
2011年6月13日
全中国ドラムクリニックツアー2011年 浙江省「永康」
永康という場所がどこにあるかよくわからない・・・
とりあえず指定された飛行機に乗って降り立ったのが杭州。
そこから車で2時間半。
まあ地図で見るとこんなところらしい・・・
まあ日帰り気分で行ってるけどちょっと遠いよ・・・(笑)
車の中で担当者の沙が耳打ちする。
「このパール倶楽部はうちの売り上げが断トツにいいんだ。
そこでお願いなんだが、
今日着いたらちょっと子供達にクリニックしてやってくんないか?」
全くもって本末転倒である。
もともと「クリニックツアー」だったのが、
今では「ひとりドラムコンサートツアー」になってしまい、
本来の目的であるクリニックをするのに悪そうに頼まねばならないという・・・(笑)
ネオンに出迎えられてパール倶楽部に着いた。
琴行というのは「楽器屋」という意味で、
このパール倶楽部では教室だけでなく楽器の販売もやっているらしく、
その関連でギター教室やらいろんな楽器の教室もあり、
おしなべ今まで行ったパール倶楽部の中では大きな方に属するだろう。
とりあえず翌日のドラムセットをセッティングし、
それを使ってドラムクリニック!!
終わって地ビール!!
つまみはザリガニ!!
・・・とここまではいつもと同じ感じで和やかに進んでいたのだが、
「それじゃあ明後日帰るまでに・・・」
などという会話にちょいと待ったをかけた。
「帰りは明後日ではなく明日ですよね!!
終わったらすぐ北京に帰るんですよね!!」
全くもって担当者の沙はその辺がいい加減である。
てっきりワシも自分と一緒にもう1日遊んで帰る気になっている。
「ダメですよ!!もういっぱい予定も入れちゃったんですから!!」
現地の老師は必死になって止めるが、
その日じゅうに北京まで戻らないと次の日に日本に帰れないのじゃ!!
帰れないとX.Y.Z.→Aのリハが出来ないのじゃ!!
こちらも必死で食い下がるが、
「飛行機は変更出来ないチケットです」
などといろいろな手で引き止めが入る。
最後には
「その日本行きのチケットこそ変更出来ないのか?」
と来る。
「そうだなあ・・・この位置関係なら上海発で帰った方が楽かなあ・・・」
などとアホな考えを頭から振り払い、
「列車はどうなんだ? 夜行列車で帰れないのか?」
などと聞いてみる。
中国は広い。
ここから北京までは列車で20時間はかかるのだそうだ。
結局は向こうが押し切られ、非常に残念そうにチケットを変更した。
もう残念を通り越して怒っているぐらいである。
「せっかくこんな所まで来て頂いて、
こんなチャンスは滅多にないのにこんなにすぐに帰っちゃうなんて・・・」
きっとたくさんおもてなしを考えてたんじゃろうな・・・
すまんね、きっとまた来るからね・・・
・・・というわけで翌日!!
今度は垂れ幕に迎えられて会場へ!!
高級ホテルの大宴会場!!
ドラム叩くにはちと豪華過ぎじゃないの?!!
まあ場所はどんなでもやることは同じである。
今回はこのパール倶楽部のTシャツを着て頑張って叩かせてもらった。
龍老師、いろいろありがとう!!
今度来る時は必ずもう1泊するよ。
ついでに杭州とかいろんなところも一緒に廻ろう!!
お世話になりました!!
