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2011年4月28日

実家の仏壇

JikkanoButsudan.JPG

宗教心を持ち合わせてないワシにはようわからんかったが、
仏壇と神棚というのはまるで違うもんである!!(驚)

仏壇は仏様、神棚は神様を祭るものだが、
いわゆる仏教と神道という別の宗教のものである。

いつだったか正月に帰郷していた時、
おふくろに「サカキ」と何たらを買って来いと頼まれた。

日曜市に行って、
「サカキっつうのと・・・うーむ・・・何かを買って来いと言われたがやけんど・・・」
と口ごもると、店の人は
「あ、お宅にあるがは仏壇ですか?神棚ですか?」
と聞く。

「仏壇がふたつ並んでますが・・・」

実はひとつは仏壇だが、もうひとつは神棚なのである。
よってお供えする花も全然違うものなのである。

日本人は生まれてすぐに神社に行き、
クリスマスを祝って死んだらお寺で葬られる。

神道に始まり、キリスト教を経て、仏教で終わる。

日本人は無宗教だと人は言うが、
逆にこれだけ神頼みの民族もいない。
もともと八百万神(やおろずのかみ)を祭る神道の国で、
仏様やらキリスト様やら2人ぐらい増えたってどうってことないのである。

おふくろは毎日神棚に手を合わせ、
仏壇に手を合わせ、
世界平和を祈り、ご先祖様の成仏を祈る。

親父が死んで、その仏壇をどうするかということになり、
先祖代々の位牌をどうするかでもめた。
まさか北京に持って行って祭る訳にもいくまい・・・

結局お袋が末吉家でもないのに「うちに置きなさい」ということになった。
(お墓の顛末はこちら

姉が若くして死んだので、
離婚した時にその位牌はふたつに分けて、
ひとつは母が、ひとつは父が持ってたのだが、
ここにこうしてふたつがひとつになりお袋のところに来たのはいい。

しかし借金をおぶせられて追い出された末吉家のご先祖様の位牌を、
お袋のところに押し付けてどうするんやとワシは思うが、
お袋はそれをどう思うことなく毎日手を合わせている。

そして何よりも、あれだけ憎んで別れた元夫の位牌と、
そしてその遺影に毎日手を合わせている。

ワシは物心ついた時から親父の悪口しか聞いたことがなかったが、
それほど何十年も毛嫌いしていた人間も、
死んだらみな平等に仏様になるんじゃのう・・・

神様の名の下に戦争まで起こしてしまう「宗教」なんてもんはどうでもよいが、
「宗教心」というものは大事じゃのう・・・

ワシもとりあえず手を合わせておくか、
神様、仏様、キリスト様、アラーの神様・・・あ、あと自分の音楽の神様にもな・・・

Posted by ファンキー末吉 at:11:00 | 固定リンク

朝日新聞の取材

ヒロキ君のことで一度朝日新聞の取材を受けた。
後に違うセクションから取材依頼を受けたがその旨を話して社内で解決してもらうことにした。


しかし今回は内容が違う。
「二井原実さんのことに関して」
と言う。

聞けば先日震災後二井原がライブを決行して
「自粛被害」にあったことの追加取材のようだ。

まあこの「自粛被害」というのは今ワシが考えた日本語であって、
もちろん「中立」を固持して取材せねばならない朝日新聞の記者が言い出したことでも何でもない。


ワシは思うのだが、
それにしてもこの新聞記者という人達のバイタリティーはもの凄い!!

この人は昼過ぎにワシのところに電話をくれた。
「今私は大阪にいますが、よろしければ今から八王子まで飛んで行きますから」
と。

「すんません、私は今高知にいるんです・・・」
そしたらこの人は本当に高知まで飛んで来た。

キチガイである・・・(笑)

この人はワシに聞いた。
「あの二井原さんのライブの顛末は一体どうだったんですか」

とどのつまり「インタビュー」であるからして、
ワシは自分の意見を2時間とくとくと喋った。
これはワシが喋った内容であって、
記事にどのように載るかはワシの知るところではない。

だがワシはここに、この記者に喋った内容をここに記しておこうと思った。
それはこの記者が非常にクレイバーで、
ロック魂に対抗すべき記者魂を持っていたことと、
ぼちぼちこの「自粛被害」からこの国は立ち直るべきだと思ったからである。


ことは震災の数ヶ月前、
(ワシが思う)二井原実の真骨頂とも言うべき、
ルーツとも言うべきR&Bのセッションでバースデーライブをやろう、と。

しかしその日の前々日に震災は起こった。

うちの店は「出演する人」の立場でモノを考えているので、
その後にいろんな人が
「キャンセルします」
という出演者は当然ながら無条件にキャンセルを受け付けた。

当然である!!

うちの店は仮にもX.Y.Z.→Aという「バンド」がやっている店である。
出演者の立場になって店を運営しなくてどうする!!
どうせ赤字の店なのである。
その日にキャンセルされて別に商業的にどうでもない。

しかし逆を考えてみろ。
「震災があっても俺はライブをやりたい」
という人を拒絶してそれで店をやっていけるのか!!

ワシはキャンセルする人には何も言わず、
ライブをやりたいという人のためには発電機まで買いそろえて
この店の「生き様」を示した。

その生き様に共鳴してくれるミュージシャン
(例えばこの人)とかがいるからこの店は赤字でもまだ潰れずにいる。


話を二井原に戻そう。
あの時、二井原は決行するかどうか悩みに悩んだ。
ワシは「お前のライブじゃ、お前が決めろ」と言った。

もちろん「中止にする」と言ってもワシは何も言わない。
そりゃ予約で満席になってる二井原ライブが
中止になったりしたら店の売り上げとしては大赤字だが、
ミュージシャンに負担をかけてまで営業をしてたのでは、
当初のこの店を作った「生き様」が問われるところである。

記者にも言ったが、
ワシは二井原はまずキャンセルするだろうと思っていた。

なぜなら二井原はワシと違って「優しい人間」である。
ワシなんかは例えば、
ワシが何かをやることによって誰かが傷ついて、
でも誰かが救われるなら迷わず「やる」ことを選択する。

でも二井原は違う。
「誰かが傷つくんだったら」
と考える人間である。


そこでちと考えてみて欲しい。
二井原は関西人である。
当然ながら関西大震災は自分の故郷がやられた災害である。
ヤツはそれなりに考えたのであろう。

「俺がこれをやると被災地の人々が悲しむのか?」

この考えはワシらにとって一番大切な考えであり、
また逆にクレームを言ったアホどもにとっても共通の考えなのだろう。

普段から好戦的で強気なワシだが、
もしもクレームを言った人間が被災者であってたとしたら、
「それは気分を概して申し訳ありません」
と答えるしかない。

「私はロックを職業とするものです。
それがあなたをこれほど悲しませるなら・・・」
ワシはその場で日本を捨てて中国に永住するだろう。

しかし考えてもみてくれたまえ!!
二井原を誹謗中傷した全ての人間は被災者ではないのだ!!


この記者はこう言った。
「僕は震災のその日に会社のヘリに載せられて福島に飛ばされました。
原発から3kmまで行きました。
次の日に原発が爆発しました。
電話も通じません、ひたすらラジオを聞きました」

そんな人間がワシに言った。
「被災者が東京で今日ロックをやったって何も思いません!!
むしろ関係ありません!!
被災者は自分の生きてゆくことで一生懸命なんです」


ここで話を整理してみよう。
二井原の掲示板に誹謗中傷を書き込んだアホも、
「とにかくお前は謝れ」とメールを送ったアホも、
誰もひとりとして被災者ではないのだ!!
お前らが言ってる「自粛しろ!!」という発言は、
どれだけ日本の経済に損失を与えてる?!!

