
2015年9月27日
映画音楽制作開始!!
なし崩しに映画音楽(テレビなんだけどこう表現する)の仕事が始まった・・・
世話になっているLaoLuanからの依頼なのでギャラも決めず前金ももらわずに始めてしまっているが、まあ中国式に彼のことなので悪いようにはしないだろう・・・
オープニングテーマを死ぬ気で作って反響がよかったと思ったら、今度は
「新しいサンプル映像が仕上がったので送ります。ここに当ててある音楽を参考にして作って下さい」
と新たなミッション・・・
見ればどこから引っ張って来たか戦争映画でよくあるオーケストラ曲が満載・・・
よくよく聞いてみれば1曲聞き馴染みがあると思ったらLuanShuが昔別の映画でやった音楽である。
彼の仕事もよく手伝ってたからなぁ・・・
それにしてもこの簡単なメロディーで見事に气氛(雰囲気)を盛り上げている・・・
しゃーないなぁ・・・こいつがここまでやったんだからワシもやるか・・・
と重い腰をやっと上げた・・・
聞けばどうも今回の仕事ももともとはLuanShuに来た仕事らしい。
あまりの多忙と乗り越えなければならない作品水準とのプレッシャーで潰れてしまって今回は受けられなかったという話である。
・・・ということは彼が乗り越えられなかった壁をワシが乗り越えるのか?・・・(怖)
・・・てな感じでモチュベーションが上がり過ぎて、
まあ結局のところそれは自分に跳ね返って来るのだけれども、
気がついたら勝手にもの凄い大作に着手してしまっている自分がいる・・・
まず戦闘シーンでは緊張感を持たせるために敢えて7拍子にして、
まあ数あるハリウッド映画のようにb5などの音を多用して緊張感のあるメロディーを被せる。
そこから更にモチーフを転調して行って、
そこにあわよくば今回作ったテーマメロ、
まあこの辺はポップスの作家としてはお手のモノなのだが、
それをそこにうまくはめ込んで行くのがこれがなかなか難しい・・・
転調に転調を重ねて、どのような転調で次に入った時が一番気分が高揚するかを計算して、
結局のところ戦闘部分(ポップス的にAメロと呼ぼう)から次に行く時は5度転調、
テーマメロ(ポップス的にサビと呼ぼう)から次に行く時には6度転調がよいという結論に達する。
ちなみにここまでで時間的には既に一晩が経過していて、
転調をどう組み合わせて元のキーに戻るかの段階で一度寝落ちしている・・・
寝ながらもずーっとメロディーを考えていて、
起きても結局そのまま作業という感じ・・・(笑)
「そうだ!!これは数学なんだ!!」
と悟ってアルゴリズムなどを書いてみる・・・
おうっ!!これで断然わかりやすくなった!!
さすがは元神戸商科大学(現兵庫県立大学)管理課学科(いわゆるコンピューター学科)で、
COBOLだのアセンブラだの今では全く何の役にも立たんコンピューター言語を学んでいただけのことはある!!(半年で中退したけど・・・笑)
よく書かされてたなぁ・・・アルゴリズム
テストなんかでも必ず書かされてたもんなぁ・・・(2回しか受けてないけど・・・笑)
まあこれを見るに・・・
上に伸びて行くのがAメロから次に行く時の転調、
下に伸びて行くのがサビから次に行く時の転調・・・!!
(ちなみに右下のんはテーマメロのメモ)
いろんな順列組み合わせはあるだろうが、
とりあえずはAメロ2回やってサビ2回、あとは1回ずつやって戻れば元のキーになる!!(喜)
まる1日かかってやっと構想がまとまったのでそこからさっそく打ち込み作業に入る。
昔はCuBassとVSTプログラムで打ち込んでたが、
最近はLogicに乗り換えてKontaktとかいうのを使っている。
オーケストラ音源ってメモリー食うから大変なのよねぇ・・・(>_<)
パソコンがすぐにフリーズするので、
メモリーとの戦いで何とかフルオーケストラ立ち上げて転調ごとに楽器を替えて盛り上げてゆく・・・
サビの部分は7拍子よりは6拍子だろうということで一応最後まで何とか打ち込み終わって既に2晩経過してしまっている(>_<)
ところが聞いてみると7拍子って1小節の長さが結構長いので思いの外間持ちがしないのよね・・・(涙)
しゃーない!!全部を5拍子で作り直そう!!・・・で寝落ち(>_<)
寝ながら7拍子のメロを何とか5拍子に変換しつつ、
起きたら最初っからそれを打ち込み直す・・・
そこで発覚!!・・・5拍子でb5のメロディーとかってミッションインポッシブルと全く一緒なんですけど・・・(涙)
何とかそれに似ないように工夫しながら三日三晩ほぼ不眠不休でDEMOを仕上げて制作側に送りつける。
そしたら・・・寝たなぁ・・・こんなに寝たの久しぶりぐらい・・・風邪も引いてたけどどっか行ってもーた(笑)
ネットを覗いてみると中秋節の飲み会やら、
WINGのマネージャーの結婚式の大パーティーやら、
「わをん〜あ」の楽しそうなライブレポートやら・・・
ワシは一人で三日三晩何をやってたんやろうと思うとちょっと悲しくなって来た・・・
そもそもがこの作業って何のためにここまで自分を追い込むのだろう・・・
ライブだったらそこに客がいる。
レコーディングだったら少なくとも共同作業なのでその場の関係者と一緒に作り上げる。
でも三日三晩、ただ自分の音楽への追求のためだけのために自分を追い込んで、
それを聞かせるのはたかだか監督と少々のスタッフだけ・・・
ちょっと涙・・・
ところがふとその連絡チャンネルを見てみると、
制作側から手放しの絶賛の嵐!(◎_◎;)
やっぱ伝わるんやな・・・
ちょっと感激しながらメッセージを読んでいると・・・
「ではこの調子で引き続きよろしくお願いします」
!(◎_◎;)・・・これが続くのか・・・
うーむ・・・今日は頼まれたロックバンドのリハーサルがあるので「忙しい」ということにしよう(笑)
しばらく酒も飲まずメシもろくろく食ってないので痩せてしまった・・・
このまま行ったらガリガリになって痩せこけてしまう・・・
今日はバンドの連中の奢りでしこたま飲むことにしようそうしよう(笑)
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2015年9月24日
中国の幼稚園の園歌制作秘話
中国の幼稚園からその園歌を作ってくれと依頼が来た!(◎_◎;)
幼稚園って国の機関??
