
2015年8月24日
酒屋が経営するライブハウス!(◎_◎;)
先日「ひとりドラム」で呼ばれて西明石に行ってきた・・・
ところがチラシに載っている住所の辺りに来てもライブハウスらしきものはない・・・
あるのは同じ名前の酒屋さんである。
ちなみにこの酒屋さん、
よくある「立ち飲み」ではなくちゃんと座って飲めるカウンターや、
奥の方にもちゃんとテーブルまである!(◎_◎;)
なんとライブハウスはこの酒屋さんの奥に入って行った地下にあるのだ!(◎_◎;)
ちなみに楽屋も居酒屋!(◎_◎;)
カウンターまであってちゃんと営業出来るようになっている・・・
その隣はバーベQ場があり、打ち上げはもちろんここ!!!
いや〜ライブ会場も含めて全ての場所での酒はオーナーである酒屋さんで買うのだからなかなかよく出来たシステムだと思うぞ・・・(笑)
(もちろん原価で買うのだからリーズナブル!!)
本当にいい会場でした!!
またやらせて下さい〜
Posted by ファンキー末吉 at:07:37 | 固定リンク
2015年8月21日
ライブハウスで徴収された著作権料は何処へ?
シンガーソングライターの中根しほりさんという方が、ご自身のFacebookでこのような書き込みをしてらっしゃるということで、
ご本人の承諾のもと、ここにシェアさせて頂きます。
----------以下引用----------
最近、あちらこちらで、ちょっとびっくりするくらい私の耳にも入ってくる
Buono!に提供した「初恋サイダー」、アイドル界隈で歌われすぎ現象(←という名前も付いているらしい。)について。
http://www.colorful-hp.net/archive/entry-9655.html
(作曲者の知らないところでこんなことになっていたとは∑(゚Д゚)w)
昨日の中学生シンガーちゃんも
小学生の時に「初恋サイダーを誰よりも力強く歌う女の子」として知られていたらしい。
その他、1回アイドル系イベントがあるとかなりの確率で多くのグループが初恋サイダーをカバーしている
とか、1回のライブで連続10回
初恋サイダーを歌ったアイドルがいますよ
とか、日々、いろんな人に言われるようになったここ1、2年くらい?
へええ、そんなに歌ってもらってるの!?
と不思議な気持ちなんですが
その割に
いろんなひとに「印税すごいんじゃない!?」とか言われて
JASRAC明細を見ると
「??・・・こんなものなんか。。」
という程度。
1、2年前の6000円(!?∑(゚Д゚))とかよりはましになってるけど
ライブハウスでよく歌われてるとなると
例の「包括契約」が立ちはだかるわけですな。
ライブハウスはちゃんと申請出してるけど、無作為で曲を集計して、一部の作家にしか分配されない、というやつ。
そのへん実際はどうなんだろう
とずっと疑問だったんだけど、JASRACに問い合わせてみたら
「無作為に抽出された一部のライブハウスから集計・計上されたものがすべて分配されております。」
はい、知ってます。
無作為に抽出されなかった分は計上されていないということですよね?
・「そうです」←いつもの担当の人
・「いえ、すべて計上され分配されています」← 取り次がれた別部署の人
いやいやwwすべてじゃないですよね?
包括契約なんだから。
「いえ、すべてです」
無作為に抽出されたライブハウスのみですよね?
「抽出された分はすべて・・・」
だから、抽出されてないところで歌われた分は計上されてないですよね。
「・・・そうです」
じゃあすべてじゃないですよね?
なんですべてと言うんですか?
「・・・」
「いつどこで演奏されたかということをお調べ頂いて、ご報告いただければその分は分配になるかと思います。」
各ライブハウスが申請書を提出していると思いますけど、無作為に抽出されなかったライブハウスからの申請書はデータとして残していないということですか?
「・・・そうです。」
個人で把握しきれない分を、調査するのがJASRACという機関のお仕事ではないのですか?
「中根様の方でお調べいただいて書類をご提出いただければ。。」
みたいな、とてもあやふやなかんじでした。
別にお金をもっとくれよ!
という話じゃなくて、包括契約のこともわかってますから、その上で現時点で計上されてないけど歌われてる分を調査してもらえないんですか?
という疑問がここ1、2年あって
ふと今日確認してみたんですけど
普段担当の内国資料部の方は、普通に正しいことを説明してくれましたが
取り次がれた先が
「すべてに分配されてます」
とか嘘を言い張るので、びっくり∑(゚Д゚)
その上
「内国資料部の者の説明に問題があったかと思うので、話をして再度ご連絡します」
となり、
「いやいや!Sさんは間違っていませんでしたよ!そんな必要はありません。」
と言ったのに
内国資料部担当のSさんから折り返しがあり
「私の説明に問題があったようで大変申し訳ございません。。」
と謝罪され
「いやいや!Sさんは間違ってませんし、何も悪くないですよ∑(゚Д゚)」
と、妙なことに。。
なんで全部に分配されてるなんて嘘を言ったのか。(言葉のあやだとおもうけど、大人の言い分ではないと思う)
やはり、包括契約は穴だらけですね。
とりあえずの結果、無作為に抽出されていない分のデータは計上されていないし、作家にももちろん分配されていない、JASRACでは計上された一部のもの以外は調査もできない、とのことでした。
全国のライブハウスやが泣くぞ。。
いろいろ、あちこちで問題になったりして、けっこう有名な話ですが
こんなに歌ってもらってても、そんなに作家に還元されるわけではない、というか、ライブハウスが包括でも支払ってる分が、一部にしか還元されていないとなったら、
納得できない人はたくさんいるんじゃなかろうか。
今後はYoutubeふくめ、包括契約が増えていくと、ますます多くの作家に還元されない時代になるのかな。
音楽をフリーでシェアするのが次の時代だ!!
ってみんながなっちゃったら
その聴く音楽を作る人が報われないし先が育たなくなってしまう時代になるだろう。
(専業作家は、制作費0円ですから、印税収入がないとタダ働きみたいなものです。)
一部の強い利権に関わっているひとや
現時点である程度の大ヒットを出したひとにはあまり関係ないかもしれませんが、これからの音楽家にとってどうなんだろう?
ちょっとずつでも、いろんなひとに知ってもらい、考えてもらう機会を増やすことも必要なんじゃなかろうか。
----------以下続報----------
あらためて、「歌われすぎ社会現象」がここ2年話題になってる曲の明細を確認しました。14年3月、イベント使用料」¥2531ライブハウス使用料 ¥0 *\(^o^)/*14年3〜6月分頃の配分。この頃にはもう歌われすぎ現象になってたそう。これは運悪く1円も分配されてない例ですね。ライブハウスが支払ったお金は一体どこへ行ったのでしょう?