武道館クラスのコンサートは1本キャンセルしたら数千万の赤字が出るんじゃぞ!!

うちの嫁は関西大震災の被災者だが、
「あの時、電気もガスも水道もない中で、
私の心の支えはロックだった」
と言う。

二井原は運悪く誹謗中傷の的となったが、
シンディーローパーがその矛先を変えた!!

アホどもも、みなも今になってみたらこうは思わんか?
自粛は人の勝手じゃが、
自粛してこれだけの損害が出たら、
それだけ復興が数年送れるんじゃぞ!!

あの頃、日本国民はあまりのショックで頭が変になっていた。
誰も喜ばない「自粛」を、
何百億も損害を出して一体誰のためにやっていたのか・・・


いろんな判断はその時には正しいかどうかは誰にもわからない。
だけど「歴史」というものが最終的にそれを評価する。

お前ら、こんなことを想像してみぃ!!
二井原は震災後2日目にライブを決行した。
シンディーローパーはもっとその後だ。

あらゆるアーティストが二井原と同じ時にライブを決行してたとしたら、
この国が抱える赤字は数億、数十億単位で軽減された。

すなわち復興は数年早くなったんだ!!


過ぎたことをとやかく言っても仕方がない。
ワシらがやるべきことは何か?

働け!!金稼げ!!金使え!!飲め!!食え!!笑え!!ロック聞けぇ!!

よろしい!!
日本人は世界最優秀の民族やと思う!!
戦後の焼け野原をここまで持って来た。
関西大震災もその他あらゆる困難も乗り越えて来た。

アホどもよ!
もうぼちぼち頭も落ち着いたじゃろ。
もう金輪際「自粛をしろ!!」という「暴力」を人にするのはやめようぜよ。

Posted by ファンキー末吉 at:00:02 | 固定リンク

2011年4月25日

手数セッション最終ミックスちう!!!

いやー・・・音数の洪水・・・吐きそうである(笑)

tekazu_stage.jpg

もともとは去年の年末に行われた江川ほーじん6DAYSのうちのひとつ、
「手数セッション」と称して行われた、
江川ほーじん、菅沼孝三、田川ヒロアキの手数トリオである。

その後もう一度ライブをやり、
あまりに好評で「レコード化を」と望む声が多く聞こえたので、
今年の2月のライブレコーディングを敢行した。

いや〜思い付いた時に音を想像しただけで吐きそうになったが(笑)、
改めて音を聞いてみたらやっぱ吐きそうである。

スタジオに遊びに来た二井原実は音を聞いて驚愕した。

菅沼孝三と長く一緒にバンドやってた彼は、
「何や、こーぞームッチャ本気やがな!!
江川ほーじん、田川ヒロアキ、
このふたりの天才がこの男をここまで本気にしよったんやな」
とのたまった。

こーぞーさんはプレイのみならず
ツアーのブッキングやらジャケット制作やら率先してやってくれて、
名ばかりのプロデューサーであるワシは多いに助かった。
昨日付けでプロデューサーの称号はこーぞーさんに移りました(笑)

ちなみにツアーは組んだ組んだよ全10本!!

7月20日(水) 大阪:ロイヤルホース
7月21日(木) 神戸:WYNTERLAND
7月22日(金) 京都: RAG
7月23日(土) 岐阜:Soul Dyna
7月24日(日) 鈴鹿:KAZU COMPANY
7月25日(月) 名古屋:ell.SIZE
7月28日(木) 千葉:K's Dream
7月29日(金) 熊谷:HEAVEN'S ROCK Kumagaya VJ-1
7月30日(土) 高田馬場:ライブ&ダイニングバー 音楽室DX
7月31日(日) 八王子:Live Bar X.Y.Z.→A

ワシも車運転してついて行ってCDでも売りに行こうと思ったが、
ドラムも叩かずにCDだけ売りに来られても邪魔だというわけで連れてってくれなかった(涙)

いや〜このCD、実はただのCDではないんですよ。
「絵のないDVD」(もっとかっこええネーミングはないか?!!)がつくんですよ。

何じゃそれはというと、
みなさん、こんなセッションを聞いたら
「どうやって弾いとるんじゃ?!!」
とか
「どうやって叩いとるんじゃ?!!」
とか思いません?

ですからそのDVDをパソコンに入れて、
そしたらプログラムが立ち上がるんで、
曲を再生しながら、聞きたい部分でそのパートをクリックすると、
なんとレコーディングスタジオのようにそのパートだけをソロにして聞くことが出来るのじゃ!!!

凄いじゃろ凄いじゃろ!!

と言いつつ、そうすると全ての曲を、
ドラム、ベース、ギターの3パートずつソロでそれぞれMixDownせなあかんから、
結局MixDownが4倍の時間がかかるのよね・・・

そして今その各パートのTDが始まっている。
う・・・ひとりの音数だけでもう吐きそう・・・(笑)

発売日はいつでもいいと言うので、
昨日メールを回して
「ほなファンキーさんの誕生日で」
ということで7月13日に決まりました。

みなさんパソコンの横にバケツを置いて(笑)発売日を待て!!

(と言いながら
プレスが終わったら各人自分のライブで勝手に先行発売することになってますので、
それぞれのライブにも是非足を運んでやって下さい)

Posted by ファンキー末吉 at:17:02 | 固定リンク

全中国ドラムクリニックツアーの特番

仕事をしようと思って何の気なしに中国のサイトで「Funky末吉」と検索したら
出るわ出るわ自分の映像・・・
X.Y.Z.→Aのもあるが、
そのほとんどは全中国ドラムクリニックツアーである。

中にはサウンドチェックをUPされてたりして油断もすきもあったもんじゃないが、
こんな映像を見つけてつい見入ってしまった。

あったあった・・・こんな場所・・・忘れもしません・・・どこやったっけ?・・・

何せもう何十都市も行ってるのだ。
とっさには思い出さないが、
この服を見るに非常に寒かった!!
きっとここだろう。


そう言えば先日、黒豹の連中と会った時、
「俺たちが行くところ行くところ"Funkyが来たよ"って
お前は一体何をやってるんだ?!!」
と言われたことがある。

今年も5月からまた始まる・・・

うん、これでいいのだ!!

Posted by ファンキー末吉 at:01:02 | 固定リンク

2011年4月23日

やっちん考

やっちんこと曾我泰久と知り合ったのはThe-Goodbyeが全盛の頃だったと思う。

SogaYasuhisa.jpg

友人から紹介されてドラムの衛藤浩一と親しくなって、
衛藤と共にオーディションでバンドに入ったベースの加賀八朗とは、
「一般人同士」みたいなフィーリングで非常にウマがあったのだが、
やっちんだ野村義男だというと
「スター」、「ジャニーズ」、「アイドル」、「雲の上の人」...etc
みたいな感覚でどうも近寄り難かった。


そんな中、ひょんなことから見に行ったひとつのコンサート、
渋谷公会堂(今のCCレモンホール)で行われた・・・
たしかジョンレノンの追悼コンサートだったと思うが、
パンタさんやアナーキーなど、そうそうたる「怖い人達」の名前の中に、
「曾我泰久」という名前を見つけた。

名前からして明らかに浮いている。

会場に来てみたら、
客席の雰囲気もその「怖い人達」と同じような怖い人ばっかりで、
客席にいても落ち着かなかったので、
ワシは楽屋のやっちんを訪ねて行った。

渋谷公会堂のあの楽屋、
ドアを開けると左側の隅に小さくなってやっちんがギターを抱いて座っていた。
右側には「怖い人達」がいーっぱいいて、
ワシでさえかなり怖かった。

