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2019年6月19日

カンボジアRock!(◎_◎;)

くっくま孤児院のくっくまバンド、前回はオリジナル曲を2曲演奏したが、
今回は私からのリクエストで私が最初に出会ってこの子たちを見初めた曲を演奏してくれと頼んだ。

この曲にやられちゃったのよね〜・・・

音楽を職業なんかにしちゃったら、私なんか音楽を聞く度に「仕事」になっちゃう。
気がつかないうちに頭の中では曲を分析し始めるのよね〜(>_<)
メロディーやコードの組み立て方とかアレンジのやり方とか・・・

ところが時々ぶっ飛ばされちゃって全く仕事ではなく「観客」になってしまうことがある。
それがこの曲・・・

もうね、作り方が変!!(笑)

聞けばこれは元々がカンボジアの古い歌謡曲らしいのだが、
それをカンボジアのテクノアーティストかなんかがテクノにアレンジしてYouTubeにアップしてたのをこの子たちが耳コピしてバンドで演奏してるからもうぐちゃぐちゃ(笑)

それが私の「仕事脳」をぐちゃぐちゃにして完全にノックアウトしちゃうのよねぇ・・・


今回のライブで、またライブ会場でをDVD売るべくリハーサルを録画する・・・

この曲は歌ってない部分が多いので
「なんか振りつけて踊らなきゃ」
とボーカルの子に言ってたのだが、次の日はこんな振りをつけて恥ずかしそうに踊っていた。

聞くところによるとこれもカンボジア民族舞踏によくある動きらしい・・・

もうテクノは入るわ伝統舞踊は入るわぐちゃぐちゃ(笑)
いや〜この動きがいいのよ・・・


さて本番!!・・・当日に美和お母さまからメッセージが入る。
「ボーカルのスレイクォイが喉の調子が悪くて泣いてます(涙)」

いやそれもまた「ライブ」!!
中野も一度ステージで突然声が枯れてやっとこさ最後まで歌ったことがあるし、
二井原は実際声が出なくなってライブをキャンセルしたこともある。
一度も声が枯れたことなんかなかった渡辺英樹が全然出なくなったこともあるぐらいである。

まあ全く出なくなるのじゃなければ、声の調子が悪いのもまた「ライブ」である。

リハが始まった・・・

「リハは一生懸命歌わなくてもいいからね」
と言ってたのだが、見てるとやはり一生懸命歌っている。

まあまだ「手を抜く」ということが出来んのね、それはそれでよかろう・・・

ファンキーはんと大村はんのライブ(割愛・・・笑)が終わっていよいよくっくまバンドの登場!!

(リアルタイムにライブ配信してたアーカイブ)

なんか前回よりパワーアップしとる!(◎_◎;)
先生から与えられたオリジナル楽曲ではあるが、だんだん「自分のもの」にしていった感があるのう・・・

オリジナル2曲が終わり、育ての親のソバン先生を交えての最後の曲・・・

ソバン先生は、もともとこの孤児院の母体となった孤児院をやってた人で、
自分の孤児だったのだけれども、この子たちを引き取って、
ないお金を回しながら育てて来た。

それを見たくっくま孤児院の代表者が見るに見かねてくっくま孤児院を作ったというわけだ。

ソバン先生が素晴らしかったのは、孤児たちにカンボジアの伝統舞踊を教え込んだところである。
だからこの子たちはみんな伝統舞踊が踊れる。
踊るための楽器演奏も自分たちで演奏出来る。

そこから派生したのがこの「バンド」である。


そしてソバン先生もギターで参加しての最後の曲!!

それにしてもこの楽曲の破壊力は凄まじい・・・

全ての日本人客はこの楽曲を聞いたことはないのだが、
それでもこの曲は予備知識もない日本人客の心を完全に鷲掴みにしとる・・・

何よりもオリジナル曲も含め、この店のカンボジア従業員が大盛り上がりに盛り上がっていることが物凄い!(◎_◎;)


日本人のほとんどはくっくま孤児院を応援しているわけで、
その「当たり前」の状況を度外視して、全く損得勘定がないカンボジア従業員がこうして大喜びで楽しんでいることこそが何よりの「手ごたえ」ではないのか!!


思わぬアンコールが来た!!・・・やる曲あるのか?・・・

今日やった曲をもう一度やるのかと思ったら、私の知らないカンボジアの曲を演奏し始めた!(◎_◎;)

もうね・・・先生完敗(>_<)

先生が手取り足取り教えて、それをやっと消化してこのステージに立っているわけではない!!
この子たちは自分たちだけで既にここまで来ているのだ!!

そしてこの先生さえも貪欲に飲み込んで更に大きくなってゆく・・・

この曲もカンボジアの古い曲だろう。
タイのルークトゥンと同じように、楽しいリズムに乗っけて、泥臭い生活感を歌っているのだと思う。

この国の不条理を全て背負って、拳を挙げながら戦ってゆくだけが「Rock」ではない。
全カンボジア人、いや世界中の人々を巻き込んで、
こうやって明るく楽しくのし上がってゆくのもまた「Rock」である。

くっくまバンド・・・実はとてつもない「ロックバンド」に育っていってるのかも知れない・・・

そんなことを感じた今日のライブであった・・・

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2019年6月 3日

カンボジア希望の星プロジェクトまとめ

<<くっくまバンドとの出会い>>

2018年8月、私は中国での仕事を終え、少しだけ空いた時間をどう過ごそうかと考えていた。

日本に一時帰国してもよかったのだが、往々にして日本行きのチケットは高い。
だが東南アジアなら往復3万円ぐらいでゲット出来る。

別にどの国でもよかったが、その時に一番安いチケットがプノンペンだったので、こうして2度目のカンボジア行きが「偶然」決まったのである。

プノンペンに着いて、別に何の予定があるわけではない。
前回来た時に立ち寄ったライブハウスに行ったり、
また、「デスメタルバンドがある」という噂を聞いたので情報を探したりしていた。

その時のブログ記事:希望の星になれ!!