Posted by 中根 しほり on 2015年8月20日
Posted by ファンキー末吉 at:10:41 | 固定リンク
2015年8月20日
8月19日誕生日の方々
まず、お祝いはしてないけどLive Bar X.Y.Z.→Aのオーナー「被告勝山(笑)」こと勝山亮さん!!遅ればせながらおめでとう御座います〜
そしてあのBEYONDのドラマーWINGも同じ誕生日だったのな・・・
誕生パーティーに呼ばれたので行って来た。
ちなみにパーティーは前日18日の夜、高級カラオケルームで行われると言う・・・
9時半ということだったのだが早めに出て9時過ぎには着いた。
そしたら入り口に座ってた若者に声をかけられた。
うろ覚えだったがどうやらWINGと同じ事務所の若いバンドの連中のようだ。
一度一緒に鍋を食ったことがある。
彼らを連れて部屋に上がる・・・
誰も来ていない(>_<)
「先に飲もうぜ!!」
大先輩の大スターのバースデーライブである。
これを言ってあげないと若いバンド達は場違いで緊張して楽しめない。
ワシがこれを言ってあげないと誰も飲めんもんな・・・
人が集まり始めた・・・
まあこんな高級なところなんで若いバンドも居場所がなかろうと、
なるだけそいつらと一緒にいてやる。
ワシも日本の「芸能界」とやらに放り込まれた時に同じような思いをしてたからのう・・・
こいつらにそんな思いをさせたくない・・・
黒豹のドラマー「赵明义(Zhao MingYi)」も現れたのでドラマー3人で記念撮影・・・
・・・ってルックス全然違うなぁ(笑)
ルックスって言うより「人類」として違う「種族」やな・・・(笑)
12時過ぎると日が変わって19日になって誕生日ということでケーキが運ばれて来る。
いや〜男前は被りもんでも何でも絵になるなぁ・・・(笑)
写真を撮りまくられます!!さすがはスター・・・
この誕生日パーティー、飲み放題でそのお金はもちろんWING自身が払います(驚)
「スターも大変やな」と思いながらいっぱい飲せて頂いて帰路につきました。
さてもうひとり同じ誕生日なのがギタリストのBeiBei!!
派儿(Paier)というユニットを組んだ時から世話をしてる(笑)ヤツだが、
まあ仲間内で一番運が悪い(笑)というか、
ユッコ嬢に至っては、
「あの人と一緒にいたら悪いモードをもらっちゃいそうなんでなるだけ会いたくない」
などと言い出す始末(笑)
そんな願いが届いたのかユッコ嬢はリハが入り、
ワシはひとりで例によって時間より前に指定された場所に向かったらBeiBeiとばったり・・・
この陰気臭いヤツと二人っきりで飲む羽目となる(笑)
また連れて行かれたのがこの名前の店(>_<)
(钓鱼岛とは尖閣諸島の意味)
まあこういうところも含めてBeiBeiである(笑)
元々はバースデーライブをやろうと画策してたようじゃが、
さすがは仲間内で一番運が悪いだけあって軍事パレードや店の都合などで見事に中止になって結局この店にしたらしい・・・(笑)
まあ羊肉串と海鮮の店で料理は美味いのだが、
钓鱼岛欢迎您・・・尖閣諸島に歓迎されるとは思わんかった(笑)
長くふたりで飲んでたが、やっと人が集まり始めた・・・
ん??・・・
んん???・・・
美女ばっかやないの????・・・・
しかもみんな「90后(90年代生まれ)」!(◎_◎;)
「お前この前結婚するとか言ってたのどうなった?」
「振られました」
それで仲間内がいろいろ紹介してるんやな・・・(笑)
「50后(50年代生まれ)」としてはこれだけ世代が離れると全くと言っていいほど会話が噛み合わんので(笑)男どもと音楽談義に花を咲かせていると、
結局男どもはみんな音楽談義、美女達はみんなスマホ、とここにぴしゃっと境界線が出来てしまう・・・(>_<)
仕方がないので盛り上げるべく、
「じゃあ質問です!!BeiBeiはこの中で一番好きな女性は誰ですか?!!」
恥ずかしそうに隣の女性を見るBeiBei・・・
「そうよそうよ!!だってこの娘に対する態度だけ違うもん!!誰が見たってそうよ!!」
分かり易いやっちゃな(笑)美女達もこれをきっかけで盛り上がる・・・
毎年毎年「結婚式には是非来て下さい」を繰り返すBeiBei・・・今度こそは頑張れよ!!
トイレに立ったついでにワシが支払いを済ませた。
全部で900元(2万円弱)は痛かったけど、
昨日スターにいっぱい奢られたからな・・・幸薄き若い衆に少しは還元することにしよう・・・(笑)
Posted by ファンキー末吉 at:18:45 | 固定リンク
2015年8月19日
北京暮らしの便利不便
北京暮らしも20年前から比べるとかなり便利になったが、
不便なことと言えば相変わらずネット規制であったりするが、
これには「上に政策あれば下に対策あり」でVPNを使って対処!!
ところが「法律」に対してはなかなかどうしようもない(>_<)
「明日から軍事パレードのため奇数ナンバーは奇数日のみ、
偶数ナンバーは偶数日のみしか運転しちゃダメよ!!」
とかがいきなり発令されて文句も言えないのだからこれはもう仕方ない・・・
北朝鮮と同じく、この国では「軍」と「党」に逆らうことは最大の御法度なのだ・・・
まあ時々ご無体なことは言われるが、
それ以外では非常に便利になったというか、
ひょっとしたらいろんな部分「日本より便利」かも知れない・・・
これって日本にある?的な便利なものを挙げてみたいと思う・・・
まず前回チケットを取るのに紹介したこのアプリ「Qunar」!!
ワシは日本ではこのアプリ「Skyscaner」で安いチケットを検索するのだが、
このアプリの方が絶対的に安いチケットを検索してくれる。
しかも支払いがWeChatで出来るというのがありがたい!!