そしたら依頼主は仮にも中国共産党??
・・・なんてことは一瞬頭をかすめたけど、
別に中国共産党が直接ワシに発注するわけではない。
LaoLuanという25年来の付き合いからの依頼である。
彼はワシと一緒に中国ロックの歴史に数々の貢献をして来た人間なので、
まあ何でワシに頼んだかと言うときっと「ロック」である。
「ファンキー、ちょっとロックな曲を頼むぜ〜」
発注の際にこんなことを耳打ちする(笑)
まあ幼稚園児にロックだ何だはわかるわけないので、
これはクライアント(この場合はLaoLuanのことをそう呼ぼう)の趣味、
まあいいように考えて彼のロック仲間からの依頼だとすると依頼主もロック好きなのかも知れない・・・
幼稚園児にロックと言うと思い出すのがこれである。
このような経験則から、ワシの頭の中では「ダダダダダン、ハイ!!」というのを入れようというのが決定稿になってしまっている・・・
まあ北朝鮮の幼稚園児が初めて聞く「ダダダダダン」でつい「ハイ」と一緒に叫んでしまったのだからこれはある意味「王道」であろうと経験則がそうワシにつぶやくわけである(笑)
曲想としてはその時から頭の中にこの曲があった。
この曲は実はもともとはワシが中国に来始めた頃知り合った山東省の「369(San Liu Jiu)」とかいう団体のために書いた曲である。
サビで「369(San Liu Jiu)」と一緒に叫ぶように作った曲だったのだが、
その後「李慧珍」という歌手のプロデュースを頼まれた時に製品化されてなかったこの曲を提出したら、
「向前走(前に向かって進む )」という発音と
「向钱走(銭に向かって進む)」が全く同じであったことから、
現代の拝金主義を皮肉る「ロック」な楽曲となって世に出たというものである。
この曲を作った時には非常に手応えがあって、
その山東省の担当者もいっぺんで好きになってくれたし、
後にロック関係者にDEMOを聞かせた時も
「お前外国人なのに何で中国人が好きなツボを知ってるんだ?」
とびっくりされた記憶がある。
ネタをバラすとこの曲の元ネタは実はこの曲・・・
別にメロディーをパクったわけではない。
要は「空気感」である。
この曲は中国ロックの創始者「崔健(Cui Jian)」の曲で、
彼が崇拝する毛沢東の長征をロックになぞらえて
「新长征路上的摇滚(新しい長征の道の上である「ロック」)
と歌ったもので、当然ながら中国共産党の逆鱗に触れることとなる。
ワシはその当時の崔健(Cui Jian)の音楽に拳を上げる若者達の「空気感」を知ってたので、それを単に「曲調」にしたものである。
もともとこの幼稚園の園歌に関しては
「この曲なんかが今の子供達は大好きな曲だよ」
と言われていたのだが、今回は敢えて無視した。
ここが最大の博打ではあったが、
今回は「頭を使って計算して子供が喜ぶ曲」よりも、
それを発注しているロック世代の人間に「いい」と思わせた方が勝てるんではと思ったのだ。
今日び子供ほど「子供騙し」が通じないもので、
大人の喜ぶモノの方がいいのではと思ったわけだ。
もちろんこの路線がボツになったらこの曲の方向性で書き直せばいい。
だけどこっちの方が楽しいでしょ・・・(笑)
方向性さえ決まったらまずはキャッチーなメロディーを考える。
子供が歌うんだから簡単なメロディーでなくてはならない。
そして作った第一弾メロがこれ!!