カンボジアのデスメタルバンドには少々興味があった。
最初にカンボジアに来た時ポルポトの大虐殺に関する遺跡を見て、この国で生まれた「ロック」というのはどんなロックなんだろうと漠然と考えていたからである。

結局デスメタルバンドを見ることはなく、私のSNS投稿を見た人が紹介してくれたくっくま孤児院に足を運んだ。


この孤児院は、もともと「ソバン先生」という、この方も孤児だった人が、自分たちで孤児を引き取って、自分たちのお金で孤児たちにご飯を食べさせて、学校に通わせていたのが前身である。

当然ながら資金には限界があり、運営が行き詰まった時に日本人スタッフと出会い、日本からの援助を受けて今の形になったのだという。

ソバン先生の素晴らしいところは、子供たちにカンボジア伝統舞踊とかの「芸能」を教え込んだところである。
実際、この孤児院の子供たちは、みんなで伝統舞踊を踊ったりして少しでも孤児院の運営費を稼いだりしている。

その流れの中に「バンド」があった!!

この子たちの演奏を聞いて私はぶったまげた。

音楽などを「仕事」にしていると、私の場合は普段、音楽を聞いて「楽しみ」にするということはない。
全て「仕事」になってしまうのだ。

楽曲を聞くと、その作り方、メロディーに対するコードの当て方とかアレンジとか、
そんなものを常に分析してしまって「疲れる」ので普段の生活では全く音楽などは聞かない。

ところが時々、そんな「仕事脳」というのをぶっ飛ばされる音楽に出会うことがあり、
この子たちの演奏がまさにそれであった。

この奇妙奇天烈なシンセフレーズ、
タイのルークトゥンを彷彿させる楽しいリズム、
元々はカンボジアの古い歌謡曲らしいのだが、
そのメロディーの作り方など、おおよそ日本人には全く発想にないこの音楽に「仕事脳」はノックアウトされてしまったのである。

ブログ記事:カンボジアRock!(◎_◎

これこそが「縁」、こうして私はくっくま孤児院のこのバンド「くっくまバンド」と出会ったのである・・・


<<希望の星になれ!!>>

この動画をSNSにアップした時に、それを見た人は多かれ少なかれ、この孤児院にこれだけの機材が揃っていることにびっくりしたようである。

これも日本からの支援なのであるが、
「他に支援が受けられない貧しい孤児院もいっぱいあるのに・・・」
という意見が出て来る前に、私はこう宣言した。

私はこの子達から演奏機材を取り上げて別の孤児院に回せばいいのではなどとは考えない!!
私が出会ったのはこの孤児院だったわけだから、まずこの孤児院に「音楽」を支援する!!

そして私はこの日、こう心に誓った。
「俺がこの子達をカンボジアで一番の大スターにする!!」

そしたらこの子達は下の子達を食わせていけるというだけではない。
この子達がカンボジアの全ての孤児達の「希望」になる!!

何の才能も環境もない孤児が、頑張ってこんなに成功したんだ!!俺だって!!私だって!!
そう思ってさえくれれば、もう泥棒や売春なんかやらなくたっていい!!

「孤児がのし上がるにはもうなにも犯罪を犯すだけが選択肢じゃないんだよ」
そんな世の中になったとすればそれこそ「大成功」ではないか!!

人を助けるには「力」が要る。
でももしこの子達がそんな大きな「力」を手に入れたとしたら、
この子たちはきっとそんな恵まれない孤児のためにその「力」を使うだろう。

絵空事を言ってるのではない。
この子達には「何か」そんな「力」があるように思えて仕方がないのだ。

考えてみれば、カンボジアの孤児達であるこの子達こそが直接的な「ポルポトの被害者」ではないか!!

だからこそ思うのだ。
この子たちの笑顔こそが「ロック」なんだ!!と・・・

老い先短いこの私が生きてる間にどれだけのことが出来るかわからんが、
たとえ私がいなくなっても、
たとえこの年長組の子達が就職したり結婚したり、バンドが出来なくなっても、
その下の子達がその「夢」を引き継いでゆけばそれでいい。

そしていつかこの国の「希望の星」になってくれればいい。
いつまでも「笑顔」で頑張って欲しい・・・


<<その後の活動>>

私は別のプロジェクトとして「ある愛の唄プロジェクト」というのをやっている。

まずはこの子たちにこのアルバムのクメール語(カンボジアの言語)バージョンを録音してもらおうと思い立った。

ブログ記事:クメール語バージョン制作開始!!

