
2008年11月30日
風邪をひき、日本帰って、何故かAnthem(字余り)
iPhoneの「天気」というアプリで調べたら北京の最低気温は連日零下である。
そしてワシの院子は基本的に外気と温度差がない。
つまり石炭が消えたら即零下なのである。
「そりゃ風邪もひくわい」とばかり日本に脱出した。
嫁が「それなら私Anthemのライブ行きたい!!」
筋金入りのAnthemファンである。
三十路前だというのにいきなり3人の子持ちとなっていっぱいいっぱいの嫁である。
メタルを聞いて少しでも発散出来るのならそうしてあげたい。
上のふたりの子には留守番をさせ、
嫁と下の子供を乗せて車で川崎に向かった。
車の中で子供は熟睡。
こりゃええわいと思ってたら、
よく考えたら車の中で熟睡ということは着いたら起きるということである。
駐車場に車を停め、嫁を会場に送り出したら案の定子供が起きた。
このまま寝ててくれたらワシも車で寝れてよいのじゃが、
子供ばかりはそうも親の都合のいいようには動いてくれない。
どこか子供をあやせるところはないものか・・・
そうじゃ!!楽屋があるではないか!!
Anthemとは何度かイベントで一緒になってはいるが、
メンバーとはさほど親しいわけではない。
ドラムの本間くんはドラマー同士で親しいので訪ねて行こうと思ったら、
このツアーは本間くんが怪我のためMAD大内が叩くと言う。
ま、大内も知り合いなので大内を訪ねて行けばいいか・・・
子供を抱いて裏の楽屋口から会場に入る。
そう言えばワシはマスクをしているので見ようによっては女性に見えたのかも知れない。
楽屋口からでかい態度で入って来るワシをスタッフは誰も止めようとしない。
「あんたの子供よ!!認知してちょうだい!!」
と殴りこみに来たとでも思ったのだろうか・・・
ずんずんと進むワシ、固まるスタッフ。
まさにステージに出ようとするMAD大内を発見。
「大内ぃ!久し振りやなあ。ワシや、末吉やぁ」
目を細めてワシを確認し、懐かしがる大内。
「わぁ、ファンキーさん、久しぶりぃ。
いや、こんな小さい子がいるんですか、貸して貸して、抱かせて」
いきなり怖いおじさんに抱きかかえられた息子、
火がついたように泣きだす。
今からの大音量のステージよりも更に大音量である。
「あかん、あかん、怖いおじさんがいっぱいか、外に出よ」
子供を抱いて再び外に出るワシ。
しばらく楽屋口の外で子供をあやす。
「ファ、ファンキーさん、寒いですし、ど、どうぞ中へ・・・」
メタル界では「鬼のバンマス」と異名をとる柴田くん、
出番前の緊張感を台無しされてもさすが「大人」である。
「いいんです。怖いおじさん達がいっぱいなんでびっくりしただけなんです。
ステージ始まったら中入りますからご心配なく」
柴田くん達メンバー一同、
「お前の顔の方がよっぽど怖いわい」
と心の中で拳を握り締めながらステージへ。
ワシ、頃合いを見てだましだまし楽屋口から中へ。
爆音の業界席ではまた泣くので
機材ケースが山積みされたステージ裏で子供に飯をあやす。
3度のアンコールを終え、
嫁のために楽屋に戻って来たメンバーにサインをもらい、
「ほな」
とばかり会場を後にするワシ。
当日券をちゃんと買って入った嫁も大喜びである。
世界平和は家庭平和から!!
ワシはまたAnthemのチケット代のために、
そしてGoods代、CD代のために働くのじゃ!!
ゆっくり挨拶が出来なかったが、
Anthemのみなさん、素晴らしいステージをありがとう。
(こぼれる音でしか聞けなかったが)
世のメタルファンよ(女性)!!
子供が出来てもメタルを愛し続けるよーに!!
そしてその旦那よ!!
メタルを愛する嫁をこよなく愛し続けるように!!
