
2012年5月26日
日本超級VSOP3日目:現代音楽学院にてクリニック!!
寧夏省銀川から北京に帰る飛行機も、
「それが一番飛行機代が安い」
ということで朝一番の飛行機である。
毎日ライブをやってその後毎日5時起きを強いるのはこの偉大なミュージシャン達に対して非常に心苦しいのではあるが、
悪いことにこの日は昼間に音楽学校でのクリニックも入れてしまっている。
電光掲示板に歓迎されながら、結局現場に着いたのはクリニック開始時刻の15分前。
満席の生徒達の目の前でセッティングをしてそのままクリニックライブ。
元々はワシではなく大高さんと納さんをメインにいろいろ語ってもらおうと思ってたのだが、
いかんせんしょっぱなに中国語で喋ってしまったので当然ながら質問は全部ワシに来る・・・
ワシの中国語力なんて知れてるのだから、
会話の流れで予想されている話題とまるで違う単語をぶつけられると脳の処理能力をオーバーしてしまって何を言ってるのか全然聞き取れなくなってくる。
「それでは何か質問があればどうぞ!!」
というクリニックの場で、
「毎月いくら稼いでるんですか?」
という質問をいきなり言われても何を言ってるのかわからんぞ!!(笑)
クリニック終了後も機材を片付けながら質問攻めにあうのだが。
用意してくれてた英語の通訳は一切役に立たず、
結局はワシが納さんや大高さんの通訳にかけずり回ることとなる。
「オルガンという楽器を初めて見て感激しました。
とどのつまりシンセとの違いというのは何なんですか*」
という質問はまあよかろう。
「それでこれっていくらするんですか?」
とか、納さんのところでは
「このベースはいくらで買えるんですか?」
とか、
中国の若者よ。そんな質問ばっかりするな!!!!!
そう言えば昨日の寧夏でも若いベーシストが、
「あのベーシストのプレイには本当に感激したよ。
僕もあの五弦ベースを買うことにしよう」
と言うので、
「アホか!!あのベースを買ったからあのプレイが出来ると思うなよ!!」
と釘を刺しておいた。
帰り道、大高さんがやけにご機嫌である。
「凄いわぁ・・・
何をやっても"初めて見た"っていう反応って日本ではなかなかないもん・・・」
そうなのだ。こちらでは「オルガン」という楽器を誰も知らないのだ。
エレクトーンもあんまり普及してないので足鍵盤すら見たことがない。
張張(ジャンジャン)にアレンジを頼んだ時、
オルガンのチャンネルにはPADと同じく棒弾きの白玉が入ってたので、
「アホかオルガンっつうのはそうやって弾くんとちゃうんじゃ!!」
と説教したことがある。
何せ見たこともないんだから奏法がわかるわけがないのだ。
「ファンキーさん、ローランドに言うからふたりで全中国ツアーしよう!!」
とご機嫌な大高さん・・・
その後に「こんな国もうイヤー!!!」と言いかねないほどの仕切りと遭遇することをこの時点でまだ誰も想像だにしていない・・・
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2012年5月20日
ミャンマーでドラムをぶっ叩く!!
全世界どこに行っても初めての国ではまずドラムを叩く。
これファンキー末吉流「世界平和」である。
アメリカ、イギリス、東ドイツから始まって、
アジアは中国、韓国、北朝鮮、タイ、マレーシア、シンガポール、そして今回ミャンマーと、
ドラムを叩かなかった国を挙げる方が難しい。
音楽は国境を越えるとはよく言ったもんで、
ボーカルだと言葉の壁があるし、
楽器だとそれがないので容易に国境を越えることが出来る。
但し相手がどんなジャンルのミュージシャンかどうかは定かではないので、
とりあえずは全てのジャンルの音楽を叩けるようになっておかねばならない。
ロックにはロックの様式美があり、
JazzにはJazzの複雑な「規則」がある。
でもそれさえ熟知していればどんなところに行ってもスティックひとつ(厳密にはふたつ)さえあれば交流出来るのだ!!
