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2020年7月29日

わらしべ(インスタントラーメン)長者?

プノンペンで一番のライブハウスと言われているオスカーで働いてたタカシ、
コロナでオスカーが閉店し、「食い詰めた」というのがぴったりの状況になったのか、ある日「インスタントラーメンでいいから恵んで下さい」とメッセージが来た(笑)

その時の話〜タカシの話

今から思えば、ここで「金貸して下さい」ではなく「インスタントラーメンでいいから恵んで下さい」と言ったことが、彼の人生の大きな「転機」だったのではないかと思う。
「何それ?」とつい笑ってしまって今に至るわけだし、「金」だったらひょっとしたら貸さなかったかも知れない・・・

それからと言うものコイツ・・・ワシの周りを金魚のフンのようについて廻る(笑)
まあ本当にインスタントラーメンも食えなかったのだからしゃーない。
メシぐらいなら食わせてやる!!

その代わり色々と雑用は手伝ってもらう。
一番役に立ったのは、居留届の提出!!

もうどこの国でもそうだが役所への届け出というのは前時代的で、色んなところをたらい回しにさせられ、とてもじゃないが言葉の通じる現地の人間が一緒でなければ出来たもんじゃない。

隣のポリスへの付け届け(笑)や外国人では到底やれないことも多い。

まあコイツはコイツで役に立ってるんだと思うことにして(笑)、まあメシぐらいは食わせてやっているというわけだ・・・。

ある時はタカシの部屋に行った・・・(その時の話〜タカシの部屋
まあ「底辺の生活」と言うにふさわしい生活をしとるのう・・・

1ヶ月140ドルの給料で50ドル家賃払ったら1日3ドルで暮らさねばならん・・・無理じゃ(>_<)

そんなタカシが惚れた女も同様に底辺で生きている・・・タカシの恋

しゃーないなぁ〜・・・とばかり奢ってやる・・・

ちょうどワシは昼間、保育園がコロナで閉まって困っている日本人の友人たちの子供を預かっているので、彼女たちに助っ人として来てもらうことにした。

そして彼女たちの生活をチラッと垣間見るのだが、(その時の話〜美女と三密3人乗り・・・
ただでさえ豊かではないこの国で、こうして底辺で生きていて、どうやってこの底辺から抜け出すのかがワシには全く見えない。

理想の共産国家を作ろうと、結局自国民の半数を虐殺したポルポト亡き今となっては、この国は一応民主国家(笑)となり、一応資本主義の道を歩んでいる・・・

資本主義って基本「持つ者が持たざる者の分まで儲ける」というシステムなのよねぇ・・・
持たざる者がある日突然持つ者になることは、それこそ天文学的な確率でしか起こらない出来事である・・・

そんなこの国の底辺で暮らすタカシの夢、それは小さくていいから自分のレストランを持つこと・・・

140ドルの給料で1日3ドルの中から少しずつ貯金していつか自分の店?・・・無理じゃろ(>_<)
そしてコロナでその140ドルさえなくなり、こうして私にインスタントラーメンを恵んでもらう羽目になっている・・・

しゃーないのでHIBACHIのバイトを紹介した。

給料のほどは知らないが、確実に140ドルよりはよかろう・・・但しバイクも持ってない彼は毎日トゥクトゥクで往復するとバイト代が飛んでしまうので、しゃーないなぁ〜・・・ワシが毎日バイクで送り迎えしてやる(>_<)

もうね、なんでワシがここまでやってやらないかんのと思ったりもするが(ちなみにこの罰金もワシが払う・・・コイツに払えと言っても金がないのだからしゃーない(>_<))、まあそれもコイツの人徳かと思って笑い飛ばすことにしている・・・(笑)

実際コイツには「人に可愛がられる能力」があるのだろう、知り合った中国人の知り合いにカジノに連れて行ってもらったりもしている!(◎_◎;)

タカシの人生が終わった日

この頃にはオスカーの営業も始まり、給料が90ドルに減額されたと言うがタカシはHIBACHIをやめて古巣に戻った。

90ドルから家賃50ドル払ったら全く食っていけるわけはないので、必然的に毎日うちにメシを食いに来るようになる・・・(笑)

この頃には同じく食い詰めたヤツの友達が毎日メシを食いに来ているので、誰かしらが材料買って来てもらえば昼夜数人分を作ってくれる・・・まるで中国古代の「食客」を飼ってるような気分である(笑)

そんな中で私もこちらカンボジアで音楽制作の仕事が始まり、その流れでタカシにとあるMCの仕事が舞い込んで来た。

アンコールワットの訪問客数を上回る年間訪問客数1400万人を誇るプノンペンAEON2の特設ステージでMCをやってみないかという話である。

「ボク・・・無理です・・・やったことないし・・・」
アホか!!誰でも最初はやったことないわい!!

叱り飛ばしてケツを叩く・・・

だいたいコイツはたまに下らないウソをつく。
「オスカーでは客からチップがもらえるので月に500ドルは稼げますから」

アホか!!ほなワシの借金すぐ返せ!!(怒)
たまたま気前のいい客が多い月に偶然500ドル稼いだことを、自分の頭の中で都合よく変換して定着してしまっているのだ。

外国人客がほとんどを占めるオスカーであるが、今は時代が違う。
外から観光で来る外国人観光客は皆無の状態で、
来る客と言ったらここカンボジアに滞在している外国人・・・つまり景気のいい客などいようはずもない。

この時ばかりはさすがに怒鳴りつけた。
「そんなにオスカーがいいならずーっとオスカーでいろ!!」

橘高が若いバンドを叱り飛ばす、
「そんなに休みたかったら一生休んどけ!!」
というアレである(笑)

まあヤツもワシに対しては多大な「恩」がある。
ワシが「やれ!!」ということをそう簡単に断ることは出来まい。

渋々(笑)重い腰(怒)を上げてMCの仕事が始まった・・・

タカシだけ特別扱いでその時に新調の衣装まであつらえてくれている・・・

ついでにワシも・・・(笑)

そう、この特設会場で「ファンキーはんと大村はん」の公開生放送もやるというので私のぶんもあつらえてくれたというわけだ。

当然ながら私の番組の中でもタカシにMCをやってもらう。
客席のほとんどの客はカンボジア人なので、クメール語で喋る人が絶対的に必要となって来るのだ・・・

こうして会場でのリハーサルが始まったのだが・・・

この「おばちゃん」ことលោកសី(ロークスレイ:マダムの意)・・・なんか気がついたらワシ、オスカー行く度に美女たちに目もくれずいつもこの「おばちゃん」と飲んでしまうのよねぇ〜楽しいのよねぇ〜

女の子を束ねる立場にいるわけだから当然タカシなんかよりも給料はいいはずだが、それでも私はおばちゃんを口説いてみた。

「あんたオスカーでいくら稼いでるか知らんけど、MCの仕事は頑張ったらもっとお金稼げるよ。あのプロのMC見てみぃ、あれぐらい喋れるようになったら、あの人たち結婚式とかで呼ばれてどれだけもらってるか知ってる?」

そう、この人たちはタカシの1ヶ月分の給料など1時間ほど喋っただけで稼いでしまうのだ・・・

この特設会場はさながらプロのMCへの登竜門!!
タカシの給料の数倍を保証してくれてるだけでなく、ちゃんと一人前になったらその倍額、そして人気者のMCに育ったらオスカーの10倍以上の給料も夢ではない。
そして何より、人気者になったらそこについて来る金は計り知れなくなるだろう・・・

「おばちゃん、田舎に預けてる子供いるんでしょ?例えオスカーと給料が同じだとしても、昼間の仕事だったら子供呼び寄せて一緒に暮らせるかも知れないじゃん」

タカシにもこう言って檄を飛ばす。

「お前なぁ、オスカーで例え毎月500ドルもらってたとしても(アホか!!)、来年それが1000ドルになることはない!!この仕事は頑張って技術を習得すれば来年は違う可能性がある。だから頑張れ!!」

しかしアホはやっぱアホである・・・
「ファンキーはんと大村はん」のMCに大抜擢して、「これをやれ!!」と言うこともようやれん(>_<)

まあ素人なんやからしゃーない!!
出来んもんはいっぱい練習するしかない!!

・・・というわけで、オープンの前日、「ファンキーはんと大村はん」の回線チェックリハーサルも兼ねて、何回か通しリハをやろうと大村はんにもそうお願いした。

回線等もバタバタで、ようやく大阪の大村はんと繋がって、いざ遠そうとしたらタカシがおらん!(◎_◎;)

「どこにおんねん!!」と探し回るが捕まらん(>_<)
やっと捕まったと思ったら「今オスカーです・・・今日が最後の出勤なので・・・」

アホか!!!(怒)

さすがにこの日は怒鳴りつけた!!
「今日通しリハすることは伝えてたよな!!なんで先に帰んねん!!」

もう英語で怒鳴りつけるなんてワシの人生では滅多にないのだが、腹が立ってるのでどんどん英語が出て来る(笑)
大恩のあるワシをこれだけ怒らせて、それですぐにここに戻って来んかったらさすがに人でなしやな、さすがに飛んで帰って来た・・・(笑)

頭を一発しばき倒してリハを始める・・・

まあ出来んのは素人なんやからしゃーない。
しかし「ボク出来ません」は許さん!!
「ボク頑張ります」以外の返答はもう許さん!!

久しぶりに人の頭をパコパコどつきながらリハ終了!!かくして本番である・・・

BINGOゲームのMCの方は感知してないが、まあちょっと見よく出来てたようだ。
何よりコイツ、子供に好かれるのだ。
子供がこの金ピカ衣装のコイツと一緒に写真を撮りたがる。

これこそがひとつの「才能」であろう・・・

ところが「ファンキーはんと大村はん」のMCでクライアントからダメが出る。
首脳会議が開かれて、
「まあまあ、初日ですからもうちょっと様子を見ましょう」
ということでなんとか落ち着く。

まあそうなるとワシの厳しさも更にエスカレートするする・・・

朝メシ時の説教から始まって、朝のリハーサルの時にも容赦無く頭をどつき回す!!

「お前そもそも曲をまだ覚えてないやろ!!1週間以上前に送ってあるやろ!!なんで聞いてないねん!!」
「すみません・・・時間がなくて・・・」

アホか!!お前の人生なんて「時間」だらけやないかい!!
お前はワシの一番忙しい頃を知らんからそんなことが言えるんじゃ!!
どんなに寝てなくてもなぁ、どんなに何を失ってもなぁ、やらないかんことをちゃんとやって来たから今があるんや!!
それが出来んヤツに未来はない!!オスカーにでもどこにでも帰りやがれ!!

「ボクもうオスカーはクビになりましたから・・・」

もうね、コイツのこの「可哀想さ」もひとつの才能である(笑)
聞けばクビになって今まで働いた分の日割りももらえんらしい・・・

「ボクもう全財産40ドルしかないんです・・・」
ってそれ・・・ワシが貸したった40ドルやし(>_<)

まあ「にらめっこ」と同じで、笑ろてしもたモンの負けである(笑)
どうせ満額貰えたとしても90ドルしかないんや、そんなん忘れてここで頑張って稼げ!!

かくして本番!!

まだまだではあるが、ちょっとずつでも進歩していることは認めざるを得ない。
昨日より今日が、今日より明日がちょっとでも進歩している限り、いつかはお前の前に明るい未来が開けるだろう。

「インスタントラーメンでいいから恵んで下さい」
から本当にMCのビッグスターに昇り詰めたとしたら、それこそ現代の「わらしべ長者」、いや「インスタントラーメン長者」と呼ぶべきか(笑)

早くいっぱしに稼げるようになってワシの借金を返すのじゃ!!(笑)

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2020年7月17日

さようならおじさん〜いつまでもお元気で

おじさんと最初に会ったのは・・・いや最初に「この人が毎日ここに座っていることを認識した」のはこの時・・・

そしてそれからおじさんを観察する日々が始まる・・・

そして色々考えるところあって、今日が学びの窓最終日!!!

おじさんはいつものようにいつもの席でいつものように1ドル弁当とカップヌードルを召していた・・・

いつかは話しかけようと思っていたのだが何を話したらよいのやら・・・

今日は学校の最後の勉強をしながら考えた。
「クメール語で話しかけてみよう・・・」

3ヶ月弱一生懸命クメール語を学んだがまだ喋れない。
でも喋れるだけの単語や文法は既に勉強しているはずだ!!

まずは話しかけるんなら「May I talk with you?」からやなぁ・・・

色々丁寧な言い方とかはあるけど、とりあえず簡単にすればするほどよい。
乱暴に「និយាយបន្តិច់បានទេ?(ちょっと話していいですか?)かなぁ・・・」

そして「ខ្ញុំរៀនខ្មែរ(私はクメール語を勉強している)」と続いて、とにかく「今日が最後の日だから一緒に写真撮らせてもらえませんか?」まで雪崩れ込むのじゃ!!

「写真を撮る」というのはつい先日習ったばかりの「ថតរូប」!!
「最終日」っつうのだけ辞書で調べてみる・・・

ほう・・・「​ចុងក្រោយ」というのか・・・
「ក្រោយ」というのは「後ろ側」とかいう意味で、
「ចុង」は結ぶという単語かと思ったらそれは「​ចង」か・・・
まあ似てるから関連づけて覚えたら覚えやすいぞ!!


というわけで学校帰り、いつものように復習をしながら話しかけるチャンスを待つ・・・

ここのマックスバリューはイートインが広々としてて昼食時には結構混雑するのよねぇ・・・

なんか胸がドキドキするぞ!!
もうはるか昔のことになるが好きで好きでたまらない女の子に告白する時よりもドキドキする(笑)

そして勇気を振り絞ってついに声をかけた!!

おじさん、聞き取れてるのか、聞き取れててもどう答えていいのやらわからずキョトンとしている。

そりゃそうだ。
いつも隣に座って勉強している変な外人がいきなり喋りかけて来たのだ。
何を答えていいやらわからん・・・ってかそもそも「質問」の構文を一切用意してないではないか!!!!(>_<)

最後の「一緒に写真撮っていいですか?」で携帯をカメラにしたら、おじさんハッと我に帰ったように座り直し、襟を正して記念撮影!!

私は丁寧にお辞儀をしてマックスバリューを後にした。
もう来ることも滅多にないだろうが、おじさんはまた相変わらず毎日ここに来て、毎日同じものを食べて、そしていつものように何をするでもなくひょっとしたら毎日一日中ここにいるのだろう・・・

今日はおじさんとは「会話」ではなく私が一方的に喋って終わったが、
おじさんの面影が私にこんなことを語りかけてくれている。

「やっと話しかけてくれたね。君がいつも一生懸命勉強するのを見てたよ。
君は決して喋れないわけじゃない。喋らなかっただけなんだ。
新しい生活が始まったら、恥ずかしがらずに間違えてもどんどん喋ってゆけばいいんだ。
君ならきっと喋れる!!だってあんなに一生懸命勉強してたんだもの。
また近くまで来たらここに寄ればいい。一緒に1ドル弁当を食べながら話をしよう」

おじさんが何をしている人か、どうしてここに毎日いるのか、
そんなことはもうどうでもよくなった。

携帯を引ったくられ、今日から新しい携帯となり、そして学校も終わって、今まで勉強したことを復習してから今日から実践!!
新しい生活となった後も、おじさんは変わらずここにいる・・・

そう、世俗で何が起ころうがきっと、おじさんはここでいつものように1ドル弁当とカップヌードル、そして水とコーヒーを飲みながら何もせずにぼーっと座っているのだ。

新しい生活で、何か嫌なことがあったらまた来よう!!
そして今度こそはクメール語で「会話」をしよう!!

それまでさようならおじさん、いつまでもお元気で!!

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2020年7月10日

タカシの人生が終わった日

カンボジアで大きな仕事が舞い込んで来たので、当分はそれに忙殺されるだろうと、クメール語学校のスケジュールまで変更している・・・

クライアントは色んな中国系の知り合いを紹介してくれるのだが、
今日はどこぞのカジノのオーナーを紹介してくれた。

その人のカジノなのかそうでないのか、
まあ一行はプノンペンにひとつだけあるカジノへと向かう・・・

ここから向こうは写真禁止なので文章だけで頑張って伝えようと努力はするが、
とにかくこのグランドフロアーは庶民のための「普通カジノ」、
ここから上はどうやら「VIPカジノ」らしい・・・

そう言えばオーストラリアでカジノに連れてってもらった時には、入り口でパスポートチェックや、VIPカジノに入るにはそれ専用のパスが必要であったが、ここは手荷物検査をしたぐらいで全く何もチェックをしない。

このメンバーの中に誰か「顔パス」の人間がいるのだ。
そうでなければそもそもカンボジア人が入ってはいけないカジノにタカシが入れるわけがない・・・

そうそう、だからタカシがこの前連れて来た田舎から出て来たばかりの女の子も連れて来たのだ。
「こんな経験めったに出来るもんじゃないからね」

この娘・・・

そしたら彼らがこんなことを言う。
誰かこの中で運のいい人いる?ちょっと座って遊んで行ったら〜

そう、めったに出来ないことだから、それは私も言おうと思ってた。
1ドルや10ドルだったら出してやるから、ちょっと遊んで記念にすればよい・・・

私は彼女の肩を押してそこに座らせた。
トランプを使った胴元との一騎打ちのゲームである。

ルールはわからない・・・だがテーブルの上に賭ける部分が書かれていて、その勝負がどのようになるのかによって賭ける場所が違うようだ・・・

見れば全てに中国語が書かれている・・・

そしてミニマムベット・・・つまり最低賭け額がこのテーブルでは50ドル((((;゚Д゚)))))))

彼らはこのテーブルに100ドル札をぽんと投げた。
胴元はそれをすぐさまチップに変えた。

チップが4枚・・・つまり1枚が25ドルである!(◎_◎;)

女の子はそれを4枚全部言われるままにひとつの枠の中に置いた。
「おいおい、それって100ドル全部賭けてることになるんやで!!!」

言うが早いか胴元がカードを配るのが早いか、その100ドルはあっと言う間に胴元の元に消えた!(◎_◎;)

この娘の1ヶ月の収入がほんの数秒で消えてしまったのだ!(◎_◎;)

一行は何も気にすることなく笑いながら次のテーブルに進んだ・・・
そしてこう言うのだ・・・

「次は誰が遊ぶ?」

私が遊んでも仕方がないのでタカシをそこに座らせる。
そして彼らは今度は100ドル札を3枚ぽんとテーブルに置いた・・・

別の色のチップが今度3枚出て来て、タカシは言われるままにそれをひとつの枠の中に置いた。
そして同じようにすぐさまカードが配られ、今度はそのチップが倍になって戻って来た!(◎_◎;)

ご一行は笑いながらそれを現金に変えて、200ドルは手元に、そして100ドルをタカシに渡した・・・

つまりタカシは自分の1ヶ月の収入を数秒で稼いだことになるのだ!(◎_◎;)

その上には最低賭け金が1000ドルのVIPカジノもあるらしいが、一行はそこで終わりにして外に出た。


そしてタカシにこう言った。
「あ、駐車場代2ドル、お前が払っといて」

その100ドルから払えと言うことだろう、
でも100ドル札で払うわけにはいかないので、タカシは自分の持ってるリエルで支払う。

「お前、このままその金持って行ったら人生終わるぞ!!今日はお世話になった人(ワシも含む)にパーっとご馳走して今日全部使っちまうんだ!!そうしないとお前の人生は終わる!!」

1日働いて3ドルしかもらえない人間が、その1ヶ月分より多い金を一瞬で手にしたら人生なんてそれだけで終わってしまう・・・

タカシもそれは知ってるのだろう、「HIBACHIに行きましょう」・・・
オスカーが閉まってる間バイトでお世話になった土井さんの店でそれを全部使って、ついでに土井さんにもいっぱい飲んでもらって恩返しをしようということだ。


その女の子も一緒に来たが、見た感じ何も動じている様子はない。

そりゃそうだ。彼女にとったら全然知らない人の金が自分を通して数秒で消えていっただけのことである。
でもタカシは違う。1ヶ月分の収入が現実にその手元にあるのだ・・・

6年ぶりにタバコを吸う・・・

そしてお勘定・・・本当は100ドルでは足りなかったが、私がそっとその足りない分を出した。

ちなみにカジノからここまでのトゥクトゥクは暴利を貪って5ドルとか言うのでケンカしてたら、それはタカシが払った。
同様に100ドル札で払うわけにはいかないので自分のリエルで払った。

帰りのトゥクトゥクは私が払った。
たかだか2ドルである。さすがに今日いっぱい散在したタカシはもう金がないだろう・・・

「すみません、20ドル貸してもらえませんか?明日電気代とかいろいろ払わなきゃならないんで・・・」

結局私もいろいろ散財したことになるが、いやここで泡銭が手元に残る方が恐ろしい。

「わかってるんです。この金が入ったからってまた博打に行ったら、今度はこの額だけじゃなくて全財産なくなってしまうんです。もう二度と博打はしません」

結局こいつも手元から数日分の収入であるリエルを使っている・・・

思えばあの人たちも酷なことをする・・・
ヘタしたらこいつ一人の人生が終わってしまってたのだ・・・

朝起きてメッセージを見たら、タカシはどっかに飲みに行ったようだ・・・
また明日金を借りに来るだろう(笑)

でもいいように考えたらこういうことではないだろうか・・・

この若者の人生が終わるかどうかはこの若者次第である。
それを100ドル出して確かめてるのではないか・・・

これで終わるようだったらそこまでの人間である。
それを乗り越えられるようだったら見込みがある。

そんなことではあるまいか・・・

勝ったのがタカシでよかった。
もしこの女の子が勝ってたら彼女の人生はいったいどのように変わってしまっただろう・・・

田舎から出て来て1週間、動画に写ってるあの素朴な女の子が、今では立派なバーの女に成長している・・・

誰かがこんなことを言った。

男は金を持ったら悪くなる。
女は悪くならないと金を持てない。

二人とも頑張れ!!今日のことは一夜の夢・・・追いかけても消えてしまう夢だったのだ・・・

それがわかる人間だけがいつか自分の夢のところに行ける・・・

そしてタカシは今日きっとオスカーをクビになるだろう。
人員削減で誰かひとりが切られるだろうと言う時に無断欠勤をしたのだから・・・

この日が本当に「タカシの人生が終わった日」になるのか、それともこれをきっかけに大きく羽ばたくことになるのかはこいつ次第である・・・

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Posted by ファンキー末吉 at:02:52 | 固定リンク

2020年6月10日

オーバーステイ?!(◎_◎;)

いつもの如く早起きして予習して、
学校へ向かう道すがらバイクがエンストして動かなくなった(>_<)

まあ400ドルで買ったバイクやからしゃーないなぁ〜・・・

Amazonカフェに停めてあとはタカシに任す!!

トゥクトゥクで学校まで行ってる時にふと思い出した。
このバイクレンタル屋が格安でバイクをレンタルしているではないか・・・

ここはバイクのレンタルだけでなく、外貨の両替や日本との間の送金、そしてカンボジアのビザ関係まで手広くやっているらしいので一度行ってみたかったのだ。

壊れた自分のバイクはいつ直るかわからんし、
何よりもう一台あればタカシをHIBACHIまで送って行かなくて済む(笑)

しかもひと月借りて最安10ドルっつうんやから安過ぎ!!(◎_◎;)

学校終わってからその場所に着いた。
噂通りの関西人の面白いご兄弟が運営されておられる・・・

そのお二人が、私が預けたパスポートをチェックしてたら突然こんなことを言い出した。

「ファンキーさん、2ヶ月前にVISAの期限が切れてます。
オーバーステイですよ。

んなはずはない!!
カンボジア政府はコロナの影響で帰国出来ない外国人のためにVISAが自動延長されるシステムを発表したではないか!!

「あ、あれ観光VISAだけなんです。ファンキーさんのはビジネスVISAなんで対象になりません」

!(◎_◎;)

VISAが切れてるっつうことは不法滞在?・・・
入国管理局の怖いおっさん(知らんけど)に逮捕されてそのまま強制送還?
そして今後入国禁止??・・・

まあどこの国でもオーバーステイはしたことがないのでどんな目に合うやらわからんが・・・

その辺はここに人はプロなので色々教えてくれる・・・

「一回だけ有効なVISAを発行されて、数日以内に出国して下さいという場合もありますが・・・」

んな!!(>_<)・・・このご時世にこの国から放り出されたらワシどこ行けばええの?
どこ行っても2週間の隔離、またここに戻って来ても2週間の隔離・・・

しかも今日発表されたその料金!!!

もうね、ただでさえ飛行機代高くて買えないのに、こんな金取られたんじゃおちおち出国もしてられない(>_<)

「なんとかなりませんか?こんなご時世に外に放り出されちゃぁ絶対露頭に迷います!!(涙)」
と頼んでみる。

「いや、方法はありますよ。まず詫び状っつうのを書くんです」

国相手に「詫び状」って(笑)・・・

「それで10ドル罰金払ったらVISAを延長してくれます」

10ドルなんて安いもんやん!!

「オーバーステイ一日ごとに10ドルですよ」

!(◎_◎;)・・・
2ヶ月オーバーステイしとるっつうことはざっと600ドル!!!!(◎_◎;)

(号泣)・・・でもしゃーない(>_<)もし行くとこなくて日本に帰ったとしても飛行機代やら何よりも成田から公共交通機関使わずに八王子まで帰れってどないすんの?
レンタカーやら色々手を施しても(それって借りてもどうやって返すの?自主隔離せないかんのに)どの道絶対に600ドル以上の金はかかる(>_<)

書類に色々書き込んでもらって、
詫び状も雛形があるらしいので書いてもらって(笑)
さあ後はこのお二人に任せるしかない!!

久保さん、よろしくお願い致しますm(_ _)m

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Posted by ファンキー末吉 at:18:37 | 固定リンク

2020年5月 3日

カンボジア大阪東京3元中継生ライブ大成功!!

おそらく世界初やろうな(知らんけど)
今回はカンボジアと大阪のみならず、東京とも繋いで3箇所で同時セッション!!

今日友人を介して知り合いのとあるミュージシャンから「どうして音が遅れないんですか」と質問が来た。

直接聞きなさい!!(笑)

説明しておきます。
日本のミュージシャンの皆さま、このシステムだと音が遅れず、遠隔地から同時にセッションして配信することが出来ますぞ!!

まずメインのシステムはこのヤマハのNETDUETTO!!
こちらから無料でDL出来ます)

これをまずパソコンにインストールします。
そして大事なのはそのパソコンをLANケーブルで有線でネットに繋ぐこと!!

昨日テストでやってみた時に、どうしても音が遅れるということで、ブルースハープの西村ヒロさん、その場でLANケーブル買いに行ったもんな・・・(笑)

ところが最近のMACとか差込口はType-Cしか付いてない(>_<)
私も今日苦労してカンボジアでこの変換アダプターをゲットしました!!

日本国内においては、双方が有線LANで接続すれば、このNETDUETOはなかなか遅延を感じさせない素晴らしいソフトです!
(どうして10年間もベータ版のままなのか不思議・・・)

これで日本同士音のみの同時セッションはもう可能!!

NETDUETOの設定は、まあ5Gとか実現化したら別だろうが、現状では
「基本音質設定」を「帯域優先」、
その右の音質は「低(11/12kHz)」「高圧縮」「1ch」が無難であろう。

さて、セッションするにもどのように相手に音を送るかですが、
とりあえずイヤホンは使わないとスピーカーから出た音をマイクで拾ってループしてしまうことが多い。

音を繋いでセッションをするためにはやはりオーディオインターフェイスをパソコンに繋いで、そこに楽器の音を打ち込むのがよろし。

上の写真の左側に入力出力の設定があるのでそれをインターフェイスに変えてやる必要がある。
入力をインターフェイスから、出力をイヤホンからという設定も可能。
パソコンによってはイヤホンを挿しても自動的にイヤホンに変更してくれずスピーカーのままということもあるので、この設定はいちいちチェックのほどを!!


さて、音のやり取りはここまで、これで音のセッションは出来るが、映像はまた別のソフトを使ってやらねばなりません。

オンライン会議ソフト「ZOOM」や、「LINE LIVE」など色々方法はあるけど、
ここでは「ZOOM」のやり方をご紹介しておきましょう。

まず、パソコンはNETDUETTOで使われているので、新たにスマホかもう一台のパソコンでネット配信する必要がある。

NETDUETTOの音をスピーカーから出して、それをスマホやもう一台のマイクで拾って音を出すなら何も設定は要らないが、やはりいい音で配信しようと思ったら、もう一台をパソコンにして、そこにLINE入力でNETDUETTOの音を繋ぎたいもの・・・

そこで、これは私のやった例としてご紹介しておきますが、
カンボジアと日本という、NETDUETTOを使っても音が遅れる場合のやり方として参考にして下さい。

まずどうやっても音が遅れる場合、音を「送り側」と「受け側」に分けます。
今回の場合、「送り側」は大阪のザビエル大村、「受け側」がカンボジアの私となります。

まず送り側はインターフェイス経由でギターの音をパソコンにぶっ込んでNETDUETTOでカンボジアに送る。
そしてカンボジアでは「受け側」としてまた別のセッティングをします。

一台のパソコンにNETDUETTOをインストールして、そこのマイク入力はオフ、またはガイドのためにうっすらと返しておく。
(ここで既に音が遅れているため、大きく返すとギターが影響されてうまく弾けない)

つまりネットの遅延のために「相互方向のセッション」を放棄したわけですな。
こちらはNETDUETTOで受け取った音をパソコンのイヤホン出力からインターフェイスに繋ぎ、
(それゆえ、NETDUETTOの出力をイヤホンに設定する必要あり)
そのインターフェイスにマイクも繋ぎ、ギターの音と自分の声はインターフェイス上でミックスをして直接ZOOMに出力。

つまり、送り側ではインターフェイスはNETDUETTOがインストールされたパソコンに繋ぐけど、受け側ではZOOMで配信する方のパソコンに繋ぐわけです。

ZOOMは立ち上げると入力ソースを選べるところがあります。

ここの入力出力を共にインターフェイスに設定すれば、
私としてはギターの音と自分の声、そしてZOOMのお喋りをインターフェイスに接続したヘッドホンで聞くということになり、配信の音はこれのみ!!
つまり、ZOOM、そしてそれに連動して配信するYouTubeやFacebook等は私のZOOMの音だけを聞いている形になるわけですな。
そして大阪のザビエル大村のZOOMの音はミュートしておきます。
(そうでないとZOOMから聞こえるギターの音と、私の送っているNETDUETTO経由のギターの音で遅延が生じて二重に聞こえる)

ちなみに、私の方でパソコンのアウトからインターフェイスに繋ぐケーブルの問題ですが、ステレオケーブルで無理やりインターフェイスのMONO入力に繋いだ私の場合、NETDUETTOの音がインターフェイスに入力されないというトラブルが起きましたが、NETDUETTOのパンを左に寄せてやれば解決。

これで成功したセッションのレポートがこちら!!

今回はこれに大阪ー東京の相互方向セッションを加えて3元中継に成功したわけです。

そのダイジェスト映像
(フルバージョンはこちら

日本同士だと遅延も少なく、完全に相互方向のセッションが可能ですので是非お試しあれ!!

日本同士の場合、このまま私がいない状態

なお、Facebook同時配信、YouTube同時配信はZOOMの有料会員オプションです。
他の映像配信の方法も色々あると思いますので研究してみて下さい〜

では日本のミュージシャンの皆さま、世界に先駆けて遠隔地セッションをやりながらコロナを乗り切ろう!!


ps.このシステムを構築するために私も大村も少々散財を致しました。
「このシステムええわ〜というお方は少々投げ銭して頂けると助かります〜

ファンキー末吉
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ザビエル大村
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【ゆうちょ銀行】への投げ銭、振込先。
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記号 14120 番号60818301
名前 オオムラアキラ
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他の金融機関→ゆうちょ銀行への振込の場合
【店名】四一八(読み ヨンイチハチ)
【店番】418 【預金種目】普通預金
【口座番号】6081830

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Posted by ファンキー末吉 at:04:49 | 固定リンク

2020年4月25日

精神文明の社会

その昔、チベットに行って「ロックとは何か」を悟ろうとしてた時、この頃に「世界が物質文明から精神文明に変わる時が来る」という話をどこかから聞いた。

Stay Home!Stay Safe!!の時代が来て、色んなアーティストがネットに色んな動画をアップする。

メタリカの過去のライブ映像毎週大放出も見ているのだが、
小曽根真さんの毎晩配信自宅ライブからは目が離せない。

面識はないのだが、思わずファンレターをメッセージで送ってしまったほどである(笑)。

そこにオーバーダビングで参加した五十嵐一生くん!!

素晴らしい!!本当に「神様に向かって演奏している」が如く名演である。

五十嵐一生くんとは大昔、新宿ピットインで彼のバンドのドラマーとしてライブをやったことがある。

一緒に演奏したギタリストが、その後に過労死したというニュースを五十嵐くんから聞いた・・・
好きな音楽をやり続けるには金が要る。朝から晩までバイトしながら音楽をやってたらついに身体が限界が来たのだと・・・

「音楽に命を捧げる」のならまだしも、「バイト」に、「生活」に命を捧げるのはなんともいたたまれない(>_<)

これが「物質文明」の世界である。
「持たざる者」は生きてゆくことが出来ない・・・

今頃、天界にある真っ白な世界で、そんなことを気にせずに好きな音楽を心ゆくまでやっているのだろうか・・・

そんな世界が、その頃聞いた「精神文明」の世界だとするとこんな素晴らしい世界はない。

でもなぁ・・・そんな世界なんて来るのかなぁ・・・

「売れる音楽がこそが正しい音楽」という世界で生きて来て、
「お金を持つこと」「有名になること」が正しいという世の中でちょっとだけ持ってみたり・・・
およそ「物質文明の申し子」のような人生を送って来た私が、遠い空を見上げて空虚に想うばかりである・・・


昔、ラジオのパーソナリティーをやっていた時、その番組に台湾の「郭英男」さんという人がゲストで来て、インタビューをして衝撃を受けたことがある。

彼は台湾の少数民族のひとつ、アミ族の人間である。
彼自身、日本統治下で学習した日本語を少し喋るが、基本的には同伴した息子さん(私より年上!(◎_◎;))にアミ族の言葉で話し、息子さんがそれを中国語に訳してインタビューする。

アミ族の言葉はそれ自体「文字」を持たないらしい。
彼のような人々が「歌」でその文化を伝えてゆく・・・

洗濯の歌、酒を飲む歌・・・
1993年にエニグマが『リターン・トゥ・イノセンス』でサンプリングしたのが、彼が歌うそんな歌の中のひとつ、『老人飲酒歌』である。

この無断サンプリングを巡っては、彼(・・・というよりその代理人を名乗る人であろう)とエニグマの間で大きな訴訟が起こされることとなる。

今まで村の中で、村人から選ばれて「歌で民族の文化を語り継ぐ」という役割を与えられ、あのお年になるまでそれだけをやって生きて来たお方が、いきなりこの「物質文明」の中に放り込まれることになる・・・

しかし私がお会いした印象の中で感じるのは、「どこ吹く風」・・・
インタビューの最後に日本語で語ってくれたメッセージは、

「僕ハ小サイ頃カラ歌ガ好キデ、今デモ歌ヲ歌ウ。トテモ幸セ。」

当時「物質文明」のど真ん中にいた私の心にはそれはそれは強く突き刺さった・・・

彼とはそれ以来会ってないので、晩年どのような人生を送られたのかは知らない。
遅くして知った物質文明にまみれ、エニグマから勝ち取ったお金で余生を贅沢に送られたとしても、それはそれで誰にも責められることではない。

ただ、もしそうだったとしたら、きっとあのような「歌」は歌えなくなってるのではないかな、と想像する・・・

精神文明「社会」ではないが、あの歌こそがきっと「精神文明」なのだ、とそう思う。

同様に、今こんな時代に、お金にもならないのに・・・というか、お金にならないからこそ、自分の思う「正しい音楽」、自分が「信じる音楽」をネットにアップしている音楽家たち、彼らこそが「精神文明」の担い手なのだと感じる。


昔、米川英之のツアーでご一緒した新澤健一郎くん、
彼のこの投稿も素晴らしかった・・・

彼はRockやJazzやPopsや、あらゆるジャンルを弾きこなすオールラウンドなプレイヤーであるが、Jazzは一緒にやったことがない。

いつか一緒にどっぷりとJazzでも一緒にやってみたいな・・・などと思いながら見つけたこのセッション!!

もう素晴らしいね!!

Jazzの魅力は、この二人の頭の中では鳴っていて、実際には音としては出て来ないものをリスナーが共有するところにあると思っている。

つまりは常にリスナーもそのセッションに参加しているのである。

「クリックを消した」と書かれてあるが、その聞こえないクリックをリスナーも共有する。
プレイヤーが本来のコード進行をちょっと崩してゆく(アウトすると言う)のをリスナーもそのコード進行を共有してるから一緒に楽しめる・・・そんな感じである。

私もそれをやってみたい!!ということでこの大元のYouTube映像を探したが、残念ながらこれしか見つからない・・・

これはちょっとわかりやす過ぎるので大元のが欲しいのよ〜
というわけで布川せんせーに直接連絡して送ってもらう・・・

布川せんせー、大元のはちょっとわかりにくいので一般公開はしてないらしい。
私は敢えてそっちのバージョンでセッション!!

なんで子供がおるのかと言うと、こちらカンボジアでも託児所が休園になったり、共働きのご夫婦は大変なのよ〜

この世の中いろいろ助け合わな生きていけんからなぁ・・・
その助け合いこそ「精神文明社会」の第一歩かも知れんなぁ・・・

特にこんな「神様と交信している」が如くの素晴らしいミュージシャンが、このまままた物質文明にまみれることなく生きてゆける社会になればいいな・・・と思う今日この頃である。


Posted by ファンキー末吉 at:03:00 | 固定リンク

2020年4月16日

美女と三密3人乗り・・・

子守の助っ人に来てくれてるタカシの(片想いかも知れんが)彼女姉妹、今日からタカシはHIBACHIで働くので代わりに家まで送って行くわ〜・・・って3人乗り!(◎_◎;)

子守の助っ人に来てくれてるタカシの彼女(片想いかも知れんが)姉妹、今日からタカシはHIBACHIで働くので代わりに家まで送って行くわ〜・・・って3人乗り!(◎_◎;)

しかしその後、彼女たちの住むところに着いて私は絶句することとなる。。。

美女と三密3人乗り
ファンキー末吉BLOG
http://www.funkyblog.jp/2020/04/post_1413.html

末吉覚さんの投稿 2020年4月16日木曜日


しかも途中でガス欠(>_<)!タカシめ、ガソリン入れ忘れたらしい・・・

年寄りはバテてしまい、一番若い妹がバイクを押す。
どこの姉妹もそうなのかも知れないが、お姉さんはいつも人生背負ってる感じで妹は天真爛漫で明るい。

子守の助っ人に来てくれてるタカシの彼女(片想いかも知れんが)姉妹、今日からタカシはHIBACHIで働くので代わりに家まで送って行くわ〜・・・って3人乗り!(◎_◎;)

しかしその後、彼女たちの住むところに着いて私は絶句することとなる。。。

美女と三密3人乗り
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http://www.funkyblog.jp/2020/04/post_1413.html

末吉覚さんの投稿 2020年4月16日木曜日

子守の助っ人に来てくれてるタカシの彼女(片想いかも知れんが)姉妹、今日からタカシはHIBACHIで働くので代わりに家まで送って行くわ〜・・・って3人乗り!(◎_◎;)

しかしその後、彼女たちの住むところに着いて私は絶句することとなる。。。

美女と三密3人乗り
ファンキー末吉BLOG
http://www.funkyblog.jp/2020/04/post_1413.html

末吉覚さんの投稿 2020年4月16日木曜日


やっとガソリンスタンドに着いたら汗だく・・・
おじさんがいつも首にかけてるタオルで汗拭いてあげる・・・

お嬢様じゃなくてよかった〜
加齢臭を全く嫌がりもせず、全く気にせずそのままタオルを首にかけて出発〜

子守の助っ人に来てくれてるタカシの彼女(片想いかも知れんが)姉妹、今日からタカシはHIBACHIで働くので代わりに家まで送って行くわ〜・・・って3人乗り!(◎_◎;)

しかしその後、彼女たちの住むところに着いて私は絶句することとなる。。。

美女と三密3人乗り
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http://www.funkyblog.jp/2020/04/post_1413.html

末吉覚さんの投稿 2020年4月16日木曜日

子守の助っ人に来てくれてるタカシの彼女(片想いかも知れんが)姉妹、今日からタカシはHIBACHIで働くので代わりに家まで送って行くわ〜・・・って3人乗り!(◎_◎;)

しかしその後、彼女たちの住むところに着いて私は絶句することとなる。。。

美女と三密3人乗り
ファンキー末吉BLOG
http://www.funkyblog.jp/2020/04/post_1413.html

末吉覚さんの投稿 2020年4月16日木曜日


やっと彼女たちの家に着いたらびっくりした・・・
そこは写真を撮るのもはばかられるようなぼろ家が集まったゴミだめのような集落!(◎_◎;)

そこに消えてゆく明るい妹と何かを背負ったような姉・・・
私は胸を鷲掴みにされたようにキュンとなった。

南国だからまだいい。
隙間風で凍えることもなければ、
水道さえあれば毎日水シャワーは浴びることが出来る。

ところがふたりともこのゴミだめのような集落には不釣り合いな美女だから、私の胸は余計に高鳴るのだ。

中国では「美人はそれだけで金になる」と言われていた。
その話:http://www.funkycorp.jp/funky/ML/87.html
だけどこの国の今の状況ではいくら美人だってもうどうしようもない。

コロナで仕事を失った・・・
もちろん国は保証などしてくれない。
そもそもが、この国の政権は彼女たち貧乏人に支えられてる政権ではないのだ。

日本だったら、田舎で食えない人は都会に行けば、文句さえ言わなければ何らかの仕事はある。
だがこの国は、田舎から首都プノンペンに来たところで、英語でも喋れなきゃろくな仕事なんかありゃしない。

そのろくでもない仕事さえコロナで奪われ、
彼女たちは帰るべき実家もないと言うのだから、
このままこの底辺で、仕事もなく生きてゆくにはもう犯罪でもやるしかないだろう・・・

そんな底辺の人間がこの国には数えきれないほどいるのだ・・・

私とて失業者の身、子守の助っ人でろくなギャラも払えるわけじゃないから、
とりあえず
「メシだけは食わすわ〜」、
二人に払うギャラはないから、
「二人で来てもええけどギャラはひとり分しか払えんよ〜でもメシは食わすわ〜」

ちょっと「条件」としてはどうしようもないけど、
彼女たちは毎日うちに来てくれて真面目に子守をやってくれてるバックボーンがわかって、ちょっと胸がキュンとなった。

1日10ドルで暮らそうとビール0.5ドルのこの国に来てみたものの、
タカシといい、彼女たちといい、「家族」が増えてもう大変である(>_<)

まあいい、周りから犯罪者を出すことほど気分の悪いことはない。
お前らがとりあえず、これ以上悪くならなくなるんだったらそれでいい。

これ以上って・・・これより悪い状態はなかなか多い浮かばないのだが・・・(>_<)

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Posted by ファンキー末吉 at:23:47 | 固定リンク

2020年4月15日

亜州鼓魂を巡る日中のいろんなドラマ

このブログでは結構頻繁に出て来るこのアルバムにまつわる話を、今回はちょっと掘り下げてゆっくり話そうと思います・・・

長くなるけどひとつの「読み物」としてまとめてみました。
本として出版するつもりはないけれども、
最近ではブログにも「投げ銭」と同じシステムで、読み終わって気に入ったらその分の報酬を支払うシステムがあるというので、一応「物書き」の端くれとして、「作品」として初めてそれをやってみようと思います。
もちろん一瞥して無視してくれても構いません。

それでは始めてみましょう、「亜州鼓魂を巡る日中のいろんなドラマ」

調べてみると、このアルバムが日本で発売されたのは1996年の7月19日、
爆風スランプが何をやってたかと調べてみると、その2ヶ月後の9月21日には「旅人よ 〜The Longest Journey」が発売されている・・・

ということは、ちょうどこのアルバムを制作している時に電波少年の猿岩石の応援歌のタイアップが舞い込んで来たということだ。

タイアップを取って来たレコード会社とのミーティングの様子を覚えている・・・

あれはきっと当時の所属事務所であるアミューズの会議室だったであろう、
ひとつの部屋にメンバー全員と、爆風担当のスタッフ、そしてレコード会社のディレクターと宣伝担当なのか、とにかくそのタイアップを取って来た人とが面を合わせる・・・

「電波少年って番組知ってますか?」
そこから話が始まったと記憶している・・・

もちろん私は日本のテレビ番組なんか見ないし、ましてやバラエティー番組など知る由もない。
そんなこともあろうかと、担当者は番組を録画して会議室で私たちに見せた。

若いお笑いの二人組がヒッチハイクをしながらアジアを旅をしている姿があった・・・

「どうですか?」
担当者がみんなに聞いてゆく・・・

「面白いねぇ」とかいう意見が出てたような気がする。
しかし私には全く興味がない・・・

番組が面白いかどうかは今から曲を作ってタイアップ付きで売ってゆくのに全く関係ない。
「番組が売れてるかどうか」以外に意味はないのではないか・・・
それが「ショービジネスの世界」ではないのか・・・

「どうですか?末吉さん」
ひとりだけ何も反応もない私に担当者が聞いて来る・・・

「こんなことは私は自分の人生でやっていますから・・・全く興味がないですね!!」

私は中国にカメラクルーを連れて行ったわけではない。
ロックを探して「殺されるかも知れない」と震えながら地下クラブに行った。
出会ったパンクスに彼の歌を天安門広場で歌って欲しいと言われて、ギター持って広場に行ったものの怖くて怖くて歌えなくて泣いて帰った。
爆風スランプを何とか北京でイベントにねじ込んで、1曲目に煽ったら中止命令が来たけど構わずやり続けたら、銃を持ってる武装警察に別室に監禁された。

全部テレビカメラなんかない。
その時そこにいた人、そして私自身以外は誰も知らないことである。

私はテレビのためにこれをやってるのではない。
私のためにこれをやっているのだ。

私の人生のために・・・

結局タイアップの曲は河合の曲に決まった。
それが「旅人よ 〜The Longest Journey」である。

「選曲会議」というのがある。
次のシングルとかを決める時に、それぞれメンバーが書いた曲を持ち寄って、レコード会社とかとどれにするかを決める会議である。

私はこれが嫌いで・・・っていうかみんな嫌いなんじゃないかな?
持って来た自分の曲は一番いいと思って持って来るのに、
それをあーだこーだと否定されに行くようなもんである。

インターネットなどない時代であるが、
カセットテープを郵送するからそっちで決めて結果だけを教えて欲しいぐらいなもんである(>_<)

この選曲会議の時だったと思うけど、中野がこんなことを言ったのを覚えている。

「河合の曲は売れ線だけど中身がない。
末吉の曲は深いけど大衆的ではない。
お前らその真ん中の曲が書けないのか?(笑)」

どうして覚えているかと言うと、「そうかも知れない」と思ったからである。


その頃・・・いやもうちょっと前の時代かも知れない、
きっと黄家駒が死んでからしばらくしてのライブだったと思うが、
爆風のコンサートを見に来てくれたひとりの友人が、終演後に私にこう言った。

「末ちゃんだけがひとり別のところを見てる」

「出てる音」が違うのだ、とそう言う。
一体私だけがひとりどこを見てたと言うのか・・・

見てるところが違ってて、音にもそれが出てるのだから、
こうしてタイアップで曲を作ろうったって、出来て来る曲の方向性は全く違って来る・・・

実のところ私はこの亜州鼓魂の曲は爆風の選曲会議には出さなかった。
どうせ中国ロックだJazzだ変拍子だなんぞ出したって笑われてボツにされるのがオチである・・・

そう言えば1曲、「R&Rオヤジ」という曲はその前の選曲会議で出したような記憶がある。
当時「チキダッチョ」という言葉がラジオで流行ってて、それを連呼する面白い曲にしようということになったので「冗談じゃない」とばかり曲ごと引き上げたのだ。

「チキダッチョ」にしてたら売れたかも知れない。
でも私は自分が笑えない曲をその後もずーっと演奏し続けてゆく自信がない。

結局「摇滚老头(R&Rオヤジ)」というテーマで自分で詞を書いた。
途中にこんなコーラスが入る。

「摇滚老头站起来吧!!不怕牺牲!!排除万难!!勇敢向前!!昂头冲向未来!」

毛沢東の革命のスローガンである。
それを実際に軍隊のコーラス隊に歌ってもらってるんだから笑える。

25年経った今聞いても、私にはとても「笑える」のである。

「チキダッチョ」がもし大ヒットしてたとしても、25年経った今聞いても果たして笑えるかどうか・・・歴史に「もしも」はないのでそれはわからない・・・

そういえばこのアルバムのミックスダウンの時に、当時の担当マネージャーが陣中見舞いに来てくれた。

その時にちょうどミックスが仕上がり、最初から全曲聞いてみようということで、
部屋を暗くして音量を大きくして、さてA面の1曲目から・・・

そう、このアルバムはまだカセットテープが主流だった中国の流通を考えて、
アナログ盤と同じくA面、B面、そしてA面の5曲はメドレーとして繋がっていて、B面の4曲も繋がっている。
アナログ盤をひっくり返すように、ひと息ついてカセットをひっくり返すように作られているのだ。

A面の最後の曲がこのアルバムのリーディングソングで、李慧珍が歌う「Let Me Be Free」。
この曲が終わってひと息入れて、さてB面を聞こうとした時にマネージャーが「帰る」と言い出した。

「あの女の子の歌の、最後に転調を繰り返すところで涙が出て来て・・・
僕、帰ります!!帰って爆風の新しい活動計画を作らなきゃ・・・
このままだと・・・このままだと末吉さんがどっか行っちゃう(涙)」

そして私はその予想通りどっか行ってしまった。
その「どっか」は中国である。

後に中野が何かのインタビューで爆風活動停止について聞かれた時にこう答えていた。
「中国に入れ込んだ末吉が・・・結果爆風を壊してしまったんです」

その通りだと思う・・・

その後マネージャーは爆風のどんな活動計画を作ったのかは記憶にない。
だが、「旅人よ 〜The Longest Journey」は売れた!!

多くの人はRunnerこそが爆風最大のヒット曲だと思っているが、
実はCDの売上枚数だけで言うとこの曲の方が「売れて」いる・・・

会社のトップである大里会長は、波に乗っている私たちにハッパをかけようと、食事をしながらこんなことを言った。

「お前らこれぐらいで満足してるのか?
桑田はお前らよりもっと金持ちだぞ?俺はもっと金持ちだぞ?
このぐらいの金で満足か?」

確か河合は目をキラキラさせながら「頑張ります!!」と言ってた気がする(笑)

私はぼーっとしながら考えた・・・結論から言うと「満足している」のだ・・・

メンバー全員が都内にマンションを買い、
更には別荘や、もう一軒マンションをという時に、
私は本当に金がなかった・・・

持ち慣れてない金を持って浪費し過ぎたのもあるが、
やはり大部分の金は中国に消えている・・・

結局買ったマンションも安値で売り、
そりゃ金はあるならあった方がいい・・・

でも中国のあの若者たちは命がけで(と当時は思っていた)ロックをやっている。
俺は一体何をやっているんだ・・・

そんな思いがいつもあったから、
このまま「もっと売れて」とか思う考え方が私の中にはなかったのだ。

電波少年はますますヒットし、猿岩石は全国民が知る有名人となり、
旅人よ 〜The Longest Journey」も大ヒットした。

時間がなかったのはわかる。
中野と河合と二人でインドに行ってこの曲を歌うのもわかる。
それがカップリングとしてCDに入るのもまだわかる・・・

だが、寝耳に水で他所から1枚の8cmシングルCDのことを聞かされた私と和佐田の気持ちはどんなもんだろうか・・・

「爆風スランプ」という自分の「バンド」名義である。
その名義で私と和佐田が全く参加していないこの曲のオーケストラバージョンを、私と和佐田が全く知らないうちにレコーディングして、それを発売しようとしている・・・

レコード会社のディレクターやマネージャーにとっては「あ、しまった!!お二人に伝え忘れてた(>_<)」だけのことであろう・・・
だが私にとってはもうひとつもっと許せないことがあった。

私は亜州鼓魂の中で11分にも及ぶフルオーケストラとの組曲を書いている。
ラス前の「天界への7番目の扉」という曲である。

中国最高のオーケストラとガチで組んで、血が逆流するぐらいの思いでこの曲を録り終えた。
この「旅人よ~ロイヤル フィルハーモニック オーケストラ ヴァージョン」のオーケストラアレンジを引き受けた福田さんから、実は福田さんがこのアレンジをやって、ロンドンで私と同様に血が逆流する思いで演奏した話を聞かされた時の私の気持ちは想像出来るだろうか・・・

今では私はおそらく日本のその辺のアレンジャーよりは多くの曲をオーケストラとレコーディングしている。
X.Y.Z.→Aでもオーケストラを入れたアルバムも2枚作っているが、
その時に橘高が(うちはレコーディングディレクターは橘高がやる)、私の知らないうちに別のアレンジャーにそれを発注してたらX.Y.Z.→Aは今この世に存在しているだろうか・・・

確かにこの時点では私は、オーケストラアレンジャーとしては初めての大波を超えた程度のキャリアかも知れない。
でももしこれがX.Y.Z.→Aだったら橘高は私にどう言うか・・・

「末吉さん、これ、やりますか?それとも他に頼みますか?
もし末吉さんがやると言うなら、僕らはバンドの運命を全て預けますんで死んで来て下さい」

そして私はまた血の涙を流しながら戦うのだ。
愛するバンドのために、愛するメンバーのために、そして愛する「自分の音楽」のために・・・

思い起こせば私が90年に最初に北京に行った時、
地下クラブで黒豹のライブを見て、その後天津体育館で一緒にドラムを叩き、
泣きながら飲んで、「Someday your dreams come true!!」と言う言葉を残して日本に帰った。

当時試験期間の新米ドラマーだった赵明义に変わって、私は日本を捨てて黒豹のドラマーとして中国に残る選択肢もあった。

ところが「こんな国で夢追いかけたってお前ら・・・絶対に叶うわけがない」という思いもあった。
だからこの言葉を贈る時、私は・・・泣いた。

私は結局「ウソ」の言葉を残して日本に帰ったのだ。
当時誰も彼らが後に何十万人のスタジアムを満杯にするバンドになるなど想像だにしていない。

私も夢にも思ってなかったが、そちらの方が「茨の道だから」私は楽な日本の道を選んだわけでもない。
私には日本に「バンド」があるのだ。「仲間」がいるのだ。

その仲間を見捨てることは出来ない。だから日本に帰ったのだ・・・

その時には、その後そのバンドからこのような仕打ちを受けようとは夢にも思っていない・・・

亜州鼓魂は中国で売れた・・・
続いてそのリーディングソングを歌った李慧珍のデビューアルバムをプロデュースし、
それは本当の意味で売れた。

こんな感じ・・・
後に中国のグラミー賞みたいなので作曲賞を頂くこととなる・・・こんなん

「本当の意味」というのはどういうことかと言うと、
当時は中国では海賊版がひどくて、ヘタしたら正規盤を作っている工場で多量の海賊版が作られているような状況だったのだ。

実際に何枚売れたかなどカウント出来ないが、
レコード会社にも、このアルバムを作ってくれた日本のホリプロにもおそらく亜州鼓魂の収入はほとんど入ってないと聞く。

しかし李慧珍の場合は、ド新人の歌手が一世を風靡するようになったのだから事務所としては御の字である。
亜州鼓魂のようなオムニバスだとなかなかそうはいかない。

しかし亜州鼓魂の影響力はデカかった。

それは今でも感じている。
中国では80年代生まれのミュージシャンと仕事をすることが多いが、
新しい人と出会うと必ず「学生の頃このアルバムを聞いてました」と言う。

「知らない人はいない」というぐらいのレベルである。

布衣のボーカルLaoWuは、同じく学生の頃貧乏だったので、このたかだか数元のカセットを買う金がない。
友達と「あれ買いたいんだけど」という話になって、みんなで血を売ってその金で買ったらしい(笑)

どうしてそんなにこのアルバムを買いたかったかと言うと、
当時中国には「ロック」のアルバムは本当に数枚しかなかったのだ。

このアルバムのセールスコピー「中国三大ギタリスト夢の共演」というのは当時のロックファンの購買欲をそそるのに十分であった。

ちなみに中国三大ギタリストというのはみんな私の友人で、
黒豹のギタリスト李彤と唐朝のギタリスト老五、そしてBeyondのギタリストPaulである。

ところが買ってみたら、三大ギタリストの共演は「R&Rオヤジ」だけだし、あとはJazzやら変拍子やらRapやら、当時の中国では聞いたこともないような音楽ばかりである。

今布衣のエンジニアとして一緒にツアーを廻っている海龍は私にこんなことを言った。
「ない金叩いて買っては見たものの、ほとんどの曲は听不懂、全く理解出来ないんだ。
だから毎日毎日何回も何回も聞いた。だから今でも覚えてて歌えるし、ああこれは7拍子だったんだと今ではやっとわかる」

そう、このアルバムはロックのバイブルみたいに中国ではロック好きなら誰もが聞くアルバムになったが、収録されている曲はロックばかりではない。
むしろコンセプトアルバムの最後を飾る2曲はJazzである。


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「ソロアルバムを出したいんですけど・・・」
日本のシステムは世界では珍しく「全ての権利を売り渡して給料をもらう」というシステムなので、私はそのやり方に則って所属事務所にお伺いを立てる。

所属事務所はレコード会社にレコードに関する部分を譲渡するので、当然ながらレコード会社に相談する。

日本最大のレコード会社であるソニーレコードの会議室に、所属事務所のマネージャーとレコード会社の大幹部たちが集まって私を呼んで会議を開く。

「どんなアルバムを作りたいのかね?」
私は胸を張って答えた・・・「Jazzです!!」

一瞬の沈黙・・・そしてレコード会社の幹部はこう聞き返した。
「それが一体何枚売れるのかね?」

「Jazzもコアなファンがいるのでちゃんと作ったら1万枚は売れるでしょう。
5000枚売れたら大ヒットという世界ですから、とりあえず私は1万枚以上を目指したいと思います!!」

幹部たちは顔を見合わせて、そして一斉に大笑いした。
「どうして爆風スランプのメンバーのソロアルバムを50万枚も売れないのにうちが出さなきゃならないのだね?」

大笑いの中、会議は終了・・・

とどのつまり、レコード会社はその数年後に発売されることになる「旅人よ 〜The Longest Journey」のような曲満載のアルバムを作って欲しいのだ。

でもそんな曲なら爆風に書く!!
ソロアルバムなど出す必要は全くないではないか・・・

爆風に持っていっても鼻もかけられないJazzや中国ロック、
でもこれはクオリティーの高い素晴らしい音楽だ、
だから世に出したい!!

これがそもそもの「ソロアルバム」という考え方ではないのか?・・・

聞くところによると、大手プロダクションに所属する有名バンドのマネージメントでは、
メインのメンバー以外のソロアルバムはガス抜きのために出してやったりするが、
決してメインの売り上げを上回らないようにうまく「手を抜く」という話がある・・・

本当か嘘かはわからないが、そりゃメインどころを追い抜いちゃったらメインどころも面白くないし、バンドはうまくいかなくなる可能性はあるわのう・・・

そして自分ひとりの音楽ではどれだけ力不足かを実感し、そしてそのメインどころがいなければ食っていけないと自覚し、そしてバンド円満、事務所もバンドのメインどころだけに気を使ってればいいから万々歳・・・

しかし私はこの枠にはまらなかった。
所属事務所からは商売敵に当たるホリプロとこの亜州鼓魂の発売を決めて来たのだ。

本来ならばご法度なのかも知れない。
日本のレコード会社は事務所と3社契約をして、アーティストには何の権利も残らないようにガチガチに縛る。
でも爆風スランプは中野の大学の友人が社長のプライベート事務所から始めて、いくつか事務所を転々としてるうちにそんな近代的な3社契約など結んだ覚えはないのだ・・・

きっと担当マネージャーには負い目があったのだろう。
「末吉さんにはソロアルバムをちゃんとリリースしてあげることが出来なかったから・・・」
そういう思いからソニーを海面下で説得して、商売敵であるホリプロからのリリースを事実上の黙認として許諾したのだと私は想像している。

通常ならこれで、このアルバムが売れなくて、何の影響もなく終わって、
末吉はやはり中野がいなくちゃダメなんだと思い返し、
心を入れ替えて爆風に専念して・・・

四方八方万々歳である。

ところがこのアルバムは日本では全く売れなかったが、
・・・というか日本語が一切なく、中国語メインで朝鮮語とモンゴル語、
(多民族国家の中国人は後のインタビューで「全部私たちの言語で」と言っていた)
流行りのJ-POPなどかけらもないアルバムがこの国で売れるわけはないが、
中国では売れた!!

・・・というか大きな影響力を持ったという方が正しいか・・・
私はその流れで97年の「日本レコード大賞アジア音楽賞」を受賞した。

これは所属事務所のアミューズにとっては屈辱的なことだったと思う。
何せご本家の爆風スランプでさえレコード大賞とは大きな縁はない。
それがずーっと切り捨てて来たそのいちメンバーが、
よりによって商売敵から出したレコードでこれを受賞する・・・

当然ながら受賞は所属事務所のアミューズではなく、レコードを出したホリプロに与えられる。
一応は所属アーティストなので受賞パーティーにマネージャーも同席するが、
それはきっと「針の上のむしろ」だったのではと想像する・・・

今にして思えば、所属事務所ももっと早くにわかっておくべきだったのだ。
誰の動きでこの爆風スランプがあなたの事務所に移籍して来たんですか?

ある時はほーじんが暴れ、ある時は中野が暴れ、
その度に夜の街を駆け巡り、業界の人間を探しては飲みながら相談し、
睡眠不足でヘロヘロになりながら、ある時は涙で懇願しながら移籍を決めて来た。

アミューズへの移籍の時なんか少々売れてたりしたもんだから泥沼である。
「サザンオールスターズとプライベーツの間に位置するバンド、
出来れば桑田佳祐のケツを叩いて危機感を煽れるようなバンドが欲しかった・・・」
移籍後にこんなエピソードを幹部から聞いたが、
爆風のことを喉から手が出るほど欲しかったアミューズが、その強大な力を使ってうまく移籍をまとめてくれたのだ。

でも幹部は私にこう言った。
「お前は前の事務所の社長にこんなこと言ったんだって?そりゃあいつもショックだよ。それだけは言っちゃいけない」

何のことはない、中野が私に言ってた言葉を私がバンドを代表して言っただけのことだ。
「爆風スランプを愛してるばっかりおっしゃいますけど、十分のお金を払わないのだったらそれに意味はありません。愛情とは即ちお金です」

アミューズは今でも私のことを冷血漢かなんかだと思ってるだろう、
でも誰かがそれをやらなければバンドは終わるのだ。

私は爆風スランプを結成し、コンセプトを作り、ツアーをブッキングし、お金の管理までしていた名実共に爆風スランプの「リーダー」である。
でもデビューしてから一切それを言わなくなった。
みんな中野がリーダーだと思ってる・・・別にそれでいい。

「バンドはひとつの丼飯を4人で食ってるようなもんだ。みんな決して腹一杯にはならない」
これは江川ほーじんが私に言った言葉である。

だからいい。
だってその丼飯もなくなってしまったらそれこそみんな飢え死にしちゃうじゃないか・・・

他のメンバーがいつも私に文句だけ言う。
私だけがひとりで底辺を這いずり回って泥水を啜って悪者になる。

これでいいのだ!!・・・これは赤塚不二夫さんの言葉だが名言だと思う。
私はそれを受けて今、いろんなことに直面した時にこう言う・・・

しゃーないなぁ〜・・・

私の人生もそうである。
これしかなかった・・・だから「しゃーない」のである!!「これでいい」のである!!
WONDERFULなLIFEである!!

しかしそれは、メンバーがみんなそんな私の動きを理解してくれてて初めて成り立つことなのである。

現在、X.Y.Z.→Aでは橘高がプロデューサーとして色んなことを決める。
あいつもほーじんと同じように火の玉のような性格だから、時には敵を作ったりすることもあるかも知れない。

でも世界中の人間があいつの敵になっても、私は一生あいつの味方である。
何があってもあいつはバンドのためにそれをやっている。
だから私は何があってもあいつを・・・命をかけて守る!!


リーダーと言えば面白いことがある。

爆風スランプ時代、あらゆる業界人が中野をリーダーとして扱った。
バカなライター達はいいとしても、ロック界でカリスマ的な評論家である渋谷陽一さんもそのように扱った記事を書いていたのを覚えている。

別にいい、それがバンドにとってよければそれでいいのである。

ところがX.Y.Z.→Aを結成する時に、
「二井原ぁ〜リーダーはお前な!!」
私はこう言い放った。

どうせ、「あのラウドネスのボーカルの新しいバンド」なのである。
取材も二井原が受けるだろうし、どうせみんな二井原がリーダーだと思うんなら最初からリーダーになっとけばよい(笑)

「そんな、俺リーダーなんてやったことないし無理無理!!」
そう言う二井原であったが、
「大丈夫!!細々したことは俺と橘高がやるから、お前は胸張って自分の言葉でバンドを語ってたらそれでええ!!」

ところがヘビーメタル界は違った。
色んな雑誌は私のことを「リーダー」だと書いたのだ。

これは「間違い」なのではあるが、
歌謡界ではメンバーにすら認められなかった私のバンド内での動きを、このヘビーメタル界ではみんなちゃんと見てくれてるんだな・・・

そう思ったらとてつもなく嬉しかった。

話が亜州鼓魂からX.Y.Z.→Aにずれた・・・
実は今日この文章を書こうと思ったのは、私の音楽配信サイトにてX.Y.Z.→Aのニューアルバムの情報をアップした時、ちょうどその上に亜州鼓魂のサイトがあったのだ。

配信サイトのスタッフはそれこそ一生懸命このサイトを作ってくれた。
X.Y.Z.→Aの他のアルバムもここで全部DL出来るようにしたいのだが、
このご時世、色んな事情でなかなかサイトが出揃わない。

私もいろんなことにかまけてて、この亜州鼓魂のサイトが出来てたことすら忘れてしまってたのだ。

いくらなんでもこの私がこのアルバムのことを忘れてはいけないのではないか・・・
そう思って今日この文章を書こうと思い立った。


このアルバムは今聞いても名盤である。

もしこのアルバムが下らないアルバムだったら、いくら「中国三大ギタリスト」などと謳ってみても「あれはろくなもんじゃない」などと噂が立っておしまいであっただろう。
海龍が25年経った今でも大事にカセットを持っているということもあり得なかったに違いない。

「売れる音楽はいい音楽で、売れない音楽はろくでもない」という世界で生きて来た私が、日本では絶対に売れない音楽で中国に地盤を築いた。

かと言って「中国で売れよう」と思って作ったアルバムでもない。
その時にやりたかったこんな音楽が、たまたまその激動の時代に合ってただけだっただけのことなのかも知れない。

私が日本のショービジネスの世界で学んだこと、それはまず
「自分の本当にやりたいこと、それは誰も御膳立てしてはくれない。自分の力でやり通さなければならない」
ということ、そして
「自分の音楽を曲げてその国に合わせる必要はない。世界のどこかにそのままの音楽を受け入れてくれるところがきっとある」
ということである。

あの時、友人が爆風スランプのコンサートを見て私に言った言葉、
「末ちゃんだけがひとり別のところを見てる」
あの時に私はどこを見てたのか・・・それがこのドキュメンタリー映像の中にある。

日本がアジアブームに沸いたあの頃、こんなことを私に言った人がいる。
「末吉くん、うまくやったね」

何をうまくやったもんだか・・・(>_<)
そんなにうまく世の中を渡ってゆきたいなら、あんたも中国人と結婚して家庭内言語を中国語で暮らせばいい。
日中の間の子供を作り、中国が自分の子供の祖国のひとつとなる。
そうやって一生この国と離れることなく生きてゆく気があるならあんたもやればいい。

そして日本の全てを失ったとしても作りたいアルバムを作ればよい。

それが認められるかどうかは神のみぞ知る。
認められなくても、一生自分の宝物としてそれを抱いて生きてゆけばそれでいい。


(このアルバムは是非曲順通りに片面片面続けて聞いて下さい)

先日の60歳還暦の誕生日に、リーディングソング「Let Me Be Free」を歌ってくれた李慧珍や、2曲目の「力量」を歌ってくれた栾树などが集まって、このアルバムの曲を中心にコンサートを行った。
6曲目の「24th Birthday」は別のラップ歌詞をつけて「60岁生日的歌」としてみんなで歌った。

マルチで録音したのでコロナが落ち着いたら「亜州鼓魂2019Funky末吉作品集」として中国で発売する予定である。

「作品集」と言ったってもちろん「Runner」も「リゾ・ラバ」も入らない。
全て中国で、中国人アーティストに書いてヒットした曲ばかりである。

日本では絶対に売れない、だけど私の大切な宝物がまた一枚増えることになるだろう・・・

亜州鼓魂を巡る日中のいろんなドラマ・・・了

Ofuse.png

長らく読んで下さってどうもありがとう御座います。
一応投げ銭のシステムを貼り付けておきます。
初めての試みですが、もしよろしければいくらか投げ銭してみて下されば幸いです。

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2020年4月 5日

カンボジアにてドラムレコーディング!!!

思い起こせば去年の年末ぐらいからカンボジアでドラムが録音出来ないか探している・・・

この時はプノンペンに遊びに来たさわだんが、英語が達者だということで片っ端から電話をかけてくれて探し当てたのだ。

よく飲みに行ってるHIBACHIの近所の、ここは普通の自宅内のホームスタジオ・・・
ここをFacebook投稿してみたら地元のミュージシャンからいくつか反応があった。

「ここ俺の友達んとこだよ」

外国人である私が地元のミュージシャンと知り合うというのは、よく行っているライブバー「Oscar」に飛び入りセッションして知り合うのである。

最近になってわかったのだが、ここはプノンペンで一番いいライブハウス。
外国人も含め日替わりでいろんなミュージシャンが客である年配の白人客相手に古めのロックを演奏している。

その中に実は重鎮ベーシストがいた!(◎_◎;)

いや、重鎮であるかはその後にわかるのだが、
とりあえずHIBACHIで一緒にメシでも食う・・・

この時に彼が連れて来たのはカンボジアで一番上手いというドラマー!!
こうやってミュージシャンの知り合いがどんどん増えてゆく・・・

その時に私は彼らに相談した。
「スタジオを作りたいんだ」

私は自宅のある八王子には自宅スタジオがある。
X.Y.Z.→Aをはじめ、アースシェイカーや筋少や、ここでも色んな名盤が生まれている。

そして北京、初代のこのスタジオは中国の高度成長の煽りを受け、立ち退きで引越し、次の場所ではちゃんと防音までしてかなり本格的に作ったのにまた立ち退き(>_<)

今ではもう北京にスタジオはない・・・ということはそこの機材を全部持って来ればここカンボジアでもスタジオが作れるということだ。

カンボジアFunkyスタジオ計画

ところが機材は持って来たとしても、そのメンテ、新たな機材を揃えなければならなくなった時に困るのが、
「レコーディング機材の専門業者」があるかないかが大きな問題である。

この会食の時に聞いたが誰も知らない。
それではということで、「じゃあレコード会社とかのスタジオとかないの?」と聞いてみたがそれも知らないと言う・・・

くっくま孤児院の美和さんの話では、一般貸ししてるかどうかはわからいが、どうやらひとつだけレコード会社の大きなスタジオがあるという話であったのだが、この辺のミュージシャンが知らないとなると探しようがない・・・

プロユースのスタジオや音響機材など、そもそも一般向けに広告など出しはしないのだ。
知ってる人だけが知っている、そんな業種なのだから仕方がない・・・

その後、北京のエンジニア方言(FangYan)をこちらに呼んで調べさせた時に、中国人コネクションでいろいろ調べてくれた。

続・カンボジアFunkyスタジオ計画

それでもこの段階ではこちらでドラムがレコーディング出来るスタジオはまだ見つかっていない・・・


そんな中で中国で新型コロナウィルスによる新型肺炎が始まった・・・

その時に私は毎年のように日本でツアーを廻ってた。
中国は旧正月辺りになると絶対に仕事はないので、毎年この時期には日本でツアーを廻るのだ・・・

ツアーの途中で頚椎症性神経根症になってしまった為、暖かいところということで、療養も兼ねてここカンボジアにやって来た。

その時にはドラムなど叩くつもりもないのでスティックすら持って来てない。
コロナの蔓延してないどこか暖かいところを療養を兼ねてのんびり廻るつもりだったのだ・・・

ところが布衣のボーカルLaoWuが、コロナで自宅待機をしている全ての人に捧げる歌を作りたいと言うので、この状況でどこかでドラムが録音できるかどうか考えてみたが、中国で録音しようと思っても、もう既に中国では爆発的に感染者が増えている。
日本もあれよあれよという間に第二の感染国となってしまった・・・

そんな時期に感染国を行ったり来たりすることも出来ないので、そこで考えついたのは布衣とRebellioNとのコラボである。

その時に出来上がった曲・・・この時にはRebellioNのみんなは「LaoWuがどうしてこんなに急いでこの曲を仕上げようと思っているのかわからない」と言っていたが、今となってみればこれは「今の日本」である。


さてそれからしばらくしたら、もう中国へも日本へも戻れない・・・(>_<)
中国は現行の全てのVISAを無効にし、当然ながら私の労働ビザも無効なので入れないし、
日本は母国なので入れないことはないが、2週間の隔離(自宅待機?)を余儀なくされる。

ってか、成田に着いたら公共交通機関、タクシーも含め全部乗ったらあかんっつうたらどうやって家に帰るん?
家の人に車で迎えに来てもらうしかないらしく、そしたらその迎えに来た人も2週間は隔離状態となる・・・

無理やん(>_<)

カンボジアも日本よりは数十分の一ではあるが感染者がどんどん増えてゆき、
ついに外国からの入国を禁止!!

私はこの国を出たらもうこの国には帰ることが出来ず、かと言って出ても入れる国はなく・・・
VISAが切れるまでここでいるしか選択肢はなくなったのである・・・
(幸いカンボジア政府はVISAの延長処置をしてくれることとなった)

ここで暮らすのはよい!!仕事はないが部屋はある。

ところが布衣の新しいアルバムのレコーディングが始まった・・・
こればかりは人にドラムを叩いてくれと言うわけにはいかないので、どうしても自分でここ、カンボジアでドラムレコーディングをしなければならないのだ・・・

本格的にスタジオを探す・・・

まずはくっくま孤児院の美和さんに連絡を取って、そのレコード会社のスタジオとやらを探してもらう・・・
ところだ探し当てたのはひとつの電話番号、Mr.Laという人だということだが、クメール語も話せない私がプアーイングリッシュで話しても全く話にならないだろうということで、日本人の方に会社のクメール人に電話をしてもらった。

常備している機材や、ドラムセットの状況とかを聞いてもらったりしているうちに話が途切れた。
めんどくさくなったのだろうか・・・「どうやら外国人には貸さないみたい」

(>_<)

中国でもそうである。ひとつのコネが暗礁に乗り上げたら別のコネを探す!!
先日HIBACHIだ会食したグループにMr.Laの連絡先をアップして、
「誰かこの人知り合いじゃないか〜」

重鎮ベーシストが「俺知ってるよ〜」・・・って、こいつむっちゃ顔広い!(◎_◎;)

そこから直でFacebookで繋がり、本人と英語で話せ出せたのだが、
「じゃあ土曜日にスタジオ見に行くよ、機材等チェックして、問題なければ日曜日にレコーディングしよう」
とまでなったのだが、そこから何故か連絡が返って来ない(>_<)

ちょうどその時、Oscarで働いてたタカシという日本名を持つヤツが食い詰めて「何か食べ物を恵んで下さい。インスタントラーメンでいいです」と連絡して来た(笑)

カンボジアよもやま話

ちょうどいい!!メシ食わせてやるから働け!!
というわけでDr.Laに電話をかけさせる・・・

「ダメです。うちの機材じゃFunkyさんに満足してもらうレコーディングは出来ないと断られました」

(>_<)

ところがタカシはそこでOscarの常連ドラマーに連絡を取り、そこからある人・・・おそらくこの国の重鎮プロデューサーなんだと思うがそこに繋がった。

ドラマーにお礼を言う・・・返事に
「あなたのプレイはOscarで見たことがあります。素晴らしいドラミングです」
みたいなことが返って来た。

顔の広い重鎮ベーシストも、このドラマーも、そしてこのタカシも、みんな私のドラムを聞いて、そいで私を好きになってこれだけ動いてくれる・・・

ドラムが上手くてよかったぁ・・・(笑)

冗談はさておき、この重鎮プロデューサーと繋がって、念のためにその重鎮ベーシストに
「この人知ってる?」
と聞いた時の反応が面白かった・・・

「よくここまで辿り着きましたねぇ・・・」

きっとそういう立場の人なのだろう、面白いのがこの人はタカシとは話さない。
「本人じゃないと話さないって言ってますよ」
とタカシが困って私にそう言ったが、
中国でもそう、偉い人は相手がトップの人しか話さない。

決定権を持ってない下っ端と話したって埒が明かないことを知っているのだ。

一応Facebookのグループを作ってタカシも傍観させてたのだが、
これがまた例によって遅々として進まない(>_<)

「きっと忙しいのでしょう」
とタカシは言う・・・

そしたら待つ!!
劉備元徳は諸葛孔明を手に入れるためにあばら家に2度行って待ちぼうけをくらってやっと3度目に会ってくれた。
(三国志演義より)

相手のことが絶対に必要だと思ったら待つ!!
それが相手に対する「礼儀」となるのだ・・・

そして連絡が返って来た時にすかさず
「お会い出来ませんか?」

こうして初めて会うことになった場所がなんと外国人用の音楽学校・・・

ここの3階のリハーサルスタジオに機材を持ち込んでレコーディングしようということになったら話が早い!!
「じゃあ次の金曜日に!!」

ついにこの国でレコーディング出来るのか・・・感激もひとしおである。
とにかくスケジュールさえ決まってしまえば録ることは出来るだろう・・・

問題はドラムセット・・・このスタジオのドラムセットをちゃんとチェックしてなかったが、出来ればこのセットを借りたいのう・・・

重鎮ベーシストに連絡してみる・・・
「このドラマーとこのプロデューサーは一緒に仕事してますから大丈夫でしょう」

繋がるのう・・・

しかしみんながこのドラマーと連絡が取れない。
きっとコロナを恐れて田舎に疎開しているのだろう・・・

ということでプロデューサーが別のドラムセットを探して来てくれた!!