仮歌を入れなければ理解されないだろうということで、
下手な歌をエフェクトでオクターブ上げて歌っている(恥)
歌詞は仮なのでとりあえずこの曲の雰囲気で
「一只白羊,两只白羊」
と羊の数を数えてるだけである。
子供の大好きな曲の曲想はボツにしながら、
仮歌の詞の世界観にはそれを用いているのは我ながら「姑息」である(笑)
「途中にどっか簡単な英語で子供達が叫ぶ部分も作ってね」
と言われていたので「Let's Go!!」とか安易な合いの手も入れている(笑)
まあこれで「いいねぇ〜これで決定!!」となったら言うことないのであるが、
まあ「音楽制作」というのはそうは上手くいかない(>_<)
これはLaoLuanの段階での意見だろうけど、
「もっとグルーブを出してくれ」
「サビはもっと世界観が変わるものに」
とかいろいろ注文が来る。
ワシとしては最初っから最後まで同じ詞を連呼してるみたいな世界観があったのでここからが「クライアントとの戦い」なのであるが、
この時点で割り切らなければならない大きなことがある。
自分の歌う「自分の曲」を作るんだったらそこには何の妥協も要らないが、
この「仕事」は「自分の作品」を作っているわけではない。
例えば自分のバンド、例えばX.Y.Z.→Aに自分の曲を持って来た場合、
例えば橘高が自分の弾き易いようにフレーズを変えた場合、
「じゃあそれでもいいや」
というのは「妥協」だろうか・・・
本当にこだわってる部分では「いやこう弾いてね」という時もあるが、
それは逆に弾き手である橘高にとって作曲者に対する「妥協」なのであろうか・・・
どちらも「否」である。
これは「バンド」の作品なのであるから既に「妥協」ではない。
この点を理解してないと、
「自分の作品をクライアントが違うものにしてしまった」
という苦しみと戦いながら「仕事」をせねばならないのだが、
クライアント自身を「バンドのメンバー」なのだと理解してしまえばそれでよいのである。
「はいはい」とばかり変更してDEMOを送りつける・・・
変更点はサビと、
「グルーブ」とかよくわからんので乱暴にテンポを上げてループのパーカッションを入れただけ(笑)
あとは「ハモのメロディーも考えといてね〜」と言われたのでこの段階で付け加えている。
幸いにもOKが出て作詞家に発注して歌入りのDEMOを作っていよいよ発注元に聞かせる段階である。
この辺の作業はもうLaoLuanの元だけでやるのだが、
発注した作詞家がヒット曲などばんばん書いている梁芒(Liang Mang)という作詞家!(◎_◎;)
做最快乐的自己
自己动手 创造高手
劳动就是种享受
真诚合作 关心朋友
这个集体最优秀
欢乐自由 尽情遨游
梦是一个大气球
我们笑声 充满了整个宇宙
磨练自己 强健身体
我在游戏中学习
一起前进 一起努力
每个人都有个性
特立独行 聪明绝顶
挥手我就能飞行
睁开眼睛 生活像动漫电影
听幸福开花的声音啊
我们像种子长大成森林
阳光中苏醒
彩色的梦 就像蜡笔
画出理想的楼梯
自我鼓励 充满自信
遇见困难很坚定
轻松成长 无忧无虑
每一天都很美丽
热情洋溢 做最快乐的自己
(热情洋溢 快乐是最好成绩)
2015梁芒
何と子供が歌うには少し深過ぎやしないか・・・
深過ぎてワシが見てもようわからん詞を幼稚園児が理解して歌えるのか・・・
もともとは同じ簡単なフレーズを連呼する曲にしたかったのだが、
ここに作詞家が「こだわり」を出したのだろう、
「自分の曲」からどんどんと離れていってしまっている・・・
まあ詞の直しはワシの範疇ではないので傍観していたら、
詞ではなく今度はメロディーに直しが来た(>_<)
「Funky〜同じメロディーが何度も続き過ぎるからってダメが出たんだ・・・どっかちょこちょこっと変えてくれる?」
(>_<)
もともとのポリシーと全く違う方向に直しが来てしまったが、
「まあいい」とばかり「ちょこちょこっと」直して送りつける。
まあ何とかOKが出たので(内心ホッ・・・)あとはフルコーラスを作ってレコーディングすれば終わりである。
「間奏はAメロとかちょこちょこっと繰り返してサビに戻るとかでいいから〜」
と言われてたのでそのように作ってDEMOを送りつける。
もともと「この詞では幼稚園児が歌うには長くないか?」とも言われていたけど、
外国人であるワシは詞のことにはよくわからんのでスルーしていたが、
こうしてフルコーラス聞いてみると「少し長いかも知れない」ということで、
この段階でサビ戻りのAメロを半分にしている。
詞をいじるには作詞家の承認が必要だろうからワシなりにズバッとぶった切って、
中国人に「これでちゃんと意味通る?」と確認してから送りつけているから話してくれてるはずである。
LaoLuanと発注元がその後どういうやり取りをしたのかはわからないが、
「間奏は子供達が一緒に手を叩いたり何か遊べる部分が必要だね」
ということになった。
それもそうである。
バンドのボーカリストでさえ長いギターソロの間は間が持てなくてヌンチャクとか振り回したりするのだ(笑)
幼稚園児が間奏の間何もせずに大人しく待っているはずがない・・・
「ダダダダダン、ハイ」とか「Let's Go!!」とかいろいろ入れて最終段階のDEMO
!!
これでOKが出たらあとはレコーディングするのみである。
幸い映画音楽の仕事でレコーディングがあったのでその隙にこの曲のドラムとベースも録っておく。
こんな時にベーシストが常駐しているの楽である。
ピアノは張張、ギターは居酒屋兆治の田端さんの息子翔くんは今回時間がなかったので日本にオケを送って田川くんに録音してもらう。
ところが全てオケが完成したところでLaoLuanがこんな爆弾を投げかけて来た・・・
「Funky〜このキーだと子供達が歌うのはちょっと大変じゃないかなぁ・・・」
あんたねぇ・・・仮歌入れてたんでしょ!!
「キーが合わない」と思ったらどうしてその時にキー合わせして送って来ない!!(>_<)
ワシは小学校の校歌作った時からてっきり
「五線譜の中にメロディーが収まってればよい」
とばかり思っていた・・・
よく考えてみたら幼稚園児は声変わりしてないから女性の声域かも・・・
悪い予感というのは当たるもので、
Aのキーで作ったこのオケは見事に裏キーであるEのキーとなってしまった(>_<)
ドラムを除いて全部録り直しである・・・(涙)
かくしてどったんばったんでオケが仕上がり、
子供達の歌入れとなった。
ちなみにこの子たちは張張の彼女が教えてる生徒たちである。
その場でこんな譜面を渡されてそれを見ながら初見で歌う・・・
ちなみにこれは中国なんかでポピュラーな「数字譜」で、
「1、2、3、4、5、6、7」がそれぞれ「ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ」に対応していて、オクターブ上だと数字の上に点、下だと数字の下に点、
音符の旗の数を数字の下に書いて休符は「0」という、
慣れればこの上なく簡単で便利な代物である。
これを見ながら先生と一緒に初見でレコーディング!!