というわけでさっそく
「どっかドラム叩けるとこない?」
と美冬嬢のダンナ様に言ってみる。
彼が連れて行ってくれたところはバンドの入ったホテルのバー。
バンドメンバーとは皆友達のようだ。
懐かしい・・・
北京に最初に行ってドラムを叩いたところがこんなところだった。
フィリピンバンドが演奏しているそのバンドに入って何曲かドラムを叩いた。
その時のドラマーのドミニクはまだ北京にいて、
相変わらずいろんなバーでドラムを叩いてフィリピンにいる家族に仕送りをしている。
10数年も北京にいてまだ中国語も喋れんけどね(笑)
「どんな曲を叩きたいの?」
と言われるので
「Any music OK!!」
と答えておく。
こちらのジャンルに相手を合わせてもらうようじゃなかなかこんなセッションは実現しないのだ。
どんな曲が始まるかわからんが、
とりあえず彼が
「ワン・トゥー・スリー」
とカウントを出せばそのテンポでドラムを叩けばよい。
あとは音が出た瞬間にどんなジャンルかを見極め、
「そんな感じ」で合わせてゆけばよい。
キメとかあってみんなが一斉に止まっても、
ワシだけがそれを知らないもんだから止まれなくたってくじけちゃいけない。
ハミ出したらハミ出したで逆にオカズなどで埋めてしまうのだ!!
セッションなどとどのつまり萎縮したらおしまいなのだ。
萎縮しないためにどんなジャンルにも対応する知識とテクニック、
そして「場数」が必要になるということだ。
特にアジア諸国でのセッションなんて恵まれた状況なんてアテにしてはダメである。
とにかく叩く!!そしてちゃんと終わる!!
そしたら一緒にやってるメンバーには何かが伝わるものなのだ。
それを「ミュージシャンシップ」と言う。
ワシが全世界あらゆる国で築いて来たのはその「ミュージシャンシップ」に他ならないのだ。
今までハコバンちっくに演奏していたプレイヤーの「音」が変わる。
終わった後のミュージシャン達の態度が変わる。
踊りに来てただけのミャンマー人おばちゃんの反応が変わる。
それだけでワシは満足なのよ~
映像UP出来たらUPしてみるけどネット環境悪いから無理ならまた出国してからね~
1曲目:知らない曲
2曲目:カムトゥギャザー(ビートルズ)
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2012年5月19日
ミャンマー着!!ネット接続や闇両替との戦い!!
噂通りミャンマーのネット環境はよくない。
空港でSIMを売ってたので買おうと思ったが、
どのSIMもネットにはつなげないというのであきらめた。
噂によると最近ネットにつなげるSIMが発売されたと言うが、
その値段は日本円で3万円と高く、
それでもどこも売り切れで入手困難である。
ホテルのネットは部屋にはなく、ロビーにWi-Fiが飛んでいるのだが、
その速度があまりに遅くて使えない。
現地の比較的速い速度であるというネットカフェに行って、
そのWi-Fiのパスワードを500円で買って試してみたら何とかツイキャス配信が出来た。
見てた人の書き込みによるとぶれた静止画が紙芝居のようにペラペラ変わるだけのレベルらしいが・・・
まあ週刊アスキーの担当者が見ていて
「ミャンマーからツイキャスは日本初、ひょっとしたら世界初ですよ!!」
と書き込んでたのでとりあえずよしとしよう・・・
またチャンスがあったら配信します。
(こちらにて)
さて街に繰り出す。
経済制裁を受けている国にしては物が豊かである。
北朝鮮もそうだったが、
世界中が一生懸命経済制裁をしようが中国がどんどん物を流すので意味がないのである・・・
しかしいくら警備だとは言え街中に銃を持った警備員がいるのはいかがなもんか・・・
でもスッチーさんは噂通り国民には大人気らしい・・・
(ノートブックの表紙はスッチーさん)
さて、まずは闇両替屋を探さねばならない。
ホテルや銀行ではドルやユーロしか扱っておらず、
日本円や人民元の両替は闇両替に頼るしかないのだ。
ホテルの近所のマーケットを歩いていると日本語が堪能な男の子が声をかけて来る。
彼に連れられて行ったところはマーケットの中の普通の商店。
その店が闇両替をしてくれるのであろう、
彼は流暢な日本語でレートを交渉。
Kさんは「ネットで調べたレートより安い」と言うと、
「ここはヤンゴンね!!これはヤンゴンのレートだから仕方ないね!!」
と反論。
いくつか別の闇両替屋も行ってみたがまあどこも似たようなもんだったのでとりあえず数万円ばかし両替!!