ギターをつまびいていたやっちんがワシを見つけて、
すがるような目でワシに言った。

「末吉さ〜ん・・・」

ワシはこそこそと楽屋に入ってやっちんの隣に座って聞いた。
「どういうブッキングなの、これ?・・・」

およそジャニーズとか相容れない怖い人達ばかりである。
間違えて(?)ブッキングしたジャニーズのスタッフさえ、
この楽屋の怖い人達に恐れをなして(?)逃げて行き、
やっちんだけがただひとりここで残されてギターを持って震えていた。

「が、頑張ってや、客席で応援しとくし・・・」

パンタさんだったかアナーキーだったか
誰だったか忘れたがその怖い人達が、
オーラで言うとどす黒い色のオーラ(?)を発散しながら、
ジョンレノンのナンバーをどす黒いアレンジで絶叫していた。
客席はもっと黒いオーラで「ウォー!!」とか「ギャー!!」とか絶叫していた。

「ここでやっちんなんかが出て行たら、
普通ならどっちらけ、悪くすれば袋だたきにあうんじゃないか・・・」
ワシはヒヤヒヤしながら彼の出番を待った。

「きっとやっちんにはワシの知らない別の面があって、
出て来たら実は彼らと同じぐらいパンクで、
鶏のクビ切ったりブタの臓物を客席にぶちまけたりしながら歌うに違いない!!」
きっとそうに違いないと思って出番を待った。

やっちんが舞台に出て来た。
セッティングしている。
「誰だこいつ?」
ここにいる全ての客は曾我泰久なんて名前は聞いたこともないだろう。
まるで「盛り上がる」という雰囲気がない。

演奏が始まった。
いつものやっちんの、元気で爽やかで、
明るいビートルズナンバーで客席が静まり返った。

オーラで言うと金色、もしくは虹色である。
今までが地獄色ならこれは天使色である。
浮いているどころでない、ある意味ぶちこわしている・・・

ワシは息を飲んでことの成り行きを見守った。
よくってどっちらけ、悪くって袋だたき・・・
俺は舞台に駆け上って客の罵声からこの友人を助けに行く勇気があるのか?・・・

演奏が終わり、一瞬水を打ったように静まり返った後、
どよどよどよっと歓声が沸いた。
客席が揺れた!!
ちょうど昔の爆風がイベントに出て「客泥棒」をする時のような、
そんな揺れ方である。

やっちんはこの数千人の「場違いな客」を、
その笑顔と歌とオーラで持って行ってしまったのだ。

ワシは楽屋に駆けつけて彼に握手をしながら言った。
「あんた、凄いよ!!本当に凄い!!」

それからワシとGood-Byeとの本格的な付き合いが始まった。


ジャニーズの超エリートであるやっちんと、
たのきんトリオの中でひとりデビューが遅れていた野村義男と、
オーディションで参加した衛藤浩一と加賀八朗でバンドはスタートし、
テレビにも出まくり日本レコード大賞新人賞も受賞した。

数年活動した後、契約が切れてバンドは解散。
その後ソロ活動を開始したが、
あれから10数年、再会の縁はなかったところ、
先日Twitterでつながり、
彼の番組にゲスト出演させてもらって昔話に花咲いた。


そんな彼からメールが来た。
「僕も末吉さんの店に出させてもらえませんか?」

もちろん大歓迎である。
「もしよかったら俺とか和佐田とかバック出来るよ。
1回やって、もし店を気に入ってもらったら是非一緒にやろう」
と返信した。

昨日、えとーBar(で月いちでやっている衛藤浩一のバー)で、
マネージャーのSさんと飲んでて発覚したのだが、
彼は「一緒にやろう」というワシの言葉が非常に嬉しかったらしい。

「やっぱどこ行ってもアイドルだって見られて、
ある種コンプレックス持ってるですよ」
とSさんは言う。

ワシはワシで
「やっちんみたいなスターにこのような店に出てもらうのは・・・」
と思っているのでちょっと構えていたのだろう。
やっちんは
「一度ひとりで弾き語りで出演してから、そしたら一緒にやってもらえる」
と逆に構えてしまったのだろう。

ワシらの関係・・・相変わらず昔のままである(笑)

先日の大阪でコンサートを終えたやっちんに、
とあるファンがこう言ったと言う。

「どうして東京なんですか?
どうして大阪でこんなライブやってくれないんですか?」

やっちんはそのファンにこう答えたと言う。

「東京だとか大阪だとかじゃないんだ。
僕は末吉さんの店で歌いたいんだ!!
その店がたまたま八王子だったっていうだけだよ」

震災の後、自粛ブームに立ち向かうべく、
発電機を買ったりいろいろワシの奮闘をTwitterで見て、
「このお店に出たい!!」
と思ってくれたそうだ。

5月17、18、19日の3DAYSを押さえていたが、
17、19日は既にソールドアウト!!

6月にもまた出たいとオファーが来ている。
その時には是非一度一緒に何かセッションをしたいものだ・・・


Posted by ファンキー末吉 at:20:25 | 固定リンク

2011年4月22日

RTの嵐・・・


t.jpg

中国のツイッターにこんな画像がUPされていて、
「動いて見える人ほどストレスが溜まっているらしい・・・」
と日本のTwitterにUPしたら、
@todayrtっつうBOTからRT回数が一位だったとか、
@TLAnalyzeBotとかいうTL分析BOTから
[公式RTランキング 04/22 0時台] 1位 104回
とか、おかげでワシあてのつぶやきは全部
「ほんとだ!!動いて見える!!」
とか
「全く動いてない!!」
とかで埋まってしまった・・・

しばしの間、ワシ宛におもろいことつぶやいても他のTLに埋もれて読むことが出来まへん!!

Posted by ファンキー末吉 at:03:07 | 固定リンク

2011年4月21日

楽しいレコーディング

昨日はまず11時に太田明がやって来てドラムセッティング。
電車組の渡辺英樹と石川俊介を八王子駅まで迎えに行ってる間に、
野村義男と寺田恵子が到着。

隣の二井原実を呼びに行って、
寺田恵子とふたりで詞の打ち合わせに行ってる間、
こちらではあーでもないこーでもないと簡単にプリプロ。

ぼちぼち帰って来いと二井原に電話したが出ず。
あいつは携帯をめったに携帯せんからのう・・・

「ひょっとして打ち合わせ言いながら実は口説いてるだけなんちゃうん!!」
とワシ。

「今更それはないでしょう」
と義男。

「いやわからんでぇ。
知り合って20年、今だに酔っぱらったらセクハラするからなあ」
とワシ。

「むしろ偉大やなあ」
と英樹。

とか何とかやってる間に帰って来て、
とりあえず記念撮影。

20110420.JPG

今日はスケジュールが合わず参加出来なかったが、
これにシェイカーのシャラが入るんだから濃ゆいメンバーである。

このメンバーで何を録音しているかはまた後ほど発表するとして、
とりあえず交代にレコーディングしてゆくもんで、
「それじゃあ終わった人間から隣でバーベQをしよう」
と盛り上がる。

寺田さんは先に帰ったが、
筋少と爆風と聖飢魔IIとCCBラウドネスとThe Goobyeのメンバーが
一堂に会してバーベQをやっている絵はもの凄い!!