いや〜彼女たち、もう立派なスタジオミュージシャンです!!
こうして出来上がったのがこの曲!!
中国の幼稚園園歌完成版
うん、なかなかイケてると思うぞ!!
子供達が歌い継いでくれると嬉しい・・・
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2015年9月21日
映画音楽制作よもやま話・・・
ワシが初めて映画音楽の仕事をやったのは「香港大夜総会」。
その時から渡邊孝好監督にはいろんなことを教わった。
人物などに「テーマ」を作ってそれを場面場面に当ててゆく
という手法はこの時に学んだものである。
今でも映画音楽等の仕事を請け負うと、
まず登場人物を把握して、具象やキーとなるモノ、
例えば「愛のテーマ」だとか「宝石のテーマ」だとか、
まあだいたいいくつぐらい「テーマ」を作ればいいかを考えて、
与えられたファイルの番号と秒数とで場面を指定して、
「M○○:ファイル名○○番○○分○○秒:○○のテーマ○○バージョン」
とかいう「表」を作成する。
あとはこれを元に張張やその他優秀な若い衆と手分けしながら作ってゆくのだ。
「M○○番ワシがやったから〜逆に○○番のテーマが思いつかないからそっちやって〜」
とかメールで密に連絡取り合いながら、ファイルはお互いに送りあって共有し、
双方のパソコンでそれぞれの映像に貼り付けて同じものを見れているようにする。
生楽器が必要な曲はそのMIDIファイル
(当時はお互いQuBassを使っていたのでQuBassファイル)
を送ってもらってこちらのスタジオで録音する。
まあこれで順調に仕上がった映画もあれば、
この「人物ごとにテーマを振り分ける」ことに縛られ過ぎて暗礁に乗り上げることもあった。
「この人物だから必ずこのメロディーを使わなくてはならない」
という縛りがあり過ぎると結局はそれに縛られていいものが出来なくなってしまうのだ。
「Funky、映画音楽で一番大切なものは何かわかるか?
"气氛(雰囲気)"だよ!!これが一番大切なんだ!!」
ワシが音楽をやって2006年に大ヒットとなった映画「疯狂的石头」の監督「宁浩(NingHao)」がワシに言ったこの一言が今では「バイブル」というぐらいまでになってしまっている。
この映画はワシの中国でも大出世作となってしまったが、
いかんせんギャラが法外に安かったことも有名になってしまい、
「金がない時はファンキーに頼めば何とかなる」
となってしまってもうやってられなくなってしまった(>_<)
何せひとつ映画音楽を請け負ったら数ヶ月はパソコンの前でずーっと同じ姿勢で座り続けてゆくという生活になってしまうのだ・・・
多い時には1年に映画一本とテレビドラマ数本を請け負ってたので、
まさに安いギャラで不眠不休の生活が続く社畜ならぬ「映画畜」である(>_<)
方言(FangYan)がまだうちに来てなかった頃は、
場面ごとの音楽の指定から出来た音楽を画面に貼り付けるのまで全部自分でやってたのだから死ぬほど忙しい・・・
ひとり仕事の最後にやったのは確か中国のホラー映画で有名な監督のコメディー(笑)
(「疯狂的石头」がコメディーだったので必然的にコメディーばっか来る)
この監督は外国映画のパロディーを多用してその音楽とそっくりな音楽を全ての画面で要求するから大変だった(涙)
例えば「ゴースト」のろくろを回す場面でのプレスリーの「アンチェインド・メロディー」、それと全く同じオリジナル曲を求めて来るのだ・・・(号泣)
映画音楽は「气氛(雰囲気)」なんだから、
シンセ一本でも上手くやれば非常に効果的なBGMとなる。
ところが「歌モノ」を求められるとフルコーラスのメロディー作って、
アレンジしてバッキング全部フルで作らなければならない。
おまけに詞!!
