
2008年9月29日
香港でリハーサル
今回のリハーサルはBeyondのドラマー(今はシンガーソングライター)のWingの
マレーシア、シンガポール、台湾を廻るアジアツアーのリハーサルである。
リハーサル場所はBeyondのホームスタジオである二楼後座。
彼らの数々の名盤を生み出した伝説のスタジオであると言えよう。
ワシは思う。
どうしてワシは爆風が売れてる時にスタジオを作ろうと思わなかったのか。
どうして日本の数ある売れてるバンドは、
その稼いだ金をバンドではなく自分のためにしか使わないのか。
Beyondも日本のレコード会社と契約した時は山中湖のスタジオとかでレコーディングしたが、
「やっぱ自分たちのスタジオがいい」ということでやっぱ古巣のこのスタジオに戻って来る。
夕方になるとわさわさと集まって来て、
結局夜までダベって夜中からレコーディングやリハーサルをやる。
こんなマンションの一室で、
どんな防音をしようとよく苦情が出ないもんである。
思えばBeyondのような形で成功したバンドは日本にはない。
中国ロックの基を築いたと言う点ではラウドネスのようなものだが、
そのポピュラリティーはサザンオールスターズを超している。
日本のロックバンドはラウドネスのコピーや
セッションでラウドネスの曲をやることはあっても、
みんなで集まってサザンの曲を演ることはない。
Beyondの曲はロックバンドだったら一度はコピーしたし、
誰もが一度は通った「道」であると共に、
その楽曲はサザンよりもお茶の間に浸透し、
今だにショッピングモールで、街角で、
酒場で演奏する生バンドの演奏で、
その楽曲を聞かない日はない。
逆に日本ではサザンの曲はあらゆる街角で耳にするのに対して、
ラウドネスの曲を耳にすることは少ないことを考えると、
このBeyondというバンドのポジションは、
世界で例のないものであると言えよう。
今回はスケジュールがどうしても合わず、
当の本人であるWingは中国大陸での仕事に忙しく、
「ま、ええよ。お前おらんでもバンドでリハやっとくから」
とバンドだけでリハーサル。
「歌がないとよくわかんないなあ・・・お前歌え!!」
その辺にたむろしている若い連中にマイクを渡す。
誰でも歌える。
中国人でロックを愛する人間ならBeyondの曲を歌えない人間などいないのである。
ジョニーBグッドで有名なロックンロールの創始者、チャックベリーは、
噂によるとアメリカの各地をひとりでギターを持って廻ると言う。
バンドは地元のバンドを使い、リハーサルなんかやらない。
いきなり本番でギターを持って現れ、いきなりイントロを弾き出して歌う。
バンドがついて来れないようだったら
「お前ら、俺の曲も弾けないのか?」
でおしまいである。
「それでよくロックが出来るよなあ」
ということなのである。
ある意味、このWingも彼のオリジナルをやらず、
Beyondの曲だけを歌うならこういうことも不可能ではない。
いきなりステージに上がってイントロを弾き始めれば、
中国人ミュージシャンならばBeyondの曲を弾けないミュージシャンなどいないからである。
黄家駒が残した数々の名曲を、
それが生まれたこのスタジオで叩くとき、
えも言えぬ感情が沸き起こって来る。
彼が日本でワシのセッションを見に来て、
「凄いよ。毎月やってんのか?来月も絶対見に来る」
と言って、それが彼の最期の言葉となった。
ライブでドラムを叩く時、
いつも天国であいつが見ているような気がする。
時々降りてくる「神」は実はあいつなのかも知れない。
事実あいつは死んで「神」となった。
ワシはあいつが残した偉業を歌い継いでゆく。
(ドラムしか叩けんが・・・)
今日も天国であいつがそんなワシをほほえましく見ているような気がする。
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2008年9月27日
全中国ドラムクリニックツアーその10、河南省「濮陽」
おもしろおかしかった平頂山を後にして、
一同また車に乗って次の街へ向かう。
一同と言ったのは、車は平頂山パール倶楽部の王先生が用意して、
彼も一緒に次の街まで我々を送りに来たのである。
濮陽・・・どこにあるのかわからんばかりか・・・読めん・・・
どうやらPuYangと読むらしい。
車を走らせること3時間。やっとその街に着いた。
・・・更に田舎である・・・
出迎えたのは政府高官達。
今までと全然勝手が違う。
どうもここのパール倶楽部は、
今までのようにミュージシャン崩れが運営しているのではなく、
地元の歌舞団に属する政府の組織が運営しているらしい。
早く会場でドラムのチューニングをしたいと言うワシの願いは却下され、
そのまま政府高官達と昼食に行くこととなる。
黄河のなまず料理。
「頭を食べる時はこう食べてそれにはこんな意味があって、
腹を食べる時はこう食べてそれにはこんな意味があって・・・」
延々と説明を聞かされるので食った気がしない。
また話題が全然合わない。
部屋を借りたらいきなりその大家が帰って来た話や、
嫁が貧民街に嫁いで来た話や、
ましてや香港でウンコもらした話なんぞは政府高官の前ではご法度である。
またこの人たちは日本からのお客さんだから一生懸命日本の話をしたがる。
政治のこと、経済のこと・・・
どれもワシの苦手なことばっかである。
困った歌舞団の団長は日本の文化に話を振る。
「日本の舞踏を一度テレビで見ましたが、こうやって踊るんですか?」
知らん!