そしてその子供よ!!
怖いおじさんを見ても泣かないよーに!!
世界平和の道はまだ険しい・・・。
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2008年11月26日
全中国ドラムクリニックツアーその14、山西省「楡次」
太原から楡次までは車で1時間ぐらい、
まあ言うならば東京と八王子ぐらいであろうか。
当然ながら旨いものも同じなのでここでまとめて紹介したい。
まずここの名物は麺。
「刀稍面」という、包丁で麺生地を削ってお湯の中に飛ばす麺を代表として
中国でも一番麺の種類が多いと言う。
レストランでは毎食小さなお椀に入れてたくさんの種類の麺を食べさせてもらった。
そして酒じゃが、
今回はビールではなくこれにハマってしまったのでえらいことになった。
白酒と同じ蒸留酒なのじゃが、緑色をしてるので白酒とは言わんじゃろう。
「竹葉青酒」と言う。
この地方独特の酒なのじゃが、
これがまた旨い!!
度数も38度とまだ白酒より飲みやすく、
ぐいぐい飲むと当然ながらぶっ倒れてしまう。
前日からこれだったんで写真あんまし撮れてないのよね・・・
そして忘れていけない名物が「酢」。
黒酢の発祥地とも言われているが、
レストランで席に着いたらまず酢を注がれるだけではない。
場所によっては薬の瓶みたいのに入った酢を飲んでから食事する。
これがことのほか美味しかったので二井原家に1ケースおみやげに買ったほどである。
さて酒飲んでうまいもん食ってばかりではない。
ドラムもちゃんと叩いた。
と言うより前の日に2ステージもやってるせいか、
この日は心なしか神様が降りて来た気がした。
XYZの10分を超す大曲、Wings~Fire Birdのメドレーをやったのじゃが、
最初のうちは水を打ったように静まりかえっていた観客が、
曲が終わると共に割れんばかりの拍手。
歴代ドラムクリニックでこの曲が一番ウケた街となった。
小さな街というのはいいものである。
実はこの日のドラムクリニックの模様はラジオで生中継しており、
(恐ろしいことするなあ・・・)
そのまま夜の生放送ではワシをゲストに呼ぶという暴挙である。
中国の生放送に出演するのは寧夏の時に続いて2回目なのじゃが、
前回はまだ布衣がメインだったのでいいが、
今回はなんとワシ自身がメインである。
番組のジングルには中国でワシが手がけたヒット曲をつないで作っているし、
(まあ大部分はドラムなのにプロデューサーと紹介されていたが)
中には李慧珍とか懐かしい歌手の曲も流れたりして、
なんか自分の中国での歴史を全部思い出すような番組で嬉しかった。
生電話なんかもかかって来て、
さすがドラムクリニックの生中継もたくさんの人が聞いてたんやなと感激した。
でもええのん?・・・
番組ん中でも「あの頃の中国と今とはどこが一番違いますか」と聞かれたので、
「あの頃ワシみたいな外国人を生放送で出演させてたらあんた達はもうここにはいなかったで」
と答えた。
中国は本当に変わったのである。
ファンキー末吉ひとりドラムツアーの軌跡(こちら)
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全中国ドラムクリニックツアーその13、山西省「太原」
山西省太原は一度、
テレビ局のカラオケコンテストの審査員として行ったことがある。
(いろんなことやっとるなあ・・・)
北京から寝台車に乗って、
酔っ払って寝て、着いたら朝だったので楽だったのじゃが、
(素人さんのヘタな歌を一日聞くのは苦痛だったが)
今回は悪い予感が当たってバス移動である。
寝台ではなく椅子席。
しかも何やらすーすー風が入って来てえらい寒い!!