ファンキー末吉ひとりドラムツアーの軌跡(こちら)
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2011年6月12日
振込詐欺に名前を使われた(笑)
浙江省の永康というところに着いた。
ドラムのチューニングをしてたら担当者の沙が笑いをこらえてこう言う。
「平頂山の王老師、覚えてるか?」
覚えてる覚えてる。
温泉連れてってくれたり一緒に数日遊んだし、
何より音楽好きのドラム好きで印象深い人である。
「Funkyが金に困ってて2万元貸してくれって電話が来たんだけどって言うんだ・・・」
中国でも振込詐欺は流行している。
「久しぶりぃ、俺だよ」
と言って電話をした犯人に対してまた王老師は、
「Funky老師ですか?」
と言っちゃったらしい。
犯人もプロである。
そこから完璧に話を合わせてワシになりすます。
考えてみればワシの中国語は外国人の発音なんだからわかりそうなものだが、
王老師曰く声がクリソツだったのでまるっきり信じてしまったらしい。
一生懸命2万元を用立てようとしてる時、
偶然沙が別件で電話をした。
「Funky老師、金に困ってるらしいね・・・」
そこで沙はピンと来た。
「その振込ちょっと待ったー!!!」
そう言えば沙から一度国際電話がかかって来たことがあった。
「Funky、今北京か?日本か?」
日本だと言ったら「じゃあいい」と言って切ったことがあったが、
あれがこの時だったんだな・・・
すんでのところで振込詐欺は阻止されたようだが、
それにしてもこの広い中国に
「Funkyが金に困っている」
と言ったら金を用立てようとする人がこんなにいるのかと思ったら感激的な話である。
全中国ドラムクリニックツアーは今日も続く・・・
Posted by ファンキー末吉 at:10:09 | 固定リンク
2011年6月 7日
ドラムを教えるということ・・・
こうして全中国をクリニックツアー(もう既に「コンサートツアー」となってしまっているが)で廻って、
全国各地のいろんな老師(先生)達と会う。
「僕は北京でドラムやってたんだけどやめて田舎に帰って、
全然違う仕事についたんだけどやっぱ音楽のそばにいたいと思って、
それで脱サラしてドラム教室始めたんだ」
という老師もいれば、
「ドラムなんか叩いてて金になりますか?
生徒集めて教室やった方が全然儲かるじゃないの!」
という老師もいる。
人それぞれである。
ワシはもちろん前者の老師の方が個人的には好きだが、
まあ人の人生である。ワシがとやかく言うことではない。
日本では有名ドラマーがモニターとなってドラムの売り上げに貢献するが、
中国ではこの老師たちがモニターとなる。
それはパールドラムの中国の代理店である中音公司の、
そのドラム担当である沙が考え出した中国ならではのシステムである。
「有名ドラマーをモニターにしたって、
若い衆は必ずしもパールドラムを買うとは限らない!!
先生をモニターにしたらその生徒は必ずパールを買うではないか!!」
という発想で始めたそうだが、
まあ今のところはそれが中国マーケットでは成功してると言えるだろう。
そして、日本のドラム教室はロックをやりたい若者が習いに来たりするが、
中国ではピアノなどの習い事と同様その生徒のほとんどは子供である。
ロック好きには時々、
「あいつのどこがモニターに値する腕がある?!!
あんなのは子供騙して金にしてるだけじゃないか!!」
などと言うやつもいるが、
ワシは決してそうは思わない。
「いいドラマーが必ずしもいい先生とは限らない」
そしてその逆もまた真なのである。
まあ稀には菅沼孝三のように
世界的なドラマーでもあり教室をいくつも持つ優秀なドラム教師でもある人もいるが、
ワシはと言うとやはり根気がないのか「人に教える」というのはからっきしである。
ある時、院子に若いドラマーがワシを訪ねてやって来た。
「僕は今までドラムを練習して来てわかった。
僕が伸び悩んでいる原因はいい老師と巡り会わなかったからだ!!
高名なファンキーさん、お金はいくらでも払います。
是非僕を弟子にして下さい!!」
ワシは聞いた。
「君はどうなりたいの?」
「決まってるじゃないですか、あなたのようになりたいんです。
国内の大きなコンサートは全部僕が叩き、
レコードは全部僕が叩き・・・」
無理〜!!!!
更にこう聞いた。
「じゃあどんな音楽が好きなの?」
「何でも好きです。ロックもジャズも・・・何叩いたっていいです!!」
ワシはこんこんと言った。
「お前は決して音楽が好きなわけではない。
金儲けが好きなだけだ。
本当に音楽が好きなら俺と一緒にここで住めばいい。
1年も一緒に住めば俺から学べることはいっぱいあるぞ!!」
まあ住んだとしてもだいたい数日で泣いて逃げてゆくだろう。
酒飲んで毎晩さんざん説教されてスティックも握らせてもらえないんだから・・・
日本の職人気質に、
「お前はまだ料理の心を知らん!!
