
2008年10月29日
ドラマーズチャンピオンシップ中国決勝大会
重慶から帰って来たら風邪をひいていた。
そうかぁ・・・昨日の頭痛は風邪だったのか・・・
明日はドラマーズチャンピオンシップ中国決勝大会。
去年は呼ばれて見に行ったが、
今年は審査員、兼ドラムも叩いてくれと言うのでそのままセッティングに行く。
5時入りだと聞いていたが例によって誰も来ていない。
夜は零点の歌入れなので急いで院子に帰る。
それにしても寒い。
ネットで温度を調べると7度。
日本は最高気温21度、最低気温14度なのに、
北京は最高でも14度ないんだからやっぱ寒い。
暖房はというと石炭を燃やすのじゃが、
時期がまだ早いというので石炭をまだ売っていない。
仕方がないので温泉の素ぶっこんだ風呂に入る。
日本人は寒いと温泉でしょう・・・
蛇口をひねればお湯が出る。
巨大な電気湯沸かし器が残りの湯を沸かすために働き出した時、
突然全院子が全部停電した。
聞く話によるとあまりの寒さにみんなが電気ストーブを炊いたので、
総電源盤がヒートして燃えたのである。
停電したらレコーディングも出来ないので別のスタジオでレコーディング。
帰って来たら夜中の2時。
気温は3度。
これで暖房ナシなんだからそりゃ風邪もひく。
7時起きで鼻水垂らしながら会場へ。
決勝大会は2日に渡って行われ、
初日は朝9時から子供の部(13歳以下)。
昼2時から少年の部(中学生)。
そしてその後にワシのゲスト演奏。
翌日は朝9時から一般の部、
そしてメガデスのドラマー、Jimmy何たらのゲスト演奏である。
だからステージの垂れ幕はワシのではなくJimmy何たらである。
子供の部、少年の部と審査員をしたら風邪のためかなり身体はしんどいが、
そのままステージに上がってセッティングをし、
そしてそのままデモ演奏。
まあ全国各地でやって来たことをやればいいのだから慣れたもんじゃが、
今回からメニューにXYZの新曲「Spreading Your Fire」を加えたもんだから風邪ひきさんの身体にはたまらない。
演奏終了後にはぶっ倒れてJimmy何たらとの食事会はパスしてしまった。
会場には全国のパール倶楽部から先生達が集まっている。
写真はその中から最優秀ドラム教師に選ばれた人たちであるが、
既にほとんどの人間が現地で一緒に飲んだ人たちである。
そのまた全員がワシと北京で酒を飲もうと手ぐすねを引いているんだらたまらない。
ひっきりなしの電話をぶっちして院子に帰った。
院子ではデブのキーボードが待ち構えていて、
重慶の音楽にドラムを入れる。
そしてワシはその後に膨大なトラック数となったデータの整理。
次の日も7時起きで会場へ。
(Jimmy何たらのセッティング。メタルドラマーにしては少しシンプル?)