ワシはLINEが「中国のSIMを挿した途端にアクセスを遮断してインストールし直すしかなくなるという」という暴挙に出たためにアプリごと削除してもう二度と使う気はないが、
日本ではWeChatよりシェアが大きいLINEでも同じような支払いシステムはあるのかな?・・・
「Qunar」からチケットを選択して支払いの画面。
ちなみに「Skyscaner」だとここから各航空会社(もしくはチケットを取る旅行会社)のサイトに飛んで、それぞれにクレジットカードの番号を打ち込んだりここからの手間が非常に多いが、
「Qunar」にはワシのパスポート番号などの情報を打ち込んであるので次のワンステップでもうチケットが購入となる。
(ちなみに「Skyscaner」だと導かれたサイトによってはパスポートの有効期限やらいろいろ打ち込まねばならず、やっと打ち込んだ時にはそのチケットはもうなくなっていたということもあった)
WeChatにはワシの中国の銀行カードが紐付けされていて、
「指紋で支払う」はいわゆるiPhoneの指紋認証のことである。
WeChatの乗っ取り被害では張張が以前乗っ取られたことがあったが今ではほぼそんな被害を聞くこともなくセキュリティーはかなりしっかりしているようだ。
タクシーに乗った時などにも
「支払いは現金?それともWeCha?」
と聞かれるほどである。
次に代行運転のアプリ「e代驾」
これはちょい前にブログにUPした時に「日本でもあるよ」というメッセージは頂いたが、中国ほどこれほど多く使われているとは思えない・・・
アプリを起動するとこの画面のように近所にいる代行運転手の位置と名前が表示され、
あとはクリックして運転手からの返事を待てばそれでよい。
折りたたみ式自転車に乗って来たり、電動スケボに乗って来たりするのが笑える(笑)
そしてタクシーを呼ぶアプリ「滴滴打车」!!
これも起動するとこの画面のように近くにいるタクシーが表示される。
以前はタクシーの乗車拒否が生活上の大きな問題であったが、
これが現れてからそんなトラブルは聞かなくなった・・・
「どこまで行く」というのを入力するので、
「そんな遠くには行きたくない」という運転手は返事をしなければいいのだ。
雨の日など車が少ない時にはアプリが
「いくら追加金を支払いますか?」
と聞いてくる。
「じゃあ5元」とか「10元」とか選んで、
「だったら行ってやるか」というタクシーが手を挙げるのを待つ。
まあ日本でも店がタクシー呼んでくれて到着まで店で飲むというシステムがあるが、
それをタクシー会社の壁を越えてデジタルに大々的に行っているというシステムである。
ちなみに代行もタクシーもWeChatで支払うことが出来る。
支払いに関しても「デビットカード」を国際的にしたような「中国銀聯」で大体全ての店舗で支払うことが出来る。
この「中国銀聯」の素晴らしいところは、
日本のいろんな商店でも使えるだけでなく、
日本のATMで中国の口座から日本円で現金を引き出すことも出来る!!(◎_◎;)
噂によると両替手数料もリーズナブルらしく、
前回帰国した時に試してみたら、
日本のキャッシュカードと全く同じように「残高」として引き出し可能な日本円が表示された!(◎_◎;)
まあこうなって来るとみんな現金を持ち歩かなくなってしまうので、
レコーディングの仕事などをした時にどさっと札束をもらうことがなくなった・・・
(中国の最高紙幣は日本円で2000円程度なので大きな仕事は札束が来るのだ)
「銀行口座ある?」
と聞かれて、ネットバンクに登録している口座番号をWeChatで送る。
(ほぼ中国人でWeChatをやってない人はいない)
「じゃあ送金するよ」
と相手もスマホを使って送金、
ワシも銀行のアプリで残高を調べる。
銀行のアプリは、
もうATMのように暗証番号を入れるだけで
(文字認証は必要)
自由に振り込みや残高照会が出来るので便利である。
逆に支払う側になった時にはこの画面から銀行口座に入って振込先を入力すればそれでよい。
さて、上記のような便利グッズ、
「日本にもあるよ」と探してくれる人もまた多く現れるだろう。
しかし現状で日本ではそんな便利グッズが中国ほど普及している現実は見たことがない。
チケットは何倍ものステップをクリックしてクレジットカード番号を入力し、
代行は電話で呼び、タクシーも電話で呼び、
振り込みは銀行に行ってATMで振り込む。
便利なチケット獲得もあるだろうし、
代行やタクシーアプリ、ネット振り込みも存在はしているのだろうが、
中国のように周りの人がその「全て」を普通に使っているという現状はどう考えてもないだろう。
ひとつにはスマホの普及率もあるかも知れない。
(日本はガラケーの時代が長かったからなぁ・・・)
例えば時代のタイミングもあるのだろうが、
中国では「ビデオ」という磁気録音は全く普及せずにいきなりDVDになった。
音楽業界で「録音物を販売する」というシステムは、
日本で全てをダウンロード販売に移行した場合、
レコード会社やレコード店、あらゆる旧メディアの産業が大きな痛手を被るのもあり、ゆるやかに新しいシステムに移行してゆくような気がするが、
中国の場合は全く気にしないので移行がむっちゃ早い(>_<)
そのためにどんな企業が潰れようが全く気にしないのである。
ネット本に押されている「本屋さんを何とか存続させよう」という動きは、
中国人のメンタリティーとしてはきっと「???」なのに違いない。
「豊かになれる者から先に豊かになりなさい」
と鄧小平は「先富論」の中でそう言った。
後に続く「そして後に続く人を助けなさい」など誰もかれもが忘れてしまっている・・・
近代化で便利になった反面、
昔のよき時代の胡同(フートン)などはどんどん取り壊されている現状を見て、
寂しいと思いながらももうこの便利さから戻れないのが人間なのであろう・・・
北京の胡同
Posted by ファンキー末吉 at:16:13 | 固定リンク
2015年8月18日
天津から八王子の長い旅・・・
今年から基盤をまた中国に戻しているワシだが、
そうなると日本との行き来が多くなり飛行機代の出費が多くなって来る・・・
まるで飛行機代のために働いているようなもんぢゃが、
そうなると必然的に飛行機代を何とかして安くすまそうとする・・・
そこで活躍するのがこのアプリ!!
他のどのアプリよりも安いチケットを探してくれ、
しかもワンクリックで中国の口座から人民元決算してくれる・・・
現在人民元切り下げで安くなっているとは言え、
まだまだ長い間1元=12円だった時代より確実に1.5倍ほど高い。
そのレートのまま北京発の往復チケットは日本発よりも1.5倍高い(>_<)
ゆえに5月に片道チケットで北京に来たワシは、
もう一度片道チケットに日本に帰ってから、
その後日本発の往復チケットを買うようにしている。
早い時期に押さえると北京往復2万円代という安さであるが、
当然ながらチケットの変更も出来なければキャンセルも出来ない。
早い時期からスケジュールが変わるのは常なので、
そうなると帰りの便を捨ててまた新しく片道チケットを購入するという羽目になる・・・(>_<)
このアプリが見つけて来るチケットは、
通常では絶対に探さない「北京ーマニラー東京」とか、
「北京ークアラルンプールー東京」とかありえない遠回りチケットまで探して来る(笑)
まあ安ければいいのである。
遠回りしたって機内でずーっと飲んでれば同じなのだ・・・(笑)
さて今回、渡辺英樹お別れ会が入ったので、
帰りのチケットを捨てて8月9日じゅうに日本に帰れる便を探す・・・
このアプリの面白いところが、
「北京ー東京」を探しているのに、
「天津ー上海ー東京」という北京以外発のチケットも探してくれるのだ!(◎_◎;)
もちろん「北京ー天津はこんな列車が安いですよ」というのも提示してくれる・・・
ちょうどワシは8月8日は天津なので、
その晩は天津に泊まってその日のうちに日本に帰りつけば間に合うなということでこれを予約した。
ところが安いチケットだけあって乗り換えが大変(>_<)
HU7205
8:00天津浜海国際空港
9:55上海浦東国際空港
Spring 8515 便
8月9日-確認番号 OMNOWF
Shanghai PVG18:50
Tokyo HND23:00
つまり上海で9時間近く乗り換え時間があるのだ(>_<)
まあいい!!中国全土に友人がいるワシである。
上海の友人を探すと運良くこの時間T女史がヒマだったので呼び出すことにした。
まずワシが上海で必ず食べたい「三黄鶏(SanHuangJi)」というトサカと嘴と尻尾が黄色い鶏を蒸した料理のために、成田のように遠い浦東空港から上海市内まで出ねばならない・・・
市内までは開通してないが、リニアモーターカーに乗ってみる・・・
50元も出して途中までやったら時間もあるんやし最初から地下鉄でええやん!!