韓国の映画のパロディー部分では朝鮮族中国人に朝鮮語で詞書いて歌ってもらいましたがな(涙)
「だってアメリカの映画なんてよく詞の入った音楽使ってんじゃん」
監督が胸張ってそう言うので、
「版権買い取ってそのまま使いなはれ!!!」
とつい怒鳴ってしまった(笑)
その時に使ってた若い衆が「赵兆(ZhaoZhao)」というキーボティスト。
もうやってられなくなったのでそのまま彼に丸投げしたら、
それを足がかりに2008年の北京オリンピックでは開幕式だか閉幕式だかの音楽の一部を担当するまで登り詰めよった!(◎_◎;)
いや、いいのよ。ワシは別に若い衆を使って楽して金儲けしようなどとはこれっぽっちも思っていない。
ワシはどうせどこまで行ってもドラマーだし、
ドラムやめて映画音楽家として一生暮らすつもりも毛頭ない。
ワシの知ってることは何でも教えてやるから、
映画音楽家になりたいヤツはワシを踏み台にしてどんどんのし上がってゆけばそれでいい。
そう思うのには少々わけがあって、
実は「疯狂的石头」の時にワシがどうしても「气氛(雰囲気)」を理解出来ないということで、
最後の最後に「雰囲気モンのBGMだけ誰かに発注しよう」ということになった。
そこで連れてこられた人間がたまたまワシとも知り合いだった「原芸(YuanYi)」という人間・・・
まあ数シーンにBGM当てて彼の仕事は終わったのだが、
ポスターやクレジットには「音楽」のところにファンキー末吉と共に彼の名前がクレジットされている!(◎_◎;)
そのお陰で今や彼は一躍映画音楽家としてかなりの地位に登り詰めてしまった・・・
その後方言(FangYan)がワシのところにやって来て一緒に音楽をやるようになるのだが、その時にワシにこんなことを言った。
「原芸(YuanYi)さんとこは今や工場みたいになってて、若い衆10人ぐらい抱えてそれに全部仕事やらせて大儲けしているというのに貴方は一体何なんですか」
その後何かのパーティーで原芸(YuanYi)と会った時に、
昔は貧乏なロックミュージシャンだった彼が、
ブランド物の服を来て宝石類の装飾品まで身につけているのに少々カチンと来た。
同じ大ヒット作に名前を連ねて、その利用の仕方で人生はこうも変わるものなのか・・・
まあ自分が「うまくやれなかった」という「嫉妬心」もあるのかも知れない・・・
でもそれからというもの(元々性格的にそうなのだけれども)
若い衆の上前をハネたり、そんな風にして金を稼ぐのだけはやりたくないと強く思ったものだ。
だからワシは一緒に仕事をやる若い衆には必ず自分の取り分を削ってもちゃんと十分な報酬は渡す。
(全体が少ないのでもらった人が十分と思うかどうかは別にして、それでブランド物の洋服や装飾品を身に纏う気には全くならん)
通常クライアントには下請けは紹介しないものだが
(紹介すると自分を飛ばして直で仕事を取り始めるゆえ)
ワシはむしろどんどん紹介して、映画音楽家として羽ばたきたけば直で頑張ればいいぐらいに思っている。
原芸(YuanYi)はロックバンドでキーボードも弾いていてワシとはそこで知り合ったのだが、
彼は映画音楽家としてこれだけ知名度が上がったらもうバンドなんてやってられないだろう。
逆にワシはどれだけ映画音楽家として知名度が上がったとしても、
ドラムだけはこれ絶対にやめるわけにはいかない。
逆にドラムのためなら映画音楽なんていつでもやめたっていいのだからこりゃもう立場は「逆」である。
まあそんなこんなもあって、これだけ中国の映画音楽界で名前があっても、
ワシは今だに映画音楽は「アマチュア」なんだなと思うな。
前回マグロ漁船のヨウヨウさんから自分がやり切れない映画音楽の仕事をちょびっと手伝ったが、
結局ワシのやった仕事では監督のOKが出ずにヨウヨウさんがやり直して、
その仕事を見たらやっぱ「プロは違うなぁ・・・」と感心した。
彼の場合はもうDEMOの段階から生のストリングスオーケストラを使うのだ!(◎_◎;)
「監督なんてDEMO聞いてそれから生を想像するなんて出来ないからね。最初から生の方がOKが出やすいんだよ」
と言うが、
長い経験の中で「これは絶対にOKが出る」という確信があるからこそ出来る技である。
ワシもオーケストラが書ける(アレンジ出来る)というのは映画音楽をやる上においては非常にメリットとなったが、たかだか「書ける」レベルからこのレベルまでにはまだまだ長い階段を登らなければならないんだなと実感した。
ヨウヨウさんの場合は奥さんがマネージメントから始まって、
クライアントが喜びそうな方向性まで旦那に説明出来るので羨ましい・・・
やはりワシぐらいの中国語力で初対面の監督と完璧に意思疎通するのは難しいので、
方言(FangYan)が来てからというもの、必ず彼を交えて打ち合わせをして、
監督の意志を後からゆっくり彼に噛み砕いて説明してもらうことにしている。
・・・というわけで前置きが長くなったが、
今回の仕事、最初にその映画会社のプロデューサーと会うのも彼に一緒に来てもらった。
もうね、ここが「勝負」なの!!
まだ正式に契約してない段階で、ここで話が全然噛み合わなかったら
「この人大丈夫かなぁ〜他の音楽監督探した方がいいんじゃない」
になるので必死である・・・
そもそも今回の仕事は、今や映画音楽家の大家となってしまったLuanShuのお兄さんLaoLuanからの仕事である。
このプロデューサーのいくつかの映画もLuanShuが音楽をやったらしく、
LaoLuanも来てくれたので旧知の仲よろしく会話が弾む・・・。
方言(FangYan)が会社のスタッフと一緒に映像データをコピーしに行った時なんか、
もしLaoLuanがいなかったら、このプロデューサーと二人っきりで30分話が持ってたか不安である・・・
結局LaoLuanとプロデューサーが昔話で盛り上がってる中、無事に映像データをコピーして持って帰った。
ここからが大変である。
何せ45分ドラマの41集をこれから全部見なければならないのだ(>_<)
映画ならせいぜい2時間も見れば終わるが、テレビドラマの大変なところはここである・・・。
ドラマの内容はいわゆる「抗日」、しかし炎上しないように言っておくが、
第二次世界大戦を扱ったドラマは日本帝国主義と戦ったアジア諸国にとっては全て「抗日」である。
いわゆる「反日」の片棒を担いでいる仕事ではないことは一応ここに記しておこう・・・。
まあ想像するに一党独裁の検閲の厳しいこの国で、「抗日」とつけば許可が下りやすいのだと思うが、
ワシにとっては疯狂的石头のヒットによってコメディーばっかやらされてた時代から比べて、
こうして「戦争映画」まで発注が来るようになったことは喜ばしいことである。
何せ戦闘シーンにはメタルが合うからのう・・・
ミッション・インポッシブルとメタリカの関係のように、
ワシの頭の中では既にX.Y.Z.→Aの曲を使うことが大前提になってしまっている。
オープニングテーマは「緊張感のある音楽で」ということなので、
すぐに思いついたのは、アルバム「IV」に収録されている「Susperium」、
ライブでもほとんど演奏してないコアな曲である・・・
この曲のマルチは手元にないので、ではということで録り直すことにする。
こんな時にスタジオに常駐しているベーシストがいると楽である。
ギターは・・・というと小畑は最近こちらに近寄って来ない(?)ので・・・
・・・と思い出した!!居酒屋兆治の田端さんの息子がメタルをやっていると言ってたではないか!!