念入りにチューニング!!

ドラムの向こうに座っているのはくっくま孤児院の美和さんとソバン先生、そしてくっくまバンドのダビッとティアルッ。
向学のために見学というのもあるのだけれども、実はスティックを持って来てもらったのだ。

こんなに長くここに滞在するとは夢にも思ってなかったのでスティックすらない(>_<)
それぞれのドラム演奏の絵も撮っといてくれということでバンダナもない(>_<)

イオンに買いに行ったけどなかったのよ〜この国でバンダナしてる人なんか見たことないし〜(笑)
というわけで美和さんが持ってるというのでそれも持って来てもらったのだ・・・

プロデューサーが黙々と仕事をする・・・
きっと真面目な性格の人なんだと思う。

このレコーディング、是非とも成功させなければならない。
この日に最高の音でちゃんとレコーディングさえしとけば、
今後中国の仕事はこの国でやってしまうことが出来る。

「カンボジアなんかでちゃんと録れるの?」
と聞かれたら
「布衣のニューアルバム聞いてよ、あれカンボジアで録ったから」
と言えばよい。

その音が最高のものであれば今後もこの国で仕事を受けることが出来るし、
音が悪ければもう2度とここでレコーディングするチャンスはない・・・

ところが問題発覚!!
彼が用意したこの日のシステムでは、ドラムのパンチイン、パンチアウトが出来ないのだ!(◎_◎;)

思わず頭を抱えてしまったが、
よく考えたらこれは「音質」の問題ではない、「プレイ」の問題なのだ。

初めてのレコーディングの時、そう、爆風スランプの初期のアルバムなどはアナログの時代だったのでパンチインなど出来なかった。
今ではデジタル編集が当たり前になり、ドラムを叩きながらどこでパンチインをするかを考える時代・・・

要は最初っから最後まで間違わずに1回でベストテイクを録ればそれでいいのね!!

やってやろうじゃねーか!!・・・とレコーディングが始まったが、
次の問題は暑さ・・・(>_<)

クーラーや扇風機のノイズが入らないように、叩く時はオフにしてもらったのだが、
例えその数分間だとしてもカンボジアでクーラー止めて運動(ドラムを叩く)したら暑い・・・(涙)

こりゃ長くはやってられんぞ・・・ということで、
「テイクを2テイク録ります。その後映像をシューティング。そして次の曲!!」

譜面にはしているが、曲は覚えてないので実際はテイク1は「試し」である。
一応録音はしているが、いろんな試行錯誤はこの時に全部してしまい、
実際にテイク2の時が本チャン、つまり「一発OK」で全曲録り上げてしまおうというものである。

俺なら出来る!!いや、他に選択肢がないんだからやらねばならぬ!!

修羅場に突入!!
バラードはいいのだが、2曲ほど難しい曲があり、
「なんでこんな難しいアレンジしたんやろ」
と悔やんでも仕方ない・・・何とか全曲録り終えた!!\(^o^)/

このプロデューサーの第一印象・・・笑わない人だなぁ・・・
でもこの段階で既に笑顔が溢れてる。

「お前は大したヤツだよ」
そんな笑顔・・・そして一緒に修羅場をくぐり抜けた「連帯感」が生まれている・・・

「後日一緒にメシでも食いませんか?」

中国でもお世話になった人には食事をご馳走する。
これは中国の仕事なのである、ちゃんとその予算は計算してある・・・

この国に最初に来た時に、何か30年前の北京と同じ「匂い」がした。

中国ではコネがないと何も出来ない。
かと言ってひとつだけしか持ってなかったらやっぱり何も出来ない。

ひと昔前、アジアブームの頃、
「私は誰々さんと知り合いなんですよ」
などと言ってた人はみんな撤退して日本に帰ってしまった。

「どこをどう伝って行ってもこの人に繋がる」
ぐらいのコネがなくてはどうしようもないのだ・・・

この国カンボジアで、私は生きてゆける自信がついた。


(レコーディング終了後にシューティングのためOKテイクに合わせてドラムを叩いている絵です)

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2020年4月 1日

タカシの恋

HIBACHIが店での営業を停止してデリバリー専門になると言うので、
しゃーないなぁ〜・・・最後の営業には顔出さないかんなぁ・・・しゃーないなぁ〜・・・とばかり出かけて行った。

ところが忘れていたが、食い詰めたこの若い衆にメシを食わせてやらないかんではないか!!(>_<)

何とか毎日ローカルのもん食って0.5ドルのビール飲んで一日10ドルで暮らしたいコロナ失業者であるが、いくら日本よりは安いと言ってもHIBACHIに連れて行けばひとり10ドルぐらいはかかってしまうのう・・・

でもまあ金渡して「お前はこれで何か食っとけ、ワシは日本料理食いに行く」というのも何か後味が悪い・・・

HIBACHIの住所伝えて「ここに来い」と言ったら、前の美容室から紹介された子守の助っ人GiGiちゃんと一緒に来た。
まあよかろう、片っぽだけ奢って片っぽは帰れというわけにもいかん・・・

とりあえず粉もん食わせてとっとと満腹にさせればよかろう(笑)
というわけでお好み焼き!!

「オコノミヤキ」と言ってタカシが喜ぶ。
日本料理の名前よう知っとるのう・・・
「タコヤキ」も言うので頼んでやった。

「サケ」の「ハクツル」とも言うので日本酒も頼んでやった・・・
どんだけ奢ってやんねん(>_<)

客もいなくなり、土井さんもお好みおばちゃんことユキさんも一緒に飲む・・・
土井さんと飲むことももう滅多になくなるしなぁ・・・

初めて知ったがお好みおばちゃんクメール語喋れるのな!(◎_◎;)
タカシから色んなことを聞き出してたが、
タカシは昔シェムリアップの日本居酒屋で働いてたのだそうな・・・

なるほど、それで料理の名前とかいっぱい知ってたのな・・・

ワインも一本空いた頃「ショーチュー」とか言うので「黒霧島」を入れてもらったが、これも知ってたのな・・・

・・・ってか大散財なんですけど(涙)

日本の歌も大好きということで、彼のスマホを店のスピーカーにBluetooth接続で繋いで音楽を流す・・・

ところが中国の音楽ならともかく私は日本の音楽はさっぱりわからん(>_<)
「これ誰や?」
と聞くと
「BEGIN」

!(◎_◎;)・・・懐かしいのう・・・・

同じ事務所の頃はよく飲んだりしたのう・・・
異国の地で知り合いの歌を聞くってやっぱ心に染みる・・・

土井さん曰く、カンボジアの人は沖縄の音楽が大好きらしい。
やっぱ南国繋がりかのう・・・

タカシが歌い出す

いや、楽しいことは楽しいのだが、
何で大枚叩いてこいつを楽しませないかんのかと疑問に思えて仕方がない(>_<)

まあええか・・・ワシも楽しいし・・・(笑)


上機嫌のタカシとGiGiちゃんにGrabでトゥクトゥクを呼んであげて、ひとり残って土井さん達と飲んでたらタカシからメッセージが来た。
「オスカーが今日からこっそり営業してるんですけど来ませんか?」

オスカーとは彼の職場で、プノンペンいちのライブハウスである。
営業を再開したならこいつの食いっぷちも再開するということでもうメシを食わせてやらなくても済むではないか!\(^o^)/

こっそり営業ならミュージシャン達集まってジャムセッションとかするのかなぁ・・・
まあミュージシャンいなくてもドラムは叩けるなぁ・・・

などと思いながらオスカーに来たら・・・開いてないやないかい!!!!

怒ってタカシにメッセ入れると、何とオスカーの1階からタカシが出て来た!(◎_◎;)
オスカーって1階にもあるんや・・・

中に入ってみると真っ暗・・・

なるほど明々と営業するわけにはいかんのやな・・・
・・・てかこれって「営業」って言えるん?(笑)

暗闇に中からタカシが2人の女の子を連れて来た。
そうか、オスカーは1階がガールズバーで、そこでスケベなおっさん達から金巻き上げて、その金であの2階の素晴らしいライブハウスやってんのか・・・

・・・ってかこのご時世に女の子につかれるのはちと困る(>_<)
「あかんでぇ〜このご時世で濃厚接触は危険やから2m間あけてや」

聞くところによると、もう2週間前にもなるかな、
ガールズバーで女の子相手に濃厚接触してたアフリカ人感染者がそのまま逃げたという噂があり、
翌日プノンペンは見事に全てのガールズバーが営業停止!!

独裁国家はこの処置が出来るから素晴らしい!!

ちなみに今日この日の感染者は2人、今ブログを書いてる今日は感染者ゼロのカンボジアでもこの処置である。
その数十倍の感染者が大爆発している日本で、まだガールズバーどころかキャバクラや風俗営業もまだ平気で営業してる日本の方がおかしいとしか思えない・・・

まあその処置がいくら素晴らしくても、結局割を食うのはこの女の子のような底辺の人間である。

2人は英語が喋れないのでタカシが通訳してくれたが、
ホームタウンはない、つまり里帰りすべき故郷がないのだから、
こうして物価の高い首都プノンペンで仕事もなく暮らすしかない。

タカシと同じく食い詰めているのだろう、
オーナーとしては、上のライブハウスを開けると一発でバレてしまうので、
こうして1階のガールズバーだけでも細々と営業しようということなのだろうと想像した・・・

それにしても営業ったってこんなに真っ暗で客が来るわけないだろう・・・
かと言って明々と営業したら捕まってしまう・・・

まあこのご時世に女の子と濃厚接触しようと思うなんてよっぽどアホしかおらんから客はなかなか来んと思うぞ・・・

「二人は姉妹で、こちらがお姉さん、こちらが妹です」
タカシがそうやって紹介してくれるが、何せ真っ暗に近いので顔がわからない(笑)

そしてタカシがそのお姉さんの方をこっそり指して私にこう耳打ちした。
「僕はこの人が好きなんです」

!(◎_◎;)・・・

まあ同じ職場っつうか系列店っつうか、
一緒に働いてたら恋が芽生えることもあるわなぁ・・・

そう、読者の方々はタカシと美容室子守助っ人のGiGiちゃんとの恋かと想像したかも知れないが、
タカシが好きな子は全然関係ないこの子だったのだ(笑)
(写真自粛・・・っつうか暗過ぎるし遠過ぎるしちゃんと写らん(>_<))

でもタカシ〜・・・この恋はちょっと難しいぞ・・・

ガールズバーの女の子が全員が全員売春をしてるわけではないが、
お前が好きなこの子がもし売春でもしなければ食っていけなくなった時、
自分のメシも食えないお前がそれをどうやって救ってやることが出来る?

それより何より今、この子たちだってもう2週間以上働いてなかったんだからお前と同じく全く食っていけとらんじゃろ・・・

ガールズバーひしめくこのリバーサイド、
白人とかの、母国に帰ったら絶対誰にも相手にされないであろうおっさんが、
そこそこの若いカンボジアの女の子を連れてるというカップルをよく見かける。

需要と供給がマッチしてるんやな・・・

誰にもわからんが、彼女ももしタカシのことが大好きだったとしても、
彼女にとってはそんな外国人の旦那を見つける方が幸せなのかも知れんぞ・・・

いや、それは誰にもわからんけどな・・・

かと言ってこの私もタカシひとりにメシ食わせてるだけでも大変なのに、この姉妹ふたりまでは面倒みれんしのう・・・(>_<)

ここでパーッと豪遊して店にも彼女達にも十分潤うぐらいの収入を落とすほどの金もない・・・
ってかこんな密室で知らん人と一緒におりたくないし〜

彼女たちには飲み物1杯ずつ頼んだから店からは1.5ドルのバックか?・・・
2週間収入がなかったであろう彼女たちにとってはスズメの涙よのう・・・

かと言ってチップを弾んでやるほど金もない(涙)
そっと1ドルずつ余分にチップをあげてその店を後にした・・・

そんなプノンペンの夜・・・タカシの恋は結ばれるのだろうか・・・

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2020年3月30日

タカシの部屋

このブログを書き終わって、ほな寝ますかね・・・と思っていたらタカシから連絡が来た。
「Funkyさん、今何やってますか?」

酒でも飲みたいのか?と思って降りて行ったら、
「よかったら僕の部屋に来ませんか?」
と言うのでのこのことついて行った。

私の部屋からナイトマーケットに抜ける近道がある。
ビルの合間にある細い路地で、光も当たらないし、ドブネズミは多いし、
近道だから通るけど、用事がなかったらあまり通りたくない道・・・

彼はズンズンとそこに入って行き、途中で左に曲がった!(◎_◎;)

この抜け道だけじゃなくまだ他の道があるのか・・・
よく通る道だけど全く意識してなかった。

当然全く光は当たらないし、あまり人も通らないのだからドブネズミの数も増す・・・

プノンペンはそんなに治安がよくないから気をつけろという話も聞く。
リトルギャング達は銃を持ってたりして、ホールドアップで有り金巻き上げられたりもすると言う・・・

こんな真っ暗で人も通ってない通りでホールドアップされたらおしまいである((((;゚Д゚)))))))
・・・ってかこのタカシにそれをされたら・・・

ちょっとそんな考えを頭がよぎった頃、タカシは右に折れて階段を登って行った・・・

家賃50ドルと言うと破格である。
うちの部屋が140ドルで安いと言われているのだから、
それより更に安いとは・・・

どんな劣悪な状況なんだろうと非常に興味があったのだが、
入ってみると部屋自体はちゃんとしている。

その部屋の中にセパレーションで区切られたスペースがいくつかあり、
ほぼベッドだけのこのスペースが彼の部屋だと言う・・・

「ビールでも飲みますか?」
・・・男ふたりがここに座って飲むのもなぁ・・・と思っていたら彼はずんずんと部屋の奥に入ってゆく・・・
共有スペースなのか?!(◎_◎;)

入り口は光の当たらない路地だけど、ベランダはナイトマーケットに面していてなかなかいい部屋である。

リビングには白人の男性がいたので英語で挨拶を交わす。
「私のボーイフレンドよ」とクメール人のおばちゃん(失礼)がそう言う。

「この人はドラマーで凄いドラムを叩くのよ」
おばちゃんが白人に私のことを紹介する。

何で知ってんの?・・・
「彼女もオスカーで働いてたからあなたのことを知ってるんですよ」
タカシがそう説明してくれる。

ビールが出て来たが、手ぶらで来て御馳走になるのも悪いので、
「タカシ、ちょっとビールを買って来てくれ」
と10ドル札を渡す。

数本買って来てお釣りを返してくれる・・・
こういうところがタカシはちゃんとしているのだ。

ガールズバーのお姉ちゃんだったらきっとお釣りはポッケにしまわれるだろう・・・知らんけど(笑)

セパレーションのどこかに住んでいるのだろう、お姉ちゃんも出て来て一緒に飲む。
きっと彼女もオスカーで働いていたのだろう・・・

白人がリモコンを操作してテレビでYouTubeを見る・・・

「見て下さい!!これ僕ですよ!!」
歌手の後ろで踊っているのは確かにタカシ・・・

そしてその歌手ってのが・・・このおばちゃん?!(◎_◎;)

曲は次の曲になり、またタカシが後ろで踊っている・・・

「いっぱい曲出してるんですね・・・」
と聞いてみる・・・

「いや、2曲だけよ」
まあ想像するに、インディーズの自主制作の曲なのだろうか・・・

オスカーというのはプノンペンで一番いいライブハウスだと言うので、
このおばちゃん、自主制作で曲なんかを出しながらオスカーで働いてるのか・・・
いや、この家もどうやら彼女の家らしいから、オスカーの経営者のひとり?・・・

「この子たちに部屋を貸してるんだけど、まともに家賃納めたことないのよね」
と笑う・・・

おばちゃんが金持ちでこの部屋を仲間に貸しているのか、
もしくはこの白人が金持ちでおばちゃんの知り合いに安く貸しているのか・・・

どっちにしろ、もっと早く知り合ってたらワシはここに住んでたな・・・(笑)

ここプノンペンの片隅で弱者達が肩を寄せ合って生きている・・・
その生活を垣間見れただけでも今宵はいい酒を飲めたぞ・・・

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2020年3月29日

タカシの話

前述のタカシ、今日は彼が探し当ててくれたドラムレコーディングのスタジオのオーナー?プロデューサー?ようわからん人に会いに行く日であった。

実際、彼が探し当ててくれたことは満金に値することではあるのだが、
それ以降は相手方が「お前とは話さん!」
中国でも、話の決定権を持つトップ以外とは話さないのと同じように、私自身がFacebookのメッセンジャーでやり取りをしているのだから彼はいわゆる「もう用無し」ではある。

でも本当に「食いっぷち」がないのだろう、昨日からひっきりなしに連絡が来る。
「今どこにいるんですか?何してんですか?」

いや〜扇さんラーメンで4杯分のレモンサワーを計量カップで飲んでるんですけど〜

でも家に帰ってちょっと後悔・・・
ワシはつい飲み過ぎて散財する金は(失業者と言えど今のところは)ある。

でもこいつは本当にメシを食う金もないのだ・・・

「じゃあ明日1時にアポ取ったから12時に一緒にメシでも食おう!!」
近所で最近一番旨いと思うローカルの綿屋に呼びつけた。

「お前、腹減ってるだろ!!麺だけじゃなくご飯もんも食っていいぞ!!」
でもまあ麺とアイスティーだけを注文している・・・

各国を駐在しているカンボジア在住日本人の話によると、
カンボジアは東南アジア諸外国に比べて物価は安いほどではないと言う。

ビールは安いところでは0.5ドルで飲めるが、
ローカルのこの麺屋で二人で5ドルは取られる。

タイと比べると、ビールは数分の一だが、メシは数倍という感じである。

「お前、ライブハウスで働いてた頃にはいくらもらってたの?
恐る恐る聞いてみる・・・

「140ドルもらってました」
それで今住んでるところ実家じゃないなら家賃いくら?
「50ドルです」

じゃあ一月90ドルで暮らしてたのか・・・
一日で割ると3ドル・・・この麺とアイスティーで終わりである(>_<)

まあ彼が今回私にコンタクトを取って来た時に送って来た写真・・・

「こんなのでいいから恵んでもらえませんか?」

私はこの時に「こいつは悪い奴じゃない」と思った。
私のことを金持ちの外国人だと思ってるなら、むしり取るとしたらもっと金目のものをむしり取る。
少なくてもこの辺のバーのお姉ちゃんだったらそうである(笑)

だから「スタジオを探せ!!」というミッションを与えて、10ドルとカップラーメンを一個あげた。

結果としてはそれ相応以上の仕事をしてくれたわけだが、
(中国なんかでもコネクションは即ち「金」なので、このコネクションを私に渡してくれただけで十分過ぎるほどの働きをしてくれている)
気になるのが、こいつ、この10ドルで何日食いつないでいけるんだ?ということである。

「3日ですね・・・」

そうか、ちょうどあれから3日経っているのだ。
きっと私にとっては一番安い2ドルの麺すら食えず、
本当にカップ麺だけで3日間飢えを凌いでいたのだろう・・・

一緒にスタジオの下見に行って、
例によって私だけが下手な英語でレコーディングのスケジュールを決めて、
一息ついてカフェに入った時に聞いてみた。

「お前、ホームタウンはここプノンペンだと言ってたな?
じゃあお前の両親は一緒に住んでるの?」

まあお互いプアーイングリッシュなので定かではないが、
お父さんはもともといない、と。
お母さんは小さい頃から遠いところに住んでて・・・

「お前孤児なの?」
その辺のニュアンスは通じない・・・
だが、学校は一応(どこまでかわからんが)出ているということなので、
その辺のストリートチルドレンに比べたらまだマシな環境ではあるかも知れないが、
一応「小さい頃からひとりで暮らして来た」
ということである。

音楽が好き、日本が好き、
カタコトの日本語も喋れる。

どこで覚えたのか、
「ジョーダンハカオダケニシロ!」
(笑)・・・そして
「ワタシハアキハバラガスキデス!」
は、彼がどうして「タカシ」という日本名を自分で付けて、カタコトでも日本語を話せるのかを物語っている・・・

「わかった!!とりあえず金曜日のレコーディングにはお前も来い!!色々手伝ってくれたらギャラ10ドルやろう!!」
と言ってみたものの、次の金曜日まではまだ5日もあるのだ。
今日のギャラとしてとりあえず10ドルは渡したが、10ドルなんて3日で消えてしまうのだ・・・

それから彼と別れて家でレコーディングのこととかをネットで詰めていたのだが、
(その話はまた後のブログで)
ちょっと気になって彼にメッセージを送ってみた。

「メシ食ったか?まだなら一緒に食いに行くか?」

彼は喜んで飛んで来た。
「何でもお前の好きなもんを食え!!」
しかし彼が選んだ店は、決して高くないが非常に旨いローカルのクメール料理屋・・・


ビールも散々飲ませて、二人で20ドルだったら、まあその辺の日本料理屋よりはやはり安い・・・

まあ私自身も今まで食ったことがなかったローカルの鍋(なのか焼肉なのかようわからん笑)をしこたま食って飲んで20ドルならまあ奢ってやるには安いディナーである。

その辺がまた彼の好感度である。
行ったことはないが、お姉ちゃん持ち帰りして何か食事と言ったら「寿司」とか言い出すかも知れない(笑)

「わかった!!明日から昼飯時と晩飯時に俺んとこに来い!!ローカルの美味しいメシを買って来てくれ!!お前の分と俺の分な!!だったら金曜日までお前は飢えることはない」

私にとっても「今日は何食おうか・・・」となった時、
「じゃあ日本食!!」となるより、いくらカンボジアが他の東南アジア諸国より高いと言っても確実に安いのである!!

しかも地元民が選んで来るものは私ら外国人が選ぶより確実に安くて旨い!!

まあ次の金曜日まではそのシステムでメシだけ食わせてやるとして、
金曜日はちと働いてもらうのでまた10ドルあげて、
後のことは次の金曜日に相談しよう・・・

と思ってたら、そのレストランにひとりの物もらいがやって来た。
(写真自粛)

いや、物もらい自体は東南アジアではよくあることなのだが、
私がびっくりしたのはその青年・・・20歳ぐらいか・・・の身なりが非常にちゃんとしてたことである。

タカシもいくら食うに困っているとは言え、まあオシャレではないにしろ身なりはちゃんとしている。
それと同じような感じの物もらいがテーブルに来る。

見ればビニール袋に野菜が少々入っている。
東南アジアではフルーツとか私の好きなウズラの卵とかを売りに来る少年とかがよくいるのでそれかと思ったら、
彼は客席を廻ってその残飯をもらっているのだ!(◎_◎;)

もう綺麗に食い終わった後だったので野菜もなかったが、
そう伝えると彼は今度は私らのテーブルのゴミ箱をあさる!(◎_◎;)

そのビニール袋の野菜もきっとそうやってゴミ箱から集めたものかも知れない・・・
「おいおいおい!!やめろよ!!このご時世にゴミ箱はコロナが危険だぞ!!」

ここカンボジアは中国と同じく、ビールとかは何本かまとめてテーブルに来て、
飲んだ分だけお勘定というシステムらしく、ビールを一本彼に渡すと、
今度は店の人は「彼はビールは飲まないから」とそれを止める。

ジュースも同様にあるのでそれを渡すと、
それはありがたく頂いて次のテーブルに移る・・・

店の人も一緒に移動するのだが、
日本と違って「店にとって迷惑だ!!」とばかり追い出すそぶりはない。
見た感じ「残飯はやめなさい!!今はコロナで危険だからね」
とでも言う感じで彼の背中を押して優しく外へと誘導する。

そう言えば聞いたことがある。
この国はポルポトによって破壊し尽くされて、
だから困った人を見ると「明日は我が身」、みんな助け合うんですと・・・

でも犯罪は多い。

リトルギャング達は今日もあの手この手を考えて、
引ったくりや銃を使ったホールドアップ、あらゆる手法で「持つ者」から少しばかりの富を奪い取ってゆく・・・

またちょうど今日、タカシと待ち合わせをしている時に、
本職のゴミ箱をあさって暮らしている老人を見た。
(写真自粛)

うちの前のゴミ箱をあさって、空き缶とか金目のゴミを自転車の後ろに拾い上げた後に、
その老人は自転車のハンドルにぶら下げているビニール袋の中の水で・・・

一生懸命手を洗った!!

コロナがこれだけ蔓延している社会で、ゴミをあさるほど危険なことはない・・・
老人もそれを知っているのだろう、でも石鹸はない。

「おじいさん、石鹸で洗わなきゃ意味ないですよ・・・」
そう言いたかったが、私がメールの着信を受けてる間にもう洗い終えてどっかに行ってしまった・・・

この国でも、他の東南アジア諸国でも、
コロナによってよかったことは、「下痢」の患者が減ったことであると聞く・・・

なるほど、この老人も昔は手など洗ったことはなかったのかも知れない・・・

今日は別れ際、タカシにマスクとアルコール消毒液を渡した。
「とにかく清潔にしろ!!それが俺と付き合う条件だ・・・」

でも私は彼と別れた後に考えた・・・

タカシのように「カップラーメンを恵んで下さい」と言ってかろうじて犯罪は犯してないヤツ・・・
飲食店のゴミはあさっているが辛うじて犯罪は犯してないヤツ・・・
あの老人のように一生犯罪は犯さずに世界でも底辺であろうこの生活をして生きて来た人・・・

それらの人と、リトルギャング等犯罪で食ってる奴ら・・・
この「一線を超える」というのはどこに「線」があるのだろう、と・・・

こんなことも想像した。
タカシが数年後いい服を来て私のところに来てこんなことを言った。

「Funkyさん、あの時は本当にお世話になりました!!私はもうお金持ちになりましたんで恩返しをしたい。どうか私に高級寿司を奢らせて下さい!!」
そして私は彼に聞く・・・「お前今何やってんの?」
「はい、僕は今、バカな外国人を騙して大金を稼いでます。奴らはバカだし、騙される方が悪いと思います」

・・・もしかしてそんなことを聞いた私は嬉しいだろうか・・・

「世界は平等に出来ていない!!」
これはKISSのジーンシモンズが言った言葉である。
ユダヤの母親が迫害されていることが幼児体験だった彼が持つ人生観である。

でも彼は「真っ当な」ビジネスをして(それがロックの商業化を進めた罪悪であるという理論は置いといて)、彼はこうして世界でも大成功した。
でもそんな人間は世界の中ではほんの一握りである。

今日レストランのゴミをあさっていた青年が、数十年後にあの老人のように手を水で洗いながら家庭ゴミをあさっているのか、もしくはギャングになって巨万の富を得ているのか、二度と会うことはないであろう彼の未来は私には計り知れない・・・

でもタカシという・・・ひょんなことから知り合ったこの全く食えない音楽好きの、日本大好きなこの男が・・・
もしも毎日メシを食わせてやるだけで少しは真っ当な生活が出来るんだとしたら・・・

かく言う私も失業者の身なのでそんなに金はない。
でも中国のレコーディングの仕事はボチボチ始まって来ている・・・

中国が外からの流入制限を解除したとしたら・・・
別に私はこうしてカンボジアにいる必要はない。
仕事がある国が私にとっていい国なのである・・・
真っ先に中国に帰って別の生活を始めるだろう・・・

でも今は違う・・・

私は現状中国にも、そして日本にも戻れない・・・
それこそカンボジアを今出国してしまったらもう入国制限が始まったカンボジアにも戻れない・・・

「あなたは日本人なんだからそれでも日本に戻って来たらいいんじゃないですか?」
そんな声も聞こえて来る・・・

しかし今、この食えない日本好きなライブハウスの店員が、
何とかここカンボジアでもちゃんとドラムがレコーディング出来るスタジオを探して来た・・・

もしここでドラムがちゃんとレコーディング出来るなら、
別に中国や日本じゃなくてもここでレコーディングすればいい。

こいつに毎食メシを食わせるだけでも私には「金」が必要なのだ!!
ここカンボジアで1ドルでもいい!!金を稼ぎたい・・・

幸いなことに私自身はそんなに犯罪に身を染めなくても金を稼げる道はある。
ここプノンペンでも助けてくれる人はたくさんいるし、
中国ではきっともっともっといることだろう・・・

私自身が彼を助けてあげれる人間にならなくてどうする!!
そんなことを思っている今日この頃である・・・

しかし、私の死んだ母は私にこう言ったことがある。
「あんたは人を信じ過ぎる!!人はそんなにいい人ばかりではない!!」

高校生で反抗期だった私は猛反発して、
「俺の友達は絶対に俺を裏切らない!!あんたの考えは汚れている!!そんな考えを俺は一番軽蔑する!!」

母は・・・泣いた・・・「あんたにもいつかわかる時が来る・・・」

そしてその生意気な子供はもう60歳になった・・・
母の言うように数え切れないほど人に騙された。

でも私は後悔していない。
「もっとうまくやれれば俺はもっと成功してた」
それは全ての人間が思うことである。

私は母の教えを守ることなく、
本当だったら失わなくてもいい金をいっぱい失った。

金だけではない。友情だって人間だって失った。
「その人があんたの金を盗むのは、あんたがそう仕向けてるんですよ」

この年になって、母の教えは本当に心に染みる・・・

私はタカシに日々のメシぐらいは食わせてやろうと思っている。
それは後にタカシが別の私が悲しむ人生を歩むぐらいだったらと思う自分の「わがまま」である。

それによってタカシは私から金をせびる手法を学んでゆく・・・
いつかある日、信じてた人が自分から身包みはいでゆく・・・

そんなことは私ごときの人生でも何度かあった・・・
でも私が彼にメシを食わせてやらなければ、彼はどうやって生きてゆく?・・・

ただでさえクメール正月間近の犯罪が一番多い時期・・・
その上にコロナによって身なりのいい若者までがレストランのゴミ箱をあさっている・・・

今日、タカシを初めて私の部屋に上げた。
金目のものはそんなにないにしても、このパソコンはある。
その他、売れば少々の金になるものがあると彼が思ったとしてもそれは仕方がない。

これ以上食い詰めて、いつか私をナイフで刺して、
その代償がこのパソコン20万円程度であったとしたら、
私の人生は高々20万円であったということである。

まあ次の金曜日までにゆっくり考えてみるが、
それまではタカシに3度とは言わんが2度のメシぐらいは食わせてやろうと思う。

親しい仲にも礼儀あり!!
母が私に言いたかったことは実はこれだったのでは?・・・

そんなことが母が死んだ後にやっとわかるようなバカ息子である(涙)

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Posted by ファンキー末吉 at:23:36 | 固定リンク

2020年3月27日

カンボジアよもやま話

カンボジアにもコロナが発生し、うちの近所のガールズバーも全部営業を停止し、火が消えたように静かである・・・

もうすぐカンボジアのクメール正月、
ここ首都プノンペンでは、ただでさえ食い詰めたカンボジア人が里帰りの金を稼ぐ為に犯罪が増加する時期であるが、
今回はこのコロナによる失業が拍車をかけ、「くれぐれも気をつけて下さい」とお触れが回る・・・

なんでも、バイクによる引ったくりは日常茶飯事なのであるが、
それが今時はバイクで走っていると向こうからバイクをぶつけて来る!(◎_◎;)

バイクが倒れると、集団でやって来て身包み剥いでゆくという手口・・・

またお触れが回って来たのが、
「マスクありますか?無料で配布します」
と知らない人が家までやって来て、
「何と親切な人なんだ」
と思ってそのマスクをすると、薬が仕込まれていて、昏睡してる間に盗み放題!(◎_◎;)

いや〜コロナならではの手法ですなぁ・・・と感心している場合ではない。

思い起こせば中国でも、うちの院子でスマホが盗まれた。

その時のブログ記事

同じ院子に住む仲間たち(当時はみんなド貧乏だったが今はみんな成功している)曰く、
『Funky、泥棒を追いかけちゃダメだよ。俺なんか夜中に目が覚めたら、一人がモノ盗んでて、一人がバッド持って俺を殴る準備してたから俺なんかずーっと寝たふりしてたよ」

まあ食い詰めたら人間何をするかわかりません(>_<)


そんなこんなで食い詰めた人間がとても多いだろうここ首都プノンペン、
バーの姉ちゃん達はこぞって田舎に帰り、
それがまたコロナを蔓延する原因になっているとも聞く。

バーだけではない、来週にはレストランも全部閉店せよというお触れが出るという噂・・・
もう長く足も運んでないが、ライブハウスなんかとっくに閉店してしまっている・・・

ミュージシャンも仕事あぶれて大変やろうなぁ・・・
と思ったらミュージシャンだけではなかった!!

いつも行く近所のライブハウスOSCAR、
そこにはタカシという日本名(日本が大好きで自分でこの名前をつけている(笑))の従業員がいて、
いつもこの店に行くと飲み物を奢ってやる。

システムを聞くと、ガールズバーと同じく、5ドルなりの飲み物を奢ってやると、そこから1.5ドルなりのチップが彼の所に行くということで、お姉ちゃんに巻き上げられるぐらいならこいつに奢ってやった方がということでいつも奢ってやってた。

でもこいつは決して私のことを「金づる」と思ってる節はなく、
むしろ「あなたは凄いドラマーだ!!今日は叩いていかないんですか?是非叩いていって下さい!!」と、いわゆる私の「大ファン」である。

そんなタカシも今頃何してるかなぁ・・・と思いを馳せたその瞬間、そのタカシからメッセージが届いた。

「Funkyさん、どこに居るんですか?」
「プノンペンにいるよ〜お前はどこに居るの?ホームタウンに帰ってる?」
「僕のホームタウンはプノンペンです」

あ、昔彼のホームページで見つけた彼女の写真を見て
「お前の彼女むっちゃ可愛いやないかい!!」
とイジメてたら、
「彼女は田舎に住んでて遠距離恋愛なんでもうダメになりました」
と言ってたので、勝手に彼も田舎の人間だと思ってた・・・

「それでお願いがあるんですけど・・・」
「何だ?言ってみろ」
「何か食べ物を恵んでくれませんか?」

!(◎_◎;)・・・

そして彼から送られて来た写真はカップラーメンの写真!(◎_◎;)
「こんなものをいくつか恵んでくれればありがたいんですが・・・」

お前なぁ・・・(>_<)

食い詰めるにもほどがある・・・
思えば職場も閉まってしまい、ガールズバーと同じシステムだとすると給料はむっちゃ少なく、ほぼ客からのチップだけが彼の収入・・・
店が開いてないんだから私のような気前のいい客もいなければ収入も全くゼロ!!
こんな奴がその日に食う物を求めて引ったくりとか犯罪に走るんやろなぁ・・・

わかった!!お前に仕事をやろう!!

ちょうど布衣のニューアルバムをレコーディングするスタジオを探していたのだ。
くっくま孤児院の美和さんから紹介してもらった人は、クメール語話せる人に電話してもらったら、何故か人に貸したくないようで断られた。

前回得たミュージシャンネットワークに、その連絡先をアップしてみる・・・
「誰かこの連絡先に知り合いいない?」

いるのだ!(◎_◎;)

凄いのう・・・プノンペンも狭いのう・・・

中国でもそうだが、ひとつの方向でモノを頼んで断られたら、他の方向から頼んだらOKだったりする。
この人も知らないカンボジア人から電話かかって来たら「めんどくさいなぁ」かも知れないが、
このプノンペンの重鎮ベーシストから連絡が来たらイヤとは言えない。

面白いことに、その重鎮ベーシスト、私のことを「もの凄いドラマーがいるから」とでも紹介しているのだろう、会ったことない人みんな私のことを「Brother」もしくは「Sir」と呼ぶ(笑)

トントン拍子で「明日スタジオ見に行くよ〜」までいってたのだが、また突然連絡が途絶えてしまってたところなのだ。

とりあえずタカシを呼び出して、家にあったカップラーメンと10ドル渡して、こう言いつける・・・
「まず君のミッションだが、ここに電話して明日か明後日のアポを取ること。無事スタジオでレコーディング出来るようになったらそのレコーディングにアシスタントとしてついて来い。また別途ギャラをあげよう!!」

食い詰めた人間のパワーは凄い!(笑)
彼はすぐにその人に連絡を取って詳細を詰める。

重鎮ベーシスト、何をどうその人に吹き込んだのか知らんが、
「あの人を満足させられる設備なんかありませんよ」

(>_<)

断られてもめげない!(笑)
オスカーの常連ドラマーがスタジオを知ってるとかで新たに別のスタジオを探し出して来る!(◎_◎;)

まあオスカーもここプノンペンでは一番いいライブハウスだと言われているので、
そこの店員だったらここに出演する全てのミュージシャンとは繋がりがあるということだ。

ひとりのドラマーとFacebookで繋がり、そこからスタジオのオーナーに繋がった。


凄いぞタカシ!!中国の仕事でもドラムのレコーディングはある。
もうカップラーメンと言わず、このスタジオでちゃんとしたレコーディングが出来るならレコーディングの度に飯と酒を奢ってやろう!!ギャラも少々だったらやるぞ!!

だからどれだけ食い詰めても犯罪なんか犯すなよ!!
金のない奴ぁ俺んとこに来い!!俺もないけど心配するな!!

いや、俺もないけど心配はしてね。まあどんな国でも中国で学んだこの処世術がある限り何とかなるでしょ・・・(笑)

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Posted by ファンキー末吉 at:16:08 | 固定リンク

2020年2月25日

ネパールの孤児院

カンボジアのくっくま孤児院には縁がありこんなプロジェクトもやっているのだが、別に孤児院が好きなわけでも子供が好きなわけでも何でもない(笑)
山野友佳子嬢がどこかに慰問してコンサートをやるというのでついて来たら、指定された場所に来てみたらそこがたまたま孤児院だったというわけだ。

子供たちが元気に遊んでいる。

ピアノのセッティング開始!!


くっくま孤児院には25人のお母さんである楠美和さんがいるが、
どうやらこの孤児院ではこのラマ僧が「お父さん」であるようだ・・・

別に子供好きじゃなくても、ネパールの子供はとても可愛いと思う。


特にインド系の子供が可愛いね。
さすが多民族国家・・・

ピアノのセッティングが出来た頃、遅れて山野友佳子嬢がやって来てコンサートスタート!!

子供たちもだんだん打ち解けて来て手拍子などで参加!!

そして歌!!
何と英語の歌が歌えるのね・・・

ドラムセットないけど参加して下さいと言われて空き缶と机を叩く!!(笑)

その後、孤児院にある楽器を持って来てくれて一緒に演奏・・・

これは民族楽器のひとつである手を使ってふいごで風を送るオルガン。

そしてみんなで踊りを踊ってくれた。
可愛いのだ〜







この子むっちゃ可愛い!!

そしてみんなで食事!!
この食事も地元のレストラン等からの支援を集めて山野友佳子嬢がここに持って来たものである。




最後に施設を見せてもらった・・・



印象としてはカンボジアと違って、気温が低いので着るものがたくさん必要で大変、もちろんその洗濯も・・・
素子t3え寝床もちゃんとしてないと凍えちゃうから大変よなぁ・・・

至るところに英語の貼り紙がある・・・


しかし外国の支援で成り立ってるならその組織名などの表示がありそうなものであるが、それが見当たらない。

聞いてみると、以前はスウェーデンだかの支援があったが、現在はない。
ネパール政府からの支援もなく、今後どうしてゆこうか困っていると・・・

バイクでこの場所を後にしてもその言葉が重くのしかかって、
ついつい引き返していくらかお金を置いて来た・・・

でもそんなはした金じゃあこの子供たち1日分の食費にもならないだろう。

かと言ってコロナ騒ぎで中国の仕事がない失業状態のおっさんには何もしてあげることが出来ない(>_<)

支援とは本当に難しい。
また「縁」が出来たわけだから、次にネパールに来ることがあったら、
また必ずここに来て、自分で出来ることなら何かやって帰りたい・・・

ああ、タイガーマスクみたいに大きなリングマネーの入る仕事をやりたい・・・(笑)

そう思った1日であった・・・

Posted by ファンキー末吉 at:14:31 | 固定リンク

2020年1月 1日

カンボジアの年越し

カンボジアも中国と同じで1月1日は単に「元旦という祝日」でしかない。
中国で年越した時も、スタジオで普通に仕事してていつの間にやら年越してたみたいな感じだったし、大晦日は単なる「祝日前」というだけの話なのだ・・・

ところがお祭り好きのカンボジア人、最近では大晦日も盛り上がるようになって来たという話である。
私が部屋を借りた一角は、夜は歌舞伎町、昼は御徒町みたいなところなのだが、ガールズバーのお姉ちゃんのみならず、庶民の皆様もいそいそとテーブルを道端に出して宴会の準備!!

ちなみにうちの隣は一応警察署で、その権力なのかどうなのか、うちの前の通りを車は通行止めにして、警察もいそいそと宴会準備!!

見てたら、ビール飲んでそのまま
バイクに二人乗りしてパトロールに行く警官も・・・
ええなぁ〜この緩さ・・・カンボジア最高です!!(笑)

私は日本人仲間とHIBACHIで年越し蕎麦食って年越しと思ってたのだが、何やら大きな野外音楽イベントをやっててそれがテレビで生中継されとる・・・

というわけでその会場まで行ってみた!!

いや〜凄い人の数!(◎_◎;)

なんと生バンドの演奏でレベルもかなり高い!!

子供のラッパーも・・・

この後、ここにいる全員が一斉にアクセスするせいか、携帯のネットも繋がらなくなった!(>_<)

この会場に来る時もそうだったのだが、とにかく会場付近が大渋滞で、普段のチキチキマシン猛レース状態よりももっとひどくて全く動かない。
帰りもかなりの距離を歩いてトゥクトゥクを捕まえ、やっとのことでHIBACHI!!

年越し蕎麦を食って、おっさん達がだらだら飲んでる中、
「あと10秒で年越しですよ」
とカウントダウンをしてみたところで何も盛り上がらず(笑)、
そうそう、皆さん明日一日終わったらまたお仕事ですからね。正しいアジアの年越し・・・

さて、しばししれ〜っと飲んでたが、さすがに疲れたのでさっさと家に帰って寝ようと思ったのだが、家の前にポリスが陣取ってて挨拶して横切らないと入れない・・・

挨拶したら「飲んでけ」と!(◎_◎;)

「踊れ」と!!(◎_◎;)

もう何が何やらわからんけどむっちゃ楽しくなってポリスと踊ってたら知り合いの日本人に突然声をかけられた。

「ファンキーさん、何やってんですか?・・・」

いや、踊ってるんですけど・・・(笑)

日本人にとっては相当インパクトのあった図だったらしい・・・・

もうね、この異国の地でポリスに酒薦められて一緒にわけのわからんカンボジアの曲に合わせて踊っている自分が面白くて仕方がない!!

どうせこのまま部屋に上がったってこの大音量じゃ寝れやしないのだ、ポリスが酔い潰れるまで踊ってやろうじゃないか!!

そんなカンボジアの年越し・・・

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Posted by ファンキー末吉 at:19:47 | 固定リンク

2019年12月25日

個性の塊!!才能の宝庫!!

前回のこの修羅場の仕事の前にこのバックの仕事は決まっていた。

「Funkyさん〜曲数が多くて大変な仕事なんだけどひとつ頼むよ!!」
そう言ってLaoLuanから頼まれていた。

どんなイベントなのかはその時には聞いてない。
まあどんなイベントであろうがやることは同じ、
曲をもらって、それをライブアレンジにアレンジして、バックバンドのメンバーに指示してそれを完璧に仕上げる・・・それだけである。

と言いつつ、例によって中国!!曲が出て来たのはイベントの1週間前!!(>_<)
中国あるある〜である。

私は自身はいつも前日にやるのでいいのだが、他のミュージシャン、特にピアノの弾き方やギターの弾き方まで完璧にコピーしなければならないギタリストやキーボーディストは大変である。

早く譜面を書いて渡して上げなければそれだけ演奏の質が下がってしまうということになる。

かと言って私はこの修羅場をまだやっているわけだから譜面を書く時間なんてない(>_<)
ということでネットで譜面書いてくれる人を募集した。

手を挙げてくれた高橋亜土さん、やり始めて気付く、
「これ1曲に1時間かかったとして、26曲だと26時間かかるじゃないですか!!」
つまり他の仕事をやりながら1日数時間ずつやってたのではリハーサルにも間に合わないということになる・・・

困った時のよーしーずということで渋谷有希子にも応援を頼み、二人が徹夜して1日で全部書いてくれた!(◎_◎;)

いや〜大助かり!!、譜面がなくって100回聞くより、譜面を見ながら数回聞く方が数段頭に入りやすい。

「みんな各自コピーしといてね」という現場もあるが、それは各人にこの20数時間の労働を強いているわけだし、それぞれがコードなどを間違って採ってたりすると、それこそリハでぐちゃぐちゃになって能率が悪い。

やはりバンマス(バンドリーダーの意)が「これで!!」と大きな指針を提示することが大事なのである。

つまり、この「譜面起こし」でバンマスの仕事のほとんどは終わっているというわけだ。

こちらの修羅場が終わったら、全曲聞いて、コードが間違ってないかチェック!!
間違えてる部分はメンバー全員にそれを通達する。
ストリングスやギターの大事なフレーズなどはここで注意書きとして送っておく。




その通達には、中国ではWeChatというアプリを使う。
というか、リハーサル場所の共有やファイルの共有、更にはギャラの振り込みまで、中国ではこのアプリを持ってないと仕事が出来ないというぐらいである。

「バンマス仕事」をやりながら、「ドラマー」としてドラムのコピーもせねばならん。

ドラムが入ってなかったり、エレドラだけであっても、一応そのフレーズはコピーして譜面に書き込んでおく。
レコーディングの場合はこのエレドラの音色にこだわってこのように完成したとしても、生演奏の場合は生ドラムで叩いた方がライブ効果としてよかったりするからである。

特殊な音色や世界観など、プログラムを走らせないと無理な楽曲も多く、それぞれの歌手に手配をお願いする。

「誰か私の代わりにプログラム走らせるの担当してくれない?」

メンバーグループの中でそう発言してみるが、誰も尻込みして手を挙げてくれない(>_<)

誰もいなければ自分でデータ取り込んでドラムのところから自分でプログラムを操作しなければならない。
(ちなみにX.Y.Z.→Aとかプログラムが少ない現場ではいつもはそうしている)

まあ実質私には時間がないから無理なのである。
誰もいなければ誰か雇わねばと思ってたらキーボーディスト扬乐(YangLe)が手を挙げてくれた。

ちなみにこの作業はキーボーディストがやることが多いが、ラップシンガー爽子(Shuangzi)の場合はベーシストがやってたり、プロデューサーがその操作専門でツアーに同行したりもする。

キーボード奏者を二人にしてもらってて正解!!
結局この扬乐(YangLe)はキーボードを弾かずにプログラム操作に忙殺されることとなる・・・


いざリハーサル!!

メンバーはコーラス以外、扬乐(YangLe)を含めて皆初対面!!
「若手」というにはおっさんばかりだが、私と一緒に一時は中国全ての仕事を一緒にやってた一流プレイヤー達はもう大御所となってしまい、きっとギャラも高くて呼べないのであろう・・・

私を若いミュージシャンと組ませる、その意味は「若手を育てる」ということである。

グループメッセージには
「あの偉大な大先輩と一緒に仕事をさせてもらうんだから一生懸命大先輩の仕事を勉強させて頂きます」
という書き込みがあるぐらいで、私としてはこうなるともうどんな仕事であろうが手は抜けない。
とにかく仕切り、そしてドラムのプレイにはどこをどう切り取っても「完璧」であるしかない。

緊張感漂う中、初日のリハーサルは終了!!
次の日には歌手を招いてリハーサルである。

ここで歌手の意見を取り入れて変更とかあり得るのでフレキシブルに考えておかねばならない。

最初の歌手はLaoLuanとこの歌手で顔見知りなのでさらっと終わったが、
次の歌手は実は採譜するのも大変な電子音楽で、これがまたとびきりの美人なのだが、クールビューティーで全く笑わない((((;゚Д゚)))))))

プログラムデータも送られて来ていたが、やっぱバランスとかも気になるのだろう、カラオケにドラムだけ生で足してということになった。

1曲叩いて聞いてみる。
「こんな感じでいいですか?」

「いいわよ」
クールビューティーは全く笑わない((((;゚Д゚)))))))

次の曲はもらってた音源と違う曲で、結局叩くことは出来ないので、
「これは今日は無理なので当日出来るようにしときますから」

「いいわよ」

また全く笑わない((((;゚Д゚)))))))

見れば他の歌手はマネージャーや付き人などがついて来てるのに彼女はひとり。
データが違ってたりしていると自分でパソコンを開いてデータを送る。

こいつ・・・全部自分でこれだけの音楽を作っとるのか!(◎_◎;)

美人なのに美人なのに・・・(涙)
↑(自分で言っててあまり意味がわかりません(笑))

このクールビューティー、私とは結局ひとこと、
「你的头发很酷!!(あなたの髪型かっこいいわねぇ)」
というのを交わしただけであるが、それでも笑顔を見せない。

いや、怒っててこんな会話にはならないわけだから、彼女にとってはその時は精一杯の笑顔だったのかもわからないが、きっと「破顔一笑」というのは出来ない人なのかも知れない・・・

そこから入れ替わり立ち替わり歌手がやって来てリハーサル終了!!

ラグタイムあり、ブルースあり、スウィングJazzあり、民族音楽から民謡、テクノにブルーグラスまで何と多彩な歌手たちの集まりであろう・・・

どんなイベントなんだろう・・・興味が湧いて来る・・・


ライブ当日、私は前日に東京でX.Y.Z.→Aのライブがあったので、
そのライブの終了後そのまま羽田に行って3時の飛行機に乗り、6時に北京着、そのまま会場に入った。

どうやらこのイベントは中国最大のIT関連会社テンセント主催。
この会社は中国最大のSNS「WeChat」と共に、中国最大の音楽配信サイト「QQ」も運営している。
(このブログ記事「今や中国の著作権ビジネスは日本より進んでいる?!」に出て来る音楽配信サイト)

つまり今日のこの出演者達はこのサイトで音楽配信をやっているアーティストなのだろう・・・

演目は3部に分かれていて、バンドを連れて来る人、カラオケで歌う人もいるが、半数以上は私がバンマスを務めるこのバンドが演奏することになる。

出演順に記憶を辿ってレポートしてみよう・・・

1、许均:バンドを連れて来たのでこちらの演奏なし、中国ロック

2、鹿京周:中国では珍しいラグタイムブルース(大村はんがやっているようなジャンル)と典型的なブルーグラスの楽曲を歌った。ギターを弾きながら歌う歌手だが、プログラムを走らせる曲なのに勝手に弾き始めて、結局プログラムなしで演奏(>_<)
<こんな曲>
鹿京周-芭提雅

3、林侧:アコギを使った不思議なポップスを歌う
<こんな曲>
清晨幻想曲-林侧

4、张羿凡:叙情的なポップスを歌う
<こんな曲>
环岛之旅-张羿凡

5、何小河:浮遊感漂う不思議なポップスを歌う
<こんな曲>
天尽头 - 何小河Doris

6、张浅潜:しわがれたロックな声で歌うシンガーソングライター、かなり古い歌手で、20年近く前から名前は聞いていたが残念ながらこの日歌った曲の音源は見つからず・・・

7、张楚:この日のイベントのハイライト!!私が90年に最初に北京に行った時に私を黒豹のライブに連れて行ったパンクスである。
次の日にこの曲を
「中国人は蟻だ!!大きな足で踏み潰される」
と言ってホテルの部屋で歌ってくれた。
「マイマイマイマイ」のサビが最後の方になると「マビマビマビマビニママディビ」、つまり「Fuck Your Mother!」になると聞いて、「よしお前の歌を俺が街中で歌ってやろう!!どこで歌って欲しい?」と聞くと彼はこう言った。
「Tian An Men Square」
かくして彼の見守る中、ギターを持って天安門広場に立った私は、密告おばさんとかに囲まれて怖くて歌えず、「お前らはこんな中でロックをやってるのか!!」と激高して今があるというまさにその曲である。
今の時代、パンクになって「Fuck Your Mother!」になることもなく普通にこの曲を歌って終わった(笑)

さてここでちょっと休憩が入り、私は楽屋でバンドメンバーに説教をすることとなる。

そもそもが、今日の本番に向けてLaoLuanがみんなに激を飛ばしている。
「みんな、Funkyさんをよく見て、決してミスをしないように!!」

LaoLuanにとって私は「絶対に間違わない人」・・・

いや、私だって人間だからやっぱ間違ったりもする。
ここまでの演奏だって、リム叩くところスネア叩いたり、小さな間違いだったらちょっとは合った。

でも人にはわからない。
それをうまく処理してミスに聞こえないように叩いている。

「絶対にミスをしない!!」
これを常に目標に掲げているので、少々理想からは下がったとしてもこの程度で済んでいるだけに過ぎないのだ。

それに比べてこいつらと来たら・・・

「ミストーンが多過ぎ!!それにどうしてカウント入れても入らないんだ?聞こえないのか?」

だいたい一番間違うヤツに限って言い訳が多い。

「ドラムまで遠いからカウントが聞こえないんです」
じゃあ見とけよ!!
「私の場所からは見えないんです」
言い訳すんな!!集中しろ!!

まあ次のステージからはコンダクターマイクという、曲席には聞こえないがメンバーにだけ聞こえるようなマイクをドラムの横に置いてそこに向かってカウントを言うことにする。


次のステージ、私のバンドが演奏したものだけ抜粋すると、

10、马梓皓:R&Bシンガー。リハでは自らライブアレンジを仕切って、前半は自分ひとりでギター弾いて歌い、2番からバンドが入るというアレンジになった。
<こんな曲>
马梓皓《已读不回》

11、莫非定律:男女二人組のキーボードとボーカルのユニット。質の高いポップスを歌う。
<こんな曲>
一次性劫难 - 莫非定律More Feel

12、宋黛霆:Jazz歌手かなぁ・・・Jazzフィーリングのボサノバの曲でJazzドラマーとして楽しくドラムを叩かせて頂きました。
<こんな曲>
宋黛霆的一首《RawAffections(feat》

13、Tngahook:京劇風のサウンドで、中国ならではの日本人にとっては全く新しいサウンド。電子ドラムの部分を生ドラムで叩かせて頂きました。
戏子

14、董晓禾:これもJazz歌手なのであろう、4コードで延々即興のように歌ったり、古い民謡であろう楽曲をオールブルース調のJazzにアレンジして歌ったり、残念ながらアップされている音源は見つからなかった・・・

15、晓月老板:こりゃもう、古い民謡をJazzとかにアレンジして最高!!久しぶりにSwing Jazzを楽しく叩かせて頂きました!!
<こんな曲>
晓月老板-虞美人·听雨


ここでまた休憩が入って、3ステージ目。

18、李文琦:これはレコーディングも私がやったし(その時の逸話はこちら)、まあLaoLuanとこ所属の歌手なので全く気を使わずこんな感じ〜

19、朱婧汐:リハでカラオケに合わせてドラムを叩いたものの、本番はやっぱ「要らんわ」となったのかコーラス隊だけ参加でバンドは参加しなかったので、私はいそいそとこのクールビューティーのライブを袖から見た。



いや〜・・・圧巻やった!!!(◎_◎;)・・・客席に向かっても全く笑わん(笑)

他の歌手は少なくとも観客とコミュニケーションを取る。
笑顔を振りまくまではいかなくても、何らかの方法で客席と一体化を図ろうとするのだが・・・

この歌手はまるで「私の歌を聞きなさい!!それだけでいいから」と言わんばかり・・・

つまり一切の「媚び」がないのだ((((;゚Д゚)))))))

特に圧巻だったのはこの曲!!
Intelligent高级智能

曲のテーマとなるリズムリフは、ともすれば2拍ずれてるように取れるリフで、
ご丁寧に頭に2拍フレーズを入れてもっとわからなくしているだけでなく、
歌もちょうど2拍待ってから歌うのでどこが頭か一瞬わからなくなる・・・

よーしーず、2/4を入れずによく譜面にした!!

それにしてもこの娘・・・ほんまにこのオケを自分で打ち込んで作ったのか?!(◎_◎;)
電子音楽系の仕事が来たら彼女に発注したいわ!!(笑)

私も仕事で時々このようなスタイルのアレンジをするが、
これはとにかく時間がかかるのだ・・・

「音色」こそが命なので、例えばドラムの音色ひとつ決めるのに数時間かかる・・・
イメージに合ったシンセの音色を、コンピュータの中の何万という音色から探し当てるのに、ヘタしたら一晩徹夜することだってあるぐらいだ。

それをこの美女がやっているのだとするとそれこそが物凄い!!

いや、決してブスを卑下しているわけでも何でもない。
「美人でいる」ということは、一日の中でそれなりにそのために時間を費やさねばならないと思うからである。

ひとつの曲を徹夜で仕上げて、髪はボサボサ皮膚はボロボロでリハにやって来るのだったらまだわかる。
元々顔立ちがいいのだからスッピンでやって来るのだったらまだわかる。

彼女は「美人である」ということをキープするために時間をかけながら、このオケを作っているということが物凄いと思うのだ・・・

この曲、サビでリズムがなくなって「Lie、Lie、Lies・・・」と呟く。
よーしーずが採譜する時に「コードがぐっしゃぐっしゃで何弾いてるかわからない」と泣いていたが、そのぐしゃぐしゃの混沌としたところから「Don't trust anyone」と歌ってそこを抜けるところがこの曲最大の魅力なんだと思うが、1番ではサビと同じく裏声(もしくは高音の綺麗な声)でそこを歌い、2番では地声で歌って曲が終わる。

ライブでは2番のこの部分を絶叫し、そのままステージに座り込んだ!(◎_◎;)

客を置いていくにも程がある。
おそらく前客席はぼーぅ・・・私はステージ袖で鳥肌が立った・・・

ちなみに、噂によるとこの歌手の他の曲はアメリカのビルボードでチャートに入ったという噂である。

朱婧汐新歌登录Billboard TOP 40流行指数榜

日本で言うと坂本九から始まり、ラウドネス、オルケスタデラルスに続く快挙である。

私は昔、日本でアジアの音楽を紹介するラジオ番組をやっていたが、
その時にフィリピン人の歌手がチャートに入ったのを紹介した時に、
「いつの日にか次は中国人歌手がチャートインする時代が来るよ」
と発言した。

そして、当時「アジアブーム」に沸く日本の音楽界がみんな、
「テレサテンに続け」とばかり、中国人歌手を演歌班に所属させていることを痛烈に批判した。

「この人たちは日本なんか経由しなくても自力で中国人観客だけでマジソンスクエアガーデンを満杯にするんですよ!!何班でもいいからその会社の一番メインの班に置いてこそしかるべきでしょ!!」

今となってようやく日本の音楽業界は聞く耳を持たざるを得なくなったことだろう。
彼女たちは日本なんか飛び越えて「世界」を見てる。

日本だけですよ、取り残されているのは・・・


さて、話がそれた。
バンドは最後の歌手「馬条」で仕事納め。

この「馬条」の音楽が素晴らしかった!!

男前でも何でもないこの「おっさん」の男臭い歌声に涙が止まらない。

「若くなきゃ売れない」とか「流行りの音楽をやらなければ売れない」とか誰が決めた!!

不器用な(かどうか知らんが)おっさんが一生懸命人を愛する。
そして男臭い声でその「気持ち」を歌う。

そこには「売れる」だの「売れない」だのはない。
「いい」か「悪い」かだけなのである。

売れてる音楽が必ずしも「いい音楽」とは限らない。
同様にいい音楽が必ずしも売れるとは限らないけど、
彼の音楽を聴いてたら、私はもう「いい音楽」しかやりたくない、と強くそう思ってしまう。

項羽と劉邦の最後の戦いの時、四面楚歌に陥って最後に項羽は自分の兵隊にこう言った。

「ほら見ろ、俺たちは強い!!決して俺たちが弱いから滅ぼされるのではない!!天が俺たちに天下を取らせなかった、それだけのことだ」

天下を取れなくても項羽は歴史に残る英雄だし、私も後世に「下らない音楽をやった人間」だという不名誉を残すぐらいだったら別に一生売れなくてもいい。

「天が私を売れさせなかった」
それだけのことなのである。

彼の歌声を聞きながらそんなことをずっと考えていた・・・

この日の最後の曲。
コンサートが終わったら、バックステージで通り過ぎる人みんながこのメロディーを口ずさんでいた。

間違っても「ヒットする」というど真ん中の曲ではない。
しかしこれはきっと世界中の誰が聞いても「いい曲」である。

昔「ヒット曲を作れ」と躍起になってやらされていた時代、
例えこんな曲が出来たとしてもきっとボツになってただろう。

「こんな曲が売れるもんか!!もっと今のヒット曲を勉強しろ!!」
これが日本の音楽業界である。

だから日本のチャート番組を見ても聞いても、どれも似たようなテイストの曲ばかりになる。

イベントをやったとしても、売れてるアーティストを集めたとすると、基本的にはJーPOPの似たような出演者ばかりになるだろう。
とてもこのような個性豊かなアーティスト達が集まる、というかこんなアーティストが存在することすら無理であろう、それが日本の音楽業界である。

このイベントの出演者がどうしてこうも個性的なアーティストばかりだったのか・・・
それはきっと主催者のテンセントが音楽配信会社だからではないかと思う。

日本のレコード会社は何千万円もかけてレコードを作り、
何億円も宣伝費をかけてそれを売っていった。

今もその幻想を捨て切れずにそんなビジネスモデルを展開している。

CDなんか作っても、若者に渡したら
「これどうやって聞くんですか?」
と聞かれる時代に、である。

「スマホで聞くんだったら、まずこれをパソコンに取り込んで、そこからスマホに転送するんだよ」・・・

今やパソコンにCDドライブすらついてない時代なのだ・・・

「Jazz?そんなもん今の時代に売れるか?民謡?民族音楽?論外だね」
そんな幻想に取り憑かれている限り、今日の出演者の音楽などはどれも「論外」と感じるだろう。

でも配信会社は何千万もかけて音源を作るわけでもないので基本的に敷居が低い。
それぞれのアーティストが自分で作った作品を「売れないだろう」という理由で配信しない理由などありはしないのだ。

だからこんなに個性豊かなアーティストが集まったのだと思う。

さあ日本の音楽業界の皆さん、この個性豊かな才能の塊を見てどう思う?
いや、見やしない、聞きやしないだろう。

欧米の話じゃない、自分たちより遅れてると思ってるアジアの話なのだ・・・

そう思ってるうちにこの国の若者達は日本なんか飛び越えてどんどん世界に出てゆくだろう・・・
きっとそうやって日本だけが取り残されてしまうのだ・・・

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2019年8月30日

カンボジアに部屋借りてトイレで自炊(笑)

本文の前にまずこれをお読み下され〜

第67話(平成 14/08/31 6:10) 北京で突然新しい家族が出来た・・・

後半、北京で初めて部屋を借りたら、
そこの大家が戻って来て「今日から家族よ」と一緒に暮らし始めた話・・・(笑)

もうね、この頃はネットもなかったし、
中国なんか知り合い通じにゃ何も出来んかった時代やからなぁ・・・(シミジミ)

現在のカンボジア、首都のプノンペンでは、
経済支配している中国人用のみならず、日本人相手の不動産屋もあり、
探してもらったら安くても月300US$とか・・・
(カンボジアは自国の通貨より米ドルが主に使われている)

まあ来れてひと月に一度ぐらいんとこに毎月300US$は払えんわのう・・・

というわけでライブでお世話になったHIBACHI土井さんに紹介してもらった地元の人に頼んだ。

例によって貧しい姉妹らしく、
むっちゃ遠い場所のクーラーもない部屋に一家11人で暮らしてると言う・・・

「ほな100ドルの部屋探してや〜もし見つけることが出来たらあんたに100ドルあげるし〜」

不動産屋に取られるぐらいなら誰かの役に立った方がよい。
「ほな手付けで50ドル置いてくわ〜」
ちょうど子供が病気になったとかで、この50US$はご家族にとっては非常に助かったらしい・・・

「見つかったらあと50ドルあげるからな、一生懸命探してや〜」

そりゃ一生懸命探してくれたようだが、
いかんせん100US$は相場からしたらむっちゃ安過ぎるようだ・・・

「140ドルのならひとつ見つかったんですけど・・・」

おっ!!(◎_◎;)

ホルモン屋の3Fに80US$で貸してくれるかもという物件もあったが、
確定ではないのと、可能でも秋からということなので、
もしここが借りられたら音も出せるということでドラムと録音機材を運び込んでスタジオにでもすればよい・・・

「中国は1年分の家賃を先に支払うみたいなシステムやけどこっちはどうなん?」

どうやらカンボジアはもっとゆるくて、
デポジット(敷金みたいなもんか)を家賃1ヶ月分払えばそのまま前家賃払って住み始めることが出来ると言う・・・!(◎_◎;)

こりゃええやん!!

まあ人って信じてもキリがないし疑ってもキリがない。
どれだけ知り合いを通してたってこの金を持ち逃げされないという保証もないので、
まあこのぐらいだったら笑って済ませられる額だろう・・・
というわけでWestern Unionという世界的な送金サービスで金を送る・・・

かくして部屋は借りられた・・・らしい(笑)
家具とか揃っているわけではないらしく、また金を送って買い揃えてもらう。

「別にワシがおらん時にはあんた達が自由に使ってもらえばええからな。ついでに掃除とか色々やってや!!」

中国でもそうだったが、万が一トラブルとかあったら中国人には中国人をぶつけるべき。
(だから私は今でも中国人と一緒に暮らしているのだが)
カンボジア人にはやはりカンボジア人をぶつけるべきなのでこのようなシステムは個人的には助かる・・・

かくして今回の来カン(って言うのか?(笑))で部屋はちゃんと借りられていた!(◎_◎;)

場所は歌舞伎町のような歓楽街のど真ん中にある美容室の3階である。

もちろんエレベーターなどない。
だからこのテの部屋は上に行くほど家賃が安くなるらしい・・・

とりあえず寝てみる・・・

色々あったが金は持ち逃げされずちゃんと部屋は借りられてたようだ・・・1ヶ月140ドル!!もちろんプールはないがなかなかのもんだと思う・・・ - Spherical Image - RICOH THETA

うん、まあ寝心地はその辺の安宿よりは良さそうだ・・・

下が美容室っつうのは個人的に非常に助かる。
もうこの長髪を自分で洗うのに疲れて、今は世界中(日本以外)どこに行っても美容室で洗ってもらうのよねぇ〜・・・歌舞伎町のホステスみたい・・・って知らんけど(笑)

お近づきの印にさっそくシャンプー!!

このお姉ちゃんが「大家」ということになるが、
この「大大家」の他に、実際に自分の名義を使ってこの部屋を借りて、そしてそれを私に貸してる形になっている「小大家」も存在するわけで、
(私はこちらの方に家賃を払うことになる)
「よかったら何か料理でも作ったるから新居でパーティーでもするか〜?」
と誘ってみる。

「じゃあ子供たちと一番上の姉連れて行きます〜」

というわけでホームパーティー!!

Home party!! - Spherical Image - RICOH THETA

ここで色々わかったのは、カンボジア人はやはり地べたに座ってご飯を食べる・・・

いや、毎食そうなのかどうかはわからんが、
この方がいっぱいテーブルや椅子を買い揃えなくても事足りる。
なるほど「ソファーは要らんのか〜」と言ったら「そんなもんは必要ないでしょ」と言われたわけである。

料理は個人的にやっぱステーキ食いたかったので頑張ってにんにくチップから作ってワイン!!
あとはお得意の中華!!

コンセプトは「冷蔵庫ないし食材は使い切る!!」
というわけで青椒肉絲で余った豚肉はエバラ焼肉のタレで炒めちゃう!!
(実際これが一番美味かったってどうよ(>_<))

炊飯器もあったが、米を炊くのもめんどくさいし、さすが元フランスの植民地だけあって美味しいと評判のフランスパンを買っておしまい!!

なるほど料理をパンに挟めるようにパン用のナイフもあったのはこのためなのね・・・

そして気づいたのだが、この部屋には「台所」というものがない!(◎_◎;)
当然換気扇もないわけだからベランダの入り口んところにカセットコンロ置いて扇風機を換気扇代わりにする・・・

こうして作った料理一覧!!

子供用にちゃんと日本のお菓子も買って来た!!

ところがこの後が大変!!
「台所がない」ということは、水が出るところはトイレしかないということである。

トイレには水道があって、その下には何故か大きなバケツが置かれている。
開けてみるとそこには手桶があって、きっとそれでトイレの水を流すのだ・・・

ちゃんと水洗便所で水も流れるのだが、
こちらの人は断水とかで水がいつでもあるとは信じてないのだろう・・・

とりあえず便器の中で食器を洗うわけにはいかんので(笑)、
このバケツを利用させてもらうことにした・・・

現地の人がどうするかは知らんが、
まあこの水は別にトイレを流すためのものではあっても汚水ではない。
このバケツも別に糞尿が溜まっているわけでもなく綺麗なモノである。

というわけでここに汚れた皿とかを洗剤と共にぶっ込んで、
買って来た食器用のスポンジで洗う。

気をつけねばならないのは、便器の上に置かれているスポンジはきっと便器を洗うものだからそれだけは使ってはいけないということである。

無事に洗い物も終了!!

まあもう二度と自炊はせんな(笑)

というわけで下に降りて行ってみたら今度は大大家が宴会をしているので酒を持ってお邪魔をした。

大大家とパーティー!! - Spherical Image - RICOH THETA

これ大事!!だって美容室が閉まってる時間にはカギもらってるから勝手に開けて入ってゆくが、逆に開いてる時間は営業中の美容室を通って中の階段から上がってゆくので、これ完璧な「顔認証システム」(笑)
認証してもらっとかな部屋に入れん・・・

差し入れに持って降りて来た「コアラのマーチ」がすこぶる人気で、あっという間になくなってしまったので、またイオンにでも行って買って来るとしよう・・・

まあこれで中国的に関係作りはばっちしやな!!

自炊をもうせんとなるとあとは問題は風呂だけやな。
水場はトイレだけで、そこに中国的にシャワーがあるのだが水しか出ん(>_<)

というわけで風呂代わりにスポーツクラブに来ている・・・

プノンペンのスポーツクラブ回数券買ったら1回3.5ドル!! - Spherical Image - RICOH THETA

サウナもジャグジーもあるし、
回数券買えば利用料も1回3.5ドル!!

銭湯と変わらん・・・(笑)

まあ月に何回カンボジアに来れるかはわからんが、
くっくまバンドがある限りヒマさえあれば来ることになるからな・・・

それまでに11人家族に乗っ取られてなければよいが・・・(笑)

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Posted by ファンキー末吉 at:12:09 | 固定リンク

2019年8月25日

Wing & Paul「衝動効応」マレーシア

BEYONDのメンバーWigとPaulが一緒にBEYONDのナンバーを歌うという「衝動効応」の世界ツアー、実は私が参加する前にも何本か行われていたらしい。

途中で「ドラマーやっぱFunkyにしよーぜ〜」になったのかどうなのか、
私のところにはいつものようにWingから直接連絡が来た。

そこからスケジューリングしてまずマカオ!!

まあ日本人にはどうして私がこんなに興奮しているかピンと来ないだろうからもう一度説明しておこう。

あなたがもしQueenのフレディーマーキュリーと友達だったとしよう。

あなたが定期的にやっているライブをフレディーマーキュリーが見に来て、
「素晴らしいよ、今度いつやるんだい?毎月やってる?じゃあ来月も必ず見に来るから」
と言ったのが彼との最後の言葉になったとしよう。

あなたは「いつも彼が見に来ている」と思って毎回のライブを命がけで叩き、
そしてあなたの「今」がある。

そんな中である日、Queenの残されたメンバー2人がライブをやるからドラムを叩いてくれと言われる。

そしてフレディーマーキュリーが残した数々の名曲を一緒に演奏する・・・

これが興奮せずには入られますか!!という感じである(笑)


マカオが終わったあとにも、広東省の地方都市「佛山」と四川省の「成都」でも行われたのだが、
残念ながらスケジュールブッキングがぐちゃぐちゃで参加できず(>_<)

結局次のシンガポール、今回のマレーシアと、外国ばかり参加していることになる・・・

まあWing個人のワールドツアーでも、
中国国内は若いドラマーを育て、海外だけ私を呼んでくれてたので似たようなものだが、
何にせよこうして呼んで頂いて、外国にまで連れて行ってくれて、
こんなに感動的な時間を過ごせるのだからありがたいことこの上ないことである(感謝)。


さて今回、香港でのリハの初日は偶然にもWingの誕生日!!

56歳かぁ・・・ほんま若い!!

そう言えばこの香港の前に行った台州で、
熱烈なBEYONDファンがこんなCDを3枚も持っていた!(◎_◎;)

せっかくだということでご本人にサイン!!

MTVもみっけ!!

確か当時パーソナリティーを務めてたBay FMの番組の企画で、
Bay FMもBay、香港もBayということで「Love Our Bay」という曲を一緒に作ろう!!ということで始めたのだと記憶している。

今やこれは中国では非常に貴重な1枚ですな・・・


さて、リハも順調に進んでいってたのですが、
何と持って来たスティックが足りないことが発覚!!(>_<)

アジア最大の楽器屋チェーンのTom Leeでもファンキー末吉モデルは扱ってないらしく、
コンサートが行われるマレーシアでも入手困難だろう、と(涙)

何が「亜州鼓王」じゃ!!全然どうしようもないやん!!
と落ち込んでいたら、翌日ローディーのジャッキー君が家にあるのを持って来てくれた!!\(^o^)/

そやな、アジアじゅうの楽器屋で自分モデルのスティックが売られるようにとかいう夢よりも、アジアじゅうの若い衆んとこに自分のスティックが置いてあるみたいな方が現実的じゃぞ!!(笑)


さて、というわけで3日間のリハも終了し、一同マレーシアへ!!

香港のデモはまだ続いているが、
彼らが出している5つの要求は中国政府は絶対に呑まんと思うぞ・・・

数年前の雨傘運動の時に「民主の女神」と言われた、日本語も達者な周庭(アグネス・チョウ)をはじめ、全ての若者に「死ぬな!」と言いたい。

第二の天安門事件になることなく、事態が収拾することを心から願うぞ・・・


との思いを抱きながらマレーシアに着いた。
会場は首都のクアラルンプールではなく、そこからバスで2時間ほどのリゾート地らしい・・・

マレーシアで唯一のカジノがある総合レジャー施設!!
ちなみにイスラムは博打禁止なので、実質ここは中華系の客を主にターゲットとしている。

当然メシもまた中華!!

でもちゃんとイスラム系の食事も用意してある・・・

この施設がまた広いので迷うのよ・・・(>_<)

サウンドチェックに会場に向かうのにひとり迷ってしまい、
若い衆に迎えに来てもらう老人・・・(涙)

サウンドチェック!!

と言いつつこの儀式を忘れてはいけません!!

そう、世界平和のためにドラムを叩きます!!

噂に聞くとこの一連の「衝動効応」も実はこれが最後とかなんとか・・・
まあまた気が向いたら2人集まってその時にまた呼んでくれればいい。

もっと気が向いたらまたBEYOND3人集まってやってくれれば嬉しいそ!!

まあバンドやから色々あるやろからな。
かく言う私も何も知らん人から「爆風やって下さい」とか言われると腹たつもんな(笑)

まあ人生色々あるから、もしそんな「縁」があればやればいいさ。
しばらく個人活動頑張れ!!

色々連れてってくれてありがとう!!またやろう!!