と自分に突っ込みながらこの写真を撮りたいがために乗った(笑)
いや〜市街地でこの速度は凄いよな・・・
弾丸のような上海リニアモーターカーの速度!!
Posted by 末吉覚 on 2015年8月9日
まあ結局1時間以上かけてやっとありつけた「三黄鶏(SanHuangJi)」!!
どうですか!!このプリプリ感!!
そしてその後、ワシは満腹だったのだが、
T女史がちょうど旦那様と合流して一緒に香港に行くと言うので、
その車に合流してまた裏東に帰り、
旦那様が空腹だと言うので一緒にステーキもお付き合いした!!
もう食えん!!もう飲めん!!
のまま飛行機が出てくれればよかったのだが1時間遅れたのでまた飲んで搭乗・・・
・・・っとここからが実は本題です。
このTokyo HND23:00、つまり羽田に23時到着というのは、
まあワシのように八王子に帰ってゆく人にとっては足がない(>_<)
ここでまた最強のドライバー「娘」を稼働させることとなる!!
まあワシのような超せっかちから何故このようなのんびりとした娘が生まれたのかは知らんが(まあワシから生まれたわけではないが・・・)、
飛行機が1時間遅れで出発したことは連絡してはいたが、
着陸してメールしたら「まだ今から家出るとこ!!」だそうである(>_<)
まあその辺は既に計算済みである。
羽田空港国際線ターミナルには24時間営業の居酒屋があるのでそこで一杯!!
まあ基本的に「もう食えん!!もう飲めん!!」なのでこのぐらいでちょうどである。
お代わりを頼まないぐらいに娘が着いてくれれば言うことはないのだが、
飲み干してしばらくしてからこんなメッセージ・・・
とりあえず腹を決めてお代わりを注文する(>_<)
ハイボールが空くか空かないぐらいでまたメッセージが入る。
「第二ターミナル?」
上海から帰って来ている父親を迎えに来るのにどうして国内線ターミナルを目指している娘が不憫である・・・(>_<)
「国際線ターミナルよ〜」
とメールしてハイボールをお代わり!!
そのハイボールが空くか空かないかうちにまたメッセージ・・・
とりあえず「WeChatを立ち上げろ!!」と伝えて「リアルタイムの場所の共有」を実行させて「ここに来なはれ!!」と指示する。
やっと車に乗れた時にはもう3時近く(>_<)
酔いつぶれて寝たいところなのだが娘の一言
「あ、また道間違えた〜・・・」
おちおち寝てられない(>_<)
幸いベイブリッジから行くか芝浦から行くかの選択肢なので、
ナビのルートを更新してとりあえず中央高速乗るまで眠気と戦う・・・
家に着いたのは4時過ぎだろうか・・・
天津のホテルで目覚めて約24時間・・・
やっとベッドで寝ることが出来た・・・
長い一日だった・・・
Posted by ファンキー末吉 at:11:23 | 固定リンク
2015年8月17日
全中国ひとりドラムツアー2015年 天津市
日付は前後するが今回は天津でのひとりドラムのお話。
北京から新幹線で30分で着く大都市である天津・・・
過去のブログ記事を検索してみたら
張張とのライブ
小畑秀光を連れての「Funky末吉和他的朋友们」のライブ
そしてVoThMを連れてのライブ・・・
(あと確か布衣のライブでも行ったことがある・・・)
と、ライブで行ったことはあるがパール楽器の活動としては行ったことがない。
今回はパール楽器関係ではなく、前回VoThMを連れてのライブのオーナーさんから直で来た仕事である。
実はこのオーナーさん、VoThMのDVDに写っていた!!
客よりノリノリ(死語)やん!!(笑)
持ってる人はこのシーン探してみて下さい・・・
さて彼が「是非に」ということで呼ばれて行った天津、
北京南駅から30分で着くと言っても、
北京の北側に住んでいるワシんとこからは車で1時間以上かかる(>_<)
それよりも大変なのが、チケット発券のための長蛇の列!!
ネットで身分証明書番号(ワシら外国人はパスポート)でチケットを押さえるのはいいのだが、飛行機の場合はカウンターでパスポートを見せればすぐに乗れるのに対して、列車の場合は毎回必ずこの長蛇の列を並ばねば発券してもらえないんだから大変である(>_<)
すぐ隣には自動発券機があって、一緒に行ったアシスタントの方言(FangYan)などはそんなに並ばずにすいすいなのに、そのシステムは中国の身分証明書にしか対応してないのだ・・・
1時間並びながら考える・・・
「ほな何で中国人はみんな自動発券機に並ばんのやろ・・・そしたらこっちの窓口外国人だけやからむしろ空いてるはずやん!!」
この問題をWeChat(中国のLINEみたいなもん)に流すが、
「そのことを知らないんじゃない」
とか
「子供はその身分証明書は発行してくれないから並ばねばならんのでは」
とかいろんな意見は出たが真相のほどは定かでない・・・
兎にも角にも5時出発で院子を出て、
1時間かけて北京南駅まで行って、
1時間並んでチケットを発券して、
30分列車に揺られてすぐ着いた(笑)
さて天津では前回のVoThMライブの時にドラム関係を手伝ってくれた人が迎えに来てくれていて、
彼は実はこのドラム教室の先生らしく、その校長とライブハウスのオーナーが待つ店でまず食事!!
いや、出番前にこんなに食えんし・・・(>_<)
会場に着いたらこんなポスターがでかでかと貼られていた・・・
いや、ポスターはいいのぢゃが、このチケット料金である・・・
日本円で6000円!!(◎_◎;)
神保彰さんのひとりオーケストラじゃないんですから・・・(涙)
普段はパールドラムの宣伝のために廻っているので、
基本的に入場料はタダ!!
