
2008年8月31日
おそるべし!江川ほーじん
二井原バンドのリハ終了後、
ジェットフィンガー横関くんには居残ってもらい、
近所に住む江川ほーじんが合流してレコーディング。
はてさてこの3人でどんな音楽を?
それは発売が決まってからのお楽しみということにして、
とにかく今回はほーじん節がさく裂した。
だいたい今の音楽界でこんな個性的なプレイヤーがどこにいる?
ベースの弦を親指のアップダウンで弾き、
弦が上下に揺れるのでその音色は極めて個性的。
莫大な練習量により機械のように正確な16分音符を高速でプレイする。
ルーツはラリーグラハムであることは有名な話じゃが、
もう既にそのサウンドはラリーグラハムとは全然違う。
世界中でこんなスタイルでプレイする奴は彼だけであろう。
思うに今の音楽業界はいつからこんなに没個性になってしまったのじゃろう・・・
ベースという楽器、
いや全ての楽器演奏において、
彼ほど独特のスタイルを築いたプレイヤーは後には存在していない。
ほーじんのアイデアにより、
ギターはダビングもなし。
定位はドラムが真ん中、ベースが左、ギターが右。
ギターソロになったら当然バッキングギターはなし。
ドラムはツーバス、ベースはチョッパー弾きまくり。
16分の嵐、音数の洪水・・・
「ギター要らんやん・・・」
ジェットフィンガー横関がちょっと困惑・・・
ベースがバスドラよりアタックが強いので、
当然ながらドラムとケンカする。
ギターが負けじと弾きまくれば当然ながら音がぶつかる。
そうなると上に歌を乗せたところで全てが歌とケンカする。
そうかぁ・・・これが初期の爆風サウンドやったのかぁ・・・
ワシの恋女房とも言うべきバーベQ和佐田というプレイヤーは、
その人間性が表れているかのごとく、
音に包容力があり、ドラムを包み込んでくれる。
やはりほーじんのこのサウンドは彼の火の玉のような性格から来ているのであろう。
「音」とはすなわち「生き様」である。
おそるべしは、
彼は50も近いというのにその生き様に微塵たりともゆらぎがないということである。
レコーディング終って一緒に爆風銃のビデオを見た。
末吉22歳、ほーじん21歳の時の映像である。
「二十歳そこそこでこの演奏やってるんですかぁ・・・」
ジェットフィンガー横関からため息がもれる。
そう、ワシら基本的にあの頃から上手くなってない・・・
思えば昔はそんなバンドがうじゃうじゃいた。
いつからこの国の音楽界はヘタクソばっかりになってしまったんじゃ?・・・
江川ほーじん、おそるべし!
死ぬまでこの生き様を貫いたら君はこの国の国宝になれるであろう。
いや、国が認めんでもワシは君を人間国宝に認定するぞ!