買ったばかりのiPhoneにコピーした映画を見ながら、
2本ほど見てちょうど電池が切れた頃着いた。
だいたい6時間ぐらいの旅だっただろうか、かなり疲れた。
このツアー・・・移動と酒が疲れるのよ・・・
まあお決まりの酒と料理の話は次の街でまとめてするとして、
今回は何と2ステージ、ジャニーズのように2回まわしである。
これはワシの人気がどうのこうのではなく、
単にこのパール倶楽部の生徒の人数が全国で一番多いからである。
ほとんどが子供で600人を超えている。
するとその父兄も合わせて1000人以上のオーディエンスが来るというのだから数百人クラスの小屋では足りないというわけである。
その日の夜セッティングとチューニングをやって、
翌日は朝9時と昼3時の2回ステージである。
ちなみに中国の会場の席番号というのは連番で買うと隣にならないのをご存じか。
舞台下手側は奇数ナンバー、上手側は偶数ナンバーである。
なんでじゃろ・・・
ともあれ2回まわしだと当然テンションが上がる。
いや、テンション上げないと乗り切れないと言えよう。
まだ午前中だというのに汗だく、
そしてここのパール倶楽部のシュエ先生とドラムバトルまでやって、
中国式お決まりの花束贈呈で幕を閉じる。
(共同通信京極さん提供写真)
ちなみにこの時点でまだ午前である。
先はまだ長い・・・
ホテルに帰って小休止して更にもう1ステージ。
ここでシュエ先生からリクエストが来た。
「午前中にやったヘビーメタルの速い曲を最後にやってくれ」
XYZの新曲、「Spreading of Fire」のことである。
XYZの曲ってウケるんか?・・・
まあ生徒たちはみんな課題曲にヘビーメタルやっとるしなあ・・・
遠慮なくフルパワーでぶっ叩く。
隣でシュエ先生がマイクを持って客を煽る。
先生・・・これやりたかったのね・・・
そして客(子供たちじゃが)は興奮のるつぼ・・・
(共同通信京極さん提供写真)
ええんかなあ・・・
ワシが初めて中国に来た頃にはコンサートで立ち上がっただけで逮捕されていたが・・・
ファンキー末吉ひとりドラムツアーの軌跡(こちら)
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2008年11月20日
北京・・・寒すぎ・・・
シンガポールは32度だったのに北京は1度である。
院子に帰って来たらバンドの連中がレコーディングしていた。
左の端は最近エンジニア見習でやって来た方言(Fang Yan)なのであるが、
家が遠いと言うことでレコーディングがあるとうちに泊まる。
前回も青島から帰って来たら
突然の寒波で気温が3度。
その頃はまだ石炭を売りに来てないので暖房はナシである。
酔っ払って帰って来た方言(Fang Yan)が
外気と温度が変わらない彼の部屋でホゲーっと寝ているのを見て
「こりゃこいつそのうち凍死するな」
と思ったらまだ生きてた。
「俺のいない時は勉強だと思って友達のバンドとかレコーディングしてあげなさい」
と言ってあったので、
真面目だけが取り柄の彼は毎日レコーディングしていたらしい。
(もちろんタダで)
一昨日からめっきり寒くなったという北京。
服を着込んで電気ストーブひとつでレコーディングしていたバンドの連中も、
「これでは寒くて指も動かない」ということでやっと石炭を購入、
ワシが帰って来た時には自慢の畳の部屋もそこそこ暖かい。
問題は誰がこの石炭を炊き続けるかである。
数時間ごとに石炭をくべてないと消えてしまい、
そうなるとまた薪から火をつけねばならないので大変である。
嫁がいる時は夜中なんか凍えて目が覚めたりしたら、
お互いに膀胱のあたりをつつき合って、
おしっこが我慢できなくなった方が石炭をくべに行くことになっていたが、
酔っ払ったら凍死するまで起きない人間が相手ではそうもいかない。
仕方がないので近所の貧乏人に金を与えて定期的に石炭をくべてもらおう。
そうなるとまた泥棒が心配なのじゃが・・・
明日からまたドラムクリニックで山西省に行く。
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2008年11月14日
シンガポール最終日、移動日
バンドマンの朝が弱いのは世界共通のようで・・・
しかも特にこのBeyond関係は筋金入りである。
ワシの経験では夕方からのリハーサルに寝坊で遅刻して来るのだから半端じゃない。
当然ながら最終日の出発は朝いちで・・・なんてあり得ない!!