ワシらの世代の日本人は、
アメリカの服を着て、アメリカの音楽を聞き、
生活をアメリカのようにすることしか考えてなかった。
日本の若者は日本の伝統文化に興味がない。
邦楽をダサいと思い、
日本舞踏たるやワシ同様全然知識がない。
この話題もダメかと思った政府高官はオリンピックに話を振る。
「オリンピックの開幕式はどちらで見られましたか」
もちろん
「いやー日本で見たけど、
あんな金あるんだったらもっと四川省復旧に使えよな。
交通は規制して住みにくくなるし、
ミュージシャンは仕事なくなって干上がってるし、
あんなのクソッタレだよ」
なんてことは口が裂けても言えない。
「いやー素晴らしかったです。中国の発展を心からお祈りいたします」
いやーほんと疲れる。
一言で言い表すと、「ワシはあんた達と住んでる世界が違う」ということである。
そんな政府主催のドラムクリニック(これ自体がもうどっかおかしい)、
国の機関のひとつである「中原文化宮」で行われた。
ここは地元の共産党の会議などを行うところである。
アカンじゃろ・・・
まあでもどんなところであれやることは同じである。
ドラムを叩く。
それだけである。
また田舎なのでクソガキ、いやお子さんたちが元気がいい。
観客も
「このチャンスを逃したら次にこの人がここに来ることはない」
と思っているので「もう一曲!もう一曲!」と非常に熱烈である。
久し振りにXYZのWingsもやった。
10分を超すこの曲を客は非常に熱心に聞く。
そして後半のツーバスになった時に客は拍手を送る。
・・・まるでカラオケで1番を歌い終わった時に送るような拍手を・・・
まあいい。
ロックをどのように聞こうがそれは聞き手の自由である。
ツーバスで頭を振ろうが、
50過ぎのオッサンがしんどそうに叩いているのに感心して拍手をしようが、
それは全て聞き手の自由なのである。
大事なのはワシ自身が常にロックの気持ちを持ち続けているかどうかである。
演目が全て終わり、
政府高官はまたワシをもてなすべく宴を用意する。
もう勘弁してくれー・・・
しかし主役が参加しないわけにはいかない。
こんな時ってワシ・・・酒がまずくて喉を通らないのよね・・・
そんな中、ドラムの片づけを終えた若い衆が帰って来た。
連れの彼女はかなりのべっぴんさん(死語)である。
「こいつは無口だからなあ・・・」
政府高官はそう言って彼を紹介するが、
話がロックや音楽生活に及ぶと喋る喋る・・・
最後には彼のドラム演奏を携帯で撮影したものまで見せてくるから恐れ入る。
彼女も一生懸命彼に喋らそうとするし、
何かワシから話が聞けて彼のためになればと一生懸命である。
・・・いいカップルじゃないの・・・
普通なら美女を連れた若いミュージシャンは徹底的に苛めてやるのに、
今日はこのふたりのことを非常に好きになった。
聞けば彼も同様に北京に出て行って頑張ったけど、
帰って来て今は歌舞団でドラムの仕事をしているらしい。
「ロックとは縁遠いと思っても心がロックだったらそれでいいんだよ」
ワシは一生懸命彼を、そして彼を応援している彼女をも激励した。
こんな田舎でいたって幸せはきっとある。
幸福在哪里?(幸せはどこにある?)
幸福在这里!(幸せはここにある)
なのである。
彼ならきっと今日ワシが演奏したWingsの歌の内容を理解出来たと思う。
友達が出来た。
こんなところにでも友達がいる。
ワシはなんて幸せな人間なんだろう・・・
平頂山の王さんも
「君と別れるのは辛いよう、もっと一緒にいたいよう」
と言いながら帰って行った。
移動はとてつもなくしんどかったけど、
今回はいっぱい友達が出来て幸せな旅立った。
翌日の帰りは長距離バスである。
平頂山の友人たちの言うには、
平頂山から北京まではバスで8時間なので、
まあ5時間もあれば着くんではないか、と。
政府高官達はこの日も宴を用意していて、
夜のバスで帰ればよいと言うのを、
ワシはありがたく固辞して「朝一番で帰る」と言い張った。
実はその後に行く予定だった淄博(何と読むのかわからん)と青島は、
会場の都合で日程が来月に変更となり、
やっと今日帰れるのである。
もう一日などワシの肝臓がもう持たん・・・
政府高官を振り切ってやっとバスに乗り込む。
幸いなことに寝台バスである。
自由席なので一番乗りして一番前の上段を陣取る。
このまま寝て5時間なら悪い旅ではない。
「悪い知らせがあるんだ・・・」
酒飲みイスラム族がワシに小声でそう言う。
「どうしたの?」
「このバス・・・北京まで9時間かかるんだって・・・」
寝返りも打てない狭いベッドに缶詰めになって、
結局9時間半かかってやっと北京に着いた。
しんどいよう・・・
明日は香港に行ってWingのコンサートリハである。
ファンキー末吉ひとりドラムツアーの軌跡(こちら)
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全中国ドラムクリニックツアーその9、河南省「平頂山」
移動日なく3日間連続のドラムクリニック(パール工場でのプレイも含む)であったが、
今日はさすがに移動日。
浙江省から河南省までの移動はさすがに飛行機。
飛行機で2時間かけて移動したら日本では端から端まで行けるが、
中国では地図上のほんの一部分の移動でしかない。
浙江省の省都杭州から、まず河南省の省都鄭州まで飛ぶ。
そして目指す平頂山はここから更に車で2時間以上走る。
「中原」
古代の人はこの辺りをこう呼んだ。
戦国時代には「中原を制する者が中国を制する」と言われてたほどの拠点。
洛陽の街を西に望み、中原の中心地に属するこの平頂山と言う街。
・・・はっきり言って田舎である・・・
田舎だからやはり人間が素朴でよい。
(平頂山パール倶楽部の面々)
両脇のスタッフのお姉ちゃんはおいといて、
ワシの右手にいるのがオーナーの王先生、
そして酒飲みイスラム族の左にいるのが貴州から来た先生。
飲みながら貴州での思い出なんかを話す。
無性に懐かしい。
ワシ・・・全国各地に友達がいるような気分である。
またここは北京を含む「北方(BeiFang)」に属するので、
ワシにとっては非常に馴染みやすい。
北京の若い衆と飲むのとほぼ同じような感覚で飲める。
まずお決まりの地ビール。
そして黄河の魚料理。
楽しい仲間とおいしい料理と酒。
これで話が弾まないわけはない。
いつものアホな話で大盛り上がりのワシら。
しかし実はその中にひとり新聞記者がいた。
そして翌々日の新聞にはその日のアホ話が記事となるのである。
さてその話はおいといて、翌日。
朝も早うから叩き起こされる。
ここの名物である「胡辣湯(フーラータン)」を食べに行こうと言うのだ。
酒飲みイスラム族曰く、
ここの「胡辣湯(フーラータン)」はとにかく酔っ払って食べるのが旨い!
べろんべろんに酔っ払って最後にこれを食うと言うのである。
しかし「胡辣湯(フーラータン)」はもともと朝食のメニューで、
それをするためにはどうしても朝までべろんべろんに飲んで、
朝6時に開いた朝食の店で食うしかない。
挑戦しようとしたが、やはり旅から旅で疲れている。
じゃあ今日は寝なさい、明日朝食べに行きましょうと相成ったのである。
小汚い店には朝からもう行列が出来ている。
高級な店ほど不味く、こんな店の料理ほど旨いというのが中国である。
そしてこれが名物「胡辣湯(フーラータン)」。
言わば日本でも流行った「酸辣湯(スワンーラータン)」のようなものである。
別売りの揚げ餅と一緒に食うが、
これが非常に腹もちがよく、一日じゅう満腹状態だった。
そしてこの日は一日中身体がこの「胡辣湯(フーラータン)」の匂いだった。
食ってばかりもいられない。
ドラムクリニックの始まりである。
オープニングアクトは地元の子供バンド。
ご立派に客を煽ったりする。
頑張れ子供たち、日本の「子供バンド(もう誰も知らん?)」を超えるのじゃ!!
