた鉄製のドアの熱で、その頃には天井に留めてあったプラスチックの留め金が溶けて頭上からB液が落ちて来て泥棒にひっかかる。
もんどおり打って床に手を着いた泥棒はそのまま床に手が瞬間接着されてしまい、そのまま両手を床につけたまま逃げようと腰を上げるが、その尻目がけて強力なハリセンが飛んでくる。
尻を真っ赤に腫らせて動けない泥棒はそのまま尻を上げたまま許しを請う。

「もう悪いことはしません。どうか許してください」

その頃ゆうゆうと起き出して来たワシら夫婦と老呉は、1枚の契約書を泥棒につきつける。
ずーっと一連を撮影していたビデオの肖像権等を放棄する契約書である。
サインをすることを条件に泥棒を解放してやり、ワシらはそれをネットにUPして大儲けをしよう、そう言う魂胆である。

こんなおもろいビデオ、ネットにUPしたら数千万Hitoは間違いない!
早く来い来い泥棒さん。
ピタゴラスイッチが待っている。

しかしほんまに作れるんやろか・・・
ほいでもって酔っ払って自分がひっかかったらどうしよう・・・

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2007年1月28日

Wyn来たりて風邪を引く

Wyn Davisと言えばロック界では世界的に有名な大御所エンジニアである。
彼のLAのスタジオ、「Total Access Studio」には、Guns and RosesやDokenなどのプラチナディスクがところ狭しと飾られ、レコード棚にはそこでレコーディングしたXYZのCDが申し訳なさそうに末席を飾る。

1999年にXYZのデビューアルバム、「Asian Typhoon」をレコーディングしてからの付き合いなので、もうかれこれ8年がかりの付き合いになるのだが、何の縁なのか、一度も日本に来たことがない彼が今回でもう3回目の北京である。

1度目の北京は当時プロデュースしていた零点のコンサートのライブレコーディングのため。
そして2度目の北京は我がファンキースタジオを作りにやって来てくれた。

つまり過去2回はワシに呼ばれてやって来たのじゃが、今回だけは違う。
「ファンキー、むっちゃ安いチケットがあったんやけどその時期なんかプロジェクトないか?」
とメールが来たのである。

何かと言われても、Wynを呼べるだけのバジェットがあるバンドは中国ではまあ零点ぐらいなもんやし、今ワシが手伝ってるバンドは布衣を含めみんなペーペーのド貧乏である。
あと、BeiBeiと言うギタリストのアルバムも手伝っているので、
「お前ら、10曲言うても絶対無理やろうから、5曲分づつ金だして半分づつやってもらえ!」
ってなもんでWynの相場からしてみたらタダ同然の値段でまた北京までやって来てくれることになった。

200kgを越すと言うWynは例によって飛行機の座席が二人分必要じゃが、今回はお母さんも一緒に連れて来て、二つの座席をお母さんと一緒にシェアしながらやって来ようと言うことになった。
お母さんは痩せているのでふたりで座席二つ分と言うことである。

さて、お母さんは中国どころかアジアは初めての旅行である。
メールでさんざんやりとりをするが、LAで暮らしてる人たちにはどうもこの北京の寒さはピンと来ないようである。

「アメリカで言うたらアラスカ行くようなもんやからね(行ったことないが・・・)!死ぬほど厚着して来なアカンよ!」
とは言うものの、
「まあ寒かったら現地で防寒着買いますわ」
と非常にのんびりしている。

「お母さんのは買えるかもわからんが、Wynのはまずサイズがないよ!」
とさんざん言うのじゃが、
「うちの息子は非常に暖かいBodyを持っているので大丈夫ですわ」
とのんびりしている。

何せ、肌寒い秋の北京に、ワシはもう冬服を着てたと言うのに最後まで半そでで通した人である。
ひょっとしたらマイナス15度の北京にも半そでで来るかも知れんと思ってたら、本当に半そでに薄い上着を着ただけでやって来た。

WynAndMama.JPG

みなさん!本当にこの薄い上着の下は半そでのTシャツなんです!!!

見てるワシが風邪を引いてしまい、ひとり天安門や万里の長城などを観光していたお母さんが風邪を引いてしまい、最後にはやはりWynも風邪を引いてしまった。

そりゃそうじゃろ・・・

と言うわけで、鼻水をすすりながら10曲トラックダウンをし、また激安チケットの過酷なトランジェットでLAに帰って行った。
ワシはまだ風邪で寝込んでいる。


Posted by ファンキー末吉 at:22:00 | 固定リンク

2007年1月13日

イスラム文化のリハーサル

ABUDU.jpg

新疆ウィグル族の友人、阿布都(写真)がうちにリハーサルに来るようになってもう半年以上になる。
ロックバンドと違って、生ギター2本にパーカッション、エレキはあってもベースぐらいなので、ボーカルもPAで拾わなくてもいいし、ほぼ「アンプラグド」と言ってもいい編成なので、隣でレコーディングしてようが何してようが全然邪魔にならないのがいい。

毎日のリハーサルのかいあって、なんかもうすぐアルバムのレコーディングに入ると言うことで、ワシに数曲ドラムを叩いてくれと頼まれた。
まあそんな嬉しいことはないので二つ返事で引き受けて、今度はワシも一緒にリハーサルと言うことにあいなった。

Studio2.JPG

北京の貧民街にある我がFunkyスタジオは、リハーサルルーム(図面左下のRehearsal Room)にも簡単なレコーディングシステムがあり、特にバンド物などリハーサルが必要なものはここでリハーサルをやりつつ、テンポや構成を決定したらそれをマルチトラックに録音出来る。

今日び、レコーディングはドラムから順番に別々に録ってゆくのじゃが、ドラムを録音する時にはガイドとしてその他の楽器や仮ボーカルが必要なので、このシステムだとリハーサルが終わった瞬間に、もうドラムの本チャン録りの準備は出来上がっていると言うシステムなのである。
便利である。

かくしてリハーサルが始まる。
新疆ウィグル地区の民俗音楽がベースになっているので、さりげなく変拍子などが出てきたりもするので、とりあえず彼らだけで一度演奏してもらってそれを譜面にする。
そしてテンポを決めてそのクリックに合わせてドラムも一緒に録音しながら演奏してみる。
基本的なリズムアレンジなどに問題がなければそれでOK!
次の曲に・・・と思ったらいきなりリハーサルが中断し、お祈りが始まる。

文化が違えば大事にするものも当然違うので、それを尊重して彼らのお祈りが終わるまで待つこととなる。
前回お祈りに遭遇した時には、彼らは中央の院子(図面の真ん中、Terrace)で土砂降りの中一心不乱にお祈りしているのを見かけたが、今ではこのスペースには卓球台が置かれているのでここでは無理である。
っつうか、マイナス15度の北京の冬には屋外でお祈りは無理である。

次に広いスペースはリハーサルルームなので、「ここでやれば」と言うのだが彼らはそれを聞かず外に出て行ってしまう。
聞くところによると、部屋の中に酒を置いてあるような部屋だとか、不浄な飾りつけをしてる部屋とかはお祈りに適さないと言う話である。
結局彼らが見つけたのはレコーディング用のドラムセットを置いてあるレコーディングブース(図面右上のBooth)である。
ここはこのスタジオを一緒に作ったWyn Davisに「Empty room!」と言われ、なるだけ余計なものを置かないようにしているので、きっと彼らの言う「不浄な飾りつけ」などがないのであろう。

まあ飾りつけと言えば、
XYZ_BD.jpg
XYZ結成の時、パール楽器がわざわざアメリカのREMOに発注してくれて作ってくれたバスドラのヘッド(しかしデザイン的に穴を開けるスペースがなかったので結局使わずじまい)がドラムの後ろに掲げられているのじゃが、そう言えばこのもうひとつのヘッドを院子に掲げている時にもお祈りをしていたので、XYZのロゴはありがたくも「不浄なもの」ではないのであろう。

そうすると、リハーサルルームの何が不浄なのかと見渡してみると、いつぞやのドラムクリニックのポスター、
DrumClinicPoster.jpg

つまり「不浄なもの」、すなわちワシの顔!!・・・

まあよい、彼ら自身がそんな不浄な顔のワシにレコーディングを頼んでいるのである。
どこでお祈りをしようと暖かい目でみてあげようではないか!!

と言うわけで彼らのお祈りも無事に終わり、(あまりに厳粛なので写真撮影をする勇気はなかった・・・)次の曲のリハーサルが開始される。

次の曲は6分を超える民族調組曲で、構成を確認したりリズムアレンジをいろいろやっていたらもう夕方になってしまった。
何とかフルサイズで録音し終わると、「夕方のお祈りの時間なので今日はこの辺で」と言うことでお開きになってしまった。
家まで帰ってゆくとお祈りの時間に間に合わないのか、またドラムブースに引きこもってお祈りが始まる。

しかし・・・これって仕事的には非常に効率よくないのでは?・・・

イスラム社会・・・今だに謎である・・・


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2006年12月11日

おでん

映画音楽を「今月中に完パケしてくれ」と言いながら「監督がまだ北京に帰ってないので会ってから着手してくれ」と言うのもヒドい話である。

返事を待ってる間、隣の布衣楽隊のレコーディングをしつつ、BeiBeiと言う若手ギタリストのユニットのレコーディングをする。
ふたりともずーと私のスケジュールを待って待って久しいのでやれるうちにやっとかないと非常に悪いノダ・・・

と言うわけで、このふたつのレコーディングをとっとと仕上げて、映画音楽やらないならそのまま日本に帰ってしまおうと言うことで今ダブルブッキングで頑張っている。
日本に帰るには子供に頼まれたベイブレードとやらを買いに行かねばならない。
日本ではもう発売されてない種類のが北京のイトーヨーカドーにはあると言うのだ。
前回夏休みに北京に来た時にめざとく見つけているんだから子供はあなどれない。

ベイブレードの
●ガイアドラクーン メタルスパイク
●ドライガー メタルスラッシュ
●ドラシエル メタルシールド
と言われてもワシら大人にはさっぱりわからない。

午前のレコーディングと午後のレコーディングの合間にヨーカドーに行ったのはいいが、おもちゃ売り場の中国人の店員に聞こうとも中国語でどう言っていいのかさっぱりわからない。
仕方がないのでベイブレードとやらを全て出してもらい、片っ端から品名を確認してゆく。
これが種類が多いのよ・・・ほんと・・・

そしてやっとみつけたのがこの3つ。
BeyBlade.jpg

せっかくヨーカドーまで来たのだから買い物でもして行こうと地下の食品売り場に降りてゆく。
ここには日本食も置いてあり、おでんが隣の布衣楽隊の大好物なので(彼らの日本ツアーで一番おいしかった食べ物がローソンのおでんだったらしい)、買っていこうとしたら暖めるだけで食べられるレトルトパック詰めがもう売ってなかった。
あんなの買うのはワシら夫婦ぐらいだったのだろうか・・・

と言うわけでダイコンやらレンコンやらを買って自分で作ることにする。
ガンモドキやらチクワブやらハンペンやら、およそ中国語でどう訳していいやらわからないものは、「店内になければすなわち売ってない」と覚悟してあきらめる。
なんか今日はこんなことばっかりしてる日のようだ・・・

帰って来たら院子が非常に賑やかである。
久しぶりにAbudu率いる新疆ウィグル族のバンドがカシュガルから帰って来て久しぶりに練習しに来てるし、レコーディングルームではBeiBeiの中国Popロックがレコーディングされ、その間にある院子では午前のレコーディングを終えた布衣楽隊が卓球をしている。

ワシと重田はひたすら仕込みをしておでんを作る。
ODEN.jpg
日本酒もあるでよ!

豚肉を使ってないので君らも食べられるんじゃない?
とAbudu達も誘ったが、恒例のお祈りの時間になり部屋から出てこない。
恐らく断食の時期かなんかで食べられないのであろう。
彼らを除いて今日はみんなでぱーっとやりますか!!!

ps.北京在住の方でこのブログをいち早くチェックした人はすぐ来て一緒に食いましょう。


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2006年12月 2日

そしてまた忙しくなる・・・

無錫から帰り、日本に行き、結局ずーっと飲んでばっかり・・・
命の洗濯、胃袋の消毒ってなもんである。

ところが帰って来てびっくり!!
日本では持って行った上着をバッグにしまってトレーナーだけで出歩くこともあったと言うのに、こちらは何と気温がマイナス8度!!
「寒い」と言うより「痛い」と言う感じである。

空港から院子に着いたらすぐせねばならないことが焼煤(ShaoMei)。
つまり石炭を焚いて暖房をせねば死んでしまうと言うことである。

貧民街の大部分の家庭では、一酸化炭素中毒でころっと逝くのも顧みず部屋の中で練炭を焚いているが、うちは部屋数が多いので各部屋でそれをやるよりはと言うことで、一括でこのようなボイラーで石炭を燃やす。
LuZi.jpg

この炎でお湯を沸かし、そのお湯が各部屋を循環し、部屋を暖めるのである。
(お湯はこの鉄板の中を廻り、その鉄板の熱で部屋を暖める)
NuanQi.jpg

この方式は石炭が燃える部分は部屋の外に設置してあるので一酸化炭素中毒の心配はないが、逆に熱効率から言うと直接部屋の中で練炭を焚くよりもはるかに悪い。
まあ寒くて死にたくもないが、一酸化炭素中毒で死にたくもないので我が家はこのシステムにしている。

石炭は1トン単位で購入し、値段は去年より50元値上がりして550元(8千円ぐらい)。
なくなった頃を見計らってオッサンが配達に来てくれる。
MeiKuai.jpg

ご存知の通り(そんなことを知っている人はあまりいないかも知れんが)、石炭はそれだけを放り込んで火をつけても火はつかない。
まず新聞紙などの燃えやすい紙を暖炉の一番下に引き詰め、その上に薪を入れてその上に石炭を乗せる。
ここでめんどくさがって石炭をドバーっと入れてしまうと火がつかないので、根気よく石炭を追加してゆくのがコツである。
また、勢いよく火がおこっても、そのままにしておくと水が沸騰して蒸発してしまうので、ほどよい加減で空気の量を調節するのも忘れてはならない。

火がちゃんとおきて、ボイラーが完全に温まるまでに大体2時間強・・・
極寒の中、それら一連の作業をやりながら、震えながらメールチェック、スケジュール調整・・・
北京の美人秘書のブッキングによると、今日はこの後、とある映画のプロデューサーとミーティング・・・

「なぬ?また映画音楽?・・・」
ひとつの映画が大ヒットすると、二匹目のドジョウを狙ってあらゆる映画がそれを模倣する。
それに出演した役者さんもいろんな映画にひっぱりだこになってるぐらいだから、その音楽を担当したワシにもいろんなところからお呼びがかかると言うもんである。

それにしても映画音楽って半年で3本もやるもんなの?・・・

ま、ヒマだと飲んでばかりいてまた太ってしまうからやりましょか・・・

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2006年9月21日

MengMeng(モンモン)の物語

AiMengMeng.jpg

重田から電話があったのがもう数ヶ月前。

「末吉さん、テレビ見ましたぁ?」
「いや、うちテレビないから・・・」
「超級女声、何気に見てたらMengMeng(モンモン)が出てて吐きそうになりましたよ」

超級女声とはいわゆるアサヤンの中国版みたいなオーディション番組で、
数年前からこれが大ブームになり、ここで優勝すれば、
いや、参加していいとこまで行くだけで、もう国内では大スターとなる。

「MengMeng(モンモン)」とは、ワシが昔プロデュース「させられてた」女の子。

「吐きそうになる」と言うのは、
この母親であるモンモン・ママが、北京の2大有名ママのひとりで、
これと関わりあったらタダ同然の仕事を延々とさせられたりして、
ワシの周りの人間は既に「MengMeng(モンモン)」と言う名を聞いたり、
見たり、電話がかかって来たりするだけで吐きそうになるのである。

北京にはこう言う親子はけっこういるらしく、
だいたいにして父親はおらず、歌好きの子供のマネージャーを母親が務め、
まあいわゆるリエママのようにステージマネージャーまで務め、
往々にして娘は男と付き合ったこともなく、
24時間、完全無菌培養で「成功」することだけに「人生の全て」をかける。

書いてるだけで吐きそうである・・・

「MengMeng(モンモン)」も例外なく男と付き合ったこともなく、
変な話、一緒に遊びに行く友達もいない(と見受けられる)。
ワシら仲間の鍋会に来た時も、
まあその時は珍しく(ほんとに珍しく)モンモン・ママが一緒に来なかったので、
「こりゃMengMeng(モンモン)が羽目を外すのを見ることが出来るかも・・・」
と思ってたら、8時を過ぎた頃から矢のように電話が入り、
結局MengMeng(モンモン)は鍋食ってそのまま自宅に帰ってゆく。

後で聞いたらそれでもかなり門限破りの時間だったらしく、
結局MengMeng(モンモン)はこっぴどく怒られてしまったらしい。

全てにおいてこんな感じだから彼氏なんて出来るわけもなく、
また本人も別に恋愛なんぞに興味もなく、ある時なんぞ
「私バラード歌えないんだよね、何が悲しいのかさっぱりわかんないし」
などとほざいてたので
「これはいかん!」とばかり、モンモン・ママに意見したことがある。

「プロデューサーとして失礼を承知で言わせてもらうけど、
MengMeng(モンモン)がこれほどの才能を持ちながら伸び悩んでいるのは、
ひとつにはあなたが完全無菌状態で育て過ぎているところにあると思う。
例えば彼女の好きなR&Bのルーツはブルースである。
汚れ、傷つき、ボロボロになって搾り出すような心の悲鳴、
それが美しい魂の叫びとなって歌となる。
このままで行くと彼女は一生そんな歌は歌えないよ」

まあいささか失礼ではあるのだが、
「まあたまには遊びに行ったり恋したり、失恋したり、
傷ついて初めて成長するっつうのもあるんじゃないの?」
と言うことである。
そしたらモンモン・ママはぴしゃりと一言。

「女の子は傷つかずに一生を終えるのが一番幸せなんです!!!」

年の頃は50過ぎ(かな?)
二井原の嗜好で言うとストライクゾーンど真ん中
であるこのちょっと中年太りのこのおばさんの顔を見ながら、
人から聞いた、とある悲惨な物語を思い出した。

その歌手も、同じくこのように無菌培養で母親に育てられ、
20も後半になって初恋を経験し、もちろんのこと母親に大反対され、
まあそれもそうである。
母親としたら娘を取られたら本当にひとりぼっちになってしまうのである。

結果その娘は思い悩んだあげく自殺してしまった・・・

・・・まあ人の家庭である。もうこれ以上とやかく言うのはやめよう。
その代わりこの思いを歌にしてプレゼントしてやろう。

そして出来上がったのが「紅舞鞋」と言う曲。
その靴を履いたら死ぬまで踊り続けてしまうと言う伝説の靴の話である。

DEMOを作り、詞のコンセプトを説明する。
「あんた達はもうこの靴を履いてしまってるんだよ。
もう脱ぐことは出来ない。死ぬまで歌い続けるんだね。
それでいいんだよね」

そしてその曲は
中国文化部主催オリジナル曲新人歌手コンテストで全国グランプリを受賞した。

そんな彼女を見初めたとある企業が彼女をイメージガールに起用し、
その企業のイメージソングを作って彼女に歌わせようと言うことで
去年(もっと前か?)ワシにその製作依頼が来た。

当時「紅舞鞋」はまだコンテスト参加のための録音状態で、
伴奏のみのラフミックスしかなく、歌入れもTDもしていない。
彼女達は彼女が歌を歌って稼ぐ収入だけで暮らしているので、
歌入れしようにもTDしようにも金がないのである。

北京に出て来たこんな親子を食い物にする悪い奴らもいるらしく、
デビューを餌に騙されたことも一度や二度ではないらしく、
ワシとしても結果的に彼女達から金をむしりとるみたいなのはいやなので、
「ないならないなりのモノでいいじゃない!」
と言うことで、その予算で出来る限りのこと(つまり伴奏のみのラフミックス)
で終わらせておいたのである。

モンモン・ママはワシにこう言った。
「ファンキー、だからあんたはこのイメージソングの製作費で、
何としてもあの紅舞鞋を完成させて!」
つまり1曲分の製作費で2曲録れと言うことである。

吐きそうになってきた・・・

じゃあスタジオ代どうすんの?
エンジニア代どうすんの?
ミュージシャンfeeどうすんの?
みんな1曲いくらよ?2曲ぶんないじゃない・・・

「ファンキー、大事なのは紅舞鞋よ。
こっちの曲は思いっきり手ぇ抜いていいから。
そっちの金ぜんぶ紅舞鞋につぎ込んで!」

かくしてそのイメージソングはワシの新しいシステムの実験台となり、
(関連ネタ:http://www.funkycorp.jp/funky/ML/102.html
そんな思いっきり手を抜いたその楽曲は、
そのまま中国のエコロジー楽曲コンテストに出品され、
「エコロジー楽曲大賞」を受賞した。

呼ばれて会場にも行ったが、
あまりにお恥ずかしいので呼ばれても壇上には上がらんかった・・・
あとで主催者が激怒していたと言う話である。

「何であんな手抜きの曲がグランプリなんか取るんじゃろ・・・」
と人に漏らしたことがあるが、彼はその時こう答えた。

「手ぇ抜いたからグランプリ取れたのよ。
一生懸命作ってたらきっと落選してた。
それが中国よ!」

なんかわかったようなわからんような・・・

ワシは昔、李慧珍の「猜愛」でも十大金曲賞を受賞しているので、
(関連ネタ:http://www.funkycorp.jp/funky/fixed/sakkyokusyou.html
実は都合3つも賞を取ってる作曲家である。

何の役にも立たん!!

この国で儲かるのは歌手のみ!
裏方は何も儲からんのである。

さてMengMeng(モンモン)であるが、
じゃあそれから順風満帆かと言うとそうでもなく、
レコード会社から手が上がることもなく、
いや、現実には上がっているがモンモン・ママがその話を潰してると言う噂もある。

実際ワシの知り合いのレコード会社はワシを通してコンタクトを取っているが、
モンモン・ママは
「あんな小さいレコード会社じゃ話にならん!」
と話を断っている。

現実そのレコード会社は半年で潰れたのでよかったと言えばよかったのであるが・・・


さて1年ほど連絡もなく、平和に暮らしていたワシにいきなり電話がかかって来た。

「ファンキー、久しぶり!!私よ、モンモン・ママ!!」

吐いたらいかん!吐いたらいかん!!
唾液を一生懸命飲み込みながら話す。

「超級女声で勝ち残ってるらしいじゃない?よかったよかった。おめでと!」
「それなのよ。私達は瀋陽地区から参加したんだけど、
そのおかげで北京でのプロモーションがあんまし出来てないのよね。
ちょっと協力してくれない?
何社かインタビューに行くから思いっきり褒めちぎってちょうだいね。
あと、誰かロック界でMengMeng(モンモン)褒めちぎってくれる人紹介して」

「ロック界?なんで?・・・」

「あら、うちの娘ロック歌手じゃないの!ロック界からも賛辞を頂きたいわ」

吐き気通り越して頭が痛くなって来た・・・


かくして次の週にはいよいよ飛び道具「紅舞鞋」を歌うと言うので、
ワシは初めて「超級女声」と言う番組を見に行った。

見に行ったと言うのは、うちにはテレビがないので、
その時間に合わせてテレビがある村のレストランにテレビを見に行くのである。
情けないと言えば情けないが、なんか普通の村人になったみたいで心地よい。

金曜日夜8時、生放送である。
出稼ぎ労働者で満席のそのレストランのテレビにかぶりつく。

始まっていきなり勝ち残っている6人で踊りを踊る。
最終的な6人に残っていると言うのは相当なもんである。

一緒にテレビを見ている老呉(LaoWu)の話によると、
彼の知り合いの歌手は地区大会の第3位で落選したが、
それでも全国的には超有名で、それ以降すでにバンバン稼いでいると言うから、
地区大会第1位で、現在最終的な6人と言うのは物凄い成績である。

6人が2人づつのペアに分かれ、その2人が戦い、勝ち組と負け組みに分けられる。
つまり第一試合は勝ち抜き線なのである。
司会者はそれぞれにインタビューし、歌う曲の名前を聞いてゆく。
MengMeng(モンモン)は、いきなり「紅舞鞋」である。

なんでいきなり最終カードを切るの?!!

ワシはもう気が気ではない。
老呉(LaoWu)の話によると、今日はこの6人の中から5人を選ぶと言うことは、
この第一試合に勝ち残っておくことが一番近道なので
ここでまずこの最終兵器を先に出したのであろう。

久しぶりにこの曲を聞くが、何かアレンジがちと違うような気がする。
見ればワシのアレンジではなく、生バンドが勝手にアレンジを変えている。

お前ら!コードまでかってに変えんなよ!!

音もちょっと外してたみたいだったし大丈夫だろうか・・・
ドキドキしながら審査発表を待つ。

結果は・・・・落選!!!

最終カードを使いながら落ちてしまった!!
まるでウルトラマンが最初にスペシウム光線を使って怪獣は倒れなかった!!
みたいな衝撃である。

楽曲と言うのは不思議なもので、
言うなれば自分が生み出した子供のようなものである。
どんな駄作でも可愛いし、
でも時々、親のひいき目なしにとんでもないいい子が生まれる時もある。
何か自分が書いたのではなく、別の大きな力が書かせたような、
そんな楽曲がワシにも何曲かある。

ランナーやリゾラバのような商業的に大成功した楽曲だけでなく、
人知れず名曲と言われる曲もあれば、
誰にも歌われずにお蔵入りしてしまっている曲もある。

ワシのような自分で歌う人間でない限り、
生み出された子はすぐによそにもらわれていってしまい、
生みの親より育ての親、つまりそこでどのように歌ってもらうかで運命が決まる。

「紅舞鞋」はひいき目なしに名曲であるとワシは思うが、
MengMeng(モンモン)にその運命を預けた以上、
MengMeng(モンモン)ダメならもうそこまでの運命である。

老呉(LaoWu)曰く、
「詞ぃ誰が書いたんだ?コンセプトはいいんだけど言葉選びがあんましよくねぇなぁ・・・」
しかしそれも仕方が無い。
もらわれて行ったところで詞を与えられ、それを歌われて初めて楽曲なのである。

負け組みに落とされた彼女は、またその中で敗者復活戦に臨む。
その間、他の2組の戦いが終わるのを待たねばならない。
ビールを飲みながらひたすら待つ。

そして敗者復活戦!!
と思いきや、次は歌ではなく、人気投票による戦いである。
全国から携帯電話による投票、それには1票につき1元のお金がかかる。
ひとりで100票投票してもよい。100元かかるだけの話である。

人気の歌手だとひとり1000万票集めることもあると言うから、
このビジネスだけでも相当なビジネスである。
1000万元と言うと、日本円にすると1億5千万円なのである。
少なくともこの投票の段階だけで3億円以上は動いている。

恐ろしい番組じゃ・・・

さて、この投票で敗者復活かと思えばそうではなく、
これは勝ち残った3人の中からひとりを「落とす」のである。
日本の試合方式は「受かる」人をだんだん作ってゆくが、
中国ではどうも「どんどん落としてゆく」方式であるらしい。

かくしてこの投票により、
3人の勝ち組と3人の負け組だったのが2人の勝ち組と4人の負け組みに分けられ、
その負け組4人がまた2人組で勝ち抜き線を行うのである。

番組の進行がカメよりも遅いだけでなく、CMもいたる所に入るので、
番組開始から既に1時間以上経過し、
レストランではもう既に門を閉め、従業員のメシの用意が始まっている。

「知り合いが歌い終わったらすぐ帰るからね」
そう言ってビールを更に追加する。

すぐに敗者復活戦が始まるのかと思ったら、更にゲストのコーナーがあり、
3人のゲストがそれぞれ持ち歌を1曲づつフルコーラス歌う。
やっと始まるかと思ったら、その3人のゲストが一緒に更に1曲歌う。

もうやめてくれー!!早く歌ってくれー!!

さすがに番組もすぐには歌わせない。
それぞれの参加歌手のイメージビデオ、ファンへのインタビュー、
そしてまたCM。

最高視聴率を誇るこの番組のCMは最高値段がついていると言う・・・

やっと敗者復活戦が始まった頃には既に番組開始から2時間以上たっていた。
MengMeng(モンオン)が歌う。
今度はミディアムテンポのダンスナンバーである。

「受かると思う?」
一緒にテレビを見ている老呉(LaoWu)に聞いてみる。

「ちょっとアブナイところだなぁ・・・
聞いてみろよ。他の歌手と違って声援が断然少ない。
親衛隊がいないんだな。
それも結構不利じゃないかなぁ・・・」

確かにほかの歌手の応援団は若い健康的な男女が多いが、
MengMeng(モンモン)の応援団はどうもオタクが多いと見受けられる。
メガネをかけたデブのオタクがびっしょり汗をかいて応援している。

吐きそうである。

「この娘、ちょっとココ・リーに似すぎてるなぁ・・・」
老呉(LaoWu)がそうつぶやく。

ココ・リーとは台湾で活躍するアメリカン・チャイニーズの歌手である。
そう、彼女はココ・リーに似ているから
「小ココ・リー」としていろんなイベントでココ・リーの歌を歌って生きてきた。
それで母子ふたりが食ってこれた。

ココ・リーに似てるからここまでこれた。
そしてココ・リーに似てるからここまでしかこれなかった。

今歌っているこの曲もきっとココ・リーの曲なのだろう。
彼女が一番得意で、そして一番歌ってはいけないナンバー。

しかしバラードが歌えないんだから仕方が無い。
最終カードの紅舞鞋はもう歌ってしまっている。
彼女にはもう切るべきカードが残ってないのである。

・・・審査発表・・・
これで勝ち残れば勝ち組である。
後は残った負け組ふたりが戦って負けた方が落選。

「負けるだろうなぁ・・・」
残ったビールを飲み干し、更にビールを追加しようとしてたらいきなり、
「勝者は・・・MengMeng(モンモン)!!」

やったぁー!!!残ったぁ!!!

と言うわけでビール腹をさすりながら家路に着いた。
めでたしめでたし・・・
ChaoNv5Qiang.jpg


数日してまたモンモン・ママから電話があった。
「見てましたよ、テレビ。よかったじゃない。次で決勝戦でしょ」
もうここまで来たら優勝できなくても既に超有名人である。

「違うのよ。また今週戦って初めて決勝戦なのよ。
あの番組はとにかく戦わせるから・・・
(間髪入れず)
ところで!今週の金曜日空いてる?
MengMeng(モンモン)の後ろでドラム叩いて欲しいのよ。
アジアドラムキングがバックで叩いてくれたら絶対票も集まると思うのよ」

かんべんしてくれーーーーー

丁重にお断りして電話を切った。
来週も村のレストランで影ながら応援させて頂きますぅ。

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2006年9月18日

布衣楽隊日本へ行く!!

この前の週末もライブを頼まれた。
布衣楽隊のドラマーは全くもって週末は家庭サービスの忙しいのであろう。

話のついでにボーカルの老呉(ラオ・ウー)に聞いてみた。

「この前のライブハウスのはしごん時のギャラ、50元まだもらってないんだけど・・・」

老呉(ラオ・ウー)は非常に信頼できる男で、お金を踏み倒したり、人を騙したり、そんなことはもちろんのこと、渡すべきお金を忘れていたなんてことはありえないことなので、あれからあの50元をワシにくれないばかりかその話すら出ないことはワシの心の中にいつまでも引っかかっていた小さな不思議であった。

「お?!ああ・・・あれか・・・全部で50元だよ」

相変わらず無愛想にそう言う。
ワシとしても別にその50元が惜しいわけではない。
しかし今回に限ってワシにそれをくれないのは何かおかしい・・・
いぶかしがるワシに彼はまたこうたたみかける。

「ファンキー!あの日は2つのライブ合わせて全部で50元だったんだよ」

いつもは50元だろうが100元だろうが、「今日は全部で500元だからメンバーとミキサーとで5割してひとり100元ね」とちゃんと払うヤツが今回に限ってふたつのライブ合わせて全部で・・・・」

なぬ?!!ひょっとしてふたつのライブの全員のギャラ合わせて50元?!!」

50元と言うとライブハウスの生ビール2杯分である。
つまりひとつのライブハウスのギャラが生ビール1杯分!
それをメンバー4人とミキサーの5人で割るんだからひとりビール5分の1である。
(何もビールを割らんでもええが・・・)

結局手弁当で来てくれた吉田くんにその50元はそのままあげて、メンバーは平等にノーギャラと言うわけである。

しかし大の大人が5人まる半日稼動して全員で50元とは情けなさ過ぎる!
ノーギャラのボランティーの方がよっぽど潔い。

お前ら身分が低いにもほどがある!!!

と言うわけで(と言うわけでもないが)、ちょうど日本のイベントで中国のバンドを紹介してくれと言われてたので彼らを紹介した。

「大阪産業大学経済学部設立20周年記念国際シンポジウム」
なんとこれは「ロック・ミュージックを通して考えるアジア共同体の可能性」と言うタイトルが銘打たれていて、アジアがいわゆるEUのような共同体を経済ではなくロックによって作り上げることが可能かどうかを考えるシンポジウムなのである。

「ヨーロッパは経済によってその国境をなくし、EU共同体を作り上げたが、アジアはそれをロックでやるのじゃ!出来ると思うか?!」
と言う、ちょっと聞いたらおよそ真面目なイベントとは思えんイベントを大真面目に、真剣に主催するのは「大阪産業大学経済学部」。

もちろんワシもパネラーとして呼ばれて参加する。
日 時 2006年10月20日 12:50~18:00
場 所 大阪産業大学本館1階 多目的ホール
出演:ghod(日本)、Ah=SIN(韓国)、布衣楽隊(中国)
入場は無料である。

これに合わせて和佐田が2本のライブをブッキングしてくれた。

10/22(日)大阪・西九条「ブランニュー」ファンキー末吉プレゼンツ 日中お友達演奏会
出演:FunQ和佐吉(Funky末吉Ds BBQ和佐田B 三好ひろあきG 寺内茂Tp 古谷光広Sax) アックスバイツ 布衣 他
OPEN 17:00 START 17:30 前¥2000 当¥2500 Lコード:5570 Pコード:240-588
(問)会場 06-6466-0099

10/23(月)京都「都雅都雅」ファンキー末吉プレゼンツ 日中お友達演奏会
出演:FunQ和佐吉(Funky末吉Ds BBQ和佐田B 三好ひろあきG 寺内茂Tp 古谷光広Sax 中村建治Key) 布衣 Sirensphere
OPEN 18:30 START 19:00 前¥2000 当¥2500 (問)会場 075-361-6900

お暇な方は是非見に来て下さいな。

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2006年9月10日

Jazzフェス、Rockフェス、そしてワシは貧乏・・・

音楽仲間のLongLongから電話があった。

「ファンキー、今度のJazzフェスに香港の○×△を呼ぼうと思ってるんだ。
知り合いだってな。一緒にプレイしたことあると言ってたぞ。
それでそのベースを俺、ドラムをお前で出演させてやりたいんだけどいいか?やるか?」

日本では香港人の名前は「ブルース・リー」とか英語名で呼ぶが、ここ中国では「李小龍(リー・シャオロン)」と中国語読みで呼ぶので、いきなりその中国語名を聞いてその人を特定するのは我々日本人にとっては非常に難しい。
例えて言えば、いきなり「チョン・ロン」と言われて、「チョン・ロン・・・チョン・ロン・・・ああ成龍ね、すなわちジャッキー・チェン!」と言うように頭の中で何段階も連想をしてから本人を特定する。

ワシはJazzフェスに出演する自分の知り合いの香港人だからと言うのでてっきり「ユージン・パオ」かと思ってふたつ返事で出演を引き受けたら、蓋を開けてみたら実はブルースギタリスト「Tommyチュン」だった。

ま、いい。どうせ叩くのはドラムじゃ!同じようなもんじゃろ・・・

Tommyチュンは元弁護士。
高額収入の全てをブルースに投入し、自費で竹田和夫にプロデュースを依頼して山中湖スタジオで自分のアルバムを録音している。
その後、本職である弁護士すらやめてしまい、自ら香港にブルースバーをオープンしてそこで思う存分ブルースを演奏していたが、噂に聞くと今ではそれも潰れてしまったと言うからワシみたいな人間はきっと世界中にごまんといるのであろう。

ま、いい。友達なんだから「予算がないんだ、それでもいいか?」に駄々をこねるほどワシも人間が出来ていない。

ブルースなんだからリハーサルなんていらないようなもんだけど、LongLongは何故か自分のスタジオで2日間もリハをすると言う。
俺はあの、香港でウンコもらした日に彼の店で延々ジャムセッションをやっているが、ベースの和佐田含めもちろんリハなんてやっていない。

まあしかしリハをやりたいと言うならやぶさかではない。LongLongのスタジオに出かけてゆく。

しかし、機材は全部あると言いながらスネアとシンバルがなかったのでうちに取りに帰る。
それだけでワシは5元の高速代の往復と、ガソリンを撒き散らしながら走っているようなおんぼろジープのガス代だけでえらい出費である。

ま、いい。友達なんだから金の話はいいじゃろう。

2日間のリハを終えていざ本番!
JazzFes.jpg

しかし北京のJazzミュージシャンによる手作りフェスティバルの初日。
バンドの機材を運ぶ車が足りないと言うのでワシのおんぼろジープまで稼動して、入り時間は昼間の12時、サウンドチェックは4時頃から30分ほど、出番は夜の9時過ぎと言う怒涛の待ち時間を経て、挙句の果てには本番中にPAが落ちてドラムと生音だけで1曲演奏したり、話の落ちには機材の運び出しのため結局イベント終了の夜中の12時までひたすら待ってたり、
まあ懐かしい言葉で言うと「ふんだりけったり」である。

(余談であるが爆風スランプのアマチュア時代からのCD未発表曲、「ふんだりけったり」は、今から思えばかなり名曲であると思うのだがどうだろう・・・この曲を知ってるマニアの方、意見を請う!)

さてTommyチュンであるが、せっかく北京まで来てくれたんだからと言うことで、LongLongは更に2本ライブをブッキングしている。
1本は北京のJazzマスター劉元(リュー・ユエン)の新しいJazzバー、2本目は北京のライブハウス、愚公移山にて大ブルースセッション大会で締めくくると言うもの。

ワシ・・・はっきり言って非常に疲れた・・・
特にこの最後のステージは死ぬほど疲れた・・・
Jamセッションは日本ではドラマーが一番多かったりするが、この日はなんとワシだけ。
フルステージを叩いた後、欧米人のわけのわからんミュージシャン達と延々Jamセッションを繰り広ける。

ワシ・・・この数日間、同じような曲しか叩いてないんやけど・・・

ま、XYZの曲をどの曲も同じだと言う人の気持ちもよくわかるし、中国ロックは全部同じに聞こえると言う人の気持ちもよくわかるが、偏見を承知で言わせてもらおう!

ブルースは全部同じ曲である!!!

へとへとでステージを降りたワシにLongLongは言った。

「ファンキー、今日のギャラ1000元もらえたからみんなで分けよう」

Jazzの精神は「平等」だとワシは思っている。
毎月のJazz-yaライブでも、ワシの名前で客を呼んでもワシは必ず若手の無名ミュージシャンとギャラを均等に分ける。
「300元づつ3人で分けて、残りはTommyにやってよ」
この精神がなければJazzやRock、ひいてはブルースなんてもんはやれたもんじゃない。
数倍の値段で歌手のバック等をやる北京最高ギャランティーのドラマーも、ここでは全て「平等」なのである。

「ところで昨日と、あのJazzフェスのギャラってのはいくらなの?」

にこやかな笑顔でそう聞くワシにLongLongは一言。

「ああ、あれはノーギャラ・・・」

なんで?・・・

まあJazzフェスはワシの友達でもあるJazzミュージシャンが持ち出しでやってるもんだし、まあ見るからに収支は赤字やろうし、
あのJazzクラブもいわゆるJamセッションDayに無理やり入れ込ませてもらったようなステージやったし・・・
何より当の本人のLongLongが、自分のスタジオまで提供し、同じくノーギャラでやってんだからワシが何を言える筋合いではない。

「没問題!(ノープロブレム)、じゃあ来年は自分のバンドでJazzフェス出してね」

これでいい!
金のために音楽をやれば音楽が死ぬからこれで十分である。
ここ数日、これでまたブルースへの造詣もまた少し深くなり、ドラムもまた少しうまくなったじゃろう。
音楽家にとってこれは何よりもの財産である。


れから数日。
我がロック村の村長とも言うべき、布衣楽隊のボーカル、老呉(ラオ・ウー)から電話があった。

「ファンキー、週末空いてるか?ドラマーがどうしても参加出来ないんでお前ライブでドラム叩いてくれ」

中国のアンダーグランドバンドの生活は悲惨である。
いわゆる音楽界の空洞化と言うか、メジャーとアンダーグランドの間には大きな距離があり、アンダーグランドはまずよっぽどじゃないとメジャーに上がれない。
日本のアマチュアバンドはバイトをしながらバンドをやるが、北京ではそれをすると「ロック」が死ぬので、彼らのように貧民街に住みながら清く正しく美しくロックをやり続ける。

彼ら布衣楽隊も、まあアンダーグランドでは10年の歴史があり、知名度もそこそこあるので小さなライブは多いがまだメジャーデビューはしていない。
ドラマーはフランス人と結婚し、専業主夫みたいなもんだから、子育て等どうしても家を空けられない時はワシでよければ替わりにドラム叩いてあげるし、ベースは最近アメリカ人と結婚したし、ギターは弟がYanと言うクラブイベントで大成功しているのでそこそこやっていけるのであろうが、問題はこの我がロック村の村長、老呉(ラオ・ウー)である。

「ドラマーはいいよ、ベースもいいし、ギターもまあいいだろ。お前どうすんの?」
と酒を飲んでる時に聞いたことがる。

「俺か?俺ゃいいんだよ。両親がいるし、助けてもらってるよ」

30過ぎてまだ親から仕送りもらっててそれでええんかい!!

「ま、親もそのうち見限るだろうな・・・友達もそのうち見限って誰も俺を相手しなくなっても・・・でも俺はロックを歌い続けるよ」

だからワシは村長が大好きである!
村長に頼まれたらドラムも叩くよ!

かくしてその日はライブハウスのはしご。
9時半から北京の老舗のライブハウス新豪運のロックイベント。
でも客があんましおらず、10時過ぎまで待ったがやっぱりいないので、次もあるのでオープニングを飾ってそのまま機材車に飛び乗る。
そのまま同じく市内のライブハウス、無名高地に飛び込んで、既に始まっている対バンの演奏が終わるのを待って、機材をセッティングして演奏する。
終わって機材を片付けて車に積み込み、帰り道に老呉(ラオ・ウー)が一言。

「ファンキー、悪ぃーなぁ・・・今日のギャラ・・・ライブ2本合わせて50元しかないんだ・・・」

50元と言えば、そのライブハウスでビールを2杯飲めばそれで赤字である。
ま、いい。ワシはロックをやっているのじゃ、とやかく言うヤツは最初からやらねばよい!
・・・と思って笑顔で快諾したらまた次の週末も頼まれた。
どうもドラマーは週末は家庭サービスに忙しいらしい・・・

北京流行音楽節(Beijing Pop Festival)
RockFes.jpg

タイトルこそ流行音楽であるが、今年はスキッド・ローのセバスチャン・バックが参加したり、その実北京を代表するロックフェスティバルのひとつと言ってもよかろう。
このイベントに我が貧民街の代表、布衣楽隊が出演するのか?セバスチャン・バックの前座をやるのか?