包丁を持つなんて10年早いわ!!!」
みたいなのがあると聞くが、まさに「ドラム道」だとてそれだとワシは思う。
不思議なことにドラマーにはひとりもいないが、
ベースの韓陽、キーボードの張張などはワシから巣立って行って、
今では若手で一番仕事の多いミュージシャンのひとりとなった。
ワシから「音楽とは何か」、「仕事とはどうやってするのか」、
など、まさにワシの生き様からモノを学んだのだ。
全くもってワシはいい「先生」ではない。
ワシが教えられるのは「生き様」であって「ドラム」ではないのだ。
今回非常に熱心な老師がいて、何かと言うとワシに質問する。
「ファンキーさん、
やっぱシングルストロークはテンポ200まで練習しないとダメですよねえ」
菅沼孝三だったらそこで的確なアドバイスが出来るだろうが、
そんな「基礎練習」とやらをやったことのないワシは、
非常にバツが悪いのではあるが「知りません」と答えるしかない。
テンポ200でツーバスを踏むこともあるが、
それは「その楽曲をどうしても演奏しなければならない」ので
単に死にもの狂いで叩いているだけである。
ただ「プロ」として、「大人」としてそのことに「責任感」があるから、
テンポ120の時と同じようにヨレずにモタらずに、
また絶対にくじけて音量が下がったりしないように、
とにかく「負けない」、「誤摩化さない」で人生を賭けて戦っているだけのことである。
これで負けたらワシのドラム人生はその時点で終わりなのである。
そしてその日、教育熱心なその老師はひとりの子供ドラマーにドラムを叩かせて、
それをワシに聞かせてこう言った。
「どうです、この子は? 上手いでしょ? この子の前途をどう思いますか?」
そんなことを聞かれて
「うん上手いですねえ、頑張りなさい」
以外に一体何を答えてやればいいのだろう・・・
前途も何も、これら数多くの子供ドラマーのうち、
大きくなってもまだドラムを叩いてる子はほんの一握りなのだ。
またそうなったとしてもどうせ今と同じように伴奏に合わせてドラムを叩いて、
一番うまくいったところでこの老師たちと同じように、
また同じような子供達を集めてドラム教室をやっているといったところである。
ドラム教師が悪いと言う意味ではない。
今まで行った中で大きな教室では生徒が600人以上いる。
ひとりが2000円ずつ月謝を払ったとしても月収100万円は下らない商売なのだ。
その昔、17歳でバリバリに叩きまくる女の子ドラマーのDVDを見たことがある。
その娘も今では先生となって北京で教室を開いている。
「どうして私にはファンキーさんのような音楽の仕事が来ないのでしょう・・・」
呼び出されて相談を受けた時にワシはこう答えてあげた。
「そりゃそうだよ。生きて来た世界が違う。
あんたはいつもひとりでドラムを叩いて来た。俺はずーっとバンドをやって来た。
それだけの違いだよ・・・」
多くの子供ドラマーは決して「音楽」をやっているわけではない。
ただ「ドラムを叩いている」だけなのだ。
その証拠に、もし最後まで決して「子供だ」ということを隠して、
果たして彼らの「音」が大人のそれと同じように通用するか?
それを聞いた人は同じように拍手をするか?
「それを聞いた人は同じように涙するか?」
と書こうと思って気がついた。
そもそも彼ら自身が本当に涙したことがあるのか?
「世の中はこんなにも矛盾に満ちている」と、
その「怒り」をドラムにぶつけたことがあるのか?
「世の中にはどうしようもないことがあるんだ」と、
その「悲しみ」をドラムで表現したことがあるのか?