ホテルに追加料金を払ってでも夕方出発である。
仕方がないのでワシは観光・・・
名古屋ぐらいしかない大きさの国じゃが、
やっぱ観光と言うと一応マーライオンに行っておかねばなるまい。
ホテルから見えてるのでジョギングついでにちょこっと行って来た。
これである。
まあ「これは何じゃ?」と言われればそれまでじゃが、
口から水を吐く半獅子半魚の銅像である。
土佐の高知のはりまや橋は「日本がっかりする名所」のワースト5に入っていると言うが・・・うーむ・・・
その隣にある「小マーライオン」が更に哀愁をそそる・・・
赤道直下、真昼間には影も出来ない灼熱のシンガポールじゃが、
朝夕は涼しいし、昼間でも日本の蒸し暑い夏と違って非常に過ごしやすい。
ジョギングの後はホテルのプールでひと泳ぎし、
マレーフードとビールでみんなの起床を待つ。
ほろ酔いのままシンガポール空港へ。
さっそくポールはファンに囲まれる。
ワシはベンチで酔いを醒ましていたら、
隣の白人が目を白黒させて聞いて来た。
「Who is him?」
まあ無理もない。
中華圏では大スターでも欧米では(チャイニーズ系以外)まるで無名である。
「He is a Chinese Rock Star!」
ワシが胸を張る必要はないのじゃが、
何故か胸を張ってそう答えた。
中国のロックスターとの旅は今日で終わりである。
このまま香港に帰り、仮眠して翌日朝一番で日本に帰る。
願わくば直行便、もしくは午前の便でその日のうちに日本に帰りたかった・・・
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2008年11月 9日
シンガポール滞在二日目、本番
昔とある日本人留学生の友人からこんなことを聞いた。
「中国人ツアーでタイに旅行したんだけど、食事が毎食中華なの。
私はね、タイ料理が食べたかったんで、今日こそタイ料理かな、と思ってたら、
結局最後までずーっと中華だったの。
どうして?って聞いたら、
だって中華が世界一おいしいのに
何を好き好んでそれより不味いものを食わなきゃなんないだ、って・・・」
都市伝説のような話であるが、
実際今回のこのツアーの御一行の食事は確かに中華ばっかりであった。
シンガポールは国自体が大きな中華街のようなもんじゃが、
マレー系やインド系を抱える多民族国家である。
この日は早起きして地下鉄で「Little India」へ行った。
飯もここに来て初めて中華でない店に飛び込んだ。
マレー系の代表的なメニューであるナシゴレン(マレーシア焼き飯)や、
ミーゴレン(マレー系焼きそば)もあったが、
これは夜だけのメニューということで、隣の人が食っているのと同じものを頼んだら、
朝からカレーを食うハメになってしまった・・・。
ちなみにアイスミルクティーを頼んだが・・・ひたすら甘い・・・。
ストローで飲むと下の方はホットのままなので、
氷のある上の方から飲む。
最終的にはぬるま湯になる。
ちなみに持ち帰ろうと思うと、
後ろのオッサンが持っているようにビニール袋に入れてもらえる。
これにストローを挿して飲みながら歩けるわけである。
街にはイスラム教の寺院や、
さすがはリトル・インディアというだけあってインド寺院もあった。
そう、多民族国家シンガポールでは宗教も多種多様である。
当然ながらチャイニーズ系のコンサートではこの儀式は欠かせない。
まずはメインの出演者と主催者、
そしてミュージシャンやスタッフ全ての人間が代わる代わる線香を持ち、
四方に向かってコンサートの無事と成功を祈って拝む。
もともとは道教から来ている香港台湾など中国南方の習慣なのじゃが、
今では北京や地方のコンサートでもこれをやるので、
ワシは名実ともにこれを一番経験している日本人ということになる。
楽屋の飯は日本や北京ではだいたいが楽屋弁当じゃが、
香港ではよくひとつの部屋を開放してビュッフェ形式がとられるが、
ここシンガポールでもはたしてそうであった。
ドラムを叩く前に食い過ぎると後で地獄を見ることを知りながら、
これがなかなか旨いのでついつい食い過ぎてしまう。
やっぱ中国人が言うように中華は最高なのかも知れない。
本番が始まる。
ステージ前に垂らした黒幕を通して満員の客席が見える。
(一応)解散したバンドのメンバーがふたり集まってのジョイントコンサートで、
解散前と同じくスタジアムを満員に出来るというのが凄い!!
