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2021年10月11日

疯狂的石头(Crazy Stone)サントラ盤制作

もう20年近く前の話になるのではないか・・・この映画音楽!!

日本では全く知られていないが、中国ではその年のタイタニックの売り上げを超える大ヒットとなった映画音楽を実は私がやっていた・・・

これには色んな話があるのだが、実は友人の友人で寧浩(NingHao)という若い映画監督がいて、その友人から頼まれた・・・

「撮影で予算使い果たしちゃって、音楽を付ける予算があと4万元しか残ってなくて、誰もこんな安い値段じゃやってくれないって困ってるんです。末吉さんやってくれませんか?」

北京にスタジオを作ったばかりで、そこで録音すれば別に他所に出てゆく経費もないし、まあ若い才能を助けるのは「ライフワーク」だから喜んで引き受けた。

後で知ることになるのだが、4万元と言うと約60万円・・・当時は中国の映画バブルは始まっていて、映画音楽だとゼロがもうひとつは付くというのが相場だったので、いわゆる「タダ同然の仕事」である。

実はこの寧浩(NingHao)という監督が自分も昔バンドをやってたりして、音楽には非常に思い入れがある人間で、結局1ヶ月かかって作った音楽を全部作り直したりもした(涙)・・・

まあ誰もが「こんな低予算の映画なんか売れるわけはない」と思ってたわけで、私も
「彼の初監督作品を、思い残すことないように自分の出来ることは何でもやってあげよう」
と思ってたので、まあ非常に辛い制作活動ではあったが、彼のためにと頑張ってやってあげた・・・

ところが最後の最後で監督が数場面の音楽にどうしても納得しない(>_<)

もう私も数ヶ月こればっかりやってるので限界で、監督が
「じゃあ別の人間を立ててもいいか?」
と言うのでさすがに私もOKした。

その人間が原芸(YuanYi)という、当時は売れないバンドのキーボーティストであった。

「おお、お前か〜・・・じゃあよろしく頼むわ!!」
既に面識があったので話は早いと思ってたら、彼は数曲作った後に監督のあまりの神経質さに嫌気がさしたのが逃げ出しよった(怒)

監督が「じゃあこの場面についてミーティングしよう」と言うのに電話も出やがらない!(◎_◎;)

もうね、私なんかこれをずーっと数ヶ月やり続けているのに、たった数日で逃げ出すとは何事だ!!と私は怒りが収まらないが、音楽監督としてはちゃんと仕事は完結しなければならないので、煮湯を飲まされてるような気持ちで(飲んだことないから知らんが)最後まで仕事をやり遂げた・・・(涙)

そして誰も想像もしなかった事態となった・・・この映画が中国映画史上稀に見るほどの大ヒットとなったのだ!(◎_◎;)

ポスターにはでかでかと私の名前と彼の名前が書かれている・・・

それからである、彼の大進撃が始まったのは・・・

彼は「この映画の音楽は全部自分が作った」かのような触れ込みで映画音楽家として大成功し、若い音楽家を何人も雇って、自分の名前で仕事を取って来ては彼らにやらせて、まるで「音楽工場」のように仕事を量産して大金を稼いだ・・・

数年後彼と再会した。
誰かと飯を食ってる時に彼も呼ばれたんだったと記憶しているが、彼はブランド物の高そうな服に身を包み、見るからに高価な装飾品を身に纏っていた。

その身なりにカチンと来たが、彼はと言うと、やはり私に対して負い目があるのだろう、それはそれは平身低頭な態度で私に接する・・・

それがまた卑屈に感じてカチンと来るのだが、中国では人と喧嘩してはろくなことがないので煮湯を飲まされる思いで(飲んだことないから知らんけど)我慢した。

それから大音楽家になった彼の仕事も呼ばれてやったりするが、今だに彼の私に対する態度はそんな感じである・・・


そんなこんなで十数年、ここに来て「この映画のサウンドトラック盤を出さないか」という話が来た。

こんな大ヒットした映画のサントラが今まで出てなかったのには理由がある。

今でこそ中国の権利関係には日本なんかより厳しいが、昔は昔である。

香港の会社なのでそれでもちゃんとしようと思ったのか、「契約書にサインしてくれ」と言うが、あいにくその日は私は北京にいなかった。
会社は困って院子にいた嫁に「じゃあ貴女でいいからサインして下さい」ということで嫁がサインした!(◎_◎;)

というわけで私はどんな契約書だったのかも知らないというのが現実である(笑)。

こんなものが有効なのかどうかはわからないが、エンディングテーマを作って歌ったラッパーが「この曲を発売したいんだけどいいですか?」と連絡して来た。

「いいも悪いもお前が作ったんだから俺は別に意見はないけど、映画会社が権利を主張して訴訟になるかも知れないよ」
と警告はしておいたが、
「いいんです。訴訟になれば話題になってますますこの曲が売れますから」
と言うので「さすが中国(笑)」と感心した記憶がある。

そんなこんなで、この挿入歌を私がプロデュースしたデビューアルバムに入れようという布衣にも同じこと「もし訴訟になったら話題になってアルバムが売れるから入れちゃえ入れちゃえ(笑)」とこの曲のフルバージョンを作って入れて、今では彼らの一番のヒット曲になっている。

それによって私と作詞をしたボーカルのLaoWuは当時著作権がまだ確立してなかった中国では数十億円「儲け損ねた」ということになるのだが、まあそれも笑い話として笑い飛ばしている(笑)。

実は数年前から「サントラ出しませんか?」という声はあったのだが、そのマルチがもうどこにあるやらわからない(>_<)

権利関係もクリアではないのでぶち捨ててたのだが、ここに来てその音源が見つかった!(◎_◎;)

「布衣がこの歌を歌ってて誰も何も言って来ないんだから権利関係は大丈夫でしょう」
と布衣のマネージャー・・・

そもそもどんな契約書だったのかも見たことないのだから、私からは何も言えることはない。
発売元がその事情を知った上で発売したいんだったら「じゃあいいですよ」としか言いようがないので、その制作が始まった・・・

何故「制作」しなければならないかと言うと、実はこの映画音楽にはたくさんの中国民族楽器が使われている。

これは私から監督への助言で、
「重慶の土着のストーリーなんだから民族楽器を多用しよう!!その方が国際的に評価される映画になるから・・・中国人音楽家だと民族楽器に対して固定概念があるから逆に使いにくいけど、私は中国の民族楽器を一番理解している外国人音楽家。任せなさい!!誰にも出来ないような素晴らしい音楽をつけてあげるから」
ということで多用したわけだが、これがまんまと成功して、今だに
「あの映画の音楽は他とは全く違う」
と評価が高い・・・

ところが、効果音的に1秒だけ琵琶とか、そんなものがたくさん並べられてもサントラ盤にはならないので、そんな短い曲(?)は繋ぎ合わせて一曲にしてしまえ!!と思い立ったが最後・・・こうして今、自分で自分の首を絞めているというわけだ(笑)

まあ時間のある時にちまちまと作業して、琵琶は琵琶曲、ギターはギター曲ということで何とか「曲」にして納めた。

ところが発売元からこんなメッセージが来た・・・
「冒頭のピアノ曲は入ってないんですか?」

ピアノ曲は原芸(YuanYi)が作ったものなので私が勝手に使うわけにはいかない。
それに、個人的にはこれを聞いた途端に私は嫌な気分になるのだ(>_<)

そもそも私はキーボードを弾けないので、彼のように画面を見ながら「ちょちょいと」ピアノを弾いて「一瞬で完成」というわけにはいかない。
画面を見ながらテンポを打ち込んで、それに合わせてちまちまと音楽を打ち込み作業をしなければならないので彼の数倍時間がかかるのだ・・・

それを本当に「ちょちょい」と数時間だけやって、それでオイシイ所だけ全部持って行った彼が憎たらしい・・・

私はその後、この映画の大ヒットを受けて、私が受けた安い値段まで有名になってしまったので、同じような「タダ同然」の値段で何本か映画音楽を受けて、数ヶ月同じ格好で・・・と言うのも、日本から院子に遊びに来た友人が、朝私の仕事してる姿を見ながら街に出かけて、夜になって帰って来た時に「ファンキーさん、全く同じ格好でずーっと仕事してたんですか!(◎_◎;)」ということから「同じ格好」と言うのだが、それをひとつの作品で数ヶ月続けるわけだから、そのうち嫌になってもう映画音楽はやらなくなった・・・

そんな私に比べて、原芸(YuanYi)と来たら「上手いことやりやがって!!」・・・そう、私が彼に対する嫌悪感は、上手くやれなかった自分の「嫉妬心」なんだなと最近わかって来た。

今更ではあるが、エンディングクレジットの原芸(YuanYi)は、ポスターとは違って「音楽編集」になっている・・・
監督の私に対する「誠意」が今更ながら伝わって来た・・・(いや彼は一日で逃げたから編集もやってないが・・・笑)

もう60歳も過ぎて、今さら若い衆に嫉妬してどうする・・・
というわけで、映画に入っている全ての音楽を全部洗い出して表にする・・・

50数曲作った中で、彼が作ったのはほんの数曲・・・まあまた面白くない感情は湧き出て来るものの、映画を全部通して見ると、彼の数曲は「私には出来ない感性」が確かにある!!

例えば喧嘩をする場面、そこに私はロックなど暴力的な音楽を当てていたが、彼はそこに例えばピアノとバイオリンを使って(ホント簡単で腹が立つ笑)悲しい音楽を当てて来る・・・

確かに「喧嘩をしなければならない状況は悲しい」のである・・・

私は私でこだわりがあり、物語のキーとなる「宝石」が出て来る所には琵琶の音色、悪徳不動産屋はエレキギター、重慶の田舎泥棒にはバンドのサウンド、香港の泥棒には電子系と、コンセプトに基づいて音楽を当てているが、彼はピアノとバイオリンでそのコンセプトをぶち壊したことになる・・・

ところが効果は大きい・・・私はあまりにもそのコンセプトに縛られ過ぎて、もういくつかの場面にはそのコンセプトで音楽は当てられなくなってしまったのだ・・・

「Funky、映画音楽で一番何が大切か教えてやろう・・・それは"气氛(QiFen)"それが映画音楽の全てだよ!!」

監督が私にそう言った・・・結果原芸(YuanYi)が付けた音楽は「正しかった」というわけである・・・(>_<)

いや〜それにしてもこの映画音楽はよく出来ている・・・(感涙)

原芸(YuanYi)が付けた部分を除いて、知る人しか知ることが出来ないが(笑)、各楽器によって登場人物を表現しているコンセプトも素晴らしい!!

作品が売れるということはやはりそんなことなのだ・・・
人知れず「思い入れ」がその作品を上に押し上げている・・・

そんな感想を改めて感じた・・・

主役の郭涛(GuoTao)が私に言った。
「主役の私も音楽の貴方も何の賞も貰えなかったけど、貴方の音楽がなければこの映画は絶対に成功してなかった!!」

かく言う彼は、無名だった役者が中国では知らない人はいないほどの大俳優になった。
私だけが「上手くやれずに」今だにこんな感じである・・・

でもそれでいいのだと思う。

私はこの若き監督、寧浩(NingHao)のために数ヶ月の時間を費やして、自分の「思い入れ」をいっぱい詰め込んでこれらの音楽を作った。

それによって寧浩(NingHao)は有名監督になり、主役の郭涛(GuoTao)も大俳優になり、ちょちょいと数曲だけやって逃げた(笑)原芸(YuanYi)も大音楽家になった。

そしてみんなが私に感謝している・・・

私は「ドラマー」なのだ!!
コンテストに出ても賞など取ったことはないが、誰もが一目置く「優秀な」ドラマーである!!

いつも若い衆にこんなことを言っているではないか!!
「下手なドラマーは"ドラムが下手くそ"だと評価される。いいドラマーは"いいバンドだね"と評価される。ドラム人生とはそんなもんだよ・・・」

十数年ぶりにじっくりと全て見させて頂いたこの映画・・・本当に「いい映画」である!!

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Posted by ファンキー末吉 at:06:49 | 固定リンク

2021年8月28日

ラテン叩いてみた(Orquesta De La Luz:SoySincera)

旧友オルケスタでラルスのみんなと、海を越え、時を越えてセッション!!

この曲はデラルスのFinal Concert ¡ Adios Amigos !の中から選びました。

選んだ理由は「カウントが入っているから」(笑)

あと、3−2から始まって2/4を入れてから2−3に変わる等ラテンの法則にちゃんと則ってやってるのでわかりやすかった・・・

デラルスのメンバーにはドラム奏者はいないので、ドラムの叩き方は自分で考えるしかありませんが、いわゆるオーソドックスなSongoの叩き方を基本に、曲に合った叩き方を考えてみました。

左足で踏むクラーベは、16分食うパターンと食わないパターンがあるけど、一応他のパーカッションの叩き方を聞いてこのように構成してみました。

ブラス等のアクセントには極力合わすようにはしましたが、基本リズムは以下のようなものです。


冒頭3−2は食わないパターン

3-2 no syncopation.png

その後2/4が入って裏返りますが、しばらくは2−3食わないパターン

2-3 no Syncopation.png

ブラスセクションが派手に入って来ると、スピード感を出すためクラーベを食います

2-3 Syncopation1.png

基本は下記のようなリズムなのですが、ブラスが多く裏で吹いてるのでこのようなパターンになりました。
手がどっちにするか時々迷ってます(笑)

2-3 Syncopation2.png

ピアノのモントゥーノに合わせてパーカッションのセクションが終わった後は、オケもちょっとグシャっとしてるので、なるだけ音数を減らしてHHで

HH.png

ベースが入ってからはグルーブがぐんと上がるのでボンゴカウベル頭打ちのパターンで

BongoCowbell.png

その後は怒涛のフィナーレになだれ込むのですが、基本的に2−3食うパターンを入り乱れて、時々フィルなども入れて最後に向かいます。

リズムの要であるカウベルを左手で叩いているのは、「オープンハンドへの道」の一環で練習のためにやってみたのですが、いざ両手が交差しない状態になってみると非常に自由度が増して叩きやすい!!

これでばっか練習してたのでもうラテンは右手では叩けません(笑)

長年の朋友であるデラルスとこうして初めてセッションしてみたわけですが、改めて彼らの凄さがよくわかります。

何よりもグルーブ!!全ての楽器が一丸となって盛り上げてゆくグルーブにいかに一体化して乗っかるか、これが今回のミソでした。

改めて日本が世界ひ誇るバンドだなと思いました。

敬服!!

Posted by ファンキー末吉 at:11:13 | 固定リンク

2021年8月13日

教え子・・・

泉くんというドラマーがいる・・・

もう30年近く前になるだろうか、アメリカのバークリー音楽学院を卒業して、「日本に帰るのもなんかなぁ〜」ということで北京に来て、その後北京現代音楽学院の先生をやりながらJazz活動などをやっている。

当時は音楽学院と言うとクラシックを教える学校がほとんどで、ロック、Jazz、ポップスなどを教えるところは本当に少なかったので、今になってみると、中国の音楽界で活躍しているドラマーはそのほとんどそこで泉くんに教わったということになる。

先日のドラムフェスティバルで会ったドラマーも
「俺は泉先生の生徒だよ、こいつも。まあ中国のほとんどのドラマーはそうだよ」
などと言っていた(笑)

こいつら

それはそれで凄い話なのであるが、私はと言うと、「誰に師事した」というのもなく、まあ心の師匠としては村上ポン太さんなどがいることはいるが、実際ドラムを教わったこともない・・・

まあどんな楽器もそうなのであろうが、ドラムもある程度の技術を持つと、あとは生き様というか、なんかもっと別のものが大切なような気がしている・・・

中国では「ドラムを教えて下さい」とやって来る若者がたくさんいた。
こんなヤツもいた)
こんなヤツも)

もう最近では「じゃあ1年俺と一緒に生活しろ!!」と言う(笑)

「包丁一本サラシに巻いて〜」という歌があるが、その昔日本の料理人の世界でも、弟子入りして数年は包丁も握らせてもらえないという話があった。

毎日毎日皿洗いをしながら師匠の仕事を見る。
「ああ包丁を握りたい」と思っても「まだ早い!!」と言って怒鳴られる。

数年経って、「もういいだろう」になった頃、スポンジに水が染み込むように教えが浸透してゆくという話だ。

ドラムだって同じだと思うぞ・・・

「俺のドラムを学びたかったら、まず俺の生き様を見ろ!!それがロックだ!!」
などと言って突き放す(笑)

実際それについて来た人間というのは、実はドラマーではなくキーボードの張張(Zhang Zhang)!!
「僕の全てはFunkyさんから教わったんです」
と言うが、さもありなん、出会った時はコード3つしか知らなかったんだから「全てを教えた」と言っても過言ではあるまい(笑)

まあ自分自身が人から教わったことがないわけだから、「人に教える」ということは、私にとってはそれはそれは大変なことである。

「クリニック」と言って呼ばれるものは、「1日だけ」教えるわけで、必然的に「生き様」など教えられるわけもなく、「上っ面のテクニック」だけを教えて帰ることとなる。

まあ呼ぶ方もそれで満足なのだから別に問題ない(笑)。
こちらもそこに誰がいたのか覚えていて、その生徒の将来を案じて・・・とかも全然ない(笑)。

そうでない場合はと言うと・・・北朝鮮でロックを教えるプロジェクト!!

彼女たちはこの私の「ロックの愛弟子」だと思ってるし、最後に教えた一平(イルピョン)などは、「Funkyさんは私の最初のドラムの先生です」と言っていたのでやっぱ「教え子」である(笑)

朝鮮総連のイベントに出演して、平壌に行く団体があると言うことで、ファンキー末吉モデルのスティックを彼に渡してもらうように、ステージ上からそれを託した時に、
「会いたい人に自由に会いにも行けない世の中にしたのは私たち大人です。あの子たちにそんな世の中を変えてもらいたい」
とスピーチしながら泣いた・・・

「日本人は悪い人ばかりだ」と教わって育った彼らに、「敵国の音楽」である「ロック」を教えた・・・
短い時間ではあったが、そのこと自体が「ロック」であり、「生き様」を教えたことであると思っている。

今はドラムを叩いてないかも知れない。
でもどこかに私と共有した時間を覚えていて、それを抱きながら「世界をもっとよくしよう」と頑張って生きているのだとしたら、それこそ紛れもない「私の教え子」である!!(涙)


まあ北朝鮮にはいたとしても、この中国にはなぁ・・・と思ったらいた!(◎_◎;)

これはある大学生から布衣に宛てたファンレターである。
そこには大体こんなことが書かれている。

「自分は大学生で、今バンドをやってます。
実は自分は山東省临沂の出身で、2010年ぐらいにFunkyさんが地元の大劇場で演奏するのを見ました。
(注釈:これか?)
その頃自分はまだ8歳だったので、わけもわからずそれを見てましたが、Funkyさんの爆発力に震撼させられ、わぁ〜ドラムってこういう風に叩くんだ〜と思いました。
その後頑張ってドラムを練習してましたが、16歳の頃、学業とのプレッシャーで続けることが難しくなって来ました。
ところがある日、ひょんなことからFunkyさんのドキュメント映像を見て、電気に打たれたようなショックを受けました。
それからFunkyさんの映像を探しては見たりしてたのですが、自分が一番感激したのはFunkyさんの生き様です。
あの時、何もわからない小学生の子供だった私が、あの日もう一度スティックを手にしてドラムの前に座りました。
思えばあの10数年前のFunkyさんの演奏、あれが私のロックの扉を開いたんだと思います」

おったんやなぁ・・・シミジミ

似たような話で彼女!!

彼女も小さい頃、青島の私のクリニックに参加してたらしい!(◎_◎;)

その時の様子・・・

その後打楽器奏者への道を歩み、今では世界の色んな賞を受賞してミュンヘン音楽学院への留学が決まっているという・・・

もうね、彼女の演奏が凄いのよ〜・・・

もうね、スネアという楽器だけ取るとワシより断然上手い!!(>_<)

彼女のプレイから「ロック」を感じるのは私の贔屓目?・・・

お父さん曰く、「小さい頃に貴方の演奏を見たのは大きく影響してるだろう」とのこと・・・

彼女からこんなメッセージが送られて来た・・・

「先生、私はあなたのことが大好きです!!!!ずーっとあなたを尊敬してます。
当時私を認めてくれて励ましてくれてありがとう御座います。
これからもあなたから学び続けます!!!」

ってあーたドラムセットは別にして、打楽器奏者としてはもうワシからなんぞ学ぶことなんかないやろ!!(笑)

そう言えば彼女もやっぱ私の色んなドラム映像を見まくっているようじゃのう・・・
ネット社会の新しい影響力やな・・・

まあどこで誰に撮られてアップされてるかわからん世の中やから、毎回毎回悔いが残らんように叩いとかないかんのう・・・(>_<)


また先日の河南省開封での美女!!

一番前のど真ん中に陣取ってワシばっか見て、ワシにばっか質問!(◎_◎;)

ワシが男前やからと思ったらそうでもないらしい(笑)
「ドラムのチューニングについて教えて欲しい」
と言うのでLaoWuが「じゃあリハ時間に会場おいでよ」ということでちょっとしたクリニック・・・

そして彼女はこの夏休み、わざわざ銀川までやって来て2日間私のクリニックを受講した!(◎_◎;)

その時に聞いたのだ、彼女も実は小さい頃唐山のクリニックに来てたと・・・

このブログの中でも書いているが、ここのドラム教室の先生もこの時の北京でのクリニックを見に来ていたらしい・・・

そんな連鎖の中で今も私はこの活動を続けている・・・
大事なことは「今もやり続けている」ということである。

もしやり続けていなかったら、冒頭の若者は「ロックの扉」をこじ開けられて(笑)再びスティックを持つことはなかったかも知れない・・・
(その方が貧乏ロッカーより幸せか?笑)

全中国を廻る活動は2008年からだが、大きい会場では1000人以上入ってたわけだから、100本廻ったとしたら、少なく見積もっても数万人の子供ドラマーが私のドラムを見ている・・・

その多くはきっと受験戦争とかでドラムをやめてしまってるだろうが、何人かはまたスティックを手にして、私から受け取った「爆発的な感情」を胸に抱いて新しい人生を生きているのかも知れない・・・

1回その土地に行ってドラムを叩いたからと言って「教えられること」なんかほとんどない。
上っ面のテクニックとかじゃなくて、何らかのこの男の「生き様」を感じ取ってくれさえすれば、それが私の一番「教えたい」ことである。

「教え子」と呼べる人間はほとんどいないが、
でもその「生き様」がその子の人生を大きく変えたのだとしたら、それはそれで立派な「教え子」なのではないか・・・

多くの教え子達に恥ずかしくない人生を送らないかんのう・・・

そんなことを思う今日この頃であった・・・

Posted by ファンキー末吉 at:06:27 | 固定リンク

2021年8月 1日

ドラムレッスンの内容

年がら年中ツアーをしている人間としては、定点で決まった人にドラムを教えるというチャンスがない。
だから必然的に全中国を廻って大勢の生徒の前でやることと言えば「One Time Clinic」のみであった。

ところがここ寧夏回族自治区銀川に居を構えて、隔離明けからツアー開始までの間に生徒を募ってみたら、想像以上の生徒が私から学びたいらしく、遠くは北京や河南省や内モンゴルから泊まり込みでレッスンを受ける生徒も現れた。

ひとりの人間にマンツーマンで何度もレッスンをしてると、必然的にカリキュラムが固定して来て、今では結構体系だった教え方が出来るようになった。

今回はそれをちょっとご紹介しようと思う・・・


まず8Beat、16Beatの定義から!!

諸説あるでしょうがここでは、8Beatとは「8分音符のどこにでも自由にアクセントを入れられるBeat」、16Beatとは「16分音符のどこにでも自由にアクセントを入れられるBeat」と定義しましょう。

余談になりますが、4Beatという言葉はどうやら日本でしか使われてないようで、外国では「Swing」と言うようである。
これはまた定義が違っていて、「4分音符を共有した、その他は自由なBeat」と私は解釈している。

その話はまた別の機会ということで、まず8Beat!!

スネアの位置を固定したとしたら、ハイハットは8分で刻むので、バスドラを色んな位置に踏むとすると、バスドラは全て右手で叩くハイハットと同時に踏むことになります。

1.jpg

考えられる全ての可能性(実戦であまり使わないものは除く)を列挙して、ひとつひとつ出来るように教えてゆき、最終的に上記のリズムが叩けるようになったら、この項目は卒業!!

ちなみに上記のリズムは、メタル等速いテンポの曲の場合、ハイハットは4分で叩いたりします。

2.jpg

ここから希望者はツーバス!!
このリズムの右手でフロアタムを叩くと、いわゆる「樋口ドラム」!!
中国では知ってる人はいません(笑)

そして左足で4分を踏むのが、左足がオモテとなるツーバスの入り口!!
いわゆる「自転車漕ぎ」と言われてたリズムですな・・・

3.png

ツーバス希望者は更に右から入るパターン、そしてツーバスの6連、シャッフル、教材はX.Y.Z.→AのIncubationです。
相当難しい(笑)

4.png

さて、ツーバス希望者でない人はここまでをすっ飛ばして16Beat!!

前述の定義通り、16分音符のどこにでもバスドラを入れられるようにということは、オモテは既に8Beatでやってるので、まずウラにどんどん入れてゆきます。

ここではまずバスドラの連打は除き、考えられる全ての可能性(実戦であまり使わないものは除く)を列挙して、ひとつひとつ出来るように教えてゆき、最終的に上記のリズムが叩けるようになったら、この項目は卒業!!

5.png

ツーバス希望者は、上記と同じく今度は8分でハイハットを踏み、左足オモテの16分連打のツーバスへと進む~

6.png

ツーバス希望者以外は上記は飛ばして、足が2つ連続で叩くパターン。
これは「ウラ→オモテ」と「オモテ→ウラ」の2種類しかなく、よく使う位置に入れたパターンをいくつか練習〜(譜面はひとつの例)

7.png


手をこのリズムに固定したとしたら、実践的にバスドラが入れられる全ての可能性は叩けるようになったということで、次は手の変化!!

とりあえず手を16分の別の場所にアクセントで入れるリズムも、フュージョンとかにはよくある手法だけれども、まずは絶対的によく使う、手のゴーストノート!!

8.png

このリズムは私がレコーディングして中国ロックの金字塔となった許魏のアルバムの中の「蓝莲花」という曲のリズムで、恐らく中国でドラムを習おうという人で知らない人はいないであろう有名曲である。

この映像のコンサートでのリハーサルの時、許魏本人が「Funky、リズムが違うよ!!」と言われ、「いや、俺はレコーディングではこう叩いた!!」と論争するエピソードを紹介、まあ中国ロック好きにはヨダレもののエピソードだが、「ゴーストノートの音が大き過ぎると全く別のリズムになっちゃうよ」といういい例です。

色んな位置にゴーストノートを入れる可能性、そして時にはそれを32分にするなどから二つ打ちの基礎練習に戻ったりもします。

リズム編最後は手と足の組み合わせ!!

9.png

これも考えられる全ての可能性(実戦であまり使わないものは除く)を列挙してゆき、これらが出来たらリズム編は卒業!!
(余談として、ツーバス希望者は私が時々やる、これに左足を8分で踏むことによって、ツーバスとスネアとが絡まったかっちょいいリズムになることも〜)

さて、リズム編はここまでなのですが、巻き戻して、実は要所要所で叩けた人に「じゃあこれに4分で頭を振って」と言うと多くの人が出来ない(笑)
特に頭を振る部分にバスドラがない場合・・・

時々8Beatのリズムを叩く時に身体が8分で揺れてる人がいるけどそれは間違い!!
「8分音符を叩いてるのだけれどもグルーブ(中国語で律動感)は4分なんだよ、だからFunky教室ではまず頭を4分で振る練習をしましょう〜」

まあ絶対に振らなければならないわけではないが、「4分を感じる」と言ってもどこでどう感じたらいいかわからないだろうから、右手、左手、右足、左足に続いて「頭」というのをひとつの楽器として四肢分離を進めて五肢分離!(笑)

余談だが、まあ「ドラムの人は手足がバラバラに動いて凄いですねぇ」と言われたりするが、実際はバラバラに動いているわけではなく、何かしらの「関連性」を持って動いてるだけである。


さてリズム編を卒業したら「オカズ(fill in)」!!

これまでに「リズム感(节奏感)」と「グルーブ(律动感)」の話はして来たとして、次は「構成把握能力(结构感)」を養ってゆこう・・・

10.png

曲によって構成は様々だけれども基本はこれ!!

人間は「4」という数字に段落を感じるようで、4小節が一塊、そして8小節は更に大きな塊、12小節は更に大きいかと言うとそうではなく、8小節をまた一塊として、それを繰り返すと感じるようである。

だから小さな段落変化には小さなオカズ、中ぐらいには中ぐらいのオカズ、大きな段落変化には大きなオカズを入れる。

オカズは決してテクニックを見せびらかすために叩くのではなく、「構成を歌手や他の演者に伝える」という役目。
「ドラムはバンドの指揮者」とよく言うが、私は日本でのセッション仲間にこう褒められたことがある。

「ファンキーさんのドラムだと、何となく次がどの構成に行くのかわかっちゃうんだよね〜」
つまりは「演者が間違わない」。

そう、だからドラムはミスをしちゃダメなのよね〜
自分は絶対にミスをせずに、バンドを正しい構成に導く「指揮者」なのである。

じゃあどうしてそのようなことが出来るかと言うと、「歌い方」と「オカズの選び方」である。

歌い方は実際の曲がないと難しいのでまた次のレベルに回すとして、まずは色んなオカズを身体にストックすること。

かく言う私もかなりの数のオカズを(練習でなら)叩ける。
でも実際にライブでスッと出て来るのはその数分の一である。

だから自分なりのオカズをいっぱいストックして、すぐに出て来るオカズを増やそうというのがここからの課題である。

さて話が逸れたが、「絶対に間違わない」練習が上記!!

最初のリズム編でどのようにでも叩けるようになった数多くのリズムの中からひとつ自分で選んで、上記16小節の決められた部分に決められたようなオカズを入れて叩いて、リピートして32小節間ひとつも間違わずに叩けたら合格!!

「なんだ簡単じゃない」と思うのが大半の人で、そのほとんどの人が出来ない。
人間は「オカズを叩くぞ」などと思った瞬間にリズムが崩れたり、必ずミスをするのだ。

だから「考えずに身体からオカズが出て来る」ようにしないと本番では使えない。
数多くストックされたオカズの中から実際に使えるオカズが少ないのはこのような理由からである。

ちなみにオカズは自分で考えてもらう。

オカズ小は1拍のオカズ、オカズ中は2拍のオカズ、オカズ大は4拍のオカズ、それぞれを生徒が叩きたいフレーズを出してもらって整理する。

冒険をする人もいるし、確実を目指して簡単なオカズで守りに入る人もいるが、ここでは後者の方が正しいとする。
間違えたら最初からやり直して、ノーミスで32小節叩かないと次に行けないのだから、冒険して崩壊する人も次第に守りに入ってゆくようになる(笑)

ちなみに「やりたいオカズ」の中に色んなテクニックが入っていて、
「それ叩くならこんな基礎練習が必要だよ」
ということを教えて、ここで初めて基礎練習!!

自分もそうだったが、どこで使うのかわからない基礎練習をいっぱいやる根性がなかったので、そんなのをすっ飛ばして頭打って、「ああこれやるためにはこれが必要なのか」となった方が習得が絶対的に早かった。

またFunky教室では「オリジナリティー」を重視してて、上記のリズム練習も、例えばバンドでオリジナルを作っている時に「ベースがこう弾いてるからドラムはどう叩く?」という時にとても役に立つ。
なにせ全ての可能性を全部練習したことになるのだから・・・

同様にオカズも、まあ「私のフレーズ」というのも教えてゆくけど、自分なりのオカズをどんどん編み出してゆく方がよい。

かく言う私もスティーブガッドやトニーウイリアムスからコージーパウエルやジョンボーナムなど、ジャンルの違う色んな偉大なドラマーから色んなフレーズをコピーして、叩けないものだからそれを自分なりにアレンジして自分のフレーズにしている(笑)

この教室ではそれをお手伝いしたいということである。


上記、興味のある人はオンラインでのレッスンも始めようと思うのでこちらにメール、もしくはFacebookメッセージなどで連絡下さい〜

料金は1時間5000円ぐらいで考えてます。

早い人は全く初心者の女の子が3時間でツーバスを除く最後まで行った人がいます!(◎_◎;)
習得の早さは問題でなく、習得の深さの方が大切なので、「宿題」をいっぱい出しますので、一度習ったらしばらく自己練習をしてから次に進むのがベストだと思います。

ドラムセットがある環境(貸しスタジオ等ではひとりでの練習を1時間500円程度で貸し出しているところがありますので調べて下さい)が必要です。

あと携帯でのいいのでネット環境と、Zoomというアプリを入れてもらって、それで対面会話でレッスンを行います。

必要なもの

* ZOOM用のタブレット端末 or PC or スマホ

* マイク付きヘッドフォン
 (ZOOM用)
 (有線でも無線でも可)

* PAを通して鳴らすメトロノーム
 (一般的にはスマホアプリのメトロノーム)
 (ZOOM用端末とは別に必要)

メトロノームはスタジオとかで貸し出してるところもありますので問い合わせてみて下さい〜

では希望者はこちらまで〜

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2021年7月 7日

最先端の中国ミュージックビジネス

まあ私とてたかだか、ロックバンドのドラマープロデューサーとして全中国をツアーで周り、馴染みのクライアントから来た中国歌手のアレンジやプロデュースをやり、映画音楽のヒット作もあるのでたまに映画やテレビドラマの音楽をやってる程度の人間なのだから、「中国音楽界の中心」でいるわけでもなく、「末端で仕事をさせて頂いてる」程度の人間である。

しかしわかる!!これは間違いなく中国では、いや世界でも類を見ない最先端の音楽ビジネスであろう・・・

日本は遅れている。
これは私は何度でも言いたい!!

アジアブームの時代、アジアの大スター達を演歌班に配属する・・・
テレサテンが日本発でアジアの大スターになったからそうするのだろうが、もう彼らは日本なんか憧れの国でもなんでもない。
ただただ1億人のマーケットであるだけである。

彼らは日本なんかすっ飛ばしてマジソンスクエアガーデンを中国人だけで満杯にするし、私もドラム叩いたりしたけど、ワールドツアーが組める日本人アーティストなんてそうそういないでしょ?!!

日本人が全くいない現場で中国語で仕事をしながら、「日本の音楽業界の人たちは一体何を考えているんだろう」と本当に心配になる。

日本のアサヤンみたいなオーディション番組が中国版にリメイクされて大人気になったりしたのも今は昔・・・

湖南電視台が製作した「超級女声」という番組は国民的ムーブメントを起こしたお化け番組になった・・・

その頃の話・・・MengMeng(モンモン)の物語

日本の業界人は、下に見ているアジアの国で自分たちのアイデアがコピーされて「嬉しい」とでも思っていたのか、はたまた、彼らがオリジナルである日本に頭を下げて教えを乞いに来るとでも思ってたのか、本当にバカである。

この辺は上記のブログを見て貰えばわかると思うが、これらのムーブメントは既に中国の特殊な社会システムに乗っかって独自の発展を遂げている。

断言しよう!!遅れているシステムを守って守って生きてる日本なんて小国は、彼らに取っては全く必要がない!!

昨日見学したこの学校の考え方は、おそらく中国だけでなく世界でも最新鋭のシステムではないかと私は思う・・・


その話をする前にひとりの人物を紹介したい。
沈永革、通称「小沈(シャオシェン)」と呼ばれていた、当時は日本の留学生、後に日本のレコード会社「ビクター」に就職して国際部で働くようになる・・・

そして今、彼を「小沈(シャオシェン)」と呼ぶ人間は中国にはいない。
強引なやり方で敵も多いので、恐れ慄いてる人も多いのではなかろうか・・・

でも今や中国の音楽界の重鎮となった彼は、私のような古い友人や、お世話になって色んなことを勉強させてもらったビクターの先輩などから「小沈(シャオシェン)」と呼ばれることを嬉しがってるように見える。

時を超えて、自分があの頃の「小沈(シャオシェン)」に戻って、しばしこの大国の厳しいミュージックビジネスの世界の膨大なストレスをバカ話で笑って忘れようとしているように感じる・・・

まあだからなのかどうなのか、私が彼と会うといつも「昔話」で花が咲く。
ほんまにアホな話ばかりである。

あの女とヤったとか、ヤらせてもらおうと家まで送りに行ってヤれなくて帰れなくて駅で寝たとか(笑)

久しぶりに一緒に温泉入ってバカ話!!

でも俺たちが毎日一緒に飲んで熱く語っていたのは、「中国を取る」!!・・・

私は日本から中国に渡って、彼は日本で勉強したことを持って中国に帰って、それぞれのやり方で「天下を取る」みたいな話である。

「三国志」や「項羽と劉邦」などの古典を引用してそんなことを本気で毎晩話してた。

そして昨日、この学校を見て、「こいつ、本当に天下を取るわ」と私は思った・・・

そのビジネスモデルを話す前に、その後の彼の経歴を話しておこう・・・

当時日本はアジアブームに沸いていて、例に漏れずビクターも中国の大物ロックアーティストと契約を交わした。
彼はその日中の間に立って、黒豹やアゲインなどのレコードを製作して、それこそ中国のロック界に大きな一石を投じた中心人物のひとりとなった。

その後「竹書」というプロダクションを設立して、陈琳や杨坤などのスターを世に送り出した。

酒場で一晩100元で歌ってたしゃがれ声のシンガーソングライターの杨坤は、その声が特殊だったが為に当時はどのプロダクションにも相手にしてもらえなかったが、この小沈(シャオシェン)と出会ったが故に瞬く間に一晩何万元の大スターとなった。

「実は10年経つけどあれからあんなに当たった歌手はずっといなかったんだよ」
と彼は言う。

「当たった」という日本の業界用語を使うが、まあ杨坤ぐらいの歌手こそが10年に一度出るか出ないかの大歌手となったわけだから、そんな歌手をぽんぽん量産出来る方がおかしいことである。

その後に彼が大スターを世に送り出すのは、私とそんなに会わなくなってた頃、彼が湖南電視台のプロダクション部門の社長をやってる時かな・・・

「名前言ってもFunkyさんは知らないと思うけど」・・・

そう、昔はロックバンドだって数える程しかいなかったけど、今は時代が違う。
それでもロック界だとイベントで一緒になったり「縁」があるけど、文字通り「住むところが違う」、アイドル系はそのバックでもやらない限り出会うチャンスは全くないのだ。

それに今の時代はテレビなど誰も見ない。みんなネットである。
携帯を開き(というのも古い表現か?笑)ネットで流行っている音楽を聞く。

私はその若者が覗いてるサイトすら知らないのだ・・・(>_<)

当然ながら一緒に学校見学に行った中国の若者ヤオヤオ君は目を丸くする程の大スターだが、私にはもう皆目わからない・・・

そんな私が大きく取り残されているような、この世界のど真ん中で彼は考えた。
「学校を作ろう!!」

日本人ならすぐに「沖縄アクターズスクール」のことを思い出すだろう。

あれも日本では一世を風靡した。
日本の音楽会の台風の目となったビジネスモデルであろう。

しかし中国では「教育」に対する実情がちょっと違う・・・

「ゆとり」が叫ばれてた日本の教育状況と違って、中国は驚く程の競争社会である。
私なんかは「さすが科挙の国」と思うのだが、今では小学生の頃から受験生のような塾三昧が当たり前である。

そんな中で若い頃の夢を実現させてあげたいと「専門学校」などに入れるという選択肢は親にはない。
やるとしても「学校行きながらやりなさい」と言うしかない社会がここにある。

だったら「学校」を作ろう!!

これが小沈(シャオシェン)の考え方である。
この学校はちゃんとした「高校」なのである。

卒業すればちゃんと「高校卒業」の資格がもらえる。
音楽の道を諦めてもちゃんと進学出来るのだから親御さんだって安心して子供をここに預けられる。

当然ながら午前中には普通の学校のような普通の授業がある。
堀越学園などの芸能高校を想像するだろうが、日本と違ってそこにも中国独特の競争社会があるとしたらその学生生活はとんでもないものであろう・・・

そこでも当然ながら競争があるのは当たり前として、午後はスターになるための過酷なレッスンと、この学校には劇場があり、そこでの発表会、そこに出れるのは成績優秀な4組のみ。
毎月行われるこの発表会にずっと出れない生徒は当然ながら落ちこぼれ、進級することは出来なくなる。

この過酷な競争を勝ち抜いた生徒だけが卒業でき、そのままこの学校(イコールプロダクション)と8年の契約を結び、デビューすることとなる。

つまりこの学校は、純粋培養で長い時間かけてスターを作り出して、それで商売する「プロダクション」なのだ。

ちなみに学費は無料!!
中国の学校は全寮制だったりするがそれも当然ながら無料!!
だけれども入るのは非常に難しい。

全国からオーディションを勝ち抜いて来たスター予備軍が、
最終試験で小沈(シャオシェン)自ら面接を行ない、「こいつはイケる」と彼が感じた人間だけが入学することが出来る。

しかし莫大な投資である。
彼と数人の投資家はそこに賭けた!!

彼らは知っている。その中からひとり「当たれば」そんな金ぐらい一発で回収出来るんだ、と・・・

彼もビジネスマンなのだから「リスク」は計算する。
「リスクがあるとしたら、それはここから一人もスターが出なかったということだよね」

そうなれば彼はもう自分の「眼」が衰えたということで業界を引退するだろう。
私が「ドラムが叩けなくなった」のと同じだ・・・と彼は言う。

しかし「絶対に大丈夫だ」と私が感じる事実がある。

ここからは中国ならではなのだが、その学生たちの「発表会」は既にネットで生放送されている、つまりそれ自体が「番組」になっている・・・
湖南電視台でお化け番組を作ってスターを世に何人も生み出して来た人間が、それと同じことをこの学校でやっているというわけだ。

人気のある生徒は既に80万人のフォロワーがいるらしい。

ちなみにフォロワーが50万人いればその人は1年働かなくてもその広告収入で食っていけるという世の中である・・・

中国のネット配信システムは日進月歩で、TwitterとFacebookを一緒にしたようなWeiBoなんかにはもう若者は見向きもしなくなったと言う・・・!(◎_◎;)
TikTukからビリビリ、そして今では快手というのが人気らしい。

ちなみに日本でもTikTukは人気らしいが、国際版と中国版は全く違う。
と言うより中国では国際版は全く使えず、私もカンボジアで作ったアカウントは中国ではVPNを使ったって一才開けない。

これは情報統制の中国のお国柄が投影されていて、反中国の書き込みなどをFacebookやTwitterで中国人が書き込んだとしても中国政府は外国なので手が出せないが、国内のSNSなら情報を開示して逮捕することが出来る。

そのような事情もあり、中国独自のSNSが発達してるという現状がこの国ではあるわけだが、日本にはそれがない。

沖縄アクターズスクールが堀越学園のような学校を作って、毎月発表会をやってネットで既にプチスターを作ったとしたって、それはたかだかYouTubeとか外国のシステムに乗っかるしかない。
(国内にもシステムがあるだろうが、外国のシステムにまだまだ負けている)

小沈(シャオシェン)が「次のイチオシはあなたの配信会社とタイアップしたいんですが」と、その配信会社のトップ(ここが朋友となる)と飲みながら話すこととかは簡単に出来るが、日本でYouTubeの社長とこれをやるのは無理な話である。

全てが遅れている・・・


来年やっと50人ぐらい卒業生が出るのか?
ジャニーズJr.と同じで、その中には既に何十万人もファンを持つプチスターがもう何人もいることだろう・・・

卒業生全員がデビューすると言うが、売れてる順にデビューさせればいいわけで、これってほんまリスクはないようにワシは感じるぞ・・・

こいつ・・・ほんまに天下取るかも知れんな・・・

歌のレッスン室

ダンスレッスン室

図書館

日本の音楽業界の皆さん、これ見てどう思う?・・・

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2021年6月 5日

2021年6月4日

今日はとても面白いことがあった・・・
何があったかを話す前に、昔あったちょっと笑える話を書いておこう・・・


あれは高校3年生の文化祭の時の話である。
・・・と言っても私が通ってた高校は私立で超受験校であったため、文化祭も運動会もなかった(その後に履修の問題で文部省からえらく叩かれたと聞くが)・・・

受験校で3年生ともなるとみんな受験に忙しいので、私は他校の学生とバンドをやっていた。

ボーカルは丸亀高校の綾くん、ギターは坂出高校の内田くん、ベースは誰やったかなぁ・・・忘れた(笑)

どちらも公立高校だったので文化祭がったが、その坂出高校の文化祭のステージでそのバンドの演奏をやろうという話になって、もちろんのこと私はふたつ返事で引き受けた。

まあ狭い田舎街である、どこの学校にも友達はいるし、自分の学校であるかのように我が物顔でドラムを叩いていたら、数曲終わったところで先生がやって来て、「お前うちの生徒じゃないだろ」と言う!(◎_◎;)

私は口から出まかせに「3年1組の末吉ですよ」と言ってまたドラムを叩き始めた・・・

そしたら今度はその先生は写真入りの3年1組の名簿を持って来て、「3年1組にお前みたいな生徒はおらんやないか!!」と攻め寄った!(◎_◎;)

「末吉ぃ!!逃げる!!」

友人がそう言うのを聞いて私はそのまま一目散に逃げた!!
飛び込んだのは体育館。中では演劇かなんかだったと思うが、暗かったのでちょうど逃げ込むには良かった場所である。

ほっとひと息ついたところで私は思い出した。
ボーカルの綾くんも他校の人間ではないか!!私がここに隠れている間にあいつが捕まったらそんな寝起きの悪いことはない・・・

私は体育館からそっと出て来てステージの辺りを覗いてみた・・・
ステージの上では内田くんと先生が何やら話しているようだ・・・

そこでまた友人が叫んだ!!「末吉ぃ!!逃げろ!!」
先生が私に気づいて追いかけて来てたのだ・・・

逃げろと言われても体育館は既に遠い・・・
校門は更に遠い・・・

非常に頭の悪いことに逃げ込んだのは運動場・・・
そこでは野球部と柔道部が模範演技かなんかをしてた・・・

そんなど真ん中に逃げ込んで私はどうしようと言うのだ(>_<)

そのまま校庭の端っこまで逃げ切れば、壁をよじ登って外に逃げられたかも知れない・・・
ところが後ろから先生がこう叫ぶのが聞こえた・・・「おーい!!そいつを捕まえろ!!」

そこからが構内全ての観客をも巻き込んでの大捕物である。
バンドなんかやってる弱っちい人間と、スポーツをやってる数十人との大捕物で私がかなうわけは無い(>_<)

柔道部の一本背負いをくらったかどうかは忘れたが、汗臭い他校の男子生徒に取り押さえられて先生のところに連行された。

文化祭を見に来てた数多くの父兄や観客は私のことを何だと思っただろう・・・

そして先生はステージの上で私を尋問した。
「お前はここの学校の生徒ではないな!!どこの学校だ?!!」

しかし学校名を出せば、あんな厳しい受験校である、下手すれば退学、悪くても停学だろう・・・

「学校は行ってません!!中学出て働いてます!!」
口から出まかせでそう言う・・・

「名前は?」
と聞かれて、素直に本名を言うんだから私に犯罪は向かないだろう・・・

「末吉です!!」

それを聞いた先生、「末吉言うたらあの平和園の息子か?」
地元の名士である我が家がこんなところで仇になる(>_<)

「違います」
「じゃあ駅前の土佐料理屋か?」

ちなみにそこも親戚である(>_<)
この狭い街に末吉という家は2軒しか無いのだ・・・
「綾」にすれば良かった・・・・それならこの街にイヤというほど同じ苗字の家があるのに・・・

そう思った瞬間に綾くんのことを思い出した・・・あいつ・・・捕まってなかったのか?・・・

後で聞いた話では、私の大捕物のスキに悠々と校門から逃げ出したらしい(>_<)
そんな話も今は昔、綾くんと会っても今ではいい笑い話である・・・


さて、次はあんまり笑えない話・・・

時は30年ほど前の話、私が中国に入れ込むもんで、「これでは爆風スランプが終わってしまう」と危機感を感じた事務所は、私との間を取って、私が北京のロック仲間から取って来た「ラジオ北京45周年記念コンサート」への爆風スランプの出演をOKした。

ところがこれぐらいの大きな事務所になると、セクションごとの横の繋がりというのは皆無である。
蓋を開けてみたら、その次の日は同じ事務所のサザンオールスターズの北京コンサートの日となっていた。

向こうは噂によると何億円もかけての鳴り物入りのスタジアムコンサート、こちらはアンダーグラウンドなロックの友達がブッキングしたノーギャラ(最初は1万ドル出すと言ってたが結局闇雲にノーギャラになった)のイベント出演である。

向こうのセクションは(というか高い金でコーディネートを引き受けた会社とかは)私がひとりで(地元の友人とだけで)やっているモノが自分たちより成功した日にゃぁメンツ丸潰れなので、妨害まではいかないにしろ敵意をあらわにしていた。

事務所も国際部が存続をかけて作っているものがたかだかドラマーひとりで出来ることにされちゃうとメンツ丸潰れだから、必然的に同じ会社であろうがこちらを助けるつもりは毛頭ない。

まあその他いろんなドラマはあったのだが、それは我が著書を読んで頂くとして、そんな中で爆風スランプの北京公演は幕を落とした・・・

1曲目のカウントを叩いた瞬間に中野と河合と和佐田は客を煽りに飛び出した!!
その曲が終わった時である、私が異変に気づいたのは・・・

本来ならば4曲の音源と歌詞を提出して許可を得ているにもかかわらず、1曲で司会者が出て来て送り出しを始めたのだ!(◎_◎;)

「ここでやめてたまるか!!」私は次の曲のカウントを叩いた。
曲が始まると司会者はすごすごと引き下がって行った・・・

このステージは円形ステージで、ドラムは真ん中の一番高いところにセットされている。
アリーナ席には客をいれず、PA卓などはがらんとしたアリーナ席にあるのだが、そこに軍服を来た怖い人たちがやって来るのを、客席全てから見ることが出来る・・・

PAの音を強制的に落とそうとしているのだろう、日本人エンジニアが一生懸命守ろうとしている。
そこに、このライブをブッキングしてくれたロック仲間の中国人がそれを止めに入った。

軍服を着た怖い人たちは、彼が中国人であることがわかった瞬間に何万人が見ている中で彼をボコボコに殴りつけた!(◎_◎;)

更にはうずくまって動けなくなった彼の腹を軍靴でケリを入れる・・・
それこそ「ボロ雑巾」のようになって動けなくなった彼の長髪・・・当時は長髪の若者は数えるほどしかおらず、長髪こそが「ロック」のシンボルだった・・・そのロックのシンボルを無造作に掴むと、そのままずるずると引きずって帰って行ったのだ!(◎_◎;)

もうこうなるといくら仕事熱心なエンジニアでも命には代えられない。
ホールドアップしてPAは完全に落とされた。

マイクを完全に落とされたステージ上では、ドラムの生音と、ギターとベースのアンプの生音だけで、ちゃんと許可を取った4曲を演奏した。

客席からはペットボトルが飛び交う・・・
暴力を振るっている軍服の人たちに対して投げられているのか、PAを落とされても演奏をやめない私たちに対して投げられているのか、それはわからない。

私たちは届出を出して許可を得ている楽曲を全部演奏して胸を張ってステージを降りた。
客席から「Funky牛逼(Fuckin Greatの意)と叫ぶ若者の声が聞こえた・・・

ステージを降りた私たちを銃を持った軍服の人たちが待ち構えていて別室に軟禁した。
中には先ほど殴る蹴るを受けた私の友人が、それこそボロ雑巾のようにうずくまって震えていた。

「お前達は外国人だからいい!!俺は中国人なんだ!!奴らは絶対に俺のことを殺す!!」
そう言って震えている彼に私はどうしてやることも出来ない・・・

この部屋から出ることは出来ないが、外から入ることは出来るようだ、長髪の若者がやって来て、彼を抱きしめて何か囁いたと思ったら、そのロックのシンボルである彼の長髪にキスをして出て行った・・・

この時に私は「この国でロックをやる若者と共に生きる!!」と心に誓ったのだ。

どうやって外に出られたのかは覚えてない。
事務所が大使館とかに働きかけたのかも知れない。

外に出れたボロ雑巾のような彼は「出られるのか?本当に生きてここを出られるのか?」と心底喜んでいた。

その後、居酒屋兆治という日本居酒屋で飲んだ。
私たちが出演するイベントは2日間で、次の日も出演に許可は出ている。

「明日は出て行ってバラードを歌いなさい!!そしたらあんた達の名前は中国ロックの歴史に永遠に残るから・・・」
そうアドバイスしてくれた人の言葉を聞いて、事務所のマネージャーは激怒した。

「末吉さん!!もちろん辞退しますよね!!明日のサザンのコンサートがどうなってもいいんですか!!」

それを聞いて今度は私が激怒した。
「俺はサザンのためにロックやってんじゃねぇ!!」

しかし結局、私は折れた・・・

私は殺されてもいい、そんなつもりでステージに上がっている。
でも何もわからず連れて来られた中野や河合や和佐田をこれ以上危険な目に合わせていいものか・・・
それよりも何よりも、隣で震えていたこの中国人の友人はヘタしたら本当に殺されてしまうのだ・・・

次の日のサザンオールスターズのコンサートは大成功を収め、そのニュースを日本に持ち帰って高いプロモーションとしてそれでも次のステップに進んだ中で、爆風スランプのこの日の事件は「なかったこと」にされた・・・そう、日本でも中国でも・・・


さて二つの面白い(笑)話を終えて、今日の話・・・

もうツアーも3週間目に差し掛かり、色んなことが「ルーティン」となって来ている今日この頃、いつものように重い機材を持って決められた列車に乗って、ホテルに入って休憩して、晩飯食って爆睡して・・・
移動日があるとゆっくり寝て会場に行けるので楽である・・・

いつもと違うなというところは会場がデカい!!(◎_◎;)

これが「ライブハウス」だと言うんだから笑うしかない(笑)

広い会場、ドラマーが外国人、そして今日の日付・・・
3つ揃っただけで中国をよく知る人にはもうピンと来ているかも知れない・・・

そして今日はゲストとして銀川から布衣の初代ドラマー欧老子がブッキングされていた。

「何で欧老子が今日だけ来るのかなあ?」
「知らない〜遊びに来るんじゃないですか?」
とヤオヤオ君・・・

5曲目が終わった後に2曲、欧老子がドラムを叩くということで私はステージを降りることになっていた。
「じゃあ私が戻らなかったら欧老子あとは全部叩いてねぇ〜」
などと冗談を飛ばしていたが、実はこれこそ「シャレ」にはならないことだったのである。

4曲目の途中でロードマネージャーがステージに上がって来て耳打ちする。
「Funkyさん、舞台降りて欧老子と代わって下さい」

・・・って曲の途中で言われてもなぁ(笑)
うんうんと頷いて、曲が終わった後また上がって来た彼に
「予定はあと1曲の後だよ」
と言うと、
「違うんです!!公安が調べに来てるんです!!すぐにステージを降りて!!」

全くもってワケがわからない。
私は苦労してちゃんと労働ビザも持ってるし、外国人が演奏するという許可もそれぞれの街で取っていると聞く・・・

逆らっても仕方がないので、私が叩く次の曲を紹介してしまったLaoWuに、
「あ、それ飛ばして次の欧老子のやって〜」
と言ってステージを降りる・・・

マネージャーも慌ててるし話を聞いても要領を得ない・・・
「楽屋も調べに来るかも知れないので外に出ましょう」

外に出るったってワシ何も悪いことしてまへんがな・・・
外国人が演奏すること許可取ってるんでしょ?
「ここだけ許可取れてないんですよ」

!(◎_◎;)・・・

マネージャの話では、「この小屋に対抗する小屋がチクったらしいんです」と言うが、私はそれが今日この日であることをどうも偶然には思えない・・・

「外国人」が「この日」に「大きな会場」で大勢の観客に何かを伝える・・・
そんな「許可」を政府が出すはずがない!!と思うのは考え過ぎだろうか・・・

「外の車に隠れてて下さい」
と言って、私をライブハウスのオーナーの車に押し込む・・・

見れば私服の人が数人楽屋口から中に入って行くのが見える・・・
いくら「悪いことをしてない」と言ってもついつい首を縮めてしまうのが人間である・・・

私は最初に書いた二つの出来事を思い出して、車の後部座席で横になることにした。
座っていれば何かの拍子に発見されるかも知れないし、もし万が一非常に執拗に探してたとして、こうして見つかっても「気分が悪くてずーっとここで寝てたよ」と言い訳できる。

念の為にバンダナも取って、首にかけているFunkyタオルもしまって、髪の毛も後で結んでおく。
「会場に入って来た時には確か金髪のドラマーが叩いてたのに」
と思って探されても困る・・・まあ髪の毛縛っても金髪は金髪なんですが・・・(笑)

車の中で聞こえるステージ上の音はベースぐらいなので、今どの曲をやっているかをベースから想像するが、まあ欧老子が叩ける昔の曲ばかりで構成しているようだ・・・

アンコール前にマネージャーが呼びに来た。
「公安もう帰りました。Funkyさんがアンコールで出てゆくかどうかはLaoWuの判断に任せましょう」
そう言うマネージャーを制して私は言った。

「叩かないよ!!今日はもうステージには上がらない」

アンコール終わってサイン即売会になった時にヤオヤオ君が
「Funkyさん出て行かないんですか?サインするのは全く問題はないはずですよ」

サインするかどうかの話ではない。
もし公安が戻って来て「あ、あの金髪だ」になったらどうする?!!

それに4曲しか叩いてないのにサインするのも変だろ〜
このまま出て行かずに「途中で病気にでもなった」ぐらいに思っててくれれば気が楽だ(笑)

オーナーが楽屋にやって来て、頭を掻きながら
「いや〜チクリが入ってねぇ〜」
と言う・・・

聞くところによると「チクリが入ったから当日は査察に行くからね」とあらかじめ公安から連絡が来てたらしい!(◎_◎;)

「上に政策あれば下に対策あり」
中国人は長い戦乱の世の中をこうやって生き延びて来た。

だから万が一のことを考えて銀川にいるトップマネージャーは欧老子をブッキングしたのだ。
もし何もなければ2曲叩いて昔馴染みと酒飲んでギャラあげて帰れば良い・・・

たまたま「万が一」だったということだ・・・

爆風のラジオ北京45周年の時だって、私や友人のロッカーにこれだけの「コネ」や「機転」があったらあんな結果にはならなかったとアドバイスする人もいる。

さもありなんである・・・

要は「出来レース」なのだ。
調べる方もチクリが来たから行かねばならんが、64だし大きな問題が起きたらこっちも困るしそっちも困るでしょ、みたいな感じなのかも知れない・・・

実は中国で6月4日のことを口にするのは非常に危険である。
64という数字でさえ口に出すのをはばかれる。

だから私はチェックされやすいFacebookに内容は書かなかった。
この日本語のブログだって絶対安全ではないが、Facebookよりはマシである。

そんな64の話を恐る恐るスタッフに聞いてみた。
「査察って今日が64なのと関係あるんじゃない?」

スタッフは大慌てで否定する・・・しかし本当に無関係なのかどうかは誰にもわからない。
今日じゃなければこんなチクリなんて無視するけど、万が一今日何かあったら自分の身も危ないからじゃあ行っとこうか〜なんてことも十分考えられる・・・

でも考えたって仕方がない。
今日は査察が来て、それを無事にやり過ごしためでたい日なのである。
それだけの話なのである・・・

中国人はそうやって生きて来たし、これからもそうやって生きてゆくのである。

X.Y.Z.→Aのアルバムに「WINGS」というコンセプトアルバムがある。

あの勇者のように翼を広げて迷宮を飛び出そう!!
でも高く飛ぶと太陽に近づき過ぎて翼を留めた蝋が溶けて墜落してしまう
低く飛べば海の水で翼が濡れて飛べなくなってしまう
夢にまで見た「自由」それは「Conditional Freedom(条件付きの自由)」でしかなかった・・・
この曲の語り部分で二井原が英語でコンセプトを述べてます)

このアルバムでは「だから高く飛ぼう!!あの太陽を掴むんだ!!」と歌う。

でも最新アルバム「WONDERFUL LIFE」では違う!!
「WINGS」に収録されている「For Whom The Bell Tolls」はこのアルバムではバラードになり、その曲に続いて「勇者を讃える鐘」では太陽に向かって飛ぶ勇者に鐘を鳴らすだけ(笑)

なぜか?!!
私が歳を取ったからではない!!もう今ならわかっているからである・・・
「この国で生きてゆく」ということがどういうことなのかを・・・
今なら査察で問題が起きないぐらいの「コネ」と「機転」はもう手にしているだろう・・・

中国人は今までずーっとこうやって生きて来た。
そして今ではこの「Conditional Freedom(条件付きの自由)」を十分に謳歌しているように見える。

「Conditional Freedom(条件付きの自由)」でさえあれば来年には一足先にコロナを抜けて世界一裕福な国になれるのだ・・・

「何も悪いことをしてないから」と言って胸を張ってドラムを叩き続けるのも人生、でもこの国ではそれをやるとLaoWu達やライブハウスや、その他大勢の人に迷惑をかけるのだ。
ヘタすると社会的や実際に「死」に至らしめる可能性だってなきにしもあらずである。

しかし「太陽に向かって飛ぶな」とは言えない。
あの時その「人生」をたまたま選ばなかっただけで、私だってヘタしたら飛んでただろう・・・
(いや、何度か飛んだか・・・)

今では「どうしても飛ぶ」という若者には鐘を鳴らして送ってやろうと思っている。
そんな若者が中国にはいっぱいいた・・・

中国に来始めた頃、とあるライブで高旗というギタリストと卫华というボーカリストのバンドのライブを見た。
大学の校内で、彼らの演奏が始まった瞬間に客が総立ちになってステージに押し寄せた。

その瞬間にどこから湧いて出たのか、観客より多いのではないかというぐらいの軍服を着た警備がそれを制止した。

PAの電源はすぐさま落とされたが、高旗は狂ったようにギターをかき鳴らして観客を煽り続けていた。
卫华は涙ながらに「やめて!!みんな座って!!」と観客に訴えていた。

どちらが正しくてどちらが間違っているわけでもない。
これが「中国」なのである。

いや、どこでも同じ、これが「世の中」なのだ・・・

終演後に楽屋に行ったが空気は悲惨なものだった。
誰も涙こそ流してないが、心が「泣いて」いた。

悔しがったって何も変わらない。
ここは「中国」なのだ!!

そんな思いを胸に抱いて、またギターを掻き鳴らしてシャウトするしかない・・・

「中国人は怒れる民だ!!だから音の大きなロックを愛する!!」
と言った友人がいる。

だから私は大きな音でドラムを叩く。
もし叩けないと言うならばしばし「黙る」しかない。

しばし黙って、生きていればまたきっと叩ける・・・
生き続けて、叩き続けて、それが自分に出来るたったひとつの小さなことなのである。

あの日、私は「この国の仲間たちと一緒に生きよう」と誓った。
だから生き続けなければならない。
叩き続けなければならない。

蝋でくっつけただけの翼しかなくてもその仲間たちを守れるかも知れない。
飛ぶ時はきっと飛ぶだろう・・・その時まで私は勇者たちに鐘を鳴らし続ける・・・

それが私の「WONDERFUL LIFE」である・・・


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2021年4月 5日

幸せな監視社会?

「倭僑のススメ」というタイトルで講演会をして廻っていたことがある。

中国人は長い戦乱の歴史の中で、「地縁、血縁、金」しか信じないと言われている。
だから「自分の国が住みにくい」と思ったら、国境を越えて新天地を目指す。

そしてよその国で、その国の言葉を学び、文化を学び、そこを新天地として「華僑」となる。

陸路で国境を越えられる中国と違って、四方を海で囲まれた島国である日本ではなかなかそれをしない。

「ひょっとしてこの国は自分にとっては住みにくいのかも・・・」
と思っても、皆さんは我慢してそこに「合わす」しかないと思っていたのではありませんか?

「この国は自分にとっては住みにくい」
この言葉を発する時、講演台でいつも私は背中に冷たいものが流れるのを感じていた。

「こんな素晴らしい国は他にないじゃないか!!何を言ってるんだ!!」
そんな「同調圧力」を、受けてもないのに想像して勝手に背筋が寒くなるのである。

実際私は、日本の「芸能界」、大手プロダクションのシステムの中で、いつも「住みにくい」と強く感じていた。

日本ではいつも「変わり者」と言われ、いつも輪の中から弾き出されては疎外感を感じていた。
かと言って「合わす」ことは苦手だ、どうしよう・・・

ところが飛び出してみたら、中国というところはこんな自分をそのまま受け入れてくれる、私にとっては素晴らしいところだった。

世界は広い!!今のままの自分そのままで生きてゆける世界がどこかにきっとある!!
日本の若者よ!!どんどん外に出て行って「倭僑」となろう!!

というのが講演の主な内容である。

ちなみにこの講演はこんな言葉でオチをつける。

中国人なら「華僑」、日本人なら「倭僑」、
じゃあフランス人なら「仏教」?

おあとがよろしいようで・・・


と、笑い話はこのぐらいにしといて、その頃から比べて世の中は大きく変わっている。

日本人は国が長く平定されたことがある歴史のためなのか、
「法律はお上が自分を守ってくれる」
という感覚が今でも根強くあると思う。

ところが中国人は逆に、
「法律なんか上が下を搾取するためのものだ」
と思っているところがあるように思える。

だから
「見つからなければ法律など破っても構わない」
と思ってたりする。

中国人が日本に来て、夜中の赤信号で車も来てないのに渡らずにずーっと待っている日本人を見て笑ってこう言った。

「意味ないでしょ?(笑)」

確かにここで信号を渡ったところで危険でもなければ誰にも迷惑もかけない。
しかし、私もついそうしてしまうのだが、日本人は何故だかつい赤信号で止まってしまうのだ。

中国人なら渡る・・・それのどこが悪いのだ?・・・
そんなことを言ってたのも今は昔・・・

今では、車を運転している全ての中国人は、真夜中の赤信号でも必ず止まる!!
誰も見てなくても、他に車が来てなくても今は必ず止まる!!

何故か?・・・それは国じゅうの至る所に設置されている監視カメラにある。

民主国家の日本では、もし防犯カメラの映像で罰金を請求されても、不服なら裁判で争うことになるだろうが、中国では「いやがおうなし」に罰金なのである。

今私は中国の北の外れにある地方都市「寧夏回族自治区銀川市」にいるが、そんな田舎街でも至る所にこんな監視カメラがある。

末吉覚さんの投稿 2021年4月4日日曜日
末吉覚さんの投稿 2021年4月4日日曜日
末吉覚さんの投稿 2021年4月4日日曜日

日本で言うと電柱(もうないか?)ごとに全て監視カメラが設置されているような状態である。

噂によると、こんなに数多くの監視カメラの設置、それを全てチェックして違反者を特定、そんな人件費も含めて莫大な費用がかかっているだろうけど、そんなもの、これだけ多くの人民から片っ端に罰金を取れば、あっと言う間にペイしてしまうよ、と・・・

この罰金に関しては、もう10年近く前になるが、私は駐車違反で取られたことがある。

その時には、違反が発覚するのは「車検」の時、その車の持ち主が車検を受けようとすると、何月何日このナンバーがどこで違反したかがずらりと出て来た。

「自分がやったんでなければやった奴連れて来て払わせろ」
ということである。

拒否すればその車はもう二度と乗れない。
それだけである・・・

IT大国となった今の中国では、それが全部デジタル化されている。

違反をすると車のナンバーに紐付けされている電話番号にSMSメッセージで通知が来る。
アプリを入れておくと、そのアプリに撮られた写真も送られて来て、支払いもそのアプリ内でデジタルマネーで支払うことが出来る。

末吉覚さんの投稿 2021年4月4日日曜日

その昔は誰も安全ベルトなどしてなかった(ように見えた)中国であるが、今では私が助手席に乗っても必ず「しろ」と言われる。

交差点ごとの監視カメラで撮られた瞬間に、それはその運転手の罰金となるのだから運転手も気を遣う。

ちなみに飲酒運転は捕まれば「いやがおうなし」に「刑務所」である。

おかげで飲酒運転や交通違反は劇的に減った!!
そしてそれに対する人民の不満は(私の周りでは)「皆無」である。

要は「違反しなければ良い」のである。
交通事故は減るし、別に悪いことは何もない。

「うっかり違反」はよく起こるが、「運が悪かった」もしくは「しゃーないなぁ〜」ということで罰金払ってすぐに忘れる。

「こんなシステムはクソだ!!」とか反旗を翻すような人はいない。
もしいたとしても「国家安全法」でパクられておしまいである。


さて、そんな国で暮らしてもう30年になる。
数年前、空港でこんな面白い事件があった。

コロナ前の当時、私は日本や東南アジア諸国から頻繁に中国に出入りしていた。

当時北京には国際線ターミナルが二つあり、多くの国際便はT3から発着していたが、古いT2のターミナルから発着してる便もあり、その日に私が乗る便はT2の便だった。

T2は何故かチェックインカウンターの外に荷物検査場があり、荷物検査をしてから中に入るのであるが、荷物を流した瞬間に係員が私に声をかけた。

「あんた、この数日で3回ここに来てるね?何やってんの?」

これには驚いた。
言われてからパスポートを提出したので、パスポート情報を見て係員がそう言ったわけではない。
荷物は機械に通されたが、荷物を見て渡航情報がわかるわけではないだろうから、残る可能性としては「顔認証」である。

金髪の長髪という目立つ出立ちなので、係員がたまたま私のルックスを覚えていたという可能性もあるが、それにしてもおかしいことは、後に自身の渡航歴を調べてみると、この近辺では確かに3回出入国をしているが、前回入国したのは確かにこのT2であったのだが、その前の出国はT3であった。

ということは、T2の係員がこのT3の私の渡航歴を知っている?!(◎_◎;)

別に密輸とか悪いことをしているわけでもないので、胸を張ってパスポートを出してこう言った。
「VISAはちゃんとあるよ」

するとその係員はすかさずこう言った。
「それは知ってる」

知ってるのか?!(◎_◎;)

結局その係員は荷物は調べなかった。
ただパスポートをペラペラとめくってそれで終わり。

「ファンキーさん、絶対に監視対象になってますよ」
友人は皆笑ってそう言うが、政治に全く関係ない私なんかを監視対象にしてどうしようと言うのだ(笑)

いや、北朝鮮に渡航した時には、携帯が繋がりにくくなったりネットが遅くなったりとか、まあ被害妄想かも知れないがそんなことはあったが、中国から監視対象にされる覚えが私にはない・・・

まあ一番考えやすいのは「監視カメラによる顔認証」である。

こんな怪しいルックスをしているので、空港に入った瞬間にカメラでチェックされ、そのチェックした機関が渡航歴を調べてこの空港の係員に連絡を入れ、
「そちらに怪しいのが入るから一応職務質問して」
というのが一番考えやすいのではないか・・・


「顔認証」と言えば、面白い話がある。

張学友(ジャッキー・チュン)という香港の大歌手がいる。
中国全土どこでコンサートを開いても、チケット入手が困難な程の歌手である。

その入場でのセキュリティーチェックの時、とある指名手配中の犯罪者が顔認証で捕まった!(◎_◎;)

これだけ監視カメラがあっても、街角では顔を隠して通ったりも出来るが、コンサート会場に入るためにはどうしても顔認証を通らねばならない。

危険を冒してまでそんなにこのコンサートが見たかったのか!(笑)

全くもってここ中国は逃亡犯にとっては非常に住みにくい国である。
移動も宿泊もID提出が義務付けられてない日本とは大違いで(というか日本には必ず持たねばならないIDがなく、運転免許証とかでそれを代用している)、中国では列車や飛行機に乗るにも、ホテルに泊まるにもIDの提出が必須で、逃亡犯だとその時点で捕まってしまうのだ。

我々在住外国人は、その「ID」に当たるものが「パスポート」である。
これを紛失や盗難にあった時にはそれはそれは酷い目に会う・・・

パスポート紛失!!その初日
パスポート紛失!!その2日目
パスポート紛失!!その2日目の続き
パスポート紛失!!その3日目

この時点では、湖南省の警察と北京とのデータ連携はまだされてなかったようだが、これだけデジタル化が進んだ現在でも、地方都市と中央とのデータ連携はなされているのかなという事件が起こったのでその話をしたいと思う。


まず今回の中国入国まで話を戻そう・・・

カンボジア出国と中国入国の戦い

一年以上中国に来てないうちにデジタル化はもっと進んでいるようで、まず外国人だけでなく全ての居住者はこの「行程卡」というアプリがないと通行が出来ない。

末吉覚さんの投稿 2021年3月11日木曜日

日本だと「じゃあスマホが使えない老人とかどうするの?」という意見が出て来そうだが、中国ではとりあえずそういうことは考えない。
鄧小平さんが
「豊かになれる者から豊かになれ!!黒い猫でも白い猫でも鼠を獲る猫がいい猫なのだ」
とおっしゃった通りにこの国が進んでいるのだから・・・

中国に着いて、上海での2週間の隔離期間が終わるとこのアプリが緑色になる。

末吉覚さんの投稿 2021年3月11日木曜日

これでどこでも通行出来るということで、隔離ホテルを出て次の自主隔離場所「寧夏回族自治区銀川」へ向かう・・・

ちなみにこのホテルを出てどこへ向かうかというのは、こういう書面が回って来て便名までちゃんと記入して提出してある。

末吉覚さんの投稿 2021年4月4日日曜日

ついでに隔離が終わったという証明書や、陰性証明書も携帯しておく。

末吉覚さんの投稿 2021年3月11日木曜日
末吉覚さんの投稿 2021年3月11日木曜日

これらの情報は既に私のデータベースに入力されているだろうが、もしもの時のために持ち歩く。
まさかそのもしもの時が来るとは夢にも思わなかったのだが・・・(笑)


さて上海の空港に着いて、「行程卡」で表示される緑色のマークを提示すれば空港にはすぐに入れ、銀川までの飛行機には無事に乗れた。

到着したら、上海と同様にバスにでも乗せられるのだろうと思ったら誰にも呼び止められることもなく、また「行程卡」の緑色を見せて外に出る。

外では万が一のために迎えに来てた、今中国で一緒にバンドをやってる布衣楽隊のメンバー、彼らの車でそのまま自主隔離の場所へ向かう・・・

なぜ自宅隔離が、住居のある北京ではなく遠く離れたここ寧夏回族自治区になるのかと言うと、それには二つの理由がある。

ひとつはこの時期北京では中国共産党の一番大切な行事「全人代(全国人民代表大会)」が開かれていて、そのため北京に入るためのハードルがとても上がっていて、外国からの帰国者や外国人は入国後3週間経ってないと入れないことがひとつ。

あともうひとつは、北京の登録先住居(住民票を置いてある住所のようなもの)は、VISAを発給してくれている会社の社長の住居となっている。
ここにも住めるのだが、仕事場として順義区にも院子(中国伝統的長屋式住居)も借りていて、どちらも同居人がいるので隔離には向かない。
その同居人も一緒に隔離せねばならなくなるからだ。

ところがここ寧夏回族自治区銀川にはバンドが用意してくれた部屋があり、そこは独り住まいの完全に独立した部屋なので、ここで自主隔離をということになったのだ。

迎えに来たバンドのマネージャーが調べて来たところによると、自宅隔離の最初1週間は、この住居の社区の長とやらの監督の下、一歩もこの部屋から出ずに隔離。
その後の1週間は、社区の長の判断で人混みじゃなければ外出してもよいそうだ。

ところがその社区の長とやらからは何も連絡がない。
結局この2週間全く連絡がなかったので、隔離最終日には自発的に病院に行ってPCR検査を受けておく・・・

中国ってなんでこんなに情報が交錯するんかなぁ〜(笑) 4週間隔離は今日まで、結局社区の長とやらからは連絡なし、しゃーないので明日北京に帰るために「自主的に」PCR検査!! 証明書は6時間後にもらえると言うので朝に予定してたら「携帯に即時送ら...

