
2012年9月30日
中国Week今年も開催!!
毎年なんじゃかんじゃと理由をつけて中国人アーティストを呼んでは
「中華料理とロック」のイベントをやっておるのだが、
今年は老呉(LaoWu)が結婚したということで、奥さんと共に招聘した。
毎回やって来るデブのピアニスト張張(Zhang Zhang)も
「僕も行く〜」
と言うので、
今回はふたりを日本のミュージシャンがセッションバンドを組んで迎え撃つ形式にしてみた。
11月 5日(月)中国Week初日:米菅ほーじん
11月 6日(火)中国Week2日目:KAI MAD KENTARO
Vo.Dr.MAD大内(ex.アンセム)
Vo.Ba.甲斐"KAI"貴之(アースシェイカー)
Vo.Gt.KENTARO
11月 7日(水)中国Week3日目:にしわさ太田
Dr.太田明(ex.筋肉少女帯)
Ba.和佐田達彦(爆風スランプ、X.Y.Z.→A)
Vo.Gt.西野やすし
11月 8日(木)中国Week最終日:岡崎トリオスペシャル
Dr.ファンキー末吉
Ba.石川俊介(聖飢魔II)
Vo.Gt.岡崎猛
チャージ:いずれも3000円(お好きな中華料理2品付き)
張張(Zhang Zhang)が、
「またたくさんの優秀なミュージシャンとセッションして揉まれたい」
と言うのでいっぱい声かけたけどやり過ぎか?・・・(笑)
特に初日の「米菅ほーじん」はキツいな・・・
こーぞーさんのポリリズムに太刀打ち出来るやろか・・・(心配)
まあ他の日はそれぞれ張張(Zhang Zhang)が共演したことのある人を招いているので安心じゃが・・・
初日のKenataroは彼が最初に来日した時に福生チキンシャックでセッションしておる。
2日目の西野さんはその後のツアーで初対面で譜面を渡され、
「僕こんなの弾けません・・・」
とベソをかいたことがある。
その後、帰国して彼は頑張って譜面を克服し、
今では若手ナンバーワンのプレイヤーとして活躍している。
最終日はワシがおるから安心じゃが、
今回の初対面のミュージシャン達は皆かなり手強いぞ!!
老呉(LaoWu)はまあ自分の曲を歌うんじゃからよかろう。
この一流のプレイヤー達はどんな曲でも譜面を見てその場で弾きこなせる。
素晴らしい日本のミュージシャン達と中国の若い衆のセッション、
今から非常に楽しみである・・・
心配は日中関係がこのまま更に悪化してビザが下りなくなることであるが・・・
ま、日本の政治家も中国の政治家もそこまでバカじゃないだろうから大丈夫じゃろう・・・
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2012年9月29日
中国人とのケンカの仕方
子供を寝かせ付けようとしたら子供より先に寝てしまい、
目を覚ましたらまだ夜で、テレビで夜のニュースをやっていた。
元中国公使の宮家さんが出演してコメントしてましたがな・・・
懐かしいなぁ・・・
X.Y.Z.→Aの北京公演はこの人のおかげで実現出来たのだ。
北京の公使邸にもおよばれしてメシ食いに行ったこともありますがな・・・
宮家さん自身もベースをやってて、
外務省に務める人間ばかりでバンドをやってたこともあるそうだ。
そんなこんなで和佐田とは盛り上がって酒を飲んでたなぁ・・・
北京の公使をやめられて次はイラクのバグダッドに赴任されたらしいが、
帰って来られて北京だか日本だかで飲んだ時には
「イラクはひどいところでした」
と言うので、やはり当時は戦時中やったからかと思ったら、
「メシが不味いんですよ・・・
中国は何じゃかんじゃ言ったってメシだけは美味いですから」
と言うのには思わず、
「弾丸や爆弾が飛び交う状況よりもメシかい!!」
と突っ込みそうになった。
その後和佐田が
新橋の元SOMEDAYの入り口でベースを抱えた宮家さんとばったり会ったらしいが、
政界から身を引いてバンドマンになったのかと思ったら違うのね。
(んなわけないやろ!!)
チャンネルを変えたら「加藤嘉一」さんという人が
「中国で一番有名な日本人」としてコメントしてた。
知らんなぁ・・・ワシは聞いたことがないが・・・
「矢野浩二」さんという人も先日テレビで喋ってたが、
この人の名前はよく聞いたことがある。
でも中国で一番有名な日本人と言えばワシはやっぱこの人だと思う。
まあ知名度は矢野さんの方が高いかも知れんが、
憎まれ具合と言ったら彼の右に出るものはいない(笑)
役名「佐藤主任」こと渋谷天馬くん、生きとるかぁ?・・・殺されてないか?(笑)
まあ彼が演技が上手いからこそ日本兵「佐藤主任」を中国人はここまで憎めたのだ。
日中関係がどのようにこじれようが、安心しろ!!
お前が中国人に憎まれるのだけはずーっと変わらんぞ!!(笑)
・・・と冗談はさておいて、
その後ばんばんに流されるあの国連での日中の答弁にはさすがに気分が悪くなって来たな・・・
また他の国の人が誰もおらんところで世界の経済大国ふたつがキャンキャン言ってるのが哀れに見える・・・(涙)
中国側の答弁が何か「品がない」と感じた人も多いだろうが、
まあ中国語は言語的に「歯に衣着せぬ」言語なのをさっぴいても・・・
まあ中国ってあんなもんやろうなぁ・・・
日本としてはその土俵に登って同じように喧嘩せないかんのやから、それこそが「哀れ」である・・・
まあ今さらなのであるが、
中国人とケンカするにはもっと別のやり方があったんとちゃうかなと思う。
ジャイアンにはジャイアンに対する戦い方があるし、
スネ夫にはスネ夫に対する戦い方がある。
中国人に対しては
「テーブルの上で笑って握手をしながら、
テーブルの下で一番強力な武器を突きつける」
というのが常道やと思うけどな。
一番最初にその武器を大上段から振りかざすと、
だいたいの中国人は怒り狂ってあのようになる。
ジャイアンを暴れさせたらもう手に負えない。
例え国際司法がどのような結論を出しても、
自分の力を誇示してそれを全てひっくり返すだろう。
こっちも必死になってどこまでもこてんぱんにやっつけると、
恨みに思ってどこまでもどこまでも報復に来る。
中国人とだけは喧嘩せん方が身のためである。
宮家さんがもしご在任だったとしたらどうしたかな・・・
とか漠然と考えた・・・
ベース持ってロックで解決・・・無理やな・・・
まあここまで来たら解決はせんわなぁ・・・
うまいこと喧嘩出来る人がおらんかったんが日本の一番の痛手やったんかもな・・・
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2012年9月27日
最近読んだ本:「日本の領土問題」孫崎享
中学生の息子が参考書を買いに行くと言うので本屋まで連れてって、
その時に何の気なしに買ったこの本。
衝撃でした・・・
元外務省国際情報局長が、2010年の漁船衝突の後に書いた本だが、
尖閣諸島の問題が後に更に悪化して今日に至るであろうことを見事に言い当てておる・・・
この本を読めば
「尖閣諸島は日本固有の領土である」
とか
「領土問題は存在しない」
とか日本の言い分のどこがおかしいかが見えて来る。
誤解のないように言っておくが、
ワシは別に「中国よりの考え」を持っている人間ではない!!(キッパリ)
これを言うと日中間のいろんな人、
例えば「大陸ロック漂流記」を読んでバイブルにしてくれてる在中国日本人たち、
自分の夢を先に実現している大先輩と慕ってくれる中国好きの方々、
共に中国で戦って来た戦友だと思ってくれている友人達、
その他いろんな人を失望させてしまう知れないが、言おう・・・
ワシは断じて日中友好の架け橋でも何でもない!!
日中友好とは国と国の関係であって、
ワシが義兄弟の如く付き合っているロッカー達は、
むしろその中国政府と反目してたヤツらである。
彼らと一緒に中国ロックの今を作り上げようと頑張ってた当時から、
今に至るまでなおワシは中国政府と手を結んだことは一度もない。
一度ロックフェスティバルに出てドラムを叩いたらそれが抗日イベントで、
冗談か本気か力のある友人から
「共産党にうまく宣伝してやるから、
そしたら住居や市民権や、一生の食いっぷちまで与えてくれるぞ」
と言われたが、当然ながらそんな話に乗るわけもなく、
未だに「不法就労」である(笑)
ワシが仲良くしてるのは「中国政府」ではなく「中国ロック」なのである!!
そのことを踏まえて先入観なく読んで欲しい。
ここからは「国」の話・・・
まず中国は1969年に国境問題でソ連と争っている。
それは中ソ国境の河の中に浮かぶ、
資源も何の価値もない長さ1700メートル、幅500メートルの島が原因で、
武装衝突となってそれこそたくさんの人が死んだ。
尖閣諸島問題は当時から日中間における諸問題のひとつであったが、
1972年の日中国交正常化交渉の際に、
周恩来首相はこの教訓を受けて尖閣諸島問題を棚上げすることを提案した。
そこに手付かずの資源が眠ることを知っての上での提案である。
当時それをすることは中国にとって決して有利な選択ではない。
それによって日本がこの島の実行支配を強め、
中国は力ずくでそれを変更することは出来ないということになるからである。
しかし中国にとってはそんな問題よりも日中国交正常化の方が大きな問題だった。
「小異を置いといて大同を求めようではありませんか」
当時中国にとっては技術や資本や日本から得たいものはたくさんあったし、
日本とてアメリカが頭越し外交を受けて何としても国交正常化をせねばならない。
「求大同存小異」は両国にとって「メリット」があったのである。
後の鄧小平副主席と園田外務大臣との会談でも鄧小平副主席は
「我々の世代では解決出来ないが、
我々の次の世代、そしてその次の世代はきっと解決の方法を見つけてくれる」
と発言している。
まさになるみちゃんが言う通りである。
でも次の世代であるワシらはその解決の糸口を見つけたのか?・・・
この本にはこんなことも書いてある。
日本がこの問題は「国内問題として対処する」という態度を取った。
それは即ち「中国はこれを国内問題として対処する」という口実を作ったということである。
つまり「武力」である。
「安保があるからアメリカが助けてくれる」
というのは大きな間違いであると著者は言う。
ガチでやる気なら自衛隊が自力で「核を持つ世界有数の中国軍」と戦って守らねばならない。
戦争覚悟でやるんか?・・・
そうまでして守りたいんか?・・・
日本人はまだわかっていない。
尖閣諸島は紛争地なのである!!