午前の部が終わり、彼のデモ演奏の頃には審査員もお疲れ。
ひとり、ふたりと気持ちの良い眠りに誘われてゆく・・・
お疲れなのよ・・・みんな・・・
ワシも・・・
というわけで、この日もワシはそそくさと退散させて頂いた。
院子に帰って重慶のミックスをし、そのまま日本に帰る。
もう移動はこりごりである。
11月3日から始まるWingのシンガポールツアーまでは八王子でのんびりしたい。
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2008年10月27日
重慶雑技団大詰め
高知の母に預けてたふたりの子供が八王子に引っ越して来て、
若い身空でいきなり三児の母になってしまった嫁も心配だし、
真ん中の子が風邪をひいたとも言うので、
二泊三日の強行スケジュールで日本に帰って来たのがいけなかった。
だいたい移動だというと前の日寝ずに仕事をし、
そのまま空港に行って飛行機に乗る。
二泊三日では初日と帰る日は寝ないということになるので大変である。
最終日は3時に起きて仕事をしていた。
2時間もあれば余裕だと思ってのんびりやってたら、
「パパぁ!何やってんの?!もう5時よ!!」
と嫁が血相変えてスタジオに飛び込んで来る。
まだ4時やけど・・・
「それ北京の時間とちゃうん!!!」
二泊三日なのでパソコンの時間を北京時間のまま変えてなかったのだ。
これ・・・時差ボケと言う・・・
始発の飛行機に乗るには八王子からだと5時に出ないと間に合わない。
嫁が車を出してくれてばたばたと車を出してくれて何とか間に合った。
北京空港で国内線に乗り換えて重慶へ・・・
と思ったら何故かずーっと頭痛がしているので、
「酒を飲んだら直るじゃろう」
と空港のタイ料理屋でビールを飲んだら痛くて動けなくなった。
「張張(ジャンジャン)!助けに来てくれぃ!!」
一緒に重慶に行くデブのキーボードを電話で呼び出して救いを求める。
太った体で駆けつけて来た張張(ジャンジャン)!に医務室に連れて行かれる。
「最近寝てないとか休んでないとか、疲れてませんか?」
医者にそう言われて「もっともだ」とばかり薬をもらう。
「ほな、そういうわけでワシは病気なんで君ひとりで行って来なさい」
デブのキーボードは泣きそうな顔で首を横に振る。
「ボク・・・大変だったんですから・・・
あの人たち・・・わけのわからないことばっか言って・・・
何回直しても満足してくれなくて・・・
最後にはイルカの鳴き声で歌を入れてくれって・・・
一緒に行ってくれなきゃ・・・ボク・・・泣いちゃいます・・・」
まあ音楽をまるで解さない人たちからの発注なので当初からいろいろあった。
「メロディーをもっと優美にしてくれませんか」
優美?・・・・うーむ・・・
「この部分をもう少し怪意にしてくれませんか」
怪意?・・・うーむ・・・
あんましよくわからんので「後は頼む」とデブのキーボードに投げ出していたのじゃ。
彼らもワシには少し遠慮するのかこの程度だったが・・・
そうか・・・イルカの鳴き声までいったか・・・
仕方がないので医者からもらった頭痛薬を飲んで飛行機に飛び乗る。
飛行機に揺られること2時間弱。
日本から北京までやって来て、
またその道のりの半分を引き返すようなもんである。
(重慶のレストラン街の道路にある素敵なテーブル)
久しぶりの雑技団の練習場。
コンテストまであと1か月ということで、
練習にもかなり気合が入っている。
最終的に決定した演技をみせてもらったが、
さすがにアクロバット度がかなりUPしていた。
(演技する台から飛び降りた少女を空中に放り投げて回転させて受け止める)
(3人で片手倒立をし、もう片手同士を合わせた上で少女が片手倒立する)
人間業かい!!!
一流のスポーツマン、芸術家はどうしてあんなに凄いのかというのを語った人がいる。
彼らの毎日の生活がもう普通の人と違うのだ、と。
人が普通の生活をしている時に違う生活をしているから違うのだ、と。
つまり芸術とは「生き様」だ、と。
ワシにはこの子たちがこの数カ月どんな生活をして来たかがわかる。
もう夜の11時。でも子供たちは練習をしている。
明日は朝の9時集合。でも子供たちはもう練習をしているだろう。
生き様・・・というか・・・「人生」である。
演目が入れ替わったり長さが変更になったりしているので、
それに合わせて曲のサイズも変更する。
「張張(ジャンジャン)くん!まずAメロを半分に削りなさい!
間奏も8小節削りなさい!
少女が台から飛び降りる時には何か効果音を入れなさい!」
デブのキーボード大忙しである。
かくして曲のエディットが終わり、
それに合わせてもう一度演技をしてもらう。
もう夜中の12時である。
後は翌朝に雑技団の団長に聞いてもらうことにしてとりあえずこの日は終了。
翌日の団長は更に演技を少し変更し、
それに合わせてまた少しサイズを変えてとりあえず楽曲にはOKが・・・
と思ったらまた
「間奏の部分をもう少し怪意に・・・」
もう既に怪意です!!