末吉覚さんの投稿 2021年3月24日水曜日

自主的にこれを行ったのは、もし北京に帰ってから陰性証明の提示を求められたりして何か問題が起きたら困るからである。

末吉覚さんの投稿 2021年4月4日日曜日


銀川の空港でも「行程卡」の緑色を見せれば問題なく飛行機に乗れた。

北京に着いてからはVISAの更新という大きなミッションが待ち構えていたのだが、そのためにこの日にやらなければならないことはふたつ。
ひとつは住宿証明の取得、もうひとつは病院を予約して健康診断を受けることである。

実はこの病院の予約では色々と手間取った。

末吉覚さんの投稿 2021年4月4日日曜日

このアプリによって予約を行うのだが、選択肢が多岐に渡り、間違えて別の窓口に入ってしまったりすると、外国人が予約出来るフォームがなかったりして右往左往する。

VISAの仲介人に色々聞いてやっと予約が終わり、検査場に着いてみるとそこで断られる!(◎_◎;)

聞けば、私は2月25日の飛行機に乗ってカンボジアから入国し、飛行機が遅れたので着いたのは2月26日になったばかりの真夜中。

隔離施設では、厳密に着いた時刻から24時間×14日間で、2月12日の同時刻に隔離が解除されている。

同様に銀川でも24時間×14日間で計算して、VISAの仲介人の指示により、隔離が明けた日時に予約を入れているのであったが、この検査場ではそのようには数えないようだ。

このように時間計算するとすれば、2月26日の夜中の1時に入国した人も、23時に入国した人も、隔離明けは3月25日なのであるが、23時に入国した人にその入国時間より早く検査に来られても困る。
だから時間では計算せずに日数、つまり26日に入国した人は3月25日いっぱいは隔離中と計算するようだ。

そんなことはアプリで予約を取る時に弾いてくれれば良いものを、きっとそのアプリと私の入国日時や隔離状況とは紐付けされていないのだ。

中国のITと個人情報管理が、例えSF映画のように完璧に情報管理されていたとしても、それを閲覧する権利を持つ者と持たない者があれば、当然持たない者からは見えない情報が存在してしまう。

それによって私はまた大きく振り回されることになるのだ・・・


さてこの日のもうひとつの大きなミッション!!
VISAの更新に必要な住宿証明を取りに行く・・・

私の居住地の大家に当たる、私のVISA発給会社の重役、LaoLuanを訪ねてゆき、まずそのマンションの管理会社に行って「居住証明」を取る。

これはご覧のようにまるで手書きである。

末吉覚さんの投稿 2021年4月4日日曜日

これは単なる「うちのマンションには確かにこの人が住んでますよ」という証明だけで、別にここから私本人のデータベースに書き込みをするわけではない。
この書類を最寄りの警察署に持って行って、そこで単に「住宿証明」を取るためのものである。
その警察署で私のデータベースに書き込めばそれでこと足りる・・・

ところが今度はその警察署に入れない!(◎_◎;)

末吉覚さんの投稿 2021年3月25日木曜日

この「北京健康宝」というアプリは、スキャンしても外国人には対応しておらず、入力が出来ないのだ(涙)

末吉覚さんの投稿 2021年3月25日木曜日

(名前の入力が中国人名しか入力出来ず、中国人のID「身份证」にしか対応しておらず、外国人のパスポート「护照」を選択できない)

後にわかることだが、このアプリには外国人用の「Health Kit」というアプリがあり、それで入力してそれを使うようにしなければならないのだ。

末吉覚さんの投稿 2021年4月4日日曜日

ところが入場を拒む保安員にはそんなこと知らされてないので、アプリで緑色を表示出来なければ一律「通さない」。

例え個人情報を吸い上げても、その大元のデータベースに全ての人間がアクセス出来るようにするわけにはいかないので、このように末端の人間には情報を知らせず、ただ「緑色かどうか」だけで判断出来るようなシステムにしているのだ。

例え誰かが赤色が出て「どうしてなの?」と言われても「知らない」と言うしかない。
「私は緑色しか通すなと言われている。それが仕事だ!!」
というわけなのであろう。

どっちにしろ、このアプリの外国人用アプリがあることを自分で見つけられない外国人は、この国ではショッピングモールにも大きなレストランにも、人の集まるところにはどこにも入れないということになる。

前にも書いた「じゃあスマホが使えない老人はどうなるの?」と同じ考え方である。
「出来なければ生きてゆけない」
鼠を取る猫にならねば生きてゆけないのがこの国なのである・・・

末吉覚さんの投稿 2021年4月4日日曜日


色々手続きを終えて院子に帰った。

そしたらまずLaoLuanから連絡が来る。
「お前がいつどの便で入国していつ北京に入ったかの情報をすぐに送ってくれ」

聞けば朝陽区の役所から連絡が来たということだ。

ここでも「紐付け」が出来てないのだろう。
次のような表を作ってそれを保存しておく。

2/25 坐FM9405 从柬埔寨金边飞到上海
2/26 凌晨到了马上开始隔离2星期
3/12 坐G58277 飞到银川在家里隔离2星期
隔离地址:银川市西夏区文萃南街和佳居3号楼1207
3/26 坐FM9405到北京
到现在

万が一次にも何かあった時に使えるだろうと思ってたら、結果何度も使う羽目になる(>_<)
想像するに、例えデータを一括管理してたとしても、アクセス権の問題でまだまだ全ての機関で情報を共有されているわけではないのだろう。

数日して今度は一緒に暮らしているエンジニアのFangYanの電話が鳴る。
聞けばこれも彼の実家の通州区の役所で、おそらく前の住居の登録地だったので連絡が来たのだろう。
いいかげん早くデータを更新してもらいたいものだ・・・(笑)

ところが次には今度は私の電話に連絡が来た。
喋っているのは英語である。

下手な英語で対応してたら、今度は電話番号宛にSMSメッセージが来た。

excuse me,I am an offical worker for goverment.can you speak chinese?i want ask you some question

末吉覚さんの投稿 2021年3月27日土曜日

FangYanの言うところでは、これは私の携帯の位置情報により、外国人がこの院子のある村に入ったので担当者から連絡が来たのではということである。

do you have Nucleic Acid Test?

と来るので陰性証明の写メを送った。

末吉覚さんの投稿 2021年3月27日土曜日

こういう時にSMSは写メが送れるので便利である。

「中国語が喋れるか?」
と来たので次からは中国語で、
「パスポート番号を送れ」
というのでパスポート情報を送った。

思えば、パスポート情報も陰性証明もFangYan経由でこの村の社区には送り付けてあるのだが、きっとまた例によって部署が違ったりするのだろう・・・
情報を共有してさえ貰えばこのような手間はかからないのだが、やはりその辺もアクセス権の問題があるのでまだ難しいのかも知れない・・・

「近くに中国人がいるか?」
と言うのでFangYanに電話を代わって、私の中国語レベルではわからないような内容を詰めているのだろう、全てが終わって電話を切った。

末吉覚さんの投稿 2021年3月27日土曜日

「彼女にお前の電話番号を伝えとこうか?」
とFangYanに聞くも、
「その必要はないだろう」
ということでほっといたら、驚くべきことに今度はFangYanの電話に直接かかって来た。
電話番号を教えてないのに、である!(◎_◎;)

まあ調べればわかるのだろう、私がどこで誰と暮らしていて、その電話番号はどれだとか・・・

最初から調べて欲しいのだが・・・(>_<)


さて、隔離も終わったので買い物とかに出てみる。
ちょっと前までは、「交通カード」にお金を入金してそれをバスの入り口でかざして乗る、という日本の「Suica」と同じようなシステムだったが、今では携帯のアプリで乗り降りが出来る。

VISAのための健康診断アゲイン!! バスから地下鉄に乗り換えて全部で2時間の行程・・・八王子より遠い(>_<) でも料金は10分の1ほど、100円ちょいかな、携帯の同じアプリでスキャンするだけでバスも地下鉄もキャッシュレス!!まあいつどこに行ったかは政府に筒抜けやけど(笑)

末吉覚さんの投稿 2021年3月28日日曜日

そしてショッピングモールに入る時は「Health Kit」のアプリをかざし、実際に買い物をして支払う時にはWeChatというアプリでキャッシュレス決済をする。

当然ながらその情報は政府に筒抜けになる。

中国には会社に対して「国が要請すれば全ての情報を提供しなければならない」という法律があり、企業が勝手に「個人情報を保護」とかするわけにはいかないのである。

ここでちょっと不思議に思う自分の感情がある。

私は別に自分の情報が中国政府に筒抜けになったところで構わないと思っている。
別に政治に関することもやってなければ後めたいこともやっていないから、別に何を閲覧したところでどうでもいいと思っている。

ところが日本でそれをやられたらイヤだ!!

日本のホテルに宿泊する時に宿帳に住所を書かされる。
あれがイヤである!!

「なんで俺があんたに住所教えないかんの?ストーカーでもすんの?」
そう詰め寄ってスタッフを困らせたことがある。

日本には「個人情報取扱法」とやらがあるのだから、ちゃんと使い道を提示して誓約書にサインしろ!!ぐらいに思う。

大体の場合「規則ですから」の一点張りで、住所を書かせる理由を説明出来るホテルスタッフはいない。

「自由」で「民主」と言われているこの国でそんなことをされるから腹が立つのである。
中国でされても全く腹が立たない。

「中国はそんな国やからなぁ・・・しゃーないなぁ〜」
ぐらいにしか思わないのである。

特に今の時代では、コロナの蔓延を防ぐという点では中国のやり方の方が結果を出している。

ひとつの社区から感染者が出たら、社区ごとロックダウンする。
「ある日仕事に行こうと思ったら社区から出られない」
ということが平気で起こるのだ。

日本だったら大問題になるだろう、でもここ中国ではそれが「普通」で、見事コロナを封じ込め、世界でも有数の経済発展が上向きの国となっている・・・


さて数日北京に滞在して、今度は仕事のためにもう一度寧夏回族自治区に行かねばならないのだが、そこでまたおかしな問題が起きた。

ちなみにVISAを更新している間はパスポートを預けなければならない。
そうすればこの国では移動も宿泊も出来なくなるのでこのような書類をくれる。

末吉覚さんの投稿 2021年4月4日日曜日

このペラペラの紙切れが、この国内ではパスポートと全く同じ効力を発揮する。
ミソなのは右上にあるバーコードであろう。
これをスキャンすれば私のパスポート情報にアクセス出来るということに違いない。

飛行場では「行程卡」と「Health Kit」のふたつのアプリを使って中に入り、チェックインカウンターではパスポートの代わりにこの書類を提示して無事に飛行機に乗る。

ところが銀川に着いても誰も飛行機から降りない!(◎_◎;)
客室乗務員が一番後ろに座っている私のところに来て、私だけを先に降ろそうとするのだ・・・

専用バスに乗せられたら、私の他にひと組の中国人カップル。
どうやらこの3人だけ別室に連れて行かれるようだ・・・

連れて行かれたところは、普段はVIPサービスルームとして使われているのだろう、今は隔離部屋のようである。

末吉覚さんの投稿 2021年3月31日水曜日

「境外回宁人员登记处」つまり「境外から寧夏に帰った人が登記する処」と書かれている・・・

末吉覚さんの投稿 2021年3月31日水曜日

防護服を着た担当者が私に色んな質問をする。
その答えは先日作ったこの表の中に全部あるのでそれを見せる。

2/25 坐FM9405 从柬埔寨金边飞到上海
2/26 凌晨到了马上开始隔离2星期
3/12 坐G58277 飞到银川在家里隔离2星期
隔离地址:银川市西夏区文萃南街和佳居3号楼1207
3/26 坐FM9405到北京
到现在

陰性証明とかも一緒に見せたのだが、思えばこの表に隔離終了証明や陰性証明を入れとけば完璧なのでは?・・・ってか情報共有しとけよ!!

思うに、私はパスポートを持ってないので入国日がわからない。
代わりの書類のバーコードには情報があるだろうが、空港のチェックインカウンターではそれをスキャン出来ない。

とりあえず「入国日がわからない外国人を乗せたから」と連絡を回す。
受け取った機関は、
「そう言えば自主隔離で銀川に来ると言ってた外国人がいたが・・・」
というわけでこんなことになったのではあるまいか・・・

二人の担当者が私を住居まで送ると言う・・・
受託手荷物がこの建物の入り口にぽんと置かれていた。

末吉覚さんの投稿 2021年4月4日日曜日

私はそのまま空港施設は通らずにこの建物から隔離(終了)場所へ送られるのだ。

末吉覚さんの投稿 2021年3月31日水曜日
末吉覚さんの投稿 2021年3月31日水曜日

隔離(終了)場所に着いたら社区の長とやらが呼び出されてやって来る。

社区の長とやらは、私の到着を待っていたバンドメンバーやマネージャーから「既に隔離は終わっている」ことを伝えられ、どうしたらいいのか戸惑っている様子である。

というか、この寧夏回族自治区というのはただでさえ外国人が少ないのだ。
こんなエピソードがある。

布衣楽隊というバンドに加入して全中国をツアーで廻ってる時、この寧夏回族自治区でのライブの時、会場でひとり日本人らしき人がいたので声をかけた。
その人は日本人の駐在員らしく、逆にこんな田舎街のステージの上に日本人がいることにびっくりしていた。

私は彼に聞いた。
「この街に日本人がいたんですねぇ・・・」
そしたら彼はこう答えたのだ。

「はい、16人います」

コロナの前にこんな状況なのでコロナ禍の今となっては果たして何人の外国人が住んでいることやら・・・
そして私のように今の時期に中国に来て、更にこんな片田舎にやって来ようという外国人は皆無なのではあるまいか・・・

社区の長は私から電話番号を聞いて、
「じゃあ何かあったら電話するわ」
と言って去って行った。

心なしかちょっと「ほっとした」という表情も読み取れる。
寧夏では滅多にない外国人の隔離の責任者、そんな重荷を背負わされてしまったがどうやら隔離は終わっているようだ・・・

「このままそっとしとけば何の問題もないのではなかろうか・・・」
お互いそんな風に感じている(笑)

私を送り届けた防護服の二人のスタッフも、もう次の担当者に引き継いだので安心して帰って行った。

私はと言うと、隔離も終わったし、何もなければ社区の長に迷惑をかけることもないのでそのままリハーサルに向かった。

何とか社区まで着いて、監視担当者(笑)が引き継がれて無事無罪放免〜テレビ番組収録のリハーサルへ〜 テレビ局の要望で、どんな小さな犯罪でも犯した人は出られないということで!(◎_◎;)先日飲酒運転をしたダーウェイの代わりのベーシスト(笑)私た...

末吉覚さんの投稿 2021年4月1日木曜日

ちなみにここ寧夏回族自治区では、もう1年以上感染者が出ていない。

大きなショッピングモールなどではマスクが必ず必要だが、街でマスクをしてない人もよく見る。
小さな商店やレストランでは、バーコードは置いてあるものの、もう誰もスキャンなどしない。
スキャンしようとしても店の人は「いいよ、いいよ」と言って中に入れるのだ。

緩い・・・(笑)

しかし考えてみて欲しい。
コロナ真っ只中で全く感染が抑えられてない日本で、外国から入国した人にはこれだけのことをするだろうか・・・

民主国家、自由の国、日本では、政府が国民に「強制」することは出来ない。
ただ「入国した人は公共交通機関に乗らないで下さいね」と「お願いする」のみである。

私にしたように、国が人件費を払ってまでちゃんと目的地まで送り届けることもない。
アプリや携帯の位置情報で、その人がどんなルートでどこへ行ったかまで把握することもない。

自主隔離にしても、社区の長のような人間に責任を課して、ちゃんと隔離しているかを見届けさせるようなこともしない。

自由を謳歌してコロナがまだ蔓延している日本、監視社会ではあるがコロナを封じ込め、次に行こうとしている中国、どちらが「幸せ」かはその人によって違うかも知れないが、私にはこの国の人がその「監視」に対して不満を持っているようには見えない。
「社会」として「仕方ないこと」なのでやらねばならないと思っているように感じる。

もちろん私たち外国人は、ウィグルや香港などの中国が抱える人権問題から目を逸らしてはいけないと思う。
(そんなことを書くと、ひょっとして中国の労働ビザを剥奪されないかと背筋が寒くなるが)

しかしここで暮らす中国人は、その情報がVPNを使って国外の情報を探さない限り知ることが出来ないということもあり、あまり「関心がない」ように私には見える。

それは前述の「スマホが使えない老人はどうするんだ?」という問題に対して、日本なら「ちゃんと老人にも優しいシステムを作るべきだ」と考えるが、中国人は「自分の周りにそれで困っている老人がいたら自分が教える」・・・
「それでいい」と考えてるように思えて仕方がない。

もちろんそれで困ってる人がいたら助けるだろう。
「上に政策あれば下に対策あり」
中国人は長い歴史の中ずーっとこうやって生きて来たのだ。

中国は広い。こんなに大きな国の全部を変えることなんか出来やしない。
(というより中国は長い歴史の中で民主化されたことがないのだ)

とりあえず自分の周りが幸せになればそれでいい。
全員が、なんて夢物語じゃないか?・・・

ここで冒頭に出たこの言葉をもう一度引用したい。


中国人は長い戦乱の歴史の中で、「地縁、血縁、金」しか信じない。

地縁:ご近所さんや、職場など自分が出向く場所での縁
血縁:血の繋がりのある家族や、親しい友人も「ファミリー」として
金:白猫でも黒猫でも鼠さえ獲ればいい猫である

鄧小平さんは言った。
「豊かになれる者から豊かになりなさい」

そしてこの国はそのまま突き進んで社会が成熟した。

監視カメラ?買い物情報が政府に筒抜け?
それがどうしたの?

俺たちはこれでコロナ禍をくぐり抜け、世界でたった3カ国しか成し得てない、今の時代に経済が上向きに転じた国になってるんだぞ!!

幸せですか?・・・

俺たちは幸せだよ。君たちは幸せかい?
自由と民主を掲げる国でコロナに苦しみながら・・・

「中国社会」が私にそう問いかけてるような気がしてならない・・・

Posted by ファンキー末吉 at:09:50 | 固定リンク

2021年3月15日

師匠旅立つ!!

2021年3月15日、師匠の訃報を受けて・・・

「Funkyさんが一番影響を受けたドラマーって誰なんですか?」
中国に来てもよく聞かれる質問である・・・

そんな時は私はいつも
「日本には村上ポンタさんってドラマーがいるんだけど・・・」
と答えていた。

もちろん中国人は誰もポンタさんのことなんか知らない。
スタジオミュージシャン・・・つまりは「メインプレイヤー」ではなく、それをサポートする「バイプレイヤー」なのであるから・・・

数多くの名言を残した偉大なる「兄貴」であるが、師匠の名言の中で私が一番好きなのはこれである!!

「どんな歌手だって俺んところに来てみろ!!一番輝かせてやるから」

そんな師匠の背中を追っかけながら、今こうして海を越えて、中国で師匠と同じく「スタジオミュージシャン」として暮らしている・・・

日本では「爆風スランプ」の名前が大き過ぎて師匠のような音楽人生は送れない。
だから誰も爆風スランプなんか知らない外国に行ってゼロから裸でやり直したい・・・
そう思っていたのだろう・・・


まだ若かりし頃の私にはふたつの「夢」があった。

ひとつは「東京に行ってRockをやる」
もうひとつが「ニューヨークに行ってJazzをやる」

当時は私の住んでた四国の田舎街のレコード店でも、音楽のジャンルというのはRockだJazzだと細かく分類されてなかった時代である。
「演歌(歌謡曲)」と「ニューミュージック」とそれぐらいである・・・

その「ニューミュージック」というジャンルに「荒井由美」をはじめてとしてRockやJazzやBlues、あらゆる私の好きなジャンルの音楽がその中にあった・・・

思えばそのあらゆるジャンルのドラムを師匠は叩いていたのだ。
だから今でも私は「このジャンルは叩けない」と言うことだけは言わない。
いや、言わなくていいように師匠の背中をいつも見て頑張って来たのだ。


高校のカウンセラー室は当時私の個人部屋のようなもので、
熱血学園ドラマを見て脱サラして教師になったという熱血担任教師は、私の将来を心配していつもそこに私を呼び出していた。

「僕はもう学校やめて大阪に行ってブルースをやる!!」

そう宣言した私に先生は
「そうか、それも人生やのう・・・」
とそう言った。

結局は熱血先生の導きにより関西の大学に入ったので、一応その小さな「夢」はその段階でちょっと満足されている(笑)

でもその時に付き合ってた彼女に振られてから、本当に大学なんかやめて、東京かニューヨークに行くつもりになったのだが、何せ根がブルース好きで、田舎の社会人ブルースバンドでドラムを叩いてたりしてたので、そんな心情もありブルースばかりを聴いていた・・・

当時インターネットもない時代、四国の文化圏は完全に関西で、東京と言えばそれはそれはニューヨークと同じぐらい遠いところだった・・・
(最初に持った夢が東京やニューヨークではなく大阪なのはここに理由がある)

だから東京のアーティストの情報はあまり入らない。
日本のアーティストで聞くのと言えば全てが関西のブルースマンばかりである。

上田正樹とサウストゥーサウス、ウェストロードブルースバンド、入道・・・

そう、その社会人のバンドの人が関西のブルースシンガー入道さんのどこかのフェスティバルかなんかのライブ音源を持ってて聞かせてくれたのだ。

その音源はネットで調べたのだが見つからない。
歌ってたのは「A Change Is Gonna Come」か「Bring It On Home to Me」だっただろうと思うが、そのドラムを聞いて泣けて来た・・・

それがポンタさんのドラムである。

もちろん何も難しいことなんか叩いてない。
今にして思えばポンタさんの名言
「どんな歌手だって俺んところに来てみろ!!一番輝かせてやるから」
の真髄がここにあったのだ。

その時に心に深く刻まれた「村上ポンタ」という名前と再会するのは、学生時代にそれこそ(当時はCDなどない時代でアナログ盤だったので)擦り切れるぐらい
聞いたこの曲など・・・

ちなみに40年近く経って久しぶりにYouTubeでこの音源を見つけ、ちょうど娘を歯医者に送りに行ってた待ち時間に車で聞いていたら、歯医者から帰って来て車に乗り込んで来た娘がこの曲を聞いてこう言った。

「これパパが叩いてるがやろ?」

こんな父親なので小さい頃から私の母に育てられ、
「音楽なんかに興味持ったらいかん!!パパみたいになったらどうするがよ!!」
と言われ続けて音楽からは全く縁遠い娘が聞いても、これは私のドラムに似てると言うのだ!(◎_◎;)

いや、フレーズも似てるのかも知れないが、きっとその「歌い方」が似てるのだろう・・・

YouTubeとは便利なもので、こんな音源も見つけた!!

何なんだ!!この押しては引き、引いては押すドラミングは!!!
これもアナログ盤で擦り切れるぐらい聞いたなぁ・・・

クレジットを見ると、
1.RHYTHM ROAD   8:45   作曲:是方博邦 編曲:大村憲司
大村憲司:Guitar/村上"PONTA"秀一:Drums/小原 礼:Bass/坂本龍一:Keyboards/ペッカー:Percussion
というから、あの坂本龍一がスタジオミュージシャンとしてセッションしているのだから貴重なテイクである!(◎_◎;)


そんな憧れのドラマー、ポンタさんと最初に会ったのは新宿ピットインの楽屋、
「東京に行ってロックをやる」方の夢を選択して、爆風スランプでデビューし、念願叶ってパールドラムのモニターとなり、同じくパールのモニターであるポンタさんをパール楽器の人が紹介してくれたのだ。

「ニューヨークに行ってJazzをやる」という夢は叶わなかったけど、Jazzへの想いは立ち切れず、あの頃はJazzクラブに飛び込んではJazzばかりをやっていた・・・

だから憧れのポンタさんと会えたらJazzを教わろう、と漠然とそう考えてたのだろう、
「僕Jazzやってるんです。Jazzが好きなんです」
私がこう言った瞬間に、
「オメェ、インチキなんかやってんのか!!俺ゃインチキは大嫌いでよぉ」
と言い放ったポンタさん、スティック持ってSwingのレガート「チンチキ」を叩き始めた。

豪快に笑ったポンタさんだが、そこからは喧嘩自慢(笑)

「昨日よう、新宿でチンピラ5人に絡まれてよう、大立ち回りやって全員のしてやったよ、は、は、は」

もうね、どこで笑っていいのやらさっぱりわからない(笑)
口から飛び出す言葉だけ聞いてたらまるで「ヤクザ'」である。
しかし「任侠の人、頼り甲斐のある兄貴、ヤクザの親分(笑)」そんな感じのイメージを持って、それからポンタさんのことが大好きになる・・・

実際にポンタさんは非常に面倒見の良い人ではある。
それから会う度に私のことも可愛がってくれた・・・

当時、Jazzの武者修行でよく通ってたSOMEDAYという店に、ポンタさんが出るというので見に行った。

「おう、末吉くん!!(ポンタさんは私をこう呼んでた)よく来てくれたなぁ」
1ステージ目と2ステージ目の間に挨拶した私を自分の席に呼んで酒を飲ませてくれた。

そして2ステージ目が終わってアンコールが来ている中、席に戻って来たポンタさんは、「お前叩け!!」そう言って自分は座って飲み始めた。
もう全く自分で叩く気がない!(◎_◎;)

幸い、ギタリストの三好3吉功郎さんもベースのバカボン鈴木さんも知り合いだったので、紹介されるままにステージに上がったが、
「お客さんがアンコールをしてるのは私に対してじゃなくてポンタさんに対してでしょ?それなのに、それを押しのけて全く関係のない私が?・・・」
と思いながらも逆らうことは出来ないので(笑)そのままステージに上がってドラムを叩いた。

まあ1曲私に余興で叩かせて、あとはポンタさん自身が出て行ってシメるのかと思ったら、私の演奏が終わったらそのままその日のライブは終わった!(◎_◎;)

ポンタさんはと言えば、テーブルで浴衣姿の美女と酒を飲んでいる・・・

「おお、末吉くん、こっちで一緒に飲もう!!」
傍らの美女を私に紹介しながら、
「いい女だろ、銀座のホステスなんだけどよう、おっぱいもいいぞ」
と言って浴衣から手を突っ込んでおっぱいを揉む!(◎_◎;)

「やだわぁ、ポンタさんやめて下さいよ〜」
銀座などには飲みに行くことなどないが、なるほどあしらい方もどことなく品があって素敵な女性ではある。

それから何を話したかは覚えてないが、私にしてみたら、例え音楽のことでなくても憧れのポンタさんが話していることは全部私にとっては「勉強」である。

ところが、話している時に店で流れているBGMがうるさかったのか、もしくは気に入らなかったのか、ポンタさんはSOMEDAYのマスターに向かってこう怒鳴りつけた。

「BGMがうるせえんだよ!!止めろ!!」

SOMEDAYのマスターと言えば、ポンタさんに負けずと劣らず「強面(コワモテ)」である。
最初はマスターもポンタさんの発言を無視していたのだが、それにカチンと来たのかポンタさんがもう一回面と向かってこう言った。

「BGM止めろって言ってんのがわかんねぇのかこのヤロー!!」

「強面(コワモテ)」のマスターもこれには切れた。
「何やとお前!!もういっぺん言うてみぃ!!」

間に立っていると言うか、ちょうど二人の間に座っている私は両方を「まあまあ」と言ってなだめて、
「ポンタさん、どっか店替えて飲みに行きましょう」
そう言って別の店に行ったと記憶している・・・

次の店でどんな話をしたのかは全く覚えていない。
きっといつものごとく音楽の話などしてなかったのだろう・・・

でもそこでポンタさんが私に話してくれたことはきっと全て私の今のドラムに生きている・・・
今となって私はそう強く思えて仕方がない・・・


時はロックバブルの頃、全国の至るところでロックイベントが行われていたが、札幌でのあるイベントでポンタさんと一緒になった。

私は爆風スランプ、ポンタさんは泉谷しげるのバックで参加してたのだが、
会場は野球場だったので、ステージの後にも野球の控え室みたいなのがあり、ポンタさんは自分の出番が終わったらそこでどんと陣取って、若いドラマーのバンドを全部後ろから見ているのだ!(◎_◎;)

私はもう何度も会っていて気心は知れてるのでまだマシだが、他のドラマーにとっては、こうしてドラムの真後ろからポンタさんが腕組みをしてずーっと見ているというのは、それはやりにくくてたまらない環境だったに違いない(笑)

そんなドラマーのひとりにBUCK-TICKのドラマー「ヤガミトール」がいた。

どこで仲良くなったのかは忘れたが、一緒に飲んでいて、あのグッバイの衛藤浩一みたいな雰囲気で私にとっては非常に楽しい飲み友達であった。

私も金魚のウンコのようにポンタさんの隣で後のバンドのステージを見てたのだが、ヤガミトールもステージ降りたらすぐにポンタさんに手招きされて、説教(アドバイス?)をされて(笑)、そのまま私と一緒にポンタさんの「金魚のウンコ」となった(笑)

「イベント終わったら飲みに行こう」と言うのでイベンターが用意してくれたバーに一緒に行った。
ポンタさんの取り巻きはこの二人の「金魚のウンコ」だけである。

そりゃそうだ。恐れ多いのもあるが、何かにつけ「めんどくさい」(笑)

めんどくさいと言えばこの日はこんな事件もあった・・・
そのバーに遅れて入って来た、レッドウォーリアーズのギタリスト、シャケ。
久しぶりに会ったので挨拶を交わしていたら、ポンタさんが・・・
「こちらはどなたかな?紹介してくれないか?」
ヤクザもそうだが(笑)ポンタさんも初対面にはとても丁寧な喋り方をする・・・

「レッドウォーリアーズというバンドのギタリストでシャケです」
と私がポンタさんに紹介した。

シャケはポンタさんに勧められるままにこの「めんどくさい」テーブルに座った。

「レッドウォーリアーズって・・・ああ、あのバンドだね」
全部のバンドの演奏を(ドラマーの後ろから)見ているポンタさん、名前を聞いてサウンドも思い出したようだ。

「お宅のドラマーは今日来てないのかね?名前は何と言いましたっけ?」
そう丁寧に聞くポンタさんに私がこう答えたのがいけなかった。

「ああ、コンマくんですね?」
そう、ドラマーの小沼くんは呼びやすいからなのか当時みんなから「コンマくん」と呼ばれていたのだ。

「コンマくんって変わった名前だねぇ」
そう言うポンタさんに、私はどうやら言ってはいけないことを言ってしまったようだ。

「マンコばっかやってるからコンマくんって言われてるらしいですよ(笑)」

この言葉がポンタさんの逆鱗に触れた。
いや、私に怒ったのではない。コンマくんに怒ったのだ。

「あのぐらいのドラムしか叩けないのにマンコなんて10年早い!!今すぐ連れて来い!!」

!(◎_◎;)

私もそうだが、シャケも目を丸くして驚いている・・・

「シャケさん、でしたっけ?悪いことは言わない。あのドラマーじゃぁ君のメッセージは伝わらないよ」

(>_<)

いや、あの4人で頑張ってメッセージを伝えたからこそレッドウォーリアーズの今があるんだし、ポンタさんそれは〜・・・
などと思ったところで私もヤガミトールも金魚のウンコ風情がポンタさんに逆らったり意見したり出来るわけがない。

「俺・・・帰るわ・・・」
そっと私に耳打ちするシャケをうまくこのテーブルから逃がして、金魚のウンコふたりはポンタさんと「ドラムの叩ける店」に行こうということになった。

当時爆風スランプもアイドル的に売れていたので、物陰から私がバーから出て来るのをずーっと待っている女性ファンがいた。

私は知り合いでもなかったし、別に物陰から出て来る様子もなかったのでそのままにして通通り過ぎようとしたら、
「末吉くん、あの女性は君を待ってるんじゃないのかね?」
とポンタさんが言う・・・

「いや、ファンだとは思うのですが・・・」
そう言う私を叱り飛ばして、
「ダメじゃないか、女に恥をかかしちゃ!!君、今から飲みに行くから一緒に来なさい!!」
とその女性ファンを呼ぶ!(◎_◎;)

女性ファンも別にそんなことを望んでたわけではない。
ただひと目お姿を見れれば・・・みたいな感じではあるまいか・・・
知らない人から「一緒に来なさい」と言われたってどうしたいいかわからない・・・

私は自分からその女性のところに行ってお願いした。
「ごめんなさい、この人は私の一番尊敬するドラマーなんです。私の大親分みたいなもんです。その人があなたを呼べって言ってるんです。もしよかったらここはちょっと私の顔立てて一緒に来てくれませんか」

もの凄い困惑して最後まで辞退していた彼女を説き伏せて、この女性を加えた4人でドラムの叩ける店にやって来た。

噂に聞くとポンタさん、誰か大御所のツアーでイヤなことがあった時、この店のような土地土地のドラムを叩ける店で朝までドラムを叩いてたという話も聞く。

見てみたい・・・この日本最高峰のドラマーが、仕事ではなく「自由に」ドラムを叩くとしたら一体どんなドラムを叩くんだ・・・

ところが結局私はポンタさんのその日のドラムを全く覚えていない。
ただポンタさんとお話ししたことだけを覚えているのだ・・・

私はその連れて来た女の子にも非常に気を使っている。
こんなところに無理やり連れて来られたらやはり居場所もなく小さくなるのも無理はない。

色々気を使って女の子と話していたら、ある瞬間、ポンタさんはいきなりその女の子を怒鳴りつけた!!
「こらお女!!いい女ってのはなぁ、決して男に気を使わせたりしないもんだ。それを何だお前は!!」

そんなこと言われたって〜・・・女の子も泣きそうである。
「私・・・帰ります」

と言われたって帰られても困るなぁ・・・ポンタさんまた怒らないかなぁ・・・
などと思ったが全く気にする様子もなく、
「お前ももっと勉強してもっといい女になれよ」
ってな雰囲気である。

散々飲んで散々叩いて、帰り際にポンタさんは私にこう言った。
「末吉くん、俺は好きだよ、君のドラム・・・潔いからね」

潔い・・・いさぎよい・・・音楽用語でも何でもない・・・まるでヤクザの親分が子分を誉める時に使うような言葉に私は聞こえた・・・

この日は色んな笑い話があったが、結局私はポンタさんのドラムでも音楽の話でもなく、この言葉を一番大切に持ち帰った。


そして私は、師匠、私の師匠であるポンタさんは「潔い」を通り越した何かの境地にいるように私は感じている・・・

私もこのままこれを突き進めば、師匠のようにその先の「何か」に辿り着けるかも知れない・・・
そう思って今がある。

師匠のドラムは・・・いや師匠は・・・カッコいい!!
師匠のドラムは師匠の「人間」そのものなのである。

「無茶苦茶だなぁ・・・この人」と思ったことはここで書いたエピソードだけの話ではない。
でも師匠全体から見るとどこかピシッと一本筋が通っているし、何よりも人を惹きつけてやまない「魅力」がある。

だからこれだけドラムでその音楽を「揺さぶる」ことが出来るのだ。
師匠のドラムは師匠の「人生」そのものなのだ。


師匠の訃報を、私は中国さいはての街、ここ寧夏回族自治区で聞くこととなった。

残念ながら中国では師匠のことを知る中国人はいない・・・
でも耳の(感覚の?)いい人がもし師匠のドラムを聞いたら、
「え?このドラムFunkyさんが叩いてるの?」
と言うみたいなこともあり得るかも知れない・・・

よく中国の若いドラマーが私に教えを請いに来る・・・
その時に私は自分のブロークンな中国語を例に出してこう言う・・・

「俺の中国語を聞いて上手いと思うか?通訳やってるプロの方が全然上手い。でもお前はその人の話を聞きたいか?俺の話を聞きたいだろ。ドラムも同じだよ」

そう、速度300でひとつ打ちが叩けるドラマーが必ずしもいいドラマーではない。
「人を惹きつける」ドラマーこそがいいドラマーなのだ!!

そう言う時に、私の頭の中には常に師匠のドラムがあったのでは?・・・

とびっきり破天荒で、それでいて実はとってもちゃんとしてて、暴れ回ってるようで目一杯人を包み込む優しさを持っている・・・

師匠は先に逝ってしまったけど、師匠はいつまでも私の師匠である。

私は師匠ほどファッションセンスもよくないし女にもモテないけど、死ぬまでには師匠に負けないぐらい「カッコいい」ドラマーになっときますから!!

死んであの世とやらでまた飲むことがあったら、
「君の生き様は潔くって好きだよ」
ときっと言わせますから!!

そうなれるように頑張りますから!!
またあの世とやらで説教して下さい!!

それまで安らかに・・・R.I.P

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2021年3月 6日

最悪国外退去?!(◎_◎;)

カンボジアから上海に入って現在2週間のホテル隔離中である。

まあ隔離に対しても問題がないわけではない。
ホテルの2週間の隔離を終えたら更に2週間の隔離なのだが、
私の住所は北京にある。

北京は今国家の重要な会議である「全人代」が行われているので、入国して21日に見たない人間は入れない(>_<)

そうすると、ここ上海でもう2週間の隔離か、布衣が寧夏回族自治区に部屋を用意してくれているのでそこに行くか・・・

でもそもそもが隔離されてるんだからのこのこ飛行機乗って寧夏まで飛べるんか?・・・

まあその辺は隔離が終わったらなるようになるであろう。
最悪このホテルでもう2週間隔離すればいいだけの話である(笑)


ところがここに来てVISAの問題が噴出して来た。

もともと、急いで中国に入国したのは、私のVISAが4月8日に切れるからである。
コロナ禍により、今は中国政府は新しいVISAを発行してないので、それまでに入国しとかないと今度いつ入国出来るかわからない。

私の仕事の基盤はもうほとんどが中国なので、中国に入国出来ないと即ちそれは「仕事が出来ない」ということである!!

VISAのこと一式を頼んでた業者からメッセージが来る・・・
「Funkyさん、4週間後に隔離から出たんじゃVISAの更新間に合わないでしょう」

ってあんたがこの便やと間に合う言うからこの便取ったんでしょ!!
しかもこのような理由でそれより1週間早い便になってるし〜

「あ、本人いなくても会社が資料提出して更新の手続きをすぐに始めれば間に合います!!」

そやろ〜・・・とばかり胸を撫で下ろしたら、
「それじゃあ滞納している税金は全額支払ってくれますね?」

中国は60歳以上の人間に労働VISAを発給しておらず、私はあと数日で60歳になる直前に2年間のこのVISAを滑り込みで申請したのだ。

もう経済大国となってしまった中国は、ある意味アメリカよりも正規で労働をするのが難しい。

労働をしたい外国人は学歴や専門職技術、中国語レベルなど色んな方面で点数をつけ、そのランクによってはVISAが発給されない。

私の場合は年齢と、特に大学を卒業してないというところが大きなネックになっている(>_<)

学歴に関係ない職業として大学やめて音楽やり始めたのに、ここに来て学歴がないと中国に居られない→つまり音楽が出来ない・・・とかそんな状況に将来なるとは夢にも思わんかったし(涙)

専門技術とか中国語のレベルで払拭出来ないかと試してみたが、
「音楽のプロだよ」
では通じない。
「全人代ぐらいの会場でコンサートをやるぐらい」
というのはあるらしいが、
「ほな自分名義のバンド爆風スランプで何回も武道館やっとるやん!!代々木体育館もやっとるでぇ〜」
と言ってみたものの、
「国家指定の音楽会じゃないとダメ!!ロックとかはお遊びとみなされる」

(>_<)

中国語も「30年やってて生活言語ぐらいは全く支障なく喋れるよ」ではダメ!!
どうしても国家指定のHSKの試験で1級とか取ってないとダメらしい・・・

・・・ってかHSK1級持ってたら音楽なんかやらんで通訳やってるし〜(笑)

まあそんなこんなで、「税金をいっぱい納める人」という「社長さんVISA」みたいなのを取ってくれて今に至る。

だから税金いっぱい納めてましたよ〜
日本円で毎月5万円!!(高っ)

聞くところによると、これを4年間続ければグリーンカードをゲット出来て、そうすれば中国人と全く同じように働いたり暮らしたり出来るそうである。

ところがここに来て、その5万円という計算の仕方が間違っていることが発覚!(◎_◎;)

私を雇ってくれてる会社の話では、
「本当は税金は年間10万元(約160万円)なのだけれども、飛行機代とか経費を毎月2万元毎月集めれば毎月5万円でいい」
という話だったが、それはあくまでも会社が払う税務署関係の税金の話であって、VISAに関する税金は、経費を差っ引いてその後に実際に年間10万元支払わなければならないらしい!(◎_◎;)

・・・ってか無理(>_<)

今すぐ200万円以上未払いの税金を納めれば、今の会社ですぐにVISA更新出来る。
それが無理なら新しい会社で新しく申請することになるが、もしそれが遠らなかった場合、4月8日であなたのVISAは切れることになります、と・・・

まあ切れてもカンボジアみたいに自動延長出来るんちゃうん!!友達でそれやってる人おるし〜・・・

「労働VISAはそれが出来ません!!(キッパリ)」

!(◎_◎;)!!!!

いやね、このコロナ禍の真っ最中に「お前出て行け、とっとと自分の国に帰れ」はないでしょ〜(涙)

「今は日本便はいっぱい飛んでるから帰れないことはないでしょ!!(キッパリ)」

!(◎_◎;)・・・・・(涙)

いや、実際にそうなってみなければわからない。
外国人で労働VISA切れたまま滞在している人もいると聞く・・・

まあVISAのプロが言うのは医者と一緒で、甘い見通しではなく最悪のことを伝えるのが仕事である。
こちらも最悪のことを考えとかなければならない・・・


まずこの4週間の隔離終わって、1週間VISAの更新やって、そいでダメやったら日本なり、まあ今入れる外国はカンボジアしかないのでカンボジア?・・・
どちらも入国したら2週間隔離?

・・・ってワシ何しにここ来たん?・・・隔離そんなに好きなん?(涙)

いや、それどころか、一度出国したらコロナが完全に収まるまで中国には入れん!!
・・・っつうことは仕事が出来ん!!

・・・つまりこのまままた「無職」!!(◎_◎;)

あかんやろ(>_<)・・・死んでまうやろ・・・(涙)

ニュースを見るに、日本という国では今は決してライブなどやって稼げるご時世ではないようだ・・・
そもそも日本は自宅があると言っても滞在費がやっぱ高い(>_<)

和佐田ぐらい頑張ってライブを入れたところで、日本でライブやって今までそんなに黒字になった経験はないのう・・・

カンボジアではもちろん仕事はないが、その代わり生活費が安い!!
プノンペンはまあアジア諸国の中では高い方だが、シェムリアップまで行くと相当安い!!
プノンペンの翁さんラーメンかHIBACHI、シェムリアップのYOKOHAMAバーででも働かせてくれんかのう〜

ポイペトやラタナキリまで行けば・・・ってそこまで行ったら仕事ないやろ(>_<)

日本で物価の安いところ言うたらやっぱ四国かな!!
キャンピングカーがあるので、無料の駐車場のあるところで何か仕事あれば十分暮らしていけるのう(笑)

岡山に友達が農業やってるからそこに転がり込んで手伝おうかのう・・・
とか考えてたら逆にむっちゃ楽しくなって来た(笑)

そんなアホ話を上海の勝山としてたら、
「上海ならなんぼでも面倒見ますよ。住むとことメシと酒には不自由させません!!」
と言ってはくれるが、

その上海におられんっつうのが話の最初やろ!!!(笑)

まあ中国なら暮らせるところはいっぱいあるのだ。
だから誰かが今200万円貸してくれたら一番安泰よ〜
ついでに2年後に300万円貸してくれたらグリーンカードも取れる\(^o^)/

・・・返せんけど(笑)

っつうことで、どうなるかがわかるのは4月に入ってからやろうけど、
日本かカンボジアで「もしもの時はファンキーさんうちで働きなよ」というのがあるんやったら是非教えて下さい。
それを励みに生きてゆきます(笑)

まあ本筋では何事もなくVISAが更新されることを祈るのみですが・・・

Posted by ファンキー末吉 at:00:46 | 固定リンク

2021年2月26日

カンボジア出国と中国入国の戦い

私の中国のVISAは4月8日に切れる。

ちなみに中国では「60歳でまだ働くの?」という感覚なのかどうか、
60歳以上が労働VISAを取得するのは非常に難しい。
というわけで飛び込みで59歳の時に取ったVISAが切れるということは、
ただでさえコロナで新規VISAの発給を停止している現状としては、私としてはどうしてもVISAが切れるまでに入国しておかねばならない。

カンボジアでもそうだったが、一回出国してまた入り直してという「VISAラン」が出来る状況ではない現状では、中国でも既に入国している外国人のVISAは自動更新しているらしいので、今ここで入国しとかないともう中国のVISAは取れない、つまりもう中国に入国出来ない可能性があるのだ。

中国では現在入国してから4週間、28日の隔離だと聞く・・・
隔離が明けてからVISA申請して・・・ということで、まあ3月上旬に出国すればいいかな、まあコロナの状況もよくなるかも知れないから、チケットはまた近づいてから取ればいいや〜と思ってた矢先、
「早くチケット取らないとツアーがブッキング出来ないでしょ!!キー!!」
と、今参加している中国のバンド「布衣」の女性マネージャー(>_<)

というわけで急いで3月4日のチケットを押さえていた。

末吉覚さんの投稿 2021年2月9日火曜日

ところが2月ももう終わろうとする2月21日、カンボジアに住む中国人の友人からこんなメッセージが送られて来た。

中国入国に関する中国大使館からの最新情報がこちらの中国人の友人から送られて来たのだが、着いてから28日の隔離はまあ牢獄に入ると思って諦めているが、この「搭乗前に14日間の隔離」って実質無理やん!(>_<) どなんなってんの〜?!教えて〜偉い人!!(涙)

末吉覚さんの投稿 2021年2月20日土曜日

「搭乗前にカンボジアで14日間隔離」と言われても、搭乗まで14日もありまへんがな(>_<)

考えられる可能性としては、

その1、チケットを既に取ってあり、出国まで14日に満たないため隔離は免除される(予定が変わらず一番よい)

その2、2月25日にもフライトがあるので、それに変更すれば実施前なので隔離なしで出国出来る(バタバタするけどすぐPCR検査受けて急いで出国)

その3、フライトを後ろにずらして、14日間隔離してから出国(>_<)

これは中国大使館に行ってマジで相談してみるしかない・・・
というわけで朝いちで出向いて行ったら門前払い(>_<)

中国大使館なう!! 3月1日からということで交付された出国前の14日間隔離について運命の分かれ道〜

その1、チケットを既に取ってあり、出国まで14日に満たないため隔離は免除される(予定が変わらず一番よい)

その2、2月25日にもフライト...

末吉覚さんの投稿 2021年2月21日日曜日

まるでこの歌のような心境である。

まず電話しろ、そしてメールを送れ!!と言うので、
中国大使館の中国人用窓口には布衣のマネージャーから電話をかけてもらい、
並行してタカシに外国人用窓口にクメール語で電話してもらう。

まず大使館に貼られているこの電話番号はVISAに関する問い合わせのようで、
搭乗前14日間の隔離のことが聞きたいのに、
「まずVISAの写真を送れ!!それからだ!!」
と・・・

しかし送っても全く返事が返って来ない(>_<)

一番知りたいことは、このまま3月4日の便のままで隔離日数が足りないので免除してくれるかどうか、そして2月25日の便なら隔離は要らないのかどうか。

中国側の返事は来ない。
カンボジア側は、タカシが、
「別に隔離は要らないそうですよ」
ってそれいつのフライトの場合や!!(>_<)

隔離に関してはこんな情報もある。
「私の中国人の友人が去年の11月に中国に帰国した時も14日の隔離は必須だった」

それなら私の周りの中国人コミュニティーでももっと話題になってるはずやけどのう・・・

また私のVISAに関しては、
「全てのVISAは無効になっているので取り直した人だけが入国出来る」
とか
「2020年3月27日以前に発行のビザでは入国出来ない。3月28日以降発行のビザのみ有効」
とかいう書き込みも・・・

そう言えば中国の全てのVISAは一回無効にされて、労働VISAだけは今は入れるようになったという噂は聞いたことがある・・・

刻一刻状況が変わるので、「あの人がこうだったので私もこう」ということは必ずしも言えない状況なのである。

情報が交錯している時は一番確実な道をゆくしかない!!
まず隔離に関しては、とりあえずチケットは2月25日に変更しておく!!

3月1日から施行と書かれているので3月4日のフライトが14日間隔離に当たる(例えそれまでの時間が14日間に満たなくても)確率よりは、2月25日のフライトにも隔離が必要である確率が断然低いはずである。

幸いカンボジアで3度目の市内感染が起こって、来週のイベントは全部飛んでスケジュールは真っ白である。
バタバタではあるが25日に帰ることは出来る。

ところが中国のアプリ「去哪网」で取ったチケットは、ネットでチケット変更は出来ず、どうしても中国の電話で変更せねばならない(>_<)

しゃーないのでとりあえずこれは中国のマネージャーに任せて、
「25日のフライトになった場合、PCR検査はいつや?」
タカシにカンボジアの番号に電話させて問い合わせる・・・

「23日に検査に来て下さいとのことです」

ああいう検査って2日間しか有効じゃないんじゃないの?
25日にフライトで23日に検査したんじゃ、検査結果は24日までしか有効でないのではないの?

中国のマネージャーに確認する・・・

「Webで調べたら72時間とのことだから23日でいいでしょう。結果を受け取ったら大使館行ってその結果が反映された緑色健康QRコードを発行してもらわなきゃなんないんで、24日ではそれが間に合わない」

何かイヤな予感がする・・・
フライトは夜なのだ。ちょっと遅延すれば着くのは3日目である25日を超えて4日目の27日になってしまう・・・
これって到着時間から逆算して72時間じゃないの?・・・

ゆっくり調べてみたら、23日に検査して結果が出るのが翌日24日の夕方5時だそうで、なるほど24日に検査したのでは25日のフライトには間に合わない・・・

23日に検査に行く以外選択肢はないのである。

中国から連絡!!無事にチケットは変更出来た、と。
ではというわけで翌日23日にタカシを連れて検査会場へ・・・

PCR検査なう・・・長蛇の列(>_<)ほぼ全部中国人(笑)

末吉覚さんの投稿 2021年2月22日月曜日

タカシ要らん(>_<)
「ここは中国か!!」と思うぐらい全員中国人!!
そして案内のアナウンスから現地スタッフまで全員中国語を話す!(◎_◎;)

わからないことがあったら隣の中国人に聞けばいいし、スタッフもみんな中国語で話してくれる・・・

タカシを帰らせて並ぶこと長時間・・・
まず整理番号をもらうのに数時間、
それを持って実際に検査に並ぶのに数時間(>_<)

気が付けばもうまる半日ここで並んでいることになる・・・

噂で聞くと、昔はこの整理券を配る時に中国人が並ばずに殺到して、
番号をもらいたかった日本人がゲットすることが出来ずに検査を受けられない、
すなわち予定されていた便に乗れなかったという話もある・・・

さすが中国人(笑)

さて時間的に待たされるだけで、検査自体は喉と鼻の中、そして血液検査とあっという間に終わる。

ただ途中で何度か「日本人だよね?行き先は中国でいいの?」と確認された。

このご時世、有効な労働VISAを持っている日本人がカンボジアから中国に飛ぶというのは珍しいことなのだろう・・・

・・・ってかここでは中国人以外の外人が既にとても珍しいのだが(笑)


というわけで翌日夕方5時に陰性証明をゲット!!

末吉覚さんの投稿 2021年2月24日水曜日
末吉覚さんの投稿 2021年2月24日水曜日

ところが見れば中国人が何やらこの書類の写真を撮って携帯で色々やっている・・・

「明日大使館行って緑色健康QRコードもらうんだよね?」
「え?大使館なんか行かないよ」

!(◎_◎;)

「それどうやるん?教えて〜!!」
と言ったら中国のSNSアプリWeChatのミニアプリで登録しているようだ・・・

末吉覚さんの投稿 2021年2月24日水曜日

しかしこれは中国人だけしか使えないようだ・・・

末吉覚さんの投稿 2021年2月26日金曜日

中国のマネージャーに問い合わせてもらったらやはりこれは外国人には使えないらしい・・・
これは翌朝大使館に行くしかないな・・・と思っていたら・・・

末吉覚さんの投稿 2021年2月24日水曜日

しかしまた中に入れてもらえなかったらどうしよう・・・
とりあえず返事の来ないメールアドレスに一応予約のメールを入れてもらっておく・・・

しかし、持つべきものは中国通の友人である!!
なんと外国人がネットで登録出来るサイトがあるそうだ!(◎_◎;)

末吉覚さんの投稿 2021年2月24日水曜日

\(^o^)/・・・早速そこから入って色々情報を打ち込んでみた・・・

末吉覚さんの投稿 2021年2月24日水曜日

これであとは酒でも飲んで待ってれば良い!!\(^o^)/
・・・ということで本当に飲んでいたら赤色になって弾かれた(>_<)

末吉覚さんの投稿 2021年2月24日水曜日

原因は、どうやらIgM検査の結果とやらがないからということである。
ちゃんと血液検査やったぞ〜!!!

思うに、私だけが日本人のパスポートなので、まさか中国に行くなんて思わない、日本に帰るんだろうからIgMは要らないだろうと勝手に判断されたのだろう・・・

仕方がない、フライト当日であるが、もう一度検査場に行って結果をもらって、そこから大使館行って緑色健康QRコードもらって、そこから空港行ってチェックイン・・・

いくら夕方の便だとは言えかなりタイトなスケジュールやなぁ・・・
というわけで翌日の朝一番で検査会場!!

スタッフに事情を説明して廻って、最後にやっとその処理が出来るスタッフに巡り合う・・・

タカシを連れて行ったのだが、役に立たん(>_<)

「なんで書類もらった時にチェックしなかったんですか?」
と聞かれて
「そうですねぇ・・・」
とか言ってる場合じゃないじゃろ!!

結局自分で英語で、
「何言うてまんねん!!こんな英語ばっかりの書類もらってどうやって内容をチェックしまんねん!!こちらは全面的にそちらを信用するしかおまへんやろ!!」

とにかく捲し立てる!!
こちらが悪いとなったらその後に何も動いてくれなくなる・・・
それが中国式!!

中で待てと言われたのでひとり中で待つ・・・

末吉覚さんの投稿 2021年2月24日水曜日

ところが今度は中のスタッフに「外で待て」と言われる(>_<)
もうね、こんな時にも中国式に強い態度に出るしかない!!

ところが出勤して来た美人女医さん、ワシの書類をふんふんと見ながら笑顔でこう言った。
「じゃあ書類用意しますので11時にまたここに戻って来て下さいね、ニコッ」

あり得ない!!中国で、特に女性からこの「ニコッ」はあり得ない!(◎_◎;)

もうね、いっぺんに恋に落ちてしまう(笑)
カンボジア人女性は優しいのう・・・(涙)

というわけで11時にまたやって来てまたひたすら待つ・・・

3度目の検査場〜 11時に来いと言われて来てもまだまだ待たされる(>_<) このまま待たされ続けて書類もらっても時間切れで緑色健康QRコード貰えずに出国出来んとか?(>_<) は、は、は、あるある〜って笑い事じゃないけど(涙) - Spherical Image - RICOH THETA

先ほどの美人女医さんがまたやって来て、
「もうちょっとしたら書類取りに行って来ますからね、ここでそのまま待ってて下さいね、ニコッ」

この「ニコッ」に本当にやられてしまう。
中国人のおっさんだったら10分おきに
「ちょっと〜今日の飛行機に間に合わんじゃろ!!早うしてよ!!」
と急かすところ・・・(笑)

しかし「ニコッ」とやられたらもうそれで何も言うことが出来ない(>_<)
せっかちの私がこうして1時間近く何も言わずにずーっと待っているのだ(笑)

かくして新しい検査結果ゲット!!!!!

末吉覚さんの投稿 2021年2月24日水曜日
末吉覚さんの投稿 2021年2月24日水曜日

今度はちゃんと「IgM」という言葉がある!!
この書類をアップロードして、ひたすらそれが緑になるまで待つというわけだ・・・

末吉覚さんの投稿 2021年2月24日水曜日

もうね、精神的にかなりダメージが激しい・・・
文字通り本当に「酒でも飲みながら待つ」しかない(>_<)

おそらくこれがカンボジアでの最後の食事になるだろうから、愛してやまない翁さんラーメンへ!!

それまでは飲んで待つ!! 緑色になればそのまま祝杯、 2時間待ってならなかったら中国大使館に怒鳴り込む!! 怒鳴り込むんやで!!はいはい言うだけちゃうねんで!!働けよタカシ!!(>_<) - Spherical Image - RICOH THETA

ここで本当に飲みながら待った・・・(笑)
だいたい1時間〜2時間で反映されると言うので、14時になったら大使館に怒鳴り込みに行く!!

タカシにくれぐれも言っておく。
「ええか、怒鳴り込むんやで!!予約がないと入れない言われたら予約入れたのに返事ないやん!!とにかくこれをすぐに緑色にしろ!!優しく言うたら中国人言うこと聞いてくれんからな!!」

分かったのか分かってないのか、彼も先日の肝臓の疾患もよくなったということで昼からほろ酔い気分である(>_<)

そして2時になった!!まだ緑にならない!!
「行くぞ!!」喧嘩腰まんまんで大使館に向かう・・・

すると・・・

末吉覚さんの投稿 2021年2月24日水曜日

午前中しか営業してないんかい!!!(>_<)

終わったな・・・最後の手段としては、このまま緑色にならずに空港に行き、
そのQR検査の時にまた中国語で捲し立てて黄色のまま押し通すことである・・・

タカシと別れて空港へ〜

末吉覚さんの投稿 2021年2月25日木曜日

トゥクトゥクの中ではもう本当に意気消沈(>_<)
正直言ってかなり落ち込んでいる・・・

結局緑にならないまま空港へ〜 どうなるワシの人生?(>_<) - Spherical Image - RICOH THETA

空港に着いた。
空港のパネルを見ると韓国行きとかが遅い時間に飛んでいる・・・
中国のAPPで確認すると、それに乗ってソウル乗り換えだと日本までは帰れるようだ・・・

末吉覚さんの投稿 2021年2月26日金曜日

お値段は中国便よりはちょいとお高い(数字を約15倍すると日本円)が、
まあ国籍のある日本に帰るにはVISAは要らないわけだから、
最悪上海行きに乗れない場合は、その場でこのチケットを買って夜の便でそのまま日本には帰れるということである・・・

日本から中国に渡るには最低14日日本に滞在せねばならないが、
まあ今日の上海便に乗れなければ、あとは(おそらく)カンボジアで搭乗前14日間の隔離をしなければならない3月便に乗らねばならないわけで、
要はカンボジアで14日隔離するか、日本で14日間自主隔離するかの違いである。

最悪は乗れない場合このまま日本に帰る覚悟を決めて列に並ぶ・・・

チェックイン開始時刻には空港に着いていたのだが、既に中国人が列をなしていて私は最後尾、
「実のところこのQRコードってあまりチェックされてないんとちゃう?」
そんな期待を裏切るように、専門のスタッフが専門のテーブルでちゃんとチェックをしている(>_<)

私の順番を待つ・・・

順番が来た!!並んでる間にしミューレーションしてた通り中国語で捲し立てるが、担当職員は英語しかわからない(>_<)

仕方がないので知っている単語を総動員して英語で捲し立てる・・・
担当職員は私の携帯のリロードボタンを押したりしている。

「ほらリロードしてもダメでしょ!!半日ずーっとこうなんですよ!!」

中国的にはとにかく怒る!!
例えその担当職員が悪いわけではなくても怒る!!
そのことによって「ああ、とても困ってるんだな」と思ってやっと親身になって動いてくれるというものなのだ。

まあいくら中国人への対応に慣れているカンボジア人スタッフだって、こんな下手な英語でここまで捲し立てられたって困るわのう・・・(笑)

困って私の携帯をひたすらリロードしてたら突然QRコードが緑色になった!(◎_◎;)

チェックするところで係員に「中国語?それとも英語?」と聞いたら「英語」と言われたので、知ってる限りの英単語並べて大喧嘩してたら、喧嘩してる途中に緑色になった!(◎_◎;) これで乗れる!!・・・はず?

末吉覚さんの投稿 2021年2月25日木曜日

担当職員に深々と頭を下げて、あとは順調!!
残るはVISAの問題だが、VISAの種類の問題以前に、私のVISAは更新して新しくなる前の古いパスポートに貼られている。
つまり新しいパスポートでチェックインをし、中国入国のVISAの確認の時にはパスポート番号の違う古いパスポートを出すことになる・・・

予想通り担当職員に訝しそうな顔をされたが、
「これでいつも入国してるから大丈夫!!」
と捲し立てて事なきを得る・・・

ほんまはこれで入国すんのは初めてやけど・・・(笑)

あと、荷物を預けた後に健康証明のアプリに中国での住居とか色んな情報をアップしてQRコードをゲットせねばならない・・・

末吉覚さんの投稿 2021年2月25日木曜日

ゲット!!・・・これで取り敢えずは飛行機には乗れる・・・はず(>_<)

あと上海に着いて今度はVISAの問題で入国出来なかったりしたら、今度は送り返されるのはここカンボジアではない。国籍を持つ日本なのである・・・

さようならカンボジア!!ちょっと泣けて来た・・・

カンボジアの皆さん、一年間本当にお世話になりましたm(_ _)m もう涙腺ボロボロです(涙) またコロナ終わったら帰って来ます!! 本当に本当にお世話になりました!

末吉覚さんの投稿 2021年2月25日木曜日

飛行機は私より前の席は満席!(◎_◎;)私は最後尾だったので一番後ろの席だった。
空いてる席に替わろうと思ったら出来ないと断られた!(◎_◎;)

きっと何かの理由で後ろの席は空けてあるのだろう・・・

なかなか飛び立たない(>_<)
きっと手続きが遅れている乗客を待っているのだろう。
機内食の販売が先に始まったので、ビールと卤肉饭を頼んだら先にビールが来た!!

末吉覚さんの投稿 2021年2月25日木曜日
末吉覚さんの投稿 2021年2月25日木曜日

飲みたいのはマウンテンマウンテンなのだが、まあ卤肉饭が来てから・・・と思ったら来る前にどうやら離陸するようだ・・・

非常用設備の説明を防護服でやられると改めてコロナ禍だなと思ってしまう・・・

離陸して平行飛行に入ると卤肉饭が運ばれて来て、久々の機内食を堪能!!

末吉覚さんの投稿 2021年2月25日木曜日

これは瀬戸内海を渡る連絡船のうどんと同じように、
別にこれ自身の味が絶品なのではなく、機内で食うから美味いのであって、
しかしこうしてこの環境で中国らしく冷えてないビールと一緒に食うと、
あれだけ飛行機に乗ってた自分は改めて1年ぶりに飛行機乗ってるんだなと実感して感慨深くなって来る・・・


上海に着いた!!気温は10度・・・寒い(>_<)

末吉覚さんの投稿 2021年2月25日木曜日

入国のために並ぶ・・・

末吉覚さんの投稿 2021年2月25日木曜日
末吉覚さんの投稿 2021年2月25日木曜日

また厳重なチェックをやるのかと思ったら、出発前に登録したこのQRコードでパス!(◎_◎;)

末吉覚さんの投稿 2021年2月25日木曜日

思うにこのコロナ禍によって、毎回入出国に書くいろんなカードが全てこのように全部QRコードになればどれだけ便利か・・・
と思ってたら外人の入境カードはやっぱり手書きで書き入れなければならないのね(>_<)

花の穴に綿棒を突っ込まれてPCR検査を行なって晴れて入国!!
昔は必須だった外国人用の指紋チェックは行われなかった。

入国するまでにかなり長い時間がかかったので、荷物のレーンは動いてなかった・・・

末吉覚さんの投稿 2021年2月25日木曜日

荷物を取ったら上海居住者、近郊省居住者、そして私のように隔離後は北京とか遠い省へ向かう人間に分けられてバスを待つ・・・

末吉覚さんの投稿 2021年2月25日木曜日

この待合室に入る前にこのQRコードをスキャンして、必要事項を書き入れて自分用のQRコードをもらう・・・

末吉覚さんの投稿 2021年2月26日金曜日

それをパスポートに貼り付けて、その後は色んなところでこのQRコードをスキャンして手続きをする。
将来はパスポートもその情報をQRコード化していちいち写真ページを開かなくてもいいようになるのかなと近未来を想像・・・

バスが着いた!!

末吉覚さんの投稿 2021年2月25日木曜日

乗り込んで揺られること1時間!!

末吉覚さんの投稿 2021年2月25日木曜日

ホテルに着いた!!

ホテル自身が隔離されていて、一般客は立ち入り禁止。
防護服を着たスタッフが物々しく入り口に立っていて、
中国語で色々説明をした後に6人ずつ中に入れる。

中に入った人間から渡された書類に情報を書き込んで支払いをする・・・

末吉覚さんの投稿 2021年2月25日木曜日

ってか4620元(約7万円)なんか持ち合わせておりまへんがな!(>_<)

支払いはWeChatアプリ、AliPayアプリなどを使って支払うか、中国の銀行カードを使って支払うしかないのだが、残念ながら1年に渡るカンボジアでのその日暮らしのせいでどれも残高はほぼゼロである(涙)

カウンターで交渉ちう〜

末吉覚さんの投稿 2021年2月25日木曜日

「クレジットカードは使えませんか?」
使えません!!(>_<)
「ドルは使えませんか?」
使えません!!(>_<)

隣の乗客が「じゃあ私が両替してあげようか?」と名乗り出てくれたが、
実際にドルを渡すと、それが偽札ではないことを証明出来ないのでということで辞退(>_<)

真夜中なので誰かから送金してもらうわけにもいかず、
「明日会社から振り込んでもらうっつうことでダメなの?」
と泣きこむのだが、
「今日どうしても入金して貰わなければ困る」
と・・・

この担当者の物腰が非常に柔らかくて好感を持ったので私としても怒鳴り込んだりせず、ひたすら二人で「どうしよう」と困っていた・・・

「よし、じゃあ俺が立て替えようじゃないか!!人民元はいくらある?」

なんていい人なんだ!!
人民元残高をかき集めて3000元、残り1200元を立て替える代わりに、その担保として200ドルを置いて行け」

まあ両替としてはちょっと率は悪いけど、明日布衣から振り込んで貰えばそれで1200元払えば戻って来る。
まあこの人にしてもドル持ってたって困るだろう(笑)

「でも明日あなたはここにいるの?」
その質問に大袈裟にジェスチャーを交えながら彼はこう言った。

「いるに決まってるだろ?俺だってここに隔離だよ(笑)」

そうか・・・コロナで大変なのは乗客だけじゃないんだなと実感・・・
かくして部屋に入って今からここで14日隔離!!
その後は自宅にて14日・・・しかし私の自宅がある北京の院子は、その村に外国人の入村を禁止しているので入れない。
友人宅はその友人も隔離対象になるだろうから使えない・・・

はてさてどうなりますやら・・・

末吉覚さんの投稿 2021年2月25日木曜日


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2021年1月 2日

2021年 Don't Let The Sun Goes Down

中国もカンボジアも「正月」は別に一日だけの「休日」でしかないので、初日の出を見にシェムリアップに来たのだが、別にだからどうと言って「普通の休日」である。

大晦日のパブストリートはそれなりに盛り上がっている・・・

ふう〜・・・遠かったぁ(>_<...

末吉覚さんの投稿 2020年12月31日木曜日

カウントダウンはこんなん・・・

さすがカンボジア最大のパブストリート!!三密どころか狂乱のカウントダウン!(◎_◎;) まあこの国では一応市内感染はゼロやからなぁ・・・

末吉覚さんの投稿 2020年12月31日木曜日

まあ「正月気分」と言うには程遠い(笑)

ちょっと仮眠してアンコールワットに初日の出を見に・・・

アンコールワット遺跡にて初日の出待ち〜 チケット売り場に日本人多し!! 日本人の土着信仰やからなぁ〜こちらで住んでたら行くやろな(笑) チケットは顔写真入り!!(◎_◎;) メインスポットには撮影者多し!! いや、こっちでおったら来るやろな(笑)

末吉覚さんの投稿 2020年12月31日木曜日

ビール飲んで景気付け(笑)

朝ビール開運法!! いや〜今年はええ年になるでぇ〜絶対!!知らんけど(笑)

末吉覚さんの投稿 2020年12月31日木曜日

まあこれで正月は終わり!!
バイクをゲットしたのでカンボジア全25州を全部ツーリングで廻るか!!
・・・と「今年の目標(っつうかあと2ヶ月しかこの国にはおらんが)」みたいなマネをしてみたが、レンタルバイクでは州を跨げないということで挫折(>_<)

シェムリアップでバイクゲット!! 長距離も走れるちと大きいやつを地元の春香嬢が借りてくれました〜 これでツーリング廻れるな!! 念願のカンボジア全25州制覇もバイクなら楽しいぞ!!\(^o^)/ 問題は椅子にもなる便利なケースが乗らん(>_<) 抱えて走ってたが途中荷造りゴムをゲットしてもう完璧!! と思ったら春香嬢から・・・ レンタルバイクで州越え出来んのやと(涙) 心折れる元旦の午後(>_<)

末吉覚さんの投稿 2021年1月1日金曜日

凄いなぁ〜レンタルバイクにはGPSがついてて州を跨いだ瞬間に借主に警告の電話が来るのかぁ!(◎_◎;)
・・・と思いながらその辺の路上でメシ!!

末吉覚さんの投稿 2021年1月1日金曜日

これが「おせち」じゃないから正月気分が出ないのな(笑)

まあ全く正月気分を味わいたい欲求もないのでそのままシェムリアップに帰って来たのだが・・・

バイクを手配してくれた春香嬢に誘われてメシ!!

末吉覚さんの投稿 2021年1月1日金曜日

これがまたトルコ料理なので全く正月気分もなく(笑)、春香嬢が場末のバーストリートに連れてってくれたのだが、そこがまた場末で(笑)・・・

そんな中で
「じゃあ日本人の親娘がやってるメタルバーがあるんですけど行ってみませんか」
とキタ!(◎_◎;)

そんなんあるん?・・・とばかりに二人で向かうが、シャッターが閉まってて休日(>_<)

ところが店を閉めて帰ろうとしていた日本人の親子が、私たちに気づいて話しかけて来て、帰ろうとしてたトゥクトゥクをキャンセルしてわざわざ店を開けてくれた!(◎_◎;)

おお!!なかなかオシャレな店ではないか・・・

末吉覚さんの投稿 2021年1月1日金曜日

METAL&ROCK RESTAURANT(笑)

末吉覚さんの投稿 2021年1月1日金曜日

でも店の内装でちょっと引っ掛かったのが・・・

末吉覚さんの投稿 2021年1月1日金曜日

ところ狭しと貼られたメタルのポスターの下に座敷?・・・
この雰囲気ってなんか新宿二丁目っぽい・・・

とか思ってたのだが思い出した!!「新宿ライブインムラサキ」?!!

あったなぁ〜そんなメタル居酒屋・・・確かライブもやってたんやなぁ・・・
潰れたけど(>_<)

いや〜そんなロック好きど真ん中みたいな店、商業的に成功せんで(笑)

超大都会の東京でも成功せんのに、こんなアジアの片隅のしかも首都ではないシェムリアップ の場末のバーストリート(笑)でこんな店をやってる親娘がこの方々!!