Posted by ファンキー末吉 at:08:06 | 固定リンク

2019年8月11日

ラジオで生演奏生放送((((;゚Д゚)))))))

中国も変わったなぁ・・・先日監獄から出て来たばかりの爽子(Shuangz)を由緒ある北京广播电台で生放送で歌わせようとは・・・((((;゚Д゚)))))))

北京广播电台と言えば、45周年記念のイベントに爆風スランプで出て、
「客を煽り過ぎた」という理由(不明)で、コンサート中に警察がロック仲間である中国人スタッフを満場の客の前でめった打ち!!
そのまま制止を聞かずに最後まで演奏した私たちは銃を持った恐ろしい人たちに別室に監禁されるという事件があった・・・

また、ここのスタジオは李慧珍のアルバムをレコーディングしてた。
エンジニアのKeizoのギャラを計上して提出してたら、
「Funkyは私たちを騙している」
と問題になったなぁ・・・

当時、エンジニアはスタジオについているもので、
それを別に計上するなど「水増し請求」だというものである(笑)

いや〜このエンジニアっつのが全く芸術的ではなく本当に「機械エンジニア」(>_<)
夕方になったらさっさと帰るし!(笑)

いや〜色々と思い出のある北京广播电台であるが、
国家が運営するそんな老舗の放送局が、
ワシが知るだけでもう3回監獄に入っているこの犯罪者(笑)を生で2時間喋らせるというのはどういうことか!!(笑)

危険じゃないのか!!
そう言えばまた別の刺青だらけのラッパーがテレビで共産党にそぐわない禁止用語を連発して、それから刺青が目の敵にされ服とかで隠さないとテレビに出れない時期もあったなぁ・・・

まあ私が生放送だと聞いたのは実は放送局に着いてから。
それまでは客入れての公開録音ぐらいに思っていた。

そりゃこの状態では
「Funkyさん、回線が6chしかないから今回はカホンか電子ドラムにして下さいよ」
と言われてたのも頷ける。

カホンも電子ドラムも全くの「別の楽器」なので、
「ヤダ!!」と言って拒絶してたら、生ドラムどころかちゃんと大きなサブミキサーまで持って来てた!(◎_◎;)

さすがに初めてやなぁ〜北京广播电台の生放送スタジオにバンドが入って生演奏生放送!(◎_◎;) 生放送なのでドラムのチューニングもサウンドチェックもへったくれもない!!DJが喋ってない時に静かにセッティングして泣いても笑っても17時から生放送!! - Spherical Image - RICOH THETA

でもアンプはないのでギターはアコギ、
モニターはDJと同じ回線のヘッドホンをタコ足にして聞くことになる。

ところが私は張張(Zhang Zhang)が出すプログラムのクリックを聞かねばならない。
いつもイベントなどではクリック専用のイヤモニを渡されるのだが、
放送局にそんなものがあるはずもなく、
ミキサーも別回線でクリックを出すことは出来ない。

しゃーないなぁ〜・・・と張張(Zhang Zhang)がパソコンから直でクリックの回線を出す。
音量は大きくないがしゃーない、それで一度サウンドチェック代わりに演奏してみよう・・・

・・・って実はちゃんとそのためのサウンドチェックの時間が取られえているわけではない!!
日本でもよくある昼からの帯の番組のようで、
DJがオンエアに乗ってる時にはみんな声を潜め、
音楽や録音物を流している時にちょちょいと音を出す程度である(>_<)

ところが音を出してみると、
私はクリックとプログラム、まあこれは同じパソコンから出しているからいいとして、
ベースやキーボード、そして生音のアコギや歌なども全く聞こえない(>_<)

あかんやろ・・・(涙)

17時からの生放送の時間は刻々と迫っている。
人間追い詰められると脳みそが高速回転するらしい。

「そうだ!!みんなが聞いているそのヘッドホンの回線、あとひとつ余ってる?」
実は60歳の誕生日の時に李慧珍が誕生日プレゼントでこんなヘッドホンをくれたのだ。

もうね、6万円もするヘッドホンなんて失くすのが怖くて持ち歩けるかい!!
と思ってたら、一度飛行機で使ってみたらノイズキャンセリングが素晴らしく、
嘘のような静寂の中でiPadに落とした映画が楽しめる。

ちょうどこの収録終わったら最終便で寧波に飛ぶので持って来てたのよ〜

電源を入れずにケーブルを繋ぐと普通のヘッドホン!!
クリックを聞いているインナータイプのヘッドホンの上からこの大きなヘッドホンを被ればクリックと共にみんなのお供聞ける!!\(^o^)/

ちょっと圧迫で耳が痛いけど(笑)

というわけで生放送開始まであと5分のところで回線だけは確保した!!
そのまま本番!!!!

ちょっと心の片隅で心配してはいたが、刺青だらけのこの犯罪者(笑)、
DJに振られた話題を素朴にちゃんと真面目に答える。

ここで「Fuck You!!」など口走ったら冗談でなくこいつは終わる!!
「Fuckin Goverment!!」などと口走ったら一族郎党命が危ない(笑)

あとで聞いたのだが、
ラップなので中に危ない歌詞はいくつかあったらしい。
聞けばそれを瞬間的に察知して違う言葉に入れ替えたりハナモゲラにしたり、
物凄い反射神経でそれら全てを無事に乗り切ったらしい!(◎_◎;)

凄いぞ爽子(Shuangz)!!
そんだけの才能があるんだからもう監獄はやめような(笑)

2時間の生放送、なかなか緊張感の連続でかなり疲れたけど、
まあドラムもいいプレイが出来たしなかなか楽しい経験をしたぞ。

意外だったのは、セキュリティーがむっちゃ緩かったこと・・・

何せ放送局はクーデターが起こったらすぐに占拠されるところ。
昔だったら入口でIDやパスポート、持ち物の検査まで厳しかったのに、
いくら顔認証が発達しているからと言って、これだけの不審な荷物(笑)をノーチェックで持ち込めてIDチェックもしなかったというのは、やはり中国も少しは平和になったのか・・・

ならんならん(笑)

まあでもこんな犯罪歴のあるラップ歌手に2時間生放送で喋らせるんだから、
そういうことに対する緊張感は昔に比べたら確実に薄まっている。

逆に「ロック」自体がもう恐るべきパワーを失っているということか?
・・・考え過ぎか・・・

中国は恐ろしい速度で今も変化している。
私としてはこれが悪い方向ではなく、平和な世界へと向かっていることを願うのみである・・・

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2019年7月16日

還暦記念亜州鼓魂ライブ

7月13日は渡辺英樹さんの命日でもあるので毎年英樹さん絡みのイベントを行っていたが、今年は「60歳だろ?中国じゃもの凄いことなんだぜ」ということで中国の仲間がイベントを立ち上げてくれた。

曲順

M01:出发
M02:我爱你亲爱的姑娘
M03:羊肉面
MC
M04:流星
M05:小卢的初恋
VCR(BEYONDの3人からのメッセージ)
MC
M06:七到天门
M07:Memories(记念黄家驹)
VCR(艾梦萌からのメッセージ)
M08 红舞鞋
(ドラムのリズムに乗せて李慧珍登場)
M09 向前走
MC
M10 不安
MC
M11 亚洲鼓魂
M12 力量
M13 Let Me Be Free
VCR(爽子からのメッセージ)
MC
M14 这是我
MC
M15 礼物

EN 生日的歌


ライブはまず友人代表としてLuanShuのお話から始まった。

「Funkyさんは無私の心で中国ロックや中国流行音楽に多大な貢献をし・・・」
いや、一応お金もらってるんやから「無私」ではないと思うが・・・
まあ中国ロックの黎明期は楽器やCDや教材やら色々持って来てやったからな、その部分は「無私」かな・・・

以下は彼のWeChatの書き込み・・・

相识于1991,没想到会一路同行持续合作到今天,Funky桑不只是亚洲鼓魂,对待音乐的态度他是我一直学习的典范,他对中国流行音乐所作出的无私奉献和真爱值得敬佩,他是真正的摇滚战士[强]老方生日快乐

まあ出会ったん90年やけど・・・(笑)まあええか・・・


そして布衣!!
「布衣の曲でヒットした曲って全部Funkyの曲なんだよな・・・(笑)」

はい、でもVoThMの曲もやりました!!
英樹さんの命日やしな・・・

ここから二胡が入るわけだが、
今回呼んだのは上海で知り合った美人二胡奏者!!

そのまま「ろう君の初恋」!!

その後にBeyondの3人からのメッセージを流して、亜州鼓魂の最後のインスト2曲。
この時にどうしても喋りたいことがあったのよねぇ・・・

彼らと出会ったのは91年のこと。
同じ所属事務所の紹介で爆風の4人とBeyondの4人が会った時、
こちらの4人はみんながみんなWingがボーカルだと思って疑わなかった。

Beyondのライブも見たことがない日本人には、
やはり一番ルックスがいいのがWingだったわけである。

そして一番スケベなのもWingと黄家駒(笑)
「要日本的女朋友〜」とか言いながら毎日飲んでいたが、
結局色々女の子紹介しても黄家駒は全部玉砕!!(笑)

そんなバカな毎日のある日、
Wingから電話がかかって来て、黄家駒がテレビ局で事故にあって意識不明の重体と聞く。

急いで病院に駆けつけ、それから1ヶ月近くずーっと病院に詰めていた。
そして1993年6月30日、医者が臨終を告げた時に、
まるで映画のようにWingが卒倒して私の腕の中に倒れて来た。

そして気が触れたようにケケケと笑ってこんなことを言う・・・

「あいつは今、真っ白でとっても気持ちいい所にいるんだって・・・
そこは酒を飲むよりも、セックスするよりももっと気持ちいいんだって・・・カカカ」

私は思った、
音楽、特にJazzのような即興性の高い演奏の時に、
色んな偶然が作用して時々ふわっと身体が浮いたような、
そんな真っ白な世界に行く時がある・・・

そう、彼はそこにいる・・・

でもそこには7つの扉があって、
ひとつを開けたらまたその向こうに扉がある。
音楽を精進して、その7つの扉を全部開けた所に彼がいる・・・

だから亜州鼓魂の最後の2曲はこのコンセプトの下、
天界への7番目の扉〜Memoriesでアルバムを終える・・・

Memoriesは香港で行われえた黄家駒の葬儀の時に書いた、彼への追悼曲である。

日本でJazzなんかやってても誰にも興味など持たれず、
それでも毎月SOMEDAYというJazzのライブハウスでセッションをやっていた。

ある日Beyondの4人がライブを見に来てくれて、
演奏に大喜びだった黄家駒が私にこう言った。

「凄いよ!!全くもって凄い演奏だった!!
今度はいつやるんだ?次も絶対に見に来る!!」

それが彼が私と交わした最後の言葉となったのだった・・・

その後「艾梦萌」からのメッセージを紹介して、渋谷有希子が歌う「红舞鞋」、
間髪置かずにドラムのリズムから入って李慧珍の登場である。

この後のMCで、何やら彼女が長々と喋っている・・・
私は同期のクリックを聞くためにイヤホンをしてるし、
ライブ録音の回り込みを避けるためにモニターに何も返してないので全く聞こえないが、
見れば私への感謝の言葉とか思い出とかを喋りながら泣いているようだ!(◎_◎;)

彼女のWeChatの書き込み・・・おそらくこんなことを言いながら涙ぐんだのだろう・・・

18岁认识Funky桑,他把我从一个音乐小白一路教会我什么是一个专业歌手的品质,早早就让我见识什么是中国最顶尖的乐手,让我学习了当年最top的唱片制作模式~谢谢你Funky桑,爱你 [爱心][爱心][爱心]再次祝生日快乐

お前が泣くとこちゃうやろ!!ワシを泣かせるとこやろ!!(笑)

そしてLaoWuも参加して、
「小さい頃、このアルバムが欲しかったんだけど金がない。
だから仲間うちで献血に行って血を売ってこのアルバムを買ったんだ」
というMCに続いて、亜州鼓魂の1曲目から3曲目までをメドレー!!

圧巻やったな・・・


その後に爽子(Shuangz)のメッセージが流れるのだが、
実はもともと、このライブに彼も参加する予定だった。

ところが文化部に申請を出そうとしたある日、
「爽子が全く連絡が取れないんだ。きっとまた捕まって監獄に入れられたんだろう」

!(◎_◎;)

あのね、長いことイベントやコンサートやっとるけど、
出演者が監獄に入れられたから出演出来んなんてこいつぐらいや!!(>_<)

まあまたケンカだったらしいが、
監獄から出て来た時にはもう文化部への届出は終わっていて、
こうしてメッセージだけで参加というわけだ・・・

彼の代わりに四暗刻のラッパー揚洋(YangYang)が歌ってくれた。

そして本編最後の曲「礼物」!!
バイク事故で亡くなった唐朝楽隊のベーシスト「张炬(Zhang Ju)」のために作った曲である。

この追悼アルバムで「お前も何曲かプロデュースしてくれ」と言われ、
その担当となった布衣と初めて会って今がある。

これで本編終わってアンコール・・・と思ったら誰も引っ込まず、
結局そのまま続けてアンコール(笑)

亜州鼓魂の中に収録されている誕生日の歌、
原曲は24歳の誕生日だが、揚洋(YangYang)が今日のために60歳の詞を作ってくれてラップする。

それで全て終了なのだが、当然ながらアンコールが来る。
しゃーないなぁ〜・・・でドラムソロ!!

これで全て終了!!よくやった!!

これを見てたある人がこんなことを呟いた・・・
「歴史やな・・・」

そう、30年の私と中国との歴史がここにある。
願わくばこのまま歴史を紡ぎ続け、10年後にまたやろう!!

70歳記念ライブ!!(笑)

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2019年7月 1日

北朝鮮プロジェクトまとめ

NorthKoreaRockProjectBook.jpeg


<<プロローグ:北朝鮮? いいですよ、行きましょ!!>>

2006年のある日、中国は北京で暮らしていた私を訪ねて来た「荒巻」と名乗る日本人・・・
彼は学者で北朝鮮とチベットを専門で研究していると言う。

10年以上(当時)に渡り、20回を超える(当時)渡航歴の中で築き上げた「コネ'」がある彼は
「僕だけはどこでも歩けますし何でも撮ることが出来るんです」
と言う・・・

事実、当時テレビで流れていた北朝鮮の映像はほとんどが彼によって撮影されたものだと後で聞いた。

「ファンキーさん、北朝鮮に行きませんか?」
その一言が私の人生を「奇異なもの」に変えたのだ。

「同じ後悔するなら飛び込んで後悔したい」
という人生観を持っている私は二つ返事で行くと答えた。

そしたら荒巻はひとつのDVDを私に手渡した。
「じゃあとりあえずこれ見といて下さい」

ハリウッドの映画「スクール・オブ・ロック」!!

ロック馬鹿な主人公が、何かの間違いで優等生ばかりの小学校の教師となり、
何を教えることもないのでロックを教えていたらその学校が「スクール・オブ・ロック」、すなわち「ロック学校」になってしまったという、笑いあり涙ありの素晴らしい映画だった。

「見ましたよ。素晴らしい映画でした!!」
数日後こう言ってDVDを返しに行ったら荒巻は喜んでこう言った。

「そうですか!!じゃあ北朝鮮に行ってこれをやりましょう!!」
こうしてこの「北朝鮮ロックプロジェクト」は軽いノリで始まった。

当時の私は何の期待も不安もなくこのようにブログに記している・・・

ブログ記事:北朝鮮に行ってくる(?!!)

ところが行ってみて私の感覚は大きく変わった!!
彼女たちの笑顔が私の全てを変えたのである。


<<第1章:平壌をロックに染めてやる!>>

北朝鮮のビザは、諸外国のようにパスポートにハンコを押すのではなく、
このようにペラペラの紙に別紙として発行される。

Web記事:北朝鮮のVISA

北朝鮮に着くと「案内人(兼通訳・・・兼監視員?)」がふたり付く。
噂によると二人がお互いに関ししているという話も聞く・・・

ところが荒巻は長い渡航歴の中でこの案内人自体に「コネ」がある。
案内人というよりも案内人を派遣する団体との関係で、こうしてコネのある案内人を回してもらえるのだと言う・・・

そんな中で初めての北朝鮮渡航!!

ブログ記事:北朝鮮美女軍団ロックバンド
ブログ記事:北朝鮮渡航記


<彼女たちの笑顔こそが「ロック」だ!!>

この渡航によって私は180度変わった。
私の中での大きな「価値観」が変わってしまったのだ。

私は「北朝鮮の子供たちは笑わない」と思ってた。
笑ったとしても作り笑いしかしないと思ってた。

しかし実際にこうして子供たちと交流してみると、
笑ったり泣いたりケンカしたり、
日本なんかよりももっと個性豊かな子供たちがそこにいた。

日本の偏ったメディアの報道により、
中国で暮らしている私でさえ事実を歪んで捉えている・・・

それがイヤでこそ私はこうして日本を捨てて外国で暮らしていたのではないのか・・・

ここから私にとってのこの「北朝鮮ロックプロジェクト」が本格的に始まった。


<<第2章:北朝鮮のオリジナル・ロック曲>>

ブログ記事:北朝鮮にロックが響く(前編)
Web記事:世界はRockを求めてる!北朝鮮Girlsロックバンド計画

6月9日高等中学校の国語の先生にいくつか詩を書いてもらったのだが、
その中でこんな「ロック」な詩を見つけた!!


물음표(クエスチョンマーク)

ナヌンヤ ムルンピョ サランハジヨ
나는야물음표사랑하지요(私はクエスチョンマークを愛する)
나는야물음표사랑하지요(私はクエスチョンマークを愛する)

ジシグィ ノプンタプ サアガルスロク
지식의높은탑쌓아갈수록(知識の高いタワーを築けば築くほど)
ジヘソゲ セムソンヌン ナウィ ムルンピョ
자혜속에샘솟는나의물음표(知恵の中で湧き出る私のクエスチョンマーク)

コギウィ ビミルムン オソ ヨルラゴ
거기의비밀문어서열라고(その秘密の門を開きなさい)
ソンゴンウィ ヨルシェルウル アンギョズジヨ
성공의열쇠를안겨주지요(成功のキーを与えてくれる)

ムルンピョ ムルンピョ ナヌン ゾアヨ
물음표물음표나는좋아요(クエスチョンマーク、私は好きなんだ)
ウリ ハムケ オルダ ソクサギョ ズヌン
우리함께오르자속작여주는(みんな一緒に昇ろうとささやいてくれる)
ムルンピョ ムルンピョ ナヌン ゾアヨ
물음표물음표나는좋아요(クエスチョンマーク、私は好きなんだ)
オンゼナ センギョナヌン ムルンピョ
언제나생겨나는물음표(いつも生まれるクエスチョンマーク)


これを詞にして「北朝鮮初のオリジナルロック曲」を録音すべく、
録音機材、北朝鮮の機材は使い物にならなかったのでギターやベースも担いで2回目の渡航!!

途中「軍部からの中止命令」にも負けずこの曲が完成した!!

ブログ記事:北朝鮮にロックが響く(後編)

そしてこれらの活動を日本テレビのニュース番組で特集してくれることになった。

ブログ記事:放送日決定!!

「放送されたら、右側なのか左側なのか、どんな団体からどんな圧力をかけられるかわかりませんよ。ちょっと海外にでも身を隠してた方がいいんじゃないですか」
と言われていたが、局が用意した多数の苦情受付電話回線は鳴ることがなく、日本の人々に大きな感動を与えて番組は放送された。

<<第3章:チベットで発見した「ロックとは何か」>>

何か自分の能力を超える作品を生み出した時には、身体中の細胞がそのレベルに追いつこうとするかのように気が狂ったようになる時がある。
Runnerを生み出した時がそうであった・・・

荒巻は悩む私をチベットに連れて行って、そこでラマの高僧と問答を交わし、悟りを開いてゆく・・・

Mondou.JPG

ブログ記事:チベットにて悟った「ロックとは何か」


<<第4章:次世代の部員との本気のセッション>>

3度目の訪朝はメディアでもブログでも多くは取り上げられていない。
しかし「交流」という点では一番実のある渡航であった。

今度は自ら少女たちの中に入ってドラムとアコーディオンの楽曲を録音。
心を通い合わせなければ完成しない楽曲のために、何度も話し合い、ぶつけ合い、1週間のガチのセッションの中で、少女たちから大きなものを教わる。愚かなのは実は自分だったのである!!

ブログ記事:豊年の春
ブログ記事:豊年の春(完全版)

<<第5章:新人類たちとのロック>>

鎖国しているようなこの国でも世の中はどんどん変わってゆく・・・
ちょっと時間のあいた4度目の渡航では見るもの全てが大きく変わっていた・・・

荒巻とこの「6月9日高等中学校」とのコネだけで北朝鮮でこれだけのプロジェクトを行なっている。
しかし子供たちがここを卒業してしまえば荒巻のコネが届かないところに行ってしまう・・・

特に軍部に進んだ生徒は(北朝鮮ではそれが一番のエリートとなる)、もうどんなコネを使ってもこのような外国人と接触することは出来ない。

ところが校長先生の計らいで卒業生のひとりと会うことが出来た。

そしてこの世代の子供たちはもう「新人類」。
その子供たちと彼女たち自身の手による「オリジナル楽曲」を作り出す。

北朝鮮版「けいおん」である。

ブログ記事:4度目の北朝鮮訪朝(初日)
ブログ記事:4度目の北朝鮮訪朝2日目
ブログ記事:4度目の北朝鮮訪朝3日目
ブログ記事:4度目の北朝鮮訪朝4日目
ブログ記事:4度目の北朝鮮訪朝5日目
ブログ記事:4度目の北朝鮮訪朝6日目
ブログ記事:4度目の北朝鮮訪朝最終日
ブログ記事:4度目の北朝鮮訪朝番外編1:遊園地

ブログ記事:4度目の北朝鮮訪朝番外編2:よど号乗っ取り犯人と酒を飲んだ!!


<<第6章:はるかなる北朝鮮〜さようなら愛弟子たち>>

ブログ記事:北朝鮮ファンキー末吉ロックスクールの生徒たち
ブログ記事:5回目の訪朝
ブログ記事:無事出国!!北京空港にて


金正日体制が終わった直後の最後の渡航。
少女たちにとって「将軍様」とはどんな存在なのか?
あの涙はホンモノなのか?
この国はどうしてこんなに金があるのか?
そして何より、「何故このロックプロジェクトがこの国に受け入れられたのか」の謎が解き明かされる。


<<番外編>>

北朝鮮ロックプロジェクトは、これら一連の物語を本にまとめて出版すると共に封印されました。

ブログ記事:北朝鮮プロジェクトついに書籍化!!

その他ブログ記事

ブログ記事:北朝鮮初のオリジナルロック曲
ブログ記事:今日からまた北朝鮮・・・
ブログ記事:持ち込み成功!!
ブログ記事:北朝鮮のタブレット分析(序章)
ブログ記事:北朝鮮に初めてiPhoneを持ち込んで国際電話をかけた日本人
ブログ記事:北朝鮮のタブレット分析(フライング編)
ブログ記事:北朝鮮のタブレット分析(アプリ編)
ブログ記事:朗読CD本日より発売開始!!
ブログ記事:朝鮮学校の秋祭りでドラムを叩こう!!
ブログ記事:朝鮮学校のイベント


<<結びの言葉>>

ひょんなことから北朝鮮に「ロックの教え子」を持った。
でも国際情勢がこのようである今、私がこの「ロックの愛弟子」たちに自由に会いに行くことは出来ない。
こんな「世の中」にしてしまったのは誰でもない、私たち「大人」である。
この子たちの時代には、この子たちの世代の手によって、こんなバカげた世の中をなくしてくれることを心から願う。


<<書籍紹介>>

このプロジェクトを記した書籍はこちら

電子本はこちら

この書籍は朗読CDとしても発売されてます。

RoudokuCD.jpg

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2019年6月16日

ある愛の唄プロジェクトまとめ

「ある愛の唄」

1988年春、その1年後に爆風スランプから江川ほーじんが脱退することが決まり、「それまでにヒット曲を生み出せなければバンドを終わる」という状況の中、私は苦しみ抜いて「Runner」を生み出す。

同年のNHK紅白歌合戦にこの曲で出場し、願い通りこの曲はヒットするものの、「ヒット曲が続かねばバンドは一発屋として終わる」と言われ、また苦しみ抜いて「リゾ・ラバ」を生み出す。

その苦しみの果て頭の中でぽんと何かが弾けた私は、1990年5月に初めて中国北京を訪れ、偶然地下クラブで演奏するロックバンドのライブを見ることとなる。

「中国で本物のロックを見つけた!!」

インターネットもeメールも普及していなかった時代、興奮した私は所属事務所にそのレポートをFAXで毎日送りつけるが、所属事務所はそれを無視していた。その後、アジアブームが訪れ、アジアに進出したい所属事務所は私ではなく、別の歌手を北京に行かせて「彼が北京でロックを見つけた」という取材企画を組むこととなる。

爆風スランプがその事務所に移籍した時のトップとのミーティング。議題は末吉の個人活動について。社長は私にはっきりとこう宣言した。

「当社は爆風スランプの末吉くんとビジネスをしたいのであって、末吉くんの個人活動には興味がない」

つまり「お前は爆風スランプにだけ曲を書いとけ。ほかの曲には興味がない」ということ。爆風スランプっぽくない楽曲を生み出しても誰からも必要とされてない状況が続いていた。

「楽曲は生み出した自分の子供と同じである」と考える私は、爆風スランプの楽曲としては必要なしとされてしまった、膨大な数の生み出した楽曲をなんとか形に残そうとして、この「ある愛の唄」というコンセプトアルバムのデモ音源を作成した。

<デモ制作>

そのデモ音源は、当時近所に住んでいた歌手の卵である「キョンマ」こと岸恭子(現眞辺恭子)がアルバムの全編を歌って制作した。しかし私自身その後、日本に失望して中国に渡ってしまうことになり、いつしかこのアルバムのこと自体もすべて忘れ去ってしまっていた。

デモ音源

<コンセプト>

当時サンプラザ中野以外の詞が採用される状況ではなかったなか、このアルバムの詞は全曲私の手によって書かれた。ある女性が生まれる前から伴侶が死ぬ前までを組曲にしたコンセプトアルバムである。

のちに、池川明さんが「おぼえているよ。ママのおなかにいたときのこと」という本を出版されて、私もその本を読むことになるが、そのもっと前から私は「赤ちゃんが自分で母親を選んで生まれてくる」という考えを持っていて、それがこのアルバムのコンセプトの中心となっている。

<天安門にロックが響く>

さらに同時期、私は中国で出会ったロックの話を元に「天安門にロックが響く」という小説を書いた。

この小説が「小説現代」に掲載され文壇デビューとなった。

そしてこの小説が原作となって、漫画「北京の春」が発刊された。

この本は中国語に翻訳され、香港、台湾で発売された。
中国共産党のお膝元である中国大陸ではもちろんご法度であるが、中国人である私の妻(当時)の両親が北京から来日した時に見つかってしまいこっぴどく説教をされた。
「中国では絶対にやってはいけないことがふたつある。ひとつは色ごと、もうひとつは政治批判!!家族の中でそんなことやってる人間が現れたら一族郎党どんな目に遭わされるやらわからない」
と・・・

実は、この小説のモデルとなった中国の女性シンガーと、天安門事件で人民解放軍に殺される恋人との話が、アルバムに収録されている「ママの初恋」という曲になっている。

また、このコンセプトアルバムの主人公は、いくつかの大恋愛を経て最終的に中国に嫁いでゆき安住の地を手に入れるところなど、この小説とリンクされている部分も多い。

<キョンマとの再会>

私は長くこのアルバムのことを忘れていたが、デモですべての楽曲を歌っていたキョンマがこれを大切に保管してくれていた。

これを末吉に渡した時に彼女はこう言った。

「よかった。やっとこのアルバムを末ちゃんにお返しできた。この楽曲たちはあなたの生み出した大切な子供たちです。どの子もとってもいい子です。私もライブで時々歌うけど、聞いた人はみんな涙するんだもの」

私はまるで忘れていたこのアルバムを「初めて」に近い気持ちで聞くことになり、これを聞いて自分でも涙した。

その後、前回のクラウドファンディングでキョンマ自身が「出張ライブ」の出資者となり、このアルバムの楽曲をライブで再現しようということにもなった。

<制作開始>

ドラムレコーディング

ハーモニカ入れ

ベース、キーボード完了〜!!歌入れも平行して始めてます

Logicを使ったオーケストラアレンジ

二胡(ErHu)と扬琴(YangQing)のレコーディング

中国民族楽器レコーディング

ギター録り完了!!

そしてついにアルバムが仕上がった!!


こちらで購入できます)

そして2019年5月19日にアルバム全曲再現ライブが行われた。

そして、このアルバムの楽曲は「世界中のより多くの人に歌ってもらいたい」というコンセプトにより、現在のところ「著作権フリー」にしている。

その流れを受けて、歌手の山下直子さんもこのアルバムを歌って下さった。


こちらで購入できます。ダウンロード販売はこちら

そして今、世界中の人たちに歌ってもらうべく、キョンマ自ら歌うベトナム語版、
そして中国の著名歌手「李慧珍」が歌う中国語版と、
カンボジアくっくま孤児院の子供たちが歌うクメール語版の制作が始まっている。

ブログ記事「ある愛の唄中国語版
ブログ記事「ある愛の唄中国語版その後
ブログ記事「中国の契約書との戦い

ブログ記事「クメール語バージョン制作開始!!
ブログ記事「支援は人のためにあらず
ブログ記事「クメール語版「中国のマドンナ

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2019年6月15日

監視対象?(笑)・・・そして香港デモの話

申し遅れましたが、ワタクシどうやら中国政府から監視対象にされているようです(笑)

去年の年末なのですが、カンボジアのプノンペンから布衣のライブのために北京を往復した時の話・・・

北京の第2ターミナルっつうのは、搭乗手続きのカウンターんとこに入る前に一度手荷物の検査があるのよね〜

まあ別にX線の機械に荷物を通すだけなのだが、
その時に係員がやって来て「パスポートを見せろ」と言う。

「荷物を開けろ」ではなく「パスポートを見せろ」?!(◎_◎;)

「あんたここ最近で3回ここに出入りしてるよね、一体何やってんの?」
ここで「おかしいな」と思うのは、その職員がパスポートも見ずに「3回」と言ったことである。

あとでスケジュールを調べてみると、
ここ数日では確かに12月23日にプノンペンから北京に入って、
そしてこの日、25日にはまた北京からプノンペンに飛ぶ。
しかしもう一回は?と調べてみると・・・

だいたい一ヶ月前ぐらいに香港から北京に入っている。
確かに「3回」、しかし解せないのは、この渡航は第2ターミナルではなく、そこから遠い第3ターミナル。

ちなみにこの職員が私に声をかけて来た段階ではまだパスポートを提出してないので、職員はX線を通した私のトランク、もしくは私の顔を見ただけでこの渡航歴がわかったということである。

しかもこの第2ターミナルから遠く離れた第3ターミナルの入国情報までわかっているということだ!(◎_◎;)

おまけに「ちゃんとビザあるよ」と言ったら
「それは知ってる」

・・・!(◎_◎;)・・・知ってるのか?!!

この話を聞いた友人は「きっと顔認証でしょう」と言う。
どこかにカメラがあって、そのカメラが私の顔を認識した途端にアラートが鳴る→職員が飛んで来て職質・・・というわけではあるまいか・・・

友人は続けてこんなことを言う・・・
「中国ではよくある話ですよ。だからファンキーさん、ブログやフェイスブックに政府批判とか書き込まない方がいいですよ」

まあ私とて別に中国政府に対して反政府運動をしているわけでもなんでもない。
ただ「悪いことは悪い」と言ってるだけなのだ。

ただこれが本当に中国政府が「危険人物である」と認定したとすると、
まあ私の入国やビザのことはまだいいとして、
私が音楽活動で参加している全ての人たちに迷惑がかかる(>_<)

例えば一緒にツアーを廻っている布衣、彼らが次にツアーを廻る時にはもう許可が下りないかも知れない・・・

こんなこともあった。
7月13日の私の還暦祝いコンサート、
刺青だらけのラップシンガーも私の曲を歌ってヒットしているので、
「お前も時間あったら来てあの曲歌え!!」
と言ってたのだが、しばらくして彼が音信不通・・・

周りの噂では「また監獄に入れられたらしいよ」・・・(>_<)

まあまたケンカかなんかだろう、しばらくして出て来たらあっけんからんと
「出て来ました〜7月13日は大丈夫ですよ」
と・・・(笑)

布衣のマネージャーは「キー!!やめて〜!!」
いやね、ここで君の名前を入れて文化部に申請を出すと通るものも通らんのよ・・・(>_<)

「許可が間に合わないから」と丁重にお断りした・・・

そんな「国」なのだ。
ドラマーでプロデューサーで代表曲の作曲者でもある私が、
「危険人物」だと政府に烙印を押されたとしたらこのバンドの将来はどうなるのだろう・・・

だからせめてフェイスブックとか中国から見れない外国のサイト(それでも監視対象なら見るけど)には書き込むが、WeChatやWeiboなど中国のサイトには絶対にそんな(こんな)内容は書き込まないことにしている。

日本なら反政府的な言動を「かっこいい」と見る向きも無きにしも非ずだが、
中国では周りに大きな「嫌悪感」を抱かせる。

「バカかこいつ(>_<)」みたいな感覚であろう・・・
次に思うことは
「このバカのせいでとばっちりを食ったらたまらん」
ということで友達はどんどん減ってゆくだろう・・・

それを「いい」とか「悪い」とか言うつもりはない。
これが「現実」、中国人はこの「世界」の中で「頑張って生きて」いるのである。


さて香港返還以来一番大きなデモとなった今回のデモ。
事の発端は「逃亡犯条例」、つまり「香港に逃げ込んだ中国の犯罪者は中国に引き渡しなさいよ」というものに反対するデモなのではあるが、根っこの部分は「一国二制度を守れ!!」、まあ簡単に言えば「民主化運動」の流れである。

自由の街だった香港がどんどん中国に飲み込まれてゆく・・・それに対する反対運動である。

まあ香港政府は97年までは「イギリス」だったので中国は手も足も出せなかったが、
返還されて「中国」になったら、「一国二制度を守る」と言いながら自治をないがしろにしてどんどん中国が支配して来る・・・

いや、あの人たちは本当に無茶をする。
そもそも「催涙弾」なんて日本では最近いつ使われた?
その催涙弾から身を守るために雨傘をさしたところから「雨傘運動」・・・

でも今回は2014年のその大規模なデモよりもはるかに大きなデモ行動となり、
政府側は催涙弾のみならずゴム弾の顔面射撃!(◎_◎;)

あかんやろ・・・(>_<)

当然ながら中国の報道ではデモ隊のことを「暴徒」、
つまり「暴徒鎮圧のために仕方ないんですよ」と・・・

そんなものを世界の誰が信用するか?(笑)

中国独特の社会主義、つまり彼らは「独特」だからそれでいいのである。
それで世界に通用する、いや「通用させる」気でいるのだ。

一説によると、香港の警察には制服に識別番号がついていて、
今回の「暴徒鎮圧」にはその識別番号がない、もしくは認識番号が「ニセモノ」である警官が投入されている、と。

つまり中国共産党が送り込んだ軍隊が香港人を鎮圧している?・・・

天安門事件の時に、
中国人は中国人を殺せない、だからウィグルとか別の民族の部隊を使ったと・・・!(◎_◎;)

香港人に香港人は殺せない、だから大陸から部隊を投入して鎮圧している、と・・・(>_<)

殺すんか?!(◎_◎;)・・・やめてくれよなぁ・・・と言ってもあの人たち本当に何をするかわからんからなぁ・・・(>_<)

また一説によると、学生側の方にもアメリカから送り込まれた(?)過激な学生とかがわざと騒ぎを大きくしているとか?・・・

いや、色んな情報が交錯していてようわからん(>_<)

私としては30年前の天安門事件の時のように死人が出ることだけは勘弁して欲しいと祈るばかりである・・・

若くして日本で死んだ友人が残した曲がこの民主化運動を支えている・・・
若者が血を流すこと、死んでゆくことなどが彼の思いではない!!

ところでここからは笑い話なのだが、
中国の西北部、香港からむっちゃ遠いところで生まれ育ったヤオヤオ君
初めて来た香港で、着いてすぐにWingさんと飯を食いに行って、そのレストランで流れていたこのデモのニュースにびっくり。

とにかく、ニュースの詳しい内容よりも、こんなニュースが「報道されている」ことにびっくりなのだ・・・

もちろん中国ではこんな風には報道されない。
「暴徒」やもんなぁ・・・

駅前で街宣活動をやっている法輪功を見て目を丸くする。

もちろん中国ではご法度、即逮捕である。
巻き添えを食うと困るのでこんなの見たら逃げ惑うであろう、ヤオヤオ君も腰が引けている(笑)

もちろん誰にでも見れるWeChatのモーメンツには上げないが、
布衣のメンバーしか見れないグループに法輪功の写真をアップしたら、
「すぐ消してくれ!!見つかったらこのグループが消されちゃうよ」
とひとりのメンバー・・・

無理もない、このグループの誰かが法輪功に関係しているとかなろうもんなら、
この全ての人間にどんな迷惑がかかるかわからないのだ。

それが中国・・・

ちなみに「消してくれ」と書いたメンバーは、以前私に
「共産党なんか大っ嫌いだ。好きなヤツなんかいるのかよ」
と小声で言った人間。

いくら大っ嫌いでもそれを大声では言えない。
また、周りの人間が大声で言ってたら「やめてくれ」と言わざるを得ない。

それが中国人・・・

天安門事件の後に生まれて、
中国共産党に大切に育てられた新人類のヤオヤオ君、
せっかく初めて香港来たのにずーっとホテルにいるので、
「ちょっと外にでも行って来いよ。地下鉄乗ったらデモやってるとこにも行けるよ」
と言ったら、
「ブルブルブル、そんなところ恐ろしくて行けませんよ。僕は大陸の人間なんですからね、行ったらもう帰って来れません((((;゚Д゚)))))))」

遠巻きに見てて逮捕はされんて!!(笑)
・・・でもまあ気持ちはわかる!!

万が一このヤオヤオ君のような人が間違って逮捕された場合、それを無条件で中国に引き渡すのではなく、ちゃんと司法として分立した香港で裁判を受けさせるべきだ、とこのデモ隊は主張しとるわけね。

まあ政府が許可した内容のデモしか出来ない中国と違って、自由にデモが出来て自由に報道出来るだけ香港はまだマシか・・・

しかし今回、香港の地下鉄駅の切符売り場が大混雑であったらしい。
普段ならSUICAのようなプリペイドカードで入場する若者たちも、
記録が残って政府(というより中国共産党?)に調べられないようにみんな切符を買ったからだと言う・・・

香港がどんどん中国に飲み込まれている・・・


さてここからが「オチ」の笑い話なのだが、
布衣でギターを弾いている小畑秀光、
私がツアー中に「ダライ・ラマ」の本を読んでたら、彼がそれを見てこう言った。

「あ、この人、むっちゃ悪い人間らしいですよね」

???

・・・ツアー中いつも彼と一緒にいるヤオヤオ君の顔を思い出した。

まあ、中国政府にとってはダライ・ラマは許しがたい極悪人かも知れんけどな・・・(笑)
みんな、外の世界を見よう!!色んな情報を見聞きして、それで色んなことを自分で判断しようよ!!


シメとして・・・

この運動をやってる人たちは
「海外の人に多くこれを伝えたい」
と言う。

自分たちは「歴史を作ってるんだ」と・・・

中国は海南島を次の香港にしようと計画している。
環境保全も考えて島にはもうガソリン車も持ち込めない。
全て電気自動車である。

観光と貿易に力を入れて、
完全に中国政府の管理の元での自由貿易港・・・

それが成功して「新しい香港」が出来たとしたら、もう今の香港など要らなくなってしまったとしたら、一体中国は今の香港をどうしてしまうだろう・・・

将来香港がどうなってしまっても、
それに反対を唱えたたくさんの香港人がいたことを「歴史」として刻みたいと言うなら、
私も「監視対象」であろうが(笑)、私なりに面白おかしく書いたこの文章に込めて、今の香港のことを「記録」としてこのブログに残しておきたいと思う・・・


ps。今しがた入ったニュースで、香港が逃亡犯条例の施行延期を決めたという情報もある。

政府高層深夜急召會議 林鄭料今宣布暫緩修例

まだまだどう決着がつくかわからないこの動き・・・
本当に死人が出るような事態だけにはなって欲しくないと心から願うぞ・・・

Posted by ファンキー末吉 at:12:38 | 固定リンク

2019年6月 5日

桃源郷の村人たちの暮らし

ひょんなことからやって来たこの桃源郷・・・

夜になると村人たちがやって来て磯焼きを始めるのだが・・・

見れば村の中のレストランが、その生簀のタライをそのまま持って来てビーチで営業しているようだ・・・

日本なんかでは田舎の漁村は過疎化で年寄りばっかなのだろうが、
ここは見れば若い娘さんが多い・・・しかも美女ばっか!(◎_◎;)

見れば「娘さん」ではなく「若奥さん」なのな・・・
子供も一緒に浜辺で手伝ったり遊んだりしている・・・

海の子はやっぱ元気がいい(笑)

みんな幼馴染なのだ、一緒に遊び、一緒に暮らしてここで一緒に漁などをやる。
そして早いうちに村の娘と結婚して子供を作り、
そしてその子供たちがまたみんな一緒に暮らす・・・

若者は村を出てみんな都会に行ってしまう・・・とかないし!!(◎_◎;)

桃源郷ではないか・・・

鶏も地産地消!!

バックパッカーをやりながら偶然この村を見つけたというこのホテルのオーナー、
この漁村に一目惚れしてこのホテルを作った。

部屋に置いてあった英語のパンフレットにはこんなことを書いていた。

「この村は魚がいっぱい獲れて、村人たちは基本的に豊かです。
でももし村人たちに何かしてあげたいと思うなら、村の学校に寄付してあげて下さい。
村人たちにお金をあげたり、タバコをあげたり、そういうことをしないで下さい。
この素朴な村人たちがそういうことで変わってゆく姿は見たくありません」

排他的なこの村でイギリス人が村人たちに溶け込んでやってゆくのは並大抵の苦労ではあるまい。

「全世界のバックパッカーのためにこの値段で営業してゆきたい。
だから持ち込みとかはしないで下さい。出来ればホテルのレストランに少しでもお金を落として頂ければ幸いです。
同様に村人たちから正当な値段で新鮮な魚を買って食べてあげて下さい」

それでもゴミの問題とか色々ある。
村人たちはゴミとかには無頓着で、見ればバックパッカー達が浜辺のゴミを拾ったりしている・・・

見ればこのホテルの裏に、この村には似つかわしくない大きなビルが建設されている・・・

「ここでホテルをやれば儲かる」と思ったらここに投資して大きなホテルを建てる・・・それは「商売」として見たら正しいことかも知れない。

でも・・・

この村には水道が来てないようで、水は村の共同井戸から各家庭にポンプで汲み上げているようだ。

巨大なホテルが出来たら、こんな井戸なんか一発で枯渇せんか?・・・

排水だって海に流されているのだ。
このまま進めばこの綺麗な海だっていつかはもう・・・

ちょっと前に読んだこの記事を思い出した。

シアヌークビルのコーロングサンローム島に中国様がカジノホテルを開業。下水をそのまま垂れ流し、付近のビーチはあっという間にゴミや人民の糞尿で汚染されまくり、美しい海終了

私が去年行った素晴らしい島である。

この海がもう「終了」したなんて本当に悲しいことである。

透き通ったエメラルドグリーンはええけど何このどこまでも遠浅な海!(◎_◎;) - Spherical Image - RICOH THETA

同じくこの桃源郷も何年か後にはもう終了?・・・

「発展するな」など誰もそんなことを言う権利はない。
お金儲けしたい人がお金を投資してここで大儲けする、
そして観光資源が枯渇して、村はもう昔の村ではなくなる・・・

若者は村を捨てて都会に出てゆき、
日本の過疎化の村のように老人だけ住む過疎になる・・・

あの頃はよかった・・・昔の北京を懐かしんでそんなことを言うと、
「何だって?俺たちに豊かになるなとそう言いたいのか?」
と怒られる・・・

「どうしようもないんだよ、外国から来た俺たちには出来ることなんてない」
イギリス人オーナーが悲しそうにそう言う・・・

次にいつ来れるかわからないけど、
次来た時も村人達や子供達が、こんなに元気で走り回る村であって欲しいな・・・

桃源郷は、遠くにありて思ふもの・・・

Posted by ファンキー末吉 at:11:32 | 固定リンク

2019年6月 3日

ボーカルレコーディング@くっくま孤児院

くっくま孤児院に古いMacBook Airとインターフェイスやマイクなども置いて来て、バンドのメンバーが自分たちでボーカルレコーディングが出来るようにしている。

エンジニアはキーボードのティアルッ君。
キーボードプレイヤーの仕事というのは今やパソコンを使える人というご時世なので、「覚えておいて損はないよ」とばかり彼に色々と基本的なことを教えておいた。

「自分たちで録音してデータを送ってね」
ということで最初にデータが送られて来たのだが、
まあ最初なので仕方がないが色々不備があるのでまた指示をして送り返す。

これを数度やり取りしていると、ティアルッ君のスキルがどんどん上がり、歌録りの音質自体は今やもう何も問題がない。

ボーカルのスレイクォイのレベルも元々高いのではあるが、
ここにひとつの欠点を発見!!

まあここのみんなは音楽教育を受けたことがないので当然なのだが、
ソルフェージュ能力」というか、
新しく与えたメロディーを把握する能力とか、一度間違って覚えてしまったら直せないところがあるようだ。

それだったらというわけでタイでボイストレーナーをやっているMIMIさんに声をかけてカンボジアまで来てもらった。

まずは発声法!!

これ歌の基本だそうで、「お腹から声を出す」!!
せっかくなのでバンドのメンバーや他の子供たちにもみんなに指導してもらいました。

そしていわゆる「ソルフェージュ」の基本!!
音を聞いてそれが何の音かがわかるようにする訓練をゲーム形式でやってみました。

ずっと昔に「笑っていいとも」のゲームコーナーで、お笑い相手に同じようなゲームをやっていて、ゲストの森口博子は全部一瞬で答えるのに、お笑いの人たちは「何でわかるの??!」とびっくり。
森口博子が逆に「何でわかんないの??!」とびっくり!!(笑)

確か小学校の音楽の聴音のテストでも同じようなのがあったのを覚えているが、
私は小さい頃ピアノをやってたせいか労せずして全部わかったが、
同級生が全くわからないのを不思議に思ったことを覚えている。

「才能」でも何でもない。
要は訓練!!平ったく言えば「慣れ」である。

コツがあって、「これはドの音です」の時に、頭の中に「ドレミファソラシド」を思い浮かべて、出題された音がその頭の中で鳴っている音のどれに当たるかを考えればそれで良い。

もし鍵盤を弾きながら「これかな」とか探してゆけば誰にでも出来ることで、
「要は頭の中で鍵盤を弾く」みたいなもんで、
これが出来ればメロディーを覚えるのも楽だし、
メロディーが違っていいれば頭の中で瞬時に違っていることを認識出来る。

初日はとりあえずここまで。

次の日はMIMI先生はボーカルのスレイクォイの個人レッスン。

私はヒマなので(笑)ドラムのダビッにドラムのいい練習方法を伝授した。

この練習はリズムのウラ拍を意識する為に非常に有効な方法で、
メトロノームを表で聞くと、どうしてもそれに合わせてリズムを「置いて」ゆくようになってしまうが、ウラで聞くとこちらがずれると容赦無く置いてかれるので非常にシビアなリズム練習となる。

いや初めてでこの速度でやれるようになるっつうのはなかなか大したもん!!

さてやるだけやったら最後に大目的のボーカルレコーディング!!

エンジニアのティアルッ君は私の知らないショートカットキーとかも駆使しながらなかなかのもの。

この曲のBメロの一部分、ボーカルラインを間違えて覚えているのでそれをやり直しているうちにトラブル発生!!

何度かやり直してるうちに、突然ボーカルのスレイクォイから何の反応もなくなったと思ったら・・・泣いているのだ!(◎_◎;)

よほど悔しかったのだろう。
泣いていることすら知られたくないという感じで両手で顔を押さえて泣いていた・・・(写真自粛)

水を打ったように沈黙が広がる・・・

私はメンバーの様子をまず観察した。
3人のメンバーは誰も言葉を発しない。

一緒にこの孤児院で暮らして来た「家族」である。
誰よりもスレイクォイのことを知ってるのだろう。
「こんな時こいつは何も言わずにほっとくのが一番なんだ」
と言わんばかりに「無言の暖かさ」で彼女を包み込んでいる・・・

5分だろうか10分だろうか・・・
かなり長い沈黙を破って彼女が口を開いた。

「大丈夫です。歌います!!」

彼女は逃げることなく、甘えることなく、自分で乗り越えた!!
これだからレコーディングをやると格段にレベルがアップする。
この修羅場を乗り越えた者だけが「次」に行けるのである。

かく言う私も爆風スランプの1枚目のアルバムをレコーディングする時に、
叩けなくてこっそりトイレに行って泣いた・・・

当時はアナログレコーディングなので、ドラムのパンチインパンチアウトなどがまだ出来なかったので尚更である。
ドラムが間違えたら全員最初からやり直し。
最初から最後まで間違えずに叩けて、そのレベルが自分や他が納得するものであって初めて他の楽器の録音が出来るのである。

今やもうデジタルの時代になって、ドラムであろうがどんなに細かいパンチインパンチアウトが出来るようになっても、この「経験」によって今の私がある。
「これぐらいパンチインパンチアウトなしで最初っから最後まで叩ける」
という「自信」が今の中国でのステジオミュージシャンの仕事をする上での何よりの「ルーツ」となっているのである。

人生においても、今後どんな困難があっても、
逃げることなく、甘えることなく、こうやって全て自分の力で乗り越えていって欲しい・・・

見ればMIMIさんが隣で涙目になっている(笑)

このまま録音して全て終了!!・・・と思ったら、
歌いすぎてスレイクォイの声が枯れて来ているので翌日に持ち越し!!

翌日も声は回復してなかったので、
前日のボイストレーニングで一番声が変わったベースのスレイレアッにコーラスを歌ってもらう。

そのレコーディング風景を見ているスレイクォイにも、
自分が歌っている時と違った目線でレコーディングを見ることが出来る。

「ああこういうことなのか・・・」
ということがわかったんじゃないかな・・・

頑張れみんな!!

こうやって自分の力で乗り越えてゆくことを、おじさんは「ロック」と呼んでいるんだよ。
こうやって自分の人生も「ロックの精神」で乗り越えていって欲しい・・・

カンボジア希望の星プロジェクトについてはこちら

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Posted by ファンキー末吉 at:13:17 | 固定リンク

カンボジア希望の星プロジェクトまとめ

<<くっくまバンドとの出会い>>

2018年8月、私は中国での仕事を終え、少しだけ空いた時間をどう過ごそうかと考えていた。

日本に一時帰国してもよかったのだが、往々にして日本行きのチケットは高い。
だが東南アジアなら往復3万円ぐらいでゲット出来る。

別にどの国でもよかったが、その時に一番安いチケットがプノンペンだったので、こうして2度目のカンボジア行きが「偶然」決まったのである。

プノンペンに着いて、別に何の予定があるわけではない。
前回来た時に立ち寄ったライブハウスに行ったり、
また、「デスメタルバンドがある」という噂を聞いたので情報を探したりしていた。

その時のブログ記事:希望の星になれ!!

カンボジアのデスメタルバンドには少々興味があった。
最初にカンボジアに来た時ポルポトの大虐殺に関する遺跡を見て、この国で生まれた「ロック」というのはどんなロックなんだろうと漠然と考えていたからである。

結局デスメタルバンドを見ることはなく、私のSNS投稿を見た人が紹介してくれたくっくま孤児院に足を運んだ。


この孤児院は、もともと「ソバン先生」という、この方も孤児だった人が、自分たちで孤児を引き取って、自分たちのお金で孤児たちにご飯を食べさせて、学校に通わせていたのが前身である。

当然ながら資金には限界があり、運営が行き詰まった時に日本人スタッフと出会い、日本からの援助を受けて今の形になったのだという。

ソバン先生の素晴らしいところは、子供たちにカンボジア伝統舞踊とかの「芸能」を教え込んだところである。
実際、この孤児院の子供たちは、みんなで伝統舞踊を踊ったりして少しでも孤児院の運営費を稼いだりしている。

その流れの中に「バンド」があった!!

この子たちの演奏を聞いて私はぶったまげた。

音楽などを「仕事」にしていると、私の場合は普段、音楽を聞いて「楽しみ」にするということはない。
全て「仕事」になってしまうのだ。

楽曲を聞くと、その作り方、メロディーに対するコードの当て方とかアレンジとか、
そんなものを常に分析してしまって「疲れる」ので普段の生活では全く音楽などは聞かない。

ところが時々、そんな「仕事脳」というのをぶっ飛ばされる音楽に出会うことがあり、
この子たちの演奏がまさにそれであった。

この奇妙奇天烈なシンセフレーズ、
タイのルークトゥンを彷彿させる楽しいリズム、
元々はカンボジアの古い歌謡曲らしいのだが、
そのメロディーの作り方など、おおよそ日本人には全く発想にないこの音楽に「仕事脳」はノックアウトされてしまったのである。

ブログ記事:カンボジアRock!(◎_◎

これこそが「縁」、こうして私はくっくま孤児院のこのバンド「くっくまバンド」と出会ったのである・・・


<<希望の星になれ!!>>

この動画をSNSにアップした時に、それを見た人は多かれ少なかれ、この孤児院にこれだけの機材が揃っていることにびっくりしたようである。

これも日本からの支援なのであるが、
「他に支援が受けられない貧しい孤児院もいっぱいあるのに・・・」
という意見が出て来る前に、私はこう宣言した。

私はこの子達から演奏機材を取り上げて別の孤児院に回せばいいのではなどとは考えない!!
私が出会ったのはこの孤児院だったわけだから、まずこの孤児院に「音楽」を支援する!!

そして私はこの日、こう心に誓った。
「俺がこの子達をカンボジアで一番の大スターにする!!」

そしたらこの子達は下の子達を食わせていけるというだけではない。
この子達がカンボジアの全ての孤児達の「希望」になる!!

何の才能も環境もない孤児が、頑張ってこんなに成功したんだ!!俺だって!!私だって!!
そう思ってさえくれれば、もう泥棒や売春なんかやらなくたっていい!!

「孤児がのし上がるにはもうなにも犯罪を犯すだけが選択肢じゃないんだよ」
そんな世の中になったとすればそれこそ「大成功」ではないか!!

人を助けるには「力」が要る。
でももしこの子達がそんな大きな「力」を手に入れたとしたら、
この子たちはきっとそんな恵まれない孤児のためにその「力」を使うだろう。

絵空事を言ってるのではない。
この子達には「何か」そんな「力」があるように思えて仕方がないのだ。

考えてみれば、カンボジアの孤児達であるこの子達こそが直接的な「ポルポトの被害者」ではないか!!

だからこそ思うのだ。
この子たちの笑顔こそが「ロック」なんだ!!と・・・

老い先短いこの私が生きてる間にどれだけのことが出来るかわからんが、
たとえ私がいなくなっても、
たとえこの年長組の子達が就職したり結婚したり、バンドが出来なくなっても、
その下の子達がその「夢」を引き継いでゆけばそれでいい。

そしていつかこの国の「希望の星」になってくれればいい。
いつまでも「笑顔」で頑張って欲しい・・・


<<その後の活動>>

私は別のプロジェクトとして「ある愛の唄プロジェクト」というのをやっている。

まずはこの子たちにこのアルバムのクメール語(カンボジアの言語)バージョンを録音してもらおうと思い立った。

ブログ記事:クメール語バージョン制作開始!!

翻訳作業に入った子供たちがメッセージを送って来てくれた。

ブログ記事:支援は人のためにあらず


それから私はまた一度カンボジアに渡った。
この子たちはそれに合わせて一生懸命辞書を引きながら訳詞を考えてくれたようだ。

最初に取り掛かってもらったのが、アルバムの最後を飾る「ある愛の唄」という曲。
でもクメール語で歌ってもらった感覚としてはあまりいい感触ではなかった。

もちろん私自身はクメール語が全くわからないが、
なんとなく「乗っていない」というか、語呂が悪く聞こえたのだ。

そもそもはこの曲は長く一緒に暮らした伴侶の死に対して歌う歌である。
その内容が子供であるこの子たちにちゃんと理解出来ているかどうかにも疑問が残る・・・

そこでちょっと目先を変えて、アルバムの中の「中国のマドンナ」という曲をその場で内容を伝えてクメール語の詞として考えてもらった。

ブログ記事:クメール語版「中国のマドンナ」

ちなみにこのやり取りは日本語で行う。
この孤児院の子たちは日本の支援で大きくなったので、みんな片言の日本語を喋るのだ。

こうして2日がかりで出来上がったのがこのテイク!!

この歌声を聞いて、私は思わず涙が出て来た。
もちろんクメール語は全く理解してないのだが、何やら心の底から伝わって来るものがあるのだ。

私はこの動画にクメール語の歌詞とその意訳を載せようと思って、パソコンでクメール語の歌詞を打ってもらった。

ところがそれをGoogle翻訳にかけてみて発覚したのだ。
歌詞の内容が全然違う!!!(◎_◎;)

私はこの孤児院のお母さまである美和さんに連絡を取って、
一体どうなっているのかを調べてもらった。

全く違う文章が送られて来たのかも知れないし、
実際Google翻訳がバカだっただけなのかも知れない。

返事が来るまで私はひとり勝手な想像を巡らせた。

歌詞を書いているのはボーカルのスレイクォイ。
今回わかったことは、彼女は自分で作詞が出来る。

詞を書く時の非常に前向きな気持ちもひしひしと伝わって来る・・・

ひょっとして彼女には「書きたい詞」があって、私の説明を無視して勝手にその「書きたい詞」を書いたのではなかろうか・・・

これが私の頭をよぎった「想像」である。

こう考えると、2日目に2番の内容を説明して書き始めた時の、何やら「引いた」感じの態度に思い当たる節がある・・・

数日して美和お母さまが本人と話したと言って連絡をくれたのだが、
「日本語がそんなに完璧にわからないので、大元のとちょっと内容がずれたところがあるかも知れない」
ということであった。

でも私は自分の「想像」通りであったらいいなと逆に思う。

この子はこのメロディーを聞いて浮かんだ、「どうしても表現したい」ことがあった・・・
それはこの日本から来た「先生」の意見を無視してもどうしても書きたかった・・・

それは全然悪いことでも何でもない。
表現者としてそれほど強いものを持ってるということは非常に大切なこと。

そう考えると、クメール語もわからない私がこんなに強くこの歌に惹きつけられるのも頷ける。
この子はそうまでして「表現したいこと」があったのだ・・・

真相はどうなのかはわからない。
でもどちらかと言うと、私はそうであってくれた方が嬉しいかな(笑)

ひょっとしたらこの子はそれほど「強いもの」を持っている。
だからひょっとしたら本当にこの子はカンボジア一番の大スターになるかも知れない・・・

しばらくは勝手にそのように思い込んでおくことにした・・・


<<オリジナル曲作り>>

作詞が出来るとすると、制作方法は大きく変わってゆく。

私はもう既に日本で200曲を越える楽曲を作って発表しているので、
その中から彼女たちに好きな楽曲を選んでもらえれば「バンドのオリジナル曲」などすぐに出来てしまう。

とりあえず権利が自分だけにある自由に使用できる曲を100曲ほど置いて帰ったのだが、
この子たちがまず最初に選んだのはこの曲!!

元々中国のアイドル歌手に書いた「红舞鞋(HongWuXie)」という曲なのだが、
美和お母さまの話によると、この曲を再生した途端に「ワオー」とみんな飛び上がったらしい。

それならばということで、この曲に詞をつけてもらった。

ブログ記事:くっくまバンド新曲

これは最初のリハーサル風景・・・この後、この曲がどんどん進化してゆく・・・

2019年6月9日のリハーサル

2019年6月9日のライブ

そして2019年6月18日のライブ


<<仲違い>>

2019年6月9日にプノンペンで小さなライブを計画していたのでカンボジアに向かおうとしてた時、美和お母さまからメールが・・・

「メンバーが今仲違いして関係が険悪なんです・・・」

小さい頃から歌手になるのが夢であったスレイクォイ。
そして今ではプロの音楽家になりたいと思っているそれぞれのメンバーだが、
意識の点でも、「楽器演奏」という点でもボーカルと差が出て来てしまう。

歌を歌うという「楽器演奏」は小さな頃からやれるから経験値が高くなるが、
バンドメンバーはそれぞれの楽器演奏を小さい頃からやってる人などいないわけだからそれも当然である。

バンドあるある(笑)・・・

要はそのボーカリストがそのメンバーとずっと一緒にやりたいと思うか、
もしくはバンドメンバーを切り捨ててひとりでやっていきたいと思うかである。

美和お母さまがひとりひとりに考えを聞いて間に立つ。

でも初ライブに向けて練習しているうちにだんだんと雪解けを感じて来た。

ブログ記事:くっくまバンド初ライブ

考えてみればこの子たちは一緒にこの孤児院で育った「兄弟姉妹」のようなものである。
言わば「兄弟喧嘩」・・・

私が見るに、この子たちはむしろ「自分だけは」という考えは持ってないと思う。
一緒に育ったみんなと共に上を目指そう!!・・・そう思っていると思う。

力を合わせて頑張るのだ!!きっと君たちの夢は叶う!!


<<DTM>>

ボーカルのスレイクォイだけでなく、
今はバンドのメンバー全員が「プロになりたい」という夢を持っている。

ドラムのダビッはまあ私がドラマーなので教えることは多いとして、
ベースのスレイレアッも、まあ私が教えられることは何でも教えてゆこう。

だが困ったのはキーボードである。

「キーボード」という楽器はみんな小さい頃からピアノを習ってた人が担当する場合が多いが、
メンバーの中で一番年上のティアルは、孤児なのだから当然音楽教育など受けたことがない。

プレイヤーとしては大きくスタートラインから遅れているのである。

ブログ記事:キーボードという「楽器」

ところが昨今、ピアノも全然弾けないのにアレンジャーとして活躍しているミュージシャンは多い(私もそのうちのひとり)。

そのためにはコンピューターで音楽を打ち込む方法、DTM(デスクトップミュージック)」を習得することが必須となる。

くっくまのみんなのパソコンにはどっかから無料のDTMソフトをダウンロードしているようだ。

ティアルッはそれを私に見せて
「これどうやって使うんですか?」
と聞くが・・・

いや、ワシにもわからんし・・・(>_<)

自分だけの特殊な環境で慣れてしまうと、
他の人からのアドバイスは受けられなくなるし、
何より将来他のプラットフォームでの互換性がなくなるので、
ここはとりあえず私が使っている「Logic」というソフトを余っているMacにインストールして持って行った。

ティアルッよりソバン先生の方が興味を示している・・・(笑)

最初はMIDIでのキーボード録音のみ教えて、
何か曲が出来たら送ってもらったり、
こちらからLogicファイルを送ってそれを見て色々研究したり・・・

さらには2019年6月の渡航の時に、マイクとインターフェイスも持って行って、ボーカルをレコーディング出来るようにしておいた。

もちろんエンジニアはキーボードのティアルッをご指名である。

今後は毎月私が楽曲のオケを送って、それに詞をつけてボーカルトラックを送り返してもらう作業をする。

これは私の「業務」としてやってもらう。
何故なら最近中国で私の楽曲を購入したいという話が多いのだが、
私自身が歌っているDEMOだと「いい曲も悪く聞こえる」そうで(笑)、
彼女の声でちゃんとしたDEMOを録音してくれるとありがたい。

この「仕事」をやってもらいながら、
その中でバンドが気に入った曲があればそれを練習してもらうだけで「レパートリー」がどんどん増えてゆくという寸法である。

2020年10月には最上級生のティアルッが高校を卒業する。
それまでに何とか「音楽で食ってゆく」という足がかりが出来ていればなあと思う。


<<結婚式での演奏>>

カンボジアでは結婚式が盛大に行われる。
踊りや歌など、それこそ4時間5時間ぶっ通しで行われる。

この子たちは時々そういうところに呼ばれて伝統舞踊を踊ったりする。
そこでこの「バンドバージョン」の存在に重きが置かれて来るのだ。

日本のアマチュアバンドは本当に「出口がないなぁ」と思う。

毎回ライブハウスに決して安くない「ノルマ」を払って、
自分たちが呼んだお客さんの中だけで延々演奏し続けて、
一体「出口」はどこにあるのだろう・・・

私はカンボジアのこの結婚式の状況を聞いた時に、
カンボジアならではのバンドの「出口」があるのではと思った。

大きな結婚式では歌手や生バンドを呼ぶと言うが、
それはあくまで有名なカンボジアの曲を歌ってもらうための「コピーバンド」の仕事である。

日本でも同様に酒場などでの「箱バン」という仕事があるが、
その仕事の中には自分たちのオリジナル曲を演奏するチャンスはない。

しかしカンボジアでは4時間も5時間も演奏し続けるのだから、
中に何曲オリジナル曲を演奏しようが咎められることはない。

これを私は大きな「出口」だと感じた。

くっくまバンドは来たる乾季の結婚式シーズンに向けてカンボジアの有名曲のレパートリーを増やすために一生懸命練習している。

その中で歌えるオリジナル曲を増やしてゆきたい。

人前で演奏するということは大きな「経験」になる。
客の反応を見て演奏や歌い方、詞もひょっとしたら変えた方がよいかもとか色々試行錯誤することが出来る。

そうして「完成」されたオリジナル楽曲をCDに焼いて、
出来たらその結婚式で売ってゆけばよい。

将来カンボジア一番の大スターになって多額の金を稼ぐようになったとしても、
その始まりはいつもそんな数ドルの小さなものであるから・・・

だから私と一緒にやった2回のライブでは、
この子たちがその練習風景を録画したDVDを1ドルで売ることにした。

毎回ライブの度に何かを売ってゆこう。
今はそれが1ドルでも、将来それがもっともっと大きなお金で売れるものになってゆくはずである。

頑張れくっくまバンド!!カンボジアの希望の星になるのだ!!

<<その後>>

ボーカル録音開始!!
2019年9月14日のライブ
涙のボーカルレコーディング

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Posted by ファンキー末吉 at:12:14 | 固定リンク

ベトナム旅日記(クイニョン)

マグロの街トゥイホアからはバスで北上することにした。
取りあえず次の大きな街と言えばクイニョン〜

ホテルのフロントで聞いたバスターミナル!!

長距離バスで、何と寝台バス!!(◎_◎;)

大人が何人も寝転がって行ける・・・日本はどうしてこれを導入しないのか・・・

ネットで色々調べてたのだが、
何やらクイニョンの郊外にとてもいい手付かずのビーチリゾートがあるらしい・・・

夢のビーチリゾート ベトナムのクイニョンなら格安で贅沢! - Tabit Info

まあ急ぐ旅ではないのでここに行ってみることにした。
Googleマップを見ながら近くに来たら運転手さんに言って降ろしてもらう。

村の入り口にはこんな看板・・・

高知の池の浦のような小さな漁村・・・

浜辺まで降りてゆくとそこに噂のこのホテル「Life's a beach」がある。

門をくぐって中に入ってみたら驚いた!!

プライベートビーチ?!

なにこれ?!!天国かっ!!(◎_◎;)

さっそくピニャコラーダを頼んでみる・・・

ビーチはもうプライベートビーチ状態・・・

桃源郷にいます・・・ - Spherical Image - RICOH THETA

もうね、ここは桃源郷?・・・

このホテル、近所に「Life's a beach apartment」っつう「離れ」もあり、2kg南には「Life's a beach backpacker」っつうのもある。
最安値一泊6ドル!(◎_◎;)

これはもうここに泊まるしかないでしょ!!

夕方になると漁民が浜辺に出て来て磯焼きを始める・・・

磯焼き!! - Spherical Image - RICOH THETA

みりん干し(笑)があったので焼いてもらって取りあえずビール!!

これだけだと熱海と何も変わりがないので(笑)、
得体の知れないせんべいみたいのんを焼いてたので頼んでみる・・・

これがまたビールに合うのよ・・・(涙)

シーフードは今日はウニを選んでみる・・・
そのまま焼いてワサビと醤油で食えばいいものを、
何やらベトナム風の味付け・・・

美味い!!(涙)
もうね、ウニがフランス料理になるのね?(フランス料理食べたことないけど)・・・

もうこれで旅も終わり!!
何故ならもうこれ以上彷徨ってもここよりいい場所には出会えないでしょう!!

ビザが出来上がるまでここで余生を過ごすことにします〜

Posted by ファンキー末吉 at:10:27 | 固定リンク

2019年5月14日

布衣2019年春のツアーを振り返って

今回のツアータイトルは「一甲子」。

これは十干(じっかん)という「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸」の10個の並びと、
十二支(じゅうにし)の「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」のそれぞれの最初「甲」と「子」の組み合わせは60年に一回であるということから、「Funky60歳記念ツアー!!」という意味合いがある(らしい)・・・

オフィシャルサイトからの回顧レポートによると、


《一甲子》巡演首轮36站半程回顾记,
(ツアーの最初の半分、36箇所を振り返るよ)

24载布衣,60甲子鼓魂,
(結成24周年の布衣、60歳のドラムスピリッツ)

50/70/80/90后,
(50年代生まれ、70年代生まれ、80年代生まれ、90年代生まれ)

9人布队,4万公里摇滚取经路,走着
(9人のメンバーが4万キロのロックの道を行くよ)


・・・4万キロ!(◎_◎;)・・・って地球一周??・・・
・・・って実はこれは秋のツアーと合わせての走行距離で、春の36箇所ではだいたい半周だとか・・・それでも凄いのう・・・

布衣は現在では中国のバンドの中で一番多くツアーを廻っているバンドらしい。

動員数ではまだまだこれを上回るバンドはあるが、
そんなバンドはもうこんなに細かくツアーを回らない。
大きな会場ばかりをピックアップして、必然的に本数は減ってゆく・・・

LaoWuと最初に出会った頃から、飲めば
「バンドはなぁ、ライブやで!!ツアーやで!!」
と言ってた私の影響をモロに受けていると言えよう(笑)

今では大ロックスターとなっている、友人の謝天笑が、LaoWuにこうアドバイスしてたのを聞いたことがある。

「ライブハウスもなぁ、選ばなきゃダメだよ。
アンダーグラウンドなとこに出演してたらいつまで経ってもアンダーグラウンド。
バンドが大きくなったらそれにつれて大きなところでやって箔を付けなきゃ」

いわゆる自らを「ブランド」にしていって大きくなってゆく手法だが、
LaoWuはそれを一喝してそれからもアンダーグラウンドな小屋を回り続けている。

「あんな田舎街のライブハウスなんてちゃんと演奏出来るの?」
という街に行って演奏して、
「布衣がライブやったらしいぜ」
ということで他のバンドも「じゃあやってみるか」になる。

つまりは「先駆者」である。

想像だが、小さな街のオーナーからしてみたら、
メシ奢るから、ホテル代ぐらい出してやるからというわけかも知れない。

ブッキングはまことに巧妙で、
そういう小さな街は平日にブッキング、
週末は動員力が見込める大きな街をうまくブッキングしている。

3月15日(金)広東省珠海
3月16日(土)広東省広州
3月17日(日)広東省深圳
3月18-19日:移動日、現地オフ
3月20日(水)広東省东莞

(ブログ記「布衣2019年春のツアー広東省」)
エピソード:ここでライブ前に広東メシ満腹食って終演後に吐く(>_<)
それ以降ライブ前には食わない!!

ライブ終了後にそのまま空港へ三亜まで飛ぶのではなく海口まで飛んで列車移動

3月22日(金)海南省三亚(飛行機移動)
3月23日(土)海南省海口

(ブログ記事「布衣2019年春のツアー海南省」)

3月24日(日)福建省福州(飛行機移動)
3月25-26日:移動日、現地オフ(私はビザの申請のために北京にとんぼ返り)
3月27日(水)福建省厦门

(ブログ記事:「布衣2019年春のツアー福建省」)

3月28日:移動日
3月29日(金) 江西省赣州
3月30日(土)江西省南昌

(ブログ記事「布衣2019年春のツアー江西省」)

3月31日(日)浙江省温州
4月1日:移動日
4月2日(火)安徽省黄山

(ブログ記事「布衣2019年春のツアー浙江省と安徽省黄山」)

4月3日:移動日
4月4日(木)浙江省杭州(ブログ記事はこの中に)
4月5日(金)上海

(ブログ記事「布衣2019年春のツアー上海」)

4月6日(土)江蘇省无锡
4月7日(日)江蘇省苏州

(ブログ記事「布衣2019年春のツアー江蘇省」)

4月8日:移動日

4月9日(火)安徽省銅陵
4月10日(水)安徽省芜湖
4月11日:移動日(私はビザの申請のために北京にとんぼ返り)
4月12日(金)安徽省安庆
4月13日(土)安徽省合肥
4月14日(日)安徽省六安
4月15-16日:移動日、現地オフ
4月17日 安徽省淮南

(ブログ記事「布衣2019年春のツアー安徽省」)

4月18日:移動日
4月19日(金)河南省开封
4月20日(土)河南省新乡
4月21日(日)河南省安阳

(ブログ記事「布衣2019年春のツアー河南省」)

4月22-23日:移動日、現地オフ
4月24日(水)山东省临沂
4月25日:移動日(私はビザの申請のために北京にとんぼ返り)
4月26日(金)山东省青岛
4月27日(土)山东省济南
4月28日(日)山东省淄博

(ブログ記事「布衣2019年春のツアー山東省」)

4月29-5月2日:移動日、現地オフ
5月3日(金)黑龙江省哈尔滨

(ブログ記事「布衣2019年春のツアー黒竜江省ハルビン」)

5月4日(土)辽宁省沈阳
5月5日 吉林 长春

(ブログ記事「布衣2019年春のツアー遼寧省「瀋陽」と吉林省「長春」」)

5月6-7日:移動日、現地オフ
5月8日(水)河北省沧州

(ブログ記事「布衣2019年春のツアー河北省「沧州」」)

5月7日:移動日
5月10日(金)河南省郑州
5月11日(土)天津
5月12日(日)辽宁省大连

(ブログ記事「布衣2019年春のツアー河南省「鄭州」、天津、遼寧省「大連」」)


いや〜非常にうまく組まれている・・・
飛行機移動は海南島に渡る2本だけで、あとは全部列車移動!!

ちなみに海南島には橋とかトンネルで大陸と繋がってるわけではなく、
列車移動だとそのまま列車がフェリーに積み込まれて渡るらしい!(◎_◎;)

乗ってみたいのう・・・
(と言ったらアホかと言われた(笑)列車に缶詰で蒸し暑いらしい)


さてこのように上手いことツアーを組んでるので、9人の大所帯で廻っても何とか赤字にならずに廻れているのであろう。

中国のツアーと日本のツアーの相違点!!

中国の不利な部分、それはチケット代が圧倒的に安いこと(>_<)
日本だと5千円や6千円もザラだが、中国では200元(3千円ほど)もしたら学生にはもう手が出ないだろう・・・

布衣のチケット代は100元(1500円)前後。
この収入だけで全ての経費を賄い、
政府への楽曲の申請(なんと有料!(◎_◎;))や、Webでの宣伝費なども支払わねばならない・・・

でも中国のよいところは、交通費が圧倒的に安い!!

高速鉄道はだいたい1分乗ってる距離だと1元ぐらいの目処だと言われているが、
東京大阪が2時間だとすると中国だと120元(2000円)!(◎_◎;)

中国の高速鉄道は時速300km以上出るので厳密に正しくはないが、
1万円以上する日本の新幹線よりは格段と安いことに間違いはなかろう・・・

あとホテル代。
日本は「おひとり様おいくら」という世界でも珍しい料金設定で、
中国や諸外国のように「ひと部屋いくら」ではない。

私は「敬老精神」でひとり部屋を取ってもらってるが、
他のスタッフ、メンバーは全員ツイン部屋。
つまり9人いても部屋数は5部屋ですむ。

そしてホテル代が田舎に行けば絶対的に安い!!
ひと部屋2000円程度のもあった!(◎_◎;)


私的にはホテルが会場のすぐ近くにあるというのは非常に助かる!!

まず移動は、乗り打ちの場合、朝早く出発して昼ごろ着くように乗車券をブッキングしているようだ・・・

着いてメシ!!その後に昼寝!!(笑)

いやいや、この「シエスタ」っつうのが非常に助かるのだよ!!

その後、いつもだいたい3時頃からスタッフが会場入りするのだが、
私はドラムのチューニングがあるので一緒に入る。

4時頃メンバーがやって来て、
サウンドチェックはもう毎日やってる曲だから決まった2曲しかやらん。

5時にはホテルに戻ってまたごろごろ・・・これがいいのよ!!
中国のライブは(ってアメリカもそうで日本が早すぎる)だいたい8時半頃始まるので、
疲れている時とかはまたここで仮眠!!

長い列車移動も、iPadで映画を何本か見てればいいし、
飛行機と違って自由に立ち上がって車内をうろうろ出来る。

何より、飛行機は欠航という恐ろしい罠が待ち構えているので列車移動の方が確実である。

それもこれも中国の高速鉄道網が今ではこんなに網の目のように張り巡らされているから出来ることである。

中国高速鉄道網

春のツアーは南の方から東北の方まで廻ったわけだが、
秋のツアーでは今度は内陸部の西北を廻る・・・

移動距離がハンパないのよね〜地球半周以上するかも〜(笑)

今回の移動Map!!(直線距離で書いてるけど実際は色んな乗り換えで移動した)

BuYiTourMap2019Spring.jpg

日本の大きさと比べたらこんな感じ〜

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2019年5月10日

今や中国の著作権ビジネスは日本より進んでいる?!

中国の音楽界の仕組みを知っている日本人は少ないだろうと思うが、
私は30年のこちらでの仕事や付き合いの中で、日本人としては一番よく知っている日本人ミュージシャンであると自負している。

その私が先日はちょっと目からウロコのような状態だったのでその話をブログに書きたいと思う。

中国の進歩の速度は目覚しい。
ちょっと時間が空くとすぐに「浦島太郎」になってしまったりするが、
先日の私がちょっとそんな感じだったのだ・・・


まず基本をおさらいしておこう。

私の本にも書いたが、日本の音楽ビジネスが、
「コンサートツアーを赤字で廻っても、それでアルバムを売って権利商売で利益を得る」
というビジネスモデルで例えられるとすると、中国は全くその「真反対」である!!(あった?)