有料イベントであること自体が珍しい上にこの値段設定はびっくりでしたなぁ・・・
さて、ドラムセットはこんな多点セットがあったので、それをそのまま叩かせて頂きました!!
個人的には左足クラーベがあったので久しぶりに叩いたなぁ・・・
ついつい新しいパターンも練習したり・・・(笑)
以下はそのドラム教室のサイトの写真です〜
毎度の通り「子供と交流」というコーナーがあり、
子供ドラマーなんて「褒める」以外の選択肢はないのでこれが非常に大変だったが、
まあ毎度のごとく
「大きな音を叩くためには」
とか
「頭を振ればもっといいドラムが叩けるよ」
とか、ちょっと上手い子供には、
「じゃあ簡単なドラムソロを教えてあげるよ」
とか、何とか乗り切ったと思ったら終演後に、
「あとひとりいるんですけど見てやってもらえませんか」
と来てネタがなくなってたので、
フロアタムを一緒に叩いたり、ボンゴカウベル(やっぱ左足クラーベのせいでちょっとラテンモードになってたんやな・・・)を一緒に演奏して、
「もっと上手くなって今度はツインドラムでセッションしようね」
でシメた。
その日は天津の屋台街で飲んで、翌朝また5時出発で日本へ・・・
長い長い移動の物語(最後にまた娘の最強のドライバー話)は次のブログに続く・・・
ファンキー末吉ひとりドラムツアーの軌跡はこちら
Posted by ファンキー末吉 at:18:19 | 固定リンク
2015年8月14日
今日のタムチューニング(音程)
今日の名古屋ボトムライン、用意されたドラムがこんな多点セットだったのでそのままチューニングして使わせて頂きます!!
16インチがフロアタムではなくタムなのがYAMAHAっぽいが、
14のタムと一緒にフロアタムの位置にマウントされているので、
必然的に2フロアのつもりで14インチがメインとなる。
(ワシ的にはちょっと音が高めなセット)
チューニングは13インチが入っているのでちと難しい(>_<)
まず多点セットではフロアを思いっ切り低くチューニングしてやらないと上の方に行くとパンパンに張り過ぎて鳴らないので、
まあチューニングメーターで測っているわけではないが、
通常のワシのセットでは
16FTをBぐらいにチューニングして、そこから上に4度ずつ、
14:E、12:A、10:D、8:G
みたいなチューニング・・・
(大体ですよ、共鳴して気持ち悪くなければそれでよい)
ところが13インチが入ると、
16:B、14:Eまではいいが、13インチがAというのはちと張り過ぎ感がある(>_<)
その上に行くと12:D、10:Gなどとなったら通常のセットの4度上で完全に張り過ぎである。
タムのチューニングは「絶対にこの音程に!!」というのではなく、
そのタムが一番鳴る音程にチューニングしてあげて、
全体の共鳴を見て微調整というのが正しい。
(無理やりどうしろと言っても言うことを聞いてくれないのよ〜)
16、14まではまあ緩め過ぎず、ベコベコにならない程度に低いいい音が鳴っているので、13も同じぐらい緩くすると音程差が2度とかほとんどなくなると共鳴がワンワンいったり大変になるので、
「まあちょっとキツめ」を目処にチューニングしたら大体G#ぐらい・・・
12インチも同様に「ちょっとキツめ」でBぐらい・・・
まずいなぁ・・・ド、ミ、ソになってしまいましたがな・・・
まあドラムはティンパニーと違って音程がそれほどはっきりしてるわけではないのでいいっちゃいいのだが、気になり出したらまたそれも大変なので、
ここで13インチはちょっと低め、12インチもちょっと調整して
短3度のディミニッシュか、まあそうじゃなくてもちょっとトーナリティーがはっきりしないが気持ちのよい和音にしておく。
10インチもちょっと高めにするとちょうどEの音でトーナリティーのオクターブ上だったのでDぐらいに下げておく。
14、13、12がドミソに聞こえたとしても10がEでトーナリティーをくっきりさせてしまうより、7thコードみたいな不安定な和音にしておいた方がよい。
まあ何度も言うが厳密にチューニングメーターで測っているわけではない。
「だいたいこんな感じ」で全体で気持ち良く共鳴していればそれでいいのである。
さて、いつもフロアタムのフレーズとして叩くのが16インチではなく14インチなので全体的にちょっと高めな印象があるが、タムの鳴りとしては申し分ない!!
今日のやっちんライブ、このチューニングで叩きまくります!!!
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2015年8月12日
渡辺英樹お別れ会
8月10日に「ヒデキファイナル」と銘打って行われたこのライブ、
ワシは11日に帰国予定だったのを早めて9日に戻って来た。
(その時の娘の運転どうのこうのの笑い話は後に回すとして)
当日は11時入り、
「何でこんなに早いの?別にVoThMのリハの16時までやることないよね?」
と言うと、スタッフが笑いながら答える・・・
「あら、いいじゃないですか、楽しい楽屋が待ってるじゃないですか」
そうそう、AJ〜米田度とかでは楽屋にいつも笑いと食い物が絶えなかったなぁ・・・(笑)
葬式の時には喋ることも出来なかった米川や笠くん、そしてその時には会えなかった義男なんかと談笑・・・
まあここに英樹さんと田口くんがいないだけで普段のAJ関係のイベントと何ら変わりはない・・・
サウンドチェックは逆リハで行われるのでC-C-Bが最初である。
ライブDVDのマルチから抜き取ったベースと歌の音源と、
それ用にまた編集したのであろう英樹さんの映像・・・
これがぴったり合っていてまるでその場に英樹さんがいるみたい!(◎_◎;)
思えばワシはまだまだ英樹さんの死を受け入れられてなかったのだろう。
「まるでそこにいるみたい」
と
「実際にいる」
とは雲泥の差なのだから、ここで一度ワシの涙腺は崩壊することとなる・・・
それにしても本当に「そこにいるみたい」である・・・
これは今回の全てのスタッフの努力の賜物なのだろう、
ライブ音源に合わせて・・・
そのヨレているであろう演奏に合わせてドンカマを打つ!(◎_◎;)
これがあのライブ感満載の演奏の秘訣なのだろう。
演奏が走ったりモタったり、
その全てには理由と感情があり、
みんなと一緒に走ったりモタったりしている英樹さんの演奏や歌には基本的に英樹さんの「感情」がある。
つまりその状態での「感情」がそのまま映像と共に表現されているのだ!(◎_◎;)
もちろんそれに合わせて演奏する人全ては大変なのであるが、