期待に胸膨らませながら今日を迎える。
朝8時入りである。
6時半には起きて、老呉(ラオ・ウー)と一緒にバンドの機材を積み込む。
布衣楽隊はまったくもってボーカルの老呉(ラオ・ウー)のバンドで、機材の積み込みから機材車の運転まで全てボーカルがやる。
他のメンバーはみんな既に貧民街を脱出してしまっているので、結果的には老呉(ラオ・ウー)とワシふたりで機材を運搬することとなる。

会場に着くとなんかようわからん欧米のスタッフがサウンドチェックをやっていた。
どうもセバスチャン・バックのスタッフではなさそうだが、きっと自腹で山ほどの機材を空輸してイベントに参加してるんだからご苦労なことである。

世界中のいろんなアーティストが
「中国は今はお金がないですけど、市場は世界一大きいですから今持ち出しで中国にやって来ても必ず将来は得しますよ」
と言われて、のこのこ札びら切ってここにやって来るが、そんな奴らにはいつもこの中国のロックバンドの現状を見せてやりたくなる。

まあいい・・・好きで金払ってここ来てるのである。頑張って下さい。

いつまでたってもワシらのサウンドチェックが始まらないので貧民街に帰った。
12時からイベントスタートと言うので11時半に会場に行けば大丈夫であろう。

しかし11時半現在、まだ別の欧米人のバンドがサウンドチェックをしていた。
きっとアメリカ、もしくはイギリス方式でタイムスケジュールを全く無視して自分達のサウンドチェックだけはちゃんとやらんと出演せんぞ!みたいなノリなのであろう。
小泉首相の靖国参拝により中止になったが、日本から参加が決定していたバンドも来てみればこのようにやるしか自分達の要求は達成しない。

しわよせが来るのが力の弱い者達である。
1番目のバンドは非与門と言う広東省のバンド。
彼らがサウンドチェックの時には既に客入れは始まっていて、サウンドチェックの途中からいつの間にやら本番となり、時間が押しているので「今日は5曲やります」とMCで言いながらも3曲でカット。
続く我が布衣楽隊も4曲の予定を「2曲に減らせ」と言われるが、「曲間をドラムソロでつないで3曲やっちゃえ!」と結局3曲やってしまう。
アンダーグラウンドバンドなので全体のサウンドチェックも兼ねてるのか、1曲目が終わるとステージ進行中であろうがモニタースタッフからトークバックで
「ちょっとベース弾いて!ライン来てないよ!もう一度弾いて!」
とひっきりなしで言われる。

結局本番なのかリハーサルなのかわからないままステージは終了。
セバスチャン・バックは翌日の出演と言うことで結局は会えずじまいだった。

「ほな、せっかく街まで出てきたんだから遊んで帰るわ。あと器材よろしくね!」

老呉(ラオ・ウー)に挨拶して帰る。
ギャラのことを言わなかったのできっと今日もノーギャラだろう。

この数週間、もらったお金は350元。
飲んだビールが五万本(サバ言うなぁ!このヤロー!)

金のない奴ぁ俺んとこへこい!
俺もないけど心配すんな!!!

でもちょっとは心配して欲しい・・・

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2006年7月17日

ドラムクリニック

ちょっとしたリハーサルならうちの院子で出来るのだが、大きなコンサートのゲネプロ等だとそうはいかない。
ひと昔前の北京だとリハーサルスタジオなんぞ皆無に等しかったが、最近はいくつかプロユースのスタジオが出来て非常に便利になった。

そんな中のひとつ、FiERCEは、社長が元ドラマーだと言うことでドラム機材が充実しているので結構好きである。
ある日、リハーサルの合間にドラムお宅の社長とダベっているうちにこんなアイデアが飛び出した。

「ファンキーさん、ヒマな時あったらここでドラムクリニックやって下さいよ」

もちろんふたつ返事で引き受けた。
条件など別に無い。
北京のドラマー、ひいては北京ロックのために何かが出来ればそれでよい。

若いドラマーのMuWeiがポスターを作ってくれた。

DrumClinicPoster.jpg

見ると、なんと入場料はタダ!!!
つまりワシへのギャラもタダだと言うことである。

ま、いいのよ・・・中国の音楽シーンのために何か出来ればそれで・・・(涙)・・・

さてその日が近づいて来たある日、パール楽器の中国での代理店にいたSさんから電話が来た。
「次の週、1週間で毎日いろんなドラマー呼んでクリニックをしてもらおうと考えてるんだけど来てもらえないかなぁ・・・」

ワシは確かにここのドラムスクールが開校する時に、
「パール楽器のためになるんだったら何でもやるよ」
とは言った。
しかしその学校のパンフレットに「講師」として名前を載せてよいとは言った覚えは無い!

まあしかし彼はまだいい方である。
去年趙明義から電話があり、大々的にオープンする音楽学校の教師として名前を貸してくれと言うので、
「名義貸しだったら、まあ年に5万元ぐらいでどうだい?」
と言った途端に烈火のごとく怒り出した。

黒豹葉世榮もタダでやってんのにお前だけ金くれとは何事だ!!!」

あまりの剣幕に恐れをなしたワシは、「いいよ、いいよ・・・じゃあ・・・」と渋々承諾した。
そして当然ながらその開校式には呼ばれる。
校門を入ったところにはでかでかとワシの写真・・・

・・・これってサギじゃないですか・・・

ま、いい・・・これもなんじゃらかんじゃらで中国の商売なのであろう・・・
しかしSさんのドラムスクールは勝手にワシの名前を使っているわけなので、
いくら何でもその上タダでクリニックをするのもナンじゃろ・・・

「私はひとりではなくミュージシャンを連れて行ってデモ演奏を聞かせたいんだけど、少しでいいからギャラなんてのは出ますか?・・・」

だいたい、ものを頼んでいる人間が全然ギャラの話なんか出さず、
頼まれた方が悪そうにその代償を尋ねるなんてのがワシはどうも腑に落ちん・・・

まあそれでもメンバーに交通費ぐらいのギャラは出ると言うので出かけて行った。
そのために自宅スタジオで中国最高度の演奏が出来るまでリハーサルをつんで・・・

DrumClinic1.jpg

着いて見たら生徒はガキばかりである!!!

Sさん曰く、「びっくりしたかい?子供の生徒と言うのが一番商業的には一番いいもんで・・・」
確かに子供の教育のためになら親はいくらでも金を使うからのう・・・
・・・まあ勝手に生徒が中国ロックを背負う若いドラマーばかりだと思ってたワシが悪い・・・

かと言って今さら用意した1時間半のプログラムを変更するわけにはいかん。
ドラムのチューニングから始まってスティックの効率的な振り方まではよかったが、
さすがにポリリズムの話まで行くと生徒は半分寝ていた。

そしてせっかくミュージシャンに楽器まで持って来てもらったのだから用意した高度なデモ演奏・・・
・・・感動して食い入るように見ているのはこのスクールの先生達だけである・・・

・・・そして記念撮影とサイン会・・・

SignToChildren.jpg

お前ら俺が誰だかわかっとんのかい!!!

かくして教える側と教わる側のギャップの多いドラムスクールは無事(?)終了し、
今度はもともと予定していたちゃんとした(?)ドラムスクールである。

ミュージシャンはこの日はまた別のメンバーを呼んだので、ちょっと早めに入ってリハーサル。
そしてちょっと早めに来た生徒達も早く開場に入れて、リハを見たい奴にはとことん見せる。
コンサートではなく、クリニックなのである。
ミュージシャンに指示をするワシ、譜面を整理するワシ・・・それを見ることこそ全部彼らにはためになるクリニックであろう。

しかし毎回定期的にやる「授業」と、1回限りの「クリニック」とは根本が違う。
どうしても内容はテクニック的なものに偏らざるを得ない。
中国のドラマーは「急ぎすぎる」と言うか、上っ面だけを勉強して「もう叩ける」と思ってしまう輩が多いので、
途中の喋りでそれを常に修正しながら何とか最後まで演目を演じ切った。

DrumClinic2.jpg

汗だくである。
喋りが多いぶん、ライブよりも疲れる・・・

しかしこの一夜はきっと将来の中国のミュージックシーンにとっても有意義な一夜となったに違いない。
そう強く感じて締めの言葉を述べてお辞儀をした後に、
司会もつとめたこのスタジオのオーナーから一言。

「では最後にここにいるみなさんを代表してファンキーに一言聞きたいことがある。
来月もまたもう一度ここでクリニックやってくれるかな?」

「いいとも!!」

と言ってしまった自分に後悔・・・
せめて交通費ぐらいは欲しい・・・いやほんま・・・


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2006年7月 4日

サラダバーの達人

嫁と一緒にピザハットに行った。
噂どおりピザハットはかなり高い。
13寸(インチのことか?)で98元、9寸でも58元、サラダバーが28元・・・

なぬ?!サラダバーがあるのか?
28元っつうたら村のレストランで生ビール大ジョッキが14杯飲めるが、
ここ中国ではあまり生野菜を食べないので是非奮発してオーダーしてみたいものじゃ。

貧乏人ならまず考えるが、
「ひとつ頼んで二人で食べよう」
しかし店側とてその辺は考慮している。
サラダ取り放題にして、それを一緒に来た全ての客にシェアーして食われてしまったのでは上がったりである。

メニューを見て中国語を解読するに、
ここのサラダバーはお皿に1回取りっきりで28元なのである。

「じゃあ多めに取って来てふたりで食べよう」
と言うことになりサラダバーに立った時にその達人と遭遇した。

「あら、あんた、それじゃぁダメよ。サラダバーはこう取るのよ」

見も知らぬおねーちゃんがワシに指南する。
まず質量の高い、密度の濃い揚げパンとか野菜を皿に盛り、
皿のふちに胡瓜とパイナップルを積み重ねて城壁を作り、
そしてその中に入るだけの野菜を詰め込みドレッシングをかける。

更にまた皿のふちに胡瓜とパイナップルを積み重ねて城壁を高くし、
そしてその中にまた入るだけの野菜を詰め込みドレッシングをかける。

更にまたまた皿のふちに胡瓜とパイナップルを積み重ねて城壁を高くし、
そしてその中にまた入るだけの野菜を詰め込みドレッシングをかける。

更にまたまたまた皿のふちに胡瓜とパイナップルをまた積み重ねて城壁を高くし・・・

あまりに感激したので写真を撮らせてもらった。

SaladaBar.jpg

これから30分後、達人はこの倍以上に高くなったサラダバータワーを持って席に帰り、
見ればひとりで平らげていた。

天高く馬肥える秋の空のように清々しい匠の技であった。

ファンキー末吉

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2006年7月 1日

BEYOND追悼ライブ

中華圏のロックに偉大な業績を残したボーカリスト黄家駒の命日を偲び、
そして解散した(個人的にはまた復活すると思っているが)彼のバンドBEYONDの楽曲を北京のアンダーグランドバンドがカバーしようと言うイベント。

BeyondLive.jpg

何がどうあれ、なんぼ言うてもバンドが多すぎる!!!

日本のライブハウスでは、出演が決まった時点で出演バンド同士が話し合い、
ライブ当日には既に出演順が決まっているのが普通だが、
団体競技の苦手な中国人ではそうはいかない。

ここではライブ当日の開演直前に出演バンド全員が集まってくじ引きをするのである。

恐ろしい話である。
チラシに乗っているバンドだけで15バンド。
当日更に増えて16バンドが30分づつ演奏しても8時間。
夜の8時半に開演と言うから、順調に行って最後のバンドは夜中の3時から始まると言うことになる。

順調になんか行かん、行かん・・・


かくして今回このイベントに参加することになったいきさつはと言うと、王暁旭と言うひとりの友人からの電話である。

「ファンキー、6月30日空いてるか?BEYOND追悼ライブがあるんだけど、
破砕声音っつうバンドでドラム叩いてくんないか?
ドラマーがその日結婚式なんでどうしても参加出来ないんだ」

つい最近も布衣楽隊でドラムを叩いて来たばかりである。
布衣楽隊のボーカル、老呉(LaoWu)は、わがロック村の村長とも言うべきもんだから、
「ファンキー、ドラマーが今日は家庭サービスでどうしてもライブに参加出来ないんだ。
ちょっと助けてくんないかなぁ・・・」
と言われればそりゃふたつ返事でかけつけてゆくのじゃが、
知らないバンドとなるとどうかのう・・・

悩んでるヒマもなく王暁旭がバンドのメンバーを連れて来てリハーサル。
リハが終わってメンバーが悪そうに一言・・・
「今回のライブはギャラは出ないんだけどいいかな・・・」
間髪入れずに王暁旭、

「いいんだ。コイツはドラム叩いてたらそれで幸せなんだから」

お前が言うな!お前が!・・・

と言うわけで昨日がそのライブ。
会場に着いたら人がわんさか溢れていて、過去布衣楽隊とかで来た時とは全然違う。
BEYONDの人気はそれほど凄いと言うことであろう。

若い娘も多い。
ロックねーちゃんみたいのもいれば、素朴な娘もいる。
見れば派手なバンドには派手なねーちゃんがついてるし、
素朴なバンドには素朴なねーちゃんがついているようである。

ワシはと言えば今日は嫁が「夜遅いのはヤダ」と言って家で寝ているので、視線は最初っから最後までおねーちゃんである。

しかしワシに声をかけてくるのは全てバンドのむさ苦しいお兄ちゃんばかり。
「ファンキー、今日はどのバンドで叩くんだ?お前の見てから帰るわ」
ってな感じで、自分の出番終わったらとっとと帰るはずのバンドのメンバーは居残るわ、
外で自分の出番を待ってる連中も入ってくるわで、
結局ワシの出演時には客席は一気にむさ苦しくなる。

ドラムソロ・・・キャーと言う黄色い歓声が聞こえることもなく・・・
「ウォー!ファンキー!ニュービー(Fuckin' Greatの意、よい子は決してマネしてはいけない中国語)」
お前ら、声がオクターブ低いんやっつうねん!

ライブ終了・・・眼がうるうるしたギャルの視線を感じることもなく・・・
「ファンキー!サインしてくれー!!」
集まって来るのはむさ苦しいお兄ちゃんばかり。
「ファンキー!電話番号教えてくれー!」
かくしてワシの携帯にはむさ苦しいお兄ちゃんの電話番号ばかり増えてゆく。

すぐその場で消去!

かくはともあれビールである。
一緒に飲んでくれる美女がいるわけでもなく、
奢ってくれるお兄ちゃんがいるわけでもなく、
ノーギャラでドラム叩いて、自腹でビールを買いに行く。

「生ビールちょーだい!20元だったよねぇ」
うちの村のビールは大ジョッキで2元なのに街に出ただけで値段が10倍に跳ね上がる。

「あら何言ってんの。生は25元よ」
ビールを注ぎながらカウンターのおばちゃんがそう言う。
ちょっと悲しそうな顔でポケットの小銭を探すワシを見ておばちゃんが一言。

「ああ、あんたはいいわよ。あんただけ特別に今日は20元」

むさ苦しいお兄ちゃん以外にやっと現れたワシの女性ファン!!
おばちゃんの入れてくれた生ビール(心なしか少し大盛り)はひたすら旨かった。

ファンキー末吉

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2006年6月30日

映画音楽は楽し(安し!!!)

今日、6月30日は日本で亡くなったBEYONDのボーカルのコマ君の命日である。
でもワシはそんなことまるっきり忘れていた。
日本のBEYONDファンからメールをもらって初めて思い出した。

「気がついたら家駒の年齢を遙かに超していました」

おう!!!確かにぃ!!!
死んだ人間は年をとらんからのう・・・

しかし、昨日香港に帰るWingを空港まで見送りに行って思ったが、
(なんでワシ・・・忙しいのにそんなことまでしとるんやろ・・・)
あいつこそあれで43歳っつうのはある種サギである。

(大村はんとWing.。実は二人の年齢差はたったの3歳・・・)

OhmuraWing.jpg

送りに行って帰りに嫁とメシを食いに行ってたらいきなり雷がなって豪雨となった。
電話をしたら(何でワシ・・・そこまでするんやろ・・・)
予想通り飛行機は天候待ちで飛ばない。
ざまー見ろである。
アイドル顔でせめて30歳ぐらいにしか見えなくて男前でアイドル顔でも
しょせん天候にはかなわんのじゃ!!は、は、は・・・


かく言うワシは、
家を出る時うちでリハーサルをしていた新疆ウィグル族のバンドが
「お祈りの時間だ」と言ってイスラム絨毯やらを院子にしきつめて、
メッカの方を向いて全員でお祈りをしてたのだが、
帰って来たらどしゃぶりの中、ずぶぬれになってまだお祈りをしていた。

わけもなくむっちゃくっちゃ感動した・・・


そんなことはどうでもよい!今日、6月30日は実は、
ワシが映画音楽を担当した「瘋狂的石頭(Crazy Stone)」の公開日なのである。

監督は「寧浩(Ning Hao)」。
香港の大スター劉徳華(アンディー・ラウ)が投資して、
アジア各国の6人の若い監督に映画を撮らそうと言う壮大な企画の中で、
中国の監督として選ばれたのが彼。

実はワシのアシスタントをやっててくれた重田
彼とは留学時代に一緒にバンドを組んでた仲間であったと言うことから、
重田ぁ・・・実は予算を全部撮影で使い果たしてしもうてなぁ・・・
音楽作る経費がほとんど残ってないやけど何かええ方法ないかのう・・・」
と相談されたところからこの話が始まる。

「末吉さんだったら紹介出来るけど、いったいいくら残ってんの?」
と聞いた重田に監督が答えた額は、
さすがにメルマガでは何でもネタにするワシでもちょっと公表できないぐらいの値段。
(公表したことのある貧乏ネタ:http://www.funkycorp.jp/funky/ML/60.html
「冗談じゃないっすよ。とりあえず断っときましたから・・・」
そう言う重田に一言。

「でもうちはスタジオがあるからね。
音楽製作物の経費のほとんどはスタジオ代だからね。
それが外に出ないと言うことは結構安い値段でも受けれるっつうことよ」

しかし時は遅く、
既に中国で一番安い映画音楽家にもう発注してしまったと言うことで、
「ま、久しぶりに映画音楽が出来ると思ってたら縁が無かったのね」
と思ってたら、
「末吉さん!どの中国人映画音楽家でもこの値段じゃ出来ないって
全部サジ投げられて困り果ててるそうなんですけど・・・」
と言われ、
「じゃあ人助けだと思って私がやりましょ」
と引き受けたのがなれそめである。

つまりワシは全中国で(と言うことは全世界で?)
一番安い映画音楽家であると言うことである。
まあ人助け、人助け・・・


かくして映画音楽の製作が始まった。
映画音楽は1曲の時間は短いが、しかし曲数は半端じゃなく多い。
曲を作ると言う作業は実は5分の曲を作るのも1分の曲を作るのも労力は同じである。
そんなのをバージョンを変えつつ少なくとも50曲は作るんだからどれだけ大変か。

渡された映像を見ながらワシなりに解釈して、
「太陽にほえろ」と「ルパン3世」を足して2で割ったような世界観で全てを構築し、
ついに第1回目の監督との接近遭遇である。

ワシ的には非常に自信があった。
聞いたとたんにきっと監督は涙流して喜び、絶賛し、涎垂らして放心し、
ヘタしたらウンコもらしてへたりこむかもわからんので、
一応ティッシュと雑巾と消臭剤を用意して、
OKが出ればすぐレコーディング出来るようにミュージシャンまでブッキングし、
そのまま怒涛の酒盛りまで出来るようにあらゆる酒まで買って揃えて反応を見た。

「音楽そのものは非常にいいんですが・・・
ちょっと僕の考えてたのとは違いますねぇ・・・」

それから延々彼は自分の映画論を語り、
ワシは用意した酒を飲みながらそれを聞いた。
買い揃えた酒は大半がここで消費されることとなった。

「理解してくれてありがたいです。では僕はこれで・・・」
と言うわけで彼が酔っ払ったワシを残して家路に付く。
何のことはない「全部作り直し」なのである!!!

こんなやりとりを何度も繰り返す。
作った曲は100曲をゆうに超え、参考用にもらったDVDを何度も見、
酒量は限界を超え、当初の締め切りの期限はとっくに越していた。

結局は2ヶ月以上をこのプロジェクトに費やしたであろうか・・・
自給で割ったら(割りたくない、割りたくない)確かに仕事としては最悪である。
しかしやっぱり映画音楽は楽しい。
何故か?それはひとえに「映画は究極には監督ひとりのものである」からである。

ポップスは「売れること」を目的として製作される。
会った事もない、実像もへったくれもない「庶民(中国語で老百姓と言う)」
と言う人々をターゲット・・・と言うよりも神より大切なものとして作られる。
高度な音楽性のものは極力排除され、
「聞く人バカなんだからもっとそこまで落とさないと売れないよ」
と訳知り顔のディレクターやプロデューサーはそう言い、
「いやーこれは新しいよ、これは売れるよ、ファンキーちゃん」
とかわけのわからないことを言い出したらやっとそれで仕事が終わるが、
その神様より大事な老百姓が果たしてそれを好きかどうかは発売するまでわからない。

まあ「売れるため」に作った音楽が売れなかった時ほどみじめなものはないが、
結局売れるためにみじめな思いをして製作し、
売れなくてみじめな思いをしてお金をもらう仕事っつうのはどないなもんやろと思う。

しかし映画音楽は違う。
世界で一番「凄いもん」を作っちゃるぞ!が原点である。
わけのわからん不特定多数の神様のために音楽やるより、
ひとりのその「神様」が納得するものを作ればいいのだから気が楽である。

時には「この編集はねーなぁー、俺ゃこれじゃストーリーわかんなかったべ」
と逆にその神様の考えにケチをつけたりもすれば、
「あなたはこのシーンでどんな感情が沸き起こって来ますか?
それに対してあなたがつけた音楽はどのような感情を沸き起こすものですか?」
と神様からケチをつけられたりする。

まあ早い話、監督と言うきさくな神様と一緒に大きな遊びをやっているだけなのじゃ。
もの凄く音楽性の高いことをやりたければやればいいし、
ごりごりのロックをやりたければやればいい。
要は監督が満足すればそれでいいのである。

「監督ぅ・・・
最後はやっぱ生のオーケストラ入れてガーンとぶちかますのがええんでねぇの?」
まあ作り手としてはどんどん欲が出てくる。
「そんなことが出来ますか?」
顔が心なしかほころぶ神様。
「んだぁ。オラはこう見えてもこっちでもう数十曲オーケストラ録ってるがね」
ドラマーのくせに弦がアレンジ出来る変態である。

「末吉さん、何言ってんですか。予算がどこにあるんですか!」
止める重田を振り払い、泣き叫ぶ嫁を殴り飛ばし、
つられて泣き出す子供たちを質屋に売り飛ばし、
力なく説教する高知の親を姥捨て山にぶち捨ててまで自腹で録ろうかと思ったが、
髪の毛一枚のところで思い直し、
不本意ながら予算内で全ての音楽を録り終えることが出来た。

完成して納めてお金をもらえば仕事は終わりである。
しかし映画の場合は是非それを劇場に見に行かねばならない。
試写会の招待状が来たので大村はんとそれを見に行って来た。

Poster.jpg

公開前に既に話題の映画となっており、
特に音楽は業界では大絶賛されていると言う。
DVD海賊版全盛のこのご時世で、
既に300本もの劇場公開が決まっていると言うのは物凄いことである。

期待の新作に劇場中がかなり興奮気味で、
ちょっと緊張気味に見ているワシなんかを尻目に、会場は爆笑に告ぐ爆笑。

そう、この映画は実はブラックユーモアをちりばめたコメディー映画なのである。
舞台は中国の重慶で台詞は全部四川地方の方言なので、
製作している時は台詞はわからんわ、台本見て頭で理解しても笑えんわ、
で結局一度も笑ったことなかったが、
そうかぁ・・・コメディーってこうやって会場で爆笑すんのね・・・

中国語の字幕がついているのでそれを追いながら、
隣の大村ハゲ頭がどうして笑ってるのかをいちいち聞いて来るので、
それに答えながら訳しながら見ているとワシは結局最後まで全然笑えんかたが、
最後には会場全部大拍手で幕を閉じたり、結果としては試写会は大成功である。

聞くところによると、来年あたりには日本でも公開が決まっているらしい・・・
関連サイト:http://www.imx.ne.jp/info/2006/0314.html
http://www.ffcjp.com/kutsu/news/4thNewsletter.pdf
万が一これが全世界でヒットしたりなんかすると、またワシ・・・印税生活ですかぁ?!!!・・・

「重田くん、ところでこの音楽の著作権って一体どのようになっとるのかね?」
恐る恐る聞いてみる。
金がないと言うからタダ同然でやってやったのである。
大金を生むかも知れないならそこから取れるものは取りたいと言うのが人情であろう。

「何言ってんですか、
末吉さんがいいって言うから奥さんが替わりに契約書にサインしたじゃないですか」

と言うことはこれ・・・どれだけ売れてもワシの元には1銭も入らないのね・・・
ま、いい。製作した音楽ソフトも海賊版やったし、資料用に見たDVDも海賊版やった。
これで印税もらったら罰が当たるじゃろう・・・


と言うわけで、今日は晴れてこの映画の公開日。
過去自分が携わった映画の公開日には毎回ワクワクしながら劇場に行った。

爆風スランプの「バトルヒーター」(出演)・・・劇場に人おらず・・・
香取慎吾の「香港大夜総会」(映画音楽)・・・劇場に人おらず・・・
高島礼子の「劇場版ショムニ」(映画音楽、出演)・・・劇場に人おらず・・・

今日はBEYOND追悼イベントが北京のライブハウスであり、
とあるアンダーグラウンドバンドに頼まれてドラムを叩きに行くので見に行けない。
まあこれだけ評判の映画なんだから客の入りもきっと結構なもんじゃろう。
「ワシがたずさわった映画はみなコケる」
と言うのをジンクスとして信じ切っていたが、
実は「ワシが公開日に劇場行くとコケる」のかも知れない。

今日はおとなしくBEYOND追悼イベントに専念するとしよう。

ファンキー末吉


MovieCregit.jpg

瘋狂的石頭(Crazy Stone)関連サイト
http://ent.sina.com.cn/m/c/f/fkdst/
http://post.baidu.com/f?kw=%B7%E8%BF%F1%B5%C4%CA%AF%CD%B7
http://blog.sina.com.cn/m/ninghao
http://www.FFCJP.com/
http://www.c-c-club.net/director/ninghao.htm

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2006年6月23日

Wing北京コンサートを終えて

葉世榮ことWingは香港のBEYONDと言うバンドのドラマー。
BEYONDの連中とは、彼らが日本で活動を開始すると言う時に知り合い、
ボーカルのコマが日本のテレビ番組の収録中の事故で死亡して香港に帰ってゆくまで、
ほぼ毎日と言っていいほど一緒に酒を飲むと言う仲だった。

コマが日本の病院で息を引き取った時、
病院の待合室でその知らせを受けたWingがショックで気を失い、
俺の腕の中に倒れ込んで、突然ケタケタと笑いながらうわ言でこんなことを呟いた。

「あいつは今、真っ白な綺麗なところにいる。
そこは酒を飲むより、エッチするより、もっともっと気持ちのいいところなんだ・・・は、は、は・・・」

俺はその世界と言うのが、ドラムを叩いている時に時々味わうことがある、
妙にトリップした浮遊感のあるあの世界と同じであると思い、
偶然性が大きく作用するライブの高揚感のあの真っ白な扉の向こうにコマがいるんだと今でも信じている。

BEYONDの他の2人とは今でも会えば楽しく飲む仲間ではあるが、
Wingほど頻繁に連絡を取ったりする仲ではない。
同じドラマー同士と言うのもあるし、性格がアホであると言うのもあるが、
やはり彼との間にはその後もいろんなドラマがあったからと言うのが大きいだろう。
(関連ネタ:http://www.funkycorp.jp/funky/ML/13.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/68.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/70.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/72.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/73.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/75.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/77.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/86.html
・・・列挙しながら思ったけど、ワシのメルマガ・・・ほんまにWingネタって多いよねぇ・・・)

一番困難な時に培った友情は一生モノと言うが、実際あの時の彼はどん底だった。
マスコミと言うのは血も涙もないもので、人生で一番どん底の人間を漫画にし、
BEYONDの残された3人のうち2人は成功してホクホク、
Wingだけは「ボク何やってもうまくいかないの」と涙顔と言う記事を見て、俺は
「出版社に火ぃつけたろか!」
と激怒したが、当の本人が黙ってそんな記事をスクラップにしてるのを見てやるせなかった。
人間あまりにも悲しいと怒りなんぞおきないのである。

そんな彼もBEYONDの活動再開を機に、北京に自分のマネージメントオフィス設立したり、
大陸発売のソロアルバムも発売、
(その中の1曲はまたワシがタダでアレンジし、北京ファンキーDrumスタジオの記念すべき初レコーディングとなった。しかもタダで・・・)
そしてその発売を機に、
「一気に全中国ツアーを組むぞ!」
と言う大きな試みの皮切りとして今回のこの北京コンサートを自力で開催した。

音楽総監督はWing自身、
バックメンバーには北京から、日本から団長を呼んで、後は香港のミュージシャン。
香港で1週間リハーサルを終えて全員で北京に乗り込んで来た。


香港でのリハーサル風景
WingRh.jpg


会場は北京展覧会劇場と言う2000人の小屋。
しかもそこを2DAYSと言うから彼の知名度からすると無謀とも言える。

知名度と言うなら彼の知名度はさすがに中国人なら知らない人はいないが、
それはやはりBEYONDと言うバンドの知名度であって、
例えて言うとサザンオールスターズのドラマーとか、爆風スランプのドラマーが(あ、俺か・・・)、自分名義のコンサートを渋谷公会堂で2DAYSと言うとやはりちょっと難しいんでは・・・と言うのと似ている。

ましてやそのドラマーがスティックではなくギターを持って、
ドラムを叩くのではなく歌を歌おうと言うんだから、
これが爆風スランプのドラマーだったら客は絶対に来ない!!(断言!!)

XYZのライブとかだと、いつも出番前は
「今日は客どのくらい入ってるかなぁ・・・」
とそれが一番気になることだったりするが、
俺にしてみたらいわゆるバックバンドのお仕事なのに、
開演前には客の入りを気にしてそわそわ・・・これも一種の性であろうか・・・

前日のゲネプロでは音響のスタッフに
「お前、このマイクの立て方でドラムの音がちゃんと拾えると思ってんのか!」
とどやしつけたりしている。
「子供のコーラス隊を出すタイミングが違う!」
と舞台監督に何度もやり直しを要求したりしている。

そう、俺にとってこのコンサートは、既にいちバックバンドのメンバーではない。
かけがえのない友人の将来がこの1本で決まってしまうのだ。
ドラマーにもなるし舞台監督にもなるし、音楽総監督の補佐にもなる。


WingConcert.jpg


初日の入りは半分ぐらい。
気落ちしないように開演前に彼に活を入れる。
始まってみると、ギターとベースの音が出ない。
音響が最悪で始終ハウリングを起こしている。
ゲストの演奏の時に舞台を降りて衣装換えしている彼を元気付ける。
「ロックはハートでやるもんだ!何があっても気落ちするな!俺がついてる!」

Wingのたっての希望でドラムソロをぶっ叩く。
当初は2人でソロの掛け合いをしようと言う企画だったが俺が却下した。
「お前はスターなんだから、俺の後でゆうゆうと登場してゆっくりソロ叩けばいいんだよ!」

彼は全アジアで一番有名なドラマーと言っても過言ではない。
知り合ういろんなドラマーが、
葉世榮がいなければ俺はスティックなんて持ってなかった」
と言うのをいやと言うほど聞いた。
言わばアジアのリンゴ・スターなのである。
ソロの内容なんかどうでもいい。
彼がドラムを叩きさえすればそれでいいのである。
俺はテクニックの限りを尽くして客を暖めておく。
それが俺に出来る最高の演出である。

俺のソロの最後にバスドラを踏みながら舞台中央を指差すと、
そこからWingがドラムソロを叩きながらせり上がって来る。
会場は興奮のるつぼである。

ドラムソロが終わると、次の曲はAMANI。
「AMANI NAKUPENDA NAKUPENDA WE WE(平和,愛,僕達に勇気を)」
この曲はBEYONDが売れてお茶の間のアイドルとして大全盛の時、
アフリカに行って戦争で焼け出された子供たちのために作った歌である。

「戦争の陰でいつも傷付くのは、何の力もない子供達」
と歌うこの曲は、瞬く間に香港のヒットチャートを総なめにし、
アジア中に彼らのメッセージが響き渡った。

BEYONDが偉大だったのは、アイドルバンドとして売れ続けながら、
アフリカの言葉で歌うこんな曲をヒットチャートに乗せることが出来たと言うことであろう。

俺がこの曲を初めて聞いたのは、お恥ずかしながらコマが死んだ後である。
あれだけ毎日一緒に酒を飲みながら、俺は彼らの偉大さを全然知らなかった。
彼が死んでから香港に行き、
Wingと待ち合わせたコーズウェイベイの回転寿司で偶然この曲がかかっていた。
MTVには字幕が流れており、そこでこの歌詞の内容を初めて知った。
サビで「僕は歌い続ける!」と言う歌詞の部分がとてつもなく悲しくて寿司食いながらわんわん泣いた。

コマが歌い続けることが出来なくなったんだから俺が歌い続ける!
と、その後この曲を日本語訳にして夜総会バンドのレパートリーとしたが、
当の歌う本人であるボーカルのaminがこの曲を歌い続けるかと言うとそれはまた無理な話である。
そんな空回りの中バンドは解散し、歌を歌えない俺はこの曲を歌い続けることが出来なくなった。
ところが当の本人、Wingがこの曲を歌い続けている。

アンコール最後の曲は、またBEYONDの大ヒット曲「光輝歳月」。
差別と戦って神に召された黒人のことを歌った歌である。
「虹が美しいのはその色と色との間に区別がないからである」
と歌ったコマはもう神に召された。
しかしWingがそれを歌い続け、そして客がそれを大合唱する。

ボーカリストが亡くなって、そのドラマーがその歌を歌い続ける。
その後ろでドラムを叩くのが俺である。
あの日、新大久保のSOMEDAYのJamセッションを見に来たコマが俺にこう言った。
「素晴らしい!お前のドラムは最高だ!来月も、またその次も俺は毎回見に来るぞ!」
そしてその言葉が俺と交わした最後の言葉となった。

それ以来Jazzのセッションをする度に、どこかで彼がまたあの嬉しそうな顔をして俺を見ているような気がしている。
あの真っ白な世界の扉を開けたら、そこにビール片手に彼がいるような気がしている。

同じバンドのメンバーが歌手となって初の大舞台。
彼はまたいつもの笑顔でそれを見ていたことだろう。

どうだったかい?ふたりのドラムソロはよかったかい?

これを皮切りにWingは全中国ツアーを切るつもりらしい。
いつの日かあの扉が開いて彼と会える日が来るかも知れない。


ファンキー末吉

ネットで流れているライブの模様
http://ent.sina.com.cn/y/v/2006-06-14/17151122734.html音が悪い・・・

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2006年6月11日

西部来たりて酔い潰れ

岡崎はんが北京から帰国する飛行機とちょうど入れ違いの東京からの飛行機で団長が北京でトランジェット。
いわゆる五星旗歴代ギタリストが空中すれ違い、今度はその団長を連れてそのまま香港へ。
WINGのリハーサルのためである。
5日間のリハーサルを終え、昨日の正午やっと北京に帰って来た。

ちょうど日本からは元ファンキーコーポレーション幹部、西部嬢がやって来てたので、
貧民街のうちの院子にご招待。
西部嬢は「喋らなければ美人」と誰もが言うが、ルックスとはうらはらに性格はもろ「オッサン」である。
趣味は「晩酌」。しかし時には昼から晩酌。
結婚前は缶ビール片手に公園で酔い潰れ、結婚後も毎日酔い潰れてソファーで寝ているらしい。
団長とは久しぶりと言うことで、村のレストランで昼から1杯2元(約30円)の生ビールで乾杯。
だがワシはうちのスタジオで1曲ドラムのレコーディングがあるので飲まず。
若いうちはベロンベロンでもドラムを叩いていたが、年をとったのかもしくは音楽に対する欲求が高くなったのか今は叩く前は絶対に飲まない。

しかしヤツらは飲む飲む。。。
ワシが仕事してる横で中庭とも言える院子で飲む飲む。。。
そしてワシが1曲叩き終わった頃には西部は潰れていた。

Nishibe1.jpg

うちの院子は貧民街にあるので夏はやはり蝿、蚊はかなり多い。
蝿もやはり美人が好きなのか西部にたかるたかる・・・
気にせず大いびきで寝続ける西部。

Nishibe2.jpg

夕方頃には起きてどこへとなく帰って行った。
今頃は恐らく飛行機の中。愛するカナダ人の夫の待つ日本に帰っていってる頃である。
恐るべき来客であった。
14日には大村はんがやって来る。

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2006年6月 2日

岡崎はんの北京の1日その2

岡崎はんの北京滞在もあと残すところ3日となった。
別に帰ったって何があるわけでもないんやからおればええのに、
そう言うところだけは相変わらず意固地な岡崎はんである。

関西空港で3万円を人民元に両替し、(約2000元)
まあ2000元あればこの村では数ヶ月暮らせるので、
滞在1週間を過ぎてから「俺が払うわ」と一生懸命使おうとしているのだが全然減らん。

残すところ3日であと700元使い切りたいと言うので、村の若い衆連れて羊肉串を食いに来た。

YangRouChuan2.jpg

路上でがんがん食うのが北京式である。
100本頼んだのじゃが、1本が5角(約7円)なのでやっぱ全然減らん。
ビールもここでは大瓶1本1.5元(約20円)なので何本飲んでも全然減らん。

結局支払いは93元(約1400円)。
一人頭で勘定すると200円いかない。
日本やったらビールも1本飲めんし、焼き鳥も1本しか食えんぞ・・・

「こんなに金使わん海外旅行は初めてじゃ・・・」

岡崎はん
日本に帰国して社会復帰出来るのか。。。
(もともと社会復帰してないか・・・)

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2006年5月31日

岡崎はんの北京の一日

克爾曼(KAHRIMAN)のレコーディングも終わり、
ネットを介してやりとりする(先進的やなぁ・・・)香港のレコーディングも終わり、
採用されたら2万元くれると言う北京オリンピックテーマソングの応募曲のレコーディングも終わり、
(中野が是非中国語で歌いたいと言うので一応Runnner中国語版も作って応募してみた)
後は岡崎はんに付き合って観光あるのみである。

夕べは日本のぴあの偉い人が北京に来てて、
中国語版ぴあの見本版を見て意見を聞きたいと言うのでしこたまただ酒を飲み、
二日酔いのまま朝早く起きて故宮に向かった。

OkazakiGuGong.jpg

岡崎はんの趣味はウォーキング(もう既に老人の域)。
村に来てもひとりで1時間2時間平気で散歩をするので半日以上かかる故宮の観光も平気である。
景山公園の方から入って天安門まで抜けた頃にはワシはヘトヘトじゃが彼は平気。

OkazakiTianAnMen.jpg

昼は是非北京ダックをと言うことで、口コミで聞いた美味しい店と言うのがここ。
前門にある利群北京ダック店

OkazakiBeijingDuck.jpg

紹介してくれた友人は「前門で輪タク乗ったら連れてってくれる」と言う話だったが、
値段が観光客料金で30元とべら高なので歩いて行った。
老人の散歩が趣味の岡崎はんは平気じゃが、ワシと嫁は既にへろへろ。


夜には新疆ウィグルレストラン阿凡提(A Fun Ti)に行った。
昨日、実は岡崎はんの好みの女性は新疆ウィグル族の女性ではないかと思っていたら、
やはり舞台で踊るウィグルダンサーに釘付け。

OkazakiWatchingGirl.jpg

蛇を身体に巻きつけて踊るパフォーマンスに釘付け。

OkazakiSnake.jpg

かなりご満悦でワシとしても非常に嬉しかったのだが、さすがに嫁がダウン・・・
次の店に行くのはやめて早々と院子に帰って来た今宵でした。

岡崎はん帰国まであと3日。
嫁の体力は持つのか?そしてワシの体力は・・・

そして大阪から1本のメール。
「楽しそうやなぁ・・・ワシも北京行こうかな・・・6月の半ばか末頃って大丈夫?・・・」
大村はんである。

歓迎!歓迎!
みんないっそのこと北京で住みなはれ!