彼らにはその表現すべき「人生」がないのだ。
ワシは老師達にはよくこう言って話を誤摩化す。
「まあ彼らが大人になって、初恋でもして失恋でもして、
その時にまだドラムを叩こうと思ってたら、
それが彼らの音楽へのスタート地点じゃないですか」
と・・・
そんな子供ドラマーの中に、
広州に住む日本人の男の子がいた。
前回会ってから時々メールをくれるのだが、
今回はちょっとメールの内容が大人びていた。
「先生のドラムを聞いてドラムの素晴らしさを実感した」
ワシはちょっと興味を持って彼を食事に誘った。
身体も大きくなってもう中学2年生だと言う。
同じような質問をする。
「君はどうなりたいの? 何をしたいの?」
少年から今までどんな中国の若者が答えたのとも違った答えが返って来た。
「どんどん音楽が好きになって来て、だんだんこんな風に思って来たんです。
出来たら将来もずーっとドラムを叩いてるか、
もしくは何か音楽に関する仕事について僕はずーっと音楽のそばにいたいって」
彼ははもう入り口まで来た。そこからが「音楽」のスタートだ。
別に音楽は他の仕事をしながらでも出来る。
高校行ってバンドをやるもよし、どっか大学行ってバンドをやるもよし。
「君のその夢は必ずかなうよ」
日本の高校に行くことになったら、
家もそんなに遠くないというから、うちの店でアルバイトでもすればいい。
うちに出ているいろんな素晴らしいミュージシャン達の生き様を見て、
そこから何かを学んで自分の生き方を考えればいい。
貧乏さえ苦にしなければ、一生音楽と共に生きてゆくなんて簡単なことなのである。
「僕は音楽で僕の気持ちを伝えたいんです」
と彼は言った。
果たして10年後、彼が本当に音楽をやり続けているかどうかはわからない。
その「伝えたい気持ち」を別の仕事で表現してたとしても別に構わない。
彼の音楽は・・・つまり彼の「人生」は今始まったばかりなのである。
今からどんな「人生」を作ってゆくのか、それこそが彼の「音楽」なのである。
また広州か、八王子で会おう!!(笑)
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2011年6月 6日
全中国ドラムクリニックツアー2011年 広東省「佛山」
佛山は以前来たことがある。(こちら)
「ロックの街」というイメージがなかったこともないが、
中国のTwitter「微博」でワシを見つけた主催者がメッセージを送って来た。
「ファンキーさん、この街がどれほどクレージーか経験して頂きましょう。
あなたのポスターは街中のいたるところ、
バスやタクシーの中にも貼られ、
このドラムフェスティバルには何百人の人間がやって来ることでしょう。
街を歩けばサインをねだられ、
サインのしすぎでドラムが叩けなくなるかも知れません!!」
そんなに凄いんか?!!と思いつつ返事を書く。
「そりゃ体力を蓄えとかないかんですな。
終わったらぱーっとビールでも飲みましょう!!」
そしたら凄い返事が来た。
「ははは、こちらでは1トンのビールを用意してお待ちしてます!!」
何つう街じゃ!!!
というわけで佛山に到着!!
いつものことながら暑い!!!
言われた通りいたるところでポスターを見かけた。
まあポスターを見るに、
「第一回佛山ドラム芸術フェスティバル」
ということらしい・・・
昨日の例があるので早くから来てドラムのセッティングをする。
場所はショッピングモールの広場、野外である。
暑い!!・・・くらくらしながらセッティングが完了!!
奥内に退避!!!
まったく6月でこれなんだから7月、8月になったら殺人的な暑さであろう・・・
退避はしたが、
担当者の沙はメシ食って地元の人と延々ダベリながらワシをケアもしない。
聞けば地元のパール倶楽部の苦情を聞いているようである。
後でまとめて触れたいと思うが、
ドラム教室をやるというのは言わば「商売」である。
この主催者はちょっと「商売」が過ぎたようである。
まあワシには関係ない。
ショッピングモールで買い物をして時間をつぶしたりして過ごす。
ホテルにチェックインして夜に会場に戻って来たら、
バンドがいーっぱい出ていてそこはもうロックフェスティバルであった!!