まあ「アンサンブル」なのだから誰かひとりがそのように引っ張ってゆけば必然的にバンドは「そのように」引っ張られてゆく・・・
つまりこの日のC-C-Bの演奏は全て英樹さんの「感情」のままに引っ張られて演奏されているというわけだ・・・!(◎_◎;)
世の中のテクノロジーは進んでいる。
まるで映画でも見ているかのように、
英樹さんの「感情(魂)」はバーチャルとなって「データ」としてここに「セーブ(保存)」されているのだ。
文字通り「バーチャルとして生きている」と言っても過言ではなかろう・・・
VoThMとしてはこのDVDの音源はマルチ録音されてないので、
代わりにニューアルバムのマルチ音源から「愛し合うために行こう」と「ソドミスト」のマルチ音源は提供していたが、残念ながらそれに同期してる映像はない。
中国での映像をいろいろ送ってはいたが
「食べてる映像ばっかじゃないですか!!」
と当日突っ込まれた(笑)
ただ1曲だけ、ボーナストラックとして録音された「Star」という曲だけ英樹さんがそれに合わせてベース弾いて歌ってる映像を撮っていた。
今にして思えばよく撮ってたよなぁ・・・
かくしてワシはドラムを叩いているのでどのような映像が使われたかは見れなかったが、英樹さんの映像とセッションライブ「ヒデキファイナル」はVoThMの演奏から開始された。
この写真はちょうどその「Star」の時だな・・・
この曲のこの歌詞の部分でまず丸ちゃんが泣いた・・・
「君が星になり・・・僕も星になり・・・」
もちろんこんな時のために書いた詞ではなかったのだろうが、
この状況なのでぐっと心に入って来ますなぁ・・・(涙)
なんか「VoThMの制服」みたいになっちゃった中国ジャージ・・・(笑)
さて続いてのステージは「三喜屋・野村モーター'S BAND」と「三野姫」、
まあつまりは野村義男のステージである。
これはマルチから抜き取った音源を使うのではなく、
両ユニットのギターマイナス(だと思う)音源に合わせて野村義男がギターを演奏する。
映像の方は英樹さんの昔の写真などがスライドショーで流されるのだが、
それを見ながら数曲演奏しているうちに、こらえ切れずに今度は義男が号泣した・・・
まさに「泣き崩れる」という感じで号泣しながらギターを弾く・・・
2年前に同じバンドメンバーだったはっつぁんを亡くして葬儀で泣き崩れてた義男、
今回は仲間内でも「義男、大丈夫かなぁ」と心配されていたのだが・・・
ところがリハでも感激したのだが、最期の曲「スローバラード」のギターソロは凄かった・・・
まるで後ろの英樹さんにギターで語りかけるように、
その思いの全てをギターソロとして表現し尽くしていた・・・
義男ぉ〜お前はやっぱ凄いギタリストだよ・・・
続いてはWY、そしてAJ、ここからは英樹さんのライブ映像とマルチ音源とのセッションとなる。
いや〜ほんと、英樹さんがそこにいるようだ・・・
そして最期はC-C-B!!
まさに映像の英樹さんが一緒にライブをやっているようだ・・・
そして心の中でまたこう呟いているのだ。
「米川ぁ〜オメエ・・・相変わらずソロが長ぇんだよ〜」
と・・・
ライブから音や映像を抜き出しているので、煽り部分とかで
「みんなこの曲覚えてるかい?」
とか
「みんな歌えるかい?」
とか、まさに英樹さんがそこにいるようで、
確かに「バーチャルの中で生きている」・・・そんな感じだった。
打ち上げの席でスタッフが各出演者に挨拶に回って来た時にこう言った。
「ありがとう御座いました。本当にいい形で見送ることが出来たと思います」
打ち上げにはいつもの「声の大きな人」が不在なので、ワシが変わりに大きな声で言ってやりましたよ!!
「見送る?・・・アイツは見送られたりせんよ〜!!
何せデータの中でちゃんとバーチャルとして生きてるからね〜
またやらせてくれ〜ってきっと言いに来るから!!(笑)」
カッカッカッという高笑いが本当に聞こえて来そうなそんな打ち上げだった・・・
松木くんはじめ全てのスタッフの皆さん、本当にお疲れ様でした!!
バーチャル英樹さん、実はワシのデータも入ってるようだから、
ワシがそっち行った時にはスクリーン二つにしてバーチャル共演しよう(笑)
スタッフの皆さん大変だけどよろしくね(笑)
Posted by ファンキー末吉 at:17:40 | 固定リンク
2015年8月 3日
若き天才ピアニストとの出会い
羅寧(Luo Ning)
・・・
大陸の中国語では「罗宁」と簡体字で表記するが、
本人が好んで繁体字で表記しているようなのでここではこちらで表記する。
その昔、北京にJAZZが入って来た頃・・・
こちらで住む欧米人などがJAZZの生演奏を聞きたがるニーズがあって開店された
北京最初のJAZZクラブ「CD Cafe」で演奏してた当時「若者(笑)」・・・
・・・今は大御所となった北京のJAZZマスター達・・・
中国ロックの創始者「崔健(Cui Jian)」のバンドメンバーとして活躍していた彼ら、特にサックスの「劉元(Liu Yuan)」はCD Cafe」の株を買い取って、
自ら夜な夜なその店で演奏すると共に後輩の指導も積極的に行っていた。
当時北京のJAZZミュージシャンは数えるほどしかおらず、
Jamセッションをやったって彼のライブのメンバーと同じメンバーしか演奏出来ないないのだから必然的に後輩を育ててゆくしかなかったのだろう(笑)
ワシも当初から彼らとセッションをしてた「JAZZ仲間」だったのだが、
ある日とんでもないテクニックを持った若者が現れ、
「お前どこでそんなこと覚えたんだ?」
とびっくりしたことが何度かある。
クラシックばっかりやってた若者が、
劉元(Liu Yuan)から「これやってみろ」と言われ、
やってみたら「出来た」・・・
・・・なんだ簡単じゃん、JAZZって言うの?これ?・・・
そんな天才達がアメリカに留学し、本格的にJAZZを学んで帰国しているのが今の北京のJAZZシーンである。
(注:JAZZクラブでは相変わらず北京滞在の欧米人プレイヤーが中心となって演奏しているが、彼ら帰国組は既に「別格」となっている)
そんな中にこの羅寧(Luo Ning)がいた・・・(のだろう、今回初顔合わせの時に彼の態度からその時代に面識があったであろうことを感じ取った)
どの国でもロックやJAZZや、そんなマニアックなジャンルをやってたところで食うに困ることが多い。
彼も帰国してからは一番「金になる」流行歌のアレンジやプレイの仕事を中心に活動していたようだが、
ある日キューバに留学して帰って来てからこのようなスタイル(ラテンJAZZピアニスト)になったと言う・・・。
この話をしてくれたのは、同じピアニストとして