というわけで翔くんに音源送って「コピーしといてね」!!
そして中国語詞を老呉(LaoWu)に発注!!
翔くんも近所に住んでるし、詞もかけて仮歌も入れられるボーカリストが院子にいるということは非常に便利である。
(突然映像を見せられて詞を考える老呉(LaoWu))
かくして「Susperium中国語版」が出来上がった!!
布衣(BuYi)の新曲として発売してもいいほどのいい出来である。
これだけではと思い、X.Y.Z.→Aのアルバム「WINGS」に収録されている「For Whom The Bell Tolls」のアコギバージョンを打ち込みで作っておく。
この曲はもともとバラードだったのぢゃよ。
ヒロインの心情にぴったりなので一応そのヒロインのテーマとして、
あわよくばエンディングテーマとして使えればと思ってちょちょいとDEMOを作る。
後はそれを方言(FangYan)がいいプロモーショントークと共に制作サイドに送りつければ第一段階としてはOKである。
しかし今度はそれを聞いたLaoLuanから厳しいメッセージが・・・(>_<)
「Funky、何考えてんだ!!歌モン作ってどうすんだよ!!映画のオープニングテーマってのは例えばこんなのを書くんだよ」
参考として送られて来たのが先日のLuanShu青島音楽会でも演奏したこの曲・・・
この世界観で緊張感のある音楽って難しいなぁ・・・よし!!
とばかり思いついたのがこの「Susperium」のオケにオーケストラを入れてインストにする!!
というわけで徹夜してストリングスとホルンを入れて送りつけておく・・・
すると今度は布衣のツアーに出ている方言(FangYan)から
「Funkyさん、あれだと緊張感が下がって歌バージョンの方が全然いいです!!」
アホか!!歌があかんと言うから徹夜して作ったんやないかい!!
「Susperium中国語版」を聞いた制作側から、至急にということでミーティングのスケジュールを出される。
ワシは制作側がLaoLuanと同じく「何考えてんだ!!」になってたらどうしようと気が気でない・・・
でもLaoLuanからのメッセージでは
「インストバージョンは中々いいんじゃない」
と方言(FangYan)とは真反対の意見だったのでちょっと安心。
まあいずれにせよ、このミーティングの時にある程度満足出来るものを出しておかないと仕事自体が流れてしまう可能性もあるのである。
焦ってまた徹夜して全く違うアプローチの曲も提出しておく・・・
かくして監督と初対面ミーティング。
開口一番に監督はこう言った。
「デモを聞きましたが・・・メタルは困るなぁ・・・個人的には好きなんだけどお年寄りも見るドラマなんで・・・」
(>_<)・・・仕方ない、ここで諦めては仕事を失ってしまう・・・
パソコンを出してプレゼンする。
「インストバージョンは聞きましたか?」
こういう時のために数多く送っておくと役に立つのだ・・・
パソコンでインストバージョンを監督に聞かせる。
「うん、劇中には使えるかも知れないけどオープニングはねぇ・・・」
まあ劇中に使えれば何とかレコーディングした甲斐はあるというものだが、
何かひとつぐらい決定稿がないと仕事自体がボツってしまう可能性もある・・・
「ヒロインのテーマは聞きましたか?」
聞いてないというのでその場で聞かせる・・・
「うん、これはいいんじゃないかなぁ・・・エンディングテーマとしてもいいかも知れない・・・」
よっしゃー!!ひとつゲット!!
あとはオープニングテーマを作り直せば何とかなるだろう!!
緊張感があって、
インストで、
年寄りが聞いても楽しめる
オシャレでPOPな、
Clubミュージックサウンド
・・・って緊張感とオシャレでPOPなClubミュージックって何か同居しないような気がするんですけど・・・(>_<)
まあいい!!不可能を可能にするのが職業音楽家のプロフェッショナルである。
頑張って作るのぢゃ!!←イマココ
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2015年9月10日
抗日ドラマの音楽?!(◎_◎;)
久しぶりにテレビドラマの音楽の仕事が来た。
監督から資料が送られて来て、サンプル映像を見たら戦争モノ!!