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2006年5月30日

ウィグル族の仲間たち

どうも最近新疆ウィグル自治区の人たちと縁があるようだ。

新疆ウィグル自治区は、北京から直線距離にしておよそ2,400 km。
もちろん日本に帰るより遠いのにやっぱ中国の中のいち地方である。
この前行って来たシルクロードの起点と言われる西安から更に西に進み、
井上靖の小説や映画でも有名な敦煌よりも更に西に進み、
いわゆるシルクロードの中国最西端である。

最近ではJazz-yaライブに時々参加してパーカッションとボーカルを担当する
阿布都(A Bu Du)が新疆ウィグル族と言うことで、
彼のバンドの連中(ひとりを除いて全員ウィグル族)と仲良くなったり、
まあ中国と言えば友達になれば何でも助け合わねばならないのが常で、
お金にもならないのに彼らに楽曲をプレゼントしたり、
日本語の詞をそれにつけてくれと頼まれて徹夜して考えたり、
今では「ご近所の苦情で自宅で練習出来なくなった」と言うことでうちに来てよく練習している。

ABUDU.jpg

阿布都(A Bu Du)は新疆ウィグル地区でもかなり田舎の方の出身らしく、
貧しくて、小さい頃から民族打楽器を叩いたり歌を歌ったりして家族を助けていたと言う彼の歌は
Jazz-yaライブのリハーサルの時に従業員が涙したと言うほどである。

最近うちの院子に部屋を間借りし、週末には別荘代わりに泊まりに来る吉野嬢も彼らの音楽にはめろめろである。


もともとワシと新疆ウィグルとの縁と言うのは阿凡提(A Fan Ti)と言う新疆ウィグルレストラン
によく行ってたのがきっかけだったのではあるまいか。
羊肉を食い、新疆ワインを飲み、酔っ払ってステージに上がってそこで演奏していた阿凡提(A Fan Ti)と言うバンドに飛び入りしていたりしていた。

数年後にとあるライブハウスで演奏している新疆ウィグル人に
「よっ!久しぶり!」と声をかけられた。
全然覚えてなかったが、顔がぱっと見て中国人っぽくないので、きっと新疆ウィグル族だろうと思っていたら、やはりその阿凡提(A Fan Ti)でギターを弾いてた克爾曼(KAHRIMAN)である。

その時に交わした電話番号がきっかけで今、彼の新しいユニットの曲をレコーディングしている。
昨日は阿布都(A Bu Du)のバンドもリハーサルしに来てたりして、
うちはさしずめウィグル族の溜まり場である。

みんなワシに必ず「今度新疆ウィグル自治区に招待するから」と言う。
行ってみたいが北京から飛行機で4時間である・・・遠い・・・
ウルムチ出身の克爾曼(KAHRIMAN)はまだいいが、
阿布都(A Bu Du)の実家はそこから更に飛行機で1時間半かかると言う。
新疆ウィグル自治区、実は日本が20個すっぽり入ってしまうほどでかい・・・


レコーディングが終わり、克爾曼(KAHRIMAN)とそのユニットのボーカル(実は彼の奥さん)と一緒に記念撮影。

KeErManDiLi.jpg


シャッターを押してもらった岡崎はんがしきりに
「全然中国人ぽくないけどあれでも中国人なんやなぁ・・・あんな美形で羨ましいよなぁ・・・ほんま・・・」
と1日中ずーっと言ってたので克爾曼(KAHRIMAN)のことかと思ってたら嫁さんの方やった・・・

惚れたな・・・岡崎はん・・・

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2006年5月29日

YangYang来たりて飲みまくる

前回来た時は、いきなり大酒をかっくらい下ネタ叫びまくり、
院子(ユエンズ:ファンキースタジオ兼住居のある北京の貧民街の一角にあるロックミュージシャンの集落。通称「ロック村」とも言う)の若い衆を捕まえては
「お前!可愛いから今日オレと一緒に寝ろ!」と部屋に連れ込もうとして逃げられ、
それを追いかけては夜通し酒瓶持って叫びまわり、
「怪獣」と言う呼び名をつけられたのはもう先々月のこと。

今回はかなりおとなしくなったとは言え、酒は昼間から飲むわ、寝てる時以外は基本的にずーっと喋ってるわ、とにかくこの怪獣の出すエネルギーには生身の人間は「当てられて」しまう。

2~3日嫁と共に相手して、既に疲れ切っていた頃やっと岡崎はんがやって来た。
その前日には嫁と共に王府井(WangFuJing:北京の銀座とも言うべき大ショッピングストリート)
で死ぬほど買い物をし、店員が泣き出すほど値切りに値切り、
「売らないならこのまま店の前で歌い続けるぞ」と脅し、
汗をかいたと言えば洋服を試着して汗を吸わせ、「要らない」と言って結局買わず、
夜は夜で阿凡提(A Fun Ti)と言う新疆ウィグル料理のパフォーマンスレストランで死ぬほど飲み、
ステージに上がって踊り、
「よし!明日はモンゴル料理だ!」
と言うことで空港に降り立ったばかりの岡崎はんを連れて蒙古人と言うモンゴルレストラン。

MengGuRen.jpg


この店は民族衣装を着た歌手と馬頭琴奏者が来て歌を歌いながら白酒をついでくれる。
岡崎はんはもう飲めないほど飲んだが、YangYangは更に1本追加して余ったら持ち帰り。
その後もASKAと言う日本人スナックで飲み、歌い、
嫁は疲れ果てて寝込み、ワシは飲み過ぎで胃が痛み、岡崎はんは食い過ぎでぶくぶくと太ってしまった。
26日に布衣のライブに3曲参加し、27日にJazz-yaライブ、28日にやっと日本に帰って行った。

ワシらは1日間ゆっくり休み、一昨日の晩は友人のライブハウスが1周年と言うことで、
岡崎はんらとセッション。
ちょうど楽器フェアーのRolandのデモ演奏で北京に来ていた西脇さんも遊びに来て2曲ほどハーモニカ吹いていった。

JAM.JPG

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2006年5月20日

秦勇(QinYong)ライブ

中国を代表するロックバンド黒豹から、第3期ボーカリスト秦勇(QinYong)が脱退したと言うニュースを聞いたのはもう1年以上も前のこと。

もともと黒豹は第1期ボーカリストの竇唯(DouWei)があまりにも偉大であったため、
第2期ボーカリストの巒樹(LuanShu)秦勇(QinYong)はいつもそれと比較され、苦難の道を強いられていた。

脱退前の秦勇(QinYong)と最後に会ったのは零点(ゼロ・ポイント)6万人コンサートの打ち上げの時。
ぐでんぐでんに酔っ払った彼が、
「ファンキー、お前もきっと俺のことが嫌いなんだ。
竇唯(DouWei)の黒豹が好きだからな・・・」
とつぶやいていたのが印象的である。

竇唯(DouWei)黒豹を脱退した後、
ある種天才の行き着く道と言うか、わけのわからない音楽をやり続け、
レコードはたくさん発売するのだが、
試しに聞いてみると、環境音楽みたいのが延々と続いて、結局最後まで1曲も歌を歌わなかったり、
不一定(決まってないよと言う意味)と言うバンドをやったりもしているのだが、このバンドがまた、
いつライブをやるのかも不一定、
やっても何を演奏するのかも不一定、
竇唯(DouWei)はドラムを叩いたりして、歌を歌うのかどうかも不一定。
最近ではメディアでの発言や、行動にも奇行が目立ち、
天才はやはり天才なんだなぁと思わざるを得ない・・・

一方、黒豹はと言えば、相変わらず竇唯(DouWei)時代の大ヒット曲を演奏して地方を回ると言う、
まあぱっとしない状態がずーっと続いていた。

バンドのマネージメントは、
「ドラマーの中では一番商売がうまい、商売人の中ではドラムが一番うまい」
と自負する趙明義が取り仕切っていて、
竇唯(DouWei)黒豹に戻って来てくれたら、また黒豹は昔のようにトップに返り咲くことが出来るぞ」
と言うことで実際に彼と交渉し、
そのまま秦勇(QinYong)をクビにしたのか、はたまた秦勇(QinYong)が自分で脱退したのか、
かくしてボーカルが竇唯(DouWei)に復帰して初のリハーサルが行われた。

「じゃあ久しぶりに昔の曲、やってみますか・・・」
と言うメンバーに対して竇唯(DouWei)が一言。

「俺、メロディーのある歌なんか歌わないよ!」

変人の極みである。
メンバー唖然・・・
「じゃあ何すんの?・・・」とばかりバンドはその場で崩壊。
今さら脱退した秦勇(QinYong)に戻って来てくれとも言えず、
新たにボーカリストを探して来て、相変わらず昔のヒット曲でメシを食っている。

かくして脱退後初めて秦勇(QinYong)と会ったのは何と街中の商店でのこと。
この広い北京(何と北京市の面積は日本の四国4県合わせたのと同じぐらい)の中で偶然再会するのも何かの縁であろう。
前回の愚痴のことも頭に残ってたし、
「次の活動、どうすんの?うちスタジオもあるし、何でも協力するから言ってね」
と言い残してから数ヵ月、
彼が参加する春節晩会(日本で言う紅白歌合戦。しかし今回のは地方版)
で歌う曲をアレンジしたりレコーディングしたり、
いやそれにしても彼のレコーディングはビールの消費量が凄まじい。
初日はみんなでビールを1ケース空けてしまい、
2日目は2ケース買って来といたが、それも空いてしまった。

そんな話は余談として、そんな交流の中から、
兄貴の店で今度ライブがあるんだけどドラム叩いてくんない?」
と電話が来た。

彼のお兄さん、秦奇(QinQi)QinQi.jpg
は北京ロックの黎明期からのギタリストで、
ライブが出来るバーを開いたり、レストランを経営したり、
大山子と言うところにある芸術家村に巨大な芸術スペースを開いたり、
今回はその芸術村で3バンド集めて無料ライブをやろうと言う企画である。

入場料無料なのでもちろん出演料もナシ!
タダの仕事ほど楽しいと言うのが音楽も含む芸術の世界なのであるが、
さすがは芸術村、
ライブの前に行われる芸術家によるパフォーマンスがこれまたよくわからない。

例えばこの人

Performance1.jpg

は頭の上にカセットテープのテープの部分をたくさん取り付けて、
四方八方からそれを引っ張ってもらってライトを当ててもらって綺麗だな、面白いな、と言う参加型パフォーマンス。

また、この人たち

Performance2.jpg

は、マッサージ台を2台置いて、怪しげなライトの中で音楽を流してマッサージをする。
上に飾ってあるのは全て同じ時間を指してある時計。
(秒針はそれぞれ違う)

わけがわからん・・・

かくしてライブが始まる。
一番有名人である秦勇(QinYong)がしょっぱな。

QinYong.jpg

うちでリハーサルやって作り上げた新曲3曲だけやってさっさと舞台を降りる。
後で聞いたらこれが彼の黒豹脱退後初のライブと言うことであった。
大成功と言えよう。
音楽のよさはビールの消費量に比例した。

次のバンドはS社長の会社と契約したニューメタル系の男女のユニットである。

Gemini.jpg

レコーディングでもワシが叩いたのでここでもタダでドラムを叩く。
秦勇(QinYong)バンドのベースの重田もタダで借り出される。

ワシと重田は日本語で会話し、
ワシらと中国人ボーカリストは中国語で会話し、
中国人ボーカリストとフランス人ギタリストはフランス語で会話し、
そのギタリストとワシらは英語で会話する。
国際的と言えば国際的なのじゃが非常に疲れる・・・

そして最後のバンドはZiYou楽隊
実はこのボーカルのHelenと言うのは、
XYZの中国語版を録音した時に仮歌とコーラスをお願いした在米中国人のお姉ちゃんであった。

Hellen.jpg

歌もパフォーマンスも非常によく、その日のビールの消費量は自己限界を超えた。

通風が心配である・・・

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2006年5月13日

中国のアサヤンもどき(のモドキ)

中国の音楽界で(まあ日本でもそうなのでしょうが)、
新人がいきなり社会現象になるほどヒットすることはまれである。

日本の「アサヤン」(実は見たことないのでよくわからんのだが・・・)
のようなオーディション番組をテレビで放送したところそれが去年爆発的なヒットとなり、
それに出場している女の子達がレコードも出してないのに
(まあこちらではレコードは名刺みたいなもんですが・・・)
超アイドルとしていろんなメディアにひっぱりだこになったのはほんの1年足らず前の話。
正にこちらでの「社会現象」のひとつであった。

しかし柳の下には何匹もどじょうがいると言うのがここ、中国である。
予想をまるで裏切ることなく、それモドキの番組が現在もどんどん作られている。

いつも仕事をくれるLaoLuanから電話が来た。
「Funky、小工作(日本で言ういわゆる小商い)なんだけど頼んでもいいかなぁ・・・」

まあ日本での生活もそうじゃったが、
こちらでは今やテレビすら持ってないワシにテレビの仕事を説明するのは骨がおれるらしく、
「超級女声って知ってるか?」と簡単に説明されただけだったので、
ワシはてっきりあの超級女声のバックをするのか・・・と思ってそれを引き受けた。
・・・と言うより、実はやっている時でさえずっとそうだとばかり思っていた。

かくしてリハーサルスタジオに着くと、
15人の初々しい(そうでないのも数人いるが)アイドル予備軍の女の子達が、
初々しく緊張しながら(そうでないのも数人いるが)ワシ達の到着を待っていた。

日本ではミュージシャンの地位は非常に低く、
爆風でテレビに出た時なんかもテレビ局のスタッフに
「バンドさんはこちらへ」と言われ、メンバー一同苦笑したことがあったが、
こちらではたかがバックバンドであっても「老師(先生)」と呼ばれるので
それこそ大違いと言うか、逆にちとこそばゆい。

女の子達も、日本の若い新人歌手達のように
「アンタたち誰?」みたいな視線を投げかけることもなく、
かと言って教育が行き届いたアイドル歌手のように
「よろしくお願いしまーす」と無味乾燥な笑顔を投げかけてくるわけでもない。

ここでの立場はどちらかと言うと
テレビ局が用意したダンスや歌唱指導の先生に似た感覚なのであろうか、
ある種の緊張感と尊敬の念を込めた眼差しでワシ達と接する。

ま、ドラム叩いて32年、
彼女達が生まれる遥か前から音楽をやってるワシを「老師(先生)」と呼ぶのはまだしも、
LaoLuanが呼び集めた、(まあ予算が少ないからであろうが)
ワシ以外の若い駆け出しのミュージシャン達にとっては、
年端も変わらない女の子から「老師(先生)」と呼ばれるのはかなりこそばゆいらしく、
「いい娘たちばっかりなんだけど、あの老師っつうのだけは何とかならんかのう・・・」
とは言うものの、
やはりこちらはレコーディングしててもミキサーから通行人までが歌入れに意見を言う
「13億総プロデューサー」の国である。
照れてたのは最初だけ、彼らもバンバン歌唱指導するする・・・
かくしてその場の雰囲気は、オーディションのリハーサルと言うよりはいきなり
「学園祭の練習」みたいになってしまったのである。

さて実は、そのリハーサルスタジオは一般貸しもやっていて、
アンダーグラウンドのロックバンドや、社会人、学生バンド達にもよく使われている。
まあ地元のアンダーグラウンドのロックバンドなんかが来た時には
ガラス越しにワシや若いミュージシャン達を見つけて我が物顔で中に入って来るのであるが、
そこに運良く(運悪く?)やって来たのがどうも日本人の学生バンドか何かだったらしく、
ガラス越しにどうもどっかで見た顔のドラマーを見つけるのであるが、
奥ゆかしい日本人には中国人のようにづかづかと中まで入ってゆく勇気はない。
バンド全員でガラス越しに貼り付いて中を覗いてる彼らに中国人が声をかけた。
「何やってんの?」
そこで彼らが初めてこう尋ねる。
「あのドラム叩いてるのファンキーさんですよね?」

「そうだよ」と答えられ、納得した彼らは、まあ別にワシに声をかけることもなく
そのまま自分たちのリハーサルを終え、帰って行き、
ワシは後に中国人スタッフが教えてくれて初めてそのことを知った。

「ファンキー、お前やっぱ有名人なんだなぁ・・・
あの日本人の若者達、ずーっとお前見て、ずーっとお前のこと話してたぞ・・・」
と言われ、何か複雑な心境・・・

あの人たち・・・ワシが若い女の子集めて何やってたと思ったんでしょ・・・


さてその女の子達であるが、
一応アイドル予備軍なんだから(そうでないのも数人いるが)ルックス的には一応可愛いが、
歌唱力となるとこれがなかなか難しい。
生まれてこのかた生バンドでなんか歌ったことないんだから、
いつも歌い慣れているカラオケの伴奏との違いに戸惑うばかり。
ある娘は老師たちに教えを請い、
またある娘は老師たちに胸を張ってこう言った。

「バックコーラスないの?」

一応に固まるスタッフ一同。
顔見合わせるワシ達・・・

「コンテストだからね、プロのコーラスがいるとみんなそれに頼っちゃうでしょ」
(本当は予算がないからなのであろうが・・・)一生懸命なだめるスタッフ達・・・
「お前、コーラスやれよ!」
新しく生まれためんどくさい仕事をお互いになすりつけ合うメンバー達・・・

しかし、ワシは個人的には実はこの発言をした娘が一番歌がうまいと思っていた。
ルックスも、その時は「お前、絶対年齢サバよんでるじゃろ」としか思わなかったが、
本番になるとばっちし化粧して結構美人だったし・・・
歌がうまくてルックスよければとりあえず性格は、ねぇ・・・

あと、印象に残った娘が、背がちょっと低くてぽっちゃりしていたために、
審査員からも総評の時に「それからあの・・・おデブちゃん・・・あんた歌うまいわねぇ・・・」
と言われていた女の子である。
彼女が選ぶ歌が、ちょっと古いタイプのバラードが多く、
うまいんだけどあんまし興味がなかったが、
本番のメドレーで彼女のルーツであるオペラを歌ってそのうまさに絶句。
歌がうまくて性格よければとりあえずルックスは、ねぇ・・・

しかしまあ後の娘達はと言うと・・・まあ・・・歌は・・・どうしようもない・・・

ひとり、ワシが昔プロデュースした李慧珍の曲を歌ったが、
「お前・・・頼むからその曲だけは歌うなよ・・・」
と言いたいほど情けない。
そいつだけは満場一致で「どうしようもない」のであったが、
本番ではそんなのが当選したりするんだから不思議なもんである。

歌えないと言えばひとり、頬を赤らめてマイクを両手で抱えるように持って・・・
これがまた本当に全然歌えないんじゃが、ワシのロリコン心を刺激して非常に可愛い。

本番では審査員から「あんた、可愛いのはわかるけどここは学芸会じゃないのよ」
と酷評されて見事落選。
しかしその時流した一筋の涙に司会者が同情し、
「じゃあせっかく練習したんだから1曲だけ歌っていいわよ」
とチャンスを与えてあげる。

涙ながらに歌う彼女・・・
ワシも何か他の曲よりも一生懸命ドラムを叩いたりするが、
こんな娘の選んで来る曲ってのがまたドラムなんてどうでもよいアイドル物だったりする。

でも・・・はっきり言って楽しい仕事じゃ・・・

SoGouNvSheng.JPG


さて、若き美しい(そうでないのも数人いるが)娘達の涙と笑顔に囲まれながら、
ワシの楽しき仕事はこれで終わった・・・と思ったらそうでもなかった。

「じゃ、また来週!」
あれ?これって決勝戦じゃなかったの?・・・
「これは15人の中から7人を選ぶ予選。来週はその中から5人を選ぶ」

・・・ワシの楽しみは続く・・・


・・・と思いしや、実はLaoLuan自身があまりのギャラの安さにこの仕事を降りてしまい、
結局ワシの楽しみは次の北京特別唱区の決勝で終わってしまった。

仕方がないのでそれをインターネットで放映しているサイト
http://www.supergirl.sohu.com/でその続きを見る。
ワシの仕事はもう既に過去のものとなってUPされてないが、
いやはやこれは・・・はっきし言って面白い!

ワシが一番歌がうまいと思った二人は最終予選で落とされてしまったようじゃが・・・
結局一番どうしようもないのが結局最後まで残ってたりするから不思議である。

うーむ・・・タダでもいいからずっとやりたかったぞ・・・この仕事・・・

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2006年1月29日

花火爆竹の中国のお正月

新年好!新春快楽!
今日は旧暦の1月1日、中国語で「春節」、いわゆる旧正月である。
日本では通常の1日でしかない今日は、中国では一番大事な祭日。
言うならば盆と正月がいっぺんに来たようなもんである。

ワシがこちらで春節を過ごすのは実はまだ2回目。
(1回目の話はコチラhttp://www.funkycorp.jp/funky/ML/96.html
前回と大きく違っているのは嫁がいることと、
根っからの放浪癖にピリオドを打って「住処」を定めたこと。
(関連ネタhttp://www.funkycorp.jp/funky/ML/109.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/110.html

今回は実は旧正月前から夫婦して日本に帰る予定だったのだが、
チケットの予約が遅れ、どうにも満席で日本への便が取れず、
仕方がないので春節明けの2月2日のチケットを取って今もこうして北京に残っている。
誰もワシが今北京に残っているとは思ってないので
誰にも「うちに来いよ」誘われることもなく、
言うならば典型的な「家族水入らずで過ごす」春節である。

しかしワシらふたりでどう過ごせばええのん?・・・

初めてのことなのでとりあえず人を呼んで賑やかに過ごすことにする。
「中国では餃子にコイン入れてそれを茹でてみんなで食べるのさ!」
と知ったかぶりに嫁に言うが、
「餃子ってどうやって作るの?皮から作るんでしょ?」
と聞かれ、いきなりしどろもどろ・・・

そうなのじゃ。ワシは誰かが作ってくれた餃子を食べたり、
せめて誰かが作ってくれた皮を一緒に包んで餃子にしたりしてただけなのじゃ・・・

誰か餃子の皮作れるヤツはおらんか・・・
院子のロックミュージシャンはほとんど里帰りしてしまってるし、
前回一緒に旧正月を過ごした友人達は今年はみんな外地に行ってしまってる・・・
若いミュージシャン達は実家に帰ってたり、
基本的に北京人は家庭にこもって家族と過ごすので出てこない。

仕方ないので春節なのに日本に帰ってない日本人を呼び集める。
元XYZのPAエンジニア吉田くん夫妻に、
元ワシのアシスタントの若い衆重田くん、
そして昔BayFMのラジオ番組「Asian Pop Connection」
を一緒にやってた相方「千葉麻衣子」がひょんなことから北京に留学に来ているので
みんな一堂に呼び出して総勢8人で「鍋」。
そう、誰も餃子作れないから日本人的に鍋屋で鍋を囲むことにしたのだ。

XYZ北京ライブhttp://www.funkycorp.jp/funky/ML/61.html
の打ち上げでも使った中国式牛肉しゃぶしゃぶ鍋に集合して飲むぞ!
と思いきや、その向かいが政府公認の花火爆竹販売店。

そうそう・・・聞くところによると今年から北京市内で爆竹が解禁になったとか・・・

よしとばかり花火と爆竹を購入しようと心に決めつつとりあえず食事。
食べながらもいろんなところでバンバン、ヒューヒュー、ボカンと言ってるのを聞きながら、
気もそぞろになりながら食事を終え、やはり春節は花火と爆竹でしょう!!!
向かいの花火屋に駆け込んで花火と爆竹購入!!

しかしこれって意外と高いのよね・・・

百連発とかの爆竹が40元(600円)。
ロケット花火、打ち上げ花火が90元(1500円)。
これを大勢で盛り上がってやりまくろうとすればやはりひとり1万円がとこ必要である。
我が家の財布を握っている花火好きの嫁が
喜び勇んで300元(4500円)ぽんと出したところでどれほども買うことが出来ない。
「吉田家の厄払いです」と言って100元出してくれる吉田くんはありがたいが、
結局はみんなで打ち上げ花火数発と爆竹で終ってしまう。

ちと物足りない気もするが、
厄払いが目的ならもう十分目的は果たしたとばかり家路に着く。
彼らは市内へ、ワシら夫婦は貧民街へと帰ってゆくのだが、
(関連ネタhttp://www.funkycorp.jp/funky/ML/113.html
心なしか道々、周りで花火を上げている数が増えて来るように感じる。

聞くところによると規制が厳しかったのは北京市内で、郊外は言わば無法地帯。
昔からいたるところで花火や爆竹とは聞いていたが・・・
だいたい都会のど真ん中のビル街で打ち上げ花火を上げようと思えば大変だろうが、
ウチの村はちょっと外れれば全て未開の空き地である。
花火なんぞ上げ放題なのではあるまいか・・・

・・・と期待に胸を膨らませて家路に着くが、
まあこれと言って凄い花火や爆竹の嵐があるわけでもなく、
院子に帰って風呂に入り、大家が放った爆竹の音を聞きながら眠りに着こうとすると、
夜中の11時を過ぎたぐらいから爆音と共にいきなり窓の外が明るくなり出す。

花火好きの嫁がいそいそと起き出して窓から眺めたり外に出たり、
近所のいろんなところで上がってる打ち上げ花火が小さく見えるので、
「よし、車で花火やってるとこまで見に行こう!」
とばかりふたりで起き出して車に乗る。

「近所の空き地じゃないわよ。きっとあっちの高級別荘地よ」
そうそう、花火が結構高いものだと分かった今、
あんな巨大な打ち上げ花火を、うちの村の貧乏人がやれるわけはない。
隣接する超高級別荘地に繰り出してみると、
そこはもはや隅田川の花火大会よりも凄まじい勢いで花火が打ち上げられている。

しかも路上の真ん中で一般人が勝手に墨田川級の花火を打ち上げているのである。

隣接する超高級別荘地では、恐らくその別荘の管理会社が花火を上げているのか、
それでもかなり大掛かりな花火がボンボン上がるそのま横の路上で、
車のトランクに花火を満載した人たちがどんどん集まって来て、
自分勝手にボンボンと更に巨大な打ち上げ花火を打ち上げる。

「タマや~!カギや~!」
などと風情のあるもんではなく、
花火がひとつの花だとすると、その花びらの下っ側はヘタしたら地面すれすれだし、
横っ側はヘタしたら別荘地の屋根すれすれである。

お前ら、高度が低すぎんねん!
と言ったところでそれは売られている花火のみが知っていることなのでどうしようもない。

綺麗と言えば、こんな至近距離で花が咲くんだからそれは綺麗である。
花火好きの嫁、狂喜乱舞・・・

頃は夜中の0時ともなると、
高級別荘地の全ての住人がまた自分で火を上げるもんで、
もうそこらじゅう花火だらけ・・・
綺麗を通り越してもう「壮絶」である。

隅田川も淀川も、これほど広範囲で花火を打ち上げることはあるまい・・・
またこんな至近距離でこれだけの数の花火を見ることはあるまい・・・

嫁・・・狂喜乱舞・・・

毎年死者が出たり火災が起こったりで市内では禁止されていた花火爆竹。
今年より条件付と言えど解禁!
しかしその条件と言うのが「花火購入はひとり30kgまで」と言うのは本気か!!!
この国は正月に花火で死んでもええんか!!!

かなりの数の警察が動員され、厳戒態勢で行われた花火爆竹解禁。
幸いにも本日、春節の一日で負傷者は出たが死者はゼロと言う。
そしてその負傷者のほとんどは顔面に火傷を負ったと言うものであるそうだ。

お前ら!そうまでして花火やりたいかい!!
ちなみに日本大使館は
日本人がのこのこ見に行くことを自粛するよう要請していたらしい・・・

帰り道でも道のど真ん中で打ち上げ花火をやっているので、
さしずめ戦争映画の一場面のようにそれをよけながら家路に着くワシら夫妻。
花火好きの嫁が、屋台を引いて売りに来ている花火屋さんに聞いた。
「あの一番大きな打ち上げ花火、いくら?」

「タマや~!カギや~!」の20連発で700元(1万円)。
至近距離で爆発する花火に照らされた嫁の美しい横顔がこう語っていた。
「来年はきっと院子で高級別荘地に負けない花火を上げてやるわ!」

ダンナ、来年の花火代のために一生懸命働くのみ・・・

ファンキー末吉

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2005年12月17日

貧民街の日本人妻

さて、再婚して初めての嫁ネタである。
だいたい20歳も年上のふたりの子持ちで、
まあお世辞にもロマンスグレーの素敵なオジサマでもなく、
かと言って何を我慢しても財産だけはあるのよと言えるほどの金持ちでもなく、
それでも実直で家庭思いのマイフォームパパならばいざ知らず、
家?いらん!金?いらん!好きな音楽とビールがあればそれでええんじゃい!
と言うような、ある種変人に嫁いで来ようと言うのだからかなり奇特な嫁である。

何の因果で、生活風習もまるで合わない、言葉も全然喋れない、
別にもともと縁もゆかりもない好きでも何でもないこんな国に、
旦那が「死ぬ時はここで死にたい」と言うがために
全てを捨てて嫁いで来なければならないのか・・・

数ヶ月前、この通称ロック村に初めて訪れた時、
(関連ネタ:http://www.funkycorp.jp/funky/ML/109.html
「ここで住みたい」と強く思ってはみたものの
実はその時は数ヵ月後には結婚を控え、
「ワシはともかく嫁はこんなスラム街みたいなところに住めるのか?・・・」
と本気で心配した。

一応北京市朝陽区に属する人ロ2400人の小さな村、「費家村」、
村民のほとんどは地方からやって来た労働者、
その収入たるや想像を絶するほど低い。
逆に言うと1日100円もあれば暮らせるほど物価は安い。

村には警察はなく、自警団が夜回りをして治安を守る。
(と言うより村人曰く「奴らこそヤクザだ」)
電気、水道等インフラは完備されているものの、
中国語で言う「下水(シアシュェイ)」はあっても「汚水(ウーシュェイ)」はなく、
従ってトイレは汲み取りボッチャンの公衆トイレしかない。

その村の外れに貧乏なロックミュージシャン達が住みついて
通称「ロック村」と呼ばれる小さな集落を形成しているわけなのだが、
最初にここを訪れた時は直接このロック村に来てそのまま帰ったので思わなかったが、
2度目にここを訪れた時、村のレストランで昼飯を食っていると
隣のテーブルでは労務者達が昼飯っから安洒を煽って酔っ払っていた。

「末吉さん、ここ・・・マジでヤバいですよ・・・」

同行した元アシスタントの重田が小声でそう言う。
「絶対日本語喋っちゃダメですよ。
日本人なんてことがバレたら何されるかわかったもんじゃないっすよ。
身ぐるみ剥されてあり金巻上げられたって文句言えませんよ」
と真顔でそう言う。

村から帰って元彼女今秘書のKelly嬢に相談する。
(注:http://www.funkycorp.jp/funky/ML/87.htmlとは別人)
「ヤべぇよぉ・・・あそこ・・・」
泣き言を入れたらすぐさま一喝される。
「何言ってんの!!貧乏人は即ち悪人なの?
私の父も昔は貧乏だったけど決して悪人じゃないわ!!」
いきなりの剣幕にたじろぎながらも反論してみる。
「だって昼間っから仕事もせずに酔いつぶれてんだよ・・・ヤべぇよ・・・あれ・・・」
それを聞いた彼女、すかさずピシャっと一言。

「あんた達だって昼間っからいつもビール飲んで酔っ払ってるじゃん!!」

そうなのである。奴らからしたら、どう見てもまっとうに働いてもない、
変な格好して昼間っからビール飲んだくれるワシらはどう見てもアブナい人達。
さしずめ「あのロック村には近づくな!!マジでヤべぇぞ!!」などと噂されているのだろうか・・・

かくしてワシはここにスタジオを作り、ここで住むことを決意!!
嫁にも一応相談したが、日本に住んでいたんでは想像だに出来ないそんな環境、
「あなたの住むところが私の住むところよ」
などと口走ってしまったが最後、
中国人でさえ敬遠するこの貧民街に嫁いで来る初めての日本人妻と相成った。

瀬戸は日暮れて夕波小波、あなたの島へお嫁に行く・・・

などとロマンチックなシチュエーションがあるわけもなく、
彼女が北京空港に降り立って、すぐに連れて来られたのがこの村。
しかもその時にはまだ風呂もトイレもなく、
コンクリートむき出しのただ「箱」があるだけの北京式伝統的長屋住居、院子(ユエンズ)。
まさにベッドとソファーだけが置かれたその「箱」に嫁いで来た。

「お風呂は?・・・ト、トイレもないの?・・・」

しかもその日は北京には珍しく大雨。
雷も鳴り、おりしも停電・・・

貧民街、日暮れれば、電気なければ真っ暗闇

ほんと一切の光のない真っ暗闇なのである。
しかも聞こえる音と言えば狂ったように「箱」を叩く雨の音・・・
時は5月、温度差の激しい北京の春である。
毛布に包まり寒さに震えながら、
「私・・・ここで暮らすの?・・・」
嫁、半べそである。

翌日、雨も上がり、また手作業での改修作業が始まる。
カルチャーショックで呆然とする嫁を尻目に、この旦那、
「毎日がキャンプみたいで楽しい」
とウキウキである。

壁も全面ラスタカラーに塗り替えた。
スタジオのドラムブースの天井には卵パックを一面に貼り付ける。
壁は音の反響を調整出来るように四面を全部厚手のカーテンが開閉できるようにする。

これらを全部自分で手作業でやるのだからキャンプと言うよりはサバイバルである。
ロック村の若きミュージシャン達が日替わりで手伝いに来る。

家具は近所に泥棒市のような中古市場があり、
ボロボロだが何でもタダ同然で買える。
洗濯機も買った。
冷蔵庫もビールを多量に冷やすので2台買った。

「ここのどこが不満?
何が欲しい?何がなければ買えばいい」

トイレなければキャンプ用の移動式トイレを買った。
風呂がなければ檜作りの浴槽買った。
「浴槽あったってこう頻繁に断水してたら意味ないじゃん!」
ほな太陽熱温水器買いまひょ。いつでもお湯出るよ。
「スタジオ作ったって停電したらそれで終わりじゃん!」

しまいにはガソリン式の大きな発電機まで購入する始末・・・
これじゃぁ当初の予定通り家買った方が安く上がった?・・・

かくしてもう半年・・・今だに毎日が改修作業である。
安かろう悪かろう・・・中古で買った全ての物は一応に何度も修繕が必要である。

「中古はやっぱあかんのう・・・ここで新品は嫁だけじゃ・・・」
再婚と言う中古のお下がりの旦那が初婚の嫁見て独り言・・・

夏は40度を越す猛暑となり、嫁はさすがに夏バテでぶっ倒れた。
冬はマイナス15度を下回るので各部屋にセントラルヒーティングを入れた。
・・・と言っても石炭を自分で焚いて、その熱で蒸気を各部屋に送ると言う手動式である。
今も石炭をぶっこむために夜中に起き出したついでにこのメルマガを書いている。

「そうだ!院子(ユエンズ)をすっぽり覆ってしまうテントを作れば、
中庭が全部温室となって暖かいのではないか!!」
自分でビニールを買って来てやぐらを組んで屋根をつける。
そして突風で何度も壊され、昨日は4度目の修繕をした。

何度も何度も材料を買いに来るので村の商店でももうお馴染みである。
酒盛りが始まると「羊肉串100本!!」とか頼むので、
道端で羊肉串焼いてるおんちゃんにとっては大のお得意さんである。
嫁も言葉も通じないまま買い物に行くので珍しくて人気者である。

ある日は村のレストランで「何人だ?」と聞かれ、
身振り手振りと筆談で日本人だと答えた途端、
厨房からどこから全ての従業員が入れ替わり立ち替わり出て来て
「お、これが日本人かぁ・・・初めて見た・・・」とばかりの人だかり。

ここに住みついて半年、
訪れる訪問客は一応に
「ヤべぇよ、ここ・・・ファンキー、自分の命だけは気をつけろよ」
と言うが、今だかって身の危険を感じたことは一度もない。

ただ困るのが、タクシーに乗ってここに帰って来る時に、
タクシーの運転手がビビって村の中まで入ろうとしてくれないことである。
こんなスラム街に入りこんだ日にゃぁ
村人に寄ってたかってタクシー強盗されても不思議はないと思うのであろうが、
運転手さん、この村は貧乏人の吹きだまりではあっても犯罪者の吹きだまりではない。
第一、中国で同じ犯罪犯すならもっといい暮らしをしとるじゃろう。
こんなところに住んでまへん!!

と言うわけで、
中国人にすら「あそこやべぇよ・・・」と言われる貧民街に嫁いだ日本人花嫁。
今のところ「私・・・もう帰らせてもらいます」はまだ出ていない。

時間の問題か・・・

 

ファンキー末吉

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2005年10月 6日

みの吉ネタ「野茂とホモの違い」

忙しくて忘れていたが、そう言えばみの吉和尚から久々のアホメールが来ていた。

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お笑いが恋しいこの頃・・。
ホモは辛い。

最近、野茂とホモの違いが分からないと聞きます。

完投して喜ぶのが野茂、浣腸して喜ぶのがホモ
打たれるのをいやがるのが野茂、打たれるのを喜ぶのがホモ
野茂はホモを狙わないが、ホモは野茂を狙うことがある
好プレーするのが野茂、チンプレーするのがホモ
家族で楽しく見るのが野茂のプレー、家族で楽しく見れないのがホモのプレー
お尻を見せて球を投げるのが野茂、お尻を見せて玉を揺らすのがホモ
フォークが得意なのが野茂、トークが得意なのがホモ。
アメリカで観戦するのが野茂、アメリカで感染するのがホモ。
野茂は講演に行くが、ホモは公園に行く。
野茂はカレーが好きだが、ホモは彼が好き。
野茂のプレーは素晴らしいが、ホモのプレーは凄いらしい。
優勝して感動するのが野茂、融合して浣腸するのがホモ。
タマを投げてチームを守るが野茂、タマを触って彼を攻めるのがホモ。
野茂はバーモントカレーが好きらしいが、ホモはバーの元彼が好きらしい。
野茂は投手、ホモは同種。
野茂はお尻を向けて投げるが、ホモはお尻を向けて誘う。
野茂はあまり喋らないが、ホモはよくしゃぶる。
野茂はトレーニングをするが、ホモは彼にングッする。
バックに守られるのが野茂 バックから攻められるのがホモ
野茂の高校は成城だが、ホモの行動は正常じゃない。
ただの投手じゃないのは野茂 多田野投手はホモ。

ごきげんよ~♪

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相変わらずのみの吉和尚だが、
そう言えば彼は先日北京まで来てXYZ中国語版のボーカル録れをしていた。

こんな彼だが、仕事に取り組む時だけは非常に真面目である。
一言も喋れない中国語の発音を、
ワシが徹夜で書いた発音指南書と、中国人ボーカルに歌ってもらった仮歌を元にして、
自分なりの発音指南書、つまりカンペを作成し、
1曲、と言ってもこれはコンセプトアルバムの最後を飾る3曲のメドレーなのだが、
10分を越す大作の中国語ボーカルを4日かかって録り終えた。

カンペと言っても実はこれがヒドイもんである。
仮にもNHK中国語会話のパーソナリティーをも務め、
仮にも中国語学習の本まで出版したことがあるこのワシが徹夜で

無:ウー(日本語のウより少し口を尖らせて発音する)
力:リー(英語のLi、カタカナのリに近い)
改:ガイ(日本語のガイに近い)
変:ビエン(カタカナのビから英語のアップルのaを経てnに終る)
只:ジー(舌を巻いて喉の奥でジーと言う)
有:ヨウ(イォウに近い)
悲:ベイ(日本語のベイに近い)
傷:シャンg(舌を巻いて喉の奥でシャンと言い、語尾は飲み込む感じ)

などと20ページに渡る発音指南書を書いてあげたと言うのに
「これでは歌えん!」
とばかり二井原が自分で作ったカンペは次のようなもんである。

瓜・Gay・鼻炎・痔・洋・Bay・シャン

これで歌えるんかい!

ちなみに中国語の詞ではここは、
「世界はどうして俺が思い描いた天国でないのか!また自分の無力さに心傷ついてしまう」
と言う非常に感動的な部分であるのにそれが「鼻炎と痔かい!!!」・・・作者号泣・・・

まあいい。録音してるのはワシのスタジオである。
別に何日かかって録り終えてもスタジオ代はタダである。
自分の納得するやり方で死ぬまで何回でも歌ってもらえばよい。

聞けば全米で大ヒットしたラウドネスのデビューアルバムも、
当時英語が喋れなかった二井原は
音程よければ発音が・・・発音よければニュアンスが・・・
「これで完璧やろ!」と思えば
「Mick!惜しい!今のはちょっとカンサス地方の訛り入ってる。
メタルはやっぱLA訛りで歌ってくれないと・・・」
で結局数行に3日間かけてまぐれ当たりを狙って録るしかなかったと言うし・・・

さて発音にも苦労してもらうが、
実はこの二井原の特殊な声をちゃんと録音すると言う作業もこれがかなり大変である。

自分のドラム録音のためだけに7月に完成し、
今や既に30曲以上のドラムを録音しているわが北京ファンキースタジオ
(関連ネタ:http://www.funkycorp.jp/funky/ML/109.html、http://www.funkycorp.jp/funky/ML/110.html)
であるが、実はこの日のためにボーカル録音もちゃんと出来る設備を整えてあった。

スタジオ作りのためにその巨体を2シート分の飛行機に乗せ、
LAからわざわざ北京まで来てくれたWyn Davisが、
「これはMick(二井原の英語名)のボーカルにもとてもいいよ」
と選んでくれたドラムのオーバーヘッド用のマイクは実は日本円で1本40万円近くするし、
またこの時のために実は、ドラム録りにはまるで必要ない
AVARONと言う数十万円するプリアンプ、コンプレッサーも揃えている。

ところが「レコーディングとはとどのつまりEQとコンプレッサーの使い方に尽きる」と言うぐらい
特にこのコンプレッサーと言うものの使い方が非常に難しい。

ドラムの音に関してはWyn Davisの作ってくれた音をそのままの状態で保存し、
ドラムのセッティングからマイクの位置までまるで変えないので、
日々の微調整ぐらいでこのTotal Accessサウンド
(と言うより今や北京ファンキースタジオの音)を完璧に再現出来るが、
ことボーカルとなるとWynが作ってくれてるわけでもないので
エンジニアの吉田君と頭を抱えてたら、
「よ、ファンキー。あのラウドネスのボーカルが来てるって?」
と北京在住のアメリカンコリアンのエンジニア、Alexがふらっと遊びに来てくれた。

彼はセリーヌ・ディオンやらマライア・キャリーやらを手がけたり、
アメリカで大成功したと言うが何故かそれを全て捨てて北京に移住。
ワシが友人を紹介したりしてあげてるうちに今や北京でも売れっ子のエンジニアとなった。

彼曰く、ラウドネスは彼がハイスクールの時のアイドルだったらしい。
二井原の声に合わせたセッティングをしてくれ、
後にはこの曲の最後を飾る北京のフルストリングスオーケストラのレコーディングまで
全てを無料でやってくれた。

謝謝!Thanks! カムサハムニダ!

まだ発売が大決定してない中国語版は、
実は今のところ全部ワシの自腹、持ち出しなのよん・・・涙・・・

また、最終日には
女子十二樂坊のアレンジャー、プロデューサーとして名高い梁剣峰まで遊びに来てくれ、
今や1曲手がけたらそれこそ国内最高峰の値段である彼が
やはり無料で歌のディレクションをしてくれた。

何せ「鼻炎と痔」で歌ってるんだから中国人が聞いてどう聞こえるのかが心配であったが、
「なかなかいいじゃないの。とても中国語を全然喋れない外国人が歌ってるとは思えない」
とお褒めの言葉を頂いて胸を撫で下ろしてたら、彼はいつもの笑顔で一言。

「ところでファンキー。これを俺は今日は一体どのレベルまでやればいいの?」

値段だけでなく、仕事の細かさも国内一、
このワシが彼の仕事で1曲叩くのに10時間かかったと言う伝説を残すほどである。
(関連ネタ:http://www.funkycorp.jp/funky/ML/103.html)
二井原には非常に可哀想ではあったがワシは彼にこう言った。

「ネイティブの中国人が歌ってるレベル」

これはたまったもんじゃない!
歌録れは1日4時間が限度だと言うMickこと二井原実、またの名をみの吉和尚は、
結局その日は8時間以上歌うハメとなってしまった。・・・歌手号泣・・・

さてAlexや梁剣峰ら多数の人の助けにより、
何とかXYZのニューアルバムの全てのバージョンは録り終えた。
後はデータをアメリカに持って行って、
Wyn DavisのTotal Accessスタジオでミックスダウンを行うのみである。
また北京から成田経由の長いフライトでLAに降り立った。

知り合った当初は二井原の知り合いとして紹介してくれたWyn Davisであるが、
中国の数々のプロジェクト
(関連ネタ:http://www.funkycorp.jp/funky/ML/88.html、
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/92.html、
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/105.html)
を一緒にやるうちに、
言葉もろくに通じないワシが今では彼のアジアの大親友となってしまった。
週末には彼の結婚式にまでご招待されている。

初めてお会いした彼の母親から再婚相手のイタリア系美女の奥さん、
その連れ子の若手メタルギタリストまで紹介されてもワシ・・・
・・・英語がそんなに喋れへん・・・(またもや号泣)・・・

まあ音楽用語は日本でも全ては英語からの外来語なので、
何とかミックスダウンでのコミュニケーションは出来る。
ひとりで数十チャンネルもダビングするギタリストと、
自分で声を重ねて数十チャンネルコーラスを入れるボーカリストのおかげで、
4人しかメンバーがいないのにProToolsのチャンネルが足りなくなるほどのトラック数を
Wynとふたりで一生懸命整理する。
ストリングスオーケストラが入る最終曲は特に大変である。

「Mickからメールもらったんだけど、やっぱMickって中国語うまいねえ・・・」

Wynの言っている意味がよくわからない。
何度も聞き返すがどうもわからない。

「だからぁ。中国語で歌ってるんだろ、この曲。
俺には日本語と変わらないぐらい流暢に聞こえるがねぇ・・・」

Wynさん・・・それ・・・日本語・・・中国語版はまだ発売が決定してないので今回は・・・

そうじゃそうじゃ、北京に残して来た中国語版・・・
そろそろ発売元の社長が聞いて決定かどうかを伝えてくれる頃である。

国際電話をかける。
「もしもし、社長さん?聞いて頂けました?」
もしここで「ダメだ」と言われたら発売は流れ、
費用を立て替えたワシは丸損なのでかなりドキドキもんである。

「聞いたよ。素晴らしい!
あのボーカルは日本でも相当有名なボーカルなんじゃないか?」
かなり興奮して言う社長。
「いや、日本でと言うよりはアメリカや世界的に有名なボーカルですよ」
とにかく押しに押すワシ。
「歌は素晴らしい!曲も非常によいのだが、しかし10分はちょっと長すぎるなあ・・・」
すかさず押しに押すワシ。
「いえいえ、あれは3曲メドレーなんで、最初のバラードで切って編集すれば4分強。
サイズとしてはちょうどいいのでは?」
日本語版ではフルアルバムなのでコンセプト上どうしても3曲で1曲であるが、
中国語版ではロックのオムニバスへの参加なので別に編集しても事足りる。
「そうか!よし!このバンドは決定!帰って来たらさっそく契約しよう」

やったぁ!!!

