
2015年4月29日
ベトナム2本目!!現地バンドの抱える問題点
ベトナムライブ2本目は基本日本人相手のライブ!!
・・・と言ってもちゃんとベトナム人のバンドも対バンで入っていた。
女性ボーカルがギターも弾き、
曲によってはギターの男の子が歌ったり他の男性ボーカルが入ったりする。
これって?・・・思ったのだが典型的な「箱バン」のやり方である。
カバー曲を歌う箱バンは歌のレパートリーを増やすためにこうやったボーカルを持ち回ったりするのだ。
その辺の謎は後の打ち上げの時に明らかになる・・・
さて、ライブとしては
まず日本人バンドでベトナムでも人気のアニメの音楽をやるLCLというバンド
そこに入ってランナーとリゾラバ(ボーカルはドラマー)
その後ひとりドラムとなって・・・
その後に例のベトナムのバンドとなる。
そしてこのライブを主催してくれた加藤さんのバンドに入ってラウドネス、HIDE、クリキンの「愛をとりもどせ」を叩く。
ベースの人の刺青・・・気合入っとるなぁ・・・
これでちゃんとサラリーマンとして仕事が出来るんやろか・・・
打ち上げの時にお話ししたけど、ここが好きで日本からやって来たという筋金入り。
ワシこちらで感じたのが、「こちらの人はみんなロックが好き」という感覚なので、きっとそれが好きで飛び込んで来たのかな・・・
最後には地元の重鎮の日本人ギタリストHiroさんとセッションで2曲。
ここには他のベトナム人のバンドのメンバーが飛び入りして歌ったり、
聞けば「よく対バンする」とのことで、
日本人の社会人バンドが本当にうまくベトナム人バンドと交流している姿が印象に残った。
そして打ち上げの席・・・
いや〜このサイゴンの日本人コミュニティー半端ねぇ〜!!
駐在員としてこちらに派遣されている人も、
ベトナム語を喋り、ベトナムの地元バンドとちゃんと交流し、
そしてこんなライブを簡単にブッキングすることが出来る・・・
大したもんである・・・
しかしこの打ち上げでいろいろ地元のバンドの事情を聞いて
「なかなか大変やなぁ・・・」
と思った。
まずまだまだベトナムの庶民の生活水準は低い。
だからまだまだ「お金を出してライブを見る」という習慣がない。
アメリカからどんな有名なアーティストがコンサートでやって来たって、
まあチケット代が高いのもあるだろうけど、
そもそも「お金を出してライブを見る」という習慣がないんだから客が入るわけがない。
しかしこの国の人は音楽好きである。
特にメタルとか、ハードコアなんかも非常に人気であると聞く。
バーに行ってそこでバンドが入ってたりするところは大好きである。
だから前日演奏させてもらった店などは毎日毎日超満員なのだ。
バンドも客が大好きな「ロック」を演奏するのだが、
オリジナルがないのでみんな洋楽の有名な曲をカバーする・・・
その話を聞いて地元バンドの構成がどうして箱バン形式なのか理解出来た。
ただ、このホーチミンという都市がいくらベトナム一番の商業都市だからと言って、この街での事情が必ずしもベトナム全土で共通なものなのかどうかはわからない。
例えば中国では、上海は首都である北京よりも大都市だけれども、
オリジナルをやって成功するとかになると首都でなければ無理である。
大阪の芸人が東京に出て行って初めて全国区になれるのと同じように、
中国では北京以外でロックバンドが成功することはない。
ベトナムの首都ハノイに行ったことがないのでわからないが、
ここホーチミンではこのような現状であることは事実のようだ。
そこで考えた。
ワシには著作権登録してないメタル曲がいろいろある。
それを彼らベトナムのバンド達に自由にベトナム語でカバーしてもらえばどうだろう・・・。
激鉄♪MAX!!のテーマや、Live Bar X.Y.Z.→Aのテーマなどなんぼでも使ってもらってええぞ〜
地元の日本人に相談すると「それは大歓迎」とのこと。
別に金なんか一銭も入らんでもいい。
自分の作品がこの国のロックを盛り上げる牽引になればありがたい話である。
またホーチミン来ないかんな・・・
チャンスがあればハノイも・・・
前日の店のオーナーがドラムクリニックツアー組んでくれる言うてたからな・・・
次は数日でなくどっぷりとこの国に飛び込んでみようと思う・・・
ファンキー末吉ひとりドラムツアーの軌跡はこちら
Posted by ファンキー末吉 at:19:16 | 固定リンク