そうか・・・今日はロックフェスティバルのトリの演奏で呼ばれたんだな・・・
とステージ袖で気合いを入れる。
しかし気がついたらステージ袖では誰もスタッフがいない。
担当者は「暑い」ということで奥内に退避し、
主催者は自分もバンドでドラムを叩いたりしてるのだから、
一体ワシは大体何分後にステージなのかが皆目分からない。
仕方がないので司会者が降りて来たら捕まえて聞いてみる。
そもそも進行を一番理解しているのは司会者なのだ・・・
司会者が言うには「あと4バンドだよ」ということで、
ステージ袖で気合いを入れながら待つのだが、
警備もへったくれもないステージ袖には若者やらガキやらおばはんやら、
わけのわからん連中がひっきりなしでやってきて写真をせがむので、
出番前のコンセントレイトもへったくれもない。
バンドの入れ替えの時に逃げるようにステージに上がり、
自分のドラムセットのセッティングをチェックに行く。
「絶対にセッティングを変えるな」と言ってあるので、
セッティング自体は変わってないのだが椅子がない。
聞けば他のドラムセットで使っているらしい。
どうせ戻って来た時には違う椅子で、
せっかくセッティングした高さも違っているのだ・・・
そんなことでへこたれていたのでは中国でドラムは叩けない。
客の前でチューニングやセッティングをするぐらいなら、
客の前で椅子の高さを調節するぐらい屁のカッパ(死語)である。
主催者がやって来て「あとバンドひとつですよ」と告げる。
司会者から聞いてたのより少し早いが、
じゃあということでプログラムを走らせる器材の電源を入れに行く。
担当者の沙がやって来て主催者と何やら打ち合わせをしている。
聞けば終演時間が押していて、
ワシが叩き始める時間が既に終演予定時刻らしい。
ワシが心配することではないが、
野外なので終演時間は大切じゃろう・・・
ドラム叩き始めたら警察が来たなんてのはシャレにならんなあ・・・
と少々心が折れ始めるが、
それに負けてはプロとは言えない。
よし!!行くか!!!と思ったらまだバンドがステージに上がる。
「話が違うやん!!」と思いながらも我慢する。
中国でドラムを叩くのである、
警察に一度ぐらい捕まらなくては一人前とは言えないだろうと覚悟を決めて、
終演時間を過ぎた頃にやっとステージに上がる。
ショッピングモールの広場なのに客席は異様に盛り上がっている。
佛山・・・噂に違わずロックの街なのか・・・
と思いつつ1曲目終了!!
ロックバンドがメンバー数人で出すオーラを一人で出さねばならないので大変である。
橘高文彦を見習って必要以上に頭を振る。
大受けである・・・
我ながらいい演奏が出来ていると感じた。
これはひょっとしたら今日は「神の域」まで行けるかも知れんぞ・・・
と思いつつ2曲目に突入!!
ところがここでまたプログラムが止まる。
思い起こせば一昨日もこの曲でプログラムが止まった。
HDレコーダーなので、ひょっとしたらHDに傷がついてるのかも知れない。
そう言えばどっかでは演奏中に電源を抜かれたこともあるし、
これだけ持ち運んでるんだから傷ぐらいついても不思議ではない。
電源を落として急遽ドラムソロ!!
時間の関係もあるので3曲目にやるドラムソロをここで持って来て事なきを得る。
まあ事なきことはないのだが、
客はウケているようなのでよしとしよう・・・
いつもの3曲目は飛ばして4曲目!!!
と思ったらここでまたプログラムが止まった。
イントロで止まったのでどうしようもなく、
結局電源を入れ直してやり直し。
最後の曲でもまた止まってドラムソロでシメた。
どうしたのじゃ器材くん!!
もうワシと旅をするのがイヤなのか?!!