オムニバスに1曲参加とは言え、念願のXYZ中国発売である。
こうなればまだ発売の決まってない日本とどちらが早いかである。
ついでに中国語版のミックスダウンもここでWynにやってもらおうか・・・
などと考えながら電話を切ろうとしたら社長さんが一言。

「それで、本チャンの歌録れはいつすんの?・・・」

あれだけ苦労したのにまた最初っから録り直すんですかぁ・・・(関係者一同号泣)・・・
二井原はん・・・アホなメール書いてへんでまたもう一度北京に来てもらえますか・・・

ファンキー末吉

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●X.Y.Z.→A●
http://www.funkycorp.jp/xyzrecords/xyz/index.htm

Vo.二井原実(ラウドネス)
Gt.橘高文彦(ex.筋肉少女帯)
B.バーベQ和佐田(爆風スランプ)
Dr.ファンキー末吉(爆風スランプ)

足掛け3年かけて製作したニューアルバムがついに今完成しようとしている。
感激もんである。
LAから帰りに日本によってミーティングをし、
スタッフ一同に聞いてもらって発売日が決定する。

さてその発売日とはいつなのか?
そして中国語版の行方は?

続報を待て!

ファンキー末吉

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2005年9月 4日

どでかいロックフェスティバルでドラム叩いたら

「見たよ、見たよ・・・」
先日からやたら人にそう言われるので何かと思ったら、
7月1日に行われた大きな野外ロックイベントがテレビで放映されたらしい。

崔健(ツイ・ジエン)、唐朝(タン・チャオ)、黒豹(ヘイ・バオ)、超載(チャオ・ザイ)、等
中国ロックの創始者の世代の大御所バンドから、
それを受けて商業的に一番ブレイクさせた零点(リン・ディエン)、
香港からはBEYONDのギタリスト、黄貫中(PAUL)まで参加した、
そんな中国ロックの大同窓会のような顔ぶれの中、
ワシは韓紅(ハン・ホン)と言う人気歌手のバックバンドとして呼ばれ、
毛沢東を讃える革命の歌を「ロックにアレンジしてくれ」と言われ、
それをしゃかりきに叩きまくっていた。

「何十年の歌手生活の中で、初めてよ、ロックイベントになんか呼ばれたの・・・
ロック歌手、韓紅(ハン・ホン)・・・何かくすぐったいわねぇ・・・」
と言ってMCで受けを取ってから気合たっぷりで始まった韓紅(ハン・ホン)のステージ。

しかしワシのアレンジがちと複雑過ぎたのか、2番に入りそびれた韓紅(ハン・ホン)、
バンドもどのパートを演奏したらいいかわからいのでちりじりバラバラになるが、
さすがは場慣れした大御所歌手である。あわてず焦らず、
「ありゃりゃ、入りそびれたわ。どっから歌うの?まあええわ・・・」
とばかり、ドラムス!ファンキー!」と絶叫してワシに振る。

しゃーないのでドラムソロごとくドラムをぶっ叩く。
このクラスになるとメンバーも一流のプレイヤー達なのでそれに絡んで来て盛り上げる。
最高潮に達した時に韓紅(ハン・ホン)のカウントにより2番に入り、
結局おかげでこの曲はこのコンサートで一番盛り上がった演奏となる。
ステージ脇のスクリーンではこれでもかと言うぐらいワシのドラムのアップ・・・
客席で見ていた嫁は
「歌手を差し置いてあんなにアップになったらアカンわ・・・」
と言うぐらい誰よりもフィーチャリングされていた。

しかしここが問題である。
この日のテーマは共産党がファシズムに打ち勝った記念日を祝うコンサート。
つまり抗日記念イベントでもある。

反日、反日と騒がれるご時世に、
日本人ドラマーがこんな抗日イベントに参加して
しかもこんなにフィーチャリングされたらアカンわぁ・・・

楽屋は昔懐かしい友達ばかりなので、
「お前、今日は何のコンサートか知っているのか!
日本人であるお前がどの面下げてドラム叩いてんだ!」
とワシをからかうが、
「こんな面でぇーす」
とばかりアホ面を巨大スクリーンにさらす。
恐らくテレビのオンエアーでも
かなりのカット数でこのアホ面が全中国に流れたことであろう・・・

日本のNHKと同じで、
中国でもひとつの大きなプログラムは北京電視台等関連放送局で何度も再放送される。
全中国にこのアホ面が流れる度にみんなワシに「見たよ、見たよ・・・」と言うのだが、
とある友人は大受けしてこう言った。

「日本人がこの趣旨のイベントに参加して、
しかもこれだけ活躍すると言うことは素晴らしいことだ。
俺は今から中国じゅうのマスコミ集めてお前のことを取材してもらう。
共産党もお前の一生の食いっぷちのみならず、住居や市民権、
ヘタしたら中華人民共和国の国籍を与えてくれるやも知れん!」

頼むからやめて下さい・・・そっとしといて下さい・・・

ファンキー末吉

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2005年8月20日

ドラマーがドラムスタジオを作るワケ

日本に帰って来てXYZのニューアルバムをレコーディングしている
ちなみに今日は最終日
橘高が命を削ってギターソロを録れているのを、その骨を拾ってやるべく・・・
・・・その実、隣で酒を飲みながらそれを見届けている

だからやっと時間が出来てメルマガ書ける、メールにRes出来る、HP更新出来る・・・

昔は忙しい日本を脱出して北京に行ってのんびりしてたものだが今ではまるで逆である
ドラム以外の仕事は極力避けようと言いつつ
結局アメリカからWyn Davisを呼びつけて自宅にスタジオなんぞ作ったもんだから
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/109.html
結局朝から晩までずーっとレコーディングしている
XYZの曲なんか結局スケジュールないもんで朝8時から2バス踏んでいる

このテの音楽・・・真夜中に汗だくでやってると
「この時間にやる音楽じゃないわのぅ・・・」と毎回思うが、
さすがに朝8時にやる音楽では決してない・・・

昼は韓紅(ハン・ホン)のリハーサル、夜は許魏(シュー・ウェイ)のリハーサル
夜中に帰って来て譜面の整理などをしながらバタンQ(死語)
朝8時には今は既に北京に移住して来た元XYZのPAエンジニア吉田君が
「音を作るのはPAもレコーディングも同じじゃろ」
とばかりドラム録りに駆り出されてやって来る
叩き起こされて顔も洗わず寝ぼけ眼でそのまま全力疾走で2バスを踏む

・・・身体に悪い・・・

この北京ファンキードラムスタジオは人にはレンタルしないし
ドラムのセッティングもマイクのセッティングもWyn Davisがセットしてくれたまま動かさないし、
また、ドラムの傍らにもディスプレイとマウス、キーボード等が設置されていて
ワシ一人ででもパンチイン、パンチアウトをやりながら最後まで録り終えることが出来る
自宅スタジオなんだから時間を気にすることもエンジニアに気をつかうこともなく
納得するまでレコーディングを・・・と当初は思っていたのだが、
何曲か録るうちにそれはミュージシャンにとって非常に危険な状況であることが判明

つまり何度でもやり直せると言うことは即ち「終わらない」と言うことで
吉田君の必要性は
Wynの作ってくれたTotal Access Studioサウンドをキープ、メンテすることだけではなく
「ねえ、今の2バスちょっとヨレてた?」とか言う質問に
胸を張って「いいえ、よれてません!!」と断言してもらうことも大きい

それでも録り終わった後、夜中に聞いたりして
「やっぱもう一回やろうかな・・・」と言って録り直すのも自由なんだから始末が悪い
その度に吉田君も何度も呼び出され
やっとの思いで叩き終えたアルバム全曲のドラムデータを持って来日
そしてそれを聞きながら人の苦しみを横目で酒を飲む

・・・いやぁ・・・すんごい音やなぁ・・・

まるでLAのTotal Access Studioで録ったが如きぶっといドラムサウンド
こんなんが自宅で録れるっつうのはほんまミュージシャンにとって至福の環境やなぁ・・・

もともとドラムの音っつうのはドラマーが自分の耳の位置で聞いて一番いい音に叩いとる
それをひとつひとつの太鼓のあんなにそばのマイクで音拾って録音したところで
到底自分の聞いているドラムサウンドとは似ても似つかない

これはライブでも同じことで
ドラマーは一生自分の出音を生で聞くことが出来ないので
PAエンジニアに全てを托すしかない

つまり録音した音、ライブの音はすでにワシの音ではなくエンジニアの音なのである

しかしこれからのワシは違う!!
Wynの残してくれたこのサウンドこそが「ファンキー末吉のドラムサウンド」である
このためだったら金にいとめはつけん!!

・・・と言いつつワシ・・・ワシ・・・これに一体いくらつぎ込んだんやろ・・・

二井原がロニー・ジェイムス・ディオと対談した時
「Wynと会うたらむっちゃ痩せてるんでびっくりするでぇ」
と言われたと言うので非常に期待してたのだが
30kg痩せたと言っても彼のその巨体を飛行機で運ぶためにはやはり座席が2つ必要で、
オンシーズンのその頃のLA-北京往復運賃は2席で20万円
LAメタルの頂点とも言える彼のギャラ数十万
2バス5タムのフルセットを録るために必要なマイクの数は13本
オーバートップなど大切なマイクの値段は一本40万円
96kHzのハイサンプリングで録音出来るプロトゥールスHDと周辺機器で200数十万円・・・

すっからかんなはずじゃ・・・

実は明日は結婚式・・・
誰のって実は・・・ワシの再婚・・・(お恥ずかしい)・・・

結婚資金はどうすんの?!・・・
式場の費用は?!・・・
遠方から来て頂く親戚縁者の交通費は?!・・・
エンゲージリングは?!・・・

そう言えば前回は買ってすぐ失くした・・・
指輪してはドラム叩けんからつい亡くしちゃうのよん・・・

初婚の嫁よ・・・こんな旦那でええんかい・・・

ファンキー末吉

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2005年5月 7日

反日デモって何?・・・それよりワシはスタジオ作るぞ!!

Sonyのエアーボードと言うテレビを購入して北京に持って来た。

このテレビはなかなかすぐれもので、
本体を東京に置いてモニター部分だけを外国に持って来て、
それをインターネットにつなぐことにより、その本体の映像、
つまり日本のテレビ番組がそのまま外国で見れるのである。

ただし設定が非常にややこしく、
本体に固定IPアドレスを割り当てたり、これはとてもじゃないけど素人さんには無理である!
せっかく買ったのに北京で見れないのはあまりにくやしいので、
本体をファンキー荘http://www.funkycorp.jp/funky/ML/107.htmlに置き、
設定全てを住人Cに全部任せて北京に発つ。

彼の涙ぐましい努力により
やっと北京からインターネット経由で本体につながったのはいいが、
こちらの回線って遅いのよねえ・・・特に海を越えると・・・

カクカクの画面と途切れ途切れの音声で、
まあニュースぐらいなら字幕もあるし何とか見れないことはない。

と言うわけでこうしてやっと日本のテレビを見れるようになって思ったのが、
なんと日本では中国での反日感情のニュースが多いことよ!

そんなにヒドイかなあ?・・・

まあ住んでる世界が違うので縁がないんだろうけど、ワシなんか
「今日は大規模なデモがあるから外に出ない方がいいよ」
と言われてたその日に北京の若いバンドのライブに行き、
カウンターでビールを頼む時に「日本人か?韓国人か?」と聞かれて胸を張って
「日本人だよ」と答え、
結局ライブ終了後にそのバンドの連中と客のほとんどを連れて
ドメスティックな中華料理屋で日本人を囲んでドンちゃん騒ぎを繰り広げていたが
別に投石されることもなく酔い潰れてちゃんと家まで連れて帰ってくれてた。

中国のお偉いさんが世界の中でもどれだけ頭がいいかは前々号
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/107.htmlでも書いたが、
薄っぺらい切り口の日本のマスコミには考え付かないようないろんなもくろみを
このお偉いさん達は全部計算してやらせているんだと言う噂がある。

1、国民のうっぷんの矛先が新政権に向かないようにする
2、政治運動が勃発しやすい五・四運動を前にして、国民を国内問題から気をそらせる
3、文化革命の時代の壁新聞よろしく、
挑発してやらせるだけやらせといてその首謀者をリストアップしてブラックリストを作成する

まあもっともな話だが、
大規模デモの日に中国人ロッカー集めてドンちゃん騒ぎをしている日本人には
今後もどの道関係がなさそうな話である・・・

ところでその日一緒にドンちゃん騒ぎをしていた若いバンド、
布衣(ブーイー)楽隊と言うのが、前号
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/108.htmlで書いた、
唐朝のベーシスト、ZhangJuの追悼アルバムで私が1曲担当したバンドである。

バンド肌であるワシとしては、どうしても
「スタジオで初顔合わせで現場でヘッドアレンジすればいい」
と言うレコーディングのやり方には納得がいかず、
「どうしても彼らのリハーサルに参加して一緒にアレンジしたい」と言い張り、
じゃあと言うことで単身そこに行って見てびっくり!

五環路(東京で言うと環八か?)の更に外側のとある貧民街に
メンバー全員が院子(ユエンズ:長屋みたいなもん?)を借りて住み、
そこに機材を入れて練習場にしとる・・・

その院子(ユエンズ)は既に他の若いロックミュージシャン達も住み着いて、
ちょっとした「ロック村」を形成してしまっている。

平房(平屋の一番安い形式の建物)なので風呂もなければトイレも汲み取りで共同で、
近くにはバスもなければタクシーなどまず通らない。
不便極まりない環境なのだが、
彼らはコミューンとも言えるその仲間達と貧乏ながら楽しく暮らしていた。

好きやなぁ・・・俺・・・こんな感じ・・・

そしてお決まりのように「ここって家賃いくら?」と聞いたりしてみる。
いくつかの部屋が集まって三方を囲み、
中庭を共有した院子(ユエンズ)がいくつか集まってこのロック村を形成しているのだが、
その院子(ユエンズ)ひとつ、3部屋と中庭がついて一月たったの1万円!!!

安い!!!

去年「家を買うぞ!」と決心しhttp://www.funkycorp.jp/funky/ML/97.html、
その明け渡しをずーっと待ちながらついに最近ドタキャンに合い
「売らない」と言われてしまったワシである。

「そうじゃ!スタジオを作ってここに引っ越して来よう!!!」

スタジオ作りの費用として大きいのは機材と家賃と防音工事である。
しかしここは家賃はタダ同然だし、ロック村なので別に防音もちょっとしたもんで足りる。
XYZのレコーディングももうすぐ始まるし、
家の頭金として用意した金もほっとけばどうせアルコールに化けてしまって消えるので、
その金で機材を買ってここにスタジオを作り、
飽きたらいつでも機材引き上げて引っ越してゆけばよい。

そうである。
家なんか買って毎月のローンに追われ、
更には100万円近くかけて防音してスタジオを作るなんてナンセンスである。

と言うわけでさっそく家賃を半年分、6万円少々払い、
大きな部屋に壁を作って半分に割ってもらい、隣の部屋を住居にし、
残りの部屋をシャワールームと台所にする。

さすがは貧民街である。
家賃を払ったところで大家は何の契約書を作成するわけでもなく、
壁を作る工事も大家とそこの人夫がやってくれるっつうんで2万5千円ほど渡し、
更には近所の中古市場行って、
クーラー2台とソファーとベッドと机と椅子を買って全部で2万5千円。
これなら別に、もしXYZのレコーディング終って引き払っても痛くはない。

部屋に金をかけるのはポリシーに反するので、
「君らのファーストアルバムをここでタダで録ってやる」
と言う約束でその若いバンドの連中を駆り出して自分達で手作り内装工事をやる。

ペンキ塗りなんて初めてやったわぁ・・・ちょっと楽しい・・・

住居部分がようやく完成し、
ちょうどその日はその住民のひとりが誕生日だと言うのでみんなで飯を食いに行き、
ハッピーバースデーと共にその会はワシの入居祝いにもなった。

住民にも認められ、もうワシはれっきとしたこのロック村の住人である。

北京ロックンロール・ビレッジ、ファンキースタジオは6月にオープン!

外部に貸し出すつもりは一切ないが、宿泊設備と共に利用したい日本の方がいたら、
そりゃ日本より断然安くレコーディングできまっせ!

XYZのレコーディングではアメリカからウェイン・デイヴィスを呼ぶ予定である。
貧民街のくせに国際的やなあ・・・
ウェインもいっそのことそのままここに住み着いてくれんかしら・・・

ファンキー末吉

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2005年4月 9日

台湾で一番売れっ子のアレンジャーギタリストまで

また反日感情が高ぶってるんか???

中国に通い始めてからもう15年。
北京に住むようになってからもう5年。
どう言うわけか一度もその反日感情とやらに出会ったことがない。

去年はサッカーの試合でどうたらこうたらで、日本のラジオのインタビュー等を受けると
必ずと言っていいほど反日感情についての質問が来る。

まあ日本のマスコミは往々にして、
まず結論がありきでその結論に導くための材料を集めるやり方で番組を作るため、
(関連ネタ:http://www.funkycorp.jp/funky/ML/91.html)
こちらに住んでこれだけ長い人間から
「いえ?反日感情なんてあったこと一度もありませんよ」
なんて言われたら番組にならない。

まああったことも目の当たりに見たこともないので、「ある」とも言えないし、
本音を言えば
「俺が中国ロックのためにどれだけのことをして来たと思う?
俺の前で反日感情なんぞ持つ人間が現れたら
中国じゅうのミュージシャンから袋叩きに合うぞ!」
とでも言いたいもんだがそうもいかず、
「まあひとつの視点だけでみてそれが中国を代表することは土台無理なことなんで・・・」
とひとつひとつ説明するしかない。
反日感情の中で苦しんでいる企業も実際あるだろうし、
ワシのようにこれだけ深く関わりながら15年間一度もあったことがない人間もいる。
それもひっくるめて「中国」なのである。

まあ反日感情ではないが一度、
よく仕事をやってるLuanShuと言うプロデューサーに売り込みの電話があったと言う。
「LuanShuさん、あなたも中国人なんだからぼちぼち中国人のドラマーを使うべきですよ」
LuanShuはその時笑ってこう言ったと言う。

「Funkyのことか?アホか!あいつは中国人じゃい!」

彼と出会ってもう15年。
いい時も悪い時も、更にはワシは彼が一番どん底の時に唯一そばにいた人間でもある。
中国人だ、日本人だを超えて、誰が俺達のこの間に入って来れる?

まあそう言う意味では特殊な日本人じゃわのう・・・ワシは・・・
とても日本人を代表してコメントなんか出来んわい

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江建民(ジャン・ジエンミン)と言うギタリストがいる。
中国ポップスのファンなら一度は彼の名前をクレジットの中で見たことがあるだろうし、
そうでなくても必ず一度は彼のギターを聞いたことがあるはずである。
台湾のあらゆるヒット曲のアレンジをし、あらゆる楽曲にギタリストとして参加している。
ワシのアシスタントの重田に言わせると「台湾のスティーブ・ルカサー」だそうだが、
そんな超売れっ子ミュージシャンが去年北京に移住して来た。

日本のスタジオの世界は、アレンジャーはアレンジャー、プレイヤーはプレイヤー、
ある偉いプロデューサーが昔、
「○○クンもいつまでも”弾き”やってないで早く”書き”やんなきゃ」
と言ってたのを聞いたことがあるが、どうも日本では
プレイヤーを卒業してアレンジャーやプロデューサーにグレードアップするようである。
だから小室はすでにキーボードプレイヤーではないし、
その他名うてのアレンジャー、プロデューサーを
プレイヤーとしてスタジオに呼ぶような恐れ多いことは通常ありえないが、
こちらではある時はワシの仕事で江建民(ジャン・ジエンミン)をギタリストとして呼び、
またある時は彼の仕事でワシがドラマーで呼ばれたりする。

そんなかんなでしょっちゅう仕事をしてるので仲良くなり、
ある日興味しんしんで質問してみた。
「何てあんたほどの超売れっ子がわざわざ台湾捨てて北京くんだりまで来たの?」
ワシとしては
「いやー・・・実は北京の娘に恋をしてねえ・・・」
などとロマンチックな答えを想像していたのだが、答えは簡単明瞭。
「音楽業界不況真っ只中の台湾のどこに仕事がある?」
であった。

あんたほどの超一流に仕事が来ないほど?・・・

そう言えば日本の音楽業界もまた売り上げ40%ダウンたらなんたら・・・
古株は相変わらず君臨してるわ、若手はどんどん台頭して来るわ・・・
まるで日増しに小さくなる丼の飯を
どんどん増え続ける大勢の人間が奪い合いながらむさぼっているようなもんである

・・・日本のミュージシャンってホンマに仕事あんの?・・・

インターネットのダウンロード等に押され、全世界どこの音楽界も不況である。
中国の海賊版事情も同様に、いやもっと深刻ではあるのだが、
この国はそれを上回るほど人口が多い。
日本全土がすっぽり入るぐらいの土地と人口を持つ中国のいち地方には、
日本人の歌手と同じぐらいの数の歌手がいて、
その地方が単純に10個以上はあり、
その全ての歌手が首都、北京に出て来てレコードを作るわけだから、
単純に10倍の仕事があるとすれば
例え日本と同じように売り上げ40%減になったとしてもまだ6倍の仕事がある。

まあそんな単純計算では割り切れないだろうが、それでも彼曰く、
「台湾の音楽業界は終った。残るは北京だけだ」

まあ、あんたらは言葉が同じやから楽やわなぁ・・・

しかしそれでも中国の音楽業界のシステムには戸惑うことも多いらしく、
同じく外地からやってきた先輩としていろいろアドバイスをする。
彼も今ではもうすっかり慣れてしまったのか、中国らしく
「ファンキー明日空いてる?」
で仕事が来る今日この頃である。

そんなある日、また彼から仕事が来る。

ワシはと言えば、命に関わるからもう今年から無茶な仕事の入れ方はやめよう
(関連ネタ:http://www.funkycorp.jp/funky/ML/107.html)
と決意したものの、
スケジュールのブッキングがいつもこうも突然ではなかなかそうもいかない。

その日はLuanShuと共に10年前にバイク事故で死んだ、
中国を代表するロックバンドのひとつ、唐朝のベーシスト、ZhangJuの
追悼アルバムをレコーディングしているところで、
今年からアレンジ、プロデュースはあんましやらんよと言ってはあるものの、
死んだ友人のためならいた仕方ない。これは仕事ではない!!
若いバンドをひとつ受け持って、
風呂もトイレもない長屋のような彼らの住居の彼らの練習場でリハをし、語り合い、
「俺、好きやなあ・・・こんな生活・・・」
と、また自分の四畳半時代を懐かしみながら感情移入し、
まさにそのレコーディング当日にダブルブッキングで仕事を受けるハメとなる。

仕方がないのでバンドに朝早くスタジオに入ってもらい、(迷惑な話やのう・・・)
レコーディング途中で抜け出して江建民(ジャン・ジエンミン)のドラム録り。

今年は頑張らんのちゃうんかい!!

でもまあドラムの仕事ですし・・・
スタジオ仕事は順調だと1曲30分ほどで終るし・・・
と思っていたら彼の譜面(と言っても五線譜ではなく中国式数字譜ですが)を見てびっくり!!
8小節に渡るギターとオールユニゾンの32分音符を含む複雑なキメ・・・
まあ人間が物理的に叩ける速度ならどんなに難しくても叩けないはずはない!!
と覚悟を決めてそのままDEMOを聞いていると
サビは確かどこかで聞いたことがあるようなメロディー・・・

「これ・・・BEYONDの曲やん!!!」

タイトルを見ると「長城」。まさにワシとBEYONDが出会った時、
彼らが日本で初めてレコーディングをしていたまさにその曲である。
そしてワシらは友達になり、その後リードボーカルの黄家駒はワシの目の前で死んだ。

「ちと時間くれるか?」
日本のスタジオミュージシャンは1時間いくらであるが中国は1曲いくらである。
でもここが日本であってもワシは時給いらんから時間くれと言ってただろう。

光栄な話である。
死んだ友人が作った歌を、10年以上の月日がたった今ここで、
こうしてワシがその曲のドラムを叩いているのである。

死んだ友人のためである。これは仕事ではない!!
たっぷりと感情移入させて頂いてスタジオを後にする。

元のスタジオに戻るとバンドはまさにギター録りの真っ最中。
今日じゅうに歌まで全部録り終わらねばならない。
夜中の3時にやっと終了。長い一日を終える。

何か今日は死んだ人間のためオンパレードの日やったなぁ・・・
うん、よう働いた。

「ありがとう、私達のためにこんなに頑張ってくれて」
とバンドのマネージャーからショートメールが届く。
いやいや、君たちのためっつうか・・・別にそう言うわけでも・・・

まあよう働いたことは働いたが、何のためと言われてもほな何のためやろ・・・
人間なんでこんなに一生懸命働くんやろ・・・
食うために? 生活のため?
音楽なんて100%金のためやったらこんな割の悪い仕事もないでぇ。時給低いでぇ・・・

まあもともとは自分で金払ってバンドやってたのが原点である。
音楽なんてもともと金払ってやるもんである。
それがこんなありがたいことに、金もらって、
しかも人に感謝され、尊敬され、お金をもらう・・・
こんなありがたい話があるか!!
よし、かっこつけて胸張って声高に叫んでやろう。

音楽は金のためにやるもんじゃない!!

ふふふ・・・かっこいいぜ、俺・・・と思ってたらふと思い出した。
昼間の江建民(ジャン・ジエンミン)の仕事のギャラまだもろてない・・・
(こちらの仕事はその場で現金清算、とっぱらいが原則)

すまん、やっぱ金も必要です。次の仕事ん時絶対清算してや!!

ファンキー末吉

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2005年3月13日

あらゆる海賊版ソフトを使いこなす中国の若き天才達に・・・

迎春にたてた今年の目標

先日爆風の再結成ライブで
パッパラー河合とサポートキーボーディストのエンペラー福田が話しているのを聞いた。

「福田さん、ソフトシンセって使ったことある?」
「あるよ。この前仕事でFM7のレポートの仕事やってねえ。
いやー、あれは結構凄いよ。使えるよ。」

ちなみに福田さんは「日本シンセサイザー協会副会長」とか何かの肩書きを持っている
いわゆる日本を代表するシンセサイザー奏者のひとりなのにソフトシンセがFM7???

http://www.funkycorp.jp/funky/ML/102.htmlでも書いたが、
この国では、中国の音楽家達は「海賊版反対!」と叫びながら、
自分は海賊版ソフトを使って音楽を作ってたりする。
だからどうせ使うならFM7よりももっと高級な、
日本だと高くて誰も手が出せないようなソフトを使う。

世界中のあらゆる最先端の優秀なソフトが全部「タダ」なのじゃよ!

今では中国を代表するプロダクションのひとつを取り仕切る
業界の風雲児となってしまったS社長がある日こんなことを言っていた。

「中国の政府のトップの人たちって、どれだけ頭がいい奴らだと思ってる?
一党独裁のこの国である日あいつらが本当にその気になったら、
”海賊版全部撲滅するぞ”
の一言で中国中の海賊版がひとつ残らず撲滅出来ちゃう人たちだよ。
でもどうしてそれをしないと思う?
今中国で流通している全ての海賊版からロイヤリティーを徴収したとしたら、
中国は何百億単位の金をアメリカに払わねばならない。
結局儲かるのはアメリカなのよ。
そんなの国益を考えたらたとえ明日出来たとしても絶対やるわけがない。
今の状態で中国人民が海賊版音源や映像を見放題聞き放題で耳も肥え、
海賊版ソフトを使ってクオリティーの高い音楽作ったりしてそのうち、
そのうち中国がアメリカからお金を取れるようになってから撲滅すればいいのよ。
そのぐらいのことを考える人たちだよ、あの人たちは・・・」

本当かウソかはわからない。
しかしこの海賊版おかげでこの国の若い音楽家達は
日本だとひとつが何十万もするソフトを平気でいくつも使いこなし、
日本人よりももっとアメリカやイギリスのヒットチャートに精通していて、
ほんと、ここでアレンジャーとしてやっていこうと思ったら
通常の日本人アレンジャーぐらいのレベルではやっていけないのではないかと思う。

その昔、ピアノとオーケストラしか書けなかったアレンジャーが、
シンセサイザーの発明によりシンセサイザーを使いこなせないと仕事が出来なくなった。
そして今、ソフトシンセ、プラグイン、あらゆるデジタル機器に精通してないと、
特にここ、中国ではアレンジャーとして食っていけない。

アレンジの概念もすっかり様変わりしてしまった。
私ぐらいの世代のアレンジャーは
「いい対旋律を書くこと」がすなわちアレンジだったのに対し、
今の世代は「いい音色やループを選ぶこと」がすなわちアレンジである。

1音色選ぶのに一晩徹夜せねばならんのよ!!!

ソフトシンセ、こちらではVSTプラグインが広く使われているが、
ひとつのソフトがどう言う個性を持っているソフトかを知るために、
全音色聞き比べ、軽く使ってみてそのソフトの概念がわかるまでに
ヘタしたら1週間は徹夜せねばならない。
そんなソフトが100個以上手に入るとしたら
その中から気に入ったいくつかのプラグイン以外を捨てて
自分のシステムを完成させるまでに幾晩徹夜せにゃいかん?

更にVSTプラグインの高度な使い方としては、
音色の中に既にリズムやメロディーなどが含まれている音源データ自身を、
曲と完全に同期させながらリアルタイムにエディットしつつ、
そのエディット情報を音楽データと一緒にデータに書き込んでゆくことが出来る。
つまりメロディーを打ち込むように音色の変化を打ち込むわけである。

ここまで来ると、1週間徹夜してやっと理解出来るソフトを100個以上、
つまり100週間以上徹夜して選んだ自分のシステムの中から
1音色選ぶのにまた徹夜してそれを何音色も選び、
その選んだ音色をまた幾晩か徹夜して何パターンにもエディットする。
この国の若き天才アレンジャー達・・・
彼らは果たして幾晩徹夜してこのレベルまで達成したと言うのだろう・・・

でもこれって音楽?!!!

しかし世界中のロック、ポップス、全てのジャンルの音楽の中で
電子音、つまりデジタル音色が使われてない曲はないと言うぐらい
電子系は今や流行と言うより定着に近い位置まで広がった。

音色が勝負!
だったら同じセンスだとしたらたくさん音色持ってる人が必ず勝つよ!

海賊版のない日本で同じ環境を構築しようと思ったらいくらかかる?
こんなことが出来るのはよっぽど売れてて金が有り余っている
ほんのほんの一握りの人たちだけであろう。

そのうち絶対負けるよ、日本人・・・
いや・・・もう既にもう負けとるかも知れん・・・

まあワシと言えばテクノ大嫌い、電子系も全然好きじゃない、
特にロックはシンセもいらん!と言うXYZ魂ばりばりの人間である。
ところが耳が肥えたこの国のクライアントが発注するアレンジには、
まあ世界的な風潮から見てもそうなのだが、
必ずデジタル、電子系の味付けが不可欠である。

デジタルの師匠、若きプロデューサーDの仕事を
彼の作ったデータを見せてもらったりして勉強する。
そしてある日わかった・・・と言うか、悟った!

彼にとってコンピューターと言うのはワシにとってのドラムと同じ。
つまりアレンジャーにとってパソコンそのものが「楽器」なのである。

その日からワシは電子系に対しての嫌悪感がなくなった。
勤勉で真面目がとりえの日本人気質、「仕事」となれば「好き嫌い」は関係ない職人肌、
さらにはワシの負けず嫌いとパソコン好きが災いして、
今では電子系のアレンジの発注まで来る始末。

でもそのためにワシが幾晩徹夜した?!!!

更には次のXYZの新譜を自分の今までの集大成にするべく
並行して壮大なコンセプトと組曲を1年かけて作り上げているので、
気がついたら北京では2日間寝ずに働いて6時間寝てまた2日間徹夜する生活が続く。

こんな生活がいつまで続く?!!!

その代わり日本に帰ったら反動で15時間寝続けたりする。
人間、寝ないと死ぬのである。
実際「ああ・・・あともう少し行くときっと死ぬんだな・・・」と思う瞬間もあった。
ドラム叩きながら死ぬのは本望じゃが、
このファンキー末吉がパソコンの前で死んでそれでええんか?!!!

と言うわけで、旧正月に里帰りして15時間寝ながら考えた。
音楽的に深いドラミングや、数々のアレンジ、プロデュースの仕事が評価され、
「ドラマー」と言うよりは「音楽人」と評価されることが多くなった今日この頃。
「ドラマー」としてはそんなに自分の前を走っているドラマーを思いつかないが、
アレンジャー、プロデューサーはこの国では若き天才達がたくさんいる。
その人達全てを死ぬまでに追い越すべくもっと頑張るか?

もうええじゃろ、ドラム叩いてなんぼでその金持って飲みに行くのが一番ええわ。

日本では10以上スタジオミュージシャンの値段は変わってないが、
こちらでは年ごとにミュージシャンのギャラが高くなり、私のドラムの値段は
S社長が5年前に当時の一番高いスタジオミュージシャンの値段設定してくれたのだが、
今では他のドラマーに比べてあまりに安すぎるから頼むから値段上げてくれ
とミュージシャン仲間にお願いされても頑として上げず、
その代わりアレンジの値段を最高額に上げた。

ワシに、この額を取ってるあの天才達と同じレベルの仕事が出来るんか?・・・

出来るわけがない。
でもこう言えばアレンジやプロデュースの仕事が減るからそれでいいのよん。
ドラム叩くよん。酒飲むよん。酔い潰れて寝るよん。

ええなあ・・・今年の目標は「頑張らない」

XYZの新譜も半分までは死ぬ気で作り上げたが、
後は橘高にでもおぶせて楽するとすっか・・・

と思ったら今度は橘高がつぶれた。
わかったわかった。やっぱみんな一緒にやろうな。
今年もやっぱ「ちょっとは頑張る」から・・・

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東京にヤサが出来た。

昔住んでた武蔵小山の5LDKマンション。
名義は母の名義なのだが、誰も住まなくなったので人に貸してたら、
今年になって突然出てしまうと言う。

そのまま遊ばしてたら管理費や固定資産税等でおふくろの年金が飛んでしまうので、
不動産屋に「次の借り手見つけて下さいよ」と催促するが、今日びのご時世で
家賃32万、売値5600万のマンションなんぞ貸すに貸せず売るに売れない。

はたと困ってたところに飲み友達のめいりんからメールが来た。
「友達男女4人で共同生活しようと部屋探してるんだけどどこも貸してくれないの」
日本ではルームシェアーの習慣が定着してない上に、
男女の共同生活と言うとまだまだ大家である大人たちには感覚的に受け入れがたい。

「よし、うちに住め!」
とは言ってはみたものの、芸術家を目指す若い男女4人がどれだけ頑張っても
月に32万の家賃を払うのは無理である。

「いくらだったら払えるの?」
「4人合わせて18万」
そりゃあんた安すぎじゃろ!
母にしてみても遊ばしてるよりはいいが32万が18万じゃイメージが悪いじゃろ・・・
「何とか20万出せんか・・・」
「出せない!」
こうもはっきり言うんだからそりゃ絶対に出せんじゃろう・・・
「よし、5LDKに4人やったら一部屋余るじゃろ。ワシが2万円出してそこ借りちゃろ!」

ところが家賃はこれで解決しても次には敷金礼金と言う大きな問題がある。
「敷金、礼金、出せるの?」
「うーむ・・・・そんなに出せないかも・・・」
礼金をゼロにしたら間に立っている不動産屋の儲けがなくなるので不可欠だが、
敷金は単なる預かり金だからナシでもええんちゃうの・・・

ところが大家と借主がそれでいいと言っても不動産屋が商売だからそれでは通らない。
結局敷金はワシが持つことにしてやっと話をまとめた。

ワシ・・・敷金40万払って家賃2万円のヤサを手に入れた男・・・

ワシらの時代からすると「コミューン」とも言うべきめいりん達の新居、
その名も「ファンキー荘」
ワシは月に数回しか帰らないだろうから、
井上陽水のデビューライブのアナログ版がかかってたりする(お前ら年いくつや!!)
素敵なリビングに面したワシの部屋は普段はゲストルームとして使われる。

みなさんも東京に宿が必要になった時には「ファンキー荘」のゲストルームに泊まって、
若き芸術家達のために1000円でも2000円でもカンパしてあげて下さいな。

ファンキー末吉

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2004年12月28日

どれだけ愛していたかは失って初めてわかるもの・・・

ドラム物語

パール楽器のドラムのモニターになってもう20年。
すいかドラムを初代として、
去年北京のスタジオ仕事用に作ってくれた最新のドラムセットまで合計7台、
またファンキー末吉モデルのスティックはもちろんのこと、
消耗品であるドラムヘッドまでその都度提供してくれている。

アメリカでレコーディングする時にはアメリカの支社から必要なセットを送り届けてくれ、
「二井原、お前の今度のバンドのメンバーっつうのはちゃんと演奏出来るのか」
と当初あまりに心配してそう言ってたウェイン・デイヴィスはそれを見て、
「電話一本でパールからフルセットを送りつけさせるこのドラマーは何者だ!」
と目を丸くした。

そう、パール楽器は楽器メーカーとして世界では超ブランドの域に入るのである。
しかしその実は千葉に工場を持つ、ごくファミリー的な会社。
ワシがドラマーとしてパールと一生を共にしようと思ったのは
この会社気質によるものも大きい。

その昔、クリスタルキングのドラマーとして仕事をしていた頃、
お膝元のヤマハにモニターの話を持って行ってむげに断られた。
ところがパール楽器の当時の担当者、市川さんは
むしろ当時アマチュアだった爆風スランプのことを、
「あのバンドはいい。君もドラマーとしてうまいし、モニターやるかい」
と言ってくれてワシとパール楽器との付き合いが始まった。

ある時期、ヤマハがモニター戦略に力をいれ、
パールのドラマーが次々とヤマハに乗り換えていた頃、
いろんな先輩ドラマーがワシにこう言った。
「末吉ぃ。パールなんかやめてヤマハ来いや。待遇えぇでぇ」
ヤマハの当時の担当者もある日私にこう言った。
「河合さんもヤマハのギター使ってくれてることだしさぁ。
末吉くんもぼちぼちヤマハ使ってみたら?」
パール楽器と違い、大会社であるヤマハは担当者がよく変わる。
本社から派遣されたその担当者は職務を本当に一生懸命遂行するが、
パール楽器は逆に会社をやめるまでひとりの人が担当する。
「人間対人間」の関係なのである。

ヤマハの人にはこう言って丁重にお断りした。
「違う担当の方だったので恨みを言うつもりはありませんが、
当時一番貧乏だったあの頃、自社のバンドであるクリキンをやっていながらも
ヤマハは私に何をしてくれようともしてくれませんでした。
でもパールはその頃からずーっと私をサポートしてくれてます。
ですから私は死ぬまでパールと一緒に歩んで生きたいと思います」

パールから提供していただいたドラムセットは全部まだ持っている。
XYZ用と五星旗用の2台を除いては全部北京に持って行き、
「ドラムセットを大事に長く使ってくれるのは有難いのですが、
中国でそれほど活躍なさってて、それが全部古い製品ではそれも問題なので」
と言うことで、わざわざ最新モデルを1台作ってくれ台湾の工場から北京に送ってくれた。

そのセットを始め、今では製造中止の銀色のセットや、
最近では初代すいかドラムも整備をして、
それぞれのセットをよく仕事で使う別々のスタジオに常備してある。
レコーディングの仕事が来た時、
そのそれぞれのスタジオにスティックだけを持って行けばよいので楽である。

そんな生活の中で、最近ドラムに対して気づいたことがある。
それぞれのドラムセットには「人格」のようなものがあり、
ドラムセットはそれぞれが間違いなく「生きている」と言うことである。

木と言う生もので出来てるし、もともと楽器と言うのはそんなものなのかも知れない。
例えば、XYZのツアーが長く、そればかり叩いていて北京に戻り、
久しぶりにスタジオのセットを叩くと、
まるで女の子がすねているかのように言うことを聞いてくれない。
理論的に言うとセットによって音色が微妙に違うので、
それに合わせて叩き方が微妙に違い、
それが微妙に反映して違うセットでは微妙に音が鳴らなかったりするのであろうが、
しかし感覚としてはそれが非常に人間的で、
「あんた他の女抱いて来たでしょ」
ってなもんである。

・・・非常に面白い・・・

そんな時はヘッドを張り替えてあげたり、
チューニングに時間をかけたりしてゆっくり対話してやる。
たっぷりと愛情を注いでやるとやっと機嫌を直して鳴ってくれるようになる。
そう言う点ではすねたらすねっ放しの人間の女の子よりは扱いやすい。

だから最近はドラムのレコーディングとなると1時間は早くスタジオに行き、
なるだけそのセットと会話してやるようにしている。
まあワシも人間の女の子相手にこれをやってればモテるのであろうが・・・

そんなある日、またレコーディングの依頼。
ところが行ってみるとスタジオの若い衆が「フロアタムが見当たらない」と言う。
「今時の若いもんは」はどの国でもどの時代でも共通で、
仕方がないのでその日は14インチのタムをフロアに代用して録音したが、
叩きながら
「いざ本当に無くしてしまって見つからなかったらどうしよう」
と思ったらもう気が気でない。

このセットは基本的に既に製造中止の型番なので、
無くしてしまったらもうそれっきりである。
音が変わってしまうのでフロアタムだけ別の型番でと言うわけにもいかず、
早い話フロアが無くなればすなわちドラムセット全部が役に立たなくなってしまう。

パールさんにお願いして再び同じ材質の同じフロアを作ってもらうか・・・
それもえらい手間と出費であるし、また他のタムタムとの長年の歴史を考えると、
同じ型番であろうと絶対にマッチしない。

このドラムセットは胴が厚く、運ぶにも非常に重く、スタッフにも嫌われるし、
胴が厚いとなかなか鳴らないし、
しまいには癇癪を起こしてぶち捨ててやろうと思ったが、
1ヶ月間叩きに叩き込んでやっと言うことを聞くようになり、
そうなると逆に可愛くてたまらなくなり、
今ではワシの一番好きなドラムセットである。

つまり同じ型番で新しいのを作ってもらっても、
10年以上叩きこんだ歴史がないので決して同じ音色にはなれないのである。

「無くなった」と思ったら、急にこのセットとの数々の思い出が思い出されて来た。
音が鳴らなくて、もう捨ててしまおうかと思っていたあの頃・・・
鳴り始めて可愛くてたまらなかったあの頃・・・
新しいドラムセットが来てそっちに夢中になり、倉庫の隅っこに追いやってたあの頃・・・
北京に行く便があったので「先に北京に行け」とばかり里子に出した・・・
北京のあらゆるドラマーがレコーディングやリハーサルで使ったが、
「このドラムはダメだ。全然鳴らねえや」
と誰にも相手にされなかった。
そのまま誰にも鳴らしてもらうことなく、ずーっとほっとかれてた・・・

北京に引っ越して来て久しぶりにあいつにあった。
誇りまみれのボロボロで、セットを組むにも相変わらず重く、
まるで太ってものぐさで言うことを聞かない駄馬である。

しかしヘッドを変えてやって組みなおし、性根を入れて叩いてやると、
「何?こいつのどこが駄馬じゃ?」
突然生き生きとして昔と変わらぬいい音で鳴ってくれた。
「ほら見てみぃ!」
得意げに人に聞かせるワシ。

それからあいつと一緒にいろんな名演、名盤を残して来た。
あいつはワシを乗せてこの戦場を得意げに走り回り、
この北京の音楽界に「ファンキー末吉」の名を残し、そして歴史を残した。

名馬騎手を選ぶと言うが、
実はワシがあいつを選んだのではない、
ワシがたまたまあいつに選ばれただけなのである。

そんな名馬が片足をもがれたように、こんな些細なことでもう走れなくなるのか・・・
それを思うとワシは悲しくって情けなくって、
そんな名演、名盤を引っ張り出して来て酒を飲みながら聞いていった。

とあるオーケストラとの競演・・・
仕上がってみると結局オーケストラとドラムだけのオケである。
・・・何と言うスケール感・・・
たったひとりで何十人ものオーケストラ相手に一歩も引かず、
スティックを振りかざして切り込んでゆく。

ワシはいつの間にこんなことが出来るようになっとったんじゃ・・・

音楽は偶然の積み重ねである。
このセッションでこの音色、このリズム、このグルーブがあるのは、
神様が与えてくれたほんの偶然に過ぎない。
ドラムなんてもともと、
同じチューニング、同じ部屋、同じ人間が叩いたって毎回全然音が違うんだから・・・

こんなワシがこいつと出会って、
この日、この場所でこんなレコーディングセッションをし、
そしてこんな音楽をここに残した・・・
これはひとつの偶然でしかない。

しかしお互い生きてさえいれば、またこんな偶然を生み出せるかも知れない・・・
もうお前は戻って来れないのか・・・
そう思ったらまた涙が出て来た。

愛とは失って初めてわかるものだと人は言う。
「俺はこんなにあいつのことを愛してたのか・・・」
だったらどうしてもっと大事にしてやらなかった!
どうしてもっと愛してやらなかった!
今さら後悔したところで全てが遅い。

新しいドラムが来たからと言ってさっさと乗り換えていったワシ・・・
北京に里子に出されて誰にも相手にしてもらえなかったあいつ・・・
せっかくステージ栄えするようにと銀色にしたのに、
結局誰にも磨いてもらえずに今ではくすんだ灰色である。
ネジひとつ換えてもらえず、ボロボロのまま走れなくなってしまったのか・・・

こんなことだったらもっと大事にしてやればよかった。
もっと愛してやればよかった・・・
また酒を飲んで泣いた。

数日たって若い衆から連絡があった。
「フロアタム、見つかりました」
電話の向こうで心配してくれてた会社の人が大喜びであるが、
ワシはもう「嬉しい」と言うより「あいつに悪い」と言う気持ちでいっぱいである。

「このことに責任を感じている人間、
そしてこのドラムに少しでも愛情を持ってくれてる人間、
全員集合してこいつの大メンテナンスをやるぞ!」

家から全てのドラムの部品を運び込み、
半日かけてドラムのヘッドを全部外し、ネジを全て締めなおし、
痛んでる部品は全部取り替え、考えられるメンテは全てやった。

しかし紛失されていたフロアタムを始め、全体的に機嫌が悪く、鳴ってくれない。
よくよく調べてみると、もうタムの木本体が張り合わせが浮いていたり、
早い話、いろんなところにガタがきているのである。

「お前も年とったんじゃのう・・・ワシと一緒じゃ・・・」

「よし!」とばかり再びスティックを振りかざす。

「名馬よ。たとえお前の肉体が老いてしまおうが、お前はまだまだ走れる。
ワシもまだまだスティックを振り回せる。
共に死ぬところは戦場じゃ。お互い走れなくなったら共に死のう!
我ら生まれし日は違えども、死ぬ日は同じ日同じ場所!」

まるで三国志演義である。
共感したのかウケたのか、
次の日のライブでやつはとてもいい音で鳴ってくれた。

アホなドラマーのドラムはやはりアホである。
共に一生アホな人生を送ってゆきたいもんじゃ

ファンキー末吉

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2004年11月17日

亜洲鼓魂があるから今のワシがある!!