少なくとも世界の中ではそういう位置づけにある。
当時、この問題を棚上げしてでも「日中友好」が必要だった。
じゃあ今は必要ないのか?・・・
そもそもこの紛争って双方に国益を得たのか?
両方「損」しかしてないんとちゃうんか・・・
内政が乱れた時に政治家はよくナショナリズムを煽る。
中国もそうだが日本もそうである。
喧嘩して得するヤツなどいないのだ。
得するヤツはきっと他にいる。
自分が得をしたかったら喧嘩などしないに限る。
尖閣諸島問題などまた棚上げにしとけばいいのだ。
「次の世代に解決してもらおう」
などいい子ちゃん発言をする必要はない。
中国は共産党一党独裁。
今は毛沢東主席や周恩来首相のように人民に絶対的に慕われていた時代でもない。
(日本も今は似たようなもんだが・・・)
「中国が民主化するまで棚上げしましょ。
民主化したらこの件をゆっくり話し合いましょうよ」
でいいのではないか?
まあ「民主化」を明文化するわけにもいかんからとりあえず
「10年間棚上げして、10年後にまた話し合いましょう」
ではいかんのか?
Posted by ファンキー末吉 at:09:18 | 固定リンク
2012年9月26日
ユナの歌う歌決まりました
いやー世の中には才能ある人々がいっぱいおるな。
この掲示板にユナの歌う歌を募集したところ、
こんなにいっぱいの人が曲や詞や、アレンジなどで参加して下さいました。
また、仮歌がないと本人が歌を覚えられないので、
たくさんのアマチュア歌手達がみなさんの楽曲を歌って下さり、
それを聞いたユナが一番好きな曲を選びました。
何ぶん大人の思惑と全然関係なく、本人が何を選ぶかわからない状況の中、
五十嵐弘美さん作詞、洋介さん作曲、ベース、プログラム、
K.A.Tさんギター、冴さん仮歌、そして小畑秀光さん企画のこの曲が選ばれました。
いや〜本人がこんなロックの曲を選ぶとは思わんかったな。
それやったらX.Y.Z.→Aの曲を聞かせといても面白かったな(笑)
最終的に文化祭で歌う曲
(それもオーディションがあるから受かるかどうかわからんが)
は1曲なのでとりあえず今回は1曲だけ選びましたが、
皆様が作って下さった曲は、春にまたユナが北京に来た時に全てレコーディングするつもりです。
物凄いええアルバムが出来上がりそうやなぁ・・・
参加して下さった方々、本当にありがとう御座いました。
またレコーディングの際にはこのこの掲示板にてお知らせ致します。
なお、私は11月11日に大阪生野区コリアンタウンの「共生まつり」に行きますので、
その時にもし来て頂いてお声をかけて頂ければ酒を奢ります。
ちなみにこんなイベントやのに小畑秀光のひとりメタルをブッキングしてます。
どんな場違い(笑)になるのか楽しみですなぁ・・・
ほなユナちゃん、頑張って歌練習しぃや〜
オーディションに受かって中学最後の文化祭で歌えるとええな〜
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2012年9月24日
どうしても叩けんフレーズ
もう40年近くもドラム叩いて・・・
ロックはもとより・・・JazzもフュージョンもFunkもラテンも・・・
あらゆるジャンルに飛び込んで・・・
SwingからSongoからSlashから変拍子から・・・
全ての叩き方を網羅して来たはずなのに・・・
まだ叩けんフレーズがあるのかーーーー!!!!!
ことの始まりは大阪まで行くのに小畑秀光と10時間車に揺られて、
そこで吐きそうになるほどデスメタル(と言うのか?)を聞かされたことである。
「こんなバスドラの踏み方があるのか・・・」
と最初は笑って聞いてたのだが、
「僕なんかこんな音楽しか聞いてませんから・・・
対バンやるって言ったって全部こんなバンドばっかですよ」
というひと言で火がついた。
「なぬー?!!近頃の若いドラマーは平気でこんなん叩いとるのか?!!」
「いやいや、ヤツらこれっしか叩けませんから・・・」
と小畑は言うが、関係ない!!
Jazzを初めて聞いた時も、
Songoの叩き方を初めて聞いた時もそうだったが、
何よりも「人に出来て自分が出来ない」のが許せないのだ。
そもそもワシは
「自分はロックドラマーだからロックしかやらん!!」
とは思ったことがない。
他の全てのジャンルはワシにとって「叩き方」でしかないのだ。
叩けんのはまさしく「自分が悪い」ではないか・・・
まあ「時代」というのは常に進歩するもので、ワシら世代は若い頃には、
何とか「あの偉大なる先人たち」に追いつけ追い越せと頑張って来た。
そしてその先人たちと同じ歳になってみると、
(その偉大なる「魂」は別にして)
「なんだ・・・若い頃はこんなフレーズも叩けんかったのか・・・」
となる。
今の若い衆も同じである。
どうせワシと同じ歳になった時にはワシより数段上手くなっとるのだ。
だから今のうちに完膚なきまでに叩きのめしておかないかん!!(笑)
若いドラマーよ!!ワシのドラムは今のお前らには絶対叩けん!!
だからと言ってお前のドラムをワシは全部叩けるぞーー!!
ふーふーぜーぜー・・・
口だけで偉そうに言っても叩けんもんは仕方ない(涙)
練習するしかおまへんがな!!(キリッ)
「同じ人間が叩いてるもんじゃ!!ワシが叩けんわけはない!!」
・・・と気合いを入れてみても・・・
まあSongoの叩き方は習得するのに1年以上、Jazzに至っては10年以上かかったからな・・・
ちなみにこんなフレーズである。
「それ専門」のドラマーの中には「何だこんなもんか」と言う人もおるかも知れんが、
ワシはもともとツーバスドラマーではなかったのでこれはシンドイ・・・
(自分で考えたフレーズなんだから仕方がないが・・・)
もともとワンバスのファンクドラマーから始まったので左足がオモテ、
右足がウラの「足クセ」がある。
だからツーバスを連打する時には左足がアタマになった方が踏み易い。
実際、最初にツーバスをやろうと思った時に
「クリーム」のライブ盤のジンジャーベイカーのドラムを聞いて、
その録音には左右のバスドラがちゃんとLRに振っていたので、
「あ、ツーバスは左足から踏むのね」
と抵抗なくそう思っていた・・・
思えばコージーパウエルから始まってたらまた違ってたのね・・・
爆風スランプはせいぜい「無理だ」と「たいやきやいた」ぐらいだったからいいが、
橘高文彦という男と一緒にバンドをやるとどうもツーバスを駆使さされてしまう・・・
最初に右足から踏むことを余儀なくされたのが、
筋肉少女帯の「くるくる少女」だったと思う・・・
その後、高速シャッフルの橘高のソロ曲も右足から連打した。
WingsのIncubationという曲の16分音符も右足から連打している。
しかしこの複雑な踏み方はどのように踏むべきか・・・
手で叩くとしたら「オルタネート」と言うか、
右から叩いたら休符を入れつつ両手を交互に動かし続けるだろうが、
左足というのはそこまで訓練されてないので
アタマに休符が来て左足からウラから踏み始めるというのはちと大変かも・・・
小畑くんがデスメタルバンドのDVDを見たら
「右から踏んだりウラになってり、複雑怪奇な踏み方をしてましたよ」
と言うので、とりあえずは「オルタネート」ではなく、
休符の度に右足から踏むことにした。
左手はスネアを叩くが、問題は右手をどう叩くかである。
ノリ的には4分でライドのカップを叩くのだが、
練習してゆくうちにフレーズとしては叩けてもどうも「グルーブ」が出ない。
もともとはFunkドラマーで「ファンキー末吉」と名乗ってるんやから
「グルーブ」は大切やなぁ・・・
というわけでやっぱ8分で叩いて4分でアクセント、
まあよくある「オモテでカップ、ウラでライド」みたいに叩けばノリが出るぞ・・・
足に加えてちょっと手の練習をせないかんが、
そのぶん右足がウラに来た時のリズムの安定感はこちらの方が断然よい。
1/2速から始まって、
同じフレーズを叩きながらパートによって1倍速、2倍速とテンポ感が上がってゆくのだが、
これもふたつの考え方があって、
まずひとつは足は同じように踏みながらスネアの部分は足とスネアを同時に踏むというもの・・・
これだと足の練習は一種類でいいのだが、
残念ながらワシには右足とスネアを同時に叩くという「回路」が頭の中にない・・・
ファンクドラマーの足クセで
同時に叩く時には左足のところで叩いてしまう「クセ」が残っている・・・
「クセ」を是正するのが早いか、叩き方を変えた方が早いか・・・
まあどちらも大変なのだが、
どうもスネアの時には足を抜いた方がグルーブがファンキーなので、
「クセを是正」ではなく「足の踏み方を何バージョンも練習する」ことにした。
後々役に立つやん・・・(ほくそ笑み・・・その後・・・涙)
ちなみにウラ拍がちゃんとウラbeatに聞こえる速度はせいぜい140ぐらいなので、
こういうのは別に物理的に速くて叩けないわけではない。
物理的に速くて叩けない練習(つまり高速スラッシュの連打等)は、
とどのつまりは「筋力トレーニング」(「根性」とも言う)なのだが、
これは言うならば「ややこしくて足がもつれる難しさ」なので、
要は「頭の中で回路をつなぐ」訓練である。
ちなみに一度つないでしまうと、
次からは応用でいろんなことが叩けるようになる(嬉)
ただつながってない回路をつなぐっていうのは大変なのよね〜・・・
そういう練習は朝から晩までぶっ続けで練習してもあまり意味がない。
筋力トレーニングはもう十分なのである。
頭の中で回路をつなぐ・・・
ゆっくりの速度から叩いて、
ここの部分はどことどこが同時に叩いていて、
ここの部分はどことどこがウラになっている、
と回路をつないで身体に覚え込ませる。
身体というのは頭よりもバカなので、
一度ちゃんと叩けたらしばらく熟成させてやるのがよい。
そうやって半月前にギブアップしてから毎日ちょっとずつ練習して来たが、
泣いても笑っても明日がドラムレコーディングの最終日なのよ〜
叩けるの〜?またくじけちゃうの〜?・・・
若い衆に偉そうなこと言うとってまたくじけたらかっこ悪いぞ〜(恥)
この曲の他にも超速の難曲もあるが、
まあそれは根性で何とか乗り切るとして、
これさえ乗り切れればもうX.Y.Z.→Aの新譜の地盤はもう整ったも同然だ!!!