末吉覚さんの投稿 2021年1月1日金曜日

いや〜マジで尊敬するわ〜m(_ _)m

お母さんのロック好きが転じて娘さんがロック好きにと想像してるが、
色々曲をかけてもらうとこれがコア!!

バイオリンやバンジョーが入ってる「フォークメタル」とか、「パイレーツメタル」とか、ジャンル名でもう全くわけがわからん!!(笑)

この雰囲気・・・やっぱ新宿二丁目辺りにあったなぁ・・・
朝までやってるロックバー・・・歌舞伎町にはメタルしかかからんメタルバーもあったなぁ・・・

末吉覚さんの投稿 2021年1月1日金曜日

シビレるなぁ〜このセリフ・・・

数々のロックファンが、こうしてロックを愛する者だけが集える空間を作っては潰れ、数々のミュージシャン(私を含む)がその空間に身を浸して夢を描く・・・

まるでMetalを愛して、それと共に生きて、その屍を乗り越えてまた次の者がその魂を継いでゆく・・・
だからMetalは不滅なんだよ、と・・・

私はたまたま商業的に成功したからいいようなものの、そんなバーやそんなロック好きのほとんどが玉砕し、夢は砕け散って「青春」という「パンドラの箱」にしまわれる・・・

「それを開けたらまた貧乏に逆戻りだよ」
そう自分に言い聞かせて、会社での地位も上がり、子供も手が離れて、結局またその箱を開けてはバンドなりをまた始めたり・・・

確かに店自体は潰れても、ロックは決して死んでない。
確かに「NEVER DIE」なのである。

おそるおそるX.Y.Z.→Aの曲をかけてみる・・・

これプノンペンのガールズバーで大音量で聞くとお姉ちゃん達ドン引きすんのよなぁ(笑)

いや、二井原の・・・というか橘高のギターによるものが大きいかな、そのメタルサウンドと、それに煽られてツーバスを踏みまくるこのドラマー(笑)

・・・それがこの店の空気に溶け込んで生き生きとして聞こえるのよねぇ・・・(涙)

このビデオには過去の色んな映像が挿入されているが、色んなことを思い出して涙が出て来た・・・

アメリカ行ったなぁ・・・ライブもやったなぁ・・・
XYZっつう同じ名前のLAのバンドのメンバーが見に来てて、「俺のバンド名使うな!!金よこせ!!」と告訴されかかって、拙い英語のメールで応戦して命がけで退けたりしたなぁ・・・

100本ツアーや、全県ツアーや、金にもならんのに命がけでやってたなぁ・・・(笑)

私が一番思い出す・・・というか忘れてはいけない再確認みたいなことが、
「自分は何なのか」
ということである。

当時中国でスタジオミュージシャンとして一番売れてて、
中国のヒットチャートの半分は自分のドラムであるような時代もあった。

そんな中で、ギャラより高い飛行機代を出してなぜわざわざ日本まで飛んで、金にもならんライブやって・・・(笑)

決して多くのファンに支持されているバンドではない。
・・・ていうかそういう「音楽」ではない。

メタルなのだ!!・・・メタルを愛する人だけが聞く音楽なのだ・・・それを好き好んでやっているのだ・・・

小さなライブハウスの中でドラムを叩く・・・
ほんの数十人、多くて数百人の人だけが拳を挙げる・・・

二井原が歌う、「Don't Let The Sun Goes Down」・・・
私はいつもこう思って来た・・・

「俺たちはこいつらの太陽なんだ」と・・・

ラウドネスを愛し、筋肉少女帯を愛し、そして爆風スランプなど日本のロックを愛し、「青春」をどこかに置き忘れた人たちが、また「パンドラの箱」を開けて俺たちと一緒にツアーを廻る・・・

「この太陽(つまり俺たち)を沈ませてはいかん!!」
俺は死なない!!Never Die!!
そう思うから今日も俺は命懸けでツーバスを踏む!!

ヤツらの「太陽」はこんなところで挫けはしない!!
「もう無理だ!!」と思っても挫けない!!
死ぬ気でドラム叩いて、いつでも輝き続けて、その光で彼らを照らし続けていきたい・・・

そう思って中国から日本に飛んで来てた。

もしその数少ないファンがいなかったら、
私はスタジオミュージシャンとして、そして日本では「元有名人'」としてその一生を終えてただろう。

私が死んだ時、日本の新聞はこう書くに違いない。
「元爆風スランプのドラマー死去」

俺が生きて来て死んだ意義ってたかだかそれ?(笑)・・・

私が死んだら中国では墓跡にこう刻まれるだろう・・・
「中国ロックを愛し、中国ロックと共に生きた男、ここに眠る」

日本なんて捨ててもよかった。
あんな国、くそっくらえだといつも思う。

でもX.Y.Z.→Aがあるから、そのファンがいるから、俺は死ぬまでこのバンドをやるだろうし、このバンドをやり限り俺は「ロックドラマー」として生きてゆける・・・

こんなことを言うとまた爆風ファンに炎上するかも知れないけど、
X.Y.Z.→Aは私の「終の住処」なのである。

土方歳三が、ただ武士に憧れたただの田舎の百姓が、
ただひたすら愛する新撰組を守って生きて来て、
最後には幕府軍の最高司令官まで登り詰めて、
そして最後にはひとり馬に乗って敵陣に乗り込んで死ぬことになる・・・

「何者だ!!名を名乗れ!!」
それに対して彼は「幕府軍最高司令官」とは言わなかった。;
「新選組副長!!土方歳三ここにあり!!」
と言って死んでいった・・・

最後の「武士」である・・・

もし私が死んだら・・・
中国では私が録音した数々のロックの名曲が流されるだろう・・・
日本では?・・・

Runnerが流されるのが日本人には一番ピンと来るに違いないが、
私としては是非この曲を流してみんなで拳を挙げて欲しい!!

そんなことを考えながらこの店で酒を飲んだ・・・

人生は素晴らしい!!
人生は美しい!!
人生は光り輝いている!!

そう、人生こそが「太陽」なのである!!

アジアのほんの片隅のこんな国(失礼)の、首都でもない小さな街(失礼)の、場末のバーストリート(失礼)の片隅で、メタルを愛し、メタルと共に生きる親娘と会った。

この店は私の「太陽」となった。
あと2ヶ月しかこの国にはいないけど、またきっとその「太陽」を拝みに来る。

それまでずーっと潰れないで欲しい・・・
「Don't Let The Sun Goes Down」

昇った太陽を沈ませないことがどれだけ大変か、こうしてオープンした素敵なバーを維持することがどれだけ大変かを私は知っている。

挫けずに踏ん張って、本当に愛するものを守り続けていって欲しい・・・

それこそが「ロック」なんだと私は思うぞ・・・


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Posted by ファンキー末吉 at:08:06 | 固定リンク

2020年12月19日

海外のATMでお金が呑み込まれたらこうなる(>_<)

その日はタカシが朝から慌ててて、お母さんのことで至急お金が要ると言うので一緒にATMに行った。

9月4日カンボジア時間9:15
PhnomPenhCommercialBankATMTerminal11200004
にて
銀聯(UnionPay)を介して現金290ドルを引き出し。
(Traceナンバー:291915)

これはその時のレシートからのメモ。

末吉覚さんの投稿 2020年12月18日金曜日

そう、このままATMからカードだけ出て来て、残高不足だろうと思ってそのまま別のATMに走ったのよね〜

お金はカードの後に出て来るのよ〜(>_<)
慌ててたから忘れてた〜(涙)

急いで戻ってみたが、既に現金はATMに呑み込まれてしまっている・・・

いや、他の人が来て現金を持ち逃げした可能性もあるにはあるが、すぐに戻って来たことと、そのATMはあんまり利用客がいないので、その確率は考えないことにした。

すぐさまPPCBankの本店に走り、タカシにクメール語で事情を説明させる・・・

ところがふと見ると2Fに「Japan Desk」というのがある!(◎_◎;)

行ってみると日本人スタッフがいて日本語で対応してくれた。

担当者の名を仮にAさんとしとこう。
なかなかの美人である。

Aさんに情報を全て渡す。
それを受けての情報が戻って来るのは1週間後だと言うので、一週間大人しくしてて翌週Aさんと連絡を取ってみた。

9月10日
「中国の銀行様から弊行宛に返金処理の申し立てを受けたあと、弊行内で返金手続きをいたします。」
とのことで、翌日9月11日に中国の銀行に連絡を取るのだが、これがまためんどくさい(>_<)

ネットで調べてWebからの連絡は取れず、国際電話で直接電話して処理するしかない。

北京に電話をするのはいいのだが、電話代のことよりも何よりも、私の中国語力で、おそらくこの専門用語満載となるだろう返金処理が出来るのか・・・

30年中国語で暮らしてはいるが、所詮は「生活言語」である。
生活の中で全く出て来ない単語など知る由もない。

「こりゃ無理やろな」と思ったので北京の翔くんに振った。

「お前ちょっとワシになりすまして電話せい!!」

「なりすましですかぁ・・・(>_<)」
最初は嫌がってた翔くんも
「しゃーないなぁ〜・・・」
とばかり腰を上げてくれた。

デジタル化が進んでいる中国では、逆にパスワードとかを渡しておくとなりすましは簡単である。

中国の銀行が言うことにゃ、銀聯(UnionPay)と連絡を取り、返金まで7-15営業日で返金されるとの回答。
ところが1週間経っても全く音沙汰がないので、またカンボジアのPPCBankに連絡してみる。

Aさんの言うことにゃ、
「カンボジアの連休のため、銀行業務も全てストップしております。
また、通常のクレジットカードの返済手続きでも1ヶ月以上かかりますので、恐らく今回のケースでも同様お時間がかかると思います。」
とのこと。

「しゃーないなぁ〜・・・」
1ヶ月以上経った10月12日に再びAさんに連絡。

確認するとのことで13日に下記のような返事が来る。
「確認しましたところ、UnionPayから弊行に連絡があり、レポートが届いております。あとは、中国の銀行様より弊行宛にご連絡がありましたら、お手続きを進めさせていただきますので、ご連絡下さい。」

なんかたらい回しにされてるような気がするが、すぐに中国の銀行に確認したところ(と言っても翔くんがやるのだが)、
「それ以上具体的な話はシステム上やることは出来ない」
とのこと。

つまり、中国の銀行としては銀聯(UnionPay)にレポートを送っているわけで、そこから先のことは動きようがないということ!(◎_◎;)

え〜〜〜!!ってなもんである。

それからAさんと延々押し問答が始まる。
カンボジア側は
「中国側から返金請求が来なければ返金手続きは出来ない」
中国側は
「もうそれはやったからこれ以上動けない」

これではワシの金はいつまで経っても返って来ないではないか!!(涙)

カンボジア側から中国側に
「中国さん、まだ返金請求来てませんよ」
とか、中国側からカンボジア側に
「もう送ったのに何をトラブってるんですか?」
とか直接連絡してくれればいいのに、両方ともが
「それはシステム上出来ません」
と頑なにそれを拒む(>_<)

間に銀聯(UnionPay)が入っているなら双方がそこを突いてくれればいいのに
「もうこれ以上は動けない」
なのよねぇ~(涙)

Aさんは本当に親切に調べてくれて、
「中国側から銀聯(UnionPay)に対してどうなってんのかを問い合わせて下さい」
とおっしゃるが、カンボジア側だって
「うちはシステム上これ以上は動けません」
なのだから、中国側だってそれが出来るはずがない(>_<)

銀行業務は一円でもお金が合わなければ徹夜してでもちゃんと帳尻を合わせると聞く・・・

そのATMには290ドルが戻って来て宙に浮いてるんだから、銀行ではちゃんと動いて持ち主に返すべきなのではないのか?

「この引き出したカードが本当に末吉様のものであるという証明が出来ませんのでうちからは返金出来ません。中国の銀行がそれを証明して返金請求をしてもらうしかありません」

・・・って防犯カメラにはワシが引き出す姿が映ってて、ワシがそのカード本体を持ってそちらに来てるんやから、こりゃ間違いなくワシのカードでワシの金やろ!!!

もうね、海外に居ながら日本社会に帰ったようなもんである。

これが逆だったら方法はある。
「中国のどの銀行だ?よし!俺の知り合いが偉いさんだから聞いてみるわ」
とかで終わりである。

ところがカンボジアの担当者(にたまたまなってくれた奇特な)Aさんは、たまたま日本語デスクにいただけで、自分の本来の仕事とは全く違うことを仕事としてやらされているに近い。

カンボジアの会社としては「うちのシステムはこうなので」と上から言われたらそれまでである(>_<)

もうこのやり取りがよっぽど嫌になったのだろう。
「ではうちのその担当者を紹介しますので、そちらと直接話して下さい」
ということになった・・・

これは非常に困る。
一応生活言語としては不自由なく暮らしているレベルの中国語でも、このやり取りは無理だろうという交渉である。
ワシの英語力じゃ全く無理やろ・・・タカシにクメール語で電話させるか・・・
いや、もうお金かかっても弁護士雇ってやってもらおうか・・・

とまで思ってた頃、とあるカンボジアの日本人社会の重鎮であるBさんと飲んだ。

「あ、そういうことなら、私が日本人会と日本大使館を動かして圧力をかけましょう」

この人はなかなかのタカ派である。
明らかに「この人のもんだ」と分かっているのにイチャモンつけて返金しないというのは「ネコババしてる」と思われても仕方ありませんよね!!
日本大使館としては「法人保護」の名目でこの日本人を助けるべきでしょ!!・・・てな感じ?

しかしAさんとしてはこれを担当者にやられたのでは大問題になるので、やっぱ担当者の連絡先は教えてくれず、自分の担当ではないにも関わらず長電話してワシを説得!!

「ご理解頂けますか?」
と言われても「そういうシステムなんだから無理」と言われたらそう理解するしかない(>_<)

そうのこうのしているうちに翔くんのところに(というより翔くんの電話番号を私の電話番号として伝えてある)メッセージが届く・・・

末吉覚さんの投稿 2020年12月18日金曜日

おう!!これは!!!
60日後に返金されるのね\(^o^)/
と思ってAさんに連絡する・・・

「うちには相変わらず何も届いてません!!」

(>_<)

もうね、このままずーっとワシの金はカンボジアで眠るの!!(涙)

全ての気力が失せて、数日間茫然と暮らしてたらAさんから連絡が来た。

「全ての手続きが終了しました」

おう!!それで返金が来なかったら今度は中国と戦うのか!!!(>_<)

もうね、精神ズタズタで待つこと60日、呑み込まれた日からは既に100日!!
とある日しらっと中国の口座に無事返金されていた!(◎_◎;)

まあ結果よければ全てよしで、むしろAさんには多大な迷惑をかけてすみませんというところである。

皆さまも、海外でATMから引き出しをする時は、
カードの後から現金が出ますからね!!
カードの後から現金が出ますからね!!
カードの後から現金が出ますからね!!
カードの後から現金が出ますからね!!
カードの後から現金が出ますからね!!

くれぐれもお気をつけ遊ばせ(>_<)

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2020年12月17日

カンボジア王国ラタナキリ州最終夜

たまたま客引きに来たトゥクトゥクの運転手サント君と出会ったおかげで楽しい旅になった。

ドラムも叩けたしカラオケにも行った
目的地であった中国村にも行けた

あとはメシ食って次の街へ行くだけなのだが、最後やっぱり彼と、彼の友達、出来ればご家族なんかともメシを食ってお別れしたい。

最初にメシ食った時も
「奥さん子供いるの?食事に連れておいでよ」
と誘ってたのだが、
「うちは遠いからなぁ〜彼女は来たがらないよ」
と言ってた。

ところが昼間には子供と一緒に来た。

さてと今日はいよいよ最終目的地の中国村ラオス村!!サント君はバイクに乗り換えて子供と共に現れた!(◎_◎;)一緒に観光行くのか? なんで人んちの子供に朝メシ食わさないかんのかようわからんがまあええわ楽しいし(笑) ってか途中ノーヘルでポリスに捕まるところぶっちしてんですけど!(◎_◎;) やっぱここにも警察おるんや(笑) 3人乗りでノーヘルで40km行くんか?・・・ええけど(笑)

末吉覚さんの投稿 2020年12月14日月曜日

「夜は奥さんも一緒に食事に」
と言うと二つ返事である。

きっと彼自身も楽しかったのだろう。
ただの「客」だったら奥さんも出不精になるところ、きっと旦那がとっても楽しそうだったから一緒にと思ったのだと思う。

お迎えはクム君のトゥクトゥク!!・・・相変わらず派手やなぁ〜(笑)

カンボジア王国ラタナキリ州のトゥクトゥク - Spherical Image - RICOH THETA

着いたところは何やら大きなスーパーマーケット!!
そこの周りがレストランみたいになっとる!(◎_◎;)

末吉覚さんの投稿 2020年12月16日水曜日

サント君ご家族!!

末吉覚さんの投稿 2020年12月16日水曜日

ここはバーベキュー(和佐田)屋さんらしく、お任せで注文してもらったのだが、海鮮ばっか頼みよる!!(◎_◎;)

末吉覚さんの投稿 2020年12月16日水曜日
末吉覚さんの投稿 2020年12月16日水曜日
末吉覚さんの投稿 2020年12月16日水曜日
末吉覚さんの投稿 2020年12月16日水曜日

カンボジアの中では海から一番遠い街やぞ〜!!
それに牡蠣なんか当たったらどないすんの〜!!!

ま、ええか・・・寝てりゃええだけやし(笑)

ご家族大喜びで箸が進む・・・

末吉覚さんの投稿 2020年12月16日水曜日

ここはベトナムとラオスとの国境の街、海沿いに細長い国土を持つベトナムは、入国したらもうすぐに海である。
ひょっとしたらこれら海鮮はベトナムから入って来てる?・・・

などと考えてたらダナンでよく食べた、この料理の汁をフランスパンに浸して食うのがむっちゃ美味かったことを思い出した!!

「ここパンないの?」
そう聞いてみると、クム君が自分のトゥクトゥク乗って買いに行ってくれた・・・

末吉覚さんの投稿 2020年12月16日水曜日

「お前なぁ!!こんなに買って来てどうする気ぃ?!(大笑)

もうね、ここでタガが外れた。
もう何をやっても可笑しい、箸が転んでも可笑しい女子高校生のようである。
(今日びの女子高生は箸が転んだぐらいじゃ笑わん(>_<))

とりあえず食ってみる!!

末吉覚さんの投稿 2020年12月16日水曜日

もうね、むっちゃ美味くて笑いが出て来る(涙)

予想通りイカの炒め物の汁も最高!!

末吉覚さんの投稿 2020年12月16日水曜日

もうね、何でもないのだが何故だかむっちゃハイで大笑いな食事会でむっちゃ楽しい!!

ラタナキリ最後の晩餐 - Spherical Image - RICOH THETA

仮谷家でバーベキューした時に酔っ払った仮谷君がよく言うのだが、
「何を食べるかじゃないんですよ!誰と食べるかなんですよ!!」

なるほどなと思う。
思えばプノンペンにいる時にはいつの間にやらカンボジア料理なんか食わなくなってきてた・・・

中国から旅でプノンペンに来た時には、リバーサイドのペッパーステーキや、ソバンナIIのイカとグリーンペッパー炒めとか必須やったのに、こうしてプノンペンで暮らしてると滅多に食いに行かん・・・

まあ「いつでも食える」というのはあるけど、基本的に日本レストラン行って、おもろいオッサン(土井さんとか翁さんみたいな(笑))と飲むのが楽しいからな・・・

旅に出たら逆にカンボジア料理しか食わん!!
旅先で日本料理屋探して・・・というまで日本料理が好きではない。

やっぱこういう食事が一番楽しいわ・・・

食い終わって「スカイバーへ行こう」というのでまたひとり大笑いした。
だってこの街にはビルらしいビルもネオンも何もなく、夜景どころか高いとこから見て楽しいものはひとつもないのだ!(笑)

斜め前のスカイバーが入っているビル・・・
今まで見た中では一番大きなビルやな・・・

末吉覚さんの投稿 2020年12月16日水曜日

ご夫婦ハッピー!!こちらまで幸せになって来る・・・

末吉覚さんの投稿 2020年12月16日水曜日

そしてこの街の夜景!!(笑)

末吉覚さんの投稿 2020年12月16日水曜日
末吉覚さんの投稿 2020年12月16日水曜日
末吉覚さんの投稿 2020年12月16日水曜日
末吉覚さんの投稿 2020年12月16日水曜日

全く夜景でも何でもないんですけど〜〜〜!!!!(笑)(笑)(笑)

店のオリジナルカクテルみたいなん頼んでみたら、何この量!(◎_◎;)

末吉覚さんの投稿 2020年12月16日水曜日

いやね、カンボジアやけどもう関西弁で突っ込むわ!!
「何やこれ?!!こんだけ量入れる必要あるんかい!っつうねん!!!」

ここでまた大笑いしてるうちに思った。
「何でもないことで大笑いしてると楽しいなぁ・・・」

誰かが言った。
「人を笑わせることの難しさよ、人を怒らせることの簡単さよ」

それを言うならこう思う。
「人を笑わせることの難しさよ、自分が笑うことの簡単さよ」

「赤ちゃんが笑うのは可笑しいからじゃなく幸せだから」
という言葉も思い出した。

大人になって「幸せ」や「笑うこと」や全部忘れてしまって、
何やら「不幸」ばっか背負って生きてるようになるけど、
笑えばええのよ笑えば!!

なんか着いた時から笑いっぱなしの楽しい旅やったなぁ〜

こんな言葉でシメてみましょう。
「旅はどこに行くかじゃないんですよ!誰と会うかなんですよ!!」

末吉覚さんの投稿 2020年12月16日水曜日

はてさて次の街ではどんなことが起こるかな・・・

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Posted by ファンキー末吉 at:09:54 | 固定リンク

2020年11月15日

わらしべ長者?新手の詐欺師?

コロナの影響で働いてたライブハウス「オスカー」が閉まってしまい、よっぽど食い詰めたのだろう、「インスタントラーメンでいいから恵んで下さい」と客である私のところにメッセージを送って来たタカシ。

その時の話:カンボジアよもやま話

その後の話:タカシの話

彼の生活はこんなん・・・:タカシの部屋

恋をしたりもしてたようだ・・・:タカシの恋

カジノで人生終わるかもということも・・・:タカシの人生が終わった日

そしてそんな彼がMC界のスターとなって大成功するかも知れないチャンスがやって来た!!:わらしべ(インスタントラーメン)長者?


さてここで私のブログには彼がその後どうなのかということには触れられていない。

私のブログの読者はカンボジアにもいるらしく、会ったら
「ああ、あなたがあのタカシくん!!」
という人もいれば、日本から
「これでタカシに何か美味いもんでも食わしてやって下さい」
と送金してくれる人まで現れる始末(笑)

日本人の中ではちょっとした有名人である・・・

そんな彼のその後であるが、結局はMCの仕事はやめて、古巣のオスカーへと戻って行った。
まことに面白くもない男である(笑)

それよりもコイツ、その間にワシからいっぱい借金しとる(>_<)

「家賃払わなきゃなんないんで50ドル貸して下さい」
とか
「お母さんにお金送らなきゃなんないんで20ドル貸して下さい」
はまだよい。

一緒に飲んでて「ほな寝るし〜帰るわ」と言うと、
「僕もう一軒行きたいんで10ドル貸して下さい」
から始まって、
「今日妹と飲みに行くんで」
ってお前ひとりっ子やったんちゃうの?(笑)

そんなこんなでヤツの借金は軽くヤツのひと月分の給料を上回り、まあ客から多くチップをもらったら10ドル返しぃの、それでもどんどんと増え続けてたある日、ヤツは真顔でこんなことを言う。

「お母さんの家が売れそうなんです!!」

お前のお母さん家持ってたんか!(◎_◎;)
まあそりゃよかった!!

「家が売れたらそのお金で僕は夢だった自分のレストランやるんです!!」

そうそう、ヤツはこのインタビューで、自分の夢を
「小さくてもいい、自分のレストランをやりたい」
と語ってた・・・

しかし全くもって面白くない男である。
わらしべ長者みたいにちょっとずつ出世していってくれたら面白いプログネタになるものを・・・(笑)

「それでね、その家の名義を変更して僕の名前を入れるのに登記料500ドル要るんです。それをやると僕が直接やり取り出来て、僕にもお金が入るんでお金はまとめて返します」

もうね、「まとめて返すからもう500ドル貸してくれ」まで来ると、これは「わらしべ長者」どころか新手の「詐欺」である(>_<)

でもまあ、この国で結局一年近く暮らすことになって、こいつのおかげで結構楽しかった!!
ひと月100ドルぶん笑かせてくれたと思ったらええか!とばかり貸してやった(笑)

これで借金は1000ドル近くになり、月給140ドルの人間には到底返せる額ではない!!
まあチップの入った日には10ドルとか、ちょっとずつ返してもらうしかないな。
お母さんは「家が売れなかったら貸してでも必ず返しますから」と言ってるらしいが、まあその本人とは会ったこともないのだからアテにはならん(笑)

「僕、昼間の仕事もしようと思ってるんです・・・」

そりゃええ!!せえ、せえ!!
昼間うちのこと色々手伝ってくれるんはええけど、やっぱ昼も夜も働いて、さっさとワシの借金返すのじゃ〜

・・・ってな話をしてたのだが、サラリーマンになるほど学もなく、手に職があるわけでもない愛想だけが取り柄の男にそう簡単にカタギの仕事があるわけはない。

そんな中で同じくオスカーで働いてた女の子が自分のネイルサロンを出した!!

しゃーないなぁ〜日の出る国からやって来たファッションリーダーとしてはネイルぐらいやらなあかんやろ〜

ファンキー末吉BLOG:Ah Daのネイルサロン
https://www.funkyblog.jp/2020/11/ah_da.html

末吉覚さんの投稿 2020年11月11日水曜日

路面店とは言え、立派な「一国一城の主」である。

「出来るんや!!」・・・タカシも色々刺激を受けたのであろう・・・
「僕、両替屋やろうかな・・・儲かるらしいですよ」

街中には外国紙幣だけじゃなく、こちらの通過リエルと、実際に流通してるドルとを両替してくれる屋台みたいなのがたくさんある。
実際100ドル札などあっても店とかではお釣りがなくて使えないので、かく言う私も結構利用させてもらうことも多い。しかし・・・

「お前なぁ、その元手はどないすんねん!!
色んな国の金をある程度ストックしとくってどんだけ元手が必要やねん!!(怒)」

そんなアホみたいな話の中でひとつだけ頭に引っ掛かったことがある。

「オスカーの前で屋台やったら儲かると思うんですよね〜店のお姉ちゃん達、店に来たらまず腹へった〜でその辺から出前するし・・・」

別にヤツの口車に乗ったわけでも何でもない。
そのアイデアが無性に頭にこびりついて「これは行ける!!」と思えて仕方がないのである。

「まずな、オスカーのボスにお伺いを立てるんやぞ!!なんなら売り上げの何パーセントか落としてもええ。店の客に出前出来るようになったらなおええ。屋台の客はビールはオスカーのを飲ませますからとか言うて・・・」

そしたらタカシ、
「オスカーのビールなんて高くてダメですよ!!子守手伝ってくれてるおばちゃん、いつも外で安いの飲んでるんですよ」
ってオスカーの目の前で自分とこより安いビール売ってええのん?!(◎_◎;)

ところがオスカーにはちゃんと話がついたようである。
「ほな屋台やるのにどのぐらい元手が必要なん?」

まず屋台本体を買いましょう!!それを置いて場所を占有するんです!!
今ちょうどオスカーの斜め前が空いてるのでそこを人に取られないように・・・

って誰でも占有したもん勝ちなん?!(◎_◎;)
そんなんやったら街中屋台ばっかになってしまうやん・・・ってなってるけど(笑)

ちなみに日本では道路交通法で「道路は公共のもの」という規則があるので、個人で占有すると違法である。

「それでもどっかに届け出せないかんやろ〜誰かに金払うとか・・・」

「お金は1日2000リエル(約50円)です!!」
「それってどこに払うん?」
「セキュリティーに」

セキュリティーって何?(笑)

これは後で覆されることになる・・・
「Old Ladyが出て来て、その人にひと月25ドルになりました」
ってあーた・・・(笑)

まあええわ、ほなその屋台本体っつうの買うて来ぃ〜いくらやねん?
「200ドルです」

まあ元手数万円の家賃3000円で店がオープン出来るんやったらええわのう・・・

「すみません、鍋とかクーラーボックスとか色々買わなきゃなんないんで・・・」
ということでまた100ドル、また100ドルと金が飛んでゆく〜(>_<)

うちにどんどん運び込んで来るもんで部屋がどんどん倉庫になる〜(涙)

末吉覚さんの投稿 2020年11月15日日曜日

そしてそんなある日、タカシが悲痛な表情でうちに飛び込んで来た!!
「僕、なんか肝臓が変なんです・・・病院行ってきます」

・・・って診断は飲み過ぎで肝臓がイカれてて、とりあえず酒はやめなさい、と・・・

「僕、もう人生お先真っ暗です」
としょげているタカシを慰める・・・

「よかったなぁ〜これで酒やめたら金が出てゆくところないやん!!金貯まる一方!!ええこっちゃええこっちゃ!!一生懸命働いて早よ金返しなはれ!!(笑)」

ところがエコー撮ったり血ぃ撮ったりでまたどんどん金が出てゆく〜

末吉覚さんの投稿 2020年11月15日日曜日

死なれたら借金取りっぱぐれるから取り敢えず治療費は出してやらないかんわのう・・・(>_<)
結局コイツの借金遂に2000ドル突破!!・・・ってまあ開店資金も入ってるけど・・・

兎にも角にも「屋台居酒屋タカシ」本日オープン!!!

料理のむっちゃ上手いデクノボウ君ことパーヌット君を料理長に引っこ抜かれ、そのおじさん(無職(涙))が助っ人に仕込みが始まりました!!

末吉覚さんの投稿 2020年11月15日日曜日

・・・て仕込みうちでするん?(笑)

まあ開店時間に行ってみたら何とかオープンしてるようである。

末吉覚さんの投稿 2020年11月15日日曜日
末吉覚さんの投稿 2020年11月15日日曜日
末吉覚さんの投稿 2020年11月15日日曜日


よし、開店祝いにネオン看板でも作ってやろう・・・

ネオンって・・・屋台やろ?どこから電源取るん?

「はい、電気はオスカーから引きます」
ってカンボジア人も中国人に負けず劣らず頼もしいのう・・・

ちょっとでも借金が早く帰って来るようにメシは毎晩ここで食ってやるかのう・・・ってそれじゃあワシの金って出てゆくばっかやん(笑)

カンボジアの皆さん〜St.142のオスカー前に食べに来てや〜

末吉覚さんの投稿 2020年11月15日日曜日
末吉覚さんの投稿 2020年11月15日日曜日

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Posted by ファンキー末吉 at:18:22 | 固定リンク

2020年11月 5日

聾唖のBar Girl

カンボジア歴数十年というツワモノのKさんに呼ばれてオスカーに行った。

末吉覚さんの投稿 2020年11月4日水曜日

演奏してたのはこのバンド・・・ベースのカンボジア人は親しいのだが、どうもこのボーカリストの白人は好きではない。

実は昔こんなことがあったのだ・・・

「Funkyさん、ドラム叩いて下さいよ」
とタカシ・・・

お前な、ワシがドラムを叩くかどうかはワシが決めることではない。
今ステージではバンドが演奏している。
これはこのバンドがステージを任されているということだ。
そこにのこのこ出て行ってその進行を邪魔されたらワシだったら怒る。
だからな、もしこのバンドの人が「叩いて下さい」と言うならワシは喜んで叩くけど、呼ばれてもないのに人のステージに上がるのはこれは「邪魔」でしかない。
わかるか?

うんうんと納得したタカシ、何やら紙に何かを書いてステージに持って行って譜面台の上に置いた。

カンボジア人のバンドの場合、リクエストがあれば紙に書いて置いとくと、曲が終わった後でそれを読んで、演奏出来る場合は「じゃあ後でこの曲やるから楽しみに待っといて」とか、出来ない場合にも「すみません、この曲は演奏出来ないんです。同じアーティストのこの曲なんかどうですか」とか、まあいろいろそこからリクエストした客とのコミュニケーションが始まったりする・・・

タカシの場合、私の言うことをよく理解したので、
「こういう凄いドラマーがいますんで是非ドラム叩かせてやってくれませんか」
など書いて置いて行ったのだろう・・・

しかしコイツ・・・この白人は、曲が終わってその紙を取り上げて一瞥するや、そのままそれをくちゃくちゃにして捨てたのだ!(◎_◎;)

それに書かれているドラマーがそれを見てるだろうにも関わらずである・・・

私はこれには心底びっくりした。
「お前、何様じゃ!!」

いやね、みんなが待ち望んでるバンドの演奏を中断させて自分がドラムを叩きたいわけでも何でもない。
ステージを預かっている人間なのだから、自分が考えているステージ構成に「飛び入り」というのが合わないのであれば、そりゃ断るべきである。

しかし、「もしよかったら是非」と言っている店のスタッフ、
そして、ひょっとしたら新しい音楽友達が出来るかもと心の隅で期待しているだろう客席のそのドラマー、
そんな人の気持ちをコイツはその人達の前でくしゃくしゃにして捨てたのだ!!

言っちゃ悪いが、全くもっていい演奏でもなんでもない。
英語で歌っているようだが、聞いたこともないろくでもない曲、
きっとオリジナルなのだろう・・・

カンボジア人バンドはいつも先人達が残した偉大な楽曲をカバーして演奏しているのでそりゃ非常に楽しめる。

でも誰も知らない英語の曲、
そしてきっとそれはコイツが母国に帰ったところで誰も相手にされるレベルではないのだ。

この国では誰もが自分の国の言葉を喋ってくれる。
この国の人は自分に比べたらとても貧しい。
自国だったらこうやってステージを任されることもないだろうこのレベルのミュージシャンが、ここに来たらこうしてある意味ではチヤホヤしてくれる。

「こんな外国人にだけはなりたくない!!」
だからせめて、もっとこの国の言葉を喋れるようになろう・・・
すぐにこんな気分の悪い店からはおさらばして家に帰って勉強した。
(でも今だにろくに喋れんが・・・笑)

まあそんなこんなで私はこの店で演奏している白人が嫌いである。

昨日の話・・・ 「今日はオスカーでJamセッションなんで是非来てドラム叩いて下さい」とタカシ・・・ 民謡レストランでまったりカンボジア民謡に浸ってたのよねぇ〜 「8時半には来て下さいね」というが、まったり遅れて9時過ぎに行ってもまだ誰も来と...

末吉覚さんの投稿 2020年11月2日月曜日

Kさんは既に他の店に流れたと言うので、追いかけようとしてたらある日本人に声をかけられた。

先日このJAMセッションを見てた人で
「爆風スランプの人なんですか?」
と、とても感激していた人である。

「今日は叩かないんですか?」
いや、叩かんし・・・(笑)

仮にも一応ドラムを叩いてお金をもらってそれで生活している私が、
このロクでもない白人にお願いしてタダで叩かせて頂く理由が全くない(怒)

「あれから帰ってYouTubeとかいっぱい見たんです!!大きな玉ねぎの下でとか、あれ叩いてる人なんですよね」

いや、そうやけど・・・(苦笑)

YouTubeには私が世界中でドラム叩いてる映像や、中国全土でドラムソロをぶっ叩いている映像や、北朝鮮でドラムを叩いている映像まであるのに、よりによって「玉ねぎ」なん?(笑)

「あのサンプラザ中野さんでしたっけ?あの人の映像も見ました。ベトナムとか行ってらっしゃるんでしょ?凄いなぁ・・・」

知らんし!(>_<)

まあ日本人にしたらやっぱりいつまで経っても私は「爆風スランプの人」で、「大きな玉ねぎの下で」という曲のドラムを叩いてるのも、確かに紛れもなく私なのであるが・・・

こういうのがイヤで、私は中国に逃げた。
誰も「爆風スランプ」など知らない国で、その国の言葉を勉強し、その国の若者と共にその国の「ロックの黎明期」を作りあげた。

中国人にとっては私は単なる「伝説のドラマー」で、爆風スランプなど誰も知りやしない。
数々のロックの名盤(これとか)のドラムを録音し、中でも中国ロック界に金字塔を打ち立てたこのアルバムを叩いたことにより、よく「許魏のドラマー」という言い方もされる。

「あの伝説の北京ライブ・・・映像で見て何度も泣きました。あれ叩いてるドラムの人ですよね」
と言われるのと、
「大きな玉ねぎの下でを叩いてる人ですよね」
と言われるのとは、言われる方としては大きな違いがある。

まあ「玉ねぎ」も確かに自分の活動してたバンドの大切なヒット曲のひとつだし、
「許魏」のアルバムも私が山ほどやったスタジオミュージシャンとしての仕事のひとつであることに間違いはないのだが・・・

日本人に対してこのニュアンスを説明するのは非常に難しい。

中国人にとってはただ「Funkyの昔のバンドは日本でむっちゃ売れてたらしいぜ」という認識で、もし「玉ねぎ」の映像見つけて来て「これもファンキーさん叩いてるんでしょ?いい曲ですねぇ・・・」言われたら、
「おう、いい曲だろ、俺も好きなんだ」
で終わる。
何も違和感も疎外感(?)もイヤな気持ちも何もない。

でも日本人に言われると「あんたまだそんなとこでしかワシを見てないの?」と思えて寂しくなる。
もう「日本なんて帰らんでええな」と思っちゃうのである。

確かに私は爆風スランプのドラマーであり、数々の名曲のドラムを叩き、ついでに作曲もして、バンドの存続のために数々の泥水を啜って生きて来た。
でも、それよりも長い時間、私は中国ロックのために生きて、数々の名盤でドラムを叩き、数々のこの国のロックレジェンド達と共に数々の伝説を作って来たのだ!!

中国で活動して来た期間はもう人生の半分を超え、爆風スランプをやってた年月よりも遥かに長く、その成功は爆風スランプのものよりももっと(人口比で言うと10倍強)大きなものであるにも関わらず、それを全く無視されることに大きな違和感と虚無感があるのだろう・・・

しゃーないけど(>_<)

まあ虫の居所が悪いと時々そんなこんなで機嫌が悪くなったりする時もあるが、
基本的にその人には全く罪はないので「また飲みましょう!!」と盛り上げて店を出る。


Kさんと合流してとあるガールズバーに連れて行かれた。

カンボジア人の奥さんとクメール語で会話し、5人も子供のいるツワモノ・・・
(私は中国人の奥さんは一人目だけでその間に子供は二人・・・ってそれを競っても仕方がないが・・・笑)

馴染みのバーも多いらしく、この前連れて行かれたバーは、そこのママさんがその店のオーナーになったということでお祝いに飲みに行ったみたいな感じだった。

ところが今回のガールズバーは、また繁華街の外れと言うか、
まず「飲みに行く」という場所ではない上に、看板が出てないのでそこがガールズバーであるかどうかも一見さんには分かりようがない。

「おばちゃんばっかりですよ」
と笑って言うが、どうせ私もこの歳になるといわゆる「おばちゃん」はみんな「歳下」なのだ(笑)

バーに入って奥のテーブル席に座ると馴染みのおばちゃん(失礼)達と共にひとりの若い美女が・・・!(◎_◎;)

私の隣に座ったので、ここぞとばかり話しかけようとしたら、
「あ、彼女、喋れませんよ」
とKさん。

英語が喋れないなら好都合!!勉強中のクメール語のいい練習になるぞ!!・・・
と思ったら、英語だけでなく、耳が聞こえないから言葉が喋れないのだ!(◎_◎;)

「ここに来るとねぇ、クメール語の手話のいい練習になるんですよ」
とKさん。

手話は全世界共通だと言われているが、やはりそれぞれの言語での手話もあるらしく、
喋りでもまだそんなに喋れないのに手話まで無理!!(>_<)

でも、私はこの国の文字から勉強しているので、筆談だったら出来るぞ!!

お名前は?・・・スレイリアップちゃん?

アルファベット表記では「Sreyleap」?
ならば「Srey」は絶対に「ស្រី」!!女の子の名前によくある、日本で言うと「○○子ちゃん」って感じであろうか・・・
leapのleaは「លា」か「លៀ」か・・・まあ「លៀ」ならきっと「lia」と表記するだろうから(知らんけど笑)まあまず「លា」で間違いなかろう・・・問題は末尾子音の「p」である。
「p」を表す文字は「ផ」と「ព」と「ភ」の3種類あるが、「ផ」が末尾に来る単語は今まで見たことがないので・・・今日勉強した単語に出て来た「ព」を書いてみたらハズレ!(>_<)

これよ!と書いて(打って)くれた名前がこれ!!

末吉覚さんの投稿 2020年11月4日水曜日

おう!!「ស្រីលាភ」ちゃんか〜カワイイのう・・・❤️

勉強したてのクメール語でちょっと取っ掛かりが出来たので喜び勇んでいたが、
よく考えたら「ビールお代わり」やら「君も飲みなよ」など、全く言葉を交わさなくても身振り手振りで会話出来るではないか!!(>_<)

見れば店のおばちゃん達(失礼)やKさんは手話も交えて会話をしている!(◎_◎;)

「この子はねぇ、この前行ったバーのママさんの姪っ子で、僕は小学校の頃から知ってるんですよ」
とKさん・・・おう、なるほどね・・・

みんなとの会話の中で彼女のこんな手話会話が訳されて来る。

「私はね、このおじさんのことが小さい頃から好きだったの。でもおじさんは今になっても全然振り向いてくれない」

もうね・・・カワイイのだ〜(涙)

「また来よう!!また彼女にお金を落としてあげよう!!」
なんか物凄く幸せな気分で店を出た。

でも帰る道すがらこんな考えが頭をよぎった・・・

「お前なぁ、彼女が聾唖者だから好きになっただけなんじゃないのか?」

そう、「聾唖のBar Girl」なんて生まれて初めて出会ったわけだからその「特殊性」にぽーっとなってるのはある。

それってお前が「爆風スランプの人だから」って思われてるのと一緒じゃないのか?・・・

盲目のギタリスト田川ヒロアキ君がよく言ってた。
「もういい加減『盲目』ってのやめませんかねぇ・・・」

「お前、盲目なのは間違いないんやからしゃーないやろ(笑)」

でも彼は盲目であることを取っ払っても十分上手い!!
それをいつまでも「盲目であること」をキャッチフレーズにされることに嫌気がさしていたのだろう。

そう、私がどこに行っても、このカンボジアまで来ても、日本人に会えば「爆風スランプ」がついて回る・・・その嫌さと同じなのかも知れない・・・

そしてこの彼女、もし彼女が聾啞者じゃなかったら私はこんなに胸がときめいてたか?・・・

私は最初の結婚をする時に、漠然と「国際結婚をしよう」と思ってた。
いつか世界に飛び出して生きてゆきたいという夢があったこともあるが、
何よりも日本の中で自分を「爆風スランプの人」と見ない人を探すことは難しかったからである。

「芸能人と結婚したい人」や「ミーハーな人」などご勘弁である。
ちょうど芸能界のアホさ加減に嫌気がさしてたし、
「自分はいつかこの仕事を辞める、そしてアメリカかどっかに出て行って、また裸一貫から人生をやり直すだろう」
と思ってた。

だから「国際結婚」以外は無理だろうなぁ・・・と漠然と思ってた。

でもこの彼女、彼女を好きになる人のその理由が「聾唖者だから」ってそんなぁ・・・
まあ彼女は聾唖者を辞めることは出来ないわけだが、
やっぱそのフィルターを通り越して、本当に自分のことをわかってくれる人のことを好きになりたい、そう思ってるんじゃないかな。

だから小さい時から自分を可愛がってくれたKさんのことが今でも好きなのでは?・・・

オスカーに楽器持って集まって来る「ミュージシャン面」した白人達、
でも私は単に「白人だから」というので嫌ってたんではないのか?

それって彼らがアジア人を蔑視してるのと全く同じなのでは?・・・

私のFacebookに、
「ギター弾いてた太っちょの髭面君、まだ19歳なんで許したって下さい!多分まだセッションのことよくわかってないかと」
という書き込みがあった。

そうそう、演奏中こいつ、一度もアイコンタクトどころかこっちを見んかったんで
「お前、このワシをバックバンドで使ってんのか!!」
とちょっとカチンと来てたのだが、よく考えたら単にそんな余裕がなかっただけのかも知れない・・・

そう言えば今日、客席にこいつがいたなぁ・・・
なんか私を客席で見つけた瞬間に、会釈するでもなくかったので無視してたのだが、明らかに私に対して怯えてるような、なんかビビった表情をしてた・・・

まあこの人相でぶっきら棒にしてたら怖いやろ(笑)

でも同じ「白人だから」という理由で彼を威圧し続けてるワシって何なん?・・・

この彼女、ただ聾唖者だというだけで私は勝手に心が綺麗な人だと思っている。
だからその綺麗さに負けないように自分の悪い部分が見えて来たのではないかと思い始めている。

彼女が本当にいい子かどうかはわからない。
でも他のBar Girlだってみんな悪い子かどうかはわからない。

同様に私の嫌いなあの白人だって実はいいヤツかも知れない。
そのとばっちりで嫌ってた白人達の中にもいいヤツがいたかも知れない。

そうなのだ、どうせわからないんだったらみんな「いい人」だと思っていればいいのだ。
ただあまり夢が壊されないようにちょっと距離を置いて付き合ってればそれでいい(笑)

どちらにしろ、そんなに嫌ってやる必要はないのである!!

そんなことを彼女に教わったプノンペンの夜である。
「ស្រីលាភ」ちゃん〜金が出来たらまた飲みに行くからね〜お仕事頑張ってね〜

そしてその人生、一生懸命頑張ってね〜


彼女にきっと幸はある!!!

末吉覚さんの投稿 2020年11月4日水曜日


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Posted by ファンキー末吉 at:07:34 | 固定リンク

2020年10月11日

おじさん若い娘に服を買う

いや、日本から送ったコンテナの中から荷物がごっそり盗まれた状況で、そんなことやってる場合じゃないんやけど・・・

សូមផ្សព្វផ្សាយរឿងនេះផង !! មិត្តជាទីស្រឡាញ់នៅកម្ពុជា ...

末吉覚さんの投稿 2020年10月8日木曜日


まあこれはちょっと前の話・・・

タカシとか
「飲みに行きましょう」
と言うてもどうせワシが払うんやから
「安いところやないと行かんぞ!!」
とクギを刺しておく。

「それだったら安いバーを見つけたんでそこ行きましょう」

連れて行かれたのがリバーサイドからはちょっと外れた、場末の(失礼)ガールズバー・・・

そこには例によってとある貧乏な美人姉妹が働いていたのだが、
「あの店、なんか摘発が入って閉められちゃったそうですよ」
とタカシに言われて今回の話となる・・・

美人姉妹のお姉ちゃんの方はそのタイミングでは店にいなかったそうで助かったが、どうやら妹も、店にいた人全員警察に連れて行かれたらしい!(◎_◎;)

「そりゃ心配やなぁ〜」
お姉ちゃんにメッセ送る・・・

やり取りしてゆくうちにわかるのだが、それより大変なのは、その姉妹はその店の上に住んでたので、着の身着のままで帰るところもなければ金もなければ当然ながら仕事もない・・・!(◎_◎;)

タカシが
「じゃあオスカーで働きなよ」
と仕事を斡旋する・・・

ところが今度は店に出るにも着てゆく服がない・・・
しゃーないなぁ〜おじさんが服でも買ってあげよう!!(笑)

いや〜銀座のホステスとかを連れ出して服でも買ってあげるおじさん(知らんけど)に憧れてたのよねぇ〜

それが10ドル20ドルで実現するなら楽しいではないか!!
というわけでタカシが彼女を連れてやって来た。
まずは今日のまかないのヌードルを食べてもらう!!

末吉覚さんの投稿 2020年10月10日土曜日

そして近所にある庶民の市場、オールドマーケットに連れてゆく・・・

「何でも好きなの選びなさい!!」
おじさん内心「10ドル20ドルぐらいのんにしてね」と懐を慮ってハラハラ・・・
でも店に出るならドレスとまではいかんでもちょっとはええ服が必要やろ・・・

35ドル(>_<)

まあええわ、銀座で服買うたと思えばこれより数倍はするとこやったんやから・・・(知らんけど)

末吉覚さんの投稿 2020年10月10日土曜日

そしてタカシは次の店へと・・・
おいおい!!一着だけやで!金ないし・・・

と思ったら靴も買わないかんと・・・
そやわなぁ〜ドレスみたいな服にスニーカーいうわけにもいかんわのう・・・(>_<)

靴が13ドルでちょっと胸を撫で下ろす・・・

まあ庶民の市場オールドマーケットやからこのぐらいで済んだわけで、もしイオンとか名だたるショッピングモールやと倍はするやろ(知らんけど)

かくして「若い娘に服を買ってあげるおじさん」という夢は5000円ぐらいで叶ったわけで、まあ日本食を食いに行くのを一回二回我慢すればそれで済む・・・

と思ったら次なる問題が・・・
彼女は「住むところ」がないのである!(◎_◎;)

そやわなぁ〜と思ったらタカシが先頭に立って部屋探し!!

末吉覚さんの投稿 2020年10月10日土曜日

「探せばひと月70ドルぐらいの部屋がありますから」・・・ってワシその金は出せんぞ!!
って手持ちの金もないわけやからそうもいかん・・・
「貸すんやからな、出したるんやないからな!!」
タカシはこういう時には必ずちゃんと回収してくれるので安心である・・・

ってかうちの若い衆全員ワシに借金しとるやん!(>_<)

まあ子守とか家のこととか手伝ってもらってギャラの代わりにそこから金額をカットしてゆく・・・
って結局現金は返って来んわけね(笑)


まあ結局この日は部屋は見つからんかった・・・

翌日また探そうということで、まあ後でオスカーの初出勤の様子でも拝みに行って、
1.75ドルのビール飲んで、レディースドリンク3.75ドル奢ってあげたら彼女に1.5ドルとかのチップが入る・・・
まあ「ご祝儀」である・・・

と思ったら、タカシが「彼女、体調が悪いとかで帰りました」!(◎_◎;)

まあ「身体が弱い」みたいなことは言ってたので「さもありなん」とばかりその日は飲みに行かずに休肝日・・・

ところがそこからである。
翌日不可解なことが起こるのである・・・


「彼女、別のバーで働き始めましたよ」

聞けば、同じリバーサイドではあるものの結構場末のガールズバー!(◎_◎;)

「彼女、オスカーみたいな華やかな感じは何か合わないそうで・・・」
タカシも事情はあまりわかってないようだ・・・

「彼女のバー、今から行こうと思うんですけど一緒に行きますか?」

タカシもちょっと心配なのだろう・・・
まあ一緒に行ってみてすぐに退散した。

店が場末・・・っつうか何か居心地の悪い雰囲気であまり居たくなかったのもあるが、
彼女は私が買ってあげた服ではない別の服を来ていたのだ!(◎_◎;)

え?来てゆく服がない言うからなけなしの金で服買ってあげたんちゃうん?!!

前日のオスカーには着て行ったのであろうが、
翌日にはもう着替える服がある・・・

っつうことは別に今転がり込んでるであろう住処には服はあるのである(>_<)


「Bar Girlはウソつきますから」
翌日タカシも何やら機嫌が悪い・・・

聞けばその時に「20ドル貸してくれ」と頼まれたらしい・・・

何故ワシに言わん?!!
どうせタカシが貸したとしても、その金はどうせワシがタカシに貸すのだ(笑)

断ったら彼女、タカシに対して烈火の如く怒ったらしい・・・
「誰も私のこと助けてくれない(涙)」

いや、ワシは助ける言うてるし・・・

うちは賄いがあるのでいつでも腹が減ったら食いに来ていいし、
服も靴も(安いもんやけど)買ってあげたし、
初出勤に向けて美容院で髪の毛セットする金も出してあげた・・・
(5ドルやけど)

末吉覚さんの投稿 2020年10月10日土曜日

でも結局本当に金に困ったらうちには来ずにタカシんところに行く・・・

まあそうかも知れない。
ワシは所詮は外国人やし、
中国でもそうだったが、だから中国語を覚えて中国人には中国語で接するようにしている。

いつまでも英語で喋ってて、極端な話、通訳入れて会話しているようでは本当の意味でのコミュニケーションが出来るとは思わないからである。

あと、馴染みのきっぷのいいお姉ちゃんたちにこんなことを言われたこともある。

「あんた気をつけなさいよ。あんたは人が良すぎるからいつか騙されるわよ」
「いやいや、この人を騙すってちょっと勇気がいるわ、だっていい人過ぎるんだもん、かなり自分を落とさないと罪悪感にさいなまれちゃうでしょ」

Bar Girlだって「人間」だ。
同じ「金を巻き上げる」なら、身体目当てで寄って来るヒヒジジイの方が気が楽だけど、この人相手だとちょっと気が引ける・・・

てなこと言いながら結局はそこからも結構小銭を絞り取られているのだが・・・(笑)


それから数日経って、今日は週末で賄いがないので、若い衆連れてクメール料理を食いに行った。

末吉覚さんの投稿 2020年10月10日土曜日
末吉覚さんの投稿 2020年10月10日土曜日

そこには、華やかにレストランの一角を借り切って、バンドも入れて誕生日パーティーを開いているカンボジア人がいた。

末吉覚さんの投稿 2020年10月10日土曜日

「彼女、どうしてるかなぁ・・・」
突然そんな思いが湧き出して来た・・・

同じこの国に生まれて、
(ウソかも知れんが)その日に着てゆく服もない娘もいれば、
たかだか自分が生まれた日にを祝うためにその娘の年収ぐらいを一晩で使ってしまう娘もいる・・・

資本主義なんてそんなもの・・・
いや、社会主義の中国だってそうだったんだから
「世の中なんてそんなもの」なのかも知れない・・・

「彼女、またバーが変わったらしいですよ・・・」

タカシと一緒に行ってみた・・・
彼女はまだ出勤してなかったけど、そこは更に「場末」で、とてもじゃないがあまり長く居たくないような、そんなバーだった・・・

「場末」のバーは好きでよく行ったりする。
お姉ちゃん達が健気に頑張っているそんな「場末」のバーは結構好きなのであるが、
このバーはあかん(>_<)

何やら「汚い」と感じる何かがあるのだ・・・

いや別にゴミが落ちてるとかそんなではない。
お姉ちゃん達がスレてると言うか、何やら居心地の悪い何かがある。

お勘定して「安いですねぇ、ここ・・・」とタカシがびっくりするぐらい安い。
ビールが1ドルっつうたらオスカーの半額ぐらいである。

しかし客はいない・・・

値段の高い安いなんて所詮は持って帰る「満足度」の問題である。
1ドルだって高く感じる時もあるし、
日本レストランの5ドルのハイボールだって「安い」と思う時もある・・・


彼女は結局来なかった・・・

「お化粧してるからちょっと待っててね」
タカシに言ったその一言も「ウソ」だったのかも知れない・・・

「いつでも腹が減ったらうちにおいで!!金はないけどメシならいつでも食わせてやるぞ」

そう彼女に言ったは言ったのであるが、
彼女がうちの門を叩く日はきっと来ないと思う・・・

まあ仮に門を叩いたとしても、彼女を毎年誕生日を豪勢に祝えるような身分にしてあげることは出来ない。

手を差し伸べたって結局は何も大したことをやってあげられないのはわかっている。
でもその差し伸べた手を握り返してくれないと、本当に何もやってあげることは出来ない。
落ちてゆくのをただ眺めているしか出来ないのだ・・・

あの日買ってあげたあの服はどうしてるだろう・・・

売っ払ったってロクな金にはならないだろうから、
やっぱいつかはローテーションで袖を通すこともあるだろう。

その時にちょっとでいいから思い出してくれれば嬉しい。
たとえ、握り返すことはないとしても、あの日確かに手を差し伸べてくれた人はいたんだよ、ということを・・・


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Posted by ファンキー末吉 at:07:52 | 固定リンク

2020年10月 1日

喋れることは喋れるけど・・・

ここで宣言したからな、一応どのぐらい喋れるようになったかをUP!!

いやな、何回も録り直して一番マシなんをUPしとるからな、
いつもこんだけ喋れてるわけではない・・・ってかこんだけ喋れとったらこんだけのレベルのことを言われるから、そしたらもう全くと言っていいほど聞き取れん(>_<)

ビデオの中でも言うとるけど、ワシは長年の耳元でのシンバルの連打で耳がやられてしまっとるからなぁ、特に滑舌の部分の周波数が大きく抜け落ちてるんやと思う。

特にクメール語は子音が多く、子音だけで発音されたらそれが何なのか聞き取れん(>_<)
末尾子音に至っては「発音する前に言うのをやめる」って(涙)

この前「あなたの奥さんの名前は?」とカンボジアの友人に聞いたら、
「ロッ」って何それ?「ロッホ」なん?「ロット」なん?「ロッコ」なん?
いやいや「ロッチ」かも知れんし「ロップ」かも知れんぞ・・・
途中で発音するんやめるな!!最後まで言えよ!!・・・と突っ込みたくなる(笑)

まあ知ってる単語が出て来たら、細かいとこまで聞き取れんでも前後の繋がりで何とかなる(これ私の中国語もそう)・・・

というわけで引き続き勉強ですな!!
頑張りまひょ〜


ちなみにビデオで喋ってる内容は・・・


ជំរាបសួរ
こんにちわ(こんばんわ)

ខ្ញុំឈ្មោះហ្វាងគី ជនជាតិជប៉ុន
私の名前はファンキー、日本人です

ខ្ញុំនៅភ្នំពេញកម្ពុជាបានរៀនភាសាខ្មែរ៣ខែ
私はカンボジアのプノンペンで3ヶ月クメール語を勉強しました

ឥឡូវនេះ ខ្ញុំចេះនិយាយខ្មែរបានតិចតិច
今、私はちょっとだけクメール語を喋れます

បុន្តែ ខ្ញុំមិនសូវចេះសន្ទនាល្អទេ
でも、私はまだ会話がうまくできない

ខ្ញុំថាព្រោះខ្ញុំលេងដ្រាំ៤៥ឆ្នាំលើយ
私が思うには、私は45年間ドラムを叩いてたから

ដូឆ្នេះត្រចៀកខ្ញុំស្តាប់មិនសូវបានល្អទេ
だから私の耳はあまり聞こえない

ពួកម៉ាកខ្មែរ ទាំងអស់និយាយខ្មែរមកខ្ងុំអោយច្រើនៗ
カンボジアのお友達、みんな私にクメール語でたくさん話してね

ខ្ងុំនឹងខំប្រឹងរៀនបន្តទៀត
私は引き続き頑張って勉強します

អរគុណ
ありがとう

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2020年7月29日

わらしべ(インスタントラーメン)長者?

プノンペンで一番のライブハウスと言われているオスカーで働いてたタカシ、
コロナでオスカーが閉店し、「食い詰めた」というのがぴったりの状況になったのか、ある日「インスタントラーメンでいいから恵んで下さい」とメッセージが来た(笑)

その時の話〜タカシの話

今から思えば、ここで「金貸して下さい」ではなく「インスタントラーメンでいいから恵んで下さい」と言ったことが、彼の人生の大きな「転機」だったのではないかと思う。
「何それ?」とつい笑ってしまって今に至るわけだし、「金」だったらひょっとしたら貸さなかったかも知れない・・・

それからと言うものコイツ・・・ワシの周りを金魚のフンのようについて廻る(笑)
まあ本当にインスタントラーメンも食えなかったのだからしゃーない。
メシぐらいなら食わせてやる!!

その代わり色々と雑用は手伝ってもらう。
一番役に立ったのは、居留届の提出!!

もうどこの国でもそうだが役所への届け出というのは前時代的で、色んなところをたらい回しにさせられ、とてもじゃないが言葉の通じる現地の人間が一緒でなければ出来たもんじゃない。

隣のポリスへの付け届け(笑)や外国人では到底やれないことも多い。

まあコイツはコイツで役に立ってるんだと思うことにして(笑)、まあメシぐらいは食わせてやっているというわけだ・・・。

ある時はタカシの部屋に行った・・・(その時の話〜タカシの部屋
まあ「底辺の生活」と言うにふさわしい生活をしとるのう・・・

1ヶ月140ドルの給料で50ドル家賃払ったら1日3ドルで暮らさねばならん・・・無理じゃ(>_<)

そんなタカシが惚れた女も同様に底辺で生きている・・・タカシの恋

しゃーないなぁ〜・・・とばかり奢ってやる・・・

ちょうどワシは昼間、保育園がコロナで閉まって困っている日本人の友人たちの子供を預かっているので、彼女たちに助っ人として来てもらうことにした。

そして彼女たちの生活をチラッと垣間見るのだが、(その時の話〜美女と三密3人乗り・・・
ただでさえ豊かではないこの国で、こうして底辺で生きていて、どうやってこの底辺から抜け出すのかがワシには全く見えない。

理想の共産国家を作ろうと、結局自国民の半数を虐殺したポルポト亡き今となっては、この国は一応民主国家(笑)となり、一応資本主義の道を歩んでいる・・・

資本主義って基本「持つ者が持たざる者の分まで儲ける」というシステムなのよねぇ・・・
持たざる者がある日突然持つ者になることは、それこそ天文学的な確率でしか起こらない出来事である・・・

そんなこの国の底辺で暮らすタカシの夢、それは小さくていいから自分のレストランを持つこと・・・

140ドルの給料で1日3ドルの中から少しずつ貯金していつか自分の店?・・・無理じゃろ(>_<)
そしてコロナでその140ドルさえなくなり、こうして私にインスタントラーメンを恵んでもらう羽目になっている・・・

しゃーないのでHIBACHIのバイトを紹介した。

給料のほどは知らないが、確実に140ドルよりはよかろう・・・但しバイクも持ってない彼は毎日トゥクトゥクで往復するとバイト代が飛んでしまうので、しゃーないなぁ〜・・・ワシが毎日バイクで送り迎えしてやる(>_<)

もうね、なんでワシがここまでやってやらないかんのと思ったりもするが(ちなみにこの罰金もワシが払う・・・コイツに払えと言っても金がないのだからしゃーない(>_<))、まあそれもコイツの人徳かと思って笑い飛ばすことにしている・・・(笑)

実際コイツには「人に可愛がられる能力」があるのだろう、知り合った中国人の知り合いにカジノに連れて行ってもらったりもしている!(◎_◎;)

タカシの人生が終わった日

この頃にはオスカーの営業も始まり、給料が90ドルに減額されたと言うがタカシはHIBACHIをやめて古巣に戻った。

90ドルから家賃50ドル払ったら全く食っていけるわけはないので、必然的に毎日うちにメシを食いに来るようになる・・・(笑)

この頃には同じく食い詰めたヤツの友達が毎日メシを食いに来ているので、誰かしらが材料買って来てもらえば昼夜数人分を作ってくれる・・・まるで中国古代の「食客」を飼ってるような気分である(笑)

そんな中で私もこちらカンボジアで音楽制作の仕事が始まり、その流れでタカシにとあるMCの仕事が舞い込んで来た。

アンコールワットの訪問客数を上回る年間訪問客数1400万人を誇るプノンペンAEON2の特設ステージでMCをやってみないかという話である。

「ボク・・・無理です・・・やったことないし・・・」
アホか!!誰でも最初はやったことないわい!!

叱り飛ばしてケツを叩く・・・

だいたいコイツはたまに下らないウソをつく。
「オスカーでは客からチップがもらえるので月に500ドルは稼げますから」

アホか!!ほなワシの借金すぐ返せ!!(怒)
たまたま気前のいい客が多い月に偶然500ドル稼いだことを、自分の頭の中で都合よく変換して定着してしまっているのだ。

外国人客がほとんどを占めるオスカーであるが、今は時代が違う。
外から観光で来る外国人観光客は皆無の状態で、
来る客と言ったらここカンボジアに滞在している外国人・・・つまり景気のいい客などいようはずもない。

この時ばかりはさすがに怒鳴りつけた。
「そんなにオスカーがいいならずーっとオスカーでいろ!!」

橘高が若いバンドを叱り飛ばす、
「そんなに休みたかったら一生休んどけ!!」
というアレである(笑)

まあヤツもワシに対しては多大な「恩」がある。
ワシが「やれ!!」ということをそう簡単に断ることは出来まい。

渋々(笑)重い腰(怒)を上げてMCの仕事が始まった・・・

タカシだけ特別扱いでその時に新調の衣装まであつらえてくれている・・・

ついでにワシも・・・(笑)

そう、この特設会場で「ファンキーはんと大村はん」の公開生放送もやるというので私のぶんもあつらえてくれたというわけだ。

当然ながら私の番組の中でもタカシにMCをやってもらう。
客席のほとんどの客はカンボジア人なので、クメール語で喋る人が絶対的に必要となって来るのだ・・・

こうして会場でのリハーサルが始まったのだが・・・

この「おばちゃん」ことលោកសី(ロークスレイ:マダムの意)・・・なんか気がついたらワシ、オスカー行く度に美女たちに目もくれずいつもこの「おばちゃん」と飲んでしまうのよねぇ〜楽しいのよねぇ〜

女の子を束ねる立場にいるわけだから当然タカシなんかよりも給料はいいはずだが、それでも私はおばちゃんを口説いてみた。

「あんたオスカーでいくら稼いでるか知らんけど、MCの仕事は頑張ったらもっとお金稼げるよ。あのプロのMC見てみぃ、あれぐらい喋れるようになったら、あの人たち結婚式とかで呼ばれてどれだけもらってるか知ってる?」

そう、この人たちはタカシの1ヶ月分の給料など1時間ほど喋っただけで稼いでしまうのだ・・・

この特設会場はさながらプロのMCへの登竜門!!
タカシの給料の数倍を保証してくれてるだけでなく、ちゃんと一人前になったらその倍額、そして人気者のMCに育ったらオスカーの10倍以上の給料も夢ではない。
そして何より、人気者になったらそこについて来る金は計り知れなくなるだろう・・・

「おばちゃん、田舎に預けてる子供いるんでしょ?例えオスカーと給料が同じだとしても、昼間の仕事だったら子供呼び寄せて一緒に暮らせるかも知れないじゃん」

タカシにもこう言って檄を飛ばす。

「お前なぁ、オスカーで例え毎月500ドルもらってたとしても(アホか!!)、来年それが1000ドルになることはない!!この仕事は頑張って技術を習得すれば来年は違う可能性がある。だから頑張れ!!」

しかしアホはやっぱアホである・・・
「ファンキーはんと大村はん」のMCに大抜擢して、「これをやれ!!」と言うこともようやれん(>_<)

まあ素人なんやからしゃーない!!
出来んもんはいっぱい練習するしかない!!

・・・というわけで、オープンの前日、「ファンキーはんと大村はん」の回線チェックリハーサルも兼ねて、何回か通しリハをやろうと大村はんにもそうお願いした。

回線等もバタバタで、ようやく大阪の大村はんと繋がって、いざ遠そうとしたらタカシがおらん!(◎_◎;)

「どこにおんねん!!」と探し回るが捕まらん(>_<)
やっと捕まったと思ったら「今オスカーです・・・今日が最後の出勤なので・・・」

アホか!!!(怒)

さすがにこの日は怒鳴りつけた!!
「今日通しリハすることは伝えてたよな!!なんで先に帰んねん!!」

もう英語で怒鳴りつけるなんてワシの人生では滅多にないのだが、腹が立ってるのでどんどん英語が出て来る(笑)
大恩のあるワシをこれだけ怒らせて、それですぐにここに戻って来んかったらさすがに人でなしやな、さすがに飛んで帰って来た・・・(笑)

頭を一発しばき倒してリハを始める・・・

まあ出来んのは素人なんやからしゃーない。
しかし「ボク出来ません」は許さん!!
「ボク頑張ります」以外の返答はもう許さん!!

久しぶりに人の頭をパコパコどつきながらリハ終了!!かくして本番である・・・

BINGOゲームのMCの方は感知してないが、まあちょっと見よく出来てたようだ。
何よりコイツ、子供に好かれるのだ。
子供がこの金ピカ衣装のコイツと一緒に写真を撮りたがる。

これこそがひとつの「才能」であろう・・・

ところが「ファンキーはんと大村はん」のMCでクライアントからダメが出る。
首脳会議が開かれて、
「まあまあ、初日ですからもうちょっと様子を見ましょう」
ということでなんとか落ち着く。

まあそうなるとワシの厳しさも更にエスカレートするする・・・

朝メシ時の説教から始まって、朝のリハーサルの時にも容赦無く頭をどつき回す!!

「お前そもそも曲をまだ覚えてないやろ!!1週間以上前に送ってあるやろ!!なんで聞いてないねん!!」
「すみません・・・時間がなくて・・・」

アホか!!お前の人生なんて「時間」だらけやないかい!!
お前はワシの一番忙しい頃を知らんからそんなことが言えるんじゃ!!
どんなに寝てなくてもなぁ、どんなに何を失ってもなぁ、やらないかんことをちゃんとやって来たから今があるんや!!
それが出来んヤツに未来はない!!オスカーにでもどこにでも帰りやがれ!!

「ボクもうオスカーはクビになりましたから・・・」

もうね、コイツのこの「可哀想さ」もひとつの才能である(笑)
聞けばクビになって今まで働いた分の日割りももらえんらしい・・・

「ボクもう全財産40ドルしかないんです・・・」
ってそれ・・・ワシが貸したった40ドルやし(>_<)

まあ「にらめっこ」と同じで、笑ろてしもたモンの負けである(笑)
どうせ満額貰えたとしても90ドルしかないんや、そんなん忘れてここで頑張って稼げ!!

かくして本番!!

まだまだではあるが、ちょっとずつでも進歩していることは認めざるを得ない。
昨日より今日が、今日より明日がちょっとでも進歩している限り、いつかはお前の前に明るい未来が開けるだろう。

「インスタントラーメンでいいから恵んで下さい」
から本当にMCのビッグスターに昇り詰めたとしたら、それこそ現代の「わらしべ長者」、いや「インスタントラーメン長者」と呼ぶべきか(笑)

早くいっぱしに稼げるようになってワシの借金を返すのじゃ!!(笑)

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2020年7月17日

さようならおじさん〜いつまでもお元気で

おじさんと最初に会ったのは・・・いや最初に「この人が毎日ここに座っていることを認識した」のはこの時・・・

そしてそれからおじさんを観察する日々が始まる・・・

そして色々考えるところあって、今日が学びの窓最終日!!!

おじさんはいつものようにいつもの席でいつものように1ドル弁当とカップヌードルを召していた・・・

いつかは話しかけようと思っていたのだが何を話したらよいのやら・・・

今日は学校の最後の勉強をしながら考えた。
「クメール語で話しかけてみよう・・・」

3ヶ月弱一生懸命クメール語を学んだがまだ喋れない。
でも喋れるだけの単語や文法は既に勉強しているはずだ!!

まずは話しかけるんなら「May I talk with you?」からやなぁ・・・

色々丁寧な言い方とかはあるけど、とりあえず簡単にすればするほどよい。
乱暴に「និយាយបន្តិច់បានទេ?(ちょっと話していいですか?)かなぁ・・・」

そして「ខ្ញុំរៀនខ្មែរ(私はクメール語を勉強している)」と続いて、とにかく「今日が最後の日だから一緒に写真撮らせてもらえませんか?」まで雪崩れ込むのじゃ!!

「写真を撮る」というのはつい先日習ったばかりの「ថតរូប」!!
「最終日」っつうのだけ辞書で調べてみる・・・

ほう・・・「​ចុងក្រោយ」というのか・・・
「ក្រោយ」というのは「後ろ側」とかいう意味で、
「ចុង」は結ぶという単語かと思ったらそれは「​ចង」か・・・
まあ似てるから関連づけて覚えたら覚えやすいぞ!!


というわけで学校帰り、いつものように復習をしながら話しかけるチャンスを待つ・・・

ここのマックスバリューはイートインが広々としてて昼食時には結構混雑するのよねぇ・・・

なんか胸がドキドキするぞ!!
もうはるか昔のことになるが好きで好きでたまらない女の子に告白する時よりもドキドキする(笑)

そして勇気を振り絞ってついに声をかけた!!

おじさん、聞き取れてるのか、聞き取れててもどう答えていいのやらわからずキョトンとしている。

そりゃそうだ。
いつも隣に座って勉強している変な外人がいきなり喋りかけて来たのだ。
何を答えていいやらわからん・・・ってかそもそも「質問」の構文を一切用意してないではないか!!!!(>_<)

最後の「一緒に写真撮っていいですか?」で携帯をカメラにしたら、おじさんハッと我に帰ったように座り直し、襟を正して記念撮影!!

私は丁寧にお辞儀をしてマックスバリューを後にした。
もう来ることも滅多にないだろうが、おじさんはまた相変わらず毎日ここに来て、毎日同じものを食べて、そしていつものように何をするでもなくひょっとしたら毎日一日中ここにいるのだろう・・・

今日はおじさんとは「会話」ではなく私が一方的に喋って終わったが、
おじさんの面影が私にこんなことを語りかけてくれている。

「やっと話しかけてくれたね。君がいつも一生懸命勉強するのを見てたよ。
君は決して喋れないわけじゃない。喋らなかっただけなんだ。
新しい生活が始まったら、恥ずかしがらずに間違えてもどんどん喋ってゆけばいいんだ。
君ならきっと喋れる!!だってあんなに一生懸命勉強してたんだもの。
また近くまで来たらここに寄ればいい。一緒に1ドル弁当を食べながら話をしよう」

おじさんが何をしている人か、どうしてここに毎日いるのか、
そんなことはもうどうでもよくなった。

携帯を引ったくられ、今日から新しい携帯となり、そして学校も終わって、今まで勉強したことを復習してから今日から実践!!
新しい生活となった後も、おじさんは変わらずここにいる・・・

そう、世俗で何が起ころうがきっと、おじさんはここでいつものように1ドル弁当とカップヌードル、そして水とコーヒーを飲みながら何もせずにぼーっと座っているのだ。

新しい生活で、何か嫌なことがあったらまた来よう!!
そして今度こそはクメール語で「会話」をしよう!!