ホリプロの堀さんが北京にいらっしゃった。

非常に懐かしい!
お会いするのはもう5~6年ぶりではなかろうか・・・

あれは10年ほど前の話・・・
日本は「アジアブーム」に浮かれ、
雑誌やメディアはどこでも中国ネタを取り上げ始め、
企業は不景気から抜け出せない日本から脱却すべく中国に夢を見た。

そんな中で
その数年前に既に中国にかぶれ、挙句の果てに中国人と結婚して
家庭内言語を中国語で暮らしているアホなドラマーにみんな興味を持った。

いちいち呼ばれて飲みに行くのもめんどくさいので
新宿で中華料理の屋台「萬吉」を開き、
そこで定例の如く業界の人間が集まってアジアの話をする、「アジア会」
と言うのがいつの間にか始まりだした。

日本で初めての中国ロック専門のレーベルを設立したJVCビクターを始めとし、
中国ロックの創始者「崔健(ツイ・ジェン)」を日本デビューさせた東芝EMI、
酒井法子を有するサンミュージック、
「第二の山口百恵」を探すべく中国で40万人オーディションを開き、
現地でプロダクションも設立して
中国の「ホリプロ3人娘」をデビューさせたホリプロ、
他、全アジアに支社を設立したポニーキャニオンや
中国最大のレコード会社ロックレコード等々、
中国と音楽に関係のある全てのそのトップの人たちが
何故かこのキタナイ屋台に毎月顔を出し、
北京家庭料理を食いながら北京の二鍋頭酒と言う56度の白酒を飲んでアジアを語った。
堀さんともこの中で出会ったである。

今思えばそうそうたるメンバーであるが、
思い起こせば北京にアミューズ北京まで設立して本格的に中国進出に乗り出した
所属事務所であるアミューズの国際部だけがあまり顔を出さなかったように思う。
アミューズだけが何故かワシを相手にしてくれなかったのである。

そんな風だからワシは
アミューズに所属しながら、爆風のレコード会社であるSONYではなく、
言わばライバル会社と言ってもよいであろうホリプロからソロアルバムを出すこととなり、
結果ワシの夢は叶い、「亜洲鼓魂」は日本と中国で発売され、
そのまま華僑ネットワークでアジア中の国々にライセンス(か海賊版か知らんが)された。

その後、そのアルバムで歌を歌ってもらった新人歌手、
「李慧珍(リー・ホイチェン)」のデビューアルバムをプロデュースし、
彼女は結果的にホリプロ中国三人娘より先に成功し、
いろんな新人賞を始めとしてワシも十大金曲作曲賞を受賞、
それが認められて日本レコード大賞アジア音楽賞を受賞した。

その受賞パーティーを
所属会社であるアミューズではなくホリプロ仕切りで開催するのも変な話であるが、
そのパーティーの席で堀さんはスピーチでこう言ってウケをとった。

「もうアジアはこりごりですよぉ。みなさんもういい加減にやめましょうよ。
結局得した人はファンキー末吉ぐらいなもんなんですから」

そして堀さんの言う通りそのままアジアブームは収束を向かえ、
全ての音楽系企業は中国から撤退した。
JVCも、ポニーキャニオンも、アミューズも、そしてホリプロも・・・

あの時アジア、アジアと声高に言ってた人は、
熱病がさめたかの如く本業に戻り、もしくは今度は韓国ブームに踊らされ、
ワシだけがこうして今、北京で暮らしている。

ワシは本当に得をしたのか?

こちらに来て徒然に考えてみた。
「何でワシはこれほどまで中国が好きやったんやろう・・・」

確かに「友人のためなら人をも殺す」と言う北京人気質は大きい。
中国ロックも大きな感銘を受けたし、
食文化をはじめ、ここの生活や風土(極寒の冬を除く)も大好きである。

ワシは死ぬならここ、北京で死にたいと思っている。
いや、そう心に決めている。

なんで?・・・

BEYONDの黄家駒が死んだりして、
まあ年をとるといろいろ考えたりもするんだけども、
思うにまあ人間生きてるうちに出来ることってそんなにないのよね。

いろんな夢見て挫折して、またいろんな夢みて、それでも結構叶って来た。
レコードデビューも出来たし、挙句の果てに個人名義のソロアルバムまで出してもらった。
ドラマーの夢である自分モデルのスティックまでPearlさんに作ってもらっている。
あの程度だが金持ちになったこともあるし、美人女優と浮名を流したこともある。

でもある時、自分の若い頃の夢を思い出した。

当時の四国の片田舎ではレコード店には演歌と歌謡曲しかなく、
探して探してロックやJazzのレコードを手に入れた。

そこで聞いた数々の音楽、それはワシにとってかなりの衝撃だった。
「この人たちは人間ではない」
そんな神様にワシはなりたかった。

本当はJazzピアニストになりたかったが、
選んだ楽器と言うか楽器に選ばれたと言うか、
手の小さいワシは縁あってスティック握ってドラムを叩いている。

ニューヨークに行ってJazzをやるか、東京に行ってロックをやるか、
でも縁あって東京に行ってバンドをやり、
親の功徳か前世の成就か、
はてまた死んだ姉の霊的加護のおかげか何故かあのような成功を収めることが出来、
しかしひとつの成功はまたひとつの苦悩を生む。

まあ今思えばあの成功はワシには分不相応に大きすぎたのと、
あと、ちょっとだけ種類が違っていた。

テレビなんかでアイドル達とご一緒させてもらうと思うけど、
やっぱあの人たち・・・凄い!
歌手の人たちもやっぱ・・・凄い!

こっちでまたプロデュースするハメになった新人の女の子も、
やっぱインタビューした時に言うとった。

「私もいつかあんな風に大勢の人の前で歌ってテレビにも出て、
みんなに知られてて、愛されてて、そんな大きな歌手になりたい」

みんな凄いわぁ・・・
ワシ・・・悪いけど一度もそんな大それた夢みたことない・・・
恥ずかしいわぁ・・・あんなプロ達と一緒にテレビなんか出て・・・

顔も売れるから人にサインを求められたりもする。
「爆風の人ですか。ファンなんです。サイン下さい」
サインしながら時々こう聞かれる。
「あのう・・・爆風の何やってる人でしたっけ・・・」
そんな時は時々黙って「パッパラー河合」と書いたりする。

ワシはやっぱ日本にいると永遠に「爆風の人」である。
ところが北京ではワシはただ「ドラムのうまい人」である。

ワシは別に街歩いてて振り返られる有名人になりたくて東京出て行ったわけではない。
ワシはただ・・・あの時聞いたレコードの中の・・・あんな・・・
神様になりたかった・・・

まあ今だに神様からは程遠いが、
ワシはここにいれば「ドラマー」として生きられるのでここにいる。
ここはワシにとってほんの少しだけまだその頃の夢に近いのである。

そしてそのスタートとなったのが
アジア会がきっかけとなって生まれた「亜洲鼓魂」なのである。

若いミュージシャンと初めて仕事をする時に、
「高校の頃あのアルバムを聞いた」と言われることが多い。
あのアルバムは中国の今のワシには非常に大きな地盤となっているのである。
だから堀さんが北京に来ると聞いたからどうしても会ってお礼が言いたかった。

「堀さん、あのアルバム出してくれてありがとう。
あれがあるから今のファンキー末吉があります」

夕べは堀さんと、李慧珍(リー・ホイチェン)、
そしてホリプロ3人娘としてデビューしたダイヤオも来てて懐かしかった。
あれから10年近く会ってないのである。

なにせこのワシの最近の生活である。
若い娘と話をすること自体が久しぶりなのでそれだけでも感激しているのに、
懐かしい上にまたふたりともしばらく会わない間に美人になって、
そしてやっぱ現役の歌手なので何より華があるね。

李慧珍(リー・ホイチェン)なんか初めて会った時はまだ18歳とかそのぐらいだった。
アルバムのレコーディングの時に20歳の誕生日を祝ってあげた記憶があるから、
・・・もう三十路?・・・
ダイヤオは確か・・・彼女より年上?・・・

見えんのう・・・

会社が撤退して堀さんがその後の彼女たちを非常に心配してたけど、
大丈夫、彼女たちは十分たくましい。
ホリプロは確かに金銭的には損をしたのかも知れないが、
でもそのおかげで今、彼女たちがいるし、そして何よりも今もまだ歌を歌っている。
これは素晴らしいことだと思う。

ついでに今のワシもいるし、今もドラム叩いている。
(小さいフォントで書いたつもり)

確かに10年前のアジアブームで、
中国で損した人の話はよく聞くがあまり儲けた人の話は聞かない。
2008年オリンピックが近づいたら、また日本が中国ブームに沸いたりするんだろうか。
そして加熱するだけ過熱したらまた何事もなかったかのようにブームが去り、
残された人の中で儲けた人もいれば、また損した人もいることだろう。

でも得をすると言うことは何も銭金のことだけではない。
ワシはそりゃ中国のおかげでひと財産潰したが、でもおかげで今の生活を得た。

うん、ワシは確かに一番得したかも知れん・・・

ファンキー末吉

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2004年11月11日

零点(ゼロ・ポイント)の新しいギタリストは日本人?!!

前回の来日は長かったぁ・・・

2週間もの間日本を空けるのは久しぶりである。
飲むヒマどころか飯食うヒマも寝るヒマも風呂に入るヒマもない北京での生活の反動で、
ツアー中は飲むは食うわ、数キロ痩せた身体にお釣りが来るほど肉がつく・・・
昔は忙しい日本での生活から逃げるように北京に来てたものだが、
それがすっかり逆転してしまい、
今では日本に帰って初めてゆっくり出来ると言うありさま・・・

ツアー終了後、橘高文彦のソロアルバムに参加するために東京に向かった。
ドラムを叩く仕事なら大歓迎である。
予想通りの体力モノのツーバスを命がけで踏みながら生きてることを実感する。

まあこの体力モノばかりを10曲、2日間で全部録音し終えてしまうのはかなりしんどいが、
北京での生活のように朝から朝までパソコンと格闘しているよりはマシである。
ワシは「ドラマー」なのである。

「末吉さん、北京帰ったらまた忙しいんですか?詞を1曲書いて欲しいんですけど・・・」
詞ぃですかぁ?・・・
一番苦手な分野であるが、橘高の頼みなら仕方がない。
やるのはかまわんが問題はその時間、あるんかなあ・・・

この来日のためにいろんなプロジェクトをぶっちして帰って来たからなあ・・・

まず零点(ゼロポイント)。
(関連ネタ:http://www.funkycorp.jp/funky/ML/78.html、http://www.funkycorp.jp/funky/ML/92.html)
「今回のアルバムは
メンバーがそれぞれ気に入ったアレンジャーに2曲づつやってもらう」
と言うことで2曲だけですむやったのが、ちと頑張りすぎたのか、
「やっぱお前のんが一番ええわ。やっぱお前が9曲全部やってくれ」

ひぇーーー

「2週間も日本に帰るのか?そりゃ帰るまでにあと7曲全部アレンジしてくれなきゃ困る!」

ひぇーーーひぇーー

んなもん2日や3日であと7曲もやれるはずもなく、
結局やっと出来上がった3曲だけを渡して逃げるように帰って来た。
あとは知らん!勝手にやっといてくれ・・・

「北京に5セットあると言うお前のドラムセット全部スタジオに運び込んで
アルバム10曲全部ドラム叩いてくれ!」
と言うギタリストWの新しいユニットのレコーディング。
アレンジも数曲上げ、非常に楽しみにしてたのだが結局スケジュールが合わず、
他のドラマーが叩くと言うことでドラムセットだけ貸してあげて逃げるように帰って来た。
いいアルバムに仕上がることを願う。

「3枚目のレコーディングやってんだけどまたドラム叩いてくんないか」
と言うプロデューサーLの女子十二樂坊のレコーディング。
(関連ネタhttp://www.funkycorp.jp/funky/ML/91.html)
まあこう言う時に限って来日の2週間がデッドラインやったりするんやなぁ・・・
やってあげたいのはやまやまじゃが逃げるように帰って来た。

「いつ時間あんの?この前アレンジやってもらった曲、早くレコーディングしなくちゃ」
と言うS社長んとこの新人のプロジェクトはそのままずーっとほったらかしてるし、
頼まれた陳琳のブラスとストリングスアレンジは、
譜面までは起こしたもののスタジオに入ってレコーディングする時間がない。
すまん・・・ほな逃げるように日本帰るんで誰か使って適当にやっといて・・・

あれ?・・・なんや結局ぶっちして消えてしまった仕事はドラムの仕事が多く、
帰ってもまだやらねばならんのはアレンジとかが多いやないのん・・・

・・・ドラマーとして生きるために北京に移り住んだのになあ・・・

ま、でも零点(ゼロポイント)さえなければ詞ぃ書くぐらいなんとかなるじゃろ。
確か今月半ばにはレコーディングを終え月末には発売と言うとったから、
まあワシが北京に戻った頃にはレコーディングも終了してるはずである。

「いいよ、ワシの詞なんかでよかったら使ってやって下さいな」
橘高の申し出を快諾し、またドラマーじゃないことを背負い込んでしまうことになる。
そしてこれが後に自分の首を大きく絞めることになることを
その時点では夢にも思ってなかったのである・・・

北京空港に着いて、中国用の携帯の電源を入れたとたんに電話がなった。
「おう、ファンキー!やっと帰って来たか」
零点(ゼロポイント)の会社の人間である。
「待ちかねてたんだよ。じゃあ、明後日からスタジオ入るからね」

あのう・・・レコーディングはワシのいないうちにやり終えてしまってたのでは・・・

「やっぱお前がいないと始められないと言うことでずーっと待ってたんだよ
とりあえず明後日までに残りの曲を全部アレンジしてくれ」

ひぇーーーー

ぶっちしてたつもりがポーズ押して停止してただけなのね・・・
マスターが仕上がったら1週間後にCD発売されるこの国では、
発売日なんぞあってないようなもんなのである。

「そいで、ギタリストはやっぱ日本から呼ぶことにしたら
誰かいいの探して明々後日に連れて来てくれ」

ひぇーーーーひぇーーーー

零点(ゼロポイント)は先日ギターとキーボードが脱退し、
現状ではサポートメンバーを使って活動している。
前々から日本のギタリストを呼ぼうとは言われていたが、
どこの酔狂なギタリストがわざわざ北京くんだりまで来ますかいな・・・

まあ前々から言われてたように「半年北京で住め」と言うならまず不可能だが、
レコーディングだったら1週間でいいんだからなんとかなるかも・・・

まず彼ら自身の第一リクエストであるXYZのギタリスト、橘高文彦・・・
・・・んなもんさっき橘高ドラム叩き終わったところなんやから今から佳境やないの・・・
ソロアルバムと北京入りやったらまずソロアルバムが大切でしょう・・・ボツ!

まるっきり面識のない人間でも困るので、近いところから片っ端から連絡をとってみる。
山本恭司・・・シャラ・・・高崎晃・・・
んなもんみんないきなり明々後日から1週間なんて空いてるわけないやないの!!!!
ボツ!

困り果ててた時に、自宅にてJUNXION(ジャンクション)のCDを発見。
去年XYZレコードからデビューしたハードロックバンドである。
「こんなんどうかなあ・・・」
ダメ元でメンバーに聞かせてみる。
「非常にいいじゃない。彼で行こう」
本人のいないところで勝手に話が決まる。

胸を撫で下ろしたワシはギターの櫻田に電話をし、
「お前、どんな大事な用事があろうが全てキャンセルしてすぐ北京に来い。
断ったらお前らのバンド、潰す!」
と言い放ち、電話を切る。
あとはワシの日本の美人秘書がチケット等を手配してくれる。
やはりこのような人間関係をいたるところで構築しておくべきじゃのう・・・

と言うわけでジャンクション櫻田はチケット代が一番安いパキスタン航空に乗せられ、
彼にとって生まれて初めての海外である北京空港に降り立った。
北京のワシのアシスタントがピックアップに行き、スタジオまで連れてくる。

「お、来たね。マーシャル用意しといたからね。
明日から5日間で5曲。録り終えなければ帰さないからね。
一応パスポートと帰りのチケットは預かっとこう」

こうなるともうタコ部屋状態である。
そのままホテルに帰って、渡された譜面とDEMOを聞いてちゃんと弾けるように練習して、
スタジオに来てちゃんと弾けたら次の日のを渡され、
最後までちゃんとやれたら日本に帰れるが、ひとつでもつまづいたら帰れない。
どっかのテレビ番組の罰ゲームのようなものである。

また今回のアルバムは中国の民謡や童謡や古い歌謡曲のカバーアルバムなので、
特に京劇とかの舞台曲とか民俗音楽系は非常に難しい。
外国人に歌舞伎が難解なのと同じように、
これをロックにアレンジすると変拍子がいっぱい出てきてまるでプログレである。
しかもそのうちの2曲は16部音符の超早引きフレーズが
書き譜で最初から最後まで指定フレーズとして書かれている。
しかも中国人なら誰でもそのフレーズを知ってるわけで、
少しでも間違ったり直したりするわけにはいかないのである。

「こんなの弾けませんよぉ・・・」
ナキを入れる櫻田に、
「アホか!民族楽器が原曲ではもっと早いスピードでオールユニゾンやがな。
自分のバンドでもっと早弾きしてるギタリストが弾けんわけはない!」
と渇を入れる。

「運指が全然違うんですよぉ・・・こんなのイングヴェイでも弾けませんよぉ・・・」
とナキを入れながらジャンクション櫻田の眠れぬ生活が始まる。

でも考えて見ぃ!ワシはこの難曲を1週間かけて解析して
ロックにアレンジしてDEMO作って譜面書いて何日徹夜してると思とんねん!
おまけに今回は昼間ギター録りしながら夜は次の曲をアレンジ、
その合間を見ながら他の仕事もこなさなアカンのやでぇ・・・

他の仕事・・・他の仕事・・・
しもたぁ!!!!橘高の詞ぃ書かなアカン!!!

音楽仕事も水商売と同じで、忙しい時に仕事が来て、ヒマな時は閑古鳥である。
まあ、ワシが寝れんのやからお前も寝るな!
ってなもんでジャンクション櫻田は
初めての外国での唯一の知り合いであるワシにかくも冷酷に突き放され、
罰ゲームのようなレコーディングに突入するのであった。

部屋から出ようにも外国なので怖くて出れないし、
英語もわからないのでコミュニケーションも出来なくて、
国際電話をかけれるようになるのに1日、
部屋のポットでお湯を沸かすのに2日、
腹が減ってたまらず、
勇気を振り絞ってホテルの下のSUBWAYでサンドイッチを購入するのに3日、
近所のコンビニでビールを購入できたのは最終日の5日目であった。

ワシはワシで11月4日には北京Jazz-yaでJazzライブも入ってるので、
ギター録りはその日から夜中にやることになり、
ひとりで買い物も出来ないジャンクション櫻田は
朝方ホテルに帰ってから夕方までひたすら腹を減らしてギターを練習していたのであった。

かくしてギター録り5日目。
鬼のようなパンチインを繰り返した問題の超難曲を含め、
予定されていた5曲全部を無事に録り終えた。
ジャンクション櫻田もさすがにヘロヘロであるが、
中国ではプロデューサー自身がパンチイン、パンチアウト
等、プロトゥールスの操作全てを自分でせねばならないのでワシももうヘロヘロである。

ギターや機材を片付け終わり、ビールの栓を開けたジャンクション櫻田が、
そのまま録音データを整理しているワシに一杯ついでくれる。
もう朝方である。いっぺんで酔いが回る・・・

予備日として予定してあった明日、正確には今日はジャンクション櫻田はOFF。
「僕ぅ・・・どうすればいいですかぁ・・・」
捨てられた子犬のような顔でワシを見る櫻田。
ほっといたらこいつ、
ヘタしたら一日飯も食わずにずーっと部屋から出ないんではないかと思いつつも、
ワシは1時から、つまり数時間後には女子十二樂坊のレコーディングである。
プロデューサーLは彼女たちの民俗楽器の部分を先に録り終え、
ワシが帰って来るのをてぐすねを弾いて待っていたと言うわけである。

「何だって?お前これからプロデューサーLの仕事か?」
スタジオのエンジニアがびっくりしてワシに聞く。
そうだよと答えると
「そうかぁ・・・それはお気の毒に・・・」

彼の病的に細かいこだわりぶりは業界では有名な話で、
「明日何曲叩くの?ヘタしたら朝までだよ」
と本気で同情する。

まあ確かに他のアレンジャーよりは数倍時間はかかるが、
まあ今まで何度か仕事をやったが長くても2、3時間で終わっているので、
まあ何曲録るのかわからんが
夜には零点(ゼロポイント)のレコーディングに戻って来れるだろう、
とスタジオを夜にブッキングして家に帰る。

翌日、正確にはその日の数時間後、Lは時間通りにスタジオに来ていた。
世間話をしながらドラムをセッティングする。

ドラムセットと言うのは面白いもので、
まあ楽器と言うものはそんなものなのだろうが、
それ自身が生き物のように人格を持っている。
同じセッティング、同じ環境で叩いても毎回音が違うし、
久しぶりに叩くとしばらく相手にしてなかった恋人のようにすねて音が出なかったりする。
またワシのように7台も持っていると、
例えばXYZのツアーから帰って来てこのドラムを叩いた時、
「あんた、他の女抱いたわね!」
てなもんで音が出てくれなかったりする。
まあ楽器によって鳴らし方が微妙に違うのでフォームが違って来るんでしょうな。

機嫌を直すには女性と同じでひたすらかまってあげるしかない。
恒例のごとく長い間かけてチューニングしてあげると
やっと機嫌を直して言うことを聞いてくれるようになる。

プロデューサーLは世間話をしながら、
いつもの笑顔でワシと恋人達との音での会話を見ている。
「今日は何曲録るの?」
と聞くと、
「一応2曲で、発注しているアレンジが間に合えば3曲」
まあ少なくとも夜中には終わるだろうから12時ぐらいには零点の方に行けるじゃろう。

セッティングが終わって曲を聞かせてもらう。
壮大なクラシックの組曲のような大曲で、
3拍子と4拍子が入れ混じった変拍子の何曲である上に、
ご丁寧に途中には小さなドラムソロが3箇所も用意されている。

「ガイドドラムは?」
と言うと、「今回はない」と言う。
つまりどう言うリズムでどう叩けばいいかと言うことがわからないのである。

彼が簡単な構成譜を書いて、
口頭で彼がイメージしている叩き方を聞いてそれに書き込んでゆく。
打ち込み系の音楽はパンチインでぶつ切りで録音してゆけばよいが、
こう言うクラシック系の曲は強弱が難しく、大きな流れもぶつ切れてしまうので、
「とりあえず全体を把握するために、何度か合わせて叩いてみますか」
と言うことになり、この巨大組曲との格闘が始まったころ電話が鳴る。
OFFを満喫しているはずのジャンクション櫻田である。

「ホテルの人が来て、予約は今日までだって部屋追い出されちゃったんですよぉ」
んなわきゃないやろ!金は明日まで払うてるがな・・・
「そりゃ間違いや言うて交渉せい!」
と言ってもそりゃ無理な話であろう・・・
日本語の喋れるアシスタントを手配してそちらに行かせるよう段取りする。

巨大組曲との格闘は続く・・・
例によって「こう叩いてくれないか」と言う彼の要求を織り込んで何度かやってみる。
「どうも違うなあ・・・」
最後には彼自身がスティックを持って自分で叩く。
それを聞きながら、「じゃあこう言う感じか?」と叩いてみる。
何せ1曲が長いからこの作業だけでも大変である。

電話が鳴る。
「そのホテルに払ったお金の領収書が必要なんですが・・・」
ジャンクション櫻田である。
お金を払った零点に連絡とって段取りする。

巨大組曲との格闘は続く・・・
だいたいどう叩けばいいかが決定し、
ラフに最初から最後まで通して録音し終わった頃にはもう夕方である。
それまでに録ったテイクは5パターンを超え、スティックももう何本も折れている。

女子十二樂坊のレコーディングでスティックが折れるとはのう・・・

それからそれを基にしてちゃんとしたテイクを録音してゆく。
こだわり満載の彼は、「こう言う風に叩いてくれ」まで細かく指定するが、
打ち込めばそのまま音が出る機械と違って、
生ドラムの場合は手順であったり音の強弱の問題もあってそうはいかない。
例えば
「そこはタムとスネアでこう言うフィルを叩いてくれ」
と言うのを、
「その前にこのフレーズをこう叩いているのに、
その次にダブルストロークを入れると音量が下がって全体的には盛り下がるでしょ。
だからここはむしろタムを両手でフラムショットで叩いて、
その合間はスネアではなくバスドラで埋めるべきよ。
そしたらこうなるから音量も上がるしもっと盛り上がるでしょ」
といちいち1回1回録音し直して納得させる。

日本のスタジオミュージシャンはプロデューサーのイエスマンで仕事をする人が多いが、
こちらではそれぞれがアーティストとして認め合っているので、
必ず「自分はこうするべきだと思う」と言うのをはっきりと言わねばならない。
そりゃそうだ、音楽の構築は全部彼がやっているが、
ドラムを知っていると言うことに置いては彼はワシにはかなわないんだから。

「君の考えではタムはここから出てくるでしょ、
でもタムって出てくるともう消えたら寂しくなっちゃうわけ、
だからここのパターンは君の考えたパターンではなく、
むしろタムを使ったこのパターンに変えた方がいいと思うよ」
更にパターンを変え、また最初から録りなおす。

彼も満足し、基本的なリズムが構築された頃にメシ。
その頃には録ったテイクは10を超え、折れたスティックは10本を超えている。

橘高の体力モノのレコーディングでもここまでは折れんかった・・・

さて最後の難関は小さなドラムソロ。
と言うよりほんの小さなドラムピックアップのフィルイン程度なのだが、
通常でもフィルイン全てを全部パンチインして直す彼のこと、
そのフィルインの連続であるこのセクションでまたスティックを何本も折る。

結局録り終わったのは11時過ぎ。
つまりセッティングから始まって10時間、まあ連続して8時間はドラムを叩き続けている。
スタジオの人はあきれ顔でワシに同情するが、
なに、ワシはドラマーである。ドラムやったら何時間でもまかせんかい!
ワシ待ちである零点(ゼロポイント)や、
最後の北京の夜であるジャンクション櫻田からもがんがん電話かかって来るが、
「よし!次の曲!」
きっと脳内には物凄いアドレナリンが出てるのであろう、物凄くハイである。

あとの2曲はこの曲ほど難しくもなく、
それでもフィルインのひとつひとつを全部直す勢いで、
まあ1曲2、3時間ペースと言うところで3曲全部叩き終えたのは朝の7時。
つまり18時間ずーっとドラム録りをしているのである。

ひぇーーー・・・

でも先週まで「ワシはドラマーじゃぁ」と言うとったんじゃから仕方がない。
ドラマーならドラム叩きながら死ぬつもりじゃないと。

と言いつつもよく考えたら
ワシはそのまま昼の1時には同じスタジオでまた別のドラム録りである。

「6時間後かぁ・・・どうする?」
エンジニアと顔見合わせる。
「俺はもうこのままスタジオで寝る」
エンジニアは帰宅を放棄、そのまま翌日に備えるが、ワシは・・・

「あ、そう言えばジャンクション櫻田は6時にホテル出発で帰国ではないか!!!」

ピックアップは手配して置いたが、
無事にチェックアウトして空港までたどり着けたかどうか・・・

心配する余裕もなくまた気がついたらドラムを叩いている。
このスタジオには自分のドラムセットを置いているので、
「おっ、ファンキーが叩いてんのか?そいじゃあ俺のも1曲頼もうかな」
と言うことも少なくない。
よそのドラム録りのついでにやれば
セッティングの時間も音作りの時間も要らないので便利なのである。

その日は途中ちょっとストリングスのレコーディングも入っていたが、
ドラムセットはそのままにして
その前に窮屈にオーケストラが入ってレコーディングしている。

このスタジオではワシのドラムが一番偉いのである。

ストリングスが終わり次第そのままドラム録り。
結局その日は2本のドラム録りを追え、
次のスタジオに行って零点(ゼロポイント)のデータの整理をしてそのまま日本に帰る。
ドラムももう十分叩いたじゃろ・・・

飛行機に乗ってふと思い出す。
「そう言えばジャンクション櫻田はパキスタン航空やったなあ・・・」
パキスタン航空はリコンファームが必要である。

「そう言えばリコンファームしてなかったなあ・・・無事帰れたかなあ・・・」
まあ帰れんかったら帰れんかったでええかぁ・・・
このアルバムは恐らく数億の中国人が聞くこととなるわけやから、
当然毎日のようにテレビラジオで流れるやろうし、
何万人いるかわからんが中国のギタリストが全てコピーすることになるじゃろ。
言わば日本では知る人だけぞ知るギタリスが
中国では知らない人はいないギターヒーローになるわけやからなあ・・・
そのまま零点(ゼロポイント)のギタリストにでも納まっちゃえば
彼らと同じく大金持ちになれるわけやしなあ・・・

ジャンクション櫻田の運命やいかに!!

ファンキー末吉

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2004年9月30日

「海賊版撲滅!」を声高に叫びながら・・・

忙しかったぁ・・・

毎週週末にはライブで日本に帰ってたと思ったら、
北京ではそれこそ寝るヒマがないぐらい仕事が来る。

と言ってもいつものように「ちょっとドラム1曲叩いてくんないかなあ」とかだとまだいいが、
アレンジだのプロデュースだの、ああ言う仕事はドラムと違って、
「ひょいと行ってちょちょいと叩いてはいおしまい!」
と言うわけにはいかないので非常に時間を食う。

まあギャラと言えばドラムの数倍はくれるが、
その代わりドラムは1日で数曲叩けるがアレンジとなるとそうはいかない。
どうアレンジするかを考えて1日、DEMOを作って1日、
本人に聞かせて意見を聞いて1日、それを繁栄させて1日、
スタジオに入って2日、最終段階のミックスダウンで1日。

軽く1週間はかかるやないの!!!!

また悪いことにヒマな時は何もなくずーっと飲んだくれてると言うのに
仕事が来る時にはどう言うわけか必ず同じ時期に重なるのである。
「新しいユニットをデビューさせるんだけど3曲ほどアレンジを・・・」
バブルで好景気な中国では新しいプロダクションやらレコード会社やらもどんどん設立され、
どこかのスタジオでは必ずどこかの新人のレコーディングをやっている有様である。
「週末日本に帰るから来週ね」
と答えても、中国では必ずデッドラインを提示される。
「今週末までに必ず仕上げてくれ」

そりゃいくらなんでも無理じゃろ・・・

何とか週明けまで延ばしてもらって、日本でのツアー中にアレンジしようと思ったら、
また他の人から曲を書いてくれだの、アレンジをしてくれだの、
挙句の果てにはとある打楽器ミュージカルの音楽監督までやらされて、
製品レベルの楽曲を2曲明日までに書いてくれとか言われる。

ワシはアレンジとか作曲とか本当は好きじゃないの!

ずっと前から、若手プロデューサーDに
CuBaseを使った新しいシステムを購入しろと言われて久しい。
そんなことしたらまた一日中パソコンの前に座り込んで、
「自分は何をする人ぞ」ってな生活になってしまうのでずーっと断り続けていたのだが、
「俺が揃えるシステムとまるで同じものを揃えてやるから。それだと楽だろ?」
と押し切られ、
ついにあらゆる音楽ソフトや山ほどの音源をいっぱい入れ込んだ最速のマシンが届いた。
ちなみにソフト類は全部海賊版である。

ええんかい!

だいたいさっきまで
「海賊版のおかげで俺たち音楽家の収入が少ない」
と熱く語ってたのに、そう言う奴に限って自分は絶対正規版を買わない。
まあこの国だと正規版を探す方が難しかったりするのだが・・・
正規版だと思って買ったらネットでダウンロードした海賊版をそのまま売ってたり、
聞くところによるとこちらでは時には正規版より海賊版のほうが優れてたりする。
CuBaseも本当はUSBでハードウェアKeyを差し込んでなければ起動しないそうだが、
こちらではもう最初っからソフトを改造してあって、
そんなものはいらないからUSBにアクセスしない分動作が速いとか・・・

しかし日本では今だに著作権印税が大きな収入だというワシが
こうやって海賊版満載の最速パソコンなんて使ってていいものだろうか・・・
(ほんまは犯罪です!すまん!)

まあ罪悪感より仕事が優先である。
製品レベルのものをスタジオに入らずに
期限までに納めるにはやはりこの新しいシステムに頼るしかない。
何せ世界最高のソフトと音源が山ほど入っている夢のマシンなのである。

使ったことのないソフトを説明書もなくさわりながら
ひとつひとつ学習しながら仕事をするのでよけいに時間がかかる。
また朝から朝まで何をやっとるのかわからん生活をしながら、
もうすぐ日本に帰らねば、そのためには仕事を終わらせねばと言う時に電話が鳴る。

「お前、歌手のMに曲書いただろ。
俺審査員で呼ばれて決勝大会に呼ばれて行ったら1位になってたよ」

去年、まだレコードも出てない女性歌手に頼まれて曲を書いてレコーディングした曲が、
何と中国最大の新人歌手コンテストで、
歌手部門と楽曲部門の両方でグランプリを取ったと言うことである。

案の定、この忙しいタイミングに絶妙にその歌手が訪ねて来る。
「ファンキー、ありがとう」
と例によって派手な賞状とトロフィーを渡されたまではいいが、
「すぐにこの曲の本ちゃんの歌入れをして、
至急MTV撮って、テレビ、ラジオ局にプロモーションをしなきゃ」

「本ちゃん・・・ですかぁ・・・」
そうなのである。
こちらではレコードを出す前にヒットチャートに入れるのが普通なのである。

「これがきっかけで、ある企業のイメージガールとしてその会社の曲を歌うことになったの」
嫌な予感がしたが、案の定
「だから来週頭までに曲書いて」
と来る。
しかもMTVを撮るのでそれまでに製品レベルの完成品を作らねばならない。

「また製品レベル・・・ですかぁ・・・」
これはもうこの新しいシステムに頼るしかない。
とりあえず日本でネタを考えれるだけ考えて、
それを持って戻って来たらこの世界最高のソフトウェアと世界最高の音色で・・・

夢のマシンがあるんだから何でも出来ると思ったら甘かった。
だいたい何万もある音色をどうやって選べと言うんじゃい!
全部聞くだけで何週間もかかるわい!
またタダやから言うて
あんなにたくさんのソフトやプラグインをこの短期間で使いこなせるわけないやないの!

少しでも使い勝手がよくなるようにとあーでもないこーでもないと設定をいじってたら、
どう言うわけか今度はソフト自体が立ち上がらなくなってしまった。

こうなったらもうパソコンとの格闘である。こんなの音楽でも何でもない。
同じ海賊版をダウンロードしようとネットにつないで検索しまくったり、
同じソフトを持っている友人を探しまくったり、
ますますどんどんと「音楽」と言う作業から遠く離れてゆく・・・

そんな中で久しぶりのモンゴル族中国人から電話が来る。
せや!こいつがおったぁ!
昔彼にシステムを見せびらかされた記憶がある。
よし!こいつからソフトをコピーさせてもらおう!

「ソフト?ちょうどいい。
今日はお前の家の近くの友人と飯を食う約束があるのでハードディスク持って行くよ」
ありがたい話である。
持つべきものは友達である。
かくして彼と彼の友人達と飯を食う。
外でこんなにゆっくり飯を食うのは久しぶりである。

「ファンキー、紹介するよ。彼はチベットの友人で・・・」
なるほどなるほど、紫外線に焼けて肌が黒かったり、代表的なチベット族の顔立ちである。
「あと彼は朝鮮族の友人で・・・」
なるほどなるほど、目の細さかげんとか、エラの張り具合とか、朝鮮族って顔である。
「そして俺がモンゴル族だろ。
俺たち音楽学校の同窓生で、今日10数年ぶりに会うんだ」
チベット族と朝鮮族とモンゴル族と日本人。
中国で飯食っててひとりも漢族がいない。

「じゃあ乾杯!!」

忘れてた・・・モンゴル族は食事の度に白酒なのじゃ・・・
しかも10数年ぶりに会う友人と・・・こりゃまともにすむわけはない・・・
またその朝鮮族が酒が強い強い!
チベットは空気が薄いのでチベット族はあまり酒は飲まないと言うが、それでも強い強い!
山ほどの料理と10数年ぶりの積もる話・・・そして浴びるほどの酒・・・

・・・こりゃソフトのインストールどころじゃないわ・・・

「ハードディスクを貸してくれたら自分でインストールするから」
と言ってはみたものの、
「海賊版はハッカーによってインストールのやり方が違うから無理」
と無碍に却下さる。
大宴会の後に千鳥足でやっとうちに帰って来て、
彼がひとつひとつソフトをインストールするのを見てて驚いた。
CDがないとインストール出来ないソフトはバーチャルCDを何種類も使い、
システムIDからシリアルナンバーをGetして、
それからオーサライズKeyをGetする方式では、
ご丁寧にそれぞれそれを返してくれるハッキングソフトがついてたりする。
あるソフトなどは、インストールしてパソコンを再起動したら、
そのまま何もせずにまたもう一度パソコンを再起動する。
なんで?