X.Y.Z.→Aの新譜、今回のはかなり名盤ですぞ〜・・・
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2012年9月17日
文明国の資質
愛国無罪・・・なんか物凄い状況になって来ましたなぁ・・・
嫁が「私が北京にいた頃はこれほどではなかったよね」と言うので思い返してみたが、
あの頃はたしか靖国問題でもめていたと思うが、今は領土問題である。
靖国問題は過去の戦争のこと、
だが領土問題は現在のこと。
こりゃ解決するわけないわのう・・・
日本政府のみなさん!!言っておきますが、
この国って国際司法がどんな結論出そうが必ず
「尖閣諸島は自分たちのもんだ」
と言い張ります!!
絶対に譲歩はしません!!
まあこれは中国と断交覚悟で、
尖閣諸島に自衛隊でも送り込んででも守るしかないわのう・・・
(断交してもワシはあっちでドラム叩くやろうけど)
中国のTwitter「微博(WeiBo)」でもちょこちょこメッセージが来たが、
キツいのは一度来てこのように返信したら慌てて削除しおった(笑)
これはワシにとっては伝家の宝刀!!
これに逆らえる若者は中国にはおらんわのう・・・
と思ったらまた新たな書き込みが・・・
「听说有人在微博上骂你,是吗?
(誰かが微博でお前を攻撃したらしいけど本当か?)
放心我们这些接受过你帮助的朋友会支持你的,
(安心しろ我々お前に助けられた朋友はお前を支持する)
不要伤心!那些傻逼会得到惩罚的!
(傷つくことはない。あんな腐れマンコは俺が懲らしめてやる)」
天堂楽隊のベーシスト「久(ジョウ)」なのだが、
こいつはいつもながらタイミングが悪い(苦笑)
もう沈静化しとるんやからまたぶり返すなよ!!と言いたい・・・
まあこいつはロック界では歴史は長いは長いが、
まあ影響力という点ではまあまあであるが、
そこに李慧珍がレスをした。
「我们都在!(私たちがいるわよ!!)
他给了中国摇滚音乐人 20多年无偿的帮助,
(彼は中国のロッカーに20数年も無償の援助をして、
帮助那些新人完成对音乐的梦想!
(その新人達の音楽の夢をかなえてあげた)
他应该得到尊重!(彼こそ尊重されるべきなのよ!)」
これにまた「久(ジョウ)」が追い打ちをかける。
「不管世事怎么变,你永远都是中国摇滚界的好朋友,
(世の中がどれだけ変わったってお前は永遠に中国ロックの好朋友だ)
这一点不会变。(これだけは変わらない)」
ま、伝家の宝刀ですな、これで鎮火!!
「あなたのことは大好きですが魚釣島は私たちのです」
とか
「あなたも日本人です魚釣島をどう考えますか?」
などというユルい書き込みも自ら削除してしまったようだ。
あ、そう言えば
「次に北京に帰る時はいろいろ注意して下さいね」
というものもあったが、
帰ると言っても貧民街やからなぁ・・・
この貧民街に住む食い詰めた日雇い労働者にとっては、
尖閣諸島がどこの領土であっても全然関係ないからなぁ(笑)
仕事をすると言ってもロック界は味方ばっかりやから、
基本的に反日感情に接する機会がほとんどないからなぁ・・・
日本人と会うことも滅多にないし(笑)
というわけでここからが本題。
ワシのようなケースは「特殊な例」と言えるのかも知れないが、
逆に「中国国民」という大きな中で言うと普通であるとも言える。
大部分の中国人は貧民街の人達と同じく、
政府がどうなったって自分らの生活が変わるわけではないのだ。
だが一部の血気盛んな若者が今「暴徒」と化している。
「魚釣島は我々のもの、蒼井そらはみんなのもの」
というスローガンが表してるように、
そのノリは「政治のもの」というよりはもっとユルい。
蒼井そら自身も微博(WeiBo)で日中友好を呼びかけたらしいが、
「政治と私たちの関係は別よ」
ということは実現出来ても、領土問題までは解決しない。
もし中国政府が魚釣島を手放したとしたら、
彼らは反日に向けてたその矛先を中国政府に向けるだろう。
この流れで反政府運動をされたら天安門事件の二の舞である。
こりゃ戦争してでも魚釣島を手に入れるしかないわのう・・・
ちなみに天安門事件は日本では
「民主化を叫んだ若者を独裁政権が武力で鎮圧した」
と報道されているが、
このような側面もあったということは西側諸国には知られていない。
プロパガンダがあるのは何も共産圏だけではない。
「ほら社会主義はよくないでしょ、資本主義万歳」
というプロパガンダに隠されて何も見えないようにされていたことを
ワシは当時ロッカー達の付き合いで強く感じていた。
そう言えばロッカー達はみんな天安門事件を経験しているが、
今暴徒と化してる若者はそれを経験していない・・・
時代は繰り返すのか・・・(怖)
「中国は4000年の文化があると言うが文明はない」と言われる。
デモで焼き討ちをするなどおよそ文明国家の国民がやることではない。
上海では日本人に対する傷害事件が起こったと言うが、
日本で逆に中国人に対してそんな事件が起こったとしたら、
ワシは同じ日本人としてそれはどうかと思うぞ。
日本は世界に誇る「文明国」である。
どこかの焼肉チェーンの社長が、中国人従業員の給料明細に
「尖閣諸島は日本のものです」と書いて渡したという噂があるが、
もしそれが本当だとしたらワシはこう言いたい。
「そんな恥ずかしいマネはしなさんな!!」
中国人だと見たら優しくしてあげればいいのだ。
「あんたの国では今、我々日本人がヒドい目にあってるけど、あんた達は大丈夫?
我が国では絶対あんた達をそんなヒドい目に合わささないからね」
と言ってやればいいのだ。
要は「人間の資質」の問題である。
それが出来る国を「文明国」と言う。
中国はまだまだである。日本はきっと出来るぞ!!
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2012年9月16日
NHK-BS
NHK行くのってホンマ久しぶりやったなぁ・・・
セキュリティーチェックが自動改札機みたいになっててびっくりした。
短パンにTシャツのボサボサ頭で受付に入館証を申請するのだが、
昔と違って怪訝そうな顔されんかったのが嬉しかった(笑)
テレビ局と言うと爆風時代の芸能仕事を思い出してほろ苦い感覚があるが、
楽屋に通されたら何やら懐かしい感覚・・・
おうっ、ここはよくNHK中国語会話やBSのアジア番組のレギュラーで通ってた楽屋ではないか!!