翻訳作業に入った子供たちがメッセージを送って来てくれた。

ブログ記事:支援は人のためにあらず


それから私はまた一度カンボジアに渡った。
この子たちはそれに合わせて一生懸命辞書を引きながら訳詞を考えてくれたようだ。

最初に取り掛かってもらったのが、アルバムの最後を飾る「ある愛の唄」という曲。
でもクメール語で歌ってもらった感覚としてはあまりいい感触ではなかった。

もちろん私自身はクメール語が全くわからないが、
なんとなく「乗っていない」というか、語呂が悪く聞こえたのだ。

そもそもはこの曲は長く一緒に暮らした伴侶の死に対して歌う歌である。
その内容が子供であるこの子たちにちゃんと理解出来ているかどうかにも疑問が残る・・・

そこでちょっと目先を変えて、アルバムの中の「中国のマドンナ」という曲をその場で内容を伝えてクメール語の詞として考えてもらった。

ブログ記事:クメール語版「中国のマドンナ」

ちなみにこのやり取りは日本語で行う。
この孤児院の子たちは日本の支援で大きくなったので、みんな片言の日本語を喋るのだ。

こうして2日がかりで出来上がったのがこのテイク!!

この歌声を聞いて、私は思わず涙が出て来た。
もちろんクメール語は全く理解してないのだが、何やら心の底から伝わって来るものがあるのだ。

私はこの動画にクメール語の歌詞とその意訳を載せようと思って、パソコンでクメール語の歌詞を打ってもらった。

ところがそれをGoogle翻訳にかけてみて発覚したのだ。
歌詞の内容が全然違う!!!(◎_◎;)

私はこの孤児院のお母さまである美和さんに連絡を取って、
一体どうなっているのかを調べてもらった。

全く違う文章が送られて来たのかも知れないし、
実際Google翻訳がバカだっただけなのかも知れない。

返事が来るまで私はひとり勝手な想像を巡らせた。

歌詞を書いているのはボーカルのスレイクォイ。
今回わかったことは、彼女は自分で作詞が出来る。

詞を書く時の非常に前向きな気持ちもひしひしと伝わって来る・・・

ひょっとして彼女には「書きたい詞」があって、私の説明を無視して勝手にその「書きたい詞」を書いたのではなかろうか・・・

これが私の頭をよぎった「想像」である。

こう考えると、2日目に2番の内容を説明して書き始めた時の、何やら「引いた」感じの態度に思い当たる節がある・・・

数日して美和お母さまが本人と話したと言って連絡をくれたのだが、
「日本語がそんなに完璧にわからないので、大元のとちょっと内容がずれたところがあるかも知れない」
ということであった。

でも私は自分の「想像」通りであったらいいなと逆に思う。

この子はこのメロディーを聞いて浮かんだ、「どうしても表現したい」ことがあった・・・
それはこの日本から来た「先生」の意見を無視してもどうしても書きたかった・・・

それは全然悪いことでも何でもない。
表現者としてそれほど強いものを持ってるということは非常に大切なこと。

そう考えると、クメール語もわからない私がこんなに強くこの歌に惹きつけられるのも頷ける。
この子はそうまでして「表現したいこと」があったのだ・・・

真相はどうなのかはわからない。
でもどちらかと言うと、私はそうであってくれた方が嬉しいかな(笑)

ひょっとしたらこの子はそれほど「強いもの」を持っている。
だからひょっとしたら本当にこの子はカンボジア一番の大スターになるかも知れない・・・

しばらくは勝手にそのように思い込んでおくことにした・・・


<<オリジナル曲作り>>

作詞が出来るとすると、制作方法は大きく変わってゆく。

私はもう既に日本で200曲を越える楽曲を作って発表しているので、
その中から彼女たちに好きな楽曲を選んでもらえれば「バンドのオリジナル曲」などすぐに出来てしまう。

とりあえず権利が自分だけにある自由に使用できる曲を100曲ほど置いて帰ったのだが、
この子たちがまず最初に選んだのはこの曲!!

元々中国のアイドル歌手に書いた「红舞鞋(HongWuXie)」という曲なのだが、
美和お母さまの話によると、この曲を再生した途端に「ワオー」とみんな飛び上がったらしい。

それならばということで、この曲に詞をつけてもらった。

ブログ記事:くっくまバンド新曲

これは最初のリハーサル風景・・・この後、この曲がどんどん進化してゆく・・・

2019年6月9日のリハーサル

2019年6月9日のライブ

そして2019年6月18日のライブ


<<仲違い>>

2019年6月9日にプノンペンで小さなライブを計画していたのでカンボジアに向かおうとしてた時、美和お母さまからメールが・・・

「メンバーが今仲違いして関係が険悪なんです・・・」

小さい頃から歌手になるのが夢であったスレイクォイ。
そして今ではプロの音楽家になりたいと思っているそれぞれのメンバーだが、
意識の点でも、「楽器演奏」という点でもボーカルと差が出て来てしまう。

歌を歌うという「楽器演奏」は小さな頃からやれるから経験値が高くなるが、
バンドメンバーはそれぞれの楽器演奏を小さい頃からやってる人などいないわけだからそれも当然である。

バンドあるある(笑)・・・

要はそのボーカリストがそのメンバーとずっと一緒にやりたいと思うか、
もしくはバンドメンバーを切り捨ててひとりでやっていきたいと思うかである。

美和お母さまがひとりひとりに考えを聞いて間に立つ。

でも初ライブに向けて練習しているうちにだんだんと雪解けを感じて来た。

ブログ記事:くっくまバンド初ライブ

考えてみればこの子たちは一緒にこの孤児院で育った「兄弟姉妹」のようなものである。
言わば「兄弟喧嘩」・・・

私が見るに、この子たちはむしろ「自分だけは」という考えは持ってないと思う。
一緒に育ったみんなと共に上を目指そう!!・・・そう思っていると思う。

力を合わせて頑張るのだ!!きっと君たちの夢は叶う!!