1万円が10万ミャンマーチャットで、最高紙幣は千円程度なので札束がどんと来る。
数えるのが大変である・・・
相手はその間それが偽札かどうか調べるのが大変である・・・
かくして現地の美冬嬢と合流、新店舗となる物件をチェックに来る。
彼女はKさんと一緒にミャンマーに店を出す長谷川さんの従姉妹で、
ミャンマー人に嫁いで言葉も達者な美女である。
物件は3階建てで非常に広く、
3階スペースは住居にしようとか言ってたので、
「いや、ここはライブが出来るようにしてLive Bar X.Y.Z.→Aの支店にするのじゃ!!」
と強く押す!!
八王子でライブをやったミュージシャンはバンコクの店でライブをやって、
そのままミャンマーでライブをやって、
帰りに上海に寄ってライブをやって帰ればよい。
もしよければそのまま数ヶ月居残ってくれてもよいが・・・(笑)
そのまま一行は電気街にある楽器屋に向かった。
音響設備も楽器も品揃えが豊富である。
ライブをやるからこの楽器屋に来たのかと思ったら大間違い!!
実はここは美冬嬢のダンナ様の友達で、
日本から楽器を輸入しているので多額の日本円を闇両替出来るというのだ。
開店資金として持って来た日本円を両替したら何とこのむちゃくちゃな現地紙幣の量!!
数えるのも大変である・・・
運ぶのも担いで運ぶ・・・(笑)
続く・・・
Posted by ファンキー末吉 at:22:55 | 固定リンク
なぜか(やっぱり?)ミャンマーへ・・・
本当はミャンマーに着いてから「ミャンマーなう」とか言いたかったのだが、
どうもネット事情がそんなによくないらしく、
ネットが出来る現地のSIMも入手困難だと言うし、
海外パケ放題も出来なさそうだし、
まあバンコクの空港でヒマなので先に書いておこうということである。
しかし好きやなぁアジアの共産国(笑)
いつになったら北京に帰れるのだろう・・・
Posted by ファンキー末吉 at:07:39 | 固定リンク
2012年5月18日
タイプロジェクトの思い出
タイは大好きな国のひとつである。
最初に来た時は爆風スランプのアジアツアーの時、
まあSONY所属の「おもしろ系」バンドの先駆けとしてデビューした爆風スランプを使って、
SONYが「何かもっとおもろいことは出来んか」というわけでブッキングされたツアーである。
中国のことわざで
「后上船者先上岸(後から船に乗った者は先に岸に降りる)」
というのがある。
文字通りSONYは
「こんなバンドがデビューして売れるのか?」
というところから始まって、
まずは爆風スランプで実験をしてから、
成功した部分は後の聖飢魔II、米米クラブなどに使い、
失敗した部分はそのまま爆風スランプの失敗として笑って飛ばした。
このツアーは「無理だ決定版」のプロモーションビデオを撮影するという部分で会社としては何とか元をとったが、
まあ後続のバンド達が続いてないところを見ると明らかに「失敗」である。
でもこのツアーをコーディネートした香港のSam JoeとQueenyは、
その後ワシのなくてなならないブレインとなり、
それは彼らがアミューズ香港の責任者となってその後アミューズと対立してやめた後もずーっと続いた。
(最近会ってないけど元気かな〜)