そして途中では地元のバンドとセッション。
彼らが選んだ曲は何と布衣(BuYi)の曲。
寧夏の田舎から出て来たアンダーグランドバンドが、
今ではいっちょまえにコピーされる側になってるのか・・・
なんやかんやでクリニックも終わり、
その後バーに行って更にドラムを叩いたり、
楽しい一日はあっと言う間に過ぎた。
次の日はまた移動日で次の街に行く予定だったのじゃが、
みんなが「是非もう一日残ってくれ」と言うので、
さすがの酒飲みイスラム族も根負けして翌々日の当日移動ということに変更した。
そしてその日はどうしたのかと言うと、
また延々1時間以上車に乗せられて着いたところが温泉地。
見よ!この巨大な露天風呂!!
プールじゃないのよ、これ全部温泉なのよ。
こんなでかい露天風呂初めて見た。
しばしの骨休めであったのじゃ。
そしてここで新聞に載っていた自分の記事を発見。
ここにはワシの略歴と共に、
あの日に話したアホ話が包み隠さず書かれている。
まず、
「Funky末吉、背はあまり高くなく、デブである」
きー!!
お前らがよってたかってワシに旨いもん食わせてデブにしたんじゃろー!!!
そして記事は続く。
部屋を借りたらいきなりその大家が帰って来た話、
嫁が貧民街に嫁いで来た話、
せめてもの救いは香港でウンコもらした話をこの時しなかったことである。
これらの話は酒飲み話であって新聞で紹介する話ではなかろう!!
平頂山でのワシの伝説はこうして語り継がれてゆくのである・・・
ファンキー末吉ひとりドラムツアーの軌跡(こちら)
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全中国ドラムクリニックツアーその8、浙江省「杭州」
そのまま朝いちのバスに乗って寧波を後にして杭州まで帰って来た。
杭州パール倶楽部の黄先生は少年のような人である。
先々日のパール工場でのワシのドラミングを少年のような瞳で見ていた。
そんな人がやっているドラム教室なんだから内容もハンパじゃない。
この娘が演奏している曲はGuns'n Rosesの曲。
しかもそれをニコニコ笑いながら叩いているのである。
ワシが初めて中国に来た時、
今ではビッグになってしまった中国ロッカー達は命がけでロックをやっていた。
常に何か大きなものを背負ってロックをやっていた。
当然ながら笑いながらドラムを叩くヤツなどいない。
ガンズの曲なんてもちろんご法度である。
それこそ政府の指定する精神汚染音楽のド真ん中である。
これをやるならドラマーはそれこそ命を捨てる覚悟で叩いてた。
それが今ではそれを少女がニコニコ笑いながら演奏している。
時代は変わったのである!!
今では少女が笑いながらロックを叩ける時代になったのである!!
そして本番ではこんなちっちゃな女の子がドリームシアターをぶっ叩く。
どうも課題曲がドリームシアターであるらしい・・・
時代は変わった。
いや時代は必ず変わる。
そんなもんである。
だから北朝鮮にもきっとこんな日が来る。
そんなもんなのである。
ビールが旨い!!
地ビールだけではない。
ここは紹興酒の原産地である紹興のすぐ近くである。
紹興酒に代表される老酒も有名である。
酔いつぶれてこの地を後にする。
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全中国ドラムクリニックツアーその7、浙江省「寧波」
パール工場のある杭州から朝一番のバスに乗り、
我々は寧波に向かった。
バスの中はすし詰め。
真後ろの席は香港からわざわざやって来たSabianアジア地区総責任者のジョナサン。
彼はいい!
隣が美女である。
ワシは相変わらずの酒飲みイスラム族のオッサンと肩を並べて数時間バスに揺られる。
着いた。
暑い!!!
海沿いの町なので湿気も多いし、むっとする暑さである。
クリニックは夜からなので、昼飯時にお決まりの地ビールを頂く。
世界広しと言えど、ワシほど中国の地ビールに詳しいミュージシャンはいない(断言!!)
ここでいつものように地元のパール倶楽部の人と交流。
ほとんどの人はミュージシャン目指して北京に来て、
そして夢破れて田舎に帰り、
パール倶楽部というドラム教室をやっている。
ここの馬先生もそうなのじゃが、
その人の言った何気ない一言にワシはカチンと来た。
「だってドラム叩いたっていくらも金にならないでしょ」
ビールがいきなりまずくなってムッとするワシに更に続けてこう言う。
「要はファンキーさんがいくら稼いでますかって話ですよ」
またワシのその日の服装がよくない。
墨田区のサウナの景品でもらったアサヒビールのTシャツ。
またこれが自慢じゃないが安っぽい。
それをちらっと一瞥するように見てから言うもんだからよけいに頭にきた。
すんでのところで
「こんな格好しててもなぁ!ワシはなぁ!・・・」
と言いそうになって、
その言葉をビールと共に飲み込む。
一事が万事で、
イヤだと思うと坊主の袈裟まで憎くなって来る。
クリニックの流れ、最後のサイン会の段取り等を話している時も、
酒飲みイスラム族が
「100枚ポスター送ってあるだろ、並んでそれにサインするんだ」
と言うと、
「ポスター?売るか?」
と来る。
ワシはブチ切れそうになったがビールと共にそれを飲み込む。
貴州省貴陽に行った時、
地元のライブハウスの人は
「あいつなんか子供騙して商売してんじゃないか!」
とパール倶楽部のことを悪く言った。
でも実際に行ってみると、
そこには音楽好きの、ドラム好きの素朴なおっさんがいた。
彼が子供を騙して商売にしてるなら、
そのライブハウスのおっさんは酔いどれ騙して商売にしている。
同じようなもんなんじゃないの?
しかしここ寧波の馬先生に面と向かってそう言われると、
まるでワシは本当に子供を騙して商売している片棒を担いでいるようで悲しくなってしまう。
ホテルでしばし休んで会場入り。
腹が立っているので写真は撮ってない。
暑いのでいらいらも増す。
大学生のJazzバンドとセッションと言うので楽しみにしてたら、
JazzのJの字も知らない連中でよけいイライラする。
オープニングアクトに地元のフィリピンバンドが演奏すると言うのが
意味がわからなくてイライラする。
気づいたらそのフィリピン人ドラマーがワシのスティックを勝手に使っているのを見てイライラする。
「Jazzバンドはフィリピン人の機材を使うので、
フィリピン人が終わったら機材をすぐ持って帰ると言うので
セッションは一番最初にしましょう」
ずっとワシらの世話をしてくれてる若い衆がそう言うのにまた切れて、
「あのなあ、何がセッションじゃ!
そのレベルにも至ってないじゃないの!
そんなのを一番最初にやって客を失望させてどうすんの!
最初はちゃんとしたワシのプログラムやって、
途中でそれを入れるしかないでしょ!!
フィリピン人には2曲だけ待ってもらえ!!」
こうしてドタバタの中でワシのステージが始まったのじゃが、
考えてみたらワシも非常に大人げない。
何か悲しくなって音楽に没頭した。
持って来た伴奏はイヤホンで聞いているので、
馬先生だの観客だの関係ない。
完全に音楽に入り込んでしまうと、
神様が降りて来てワシにこう問う。
「そんなこと考えてておまえは幸せか?