「よっちゃんは芸歴長いの?」
と二井原の芸歴比べ。
大体のところで芸歴の長さでは負けたことのない二井原だが、
さすが11歳から芸能界に入った義男にはかなわない。
「大先輩」相手に失礼のないように(ウソ)盛り上がっていた。

今日はこのレコーディングデータを整理してシャラに送らねば・・・

Posted by ファンキー末吉 at:06:27 | 固定リンク

2011年4月19日

あの美少女秘書のその後・・・

彼女と会ったのは彼女がまだ15歳の頃。
(中国の歳の数え方は数え年なので16歳と言っていた)
黒豹のドラマーに騙されて安い金でプロデュースさせられた
そのレコーディングの小間使いとして働いていた。

生まれがとてつもなく貧乏なのだ。
ワシが今暮らしてるような貧民街で生まれ育ち、
ひょっとしたら戸籍もなかったかも知れない。

義務教育分は知らないが、とりあえず高校には行ってない。
「君の夢は何なの?」
と聞いた時、
「勉強がしたいの」
と言ったのが心に残っている。

ワシは彼女に仕事の傍らワシの電話秘書をしてもらい、
かかって来た仕事の電話を日本にいるワシにメールで転送したりしてくれていた。

「掃き溜めに鶴」という言葉が適切かどうかはわからないが、
18歳の頃はモデルのスカウトが来たり、
その美貌はますます磨かれて来たようだ。

その後「白雪(バイシュエ)という歌手のマネージャーとなって
全国飛び回って忙しくしていたが、
去年会った時には、一緒に飲んでいても数限りないショートメールは来るわ、
彼女に恋する男どもからひっきりなしに電話が来るわ、
もうこのぐらいの美女になるとゆっくり落ち着いて酒も飲めない。

その時はひとりの男性に、
「じゃあおいでよ、友達と一緒に飲んでるから」
と言って電話を切ったのだが、
喜び勇んで来たその男性は、
傍らにいるワシらなんかを見てそそくさと帰って行った。

「一緒に飲めばいいじゃん!!」
という理論は恋する男性には通用しない。

ある時は男を連れて来たので、
「よ、恋人が出来たか?」
とからかったら、
「そんなんじゃないの、ただの友達よ」
と言うので、こっそりその男に、
「彼女のこと好きなの?」
と聞いたら、頬を赤らめて
「好きです」
と答えたこともあった。

数限りない男達が彼女に恋い焦がれ、
そして玉砕して行ったのをワシは見て来た。

ワシも恋い焦がれてはいたが、
デブのキーボードにかっさらわれたので見込みなしである。

見込みはないのに呼び出されたらいそいそと出かけてゆくんだから
男というのは悲しい生き物である。

この日も今更何の期待感もなく、
そのくせいそいそと風呂に入って服を着替えたり、
それなりに気を使って出かけて行った。

約束の店に着いて、
「何飲む?」
と聞いた途端、彼女の開口一番にひっくり返りそうになった。

「私、飲めないの。妊娠してるから・・・」

相手は誰じゃい!!
ワシでなくても世の男はみな興味津々であろう。

聞いてみればお相手はワシら音楽界の仲間ではなく、
白雪(バイシュエ)から紹介された建設会社の社長さん。
まあ金はあるんだろうが、ルックスは別にそんなにぱっとしないらしい。

なみいる男どもが全て玉砕していったというのに、
何故にこの男だけが紹介された会ってすぐにこの美女をモノに出来たのか・・・

「试试吧(試してみなよ)」が口説き文句だったらしい。

そんなに簡単でええのか!!
ワシも含め全ての男どもは勘違いをしていた。
こんな美女なんだから誰もが真剣にアプローチしていたが、
こんなんでいいのである!!

失敗した・・・

後悔してももう遅い。
彼女はもう人妻となり、11月には子供を出産する。
玉砕した数多くの男ども、
みんなで彼女とその羨ましい旦那の前途を祝おうではないか!!

WithLiLi.jpg

おめでとう!!麗麗(LiLi)
幸せにな!!

PS.18歳の誕生日にワシがプレゼントした化粧品も結局今まで使われなかった。
結婚式の時も結局化粧をしなかったらしい。
26歳の今まで化粧をしたことがないと言う。
美女は化粧品も必要ないのだ・・・はあ・・・(ため息)

Posted by ファンキー末吉 at:08:25 | 固定リンク

2011年4月15日

亜洲鼓魂コンサートへの道

北京に来ている。

BeiBeiのレコーディングをやって、
終わって飯を食いつつそのまま
布衣がライブをやるというのでみんなで見に行った。

・・・というより「飲みに」行った。

布衣も今ではアンダーグランドの中では有名になったが、
やはりバンドであるからして本人が歌いたくても歌えない曲とかもある。

先日とあるライブで一緒にやって、
そんな曲を思いっきり歌って彼の楽しかったようだ。

「じゃあソロプロジェクトとしてライブやるか?」
と言ってはみたが、
やはりボーカルがそれをやるとメンバーがやはり面白くないらしい。

BeiBeiはBeiBeiで、
バンドではなくボーカルとのユニットだったらライブをすることもままならない。
毎回ミュージシャンにギャラを払って雇わねばならないからである。

ワシは真ん中でまたアホ話をしながら飲んでたのだが、
誰かがワシのアルバム、亜洲鼓魂の話をし出してふとひらめいた。

「ワシ名義のライブだったらお前らどちらも助かるんじゃないのか?」

目がキラリと光ったLaoWuが興奮して乾杯する。
「そうだ!!亜洲鼓魂コンサートをやるんだ!!」

実はこのアルバムを発売した時に、
ストリングスオーケストラも全部入れてあのアルバムを再現したコンサートをやりたかった。

しかし当然ながらそんな予算もなく、
日本では売れなかったのでスポンサーも現れず、
中国では売れたが海賊版ばっかなので誰も儲からず、
結局その話は流れてしまっていたが、
こうしてそのアルバムを聞いて育った若い衆達と一緒に、
自由が利くライブハウスでやる分には何も問題ないのだ!!

最初は小さいところで始めて、
毎月やっているうちにこのアルバムに参加したスター達、
黒豹や唐朝やBeyondの連中や、
李慧珍をはじめとするこのアルバムでスターになった人達も集まって来るかも知れない。
(いや、ヤツらはみんなワシに恩があるから呼べば必ず来るな・・・)

とりあえずは小屋を押さえる。

昔院子に住んでたドラマーが開いたライブハウス、
北京两个好朋友酒吧」に連絡してみた。

「5月2日なら空いてるよ」

しかしワシが次に来る便は5月1日の夜中便である。
綿密なリハーサルをやる時間がない。

「よし!!当日リハで出来ることをやろう!!」

何もあのアルバムの曲をメインで持って来る必要はない。
布衣の曲、Pairの曲などを中心に、
時間が足りなければ張張とのセッションもやりーの、
全中国ドラムクリックでやっているひとりドラムもやりーの、
とりあえずはタイトルチューンの亜洲鼓魂1曲ぐらいでええんとちゃうの!!

よし!!とりあえず5月2日を皮切りに、
毎月ちょっとずつライブをやって、
将来は「亜洲鼓魂コンサート」と銘打ってでっかくやってやろうじゃないか!!

それにしても日本だけじゃなく中国にこれだけ楽曲を残しているっつうのは我ながら大したもんじゃと思うのう・・・

ギャラは参加した人間で均等に分けて、
みんなで羊を1匹買ってその場で丸焼きにして食べよう!!
(「北京两个好朋友酒吧」は最近羊を丸焼きに出来るオーブンを買ったらしい・・・)

雨が降らなきゃいいのじゃが・・・

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2011年4月11日

チャリティーマラソンライブ大盛況!!