タイでの受け入れ先であるタイSONYの社長であるピーターガンは、
その後ワシのタイプロジェクトで再会し、
その後タイポップスのリミックスなどいくつか仕事をした。
SONYが、爆風スランプが捨ててしまったこのプロジェクトは、
形を変えてワシだけの人生に大きな基盤を作ってくれたのだ。
時は流れて15年、
2000年になってアミューズをやめたひとりの社長がタイでTSUTAYAを立ち上げたところからこのタイプロジェクトは始まる。
どんなサバイバルな環境でも仕事が出来るプロデューサーということでワシが選ばれた。
何度もバンコクに呼ばれ、
その度に音楽を演奏しているレストランに連れて行ってもらった。
その中で一番感激したのがここである。
アメリカ人(やったか?)ミュージシャンがタイに来て大好きになり、
現地の女性と結婚してこの店を始めたと言う。
2000人は入れるだろう巨大な店内にこれまた巨大なステージがあり、
その当時は2部構成で第一部がそのオーナーのステージだった。
今で言う「ワールドミュージック」かな、
現地の民族音楽をふんだんにつかった彼の音楽が非常に心に残った。
ワシが中国に傾倒し始めて「五星旗」を結成し、
Jazzとロックと中国民族音楽の融合を試みたように、
彼の音楽には溢れんばかりのタイへの愛情がにじみ出ていて非常に心を打った。
第二部は歌謡ショーになっていて、
特に後半の現地の民族音楽「ルークトゥン」で客席が総立ちになって踊り狂う姿には涙した。
日本人、特にワシの時代から後の人間は民族教育を受けていない。
生活は全てアメリカナイズされて聴く音楽はアメリカの音楽ばかりである。
前の嫁(中国人)が、五星旗の資料としてワシが聞いていた民族音楽を聞いて、
「これどこそこの何々よね」
と言ってたのにびっくりした。
「だって自分の国の民族音楽じゃない。日本は学校で習わないの?」
習わないわけじゃないだろうが明らかに馴染みは薄いな・・・
中国人と違ってミュージシャンであるワシでさえ日本の民族楽器である琴や三味線や尺八を演奏したことがない。
中国に行って「ドラマーです」と言うと
「そうですか。あなたの叩く日本太鼓を聞いてみたいわ」
と言われた時は絶句した。
我々日本人は自分の民族楽器さえ演奏したことがないのだ・・・
ポップスに積極的に民族楽器を取り入れようとすると
「奇をてらってる」
と感じる人がほとんどの日本と違い、
中国ロックの創始者「崔健」は、
「どうして君はロックに中国の民族楽器を多用するの?」
というワシの質問に対して不思議そうに
「どうしてったって・・・そりゃ俺は中国人なんだ当たり前だろ?」
と言い放った。
そんなこともあってワシはこのアメリカ人オーナーのステージにとても心躍った。
十数年振りにやって来たこのレストラン、
平日だと言うのに相変わらず客は満席だった。
残念ながら彼の音楽は1曲だけですぐにカラオケのステージとなってしまったが、
第二部はもう歌と踊りのミュージカルの域まで来ていてびっくりした。
今夜もまた現地の人達と行く予定である。
しこたまビール飲んでこう言おう。
こんなパフォーマンスレストランをやるなら何ぼでも力貸しまっせ!!
私をまたタイに連れてって〜!!!