最高裁JASRAC敗訴のニュースを受けて
アジア諸国の旅の途中ではありますが、
昨日の最高裁の判決を受けていろんな人がメッセージくれてますので、
このことにも少し触れておかねばと旅レポを中断して少々発言させて頂きます。
訴訟で負け知らずのJASRACが初めて最高裁で敗退というニュースではありますが、内容はだいたいこんな感じ・・・
日経:http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG28H41_Y5A420C1000000/
ライブドア:http://news.livedoor.com/article/detail/10059632/
Yahoo:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150428-00000576-san-soci
それに対する日本の音楽これで委員会の考え方表明:http://www.onnsa.jp/?p=392
わかりやすく言えば、ラジオ局など放送業界で包括契約っつうのは、
イーライセンスとか他の業者の参入を妨害するからアカンよ、
という判決が最終的に確定したということです。
これは当然、
将来ライブハウスなんかでもアカンよとなる判例の元となる可能性もあり、
まあJASRACの包括契約に疑問を呈して裁判となっているワシんとこの裁判にも当然ながら影響を与えることとなるだろう。。。
なにせ「包括契約アカンよ、曲別支払いせないかんよ」ということになったとしたら、
そもそもがそれを求めてたワシが訴えられる理由そのものがなくなってしまうのだから・・・
また、「日本の音楽これで委員会」によると、
JASRACはひっそりとこのようなシステムを開始したと言う。
包括契約を結んでいるライブハウスしか登録出来ないようなのでワシには中身を見ることが出来んが、
これは将来ライブハウスなんかでも曲別分配が出来るようになる布石となるシステムである可能性も高い。
そうだとすると江川ほーじんのこの入力システムに刺激を受けて大慌てで構築した可能性もある。
そうだったとするといちベーシストが日本最大の著作権団体を動かしたんやら凄いことやのう・・・(笑)
この江川ほーじんのこの入力システム、
β版からついに本チャンシステムとして稼働を始め、
チュートリアルを見るに非常に使い勝手がよくなっている。
特に「楽曲を買い物カゴのようにカートに入れる」という考え方を導入しているのが楽曲登録を容易にさせている。
そして「お気に入り」というのが素晴らしい。
よく使う楽曲はこの「お気に入り」に入れておけばいちいち検索しなくてよい。
JASRAC管理楽曲をいちいち手打ちでこれに入力するのは骨が折れるが、
「JASRACがこのシステムを構築したとしたらこんな手間は一切なくなるのに」
という考えがあるから余計におっくうに感じるのかも知れない・・・(笑)
JASRACの新しいシステムの入力方式はこのほーじんのシステムより使いやすいのだろうか・・・
気になるところではあるが、
現状「包括契約を結んでいるライブハウス」以外は使えないのだから仕方がない。
どなたか登録出来る方、使い勝手をレポートしてもらえんかな・・・
あと「日本の音楽これで委員会」は、先日の「報告してみようイベント」を実際JASRACに報告したということである。
いつ振り込みになるかは定かではないが、
もしいつまでたっても振り込まれなかったらそりゃ大問題だし、
振り込まれたとしたらこれは大きな意味を持つ第一歩である。
なにせ小畑秀光のような激アンダーグランドなアーティストでも、
ライブハウスで自分の楽曲を演奏したことを報告さえすれば著作権料がもらえる時代が来るということだ。
まあ考えてみればお客さんが入り口で支払ったチケット代の中には当然ながら小畑の曲に対する著作権料が含まれているわけだから、それが「サンプリングに引っ掛からなかった」とかいう理由で小畑に分配されないということ自体がどう考えてもおかしい状態なのだ。
「無理だ!」なんかは他にも誰かがライブハウスで演奏する可能性はあるが、
「食べたい!食べたい!食べたい!食べたい!餃子!餃子!」なんて曲は本人以外はまず演奏することはないからな、調査としては一番いい例かも知れんな・・・(笑)
振り込まれなかったら大問題、振り込まれたら世の中が変わる!!