まあ怪意っつう中国語の意味もよくわかっとらんのじゃが、
ここがやっとワシの出番である。
ヘタな中国語と理詰めで団長を説得してやっとOKが出た。
やっと終わった・・・
解放されて地ビールを飲む張張(ジャンジャン)。
デブよ、お前はまだわかってない!
トラックダウンでまた山ほど直しが来るであろうことを・・・
・・・というわけでワシは明日の仕事終わったら日本帰るし・・・
後は任せた!!
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2008年10月19日
全中国ドラムクリニックツアーその12、山東省「青島」
また朝から列車に乗って青島に着いた。
青島に来るのは十数年ぶりである。
前の嫁と知り合ったばかりの頃、
その他の友達と一緒に泳ぎに来た。
そう、海沿いの街、青島は夏は海水浴客で賑わう。
ちなみにこの写真は知らない人のブログから拾って来ました。
(中国だからええじゃろ・・・)
今は秋なので水着Galはいません。
それにしても気候がいい。
ドイツの疎開地だったので、建物も異国情緒があり、
避暑地、別荘地としても有名である。
会場に着いた。
地元の歌舞団の劇場である。
いつも思うのじゃが、
ドラムクリニックにこんな大きな会場を用意するのは何か違うと思う。
これではクリニックではなく、コンサートである。
毎回そうじゃが、
「亜州鼓王が我が街に来たる!」
みたいな告知からして、もうクリニックではなくコンサートである。
コンサートで言うとオープニングアクトは、
子供のバンドと共に地元のアマチュアバンド。
ひょんなことからこのバンドのドラマーが弟子入りすることになり、
この日は青島生ビールを飲みながら夜通し説教をすることになる。
それは置いといて、
この日のステージではワシは青島生ビールしか頭になかった。
何せ着いて昼飯の時に出て来たのにワシは飲めない。
若い頃はべろべろに酔っ払ってでもドラムを叩いていたが、
最近は体力が落ちて叩けないという理由と共に、
飲めば神様が降りて来ないというジンクスもあり、
ドラムを叩く前は酒は飲まない。
どれだけ辛いことよ・・・
ワシは我慢したよ。
隣で相棒の沙泳江がイスラム教のくせにグビグビ飲んでるのを見ながら我慢したよ。
だからステージではもう頭の中は青島生ビールのことばっか!!
十数年前の記憶じゃが、これがとてつもなく旨かったのじゃ!!
ステージが終わって沙泳江が言った。
「ファンキー、今日のドラムは何か神がかってたなあ」
お前のせいじゃ!!
というわけで食事に向かう。
街かどではどんな小さなレストランの外にも生ビールの樽が置かれてある。
つまり青島ではどこに行っても青島ビールが生で飲めるのじゃ!!
ワシは出番前にも我慢したし、
ステージ上でも水も飲まんかったよ。
ひたすらこの青島生ビールにかけていたのよ。
最初の一杯。
もちろんイッキである。
ウェイトレスさんがいちいちピッチャーで注いでくれるが、
もうめんどくさいのでピッチャーを右手、グラスを左手で数杯イッキ!!
旨い!!!!!!!
瓶や缶の青島と違って水のように淡泊で、
喉越しは冷たいお茶のようにぐいぐい入る。
いくらでも飲めるので当然酔っぱらう。
至極の瞬間である。
また料理が旨い!!
海鮮料理は日本人にとっては馴染みが深いだけに、
ついつい味に対してはシビアになってしまいがちだが、
ここの料理はもういちいち旨い!!
魚料理も他の土地と違って河魚や沼魚でなく新鮮な海の魚だし、
貝料理に至ってはもう言うことなし!
その上スープと来たら海鮮のダシが染みててもう芸術品!!