思い起こせば昨日は止まってないので、
一昨日と今日・・・共通点は「野外」であると言うこと・・・
機械のぶんざいで暑さでやられているのか・・・
短い付き合いじゃったがお前とはもうここまでかも知れんのう・・・
マッド大内がこの前店に持って来てたシステムが小さくてよさそうなのでそれに変えるか・・・
マッドさん、このブログ見たら製品番号教えて下さい。
ファンキー末吉ひとりドラムツアーの軌跡(こちら)
Posted by ファンキー末吉 at:11:57 | 固定リンク
全中国ドラムクリニックツアー2011年 広東省「広州」
江門でしこたま飲んでバタンQ(死語)・・・
の後に次の日は午前中は現地のパール倶楽部を表敬訪問。
そこでまたわけのわからない質問をされてぶち切れたりしたのだが、
それはまた別の機会に触れるとしよう。
長〜い長〜い昼飯がやっと終わって車に乗っていざ広州へごー!!
・・・と言うよりは「行く」より「戻る」が正しいかな・・・
この日の会場は昼間は別のイベントで使っていて、
夕方5時じゃないと使えないというのでしばしホテルで待機・・・
ホテルから見た広州の街・・・ちょっとぞっとした・・・
ゴミゴミしていて、まるで香港と北京の悪いところを足して増幅したような街である。
過去に何度か来ているが、
タクシーでボラレたり、うんこするのに公衆便所でボラレたり、
とてもじゃないけどいい街とは思えない。
まあでも「友達がいるところはいい街」である。
今回は前回来た時に友達になった龍一君が来ると言うので楽しみにしていた。
まあその辺はまた次の機会に書くとしよう。
とりあえずは8時に開演であるのだから
5時に前のイベントが終わってバタバタとセッティングをして
8時にクリニック(Drum Show?)始めればそれでいい!!
しかしホテルで待てども待てども誰も呼びに来ない!!
やっと呼びに来たのは7時である!!
「前の公演が押したから」
と言うが、8時から「ワシの」公演が始まるのである!!
7時に呼ばれたって間に合わんじゃろ!!
まあ別に間に合わんでも中国人は別に困りもしなければ何の文句もない。
そんなことに目くじらを立てるのは日本人ぐらいである。
別に客の前でドラムをチューニングしたこともあるし、
もう今となっては何がどうであろうがあまり気にしない。
中国を大好きになる人と大嫌いになる人との分かれ道というのは、
「不条理なこと」に出会った時に、
それを「アホか〜」と笑い飛ばせるか腹が立つかの違いであると言われる。
ワシはそれで20年この国と付き合ってるので別に何とも思わない。
この国はこれで成り立っているのである!!!!
まあいい!!ワシごときが4000年の文化を語るのははばかれる。
要はこの日にワシの使命である
「ドラムクリニック」・・・いや、「ひとりドラムコンサート」が出来ればそれでいいのである!!
いや〜・・・人間やれば出来るものである。
ワシのドラム人生最速の15分でチューニングからセッティングまでやり終えた!!
しかしこれで喜んではいけない!!
15分で出来ると思われたら最後、
この国は「ああ15分あればいいんだな」ということで15分しか与えてくれなくなるのだ!!!
気をつけなくてはならん!!・・・と思いながら、
結局それが出来なければ仕事が出来ないんだから仕方がない!!
その試練は翌日も続く・・・
というのは置いといて、とりあえずドラムがセッティング出来たので、
あれだけ押してたタイムスケジュールのくせに、
いきなり巻いて始めよった!!!(驚)
ちなみに言わせてもらおう!!
後ろでしゃがんでいるのはPAエンジニアである。
「そんなとこにミキサー置いたって音作れんじゃろ!!」
と毎回いろんな現場で声を大にして叫ぶ!!
しかし何ともならない!!
彼らのいい分はひとつ!!
「そんな長いシールドはありませんから・・・」
まあいい!!ワシがやることはドラムを叩くことだけだある!!
そんな細かいことを気にしてても仕方がない!!
PAに頼ってどうする!!
ワシは武道館クラスまでだったら生音で届かせてやるぞ!!!
などと言いつつ、不思議なことにツアーなりやってると、
同じことをやってるのにある時は神様が降りて来るような演奏が出来たりする。
今回はちょっとその辺の域まで行けたような演奏が出来た!!