馬先生がお前に何か迷惑をかけたか?
セッションバンドのレベルが低いののどこが悪い?
フィリピンバンドがスティック使って何が悪い?
それが今日一日を棒に振るほど大事なことかい?
そうなのである。
そんな小さなことに捕らわれてて、
結局今日半日は面白くない日で終わっている。
それで今日の演奏までよくない演奏だったらもうどうしようもない。
もともとそうである。
ドラムを叩くということと、世間とは何も関係ないのである。
世間はいつだって世知辛いけど、
ドラムを叩くこととそれは関係ない。
今日はいいドラムが叩けた、それだけがワシにとって大事なことで、
その他のことで腹を立てたり悲しんだりする必要はワシにはないのである。
気を取り直してドラムに身を入れた。
何か今日は一番いいドラムが叩けた気がする。
すがすがしい気持ちで打ち上げに参加した。
セッションバンドのピアノの娘は
ワシらを世話してくれた若い衆の彼女だった。
面と向かって彼女の悪口を言われながら、
彼はそれでも一生懸命ワシらの世話をしてくれた。
あやまる気持ちをイッキで返させてもらった。
テーブルには名物が並ぶ。
一番すごかったのが寧波の名物で、
「寧波三臭」
みっつの臭い物という意味で、
ひとつは「臭豆腐」。
納豆が大豆を発酵させたものであるように、
臭豆腐は豆腐を発酵させたものである。
これは北京でも食べたことがある。
揚げたやつがポピュラーじゃが、
生の臭豆腐はそれはそれは臭い。
食卓に出て来た時にあまりの臭さに箸をつけられなかったが、
一緒にいた日本人留学生が勇気を出して食べてみた。
「どんな味なん?・・・」
興味津津のみんな・・・
「何かうんこ食べてるみたい・・・」
お前うんこ食うたことあるんかい!!!
と言うわけで食べなかったワシにはその味のほどは不明じゃが、
今回出て来た臭豆腐以外のふたつのものは、
そんなに想像してたよりも臭くない。
左側は冬瓜、右側がシナチクである。
匂ってみてもそんなに臭くないのでパクっと一気に食ってみたら・・・
あまりに臭くて涙が出た。
匂っても臭くないが食べたらとてつもなく臭いのである。
ギブアップ!!
一緒に臭い物食った仲である。
もう地元の人とも和気あいあい。
イヤなことは全部酒に流して忘れてもらおう。
これでみんなもう「臭い仲」
これでいいのだ。
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2008年9月22日
全中国ドラムクリニックツアー番外編:杭州パール中国工場
「全中国を廻っているので、当然ながらこの辺にも来るだろう」
とパール工場の日本人スタッフは手ぐすね引いて待っていたと言う。
私としても
「是非とも工場で全工員の前でドラムをぶっ叩きたい」
とパール本社には申し出ていた。
まだパール本社に工場があった頃、
我々モニター達は「パール詣」と称してしょっちゅう工場に遊びに行き、
工場を見学し、新製品をテストしたりもらって帰ったりしていた。
千葉の町工場から出発したパール楽器は、
今では世界の大ブランドまでに成長し、
工場も台湾、そして最近ここ中国の杭州にも作り、
今では日本の工場はなくなってしまった。
工場の担当者はいつも自信たっぷりに自社製品を自慢していた。
パールとワシとのルーツはここにある。
だからワシは是非この中国工場でドラムを叩いて、
「お前らの作っているのはこの音なんだ」
ということを声を大にして言いたい。
あれも言おう、これも言おうと考えながら夜汽車にゆられること13時間、
気持ちよく酔いつぶれているうちに杭州に着いた。
暑い・・・
もうてっきり涼しくなった北京とは全然違う。
これが「南方(NanFang)」と言うのだ・・・
外国企業を受け入れる工場地区に入ると、
そこはもう外国。
「パスポートが必要ですよ」
と日本人スタッフが冗談を飛ばす。
パール楽器杭州工場に着いてびっくりした。
広さが半端じゃないのである。
日本の工場のゆうに20倍はある。
女工さんが流れ作業で作業をしている。
「女工さん」というイメージとは程遠い、
そのまま制服を脱いでディスコに行ったらナンパしてしまいそうな
そんなかわいこちゃんばかりである。
ひと通り工場を見学した後、
「そうだ!今日のステージ衣装はこれじゃ!!」
とばかり、ここの制服に着替えさせて頂いた。
15時の休憩のベルが鳴る。
女工さん達が黄色い声を上げてドラムの周りに集まって来る。
もちろん男性の工員も多い。
みんなおしなべ非常に若い。
ドラムをぶっ叩く。
君たちが作っているのはこの「音」なんだよ。
ベルトコンベアーに運ばれて来たどんな小さな部品も、
ひとつでもいい加減に作ってたらこの「音」は出ない。
この工場から1日100セット以上のドラムが世界中に輸出される。
そしてどれもが世界の「音楽」を作ってゆく。
このVisionシリーズはね。
初めてこの工場から中国国内に流通するドラムなんだ。
君たちの作った「音」が君たちの愛する中国の「音楽」を作るんだよ。
俺は中国の音楽を愛する全ての人に代わって、
あなたたちにお礼を言いたい。
いつも最高の仕事をありがとう!!
伝わったのか伝わってないのか、
女工さん達はドラムを聞き終わって、
またにこにこしながら持ち場に帰って行った。
そのうち誰かはきっと、
自分の好きな歌手の歌を聞きながら、
今まで注意してなかったドラムの音を聞くだろう。
そうなのか、僕が、私が毎日作っていたのはこれなんだ、
と思ったりするじゃろう。
これでいいのだ!
幸せはどこにある?
幸せはここにある!
のである。
ファンキー末吉ひとりドラムツアーの軌跡(こちら)
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2008年9月18日
成田は遠いなあ・・・
北京行き始発の飛行機に乗るためには、
八王子スタジオに4時半にタクシーを呼び、
中央線の始発に乗り新宿で乗り換え。
また成田エキスプレスの乗り場が遠くて、
それに乗るためには重い荷物を持って走るハメになる。
今回は車で行って、
そのまま2週間駐車場で預かってもらうことにした。
5千円ぐらいなら、ひょっとしたらその方が安いかも知れん。
朝5時に出発して高速を延々走る。
その距離ゆうに100kmを超えている。
四国の間隔で言ったら高知から香川県まで行ける。
ワシは飛行機乗るために毎回四国縦断しとったんかい!!