<<DTM>>

ボーカルのスレイクォイだけでなく、
今はバンドのメンバー全員が「プロになりたい」という夢を持っている。

ドラムのダビッはまあ私がドラマーなので教えることは多いとして、
ベースのスレイレアッも、まあ私が教えられることは何でも教えてゆこう。

だが困ったのはキーボードである。

「キーボード」という楽器はみんな小さい頃からピアノを習ってた人が担当する場合が多いが、
メンバーの中で一番年上のティアルは、孤児なのだから当然音楽教育など受けたことがない。

プレイヤーとしては大きくスタートラインから遅れているのである。

ブログ記事:キーボードという「楽器」

ところが昨今、ピアノも全然弾けないのにアレンジャーとして活躍しているミュージシャンは多い(私もそのうちのひとり)。

そのためにはコンピューターで音楽を打ち込む方法、DTM(デスクトップミュージック)」を習得することが必須となる。

くっくまのみんなのパソコンにはどっかから無料のDTMソフトをダウンロードしているようだ。

ティアルッはそれを私に見せて
「これどうやって使うんですか?」
と聞くが・・・

いや、ワシにもわからんし・・・(>_<)

自分だけの特殊な環境で慣れてしまうと、
他の人からのアドバイスは受けられなくなるし、
何より将来他のプラットフォームでの互換性がなくなるので、
ここはとりあえず私が使っている「Logic」というソフトを余っているMacにインストールして持って行った。

ティアルッよりソバン先生の方が興味を示している・・・(笑)

最初はMIDIでのキーボード録音のみ教えて、
何か曲が出来たら送ってもらったり、
こちらからLogicファイルを送ってそれを見て色々研究したり・・・

さらには2019年6月の渡航の時に、マイクとインターフェイスも持って行って、ボーカルをレコーディング出来るようにしておいた。

もちろんエンジニアはキーボードのティアルッをご指名である。

今後は毎月私が楽曲のオケを送って、それに詞をつけてボーカルトラックを送り返してもらう作業をする。

これは私の「業務」としてやってもらう。
何故なら最近中国で私の楽曲を購入したいという話が多いのだが、
私自身が歌っているDEMOだと「いい曲も悪く聞こえる」そうで(笑)、
彼女の声でちゃんとしたDEMOを録音してくれるとありがたい。

この「仕事」をやってもらいながら、
その中でバンドが気に入った曲があればそれを練習してもらうだけで「レパートリー」がどんどん増えてゆくという寸法である。

2020年10月には最上級生のティアルッが高校を卒業する。
それまでに何とか「音楽で食ってゆく」という足がかりが出来ていればなあと思う。


<<結婚式での演奏>>

カンボジアでは結婚式が盛大に行われる。
踊りや歌など、それこそ4時間5時間ぶっ通しで行われる。

この子たちは時々そういうところに呼ばれて伝統舞踊を踊ったりする。
そこでこの「バンドバージョン」の存在に重きが置かれて来るのだ。

日本のアマチュアバンドは本当に「出口がないなぁ」と思う。

毎回ライブハウスに決して安くない「ノルマ」を払って、
自分たちが呼んだお客さんの中だけで延々演奏し続けて、
一体「出口」はどこにあるのだろう・・・

私はカンボジアのこの結婚式の状況を聞いた時に、
カンボジアならではのバンドの「出口」があるのではと思った。

大きな結婚式では歌手や生バンドを呼ぶと言うが、
それはあくまで有名なカンボジアの曲を歌ってもらうための「コピーバンド」の仕事である。

日本でも同様に酒場などでの「箱バン」という仕事があるが、
その仕事の中には自分たちのオリジナル曲を演奏するチャンスはない。

しかしカンボジアでは4時間も5時間も演奏し続けるのだから、
中に何曲オリジナル曲を演奏しようが咎められることはない。

これを私は大きな「出口」だと感じた。

くっくまバンドは来たる乾季の結婚式シーズンに向けてカンボジアの有名曲のレパートリーを増やすために一生懸命練習している。

その中で歌えるオリジナル曲を増やしてゆきたい。

人前で演奏するということは大きな「経験」になる。
客の反応を見て演奏や歌い方、詞もひょっとしたら変えた方がよいかもとか色々試行錯誤することが出来る。

そうして「完成」されたオリジナル楽曲をCDに焼いて、
出来たらその結婚式で売ってゆけばよい。

将来カンボジア一番の大スターになって多額の金を稼ぐようになったとしても、
その始まりはいつもそんな数ドルの小さなものであるから・・・

だから私と一緒にやった2回のライブでは、
この子たちがその練習風景を録画したDVDを1ドルで売ることにした。

毎回ライブの度に何かを売ってゆこう。
今はそれが1ドルでも、将来それがもっともっと大きなお金で売れるものになってゆくはずである。

頑張れくっくまバンド!!カンボジアの希望の星になるのだ!!

<<その後>>

ボーカル録音開始!!
2019年9月14日のライブ
涙のボーカルレコーディング

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Posted by ファンキー末吉 at:12:14 | 固定リンク

2018年10月26日

クメール語バージョン制作開始!!

