
2001年10月29日
テロで誰も飛行機に乗らない中、月に北京と日本を二往復
全世界の人がなるだけ飛行機には乗らないようにしようとしている昨今、
北京-東京を毎月2往復しているアホである。
東京には家はなく、かと言って北京に家があるわけでもなく、
東京ではドラム部屋と呼ばれるドラム倉庫に荷物を置き、
北京ではJazz-ya北京の安田のマンションに荷物を置き、
まあその日の泊まるところがなければそこに帰ると言う気ままな生活である。
ある日安田のマンションに帰ってきたら、
あらゆるところに「騙」と言う張り紙がしてある。
聞けば、もともとこのマンション内の広大な敷地は、
将来は大きな湖と公園を作ると言うことで入居したところ、
マンション側が約束を破って
そこに新たなマンション棟を建てようとしているところから事件は始まったらしい。
そう言えばある日、その広大な敷地の壁を住民達が
ベルリンの壁よろしくみんなで壊しているお祭り騒ぎを目撃したことがあるが、
それはこれが原因となっていたのかと納得した。
さてこの争いは次第にエスカレートしてゆき、
最後には人が死んだらしい。
人が死ぬと言うと、喧嘩による撲殺等を想像するがどうもそうではなさそうである。
中国人の友人の説明によるとその人が「気死了(チースーラ)」、
「気」とは怒ることで、これは通常は「死ぬほど腹が立つ」と言うことなのだが、
「だから腹が立ってどうして死んだの?」
と聞いても、「だから気死了(チースーラ)なんだよ」で埒があかない。
よくよく聞いてみると、本当に「気」して「死了」、
つまり怒って死んだ、憤死したと言うことなのである。
三国志演義じゃあるまいし、この現代で憤死などと言う死に方があるのか・・・
その死んだ人はマンション側との交渉で、
本当に死ぬほど腹が立って、そして30分後に死んだらしい。
憤死・・・なんとも凄まじい死に様ではなかろうか・・・
さて、そんなマンション騒動はお構いなく、北京のJazz-yaは好調らしく、
となりの日本料理屋「飯屋」や、焼肉屋「牛屋」、
(中国はまだ狂牛病の影響は皆無である)
そしてちょっと離れたところにあるSushi-Bar「すし屋」も好調らしい。
だいたい儲かっているところに集まるのは金と泥棒で、
泥棒対策は商店ではどこでも頭の痛い問題らしい。
牛屋には毎回決まった曜日に窓を割って泥棒が入り、
さんざん引っ掻き回したあげく盗る物がないので
タバコを盗んで帰ったりしてたらしい。
業を煮やした従業員が
赤外線アラームなどを設置して泊り込みで番をしてたところ、
やはり同じ曜日に侵入して来た泥棒と遭遇、
日ごろの恨みを込めて袋叩きにしたそうな。
泥棒さん、まさしく瀕死・・・
割ったガラス、壊した設備、盗んだタバコ、
身元を完全に調べ上げ、
損害総額の5倍額を請求、払えなければ警察に突き出すと言ったところ、
警察なんかに突き出された日にゃあ瀕死じゃすまないほどもっとボコボコにされるので、
泥棒仲間から金をかきあつめ、かなりの大金を払って勘弁してもらったと言う。
北京の泥棒さん、今や完全にネットワークがあり、
「捕まる」と言う泥棒商売の経営リスクを、このネットワークで軽減しているらしい。
金は耳を揃えて払った。
それにしても盗んだタバコに対して
払ったこの金額、そしてボコボコで瀕死ではあまりに割が合わんじゃろ・・・
泥棒家業も楽ではない。
瀕死・・・大変なリスク商売である・・・
さて、日本に帰ってきた。
以前北京で拾ったバックパッカーのTAKUROは、
帰国後羽田空港に着いた時には30円しか持っておらず、
ヒッチハイクをして何とかドラム部屋までたどり着き、
そこにあるインスタントラーメンなどで食いつないでいたようだが、
生まれ故郷の金沢にまたヒッチハイクで帰って以来数ヶ月、
何の音沙汰もないなあと思っていたが、今回久々にまた出現したらしい。
ドラム部屋の主、元ジャズ屋のバーテン南波の言うことにゃあ、
いきなり警察から電話があり、