北京について荷造りして、
19時の列車で杭州に向かう。
2週間足らずの大ツアーである。
はてさてどんなことになりますやら。
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2008年9月17日
眠れん・・・
徹夜で音楽作るとよくなるのよ・・・
譜面もある程度仕上げて
後はゆっくり直しをすればよいという状態で、
ほな風呂でも入ってゆっくり寝るべいと、
八王子の「湯ったり館」というところに行ってゆったりしたが、
これがよけいすっきりして眠れん・・・
アルコールもそうじゃが、
風呂もアッパーとダウナーと両方あり、
ある時はこてんと行くが
ある時は逆に元気になってしまう。
こんな時に酒を飲んだらまた朝まで飲んでしまい、
出発予定時刻の朝5時ぐらいに酔いつぶれてしまうので危険である。
今日は酒を飲まず、
テレビでも見てごろんとしてたら寝てしまうだろうと、
テレビを見てたらこれが独裁者なんたらっつうのが面白い!
番組終わったら更に目がさえてしまったので酒を買いに出たところ、
二井原から電話があった。
「ほなうちで一杯やりまっか」
これがあかん!!
あわや朝までになりそうなのでお引き取り頂いてもう寝る。
(努力をしてみる)
数時間後には成田から北京、
そしてそのまま夜汽車で全中国ドラムクリニックツアー・・・
Posted by ファンキー末吉 at:23:56 | 固定リンク
お恥ずかしいものをお見せしてしまった・・・
「お前これ見てちとチェックしとけぃ!!」
と中国の若い衆に譜面チェックを頼んだら、
「ファンキーさん、これ全部C譜で書いてますよ。使えません!」
わっちゃぁ・・・バレてしまったかぁ。
実は管楽器というのは同じ「ド」の音を吹いていても、
例えばクラリネットはBbの音だったり、
アルトサックスはEbの音だったり、
それらをそれぞれBb管、Eb管と呼んだりするのじゃが、
クラシックばりばりの人は、
譜面のある段はBbで呼んだり
ある段はEbで呼んだり、
ワシなんか頭がウニになってしまうのでソフトで強引に全部Cにしてしまい、
最終的にまたそれぞれのキーに戻すのじゃ。
すなわち「ズル」をしているわけじゃ。
それでもズルしてもズルしても終わらない。
高知龍馬空港でイヤホンつけてやり、
飛行機が離陸したら機内でやり、
羽田から八王子までのバス内でまだやり、
それでもやっとCメロまで出来たぐらいである。
まだ5人のパーカッションは手つかずじゃが、
とりあえずこの状態で学校側に見せてみようと思う。
でもこんな勧進帳のような譜面、見てわかる人おるんやろか・・・
忘れんようにBbやらEbやらのキーに戻しとかにゃぁ・・・
以前の譜面は証拠抹殺のため消滅!!
Posted by ファンキー末吉 at:14:54 | 固定リンク
やっぱ出来んかったぁ!!!
やるんじゃなかったと後悔しながら
不眠不休で朝までずーっとやってたけど、
とどのつまりがやっとBメロまで。
「ここまで出来た」と言うべきか
「ここまでしか出来てない」と言うべきか。
にUPしたので、譜面の分かる人おったら手伝うてくれぇ!!
何せ楽器なしでやるっつうのは目隠しして将棋打ってるみたいなもんやから、
音が多いとだんだんわからんなってくるんよな・・・
おまけにEupやら馴染みのない楽器もあるし・・・
時間切れなんですわ。
今から子供に朝ごはん作らなあかん・・・
そのまま東京飛んで明日には全中国クリニックツアーやし・・・
あー・・・こんなこと言い出さんかったらよかった・・・
言うは易し、成すは難し。
理想は高く、現実の壁はもっと高いのよなぁ・・・
誰か続きやってfunky@funkycorp.jpまで送ってくれぇ!!
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2008年9月16日
ロック魂Tシャツの波紋は続く・・・
服装に無頓着なワシは、
ひとつの服が臭くなるともうひとつの服を着て
その服を洗ってるうちに着ている服が臭くなると
またその洗った服を着て・・・
というローテーションが常である。
ゆえに先日のロックTシャツはまさに今日着るべき服なのであった。
さてそんな今日この頃なのであるが、
実は子供たちを来月から八王子で育てようと、
高知の学校に転出の書類をもらいに行こうとしたその時、
お袋が血相変えて
「あんたぁ!!まさかそんな服で学校行くんかね!!」
別に冠婚葬祭やあるまいし、学校行くのに普段着ではいかんかね・・・
普段着は普段着でも、
お袋はどうしてもワシに襟付きのちゃんとした服を着させたいらしい。
自慢ではないがワシ、
服には無頓着なくせに、人が着ろと言う服には拒絶反応が強い。
おかげで襟付きの服なんぞ着たことがないのでよけいに拒絶感が強い。
またお袋はそういうワシに拒絶感が強いと来たもんだからキーキー言う。
それぐらいのことでケンカするのも大人げないのじゃが、
ワシは法事で襟付きの服を着てやったことだけでも感謝されたいと思っているほどなので、
ここにふたりの感情は平行線どころか異次元のところに行ってしまっていて、
この言い争い、どうにも決着がつくことは難しい。
「あんたじゃなく恵理が笑われるんやから!!」
と娘の名前を出してまでワシを思いとどまらせようとする母・・・
「この黒いTシャツを着ることはそこまで罪悪なのか」とあくまで疑問なワシ・・・
ワシは考える。
もしワシがとび職だったら、
鳶職人の服を着て学校に行くことはそんなに恥ずかしいことなのか。
ラーメン屋の店主だったら
エプロンかけて学校行くことはそんなに恥ずかしいことなのか。
工務店の社長さんだったら、
よく見る工務店っぽい服で学校に来ているし、
代議士だったらきっと金バッチつけて学校来るぞ!!
ロックミュージシャンが黒いTシャツで学校行って何が悪い!!
もしワシの身体がピアスと刺青だらけで、
同じTシャツでも「Fuck You」とか書かれたものだったらさすがワシでも考えるが、
「ロック魂」のどこがアカンの?!!!
まあ敢えて言えばちょっと貧乏臭いだけである。
でも更に言わせてもらえば、
じゃあ貧乏のどこがアカンの?!!!
結局ワシには、着なれたこの服を着てはいけない理由が見つからないのである。
納得できないものには屈することは出来ない!!
それが「ロック道ではないのかい!!」
・・・と言いつつも、
家を飛び出して学校に着く頃には少々弱気である・・・
息子の小学校が終わり、娘の中学校。
中学生の女の子と言えば一番多感な時期である。
許せ!父はロックに生きる者なのじゃ!