このプロジェクトのクメール語(カンボジアの言語)バージョンの制作が始まった!!

日本語の楽曲を外国語に訳して歌う、というのにも色んな考え方があるようだ。

日中間で色々仕事をさせて頂いたことがあるが、
まずヤン坊マー坊の中国語版を作った時は、
「原詞から少しも意味を変えることなく」
というのがクライアントからの発注であった。

私たちの世代なら誰でも耳にタコが出来るぐらい聞いた、
天気予報で流れるあの「僕の名前はヤン坊〜」というアレである。

実はこの歌詞にはあまり知られていない3番があり、
その中に「双子」という言葉が使われていた。

ヤン坊とマー坊は双子の兄弟〜みたいな感じだったと思うが、
ところが「双子」というのは中国語で「双胞胎(ShuangBaoTai)」、
つまり「胎盤が二つ」と書くのでどうも歌詞にするにはよろしくない。

何とか「仲良し兄弟」とかに出来ませんかねぇ・・・
北京から日本のクライアントに国際電話までして、そう相談した記憶がある。


サンプラザ中野が北京オリンピックに合わせて
「Runnerと玉ネギを中国語で歌いたい」
という話もあって、LaoWuに歌詞を発注したのだが、
「どんな細かいところも変えてくれるな」
と言うので「無理!!(>_<)」となって、結局中国語の喋れる日本人に丸投げした・・・

だって中国にはロッカールームなんてないし~
ペンフレンドもようわからんし〜
コンサート会場の上に野菜が乗ってるって中国ではどうなの?(笑)


うって変わって二井原実。

X.Y.Z.→Aの英語版を出す時に彼は、訳詞の人に
「ええよ別に〜作りやすいように所々変えてくれても〜」
と言っていたのを覚えている。

私の場合は考え方が二井原に近い。


いつもやってるやり方としてはこうである。
まず日本語の詞をそのままその言語に直訳する。
私の場合、その時に色んな注釈をいっぱい書き加える。

例えばこのアルバムの歌詞で言うと、

M1の
「この人が私の父となる人 その愛ゆえに今 生まれてゆく」
はM10の
「ママがパパを愛してあなたが生まれたの これだけは覚えててね...」
とリンクしてますよ

とか

M4の
「河の見える小さな部屋で」
は後に結婚して住むM8の
「黄河のほとりの丘の上に 私たちの家がある」
とリンクしてるんですよ

とか、興醒めのようなことでもどんどん書き込んでおくのだ。


(このアルバムのDEMOフルバージョン)

歌詞は、奥に別の意味があったとしてもそれを限定させるように表現するのではなく、聞き手に想像させるように作ってゆく。
でも訳詞者にその裏の意味を託すのでは楽曲がまた違った意味になってしまう可能性もあるので、
無粋ではあるけれども敢えて細かく書き加えて、その直訳から「詞」にする時に、その人のセンスで、その人なりにぼやかせて貰えば良い。

いや私なんぞはむしろ、
「根本的な流れが合っていれば、細かいところなんかどんどん変えていってくれて良い」
ぐらいに思っている。

「中国のマドンナ」とか別にどこの国にしてもらってもいいし、別にシチュエーションは黄河のほとりじゃなくてもいい。
河でもいいし山でもいいし、要はM4とM10が同じシチュエーションであればそれでいい。

M3「ゴメンね」にしても、まだ初恋を知らない頃の青春の甘酸っぱさが表現出来れば、内容やシチュエーションが全く違ってもいいし、M11「娘の初恋」も、要は次の曲「娘の嫁ぐ日」が感動的になる「娘のエピソード」であればそれでいい。

要は「訳詞」というよりは、その言語で「作詞」して欲しいのだ。


この「クメール語(カンボジアで使われている言語)版」は、くっくま孤児院の子供達自身で詞を作ってくれとお願いした。

ところがこの詞の直訳用原稿を書いている時のこと、突然こんな考えが頭をよぎって筆が止まってしまった・・・

このコンセプトアルバムの物語は、主人公が雲の上で自分で両親を選んで生まれて来て、
母の愛から次には自分の娘への愛となり、
父の愛から恋人に対する独占欲や嫉妬心となり、
最後には愛する人と巡り合って幸せに暮らし、その伴侶を看取るまでの物語である。

でもこの子たちは孤児なのだから、ヘタしたら両親の愛どころか両親の顔さえ知らずに育っている?
母親から、父親から愛情を注がれたことなど全くない子供たちだっているんではないのか?・・・

そんな子供達にこんな物語を作詞させるのて・・・あまりに残酷なのではないか?・・・

そんなこと考えてしまったらもう全く筆が進まない・・・

数日間ずっと悩んでいたのだが、ある日やっとこんな考えに至った。

私は(当たり前だが)孤児になったことはないので、この子たちの本当の気持ちはわからない。
両親は仲悪くて離婚したけど、この子たちに比べたら幸せに育てられた自分が・・・
などと、私は「この立場」でこの子たちを見ていたのではないか?
高いところから低いところを見てるようなその考えこそが一番良くないことなのではないか?
そんな風に考えてることこそ、ずっとこの子たちとの間に「壁」を作っていることではないのか?