「TAKUROさんと言う方は知ってますよね。身元引受人として来て下さい」
とのこと。
びっくりした南波は警察に出頭し、いろいろ事情を聞くと、
何やら再び東京には何とか着いたものの、
金もなければ腹も減って、
ついついスーパーにある大福を万引きして捕まったらしい。
・・・笑止・・・
日本では商店主にボコボコにされることも、
警察で更にボコボコにされることもなく、
こうして身元引受人さえあれば返してくれる。
平和な国よのう・・・
それにしても・・・大福か・・・
バックパッカーやるのも大変である。
ファンキー末吉
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2001年10月 8日
日本に帰って来るも、食って飲むのはやはりDeepなアジア街
北京で住んで日本に仕事に帰って来る生活である。
日本に仕事がないと帰ってこないので、
帰れば必ず飛行機代ぐらい稼げるので問題ない。
中国にいると逆に仕事が引く手あまたなので生活費は稼げるので問題ない。
長年思い描いていた理想の生活である。
今回の日本での仕事は、
香港プロジェクトのレコーディング、
そして11月に発売する「未唯with XYZ」のジャケ写撮り。
まず香港プロジェクトだが、
前回某スタジオで24時間1ヶ月毎日レコーディングしていた時、
朝方未唯さんのコーラスを録音してる時、香港からMailが入った。
「日本のミュージシャンを使ってレコーディングしたい」
日本人を妻に持つ香港のテクノアーティスト、J氏である。
「俺は今ピンクレディーの未唯さんとスタジオにいるところさ」
と返事を打つと
「それは羨ましい」
と即答。
「お前未唯さんを知ってるの?」
「ピンクレディーの人でしょ。大好きだよ」
とのこと。
とにかく非常に日本通である。
「レコード会社がKinki KidsみたいなBoysグループを作る
っつんでプロデュースを頼まれたんだ」
とのこと。
数日後に彼が来日して1曲レコーディング。
その時に和佐田や橘高と録音した曲が評判で、
今回はさらにアルバムをと言うものである。
横浜のスタジオを押えて、今回は1日で5曲録った。
俺も和佐田もレコーディングはばっちしだが、英語はからっきしである。
彼のネイティブは広東語、私の学んだ北京語とは似ても似つかない。
仕方ないので彼との言語は英語となる。
時々わからない言葉は強引に北京語、
そして彼が奥さんから学んだ片言の日本語を混ぜながら、
いつものようにレコーディングが進んでゆく。
実は1日5曲も叩くとギャラにしても相当なもんで、
俺は十分飛行機代が出るっつうんで内心ほくほくである。
いい気になって、
「CD-Rにデータを焼くのは俺がやっといてやるから先に帰れ」
とローディーと共に彼を先に送り出す。
その間、エンジニアに仕事を任せて俺は横浜中華街へひとりで繰り出した。
まだ中国に全然興味がない頃から俺は、この街が大好きであった。
異国情緒でがちゃがちゃしてて、何となく溢れて来るパワーが好きだった。
「いつかこの街に住みたい」
そう思っていた。
1時間ほど歩いて、ふと興味深い屋台を見つけた。
豚足や焼き豚をつまみにビールで一杯。
ぐでんぐでんになった頃、エンジニアが焼きあがったCD-Rを届けに来た。
翌日はまた、二日酔いで顔を腫らしてジャケ写撮りに向かった。
XYZのジャケ写撮りでは「末吉の顔待ち」と言うわけのわからん時間が必要なので、
ディレクターの橘高もカメラマンのK氏も大変である。
イビキの手術の時に入院中に書いたプログレ大曲が未唯さんのお気に入りで、
こうして今回初めてXYZとのコラボレートだが、
考えて見れみれば非常に平均年齢の高いプロジェクト(失礼)である。
未唯さんと会うのはROCOCOのレコーディング以来なので、
相変わらず会えば緊張し、会わねば寂しい、そんな人である。
撮影終了後に火鍋に誘って見る。
「いいわねえ。私、辛いものには目がないの」
よし、それじゃあ本場の四川火鍋を食べさせてあげよう。
やって来たのは新大久保。