中国では「音楽は名刺と同じ」、歌手は自分で金を出しても立派な「名刺」を作り、
それが立派であればあるほど自分の「営業ギャラ」が上がるという、
「レコードはプロモーション、コンサートで儲ける」という「真逆」のビジネスモデルである。
(いやこれこそ「あった」というべきか・・・)


ちなみに有名歌手になると一本のギャラが日本円で1千万円を超えると言われていて、
私の知り合いの歌手はそれを年に300本以上こなしていると聞く。

まあそれぐらいの歌手になると、事務所と歌手の取り分は2:8。
日本のように、「アーティストは権利を全部事務所に譲り渡して給料をもらう」というシステムと比べて、歌手がどれだけ金持ちであるかがわかるだろう。

ちなみにその歌手は数年前に東京のベイエリアに高級マンションを買った。
支払いはもちろん「即金」である。


ではどこからそんな高いギャラが捻出出来るのかと言うことを説明しとこう。

まず彼らが出演しているイベントの多くは放送局主催(もしくは協賛等)の歌謡オムニバスイベント。
そこにコンサートの目玉として出演して2曲ほどヒット曲を歌う。

今は禁止になったが、昔は口パクだったりして、
ということは、彼らは自分のレコードに合わせて口パクで10分間笑顔を振りまいているだけで一千万単位のギャラをもらってたわけである。


ではそのギャラはどこから捻出する?

日本と違って、中国には放送局が400以上あって、
放送局主催とかだと、その放映権を当然その放送局が所有する。

全国のテレビ局はいつもソフト不足で、再放送などを繰り返したり・・・
そう、よそのテレビ局から番組を買って流したりしている。

つまり、大金をはたいてイベントをやるという目的のひとつには、
その主催番組を400以上ある他の放送局に売るというのは大きな目的である。

売るためには看板歌手が必要なので、視聴率を取れる有名歌手は必然的に一番高いギャラを貰えるというわけだ。


それだけではない。
イベントなのだから客を集めなければならない。
そのために何万人も集められる動員力の歌手が必要であるというのもある。

何万人も集まって、その映像が400の放送局全部で流れるとすると、
必然的にステージの後ろや至る所にあるところに企業の名前を入れたり、
いわゆる「広告収入」は桁違いに高くなる。

聞くところによると、サッカーというスポーツは中国は弱いのに、
自国が出場していない世界大会とかの「広告」は、今では中国企業ばかりであると言う(笑)。

そういう話を聞くにつれ、この「広告」のシステムが、現在では世界的に機能しているのだと実感する。

当然ながらそのチームが世界大会に出場したとすると、そのチームの広告収入はとてつもなく莫大になる。
これに例えると看板歌手のギャラがどうして高いのかが理解しやすくなるだろう・・・

だから歌手にとって「レコード」など「名刺」と同じ、
その「営業ギャラ」こそが一番大きな収入なので、
「名刺」なんかいくらでもタダで配ってもいいよ・・・

・・・というのが今までの私の認識であった。
(注:その現実は今もなくなったわけではない)


さてここまでは「今は昔」の話・・・
それが今はその「名刺」がお金になるよ、
つまり、中国にはもうちゃんと「著作権ビジネス」があるよというお話・・・

先日、中国の業界人の重鎮で古い友人であるLaoLuanと飲みながら、
前々から感じてた素朴な疑問をぶつけてみたところから話は始まる。

先日私がレコーディングした歌手は、彼の会社の「所属」なのであるが、
「じゃあどこで儲けてんの?」
という話をしたのである。

新人なんだから当然有名歌手のように高いギャラでイベントに呼ばれることもない。
「営業ギャラ」自体がないような存在なのであるから、前述のように「音楽は名刺、コンサートで儲ける」はあり得ない。

それなのに、先日のレコーディングように事務所がお金を出して、私やその他スタジオミュージシャンをブッキング、
またその高級なレコーディングスタジオの料金までを事務所が払っている・・・

「そんなにお金使ってどこで元取ってんの?」
ということである。

「投資だよ。今はまだまだ回収出来ないけど、1曲当たれば全部回収出来る」

!(◎_◎;)・・・それって楽曲の権利?・・・って一体どこから回収すんの?

何せ、往年のカセットテープの時代、
「一応印税はあるんだけどねぇ・・・工場で何本以上製造したら、最初のお金の他に一本いくら支払いますって契約なんだけど・・・その海賊版がその工場自体でプレスされてたりするからどうしようもないんだよ(笑)」
などと言われたりしていた・・・

そしてCDの時代、
「発売日になるとねぇ・・・やっぱ海賊版が気になるんだよ。ひどい時にはどっかからデータが横流しされて正規版より先に海賊版が発売されてたりする(笑)・・・でもねぇ、海賊版が作られてないって状態だったらそれはそれでこのCDは売れないってことでそれも困る(笑)」
などと言われてたりした・・・

そして今はネットの時代!!

ちなみに日本は映像メディアがDVDの時代になっても、VHSだベータ(懐かしい)だのの「ビデオテープ」がそれはそれは長く長く流通していた。
(今もされてる?)

ひょっとしたらそれは国や日本国民がビデオ屋さんとかを守ろうとしているブレーキをかけているのかも知れないが、
中国なんてDVDが出て来た瞬間にビデオテープなんか一瞬にして消え去った。

そしてネットの時代になり、レコード屋(昔は中国では本屋でカセットが売られてたなぁ・・・)とか何軒潰れようが誰も全く気にしない。

国の体制は社会主義、だけど経済は資本主義、それが「中国特色の社会主義」。
その経済のシステムである「資本主義」は、新しいものに対応出来ないヤツらは没落していって当たり前!!それが「生き馬の目を抜く」資本主義なのである。


さてネットの時代・・・と言ってもまだまだ配信だけではなくCDも生き残っているが、
カセットテープの時代と一番大きく違うのは「デジタル刻印」である。
(これはネット配信もCD販売も同じ)

ちなみに私は自己のJazzバンド「おすし」のアルバム「いただきます」の中国での発売を申請している。
その時に色んな「刻印」を要求される。

楽曲ごとのISRCは日本にもあるのだが、「IFPI証書」って何?・・・
みたいなどったんばったんで学習してゆく・・・

まあISRCは楽曲にデジタル刻印されている楽曲ごとの番号だが、
CDに物理刻印されているIFPIというものも含めて、その他色々申請せねばならない。

まあそれがなくてもCDは出せる。
しかし、ライブ会場で手売りすることは出来るけど、正式に発売したり配信でダウンロード販売したりは出来ないよ、と・・・

つまり、ライブ会場で細々と手売りするならいいけど、
発売量の大きなちゃんとした売り方をしている全てのCDや楽曲には「全てこの刻印がされている」ということである。

そう、だから今の時代、使われた曲やCDはデジタル追跡して調べられるのだと・・・!(◎_◎;)


ではそれを誰が調べて誰が徴収してどのようにして回収してくれるのか・・・

・・・と、このように考えてしまうところがまず「日本的」(笑)、
古き良き(?)時代から長くJASRACさんとかの恩恵に預かっていてぬるま湯にずーっと浸かっていたからこのような発想しか出来なくなる・・・

「著作者の皆さんが、ご自身で使用者を調べて徴収するのは手間でしょ?だからJASRACがそれを代わって徴収してあげましょう」
その代わり
「権利は完全に譲渡して下さい。自分の曲でも勝手に使ったら告訴しますよ」
・・・とこれが日本のシステム。

流通するものほぼ全てにデジタル刻印がされてて、ネットさえあればそれを誰でも追跡出来る時代に何それ?・・・(笑)

ちなみに飲みながら私が一億円損した話とかの話をしてたら、
「昔はね、でも今ではあり得ないね。もしあったら連絡して。うちの弁護士紹介するから」

・・・そう、JASRACの代わりをするのは「弁護士」!!
「著作権侵害されてるな」という事件があったら、弁護士が「仕事」としてその金を回収して来る。

・・・と言っても別に告訴するとかではなかろう。
「代理人」として内容証明を送りつければ事足りる。
悪あがきして告訴でもされたらもっと払わなければならなくなるのだ。

・・・ってか将来そんなめんどくさいことになるなら最初に払っときましょうよ!!
・・・そう考える方が当たり前。

「著作権料払わんかい!!」とエグい裁判ばっかやり続けている日本なんかより、よっぽど「民度が高い」と言えはしないか?(笑)
(但し、そのシステムを支えているのは、例えて言うと「人民ひとりひとりにもデジタル刻印されている」みたいなこの国の監視システムがあるからであろうことは想像に難くない)


また、日本にはアメリカなんかと違ってフェアユースという物の考え方がない。

例えば布衣の楽曲を誰かがカバーして演奏したとする。
でも布衣自身が「こりゃ宣伝のためにもやって欲しいよねぇ」と思えばそれでいいが、
日本では著作者がどう考えようがJASRACが否応なしに徴収しに行く。

ちょっと前に日本の有名バンドが
「結婚式でうちの楽曲は無償で使用していいよ」
と発表して波紋を呼んだが、
ファンがそれを見て「著作権料払わなくていいんだ」と思って実際に結婚式で使ったとすると、それがJASRAC管理楽曲だったらJASRACはそれを容赦なく徴収しに行く。

そして私との裁判で主張したのと同じように胸を張ってこう言うだろう。

「これはお前らの曲じゃない!!うちに譲渡してるんだからうちの曲だ!!」

なんて「野蛮」な国だと思わざるを得ない。
中国では作者がそうして欲しいと言えばそれで通る!!
弁護士に回収しに行かせなければそれでいいのだから・・・


ちなみにアメリカのバンドは弁護士をマネージャーにしたりすると聞く。
イベント出演における金銭トラブルがないように契約書を作成したり、
また万が一トラブルがあったら決して取りっぱぐれないように取りに行くということらしい。
プロモーションはプロモーションで別のプロモーション会社に発注するらしい。

日本のように、アーティストが全ての権利を所属事務所に譲渡して、その代償として給料を貰って「サラリーマン」になるのとは根本的に違う。

著作権においても、
「日本:全ての権利をJASRAC等に譲渡して、そこから手数料引いて分配をもらう」
のと、
「中国:お金取って欲しい時に弁護士雇って取って貰って手数料を弁護士に払う」
のとの違いである。


さて、前述のLaoLuanの事務所は、この「取りっぱぐれがない」という現実を見て、こうして多額の投資(しかも莫大な額やと思う)をしているのである。
取りっぱぐれる可能性が高いなら、当然そんなビジネスはやらない・・・

まあ想像だが、こうしてこの新人女性歌手に投資してどんどん曲を作ってEP(シングル)としてタダでネット配信して、ちょっとでも名声が上がって来て、ここぞという時に弟のLuanShuが手がける映画音楽(それが必ず大きな映画である)のテーマソングなどが決まって、まあそれが新しく書き下ろしでもいい、その曲がヒットして金を生むだけでなく、今までこうして投資して作って来た全ての楽曲がその瞬間から全部金を生むようになる。
こんな感じ

つまりは「権利商売」!(◎_◎;)

「一曲ヒットしたら全部元が取れる」
というのはあながち誇張ではないと私は感じる・・・


ちなみに、中国ではどうやら「著作権」と「原盤権」が一緒になっているというニュアンスを感じる。

楽曲を作った彼女と事務所の取り分は現状では半々であると言う。
日本の音楽出版社が最初は作家と半々で契約するのと同じであるが、
それは「楽曲はお前のもの、原盤は金を出したうちのもの」みたいなものではないかと想像する。

しかし日本では一番最初に金を徴収するJASRACの手数料が引かれる。
CMの場合は何もせずに25%、つまり1千万のCM料が許諾を受けて出版社に流すだけで750万に減るのだ。
Runnnerの出版社がCMの印税だけはJASRACを外すというのも頷ける。

しかし中国ではその1千万が丸々入る。
もし万が一ばっくれられて入らなかったとしたら、弁護士に250万払ってそれを回収して貰ったとしたとしても、それでも日本と同じ収入である。

ちなみに日本でのJASRACのように権利を全部弁護士に譲渡してる訳ではないので、
自分で使うのももちろん自由、チャリティーで使うのも自由、要は「取って来て欲しいものだけを依頼」すればそれでいい。

でもまあこれほどシステマライズされた時代に無許可でCMに使うアホはおらんわのう・・・(笑)
使いたかったら、後々大きなトラブルになって莫大な額を取られるより最初に払っておいた方がよい(そりゃそうだ・・・)。


ではどうやって最初に払う?・・・

これは今度は布衣LaoWuから聞いた話だが、
「もしこれがお前が作った曲だとするだろ?」
から始まって、
「それだったらこれはお前の曲だと注册(ZhuCe)されてるから」

!(◎_◎;)

注册(ZhuCe)・・・つまり「登録」

デジタル刻印には当然ながら作詞作曲家の情報も紐付けされているから、調べようと思ったらすぐに調べられる。
つまり国家のデータベースに全て情報があるから、JASRACみたいな組織は必要ないのである!(◎_◎;)

ちなみに「おすし」の「いただきます」の申請の時にも作曲者名を申請しているので、
進藤くんの曲は調べたら(どうやって調べるかわからんが)ちゃんと「進藤陽悟」と出る(はず)。

ではその曲を使いたい場合はどうやって進藤くんに辿り着く?
・・・それは申請とまるで逆のルートを辿ればよい。

レコード会社(どこになるか知らんが)→発売元(布衣の会社)→布衣のマネージャー→ワシ(申請者)→進藤くん

まあこれは日本でも同じ、国家のデータベースがJASRACのデータベースとなるだけで、バカ高い手数料を取られて同じようなルート(日本の場合は出版社経由)で私をすっ飛ばして進藤くんに行く。


さて最後にあとひとつ、ダウンロード配信に関しても日本と全く違うシステムが存在するのでそれについて書きたいと思う。

まず最初に、YouTubeとかも同じだが、無料で音楽や映像を配信する会社の「収入」というのはやはり「広告料」であろう。

YouTubeとかにも広告が流れたりするが、中国ではヒドいところになると1分以上広告を見させられるのだからたまらない(>_<)

「広告イヤでしたら会員になって下さい。そしたら広告消しますので」
まあ日本でもよく見るシステムだろうが、中国のこの長ったらしい広告を見たらみんな会員になって消すだろう・・・(笑)

この会員料というのは一見非常に安く見えるが、ひとりひとりは安くても何億人も集まれば相当な収益になる。
そして企業にとって助かるのは「毎月必ず安定した収入を生む」・・・

例えひと月に100円の会員料であっても1億人が登録すれば月間100億円の定期収入なのだ!(◎_◎;)
(参考資料:中国のネット人口7億人

まずはこの莫大な「収益」というのを頭に置いて読んで頂きたい。


いつぞやネットで「中国の音楽ダウンロードのほとんどは正規版である」みたいな記事が出て物議を醸していたが、私はそれは本当だと思う。

現実、中国ではQQ、网易云など多くの音楽配信を行う会社があるが、
どれも中国の大手企業であり、ここが違法ダウンロードなど扱えるはずがない。

昔とは違う。
昔は「大手=国とがっつり=違法し放題」みたいな流れがあったが、
それも習近平政権になっての「汚職追放キャンペーン(という名の粛清?)」の流れでどんどん難しくなっている。

人民もわざわざウィルス満載のそんなアブナいサイトに行って違法ダウンロードしなくても、今では合法にいくらでも無料ダウンロード出来る。
その合法ダウンロードを経済的に支えているのが「広告料」であることは容易に想像出来るだろう。

「ほらやっぱダウンロードは無料だから商売にはならないじゃん」
などと言ってるとまた中国人からバカにされますぞ!!
次のビジネスモデル・・・


これは布衣から聞いた話・・・

まるっきりのド新人だとまず曲を無料で配信する。
前述の新人女性歌手などもそうであるが、
売りたくても誰もド新人の名前も曲も知らないんだから、
まずは無料だろうが何だろうが聞いてもらわなければ始まらない。

ところが布衣のように、アンダーグラウンドとは言え、どの地方都市に行っても数百、大都市だとヘタしたら1000人近く動員するバンドになったらわけが違う。
現在どの大手サイトに行っても必ず布衣の楽曲は全部ある。

次のステップは「専属契約」・・・!(◎_◎;)

大手のうちひとつ選んで、
「次のアルバムはあんたんとこからだけ配信しますんでお金下さい」

!(◎_◎;)・・・そんなシステムがあるのか?!!

これはもう「著作権」というよりは「モノを売り買いして儲ける商売」と同じ理論である。
「この音楽をうちが独占したらどのぐらいうちの得になるか」
というところで「値段」が決まる。

超有名歌手の作品を独占して、「うちでしか聞けない」となると、必然的に他のサイトよりも人気サイトになるわけだし、そうすれば広告料もねずみ算的に跳ね上がる。

当然ながら有名歌手の方が布衣なんかよりも金は高い。
日本のように「売れてる人も売れてない人も同じ著作権料」というのとは違う、
「金持ちはより金持ちになる」という純粋な「資本主義」のシステムがここにもある。

それぐらいの有名歌手になると、更に「会員限定配信」とかにするらしい。
そうすれば会員数が劇的に増えて、毎月サイトに落ちる金が莫大になる。

次には更に「無料」ではなく「有料配信」!!
会員様はその値段が安くなります!(◎_◎;)

日本人には想像出来ないビジネスモデルがここにある・・・


昔からこちらでバックバンドの仕事をする時に、
「演奏曲目はこれですんで」
で音源など送られて来ない。
「ネットにいくらでもあるだろ、自分でDLして聞いとけ」
である。

その先にこんな「ビジネス」があったなど私なんかも想像だにしてなかった(>_<)

私も日本に自分の音楽の音楽をDL配信しているサイトを持っている。
ファンキー末吉楽曲配信サイト

サイトを開いてみて頂ければわかるが、
アメリカの会社AppleのiTunesを始めとして色んなダウンロードサイトがひしめいているけれども、そのほとんどが外国の会社である。

中国は違うのだ!!
ほぼ全部国内の会社でそのシェアを競い合っている!(◎_◎;)

日本で「レコチョク」と「AWA」がシェアのほとんどで、Appleも含め後のシェアはほとんどありません・・・なんてことが起こり得るか?

だからアーティストも「レコチョク」が「次のアルバムはうちで独占で配信させて下さいよ〜お金払いますから」と言ったって契約するはずがない。
シェアがないんだからアーティストにとってそれでは「損」になる。

だからこのビジネスモデルは現状の日本ではあり得ない。

でも中国では最大手のQQがそれを言うと、どんなバンドも喜んで契約する。
他のシェアを全部潰したって残るシェアが大きいから・・・


ちなみに「じゃあiTunesとかはどうなの?」と質問してみたら、
「ああいう外国のサイトは別」
と言うので、試しに布衣の一番新しいアルバムをうちのサイトから販売してみることにした。

こちら

これが中国のダウンロードビジネスにどのように影響するかちょっと実験してみようと思う・・・

こんな国で活躍しているアンダーグラウンド(と言ってももうかなりのビッグバンドになって来ているが)の音楽を日本の方々もぜひ聞いてみて頂きたい。
(全曲私のアレンジ、私もドラムとプロデューサーとして参加してます)


最後に「あとがき」として・・・

中国から見たらむっちゃ古い時代遅れのシステムに今だに縛られ続けている日本の方々にはちょっとびっくりするレポートだったかも知れないが、
「・・・だと思う」とかレポートだったら無責任だろ!!とか言わないで欲しい。

私はレポーターでもジャーナリストでも何でもない。
このレポートを配信してお金を儲けている「プロ」でもない。

私はこの国で何十年も音楽をやって糧を得ている「音楽家」である。

同じく日本でも何十年もやって来たから日本の音楽システムもかなり理解している。
でも中国で何十年も音楽をやって生きて来た日本人は私だけである。

その私が「経験」してわかったこと、それはまだまだこの国の音楽ビジネスの氷山の一角かも知れないが、それでも日本とは「全然違う」ことに間違いはない!!

出来れば日本のジャーナリスト達も、私の中国語レベルではないちゃんとした通訳を雇って、ちゃんとこのビジネスモデルを「しっかりと」取材することをお勧めしたい。

また、頭の固い日本の音楽業界の方々も、是非「心を開いて」このビジネスモデルを研究してもらいたい。

新しいものを取り入れられない、古い体制から変われない、そんな輩は淘汰されて没落してゆくのが「生き馬の目を抜く資本主義」なのだから・・・

日本が没落しないために・・・

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2019年4月25日

労働ビザとの戦い

アメリカがトランプ政権になってから外国人の労働ビザが取りにくくなったのと同じように、中国でもどんどんと厳しくなって来たようだ。

「ようだ」と言うのは、私は仕事の出来る簡単なビザを持っているのだが、それがどんどん厳しくなって来たそうで、そのままだとヘタしたらドラム叩いてる時に公安がステージに上がって来て、そのまま連行されて強制送還・・・なんて噂もある((((;゚Д゚)))))))

こりゃちゃんとした労働ビザ取らないかんなと思い立ったのが去年の夏。
それからずーっとその戦いを続けている・・・(>_<)

今ではこんなにややこしいのよ〜(涙)
何よ!このランク分けって(号泣)

これはねぇ、中国には今アフリカからの不法労働者が多く、
それが中国人の労働を奪ってるとか、
アメリカのメキシコ人みたいなことが起こっとるんですと・・・

だから「学歴のないヤツは要らん」と!(◎_◎;)

あのね、学歴に関係ない職業として音楽家を選んで、
ここに来て学歴で弾かれると・・・(涙)

あとね、60歳はもう定年でしょ?
何でビザ必要なん?
60歳になったら申請も受け付けんと!(◎_◎;)

もうね、だから去年から命がけでずーっと戦ってるのよ・・・(>_<)

まずは日本で色んな証明書を取り寄せる。
卒業証明書はまだいいが、警視庁行って無犯罪証明書!(◎_◎;)

よかった〜犯罪歴なくって(>_<)

まあ書類を、いっぱいいっぱい手に持って中国に渡る。
それを持って「就業許可証」というのを申請するんだけど、
これがまあ大変なこと大変なこと(>_<)

まず芸能ビザみたいな項目を見つけたのでそれで申請しようと頑張る。
「人民大会堂ぐらいの施設で自分名義のコンサートを行ったことがある」
という資格を見つけて、
「ワシ、爆風名義なら武道館どころか代々木体育館もやったことあるやん!!」
と思ったら、
「国の主催イベントじゃないの?じゃあ遊びでしよ?」

!(◎_◎;)

中国は国家に認められた第一級音楽家免許を持ってる人しか音楽家と認められんからなぁ〜
ロックなんかでそこで演奏したってそれは金出せば誰だって出来ることでしょ・・・みたいな?・・・(涙)

ワシなんかワシなんか、別に音楽大学出てるわけじゃないし、
職に関して何にも資格を持ってるわけじゃないしぃ!!(号泣)

もう学歴ないわ資格ないわ、ここに来てこんだけコンプレックスにさいなまさせられるとは夢にも思わんかったぞ(>_<)

そこでついに発見した・・・「経営者ビザ」!!

ワシは中国人が日本で起こした会社の代表取締役!!
曲がりなりにも立派な「経営者」ではないか!!

しかもその会社は中国の音楽ビジネスの会社の「関連会社」である!!
もうすぐ60歳でも経営者で申請したら通るかも知れんぞ!!

いや〜人助けやと思て会社起こすの手伝っててこんなところで役に立つとはのう・・・

というわけでそれで申請しよう!!
ところがここで問題が・・・

ここで「就業許可証」が出たとしたら、
今度はそれを日本に持って行って日本の中国大使館でZビザを発行!!

発行には数日かかるので、秋の布衣の長い長いツアーの合間にはその申請が出来ない(>_<)

じゃあ布衣のツアーが終わってから日本に帰って申請して、
それを中国に持って行って・・・

「末吉さん、それ持って中国に入国したら、1ヶ月から1ヶ月半は出国出来ませんよ」

!(◎_◎;)

では冬に日本で全くスケジュール入れずに北京に行ってひと月半滞在するか・・・

「あ、その時期は春節があるから無理ですねぇ」

(>_<)・・・あのね、ワシにどうしろと言うの(涙)

というわけで春節の辺りの日本ツアーの間に日本で申請して、
それ持って春の布衣のツアーで入国したらそのままひと月半どころか2ヶ月以上中国国内ですがな!!\(^o^)/

というわけで日本にて無事にZビザをゲット!!

ツアーは広東省から始まるので、
カンボジアかベトナムから直で広東省に入れば近いではないか〜・・・
っと思ってたら、

「Funkyさん、入国したらすぐに住居証明取らなきゃならないのに、広東省だと取れないでしょ」

!(◎_◎;)

しゃーないなぁ〜・・・というわけで広東省を飛び越えて一度北京まで飛ぶ(>_<)

北京の公安で住居証明書を発行!!

今回北京に戻って来たのはビザの申請のためなのよね〜 トランプ政権のアメリカと同じく取得がどんどん大変になる(>_<) まずは住宿登记表を取るために公安局・・・ 公安怖い・・・何もしてなくてもしょっぴかれそうで・・・中国ではシャレにならんからのう・・・ガクガクブルブル - Spherical Image - RICOH THETA

そしてそこからまた引き返して広東省からツアー開始!!

・・・ところが2週間後に就業許可証の申請のためにパスポートが必要というわけで、福建省の移動日に北京にとんぼ返り(>_<)

そしてまたすぐとんぼ返りでツアーに復帰したら、今度はまた2週間後に居留許可証の発行のためにまた北京に来いと・・・(>_<)

しかも!!

あなたは「経営者」ということでビザを申請してるんですからね!!
経営者らしい格好をして来て下さいよ!!

経営者らしい格好って・・・(>_<)

しゃーないからライブハウスのオーナーから借りた!!

これ・・・オーナーが結婚式の時に来たっきりなんですと・・・
ちなみに中の白いシャツは現地で買いました(>_<)

安徽省芜湖から始発の高速鉄道で、途中南京乗り換えの時に牛肉麺食ったら汁が飛んでこの有様(>_<)

着なれんものはこれやから・・・(>_<)

半日かけてやっと出入国管理局へ!!

ここで仲介業者に釘を刺される。
「中に入ったら中国語話さないで下さいよ!!喋れないことにしといたら私が全部自分で説明出来ますから」

ボロが出るのか?経営者のボロが出るのだな!!(涙)

でもまあ「面接」というほどちゃんとした面接ではなく、一応「本人確認」ぐらいで終了!!パスポートを預けてこれをもらう。

ここからツアーにとんぼ返りして、乗る飛行機、鉄道、ホテルのチェックインなど全てのところでこれがパスポート代わりになるのだ!!

嫌やなぁ・・・「これ何や」言うて職員に突っ返されるの(涙)

「もうこれで最後ね!!」
と仲介業者に確認するのだが、
「じゃFunkyさんはいつパスポート取りに来るんですか?」

!(◎_◎;)・・・3回北京に往復したらよかったんちゃうん?あんたがパスポートを旅先にでも送ってくれたらええやん・・・

「この紙がないとパスポート受け取れません」・・・(>_<)

それによく見ると「取証期限」というところに4月25日と書いてある・・・
その期限が切れたらこの用紙の有効期限が切れて列車や飛行機に乗れないかも・・・

((((;゚Д゚)))))))

スケジュールを見てみると、ちょうど25日は山東省临沂から同じく山東省青島までの移動日・・・
むっちゃ大回りになるけど北京行きます!!行かせて下さい!!(涙)

もうね、パスポート失くした時にあれだけ大変だったんだから、この紙切れの有効期限切れたら・・・終わる!(>_<)

というわけで今日!!
とんぼ返りで北京に帰って来てパスポートゲット!!
そこにはこんな居留証が押されてたのでした!!\(^o^)/

しかしここからまた戦いが始まる・・・

ビザは2年間あるが、それを更新する時には60歳を超えてるのでおそらく受け付けてくれないだろう、と・・・

!(◎_◎;)

ほなどうすんの?!!・・・
そうですねぇ・・・自分名義の会社でもこちらにあれば・・・

60歳になるまでに就労先を変更せねばならんので新たに会社起こすのは間に合わんぞ・・・

そうや!!日本の会社はLuanShuの会社の子会社なので、
そこの総経理であるワシを親会社の名義に入れてもらえばいいのではないか?!!

60歳まであと3ヶ月ない・・・間に合うのかワシ・・・

戦いは続く・・・そしてワシはどんどんホンモノの「経営者」になってゆく・・・

Posted by ファンキー末吉 at:20:36 | 固定リンク

2019年4月15日

サンプリング分配崩壊?・・・

弁護士からこのニュースが送られて来た・・・

「JASRACはもう一つのエンジン手に入れる」浅石理事長が語る「著作権管理」の未来

もうこの戦い以来、JASRACの文字を見るのもイヤなので、
「後でゆっくり見ます」
と返事して放っておいたのだが、
ふーっと深呼吸をして息を整えて(笑)見てみると、こんなことが書かれている・・・


来年度中にサンプリング方式をやめる方針です。地上波ラジオなど、難しいところもありますが、基本的に(全曲報告データをもちいる)「センサス方式」を採用します。サンプリング方式の多かったライブハウスは、利用者や実演家の協力を得て、センサス方式に切り替えていって、今年12月か来年3月には、サンプリング方式がなくなると思っています。


!(◎_◎;)・・・


JASRACは私との裁判の中でずーっと、
「包括契約、サンプリング分配は素晴らしいシステムだ!!」
と主張して来たではないか!!

そんなに「素晴らしいシステム」であるならわざわざここに来て変える必要はないし、
また「5年前にはITが整備されてなかったので出来なかったが、今やっと整備されて出来るようになった」というわけでもない。

インターネットがなかった時代だったらまだしも、
その時代からITが格段に進歩したなんて5Gぐらいのものなのだ・・・

そもそも私はJASRACから「著作権料を払え」と言われて初めて、その「包括契約によるずさんな徴収と不透明な分配」の実態を見て声を上げたら訴えられた。

コンサート会場では(全曲報告データをもちいる)「センサス方式」なのに、
ライブハウスでそれが出来ないわけがない!!
というのが私の主張であったが、ここでJASRAC自ら「出来る」ということを認めたことになる。

つまり、「ここに来てどうしても変えざるを得ない状況になった」と見るべきだろうと思う。

その「状況」というのはおそらく・・・ひとつには「世論」、
そしてひとつには、いろんな法律学者が私との裁判に対して疑問の声を上げた「論文」・・・
(主なところではこちらとかこちらとか)

もしも私の問題提起が少しでも世論に貢献したのであれば、私にとってはやっぱそれは嬉しいことよのう・・・

まあ世の中が少しでもよくなるのであれば私にとってはそれでいいのよ。
でもね、JASRACさん、一言言わせてもらっていいですか?

「ワシが最初に言った時にやっときなはれ!!」(>_<)

┐(´∀`)┌ヤレヤレ・・・

<戦いの記録>

Posted by ファンキー末吉 at:08:44 | 固定リンク

2019年4月 9日

歌と共に暮らす少数民族たち

ツアーの移動日は、だいたい着いたら夕方、
そのままホテルにチェックインして飯を食いに行く。

それで一日終わりである(笑)
まあ「移動日」ですからね、これでミッションだん!!

飯は今回のように地元のライブハウスのオーナーが奢ってくれることも多く、
今回も予想に違わずオーナーがご馳走してくれた。

オーナーが店からワインを持って来てくれて、
(持ち込みOKの中国って本当に素晴らしい)
それを飲んでバタンQ(死語)。

老人なので早起きだが、
8時とかに寝てしまったら夜中の2時とかに目が覚めてしまう(>_<)

トイレに行ってふと外を見ると・・・

階下では屋台が出ていて、
そうかぁ・・・去年もここで飲んだなぁ・・・

打ち上げなう〜@安徽省銅陵(どこや?笑) 炭锅羊肉という食べたことのない料理に遭遇!! まあ隅でぐつぐつ煮る火鍋のようなものか・・・美味!!! - Spherical Image - RICOH THETA

みんな寝てるかなぁ・・・と思いつつ、
ツアーメンバーのWeChatグループに階下の写真を送ってみたら・・・

スタッフのヤオヤオとベースのダーウェイが食いついて来た(笑)

そして3人で飲み始めたのだが、
向こうの屋台から何やら歌声が聞こえて来る・・・
少数民族の歌である・・・

いいなぁ・・・流行歌なんかと違って、民族の歌は何百年も歌い継がれている。
「流行」しなくなったら誰も歌わなくなる「流行歌」とはそもそもメロディーの「力」が違うのだ・・・

・・・てなことを考えてたらその御一行が隣のテーブルにやって来た。
よも更けてきたので向こうの屋台はもう閉まって閉まったのだろう・・・

「タバコどうですか?」
お兄ちゃんが私たちにタバコを勧めて来るが、こちらは誰もタバコを吸わない。

「私たちは少数民族でねぇ・・・」

何やら会話の中にやたらと「少数民族」という言葉が多く、
一瞬「民族独立」やらきな臭い活動に勧誘して来るのかと身構えたが、
どうやらそうではなく、単なる自己紹介であったらしい(笑)

彝族・・・日本語の発音と似ている言葉を話し、日本人の祖先ではないかと言う人もいる・・・

気になってネットで探してみたらこんな話も・・・

イ族の友達というと、有名なのはこの人!!高洪章(Gao HongZhang)

この時からの付き合いで、昆明にライブに行った時にはわざわざ駆けつけてくれて酒を奢ってくれたりした。

ちなみにYouTube映像で彼が歌っている曲を彼らが向こうの屋台で歌っていた曲である。

「喜欢呢,也要喝,不喜欢,也要喝,管你喜欢不喜欢也要喝(好き?じゃあ飲まなきゃ。嫌い?でも飲まなきゃ。あんたが好き嫌い関係なくやっぱり飲まなきゃ)」
という酒飲みの歌・・・

少数民族は嬉しい時も悲しい時もこの歌を歌いながら酒を飲む。

そしてこの安徽省銅陵で会った彼ら彼女たち、
故郷を離れ、この田舎町にやって来て、仕事終わってまたこの歌を歌いながら酒を飲む。

「この娘はね、四川省から来たんだ。この娘はね。雲南省」
そうやってそれぞれを紹介してくれるのだが、
何省などと言うのは所詮は国が勝手に行政区分として線を引いただけで、
彼らは中国なんて国がなかった頃からずーっとそこで暮らしていた。

それだけのことである。

漢民族がやって来て、勝手に「国」などという集合体を作ってそこに入れられて、
今は漢民族の言葉である「中国語」を喋って暮らしているが、
こうして同じイ族の仲間と酒を飲む時はイ族の言葉で喋り、そして歌う。

彼らはこの向かいの24時間営業のマッサージ店に住み込みで働いている。

別に今日が特別の日だから酒を飲んで歌っているわけではない。
こうして真夜中まで働いて、仕事が終わったらこうして酒を飲んで歌う。
辛い時も楽しい時もこうして楽しく飲んで、そして歌を歌う。

私たちがプロのミュージシャンだと聞いてこんなことを言う。

「僕たちは歌が大好きなんです。でもそれはただの趣味。プロのミュージシャンなんて素晴らしい」

私は「違うよ!!」とそれを否定した。

プロであるか趣味であるかなんて、しょせんはそれで「金を稼ぐ能力があるかないか」というだけの話であって、音楽はそれを愛する全ての人のためにあるのである。

音楽は決して「金を稼ぐ道具」なわけではない。
それを愛する全ての人が、こうやって「生活」の中でそれを歌って、生きてゆく・・・

音楽があるから「明日もまた生きてゆける」・・・
なんて思ってくれたら作った人はどれだけ嬉しいだろう・・・

彼らはこうやって楽しく歌って飲んで、
千鳥足で向かいのマッサージ店に向かって帰って行った。

気がつけば私たちの分もお勘定を済ませてくれていた・・・


音楽を生業にして、毎日音楽だけをやって暮らしている人もいる。
仕事は決して自分の好きな仕事ではないけれども、毎日音楽と共に暮らしている人もいる。

問題はどちらが「幸せ」か、ということである。

毎日音楽をやって暮らしているけど幸せではない、
そんな生活だけはまっぴらゴメンだな・・・彼らを見てたら本当にそう思う。

そうですな、明日も楽しくドラムを叩くとしますか・・・

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2019年3月 9日

痒い話@カンボジア

1月4日からずーっと働きっぱなしだったので、
3月4日のX.Y.Z.→Aライブが終わってすぐにカンボジアに飛んだ。

「すぐに」と言っても激安チケットなので香港で14時間トランジット(>_<)

しゃーないなぁ〜・・・ベンチで寝ますか・・・

香港で14時間のトランジット(笑) しゃーないなぁ〜・・・ベンチで寝ますか・・・ - Spherical Image - RICOH THETA

と思ったら寒い!!(>_<)

香港人はどうしてこんな冷蔵庫のようなところで暮らすのだ!!
とばかり睡眠不足でカンボジア入りしたのがよくなかったのだろう・・・

着いてメシ食ってバタンQ(死語)したら痒くて夜中に目が覚めた。
見れば手足に湿疹のような赤い斑点がたくさん出て来ている・・・

真っ先に思いついたのが「寒暖差アレルギー」!!

前回カンボジアから浙江省に飛んだ時に出た「アレルギー」である。

しかしよく見ると、アレルギーの蕁麻疹に比べたらちょっと「ぶつぶつ」している気がする・・・

次の日になると右腕はパンパンに晴れ上がり、次に思い浮かんだのが「疥癬」!!

疥癬になった話

これは恐ろしい「虫」である。
なにせ皮膚に寄生して皮膚の中に卵を産み、身体中に繁殖してゆく・・・((((;゚Д゚)))))))

しかし疥癬の場合、皮膚の中に卵を産み付けて皮膚の中を移動して、また次のところに卵を産むために、その通り道に「疥癬トンネル」というものが出来るのだが、今回はそれがあるようなないような・・・

とりあえず病院に行こうというわけで、
聞けばカード付帯の保険により海外では無料だと言うではないか!!

アメックスに電話をして紹介してもらうのだが、
皮膚科の専門医のスケジュールは翌々日の午前中しか空いてないと言う(>_<)

一応そこも予約もして、翌日くっくま孤児院の25人のお母さま美和さんにプノンペンの日本語医院を紹介してもらう・・・

痒みを抑える薬と塗り薬を処方してもらって塗ったらちょっとはよくなった。

しかし、これがもし「疥癬」だったとしたら、疥癬専門の薬じゃないと死滅しないどころか、
前回などは「殺されちゃたまらん」とばかり大繁殖して、右手がそれこそゴーヤのようにぱんぱんに腫れ上がった(>_<)

翌日ドキドキもんで皮膚科の専門医に診てもらったら、
「一応疥癬の可能性もあるので」
ということで疥癬用の薬も出してくれた。

そうそう、「スミスリン」ね・・・
前回は薬屋に自分で買いに行って部屋中にこれ撒いて消毒してたし・・・

疥癬の薬と、その他ダニや南京虫の薬は併用してもいいということで、
結局こんないっぱいの薬が・・・(笑)

はい、今は徐々によくなりつつありますが・・・痒いです。

激安ホテルはこれがあるから怖いです(涙)
香港の重慶大厦(チョンキンマンション)泊まった時にもダニにやられたし・・・(>_<)

一応ホテルにクレーム言って部屋は替えてもらいました!!
・・・ということは次にそのベッドで寝た人は同じ目に合うのか?・・・

いやいや、やっぱ「体力」だと思うのです。
1月4日から働き詰めで、飲み続けて免疫力下がって、
香港でも寝てなくてベッドにバタンQ・・・

疥癬虫さん南京虫さん大喜び!!・・・(>_<)

かと言って高級ホテルに泊まる金はなし(涙)
こりゃカンボジアにひとつ部屋を借りるしかありませんな・・・

痒い話でした!!

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Posted by ファンキー末吉 at:08:22 | 固定リンク

2018年12月27日

Jazzへの思い

私の生まれ育った香川県坂出市という当時の田舎町では、レコード店にはまだRockやJazzというジャンル分けはなく、大きく「演歌、歌謡曲」と「ニューミュージック」というくくりしかなかった。

町にはレコード店が2店しかなく、比較的近かった「ニチイ」の中のレコード店によく通っていた。

そこには長髪の見るからに「ロック」という店員のお兄ちゃんがいて、
時々聞いたこともないような音楽を店内で流していた。

あとでわかったことだが、
お兄ちゃんとて「店員」なので、売れないレコードを仕入れるわけにはいかない。

そこで見つけたのが若かりし頃の末吉少年。

「ボク、Rock好きか?それならこのレコードを買え!!Rock好きならこれは絶対に持ってなきゃならんレコードや!!」

そう言って自分の欲しいレコードを私に注文させ、
入荷したらそれを店でヘビーローテーションして聞くだけ聞いてから私に売りつけるのだ。

四国の片田舎ではRock雑誌なども売っておらず、
お兄ちゃんがいつもレコードを買う(私に買わせる?)ために参考にしてたのは「ニューミュージックマガジン」という月刊誌。
それとて本屋などに置いてあるはずはないのでおそらく「定期購読」してたのだろう。

そのレコードレビューにオススメのレコードがあれば、それを私に注文させて、入荷したら店でヘビーローテーションさせて自分が聞いてたというものだ。

「ニューミュージックマガジン」というぐらいだから、当時の荒井由実からコアな欧米のRockまで何でも載っていた。

お兄ちゃんのオススメの(彼が聞きたかった)レコードの中に、ハービーハンコックの「ヘッドハンターズ」があり、これにぶったまげて「ハービーハンコックっていう凄いFunkミュージシャンがいる」となって、「そのレコードが欲しい」となる。

お兄ちゃんが「じゃあこれ買え」と言って注文してくれたのが、「VSOPハービーハンコックの軌跡」というレコード。

ド頭の「The Eye Of The Hurricane」がさっぱり理解出来ず、それこそ「擦り切れる」ほどレコードを聞いた。

好きなドラマーが、Rockではコージーパウウェル(高校をサボってレインボーを見に行ったので)、Jazzならトニーウィリアムスというのは全てこのお兄ちゃんのおかげ(せい?)である。

かくして、そのような状況だったので、最初からRockだJazzだのジャンル分けする環境ではなく、私にとっては全部同じく「Rock」であった。

だってレッドツェッペリンとキングクリムゾンは全く叩き方が違うけど同じRockでしょ?
だから私にとってはトニーウィリアムスもRockだったのだ。

実家が「平和園」という中華料理屋だったので、
そこの3階にある私の部屋で色んなバンドを組んで練習してたこともあり、
「平和園ファミリーズ」という名前でインストの音楽を渋谷陽一のFM番組に送りつけ、とても好評されたのを覚えている。

それはJazzというよりFusion。
スウィングの曲もやってたけど当時のテクニックではやはり難しかった。

ミュージシャンの数が絶対的に少ないので、
同じメンバーでツェッペリンをやったり、出来る程度のJazzをやったり、それが「平和園ファミリーズ」。

ジャンルを超えたP-FUNKみたいな存在だった(笑)

そんな状況なので、当時はRockをやるかJazzをやるかなどの「夢」ではない。
「とりあえずこの田舎町を出なければならない」という状況なので、
1、ニューヨークに行ってJazzをやるか
2、東京に行ってRockをやるか
という漠然とした「夢」でしかなかった。

大阪に行ってブルースをやるという夢は、当時この田舎町でもブルースバンドをやっていたのでいつの間にやら実現した気になっていた)

人生のひょんな運命から東京へ行って、爆風銃、そして爆風スランプへと続き、
そして紅白に出てRunnnerがヒット。

江川ほーじんが脱退して、中野と河合でRunnerのプロモーションをしている頃、
もういい加減日本の芸能界がイヤになってた私は、昔の「夢」がむくむくと頭をもたげて来ていた。

「充電旅行」と称してひとり旅で最初にニューヨークを訪れた時には、
実はもう日本に帰って来るつもりはなかった。
このままニューヨークに住み着いてJazzをやろうと思っていたのだ。

それぐらい日本がイヤだったのだ・・・

着いてすぐニューヨーク在住の松宮という友達に最初に連れて行ってもらったのがBlue Note、憧れのJazzクラブである。

当時ハナ肇さんにサインをもらった白いスティックケースを改造して、
中にパスポートなどを入れるポケットを作って、それだけ持って行動してた。

文字通り「スティックだけ持って世界を廻りたい」という憧れだったのだろう。

折しも金曜日で、Blue NoteはJam Session Day。
ぶったまげるようなレベルのプレイヤーがJazzをやってた。

スティックケースをどんとテーブルに置きながら、なかなか勇気を出してステージに上がることが出来ない。

「末吉さん、誰かドラマーいないか?って言ってるよ」
松宮がそう言うのだが、
「もう一回待とう」
と言って尻込みしてた。

「しゃーないなぁ〜じゃあ俺のブラザー」
とでも言ってるのだろう、セッションリーダーのトランペッターがひとりの黒人のドラマーをステージに上げた。

忘れもしない、彼が叩いた「チュニジアの夜」があまりに凄くて、私はテーブルの上にあるスティックケースをすごすごとテーブル下に隠してしまった(笑)

「ブラザー」と言うのは「実兄弟」だと思ってたので、
きっとそのドラマーはセッションリーダーの兄弟で、名のあるプロドラマーがたまたま来てたのでステージに上げたのだろうと思い、松宮に、ステージを降りるそのドラマーを捕まえて通訳してもらった。

「あなたはさぞかし名のあるドラマーでしょう。私は一週間しかここにいない。その一週間であなたはどこでライブをやりますか。私は全部見に行きたい」
松宮にそう言って訳してもらった。

答えを聞いて愕然とした。
「俺のライブ?・・・じゃあ来週のJam Sessionでまた叩いてるからここに来いよ」

このレベルのドラマーがこの街ではただのアマチュアドラマー?
私は愕然として、もうニューヨーク滞在中にスティックケースを開けることはなかった。


すごすごと日本に帰ってから「芸能人」の生活に忙殺されたが、
むしろ私の闘争心に火がついて、ヒマさえあれば日本のJazzクラブに行ってはJam Sessionで狂ったようにJazzを叩いていた。
時には知り合いになったJazzミュージシャンのライブに行って、飛び入りで叩かせてもらったりした。

「Jazz屋のオヤジ」と言われるいわゆるJazzクラブのオーナーは爆風スランプなんか知らない。
「ドラムがうまいか下手か」だけである。

それが私にとってはとてつもなく居心地がよかった・・・


だいぶ叩けるようになってちょっと自信をつけて来た私は、
生まれ故郷の香川県での爆風スランプのコンサートの移動日に、
高松のJazzクラブでJazzライブをやらせてもらうことになった。

地元のミュージシャンとのセッションライブで、
今ではJazz界の重鎮となった多田誠司さんなんかがいた。

今から考えればなんと無謀な、
PAもない生ピアノで全部生音であるという、特に音の大きな私のようなドラマーにはとにかく過酷な条件である。

「怖いもの知らず」というか、Jazzどころか音楽も十分理解していない当時の末吉は、案の定ガンガンに叩きまくっていた。

「こらドラマー!!」
曲の途中でマスターの怒声が飛んだ。

「うるさいんじゃ!!ピアノが聞こえんじゃろ!!」

ステージ上で罵声を浴びるなど生まれて初めてのことだったので、
もう萎縮してしまってそれから全くろくに叩けない。

半泣きでステージを降りた私の首根っこを掴んだマスターは、
そのままずるずると客席のひとりひとりのところに連れて廻ってこう言った。

「うちの店では最高のJazzしか聞かさんのじゃ。
おい、こいつのドラムはどうやった?正直に言え!!」

全ての客のところにそう言って連れて行かれるのだが、
客だってそうそう面と向かって「下手でした」とは言えない。

でも見ればわかる。
「顔に書いてある」のである。

私は泣いた。
恥も外聞もなく泣いた。

絶対に上手くなってやる!!
そしていつかまたこの店に来てマスターを見返してやる!!


また狂ったようにJam Sessionでドラムを叩いて、
FusionではあるがSOMEDAYという店で定期的に演奏さえてもらえるようになった。

黄家駒が見に来たライブというのはこのライブである。

そこで知り合った佐藤達哉さんという物凄いサックスの人と一緒に高松に凱旋ライブを行った。
マスターは達哉さんの大ファンだったので渋い顔をしながらも今度は怒声を浴びせなかった(笑)

「まあまあやのう」ぐらいの感じであろうか、
「ほらギャラや!!」と無造作に渡してくれた封筒を、一緒にやってくれたJazzメンにそのまま全部渡してみんなで分けてもらった。

「これは私のリベンジのためにお願いして来てもらったのだから私がもらう言われはない」
という意味だったのだが、
「なんや、お前、かっこええやないかい」
マスターは私の頭をしばいてそう言って笑った。

マスターがおごってくれたうどん屋のおでんがすこぶる美味かった。


その後またニューヨークに行く機会があったので、Blue Noteに直行した。
Jamセッションをやってたので、今度は胸を張ってドラムを叩いた。

感触は・・・よかった。

「なんだ東京のレベルはもうニューヨークとあまり変わらないんだな」
と思ったが、後で聞いたら、当時は電子音楽の台頭で、生楽器はニューヨークでは食えないのでみんなナッシュビルに逃げて行ってたという状況もあったらしい・・・

何曲か入れ替わり立ち替わりドラムを叩いたが、
白人の若いドラマーが私のドラムソロを聞いてこう言ったのを覚えてる。

「なんだ、Rockのドラマーか・・・」

Jazz界ではRockであることに常にコンプレックスがあった私だが、
この時には頭の中で何かが弾けててこう言い返してやった。

「そやで、Rockやけどそれがどした?悔しかったら叩いてみぃ!!」・・・日本語で(笑)

その昔、スティーブガッドがチェットベイカーのアルバムでスィングを叩いた時、
「あれはSwingではない!!シャッフルだ!!」と酷評する人がいたが、
私なんかはあれはあれで素晴らしいJazzだと思った。

私自身はスティーブガッドよりはもっとJazzっぽく叩きたくて色々試行錯誤したが、
ソロになると今まで培って来たものが出てしまうのはもういた仕方がない。

「お里が知れる」というものである。

でももうこの歳になって、Jazzより長くRockと共に生きて来たのだから、
お里が知れてどうなのだと今ではそう思う。

初めての純Jazzアルバムをリリースすることになって、
今ではもう何のコンプレックスもなくこれをJazzだと胸を張ってそう言える。

ドラムソロにジョンボーナムのフレーズが出て来ますがそれが何か?
ツーバス踏んでますけどそれが何か?

私はこうやって生きて来た。
涙を流しながら、歯を食いしばりながら、
戦って来た相手は誰でもない。

「自分の中のコンプレックス」である。

私はもう解き放たれた。
それが私の中で一番大切なものである。

だから全ての人に、(高松のマスターにも(笑))、胸を張ってこれを聞かせて、胸を張ってこう言うことが出来る。

「Jazzをやってます」と・・・


Funky末吉アコースティックJazzユニット「おすし」の配信サイトはこちら(視聴もできます)
CDの購入はこちらより購入出来ます

Posted by ファンキー末吉 at:12:57 | 固定リンク

2018年12月 9日

一起高呼Rock'n Roll

いや〜それにしても客が集まった・・・
武道館クラスの会場がほぼ満杯である!(◎_◎;)

会場にはサイリウムが配られていて、
それが中央制御かなんかで一斉に色が変わる!(◎_◎;)

今の時代ってそうなのか?!(◎_◎;)
日本でも?・・・それとも中国だけ?・・・

この日のドラムソロ!!

それにしてもいつも思うのが、Wing Yip 葉世榮というドラマーである。

30年前の若かりし頃に彼がレコーディングしたドラムをコピーして私が叩く・・・
いや、彼自身にはあまりこだわりがないので、フィルインなどは全く自由にやっていいのだが、
いくつかの曲のフィルインがどうもしっくり来ない。

もう10年以上やっているので相当な数のフィルインは試してみた。
ところが私がどんだけ頑張って考えたどのフィルインもしっくり来ないのだ。

ふと原曲を聞いてみたら、
若かりし頃の彼が叩いたダサいフィルイン(笑)がある。

「これはあまりにダサいじゃろう」と思うのだが、
試しにそれを叩いてみるとピッタリ!!!(◎_◎;)

ドラマーとしては「もっといいフィルインないのか?」と思うのだが、
もう「これしかない!」のである。

ビートルズの曲をコピーする時、
どっかしらヨレてるあのリンゴスターのフィルインじゃないと
「何か違うなぁ・・・」
というのと同じである。


そしてドラムソロ・・・

私が40年培って来たテクニックと経験則で、命がけで頑張って叩いたドラムソロなんか、こいつがドラムセットに座った途端に消し飛んでしまう。

もうオーディエンスにとっては、彼が「何を叩くか」など関係ない。
彼がドラムを叩く・・・それだけでいいのである。

日本にはこんな存在のドラマーがいるだろうか・・・

私とて日本では少々「有名ドラマー」であるが、
やはり「何を叩くか」を期待されている。

しかし彼は違う!!
「Wing Yipがドラムを叩く!!」・・・それだけでいいのである。

KISSのピータークリスだったらどうだろう・・・
「ベス」がヒットして、ボーカリストになってもうドラムセットには座らない?・・・

そりゃピータークリスがドラムセットに座って、
ドラム叩きながら「ブラックダイアモンド」を歌ってくれたら涙モノであるが、
・・・ほらやっぱり「何を叩くか」を期待してしまっている(笑)

ボーカリストが亡くなった伝説のバンドのドラマーという点ではQueenのロジャーテイラーと似ている面もある。

しかしビートルズのリンゴスターのような面もある。
何せBeyondは中国語(広東語だが)で最初にRockをやったバンド。

喜納昌吉さんの「ハイサイおじさん」の歌詞を、
沖縄語の全くわからない日本人が一生懸命覚えて歌うように、
全世界の中華圏の人間は、中国語のいち方言である広東語を一生懸命覚えて彼らの歌を歌う。

中国の各地で若いドラマーと会うが、
「僕はBeyondを聞いてドラムを始めたんです。葉世榮さんがいなかったら僕はスティックを握ってません」
と言うドラマーは少なくない。


あれやこれや説明しても日本人にはなかなか理解し辛いだろうから、
今上映されてる「ボヘミアンラプソディー」にちなんで「Queen」をモチーフにして昨日のコンサートを語ろうと思う・・・

「そのバンド」はQueenと同じくボーカルが死んで帰らぬ人となった。

この「ボヘミアンラプソディー」の制作スタッフの中にもいるだろう、ひとりの男がメンバーとずーっと友達だったとしよう・・・

「そのバンド」と「その男」の物語・・・

Queenと違って、「そのバンド」のメンバーは、そのボーカルが残した楽曲をそれぞれのメンバーが歌い継いで生きて来た。

それに関して一番出遅れてたのはドラマーである。
なにせ他の二人と違って歌を本格的に歌うことなどなかったのだから・・・

「その男」は中でも一番そのドラマーと親しくて、
ドラマーが一番どん底の時にもそばにいた。

広東省の田舎町をギターを弾いて「そのバンド」の歌を歌って「ドサ廻り」してるのにもついて行った。

「その男」はドラマーのために何かしてあげたいと思っても、
あまりにも力がない・・・
側で彼の活動を見守るしかなかった・・・

人の人生はそれぞれどれもこれも「奇異」なものである。
ドラマーは、「そのバンド」の結成10周年にはボーカルが死に、
20周年には何とかバンドを再結成させて表舞台に返り咲きたいと思ってた。

ドラマーは「その男」にこう言ってた。
「20周年だから何とかバンドを再結成したいんだ。そのステージで僕はこの彼女との結婚を宣言するんだ!!」

ところがその婚約者はドラマーの部屋の浴室で、
足を滑らせて転んで頭を打って、そのまま浴槽で溺死した。

知らせを聞いた「その男」はドラマーのところに飛んで行って、
何の助けにもならないがずーっとそばにいてあげた。

そして自分にはなんて力がないんだろうと嘆いて泣いた。

どん底の彼に何もしてあげられなかったが、
彼はその苦しみを乗り越えて、素晴らしいボーカリストとして返り咲いた。

そして「そのバンド」は見事に再結成を果たし、
そしてよくある話でまた・・・解散した。

いい時も悪い時も、「その男」はいつも彼と一緒にいた。
「ボヘミアンラプソディー」の制作スタッフにもきっとそういう男がいただろう・・・


ある時、「その男」にドラマーはこう言った。
「ギタリストと一緒にワールドツアーをやるんだ。お前がドラムを叩いてくれないか」

「その男」は彼のため、いや、「そのバンド」のためなら何でもやりたいと思ってたから、もちろん二つ返事で引き受けた。

死んだボーカリストの残した曲をみんなで演奏する。

Queenで言ったら、ボヘミアンラプソディーや、We are the Championとかを一緒に演奏しているようなものである。

「その男」はリハの時から涙なくしては叩けない。
なにせ、自分の友人でもある死んだボーカリストの残した曲を、
そのメンバーと共に演奏しているのだから・・・

本番のその日、「その男」は「そのバンド」のメンバーと一緒にステージに立つ。

まず武道館クラスの客席が満席になっている姿に「その男」は感激をする。
なにせそのドラマーの不遇な年月を一緒に経験しているからである・・・

ボヘミアンラプソディーや、We are the Championとかと同じように、
中華圏では誰もが知っている楽曲に客席全員が大合唱をする。

「そのバンド」を知らない日本の皆さんは想像して欲しい。
あなたが実際にQueenのメンバーと一緒にボヘミアンラプソディーや、We are the Championを演奏している姿を・・・

「その男」はもう涙なしでは叩けない・・・

「そのバンド」のメンバーは「その男」を「俺たちの兄貴」として紹介する。
メンバーと「その男」は、もうその「人生」において長い「物語」があるので、
それを彼らは一番ふさわしい一番短い言葉でそう紹介するのだ。

「その男」は客席にいくつもこんなプレートを掲げているのを見つける。

「私は貴方達の曲を聞いて大きくなったんです」
「その男」視界も涙で次第にぼやけて来る・・・

そう、その男も、そのボーカリストが死んでから、
「そのバンド」の曲と一緒に生きて来た。

本編最後の曲は「そのバンド」の代表曲のひとつ「再见理想」。

そう、「その男」は何度も「再见理想!!」と叫んでは彼の生まれた国に絶望した。

そしてその曲の最後の歌詞
「一起高呼Rock'n Roll」・・・「一緒に高らかにRock'n Rollと叫ぼう!!」
そうやって「その男」はギリギリで生きて来た。

「一緒に」???

誰と一緒に?・・・彼はその死んだボーカリストといつも一緒に「Rock'n Roll」と叫んでいた。
だからこれまでこうして生きてこれたのだ・・・

客席を見る。
みんな同じだ。

Queenの曲を聞いて大きくなった人たちと全く同じ。
武道館クラスの会場を埋め尽くした観客たちの全ては、
どんなに理想を諦めることがあっても、絶望の中で「Rock'n Roll」と叫んで生きて来た。

そう、その死んだボーカリスト、フレディーマーキュリーのようなカリスマを、
「人生の道しるべ」にしたのだ。

彼と「一緒に生きて来た」のだ。

1万人の観客のひとりひとりに「人生」がある。
その「人生」はひとつの映画よりももっともっとドラマチックなものである。

「その男」にも「ドラマ」がある。
まるでその死んだボーカリストが面白がって彼にやらせているような、
泣いて笑えるとてつもない「人生ドラマ」が・・・

そして、残された「そのバンド」のメンバー達の人生にも「ドラマ」がある。

そしてその「ドラマ」は、そのうちの誰かが先にそのボーカリストのところに行ってしまうまで続く・・・

Rock'n Rollの道はまだまだ道半ば。
今日も「その男」は、そして「そのバンド」のメンバーは、
そしてこの1万人の観客達は、その人生を一緒に「Rock'n Roll」と高らかに叫んで生きてゆく・・・

映画なんかよりドラマチックなその「人生」を生きてゆく・・・

Posted by ファンキー末吉 at:01:50 | 固定リンク

2018年12月 4日

BEYONDの思い出の曲

黄家駒が生きてた頃は、ただ毎日一緒に飲んで遊んで、死んでから初めてBEYONDがこんなに偉大なバンドだと知った。

最初に愕然としたのがこの曲!!

AMANI

アイドルとして(?)人気絶頂の時にアフリカに行って戦争で焼け出された子供たちを慰問し、この反戦歌をヒットチャートに放り込んだんだから凄い!!

黄家駒の葬式の時だったか、
香港のどっかの広場でWINGと待ち合わせしてて、
なかなか来ないからひとりで開店寿司屋に入ってビール飲んでたのよね。

そしたらこの曲がテレビで流れて来てしかも字幕付き・・・


戦争の影でいつも傷つくのは
何の力もない子供たち
僕は歌うよ!!

以下AMANIのからの一節はスワヒリ語で「愛、平和、僕たちに力を」


もうね、ちょっと前に死んだ人間が
「僕は歌うよ!!歌い続ける!!」
と歌ってんだから、ひとりで号泣!!

ビールが日本酒に変わり、泥酔して葬儀に行った・・・(笑)


ところでこの曲の日本語バージョンがYouTubeにアップされてた!(◎_◎;)

あのね、これ私が作った日本語詞、夜総会バンドの音源なんですけど・・・(笑)


次にこれ!!光輝歲月!!

神に召された黒人の追悼曲で、
「彼の人生の意義は皮膚の色による差別との戦いだった」
とか
「虹が美しいのはそれぞれの色が分かれてないからだ」
とか、もう涙・・・(号泣)

もうこの辺は大スタンダードで、中華圏の酒場だけでなく、
タイのパタヤビーチやチャン島の箱バンまで演奏してた定番曲ですな!!(凄っ)

そして最近お気に入りなのはこれ!!

「理想よさようなら」と来て、最後には
「共にRock'n Rollと高らかに叫ぼう!!」
ですからもう涙が止まりません!!(号泣)

Rock'n Rollと言えば、人差し指と小指を立てたロックピースサインを初めて見たのは黄家駒の葬儀の時だった。

葬儀場から棺が運ばれる時に、道という道を埋め尽くしたBEYONDファンがみんな、このロックサインを掲げて泣きながら「BEYOND!!BEYOND!!」と全員で連呼していた・・・(涙)

そう、BEYONDは偉大な「ロックバンド」だった。
黄家駒は死んで「ロックの神様」になった。

その精神を残された私たちが継承してゆく・・・(まだ道半ば)


黄家駒の遺作となったこの曲

なんかを叩く時はいつも泣きながら叩いている。

「ドラムを教えてくれ」という中国人にはいつもこの曲を例に取ってこう言う。

この曲のな、間奏に入る前には今まで押さえつけてたものを全部解き放つかのようなオカズを入れるんだけど、間奏に入った瞬間にはちょっとだけ力を抜いてやるんだよ。
それが「悲しさ」を表現する・・・

「世の中にはどうしようもないことがあるんだ」
そんな気持ちをドラムで表現しながら天と会話するのだ。


この曲なんかも思い出深い・・・

これはBEYONDというよりWINGとの思い出・・・

思えば彼が一番どん底の時・・・
ドラムをやめて歌を歌い始めた彼が、
広東省の酒場でギターを弾きながらこの曲を歌ってた。

「何でバンドじゃないんだ!!バンドだったらどんなど田舎にも俺がドラムで一緒について行ってやるのに・・・」
などと思ってたら、十数年後にはWINGバンドで一緒にワールドツアーを廻っている(笑)

そして今度はPaulも一緒!!

あと2回リハーサルしたらマカオでコンサート!!
その後は広東省と四川省、タイとマレーシアとシンガポールが決まってます!!

今回3回も香港に往復してリハをやるスケジュールも含めて全部すっぽり合間に入ったけどさすがに広東省はスケジュールがぶつかった(>_<)

あとアメリカとカナダも行くんやと・・・スケジュール合いますように!!

Posted by ファンキー末吉 at:12:48 | 固定リンク

2018年10月31日

Logicを使ったオーケストラアレンジ

今回は少し専門的なお話・・・

このアルバム最後の曲(下記のYouTube映像32:50から)

は、このDEMOではオルガンだけで演奏されているのだが、バンドで演奏してみると、なにかドラムやら現代音楽の楽器はどうもそぐわないような気がした・・・

その時の映像:36:38から)

ではこの曲は全部オーケストラの楽器で演奏させよう!!
ということでアレンジを始めた。

このクラウドファンディングは目標額に達さなくてもアルバムは作るのであるが、
ひょっとして目標額を超えた場合には本当に生のオーケストラで録音することも出来る・・・

日本ではあまり知られていないが、私は絃楽器やら管楽器やらフルオーケストラをアレンジ出来るという珍しい「ドラマー」である(笑)

まあ音大の打楽器科の人にはそういう人もゴロゴロいるだろうし、
そういう人たちは楽器がたまたま「打楽器」であるだけで、
楽典やらの理論は他の楽器の人と全く同じように勉強するので、
まあむしろその人たちから見たら「自然」なのだろうが、
日本では「ロックドラマーが何故?」という偏見が強いのか、いつも「違和感」を持たれている。

中国ではと言うと逆に
「これだけドラムが上手いんだからそれぐらい出来るでしょう」
ってな逆に間違った(笑)考え方があるようで、
時にはレコーディングで「コンガ叩いて下さい」とか言われて閉口してしまう時もある。

ドラムとコンガは全く別の楽器なのよ〜
ギタリストにピアノ弾いて下さいって言うのと同じなのよ〜

・・・ってか言われたらやるけど(笑)


さて笑い話は置いといて、オーケストラアレンジは96年に発売した私のソロアルバム「亜州鼓魂」の時に初めてオーケストラ譜を書いたのが始まりである。

今ではコンピューター譜面で、全く馴染みのないハ音記号や移調楽器のトランスポーズ、
ひいては各楽器の鳴りまでがコンピューター音源で確認出来るのだから楽になったが、
当時は勧進帳のような何段もあるオーケストラ譜に手書きで書き込む。

ハ音記号の「ド」はどこだとか、移調楽器を別のキーで書いたり、
実際に鳴る音は譜面よりオクターブ高いとか、楽器自体の「鳴り」も想像しながら書いてゆく。

LogicTenkousei.jpg

(この時に書いた「転校生は宇宙人」のブラスバンド譜面。コンピュータでやってもこれだけ複雑である)


さて「時代は便利になった」と言っても相当ややこしい作業である。

手順としては、「Logic」という打ち込みソフトを開いて、まずメロディーを打ち込む。
そして最初から最後まで入る楽器であるオルガンを打ち込む。
ここまでは問題ない。

そして「ストリングス」である。

シンセを使ってバーっとコードを打ち込むのとはわけが違う。
ストリングスのそれぞれのパートの人は基本的にひとつの音しか弾かないのだから、
まず一番高い音のパートの人がどんなラインを弾くかを考え、
次に一番下のパートの人がどんなラインを弾くかを考え、
間の人がそのコードの中で使ってない音を拾ってゆく・・・

ストリングスは「バイオリン1」「バイオリン2」「ビオラ」「チェロ」の各パートと、
エレキベースが入らない今回のような場合には「コントラバス」を入れたりする。

この5パートのトラックを作って、それぞれにKONTAKTというソフトシンセを立ち上げて音を割り当てて行くと、それだけでパソコンのCPUがふーふー言っている・・・

これに金管楽器や木管楽器のために新しいトラックを立ち上げた途端にソフトがフリーズ!!(>_<)

同様の経験で悩み続けている音楽家は多いと思うので、
今回偶然発見したLogicのメモリー節約方法を披露したいと思う。

(トラックのフリーズ機能というのもあるけれども、やたら時間がかかるのと、あまりCPUの負担軽減にならない)

まずLogicでも何でも作曲やアレンジをする時には履歴代わりに色んなファイルネームでプロジェクトを保存するだろうが、今回やってみたやり方は、ストリングスパートやブラスパートなどをそれぞれ別のファイルとして保存した。

Logic0.png

しかしこれでは各パートをどのようにアレンジしたのかが次の作業の時に分かりにくくなってしまう。


オーケストラのアレンジは常に色んなパートが複雑に絡み合って作られてゆくので、
勧進帳の何段もある譜面を縦に見て、「この部分ではどのパートがどんな音を出しているのか」を常に把握しながら作業を進める必要がある。


具体的に言うと、ストリングスをどう書いたかを把握して、、次に書くブラスなどのパートがそれとぶつからないように、そしてお互いに書いたラインが上手く絡み合ってよい効果を生み出すようにしなければならないということである。


だからストリングスパートをまずオーディオファイルとして書き出して、
ブラスとか次の楽器をアレンジする時にはそのプロジェクトにそのオーディオファイルを読み込んでやる。

(書き出し)

Logic1.png

全てのオーディオファイルはここにあるので、別パートのエディット作業をする場合は、そのプロジェクト以外のオーディオファイルを全てそのプロジェクトに読み込んでおけばよい。


さて、この作業がどんどん進んでゆくと、
金管楽器に続いては木管楽器、そしてコーラスパートと、ファイル数もどんどん増えてゆく・・・

しかしトラック数が増えればCPUが悲鳴を上げる。
プロジェクトをパート毎に分ければメモリーは節約出来るが、
反面、エディット等を繰り返してゆくうちに、全てのプロジェクトを開いてどれも同じ状態に保つのは逆に大変な作業になる。

これが簡単に出来る方法を今回偶然に見つけたのだ。

Logic2.png

Logicではデフォルトで、バウンスファイルはそのプロジェクトのルートフォルダにある「Bounce」というファイルに保存される。

数多く作ったStringsやらBrassやら他のパートのプロジェクトでも同じところに保存されるのだ。
これこそがミソ!!

ひとつのプロジェクトを閉じる時に、そのアレンジを何も考えずにバウンスしてやればよい。

Logic3.png

前の状態から変更があった場合はこのようなダイアログが出るが、
気にせずに「置き換える」をクリックしてどんどん書き換えればそれでよい。

何と別のプロジェクトを開いた場合には、そのオーディオデータは最新のデータに勝手に置き換えてくれるのだ\(^o^)/

注意すべきは、バウンスする時には打ち込み部分のデータのみ生かしておき、
他のオーディオデータを全てミュートすることである。

Logic4.png

また、作業をしてゆくうちに各パートの音量バランスを取って作業しやすくしたりするものだが、
どのパートの音量を上げたとか下げたというのを覚えておいて、
次にそのパートをエディットした時に出力する全体の音量もそのように変更しておけばよい。

そうすると全てのパートの音量がいい感じで揃って、最終的にプロトゥールスに出力する時に各パートの音量がいい感じに揃っている状態になる。


こうして各パートをエディットしては、それに影響される他のパートを直し、
そして元のパートに戻ってそれに合わせてエディットし、
そんな作業をもう延々1週間以上毎日続けている。

この便利な最新科学技術を使ってもオーケストラアレンジというのはこれだけの手間がかかるのだ。

あと2週間後には歌入れがある。
納得出来るまで旅先でエディットを続け、その時にはこの歌から歌ってもらって真っ先に皆さんにお聞かせしよう・・・

Posted by ファンキー末吉 at:16:41 | 固定リンク

2018年10月26日

クメール語バージョン制作開始!!

このプロジェクトのクメール語(カンボジアの言語)バージョンの制作が始まった!!

日本語の楽曲を外国語に訳して歌う、というのにも色んな考え方があるようだ。

日中間で色々仕事をさせて頂いたことがあるが、
まずヤン坊マー坊の中国語版を作った時は、
「原詞から少しも意味を変えることなく」
というのがクライアントからの発注であった。

私たちの世代なら誰でも耳にタコが出来るぐらい聞いた、
天気予報で流れるあの「僕の名前はヤン坊〜」というアレである。

実はこの歌詞にはあまり知られていない3番があり、
その中に「双子」という言葉が使われていた。

ヤン坊とマー坊は双子の兄弟〜みたいな感じだったと思うが、
ところが「双子」というのは中国語で「双胞胎(ShuangBaoTai)」、
つまり「胎盤が二つ」と書くのでどうも歌詞にするにはよろしくない。

何とか「仲良し兄弟」とかに出来ませんかねぇ・・・
北京から日本のクライアントに国際電話までして、そう相談した記憶がある。


サンプラザ中野が北京オリンピックに合わせて
「Runnerと玉ネギを中国語で歌いたい」
という話もあって、LaoWuに歌詞を発注したのだが、
「どんな細かいところも変えてくれるな」
と言うので「無理!!(>_<)」となって、結局中国語の喋れる日本人に丸投げした・・・

だって中国にはロッカールームなんてないし~
ペンフレンドもようわからんし〜
コンサート会場の上に野菜が乗ってるって中国ではどうなの?(笑)


うって変わって二井原実。

X.Y.Z.→Aの英語版を出す時に彼は、訳詞の人に
「ええよ別に〜作りやすいように所々変えてくれても〜」
と言っていたのを覚えている。

私の場合は考え方が二井原に近い。


いつもやってるやり方としてはこうである。
まず日本語の詞をそのままその言語に直訳する。
私の場合、その時に色んな注釈をいっぱい書き加える。

例えばこのアルバムの歌詞で言うと、

M1の
「この人が私の父となる人 その愛ゆえに今 生まれてゆく」
はM10の
「ママがパパを愛してあなたが生まれたの これだけは覚えててね...」
とリンクしてますよ

とか

M4の
「河の見える小さな部屋で」
は後に結婚して住むM8の
「黄河のほとりの丘の上に 私たちの家がある」
とリンクしてるんですよ

とか、興醒めのようなことでもどんどん書き込んでおくのだ。


(このアルバムのDEMOフルバージョン)

歌詞は、奥に別の意味があったとしてもそれを限定させるように表現するのではなく、聞き手に想像させるように作ってゆく。
でも訳詞者にその裏の意味を託すのでは楽曲がまた違った意味になってしまう可能性もあるので、
無粋ではあるけれども敢えて細かく書き加えて、その直訳から「詞」にする時に、その人のセンスで、その人なりにぼやかせて貰えば良い。

いや私なんぞはむしろ、
「根本的な流れが合っていれば、細かいところなんかどんどん変えていってくれて良い」
ぐらいに思っている。

「中国のマドンナ」とか別にどこの国にしてもらってもいいし、別にシチュエーションは黄河のほとりじゃなくてもいい。
河でもいいし山でもいいし、要はM4とM10が同じシチュエーションであればそれでいい。

M3「ゴメンね」にしても、まだ初恋を知らない頃の青春の甘酸っぱさが表現出来れば、内容やシチュエーションが全く違ってもいいし、M11「娘の初恋」も、要は次の曲「娘の嫁ぐ日」が感動的になる「娘のエピソード」であればそれでいい。

要は「訳詞」というよりは、その言語で「作詞」して欲しいのだ。


この「クメール語(カンボジアで使われている言語)版」は、くっくま孤児院の子供達自身で詞を作ってくれとお願いした。

ところがこの詞の直訳用原稿を書いている時のこと、突然こんな考えが頭をよぎって筆が止まってしまった・・・

このコンセプトアルバムの物語は、主人公が雲の上で自分で両親を選んで生まれて来て、
母の愛から次には自分の娘への愛となり、
父の愛から恋人に対する独占欲や嫉妬心となり、
最後には愛する人と巡り合って幸せに暮らし、その伴侶を看取るまでの物語である。

でもこの子たちは孤児なのだから、ヘタしたら両親の愛どころか両親の顔さえ知らずに育っている?
母親から、父親から愛情を注がれたことなど全くない子供たちだっているんではないのか?・・・

そんな子供達にこんな物語を作詞させるのて・・・あまりに残酷なのではないか?・・・

そんなこと考えてしまったらもう全く筆が進まない・・・

数日間ずっと悩んでいたのだが、ある日やっとこんな考えに至った。

私は(当たり前だが)孤児になったことはないので、この子たちの本当の気持ちはわからない。
両親は仲悪くて離婚したけど、この子たちに比べたら幸せに育てられた自分が・・・
などと、私は「この立場」でこの子たちを見ていたのではないか?
高いところから低いところを見てるようなその考えこそが一番良くないことなのではないか?
そんな風に考えてることこそ、ずっとこの子たちとの間に「壁」を作っていることではないのか?

私がそんな真綿で包んであげるようなことをしたところで、この世の中はこれからも、容赦なくこの子たちに「現実」を浴びせかけてゆく・・・

異国の地でこの子たちを、母親代りとなって育てている楠美和さんの顔が浮かんで来た。

彼女は決してそんな風に、真綿で包むようにこの子たちと接してはいないだろう。
ある時はぶつかり合い、ある時は突き放し、いつも「同じ目線」でこの子たちと接しているに違いない。

20数人の子育てって・・・どんなん?・・・(涙・・・笑)

そもそもが「歌」などは全て実体験を歌っているものではないのだ。
「歌手」とは「役者」に似ているものだと思う。
自分の体験してないことを、自分が体験した経験からシミュレーションしてそれを「表現」する。
つまりはその世界観を「演じる」わけだ。

だからこの子たちなりに考えて、この子たちなりに「想像」して、この子たちなりに「表現」して欲しい。

年長組は、もう数年でこの孤児院を卒業して独り立ちする。
この国でこの社会に出た君たちは、また容赦なくいろんな「現実」を浴びせかけられ、強く逞しくそれと戦って生きてゆくことだろう。

そしていつの日か、あの時に「想像」した通り、理想の伴侶を見つけ、幸せな家庭を築き、子供を作り、命がけで子を愛し、育て、いつかこの歌のように伴侶を看取り、または看取られながら神のみもとへ召されてゆく・・・

そうなって欲しい。

まあその頃には私は絶対に生きてはおらんがの(笑)
雲の上からそれを楽しみに見ておくぞ・・・


この「クメール語版」は、この子たちを「希望の星」にするためのほんの序章。(関連記事


まず「作品」を残して、それを自分たちの「商品」にする。
自分たちが売る「商品」を自分でたち自身で頑張って作るのだ。

一番好きな曲の順にそれをライブで歌って、その「商品」をお金にしてゆけばいい。
今回作ったクメール語版のCDをライブで売って、それで下の子たちを養っていけるようになれば言うことない。

上の子が巣立っていったら、下の子がまたこれを歌い継いでゆけばよい。

そんなこんなしてるうちに、次はバンドのオリジナルアルバムを作るぞ!!

このバンド

そしていつか君たちはカンボジアで一番の大スターとなって、この国の恵まれない子供たちの「希望の星」となるのだ!!

