
2010年7月13日
50歳最後に叩いた曲、51歳最初に叩いた曲
まず最初にいろいろメッセージ送ってくれた方々に
個別に返信しませんのでここでまとめてお礼を申しておきます。
どうもありがとうございます。
まあこれだけ海外を行き来してたら誕生日を海外で過ごすことも多いし、
まあお隣の仮谷くんと違って「誕生日に何かして欲しい」という気持ちもそんなにない。
何歳になった瞬間に何があったかでその年を占ったりしたこともあるが、
我が人生どうせ死ぬまでドラムを叩いてるんだから、
こうやってドラムを叩きながら年を越せるのも何かの縁かと思われる。
Wing達にも何も言わず、
ドラムを叩きながらひとり日本時間の時計を気にしてたところをみると、
そうは言いながらもやっぱ自分の誕生日を意識しているんじゃのう・・・(笑)
深圳のコンサートの曲順を順番に演奏してゆき、
50歳最後の曲はAMANIだった。
この曲は黄家駒が死んで初めてちゃんと聞いたBeyondの曲だった。
サザンやBzぐらい売れてるバンドがこんな反戦歌を書き、
それをヒットチャートに送り込んだ彼らに改めて驚愕し、
「俺は何をやってたんだろう・・・」と泣いた。
そして日付が変わって演奏した曲が「海阔天空」。
黄家駒の遺作となった曲である。
北京の若い衆にドラムを教える時にこの曲の話をよく使う。
「オリジナルを叩いてるWing以外になあ、
この曲を叩いて一番人を感動させるドラムを叩けるのは俺だ!!
何故ならこの曲を俺は世界の誰よりも愛し、誰よりも理解している。
音楽なんてそんなもんなんだよ」
1曲の中で時には優しく、時には激しく、
でも「怒り」ではなくそれを押さえてドラムを叩く。
「世の中にはどうしようもないことはあるんだよ」、と。
対バンした香港のミュージシャンが初対面で握手を求めて来たことがある。
きっと「言いたいこと」が同じだったのだろう。
音楽なんてしょせんはそのようなことなのだ。
その他Beyondの曲を演奏する時にいつも、
「彼の魂がここにある」
と感じる。
墓参りにも行かないし、命日もいつも忘れてしまっているが、
俺と彼はこの曲を演奏する時にはいつも一緒にいる。
もしも俺が死んだ時には誰かが爆風の、そしてX.Y.Z.→Aの曲を叩いてそう感じてくれるのか・・・
魂のある音楽をやっていかなどうする?!
それ以外のものを求めて人生に何の意味がある?!
電話をくれた香港の友達に「もう51歳だよ」と言ったら、
「何言ってんですか!!
こうして力一杯ドラム叩けてるんですから数字は関係ないですよ!!」
と言われた。
ほんまやなあ・・・
どんな若いドラマーより大きな音で速いパッセージが叩けるんやから、
こりゃいろんなことを経験してる分、年とってゆくことは「得なこと」やな。