それまでさようならおじさん、いつまでもお元気で!!

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2020年7月10日

タカシの人生が終わった日

カンボジアで大きな仕事が舞い込んで来たので、当分はそれに忙殺されるだろうと、クメール語学校のスケジュールまで変更している・・・

クライアントは色んな中国系の知り合いを紹介してくれるのだが、
今日はどこぞのカジノのオーナーを紹介してくれた。

その人のカジノなのかそうでないのか、
まあ一行はプノンペンにひとつだけあるカジノへと向かう・・・

ここから向こうは写真禁止なので文章だけで頑張って伝えようと努力はするが、
とにかくこのグランドフロアーは庶民のための「普通カジノ」、
ここから上はどうやら「VIPカジノ」らしい・・・

そう言えばオーストラリアでカジノに連れてってもらった時には、入り口でパスポートチェックや、VIPカジノに入るにはそれ専用のパスが必要であったが、ここは手荷物検査をしたぐらいで全く何もチェックをしない。

このメンバーの中に誰か「顔パス」の人間がいるのだ。
そうでなければそもそもカンボジア人が入ってはいけないカジノにタカシが入れるわけがない・・・

そうそう、だからタカシがこの前連れて来た田舎から出て来たばかりの女の子も連れて来たのだ。
「こんな経験めったに出来るもんじゃないからね」

この娘・・・

そしたら彼らがこんなことを言う。
誰かこの中で運のいい人いる?ちょっと座って遊んで行ったら〜

そう、めったに出来ないことだから、それは私も言おうと思ってた。
1ドルや10ドルだったら出してやるから、ちょっと遊んで記念にすればよい・・・

私は彼女の肩を押してそこに座らせた。
トランプを使った胴元との一騎打ちのゲームである。

ルールはわからない・・・だがテーブルの上に賭ける部分が書かれていて、その勝負がどのようになるのかによって賭ける場所が違うようだ・・・

見れば全てに中国語が書かれている・・・

そしてミニマムベット・・・つまり最低賭け額がこのテーブルでは50ドル((((;゚Д゚)))))))

彼らはこのテーブルに100ドル札をぽんと投げた。
胴元はそれをすぐさまチップに変えた。

チップが4枚・・・つまり1枚が25ドルである!(◎_◎;)

女の子はそれを4枚全部言われるままにひとつの枠の中に置いた。
「おいおい、それって100ドル全部賭けてることになるんやで!!!」

言うが早いか胴元がカードを配るのが早いか、その100ドルはあっと言う間に胴元の元に消えた!(◎_◎;)

この娘の1ヶ月の収入がほんの数秒で消えてしまったのだ!(◎_◎;)

一行は何も気にすることなく笑いながら次のテーブルに進んだ・・・
そしてこう言うのだ・・・

「次は誰が遊ぶ?」

私が遊んでも仕方がないのでタカシをそこに座らせる。
そして彼らは今度は100ドル札を3枚ぽんとテーブルに置いた・・・

別の色のチップが今度3枚出て来て、タカシは言われるままにそれをひとつの枠の中に置いた。
そして同じようにすぐさまカードが配られ、今度はそのチップが倍になって戻って来た!(◎_◎;)

ご一行は笑いながらそれを現金に変えて、200ドルは手元に、そして100ドルをタカシに渡した・・・

つまりタカシは自分の1ヶ月の収入を数秒で稼いだことになるのだ!(◎_◎;)

その上には最低賭け金が1000ドルのVIPカジノもあるらしいが、一行はそこで終わりにして外に出た。


そしてタカシにこう言った。
「あ、駐車場代2ドル、お前が払っといて」

その100ドルから払えと言うことだろう、
でも100ドル札で払うわけにはいかないので、タカシは自分の持ってるリエルで支払う。

「お前、このままその金持って行ったら人生終わるぞ!!今日はお世話になった人(ワシも含む)にパーっとご馳走して今日全部使っちまうんだ!!そうしないとお前の人生は終わる!!」

1日働いて3ドルしかもらえない人間が、その1ヶ月分より多い金を一瞬で手にしたら人生なんてそれだけで終わってしまう・・・

タカシもそれは知ってるのだろう、「HIBACHIに行きましょう」・・・
オスカーが閉まってる間バイトでお世話になった土井さんの店でそれを全部使って、ついでに土井さんにもいっぱい飲んでもらって恩返しをしようということだ。


その女の子も一緒に来たが、見た感じ何も動じている様子はない。

そりゃそうだ。彼女にとったら全然知らない人の金が自分を通して数秒で消えていっただけのことである。
でもタカシは違う。1ヶ月分の収入が現実にその手元にあるのだ・・・

6年ぶりにタバコを吸う・・・

そしてお勘定・・・本当は100ドルでは足りなかったが、私がそっとその足りない分を出した。

ちなみにカジノからここまでのトゥクトゥクは暴利を貪って5ドルとか言うのでケンカしてたら、それはタカシが払った。
同様に100ドル札で払うわけにはいかないので自分のリエルで払った。

帰りのトゥクトゥクは私が払った。
たかだか2ドルである。さすがに今日いっぱい散在したタカシはもう金がないだろう・・・

「すみません、20ドル貸してもらえませんか?明日電気代とかいろいろ払わなきゃならないんで・・・」

結局私もいろいろ散財したことになるが、いやここで泡銭が手元に残る方が恐ろしい。

「わかってるんです。この金が入ったからってまた博打に行ったら、今度はこの額だけじゃなくて全財産なくなってしまうんです。もう二度と博打はしません」

結局こいつも手元から数日分の収入であるリエルを使っている・・・

思えばあの人たちも酷なことをする・・・
ヘタしたらこいつ一人の人生が終わってしまってたのだ・・・

朝起きてメッセージを見たら、タカシはどっかに飲みに行ったようだ・・・
また明日金を借りに来るだろう(笑)

でもいいように考えたらこういうことではないだろうか・・・

この若者の人生が終わるかどうかはこの若者次第である。
それを100ドル出して確かめてるのではないか・・・

これで終わるようだったらそこまでの人間である。
それを乗り越えられるようだったら見込みがある。

そんなことではあるまいか・・・

勝ったのがタカシでよかった。
もしこの女の子が勝ってたら彼女の人生はいったいどのように変わってしまっただろう・・・

田舎から出て来て1週間、動画に写ってるあの素朴な女の子が、今では立派なバーの女に成長している・・・

誰かがこんなことを言った。

男は金を持ったら悪くなる。
女は悪くならないと金を持てない。

二人とも頑張れ!!今日のことは一夜の夢・・・追いかけても消えてしまう夢だったのだ・・・

それがわかる人間だけがいつか自分の夢のところに行ける・・・

そしてタカシは今日きっとオスカーをクビになるだろう。
人員削減で誰かひとりが切られるだろうと言う時に無断欠勤をしたのだから・・・

この日が本当に「タカシの人生が終わった日」になるのか、それともこれをきっかけに大きく羽ばたくことになるのかはこいつ次第である・・・

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Posted by ファンキー末吉 at:02:52 | 固定リンク

2020年6月10日

オーバーステイ?!(◎_◎;)

いつもの如く早起きして予習して、
学校へ向かう道すがらバイクがエンストして動かなくなった(>_<)

まあ400ドルで買ったバイクやからしゃーないなぁ〜・・・

Amazonカフェに停めてあとはタカシに任す!!

トゥクトゥクで学校まで行ってる時にふと思い出した。
このバイクレンタル屋が格安でバイクをレンタルしているではないか・・・

ここはバイクのレンタルだけでなく、外貨の両替や日本との間の送金、そしてカンボジアのビザ関係まで手広くやっているらしいので一度行ってみたかったのだ。

壊れた自分のバイクはいつ直るかわからんし、
何よりもう一台あればタカシをHIBACHIまで送って行かなくて済む(笑)

しかもひと月借りて最安10ドルっつうんやから安過ぎ!!(◎_◎;)

学校終わってからその場所に着いた。
噂通りの関西人の面白いご兄弟が運営されておられる・・・

そのお二人が、私が預けたパスポートをチェックしてたら突然こんなことを言い出した。

「ファンキーさん、2ヶ月前にVISAの期限が切れてます。
オーバーステイですよ。

んなはずはない!!
カンボジア政府はコロナの影響で帰国出来ない外国人のためにVISAが自動延長されるシステムを発表したではないか!!

「あ、あれ観光VISAだけなんです。ファンキーさんのはビジネスVISAなんで対象になりません」

!(◎_◎;)

VISAが切れてるっつうことは不法滞在?・・・
入国管理局の怖いおっさん(知らんけど)に逮捕されてそのまま強制送還?
そして今後入国禁止??・・・

まあどこの国でもオーバーステイはしたことがないのでどんな目に合うやらわからんが・・・

その辺はここに人はプロなので色々教えてくれる・・・

「一回だけ有効なVISAを発行されて、数日以内に出国して下さいという場合もありますが・・・」

んな!!(>_<)・・・このご時世にこの国から放り出されたらワシどこ行けばええの?
どこ行っても2週間の隔離、またここに戻って来ても2週間の隔離・・・

しかも今日発表されたその料金!!!

もうね、ただでさえ飛行機代高くて買えないのに、こんな金取られたんじゃおちおち出国もしてられない(>_<)

「なんとかなりませんか?こんなご時世に外に放り出されちゃぁ絶対露頭に迷います!!(涙)」
と頼んでみる。

「いや、方法はありますよ。まず詫び状っつうのを書くんです」

国相手に「詫び状」って(笑)・・・

「それで10ドル罰金払ったらVISAを延長してくれます」

10ドルなんて安いもんやん!!

「オーバーステイ一日ごとに10ドルですよ」

!(◎_◎;)・・・
2ヶ月オーバーステイしとるっつうことはざっと600ドル!!!!(◎_◎;)

(号泣)・・・でもしゃーない(>_<)もし行くとこなくて日本に帰ったとしても飛行機代やら何よりも成田から公共交通機関使わずに八王子まで帰れってどないすんの?
レンタカーやら色々手を施しても(それって借りてもどうやって返すの?自主隔離せないかんのに)どの道絶対に600ドル以上の金はかかる(>_<)

書類に色々書き込んでもらって、
詫び状も雛形があるらしいので書いてもらって(笑)
さあ後はこのお二人に任せるしかない!!

久保さん、よろしくお願い致しますm(_ _)m

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Posted by ファンキー末吉 at:18:37 | 固定リンク

2020年5月 3日

カンボジア大阪東京3元中継生ライブ大成功!!

おそらく世界初やろうな(知らんけど)
今回はカンボジアと大阪のみならず、東京とも繋いで3箇所で同時セッション!!

今日友人を介して知り合いのとあるミュージシャンから「どうして音が遅れないんですか」と質問が来た。

直接聞きなさい!!(笑)

説明しておきます。
日本のミュージシャンの皆さま、このシステムだと音が遅れず、遠隔地から同時にセッションして配信することが出来ますぞ!!

まずメインのシステムはこのヤマハのNETDUETTO!!
こちらから無料でDL出来ます)

これをまずパソコンにインストールします。
そして大事なのはそのパソコンをLANケーブルで有線でネットに繋ぐこと!!

昨日テストでやってみた時に、どうしても音が遅れるということで、ブルースハープの西村ヒロさん、その場でLANケーブル買いに行ったもんな・・・(笑)

ところが最近のMACとか差込口はType-Cしか付いてない(>_<)
私も今日苦労してカンボジアでこの変換アダプターをゲットしました!!

日本国内においては、双方が有線LANで接続すれば、このNETDUETOはなかなか遅延を感じさせない素晴らしいソフトです!
(どうして10年間もベータ版のままなのか不思議・・・)

これで日本同士音のみの同時セッションはもう可能!!

NETDUETOの設定は、まあ5Gとか実現化したら別だろうが、現状では
「基本音質設定」を「帯域優先」、
その右の音質は「低(11/12kHz)」「高圧縮」「1ch」が無難であろう。

さて、セッションするにもどのように相手に音を送るかですが、
とりあえずイヤホンは使わないとスピーカーから出た音をマイクで拾ってループしてしまうことが多い。

音を繋いでセッションをするためにはやはりオーディオインターフェイスをパソコンに繋いで、そこに楽器の音を打ち込むのがよろし。

上の写真の左側に入力出力の設定があるのでそれをインターフェイスに変えてやる必要がある。
入力をインターフェイスから、出力をイヤホンからという設定も可能。
パソコンによってはイヤホンを挿しても自動的にイヤホンに変更してくれずスピーカーのままということもあるので、この設定はいちいちチェックのほどを!!


さて、音のやり取りはここまで、これで音のセッションは出来るが、映像はまた別のソフトを使ってやらねばなりません。

オンライン会議ソフト「ZOOM」や、「LINE LIVE」など色々方法はあるけど、
ここでは「ZOOM」のやり方をご紹介しておきましょう。

まず、パソコンはNETDUETTOで使われているので、新たにスマホかもう一台のパソコンでネット配信する必要がある。

NETDUETTOの音をスピーカーから出して、それをスマホやもう一台のマイクで拾って音を出すなら何も設定は要らないが、やはりいい音で配信しようと思ったら、もう一台をパソコンにして、そこにLINE入力でNETDUETTOの音を繋ぎたいもの・・・

そこで、これは私のやった例としてご紹介しておきますが、
カンボジアと日本という、NETDUETTOを使っても音が遅れる場合のやり方として参考にして下さい。

まずどうやっても音が遅れる場合、音を「送り側」と「受け側」に分けます。
今回の場合、「送り側」は大阪のザビエル大村、「受け側」がカンボジアの私となります。

まず送り側はインターフェイス経由でギターの音をパソコンにぶっ込んでNETDUETTOでカンボジアに送る。
そしてカンボジアでは「受け側」としてまた別のセッティングをします。

一台のパソコンにNETDUETTOをインストールして、そこのマイク入力はオフ、またはガイドのためにうっすらと返しておく。
(ここで既に音が遅れているため、大きく返すとギターが影響されてうまく弾けない)

つまりネットの遅延のために「相互方向のセッション」を放棄したわけですな。
こちらはNETDUETTOで受け取った音をパソコンのイヤホン出力からインターフェイスに繋ぎ、
(それゆえ、NETDUETTOの出力をイヤホンに設定する必要あり)
そのインターフェイスにマイクも繋ぎ、ギターの音と自分の声はインターフェイス上でミックスをして直接ZOOMに出力。

つまり、送り側ではインターフェイスはNETDUETTOがインストールされたパソコンに繋ぐけど、受け側ではZOOMで配信する方のパソコンに繋ぐわけです。

ZOOMは立ち上げると入力ソースを選べるところがあります。

ここの入力出力を共にインターフェイスに設定すれば、
私としてはギターの音と自分の声、そしてZOOMのお喋りをインターフェイスに接続したヘッドホンで聞くということになり、配信の音はこれのみ!!
つまり、ZOOM、そしてそれに連動して配信するYouTubeやFacebook等は私のZOOMの音だけを聞いている形になるわけですな。
そして大阪のザビエル大村のZOOMの音はミュートしておきます。
(そうでないとZOOMから聞こえるギターの音と、私の送っているNETDUETTO経由のギターの音で遅延が生じて二重に聞こえる)

ちなみに、私の方でパソコンのアウトからインターフェイスに繋ぐケーブルの問題ですが、ステレオケーブルで無理やりインターフェイスのMONO入力に繋いだ私の場合、NETDUETTOの音がインターフェイスに入力されないというトラブルが起きましたが、NETDUETTOのパンを左に寄せてやれば解決。

これで成功したセッションのレポートがこちら!!

今回はこれに大阪ー東京の相互方向セッションを加えて3元中継に成功したわけです。

そのダイジェスト映像
(フルバージョンはこちら

日本同士だと遅延も少なく、完全に相互方向のセッションが可能ですので是非お試しあれ!!

日本同士の場合、このまま私がいない状態

なお、Facebook同時配信、YouTube同時配信はZOOMの有料会員オプションです。
他の映像配信の方法も色々あると思いますので研究してみて下さい〜

では日本のミュージシャンの皆さま、世界に先駆けて遠隔地セッションをやりながらコロナを乗り切ろう!!


ps.このシステムを構築するために私も大村も少々散財を致しました。
「このシステムええわ〜というお方は少々投げ銭して頂けると助かります〜

ファンキー末吉
Ofuse:https://ofuse.me/#users/19097
PayPal:https://paypal.me/FunkySueyoshi

ザビエル大村
PayPal:https://paypal.me/pools/c/8oohJ5sYXH

【ゆうちょ銀行】への投げ銭、振込先。
<1>
ゆうちょ銀行(郵便局)→ゆうちょ銀行への振込の場合
記号 14120 番号60818301
名前 オオムラアキラ
<2>
他の金融機関→ゆうちょ銀行への振込の場合
【店名】四一八(読み ヨンイチハチ)
【店番】418 【預金種目】普通預金
【口座番号】6081830

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Posted by ファンキー末吉 at:04:49 | 固定リンク

2020年4月25日

精神文明の社会

その昔、チベットに行って「ロックとは何か」を悟ろうとしてた時、この頃に「世界が物質文明から精神文明に変わる時が来る」という話をどこかから聞いた。

Stay Home!Stay Safe!!の時代が来て、色んなアーティストがネットに色んな動画をアップする。

メタリカの過去のライブ映像毎週大放出も見ているのだが、
小曽根真さんの毎晩配信自宅ライブからは目が離せない。

面識はないのだが、思わずファンレターをメッセージで送ってしまったほどである(笑)。

そこにオーバーダビングで参加した五十嵐一生くん!!

素晴らしい!!本当に「神様に向かって演奏している」が如く名演である。

五十嵐一生くんとは大昔、新宿ピットインで彼のバンドのドラマーとしてライブをやったことがある。

一緒に演奏したギタリストが、その後に過労死したというニュースを五十嵐くんから聞いた・・・
好きな音楽をやり続けるには金が要る。朝から晩までバイトしながら音楽をやってたらついに身体が限界が来たのだと・・・

「音楽に命を捧げる」のならまだしも、「バイト」に、「生活」に命を捧げるのはなんともいたたまれない(>_<)

これが「物質文明」の世界である。
「持たざる者」は生きてゆくことが出来ない・・・

今頃、天界にある真っ白な世界で、そんなことを気にせずに好きな音楽を心ゆくまでやっているのだろうか・・・

そんな世界が、その頃聞いた「精神文明」の世界だとするとこんな素晴らしい世界はない。

でもなぁ・・・そんな世界なんて来るのかなぁ・・・

「売れる音楽がこそが正しい音楽」という世界で生きて来て、
「お金を持つこと」「有名になること」が正しいという世の中でちょっとだけ持ってみたり・・・
およそ「物質文明の申し子」のような人生を送って来た私が、遠い空を見上げて空虚に想うばかりである・・・


昔、ラジオのパーソナリティーをやっていた時、その番組に台湾の「郭英男」さんという人がゲストで来て、インタビューをして衝撃を受けたことがある。

彼は台湾の少数民族のひとつ、アミ族の人間である。
彼自身、日本統治下で学習した日本語を少し喋るが、基本的には同伴した息子さん(私より年上!(◎_◎;))にアミ族の言葉で話し、息子さんがそれを中国語に訳してインタビューする。

アミ族の言葉はそれ自体「文字」を持たないらしい。
彼のような人々が「歌」でその文化を伝えてゆく・・・

洗濯の歌、酒を飲む歌・・・
1993年にエニグマが『リターン・トゥ・イノセンス』でサンプリングしたのが、彼が歌うそんな歌の中のひとつ、『老人飲酒歌』である。

この無断サンプリングを巡っては、彼(・・・というよりその代理人を名乗る人であろう)とエニグマの間で大きな訴訟が起こされることとなる。

今まで村の中で、村人から選ばれて「歌で民族の文化を語り継ぐ」という役割を与えられ、あのお年になるまでそれだけをやって生きて来たお方が、いきなりこの「物質文明」の中に放り込まれることになる・・・

しかし私がお会いした印象の中で感じるのは、「どこ吹く風」・・・
インタビューの最後に日本語で語ってくれたメッセージは、

「僕ハ小サイ頃カラ歌ガ好キデ、今デモ歌ヲ歌ウ。トテモ幸セ。」

当時「物質文明」のど真ん中にいた私の心にはそれはそれは強く突き刺さった・・・

彼とはそれ以来会ってないので、晩年どのような人生を送られたのかは知らない。
遅くして知った物質文明にまみれ、エニグマから勝ち取ったお金で余生を贅沢に送られたとしても、それはそれで誰にも責められることではない。

ただ、もしそうだったとしたら、きっとあのような「歌」は歌えなくなってるのではないかな、と想像する・・・

精神文明「社会」ではないが、あの歌こそがきっと「精神文明」なのだ、とそう思う。

同様に、今こんな時代に、お金にもならないのに・・・というか、お金にならないからこそ、自分の思う「正しい音楽」、自分が「信じる音楽」をネットにアップしている音楽家たち、彼らこそが「精神文明」の担い手なのだと感じる。


昔、米川英之のツアーでご一緒した新澤健一郎くん、
彼のこの投稿も素晴らしかった・・・

彼はRockやJazzやPopsや、あらゆるジャンルを弾きこなすオールラウンドなプレイヤーであるが、Jazzは一緒にやったことがない。

いつか一緒にどっぷりとJazzでも一緒にやってみたいな・・・などと思いながら見つけたこのセッション!!

もう素晴らしいね!!

Jazzの魅力は、この二人の頭の中では鳴っていて、実際には音としては出て来ないものをリスナーが共有するところにあると思っている。

つまりは常にリスナーもそのセッションに参加しているのである。

「クリックを消した」と書かれてあるが、その聞こえないクリックをリスナーも共有する。
プレイヤーが本来のコード進行をちょっと崩してゆく(アウトすると言う)のをリスナーもそのコード進行を共有してるから一緒に楽しめる・・・そんな感じである。

私もそれをやってみたい!!ということでこの大元のYouTube映像を探したが、残念ながらこれしか見つからない・・・

これはちょっとわかりやす過ぎるので大元のが欲しいのよ〜
というわけで布川せんせーに直接連絡して送ってもらう・・・

布川せんせー、大元のはちょっとわかりにくいので一般公開はしてないらしい。
私は敢えてそっちのバージョンでセッション!!

なんで子供がおるのかと言うと、こちらカンボジアでも託児所が休園になったり、共働きのご夫婦は大変なのよ〜

この世の中いろいろ助け合わな生きていけんからなぁ・・・
その助け合いこそ「精神文明社会」の第一歩かも知れんなぁ・・・

特にこんな「神様と交信している」が如くの素晴らしいミュージシャンが、このまままた物質文明にまみれることなく生きてゆける社会になればいいな・・・と思う今日この頃である。


Posted by ファンキー末吉 at:03:00 | 固定リンク

2020年4月16日

美女と三密3人乗り・・・

子守の助っ人に来てくれてるタカシの(片想いかも知れんが)彼女姉妹、今日からタカシはHIBACHIで働くので代わりに家まで送って行くわ〜・・・って3人乗り!(◎_◎;)

子守の助っ人に来てくれてるタカシの彼女(片想いかも知れんが)姉妹、今日からタカシはHIBACHIで働くので代わりに家まで送って行くわ〜・・・って3人乗り!(◎_◎;)

しかしその後、彼女たちの住むところに着いて私は絶句することとなる。。。

美女と三密3人乗り
ファンキー末吉BLOG
http://www.funkyblog.jp/2020/04/post_1413.html

末吉覚さんの投稿 2020年4月16日木曜日


しかも途中でガス欠(>_<)!タカシめ、ガソリン入れ忘れたらしい・・・

年寄りはバテてしまい、一番若い妹がバイクを押す。
どこの姉妹もそうなのかも知れないが、お姉さんはいつも人生背負ってる感じで妹は天真爛漫で明るい。

子守の助っ人に来てくれてるタカシの彼女(片想いかも知れんが)姉妹、今日からタカシはHIBACHIで働くので代わりに家まで送って行くわ〜・・・って3人乗り!(◎_◎;)

しかしその後、彼女たちの住むところに着いて私は絶句することとなる。。。

美女と三密3人乗り
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http://www.funkyblog.jp/2020/04/post_1413.html

末吉覚さんの投稿 2020年4月16日木曜日

子守の助っ人に来てくれてるタカシの彼女(片想いかも知れんが)姉妹、今日からタカシはHIBACHIで働くので代わりに家まで送って行くわ〜・・・って3人乗り!(◎_◎;)

しかしその後、彼女たちの住むところに着いて私は絶句することとなる。。。

美女と三密3人乗り
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末吉覚さんの投稿 2020年4月16日木曜日


やっとガソリンスタンドに着いたら汗だく・・・
おじさんがいつも首にかけてるタオルで汗拭いてあげる・・・

お嬢様じゃなくてよかった〜
加齢臭を全く嫌がりもせず、全く気にせずそのままタオルを首にかけて出発〜

子守の助っ人に来てくれてるタカシの彼女(片想いかも知れんが)姉妹、今日からタカシはHIBACHIで働くので代わりに家まで送って行くわ〜・・・って3人乗り!(◎_◎;)

しかしその後、彼女たちの住むところに着いて私は絶句することとなる。。。

美女と三密3人乗り
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http://www.funkyblog.jp/2020/04/post_1413.html

末吉覚さんの投稿 2020年4月16日木曜日

子守の助っ人に来てくれてるタカシの彼女(片想いかも知れんが)姉妹、今日からタカシはHIBACHIで働くので代わりに家まで送って行くわ〜・・・って3人乗り!(◎_◎;)

しかしその後、彼女たちの住むところに着いて私は絶句することとなる。。。

美女と三密3人乗り
ファンキー末吉BLOG
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末吉覚さんの投稿 2020年4月16日木曜日


やっと彼女たちの家に着いたらびっくりした・・・
そこは写真を撮るのもはばかられるようなぼろ家が集まったゴミだめのような集落!(◎_◎;)

そこに消えてゆく明るい妹と何かを背負ったような姉・・・
私は胸を鷲掴みにされたようにキュンとなった。

南国だからまだいい。
隙間風で凍えることもなければ、
水道さえあれば毎日水シャワーは浴びることが出来る。

ところがふたりともこのゴミだめのような集落には不釣り合いな美女だから、私の胸は余計に高鳴るのだ。

中国では「美人はそれだけで金になる」と言われていた。
その話:http://www.funkycorp.jp/funky/ML/87.html
だけどこの国の今の状況ではいくら美人だってもうどうしようもない。

コロナで仕事を失った・・・
もちろん国は保証などしてくれない。
そもそもが、この国の政権は彼女たち貧乏人に支えられてる政権ではないのだ。

日本だったら、田舎で食えない人は都会に行けば、文句さえ言わなければ何らかの仕事はある。
だがこの国は、田舎から首都プノンペンに来たところで、英語でも喋れなきゃろくな仕事なんかありゃしない。

そのろくでもない仕事さえコロナで奪われ、
彼女たちは帰るべき実家もないと言うのだから、
このままこの底辺で、仕事もなく生きてゆくにはもう犯罪でもやるしかないだろう・・・

そんな底辺の人間がこの国には数えきれないほどいるのだ・・・

私とて失業者の身、子守の助っ人でろくなギャラも払えるわけじゃないから、
とりあえず
「メシだけは食わすわ〜」、
二人に払うギャラはないから、
「二人で来てもええけどギャラはひとり分しか払えんよ〜でもメシは食わすわ〜」

ちょっと「条件」としてはどうしようもないけど、
彼女たちは毎日うちに来てくれて真面目に子守をやってくれてるバックボーンがわかって、ちょっと胸がキュンとなった。

1日10ドルで暮らそうとビール0.5ドルのこの国に来てみたものの、
タカシといい、彼女たちといい、「家族」が増えてもう大変である(>_<)

まあいい、周りから犯罪者を出すことほど気分の悪いことはない。
お前らがとりあえず、これ以上悪くならなくなるんだったらそれでいい。

これ以上って・・・これより悪い状態はなかなか多い浮かばないのだが・・・(>_<)

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Posted by ファンキー末吉 at:23:47 | 固定リンク

2020年4月15日

亜州鼓魂を巡る日中のいろんなドラマ

このブログでは結構頻繁に出て来るこのアルバムにまつわる話を、今回はちょっと掘り下げてゆっくり話そうと思います・・・

長くなるけどひとつの「読み物」としてまとめてみました。
本として出版するつもりはないけれども、
最近ではブログにも「投げ銭」と同じシステムで、読み終わって気に入ったらその分の報酬を支払うシステムがあるというので、一応「物書き」の端くれとして、「作品」として初めてそれをやってみようと思います。
もちろん一瞥して無視してくれても構いません。

それでは始めてみましょう、「亜州鼓魂を巡る日中のいろんなドラマ」

調べてみると、このアルバムが日本で発売されたのは1996年の7月19日、
爆風スランプが何をやってたかと調べてみると、その2ヶ月後の9月21日には「旅人よ 〜The Longest Journey」が発売されている・・・

ということは、ちょうどこのアルバムを制作している時に電波少年の猿岩石の応援歌のタイアップが舞い込んで来たということだ。

タイアップを取って来たレコード会社とのミーティングの様子を覚えている・・・

あれはきっと当時の所属事務所であるアミューズの会議室だったであろう、
ひとつの部屋にメンバー全員と、爆風担当のスタッフ、そしてレコード会社のディレクターと宣伝担当なのか、とにかくそのタイアップを取って来た人とが面を合わせる・・・

「電波少年って番組知ってますか?」
そこから話が始まったと記憶している・・・

もちろん私は日本のテレビ番組なんか見ないし、ましてやバラエティー番組など知る由もない。
そんなこともあろうかと、担当者は番組を録画して会議室で私たちに見せた。

若いお笑いの二人組がヒッチハイクをしながらアジアを旅をしている姿があった・・・

「どうですか?」
担当者がみんなに聞いてゆく・・・

「面白いねぇ」とかいう意見が出てたような気がする。
しかし私には全く興味がない・・・

番組が面白いかどうかは今から曲を作ってタイアップ付きで売ってゆくのに全く関係ない。
「番組が売れてるかどうか」以外に意味はないのではないか・・・
それが「ショービジネスの世界」ではないのか・・・

「どうですか?末吉さん」
ひとりだけ何も反応もない私に担当者が聞いて来る・・・

「こんなことは私は自分の人生でやっていますから・・・全く興味がないですね!!」

私は中国にカメラクルーを連れて行ったわけではない。
ロックを探して「殺されるかも知れない」と震えながら地下クラブに行った。
出会ったパンクスに彼の歌を天安門広場で歌って欲しいと言われて、ギター持って広場に行ったものの怖くて怖くて歌えなくて泣いて帰った。
爆風スランプを何とか北京でイベントにねじ込んで、1曲目に煽ったら中止命令が来たけど構わずやり続けたら、銃を持ってる武装警察に別室に監禁された。

全部テレビカメラなんかない。
その時そこにいた人、そして私自身以外は誰も知らないことである。

私はテレビのためにこれをやってるのではない。
私のためにこれをやっているのだ。

私の人生のために・・・

結局タイアップの曲は河合の曲に決まった。
それが「旅人よ 〜The Longest Journey」である。

「選曲会議」というのがある。
次のシングルとかを決める時に、それぞれメンバーが書いた曲を持ち寄って、レコード会社とかとどれにするかを決める会議である。

私はこれが嫌いで・・・っていうかみんな嫌いなんじゃないかな?
持って来た自分の曲は一番いいと思って持って来るのに、
それをあーだこーだと否定されに行くようなもんである。

インターネットなどない時代であるが、
カセットテープを郵送するからそっちで決めて結果だけを教えて欲しいぐらいなもんである(>_<)

この選曲会議の時だったと思うけど、中野がこんなことを言ったのを覚えている。

「河合の曲は売れ線だけど中身がない。
末吉の曲は深いけど大衆的ではない。
お前らその真ん中の曲が書けないのか?(笑)」

どうして覚えているかと言うと、「そうかも知れない」と思ったからである。


その頃・・・いやもうちょっと前の時代かも知れない、
きっと黄家駒が死んでからしばらくしてのライブだったと思うが、
爆風のコンサートを見に来てくれたひとりの友人が、終演後に私にこう言った。

「末ちゃんだけがひとり別のところを見てる」

「出てる音」が違うのだ、とそう言う。
一体私だけがひとりどこを見てたと言うのか・・・

見てるところが違ってて、音にもそれが出てるのだから、
こうしてタイアップで曲を作ろうったって、出来て来る曲の方向性は全く違って来る・・・

実のところ私はこの亜州鼓魂の曲は爆風の選曲会議には出さなかった。
どうせ中国ロックだJazzだ変拍子だなんぞ出したって笑われてボツにされるのがオチである・・・

そう言えば1曲、「R&Rオヤジ」という曲はその前の選曲会議で出したような記憶がある。
当時「チキダッチョ」という言葉がラジオで流行ってて、それを連呼する面白い曲にしようということになったので「冗談じゃない」とばかり曲ごと引き上げたのだ。

「チキダッチョ」にしてたら売れたかも知れない。
でも私は自分が笑えない曲をその後もずーっと演奏し続けてゆく自信がない。

結局「摇滚老头(R&Rオヤジ)」というテーマで自分で詞を書いた。
途中にこんなコーラスが入る。

「摇滚老头站起来吧!!不怕牺牲!!排除万难!!勇敢向前!!昂头冲向未来!」

毛沢東の革命のスローガンである。
それを実際に軍隊のコーラス隊に歌ってもらってるんだから笑える。

25年経った今聞いても、私にはとても「笑える」のである。

「チキダッチョ」がもし大ヒットしてたとしても、25年経った今聞いても果たして笑えるかどうか・・・歴史に「もしも」はないのでそれはわからない・・・

そういえばこのアルバムのミックスダウンの時に、当時の担当マネージャーが陣中見舞いに来てくれた。

その時にちょうどミックスが仕上がり、最初から全曲聞いてみようということで、
部屋を暗くして音量を大きくして、さてA面の1曲目から・・・

そう、このアルバムはまだカセットテープが主流だった中国の流通を考えて、
アナログ盤と同じくA面、B面、そしてA面の5曲はメドレーとして繋がっていて、B面の4曲も繋がっている。
アナログ盤をひっくり返すように、ひと息ついてカセットをひっくり返すように作られているのだ。

A面の最後の曲がこのアルバムのリーディングソングで、李慧珍が歌う「Let Me Be Free」。
この曲が終わってひと息入れて、さてB面を聞こうとした時にマネージャーが「帰る」と言い出した。

「あの女の子の歌の、最後に転調を繰り返すところで涙が出て来て・・・
僕、帰ります!!帰って爆風の新しい活動計画を作らなきゃ・・・
このままだと・・・このままだと末吉さんがどっか行っちゃう(涙)」

そして私はその予想通りどっか行ってしまった。
その「どっか」は中国である。

後に中野が何かのインタビューで爆風活動停止について聞かれた時にこう答えていた。
「中国に入れ込んだ末吉が・・・結果爆風を壊してしまったんです」

その通りだと思う・・・

その後マネージャーは爆風のどんな活動計画を作ったのかは記憶にない。
だが、「旅人よ 〜The Longest Journey」は売れた!!

多くの人はRunnerこそが爆風最大のヒット曲だと思っているが、
実はCDの売上枚数だけで言うとこの曲の方が「売れて」いる・・・

会社のトップである大里会長は、波に乗っている私たちにハッパをかけようと、食事をしながらこんなことを言った。

「お前らこれぐらいで満足してるのか?
桑田はお前らよりもっと金持ちだぞ?俺はもっと金持ちだぞ?
このぐらいの金で満足か?」

確か河合は目をキラキラさせながら「頑張ります!!」と言ってた気がする(笑)

私はぼーっとしながら考えた・・・結論から言うと「満足している」のだ・・・

メンバー全員が都内にマンションを買い、
更には別荘や、もう一軒マンションをという時に、
私は本当に金がなかった・・・

持ち慣れてない金を持って浪費し過ぎたのもあるが、
やはり大部分の金は中国に消えている・・・

結局買ったマンションも安値で売り、
そりゃ金はあるならあった方がいい・・・

でも中国のあの若者たちは命がけで(と当時は思っていた)ロックをやっている。
俺は一体何をやっているんだ・・・

そんな思いがいつもあったから、
このまま「もっと売れて」とか思う考え方が私の中にはなかったのだ。

電波少年はますますヒットし、猿岩石は全国民が知る有名人となり、
旅人よ 〜The Longest Journey」も大ヒットした。

時間がなかったのはわかる。
中野と河合と二人でインドに行ってこの曲を歌うのもわかる。
それがカップリングとしてCDに入るのもまだわかる・・・

だが、寝耳に水で他所から1枚の8cmシングルCDのことを聞かされた私と和佐田の気持ちはどんなもんだろうか・・・

「爆風スランプ」という自分の「バンド」名義である。
その名義で私と和佐田が全く参加していないこの曲のオーケストラバージョンを、私と和佐田が全く知らないうちにレコーディングして、それを発売しようとしている・・・

レコード会社のディレクターやマネージャーにとっては「あ、しまった!!お二人に伝え忘れてた(>_<)」だけのことであろう・・・
だが私にとってはもうひとつもっと許せないことがあった。

私は亜州鼓魂の中で11分にも及ぶフルオーケストラとの組曲を書いている。
ラス前の「天界への7番目の扉」という曲である。

中国最高のオーケストラとガチで組んで、血が逆流するぐらいの思いでこの曲を録り終えた。
この「旅人よ~ロイヤル フィルハーモニック オーケストラ ヴァージョン」のオーケストラアレンジを引き受けた福田さんから、実は福田さんがこのアレンジをやって、ロンドンで私と同様に血が逆流する思いで演奏した話を聞かされた時の私の気持ちは想像出来るだろうか・・・

今では私はおそらく日本のその辺のアレンジャーよりは多くの曲をオーケストラとレコーディングしている。
X.Y.Z.→Aでもオーケストラを入れたアルバムも2枚作っているが、
その時に橘高が(うちはレコーディングディレクターは橘高がやる)、私の知らないうちに別のアレンジャーにそれを発注してたらX.Y.Z.→Aは今この世に存在しているだろうか・・・

確かにこの時点では私は、オーケストラアレンジャーとしては初めての大波を超えた程度のキャリアかも知れない。
でももしこれがX.Y.Z.→Aだったら橘高は私にどう言うか・・・

「末吉さん、これ、やりますか?それとも他に頼みますか?
もし末吉さんがやると言うなら、僕らはバンドの運命を全て預けますんで死んで来て下さい」

そして私はまた血の涙を流しながら戦うのだ。
愛するバンドのために、愛するメンバーのために、そして愛する「自分の音楽」のために・・・

思い起こせば私が90年に最初に北京に行った時、
地下クラブで黒豹のライブを見て、その後天津体育館で一緒にドラムを叩き、
泣きながら飲んで、「Someday your dreams come true!!」と言う言葉を残して日本に帰った。

当時試験期間の新米ドラマーだった赵明义に変わって、私は日本を捨てて黒豹のドラマーとして中国に残る選択肢もあった。

ところが「こんな国で夢追いかけたってお前ら・・・絶対に叶うわけがない」という思いもあった。
だからこの言葉を贈る時、私は・・・泣いた。

私は結局「ウソ」の言葉を残して日本に帰ったのだ。
当時誰も彼らが後に何十万人のスタジアムを満杯にするバンドになるなど想像だにしていない。

私も夢にも思ってなかったが、そちらの方が「茨の道だから」私は楽な日本の道を選んだわけでもない。
私には日本に「バンド」があるのだ。「仲間」がいるのだ。

その仲間を見捨てることは出来ない。だから日本に帰ったのだ・・・

その時には、その後そのバンドからこのような仕打ちを受けようとは夢にも思っていない・・・

亜州鼓魂は中国で売れた・・・
続いてそのリーディングソングを歌った李慧珍のデビューアルバムをプロデュースし、
それは本当の意味で売れた。

こんな感じ・・・
後に中国のグラミー賞みたいなので作曲賞を頂くこととなる・・・こんなん

「本当の意味」というのはどういうことかと言うと、
当時は中国では海賊版がひどくて、ヘタしたら正規盤を作っている工場で多量の海賊版が作られているような状況だったのだ。

実際に何枚売れたかなどカウント出来ないが、
レコード会社にも、このアルバムを作ってくれた日本のホリプロにもおそらく亜州鼓魂の収入はほとんど入ってないと聞く。

しかし李慧珍の場合は、ド新人の歌手が一世を風靡するようになったのだから事務所としては御の字である。
亜州鼓魂のようなオムニバスだとなかなかそうはいかない。

しかし亜州鼓魂の影響力はデカかった。

それは今でも感じている。
中国では80年代生まれのミュージシャンと仕事をすることが多いが、
新しい人と出会うと必ず「学生の頃このアルバムを聞いてました」と言う。

「知らない人はいない」というぐらいのレベルである。

布衣のボーカルLaoWuは、同じく学生の頃貧乏だったので、このたかだか数元のカセットを買う金がない。
友達と「あれ買いたいんだけど」という話になって、みんなで血を売ってその金で買ったらしい(笑)

どうしてそんなにこのアルバムを買いたかったかと言うと、
当時中国には「ロック」のアルバムは本当に数枚しかなかったのだ。

このアルバムのセールスコピー「中国三大ギタリスト夢の共演」というのは当時のロックファンの購買欲をそそるのに十分であった。

ちなみに中国三大ギタリストというのはみんな私の友人で、
黒豹のギタリスト李彤と唐朝のギタリスト老五、そしてBeyondのギタリストPaulである。

ところが買ってみたら、三大ギタリストの共演は「R&Rオヤジ」だけだし、あとはJazzやら変拍子やらRapやら、当時の中国では聞いたこともないような音楽ばかりである。

今布衣のエンジニアとして一緒にツアーを廻っている海龍は私にこんなことを言った。
「ない金叩いて買っては見たものの、ほとんどの曲は听不懂、全く理解出来ないんだ。
だから毎日毎日何回も何回も聞いた。だから今でも覚えてて歌えるし、ああこれは7拍子だったんだと今ではやっとわかる」

そう、このアルバムはロックのバイブルみたいに中国ではロック好きなら誰もが聞くアルバムになったが、収録されている曲はロックばかりではない。
むしろコンセプトアルバムの最後を飾る2曲はJazzである。


(見れない場合はブラウザのCookieを有効にして下さい)

「ソロアルバムを出したいんですけど・・・」
日本のシステムは世界では珍しく「全ての権利を売り渡して給料をもらう」というシステムなので、私はそのやり方に則って所属事務所にお伺いを立てる。

所属事務所はレコード会社にレコードに関する部分を譲渡するので、当然ながらレコード会社に相談する。

日本最大のレコード会社であるソニーレコードの会議室に、所属事務所のマネージャーとレコード会社の大幹部たちが集まって私を呼んで会議を開く。

「どんなアルバムを作りたいのかね?」
私は胸を張って答えた・・・「Jazzです!!」

一瞬の沈黙・・・そしてレコード会社の幹部はこう聞き返した。
「それが一体何枚売れるのかね?」

「Jazzもコアなファンがいるのでちゃんと作ったら1万枚は売れるでしょう。
5000枚売れたら大ヒットという世界ですから、とりあえず私は1万枚以上を目指したいと思います!!」

幹部たちは顔を見合わせて、そして一斉に大笑いした。
「どうして爆風スランプのメンバーのソロアルバムを50万枚も売れないのにうちが出さなきゃならないのだね?」

大笑いの中、会議は終了・・・

とどのつまり、レコード会社はその数年後に発売されることになる「旅人よ 〜The Longest Journey」のような曲満載のアルバムを作って欲しいのだ。

でもそんな曲なら爆風に書く!!
ソロアルバムなど出す必要は全くないではないか・・・

爆風に持っていっても鼻もかけられないJazzや中国ロック、
でもこれはクオリティーの高い素晴らしい音楽だ、
だから世に出したい!!

これがそもそもの「ソロアルバム」という考え方ではないのか?・・・

聞くところによると、大手プロダクションに所属する有名バンドのマネージメントでは、
メインのメンバー以外のソロアルバムはガス抜きのために出してやったりするが、
決してメインの売り上げを上回らないようにうまく「手を抜く」という話がある・・・

本当か嘘かはわからないが、そりゃメインどころを追い抜いちゃったらメインどころも面白くないし、バンドはうまくいかなくなる可能性はあるわのう・・・

そして自分ひとりの音楽ではどれだけ力不足かを実感し、そしてそのメインどころがいなければ食っていけないと自覚し、そしてバンド円満、事務所もバンドのメインどころだけに気を使ってればいいから万々歳・・・

しかし私はこの枠にはまらなかった。
所属事務所からは商売敵に当たるホリプロとこの亜州鼓魂の発売を決めて来たのだ。

本来ならばご法度なのかも知れない。
日本のレコード会社は事務所と3社契約をして、アーティストには何の権利も残らないようにガチガチに縛る。
でも爆風スランプは中野の大学の友人が社長のプライベート事務所から始めて、いくつか事務所を転々としてるうちにそんな近代的な3社契約など結んだ覚えはないのだ・・・

きっと担当マネージャーには負い目があったのだろう。
「末吉さんにはソロアルバムをちゃんとリリースしてあげることが出来なかったから・・・」
そういう思いからソニーを海面下で説得して、商売敵であるホリプロからのリリースを事実上の黙認として許諾したのだと私は想像している。

通常ならこれで、このアルバムが売れなくて、何の影響もなく終わって、
末吉はやはり中野がいなくちゃダメなんだと思い返し、
心を入れ替えて爆風に専念して・・・

四方八方万々歳である。

ところがこのアルバムは日本では全く売れなかったが、
・・・というか日本語が一切なく、中国語メインで朝鮮語とモンゴル語、
(多民族国家の中国人は後のインタビューで「全部私たちの言語で」と言っていた)
流行りのJ-POPなどかけらもないアルバムがこの国で売れるわけはないが、
中国では売れた!!

・・・というか大きな影響力を持ったという方が正しいか・・・
私はその流れで97年の「日本レコード大賞アジア音楽賞」を受賞した。

これは所属事務所のアミューズにとっては屈辱的なことだったと思う。
何せご本家の爆風スランプでさえレコード大賞とは大きな縁はない。
それがずーっと切り捨てて来たそのいちメンバーが、
よりによって商売敵から出したレコードでこれを受賞する・・・

当然ながら受賞は所属事務所のアミューズではなく、レコードを出したホリプロに与えられる。
一応は所属アーティストなので受賞パーティーにマネージャーも同席するが、
それはきっと「針の上のむしろ」だったのではと想像する・・・

今にして思えば、所属事務所ももっと早くにわかっておくべきだったのだ。
誰の動きでこの爆風スランプがあなたの事務所に移籍して来たんですか?

ある時はほーじんが暴れ、ある時は中野が暴れ、
その度に夜の街を駆け巡り、業界の人間を探しては飲みながら相談し、
睡眠不足でヘロヘロになりながら、ある時は涙で懇願しながら移籍を決めて来た。

アミューズへの移籍の時なんか少々売れてたりしたもんだから泥沼である。
「サザンオールスターズとプライベーツの間に位置するバンド、
出来れば桑田佳祐のケツを叩いて危機感を煽れるようなバンドが欲しかった・・・」
移籍後にこんなエピソードを幹部から聞いたが、
爆風のことを喉から手が出るほど欲しかったアミューズが、その強大な力を使ってうまく移籍をまとめてくれたのだ。

でも幹部は私にこう言った。
「お前は前の事務所の社長にこんなこと言ったんだって?そりゃあいつもショックだよ。それだけは言っちゃいけない」

何のことはない、中野が私に言ってた言葉を私がバンドを代表して言っただけのことだ。
「爆風スランプを愛してるばっかりおっしゃいますけど、十分のお金を払わないのだったらそれに意味はありません。愛情とは即ちお金です」

アミューズは今でも私のことを冷血漢かなんかだと思ってるだろう、
でも誰かがそれをやらなければバンドは終わるのだ。

私は爆風スランプを結成し、コンセプトを作り、ツアーをブッキングし、お金の管理までしていた名実共に爆風スランプの「リーダー」である。
でもデビューしてから一切それを言わなくなった。
みんな中野がリーダーだと思ってる・・・別にそれでいい。

「バンドはひとつの丼飯を4人で食ってるようなもんだ。みんな決して腹一杯にはならない」
これは江川ほーじんが私に言った言葉である。

だからいい。
だってその丼飯もなくなってしまったらそれこそみんな飢え死にしちゃうじゃないか・・・

他のメンバーがいつも私に文句だけ言う。
私だけがひとりで底辺を這いずり回って泥水を啜って悪者になる。

これでいいのだ!!・・・これは赤塚不二夫さんの言葉だが名言だと思う。
私はそれを受けて今、いろんなことに直面した時にこう言う・・・

しゃーないなぁ〜・・・

私の人生もそうである。
これしかなかった・・・だから「しゃーない」のである!!「これでいい」のである!!
WONDERFULなLIFEである!!

しかしそれは、メンバーがみんなそんな私の動きを理解してくれてて初めて成り立つことなのである。

現在、X.Y.Z.→Aでは橘高がプロデューサーとして色んなことを決める。
あいつもほーじんと同じように火の玉のような性格だから、時には敵を作ったりすることもあるかも知れない。

でも世界中の人間があいつの敵になっても、私は一生あいつの味方である。
何があってもあいつはバンドのためにそれをやっている。
だから私は何があってもあいつを・・・命をかけて守る!!


リーダーと言えば面白いことがある。

爆風スランプ時代、あらゆる業界人が中野をリーダーとして扱った。
バカなライター達はいいとしても、ロック界でカリスマ的な評論家である渋谷陽一さんもそのように扱った記事を書いていたのを覚えている。

別にいい、それがバンドにとってよければそれでいいのである。

ところがX.Y.Z.→Aを結成する時に、
「二井原ぁ〜リーダーはお前な!!」
私はこう言い放った。

どうせ、「あのラウドネスのボーカルの新しいバンド」なのである。
取材も二井原が受けるだろうし、どうせみんな二井原がリーダーだと思うんなら最初からリーダーになっとけばよい(笑)

「そんな、俺リーダーなんてやったことないし無理無理!!」
そう言う二井原であったが、
「大丈夫!!細々したことは俺と橘高がやるから、お前は胸張って自分の言葉でバンドを語ってたらそれでええ!!」

ところがヘビーメタル界は違った。
色んな雑誌は私のことを「リーダー」だと書いたのだ。

これは「間違い」なのではあるが、
歌謡界ではメンバーにすら認められなかった私のバンド内での動きを、このヘビーメタル界ではみんなちゃんと見てくれてるんだな・・・

そう思ったらとてつもなく嬉しかった。

話が亜州鼓魂からX.Y.Z.→Aにずれた・・・
実は今日この文章を書こうと思ったのは、私の音楽配信サイトにてX.Y.Z.→Aのニューアルバムの情報をアップした時、ちょうどその上に亜州鼓魂のサイトがあったのだ。

配信サイトのスタッフはそれこそ一生懸命このサイトを作ってくれた。
X.Y.Z.→Aの他のアルバムもここで全部DL出来るようにしたいのだが、
このご時世、色んな事情でなかなかサイトが出揃わない。

私もいろんなことにかまけてて、この亜州鼓魂のサイトが出来てたことすら忘れてしまってたのだ。

いくらなんでもこの私がこのアルバムのことを忘れてはいけないのではないか・・・
そう思って今日この文章を書こうと思い立った。


このアルバムは今聞いても名盤である。

もしこのアルバムが下らないアルバムだったら、いくら「中国三大ギタリスト」などと謳ってみても「あれはろくなもんじゃない」などと噂が立っておしまいであっただろう。
海龍が25年経った今でも大事にカセットを持っているということもあり得なかったに違いない。

「売れる音楽はいい音楽で、売れない音楽はろくでもない」という世界で生きて来た私が、日本では絶対に売れない音楽で中国に地盤を築いた。

かと言って「中国で売れよう」と思って作ったアルバムでもない。
その時にやりたかったこんな音楽が、たまたまその激動の時代に合ってただけだっただけのことなのかも知れない。

私が日本のショービジネスの世界で学んだこと、それはまず
「自分の本当にやりたいこと、それは誰も御膳立てしてはくれない。自分の力でやり通さなければならない」
ということ、そして
「自分の音楽を曲げてその国に合わせる必要はない。世界のどこかにそのままの音楽を受け入れてくれるところがきっとある」
ということである。

あの時、友人が爆風スランプのコンサートを見て私に言った言葉、
「末ちゃんだけがひとり別のところを見てる」
あの時に私はどこを見てたのか・・・それがこのドキュメンタリー映像の中にある。

日本がアジアブームに沸いたあの頃、こんなことを私に言った人がいる。
「末吉くん、うまくやったね」

何をうまくやったもんだか・・・(>_<)
そんなにうまく世の中を渡ってゆきたいなら、あんたも中国人と結婚して家庭内言語を中国語で暮らせばいい。
日中の間の子供を作り、中国が自分の子供の祖国のひとつとなる。
そうやって一生この国と離れることなく生きてゆく気があるならあんたもやればいい。

そして日本の全てを失ったとしても作りたいアルバムを作ればよい。

それが認められるかどうかは神のみぞ知る。
認められなくても、一生自分の宝物としてそれを抱いて生きてゆけばそれでいい。


(このアルバムは是非曲順通りに片面片面続けて聞いて下さい)

先日の60歳還暦の誕生日に、リーディングソング「Let Me Be Free」を歌ってくれた李慧珍や、2曲目の「力量」を歌ってくれた栾树などが集まって、このアルバムの曲を中心にコンサートを行った。
6曲目の「24th Birthday」は別のラップ歌詞をつけて「60岁生日的歌」としてみんなで歌った。

マルチで録音したのでコロナが落ち着いたら「亜州鼓魂2019Funky末吉作品集」として中国で発売する予定である。

「作品集」と言ったってもちろん「Runner」も「リゾ・ラバ」も入らない。
全て中国で、中国人アーティストに書いてヒットした曲ばかりである。

日本では絶対に売れない、だけど私の大切な宝物がまた一枚増えることになるだろう・・・

亜州鼓魂を巡る日中のいろんなドラマ・・・了

Ofuse.png

長らく読んで下さってどうもありがとう御座います。
一応投げ銭のシステムを貼り付けておきます。
初めての試みですが、もしよろしければいくらか投げ銭してみて下されば幸いです。

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2020年4月 5日

カンボジアにてドラムレコーディング!!!

思い起こせば去年の年末ぐらいからカンボジアでドラムが録音出来ないか探している・・・

この時はプノンペンに遊びに来たさわだんが、英語が達者だということで片っ端から電話をかけてくれて探し当てたのだ。

よく飲みに行ってるHIBACHIの近所の、ここは普通の自宅内のホームスタジオ・・・
ここをFacebook投稿してみたら地元のミュージシャンからいくつか反応があった。

「ここ俺の友達んとこだよ」

外国人である私が地元のミュージシャンと知り合うというのは、よく行っているライブバー「Oscar」に飛び入りセッションして知り合うのである。

最近になってわかったのだが、ここはプノンペンで一番いいライブハウス。
外国人も含め日替わりでいろんなミュージシャンが客である年配の白人客相手に古めのロックを演奏している。

その中に実は重鎮ベーシストがいた!(◎_◎;)

いや、重鎮であるかはその後にわかるのだが、
とりあえずHIBACHIで一緒にメシでも食う・・・

この時に彼が連れて来たのはカンボジアで一番上手いというドラマー!!
こうやってミュージシャンの知り合いがどんどん増えてゆく・・・

その時に私は彼らに相談した。
「スタジオを作りたいんだ」

私は自宅のある八王子には自宅スタジオがある。
X.Y.Z.→Aをはじめ、アースシェイカーや筋少や、ここでも色んな名盤が生まれている。

そして北京、初代のこのスタジオは中国の高度成長の煽りを受け、立ち退きで引越し、次の場所ではちゃんと防音までしてかなり本格的に作ったのにまた立ち退き(>_<)

今ではもう北京にスタジオはない・・・ということはそこの機材を全部持って来ればここカンボジアでもスタジオが作れるということだ。

カンボジアFunkyスタジオ計画

ところが機材は持って来たとしても、そのメンテ、新たな機材を揃えなければならなくなった時に困るのが、
「レコーディング機材の専門業者」があるかないかが大きな問題である。

この会食の時に聞いたが誰も知らない。
それではということで、「じゃあレコード会社とかのスタジオとかないの?」と聞いてみたがそれも知らないと言う・・・

くっくま孤児院の美和さんの話では、一般貸ししてるかどうかはわからいが、どうやらひとつだけレコード会社の大きなスタジオがあるという話であったのだが、この辺のミュージシャンが知らないとなると探しようがない・・・

プロユースのスタジオや音響機材など、そもそも一般向けに広告など出しはしないのだ。
知ってる人だけが知っている、そんな業種なのだから仕方がない・・・

その後、北京のエンジニア方言(FangYan)をこちらに呼んで調べさせた時に、中国人コネクションでいろいろ調べてくれた。

続・カンボジアFunkyスタジオ計画

それでもこの段階ではこちらでドラムがレコーディング出来るスタジオはまだ見つかっていない・・・


そんな中で中国で新型コロナウィルスによる新型肺炎が始まった・・・

その時に私は毎年のように日本でツアーを廻ってた。
中国は旧正月辺りになると絶対に仕事はないので、毎年この時期には日本でツアーを廻るのだ・・・

ツアーの途中で頚椎症性神経根症になってしまった為、暖かいところということで、療養も兼ねてここカンボジアにやって来た。

その時にはドラムなど叩くつもりもないのでスティックすら持って来てない。
コロナの蔓延してないどこか暖かいところを療養を兼ねてのんびり廻るつもりだったのだ・・・

ところが布衣のボーカルLaoWuが、コロナで自宅待機をしている全ての人に捧げる歌を作りたいと言うので、この状況でどこかでドラムが録音できるかどうか考えてみたが、中国で録音しようと思っても、もう既に中国では爆発的に感染者が増えている。
日本もあれよあれよという間に第二の感染国となってしまった・・・

そんな時期に感染国を行ったり来たりすることも出来ないので、そこで考えついたのは布衣とRebellioNとのコラボである。

その時に出来上がった曲・・・この時にはRebellioNのみんなは「LaoWuがどうしてこんなに急いでこの曲を仕上げようと思っているのかわからない」と言っていたが、今となってみればこれは「今の日本」である。


さてそれからしばらくしたら、もう中国へも日本へも戻れない・・・(>_<)
中国は現行の全てのVISAを無効にし、当然ながら私の労働ビザも無効なので入れないし、
日本は母国なので入れないことはないが、2週間の隔離(自宅待機?)を余儀なくされる。

ってか、成田に着いたら公共交通機関、タクシーも含め全部乗ったらあかんっつうたらどうやって家に帰るん?
家の人に車で迎えに来てもらうしかないらしく、そしたらその迎えに来た人も2週間は隔離状態となる・・・

無理やん(>_<)

カンボジアも日本よりは数十分の一ではあるが感染者がどんどん増えてゆき、
ついに外国からの入国を禁止!!

私はこの国を出たらもうこの国には帰ることが出来ず、かと言って出ても入れる国はなく・・・
VISAが切れるまでここでいるしか選択肢はなくなったのである・・・
(幸いカンボジア政府はVISAの延長処置をしてくれることとなった)

ここで暮らすのはよい!!仕事はないが部屋はある。

ところが布衣の新しいアルバムのレコーディングが始まった・・・
こればかりは人にドラムを叩いてくれと言うわけにはいかないので、どうしても自分でここ、カンボジアでドラムレコーディングをしなければならないのだ・・・

本格的にスタジオを探す・・・

まずはくっくま孤児院の美和さんに連絡を取って、そのレコード会社のスタジオとやらを探してもらう・・・
ところだ探し当てたのはひとつの電話番号、Mr.Laという人だということだが、クメール語も話せない私がプアーイングリッシュで話しても全く話にならないだろうということで、日本人の方に会社のクメール人に電話をしてもらった。

常備している機材や、ドラムセットの状況とかを聞いてもらったりしているうちに話が途切れた。
めんどくさくなったのだろうか・・・「どうやら外国人には貸さないみたい」

(>_<)

中国でもそうである。ひとつのコネが暗礁に乗り上げたら別のコネを探す!!
先日HIBACHIだ会食したグループにMr.Laの連絡先をアップして、
「誰かこの人知り合いじゃないか〜」

重鎮ベーシストが「俺知ってるよ〜」・・・って、こいつむっちゃ顔広い!(◎_◎;)

そこから直でFacebookで繋がり、本人と英語で話せ出せたのだが、
「じゃあ土曜日にスタジオ見に行くよ、機材等チェックして、問題なければ日曜日にレコーディングしよう」
とまでなったのだが、そこから何故か連絡が返って来ない(>_<)

ちょうどその時、Oscarで働いてたタカシという日本名を持つヤツが食い詰めて「何か食べ物を恵んで下さい。インスタントラーメンでいいです」と連絡して来た(笑)

カンボジアよもやま話

ちょうどいい!!メシ食わせてやるから働け!!
というわけでDr.Laに電話をかけさせる・・・

「ダメです。うちの機材じゃFunkyさんに満足してもらうレコーディングは出来ないと断られました」

(>_<)

ところがタカシはそこでOscarの常連ドラマーに連絡を取り、そこからある人・・・おそらくこの国の重鎮プロデューサーなんだと思うがそこに繋がった。

ドラマーにお礼を言う・・・返事に
「あなたのプレイはOscarで見たことがあります。素晴らしいドラミングです」
みたいなことが返って来た。

顔の広い重鎮ベーシストも、このドラマーも、そしてこのタカシも、みんな私のドラムを聞いて、そいで私を好きになってこれだけ動いてくれる・・・

ドラムが上手くてよかったぁ・・・(笑)

冗談はさておき、この重鎮プロデューサーと繋がって、念のためにその重鎮ベーシストに
「この人知ってる?」
と聞いた時の反応が面白かった・・・

「よくここまで辿り着きましたねぇ・・・」

きっとそういう立場の人なのだろう、面白いのがこの人はタカシとは話さない。
「本人じゃないと話さないって言ってますよ」
とタカシが困って私にそう言ったが、
中国でもそう、偉い人は相手がトップの人しか話さない。

決定権を持ってない下っ端と話したって埒が明かないことを知っているのだ。

一応Facebookのグループを作ってタカシも傍観させてたのだが、
これがまた例によって遅々として進まない(>_<)

「きっと忙しいのでしょう」
とタカシは言う・・・

そしたら待つ!!
劉備元徳は諸葛孔明を手に入れるためにあばら家に2度行って待ちぼうけをくらってやっと3度目に会ってくれた。
(三国志演義より)

相手のことが絶対に必要だと思ったら待つ!!
それが相手に対する「礼儀」となるのだ・・・

そして連絡が返って来た時にすかさず
「お会い出来ませんか?」

こうして初めて会うことになった場所がなんと外国人用の音楽学校・・・

ここの3階のリハーサルスタジオに機材を持ち込んでレコーディングしようということになったら話が早い!!
「じゃあ次の金曜日に!!」

ついにこの国でレコーディング出来るのか・・・感激もひとしおである。
とにかくスケジュールさえ決まってしまえば録ることは出来るだろう・・・

問題はドラムセット・・・このスタジオのドラムセットをちゃんとチェックしてなかったが、出来ればこのセットを借りたいのう・・・

重鎮ベーシストに連絡してみる・・・
「このドラマーとこのプロデューサーは一緒に仕事してますから大丈夫でしょう」

繋がるのう・・・

しかしみんながこのドラマーと連絡が取れない。
きっとコロナを恐れて田舎に疎開しているのだろう・・・

ということでプロデューサーが別のドラムセットを探して来てくれた!!

念入りにチューニング!!

ドラムの向こうに座っているのはくっくま孤児院の美和さんとソバン先生、そしてくっくまバンドのダビッとティアルッ。
向学のために見学というのもあるのだけれども、実はスティックを持って来てもらったのだ。

こんなに長くここに滞在するとは夢にも思ってなかったのでスティックすらない(>_<)
それぞれのドラム演奏の絵も撮っといてくれということでバンダナもない(>_<)

イオンに買いに行ったけどなかったのよ〜この国でバンダナしてる人なんか見たことないし〜(笑)
というわけで美和さんが持ってるというのでそれも持って来てもらったのだ・・・

プロデューサーが黙々と仕事をする・・・
きっと真面目な性格の人なんだと思う。

このレコーディング、是非とも成功させなければならない。
この日に最高の音でちゃんとレコーディングさえしとけば、
今後中国の仕事はこの国でやってしまうことが出来る。

「カンボジアなんかでちゃんと録れるの?」
と聞かれたら
「布衣のニューアルバム聞いてよ、あれカンボジアで録ったから」
と言えばよい。

その音が最高のものであれば今後もこの国で仕事を受けることが出来るし、
音が悪ければもう2度とここでレコーディングするチャンスはない・・・

ところが問題発覚!!
彼が用意したこの日のシステムでは、ドラムのパンチイン、パンチアウトが出来ないのだ!(◎_◎;)

思わず頭を抱えてしまったが、
よく考えたらこれは「音質」の問題ではない、「プレイ」の問題なのだ。

初めてのレコーディングの時、そう、爆風スランプの初期のアルバムなどはアナログの時代だったのでパンチインなど出来なかった。
今ではデジタル編集が当たり前になり、ドラムを叩きながらどこでパンチインをするかを考える時代・・・

要は最初っから最後まで間違わずに1回でベストテイクを録ればそれでいいのね!!

やってやろうじゃねーか!!・・・とレコーディングが始まったが、
次の問題は暑さ・・・(>_<)

クーラーや扇風機のノイズが入らないように、叩く時はオフにしてもらったのだが、
例えその数分間だとしてもカンボジアでクーラー止めて運動(ドラムを叩く)したら暑い・・・(涙)

こりゃ長くはやってられんぞ・・・ということで、
「テイクを2テイク録ります。その後映像をシューティング。そして次の曲!!」

譜面にはしているが、曲は覚えてないので実際はテイク1は「試し」である。
一応録音はしているが、いろんな試行錯誤はこの時に全部してしまい、
実際にテイク2の時が本チャン、つまり「一発OK」で全曲録り上げてしまおうというものである。

俺なら出来る!!いや、他に選択肢がないんだからやらねばならぬ!!

修羅場に突入!!
バラードはいいのだが、2曲ほど難しい曲があり、
「なんでこんな難しいアレンジしたんやろ」
と悔やんでも仕方ない・・・何とか全曲録り終えた!!\(^o^)/

このプロデューサーの第一印象・・・笑わない人だなぁ・・・
でもこの段階で既に笑顔が溢れてる。

「お前は大したヤツだよ」
そんな笑顔・・・そして一緒に修羅場をくぐり抜けた「連帯感」が生まれている・・・

「後日一緒にメシでも食いませんか?」

中国でもお世話になった人には食事をご馳走する。
これは中国の仕事なのである、ちゃんとその予算は計算してある・・・

この国に最初に来た時に、何か30年前の北京と同じ「匂い」がした。

中国ではコネがないと何も出来ない。
かと言ってひとつだけしか持ってなかったらやっぱり何も出来ない。

ひと昔前、アジアブームの頃、
「私は誰々さんと知り合いなんですよ」
などと言ってた人はみんな撤退して日本に帰ってしまった。

「どこをどう伝って行ってもこの人に繋がる」
ぐらいのコネがなくてはどうしようもないのだ・・・

この国カンボジアで、私は生きてゆける自信がついた。


(レコーディング終了後にシューティングのためOKテイクに合わせてドラムを叩いている絵です)

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2020年4月 1日

タカシの恋

HIBACHIが店での営業を停止してデリバリー専門になると言うので、
しゃーないなぁ〜・・・最後の営業には顔出さないかんなぁ・・・しゃーないなぁ〜・・・とばかり出かけて行った。

ところが忘れていたが、食い詰めたこの若い衆にメシを食わせてやらないかんではないか!!(>_<)

何とか毎日ローカルのもん食って0.5ドルのビール飲んで一日10ドルで暮らしたいコロナ失業者であるが、いくら日本よりは安いと言ってもHIBACHIに連れて行けばひとり10ドルぐらいはかかってしまうのう・・・

でもまあ金渡して「お前はこれで何か食っとけ、ワシは日本料理食いに行く」というのも何か後味が悪い・・・

HIBACHIの住所伝えて「ここに来い」と言ったら、前の美容室から紹介された子守の助っ人GiGiちゃんと一緒に来た。
まあよかろう、片っぽだけ奢って片っぽは帰れというわけにもいかん・・・

とりあえず粉もん食わせてとっとと満腹にさせればよかろう(笑)
というわけでお好み焼き!!

「オコノミヤキ」と言ってタカシが喜ぶ。
日本料理の名前よう知っとるのう・・・
「タコヤキ」も言うので頼んでやった。

「サケ」の「ハクツル」とも言うので日本酒も頼んでやった・・・
どんだけ奢ってやんねん(>_<)

客もいなくなり、土井さんもお好みおばちゃんことユキさんも一緒に飲む・・・
土井さんと飲むことももう滅多になくなるしなぁ・・・

初めて知ったがお好みおばちゃんクメール語喋れるのな!(◎_◎;)
タカシから色んなことを聞き出してたが、
タカシは昔シェムリアップの日本居酒屋で働いてたのだそうな・・・

なるほど、それで料理の名前とかいっぱい知ってたのな・・・

ワインも一本空いた頃「ショーチュー」とか言うので「黒霧島」を入れてもらったが、これも知ってたのな・・・

・・・ってか大散財なんですけど(涙)

日本の歌も大好きということで、彼のスマホを店のスピーカーにBluetooth接続で繋いで音楽を流す・・・

ところが中国の音楽ならともかく私は日本の音楽はさっぱりわからん(>_<)
「これ誰や?」
と聞くと
「BEGIN」

!(◎_◎;)・・・懐かしいのう・・・・

同じ事務所の頃はよく飲んだりしたのう・・・
異国の地で知り合いの歌を聞くってやっぱ心に染みる・・・

土井さん曰く、カンボジアの人は沖縄の音楽が大好きらしい。
やっぱ南国繋がりかのう・・・

タカシが歌い出す

いや、楽しいことは楽しいのだが、
何で大枚叩いてこいつを楽しませないかんのかと疑問に思えて仕方がない(>_<)

まあええか・・・ワシも楽しいし・・・(笑)


上機嫌のタカシとGiGiちゃんにGrabでトゥクトゥクを呼んであげて、ひとり残って土井さん達と飲んでたらタカシからメッセージが来た。
「オスカーが今日からこっそり営業してるんですけど来ませんか?」

オスカーとは彼の職場で、プノンペンいちのライブハウスである。
営業を再開したならこいつの食いっぷちも再開するということでもうメシを食わせてやらなくても済むではないか!\(^o^)/

こっそり営業ならミュージシャン達集まってジャムセッションとかするのかなぁ・・・
まあミュージシャンいなくてもドラムは叩けるなぁ・・・

などと思いながらオスカーに来たら・・・開いてないやないかい!!!!

怒ってタカシにメッセ入れると、何とオスカーの1階からタカシが出て来た!(◎_◎;)
オスカーって1階にもあるんや・・・

中に入ってみると真っ暗・・・

なるほど明々と営業するわけにはいかんのやな・・・
・・・てかこれって「営業」って言えるん?(笑)

暗闇に中からタカシが2人の女の子を連れて来た。
そうか、オスカーは1階がガールズバーで、そこでスケベなおっさん達から金巻き上げて、その金であの2階の素晴らしいライブハウスやってんのか・・・

・・・ってかこのご時世に女の子につかれるのはちと困る(>_<)
「あかんでぇ〜このご時世で濃厚接触は危険やから2m間あけてや」

聞くところによると、もう2週間前にもなるかな、
ガールズバーで女の子相手に濃厚接触してたアフリカ人感染者がそのまま逃げたという噂があり、
翌日プノンペンは見事に全てのガールズバーが営業停止!!

独裁国家はこの処置が出来るから素晴らしい!!

ちなみに今日この日の感染者は2人、今ブログを書いてる今日は感染者ゼロのカンボジアでもこの処置である。
その数十倍の感染者が大爆発している日本で、まだガールズバーどころかキャバクラや風俗営業もまだ平気で営業してる日本の方がおかしいとしか思えない・・・

まあその処置がいくら素晴らしくても、結局割を食うのはこの女の子のような底辺の人間である。

2人は英語が喋れないのでタカシが通訳してくれたが、
ホームタウンはない、つまり里帰りすべき故郷がないのだから、
こうして物価の高い首都プノンペンで仕事もなく暮らすしかない。

タカシと同じく食い詰めているのだろう、
オーナーとしては、上のライブハウスを開けると一発でバレてしまうので、
こうして1階のガールズバーだけでも細々と営業しようということなのだろうと想像した・・・

それにしても営業ったってこんなに真っ暗で客が来るわけないだろう・・・
かと言って明々と営業したら捕まってしまう・・・

まあこのご時世に女の子と濃厚接触しようと思うなんてよっぽどアホしかおらんから客はなかなか来んと思うぞ・・・

「二人は姉妹で、こちらがお姉さん、こちらが妹です」
タカシがそうやって紹介してくれるが、何せ真っ暗に近いので顔がわからない(笑)

そしてタカシがそのお姉さんの方をこっそり指して私にこう耳打ちした。
「僕はこの人が好きなんです」

!(◎_◎;)・・・

まあ同じ職場っつうか系列店っつうか、
一緒に働いてたら恋が芽生えることもあるわなぁ・・・

そう、読者の方々はタカシと美容室子守助っ人のGiGiちゃんとの恋かと想像したかも知れないが、
タカシが好きな子は全然関係ないこの子だったのだ(笑)
(写真自粛・・・っつうか暗過ぎるし遠過ぎるしちゃんと写らん(>_<))

でもタカシ〜・・・この恋はちょっと難しいぞ・・・

ガールズバーの女の子が全員が全員売春をしてるわけではないが、
お前が好きなこの子がもし売春でもしなければ食っていけなくなった時、
自分のメシも食えないお前がそれをどうやって救ってやることが出来る?