なにせ自作曲を演奏している売れないJAZZミュージシャンもみんな、
このシステムを使って同様にJASRACに報告すればよいのだ。
客がその日払った入場料に乗せられてる「包括契約」でライブハウスが払っている著作権料は紛れもなくあなたに支払われるべきものなのだから。
少しでも分配されることがわかったら、
出演者はこぞってこの作品届けを提出する。
そうすればそもそものJASRACの「包括契約」など用をなさなくなるのだ。
日本の著作権を巡る状況が少しずつ変わって来ている・・・
このままいい方に変わっていってくれることを願ってやまない。
Posted by ファンキー末吉 at:11:00 | 固定リンク
2015年4月25日
ベトナム初ライブ!!
朝フォーと昼おかず乗せご飯を食って仮眠して、16時に会場に向かった。
ベトナムはホーチミンで2本ライブをブッキングしてもらい、
今日はその1本目でドメスティックな会場で現地の人相手のライブ。
日本人相手の方が物販の売り上げも含めて実入りは大きいのだが、
どこの国に行っても日本人相手にしか演奏できないようなミュージシャンだけにはなりたくないので必ずこんなライブをブッキングしてもらっている。
このAcousticというライブハウスは正にそんなライブハウスで、
毎日いくつものバンドが出演して現地人そして欧米人などでいつも満員!!
日本人はほとんど来ることがないという店である。
キョンマ女史の旦那様の会社にはたくさんの家族同然のスタッフがいて、
そのひとりホンさんがキョンマ女史とこの店に来て、
ホンさんがとても盛り上がっていたのを見て
「末ちゃんここで演奏したらいいのに」
と思ってブッキングしてくれたということだ。
かと言って縁もゆかりもない日本人がそうは簡単にブッキング出来るものではない。
実はもうひとりの家族同然のスタッフであるデュクさんが、
後でわかるのだがこの店のオーナーの同級生であったことが判明し、
そんなこんなでトントン拍子にブッキング出来たということらしい。
しかし内容の詰めはなかなか難しい。
日本でもそうだが、「ひとりドラム」なるものがどんなパフォーマンスなのか誰も想像もできやしないのだ・・・。
ところが会場に入ってオーナーの前でドラムをぶっ叩いたらいきなり態度が変わった。
Master SUEYOSHI trong buổi soundcheck chiều nay...show time :10pm - tối nay thứ 6 - 24/4......KĨ THUẬT cực đỉnh .....
Posted by Acoustic on 2015年4月24日
大体の訳:
今日の午後マスター末吉が今夜のShowの為のサウンドチェックをした。
彼のテクニックは素晴らしくクールだ!
もしあなたがロックが嫌いなら後ろの席に座るべきだ。
彼のドラムはパワフルでクレイジーだからだ。
あなたがドラムをやってるなら招待するからジョインするといい。
ファンキー末吉のドラムソロ、五星旗アルバム、爆風スランプの過去永続など
CDも会場で販売します!
ということらしい。
当初
「うちは歌モノの店だからインストのパフォーマンスは15分で・・・」
と言ってたマスターがいきなり
「では30分で!!」
と豹変したらしい。
聞けばマスター自身もドラマーで、
もちろん地元の全てのドラマーと知り合いということで、
今度来る時は是非ドラムクリニックツアーを廻ってくれということになった。
嬉しい限りである。
軽くサウンドチェックを終えて一度ホテルに帰って、
10時からの出番前に会場に着くと、
地元バンドの演奏で既に会場は満員のお客さんである。
モニターには店の宣伝や今日のライブの紹介などの映像が流れているのだが、
そこでこれを発見!!
おいおい!!
世界中どこ行っても「Funky」じゃなく「Sueyoshi」で呼ばれたことは一度もないぞ!!
というわけで、最初っから最後まで、「スイヨシ」とか誰もワシの名前をまともに紹介出来る人は現れなかった。
これだけたくさんのオーディエンスがいて誰も「Funky」という名前を覚えて帰ってくれた人はいないというわけだ・・・(涙)
しかし客は入った・・・
この店にとっては毎度のことなのだろうが、
立ち見も含めて立錐の余地もないぐらいぎゅうぎゅうに客が入っている・・・
そんな中でひとりドラム始った!!