北京の院子を朝5時半に出て、
店に着いたのが16時過ぎということは、
ドアtoドアで11時間近くあるということになる。
(一番かかるのが成田ー八王子なのだが・・・)

ライブは予定通りプロJam常連セッションから始まり、
Masstar Mirrage、電子レンジでチン!、DAZZLE、Loners、
そして黄金の手が演奏してる頃やっと店に着いた。

6Fは椅子を取っ払ってスタンディングオンリーにしていたが、
5Fも既に満席に近く、どちらも熱気むんむんであった。

そこからはセッションコーナー、
田川ヒロアキ、江川ほーじん、太田明のセッション、
続いては井上シュウイチと初見が出来るミュージシャンということで、
末吉、和佐田、米川英之がサポートさせて頂いた。

この頃ユニコーンのテッシーが着いたが、
階段でこけて指を怪我したということでプレイは断念、
飲食に徹して義援金を置いて行ってくれた。

続いての米川セッションは、再びドラムに太田明、
キーボードにへーすけさん、ベースにTAKさん、
そしてこの頃渡辺英樹が到着。

ベースも持って来ず、譜面も忘れた(笑)というので、
米川くんとワシとトリオで2曲演奏。

そして大所帯「BLUFF」のメンバーが勢揃い。
松木隆裕(Tp,Vo)川嵜淳一(Tp)吉田俊之(Tb)近藤和明(Kb)
米川英之(G,Vo)斉藤"TAK"貴之(B)岡本郭男(Ds)TOMMY(Vo)
ということで米川くんはずーっと出ずっぱり!!(笑)

そこからはちょっと休憩を入れてアコースティックコーナー。
ゆう、Shu(ベースに和佐田、ドラムに高くん)、
竹内藍(ベースに和佐田、ドラムに末吉)、音引力、
SHIOKOSHOW、風神雷神と続き、
Steel Angelの小畑秀光がひとりで弾き語り(?)

というかこれが圧巻!!
なんとSteel Angelの曲をそのままギターだけで歌って煽りまくるのである!!

ワシも和佐田もステージ袖で笑い転げ、
お客さんもここから一気にボルテージがハイとなる。

この頃シェーカーの甲斐くんが到着し、
マッド大内と共にセッション。

しかしギターのケンタロがまだ来てないということで、
再び小畑くんのギターと歌でラウドネスのCrazy Doctor!!
(これも大爆笑もののセッションであった)

ケンタロが間に合ってマッド大内が歌うMORE、
そして甲斐くんが歌うRADIO MAGICというコアなセッション。

そして最後のX.Y.Z.→A、
何と橘高はギターも持って来てない。

ところがバイトのケンタの友人が
ギターに橘高にサインをしてもらおうとフライングVを持って来てたので、
なんと橘高がそのギターを借りて弾くこととなって、
彼にとっては逆に一番のプレゼントとなった。
号泣・・・

イベントが終わり、5Fでは米さまが見事に酔い潰れ、
その時点で義援金は30万を越えるんではないかと思われていたが、
その後の酔いどれどもが延々と酒盛り(二井原を含む)のため、
結局この日の売り上げは388,150円!!

当初から仕入れを除いて全て義援金とするということで、
「5万円だけ仕入れで頂きます」
とMCで言いましたが、
本日集計してみると酒の消費量たるやハンパじゃなく、
結局端数の88,150円だけ頂いて、
それに義援箱の107,324円を足して、407,324円を寄付させて頂きます!!

参加して頂いたミュージシャン、ボランティア、お客さん、
全ての方々にお礼を申し上げると共に、
義援箱に万扎をどかんと入れてくれた方や、
名前は出さないで下さいと言われたのですが、
この日のために生ビールの樽をたくさん寄付してくれた業者の方や、
ライブで来れなかったけど義援金の足しにしてくれと
色紙を送ってくれたmintmintsのみなさん、
その他たくさんの方々どうもありがとう御座いました。

従業員も疲れ果ててひとり死んでました(笑)

これを毎月やってたらきっと店が潰れるので時々しかやれませんが、
他のチャリティーイベントも有志達が毎月必ずやってますので、
皆様また是非足をお運び下さい。

本当にどうもありがとう御座いました!!

Posted by ファンキー末吉 at:11:19 | 固定リンク

2011年4月10日

李慧珍(Li HuiZhen)

中国のツイッターをやり始めて彼女と久しぶりに繋がった。
「ご飯でも食べましょ」
ということで待ち合わせをし、数年振りに会った。

彼女はワシが最初に中国でプロデュースをした歌手である。

その後、そのアルバムの曲は中国のグラミー賞に当たる作曲賞を受賞し、
中国のヒットチャートを荒らした

その功績により日本レコード大賞アジア賞なるものも頂いたが、
その受賞パーティーの席で堀さんはスピーチでこう言った。

「アジアブームと言われてますが、
いろんな会社が中国に莫大な投資をして、
結局得をしたのはファンキー末吉だけです!!(笑)」

最近彼女は当時の中国側の社長と会って裏話を聞いたらしく、
結局ホリプロが出した6000万の出資金は、
当時は直接中国に投資出来なかったので、
その中継会社となった香港の会社に流れ、
結局中国側にも、もちろんワシのところには流れては来なかった。

ホリプロスカウトキャラバン中国版として鳴り物入りで行われた
全中国からスターを探すオーディション、
そこで歌はナンバーワンだったのにホリプロから捨てられたのが彼女だった。

中国の「ホリプロ3人娘」として鳴り物入りでデビューするという
その3人の中から彼女は外された。

そんなことは知らないワシは中国ロック話で彼女と盛り上がり、
中国側からの強いオファーもあって彼女を自分のソロアルバムに起用した。

そのアルバムは中国のロックのバイブルのひとつとなり、
今だに彼女は彼女が歌ったその中の曲
「Let Me Be Freeは歌わないの?」
と言われるという。

サンプラザ中野という偉大な作詞家と一緒にいたがために、
「自分で作詞をする」
などということなど夢にも思わなかったが、
あの時はがむしゃらに曲を作って詞を書いた。

「言いたいこと」がたくさんあったのだ。

「あの頃はお互い気が狂ってたねえ」
ワシらはそう語り合った。

誰にも伝えられない想いをワシは楽曲に込め、
彼女はワシの分身としてそれを歌った。

まだ10代だった彼女はもちろんのこと、
ワシも若かった。
「商売」などと考える余裕もなく、
ただがむしゃらに「音楽」をやってた。

このアルバムのTDを陣中見舞いに来たアミューズのマネージャーは、
この曲の彼女のシャウトを聞いた時に涙を流してこう言った。

「ヤバいよ!!末吉さんがどっか行っちゃうよ・・・
爆風が・・・なくなっちゃうよ・・・」

彼の言う通り、ワシの夢は彼女と一緒にこの中国大陸を駆け巡った。

ホリプロの撤退と共に彼女は事務所と契約でもめ、
ほされた期間もあり病気になった期間もあり、
新しい事務所は彼女から「ロック」のイメージを払拭すべく、
彼女から極力ワシを遠ざけた。

そのおかげで彼女は「スター」となったが、
数年前、安徽省のテレビ局が彼女をゲストに呼ぶ番組の中で、
ロックファンであるその番組の若いディレクターが
サプライズとしてワシをブッキングして合肥までワシを呼んだ。

思いもよらぬサプライズで号泣した彼女は、
ワシの手を握りしめて泣きじゃくった。

一緒に行った嫁はそれを見て呆然としていた(笑)

「あの頃はねえ、
誰にも伝えられない思いがたくさんあっの・・・」

それが「芸能界」である。
彼女はその中で今まで頑張って来た。

夕べのふたりの写真を中国のツイッターにUPした彼女、
6万人近くいる彼女のフォロアーは、
ある人は「誰よこのオッサン?」と言い、
ある人は「バカねえ、この人がいるから彼女がいるのよ」と言う。

一番印象に残った書き込みが、
「バラードなんかもうくそっ食らえだ!!ロックを歌ってくれ!!」
というものだった。

「また一緒に何かやろうか・・・」
そう言って夕べは別れたが、
本当に何かが始まるかどうかは神様のみぞ知る。

「縁」とはたかだかそういうものなのだ・・・

WithLiHuiZhen.JPG

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2011年4月 9日

雲南の少数民族歌手

張張がプロデュースした雲南省の少数民族高洪章のアルバムを、
ぜひ日本のファンキースタジオで仮谷さんにミックスしてもらいたい
と言われてその音楽を初めて聞いた。

サックスのような強烈なブロウのインプロビゼイションを聞いた時、
「これ何の楽器?」
と聞いたら、
「何言ってんですか、歌ですよ」
と言われて度肝を抜かれた。

いわゆる「金切り声」を自由自在
に操って歌ってるんだからこれぞ「メタル」!!