その時に、このアルバムの最後の一行、
「世界中の全ての人々が、本当に幸せに召されてゆくことができますように...」
とクメール語で歌って欲しい。

私が生きてるうちにその姿が見れるかな(笑)


このクラウドファンディングは、
「まあ100万円もあればアルバム一枚ぐらい作れるだろう」
ということで始めてますが、
このアルバムの先には、このようなもっともっと壮大な「夢」がいっぱい控えてます。

共感して下さる方は、是非ご支援のほどよろしくお願い致します。

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Posted by ファンキー末吉 at:06:53 | 固定リンク

2018年10月24日

「権利商売」はその先にある!!

「日本の音楽が危ない」第2弾としてこんなプロジェクトを立ち上げた。

「新しいビジネスモデル」と言われたってピンと来ない人が多いだろう。
まずは笑い話としてこのブログ記事を読んで頂きたい。

「笑い話」と言ったのは、中国ももうこのような時代ではないからである。
ナン億元も持ち逃げしたこの人は、
身分証がなければ飛行機にも列車にも乗れず、全国どこのホテルにも泊まれないこの国で、今はどのように暮らしてるのだろうと想いを馳せるばかりである。

さてこの笑い話を受けての反応は下記に大きく分かれると思う。

1、これだから・・・1円でもお金をもらえなきゃ着メロなんかに使わせないぞ
2、羨ましい・・・タダでいいから自分の曲も使ってもらいたい

おそらく日本人は「1」の人が多く、逆に中国人は圧倒的に「2」だろうと思う。

なにせ、このおかげで布衣は今や、
全中国をツアーで廻れる動員数を誇れるバンドのひとつにのし上がったであるから・・・

今ではこの曲は色んな映画に使われたりして、使用料が布衣を通して私のところに振り込まれたりする・・・
「権利商売」は実はこの笑い話のもっとその先にあったのである。


さて今度は日本のお話・・・

私はドラマーであるが作曲家でもある。
中国では基本、楽曲は「買取」で、書いたその場で「報酬」として現金がもらえる。

日本では「印税」というシステムで、書いた時点では一銭ももらえず、
後に売れた分だけの「印税」がもらえる・・・ことになっている。

しかし書いた楽曲が大ヒットすることって果たして何万曲に1曲の確率なの?・・・

私は運よく「Runnner」というヒット曲に恵まれたが、
この記事のように、今は出版社の意向で、JASRACからCM部分の管理を外されている。

例えば1000万円のCM使用のオファーが来たとして、
JASRACはそれを右から左へ出版社に振るだけで250万円の手数料を得る。

「濡れ手に粟」である。

「いちいち許諾先に連絡するのは面倒でしょ?うちが一括管理をしましょう」
などという考え方は、このITが進んで世の中でもはや化石なのでは?・・・

今の世の中、CMに使おうというような有名曲の許諾先を探すなんていとも簡単な作業である。
JASRACに250万払うぐらいだったら出版社自ら直接やって、そのぶん権利者みんなで分けましょ!!
これが出版社の意図だと思う。

そして実際にそうなった今、私の場合はRunnerのCM使用料だけが出版社から直接振り込まれることとなる。

今色んな楽曲をJASRACから引き上げているところだが、
私はだいたい200曲近い楽曲をJASRACに預けていた。

Runner以外の曲は今まで通りJASRACから振り込まれるのだが、
前回JASRACから振り込まれた印税額はなんと25円!(◎_◎;)

「リゾ・ラバ」などのヒット曲も含む200曲近い印税の合計額が、たったの25円!!(大笑)

これこそがこの国の「権利ビジネス」の成れの果て!!
我々日本の音楽家たちはこんなものにしがみ付いて生きているのですぞ!!

(注釈:こんなことを書くと、「JASRACが操作して末吉の印税をわざと少なくしている」と言う人が多いだろうが、それをやることは大きな「犯罪」なのでここではそんなことはないという前提で話を進めます)


さてこのプロジェクト
100万円もあればアルバム1枚ぐらいは作れるだろうということで目標額をこのぐらいに設定しているのだが、決して「これで儲けよう」ということではない。
「ビジネスモデル」は他にあるのである。

例えば中国。
日本語版が完成したらそれを持って、私はとある私の大切な友人である女性歌手を訪ねてゆく。
彼女にこのアルバムの中国語版を歌ってもらうのである。

決して「売り込みに行く」わけではない。
「これ、あげるから歌ってよ」
というわけである。

「楽曲さえ気に入ってもらえば」という大前提だが、
タダでオケのデータ全部もらえると言うのだから断るわけはない。

そして彼女が歌えばこのアルバムは必ずヒットする。
そしたらそれこそ「桶屋が儲かる」・・・

なにせ
「美人とは金が稼げることなんだぞ(関連ネタ)」
という国である、「有名になる」ということはそれだけで「お金になる」ということなのである。

分かりやすく言うと、
このアルバムが中国でヒットすれば私の作家としての価値はまた上がり、
日本で言う「買取額」に当たる「報酬」がまた上がるのだ。

ちなみに中国ではもう今は「使用権」の買取であり、
楽曲の「権利」はそのまま作家に残る。
(通常そのような契約を結ぶという意味)

他の歌手がカバーしたい場合、また映画音楽やCMなどで使いたい場合は、
権利を持っている私自身にお金を払わねばならない・・・

そう、まさしく「権利ビジネス」はその先にあるのである!!

もちろんJASRACのような団体は必要ない。
そんなものなんかなくても、今の世の中、歌手に聞いたり発売元に聞いたりして、私の連絡先を調べるなんて簡単なことなのである。


さて日本・・・

前述の通り「作曲」という仕事で「報酬」は支払ってくれない。
必ずJASRACなどの団体に権利を譲渡してガチガチにされて初めて発売。
最終的にいくら入るかは出してみないとわからない。

そして自分の曲を自分で使おうとしてもJASRACなどに必ず許諾が必要である。

私は前回のツアーで「お持ち帰りCD」と銘打ってその日のライブの音源をその場で売ろうと画策した。
JASRACは裁判の中でも
「この楽曲はお前の楽曲ではない。JASRACに委託しているのだからJASRACの楽曲である」
という理論を声高に叫んだので、自分の楽曲であろうがJASRACに許諾申請をする。

ところがこの手続きがあまりに煩雑過ぎて、3枚売ったところでもう諦めた(>_<)

あとで徴収が来たので19円支払ったが、
自分の曲を自分で使って金を払うというのはまだいい。

(煩雑過ぎて)「自由に使えない」ことが一番の問題なのである。

また私は、毎年「サマードラムスクール」を開催しているが、
JASRACが音楽教室相手に徴収を始めて訴訟にまで発展しているので、
このドラム教室では自分の楽曲でもJASRAC管理楽曲は教材に使うわけにはいかない。

このため、もう色々な楽曲をJASRACから引き上げる作業をしているのだが、
ここに「JASRAC信託会員」というご無体な契約がある。

私はもう契約解除したが、
共作者がこの会員契約を結んでたらもうにっちもさっちもいかない(>_<)

当時はJASRACしか団体がなかったので気にしなかったのだが、
これは実はとんでもない契約なのである。

なにせこの契約、
「あなたが作った曲は、それを作った瞬間から未来永劫JASRACのものですよ」
というもの・・・

私も含め、多くの音楽家は当時、
「その方が得ですよ」
と言われてあまり考えずにこの契約を結んでいるので、
人によってはもう忘れてしまっている人も多い。

この契約があるとどうなるか・・・

まずこのプロジェクトのように
「自由に歌って、使って欲しい」
ということなど夢物語である。

なにせ、
「お前の作った曲は作ったその瞬間からお前のものではない。JASRACのもの」
なのだ。
「自由に使って欲しいなどという権利はお前にはない!!」
ということである。

このプロジェクトはクメール語(カンボジアの言語)に訳して、くっくま孤児院の子供たちに歌ってもらうことになっている。
(関連記事はこちら

この子たちのオリジナルアルバムの前に、このこのプロジェクトのクメール語バージョンを歌ってもらって、
その後この子たちがライブの時に販売出来る「商品」にして欲しいと考えているからだ。

カンボジアは外国だからJASRACは手が出せないが、
もし私がまだJASRAC会員で、この孤児院が日本の孤児院だったとしたら・・・

JASRACは地獄の底までこの著作権料を徴収しに来るだろう・・・
「孤児であるこの子達の為に・・・」というこのプロジェクトはその時点で頓挫しただろう・・・


さて「もしも」の話ばかり言ってても始まらない。
日本の多くの音楽家、特に自分の楽曲を自分で演奏、歌唱している音楽家のことを考えてもらいたい。

「大手レコード会社と契約=プロ」という図式が崩れ去って久しいこの国の音楽界で、
そういう人たちが自分の楽曲をJASRACに預け、
そして自分でレコードを作って、自分で演奏、歌唱して、自分でお金を払う。

そう、まるで「みかじめ」のように・・・

印税には「一次使用料」と「二次使用料」というのがあるが、
大手レコード会社に所属して鳴り物入りでデビューでもしない限り、
多くのシンガーソングライター達がJASRACと契約すると、
レコードを出したりの「一次使用料」は自分で支払うという現状が多いだろう・・・

そして実際に収入が大きいのが「二次使用料」である。

ヒットすればカラオケで多く歌われたり、ラジオやテレビで放送されたり・・・
そして一番大きな収入が「CM」!!

そして私個人の現状ではCM以外は25円!!(笑)

音楽家の皆さん、こんな現実を見るに、最初っからJASRACに楽曲を預ける必要ある?・・・
もっと売れて来て、ラジオなどでガンガン放送され出してから契約したっていいのではないの?・・・


さて最初の質問、この笑い話を受けての反応・・・

1、これだから・・・1円でもお金をもらえなきゃ着メロなんかに使わせないぞ
2、羨ましい・・・タダでいいから自分の曲も使ってもらいたい

「1」の人・・・
「俺の曲使いたかったら金よこせ!!」
これって今の時代、よっぽど偉い人しか言えないよね・・・

私を含め、大抵の人は「タダでもいいからどんどん使って宣伝して欲しい」と思うんじゃないかなぁ・・・

例えて言うと、
バンドも歌手も契約以前から事務所やレコード会社に対して高い条件を突きつけて、
それで「もういいや」と言われて結局デビュー出来ない、
みたいな例に似ているのではないかと思う。

「デビューした瞬間からすぐに大金を稼げると思うな!!」
である。
「大金はお前が売れた後にいくらでもついて来る!!」

楽曲も同じ、「権利商売」はその先にある!!のである。

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2018年8月30日

希望の星になれ!!

「縁」というのはそもそもがこのようなものなのかも知れない・・・

この商売、「休みを取る」という感覚がない。
スケジュールがぽっかり空く時、それが「休み」である。

最近は北京でいる時よりも中国のどっかの地方都市でいる時の方が多いので、
その最後のスケジュールが終わってその後にスケジュールが入ってなかったりしたら、
「ムズムズ・・・どっか南の国に行こうかな・・・」
などと考え始める・・・

いや別に日本に帰ったっていいのだが、
往々にして日本への航空チケットは高い(>_<)

というわけでいつもその時々で一番チケットが安いアジア諸国を探すのだが、
それが今回はたまたまカンボジア!!

何と上海から往復で3万円ぐらいで来れたのだ\(^o^)/


プノンペンに着いて真っ先に前回ドラムを叩いたバーに行ってみたのだが、
なんと白人がカントリーを歌う店になっててがっかり(>_<)

他に生演奏をしてるバーはないかと探したが、
この日は月曜日なのでライブは休み(>_<)

しゃーないなぁ・・・と、ふと考える・・・私は一体何をしたいのだろう・・・

前回はドラムを叩いて楽しかった。(映像
まあ「休み」なのに「仕事」であるドラムを叩くのも変な話だが、
「趣味」でもあるのだからそれは仕方がない・・・

まあドラムが無理なら、カンボジアにデスメタルのバンドがあるみたいなのでそれを探してもみたかった。
ポルポトの大虐殺の子孫がどんなデスメタルをやっているか興味があったのだが・・・

まあそんなこんなで初日は何の収穫もなく、ホテルのプールサイドでぼーっとしてたのだが、
何やらタイムラインに色んな人から書き込みが・・・

「プノンペンで日本人が運営している「くっくま孤児院」のお子さん達が「くっくまバンド」というのを組んで一生懸命練習しています(^^)機会がありましたらぜひ」

まあええよ、ヒマやし(笑)・・・そしてこれこそが「縁」だったのである。


何の期待もなく、ただヒマであるからということで向かったこの孤児院
まあ一応ドラムセットはあるだろうということで、「ひとりドラム」が叩けるような準備だけはして行った。

まあどこでどんな状況で叩こうがやることは一緒なのでそれはまあいい。
問題はその後に彼ら達の演奏を聞かせてもらってびっくりした。

!(◎_◎;)・・・いい!!この音楽、むっちゃいい!!

聞けば彼らは当然ながら孤児なので音楽教育を受けたこともなく、
耳コピで見よう見まねで弾いているだけだそうなのだが、
この演奏が私の心を鷲掴みにした。

思えば1990年に初めて北京に行った時、地下クラブで偶然見た黒豹のライブ、
当時の稚拙な彼らの演奏から口ではうまく説明出来ない「何か」を感じて、
そしてその後の自分の人生が全く変わってしまって今も私は中国でいる。

同じような「何か」をこの演奏から感じ取った。

黒豹はその後中国ロック界の重鎮となったわけだが、
この子達にも「何か」を感じる・・・


実はこの子達とはまた別の小さな縁があった。

秋に日本語の歌を歌うイベントがあるらしく、
この子達が今練習している曲が偶然にも「Runner」。

この子達が歌ってくれる「Runner」を聞きながら不思議に思う、
「こんなこともあるんだなぁ・・・」

たまたま慰問に来た人間が、たまたまその時に練習してる曲の作曲者だっただなんて・・・

園長さんはこの曲を作ったのが私だということは知らなかったので、
「実はこれ・・・私が作曲したんです・・・」
と言ったら、子供達が私にこう言った。

「すごーい!!(◎_◎;)作曲ってどうやってやるんですか?!!」

その時に私は心に決めたのだ。
「俺が何でも教えてやる!!」

北朝鮮で「ロック」を教えて来た人間である。
カンボジアでこの子たちに何を教えるなんて私にとってはしごく簡単なことである。

Facebookの私の投稿を見て、ある人がこう書き込んだ。
「いよいよカンボジア編スタートですね*\(^o^)/*」

「北朝鮮プロジェクトに続いて」という意味なのだろう。
私はこう返信した。

「北朝鮮に比べたらはるかに障害は少ないですよ(笑)」


映像に立派な演奏機材が映ってるのを見て、後々
「なんだ、この子達は恵まれてるじゃないか。他にもっと大変な孤児院はいっぱいあるのに」
などと言う人が現れるかも知れないので先に言っておこう。

私はこの子達から演奏機材を取り上げて別の孤児院に回せばいいのではなどとは考えない!!(キッパリ)

そもそもが、この子達に小さい頃から伝統舞踊を教えたこの孤児院の創設者が素晴らしいのだ。

「貧しい人に食べ物を与えるのが援助じゃない。釣竿を与えて釣り方を教えて、その人達が自分の力で食って行けるようにすることが大切なんだ」
と言った人がいたが、その通り、この子達は実際に伝統舞踊を踊ったりして収入を得ている。

まだまだ日本などからの支援の額には及ばないが、
それでも「自分で食ってゆく」何らかの「技術」があることは素晴らしい!!

他にも困っている孤児院はいっぱいあることも事実だろう。
でも私は「たまたま」この子達と知り合った。
だからこの子達を先に援助する!!


そして私はこの日、こう心に誓った。
「俺がこの子達をカンボジアで一番の大スターにする!!」

そしたらこの子達は下の子達を食わせていけるというだけではない。
この子達がカンボジアの全ての孤児達の「希望」になる!!

何の才能も環境もない孤児が、頑張ってこんなに成功したんだ!!俺だって!!私だって!!
そう思ってさえくれれば、もう泥棒や売春なんかやらなくたっていい!!

「孤児がのし上がるにはもうなにも犯罪を犯すだけが選択肢じゃないんだよ」
そんな世の中になったとすればそれこそ「大成功」ではないか!!

人を助けるには「力」が要る。
でももしこの子達がそんな大きな「力」を手に入れたとしたら、
この子たちはきっとそんな恵まれない孤児のためにその「力」を使うだろう。

絵空事を言ってるのではない。
この子達には「何か」そんな「力」があるように思えて仕方がないのだ。

北朝鮮ロックプロジェクトが始まって最初に平壌に行った時、6月4日高等中学校軽音楽部の女の子達と初めて会って私はこう思った。

彼女たちの笑顔こそが「ロック」なんだ・・・

考えてみれば、カンボジアの孤児達であるこの子達こそが直接的な「ポルポトの被害者」ではないか!!

だからこそ思うのだ。
この子たちの笑顔こそが「ロック」なんだ!!と・・・

老い先短いこの私が生きてる間にどれだけのことが出来るかわからんが、
たとえ私がいなくなっても、
たとえこの年長組の子達が就職したり結婚したり、バンドが出来なくなっても、
その下の子達がその「夢」を引き継いでゆけばそれでいい。

そしていつかこの国の「希望の星」になってくれればいい。
いつまでも「笑顔」で頑張って欲しい・・・

カンボジア希望の星プロジェクトまとめ

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Posted by ファンキー末吉 at:09:33 | 固定リンク

2018年8月27日

中国ロックの叩き方

さて前回の黄绮珊(Huang QiShan)の次には、共に私がバックを務めた贝贝(BeiBei)という歌手の話・・・

一度彼女の新曲のプレスコンフェレンスに呼ばれてドラムを叩いたことがある・・・
曲のタイトルが「Young Rock Star」!(◎_◎;)

まあRockな喉を持って鳴り物入りでデビューした若いスターなのだからいいけど(笑)

デビューしたての新人歌手はオリジナルのレパートリーがそんなにないので、
新曲発表のプレスコンフェレンスとかならいいけど、30分とか演奏時間ではオリジナル曲が足りない。

必然的にカバー曲を歌うことになるが、その3曲が全て私が叩いてレコーディングした曲だった。

ますこの曲!!

名実共に一番成功したロック歌手のひとりである汪峰(Wang Feng)の曲。
(ちなみに嫁さんは大女優の章子怡(Zhang ZiYi)

毎回アルバムの時にレコーディングに呼ばれて半分以上の曲を叩くのだが、
この曲はこの時に叩いたのかこの時に叩いたのか、はたまた嫁さん連れて来たこの時に叩いたのか・・・

6/8のリズムでこれだけゴーストノート入れてたら中国の若いドラマーじゃぁなかなかコピー出来まい(笑)

案の定、贝贝(BeiBei)のライブ音源を聞いてみると、若いバンドのメンバーはかなり簡略化して叩いているようだ・・・

まあちょっとニュアンスが違って来るけれどもそれはそれでよかろう!!
大事なのは「スタジアムで叩いてる」感覚で叩いているかということだ。

これが若いドラマーには全く出来とらんぞ・・・

「武道館のステージに立ったことがあるバンドは違うね。
ライブハウスで演ったってオーラが武道館だもん」
と言われたことがあるが、
ステージとは「オーラを伝える」ところであるから、
「武道館ぐらいだったら一番後ろの席にも生音で届かせてやらぁ」
という「気迫」が必要である。

特にこの汪峰(Wang Feng)という歌手はいつもスタジアムで演っている人なんだから、
曲を聞いて、求められてるのはこんな感じだろうというのはすぐに伝わって来る。

特に3:18ぐらいからの間奏・・・
1:32からのドラム導入部分にも間奏があって、
これも初顔見世なので思いっきりテンションを上げて叩かねばならなかったが、
その後はAメロに入るので緩やかに落としてゆくけど、
この間奏はもうありったけのアドレナリンをぶち込んでテンションMAXで叩かねばならん。

私が電気ドラムを叩けないのは、
ただの「スイッチ」でしかないドラムパッドは、こんな時に押されるべき「根性ボタン」がないのね・・・

サビまで行って「フォルテ」まで持っていってたら、
その後のこの間奏は「フォルテ+根性」(笑)
もうアドレナリン出まくりで目つきヘロヘロ、ヨダレ垂れまくりで叩いてなくてはならない。

若い衆よ、お前はカッコばかりつけてるが、本当にヨダレ垂らしながら目がイって叩いたことがあるか?(笑)

そしてその後にはまたサビが来るので、そこで気が緩んではならない。

例えて言うと、生死を分けた戦いが終わって、
その瞬間に身体はまだそのまま戦ってるんだけど、
精神は両手を上げてガッツポーズをしてる感じ?・・・

ここでX.Y.Z.→Aだったら二井原が「イエィ!!」だとか「カモン!!」だとかシャウトをするのだ(笑)

ブースの向こうでは汪峰(Wang Feng)がこちらに向かって親指を立てる。

彼には見えてるのだ。
この部分で自分がスタジアムでどんな感情になって客がどのようになっているのかが・・・

ドラムはバンドの「指揮者」。
Funkyがそんな土台を作ってくれた。
あとの楽器はそれに合わせればいい。
自分はその全てに乗っかって歌うのだ、と・・・


この曲は細かいテクニックが色々あって説明に難しいのだが、
次の曲、これは簡単!!

要は「爆発力」である。

0:16や1:18秒からのこのサビの叩き方、
私の中にはこのようなフレーズはないので、
きっと若いプロデューサーの指定だったのだろう。

とにかくこれをアドレナリンばりばりでヨダレ垂らしまくりで叩く!!
要は「爆発力!!」これが欲しいから打ち込みのドラムでなくこのファンキー末吉を呼ぶのである!!

2:00ぐらいから次のAメロに向けて「落としてゆく」のだが、
そこからAメロは
「力を抜くんじゃねぇ!!タイトにするんじゃ!!」
という大切なことを語ろうと思ったらリズムBOXに差し替えられとるやないの!!(笑)

まあ機械にすぐ差し替えられるほどクリックに忠実であることも必要。
2000年頃最初に中国でスタジオ仕事をやった時、
そのプロデューサーが音楽仲間にその音源を聞かせて、
「これは機械ですか?人間ですか?」
と言われたという話を聞いた。

「機械のようなドラムですね」という意味ではない。
「人間ですよね、どうしてこんなに機械のように正確なんですか」
という意味である。

機械的なんてあり得ない。
「ファンキー末吉のドラム」というのはとかく「人間的である」ことであると思っている。

まあ「喜怒哀楽」が激しいんやろうな・・・
だから実際の生活でもそれで人とトラブる(>_<)

でもそんな性格のイビツさがドラムにもちゃんと出ている。
その喜怒哀楽豊かな表現が機械と完璧に同期していて、どの部分もリズムBOXに差し替えられ、もしくは両方生かせて使うことが出来る、
という部分も、私が中国ポップスのレコーディングに大きく貢献した部分のひとつだと思っている。


さてここまでは「喜怒哀楽」の「怒」であるが、
ここからが中国ロックの真骨頂!!

贝贝(BeiBei)がコンサートのラスト曲に選んだのはこの曲・・・

許巍という歌手は、
これも中国ロックの歴史に残る1枚であるのだが、『在別処』というアルバムを録音し、その後順風満帆かと思えばその後に北京の音楽界に失望して西安に帰る。

私はこの『在別処』のデモ音源を彼の部屋で聞かせてもらったことがある。
グランジ系のロックで「中国ロックもここまで来たか」と思った・・・

ここからは都市伝説だが、その後麻薬に溺れ、
禁断症状から抜け出すために家の入り口を釘で打ち付け、
自分で自分の身体を縛って(自分では縛れんじゃろ・・・笑)、
LuanShuがそのドアをぶち破って彼を助け(ぶち破れんやろ、普通・・・笑)
彼の縄を解いて彼を抱きしめた時に彼はこう言った。

「曲が出来たんだ・・・」
その曲がこの「蓝莲花(LanLianHua)」だったという・・・

「帰ろう!!一緒に帰ってアルバムを作ろう!!」
そう言ってLuanShuがプロデュースして作ったアルバムが、この曲が収録されている「时光漫步(ShiGuangManBu)」!

「メンバーは誰でもお前の好きなメンバーを呼べばいい。ドラムは誰にする?」
そう聞いたLuanShu許巍は「Funkyがいい」と答えて、結局全曲私が叩くことになった。

そしてこのアルバムが中国ロックに金字塔を打ち立てるような大ヒットとなり、
私は今だに「許巍のドラマー」とよく言われる。

不思議なもんだ。
今では汪峰に録音した曲の方が多いはずなのに、「汪峰のドラマー」だと言われたことは一度もない。

きっと许巍の伝説のコンサートにいくつも参加してるので人々にはそのイメージがあるのだろう・・・


人々にはあまり知られてないが、
私の中で一番「伝説」のコンサートが、
アルバムが出来て最初のコンサート・・・

今ではスタジアムで演奏する彼だが、
その時は北京の小さな小さな小劇場で行われた小さな小さなコンサート・・・

実は私は前の日、全ての譜面を見ながらそれぞれの音源を聞いていて、
ある瞬間に彼の「詞」が流れるように頭に入って来た!(◎_◎;)

涙で譜面が霞んで来たのを覚えている・・・

コンサート当日、全ての曲のカウントを出すのは私だから、
曲つなぎかMCかを知っとく必要があったので出番直前に彼にこう聞いた。

「MCはどの曲とどの曲の間に入れる?」
それに対してキョトンとして彼はこう答えた。

「MC?・・・喋りなんか入れないよ。俺は歌いに来たんだ」

これもひとつの「中国ロック」の伝説である・・・

何曲目が終わったところだろう、
スティックをかざして次の曲のカウントを出す準備をしてたら、
ステージからいきなりいなくなった。

何も言わずにいなくなったのでこちらとしてはどうしようもない。
LuanShuも一瞬戸惑っていたが、うんうんと頷いて私に「待て」と指示した。

何分ぐらい待ってただろう・・・
5分?10分?・・・
何もアナウンスもせずに無言で待つ時間としてはとてつもなく長い時間だったのを覚えている。

だが不思議なことに、置いていかれた観客がひとりとして声を上げる人間はいなかった。

许巍のファンは熱烈である。
命がけで许巍を愛している。

そんな熱烈なファンが誰一人として騒いだりしなかった・・・

ステージ上のミュージシャンも客席の全ての観客も、
いつまでもいつまでも黙って许巍が帰って来るのを待っていた・・・

噂によれば「トイレで泣いてた」という都市伝説もあるが、
帰って来た许巍は何のエクスキューズもせずに、
何事もなかったかのように歌い始めて、
そして何事もなかったかのようにコンサートは終わった。

その打ち上げの席で偶然許巍の隣に座った私は、
昨夜の話、「突然歌詞が入って来たんだよ」という話から、
「どうして日本人から見たら構成がこんなに変わってるかと思ったら詞だったんだね」
という話・・・
そして最後にこう言った。

「わかったよ、お前の音楽が・・・
お前の音楽はなぁ、絶望の中で一筋の希望を見た、それを歌ってるんだろ?」

これには许巍自身もびっくりして、
「それ以上言わないで・・・俺・・・泣いちゃうから・・・」


また前置きが長くなってしまった。
では「絶望の中で一筋の希望を見た」という音楽はどうやって叩くのか?

これこそが「中国ロックの奥義」である!!

まずこの曲を聞いてみて欲しい。

「时光漫步(ShiGuangManBu)」の中に収録されている许巍の人気曲のひとつである。

そう言えばこのアルバムが発売された時、
突然黒豹のドラマーと零点のドラマーがこう言って電話して来た。

「感服しました。僕たちはゼロからもう一度あなたに学びます」

中国ロックの歴史の中で一番レコード売ったバンドのドラマーと、
中国ロックの歴史の中で一番金を稼いだバンドのドラマーにこんなこと言われるんだから大したもんである(笑)

スタジオ仕事なんか叩いたらどんな曲なのか全部忘れてしまうので、
それからこのアルバムをゲットして聞いたら、この曲のドラムに自分で感激した。

この曲が大好きになって、それこそ毎日毎日、何十回も何百回も聞いた。

聞くたびに思うのが、
「このドラマーはなんて悲しいドラムを叩くんだろう・・・」
ということである。

「このドラマーは、その人生でどれほどの絶望を味わったのだろう・・・」
などとも想像してしまう・・・

まあ自分の人生は自分がよく知っているので「絶望」でもなんでもない。
単に「喜怒哀楽」が人より激しいだけの話である(笑)

では物理的にどのようにその「哀」を表現するのか・・・

これは後で「そうなんだ」と思ったことであるが、
要は「力の抜き加減」である。

1:47からのサビ、
これまで押さえて来たものがもうすぐ全部爆発するぞ・・・みたいなフィルに続いて、サビに入った瞬間にふっと力を抜く。

それが「悲しい」のである。

レコーディングの時には詞など全くわかってなどいなかったが、
実は見事に詞とリンクしている。

「完美生活(完璧に美しい人生)」など「ありえない」のである。
同様に前曲の「蓝莲花(ハスの花)」も同じである。

中国には「どうしようもないこと」がたくさんある。
(中国でなくても実はたくさんあるのだろうが)

天安門事件で仲間を殺され、
中国共産党に目の敵にされてライブを潰され、
そして許巍のようにショービジネスの世界に絶望して故郷に帰ったり・・・

中国の同じ世界で生きて、中国の同じ空気を吸っている私にとって、
その「気持ち」は手に取るようにわかる。

だから叩けたのである。

ではなぜ力を抜くと「悲しい」のか・・・
それはその直前までに秘めている「爆発力」だと思う。

「スローボールは力のないボールではない」
という言葉があるが、同様に
「小さい音は弱く叩くのではない」
ということである。

つまり「力いっぱい命がけで小さな音を出す」のである。

この秘めた「爆発力」が「悲しさ」を生むのである。
「世の中にはどうしようもないことがいっぱいある」
というメッセージとなるのである。

当然ながら「爆発力」が大きいほど「悲しさ」が大きいということになるので、
音の大きなドラマーの方が表現力が大きい。

江川ほーじんが自分のアンプのことを語る時、
「デカい音を出すために大きなアンプを使ってるんじゃない、
綺麗な音を出すために大きなアンプを使ってるんや!!」
と言う。

容量の小さいアンプをボリューム全開で鳴らすより、
余裕のある大きなアンプのボリュームを絞って鳴らした方が、
同じ音量なら大きなアンプの方が音がいいのである。

それと同じ!!


最後に前述の「蓝莲花」の話・・・

歌詞ともリンクするが、許巍のコンサートで若いドラマーがこれを叩いているのを聞いたことがある。

もうね、どうしようもない(>_<)

「没有什么能够阻挡(もう何も阻止するものはない)」
という歌い出しから始まるこの曲は、
ドラマーが最初のシンバルをピシャンと何も考えずに叩いた瞬間に全てが終わってしまう。

強く叩くと詞の意味は「本当に何も阻止するものはない\(^o^)/」という意味になってしまうし、弱く叩くと「絶望の中の一筋の希望」さえもなくなってしまう・・・

その間のほんの一握りのチカラ加減、それ以外に「正解」はないのである。

「リズムとは初恋のようなものだ」
と言ったことがある。

強く抱きしめれば壊れてしまう、
弱く抱きしめれば逃げて行ってしまう、
この恋を失いたくなければ、命がけでちょうどいい強さで抱きしめ続けなければならない。

「命がけでちょうどいい強さで叩き続ける」のじゃよ!!


ほんの一握りの強さの違いで曲のメッセージまでガラッと変わってしまうって凄いでしょ。

ドラムなんて音程もコード感もない、
ただ音の強さと密度だけしかない楽器だけど、
それだけで詞のメッセージすら変わってしまうぐらい大切な楽器なのよ。

ドラムはバンドの「指揮者」!!
だから音楽に最大の「愛情」と、最大の「責任感」を持って挑まねばならん。

別に中国語が分からなくても出来ることである。

曲を作った人が、歌手にこのように歌ってもらいたい・・・
アレンジする人がこのように歌ってもらいたい・・・

「ドラムをどう叩くか」はそのメロディーやアレンジの中に必ず答えがある。
それを敏感に感じ取って、それを命がけで表現する。

それだけである。


・・・てなことを偉そうに言っておきながら、
実はこの日のコンサートの時、
この「Young Rock Star」がこの曲を最後に歌うっつうので、ついつい強く叩き過ぎちゃったのよね(>_<)

そこで「しまった」とばかり弱めたりするともっと目も当てられない。
即座に判断してそれよりちょっと落としたぐらいの自然な流れの強さにして、
結果的に
「私はYoung Rock Starよ!!もう何も私を阻止するモノはないわ!!」
みたいな曲になってしまった(>_<)

すまん!!許巍!!
まあこんな「バージョン」もあるんだということで許してくれ!!(涙)

Posted by ファンキー末吉 at:06:51 | 固定リンク

2018年8月25日

Merry Christmas Blues

昨日は遼寧省の田舎街でのイベントで、
贝贝(BeiBei)という歌手と黄绮珊(Huang QiShan)という歌手のバックをやった。

リハの様子・・・

歌手1のサウンドチェックなう〜遠くに見える仏像に心癒される・・・ - Spherical Image - RICOH THETA
歌手2のサウンドチェック~夕日を浴びて仏像が神々しい~ - Spherical Image - RICOH THETA

本番の様子・・・


贝贝(BeiBei)のことはまた後に書くとして、今日はこの黄绮珊(Huang QiShan)の話・・・

彼女は去年北京で大きなコンサートを開いて、その時も私は呼ばれてドラムを叩いたのだが、同時に新しいアルバムもレコーディングしていて、何曲かスタジオミュージシャンとして呼ばれてドラムを叩いた。

そのアルバムがこれ!!

素晴らしいアルバムなのだが、聞いてみたらほとんどの曲を私が叩いている!(◎_◎;)

スタジオ仕事なんかやったらすぐ忘れてしまうのだが、
ドラムを聞くとなるほど「ファンキー末吉」である。

また、「曲を提供してくれ」と言うので、自分の作品を色々送りつけてたら、
「これが欲しい!!」
ということで、小林エミさんのアルバムに提供した「Merry Christmas Blues」と、
以外にもX.Y.Z.→Aの「Shaning Star」を伴奏音源ごと提供した。

更には「アレンジをしてくれ」と言うので、
へーすけさん、米川くん、仮谷くんのチームで3曲アレンジして音源を納めているので、そんなこんなで ドラムはほとんど私ということになってしまっているのだ・・・

まあコンサートで自分の叩いたドラムを再現するっつうほど「楽」なことはないが(笑)、案の定イベントではいい出来で演奏を終え、その打ち上げの席でのこと・・・


「もうね、この曲がいいのよ・・・」

何の話の流れか忘れたが、新しいアルバムの話になって、この「Merry Christmas Blues」の中国語カバー、「冬城」という曲をスマホで流しながら聞き入っている・・・

「Funkyさん、本当にありがとう、こんな素晴らしい曲を・・・」

作ってくれて・・・と言うのかと思ったら、どうも話が違う・・・
どうやら私はアレンジをしてオケを作っただけだと思っているようだ。

「この曲はね、誰だか知らないけど日本人が作ったメロディーだって・・・
もうね、私は歌手生活で初めて、スタジオに入って最初から最後まで一発OKで録音したんだから。一回しか歌ってないのよ・・・」

あのね・・・とばかりちょっと口を挟んでみる・・・
「この曲・・・書いたの・・・この俺・・・」

そう言うと、
彼女は突然えらく興奮して私に飛びついて来て、
強くハグして、そして涙ぐんだ・・・

「そうなの?あんたなの?この素晴らしいメロディーを書いたのはあんただったのね」

まるで「長く探し求めて人とやっと会えた」そんな感じである・・・
この曲を愛してて愛してて、
「こんな素晴らしい曲を作った人といつかお会いしたい」
と思ったら意外にもその人が目の前にいた・・・
そんな感じである・・・

彼女の涙に私の涙腺も緩み、抱き合って一緒に泣いた・・・
こんなこと・・・曲を書く人間にとって最高の誉め言葉である(涙)


曲は「自分が生み出した子供」だと思っている。

自分で歌を歌える人間でない限り、
どんな素晴らしい子供も、生み出したところで歌ってくれる人がいなければ生命を吹き込まれない。
(だから最近はお恥ずかしながらも自分で歌おうと思い始めた)

それがこの大歌手にこれほどにまで愛されて、
この我が子は、そして私自身はどれだけ幸せなことかと思えて泣けて来たのだ・・・

「見て見て、MTVも作ったのよ。これも最初から最後まで1カットで撮ってるの・・・」

MTVまで作ってるのならこの曲がアルバムの「リーディングソング」なのだろう、
嬉しい限りである・・・


この曲はもともと、イラク戦争かなんかの時に北京で書いた曲である。

主人公は関西弁のはすっぱな女。
自分のことを「あたい」と言い、相手のことを「あんた」と言う。

実際はそんなはすっぱな女と会ったことはないのだが、
そんな女が私は好きで色んな歌に登場させたりする・・・

そんな女が男を愛し、想っても想ってもどうにもならない、
そんな絶望の中で、「人に優しくしよう」と思って来る。

そんなはすっぱ女が好きである・・・


詞は別にして、誰か中国の歌手に歌ってもらえればと思ってはいたのだが、
当時の中国はまだインターネットがあまり普及してなく、
今と違って外国の情報に乏しいので「純国産風」の楽曲しか採用されなかった。

第二期の五星旗でヤンヤンに歌ってもらったりはしてたのだが、
最初に歌って「レコード」として世に出してくれたのは三井はん

「三井ぱんと大村はん」のアルバムラッカンサンというアルバムに収録され、
その後小林エミさんのこのアルバムに収録された。

(ちなみにエミさんは「あたい」とは私は言わへんなぁ・・・
というわけで「わたし」に変えている)

もうね、和佐田のベースはいいとして(笑)、
西野やすしさんの泣きのギター、
そして須藤光さんのオルガンは涙モノの演奏・・・(涙)

そしてこのバージョンが海を越えて中国でそのまま使われ、
そしてこの大歌手がイチ押しで歌うならきっとこの国でヒットして、
更に色んな人に愛される曲になるだろう・・・


当時私は別にJASRACと揉めてたわけではなかったのだが、
この曲はずーっと著作権登録をしていない。

「世界平和」のために作ったのだから、漠然と
「この曲は色んな人に歌ってもらいたい」
と思っていたからである。

だから当初の考え通り、もし日本でもこの曲を気に入ってくれる人がいたらどんどん歌って欲しい。

音源と譜面をアップしておきます。

世界がもっともっと平和になりますように・・・

MerryChristmasBluesOriginalKey.png


Merry Christmas Blues

A: 明日はChristmas あんたと出会って 初めて過ごした夜だった
あたいの人生 どうせこんなんやから せめて明日は祈りたい

A' いつかはきっと 争いもなく 平和な日々が来ますように
憎しみより 愛するみたいな あたいになれますように

B' こんな気持ちに なれたのもきっとあんた あたいのたったひとりのJesus
いつでもあんたを 忘れはしないと 泣いた遠い日のMemory

A'' あたいの人生 どうせこんなんやから せめて明日は祈りたい

<間奏>

A' いつかはきっと 争いもなく 平和な日々が来ますように
憎しみより 愛するみたいな あたいになれますように

B' 神様なんて あたいにゃわからへんけど 悲しい時はあたいのJesus
いつでもあんたを 忘れはしないと 誓ういつものMerry Christmas

A'' あたいの人生 どうせこんなんやから せめて明日は祈りたい
心から祈りたい いつまでも祈りたい

アーメン

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2018年7月 8日

恩師との思い出

おい、宇多津町長の娘であり、玉木雄一郎議員を国会に送り込んだ元敏腕秘書のH女史、お前は人を集めるのが趣味かい!(笑)

四十九日終わって大阪に帰る前に、同級生から県会議員まで声をかけて「ファンキー末吉を囲む会」なるものを企画している(>_<)

「こいつ絶対ワシをどっかから出馬させようとしとるな(笑)」
と思いつつも
「ミュージシャンやっとる間は絶対に政治と宗教だけはやらんからな」
と言いながら出席させて頂いたら、なんと高校の時の恩師がいらしてくれていた。

宇多津町長の娘、玉木雄一郎議員を国会に送り込んだ元敏腕秘書のH女史、人を集めるのが趣味かい!(笑) 「ファンキー末吉を囲む会」に県会議員から同級生まで集まって、一番嬉しかったのが恩師の北条先生!! 今日も思わぬエピソードで目頭が熱くなりました!! 続きはブログに書こう・・・ - Spherical Image - RICOH THETA

御歳74歳、まだまだお元気で大手前高校で働いてらっしゃるというのでびっくりした。

私の通っていたこの大手前高校という学校は、香川県でも有数の進学校。
今ほど履修に関して厳しくなかった当時、
体育など受験に関係ない授業は全くなく、文化祭や修学旅行などもない、
それはもう「高校」というよりも「予備校」、
もっと言えば当時の気持ちとしては「監獄」だった。

まあこんな学校なのだから勉強して偉くなるヤツはなるし、
落ちこぼれてグレるヤツはグレる・・・

後者がこの私(笑)
そこに赴任して来た担任がこの恩師である。

後に奥さんからこの話を聞くことになるのだが、
実はそれまでエリートサラリーマンだった恩師、
当時流行ってた「われら青春」とかの学園ドラマを見て、
「俺は教師になる!!」
と言ってサラリーマンをやめた。

大きな夢と希望を抱いて最初に赴任して受け持ったクラスが、この私のクラス・・・

そこには毎回ドラマに登場する「落ちこぼれ」がいた・・・それが私(笑)

きっと
「こいつを立ち直らせることが自分が教師になった使命なのだ」
とか思ったのであろう、私にとってはとてつもなく「暑苦しくてうっとおしい」先生だった(笑)

今の時代だとこんなことも皆無なのかも知れないが、
「今度の日曜日にみんなで先生の家に遊びに行こう」
となって初めて先生のお宅にお邪魔した時、
奥さんが私の顔を見てこう言った。

「あんたが末吉くん?!!」・・・

上記のエピソードを語ってくれたのはその時である。
どうやら先生はいつも学校から帰ると私のことを話題に出してたようだ(笑)

「この子は決して悪い子じゃない。こんなにリーダーシップがあるんだから、この子さえもっといいようにクラスを導いてくれたらうちのクラスは最高のクラスになる」
とかこぼしていたようだ。

「こんな監獄のような学校で何が最高のクラスじゃい!」
と当時はそんなことを思ってたのを覚えている・・・

そして今日の再会の時に、
先生からまた新しいエピソードを語って下さって顔を赤らめた。

「当時若い国語の先生がいらっしゃったのよ。
その新米の先生をいじめるみたいな感じかなぁ・・・
終業ベルがなる5分前に突然生徒が「起立!!礼!!着席!!」と号令をかけて強制的に授業を終わらせる・・・
全員が一糸乱れずそれをする・・・そんなクラスだったんですよ・・・
後でその先生に「なんてクラスなんですか」とクレーム言われましてねぇ・・・(笑)」

はい、それ・・・私が号令かけてました<(_ _)>

そして次のこのエピソードは今までも色んなところで語って来たから有名だが・・・

リッチーブラックモア率いるレインボーが来日して広島でコンサートをやるというので、他の学校のバンド仲間と学校をサボって見に行った。

他の学校は自分で学校に電話して
「風邪ひいたんで休みます」
とでも言えばそれでよかったのだが、
うちの学校は厳しいので必ず折り返し学校から確認の電話が来る。

母が学校からの確認電話を受けた時には、
もうドラ息子達は鈍行列車と連絡船で広島に向かっていた。
当時のことだから携帯なんかありゃしないので連絡なんかつきやしない。

コンサート終わってまた鈍行列車と連絡船に乗って真夜中に帰って来たら、おふくろはカンカン!!
そして学校に行ったら案の定先生が私を手招きして「カウンセラー室」に呼ぶ。

このカウンセラー室は当時私専用と言ってもいいだろう、色んなことでいつも呼ばれてはここで説教されていた。

「昨日はウソまでついて学校休んで何をしてた」
熱血先生はこの日も説教する気マンマンである。

「レインボーのコンサート行ってました」
「何やそのレインボーっつうのは」
「ロックです」

そんなやり取りの後、先生はこう聞いた。
「勉強とそのロックとやらとどっちが大切だと思ってるんだ」

その時に私はこう答えた。
「勉強は明日頑張れば取り返せるけど、レインボーは今日を逃したらもう2度と見れない」

さて熱血先生、いつもだとここからが長いのだ・・・(笑)

しかしその時、ちょっと考えて先生はこう言った。
「そうか、わかった。じゃあ勉強の方も頑張れ!」

拍子抜けして呆気に取られている私を尻目に、先生はさっさとカウンセラー室を出て行った!(◎_◎;)

そして今日、先生は更にこんなことも語ってくれた。
「あの時に私は思ったのよ。こいつにとって今勉強より大切なものがある。
どんな生徒にも今、勉強よりも大切なことがあるんだなということがわかった。
教師としてあの時、私は末吉に大切なことを勉強させてもらったよ」

私はその話を聞いた時、涙が出そうになった。
「先生、そんなええもんとちゃうんです。単なる悪ガキの子供じみた言い逃れですから(号泣)」
そんな言葉を涙と共にビールに流し込んで飲み込んだ。

今、その「ロック」とやらで生計を立てているわけで、
それも相成ってこのエピソードは「伝説」になっているだけのことで、
先生は今日、こんなこともおっしゃってた。

「末吉は昔からバイタリティーがあった。
こいつは何をやっても生きていけるな、そう思ってたよ」

そうなのだ。
例えその後私が「ロック」とやらをやってなくても、
私は持ち前のバイタリティーとやらで何とかこの世の中を生き抜いて、
そしてこのエピソードはきっと自分の人生の中で、きっと同じように「伝説」となってただろう。

そう言えば、それより前か後か、
あまりに成績が悪くてまたこのカウンセラーに呼ばれた時にこんなことを言ったことも思い出した。

「大学になんか行くつもりはない。学校もやめてしまってもいい。
僕は大阪に行ってブルースをやるんです!」

当時は四国の片田舎は関西の文化圏、
関西では上田正樹やウエストロードブルースバンドを筆頭とする大ブルースムーブメントが吹き荒れてた。

東京なんてところに行くつもりなんかサラサラない。
梅田か難波か、キタとかミナミとか言われているまだ見ぬ素敵な街の、
場末のキャバレーかどっかでドラムを叩いて、
人生に疲れたブルースな女性と一緒になって、
それこそブルースの歌に出て来るようなブルースな人生を送る・・・
それが若き日の私の「夢」だった。

そう言えばその時にも先生は、怒るでもなくたしなめるでもなく、こう言った。

「そうか、でも別の人生もあるかも知れんということも考えておいた方がいいぞ」

その通り、別の人生もあった。
ニューヨークに行ってJazzをやるか、東京に行ってRockをやるか、
後には「大阪に行ってブルースをやる」という夢は、もう形を変えて別のものになってしまい、
そして東京を選んで今がある・・・

恩師とて後に私がこのような人生を送るようになるとは思ってなかっただろう。
ただ、恩師が言うように私はどんな職業についたとしても、きっと持ち前のバイタリティーとやらで何とかこんな風に生きて来てただろうと思う。

感謝すべきはそのバイタリティーを恩師は一度たりとも叩かなかったことである。

その「バイタリティー」だとか「リーダーシップ」とやらがいつもクラスを悪いように導く。
だけど恩師はそのことについて私を叱ったことがない。

ただただ家に帰ってはいつも奥さんに愚痴を言いながら
「どうすればよくなるんだろう」
などと悩んでいたのだ・・・(涙)

そう言えば先生の担当だった世界史が私はどうしてもダメで、
赤点で卒業すら危うかったのによく卒業出来たなぁと思う・・・

普通の学校だったら本当に留年してたかも知れないが、
ここにこの学校の「特殊性」がある。

当時商店の息子はその商店を継ぐのが暗黙の「常識」で、
私も家業だった中華料理屋「平和園」を継ぐであろうということで何も考えずに文系のクラスを選択していた。

しかしその実、文系の教科はどれもからきしダメで、
何故か数学だけはべらぼうないい点数を取ってた私に、
数学の比重が多い文系の大学ばかりを選んでくれたのはこの恩師である。

私の受ける大学は数IIIまで必要。
だが文系のクラスなので履修は数IIしかない。
数学の先生と相談して、
私だけ数学の授業は一番前の席で数IIIを自習、
数学の先生が他の生徒には数IIを教えながら時々私の自習を見る・・・

こんな型破りなことが出来たのも、
当時のこの学校が今ほど履修に厳しくなかったことと、
この学校が「大学に受かればそれでいい」というそんな「特殊」な学校だったからだろう。

「こんな学校だからこそ最高のクラスにするんだ」
と燃える熱血教師と、
「こんな学校だから俺は監獄の外でバンドをやる」
というこの生徒とは、
一見交わるところはないように見えて、
見事に当時の「青春学園ドラマ」のように、この落ちこぼれが恩師の指導によって立ち直ってゆく・・・

当時は「こんな最低な学校」と思ってたけど、
今思えばそんなことは決してない。

こんな学校だったからグレて「ロック」とやらを始めたわけだし、
こんな学校だったから自分なりに好きな教科だけいっぱい勉強して、
入口だけでも普通の人生を送ってみることが出来た。

だから「今」がある。

嬉しいかな恩師は私の「今」をよしとしてくれていることだ。
そしてそれは決して「成功したから」とかではない。

「末吉はやっぱり末吉だな」
そう思ってくれてることがこの落ちこぼれの生徒にとって何よりも嬉しいことなのである。

恩師にとっては一生忘れられない「最初に受け持ったクラス」であるが、
私たち生徒にとっても一生忘れられない高校生活である。

青春ドラマのように「最高の先生」と「最高のクラス」だったと思うぞ!!

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2018年6月27日

生楽器の新しいレコーディングのやり方

弦や管の生楽器レコーディングはアレンジャーにとって晴れの舞台!!

打ち込みやバンド録音などは長くやっていても、
これら生楽器をアレンジしたことない、もしくは出来ないというアレンジャーも少なくない。

日本の場合、これら生楽器のレコーディングは予算もかかるし「敷居が高い」というのもあった。

その昔、バブルでスタジオミュージシャン全盛だった頃、
売れっ子ミュージシャンは高級カーを乗り回してスタジオをハシゴしていたと聞く。

彼ら売れっ子ミュージシャン達にとって、
ぽっと出の新米アレンジャーなど格好の「イジメ」の標的であったとも聞く。

当時はコンピューター譜面などはなかったので、
一生懸命手書きで書いたオーケストラ譜(スコア譜)を、
写譜屋さんという専門業者に出してそれをパート譜に書き直してもらう。

売れてる写譜屋さんなどは写譜ペン一本で家が建ったと言われていた時代である。

人間が手書きで書いているのだから当然ミスが出る。
優秀な写譜屋さんは音楽的に判断してそのミスを直してくれてスコア譜にしてくれたとも言うが、それでも人間がやってるので当然ミスは出る。

#やbなど明らかに写譜ミスだろうという音でも、
意地悪なプレイヤーはワザとそのように間違えて音を出す。

アレンジャーの耳を試しているのだ。

「音は濁っているけどどれが間違いかわからない」
とパニクっているアレンジャーに容赦なく罵声を飛ばす。

「おい、アレンジャーさん、この音はこれの間違いじゃねーのか!!」

そんなことが平気で行われていたというのだから、生楽器のレコーディングはさしずめ「戦場」である。

かく言う私もスタジオでイジメられたことはある。

「音が濁っている」と感じたら、
とっさにどのパートが間違えているのかを聞き分けて指示を出す。

それが瞬時に出来なければ罵声が飛ぶのだから「命がけ」である。

特に弦楽オーケストラのビオラなどは小学校の音楽の時間に習った「ト音記号」でも「ヘ音記号」でもない「ハ音記号」で書かれているのでとっさにどの音なのかが口に出せずにしどろもどろになったりする。

レコーディングが終わると冷や汗で身体はネトネト、
しかしそんなことが私の音楽人生には大きな「経験」となった。

経験値が高くなるともうナメられることもないし、
何よりも、いつの間にやら録音に来るミュージシャンよりも、私の方が数段歳上になってしまった(笑)

いつの間にやら、ストリングスだったら中国ではこのオーケストラ、みたいな「チーム」が出来上がって来る。

彼らは「プロ」なんだからどなた様の書いた譜面でも演奏する。

小沢征爾が中国に来た時に呼ぶオーケストラなどが、私の仕事なんかにも来てくれるということになってしまうのだ。

中国のスタジオミュージシャンは「1曲いくら」なので、
当然ながら順調にレコーディングが進んで早く家に帰れた方が「時給」が高くなってよい。

「アレンジャーいじめ」なんかやってるヒマなんかありゃしないのだ。
一致団結して、なるだけ高いレベルの演奏を短時間で録り終えれるように一緒に頑張る。

弾き方のニュアンスなどを書き込み忘れてたって、
棒弾きなどしてアレンジャーをイジメているヒマなんかない。

「こう弾けということだろうな」などとコンマスが判断して、
もうとっとと指示を出してリハーサルを始めている。

こちらはそれを聞いて「そうそう」とか頷きながら(笑)、
万が一これがライブなどで演奏される時のために、それをスコア譜にメモ書きで追加しておくのだ。


しかしこれだけシステムが出来上がっていても、
それでも私にとってはオーケストラのレコーディングはやっぱり命がけである。

気を抜いたら失敗する。

前回映画音楽の時にこんな失敗があったのも、
気を抜いてアシスタントなど使って
「低いなとか思うところがあったらオクターブ上げたりして譜面整理しといて」
などと指示していたからだ。

現場で音が違って聞こえる・・・
こんな風に書いたつもりはないのだが、
でもどこが違うか全くわからない・・・

冷や汗をかきながら譜面をガン見してどのパートが間違えてるのかを探るが、
どう聞いても誰も間違っていない・・・

時間切れ(>_<)

オーケストラを帰してからひとりで検証してみると、
実は原因は、アシスタントがどこかのパートをオクターブ上げるか下げるかする時に、間違えて5度上げるか下げるかして譜面を印字していたのだ。

譜面が間違っていた(>_<)

他の楽器のコードを変えて事なきを得たが、
それ以来気を抜くこともなく、毎回命がけで現場に挑んでいる。

ところが先日、
布衣の次のリーディングソングに弦を入れたいということで、
鼻息荒くして現場に行った時に肩透かしを食らった。

いつものように譜面を印字してそれとにらめっこ。

「このアレンジでいいのだろうか」
そんな気持ちを飲み込んで
「昨日まであれだけ試行錯誤してこれに落ち着いただろ!!自分を信じろ!!自分が書いたこの譜面を信じるのだ!!」
と自分に言い聞かせる。

これ即ち「自分との戦い」・・・

ストリングス録音です〜毎回ながら緊張します〜 今日のオーケストラはいつもの人達とちゃうからな〜なおさらです(>_<) 頑張るもへったくれもない、夕べ書いた自分の譜面を信じるしかない!! ちゃんと書いたからちゃんと録れるじゃろ!! - Spherical Image - RICOH THETA

私は指揮こそしないが、
オーケストラに指示を出すのと、生の響きがどう聞こえるのか勉強のために、
いつもブースに入って指揮者の位置で聞くようにしている。

ちなみに、今どき中国でのポップスのオーケストラ録音に指揮者など来ない。
みんなクリックとBaoHaoという小節番号を録音したトラックだけを聞いてそのまま録音するのだ。

つまり、そのBaoHaoの録音こそが指揮者の代わりとしてアレンジャーの大きな仕事なのである。
(中国ならでは)

ところがエンジニア曰く
「あ、BaoHaoはもう録音してありますから」

更には
「ブースで聞かなくてもいいですよ。コンソールで聞いて下さい。あとは僕らがやっときます」

オーケストラのコンマスがやって来た。
いつもの人とは違う。

おそらくいつもの人は国家級の偉い人になってしまったのでその下が来たのだろう。

「じゃあ譜面を下さい」
コンマスは自分の弾くパート譜ではなく全部のパートがあるスコア譜を要求、
ブースに入らずにコンソールルームでスコア譜を見ながらオーケストラに指示をし始めた。

「何小節目、ニュアンスとしてはスラーで弾いてみようか。
セカンドバイオリン、この部分モタらないように気をつけて」
など指示をしながら簡単にリハーサル。

「こんな感じでいいですか?」
と私に確認してその場でレコーディング開始!(◎_◎;)

つまり「ディレクション」という一番の「戦いの場」をコンマスが私の代わりに全部やってくれるのだ・・・

ワシ・・・全くやることないんですけど・・・(笑)


時々弾き方に関して
「これはこのような弾き方がいいですか?それとも」
などと選択肢を出して来るので
「こっちがいい」
と選べばそれだけでよい。

そして逆に私がディレクションするよりも音に対する要求が厳しい。

私ならOKとして後で聞き直して判断するテイクでも、
早めに止めてさっさとやり直しをさせる。

「餅は餅屋」である、きっとその方が高いクオリティーを短い時間で録り終えることが出来るのだ・・・

あっと言う間にレコーディングは終了し、
オーケストラをバックにMV撮り!!

これは1曲分のためにスタジオを押さえると、
スタジオ代もオーケストラのギャラも割高になるので、
「1曲半」としてMV撮りのために先ほど弾いた譜面を2回通り最初から最後まで弾いてくれという風にブッキングしたためである。

私はもう役目を終えたので、
最初のテイクはスタジオの中で聞いて、
実際自分の書いた譜面がどのような生音として響いているのかを勉強のために頭に叩き込んでおく。

2回目はコンソールルームでもう一度、バンドの中でどう聞こえるのかを最終チェック!!

まあ問題があるはずがない。
そのままさっさとオーケストラは帰って行った。

「录得很好!!(素晴らしい録音でした)」
そう言ってコンマスを褒めると、
「写得好!!写得好!!(あなたの書いた譜面がいいからですよ)」
と言われる。

この瞬間が「合作愉快!」
戦い終わったアレンジャーとプレイヤーが心を交わす至福の時間である・・・

・・・とか何とか言いながら今回ワシ・・・全く戦ってないがな(笑)

これらのブッキングを全部やってくれたLaoLuan曰く、
「最近はもうアレンジャーは現場に来ないよ」

!(◎_◎;)・・・そこまでシステム化が進んでいる?・・・

中国最高峰のアレンジャー、三宝や捞仔などは、
もうメールでここに譜面とDEMOを送りつけるだけで、
あとは全部このチームが完璧に録音して送り返して来るそうな・・・!(◎_◎;)

考えてみればドラムも最近そうよなぁ・・・

データが送られて来て、ガイドで打ち込まれたドラムパターンを聞いて、
そこにドラマーとしてアイデアを加えてひとりでレコーディングして、
ちょっと迷った部分があったらテイク2も録音しといて、
データをネットで送ってそれで仕事終わり。

それもこれも私自身がプロデューサーでもあるので、
「この音楽だったらこうだろう」
というのを織り込んでゆくから出来ている部分もある。

オーケストラでこれが出来るというのは、
やはりこのエンジニア自身もその「センス」があるからではないかと思う。

日本ではエンジニアは文字通り「技師」であり、
音楽の内容には口を出さないという不文律があるが、
中国では参加する全員がプロデューサーなので(笑)
それによってこのシステムが成り立っているのではないかと思う。
(まあまかり間違えば時々このせいで大混乱を生むのだが・・・(笑))


さてまた長い長い前置きはさておいて、
今回北海道ツアーの間に更に民族楽器もレコーディングせねばならなくなり、
さっそくこのシステムを使わせてもらった。

その都度このようなショートビデオが送られて来て状況が伝わって来るのだが、
最初は「録り終わったらmp3で送ってね〜確認するから」と言ってた私も、
そのうち「いいや、もう聞かないからそっちで勝手に録っといて」となった。

奏者も知り合いで何曲が一緒に仕事をしてるので、
「こんな弾き方もあるわよ」
と色々送って来てたのだが、
「それもいいねぇ〜じゃあそのバージョンも録って入れといて」
でそれでいいのだ。

聞くのは全部録り終わってデータ送ってもらってから選べばよい。

釧路でファンキーはんと大村はんのライブをやっているうちにレコーディングは無事に終わったようだ。

ライブ終了後に携帯を開くと、
データと共にこんなメッセージが添えられていた。
「写得好!!真好听!!(いいアレンジだ。とってもよかったよ)」

その場には一緒にいないが、アレンジャーとミュージシャン、
そしてこの「チーム全体」が作った音楽が高いところに昇って行った気がしてとても嬉しかった。

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2018年4月25日

誰がためにドラムを叩くのか

このツアーが始まってから、どこだっけか・・・おそらく紹興かどっかのライブ終了後に、
「哎呀,今天的演出真好啊!!(今日のライブよかったねぇ)」
LaoWuに言ったことがあった。

バンド用語で「初日が出た」という言葉があるが、まさにそれである。

ライブ終了後の物販販売サイン会も終わり、
スタッフが機材を片付けている間、楽屋でビールを飲みながらそう言って、
続けてLaoWuにこんなブラックジョークを投げかけてみた。

「どうだい?お前の新しい(この)バンドは?前のバンドと比べてどうだい?(笑)」

まあ気の置けない仲間同士の冗談なのであるが、
LaoWuはちょっと苦笑いをしながらこんなことを言った。

「好太多了(良すぎるよ)・・・记得那天一起演出的鼓手吗(あの日対バンしたドラマーのこと覚えているか)?」


あの日対バンしたドラマー・・・

あれはLaoWuの住む院子に私が引っ越して来てすぐの頃・・・
その頃の布衣はライブをやったって数人ぐらいしか客が集まらないバンドだった。

全くと言っていいほど金にならないバンドだったので、
メンバーも何か用事を入れては来られないということが多く、
その日もドラマーが来られないということで私が駆り出されて行った。

その日のライブは何と一晩に2つのライブハウスをハシゴするというもの・・・

でもひとつ目のライブハウスにもほとんど客はいない(笑)
そちらの出番は一番最初にしてもらって、終わったらすぐにふたつ目のライブハウスに車を飛ばす・・・

そしてふたつ目にもほどんど客はおらず(笑)、
それでも汗だくでドラムを叩いた後に、ビールを飲みながら対バンの演奏を見ていた・・・

ちなみにその日もらったお金は、2つのライブ合わせてバンドみんなで20元、
私の飲んでるビールはもちろん自腹で20元・・・

まあこの日の収支は15元の赤字である(笑)

それでも命がけでドラムを叩いた後のビールは旨い!!
この一杯のビールのためにドラムを叩いていると言っても過言ではない!!(笑)

ところが対バンのドラマーを見てたら、そのビールも不味くなってしまうようでむっちゃ腹がたった。

そのドラマーは、後ろの壁にもたれてやる気がなさそうにドラムを叩いていたのだ・・・

リズムが悪い、グルーブが悪いという次元ではない。
「態度」が悪い!!

何やら自分が大切にしている何かを冒涜されているような気がして、私は腹がたって腹がたって仕方がなかった・・・

こいつがステージから降りて来たらこってり説教してやろう・・・
と思ったのだが、大人気ないと思い直して「帰ろうぜ」と言ってその場をあとにした。

帰りの車の中でも怒りが収まらない。
LaoWuに言ったところでどうしようもないのだが、
「何なんだ!!あのドラマーは!!」
と愚痴が止まらない・・・

「俺なんか5元もらって20元のビール飲んで、15元の赤字でも命がけでドラム叩いてんのに、何だあいつは!!そんなに金が欲しけりゃ三里屯の箱バンの店でも行って流行歌でも叩いてろ!!」

・・・ってそこかい!!(笑)


まあその時の思い出話を語りながら、
「バンドのメンバーみんながあの時のドラマーみたいな状態だったんだ・・・」
LaoWuは苦笑いしながらそう言った。

まあ難しいよねぇ・・・

これだけ長いツアー廻って、
毎日同じ曲、同じ曲順、同じような客の反応・・・

モチベーションをどこに置くかを見失ったら誰にだってそこに陥ってしまうだろう。

LaoWu自身だって容易に陥ってしまう状態のところを、すんでのところで踏みとどまっているにすぎないのだ。

彼の中にはいつもあの時の私の姿がある。
「Funkyさんはあのドラマーとは違う」
だから自分もそうなってはいけないんだ・・・

じゃあこの私はどうしてこんなに頑張ってるんだろう・・・
楽屋でビールを飲みながらふとそんなことを考えた・・・


話はちょっと変わって、重い話ではなく「神様」の話・・・
私にはちょっとバカみたいな「宗教心」がある。

中学生の頃、姉を事故でなくしてから漠然とこんなことを考えている・・・

人は死んだら雲の上で穏やかに暮らしている。
そこにはテレビがあって無限のチャンネルがある。

そのチャンネルにはそれぞれ、まだ生きてる人の人生が放映されていて、
あるチャンネルでは、この人はこの人の人生の「脇役」、
でもチャンネルを回すと、この人がそのチャンネルの「主人公」。

各チャンネルには「視聴率」があって、
面白い人生を送った人は、死んだ時にその雲の上に上がった時に神様みんなに拍手で迎えられる。

だからもっと面白い人生を送りたいな、と・・・

まあ当初は死んだ姉のぶん、
楽しいことも2倍、悲しいことも2倍、人の倍生きてやろう・・・
みたいに考えていたのかも知れないが、
いかんせんこの歳になって来ると、
友達がいっぱいいっぱい先にそこに行ってしまい(笑)
もうね、今では
「お前のぶんまでは何倍も生きられんよ、まあせいぜいこのチャンネルを楽しんでおくれ」
程度である(笑)

そんな、先に逝った友達の中にこいつもいる。

生きてるうちは酒ばっか一緒に飲んで、
ただの「バカな酒飲み友達」だったのが、
死んでから本当に中華圏のロックの「神様」になりよった!(◎_◎;)


当時一緒に飲んでた頃、
私は日本という国では「爆風スランプ」のイメージが強すぎて、
好きなJazzなんかやっても誰も見向きもしなかった。
(今でもそんなに見向かれてはいないが・・・(笑))

ところが彼はある日、そんな私のライブを初めて見に来てこう言った。

「凄いよ!!全く素晴らしい!!毎月やってんのか?次のライブも絶対に見に来るからな!!」

そしてそれが彼と交わした最後の会話となった・・・

だからなぁ・・・毎回ライブではヤツが見てると思うとさぁ・・・・

誰でも大切な人がライブ見に来てたら頑張るだろ?
俺の場合、いっぱいいるんだよなぁ・・・あそこから見に来てる人(笑)

しゃーないなぁ・・・


まあ昔は、こんな風に自分は先に逝っちまったこいつらの為に頑張ってんのか、と思ってたのだが、
先日こいつの墓参りの時にちょっとしたことに気がついた。

タクシーが墓地の入口までしか行ってくれず、
重いリュック背負って汗だくになってこいつの墓まで山道を歩いて、
幸い平日の午前中なので誰も墓参りに来ていない。

休憩がてら墓の前で座り込んで、ひとりこいつに色々と話しかけてる自分がいる。
「どうだい?俺の人生は?笑ってもらえてるかい?(笑)」

ところがしばらくして、
「自分は誰に話しかけてるんだろう」
と思って来た。

もちろん死んだ人の魂がここにいて眠ってるわけではない。

となると、私は自分自身に向かって話している?・・・
つまりは「自問自答」である。

言い換えれば、こいつはこの墓の中にいるわけじゃない。
こいつは私の心の中にいるのである。

別に「ステージを見に来てる」なんて言ったって、
ステージの天井の照明の梁んとこにこいつがいるわけではない。
ドラムを叩いてる自分の心の中にいるのである。

だから「こいつのために」とかいうのはちょっと違う・・・
しょせんは「自分のために」なのである。


中国語で「信仰(XinYang:シンヤンと読む)」という言葉がある。

言うならば私は「私の信仰(XinYang)」のためにドラムを叩いているのであるが、
この「信仰(XinYang)」という中国語は、日本語の「信仰(しんこう))」とはまたニュアンスが違っていて、日本語で言い表すのが非常に難しい・・・

強いて言えば「自分の信じる道」、「生き様」、
私流に言うと「武士道精神」みたいなものだろうか・・・

重要的就是"信仰"!・・・私はLaoWuにそう言った。
「大切なのは"信仰(XinYang)"、それさえあればあの日のあのドラマーみたいにはならないんだよ」
と言ったのである。


例えばこういうことである。

私たちはまだ神じゃない、小さな人間なんだから、
モーゼのように海を真っ二つに割ったり出来ないし、
キリストのように死んで生まれ変わったりも出来ないし、
ブッダのように悟りを開いたりも出来ない。

「神業」なんてまだまだ出来っこないけど、
何かの「偶然」が重なって、ひょっとしたら「神が降りて来る」みたいなことがあるかも知れない・・・

「偶然」・・・それは神様のほんの小さな「いたずら」なのかも知れないが、
それを掴むためには、ちっぽけな「人間」なんかがやれることといったら、しょせんはこのふたつだけしかない。

「努力」と「準備」・・・ただそれだけなのである。

でもこのままそれを続けてゆけば、
いつかは神様の「いたずら」で、ほんの「偶然」に「奇跡」のようなライブが出来るかも知れない・・・

「奇跡」は信じてれば必ず起こるし、
信じてなければ絶対に起こらない。

考えてみれば俺たちはいつか「奇跡」を起こすためにライブやってるんじゃないか?・・・
客はその「奇跡」を見るためにこうして金払って足を運んでんじゃないか?・・・

そんな風に思ってやり続けてゆく限り、
俺たちはもうあの日のあのドラマーみたいになることはない。
但し、そのままくじけたり、諦めたりしなければね・・・

だから「くじけないこと」、「諦めないこと」、それを「ROCK」と言うんだ!!

这就是我的"信仰"!!

今日もそう言って気合入れてステージに立つ!!
「初日」が出てからまだそれを超えるステージは出ていない。

「奇跡」はまだまだ手の届かない遠いところにあるのかも知れない。
でも必ず「奇跡」は起こる!!

信じること・・・それを「ROCK」と言うんだよ・・・

这就是"摇滚的精神"!!

おりゃー!!今日もやるどーーー!!!

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2018年4月23日

若者よ、もっと経験を積んで帰って来い!!

もう30年近い付き合いで「家族」のような関係であるLaoLuanからツアー先に電話があった。

「この前レコーディングしてもらったあの歌手なんだけどさぁ・・・」

一瞬あまり愉快ではない記憶が思い出されて来た・・・
この歌手である・・・

その後、この歌手の全国ツアーとかをやってくれとかの話もあったが、
私自身がもうこの布衣のツアーで出ずっぱりなので話が立ち消えになっていた。

「Funkyさん、请帮个忙(QingBangGeMang)!!」

つまり「ちょっと助けて下さいよ」・・・中国ではよく出て来る単語であるが、
この言葉から始まる会話は往々にして厄介な話が多い・・・(>_<)

「布衣のツアーにゲストで参加させてやって欲しいんだけど・・・」

いや、私は単なるドラマーとして呼ばれているだけであって、
私が布衣に対してゲストを入れさせる権限など持ってないよ・・・

「その辺の話はボーカルのLaoWuかマネージャーに言ってもらわないと・・・」

「いやそこには話を通してある」
というので、それだったら私がとやかく言う筋合いはない。
LaoWuが「やれ」と言えばやるし、断ったとしたら私の出る幕ではない・・・

・・・ってまあLaoWuも業界の重鎮であるLaoLuanから頼まれたら断れんわのう・・・(笑)

「那拜托了(Na BaiTuoLe:じゃあよろしく頼むよ)!!」
で電話は切れた・・・


かくしてその当日がやって来た。
場所は広東省広州・・・

毎度の如く他のメンバーより早く会場入りしてドラムのチューニングをしてたらマネージャーから連絡が入る。

「歌手がプログラムの件で打ち合わせをしたいらしいのでそちらに行かせます」

ジャンルは歌謡曲なのでギタートリオで再生出来る音ではない。
「プログラム走らせるからそちらで用意しといてね」
と予め伝えてある。

レコーディングでは、あれやこれや自分の作ったDEMOと同じようにしてくれと大きな「こだわり」を見せたので、当日リハでバンドに対してそれと同じ要求をされたんじゃたまったもんじゃない。

プログラムでほとんどの音を流してドラムとベースぐらいを生演奏、
ギターは入っている音に合わせて弾くぐらいでよい。
あわよくばそのままカラオケ流して「あてぶり」にしたいぐらいである(笑)


歌手がやって来た。

「声卡(サウンドカード)は?」
私は真っ先にこう聞いてみた。

通常プログラムを流す時には、
コンピュータを声卡(サウンドカード)と呼ばれるオーディオインターフェイスという機械につないで、
そこから外に出すLRのステレオのプログラム音源、
そしてドラマーだけが聞くクリックのトラックを出力する。

通常コンピュータはステレオでしか再生出来ないので、
もう1chドラマーが聞くクリックを再生しようとすると、
どうしてもこの声卡(サウンドカード)が必要となるのだ。

「声卡(サウンドカード)はFunkyさんのを使うって話ですけど・・・」

足掛け3ヶ月に及ぶ長いツアーで、布衣みたいなロックバンドでは使いもしない声卡(サウンドカード)なんて持ち歩きませんって(>_<)

LaoLuanにしてみたら、私がバンマスの仕事では私がそのプログラムを出す仕事もするので、当然ツアーにも持って来ているだろうと思ったのだろう・・・

まあサバイバルな現場を多くこなしているとわかって来る。
どんな状況ででもやり方はあるのである!!

「じゃあ君の持っているプログラムのデータを、
左側はクリック、右側を音源にしてステレオのmp3で出力してメールで送って」

ちなみにこのやり方は私がひとりドラムとかでやっているやり方で、
外に出す音をモノラルにすることによって、
音を出す機械はiPadでもスマホでも何でもよく、
あのしちめんどくさい声卡(サウンドカード)とか持ち歩かなくてもすむのだ。

「それだったら出力がモノラルになっちゃうじゃない」
などと言おうものなら、
「お前が声卡(サウンドカード)持って来ないのが悪いだろ!!」
と叱り飛ばしてやるところだが、
幸い彼女はその辺をスルー(ほっ)、ところが今度はこんなことを言い出して来る。

「それってどうやって作るんですか?
私出来ないんでFunkyさんやってくれませんか?」

(>_<)

「请帮个忙(QingBangGeMang)」で始まって、
「拜托了(BaiTuoLe)」で終わる要件なんて往々にしてこんなもんである(涙)

サウンドチェックを中断してデータ作り・・・

今日は女性歌手のゲストが入るんですと・・・ この若きシンガーソングライター(>_<) http://www.funkyblog.jp/2017/11/post_1204.html 業界の重鎮LaoLuanから「頼むよ」の電話。 「俺はただのドラマーだからバンドのマネージャーに言ってくれないと」 ボーカルのLaoWuから「頼むよ」(>_<) まあ曲コピーしてドラム叩けばいいんでしょ、バンドがそれでいいなら俺は別に・・・ 「プログラム走らすなら用意しといてね」 いざ蓋を開けてみたら・・・ - Spherical Image - RICOH THETA

幸い彼女が使っているソフトがLogicだからよかったものの、
私が使ったことのない他のソフトだったら一体どうなったことだろう・・・

まあ私がその新しいソフトを一瞬で使えるようになればいいわけね(>_<)

中国の仕事は往々にして、このように日本では想像出来ないぐらいに私の経験値を上げてくれるのだ・・・(笑)


さて無事に音源も出来上がってリハーサル。

見ればLaoWuのマイクをそのまま使って歌うようなので、PAエンジニアにこう助言する。

「お前らの持ち歩いてるシステムのイヤモニって4chあったよなぁ。
俺がイヤモニ使ってないからそのシステムを彼女にそのまま使わせてやればモニターし易いんじゃない?」

ドラマーは少々モニター環境悪くても演奏出来るけど、
歌う人はモニター悪かったらもう歌えんからね・・・

そしたらPAエンジニアが、彼女がすぐそばにいるにも関わらず私にこんなことを聞いてくる・・・
「彼女はイヤホン持ってますか?」

まあちょっとイライラしてたのだろう、
「俺は彼女の父親じゃねえ!!お前中国語話せるんだろ?俺に聞くな、直接彼女に聞かんかい!!」
などと口走ってしまい、ちょっと反省・・・(>_<)

まあ笑い話で終わってリハーサル開始!!