まあその後に大きくなった龍一君と語り合うのじゃが、
ワシが音楽をやってる目的はただひとつ、
「神の域まで行きたい」
ということだけである。
ところが人間なんだからどうやったって神様にはなれない。
だから「努力」と「偶然」を駆使して「神業」を目指すだけなのである。
その日に「神業」が生まれたかは文字通り「神のみぞ知る」なのだが、
器材のトラブルもなく、自分としてはなかなかいいレベルの演奏が出来たと思う!!
しかしそれは次の日の佛山の序章でしかなかったのだ・・・・続く・・・
ファンキー末吉ひとりドラムツアーの軌跡(こちら)
Posted by ファンキー末吉 at:04:08 | 固定リンク
全中国ドラムクリニックツアー2011年 広東省「江門」
まったくもってこの仕事は行ってみるまで何が起こるか、
いや、どこへ行くのかもわからない!!
もともとは6月1日は徐州の予定だったのだ。
ほんの少し前に「ドタキャン」と言われ、
同時に3日も広州だと聞かされていた。
まあ北京行きのチケットは押さえているので予定通り5月31日に北京に飛んで、
そして広州に出発する前に
「4日も入ったから3、4、5日の3連チャンね」
と知らされる。
3日の朝に二日酔いのまま6時に起きて飛行機に乗る。
国内なのに飛行機で4時間かかるっつうのがもともと信じられん!!
日本まで帰り着けるやないの!!
というわけで広州に着いてそこからまた車で2時間。
「広州とちゃうの?」と聞くと、
「広州は明日、今日は江門、明後日は佛山!!」
・・・とそれだけである。
まあどこに行こうとやることは同じなので別にいいのじゃが、
とりあえずはどの辺に行くのかぐらいは知っておきたいということで、
iPhoneのマップを起動する。
ほうほう・・・このような位置関係なのね・・・
というわけで車の中でこてん・・・
会場に着いて起こされたらそこは野外ステージであった・・・
そう言えばこのVisionツアーが始まって以来の野外かも知れない・・・
もともと「ドラムクリニックツアー」だったのが、
今では「ひとりドラムのコンサート」になってしまっているので、
まあ野外だろうが何だろうが同じなのだが、
ところがこの広東省というところが暑い!!!
どのぐらい暑いかと言うと、
歴代で言うと第一位が広西省欽洲のWingのコンサート!!
これは暑かった・・・死ぬかと思ったが、
死んだのはワシではなく一緒に来た週刊アスキーの編集者であった・・・
きっとワシはこの灼熱の中で高速道路をマラソンしたので、
「それに比べれば」ということで大丈夫だったのであろう・・・
頭が完全にイっていた・・・
第二位は武漢!!これは暑かった・・・
キチガイ沙汰である!!クーラーからはひっきりなしに湯気が出てるというんだから凄い!!
今回が3番目に暑い!!と言っても広東省はまだマシだというわけではない!!
上記ふたつの街に行った時は7月と8月、
つまり今の6月なんかまだ全然「涼しい」方なのである!!!(驚)
いやー・・・あまりの暑さにクラクラしました・・・
またこんなに暑いのに客が集まります!!
これを見て、もう「クリニックでも何でもない」ということはお分かりでしょう!!
いつの間にやら「ドラムクリニックツアー」は、
「ファンキーひとりドラム全中国コンサートツアー」になってしまったのです(涙)
司会者がステージに上がって喋っているのを聞いて初めてわかりました。
今回は
「第三回南方ドラムフェスティバル、ゲストはファンキー末吉」
であったようだ・・・
まあいい、どこであろうと何であろうとやることは同じなのだ!!
ぐっしょぐっしょに汗をかきながらステージ終了!!
途中「7th Door to Heaven」でプログラムを流す器材がトラブったが、
まあすぐにドラムソロにして事なきを得た。
しかしそれは実は「事なきを得た」ことではなかったのだ・・・続く・・・
ファンキー末吉ひとりドラムツアーの軌跡(こちら)