もしお前も星雲高校に入学することがあったら、
入学面談の時に胸を張ってこう言うのじゃ。
「うちの父ちゃんは日本一の日雇いミュージシャンです」
しかしよくよく思い起こしてみると、
別にこのTシャツにそれほど愛着があるわけでもない。
何のことはない、
実のところ着替えるのがめんどくさかっただけなのである。
そんなアホ親父の前で先生がしきりに娘のことを誉めてくれていた。
まあこんな時に人の子をけなす先生もおらんじゃろうが、
この先生が娘に対する愛情がひしひしと伝わって来る。
そう言えば娘の転校日を来月に延ばしたのも、この先生が
「来月文化祭があるので、転校はそれまで延ばすことは出来ませんか」
とおっしゃったからである。
先生と話している時に吹奏楽部の練習が聞こえていた。
そう言えば前回この中学校で講演をさせて頂いた時、
(我ながらいろんなことやっとるなあ・・・)
記念に吹奏楽部に何かお役に立つことをやってあげようと思ってたなあ・・・
娘がいるうちに吹奏楽部に何か残してあげられればよかったなぁ・・・
文化祭の練習でもしてるのだろうか、
思ってみれば、娘にとっては文化祭の日が最後の登校日、
この吹奏楽部の演奏を聞くのもその日が最後なんだ・・・
親バカとしてはちらっとこんなことも頭をよぎる。
「吹奏楽部がうちの娘のために何か演奏してくれんかのう・・・」
しかしそれはいくらなんでも吹奏楽部を私物化し過ぎている。
これでは背中の「ロック魂」に笑われる。
それにスケジュールを聞いたら吹奏楽部は非常に忙しい。
月末には体育祭がありその練習に忙しく、
終わったらすぐに吹奏楽のコンテストがあり、
それが終わってすぐ文化祭である。
そうじゃ!
考え方が逆なんじゃ!
娘のために何かするんじゃなくて、
「娘が世話になった学校やみなさんのために何か出来んか」
と考えるべきではないのか!!
コンテストにも出ると言うので出来れば優勝させてあげたい。
ありものの譜面ばかりで出場している他校と比べて、
書き下ろしの譜面だと点数も稼げるのではないか。
楽曲はオリジナルでもいいが、
出来れば有名な曲、
出来れば爆風の曲でワシが書いた曲が望ましい。
Runnerはベストじゃが、
転調が多く、難易度が高い。
もっと簡単で意味がある曲はないものか・・・
いい曲があるではないか!!
「転校生は宇宙人」
そうだ!
この曲は娘がこの学校に残して行くのだ。
入学して半年で消えてゆく、
父親がちょっと地球人離れした女の子そのものの物語じゃないか!!
吹奏楽部だから詞は伝わらない。
でもアレンジでワシや娘の気持ちは伝わるのではないか・・・
それが音楽っつうもんではないか・・・
啖呵を切って学校を後にした。
大喜びでワシの申し出を受けてくれた校長はじめ、全ての先生方の期待を
背中の「ロック魂」が背負っていた。
帰ってすぐにザビエル大村の妻(生粋の爆風ファン)から楽曲を送ってもらった。
Bメロはほとんど忘れていたが、だいたい頭に叩き込んで銭湯へ。
そうそう、ワシ・・・よく風呂に入って物考えるのよね・・・
うちの実家の風呂、今壊れてるし・・・
そして譜面ソフトを立ち上げ、いざ入力開始!!
そうそう、ワシ・・・別に楽器がなくても譜面書けるのよね・・・
でも周りに音楽がなってると出来ないので娘の見てるテレビを無理やり消しちゃうのよね・・・
・・・本末転倒・・・
そして楽器構成を把握して譜面の枠組みだけをやっと作って唖然とした・・・
何と久々の20段譜面・・・
ワシ・・・かなり後悔・・・
でも今さら後には引けない。
今晩とりあえず徹夜してみる・・・
ロック魂Tシャツはそんなワシを嘲り笑うように
洗濯機の中で回っていた・・・
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法事である
父の一周忌のため一時帰国。
葬式ではちゃんと喪服(服道楽だった親父のを拝借)で正装したが、
前回の四十九日では喪主が普段着だったのでえらい騒ぎになり、
結局果物を配達してもらった幼馴染の果物屋に
「ついでに何かお前の黒い服も配達せえ!」
と言って事なきを得た。
人間とは学習する動物なので、
今回は北京からちゃんと黒いTシャツでやって来た。
ズボンもちゃんと黒いジャージである。
上下黒なら何にも問題はあるまいと思ってたら嫁が、
「そんな服で行く気なの!!すぐに着替えなさい!!キーッ!!」
アカンかなあ・・・
ちゃんと黒いTシャツで文字も白やからええと思たんやけど・・・
嫁に耳をひっぱられて黒い服を買いに行き、
どったんばったんでやっとお寺に着いた。
親戚一同は高知からマイクロバスで乗り付けている。
どうしてマイクロバスかと言うとこう言ういきさつがある。
高知の親戚代表の明子おばちゃん。
名前の通りとても明るいおばちゃんである。
「明日のお祭りのことやけんどねえ・・・」
高知ではどうも「一周忌」のことを「お祭り」と言うらしい。
「あんたぁ、どうするが?高知から親戚がこじゃんと行くがやけんど、
どうせやったらマイクロバスでも借りるかえ?」
「こじゃんと」とは「たくさん」という意味である。
このおばちゃん、東京から来たスタッフにカツオのタタキをふるまった際、
結局一言も喋っていることが理解されなかったという武勇伝を持つ。
「うちの知り合いが安っすう貸してくれる言ゆうけんど、
どうする?おまんが全部払うかよ?」
まあつまり親戚の分のマイクロバス代はワシが出せぇと、
それが高知のしきたりやと。
まあよかろう。
「坂出の親戚からぎっちぃ電話かかってきゆうでぇ。
そっちにも電話しちゃりぃやぁ」
かけてみると、
「覚くん、坂出のやり方ではな、
来た人に何かおみやげ包まないかんきんな、
とりあえず人数分そうめん注文しといたきんな」
主催地の坂出のしきたりで言うとそれもワシ持ちである、と。
ま、それもいいでしょ。
かくして「お祭り」が始まる。
葬式の時はさすがに神妙であったが、
人が死んで一年にもなるとさすがにそうは神妙ではない。
にこやかに、そして騒がしく雑談に花が咲く。
親戚とてこんな機会でもなければ一同に会するチャンスはないのである。
そして「お祭り」のフィナーレ、酒盛りである。
その酒代ももちろん言わずと知れたワシ持ちである、と。
相当な出費であるが、
ワシは何となく嬉しい気分になって来た。
うちの親戚は仲が悪かった。
(ワシが親戚と仲が悪かっただけか?)