それより何より今、この子たちだってもう2週間以上働いてなかったんだからお前と同じく全く食っていけとらんじゃろ・・・

ガールズバーひしめくこのリバーサイド、
白人とかの、母国に帰ったら絶対誰にも相手にされないであろうおっさんが、
そこそこの若いカンボジアの女の子を連れてるというカップルをよく見かける。

需要と供給がマッチしてるんやな・・・

誰にもわからんが、彼女ももしタカシのことが大好きだったとしても、
彼女にとってはそんな外国人の旦那を見つける方が幸せなのかも知れんぞ・・・

いや、それは誰にもわからんけどな・・・

かと言ってこの私もタカシひとりにメシ食わせてるだけでも大変なのに、この姉妹ふたりまでは面倒みれんしのう・・・(>_<)

ここでパーッと豪遊して店にも彼女達にも十分潤うぐらいの収入を落とすほどの金もない・・・
ってかこんな密室で知らん人と一緒におりたくないし〜

彼女たちには飲み物1杯ずつ頼んだから店からは1.5ドルのバックか?・・・
2週間収入がなかったであろう彼女たちにとってはスズメの涙よのう・・・

かと言ってチップを弾んでやるほど金もない(涙)
そっと1ドルずつ余分にチップをあげてその店を後にした・・・

そんなプノンペンの夜・・・タカシの恋は結ばれるのだろうか・・・

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2020年3月30日

タカシの部屋

このブログを書き終わって、ほな寝ますかね・・・と思っていたらタカシから連絡が来た。
「Funkyさん、今何やってますか?」

酒でも飲みたいのか?と思って降りて行ったら、
「よかったら僕の部屋に来ませんか?」
と言うのでのこのことついて行った。

私の部屋からナイトマーケットに抜ける近道がある。
ビルの合間にある細い路地で、光も当たらないし、ドブネズミは多いし、
近道だから通るけど、用事がなかったらあまり通りたくない道・・・

彼はズンズンとそこに入って行き、途中で左に曲がった!(◎_◎;)

この抜け道だけじゃなくまだ他の道があるのか・・・
よく通る道だけど全く意識してなかった。

当然全く光は当たらないし、あまり人も通らないのだからドブネズミの数も増す・・・

プノンペンはそんなに治安がよくないから気をつけろという話も聞く。
リトルギャング達は銃を持ってたりして、ホールドアップで有り金巻き上げられたりもすると言う・・・

こんな真っ暗で人も通ってない通りでホールドアップされたらおしまいである((((;゚Д゚)))))))
・・・ってかこのタカシにそれをされたら・・・

ちょっとそんな考えを頭がよぎった頃、タカシは右に折れて階段を登って行った・・・

家賃50ドルと言うと破格である。
うちの部屋が140ドルで安いと言われているのだから、
それより更に安いとは・・・

どんな劣悪な状況なんだろうと非常に興味があったのだが、
入ってみると部屋自体はちゃんとしている。

その部屋の中にセパレーションで区切られたスペースがいくつかあり、
ほぼベッドだけのこのスペースが彼の部屋だと言う・・・

「ビールでも飲みますか?」
・・・男ふたりがここに座って飲むのもなぁ・・・と思っていたら彼はずんずんと部屋の奥に入ってゆく・・・
共有スペースなのか?!(◎_◎;)

入り口は光の当たらない路地だけど、ベランダはナイトマーケットに面していてなかなかいい部屋である。

リビングには白人の男性がいたので英語で挨拶を交わす。
「私のボーイフレンドよ」とクメール人のおばちゃん(失礼)がそう言う。

「この人はドラマーで凄いドラムを叩くのよ」
おばちゃんが白人に私のことを紹介する。

何で知ってんの?・・・
「彼女もオスカーで働いてたからあなたのことを知ってるんですよ」
タカシがそう説明してくれる。

ビールが出て来たが、手ぶらで来て御馳走になるのも悪いので、
「タカシ、ちょっとビールを買って来てくれ」
と10ドル札を渡す。

数本買って来てお釣りを返してくれる・・・
こういうところがタカシはちゃんとしているのだ。

ガールズバーのお姉ちゃんだったらきっとお釣りはポッケにしまわれるだろう・・・知らんけど(笑)

セパレーションのどこかに住んでいるのだろう、お姉ちゃんも出て来て一緒に飲む。
きっと彼女もオスカーで働いていたのだろう・・・

白人がリモコンを操作してテレビでYouTubeを見る・・・

「見て下さい!!これ僕ですよ!!」
歌手の後ろで踊っているのは確かにタカシ・・・

そしてその歌手ってのが・・・このおばちゃん?!(◎_◎;)

曲は次の曲になり、またタカシが後ろで踊っている・・・

「いっぱい曲出してるんですね・・・」
と聞いてみる・・・

「いや、2曲だけよ」
まあ想像するに、インディーズの自主制作の曲なのだろうか・・・

オスカーというのはプノンペンで一番いいライブハウスだと言うので、
このおばちゃん、自主制作で曲なんかを出しながらオスカーで働いてるのか・・・
いや、この家もどうやら彼女の家らしいから、オスカーの経営者のひとり?・・・

「この子たちに部屋を貸してるんだけど、まともに家賃納めたことないのよね」
と笑う・・・

おばちゃんが金持ちでこの部屋を仲間に貸しているのか、
もしくはこの白人が金持ちでおばちゃんの知り合いに安く貸しているのか・・・

どっちにしろ、もっと早く知り合ってたらワシはここに住んでたな・・・(笑)

ここプノンペンの片隅で弱者達が肩を寄せ合って生きている・・・
その生活を垣間見れただけでも今宵はいい酒を飲めたぞ・・・

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2020年3月29日

タカシの話

前述のタカシ、今日は彼が探し当ててくれたドラムレコーディングのスタジオのオーナー?プロデューサー?ようわからん人に会いに行く日であった。

実際、彼が探し当ててくれたことは満金に値することではあるのだが、
それ以降は相手方が「お前とは話さん!」
中国でも、話の決定権を持つトップ以外とは話さないのと同じように、私自身がFacebookのメッセンジャーでやり取りをしているのだから彼はいわゆる「もう用無し」ではある。

でも本当に「食いっぷち」がないのだろう、昨日からひっきりなしに連絡が来る。
「今どこにいるんですか?何してんですか?」

いや〜扇さんラーメンで4杯分のレモンサワーを計量カップで飲んでるんですけど〜

でも家に帰ってちょっと後悔・・・
ワシはつい飲み過ぎて散財する金は(失業者と言えど今のところは)ある。

でもこいつは本当にメシを食う金もないのだ・・・

「じゃあ明日1時にアポ取ったから12時に一緒にメシでも食おう!!」
近所で最近一番旨いと思うローカルの綿屋に呼びつけた。

「お前、腹減ってるだろ!!麺だけじゃなくご飯もんも食っていいぞ!!」
でもまあ麺とアイスティーだけを注文している・・・

各国を駐在しているカンボジア在住日本人の話によると、
カンボジアは東南アジア諸外国に比べて物価は安いほどではないと言う。

ビールは安いところでは0.5ドルで飲めるが、
ローカルのこの麺屋で二人で5ドルは取られる。

タイと比べると、ビールは数分の一だが、メシは数倍という感じである。

「お前、ライブハウスで働いてた頃にはいくらもらってたの?
恐る恐る聞いてみる・・・

「140ドルもらってました」
それで今住んでるところ実家じゃないなら家賃いくら?
「50ドルです」

じゃあ一月90ドルで暮らしてたのか・・・
一日で割ると3ドル・・・この麺とアイスティーで終わりである(>_<)

まあ彼が今回私にコンタクトを取って来た時に送って来た写真・・・

「こんなのでいいから恵んでもらえませんか?」

私はこの時に「こいつは悪い奴じゃない」と思った。
私のことを金持ちの外国人だと思ってるなら、むしり取るとしたらもっと金目のものをむしり取る。
少なくてもこの辺のバーのお姉ちゃんだったらそうである(笑)

だから「スタジオを探せ!!」というミッションを与えて、10ドルとカップラーメンを一個あげた。

結果としてはそれ相応以上の仕事をしてくれたわけだが、
(中国なんかでもコネクションは即ち「金」なので、このコネクションを私に渡してくれただけで十分過ぎるほどの働きをしてくれている)
気になるのが、こいつ、この10ドルで何日食いつないでいけるんだ?ということである。

「3日ですね・・・」

そうか、ちょうどあれから3日経っているのだ。
きっと私にとっては一番安い2ドルの麺すら食えず、
本当にカップ麺だけで3日間飢えを凌いでいたのだろう・・・

一緒にスタジオの下見に行って、
例によって私だけが下手な英語でレコーディングのスケジュールを決めて、
一息ついてカフェに入った時に聞いてみた。

「お前、ホームタウンはここプノンペンだと言ってたな?
じゃあお前の両親は一緒に住んでるの?」

まあお互いプアーイングリッシュなので定かではないが、
お父さんはもともといない、と。
お母さんは小さい頃から遠いところに住んでて・・・

「お前孤児なの?」
その辺のニュアンスは通じない・・・
だが、学校は一応(どこまでかわからんが)出ているということなので、
その辺のストリートチルドレンに比べたらまだマシな環境ではあるかも知れないが、
一応「小さい頃からひとりで暮らして来た」
ということである。

音楽が好き、日本が好き、
カタコトの日本語も喋れる。

どこで覚えたのか、
「ジョーダンハカオダケニシロ!」
(笑)・・・そして
「ワタシハアキハバラガスキデス!」
は、彼がどうして「タカシ」という日本名を自分で付けて、カタコトでも日本語を話せるのかを物語っている・・・

「わかった!!とりあえず金曜日のレコーディングにはお前も来い!!色々手伝ってくれたらギャラ10ドルやろう!!」
と言ってみたものの、次の金曜日まではまだ5日もあるのだ。
今日のギャラとしてとりあえず10ドルは渡したが、10ドルなんて3日で消えてしまうのだ・・・

それから彼と別れて家でレコーディングのこととかをネットで詰めていたのだが、
(その話はまた後のブログで)
ちょっと気になって彼にメッセージを送ってみた。

「メシ食ったか?まだなら一緒に食いに行くか?」

彼は喜んで飛んで来た。
「何でもお前の好きなもんを食え!!」
しかし彼が選んだ店は、決して高くないが非常に旨いローカルのクメール料理屋・・・


ビールも散々飲ませて、二人で20ドルだったら、まあその辺の日本料理屋よりはやはり安い・・・

まあ私自身も今まで食ったことがなかったローカルの鍋(なのか焼肉なのかようわからん笑)をしこたま食って飲んで20ドルならまあ奢ってやるには安いディナーである。

その辺がまた彼の好感度である。
行ったことはないが、お姉ちゃん持ち帰りして何か食事と言ったら「寿司」とか言い出すかも知れない(笑)

「わかった!!明日から昼飯時と晩飯時に俺んとこに来い!!ローカルの美味しいメシを買って来てくれ!!お前の分と俺の分な!!だったら金曜日までお前は飢えることはない」

私にとっても「今日は何食おうか・・・」となった時、
「じゃあ日本食!!」となるより、いくらカンボジアが他の東南アジア諸国より高いと言っても確実に安いのである!!

しかも地元民が選んで来るものは私ら外国人が選ぶより確実に安くて旨い!!

まあ次の金曜日まではそのシステムでメシだけ食わせてやるとして、
金曜日はちと働いてもらうのでまた10ドルあげて、
後のことは次の金曜日に相談しよう・・・

と思ってたら、そのレストランにひとりの物もらいがやって来た。
(写真自粛)

いや、物もらい自体は東南アジアではよくあることなのだが、
私がびっくりしたのはその青年・・・20歳ぐらいか・・・の身なりが非常にちゃんとしてたことである。

タカシもいくら食うに困っているとは言え、まあオシャレではないにしろ身なりはちゃんとしている。
それと同じような感じの物もらいがテーブルに来る。

見ればビニール袋に野菜が少々入っている。
東南アジアではフルーツとか私の好きなウズラの卵とかを売りに来る少年とかがよくいるのでそれかと思ったら、
彼は客席を廻ってその残飯をもらっているのだ!(◎_◎;)

もう綺麗に食い終わった後だったので野菜もなかったが、
そう伝えると彼は今度は私らのテーブルのゴミ箱をあさる!(◎_◎;)

そのビニール袋の野菜もきっとそうやってゴミ箱から集めたものかも知れない・・・
「おいおいおい!!やめろよ!!このご時世にゴミ箱はコロナが危険だぞ!!」

ここカンボジアは中国と同じく、ビールとかは何本かまとめてテーブルに来て、
飲んだ分だけお勘定というシステムらしく、ビールを一本彼に渡すと、
今度は店の人は「彼はビールは飲まないから」とそれを止める。

ジュースも同様にあるのでそれを渡すと、
それはありがたく頂いて次のテーブルに移る・・・

店の人も一緒に移動するのだが、
日本と違って「店にとって迷惑だ!!」とばかり追い出すそぶりはない。
見た感じ「残飯はやめなさい!!今はコロナで危険だからね」
とでも言う感じで彼の背中を押して優しく外へと誘導する。

そう言えば聞いたことがある。
この国はポルポトによって破壊し尽くされて、
だから困った人を見ると「明日は我が身」、みんな助け合うんですと・・・

でも犯罪は多い。

リトルギャング達は今日もあの手この手を考えて、
引ったくりや銃を使ったホールドアップ、あらゆる手法で「持つ者」から少しばかりの富を奪い取ってゆく・・・

またちょうど今日、タカシと待ち合わせをしている時に、
本職のゴミ箱をあさって暮らしている老人を見た。
(写真自粛)

うちの前のゴミ箱をあさって、空き缶とか金目のゴミを自転車の後ろに拾い上げた後に、
その老人は自転車のハンドルにぶら下げているビニール袋の中の水で・・・

一生懸命手を洗った!!

コロナがこれだけ蔓延している社会で、ゴミをあさるほど危険なことはない・・・
老人もそれを知っているのだろう、でも石鹸はない。

「おじいさん、石鹸で洗わなきゃ意味ないですよ・・・」
そう言いたかったが、私がメールの着信を受けてる間にもう洗い終えてどっかに行ってしまった・・・

この国でも、他の東南アジア諸国でも、
コロナによってよかったことは、「下痢」の患者が減ったことであると聞く・・・

なるほど、この老人も昔は手など洗ったことはなかったのかも知れない・・・

今日は別れ際、タカシにマスクとアルコール消毒液を渡した。
「とにかく清潔にしろ!!それが俺と付き合う条件だ・・・」

でも私は彼と別れた後に考えた・・・

タカシのように「カップラーメンを恵んで下さい」と言ってかろうじて犯罪は犯してないヤツ・・・
飲食店のゴミはあさっているが辛うじて犯罪は犯してないヤツ・・・
あの老人のように一生犯罪は犯さずに世界でも底辺であろうこの生活をして生きて来た人・・・

それらの人と、リトルギャング等犯罪で食ってる奴ら・・・
この「一線を超える」というのはどこに「線」があるのだろう、と・・・

こんなことも想像した。
タカシが数年後いい服を来て私のところに来てこんなことを言った。

「Funkyさん、あの時は本当にお世話になりました!!私はもうお金持ちになりましたんで恩返しをしたい。どうか私に高級寿司を奢らせて下さい!!」
そして私は彼に聞く・・・「お前今何やってんの?」
「はい、僕は今、バカな外国人を騙して大金を稼いでます。奴らはバカだし、騙される方が悪いと思います」

・・・もしかしてそんなことを聞いた私は嬉しいだろうか・・・

「世界は平等に出来ていない!!」
これはKISSのジーンシモンズが言った言葉である。
ユダヤの母親が迫害されていることが幼児体験だった彼が持つ人生観である。

でも彼は「真っ当な」ビジネスをして(それがロックの商業化を進めた罪悪であるという理論は置いといて)、彼はこうして世界でも大成功した。
でもそんな人間は世界の中ではほんの一握りである。

今日レストランのゴミをあさっていた青年が、数十年後にあの老人のように手を水で洗いながら家庭ゴミをあさっているのか、もしくはギャングになって巨万の富を得ているのか、二度と会うことはないであろう彼の未来は私には計り知れない・・・

でもタカシという・・・ひょんなことから知り合ったこの全く食えない音楽好きの、日本大好きなこの男が・・・
もしも毎日メシを食わせてやるだけで少しは真っ当な生活が出来るんだとしたら・・・

かく言う私も失業者の身なのでそんなに金はない。
でも中国のレコーディングの仕事はボチボチ始まって来ている・・・

中国が外からの流入制限を解除したとしたら・・・
別に私はこうしてカンボジアにいる必要はない。
仕事がある国が私にとっていい国なのである・・・
真っ先に中国に帰って別の生活を始めるだろう・・・

でも今は違う・・・

私は現状中国にも、そして日本にも戻れない・・・
それこそカンボジアを今出国してしまったらもう入国制限が始まったカンボジアにも戻れない・・・

「あなたは日本人なんだからそれでも日本に戻って来たらいいんじゃないですか?」
そんな声も聞こえて来る・・・

しかし今、この食えない日本好きなライブハウスの店員が、
何とかここカンボジアでもちゃんとドラムがレコーディング出来るスタジオを探して来た・・・

もしここでドラムがちゃんとレコーディング出来るなら、
別に中国や日本じゃなくてもここでレコーディングすればいい。

こいつに毎食メシを食わせるだけでも私には「金」が必要なのだ!!
ここカンボジアで1ドルでもいい!!金を稼ぎたい・・・

幸いなことに私自身はそんなに犯罪に身を染めなくても金を稼げる道はある。
ここプノンペンでも助けてくれる人はたくさんいるし、
中国ではきっともっともっといることだろう・・・

私自身が彼を助けてあげれる人間にならなくてどうする!!
そんなことを思っている今日この頃である・・・

しかし、私の死んだ母は私にこう言ったことがある。
「あんたは人を信じ過ぎる!!人はそんなにいい人ばかりではない!!」

高校生で反抗期だった私は猛反発して、
「俺の友達は絶対に俺を裏切らない!!あんたの考えは汚れている!!そんな考えを俺は一番軽蔑する!!」

母は・・・泣いた・・・「あんたにもいつかわかる時が来る・・・」

そしてその生意気な子供はもう60歳になった・・・
母の言うように数え切れないほど人に騙された。

でも私は後悔していない。
「もっとうまくやれれば俺はもっと成功してた」
それは全ての人間が思うことである。

私は母の教えを守ることなく、
本当だったら失わなくてもいい金をいっぱい失った。

金だけではない。友情だって人間だって失った。
「その人があんたの金を盗むのは、あんたがそう仕向けてるんですよ」

この年になって、母の教えは本当に心に染みる・・・

私はタカシに日々のメシぐらいは食わせてやろうと思っている。
それは後にタカシが別の私が悲しむ人生を歩むぐらいだったらと思う自分の「わがまま」である。

それによってタカシは私から金をせびる手法を学んでゆく・・・
いつかある日、信じてた人が自分から身包みはいでゆく・・・

そんなことは私ごときの人生でも何度かあった・・・
でも私が彼にメシを食わせてやらなければ、彼はどうやって生きてゆく?・・・

ただでさえクメール正月間近の犯罪が一番多い時期・・・
その上にコロナによって身なりのいい若者までがレストランのゴミ箱をあさっている・・・

今日、タカシを初めて私の部屋に上げた。
金目のものはそんなにないにしても、このパソコンはある。
その他、売れば少々の金になるものがあると彼が思ったとしてもそれは仕方がない。

これ以上食い詰めて、いつか私をナイフで刺して、
その代償がこのパソコン20万円程度であったとしたら、
私の人生は高々20万円であったということである。

まあ次の金曜日までにゆっくり考えてみるが、
それまではタカシに3度とは言わんが2度のメシぐらいは食わせてやろうと思う。

親しい仲にも礼儀あり!!
母が私に言いたかったことは実はこれだったのでは?・・・

そんなことが母が死んだ後にやっとわかるようなバカ息子である(涙)

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2020年3月27日

カンボジアよもやま話

カンボジアにもコロナが発生し、うちの近所のガールズバーも全部営業を停止し、火が消えたように静かである・・・

もうすぐカンボジアのクメール正月、
ここ首都プノンペンでは、ただでさえ食い詰めたカンボジア人が里帰りの金を稼ぐ為に犯罪が増加する時期であるが、
今回はこのコロナによる失業が拍車をかけ、「くれぐれも気をつけて下さい」とお触れが回る・・・

なんでも、バイクによる引ったくりは日常茶飯事なのであるが、
それが今時はバイクで走っていると向こうからバイクをぶつけて来る!(◎_◎;)

バイクが倒れると、集団でやって来て身包み剥いでゆくという手口・・・

またお触れが回って来たのが、
「マスクありますか?無料で配布します」
と知らない人が家までやって来て、
「何と親切な人なんだ」
と思ってそのマスクをすると、薬が仕込まれていて、昏睡してる間に盗み放題!(◎_◎;)

いや〜コロナならではの手法ですなぁ・・・と感心している場合ではない。

思い起こせば中国でも、うちの院子でスマホが盗まれた。

その時のブログ記事

同じ院子に住む仲間たち(当時はみんなド貧乏だったが今はみんな成功している)曰く、
『Funky、泥棒を追いかけちゃダメだよ。俺なんか夜中に目が覚めたら、一人がモノ盗んでて、一人がバッド持って俺を殴る準備してたから俺なんかずーっと寝たふりしてたよ」

まあ食い詰めたら人間何をするかわかりません(>_<)


そんなこんなで食い詰めた人間がとても多いだろうここ首都プノンペン、
バーの姉ちゃん達はこぞって田舎に帰り、
それがまたコロナを蔓延する原因になっているとも聞く。

バーだけではない、来週にはレストランも全部閉店せよというお触れが出るという噂・・・
もう長く足も運んでないが、ライブハウスなんかとっくに閉店してしまっている・・・

ミュージシャンも仕事あぶれて大変やろうなぁ・・・
と思ったらミュージシャンだけではなかった!!

いつも行く近所のライブハウスOSCAR、
そこにはタカシという日本名(日本が大好きで自分でこの名前をつけている(笑))の従業員がいて、
いつもこの店に行くと飲み物を奢ってやる。

システムを聞くと、ガールズバーと同じく、5ドルなりの飲み物を奢ってやると、そこから1.5ドルなりのチップが彼の所に行くということで、お姉ちゃんに巻き上げられるぐらいならこいつに奢ってやった方がということでいつも奢ってやってた。

でもこいつは決して私のことを「金づる」と思ってる節はなく、
むしろ「あなたは凄いドラマーだ!!今日は叩いていかないんですか?是非叩いていって下さい!!」と、いわゆる私の「大ファン」である。

そんなタカシも今頃何してるかなぁ・・・と思いを馳せたその瞬間、そのタカシからメッセージが届いた。

「Funkyさん、どこに居るんですか?」
「プノンペンにいるよ〜お前はどこに居るの?ホームタウンに帰ってる?」
「僕のホームタウンはプノンペンです」

あ、昔彼のホームページで見つけた彼女の写真を見て
「お前の彼女むっちゃ可愛いやないかい!!」
とイジメてたら、
「彼女は田舎に住んでて遠距離恋愛なんでもうダメになりました」
と言ってたので、勝手に彼も田舎の人間だと思ってた・・・

「それでお願いがあるんですけど・・・」
「何だ?言ってみろ」
「何か食べ物を恵んでくれませんか?」

!(◎_◎;)・・・

そして彼から送られて来た写真はカップラーメンの写真!(◎_◎;)
「こんなものをいくつか恵んでくれればありがたいんですが・・・」

お前なぁ・・・(>_<)

食い詰めるにもほどがある・・・
思えば職場も閉まってしまい、ガールズバーと同じシステムだとすると給料はむっちゃ少なく、ほぼ客からのチップだけが彼の収入・・・
店が開いてないんだから私のような気前のいい客もいなければ収入も全くゼロ!!
こんな奴がその日に食う物を求めて引ったくりとか犯罪に走るんやろなぁ・・・

わかった!!お前に仕事をやろう!!

ちょうど布衣のニューアルバムをレコーディングするスタジオを探していたのだ。
くっくま孤児院の美和さんから紹介してもらった人は、クメール語話せる人に電話してもらったら、何故か人に貸したくないようで断られた。

前回得たミュージシャンネットワークに、その連絡先をアップしてみる・・・
「誰かこの連絡先に知り合いいない?」

いるのだ!(◎_◎;)

凄いのう・・・プノンペンも狭いのう・・・

中国でもそうだが、ひとつの方向でモノを頼んで断られたら、他の方向から頼んだらOKだったりする。
この人も知らないカンボジア人から電話かかって来たら「めんどくさいなぁ」かも知れないが、
このプノンペンの重鎮ベーシストから連絡が来たらイヤとは言えない。

面白いことに、その重鎮ベーシスト、私のことを「もの凄いドラマーがいるから」とでも紹介しているのだろう、会ったことない人みんな私のことを「Brother」もしくは「Sir」と呼ぶ(笑)

トントン拍子で「明日スタジオ見に行くよ〜」までいってたのだが、また突然連絡が途絶えてしまってたところなのだ。

とりあえずタカシを呼び出して、家にあったカップラーメンと10ドル渡して、こう言いつける・・・
「まず君のミッションだが、ここに電話して明日か明後日のアポを取ること。無事スタジオでレコーディング出来るようになったらそのレコーディングにアシスタントとしてついて来い。また別途ギャラをあげよう!!」

食い詰めた人間のパワーは凄い!(笑)
彼はすぐにその人に連絡を取って詳細を詰める。

重鎮ベーシスト、何をどうその人に吹き込んだのか知らんが、
「あの人を満足させられる設備なんかありませんよ」

(>_<)

断られてもめげない!(笑)
オスカーの常連ドラマーがスタジオを知ってるとかで新たに別のスタジオを探し出して来る!(◎_◎;)

まあオスカーもここプノンペンでは一番いいライブハウスだと言われているので、
そこの店員だったらここに出演する全てのミュージシャンとは繋がりがあるということだ。

ひとりのドラマーとFacebookで繋がり、そこからスタジオのオーナーに繋がった。


凄いぞタカシ!!中国の仕事でもドラムのレコーディングはある。
もうカップラーメンと言わず、このスタジオでちゃんとしたレコーディングが出来るならレコーディングの度に飯と酒を奢ってやろう!!ギャラも少々だったらやるぞ!!

だからどれだけ食い詰めても犯罪なんか犯すなよ!!
金のない奴ぁ俺んとこに来い!!俺もないけど心配するな!!

いや、俺もないけど心配はしてね。まあどんな国でも中国で学んだこの処世術がある限り何とかなるでしょ・・・(笑)

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Posted by ファンキー末吉 at:16:08 | 固定リンク

2020年2月25日

ネパールの孤児院

カンボジアのくっくま孤児院には縁がありこんなプロジェクトもやっているのだが、別に孤児院が好きなわけでも子供が好きなわけでも何でもない(笑)
山野友佳子嬢がどこかに慰問してコンサートをやるというのでついて来たら、指定された場所に来てみたらそこがたまたま孤児院だったというわけだ。

子供たちが元気に遊んでいる。

ピアノのセッティング開始!!


くっくま孤児院には25人のお母さんである楠美和さんがいるが、
どうやらこの孤児院ではこのラマ僧が「お父さん」であるようだ・・・

別に子供好きじゃなくても、ネパールの子供はとても可愛いと思う。


特にインド系の子供が可愛いね。
さすが多民族国家・・・

ピアノのセッティングが出来た頃、遅れて山野友佳子嬢がやって来てコンサートスタート!!

子供たちもだんだん打ち解けて来て手拍子などで参加!!

そして歌!!
何と英語の歌が歌えるのね・・・

ドラムセットないけど参加して下さいと言われて空き缶と机を叩く!!(笑)

その後、孤児院にある楽器を持って来てくれて一緒に演奏・・・

これは民族楽器のひとつである手を使ってふいごで風を送るオルガン。

そしてみんなで踊りを踊ってくれた。
可愛いのだ〜







この子むっちゃ可愛い!!

そしてみんなで食事!!
この食事も地元のレストラン等からの支援を集めて山野友佳子嬢がここに持って来たものである。




最後に施設を見せてもらった・・・



印象としてはカンボジアと違って、気温が低いので着るものがたくさん必要で大変、もちろんその洗濯も・・・
素子t3え寝床もちゃんとしてないと凍えちゃうから大変よなぁ・・・

至るところに英語の貼り紙がある・・・


しかし外国の支援で成り立ってるならその組織名などの表示がありそうなものであるが、それが見当たらない。

聞いてみると、以前はスウェーデンだかの支援があったが、現在はない。
ネパール政府からの支援もなく、今後どうしてゆこうか困っていると・・・

バイクでこの場所を後にしてもその言葉が重くのしかかって、
ついつい引き返していくらかお金を置いて来た・・・

でもそんなはした金じゃあこの子供たち1日分の食費にもならないだろう。

かと言ってコロナ騒ぎで中国の仕事がない失業状態のおっさんには何もしてあげることが出来ない(>_<)

支援とは本当に難しい。
また「縁」が出来たわけだから、次にネパールに来ることがあったら、
また必ずここに来て、自分で出来ることなら何かやって帰りたい・・・

ああ、タイガーマスクみたいに大きなリングマネーの入る仕事をやりたい・・・(笑)

そう思った1日であった・・・

Posted by ファンキー末吉 at:14:31 | 固定リンク

2020年1月 1日

カンボジアの年越し

カンボジアも中国と同じで1月1日は単に「元旦という祝日」でしかない。
中国で年越した時も、スタジオで普通に仕事してていつの間にやら年越してたみたいな感じだったし、大晦日は単なる「祝日前」というだけの話なのだ・・・

ところがお祭り好きのカンボジア人、最近では大晦日も盛り上がるようになって来たという話である。
私が部屋を借りた一角は、夜は歌舞伎町、昼は御徒町みたいなところなのだが、ガールズバーのお姉ちゃんのみならず、庶民の皆様もいそいそとテーブルを道端に出して宴会の準備!!

ちなみにうちの隣は一応警察署で、その権力なのかどうなのか、うちの前の通りを車は通行止めにして、警察もいそいそと宴会準備!!

見てたら、ビール飲んでそのまま
バイクに二人乗りしてパトロールに行く警官も・・・
ええなぁ〜この緩さ・・・カンボジア最高です!!(笑)

私は日本人仲間とHIBACHIで年越し蕎麦食って年越しと思ってたのだが、何やら大きな野外音楽イベントをやっててそれがテレビで生中継されとる・・・

というわけでその会場まで行ってみた!!

いや〜凄い人の数!(◎_◎;)

なんと生バンドの演奏でレベルもかなり高い!!

子供のラッパーも・・・

この後、ここにいる全員が一斉にアクセスするせいか、携帯のネットも繋がらなくなった!(>_<)

この会場に来る時もそうだったのだが、とにかく会場付近が大渋滞で、普段のチキチキマシン猛レース状態よりももっとひどくて全く動かない。
帰りもかなりの距離を歩いてトゥクトゥクを捕まえ、やっとのことでHIBACHI!!

年越し蕎麦を食って、おっさん達がだらだら飲んでる中、
「あと10秒で年越しですよ」
とカウントダウンをしてみたところで何も盛り上がらず(笑)、
そうそう、皆さん明日一日終わったらまたお仕事ですからね。正しいアジアの年越し・・・

さて、しばししれ〜っと飲んでたが、さすがに疲れたのでさっさと家に帰って寝ようと思ったのだが、家の前にポリスが陣取ってて挨拶して横切らないと入れない・・・

挨拶したら「飲んでけ」と!(◎_◎;)

「踊れ」と!!(◎_◎;)

もう何が何やらわからんけどむっちゃ楽しくなってポリスと踊ってたら知り合いの日本人に突然声をかけられた。

「ファンキーさん、何やってんですか?・・・」

いや、踊ってるんですけど・・・(笑)

日本人にとっては相当インパクトのあった図だったらしい・・・・

もうね、この異国の地でポリスに酒薦められて一緒にわけのわからんカンボジアの曲に合わせて踊っている自分が面白くて仕方がない!!

どうせこのまま部屋に上がったってこの大音量じゃ寝れやしないのだ、ポリスが酔い潰れるまで踊ってやろうじゃないか!!

そんなカンボジアの年越し・・・

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Posted by ファンキー末吉 at:19:47 | 固定リンク

2019年12月25日

個性の塊!!才能の宝庫!!

前回のこの修羅場の仕事の前にこのバックの仕事は決まっていた。

「Funkyさん〜曲数が多くて大変な仕事なんだけどひとつ頼むよ!!」
そう言ってLaoLuanから頼まれていた。

どんなイベントなのかはその時には聞いてない。
まあどんなイベントであろうがやることは同じ、
曲をもらって、それをライブアレンジにアレンジして、バックバンドのメンバーに指示してそれを完璧に仕上げる・・・それだけである。

と言いつつ、例によって中国!!曲が出て来たのはイベントの1週間前!!(>_<)
中国あるある〜である。

私は自身はいつも前日にやるのでいいのだが、他のミュージシャン、特にピアノの弾き方やギターの弾き方まで完璧にコピーしなければならないギタリストやキーボーディストは大変である。

早く譜面を書いて渡して上げなければそれだけ演奏の質が下がってしまうということになる。

かと言って私はこの修羅場をまだやっているわけだから譜面を書く時間なんてない(>_<)
ということでネットで譜面書いてくれる人を募集した。

手を挙げてくれた高橋亜土さん、やり始めて気付く、
「これ1曲に1時間かかったとして、26曲だと26時間かかるじゃないですか!!」
つまり他の仕事をやりながら1日数時間ずつやってたのではリハーサルにも間に合わないということになる・・・

困った時のよーしーずということで渋谷有希子にも応援を頼み、二人が徹夜して1日で全部書いてくれた!(◎_◎;)

いや〜大助かり!!、譜面がなくって100回聞くより、譜面を見ながら数回聞く方が数段頭に入りやすい。

「みんな各自コピーしといてね」という現場もあるが、それは各人にこの20数時間の労働を強いているわけだし、それぞれがコードなどを間違って採ってたりすると、それこそリハでぐちゃぐちゃになって能率が悪い。

やはりバンマス(バンドリーダーの意)が「これで!!」と大きな指針を提示することが大事なのである。

つまり、この「譜面起こし」でバンマスの仕事のほとんどは終わっているというわけだ。

こちらの修羅場が終わったら、全曲聞いて、コードが間違ってないかチェック!!
間違えてる部分はメンバー全員にそれを通達する。
ストリングスやギターの大事なフレーズなどはここで注意書きとして送っておく。




その通達には、中国ではWeChatというアプリを使う。
というか、リハーサル場所の共有やファイルの共有、更にはギャラの振り込みまで、中国ではこのアプリを持ってないと仕事が出来ないというぐらいである。

「バンマス仕事」をやりながら、「ドラマー」としてドラムのコピーもせねばならん。

ドラムが入ってなかったり、エレドラだけであっても、一応そのフレーズはコピーして譜面に書き込んでおく。
レコーディングの場合はこのエレドラの音色にこだわってこのように完成したとしても、生演奏の場合は生ドラムで叩いた方がライブ効果としてよかったりするからである。

特殊な音色や世界観など、プログラムを走らせないと無理な楽曲も多く、それぞれの歌手に手配をお願いする。

「誰か私の代わりにプログラム走らせるの担当してくれない?」

メンバーグループの中でそう発言してみるが、誰も尻込みして手を挙げてくれない(>_<)

誰もいなければ自分でデータ取り込んでドラムのところから自分でプログラムを操作しなければならない。
(ちなみにX.Y.Z.→Aとかプログラムが少ない現場ではいつもはそうしている)

まあ実質私には時間がないから無理なのである。
誰もいなければ誰か雇わねばと思ってたらキーボーディスト扬乐(YangLe)が手を挙げてくれた。

ちなみにこの作業はキーボーディストがやることが多いが、ラップシンガー爽子(Shuangzi)の場合はベーシストがやってたり、プロデューサーがその操作専門でツアーに同行したりもする。

キーボード奏者を二人にしてもらってて正解!!
結局この扬乐(YangLe)はキーボードを弾かずにプログラム操作に忙殺されることとなる・・・


いざリハーサル!!

メンバーはコーラス以外、扬乐(YangLe)を含めて皆初対面!!
「若手」というにはおっさんばかりだが、私と一緒に一時は中国全ての仕事を一緒にやってた一流プレイヤー達はもう大御所となってしまい、きっとギャラも高くて呼べないのであろう・・・

私を若いミュージシャンと組ませる、その意味は「若手を育てる」ということである。

グループメッセージには
「あの偉大な大先輩と一緒に仕事をさせてもらうんだから一生懸命大先輩の仕事を勉強させて頂きます」
という書き込みがあるぐらいで、私としてはこうなるともうどんな仕事であろうが手は抜けない。
とにかく仕切り、そしてドラムのプレイにはどこをどう切り取っても「完璧」であるしかない。

緊張感漂う中、初日のリハーサルは終了!!
次の日には歌手を招いてリハーサルである。

ここで歌手の意見を取り入れて変更とかあり得るのでフレキシブルに考えておかねばならない。

最初の歌手はLaoLuanとこの歌手で顔見知りなのでさらっと終わったが、
次の歌手は実は採譜するのも大変な電子音楽で、これがまたとびきりの美人なのだが、クールビューティーで全く笑わない((((;゚Д゚)))))))

プログラムデータも送られて来ていたが、やっぱバランスとかも気になるのだろう、カラオケにドラムだけ生で足してということになった。

1曲叩いて聞いてみる。
「こんな感じでいいですか?」

「いいわよ」
クールビューティーは全く笑わない((((;゚Д゚)))))))

次の曲はもらってた音源と違う曲で、結局叩くことは出来ないので、
「これは今日は無理なので当日出来るようにしときますから」

「いいわよ」

また全く笑わない((((;゚Д゚)))))))

見れば他の歌手はマネージャーや付き人などがついて来てるのに彼女はひとり。
データが違ってたりしていると自分でパソコンを開いてデータを送る。

こいつ・・・全部自分でこれだけの音楽を作っとるのか!(◎_◎;)

美人なのに美人なのに・・・(涙)
↑(自分で言っててあまり意味がわかりません(笑))

このクールビューティー、私とは結局ひとこと、
「你的头发很酷!!(あなたの髪型かっこいいわねぇ)」
というのを交わしただけであるが、それでも笑顔を見せない。

いや、怒っててこんな会話にはならないわけだから、彼女にとってはその時は精一杯の笑顔だったのかもわからないが、きっと「破顔一笑」というのは出来ない人なのかも知れない・・・

そこから入れ替わり立ち替わり歌手がやって来てリハーサル終了!!

ラグタイムあり、ブルースあり、スウィングJazzあり、民族音楽から民謡、テクノにブルーグラスまで何と多彩な歌手たちの集まりであろう・・・

どんなイベントなんだろう・・・興味が湧いて来る・・・


ライブ当日、私は前日に東京でX.Y.Z.→Aのライブがあったので、
そのライブの終了後そのまま羽田に行って3時の飛行機に乗り、6時に北京着、そのまま会場に入った。

どうやらこのイベントは中国最大のIT関連会社テンセント主催。
この会社は中国最大のSNS「WeChat」と共に、中国最大の音楽配信サイト「QQ」も運営している。
(このブログ記事「今や中国の著作権ビジネスは日本より進んでいる?!」に出て来る音楽配信サイト)

つまり今日のこの出演者達はこのサイトで音楽配信をやっているアーティストなのだろう・・・

演目は3部に分かれていて、バンドを連れて来る人、カラオケで歌う人もいるが、半数以上は私がバンマスを務めるこのバンドが演奏することになる。

出演順に記憶を辿ってレポートしてみよう・・・

1、许均:バンドを連れて来たのでこちらの演奏なし、中国ロック

2、鹿京周:中国では珍しいラグタイムブルース(大村はんがやっているようなジャンル)と典型的なブルーグラスの楽曲を歌った。ギターを弾きながら歌う歌手だが、プログラムを走らせる曲なのに勝手に弾き始めて、結局プログラムなしで演奏(>_<)
<こんな曲>
鹿京周-芭提雅

3、林侧:アコギを使った不思議なポップスを歌う
<こんな曲>
清晨幻想曲-林侧

4、张羿凡:叙情的なポップスを歌う
<こんな曲>
环岛之旅-张羿凡

5、何小河:浮遊感漂う不思議なポップスを歌う
<こんな曲>
天尽头 - 何小河Doris

6、张浅潜:しわがれたロックな声で歌うシンガーソングライター、かなり古い歌手で、20年近く前から名前は聞いていたが残念ながらこの日歌った曲の音源は見つからず・・・

7、张楚:この日のイベントのハイライト!!私が90年に最初に北京に行った時に私を黒豹のライブに連れて行ったパンクスである。
次の日にこの曲を
「中国人は蟻だ!!大きな足で踏み潰される」
と言ってホテルの部屋で歌ってくれた。
「マイマイマイマイ」のサビが最後の方になると「マビマビマビマビニママディビ」、つまり「Fuck Your Mother!」になると聞いて、「よしお前の歌を俺が街中で歌ってやろう!!どこで歌って欲しい?」と聞くと彼はこう言った。
「Tian An Men Square」
かくして彼の見守る中、ギターを持って天安門広場に立った私は、密告おばさんとかに囲まれて怖くて歌えず、「お前らはこんな中でロックをやってるのか!!」と激高して今があるというまさにその曲である。
今の時代、パンクになって「Fuck Your Mother!」になることもなく普通にこの曲を歌って終わった(笑)

さてここでちょっと休憩が入り、私は楽屋でバンドメンバーに説教をすることとなる。

そもそもが、今日の本番に向けてLaoLuanがみんなに激を飛ばしている。
「みんな、Funkyさんをよく見て、決してミスをしないように!!」

LaoLuanにとって私は「絶対に間違わない人」・・・

いや、私だって人間だからやっぱ間違ったりもする。
ここまでの演奏だって、リム叩くところスネア叩いたり、小さな間違いだったらちょっとは合った。

でも人にはわからない。
それをうまく処理してミスに聞こえないように叩いている。

「絶対にミスをしない!!」
これを常に目標に掲げているので、少々理想からは下がったとしてもこの程度で済んでいるだけに過ぎないのだ。

それに比べてこいつらと来たら・・・

「ミストーンが多過ぎ!!それにどうしてカウント入れても入らないんだ?聞こえないのか?」

だいたい一番間違うヤツに限って言い訳が多い。

「ドラムまで遠いからカウントが聞こえないんです」
じゃあ見とけよ!!
「私の場所からは見えないんです」
言い訳すんな!!集中しろ!!

まあ次のステージからはコンダクターマイクという、曲席には聞こえないがメンバーにだけ聞こえるようなマイクをドラムの横に置いてそこに向かってカウントを言うことにする。


次のステージ、私のバンドが演奏したものだけ抜粋すると、

10、马梓皓:R&Bシンガー。リハでは自らライブアレンジを仕切って、前半は自分ひとりでギター弾いて歌い、2番からバンドが入るというアレンジになった。
<こんな曲>
马梓皓《已读不回》

11、莫非定律:男女二人組のキーボードとボーカルのユニット。質の高いポップスを歌う。
<こんな曲>
一次性劫难 - 莫非定律More Feel

12、宋黛霆:Jazz歌手かなぁ・・・Jazzフィーリングのボサノバの曲でJazzドラマーとして楽しくドラムを叩かせて頂きました。
<こんな曲>
宋黛霆的一首《RawAffections(feat》

13、Tngahook:京劇風のサウンドで、中国ならではの日本人にとっては全く新しいサウンド。電子ドラムの部分を生ドラムで叩かせて頂きました。
戏子

14、董晓禾:これもJazz歌手なのであろう、4コードで延々即興のように歌ったり、古い民謡であろう楽曲をオールブルース調のJazzにアレンジして歌ったり、残念ながらアップされている音源は見つからなかった・・・

15、晓月老板:こりゃもう、古い民謡をJazzとかにアレンジして最高!!久しぶりにSwing Jazzを楽しく叩かせて頂きました!!
<こんな曲>
晓月老板-虞美人·听雨


ここでまた休憩が入って、3ステージ目。

18、李文琦:これはレコーディングも私がやったし(その時の逸話はこちら)、まあLaoLuanとこ所属の歌手なので全く気を使わずこんな感じ〜

19、朱婧汐:リハでカラオケに合わせてドラムを叩いたものの、本番はやっぱ「要らんわ」となったのかコーラス隊だけ参加でバンドは参加しなかったので、私はいそいそとこのクールビューティーのライブを袖から見た。



いや〜・・・圧巻やった!!!(◎_◎;)・・・客席に向かっても全く笑わん(笑)

他の歌手は少なくとも観客とコミュニケーションを取る。
笑顔を振りまくまではいかなくても、何らかの方法で客席と一体化を図ろうとするのだが・・・

この歌手はまるで「私の歌を聞きなさい!!それだけでいいから」と言わんばかり・・・

つまり一切の「媚び」がないのだ((((;゚Д゚)))))))

特に圧巻だったのはこの曲!!
Intelligent高级智能

曲のテーマとなるリズムリフは、ともすれば2拍ずれてるように取れるリフで、
ご丁寧に頭に2拍フレーズを入れてもっとわからなくしているだけでなく、
歌もちょうど2拍待ってから歌うのでどこが頭か一瞬わからなくなる・・・

よーしーず、2/4を入れずによく譜面にした!!

それにしてもこの娘・・・ほんまにこのオケを自分で打ち込んで作ったのか?!(◎_◎;)
電子音楽系の仕事が来たら彼女に発注したいわ!!(笑)

私も仕事で時々このようなスタイルのアレンジをするが、
これはとにかく時間がかかるのだ・・・

「音色」こそが命なので、例えばドラムの音色ひとつ決めるのに数時間かかる・・・
イメージに合ったシンセの音色を、コンピュータの中の何万という音色から探し当てるのに、ヘタしたら一晩徹夜することだってあるぐらいだ。

それをこの美女がやっているのだとするとそれこそが物凄い!!

いや、決してブスを卑下しているわけでも何でもない。
「美人でいる」ということは、一日の中でそれなりにそのために時間を費やさねばならないと思うからである。

ひとつの曲を徹夜で仕上げて、髪はボサボサ皮膚はボロボロでリハにやって来るのだったらまだわかる。
元々顔立ちがいいのだからスッピンでやって来るのだったらまだわかる。

彼女は「美人である」ということをキープするために時間をかけながら、このオケを作っているということが物凄いと思うのだ・・・

この曲、サビでリズムがなくなって「Lie、Lie、Lies・・・」と呟く。
よーしーずが採譜する時に「コードがぐっしゃぐっしゃで何弾いてるかわからない」と泣いていたが、そのぐしゃぐしゃの混沌としたところから「Don't trust anyone」と歌ってそこを抜けるところがこの曲最大の魅力なんだと思うが、1番ではサビと同じく裏声(もしくは高音の綺麗な声)でそこを歌い、2番では地声で歌って曲が終わる。

ライブでは2番のこの部分を絶叫し、そのままステージに座り込んだ!(◎_◎;)

客を置いていくにも程がある。
おそらく前客席はぼーぅ・・・私はステージ袖で鳥肌が立った・・・

ちなみに、噂によるとこの歌手の他の曲はアメリカのビルボードでチャートに入ったという噂である。

朱婧汐新歌登录Billboard TOP 40流行指数榜

日本で言うと坂本九から始まり、ラウドネス、オルケスタデラルスに続く快挙である。

私は昔、日本でアジアの音楽を紹介するラジオ番組をやっていたが、
その時にフィリピン人の歌手がチャートに入ったのを紹介した時に、
「いつの日にか次は中国人歌手がチャートインする時代が来るよ」
と発言した。

そして、当時「アジアブーム」に沸く日本の音楽界がみんな、
「テレサテンに続け」とばかり、中国人歌手を演歌班に所属させていることを痛烈に批判した。

「この人たちは日本なんか経由しなくても自力で中国人観客だけでマジソンスクエアガーデンを満杯にするんですよ!!何班でもいいからその会社の一番メインの班に置いてこそしかるべきでしょ!!」

今となってようやく日本の音楽業界は聞く耳を持たざるを得なくなったことだろう。
彼女たちは日本なんか飛び越えて「世界」を見てる。

日本だけですよ、取り残されているのは・・・


さて、話がそれた。
バンドは最後の歌手「馬条」で仕事納め。

この「馬条」の音楽が素晴らしかった!!

男前でも何でもないこの「おっさん」の男臭い歌声に涙が止まらない。

「若くなきゃ売れない」とか「流行りの音楽をやらなければ売れない」とか誰が決めた!!

不器用な(かどうか知らんが)おっさんが一生懸命人を愛する。
そして男臭い声でその「気持ち」を歌う。

そこには「売れる」だの「売れない」だのはない。
「いい」か「悪い」かだけなのである。

売れてる音楽が必ずしも「いい音楽」とは限らない。
同様にいい音楽が必ずしも売れるとは限らないけど、
彼の音楽を聴いてたら、私はもう「いい音楽」しかやりたくない、と強くそう思ってしまう。

項羽と劉邦の最後の戦いの時、四面楚歌に陥って最後に項羽は自分の兵隊にこう言った。

「ほら見ろ、俺たちは強い!!決して俺たちが弱いから滅ぼされるのではない!!天が俺たちに天下を取らせなかった、それだけのことだ」

天下を取れなくても項羽は歴史に残る英雄だし、私も後世に「下らない音楽をやった人間」だという不名誉を残すぐらいだったら別に一生売れなくてもいい。

「天が私を売れさせなかった」
それだけのことなのである。

彼の歌声を聞きながらそんなことをずっと考えていた・・・

この日の最後の曲。
コンサートが終わったら、バックステージで通り過ぎる人みんながこのメロディーを口ずさんでいた。

間違っても「ヒットする」というど真ん中の曲ではない。
しかしこれはきっと世界中の誰が聞いても「いい曲」である。

昔「ヒット曲を作れ」と躍起になってやらされていた時代、
例えこんな曲が出来たとしてもきっとボツになってただろう。

「こんな曲が売れるもんか!!もっと今のヒット曲を勉強しろ!!」
これが日本の音楽業界である。

だから日本のチャート番組を見ても聞いても、どれも似たようなテイストの曲ばかりになる。

イベントをやったとしても、売れてるアーティストを集めたとすると、基本的にはJーPOPの似たような出演者ばかりになるだろう。
とてもこのような個性豊かなアーティスト達が集まる、というかこんなアーティストが存在することすら無理であろう、それが日本の音楽業界である。

このイベントの出演者がどうしてこうも個性的なアーティストばかりだったのか・・・
それはきっと主催者のテンセントが音楽配信会社だからではないかと思う。

日本のレコード会社は何千万円もかけてレコードを作り、
何億円も宣伝費をかけてそれを売っていった。

今もその幻想を捨て切れずにそんなビジネスモデルを展開している。

CDなんか作っても、若者に渡したら
「これどうやって聞くんですか?」
と聞かれる時代に、である。

「スマホで聞くんだったら、まずこれをパソコンに取り込んで、そこからスマホに転送するんだよ」・・・

今やパソコンにCDドライブすらついてない時代なのだ・・・

「Jazz?そんなもん今の時代に売れるか?民謡?民族音楽?論外だね」
そんな幻想に取り憑かれている限り、今日の出演者の音楽などはどれも「論外」と感じるだろう。

でも配信会社は何千万もかけて音源を作るわけでもないので基本的に敷居が低い。
それぞれのアーティストが自分で作った作品を「売れないだろう」という理由で配信しない理由などありはしないのだ。

だからこんなに個性豊かなアーティストが集まったのだと思う。

さあ日本の音楽業界の皆さん、この個性豊かな才能の塊を見てどう思う?
いや、見やしない、聞きやしないだろう。

欧米の話じゃない、自分たちより遅れてると思ってるアジアの話なのだ・・・

そう思ってるうちにこの国の若者達は日本なんか飛び越えてどんどん世界に出てゆくだろう・・・
きっとそうやって日本だけが取り残されてしまうのだ・・・

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2019年8月30日

カンボジアに部屋借りてトイレで自炊(笑)

本文の前にまずこれをお読み下され〜

第67話(平成 14/08/31 6:10) 北京で突然新しい家族が出来た・・・

後半、北京で初めて部屋を借りたら、
そこの大家が戻って来て「今日から家族よ」と一緒に暮らし始めた話・・・(笑)

もうね、この頃はネットもなかったし、
中国なんか知り合い通じにゃ何も出来んかった時代やからなぁ・・・(シミジミ)

現在のカンボジア、首都のプノンペンでは、
経済支配している中国人用のみならず、日本人相手の不動産屋もあり、
探してもらったら安くても月300US$とか・・・
(カンボジアは自国の通貨より米ドルが主に使われている)

まあ来れてひと月に一度ぐらいんとこに毎月300US$は払えんわのう・・・

というわけでライブでお世話になったHIBACHI土井さんに紹介してもらった地元の人に頼んだ。

例によって貧しい姉妹らしく、
むっちゃ遠い場所のクーラーもない部屋に一家11人で暮らしてると言う・・・

「ほな100ドルの部屋探してや〜もし見つけることが出来たらあんたに100ドルあげるし〜」

不動産屋に取られるぐらいなら誰かの役に立った方がよい。
「ほな手付けで50ドル置いてくわ〜」
ちょうど子供が病気になったとかで、この50US$はご家族にとっては非常に助かったらしい・・・

「見つかったらあと50ドルあげるからな、一生懸命探してや〜」

そりゃ一生懸命探してくれたようだが、
いかんせん100US$は相場からしたらむっちゃ安過ぎるようだ・・・

「140ドルのならひとつ見つかったんですけど・・・」

おっ!!(◎_◎;)

ホルモン屋の3Fに80US$で貸してくれるかもという物件もあったが、
確定ではないのと、可能でも秋からということなので、
もしここが借りられたら音も出せるということでドラムと録音機材を運び込んでスタジオにでもすればよい・・・

「中国は1年分の家賃を先に支払うみたいなシステムやけどこっちはどうなん?」

どうやらカンボジアはもっとゆるくて、
デポジット(敷金みたいなもんか)を家賃1ヶ月分払えばそのまま前家賃払って住み始めることが出来ると言う・・・!(◎_◎;)

こりゃええやん!!

まあ人って信じてもキリがないし疑ってもキリがない。
どれだけ知り合いを通してたってこの金を持ち逃げされないという保証もないので、
まあこのぐらいだったら笑って済ませられる額だろう・・・
というわけでWestern Unionという世界的な送金サービスで金を送る・・・

かくして部屋は借りられた・・・らしい(笑)
家具とか揃っているわけではないらしく、また金を送って買い揃えてもらう。

「別にワシがおらん時にはあんた達が自由に使ってもらえばええからな。ついでに掃除とか色々やってや!!」

中国でもそうだったが、万が一トラブルとかあったら中国人には中国人をぶつけるべき。
(だから私は今でも中国人と一緒に暮らしているのだが)
カンボジア人にはやはりカンボジア人をぶつけるべきなのでこのようなシステムは個人的には助かる・・・

かくして今回の来カン(って言うのか?(笑))で部屋はちゃんと借りられていた!(◎_◎;)

場所は歌舞伎町のような歓楽街のど真ん中にある美容室の3階である。

もちろんエレベーターなどない。
だからこのテの部屋は上に行くほど家賃が安くなるらしい・・・

とりあえず寝てみる・・・

色々あったが金は持ち逃げされずちゃんと部屋は借りられてたようだ・・・1ヶ月140ドル!!もちろんプールはないがなかなかのもんだと思う・・・ - Spherical Image - RICOH THETA

うん、まあ寝心地はその辺の安宿よりは良さそうだ・・・

下が美容室っつうのは個人的に非常に助かる。
もうこの長髪を自分で洗うのに疲れて、今は世界中(日本以外)どこに行っても美容室で洗ってもらうのよねぇ〜・・・歌舞伎町のホステスみたい・・・って知らんけど(笑)

お近づきの印にさっそくシャンプー!!

このお姉ちゃんが「大家」ということになるが、
この「大大家」の他に、実際に自分の名義を使ってこの部屋を借りて、そしてそれを私に貸してる形になっている「小大家」も存在するわけで、
(私はこちらの方に家賃を払うことになる)
「よかったら何か料理でも作ったるから新居でパーティーでもするか〜?」
と誘ってみる。

「じゃあ子供たちと一番上の姉連れて行きます〜」

というわけでホームパーティー!!

Home party!! - Spherical Image - RICOH THETA

ここで色々わかったのは、カンボジア人はやはり地べたに座ってご飯を食べる・・・

いや、毎食そうなのかどうかはわからんが、
この方がいっぱいテーブルや椅子を買い揃えなくても事足りる。
なるほど「ソファーは要らんのか〜」と言ったら「そんなもんは必要ないでしょ」と言われたわけである。

料理は個人的にやっぱステーキ食いたかったので頑張ってにんにくチップから作ってワイン!!
あとはお得意の中華!!

コンセプトは「冷蔵庫ないし食材は使い切る!!」
というわけで青椒肉絲で余った豚肉はエバラ焼肉のタレで炒めちゃう!!
(実際これが一番美味かったってどうよ(>_<))

炊飯器もあったが、米を炊くのもめんどくさいし、さすが元フランスの植民地だけあって美味しいと評判のフランスパンを買っておしまい!!

なるほど料理をパンに挟めるようにパン用のナイフもあったのはこのためなのね・・・

そして気づいたのだが、この部屋には「台所」というものがない!(◎_◎;)
当然換気扇もないわけだからベランダの入り口んところにカセットコンロ置いて扇風機を換気扇代わりにする・・・

こうして作った料理一覧!!

子供用にちゃんと日本のお菓子も買って来た!!

ところがこの後が大変!!
「台所がない」ということは、水が出るところはトイレしかないということである。

トイレには水道があって、その下には何故か大きなバケツが置かれている。
開けてみるとそこには手桶があって、きっとそれでトイレの水を流すのだ・・・

ちゃんと水洗便所で水も流れるのだが、
こちらの人は断水とかで水がいつでもあるとは信じてないのだろう・・・

とりあえず便器の中で食器を洗うわけにはいかんので(笑)、
このバケツを利用させてもらうことにした・・・

現地の人がどうするかは知らんが、
まあこの水は別にトイレを流すためのものではあっても汚水ではない。
このバケツも別に糞尿が溜まっているわけでもなく綺麗なモノである。

というわけでここに汚れた皿とかを洗剤と共にぶっ込んで、
買って来た食器用のスポンジで洗う。

気をつけねばならないのは、便器の上に置かれているスポンジはきっと便器を洗うものだからそれだけは使ってはいけないということである。

無事に洗い物も終了!!

まあもう二度と自炊はせんな(笑)

というわけで下に降りて行ってみたら今度は大大家が宴会をしているので酒を持ってお邪魔をした。

大大家とパーティー!! - Spherical Image - RICOH THETA

これ大事!!だって美容室が閉まってる時間にはカギもらってるから勝手に開けて入ってゆくが、逆に開いてる時間は営業中の美容室を通って中の階段から上がってゆくので、これ完璧な「顔認証システム」(笑)
認証してもらっとかな部屋に入れん・・・

差し入れに持って降りて来た「コアラのマーチ」がすこぶる人気で、あっという間になくなってしまったので、またイオンにでも行って買って来るとしよう・・・

まあこれで中国的に関係作りはばっちしやな!!

自炊をもうせんとなるとあとは問題は風呂だけやな。
水場はトイレだけで、そこに中国的にシャワーがあるのだが水しか出ん(>_<)

というわけで風呂代わりにスポーツクラブに来ている・・・

プノンペンのスポーツクラブ回数券買ったら1回3.5ドル!! - Spherical Image - RICOH THETA

サウナもジャグジーもあるし、
回数券買えば利用料も1回3.5ドル!!

銭湯と変わらん・・・(笑)

まあ月に何回カンボジアに来れるかはわからんが、
くっくまバンドがある限りヒマさえあれば来ることになるからな・・・

それまでに11人家族に乗っ取られてなければよいが・・・(笑)

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2019年8月25日

Wing & Paul「衝動効応」マレーシア

BEYONDのメンバーWigとPaulが一緒にBEYONDのナンバーを歌うという「衝動効応」の世界ツアー、実は私が参加する前にも何本か行われていたらしい。

途中で「ドラマーやっぱFunkyにしよーぜ〜」になったのかどうなのか、
私のところにはいつものようにWingから直接連絡が来た。

そこからスケジューリングしてまずマカオ!!

まあ日本人にはどうして私がこんなに興奮しているかピンと来ないだろうからもう一度説明しておこう。

あなたがもしQueenのフレディーマーキュリーと友達だったとしよう。

あなたが定期的にやっているライブをフレディーマーキュリーが見に来て、
「素晴らしいよ、今度いつやるんだい?毎月やってる?じゃあ来月も必ず見に来るから」
と言ったのが彼との最後の言葉になったとしよう。

あなたは「いつも彼が見に来ている」と思って毎回のライブを命がけで叩き、
そしてあなたの「今」がある。

そんな中である日、Queenの残されたメンバー2人がライブをやるからドラムを叩いてくれと言われる。

そしてフレディーマーキュリーが残した数々の名曲を一緒に演奏する・・・

これが興奮せずには入られますか!!という感じである(笑)


マカオが終わったあとにも、広東省の地方都市「佛山」と四川省の「成都」でも行われたのだが、
残念ながらスケジュールブッキングがぐちゃぐちゃで参加できず(>_<)

結局次のシンガポール、今回のマレーシアと、外国ばかり参加していることになる・・・

まあWing個人のワールドツアーでも、
中国国内は若いドラマーを育て、海外だけ私を呼んでくれてたので似たようなものだが、
何にせよこうして呼んで頂いて、外国にまで連れて行ってくれて、
こんなに感動的な時間を過ごせるのだからありがたいことこの上ないことである(感謝)。


さて今回、香港でのリハの初日は偶然にもWingの誕生日!!

56歳かぁ・・・ほんま若い!!

そう言えばこの香港の前に行った台州で、
熱烈なBEYONDファンがこんなCDを3枚も持っていた!(◎_◎;)

せっかくだということでご本人にサイン!!

MTVもみっけ!!

確か当時パーソナリティーを務めてたBay FMの番組の企画で、
Bay FMもBay、香港もBayということで「Love Our Bay」という曲を一緒に作ろう!!ということで始めたのだと記憶している。

今やこれは中国では非常に貴重な1枚ですな・・・


さて、リハも順調に進んでいってたのですが、
何と持って来たスティックが足りないことが発覚!!(>_<)

アジア最大の楽器屋チェーンのTom Leeでもファンキー末吉モデルは扱ってないらしく、
コンサートが行われるマレーシアでも入手困難だろう、と(涙)

何が「亜州鼓王」じゃ!!全然どうしようもないやん!!
と落ち込んでいたら、翌日ローディーのジャッキー君が家にあるのを持って来てくれた!!\(^o^)/

そやな、アジアじゅうの楽器屋で自分モデルのスティックが売られるようにとかいう夢よりも、アジアじゅうの若い衆んとこに自分のスティックが置いてあるみたいな方が現実的じゃぞ!!(笑)


さて、というわけで3日間のリハも終了し、一同マレーシアへ!!

香港のデモはまだ続いているが、
彼らが出している5つの要求は中国政府は絶対に呑まんと思うぞ・・・

数年前の雨傘運動の時に「民主の女神」と言われた、日本語も達者な周庭(アグネス・チョウ)をはじめ、全ての若者に「死ぬな!」と言いたい。

第二の天安門事件になることなく、事態が収拾することを心から願うぞ・・・


との思いを抱きながらマレーシアに着いた。
会場は首都のクアラルンプールではなく、そこからバスで2時間ほどのリゾート地らしい・・・

マレーシアで唯一のカジノがある総合レジャー施設!!
ちなみにイスラムは博打禁止なので、実質ここは中華系の客を主にターゲットとしている。

当然メシもまた中華!!

でもちゃんとイスラム系の食事も用意してある・・・

この施設がまた広いので迷うのよ・・・(>_<)

サウンドチェックに会場に向かうのにひとり迷ってしまい、
若い衆に迎えに来てもらう老人・・・(涙)

サウンドチェック!!

と言いつつこの儀式を忘れてはいけません!!

そう、世界平和のためにドラムを叩きます!!

噂に聞くとこの一連の「衝動効応」も実はこれが最後とかなんとか・・・
まあまた気が向いたら2人集まってその時にまた呼んでくれればいい。

もっと気が向いたらまたBEYOND3人集まってやってくれれば嬉しいそ!!

まあバンドやから色々あるやろからな。
かく言う私も何も知らん人から「爆風やって下さい」とか言われると腹たつもんな(笑)

まあ人生色々あるから、もしそんな「縁」があればやればいいさ。
しばらく個人活動頑張れ!!

色々連れてってくれてありがとう!!またやろう!!

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2019年8月11日

ラジオで生演奏生放送((((;゚Д゚)))))))

中国も変わったなぁ・・・先日監獄から出て来たばかりの爽子(Shuangz)を由緒ある北京广播电台で生放送で歌わせようとは・・・((((;゚Д゚)))))))

北京广播电台と言えば、45周年記念のイベントに爆風スランプで出て、
「客を煽り過ぎた」という理由(不明)で、コンサート中に警察がロック仲間である中国人スタッフを満場の客の前でめった打ち!!
そのまま制止を聞かずに最後まで演奏した私たちは銃を持った恐ろしい人たちに別室に監禁されるという事件があった・・・

また、ここのスタジオは李慧珍のアルバムをレコーディングしてた。
エンジニアのKeizoのギャラを計上して提出してたら、
「Funkyは私たちを騙している」
と問題になったなぁ・・・

当時、エンジニアはスタジオについているもので、
それを別に計上するなど「水増し請求」だというものである(笑)

いや〜このエンジニアっつのが全く芸術的ではなく本当に「機械エンジニア」(>_<)
夕方になったらさっさと帰るし!(笑)

いや〜色々と思い出のある北京广播电台であるが、
国家が運営するそんな老舗の放送局が、
ワシが知るだけでもう3回監獄に入っているこの犯罪者(笑)を生で2時間喋らせるというのはどういうことか!!(笑)

危険じゃないのか!!
そう言えばまた別の刺青だらけのラッパーがテレビで共産党にそぐわない禁止用語を連発して、それから刺青が目の敵にされ服とかで隠さないとテレビに出れない時期もあったなぁ・・・

まあ私が生放送だと聞いたのは実は放送局に着いてから。
それまでは客入れての公開録音ぐらいに思っていた。

そりゃこの状態では
「Funkyさん、回線が6chしかないから今回はカホンか電子ドラムにして下さいよ」
と言われてたのも頷ける。

カホンも電子ドラムも全くの「別の楽器」なので、
「ヤダ!!」と言って拒絶してたら、生ドラムどころかちゃんと大きなサブミキサーまで持って来てた!(◎_◎;)

さすがに初めてやなぁ〜北京广播电台の生放送スタジオにバンドが入って生演奏生放送!(◎_◎;) 生放送なのでドラムのチューニングもサウンドチェックもへったくれもない!!DJが喋ってない時に静かにセッティングして泣いても笑っても17時から生放送!! - Spherical Image - RICOH THETA

でもアンプはないのでギターはアコギ、
モニターはDJと同じ回線のヘッドホンをタコ足にして聞くことになる。

ところが私は張張(Zhang Zhang)が出すプログラムのクリックを聞かねばならない。
いつもイベントなどではクリック専用のイヤモニを渡されるのだが、
放送局にそんなものがあるはずもなく、
ミキサーも別回線でクリックを出すことは出来ない。

しゃーないなぁ〜・・・と張張(Zhang Zhang)がパソコンから直でクリックの回線を出す。
音量は大きくないがしゃーない、それで一度サウンドチェック代わりに演奏してみよう・・・

・・・って実はちゃんとそのためのサウンドチェックの時間が取られえているわけではない!!
日本でもよくある昼からの帯の番組のようで、
DJがオンエアに乗ってる時にはみんな声を潜め、
音楽や録音物を流している時にちょちょいと音を出す程度である(>_<)

ところが音を出してみると、
私はクリックとプログラム、まあこれは同じパソコンから出しているからいいとして、
ベースやキーボード、そして生音のアコギや歌なども全く聞こえない(>_<)

あかんやろ・・・(涙)

17時からの生放送の時間は刻々と迫っている。
人間追い詰められると脳みそが高速回転するらしい。

「そうだ!!みんなが聞いているそのヘッドホンの回線、あとひとつ余ってる?」
実は60歳の誕生日の時に李慧珍が誕生日プレゼントでこんなヘッドホンをくれたのだ。

もうね、6万円もするヘッドホンなんて失くすのが怖くて持ち歩けるかい!!
と思ってたら、一度飛行機で使ってみたらノイズキャンセリングが素晴らしく、
嘘のような静寂の中でiPadに落とした映画が楽しめる。

ちょうどこの収録終わったら最終便で寧波に飛ぶので持って来てたのよ〜

電源を入れずにケーブルを繋ぐと普通のヘッドホン!!
クリックを聞いているインナータイプのヘッドホンの上からこの大きなヘッドホンを被ればクリックと共にみんなのお供聞ける!!\(^o^)/

ちょっと圧迫で耳が痛いけど(笑)

というわけで生放送開始まであと5分のところで回線だけは確保した!!
そのまま本番!!!!

ちょっと心の片隅で心配してはいたが、刺青だらけのこの犯罪者(笑)、
DJに振られた話題を素朴にちゃんと真面目に答える。

ここで「Fuck You!!」など口走ったら冗談でなくこいつは終わる!!
「Fuckin Goverment!!」などと口走ったら一族郎党命が危ない(笑)

あとで聞いたのだが、
ラップなので中に危ない歌詞はいくつかあったらしい。
聞けばそれを瞬間的に察知して違う言葉に入れ替えたりハナモゲラにしたり、
物凄い反射神経でそれら全てを無事に乗り切ったらしい!(◎_◎;)

凄いぞ爽子(Shuangz)!!
そんだけの才能があるんだからもう監獄はやめような(笑)

2時間の生放送、なかなか緊張感の連続でかなり疲れたけど、
まあドラムもいいプレイが出来たしなかなか楽しい経験をしたぞ。

意外だったのは、セキュリティーがむっちゃ緩かったこと・・・

何せ放送局はクーデターが起こったらすぐに占拠されるところ。
昔だったら入口でIDやパスポート、持ち物の検査まで厳しかったのに、
いくら顔認証が発達しているからと言って、これだけの不審な荷物(笑)をノーチェックで持ち込めてIDチェックもしなかったというのは、やはり中国も少しは平和になったのか・・・

ならんならん(笑)

まあでもこんな犯罪歴のあるラップ歌手に2時間生放送で喋らせるんだから、
そういうことに対する緊張感は昔に比べたら確実に薄まっている。

逆に「ロック」自体がもう恐るべきパワーを失っているということか?
・・・考え過ぎか・・・

中国は恐ろしい速度で今も変化している。
私としてはこれが悪い方向ではなく、平和な世界へと向かっていることを願うのみである・・・

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2019年7月16日

還暦記念亜州鼓魂ライブ

7月13日は渡辺英樹さんの命日でもあるので毎年英樹さん絡みのイベントを行っていたが、今年は「60歳だろ?中国じゃもの凄いことなんだぜ」ということで中国の仲間がイベントを立ち上げてくれた。

曲順

M01:出发
M02:我爱你亲爱的姑娘
M03:羊肉面
MC
M04:流星
M05:小卢的初恋
VCR(BEYONDの3人からのメッセージ)
MC
M06:七到天门
M07:Memories(记念黄家驹)
VCR(艾梦萌からのメッセージ)
M08 红舞鞋
(ドラムのリズムに乗せて李慧珍登場)
M09 向前走
MC
M10 不安
MC
M11 亚洲鼓魂
M12 力量
M13 Let Me Be Free
VCR(爽子からのメッセージ)
MC
M14 这是我
MC
M15 礼物

EN 生日的歌


ライブはまず友人代表としてLuanShuのお話から始まった。

「Funkyさんは無私の心で中国ロックや中国流行音楽に多大な貢献をし・・・」
いや、一応お金もらってるんやから「無私」ではないと思うが・・・
まあ中国ロックの黎明期は楽器やCDや教材やら色々持って来てやったからな、その部分は「無私」かな・・・

以下は彼のWeChatの書き込み・・・

相识于1991,没想到会一路同行持续合作到今天,Funky桑不只是亚洲鼓魂,对待音乐的态度他是我一直学习的典范,他对中国流行音乐所作出的无私奉献和真爱值得敬佩,他是真正的摇滚战士[强]老方生日快乐

まあ出会ったん90年やけど・・・(笑)まあええか・・・


そして布衣!!
「布衣の曲でヒットした曲って全部Funkyの曲なんだよな・・・(笑)」

はい、でもVoThMの曲もやりました!!
英樹さんの命日やしな・・・

ここから二胡が入るわけだが、
今回呼んだのは上海で知り合った美人二胡奏者!!

そのまま「ろう君の初恋」!!