もうこのツアーも終盤戦を迎え、
「どこの地ビールが旨かったかなあ・・・どこの料理が旨かったかなあ・・・」
と言い出す時期なのじゃが、
もう文句なく青島が一番!!
金賞を与えて二日酔いで青島を後にする。
ファンキー末吉ひとりドラムツアーの軌跡(こちら)
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全中国ドラムクリニックツアーその11、山東省「淄博」
「淄博」なんて街があることすら知らなかったどころか、
どう読むのかすら知らない。
どうやら「Zi(1)Bo(2)ズーボー」と読むらしい。
聞けば北京と青島との間に位置する山東省第三の街。
「田舎だよ」と言うけど、日本で言うと名古屋クラスである。
中国のひとつの省が日本ぐらいだと考えると、
「田舎だよ」と言われる名古屋クラスの都市が中国にはうじゃうじゃあるということである。
夜行で行くには近すぎるためか、
今回は朝の列車に乗って行くこととなった。
十数年前に青島に行った時は、
日本のローカル線のようなボックス席の列車にすし詰めだったが、
時代は変わるもので新幹線のような特急列車が出来ていた。
(とにかく朝が早いので眠いのじゃ・・・)
迎えに来たのがサングラスをかけたチンピラのような人だったので一瞬びびってしまったが、
紹介されてみると彼がここのパール倶楽部の校長先生。
非常に熱心に子供たちを指導していて、
人を見かけで判断してはいかんと反省した。
生徒も多い!!
クリニック終了後、
この人数が並ばすに一斉にサインを求めに来るんだからたまらない。
田舎の子は元気がいいと言うが、元気ありすぎ!!
サインをもらうポスターはもみくちゃで敗れてしまい、
その切れ端にサインをする始末。
思えばワシはこれまでどれだけの数のサインをしたことだろう・・・
各パール倶楽部には100枚ほどポスターを送りつけているらしいが、
サインをするのはポスターだけではないので、
各地でゆうに数百枚はサインをしている。
1000人を超えるホールでやった時って、
ワシ・・・一体何人にサインしたのだろう・・・
既に忘却の彼方である。
10本以上廻っているとよく
「どこが一番印象に残ってますか」
と聞かれるが、
やっぱ印象に残っている街と全然残ってない街がある。
ちょっとしか滞在してないと特にそうなのだが、
この街はどちらかと言うとそれに近い。
青島に近いということで食卓には青島ビールが出て来る。
違うのじゃ!
このツアーの目的は、全国の子供にロックを教えることでもなく、
パールとSABIANの製品を宣伝することでもなく、
「全国各地の地ビールを飲む」ということなのである!!
音楽よりも大事なことなんだから仕方がない。
無理を言って探してもらったら見つかった。
それにしても本当に各地に地ビールがあるんだから中国は凄い。
地ビールで舌鼓を打ちながら気持はもう既に次の青島である。
何せ他ではまず飲めない「青島生ビール」があるのじゃ!!