私がそんな真綿で包んであげるようなことをしたところで、この世の中はこれからも、容赦なくこの子たちに「現実」を浴びせかけてゆく・・・

異国の地でこの子たちを、母親代りとなって育てている楠美和さんの顔が浮かんで来た。

彼女は決してそんな風に、真綿で包むようにこの子たちと接してはいないだろう。
ある時はぶつかり合い、ある時は突き放し、いつも「同じ目線」でこの子たちと接しているに違いない。

20数人の子育てって・・・どんなん?・・・(涙・・・笑)

そもそもが「歌」などは全て実体験を歌っているものではないのだ。
「歌手」とは「役者」に似ているものだと思う。
自分の体験してないことを、自分が体験した経験からシミュレーションしてそれを「表現」する。
つまりはその世界観を「演じる」わけだ。

だからこの子たちなりに考えて、この子たちなりに「想像」して、この子たちなりに「表現」して欲しい。

年長組は、もう数年でこの孤児院を卒業して独り立ちする。
この国でこの社会に出た君たちは、また容赦なくいろんな「現実」を浴びせかけられ、強く逞しくそれと戦って生きてゆくことだろう。

そしていつの日か、あの時に「想像」した通り、理想の伴侶を見つけ、幸せな家庭を築き、子供を作り、命がけで子を愛し、育て、いつかこの歌のように伴侶を看取り、または看取られながら神のみもとへ召されてゆく・・・

そうなって欲しい。

まあその頃には私は絶対に生きてはおらんがの(笑)
雲の上からそれを楽しみに見ておくぞ・・・


この「クメール語版」は、この子たちを「希望の星」にするためのほんの序章。(関連記事


まず「作品」を残して、それを自分たちの「商品」にする。
自分たちが売る「商品」を自分でたち自身で頑張って作るのだ。

一番好きな曲の順にそれをライブで歌って、その「商品」をお金にしてゆけばいい。
今回作ったクメール語版のCDをライブで売って、それで下の子たちを養っていけるようになれば言うことない。

上の子が巣立っていったら、下の子がまたこれを歌い継いでゆけばよい。

そんなこんなしてるうちに、次はバンドのオリジナルアルバムを作るぞ!!

このバンド

そしていつか君たちはカンボジアで一番の大スターとなって、この国の恵まれない子供たちの「希望の星」となるのだ!!

その時に、このアルバムの最後の一行、
「世界中の全ての人々が、本当に幸せに召されてゆくことができますように...」
とクメール語で歌って欲しい。

私が生きてるうちにその姿が見れるかな(笑)


このクラウドファンディングは、
「まあ100万円もあればアルバム一枚ぐらい作れるだろう」
ということで始めてますが、
このアルバムの先には、このようなもっともっと壮大な「夢」がいっぱい控えてます。

共感して下さる方は、是非ご支援のほどよろしくお願い致します。

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2018年8月30日

希望の星になれ!!

「縁」というのはそもそもがこのようなものなのかも知れない・・・

この商売、「休みを取る」という感覚がない。
スケジュールがぽっかり空く時、それが「休み」である。

最近は北京でいる時よりも中国のどっかの地方都市でいる時の方が多いので、
その最後のスケジュールが終わってその後にスケジュールが入ってなかったりしたら、
「ムズムズ・・・どっか南の国に行こうかな・・・」
などと考え始める・・・

いや別に日本に帰ったっていいのだが、
往々にして日本への航空チケットは高い(>_<)

というわけでいつもその時々で一番チケットが安いアジア諸国を探すのだが、
それが今回はたまたまカンボジア!!

何と上海から往復で3万円ぐらいで来れたのだ\(^o^)/


プノンペンに着いて真っ先に前回ドラムを叩いたバーに行ってみたのだが、
なんと白人がカントリーを歌う店になっててがっかり(>_<)

他に生演奏をしてるバーはないかと探したが、
この日は月曜日なのでライブは休み(>_<)

しゃーないなぁ・・・と、ふと考える・・・私は一体何をしたいのだろう・・・

前回はドラムを叩いて楽しかった。(映像
まあ「休み」なのに「仕事」であるドラムを叩くのも変な話だが、
「趣味」でもあるのだからそれは仕方がない・・・

まあドラムが無理なら、カンボジアにデスメタルのバンドがあるみたいなのでそれを探してもみたかった。
ポルポトの大虐殺の子孫がどんなデスメタルをやっているか興味があったのだが・・・

まあそんなこんなで初日は何の収穫もなく、ホテルのプールサイドでぼーっとしてたのだが、
何やらタイムラインに色んな人から書き込みが・・・

「プノンペンで日本人が運営している「くっくま孤児院」のお子さん達が「くっくまバンド」というのを組んで一生懸命練習しています(^^)機会がありましたらぜひ」

まあええよ、ヒマやし(笑)・・・そしてこれこそが「縁」だったのである。


何の期待もなく、ただヒマであるからということで向かったこの孤児院
まあ一応ドラムセットはあるだろうということで、「ひとりドラム」が叩けるような準備だけはして行った。

まあどこでどんな状況で叩こうがやることは一緒なのでそれはまあいい。
問題はその後に彼ら達の演奏を聞かせてもらってびっくりした。

!(◎_◎;)・・・いい!!この音楽、むっちゃいい!!