当時「中国狂い」のワシは所属事務所にまるで理解されず、
文字通り「孤軍奮闘」で中国に地盤を築いた。
そしてアジアブームという不思議なムーブメントが来て、
Bay-FMのラジオの仕事が来て、
NHKの中国語会話に続いてアジア番組のレギュラーの仕事が来た時には、
さすがに当時の事務所の担当者は困ったような顔をして
「おめでとうございます」と言った。
ワシとしてはめでたくも何ともないので不思議な言葉だったが、
「そうかぁ・・・芸能界にとってはタレントさんにテレビのレギュラー、
しかも天下のNHKのレギュラーを取るなんてそういうことなんだな」
と理解した。
バンドとして呼ばれながら、
ドラムも叩かずに中野と河合の後ろでぼーっと座っている歌番組に比べたら、
NHKの仕事は当時事務所の誰も耳を貸さなかった中国の話を、
好きなだけ公共の電波に乗せて喋ってればいいので気が楽だし楽しかった。
ところが今回は「北朝鮮」の話である。
中国と違ってこの国のことだけは、
「何かを喋れば誰かが文句を言う」非常にメンドくさい世界である。
まああの国を擁護するつもりは全然ないのだが、
そのように取られると日本国民から総スカンを食うし、
アンチ北朝鮮の立場に取られると朝鮮系の団体からニラまれる・・・
「関係ないのよ〜ん!!ワシは音楽やってるだけなのよ〜ん」
という立場はなかなか伝わらないのだからメンドくさいことこの上ない。
「失言」というのはこの実生活の中でもいろいろ出ているのに、
特に「生放送」で絶対にそれを出してはいけないというのは無茶苦茶プレッシャーである。
しかもNHK-BS・・・これ本国に流れてるやないの・・・(怖)
まあ人民が家庭でこの放送を見れるというわけではない。
外国人が泊まるホテルではちゃんとBSが見れるし、
当然ながら日本の動向をチェックする機関ではこのチャンネルは目を皿にして見てる人があの国には絶対にいる。
ひとつの失言で、まあワシがどうなろうがワシの問題なのでいいのだが、
本国で暮らすあの子供たちがどうにかなったら後悔してもし切れんぞ・・・
というわけで、日本側にも、北朝鮮側にも慎重に言葉を選びながら、
しかもディティールを詳しく説明しないと、
例えば中国の活動の上にこれが乗っかっていることや、
中国ロックの黎明期を作りあげたからこれをやってるとか、
いろんなことを説明しなければならないので時間がいくらあっても足りない・・・
VTRに入る度にディレクターから「何分押しです」と言われながら、
その尺で次に何を喋らねばならないか押さえるべきところを考える。
生放送は戦いやな・・・
幸いアナウンサーのお二人がいろいろ助けてくれて、
想像したほど(?)失言もなく番組は終わった。
「ムルンピョ(疑問符)という曲はとても反体制的な」
という下りは、
「彼女達や、詞を作った人は夢にもそんなことは思ってません。
これは私がもらった詞を並べ替えてロックにしたんです」
と断言した。
まあホントのことなのだが、相方の荒巻が
「今回でこのプロジェクトは一段落します」
という意味が実感となって身に染みて来た。
「テレビに出て喋る」ということはそういうことなのである。
ワシはもうあの国に入れなくなるだろうということなのである・・・
「この活動に区切りをつけて私はこの物語を本に書く」
ということは即ちそういうことである。
もう会えなくなる
(まあ卒業すればワシらの手の届かないところに行ってしまうからどの道会えないのだが)
彼女達の映像が甘酸っぱかったな・・・
執筆が終わった本の原稿も、読み返して直しを入れた。
現代っ子の部長がやらかした面白おかしいエピソードもやっぱり入れられない。
この本も出版されれば朝鮮系の団体を経由して本国に流れるのだ。
まだまだ「言ってはいけないこと」、「書いてはいけないこと」がいっぱいあるな・・・
でもテレビという限られた時間の中で喋るよりは、
本というのはより多くの情報を人に操作されることなく伝えることが出来る。
緊張感持って仕上げねばな。
現在原稿の最終チェック中!!
年内には何とか発売出来る見込みである。
北朝鮮ロックプロジェクトまとめはこちら
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2012年9月14日
菅沼孝三考
菅沼孝三というドラマーを初めて見たのは確か30年近く前の楽器フェアーだったと思う。
当時、Jazzを叩きたくて四苦八苦していたワシは、
たまたま遊びに行った楽器フェアーでの小曽根真ピアノトリオの演奏を聞いて愕然となった。
ずーっと昔にチェッとベイカーのアルバムでスティーブガットの4ビートを聞いた時のショックとまるで同じだった。
JazzドラマーはJazzしか叩けず、
RockドラマーはRockしか叩けなかった当時の状況を、
スティーブガットというドラマーは大きくそれを覆した。
その「四角い」ビートの4ビートを人はJazz界の人はとやかく言ったが、
ワシはそれを「Jazzの進化」として受け止め、
そして自分がJazz界に打って出る「希望」と思った。
ニューヨークで活躍している日本人ピアニスト小曽根真が連れて来た、
無名ドラマー(当時菅沼孝三という名前は日本ではあまり知られてなかった)は、
Jazzの後進国だと思っていた日本のJazzに「新しい息吹」を吹き込んだ、
そう思っていた。
打ち込みのパーカッションに合わせて叩く正確なビート、
ベタベタのJazzドラマーとは違うちょっと「四角い」4ビート、
「日本のJazzもここまで来たんだ」とワシは感激した。
その後、彼と会ったのは二井原がデッドチャップリンを結成して後だったと思う。
ナイトホークスのイベントで彼とバトル・・・
というか同じくドラマーとして参加してドラムソロをやる・・・
まあ若かりし頃には十分「バトル」だった・・・を行った。
ライブは「客泥棒」、ドラマーは全て「ライバル」だと思ってた若かりし時代である。
先に出演した菅沼孝三のドラムを分析して、
その日に来ている客層を分析して、
その客が抱いている期待感を分析して、
結局ワシの引き出しから出した「技」は「プロレス技」だった。
ロックフレーズを叩いては立ち上がって煽り、
パフォーマンスと体力で構築したそのソロは我ながらよく出来たパフォーマンスだった。
「勝った・・・」
本当は音楽に勝ち負けなどないのだが、
血気盛んな若い頃にはとかくそう考えがちで、
何やらちょっとした心の余裕で彼と接し、
実はその時にいろんなドラムテクニックを教わった。
ラテンのソンゴの叩き方などまさしくこの楽屋で菅沼孝三に教わったのだ。
そしてその時に彼が私があの時見た小曽根真のドラマーだったと聞いた。
ワシの「ライバル心」はその瞬間に「尊敬の念」に変わった。
「ブラシってどうやったら上手くなるの?」
彼は笑いながらこう答えた。
「そんなん銀座のハコバン1ヶ月やったら誰でもすぐ叩けるようになるで〜」
さすがは10代からスティック2本で家族を養って来た男である。
ワシはそのまま岡崎はんに頼んで新宿のバーで叩かせてもらい、
1ヶ月とは言わないが今では何とか普通レベルには叩けるようになっている(感謝)
ところが渋谷公会堂でデッドチャップリンのコンサートを初めて見た時、
彼に対するイメージがいっぺんに悪くなった。
ドラムソロは相変わらず高度なことをやっているのだが、
もともと「ポリリズム」というのは「元になるビート」があって初めてポリリズムである。
おそらくあの会場で彼のドラムソロの組み立てを理解していた客はワシひとりであろう。
「二井原ぁ・・・こんなことしてたらあかんでぇ・・・」
そう思ったワシは何となくその原因を作っている(ひとり)と感じた菅沼孝三を次第に心よく思わなくなって来た。
まあそれからも何度か会ってはいたのだが、
ワシ自身、何となく彼に対しては壁を作っていたような気がする。
そしてそれが壊れるのが北京でのバトルであった。
「手数王が北京に来るよ」
と若い衆が言うので彼のクリニックを見に行った。
ドラムが2台用意されているので、
「ファンキーはんも上がって来て何か叩いてや〜」
と言われて喜んで壇上に上がった。
見ればひとつはワンバス、ツインペダルもないセットである。
「スマン!!ワシ・・・ツインペダルないとソロ出来んわ・・・」
こーぞーさん、笑って、
「ほなこっちのツーバスのセット使いや。俺はワンバスでええから〜」
と譲ってくれる。
メインどころがワンバスじゃ悪いなあと思いながらバトルが始まった。
ところがワシがツーバスフレーズをドコドコ叩いたその後、
ヤツは何と左足をペダルの上に持って来て、
ひとつのペダルを両足でドコドコと踏みよった!!
これには度肝を抜かれて大笑いしてしまい、
結果ワシはペースを一気にヤツに持って行かれてしまった。
もともとイジワルなヤツなのだ。
ソロ返しでは必ずワシの叩いたフレーズを真似て叩くところから始める。
毎回毎回自分のフレーズを真似されるのでだんだんネタが無くなるだけでなく、
「もっと上」を目指すので必然的に「手数勝負」となってしまう。
完敗・・・
「亜洲鼓王たる者が人の土俵で相撲取ったらあかんなぁ・・・」
反省することしきりである。
その後一緒にメシを食いに行って北京のJazzクラブに連れて行った。
地元のJazz仲間に紹介して彼をステージに上げたが、
そのドラミングが凄かった。
「こーぞーさん、Jazz叩いたらやっぱ凄いわ・・・
ロック叩いたらいっつもぶち壊すようなフレーズ叩くけどな(笑)」
これにはこーぞーさん、「そんなことはないで!!」と猛反発。
思えば失礼な発言だったが、
Jazzに関しては最初に見た小曽根真のトリオを思い出してワシは改めて彼の実力を再認識した。
実際北京のそのバトルを見た若いドラマーの中にも
「あのドラムは好きじゃない」
と言う人はいる。
しかしあまり認識されてないだけで彼の「音楽性」は実はとてつもなく高いのだ。
Jazz以外では手数に目が奪われてそれがあまり全面に出て来ないだけなのだ。
それから月日は流れて「手数セッション」の結成となる。
もうこの頃には昔のような子供じみたライバル意識もないので、
まあ言うならば「ドラム」で共に戦って来た「戦友」のような間柄である。
「歳をとる」ということは素晴らしい。
ワシは昔はいろいろあった江川ほーじんともいい関係となり、
この「手数リズムセクション」を素直に絶賛出来るようになった。
そして、きっと田川ヒロアキのちょっとした「無茶振りの仕返し」だったのだろう、
手数セッションのゲストとして数年振りに菅沼孝三とのバトルが実現した。
このバトルが素晴らしかった!!