この日はそこそこで退散させて頂いた。
ファンキー末吉ひとりドラムツアーの軌跡(こちら)
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2008年10月11日
泥棒のはじまり
何故かうちにファミリーマートのカゴがある。
どうしたんじゃろう・・・記憶をたどってみる。
今回ワシが八王子に帰って来たのは10月1日。
リビングの改装が終わり、
その日はいちにち台所用品とかの片づけをしていた。
風呂道具も洗面道具もしまったままなので、
風呂は近くの温泉銭湯に行った記憶がある。
段ボールの中から歯ブラシを引っ張り出して来て、
歯だけ磨いてその日は寝た。
その日はたしか・・・コンビニには行ってない。
次の日嫁が来て、
段ボールからいろんなものを出して整理を始めた。
育児はせなあかんわ片付けはせなあかんわでキーキー言うてた。
幸いサンプラザ中野くんのリハーサルが始まり、
毎日リハーサルスタジオへと逃亡。
確か2日目のリハではそのまま終了後にSOMEDAYに直入りした。
そうそう、そのまま夜中に帰って来て、
風呂に入って歯ぁ磨いて寝ようと思ったその時、
そうそう、洗面所には嫁の歯ブラシしかなかったのじゃ。
「ワシの歯ブラシがない・・・」
愕然とするワシ・・・
なんで嫁は自分の歯ブラシだけを残してワシの歯ブラシを捨ててしまったのか・・・
「ダメおやじ」という漫画が昔あった。
鬼嫁が一家団結しておやじをイビる話である。
ワシ・・・まさにその心境・・・
風呂上がりの裸のまま予備の歯ブラシを探す。
しかし新しい洗面所でどこに何が置いてあるのか皆目わからない。
そっと寝室を覗く・・・
どうもこの日は嫁の寝顔が鬼嫁に見えて仕方がない。
なんでこいつは「歯ブラシを捨てる」という陰湿な行動に出ざるを得なかったのじゃろう・・・
思えばワシとて悪いところはたくさんある。
仕事とは言え、家事を逃げ出してリハに行っている。
しかもウキウキと・・・
世にあるサラリーマンの家庭とはかなり違う。
「お父さん、私たちのために辛い仕事頑張ってくれてありがとう」
そんな美辞麗句はあてはまらない。
好きなことしに行ってるんだから、
仕事というよりはむしろ「遊び」である。
またリハだ、セッションだなどというとなまじ金にもならないんだから、
見方を変えて見るとまさに「遊び」である。
嫁ついに爆発!!腹いせにワシの歯ブラシを捨てる!!・・・
ワシは放心しながら部屋着に着替え、コンビニに歯ブラシを買いに行った。
時間は夜中の2時である。
疲れているし、何より精神的ショックで放心している。
どうもその時に歯ブラシと一緒に買い物カゴを持って帰ったものに違いない。
でもどうして店員さんはそれを咎めなかったじゃろう・・・
ワシの普段着と言えば・・・
イスラム教の友人からもらった白装束。
いくら宗教関係者が多く住むこの辺とは言え、
ちょっと「浮き過ぎてた」かも知れんのう・・・
そう言えば近所の理事会かなんかでワシのことが噂になり、
二井原の嫁さんが
「怪しい人ではありませんから」
と一生懸命説明してくれてたという話である。
ともあれこのまま人の物を家に置いてたらそれは「泥棒のはじまり」、
いや、既にこの行為は既に立派な「泥棒」である。
返しに行って来よう。
心底気持ちを込めて謝れば店員さんも許してくれるじゃろう。
行ってきます。
PS....後に嫁に聞いた。「どうして歯ブラシ捨てたの?・・・」
「えー?!!あれ使ってたの?
てっきり工事の人がどっか磨いたまま置いてたのかと思ってたぁ。
あんなボロ歯ブラシで歯ぁ磨けんでぇ」
ワシは目を白黒させて嫁に聞いた。
「じゃあワシはいつもどうやって歯を磨いてたと思った?」
「えー?パパ・・・歯ぁ磨くの?