「ああ、このソフトは2回再起動しなきゃならんと言うことが判明した」

しかしよくこんなにたくさんのそれぞれのソフトをここまで熟知出来るもんじゃ・・・
「アレンジャーを本格的に始めて、半年間はこればっかりやってたからねえ・・・」
そう言う彼の気持ちはよくわかる。
ここ中国ではDEMOと言うのは製品レベルでないとクライアントが納得しないのだ。
ワシなんかペラペラのMIDIの音でDEMO持って行ったら
「どうやって歌えばいいのかフィーリングが全然つかめない」
と言われ、じゃあ自分で仮歌入れて持って行って聞かせれば
「あんたの歌じゃいいメロディーも悪く聞こえる」
と言われる。
そんなお国柄でこれだけ海賊版が普及してたら、
やはりどんなDEMOでも製品レベルになろうと言うものである。

白酒にあまり強くないワシがもう既に力尽きてぐったりしてる間、
白酒なんか茶と変わらない彼はひたすら海賊版ソフトをひとつづつインストールしてゆく。
「あのさあ・・・音楽作ってる時間とパソコンと格闘してる時間って・・・どちらが長い?」
試しにそう彼に聞いてみた。

「そりゃ間違いなくパソコンだろ」

北京の一流のアレンジャーはほとんどパソコンの細かい設定や修理まで出来ると言う。

ワシ・・・もうアレンジャーなんかやらん・・・
ドラム叩いてなんぼの生活に戻りたい・・・

ファンキー末吉

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2004年7月27日

再婚とは・・・

心に染み入るいい一言

結婚とは「判断力」の欠如
離婚とは「忍耐力」の欠如
そして
再婚とは「記憶力」の欠如

先日久しぶりに会ったMさんのその日は、
偶然にもめでたい再婚数周年目のアニヴァーサリー。
Mさん本人からこの言葉を教えて頂きました。

ただ今北京のミュージシャンの間でひそかに流行中・・・

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「ファンキー、金曜日は空いてるか?」

よく一緒に仕事をしているプロデューサーLから電話があった。
だいたいこう来ると「ドラムを叩いてくれ」と言う「仕事電話」なのだが、今回は
「唐朝のギタリストWが結婚するんだ。行くか?」
と来る。

「行く!行く!」

ふたつ返事である。
ミュージシャン仲間も偉くなって忙しくなったのか、
またその音楽界自体が巨大化してしまったのか、
現在一緒に仕事をするある一部の音楽仲間以外と会う機会は滅多にない。
「よっ、久しぶり。じゃあ飲むか?」
と言って
「いいね」
とすぐ酒盛りが始まるほど、奴らは(自分も含めて)今はヒマじゃないと言うか、
まあ大人になったと言うか・・・

月日がたつのは早いもので、初めて北京にやって来てからもう15年。
それから数年後には、もうロック界も巨大化し、それぞれいろんな派閥も出来、
昔のように全てのロックミュージシャンが一同に会すなんてことはなくなった。
10年前、唐朝のベーシストZhangJuがバイク事故で他界し、
その葬式のときにあらゆるロック界の人間が一同に会したのが最後である。

まあ、ロック界も巨大化し、若い新しいバンドもどんどん現れ、
向うは私のことを知ってても、私はとてもじゃないけど覚えきれたもんじゃない。
唐朝のギタリストWが結婚と言えば、まあ昔仲間はほぼ全員集まるであろう。

ところで結婚式と言えば、
ワシは北京で親戚だけ集めてレストランで略式やったが、
あとは今日本で秘書として私の日本の業務をやってくれているA嬢が結婚した時、
ワシと和佐田と団長がバンドとして呼ばれ、
一流ホテルの宴会場にて団長はギターを振り回し顔にぶち当たり、
流血しながらギターソロを弾きまくり、
新郎新婦には大うけしつつ中国人列席者が全員無口になったと言うことがあるぐらいで、
まあ中国で正式に結婚式に列席したことはない。

だいたい日本でもすでに冠婚葬祭の礼服とかは一着も持ってはおらず、
そう言えば10年以上そのような催し物には参加したことがない。
葬式にはBEYONDの黄家駒、ドラマーのWINGのフィアンセ
関連ネタ:http://www.funkycorp.jp/funky/ML/70.html、http://www.funkycorp.jp/funky/ML/72.html
そして前述の唐朝のベーシスト、ZhangJuの葬式には参加したが、
中国の葬式は別に礼服を着て行く必要もなく、
ZhangJuなんか葬られる方が革ジャンに皮パンだったので服装は気にすることはない。

「ねえねえ、結婚式って何着て行くの?」
一応確認はしてみるが、予想通り「随便(スイビェン:お好きに)」と言うことである。
いつもの普段着で行けるなら参加のしようもあると言うものだ。

結婚式は昼間に行われると言う。
「12時からだけど11時半には来いよ」
と言われていたが、
まあ中国時間だろうとばかり30分ほどゆっくりして遅刻して行ったら、
何と列席者はもう全員席に着いていて、遅れたのはワシだけである。

「ちゅ、中国人がこんなに時間を守るなんてぇ・・・」

受付でしばし呆然とし、芳名帳に記帳し、
その芳名帳の懐かしい名前の数々をちらっと見ただけで心躍らせながら中に入った。

そこは巨大な結婚式専門の式場レストランで、
巨大な会場に大きな円卓が30席はならび、ざっと見ても200人以上、
どっから見てもかなり盛大な結婚式である。

自分の席を探すが、日本のように別にテーブルに名前があるわけではなく、
一生懸命知った顔を探しているといきなり「ファンキー」と声をかけられた。
入り口に近いテーブルは、
今度日本のレコード会社とも契約して夏には来日ライブもやると言う、
ロックバンド「艶(Yan)」のドラマーをはじめ、
なんやら懐かしいドラマー中心のテーブルである。
「懐かしいなあ・・・」
と声を掛け合ってるその声に気づいてワシを招待したLuanShuがワシに気づき、
いつもの仲間のテーブルにワシを連れてゆく。

「式の進行はどうなってんの?」
ひとり遅れて来たワシは不安になってそう聞くが、
「別にぃ・・・」
と、なんかやはり日本の結婚式のように格式ばっていないらしい。
友人達が一堂に会して飲んで食って、それが結婚式なのであろう。

「じゃ、とりあえず飲むか!」
ワシなんか昼から飲む気まんまんである。
ところが意外とみんな酒に手をつけない。

「何で飲まないの?」
いつもなら真っ先にがんがん行って酔いつぶれてうだをまくのがこの連中である。
昔は昼からベロンベロンだったのに大人になったもんだ・・・

・・・と思ってたら、
「昨日は朝まで飲んでてまだ醒めてない」
とのことである。
まあそんなことなのね・・・

先ほどのドラマーのテーブルでは真っ先に乾杯の音頭が上がり、
それを皮切りにいろんなところで乾杯の嵐、
赤ら顔に千鳥足が増えて来た頃、新郎新婦の再登場。
新郎は白酒と杯を手に持ち、新婦はタバコとマッチを手に持ち、
客人に対して新郎は酒を乾杯し、新譜はタバコに火をつける。

「これを200人以上廻るとお前・・・死ぬぞ!」

中国で結婚式を挙げるのも命がけである。
酒もまわり、いたるところで「イョー!」と同じく懐かしい同士のご対面が始まる。
ワシもそのドラマーが集まるテーブルで飲んでたら、
あちこちを廻ってたプロデューサーLがそのテーブルにやって来た。
「いやー久しぶりぃ!」
ワシの隣で昔話に花の咲いてたロック中国琴奏者Wに声をかける。

一昔前はふたりは犬猿の仲。
10年前のZhangJuの葬式の時、葬式が終わって最後に集まったZhangJuの家で、
酔っ払ったふたりは取っ組み合いの喧嘩を始める寸前につまみ出されたのが、
今やふたりとも笑顔で仲良く話す。

大人になったもんじゃのう・・・

次には元黒豹の敏腕マネージャーG氏がやって来た。
「いやー久しぶりぃ!」
お前ら黒豹がらみで原告被告の関係で法廷で争った仲やないかい!

月日はいろんなものを洗い流してしまうから素晴らしい。

ワシらのテーブルは一番後ろ。
新郎新婦がやっとここまでやって来た。
案の定新郎はべろんべろんである。

そう言えばこいつはワシのソロアルバムの時、
夕方5時からだと言うのに「酔いつぶれて今日は行けない」と電話があり、
次の日には「酔っ払って包丁で指切った」と血まみれでギターソロ弾いた男である。

「お前・・・身体・・・大丈夫?」

久しぶりに会った友人の結婚式の開口一番がこれではちと情けない。

「おめでとう御座います。初めまして、私はFunkyと申します。日本人のドラマーです」
奥さんにとりあえず丁重に挨拶をする。
「今日は来てくれてどうもありがとう。たばこでもどうぞ」

吸わないと言えばそれですむのだが、
結婚式だしそれ専用に作られたカラフルな「結婚タバコ」で、
めでたそうなのでつい吸ってみる。

この国で禁煙は難しい・・・

新郎新婦が次のテーブルに行き、
乾杯した白酒とタバコでふらふらになりながらふと気づいた。

「ご祝儀はどうすんの?」
一応2~300元ぐらい包むとは聞いていたが、
どうも入り口で渡すらしいが、ご祝儀袋も持ってないし、裸銭と言うわけにもいかんので、
とりあえず現金だけ持ってテーブルにまで来ている。

「本人に渡せばいいじゃん」
と言われてもみんな入り口で渡して、ワシだけが本人に裸銭と言うわけにもいかんじゃろ。
しかし思い起こして見ればZhangJuの葬式の時は、ご家族に直接お金を渡した。
「これから大変でしょうから何かのお役に立てて下さい」
と言う気持ちなのだがら裸銭でもよい。
しかしこんな結婚式で裸銭で本人に渡すためには人がびっくりするぐらいの札束とか、
何かパフォーマンスにならなければならないので無理である。

その辺に落ちている赤い封筒を拾って自分の名前を書いて300元入れた。
日本だと2枚のお札だとふたつに分けられるので2万円ではなく3万円にすると言うが、
こちらではそう言う風習はないので、みんなは200元ぐらいだと言うが3枚入れた。

ふと見ると列席者は既に半分ぐらい帰ってしまっている。
こちらでは食って飲んで、新郎新婦に挨拶してお金渡せばそれで帰っていいのであろう。
日本の結婚式がどれだけ格式ばっているかと思ってしまう。

昔仲間達はもう席をドラマーのテーブルに移動し、
昔のノリでがんがん飲んで盛り上がっている。
シメの言葉も何もなく、ウェイトレスは空いた皿を片付けるその間を縫って、
ワシはまだ封の空いてないワインのボトルを集めにかかる。

そのテーブルも片付けに入ると表に出て、
その式場の敷地内にある人工湖のほとりのテーブルに席を移す。
ワシは中のテーブルのまだ残っているワインのボトルを拾い集める。

気がつけば席には新郎が座って一緒にうだうだしている。
「奥さんはぁ?・・・」

なんのこっちゃない、このまま通常の飲み会に突入である。
奥さんは家に帰って旦那の帰りを待つのか、
はたまた付き合いきれぬとばかりこの場を後にしたか・・・
ま、中国では(日本でも?)もう既に一緒に住んでるから別にと言う感じなのであろう。

結局、来る時からの疑問、「初婚なの?再婚なの?」は最後まで聞けなかった。
夜の噂では再婚であるとの話だが、
まあだったら「記憶力の欠如」ですか?

記憶力なんかない方が人生幸せよ。
人間、嫌なことを全部覚えてたら気が狂って死んじゃうらしいしね。

飲も、飲も!

ファンキー末吉

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2004年6月25日

小さな恋の物語・・・ええ話やなあ・・・涙・・・

小さな恋の思い出

なんか最近よく初めての人からドラム叩いてくれと頼まれる。
今日は3曲まとめてである。
こちらでは1曲叩いたら1週間食えるので3曲と言うと半月以上食える。
よし、頑張るぞ!!

スタジオミュージシャンの中でドラムは一番大変である。
この大きなかさばる機材を自分でスタジオまで運ばねばならないから。

ワシはもうかれこれ20年近くパールのモニターをやっているので、
パールから提供してもらったドラムセットももう全部で7台となり、
2台が日本、あとの5台は全部北京に送ってある。
総重量570kgあった・・・

北京にある5台のドラムセットのうち、
ひとつはS社長のスタジオに置いてあり、もうひとつはLプロデューサーのスタジオ、
そしてJazzセット(小すいか)は今後のJazzライブのためにJazz-yaに置いて、
後はどどんと今の住処に置いてある。
ドラムの山である。(すいかドラムとかいろいろ・・・懐かしい・・・)

いつもS社長のスタジオか、Lプロデューサーのスタジオで録ってくれれば、
ドラムを運ばなくていいので楽なのだが、先方にも都合があるのでそうはうまくはいかない。
アシスタントの重田に連絡して、指定のスタジオに指定の時間にドラムを運ばせる。
ドラムのフルセットをタクシーに積んで運ぶので彼も大変である。

さてワシは指定された時間に指定されたスタジオに行くのだが、
初めてゆくその日のスタジオは珍しく市外の南側にあった。
スタジオは大体北側か、遠くても西側に多いので、南側には滅多に行く機会がない。
ともすれば初めてゆく場所なのだが、
ワシにとってはとある小さな思い出のある場所であった。

数ヶ月前になるであろうか・・・
香港の夜総会好きの友人Wは、突然北京にやって来て「会おう」と言うので、
タクシーに飛び乗って行き先を伝え、そのまま着いたところが
想像にたがわず夜総会、つまりカラオケ(と言う名のキャバレー)であった。

着いた頃には上機嫌でカラオケを熱唱するW。
ワシは挨拶して一緒にちょいと酒が飲めればそれでいいのよ・・・

頼みもしないのに店長がやって来て「女の子を選べ」と言う。
いいの、いいの、ワシは・・・女の子おったってろくなことないから
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/68.html
と断るのだが、それでは店長のメンツが立たないのであろう、
仕方がないので女の子がたむろする場所、いわゆるここが「ひな壇」なのであろう、
そこに連れて行かれ、
仕方がないので適当に奥に座っている地味で目立たない女の子を指名した。

「おっ!!」
店長が何やらちとびっくりした仕草をしたので「どうしたの?」と聞くと、
「この娘は今日が初仕事なんですよ」と言う。
テーブルについた彼女も
「始めまして。私は昨日北京にやって来たばかりで今日が初出勤です。
至らぬところもあるでしょうがお許し下さい」
とお辞儀をする。

見れば素朴で、こんな商売にはまるで似合わないような娘である。
「いくつ?」
聞けば20歳だと言う。
どんな家庭の事情でこの仕事を余儀なくされたのであろう・・・

ワシはこの後打ち合わせがあり、
人と会わねばならないので「持ち帰り」などとうてい出来ないが、
飯をまだ食ってないので、連れ出して一緒に飯でも食うと言うのはどうだろう。

やり手ババアのママさんに聞いてみる。
「300元払えばいいわよ」
キャバクラの店外デートのようなもんか・・・

よし!じゃあ300元!
最近金があるのでつい無駄遣いをしてしまう・・・
アホな男である。

「じゃあ着替えて来させますから」
ママさんが彼女を裏に連れてゆき、しばらくして私服に着替えて戻って来た彼女は、
どっから見ても「田舎から出てきたばかりの素朴な女の子」である。

思えばWに初めて香港の夜総会に連れて行かれた時、
なかなか「女の子を選ぶ」と言うことが出来ず、
キレたママさんに「あんた結局どう言う女の子が好みなの!!!」と言われ、
「うーん・・・素朴な女の子・・・」
と答えたら「んなんがこんなとこにおるかい!!」と大笑いされたことがあったが、
思えば彼女こそ希少な「素朴な女の子」そのものではないか・・・

Jazz-yaに連れてゆき、とりあえずカクテルと飯を頼んだ。
「君の初仕事に乾杯!」
男は金持ってるとちとかっこいいことが出来て素敵である。

差しさわりのない程度に聞いてみる。
「なんでこんな仕事始めようと思ったの?」
別に言えることだけ言えばいい。飯を食い終わったらそのまま別れて、
恐らくまた会うことはあるまい。ワシはただの彼女の初めての客なのである。

身の上話を聞いてるうちにちょっと説教癖が出てしまう。
「でもさあ、あんたこの仕事がどう言う仕事かわかってんの?
もしこのまま俺があんたと寝るって言ったら寝なきゃなんないんだよ。
わかってんの?」

彼女の顔が少し曇る。
しばしの沈黙・・・
場が持たなくなって口を開くワシ・・・

「でも、どんな生活にだってそれなりの幸せはある。
問題なのは覚悟を決めて飛び込むかどうかだよ。
覚悟さえ決めればどんな生活にだって絶対それなりの幸せはあるからね」

Jazz-yaのキャンドルの炎のせいか、初めて飲むカクテルのせいか、
彼女の頬が少し赤らんで、目が心なしか潤んでいるように見えた。
都会の華やかなバーの雰囲気のせいか、初めて飲むカクテルの酔いのせいか、
彼女がだんだんと能弁になる。

「嬉しい。今日は私の記念日。今日のことは一生忘れない。私、頑張る!」
彼女と乾杯する。

「俺は友人が夜総会を経営したりしてるんでこの商売のことはだいだい知っている。
この商売の女の子の末路がどう言うのかも知っている。
最後には落ちぶれていなくなってしまうか、
生き残ってあのやり手ババアのママさんとなって別の女の子で稼ぐか・・・
どっちにしてもこの世界に住んだら女の子はすぐに変わってしまう。
お店にいただろ、あの派手な女の子。
あれがこの世界のプロだよ。ああじゃないと稼げない。
あんたもいつかああなってしまうのか、それもいいだろう。
でもあんたの初めての客は素朴な女の子が好きっつう変な客だった。
君の今が好きだった。
その初めての変な客からのささやかな願いを言わせてもらうと、
出来ればあんたにはこのまま変わって欲しくない。
でもそれもきっと無理な話だろう。だからせめて
今の素朴なあんたを好きだった変わった客がいたんだ
と言うことを覚えていてくれればそれでいい」

彼女の初めての客は、彼女に300元を渡してタクシーに乗せ、
自分は次の打ち合わせ場所へと向かって行った。
方向も彼女は南側、自分は北側。まるで反対方向である。
生きている世界もまるで違う。もう会うこともないだろう・・・

しかしまるで接点のないこのふたりを、携帯電話のショートメールがつないだ。

「昨日はありがとう。いい思い出になりました。あなたの仕事が順調であることを願います」
お決まりの営業メッセージである。
お決まりの返事を返してそれで終りのつもりだったが、
アホなワシはどうしても彼女のことが気になって仕方ない。
「どや?客がついたか?生活は順調か?」
いらぬ心配をしてメールを送ってしまう。

メル友をやってるうちにいろんなことがわかって来る。
彼女の収入は指名されて初めて彼女に入ってきて、
誰からも指名されなければボーズ、つまり一日ひな壇に座っててノーギャラである。
世の客はどうせ金を払うなら派手でセクシーな女の子を選ぶので、
彼女のようなキャラクターではなかなか勝ち目がない。
しかも彼女の一張羅のドレスや化粧品なども全て自前で用意せねばならない。
考えてみればキツい商売である。

「いいよ。飯ぐらい奢るよ」
ある日仕事終りに彼女を食事に誘った。
食事だけの300元でも彼女の収入になったらそれはそれでいい客である。
「初めてのいい客」をやり続けるのも大変である。

田舎から出て来て右も左もわからない彼女と待ち合わせ。
仕方がないので彼女の住んでいるところの近くにする。
彼女が転がり込んでいるホステス仲間のマンションの向かいのレストランに、
彼女はあの時と同じ服を着て来ていた。
それが今回ワシがドラムを叩きに来たスタジオの隣であったのだ。

「よ、この前と同じ上着だね。かっこいいじゃん!」
美的センスがゼロのワシが何とか服装を褒めようとすると墓穴を掘る。

「私・・・着の身着のままで来たからこの服しか持ってないの・・・」

食事をしながら彼女のグチを聞いてあげる。
職場のこと、家庭のこと、そして慣れない北京での生活のこと・・・

「じゃあ友達紹介してあげるよ。
俺の周りは有名人だけじゃなく食うや食わずのミュージシャンがいたり、
いろんな奴がいて面白いよ。
別に自分の職業言わなくてもいいし。
集団就職で来て夜レストランで働いてるとでも言っておけばいいじゃん。
君を見てまず水商売だと思う人はいないよ。
その代わりね、自分の商売を卑下しちゃだめだよ。
好きでやってるわけじゃない、これやらなきゃ生きていけないからやってんだから。
仕方ないんだからあんたが悪いんじゃない。
こんな仕事やってるからってあんたはむしろお天道様に胸張って生きていかなきゃ。
どんな生活にだってそれなりの幸せがあるんだから。それを早く見つけようよ」

そして彼女の「最初の客」は、その頃から彼女の「最初の友達」となった。
毎日のように彼女はひな壇からメールを書いて送って来たが、
彼女のグチは日増しにひどくなって来た。
ある時にはまた仕事終りに彼女の家の近所まで行って飯を食ってグチを聞いてあげた。
友達なのでもちろん300元も払わない。

そんなある日、ぷつんと彼女からのメールが途切れた。
仕事が終わってもメールが来ず、心配して電話をしても電源が入ってない。
そして次の日の昼間も連絡が取れず、夜になってひな壇からメールが来た。

「ごめんなさい。仕事終わって電話を同居人に渡したまま朝まで帰らなかったから・・・」

ピンと来た。彼女は初めて客をとったのだ・・・
それはそれで喜ばしいことではないか・・・ちょっと複雑な心境ではあったが・・・
そしてしばらくしてひな壇からメールが来た。

「この街はなんてひどい街なの・・・
私はここに来てからひとつたりともいいことなんてなかった。
世の中ってどうしてこんなに不公平なの。
私だけがどうしてこんなに辛い思いをしながら生きていかなきゃなんないの」

一生懸命慰める。
「どんな生活にだってそれなりの幸せがあるから」
すぐに返事が来た。
「幸せですって?私には遠すぎるわ・・・あまりにも遠すぎて絶対につかめない・・・」

あまりにも可哀想で、彼女にメールを送った。
「じゃあ今日仕事終わったらぱーっと行こうか。家の近所まで迎えに行くよ」
心なしか彼女のメールの表情がぱっと明るくなった。

そして真夜中の1時。彼女が仕事が終わったとメールが来る。
タクシーに飛び乗るワシ・・・
家に着いたとメールが来る。
もうすぐ着くよとメールを送る。

しかし家の近所に着く頃にメールが途絶える。
電話をかけても通じない。

当時はまだ寒かった・・・
門の前で1時間彼女からの連絡を待った。
でも連絡が取れず、ワシはあきらめて家に帰った。

南側からワシの住む東北側はタクシーでも非常に遠い。
道のりの半分を過ぎた頃、彼女からのメールが届いた。

「やっぱり来てくれなかったのね。ずーっと待ってたのに・・・じゃあおやすみなさい」

急いで電話をするワシ。
「やっとつながった!!ずーっと電話してたのにつながらなかったよ。
メールも送ったのに・・・」

聞けば「家に着いたわよ」の返信以来全てのメールが不達であったらしい。
回線が悪いのか、その時だけワシの電話にも電話がつながらなかったらしい。
不思議な話である。

「俺は寒空の下、1時間ずーっと君のこと待ってたんだ・・・」
にわかに信じがたそうな彼女。
「じゃあ今から戻るよ。外で待ってて」
しばらく考えてから彼女は優しくこう言った。

「いいの。今日はもう遅いから寝ましょう。また今度ね」

それからワシは日本に帰ってしばし仕事をし、
忘れかけてた頃、久しぶりに彼女からメールがあった。

「私・・・明日故郷に帰ります・・・」

ワシは急いで彼女と連絡を取って呼び出した。
「今日は門のところまで出て待っててくれ。前回みたいなことがないように。すぐ行く」

彼女はまた同じ服を着て門のところに立っていた。
1ヶ月働いて彼女は自分の服ひとつ、
靴下ひとつも買うことが出来なかったのである。

「明日帰るんだったら俺が北京で一番綺麗なところに連れて行ってやる」
皇帝の保養地だった后海と言う湖のほとりを手をつないで歩いた。
ベンチに座って真夜中の湖を見ながら語り合う。

「この街に幸せはなかったわ」
湖を見つめて悲しそうにつぶやく彼女。
「バカヤロー。幸せなんかなあ。つかむもんじゃ!努力もせんで何の泣き言じゃい!」
ちょっと興奮して奮起を促すワシ・・・
「でもね、世の中は平等じゃないの。幸せな人もいれば絶対幸せになれない人もいるの」

「アホか!世の中が平等なわけないやないかい!お前と俺が平等か?
お前が女である全てを捨てて稼ぐ金を俺はドラム叩いたら1日で稼ぐことが出来るんや。
誰が世の中平等や言うた?んなもん絵空事や。
でもお前よりも不幸な奴も俺はたくさん知ってる。
この国は特にヒドい。そんな話は珍しくないぐらいどこにでも転がってる。
でも低く生まれた奴はみんな不幸か?高く生まれたらみんな幸せか?
低く生まれても幸せな奴もいれば高く生まれても不幸な奴もいる。
上を見ればきりがないし、下を見てもまだまだ下はいる。
この自分の世界だけを見て、その世界の自分だけの幸せを探すんじゃ。
絶対に見つかる。見つからんのは努力してないからじゃ。
神様は人を確かに不平等に生んでるけど、幸せをつかむ権利は平等や。
ただその幸せの種類が人によって違うだけや。
見つけたらそれはその人だけのかけがえのない幸せや。違うか?」

ワシはひとりの娼婦の物語を彼女に話した。
一人っ子政策の二人目の子供である彼女の家庭は、
その罰金のためにただでさえ貧しかったのが、
お兄さんが犯罪を犯して刑務所に入れられ、
その命を守るために毎年多額の賄賂を送らねばならない。
その天文学的なお金を彼女は北京まで来て身体を売って稼ぐ。
しかし働いても働いてもお兄さんは出獄できない。
父親からは毎日催促の電話。
もう生活力もない両親。その生活も全部彼女の稼ぎの肩に乗っかる。
怒鳴り散らす彼女。金、金と毎日電話をかけて来る親・・・
この世の地獄である。

その金のためにありとあらゆることをやって、その娼婦は22歳でもうぼろぼろであった。
それに比べたらこの新米娼婦なんぞいい方である。
このまま故郷に帰って、落ちるところまで落ちずに
それなりの幸せをつかむことは出来ないことではないようにワシなんかは思うが、
しかし所詮は違う世界の人間が傍観して勝手なことを言ってるだけのことである。
まさしく「住んでる世界が違う」のである。

しばし無言で湖を見つめる。
「じゃあ私、帰る・・・いろいろどうもありがと・・・」
彼女が立ち上がる。
つないだ手を離したらもう二度と戻って来ないような気がしたが、
ふたりはその手をそっと離した。

最後にワシはまた彼女に
「どんな生活にでも絶対にそれなりの幸せはある」
と言った。
ちょっと苦笑いを見せて彼女はうなずいた。

タクシーを止めて彼女を乗せる時に、最後にちょっとだけ聞いてみた。
「ねえ・・・あの日・・・もし電話が、メールが通じてたら・・・俺たちひょっとして・・・」

彼女は何も答えず、ちょっと背伸びをしてワシのほっぺにキスをしてタクシーに乗り込んだ。

「ええ話やないの・・・」
3曲のドラム録りは順調に終り、
飯を食いながらミュージシャン仲間に思い出話を語っていた。
一番女遊びが激しいロックミュージシャンEが俺にこう言った。

「でもな、娼婦はしょせんは娼婦よ。お前と彼女は住むところが全然違う。
お前はバカだからわかっとらんかも知れんが、彼女はじゅうじゅうわかっとるよ。
男はなあ・・・金を持つと変わるんだ。女はなあ・・・金がないと変わるんだ」

今ではめったに来ることはない南側の懐かしい街角を後にした。

ファンキー末吉

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2004年6月 5日

2週間まるまる寝れないほどの忙しさの中・・・

まぐまぐからお知らせメールが来た。
「あなたのメールマガジンはもう3ヶ月発刊なさってません。どうなさったのですか?」
えらい親切なメルマガ発刊サイトである。

そうかぁ・・・そんなになるのかぁ・・・

思えば非常に忙しかった。
死ぬほど忙しかったと言えよう。

それもひとえに零点(ゼロ・ポイント)のプロデュースのせいである。
(関連ネタ)http://www.funkycorp.jp/funky/ML/78.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/88.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/90.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/92.html

今年中にいろんな企画をやるから、お前は全部で35曲年末までにアレンジせい!
と言われているので、ヒマを見ては・・・と言うより、
もうかれこれ数ヶ月間毎日常にそれをやっている。

メンバーにもごたごたがあり、ギターとキーボードが脱退したが、
なんか影ではほとぼりが冷めたら復活とかナンだかわけがわからない。
ある日なんぞ、なんか「音楽賞の授賞式があるからお前も来い」と言われ、
ベストプロデューサー賞かなんかでも頂けるのかと思っていそいそついて行ったら、
何のことはない、いきなり授賞式でのライブであてぶりでキーボードをやらされる。
もちろんノーギャラである。

ま、いいのよ。あてぶりだし、自分のアレンジした曲だからだいたい覚えてるし・・・
ノーギャラでも飲み食い豪勢なの奢ってもらえるし・・・

でもそんなアホやってるからますます忙しいのよね・・・

XYZのツアーで来日し、また北京に戻った時、いろんな業界人からこう言われてびっくりした。
「ファンキー、お前はついに零点(ゼロ・ポイント)のキーボードになったのね」
なんじゃそりゃ?と思ったら、その授賞式の模様は全国に放映され、
新聞、ニュース、ネット記事の全てで
「零点(ゼロ・ポイント)の新しいキーボードは日本人!!!」
と報道されているではないか・・・

キーボードなんか弾けへん!っつうねん!

北京に戻るや否や、
「ファンキー、すぐ新曲をレコーディングするぞ!」
メンバー脱退の痛手を払拭するために新メンバーでの新曲をすぐにでも発表せねばならん。
「新メンバーって・・・誰?・・・」
まあキーボードは弾くことは出来んが、MIDIで打ち込むならなんとかなるなあ・・・
ギターはスタジオミュージシャンでも指すかぁ・・・
とかいろいろ考えつつ、実のところ結局は
当分の間は新メンバーではなくサポートメンバーなので誰でもいいのよね。

寝ずにアレンジを1曲仕上げ、翌日にリハーサル。
そこで更にアレンジを固めて、翌々日にレコーディングと言う予定が、
当日のリハーサルでメンバーから新たな新曲が提出され、
「やっぱこの曲でいこう」
と言うことになる。

・・・ワシの夕べの徹夜はどうなんの?・・・

リハ終了後、すぐさままたその曲のアレンジに突入し、
スケジュールはその分確実に後ろ倒しとなる。
しかしワシは次の日から日本の某企業CMソングのレコーディングが入っており、
それは日本からその企業の部長さんまで北京にやって来てレコーディングするので、
中国と違っておいそれとスケジュールを動かすわけにもいかん。
「すまん!ワシ・・・明日から別のレコーディングなんで・・・」
と言っても聞き入れてくれる相手ではない。
「ワシらの命運をかけたシングルと他の仕事とどっちが大切じゃい!」
と一喝されるのかと思いきや、
「いいよ、いいよ。それ何時に終わるの?それ終わったら夜中にレコーディングしよう」
と来る。
昼間ワシ自身がドラムを叩いて、
そのセッティングのまま零点(ゼロ・ポイント)のドラマーが叩けば
レコーディングもスムーズだと言うわけである。

ほなワシ・・・いつ寝るの?・・・

かくしてその日本企業のCMソングのレコーディングと
零点(ゼロ・ポイント)のレコーディングは平行して続く。
その日本企業のCMソングは、
その日本人なら誰しも聞いたことのあると言う有名な曲であるが、
その企業の部長さんが女子十二楽坊の大ファンであると言うことと、
女子十二楽坊は日本の一種のトレンディーな流行ではないかと言うことから、
その会社がわざわざ直接女子十二楽坊に依頼をしたところ、
当然のごとく目の玉が飛び出るぐらい高い値段だったそうで私に依頼が来た。
「ファンキーさん、すみませんが女子十二楽坊風にアレンジして下さいな」
と言うもの。

・・・ワシって一体・・・

中国民族楽器オーケストラのアレンジは非常に難しいので、
零点(ゼロ・ポイント)のレコーディングが終了した朝方からも譜面を書く。
ぎりぎりで間に合って昼過ぎにスタジオに入って、
用意していた女子四楽坊とも言うべき綺麗どころの女子民族楽団に演奏してもらう。
綺麗どころでも用意してないとやってられないところなのでせめてもの憩いだが、
残念ながらブッキングされた笛だけは男性であった。

CMソングは全部で5バージョン、
同じ曲を全部違うアレンジでレコーディングせねばならない。
正味5曲分違う曲をまるまるレコーディングするのと同じ仕事である。
修羅場のようなレコーディングを、綺麗どころと共にまる一日、
天国なのか地獄なのかようわからん状態でスタジオに缶詰になる。
夜の9時になると零点(ゼロ・ポイント)のメンバーがスタジオに現れる。
これが終わればすぐさまベースとギターを録ろうと言うのである。

こちらのレコーディングでは待たされるのも日常茶飯事だが、
その代わり待たすことも「よし」とされるので、
こちらが終わるまでみんな気長に待ってくれるが、
気ぃ使いの日本人としてはどうも気が気ではなく胃が痛い思いをする。
11時頃やっと民族楽器を録り終えてほっと一息つくヒマもなく
零点(ゼロ・ポイント)のレコーディングが始まる。

終われば朝なのだが、また朝から今度はそのCMソングのTDである。
都合のいいことにメンバー同士が意見の対立でもめ、
ギターは録らずにベースだけで早めに終え、その日は少しは寝ることが出来た。
そのTDさえ終われば少しは時間に余裕が出来るはずである。
思えば本当ならその日にWINGが北京でのライブのためにやって来て、
ワシが例によってバックでドラムを叩かねばならないはずであったのが、
スケジュールがドタキャンで後ろにずれ込んだ。
これがあったら確実に死んでいただろう。
ドタキャン万歳!!

TDが終わって飲みに行く。
翌日からついに開放されるかぁ!!!!と思いきや、そんなはずはない。
朝方、零点(ゼロ・ポイント)から電話が入って来て、
「今日じゅうにギター録るぞ!ギタリストをブッキングしろ」
ワシがするんかいな。お前ら自分でするんとちゃうのん?
「バンドが言うとヤツら絶対ウンとは言わんから、お前が仕事として発注しろ」
ま、いろいろあるのね。
朝っぱらから電話番号調べて、一番売れているロックギタリストをブッキング。

そうして次の日もスケジュールは埋まるのだが、
「これが終われば開放される」
を馬の頭にぶら下がったニンジンにして何とか頑張れる。
ギター録りが終ると、すぐさま歌入れが開始される。
それが終われば、次の日とその次の日のうちにTDを終わらせればよい。
スケジュールについに白いところが出来るわけである。

「あのう・・・ワシ・・・歌入れにおってもしゃーないから先に帰ってもええやろか・・・」

歌入れをぶっちしてついに夜寝れる生活である。
「やったー!!!!」
とばかり帰宅に着こうとすると、「ちょっとファンキー」と呼び止められる。イヤな予感・・・

「明日天津でまた授賞式があるから・・・」

ワシは行かんぞ!行かんですむもんならワシは絶対に行かん!
どうせあてぶりでまたアホ面さげてキーボードを弾いてるぐらいならワシは少しでも寝る!

あまりに可哀想と思ったのか、さすがに
「じゃあ行くか行かないかは明日また連絡するよ。今日はゆっくり寝なよ」
と言う零点(ゼロ・ポイント)。

かくしてやっとゆっくり眠れると思ったら朝方電話で起こされる。
「喜べ!お前は天津に来なくていい」
そんなことで朝から電話かけてくんなと思ったら、
「バンドみんなで聞いたらやはりドラムから録りなおそうと言うことになった。
お前はスタジオ押さえて、先にドラムをセッティングして、ワシらの帰りを待て!」
ドラムを録り直すっつうことはそれに合わせてベースもギターも全部録り直すってこと?・・・

かくしてワシの寝れない日々は続く・・・
しかしよく考えたら数日後にはJazz-yaリニュアルオープンで、
日本からあの、憂歌団の木村はんが北京にやって来るのじゃ・・・
おりしもJazz-yaがオープンしてこの日で9周年。
そして大々的にリニュアルしたJazz-yaで木村さんを呼んで二日間ライブを行おうと言うもの。

譜面もまだ書いてまへんがな・・・

いつ譜面を書くんやろ・・・と思いつつ、刻一刻とライブは迫る。
「天津から帰れんようになったのでドラム録り今日は中止!」
電話がかかってくるが、こうなればその日にスケジュールが空くのが嬉しいと言うより、
スケジュールがもっとずれこんでライブと同じ日になる方が恐ろしい・・・

「ファンキー、明日はまた一緒に天津に行ってもらう」
必要じゃないものは絶対にやらん!と行って置いたにもかかわらず、
「絶対に必要だ!」
と言われるので一緒に着いて行けば、そこは盛大なサッカーの開幕式である。

そう言えばそのテーマソングを去年アレンジしたなあ・・・
オープニングであてぶりのパーカッションで彼らと一緒にそのテーマソングを演奏する。

「原曲にパーカッションなんか入ってまへんがな!!!」

何故か脱退したはずのメンバーも一緒に演奏している。
ええのん?脱退したんとちゃうのん?と聞くと、
「サッカーを愛してるからいいんだ」
と言う理由だそうだ・・・

そしてワシは何故かそこで原曲にも入ってないパーカッションを叩く・・・なんで?・・・

この最大の晴れ舞台でワシへのせめてものお礼と言うことか・・・
でもワシ・・・そんなヒマないんですけど・・・

終了後すぐにまた車に乗せられ、北京に戻る。
と思いきや、テレビ局の連れていかれて何か歌番組の収録。
着くやいなやいきなりギターを渡され、すぐに本番収録。

ギター・・・ですかぁ?・・・

昼間のサッカースタジアムと同じ曲だが、
同じあてぶりでも、原曲に入ってないパーカッションと違って、
ギターと言えば曲を完璧に知らな指が合わんやないの・・・

「キーは何なのキーは?」

せめてリフのあてぶりぐらいはポジションぐらいあっておきたい。
ベースのヤツに聞くが、「俺も忘れた・・・」とのこと。

ワシ・・・一体どうすればいいの・・・

サビのメロディーを一生懸命思い出し、ボーカルのキーと照らし合わせ、
大体このキーだろうと言うポジションでいきなり本番が始まる。
ワシがギターを持つ姿なんぞ思いっきりブサイクである。
橘高を想像して何とか頭を振ってごまかそうとする。

でもやっぱブサイクはブサイクやろうなあ・・・

だが問題はギターソロである。
どんなソロだったかは自分がディレクションしてるからだいたい覚えているが、
それをあてぶりとは言え弾きマネなんぞ出来るはずがない。

いきなりブルースギタリストごとく、恍惚の表情で、せめて顔で表現しようとする。
願わくばカメラは指先のアップではなく顔をアップにしてくれることを祈って・・・

何がなんだかわからないまま本番が終わる。
こちらでは売れてるバンドはカメリハもサウンドチェックもないのである。
「ほなさいなら」
みんな三々五々解散する。
あてぶりも基本的にノーギャラらしいが、
せめてものお車代を渡すスタッフが笑いながらワシにこう言った。

「ファンキーも、ギターっつう顔じゃないわのう・・・」

情けない話である。
これがまた全国放送され、それを見た数億人の中国人は、
零点(ゼロ・ポイント)の新しいギタリストはこんなアホ面だと思うのであろう。

そんな中、木村さんがついに北京に到着した。
譜面は結局まだ半分しか出来上がっていない。
とりあえずは食事と酒にご招待する。
朝から晩までぐでんぐでんに酔っ払ってらっしゃる人だと思ってたら意外と
「ぼ、僕はそんな人が思ってるほど強いわけじゃおまへんのや」
と言うのでびっくりしていたら、
その日に焼酎のボトルが既に数本空いてしまったらしい。

マネージャー曰く、
「この人は暇やったらパチンコばっかしてまっからなあ」
と言うのを受けて、
「あ、メニューに”パチンコ”入れるん忘れた!!!」
と口走ってしまったらすかさず木村はん、
「あの曲は今は歌えまへんのや。昔のパチンコへの情熱と今とは違って来てしもたんで」

そうかぁ・・・あの偉大な名曲にもいろんな歴史があるんやなあ・・・

そんなことも言うとれん!家帰って譜面書かなアカンのや!
失礼して中座させてもらう。徹夜で譜面書きである。
電話が鳴る。零点(ゼロ・ポイント)のメンバーである。
「ファンキー、TDのスケジュールは決まったか?」
仕方がないのでライブ当日の同じ日に平行してTDである。
リハと本番の間に抜けてスタジオに行き、また本番が終わってからスタジオに駆けつける。

んなことやってたら死ぬわ!・・・

もうかれこれ2週間ろくに寝ていない。
それでもステージには穴は空けられない。
ましてはワシにとっては木村はんとは夢の競演である。
ステージ上、モニターから聞こえる木村はんの歌声が心に染みる。
ステージももう後半、
こちらで用意した北京のJazzミュージシャンがムーディーなイントロを奏で・・・

「シカゴに来て~2年がたった~だけどいいことありゃしねえ~」

ブラシをこすりながらこの瞬間にいきなり涙がどどっと出て来た。
木村はんから頂いたリストには入ってなかったが、
ワシからリクエストしてたっての願いで今回演奏リストに入れてもらった曲である。
続けて歌から始まる
「嫌んなったぁ~もうダメさぁ~」
でもうノックアウト。

「ワシ・・・何をやっとんのやろ・・・」

徹夜して譜面書くのも音楽である。
スタジオブッキングしてバンドをプロデュースするのも音楽である。
企業のCMソングを一生懸命アレンジするのも音楽である。

でも木村はんは・・・この”天使のダミ声”は、ずーっと違うところで生きて来た。
「俺はこう生きて来たんやし、これからもずーっとこう生きてゆくでぇ・・・
文句ありまっか?・・・いやーすんまへんなあ・・・そう言うこって!すんまへん!」
そう言いたいのか言いたくないのか、笑ってんのか泣いてんのか、
本気なんだか冗談なんだか、悲しいのか楽しいのか、そんな彼の音楽の、
いや人生の全てが歌にある。

天才や!

招待した北京の音楽友達、演奏しているJazzミュージシャン、
そして75人しか入れない限定の客全員がこの天使のダミ声に舌を巻いた。

終わってから無性に酒が飲みたくなった。
スタジオでは零点(ゼロ・ポイント)がワシの到着を待っている。
が、しかしワシは酒を飲む。
途中抜け出してスタジオに行き、スタジオのロビーでもまた酒を飲む。
一段落ついて戻って来てまた酒を飲む。

見るもの聞くもの全てが輝いて見える。
雲南省から帰って来た飲み友達のMeilingまでもがやたら美人に見える。
翌日になると全ては夢と消えるのかも知れないが、
今日だけはこの全ての輝きを身体いっぱいで味わって置きたい・・・

前日一睡もしてないのでその日はいきなり電池が切れるように潰れたらしい。
朝方になって胃痛でうなされている自分がいる。
「飲み過ぎじゃ!あのトラックと、このトラックをUndoすれば直るはずじゃ!」
目の前にはプロトゥールスの画面が現れて、
エンジニアに一生懸命胃痛の原因となったトラック(なんじゃそりゃ!)
をUndoして消去するように中国語で指示している。
目が覚めてアホかと思いならが便所で吐く。

高校生かい!

そう言えばワシは高校のときに初めて憂歌団を見て、
「大学行かずに大阪行ってブルースやるんや!」
と言って担任の先生を困らせたなあ・・・

翌日、そんなワシの幼き頃のアイドルは、昼間から万里の長城で観光。
ワシはと言えばまた別のレコーディングに呼ばれてドラムを叩く。
「まだこの上、別の仕事をするかい!」
しゃーないのである。音楽商売も言わば水商売。
全然仕事がない時もあればある時にはいろんな仕事がいっぺんに来る。
これで死んでも仕方がない。自分で選んだ道なのである。

思えばRockもJazzも、全ての音楽のルーツはブルースにある。
それにちょびっとリズムがついたのをおしゃれに「リズム&ブルース」と言う。
それを白人がやったら「ロック」と言われた。
黒人に言わせたら
「ど、ど、どんなんでもええねん。自分らしかったらそれでええねん(木村はん風)」
っつう状態を彼らはスラングで「ファンキーである」と言うらしい。
「お○○のスエた(ベタな関西弁やあ)ような匂い」を表すスラングでもあると言う。

だからワシはファンキー末吉と名乗ったのよ。
まあワシにはワシのブルースがあるわいな!!お○○スエててすんまへん!