爆弾ドッカンドッカンでこりゃメタルがふんだんに使えそうな映画である。
以前やった「上海森林」というドラマではテーマソングにX.Y.Z.→AのWINGSの中国語バージョンを使わせて頂いた。
通常テーマソングはタイアップ先の歌手とか、主役の役者とかのヘタクソな唄で録音されるのだが、
X.Y.Z.→Aのバージョンを聞かせて
「これを歌える歌手が国内でいますか?!!」
とアシスタントの方言(FangYan)が力説して二井原の中国語バージョンがそのまま使われることになった。
二井原凄いなぁ・・・
今回は戦争映画と言っても、
サンプル映像を見る限り近代兵器みたいなんはバンバン使われてるし、
隊長は美人兵でセクシーなタンクトップを着て、長髪なびかせてばっちりメイクしてるって何よ・・・(笑)
などと突っ込みながら見ていたのだが、
よくよく見るとこれ、国民党軍が共産党軍とアメリカ軍と手を組んで日本軍を打ち破るという・・・
抗日ドラマ?・・・(注:「反日」ではないからね)
まあ中国の映画とかドラマは抗日が多い。
実は前回の「上海森林」も最期には戦争シーンで抗日となってた。
これはやっぱお国柄である。
映画会社としては多額のお金を投資して土壇場で国からストップがかかったら大赤字であるが、「抗日」と付くとまずはストップがかからないのだ・・・。
まあいい、仕事は仕事である。
問題は方言(FangYan)がちゃんと交渉ごとをまとめてくれるかどうかである。
監督側とつないでギャラの交渉をするのだが、
こいつは何故かワシの値段をむっちゃ高く設定するので困る。
そりゃ前回の「疯狂的石头」は日本円で100万かからずに1本の映画音楽を作ってしまって、
それがタイタニックを抜く興行成績を稼ぎ出したんだから、
ワシの名前と共にその安いギャラも有名になってしまい、
何かというと安い仕事ばっか来るのでそれを阻止したいのもわかる。
しかしただでさえ映画より安いテレビドラマの仕事である。
その何倍もふっかけるのはふっかけ過ぎではないか?・・・
前回も寧夏電視台の仕事で法外な値段をふっかけて企画自体がボツとなった(>_<)
「ファンキーさんの名前は今やブランドなんだから安い仕事なんてしてはいけません!!この値段は最低の値段です!!」
ってあーた・・・ワシ仕事せずにごろごろしとるぐらいやったら安くてもええから仕事したいのよ〜・・・
ギャラ交渉は今日から始まるらしい。
なぁ〜安くてもええからこの仕事取ろうよ〜・・・
真面目だけが取り柄の頑固で融通のきかないこの男、
いくらで交渉して仕事を取るのか断るのか・・・
Posted by ファンキー末吉 at:23:38 | 固定リンク
2015年9月 5日
恩人の息子
日中を行き来して仕事をする上において、言うまでもなく一番の出費は飛行機代である・・・。
最近は抗日70周年の軍事パレードのせいかドタキャンが増えているが、
大事な仕事のために北京に帰って来てその仕事がキャンセルになって何も仕事をせずに日本に帰ったりはあっても、このようにスケジュールの狭間で、この一本のライブのために2泊3日で北京に来なければならないような小さなライブはキャンセルにならなかったりする・・・(>_<)
まあ関空北京往復2万円やったからええか(安っ!!)ということでこのライブのためだけに帰って来た。
渋谷有希子が北京に来てから、中国での「ファンキー末吉トリオ」のメンバーが固定して、張張と共に精力的にライブをやっている。
数ヶ月前に江湖(JiangHu)というライブハウスでこのトリオでライブをやった時、
Kevinというアメリカ人がライブを見に来ていて声をかけてくれて、今回のこのライブが実現した。
でも最初は何かイヤな感じだった・・・
だって中国語も喋れずにやり取りは全部英語、
「ギャラは?」という質問には「うちは飲食を店から提供するからタダでやって」みたいな感じである。
「今日の江湖(JiangHu)のオーナーは2000元くれたからそれでは受けられない」
と一生懸命英語で答える。
「じゃあオーナーと相談する」
から始まって何とギャラ2000元で今日のライブが決まったのだ。
実はあの日の江湖(JiangHu)は珍しく超満員だったので2000元くれたのだが、
通常好きなJazzなどやってる時にこんなにチャージバックをくれることは滅多にない。
それを客の入りに関係なく2000元くれる店、
しかもうちから車で15分という一番近い店なのである。
今後ともここに定期的に出してもらえればなぁ・・・
そんな気持ちもあったのでこの仕事を受けたのだが、今日の土壇場になってこのメール(>_<)
「Good afternoon. I hope you are doing well. Unfortunately because of the weather we will probably not have very many people coming tonight. That means we will not have much money. If you still want to come play would it be okay to give you 1000? We would really like to have you guys come for another show as well when we have a lot of people. Then we would be happy to pay more. Please let me know what you would like to do. Sorry for the inconvenience. 」
さてと・・・これをどう考えるべきか・・・
一応張張にも転送して意見を請う。
「多少钱都无所谓!我要演出我要演出我要演出我要演出我要演出!!!」
(お金なんてどうでもいいの、ライブやりたいライブやりたいライブやりたい!!)