てっきりずーっと磨いてないのかと思った・・・」
嫁よ。
そりゃワシはそんなにきれい好きではないが、
歯ぁぐらいは毎日磨く。
長年一緒に暮らしていてそんなこともわからんかったんか・・・
嫁・・・少し育児に疲れているようである・・・
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2008年10月 9日
マレーシアドタキャン
伊達弦というパーカッショニストがいる。
彼が友人のミュージシャンに電話をかけた時の話。
「伊達弦ですが・・・」
奥さんが出たので丁重に自分の名を名乗る。
ところが電話口では奥さんが凍って固まってしまってる様子・・・
「もしもし・・・伊達弦ですが・・・ダ、テ、ゲ、ン!」
丁寧に自分の名前を連呼する伊達弦。
やっと我に帰った奥さん、旦那を呼びに行く。
「あんた!あんた!・・・大変やでぇ!!ドタキャンやて!!」
旦那が慌てて飛び出してくる。
「そりゃ大変や!・・・んで?・・・どのイベントがドタキャンになったんや?」
「さあ・・・」
「そいで一体誰からの電話なんや?」
「さあ・・・」
というわけで、伊達弦の話は置いといて、
ワシの今の心境はまさにこの奥さんの心境である。
出発予定日が近づいているのに
マレーシア側からフライトのインフォメーションが来んので、
香港側にメールで問い合わせたらこんな返事が来た。
「マレーシアツアーは延期あるよ。
私たちも行きませんのでファンキーさんも行かないよろし」
今日び、中国社会でもちゃんと契約を取り交わしてからスケジュールを押えるので、
数日前にドタキャンなんて・・・
まあ出発予定日である今日、
ワシが日本でのんびりブログなんぞを更新しているんだから、
やはりこれは伊達弦ではなくドタキャンなのであろう・・・
せっかくこの「日本代表Tシャツ」でドラムを叩こうと思ってたのに・・・
Posted by ファンキー末吉 at:09:50 | 固定リンク
2008年10月 7日
10月5日サンプラザ中野くんライブ
芸名を「サンプラザ中野」から「サンプラザ中野くん」に変えたと言うからややこしい。
イベントの司会者なんかワシを紹介するのに
「ファンキー末吉さん」
和佐田を紹介するのに
「バーべQ和佐田さん」
なのに中野が登場する時には
「それではお待ちかね!サンプラザ中野くんの登場です!」
これって変なんちゃうん!!
中野はメールする時に必ず「末吉さま」と冒頭に書いてくるので、
ワシもちゃんと「サンプラザ中野くん様」と書いて返信する。
司会者も敬語を使うなら
「それではお待ちかね!サンプラザ中野くんさんの登場です!」
と言うべきではないのか!!
まあそんなことはどうでもいい。
ライブは非常に楽しく終わった。
面白かったことが、
ステージはトラックの荷台を全面開放し、
客は後ろからも見ることが出来ることである。
嫁いわく、「末吉ファンは全員後ろから見てた」そうである。
そりゃそうだ。
ドラムと言うのは後ろから見るのが一番どう叩いているのかがわかりやすいのである。
「ああ、ここで足を踏み変えているのか」
とか
「ああ、ここで手がこのように動いているのか」
とか、
ワシも自分のアイドルドラマーがここで演奏するなら絶対後ろから見たい!!
ところが演奏終わってふと素朴な疑問が浮かんだ。
これがX-Japanだったらヨシキのファンは後ろから見るか?・・・
微妙なところである。
ワシだったらヨシキの華麗なドラムはやはり前から見たい。
つまり・・・
末吉ファンはワシの「顔」などどうでもええのである。
まあいい。
ドラムはしょせんは「顔」である。
Wingのバックでドラムを叩く。
1時間半とか一生懸命叩かせて頂いて、
後半の盛り上がりの起爆剤としてWing自身によるドラムソロ。
ワシはそこにピークを持っていくべくドラムを叩く。
ワシのソロが終わって大盛り上がりの中、
ステージ後方からせり上がり台に乗ってドラムを叩きながらWingが登場。
キャー!!
ドラムソロと言うよりはサウンドチェック(失礼)ぐらいのソロなのに、
観客はこれ以上ないほど狂喜乱舞する。
ワシ・・・今まで何を頑張ってたんやろ・・・
ちょっと虚しさが心をよぎるが、まあいい!