その後にBeyondの3人からのメッセージを流して、亜州鼓魂の最後のインスト2曲。
この時にどうしても喋りたいことがあったのよねぇ・・・

彼らと出会ったのは91年のこと。
同じ所属事務所の紹介で爆風の4人とBeyondの4人が会った時、
こちらの4人はみんながみんなWingがボーカルだと思って疑わなかった。

Beyondのライブも見たことがない日本人には、
やはり一番ルックスがいいのがWingだったわけである。

そして一番スケベなのもWingと黄家駒(笑)
「要日本的女朋友〜」とか言いながら毎日飲んでいたが、
結局色々女の子紹介しても黄家駒は全部玉砕!!(笑)

そんなバカな毎日のある日、
Wingから電話がかかって来て、黄家駒がテレビ局で事故にあって意識不明の重体と聞く。

急いで病院に駆けつけ、それから1ヶ月近くずーっと病院に詰めていた。
そして1993年6月30日、医者が臨終を告げた時に、
まるで映画のようにWingが卒倒して私の腕の中に倒れて来た。

そして気が触れたようにケケケと笑ってこんなことを言う・・・

「あいつは今、真っ白でとっても気持ちいい所にいるんだって・・・
そこは酒を飲むよりも、セックスするよりももっと気持ちいいんだって・・・カカカ」

私は思った、
音楽、特にJazzのような即興性の高い演奏の時に、
色んな偶然が作用して時々ふわっと身体が浮いたような、
そんな真っ白な世界に行く時がある・・・

そう、彼はそこにいる・・・

でもそこには7つの扉があって、
ひとつを開けたらまたその向こうに扉がある。
音楽を精進して、その7つの扉を全部開けた所に彼がいる・・・

だから亜州鼓魂の最後の2曲はこのコンセプトの下、
天界への7番目の扉〜Memoriesでアルバムを終える・・・

Memoriesは香港で行われえた黄家駒の葬儀の時に書いた、彼への追悼曲である。

日本でJazzなんかやってても誰にも興味など持たれず、
それでも毎月SOMEDAYというJazzのライブハウスでセッションをやっていた。

ある日Beyondの4人がライブを見に来てくれて、
演奏に大喜びだった黄家駒が私にこう言った。

「凄いよ!!全くもって凄い演奏だった!!
今度はいつやるんだ?次も絶対に見に来る!!」

それが彼が私と交わした最後の言葉となったのだった・・・

その後「艾梦萌」からのメッセージを紹介して、渋谷有希子が歌う「红舞鞋」、
間髪置かずにドラムのリズムから入って李慧珍の登場である。

この後のMCで、何やら彼女が長々と喋っている・・・
私は同期のクリックを聞くためにイヤホンをしてるし、
ライブ録音の回り込みを避けるためにモニターに何も返してないので全く聞こえないが、
見れば私への感謝の言葉とか思い出とかを喋りながら泣いているようだ!(◎_◎;)

彼女のWeChatの書き込み・・・おそらくこんなことを言いながら涙ぐんだのだろう・・・

18岁认识Funky桑,他把我从一个音乐小白一路教会我什么是一个专业歌手的品质,早早就让我见识什么是中国最顶尖的乐手,让我学习了当年最top的唱片制作模式~谢谢你Funky桑,爱你 [爱心][爱心][爱心]再次祝生日快乐

お前が泣くとこちゃうやろ!!ワシを泣かせるとこやろ!!(笑)

そしてLaoWuも参加して、
「小さい頃、このアルバムが欲しかったんだけど金がない。
だから仲間うちで献血に行って血を売ってこのアルバムを買ったんだ」
というMCに続いて、亜州鼓魂の1曲目から3曲目までをメドレー!!

圧巻やったな・・・


その後に爽子(Shuangz)のメッセージが流れるのだが、
実はもともと、このライブに彼も参加する予定だった。

ところが文化部に申請を出そうとしたある日、
「爽子が全く連絡が取れないんだ。きっとまた捕まって監獄に入れられたんだろう」

!(◎_◎;)

あのね、長いことイベントやコンサートやっとるけど、
出演者が監獄に入れられたから出演出来んなんてこいつぐらいや!!(>_<)

まあまたケンカだったらしいが、
監獄から出て来た時にはもう文化部への届出は終わっていて、
こうしてメッセージだけで参加というわけだ・・・

彼の代わりに四暗刻のラッパー揚洋(YangYang)が歌ってくれた。

そして本編最後の曲「礼物」!!
バイク事故で亡くなった唐朝楽隊のベーシスト「张炬(Zhang Ju)」のために作った曲である。

この追悼アルバムで「お前も何曲かプロデュースしてくれ」と言われ、
その担当となった布衣と初めて会って今がある。

これで本編終わってアンコール・・・と思ったら誰も引っ込まず、
結局そのまま続けてアンコール(笑)

亜州鼓魂の中に収録されている誕生日の歌、
原曲は24歳の誕生日だが、揚洋(YangYang)が今日のために60歳の詞を作ってくれてラップする。

それで全て終了なのだが、当然ながらアンコールが来る。
しゃーないなぁ〜・・・でドラムソロ!!

これで全て終了!!よくやった!!

これを見てたある人がこんなことを呟いた・・・
「歴史やな・・・」

そう、30年の私と中国との歴史がここにある。
願わくばこのまま歴史を紡ぎ続け、10年後にまたやろう!!

70歳記念ライブ!!(笑)

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2019年7月 1日

北朝鮮プロジェクトまとめ

NorthKoreaRockProjectBook.jpeg


<<プロローグ:北朝鮮? いいですよ、行きましょ!!>>

2006年のある日、中国は北京で暮らしていた私を訪ねて来た「荒巻」と名乗る日本人・・・
彼は学者で北朝鮮とチベットを専門で研究していると言う。

10年以上(当時)に渡り、20回を超える(当時)渡航歴の中で築き上げた「コネ'」がある彼は
「僕だけはどこでも歩けますし何でも撮ることが出来るんです」
と言う・・・

事実、当時テレビで流れていた北朝鮮の映像はほとんどが彼によって撮影されたものだと後で聞いた。

「ファンキーさん、北朝鮮に行きませんか?」
その一言が私の人生を「奇異なもの」に変えたのだ。

「同じ後悔するなら飛び込んで後悔したい」
という人生観を持っている私は二つ返事で行くと答えた。

そしたら荒巻はひとつのDVDを私に手渡した。
「じゃあとりあえずこれ見といて下さい」

ハリウッドの映画「スクール・オブ・ロック」!!

ロック馬鹿な主人公が、何かの間違いで優等生ばかりの小学校の教師となり、
何を教えることもないのでロックを教えていたらその学校が「スクール・オブ・ロック」、すなわち「ロック学校」になってしまったという、笑いあり涙ありの素晴らしい映画だった。

「見ましたよ。素晴らしい映画でした!!」
数日後こう言ってDVDを返しに行ったら荒巻は喜んでこう言った。

「そうですか!!じゃあ北朝鮮に行ってこれをやりましょう!!」
こうしてこの「北朝鮮ロックプロジェクト」は軽いノリで始まった。

当時の私は何の期待も不安もなくこのようにブログに記している・・・

ブログ記事:北朝鮮に行ってくる(?!!)

ところが行ってみて私の感覚は大きく変わった!!
彼女たちの笑顔が私の全てを変えたのである。


<<第1章:平壌をロックに染めてやる!>>

北朝鮮のビザは、諸外国のようにパスポートにハンコを押すのではなく、
このようにペラペラの紙に別紙として発行される。

Web記事:北朝鮮のVISA

北朝鮮に着くと「案内人(兼通訳・・・兼監視員?)」がふたり付く。
噂によると二人がお互いに関ししているという話も聞く・・・

ところが荒巻は長い渡航歴の中でこの案内人自体に「コネ」がある。
案内人というよりも案内人を派遣する団体との関係で、こうしてコネのある案内人を回してもらえるのだと言う・・・

そんな中で初めての北朝鮮渡航!!

ブログ記事:北朝鮮美女軍団ロックバンド
ブログ記事:北朝鮮渡航記


<彼女たちの笑顔こそが「ロック」だ!!>

この渡航によって私は180度変わった。
私の中での大きな「価値観」が変わってしまったのだ。

私は「北朝鮮の子供たちは笑わない」と思ってた。
笑ったとしても作り笑いしかしないと思ってた。

しかし実際にこうして子供たちと交流してみると、
笑ったり泣いたりケンカしたり、
日本なんかよりももっと個性豊かな子供たちがそこにいた。

日本の偏ったメディアの報道により、
中国で暮らしている私でさえ事実を歪んで捉えている・・・

それがイヤでこそ私はこうして日本を捨てて外国で暮らしていたのではないのか・・・

ここから私にとってのこの「北朝鮮ロックプロジェクト」が本格的に始まった。


<<第2章:北朝鮮のオリジナル・ロック曲>>

ブログ記事:北朝鮮にロックが響く(前編)
Web記事:世界はRockを求めてる!北朝鮮Girlsロックバンド計画

6月9日高等中学校の国語の先生にいくつか詩を書いてもらったのだが、
その中でこんな「ロック」な詩を見つけた!!


물음표(クエスチョンマーク)

ナヌンヤ ムルンピョ サランハジヨ
나는야물음표사랑하지요(私はクエスチョンマークを愛する)
나는야물음표사랑하지요(私はクエスチョンマークを愛する)

ジシグィ ノプンタプ サアガルスロク
지식의높은탑쌓아갈수록(知識の高いタワーを築けば築くほど)
ジヘソゲ セムソンヌン ナウィ ムルンピョ
자혜속에샘솟는나의물음표(知恵の中で湧き出る私のクエスチョンマーク)

コギウィ ビミルムン オソ ヨルラゴ
거기의비밀문어서열라고(その秘密の門を開きなさい)
ソンゴンウィ ヨルシェルウル アンギョズジヨ
성공의열쇠를안겨주지요(成功のキーを与えてくれる)

ムルンピョ ムルンピョ ナヌン ゾアヨ
물음표물음표나는좋아요(クエスチョンマーク、私は好きなんだ)
ウリ ハムケ オルダ ソクサギョ ズヌン
우리함께오르자속작여주는(みんな一緒に昇ろうとささやいてくれる)
ムルンピョ ムルンピョ ナヌン ゾアヨ
물음표물음표나는좋아요(クエスチョンマーク、私は好きなんだ)
オンゼナ センギョナヌン ムルンピョ
언제나생겨나는물음표(いつも生まれるクエスチョンマーク)


これを詞にして「北朝鮮初のオリジナルロック曲」を録音すべく、
録音機材、北朝鮮の機材は使い物にならなかったのでギターやベースも担いで2回目の渡航!!

途中「軍部からの中止命令」にも負けずこの曲が完成した!!

ブログ記事:北朝鮮にロックが響く(後編)

そしてこれらの活動を日本テレビのニュース番組で特集してくれることになった。

ブログ記事:放送日決定!!

「放送されたら、右側なのか左側なのか、どんな団体からどんな圧力をかけられるかわかりませんよ。ちょっと海外にでも身を隠してた方がいいんじゃないですか」
と言われていたが、局が用意した多数の苦情受付電話回線は鳴ることがなく、日本の人々に大きな感動を与えて番組は放送された。

<<第3章:チベットで発見した「ロックとは何か」>>

何か自分の能力を超える作品を生み出した時には、身体中の細胞がそのレベルに追いつこうとするかのように気が狂ったようになる時がある。
Runnerを生み出した時がそうであった・・・

荒巻は悩む私をチベットに連れて行って、そこでラマの高僧と問答を交わし、悟りを開いてゆく・・・

Mondou.JPG

ブログ記事:チベットにて悟った「ロックとは何か」


<<第4章:次世代の部員との本気のセッション>>

3度目の訪朝はメディアでもブログでも多くは取り上げられていない。
しかし「交流」という点では一番実のある渡航であった。

今度は自ら少女たちの中に入ってドラムとアコーディオンの楽曲を録音。
心を通い合わせなければ完成しない楽曲のために、何度も話し合い、ぶつけ合い、1週間のガチのセッションの中で、少女たちから大きなものを教わる。愚かなのは実は自分だったのである!!

ブログ記事:豊年の春
ブログ記事:豊年の春(完全版)

<<第5章:新人類たちとのロック>>

鎖国しているようなこの国でも世の中はどんどん変わってゆく・・・
ちょっと時間のあいた4度目の渡航では見るもの全てが大きく変わっていた・・・

荒巻とこの「6月9日高等中学校」とのコネだけで北朝鮮でこれだけのプロジェクトを行なっている。
しかし子供たちがここを卒業してしまえば荒巻のコネが届かないところに行ってしまう・・・

特に軍部に進んだ生徒は(北朝鮮ではそれが一番のエリートとなる)、もうどんなコネを使ってもこのような外国人と接触することは出来ない。

ところが校長先生の計らいで卒業生のひとりと会うことが出来た。

そしてこの世代の子供たちはもう「新人類」。
その子供たちと彼女たち自身の手による「オリジナル楽曲」を作り出す。

北朝鮮版「けいおん」である。

ブログ記事:4度目の北朝鮮訪朝(初日)
ブログ記事:4度目の北朝鮮訪朝2日目
ブログ記事:4度目の北朝鮮訪朝3日目
ブログ記事:4度目の北朝鮮訪朝4日目
ブログ記事:4度目の北朝鮮訪朝5日目
ブログ記事:4度目の北朝鮮訪朝6日目
ブログ記事:4度目の北朝鮮訪朝最終日
ブログ記事:4度目の北朝鮮訪朝番外編1:遊園地

ブログ記事:4度目の北朝鮮訪朝番外編2:よど号乗っ取り犯人と酒を飲んだ!!


<<第6章:はるかなる北朝鮮〜さようなら愛弟子たち>>

ブログ記事:北朝鮮ファンキー末吉ロックスクールの生徒たち
ブログ記事:5回目の訪朝
ブログ記事:無事出国!!北京空港にて


金正日体制が終わった直後の最後の渡航。
少女たちにとって「将軍様」とはどんな存在なのか?
あの涙はホンモノなのか?
この国はどうしてこんなに金があるのか?
そして何より、「何故このロックプロジェクトがこの国に受け入れられたのか」の謎が解き明かされる。


<<番外編>>

北朝鮮ロックプロジェクトは、これら一連の物語を本にまとめて出版すると共に封印されました。

ブログ記事:北朝鮮プロジェクトついに書籍化!!

その他ブログ記事

ブログ記事:北朝鮮初のオリジナルロック曲
ブログ記事:今日からまた北朝鮮・・・
ブログ記事:持ち込み成功!!
ブログ記事:北朝鮮のタブレット分析(序章)
ブログ記事:北朝鮮に初めてiPhoneを持ち込んで国際電話をかけた日本人
ブログ記事:北朝鮮のタブレット分析(フライング編)
ブログ記事:北朝鮮のタブレット分析(アプリ編)
ブログ記事:朗読CD本日より発売開始!!
ブログ記事:朝鮮学校の秋祭りでドラムを叩こう!!
ブログ記事:朝鮮学校のイベント


<<結びの言葉>>

ひょんなことから北朝鮮に「ロックの教え子」を持った。
でも国際情勢がこのようである今、私がこの「ロックの愛弟子」たちに自由に会いに行くことは出来ない。
こんな「世の中」にしてしまったのは誰でもない、私たち「大人」である。
この子たちの時代には、この子たちの世代の手によって、こんなバカげた世の中をなくしてくれることを心から願う。


<<書籍紹介>>

このプロジェクトを記した書籍はこちら

電子本はこちら

この書籍は朗読CDとしても発売されてます。

RoudokuCD.jpg

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2019年6月16日

ある愛の唄プロジェクトまとめ

「ある愛の唄」

1988年春、その1年後に爆風スランプから江川ほーじんが脱退することが決まり、「それまでにヒット曲を生み出せなければバンドを終わる」という状況の中、私は苦しみ抜いて「Runner」を生み出す。

同年のNHK紅白歌合戦にこの曲で出場し、願い通りこの曲はヒットするものの、「ヒット曲が続かねばバンドは一発屋として終わる」と言われ、また苦しみ抜いて「リゾ・ラバ」を生み出す。

その苦しみの果て頭の中でぽんと何かが弾けた私は、1990年5月に初めて中国北京を訪れ、偶然地下クラブで演奏するロックバンドのライブを見ることとなる。

「中国で本物のロックを見つけた!!」

インターネットもeメールも普及していなかった時代、興奮した私は所属事務所にそのレポートをFAXで毎日送りつけるが、所属事務所はそれを無視していた。その後、アジアブームが訪れ、アジアに進出したい所属事務所は私ではなく、別の歌手を北京に行かせて「彼が北京でロックを見つけた」という取材企画を組むこととなる。

爆風スランプがその事務所に移籍した時のトップとのミーティング。議題は末吉の個人活動について。社長は私にはっきりとこう宣言した。

「当社は爆風スランプの末吉くんとビジネスをしたいのであって、末吉くんの個人活動には興味がない」

つまり「お前は爆風スランプにだけ曲を書いとけ。ほかの曲には興味がない」ということ。爆風スランプっぽくない楽曲を生み出しても誰からも必要とされてない状況が続いていた。

「楽曲は生み出した自分の子供と同じである」と考える私は、爆風スランプの楽曲としては必要なしとされてしまった、膨大な数の生み出した楽曲をなんとか形に残そうとして、この「ある愛の唄」というコンセプトアルバムのデモ音源を作成した。

<デモ制作>

そのデモ音源は、当時近所に住んでいた歌手の卵である「キョンマ」こと岸恭子(現眞辺恭子)がアルバムの全編を歌って制作した。しかし私自身その後、日本に失望して中国に渡ってしまうことになり、いつしかこのアルバムのこと自体もすべて忘れ去ってしまっていた。

デモ音源

<コンセプト>

当時サンプラザ中野以外の詞が採用される状況ではなかったなか、このアルバムの詞は全曲私の手によって書かれた。ある女性が生まれる前から伴侶が死ぬ前までを組曲にしたコンセプトアルバムである。

のちに、池川明さんが「おぼえているよ。ママのおなかにいたときのこと」という本を出版されて、私もその本を読むことになるが、そのもっと前から私は「赤ちゃんが自分で母親を選んで生まれてくる」という考えを持っていて、それがこのアルバムのコンセプトの中心となっている。

<天安門にロックが響く>

さらに同時期、私は中国で出会ったロックの話を元に「天安門にロックが響く」という小説を書いた。

この小説が「小説現代」に掲載され文壇デビューとなった。

そしてこの小説が原作となって、漫画「北京の春」が発刊された。

この本は中国語に翻訳され、香港、台湾で発売された。
中国共産党のお膝元である中国大陸ではもちろんご法度であるが、中国人である私の妻(当時)の両親が北京から来日した時に見つかってしまいこっぴどく説教をされた。
「中国では絶対にやってはいけないことがふたつある。ひとつは色ごと、もうひとつは政治批判!!家族の中でそんなことやってる人間が現れたら一族郎党どんな目に遭わされるやらわからない」
と・・・

実は、この小説のモデルとなった中国の女性シンガーと、天安門事件で人民解放軍に殺される恋人との話が、アルバムに収録されている「ママの初恋」という曲になっている。

また、このコンセプトアルバムの主人公は、いくつかの大恋愛を経て最終的に中国に嫁いでゆき安住の地を手に入れるところなど、この小説とリンクされている部分も多い。

<キョンマとの再会>

私は長くこのアルバムのことを忘れていたが、デモですべての楽曲を歌っていたキョンマがこれを大切に保管してくれていた。

これを末吉に渡した時に彼女はこう言った。

「よかった。やっとこのアルバムを末ちゃんにお返しできた。この楽曲たちはあなたの生み出した大切な子供たちです。どの子もとってもいい子です。私もライブで時々歌うけど、聞いた人はみんな涙するんだもの」

私はまるで忘れていたこのアルバムを「初めて」に近い気持ちで聞くことになり、これを聞いて自分でも涙した。

その後、前回のクラウドファンディングでキョンマ自身が「出張ライブ」の出資者となり、このアルバムの楽曲をライブで再現しようということにもなった。

<制作開始>

ドラムレコーディング

ハーモニカ入れ

ベース、キーボード完了〜!!歌入れも平行して始めてます

Logicを使ったオーケストラアレンジ

二胡(ErHu)と扬琴(YangQing)のレコーディング

中国民族楽器レコーディング

ギター録り完了!!

そしてついにアルバムが仕上がった!!


こちらで購入できます)

そして2019年5月19日にアルバム全曲再現ライブが行われた。

そして、このアルバムの楽曲は「世界中のより多くの人に歌ってもらいたい」というコンセプトにより、現在のところ「著作権フリー」にしている。

その流れを受けて、歌手の山下直子さんもこのアルバムを歌って下さった。


こちらで購入できます。ダウンロード販売はこちら

そして今、世界中の人たちに歌ってもらうべく、キョンマ自ら歌うベトナム語版、
そして中国の著名歌手「李慧珍」が歌う中国語版と、
カンボジアくっくま孤児院の子供たちが歌うクメール語版の制作が始まっている。

ブログ記事「ある愛の唄中国語版
ブログ記事「ある愛の唄中国語版その後
ブログ記事「中国の契約書との戦い

ブログ記事「クメール語バージョン制作開始!!
ブログ記事「支援は人のためにあらず
ブログ記事「クメール語版「中国のマドンナ

Posted by ファンキー末吉 at:08:05 | 固定リンク

2019年6月15日

監視対象?(笑)・・・そして香港デモの話

申し遅れましたが、ワタクシどうやら中国政府から監視対象にされているようです(笑)

去年の年末なのですが、カンボジアのプノンペンから布衣のライブのために北京を往復した時の話・・・

北京の第2ターミナルっつうのは、搭乗手続きのカウンターんとこに入る前に一度手荷物の検査があるのよね〜

まあ別にX線の機械に荷物を通すだけなのだが、
その時に係員がやって来て「パスポートを見せろ」と言う。

「荷物を開けろ」ではなく「パスポートを見せろ」?!(◎_◎;)

「あんたここ最近で3回ここに出入りしてるよね、一体何やってんの?」
ここで「おかしいな」と思うのは、その職員がパスポートも見ずに「3回」と言ったことである。

あとでスケジュールを調べてみると、
ここ数日では確かに12月23日にプノンペンから北京に入って、
そしてこの日、25日にはまた北京からプノンペンに飛ぶ。
しかしもう一回は?と調べてみると・・・

だいたい一ヶ月前ぐらいに香港から北京に入っている。
確かに「3回」、しかし解せないのは、この渡航は第2ターミナルではなく、そこから遠い第3ターミナル。

ちなみにこの職員が私に声をかけて来た段階ではまだパスポートを提出してないので、職員はX線を通した私のトランク、もしくは私の顔を見ただけでこの渡航歴がわかったということである。

しかもこの第2ターミナルから遠く離れた第3ターミナルの入国情報までわかっているということだ!(◎_◎;)

おまけに「ちゃんとビザあるよ」と言ったら
「それは知ってる」

・・・!(◎_◎;)・・・知ってるのか?!!

この話を聞いた友人は「きっと顔認証でしょう」と言う。
どこかにカメラがあって、そのカメラが私の顔を認識した途端にアラートが鳴る→職員が飛んで来て職質・・・というわけではあるまいか・・・

友人は続けてこんなことを言う・・・
「中国ではよくある話ですよ。だからファンキーさん、ブログやフェイスブックに政府批判とか書き込まない方がいいですよ」

まあ私とて別に中国政府に対して反政府運動をしているわけでもなんでもない。
ただ「悪いことは悪い」と言ってるだけなのだ。

ただこれが本当に中国政府が「危険人物である」と認定したとすると、
まあ私の入国やビザのことはまだいいとして、
私が音楽活動で参加している全ての人たちに迷惑がかかる(>_<)

例えば一緒にツアーを廻っている布衣、彼らが次にツアーを廻る時にはもう許可が下りないかも知れない・・・

こんなこともあった。
7月13日の私の還暦祝いコンサート、
刺青だらけのラップシンガーも私の曲を歌ってヒットしているので、
「お前も時間あったら来てあの曲歌え!!」
と言ってたのだが、しばらくして彼が音信不通・・・

周りの噂では「また監獄に入れられたらしいよ」・・・(>_<)

まあまたケンカかなんかだろう、しばらくして出て来たらあっけんからんと
「出て来ました〜7月13日は大丈夫ですよ」
と・・・(笑)

布衣のマネージャーは「キー!!やめて〜!!」
いやね、ここで君の名前を入れて文化部に申請を出すと通るものも通らんのよ・・・(>_<)

「許可が間に合わないから」と丁重にお断りした・・・

そんな「国」なのだ。
ドラマーでプロデューサーで代表曲の作曲者でもある私が、
「危険人物」だと政府に烙印を押されたとしたらこのバンドの将来はどうなるのだろう・・・

だからせめてフェイスブックとか中国から見れない外国のサイト(それでも監視対象なら見るけど)には書き込むが、WeChatやWeiboなど中国のサイトには絶対にそんな(こんな)内容は書き込まないことにしている。

日本なら反政府的な言動を「かっこいい」と見る向きも無きにしも非ずだが、
中国では周りに大きな「嫌悪感」を抱かせる。

「バカかこいつ(>_<)」みたいな感覚であろう・・・
次に思うことは
「このバカのせいでとばっちりを食ったらたまらん」
ということで友達はどんどん減ってゆくだろう・・・

それを「いい」とか「悪い」とか言うつもりはない。
これが「現実」、中国人はこの「世界」の中で「頑張って生きて」いるのである。


さて香港返還以来一番大きなデモとなった今回のデモ。
事の発端は「逃亡犯条例」、つまり「香港に逃げ込んだ中国の犯罪者は中国に引き渡しなさいよ」というものに反対するデモなのではあるが、根っこの部分は「一国二制度を守れ!!」、まあ簡単に言えば「民主化運動」の流れである。

自由の街だった香港がどんどん中国に飲み込まれてゆく・・・それに対する反対運動である。

まあ香港政府は97年までは「イギリス」だったので中国は手も足も出せなかったが、
返還されて「中国」になったら、「一国二制度を守る」と言いながら自治をないがしろにしてどんどん中国が支配して来る・・・

いや、あの人たちは本当に無茶をする。
そもそも「催涙弾」なんて日本では最近いつ使われた?
その催涙弾から身を守るために雨傘をさしたところから「雨傘運動」・・・

でも今回は2014年のその大規模なデモよりもはるかに大きなデモ行動となり、
政府側は催涙弾のみならずゴム弾の顔面射撃!(◎_◎;)

あかんやろ・・・(>_<)

当然ながら中国の報道ではデモ隊のことを「暴徒」、
つまり「暴徒鎮圧のために仕方ないんですよ」と・・・

そんなものを世界の誰が信用するか?(笑)

中国独特の社会主義、つまり彼らは「独特」だからそれでいいのである。
それで世界に通用する、いや「通用させる」気でいるのだ。

一説によると、香港の警察には制服に識別番号がついていて、
今回の「暴徒鎮圧」にはその識別番号がない、もしくは認識番号が「ニセモノ」である警官が投入されている、と。

つまり中国共産党が送り込んだ軍隊が香港人を鎮圧している?・・・

天安門事件の時に、
中国人は中国人を殺せない、だからウィグルとか別の民族の部隊を使ったと・・・!(◎_◎;)

香港人に香港人は殺せない、だから大陸から部隊を投入して鎮圧している、と・・・(>_<)

殺すんか?!(◎_◎;)・・・やめてくれよなぁ・・・と言ってもあの人たち本当に何をするかわからんからなぁ・・・(>_<)

また一説によると、学生側の方にもアメリカから送り込まれた(?)過激な学生とかがわざと騒ぎを大きくしているとか?・・・

いや、色んな情報が交錯していてようわからん(>_<)

私としては30年前の天安門事件の時のように死人が出ることだけは勘弁して欲しいと祈るばかりである・・・

若くして日本で死んだ友人が残した曲がこの民主化運動を支えている・・・
若者が血を流すこと、死んでゆくことなどが彼の思いではない!!

ところでここからは笑い話なのだが、
中国の西北部、香港からむっちゃ遠いところで生まれ育ったヤオヤオ君
初めて来た香港で、着いてすぐにWingさんと飯を食いに行って、そのレストランで流れていたこのデモのニュースにびっくり。

とにかく、ニュースの詳しい内容よりも、こんなニュースが「報道されている」ことにびっくりなのだ・・・

もちろん中国ではこんな風には報道されない。
「暴徒」やもんなぁ・・・

駅前で街宣活動をやっている法輪功を見て目を丸くする。

もちろん中国ではご法度、即逮捕である。
巻き添えを食うと困るのでこんなの見たら逃げ惑うであろう、ヤオヤオ君も腰が引けている(笑)

もちろん誰にでも見れるWeChatのモーメンツには上げないが、
布衣のメンバーしか見れないグループに法輪功の写真をアップしたら、
「すぐ消してくれ!!見つかったらこのグループが消されちゃうよ」
とひとりのメンバー・・・

無理もない、このグループの誰かが法輪功に関係しているとかなろうもんなら、
この全ての人間にどんな迷惑がかかるかわからないのだ。

それが中国・・・

ちなみに「消してくれ」と書いたメンバーは、以前私に
「共産党なんか大っ嫌いだ。好きなヤツなんかいるのかよ」
と小声で言った人間。

いくら大っ嫌いでもそれを大声では言えない。
また、周りの人間が大声で言ってたら「やめてくれ」と言わざるを得ない。

それが中国人・・・

天安門事件の後に生まれて、
中国共産党に大切に育てられた新人類のヤオヤオ君、
せっかく初めて香港来たのにずーっとホテルにいるので、
「ちょっと外にでも行って来いよ。地下鉄乗ったらデモやってるとこにも行けるよ」
と言ったら、
「ブルブルブル、そんなところ恐ろしくて行けませんよ。僕は大陸の人間なんですからね、行ったらもう帰って来れません((((;゚Д゚)))))))」

遠巻きに見てて逮捕はされんて!!(笑)
・・・でもまあ気持ちはわかる!!

万が一このヤオヤオ君のような人が間違って逮捕された場合、それを無条件で中国に引き渡すのではなく、ちゃんと司法として分立した香港で裁判を受けさせるべきだ、とこのデモ隊は主張しとるわけね。

まあ政府が許可した内容のデモしか出来ない中国と違って、自由にデモが出来て自由に報道出来るだけ香港はまだマシか・・・

しかし今回、香港の地下鉄駅の切符売り場が大混雑であったらしい。
普段ならSUICAのようなプリペイドカードで入場する若者たちも、
記録が残って政府(というより中国共産党?)に調べられないようにみんな切符を買ったからだと言う・・・

香港がどんどん中国に飲み込まれている・・・


さてここからが「オチ」の笑い話なのだが、
布衣でギターを弾いている小畑秀光、
私がツアー中に「ダライ・ラマ」の本を読んでたら、彼がそれを見てこう言った。

「あ、この人、むっちゃ悪い人間らしいですよね」

???

・・・ツアー中いつも彼と一緒にいるヤオヤオ君の顔を思い出した。

まあ、中国政府にとってはダライ・ラマは許しがたい極悪人かも知れんけどな・・・(笑)
みんな、外の世界を見よう!!色んな情報を見聞きして、それで色んなことを自分で判断しようよ!!


シメとして・・・

この運動をやってる人たちは
「海外の人に多くこれを伝えたい」
と言う。

自分たちは「歴史を作ってるんだ」と・・・

中国は海南島を次の香港にしようと計画している。
環境保全も考えて島にはもうガソリン車も持ち込めない。
全て電気自動車である。

観光と貿易に力を入れて、
完全に中国政府の管理の元での自由貿易港・・・

それが成功して「新しい香港」が出来たとしたら、もう今の香港など要らなくなってしまったとしたら、一体中国は今の香港をどうしてしまうだろう・・・

将来香港がどうなってしまっても、
それに反対を唱えたたくさんの香港人がいたことを「歴史」として刻みたいと言うなら、
私も「監視対象」であろうが(笑)、私なりに面白おかしく書いたこの文章に込めて、今の香港のことを「記録」としてこのブログに残しておきたいと思う・・・


ps。今しがた入ったニュースで、香港が逃亡犯条例の施行延期を決めたという情報もある。

政府高層深夜急召會議 林鄭料今宣布暫緩修例

まだまだどう決着がつくかわからないこの動き・・・
本当に死人が出るような事態だけにはなって欲しくないと心から願うぞ・・・

Posted by ファンキー末吉 at:12:38 | 固定リンク

2019年6月 5日

桃源郷の村人たちの暮らし

ひょんなことからやって来たこの桃源郷・・・

夜になると村人たちがやって来て磯焼きを始めるのだが・・・

見れば村の中のレストランが、その生簀のタライをそのまま持って来てビーチで営業しているようだ・・・

日本なんかでは田舎の漁村は過疎化で年寄りばっかなのだろうが、
ここは見れば若い娘さんが多い・・・しかも美女ばっか!(◎_◎;)

見れば「娘さん」ではなく「若奥さん」なのな・・・
子供も一緒に浜辺で手伝ったり遊んだりしている・・・

海の子はやっぱ元気がいい(笑)

みんな幼馴染なのだ、一緒に遊び、一緒に暮らしてここで一緒に漁などをやる。
そして早いうちに村の娘と結婚して子供を作り、
そしてその子供たちがまたみんな一緒に暮らす・・・

若者は村を出てみんな都会に行ってしまう・・・とかないし!!(◎_◎;)

桃源郷ではないか・・・

鶏も地産地消!!

バックパッカーをやりながら偶然この村を見つけたというこのホテルのオーナー、
この漁村に一目惚れしてこのホテルを作った。

部屋に置いてあった英語のパンフレットにはこんなことを書いていた。

「この村は魚がいっぱい獲れて、村人たちは基本的に豊かです。
でももし村人たちに何かしてあげたいと思うなら、村の学校に寄付してあげて下さい。
村人たちにお金をあげたり、タバコをあげたり、そういうことをしないで下さい。
この素朴な村人たちがそういうことで変わってゆく姿は見たくありません」

排他的なこの村でイギリス人が村人たちに溶け込んでやってゆくのは並大抵の苦労ではあるまい。

「全世界のバックパッカーのためにこの値段で営業してゆきたい。
だから持ち込みとかはしないで下さい。出来ればホテルのレストランに少しでもお金を落として頂ければ幸いです。
同様に村人たちから正当な値段で新鮮な魚を買って食べてあげて下さい」

それでもゴミの問題とか色々ある。
村人たちはゴミとかには無頓着で、見ればバックパッカー達が浜辺のゴミを拾ったりしている・・・

見ればこのホテルの裏に、この村には似つかわしくない大きなビルが建設されている・・・

「ここでホテルをやれば儲かる」と思ったらここに投資して大きなホテルを建てる・・・それは「商売」として見たら正しいことかも知れない。

でも・・・

この村には水道が来てないようで、水は村の共同井戸から各家庭にポンプで汲み上げているようだ。

巨大なホテルが出来たら、こんな井戸なんか一発で枯渇せんか?・・・

排水だって海に流されているのだ。
このまま進めばこの綺麗な海だっていつかはもう・・・

ちょっと前に読んだこの記事を思い出した。

シアヌークビルのコーロングサンローム島に中国様がカジノホテルを開業。下水をそのまま垂れ流し、付近のビーチはあっという間にゴミや人民の糞尿で汚染されまくり、美しい海終了

私が去年行った素晴らしい島である。

この海がもう「終了」したなんて本当に悲しいことである。

透き通ったエメラルドグリーンはええけど何このどこまでも遠浅な海!(◎_◎;) - Spherical Image - RICOH THETA

同じくこの桃源郷も何年か後にはもう終了?・・・

「発展するな」など誰もそんなことを言う権利はない。
お金儲けしたい人がお金を投資してここで大儲けする、
そして観光資源が枯渇して、村はもう昔の村ではなくなる・・・

若者は村を捨てて都会に出てゆき、
日本の過疎化の村のように老人だけ住む過疎になる・・・

あの頃はよかった・・・昔の北京を懐かしんでそんなことを言うと、
「何だって?俺たちに豊かになるなとそう言いたいのか?」
と怒られる・・・

「どうしようもないんだよ、外国から来た俺たちには出来ることなんてない」
イギリス人オーナーが悲しそうにそう言う・・・

次にいつ来れるかわからないけど、
次来た時も村人達や子供達が、こんなに元気で走り回る村であって欲しいな・・・

桃源郷は、遠くにありて思ふもの・・・

Posted by ファンキー末吉 at:11:32 | 固定リンク

2019年6月 3日

ボーカルレコーディング@くっくま孤児院

くっくま孤児院に古いMacBook Airとインターフェイスやマイクなども置いて来て、バンドのメンバーが自分たちでボーカルレコーディングが出来るようにしている。

エンジニアはキーボードのティアルッ君。
キーボードプレイヤーの仕事というのは今やパソコンを使える人というご時世なので、「覚えておいて損はないよ」とばかり彼に色々と基本的なことを教えておいた。

「自分たちで録音してデータを送ってね」
ということで最初にデータが送られて来たのだが、
まあ最初なので仕方がないが色々不備があるのでまた指示をして送り返す。

これを数度やり取りしていると、ティアルッ君のスキルがどんどん上がり、歌録りの音質自体は今やもう何も問題がない。

ボーカルのスレイクォイのレベルも元々高いのではあるが、
ここにひとつの欠点を発見!!

まあここのみんなは音楽教育を受けたことがないので当然なのだが、
ソルフェージュ能力」というか、
新しく与えたメロディーを把握する能力とか、一度間違って覚えてしまったら直せないところがあるようだ。

それだったらというわけでタイでボイストレーナーをやっているMIMIさんに声をかけてカンボジアまで来てもらった。

まずは発声法!!

これ歌の基本だそうで、「お腹から声を出す」!!
せっかくなのでバンドのメンバーや他の子供たちにもみんなに指導してもらいました。

そしていわゆる「ソルフェージュ」の基本!!
音を聞いてそれが何の音かがわかるようにする訓練をゲーム形式でやってみました。

ずっと昔に「笑っていいとも」のゲームコーナーで、お笑い相手に同じようなゲームをやっていて、ゲストの森口博子は全部一瞬で答えるのに、お笑いの人たちは「何でわかるの??!」とびっくり。
森口博子が逆に「何でわかんないの??!」とびっくり!!(笑)

確か小学校の音楽の聴音のテストでも同じようなのがあったのを覚えているが、
私は小さい頃ピアノをやってたせいか労せずして全部わかったが、
同級生が全くわからないのを不思議に思ったことを覚えている。

「才能」でも何でもない。
要は訓練!!平ったく言えば「慣れ」である。

コツがあって、「これはドの音です」の時に、頭の中に「ドレミファソラシド」を思い浮かべて、出題された音がその頭の中で鳴っている音のどれに当たるかを考えればそれで良い。

もし鍵盤を弾きながら「これかな」とか探してゆけば誰にでも出来ることで、
「要は頭の中で鍵盤を弾く」みたいなもんで、
これが出来ればメロディーを覚えるのも楽だし、
メロディーが違っていいれば頭の中で瞬時に違っていることを認識出来る。

初日はとりあえずここまで。

次の日はMIMI先生はボーカルのスレイクォイの個人レッスン。

私はヒマなので(笑)ドラムのダビッにドラムのいい練習方法を伝授した。

この練習はリズムのウラ拍を意識する為に非常に有効な方法で、
メトロノームを表で聞くと、どうしてもそれに合わせてリズムを「置いて」ゆくようになってしまうが、ウラで聞くとこちらがずれると容赦無く置いてかれるので非常にシビアなリズム練習となる。

いや初めてでこの速度でやれるようになるっつうのはなかなか大したもん!!

さてやるだけやったら最後に大目的のボーカルレコーディング!!

エンジニアのティアルッ君は私の知らないショートカットキーとかも駆使しながらなかなかのもの。

この曲のBメロの一部分、ボーカルラインを間違えて覚えているのでそれをやり直しているうちにトラブル発生!!

何度かやり直してるうちに、突然ボーカルのスレイクォイから何の反応もなくなったと思ったら・・・泣いているのだ!(◎_◎;)

よほど悔しかったのだろう。
泣いていることすら知られたくないという感じで両手で顔を押さえて泣いていた・・・(写真自粛)

水を打ったように沈黙が広がる・・・

私はメンバーの様子をまず観察した。
3人のメンバーは誰も言葉を発しない。

一緒にこの孤児院で暮らして来た「家族」である。
誰よりもスレイクォイのことを知ってるのだろう。
「こんな時こいつは何も言わずにほっとくのが一番なんだ」
と言わんばかりに「無言の暖かさ」で彼女を包み込んでいる・・・

5分だろうか10分だろうか・・・
かなり長い沈黙を破って彼女が口を開いた。

「大丈夫です。歌います!!」

彼女は逃げることなく、甘えることなく、自分で乗り越えた!!
これだからレコーディングをやると格段にレベルがアップする。
この修羅場を乗り越えた者だけが「次」に行けるのである。

かく言う私も爆風スランプの1枚目のアルバムをレコーディングする時に、
叩けなくてこっそりトイレに行って泣いた・・・

当時はアナログレコーディングなので、ドラムのパンチインパンチアウトなどがまだ出来なかったので尚更である。
ドラムが間違えたら全員最初からやり直し。
最初から最後まで間違えずに叩けて、そのレベルが自分や他が納得するものであって初めて他の楽器の録音が出来るのである。

今やもうデジタルの時代になって、ドラムであろうがどんなに細かいパンチインパンチアウトが出来るようになっても、この「経験」によって今の私がある。
「これぐらいパンチインパンチアウトなしで最初っから最後まで叩ける」
という「自信」が今の中国でのステジオミュージシャンの仕事をする上での何よりの「ルーツ」となっているのである。

人生においても、今後どんな困難があっても、
逃げることなく、甘えることなく、こうやって全て自分の力で乗り越えていって欲しい・・・

見ればMIMIさんが隣で涙目になっている(笑)

このまま録音して全て終了!!・・・と思ったら、
歌いすぎてスレイクォイの声が枯れて来ているので翌日に持ち越し!!

翌日も声は回復してなかったので、
前日のボイストレーニングで一番声が変わったベースのスレイレアッにコーラスを歌ってもらう。

そのレコーディング風景を見ているスレイクォイにも、
自分が歌っている時と違った目線でレコーディングを見ることが出来る。

「ああこういうことなのか・・・」
ということがわかったんじゃないかな・・・

頑張れみんな!!

こうやって自分の力で乗り越えてゆくことを、おじさんは「ロック」と呼んでいるんだよ。
こうやって自分の人生も「ロックの精神」で乗り越えていって欲しい・・・

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Posted by ファンキー末吉 at:13:17 | 固定リンク

カンボジア希望の星プロジェクトまとめ

<<くっくまバンドとの出会い>>

2018年8月、私は中国での仕事を終え、少しだけ空いた時間をどう過ごそうかと考えていた。

日本に一時帰国してもよかったのだが、往々にして日本行きのチケットは高い。
だが東南アジアなら往復3万円ぐらいでゲット出来る。

別にどの国でもよかったが、その時に一番安いチケットがプノンペンだったので、こうして2度目のカンボジア行きが「偶然」決まったのである。

プノンペンに着いて、別に何の予定があるわけではない。
前回来た時に立ち寄ったライブハウスに行ったり、
また、「デスメタルバンドがある」という噂を聞いたので情報を探したりしていた。

その時のブログ記事:希望の星になれ!!

カンボジアのデスメタルバンドには少々興味があった。
最初にカンボジアに来た時ポルポトの大虐殺に関する遺跡を見て、この国で生まれた「ロック」というのはどんなロックなんだろうと漠然と考えていたからである。

結局デスメタルバンドを見ることはなく、私のSNS投稿を見た人が紹介してくれたくっくま孤児院に足を運んだ。


この孤児院は、もともと「ソバン先生」という、この方も孤児だった人が、自分たちで孤児を引き取って、自分たちのお金で孤児たちにご飯を食べさせて、学校に通わせていたのが前身である。

当然ながら資金には限界があり、運営が行き詰まった時に日本人スタッフと出会い、日本からの援助を受けて今の形になったのだという。

ソバン先生の素晴らしいところは、子供たちにカンボジア伝統舞踊とかの「芸能」を教え込んだところである。
実際、この孤児院の子供たちは、みんなで伝統舞踊を踊ったりして少しでも孤児院の運営費を稼いだりしている。

その流れの中に「バンド」があった!!

この子たちの演奏を聞いて私はぶったまげた。

音楽などを「仕事」にしていると、私の場合は普段、音楽を聞いて「楽しみ」にするということはない。
全て「仕事」になってしまうのだ。

楽曲を聞くと、その作り方、メロディーに対するコードの当て方とかアレンジとか、
そんなものを常に分析してしまって「疲れる」ので普段の生活では全く音楽などは聞かない。

ところが時々、そんな「仕事脳」というのをぶっ飛ばされる音楽に出会うことがあり、
この子たちの演奏がまさにそれであった。

この奇妙奇天烈なシンセフレーズ、
タイのルークトゥンを彷彿させる楽しいリズム、
元々はカンボジアの古い歌謡曲らしいのだが、
そのメロディーの作り方など、おおよそ日本人には全く発想にないこの音楽に「仕事脳」はノックアウトされてしまったのである。

ブログ記事:カンボジアRock!(◎_◎

これこそが「縁」、こうして私はくっくま孤児院のこのバンド「くっくまバンド」と出会ったのである・・・


<<希望の星になれ!!>>

この動画をSNSにアップした時に、それを見た人は多かれ少なかれ、この孤児院にこれだけの機材が揃っていることにびっくりしたようである。

これも日本からの支援なのであるが、
「他に支援が受けられない貧しい孤児院もいっぱいあるのに・・・」
という意見が出て来る前に、私はこう宣言した。

私はこの子達から演奏機材を取り上げて別の孤児院に回せばいいのではなどとは考えない!!
私が出会ったのはこの孤児院だったわけだから、まずこの孤児院に「音楽」を支援する!!

そして私はこの日、こう心に誓った。
「俺がこの子達をカンボジアで一番の大スターにする!!」

そしたらこの子達は下の子達を食わせていけるというだけではない。
この子達がカンボジアの全ての孤児達の「希望」になる!!

何の才能も環境もない孤児が、頑張ってこんなに成功したんだ!!俺だって!!私だって!!
そう思ってさえくれれば、もう泥棒や売春なんかやらなくたっていい!!

「孤児がのし上がるにはもうなにも犯罪を犯すだけが選択肢じゃないんだよ」
そんな世の中になったとすればそれこそ「大成功」ではないか!!

人を助けるには「力」が要る。
でももしこの子達がそんな大きな「力」を手に入れたとしたら、
この子たちはきっとそんな恵まれない孤児のためにその「力」を使うだろう。

絵空事を言ってるのではない。
この子達には「何か」そんな「力」があるように思えて仕方がないのだ。

考えてみれば、カンボジアの孤児達であるこの子達こそが直接的な「ポルポトの被害者」ではないか!!

だからこそ思うのだ。
この子たちの笑顔こそが「ロック」なんだ!!と・・・

老い先短いこの私が生きてる間にどれだけのことが出来るかわからんが、
たとえ私がいなくなっても、
たとえこの年長組の子達が就職したり結婚したり、バンドが出来なくなっても、
その下の子達がその「夢」を引き継いでゆけばそれでいい。

そしていつかこの国の「希望の星」になってくれればいい。
いつまでも「笑顔」で頑張って欲しい・・・


<<その後の活動>>

私は別のプロジェクトとして「ある愛の唄プロジェクト」というのをやっている。

まずはこの子たちにこのアルバムのクメール語(カンボジアの言語)バージョンを録音してもらおうと思い立った。

ブログ記事:クメール語バージョン制作開始!!

翻訳作業に入った子供たちがメッセージを送って来てくれた。

ブログ記事:支援は人のためにあらず


それから私はまた一度カンボジアに渡った。
この子たちはそれに合わせて一生懸命辞書を引きながら訳詞を考えてくれたようだ。

最初に取り掛かってもらったのが、アルバムの最後を飾る「ある愛の唄」という曲。
でもクメール語で歌ってもらった感覚としてはあまりいい感触ではなかった。

もちろん私自身はクメール語が全くわからないが、
なんとなく「乗っていない」というか、語呂が悪く聞こえたのだ。

そもそもはこの曲は長く一緒に暮らした伴侶の死に対して歌う歌である。
その内容が子供であるこの子たちにちゃんと理解出来ているかどうかにも疑問が残る・・・

そこでちょっと目先を変えて、アルバムの中の「中国のマドンナ」という曲をその場で内容を伝えてクメール語の詞として考えてもらった。

ブログ記事:クメール語版「中国のマドンナ」

ちなみにこのやり取りは日本語で行う。
この孤児院の子たちは日本の支援で大きくなったので、みんな片言の日本語を喋るのだ。

こうして2日がかりで出来上がったのがこのテイク!!

この歌声を聞いて、私は思わず涙が出て来た。
もちろんクメール語は全く理解してないのだが、何やら心の底から伝わって来るものがあるのだ。

私はこの動画にクメール語の歌詞とその意訳を載せようと思って、パソコンでクメール語の歌詞を打ってもらった。

ところがそれをGoogle翻訳にかけてみて発覚したのだ。
歌詞の内容が全然違う!!!(◎_◎;)

私はこの孤児院のお母さまである美和さんに連絡を取って、
一体どうなっているのかを調べてもらった。

全く違う文章が送られて来たのかも知れないし、
実際Google翻訳がバカだっただけなのかも知れない。

返事が来るまで私はひとり勝手な想像を巡らせた。

歌詞を書いているのはボーカルのスレイクォイ。
今回わかったことは、彼女は自分で作詞が出来る。

詞を書く時の非常に前向きな気持ちもひしひしと伝わって来る・・・

ひょっとして彼女には「書きたい詞」があって、私の説明を無視して勝手にその「書きたい詞」を書いたのではなかろうか・・・

これが私の頭をよぎった「想像」である。

こう考えると、2日目に2番の内容を説明して書き始めた時の、何やら「引いた」感じの態度に思い当たる節がある・・・

数日して美和お母さまが本人と話したと言って連絡をくれたのだが、
「日本語がそんなに完璧にわからないので、大元のとちょっと内容がずれたところがあるかも知れない」
ということであった。

でも私は自分の「想像」通りであったらいいなと逆に思う。

この子はこのメロディーを聞いて浮かんだ、「どうしても表現したい」ことがあった・・・
それはこの日本から来た「先生」の意見を無視してもどうしても書きたかった・・・

それは全然悪いことでも何でもない。
表現者としてそれほど強いものを持ってるということは非常に大切なこと。

そう考えると、クメール語もわからない私がこんなに強くこの歌に惹きつけられるのも頷ける。
この子はそうまでして「表現したいこと」があったのだ・・・

真相はどうなのかはわからない。
でもどちらかと言うと、私はそうであってくれた方が嬉しいかな(笑)

ひょっとしたらこの子はそれほど「強いもの」を持っている。
だからひょっとしたら本当にこの子はカンボジア一番の大スターになるかも知れない・・・

しばらくは勝手にそのように思い込んでおくことにした・・・


<<オリジナル曲作り>>

作詞が出来るとすると、制作方法は大きく変わってゆく。

私はもう既に日本で200曲を越える楽曲を作って発表しているので、
その中から彼女たちに好きな楽曲を選んでもらえれば「バンドのオリジナル曲」などすぐに出来てしまう。

とりあえず権利が自分だけにある自由に使用できる曲を100曲ほど置いて帰ったのだが、
この子たちがまず最初に選んだのはこの曲!!

元々中国のアイドル歌手に書いた「红舞鞋(HongWuXie)」という曲なのだが、
美和お母さまの話によると、この曲を再生した途端に「ワオー」とみんな飛び上がったらしい。

それならばということで、この曲に詞をつけてもらった。

ブログ記事:くっくまバンド新曲

これは最初のリハーサル風景・・・この後、この曲がどんどん進化してゆく・・・

2019年6月9日のリハーサル

2019年6月9日のライブ

そして2019年6月18日のライブ


<<仲違い>>

2019年6月9日にプノンペンで小さなライブを計画していたのでカンボジアに向かおうとしてた時、美和お母さまからメールが・・・

「メンバーが今仲違いして関係が険悪なんです・・・」

小さい頃から歌手になるのが夢であったスレイクォイ。
そして今ではプロの音楽家になりたいと思っているそれぞれのメンバーだが、
意識の点でも、「楽器演奏」という点でもボーカルと差が出て来てしまう。

歌を歌うという「楽器演奏」は小さな頃からやれるから経験値が高くなるが、
バンドメンバーはそれぞれの楽器演奏を小さい頃からやってる人などいないわけだからそれも当然である。

バンドあるある(笑)・・・

要はそのボーカリストがそのメンバーとずっと一緒にやりたいと思うか、
もしくはバンドメンバーを切り捨ててひとりでやっていきたいと思うかである。

美和お母さまがひとりひとりに考えを聞いて間に立つ。

でも初ライブに向けて練習しているうちにだんだんと雪解けを感じて来た。

ブログ記事:くっくまバンド初ライブ

考えてみればこの子たちは一緒にこの孤児院で育った「兄弟姉妹」のようなものである。
言わば「兄弟喧嘩」・・・

私が見るに、この子たちはむしろ「自分だけは」という考えは持ってないと思う。
一緒に育ったみんなと共に上を目指そう!!・・・そう思っていると思う。

力を合わせて頑張るのだ!!きっと君たちの夢は叶う!!


<<DTM>>

ボーカルのスレイクォイだけでなく、
今はバンドのメンバー全員が「プロになりたい」という夢を持っている。

ドラムのダビッはまあ私がドラマーなので教えることは多いとして、
ベースのスレイレアッも、まあ私が教えられることは何でも教えてゆこう。

だが困ったのはキーボードである。

「キーボード」という楽器はみんな小さい頃からピアノを習ってた人が担当する場合が多いが、
メンバーの中で一番年上のティアルは、孤児なのだから当然音楽教育など受けたことがない。

プレイヤーとしては大きくスタートラインから遅れているのである。

ブログ記事:キーボードという「楽器」

ところが昨今、ピアノも全然弾けないのにアレンジャーとして活躍しているミュージシャンは多い(私もそのうちのひとり)。

そのためにはコンピューターで音楽を打ち込む方法、DTM(デスクトップミュージック)」を習得することが必須となる。

くっくまのみんなのパソコンにはどっかから無料のDTMソフトをダウンロードしているようだ。

ティアルッはそれを私に見せて
「これどうやって使うんですか?」
と聞くが・・・

いや、ワシにもわからんし・・・(>_<)

自分だけの特殊な環境で慣れてしまうと、
他の人からのアドバイスは受けられなくなるし、
何より将来他のプラットフォームでの互換性がなくなるので、
ここはとりあえず私が使っている「Logic」というソフトを余っているMacにインストールして持って行った。

ティアルッよりソバン先生の方が興味を示している・・・(笑)

最初はMIDIでのキーボード録音のみ教えて、
何か曲が出来たら送ってもらったり、
こちらからLogicファイルを送ってそれを見て色々研究したり・・・

さらには2019年6月の渡航の時に、マイクとインターフェイスも持って行って、ボーカルをレコーディング出来るようにしておいた。

もちろんエンジニアはキーボードのティアルッをご指名である。

今後は毎月私が楽曲のオケを送って、それに詞をつけてボーカルトラックを送り返してもらう作業をする。

これは私の「業務」としてやってもらう。
何故なら最近中国で私の楽曲を購入したいという話が多いのだが、
私自身が歌っているDEMOだと「いい曲も悪く聞こえる」そうで(笑)、
彼女の声でちゃんとしたDEMOを録音してくれるとありがたい。

この「仕事」をやってもらいながら、
その中でバンドが気に入った曲があればそれを練習してもらうだけで「レパートリー」がどんどん増えてゆくという寸法である。

2020年10月には最上級生のティアルッが高校を卒業する。
それまでに何とか「音楽で食ってゆく」という足がかりが出来ていればなあと思う。


<<結婚式での演奏>>

カンボジアでは結婚式が盛大に行われる。
踊りや歌など、それこそ4時間5時間ぶっ通しで行われる。

この子たちは時々そういうところに呼ばれて伝統舞踊を踊ったりする。
そこでこの「バンドバージョン」の存在に重きが置かれて来るのだ。

日本のアマチュアバンドは本当に「出口がないなぁ」と思う。

毎回ライブハウスに決して安くない「ノルマ」を払って、
自分たちが呼んだお客さんの中だけで延々演奏し続けて、
一体「出口」はどこにあるのだろう・・・

私はカンボジアのこの結婚式の状況を聞いた時に、
カンボジアならではのバンドの「出口」があるのではと思った。

大きな結婚式では歌手や生バンドを呼ぶと言うが、
それはあくまで有名なカンボジアの曲を歌ってもらうための「コピーバンド」の仕事である。

日本でも同様に酒場などでの「箱バン」という仕事があるが、
その仕事の中には自分たちのオリジナル曲を演奏するチャンスはない。

しかしカンボジアでは4時間も5時間も演奏し続けるのだから、
中に何曲オリジナル曲を演奏しようが咎められることはない。

これを私は大きな「出口」だと感じた。

くっくまバンドは来たる乾季の結婚式シーズンに向けてカンボジアの有名曲のレパートリーを増やすために一生懸命練習している。

その中で歌えるオリジナル曲を増やしてゆきたい。

人前で演奏するということは大きな「経験」になる。
客の反応を見て演奏や歌い方、詞もひょっとしたら変えた方がよいかもとか色々試行錯誤することが出来る。

そうして「完成」されたオリジナル楽曲をCDに焼いて、
出来たらその結婚式で売ってゆけばよい。

将来カンボジア一番の大スターになって多額の金を稼ぐようになったとしても、
その始まりはいつもそんな数ドルの小さなものであるから・・・

だから私と一緒にやった2回のライブでは、
この子たちがその練習風景を録画したDVDを1ドルで売ることにした。

毎回ライブの度に何かを売ってゆこう。
今はそれが1ドルでも、将来それがもっともっと大きなお金で売れるものになってゆくはずである。

頑張れくっくまバンド!!カンボジアの希望の星になるのだ!!

<<その後>>

ボーカル録音開始!!
2019年9月14日のライブ
涙のボーカルレコーディング

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Posted by ファンキー末吉 at:12:14 | 固定リンク

ベトナム旅日記(クイニョン)

マグロの街トゥイホアからはバスで北上することにした。
取りあえず次の大きな街と言えばクイニョン〜

ホテルのフロントで聞いたバスターミナル!!

長距離バスで、何と寝台バス!!(◎_◎;)

大人が何人も寝転がって行ける・・・日本はどうしてこれを導入しないのか・・・

ネットで色々調べてたのだが、
何やらクイニョンの郊外にとてもいい手付かずのビーチリゾートがあるらしい・・・

夢のビーチリゾート ベトナムのクイニョンなら格安で贅沢! - Tabit Info

まあ急ぐ旅ではないのでここに行ってみることにした。
Googleマップを見ながら近くに来たら運転手さんに言って降ろしてもらう。

村の入り口にはこんな看板・・・

高知の池の浦のような小さな漁村・・・

浜辺まで降りてゆくとそこに噂のこのホテル「Life's a beach」がある。

門をくぐって中に入ってみたら驚いた!!

プライベートビーチ?!

なにこれ?!!天国かっ!!(◎_◎;)

さっそくピニャコラーダを頼んでみる・・・

ビーチはもうプライベートビーチ状態・・・

桃源郷にいます・・・ - Spherical Image - RICOH THETA

もうね、ここは桃源郷?・・・

このホテル、近所に「Life's a beach apartment」っつう「離れ」もあり、2kg南には「Life's a beach backpacker」っつうのもある。
最安値一泊6ドル!(◎_◎;)

これはもうここに泊まるしかないでしょ!!

夕方になると漁民が浜辺に出て来て磯焼きを始める・・・

磯焼き!! - Spherical Image - RICOH THETA

みりん干し(笑)があったので焼いてもらって取りあえずビール!!

これだけだと熱海と何も変わりがないので(笑)、
得体の知れないせんべいみたいのんを焼いてたので頼んでみる・・・

これがまたビールに合うのよ・・・(涙)

シーフードは今日はウニを選んでみる・・・
そのまま焼いてワサビと醤油で食えばいいものを、
何やらベトナム風の味付け・・・

美味い!!(涙)
もうね、ウニがフランス料理になるのね?(フランス料理食べたことないけど)・・・

もうこれで旅も終わり!!
何故ならもうこれ以上彷徨ってもここよりいい場所には出会えないでしょう!!

ビザが出来上がるまでここで余生を過ごすことにします〜

Posted by ファンキー末吉 at:10:27 | 固定リンク

2019年5月14日

布衣2019年春のツアーを振り返って

今回のツアータイトルは「一甲子」。

これは十干(じっかん)という「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸」の10個の並びと、
十二支(じゅうにし)の「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」のそれぞれの最初「甲」と「子」の組み合わせは60年に一回であるということから、「Funky60歳記念ツアー!!」という意味合いがある(らしい)・・・

オフィシャルサイトからの回顧レポートによると、


《一甲子》巡演首轮36站半程回顾记,
(ツアーの最初の半分、36箇所を振り返るよ)

24载布衣,60甲子鼓魂,
(結成24周年の布衣、60歳のドラムスピリッツ)

50/70/80/90后,
(50年代生まれ、70年代生まれ、80年代生まれ、90年代生まれ)

9人布队,4万公里摇滚取经路,走着
(9人のメンバーが4万キロのロックの道を行くよ)


・・・4万キロ!(◎_◎;)・・・って地球一周??・・・
・・・って実はこれは秋のツアーと合わせての走行距離で、春の36箇所ではだいたい半周だとか・・・それでも凄いのう・・・

布衣は現在では中国のバンドの中で一番多くツアーを廻っているバンドらしい。

動員数ではまだまだこれを上回るバンドはあるが、
そんなバンドはもうこんなに細かくツアーを回らない。
大きな会場ばかりをピックアップして、必然的に本数は減ってゆく・・・

LaoWuと最初に出会った頃から、飲めば
「バンドはなぁ、ライブやで!!ツアーやで!!」
と言ってた私の影響をモロに受けていると言えよう(笑)

今では大ロックスターとなっている、友人の謝天笑が、LaoWuにこうアドバイスしてたのを聞いたことがある。

「ライブハウスもなぁ、選ばなきゃダメだよ。
アンダーグラウンドなとこに出演してたらいつまで経ってもアンダーグラウンド。
バンドが大きくなったらそれにつれて大きなところでやって箔を付けなきゃ」

いわゆる自らを「ブランド」にしていって大きくなってゆく手法だが、
LaoWuはそれを一喝してそれからもアンダーグラウンドな小屋を回り続けている。

「あんな田舎街のライブハウスなんてちゃんと演奏出来るの?」
という街に行って演奏して、
「布衣がライブやったらしいぜ」
ということで他のバンドも「じゃあやってみるか」になる。

つまりは「先駆者」である。

想像だが、小さな街のオーナーからしてみたら、
メシ奢るから、ホテル代ぐらい出してやるからというわけかも知れない。

ブッキングはまことに巧妙で、
そういう小さな街は平日にブッキング、
週末は動員力が見込める大きな街をうまくブッキングしている。

3月15日(金)広東省珠海
3月16日(土)広東省広州
3月17日(日)広東省深圳
3月18-19日:移動日、現地オフ
3月20日(水)広東省东莞

(ブログ記「布衣2019年春のツアー広東省」)
エピソード:ここでライブ前に広東メシ満腹食って終演後に吐く(>_<)
それ以降ライブ前には食わない!!

ライブ終了後にそのまま空港へ三亜まで飛ぶのではなく海口まで飛んで列車移動

3月22日(金)海南省三亚(飛行機移動)
3月23日(土)海南省海口

(ブログ記事「布衣2019年春のツアー海南省」)

3月24日(日)福建省福州(飛行機移動)
3月25-26日:移動日、現地オフ(私はビザの申請のために北京にとんぼ返り)
3月27日(水)福建省厦门

(ブログ記事:「布衣2019年春のツアー福建省」)

3月28日:移動日
3月29日(金) 江西省赣州
3月30日(土)江西省南昌

(ブログ記事「布衣2019年春のツアー江西省」)

3月31日(日)浙江省温州
4月1日:移動日
4月2日(火)安徽省黄山

(ブログ記事「布衣2019年春のツアー浙江省と安徽省黄山」)

4月3日:移動日
4月4日(木)浙江省杭州(ブログ記事はこの中に)
4月5日(金)上海

(ブログ記事「布衣2019年春のツアー上海」)

4月6日(土)江蘇省无锡
4月7日(日)江蘇省苏州

(ブログ記事「布衣2019年春のツアー江蘇省」)

4月8日:移動日

4月9日(火)安徽省銅陵
4月10日(水)安徽省芜湖
4月11日:移動日(私はビザの申請のために北京にとんぼ返り)
4月12日(金)安徽省安庆
4月13日(土)安徽省合肥
4月14日(日)安徽省六安
4月15-16日:移動日、現地オフ
4月17日 安徽省淮南

(ブログ記事「布衣2019年春のツアー安徽省」)

4月18日:移動日
4月19日(金)河南省开封
4月20日(土)河南省新乡
4月21日(日)河南省安阳

(ブログ記事「布衣2019年春のツアー河南省」)

4月22-23日:移動日、現地オフ
4月24日(水)山东省临沂
4月25日:移動日(私はビザの申請のために北京にとんぼ返り)
4月26日(金)山东省青岛
4月27日(土)山东省济南
4月28日(日)山东省淄博

(ブログ記事「布衣2019年春のツアー山東省」)

4月29-5月2日:移動日、現地オフ
5月3日(金)黑龙江省哈尔滨

(ブログ記事「布衣2019年春のツアー黒竜江省ハルビン」)

5月4日(土)辽宁省沈阳
5月5日 吉林 长春

(ブログ記事「布衣2019年春のツアー遼寧省「瀋陽」と吉林省「長春」」)

5月6-7日:移動日、現地オフ
5月8日(水)河北省沧州

(ブログ記事「布衣2019年春のツアー河北省「沧州」」)

5月7日:移動日
5月10日(金)河南省郑州
5月11日(土)天津
5月12日(日)辽宁省大连

(ブログ記事「布衣2019年春のツアー河南省「鄭州」、天津、遼寧省「大連」」)


いや〜非常にうまく組まれている・・・
飛行機移動は海南島に渡る2本だけで、あとは全部列車移動!!

ちなみに海南島には橋とかトンネルで大陸と繋がってるわけではなく、
列車移動だとそのまま列車がフェリーに積み込まれて渡るらしい!(◎_◎;)

乗ってみたいのう・・・
(と言ったらアホかと言われた(笑)列車に缶詰で蒸し暑いらしい)


さてこのように上手いことツアーを組んでるので、9人の大所帯で廻っても何とか赤字にならずに廻れているのであろう。

中国のツアーと日本のツアーの相違点!!

中国の不利な部分、それはチケット代が圧倒的に安いこと(>_<)
日本だと5千円や6千円もザラだが、中国では200元(3千円ほど)もしたら学生にはもう手が出ないだろう・・・

布衣のチケット代は100元(1500円)前後。
この収入だけで全ての経費を賄い、
政府への楽曲の申請(なんと有料!(◎_◎;))や、Webでの宣伝費なども支払わねばならない・・・

でも中国のよいところは、交通費が圧倒的に安い!!

高速鉄道はだいたい1分乗ってる距離だと1元ぐらいの目処だと言われているが、
東京大阪が2時間だとすると中国だと120元(2000円)!(◎_◎;)

中国の高速鉄道は時速300km以上出るので厳密に正しくはないが、
1万円以上する日本の新幹線よりは格段と安いことに間違いはなかろう・・・

あとホテル代。
日本は「おひとり様おいくら」という世界でも珍しい料金設定で、
中国や諸外国のように「ひと部屋いくら」ではない。

私は「敬老精神」でひとり部屋を取ってもらってるが、
他のスタッフ、メンバーは全員ツイン部屋。
つまり9人いても部屋数は5部屋ですむ。

そしてホテル代が田舎に行けば絶対的に安い!!
ひと部屋2000円程度のもあった!(◎_◎;)


私的にはホテルが会場のすぐ近くにあるというのは非常に助かる!!

まず移動は、乗り打ちの場合、朝早く出発して昼ごろ着くように乗車券をブッキングしているようだ・・・

着いてメシ!!その後に昼寝!!(笑)

いやいや、この「シエスタ」っつうのが非常に助かるのだよ!!

その後、いつもだいたい3時頃からスタッフが会場入りするのだが、
私はドラムのチューニングがあるので一緒に入る。

4時頃メンバーがやって来て、
サウンドチェックはもう毎日やってる曲だから決まった2曲しかやらん。

5時にはホテルに戻ってまたごろごろ・・・これがいいのよ!!
中国のライブは(ってアメリカもそうで日本が早すぎる)だいたい8時半頃始まるので、
疲れている時とかはまたここで仮眠!!

長い列車移動も、iPadで映画を何本か見てればいいし、
飛行機と違って自由に立ち上がって車内をうろうろ出来る。

何より、飛行機は欠航という恐ろしい罠が待ち構えているので列車移動の方が確実である。

それもこれも中国の高速鉄道網が今ではこんなに網の目のように張り巡らされているから出来ることである。

中国高速鉄道網

春のツアーは南の方から東北の方まで廻ったわけだが、
秋のツアーでは今度は内陸部の西北を廻る・・・

移動距離がハンパないのよね〜地球半周以上するかも〜(笑)

今回の移動Map!!(直線距離で書いてるけど実際は色んな乗り換えで移動した)

BuYiTourMap2019Spring.jpg

日本の大きさと比べたらこんな感じ〜

Posted by ファンキー末吉 at:06:28 | 固定リンク

2019年5月10日

今や中国の著作権ビジネスは日本より進んでいる?!

中国の音楽界の仕組みを知っている日本人は少ないだろうと思うが、
私は30年のこちらでの仕事や付き合いの中で、日本人としては一番よく知っている日本人ミュージシャンであると自負している。

その私が先日はちょっと目からウロコのような状態だったのでその話をブログに書きたいと思う。

中国の進歩の速度は目覚しい。
ちょっと時間が空くとすぐに「浦島太郎」になってしまったりするが、
先日の私がちょっとそんな感じだったのだ・・・


まず基本をおさらいしておこう。

私の本にも書いたが、日本の音楽ビジネスが、
「コンサートツアーを赤字で廻っても、それでアルバムを売って権利商売で利益を得る」
というビジネスモデルで例えられるとすると、中国は全くその「真反対」である!!(あった?)

中国では「音楽は名刺と同じ」、歌手は自分で金を出しても立派な「名刺」を作り、
それが立派であればあるほど自分の「営業ギャラ」が上がるという、
「レコードはプロモーション、コンサートで儲ける」という「真逆」のビジネスモデルである。
(いやこれこそ「あった」というべきか・・・)


ちなみに有名歌手になると一本のギャラが日本円で1千万円を超えると言われていて、
私の知り合いの歌手はそれを年に300本以上こなしていると聞く。

まあそれぐらいの歌手になると、事務所と歌手の取り分は2:8。
日本のように、「アーティストは権利を全部事務所に譲り渡して給料をもらう」というシステムと比べて、歌手がどれだけ金持ちであるかがわかるだろう。

ちなみにその歌手は数年前に東京のベイエリアに高級マンションを買った。
支払いはもちろん「即金」である。


ではどこからそんな高いギャラが捻出出来るのかと言うことを説明しとこう。

まず彼らが出演しているイベントの多くは放送局主催(もしくは協賛等)の歌謡オムニバスイベント。
そこにコンサートの目玉として出演して2曲ほどヒット曲を歌う。

今は禁止になったが、昔は口パクだったりして、
ということは、彼らは自分のレコードに合わせて口パクで10分間笑顔を振りまいているだけで一千万単位のギャラをもらってたわけである。


ではそのギャラはどこから捻出する?

日本と違って、中国には放送局が400以上あって、
放送局主催とかだと、その放映権を当然その放送局が所有する。

全国のテレビ局はいつもソフト不足で、再放送などを繰り返したり・・・
そう、よそのテレビ局から番組を買って流したりしている。

つまり、大金をはたいてイベントをやるという目的のひとつには、
その主催番組を400以上ある他の放送局に売るというのは大きな目的である。

売るためには看板歌手が必要なので、視聴率を取れる有名歌手は必然的に一番高いギャラを貰えるというわけだ。


それだけではない。
イベントなのだから客を集めなければならない。
そのために何万人も集められる動員力の歌手が必要であるというのもある。

何万人も集まって、その映像が400の放送局全部で流れるとすると、
必然的にステージの後ろや至る所にあるところに企業の名前を入れたり、
いわゆる「広告収入」は桁違いに高くなる。

聞くところによると、サッカーというスポーツは中国は弱いのに、
自国が出場していない世界大会とかの「広告」は、今では中国企業ばかりであると言う(笑)。

そういう話を聞くにつれ、この「広告」のシステムが、現在では世界的に機能しているのだと実感する。

当然ながらそのチームが世界大会に出場したとすると、そのチームの広告収入はとてつもなく莫大になる。
これに例えると看板歌手のギャラがどうして高いのかが理解しやすくなるだろう・・・

だから歌手にとって「レコード」など「名刺」と同じ、
その「営業ギャラ」こそが一番大きな収入なので、
「名刺」なんかいくらでもタダで配ってもいいよ・・・

・・・というのが今までの私の認識であった。
(注:その現実は今もなくなったわけではない)


さてここまでは「今は昔」の話・・・
それが今はその「名刺」がお金になるよ、
つまり、中国にはもうちゃんと「著作権ビジネス」があるよというお話・・・

先日、中国の業界人の重鎮で古い友人であるLaoLuanと飲みながら、
前々から感じてた素朴な疑問をぶつけてみたところから話は始まる。

先日私がレコーディングした歌手は、彼の会社の「所属」なのであるが、
「じゃあどこで儲けてんの?」
という話をしたのである。

新人なんだから当然有名歌手のように高いギャラでイベントに呼ばれることもない。
「営業ギャラ」自体がないような存在なのであるから、前述のように「音楽は名刺、コンサートで儲ける」はあり得ない。

それなのに、先日のレコーディングように事務所がお金を出して、私やその他スタジオミュージシャンをブッキング、
またその高級なレコーディングスタジオの料金までを事務所が払っている・・・

「そんなにお金使ってどこで元取ってんの?」
ということである。

「投資だよ。今はまだまだ回収出来ないけど、1曲当たれば全部回収出来る」

!(◎_◎;)・・・それって楽曲の権利?・・・って一体どこから回収すんの?