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2008年8月29日
もの凄い雨やったなあ
レコーディング終わってエンジニアの崎本くんを駅まで送りに行った。
「雷の音が怖い」と言う嫁も、
ひとりで家にいると怖いので子ども連れて一緒に乗り込んだ。
大雨ではあるが、行きの道はまあ「雨が強いなあ」というぐらいだったが、
「どっかで生ビールでも飲みたい」と言うワシのわがままにより、
コースを変えて別の道を帰ったのが運のつき、
ワシらは生ビールどころではなくなったのである。
だいたい駅までの道に山道があるというのが、
この「八王子ロック村(自称)」である二井原家近辺の恐ろしさである。
豪雨は山を直撃、溢れ出す水は道路両脇の山肌から全て道に流れ出す。
「道が川じゃぁ!!」
小学校の頃見た「マイティージャック」の浸水シーンよろしく、
ファンキースタジオ専属軽自動車ファンキー号は水をかき分け進む。
車とは実はタイヤホイールの半分が水につかるとエンジンが止まるらしい。
エンジン音が心なしか力がない。
力なく減速しながらそれでも車は進む。
止まりそうになりながらも何とか下り坂になっては息を吹き返す。
下れば水も溜まるのでまた水につかり、
一時は車の電気系統がふーっと全部消え、
そしてまた復活しては水の中を進む。
もしここで止まってしまったら・・・
ワシは携帯を握りしめ、
いつでも二井原に助けを呼べるようにしながらアクセルを踏み抜く。
プスプスと力ない音を立てながら、
車はようやく滝山街道にぶち当たった。
左側の道は警察により封鎖されている。
ここを右折すればうちはもう目と鼻の先・・・
・・・と、右折する途中についにエンジンが止まった。
イグニッションキーを回すがスターターは回らない。
慌てるワシ、子供に授乳しながら放心する嫁・・・
警察がかけよって来る。
このままおっぱい丸出しの嫁と共に救出されるのか・・・
ふと見るとギアは「D(ドライブ)」のままである。
これではスターターは回らない。
「N(ニュートラル)」に入れ直して無事にセルが回る。
警察に会釈して右折し、
何事もなく無事帰宅。
駐車場にて嫁、やっとおっぱいをしまう。
その後もの凄い雷の音で寝れず。
予報では今夜も更に200mmの雨が降るらしい。
大丈夫かファンキースタジオ!!
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2008年8月28日
人間の記憶というものは・・・
ここ数日ワシは大パニックであった。
半年に一回の会社の決算。
会計士をつけているワシは
領収書の整理や通帳の内容を表にして会計士に報告せねばならない。
ここ数年は嫁がそのめんどくさい作業をやってくれてたのじゃが、
さすがに育児に追われている嫁にそれをせえとはよう言わん。
仕方ないのでせっせこやってたら・・・
3月21日になんとワシの口座から一千万円以上の金が引き出されている。
予定表を見るとこの日は娘の小学校の卒業式。
そういえば高知のみずほ銀行に行ったような記憶がある。
自分で引き出したのか?・・・
そんな大金をなんで?・・・
そういえば嫁に、
「一千万円以上の預金があったらすぐ定期にするべきなんちゃうん」
と話していた記憶がある。
何せワシは一番稼いでいた時に数千万を1年で飲んでしまった経験があるのじゃ。
そうかそうか・・・定期に入れたのか・・・
みずほ銀行の通帳を調べてみると定期預金はゼロ円・・・
ほな一体どの口座に入れたんや?!!
確か郵便貯金にも口座があったなぁ・・・
そっちに入れたんか?
高知のおふくろに調べてもらうがらちがあかん。
八王子の郵便局に行って調べてもらう。
「口座番号も何もわからんのですが・・・」
うちの近所の郵便局の職員は実はラウドネスのファンである。
二井原が引っ越して来た時にも肝をつぶしていたと言うが、
ワシまで引っ越して来て、
こともあろうに「有限会社ファンキー末吉」という名義の口座を開きに行った時には
従業員さん、放心して口をパクパクしてたっけ・・・
「どこのどなた様かはじゅうじゅう承知しておるのですが、
規則ですので一応本人確認が出来るものを見せて頂けますか?」
純朴な真面目な職員である。
ワシが一千万もの定期預金をこの口座に入れていることがわかったら腰を抜かすじゃろう。
待たされること数分。
職員がワシの名前を呼ぶ。
「お調べしたんですが・・・」
残高は220円・・・
職員が小さい声でそう言う。
恥ずかしくなってこそこそ帰るワシ・・・
ほなワシの一千万はどこに消えたんじゃ?!!!
そう言えば四国銀行にも口座を開いていた。
これはおふくろのマンションを買い替えする時にローンを組むためである。
しかし年収12万円であったワシには銀行は金を貸さず、
そのまま手つかずの通帳を見たらやはり残金はゼロ。
ワシはどこに一千万を定期預金したんじゃ?!!!