こういうのを「スタードラマー」と言う。
BeyondファンにとってWingはいつまでたっても「ドラマー」なのである。
まあドラマーの背中しか見れないのに
わざわざ後ろからステージを見ようという末吉ファンは逆に言えばありがたい。
ワシは来週マレーシアでWingに会ったらこう胸を張って言おう。
「ふ、ふ、ふ・・・名役者は背中で演技するのさ」
ちょっと負け惜しみである。
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10月4日SOMEDAY
SOMEDAYに出るのは久しぶりである。
思えばあの頃、どうしてあんなに狂ったようにJazzをやってたんだろう・・・
きっと「居場所がなかった」のである。
爆風スランプというメジャーなバンドのある種のイメージにより、
ロック界にも入れてもらえず、芸能界にも入れてもらえず・・・
みたいな焦燥感が自分にあったのではないかと思われる。
Jazz界はいい。
「腕」だけが全てである。
自分がよその世界でどんな名声やイメージを持ってようが、
ここではドラムがうまければそれでいいのである。
日本中のJazzクラブで武者修行をして、
最後にここSOMEDAYに落ち着いた。
ここのJamセッションで岡崎はんや進藤くんという友人も出来たし、
彼らと一緒に五星旗というバンドも作ってKingレコードから念願のJazzデビューした。
思えばSOMEDAYは自分のJazzの「家」みたいなところだった。
遊びに行けば太鼓叩き、
結局朝まで飲んで岡崎はんちに泊まり、
これじゃ離婚されても仕方がない・・・
SOMEDAYは数多く引っ越しを繰り返し、
新橋に移転した時にマスターはここに骨を埋めるつもりだったのだが、
立退きにあって、本気で店をたたむことも考えたらしい。
でもやっぱ新宿に戻って来て店を開いた。
またとんちんかんと自分で工事をして手作りで店を作るんだからもの凄い。
数年ぶりのSOMEDAY、
新しい店舗であるはずだが無性に懐かしい。
この造りは新大久保の地下にあった頃の造りとそっくりである。
そりゃそうだ。
テーブルからカウンターから看板まで、
数多かった引っ越しで全てを持ち歩いているのである。
内装からスピーカー作りまで全部自分でやる。
演奏前のピアノの調律から全部自分でやる。
ある種ロックである。
自分の店なんだから遠慮はしない。
好きな音楽なら客が入らなくてもブッキングする。
どんなに有名でも自分が嫌いなら出演させない。
そんなマスターのことを数多くのミュージシャンは「大嫌い」と言い、
もっと数多くのミュージシャンは「大好き」と言う。
もちろんワシは「大好き」である。
この日は中野のリハ終わりで飛び込んだので、
そのままリハを一緒にやっていた田川くんも連れて来た。
変人で名高いマスターも「こいつ・・・凄いなあ・・・」と目を白黒させていた。
Jazz命!ロックなんて大嫌いなこのマスターも、
ジャンルを超えて凄いものは認めることが出来るのが偉いところである。
そうじゃないとワシや和佐田なんかここで演奏など出来るわけがない。
団長なんてここでギター壊しパフォーマンスなど出来るわけがない。
天才サックス奏者、佐藤達也さんが来てたので久しぶりにセッションした。
この人と一緒にやってたら命がけである。
煽っても煽っても、この人は更にワシを煽って来る。
そう、俺はいつもこんな日本の一流プレイヤーと一緒に演ってたのだ。
江川ほーじんが脱退し、Runnnerが巷を賑わしていた頃、
ワシは日本を捨ててニューヨークでJazzをやろうと旅立ったことがあった。
Jazzの殿堂「Blue Note」のJamセッションで、
そのあまりのレベルの高さにびびって叩かずに帰って来た。
数年日本で武者修行して、
再びこのJamセッションでは楽勝に叩けた。
そりゃそうだ。
俺は日本最高のミュージシャン達と一緒に演ってたんだから。
北京に渡って悩んだことがある。
「俺にはライバルがいない・・・」
だからいつも若いミュージシャンを育てて来た。
久し振りに佐藤達也さんと音を出して
「またやってみるか」
と腰を上げた。
12月の空き日にはスケジュールが合わなかったので五星旗をブッキングしたが、
来年からまた達也さんとブレッカーセッションをする。
またあの日々が始まるのだ。
離婚されないようにほどほどに・・・
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2008年10月 2日
こんなこともあるもんじゃ
香港から大阪戻りのチケットを渡された。
当初の予定は
とりあえず関空から高知に行くか、
もしくは実家に帰ってる嫁と合流して新幹線で帰ろうと思っていたのじゃが、
予定が変わって東京戻りにしてくれと言ってたのが
チケットが変更不可キャンセル不可なのでということで
「ほなまあええわ」
とばかりそのチケットを持って香港空港へ。
ワシは飛行にに乗る前はとりあえずビールを飲む。
これが「乗ってすぐ熟睡」の秘訣である。
それぞれの空港にもいつも行く店が既に決まってあり、
成田、関空では鮨屋、
北京第二ターミナルでは世界食堂、
第三ターミナルでは韓国食堂(の後隣のバー)。
香港空港はちょっと様変わりしていて、
ふと見ると「元気寿司」という回転寿司チェーンが・・・
全中国ツアーで「濃い」ものばっかり食ってたので、
ついつい寿司につられて入ってしまった。
さっそくビールを注文すると、
「うちビール置いてないあるよ」
と広東語訛りの中国語で言われて激怒!