何せ、往年のカセットテープの時代、
「一応印税はあるんだけどねぇ・・・工場で何本以上製造したら、最初のお金の他に一本いくら支払いますって契約なんだけど・・・その海賊版がその工場自体でプレスされてたりするからどうしようもないんだよ(笑)」
などと言われたりしていた・・・

そしてCDの時代、
「発売日になるとねぇ・・・やっぱ海賊版が気になるんだよ。ひどい時にはどっかからデータが横流しされて正規版より先に海賊版が発売されてたりする(笑)・・・でもねぇ、海賊版が作られてないって状態だったらそれはそれでこのCDは売れないってことでそれも困る(笑)」
などと言われてたりした・・・

そして今はネットの時代!!

ちなみに日本は映像メディアがDVDの時代になっても、VHSだベータ(懐かしい)だのの「ビデオテープ」がそれはそれは長く長く流通していた。
(今もされてる?)

ひょっとしたらそれは国や日本国民がビデオ屋さんとかを守ろうとしているブレーキをかけているのかも知れないが、
中国なんてDVDが出て来た瞬間にビデオテープなんか一瞬にして消え去った。

そしてネットの時代になり、レコード屋(昔は中国では本屋でカセットが売られてたなぁ・・・)とか何軒潰れようが誰も全く気にしない。

国の体制は社会主義、だけど経済は資本主義、それが「中国特色の社会主義」。
その経済のシステムである「資本主義」は、新しいものに対応出来ないヤツらは没落していって当たり前!!それが「生き馬の目を抜く」資本主義なのである。


さてネットの時代・・・と言ってもまだまだ配信だけではなくCDも生き残っているが、
カセットテープの時代と一番大きく違うのは「デジタル刻印」である。
(これはネット配信もCD販売も同じ)

ちなみに私は自己のJazzバンド「おすし」のアルバム「いただきます」の中国での発売を申請している。
その時に色んな「刻印」を要求される。

楽曲ごとのISRCは日本にもあるのだが、「IFPI証書」って何?・・・
みたいなどったんばったんで学習してゆく・・・

まあISRCは楽曲にデジタル刻印されている楽曲ごとの番号だが、
CDに物理刻印されているIFPIというものも含めて、その他色々申請せねばならない。

まあそれがなくてもCDは出せる。
しかし、ライブ会場で手売りすることは出来るけど、正式に発売したり配信でダウンロード販売したりは出来ないよ、と・・・

つまり、ライブ会場で細々と手売りするならいいけど、
発売量の大きなちゃんとした売り方をしている全てのCDや楽曲には「全てこの刻印がされている」ということである。

そう、だから今の時代、使われた曲やCDはデジタル追跡して調べられるのだと・・・!(◎_◎;)


ではそれを誰が調べて誰が徴収してどのようにして回収してくれるのか・・・

・・・と、このように考えてしまうところがまず「日本的」(笑)、
古き良き(?)時代から長くJASRACさんとかの恩恵に預かっていてぬるま湯にずーっと浸かっていたからこのような発想しか出来なくなる・・・

「著作者の皆さんが、ご自身で使用者を調べて徴収するのは手間でしょ?だからJASRACがそれを代わって徴収してあげましょう」
その代わり
「権利は完全に譲渡して下さい。自分の曲でも勝手に使ったら告訴しますよ」
・・・とこれが日本のシステム。

流通するものほぼ全てにデジタル刻印がされてて、ネットさえあればそれを誰でも追跡出来る時代に何それ?・・・(笑)

ちなみに飲みながら私が一億円損した話とかの話をしてたら、
「昔はね、でも今ではあり得ないね。もしあったら連絡して。うちの弁護士紹介するから」

・・・そう、JASRACの代わりをするのは「弁護士」!!
「著作権侵害されてるな」という事件があったら、弁護士が「仕事」としてその金を回収して来る。

・・・と言っても別に告訴するとかではなかろう。
「代理人」として内容証明を送りつければ事足りる。
悪あがきして告訴でもされたらもっと払わなければならなくなるのだ。

・・・ってか将来そんなめんどくさいことになるなら最初に払っときましょうよ!!
・・・そう考える方が当たり前。

「著作権料払わんかい!!」とエグい裁判ばっかやり続けている日本なんかより、よっぽど「民度が高い」と言えはしないか?(笑)
(但し、そのシステムを支えているのは、例えて言うと「人民ひとりひとりにもデジタル刻印されている」みたいなこの国の監視システムがあるからであろうことは想像に難くない)


また、日本にはアメリカなんかと違ってフェアユースという物の考え方がない。

例えば布衣の楽曲を誰かがカバーして演奏したとする。
でも布衣自身が「こりゃ宣伝のためにもやって欲しいよねぇ」と思えばそれでいいが、
日本では著作者がどう考えようがJASRACが否応なしに徴収しに行く。

ちょっと前に日本の有名バンドが
「結婚式でうちの楽曲は無償で使用していいよ」
と発表して波紋を呼んだが、
ファンがそれを見て「著作権料払わなくていいんだ」と思って実際に結婚式で使ったとすると、それがJASRAC管理楽曲だったらJASRACはそれを容赦なく徴収しに行く。

そして私との裁判で主張したのと同じように胸を張ってこう言うだろう。

「これはお前らの曲じゃない!!うちに譲渡してるんだからうちの曲だ!!」

なんて「野蛮」な国だと思わざるを得ない。
中国では作者がそうして欲しいと言えばそれで通る!!
弁護士に回収しに行かせなければそれでいいのだから・・・


ちなみにアメリカのバンドは弁護士をマネージャーにしたりすると聞く。
イベント出演における金銭トラブルがないように契約書を作成したり、
また万が一トラブルがあったら決して取りっぱぐれないように取りに行くということらしい。
プロモーションはプロモーションで別のプロモーション会社に発注するらしい。

日本のように、アーティストが全ての権利を所属事務所に譲渡して、その代償として給料を貰って「サラリーマン」になるのとは根本的に違う。

著作権においても、
「日本:全ての権利をJASRAC等に譲渡して、そこから手数料引いて分配をもらう」
のと、
「中国:お金取って欲しい時に弁護士雇って取って貰って手数料を弁護士に払う」
のとの違いである。


さて、前述のLaoLuanの事務所は、この「取りっぱぐれがない」という現実を見て、こうして多額の投資(しかも莫大な額やと思う)をしているのである。
取りっぱぐれる可能性が高いなら、当然そんなビジネスはやらない・・・

まあ想像だが、こうしてこの新人女性歌手に投資してどんどん曲を作ってEP(シングル)としてタダでネット配信して、ちょっとでも名声が上がって来て、ここぞという時に弟のLuanShuが手がける映画音楽(それが必ず大きな映画である)のテーマソングなどが決まって、まあそれが新しく書き下ろしでもいい、その曲がヒットして金を生むだけでなく、今までこうして投資して作って来た全ての楽曲がその瞬間から全部金を生むようになる。
こんな感じ

つまりは「権利商売」!(◎_◎;)

「一曲ヒットしたら全部元が取れる」
というのはあながち誇張ではないと私は感じる・・・


ちなみに、中国ではどうやら「著作権」と「原盤権」が一緒になっているというニュアンスを感じる。

楽曲を作った彼女と事務所の取り分は現状では半々であると言う。
日本の音楽出版社が最初は作家と半々で契約するのと同じであるが、
それは「楽曲はお前のもの、原盤は金を出したうちのもの」みたいなものではないかと想像する。

しかし日本では一番最初に金を徴収するJASRACの手数料が引かれる。
CMの場合は何もせずに25%、つまり1千万のCM料が許諾を受けて出版社に流すだけで750万に減るのだ。
Runnnerの出版社がCMの印税だけはJASRACを外すというのも頷ける。

しかし中国ではその1千万が丸々入る。
もし万が一ばっくれられて入らなかったとしたら、弁護士に250万払ってそれを回収して貰ったとしたとしても、それでも日本と同じ収入である。

ちなみに日本でのJASRACのように権利を全部弁護士に譲渡してる訳ではないので、
自分で使うのももちろん自由、チャリティーで使うのも自由、要は「取って来て欲しいものだけを依頼」すればそれでいい。

でもまあこれほどシステマライズされた時代に無許可でCMに使うアホはおらんわのう・・・(笑)
使いたかったら、後々大きなトラブルになって莫大な額を取られるより最初に払っておいた方がよい(そりゃそうだ・・・)。


ではどうやって最初に払う?・・・

これは今度は布衣LaoWuから聞いた話だが、
「もしこれがお前が作った曲だとするだろ?」
から始まって、
「それだったらこれはお前の曲だと注册(ZhuCe)されてるから」

!(◎_◎;)

注册(ZhuCe)・・・つまり「登録」

デジタル刻印には当然ながら作詞作曲家の情報も紐付けされているから、調べようと思ったらすぐに調べられる。
つまり国家のデータベースに全て情報があるから、JASRACみたいな組織は必要ないのである!(◎_◎;)

ちなみに「おすし」の「いただきます」の申請の時にも作曲者名を申請しているので、
進藤くんの曲は調べたら(どうやって調べるかわからんが)ちゃんと「進藤陽悟」と出る(はず)。

ではその曲を使いたい場合はどうやって進藤くんに辿り着く?
・・・それは申請とまるで逆のルートを辿ればよい。

レコード会社(どこになるか知らんが)→発売元(布衣の会社)→布衣のマネージャー→ワシ(申請者)→進藤くん

まあこれは日本でも同じ、国家のデータベースがJASRACのデータベースとなるだけで、バカ高い手数料を取られて同じようなルート(日本の場合は出版社経由)で私をすっ飛ばして進藤くんに行く。


さて最後にあとひとつ、ダウンロード配信に関しても日本と全く違うシステムが存在するのでそれについて書きたいと思う。

まず最初に、YouTubeとかも同じだが、無料で音楽や映像を配信する会社の「収入」というのはやはり「広告料」であろう。

YouTubeとかにも広告が流れたりするが、中国ではヒドいところになると1分以上広告を見させられるのだからたまらない(>_<)

「広告イヤでしたら会員になって下さい。そしたら広告消しますので」
まあ日本でもよく見るシステムだろうが、中国のこの長ったらしい広告を見たらみんな会員になって消すだろう・・・(笑)

この会員料というのは一見非常に安く見えるが、ひとりひとりは安くても何億人も集まれば相当な収益になる。
そして企業にとって助かるのは「毎月必ず安定した収入を生む」・・・

例えひと月に100円の会員料であっても1億人が登録すれば月間100億円の定期収入なのだ!(◎_◎;)
(参考資料:中国のネット人口7億人

まずはこの莫大な「収益」というのを頭に置いて読んで頂きたい。


いつぞやネットで「中国の音楽ダウンロードのほとんどは正規版である」みたいな記事が出て物議を醸していたが、私はそれは本当だと思う。

現実、中国ではQQ、网易云など多くの音楽配信を行う会社があるが、
どれも中国の大手企業であり、ここが違法ダウンロードなど扱えるはずがない。

昔とは違う。
昔は「大手=国とがっつり=違法し放題」みたいな流れがあったが、
それも習近平政権になっての「汚職追放キャンペーン(という名の粛清?)」の流れでどんどん難しくなっている。

人民もわざわざウィルス満載のそんなアブナいサイトに行って違法ダウンロードしなくても、今では合法にいくらでも無料ダウンロード出来る。
その合法ダウンロードを経済的に支えているのが「広告料」であることは容易に想像出来るだろう。

「ほらやっぱダウンロードは無料だから商売にはならないじゃん」
などと言ってるとまた中国人からバカにされますぞ!!
次のビジネスモデル・・・


これは布衣から聞いた話・・・

まるっきりのド新人だとまず曲を無料で配信する。
前述の新人女性歌手などもそうであるが、
売りたくても誰もド新人の名前も曲も知らないんだから、
まずは無料だろうが何だろうが聞いてもらわなければ始まらない。

ところが布衣のように、アンダーグラウンドとは言え、どの地方都市に行っても数百、大都市だとヘタしたら1000人近く動員するバンドになったらわけが違う。
現在どの大手サイトに行っても必ず布衣の楽曲は全部ある。

次のステップは「専属契約」・・・!(◎_◎;)

大手のうちひとつ選んで、
「次のアルバムはあんたんとこからだけ配信しますんでお金下さい」

!(◎_◎;)・・・そんなシステムがあるのか?!!

これはもう「著作権」というよりは「モノを売り買いして儲ける商売」と同じ理論である。
「この音楽をうちが独占したらどのぐらいうちの得になるか」
というところで「値段」が決まる。

超有名歌手の作品を独占して、「うちでしか聞けない」となると、必然的に他のサイトよりも人気サイトになるわけだし、そうすれば広告料もねずみ算的に跳ね上がる。

当然ながら有名歌手の方が布衣なんかよりも金は高い。
日本のように「売れてる人も売れてない人も同じ著作権料」というのとは違う、
「金持ちはより金持ちになる」という純粋な「資本主義」のシステムがここにもある。

それぐらいの有名歌手になると、更に「会員限定配信」とかにするらしい。
そうすれば会員数が劇的に増えて、毎月サイトに落ちる金が莫大になる。

次には更に「無料」ではなく「有料配信」!!
会員様はその値段が安くなります!(◎_◎;)

日本人には想像出来ないビジネスモデルがここにある・・・


昔からこちらでバックバンドの仕事をする時に、
「演奏曲目はこれですんで」
で音源など送られて来ない。
「ネットにいくらでもあるだろ、自分でDLして聞いとけ」
である。

その先にこんな「ビジネス」があったなど私なんかも想像だにしてなかった(>_<)

私も日本に自分の音楽の音楽をDL配信しているサイトを持っている。
ファンキー末吉楽曲配信サイト

サイトを開いてみて頂ければわかるが、
アメリカの会社AppleのiTunesを始めとして色んなダウンロードサイトがひしめいているけれども、そのほとんどが外国の会社である。

中国は違うのだ!!
ほぼ全部国内の会社でそのシェアを競い合っている!(◎_◎;)

日本で「レコチョク」と「AWA」がシェアのほとんどで、Appleも含め後のシェアはほとんどありません・・・なんてことが起こり得るか?

だからアーティストも「レコチョク」が「次のアルバムはうちで独占で配信させて下さいよ〜お金払いますから」と言ったって契約するはずがない。
シェアがないんだからアーティストにとってそれでは「損」になる。

だからこのビジネスモデルは現状の日本ではあり得ない。

でも中国では最大手のQQがそれを言うと、どんなバンドも喜んで契約する。
他のシェアを全部潰したって残るシェアが大きいから・・・


ちなみに「じゃあiTunesとかはどうなの?」と質問してみたら、
「ああいう外国のサイトは別」
と言うので、試しに布衣の一番新しいアルバムをうちのサイトから販売してみることにした。

こちら

これが中国のダウンロードビジネスにどのように影響するかちょっと実験してみようと思う・・・

こんな国で活躍しているアンダーグラウンド(と言ってももうかなりのビッグバンドになって来ているが)の音楽を日本の方々もぜひ聞いてみて頂きたい。
(全曲私のアレンジ、私もドラムとプロデューサーとして参加してます)


最後に「あとがき」として・・・

中国から見たらむっちゃ古い時代遅れのシステムに今だに縛られ続けている日本の方々にはちょっとびっくりするレポートだったかも知れないが、
「・・・だと思う」とかレポートだったら無責任だろ!!とか言わないで欲しい。

私はレポーターでもジャーナリストでも何でもない。
このレポートを配信してお金を儲けている「プロ」でもない。

私はこの国で何十年も音楽をやって糧を得ている「音楽家」である。

同じく日本でも何十年もやって来たから日本の音楽システムもかなり理解している。
でも中国で何十年も音楽をやって生きて来た日本人は私だけである。

その私が「経験」してわかったこと、それはまだまだこの国の音楽ビジネスの氷山の一角かも知れないが、それでも日本とは「全然違う」ことに間違いはない!!

出来れば日本のジャーナリスト達も、私の中国語レベルではないちゃんとした通訳を雇って、ちゃんとこのビジネスモデルを「しっかりと」取材することをお勧めしたい。

また、頭の固い日本の音楽業界の方々も、是非「心を開いて」このビジネスモデルを研究してもらいたい。

新しいものを取り入れられない、古い体制から変われない、そんな輩は淘汰されて没落してゆくのが「生き馬の目を抜く資本主義」なのだから・・・

日本が没落しないために・・・

Posted by ファンキー末吉 at:16:42 | 固定リンク

2019年4月25日

労働ビザとの戦い

アメリカがトランプ政権になってから外国人の労働ビザが取りにくくなったのと同じように、中国でもどんどんと厳しくなって来たようだ。

「ようだ」と言うのは、私は仕事の出来る簡単なビザを持っているのだが、それがどんどん厳しくなって来たそうで、そのままだとヘタしたらドラム叩いてる時に公安がステージに上がって来て、そのまま連行されて強制送還・・・なんて噂もある((((;゚Д゚)))))))

こりゃちゃんとした労働ビザ取らないかんなと思い立ったのが去年の夏。
それからずーっとその戦いを続けている・・・(>_<)

今ではこんなにややこしいのよ〜(涙)
何よ!このランク分けって(号泣)

これはねぇ、中国には今アフリカからの不法労働者が多く、
それが中国人の労働を奪ってるとか、
アメリカのメキシコ人みたいなことが起こっとるんですと・・・

だから「学歴のないヤツは要らん」と!(◎_◎;)

あのね、学歴に関係ない職業として音楽家を選んで、
ここに来て学歴で弾かれると・・・(涙)

あとね、60歳はもう定年でしょ?
何でビザ必要なん?
60歳になったら申請も受け付けんと!(◎_◎;)

もうね、だから去年から命がけでずーっと戦ってるのよ・・・(>_<)

まずは日本で色んな証明書を取り寄せる。
卒業証明書はまだいいが、警視庁行って無犯罪証明書!(◎_◎;)

よかった〜犯罪歴なくって(>_<)

まあ書類を、いっぱいいっぱい手に持って中国に渡る。
それを持って「就業許可証」というのを申請するんだけど、
これがまあ大変なこと大変なこと(>_<)

まず芸能ビザみたいな項目を見つけたのでそれで申請しようと頑張る。
「人民大会堂ぐらいの施設で自分名義のコンサートを行ったことがある」
という資格を見つけて、
「ワシ、爆風名義なら武道館どころか代々木体育館もやったことあるやん!!」
と思ったら、
「国の主催イベントじゃないの?じゃあ遊びでしよ?」

!(◎_◎;)

中国は国家に認められた第一級音楽家免許を持ってる人しか音楽家と認められんからなぁ〜
ロックなんかでそこで演奏したってそれは金出せば誰だって出来ることでしょ・・・みたいな?・・・(涙)

ワシなんかワシなんか、別に音楽大学出てるわけじゃないし、
職に関して何にも資格を持ってるわけじゃないしぃ!!(号泣)

もう学歴ないわ資格ないわ、ここに来てこんだけコンプレックスにさいなまさせられるとは夢にも思わんかったぞ(>_<)

そこでついに発見した・・・「経営者ビザ」!!

ワシは中国人が日本で起こした会社の代表取締役!!
曲がりなりにも立派な「経営者」ではないか!!

しかもその会社は中国の音楽ビジネスの会社の「関連会社」である!!
もうすぐ60歳でも経営者で申請したら通るかも知れんぞ!!

いや〜人助けやと思て会社起こすの手伝っててこんなところで役に立つとはのう・・・

というわけでそれで申請しよう!!
ところがここで問題が・・・

ここで「就業許可証」が出たとしたら、
今度はそれを日本に持って行って日本の中国大使館でZビザを発行!!

発行には数日かかるので、秋の布衣の長い長いツアーの合間にはその申請が出来ない(>_<)

じゃあ布衣のツアーが終わってから日本に帰って申請して、
それを中国に持って行って・・・

「末吉さん、それ持って中国に入国したら、1ヶ月から1ヶ月半は出国出来ませんよ」

!(◎_◎;)

では冬に日本で全くスケジュール入れずに北京に行ってひと月半滞在するか・・・

「あ、その時期は春節があるから無理ですねぇ」

(>_<)・・・あのね、ワシにどうしろと言うの(涙)

というわけで春節の辺りの日本ツアーの間に日本で申請して、
それ持って春の布衣のツアーで入国したらそのままひと月半どころか2ヶ月以上中国国内ですがな!!\(^o^)/

というわけで日本にて無事にZビザをゲット!!

ツアーは広東省から始まるので、
カンボジアかベトナムから直で広東省に入れば近いではないか〜・・・
っと思ってたら、

「Funkyさん、入国したらすぐに住居証明取らなきゃならないのに、広東省だと取れないでしょ」

!(◎_◎;)

しゃーないなぁ〜・・・というわけで広東省を飛び越えて一度北京まで飛ぶ(>_<)

北京の公安で住居証明書を発行!!

今回北京に戻って来たのはビザの申請のためなのよね〜 トランプ政権のアメリカと同じく取得がどんどん大変になる(>_<) まずは住宿登记表を取るために公安局・・・ 公安怖い・・・何もしてなくてもしょっぴかれそうで・・・中国ではシャレにならんからのう・・・ガクガクブルブル - Spherical Image - RICOH THETA

そしてそこからまた引き返して広東省からツアー開始!!

・・・ところが2週間後に就業許可証の申請のためにパスポートが必要というわけで、福建省の移動日に北京にとんぼ返り(>_<)

そしてまたすぐとんぼ返りでツアーに復帰したら、今度はまた2週間後に居留許可証の発行のためにまた北京に来いと・・・(>_<)

しかも!!

あなたは「経営者」ということでビザを申請してるんですからね!!
経営者らしい格好をして来て下さいよ!!

経営者らしい格好って・・・(>_<)

しゃーないからライブハウスのオーナーから借りた!!

これ・・・オーナーが結婚式の時に来たっきりなんですと・・・
ちなみに中の白いシャツは現地で買いました(>_<)

安徽省芜湖から始発の高速鉄道で、途中南京乗り換えの時に牛肉麺食ったら汁が飛んでこの有様(>_<)

着なれんものはこれやから・・・(>_<)

半日かけてやっと出入国管理局へ!!

ここで仲介業者に釘を刺される。
「中に入ったら中国語話さないで下さいよ!!喋れないことにしといたら私が全部自分で説明出来ますから」

ボロが出るのか?経営者のボロが出るのだな!!(涙)

でもまあ「面接」というほどちゃんとした面接ではなく、一応「本人確認」ぐらいで終了!!パスポートを預けてこれをもらう。

ここからツアーにとんぼ返りして、乗る飛行機、鉄道、ホテルのチェックインなど全てのところでこれがパスポート代わりになるのだ!!

嫌やなぁ・・・「これ何や」言うて職員に突っ返されるの(涙)

「もうこれで最後ね!!」
と仲介業者に確認するのだが、
「じゃFunkyさんはいつパスポート取りに来るんですか?」

!(◎_◎;)・・・3回北京に往復したらよかったんちゃうん?あんたがパスポートを旅先にでも送ってくれたらええやん・・・

「この紙がないとパスポート受け取れません」・・・(>_<)

それによく見ると「取証期限」というところに4月25日と書いてある・・・
その期限が切れたらこの用紙の有効期限が切れて列車や飛行機に乗れないかも・・・

((((;゚Д゚)))))))

スケジュールを見てみると、ちょうど25日は山東省临沂から同じく山東省青島までの移動日・・・
むっちゃ大回りになるけど北京行きます!!行かせて下さい!!(涙)

もうね、パスポート失くした時にあれだけ大変だったんだから、この紙切れの有効期限切れたら・・・終わる!(>_<)

というわけで今日!!
とんぼ返りで北京に帰って来てパスポートゲット!!
そこにはこんな居留証が押されてたのでした!!\(^o^)/

しかしここからまた戦いが始まる・・・

ビザは2年間あるが、それを更新する時には60歳を超えてるのでおそらく受け付けてくれないだろう、と・・・

!(◎_◎;)

ほなどうすんの?!!・・・
そうですねぇ・・・自分名義の会社でもこちらにあれば・・・

60歳になるまでに就労先を変更せねばならんので新たに会社起こすのは間に合わんぞ・・・

そうや!!日本の会社はLuanShuの会社の子会社なので、
そこの総経理であるワシを親会社の名義に入れてもらえばいいのではないか?!!

60歳まであと3ヶ月ない・・・間に合うのかワシ・・・

戦いは続く・・・そしてワシはどんどんホンモノの「経営者」になってゆく・・・

Posted by ファンキー末吉 at:20:36 | 固定リンク

2019年4月15日

サンプリング分配崩壊?・・・

弁護士からこのニュースが送られて来た・・・

「JASRACはもう一つのエンジン手に入れる」浅石理事長が語る「著作権管理」の未来

もうこの戦い以来、JASRACの文字を見るのもイヤなので、
「後でゆっくり見ます」
と返事して放っておいたのだが、
ふーっと深呼吸をして息を整えて(笑)見てみると、こんなことが書かれている・・・


来年度中にサンプリング方式をやめる方針です。地上波ラジオなど、難しいところもありますが、基本的に(全曲報告データをもちいる)「センサス方式」を採用します。サンプリング方式の多かったライブハウスは、利用者や実演家の協力を得て、センサス方式に切り替えていって、今年12月か来年3月には、サンプリング方式がなくなると思っています。


!(◎_◎;)・・・


JASRACは私との裁判の中でずーっと、
「包括契約、サンプリング分配は素晴らしいシステムだ!!」
と主張して来たではないか!!

そんなに「素晴らしいシステム」であるならわざわざここに来て変える必要はないし、
また「5年前にはITが整備されてなかったので出来なかったが、今やっと整備されて出来るようになった」というわけでもない。

インターネットがなかった時代だったらまだしも、
その時代からITが格段に進歩したなんて5Gぐらいのものなのだ・・・

そもそも私はJASRACから「著作権料を払え」と言われて初めて、その「包括契約によるずさんな徴収と不透明な分配」の実態を見て声を上げたら訴えられた。

コンサート会場では(全曲報告データをもちいる)「センサス方式」なのに、
ライブハウスでそれが出来ないわけがない!!
というのが私の主張であったが、ここでJASRAC自ら「出来る」ということを認めたことになる。

つまり、「ここに来てどうしても変えざるを得ない状況になった」と見るべきだろうと思う。

その「状況」というのはおそらく・・・ひとつには「世論」、
そしてひとつには、いろんな法律学者が私との裁判に対して疑問の声を上げた「論文」・・・
(主なところではこちらとかこちらとか)

もしも私の問題提起が少しでも世論に貢献したのであれば、私にとってはやっぱそれは嬉しいことよのう・・・

まあ世の中が少しでもよくなるのであれば私にとってはそれでいいのよ。
でもね、JASRACさん、一言言わせてもらっていいですか?

「ワシが最初に言った時にやっときなはれ!!」(>_<)

┐(´∀`)┌ヤレヤレ・・・

<戦いの記録>

Posted by ファンキー末吉 at:08:44 | 固定リンク

2019年4月 9日

歌と共に暮らす少数民族たち

ツアーの移動日は、だいたい着いたら夕方、
そのままホテルにチェックインして飯を食いに行く。

それで一日終わりである(笑)
まあ「移動日」ですからね、これでミッションだん!!

飯は今回のように地元のライブハウスのオーナーが奢ってくれることも多く、
今回も予想に違わずオーナーがご馳走してくれた。

オーナーが店からワインを持って来てくれて、
(持ち込みOKの中国って本当に素晴らしい)
それを飲んでバタンQ(死語)。

老人なので早起きだが、
8時とかに寝てしまったら夜中の2時とかに目が覚めてしまう(>_<)

トイレに行ってふと外を見ると・・・

階下では屋台が出ていて、
そうかぁ・・・去年もここで飲んだなぁ・・・

打ち上げなう〜@安徽省銅陵(どこや?笑) 炭锅羊肉という食べたことのない料理に遭遇!! まあ隅でぐつぐつ煮る火鍋のようなものか・・・美味!!! - Spherical Image - RICOH THETA

みんな寝てるかなぁ・・・と思いつつ、
ツアーメンバーのWeChatグループに階下の写真を送ってみたら・・・

スタッフのヤオヤオとベースのダーウェイが食いついて来た(笑)

そして3人で飲み始めたのだが、
向こうの屋台から何やら歌声が聞こえて来る・・・
少数民族の歌である・・・

いいなぁ・・・流行歌なんかと違って、民族の歌は何百年も歌い継がれている。
「流行」しなくなったら誰も歌わなくなる「流行歌」とはそもそもメロディーの「力」が違うのだ・・・

・・・てなことを考えてたらその御一行が隣のテーブルにやって来た。
よも更けてきたので向こうの屋台はもう閉まって閉まったのだろう・・・

「タバコどうですか?」
お兄ちゃんが私たちにタバコを勧めて来るが、こちらは誰もタバコを吸わない。

「私たちは少数民族でねぇ・・・」

何やら会話の中にやたらと「少数民族」という言葉が多く、
一瞬「民族独立」やらきな臭い活動に勧誘して来るのかと身構えたが、
どうやらそうではなく、単なる自己紹介であったらしい(笑)

彝族・・・日本語の発音と似ている言葉を話し、日本人の祖先ではないかと言う人もいる・・・

気になってネットで探してみたらこんな話も・・・

イ族の友達というと、有名なのはこの人!!高洪章(Gao HongZhang)

この時からの付き合いで、昆明にライブに行った時にはわざわざ駆けつけてくれて酒を奢ってくれたりした。

ちなみにYouTube映像で彼が歌っている曲を彼らが向こうの屋台で歌っていた曲である。

「喜欢呢,也要喝,不喜欢,也要喝,管你喜欢不喜欢也要喝(好き?じゃあ飲まなきゃ。嫌い?でも飲まなきゃ。あんたが好き嫌い関係なくやっぱり飲まなきゃ)」
という酒飲みの歌・・・

少数民族は嬉しい時も悲しい時もこの歌を歌いながら酒を飲む。

そしてこの安徽省銅陵で会った彼ら彼女たち、
故郷を離れ、この田舎町にやって来て、仕事終わってまたこの歌を歌いながら酒を飲む。

「この娘はね、四川省から来たんだ。この娘はね。雲南省」
そうやってそれぞれを紹介してくれるのだが、
何省などと言うのは所詮は国が勝手に行政区分として線を引いただけで、
彼らは中国なんて国がなかった頃からずーっとそこで暮らしていた。

それだけのことである。

漢民族がやって来て、勝手に「国」などという集合体を作ってそこに入れられて、
今は漢民族の言葉である「中国語」を喋って暮らしているが、
こうして同じイ族の仲間と酒を飲む時はイ族の言葉で喋り、そして歌う。

彼らはこの向かいの24時間営業のマッサージ店に住み込みで働いている。

別に今日が特別の日だから酒を飲んで歌っているわけではない。
こうして真夜中まで働いて、仕事が終わったらこうして酒を飲んで歌う。
辛い時も楽しい時もこうして楽しく飲んで、そして歌を歌う。

私たちがプロのミュージシャンだと聞いてこんなことを言う。

「僕たちは歌が大好きなんです。でもそれはただの趣味。プロのミュージシャンなんて素晴らしい」

私は「違うよ!!」とそれを否定した。

プロであるか趣味であるかなんて、しょせんはそれで「金を稼ぐ能力があるかないか」というだけの話であって、音楽はそれを愛する全ての人のためにあるのである。

音楽は決して「金を稼ぐ道具」なわけではない。
それを愛する全ての人が、こうやって「生活」の中でそれを歌って、生きてゆく・・・

音楽があるから「明日もまた生きてゆける」・・・
なんて思ってくれたら作った人はどれだけ嬉しいだろう・・・

彼らはこうやって楽しく歌って飲んで、
千鳥足で向かいのマッサージ店に向かって帰って行った。

気がつけば私たちの分もお勘定を済ませてくれていた・・・


音楽を生業にして、毎日音楽だけをやって暮らしている人もいる。
仕事は決して自分の好きな仕事ではないけれども、毎日音楽と共に暮らしている人もいる。

問題はどちらが「幸せ」か、ということである。

毎日音楽をやって暮らしているけど幸せではない、
そんな生活だけはまっぴらゴメンだな・・・彼らを見てたら本当にそう思う。

そうですな、明日も楽しくドラムを叩くとしますか・・・

Posted by ファンキー末吉 at:10:12 | 固定リンク

2019年3月 9日

痒い話@カンボジア

1月4日からずーっと働きっぱなしだったので、
3月4日のX.Y.Z.→Aライブが終わってすぐにカンボジアに飛んだ。

「すぐに」と言っても激安チケットなので香港で14時間トランジット(>_<)

しゃーないなぁ〜・・・ベンチで寝ますか・・・

香港で14時間のトランジット(笑) しゃーないなぁ〜・・・ベンチで寝ますか・・・ - Spherical Image - RICOH THETA

と思ったら寒い!!(>_<)

香港人はどうしてこんな冷蔵庫のようなところで暮らすのだ!!
とばかり睡眠不足でカンボジア入りしたのがよくなかったのだろう・・・

着いてメシ食ってバタンQ(死語)したら痒くて夜中に目が覚めた。
見れば手足に湿疹のような赤い斑点がたくさん出て来ている・・・

真っ先に思いついたのが「寒暖差アレルギー」!!

前回カンボジアから浙江省に飛んだ時に出た「アレルギー」である。

しかしよく見ると、アレルギーの蕁麻疹に比べたらちょっと「ぶつぶつ」している気がする・・・

次の日になると右腕はパンパンに晴れ上がり、次に思い浮かんだのが「疥癬」!!

疥癬になった話

これは恐ろしい「虫」である。
なにせ皮膚に寄生して皮膚の中に卵を産み、身体中に繁殖してゆく・・・((((;゚Д゚)))))))

しかし疥癬の場合、皮膚の中に卵を産み付けて皮膚の中を移動して、また次のところに卵を産むために、その通り道に「疥癬トンネル」というものが出来るのだが、今回はそれがあるようなないような・・・

とりあえず病院に行こうというわけで、
聞けばカード付帯の保険により海外では無料だと言うではないか!!

アメックスに電話をして紹介してもらうのだが、
皮膚科の専門医のスケジュールは翌々日の午前中しか空いてないと言う(>_<)

一応そこも予約もして、翌日くっくま孤児院の25人のお母さま美和さんにプノンペンの日本語医院を紹介してもらう・・・

痒みを抑える薬と塗り薬を処方してもらって塗ったらちょっとはよくなった。

しかし、これがもし「疥癬」だったとしたら、疥癬専門の薬じゃないと死滅しないどころか、
前回などは「殺されちゃたまらん」とばかり大繁殖して、右手がそれこそゴーヤのようにぱんぱんに腫れ上がった(>_<)

翌日ドキドキもんで皮膚科の専門医に診てもらったら、
「一応疥癬の可能性もあるので」
ということで疥癬用の薬も出してくれた。

そうそう、「スミスリン」ね・・・
前回は薬屋に自分で買いに行って部屋中にこれ撒いて消毒してたし・・・

疥癬の薬と、その他ダニや南京虫の薬は併用してもいいということで、
結局こんないっぱいの薬が・・・(笑)

はい、今は徐々によくなりつつありますが・・・痒いです。

激安ホテルはこれがあるから怖いです(涙)
香港の重慶大厦(チョンキンマンション)泊まった時にもダニにやられたし・・・(>_<)

一応ホテルにクレーム言って部屋は替えてもらいました!!
・・・ということは次にそのベッドで寝た人は同じ目に合うのか?・・・

いやいや、やっぱ「体力」だと思うのです。
1月4日から働き詰めで、飲み続けて免疫力下がって、
香港でも寝てなくてベッドにバタンQ・・・

疥癬虫さん南京虫さん大喜び!!・・・(>_<)

かと言って高級ホテルに泊まる金はなし(涙)
こりゃカンボジアにひとつ部屋を借りるしかありませんな・・・

痒い話でした!!

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Posted by ファンキー末吉 at:08:22 | 固定リンク

2018年12月27日

Jazzへの思い

私の生まれ育った香川県坂出市という当時の田舎町では、レコード店にはまだRockやJazzというジャンル分けはなく、大きく「演歌、歌謡曲」と「ニューミュージック」というくくりしかなかった。

町にはレコード店が2店しかなく、比較的近かった「ニチイ」の中のレコード店によく通っていた。

そこには長髪の見るからに「ロック」という店員のお兄ちゃんがいて、
時々聞いたこともないような音楽を店内で流していた。

あとでわかったことだが、
お兄ちゃんとて「店員」なので、売れないレコードを仕入れるわけにはいかない。

そこで見つけたのが若かりし頃の末吉少年。

「ボク、Rock好きか?それならこのレコードを買え!!Rock好きならこれは絶対に持ってなきゃならんレコードや!!」

そう言って自分の欲しいレコードを私に注文させ、
入荷したらそれを店でヘビーローテーションして聞くだけ聞いてから私に売りつけるのだ。

四国の片田舎ではRock雑誌なども売っておらず、
お兄ちゃんがいつもレコードを買う(私に買わせる?)ために参考にしてたのは「ニューミュージックマガジン」という月刊誌。
それとて本屋などに置いてあるはずはないのでおそらく「定期購読」してたのだろう。

そのレコードレビューにオススメのレコードがあれば、それを私に注文させて、入荷したら店でヘビーローテーションさせて自分が聞いてたというものだ。

「ニューミュージックマガジン」というぐらいだから、当時の荒井由実からコアな欧米のRockまで何でも載っていた。

お兄ちゃんのオススメの(彼が聞きたかった)レコードの中に、ハービーハンコックの「ヘッドハンターズ」があり、これにぶったまげて「ハービーハンコックっていう凄いFunkミュージシャンがいる」となって、「そのレコードが欲しい」となる。

お兄ちゃんが「じゃあこれ買え」と言って注文してくれたのが、「VSOPハービーハンコックの軌跡」というレコード。

ド頭の「The Eye Of The Hurricane」がさっぱり理解出来ず、それこそ「擦り切れる」ほどレコードを聞いた。

好きなドラマーが、Rockではコージーパウウェル(高校をサボってレインボーを見に行ったので)、Jazzならトニーウィリアムスというのは全てこのお兄ちゃんのおかげ(せい?)である。

かくして、そのような状況だったので、最初からRockだJazzだのジャンル分けする環境ではなく、私にとっては全部同じく「Rock」であった。

だってレッドツェッペリンとキングクリムゾンは全く叩き方が違うけど同じRockでしょ?
だから私にとってはトニーウィリアムスもRockだったのだ。

実家が「平和園」という中華料理屋だったので、
そこの3階にある私の部屋で色んなバンドを組んで練習してたこともあり、
「平和園ファミリーズ」という名前でインストの音楽を渋谷陽一のFM番組に送りつけ、とても好評されたのを覚えている。

それはJazzというよりFusion。
スウィングの曲もやってたけど当時のテクニックではやはり難しかった。

ミュージシャンの数が絶対的に少ないので、
同じメンバーでツェッペリンをやったり、出来る程度のJazzをやったり、それが「平和園ファミリーズ」。

ジャンルを超えたP-FUNKみたいな存在だった(笑)

そんな状況なので、当時はRockをやるかJazzをやるかなどの「夢」ではない。
「とりあえずこの田舎町を出なければならない」という状況なので、
1、ニューヨークに行ってJazzをやるか
2、東京に行ってRockをやるか
という漠然とした「夢」でしかなかった。

大阪に行ってブルースをやるという夢は、当時この田舎町でもブルースバンドをやっていたのでいつの間にやら実現した気になっていた)

人生のひょんな運命から東京へ行って、爆風銃、そして爆風スランプへと続き、
そして紅白に出てRunnnerがヒット。

江川ほーじんが脱退して、中野と河合でRunnerのプロモーションをしている頃、
もういい加減日本の芸能界がイヤになってた私は、昔の「夢」がむくむくと頭をもたげて来ていた。

「充電旅行」と称してひとり旅で最初にニューヨークを訪れた時には、
実はもう日本に帰って来るつもりはなかった。
このままニューヨークに住み着いてJazzをやろうと思っていたのだ。

それぐらい日本がイヤだったのだ・・・

着いてすぐニューヨーク在住の松宮という友達に最初に連れて行ってもらったのがBlue Note、憧れのJazzクラブである。

当時ハナ肇さんにサインをもらった白いスティックケースを改造して、
中にパスポートなどを入れるポケットを作って、それだけ持って行動してた。

文字通り「スティックだけ持って世界を廻りたい」という憧れだったのだろう。

折しも金曜日で、Blue NoteはJam Session Day。
ぶったまげるようなレベルのプレイヤーがJazzをやってた。

スティックケースをどんとテーブルに置きながら、なかなか勇気を出してステージに上がることが出来ない。

「末吉さん、誰かドラマーいないか?って言ってるよ」
松宮がそう言うのだが、
「もう一回待とう」
と言って尻込みしてた。

「しゃーないなぁ〜じゃあ俺のブラザー」
とでも言ってるのだろう、セッションリーダーのトランペッターがひとりの黒人のドラマーをステージに上げた。

忘れもしない、彼が叩いた「チュニジアの夜」があまりに凄くて、私はテーブルの上にあるスティックケースをすごすごとテーブル下に隠してしまった(笑)

「ブラザー」と言うのは「実兄弟」だと思ってたので、
きっとそのドラマーはセッションリーダーの兄弟で、名のあるプロドラマーがたまたま来てたのでステージに上げたのだろうと思い、松宮に、ステージを降りるそのドラマーを捕まえて通訳してもらった。

「あなたはさぞかし名のあるドラマーでしょう。私は一週間しかここにいない。その一週間であなたはどこでライブをやりますか。私は全部見に行きたい」
松宮にそう言って訳してもらった。

答えを聞いて愕然とした。
「俺のライブ?・・・じゃあ来週のJam Sessionでまた叩いてるからここに来いよ」

このレベルのドラマーがこの街ではただのアマチュアドラマー?
私は愕然として、もうニューヨーク滞在中にスティックケースを開けることはなかった。


すごすごと日本に帰ってから「芸能人」の生活に忙殺されたが、
むしろ私の闘争心に火がついて、ヒマさえあれば日本のJazzクラブに行ってはJam Sessionで狂ったようにJazzを叩いていた。
時には知り合いになったJazzミュージシャンのライブに行って、飛び入りで叩かせてもらったりした。

「Jazz屋のオヤジ」と言われるいわゆるJazzクラブのオーナーは爆風スランプなんか知らない。
「ドラムがうまいか下手か」だけである。

それが私にとってはとてつもなく居心地がよかった・・・


だいぶ叩けるようになってちょっと自信をつけて来た私は、
生まれ故郷の香川県での爆風スランプのコンサートの移動日に、
高松のJazzクラブでJazzライブをやらせてもらうことになった。

地元のミュージシャンとのセッションライブで、
今ではJazz界の重鎮となった多田誠司さんなんかがいた。

今から考えればなんと無謀な、
PAもない生ピアノで全部生音であるという、特に音の大きな私のようなドラマーにはとにかく過酷な条件である。

「怖いもの知らず」というか、Jazzどころか音楽も十分理解していない当時の末吉は、案の定ガンガンに叩きまくっていた。

「こらドラマー!!」
曲の途中でマスターの怒声が飛んだ。

「うるさいんじゃ!!ピアノが聞こえんじゃろ!!」

ステージ上で罵声を浴びるなど生まれて初めてのことだったので、
もう萎縮してしまってそれから全くろくに叩けない。

半泣きでステージを降りた私の首根っこを掴んだマスターは、
そのままずるずると客席のひとりひとりのところに連れて廻ってこう言った。

「うちの店では最高のJazzしか聞かさんのじゃ。
おい、こいつのドラムはどうやった?正直に言え!!」

全ての客のところにそう言って連れて行かれるのだが、
客だってそうそう面と向かって「下手でした」とは言えない。

でも見ればわかる。
「顔に書いてある」のである。

私は泣いた。
恥も外聞もなく泣いた。

絶対に上手くなってやる!!
そしていつかまたこの店に来てマスターを見返してやる!!


また狂ったようにJam Sessionでドラムを叩いて、
FusionではあるがSOMEDAYという店で定期的に演奏さえてもらえるようになった。

黄家駒が見に来たライブというのはこのライブである。

そこで知り合った佐藤達哉さんという物凄いサックスの人と一緒に高松に凱旋ライブを行った。
マスターは達哉さんの大ファンだったので渋い顔をしながらも今度は怒声を浴びせなかった(笑)

「まあまあやのう」ぐらいの感じであろうか、
「ほらギャラや!!」と無造作に渡してくれた封筒を、一緒にやってくれたJazzメンにそのまま全部渡してみんなで分けてもらった。

「これは私のリベンジのためにお願いして来てもらったのだから私がもらう言われはない」
という意味だったのだが、
「なんや、お前、かっこええやないかい」
マスターは私の頭をしばいてそう言って笑った。

マスターがおごってくれたうどん屋のおでんがすこぶる美味かった。


その後またニューヨークに行く機会があったので、Blue Noteに直行した。
Jamセッションをやってたので、今度は胸を張ってドラムを叩いた。

感触は・・・よかった。

「なんだ東京のレベルはもうニューヨークとあまり変わらないんだな」
と思ったが、後で聞いたら、当時は電子音楽の台頭で、生楽器はニューヨークでは食えないのでみんなナッシュビルに逃げて行ってたという状況もあったらしい・・・

何曲か入れ替わり立ち替わりドラムを叩いたが、
白人の若いドラマーが私のドラムソロを聞いてこう言ったのを覚えてる。

「なんだ、Rockのドラマーか・・・」

Jazz界ではRockであることに常にコンプレックスがあった私だが、
この時には頭の中で何かが弾けててこう言い返してやった。

「そやで、Rockやけどそれがどした?悔しかったら叩いてみぃ!!」・・・日本語で(笑)

その昔、スティーブガッドがチェットベイカーのアルバムでスィングを叩いた時、
「あれはSwingではない!!シャッフルだ!!」と酷評する人がいたが、
私なんかはあれはあれで素晴らしいJazzだと思った。

私自身はスティーブガッドよりはもっとJazzっぽく叩きたくて色々試行錯誤したが、
ソロになると今まで培って来たものが出てしまうのはもういた仕方がない。

「お里が知れる」というものである。

でももうこの歳になって、Jazzより長くRockと共に生きて来たのだから、
お里が知れてどうなのだと今ではそう思う。

初めての純Jazzアルバムをリリースすることになって、
今ではもう何のコンプレックスもなくこれをJazzだと胸を張ってそう言える。

ドラムソロにジョンボーナムのフレーズが出て来ますがそれが何か?
ツーバス踏んでますけどそれが何か?

私はこうやって生きて来た。
涙を流しながら、歯を食いしばりながら、
戦って来た相手は誰でもない。

「自分の中のコンプレックス」である。

私はもう解き放たれた。
それが私の中で一番大切なものである。

だから全ての人に、(高松のマスターにも(笑))、胸を張ってこれを聞かせて、胸を張ってこう言うことが出来る。

「Jazzをやってます」と・・・


Funky末吉アコースティックJazzユニット「おすし」の配信サイトはこちら(視聴もできます)
CDの購入はこちらより購入出来ます

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2018年12月 9日

一起高呼Rock'n Roll

いや〜それにしても客が集まった・・・
武道館クラスの会場がほぼ満杯である!(◎_◎;)

会場にはサイリウムが配られていて、
それが中央制御かなんかで一斉に色が変わる!(◎_◎;)

今の時代ってそうなのか?!(◎_◎;)
日本でも?・・・それとも中国だけ?・・・

この日のドラムソロ!!

それにしてもいつも思うのが、Wing Yip 葉世榮というドラマーである。

30年前の若かりし頃に彼がレコーディングしたドラムをコピーして私が叩く・・・
いや、彼自身にはあまりこだわりがないので、フィルインなどは全く自由にやっていいのだが、
いくつかの曲のフィルインがどうもしっくり来ない。

もう10年以上やっているので相当な数のフィルインは試してみた。
ところが私がどんだけ頑張って考えたどのフィルインもしっくり来ないのだ。

ふと原曲を聞いてみたら、
若かりし頃の彼が叩いたダサいフィルイン(笑)がある。

「これはあまりにダサいじゃろう」と思うのだが、
試しにそれを叩いてみるとピッタリ!!!(◎_◎;)

ドラマーとしては「もっといいフィルインないのか?」と思うのだが、
もう「これしかない!」のである。

ビートルズの曲をコピーする時、
どっかしらヨレてるあのリンゴスターのフィルインじゃないと
「何か違うなぁ・・・」
というのと同じである。


そしてドラムソロ・・・

私が40年培って来たテクニックと経験則で、命がけで頑張って叩いたドラムソロなんか、こいつがドラムセットに座った途端に消し飛んでしまう。

もうオーディエンスにとっては、彼が「何を叩くか」など関係ない。
彼がドラムを叩く・・・それだけでいいのである。

日本にはこんな存在のドラマーがいるだろうか・・・

私とて日本では少々「有名ドラマー」であるが、
やはり「何を叩くか」を期待されている。

しかし彼は違う!!
「Wing Yipがドラムを叩く!!」・・・それだけでいいのである。

KISSのピータークリスだったらどうだろう・・・
「ベス」がヒットして、ボーカリストになってもうドラムセットには座らない?・・・

そりゃピータークリスがドラムセットに座って、
ドラム叩きながら「ブラックダイアモンド」を歌ってくれたら涙モノであるが、
・・・ほらやっぱり「何を叩くか」を期待してしまっている(笑)

ボーカリストが亡くなった伝説のバンドのドラマーという点ではQueenのロジャーテイラーと似ている面もある。

しかしビートルズのリンゴスターのような面もある。
何せBeyondは中国語(広東語だが)で最初にRockをやったバンド。

喜納昌吉さんの「ハイサイおじさん」の歌詞を、
沖縄語の全くわからない日本人が一生懸命覚えて歌うように、
全世界の中華圏の人間は、中国語のいち方言である広東語を一生懸命覚えて彼らの歌を歌う。

中国の各地で若いドラマーと会うが、
「僕はBeyondを聞いてドラムを始めたんです。葉世榮さんがいなかったら僕はスティックを握ってません」
と言うドラマーは少なくない。


あれやこれや説明しても日本人にはなかなか理解し辛いだろうから、
今上映されてる「ボヘミアンラプソディー」にちなんで「Queen」をモチーフにして昨日のコンサートを語ろうと思う・・・

「そのバンド」はQueenと同じくボーカルが死んで帰らぬ人となった。

この「ボヘミアンラプソディー」の制作スタッフの中にもいるだろう、ひとりの男がメンバーとずーっと友達だったとしよう・・・

「そのバンド」と「その男」の物語・・・

Queenと違って、「そのバンド」のメンバーは、そのボーカルが残した楽曲をそれぞれのメンバーが歌い継いで生きて来た。

それに関して一番出遅れてたのはドラマーである。
なにせ他の二人と違って歌を本格的に歌うことなどなかったのだから・・・

「その男」は中でも一番そのドラマーと親しくて、
ドラマーが一番どん底の時にもそばにいた。

広東省の田舎町をギターを弾いて「そのバンド」の歌を歌って「ドサ廻り」してるのにもついて行った。

「その男」はドラマーのために何かしてあげたいと思っても、
あまりにも力がない・・・
側で彼の活動を見守るしかなかった・・・

人の人生はそれぞれどれもこれも「奇異」なものである。
ドラマーは、「そのバンド」の結成10周年にはボーカルが死に、
20周年には何とかバンドを再結成させて表舞台に返り咲きたいと思ってた。

ドラマーは「その男」にこう言ってた。
「20周年だから何とかバンドを再結成したいんだ。そのステージで僕はこの彼女との結婚を宣言するんだ!!」

ところがその婚約者はドラマーの部屋の浴室で、
足を滑らせて転んで頭を打って、そのまま浴槽で溺死した。

知らせを聞いた「その男」はドラマーのところに飛んで行って、
何の助けにもならないがずーっとそばにいてあげた。

そして自分にはなんて力がないんだろうと嘆いて泣いた。

どん底の彼に何もしてあげられなかったが、
彼はその苦しみを乗り越えて、素晴らしいボーカリストとして返り咲いた。

そして「そのバンド」は見事に再結成を果たし、
そしてよくある話でまた・・・解散した。

いい時も悪い時も、「その男」はいつも彼と一緒にいた。
「ボヘミアンラプソディー」の制作スタッフにもきっとそういう男がいただろう・・・


ある時、「その男」にドラマーはこう言った。
「ギタリストと一緒にワールドツアーをやるんだ。お前がドラムを叩いてくれないか」

「その男」は彼のため、いや、「そのバンド」のためなら何でもやりたいと思ってたから、もちろん二つ返事で引き受けた。

死んだボーカリストの残した曲をみんなで演奏する。

Queenで言ったら、ボヘミアンラプソディーや、We are the Championとかを一緒に演奏しているようなものである。

「その男」はリハの時から涙なくしては叩けない。
なにせ、自分の友人でもある死んだボーカリストの残した曲を、
そのメンバーと共に演奏しているのだから・・・

本番のその日、「その男」は「そのバンド」のメンバーと一緒にステージに立つ。

まず武道館クラスの客席が満席になっている姿に「その男」は感激をする。
なにせそのドラマーの不遇な年月を一緒に経験しているからである・・・

ボヘミアンラプソディーや、We are the Championとかと同じように、
中華圏では誰もが知っている楽曲に客席全員が大合唱をする。

「そのバンド」を知らない日本の皆さんは想像して欲しい。
あなたが実際にQueenのメンバーと一緒にボヘミアンラプソディーや、We are the Championを演奏している姿を・・・

「その男」はもう涙なしでは叩けない・・・

「そのバンド」のメンバーは「その男」を「俺たちの兄貴」として紹介する。
メンバーと「その男」は、もうその「人生」において長い「物語」があるので、
それを彼らは一番ふさわしい一番短い言葉でそう紹介するのだ。

「その男」は客席にいくつもこんなプレートを掲げているのを見つける。

「私は貴方達の曲を聞いて大きくなったんです」
「その男」視界も涙で次第にぼやけて来る・・・

そう、その男も、そのボーカリストが死んでから、
「そのバンド」の曲と一緒に生きて来た。

本編最後の曲は「そのバンド」の代表曲のひとつ「再见理想」。

そう、「その男」は何度も「再见理想!!」と叫んでは彼の生まれた国に絶望した。

そしてその曲の最後の歌詞
「一起高呼Rock'n Roll」・・・「一緒に高らかにRock'n Rollと叫ぼう!!」
そうやって「その男」はギリギリで生きて来た。

「一緒に」???

誰と一緒に?・・・彼はその死んだボーカリストといつも一緒に「Rock'n Roll」と叫んでいた。
だからこれまでこうして生きてこれたのだ・・・

客席を見る。
みんな同じだ。

Queenの曲を聞いて大きくなった人たちと全く同じ。
武道館クラスの会場を埋め尽くした観客たちの全ては、
どんなに理想を諦めることがあっても、絶望の中で「Rock'n Roll」と叫んで生きて来た。

そう、その死んだボーカリスト、フレディーマーキュリーのようなカリスマを、
「人生の道しるべ」にしたのだ。

彼と「一緒に生きて来た」のだ。

1万人の観客のひとりひとりに「人生」がある。
その「人生」はひとつの映画よりももっともっとドラマチックなものである。

「その男」にも「ドラマ」がある。
まるでその死んだボーカリストが面白がって彼にやらせているような、
泣いて笑えるとてつもない「人生ドラマ」が・・・

そして、残された「そのバンド」のメンバー達の人生にも「ドラマ」がある。

そしてその「ドラマ」は、そのうちの誰かが先にそのボーカリストのところに行ってしまうまで続く・・・

Rock'n Rollの道はまだまだ道半ば。
今日も「その男」は、そして「そのバンド」のメンバーは、
そしてこの1万人の観客達は、その人生を一緒に「Rock'n Roll」と高らかに叫んで生きてゆく・・・

映画なんかよりドラマチックなその「人生」を生きてゆく・・・

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2018年12月 4日

BEYONDの思い出の曲

黄家駒が生きてた頃は、ただ毎日一緒に飲んで遊んで、死んでから初めてBEYONDがこんなに偉大なバンドだと知った。

最初に愕然としたのがこの曲!!

AMANI

アイドルとして(?)人気絶頂の時にアフリカに行って戦争で焼け出された子供たちを慰問し、この反戦歌をヒットチャートに放り込んだんだから凄い!!

黄家駒の葬式の時だったか、
香港のどっかの広場でWINGと待ち合わせしてて、
なかなか来ないからひとりで開店寿司屋に入ってビール飲んでたのよね。

そしたらこの曲がテレビで流れて来てしかも字幕付き・・・


戦争の影でいつも傷つくのは
何の力もない子供たち
僕は歌うよ!!

以下AMANIのからの一節はスワヒリ語で「愛、平和、僕たちに力を」


もうね、ちょっと前に死んだ人間が
「僕は歌うよ!!歌い続ける!!」
と歌ってんだから、ひとりで号泣!!

ビールが日本酒に変わり、泥酔して葬儀に行った・・・(笑)


ところでこの曲の日本語バージョンがYouTubeにアップされてた!(◎_◎;)

あのね、これ私が作った日本語詞、夜総会バンドの音源なんですけど・・・(笑)


次にこれ!!光輝歲月!!

神に召された黒人の追悼曲で、
「彼の人生の意義は皮膚の色による差別との戦いだった」
とか
「虹が美しいのはそれぞれの色が分かれてないからだ」
とか、もう涙・・・(号泣)

もうこの辺は大スタンダードで、中華圏の酒場だけでなく、
タイのパタヤビーチやチャン島の箱バンまで演奏してた定番曲ですな!!(凄っ)

そして最近お気に入りなのはこれ!!

「理想よさようなら」と来て、最後には
「共にRock'n Rollと高らかに叫ぼう!!」
ですからもう涙が止まりません!!(号泣)

Rock'n Rollと言えば、人差し指と小指を立てたロックピースサインを初めて見たのは黄家駒の葬儀の時だった。

葬儀場から棺が運ばれる時に、道という道を埋め尽くしたBEYONDファンがみんな、このロックサインを掲げて泣きながら「BEYOND!!BEYOND!!」と全員で連呼していた・・・(涙)

そう、BEYONDは偉大な「ロックバンド」だった。
黄家駒は死んで「ロックの神様」になった。

その精神を残された私たちが継承してゆく・・・(まだ道半ば)


黄家駒の遺作となったこの曲

なんかを叩く時はいつも泣きながら叩いている。

「ドラムを教えてくれ」という中国人にはいつもこの曲を例に取ってこう言う。

この曲のな、間奏に入る前には今まで押さえつけてたものを全部解き放つかのようなオカズを入れるんだけど、間奏に入った瞬間にはちょっとだけ力を抜いてやるんだよ。
それが「悲しさ」を表現する・・・

「世の中にはどうしようもないことがあるんだ」
そんな気持ちをドラムで表現しながら天と会話するのだ。


この曲なんかも思い出深い・・・

これはBEYONDというよりWINGとの思い出・・・

思えば彼が一番どん底の時・・・
ドラムをやめて歌を歌い始めた彼が、
広東省の酒場でギターを弾きながらこの曲を歌ってた。

「何でバンドじゃないんだ!!バンドだったらどんなど田舎にも俺がドラムで一緒について行ってやるのに・・・」
などと思ってたら、十数年後にはWINGバンドで一緒にワールドツアーを廻っている(笑)

そして今度はPaulも一緒!!

あと2回リハーサルしたらマカオでコンサート!!
その後は広東省と四川省、タイとマレーシアとシンガポールが決まってます!!

今回3回も香港に往復してリハをやるスケジュールも含めて全部すっぽり合間に入ったけどさすがに広東省はスケジュールがぶつかった(>_<)

あとアメリカとカナダも行くんやと・・・スケジュール合いますように!!

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2018年10月31日

Logicを使ったオーケストラアレンジ

今回は少し専門的なお話・・・

このアルバム最後の曲(下記のYouTube映像32:50から)

は、このDEMOではオルガンだけで演奏されているのだが、バンドで演奏してみると、なにかドラムやら現代音楽の楽器はどうもそぐわないような気がした・・・

その時の映像:36:38から)

ではこの曲は全部オーケストラの楽器で演奏させよう!!
ということでアレンジを始めた。

このクラウドファンディングは目標額に達さなくてもアルバムは作るのであるが、
ひょっとして目標額を超えた場合には本当に生のオーケストラで録音することも出来る・・・

日本ではあまり知られていないが、私は絃楽器やら管楽器やらフルオーケストラをアレンジ出来るという珍しい「ドラマー」である(笑)

まあ音大の打楽器科の人にはそういう人もゴロゴロいるだろうし、
そういう人たちは楽器がたまたま「打楽器」であるだけで、
楽典やらの理論は他の楽器の人と全く同じように勉強するので、
まあむしろその人たちから見たら「自然」なのだろうが、
日本では「ロックドラマーが何故?」という偏見が強いのか、いつも「違和感」を持たれている。

中国ではと言うと逆に
「これだけドラムが上手いんだからそれぐらい出来るでしょう」
ってな逆に間違った(笑)考え方があるようで、
時にはレコーディングで「コンガ叩いて下さい」とか言われて閉口してしまう時もある。

ドラムとコンガは全く別の楽器なのよ〜
ギタリストにピアノ弾いて下さいって言うのと同じなのよ〜

・・・ってか言われたらやるけど(笑)


さて笑い話は置いといて、オーケストラアレンジは96年に発売した私のソロアルバム「亜州鼓魂」の時に初めてオーケストラ譜を書いたのが始まりである。

今ではコンピューター譜面で、全く馴染みのないハ音記号や移調楽器のトランスポーズ、
ひいては各楽器の鳴りまでがコンピューター音源で確認出来るのだから楽になったが、
当時は勧進帳のような何段もあるオーケストラ譜に手書きで書き込む。

ハ音記号の「ド」はどこだとか、移調楽器を別のキーで書いたり、
実際に鳴る音は譜面よりオクターブ高いとか、楽器自体の「鳴り」も想像しながら書いてゆく。

LogicTenkousei.jpg

(この時に書いた「転校生は宇宙人」のブラスバンド譜面。コンピュータでやってもこれだけ複雑である)


さて「時代は便利になった」と言っても相当ややこしい作業である。

手順としては、「Logic」という打ち込みソフトを開いて、まずメロディーを打ち込む。
そして最初から最後まで入る楽器であるオルガンを打ち込む。
ここまでは問題ない。

そして「ストリングス」である。

シンセを使ってバーっとコードを打ち込むのとはわけが違う。
ストリングスのそれぞれのパートの人は基本的にひとつの音しか弾かないのだから、
まず一番高い音のパートの人がどんなラインを弾くかを考え、
次に一番下のパートの人がどんなラインを弾くかを考え、
間の人がそのコードの中で使ってない音を拾ってゆく・・・

ストリングスは「バイオリン1」「バイオリン2」「ビオラ」「チェロ」の各パートと、
エレキベースが入らない今回のような場合には「コントラバス」を入れたりする。

この5パートのトラックを作って、それぞれにKONTAKTというソフトシンセを立ち上げて音を割り当てて行くと、それだけでパソコンのCPUがふーふー言っている・・・

これに金管楽器や木管楽器のために新しいトラックを立ち上げた途端にソフトがフリーズ!!(>_<)

同様の経験で悩み続けている音楽家は多いと思うので、
今回偶然発見したLogicのメモリー節約方法を披露したいと思う。

(トラックのフリーズ機能というのもあるけれども、やたら時間がかかるのと、あまりCPUの負担軽減にならない)

まずLogicでも何でも作曲やアレンジをする時には履歴代わりに色んなファイルネームでプロジェクトを保存するだろうが、今回やってみたやり方は、ストリングスパートやブラスパートなどをそれぞれ別のファイルとして保存した。

Logic0.png

しかしこれでは各パートをどのようにアレンジしたのかが次の作業の時に分かりにくくなってしまう。


オーケストラのアレンジは常に色んなパートが複雑に絡み合って作られてゆくので、
勧進帳の何段もある譜面を縦に見て、「この部分ではどのパートがどんな音を出しているのか」を常に把握しながら作業を進める必要がある。


具体的に言うと、ストリングスをどう書いたかを把握して、、次に書くブラスなどのパートがそれとぶつからないように、そしてお互いに書いたラインが上手く絡み合ってよい効果を生み出すようにしなければならないということである。


だからストリングスパートをまずオーディオファイルとして書き出して、
ブラスとか次の楽器をアレンジする時にはそのプロジェクトにそのオーディオファイルを読み込んでやる。

(書き出し)

Logic1.png

全てのオーディオファイルはここにあるので、別パートのエディット作業をする場合は、そのプロジェクト以外のオーディオファイルを全てそのプロジェクトに読み込んでおけばよい。


さて、この作業がどんどん進んでゆくと、
金管楽器に続いては木管楽器、そしてコーラスパートと、ファイル数もどんどん増えてゆく・・・

しかしトラック数が増えればCPUが悲鳴を上げる。
プロジェクトをパート毎に分ければメモリーは節約出来るが、
反面、エディット等を繰り返してゆくうちに、全てのプロジェクトを開いてどれも同じ状態に保つのは逆に大変な作業になる。

これが簡単に出来る方法を今回偶然に見つけたのだ。

Logic2.png

Logicではデフォルトで、バウンスファイルはそのプロジェクトのルートフォルダにある「Bounce」というファイルに保存される。

数多く作ったStringsやらBrassやら他のパートのプロジェクトでも同じところに保存されるのだ。
これこそがミソ!!

ひとつのプロジェクトを閉じる時に、そのアレンジを何も考えずにバウンスしてやればよい。

Logic3.png

前の状態から変更があった場合はこのようなダイアログが出るが、
気にせずに「置き換える」をクリックしてどんどん書き換えればそれでよい。

何と別のプロジェクトを開いた場合には、そのオーディオデータは最新のデータに勝手に置き換えてくれるのだ\(^o^)/

注意すべきは、バウンスする時には打ち込み部分のデータのみ生かしておき、
他のオーディオデータを全てミュートすることである。

Logic4.png

また、作業をしてゆくうちに各パートの音量バランスを取って作業しやすくしたりするものだが、
どのパートの音量を上げたとか下げたというのを覚えておいて、
次にそのパートをエディットした時に出力する全体の音量もそのように変更しておけばよい。

そうすると全てのパートの音量がいい感じで揃って、最終的にプロトゥールスに出力する時に各パートの音量がいい感じに揃っている状態になる。


こうして各パートをエディットしては、それに影響される他のパートを直し、
そして元のパートに戻ってそれに合わせてエディットし、
そんな作業をもう延々1週間以上毎日続けている。

この便利な最新科学技術を使ってもオーケストラアレンジというのはこれだけの手間がかかるのだ。

あと2週間後には歌入れがある。
納得出来るまで旅先でエディットを続け、その時にはこの歌から歌ってもらって真っ先に皆さんにお聞かせしよう・・・

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2018年10月26日

クメール語バージョン制作開始!!

このプロジェクトのクメール語(カンボジアの言語)バージョンの制作が始まった!!

日本語の楽曲を外国語に訳して歌う、というのにも色んな考え方があるようだ。

日中間で色々仕事をさせて頂いたことがあるが、
まずヤン坊マー坊の中国語版を作った時は、
「原詞から少しも意味を変えることなく」
というのがクライアントからの発注であった。

私たちの世代なら誰でも耳にタコが出来るぐらい聞いた、
天気予報で流れるあの「僕の名前はヤン坊〜」というアレである。

実はこの歌詞にはあまり知られていない3番があり、
その中に「双子」という言葉が使われていた。

ヤン坊とマー坊は双子の兄弟〜みたいな感じだったと思うが、
ところが「双子」というのは中国語で「双胞胎(ShuangBaoTai)」、
つまり「胎盤が二つ」と書くのでどうも歌詞にするにはよろしくない。

何とか「仲良し兄弟」とかに出来ませんかねぇ・・・
北京から日本のクライアントに国際電話までして、そう相談した記憶がある。


サンプラザ中野が北京オリンピックに合わせて
「Runnerと玉ネギを中国語で歌いたい」
という話もあって、LaoWuに歌詞を発注したのだが、
「どんな細かいところも変えてくれるな」
と言うので「無理!!(>_<)」となって、結局中国語の喋れる日本人に丸投げした・・・

だって中国にはロッカールームなんてないし~
ペンフレンドもようわからんし〜
コンサート会場の上に野菜が乗ってるって中国ではどうなの?(笑)


うって変わって二井原実。

X.Y.Z.→Aの英語版を出す時に彼は、訳詞の人に
「ええよ別に〜作りやすいように所々変えてくれても〜」
と言っていたのを覚えている。

私の場合は考え方が二井原に近い。


いつもやってるやり方としてはこうである。
まず日本語の詞をそのままその言語に直訳する。
私の場合、その時に色んな注釈をいっぱい書き加える。

例えばこのアルバムの歌詞で言うと、

M1の
「この人が私の父となる人 その愛ゆえに今 生まれてゆく」
はM10の
「ママがパパを愛してあなたが生まれたの これだけは覚えててね...」
とリンクしてますよ

とか

M4の
「河の見える小さな部屋で」
は後に結婚して住むM8の
「黄河のほとりの丘の上に 私たちの家がある」
とリンクしてるんですよ

とか、興醒めのようなことでもどんどん書き込んでおくのだ。


(このアルバムのDEMOフルバージョン)

歌詞は、奥に別の意味があったとしてもそれを限定させるように表現するのではなく、聞き手に想像させるように作ってゆく。
でも訳詞者にその裏の意味を託すのでは楽曲がまた違った意味になってしまう可能性もあるので、
無粋ではあるけれども敢えて細かく書き加えて、その直訳から「詞」にする時に、その人のセンスで、その人なりにぼやかせて貰えば良い。

いや私なんぞはむしろ、
「根本的な流れが合っていれば、細かいところなんかどんどん変えていってくれて良い」
ぐらいに思っている。

「中国のマドンナ」とか別にどこの国にしてもらってもいいし、別にシチュエーションは黄河のほとりじゃなくてもいい。
河でもいいし山でもいいし、要はM4とM10が同じシチュエーションであればそれでいい。

M3「ゴメンね」にしても、まだ初恋を知らない頃の青春の甘酸っぱさが表現出来れば、内容やシチュエーションが全く違ってもいいし、M11「娘の初恋」も、要は次の曲「娘の嫁ぐ日」が感動的になる「娘のエピソード」であればそれでいい。

要は「訳詞」というよりは、その言語で「作詞」して欲しいのだ。


この「クメール語(カンボジアで使われている言語)版」は、くっくま孤児院の子供達自身で詞を作ってくれとお願いした。

ところがこの詞の直訳用原稿を書いている時のこと、突然こんな考えが頭をよぎって筆が止まってしまった・・・

このコンセプトアルバムの物語は、主人公が雲の上で自分で両親を選んで生まれて来て、
母の愛から次には自分の娘への愛となり、
父の愛から恋人に対する独占欲や嫉妬心となり、
最後には愛する人と巡り合って幸せに暮らし、その伴侶を看取るまでの物語である。

でもこの子たちは孤児なのだから、ヘタしたら両親の愛どころか両親の顔さえ知らずに育っている?
母親から、父親から愛情を注がれたことなど全くない子供たちだっているんではないのか?・・・

そんな子供達にこんな物語を作詞させるのて・・・あまりに残酷なのではないか?・・・

そんなこと考えてしまったらもう全く筆が進まない・・・

数日間ずっと悩んでいたのだが、ある日やっとこんな考えに至った。

私は(当たり前だが)孤児になったことはないので、この子たちの本当の気持ちはわからない。
両親は仲悪くて離婚したけど、この子たちに比べたら幸せに育てられた自分が・・・
などと、私は「この立場」でこの子たちを見ていたのではないか?
高いところから低いところを見てるようなその考えこそが一番良くないことなのではないか?
そんな風に考えてることこそ、ずっとこの子たちとの間に「壁」を作っていることではないのか?