しかもここは「外国」なのである。
この「Beyond Next Stage」という企画で、
ひょっとしたらまた全世界ツアーが組めるのではないか。
そしたらワシは彼らと全世界の中華圏を廻れるのか?!!
満腹なのに胃袋が反応してしまう・・・。
コンサートが始まった。
(今やもうすっかり「大歌手」になってしまったWing)
(この企画の一番オイシイ部分。PaulとWingとのジョイント)
ちなみにこれらの写真は
Paulバンドのドラマーが演奏しているすきにドラム台から降りてかぶりつきで自分で撮った。
中国系のコンサートは何でもアリなので楽しい。
そしていつもながら思うのじゃが、
中国人のオーディエンスっつのはハケるのが早っ!!
終了後1分も経ってないのに客席はこれである。
「余韻を楽しむ」っつうことを知らんのかい!!」と言いたくなるほど、
あれだけ熱狂してたオーディエンスがコンサート終了後すぐ帰る。
現実的なんやな、中国人は・・・。
そして打ち上げ。
中国語で「慶功宴(QingGongYan)」と言う。
ご想像の通りその後大いに飲み食いし、
みんなそのまま二次会に繰り出したが、
年寄りは早々と退散させて頂いた。
ホテルに着いたらそれでも夜中の3時・・・
いやー・・・毎度のことながらドラム叩くより飲むのがキツいですわ・・・
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2008年11月 7日
シンガポール滞在一日目、サウンドチェック
シンガポールは3度目である。
一度目は85年に爆風スランプのアジアツアー。
と言っても当時の爆風スランプは、
その後に続く米々クラブや聖飢魔Ⅱなど、
(当時のレコード会社曰く)お笑い系の先陣として、
「売れるか売れないかわからんが、
とりあえず面白いのでレコード出してみよう。
あ、そこそこ売れたなあ、じゃあ本格的に次のバンド売ってみよう。
何?アジアツアー?
じゃあとりあえず爆風にやらせてみよう。
うまくいったら後に続くバンドで本格的に・・・
何?失敗した?