いや〜ウケたなぁ・・・
酒飲みながら洋楽のヒット曲などの歌モノに合わせて大合唱しに来ているお客さんが全員食い入るようにワシのドラムプレイを見ている・・・
特にヘビーメタルはウケたな。
ベトナムの人もヘビーメタル好きなのね・・・
毎度のごとく下手な英語で、
「ワタクシ当年とって55歳!!
それでは55歳のヘビーメタルをお聞き下さい!!」
というお決まりのMCで始まったこの曲は一番ウケた。
Funky Sueyoshi Metal Drumドラムは叩けないけどホントに凄いのは分かります!ベトナムの少年少女も思わずヘドバンです動画では凄さが伝わらないので是非見に来て下さい
Posted by 加藤 聡一 on 2015年4月24日
そしてひとりドラム終了後には地元バンドとセッション!!
全員初対面のぶっつけ本番だが、
ワシのプレイを見てくれているので非常に気さくである。
特にボーカルのMinhさんはいきなり
「あんた55歳か?俺は51歳だよ」
と言って握手を求めて来た。
昨夜のアコースティックLIVE in Saigonドラムソロ後はベトナム人の人気ボーカリストHinhさんとのセッション。みんな盛り上がって楽しそうだった〜(≧∇≦)
Posted by 真辺恭子 on 2015年4月24日
いいなぁ、おっさんロッカー!!素敵だぜ!!
また一緒にやろうぜ〜
ファンキー末吉ひとりドラムツアーの軌跡はこちら
Posted by ファンキー末吉 at:16:37 | 固定リンク
ベトナムの〜屋台でボラれ〜フォー食べる〜
初めて訪れたベトナムホーチミン市・・・
噂にたがわず活気のある街である・・・
街中に北朝鮮を思わせる社会主義的なスローガン看板を見るに、
「ああこの国も社会主義国家なんだなぁ」
と思わせる・・・
スローガン看板や国旗などがいたるところに飾られているのは、
一週間後に控えた南北統一記念日(解放記念日?戦勝記念日?)のためだと聞いた。
つまりこの国はあのアメリカに勝った国なのだ!!!
などと単純に感激だけしてもしていられない。
写真こそ撮れなかったが街角で結構な確率で目にする手足が奇形の大人などを見ると、
「ひょっとしてアメリカ軍の枯れ葉剤のせいか?」
などと想像していろいろ考えてしまう・・・
とりあえずベンタイン市場に行ってメシを食ってみよう・・・
ベトナムと言えばやはり「フォー」!!
・・・と言いながら何を称して「フォー」なのかがよくわかっとらんが、
とりあえず「麺」を頼んでみた。
野菜が別皿にどどんと出て来るのが嬉しい!!
ちなみに左側の別皿はレモングラスと唐辛子とライム。
このライム味でちょっとピリ辛なのがハマってしまうのだ・・・
ビールは中国と違ってキンキンに冷えていて、
更にはグラスにはなみなみと氷が入れられて出されて来る。
嬉しい・・・
ちなみに観光客スポットで結構高いはずなのに、
ビール込みで500円もしないので非常に気を良くしてマーケットの中で買い物!!
「ベトナムです!!」という感じのTシャツを買ってステージ衣装にしようと飛び込んだ店で今晩のライブ用と翌日のライブ用と2枚買った。
そこで見事にボラれてしまった(>_<)
何せベトナムの紙幣は過去のインフレのためか1万円が2百万ドンともう既にケタが全くわからない(涙)
紙幣もゼロが多すぎて全くわからないのだ・・・
ミャンマーの時もゼロのケタが多かったが、
単に日本円にゼロをひとつつけて考えればよかったので楽だったが、
ベトナムドンの場合は更に計算せねばならない。
「ベトナムドンの数字を見たらまずゼロをふたつ取って、
それを半分で割ったら大体の日本円です」
と教わったのだが、マーケットなどで値切りで見せられる電卓では、
最初のカンマ以下、つまりゼロを三つ落として表示するので皆目わからない(>_<)
札を数枚握りしめて右往左往してたら、
「これでいいから」
と最高額紙幣50万ドン(日本円で約2500円)を2枚持って行って、
お釣りをいくらかポンと渡す・・・
「あかんやろ!!それ高すぎやろ!!」
とやっと頭の中で計算してそう言うのだが、
札を渡してしまっているぶん分が悪い・・・
「買わん!!金返せ!!」
と粘るのだが、結局のところ最高額紙幣1枚だけ返してもらって、
結局Tシャツ2枚を2500円で買う羽目になってしまった・・・(涙)
「フォーが何杯食えたやら・・・」
ということから、「1フォー」を庶民価格1杯分2万ドンに換算して、
Tシャツは50万ドン、つまり25フォー(フォー25杯分)も払って買ってしまったというわけだ・・・
さすがアメリカに買った国・・・(涙)
気を取り直して昼飯は同じ屋台で「おかず乗せご飯」をいってみる・・・
言葉が通じないのでとにかくおかずがたくさん並んでいる屋台に行って、
「これとこれとこれ」と指差せばいいと思ってたら、
他の人はちゃんと「おかず乗せ」状態で出て来るのに、
ワシのだけなぜかご飯とおかずが別に盛られていた(>_<)
まあ胃に入れば同じなので朝とはまた違うビール飲みながらあっと言う間に平らげてしまったので今度は魚を追加!!