また張張のアレンジも素晴らしく、
民族音楽とロック、FUNKなどが見事に融合しとる!!

全音源をUPしました)


そんな高洪章のアルバム発売記念コンサートは雲南省の昆明で行われるというので、
「ファンキーさんスケジュール大丈夫ですか?」
と言われて無理矢理スケジュールを開けて駆けつけた。

何せ常春の雲南省にリハを含めて5日間滞在すると言うのだ!!
行かねばなるまい!!


リハーサルは3日間、
北京から5人メンバーのバンド編成でやって来てたのだが、
日に日にメンバーが増えてゆく。

琵琶、中国琴、二胡、中国笛から始まって、
雲南省の見たこともない民族楽器から、
民族歌唱のコーラス隊まで加わって最後には大所帯のバンドになってしまった。

その音楽監督が張張なのである!!
偉くなったのう・・・

さていよいよ本番当日、
会場に着いて真っ先に目に飛び込んだのは数メートルもある巨大なポスターである。

KunMingPoster.JPG

ご丁寧にワシの写真まで入っているというのに、
音楽監督の張張の写真がない。
その代わりギタリストの写真は2枚あるのできっと間違えたのであろう(爆笑)。

コンサートはまずイントロダクションでこの楽器が登場!!

KunMingMinZuYueQi.jpg

何という楽器なのかは聞き忘れたが、
いわゆる「ラッパ」である。
「ぶぉ〜〜」という音がする。

それを循環呼吸を使って
音が途切れずにずーっと吹き続けるのだ!!

ワシが循環呼吸というのを初めて聞いたのは、
クルセイダースのライブアルバム「スクラッチ」であった。
トロンボーン奏者(だったと思う)が、ソロでひとつの音を延々吹き続けて大拍手をもらう。

この循環呼吸奏法というのは、
まあ鼻から吸いながら口から息を吐き続けるようなもんで、
当然ながらむっちゃ難しいテクニックである。

Jazzのセッションなどで同様のソロが振られた時、
友人の一流管楽器奏者などがよく本番では挫折して別のソロをやっていた。

必ず成功するかどうかわからないというそれほど難しいテクニックを、
彼は、というよりこの楽器奏者は必ず出来なければならない。
この楽器を始めた時からずーっとそれを訓練して、
必ず何時間でも吹き続けられるようにならないとこの楽器奏者と言えない。

ティンパニー奏者のロールの話を書いたことがあったが、
それと同じでこの「音」こそが彼の「人生」なのである。

人の「人生」を目の当たりに感じた時に人は涙が出て来る・・・


それだけではない!!
その後に出て来たこの民族パーカッション!!

KunMIngShenGu.jpg

名を「神鼓(Shen Gu)」と言う。

タイコに鈴が付いていて、
右手でそれを揺らして鈴を鳴らし、
左手でバチでタイコを叩く。

普段はこのように地べたに座って演奏するのだが、
最後のサビの繰り返しになると突然立ち上がって、
狂ったように踊りながら演奏するのだ!!

リハの時にそれを見た瞬間にワシは号泣!!

本番の時はワシの位置からは見えなかったが、
よく見える位置の張張が号泣!!

「ファンキーさん、あれはねぇ、神様と交信してるんだよ。
誰にもじゃま出来ない神との会話なんだよ!!」

それもそのはず、彼の職業はもう音楽というレベルを越えている!!

病気の人がいればそこに行って「神鼓(Shen Gu)」を叩き、
運気が悪い人がいればそこに行って「神鼓(Shen Gu)」を叩く。

神鼓奏者というのはもう音楽を越えて呪術師のレベルにいっているのだ。


宗教は人を救うために生まれ、
そして時には戦争を起こし、人を殺す。

ヘタな宗教をやるぐらいだったら、
楽器をつきつめて神と交信した方がよっぽど平和である!!


ゲストで出てくれた少数民族のふたり、

KunMingGuestDuo.JPG

この歌も鳥肌もんであった。
人間の声が、訓練によってここまでになるのかという鳥肌である。

もちろん訓練だけではなく天性のものも必要なのであろうが、
この少数民族にだけその天性のものがあるというわけはない。
やっぱ「訓練」というよりは「生き様」なのである。


ワシは結局この人達から感激ばかりさせられながら、
それでも頑張ってドラムを叩いた。

わざわざ民族衣装を買いに行って衣装にしたぐらいである!!

KunMingMinzokuIshou.jpg

昔はマッド大内のように上半身裸で叩いていたが、
太って腹が出て来てからそれも気後れしてやめてたが、
この少数民族の兄ちゃん達を見るにそれもバカらしくなった。

腹が出てようが何だろうがカッコイイのである!!

むしろその腹がカッコイイ!!
わざと裸でベストを着て、
ズボンは下っ腹の下で縛り、
腹もひとつのオプションとしてカッコイイ!!

KunMingMyIdle.jpg

ギネスの公式記録を軽々と上回る循環呼吸奏法を軽々と成し遂げつつ、
ステージで狂ったように踊りながらコーラスをする。

「これが男だ!!」

その証拠に、彼らの民族衣装を身にまとって狂ったようにドラムを叩くワシに、
コーラスの美女達はメロメロで
「一緒に写真撮って下さ〜い」
なんて寄って来るのじゃよ!!

KunMingBijo.JPG

は、は、は!!・・・というわけでコンサートは大盛況のうちに幕を下ろした。
打ち上げである。


KunMingUchiage.jpg

噂には聞いてたが少数民族は飲む飲む!!
今までは本番前だということでセーブしてたのだろう、
ここに来てまた狂ったように飲む!!

ワシもひとりひとりと乾杯をしながら飲む飲む・・・

この中で一番偉いであろう人がワシの肩を抱いてこう言った。
「私たち一族はあなた達に感謝の意を表します」

私たち一族?・・・

そう、マネージャーも歌手の奥さんなら、
コンサートホールの支配人も親戚、
当然ながらワシにメロメロのはずの美女達は・・・

「そう、あれはあの歌手の嫁さんと、
もうひとりはあちらの楽器奏者の兄さんの嫁」

そうですかそうですか・・・俺がそんなにモテるわきゃないよっとくらぁ(涙)

しかし自分の一族だけでこの大きなコンサートを実現出来るというのも凄いし、
その一族の中にこれだけ優秀な楽器奏者や歌手が揃うというのがもの凄い!!