「プログラムの音が大き過ぎる、ちょっと下げてちょうだい」
彼女もまた私に向かってそう言うので、
「あそこにPAエンジニアのおじさんがいるでしょ?あのおじさんに直接言いなさい」

・・・とこれが後々大きな問題になるとはこの段階で想像だにしていない・・・


本番が始まる。

彼女の歌う曲は、布衣で女性ベーシストのLinNaが歌ってた「彩虹」、
そして彼女のオリジナルで「再見19歳」、
そして中国ロックの創始者「崔健(CuiJIan)」のカバーで「新長征路上的揺滾」の3曲。

LaoWuから
「彩虹は世事难料の次ね」
と言われていたので、
いつものようにど頭からド派手に始まろうと勇んでステージに上がって行ったら、
どういうわけかLaoWuがステージに上がって来ない!(◎_◎;)

「どうしたんだよ〜」
とステージ袖にひっきりなしに合図を送るが、
どういうわけかLaoWuではなく彼女が上がって来て客に向かってMCを始める!(◎_◎;)

「ここで歌うのか?」
大慌てでプログラム再生の準備をして、
ぽかんとしている小畑に日本語で指示を出す。

ベースはよーしーずではなく2軍の中国人ベーシストなのだが、
さすがは中国人、全く慌てていない。
慌てているのは私と小畑、日本人だけである(笑)

「では先輩方の前にちょっとだけ私が歌わせてもらいますのでお付き合い下さい」
私が聞きそびれていたか勘違いしていたか・・・まあそういうことだったのね?・・・

「最初はとってもロックな曲です」
と言って「崔健(CuiJIan)」の「新長征路上的揺滾」を紹介する。

私は「その紹介はあかんじゃろ」と思ったが、
譜面とかプログラム再生の準備でしっちゃかめっちゃかだったのでそのままカウントを出して曲が始まる。

どうして「あかんじゃろ」と思ったかと言うと、
布衣のファンはいわゆる「ロックファン」で、
この日も会場に5〜600人ほど集まってぎゅーぎゅーにひしめき合ってる観客はみんながみんな、布衣の曲を聞いて大暴れに暴れに来ているのである。

またLaoWuの声は崔健(CuiJIan)によく似ている。
きっとLaoWuがこの曲をカバーしたら客は狂喜乱舞することであろう。

ところが女性歌手である。
あんな野太い声やロック的な歌い回しをするわけでもなく、
アレンジもどっかの歌番組でどっかの女性歌手がカバーしたという音源が送られて来たので、その打ち込みのどうしようもない(失礼)バージョンでコピーしている。

客はこのMCで一気に期待度がマックスに上がっている。
おそらくはLaoWuがオリジナルと同じアレンジでこの曲を歌うような、そんな世界を想像してしまっただろう。

盛り上がるに盛り上がれない雰囲気で1曲目が終了!1
2曲目は布衣の曲だったらLaoWuがここで出て来てまた引っ込むことになるので、ここは彼女のオリジナルであることは間違いない。

この曲はプログラムを使うので、
私は再生ボタンに手をかけて彼女のきっかけを待つ・・・

曲タイトルを言ったのですかさず再生ボタンを押してカウントを出す。
そしたらイントロの途中で彼女が曲を止めた!(◎_◎;)

「プログラムの音が出てないんじゃない?」
後ろを向いて私にそう聞く。

私に聞かれたって外に出ているかどうかドラムの位置でわかるわけはない。
もう一度プログラムだけを走らせて「出てるか?」とスタッフに確認する。

「出てる」ということで演奏を再開・・・その間、客はぽかんと待っている・・・

続いて布衣の「彩虹」を歌うのかと思ったら彼女は挨拶してステージを降りたので、
ああ、あの位置で歌うのは「彩虹」1曲なんだな・・・とやっと理解(>_<)


いつものような感じで布衣のステージが始まる・・・

こんな感じ・・・

もうこれだけの客が何事もなかったかのように大暴れ(笑)

途中に彼女のゲストコーナーも布衣の曲なので大盛り上がり。
最終的には何も・・・問題ない。

中国の仕事は始まる時は「どうなるんだろう」と心配になることは多いが、
いつも「必ず終わる」のである。


ライブ終わってPAエンジニアに聞いた。
「プログラムの音、出てたの?」

「ずーっと出てましたよ」

きっとリハーサルでモニターの音量を下げたので、
本番は客が入ってかき消され、それで彼女は「出ていない」と思ってしまったのだろう・・・

老婆心がまたむくむくと湧き出て来て、打ち上げの席で彼女に優しく説教した。
「お前は创作歌手(シンガーソングライター)なんだろ?」

以下お説教本編(実際は中国語でとても優しく語ってます)


お前が客に聞かせたいのは何だ?完璧なアレンジか?
それだったらライブではまず不可能だ。
ライブなんて毎回どんなトラブルが起こるかわからないからね。

演奏まで中断して「プログラム出てる?」なんて聞く必要がどこにある?
ステージ上で俺に聞いたところで俺にだってわかるわけはないだろ?
「もしエンジニアがボリュームを上げ忘れてたとしたら?」
なんて考えてたとしたら、
それって同じ「チーム」の一員であるエンジニアを全く信用してないってことだよね。

でもね、お前は创作歌手(シンガーソングライター)なんだろ?
しかもギター弾きながら歌ってる。
プログラムがなくったって、それだけで最低限「歌」と「楽曲」は伝えることは出来るんじゃないのか?

お前が伝えたいのがお前の「歌」と「楽曲」だとしたら、
もうそれで最低限は伝えることが出来るんだよ。
わざわざ演奏を止めてまで客を待たせる必要はないだろ?

ついでに言わせてもらうと、
たとえバンドのメンバーが演奏間違えたとしたって、
例えばLaoWuだったらギター弾きながら指板見せて「違う!このコード!!」とかやるだろう。
それが「创作歌手(シンガーソングライター)」の底力だよ。

ボーカルはステージに立って最前線で「観客」と対峙する。
誰も助けてなんかくれないんもんなんだよ。
俺に頼って来たって残念だけど何にも助けてあげられない。

お前も创作歌手(シンガーソングライター)だったらお前が自分で戦って、
そして後ろにいる俺たちを引っ張っていってくれ!!

(以上お説教内容)


「説教をする」ということは一種の「愛情」である。
言いながら、「何とかこいつも一人前になってくれればいいのにな」と思って来る。

悪いけど、彼女がレコーディングでこだわったアレンジの細かい部分、
実はライブではいくつか無視させてもらっている。

例えば2番の頭からドラムが入る?
その前の間奏どうすんの?ドラムぼーっとしとくの?
間奏から入るでしょ、ここは・・・

しゃーないなぁ・・・

実は間奏からドラムはしっかり叩いている。
この方が「自然」なので彼女はきっと変えたことすら気づいてないだろう。

その他、レコードバージョンでは色んな部分が「自然」ではない。

そりゃそうだ。
ライブをやって何度も何度も観客と戦って、
打ちひしがれて何度も泣いたことなどない。

「これがいい!!」
自分でパソコン弄って打ち込んで、
それをそのまま生楽器に入れ替えただけの音源がライブでそのまま通用するか?

いや、「ライブバージョン」と「レコードバージョン」というのは存在してしかるべきだろう。
でも、今回初めて知ったであろう「ライブバージョン」のいい部分、
それをレコーディングの時にもし少しでも知ってたら、
いや、ちょっとでも想像出来てたら・・・
レコードバージョンだってこんな形では終わってなかったんじゃないのか・・・

生楽器は「人間」が演奏する。
その「人間」が演奏しにくい不自然なフレーズには「魂」を込めることは出来ない。

そんな「人間」が何人ステージで雁首を揃えたって「1+1」は「2」にもなりやしないよ・・・


年寄りの話も聞いとくもんだ・・・

いや、先輩の話だけを鵜呑みにして自我のないような若者なんかにこれっぽっちも魅力はないが、
年寄りはお前の持ってない「経験」を持っている、
話ぐらい聞いといて参考にしてみたって「損」にはならんぞ。

姥捨山に捨てるにはまだまだ惜しい「年寄り」だと思わんか?(笑)

次は5月の青島。
プログラムのデータを自分で作ってみることから初めて、
この老兵を一番活躍させるようにステージを考えてみたらどうだい?

お前は19歳、まだまだ若い。

もっともっと「矢面」に立って、
もっともっと悔しい思いをして、
流した涙の数だけ成長するだろう・・・

だから若者よ、甘えるな!!
ひとりで立ち向かって全部それを「経験」にしろ!!

少しは成長したお前を青島で待ってるぞ!!

Posted by ファンキー末吉 at:14:52 | 固定リンク

2018年4月10日

若きアレンジャーにお説教

中国での本職は「スタジオミュージシャン」なので、長い長いツアーに出ててもやはりレコーディングの呼び出しを食らう・・・

まあスタジオ仕事なんてある時には寝るヒマないぐらい来るが、
ない時には全くないので必然的にある時にどんな無理してもやっとかねばならない・・・

というわけでツアーの合間にひとり北京に戻ってレコーディングをする!!

レコーディングはもともとは1曲だったんだけど「北京におるんか?ほなうちのも〜」「ほなついでにうちのも〜」で結局3曲に〜・・・ いやありがたいことです〜仕事のあるうちにやれるだけやっとかんと、ない時には全くないのがこの商売ですからなぁ・・・ - Spherical Image - RICOH THETA

いや〜足掛け4ヶ月ぶりに院子に帰って来て、
バカ犬どもが相変わらずのバカだったのと、
バカ鶏がまだ生きてたのに癒される・・・

セッティング終わってプロデューサー待ち〜足掛け4ヶ月ぶりの院子だがバカ犬も元気だったようぢゃな、バカ鶏も老衰で死なず食われもしなかったようぢゃな・・・ - Spherical Image - RICOH THETA

この院子も壊されてビルになってしまうためまた立ち退きである(>_<)

昔ながらの北京の長屋風情ももう今の北京にはどんどんなくなって来て、
貧乏なミュージシャンは住むところを追われた天然記念物のトキのように(?)どんどんと人里離れたところに移り住まなければならないのだな・・・シミジミ・・・


さて、感傷に浸っているヒマはない。
1曲目の依頼はBeyondのドラマーWingさんから、
元Beyondの敏腕プロデューサーLeslieんとこの歌手のレコーディングだそうである・・・

1曲目はWingさんからの依頼で元BEYOND敏腕プロデューサーLeslieんとこの歌手!!なんとシャッフルの2バスでした!(◎_◎;) 続いて香港のJamesさんのお仕事・・・って友達ばっかやな(笑) いや、どんな仕事も基本そんなもんです。中国は友達からしか仕事は来ません!!友達いないと生きてゆけません!! - Spherical Image - RICOH THETA

敏腕プロデューサー、オーストラリアで隠居してたと思ったら業界に復帰するのな!(◎_◎;)

それでWingがそれを助けて、大スターでありながらこうしてレコーディングを手伝っていると・・・相変わらずやな(笑)

2曲は香港のJamesさん!!

「1曲ドラムレコーディングして欲しいんだけど」
と言われても
「この日しかスケジュールないよ」
と言うしかない。

それならばということでこの日に一緒にレコーディングしてしまおうとなった・・・

1曲目のレコーディングで音もモニターも決まってしまっているので、
それならば同じ日に何曲でも録った方がよい。

・・・というわけでそれも順調に録り終わり、
3曲目は若きプロデューサーWangWeiの仕事!!

他のスタジオでレコーディングだとまたゼロからセッティングと音作りとシステムを組み直さねばならないのでわざわざうちの院子まで来てもらうことにした。


ところでこのWangWeiからは実は旅先でこんな仕事の依頼もあった。

「アコースティックギターのレコーディングをしたいんだけど・・・」
ということで、前回北京に呼んだ三好3吉さんを紹介してくれと言うのだ。

私はイヤな予感がして、3吉さんではなく、キョンマのライブで一緒になった長谷川くんを紹介した。

3吉さんは自宅にレコーディング設備を持ってないので、
プロデューサー本人が立ち会わないこのようなレコーディング形式では、
わざわざ外のスタジオを借りてレコーディングすることになる。

「イヤな予感」とはそこである・・・

そもそもが「紹介してくれ」なんて言いながら、結局やり取りは全部私を介して本人同士は直接やり取りはしない。
つまりは通訳業務からディレクション、スタジオなんか借りてたらそのブッキングからエンジニアとのやり取り、料金の支払いまで全部私がやらねばならないのだ(>_<)

長谷川くんなら腕は確かだし、自宅にスタジオがあるなら対処出来るかもと思ったのである・・・


このような日中の間のディレクション作業はもう既に何本もやっているが、
蓋を開けてみたら今回が今までの中で一番トラブった(>_<)

仕事の内容は、ギタリストにDEMO音源を送って、
「押尾コータローのように弾いて下さい」
というもので、
まあ押尾コータローじゃない人に「押尾コータローみたいに弾け」というのがそもそも失礼なのだが、まあそれは中国なので大目に見てそのように長谷川くんにお願いした。

ところが出来上がってみたら、
「これだとDEMOの弾き方と同じじゃないですか、押尾コータローみたいに弾いて欲しいんです!!」
って・・・(>_<)

あのねぇ・・・コイン入れたらジュースが出て来る自動販売機じゃないんだから、
参考音源送って自分の思い描く音がすぐに出来上がって来るわけないじゃろ!!

「わかりました、こちらのレコーディング終わったらそちらに行きますので、その時にFunkyさんに詳しく説明します」
・・・って俺に説明してどないすんねん!!
お前もアレンジャーやったら譜面でも何でも用意して、出してもらいたい「音」をギタリストに伝えんかい!!

こんなギター一本だけの曲やったらそりゃギタリストにアレンジさせてるのと同じやないかい!!一曲ぶんのアレンジ料払いやがれ!!


あちらのレコーディングとやらが終わって夜の11時に院子に着いたWangWeiは、
とりあえず私に平謝りに謝って、最後に長谷川くんとやり取りをしてこの件は一件落着・・・
こんこんと説教してからドラムのレコーディングを開始する・・・

「今から3曲って大丈夫ですか?」

夜中の11時から3曲ドラムかぁ・・・まあ10年前はよくやってたなぁ・・・(笑)

思えばあの頃はひと握りの有名アレンジャーと、私を含むひと握りのミュージシャンが中国国内の全ての仕事をやっていた・・・

その後、彼のような若いプレイヤーが台頭して来て、
第一線だったミュージシャン達は「高過ぎるから」と言って敬遠されるようになって来る。

彼はもともと、いつもバンドメンバーが揃わない布衣のベースのトラとしてLaoWuが連れて来てワシに紹介した。

「Funkyさんと一緒にプレイ出来て光栄です。とても勉強になりました。
安い仕事でよかったら僕の仕事もやってもらえませんか」
というわけで、今では一流どころよりも彼のような世代のミュージシャンの仕事が多い。

「お前、一体いくつ仕事受けてんの?」

彼のノートの中のメモ書きを見たら、それこそ1ページが真っ黒になるほどのプロジェクトが詰め込まれている!(◎_◎;)

無理じゃろ・・・(笑)


昔、日本がバブルだった頃、
私の師匠に当たるN氏が同様に手当たり次第に仕事を受けては、それを片っ端から若い衆に振っているのを見ている・・・

「Nくん、何よあの仕事は!!そんなことやってたらもうこの世界から干されちゃうわよ」

怖〜い怖〜いスタジオミュージシャンのトッププレイヤーがN氏にクレームを言ってるのを聞いたことがある・・・

干されるも何もその後バブルは数年で弾け散ってしまった日本と違って、
私が中国でスタジオミュージシャンとして一番忙しかった10年前のあの時代と同じく、
今も世代を超えたミュージシャンが同じように寝るヒマもなく仕事をしている・・・

中国のバブルは長く、そしてはじけない・・・いやこうなってくると、単にこれは中国の音楽ビジネスの「普通の姿」かも知れんな・・・

日本のあの頃と同じく、10年前のあの頃は毎日徹夜・・・
というより2日間寝ずにぶっ続けに仕事をして数時間仮眠をして・・・
そんな生活をしてて学んだことがある。

「おい、徹夜はなぁ・・・結局効率が悪いぞ!!」

2日間寝なかったらミスも多くなり能率も下がり・・・
結局夜はちゃんと寝て朝早く起きて仕事をする方が効率がいいのだ。

リズムが全くアレンジされてない曲のドラムを手探りであーでもないこーでもないと一緒に考えて2曲録り終わった頃、彼がため息をついてこう言った。

「もう今日は2曲で終わりにして、あとはまた後日叩いてもらえますか?」

・・・それがいいそれがいい。
ツアー先からまた帰って来てレコーディングしてやるからとにかく寝ろ!!
そして頭の中をクリアにしてもっと「準備」をちゃんとしておけ!!

その方がよっぽど効率よく仕事が出来るぞ!!
(つまりもっと仕事が受けられるぞ)

いやいや、お前の場合は仕事の量はもっと減らした方がいい!!
・・・と言っても減らさんやろうなぁ・・・

日本がバブルの頃にそう言われて仕事減らした人はおらんかったもんな(笑)

Posted by ファンキー末吉 at:06:54 | 固定リンク

2018年4月 3日

布衣(BuYi)の内乱

もう10年以上北京での生活を共にする布衣(BuYi)の全中国ツアーに参加している。

知り合った頃は10人も客がいなかったバンドが、
今ではどの地方に行っても100人以上は動員するバンドとなったのは驚きである・・・

今回のツアーメンバーはドラムが私ファンキー末吉、
ベースがよーしーずこと渋谷有希子、
そしてギターは小畑秀光というラインナップで、
「寧夏のバンドだった布衣が今は日本のバンドじゃねぇか!!
いっそのこともうボーカルも日本人に変えちまえ!!(笑)」
と冗談を飛ばす・・・

実はこのメンバーは、私がプロデュースした新しいアルバムのレコーディングメンバーで、まだアルバムは発売前ではあるが、今回のツアーはその新しいアルバムの曲を中心に演奏されるツアーである。

・・・と、このように書くとバンドも順風満帆にと思われることだろうが、実は数ヶ月前にとても大きな事件が勃発していたのである・・・


事件の発端はある日のこと、
「エンジニアの方言(FangYan)がツアー先で酔っ払って足の骨を折ってねぇ・・・」
寧夏から車チャーターして北京の病院に運び込んだんだよ・・・と、共に暮らす北京の院子でLaoWuがそう言った。

「あいつも飲むと酒癖が悪いからなぁ・・・」
その時にはそれぐらいにしか思ってなかったのだが、それが後に大きな問題となって取りだたされるなるとはその頃には夢にも思っていない・・・


前回のツアーの最終地、内モンゴルの赤峰というところに呼ばれた。

その時のブログにも書かれているように、
もともと私は「大太鼓を叩く」ということで呼ばれている。

つまりは「いてもいなくてもライブは出来るのだが、よかったら来て大太鼓でも叩いてよ」という立場である。

ところがその日は結局ドラマーも来なかったので私がドラムを叩いた。

その時には「何か用事があって来れなくなったのね」ぐらいにしか思ってなかった。
何せこのバンドは昔から「メンバーが急に来れなくなったから」と言って代わりのメンバーとして私や他いろんなミュージシャンが駆り出されることはよくあったからである。

まあ当時は全くと言っていいほど金にならないバンドだったので、
何か金になるオイシイ仕事があったらそちらを優先することは「しゃーないなぁ・・・」という状況だったのだから仕方がない。

ところがここ数年は布衣の方が見入りがいいのか、当時は「Funkyが忙しくて来れないから」と言って駆り出されていた芳芳(FangFang)が正式メンバーとして居座って(笑)いるので全く呼ばれなくなったなぁ・・・と思っていたのだ。


その時に言われたメンバーチェンジの話も、今から思えば私にとってはちょっと引っ掛かる話だった・・・

何せこのLaoWuという男、自分から「バンドをやめてくれ」と言うことが出来ない男なのだ。

最初のドラマーをクビにする時にも一年言い出せずに待っていたと言うし、
ベースのLinNaが妊娠した時も「バンドは新しいベースを探す」とは言えずに「じゃあその間休んでいてくれ」ということにしていたことも私は知っている。

ある時、日本にLaoWuを呼んでどっかのバーで一緒に飲んでた時にこんなことを言ったことがあった。

「実はギターのZhangWeiがバンドをやめちゃうんだ」

LaoWuのとても悲しそうな表情が印象的だった・・・
私は逆にとても明るくこのように言い返した。

「そりゃよかったなぁ!!これでバンドはもうお前ひとりのもんだ!!
今までみたいにZhangWeiに譲歩しながらやってゆく必要はない。
もうこれからはお前の思うようにバンドをやっていけばいいんだよ。
おめでとう!!(笑)」

LaoWuはとてもびっくりしたような顔で私を見て、
そして何か吹っ切れたようにちょっと笑って私と乾杯した。

布衣というバンドは元々ZhangWeiのバンドで、
そこにLaoWuは後から加入して来た。

当時寧夏の田舎街でいち早くロックをやってたZhangWeiは、
当時LaoWuを含め、田舎の若者たちの憧れの存在だったのだ。

だからLaoWuはいつもこう言ってた。
「俺はバンドで歌わせてもらってるんだから・・・」

どこかで聞いたことがあると思ったら二井原が私にこう言ったことがある。
「俺はな、こんな素晴らしいミュージシャン達と一緒に音を出して、そこで歌わせてもらってることを本当に幸せに思うんだ」

歌手(Singer)とボーカリスト(Vocalist)の違いというブログでも書いたが、
私にとって本当に「こいつってバンドのボーカリストなんだな」と思うのは二井原とこのLaoWuだけである。

二井原がバンドのレコーディングリハの時に他の誰よりも早くスタジオに来て、
いそいそとマイクをセッティングしてリハを録音し、
それに自分のアイデアを家でダビングしていそいそとバンドみんなにメールしている姿と、
朝早くからZhangWeiの機材を積み込んで会場入りして、
ZhangWeiが来るまでにその機材をセッティングしてあげてるLaoWuの姿はいつもダブって見えてたのだ。

バンドのリハーサルでいつもLaoWuとZhangWeiが喧嘩してたのは見てたし、
そんなZhangWeiがバンドをやめるとなったらむしろホッとするんじゃないの?
それでもLaoWuは悲しいのか・・・いいヤツだな(笑)などとその時は思っていたのだ。

だからバンドのメンバーがまとめて3人も脱退するなんて私にはちょっと信じられない事実であったが、
「まあバンドには他の人が知らないいろんなことがあるからな」
とその時はそれぐらいに思っていた・・・


脱退した後に、実は私はギターのMiaoJiaとLaoWuとを同じイベントにブッキングしていた。

「もう一緒にステージには立てないから」
とLaoWuが言うので
「こいつみたいなヤツでもここまで人と揉めるんだなぁ」
とびっくりした。

布衣としてはギターに小畑秀光を呼ぶのでそれでよいが、
爽子のバックバンドとしてもMiaoJiaをブッキングしているので外すわけにはいかない。

まあ呼び出したんだから私としてはMiaoJiaと酒でも飲む。
「バンド脱退したんだってねぇ・・・」
そう聞く私に彼は
「いや〜ギャラが安くてやってらんね〜よ」
と笑いながらそう言った。

「子供も生まれて今俺は最低でも月に2万元の稼ぎが必要なんだ。
とてもじゃないけどやってらんね〜」

多い時にはバンドを9つ掛け持ちしていたこいつだが、
最近は布衣ひとつになったので生活してゆけなくなったのかな・・・

その時はそのぐらいに思っていた・・・


しばらくして、親しくしている業界人LaoLuanから電話が来てこんなことを言う・・・

「おい、知ってるか?LaoWuとFangYanのこと・・・
実はあれはツアー先で二人が酔っ払って喧嘩して、LaoWuがFangYanの足をへし折ったってよ・・・」

!(◎_◎;)

「このことはFangYanは何も言わないんだけど業界の噂でね」
と言い足してから電話は切られたが、私にはちょっと信じられないような話である。

10年以上一緒に暮らしていて、LaoWuは人と喧嘩をするようなそんな人間ではないのである・・・ましてや人の足を折るほどの暴力を振るうなんて・・・

私はすぐにLaoWuを呼び出して詰問した。

「お前と俺は家族だ。
最終的には人が何を言ったって、最終的には俺はお前の言うことを信じる。
俺にだけは本当のことを言え。それがどんな事実だったとしても俺は家族としてお前を守る」

LaoWuの反応は、私から突然そんなことを言われてびっくりしたのと共に、
今から思えば「状況はそこまで来たか・・・」という表情もあったようにも思える。

「そんなことはあり得ないよ!!その現場は寧夏の友達がみんな見てたし」
真っ正面から否定するLaoWuの表情にウソはないように思える。
いや、そもそもそんなウソをついたり出来るような男ではないのだ・・・

「じゃあ誰がそんな噂を流した?FangYanは自分からはそんなことは言ってないと言ってるぞ」

答えを聞くまでもない。
その場にいたのは当事者であるLaoWuとFangYanと寧夏の友人たち、
そして「バンドのメンバー」だけである・・・

「MiaoJiaか?」
私はとっさにギタリストの名前を口に出した。

他の二人のやめたメンバーは性格的に攻撃的な人間ではないので、
そんな悪意を持った中傷を流すならこいつかな、と私は思ったのだ。

「ちょっと彼と膝付き合わせて話に行くよ・・・」

とLaoWuが言ってそれでこの話は終わっていた・・・
しかしそれから後に、想像もしなかった大きな問題が起こるのであった。


今年に入って私は70本近くの日本ツアーを行っていた。
そのツアー先で、とある業界人がこんな文章が出回ってると送って来てくれた。

声明:布衣楽隊は正式にボーカルのLaoWuをクビにします!!

!(◎_◎;)

全くもって理解に苦しむ声明である・・・
私の見解では、布衣はZhangWeiが脱退した後にはもう「LaoWuのバンド」なのである。

誰がこんな声明出したの?・・・

この声明には、LaoWuがどれだけ酷い人間か、
マネージャーと結託してバンドの収入を独り占めしてるとか、
暴力的な人間でエンジニアのFangYanの足を叩き折ったとか、
まあ目を覆うようなことが書かれていて、
最後には脱退したメンバー3人の名前が連盟で書かれている・・・

私はツアー先からすぐにLaoWuに電話をした。
「何なの?これ・・・」
正直全く意味がわからなかったのだ。

こんなことして誰が得をすんの?・・・

私は真っ先にそれを思った。
何せ布衣の詞曲のほとんどを作っているのはLaoWuで、
その3人がLaoWuをクビにして布衣を名乗ったところで、
別のボーカルがそれらを歌って今よりも歓迎されるはずがない。

つまり今まで2万元も稼げなかったんだとしたら、
これを断行したところでもっと稼げるようになるわけがないのだ!!

明らかにこれは「嫌がらせ」・・・
誰も得をしないんだったら憎っくきLaoWuに損をさせる目的以外の何ものでもない。

布衣側としては正式に声明を出して、当然の如くこれを否定した。


その後、何事もなかったかのようにツアーが始まっている。

ツアー前の取材で
「今回のツアーは大幅にメンバーが変わってその影響などはありませんか?」
という質問に対してLaoWuはこう答えている。

「何言ってんですか、今回のドラムはアジアドラムキングのFunkyですよ。
布衣の1枚目のプロデューサーでもあります。
レベルが上がることはあっても下がることは決してない!!」

つまり「Funky」という名前を「品質保証」に使ったわけだ(笑)

よいよい、いくらでも使うがよい!!
私の仕事はその期待を裏切らないプレイをすることである。

ずーっとそれをやって来たから今がある・・・

やめた3人のメンバーにも言いたい。
お前たちが戦うのはそんなところではない、「音」で戦うべきなのである。

今回のツアーで
「やっぱ昔のメンバーの方がよかったよね」
と言わせられればお前らの勝ち、
「今回の布衣は前の布衣より数段よかったよね」
などと言われたとしたらお前らの惨敗である。

まあ悪いけど惨敗で終わるじゃろうな・・・(笑)

そんな人を陥れるような文章を考えるヒマがあったら、
どうして「他のプレイヤーには絶対に出来ない音」
(テクニック的にという意味だけでなく、独自のスタイル、サウンドという意味で)
ををもっと頑張って作り上げとかない!!

少なくとも日本人のギタリストにコピーされて「そっちの方がよかった」などと言われたとしたら、ボーカルをクビにする文章を送りつける前に、お前はバンドで何をやっていた?

悪いが私は今回のツアー終わって次に別のドラマーが代わって叩いたとしても
「やっぱFunkyさんの方が凄かったな」
と言われるようなプレイをしてる自身はあるぞ!!

まあ今から言ってももう遅いだろう。
お前も次の自分のバンドで頑張ってそれを成し遂げろ!!

何か助けが必要なら遠慮なく言え!!いつでも助けに行ってやるぞ、説教付きでな(笑)


今回の事件で私が真っ先に考えたのは、私がこの争いに「巻き込まれ」たりしないかということだったが、どうやらそれも杞憂に終わったようだ。

昔もっと大きな事件零点(LingDian)のボーカルとのメンバーとの訴訟劇があった時も、私は「中立」の立場を貫いた。

ボーカル小鸥(XiaoOu)のバックもやるし、零点のアレンジもやる!!
そもそもスタジオミュージシャンなんて究極にはゴルゴ13みたいなもんなんだから(笑)、請け負った仕事は思想、宗教などに関係なく完璧にミッションを遂行すればそれでよい。

この敵ばかりを作りたがる中国人社会の中で、
長年に渡って誰からも敵視されない希有な立場にいられるのもこのポリシーがあってのことである。

大事なのは仕事、音楽!!・・・そして「人間性」である・・・


LaoWuが酔っ払ってケンカしてFangYanの足を叩き折ったなんて誰がそんな話信用するだろう・・・

もし信用したとしたらそれはLaoWuの「日頃の行い」である。

かく言う私も日本でとある大きなプロジェクトのミーティングでこんなことを言われたことがある。
「問題なのはお前の性格だ!!お前はキレやすい!!」

私は悩んで色んな人に相談したが、みんな笑って取り合わない。

「末吉は仲間うちの中では相当温厚な方やと思うよ」と和佐田。
「もし末吉さんがキレたとしたら、それはその人はきっとよっぽど酷いことをしたんでしょうね」と沼澤。

だから人と争ったりしてはダメなのだ。
(JASRACとの戦いは別にして・・・(笑))

LaoWuにもこう言って説教をした。
「お前ももう昔みたいな無名のアンダーグラウンドミュージシャンじゃない。
人はな、有名人のいいところなんて見やしない。
悪いところを見つけてはそればっかり吹聴するんだよ。
だからもうお前も人と争うな」

これは自分にとっても大きな戒めとなる。
いい歳こいて人と争って人生何が楽しい?・・・


余談として、長年LaoWuやFangYanと暮らした院子が取り壊しのため出て行けと言われている。

LaoWuは今まで通りみんなで一緒に暮らそうと思っているようだが、
FangYanの方はもうLaoWuと一緒には暮らしたくないようだ。

きっとべろんべろんで何も覚えていない状態で、人から
「LaoWuがお前の足を叩き折ったんだよ」
などと言われて
「そうかも知れない」
などと思っているのかも知れない(笑)

まあ「人の感情」ばかりはいくら兄貴分の私としても立ち入ってコントロール出来たりするもんではない。
問題はどちらもが「Funkyは自分と一緒に住むだろう」と思っていることである。

私は迷わずFangYanを選んでLaoWuにそう通達した。

「お前の周りにはもう色んな人がいて、俺がいなくたって十分楽しく暮らしていけるだろ?
FangYanは俺がお前んとこ行ったとしたらきっと寂しく思うだろうからな」

ロックとは「強い」音楽である。
だからロックを志す者は常に弱い者の味方でなくてはならないと思っている。

足を折って数ヶ月働くことが出来なかった「家族」のひとりを、
今度は私が助けてやらなきゃなんないんじゃないかな・・・

性格的にはめんどくさいヤツなんやけどな・・・しゃーないなぁ・・・(笑)

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2018年1月26日

天安門にロックが響く

過去の3つの著書がついに電子本化された!!

ひとつは北朝鮮にロックを教えに行くプロジェクトのドキュメンタリー本、
平壌6月9日高等中学校・北朝鮮ロックプロジェクト

そして私の自叙伝とも言える、
ファンキー末吉・中国ロックに捧げた半生

これら2冊は、現在も紙の本がそれぞれの出版社から発売されているので紙の本も入手可能だが、電子本でしか入手不可能な本がある。

天安門にロックが響く

これは92年に講談社「小説現代」に掲載された私の処女作小説で、
後にそれが原作となってミスターマガジンにて漫画「北京的夏」が連載開始。
翌年、香港、台湾でも「北京之夏」を発売、香港の大監督ウォンカーワインが映画化しようという話まで出た。
(天安門事件が題材なので結局は実現不可能に陥った)


(両方読むと面白さ倍増!!)

この漫画の方は古くからこうして入手可能だったが、
原作の小説の方は単行本化されてないので入手不可能、
私は八方手を尽くして探し回った。

日本の全ての書籍が閲覧出来るという「国会図書館」まで行ったが探し当てられなかった。

ダメ元でこの小説を漫画化してくれた松本剛さんに連絡を取ったら、
なんとまだこれをそのままの状態で保存して下さってたのだ!(◎_◎;)

その本をPDF化、しかしそのまま発売したのではデザイン等の著作権を侵害することになるので、そしてOCRソフトにかけて文字データ化!!

しかしOCRソフトってまだまだ完璧じゃないのよね・・・
娘が一週間かけてそれを直したがまだまだ誤変換だらけ(>_<)

スタッフ一丸となってやっと文字校をして、やっとこうして電子本となって発売されたというわけだ(感涙)

この小説の主人公はもちろん自分をモデルにはしているが、
設定としてはむしろ爆風スランプではなくThe Good-bye!!

つまりえとーさん?(笑)

ちなみに主人公のバンドの名前はそこから取った「So-Long」。
所属事務所の名前は「デニーズ事務所」である(笑)

まあドラマーでありながらバンドの全ての楽曲を作るバンドの中心人物であるというところはむしろYOSHIKIの方が近いかも知れんが、
このえとーさん(笑)が中国で本物のロックと出会って人生が変わってゆくという物語である。

ヒロインの緑(リュィ)は、私が中国で出会った女性ロッカー「蔚華(ウェイホア)」がモデルになっている。

彼女のライブで公安が中止命令を出して大荒れに荒れたライブを偶然見たことがきっかけである。
(その模様は自叙伝にも書かれております)

流暢に英語を喋り、中央電視台でキャスターをしていた彼女は、
政府から渡された天安門事件に関する報道原稿が「事実と違う」ということで、それを読むことを拒否、その後中央電視台をクビになってロッカーとして歌を歌っているという、彼女本人から聞いたエピソードもそのまま使っている。


ところでこの小説を書いた頃、私はある種「気が狂っていた」ような状態であった。

「中国に行って本物のロックを見つけた!!」
インターネットがまだなかった当時、私は毎日のように北京から所属事務所に国際ファックスを入れた。

しかし所属事務所はそれを全部無視!!
誰にも相手にしてもらえない状態で悶々としてた頃、
同じ所属事務所の一番売れている歌手が「中国でロックを見つけた」という記事を見た。

所属事務所は私の言うことは一切無視して、
同じプロダクションのその歌手に中国ロックを取材させて、それをプロモーション記事にしていたのだ。

当時8つしかなかった中国のロックバンドは既に全部が私の朋友(ポンヨウ)である。
誰と会っても、日本人だと言うと
「おぅ、じゃあFunkyを知ってるか?」
と言われるのでその歌手は憮然とし、
取材陣もだんだんそれに辟易としてくる。
なにせその歌手が最初に中国でロックを見つけたのでなければ「記事」にならないのだから・・・

業を煮やしたコーディネーターは、取材するロックバンド達にこう言った。
「あまりFunkyという名前を出さない方がいいですよ」

これに激怒したのがLuanShuである。
「俺はFunkyとはマブダチだ!!その名前を口にして何が悪い!!」
(だからこいつとは今でもマブダチである)


そして狂ったようにこの小説を書いた私は、
同時に1本のデモテープを作り上げていた。

ある女性が生まれる前から死んでゆくまでの物語をコンセプトアルバムにしたものだ。
珍しく全編詞も書いている。

メロディーには男性メロと女性メロがあると私は分類しているが、
キーボード耳で作る私の曲には実は女性メロが多い。
(爆風スランプの曲で言うと、男性メロの曲は「たいやきやいた」や「まっくろけ」など、女性メロの曲は「星空ダイヤモンド」や「おおBeijing」など)

ところが当時の事務所のトップとのミーティングの時、
当時のトップである社長は私に対してこう言った。

「私たちは爆風スランプの末吉くんとビジネスをしたいのであって、
末吉くん個人の音楽には興味がない」

つまりは
「お前は爆風スランプの曲だけ書いてろ」
というわけである。

埋もれた膨大な「女性メロ」は、
当時の私を取り巻く状況の中では全く「役に立たないもの」となってしまった。

私はそんな自分の「女性メロ」を集めてひとつのコンセプトアルバムを作り、
当時歌手の卵だった「キョンマ」という女性に歌ってもらった。

当然ながら事務所は全くこれらの楽曲を必要とせず、
月日が経つうちに私の中からもこのアルバムのことは忘れ去られていった・・・

その後キョンマはクレヨンしんちゃんのテーマを歌ったり、
色んなところに歌詞を書いたりして活躍してたそうだが、
ひょんなことから再会して彼女が私にそのデモテープを渡してくれた。

「これはね、素晴らしい楽曲ばかりなの。
私も時々ライブで歌ったりするけどみんな涙するんだもん」

そう言ってこの音源を渡してくれた後にこう言った。

「この楽曲たちを埋もらせちゃだめだとずーっと思ってたの。
よかった。末ちゃんにこれをお返し出来て・・・」

全くもって忘却の彼方にあったこのアルバムを聞いた。
そして自分自身が涙した・・・

特に感激したのがこの曲!!

この小説の中に出て来るヒロインと、
天安門事件で殺される恋人との恋物語である。

広場に行けば自由がある
好きな歌が歌える
止めないでよね
このメロディー
君に贈るから

今回のツアーでは「お歌のライブ」の時には不肖この私が歌わせてもらっている。
物販には急遽、この小説とこの曲のデモ音源が入ったCD-Rが並ぶこととなった。

CDラベルのデザインは「北京的夏」を書いて下さった松本剛さんにお願いした。

TenanmonCD_Label.jpg

お歌のライブはあと数本!!
どこかに来て末吉バージョンも聞いて下され〜

ちなみに上記電子本をご購入の方は、お好きな物販を一品割引致します!!

1冊ご購入済みの方:1割引
2冊ご購入済みの方:2割引
3冊ご購入済みの方:3割引

スマホやタブレット、Kindle端末等でご購入済みの画面をお見せ下さい〜


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2017年11月26日

プノンペンで心のスキマ埋められる・・・

どういう流れでカンボジアまで来たかということはまた別のブログ記事に書くとして、
私はタイから朝一番の空路で、私を誘ってくれたホーチミンのレオさんは陸路で向かい、
プノンペン市内の日式ホテル「東屋」で合流ということになっていた。

レオさんはバスで6時間かけて向かっているということで、
それまで屋上の露天風呂にでも浸かりながら待とうということになった。

貸切状態でこんな感じ・・・

PhnomPenhBath.jpg

ところがここにひとりの日本人が入って来た。
(まあ「国籍」を確認したわけではないが、このホテルを利用するんだから勝手に「日本人」と思っただけなのだが・・・)

サウナで汗を流しながら色んな現地情報を聞いていたのだが、
「じゃあビールでも飲みますか!!」
ということになって、カンボジアビールで乾杯!!

ホーチミン在住の刺青だらけのベーシスト(今バスでこちらに向かっている)が取ってくれたホテルが完全日本式なで、露天風呂に入ってたら地元の日本人と意気投合してカンボジアビールで乾杯!! - Spherical Image - RICOH THETA

夜は市内のライブハウスでドラムを叩くからそこで会おうということでとりあえずここで別れた。

地元の人たちに連れて行かれたプノンペンの歓楽街・・・

プノンペンの歓楽街なう〜 ここにライブハウスがあるらしい・・・ ドラムでも叩けたらちっとは世界を平和に出来るかな・・・ - Spherical Image - RICOH THETA

ライブハウスというよりは箱バンの入ったガールズバーという感じだったがとりあえずドラムを叩く!!

ライブハウスというよりは生演奏の入ってるガールズバーみたいですが叩きますよ〜!!! 世界平和のために!!! - Spherical Image - RICOH THETA

そう、私は昼間の約束を全く忘れてしまってたのよね(>_<)

というわけで彼から連絡が来て合流〜
そして連れて行かれたのがこんな店!!

PhnomPenhKaizokusakaba1.jpg

PhnomPenhKaizokusakaba2.jpg

入り口に看板はない。
民家のような雑居ビルの1階のとあるドアを開けて入るといきなりこんな空間が現れるのだ!(◎_◎;)

「ここは日本料理屋です。
普段は予約でしか営業してくれず、
しかも予約は1日1組までしか受けてくれません。
今日は特別に開けてもらいました」

そんな店があるのか!!(◎_◎;)・・・しかもカンボジアで・・・

そして彼は私に強くこう注意した。

「この場所を人に教えてはいけません!!
オーナーの写真を取ってもいけません!!
オーナーの名前をアップしてもいけません!!
約束ですよ〜」

とりあえず日本でもなかなか手に入らないという珍しい酒を頂く・・・

PhnomPenhKaizokuSakabaSake1.jpg

PhnomPenhKaizokuSakabaSake2.jpg

PhnomPenhKaizokuSakabaSake3.jpg

つまみはまず海ぶどうが出て来る・・・カンボジアなのに・・・

PhnomPenhKaizokuSakabaUmibudou.jpg

茄子とイカの塩辛の一品!!

PhnomPenhKaizokuSakabaNasu.jpg

モッツァレッラチーズの一品!!

PhnomPenhKaizokuSakabaCheese.jpg

漬物も絶品!!

PhnomPenhKaizokuSakabaTsukemono.jpg

ここは果たしてカンボジアなのでしょうか・・・

カンボジアのプノンペンにある看板の出てない日本料理屋・・・私は心のスキマを埋められたに違いない・・・ - Spherical Image - RICOH THETA

もう夜中の2時は過ぎてるであろうか・・・
「ほなもうぼちぼち帰ろうかな・・・」
そう言った私に、写真をぐるりと回して向こう側に座っている彼がこう言った。

「お代は要りません。ここは私が払っておきますので・・・」

!(◎_◎;)

「ファンキー様が満足されたらそれが何よりの報酬でございます。ホーッホッホッホ!!」
そう言って彼はトゥクトゥクに乗って帰って行った・・・


翌朝、目が覚めたら二日酔いで頭が痛い・・・
一体どれだけの酒をあそこで飲んだのだろう・・・

試しにポケットをまさぐってみるとお金は全然減っていない・・・

今晩もあそこに行くのだろうか・・・
いや、今晩行ってみたら、きっと昨夜入り口だったところは壁になっててドアが消えているのだ・・・

プノンペンの夜に心のスキマ埋められた・・・

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Posted by ファンキー末吉 at:12:18 | 固定リンク

2017年11月13日

スタジオミュージシャンのツラいお仕事

北京に来てから「スタジオミュージシャン」として数々の名盤を録音して来た。

特に中国ロックの歴史に金字塔を打ち立てた許魏(Xu Wei)の「时光漫步」というアルバムは、「ドラマーFunky末吉」の名を中国じゅうに鳴り響かせる「名仕事」となった。

このレコーディングの時は「バンド」としてレコーディングしている感覚で、
「叩き終わったから聞いてよ」と許魏(Xu Wei)に言っても、
「別にお前が満足してる出来なら聞く必要はないよ」などと言ってたぐらいである。

このような「一緒にモノを作り上げる」という素晴らしい「仕事」もあればそうでないものもある。

今やっている新人歌手のアルバムレコーディング・・・これが久しぶりにツラい(>_<)

まあ「お仕事」やからね、楽しい仕事ばかりとは限らないが、
「そんなに自分のDEMOがいいならそのDEMOをそのまま発売すれば〜」
と言いたくなる。

若い女の子が初めて曲を作って、DTMで一生懸命DEMOを作った。
それに愛着があるのは重々理解出来る。

でもね、生ドラムって打ち込みのドラムのその音色と全く同じには出来ないのよ!!

どこから拾って来たかわからないドラムフィルを聞かせて、
「こんな感じで叩いて」というのは即ち
「これと同じじゃなきゃイヤ」というのと同じね・・・(>_<)

まあ同じことを叩ける「腕」はあるよ。
でもこの曲のこの場面でそれ叩くって「ドラマーとしてどうよ」という話である(涙)

昔、とあるレコーディングでアレンジャーの郭亮(Guo Liang)がプロデューサーと意見が衝突してこう発言したことを思い出した。

「もうこうなっちゃったら俺の"音楽"じゃない。お金も要らないから俺の名前をクレジットから外してくれ」

もうね、ワシもこの場でそう言ってこんな仕事終わらせたい。
だけどそれをやったらワシに仕事をくれた「家族」のような仲間たちに迷惑がかかる・・・(>_<)

「Funkyってこんなダサいドラムフィル叩くんだ」
とか
「こんな歌を邪魔するようなドラム叩くんだ」
とか言われようが、この「仕事」は最後まで遂行するしかない・・・

まあでもそんな心配をするほどこのアルバムが売れることはないだろう。
「人間ひとりの才能」なんか小さなものでしかないのだ。

片や、戦えば負け知らず、その恐ろしい形相が見えただけで敵が戦わずして逃げ去ったという「項羽」、
片や、司馬遼太郎が「背が高くて髭だけが立派なろくでなし」と表現した「劉邦」、
歴史は結局、
「こいつはバカだから空っぽの袋のようなものだ。物を入れればどれだけでも大きくなる」
という劉邦に天下を取らせた。
優秀なブレインがみんな彼のところに集まって来たのだ。

自分で全てを決めるスーパーマンのような項羽は、最後には「四面楚歌」となって
「我らは弱くて滅ぼされるんじゃない。天が我らに天下を与えなかった。それだけだ」
と言って、同じお国訛りを話していた目の前の一兵卒に首を捧げて死んでいった・・・

アルバムに参加するドラマーがドラムマシンのように何の思い入れもなく叩いて録音されたアルバムが天下を取るか?・・・

そんなドラムマシンのようなお仕事も過去にはあったことはあった。

汪峰(Wang Feng)という中国を代表するロック歌手
世界的人気女優「章子怡(Zhang ZiYi)」の旦那と言った方が通りがよいか?)
のレコーディングの時、若いアレンジャーは自分の打ち込んだドラムのパターンをそのまま叩いてくれと言った。

ハイハットをウラで踏んだり複雑怪奇なそのパターンをワシは時間をもらって完全に再現し、
「これキープしてもう1テイク録らせてくれない?」
と言って、ドラマーとして自然に叩いたテイクを録って聴き比べてもらった。

「凄いよ、このテイク、ハイハットをウラで踏んでるんだよ」
大喜びでそういう若いアレンジャーを尻目に、汪峰(Wang Feng)が選んだテイクは自然に叩いたテイクだった。

だから汪峰(Wang Feng)は「天下」を取ったのだ。

ところがこの現場にはこの若い新人歌手にそんな意見を言える人間はいない。
なにせお金を出しているのはその父親、
つまりこの歌手こそが「クライアント」なのだ。

「どうやったら売れる」とか説得しても無駄である。
彼女は自分の思い通りにやることが「売れる」ことだと思っているのだから・・・

叩くしかない・・・
どんなダサいフレーズだとて叩くしかない・・・(>_<)

「時給」が低くならないように、
なるだけ効率よく彼女が満足するように叩いて、
終わったらすぐに飲み屋に駆け込んで、
酒で全てを洗い流そう・・・

思えば今までスタジオ仕事には恵まれていた。

「スタジオミュージシャンは娼婦みたいな仕事」
などと娼婦になったこともないくせに(笑)そんな風に言ってたこともある。

私のような「感情移入型」のミュージシャンは、
ウソでもいいからその曲を本当に心から愛して叩かないといい結果は出ないのだ。

だからレコーディングが終わったらどの曲も本当に愛していた。
その愛した曲を中国の人民みんなが愛した。

そしてそれを叩いているワシのことをみんなが愛してくれた。

恵まれ過ぎてるよね・・・

そんな仕事ばかりじゃない(>_<)
今日は何とか「機械」になって、思いっきり「クライアント」を満足させてやろう・・・

そして飲むのじゃ・・・飲んで忘れて明日も頑張るのじゃ・・・

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2017年10月 7日

布衣(BuYi)メンバーチェンジ?

ダナンで原稿を書いている時に、LaoWuから連絡が来た。
「赤峰のコンサートに小畑秀光を呼べないか?」

まあヤツもヒマなら来るだろうということでスケジュールを聞いてやる。
いつもならチケット取ってやったり色々するのだが、
何せもうJASRACとの戦いで散財してしまって日本円も中国元もほとんど残っていない(>_<)

「スケジュール空いてるみたいだからチケットはお前らで取ってくれや〜ワシ金ないし〜」
などと返信したからだろうか、
「じゃあFunkyもおいでよ〜」
ということになってワシも今、内モンゴル赤峰にいる。

3曲だけゲストで、あとは中国大太鼓でも叩いといてや〜
という仕事はむっちゃ楽である。

ドラムならそうはいかないけど、大太鼓だったら知らない曲でも何とかうまく合わせられるし〜\(^o^)/

見ればよーしーずこと渋谷有希子もベースで呼ばれて来ておる。
ギターの小畑と何やら深刻に曲の確認作業などをやっておる。

頑張るのぢゃ〜ワシは大太鼓じゃけんのう〜

・・・などとタカをくくっていたら、
「ドラムのFangFangが来れなくなったって。Funkyさん全曲叩いて〜」

!(◎_◎;)

というわけでワシが全くタッチしていない新しいアルバム等の曲を一生懸命譜面にしている。

「叩けない曲は別の曲に変更していいから」
とか言われるのだが、
「叩けない」などと言われたらワシ自身の「メンツ」に関わることなので、こうして全曲譜面にしているというわけだ。

さてそんなわけで今回のこのツアー、
最終日の赤峰コンサートは、どういうわけだかボーカル以外全員日本人のバンドになってしまったというわけだ。

buyitour2017.jpg

全くもってこいつらはいっぱいツアーをやる。
この規模のツアーを年間数本やっているのでLaoWuは全然家に帰って来ない・・・

旦那がずーっと家に帰って来ないわけだから、ブチ切れた奥さんの愚痴を時々ワシが聞かねばならないという毎日である(>_<)

まあ知り合った頃には食うや食わずのバンドだったこいつらが、
今ではこうして全中国ツアーが出来て、
どの都市でもライブハウスが満杯になろうというほどになったのだから、
奥さんはともかく(笑)ワシにとっては非常に嬉しいことである。


だいたいにしてこのLaoWuという男、
およそ「成功したい」とか「金が欲しい」とかに対して全く無頓着な人間である。

バンドはヒット曲が出ればボーカルひとりで金が稼げるというのに、
「今回のライブはひとりで来て下さい」
などと言われたら、
「じゃあ4人友達連れてっていいか?寂しいから」
などと言うような男である。

メンバーチェンジも自分からは絶対に言い出せない。
最初のドラマーをチェンジするのに一年かかったという話も聞いたことがある。

爆風銃(Bop Gun)のメンバーを40人もメンバーチェンジして、
最後にはケンカ別れしてバンドを解散させたワシなんかと真反対である。

女性ベーシストのLinNarが妊娠した時も、
生まれても子育てとかあるわけだからメンバーチェンジを考えていたのだが言い出せない。

「じゃあしばらく休めよ」
となって、彼女は子育てのためアメリカに移住。

でも
「アメリカにいたってただの主婦、でも中国に帰ってくればロックスター」
というわけで最近また長いツアーの時には子供を預けてバンドに復帰している。

とある音楽関係者がワシにこんなこと言ったことがある。

「いいバンドなんだけどねぇ・・・惜しいよねぇ・・・ドラムとベース・・・
どうしてメンバーチェンジしないのかねぇ・・・」

そんな男じゃないんですよ、そう言いたかったんだけど、説明が難しそうだったからその言葉を飲み込んだ。

ところがここに来て、メシ食ってる時にLaoWuがこんなことを言った。

「来年からツアーはこのメンバーで廻ることにするから〜」

!(◎_◎;)

「とりあえず春は3ヶ月ぐらい、夏はフェスとかに出て、秋はまた3ヶ月ぐらい・・・」

!(◎_◎;)!(◎_◎;)

バンド内に何があったのかはわからない。
ケンカするような男じゃないから、きっとみんなこの長いツアーには疲れ果ててしまったのだろう。

ドラムのFangFangもギターのMiaoJiaも子供が生まれたばっかり、
ベースのLinNarも子供ずーっと旦那に預けてほとんどツアーなんか廻ってたらそれこそ家庭崩壊してしまうだろう・・・

ワシはええよ、どうせそんな人生やし(笑)
しゃーないなぁ〜お前がそんなに家に帰りたくないならワシが付き合ってやろう!!

しかしワシまで院子におらんなったら誰がLaoWuの奥さんの愚痴を聞いてやるんじゃろう・・・

まあバンドマンと結婚したんだからと思って我慢して下され!!

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2017年9月14日

モンゴルの砂漠

ちょいと古い話になるが、5月に寧夏回族自治区の銀川のドラム教室開校式に呼ばれた時の話・・・

北京で一緒に暮らしているLaoWuのバンド、布衣楽隊の初代ドラマー欧老師、日去年の中友好こども(大人も可)サマードラムスクールにも参加してくれた彼が地元に大きなドラムスクールを開校するというので呼ばれたのだ。

69music.jpg

それにしても中国語では「69」と「ロック」は何も関係ないのに何故「69音楽文化」!(◎_◎;)
まあ長い付き合いになりそうな名前である・・・(笑)

さてここで講師デモ演奏でドラムをぶっ叩いて打ち上げ!!!

画面反対側の羊の肘の部分も凄いのですが、いろいろご意見はおありでしょうが私的には寧夏回族自治区で一番美味いのは手前の炒烩肉、羊肉を炒めた焼きそばのようなもので、これをオカズに白飯が最高!!! - Spherical Image - RICOH THETA

夜にはよく出演させて頂いたライブハウスへ行ってみる・・・

地震のために帰国していたネパールのバンドが戻って来てた。
「ネパールはメタルが人気だよ、ツアーにおいでよ」
という彼らと是非今度一緒にネパールツアー行きたいな・・・

中国最果ての街に出稼ぎに来ているネパールのバンド、ネパール大地震で一時帰国してましたが無事戻って来たようです。 「ネパールはメタルが人気だよ、ツアーにおいでよ」と誘ってくれるバンドメンバー、ウェイターみんな、よき友達です。 いつかこいつらと一緒にネパールにツアーに行きたいな・・・ - Spherical Image - RICOH THETA

さて次の日にはドラムクリニック!!それが終わって砂漠に行く!!

銀川69音楽文化創立記念日特別ドラム講座終了!! もうだいぶカリキュラムが固まって来たな・・・ これから砂漠に行ってドラムを叩きます!! - Spherical Image - RICOH THETA


そうなのだ、「砂漠で活動(HuoDong)があるから」と言われてたのでもう一泊スケジュールを空けておいたのよ・・・どうなることでしょう・・・

というわけで本題!!そこからみんなで車に乗って砂漠へ向かう・・・
夕方には県境(と言うのか?笑)を越えて内モンゴル自治区まで行ってやっと目的地に到着・・・

途中の道は何にもないこんなところです・・・(パノラマ写真)

69SabakuRoad.jpg

以前行った呼和浩特(フフホト)の物語を思い出す・・・

まあ着いたらお決まりのモンゴル人の儀式・・・

白酒を飲んだら(飲まされたら)宴会!!(笑)

69SabakuEnkai.jpg

可愛いウェイトレスさんもいます!!

69SabakuGirl.jpg

ちなみにこのモンゴルパオは次の日見たらこんな感じでした・・・

昨夜大宴会を繰り広げたところはこんなところでした〜モンゴルパオ!! - Spherical Image - RICOH THETA

食ったらその場でセッション!!

外でもセッション!!

花火大会!!

69SabakuHanabi.jpg

子供もセッション!!

69SabakuKodomo.jpg

お見合い?(笑)

69SabakuOmiai.jpg

そんなこんなで酔いつぶれてモンゴルパオで雑魚寝するのですが、
翌日見てみたらこんなところ・・・

宿泊はモンゴルパオで雑魚寝!! - Spherical Image - RICOH THETA

そして朝外に出てみたら凄かった!!
砂漠はこんなところ!!!

起きたら砂漠に朝日が昇ってます!! - Spherical Image - RICOH THETA

ニワトリも山羊も飼ってます・・・

ニワトリも山羊も飼ってます・・・ 昨夜食ったのはこれか?!(◎_◎;) - Spherical Image - RICOH THETA

アヒルも飼ってます・・・

アヒルも飼ってます・・・食うのか?!(◎_◎;) - Spherical Image - RICOH THETA

砂漠はこんなところ!!

砂漠はこんなところ!! - Spherical Image - RICOH THETA

ちょっと歩くと湖もあります!!オアシスですね・・・

ちょっと歩くと湖もあります!!オアシスですね・・・ - Spherical Image - RICOH THETA

砂漠のオアシスには花も咲いてます・・・

砂漠のオアシスには花も咲いてます・・・ - Spherical Image - RICOH THETA

砂丘に登ってみると人間とはいかに小さいものなのかがわかります!

砂丘に登ってみると人間とはいかに小さいものなのかがわかります! - Spherical Image - RICOH THETA

こうしてまた一日かけて銀川まで帰り、私は日本へと帰路に着くのでした・・・

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尖閣諸島でロックフェスティバル

いやね、最初に言っとくけど酒の上の話ね、酒の上の(笑)

私のように外国で暮らしている人たちの中にはやっぱり「変わってる」人がいっぱいいるが、もう20年以上の付き合いである北京のN嬢も相当変わっている人間だと思う。

私と同じく中国人の血が入っているわけではない純粋な日本人だが、
「私はもう日本には帰らない。死ぬ時は中国で死ぬ」
(どっかで聞いた話やな・・・笑)
と豪語してやまない。

旦那も中国に来てもう長いが、同じくもう日本に帰るつもりもなくここ北京を終の住処と考えているのだろう・・・

そんなご夫婦とある日一緒に飲んだ時(よく一緒に飲むのだがその時は)、
たまたま私が北朝鮮に初めて渡航する前の夜であった。

北朝鮮にロックを教えに行く・・・

私にとってはそれは「死」を覚悟して行くようなもので、
帰って来れない可能性もあるということから、その日はまるで「遺言」のように色んなことを話したのだろうと思う。

当時は尖閣諸島の問題が日中関係を大きく揺り動かしていてその話にもなった。

「私はね、尖閣諸島は日中友好のシンボルとして永遠にどの国も不可侵な存在にすればいいと思うの!!」
とN嬢(酒の上での話よ、酒の・・・笑)。

「北朝鮮が核兵器とテポドン開発してるなら、まず尖閣諸島に落として島をなくしてしまえばいいと思うの!!」
(全く酒の上だけの話ですよ!!笑)

など酒宴は死地に赴く友人を送るべく(笑)なんか変な風に向かっていたのだろう・・・

香港の活動家が尖閣諸島に上陸して逮捕されたという事件の話になって、
「中国や日本やに限定するからダメなのよ、いろんな国がいっぺんに上陸するのよ」
とN嬢・・・(うんうん、酒の上の話ね・・・笑)

そこから話が
「じゃあ色んな国の人がいっぺんに上陸して平和のためのロックイベントをやろう!!」
になったのだと思う。

「じゃあ俺は北朝鮮からバンド連れて来る!!」
「僕は中国のロックバンドに声をかけます」
「韓国のおっさんメタルバンドならひとつ知ってるぞ」

船の手配をどうするかとか音響業者がとかも話したかなぁ・・・もう昔過ぎて覚えとらん(>_<)

とにかくむっちゃ盛り上がって楽しい酒宴だったのを覚えている。


ところが先日、ひょんなことから久しぶりにまたN嬢と飲むことがあって、突然こう言われたのだ。

「尖閣諸島でロックフェスティバルの話、どうなりました?」

・・・って俺がやるん?・・・!(◎_◎;)

「いや〜ファンキーさんに言っとけば何とかなるかと思って(笑)」

ならん!!(キッパリ)

まあその日には北朝鮮出身の北京に住む在日コリアンもいて、あわやまた大きな話になりそうだったので早々と退散させて頂いた(笑)


そして数日後、今度はN嬢の旦那さんと会った時の話・・・

「ファンキーさん、聞きましたよ、いよいよやるんですって?尖閣諸島でロックフェスティバル・・・」

!(◎_◎;)・・・お前ら夫婦の中でどんな話になってんねん!!!

やるならお前らでやりなさい!!
お前らがやるならドラムなら叩きに行ってやる!!・・・ってやるんかい(笑)

やらんよ〜これは酒の上だけの話やからね〜酒の上の話よ〜(笑)

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2017年6月30日

酸菜白肉(SuanCaiBaiRou)

自分にとって「おふくろの味」って何なんだろうと思うことがある・・・。

香川県の中華料理屋「平和園」の3階で生まれ、
食事と言えば病院の食事などを作っていた人が退職してうちの従業員の「まかない」を作る人間として雇われていたので毎日その「まかない」を食って育った私にはあまり「おふくろの味」という記憶がない。

強いて言えばその「まかない」がお世辞にも美味いものではなく、
結局コックさんとかが作ってくれた店の料理がかろうじて自分の「家庭の味」みたいなもんなのだろうか・・・

店もたたんでおふくろは高知に引っ越して隠居し、
そこでおふくろが作ってくれた「鳥の唐揚げ」は平和園のそれと同じく「マスタード」をたっぷり溶かした醤油につけて食べる、それが言わば「おふくろの味」なのであろう、時々無性に「鳥の唐揚げ」をこのようにして食いたくなる・・・。


ところで現在娘が語学留学で北京に来て、
旅ばかりで「一緒に暮らした」という実感がないまま大きくなった娘と「初めて」と言っていいほど「一緒に暮らす」という生活をしている。

娘は小学校に上がるまでは東京で中国人の母(私の元嫁)と共に暮らし、
6歳の頃半年ほど北京で暮らしたが、その後は離婚と共に私の母親と共に高知で暮らし、再婚と共に八王子で暮らしている。

北京で暮らしてる時には全ての日本語は忘れてしまい中国語しか喋れなかったのが、そのまま高知に引っ越したら中国語など全部忘れてしまって土佐弁しか喋れなくなってしまった(笑)

そんな娘が北京に来て真っ先に「食べたい」と言った中華料理がこの「酸菜白肉(SuanCaiBaiRou)」である。

日本語のレシピは台湾の有名店のような料理を作る為のものばかりで、
実際は「酸菜(酸っぱい白菜の漬物)」と「豚肉」だけで簡単に出来る中国東北地方の家庭料理である。

中国語のレシピ

これを元嫁がよく作っていた記憶はある。
日本ではこの「酸菜(酸っぱい白菜の漬物)」が手に入りにくかったので、
代わりにザワークラウトを使っていたのを覚えている。

そしてなんと娘もその味を覚えていたのだ!!!(◎_◎;)

こちら(北京)にやって来てから色んなレストランでこの料理を注文した。
この味はちょっと違う、この味はママの味に似てる・・・等々

そしてしまいには自分で作り始めた!!!(◎_◎;)

あーでもないこーでもないと色々と味を調整してゆく・・・
近づけたいのは遠い昔の記憶に残る「おふくろの味」である。

私はすぐさまアメリカに住む元嫁にメッセージを送った。
離婚以来ほとんど会うこともなく別々に暮らしていたこの母娘の間に、
幼い記憶に残っている「おふくろの味」を求めて娘が試行錯誤している様を是非彼女に伝えたかったのだ・・・

元嫁からは絵文字で涙マークが送られて来た。
嬉しかったのだろう・・・

ザワークラウトはキャベツで出来ているので、娘が食べた料理は厳密には酸菜白肉(SuanCaiBaiRou)ではない。
でも娘の中ではもうそれが「酸菜(酸っぱい白菜の漬物)」に変化している。

まるであの時に、母親が異国の地でどうしても食べたかった郷土料理を、
あり合わせで何とか作った母親のその味の向こうにある本物の方の味を追い求めているかのようである・・・

娘がいつの日か結婚して子供が出来たとしたら、
自分の子供にこう言ってこの料理を作ってあげるのかも知れない。

「私が小さい頃にあんたのおばあちゃんが作ってくれた料理よ」

そうやって「おふくろの味」というものは時代を超え、国境を越え、子孫に伝えられてゆくのかも知れない・・・

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2017年2月 3日

黄家駒が紡いだ命

長年一緒に仕事をして来たLaoLuanの息子がアイスホッケーをやっているらしく、
「日本で練習試合とか出来ないか」
と言われていたのだが、
何ぶんスポーツに関しては全く興味がないので
「日本にはアイスホッケーなんかやってる人いないよ」
とか答えてたような状況の中、
「灯台下暗し」で元ファンキーコーポレーションの西部(シーブー)がホッケーの本場カナダの旦那と国際結婚してたことを思い出し、結果彼女のアテンドにより「北京火龍(ファイアードラゴン)」というジュニアアイスホッケーチームの初来日となった。

初日は西東京のスケートリンクで東京のチームと試合
そして軽井沢にやって来て軽井沢選抜チームとの試合・・・なのだが昼間は彼らは練習をしているのでそのスキにワシはスノボ(笑)

そしてその夜みんなで飲んでた時の話である。

继续在房间喝酒!! - Spherical Image - RICOH THETA

このワシが「実は人見知り」などと言うとびっくりする人が多いが、
特に母国語ではない中国語で知らない人んところにひとりで放り込まれると緊張を通り越して「嫌悪感」みたいなレベルにまで来ることがある。

しかしこの日はLaoLuanが
「チームメンバーの父親たちが飲みながら俺を待ってるんだ」
と言うのを聞いて、何故だかつい
「じゃあ俺も行く」
と言ってついて行ってしまった・・・

アイスホッケーをやるような家庭のお父さんである。
音楽業界の人間はもちろんLaoLuanだけだろうし、全くの初対面ばかりだろうに何故「じゃあ俺も行く」などと言い出したのか自分でもわからない。

まあ中国は何事も「関係(GuanXi:コネの意)」から出来ているので、
実は間接的に知り合いだったりすることは多い。

向かいに座ってる人は実はワシが飛行機の中にパスポートを忘れてあわや強制送還になろうとしている時にLaoLuanから電話を受けて探し出してくれた人である。

その時のターミナルでの話を面白おかしく話してるうちに「中国語ハイ」になって自分で話が止まらなくなる(笑)

まあワシなんてもう30年近く中国語を話して暮らしているが、
そもそもが学校に通ったこともなければ全くの「独学」である。

試験を受けて、まあ一生使うことはないだろうなぁという単語も一度は全部覚えたことがある人と違って、ワシなんかボキャブラリーは音楽用語と下ネタしかないのであるから(笑)、知らない単語ばかりを羅列する政府のお偉いさんなんかとメシを食う時の辛さに比べたら、こうして自分で勝手に喋り捲る方が数段楽しい・・・

まあ酒飲んで盛り上がるネタはだいたい決まっていて、

世界上最幸福的生活是(世界で一番幸せな生活は),
1,住在美国的房间(アメリカの部屋に住んで)
2,吃中国菜(中華料理を食べて)
3,有日本的老婆(日本人の嫁がいる)

最不幸福的生活是(一番不幸せな生活は),
1,住在日本的房间(日本の部屋に住んで)
2,吃美国的菜(アメリカのメシを食って)
3,有中国的老婆(中国人の嫁がいる)

まあ「鉄板ネタ」であるが、ここから
「私なんて昔は日本の部屋に住んで中国の嫁もらってたんですから最悪の3分の2は経験してますよ」
と始まって、

1,结婚是"判断力"不够(結婚は判断力の欠如)
2,离婚是"忍耐力"不够(離婚は忍耐力の欠如)
3,再婚是"记忆力"不够(再婚は記憶力の欠如)

とまた「鉄板ネタ」へと続く(笑)

まあいくらアイスホッケー関係だとはいえ、音楽好きは多いということでLaoLuanが許魏(XuWei)の話を振ってくれて
「彼の出世作のドラムは全部こいつが叩いてるんだよ」
などと言うと、
「あの曲のサビんところねぇ、"僕はもっともっと君の笑顔を見たい。僕はもっともっと君に言いたいんだ"の後に"LaLaLa"になって歌詞がないでしょ。あれがいいんだよね」
などと知ったようなことをほざいたりする(笑)

そんな中で今度はLaoLuanがBEYONDの話を振った。

もちろん中国人の音楽好きでBEYONDのことを知らない人はいない。
「そうそうボーカルの黄家駒は日本で死んだんだよね」
などと言われたりしたら、
「そうですよ、私の目の前で死んだんですよ」
と言うしかない・・・

なにせが書けるぐらいのエピソードがあるのだ。
話そうと思えば一晩中だって話し続けることが出来るが、
この楽しい酒の場をしんみりとさせてしまったって仕方がない、
LaoLuanと関係のあるひとつのエピソードだけをちらっとお話しした。

「もうね、西洋医学では全く手の施しようのない状態だったんだ。
そうなったら東洋医学にでも何にでも頼るしかない。
"安宮牛黄丸"という漢方薬が効くかも知れないということで、
LaoLuanの弟のLuanShuに国際電話をかけたんだよね・・・」

ところがその漢方薬には日本の医薬法に抵触する成分が含まれていて、
全世界の中華圏から集まったその薬は日本の税関で全部摘発されて没収された。

運良く没収されなかったものや、日本にいる中国人がたまたま持っていたものも、日本の医者が医薬法に抵触する薬を患者に投与するわけにはいかない。

全世界の中華圏の藁をも掴むような思いが届くことはなく、
そして黄家駒は・・・死んだ・・・

ワシが日本のマニュアル社会に対して時々ヒステリックに嫌悪感を露わにすることがあるのはこの時の思い出のせいかも知れないが、
怒鳴ったって喚いたって、泣いたって怒ったって死んだ人間は戻っては来ない。

「しゃーない」のだ。
黄家駒は死んで神様になる運命だったんだ・・・

そう思うしかないのだ・・・


ここまでは今回のブログ記事の長い長い前振りである。
LaoLuanがワシも初めて聞くこんなエピソードを語ってくれたのだ。

「その話には後日談があるんだよ・・・」

当時LuanShuがボーカルをつとめていた黒豹は、
まあ中国ロックの黎明期においてはそこそこ中国を代表するロックバンドという位置づけにはいたのであるが、
決して今ほど金持ちであるような状態ではない。

それこそなけなしの金を集めてこのとてつもなく高価なこの薬を買い集めて、
そしてそれを日本に送ることもなく黄家駒は死んだ・・・

「そのストーリーを知ってた人間がいたんだよ」
LaoLuanが話を続ける。

「その人が何の面識もないLuanShuの電話番号をつきとめて電話をかけて来たんだ・・・」

「藁をも掴む気持ち」というのはまさにこのことだ。

その人はお子さんが同じように頭をうって昏睡状態・・・
おそらく全ての西洋医学からも見捨てられたのだろう・・・

安宮牛黄丸というのが効くかも知れないという話だ・・・

しかし今の安宮牛黄丸というのは工場で作られていて、
昔ながらの手で作られているのでなければダメらしい・・・

そんなものは今の時代にはもう手に入りはしない。
「金ならいくらでも出す」
愛する子供のためだ、その人はそう思ったに違いないが、
しかし金をいくら積んだってその薬は今の時代には手に入らないのだ・・・

そんな時にこの黄家駒の話を聞いた。

「LuanShuとかいう人がひょっとしてまだその時の薬を持っていたら・・・」

藁をも掴む気持ちでその人はLuanShuの連絡先を探した。
友達の友達、伝手を辿りまくって、
いや、ひょっとしたら業者から高い金出して電話番号を買ったのかも知れない・・・

そしてついにその電話番号に電話をかけた。
知らない人からかかって来て気持ち悪がられて切られたりしたら、
その人はきっとどんなストーカーにでもなってLuanShuを探し出して、
土下座をしてでも頼み込むだろう。

「金ならいくらでも出す。その薬がまだ残ってたら売って下さい」

もちろんLuanShuにしてみたら金なんか要らない。
どこにしまったのかわからない20年近く前のその薬を部屋じゅうひっくり返して探しまくった。

当時買い集めたその薬は8個。
見つかったその8個の薬をその人に渡した。

当時でさえかなり高価な薬である。
今となってはもう天文学的な値段がつくであろうその薬だが、
もちろん金なんか要らない。

しかし残念ながら8個の薬のうち5個は保存状態が悪くて使い物にならなかった。
残るは3個。
効果があるかどうかはわからないが、藁をも掴むような気持ちで患者に投与した・・・

そしてそのお子さんは・・・

「奇跡」というのがあるとしたらまさにこのことである。
薬の投与がよかったのか何がよかったのか、
そのお子さんは治った!!・・・死なずにすんだのである!!

ワシはその話を聞いて呆然となった・・・
楽しい酒の席ではあったが涙が溢れて来た・・・

死んでしまって神となった昔の友が、
「へ、へ、へ」
と言いながら天界で頭をかいている姿が浮かんで来た。

「お前がやったんだな」
したり顔をした天界の黄家駒に向かってグラスを挙げて、残った酒をイッキに飲み干してやった。

今宵の酒はまた格別な味がした・・・

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2017年1月12日

去年の移動距離

和佐田が「去年は何本ライブをやった」とか自慢するので、
じゃあワシは「去年はどれだけ移動した」と自慢し返したろうと思って集計してみました!!(ヒマなんかい!!(笑))

1/1 新余 武漢 500 km
1/2 武漢 大阪 2000 km
1/3 大阪 豊橋 200 km
1/4 豊橋 高知 400 km
1/9 高知 東京 600 km
1/12 東京 名古屋 300 km
1/13 名古屋 北京 1800 km
1/14 北京 连云港 600 km
1/16 连云港 北京 600 km
1/23 北京 上海 1300 km
1/25 上海 北京 1300 km
1/29 北京 名古屋 1800 km

1月ぶん合計:11400km

2/1 名古屋 大阪 100 km
大阪 北京 1800 km
2/5 北京 大阪 1800 km
2/7 大阪 東京 400 km
2/14 東京 志賀高原 200 km
2/18 志賀高原 名古屋 200 km
名古屋 上海 1500 km
2/20 上海 無錫 100 km
2/22 無錫 上海 100 km
上海 连云港 800 km
2/23 连云港 青島 500 km
2/25 青島 北京 800 km

2月ぶん合計:8300km

3/2 北京 青島 800 km
3/3 青島 北京 800 km
3/8 北京 東京 2100 km
3/10 東京 北京 2100 km
3/21 北京 東京 2100 km
東京 野沢温泉 200 km
3/24 野沢温泉 東京 200 km
3/26 東京 香港 2900 km
3/30 香港 クアラルンプール 2500 km
クアラルンプール シドニー 6600 km

3月ぶん合計:20300km

4/7 シドニー クアラルンプール 6600 km
4/10 クアラルンプール 東京 5300 km
4/13 東京 大阪 400 km
4/14 大阪 名古屋 100 km
4/15 名古屋 東京 300 km
4/18 東京 北京 2100 km
4/29 北京 洛陽 700 km

4月ぶん合計:15500km

5/1 洛陽 蘇州 800 km
5/2 蘇州 寧波 200 km
5/3 寧波 北京 1200 km
5/12 北京 東京 2100 km
5/15 東京 豊橋 200 km
5/16 豊橋 名古屋 100 km
名古屋 北京 1800 km
5/19 北京 岳陽 1200 km
5/21 岳陽 株洲 200 km
5/22 株洲 北京 1600 km

5月ぶん合計:9400km

6/4 北京 西安 900 km
6/6 西安 東京 2800 km
6/7 東京 上海 1800 km
上海 長沙 900 km
6/9 長沙 北京 1300 km
6/23 北京 東京 2100 km
6/25 東京 上海 1800 km
上海 永康 300 km
6/26 永康 北京 1300 km
6/27 北京 天津 100 km
6/29 天津 東京 2000 km

6月ぶん合計:15300km

7/1 東京 浜松 200 km
7/2 浜松 東京 200 km
7/4 東京 名古屋 300 km
7/5 名古屋 上海 1500 km
7/7 上海 名古屋 1500 km
名古屋 岩見沢 1000 km
7/9 岩見沢 富良野 100 km
7/11 富良野 札幌 100 km
札幌 東京 800 km
7/16 東京 バンコク 4600 km
7/18 バンコク 北京 3300 km
7/23 北京 青島 800 km
7/25 青島 北京 800 km
7/29 北京 太原 400 km

7月ぶん合計:15600km

8/2 太原 銀川 600 km
8/4 銀川 北京 900 km
北京 東京 2100 km
8/10 東京 高知 800 km
8/13 高知 東京 800 km
8/15 東京 バンコク 4600 km
バンコク 西安 2600 km
8/21 西安 北京 900 km
8/26 北京 長春 900 km
8/28 長春 北京 900 km
8/31 北京 東京 2100 km

8月ぶん合計:17200km

9/2 東京 河口湖 100 km
9/3 河口湖 東京 100 km
9/5 東京 北京 2100 km
9/14 北京 天津 100 km
9/15 天津 北京 100 km
9/16 北京 恩施 1600 km
9/18 恩施 重慶 600 km
9/20 重慶 成都 500 km
9/21 成都 北京 2000 km
9/23 北京 上海 1300 km
9/25 上海 北京 1300 km

9月ぶん合計:9800km

10/2 北京 泰山 600 km
10/4 泰山 北京 600 km
10/6 北京 重慶 1900 km
10/7 重慶 大理 1500 km
10/9 大理 昆明 400 km
10/10 昆明 北京 3000 km
10/12 北京 ミラノ 8000 km
10/16 ミラノ バンコク 9000 km
バンコク 東京 4600 km
10/20 東京 北京 2100 km
10/22 北京 淄博 600 km
10/24 淄博 北京 600 km
10/26 北京 バンコク 3300 km
10/30 バンコク 北京 3300 km

10月ぶん合計:39500km

11/2 北京 東京 2100 km
11/6 東京 クアラルンプール 5300 km
クアラルンプール バンコク 1200 km
11/9 バンコク クアラルンプール 1200 km
クアラルンプール 東京 5300 km
11/11 東京 天津 2100 km
天津 北京 100 km
11/18 北京 上海 1300 km
11/23 上海 北京 1300 km
11/26 北京 宣化 200 km
11/27 宣化 北京 200 km
11/29 北京 東京 2100 km
東京 高知 800 km
11/30 高知 岡山 200 km

11月ぶん合計:23400km

12/1 岡山 神戸 200 km
12/2 神戸 大阪 100 km
12/3 大阪 東京 400 km
12/8 東京 名古屋 300 km
12/9 名古屋 上海 1500 km
上海 バンコク 2900 km
12/15 バンコク 北京 3300 km
12/17 北京 义乌 1700 km
12/18 义乌 北京 1700 km
12/20 北京 済南 500 km
12/21 済南 青島 400 km
12/22 青島 昆明 3300 km
昆明 大理 400 km
12/25 大理 昆明 400 km
12/26 昆明 北京 3000 km
12/29 北京 三亜 3400 km
12/31 三亜 北京 3400 km

12月ぶん合計:26900km

一年の合計:212600 km


地球一周をだいたい4万kmとして、去年はだいたい5周半した計算になるな(笑)

見れば10月はひと月でほぼ一周しとる!(◎_◎;)
やっぱイタリアは遠いということやな・・・

Wingさんがまたワールドツアー入れてくれたら今年は地球6周も夢ではないな(笑)・・・

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2016年12月21日

桃源郷は遠くにありて思ふもの・・・

日本での10本連続来日ツアーで(というよりその飲み会で)風邪をひいてしまい、
治すべく暖かいタイに飛んでまた飲み過ぎで風邪を悪化させてしまい、
北京に帰って風邪をおして仕事などをしてたら何と今までにない環境汚染!(◎_◎;)

今抱えている仕事はプロデュース関係だけなのでパソコンさえあればどこでも出来る!!
とばかりに北京脱出を試みた・・・

寒くなくて空気もよくてのんびり出来るというならやはりここではないか!!