パニックで大捜索をすること数日。
子供達は泣き叫び、おふくろはワシを罵倒する。
こうなると頼みの綱は当のみずほ銀行だけである。
その日のワシの金の動きを徹底的に調べてもらう。
「その日にお客様が当行でのお取引はありません。
お客様は現金をお引出しになった後、
そのまま持って帰られたものと思われます」
一千万もの現金を持って街に出るか?!!
いや、なんか札束リュックに入れて街に出た記憶もあるなあ・・・
いやいや、それは中国の話じゃろ、
中国では最高紙幣が千元(約千五百円)なので100枚の束でも15万円そこそこ。
札束ぐらいはよく見るし、持って歩くこともあるが、
でも日本円の札束となるとちょっと恐ろしゅうて持ち歩けんぞ・・・
再び領収書を調べてみる。
「確かスタジオ作った時の金はこの日に振り込んでるから・・・」
5月の振込記録に一千万の振り込みが・・・
あ、これ・・・ゼロがひとつ足りん・・・って・・・これ百万の振り込み・・・
ということは、これは追加機材として発注したぶんのだけ?
するってーと大騒ぎした3月21日のお金は結局・・・
このファンキースタジオを作ったお金であった。
ワシはその日に大金を引き出し、
そのまま支払いをしたので記憶に残ってないだけであった。
人間は都合の悪いことは忘れるように出来ているらしい。
ワシもいつまでも大金が手元にあると信じて疑わなかったのじゃろう。
その記憶がどこかで捻じれて「定期預金をした」という風に変わっていってしまったのじゃろう。
だいたい年収が12万だった男が、
翌年には一千万たら百万たらの数字見たって区別がつくわけないじゃろ!!
というわけで一件落着。
嫁に報告する。
「そやろ、結局うちには今残ってるお金だけやろ。
そうやと思た」
年収12万円の男に嫁いで貧民街で暮らす嫁。
このくらいのことでは微動だにしないのであった。
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2008年8月20日
末吉家のある日の昼食
八王子での暮らしも1か月を超え、
車も買ったので、二井原家に教わってもういろんなところに行った。
中でもお気に入りが名古屋の喫茶店チェーンである「コメダ珈琲」。
八王子バイバスを車で30分ほど下ったところにある。
発見者の二井原でさえまだ1回しか行ったことないのに、
我が家はもう既に4回も通っている。
メニューの中でも一番お気に入りがこの「シロノワール」
温かいパンの上にソフトクリームが乗っていて、
それにキャラメルシロップをかけて食べるというヘビーメタボリックな食べ物である。
最初の数回はこのシロノワールだけを目当てに通っていたのじゃが、
実はこの店のハンバーガーとかサンドイッチとか、
食事メニューも非常においしいことを発見し、
この日は一家で昼食を食べに行った。
嫁はヒレカツサンド、
上の子はビーフシチュー、
下の子は卵サンド、
しかしワシは卵サラダだけで我慢。
シロノワールの量とて半端じゃないからである。
もちろんこの時点で飲み物もそれぞれオーダーしている。
そして食後のデザートとなるが、
みんなの心はシロノワールである。
ウェイトレスさんが食器を片づけに来て、
シロノワールを追加注文する。
ソフトクリームが溶けないように、
みんな食後まで注文を待ってたのである。
「シロノワール4つ!!」
店員さんがニコニコしながら
「大と小と御座いますが、どちらになさいますか?」
「大よっつ!!」
ニコっと注文するワシら。
ギョっとする店員。
「あのう・・・大は相当大きいですよ・・・」
なだめる店員。
「食ったことあるからわかっとる!」
がんとして言い張るワシら。
かくしてテーブルにシロノワールが並ぶ。
お勘定しめて6750円。
ワシ・・・シロノワールのためにもっと頑張って働くのじゃ・・・
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2008年8月 9日