この菅沼孝三という男、とにかくビートがタイトなので、
こちらが決してリズムが狂わなければ「何を叩いても」必ず「合う」のである。
ドラムソロのバトルでは、相変わらずこちらのフレーズを真似て叩き始めるが、
ワシは敢えてそんなイジワルにはついていかない。
矛先をころころ変えて好きなように叩くのがよいのだ。
そもそもあちらの方が引き出しが多いのだ。
こちらの土俵で勝負してもらえばそれでいい(笑)
そして曲中では、ギターソロとかの時に、
お互い何かちょこっと入れたフレーズに反応して、
ソロの後ろでふたりで勝手に「会話」しよる(笑)
これもお互いの「反射神経」と、
どの位置からでもフレーズを出せる「引き出し」あってのものだねです。
そしてそして最後の「同時ドラムソロ」は凄かった。
バトルばっかりやってるのは面白くないので、
「こーぞーさん!!同時にソロや!!」
と叫んで叩いたのだが、
お互いポリリズムを駆使して複雑なリズムで叩きまくるのだが、
こちらさえリズムが狂わなければ必ず「合う」のだ。
工事現場のようにドドドと轟音が鳴り響き、
誰も理解不能なその轟音が同じタイミングでピタリと止まる(鳥肌)
あれは凄いわ・・・(しみじみ)
そんなこんながあって、
ワシはずーっと「またヤツとツインドラムやりたいなぁ・・・」と思い続けていて、
今回永井くんにお願いしてまたそれが実現したというわけだ。
今回のギタリストは米川くん、
そして永井くんの提案でゲストに二井原を入れようということになり、
オリジナルメンバーが3人も揃っているということでデッドチャップリンのナンバーも演奏した。
久しぶりに聞くデッチャの曲は今では何の違和感もなく入って来た。
歌はもちろんのこと、
個性的なドラムに個性的なベースとギター、
そして個性的な楽曲にアレンジ・・・
思えば人々が二井原実に寄せる期待感のベクトルとあまりに違い過ぎてただけで、
あの時代、いや今の時代でもこんなサウンドとプレイをやる無名のアマチュアバンドが現れたとしたら、
それこそ音楽界を根こそぎひっくり返すだけのパワーがあるぞ・・・
素敵な音楽仲間との素敵な時間はあっという間に終わった。
素敵な「戦友」との素敵な「バトル」はまだまだやり足りない。
ツインドラムというと通常、
どちらかが叩きまくってどちらかがそれをサポートする形が多いが、
あらん限りの手数を駆使してふたりが同時に叩きまくるようなこんなツインドラムは例がない。
誰か〜!!!次なるブッキングを頼む〜!!!
今までは小屋の状況とかを考えてワシは店のドラムを使い、
こーぞーさんはヤマハの小さなセットを持ち込んだが、
次は是非ふたりともツーバスのフルセットでバトルをやりたいもんだ・・・
これを見てる全国のライブハウスのオーナーさん、
我こそはと思う方は是非ブッキングして下さい!!
但し防音設備が完璧じゃないとあまりの騒音で店が潰れます(笑)
Posted by ファンキー末吉 at:08:19 | 固定リンク
2012年9月12日
小畑秀光が篭る山
元々は昔よく行ってた丹沢の山小屋を考えてたいたのだが、
もう20年近く行ってなかったので、
40km走ってようやく探し当てて行ってみたら
山小屋はもう取り壊されてしまってた(~_~;)
まあそれでも何もない山奥の河原なのでシチュエーションとしてはばっちりなのだが、
何せ人里離れ過ぎてて電波が届かない。
今回の企画は、彼を人里離れた山奥に放り込んで、
100時間配信しながら猛練習してもらおうというものなので、
電波が届かなければ配信が出来ない・・・
それから小畑君の友人のサナちゃんと一生懸命山の中を探し回った。
人里離れた所は電波が届かないし、
電波が届く所は人がうじゃうじゃいるのでコンセプトに合わない。
探すこと半日、地元の人の情報で、
管理されてるキャンプ場でもなく、
立ち入り禁止でもない河原が見つかった!!
持ち込んだ3種のキャリア(docomo、au、SoftBank)のうちdocomoしか電波が入らず、
それもようやくアンテナ2本立つぐらいなのでご覧の通り映像はカクカクなのじゃが、
ま、しゃーないか・・・
本人は目隠しをしてここに連れて来て、
デバイスの位置情報は機能制限して使えないようにして、
テントと寝袋と水と食糧だけ与えて放り込む。
たっぷり練習してもらって、
18日の夕方に迎えに行ってそのまま店でライブをやってもらおう!!
うむ、人間離れしたいいライブが出来そうじゃ・・・
「クマに注意」の立て看板をいくつか見たが・・・ま、ええか・・・(笑)
Posted by ファンキー末吉 at:20:17 | 固定リンク
日中関係悪化のため初の「中止」
6連チャンのブルースツアーを終え、
戻って来てそのまま7連チャン目の「江川ほーじん山本恭司ファンキー末吉セッション」。
JASRACとの調停裁判のために上海からオーナーのKさんが来てたので、
そのまま一緒にメシを食いに行った。
テレビではニュースで、また中国漁船が尖閣諸島にどうのこうのと報道している。
「上海はどうなの?」
「いや〜このまま悪化したらアホが生卵投げつけて来るかもわかりませんねぇ(笑)」
「まあ上海は都会やから田舎と違うてなかなかないやろけどな」
「末吉さんの方はどうですか?」
「ワシは不思議と一度もないなぁ・・・」
などと話してたらいきなりメールが入った。
「关于9月的两场活动'由于最近中日关系比较紧张'我们将推迟本次活动的演出时间'
(9月のライブは最近の日中関係の緊張を受けて延期することにしました)」
ついにキター!!!
反日デモが大規模に行われている同じ街でもライブをやってたワシが、
ついに日中関係悪化が理由で初めてのドタキャン・・・
まあドタキャンはいいのだが、
X.Y.Z.→Aのレコーディングのために上海から日本に飛んで北京に戻るチケットを買ったばっかりやったりして、
実は来月の上海楽器博覧会での演奏が会場の設備の問題で中止となったりして、
チケッティングがもうぐっしゃぐしゃ・・・
もともとは北京で日本往復のチケットを買っていたのじゃが、
今では日本発券のチケットと一緒になってぐっしゃぐしゃである。
9月19日北京行き(日本発券デルタ航空の行き)無錫寧波のライブのため
20日無錫行き寧波回る予定が今回中止
9月24日上海ー北京(中国発券による中国国際航空の行き)X.Y.Z.→Aドラム録りのため
25日日本にてX.Y.Z.→Aのドラム録り
9月27日羽田ー北京(24日の戻りチケット)北京でのJazzライブのため
9月28日北京での疆进酒でのJazzライブ
10月5日北京ー東京(中国発券による中国国際航空の行き)
10月9日東京ー北京(5日の戻りチケット)上海楽器博覧会のため
10月11、12、13日の上海楽器博覧会中止
10月15日北京ー東京(9月19日の戻りチケット)
つまり、日本で買った9月19日行き10月15日戻りのチケットは、
今回の無錫寧波がキャンセルになったからキャンセルしようと思うと、
他のチケットは全て中国で買ったやつなので、
その全ての便は乗れないということになる!!
何故ならば行きを乗らずに帰りだけを乗ることは不可能なのだ・・・
かと言ってそのためだけに何も用事がないのに北京に行くのもどうかのう・・・
こりゃ一度9月28日の疆进酒でのJazzライブをキャンセルして、
一度スケジュールをまっさらにして仕切り直すべきかのう・・・
キャンセル料いくらかかるんやろか・・・(困)
Posted by ファンキー末吉 at:07:45 | 固定リンク
2012年9月 9日
ドラムのチューニングの仕方
三田悟志というブルースギタリストとツアーを廻っている。
毎日違う土地に行ってドラム叩いて酒を飲む生活は理想なのであるが、
ひとつだけ、まあちょっとだけめんどくさいのが毎回のドラムチューニング・・・
ピアノはどんな小屋でも必ず調律師がチューニングしてくれているが、
ドラムという楽器はどうしてもそこまではいかない。
ドラマーは調律師も兼ねているというのが現状である。
まあ「大事な話」と「大雑把な話」と混ぜこぜにして書いてゆくが、
まずは「大雑把な話」・・・
Pearlドラムのモニターをさせてもらってもう30年近くになるが、
ある時、パールのモニター担当の人からこんなことを言われたことがある。
「ファンキーさん、長年モニターやって頂いて本当に感謝しているのですが、
言っちゃぁナンですが、ファンキーさん、どのドラム叩いても音いっしょ!!(笑)」
まあドラマーとしては最大の「褒め言葉」なのだが、
モニターとしては・・・(苦笑)
まあ叩き方のタイプとして、
「力でねじ伏せてドラムに最大の音量を鳴らさせる」
まあつまり「悲鳴」みたいなもんなので、
スネアのチューニングなどはまあどうでもいい。
(これかなり「大雑把な話」)
とりあえず上下の皮ともギンギンに強く張って、
リムショットで思いっきりカンカンぶっ叩けば、
隣の和佐田が顔をしかめるような音は鳴る!!
(よいこは決して真似しないよーに!!)
バスドラっつのはもともとその独特な奏法により、
踏んでそのままペダルが皮に当たったまま止まっている、
つまり叩いてすぐにミュートしているわけだからチューニングなどどうでもいい。
(これもかなり「大雑把な話」)
問題はタムである!!(これホント)
ドラムセットのいわゆる「太鼓」の中で、
その音の残響音が一番長いのがタムなのである。
(ここから段々「大事な話」に移ります)
さて、ライブハウスに行くと、
たまにタムのヘッドにビシバシガムテープを貼っていることがあるが、
タムの残響を抑えようという目的ならこれは実は間違いである。
だいたい、ギターやベースが鳴り過ぎるからと言ってボディーや弦にガムテープ貼りますか?!!(笑)
実験してみればわかるが、
ガムテープを貼ったところで残響の時間はそんなに変わらない。
変わるのは「倍音」、
つまりアンバサダーなどの薄い皮を打面に貼っている時、
倍音が多すぎてカラカラ言う時には効果的であるが、
残響を短くするならそれはチューニングのバランスを崩すしかない。
つまりそうなるとどのみち「鳴らなく」なる。
ドラムなんて鳴ってなんぼのもん!!
いい音よりも何よりも「大きな音」で鳴ってればそれでよい!!