私がそんな真綿で包んであげるようなことをしたところで、この世の中はこれからも、容赦なくこの子たちに「現実」を浴びせかけてゆく・・・

異国の地でこの子たちを、母親代りとなって育てている楠美和さんの顔が浮かんで来た。

彼女は決してそんな風に、真綿で包むようにこの子たちと接してはいないだろう。
ある時はぶつかり合い、ある時は突き放し、いつも「同じ目線」でこの子たちと接しているに違いない。

20数人の子育てって・・・どんなん?・・・(涙・・・笑)

そもそもが「歌」などは全て実体験を歌っているものではないのだ。
「歌手」とは「役者」に似ているものだと思う。
自分の体験してないことを、自分が体験した経験からシミュレーションしてそれを「表現」する。
つまりはその世界観を「演じる」わけだ。

だからこの子たちなりに考えて、この子たちなりに「想像」して、この子たちなりに「表現」して欲しい。

年長組は、もう数年でこの孤児院を卒業して独り立ちする。
この国でこの社会に出た君たちは、また容赦なくいろんな「現実」を浴びせかけられ、強く逞しくそれと戦って生きてゆくことだろう。

そしていつの日か、あの時に「想像」した通り、理想の伴侶を見つけ、幸せな家庭を築き、子供を作り、命がけで子を愛し、育て、いつかこの歌のように伴侶を看取り、または看取られながら神のみもとへ召されてゆく・・・

そうなって欲しい。

まあその頃には私は絶対に生きてはおらんがの(笑)
雲の上からそれを楽しみに見ておくぞ・・・


この「クメール語版」は、この子たちを「希望の星」にするためのほんの序章。(関連記事


まず「作品」を残して、それを自分たちの「商品」にする。
自分たちが売る「商品」を自分でたち自身で頑張って作るのだ。

一番好きな曲の順にそれをライブで歌って、その「商品」をお金にしてゆけばいい。
今回作ったクメール語版のCDをライブで売って、それで下の子たちを養っていけるようになれば言うことない。

上の子が巣立っていったら、下の子がまたこれを歌い継いでゆけばよい。

そんなこんなしてるうちに、次はバンドのオリジナルアルバムを作るぞ!!

このバンド

そしていつか君たちはカンボジアで一番の大スターとなって、この国の恵まれない子供たちの「希望の星」となるのだ!!

その時に、このアルバムの最後の一行、
「世界中の全ての人々が、本当に幸せに召されてゆくことができますように...」
とクメール語で歌って欲しい。

私が生きてるうちにその姿が見れるかな(笑)


このクラウドファンディングは、
「まあ100万円もあればアルバム一枚ぐらい作れるだろう」
ということで始めてますが、
このアルバムの先には、このようなもっともっと壮大な「夢」がいっぱい控えてます。

共感して下さる方は、是非ご支援のほどよろしくお願い致します。

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Posted by ファンキー末吉 at:06:53 | 固定リンク

2018年10月24日

「権利商売」はその先にある!!

「日本の音楽が危ない」第2弾としてこんなプロジェクトを立ち上げた。

「新しいビジネスモデル」と言われたってピンと来ない人が多いだろう。
まずは笑い話としてこのブログ記事を読んで頂きたい。

「笑い話」と言ったのは、中国ももうこのような時代ではないからである。
ナン億元も持ち逃げしたこの人は、
身分証がなければ飛行機にも列車にも乗れず、全国どこのホテルにも泊まれないこの国で、今はどのように暮らしてるのだろうと想いを馳せるばかりである。

さてこの笑い話を受けての反応は下記に大きく分かれると思う。

1、これだから・・・1円でもお金をもらえなきゃ着メロなんかに使わせないぞ
2、羨ましい・・・タダでいいから自分の曲も使ってもらいたい

おそらく日本人は「1」の人が多く、逆に中国人は圧倒的に「2」だろうと思う。

なにせ、このおかげで布衣は今や、
全中国をツアーで廻れる動員数を誇れるバンドのひとつにのし上がったであるから・・・

今ではこの曲は色んな映画に使われたりして、使用料が布衣を通して私のところに振り込まれたりする・・・
「権利商売」は実はこの笑い話のもっとその先にあったのである。


さて今度は日本のお話・・・

私はドラマーであるが作曲家でもある。
中国では基本、楽曲は「買取」で、書いたその場で「報酬」として現金がもらえる。

日本では「印税」というシステムで、書いた時点では一銭ももらえず、
後に売れた分だけの「印税」がもらえる・・・ことになっている。

しかし書いた楽曲が大ヒットすることって果たして何万曲に1曲の確率なの?・・・

私は運よく「Runnner」というヒット曲に恵まれたが、
この記事のように、今は出版社の意向で、JASRACからCM部分の管理を外されている。

例えば1000万円のCM使用のオファーが来たとして、
JASRACはそれを右から左へ出版社に振るだけで250万円の手数料を得る。

「濡れ手に粟」である。

「いちいち許諾先に連絡するのは面倒でしょ?うちが一括管理をしましょう」
などという考え方は、このITが進んで世の中でもはや化石なのでは?・・・

今の世の中、CMに使おうというような有名曲の許諾先を探すなんていとも簡単な作業である。
JASRACに250万払うぐらいだったら出版社自ら直接やって、そのぶん権利者みんなで分けましょ!!
これが出版社の意図だと思う。

そして実際にそうなった今、私の場合はRunnerのCM使用料だけが出版社から直接振り込まれることとなる。

今色んな楽曲をJASRACから引き上げているところだが、
私はだいたい200曲近い楽曲をJASRACに預けていた。

Runner以外の曲は今まで通りJASRACから振り込まれるのだが、
前回JASRACから振り込まれた印税額はなんと25円!(◎_◎;)

「リゾ・ラバ」などのヒット曲も含む200曲近い印税の合計額が、たったの25円!!(大笑)

これこそがこの国の「権利ビジネス」の成れの果て!!
我々日本の音楽家たちはこんなものにしがみ付いて生きているのですぞ!!

(注釈:こんなことを書くと、「JASRACが操作して末吉の印税をわざと少なくしている」と言う人が多いだろうが、それをやることは大きな「犯罪」なのでここではそんなことはないという前提で話を進めます)


さてこのプロジェクト
100万円もあればアルバム1枚ぐらいは作れるだろうということで目標額をこのぐらいに設定しているのだが、決して「これで儲けよう」ということではない。
「ビジネスモデル」は他にあるのである。

例えば中国。
日本語版が完成したらそれを持って、私はとある私の大切な友人である女性歌手を訪ねてゆく。
彼女にこのアルバムの中国語版を歌ってもらうのである。

決して「売り込みに行く」わけではない。
「これ、あげるから歌ってよ」
というわけである。

「楽曲さえ気に入ってもらえば」という大前提だが、
タダでオケのデータ全部もらえると言うのだから断るわけはない。

そして彼女が歌えばこのアルバムは必ずヒットする。
そしたらそれこそ「桶屋が儲かる」・・・

なにせ
「美人とは金が稼げることなんだぞ(関連ネタ)」
という国である、「有名になる」ということはそれだけで「お金になる」ということなのである。

分かりやすく言うと、
このアルバムが中国でヒットすれば私の作家としての価値はまた上がり、
日本で言う「買取額」に当たる「報酬」がまた上がるのだ。

ちなみに中国ではもう今は「使用権」の買取であり、
楽曲の「権利」はそのまま作家に残る。
(通常そのような契約を結ぶという意味)

他の歌手がカバーしたい場合、また映画音楽やCMなどで使いたい場合は、
権利を持っている私自身にお金を払わねばならない・・・

そう、まさしく「権利ビジネス」はその先にあるのである!!

もちろんJASRACのような団体は必要ない。
そんなものなんかなくても、今の世の中、歌手に聞いたり発売元に聞いたりして、私の連絡先を調べるなんて簡単なことなのである。


さて日本・・・

前述の通り「作曲」という仕事で「報酬」は支払ってくれない。
必ずJASRACなどの団体に権利を譲渡してガチガチにされて初めて発売。
最終的にいくら入るかは出してみないとわからない。

そして自分の曲を自分で使おうとしてもJASRACなどに必ず許諾が必要である。

私は前回のツアーで「お持ち帰りCD」と銘打ってその日のライブの音源をその場で売ろうと画策した。
JASRACは裁判の中でも
「この楽曲はお前の楽曲ではない。JASRACに委託しているのだからJASRACの楽曲である」
という理論を声高に叫んだので、自分の楽曲であろうがJASRACに許諾申請をする。

ところがこの手続きがあまりに煩雑過ぎて、3枚売ったところでもう諦めた(>_<)

あとで徴収が来たので19円支払ったが、
自分の曲を自分で使って金を払うというのはまだいい。

(煩雑過ぎて)「自由に使えない」ことが一番の問題なのである。

また私は、毎年「サマードラムスクール」を開催しているが、
JASRACが音楽教室相手に徴収を始めて訴訟にまで発展しているので、
このドラム教室では自分の楽曲でもJASRAC管理楽曲は教材に使うわけにはいかない。

このため、もう色々な楽曲をJASRACから引き上げる作業をしているのだが、
ここに「JASRAC信託会員」というご無体な契約がある。

私はもう契約解除したが、
共作者がこの会員契約を結んでたらもうにっちもさっちもいかない(>_<)

当時はJASRACしか団体がなかったので気にしなかったのだが、
これは実はとんでもない契約なのである。

なにせこの契約、
「あなたが作った曲は、それを作った瞬間から未来永劫JASRACのものですよ」
というもの・・・

私も含め、多くの音楽家は当時、
「その方が得ですよ」
と言われてあまり考えずにこの契約を結んでいるので、
人によってはもう忘れてしまっている人も多い。

この契約があるとどうなるか・・・

まずこのプロジェクトのように
「自由に歌って、使って欲しい」
ということなど夢物語である。

なにせ、
「お前の作った曲は作ったその瞬間からお前のものではない。JASRACのもの」
なのだ。
「自由に使って欲しいなどという権利はお前にはない!!」
ということである。

このプロジェクトはクメール語(カンボジアの言語)に訳して、くっくま孤児院の子供たちに歌ってもらうことになっている。
(関連記事はこちら

この子たちのオリジナルアルバムの前に、このこのプロジェクトのクメール語バージョンを歌ってもらって、
その後この子たちがライブの時に販売出来る「商品」にして欲しいと考えているからだ。

カンボジアは外国だからJASRACは手が出せないが、
もし私がまだJASRAC会員で、この孤児院が日本の孤児院だったとしたら・・・

JASRACは地獄の底までこの著作権料を徴収しに来るだろう・・・
「孤児であるこの子達の為に・・・」というこのプロジェクトはその時点で頓挫しただろう・・・


さて「もしも」の話ばかり言ってても始まらない。
日本の多くの音楽家、特に自分の楽曲を自分で演奏、歌唱している音楽家のことを考えてもらいたい。

「大手レコード会社と契約=プロ」という図式が崩れ去って久しいこの国の音楽界で、
そういう人たちが自分の楽曲をJASRACに預け、
そして自分でレコードを作って、自分で演奏、歌唱して、自分でお金を払う。

そう、まるで「みかじめ」のように・・・

印税には「一次使用料」と「二次使用料」というのがあるが、
大手レコード会社に所属して鳴り物入りでデビューでもしない限り、
多くのシンガーソングライター達がJASRACと契約すると、
レコードを出したりの「一次使用料」は自分で支払うという現状が多いだろう・・・

そして実際に収入が大きいのが「二次使用料」である。

ヒットすればカラオケで多く歌われたり、ラジオやテレビで放送されたり・・・
そして一番大きな収入が「CM」!!

そして私個人の現状ではCM以外は25円!!(笑)

音楽家の皆さん、こんな現実を見るに、最初っからJASRACに楽曲を預ける必要ある?・・・
もっと売れて来て、ラジオなどでガンガン放送され出してから契約したっていいのではないの?・・・


さて最初の質問、この笑い話を受けての反応・・・

1、これだから・・・1円でもお金をもらえなきゃ着メロなんかに使わせないぞ
2、羨ましい・・・タダでいいから自分の曲も使ってもらいたい

「1」の人・・・
「俺の曲使いたかったら金よこせ!!」
これって今の時代、よっぽど偉い人しか言えないよね・・・

私を含め、大抵の人は「タダでもいいからどんどん使って宣伝して欲しい」と思うんじゃないかなぁ・・・

例えて言うと、
バンドも歌手も契約以前から事務所やレコード会社に対して高い条件を突きつけて、
それで「もういいや」と言われて結局デビュー出来ない、
みたいな例に似ているのではないかと思う。

「デビューした瞬間からすぐに大金を稼げると思うな!!」
である。
「大金はお前が売れた後にいくらでもついて来る!!」

楽曲も同じ、「権利商売」はその先にある!!のである。

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2018年8月30日

希望の星になれ!!

「縁」というのはそもそもがこのようなものなのかも知れない・・・

この商売、「休みを取る」という感覚がない。
スケジュールがぽっかり空く時、それが「休み」である。

最近は北京でいる時よりも中国のどっかの地方都市でいる時の方が多いので、
その最後のスケジュールが終わってその後にスケジュールが入ってなかったりしたら、
「ムズムズ・・・どっか南の国に行こうかな・・・」
などと考え始める・・・

いや別に日本に帰ったっていいのだが、
往々にして日本への航空チケットは高い(>_<)

というわけでいつもその時々で一番チケットが安いアジア諸国を探すのだが、
それが今回はたまたまカンボジア!!

何と上海から往復で3万円ぐらいで来れたのだ\(^o^)/


プノンペンに着いて真っ先に前回ドラムを叩いたバーに行ってみたのだが、
なんと白人がカントリーを歌う店になっててがっかり(>_<)

他に生演奏をしてるバーはないかと探したが、
この日は月曜日なのでライブは休み(>_<)

しゃーないなぁ・・・と、ふと考える・・・私は一体何をしたいのだろう・・・

前回はドラムを叩いて楽しかった。(映像
まあ「休み」なのに「仕事」であるドラムを叩くのも変な話だが、
「趣味」でもあるのだからそれは仕方がない・・・

まあドラムが無理なら、カンボジアにデスメタルのバンドがあるみたいなのでそれを探してもみたかった。
ポルポトの大虐殺の子孫がどんなデスメタルをやっているか興味があったのだが・・・

まあそんなこんなで初日は何の収穫もなく、ホテルのプールサイドでぼーっとしてたのだが、
何やらタイムラインに色んな人から書き込みが・・・

「プノンペンで日本人が運営している「くっくま孤児院」のお子さん達が「くっくまバンド」というのを組んで一生懸命練習しています(^^)機会がありましたらぜひ」

まあええよ、ヒマやし(笑)・・・そしてこれこそが「縁」だったのである。


何の期待もなく、ただヒマであるからということで向かったこの孤児院
まあ一応ドラムセットはあるだろうということで、「ひとりドラム」が叩けるような準備だけはして行った。

まあどこでどんな状況で叩こうがやることは一緒なのでそれはまあいい。
問題はその後に彼ら達の演奏を聞かせてもらってびっくりした。

!(◎_◎;)・・・いい!!この音楽、むっちゃいい!!

聞けば彼らは当然ながら孤児なので音楽教育を受けたこともなく、
耳コピで見よう見まねで弾いているだけだそうなのだが、
この演奏が私の心を鷲掴みにした。

思えば1990年に初めて北京に行った時、地下クラブで偶然見た黒豹のライブ、
当時の稚拙な彼らの演奏から口ではうまく説明出来ない「何か」を感じて、
そしてその後の自分の人生が全く変わってしまって今も私は中国でいる。

同じような「何か」をこの演奏から感じ取った。

黒豹はその後中国ロック界の重鎮となったわけだが、
この子達にも「何か」を感じる・・・


実はこの子達とはまた別の小さな縁があった。

秋に日本語の歌を歌うイベントがあるらしく、
この子達が今練習している曲が偶然にも「Runner」。

この子達が歌ってくれる「Runner」を聞きながら不思議に思う、
「こんなこともあるんだなぁ・・・」

たまたま慰問に来た人間が、たまたまその時に練習してる曲の作曲者だっただなんて・・・

園長さんはこの曲を作ったのが私だということは知らなかったので、
「実はこれ・・・私が作曲したんです・・・」
と言ったら、子供達が私にこう言った。

「すごーい!!(◎_◎;)作曲ってどうやってやるんですか?!!」

その時に私は心に決めたのだ。
「俺が何でも教えてやる!!」

北朝鮮で「ロック」を教えて来た人間である。
カンボジアでこの子たちに何を教えるなんて私にとってはしごく簡単なことである。

Facebookの私の投稿を見て、ある人がこう書き込んだ。
「いよいよカンボジア編スタートですね*\(^o^)/*」

「北朝鮮プロジェクトに続いて」という意味なのだろう。
私はこう返信した。

「北朝鮮に比べたらはるかに障害は少ないですよ(笑)」


映像に立派な演奏機材が映ってるのを見て、後々
「なんだ、この子達は恵まれてるじゃないか。他にもっと大変な孤児院はいっぱいあるのに」
などと言う人が現れるかも知れないので先に言っておこう。

私はこの子達から演奏機材を取り上げて別の孤児院に回せばいいのではなどとは考えない!!(キッパリ)

そもそもが、この子達に小さい頃から伝統舞踊を教えたこの孤児院の創設者が素晴らしいのだ。

「貧しい人に食べ物を与えるのが援助じゃない。釣竿を与えて釣り方を教えて、その人達が自分の力で食って行けるようにすることが大切なんだ」
と言った人がいたが、その通り、この子達は実際に伝統舞踊を踊ったりして収入を得ている。

まだまだ日本などからの支援の額には及ばないが、
それでも「自分で食ってゆく」何らかの「技術」があることは素晴らしい!!

他にも困っている孤児院はいっぱいあることも事実だろう。
でも私は「たまたま」この子達と知り合った。
だからこの子達を先に援助する!!


そして私はこの日、こう心に誓った。
「俺がこの子達をカンボジアで一番の大スターにする!!」

そしたらこの子達は下の子達を食わせていけるというだけではない。
この子達がカンボジアの全ての孤児達の「希望」になる!!

何の才能も環境もない孤児が、頑張ってこんなに成功したんだ!!俺だって!!私だって!!
そう思ってさえくれれば、もう泥棒や売春なんかやらなくたっていい!!

「孤児がのし上がるにはもうなにも犯罪を犯すだけが選択肢じゃないんだよ」
そんな世の中になったとすればそれこそ「大成功」ではないか!!

人を助けるには「力」が要る。
でももしこの子達がそんな大きな「力」を手に入れたとしたら、
この子たちはきっとそんな恵まれない孤児のためにその「力」を使うだろう。

絵空事を言ってるのではない。
この子達には「何か」そんな「力」があるように思えて仕方がないのだ。

北朝鮮ロックプロジェクトが始まって最初に平壌に行った時、6月4日高等中学校軽音楽部の女の子達と初めて会って私はこう思った。

彼女たちの笑顔こそが「ロック」なんだ・・・

考えてみれば、カンボジアの孤児達であるこの子達こそが直接的な「ポルポトの被害者」ではないか!!

だからこそ思うのだ。
この子たちの笑顔こそが「ロック」なんだ!!と・・・

老い先短いこの私が生きてる間にどれだけのことが出来るかわからんが、
たとえ私がいなくなっても、
たとえこの年長組の子達が就職したり結婚したり、バンドが出来なくなっても、
その下の子達がその「夢」を引き継いでゆけばそれでいい。

そしていつかこの国の「希望の星」になってくれればいい。
いつまでも「笑顔」で頑張って欲しい・・・

カンボジア希望の星プロジェクトまとめ

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Posted by ファンキー末吉 at:09:33 | 固定リンク

2018年8月27日

中国ロックの叩き方

さて前回の黄绮珊(Huang QiShan)の次には、共に私がバックを務めた贝贝(BeiBei)という歌手の話・・・

一度彼女の新曲のプレスコンフェレンスに呼ばれてドラムを叩いたことがある・・・
曲のタイトルが「Young Rock Star」!(◎_◎;)

まあRockな喉を持って鳴り物入りでデビューした若いスターなのだからいいけど(笑)

デビューしたての新人歌手はオリジナルのレパートリーがそんなにないので、
新曲発表のプレスコンフェレンスとかならいいけど、30分とか演奏時間ではオリジナル曲が足りない。

必然的にカバー曲を歌うことになるが、その3曲が全て私が叩いてレコーディングした曲だった。

ますこの曲!!

名実共に一番成功したロック歌手のひとりである汪峰(Wang Feng)の曲。
(ちなみに嫁さんは大女優の章子怡(Zhang ZiYi)

毎回アルバムの時にレコーディングに呼ばれて半分以上の曲を叩くのだが、
この曲はこの時に叩いたのかこの時に叩いたのか、はたまた嫁さん連れて来たこの時に叩いたのか・・・

6/8のリズムでこれだけゴーストノート入れてたら中国の若いドラマーじゃぁなかなかコピー出来まい(笑)

案の定、贝贝(BeiBei)のライブ音源を聞いてみると、若いバンドのメンバーはかなり簡略化して叩いているようだ・・・

まあちょっとニュアンスが違って来るけれどもそれはそれでよかろう!!
大事なのは「スタジアムで叩いてる」感覚で叩いているかということだ。

これが若いドラマーには全く出来とらんぞ・・・

「武道館のステージに立ったことがあるバンドは違うね。
ライブハウスで演ったってオーラが武道館だもん」
と言われたことがあるが、
ステージとは「オーラを伝える」ところであるから、
「武道館ぐらいだったら一番後ろの席にも生音で届かせてやらぁ」
という「気迫」が必要である。

特にこの汪峰(Wang Feng)という歌手はいつもスタジアムで演っている人なんだから、
曲を聞いて、求められてるのはこんな感じだろうというのはすぐに伝わって来る。

特に3:18ぐらいからの間奏・・・
1:32からのドラム導入部分にも間奏があって、
これも初顔見世なので思いっきりテンションを上げて叩かねばならなかったが、
その後はAメロに入るので緩やかに落としてゆくけど、
この間奏はもうありったけのアドレナリンをぶち込んでテンションMAXで叩かねばならん。

私が電気ドラムを叩けないのは、
ただの「スイッチ」でしかないドラムパッドは、こんな時に押されるべき「根性ボタン」がないのね・・・

サビまで行って「フォルテ」まで持っていってたら、
その後のこの間奏は「フォルテ+根性」(笑)
もうアドレナリン出まくりで目つきヘロヘロ、ヨダレ垂れまくりで叩いてなくてはならない。

若い衆よ、お前はカッコばかりつけてるが、本当にヨダレ垂らしながら目がイって叩いたことがあるか?(笑)

そしてその後にはまたサビが来るので、そこで気が緩んではならない。

例えて言うと、生死を分けた戦いが終わって、
その瞬間に身体はまだそのまま戦ってるんだけど、
精神は両手を上げてガッツポーズをしてる感じ?・・・

ここでX.Y.Z.→Aだったら二井原が「イエィ!!」だとか「カモン!!」だとかシャウトをするのだ(笑)

ブースの向こうでは汪峰(Wang Feng)がこちらに向かって親指を立てる。

彼には見えてるのだ。
この部分で自分がスタジアムでどんな感情になって客がどのようになっているのかが・・・

ドラムはバンドの「指揮者」。
Funkyがそんな土台を作ってくれた。
あとの楽器はそれに合わせればいい。
自分はその全てに乗っかって歌うのだ、と・・・


この曲は細かいテクニックが色々あって説明に難しいのだが、
次の曲、これは簡単!!

要は「爆発力」である。

0:16や1:18秒からのこのサビの叩き方、
私の中にはこのようなフレーズはないので、
きっと若いプロデューサーの指定だったのだろう。

とにかくこれをアドレナリンばりばりでヨダレ垂らしまくりで叩く!!
要は「爆発力!!」これが欲しいから打ち込みのドラムでなくこのファンキー末吉を呼ぶのである!!

2:00ぐらいから次のAメロに向けて「落としてゆく」のだが、
そこからAメロは
「力を抜くんじゃねぇ!!タイトにするんじゃ!!」
という大切なことを語ろうと思ったらリズムBOXに差し替えられとるやないの!!(笑)

まあ機械にすぐ差し替えられるほどクリックに忠実であることも必要。
2000年頃最初に中国でスタジオ仕事をやった時、
そのプロデューサーが音楽仲間にその音源を聞かせて、
「これは機械ですか?人間ですか?」
と言われたという話を聞いた。

「機械のようなドラムですね」という意味ではない。
「人間ですよね、どうしてこんなに機械のように正確なんですか」
という意味である。

機械的なんてあり得ない。
「ファンキー末吉のドラム」というのはとかく「人間的である」ことであると思っている。

まあ「喜怒哀楽」が激しいんやろうな・・・
だから実際の生活でもそれで人とトラブる(>_<)

でもそんな性格のイビツさがドラムにもちゃんと出ている。
その喜怒哀楽豊かな表現が機械と完璧に同期していて、どの部分もリズムBOXに差し替えられ、もしくは両方生かせて使うことが出来る、
という部分も、私が中国ポップスのレコーディングに大きく貢献した部分のひとつだと思っている。


さてここまでは「喜怒哀楽」の「怒」であるが、
ここからが中国ロックの真骨頂!!

贝贝(BeiBei)がコンサートのラスト曲に選んだのはこの曲・・・

許巍という歌手は、
これも中国ロックの歴史に残る1枚であるのだが、『在別処』というアルバムを録音し、その後順風満帆かと思えばその後に北京の音楽界に失望して西安に帰る。

私はこの『在別処』のデモ音源を彼の部屋で聞かせてもらったことがある。
グランジ系のロックで「中国ロックもここまで来たか」と思った・・・

ここからは都市伝説だが、その後麻薬に溺れ、
禁断症状から抜け出すために家の入り口を釘で打ち付け、
自分で自分の身体を縛って(自分では縛れんじゃろ・・・笑)、
LuanShuがそのドアをぶち破って彼を助け(ぶち破れんやろ、普通・・・笑)
彼の縄を解いて彼を抱きしめた時に彼はこう言った。

「曲が出来たんだ・・・」
その曲がこの「蓝莲花(LanLianHua)」だったという・・・

「帰ろう!!一緒に帰ってアルバムを作ろう!!」
そう言ってLuanShuがプロデュースして作ったアルバムが、この曲が収録されている「时光漫步(ShiGuangManBu)」!

「メンバーは誰でもお前の好きなメンバーを呼べばいい。ドラムは誰にする?」
そう聞いたLuanShu許巍は「Funkyがいい」と答えて、結局全曲私が叩くことになった。

そしてこのアルバムが中国ロックに金字塔を打ち立てるような大ヒットとなり、
私は今だに「許巍のドラマー」とよく言われる。

不思議なもんだ。
今では汪峰に録音した曲の方が多いはずなのに、「汪峰のドラマー」だと言われたことは一度もない。

きっと许巍の伝説のコンサートにいくつも参加してるので人々にはそのイメージがあるのだろう・・・


人々にはあまり知られてないが、
私の中で一番「伝説」のコンサートが、
アルバムが出来て最初のコンサート・・・

今ではスタジアムで演奏する彼だが、
その時は北京の小さな小さな小劇場で行われた小さな小さなコンサート・・・

実は私は前の日、全ての譜面を見ながらそれぞれの音源を聞いていて、
ある瞬間に彼の「詞」が流れるように頭に入って来た!(◎_◎;)

涙で譜面が霞んで来たのを覚えている・・・

コンサート当日、全ての曲のカウントを出すのは私だから、
曲つなぎかMCかを知っとく必要があったので出番直前に彼にこう聞いた。

「MCはどの曲とどの曲の間に入れる?」
それに対してキョトンとして彼はこう答えた。

「MC?・・・喋りなんか入れないよ。俺は歌いに来たんだ」

これもひとつの「中国ロック」の伝説である・・・

何曲目が終わったところだろう、
スティックをかざして次の曲のカウントを出す準備をしてたら、
ステージからいきなりいなくなった。

何も言わずにいなくなったのでこちらとしてはどうしようもない。
LuanShuも一瞬戸惑っていたが、うんうんと頷いて私に「待て」と指示した。

何分ぐらい待ってただろう・・・
5分?10分?・・・
何もアナウンスもせずに無言で待つ時間としてはとてつもなく長い時間だったのを覚えている。

だが不思議なことに、置いていかれた観客がひとりとして声を上げる人間はいなかった。

许巍のファンは熱烈である。
命がけで许巍を愛している。

そんな熱烈なファンが誰一人として騒いだりしなかった・・・

ステージ上のミュージシャンも客席の全ての観客も、
いつまでもいつまでも黙って许巍が帰って来るのを待っていた・・・

噂によれば「トイレで泣いてた」という都市伝説もあるが、
帰って来た许巍は何のエクスキューズもせずに、
何事もなかったかのように歌い始めて、
そして何事もなかったかのようにコンサートは終わった。

その打ち上げの席で偶然許巍の隣に座った私は、
昨夜の話、「突然歌詞が入って来たんだよ」という話から、
「どうして日本人から見たら構成がこんなに変わってるかと思ったら詞だったんだね」
という話・・・
そして最後にこう言った。

「わかったよ、お前の音楽が・・・
お前の音楽はなぁ、絶望の中で一筋の希望を見た、それを歌ってるんだろ?」

これには许巍自身もびっくりして、
「それ以上言わないで・・・俺・・・泣いちゃうから・・・」


また前置きが長くなってしまった。
では「絶望の中で一筋の希望を見た」という音楽はどうやって叩くのか?

これこそが「中国ロックの奥義」である!!

まずこの曲を聞いてみて欲しい。

「时光漫步(ShiGuangManBu)」の中に収録されている许巍の人気曲のひとつである。

そう言えばこのアルバムが発売された時、
突然黒豹のドラマーと零点のドラマーがこう言って電話して来た。

「感服しました。僕たちはゼロからもう一度あなたに学びます」

中国ロックの歴史の中で一番レコード売ったバンドのドラマーと、
中国ロックの歴史の中で一番金を稼いだバンドのドラマーにこんなこと言われるんだから大したもんである(笑)

スタジオ仕事なんか叩いたらどんな曲なのか全部忘れてしまうので、
それからこのアルバムをゲットして聞いたら、この曲のドラムに自分で感激した。

この曲が大好きになって、それこそ毎日毎日、何十回も何百回も聞いた。

聞くたびに思うのが、
「このドラマーはなんて悲しいドラムを叩くんだろう・・・」
ということである。

「このドラマーは、その人生でどれほどの絶望を味わったのだろう・・・」
などとも想像してしまう・・・

まあ自分の人生は自分がよく知っているので「絶望」でもなんでもない。
単に「喜怒哀楽」が人より激しいだけの話である(笑)

では物理的にどのようにその「哀」を表現するのか・・・

これは後で「そうなんだ」と思ったことであるが、
要は「力の抜き加減」である。

1:47からのサビ、
これまで押さえて来たものがもうすぐ全部爆発するぞ・・・みたいなフィルに続いて、サビに入った瞬間にふっと力を抜く。

それが「悲しい」のである。

レコーディングの時には詞など全くわかってなどいなかったが、
実は見事に詞とリンクしている。

「完美生活(完璧に美しい人生)」など「ありえない」のである。
同様に前曲の「蓝莲花(ハスの花)」も同じである。

中国には「どうしようもないこと」がたくさんある。
(中国でなくても実はたくさんあるのだろうが)

天安門事件で仲間を殺され、
中国共産党に目の敵にされてライブを潰され、
そして許巍のようにショービジネスの世界に絶望して故郷に帰ったり・・・

中国の同じ世界で生きて、中国の同じ空気を吸っている私にとって、
その「気持ち」は手に取るようにわかる。

だから叩けたのである。

ではなぜ力を抜くと「悲しい」のか・・・
それはその直前までに秘めている「爆発力」だと思う。

「スローボールは力のないボールではない」
という言葉があるが、同様に
「小さい音は弱く叩くのではない」
ということである。

つまり「力いっぱい命がけで小さな音を出す」のである。

この秘めた「爆発力」が「悲しさ」を生むのである。
「世の中にはどうしようもないことがいっぱいある」
というメッセージとなるのである。

当然ながら「爆発力」が大きいほど「悲しさ」が大きいということになるので、
音の大きなドラマーの方が表現力が大きい。

江川ほーじんが自分のアンプのことを語る時、
「デカい音を出すために大きなアンプを使ってるんじゃない、
綺麗な音を出すために大きなアンプを使ってるんや!!」
と言う。

容量の小さいアンプをボリューム全開で鳴らすより、
余裕のある大きなアンプのボリュームを絞って鳴らした方が、
同じ音量なら大きなアンプの方が音がいいのである。

それと同じ!!


最後に前述の「蓝莲花」の話・・・

歌詞ともリンクするが、許巍のコンサートで若いドラマーがこれを叩いているのを聞いたことがある。

もうね、どうしようもない(>_<)

「没有什么能够阻挡(もう何も阻止するものはない)」
という歌い出しから始まるこの曲は、
ドラマーが最初のシンバルをピシャンと何も考えずに叩いた瞬間に全てが終わってしまう。

強く叩くと詞の意味は「本当に何も阻止するものはない\(^o^)/」という意味になってしまうし、弱く叩くと「絶望の中の一筋の希望」さえもなくなってしまう・・・

その間のほんの一握りのチカラ加減、それ以外に「正解」はないのである。

「リズムとは初恋のようなものだ」
と言ったことがある。

強く抱きしめれば壊れてしまう、
弱く抱きしめれば逃げて行ってしまう、
この恋を失いたくなければ、命がけでちょうどいい強さで抱きしめ続けなければならない。

「命がけでちょうどいい強さで叩き続ける」のじゃよ!!


ほんの一握りの強さの違いで曲のメッセージまでガラッと変わってしまうって凄いでしょ。

ドラムなんて音程もコード感もない、
ただ音の強さと密度だけしかない楽器だけど、
それだけで詞のメッセージすら変わってしまうぐらい大切な楽器なのよ。

ドラムはバンドの「指揮者」!!
だから音楽に最大の「愛情」と、最大の「責任感」を持って挑まねばならん。

別に中国語が分からなくても出来ることである。

曲を作った人が、歌手にこのように歌ってもらいたい・・・
アレンジする人がこのように歌ってもらいたい・・・

「ドラムをどう叩くか」はそのメロディーやアレンジの中に必ず答えがある。
それを敏感に感じ取って、それを命がけで表現する。

それだけである。


・・・てなことを偉そうに言っておきながら、
実はこの日のコンサートの時、
この「Young Rock Star」がこの曲を最後に歌うっつうので、ついつい強く叩き過ぎちゃったのよね(>_<)

そこで「しまった」とばかり弱めたりするともっと目も当てられない。
即座に判断してそれよりちょっと落としたぐらいの自然な流れの強さにして、
結果的に
「私はYoung Rock Starよ!!もう何も私を阻止するモノはないわ!!」
みたいな曲になってしまった(>_<)

すまん!!許巍!!
まあこんな「バージョン」もあるんだということで許してくれ!!(涙)

Posted by ファンキー末吉 at:06:51 | 固定リンク

2018年8月25日

Merry Christmas Blues

昨日は遼寧省の田舎街でのイベントで、
贝贝(BeiBei)という歌手と黄绮珊(Huang QiShan)という歌手のバックをやった。

リハの様子・・・

歌手1のサウンドチェックなう〜遠くに見える仏像に心癒される・・・ - Spherical Image - RICOH THETA
歌手2のサウンドチェック~夕日を浴びて仏像が神々しい~ - Spherical Image - RICOH THETA

本番の様子・・・


贝贝(BeiBei)のことはまた後に書くとして、今日はこの黄绮珊(Huang QiShan)の話・・・

彼女は去年北京で大きなコンサートを開いて、その時も私は呼ばれてドラムを叩いたのだが、同時に新しいアルバムもレコーディングしていて、何曲かスタジオミュージシャンとして呼ばれてドラムを叩いた。

そのアルバムがこれ!!

素晴らしいアルバムなのだが、聞いてみたらほとんどの曲を私が叩いている!(◎_◎;)

スタジオ仕事なんかやったらすぐ忘れてしまうのだが、
ドラムを聞くとなるほど「ファンキー末吉」である。

また、「曲を提供してくれ」と言うので、自分の作品を色々送りつけてたら、
「これが欲しい!!」
ということで、小林エミさんのアルバムに提供した「Merry Christmas Blues」と、
以外にもX.Y.Z.→Aの「Shaning Star」を伴奏音源ごと提供した。

更には「アレンジをしてくれ」と言うので、
へーすけさん、米川くん、仮谷くんのチームで3曲アレンジして音源を納めているので、そんなこんなで ドラムはほとんど私ということになってしまっているのだ・・・

まあコンサートで自分の叩いたドラムを再現するっつうほど「楽」なことはないが(笑)、案の定イベントではいい出来で演奏を終え、その打ち上げの席でのこと・・・


「もうね、この曲がいいのよ・・・」

何の話の流れか忘れたが、新しいアルバムの話になって、この「Merry Christmas Blues」の中国語カバー、「冬城」という曲をスマホで流しながら聞き入っている・・・

「Funkyさん、本当にありがとう、こんな素晴らしい曲を・・・」

作ってくれて・・・と言うのかと思ったら、どうも話が違う・・・
どうやら私はアレンジをしてオケを作っただけだと思っているようだ。

「この曲はね、誰だか知らないけど日本人が作ったメロディーだって・・・
もうね、私は歌手生活で初めて、スタジオに入って最初から最後まで一発OKで録音したんだから。一回しか歌ってないのよ・・・」

あのね・・・とばかりちょっと口を挟んでみる・・・
「この曲・・・書いたの・・・この俺・・・」

そう言うと、
彼女は突然えらく興奮して私に飛びついて来て、
強くハグして、そして涙ぐんだ・・・

「そうなの?あんたなの?この素晴らしいメロディーを書いたのはあんただったのね」

まるで「長く探し求めて人とやっと会えた」そんな感じである・・・
この曲を愛してて愛してて、
「こんな素晴らしい曲を作った人といつかお会いしたい」
と思ったら意外にもその人が目の前にいた・・・
そんな感じである・・・

彼女の涙に私の涙腺も緩み、抱き合って一緒に泣いた・・・
こんなこと・・・曲を書く人間にとって最高の誉め言葉である(涙)


曲は「自分が生み出した子供」だと思っている。

自分で歌を歌える人間でない限り、
どんな素晴らしい子供も、生み出したところで歌ってくれる人がいなければ生命を吹き込まれない。
(だから最近はお恥ずかしながらも自分で歌おうと思い始めた)

それがこの大歌手にこれほどにまで愛されて、
この我が子は、そして私自身はどれだけ幸せなことかと思えて泣けて来たのだ・・・

「見て見て、MTVも作ったのよ。これも最初から最後まで1カットで撮ってるの・・・」

MTVまで作ってるのならこの曲がアルバムの「リーディングソング」なのだろう、
嬉しい限りである・・・


この曲はもともと、イラク戦争かなんかの時に北京で書いた曲である。

主人公は関西弁のはすっぱな女。
自分のことを「あたい」と言い、相手のことを「あんた」と言う。

実際はそんなはすっぱな女と会ったことはないのだが、
そんな女が私は好きで色んな歌に登場させたりする・・・

そんな女が男を愛し、想っても想ってもどうにもならない、
そんな絶望の中で、「人に優しくしよう」と思って来る。

そんなはすっぱ女が好きである・・・


詞は別にして、誰か中国の歌手に歌ってもらえればと思ってはいたのだが、
当時の中国はまだインターネットがあまり普及してなく、
今と違って外国の情報に乏しいので「純国産風」の楽曲しか採用されなかった。

第二期の五星旗でヤンヤンに歌ってもらったりはしてたのだが、
最初に歌って「レコード」として世に出してくれたのは三井はん

「三井ぱんと大村はん」のアルバムラッカンサンというアルバムに収録され、
その後小林エミさんのこのアルバムに収録された。

(ちなみにエミさんは「あたい」とは私は言わへんなぁ・・・
というわけで「わたし」に変えている)

もうね、和佐田のベースはいいとして(笑)、
西野やすしさんの泣きのギター、
そして須藤光さんのオルガンは涙モノの演奏・・・(涙)

そしてこのバージョンが海を越えて中国でそのまま使われ、
そしてこの大歌手がイチ押しで歌うならきっとこの国でヒットして、
更に色んな人に愛される曲になるだろう・・・


当時私は別にJASRACと揉めてたわけではなかったのだが、
この曲はずーっと著作権登録をしていない。

「世界平和」のために作ったのだから、漠然と
「この曲は色んな人に歌ってもらいたい」
と思っていたからである。

だから当初の考え通り、もし日本でもこの曲を気に入ってくれる人がいたらどんどん歌って欲しい。

音源と譜面をアップしておきます。

世界がもっともっと平和になりますように・・・

MerryChristmasBluesOriginalKey.png


Merry Christmas Blues

A: 明日はChristmas あんたと出会って 初めて過ごした夜だった
あたいの人生 どうせこんなんやから せめて明日は祈りたい

A' いつかはきっと 争いもなく 平和な日々が来ますように
憎しみより 愛するみたいな あたいになれますように

B' こんな気持ちに なれたのもきっとあんた あたいのたったひとりのJesus
いつでもあんたを 忘れはしないと 泣いた遠い日のMemory

A'' あたいの人生 どうせこんなんやから せめて明日は祈りたい

<間奏>

A' いつかはきっと 争いもなく 平和な日々が来ますように
憎しみより 愛するみたいな あたいになれますように

B' 神様なんて あたいにゃわからへんけど 悲しい時はあたいのJesus
いつでもあんたを 忘れはしないと 誓ういつものMerry Christmas

A'' あたいの人生 どうせこんなんやから せめて明日は祈りたい
心から祈りたい いつまでも祈りたい

アーメン

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2018年7月 8日

恩師との思い出

おい、宇多津町長の娘であり、玉木雄一郎議員を国会に送り込んだ元敏腕秘書のH女史、お前は人を集めるのが趣味かい!(笑)

四十九日終わって大阪に帰る前に、同級生から県会議員まで声をかけて「ファンキー末吉を囲む会」なるものを企画している(>_<)

「こいつ絶対ワシをどっかから出馬させようとしとるな(笑)」
と思いつつも
「ミュージシャンやっとる間は絶対に政治と宗教だけはやらんからな」
と言いながら出席させて頂いたら、なんと高校の時の恩師がいらしてくれていた。

宇多津町長の娘、玉木雄一郎議員を国会に送り込んだ元敏腕秘書のH女史、人を集めるのが趣味かい!(笑) 「ファンキー末吉を囲む会」に県会議員から同級生まで集まって、一番嬉しかったのが恩師の北条先生!! 今日も思わぬエピソードで目頭が熱くなりました!! 続きはブログに書こう・・・ - Spherical Image - RICOH THETA

御歳74歳、まだまだお元気で大手前高校で働いてらっしゃるというのでびっくりした。

私の通っていたこの大手前高校という学校は、香川県でも有数の進学校。
今ほど履修に関して厳しくなかった当時、
体育など受験に関係ない授業は全くなく、文化祭や修学旅行などもない、
それはもう「高校」というよりも「予備校」、
もっと言えば当時の気持ちとしては「監獄」だった。

まあこんな学校なのだから勉強して偉くなるヤツはなるし、
落ちこぼれてグレるヤツはグレる・・・

後者がこの私(笑)
そこに赴任して来た担任がこの恩師である。

後に奥さんからこの話を聞くことになるのだが、
実はそれまでエリートサラリーマンだった恩師、
当時流行ってた「われら青春」とかの学園ドラマを見て、
「俺は教師になる!!」
と言ってサラリーマンをやめた。

大きな夢と希望を抱いて最初に赴任して受け持ったクラスが、この私のクラス・・・

そこには毎回ドラマに登場する「落ちこぼれ」がいた・・・それが私(笑)

きっと
「こいつを立ち直らせることが自分が教師になった使命なのだ」
とか思ったのであろう、私にとってはとてつもなく「暑苦しくてうっとおしい」先生だった(笑)

今の時代だとこんなことも皆無なのかも知れないが、
「今度の日曜日にみんなで先生の家に遊びに行こう」
となって初めて先生のお宅にお邪魔した時、
奥さんが私の顔を見てこう言った。

「あんたが末吉くん?!!」・・・

上記のエピソードを語ってくれたのはその時である。
どうやら先生はいつも学校から帰ると私のことを話題に出してたようだ(笑)

「この子は決して悪い子じゃない。こんなにリーダーシップがあるんだから、この子さえもっといいようにクラスを導いてくれたらうちのクラスは最高のクラスになる」
とかこぼしていたようだ。

「こんな監獄のような学校で何が最高のクラスじゃい!」
と当時はそんなことを思ってたのを覚えている・・・

そして今日の再会の時に、
先生からまた新しいエピソードを語って下さって顔を赤らめた。

「当時若い国語の先生がいらっしゃったのよ。
その新米の先生をいじめるみたいな感じかなぁ・・・
終業ベルがなる5分前に突然生徒が「起立!!礼!!着席!!」と号令をかけて強制的に授業を終わらせる・・・
全員が一糸乱れずそれをする・・・そんなクラスだったんですよ・・・
後でその先生に「なんてクラスなんですか」とクレーム言われましてねぇ・・・(笑)」

はい、それ・・・私が号令かけてました<(_ _)>

そして次のこのエピソードは今までも色んなところで語って来たから有名だが・・・

リッチーブラックモア率いるレインボーが来日して広島でコンサートをやるというので、他の学校のバンド仲間と学校をサボって見に行った。

他の学校は自分で学校に電話して
「風邪ひいたんで休みます」
とでも言えばそれでよかったのだが、
うちの学校は厳しいので必ず折り返し学校から確認の電話が来る。

母が学校からの確認電話を受けた時には、
もうドラ息子達は鈍行列車と連絡船で広島に向かっていた。
当時のことだから携帯なんかありゃしないので連絡なんかつきやしない。

コンサート終わってまた鈍行列車と連絡船に乗って真夜中に帰って来たら、おふくろはカンカン!!
そして学校に行ったら案の定先生が私を手招きして「カウンセラー室」に呼ぶ。

このカウンセラー室は当時私専用と言ってもいいだろう、色んなことでいつも呼ばれてはここで説教されていた。

「昨日はウソまでついて学校休んで何をしてた」
熱血先生はこの日も説教する気マンマンである。

「レインボーのコンサート行ってました」
「何やそのレインボーっつうのは」
「ロックです」

そんなやり取りの後、先生はこう聞いた。
「勉強とそのロックとやらとどっちが大切だと思ってるんだ」

その時に私はこう答えた。
「勉強は明日頑張れば取り返せるけど、レインボーは今日を逃したらもう2度と見れない」

さて熱血先生、いつもだとここからが長いのだ・・・(笑)

しかしその時、ちょっと考えて先生はこう言った。
「そうか、わかった。じゃあ勉強の方も頑張れ!」

拍子抜けして呆気に取られている私を尻目に、先生はさっさとカウンセラー室を出て行った!(◎_◎;)

そして今日、先生は更にこんなことも語ってくれた。
「あの時に私は思ったのよ。こいつにとって今勉強より大切なものがある。
どんな生徒にも今、勉強よりも大切なことがあるんだなということがわかった。
教師としてあの時、私は末吉に大切なことを勉強させてもらったよ」

私はその話を聞いた時、涙が出そうになった。
「先生、そんなええもんとちゃうんです。単なる悪ガキの子供じみた言い逃れですから(号泣)」
そんな言葉を涙と共にビールに流し込んで飲み込んだ。

今、その「ロック」とやらで生計を立てているわけで、
それも相成ってこのエピソードは「伝説」になっているだけのことで、
先生は今日、こんなこともおっしゃってた。

「末吉は昔からバイタリティーがあった。
こいつは何をやっても生きていけるな、そう思ってたよ」

そうなのだ。
例えその後私が「ロック」とやらをやってなくても、
私は持ち前のバイタリティーとやらで何とかこの世の中を生き抜いて、
そしてこのエピソードはきっと自分の人生の中で、きっと同じように「伝説」となってただろう。

そう言えば、それより前か後か、
あまりに成績が悪くてまたこのカウンセラーに呼ばれた時にこんなことを言ったことも思い出した。

「大学になんか行くつもりはない。学校もやめてしまってもいい。
僕は大阪に行ってブルースをやるんです!」

当時は四国の片田舎は関西の文化圏、
関西では上田正樹やウエストロードブルースバンドを筆頭とする大ブルースムーブメントが吹き荒れてた。

東京なんてところに行くつもりなんかサラサラない。
梅田か難波か、キタとかミナミとか言われているまだ見ぬ素敵な街の、
場末のキャバレーかどっかでドラムを叩いて、
人生に疲れたブルースな女性と一緒になって、
それこそブルースの歌に出て来るようなブルースな人生を送る・・・
それが若き日の私の「夢」だった。

そう言えばその時にも先生は、怒るでもなくたしなめるでもなく、こう言った。

「そうか、でも別の人生もあるかも知れんということも考えておいた方がいいぞ」

その通り、別の人生もあった。
ニューヨークに行ってJazzをやるか、東京に行ってRockをやるか、
後には「大阪に行ってブルースをやる」という夢は、もう形を変えて別のものになってしまい、
そして東京を選んで今がある・・・

恩師とて後に私がこのような人生を送るようになるとは思ってなかっただろう。
ただ、恩師が言うように私はどんな職業についたとしても、きっと持ち前のバイタリティーとやらで何とかこんな風に生きて来てただろうと思う。

感謝すべきはそのバイタリティーを恩師は一度たりとも叩かなかったことである。

その「バイタリティー」だとか「リーダーシップ」とやらがいつもクラスを悪いように導く。
だけど恩師はそのことについて私を叱ったことがない。

ただただ家に帰ってはいつも奥さんに愚痴を言いながら
「どうすればよくなるんだろう」
などと悩んでいたのだ・・・(涙)

そう言えば先生の担当だった世界史が私はどうしてもダメで、
赤点で卒業すら危うかったのによく卒業出来たなぁと思う・・・

普通の学校だったら本当に留年してたかも知れないが、
ここにこの学校の「特殊性」がある。

当時商店の息子はその商店を継ぐのが暗黙の「常識」で、
私も家業だった中華料理屋「平和園」を継ぐであろうということで何も考えずに文系のクラスを選択していた。

しかしその実、文系の教科はどれもからきしダメで、
何故か数学だけはべらぼうないい点数を取ってた私に、
数学の比重が多い文系の大学ばかりを選んでくれたのはこの恩師である。

私の受ける大学は数IIIまで必要。
だが文系のクラスなので履修は数IIしかない。
数学の先生と相談して、
私だけ数学の授業は一番前の席で数IIIを自習、
数学の先生が他の生徒には数IIを教えながら時々私の自習を見る・・・

こんな型破りなことが出来たのも、
当時のこの学校が今ほど履修に厳しくなかったことと、
この学校が「大学に受かればそれでいい」というそんな「特殊」な学校だったからだろう。

「こんな学校だからこそ最高のクラスにするんだ」
と燃える熱血教師と、
「こんな学校だから俺は監獄の外でバンドをやる」
というこの生徒とは、
一見交わるところはないように見えて、
見事に当時の「青春学園ドラマ」のように、この落ちこぼれが恩師の指導によって立ち直ってゆく・・・

当時は「こんな最低な学校」と思ってたけど、
今思えばそんなことは決してない。

こんな学校だったからグレて「ロック」とやらを始めたわけだし、
こんな学校だったから自分なりに好きな教科だけいっぱい勉強して、
入口だけでも普通の人生を送ってみることが出来た。

だから「今」がある。

嬉しいかな恩師は私の「今」をよしとしてくれていることだ。
そしてそれは決して「成功したから」とかではない。

「末吉はやっぱり末吉だな」
そう思ってくれてることがこの落ちこぼれの生徒にとって何よりも嬉しいことなのである。

恩師にとっては一生忘れられない「最初に受け持ったクラス」であるが、
私たち生徒にとっても一生忘れられない高校生活である。

青春ドラマのように「最高の先生」と「最高のクラス」だったと思うぞ!!

Posted by ファンキー末吉 at:14:38 | 固定リンク

2018年6月27日

生楽器の新しいレコーディングのやり方

弦や管の生楽器レコーディングはアレンジャーにとって晴れの舞台!!

打ち込みやバンド録音などは長くやっていても、
これら生楽器をアレンジしたことない、もしくは出来ないというアレンジャーも少なくない。

日本の場合、これら生楽器のレコーディングは予算もかかるし「敷居が高い」というのもあった。

その昔、バブルでスタジオミュージシャン全盛だった頃、
売れっ子ミュージシャンは高級カーを乗り回してスタジオをハシゴしていたと聞く。

彼ら売れっ子ミュージシャン達にとって、
ぽっと出の新米アレンジャーなど格好の「イジメ」の標的であったとも聞く。

当時はコンピューター譜面などはなかったので、
一生懸命手書きで書いたオーケストラ譜(スコア譜)を、
写譜屋さんという専門業者に出してそれをパート譜に書き直してもらう。

売れてる写譜屋さんなどは写譜ペン一本で家が建ったと言われていた時代である。

人間が手書きで書いているのだから当然ミスが出る。
優秀な写譜屋さんは音楽的に判断してそのミスを直してくれてスコア譜にしてくれたとも言うが、それでも人間がやってるので当然ミスは出る。

#やbなど明らかに写譜ミスだろうという音でも、
意地悪なプレイヤーはワザとそのように間違えて音を出す。

アレンジャーの耳を試しているのだ。

「音は濁っているけどどれが間違いかわからない」
とパニクっているアレンジャーに容赦なく罵声を飛ばす。

「おい、アレンジャーさん、この音はこれの間違いじゃねーのか!!」

そんなことが平気で行われていたというのだから、生楽器のレコーディングはさしずめ「戦場」である。

かく言う私もスタジオでイジメられたことはある。

「音が濁っている」と感じたら、
とっさにどのパートが間違えているのかを聞き分けて指示を出す。

それが瞬時に出来なければ罵声が飛ぶのだから「命がけ」である。

特に弦楽オーケストラのビオラなどは小学校の音楽の時間に習った「ト音記号」でも「ヘ音記号」でもない「ハ音記号」で書かれているのでとっさにどの音なのかが口に出せずにしどろもどろになったりする。

レコーディングが終わると冷や汗で身体はネトネト、
しかしそんなことが私の音楽人生には大きな「経験」となった。

経験値が高くなるともうナメられることもないし、
何よりも、いつの間にやら録音に来るミュージシャンよりも、私の方が数段歳上になってしまった(笑)

いつの間にやら、ストリングスだったら中国ではこのオーケストラ、みたいな「チーム」が出来上がって来る。

彼らは「プロ」なんだからどなた様の書いた譜面でも演奏する。

小沢征爾が中国に来た時に呼ぶオーケストラなどが、私の仕事なんかにも来てくれるということになってしまうのだ。

中国のスタジオミュージシャンは「1曲いくら」なので、
当然ながら順調にレコーディングが進んで早く家に帰れた方が「時給」が高くなってよい。

「アレンジャーいじめ」なんかやってるヒマなんかありゃしないのだ。
一致団結して、なるだけ高いレベルの演奏を短時間で録り終えれるように一緒に頑張る。

弾き方のニュアンスなどを書き込み忘れてたって、
棒弾きなどしてアレンジャーをイジメているヒマなんかない。

「こう弾けということだろうな」などとコンマスが判断して、
もうとっとと指示を出してリハーサルを始めている。

こちらはそれを聞いて「そうそう」とか頷きながら(笑)、
万が一これがライブなどで演奏される時のために、それをスコア譜にメモ書きで追加しておくのだ。


しかしこれだけシステムが出来上がっていても、
それでも私にとってはオーケストラのレコーディングはやっぱり命がけである。

気を抜いたら失敗する。

前回映画音楽の時にこんな失敗があったのも、
気を抜いてアシスタントなど使って
「低いなとか思うところがあったらオクターブ上げたりして譜面整理しといて」
などと指示していたからだ。

現場で音が違って聞こえる・・・
こんな風に書いたつもりはないのだが、
でもどこが違うか全くわからない・・・

冷や汗をかきながら譜面をガン見してどのパートが間違えてるのかを探るが、
どう聞いても誰も間違っていない・・・

時間切れ(>_<)

オーケストラを帰してからひとりで検証してみると、
実は原因は、アシスタントがどこかのパートをオクターブ上げるか下げるかする時に、間違えて5度上げるか下げるかして譜面を印字していたのだ。

譜面が間違っていた(>_<)

他の楽器のコードを変えて事なきを得たが、
それ以来気を抜くこともなく、毎回命がけで現場に挑んでいる。

ところが先日、
布衣の次のリーディングソングに弦を入れたいということで、
鼻息荒くして現場に行った時に肩透かしを食らった。

いつものように譜面を印字してそれとにらめっこ。

「このアレンジでいいのだろうか」
そんな気持ちを飲み込んで
「昨日まであれだけ試行錯誤してこれに落ち着いただろ!!自分を信じろ!!自分が書いたこの譜面を信じるのだ!!」
と自分に言い聞かせる。

これ即ち「自分との戦い」・・・

ストリングス録音です〜毎回ながら緊張します〜 今日のオーケストラはいつもの人達とちゃうからな〜なおさらです(>_<) 頑張るもへったくれもない、夕べ書いた自分の譜面を信じるしかない!! ちゃんと書いたからちゃんと録れるじゃろ!! - Spherical Image - RICOH THETA

私は指揮こそしないが、
オーケストラに指示を出すのと、生の響きがどう聞こえるのか勉強のために、
いつもブースに入って指揮者の位置で聞くようにしている。

ちなみに、今どき中国でのポップスのオーケストラ録音に指揮者など来ない。
みんなクリックとBaoHaoという小節番号を録音したトラックだけを聞いてそのまま録音するのだ。

つまり、そのBaoHaoの録音こそが指揮者の代わりとしてアレンジャーの大きな仕事なのである。
(中国ならでは)

ところがエンジニア曰く
「あ、BaoHaoはもう録音してありますから」

更には
「ブースで聞かなくてもいいですよ。コンソールで聞いて下さい。あとは僕らがやっときます」

オーケストラのコンマスがやって来た。
いつもの人とは違う。

おそらくいつもの人は国家級の偉い人になってしまったのでその下が来たのだろう。

「じゃあ譜面を下さい」
コンマスは自分の弾くパート譜ではなく全部のパートがあるスコア譜を要求、
ブースに入らずにコンソールルームでスコア譜を見ながらオーケストラに指示をし始めた。

「何小節目、ニュアンスとしてはスラーで弾いてみようか。
セカンドバイオリン、この部分モタらないように気をつけて」
など指示をしながら簡単にリハーサル。

「こんな感じでいいですか?」
と私に確認してその場でレコーディング開始!(◎_◎;)

つまり「ディレクション」という一番の「戦いの場」をコンマスが私の代わりに全部やってくれるのだ・・・

ワシ・・・全くやることないんですけど・・・(笑)


時々弾き方に関して
「これはこのような弾き方がいいですか?それとも」
などと選択肢を出して来るので
「こっちがいい」
と選べばそれだけでよい。

そして逆に私がディレクションするよりも音に対する要求が厳しい。

私ならOKとして後で聞き直して判断するテイクでも、
早めに止めてさっさとやり直しをさせる。

「餅は餅屋」である、きっとその方が高いクオリティーを短い時間で録り終えることが出来るのだ・・・

あっと言う間にレコーディングは終了し、
オーケストラをバックにMV撮り!!

これは1曲分のためにスタジオを押さえると、
スタジオ代もオーケストラのギャラも割高になるので、
「1曲半」としてMV撮りのために先ほど弾いた譜面を2回通り最初から最後まで弾いてくれという風にブッキングしたためである。

私はもう役目を終えたので、
最初のテイクはスタジオの中で聞いて、
実際自分の書いた譜面がどのような生音として響いているのかを勉強のために頭に叩き込んでおく。

2回目はコンソールルームでもう一度、バンドの中でどう聞こえるのかを最終チェック!!

まあ問題があるはずがない。
そのままさっさとオーケストラは帰って行った。

「录得很好!!(素晴らしい録音でした)」
そう言ってコンマスを褒めると、
「写得好!!写得好!!(あなたの書いた譜面がいいからですよ)」
と言われる。

この瞬間が「合作愉快!」
戦い終わったアレンジャーとプレイヤーが心を交わす至福の時間である・・・

・・・とか何とか言いながら今回ワシ・・・全く戦ってないがな(笑)

これらのブッキングを全部やってくれたLaoLuan曰く、
「最近はもうアレンジャーは現場に来ないよ」

!(◎_◎;)・・・そこまでシステム化が進んでいる?・・・

中国最高峰のアレンジャー、三宝や捞仔などは、
もうメールでここに譜面とDEMOを送りつけるだけで、
あとは全部このチームが完璧に録音して送り返して来るそうな・・・!(◎_◎;)

考えてみればドラムも最近そうよなぁ・・・

データが送られて来て、ガイドで打ち込まれたドラムパターンを聞いて、
そこにドラマーとしてアイデアを加えてひとりでレコーディングして、
ちょっと迷った部分があったらテイク2も録音しといて、
データをネットで送ってそれで仕事終わり。

それもこれも私自身がプロデューサーでもあるので、
「この音楽だったらこうだろう」
というのを織り込んでゆくから出来ている部分もある。

オーケストラでこれが出来るというのは、
やはりこのエンジニア自身もその「センス」があるからではないかと思う。

日本ではエンジニアは文字通り「技師」であり、
音楽の内容には口を出さないという不文律があるが、
中国では参加する全員がプロデューサーなので(笑)
それによってこのシステムが成り立っているのではないかと思う。
(まあまかり間違えば時々このせいで大混乱を生むのだが・・・(笑))


さてまた長い長い前置きはさておいて、
今回北海道ツアーの間に更に民族楽器もレコーディングせねばならなくなり、
さっそくこのシステムを使わせてもらった。

その都度このようなショートビデオが送られて来て状況が伝わって来るのだが、
最初は「録り終わったらmp3で送ってね〜確認するから」と言ってた私も、
そのうち「いいや、もう聞かないからそっちで勝手に録っといて」となった。

奏者も知り合いで何曲が一緒に仕事をしてるので、
「こんな弾き方もあるわよ」
と色々送って来てたのだが、
「それもいいねぇ〜じゃあそのバージョンも録って入れといて」
でそれでいいのだ。

聞くのは全部録り終わってデータ送ってもらってから選べばよい。

釧路でファンキーはんと大村はんのライブをやっているうちにレコーディングは無事に終わったようだ。

ライブ終了後に携帯を開くと、
データと共にこんなメッセージが添えられていた。
「写得好!!真好听!!(いいアレンジだ。とってもよかったよ)」

その場には一緒にいないが、アレンジャーとミュージシャン、
そしてこの「チーム全体」が作った音楽が高いところに昇って行った気がしてとても嬉しかった。

Posted by ファンキー末吉 at:15:46 | 固定リンク

2018年4月25日

誰がためにドラムを叩くのか

このツアーが始まってから、どこだっけか・・・おそらく紹興かどっかのライブ終了後に、
「哎呀,今天的演出真好啊!!(今日のライブよかったねぇ)」
LaoWuに言ったことがあった。

バンド用語で「初日が出た」という言葉があるが、まさにそれである。

ライブ終了後の物販販売サイン会も終わり、
スタッフが機材を片付けている間、楽屋でビールを飲みながらそう言って、
続けてLaoWuにこんなブラックジョークを投げかけてみた。

「どうだい?お前の新しい(この)バンドは?前のバンドと比べてどうだい?(笑)」

まあ気の置けない仲間同士の冗談なのであるが、
LaoWuはちょっと苦笑いをしながらこんなことを言った。

「好太多了(良すぎるよ)・・・记得那天一起演出的鼓手吗(あの日対バンしたドラマーのこと覚えているか)?」


あの日対バンしたドラマー・・・

あれはLaoWuの住む院子に私が引っ越して来てすぐの頃・・・
その頃の布衣はライブをやったって数人ぐらいしか客が集まらないバンドだった。

全くと言っていいほど金にならないバンドだったので、
メンバーも何か用事を入れては来られないということが多く、
その日もドラマーが来られないということで私が駆り出されて行った。

その日のライブは何と一晩に2つのライブハウスをハシゴするというもの・・・

でもひとつ目のライブハウスにもほとんど客はいない(笑)
そちらの出番は一番最初にしてもらって、終わったらすぐにふたつ目のライブハウスに車を飛ばす・・・

そしてふたつ目にもほどんど客はおらず(笑)、
それでも汗だくでドラムを叩いた後に、ビールを飲みながら対バンの演奏を見ていた・・・

ちなみにその日もらったお金は、2つのライブ合わせてバンドみんなで20元、
私の飲んでるビールはもちろん自腹で20元・・・

まあこの日の収支は15元の赤字である(笑)

それでも命がけでドラムを叩いた後のビールは旨い!!
この一杯のビールのためにドラムを叩いていると言っても過言ではない!!(笑)

ところが対バンのドラマーを見てたら、そのビールも不味くなってしまうようでむっちゃ腹がたった。

そのドラマーは、後ろの壁にもたれてやる気がなさそうにドラムを叩いていたのだ・・・

リズムが悪い、グルーブが悪いという次元ではない。
「態度」が悪い!!

何やら自分が大切にしている何かを冒涜されているような気がして、私は腹がたって腹がたって仕方がなかった・・・

こいつがステージから降りて来たらこってり説教してやろう・・・
と思ったのだが、大人気ないと思い直して「帰ろうぜ」と言ってその場をあとにした。

帰りの車の中でも怒りが収まらない。
LaoWuに言ったところでどうしようもないのだが、
「何なんだ!!あのドラマーは!!」
と愚痴が止まらない・・・

「俺なんか5元もらって20元のビール飲んで、15元の赤字でも命がけでドラム叩いてんのに、何だあいつは!!そんなに金が欲しけりゃ三里屯の箱バンの店でも行って流行歌でも叩いてろ!!」

・・・ってそこかい!!(笑)


まあその時の思い出話を語りながら、
「バンドのメンバーみんながあの時のドラマーみたいな状態だったんだ・・・」
LaoWuは苦笑いしながらそう言った。

まあ難しいよねぇ・・・

これだけ長いツアー廻って、
毎日同じ曲、同じ曲順、同じような客の反応・・・

モチベーションをどこに置くかを見失ったら誰にだってそこに陥ってしまうだろう。

LaoWu自身だって容易に陥ってしまう状態のところを、すんでのところで踏みとどまっているにすぎないのだ。

彼の中にはいつもあの時の私の姿がある。
「Funkyさんはあのドラマーとは違う」
だから自分もそうなってはいけないんだ・・・

じゃあこの私はどうしてこんなに頑張ってるんだろう・・・
楽屋でビールを飲みながらふとそんなことを考えた・・・


話はちょっと変わって、重い話ではなく「神様」の話・・・
私にはちょっとバカみたいな「宗教心」がある。

中学生の頃、姉を事故でなくしてから漠然とこんなことを考えている・・・

人は死んだら雲の上で穏やかに暮らしている。
そこにはテレビがあって無限のチャンネルがある。

そのチャンネルにはそれぞれ、まだ生きてる人の人生が放映されていて、
あるチャンネルでは、この人はこの人の人生の「脇役」、
でもチャンネルを回すと、この人がそのチャンネルの「主人公」。

各チャンネルには「視聴率」があって、
面白い人生を送った人は、死んだ時にその雲の上に上がった時に神様みんなに拍手で迎えられる。

だからもっと面白い人生を送りたいな、と・・・

まあ当初は死んだ姉のぶん、
楽しいことも2倍、悲しいことも2倍、人の倍生きてやろう・・・
みたいに考えていたのかも知れないが、
いかんせんこの歳になって来ると、
友達がいっぱいいっぱい先にそこに行ってしまい(笑)
もうね、今では
「お前のぶんまでは何倍も生きられんよ、まあせいぜいこのチャンネルを楽しんでおくれ」
程度である(笑)

そんな、先に逝った友達の中にこいつもいる。

生きてるうちは酒ばっか一緒に飲んで、
ただの「バカな酒飲み友達」だったのが、
死んでから本当に中華圏のロックの「神様」になりよった!(◎_◎;)


当時一緒に飲んでた頃、
私は日本という国では「爆風スランプ」のイメージが強すぎて、
好きなJazzなんかやっても誰も見向きもしなかった。
(今でもそんなに見向かれてはいないが・・・(笑))

ところが彼はある日、そんな私のライブを初めて見に来てこう言った。

「凄いよ!!全く素晴らしい!!毎月やってんのか?次のライブも絶対に見に来るからな!!」

そしてそれが彼と交わした最後の会話となった・・・

だからなぁ・・・毎回ライブではヤツが見てると思うとさぁ・・・・

誰でも大切な人がライブ見に来てたら頑張るだろ?
俺の場合、いっぱいいるんだよなぁ・・・あそこから見に来てる人(笑)

しゃーないなぁ・・・


まあ昔は、こんな風に自分は先に逝っちまったこいつらの為に頑張ってんのか、と思ってたのだが、
先日こいつの墓参りの時にちょっとしたことに気がついた。

タクシーが墓地の入口までしか行ってくれず、
重いリュック背負って汗だくになってこいつの墓まで山道を歩いて、
幸い平日の午前中なので誰も墓参りに来ていない。

休憩がてら墓の前で座り込んで、ひとりこいつに色々と話しかけてる自分がいる。
「どうだい?俺の人生は?笑ってもらえてるかい?(笑)」

ところがしばらくして、
「自分は誰に話しかけてるんだろう」
と思って来た。

もちろん死んだ人の魂がここにいて眠ってるわけではない。

となると、私は自分自身に向かって話している?・・・
つまりは「自問自答」である。

言い換えれば、こいつはこの墓の中にいるわけじゃない。
こいつは私の心の中にいるのである。

別に「ステージを見に来てる」なんて言ったって、
ステージの天井の照明の梁んとこにこいつがいるわけではない。
ドラムを叩いてる自分の心の中にいるのである。

だから「こいつのために」とかいうのはちょっと違う・・・
しょせんは「自分のために」なのである。


中国語で「信仰(XinYang:シンヤンと読む)」という言葉がある。

言うならば私は「私の信仰(XinYang)」のためにドラムを叩いているのであるが、
この「信仰(XinYang)」という中国語は、日本語の「信仰(しんこう))」とはまたニュアンスが違っていて、日本語で言い表すのが非常に難しい・・・

強いて言えば「自分の信じる道」、「生き様」、
私流に言うと「武士道精神」みたいなものだろうか・・・

重要的就是"信仰"!・・・私はLaoWuにそう言った。
「大切なのは"信仰(XinYang)"、それさえあればあの日のあのドラマーみたいにはならないんだよ」
と言ったのである。


例えばこういうことである。

私たちはまだ神じゃない、小さな人間なんだから、
モーゼのように海を真っ二つに割ったり出来ないし、
キリストのように死んで生まれ変わったりも出来ないし、
ブッダのように悟りを開いたりも出来ない。

「神業」なんてまだまだ出来っこないけど、
何かの「偶然」が重なって、ひょっとしたら「神が降りて来る」みたいなことがあるかも知れない・・・

「偶然」・・・それは神様のほんの小さな「いたずら」なのかも知れないが、
それを掴むためには、ちっぽけな「人間」なんかがやれることといったら、しょせんはこのふたつだけしかない。

「努力」と「準備」・・・ただそれだけなのである。

でもこのままそれを続けてゆけば、
いつかは神様の「いたずら」で、ほんの「偶然」に「奇跡」のようなライブが出来るかも知れない・・・

「奇跡」は信じてれば必ず起こるし、
信じてなければ絶対に起こらない。

考えてみれば俺たちはいつか「奇跡」を起こすためにライブやってるんじゃないか?・・・
客はその「奇跡」を見るためにこうして金払って足を運んでんじゃないか?・・・

そんな風に思ってやり続けてゆく限り、
俺たちはもうあの日のあのドラマーみたいになることはない。
但し、そのままくじけたり、諦めたりしなければね・・・

だから「くじけないこと」、「諦めないこと」、それを「ROCK」と言うんだ!!

这就是我的"信仰"!!

今日もそう言って気合入れてステージに立つ!!
「初日」が出てからまだそれを超えるステージは出ていない。

「奇跡」はまだまだ手の届かない遠いところにあるのかも知れない。
でも必ず「奇跡」は起こる!!

信じること・・・それを「ROCK」と言うんだよ・・・

这就是"摇滚的精神"!!

おりゃー!!今日もやるどーーー!!!

Posted by ファンキー末吉 at:17:38 | 固定リンク

2018年4月23日

若者よ、もっと経験を積んで帰って来い!!

もう30年近い付き合いで「家族」のような関係であるLaoLuanからツアー先に電話があった。

「この前レコーディングしてもらったあの歌手なんだけどさぁ・・・」

一瞬あまり愉快ではない記憶が思い出されて来た・・・
この歌手である・・・

その後、この歌手の全国ツアーとかをやってくれとかの話もあったが、
私自身がもうこの布衣のツアーで出ずっぱりなので話が立ち消えになっていた。

「Funkyさん、请帮个忙(QingBangGeMang)!!」

つまり「ちょっと助けて下さいよ」・・・中国ではよく出て来る単語であるが、
この言葉から始まる会話は往々にして厄介な話が多い・・・(>_<)

「布衣のツアーにゲストで参加させてやって欲しいんだけど・・・」

いや、私は単なるドラマーとして呼ばれているだけであって、
私が布衣に対してゲストを入れさせる権限など持ってないよ・・・

「その辺の話はボーカルのLaoWuかマネージャーに言ってもらわないと・・・」

「いやそこには話を通してある」
というので、それだったら私がとやかく言う筋合いはない。
LaoWuが「やれ」と言えばやるし、断ったとしたら私の出る幕ではない・・・

・・・ってまあLaoWuも業界の重鎮であるLaoLuanから頼まれたら断れんわのう・・・(笑)

「那拜托了(Na BaiTuoLe:じゃあよろしく頼むよ)!!」
で電話は切れた・・・


かくしてその当日がやって来た。
場所は広東省広州・・・

毎度の如く他のメンバーより早く会場入りしてドラムのチューニングをしてたらマネージャーから連絡が入る。

「歌手がプログラムの件で打ち合わせをしたいらしいのでそちらに行かせます」

ジャンルは歌謡曲なのでギタートリオで再生出来る音ではない。
「プログラム走らせるからそちらで用意しといてね」
と予め伝えてある。

レコーディングでは、あれやこれや自分の作ったDEMOと同じようにしてくれと大きな「こだわり」を見せたので、当日リハでバンドに対してそれと同じ要求をされたんじゃたまったもんじゃない。

プログラムでほとんどの音を流してドラムとベースぐらいを生演奏、
ギターは入っている音に合わせて弾くぐらいでよい。
あわよくばそのままカラ