宴もたけなわの中、
さすがにもう飲めんので先においとましようと思ったら、
最後に高洪章とゲストの歌手が一緒に「酒歌」を歌ってくれた。

KunMingJiuGe.jpg

あまりに楽しくて涙が出て来た。

彼らは嬉しい時には酒を飲んでこの歌を歌い、
悲しい時には酒を飲んでこの歌を歌う。

民族の歴史は必ずしも平穏ではなかったと想像するが、
それでも彼らはこの歌を何十年、何百年、
いや、ひょっとしたら民族が生まれてからずーっと歌い続けて来た。

今年ヒットして来年には忘れ去られる音楽しかやってないヤツに、
彼らのこの歌声はどう響くのであろうか・・・

「そこに酒があれば〜行って飲み〜
そこにベッドがあれば〜そこで寝る〜」

コンサートでも歌った曲であるが、
狂ったように踊りながら大声を張り上げてこの歌を歌う彼らを見ながらこう思った。

日本のみんな、酒を飲んで歌を歌おう!!
狂ったように踊りながら歌を歌おう!!
民族の歴史は決して平穏ではないが、
それでもみんな楽しく生きてゆこう!!

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2011年4月 7日

ヒロキ君、ついに入学許可!!

雲南に来て毎日リハーサルとうまい食事と酒の毎日じゃが、
中国の携帯のSMSでヒロキ君のお母さんから
「入学出来ることになりました」
というショートメールを頂いた。

これでとりあえずのワシの任務は完了である。
胸を撫で下ろすと同時に思う。

しかしこれで全ての問題は解決したのか?・・・

「そんな子供まで受け入れてたら職員がノイローゼになっちまうだろ!!」
というポリシーを守るためにどこにも行き場がない日本国籍の子供を路頭に迷わす。
その現状は解決しているのか?!!

「日本国民は全ての子供に教育を受けさせる義務がある」
というのが「義務教育」だと聞く。
ワシら国民はそういう教育を受けて育って来た。

そりゃあ学校運営は「商売」であるからして、
それはそうそう理想通りに行かないことはあるかも知れない。

しかしこの人達が「教育者」であるなら、
そういう子供にはまず
「教育を受けさそう」
ということを第一番に物を考えることが当然だと思う。

「残念ながらここでは受け入れられないんです。
帰国させる相談だったら乗りますよ、もしくは中国人学校に入れますか?」
など、まず「教育を受けさせる」ことを最優先させるものだとワシは思う。

だからこそ今回の事件はそのように教育されているワシら国民にとって
「こんなひどいことがあるか」
と思うのである。

しかし当の本人は思わない。
まるで別の考え方をしているのだ。

それがワシは腹が立つ!!

自分の仕事が増えるから、
職員の負担が増えるから、
などという理由で日本国籍の子供を捨て去っていいのなら、
ワシやファンキー村のみんな、
それ以前にヒロキ君関係のいろんな人達が、
自分の時間や私財や、いろんなものを投げ打って
「この子に教育を受けさせたい」
と思う気持ちは、この人達にとっては単なるキチガイか?!!

よーしどっちかキチガイなのかとことんやってやろーじゃないか!!
というのは今回の話の発端である。

「教育者」としてではなく「商売」として学校運営をしているのだとしたならば!!
(それが税金を給料としてることであったとしても)
当然ながらこんなキチガイの顧客が来るのは「商売のリスク」と思ってほしい。

それを覚悟で「商売」しろ!!

「残念ながらこの学校ではこういう現実でこの子を受け入れられない。
だから日本国民として一緒にどうにかこの子に教育を受けさせられる方法を考えようではありませんか」
ということならいざ知らず、
それをすっ飛ばして高飛車な態度で子供を切り捨てるその態度には、
(ワシも校門の前で門前払いされたが)
絶対にこの「教育者」としての志があるとはワシは思えない。
ましてやどんな言い訳をしても「ポリシー」や「生き様」があるとは思えない!!

「お前が出て来たらややこしくなるから」ということで、
ワシはイライラしながらも結局北京日本人学校とは直接交渉をしなかった。
ややこしい転校手続きも学校同士に任せた。

結局日本大使館とも戦争をしていない。
とりあえずは現実としては彼が入学出来たから万々歳ではあるのだ。

しかしこの体制が残っている限り、
第二第三のヒロキ君は生まれて来るというのは現実だ。

ことは既に蓮舫大臣と鈴木寛文部科学副大臣にまでいっている。
しかし震災の後処理で本格的な指導というまでにはいっていないのが現実である。

ワシとてとりあえずは先に震災のことをやって欲しい!!
この件はそれが終わってからで全然かまわない!!

願わくば今北京の、そして
「義務教育など海外に住む日本人の子供には関係ない」
などとほざきやがる上海日本人学校にも心して聞いて欲しい。

お前らは今までこうやって偉そうに子供達を切り捨てて来た。
その子供が将来どうなろうと自分は知ったこっちゃないという態度で生きて来た。

しかしその子供の後ろにはひょっとしたらこんなキチガイどもがいるんだと心して思え!!
「めんどくさいから」とか「手間だから」とかで切り捨てて来たものが、
打って変わって一番お前らの「めんどくさいもの」になるということがありうるのだと心しろ!!

お前らが「こんな子供なんてどうでもいい」と切り捨てた子供を、
もの凄い犠牲のもとにも何とかしようとするキチガイどもも必ずいる。
お前らと刺し違えても何とかしようとするキチガイは必ずいる!!

だから日本は「いい国」なんだ!!
それを肝に命じて今後も子供達に接していって欲しい。

当面は震災の処理に忙しくて行政は動かないだろう。
しかしそれをいいことにお前らが
明日からもまた同じようなことをちんたらしてたとしたならば、
またワシのようなキチガイがお前らの前に現れる!!

絶対に現れる!!

中国は広いように見えて、そこで暮らす日本人社会は狭いのだ。
お前らが次にも相変わらずそういう仕打ちをして路頭に迷わせた子供の、
その親の友達の友達には必ずワシがいる!!
そしてこの事件で奮い立った他のもっとキチガイがいる!!

と心して覚えておけ!!

以上!!とりあえず一見落着!!あとは行政の指導を待つ!!!

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2011年4月 5日

貧乏人から太陽を取り上げるな!!

雲南省に着いて楽しい仕事が始まっているが、
北京の院子の騒動の顛末が面白いので
雲南レポートより先にそちらをレポートしたい。

もともとこの院子というのは庭みたいな意味で、
北京伝統の四合院と言えば聞こえがよいが、
コンクリートの箱みたいのを3方にどどんと置いて、
その真ん中が住民共通の庭となるものである。

うち間取りはこちらを参照のほど

この3方全ての部屋を一人で借りて、
このひとつの「院子(この場合は庭も含めて全て)」を独り占めする、
これがワシの思う究極の贅沢なのじゃが、
マンションなんかを指す「楼房(Lou Fang)」と違って、
いわゆる「平屋」という意味の「平房(Ping Fang)」というのは、
今や豊かになってしまった北京人はなかなか住もうという気にはならない。

まあ土地だけはあって、
手っ取り早く家(というよりただのコンクリートの箱)を建てればいいんだから、
最近では人里離れたうちのような貧民街か、
逆に超豪勢な都心の四合院かしかお目にかかれない。

往々にしてトイレや風呂はなく、
ここに住む貧民の一番のメリットはこの真ん中の院子(庭)なのである。

それを大家は自分が政府を騙して金儲けしたいがために貧乏人からたったひとつのそれを奪おうとする・・・

「ファンキーさん、2階なんて作られたらこの院子(庭)が死んじゃうじゃないですか!!
断固戦うべきですよ!!」
とうちのアホのエンジニアは鼻息を荒くするが、
ワシは外国人の住めないこの地区に内緒で住んでいるのでそう強いことも言えない。