以上はこのブログ記事より雲南省大理

以下はこのブログ記事より雲南省麗江

HotelYuanzi.jpg

YunNanStreetDay.jpg

YunNanHorse.jpg

YunNanMonkey.jpg

わざわざ外国になんか行かずとも自国にこんな桃源郷があるのだからそちらに行けばいいではないか!!!

というわけでチケットを探す・・・

大理や麗江までは直行便はないので雲南省の省都である昆明で乗り換えるのだが、
北京ー昆明は当日のチケットはさすがに高く、
済南ー昆明なら1万円以下であるぞ!!!

というわけでポチリ!!
あとは陸路で済南まで行けばよいだけである。

方言(FangYan)が用意してくれた防毒マスク(笑)を付けていざ山東省済南まで!!

ちなみに旅は気のまま風の吹くままということで、
この時点でまだ北京ー済南の切符は押さえていない。

時間はあることだしゆっくり北京南駅まで行って、
着いてから乗れる便の切符を買って乗ればいいと・・・

ところが列車に乗った途端にメッセージが届いた。

【去哪儿网】【航班取消通知】您在去哪儿网购买的2016-12-20 济南到昆明 KY8206航班已取消。

!(◎_◎;)

慌ててブッキングした去哪儿网のアプリで確認するがそちらは取消、
だがもうひとつのアプリでは遅延になっている・・・

キャンセルだろうがどうだろうが、
もう列車の切符を買って乗ってしまっているのだ。
このまま降りて北京に引き返すわけにもいかない・・・

とりあえず済南空港まで行ってみて、
遅延だったらそのまま乗って、
キャンセルだったら一泊して次の日のにでも乗ればいい。
とりあえずは北京を脱出出来たらそれでいいではないか・・・

・・・と思ってたら済南に着いてみたら北京に負けず劣らずむっちゃ汚染(>_<)

調べてみたら汚染は北京だけではなく中国東部は全部汚染されてるではないか!!

北京から逃げて来たつもりで汚染の真っ只中の山東省・・・(>_<)

視界不良で高速道路は封鎖され、
済南西駅から空港までタクシーはのろのろ運転・・・

空港に着いた頃には予定飛行機の出発時刻でした・・・

もし遅延ならそのまま乗ればと思っていたところ、
遅延どころか全ての便が欠航!(◎_◎;)

まあこの視界不良ではねぇ・・・

というわけで済南宿泊決定!!
・・・と言ってもやることはいっぱいある。

まず昆明に取っていたホテルのキャンセル。
そして明日の朝一番で取ってた昆明ー大理の便のキャンセル・・・

しかしこの航空券は航空会社が違うためキャンセル不可能(>_<)
まあ数千円やったからええか・・・

明日雲南まで行ける便がないかと探したら、
西安経由で麗江まで行ける便があったのでそれを押さえておく・・・

そしてホテル!!

空港には欠航で乗れなかった人がたくさんいるためどこも満室!!
そんな中で空港からも近い素敵な客栈(ホテルよりもランクが低い宿泊施設)があったのでポチリ!!

お金も払っていざその場所に行ってみるとそんな客栈など影も形もない・・・
載っている番号に電話しても使われてないので仕方ないので飲む!!

飲みながらサイトにクレームを入れるのだが、
サイトとしてもこのような事態はあまり経験がないらしく、
結局全額払い戻してくれて一件落着!!

・・・と思ったら今度はまた別のメッセージが入る・・・

【去哪儿网】【航班取消通知】您在去哪儿网购买的2016-12-21 济南到西安 JR2429航班已取消。

!(◎_◎;)・・・西安行きも飛ばんか・・・こりゃもう空路ではこのスモッグだらけの街から出れんな・・・

そんな中、ネットではこんなCNNニュースが流れていた。

中国、大気汚染で赤色警報 北京脱出の「スモッグ難民」も

そうかぁ・・・ワシのような人間を「スモッグ難民」と言うのか・・・(納得)
とりあえずは陸路でこの街を脱出することを考えよう・・・

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2016年10月19日

WING世界ツアー2016年イタリア

中国国内ツアーなのでは若いドラマーを使って育てているWINGさん(ええ奴っちゃなぁ)ですが、こうして海外での大きなコンサートではワシを呼んでくれる(ほんまにええ奴っちゃなぁ〜涙)。

イタリアなんか行ったことなかったもんなぁ・・・感謝感謝である。

ということで「イタリアなんか滅多に行けへんでぇ〜」というわけで今回は日本から娘も呼び寄せた!!

これワシのチケット情報

これ娘のチケット情報

・・・ってブッキングしてから思い出した!!
たまプラーザ行くのに羽田まで行ってしまう娘がひとりで東京からワシも行ったことないモスクワを経由してミラノまで来れるのか?!!!

最強のドライバー「娘」

というわけでミラノに着いてからバンドのメンバーと別れ、ひとり空港で娘を待つ!!

いや〜結果論になるが、この時にイタリアワインと生ハムを食っておいてよかった・・・
(後日談)

さて、娘はあの時のように今度は地球の裏側まで行ってしまうこともなく無事に到着!!

タクシーに乗ってホテルへ向かう・・・
しかしこのホテルの周りって何もないのよねぇ・・・

MilanHotelMap.jpg

隣にロックバーがあるけれども既に閉まっている(>_<)
仕方がないのでこの日はすぐに寝て、
朝のホテルの食事が何かイタリアンがあるのかと思ったら普通の日本のホテルと変わらん(涙)

MilanBreakfast.jpeg

イタリアンが食いたいよ〜本場のイタリアンが食いたいよ〜
というわけで集合時間の12時まで待つ!!

そのためにわざわざ朝飯の量を減らし、腹を減らして減らしてやっとありつけた昼飯!!・・・

・・・はやっぱり中華!!!(号泣)

まあね、安定のキッコーマンは何につけても美味しいし、
中華は別に嫌いじゃないし・・・

でもこの人たち世界中どこ行ってもなぜ全食中華?!!!(涙)

というわけでこの日の晩飯も中華!!
しかも同じ店(号泣)

まあせめて空港で生ハム食っといてよかった・・・(>_<)


さて夜には会場に行ってサウンドチェック!!
しかしここが想像以上に大きな会場だったのよ・・・(驚)

もうね、ツアースタッフも全員中国人、
現地スタッフもバイト以外全員中国人、
オーエィエンスも全員中国人、
言語は全て中国語・・・

・・・ってこれ世界中どの国行っても香港かどっかでコンサートやってるのと全く変わらん(>_<)

・・・でも逆を言うと世界中どこに行っても自分の国のようにコンサートが出来るってある意味凄いな・・・

印象深かったのは、バイトのイタリア人スタッフが、
「9時には家に帰るからサウンドチェックは9時までね」
と言うのを中国人が頼み込んで頼み込んで10時まで延長してサウンドチェックをしていること・・・

もうね、ほんの20年前よ、ワシなんか日本人がレコーディングなんかしに行っても、
当時まだ社会主義の名残が残ってた北京なんかでは
「もう7時には帰るから」
と言って、レコーディングの状況がどんなであろうが電源落としてさっさと帰ってしまうスタジオの人こそが中国人(国家公務員)だった(笑)

時代は変わるのう・・・シミジミ・・・


さて翌日は本番で11時半にホテル集合、12時に会場着いて楽屋で軽く食べてからサウンドチェックね、ということで、
「イタリアで楽屋で軽く?・・・ひょっとしてピザの出前?・・・」
と初イタリアンに胸湧くワシにこの楽屋弁当・・・

涙・・・

そして夕方の弁当もこれ・・・

もうね、何を食ってもええライブが出来ればそれでいいの!!!(涙)

というわけでコンサートが始まりました。

やっぱこのデカい会場が満杯になってんのな!(◎_◎;)
予想に違わず全員中国人(笑)

ワシは実は3曲目にちょっとミスショットを出してしまい、
「慣れた曲やと思って慢心したな!!」
と猛反省・・・

小畑秀光のことは言えない(>_<)
リハでもっともっと本番さながらの気迫で全曲やっときさえすればこんな小さなミスなんて起こすはずはなかったのだ・・・

などとステージで考えてると更にドツボを踏むことになるので、
経験上これは「頑張ってミスを取り返してやろう」などとは思わず、
90点を目指して「平常心」を心がけるのがいい結果を生むことが多いと知っている。

ドラムソロも欲をかかず、いつもの感じで無難にまとめる・・・

結果コンサートは大成功!!

BEYONDの古い曲でこのオーディエンスが全員で大合唱するのは、
毎回そうなのだが黄家駒が天界から降りて来て一緒に歌っているような不思議な感覚になる。

もう死んで20年以上経つのにずーっとみんなの心の中にいる、
これらの楽曲と共に生きているという感覚があるのは決してワシだけではあるまい・・・


打ち上げ!!

やっぱ中華やん!!(笑)

というわけで前食中華で終わったイタリアツアーでしたが、
最後に空港で初めてイタリアンを食しました。

ちょっとだけど観光もしたよ!!

ドイツでもそうだったけどトイレの表記が英語ではないのでちと困った(笑)

本当ならミラノとフィレンツェの2箇所のはずだったんだけどフィレンツェが実現しなかったのが残念やなぁ・・・

WINGさん次はどんな外国に連れてってくれるのか楽しみです!!

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2016年10月12日

またもや中国ロック界を騒がすインタビュー記事

目が覚めたらまた微信(WeChat)でこんな記事がいっぱいいっぱいリツイートされている。

这个日本人亲身经历了黄家驹的离世,见证了中国摇滚26年,如今却待在中国不愿离开
(この日本人は黄家駒の死を経て中国ロックの26年を見届け、今も中国にいて離れたくないと思っている)

自分の記事がネットを騒がすことはよくあったが、これはちょっと大きいな・・・
ちょいとここに残しておこうと思う・・・


不得不说,日本的大仙儿太多了。但要科普的话,滚君最先想到的不是什么大牌乐队,而是常年混迹在中国的"怪蜀黍"Funky末吉。
(言うまでもなく、日本には大仙人はたくさんいるけれども、一番伝えるべきだと私が思うのはどんなビッグなバンドよりも、この長年中国にいる「変なおじさん」Funky末吉であろう)

最近のネット言葉「怪蜀黍(変なおじさん)」で始まるこの長い長い文章は、
その膨大な取材力と筆者の思い入れと共に、
読み進むにつれて、本当にこの変なおじさんが中国ロックと共に長く生き、尻尾が8つに分かれた妖怪となってこの世に存在しているかの印象を受けるようになって来る(笑)

很多朋友都见识过他的鼓技
(たくさんの友人たちは彼のドラムの技術は目にしたことがあるだろう)

ということで紹介されているのが許魏(Xu Wei)の楽曲と伝説のコンサートでの鼓三儿とのドラムバトルの映像(ワシ・・・ほとんど写ってないがな・・・笑)

その後鼓三儿も死んでしまったのでこの映像も伝説化してしまってるなぁ・・・

そしてどこから拾って来たのかX.Y.Z.→Aのアー写を爆風スランプとして紹介してるのはご愛嬌として、Funky末吉が90年から黒豹やBEYONDと出会った話が始まってゆく・・・

そしてこのインタビュー映像となるのだが・・・

愛ちゃんの結婚インタビューの中国語に比べたらワシの中国語・・・ヘタやな(>_<)

ある日香港からインタビューさせてくれと言われて、
微信(WeChat)の無料音声通話で寝っ転がって話していた記憶があるが・・・
こんな風に使われていたのね(笑)

この写真なんかどこから探して来たんやろ・・・
WINGおらんし・・・喜多郎さんおるし・・・(笑)

そしてここからが不思議なのだが、
他曾家日本的高知新闻上连载过几期他与Beyond的故事,其中就详细描述了家驹去世时的场景
(彼は日本の高知新聞での連載においてBEYONDの話や、その中には家駒がこの世を去る時の場景について書かれてある)

高知新聞の連載を香港で入手したのか?!!!(◎_◎;)

そしてその文章を中国語に訳している・・・
新聞の写真まであるし・・・(驚)

まあその内容は私の自叙伝に書いたのと同じなのでここでは割愛するが、
日本人に向けて日本語で書かれた本がこうして中国語で紹介されるのは初めてのことで、
それがやはり中国人にとってはインパクトがかなり大きかったのだろうと思う・・・

世界中の中華圏では知らない人はいない日本では全く無名なロッカーがその日本で死んでゆく・・・
その無念さ、無力感、絶望感・・・

それを胸に抱いて亜州鼓魂というアルバムを作り、
そしてその中の家駒への追悼曲「Memories」の音源が紹介される・・・

なんかねぇ・・・この中国語の文章を読んでるうちにいろんなことが思い出されて来て胸が熱くなった。

ワシが絶望したのは「人が死ぬ」ということではない。
この高知新聞のタイトルでも書かれているように、
「無名は価値がないのか?」
ということなのである。

まあいわゆる「芸能界」というところの価値観とこの日に「決別」したのであろう・・・
そして中国に渡って、この新しい「仲間たち」と新しい価値観を求めて戦って来た。

Funky和中国一代最朝气、最热血的年轻人一起变老,也见证了中国摇滚乐的兴衰和发展
(Funkyは中国のあの輝ける世代、最もエネルギッシュな若者と一緒に年を取り、そして中国ロックの繁栄と衰退を見届けて来た)

そして最後には当時のステージ衣装であった毛沢東のTシャツ、
つまり「毛沢東を背負って」ドラムを叩く写真が紹介されている。

まさしく「怪蜀黍(変なおじさん)」(笑)

この記事は黄家駒を中心に綴られていてあまりにも「伝説」っぽ過ぎて、
「何や俺・・・もうすぐ死ぬんちゃうん?」
などと思ってしまうが、
このまま生き続けてドラムを叩き続ければきっと尻尾が8つに分かれて「怪蜀黍(変なおじさん)」が更にもっと怪物化してゆくことだろう・・・

人間を超えるぞ(笑)

日本では自分のインタビュー記事なんか破って捨ててしまいたいものばっかりだったが、
大きな情熱でこの記事をまとめて下さった著者に敬意と感謝を捧げます。

どうもありがとう・・・

Posted by ファンキー末吉 at:06:59 | 固定リンク

2016年4月 6日

オージーはもじゃもじゃがお好き?

オーストラリアに来てから不思議なことが毎日必ず起こる・・・

基本的には香港からのご一行、つまり中華系の方々と一緒に行動しているのだが、そこを離れてひとり街中に飛び出すと、毎日必ずオーストラリア人から声をかけられるのだ。

ある時など、夜中に現地の友人(日本人)宿利くんと夜中にコリアンタウンで焼肉(笑)を食ってたら、隣の白人から「一緒に写真を撮ってくれ」と言われて写真を撮った(驚)

宿利くんは思わずその白人に
「彼のこと誰だか知ってんの?」
と聞いたらしいが、
「全然」
と答えられて「?????」・・・

「そう言えばずーっとこっちを見てたんで、こっちの頼んだ肉を見てんのかなぁと思ってたんですが・・・末吉さん見てたんですねぇ」

全くもって意味がわからない!!

道を歩けばオージーがすれ違いざまに何か言って親指を立てる。
しゃーないからこっちも「Oh Yeah!!」とか言って答えるのだが、
全くもって「?????」である・・・

アジア系でそんな人はひとりもいない。
女性もひとりもいない。
基本的には若い白人の男ばっかである!(◎_◎;)

先日は宿利くんの奥様も一緒になってそれが何かを考える。

「ファッションじゃないですかねぇ。。。」
このファッションが何か奇抜か?

WingSydnei2016Fashion.jpeg

まあ金髪の東洋人が「侍」と書いたTシャツを着てるのはウケるかも知れないが、Tシャツは毎日換えるぞ?・・・

「じゃあ・・・やっぱり顔じゃないですかねぇ。。。」
顔?

「なんか修羅場くぐってると言うか、何か高いところに到達してるように感じちゃうんじゃないですか?」

ワシ・・・そんな徳の高い顔しとるか?・・・

WingSydnei2016Satori.jpeg

そう言えばインドに行って砂浜で寝転んでたら道行くインド人がワシを拝んで行ったことがあったのう・・・(笑)

WingSydnei2016Indo.jpeg

でも例えワシの顔がそれはそれは徳が高かったとしても、
拝んだりされるのはインド人だけで他の人種は皆無!!
そこでオージーだけがそれを感じてワシに親指を立てるわけではあるまい・・・

先日はオージー和牛を食いに行ったら、
そこの店員がワシのことを大好きになって、満腹のワシに更にラムチョップを奢ってくれた!(◎_◎;)

WingSydnei2016WagyuStuff.jpeg

さっぱりわからない・・・
ワシのどこがそんなによくて自分の給料から見知らぬ客に奢るなどの行動をするのだろう・・・

毎日毎日続くので今度は聞き耳を立てて何を言ってるのか一生懸命聞き取ってみる。

注意深く聞いてたら白人がワシに親指を立てる時に
「クールヘヤー」
と言ってるのが聞き取れた。

「冷たい部屋???」

部屋〜なわけはない、ヘヤー即ちHair・・・髪の毛??
「Do you like it?」
とすかさず突っ込む宿利くん。

するとむっちゃ嬉しそうに
「Of course!! I want that!!」
などと言って来る・・・

「末吉さん、むっちゃクール!!俺もそれやりてー!!みたいな感じっす・・・」

髪型なのか!(◎_◎;)・・・

確かに最近中国では何かのキャラクターなのか「金毛狮子王(JinMaoShiZiWang)」などと言われることがあるが、オージーにはこれが「クール」に映るか?・・・

しかしそれにしても何故にオージーにだけ?・・・

インドになくて中国になくて日本にもなくてオーストラリアにだけある何か特別な感覚があるのか?・・・

オーストラリアにだけあるもの・・・これかっ!!?

WingSydnei2016Koara.jpeg

確かにどことなく似ているような気はしないではない。
ワシの場合「髪型」と言うよりは「毛並み」に近いのか?・・・

WingSydnei2016Genjumin.jpeg

言われてみれば毛並みの流れがどことなく動物的?・・・
原住民よりも原住動物なような気がしないでもない・・・

このすんげークールな「毛ぇ」を持ってて、
その顔が白人でもなく原住民でもないアジア人、
そしてそれがファッションに敏感そうな若者でもなく「おっさん」であるところがオージーにとってはとてつもなくクール「ハンパねぇ」みたいな感じなのかも知れない・・・

突き抜けているのかワシ・・・!(◎_◎;)

まあいい、女性には一切魅力と思われないようじゃが、
若いオージー達がこんなワシをファッションリーダーとして迎えてくれるならそれはそれで嬉しいことぢゃぞ!!!(喜)

さてそうなるとファッションリーダーたる者、
もう洗い晒しの髪の毛で街を歩くわけにはいかない!!

「誰に見られているやらわからない」
という意識で、外に出る時には「毛づくろい」には余念がない。

バンドのみんなとボンダイビーチに行った時、南太平洋の絶景をパノラマで写真を撮ろうと特等席へ・・・

WingSydnei2016TakingPhoto.jpeg

自慢の毛並みが風に揺られて乱れるのはファッションリーダーとしては気になるところではあるが、敢えてそれは気にせずに一心不乱に撮影してた・・・

ところが撮影終わってみんなのところに行くとみんなが笑ってこう言う。
「Funkyさん、後ろのアベックに盗撮されてましたよ」

WingSydnei2016Tousatsu.jpeg

この写真は盗撮が終わった瞬間らしい。
その後ふたりで盗撮写真を眺めながら・・・爆笑!(◎_◎;)

笑われとるやないかい!!!(涙)

まあいい、こんな「毛ぇ」でオージー達を幸せに出来るんなら・・・

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2016年4月 4日

葉世荣(Yip Sai Wing)という男

この男とはもう25年の付き合いになる。

いい時も悪い時も一緒・・・というより、
人間やはりどん底の時に一緒にいた友達関係は一生の付き合いになるのかも知れない・・・

中華圏で今だにどのバンドも超えることが出来ない大成功を収めたバンド、
そのバンドのボーカリストが日本で事故で亡くなり、バンドは活動停止して、
残された彼はドラム台を降り、立ち上がってギターを持って歌を歌った。

今までリードボーカルなどそんなに取ったことがなかった彼にとってかなりの苦難の道だったようだ。

彼がギターを持って広東省の田舎町のキャバレーなどを廻っているのによく遊びに行ったりした。

その後のBEYOND再結成からは残された3人で立派にリードボーカルを割り振りし、
(今思えばC-C-Bのようじゃ)
今では彼は歌手として中国大陸では3人の中で一番成功しているように見える。

でもねぇ、お金的にはどうなのだろう・・・

彼はいつも自分のバンドWING BANDを連れて廻り、
経費だけを考えたら、あの時のようにギター片手に、もしくはカラオケ持ってBEYONDのヒット曲歌って廻ったら莫大な富を稼げたはずである。

ワシは長年の付き合いでなしくずしにWING BANDの一員にされているが(笑)
彼は大陸の小さな都市などでのコンサートにはワシではなく香港の若いドラマーを連れてゆく。

「若手を育てたい」という考えてなのだろう、ワシは今回のように海外の舞台や、北京や香港など大事な大きな舞台にだけ呼ばれるという感じである。

そしてワシがドラムを叩くコンサートでも必ずその若いドラマーも一緒に呼び、
ゲストのバンド部分や彼にもドラムを叩く場を用意する。

経費だけを考えてたら人数を減らせば減らすほどいいのは当たり前だが、
彼の頭にはそういう考えてはどうもないようだ・・・

その昔一緒に飲んでた時、
「ビジネス的にオイシイ話が来たので投資したい」
みたいな話をしてたので
「やめとけやめとけ」
と言ってたら、
「僕は理財の才能があるから大丈夫」
などと言ってたから本気で止めた。

直接は知らないが、この男は過去にどれだけの人間に騙されて金を失ったことだろうと想像する・・・

だいたい金儲けの上手い奴なら若いドラマーなんてギャラが安いから利用してるだけで、扱い方自体が違うはずである。


また、前回の北京公演の時に感じたことがある。

彼はオープニングアクトとしてマレーシアから「异种(YiZhong)」というバンドを呼んだ。

言っちゃぁ悪いがいい年したおっさんのバンドである。
金のことだけを考えてたら売れ線のバンドとかにチャンスを与えて、
それが成功したらそこからまた自分にお金が落ちて・・・
というのがむしろ「普通」であるのだろうが・・・

「Funky、紹介するよ、このバンドはなぁ・・・」
それを聞いてワシは「ああこいつらしいな」と思った。

彼らは1988年にBEYONDが最初に北京公演をやった時のオープニングアクトだったバンドであったそうだ。

何処かで再会した彼はきっと彼らにこう言ったのだろう。
「懐かしいなぁ・・・まだバンドやってんの?じゃあ世界ツアー一緒に廻ろうよ」


そんなWINGのワールドツアー、香港での楽屋でワシにとっても懐かしい人と出会った。
元BEYONDの敏腕マネージャー「レスリー」である。

WingSydney2016Leslie.jpeg

BEYONDを中華圏最大の成功に導いた立役者、
北京に紅星レコードを設立して中国大陸のロックブームの火付け役となった敏腕マネージャー・・・

その後はBEYONDと契約関係でもめたとか、
紅星では目の出ないロックバンドを片っ端から青田刈りしてるとか言われていたが、
ワシの名前を中国じゅうに響き渡らせた「許魏(XuWei)」をはじめとして、今中国で一線で活躍する数多くのロックスターは、彼がいなければ世に出てなかったかも知れない・・・

実はその紅星で制作を任されていたのが、
現在ワシが一番一緒に仕事をしているLaoLuanである。

つまりワシはLaoLuanと共にレスリーが大陸でやり残した大きな仕事を引き継いでいるとも言えるだろう・・・

そのレスリーも音楽業界を退いて長い。
噂ではオーストラリアに移民して音楽の仕事は一切していないという噂だ・・・

そんな彼をWINGが自分の香港でのコンサートに呼んだ。
北京コンサートにも旅費や滞在費を出して呼んだと言う・・・

何故か?・・・

ここからは想像でしかないが、
ワシがその前にレスリーと会ったのは1993年東京女子医大病院、
つまりBEYONDのボーカル黄家駒が命を落とす間際である。

全くの想像でしかないが、
レスリーはその時ちょっと居場所のない感じだった。

BEYONDとは契約関係でもめていると聞いてたし、
そのBEYONDと契約したアミューズはレスリーを目の上のタンコブのように思っていたのだろう、そんなレスリーが病室に現れてアミューズのスタッフが右往左往していたのを覚えている。

その後、黄家駒も死んで、BEYONDのメンバーもそれぞれの活動を開始して、
「レスリー元気かい?僕は今歌を歌ってるんだ。よかったら見に来てくれないか?」
そう言ってWINGがレスリーをオーストラリアから香港、そして北京へと呼び寄せたことは想像に難くない。

特に北京では、30年近くの時を越えて、同じこの北京で、自分がマレーシアからブッキングした「异种(YiZhong)」と再会することとなる。

どんな気持ちだっただろう・・・

レスリーの気持ちに火がついたと言えば言い過ぎだろうか・・・
結果的にはレスリー自身がこのWING世界ツアーのオーストラリア公演をブッキングすることとなったというわけだ・・・

もちろんWINGは計算ずくでそう仕組んだわけではない。
WINGの「気持ち」とその「友情」に答えたのではないかとワシはそう思う。

元敏腕マネージャーは頑張った!!
蓋を開けてみたら会場は中華系のオーディエンスで満杯!!

WingSydney2016Audience.jpeg

中華系以外のオーストラリア人には全く無名のこの男が歌う、
自分が昔プロデュースしたBEYONDの曲を、
自分が一生懸命プロモーションして集めたオーディエンスが全員で大合唱する・・・

そんな姿をレスリーはどんな気持ちでステージ袖から見ていたのだろう・・・

WingSydney2016YiZhong.jpeg

自分が30年前にBEYOND北京公演のオープニングアクトでブッキングしたマレーシアのバンドが、30年の時を越えて今度は自分の住むオーストラリアの自分が作り上げたステージの上で歌っている・・・

そんな姿を彼はどんな気持ちで眺めていたのだろう・・・

コンサートは大成功に終わり、一行は打ち上げ会場に向かう。
また豪勢な中華料理を想像してたのだが、予想に反して打ち上げ会場は中華系のカラオケ屋。

ここでワシはだんだんとこのツアーのからくりを理解してゆく・・・


いくらチケット代が十数年前のKISSよりも高くたって、
アリーナクラスではない会場に高々数百人満杯にしたところで、
これだけの数のツアーメンバーの旅費と食事、
そしてこの豪勢なホテル代を全部支払ったら元が取れるわけがない。

おそらくこの豪勢なホテルのオーナーも、
豪勢な食事を食べたレストランのオーナーも、
そしてこの中華系カラオケ屋のオーナーも全て中国人!!

その中国人実業家達がこのコンサートのスポンサードをしていることは間違いないだろう。

だからその主役であるWINGはそのスポンサーの店は廻らねばならない。
WINGがスポンサー達を接待して、
スポンサーは命がけでワシらバンドメンバーやツアーメンバーを接待する。

そんな一風変わった変な循環がワシには感じ取れた・・・

世も更けてカラオケ屋で出前の中華をつまみながらレスリーの帰りを待つワシらに、グループチャットでレスリーが写真を送って来た。

WingSydney2016Katazuke.jpeg

「まだ終わらないよ〜」

ワシらが飲んでいる間に、主催者であるレスリーは現地スタッフと共にまだ片付けをしている。
どんな気持ちで片付けをしてたのだろう・・・

祭りの後の寂しさ?・・・もしくは昔のこんな風景を思い出してノスタルジー?・・・


次の日、WINGは地元の大金持ちのプライベートジェット機で遊びに行った。

バンドのメンバーは3人は香港に帰ったが、
ほとんどの人間は次のマレーシア公演までここに滞在する。

そして地元の人達はワシらバンドメンバーやツアーメンバーを接待する・・・

こちらに来て1食目の中華料理屋さんで今晩の晩メシをご馳走になった。
そして料理がない打ち上げのカラオケ屋に料理を差し入れたのもこの中華料理屋だったのだが、
ここのオーナーのロゼッタは実はBEYONDの初期スタッフだった。

WingSydney2016Rosetta.jpeg

爆風で言うと初期ファンクラブスタッフの「みのよ」みたいなもんだろうか・・・

アマチュアだったBEYONDに惚れ込んで押しかけスタッフをして、
そこにレスリーが契約書持って現れて、
「じゃあ私はもういいわ」とバンドから離れて、
その後BEYONDは大ブレイク・・・

その後レスリーもBEYONDを離れて、
気がついたら偶然にも同じオーストラリアに移民して、
こうして今度は一緒に助け合ってこのWINGのコンサートをサポートしている・・・

オーストラリアではワシらは北京語、広東語、そして英語を使って会話をするが、
英語で的確に言い表せない言葉がある・・・

縁・・・中国語で「缘分(YuanFen)」

WINGのお陰で切れていたいろんな「缘分(YuanFen)」がまた繋がってゆく・・・

かく言うワシもびっくりするような「缘分(YuanFen)」があった。

マレーシアのバンド「异种(YiZhong)」のベーシスト
(まあ彼は若いから新メンバーなのだろうが)
は実はワシがマレーシアで行ったひとりドラムの時、ブログでも「全作大人買いしてくれた青年が」と書いているその青年が彼だったのだ!!

WingSydney2016LaoGui.jpeg

WINGがワシにくれたのは毎回いくら入ってるかわからないギャラ代わりの「红包(HongBao)」だけではない。
お金では買えないいろんな「缘分(YuanFen)」をくれた。

レスリーやロゼッタも、決してWINGの金儲けに利用されて動いたのではない。
きっとお金で買えないいろんなものをWINGからもらったのではないかと思う。

お金のことだけを考えてたらカラオケ持ってひとりでくればいい。
こんだけのバンドメンバー連れて、マレーシアからオープニングアクトのバンドまで連れて来たんじゃWINGだけじゃなく誰も金を儲けることなんか出来ない。

でも金じゃないいろんなものを得たと感じるのはワシだけではないと思うぞ・・・


最後に少し・・・

彼はコンサート当日に突然『風継続吹』という曲をを歌うと言い出した。
送られて来た音源を聞いてみたら山口百恵の『さよならの向う側』である。

WingSydney2016Stage.jpeg

実はこの日、4月1日は彼の友人でもあったのだろう、自殺したレスリー・チャンの命日。
「1コーラスだけでいいから彼の曲を歌いたいな」と思ったのだろう。

人は生きていればいろんな出会いがあって別れがある。
それを引っくるめて中国語で「缘分(YuanFen)」と言う。

バンド仲間の事故死、フィアンセの事故死、そしてお父さんの死・・・
そんなものを全て乗り越えて、彼はその亡くなったバンド仲間の歌を歌う・・・

そしてそこにまた新しい「缘分(YuanFen)」が生まれてゆく・・・

葉世荣(Yip Sai Wing)・・・
友達思いで後輩思いで、バカでお人好しで本当に金儲けがヘタな男・・・

ワシのとても大切な友人である。

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2016年4月 1日

WING世界ツアー2016年オーストラリア初日

香港でのリハを終え、今回のワールドツアーの最初の公演地であるオーストラリアはシドニーにやって来た。

「僕は中国人がいる国だったらどこにでも行くよ。逆にその他の人間は僕のこと知らないからね」
と笑って言ってたWINGさん。
確かにオーストラリアには80万人近くの中華系の移民がいるらしく、実際こちらに来てみてから感じたのは広東語を話す人なんかもかなり多いということである。

着いて最初の食事である昼メシの時に行った中華料理屋さんでも、決して広東料理専門店ではないのに従業員は全て広東語を話してたし、晩メシの超高級中華料理屋でも広東語が普通に話されてた。

そうそう、
「香港人とツアーに行くと中華しか食べないんだよ」
とよく言われるが、
WINGの世界ツアーでも毎回ほぼ全食中華である(笑)

ワシなんかは「オーストラリアと言えばオージービーフ」で、
過去のWINGツアーでもそうだったが、オーストラリアならぶっちして自分ひとりでオージービーフとオーストラリアワインと行きたいところなのだが、
ご一緒してると滅多に食べられない高級中華にありつけるのでそのタイミングが難しい・・・

今回は何とカジノが入っている高級ホテルに宿泊なのだが、
晩メシはその高級ホテルのオーナーなのか何やら偉い人と共に食事である。

今まで見たことがない巨大なカニ!!(◎_◎;)

足の部分だけでこんなに!!

巨大甲羅にて焼きそば!!これが上品な味にカニ味噌の香りで絶品!!

そしてアワビ!!

をしゃぶしゃぶ!!!(◎_◎;)

でもね、料理だけではない。
この後「じゃあ飲みに行こう」となって行ったのが何とカジノのVIPルーム!(◎_◎;)

どうもWINGの席に座ってた偉い人たちの中にはこのカジノのオーナーがいたらしく、その人の案内によるものらしい・・・

「パスポートは持ってるか?」
どうもVIPルームに入るにはパスポートが必要らしい・・・

「僕はパスを持ってるから」
とWINGはそれ専用のペラペラ紙を見せてくれた。

カジノなんか入るのは生まれて初めてで、
入ったら入ったでスロットマシンやルーレットなどギャンブル台が並んでて映画なんかで見るカジノと全く同じなのでむっちゃ緊張した。
(写真自粛・・・というか禁止か?)

そのカジノを抜けて専用エレベーターで最上階の17階に上がる。

いくつかのギャンブル台が並んでて中国人がディーラー相手にブラックジャックをやっている・・・

賭け金:最低1,000$最高500,000$

!(◎_◎;)・・・大雑把に計算して最低で10万円足らず?!!!
最高額賭けたら一勝負5億円?!!!(驚)

どんな人がこんなギャンブルをやってるのかと思ったら全員中国人!(◎_◎;)


賭けてるチップが100万円だとすると、
それで賭けてる人は優に毎回何百万の勝負をしている・・・

最上額のチップであろう、少し大きくて値段が書かれているのは100,000$・・・ってあーた!!いっせんまん?!!!(◎_◎;)

とある中国人・・・そのチップを何枚も賭けて、一勝負で高級マンションがぽんぽん飛んでゆく・・・(眩暈)

興味深いのはそれを見ているワシらは額を計算して目がクラクラしているのに、
そんな大金を賭けているご本人は買っても負けてもさほど気にしてない様子なことだ。

恐らくこれぐらいは「はした金」なのか、
もっと大きく勝ち負けした時にだけ感情を表に出すのだろう・・・

ワシらは隅っこのテーブルに座って、時々立ち上がってはその「はした金」の勝ち負けを覗き見してたのだが、
「コニャックでも飲むか」
と言うのでワシは大きく頷いた。

そもそもは、何やらここでしか飲めない数十万のコニャックをご馳走してくれると言うからついて来たのだ。

これ!!

WingSydney2016Hennessy.jpeg

日本円で80万円ほどする代物らしい!!!(◎_◎;)
(ちなみに瓶はクリスタルガラスで作られているらしい・・・)

これを惜しげもなくワシやバンドのメンバーに振舞ってくれる(驚)

まあ一瞬のうちにマンション何軒かが買える金が動いているこのカジノのオーナーにとってはこのコニャック一本ぐらい「はした金」みたいなもんか?・・・(恐)

飲みながらこんなことを考えた・・・


オーナーがもしこの貧乏バンドメンバーからコニャックの元を取ろうと思ったとしたら、一人に一枚ずつチップを振る舞えばよい。

スタッフも合わせて20人ほどが一度だけそのチップで博打をすればそれでいいのだ。
10万円が動くその勝負を一度だけ体験すればそれでいい。

20人いたら2〜3人は運良く勝つ人が現れるだろう・・・
その人は「10万円儲かった」と言ってすぐにそのチップを両替するか?

またその20万円を賭けて勝負をしたらもう後には引けない・・・

このホテルにはATMも山ほど設置されてるし、聞くところによるとクレジットカードでチップも買えるらしい・・・

20人いて一人がひと財産全部スってしまえばコニャックどころかみんなに配った最初のチップぐらいすぐ元が取れてしまうんではないのか・・・(恐)


帰り際にパスポートを返してくれたのだが、
それぞれにWINGと同じくこのVIPルームのパスが配られた。

でもワシはもう足を踏み入れないと思う・・・

博打は人生だけでもう十分!!

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2016年3月14日

中国のロックスターに口説かれる渋谷有希子(笑)

アメリカにレコーディングに行ってた老呉(LaoWu)が帰って来た。

「お、帰って来たか〜何が食いたい?」
というわけでみんなで火鍋を食いに行こうと決まったその瞬間、
「Funky〜今日またうちでみんなが集まるからさ〜おいでよ〜」
とメッセージ・・・

前日しこたま飲んだ青島料理屋のオーナーである。

「ロックバンド〇〇や〇〇のメンバーなんかも来るよ〜みんなお前が来るの待ってるよ〜」
と顔ぶれを見ただけでどれだけ飲むメンバーなのかが想像出来る・・・

「今日は別の集まりがあるから無理!!!」
と返事をしておくのだが、それでもばんばんにメッセージが来る上に、
そのメンバー本人からもばんばんにメッセージが来るのでもう仕方ない。

「じゃあこっち終わったら顔出すよ〜」
と言って「晩飯のハシゴ」となった・・・(>_<)

もうね、超満腹でこの青島料理屋行って、
絶品青島料理や毎日空輸される青島生ビールなどを前にしてまた暴飲暴食を繰り返すのは目に見えている・・・

このメンツなら絶対にエンドレスの怒涛の飲み会になるのも目に見えているので、
「私は行きません」
ときっぱり断っていた有希子(よーしーず)・・・

ところが電車で行くにはうちからは遠すぎるので
「送るだけ送ってよ〜」
ということで車の運転を頼んだのだが、
着いて「じゃあちょっと顔だけ出そうかな」となったのが悪かった。

HeiShanDaoBeer.jpg

ちなみにこれが、その日のうちに飲まなければ次の日には飲めなくなるというので毎日青島から空輸されるという、北京でこれが飲めるのはこの店だけだろうという青島ビールの搾りたて生ビール!!

その向こうにちらっと映っているのがワシと有希子(よーしーず)、
この後にイッキが始まり、いきなりアクセルをトップギアに入れて周りのテンションについて行くワシを尻目に、飲めない有希子(よーしーず)は隣でちょこんとお茶を飲みながら座っていた・・・

ところがこの写真を撮った人間の右隣に問題のロックスターが座っていた。
中国で一番レコードを売ったロックバンドのキーボード「H」である。

前回会った時には彼は中国で一番金を稼いだロックバンドに新加入した女性ドラマーと結婚目前ということで、
「よ、嫁さんは元気か!!」
と言うとそこからちょっと態度がおかしくなる・・・

別れたのか・・・!(◎_◎;)
と思ったのだが、まあ男女の仲にはいろんなことがあるので深く追求せずにいた。

ところがそこからこのロックスター「H」の態度が少しおかしい・・・
テーブルの反対側からやたら有希子(よーしーず)に話しかけてたと思ったら、
最後には彼女の隣に座って一生懸命口説いている(笑)

ちなみに有希子(よーしーず)は北京に移り住む時にはワシの教材などを使って一生懸命中国語を勉強していて少しは喋れるのだが、
その後こちらに移り住んでからはちょっと脳みそが中国語を拒否したりして(周りが全部中国語だと中国語学習者は時々このような現象になったりする)それからほとんど進歩していない。

当然ながら「Funky〜ちょっと通訳してくれ〜」となる(>_<)

中国語になるとまずは
「有希子(よーしーず)はお前の彼女なのか?」
が来る。

「運転手です!!(キッパリ)」

そしたら今度は有希子(よーしーず)に
「Funkyは貴女の何なんですか?」
と聞くので、彼女も少ないボキャブラリーで一生懸命答える。

「大哥(DaGaダーガー:お兄さん、もしくは親分の意)かなぁ・・・」

まあ友人の彼女じゃなきゃ本格的に腰を据えて口説けるってなもんだろう、
「わかった、じゃあまあ学生(XueShengシュエション:この場合は弟子とか生徒とかの意)ってことだな。わかった!!俺は彼女のことが好きなんだ。お前から付き合えと言ってくれ!!」

!(◎_◎;)

だいたいにして考え方がおかしいだろう・・・
たとえ彼女がワシの弟子だったとしても
「こいつと付き合え!!」
と言ったら
「先生がそう言うなら付き合います!!」
となるか???(笑)

めんどくさいので右隣のLaoLuanの方を向いて見て見ぬ振りをする・・・

最初は手を握ったり目と目を見つめて愛の言葉などを囁いていたのだろう、
また言葉が通じなくなって「通訳してくれ」とワシを呼ぶ。

「ちょっと通訳してくれ、
俺は家を二つも持ってるし、お前を養って行ける生活力もある」

!(◎_◎;)

まあそのまま訳したら有希子(よーしーず)は激怒、
まあ日本人女性からしたら当然の反応ぢゃわのう・・・(笑)

ここでワシは彼の友人として少し中国人のメンタリティーを説明しておきたい。

その昔ワシの秘書をやっててくれた貧しくも美しい美少女がモデル事務所にスカウトされた時の話・・・

学校も行けてない、ひょっとしたら戸籍もないかも知れない彼女を説得するために、
その彼がこういう言い方をしたのが印象深かった。

「お前は自分が美人だということがわかってるのか。
この国で美人ということは金を稼げるということだ。
お前がこの仕事をやって金を稼げば、
お前の妹はお前がやりたくて出来なかったことを全てやることが出来るんだぞ」

この辺の考え方が日本人独特のフィルターを通して見ると「即物的」に映るのかも知れないが、
有希子(よーしーず)を口説くロックスターの考えは決してそんな
「女を口説くのに金や財産」
みたいな考えでこの発言が出たのではない!!(キッパリ)

まあ片言の中国語で一生懸命
「私たち会ったばかりでお互いのこと何も知らないでしょ」
ということから始まったようだが、
「じゃあ僕は自分のことを話すね」
となったわけだ。

日本人なら「愛」とか「気持ち」とかそんなものだけを語るべきであって、
「金」とか「財産」とか「生活力」などを口に出すと「いやらしい」と感じてしまうが、
中国人にとっては、「愛」とか「気持ち」とかだけで一生懸命口説いて、
いざ付き合い出してから「金」もないよ、「財産」もないよ、
挙げ句の果てには「生活力」もないからお前食わせてよ、というのは「騙し」である。

ちゃんと自分が生活力があることを知らせて、
「だからちゃんとした気持ちなんだよ」
というむしろ誠意みたいなもんなのだ・・・

しかしもう有希子(よーしーず)としてはこれを聞いた途端に
「受不了(ShouBuLiaoショウプリャオ:絶対に受け入れることが出来ない感情を表す)」
である。

ワシはもうテーブルの反対側に避難して、LaoLuanや集まったモンゴリアン達とモンゴル民謡を歌って盛り上がっている。
見ればロックスターはまだ有希子(よーしーず)を一生懸命口説いているようだ(笑)

YouxizPaoNiu.jpg

青島から空輸したその日の搾りたて生ビールは全部飲んでしまい、
どこでも売っている青島ビールの瓶ビールもたくさん空けた後にやっと、
「じゃあ帰るか」
となった。

免許があって酒が飲めない理想的な運転手である有希子(よーしーず)は、
車に乗るや否やハンドルのところに突っ伏してこう言った。

「もう〜〜疲れた!!!もう〜〜イヤ!!!」

(笑)

「日本での例えはちょっと見つからないが、アメリカで言ったらボンジョビのキーボーティストに口説かれてんのよ!!お受けするでなくてもしばらく相手してあげれば〜」
と言うのだが、女性の感情としてもうイヤでイヤでたまらないようだ・・・

中国に来て今年でもう26年。
数々の有名美人歌手とも仕事をしたり出会ったりしたけど、
一度として「口説かれた」ことはない。

寄って来るのは全部「男」(>_<)

「ふぁんき〜(声が2オクターブほど低い)」
その昔はその後「電話番号教えてくれ〜」(涙)
今は「WeChatで追加してくれ〜」(号泣)

ところが中国に来てまだ一年もたたない駆け出しのベーシストがロックスターに口説かれるんだから、世の中というのは公平には出来てないのう・・・(シミジミ)

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2016年3月 6日

青島の领导(LingDao)たち・・・

志賀高原から湯沢温泉にも行って日本を堪能したLuanShuは、
ちょうどワシがひとりドラムツアーで青島に着いた頃に北京に帰り着いたようだ。

「お前が青島にいるなら俺も行く!!
旧正月は里帰りしてないからどうせ行かなきゃなんないしな・・・」
などと言ってた彼も、さすがに帰国してすぐに青島には来れなかったようだ。

ワシも北京に帰って一緒に飲んだ時、
「俺は3月2日に里帰りするけどお前はどうする?」
と言うので、
「どうするって・・・じゃあ行こうかな・・・」
というわけでまた青島に行くことになった。

「じゃあ飛行機取ってやるよ」
と大盤振る舞い。

しかも
「悪いなぁ、チケット取ったんだけどファーストクラスじゃないんだ、ごめんね」
ってワシ・・・国内でファーストクラスなんか乗ったことないんですけど・・・(笑)

じゃあ2日の朝に空港で〜というわけで当日、
ワシは早めに空港に着いたのじゃがLuanShuが待てども待てども来ない(>_<)

道が混んでたからのようだが、さすがはVIP!!
飛び込みでギリギリ身体だけは乗れたようだ。

その代り荷物はNG!(>_<)
しかし翌日にはコネを使って別便で荷物をホテルに送り届けるほどのVIPぶり(笑)

そのホテルっつうのもまた高級ホテルでね〜

2016QingDaoHotel.jpg

毎回梁棟(Liang Dong)が毎回無理していいホテル取ってくれるんだけどそのレベルを軽く超えたな・・・
(もちろんホテル代も出してくれている)

さてこのホテルを拠点に毎食の暴飲暴食が始まるのだが、
その相手が全部青島市のお偉方ばっか!(◎_◎;)

青島市長だの青島電視台の局長だの・・・
ちなみに中国語でこれらの偉い人のことを「领导(LingDao):指導者」と言う。

こんな人たちと一体どんなモノを食うかと言うと、
ある日の昼食などは日本で言うと迎賓館(行ったことないからわからんが)みたいなところで食事!!!(◎_◎;)

QingDaoGuiBinLou.jpg

食事が始まります!!

QingDaoGuiBinLouLunch.jpg

テーブルに並べられた前菜の中でひときわ目を引くのがこれ!!

QingDaoGuiBinLouToro.jpg

これ・・・霜降り牛肉で小鍋でしゃぶしゃぶして食うのかと思ったら、
なんとこれ・・・マグロのトロの霜降り!!!(◎_◎;)

こんなん初めて見たわ・・・(驚)

QingDaoGuiBinLouTofuSoup.jpg

そしてスープ!!
このふわふわしたもんは実は豆腐!!
それに包丁でむっちゃ細かく切れ目を入れてこのようにしているのだ!(◎_◎;)

もう料理と言うよりは芸術!!(驚)

QingDaoGuiBinLouKani.jpg

カニーーーーーー!!!!(涙)

QingDaoGuiBinLouFugu.jpg

これ何の泥魚かと思ったらフグーーーーー!!!(驚)

こんな料理法するのね・・・
しかもキモがちゃんとあるし・・・パクリ!!(感涙)

QingDaoGuiBinLouChousenninjin.jpg

もうね、朝鮮人参なのか食ったことないようなんもあるし、
全部料理載せきれんぐらいのフルコース!!(涙)

極め付けはシメのラーメン!!

QingDaoGuiBinLouLaMian.jpg

ラーメンは中国ではなく日本の文化だと思ってたが、
ここに来て初めて覆されるこの旨さ!!(涙)

中国人やれば出来るんでねーの!!
これそのまま「東京ラーメン」として売り出しても大流行りになるのではというレベル・・・

いや、何が使われてるかわからんがきっとコストが合わんな・・・

QingDaoGuiBinLouSweets.jpg

デザートのヨーグルトは自分で具を入れてお好みで!!
みたいな・・・

そんな豪勢な料理と、
結局青島に来て青島ビールを飲まずに高級ワインばかりを飲んでいるのだが、
またこの领导(LingDao)たちが飲むのよ〜・・・

ワシも最初のうちは場違いやし偉い人と一緒やと緊張するからイヤやったんやけど、
なんか人間酔っ払うとみんな一緒ね(笑)

晩飯食い終わって一緒に生バンドが入ってるパブに行くのぢゃが、
LuanShuがステージに上がって弾き語りで歌うのはいいとして、
その领导(LingDao)たちも代わる代わる上がって歌うのな(驚)

ちなみに市長だか誰かはワシのために「昴」を日本語で歌ってくれた。

(写真自粛)

面白いことに、领导(LingDao)が歌う時には照明を真っ暗にする!(◎_◎;)

聞けば、こんな偉い人がこんなところで歌なんか歌っている映像がUPされたら、
後々それがどのように使われて政治生命を脅かされたりするのを防ぐためだそうで、
なるほど中国・・・という感じである・・・


さてそんな音楽好きの领导(LingDao)たちがワシらを何やらとある共産党の施設に案内してくれた。

「共産党入党宣言」と書かれた物々しい張り紙の前で演奏するのは共産党お抱えのバンド???・・・

QingDaoBand.jpg

前の晩に领导(LingDao)と酔っ払って熱く語り合ってたLuanShuがワシに
「Funky!!喜べ!!青島で新しい仕事が始まるぞ!!バンドもんだ!!」
と叫んでいたが、このことか?・・・

共産党の歌や毛沢東を讃える歌など革命の歌を披露するのだが、
どこかで感じた似たような感覚・・・

そう!!北朝鮮!!!

でも大きく違うのがこの若いミュージシャン達がみんな「ロック」の洗礼を受けていること・・・

おそらくは物心ついた頃に聞いたのがこのLuanShuの在籍していた黒豹の音楽?
青春時代はワシが参加した許魏(Xu Wei)など中国ロックの名盤?

そんな二人が雁首揃えて自分の演奏を見てる・・・
そんなとてつもない緊張感の中、ディストーションのパワーコードや早弾きソロを駆使しして共産党の音楽を奏でる・・・

思えば中国のように「制度は社会主義、経済は資本主義」に進んでいる北朝鮮・・・
牡丹峰楽団などを率いて新しい革命の音楽によって国を治めようとしている金正恩第一書記がやりたかった音楽はこの世界なのではないか・・・

演奏後に领导(LingDao)に即されてアドバイスを述べるLuanShu・・・
「バンドの仕事ってこれか???・・・」

まあお前がやるんやったらやるけど・・・(笑)

思えばワシが初めて北京に来た25年前には共産党はこのLuanShuをはじめ中国のロックを目の敵にしていた。
それが今ではそのロックの人に教えを請う時代になった。

北朝鮮がいつかそうなる日が来てもおかしくない・・・

どれどれ今年また一回行って来るかな・・・

LuanShuDriver.jpg
(注:写真は単なるイメージです。出典元はこちら

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2015年12月28日

銃を持ったコンサート警備員

先日行われた内モンゴル自治区「包頭(BaoTou)」での布衣(BuYi)のコンサートに呼ばれて参加して来た。

彼らもちゃんとしたドラマーがいるのだからワシを呼ぶ必要は全然ないのだが、
まあきっと「楽しいから一緒に行こう」というノリなのだろう、
「とりあえず中国太鼓とロートタム叩いてね、ゲストでドラムも数曲」
という居ても居なくてもいいような存在として呼ばれて行った(笑)

ところが会場についてびっくり!!
なんとこの街最大の大劇場である!(◎_◎;)

BuYi20thBaoTou2.jpg

暗くてちゃんと写ってないが2階席にもちゃんと人が入っている!(◎_◎;)
・・・いや〜偉くなったのう・・・

まあでもそんなでかい会場でのワンマンコンサートでも、
普段着でジャンバー着たまま自分でセッティングをしているのが老呉(LaoWu)らしくてよい(笑)

舞台監督もローディーもいない、
同行スタッフはファン上がりの女性マネージャーと、
PAエンジニア(中国では録音エンジニアがPAもする)の方言(FangYan)とその助手だけ。

舞台にはドラム台とアンプなどの楽器しかなく、
ただバックに大きな電光掲示板があるのでそこそこ大会場の雰囲気は出る・・・

BuYi20thBaoTou1.jpg

まあこんな巨大な会場でも手作り感満載のまるで高校時代の自主コンサートのような雰囲気なのだが、
ひとつだけ大きな違いが警備員!!

中国ではコンサート会場は全て「国」の持ち物。
特に大勢の人間が集まるような会場は全て中国共産党が管理する。

そりゃそうだ、どっかの団体が大勢の人間集めて反政府集会なんかやられたら中国共産党としては黙っちゃいられないからね・・・

そこで(だと思うのだが)警備として派遣されるのは人民解放軍だったりして、
ワシも大きなコンサートなどでは迷彩服着た人民解放軍の一糸乱れぬ警備風景に背筋が冷たくなる思いをしたりする・・・

というのも、
1992年に爆風スランプを北京に連れて行ってラジオ北京の45周年記念イベントで演奏した時、
4曲演奏の予定だったのが1曲目で煽り過ぎたのか司会者が出て来て送り出しを始める。

構わずに2曲目のカウントを出して演奏を始めると司会者はすごすごと帰ってゆくのだが、
ステージから見下ろす位置にあるPA席で異変が起きた。

その迷彩服の人民解放軍(だと思う)が二人、PA席にやって来て音を全部落とさせようとするのだ。

日本から来たエンジニアは真面目なので必死に抵抗する。
そこでこのイベントをブッキングしてくれた中国のロック仲間がそれを止めようとやって来て間に入るのだが・・・

当時、長髪の若者が街を歩いているような時代ではなかった。
彼のような長髪は文字通り「ロックのシンボル」であった。

人民解放軍は止めに来た彼が中国人だと認識した瞬間に、
外国人PAエンジニアに対する態度とは明らかに違う態度を示した。

いきなり彼に殴る蹴るの暴行を行ったのだ。

中国のコンサートはアリーナに客を入れず真ん中に円形ステージを作るが一般的なのだが、
PA席はアリーナにあってその様子は2万人の観客全てから見えている。

そんな状況の中で人民解放軍は彼をめった打ちにし、
うずくまった彼に容赦なく軍靴で蹴りを入れた。

客席は騒然となり、ペットボトルが投げつけられて飛び交う中、
人民解放軍はもう動けなくなった彼の、ロックのシンボルとも言える長髪をつかんでボロ雑巾のように引きずって出て行った。

PAを完全に落とされ、音の出なくなったマイクと、
アンプの生音とドラムの生音だけで届け出を出した4曲を演奏し、
胸を張ってステージを降りたら・・・

そこには銃を持った人民解放軍が待ち構えていてワシらを別室に軟禁・・・

「さてどうなったでしょう・・・続きはを買ってお読み下さい」
とワシはいつも「ひとりドラム」の時にそうやって話を締めるが、
こんなことが実際にあった時代、そんな時代も今は昔・・・

この日の布衣のコンサート、終わったらCDの即売会が行われ、
ワシも呼ばれて一生懸命サインなどをしてたのだが、
ファン達との記念撮影が終わって、最後にこの警備員達が恥ずかしそうにサインを求めて来た。

BuYi20thBaoTou3.jpg

ご覧の通り、手には銃を持っている。
一番左の若者は写真撮影のためにわざわざ銃を構えてポーズをした・・・

腕章には「特警」と書かれている。

「武警(武装警察)」やこの「特警(特殊警察部隊)」などは人を射殺する権利を有すると聞く。
もしもこのコンサートで反政府的な活動をして暴動と発展したとしたら、
この人たちはお国のためにきっと容赦なく「暴徒」達を射殺するのだろう・・・

そんな「純粋な」若者がニコニコしてCDを買ってサインを求め、
こうして一緒に記念撮影をして笑顔でワシに握手をして帰ってゆく・・・

これが「中国」・・・今の「中国」なのである・・・

Posted by ファンキー末吉 at:09:34 | 固定リンク

2015年12月 1日

強制送還その後・・・

前回の続き・・・

いつの間にやら夜が明けつつある・・・

監視のためかずーっと付き合ってくれてる職員さん(夜中の部)は非常に人当たりのいい人で、
デバイスを充電するのにコンセントのところにへたり込んでいたら椅子を持って来てくれたり、
また、朝になったら「腹が減っただろう」と外に出て食べるものまで買って来てくれた(涙)

ちなみに職員たりともペットボトル等の水は持ち込み禁止らしく、
身体が温まるようにとインスタントミルクティーを買って来てくれて、
わざわざ職員の部屋からお湯まで入れてくれた。

身体が温まるより何より心が温まったぞ(涙)

しかし状況は全然進展していない(>_<)

何せ頼みの綱の中国国際航空は「パスポートのない人間は乗せません」とはっきりと断ったと言うのだ。

これはますます映画「ターミナル」みたいになって来た・・・

でも映画の主人公は空港に一ヶ月住んで美女と恋をするが、
ワシの周りには女っ気のカケラもない(>_<)

映画では主人公は母国が内戦状態なので帰るに帰れなかったが、
ワシの場合は乗れる飛行機さえあれば帰れるのである!!

しかしその飛行機がなかなかない(>_<)

煙台経由は一度入国することになるのでダメ、
直航便は結局明日の朝までないのだ・・・(涙)

JALとのシェアコード便はあることはあるが、
「あれはJALだからうちの便ではない」
とかわけのわからんことを言う・・・

「じゃあJALに聞いてみたらどうかなぁ。日本の航空会社だったら便宜を図ってくれるかも知れないよ」
とワシはその職員にそう言った。

「そうだねぇ・・・その線も聞いてみよう・・・」
職員はそのまままた外に出て行ったまま帰って来ない・・・

きっと交代の時間だったのだろう、代わりに来た人はその人に比べるとあまりやる気のなさそうな人だった(>_<)

中国のLINEみたいなWeChatにも書き込んだらLaoLuanが心配して電話をくれた。

ひと通り事情を説明したら、
「航空会社に知り合いがいるから調べさせよう」
と言う。

まあ北京で3回調べて出て来なかったと言うのだ、
出て来ないとは思うけど、飛行機が飛んで行った青島でももう一度探してもらいたいものだ・・・

新しい職員さんにもう一度青島に電話をかけてもらっても
「そんなものないってよ」
でおしまいなので、ダメ元で何とかもう一度ちゃんと探して欲しい・・・

それと同時に帰国する便の手配である。
乗れる便がなければ本当に映画のようにここに暮さねばならない(涙)

時間は9時を回った。
大使館が開く時間なので藁をもつかむ思いで電話してみた。

そう言えば前回電話をした時もパスポート紛失の時だった・・・

「うーむ・・・これは初めてのケースですねぇ・・・」
大使館の人も頭を抱えながらいろいろ親切にアドバイスをくれる。

要は飛行機に乗せてくれさえすれば日本には帰れるのだ!!

JALとANAなら日本の航空会社なので何かと便宜を図ってくれるかも知れないということで電話番号を調べてくれたのでかけてみた。

電話口に出た日本の女性も非常に親切で、

1、夕方の東京行きには空きがある
1、外に出れなくてどのように購入するか
1、ボーディングパスの受け渡しはどうするか
1、T2からT3までの移動をどうするか

等いろんな問題を真剣に考えてくれた。
中でも一番の問題はT2からT3の移動だったが、
なんと職員さんが連れて行けば大丈夫だろうということになった。

職員さんもね、寝ずにずーっと交代で監視して、
ほんともう早く出て行って欲しいのよね。

じゃあクレジットカードで購入してボーディングパスを中で受け渡しということで何とか問題はクリア出来るのではということになった\(^o^)/

あとは空港関係と問題を詰めれば乗れると言う・・・

「それでお値段の方なのですが・・・」
一応確認のための値段を聞いて腰を抜かしそうになった。

12000元!!

つまり正規料金で買うことになるので20数万円が片道だけで飛んで行ってしまうのだ(号泣)

もうね、普段往復している片道切符7回分が一回の帰国で消えるのよ・・・
「もう帰るのやめて空港で住もうかな」
などと思い始めた時に一本の電話が鳴った。

LaoLuanである。
「パスポート青島で見つかったよ!!」

もうね、言葉ではいい表せない感激よ!!
誰もいない空港のイミグレーション前で小躍りしたもんね(涙)

きっと「3回探した」と言ってもちゃんと探してなかったのだろう。
LaoLuanがコネを使ってちゃんと探させたら出て来たということなのだろう。

今はパスポートが青島から届くのを待っている・・・←イマココ

あと2時間・・・いや〜14時間待ったのだ。それぐらいどうってことない!!
皆さんもくれぐれもパスポートの紛失には気をつけましょう!!!

Posted by ファンキー末吉 at:10:16 | 固定リンク

強制送還・・・

2015年11月30日、X.Y.Z.→Aのライブを終えたワシは中国東方航空MU526に乗るべく関西空港へと向かった。
その日はあまり腹が減ってなかったので関空のバーでシャンパンを2杯とワイン1杯、
出国してからビールを1杯飲んで搭乗口へと向かった。

飛行機は45分遅れだったので酎ハイを1本買ったのだが、それがいけなかったのかも知れない・・・

飲み干さずに酎ハイ片手に搭乗・・・
片手でパスポートと搭乗券を手渡しチェックしてもらう・・・

そのまま座席、確か32のJに座ったまではよかった。
新しく買ったスケボー付きのリュックが座席の下に入らないのでごぞごぞするためにパスポートと搭乗券を座席前のポケットに放り込んだ・・・

そしてお決まりのようにそれを機内にそのまま忘れて来たのである(>_<)

まあ前にも同じようなことはあった。
「あ、忘れた」と気付いてそのまま飛行機に取りに帰ったり、
スチュワーデスさんが持って来てくれたこともあった・・・
(結構やっとるやないかい!!)

ところが今回は飛行機から降りてバスでターミナルに向かったので取りに帰ることが出来ない(>_<)

職員さんに事情を話すと
「ここで待て」
と言って探しに行ってくれた・・・
(と言うか別にその人が探しに行くわけではない、電話で航空会社とかに探させるのだろう・・・)

そしてこう通告された・・・「見つかりません」

当然ながらワシのポシェットやリュック、服のポケットまで他人の手によってちゃんと調べられる。
見つからなかったら彼らだってむっちゃ面倒くさいのだ。
飛行機の中から掃除したゴミの中まで何度も調べたらしい・・・

「中国語は分かるか?」
役人のような担当者が何人か来てそう聞くが、
まあ言われる前からどうなるかは分かっている。

「強制送還」である。

「機内に行って自分でもう一度探してみることは出来ませんか」
そう尋ねたが、飛行機はもう別の便として青島に飛んで行ったとのことである。

ほんの少しの可能性としては、
青島で機内清掃した時に見つかるということもあるかも知れないが、
まあ3度探して見つからなかったと言うのだから可能性は低いだろう・・・

どっかに紛れ込んでなくなったのか、
見えにくいところに落ち込んで見つからないのか、
どっちにしろ今パスポートがないのだから入国は出来ないのだ。

朝いちの便で日本に帰るしかないのだが、
「じゃあこのベンチで朝まで待つの?」
と聞くと
「別の小さな部屋を用意します」
とのこと。

強制送還の人間にもある程度優しいのね・・・(笑)

「パスポートがないのに飛行機に乗れるの?」
と聞くと
「その手続きはこちらでやるから」
とのこと。

一応パスポートチェックのカウンターで入国カードを提出する。

「日本のIDは持ってるか?」
と言うので運転免許証を出したらやはりそれではダメなようだ。

日本ではマイナンバーを巡って色んな意見が飛び交っているが、
政府が発行した写真付きのIDがない国って先進国では日本ぐらいちゃうか・・・

ただiPhoneの中にはパスポートスキャンのデータが入っていたので、
それを見せたら何とか順調に手続きは出来たようだ。

何でもデータで持ち歩いとくもんだ・・・

手続きが終わるまでワシは入国審査のところのベンチで待っているのだが、
見ればひとり職員さんが残って座っている。

きっとワシを監視しているのだろう・・・

そりゃそうだ、考えてみれば十分アヤシイわのう・・・
このまま人が見てない隙にゲート乗り越えて入国しちゃうかも知れんし・・・

今回長くここにいたので初めてわかったことぢゃが、
飛行機が着いてない時間ってカウンターの職員はみんな引っ込んでしまって数人しか職員がおらんのな・・・

Kyouseisoukan1.jpg

隙を見て入国したら中国での仕事キャンセルせんでもええがな・・・
・・・ってもう二度と出国出来んわい!!!

はてさて、長い待ち時間の間この文章を書いているのだが、
「帰りのチケットを自分で取れ」
と言われていろいろ探しているが、
条件が厳しくて便が取れない・・・

まず「乗って来た空港と同じ空港へ」
そして「直航便で」
(まあそりゃそうじゃわのう、パスポートなしで乗り継ぎ出来んし)

そして面倒くさいのが「T3はダメ、今いるT2から出る便」
・・・ってこのターミナルって乗って来たMUぐらいしか飛んでないんですけど・・・

それじゃあいつまでたっても送り返せんということで、
日本国内の他の土地、そしてT3発着でも空港内を通って何とか入国せずに乗れるよう考えてくれてるようだ・・・
もうチケットはこの人達に任せた!!

ちなみに当然ながら自腹で取らねばならん(>_<)

待つこと5時間、何やら偉そうな人がやって来てワシにこう言う。
「どこも経由しなくて直接日本に行く1日の我が社の便はない。2日ならあるがどうする?」

ワシは「部屋を用意してくれる」と聞いてたので「それもよかろう」と答えた。
まあ明日の朝8:45になったら他の航空会社の便も聞いてみてくれるということで安心してまたそのまま待つ。

隣には相変わらずワシの監視のためかひとりの職員がついている。
そのまま待つこと2時間、さすがにワシは聞いてみた。

「部屋を用意してくれるとか言ってたけどそこへはいつ行けるの?」

するとその職員は笑ってこう答えた。
「部屋なんかないよ」

え?!!!(◎_◎;)
「するってーと2日まで待つってずーっとこのベンチで待つの?・・・」

職員はゆっくりと首を縦に振った・・・←イマココ

Kyouseisoukan2.jpg

速報はこちら

Posted by ファンキー末吉 at:02:23 | 固定リンク

2015年11月 5日

中国でのインタビュー記事(翻訳)

先日ネットで仲間内が盛んにリツイートしてる記事があったので見てみると、ワシのことが書かれている記事だった。

自分の見られ方は日本と中国では大きく違っているが、
中国でもこれほど感激を与えてくれる記事は初めてだった。

猪俣未来さんという方が翻訳して下さったので、
原文と共にここに(注釈も入れつつ)残しておこうと思う。


关于funky桑,他们说:
2015-10-07 + Freak

ファンキーさんについて彼らが語ったこと

在中国摇滚历史上经常会有一些传说:
某一年,京城来了一个弹吉他特别牛逼的人,他无师自通,横扫京城,弹的出神入化,没人知道他什么来头,这人就是唐朝乐队吉他老五。

ある年、北京にとんでもないギター弾きが現れた。
その男は独学でギターをマスターし、その神業ともいえる演奏で北京中を荒らし回った。
彼がどこから来たのか、誰も知らなかった。
その男が、唐朝楽隊(楽隊=バンド)のギタリスト、老五(劉義軍)である。

又是某一年,来了一个日本人,他无意间听到了张楚的歌,深受感动,自此痴迷中国摇滚乐,留在中国,带来了很多的技术和先进理念,对中国摇滚乐有特别大的贡献,这人就是funky。

またある年、一人の日本人が中国を訪れた。
彼はたまたま張楚の歌(注:実は黒豹なんだけど張楚でも間違いではない)を耳にして深く感動し、それ以来中国ロックにのめりこむことになった。
彼は中国にとどまり、数多くのテクニックや先進の理念をもたらし、中国ロックに多大な貢献をした。
その人物が、ファンキー末吉氏である。

这张由FUNKY末吉觉牵头制作的专辑<亚洲鼓魂>,参与者有黑豹乐队吉他手李彤,前主唱峦树斌,唐朝吉他手刘义君,崔健乐队贝司手刘君利,面孔乐队贝司手欧阳,BEYOND乐队吉他手黄贯中,蒙古歌手图力古尔等人。

(これらの写真はファンキー末吉氏が制作責任者を務めたアルバム『亜洲鼓魂(アジア・ドラム・スピリット)』である。黒豹楽隊のギタリスト李彤、元ボーカル巒樹斌、唐朝のギタリスト劉義軍、崔健のバックバンドのベーシスト劉君利、面孔楽隊のベーシスト欧洋、BEYONDのギタリスト黄貫中、モンゴル人歌手トリゲルなど、そうそうたるミュージシャンが参加している。)

Freak:Funky曾任布衣乐队专辑的制作人,这样的传说是真的吗,到底有没有这么神?