「国内のピアニストとして唯一崇拝しているのは彼だ」と言う張張(Zhang Zhang)である。
昨日行われたこのピアノコンサート、
ワシの25年来の友人である老栾(Lao Luan)、栾树(Luan Shu)の末弟、栾三儿(LuanSanEr)の請け負った初の大仕事だということで、
ワシは半年以上前からこのスケジュールを押さえられていた。
「海外からもゲストを呼ばねばならないんだけどこの前のオルガンの人は呼べないか?」
と頼まれて大高清美さんに打診、
(さすが北京で何度もライブやってると違いますな)
しかしカシオペアのコンサートと被っていてNG、
それではということで向谷実さんに打診、
「あとはお前が英語で直接やり取りしろよ」
と言ってたら全然やり取りがダメで実現しなかったところ、
どこからか引っ張って来た外国人女性ピアニストを中心にこんな面子でコンサートが行われることと相成った・・・
羅寧(Luo Ning)の出演は、
「国内で誰か凄いピアニストっていないか?」
と聞かれた張張が強く彼を推薦したからである。
これは想像なのだが、制作サイドとしては
「ドラムはFunky、ベースは有希子(ようしーず)でいいんでねーの?」
と思ったのだが羅寧(Luo Ning)自身は不安だったのだろう、
数ヶ月前に一度リハーサルが行われた。
その時に渡された譜面がこれ(>_<)
ここから少し「読譜力」という話になるが、
まあ独学ではあるが昔から譜面は少々読めてたワシではあるが、
「譜面なんか全然読めへん(30年前の話)」と言ってた和佐田と一緒にスタジオ仕事をした時、
アニメのメドレーかなんかで勧進帳みたいな譜面を渡され、
ワシが四苦八苦しているのを尻目に和佐田がすらっと弾きこなしていたことがあってびっくりした。
「譜面なら読めるよ」と言いつつ、
譜面を渡されて初見で弾く現場よりも譜面を書いて初見で弾かせる立場だったワシが、いつの間にか「経験値」として和佐田に追い抜かれてしまっていたのだ・・・
そんなこんなで「これではいかん」とばかりいろんなセッションに身を投じて、
初見でいろんな難曲を叩きこなしたりしながら精進はしているつもりなのじゃが、
この1枚目の一番下の段から2枚目に渡る32分音符のキメだけはもう如何ともし難い(>_<)・・・
これをほぼ初見で弾きこなしているユッコ嬢は凄いなと思いながら冷や汗ダラダラで初リハーサルは終わった。
まあ完璧には叩けてはいなかったのぢゃが、
「まあ大丈夫だろう」ということでそれから数ヶ月・・・
サマードラムスクールが終わった次の日、
朝一番の飛行機で北京に飛んでそのままリハーサル・・・
これが全く忘れていてまるで叩けない・・・(>_<)
そうなって来ると今度はプレッシャーでますます叩けなくなるのな・・・
四苦八苦のリハーサルが3日間続き、
「何とかついてゆく」ぐらいのレベルでリハーサル終了・・・
リハの録音(自分用にHHの横で録音したので音質はナニですがちょっと聞いてみて下され)
さて1曲でこれですから先が思いやられます(>_<)
2曲目の譜面はこれ!!
思うにこれら譜面はきっと本人が書いているのではないのな・・・
きっと弾いてる音源を聞いてお弟子さんか誰かが譜面に起こしているのだろう、
何度やってもイントロが合わないと思ったら、
これはきっと「4小節目は3拍子ではなく2拍子だろう」と解釈!!
つまりこれは4分の7拍子なのだ!!
「好きこそモノの上手なれ」で少々でもラテンの知識があってよかったが、
ラテンなんかで時々ある7拍子のフレーズで、
しかもそれを「1、2、3、4」という乗りではなく「ターターター」とベタっと演奏する(>_<)
彼にしてみれば「何で出来ないかなぁ・・・」という感覚なのだろうが、
これを理解しなければまず初見で叩けるフレーズではない。
当然ながら3段目の3小節目は譜面的に間違いで、
音源を聞いてみて2拍3連のよくあるラテンのキメだと理解、
途中に出てくるラテンでよくあるキメも書き加えておき、
ドラム譜だけでは構成がわからないのでコードを書き加えておく・・・
あとこれはワシ自身の話だが、
「曲が書けなければバンドが終わる」
で「作曲」という作業に手を染め始めたアマチュア時代、
幸いアレンジなどで生計を立てられるようになってふと気付く・・・
ドラマーとして遠回りをしてないか?・・・
そんなヒマがあったらもっと基礎練習すればもっともっと高みに登れるのではないかと悩んでた時期を経て、
「こんな人生を歩んだからこんなドラムが叩けるんだ」
と悟ってから、ワシは自分の強みは「音楽の理解力」だと思っている。
作曲家として、アレンジャーとして曲を解釈して、
その曲の作家やアレンジャーが求めるであろう構成力をドラムで表現する。
そしてこの曲のようなむっちゃ早い曲の場合、
「今どこを演奏しているのか」ということを見失わないために、
普通のドラマーだったら「小節数」だけが頼りであるところ、
「今演奏しているコードが何である」ということがわかるということはとても強い武器になるのだ。
(JAZZの人はみんなやってると思う)
・・・と言ってもこれぐらい早いテンポの上に、
ラテン特有の8分や16分(この譜面の取り方だと4分や8分)で食ったりされるのでもうふーふー言いながらついて行かねばならない(>_<)
何とか曲やキメを把握して、
「じゃあ通してやってみましょう」
ということになって初めてわかるのだが、
冒頭の「Piano Solo」というのはフリーソロからカウントで入ったりするのではなく、
全くのキメフレーズがあって早弾きの6連符を聞き取って、
カウントなく全員同時にイントロに入らなければならない.。
しかも「そのテンポで」というのではなく微妙に早かったり、
「ターターター」とベタっと演奏してたりするので、
入るのが一瞬遅れただけでもうついてゆけない(>_<)
結局まともにイントロが演奏出来たのは3日のリハーサル
(1日に2回ぐらいしかこの曲はやらないので都合6回)
のうちこの1回だけ(>_<)
(と言ってもまだちゃんと叩けていない)
この段階ではドラムは合わせてないが、
譜面最下段1小節目のキメは彼の音源を聞いたらこのように弾いているものの、
一緒にやってゆくと2拍目は8分喰いではなく頭で弾いているのではと分かって来る。
その方が2−3のリズムに乗っていて弾きやすいのである。
ラテンを叩くJAZZドラマーでもちゃんとしてない人が多い中、
彼は本場キューバで勉強して来ただけあって2−3だ3−2だはさすがにちゃんとしていて、
逆にこちらがそれにちゃんとしてれば完璧に一緒に「乗る」ことが出来る。