Posted by ファンキー末吉 at:18:13 | 固定リンク
2012年5月16日
何故かタイ・・・
ワシは中国への渡航チケットは北京で購入している。
人民元を稼ぎに行くわけだからその費用は人民元で出すべきだというわけで北京発東京往復をブッキングするわけだが、
日本から中国に入る時には帰りのチケットのブッキングがちゃんとなされてないと入国出来ないことがあるというので大変である。
またこれが年末にパスポートを盗まれて日本に帰れなくなり、
便を変更、ということは行きの便を変更ということで、
チケット自体を一度キャンセルして取り直したりいろいろ大変である。
そんなこんなで今回の中国への渡航は北京への戻り便がうまく取れなくて上海行きということになってしまっていた。
まあ上海にはLive Bar X.Y.Z.→AのオーナーでもあるKさんの店があるので、
そこで飲み食いも出来れば自宅に泊めてもらえるので楽である。
上海に着いて、まあしこたま飲んで次の日にでも事故で有名になったあの新幹線にでも乗って北京に帰ればいいやとばかり成田に出発した。
八王子から成田までがまた大変である。
この日は中央高速が大渋滞ということで中央線と成田エキスプレスを乗り換えて成田に着いた。
予約していたデルタ航空のカウンタに行くと、
「この便がオーバーブッキングのため、
中国国際航空の便に変更して下さるお客様を募っております」
と言われた。
別にええよ、急ぐ旅やなし・・・
中国国際航空やとANAのマイレージもつくしな・・・
カウンターで待たされること少々、
中国国際空港のチケットと共にクーポン券が渡された。
「この400ドルのクーポン券は1年有効で、
次にデルタ航空をご利用になる時に提出して下さい」
ふっぎゃー!!これむっちゃええやん!!!
まあ但し旅行会社がチケットを取る時には使えずに、
必ずデルタの窓口に自分で連絡をしてチケッティングせねばならないと言う。
ええやんええやん、400ドルもくれるんやったら・・・
というわけで上機嫌で中国国際航空に搭乗し、
Kさんの店で焼酎を飲みながら考えた。
「どうせこのまま北京に帰らないかんからなあ・・・
それやったらこのクーポン使ってどっか第三国に行って、
そいで帰りの便を上海ではなく北京戻りにすればバッチシではないか・・・」
そいでもって成田空港でタイ料理を食ったのが悪かった。
「久しぶりにタイに行きたいなあ・・・」
それを聞いたKさん、
「バンコクにうちの支店がありますよ。一緒に行きますか?」
「うちの支店」と言うからには即ちLive Bar X.Y.Z.→Aの系列店というわけである。
何せKさんの店はどれも内装からメニューからとても似ているのだ。
よっしゃー!!!
というわけで翌朝いそいそと上海のデルタ航空に出向いてゆく。
クーポン券をどんと出して、
「今日か明日かバンコクに行く便はあるか?」
と聞く。
さすがは中国、お姉ちゃんの態度はすこぶる悪いが便はあるらしい。
同じ会社でも成田のお姉ちゃんとは雲泥の差である。
「便はありますよ〜1万8千元になります」
ふんぎゃー!!そんなに高いの?!!
ひょっとしたらディスカウント効かんから正規料金っつうこと?・・・
「上海ーバンコクは高いのよ。
あんたこのクーポン使うんだったら東京から、
アメリカにでもどこにでも行く時に使ったら?
どうせ1年有効期限があるんだから」
ぶっきらぼうなお姉ちゃんの言い方に思わず大きくうなずいてしまう。
とぼとぼとデルタ航空を後にしながら考える。
一度モードがタイ料理になってしまったらなかなか元に戻せないのだ・・・
「ほな僕が金出しますから一緒に行きましょうか?」
Kさんが突然天使のようなことを言い出した。
ちょうど翌日の便でバンコクに行く予定だったらしく、
ついでにワシの上海ーバンコクー北京のチケットも手配してくれたのだ。
凄いぞKさん!!
というわけでワシは今バンコクにいる。
本場のタイ料理をたらふく食って、
ホテルの部屋で仕事をする。
北京に残してあるテレビドラマの音楽やらいろいろ・・・
「ほな家で仕事してても変わらんやろ!!」
という嫁の声も聞こえてきそうだが、
これでいいのだ!!本場のタイ料理が美味いのだ!!!