ふぁんきーお○○スエ吉

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2004年1月22日

労働ビザが取れた!ワシは不法就労で家を買った男・・・

今日は中国のお正月「春節」

中国に関わり始めて今年で14年。
日本には旧正月を祝う風習がないので、結局毎年日本で何か仕事が入り、
この13年間一度も中国で春節を過ごすことがなかった。

日本にいる中国人は、日本では普通の日と変わらないこの日に、
祖国の春節を想いながらいつものように仕事をし、寂しく年を越す。
この13年、そんな中国人と共に餃子を食い、酒を飲み、
ささやかなる春節を日本で過ごすワシだったが、
今回ついに初めて中国で春節を過ごす。

でも一体どうやって過ごせばええんじゃろ・・・

何せ初めてのことなので皆目わからない。
日本で正月を過ごしてから北京に戻って来たらこちらは年末気分で、
春節までにレコーディングを終えようと言うのでスタジオに駆り出される。
ひどい時にはスタジオのハシゴである。

しかしドラマーはドラムセットがあって初めて仕事が出来るので大変である。
S社長のスタジオでレコーディングしてくれれば
ワシのセットが常備しているので身ひとつで行けばいいのだが、
ここの製作物でない場合はなかなかそうもいかない。

パール楽器に頼んで中国用にひとつドラムセットを作ってもらい、
台湾経由でこちらに送ってもらい、
プロデューサーL(女子十二楽坊のプロデューサーとは別)
のスタジオにも常備しているのだが、
結局それも別のスタジオでレコーディングと言うとドラムセットを運び込むしかない。

引越し屋を雇って運ばせる。
人夫が3人と運転手がトラックでやって来て180元(約2500円)なので安い!
プロデューサーLのスタジオからドラムセットを運んだら、次の日が掛け持ちとなった。
仕方ないのでS社長のスタジオからLのスタジオにドラムセットを運び込む。
結局Lのスタジオのドラムセットが入れ替わってしまったのだ。

そしたら今度はS社長のスタジオから連絡が来てドラムセットが必要だと言う。
ドラムセットはマイクまでセッティングしたら動かせないので、
今度はワシの家にあるドラムセットをS社長のスタジオに運び込む。
東京のドラム部屋を解約し、山ほどあったドラムセットを全部北京に送ってあるのだ。
その総重量650kg・・・
日本に2セットを残したままこちらには5セットあることになる。

結局それぞれのスタジオのドラムセットが入れ替わり、
最終のレコーディングが終わったらまた引越し屋を雇ってもとに戻そうとしてたら、
結局晦日前までレコーディングが続く・・・
こちらのブッキングは
「今から空いてる?一曲叩いてもらいたいんだけど・・・」
だから仕方ない。

レコーディングが終わったら大晦日なので
今度はドラムを戻すべきスタジオが空いてない。
仕方がないので正月明けにまとめてやろうとドラムを片付ける。
電話が鳴る。
「年末だしメシを食おう」
出かけてゆく。
酒を飲む。
酔い潰れる。
「大晦日は俺の家で一緒に年を越そう」
プロデューサーLも、去年プロデュースした零点のメンバーもそう言ってワシを誘う。

ドラム終わったら今度は飲むのに忙しいんですけど・・・

結局プロデューサーLの家に夕方からやっかいになる。
親戚中が集まって賑やかに過ごすのかと思ったら、
想像と違い、彼女と、田舎から出てきた彼女の母と、家族水入らずで過ごす。
北京にいる3兄弟がそれぞれ自分の「家」で家族水入らずで過ごすのだそうだ。

こんな早い時間に呼び出されて何をするのかと思ったら早々とメシである。
早い話、食うと飲むしかやることがない。
山ほどのご馳走と酒が並ぶ・・・
それを早くから年を越すまでずーっと食いっぱなし、飲みっぱなしなのである。

テレビでは春節晩会(日本の紅白のようなもの)が始まる。
数億人が見るこの番組に出ることは
やはり歌手としては大きなステイタスになるのであるが、
最近は日本の紅白と同じように辞退する歌手も増えていると聞く。
紅白に2度出場させて頂いた時、
年末の3日間がびっしり押さえられるのにはびっくりしたが、
こちらでは1ヶ月がごそっと押さえられると言うから大変である。

プロデューサーLの家でも別にテレビはつけているが見てるわけではない。
「ダサくて見る気がしない」らしい。
日本の紅白で演歌歌手が浪々と歌うのと同じで、
民謡とか革命の歌とか、「いかにも中国」と言うのがワシには面白いが、
やはり若い世代にとっては古臭すぎるのか・・・

料理に箸を付けながら更にどんどん料理が作られてテーブルに並ぶ。
はっきり言って食いすぎである。
もう食べられましぇーん!と言うのにトドメに餃子が出てくる。

中国では春節の餃子は縁起物。
「1個だけでも食えよ」
と言うので無理して食べるが、これがなかなか旨い!
「中にコインが入ってるのがあるからね。それが大当たり!」
中国では餃子を包むときにいくつかコインを入れておいて、
それを食べ当てた人はその年お金に困らないと言う風習がある。

お金には困っているので是非食べ当てたいもんじゃ・・・

満腹なのに更に食う。
死ぬ思いで10個以上食うが、誰にも当たらない。
「あらあら、あっちの方の餃子だったかしらねえ・・・」
お母さんが更に餃子を煮てくれる。

最初からそっちを煮てくれよ・・・

死ぬ思いで更にいくつか食うがやはり当たらない。
Lの彼女が私のために選んでくれる。
「これよ、きっとこれが当たりだわ。食べてみて」

もう食えん・・・

しかしそう言われて食わないわけにはいかないので食うが、やはりハズレである。
「じゃあ俺が選んでやろう。これが当たりだ。食べてみろ」
Lがそう言うのでまた食う。

死にそうなんですけど・・・

目が回りそうな思いをしながらそんなことを続けてたらついに当たりを食べ当てた。
みんな大喝采!
しかしワシにしてみたら当たったことよりももう食わなくていいことが嬉しい・・・

食い続け、飲み続けでいよいよ今年もおしまい・・・
除夜の鐘はないが、表でいきなり爆竹が鳴る。
年越しは爆竹や花火が鳴り響く中国の正月だが、
火災や怪我が続出するために北京市内では禁止されている。
中国の伝統的な行事だが今では違法行為と言うことだ。

と思ったら年越しと同時に遠くで花火が一斉に上がる。
郊外では合法なので町中に鳴り響く爆竹の音がここまで聞こえているのかと思ったら、
何と大きな打ち上げ花火の山である。
窓から見える郊外の打ち上げ花火はまるで隅田川の花火大会である。

これは凄い!
ひとつの町全部が花火を上げているのである。
春節は北京より地方都市の方が賑やかで面白いと言うがその通りなのであろう。
恐らく中国中の小都市が花火大会となり、その足元では爆竹が鳴り響く・・・
・・・それにしてもケタが違う・・・

こちら北京の部屋では新年のお祝いのショートメールや電話が鳴り響く。
零点のメンバーの家に電話をしてみる。
「お、ファンキー!おめでとう。じゃあうちにおいでよ」

じゃあ予定通りハシゴしますか!
Lの家を早々とおいとましてタクシーを探す。
外の気温はマイナス10度。
隅田川の花火大会とはえらい違いである。

やっと空車が来たが「もう仕事終わったから乗せない」と乗車拒否。
運転手さんも早く家に帰って正月を楽しみたいのであろう・・・

・・・寒いんですけど・・・

身も細るような・・・と言うよりは食い過ぎで太った体が凍える・・・
マジで凍え死んでしまうのでプロデューサーLに家まで送ってもらう。
零点の家に電話をして「タクシーがないので行ったら帰れない」と言うと、
「じゃあ明日来いよ」と言われる。

こんな毎日が続くわけね・・・

日本で正月を過ごし、戻って来たらこちらで正月を暮らし、
そりゃ太るわのう・・・

今年もよろしく。

ファンキー末吉

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2002年4月 2日

CCTVの番組に出演し、ドラムソロを30秒叩かされる

「絆創膏」

先日CCTV4の番組に出演した。
いつものように陳琳(ChenLin)のバックバンドなのだが、
行ってみるとその番組の司会は私の偶像、朱迅であった。

その昔、中国語を勉強しようとNHK中国語会話を見ながら、
そこに出演していたアシスタントの女の子の可愛さを励みに
くじけそうになる気持ちを克服して頑張っていた。
その可愛い女の子もその後はトゥナイト2のレポーターとなり、
山本晋也監督と風俗をレポートしたりし、
最後には自分の音楽番組を持つほどになっていた。

そしてその後、彼女は中国に帰り、
全中国に放映される昼間の人気バライティー番組の司会を始め、
今では結構CCTVの顔となっている。


日本では司会と言うと何だか立場が低そうなイメージがあるが、
中国では
番組の司会イコールその番組の顔イコールその番組のプロデューサーである。
彼女も「自分の番組」として、
いわゆる日本の番組におけるプロデューサーの役割も担っている。

「ファンキー、久しぶりねえ。今日はドラムソロやってもらうわよ。
思いっきり派手なのお願いね!」

偶像に笑顔で面と向かってそう言われたら断れるわけがない。
「今日は当てぶりとちゃうの?」
S社長に聞いてみる。
「曲は当てぶり。ドラムソロだけ生でよろしく」
まあドラムソロは当てぶりに出来ないからねえ・・・

てっきり当てぶりだとばかり思ってたので、
ドラムセットも適当に運んでもらってるので、
パーツとかいろんなものが全部揃っているかどうか心配である。
さっそくステージ袖に組んでみて点検。
ツインペダルを忘れているが、まあその他のパーツは問題なし。

他の出演者の出番が終わり、サウンドチェックとなるが、
当の陳琳(ChenLin)が来てないので、
適当にカラオケのレベルなど合わせて終わる。
じゃあドラムばらして・・・と思ってたらいきなり朱迅が、
「ファンキー、ドラムソロの部分をやりましょ」
やりましょったってソロでしょ、適当に叩きますがな・・・
と思うが偶像が言うので仕方がない。
「まあ、こんな感じでしょうか・・・」
適当に短いやつを披露する。
「こんなに短いの?ダメダメ、30秒ぐらいはやってもらえないと・・・」
まあ偶像が言うんだから仕方がない。
「ほなこんな感じですか・・・」
ちょっとリズムソロっぽい感じのを交ぜて長めにまとめる。
「ダメダメ、そんな遅いんじゃぁ。もっとタムとか使ってものすごく速いやつ」
タムとバスドラの複合6連フレーズのことですかぁ・・・
「これのこと?」
とりあえずやって見る。
「そう、それのもっと速いやつで30秒やって!」
いくら偶像でも筋肉番付じゃないんだからそれでソロはまとまらんじゃろ・・・
「私は日本でも北京のJazz-yaでもファンキーのソロ見てるけど、
こんなもんじゃなかったじゃない。
あの時のブワーって盛り上がるやつ、あれを30秒やって!」

「わかった、わかった。そんな感じでまとめておくよ」
とりあえずお茶を濁してその場をまとめる。
「S社長!すまんが誰かにすぐツインペダルを取りに行かせてくれー」
片足でやるより両足でやった方が当然速いし楽である。
それよりも心配なのがステージの床である。

シンバルやスネアドラム等、叩く楽器はいいのだが、
バスドラムやハイハット等、踏む楽器は、
物理的な力のかかり方が上から下へではなく横にかかるので、
当然押されてどんどんと滑って遠くに行ってしまう。
通常はじゅうたんやカーペット等を敷いて、
それにちゃんとグリップするようにするのだが、
テレビ局の持ち回りのステージではそうもいかない。
「ガムテープ持って来て!」
手馴れたもんで、ガムテープを床に貼って輪を作り、
そこにバスドラ等をひっかけてストッパー代わりにして動かなくするのだ。

S社長がテレビ局の人に手配する。
そして自信満々に持って来たのが「絆創膏」・・・

絆創膏でバスドラが止まるかい!

でもそれしかないと言うからには仕方がない。
絆創膏を何重にも貼り付けてストッパーを作り、
とりあえずドラムを片付ける。


そして本番。
客も入れてオムニバスバラエティー形式で番組が始まる。
子供のマリンバの楽団や、手品まがいのおじさんや、
そんなのに混じって「大物歌手」として陳琳(ChenLin)が紹介される。
ワシはただのバックバンドである。
ほげーっと当てぶりで数曲叩くマネをしてたらいきなり朱迅から振られる。
「さてみなさま、今日は私はびっくりしました。
ドラムを叩いている彼は私の日本の友達で、こんなところで会えるとは奇遇です。
ここでみなさん。今日は彼にドラムソロを披露してもらいましょう。
いかがでしょう」
ワー!キャー!やんややんや・・・
偶像がそう言うんだから客席も盛り上がらねば仕方がない。

ドドパン!トゥルトトントドコドンドバラガッシャン!
ドバラドバラドバラドバラ・・・
偶像のリクエストでタム類を使った速いフレーズを披露すると、
さすがに音楽が全然わからない客席も大盛り上がり!
しかしここでワシはひとつの大きなミスを犯したことに気づいた。
30秒とは実はとてつもなく長い時間である。
まだ叩き始めて10秒足らず、ここで最高潮に盛り上がったんでは
残り後半をどうやって更に盛り上げることができよう・・・

片足でやってたことを今度は両足交えてもっと速く叩くしかない!
ワンバスからツーバスに切り替えて、
ついでに足だけで踏みながら上着を脱いで後ろに大きく放ったり、
ちょっとパフォーマンスに逃げてみたりもする。

客、ちょっとウケる。
ワシちょっと安心する。

しかしここでワシは
実はどんどん間違った方向性に足を突っ込んでしまったことに気づいてない。
足を突っ込んだと言えば、
絆創膏なんぞでこの強烈なツーバスを支え続けられるわけがない。
どんどん遠くに遠ざかってゆくバスドラを追いかけて足をどんどん伸ばしながら、
最後に今度はシンバルも交えた6連ツーバスフレーズでフィニッシュを決める!

客・・・あんましウケない・・・

シンバルが加わったと言えど、
速度が前半の6連と同じなのでこれではインパクトが足りないのじゃろう・・・
ひとしきりやったら乱れ打ちに持って来てエンディング。
これでは尻つぼみになるので、だんだんゆっくりにして行って、
最後の一打をスネアの頭突きでドンと決める!

ドワー・・・・

・・・とここでウケるはずが・・・
くすくす・・・客席の小さな失笑を買ったのみ・・・


しまった!ここの客には場違いのネタであった・・・

まるでバック・トゥー・ザ・ヒューチャーで過去に行った主人公が、
ダンスパーティーの会場でギターソロを弾いて
盛り上がってジミヘンばりに弾いたら客がついて来れなくて
場が一瞬にしてしらーっとなってしまったような心境である。

「君達の時代にはちと早過ぎたようだね」

その時の映画のセリフを口ずさんでその場を後にしたかったが、
残り1曲、まだ当てぶりが残っている。
何事もなかったかのようにアホ面下げて当てぶりで叩く振りする俺。
「ファンキーは本当にユーモアたっぷりの・・・」
変なフォローをする司会者。

偶像は、遠くにありて想うもの・・・


ファンキー末吉

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2002年3月16日

当てぶりのカラオケが針飛び・・・

ホワイトデーだったのかぁ!

北京にいてもキャバクラ嬢からのMailが頻繁に届く。
この営業努力は大したもんである。
「ホワイトデーだよっ!
でもファンキーさんには結局チョコあげられなかったものね(涙)」

ええ話やなあ・・・

確かバレンタインデーにはこんなMailが来ていた。
「チョコレートは何個もらえたんですか?」
「ゼロ個!」
胸を張ってそう返信するワシ。
「嘘だ!私は信じないわ!」
数行空いて
「私のチョコ・・・貰ってくれますか・・・」

胸キュン・・・(死語)・・・

飛行機に飛び乗って、チョコもらって、
代わりに数万円の飲み代を払うこともなく、
ワシは北京で仕事してたね!

胡兵(HuBing)と言う歌やドラマに大活躍の男性スーパーモデルがいて、
そのゲスト歌手に陳琳(ChenLin)が呼ばれたと言うことで、
武道館クラスの体育館コンサートだと言うのに
また当てぶりで太鼓叩きに行ってましたがな。

ワシはねえ、こう見えてもちゃんと仕事をしたい人間なので、
テレビなんかと違って
体育館では誰もドラマーの手先まで見えないとわかってても、
前の日にちゃんと全てのフィル・インを完コピして当てぶりに臨んだもんね。

しかしあの日は凄かったねえ・・・
当てぶり用のカラオケCDをミキサーに渡してるんだけど、
ワシなんかそれに合わせてもう完璧に本物のように叩いてるわけよ。
シンバルとか動くものは思いっきり叩き、
タムとかスネアは音が出ないようにリムを叩き、
まあ客席からはそんなとこまでは見えないけど、
スタッフなんかだけにでもちゃんと誇示したいですがな・・・

数曲完璧な(演奏)が続き、
ある曲での後半部分での出来事・・・
途中の静かな部分でいきなりカラオケCDが針飛びしよった!
慌ててサビを歌いだす陳琳(ChenLin)。
急いでサビのドラムを叩く振りをするワシ。
そしたらまたそのサビの途中でCDが針飛びしよった!
何か変だと思いながらサビを歌い続ける陳琳(ChenLin)。
リズムの頭を瞬時に聞き取って、また完璧に当てぶりするわし。
そしたらまた針飛びしていきなりエンディングに行きよった!
わけがわからずサビを歌い続ける陳琳(ChenLin)。
ドラムのフレーズでこれはエンディングだと瞬時に判断するワシ。
しかしまたどんどん針飛びして行き、
しまいにはプツンと音が切れてしまった。

ララララーラーラー(サビのフレーズ)・・・プツン・・・あーうー・・・謝々!
「謝々かい!」
と心で思いながらもワシはワシで生音のシンバルの音と、
リムを打つカランカランと言う音が会場にこだまする・・・
「しもた!」
振り上げたスティックを振り下ろすに下ろせず、
そのまま頭ポリポリ・・・

いやー、こんなこともあるんですねえ・・・
ええ経験させてもろた・・・


それにしても今回はたくさん仕事をしている。
着いてすぐ元黒豹のメンバーである巒樹(LuanShu)プロデュースの仕事で
「飛行機代出してやるから5曲叩いてくれ」
と言われて、スタジオに缶詰になっていた。
しかしドラムなんぞはそんなに数時間叩くもんでもないし、
とどのつまりはほとんどが待ち時間である。
昼一番で1曲ドラムを叩いたら、
そのまま「パーカッションも録るよ」と言われて待たされ、
ベースとかギターとか入れるのを待って夜中の2時になってやっと、
「よし、聞いてみるか」
うーむ・・・
「明日やろか・・・」
それを早う言え!

ひどい時にはその日は何もやらずに「今日は帰っていいよ」やもんね。
夜になってから言うな!っつう話である。
ま、それでも結局5日間で予定通り全て録り終わり、
日本のサラリーマンの初任給以上はもろたし・・・
かなりの金額やったなあ・・・そのままS社長への借金で右から左やったけど・・・

今日はいきなり黒豹のドラムの趙明義に呼び出され、
「ちょっとこのバンドの演奏聞いてくれ!
いい曲だろ。ただアレンジが今いちなんだな。
お前にプロデュースを任す!すぐアレンジしてくれ。月曜日にレコーディングする」
ちょっとちょっと、あんた・・・
明後日言うたら今晩DEMO作って、
明日打ち合わせして明後日リハやって、次の日やないかい!

バンドものはメンバーの意見が交錯して大変なので、
いくつかの方向性を用意せねばならん。
大変な作業なのじゃ・・・

頭を抱えてたらS社長から電話が来た。
「明後日、空いてるよね。テレビだよ」
ひえーっ!お前らは何で直前になってからしか言わんねん!

煮詰まったのでメルマガを書いている。
(結局発刊は翌日やけどね)

ま、この国では、結局は何とかなるんだよね。
HPの更新でもしよっと・・・

願わくば今度のテレビ収録では針飛びはしないで欲しいのだ・・・


ファンキー末吉

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2002年1月26日

中国政府がワシにバンダナを外させて髪の毛を縛らせるワケ

中国でワシがいつもバンダナを外されて髪を結わえさせられる理由。


昨日は首都体育館で「全球華語音楽大賞受賞イベント」っつうのがあって、
またアホ面下げて当て振り(実際には演奏しないが、振りだけ)しに行って来た。
全地球上での中国語による音楽のNo.1を決めるイベントである。
何と大仰な・・・

主催はChannel[V]と言うアジアNo.1の衛星音楽チャンネル。
全アジアに放送され(何故か日本を除く)、
一説によると5億人が見ていると言う。

「Channel[V]だから今回はバンダナしてもいいんじゃない」
前日、社長が飲みながらそう話す。
初回のテレビは外国人が出ては行けないと言う
中央電視台1(CCTV1)のイベント。
生放送なのでいきなりバンダナで登場!
その時は別に何も咎められなかったが、
次のCCTVのイベントでは、演奏直前に担当者から
「バンダナを外せ!髪も結わえろ!」
と言われた。
S社長の話では
「これは録画だから後でチェックされて咎められる可能性がある」
かららしい。

しかし思い起こして見れば、
この日はロックバンド「黒豹」も一緒に出演してたではないか!
「何で俺だけアカンのや!」

先日は北京電視台の収録だったが、
同じくバンダナを外されて髪の毛を結わえさせられた。
この日はロックバンド「零点」も一緒に出演してたではないか!
「何で俺だけアカンのや!」

酔ったついでにS社長に詰問してみた。
「まあ、バンダナはやっぱロックだからね。
担当者も後で何か言われてボツにされるのもイヤだからね」
まあもっともである。
「わかった。まあ百歩譲ってバンダナはあきらめよう。
でもどうして俺だけがいつも髪の毛を結わえさせられるんじゃ!」
とワシ。
「長髪もやっぱロックだからね」
と平然とS社長。
「ギターとキーボードのあの新人くんかて長髪やないかい!」
とワシ。
「あれはロックと言うより無精っつう感じだから・・・」
「そりゃ認めよう。
けど一緒にバックバンドやったあのギタリストかて長髪やないかい!」
とワシ。
「あれは美形だし、見ようによってはアイドルかな」
とS社長。
「ほな何でワシだけがいつもアカンねん!」

「ファンキーさんは・・・顔が・・・その・・・ロックだから・・・」

怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!
「ワシは顔がナニでいつもナニさせられてたんかい!」
怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!


かくしてイベントの当日。

今日は武蔵小山で買って来た新しい服を着て事務所に行く。
「お、服が新しいねえ」
とS社長。
「いつも寝巻きじゃダメだろうから買ったんだよ」
「投資したね!」
980円ですけど・・・ま、一応・・・
かく言うS社長は、そのぬぼーっとした新人くんのために
自腹でちゃんとした上着を買って与えていた。

それからギタリストの張亜東を迎えに行く。
アジア最大のヒットメーカーも、
こうして当て振りのアホな仕事に駆り出されるんだから情けない。
これを「北京の友達地獄」と言う。

ところが張亜東の家の前で待つこと30分。
電話をかけようがドアをノックしようが出てこない。
今は夕方の6時半。
彼にとってはまだ起きぬけの時間なのである。
「まったくもって芸術家ってやつはこれだから!」
運転している副社長もさすがにイライラを隠せない。
開演時間が近づいた7時過ぎ、
彼が寝ぼけ眼でやっと起きてきた。

車に揺られて会場入り。
本番はとっくに始まっている。
2万人の観客がひしめく会場の中に入ると見たことのある美人が・・・
「朱迅やないの!久しぶり!」
昔NHK中国語会話のパーソナリティーをしてて、
その後トゥナイト2の風俗レポーターもやってた美人中国人タレントである。
ワシの憧れの人であったが、
今では帰国して中央電視台の看板アナウンサーをやっている。
「あら、ファンキー。久しぶり」
「久しぶりやねえ。今日の司会は君?」
「そうよ。ファンキーは?」
「当て振りのバックバンドでんがな」
「あらそう、どうせ申請してないんでしょ」

ガッビーン!
しかしイヤなことを言う女である。
でも憧れの人なので許す!
しかし彼女が司会と言うことは・・・

げげっ!
主催者のChannel[V]の文字の隣にくっきりと「CCTV」
つまり中央電視台の名が・・・

バンダナを握り締めてたたずむワシ・・・

「お前はバンドのメンバーか。時間がない!すぐに来い!」
係員に連れられて会場のど真ん中の出演者席に座らされるワシ。
「おいおい、ワシを座らせてどないすんねん!」
見ればアジア中から集まったスター達に混じって、
顔がナニでナニなワシがちょこんと座ってテレビに抜かれている。
まあ見ればその歌手のマネージャーも
わけのわからんスタッフも座っているからいいか。


思い出したのが「夜のヒットスタジオ」のひな壇。
あれがイヤな仕事やったのよ、実は。
ワシは決して一生懸命仕事をしてないわけではないが、
決して面白くもないあの空間で、
ぼーっとしている顔を必ず抜かれて、
友人に「末吉ぃ、またおもろなさそうに座ってたなあ」と言われる。
まあおもろないんやからしゃーないが、
それにしてもアイドルと言うのは素晴らしい!
いつ、どのタイミングで抜かれても、
自分の一番いい顔をばっちりテレビに映し出すことが出来る。

ついでに言うとお笑いの人も素晴らしい!
一度プロモーションでお昼のバラエティーに出させて頂いた時、
中野や河合がプロモーションしながら、
何か面白いことを言うや否や、
ダチョウ倶楽部の上島がずずんと前に出てきて、
爆笑のボケを一発かまして司会者から頭を張り倒され、
後ろ向いて引っ込む時に
「よし」
とばかり小さくガッツポーズをしてたのをワシは見逃さなかった。

ワシらこんなプロフェッショナル相手に同じ土俵で勝負出来るわけない!

ワシが芸能界を嫌いな大きな理由である。


ステージでは香港からレオン・ライが何やら受賞して感想を述べている。
その他、同じく香港からフェイ・ウォンや台湾から張恵妹(A-MEI)や、
大陸の名だたる有名歌手達も全て出演している。
何せ「地球上の全ての中国語音楽」の大賞なのである。

ふと前列の席を見ると、
またあの零点の連中が座っていた。
ワシを見つけて嬉しそうに話し掛けてくるが、
ふーむ、奴らも昔のワシのような思いをしとんのかなあ・・・
聞けば奴らが髪の毛を切ったのも、もっと広範囲にテレビに出るためだと言うが・・・
そう言えばワシも昔アフロだった頃、
当時のプロデューサーに、
「爆風が売れるためには、まず末吉のナニをナニせねばならん!」
と髪の毛をばっさり切って「Newファンキー末吉」になったっけ・・・

スタッフがまた呼びに来て、
慌しくステージ下の奈落へ・・・
バンドの場合はここからせり上がりで登場するのだ。
ドラムセットが置かれるだけ置かれているのを急いでそれらしくセッティングして、
張亜東を始め、メンバー達が全員ぎゅうぎゅうに乗ったと思ったらイントロが流れ、
そのまませり上がって口パクで演奏が始まる。
思えばおアホな仕事である。

中国は基本的に円形ステージで、
後方にも満パンに客が入っているのだが、
張亜東側から女の子達の黄色い声が聞こえる
「亜東!亜東!キャー」
お前、歌手よりも声援を浴びてどうする!
ま、コムロみたいなもんですからな、こいつは・・・

演奏が終わるとそのままステージがせりに降りて、
そのまま奈落から楽屋に帰る。
それでおしまい。1本いくらの仕事である。

「俺、もう腹減ったし帰るわ」
張亜東がとっとと会場を後にする。
別にひな壇に座って顔を売ることに興味を持つわけではなく、
「芸術家」は「芸術家」として、仕事は以上!である。

「ワシ、顔がナニでナニなんでもう帰りまっさ」
ワシもとっとと会場を後にする。

気がつけばまだバンダナを巻いたままだった。

ま、顔がナニでもバンダナ巻いてたからいいか・・・


ファンキー末吉

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2001年11月29日

陳琳のコンベンションでドラムを叩くが衣装がない・・・

S社長の仕事はいつも急である。
「26日ヒマ?じゃあドラム叩いてよ」
まあいつものことなので許す!
「じゃあ前日にリハーサルね」
リハーサル?
聞けば今度はレコーディングではなく、ライブらしい。
陳琳の新譜発表記者会見で1曲演奏すると言うことだ。

「記者会見?俺服持ってないよ」

Gパンは北京での暴飲暴食のため穿けなくなってしまい、
ジャージと北京用の防寒着しか持ってない。
かろうじてあるのは、先日ファンキー松田のライブで来て、
「パジャマみたい」と言われた黄色の上下だけである。
ちなみにROCOCOの記者会見で
MIEさんと共にこの服で壇上に上がった俺を見て、
うちの事務所では
「今後事務所が用意した服以外でテレビに出るのは禁止」
と言うことになっていると言ういわく付である。

そう言えば先日常洲で行われた数万人の野外での中央電視台の公開録画、
ここでも結局ステージ衣装はこの黄色の上下で、
アホ面さげてコンガを叩く姿を数億人の中国人が見ることとなり、
Jazz-yaの従業員にまで「サインして下さい」と言われるようになった。
「まるでラテンの人みたいでしたよ」
ラテンの人はこんな黄色の上下は着ませんって・・・


さて、リハーサルの当日となり、
いつものようにスタジオに行くと、張亜東がいた。
フェイ・ウォンのヒット曲などを数多く手がけた
名実共に亜細亜No.1のプロデューサーである。
「ファンキー、この曲なんだけど、お前ならどう叩く?」
レコーディングなの?
S社長の仕事はいつも突然である。
リハーサルの前に彼のレコーディングを入れていたのだ。

それにしても最近の科学の発達は目覚しく、
彼なども自宅のプロトゥールスで作ったデータをCD-Rに落として、
そのままスタジオに持ってきてドラムを録り、
それをまたCD-Rに持って帰って自宅で仕上げる。
便利な世の中になったもんだ・・・

1回目は音決め、2回目は本気で叩いて1発OK!
美空ひばりさんは、テープが回ったら1度しか歌わない
と言う噂を聞いたが、そんな域に達するよう日々精進である。

すぐ終わったのでそのままレコーディングスタジオでバンドのリハーサル。
ギターはそのまま張亜東が弾く。
思えば次の日演奏する陳琳のヒット曲も彼の作曲、アレンジ、プロデュースである。
そしてもうひとりのギターは・・・

前号でも書いたこの会社の新人、曲世聡。
ぬぼーっとした風体でアコースティックギターを抱えて来た。
何を着ても似合わんし、何を持っても似合わん・・・
それなのにあんな美人の彼女がいるなんて・・・

ま、いい。
そつなくリハーサルを終えて翌日の本番。
演奏は全然心配してないが、衣装が心配である。
とりあえず黄色の上下の他に、
安田のタンスから目ぼしい服をいっぱい持って行く。
しかしS社長から全部ダメ出しを受け、結局黄色の上下になってしまう。
「借りて来たみたいでファンキーさんらしくないよ」
とS社長は言うが、実際借りて来たんだから仕方がない。

リハーサル予定時間が過ぎても張亜東は来ず、
「そりゃミュージシャンが11時入りっつうたら起きられないわなあ」
と当のS社長自身が全然焦りもせず、
会場時間が近づいても誰が焦るわけでもなく、
ぎりぎり到着を待ってリハをやり、何とか本番を迎えることが出来た。
バンドはステージの上だが、
張亜東だけは特別にPA席と照明席の間の花道に
客席を隔ててバンドと向かい合うようにセッティングしてある。
まあ彼は言わば
一時期の小室みたいなもんだからフィーチャリングしているのだろうが、
演奏が始まるとそこが記者達にとって一番オイシイ場所なので、
張亜東の後ろに記者達がどどーっと陣取って陳琳を映すので、
当の張亜東本人が逆に全然目立たないのが笑った・・・

ドラムを叩きながらふと隣を見ると、
その曲世聡が相変わらずぱっとしない風貌でギターを弾いている。
服装は・・・・

なんとジャージである!

アホか、こいつ・・・


でも晴れの舞台で緊張することもなく、
相変わらず全然ぱっとしない風貌で淡々とギターを弾くこいつが
少しだけ、いや結構好きになった・・・


ファンキー末吉

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2001年11月16日

北京のスタジオに詰め始めた新人シンガーソングライター

北京は激さむである。
いつものように自転車でスタジオにやって来たが、
もう寒くて帰るに帰れないので置いて帰った。


最近この会社が新人のアーティストと契約したらしく、
俺のスタジオ
(と言ってもスタジオの事務所にデスクとパソコンを置いただけだが)
の真後ろのミーティングルームの机を占領して、
その新人がところ狭しと機材を広げている。

聞けばこの新人、東北地方かどっかの田舎モンで、
家財道具全部売り払って、親にまで借金させて、
今やこの機材だけが唯一の財産であるそうだ。

曲を200曲以上書きため、
DEMOテープを持って上京。
いろんなところを回っては見たものの、
「音楽性が、ちと今の中国では先進的過ぎる」
とどこにも相手にされず、
「まあこんな新しい音楽だったらあの会社がいいよ」
とばかりみんながここのS社長を紹介したらしい。
おかげでS社長のところには
いろんなところから同じ彼のデモテープが山ほど届き、
「しゃーない、会うたるかい!」
とばかり面接をしてDEMOを聞いたらびっくり!
「ものすごいええもん作っとるやないかい!」
即契約である。

「君はどんな方向性で何をやりたいの?」
そう言うS社長の質問に新人は一言。
「朝から晩まで音楽やれてたらそれでいいんです」

アホである。

実際、彼は毎日朝からここにやって来ては、
何も言わずにずーーーーーーっとパソコン相手に音楽作っとる。
友達がいるようにも見えず、何か趣味があるようにも見えない。
ルックスもさほどぱっとするわけでもないので、
S社長は誰か女の子かなんかとユニットを組んでデビューさせる腹らしい。


それで最近よく女の子がオーディションに来ているのか・・・

スタジオの本業務が始まる午後2時より前に、
時々得たいの知れない女の子が来ては
中国人エンジニアに歌を録ってもらっている。
(そんなことを知ってるほど毎日スタジオに詰めてる俺もアホだが)


ある時、その中国人エンジニアが俺を呼ぶ。
「ファンキー、VCDの音だけを取り出すのはどうするんだ?」
俺は今やここのパソコンのトラブル処理班である。
この事務所で一番パソコンに強いのが俺だと言うのが情けない!

聞けばその女の子がVCDで曲を持ち込んだので、
そのカラオケトラックを使ってDEMOを録りたいらしい。
「末吉スタジオ」でWavデータに変換してやり、
CD-Rに焼いてあげて自分の仕事に戻る。

しかしまたすぐ呼び出される。
「ファンキー、これだとVCDの歌詞が見れないじゃないか・・・」
知ったことかい!っつう感じだが、
別にヒマなので「じゃあ俺のVAIOで見ながら歌えば」と、
結局ブースの中に入って女の子に歌詞を見せてあげる。
しかも字幕が動くので曲に合わせてスクロールしてあげねばならない。
「歌詞ぐらい自分で持って来い!」っつう話である。

だいたいにして中国人の女の子は誇り高いと言うか早い話、気が強い。
彼女にとっては俺のことはきっとその辺の事務員ぐらいにしか思ってないのだろう。
「ちょっと、字幕がずれてるわよ」
と言わんばかりにツンケンする。

まあ美人なので許す!


俺の人生って一体・・・


それにしてもこの会社は最近わさわさと忙しい。
看板歌手の陳琳(ChenLin)のレコードが発売されるからである。
おかげで日本人エンジニアのKEIZOは、
毎日こもってメインスタジオでTD等をしている。

このアルバムでもまた呼ばれて何曲かドラムを叩いた。
このスタジオには自分のドラムセットがあるし、
ドラム録りなどほんの30分か1時間ぐらいなので楽である。
ギャラも日本のとさほど変わらんし・・・


聞くところによると、
日本では末吉と言うとドラムだけで呼ぶには恐れ多い存在だと思われてるらしい。
アレンジやプロデュースのイメージが強いかららしいが、アホな話である。

先日は成方圓と言う女性歌手からアレンジを頼まれた。
ある年代以上の人なら知らない人はいないと言うから、
私の近い人で言うと未唯さんみたいなもんではあるまいか・・・

先日の私の仕事で、テレビなどでもご一緒させて頂いた、
陳琳(ChenLin)のライブ用音源、
ウィグル族の民謡ラテンバージョンを聞いて、
えらく感激して訪ねて来てくれたらしいが、
あーた!ドラム仕事に比べてアレンジっつうのがどれだけしんどいか・・・

そりゃギャラは数倍にはなるし得意な仕事ではあるのでいいが、
DEMOを作るだけで半日費やして、
そして打ち合わせとデータ製作でまた翌日半日費やして、
その上、必ず「直し」がある。
ドラムなど「直し」されたことがないので非常に苦痛である。
このままレコーディングに更に数日かかるんだから、
同じ時間ドラムだけ叩いてたらどれだけ楽でいくらになるかっつう話である。
要はアレンジとかプロデュースは一生懸命やらんといかんが、
ドラムは普通にやってれば人に喜ばれるから楽しいのである。


昨日はまたドラムで呼ばれた。
別に隣の部屋に自分のドラムがあるんだから、
Mail仕事の気分転換に叩きまくるのは気持ちがいいし、
しかもやっぱ楽である。

ただ困るのは最近「こいつはどんなんでも叩ける」と思われているので、
機械で打ち込んだ奇妙なドラムフレーズを平気で叩けと言われることである。
おまけにこれまで仕事をして来て、
中国人アレンジャーがちゃんと譜面にして俺に渡してくれたことがない。
「Funky!ちょっとちょっと・・・」
と呼ばれて打ち込みのDEMOを聞かされて、
「ほな頼むわ」
と言われておしまいである。

ひどい時には他のオケは全部すでに本チャンでレコーディングされていて、
「この打ち込みをお前のドラムで差し替えてくれ」と来る。
機械と同じぐらい正確に、
しかもそれに乗せて重ねた人間のプレイの揺れにも合わせながら叩く。

もう慣れた・・・


全てが友達関係だけで成り立ってる、
いたって緊張感のない楽しい現場であるが、
先日ひとつの事件が起こった。

その音楽オタクの新人の傍らにとある美女がいたのである。


いやー俺は無粋なことは言わん!
田舎もんの音楽オタクのあいつに、
女友達のひとりぐらいおってもそりゃええじゃろう・・・

頭の中ではそう思うのだが、
どうも生理的にそれを受け付けない。
「いや、この美女はきっと、
メインスタジオでレコーディングしている誰かの彼女に違いない」
そう思って自分の作業を再開するが、
彼女がすっくと立って彼がそれを送っていく姿を見るにつけ、
「人生不公平じゃ!」
とこぶしを握りたくなる。

ジブンノモノニナラナクテモコイツノモノニダケハナッテホシクナイ・・・

そして最近はこいつもスタジオに来なくなった・・・
俺は夜中にひとりでずーっとドラムを叩いていた・・・

ファンキー末吉

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2001年10月29日

テロで誰も飛行機に乗らない中、月に北京と日本を二往復

全世界の人がなるだけ飛行機には乗らないようにしようとしている昨今、
北京-東京を毎月2往復しているアホである。

東京には家はなく、かと言って北京に家があるわけでもなく、
東京ではドラム部屋と呼ばれるドラム倉庫に荷物を置き、
北京ではJazz-ya北京の安田のマンションに荷物を置き、
まあその日の泊まるところがなければそこに帰ると言う気ままな生活である。


ある日安田のマンションに帰ってきたら、
あらゆるところに「騙」と言う張り紙がしてある。
聞けば、もともとこのマンション内の広大な敷地は、
将来は大きな湖と公園を作ると言うことで入居したところ、
マンション側が約束を破って
そこに新たなマンション棟を建てようとしているところから事件は始まったらしい。

そう言えばある日、その広大な敷地の壁を住民達が
ベルリンの壁よろしくみんなで壊しているお祭り騒ぎを目撃したことがあるが、
それはこれが原因となっていたのかと納得した。

さてこの争いは次第にエスカレートしてゆき、
最後には人が死んだらしい。

人が死ぬと言うと、喧嘩による撲殺等を想像するがどうもそうではなさそうである。
中国人の友人の説明によるとその人が「気死了(チースーラ)」、
「気」とは怒ることで、これは通常は「死ぬほど腹が立つ」と言うことなのだが、
「だから腹が立ってどうして死んだの?」
と聞いても、「だから気死了(チースーラ)なんだよ」で埒があかない。
よくよく聞いてみると、本当に「気」して「死了」、
つまり怒って死んだ、憤死したと言うことなのである。

三国志演義じゃあるまいし、この現代で憤死などと言う死に方があるのか・・・

その死んだ人はマンション側との交渉で、
本当に死ぬほど腹が立って、そして30分後に死んだらしい。

憤死・・・なんとも凄まじい死に様ではなかろうか・・・


さて、そんなマンション騒動はお構いなく、北京のJazz-yaは好調らしく、
となりの日本料理屋「飯屋」や、焼肉屋「牛屋」、
(中国はまだ狂牛病の影響は皆無である)
そしてちょっと離れたところにあるSushi-Bar「すし屋」も好調らしい。

だいたい儲かっているところに集まるのは金と泥棒で、
泥棒対策は商店ではどこでも頭の痛い問題らしい。
牛屋には毎回決まった曜日に窓を割って泥棒が入り、
さんざん引っ掻き回したあげく盗る物がないので
タバコを盗んで帰ったりしてたらしい。

業を煮やした従業員が
赤外線アラームなどを設置して泊り込みで番をしてたところ、
やはり同じ曜日に侵入して来た泥棒と遭遇、
日ごろの恨みを込めて袋叩きにしたそうな。

泥棒さん、まさしく瀕死・・・

割ったガラス、壊した設備、盗んだタバコ、
身元を完全に調べ上げ、
損害総額の5倍額を請求、払えなければ警察に突き出すと言ったところ、
警察なんかに突き出された日にゃあ瀕死じゃすまないほどもっとボコボコにされるので、
泥棒仲間から金をかきあつめ、かなりの大金を払って勘弁してもらったと言う。

北京の泥棒さん、今や完全にネットワークがあり、
「捕まる」と言う泥棒商売の経営リスクを、このネットワークで軽減しているらしい。
金は耳を揃えて払った。

それにしても盗んだタバコに対して
払ったこの金額、そしてボコボコで瀕死ではあまりに割が合わんじゃろ・・・
泥棒家業も楽ではない。

瀕死・・・大変なリスク商売である・・・


さて、日本に帰ってきた。
以前北京で拾ったバックパッカーのTAKUROは、
帰国後羽田空港に着いた時には30円しか持っておらず、
ヒッチハイクをして何とかドラム部屋までたどり着き、
そこにあるインスタントラーメンなどで食いつないでいたようだが、
生まれ故郷の金沢にまたヒッチハイクで帰って以来数ヶ月、
何の音沙汰もないなあと思っていたが、今回久々にまた出現したらしい。

ドラム部屋の主、元ジャズ屋のバーテン南波の言うことにゃあ、
いきなり警察から電話があり、
「TAKUROさんと言う方は知ってますよね。身元引受人として来て下さい」
とのこと。

びっくりした南波は警察に出頭し、いろいろ事情を聞くと、
何やら再び東京には何とか着いたものの、
金もなければ腹も減って、
ついついスーパーにある大福を万引きして捕まったらしい。

・・・笑止・・・

日本では商店主にボコボコにされることも、
警察で更にボコボコにされることもなく、
こうして身元引受人さえあれば返してくれる。
平和な国よのう・・・


それにしても・・・大福か・・・
バックパッカーやるのも大変である。


ファンキー末吉

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2001年9月14日

1億2千万人が見ているテレビ番組に生出演した

北京にはもう50回以上来ているが、
いつも行ったり来たりだったのでこんなに長くいるのは初めてである。
もう「住み始めた」と言っても過言ではないだろう。

・・・と言っても家を構えたわけではない。
相変わらず安田んとことか、
酔いつぶれた部屋でそのまま寝たりの気ままな毎日である。

嫁の実家は市内からバスで1時間以上かかり、
子供はその実家に預けているが、
嫁はと言えば子供の小学校の入学金5万元(約80万円。高い!)をもらった途端、
何故かすぐ日本に出かけて行った。
俺が苦労して集めた金、本当に小学校に無事納められるのだろうか・・・


こっちにいたらいたで結構仕事が来る。
こちらでは友人Sが音楽プロダクションをやっているので、
そのスタジオにほぼ毎日詰めている毎日である。

またここの賄いのメシが旨い!
お昼時になると、何もないのにここにやって来てメシを食う毎日である。
二日酔いとか徹夜仕事とかで家で寝ているとS社長から電話がかかって来る。

「何やってんの?今日は餃子だよ!」
俺がおらんと寂しいんかい!