ちょっとディープなアジア屋台村である。
昨日のCD-Rを渡すためにJ氏も呼び出した。
憧れの未唯さんと会えて彼も感激である。
「ワタシ、ピンクレディーの英語版のアルバム持ってます」
つくづく日本通な男である。
屋台村のシステムと言うのは、
酒は大家さんしか売ることが出来ないので、
各屋台は自分とこの料理を注文してもらうのに必死である。
この屋台村では俺はちょっとした顔で、
特に中国人は平気で仲間内のような口を叩いてくる。
「ちょっと例の四川火鍋作ってくれる?思いっきり辛くしてよ」
中国語でまくしたてる。
当時は日本人客なんか全然いなかったこの屋台村だが、
今はちょっとブームになって日本人も多い。
現地の人のために本場の味を誇ってたこの火鍋のようなメニューも、
今や俺のような奴が特注するのみの裏メニューとなってしまった。
こんな激辛鍋など日本人は誰も食わん。
それでも未唯さんは「辛さが足りん!」とご立腹なので、
さらに激辛に作り直してもらって、
一般的辛さの舌を持つ未唯さんのマネージャーは一口も食えない辛さとなった。
あとは大好きなタイ料理を注文する。
マネージャーはもう蚊帳の外である。
この屋台村、各屋台のオーナーはそれぞれの国の人なのだが、
ひとつだけ日本人の女の子が経営するタイ料理屋台がある。
彼女のルックスのため、絶対タイ人だと思っていたが、
実はタイに旅行に行ってハマったと言う日本人であることを後に知る。
タイ語を流暢に操り、タイ人のバイトを使って店を切り盛りする。
名前が「田井」と言う姓だそうで、恐ろしい偶然と言うか運命であろう・・・
最近では片言の北京語まで操るので恐れ入る。
彼女が店をはけた後友達と羊肉串を食べに行くので一緒に行こう
と言うのでJ氏と一緒にのこのこ着いて行った。
未唯さんはあきれてマネージャーさんと先に帰った。
明日も元モー娘の中澤なんたらとV6の坂本なんたらとの
ミュージカルの舞台なのである。
着いたところは朝鮮族中国人が経営する炭火焼の店。
中国語で注文を取る。
もう新大久保は日本であって日本でないのである。
俺は日本にいてもこんなとこばっかししか行かない変態である。
彼女の友達がやって来た。
みんなマレーシア人である。
日本語が喋れる人もいれば全然喋れない人もいる。
必然的にここにいる7人の共通言語は北京語となる。
J氏も頑張って北京語で話すが、
彼らが広東語も話せることがわかって大盛り上がり。
やはりネイティブな言語に勝るものはない。
ある人とある人は広東語で喋り、
ある人とある人はネイティブの潮洲語で喋り、
俺と彼女とは日本語で話す。
「彼氏なの」と言って紹介してくれた彼は全然日本語が喋れない。
片言の北京語だけが彼らの共通言語である。
それでよくコミュニケイション・ブレイクダウンにならないのが不思議であるが、
それはそれで1年間とてもハッピーに過ごしているそうだ。
「前の彼はねえ。タイ人だったんで言葉のギャップは全然なかったんだけどねえ。
今は言葉なんていらないって感じ。
彼と初めて会った時、
お互い全然言葉通じないのにふたりで3時間喫茶店で喋ってたり。
もう一緒にいて喋ってるだけで時間を忘れちゃうの」
恋とは素晴らしいものである。
J氏がいきなりこんなことを言い出した。
「凄いねえ、みんなカルチャーがふたつあるねえ。
ワタシはワイフが日本人で広東語と日本語。
ファンキーさんはワイフが北京人で日本語と北京語。
彼女はもっとたくさんねえ」
この飲み会、非常にマルチ・カルチャーである。
ここに未唯さんがいたらこれに英語が加わるだけで、
なんか言葉や文化や国境など関係ないと思えて来る。
ここに更にイスラム文化圏の人間がいたりしたら、
こうして戦争が始まろうなどとはしないのではなかろうか・・・
世界中の人々が恋をしよう。
人種を超えて文化を超えて恋をしよう。
そしたら世の中から戦争なんぞなくなってしまうかも知れない・・・
などと考えながらJ氏のホテルの床で酔いつぶれるのであった。
ファンキー末吉