昔の日本のことだから兄弟も多く、
親父がガンでもう長くないと聞いて、
ワシはいろんな親戚に会いに行った。
向こうはテレビで見たり
噂を聞いたりしてワシのことを知っているが、
ワシにとってはまるっきりの初対面である。
「すみません、ところでうちとはどのような関係の親戚なんですか?」
一言に兄弟と言っても、
ある人は母親を同じくする種違いの兄弟じゃったり、
またある人は父親を同じくする腹違いの兄弟じゃったり、
それはそれはややこしい。
しかし蓋を開けてみるとそれがこうして一同に会している。
親父も草葉の陰で喜んでいることじゃろう。
ある人はこう言った。
「盆だ法事だ言うのは、
死んだ人がそれをネタに親戚みんな集まって仲良うせいと言うこっちゃ」
ほんまじゃのう、ほんまじゃのう・・・と酒を飲む・・・
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2008年9月 9日
宗教とは
ミュージシャンの受難は続く。
「オリンピック期間中、北京にいたってライブはないし、
それだったら俺の田舎に来ないか?」
メンバーのひとりの実家の近くに、
機材も持ってて音も出せる部屋もある友人がいると言うのである。
物価がどんどん高くなっている北京と違って、
田舎の生活はなかなかのものである。
バンドのメンバー全員でその友人の家にこもって毎日練習していた。
「いいもんだなあ・・・
朝起きたら練習して、
飯食って練習して、
ビール飲んで寝て・・・」
ところが1週間ほどしたある日、
その練習場に突然警察が踏み込んで来た。
中国の警察は本当に恐ろしい。
ドアをノックして捜査令状を出して中に入れてもらうような、
そんな日本のような甘っちょろいもんではない。
例えて言うと、いきなりドアを蹴破って「ホールドアップ」という感じである。
別に彼らがロシア人力士のように大麻を吸っていたわけではない。
その部屋の持ち主である友人が法輪教であったと言うだけである。
法輪教はもともとは気功の集団である。
友人の若いドラマーも昔、法輪教に入っていて気功を勉強していた。
彼曰く、とてもよい気功の論理であったと言うが、
その周りの人間がつぎつぎ捕まるので恐ろしくなって法輪教をやめたと言う。
中国政府が法輪教を徹底的に弾圧しだしたのは、
ある日のこと、法輪教が天安門広場で彼らが何万人集まって集会を開き、
「何じゃ?」と思ってるヒマなく、
集会が終わったら何万人が一瞬のうちに跡形もなく消え去り、
その後にはゴミひとつ落ちてなかったと言う事件からであると聞く。
時の支配者、江沢民は激怒した。
よりによって自分のおひざ元で
このような一糸乱れぬ統率力を見せつけられたのである。
「殺せ!徹底的に根絶やしにしろ!」
中国で別に警察が人民を逮捕するのに、
日本のようにややこしい手続きや逮捕状など必要ない。
警察に「確信」があればそれだけでいい。
事実、その友人は法輪教であった。
だからそのアジトである部屋でうるさい音を出している奴らも一緒に逮捕してしまえ!
とまではいかず、彼らは無関係ということで結局逮捕はされなかったが、
警察がもし「お前らも法輪教だな」と「確信」したら即逮捕である。
誤認逮捕なんて怖くない。
間違って逮捕された人民だって「いやー・・・ひどい目にあった」ぐらいである。
ロシア人力士のように
「納得できない!法的手段に訴える!」
と言ったって無駄である。
ここ中国ではそれこそが「法」なのだから。
北京のワシの院子に住んでいる貧乏ミュージシャン、
その奥さんは顔の皮膚病で悩んでいる。
見ればどうも薬品か何かにかぶれたように見える。
薬を処方してもらえば悪化し、
医者に診てもらえば更に悪化し、
残るは「神頼み」しかない。
彼女は熱心に何たらという宗教を信じている。
これも一種の気功である。
瞑想とかダンスとかをうまく取り入れて、
わかりやすく人間の持つ潜在パワーを引き上げて病気を治す。
その旦那であるミュージシャンはいつも
「嫁が法輪教でねえ・・・」
と冗談で笑い飛ばすが、
本当に法輪教だったら彼らどころかワシの身も危ないので、
これはかなりのブラックジョークと言えよう。
「こういうのはなあ、日本人にはきっと効かないんだ。
いろんな情報もあるし、頭もいいし、
でもな、中国では文明のない農民とかが本当に心から信じる。
そしたら本当に医学では説明がつかないような奇跡が起こるんだ」
そんな奇跡を目の当たりに見た人間は心底それを信じ、
人間の潜在パワーはそれによりまた奇跡が起こる。
その嫁さんの皮膚にはまだ奇跡は起きていない。
ワシなんかが見るに、
「日本でちゃんとした医者に診てもらえば?」
と思うのじゃが、
その医者が女の命であるこの顔をこんなにしたんだと思ってる限り
医学だって万能ではない。
思えば日本人にとっては「科学」こそが心から信じて疑わない「宗教」なのである。
「何をやったって治らない。
毎日毎日皮膚が痒くってしかたがない。
うちの嫁がこの宗教に出会わなかったらきっともう自殺してただろう」
彼にそう言われて「なるほどな」と思う。
その宗教が本物かウソものか、
ワシはそんなことはどうでもいいのではと思っている。
ワシの友人が少しでも幸せになってくれればそれでいい。
八王子のスタジオが何かバイオリズムがいいと思ったら、
二井原曰く、周りの宗教家や学生が毎日お経を唱えているからではないかと。
その宗教自体はワシは昔強引な勧誘にあってから大嫌いなのじゃが、
宗教はもともとは「みんなが幸せになって欲しい」というものではないのか。
学生さん、毎日毎日、ワシや二井原の幸せのために祈ってくれてありがとう。
ワシらもみんながもっと幸せになれるように音楽すっからな。
Posted by ファンキー末吉 at:12:37 | 固定リンク
2008年9月 6日
こちらの業者の仕事ときたら・・・
残暑厳しい日本と違い、北京の秋の過ごしやすさときたら格別である。
涼しい秋風、乾いた空気、
ビール飲んで先日出来上がった畳の部屋にごろんとなるのは至福である。
夕べはちょっと肌寒かったので、こりゃタオルケットだけでは風邪をひいてしまうなあ、
とばかり秋物の布団を出すことを決意。
実はこのたたみの台は箱になっていてそこにいろんなものが収納できるのじゃ。
中国の家具ときたら木なんかすぐに変形してしまうし、
今回はこだわって特上の木材をと発注した。
完全オーダーメイドの畳が1枚6千円程度なのに対して、
その大きさのこの箱だけで1個4万円近くする。
こんな貧民街なんか政府にいつお取り潰しにされるかわからないので、
どこに引っ越してもこの箱と畳と共に移動すれば同じ環境が手に入るというわけである。
「ミュージシャンは畳の上で死ねない」と言うので、
将来的にはこの畳をかついでドラムを叩いたらステージ上でも畳の上で死ねるぞ、
と思ってたら嫁に
「死ぬ時は普通うつぶせに倒れるから畳の下になるんちゃうん」
と諭された。
ミュージシャンはやはりどうしても畳の上で死ねないようなので、
せめて生きてるうちにたっぷり畳でごろごろしたい。
よし布団を出そう!