譜面の下の方に書いた2拍3連のキメも、
実際は杓子定規にこんな風に弾いているのではない。
微妙に「訛って」いるのである(>_<)
「どんなキメなの?やってみて」
と言うと
「じゃあクラーベを叩いて」
と言うのだが、
それが「1、2、3、4」の頭打ち手拍子ではなく、
「2−3のクラーベ(3拍目は喰う)」を叩いて初めてこの2拍3連のキメが理解出来るのだ。
「2−3に対して訛っていて、必ずしも1、2、3、4に対して正しくないが、2−3に対して正しい」
という「乗り」なのである・・・。
まあこれが・・・なかなか合わない(笑)
結局1曲通して全部完全に叩けたことがなく大舞台にて本番!!(>_<)
皆さんワシの精神状態のほどを想像出来ようか・・・
サウンドチェックの時に1曲通してみるがやはり叩けない(>_<)
本番前に彼がこう言った。
「テンポが早いから叩けないんじゃない?ちょっと落とそうか?」
これでワシのプライドはズタズタになった・・・
本当はもっと速くしたいのにワシのために妥協する?・・・
それでドラマーとして胸を張って生きてゆけるのか?・・・
「いや、イメージトレーニングしてるから本番は大丈夫!!いつもの速さでやって!!」
そう言ったのであるが、やはり安全策を取ったのか本番は少々速度を落としたようだ・・・
まあところどころヨレてはいるが、自己採点80点ぐらいの演奏は出来たと思うが・・・
ちょっと悔しい・・・
これが「ロック」だったらドラマーとして人に妥協させたりしたか?・・・
「専門のジャンルじゃないから」と言い訳することは出来るだろう。
でもそれをやってるとそのジャンルの音楽しかやれなくなってしまう。
この世にはこんなに素晴らしい音楽がたくさんあるのに、である。
頃を同じくして張張がWeChatでこんなメッセージを発信した。
「ここに皆さんに声明を発したいことがあります。
私は22歳で北京にやって来て酒場でピアノを弾いて来ました。
世話になっているお兄さんお姉さん、そして恩師の皆さんのお陰により、
今こうして音楽を探求する入り口まで来ています。
偉大な音楽の世界の中では私はまだまだひよっこです。
まだまだ全ての音楽のジャンルを勉強し尽くしたわけでもなく、
皆さんとの仕事の中で、ライブの中でいつも勉強し続けている状態です。
だから皆さんにお願いがあります。
お仕事の中で私を老師(先生)とか大師(大師匠)と呼ばないで下さい。
そう呼ばれた場合、私は返事をしません。
名前を呼び捨て、もしくは小張とお呼びください。
よろしくお願い致します」
このコンサートの大トリは張張率いる「子供が喜ぶ映画音楽メドレー」。
8曲全てをアレンジし、打ち込んでレコーディングし、
バンマスとして、またプレイヤーとして頑張ってトリを飾った。
(偉くなったよのう・・・シミジミ)
まあストリングスのアレンジは手伝ってやったが、
基本的にワシはただの「ドラマー」として参加。
クリックに合わせて8曲ポップスを叩くなど、
別に「酒を飲んでても出来るし〜」などと言って笑ってたが、
まあ羅寧のコーナーが終わって全身脱力して一杯やりたい気持ちではあったけど、
酒もなかったし「仕事」だから飲まずにそのコーナーに挑んだら、
何の因果か1曲目が始まった時にクリックを流しているイヤホンが腰につけているワイヤレスボックスから抜け落ちた!(◎_◎;)
それを接続し直すには両手を使わねばならないのでドラムは叩けない・・・
幸い最初の数個のクリックは聞くことが出来たので、
そのテンポでみんなにはカウントを叩き、
両手がふさがるのでバスドラだけを踏みながら両手でイヤホンを挿し直した。
ちょっと手間取ったが、1回目のAメロが終わった頃事なきを得て、
クリックが聞こえた時にそのクリックとそのバスドラはぴったり合っていた!!
打ち込みの音の中で流れているリズムを刻んでいる音源を聞いて何とか狂わないようにバスドラを踏んでいるからである。
こんなにぴったりと合っていることは珍しいが、
少々ずれてもそれをうまいこと修正する「経験値」は持ち合わせている。
何せ爆風デビュー当時から、
キーボードがいないバンドのために自分で打ち込んで、
それに合わせてクリックを聞きながらドラムを叩いて来た。
仕事では自分がアレンジして打ち込んで、
それを自分で出しながらどんなトラブルにも対処して来た。
これが自分の「本職」!!
酒飲んだりナメてかかったりしなければどんな状況に陥っても最低限(それを人は「最高」と言う)レベルをキープすることが出来る。
でもこの日のコンサートで、
羅寧のコーナーがなく、この「本職」だけをやってたとしたら、
演奏終了後の満足度たるやどの程度のものだっただろう・・・
何も「本職」が今ではあまりに簡単になってしまったので卑下しているわけではない!!
「仕事」なのだからお金をもらってドラムを叩く。
それがいくらであろうと「仕事」であり、
例えそれがタダであろうとドラムを叩くのが「人生」である。
羅寧とのセッションで学んだことは多い。
JAZZを始めてもう30年、ラテンを学んで20年、
そんじょそこらのプレイはもう問題なく出来るようになったが、
「本職」ほど叩けているかどうかは疑問である。
世の中にはまだまだ学ばねばならないことが多い。
張張はコンサート終了後
「今日のプレイは自分としては70点ぐらいだったけど、
これからももっと精進して頑張りたいと思う」
とWeChatにメッセージを残していた。
ワシも自分のJAZZはまだまだ70点ぐらいだと思う。
でもこの天才ピアニストがワシをこのレベルまで連れて来てくれた!!
2000年から10年ほど北京に拠点を移して活動していたが、
その時に困っていたことが
「ガチでバトルが出来るプレイヤーがいない」
ということだった。
だから張張が酒場で弾いているのを見つけて彼を育てた。
だが今は彼が崇拝するレベルの若いプレイヤーがこうして育っている。
中国の音楽界の中では「老師」「大師」「亜州鼓王」とか呼ばれ、
その名声にふんぞり返っている場合ではない。
今から羅寧にこんなメッセージを送ろうと思う。
「親愛なる偉大なピアニスト、そして私の新しい音楽仲間へ。
昨日は君の音楽でいろんなことを勉強出来た。
ドラマーとして、君の音楽がもっともっと私を育てていってくれると感じたセッションだった。
もしよかったら私のことを先輩だとか大師だとか思わずに、
一緒に音楽を探求する仲間として今後も一緒にセッションをして欲しい。
合作愉快!!」
彼との超絶なプレイの音源は、
そのうち映像がネットでUPされると思うのでその後にここに貼り付けたいと思う。
合作愉快!!