聞けば彼らは当然ながら孤児なので音楽教育を受けたこともなく、
耳コピで見よう見まねで弾いているだけだそうなのだが、
この演奏が私の心を鷲掴みにした。

思えば1990年に初めて北京に行った時、地下クラブで偶然見た黒豹のライブ、
当時の稚拙な彼らの演奏から口ではうまく説明出来ない「何か」を感じて、
そしてその後の自分の人生が全く変わってしまって今も私は中国でいる。

同じような「何か」をこの演奏から感じ取った。

黒豹はその後中国ロック界の重鎮となったわけだが、
この子達にも「何か」を感じる・・・


実はこの子達とはまた別の小さな縁があった。

秋に日本語の歌を歌うイベントがあるらしく、
この子達が今練習している曲が偶然にも「Runner」。

この子達が歌ってくれる「Runner」を聞きながら不思議に思う、
「こんなこともあるんだなぁ・・・」

たまたま慰問に来た人間が、たまたまその時に練習してる曲の作曲者だっただなんて・・・

園長さんはこの曲を作ったのが私だということは知らなかったので、
「実はこれ・・・私が作曲したんです・・・」
と言ったら、子供達が私にこう言った。

「すごーい!!(◎_◎;)作曲ってどうやってやるんですか?!!」

その時に私は心に決めたのだ。
「俺が何でも教えてやる!!」

北朝鮮で「ロック」を教えて来た人間である。
カンボジアでこの子たちに何を教えるなんて私にとってはしごく簡単なことである。

Facebookの私の投稿を見て、ある人がこう書き込んだ。
「いよいよカンボジア編スタートですね*\(^o^)/*」

「北朝鮮プロジェクトに続いて」という意味なのだろう。
私はこう返信した。

「北朝鮮に比べたらはるかに障害は少ないですよ(笑)」


映像に立派な演奏機材が映ってるのを見て、後々
「なんだ、この子達は恵まれてるじゃないか。他にもっと大変な孤児院はいっぱいあるのに」
などと言う人が現れるかも知れないので先に言っておこう。

私はこの子達から演奏機材を取り上げて別の孤児院に回せばいいのではなどとは考えない!!(キッパリ)

そもそもが、この子達に小さい頃から伝統舞踊を教えたこの孤児院の創設者が素晴らしいのだ。

「貧しい人に食べ物を与えるのが援助じゃない。釣竿を与えて釣り方を教えて、その人達が自分の力で食って行けるようにすることが大切なんだ」
と言った人がいたが、その通り、この子達は実際に伝統舞踊を踊ったりして収入を得ている。

まだまだ日本などからの支援の額には及ばないが、
それでも「自分で食ってゆく」何らかの「技術」があることは素晴らしい!!

他にも困っている孤児院はいっぱいあることも事実だろう。
でも私は「たまたま」この子達と知り合った。
だからこの子達を先に援助する!!


そして私はこの日、こう心に誓った。
「俺がこの子達をカンボジアで一番の大スターにする!!」

そしたらこの子達は下の子達を食わせていけるというだけではない。
この子達がカンボジアの全ての孤児達の「希望」になる!!

何の才能も環境もない孤児が、頑張ってこんなに成功したんだ!!俺だって!!私だって!!
そう思ってさえくれれば、もう泥棒や売春なんかやらなくたっていい!!

「孤児がのし上がるにはもうなにも犯罪を犯すだけが選択肢じゃないんだよ」
そんな世の中になったとすればそれこそ「大成功」ではないか!!

人を助けるには「力」が要る。
でももしこの子達がそんな大きな「力」を手に入れたとしたら、
この子たちはきっとそんな恵まれない孤児のためにその「力」を使うだろう。

絵空事を言ってるのではない。
この子達には「何か」そんな「力」があるように思えて仕方がないのだ。

北朝鮮ロックプロジェクトが始まって最初に平壌に行った時、6月4日高等中学校軽音楽部の女の子達と初めて会って私はこう思った。

彼女たちの笑顔こそが「ロック」なんだ・・・

考えてみれば、カンボジアの孤児達であるこの子達こそが直接的な「ポルポトの被害者」ではないか!!

だからこそ思うのだ。
この子たちの笑顔こそが「ロック」なんだ!!と・・・

老い先短いこの私が生きてる間にどれだけのことが出来るかわからんが、
たとえ私がいなくなっても、
たとえこの年長組の子達が就職したり結婚したり、バンドが出来なくなっても、
その下の子達がその「夢」を引き継いでゆけばそれでいい。

そしていつかこの国の「希望の星」になってくれればいい。
いつまでも「笑顔」で頑張って欲しい・・・

カンボジア希望の星プロジェクトまとめ

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Posted by ファンキー末吉 at:09:33 | 固定リンク

2017年12月 4日

寒さ恐れてアジア周遊5「プノンペン」

初めて訪れるカンボジア、このチャンスを作ってくれたのはホーチミン在住のベーシスト、レオさん(この記事にあるこの写真の人)。

レオさんは陸路でホーチミンから、私は空路でバンコクから向かうのだが、
チケットを押さえるのは中国のアプリなのでカンボジアもプノンペンも中国語でどう言うのかわからん(>_<)

カンボジア:柬埔寨(Jian3Pu3Zhai4)
プノンペン:金边(Jin1Bian1)

・・・って全然違うやん!!!(>_<)

まあ今後も行くこともあるだろうからちゃんと覚えとこう・・・
というわけで入国!!

VISAは必要だが、着いたら空港でアライバルVISAを発行してくれるらしく、
ちょっと待たされたが問題なく入国!!