まあそこまで言うならしゃーない、「OK」と返事して小屋に向かう。
まあ2000元が1000元になったのは痛いは痛い(>_<)
このためだけに北京往復してるので、飛行機代を6割回収出来ると思ったのが3割になったのだから・・・
でも全ては「フレンドシップ」なのだと思う。
ワシが自分の都合で勝手にキャンセルしたらそこに「フレンドシップ」はなくなるが、
こうしてライブ前にわざわざ書いて来てくれるのも「フレンドシップ」である。
普段ここに出ているバンドはノーギャラで、
その変わり飲み放題食い放題で出演している。
ワシらはギャラもらってるので飲食はお金を出して頼もうと思ったら「悪いから」ということで奢ってくれた。
ワシは「これが中国人だったらどうだろう」と考えた。
ひょっとしたら出演した後に「雨だから客の入りが見ての通りだろ」ということでいきなり値切って来るかも知れない。
中国語が全く喋れないこのアメリカ人、結構いいヤツかも知れないと段々好きになって来た。
前置きが長くなったが、この日のライブにはひとりの若者が来ていた。
西洋人ばかりのこのバーで、客席にいる長髪のこの若者の存在は気になっていたのだが、
ライブが終わって物販のところに来たら、
「サインして下さい」
と出したCDがなんとX.Y.Z.→Aの「WINGS」!(◎_◎;)
重慶でも橘高ファンの女の子がいたので、ひょっとしたら日本語の上手い中国人かも知れないが、聞いてみたら日本人だと言う。
そして会話の中で彼から信じられない言葉が飛び出したのだ。
「居酒屋兆治ってご存知ですか?」
ワシが初めて北京に行ったのは90年の時、
当時外国人が投資をするには国家のいろんな許可が必要で、
外国人専用の住居に住まわせられたり高い税金をかけられたり、
そんな中で奥さんの名義で居酒屋を開いた、日本人が北京で商売をやる草分のような人、それがこの居酒屋兆治のオヤジ、田端さんだった。
(ワシの著書「大陸ロック漂流記」に書かれているそれに関するページ)
「僕、その田端の息子です」
ワシは飛び上がるぐらいびっくりした。
「田端さんに息子さんがいたのか・・・」
その後爆風スランプのライブを実現するべく奮闘してくれて、
田端さんのおかげでやっとコネが出来て崔健とのジョイントライブが実現した。
当然ながら当日まで毎日兆治に通って田端さんと飲んだ。
爆風スランプが翌日に出演した北京広播電台45周年記念のコンサートでは公安が中止命令を出してスタッフを満場の観客が見る前でボコボコにした。
その後、ボロボロになったスタッフとメンバー、爆風のマネージャーも一緒にやって来たのも居酒屋兆治。
「明日のコンサートは出演辞退しますからね」
2日間の予定を初日でこれなので出演辞退を宣言するマネージャー。
「いや出る!!」
と言うワシに
「明日はサザン北京公演の初日なんですよ!!
爆風が何かやってサザンのコンサートが中止になったらどうするんですか!!」
というマネージャー。
「俺はサザンのためにロックやってんじゃねえ!!!!」
そんな大ゲンカをやらかしたのも居酒屋兆治である。
「お父さんはねえ・・・伝説の人だったんだよ」
ワシは初めて会う息子さんにそう言った。
そんな田端さんももう他界していて、彼はお母さんと一緒に住んでいると言う。
「お母さんもねぇ・・・伝説の人なんだよ」
東三環路にある日本企業がたくさん入っている商業ビル「发展大厦」の向かいにあった居酒屋兆治は、開発の煽りで立ち退きとなったが、兆治は最後の最後まで立退かなかった。
ブルドーザーが来て店が強制撤去されるという時に、
彼のお母さんは屋根に登ってブルドーザーに向かってこう叫んだという・・・
「中国はそれでも法治国家か!!」と・・・
そんな伝説の両親の元で北京で生まれた育った彼は、
その後日本人学校の小中学校に通い、ワシは知らなかったのだが時々ワシの北京でのライブも見に来ていたらしい。
その後、外国人が中国語で勉強する国際学校の高校に進み、
高校一年生の頃グレ始めて学校を中退・・・
その頃に見たバンドがワシの知り合いでもある「窒息(ZhiXi)」
それからヘビーメタルの人生を歩むことになったのだと言う・・・!(◎_◎;)
田端さんの息子さんがヘビーメタルねぇ・・・
えも知れぬ感動が心を満たした。
「ロック」とは「精神論」だと思っている。
「ロック」な両親から生まれた彼が、本当に「ロック」という音楽をやっている・・・
グレた彼が「ロック」によって救われたのか、
はたまた死んだ父親に導かれるように本当に「ロック」を志すようになったのか・・・
家も近いということだから今後ともこの恩人の忘れ形見と共に北京のロック界を盛り上げようかのう・・・
Posted by ファンキー末吉 at:02:14 | 固定リンク
2015年9月 2日
英樹さん、行ってきたよ〜あんたの気持ち背負って・・・
あんたがねぇ、またわざわざワシの誕生日なんかに逝っちゃうし、
そしてわざわざワシがぽっかりスケジュールが空いてる日に葬式なんか・・・
しゃーないから生まれて初めて喪服買いましたがな!!
初めて行った洋服の青山、
吊るしで2〜3万で買えるのかと思ったら、
よう考えたらワイシャツからネクタイ、ハンカチから肌着、
革靴から靴下まで買わないかんから全部で7万円(>_<)
「かっかっかっ、あんたもいい歳なんだから礼服ぐらい買いなはれや〜」
あんたの高笑いが聞こえて来ましたわ・・・
その時は思わず天に向かって睨みつけてやったけどな、
「え?礼服?・・・」
この服ってちゃんと礼服として結婚式とか・・・裁判とかに使えるんや・・・!(◎_◎;)
思えばそれもこの日これを着て行くためやったんかもな・・・
英樹さん、今回JASRACとの裁判に陳述書書いてくれて本当にありがとう。
今回実は英樹さん・・・証人として申請してたんよ・・・
もし一緒に法廷に立ってたとしたら、
ワシこのスーツないっつうことやから果たしてどんな服着て行ってたんやろな(笑)
初めての法廷、人証尋問・・・ハンパない!!・・・命がけ!!
汗も出て暑かったけどワシは上着も着たよ。
一緒に戦いたかったからな・・・
終わったら全身の力が抜け落ちて涙が出て来た。
審決にはまだちょっとかかるらしいけど、
勝っても負けてもまだ1ラウンド目、
あと2ラウンドあるらしいからな、また一緒に戦おう!!
東京地方裁判所隣の日比谷公園にて