じゃあ後のバンドはもっと大事に育てよう」
とばかりいつも試験台に使われてた。
受け入れ先の現地のソニーは大赤字、
タイではパッパラー河合が、
「生水は飲むな」
と言われていたにもかかわらず、
プールで泳いでプールの水を飲んで下痢で倒れてしまい、
ヤクザがかった招へい元の呼んだ医者にモルヒネを打たれ、
いきなり元気になって今までにない爆発したステージをやったと言う伝説がある。
当時のシンガポールは入国の審査が非常に難しく、
長髪が絶対にだめだということで、
ワシはでっかいアフロヘアーをカツラにしまって入国したのを覚えている。
2回目はNHKでやってた音楽番組のクリスマス特番の収録で、
マレー系の歌手が
「ワタシ、イスラム教ナンデ、クリスマス祝エマセン」
と言い出して大変だった記憶がある。
この時は確か2泊1日ぐらいしか滞在しなかったが、
その間にディスコの生バンドに乱入して、
「Highstara」と「You Realy Got Me」を叩き、
マレー系のミュージシャンに絶賛された記憶がある。
あと、U-Tubeを検索してたらこんなのがHitしたので、
どの国行ってもそうなので、
きっとJazzクラブにも乱入してドラムを叩いていたのじゃろう。
確かマーライオンの近くのJazzクラブだったと思う。
そして今回はそのマーライオンの近くの高級ホテルに滞在している。
(ホテルから見た光景。真ん中の下の方で水を噴出しているのがマーライオン)
高級ホテル街なので周りには何もなし。
とりあえず探索は明日にすることにして、
会場に入ってサウンドチェック。
手前はキーボード兼ギターの家豪くん。
後ろに3台ドラムが並んでいるのは、
右奥がWingバンドであるワシが叩くドラム、
左がPaulバンドのドラマーが叩くドラム。
そして真ん中が一番オイシイ時にWing本人が叩くドラムである。
これは中国人じゃないと説明するのが難しいが、
Beyondと言うと、中国語(広東語じゃが)で初めてオリジナルのロックをやったバンド。
つまり「中国のビートルズ」みたいなもんである。
つまりWingというとリンゴスターみたいなもんである。
今は歌を歌っているが、やっぱりファンは彼のドラムを聞きたいもの。
やっぱ「歴史」やからね。
ワシはいつも思うのよ。
ワシ・・・一生懸命ドラム叩くよね。
そいで彼の衣装替えでドラムソロするよね。
そりゃもう一生懸命叩くわけよ。
客もいつもそりゃ盛り上がるよ。
「こいつは凄い!!人間か?!!」
とか言われるよ。
でもね、その後にワシはバスドラを踏んで、
それに乗ってWingがドラム台に乗ってドラム叩きながら下からせり上がって来る。
ドラムソロ(と言うよりサウンドチェックのような)、
ドンドンドン!バンバンバン!!
これで観客はいつも狂喜乱舞、興奮のるつぼ。
ここがコンサートの一番盛り上がるポイントなのである。
ワシ・・・1時間以上何頑張ってたん?・・・
と思うぐらいその熱狂は凄まじい。
これぞ「スタープレイヤー」、
スーパースターのあるべき姿なのであるが、
ワシはひそかにこう思うのよ。
ドラムはやっぱ顔やな・・・って・・・。
片やこれ・・・
片やこれ・・・
これは「同じドラマー」と言うよりも、
むしろ「同じ生物」ではないと言えよう。
うむ・・・でもいいのじゃ。
仲良しやし・・・
そんな問題じゃないか・・・
Posted by ファンキー末吉 at:23:46 | 固定リンク
いざシンガポールへ!!
朝8時半にBeyond Band Roomに集合し、
機材を積み込んで空港へ。
あまりの機材の多さに空港でもめるバンドメンバー。
これ、ツアーのお決まりの出来事である。
手前はWingバンドのメンバー、
奥で荷物を預けているのがPaulバンドのメンバー、
ちなみにメンバー達は機材と一緒に空港に来たが、
スター達はそれぞれ手荷物でやって来る。
空港で待ち構えてたファンに写真をせがまれるWing。
ファンにサインをねだられるPaul。
そしてこのファンがみんなで同じ飛行機に乗る。
「シンガポールまで追っかけするんかい!」
Beyondのファンのパワーには恐れ入る。
この日は移動日で何もないので、
そのまま屋台で乾杯!!
右側のテーブルがPaulバンドのメンバー。
こいつらがまた・・・飲むのよ・・・。
シンガポールまで来て中華の屋台で香港人と酒を飲んでると、
こりゃまだ全然シンガポールに来た実感なし!!
探索は次の日ということにしてとりあえず酔いつぶれるのじゃ!!