でも困るのよねぇ・・・パスポート増補してもう残り少ないページに毎回デカデカと1ページに渡ってスタンプ押されるの・・・(>_<)

陸路より断然早く着くので、日式ホテルの露天風呂で時間潰してたらこの現地駐在の日本人と会う。

・・・そして色々と現地の話を聞いた。

「治安は悪いですよ。銃は禁止されてますが政府が躍起になっても一掃できません。
友人もホールドアップされて血だらけにされましたから・・・」

でもそうなった原因はここにある!!

もうね、文化大革命を知らずに中国を語れないのと同じように、
カンボジアを語るにはこのポルポトの大虐殺を避けては通れない。

「むっちゃ気分は落ち込みますけど見に行っといた方がいいですよ」
と言って勧められて行ったキリングフィールドというその虐殺の場所(のひとつ)・・・

帰りはほんまに落ち込んだ・・・

帰りは誰しもがあまりのやるせなさにへこみます。 でもカンボジアを知るにはここを避けて通るわけにはいかない!! しゃーないなぁ〜・・・・・ https://www.facebook.com/FunkySueyoshi/posts/10155535868479900 - Spherical Image - RICOH THETA

なにせ人口の4分の1を殺したんですから・・・
他にも餓死した人もいるだろうから人口の半分がこの人のせいで死んだんですよ・・・

そこから立ち直ろうと今もカンボジアは一生懸命頑張ってる、
そして銃を持って悪いことしている人もいれば、
その激動の時代を乗り越えて健気に頑張ってる人民もいる・・・

幸い私が出会った現地の人はみんないい人ばかりで、
初めて行ったこの国が私は大好きになってしまったのでした・・・

まず人民たちが笑顔!!

居酒屋勝がある次の国ミャンマーに行こうと思ってたら何故かカンボジアのプノンペン!! 自国通貨よりドルが流通してるらしくATMで引き出してもドルが出て来る!(◎_◎;) ローカルな食堂でヌードル食ってドルで払ってお釣りは現地通貨・・・ - Spherical Image - RICOH THETA

なるだけローカルなレストランに入ったのですが、
みんな笑顔で英語で話しかけて来て、
北京のキレイだけど怖いウェイトレスさんに慣れてる私にはそれだけでもうメロメロなのですよ(笑)


人民の結婚式に遭遇!!

こうやってテントを建てて三日三晩続いたりするんですと!(◎_◎;)


ホテルの近所でずーっと生演奏の音が聞こえて来るので行ってみたら・・・
なにやらチャリティーだと思うけど土日の朝から晩までずーっと演奏してるのな!(◎_◎;)

聞くところによると、チャリティーイベントは盛んらしく、
こんな歩いてる人が少ない道路沿いでもわざわざ車を停めて募金に来るのだとか・・・

苦難の時代があったからこそ助け合いの精神は人民に根付いているという話である.


夜は歓楽街に出て行って・・・

プノンペンの歓楽街なう〜 ここにライブハウスがあるらしい・・・ ドラムでも叩けたらちっとは世界を平和に出来るかな・・・ - Spherical Image - RICOH THETA

そこでドラムをぶっ叩く!!

ライブハウスというよりは生演奏の入ってるガールズバーみたいですが叩きますよ〜!!! 世界平和のために!!! - Spherical Image - RICOH THETA

ベトナムの田舎町ダナンにも箱バンの入ったライブハウスみたいなところはあったけど、
まあドラムは叩いたけど、レパートリーが新しいナンバーが多くでセッション曲選びが大変やった。

でもここプノンペンのこの店は、レパートリーがほぼクラシックロック!!!(◎_◎;)

どうしてかなぁ・・・と思ったんだけど、客層が歳とった欧米人が多いのな・・・
こちらに暮らしてる欧米人も多いらしく、そういう人たちに向けて選曲するからそういうナンバーになるのかも・・・

結局次の日もこの店に行ってドラムを叩かセてもらい、この繁華街も大好きになったのでした・・・

翌日もこの店に行って地元バンドとセッション!!
AC/DCなんてダナンの店ではレパートリーにも入ってなかったぞ(笑)

次の日の朝には北京に帰らねばならない・・・
私はこのバンドのメンバーにグーグル翻訳でこんなメッセージを伝えたのでした。

PhnomPenhMessage.PNG

カンボジアの言葉、クメール語・・・難しいな(>_<)

好きになった国の言葉は頑張って勉強してみようと思うんだけど、
同じ苦労して覚えても人口1500万人にしか通じんって・・・少なっ!(◎_◎;)

まあこのライブハウスではとりあえず英語が通じるから英語から頑張ろ・・・


昼間のライブハウス前にて・・・

PhnomPenhLivehouse.jpg

ライブをブッキングしてくれたコータローくん、ゆうじくん、あおいちゃん、
現地人にしか見えないけど日本人です(笑)


セントラルマーケットのローカルフード!!

セントラルマーケット内で見つけた超ローカルフード!! ホルモン串を茹でては持って来て食べた分だけ串の数で清算!!ビールが進む・・・ - Spherical Image - RICOH THETA


ナイトマーケットで打ち上げ!!

ひとりドラムinプノンペン終了!!近所のナイトマーケットで打ち上げなう〜 なんとここでは広場に椅子とテーブルではなくゴザを敷いてそこで飲み食いするのな!(◎_◎;) - Spherical Image - RICOH THETA

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Posted by ファンキー末吉 at:20:58 | 固定リンク