
2015年7月17日
渡辺英樹さん永眠・・・
今日正式に発表があったということで、
それに合わせて私もブログにて思いを綴らせて頂きます。
英樹さんと会ったのはもう20年以上前、
確か野村義男が紹介してくれたんだと記憶してる・・・
デーモン小暮のオールナイトニッポンに3人で乱入して、
「この4人でバンドをやろう」
などと騒いでいたが、
結局小暮は参加せずにこの3人でクラシックロックなどをやるバンドとしてちょっとだけツアーを回った。
ここから私が外れて「三喜屋野村モータースバンド」となった、
そのバンドの原型がこれである。
その後あまり縁がなく、
結果10年以上会うことも連絡取ることもなかったけど、
ひょんなことから今度は米川英之が「紹介(笑)」してくれた・・・
「ファンキー末吉と渡辺英樹のリズムセクションってちょっと珍しいでしょ!!」
米川セッションで呼ばれた私たちふたりは、
ドヤ顔の米川くんに二人でこのストーリーを話してあげて・・・笑った。
久しぶりの再会で、
それから「また何かやりたいね〜」ということになり、
Live Bar X.Y.Z.→Aでいろいろ何やらセッションを画策したりして、
ひょんなことから「はち王子様」というキャラクターが生まれて、
「それじゃぁ渡辺英樹も呼ぼう!!」
ということになって「ヒデキング」なるものが登場・・・
今からしてみたらよかったの?こんなバカなことばっか付き合わせて・・・
このトリオではいっぱいツアー廻ったね・・・
「C-C-B以来20年ぶりに来た」
と来る土地来る土地で言ってたっけ・・・
AJ米田渡でもツアーは廻ったけどこれほど細かくは廻らなかったもんね・・・
AJ米田渡のドラマーから外れた頃、
店でライブが終わった後、突然あなたは私にこう言った。
「ねえねえねえ、丸ちゃんとVoThMってバンドやってんだけどドラム叩いてくんないかなぁ〜」
ドラマーが定まらなくて長く活動が出来なかったバンドにこうして私が呼ばれたということは、
「ファンキーさん、ツアー組んでね」
と言われてるような気がしてね・・・いっぱいいっぱい組んだ・・・
気がついたら英樹さん・・・
あなたは私がここ数年で一番多く一緒に演奏したベーシストです。
ここ数年で一番一緒にツアーを廻ったミュージシャンです。
もう一緒にツアーを廻れないなんて本当に寂しいです・・・
王様からこんなメールが来たよ。
「ありがとうございます。ヒデキングを紹介して下さって、ありがとうございました。楽しい思い出、沢山残りました。」
うん、本当に楽しかった!!
JASRACから山のような訴状が届いた時は王様ツアーで、
裁判でのあまりの個人攻撃に鬱になりかけたりした時はVoThMのツアーで、
あなたと楽しくツアーを廻ってたからこそ、
こうして挫けそうになっても何とかギリギリ乗り越えて来れたんだと思う。
楽しい時にも悲しい時にもいつもあなたがいて、
いつもその野太いベースの音と素敵な歌声、
そしてその高らかな笑い声があった・・・
「米田渡〜AJ」の初ライブが終わって、
「ファンキーさんを呼んで本当によかった!!どうもありがとう」
とメールをくれたあなた・・・
王様トリオの長い長いツアーが終わって、
「俺たちみたいな年になってもこんだけ出来るんだ!!本当に自信がついた!!ありがとう!!」
そう言ってくれたあなた・・・
VoThM中国ツアーが終わって、
「来て本当によかった!!呼んでくれてありがとう!!」
って言ってハグしてくれたあなた・・・
思えばそんなあなたに一度もちゃんとお礼を言えてない・・・
いっぱいいっぱい付き合ってくれてありがとう。
いっぱいいっぱいの楽しい思い出をありがとう。
野太いベースプレイをありがとう。
素敵な歌声をありがとう。
いっぱいの愛と素敵な友情をありがとう。
そして、VoThMに呼んでくれてありがとう。
1枚しかアルバム作れなかったけど、
こうして一緒にあなたの音楽をこの世に残すことが出来たことを誇りに思います。
一足先に人生のツアーを終えたあなたの思い出と共に、私はまだツアーを回ります。
長旅、お疲れ様でした。
VoThM最後のドラマーよりリーダーへ
愛を込めて・・・