「ビールを飲まずに寿司が食えるか!!!」
しかし周りを見ればOL達がおとなしくお茶で回転寿司。
そうじゃった、このチェーンは客の回転をよくするために
アルコール類を置いてなかったのじゃ・・・
寿司をぶっちしてもうチェックインしようかとも思ったが、
やっぱ寿司の誘惑に負けてポリシーを曲げ、
お茶に寿司という情けない状態(ワシにとっては)と相成った。
悪いことは続く。
香港人の考えた奇妙な創作寿司を食いながらはっと思いだした。
「ワシは車で成田に行ってたのじゃ!!」
車は成田の駐車場に停めているので、
関空で降り立ってもまたどうしても成田まで行かねばならない。
すっかり元気をなくして「元気寿司」を出てチェックイン。
ビールを飲んでないので機内で熟睡できるかどうか不安。
熟睡できずに3時間半のフライトは辛いのじゃ・・・
ワシ・・・もう移動飽きたのじゃ・・・
何やらパチパチと端末を操作していた受付のお姉ちゃん、
顔を上げたと思ったら広東語訛りの中国語でひとこと。
「あいやー、お客さん、今日エコノミー満席あるね」
イラン航空やパキスタン航空ではオーバーブッキングで乗れないこともあるが、
ANAで、しかも香港発行の行きのチケットでオーバーブッキング?・・・
それでもニコニコしながらボーディングパスを手渡すお姉ちゃん。
ふと見るとこれは・・・ビジネスクラス・・・
ワシも一番金があった頃は無茶をしていた。
ラーメンが食べたいといきなり香港に行こうと、
パスポート持って成田に行き、
その場でファーストクラスのチケットをノーマル料金で購入して日帰りしたり、
まあそんな生活をしてたら次の年に税金を払えずに借金をするのは当然である。
今では少なくて月に数回、
多ければ10回以上飛行機に乗ってるワシは、
もうここ数年エコノミーしか乗ったことはないのじゃ。
ビジネスとエコノミーはまず椅子が違う。
しかしそれより一番違うのは「飯」と「酒」である。
その証拠に食事が始まるとエコノミー席との間のカーテンを閉めてしまうじゃろう。
これは「ブタのエサ」を食らう貧乏人にビジネスクラスの食事を見させないためである。
よし!今日は乗る前にビールを飲まなくてよい。
ビジネスクラスにはおいしい酒がこじゃんと置いてあるのじゃ。
しかも飲み放題で全部タダ!!
見よ、この食事!!
梅酒から始まり、ビール、ワインと移行したところで写真をウェイトレスさん、
もとい、スチュワーデスさんに撮ってもらった。
日本酒、ブランデー、ジントニックまでいった頃に着陸。
このまま成田に行ってたらきっと飲酒運転でつかまっていたじゃろう。
大村亭で一泊して伊丹空港から成田に飛び、
何とか八王子まで帰って来た。
サンプラザ中野のライブリハが始まる。