(これ「大雑把」だけどかなり「ホント」)
昔はレコーディングでもライブでも、
新人バンドはエンジニアより立場が弱いので、
「タムがワンワン鳴ってて音にならないよ」
と言われて泣く泣くガムテープ貼ったりいろいろしてたが、
ワシは最初にアメリカでWyn Davisとレコーディングしてその考えは間違いだと悟った。
彼はワシに言った。
「タムの表の皮と裏の皮を同じチューニングにしろ」
と・・・
通常、表の皮を裏の皮より緩くすると叩いた瞬間より音が低く下がるベンドダウンする音になり、
同じチューニングにすると共鳴していつまでも同じ音が長く鳴るようになると言われている。
つまり日本のエンジニアが言ってたこととまるで逆のことを言ってるのである。
ちなみに裏の皮を表の皮より緩くするとベンドアップする音になる、
と昔ドラムマガジンに書いてあるのを見たがこれはウソである。
やってみればいい。音が鳴らない(笑)
さてWyn Davisの話に戻るが、
結局はワシのチューニングでは満足せず、
結局プロのチューナーを呼んだわけだが、
その音が非常に素晴らしく、
以来、ワシはそれが頭に残っているのでそれになるだけ近づけるようにチューニングしている。
ボーイソプラノにテノールのパートを歌わせたり、
テノール歌手にソプラノを歌わせても無理なのと同じように、
それぞれのタムにはそれぞれ一番よく鳴る音程があり、
それはだいたいチューニングキーを締める時の手加減でわかる。
そして実は間違った考え方をしてる人が多いのだが、
ひとつのタムを叩いた時に、隣のタムが共鳴するのは実は「当たり前」なのである。
共鳴しないようにガムテープをビシバシ貼るのではなく、
めいっぱい共鳴させて、それが不協和音にならないようにそれぞれの音程を調整するのだ。
つまり「ドン」と叩けば「ワン」と鳴る。
それがタム!!要はその「ワン」全体が気持ちよければそれでいいのだ。
つまり「ド」の音のタムを叩いたら隣の「ソ」の音も鳴る。
それが「ソ#」だとちとキモチワルイ・・・という感じである。
「ドミソ」とかになってしまうと「調性」が生まれて曲のキーと違うとキモチワルイので音程差は4度がよいと言われたりしているが、
もともとティンパニではないのでタムの音程をそんなに厳密に固定するのも難しい。
また裏表の皮は違うもの(通常打面は厚い皮で裏は薄い皮)なので、
上下の皮を全く同じ音程にするのもなかなか難しい。
要はタムが一番よく鳴ってて、
それが変に干渉してワワワンという変な倍音が鳴らなければそれでよい。
完璧主義でタムのチューニングなんてしてたら何時間かけても終わらないので、
それこそここはある程度大雑把にやらねばならない。
(これ悲しいけどホント)
そこでワシはいつも思うのだが、
よくある4点セットのドラムセットのタムの口径はどうして12、13、16なのだろう・・・
スネアが14インチなので14タムと共鳴しないようにと言うが、
もともとスネアは12インチのタムより高い音にチューニングするので共鳴しようがないのだ。
12インチが一番よく鳴る音程と13インチが一番よく鳴る音程差は近く、
全体がよく鳴る音程差にするためにはどちらかを少し犠牲にせねばならない。
だからワシは自分のセットは8、10、12、14、16と全部偶数で揃えている。
まあしゃーない!!それがイヤだったら自分のセットを持ち込むしかないのだ・・・
今日の小屋のドラムはどんなかな・・・
それも含めて、その日のチューニングも含めて、
そして叩き手の体調や精神状態、
そしてバンドのコンビネーションも全て含めてその日の「音」が決まる。
だから「ライブは水モノ」、面白いのである。
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2012年9月 7日
バラードにおけるドラムの叩き方
中国のTwitter「微博(WeiBo)」でやたらRTが回って来るので見てみたら、
この曲が回って来てた。
想你
艺人:老五
作词: 老五
作曲: 蒙古民歌
编曲: 关天天
吉他: 高飞
贝斯: 仮谷克之(日本)
鼓手: funky末吉觉(日本)
おうっ!!これは!!!あの時レコーディングした曲ではないか!!!
ちょうどバラードにおけるドラムの叩き方をブログに書こうかなと思ってたので、
この曲を使って説明したいと思う。
こちらで音楽を聞くことが出来ますのでどうぞ。
(中国バランスでドラムが小さいのが残念ですが・・・)
まずバラードなのだから「優しく」叩く部分がほとんどなのだが、
そこでまず根本としてわかってなければならないことがある。
それは
「スローボールは決して力のないボールではない」
という原則である。
「巨人の星」という昔の漫画で、
主人公の星飛雄馬は、最後に大リーグボール3号という魔球を編み出す。
力一杯投げるその超スローボールは、
その反動が自身の筋に大きな負担をかけ、
そして自らその野球生命を断った。
バラードのドラムもこのように「命をかけて」小さな音で叩かねばならない。
中国でも若いドラマーがバラードを叩いているのを見て思うのだが、
ただ「弱く叩いている」のでは何の意味もないのだ。
ニュアンスを言葉で言うのは難しいが、
「大きな爆発力を秘めて小さな音で叩く」とでも言うべきか・・・
ワシは山ほど中国のレコーディングの仕事をしたが、
そのほとんどはバラードである。
自分のドラムを聞くと、
「ああ何て悲しいドラムを叩くのだろう」
と思うことがある。
それなりに歳を取って世の中のいろんな悲しみも分かって来て・・・
というのもあるだろうが、
実はこれにはひとつのテクニックがあるのだ。
例えばこの曲の場合、
1分25秒辺りからサビが始まるが、
ドラムは決して100%爆発してはいない。
サビは短く1分38秒辺りでいきなり終わるのだが、
ワシはその瞬間が一番「悲しく」感じる。
このドラムは実はとてつもない爆発力を秘めているのに、
それを押さえて押さえて一度ドバラドンと締める。
そこにワシなんか
「人生にはどうしようもないこともあるんだ」
と聞こえてしまって仕方がないのだ。
音の大きなドラマーが、精一杯音を押さえて叩いている音色と、
音の小さなドラマーが精一杯大きな音を出している音色とは、
例えそれが同じ音量の音であろうが根本的に違うものなのだ。
だからドラムは音の大きな方が「表現力」が大きいということになる。
出力の大きなスピーカーの方が音がいいのと同じ道理である。
とてつもなく大きな爆発力を、
とてつもなく大きな力で押さえて叩いている・・・
それが「悲しさ」として伝わって来る。
この曲はどんどんと盛り上がってゆくのだが、
90何パーセント爆発するものの、
最後までドラムは「押さえている」のだ。
それが「悲しさ」となって聞こえて来るのである。
それはその後ろにとてつもない爆発力が聞こえて来て初めて感じる感情なのである。
そして音粒の揃え方・・・
私は基本的に大きく分けてスネアを4種類の叩き方で叩く。
一番フォルテシモは全力でリムショットを叩く。
(リムとヘッドを同時に叩くの意味)
毎回同じ角度で叩けるように、
左手を振り下ろして膝に当てた時にちょうどリムショットになるようにスネアの高さを調整してある。
(だからワシの左ひざは、左手が当たる部分はもう痣になっている)
そしてピアノシモの音では、左足をちょいと爪先立たせると、
リムショットにはならずAメロなどに使う優しい音色にすることが出来る。
大事なことはその叩く強さが常に均一であることである。
この曲のAメロの時に、一瞬ボーカルは強く歌うが、
ドラムはそれについてゆかずに淡々と叩いているところが「悲しい」。
(2拍目はリムのみ、4拍目はスネアでその音色を参照のほど。リムのみの音がスネアより大きいのがちと残念だが・・・)
まあ特にこのスネアのショット、
この時に毎回強さや音色が変わったりしたら興ざめなのである。
このふたつの音色の間に、
「リムショットはするが弱く叩く音色」
と
「リムショットをしないが強く叩く音色」
も合わせて4種類を使い分ける時があるが、
どの道いちばん大切なのは、
その音色を「全発同じ強さで同じ音色で」叩くことである。
あとはリズム感と言うかグルーブ感。
8ビートを遅くしたのがバラードのリズムであるが、
実は頭の中では8分音符ではなく16分音符、
特にこのぐらいのテンポの曲だと頭の中では32分音符が鳴っている。
2分30秒辺りのサビの繰り返しのフィルなどは、
音符としてはタコトコタコトコの16分だが、
ノリとしてはタットコトットコタットコトットコと倍のビートが聞こえて来る。
このビートが頭の中で鳴っているか鳴ってないかが大きな違いである。
2分50秒辺りからの間奏は、
音符は16分だがノリは32分である。
フィルも段々32分音符が増えて来て盛り上げるが、
32分を叩いてない時にもそのビート感があるかないかで「リズム」というのは大きく違うのである。
3分15秒辺りに非常にシンプルなフロアとスネアの8分打ちがあるが、
これを8分のリズム感で取ったのでは全然間持ちがしない。
ドンドンドンドンと聞こえるこの音の裏で、
聞こえてないドコココドコココドコココドコココのこの細かいリズムが鳴っていて初めてこのフレーズは成り立つ。
まあフィルだけではない。
全体的にその細かいビートがあって初めてリズムが成り立っているのである。
少々余談にはなるが、
リズム部分でも実は「ゴーストノート」というのを多用している。
ドラムをソロにして耳を凝らして聞かなければ聞こえないが、
8分音符しか聞こえてない部分にも実は、
聞こえるか聞こえないかの音量で16分音符の小さなスネアの音が入っているのだ。
このボリュームコントロールは実は非常に難しい!!