ちょっと冷えた残り物の餃子を食ってると、
「じゃあドラム1曲叩いて」
と突然仕事が振られたりする。

このスタジオには爆風のランナー時代のドラムセットがすでに運び込まれていて、
これがなかなか名器なので重宝している。

まあドラムはお手のものなのでいいが、
ある日など台湾のプロデューサーがオーケストラを録っていて、いきなり
「そう言えば打楽器奏者まだブッキングしてないよね」
といきなり民族音楽のパーカッションをやらされる。
わけわからんまま譜面を渡され、
大太鼓やらシンバルやら風鈴やらわけわからん楽器を演奏させられて、
うーむ、これでええんじゃろか・・・

勝手にここのプロトゥールスを立ち上げてEditやら自分の仕事をしてたら、
「ねえねえファンキーさん、
この曲ってファンキーさんだったらどんなアレンジする?」
しゃーないのでMIDIでぱぱっと作ってあげたりすると、
「じゃあ今から録ろう」
そのままレコーディングになったりする。
これでええんじゃろか・・・


ある日のこと、二日酔いで寝てたら電話が鳴った。
「何してんの?今日のメシはとっても旨いよ」
俺をメシで釣るな!

それでもまたのこのこ出かけてゆくと
先日のオケにボーカルを入れている。
ここの看板歌手、陳琳(ChenLin)である。
ウィグル族の民謡を俺が本格的なサルサにアレンジして、
手が痛いのにコンガやらボンゴやら数々のパーカッションを
自分でダビングした曲だ。
ここに常駐の中国人プロデューサーが歌のディレクションしている。
プロデューサーもアレンジャーもドラマーも常駐し、
フェイウォンなどの作曲家としても知られる中国No1プロデューサーYも
よく顔を出しては、
入手したばかりのプロトゥールスのプラグインをインストールして帰ったりする。
こっちは海賊版王国なのでここのプロトゥールスのプラグインの豊富さは
恐らく世界でも群を抜いているだろう。

ここはもうすぐレコード会社も立ち上げると言う話だが、
ひょっとしたら昔のモータウンとかの勢いを感じたりした。
そしたら俺はここのアル・ジャクソンになるんか?


歌入れをよそに自分のことなどやってたら
歌入れ終わるや否やいきなり急かされて車に乗せられる。
「今日は今から中央電視台の生放送に出てもらうからね」
「ちゅ、中央電視台で何すんねん」
「陳琳(ChenLin)のバックでコンガでも叩いてよ」
「コンガ言うたって・・・んなぁいきなりな・・・」
「大丈夫、当てぶり口パクだから。1億2千万人の人が見てるからね。
じゃあ頑張って」
「1億2千万人言うたって俺・・・短パンにJazz-yaのTシャツやでぇ」
おまけに裸足にサンダルである。
「あ、それと・・・」
S社長に呼び止められる。
「中央電視台は外国人が出ちゃダメなんで、
聞かれても絶対日本人って言わないように!」

んな無茶な・・・

その昔、まだロックが精神音楽だと言われてた頃、
天津体育館で黒豹のドラマーとしてドラムを叩いた時も
「外国人がこんなとこにいるなんてことがバレたら大変なことになるから
絶対に口きくな」
と言われていたが、
中国全土に放送するNHKみたいな局に
外国人っつうのを隠して放り込まれるんですかぁ・・・
「大丈夫、何か言われたら華僑だって言っとけば」

そう言えば当時と違って今は中国語が喋れるので全然それで通る。
考えて見れば華僑であることを証明する書類などはどこにも存在しないのだ。
アメリカ華僑はアメリカ国籍だし、
当然ながら日本の華僑は日本国籍である。
ちなみに俺の子供たちは国籍は日本人であるが、
パスポートに別に「親は中国人ですよ」と記載されているわけでもなく、
関京京(グアン・ジンジン)や関天天(グアン・テンテン)などの名前は、
言わば勝手に付けた名前であってどこにもその名前を証明するものはない。
末吉覚がファンキーと名乗ったり、
その中国名「方奇(ファンチー)」と名乗っているのとまるで同じである。
中国語を喋っている限り、「俺は華僑だ」と言っても通るのである。

厳しいチェックを受けねばならない中央電視台のセキュリティーチェックを受け、
スタジオに入ると既にリハーサルが始まっていた。
しかし往年の「夜ヒット」や「Mステーション」等と違って
何とのんびりとした雰囲気なことか・・・
秒刻みの台本が配られるわけでもなく、
メガホン持ったADが血眼になって仕切っているわけでもない。

なのにいきなり陳琳(ChenLin)の番になると
後ろにバックダンサーが現れてラテンダンスを踊る。
立ち位置が厳密に決められているわけでもないので、
俺なんぞはコンガ叩きながらそのダンサーに体当たりされて大変である。

リハーサルが終わり、カメラチェックをするわけでもなく、
楽器の出し入れの段取りをおさらいするわけでもなく、
ほどなく観客が入ってくる。

そして歌手専用の楽屋があるわけでもなく、
その辺でスタッフと一緒に配られた弁当を食べる。
ちなみに弁当も中華料理である。
結構旨い!

生放送が始まっても別にそこにモニターがあるわけでもなく、
突然スタッフに呼ばれていきなりステージに上がり、
わけのわからんまま生出演である。

ダンサーももう見切りを覚えていて俺にぶつかることもなく、
バビりをやっているわけでもなさそうなのに、
パーカッションは適当な位置に配置されてるし、
カメラ絵的にもよさそうな絵面である。

北京のあらゆる道路が自転車と車とがごった返していて、
それでも無秩序の中の秩序があってそれなりに動いている。
赤信号など守る人間はいないが、
代わりに赤信号でも渡れるからいいのである。

中国社会の仕組みを垣間見たような気がした。

ファンキー末吉

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2001年8月14日

北京に住み始めた。手始めは五星旗のTD

北京レコーディング

1ヶ月以上に渡る日本でのレコーディングが終わり、
残すは五星旗のTDのために北京にやって来た。
別に日本でやってもいいのだが、
北京で友人がスタジオをOpenし、
エンジニアも、黒豹のエンジニアでもあり、
五星旗の1枚目もやってもらったKEIZOと言う日本人エンジニアがいるので、
まあ飛行機代を出したとしても安くあがるし、北京TDに踏み切った。

実の話、東京のこのスタジオはもう飽きた。
飽きたのは俺だけではなく、
スタジオの従業員が俺のことをもうとっくに飽きている。
朝出社したらいて、帰る時にはまだいるんだからしょうがない。
毎朝毎朝寝起きの末吉の顔を見せられるのもどうしたものか・・・
昼夜ないもんだから、別に昼飯からビールを飲み、
自分が仕事をしているのにスタジオのソファーで酔いつぶれている姿を
見せられる従業員の気持ちはどうしたものか・・・
最後にはスタジオのビールは底をつき、
「また仕入れなきゃなんないんですけど、銘柄は何がいいですか」
と俺に聞くのもどうしたものか・・・

まあ人間関係がこじれないうちに居を北京に移したと言うわけだ。
ところが東京にも別に居を構えているわけではないのだが、
北京でも実はそうである。

嫁は子供を両親に預けて、
「職探し」と言う名目で北京の従妹のところで毎日遊んでいる。
そこに泊まるわけにもいかないので、
今回は元ビクターのOさんが借りている北京の部屋に住まわせてもらうことにした。
日本にいながら北京に部屋を持っているなんて素敵じゃない?

着いていつものようにすぐJazz-ya北京に直行する。
「頼んでたお酒、買ってきてくれました?」
安田がそう言うが、
朝から朝まで毎日レコーディングしてていつ買いに行くヒマがあるものか・・・
「いいんですよ、また今度荷物がない時に持って来て下さい」
俺の今回の山ほどの荷物を見て安田が慰める。
データが読めなかった時のために山ほどのマルチテープと共に、
嫁から持って来いと言われている家財道具の一部。
引越しの時に嫁はドラム部屋に荷物を運び込み、
その段ボールに通し番号を付けて俺が北京に来る度に持って来させるのである。
「頼んでたアレ、買って来てくれた?」
嫁が開口一番にそう訊ねる。
出発直前に国際電話がかかって来て「タンポンを買って来い」と言うのである。
仕方がないので事務所の西部嬢に大量に買って来てもらったのだが、
どうも銘柄が違ってたらしくぷんぷん言う。
「俺に頼むな!」っつう話である。

嫁はブツを受け取ったらそうそうに遊びに出かける。
お気楽なもんである。
俺はそのスタジオのオーナー、沈とエンジニアのKEIZOと飲みに行く。
「Oさんの部屋ってどこ?」
「ああ、うちの家の向かいだから送って行きますよ」
KEIZOがそう言うので遠慮なく酔って大暴れさせて頂いた。
日本からYさん、インドネシアからIさん、ベトナムからKさん、
と偶然この日はアジア関係の業界人が北京に終結し、俺は悪酔いして酔いつぶれた。
後はKEIZOが面倒見てくれる。
末吉プロジェクトのミキサーはこんな面倒まで見なければならないので大変である。

さてOさんの家にやっと着いた俺はKEIZOが持つ合鍵で部屋に入ろうとしたら、
なんと長年留守にしているのでついに電気が止められている。
中国の場合は張り紙をした後、
それでも払わなければブレイカーごと取り外して行くから物凄い。
真っ暗な中、手探りでベッドらしきところにたどり着いてそのまま寝た。

朝になってあまりの暑さに目が覚めた。
「ここはどこ?私は誰?」
となるのが普通だが、
東京でのスタジオ終了時間が半端に早い時、
仕方がないのでドラム部屋に帰って仮眠をしている状況に酷似していて、
「あ、もう9時か・・・スタジオ行かなきゃ・・・ラジオ行かなきゃ・・・」
・・・と思わず飛び起きてしまう。
悲しい性である。

スタジオに向かい、機材をチェックする。
全てのデータが読み込めることを確認してから、
試しに1曲大音量で聞いてたら電話が鳴った。
スタジオのドアの外で電話してたら風でドアが閉まってしまった。
見るとオートロックである。
カギを開けた沈はもうすでに出かけてしまい、
むなしくドアの隙間からYangYangのボーカルが大音量で聞こえて来る。
「閉め出されたんですけど・・・」
沈に電話をしたら大笑いされ、
「もうすぐ誰かがそっちに行くから待っててよ」
と言われ、ドアの前で数時間ぼーっと待つ。

大体にして北京での仕事はそうである。
以前もMACを持ち込みでやって来たが、
初日に電源を入れたら壊れてしまい、
次の日は修理に持って行くので1日、
その次の日は取りに行くので1日、
そのまた次の日からやっと仕事が始まった。
北京の風に吹かれながらドアの前でぼーっとするなど
言わば「これぞ北京」の日常ではあるまいか・・・

夜にはJazz-yaに行って安田相手に楽しそうにそんな話をする。
「いやー、電気が止まっててねえ・・・」
安田にそう言ったら
「末吉さん頼みますからうち泊まって下さいよぉ。
ファンキー末吉が電気もないところに泊まってるなんて僕が恥ずかしいですよ。
頼みますからまたそんなことメルマガに書くのやめて下さいよ」

書くもんねぇ!

Jazz-yaに行ったら、食い詰めたバックパッカーが職探しに来ていた。
世界中を旅しているTAKUROと言う22歳の若者である。
「すまんが今は労働局がうるさくって、ビザのない人間に働かせるわけにはいかないのよ。
末吉さんが面倒見てくれるかも知れないから言ってみぃ」
かくして毎日腹が減るとTAKUROがスタジオにやって来る。
面白いのでメシ食わせてビール飲ませてほったらかしている。
無銭旅行の土産話のギャラがメシとビールと言うわけだ。

使えるお金はあと300元、ホテル代は25元なのであと10日余りが勝負である。
「25元のホテルっつうのは凄いよねえ。どんなとこなの?」
バックパッカーの溜まり場であるが、
35元出せばクーラーがあるらしいが、25元はクーラーなし。
それでも俺の住んでいるOさんの家よりはマシかも知れない。

TAKUROはホテルまで2時間歩いて帰ったが、
俺はさすがにタクシーで帰宅する。
もちろん今夜は蝋燭を準備して帰った。
キャンプ生活のようでなかなか楽しい。
ガスが出ないので水シャワーを浴びてみる。
考えて見ればこれって俺の日本での生活とあんまし変わらん・・・

「末吉さんて人生がバックパッカーみたいなもんですからねえ・・・」

買い物をしようと外に出て、安田のこんな言葉を思い出してニヤニヤしながらドアを閉めたら、
ここもオートロックであることに気が付いた。

ひえーっ・・・

「うちのホテルも遊びに来て下さいよ。バックパッカーばっかで楽しいですよ」
TAKUROの言葉を思い出す。
うちの上の子供は天津の友人宅に遊びに行ってると言うので、
レコーディング終了したらTAKUROと一緒に天津にでも行ってみるか・・・

ファンキー末吉

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2001年6月16日

北京で黒豹のライブに遭遇

北京に来ている。
いや、帰って来ていると言うべきか・・・実は全然実感がない。
まあ当分は行ったり来たりだし・・・

今月で東京は宿無しとなる俺だが、北京にとて別に宿があるわけではない。
Jazz屋の安田や友人宅を転々としていればそれでよい。
子供たちがいる嫁の実家は北京市内から車で1時間と遠く、
そこに帰るには車をチャーターして、ちょっとした小旅行なのである。


いやしかし安いと思ってた北京の物価も、年ごと日ごとに高くなって来ている。
医療費は無料のはずの共産主義は崩壊し、
中国的特色の社会主義では全額が本人負担である。
ヘタしたら日本よりはるかに高い。

小学校の入学金が3万元(約50万円)と言うからキチガイ沙汰である。
普通の人民はどうやって生活しているのだろう・・・
またうちの子供の国籍は日本なので、外国人はよけいに高いのね・・・
ちなみに嫁の実家、燕山と言う街では唯一の外国人がうちの子供である。

嫁も国籍が日本となったので、いきなりここでは住みにくい。
外国人には何もかも高い国なのよ、ここは・・・

そんな外国人や、
日本人の人口より恐らく多いであろう日本人より金持ちの人達相手
に商売しているのがここJazz-ya。
北京No.1のバーに選ばれ、日本料理屋の飯屋、寿司バーのSushi-ya、
そして焼肉屋の肉屋、とどんどん増殖している。
値段も日本とほぼ変わらないのに連日大繁盛である。
これを支えているのが安い労働力。
田舎から出てきた従業員の給料では
俺のように連日ここで酔いつぶれることは夢また夢である。

白い猫でも黒い猫でも鼠を取る猫がいい猫だ!
豊かになれる者から先に豊かになりなさい!
と言うこの国は、中国的特色の社会主義と言う名の資本主義。
日本は資本主義と言う名の理想の共産主義。
1億総中流など、世の思想家達が夢に見た理想の共産主義国家なのである。

でもなんで俺はまたこんな街でいるんだろう・・・


昨日、CDカフェと言う小さなJazzクラブで、黒豹のライブがあった。
精神汚染音楽だった当時の北京で、
アンダーグランドな活動を余儀なくされていた彼らも、
今はスタジアムを満パイにし、大金持ちになって太って、
「自分の商売が忙しくてバンドなんてやってらんない」
と言う状況である。

ドラムの趙明義は株を買ったか何かで今やCDカフェのオーナーである。
外国人が唯一Jazzのライブが見られたこの店も、
中央電視台のイベントやらロックバンドやら、
無節操にオーナーがブッキングするもんだからとんと客離れと言う噂である。

「おい、たまには集まって音でも出そうぜ!」
・・・てなことでこの日はメンバーが気楽に集まったのか・・・
いや「中国人はあんたと違うんだから」と言う嫁の声が聞こえそうである、
生力ビールの思いっきりのタイアップ・・・金の匂いがぷんぷん・・・

何から何まで生力ビールの店内には客がまばら・・・
オープニングアクトの若いバンドの演奏が始まる。
確実に数年前の北京のバンドよりはるかに上手い!
サウンドも完成されていてケチのつけどころがない。
「みんな上手くなったよなあ・・・」
何やらつい感心してしまう。

俺が初めて地下クラブで黒豹を見た時、
奴らはお世辞にも上手いとは言えなかった。

しかし俺はそれを見て、今ここにいる。
あの日を境に俺はここ北京にいつも・・・いる・・・

オープニングアクトの演奏が終わり、黒豹が始まる頃には客席はほぼ満パイ。
しかしあの日とどこかが違う。
あの日、パンクスに連れて行かれたあの地下クラブにはもっと・・・
危険な空気・・・ヤバイぞ、ここは・・・と言うのがあった。
ここはすこぶる健全である。外の世界と変わらないのである。

演奏が始まる。
彼らの曲は老歌と新歌とに大きく分けられる。
老歌は昔のヒット曲。新歌はメンバーチェンジをし、今の黒豹のナンバーである。
ステージは老歌から始まった。
「這是新的中国!(これが新しい中国かい!)」
こんな歌詞を歌詞カードから見つけて鳥肌が立った彼らの1枚目の曲。
今では彼らこそがそんな「この新しい中国」の代名詞である。

ひとり客席で俺は当時、初めて彼らを見た時にトリップしていた。
ここには秦勇ではなくドウ・ウェイがいて、そしてあそこにはルアン・シューがいた。
リー・トンの髪の毛も当時の中国では街にはまず見かけなかった長髪だった。
お世辞にも上手いとは言えないその演奏・・・
感心はしないが、しこたま感動した・・・

そんな当時の彼らを、今の彼らを通して見て感動している・・・

今の黒豹は言ってみれば
ロジャー・ウォータースの抜けた後のピンクフロイドのようなもんである。
それを見に来てノスタルジーで感激している俺は、
再結成ラウドネスを見て涙している最前列のファンと同じか・・・
でもラウドネスに青春を捧げて婚期を逃したファンはいても、
俺ほど人生を踏み外した人間はいるまい・・・
3月まででやめようと思ってた二井原も、
最前列で涙流してるファンを見てもう半年続けようと思ったと言うが、
最前列で40過ぎの日本人ドラマーに涙しながら見られてても
そりゃ黒豹も演奏しづらいじゃろ・・・

老歌なんぞ演られた日にゃあ、俺はすぐにあの場にトリップしてしまう。
「この曲もあの日に聞いた。この曲もあの日に聞いた。
そしてこの曲はあの日に叩いたじゃないか・・・」
11年前の思い出が走馬灯のように思い起こされる。

老歌はもちろんのこと新歌も懐かしい。
唐朝のベーシスト、ジャン・ジュィーに宛てた追悼曲・・・
友達が死ぬなんて一生のうちに何回あるだろう。
この30代で俺はふたりのミュージシャンの友人を亡くしている。
思えば俺の30代はかなりドラマチックである・・・

俺の30代、俺の中国はヤツらによって始まって、
そして今もヤツらと一緒に・・・いる・・・
黒豹がどんなに肥え太って、商業主義の権化となって、
どんな無様な姿を晒そうとも、俺はいつもヤツらと一緒に・・・いる・・・
俺は最後までヤツらと一緒にいて、
黒豹の、いや俺の人生を変えた中国ロックの最後をこの目で見届けたい。


そんなことを考えながら、今から来週日本に帰るチケットのリコンファームをする。

ファンキー末吉

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2001年1月22日

北京で久々にライブ。やっぱ北京もええとこやなあ・・・

零下18度だと聞いていたのでどれだけ寒いかと思って、
モモヒキの上にジャージを着込んでからオーバーオールを着て、
XYZのファンからプレゼントされた防寒ジャンバーを羽織って北京空港に降り立った。
「あれ?想像してたより全然寒くないねえ」
同行した和佐田や団長がそう言う。
「本日の気温は零下4度で御座います」
ガイドさんがそう言うのを聞いて
「それは暖かい!」
とつい思ってしまうのは、
言い替えると、「うちの嫁が怒ってないから最近優しい」と言うのと同じである。
人間の順応性と言うのはまことに偉大だ。

「末吉さん、来週スケジュール空いてません?
李波の結婚式をプーケットで挙げるんですけど末吉さんも来れません?」
李波とはJazz-ya北京の実質的社長。
最近は人民代表にも選ばれ、偉くなっている。
「中国人が春節でみんなタイに行くんでホテルがとれないんです、
末吉さん最近タイで仕事してるって言うから、
そっちのコネで何とかホテル押さえられませんかねえ」
中国人もめっきり豊かになって、
ビザも取りやすいと言うことから旧正月はこぞってタイのリゾートに出かけるのだ。

さて俺はと言えばこの2週間の間に、
摂氏30度近いタイから零下4度の北京に降り立ち、
またすぐにそちらに戻って行こうとしている。
環境にすぐ順応してしまう自分が情けないが、
出来ることならずーっと一生南国で暮らしたいものだ。
とにもかくにも、また常夏のタイに戻れることは真に嬉しいもんだ。

さて、そんな末吉の最近のタイ好きを受けて、今日のお題。

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北京やっぱりいいとこ、一度はおいで・・・
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いつぞやから北京に魅力がなくなり、足が遠のいていた。
タイプロジェクトも始まり、またタイ人の心優しさに惹かれ、
そしてタイで頑張る日本人のたくましさに刺激され、
仕事もあるので足げにタイに足を運んでいるのを、
Jazz-ya北京の安田をはじめ、
末吉のせいで人生を棒に振って北京に身を投じている多くの人々は
内心それをあまり面白く思ってなかったと言う。

私の著書、「大陸ロック漂流記」は、
北京の留学生や日本にいる中国ロックファンの間ではバイブルになっていると聞く。
それに影響されて「ロックの聖地」北京に足を運んだ人も少なくないと言う。
その著者が「もうやめた」はないじゃろ!と言うことである。



今回友人の結婚式に呼ばれ、
和佐田や団長と一緒に結婚式で演奏して花を添えたのだが、
その夜、地元のバンドと一緒にライブをやらないかと持ちかけられた。
仕掛け人は小龍と言う、ついこないだまで北京の日本人留学生だった男。
今は帰国して、親の事業の一環として
渋谷パルコPart2の7Fで小龍茶館と言う中華レストランをやっている。
帰国した留学生によくあるのだが、
やはり北京が好きで、何とか中国と関係ある仕事をやりたいと言うことで、
どうせ親の会社で店を立ち上げるなら中華系にして、
買出し等の理由で北京にまた来れるじゃないかと考えてのことである。

行けば必ず地元のバンドのライブを企画すると言う彼だが、
今回たまたま俺たちと同じ時期に北京に来ていたと言うことで、
彼が一番入れ込んでいる「痩人」と言うバンドと俺たちとのライブを組んでくれたのだ。



俺が最初に足を踏み入れた10年前とは違い、
今は北京でも世界中の情報がリアルタイムで手に入り、
楽器や演奏出来る場所も容易に準備出来る。
ちょっと大げさだが「ロックやるのも命がけ」と言う当時とは全然違うのである。
黒豹をはじめ、ロックで大成功して大金持ちになった人たちを見ながら、
いとも簡単にファッションや金儲けでバンドを始める。

去年二井原と北京に来た時、地元のパンクバンドの演奏を聞きに行った。
演奏もヘタ、音楽性も流行りのハードコアそのもので面白くなく、
人間のオーラもパワーも皆無で、聞いてて退屈なことこの上ない。
そのくせ口を開けば、
「俺たちは満たされてない。
世の中は矛盾に満ちている。
俺たちは世界を変えるんだ!」
アホかい!と言うやつである。

俺が初めて北京に来た時、偶然地下クラブで黒豹のライブに遭遇した時、
同じようにヘタクソだった彼らの演奏には何かがあった。
ワクワクするような、ドキドキするような、
「こいつらはこの国の何かを変えてしまうに違いない」
と言う圧倒的なパワーやオーラがあった。
実際彼らはこの中国の音楽界を変えた。
売ってはいけない精神汚染音楽とされていたロックが海賊版で全国に広まり、
ロックは金になると知った政府はロックと手を結び、
当時放送で流してはいけなかった精神汚染音楽は、
今や若者の文化として堂々とテレビ、ラジオで紹介される。

それを見て聞いて育った次の世代の若者が、
容易に楽器を手に入れ、容易に情報を手に入れ、
楽器の練習をすることもなく容易にステージに上がり、
ファッションでパンクを気取ったって、
俺はお前らに世界が変えられるとは思わんよ。

でも君らの先輩達は中国を変えた。
ロックを変えた。
そう、ある意味、商業的にね。



一昨年の黒豹のオリンピック・スタジアム8万人コンサート。
偶然彼らの節目節目の大きなコンサートに遭遇する俺だが、
北京で開かれるロックコンサートとして歴史上最大であったこのコンサートは、
後で思えば、ある意味、中国ロック終焉の宴であった。

その後彼らはオリジナルアルバムを出していない。
俺の親友でもある彼らの元社長のシェンは俺にこう言った。
「奴らもうやる気なんかないよ。
レコード出したって海賊版で金になんかならないしさぁ。
みんな金儲けに忙しいもん。
集まってリハーサルして、集中して頑張るのもめんどくさいしさぁ。
それぞれ自分の商売に精出してた方がよっぽどいいんだよ」

俺の世代のロッカーはもうダメ、新しいロッカーは話にならないんじゃぁ、
こんな国のどこが面白い?
思えばそんなこんなで気が付けば足が遠のいていた俺であった。



結婚式の2次会終了後、迎えに来た小龍のタクシーに乗せられて、
海定区にあるライン河と言うバーの門をくぐった。
10年前はマキシムと外交員クラブぐらいしかロックが出来なかった時代とは違い、
こんなバーは今や北京に数限りなくあり、
昔と違って門をくぐった瞬間に感じる「ヤバいよ、ここ」と言う緊張感がない。
全てが「普通」なのである。

9時から始まる予定だった痩人の演奏は、10時を回った今でもまだ始まっていない。
「先に始めといてくれればいいのに」
と言う俺の意見を聞き入れず、
客を何時間待たせても俺たちが着くまで演奏を始めるなと指示していたのだ。

「よう!ファンキー!」
昔の仲間の顔がちらほら見える。
「ファンキーごめんねぇ」
李慧珍が遅れてやって来た。
初めて出会った時は田舎丸出しの小娘だった彼女も、
俺がプロデュースしたデビューアルバムがヒットして、その年の新人賞を総ナメ。
しかしその後、事務所と契約で大モメ。今はホサれている。
どうせなら何か1曲一緒にやろうと呼び出していたのだ。
ギタートリオでインストの曲ばかりしか出来ないので、
名前もあるし、せっかくなら花を添えてもらえば助かる。

痩人の演奏などそっちのけで、楽屋で和佐田と団長のために譜面を書く。
譜面渡されてすぐに弾ける彼らはまことに便利である。
軽く構成等を打ち合わせした後、李慧珍は楽屋を出て彼らのステージを見に行く。
うちの嫁が前回里帰りをした時、彼女に連れられて彼らのステージを見に行って、
「痩人、よかったわよ。私が黒豹のライブに通ってた頃を思い出しちゃった」
と言ってたのを思い出した。
「まあ、後で本人達と酒飲む時に、見てなかったでは悪いので、
ちょっとだけ覗きに行こうかな」
ぐらいの気持ちで客席に行ったら、これが思いの外かっこよくてびっくりした。

「為了自由歌唱!為了自由歌唱!」
ハードコアのようなファンクのようなサウンドに載せて連呼する。
「和佐田ぁ、ごっついええでぇ。見においでや」
譜面をおさらいしていた和佐田も
「ツェッペリンとかを彷彿させるバンドやねえ・・・」
と誉めていた。
「まずいなあ・・・こんな雰囲気でインストなんかやってもどっちらけやでぇ・・・」
客席の盛り上がりを見て心配する俺を、
「大丈夫、団長は1曲目から絶対凄いソロやるから、ほら」
和佐田に促されて客席に目を落とすと、
ギターを弾く時以外は無口で病的に内向的な団長が
客席で熱心にステージをチェックしていた。

痩人の演奏が大盛り上がりで終わり、
そのまま俺たちはステージに上がってセッティング。
だらだらとセッティングが終わってそのまま演奏が始まった。
1曲目から団長と和佐田はかなり気合の入れたソロを披露し、俺に渡した。
煽られて、俺も養生している手首をかまうことなくドラムソロをやってしまう。
2曲やってMC。
最前列1列は噂を聞きつけた日本人だが、大半は中国人なので中国語でMCをとるが、
思いの外ウケているのを実感する。
ジェフベックの曲を2曲やった後、李慧珍を呼び込んでセッション。
その後は最後の曲である。
お決まりのように団長はソロでギターをぶち壊し、アバンギャルドに幕を閉じる。
笑いと驚愕と大歓声の中、俺たちはステージを降りる。

「よかったっす、本当にありがとう御座います」
小龍が感激して声をかけて来る。
「凄いわぁ、ボーカルもいないのにこれだけ客を掴むなんて、なんて実力なんでしょ・・・」
李慧珍が感激して楽屋に来る。
「バンドと一緒にライブしたのって久しぶりよ」
中国では、歌手はカラオケを持って歌いに行き、
ヒット曲を歌って日本円で数十万もらって帰る。
海賊盤が売れて儲かるのは、
その海賊盤業者だけではなく、営業値段が釣り上がる歌手自身である。
ちなみに中国のプロダクションシステムは、
日本のとは違い、手数料制の日本で言うインペグ屋と同じである。
投資は事務所やレコード会社がして、儲けは歌手が全部持ってゆく。
これでは投資なんかしようと言う会社などいなくなるわけである。

楽屋で酒盛りが始まる。
痩人のメンバーが酒を振舞い、ロック談義に花が咲く。
「小龍は俺の義兄弟さ」
そう言う彼らを見て、10年前の自分を思い出した。

今回のこのライブ、主催は小龍個人。
経費は全て彼の持ち出しである。
北京のロックミュージシャンに刺激を与えたいと言う理由で、
我々の渡航費の3分の1を負担すると申しだしたのも彼である。
俺はともかく和佐田や団長のギャラを自腹で出すのも自分である。
そんな援助を受けながら痩人はその才能を磨き、もっと大きくなってゆくだろう。
そして家を買い、車を買い、女をはべらせて肥え太ってゆき、
最後には金儲けに忙しくなってバンドなどやってられなくなるのだろうか。

「ファンキーさん。痩人、どうでした?」
小龍が恐る恐るそう聞く。
「いや、物凄くいいバンドだと思うよ」
小龍の大きな目的の中に、この末吉のこのバンドを見せることがあったことはまぎれもない。
「それじゃあ、俺たちの素晴らしいお兄さん、ファンキーと、
日本から来てくれた素晴らしいミュージシャン達に乾杯!」
小龍の思惑通り、痩人と俺たちはこうして友情を深めてゆく。

あの時、同じように黒豹に朋友と呼ばれ、北京に足げに通い詰め、
安田と「中国人から1元でも取れた時に乾杯しましょう」と、
将来は移住するつもりで全財産をこっちに持ち込んで、
結局、商売としては安田は1元どころか巨大なBarを大成功させ、
音楽としては俺は相変わらずまだ李慧珍のために何かをやってあげようとしている。
そんな俺も今では「朋友」ではなく「お兄さん」になった。
そして10年前の俺のようなバカがこうして、
新しい世代のバンドに入れ込んで「お兄さん」を担ぎ出そうとしている。

為了自由歌唱!
自由の為に歌を歌う!

彼らが本当に自由の為に歌を歌っているのかどうかはわからない。
「中国人なんてみんなお金のために歌っているに決まってるじゃない!」
同じ中国人であるうちの嫁が笑いながらそう言う。

どっちでもいいや、かっこよければ。
ウソだって何だって、俺は感激さえさせてくれるなら何だってやるよ。



XYZの100本目のライブを初めて見に来た男の子からMailが来た。

「誉めることはいろんな人が言うでしょうから、
僕はちょっと物足りなかった部分をMailに書きます。
僕はいつもB'zとか、ユーミンのコンサートを見ているので、
照明や特効もないステージははっきり言って退屈でした。
あと、各人楽器のソロをやられてましたが、
僕は楽器のことはよくわかりませんのであまり面白くなかったです」

まあそう言われても俺達にはどうしようもない。
照明や特効で彼らにかなう資金力は俺達にないし、
まあ楽器に興味のない人に感激を与えられなかったのは、
言ってみればパフォーマーとしての俺達の技量の不足かも知れないが、
まあひょっとしたら彼を満足させることが出来るステージは
俺達には一生出来ないんじゃないのかなあ・・・。



音楽の楽しみ方は人の勝手である。
Aみたいなのが好きな人がいて、Bみたいなのが好きな人がいて、
どちらも人の勝手だし、
でもその人数によってメジャーかアンダーグランドかが決まる。

中国でも体育館でやる歌手はメジャー、
ライブハウスでやるロッカーはアンダーグランド。
しかしある瞬間からそれが逆転した。
お決まりのオムニバス歌謡ショーよりもロックバンドの方が客が入るようになった。
そしてそのロックが歌謡ショーと変わらなくなってゆく。

精神汚染音楽とされている音楽を海賊盤で入手し、
それに熱狂して地下クラブに通う時代は中国ではもう過去のものなのである。
人々はテレビやラジオでヘビーローテーションの曲を聞き、
街で大きく広告が打たれている商品を手にする。
「売れるか売れないかなんてどれだけお金をかけたかだよ」
そう言い切るシェンの手がけた歌手の看板を街角でよく見る。
彼から頼まれて俺がアレンジした彼女の曲もチャートに入っていた。
この街はもう日本となんら変わりはない。

感心はするけど感動はしない音楽が多い昨今、
むき出しの裸で俺を感動させてくれた北京のロッカー達のために、
俺は俺なりに感謝とリスペクトを込めて、いろんなことをここ、北京でやって来た。
そしてそんな俺達の世代のロックは終焉を迎え、
しかし次の世代のロックには次の世代の俺のような奴がそばにいて、
俺と同じようなバカをやっている。

バカはいい。
感心はしないが感動する。

まあそんなバカがいる限り、俺も中国からは卒業出来ないかな、
なんて考えてる俺は、やっぱバカな「お兄さん」なのかも知れないなあ・・・

なんてことを考えてしまった極寒の土地、北京。
ちょっと心は暖かかった。



ファンキー末吉

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2000年9月20日

疥癬(かいせん)完治して北京に向かう

疥癬ついに完治!
そして俺は北京へ・・・
(例によって飛行機の中)

通常疥癬の治療には3クールに分けて治療するそうだ。
1クール1週間である。
週の最初にガンマなんたらと言う疥癬虫を殺す薬を塗る。
次の日の朝はシャワーにてガンマなんたらを洗い流して、
全身にオイラックスとか言う、
こりゃ痒み止めなのか疥癬虫を殺す薬なのか、
聞くとこによるともともとは疥癬の治療薬として開発された薬を塗る。
そして夕方にはまたガンマなんたらを塗る。
後は週末までオイラックスだけを塗り、
次の週はまたガンマから同じ工程を繰り返す。
通常ここまでで疥癬虫はまず死滅するらしいが、
大事をとって2週目、3週目に突入するのだ。

聞くところによると、
疥癬虫と言うのはこれらの薬を塗るとほぼ確実に死滅してしまうが、
疥癬だと知らずに別の薬を塗ると、
たちどころに全身に広がってしまうと言う。
どうも俺の場合はそうだったようだ。

全身に広がってしまったので仕方が無いので全身に塗る。
ぼつぼつは出て無くても、
ひょっとして衣服に、また布団にタオルについていた虫、もしくは卵が、
なにかの拍子にまた肌に付着しているかも知れない。
それがまた孵化して卵を生み・・・
ああ考えただけで恐ろしい・・・
この恐れがあるから2,3クールの治療が必要なのだ。

そしてお風呂にはムトーハップと言うのを薬屋で買ってきて、
それをキャップに2杯ほど垂らすとあら不思議、
自宅の風呂が草津の温泉に・・・
早い話、硫黄の温泉は皮膚にええのね、
ダニも殺すと言うし・・・

温泉好きの俺は、
実は北京にまでこのムトーハップを持ちこんで来ている。
疥癬は治ってもムトーハップはやめられなくなってしまったのだ。

部屋やベッド等の消毒はスミスリンと言う粉製の殺虫剤を買ってくる。
田舎の肥溜めなどでウジを殺すために撒く農薬みたいなアレである。
マスクを水で濡らして、吸い込まないようにしながら、
自分の部屋のベッドにスミスリンを撒くっつうのもなんとも情けない。
夜寝る前はそれを掃除機で全部吸い込んで綺麗にしてから寝る。

嫁から枕や掛け布団は没収されている。
2次感染の防止のためであるが、
敷布団もない殺虫剤臭いマットの上で、
枕も布団もなくごろんと寝る姿の侘しさよ・・・
これでは酔っ払って公園のベンチで酔いつぶれている日々とさほど変わらん。

実は今度の北京行きで一番楽しみなのは、
ホテルで枕と掛け布団のあるベッドで眠れることなのである。
あー情けなし・・・

そして聞くところによると、
病院なんかでは体力のない老人から感染してゆくと言うので、
これはニューヨークのハードなスケジュールで老人並に体力が低下していたために、
俺だけが感染し、発病したとみられる。
要は体力の問題である。

だからと言うのもあって、
香港から帰国し、上海がドタキャンになったのをいいことに、
3日間ひたすら寝るだけの生活だった俺だが、
上海からの帰国予定日だった日からはスケジュールがてんこもりである。
だいたい海外の仕事が多い昨今、
日本にてラジオ3本とテレビ1本を抱える生活はどうにかしている。
朝10時からNHKに詰めて中国語会話の収録をする。
終了を待って原宿にラジオの収録。
しかしここでは平行して五星旗のTDが行われているので、
終了後すぐさまそちらに飛び込む。
次の日の朝までにはマスタリングに入れなければならないので、
結局朝までかかってぎりぎり全曲TDを終わらせる。
マスタリングスタジオに放り込んで、
取り込んでもらってる隙に病院にて最終検査。
まだ疥癬虫が生息しているようだったらさらに3クール目に突入する。
しかし病院での検査結果は「問題なし」。
晴れて完治の身となった。
バンザーイ!

喜んでばかりもいられない。
祝杯をあげるヒマもなく、マスタリングスタジオに引き返し、
レベルやサウンドなどの最終変更をする。
X.Y.Z.の場合、橘高文彦と言う優秀なディレクター役がいるので、
俺は別にへらへらと酒を飲んでればいいが、
五星旗の場合、俺がやらねば誰もやる人間がいないので、
シンバルの大音量にてハイ落ち難聴になってる老人耳を駆使してあーだこーだ言う。
俺、実は苦手なのよ、このテの仕事・・・

最後にNYでのライブ音源も収録しようとなって、
早めに取り込んでもらう予定だった音源をチェックすると、
あら、Kingのマスタリングルームってリバーブやマルチトラック編集設備がないのね。
じゃあどうする?
俺のパソコンにまず取り込んで編集して、
それをマスタリング・コンソールに放り込むしかない。
取り込む周辺機器からソフトまで全部揃っている自分が恐ろしい。
スキャナーからCD-R、ケーブル等まで全部持ち歩いている。
おまけにパスポートも持ち歩いとるんで、
俺は実はこのまま北京に旅立ってもいいのだ。
俺に家などいらんのよ、実は。

夕方からのラジオの収録にはとうてい間に合わないので一本電話を入れて、
ようやくたどり着いたスタジオで一言。
「俺って気がついたらもう36時間ぶっ続けで働いとるのね」
3日間、眠たくなくても寝てた生活をしてた俺はもうハイである。
収録が終わり、家に帰ってムトーハップの風呂に入り、
「じゃあ飛行機出発のぎりぎりまで寝るぞ」
と思ってたら、
数時間後にぱっちり目が覚める。
おいおい、眠たかったんちゃうんかい!
仕方がないので五星旗のライナーノーツとかを朝まで書く。
子供が起きて来るので、
完治した腕でとりあえず抱いてやる。
おいおい、俺、寝んでええんかい!

そしてまた機上の人である。
寝ればいいのにまたこんなアホな文章を書いている。
海外に行けば日本でいるよりもスケジュールがゆるやかになる俺であるが、
北京だけは別である。
会わねばならない人間は多いし、
嫁の親戚へのことづけ物が山ほど託されている。
もうここは外国ではなく、久しぶりの里帰りに近い。

しかし今回の北京行きは久々に自分主導のユニットではない。
Pont Boxなどでおなじみの佐山雅弘さんのユニットにドラマーとして参加する。
思えばもろJazzの仕事は久々である。
実に楽しい。
自分のプレイ以外に責任がないからである。
ドラマー以外のいろんな顔を持つ生活から、
純粋にドラマーだけに戻れる瞬間である。

しかし周りは純粋にそうはいかない。
ここ最近北京からMailや電話がひっきりなしに入っている。
「北京でライブやるって一体どこなんですか」
とか
「泊まりはどこなんですか」
とか俺を捕まえたい連中がてぐすね引いている。

成田から北京の安田に電話する。
「今から行くでぇ」
「知ってますよ。一体どうなってんですかぁ。
末吉さんのライブはどこでやるのかとか、
チケットはJazz屋で買えるのかとか、
全部問い合わせはJazz屋に来るんですよ」
情報が口コミしかないこの国で、
俺が北京に行くと大騒ぎになるのはここ、Jazz屋なのである。
「すまん、俺のユニットじゃないんで、実は俺なーーーーんにも知らんのよ。
泊まるところも知らんし、明日どこで何時にやるかも知りまっしぇーーん」
こんな無責任な旅も久しぶりである。

CDカフェと言う老舗のJazz Clubでやる予定だったのがドタキャンになったと聞く。
アジアの仕事はドタキャンばっかりかい!
代わりに中国大飯店とやらのJazzバーでやるらしい。
うーむ、ようわからん。

後は久しぶりに北京のJazz屋に行って飲むとしよう。
どうでもええけど、ここのJazzのCD、
全部うちから持って行ったもんなんですけど・・・
ぼちぼち返せと言いつづけてもう数年。
今回は全部パソコンに取り込んでから帰るとするか・・・

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:12:20 | 固定リンク