重い腰をあげて立ち上がった。
ちょっと小さめなので軽い畳をひっぺがす。
箱の蓋には開閉用の紐がついている。
それを引っ張ればぱかっと・・・
ぱかっと開くはずじゃが・・・
こりゃいかん。
あんましここで力を入れたら紐が切れてしまう。
どうやら業者があまりにぴったり寸法を作りすぎたので、
木の微妙な膨張のせいか箱が開かなくなってしまったのじゃ・・・
トンカチとバールで格闘してやっとこじ開けたら今度は閉まらない。
完璧に見えた業者の仕事であったが、
こちらの仕事なんて蓋を開けてみたらそんなもんである。
て言うか、その蓋が開かないのだから・・・
大騒ぎの末、結局布団はここには仕舞ってないことに気付いた。
しまらないオチでした。
Posted by ファンキー末吉 at:11:12 | 固定リンク
2008年9月 2日
貧乏ミュージシャンの苦難は続く・・・
「ギャラ少し前借り出来ませんか・・・」
テレビドラマの音楽の続きをやらせていたデブのキーボードから泣きが入る。
オリンピック期間中はコンサート等も許可が下りず、
レコードも発売が出来ないのでミュージシャンは開店休業状態である。
請け負っていた映画音楽も四川省地震のため撮影中止となってるし、
そんな中でこのテレビドラマだけが中止にならないのもワシ、
ひいてはこのデブも非常にラッキーなことである。
しかしいかんせんこのテの長期に渡る仕事というのは、
基本的に全部仕上がるまで金がもらえないので、
他の仕事が全然ないデブ達ミュージシャンは仕事はしてても金が回らず、
生活費そのものがなくなってしまうというわけである。
しゃーない、ワシが立て替えておいてやろう。
今日はその主題歌のTDではないか。
アシスタントにある程度やらせておくから飯でも食いに行こう。
ところがそのアシスタントがいつまでたってもやって来ない。
電話をかけると入院したと言う。
尿結石である。
中国では基本的に医療は全額本人負担である。
うちの村では怪我なんかしても病気になっても病院なんか行かない。
家族にひとり重病人が出ただけで一族郎党まとめて破産してしまうという国である。
農村などでは見殺しどころか家族のために病人を殺すこともあると言う。
入院なんかしたらいくらかかるの?・・・
幸いうちのアシスタントは北京の実家で暮らしていて、
両親が彼のために医療保険をかけていたらしい。
保険料もばかにならないだろうが、破産するよりましである。
近所の貧乏ミュージシャンに聞いたら、
やはり保険なんかかけている奴は皆無。
みんな病気にでもなったらそれでおしまいである。
みんな健康には気をつけろよ!!
保険と言えば火災保険にも入ってない友人のライブハウスが火事になったと言う。
このオーナーはうちのロック村出身でドラマーときているので、
行けば必ずタダで飲ませてくれるいいライブハウスであったが、
まあ貧乏なミュージシャンとロックファン相手に商売している店が
火災保険に入る金はあるまいなあ・・・
火事が起こったのが運悪く(運良く)オリンピックの閉幕式の時。
煙を見た通行人が消防署に通報。
警察がかけつけて来て事情徴収。
「よりによって閉幕式に時に火事起こすなよ」
と担当の警察官。
ライブハウスも災難だが担当警察官もえらい災難なのである。
ヘタしたら責任とらされてクビということもありうる。
「よっしゃ!火事は起こってなかったことにしよう。
わかったな!火事は起こってなかった!
その燃えカスは自分たちで何事もなかったかのようにちゃんと片付けとくこと!」
半焼しているライブハウスをミュージシャン仲間で片付ける。
でもこれはむしろラッキーなことである。
オリンピックをぶち壊すようなことをした関係者は、
二度と店など開けないばかりか
将来どんな迫害を受けるかわかったもんじゃない。
何せ「火事は起こってなかった」のである。
燃えた機材を買い替えてリフォームすればすぐにでも営業出来る。
これが火事が一日遅れていたら容赦なく「お取り潰し」であっただろう。
仕事が一段落したら様子を見に行って来よう。
ドラムセットぐらいはワシが責任もって修繕してやるぞ。
営業が再開したらまたばんばんタダ酒飲ませてくれよ!!
Posted by ファンキー末吉 at:23:55 | 固定リンク
北京に帰って来た
ナンバーの奇数偶数による車の通行規制はまだ続いている。
昨日は奇数日だったので貧民街の貧乏ロッカーが空港まで迎えに来てくれたが、
よく考えたら今日は偶数日なのでこの村から出ることが出来ん・・・
不便な毎日はパラリンピックが終わるまで続くらしく、
何よりもショックだったのが、
村で一番おいしいレストランが潰れてしまっていた
のである。
うちの嫁がこの貧民街に連れて来られて、
「もしこのレストランがなかったら私はもう泣いて帰っていた」
と言うぐらいこのレストランの味は絶品だった。
この味は二井原実、田川ヒロアキ、等ここに来たことのある全ての日本人の舌も魅了し、
「他で御馳走してくれたどんな高級料理よりもここがおいしかった」
と言わしめるものであった。
潰れた、いや潰された理由は、「煙」だと言う。
オリンピックに備え、中国政府は貧民街のレストランに
「空気が汚れるからレストランで飯を作るな!」
と通達したと言う。
他のレストランはデリバリー専門で対応したが、
このレストランは村の偉い人たちにも御用達だったので、
まあいいだろうとばかりそのまま営業していて、
もっと上の偉い人の目にとまり潰されたと言う噂である。
北京の大気汚染は飯作る煙が原因か?!!
デリバリー専門で営業しても同じだけの煙が出るし、
村で人気の羊肉串の店も、
結局は外で焼いてたのを店の中で焼くので煙の量は同じである。
貧民いじめるヒマがあるなら公害を垂れ流す金持ちを規制しろ!!
貧民街に住むロッカー達が鼓楼にあるライブハウスで演奏していた時、
ちょうどその時、同じく鼓楼で殺人事件があった。
ライブハウスの外は外国人記者でいっぱいである。
警察がライブハウスに飛び込んで来てオーナーを脅す。
「お前ら、記者に何か喋ったらどうなるかわかってるだろうな。
何を聞かれても私は知らないで通すんだぞ。
わかったか」
ミュージシャン上がりのオーナーは青くなってうんうん肯くしかない。
貧乏生活からやっと開いたこの店を
こんなことで潰してしまったんでは元も子もない。
万事がこうである。
パラリンピックが終わるまで貧乏ミュージシャンの苦難は続く・・・
村の噂では、四川省に帰ってしまったレストランのオーナーは、
パラリンピックが終わったらまた戻って来て、
また村の中で同じ味のレストランを開いてくれると言うことである。
その頃にはまたロッカーにとって楽しい毎日が始まることを心から願う。