「まあ上がそう言ってんだったらしゃーないんじゃない?!!」
と取り合わなかった。

ところがいざ雲南省に出発しようとしたら、
院子の入り口で警察までやって来て大騒ぎをしている。

FangYanBaoJing.JPG

聞いたら「警察に通報した」と言う。

「見て下さいよ!!
こんなところにこんな雑な作り方で壁なんか作られたら、
隣は共同トイレでいろんな人がここ通るのに危ないじゃないですか!!」

大家も巻き込んで警察とやりやっている方言を後に、
ワシはそそくさと雲南省に出発した。

その後彼からメールが届く。
「警察は相手にしてくれなかったけど、
この話をツイッター(中国の)にUPしたから見て下さい」
と。

これである。

「ファンキーさんの院子に」
と書かれてあるのでうちにもResが来て大変だが、
「貧民から太陽を取り上げるな!!」
と盛り上がっている。

Resにも大家に対して、
「金さえ儲かれば他の人が死のうが生きようが構わないのか!!」
など話がどんどん飛躍してゆく。

とどのつまりには方言はこんな激を飛ばす。


こんな詩を知ってるか。

ドイツで昔、共産党員を皆殺しにし出した。
私は何も言わなかった。
何故なら私は共産党員じゃないし・・・

今度はユダヤ人を皆殺しにし出した。
私は何も言わなかった。
何故なら私はユダヤ人じゃないし・・・

今度はカトリックを皆殺しにし出した。
私は何も言わなかった。
何故なら私はカトリックじゃないし・・・

最後に私を殺しに来た。
ししたら誰も何も言わなかった・・・


「みんな!!今回俺は声を出して言った!!
だけど声が届かない!!
誰か俺たちのために立ち上がって声を上げてくれる人はいないのか!!」

そんな叫びが実ったかどうなのか、
大家は彼に折衷案を出した。

「2階は作りますが、
屋根は透明の素材にしてあなた達の太陽は守りましょう」

方言の叫びがついに届いた!!
院子は2階建てになっても太陽は残るぞ!!


・・・ん?・・・待てよ・・・
これから気温40度を越える夏がやって来るというのに、
天井に透明な素材で蓋なんかされた日にゃ蒸し焼きになってしまうぞ・・・

方言・・・まことにいいヤツなんじゃがひとつ詰めが甘い・・・

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2011年4月 4日

貧乏人が村を追われる日・・・

北京に帰って来たら向かいの院子から音が聞こえている。
ふらふらと遊びに行ったら貧乏なミュージシャン達がリハをしていた。

BinbouBandRh.JPG

うちのスタジオでは張張が雲南省ツアーのためのデータを作っている。
「メシを買って来たから食おう」
と言うので
「ビールがなきゃいやだ!!」
というと
「隣の院子が宴会してるからもらって来よう」
と窓越しにビールがやって来る。

我が院子、この世の天国のロックステイションなのだが、
ここに来て物価の値上がりとかも凄まじく、
ついに家賃もまた値上がりした。

6年前ここを借りた時の既に倍近くなっとるやないの!!

貧乏ミュージシャンは天然記念物のトキのように、
また住むところを追われて遠くに行かねばならないのか・・・

事実、この村は数年後に取り壊しになるという話である。
一昨年のある日、大家が勝手に院子に屋根をつけた時には、

「中国政府がここを買い取る時に、
院子(庭)だと人が住んでないので金にならんが、
家屋のように見せかけると金になる」

ということでせっせこ仮説の屋根を作っては数日後に撤去していたが、
ふと見ると今度はせっせこ2階を作っているようだ。

YuanziGaiErLou.JPG

なんでも
「2階を建ててると倍金がもらえる」
ということらしいが、
2階なんか作られたら自慢の院子(庭)は意味をなさなくなってしまうし、
朝から天井でとんちんかんやられる住民にとってはいい迷惑である。

うちにはアホのエンジニアと共にもうひとり居候がいるが、
彼は騒音にたまりかねてスタジオに非難した。

StudioFuton.JPG

うち(八王子)でも
酔い潰れて帰れなくなったえとーさんはうちのスタジオで寝たりするが、
こちらは基本的に土間なのだから、
そこに布団を敷いて寝た方がよいというのはよっぽどである。

村の中でもちょっとでも金をもらおうという算段で改修工事ばっかやっている。

こういうのを中国語で「騙銭(Pian Qian)」という。
偏見を承知で言えば、
国民のほとんどが「人を騙してでも儲けられればいい」と思ってるこの国で、
本当の意味でも「民主主義」なんてまだまだ先に話である。

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2011年4月 2日

パスポートなければ中国行けまへん!!

店で3日連続ライブをやり、
最終日の爆風銃Showが終了次第、
翌日の4月2日には北京に行き、
そのまま雲南省の昆明にてライブがあるというその最終日、
リハ終了後に嫁のお母さんから電話があった。

「さとるさん・・・パスポートを忘れてませんか?」

ふと思い出した。
先日高知の中学に通うことになった息子の荷物と、
神戸の実家に帰ってた嫁の迎えと、
どーでもええけど三井はんと和佐田のTANUKIのライブを京都で見るのと、
なんじゃかんじゃで車で実家におじゃまして、
その昆明のコンサートのプロデューサーである張張からのメールで、
「北京ー昆明のチケット取るのにパスポートスキャンして送って下さい」
というのでスキャンしたまま忘れていたのだ!!

お義父さんがプリンターをいじっていて、
「なんじゃこりゃ?」
というので発覚した。
もしこの日にプリンターをいじってなかったらワシは知らずに空港に行き、
「パスポートがなければ搭乗出来ません!」
と断られていたところである。

そう言えば以前断られたことがある。
夏休みに子供二人を連れて北京のじーちゃんばーちゃんに会わせに行こうという時、
いざ搭乗となって、
「パスポードは?」・・・「パパ持っとるんと違うが?・・・」
ということでどうにもならなかった。

特に中国で暮らしていると世の中「裏技」は多いが、
ことパスポートがなければどんな裏技を使っても海外には行けない。

問題は神戸にあるパスポートを
どうやって次の日の羽田までにゲットするかということである・・・

フライトは13:50、2時間前の11:50には羽田にいる。
朝一番の飛行機に乗せてもらってパスポートだけを運んでもらうか、
もしくは最終の新幹線に乗せてもらって
夜のうちに東京駅でゲットするか・・・

どの道もうすぐライブが始まるので手配をしている時間がない!!
慌てるワシにお義母さまは電話口でこう言った。

「持って行きましょうか?」

神戸からの新幹線の最終は21時05分。
それに乗れば最終で八王子まで来ることが出来る!!

江川ほーじんがMCでぽろり・・・

「末吉は俺と同じぐらい性格破綻者やと思とったが、
嫁の母にパスポートを持って来させるなんて、
そんな関係を築けるなんて俺は・・・負けた!!」

なんか褒められてるのかけなされてるのかよくわからない。

「いやー・・・お義母さん、ワシとあんまし年変わらんから・・・(恥)」
とぽろっと言うとホッピー神山がすかさず、
「え?いくつ?10歳?うちなんか7歳だよ!!」

爆風銃って変な人間の集まりだったのね・・・(今更)

とにもかくにも何とかパスポートをゲットして北京まで来ることが出来ました!!
タイミングよく発見してくれたお義父さま、
わざわざ新幹線で持って来てくれたお義母さま、
本当にどうもありがとう御座いました!!

Posted by ファンキー末吉 at:13:19 | 固定リンク