Posted by ファンキー末吉 at:23:20 | 固定リンク
2008年11月 5日
香港である
Wingのシンガポールツアーのため香港にやって来た。
ここで3日間リハーサルをしてからシンガポールに旅立つ。
旨いものが多いのよ、香港は・・・
地元の人と一緒だと滅多に食べた事のない物が食べられる。
世界各地に友達を作っておくべきである。
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2008年11月 3日
休息の日々
風邪も引いていることだし、
酒も飲まず、治療と子育ての毎日であった。
子供たちも幸い新しい学校にも慣れたみたいだし、
今のところイジメもないようである。
毎朝5時に起きて上の子の弁当を作り(嫁が)、
6時半には子供たちを起こしてご飯を食べさせ(嫁が)、
7時半には集団登校で送り出し(嫁が)、
部屋中の掃除をし(嫁が)、
買い物に行き(嫁が)、
夕飯の支度をして(嫁が)、
子供たちの帰りを待つ(ワシも)。
これがショーン・レノンだったら、
「パパはパンを焼いている人だと思ったらビートルズの人だったんだ」
と来るのじゃが、うちの子は違った。
「パパ稼ぎもないくせに何で家とか買えるが?」
息子よ・・・世の中いろいろあるのじゃ・・・
口ごもるワシ。
それにしても誰がそんなことを子供たちに吹き込んだのか・・・
母親の顔がちらりと脳裏をよぎる・・・
この日の買い物はワシも一緒に出かけた。
ファッションにはからっきし縁のないワシじゃが、
イオンモールでふと素敵なパジャマが目に入ったワシは思わず衝動買いしてしまった。
「服なんか着れればいい」
と思っているワシなのでこんなことは非常に珍しいのじゃが、
何せ柄が「ピンクのブタ」なのである。
「ピンクのブタ」と言うと「ピンクフロイド」である。
限りなくロックではないか!!
おまけにこのパジャマはツナギ形式になっているので、
冬が北京なみに寒い八王子には持って来いではないか。
嫁用にタヌキのも購入したが、
さすがに嫁も筋金入りのロックファンである。
風呂上がりには有無を言わさず「ピンクのブタ」を着用した。
仕方がないのでワシはタヌキである。
キンタマ袋の部分が大きくたるんでいるところが妙に琴線に触れる。
嫁は「ピンクのブタ」で家事をする。
そんな我が家にピンポンと呼び鈴が鳴った。
インタホンで声だけで応答すると、どうもPTAの人のようである。
イカン、イカン、ただでさえ変な人と思われているのでいちいち服を着替えて応対。
今夜の晩御飯は自家製スモークビーフと押し寿司。
嫁の母親が伊丹空港で買って来てくれたものである。
「そうなるとビールやなあ・・・」
コンビニにビールを買いに行こうとしたら子供が止める。
「パパ、その格好で買いに行くが?」
そうか・・・そういうわけにもいかんか・・・
「ほなお前買いに行って来い!」
小銭を渡そうとするのじゃが、
最近では未成年は酒は買えないらしい。
仕方がないのでまた着替えてからコンビニに行く。
「パパ・・・その寝巻き・・・やめれば・・・」
子供はそう言うが、何せツナギ形式で暖かいので手放せない。
ビールを買って来てまたパジャマに着替え、乾杯!!
いや・・・ふと見ると押し寿司の量が非常に多いぞ・・・
ワシは明日から香港、シンガポールのツアーなので、
生モノがこんなにあっても我が家では腐らせてしまう。
そうだ!お隣の二井原家にお裾分けしよう!!
一家でパジャマのまま二井原家を訪ねる。
ピンポン!!
反応がない。
後で聞いたらドアホンの映像は白黒なので、
白いマントを羽織った変な人たちに見えるのである。
脅える二井原家、
これがアメリカだったら銃を用意してからドアを開けるところであろう。
何度目かの呼び鈴でやっとドアを開けた二井原家。
ワシらの格好に大爆笑。
「写真撮ってブログに載せるからちょっと待て」
玄関先で待たされるワシら。
押し寿司を手渡して二井原家を後にする時に子供たちが
「お菓子をくれないとイタズラしちゃうぞ!」
と言う。
そうか・・・巷ではハロウィンなのか・・・
まあうちは毎日ハロウィンみたいなもんじゃが・・・