ファンキーさんは以前、君たち布衣楽隊のアルバムのプロデューサーをしていたけど、ファンキーさんの伝説というのは本当なのかい? 本当にそんなにすごい人なの?(神という表現をしてる)(驚)

布衣乐队:有啊,他传授给我们一甲子的功力,开国际玩笑呢。

布衣楽隊: 間違いないよ。ファンキーさんは俺達に60年分のテクニックを伝授してくれたからね。冗談だけど。

苗佳:这个不是神,你去他的录音棚看他参与过的中国唱片就知道了,前后参与过几百张中国的原创音乐唱片,不管是主流还是摇滚,这对于一个音乐人来说,你能做这么多音乐简直太不可思议,他只用了二十年时间。

苗佳(布衣のギタリスト):ウソだと思うなら(神じゃないと思うならという表現をしている)(驚)、ファンキーさんのスタジオに行って、今までに参加した中国のアルバムを見てみればわかるよ。ポップスからロックまで、合わせて数百枚のオリジナルアルバムを制作しているんだ。一人のミュージシャンがこれだけの音楽を作れるっていうのは、全くどうかしてるぜ。だって、彼が中国で活動を始めてから、まだ20年しか経ってないんだから。

作为鼓手,合作过的音乐人有陈琳《爱就爱了》、杨坤《那一天》、韩红《红》、许巍《时光,漫步》《每一刻都是崭新的》《在路上》、汪峰《生无所求》、爽子《无能为力》等等。
作为编曲制作,合作过的音乐人有零点乐队,布衣乐队,李慧珍,艾梦萌等。

(ファンキー末吉氏がドラマーとして制作に参加したアルバムは、陳琳の『愛といえば愛』、楊坤の『あの日』、韓紅の『紅』、許巍の『時間よゆっくり流れろ』『1分ごとに新しい』『道の上で』、汪峰の『生無所求(1)』、爽子の『力不足』など多数に上る。
アレンジャーとしては、零点楽隊、布衣楽隊、李慧珍、艾夢萌などと合作している。)

吴宁越:你在中国想录一张牛逼的摇滚专辑就非常难,因为所有的录音室没那么多录摇滚乐队的经验,更没有那么多录优秀摇滚乐队的经验,所以技术水平还是有差距的,你看funky,他想得到的一个鼓,从日本拿过来,他为了一个牛逼的鼓的声音花了二十多年,他找到Wyn Davis才找着这个声音,完了他把那个录音师找到北京做了这个录音棚,他找了二十年的鼓,直接就传到我们这了,现成的就有了这个鼓的声音。

呉寧越(布衣のボーカル): 最高のロックアルバムを中国で制作するのはすごく難しいことだ。すべてのスタジオがロックのレコーディング経験が豊富なわけではないし、その中でトップレベルのロックバンドのレコーディング経験が豊富なスタジオなんてさらに少ない。技術のレベルにはまだ差があるんだ。
ファンキーさんを見てみろ、手に入れようとしたのはドラムの音だけだ。日本から来て、彼は最高のドラムの音、それだけのために20年以上費やした。彼はWyn Davisと出会って、ようやくその音を見つけることができた。Wyn Davisというレコーディングエンジニアを見つけ出して、ようやく北京に自分のスタジオを作ったんだ。彼は20年間探し続けたドラムの音を、俺達に直接伝えてくれた。すでに出来上がったものがあったから、俺達のドラムの音が作れたのさ。

Wyn Davis:Gun's and Roses、Doken、No Debut等乐队的录音师,除了布衣,他还参与过爽子专辑的后期缩混,7月份签约唱片公司的零点乐队,新专辑也将由Wyn Davis制作。

(Wyn Davisとは:Guns N' Roses、Dokken、No Doubtなどのレコーディングエンジニアで、布衣以外に、爽子のアルバムの後期ミックスダウンにも参加している。
今年7月にレコード会社と契約した零点楽隊のニューアルバムも彼の制作である。)

录吉他,录人声,他告诉你怎么怎么录,人声准不是最重要的,有感情是最重要的,就像每个人都有权利谈恋爱,一个穷光蛋一个残疾人,都是有谈恋爱,谈一段辉煌恋爱的可能性,所以这张专辑都是表达一种爱,和你准不准没啥关系,最重要是你有没有得到那份感觉,只有过来人才能告诉你这个话,而且只有过来人告诉你这个话你才会听,一个年轻人告诉我准不重要,我说去死吧你,对吧,你没资格说这个话。

呉寧越: ギターのレコーディングにしても、ボーカルにしても、ファンキーさんはどのように録るべきかという話を俺達にするんだ。ボーカルの音程が正確かどうかは二の次で、感情がこもっていることが最も大切なんだと。それは例えば、誰もが恋をする権利があって、貧乏人だろうが身障者だろうが、誰もが輝くような恋をする可能性がある、だからこのアルバムは、愛の一つの形を表現したものだ。音程が合ってるかなんてどうでもいい、いちばん大事なのは、君らが愛を表現するという気持ちを持ってるかどうかなんだよと。
こういうことが言えるのは、経験が豊かな人だけだし、またそういう人でないと、言っても誰も聞かないよね。どこかの若造が、俺に音程なんてどうでもいいなんて言ったら、お前死ねって言ってやるよ。そうだろ? そいつにそんなこと言う資格はないから。

但是他告诉我们很多这方面的经验,也给我们很多的帮助,从录音到做人,他大起大落最成功的时候,超级巨星,完了他告诉我们当巨星也没什么,他到中国就是因为不想当巨星,因为每天做太多的综艺节目,类似什么爸爸去哪儿这样的,每天大量时间消耗在那里,他觉得没意思。

だけどファンキーさんは、この方面のたくさんの経験を聞かせてくれたし、それが俺達にはすごく役に立っている。レコーディングについても、人としての振る舞いについても。
彼が一番成功してた時でも、要するにスーパースターなんだけど、スターになるなんでどうでもいい、スターになりたくないから中国に来たんだ、毎日たくさんのバラエティ番組、『父さん、僕達どこに行くの』みたいなやつに出て、そこで長い時間をムダにするなんてつまらんからな、と俺達に語っていたんだ。

他来到中国找摇滚乐找了一个星期,没找着,最后一天晚上碰到张楚,他跟张楚去看演出,去看黑豹演出,跟张楚去的时候是写好遗书的,因为这个太恐怖了,你一日本人到中国看摇滚乐,张楚那时候是胖子,rockrock的感觉,funky女朋友和工作人员一看说,你别去太危险了,funky写好遗书,早上七点如果我没回来就是我死了,回日本也别找我了。

彼は中国に初めて来た時、中国のロックを1週間探し続けて見つけられなかったんだけど、最後の晩にたまたま張楚と出会って、ついて行って黒豹のライブを観たんだ。張楚について行くとき、日本人が中国でロックを観るのがあまりにも危険な状況だったから、遺書を書いていったんだ。
あの頃張楚は太っちょで(注:呉寧越が後「太っちょ」ではなく「パンク」と訂正)、一目でロックな感じだったから、ファンキーさんの彼女もホテルのスタッフも、張楚を見たとたんに、危ないから行くなって止めるもんだから、ファンキーさんは明日の朝7時になっても俺が戻ってこなかったら死んだと思え、日本に帰っても俺を探すな、と遺書を書いたんだ。

他去看黑豹乐队,我草,太牛逼了,他说的是日本语言,在一堆中国摇滚青年中间喊日本语,你想想。栾树跟大家说,不要激动,这是日本歌迷,没关系,这是歌迷。然后funky说,我是日本人,我就喜欢中国摇滚。非常传奇的,特别有探险精神,他还去过朝鲜,从中国跨过鸭绿江,走过去又走回来,那是边界,分分钟有被打死的情况,跟他一起去的人,到鸭绿江就不敢走了,没有人再往前走了,他一个人从鸭绿江跨过去,跨回来。

彼が黒豹のライブを観た時のこと、俺はスゲェなと思ったけど、日本語しゃべったらしいよ。大勢の中国人ロッカーの中で、日本語で叫んでたんだぜ、考えてもみろよ。
(注:呉寧越が後に「日本語ではなく英語で『君たちと演奏したい、一緒にドラムを叩こう』と興奮して叫んだ」と訂正)
巒樹(当時の黒豹のキーボード担当)はみんなに、エキサイトするな、この人は日本人のファンなんだから大丈夫だ、って。ファンキーさんは、僕は日本人だ、だからこそ中国ロックが好きなんだ、と言ったんだ。まさに伝説だね。
ファンキーさんについて特にチャレンジャーだと思ったのは、北朝鮮にも行ったことだ。中国から鴨緑江(中国東北部と北朝鮮との国境の川)を越えて北朝鮮に行って、また戻ってきた。あそこはしょっちゅう人が殴り殺されてる国境で、ファンキーさんと一緒に国境まで行った人も、鴨緑江から先へは行かなかった。他に誰も行かなかったのに、ファンキーさんはたった一人で鴨緑江を越えて行って、戻ってきたんだ。

FREAK:这真的是人格魅力。

Freak: それはまさに人間的な魅力だね。

吴宁越:就有特别大的,这种探险的精神。

呉寧越: 特に大きいのはチャレンジ精神だよ。

FREAK:他现在也有演出,作为演出嘉宾你去的会比较多。

Freak: ファンキーさんは今も現役でライブをしていて、呉さんがゲストとして出ることも多いよね。

吴宁越:他就疯狂的要演出,因为他知道自己年纪大了,也不可能天天练,必须要大量的演出才能够保持自己的状态,他现在身边很多玩音乐的朋友都去世了,前两天还去世了一个,而且就在前几个月来中国我和们一起演出,还挺年轻挺健康的,突然心脏病发就去世了,这种对他刺激比较大,感觉分分钟就要挂了,所以每一场演出都是最后一场,尽量多一点演出,他这种态度,你说中国大乐手有几个能够弯下腰去这种小酒吧,没有吧,很少像funky这种超级巨星,就在这种地方演,他玩儿的是音乐,不是明星。

呉寧越: ファンキーさんはクレイジーなくらいライブをしたがってるよ。なぜかというと、ファンキーさんは自分がもういい年だし、毎日練習できる状況でもないから、自分のパフォーマンスを維持するにはライブを大量にやるしかないとわかっているからね。
ファンキーさんの音楽仲間の多くが、もうこの世を去っているんだ。ついこの間にも一人亡くなったし、それから何か月か前に中国に来て俺達と一緒に演奏した、まだ若くて元気そうな人が、心臓病で突然亡くなった。このことはファンキーさんにとって影響が大きくて、1分1分を大事にしよう、毎回のライブを自分の最後のライブのつもりでしよう、そして少しでも多くライブをしようと、そんなマインドでいるんだ。
中国の有名ミュージシャンの中に、こんな小さなバーでライブをしようなんて思う人間が何人いる? いないだろ? ファンキーさんみたいにこんなところでもライブをするスーパースターはごくわずかだよ。彼はどこまでもミュージシャンであって、タレントではないからね。

苗佳:funky桑是真的艺术家,他就算在一个特别小的酒吧里演出,他也要把他的头巾带起来,换上衣服,真的,这是日本音乐家跟中国最大的区别,特别职业。

苗佳: ファンキーさんは真の芸術家だよ。たとえ小さなバーでライブをするときでも、バンダナを頭に巻いて、ステージ衣装に着替える。ホントだよ?
そこが、日本のミュージシャンが中国のミュージシャンと一番違うところだね。本当にプロだよ。

吴宁越:尊重这个现场。

呉寧越: そういうライブには敬意を払うよ。

苗佳:因为我经常就会因为要多开十分钟车,我就少带两份效果器,特别有这种可能,今天演出只有一个我就马上会飞回来,能少带就少带,他绝对不会有这种,他们不是这样的,真不是这样的。

苗佳: 俺は、車で10分余分にかかるからとエフェクターを持ってこないことがしょっちゅうあるけど、今日のライブですぐ戻ってきたのは俺だけだったよ。
持ってこないで済むものは持たずに済ませよう、なんて考えは、ファンキーさんには全くないんだね。彼らは本当に、そういう人たちではないんだ。


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2015年8月12日

渡辺英樹お別れ会

8月10日に「ヒデキファイナル」と銘打って行われたこのライブ、
ワシは11日に帰国予定だったのを早めて9日に戻って来た。
(その時の娘の運転どうのこうのの笑い話は後に回すとして)

当日は11時入り、
「何でこんなに早いの?別にVoThMのリハの16時までやることないよね?」
と言うと、スタッフが笑いながら答える・・・

「あら、いいじゃないですか、楽しい楽屋が待ってるじゃないですか」

そうそう、AJ〜米田度とかでは楽屋にいつも笑いと食い物が絶えなかったなぁ・・・(笑)

葬式の時には喋ることも出来なかった米川や笠くん、そしてその時には会えなかった義男なんかと談笑・・・

まあここに英樹さんと田口くんがいないだけで普段のAJ関係のイベントと何ら変わりはない・・・

サウンドチェックは逆リハで行われるのでC-C-Bが最初である。

HidekiFinalRh.jpg

ライブDVDのマルチから抜き取ったベースと歌の音源と、
それ用にまた編集したのであろう英樹さんの映像・・・

これがぴったり合っていてまるでその場に英樹さんがいるみたい!(◎_◎;)

思えばワシはまだまだ英樹さんの死を受け入れられてなかったのだろう。
「まるでそこにいるみたい」

「実際にいる」
とは雲泥の差なのだから、ここで一度ワシの涙腺は崩壊することとなる・・・

それにしても本当に「そこにいるみたい」である・・・

これは今回の全てのスタッフの努力の賜物なのだろう、
ライブ音源に合わせて・・・
そのヨレているであろう演奏に合わせてドンカマを打つ!(◎_◎;)

これがあのライブ感満載の演奏の秘訣なのだろう。

演奏が走ったりモタったり、
その全てには理由と感情があり、
みんなと一緒に走ったりモタったりしている英樹さんの演奏や歌には基本的に英樹さんの「感情」がある。

つまりその状態での「感情」がそのまま映像と共に表現されているのだ!(◎_◎;)

もちろんそれに合わせて演奏する人全ては大変なのであるが、
まあ「アンサンブル」なのだから誰かひとりがそのように引っ張ってゆけば必然的にバンドは「そのように」引っ張られてゆく・・・

つまりこの日のC-C-Bの演奏は全て英樹さんの「感情」のままに引っ張られて演奏されているというわけだ・・・!(◎_◎;)

世の中のテクノロジーは進んでいる。
まるで映画でも見ているかのように、
英樹さんの「感情(魂)」はバーチャルとなって「データ」としてここに「セーブ(保存)」されているのだ。

文字通り「バーチャルとして生きている」と言っても過言ではなかろう・・・


VoThMとしてはこのDVDの音源はマルチ録音されてないので、
代わりにニューアルバムのマルチ音源から「愛し合うために行こう」と「ソドミスト」のマルチ音源は提供していたが、残念ながらそれに同期してる映像はない。

中国での映像をいろいろ送ってはいたが
「食べてる映像ばっかじゃないですか!!」
と当日突っ込まれた(笑)

ただ1曲だけ、ボーナストラックとして録音された「Star」という曲だけ英樹さんがそれに合わせてベース弾いて歌ってる映像を撮っていた。

今にして思えばよく撮ってたよなぁ・・・


かくしてワシはドラムを叩いているのでどのような映像が使われたかは見れなかったが、英樹さんの映像とセッションライブ「ヒデキファイナル」はVoThMの演奏から開始された。

HIdekiFinalVoThM1.jpg

この写真はちょうどその「Star」の時だな・・・
この曲のこの歌詞の部分でまず丸ちゃんが泣いた・・・

「君が星になり・・・僕も星になり・・・」

もちろんこんな時のために書いた詞ではなかったのだろうが、
この状況なのでぐっと心に入って来ますなぁ・・・(涙)

なんか「VoThMの制服」みたいになっちゃった中国ジャージ・・・(笑)

HidekiFinalVoThM2.jpg


さて続いてのステージは「三喜屋・野村モーター'S BAND」と「三野姫」、
まあつまりは野村義男のステージである。

これはマルチから抜き取った音源を使うのではなく、
両ユニットのギターマイナス(だと思う)音源に合わせて野村義男がギターを演奏する。

HidekiFinalYoshio.jpg

映像の方は英樹さんの昔の写真などがスライドショーで流されるのだが、
それを見ながら数曲演奏しているうちに、こらえ切れずに今度は義男が号泣した・・・

まさに「泣き崩れる」という感じで号泣しながらギターを弾く・・・

2年前に同じバンドメンバーだったはっつぁんを亡くして葬儀で泣き崩れてた義男、
今回は仲間内でも「義男、大丈夫かなぁ」と心配されていたのだが・・・

ところがリハでも感激したのだが、最期の曲「スローバラード」のギターソロは凄かった・・・

まるで後ろの英樹さんにギターで語りかけるように、
その思いの全てをギターソロとして表現し尽くしていた・・・

義男ぉ〜お前はやっぱ凄いギタリストだよ・・・


続いてはWY、そしてAJ、ここからは英樹さんのライブ映像とマルチ音源とのセッションとなる。

いや〜ほんと、英樹さんがそこにいるようだ・・・

HidekiFinalWY.jpg

HidekiFinalAJ.jpg


そして最期はC-C-B!!

HidekiFinalCCB.jpg

まさに映像の英樹さんが一緒にライブをやっているようだ・・・

HidekiFinalYonekawa.jpg

そして心の中でまたこう呟いているのだ。
「米川ぁ〜オメエ・・・相変わらずソロが長ぇんだよ〜」
と・・・

HidekiFinalYonekawaSolo.jpg

ライブから音や映像を抜き出しているので、煽り部分とかで
「みんなこの曲覚えてるかい?」
とか
「みんな歌えるかい?」
とか、まさに英樹さんがそこにいるようで、
確かに「バーチャルの中で生きている」・・・そんな感じだった。


打ち上げの席でスタッフが各出演者に挨拶に回って来た時にこう言った。

「ありがとう御座いました。本当にいい形で見送ることが出来たと思います」

打ち上げにはいつもの「声の大きな人」が不在なので、ワシが変わりに大きな声で言ってやりましたよ!!

「見送る?・・・アイツは見送られたりせんよ〜!!
何せデータの中でちゃんとバーチャルとして生きてるからね〜
またやらせてくれ〜ってきっと言いに来るから!!(笑)」

カッカッカッという高笑いが本当に聞こえて来そうなそんな打ち上げだった・・・

松木くんはじめ全てのスタッフの皆さん、本当にお疲れ様でした!!
バーチャル英樹さん、実はワシのデータも入ってるようだから、
ワシがそっち行った時にはスクリーン二つにしてバーチャル共演しよう(笑)

スタッフの皆さん大変だけどよろしくね(笑)

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2015年7月17日

渡辺英樹さん永眠・・・

今日正式に発表があったということで、
それに合わせて私もブログにて思いを綴らせて頂きます。


英樹さんと会ったのはもう20年以上前、
確か野村義男が紹介してくれたんだと記憶してる・・・

デーモン小暮のオールナイトニッポンに3人で乱入して、
「この4人でバンドをやろう」
などと騒いでいたが、
結局小暮は参加せずにこの3人でクラシックロックなどをやるバンドとしてちょっとだけツアーを回った。

ここから私が外れて「三喜屋野村モータースバンド」となった、
そのバンドの原型がこれである。

その後あまり縁がなく、
結果10年以上会うことも連絡取ることもなかったけど、
ひょんなことから今度は米川英之が「紹介(笑)」してくれた・・・

「ファンキー末吉と渡辺英樹のリズムセクションってちょっと珍しいでしょ!!」
米川セッションで呼ばれた私たちふたりは、
ドヤ顔の米川くんに二人でこのストーリーを話してあげて・・・笑った。

久しぶりの再会で、
それから「また何かやりたいね〜」ということになり、
Live Bar X.Y.Z.→Aでいろいろ何やらセッションを画策したりして、
ひょんなことから「はち王子様」というキャラクターが生まれて、
「それじゃぁ渡辺英樹も呼ぼう!!」
ということになって「ヒデキング」なるものが登場・・・

今からしてみたらよかったの?こんなバカなことばっか付き合わせて・・・

このトリオではいっぱいツアー廻ったね・・・
「C-C-B以来20年ぶりに来た」
と来る土地来る土地で言ってたっけ・・・

AJ米田渡でもツアーは廻ったけどこれほど細かくは廻らなかったもんね・・・

AJ米田渡のドラマーから外れた頃、
店でライブが終わった後、突然あなたは私にこう言った。

「ねえねえねえ、丸ちゃんとVoThMってバンドやってんだけどドラム叩いてくんないかなぁ〜」

ドラマーが定まらなくて長く活動が出来なかったバンドにこうして私が呼ばれたということは、
「ファンキーさん、ツアー組んでね」
と言われてるような気がしてね・・・いっぱいいっぱい組んだ・・・

気がついたら英樹さん・・・
あなたは私がここ数年で一番多く一緒に演奏したベーシストです。

ここ数年で一番一緒にツアーを廻ったミュージシャンです。

もう一緒にツアーを廻れないなんて本当に寂しいです・・・

王様からこんなメールが来たよ。

「ありがとうございます。ヒデキングを紹介して下さって、ありがとうございました。楽しい思い出、沢山残りました。」

うん、本当に楽しかった!!

JASRACから山のような訴状が届いた時は王様ツアーで、
裁判でのあまりの個人攻撃に鬱になりかけたりした時はVoThMのツアーで、
あなたと楽しくツアーを廻ってたからこそ、
こうして挫けそうになっても何とかギリギリ乗り越えて来れたんだと思う。

楽しい時にも悲しい時にもいつもあなたがいて、
いつもその野太いベースの音と素敵な歌声、
そしてその高らかな笑い声があった・・・

「米田渡〜AJ」の初ライブが終わって、
「ファンキーさんを呼んで本当によかった!!どうもありがとう」
とメールをくれたあなた・・・

王様トリオの長い長いツアーが終わって、
「俺たちみたいな年になってもこんだけ出来るんだ!!本当に自信がついた!!ありがとう!!」
そう言ってくれたあなた・・・

VoThM中国ツアーが終わって、
「来て本当によかった!!呼んでくれてありがとう!!」
って言ってハグしてくれたあなた・・・

思えばそんなあなたに一度もちゃんとお礼を言えてない・・・

いっぱいいっぱい付き合ってくれてありがとう。
いっぱいいっぱいの楽しい思い出をありがとう。
野太いベースプレイをありがとう。
素敵な歌声をありがとう。
いっぱいの愛と素敵な友情をありがとう。

そして、VoThMに呼んでくれてありがとう。

1枚しかアルバム作れなかったけど、
こうして一緒にあなたの音楽をこの世に残すことが出来たことを誇りに思います。

一足先に人生のツアーを終えたあなたの思い出と共に、私はまだツアーを回ります。

長旅、お疲れ様でした。

VoThM最後のドラマーよりリーダーへ
愛を込めて・・・

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2015年7月 8日

章子怡(Zhang ZiYi:チャン・ツィイー)

今年もまた汪峰(Wang Feng)のレコーディングに呼ばれて行って来た。

過去のブログを検索してみたが、
最初のレコーディングはこれ
最新はこれ
・・・と毎回毎回アルバムを作る度に呼んで頂いてありがたい話である。

いつも仕事が終わって別れる時には
「是非俺のコンサートでも叩いてくれよ」
と言われるのだが、
日中を行き来しながら彼のような第一線の大きなツアーの仕事を受けることは難しい・・・

結局アルバムのレコーディングの時だけ会う「音楽仲間」のようになってもう数年が経つ。

その「音楽仲間」が最近結婚したというニュースは聞いていた。
しかもその相手が国際的大女優「章子怡(Zhang ZiYi:チャン・ツィイー)」!!

まあ会ったら「どうだよ?有名女優と結婚した気持ちはよ〜」などとからかってやろうとも思ってたが、章子怡(Zhang ZiYi:チャン・ツィイー)ともなるとそのレベルが違うのでその下世話な言葉を飲み込んでいた矢先に・・・

「Funky、紹介するよ、嫁さんの子怡(ZiYi)」

!(◎_◎;)・・・って呼び捨てやん!!
・・・って嫁さんなんやから当たり前か・・・

・・・ってかあの章子怡(Zhang ZiYi:チャン・ツィイー)が素っぴんやん!!!

・・・とか、決して「ミーハー」ではないはずのワシも一瞬頭の中が混乱してしまう・・・

まあ意識すればするほど態度は無関心を装うのは小学生レベルの人間の常なので、
ワシはその大女優に見向きもせずに、
今から叩くドラムの打ち合わせを汪峰(Wang Feng)と一心不乱にやることとなる。

・・・とか言いながら滅多に見ることのないこの大女優の素っぴん顔をちらりちらりと盗み見ながら、
「顔小っちゃっ!!」
とか思ってる自分を見つけては、動揺を隠せない。

何せ汪峰(Wang Feng)は毎回、中国のドラマーが叩けないものをワシに発注するのだ。
ヘタしたらもう既に別のドラマーが叩いたものをボツにしてまでワシを呼ぶ。

そんなふらふらとしてる「心」の状態ではちゃんと彼の高い要求を満たせるかどうかわからない!!

弱い心よ消え失せろ!!
今から命がけの戦いが始まるのだ!!
そんなことでどうする!!

そう自分を叱咤激励してブースへ向かう・・・

そしてまたブースの入り口横のソファーに座っている大女優をチラ見したりして自己嫌悪に襲われたりするのだ・・・

そんなこともあってか、1曲目は結構手こずってふうふう言いながらやっと仕上がった(>_<)

「心が弱いのう・・・」などと考えるのも「雑念」だから、
何とか「無心」になるべく何も考えないようにして2曲目に挑むのだが、
そこで大女優は今度はコンソールルームに入って来てワシの叩いてる姿を笑顔で見つめている!(◎_◎;)

ワシのドラムを叩いてる姿が大好きな汪峰(Wang Feng)が、
きっと「おい、見てみろよ、凄いだろ」などと嫁さんを呼び込んだのだろう・・・

2曲目は「完全に機械と一体化しろ!!」というミッションで、
打ち込みのドラムとオカズまで完璧に全く同じように叩く・・・

そんな中で気持ちが乱れたら機械と一体化なんて出来ないのよ・・・(涙)

人間なんていくつになってもアホなもんで、
「どうするよ、ドラム叩いてるワシ見て惚れてもうたら・・・」
などと馬鹿なことを考えたりする(>_<)

結局いつもよりちょっと時間はかかったが2曲完璧に仕上げて、
いつものように汪峰(Wang Feng)に親指を立てられながら見送られてスタジオを後にした。

そしてまた帰りがけに大女優の素っぴん顏をチラ見してしまう自分・・・

アホやねぇ〜アホやねぇ〜
ホンマ別に大ファンでも何でもないのよ〜

ワシは章子怡(Zhang ZiYi:チャン・ツィイー)というより鞏俐(Gong Li:コン・リー)のファンなのよ〜

その昔、彼女の出演してる映画は片っ端から全部見たし、
中国行ってはブロマイドなど買って部屋に貼ってたら、
その後知り合った前の嫁がそれを見て、
「そんなに鞏俐(Gong Li:コン・リー)が好きなら彼女と結婚すればいいでしょ!!」
とむっちゃキーキー言われたことを思い出した・・・

・・・ってそんな話どうでもええやん!!
このブログは汪峰(Wang Feng)とのレコーディングの話を書くんとちゃうかったん!!

あ・・・タイトルも既に章子怡(Zhang ZiYi:チャン・ツィイー)になってるし・・・(>_<)

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2015年6月30日

砂漠の羊工場で飲む!!

零点故郷に錦を飾る大コンサートは盛況の中無事に終わり、
打ち上げの大宴会の中、キーボードの朝洛蒙(Chao LuoMeng)がこんなことを言う・・・

「明日帰るのか?帰るなよ!!
ここまで来たら明日草原行って美味しい羊食って飲もうじゃないか!!」

また一緒になったテーブルが悪かった(>_<)
そのテーブルのほとんどはモンゴル族で、
朝洛蒙(Chao LuoMeng)とはモンゴル語で会話をする!(◎_◎;)

「ここは中国か!!」と思いつつも明日の張張とのレコーディングをキャンセル!!
零点のマネージャーにチケット変更をお願いするのであった・・・


翌日は10時半に集合して車に乗り込んだ・・・

BaYanNaoErCarView.jpg

左右は草原(というよりはもっと木が生えているが)、
道はその真ん中にまっすぐ・・・というのは、
その昔同じく朝洛蒙(Chao LuoMeng)に連れられて行った草原の感覚と同じである。

その時の話・・・これが凄い!!)

ところが前回のように数時間車を運転するわけでもなく、
30分ぐらいで目的地に着いた・・・

BaYanNaoErSabaku1.jpg

BaYanNaoErSabaku2.jpg

草原って・・・むしろ砂漠やん!!!

というわけでラクダになど乗せてもらう・・・(笑)

BaYanNaoErSabaku3.jpg

・・・とまあ、ここは実は目的地ではなく、
また車に揺られて目的地へ・・・

BaYanNaoErSheepFactry.jpg

何とここは養豚場ならぬ養羊場!!
牧草の生えない砂漠地帯のここでは飼料で羊を飼育しているのだと言う・・・

つまり羊の工場!!
ここで何百匹の羊が養殖され、出荷してゆくのだと言う!(◎_◎;)

その羊工場のバラックで宴会が始まる・・・

BaYanNaoErEnkai.jpg

実はテーブルはこれだけではない、
この隣にも同じぐらいのテーブルに同じぐらいの人がいる・・・(>_<)

あのねぇ・・・酒を飲むのに何でこんなに人を呼び集めないかんわけ?!!

特筆すべきはこの写真の一番向こうに見える水タンクのようなもの・・・
(アップ写真)

BaYanNaoErBaiJiu.jpg

あのう・・・これ・・・飲料水じゃないんですよ・・・白酒なんですよ・・・(涙)

テーブルにはこの地に来た時から全ての食卓に並んでいる「零点白酒」(よくこんなもん作ったよなぁ・・・笑)も並んでいたが、
LingDianBaiJiu.jpg
地元の人曰く、「こんな市販の酒より自分たちで作ったこの白酒の方が美味しいに決まっている!!こっち飲め!!」

まあドブロクみたいなもんか・・・飲んでみる・・・

BaYanNaoErDrunk1.jpg

何が「こっちのは全然強くないから大丈夫」じゃい!!
飲むと内臓が焼けただれて、
どこが食道で胃の形がどんなんかまで全部わかるやないかい!!

ちなみに零点白酒は56度、この自家製白酒は46度らしい・・・変わらん(>_<)

外では女たちが羊の肉を串に挿している・・・
車の中ではく朝洛蒙(Chao LuoMeng)
「どの羊がいいか自分で選んでそれをさばいてくれるよ」
と言ってたがさすがにそれはなかったので安心した・・・

BaYanNaoErYangRoouChuan.jpg

面白いのは金串だけでなく枝で作った串に挿しているところである。
味が違うらしい・・・焼き上がりが楽しみである・・・

BaYanNaoErKaoYangRouChuan.jpg

さてバラックの中は大宴会になっていて、
アニメーションGIFを作ってみるとこんな感じ・・・
(ディバイスによっては動いてみえないかも・・・)

BaYanNaoErDrinking.gif
(天に一滴、地に一滴、自分に一滴、そしてイッキ)

そしてモンゴルではお決まりの、酔っ払ってくるとみんなで歌を歌い始める!!

ところが今回はちょっと勝手が違った!!
昨日一緒に飲んでたおじさんが実はこのオカリナのような笛の名手だったのである・・・

カラオケに合わせて彼が吹き始めたら馬頭琴も加わってセッションとなる!!

ちなみにこのオカリナは自家製だそうで、
吹く穴は3つあるし、指で押さえる穴も複雑にたくさん並んでいて、
きっとあらゆるキーに対応しているのだろう・・・

BaYanNaoErDiz12.jpg

BaYanNaoErDiz1.jpg

セッション(というか酔いどれの宴)はどんどん進んでゆく・・・

このねぇ・・・曲を聞いててなんか涙が出て来た・・・

ワシは東京に出て来て「ドラムが上手くなること」だけを目標に生きて来た。
自分より下手な人間は見下して来たし、
それが自分が名声が出来て来たらいつの間にやら自分より無名な人を見下して来たかも知れない・・・

そりゃ弱肉強食の世界だから人を踏み台にしてのし上がって来たし、
踏み台にされる人間は弱いんだからそれでいいと思って来た。

上に行けば行ったでどこまで行っても自分より上手い人間はいて、
それを乗り越えるためにもっと「音楽的に」と高みを目指した。

誰よりも「音楽的」に、そして誰よりも「上手く」、
ワシはずーっと神様に近づこうとして生きて来たのだ。

まるで神に近づこうとして建設されたバベルの塔がその罰を受けて崩壊したように、
ワシの精神はこのモンゴルのおっさんの笛の音で崩壊しようとしている・・・

日本の、中国の、いや世界の一流ミュージシャンとセッションして来て自分を磨いて・・・
どんな一流なミュージシャンとも互角に「戦う」ことを目標として生きて来た・・・

ところがこのモンゴルの名も知れぬアマチュアミュージシャンが、
それをあざけり笑うかのようにこの「音」を奏でている。

「アマチュアは低い、プロは高い」そんな位置決めをした人間をあざけり笑うかのように、
モンゴルの人たちはみんなでこの曲を演奏し、歌い、そして踊る・・・

そして・・・飲む・・・

日本に住むいろんな人は「プロ」という言葉を使うが、
「プロ」は偉くて「アマチュア」は偉くないのか?・・・

世の中は決して平等に出来ていない。
しかし神様はどんな恵まれた人にも恵まれてない人にも、
平等に一日は24時間しか与えていない・・・

その24時間をどう使おうとそれはその人の「自由」なのである。

そして神様は平等に人々に「音楽」・・・つまり「音」を「楽しむ」権利を与えている。
それを楽しもうが楽しむまいがそれはその人の「自由」なのである。

そしてこの曲を聞いて飲み過ぎてるワシの涙腺は崩壊した・・・

ワシは一体何をやっているのだろう!!

この曲を作曲した人は誰なんだ・・・
何でこんなメロディーを書くことが出来るんだ・・・

ワシも世にヒット曲などを残すことが出来た作家の端くれとして、
あまりにもこの作家とレベルが違い過ぎてないか・・・

昔FMでアジアの音楽を紹介するラジオ番組をやってた時、
台湾の少数民族の「郭英男」という歌手(?)にインタビューをしたことがある。
(当時もかなりご高齢だったが、Wikiによると2002年に亡くなられてるという・・・ご冥福をお祈りします)

世界的に大ヒットした「エニグマ」の「リターントゥーイノセンス」という曲の、
その歌声をサンプリングされたその本人である。
これ

もちろん勝手にサンプリングされただけなので世界的にヒットしたと言っても彼のところには一銭の金も入っていない。

彼は台湾の少数民族で、その民族はその民族の「文字」を持っていない。

その民族の中から歌の上手い人間が選ばれて、
代々その民族の風習とかを歌にして次の世代に「歌い継いで」来た・・・

これとかこれとかきわめつけはこれ

彼は中国語はうまく喋れないが、
日本統治時代の影響で日本語を少し喋る。
番組のシメに「ではリスナーの皆さんに一言」という時に、
最後に彼はたどたどしい日本語でこう言った。

「私は歌がずっと好きで、
ずーっと歌を歌ってて、そして今も歌ってて、
とても幸せです」

その言葉を聞いた時にも同じ感情が湧き上がって来たのを覚えている。

モンゴルの草原で、厳しい気候の時も、生きるか死ぬかの時も、
この曲を作った人は「音楽」をやって生きていた。

そこで生み出された「音楽」は何百年もの歴史を越えて、
今もこうしてその民族の人たちに歌い継がれている。

同じように辛い時も、どうしようもない時も、
人々はこの歌を歌って、こうして笑って酒を飲んで「今日」を生きて来た・・・

音楽とはすなわち「生き方」を映し出す「鏡」のようなものである!!
その人間の生活が曇っていれば決してこんなレベルの作品を生み出せるわけがないのだ・・・

曲を作る時に「売れよう」などと思って作ってないか?・・・

同様に歌を歌うこと、楽器を奏でること、
それは誰にでも楽しみながらやっていいことであり、
決して「売れるため」に演奏しているのではない。

「プロになる」などというモノの考えがどれだけ浅ましい考えなのかをひしひしと実感する。

「音楽」を愛する者は、例えどこに住んでいても、どんな生活を送っていてもそこに愛する「音楽」がある。

貧しい者にも豊かな者にも平等に与えられているこの「喜び」を、
心から享受して楽しく「今日」を生きるのも、
曇った考えで苦しい「今日」を生きるのも、
全てはその「人」の自由なのである・・・

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2015年6月21日

無事草原に降り立つか小畑秀光(笑)

このイベントのために寧夏回族自治区の草原まで一緒に行く予定だった小畑秀光・・・

(ちなみにブログ記事のチケットキャンセル問題は、このブログをUPした瞬間に更に上司の方から「今回は特別にキャンセル致します」との連絡を頂きましたので会社名等を全て伏字に変更させて頂きました)

まあいろいろあって東京ー北京往復のチケットはゲット!!

本当はイベントは21日だけ参加予定だった小畑秀光、
20日のトリを務める李夏(Li Xia)と21日のトリを務める老呉(LaoWu)と一緒に飲んでる時に、
「じゃあ20日も出てもらおうぜ〜」
ということになった。

そうすると、もともと20日に草原入りすればよかったものが19日には草原入りせねばならない。

かく言うワシは李夏(Li Xia)のバックでドラムを叩くので同じく19日入りなので、
ではということでユッコ嬢も含め全員19日入りにしようということに相成った。

ところが心配なのが小畑の乗るパキスタン航空・・・
これが遅れて19日の北京ー銀川に乗り遅れたら目も当てられない・・・

「小畑は16:35に北京に着くからね!!なるだけ遅くの飛行機にしてよ!!」
と主催者に念を押しておく・・・

そうして用意されたチケットが、19:20発のCZ6117・・・

まあ約3時間の乗り換え時間があるのだから通常なら大丈夫のように思えるのだが・・・
これがさすがはパキスタン航空!!さすがにそうはうまくはいかない(笑)

発信者:小畑秀光
日付:2015年6月19日 12:09
件名:フライト時間変更
本文:15時にフライト予定であります!

まあよく言えばポジティブ、悪く言えばお気楽なヤツなのでこのような返信をしておく・・・

発信者:ファンキー末吉

既に1時間遅れたか・・・
あと1時間遅れたらアウトである・・・
自力で寧夏まで来るよーに!!(笑)

発信者:小畑秀光

ギャアアアアアアアアアア!!!

とまあここまでは笑い話であるが、ここからだんだん笑えなくなって来る・・・
以下は小畑秀光からのメール

日付: 2015年6月19日 12:12
所持金50元プラス1000円でありMAX!!!

日付: 2015年6月19日 14:54
飛行機に乗り込みました!!

日付: 2015年6月19日 14:56
ウオオオオオオオオ!!

日付: 2015年6月19日 15:31
まだ飛びません!!!

日付: 2015年6月19日 15:42
飛びそうです!!ゴーと言ってます!!

・・・と、ここで飛んでくれればまだよかったのだが、
結局飛んだのは16時を越していた・・・

・・・ということは2時間遅れ・・・
・・・ということは乗り換え時間は1時間ないということになる・・・

あかんやん(>_<)

まあ奇跡的に30分で入国手続きして荷物も取って出てくれば乗れないこともないかも知れんがまず無理!!

老呉(LaoWu)の奥さんと一緒に行って、
彼女を残してワシとユッコ嬢だけ銀川行きに乗り込む。

いや〜混んでたなぁ・・・
実はこの週末はちょうど端午の節句、旅行客が集中する時期だったのだ・・・

それがその後の小畑秀光を苦しめることになる・・・

ちなみに小畑秀光は真央くんという友達を連れて来ていた。
小畑秀光のチケットはもちろん主催者が出すが、
真央くんは自腹でついて来ているので自分で出すことになる。

その2枚のチケットは変更もキャンセルも出来ないチケットゆえ、
そのチケットを捨てて新たに買い直さねばならない・・・
(取った人間が違うのでかなり面倒くさいのよ〜)

とりあえず窓口を一本化してワシは飛行機に乗る・・・
・・・がしかし、端午の節句ゆえその日のフライトは全滅!!

小畑と真央くんは村に帰って一泊することとなる・・・

Obata&Mao.jpg

まあ笑ってられるのもこの頃までだった・・・(笑)

ワシはワシで夜中に着いて酒を飲み、
二日酔いで目覚めたらそこは草原だった・・・

Sougen1.jpg

Sougen2.jpg

草原と言っても草がないから砂漠ではないか(笑)

小畑秀光は北京のファンキースタジオにて翌日6月20日朝4時半起床!!
ちなみに八王子の家(ワシの家やないかい!!)を出たのが5時だったらしいから、この時点で既に24時間経過・・・

ワシが起きた頃にはヘタしたら草原に着いているだろうぐらいに思ってたら小畑からのツイート・・・

小畑-激鉄MAX-秀光
‏@SteelangelJet
8:48 - 2015年6月20日

またしてもトラブル!!
早朝4時30分に起床!空港のチケットをなんとか手にするが何故か搭乗直前にカウンターに止められて チケット無効。
一体どうなる!!
諦めない!!

・・・どうも主催者が取ったチケットにトラブルがあったらしく、
真央くんは乗れたが小畑は乗れなかったらしい・・・!(◎_◎;)

そこからが小畑の(というか周りの)戦いが始まる!!

老呉(LaoWu)の奥さんはその日の用事をキャンセルして小畑に付き合う・・・
・・・が中国語が喋れない小畑はコミュニケーションが出来ない(>_<)

WeChat(LINEの中国版のようなシステム)で間に入ってやりとりをする・・・

「彼女が話しかけてくれるのですが全く通じなくて苦労しておりMAX!!荷物がどうだとか言って、何かが出来ないということです」

彼女にメッセージを送ってどういうことか聞いて小畑にメッセする・・・
また草原だから電話もネットも繋がりにくくて大変なのよ・・・(>_<)

結局はこういうことらしい・・・

まず主催者の取ったチケットは無効となったので
(おそらく名前の綴りが間違ってたとか?)
そのまま無効になり買い直さなければならないのだが、
次の便もその後もその日の便は全て満席のためキャンセル待ち。

キャンセル待ちはギリギリになって乗り込むので手荷物預けが出来ないので機内持ち込みだけにしてくれということらしい・・・

幸いギターは真央くんに託して持って行ってもらってたので
(グッジョブ!!)
問題はちょっと金が入ったからといって全部使って買い揃えた小畑のエフェクターである。

ObataSougenEffecter.jpeg

手荷物と合わせて26kg以上あると言うが、
やり取りしているうちに「重さ」ではなく「大きさ」が問題なのではという結論に落ち着く・・・

あわやエフェクターボードを全部分解してバラで持って行くかという話になっているところに嫁から連絡が来た。

「この便空席あるやん・・・乗れるんちゃうん!!」

見れば乗り換え便にまだ空席があるそうな・・・
ワシも信号の悪い中、ネットでいろいろ調べてみる・・・

見れば中国のチケットサイトでは直行便しか案内されず「全滅」と出るのに、
日本のチケットサイトでは乗り換え便がちゃんと案内される・・・

老呉(LaoWu)の奥さんにすぐ連絡して「乗り継ぎ便を探せ」と指示するのだが動く気配がない(>_<)

思うに中国人は「乗り継ぎ便なんて」みたいな感覚があるのかも知れない・・・
空港のチケット売り場でも一切案内してくれず、
こちらで調べて「このチケットを買え!!」と言っても「え〜??」と反応が鈍い(>_<)

仕方ないので全ての乗り継ぎ便の可能性を調べて、
便名と出発、到着時刻を表にして老呉(LaoWu)の奥さんの送りつける。

西安の乗り継ぎ便が多いようだが、
北京ー西安の航空会社と西安ー銀川の航空会社が違う便は除外した。

現実
「乗り換え便なんて前の便が遅れたら乗れないじゃない、どうすんの」
と来たので
「同じ航空会社だったら責任持ってケアしてくれるから大丈夫!!」
と送っておく。

「結局その日に乗れなかったらどうすんの!!
秀光(XiuGuang)は言葉が喋れないのよ」
と来るので、
「大丈夫!!航空会社が責任持ってホテルを取ってくれるから!!
ワシは経験があるんだから大丈夫って!!」
と念を押すが実はこれは「ウソ」である。

航空会社がホテルを取ってくれた経験はこの話で、
小畑のこの場合に取ってくれる保証は全くないのだが、
乗り換え地が「西安」であるということからワシは「大丈夫」と踏んだのだ・・・

実は老呉(LaoWu)たちのバンド布衣(BuYi)はツアー中で、
この草原フェスティバルが終わったら翌日には西安に行くのだ。

つまり小畑が空港で野垂れ死にしそうになっても、
翌々日には老呉(LaoWu)がその空港を通るということなのだ(笑)

まあすったもんだありながらウソも交えながらやっと老呉(LaoWu)の奥さんを説得し、次の便をやっとこさ取った!!

北京12:25ー西安14:25 CA1223
西安15:35ー銀川16:45 CA1923

乗り換え時間は1時間と短いが、
CAからは18時に着く次の便もあるので間に合わなければそれに変更してくれるだろうと老呉(LaoWu)の奥さん・・・

ホンマに変更してくれるんか?・・・ワシのウソを鵜呑みにしている・・・(怖)

まあ要は遅れなければいいのである。
まあ遅れたら遅れたで・・・達者で暮らせ!!小畑秀光!!(笑)

こちらはこちらで草原フェスティバルのサウンドチェック!!
ちょうどそれが終わった頃に小畑からいくつも音声メッセージが入っていた。

「ファンキーさーん!!助けて下さい〜!!!プツッ」
「助けて下さい〜!!!ヤバいよ〜!!プツッ」

だから〜何で困ってるのか要件を送って来んかい!!
と突っ込もうとしたら空港職員らしい中国人からメッセージが来た。

「彼の荷物はまだ出て来ないけど次の便はもう出るので、
じゃあこうしましょう、銀川の住所を・・・ブツッ」

とりあえず「打电话过来(電話して〜)」と中国語で書いて電話番号送ったらその人から電話が来た。

「じゃあ荷物は空港受け取りでいいから取り敢えず本人を乗せて!!」

荷物があって本人が来なければライブは出来ないが、
本人がいてエフェクターがなくても取り敢えずはライブは出来る・・・

その後、
「乗り換えって案内が何もないんですけどどこ行けばいいんですか?」
とか
「2階の31番って一度外に出るってことなんですか?」
とか
「チケットも何もないですけどいいんですか?」
など細かいやり取りを空港職員に電話を変わってもらいながらして、
何とか無事に搭乗口まで行ったようだ・・・

乗る直前なのだろう・・・こんなメッセージが飛び込んで来た。
「ちなみにエフェクターなのでそれがないと本日とても困ります」

まあお前が来ない方がもっと困るのだからとそれを無視!!(笑)
今度は手荷物の受け渡しの段取りである。

スタッフに先ほどの西安空港のかかって来た電話番号を知らせてどの便にエフェクターを載せたを聞いてもらう・・・

ところが普段はいい加減な仕事しかしないこの国が、
時々ちゃんと仕事をしたりするから始末におえない(>_<)

「手荷物番号がなければ調べられない」

あんたが載せたんやからその便を言ってくれればいいでしょ!!
「手荷物番号をちゃんと言える人にしか教えられない」

(>_<)

小畑の到着を待って
「すぐにその手荷物番号の半券を迎えに来たスタッフに渡せ!!」

ところが実はワシが連絡を取ってるスタッフと迎えに行ったスタッフは違うスタッフだった(>_<)

言葉の通じない長髪のおかしなヤツから手荷物チケットの半券を渡され何やら言われた彼は一目散に空港に引き返し出したのだ・・・

「空港に引き返しているでMAX!!」

そのスタッフにワシに電話させろ!!!(>_<)
「现在给我打电话!!(すぐにワシに電話しろ)」
と書いて送っておく。

かかって来た電話で事情を説明し、
渡された手荷物チケットを本人に返せと指示して、
小畑にはそれを写メしてこちらに送れと指示する。

その情報を担当スタッフに送って電話をさせ、
夜8時のZH9169に載せたということがわかる。

ところが8時は既にイベントは始まっていて取りに行くスタッフはいない(>_<)

取り敢えず小畑には「あきらめろ」と言って借りられるエフェクターを探して、
この日のライブはぶっつけ本番で人のエフェクターで何とか盛り上がった!!

翌日にはスタッフがエフェクターを取りに行って、今日はフル装備で臨む!!

よくやった小畑秀光!!
ライブが終わったらなんぼでも羊食って酒飲んでよし!!

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2015年5月19日

ギャラの取りっぱぐれ(>_<)

まあ中国ではよくある話ではあるけれども、
これに関しては長い経験の中からいろいろとうまい方法を編み出している。

まずは「(1)損して得取れ!!」

「いくらでもいいから、そしてタダでもいいから仕事しとけば後々いいことあるよ」
と判断した場合、
「別にギャラは要らないよ」
と言ってそれでも一生懸命仕事をやってあげる。

「(2)後払いはもらえないと思え」

これは昔の日本のスタジオ仕事でもそうだったが、
その日にくれなければ後にくれるという確率は断然低くなる。

そういう場合はもう「もらえない」と判断して(1)の範疇に入れ込んで諦める。

「(3)中国人には中国人をぶつける」

基本的に「本人としか話をしない」という中国人だが、
外国人が喧嘩をするとネイティブな中国語の人には必ず負けるので、
とりあえず交渉ごとは中国人と中国人でしてもらった方が話がまとまりやすい。

ワシの場合は長い付き合いの人には自分で話すが、
初めての人とか映画音楽のように契約書を結んだ方がよいモノに関しては必ず中国人を間に入れる。

上記のような経験則によりここ数年このような事件は起こらなかったけれども、
今回はちょっと話が違ってしまったようだ・・・(>_<)


事の始めはと言うと一本の電話である。

いろんな勧誘電話が多い中国では基本的に知らない番号の電話には出ないのだが、
何の気なしに受けた一本の電話が発端である。

「Funky!!俺はギタリストの@@、CD Bluesで会ったことあるだろ、覚えてる?」

もちろん覚えていない(>_<)
でもそう言うと元も子もないのでとりあえず要件を聞く。

「秋にツアーを廻りたいんだけれども・・・」
いろいろ相談を持ちかけられる・・・

「仕事取るのにどうしてもMVが必要なんだけどどうやって撮ったらいいかなぁ・・・」
取りあえずうちに来れば〜ということで会う日を決める。

もちろんそこにアシスタントである方言(FangYan)も同席させる。
すなわち(3)の原則である。

うちに現れたギタリストの@@、ボーカリストの奥さんも連れて来ている。
ところがいろいろ話すに考えが多すぎて全然話がまとまらない。

MVの撮り方にもいろんなやり方があるが、
「どれだけのモノを撮りたい」
というのがあって初めて方向性が決まる。

もちろんそれによって予算も大幅に違って来る。

カメラ何台も置いて、マルチレコーディングしてなどと言ったら、
録音やシューティングだけでなく編集やミックスダウン、
更に追求して差し替えなどやってたら1ヶ月仕事になってしまう。

まあJazzミュージシャンだと言うし、
「だったら昼間のライブバーでも借りて一発録音でやればいいんじゃないの?」
とアドバイスする。

まあその時にちゃんとギャラの話をしとけばよかったんだけど、
これは(3)の原則があるので方言(FangYan)
「後でちゃんと話しておけよ」
と釘を刺しておく。


それから何度かやり取りするのだが、
譜面を用意しろと言ってもロクでもないのが送られて来るし、
なんかわけのわからんデモとかも送られて来るし、
「仕切りが悪い」の典型的である。

また考えがいろんなところにぽんぽん飛ぶので収拾がつかない。
「決定になったものだけ伝えてくれればいいよ」
と釘を刺す。

MVもまだ取ってないのに秋のスケジュールなんか押さえたって何の役にも立たないのだ(>_<)

かくしてMV収録の日取りが決まり、その前日に方言(FangYan)がギャラの話をした。

同様に「バンドに加入してくれないか」というPushというバンドは、
「照明とかにお金使って予算もないだろうから」
ということで「2000元でいいよ、リハ代も要らない」と指示していたのが、
なんとその数倍のギャラを先に振り込まれたりしてる事実もあるので、
「取りあえずお金もないだろうから1000元って言ってみなよ」
と指示した。
「別にそれが500になっても構わないから」
と付け加えてもいる。

まあ要は「人助け」である。

現実、そんな「人助け」で安いギャラでやってあげた映画がその年のタイタニックの興行成績を抜く大ヒットとなって、
一躍ワシを「売れっ子映画音楽家」に祭り上げてしまったということもあったし・・・

ところが方言(FangYan)が悲しそうにワシに言う。

「お金の話をした途端にいきなり機嫌が悪くなって・・・」

それでも「払う」と言ったのならそれでよい。
イヤな役回りは方言(FangYan)に任せて、ワシは笑顔で音楽の話だけしておけばよい。

まあこれも(3)の役割分担である。


かくして現場に到着・・・和やかに撮影は始まるが・・・
まあこれが仕切りが悪い悪い(>_<)

「一応全部の譜面は印字して持って来てね」
と念を押してるのに持って来てない(>_<)

見ればベーシストが譜面を持ってたのでそれをもらって全部コピーに走る・・・

オリジナル曲は全く使えないほどの手書き譜面で、
コピー楽曲は6枚綴りの勧進帳譜面・・・(>_<)

時間は1時から5時までの4時間しかないので、
「時間もないから大事な曲から順番に撮っていこう」
と提案。

彼が最初に選んだのがその勧進帳の曲(>_<)

なんで????
ツアーブッキングするためにはまず奥さんの歌うオリジナル曲でしょ???

まあ「仕事」なのでよい。
「じゃあやるよ」となると、ただでさえややこしいその譜面で、
いろんなセクションが書かれてないので叩けない。

「これはドラムは上段のメロディー部分に合わすの?それとも下段のベース部分?」
質問してもキョトン・・・

「じゃあ原曲聞いてみよう・・・」
おいおい、あるんだったら予め送っておけよ!!!!(>_<)

むっちゃ難しいタワーオブパワーのようなそのセクションを譜面に書き込んで、
「じゃあやってみるよ」

ベースは違うことやってんじゃん!!
ギターは違うことやってんじゃん!!

「ゆっくりの速度からやるよ!!」
確認しては譜面を書き直してやっとセクションが出来上がり、
「じゃあ撮るよ!!」

結局誰かが間違えたりして何度も何度も撮り直し・・・

だいたいこの曲撮ってツアー先に送りつけて何かメリットあんの?・・・
徒労感満載だが、ドラマーとして初見でこの難曲を完璧に叩けるという「満足度」はある。

他の誰が間違えてようが、自分が完璧なら「OK」を出して(笑)次に進む・・・

奥さんが歌うオリジナル曲、これはボサノバ曲なのだが、
譜面がぐちゃぐちゃなのでベーシストがそれを書き直すのに大きな時間のロス。

でもまあ簡単な曲なのであっと言う間に終わる・・・
何故これを先に収録せん!!!!(>_<)

じゃあ次のオリジナル曲をやるのかなと思ったら、
「時間がないのでそれは今日はやらない」
とのことで、
「じゃあSpainをやろう」
となる。

何故Spain????(>_<)

もうこうなって来ると何の目的やらわからなくなって来る。
オリジナルを後回しにして何故Spain???
それでライブツアーが組めるの???・・・

馴染みの深い曲だったので譜面をチェックしてなかったが、
これはよく知られてるバージョンではなく、
変拍子も入るしユニゾンのセクションも全然違うバージョン(>_<)

これを初見でやんの?・・・

まあいい、ドラマーとしては大きな挑戦である。
セクションごとにまた細かくチェックしてゆき、
違ってるところは指摘して譜面に書き込んでゆく。

「じゃあ最初からやるよ」

やれるわけがない(>_<)
まあそれでも簡単にするところは簡単にして最後まで通すか通さない頃に時間切れ・・・

「ふう・・・」
と一息ついて帰ろうとする前に方言(FangYan)に「金の話はしたの?」と釘を刺す。

「いえその話は出てません・・・」
おいおい、その話を出すのがお前の仕事じゃろ!!!(怒)

もう一度ギタリストを捕まえて話をして帰って来て、
「今日はギャラなしだそうです。次の時にということで」

アホか!!

(2)の原則である。
長く付き合おうと思う人間にはよいが、
このままこのギタリストに付き合ってずーっと「先生」をするつもりもないので、
「次はない!!今日もらえなければもう次はないから今日もらえ!!」
と言い放つ。

方言(FangYan)も「もうこれ以上言えない」と困り顔。

「よし俺が言う!!」
とギタリストを呼び出して座らせる。

向こうの言い分はこうだ。
「お金の話なんか一度も出なかったじゃないか。突然言われても困る」

こちらの反論はこうだ。
「昨日ちゃんと話したでしょ」

あちらの再反論はこうだ。
「昨日言われたって払えるわけないじゃん」

とどのつまりには
「金払えなんてそんなヒドい話はない!!」
となる。

まあ最後にはテーブルを叩いてコップを割ったり、
奥さんがヒステリックにわめいたり大変(>_<)

まあまあまあ・・・

カメラを回していた映像担当者が心配そうに寄って来た。
彼は今日出会って開口一番に
「お会いできて光栄です。私は中学の時にあなたのアルバム亜州鼓魂を聴いてました」
と言ってた人間である。

顔を近づけて耳打ちする。
「じゃあギャラももらえないようですから、俺の音と映像は一切使わないで下さいね。勝手に使ったら告訴しますから」

まあ相手は怒ってるので話してもしょうがない。
「じゃあそういうことで〜」
と笑って手を振って場を後にする。

笑顔、笑顔・・・どの世界でも一番大切なのは笑顔である!!


夜にはCD BluesのオーナーのBig Johnに会ったのでこの話をしてみる。

ロック界(流行音楽会も含む)では誰もワシに未払いを起こすような人間はいない。
もう二度とワシの周りの人間と仕事が出来なくなるからである。

(1)の逆のパターンである。
1000元ぐらい払っといてお近づきになっといた方が逆に得なのである。

まあJazz界はまた世界が違うから、とりあえずその世界のトップの人間に一報入れておいたというわけだ。

別にそのギタリストを追い込もうというのではない。
彼も今日の映像を使おうと思ったら次の機会には
「Funkyさん久しぶりdす〜」
と笑って電話をかけて来るのだ。
それが中国人(笑)

その時にBig Johnに一報入れておくことで彼もBig Johnにとりなしを頼んだり出来る。

まあヤクザの世界と同じやな(笑)

Big Johnは
「あいつかぁ・・・金がねえんだよな・・・」
と頭を掻く。

そうなのだ。
だから決してこのギタリストを攻撃してはいけない。

弱気を助け、強きをくじく・・・

彼がワシよりも強い立場だったら堂々と胸を張って攻撃すればよいが、
自分より立場の低い人間にそれをやっては「任侠」がすたる。

まあこのギタリストも100元でも払っておけばよかったのだ。
もしくは金がないなら自分を偉そうに見させるよりも「ない」と素直に相談すればよかったのだ。

まあそれでもワシは一日出向いてドラムの練習させてもらって、
またちょっと上手くなったからそれでいいか(笑)

北京の仕事はこの時代になってもこうやって進んでゆく・・・

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2015年4月 5日

売れないドラム叩きの成れの果て

去年ずーっと高知新聞で連載させて頂いたエッセイを編集加筆して
自叙伝としてまとめた本
ファンキー末吉 中国ロックに捧げた半生
を出版してくださった高知の出版社「リーブル出版」の担当者の方が、
Facebookページにこの本の宣伝をUPして下さった時にコメント欄に書き込まれたのがこの言葉である。

「売れないドラム叩きの成れの果て」

一瞬目を疑ったが、その後の担当者の受け答えが絶妙だった。

◯◯さま、その通りかもしれません(≧∇≦)
ただ、その「成れの果て」の話がなんとも面白いのです。
ぜひご一読いただければ幸いです(*^o^*)

思えば私の本を出版して下さった出版社の方は揃って私の本に愛情を持って下さっている。

前作(ストーリー的にはこの続編に当たる)「平壌6月9日高等中学校・軽音楽部 北朝鮮ロック・プロジェクト
の担当者の方は
「自分が今まで手がけた本の中で一番面白い」
とおっしゃってくれたし(毎回言ってるのかも知れないが)笑
大陸ロック漂流記―中国で大成功した男
を出版して下さった(今はもうこの会社自体がなくなってしまったが)担当者の方は、
タレント本を出し続けなければならない現状、
ろくな文章でもないのにタレントの名前が有名な人ほど売れる現状
などを話して下さった後に、
「出版という仕事に従事している身として、この本の出版に携われたことを誇りに思います」
とまで言って下さった。

本当にありがたい話である・・・

「物を生み出す」という作業において一番幸せなことは、
その生み出されたものを愛してくれる人たちと一緒に仕事をすることである。

改めてお礼を述べさせて頂きたい。


さて前述の「売れないドラム叩きの成れの果て」の話・・・

思い起こせばドラマーとして、
あのまま所属事務所とケンカもせずにずーっと爆風スランプのドラマーとしてだけ活動していたとしたら、
相変わらず多くて年に1回だけ発売するアルバムのドラムを10曲ほどレコーディングして、
その曲と他数曲いつもと同じ楽曲だけをツアーで演奏するだけで一生を終えてただろう・・・

ところが中国に渡ってからはスタジオミュージシャンとして既にもう500曲は超えるだろうレコーディングを経験している・・・

その後日本に帰ってからはセッションミュージシャンとして数多くの楽曲を演奏しているから、
あのまま爆風スランプの曲だけを演奏し続けたとしてレパートリーはせいぜい100曲?・・・
優にその何百倍もの曲・・・どんなジャンルのドラムであろうが、どんな難曲であろうが叩けるようになったと自負している。

「売れない」どころか昔に比べたらドラマーとして大きく花咲いているぞ・・・(笑)

逆にあの頃のワシは「ドラマー」としては全く「売れてない」と言っても過言ではあるまい。

本にも書いているが、
日本では誰もワシのドラムを求めてたわけではない、
ワシの「名声」を求めてただけの話なのだから・・・

まあこのコメントを残した人も間違いなくワシの「名声」だけを見てたのだろう・・・

ワシもこんな人間だから過去にはいろいろ人に名声を利用されたり金を騙し取られたりしたのでわかるが、
自分に確固たる「価値観」がない人ほど「名声」とか「金」にしか価値観を見出せなくなる・・・

それしか価値観を見出せないんだからそれを手に入れるためにはそれこそ人を騙したり悪いことをしてでも手に入れようとする・・・

ところが「ドラムが上手い」とか、お隣の二井原さんみたいに「歌が上手い」という価値観とかあるとしたら話は別である。

何せこの自分が求めている価値観まで達成するためには、
人を騙したって悪いことしたって「魂」と「経験値」以外には全く何の役にも立たないのだから・・・

芸能界は砂の城みたいなもんだと中国でも言われているが、
その砂の城を守ろうとしてみんながしゃかりきになっている。

爆風スランプが一番売れている時でさえ、
歌番組なんかに出るとワシらは「この中で一番売れてないのは自分だ」と思っていた。

きっと全ての芸能人がそうなのだろう・・・
むしろあの頃は今ほど売れてなかったぞ(笑)

まあこの人が言いたいのはきっと「落ちぶれた」という意味のことだと思うのだが、
そう思うと、日本における爆風スランプの見られ方というものが浮き彫りになって、
「ああなるほど・・・だから俺は中国に逃げて行かねばならなかったんだな」
と妙に納得する。

甘利匡輔という男がいる。
(その話はこちら

中国ロックを愛する者なら知らない人はいない。
ワシは今でも彼が作り上げた中国ロックのレールの上をひとりでとぼとぼ歩いているのだ。

たまたま同じ八王子に住んでいるので老呉(LaoWu)や張張(ZhangZhang)が来日した時に紹介した。

もう二人とも目の色が違う。
何せあの中国ロックの数々のスタンダードを作り上げた人間、
あのギターのフレーズを弾いている人間が目の前にいるのだ!!

「彼は今どんな活動をしてるんですか?」
そう質問された時に、ウソを言っても仕方がないので
「いや、家業を継いで今は趣味でギターを弾いてるそうだよ」
と答えた。

中国ロックを愛する者ならば、それを聞いたところで誰も甘利くんを「落ちぶれた」などとは思わない。

何せ彼が崔健(CuiJian)と一緒に作り上げた音楽は、
「中国で初めて生まれたロック」として今でも人々に大きな影響を与え続けているのだ。

誰もがその偉業を尊敬している。
あまりにも素晴らしい偉業であるがゆえに、
今その人が何をしてようが関係ないのだ。

「売れないドラム叩きの成れの果て」
そうコメントしたこの人は、もちろん爆風スランプのことを知ってて言っているのだろう。

ということは爆風スランプは中国における崔健(CuiJian)に比べたら全然尊敬されてないということなのだ・・・

ワシは何もこの人に文句を言おうとか思っているのではない。
この人に代表されるように、これが「芸能界」であり、
ワシにとっての「この国」であった。

だからワシは中国に逃げて行かねばならなかったのだ・・・

「有名である」・・・ワシにとっては本当にやっかいな「諸刃の刃」である。
そんなものとは決別して裸一貫で今の中国での地位を築いた。

でも日本に帰ると今だにそのどうでもいい「負の遺産」に振り回されることとなる。

「有名税」とはよく言うが、
ワシにとってはもう得るものよりも払うものの方が多くないか?・・・

あ、それが「税」か・・・(笑)

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2015年3月26日

最強のドライバー「娘」

娘が小さい頃から
「お前いくつになった?あと何年で免許取れる?」
と聞いていたらしい・・・

もちろん自分が酒飲んでる時に運転して欲しいからである!!

かくして娘も18歳になり、
もちろん真っ先に合宿免許を取りに行ってもらった。

金も全部ワシが出す!!
毎回タクシーに乗って帰ることを考えたら安いもんである・・・

そしてVoThMのツアーでついに長距離も経験!!
ツアードライバーを3度も経験して初心者マークが取れて今に至る。

そして先日の鶴ヶ島ハレでのVoThM+五星旗3rdライブの時、
ワシが飲むといつも運転させられる仮谷くんも飲めるようにと「娘ドライバー」を稼働することとなった。

さてこの鶴ヶ島ハレは沖縄料理の美味しい店で、
美味しい焼酎やら何やら盛り上がってた時に、
一緒に盛り上がった横浜市にお住まいのとある奥様、
「終電乗り遅れたらもうタクシーで帰ります!!」
と言いながら盛り上がっている。

「鶴ヶ島から横浜なんかタクシー使ったら2万円はいくで〜」
とか盛り上がってるうちに本当に終電に乗り遅れた(>_<)

まあ聞けば横浜市ではあるが「たまプラーザ」だというのでうちからそんなに遠くない。
「ほな娘がみんなをうちに送った後にそちらまで送って行くわ〜」
ということに相成った。

「うんええよ〜」
ということで娘ドライバーはワシら酔っ払いとこの奥様を乗せてうちへ〜

ついでに店が終わってあーちゃんが家に帰るというので、
「ほなあーちゃんも乗せて帰ってあげてや〜」
「うんええよ〜」
というわけでワシら酔っ払いは酔いつぶれて寝た。

さて翌日、ワシは弁護士とミーティングがあるので朝早起きしたのだが、
ふと見つけた昨夜の奥様からのLINEのメッセージ・・・

2:43 羽田なう!!

羽田?・・・たまプラーザじゃなかったっけ・・・
娘のFacebookを覗いてみる・・・

2:47 羽田なう笑笑笑笑笑笑 二倍通り過ぎた笑笑笑笑 これから40分かけて目的地戻ります笑笑笑

HanedaNow.jpg

八王子からたまプラーザに行くのに、
何をどう通り過ぎて羽田空港まで行くの?・・・
しかも空港ん中やし・・・(>_<)

TamaPlazaMap.jpg

八王子はこの地図の左上、
羽田空港いうたら右下やで・・・

聞いたら「お喋りに夢中で・・・」らしいけど、
本来なら調布インターで降りるところを、
通り過ぎたいうても三宅坂まで行って突き当たって、
それを右に折れて首都環状線を出口を出ずに芝浦まで行って、
芝浦でちゃんと1号線に乗って、羽田線に乗って空港方面に走るのか、
もしくはベイブリッジ渡って有明でちゃんと右折するのか、
どっちにしろ「迷って」そこに着くのは逆に難しいのではないか・・・

奥様はここで大笑いしてワシにLINEを送ったのだろう・・・

「お喋りに夢中やったきいかん!!帰りは運転に集中せないかん!!」
とばかり今度は寡黙に運転する娘・・・

しかししばらく運転したところで奥様が口を開く。
「あれ?ここ・・・さっき通ったところとじゃない?」

見れば先ほどと全く同じ看板が・・・
「あ・・・また羽田に来てしもた・・・」

どこをどう間違ったらたまプラーザ行くのにまた羽田に戻って来なければならんのか(>_<)

今度こそはちゃんと帰らねばと思いつつハンドルを握る手にも力が入った瞬間、
ガソリンのインジケーターが点灯していることに気づく。

「ガソリン入れな帰れん・・・」
降りたところがお台場(笑)

なぜに八王子からたまプラーザに行くのにお台場で降りねばならんのか(>_<)

結局4時間かかって奥様を送り届け、
朝6時頃にやっと我が家に帰って来た娘、
車内でぐっすり寝ていたあーちゃんを起こして「着きました」・・・

目を覚ましたあーちゃん、
「え?なんで?なんで朝なの????」

こうして次の日にはこの話はファンキー村の皆が知る有名なエピソードとなってしまっていたとさ・・・

Posted by ファンキー末吉 at:18:20 | 固定リンク

2014年12月25日

募金目標額達成おめでとう!!


本当におめでとう!!

でもきょうこちゃんの本当の戦いはこれからだ!!
手術という大きな戦いに勝って、元気で帰って来てくれることを心から祈っている。

きょうこちゃんを救う会はとりあえず募金のサイトを閉じるみたいだけれども、
ミュージシャン達がチャリティーしてくれてる「きょうこちゃんチャリティー」の楽曲は、私の一存で引き続きそのままチャリティーさせて頂こうと考えている。

立ち上がったばかりでいきなり閉じるわけにもいかないのもあるし、
きょうこちゃんにもこれからどれだけ金が必要かわからんという現実もあるというのもあるし、
何よりも私自身が今回の募金を通じて感じたことがあります。

私自身は別にきょうこちゃんと面識はないし、
知り合いの知り合いの娘さんということでしかない。

庶民には絶対工面しようもない1億を超えるような金がなけりゃ必ず娘は死ぬ。
例え金があっても絶対に助かるかどうかはわからない・・・

そんな事態になってしまった親御さんの気持ちは、
例え面識がなくても私も子供が3人もいるのでよくわかる。

でもね、私が腹が立つのはね、
人類という生き物の社会がこれだけ発展していても、
相変わらず「人の命が金次第」であるというアホな現実がまかり通っていることである。

これでは医療保障も何にもない中国の山奥で、
一族の中で誰かひとりが大病になったら一族郎等全員が路頭に迷うので治療させない(聞いた話)と全く同じではないか!!

モラルや宗教心の問題で日本では臓器移植が出来ないという現実もしかり、
いざアメリカに行ったらこんな天文学的金額を請求されるという現実もしかり、
一生懸命募金を集めたら円安で数千万消えてしまったという現実もしかり・・・

でもね、じゃあ
「アメリカさん、1億とか言わずにタダにしてよ」
と言われてもアメリカのお医者さんは困ってしまう。

レストランだって、
「飢えてる人がこんなにいるんだからさぁ、あんたんとこタダで料理出しなさいよ」
などと言われたら潰れてしまうのだ。

ワシらミュージシャンだって
「チャリティーだからさぁ」
で毎回タダで演奏出来るほど豊かなミュージシャンはほんの一握りである。

だから貧乏なミュージシャンが出来る範囲で本当に小さなことをやるしかない。
いや〜こんな小さなことしか出来ん自分を本当は心の中では恥じている。

私がマイケルジャクソンだったらもっと大きなことをしてやれただろう。
でも例えそれでも問題は解決しないのだ。

もしマイケルジャクソンが生きてて全ての困った人を全部救ってたら、
いくらマイケルジャクソンでもやっぱ破産してしまうだろう。

そう、世界にはまだまだ救いが必要で救われなくて死んでしまう人間があまりにも多い。
それを私たちは何の力にもなれなくて目の前でそんな命が失われてゆく・・・

きょうこちゃんはたまたま私の知り合いの知り合いだったから私自身は本当に恥ずかしいぐらいの少々のお金を募金出来た。
でもその少々の募金さえままならない人たちはたくさんいる。

逆にそんな救いの必要な人たちが全員が知り合いだったら今度は私が破産してしまうだろう(笑)

仏教に「縁」という考え方がある。
今回はたまたまほんのちょっとの「縁」があった。

だから私個人の考えだが、
ミュージシャン達がチャリティーしてくれたこの楽曲はこのまま
「きょうこちゃんチャリティー」
として「縁」を残して置こうと思う。

幸いにも音楽は時代が変わっても色あせない。
時代が巡り巡ってこれら数曲のチャリティー楽曲の中の一曲が将来いきなり大きなお金を生むようになるかも知れない。

そうなった時にはまた次の人をこの楽曲で救えばいいのだ!!

晴れてきょうこちゃんが文字通り「命を賭けた」戦いに勝って元気で帰って来て、
「私もうお金要りません」
となった時に、
また周りにきっと現れるのだ、本当に助けが必要な人たちが・・・

それをきょうこちゃん自身が「縁」をつないでこれら収益を全部そっちに回してくれればいいと思う。

そうなるためには是非、
きょうこちゃんがこの大きな戦いに勝って元気に帰って来て欲しい!!

そうすればこんな「人の命が金次第」みたいなアホな世の中に大きなアンチテーゼをしたひとつの「事実」となる!!

これこそ「ロック」だ!!

「ロックは世界を救う!!」
この年になったら死ぬまでに一度はそう心から思って死んでゆきたいと思う・・・

世の中には「金がない」という理由だけで命を落としてゆく人たちがあまりにも多い。
でもこのひとつの小さい小さい「ロック」が、
そういう人たちに小さな小さな「希望」となってくれることを心から願う。

Rock'n'Roll Never Die!!
そう言って飲める酒をオジさん達に与えて欲しい!!

だからきょうこちゃん、絶対絶対、元気になって帰って来てね!!
Rock'n'Roll Never Die!!

乾杯!!

Posted by ファンキー末吉 at:22:52 | 固定リンク

2014年11月20日

マグロ漁船出航決定!!

前回のマグロ漁船が出航しなかったため、声をかけた渋谷有希子さんには大きな迷惑をかけてしまった。

と思ったらまたすぐに大きな話が転がり込んで来るのがここ中国である。

ことの始めは青島コンサートのリハーサルの時、
歌手として参加する馬上又が小声で話しかけて来た。

「ファンキーさん、大きな仕事があるんだけど是非あなたにやってもらいたい」

小声で話しかけて来るのでまるで「悪だくみ」である。
「ここでは詳しく話せないが」ということでワシはリハ終わりに彼に電話をかけた。

まるで一緒に悪だくみをしてるようである(笑)

聞けば本番30本の上にリハーサルが60本入り、
その全てのギャラが日本より高い(驚)

あまりにも大きな企画なので中国の音楽界にはまだ秘密にしたいのだろう、
というわけで詳しい内容はまだここでは書けないが、
要はロックミュージカルみたいな仕事である。

但し、いつもみたいな音楽監督の仕事でもなく、演奏者としての仕事でもない。
いや、厳密に言うと「演奏者」なのぢゃが、むしろ「出演者」である。

「え?俺・・・演技なんか出来んよ・・・」

戸惑うワシに彼はこう説明する。
「演技をする必要はない!!
ファンキーさんはいつものようにドラムを叩いてくれればいい!!
ドラムを叩いてるだけでヘタな役者より表現している、そんなプレイヤーを探してるんだ」

というわけで同じぐらい存在感を持つプレイヤーとして彼から田川ヒロアキの名前が上がった。

どこかで会ったかな?・・・映像でも見たのかな・・・と思ったら、
何度か田川くんを北京に連れて来てライブをやったうちの1本を偶然見に来ていたそうだ。

いろんな人を北京に連れて来たが、
それがこうして「仕事」としてつながってゆくということはおせっかい冥利に尽きることである・・・。

ドラムとギターは決まった、じゃあベースは?・・・
ということで先日の北京ライブに監督はじめ関係者全員が渋谷有希子さんのプレイを見に来たというわけだ。

結果は満場一致で決定!!
ついでにその時に出演してた小畑秀光まで乗船決定となったオマケ付きである(笑)

ちなみに彼は終演後に送って来たメッセージの中でこう語った。

「監督たち飯に連れてくから先に出るよ。
みんなみんなあんたのこと大好きだって、ばっちしだよ!!」

このライブは彼にとっては「ファンキー末吉ありき」のこの作品を監督にプレゼンする大事なライブでもあったのだろう・・・。

彼は昔からワシに絶対的な信頼と尊敬の念を抱いてくれてる。
きっかけはこんな些細なことだった。

一緒にレコーディングとバックバンドをやって中国ロックの新しい時代を作った許義(XuWei)の最初のライブの時・・・

当時ワシはこちらのスタジオミュージシャンとして絶頂期で、
多い時にはヒットチャートのほとんどのドラムはワシが叩いているような状態だった。

中国ロックに憧れてこっちに移住して、
やっていることは音楽を金に変えるような毎日じゃ日本でいたって同じじゃないか・・・

そんな悩みを抱えていた頃で、
それを「神がかり」ということで解決しようとしていた。

エイトビートの4拍子の曲なんてもうどんな状態でも叩ける、
でもだったらそれで満足するんじゃなくもっと上に行こう・・・

楽屋で出番直前までひとり、譜面とにらめっこをしているワシに彼が声をかけた。

「ファンキーさんはいつもそうやって真面目に仕事しますけど、
それはやっぱ日本人特有の気質というものによるんですか?」

ワシは一瞬きょとんとしたが意味がわかって笑ってこう答えた。

「ほら、神業ってあるじゃん・・・
でも人間はいくら頑張っても神にはなれない。
偶然時々神が降りて来る時があるだけよ。
人間が出来ることは努力と準備だけだからね。
それしか出来ないならそれを出来るだけやっとかないともったいないだろ」

結果その許魏(Xu Wei)の北京ライブは伝説のライブとなった。
神が降りて来たのだ・・・

それ以来、彼はワシの「仕事」には絶対の信頼を置いている。
今回このマグロ漁船を出向させるために提出した数かぎりない資料、
それを監督、制作会社、投資方に見せる時に彼は胸を張ってこう言ったという・・・。

「ほら、ファンキーの仕事は完璧だからね」

ところが人間は神にはなれないのでその後いろいろミスが出て来るのだが・・・(>_<)

さて、そんな彼ももう偉くなった。
当時はいちキーボード奏者だったが、今では音楽プロデューサー、歌手として有名になった。

ワシが音楽をやって大ヒットした映画「疯狂的石头(クレイジーストーン)」の続編映画は、
ワシではなく彼がその音楽を担当したのだからもうワシなんかよりは「大御所」だろう(悔)。

何度も「一緒にバンドをやろう」と誘われた。
「三顧の礼」よろしく貧民街にも何度も足を運んでくれたが、
こちらのスケジュールは直前に決まり、日本は数ヶ月前に決まるので、
ライブ収入が全てのバンド活動で「その日は私は無理です」ではこちらでバンドなんかやっていけない・・・

そんな彼からの仕事なので間違っても前回のように「ドタキャン」はなかろうとは思うのだが、
自分だけならいざ知らず、日本人ミュージシャンを呼ぶんだったらやっぱ「前金」である。

スケジュール押さえるなら「まず前金」!!

というわけで9日間のツアー中ずーっと4人のスケジュール調整、仮契約書の作成、
等いろんなことをやってたのでいつものように旅先ブログ更新が出来なかったわけだ。

ちなみにこの「仕事」で一番キツいのが「中国語」(>_<)
ワシレベルの中国語で契約書クラスの翻訳は無理なのだが、
契約書の草案も全てワシが作った。

簡単な契約書である。
「これこれのスケジュールをいついつまで押さえさせてね〜お金いくら払うからさ〜」

本契約はまたちゃんとやるとして仮契約は簡単であるほどよい。
これにサインして前金さえもらっておけば、後は仕事が潰れようが友情は潰れない(笑)

というわけで田川くんは日本にいるので後回しとして、
末吉、ユッコ、小畑が中国にいるうちにそれぞれ契約をしてとっとと前金を受け取っておくことである。

誰かひとりでも前金を受け取って初めてマグロ漁船「出港!!」ということになる。

白羽の矢が立ったのが小畑秀光!!
彼の帰国スケジュールだけが二人より早く、
14日の10時から12時までなら北京空港でインターセプト出来る。

契約書の内容を何度かやり取りして最終的なものにして、
小畑に見せても中国語なんでどうせわからんし、とりあえずこう命じた。

「10時に北京の国内線に着いたら国際線の出発ロビーに行って、
ギターを抱えたまま時刻掲示板の下で待ってろ!!」

ただでさえ高所恐怖症で飛行機に乗れない男が、
格安航空券のせいで寧波ー北京ー上海ー東京(ちなみに寧夏と上海はすぐ近所)という3度も飛行機に乗らねばならないスケジュールの上にこんな大仕事を仰せつかったのだ、本人も気合を入れたのだろう・・・

ObataWaitingAtAirport.JPG

ここなら見つけてくれるだろうと思ったのかこの大きなぼんぼりの下を選んで、
このギターをルパン三世の五右衛門よろしく抱きかかえて座っていたらしい(笑)。

さて音楽プロデューサーの馬上又、どうやって本人を見つけるのか不安でしょうがなかったが、
ワシが「絶対見つかるから」というので不安を抱えながら行ってみたらすぐ見つかった。

「まるで武士やなぁ・・・(笑)」と彼の弁・・・

しかし実はこの馬上又という男、ガタイがデカい上にロッカーなので全身刺青である。
そんな男に声をかけられ、全然言葉も通じない上にいきなり中国語の契約書を見せられ
「サインしろ」
と言われる・・・

やっぱ偉いな、小畑秀光・・・失うもんがないというのはホンマに強い!!
こいつはきっと臓器売買の契約書でもサインしてたやろうな・・・(笑)

というわけで前金ゲット!!!!!!!

ObataMaekin.jpg

よくやった小畑秀光!!これにてマグロ漁船出港決定!!!

日本のみなさん、来年は基本的に中国にいますので日本の仕事は・・・
企画がぽしゃれば喜んでやります!!(キッパリ)

これがあるから中国はまだまだ安心出来んな・・・(笑)

Posted by ファンキー末吉 at:17:24 | 固定リンク

2014年10月27日

朝鮮学校のイベント

日本の至る所に朝鮮学校が存在していることは知っているが、
普通に日本人社会だけで暮らしていたら、そこに足を踏み入れたり、
ましてやこうしてそのイベントに出演する機会などは滅多にない。

ワシの場合この辺のおっちゃんおばちゃん達の知り合いが増え、
北朝鮮ロックプロジェクトがきっかけになってこのようなチャンスが増えて来た。

朝9時に学校に入ってみたら校庭には何とも立派なステージが組まれていた・・・

ChosengakkouKouteiStage.JPG

しかも客席にはテーブルまで並べられていて、
「飲むのか?飲むのだな!!」
という雰囲気満載である(笑)

ちなみにテーブルの高さがあまりにも低すぎるのではという疑問が頭をかすめたが、
この時点では「普通のテーブルの数が足りなかったのね」ぐらいにしか思わなかったのだ。

後にこれには長年のイベントによって培われた大きな理由があることが判明する・・・

テーブルには今日のプログラムと屋台で売られている食品等のメニューが貼られている。

ChosenGakkouMenu.JPG

食うのか?食うのだな!!(笑)

とりあえず屋台の営業が始まるまでに自分の物販売り場を確保!!
客も多いだろうということで全てのアイテムを大量に持って来た。

ChosenGakkouBuppan.JPG

ちなみにワシは知っている。
このイベントで立ち並ぶ屋台には実は朝鮮学校存続の大きな役割があることを・・・

前回この学校を訪問した時に、あまりの生徒数の少なさにびっくりした。
6年生などは生徒がおらず、人数の少ない学年は他の学年と一緒に授業をする。

まるで過疎地の学校のようだが、
これも在日が5世6世の時代となり、民族教育の必要性が薄れて来たためなのか、
それよりも気になるのは、そうなると学費による収入がなくなるわけだから当然ながら学校自体の運営が厳しくなるわのう・・・という余計な心配が頭をかすめる。

ちなみに先生は朝鮮語で授業をするので、
少なくともネイティブに近い朝鮮語を喋れる在日の人とかに限られる。

決して本国北朝鮮から教師が派遣されるわけはないのだから、
「さぞかし人材不足やろうなぁ・・・」とまた心配もしてみる・・・

学校の3階にある資料館にはこの学校の歴史が写真と共に綴られているが、
それを見るとまさに「日朝間の政治に振り回されて来た学校」である。

歴代の大阪府知事の歴史の中ではこの学校に多額の援助をした時代もあったし、
ご存知のように橋下知事はその援助を一切カット