フォルテシモの音が毎回同じ音量で同じ音質である訓練はされているが、
このように聞こえるか聞こえないかの音量の音を全く同じにコントロールするのは至難の技なのだ。
ゴーストノートを入れたはいいが、
音量や音質がまばらで、時々聞こえたりなんかするとビートが無茶苦茶になってしまう。
いろんなゴーストノートがあるが、
1小節のパターンだとすると例えば、
ひとつ目はベロシティー10、ふたつ目は30、
小節の最後はちょっと聞こえるように50とか、
それは決めてしまえば次の小節も全く同じく叩く。
レコーディングの時にワシは、
1小節目を何度もやり直して、
うまく抜けたらそのまま全部ぶっ続けで録音したりするのは、
要はこの組み合わせを作っているのだ。
人間だからそんなに機械のように正確には同じにならない。
しかしそれを「命をかけて」同じにするところに「戦い」がある。
例えば2番になってベロシティー10のところを20で叩いてしまった。
そしたら2小節目から命をかけて同じく20で叩くのだ。
その「戦い」の連続を「リズム」と言う。
「フィルを叩いたらちょっとだけ速くなった!!」
アドレナリンが出まくっている頭の中では、
それはスローモーションのように次の1発で何とかしようとする。
「あ、この1発がほんの少し大きかった!!」
次の1発で何とか解決しようとする。
その連続を「リズム」と言う。
ワシはこれを「初恋」に例えて説明したりする。
強く抱きしめたら壊れてしまう。
弱く抱きしめたら逃げてしまう。
だから命がで一番相応しい力で叩き続ける。
何故命をかけられるのか、
それはひとえに「愛」である。
その「音楽」を壊したくないという「愛情」
「絶対に壊してはいけない」という「責任感」
つまり「リズム」とはそれを叩く人の「人生」なのである。
そして最後に、
「ドラマーはバンドの指揮者である」
1曲をどのように盛り上げて、
ある時は強く歌い、ある時は弱く歌い、
それは歌手がやっているのであるけれど、
作り上げているのは実はドラマーなのである。
アレンジャーが作り上げたこのややこしいセクションを、
ワシは「自分の歌い方」で歌い上げる。
その中には「こう歌ってくれ」というのが強くある。
朋友がこの曲を引っさげて、
零点(ゼロポイント)のみんなを蹴散らして世に出てゆく。
その姿を想像しながら構築した。
願わくば実世界でもそのようになって欲しいと心から願う。
頑張れ!!朋友よ!!
羊肉の恩がある!!ワシはお前のためなら何でもやるぞ!!(笑)
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2012年9月 4日
寧夏省「呉忠」ビールフェスティバル
先日の北京ライブが終わって、老呉(LaoWu)が
「寧夏に行くけど来るか?」
と言うので喜んで同行させて頂いた。
省都である銀川には何度も行ったことがあるが、
その隣町の「呉忠(WuZhong)には初めてである。
だいたいにして初めての土地には行っとくべきなのだ。
ワシは「ひとりドラム」でもう数十カ所廻っている。
死ぬまでに自分がどれだけの中国の街を廻れるか、
それが現在の楽しみのひとつである(笑)
「朝5時20分に院子(ユエンズ)を出発するよ」
と言うので10時頃には布団に入ったのだが、
そしたら3時に目が覚めてしまった(年寄りかっ!!)。
今回は高々1泊だから重たいパソコンは持って行かず、
iPadだけ持って行こうといつものリュックからいろんなモノを取り出した。
まあよくもこれだけの周辺機器を世界中に持ち歩いてたもんだ・・・
モバイラーも大変である・・・
一気に軽くなったリュック、
中には着替えのパンツとTシャツ、
あと電気機器はひょっとして「ひとりドラム」をやることになった時のためのiRiggPortとiPadの充電器ぐらいである。
iPadは昔はリュックに入れていたのだが、
貴州省でトン族のポシェットを買ったのでそれに入れている。
私のiPadは中国の3Gなのですぐに取り出せてネットにつなげるので便利。
そして便利なのでそれに集中していてリュックを搭乗口に忘れてしまった!!!(≧∇≦)
気付いたのは飛行機が寧夏省銀川に着いた時であった。
すぐに北京空港に電話をするが電話ではわからないと言う。
iRiggPortは日本でなければ手に入らないが、
取り敢えずパンツは買っとかねばということで街に出た。
初めて来る名も知らない街、呉忠は大都会だった。
銀川の街よりも回族の割合が多いように感じる。
嫁にまた民族衣装でも買って帰ろうと思ったが、
イスラム教は女性は派手にしてはならないのでいいのがない。
貴州省や雲南省の少数民族とは大きな違いである。
仕方ないので自分のイスラム服を買った。
今日はこれでステージをやるのだ〜
ちなみにバンダナもリュックの中なので、
これは配偶者以外に髪の毛を見せてはいけないイスラム女性が頭に巻く布である。
ええやんええやん・・・
ビールフェスティバルが始まった。
ステージ袖では地元の出演バンドのメンバーから一緒に写真を撮ってくれと頼まれる。
布衣(BuYi)が地元のアンダーグランドバンドの誇りなら、
ワシはそれをここまでにしたプロデューサー、
言わば「恩人」、と言うより、「縁」を何よりも大切にする中国人のとってはもう「地元の人間」やな。
ワシの出番は布衣(BuYi)の最初の3曲でドラムを叩くのみ!!
その後は会場に行ってビールを飲みながら出演バンドの演奏を楽しむ。
ビールフェスティバル、何度か出演させてもらったが楽しいぞ〜
地元のバンドから、とっておきの「手抓羊肉」をご馳走になった。
大高さんや納さんや三科さんと行ったあの銀川のレストランの本店である!!
銀川のあの絶品の羊肉もここから持って来るというのでもうこここそが世界一の羊肉の楽園である!!
翌朝は朝飯に羊の臓物スープ「羊杂汤」をご馳走になり、
昼飯に「凉手抓」つまり「冷たい手抓羊肉」を食って北京へと帰るわけだが、
問題はなくしたリュックである。
方言(FangYan)が一生懸命北京空港に電話をかけるのだがつながらない。
まあこの辺は日本でもどこでも同じなので、
とりあえず万が一を考えて、北京から乗った飛行機で失くしたのかも知れないということで銀川空港の遺失物のところで聞いてもらう。
中国らしく相変わらずぶっきらぼうな態度で、
「え?ないよ、そんなの」
と言い捨てられる。
中国がどれだけ開放されたって「サービス」という点ではまだまだ「昔の中国」である。
頼み込んでもう一度調べてもらうが、
だいたいにして調べる書類が手書きで書いたノートなので信用ならん。
どこかに電話して聞いてたようだが、
「やっぱないよ」
とつっけんどんに答えられる。
「うちでなかったらあっちで聞いてみれば〜」
指差されたのは空港内の警察の施設。
警察官に聞いてみたら、
「そんなもんはあっちで聞けよ」
とさっきの遺失物係の方に回される。
「あっちでこっちに来いって言われたんですけど・・・」
日本の「サービス」が本当に懐かしくなりながら、
なるだけケンカ腰にならないように丁重に話す。
「あっちにないならないよ。うちにはないから」
はいはい、結局ここにはないのね、
失くしたのは北京空港なのね、
というわけで飛行機に乗る。
着いたら方言(FangYan)がまた遺失物係に電話をする。
今度はつながった!!
電話でリュックの形態を説明して探してもらったが、
「ファンキーさん、リュックはないようです」
と残念そうに言う。
しかしワシはあきらめない!!
この人達を信じてはいけない!!
ひょっとしたら電話を受けた人がしっかり探してないかも知れないし、
探すと言っても手書きのノートだろうから、
それが何冊もあってたまたまそのノートにないだけかも知れない。
着いたT2から、来る時に乗ったT3までシャトルバスで行って、
そのまま遺失物係に飛び込んだ。
おっ!!しばらく見ない間に近代的な様相に変わっているぞ!!
確か数年前にイヤホンを失くした時に行った時は、
相変わらずの暗い殺風景な部屋で、
木の机の上で係員が手書きのノートで調べてたのに・・・
なんとコンピュータがあるではないかー!!!(涙)
心なしか係員のお姉ちゃんも接客態度がいいぞ!!
北京!!進歩したなー!!!!
というわけでちょっとだけ愛想のいいお姉ちゃんが調べてくれて、
パソコンの画面を見せる。
「あんたのリュックってこれ?」
大喜びで頷くワシと方言(FangYan)
「どこのメーカーなの?言ってみて!!」
メーカーなんてそんなん知らんがな〜
別にブランドもんでも何でもないし〜・・・
こりゃぁ自分のリュックだと証明するのは大変だなぁ・・・
と思っていたら、中に確かパンツが入っていたのを思い出した。
「中にパンツが入ってますから!!」
お姉ちゃんいきなり不機嫌になり、
「パンツぅ?!!(怒)」
ニコッとしてワシは話を続ける。
「そうなんです。中国ではめったに履かないパンツですよ。
ブタのパンツって中国人は履かないでしょ。
そのパンツが入ってますから!!」
お姉ちゃんまたまた不機嫌になって叫ぶ。
「ブタのパンツぅ?!!」
ワシは娘がプレゼントしてくれたパンツの柄を絵に描く。
わけのわからない様相でリュックを持って来たお姉ちゃん、
リュックを開けるとはたして一番上にこのパンツが入っていた。
まるで汚いものでも触るかのようにパンツを投げ捨てたお姉ちゃん、
「もういいわ、帰ってちょうだい」
とばかりにテキパキと受け渡しの書類を書いてリュックをくれた。
娘よ、素敵な誕生日プレゼントをありがとう!!
おかげでパパは助かったよ〜!!!
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2012年9月 3日
朋友(ポンヨウ)のいるところはいいところ
中国に関しては、日本でいるとワシでさえいろんな情報に惑わされて間違った考え方を持ったりする。
今回も北京でのライブで、
「ひょっとしたら客席から生卵が飛んで来るのではないか」
とかいろんなことを考えて、
中国語で喧嘩するためのいろんな単語を一生懸命思い出していた(笑)
しかし、地元の仲間達が
「そんなことがあるわけないじゃないか」
というのはなるほどであった。
そもそもワシは
「日本から鳴り物入りでやって来ている日本人」
ではない。
「こちらで暮らしている日本人」
なのである。
これは中国人にとっては「中国人である」と同じこと。
それもその歴史はもう20年以上になり、
反日デモなどに参加している学生どもの人生よりも長い。
ワシは中国ロックのためにこの20年を尽くして来たのだ。
そんなワシに中国人が牙を向けるわけがない!!