福生祭り
八王子から福生はすぐ近くだというので車で行ってみた。
「いやー、ええ感じにさびれてて、ファンキーの好きな感じやで」
と二井原が言ってたので覚悟して行ったら、
おりしもこの日は福生祭りで非常に盛り上がっていた。
「おっ!山本恭司が・・・」
と思ってたらお狐様だった。
屋台には「鮎の塩焼き」なども売っていて、
なるほどこの辺には川が多いからなあ・・・と思っていたら、
変な団体が・・・
米軍キャンプの神輿である。
こいつらも神輿担ぐんかぁ・・・
福生・・・なんやらおもろそうな街やのう・・・
23日の米軍基地でのライブ、非常に楽しみである。
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2008年8月 6日
江川ほーじん
久し振りにほーじんと会った。
数年前モー娘のレコーディングをした時ちょっとメールのやりとりをしたぐらいで、
ちゃんとお茶でも飲んで話をするのは久しぶりである。
何せレコーディングは別々に録音するんで顔合わすこともないからなあ・・・
実は彼も八王子に住んでおり、ご近所なのである。
近所の街道レストランでご対面。
積もる話はいろいろあるが、
ひょんなことから同じく八王子に引っ越してきてご近所となった田川くんの話になる。
「今度紹介するわ」
と言うものの、
ミュージシャン同士、会ってこうして街道レストランでお茶したところで
彼もただの「ただの目が悪い人」で終わってしまう。
「そや、ほーじん、ベース持って来てるか?」
幸い7日間のツアーを終え、そのまま機材車で街道レストランに乗り付けている。
「田川くん、今からヒマか?ギター持ってうちおいでよ」
田川くんの新居はうちから歩いて5分。
いつでも音を出せるのが我が家のいいところである。
初対面のセッションが始まる。
相変わらずバチバチ弾くほーじん。
ペラペラ弾きまわる田川くん。
「変わらんなあ・・・」
ほーじんも田川くんも下戸なので仕方ない。
セッションが終わり、スタジオの地べたで麦茶飲んで話し込む。
昔話に花が咲く。
結論・・・「とどのつまり、ワシら、二十歳の頃からそんなに上手くなってないんやな」
そういう意味ではラウドネスのみんなも基本的に同じである。
深くはなっているが上手くはなっていない。
「根が同じ」なので「変わってない」のである。
ほーじんが30年近く前の爆風銃(バップガン)のビデオを入手したらしい。
あの頃は「音楽」というより「爆発」である。
何も考えず初期衝動をそのまま楽器で爆発させているだけなのである。
見たいなあ・・・
きっと「今と同じ」である。
いや、むしろ「今より上手い」かも知れない。
「あの頃は人生と音楽が完璧に一致してたやろ」
ほーじんが懐かしそうにそう言う。
臭い言葉やが「青春」という言い方がぴったりそのものなのである。
「そう言えばほーじん、あれ覚えてるか?」
爆風時代の青春の思い出、
撮影スタジオに行ったらいきなり
「はい、じゃあ服全部脱いで」
と言われて、4人で裸で抱き合って撮影させられたのである。
「ははは・・・覚えてない」
ワシなんか忘れたくても忘れられんよ。
でも人間、イヤなことを忘れていくから幸せになれるのである。
バンドをやってる頃はほーじんともほんまいろいろあったけど、
こうして数年ぶりにセッションしてみると「同じ」なのである。
「ご近所やし3人で何かやろか」
笑顔で別れて、はたと気がついた。
うちの防音、外には完璧やが、
木造の家そのものを吸音材に使っているようなものなので、
2階とかは結構爆音がそのまま振動でまる聞こえなのである。
上には年老いた母親がいる。
身体も悪くなってるし、
大音量など聞いたらいっぺんで血圧が上昇してしまう。
「おふくろ・・・音・・・うるさかったか?・・・」
おふくろ、ケロっとして
「全然聞こえんかったよ・・・」
よかった・・・既に耳も遠かったのである。