そう思っていればよい。
今までもそうだったのだ。
日中関係がどうなろうがそれは変わらないと考えるべきである。
というわけで、
何か一瞬でもバカなことを考えてしまった自分が恥ずかしくなり、
今回の寧夏省呉忠のビールフェスティバルに手をあげて参加した。
日本にいる人は日本大使館の国旗を強奪したりする北京の方がアブナイと思うかも知れないが、それは逆である。
地方都市の方が断然アブナイ・・・
ビールフェスティバルというと数千人の観客のほとんどは酒を飲んでいる。
そこで暴動でも起こったらもうひとたまりもない。
そこに「日本人ドラマー」として参加することが、
ワシが今まで通りの考えで中国で生きてゆくための証明だと考えたのである。
ラウドネスが出演中止になったのも地方である。
それには実はこんな裏事情がある。
日本のマスコミでは裏も取らずに
「日中関係の悪化により中国政府が中止命令を出した」
と伝えているが、それは間違いである。
ワシがそんなマスコミの戯言を信じて、
あらゆるところに「どうなってるんだ?」とメールを打ったので、
仲間内はもとより、例えばパールドラムの中国の代理店などは慌ててその裏を取った。
実際に中国政府が
「全ての日本人との音楽交流を禁止する」
などとお触れが出てたらその「仕事」が出来ないのだ。
当然ながら中央政府はそんなお触れは出していない。
そりゃそうだ。
本当にそんなお触れを出してたとしたらこれは「国家問題」、
日本国だって国内での中国人との音楽交流を禁止せねばならなくなる。
中止命令を出したのは実は政府は政府でも地方の小役人であった。
地方に行けば行くほどその役人は仕事をしない。
先日の貴州省ツアーの興義では、
接待してくれる全ての人間がベロベロに酔って飲酒運転をしていた。
中国では今、飲酒運転は即牢屋にぶち込まれるので、
少なくとも省都である貴陽などでは絶対にあり得ない光景である。
「あ、この街では無理だよ。
だって捕まえる人も捕まる人も、
こんな狭い街ではどっかで繋がってるからヘタに捕まえたり出来ないし・・・」
地方の役人というのは、このように全く仕事をしないか、
もしくは自分が処理出来る範疇を超えた事態は全面的に中止させる。
どの国の役人もみんな「事なかれ主義」なのである。
何万人も人が集まるフェスティバルで、
血気盛んな若者が何千人と波のようにぶつかり合うモッシュ
(最近はこんなのが流行っているらしい)
なんかを見た日にゃぁ、
「そこに今のご時世で日本のロックバンドが出る?
中止!!中止!!もし何かあったら俺の身はどうなる!!」
ってなことになるわけである。
この辺の役人は「モノが分かってない」からこうなるが、
これが北京など大都会だと違って来る。
何かがあった時に対処出来る能力も持っているし、
それを未然に防げるだけの「力」も持っている。
だからデモとかが地方都市に多いというのはそういう理由によるのだ。
(最近は都市部でも多いというのは気になる現象であるが)
今回、ここにやって来て、
美味いもんいっぱい食ってふーふー言ってるワシに
老呉(LaoWu)はこんなことを言った。
「どうだい?地方の人間は都会と違って文明もないし、
礼儀も知らなきゃ何でもありの好き放題だけど・・・」
確かに、「デモだ」と言って中国人経営の日本料理屋(笑)を焼き討ちにするという行為は「文明」と言うには程遠い行動である・・・
老呉(LaoWu)の言葉は続く。
「でも朋友(ポンヨウ)がいるところは違うだろ?」
その通り!!
ワシが地方に行く時は必ず朋友(ポンヨウ)がワシを連れてゆくし、
そこには必ずその朋友(ポンヨウ)の朋友(ポンヨウ)がいて、
彼らは必ずワシを新しい朋友(ポンヨウ)として死ぬ気で接待してくれる。
「朋友(ポンヨウ)のいるところはいいところ!!」
ビールフェスティバルも何の問題もなく幕を閉じた。
中国人もこの日本人ドラマーの曲に
(今回は彼らに書いたワシの曲のドラムを叩いた)
惜しみもない拍手を送り、
ワシのドラムソロにも惜しみもない拍手を与えたぞ。
これでいいのだ!!
来てよかったのだ!!
飲むべし!!!
Posted by ファンキー末吉 at:13:17 | 固定リンク
2012年9月 1日
北京ライブ
荷物が多い時には八王子からリムジンバスで成田に行くのだが、
13:40分発というとちょうどよいバスがない。
仕方がないのでかならい早いが7:00のリムジンに飛び乗った。
成田で4時間ほど時間をつぶせばと思って着いてみたら、
乗るはずの中国国際航空のカウンターが閉まっている。
よくよく調べてみるとワシの乗る便は羽田発ではないかー!!!
前回もこんなことがあったが、
その時は別の成田発の便に変更してくれたのだが、
今回は着いてすぐにライブ会場に飛び込みなのでそれでは間に合わない。
すぐさま羽田行きのリムジンに飛び乗る・・・
羽田に着いてみたらワシの乗る便は北京で航空管制によりまだ着いてないらしい。
助かったが・・・今度はライブに間に合うのか・・・
ま、ええか・・・中国やし・・・(笑)
結局2時間遅れで北京着、
着陸したらすぐにライブのメンバーにその旨を伝え、
すぐさまトイレに駆け込む。
今日のライブハウスは北京の胡同(フートン)にあり、
トイレは共同の、しかも仕切りがなく穴があいているだけのトイレなので、
トイレットペーパーもある空港の洋式トイレでウンコしとくに限る!!
しかしウンコを済ませてイミグレーションに来たら、
乗客は全て入国審査を終えて人が誰もいなかった・・・
20年間ここに来ておるがこんなん初めてじゃぞ!!
係員がおらんかったら入国出来んやないかい!!!
結局Special Lineという特別なところで入国審査を受けて無事入国!!
ライブハウスに着いたら懐かしい「小すいか」のドラムセットが置かれていた。
爆風デビュー当時に作ってもらった「すいかドラム」のJazz用として作ったやつである。
オーナーのひとりであるドラマーから
「うちのドラムセットはひどいだろ?
余ってるドラムセットがあったら貸してくれないか」
と言うので貸し出してやってるのだ。
今回のライブは、この店がもうすぐ閉めてしまうということで、
仲間うちが「それならば」ということで毎日いろんなライブをやっていて、
「Funkyも是非なんかやってくれ」
ということで「Funkyとその仲間達」というライブをブッキングされたというものだ。
ここに来たら必ず近所の雲南料理屋に行く。
今回もサウンドチェックが終わってその店に行くと、
店長らしき「おばはん」がワシにいきなりこう言った?
「あら?今日はあんたのライブなの?」
いつも行く店とは言え、なぜに雲南料理屋の「おばはん」に?・・・
と思ったらこの「おばはん」もオーナーのひとりだと聞いて納得・・・
ライブハウスに戻って来たら客がちらほら集まって来てた。
気になるのは最前列に陣取っている美女ふたりである。
こんなことを書くとまた日本(八王子)で総スカンを食うが、
およそワシが日本でライブやっても客席でお目にかかることはないほどの美女。
「気が散るなあ」と思いながら「ひとりドラム」からライブ開始、
キーボードの張張(ジャンジャン)を呼び込んでデュオで「Funk版エリーゼのために」と続き、
更にベースの韓陽(HanYang)を呼び込んでトリオで数曲演奏した。
張張(ジャンジャン)はもとより韓陽(HanYang)がびっくりするほど上手くなっていたのでびっくりした。
後で聞いたら
「ぶっつけ本番だから緊張感が高かった」
とのこと。
これはある意味大切なことかも知れない。
アウェイインザライフというミュージカルの時、
ソニンちゃんがドラムを叩くというので仮谷くんが指導をしていた。
どうしても手がついていかなくて叩けないフレーズの時、
「ソニンちゃん、試しにその時になったらテンションを上げてみぃ。
アドレナリンが出れば叩けるかも知れないから」
とアドバイスをしたが、さすがはプロの女優、
その時になったらいきなりテンションを上げたら本当に叩けた。
素晴らしいバッターは球が止まって見えるというが、
同様にテンションをもの凄く上がった状態では、
頭の中で時間が早く流れると言うか、
Jazzなどのインプロビゼーションに瞬時に反応出来るようになったりする。
1拍1拍の中で普段よりも多くのことが考えられるので、
「反射神経」がよくなるような感覚なのだ。
第一部は自分のオリジナルを中心としたJazzの演奏で、
第二部は布衣(BuYi)のボーカリスト老呉(LaoWu)を迎えて彼の曲、
いや、ワシが書いた曲もあるしアレンジやプロデュースに関与した曲も多いので、
それも踏まえての「Funky末吉のステージ」である。
来ている客もみんな大合唱している。
かぶりつきの美女も大合唱している。
布衣(BuYI)のファンか・・・(驚)
思えば最近は布衣(BuYi)のライブでしかここに来てなかったので、
客席は立錐の余地もないような状態ばかりしか見たことなかったが、
思い起こしてみれば布衣(BuYi)が初めてここでライブやった時、
その時はワシがドラムを叩いたのだが、
その時は今日の客の入りよりも少なかった。
ワシが個人名義で北京でライブをやったのは1年前の誕生日の時以来、
今年はスケジュールの関係でマラソンライブはやってないが、
こんなライブもまたやってもいいなぁと思ったら、
老呉(LaoWu)から
「来月もやるかい?」
と言われてびっくり。
「ここが閉めてしまうっつうので毎日ライブやっとるんとちゃうの?・・・」
頭を掻きながら老呉(LaoWu)が説明する。
「今年いっぱいは閉められないよ。
だって客が入っててウハウハなんだもん・・・(照)」
やっぱ中国やなぁ・・・ほな来月もやりますか!!!(笑)