魚はカリカリに焼かれて(揚げられて?)いて、
この独特のタレをよく吸い込んでむっちゃ美味くてこれも完食!!
「もう食えん!!もう飲めん!!」
というわけでちょっと仮眠してライブ会場へ向かいます!!
(ライブまでなかなか辿り着けん・・・笑)
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2015年4月24日
初ベトナム!!料理旨し!!(≧∇≦)
去年4カ国10カ所を回ったアジアツアー
上海、南通のブログはこちら
蘇州、杭州のブログはこちら
南京のブログはこちら
北京のブログはこちら
タイのブログはこちらとこちらとこちら
ミャンマーのブログはこちら
マレーシアのブログはこちら
に続いて今回は初ベトナムのツアーを組んでもらった。
ベトナムには全くコネがなかったのだが、
昔馴染みのキョンマ女史がベトナムで仕事をしている日本人と結婚して、
本人もベトナムに住んでたりしてベトナム語も喋れるということで何とかブッキング出来ないかお願いしてみた。
旦那様は10年以上こちらで会社をなさっていて、
もう家族のような現地の人たちがたくさんいらっしゃるという・・・
かくして初ベトナム、空港に迎えに来て下さったキョンマ女史と旦那様、
そして現地スタッフのホンさんとドゥクさん。
さっそくベトナムシーフードの店に連れて行って下さった。
ベトナム料理なんてフォーと春巻ぐらいしか知らんワシは、
このベトナムシーフードでぶったまげた!!
まずお通し代わりに最初に出たのが巻貝のココナッツタレ。
この巻貝の口の部分でココナッツタレを掬ってそのままちゅるりと中身ごと吸い出して食す・・・美味!!!(≧∇≦)
そしてこの蛤のスープ!!
貝殻を持ってこのピンク色のタレを身の部分で掬って一緒にちゅるりと食べる。
美味!!!(≧∇≦)
そしてふと見ると隣でホンさんが一生懸命春巻を巻いて下さっている。
野菜ばっかの超健康的な春巻である。
現地では身体にいいとされるドクダミの葉っぱを入れるのだが、
これはキョンマ女史も苦手だということだがワシは大丈夫だったので入れてもらった。
タレは独特のピーナッツタレでこれも美味!!(≧∇≦)
「ベトナムの人はいっぱい野菜食べるのよ」
とのことだが、このいろんな野菜
(食べてしまってから写真を撮らねばと思い立った)
を独自のタレ(右側)で食べるのがすこぶる美味く、
腹にももたれないしビールのツマミにも最高だった。
実はテーブルの向こう側がワシの席で皿にはカニの塩茹でが乗っているのだが、
カニが出て来た時にはあまりの旨さのため全員がカニをほじくることに一生懸命で無口になってしまい、結局誰もカニの写真を撮っていない(笑)
大正海老が丸々と太ったようなエビも出て来たのだが、
もう食ったらこんな感じ!!!
カニもエビも、まあこれでポン酢をつけて食えば日本料理なのだが、
タレがそれぞれ絶品で、
左上から、ゆで卵を何やら発酵させたようなタレで混ぜたもの。
野菜につけても美味しいし、そのまま食べても美味!!(≧∇≦)
右上は前述の野菜のタレで、中の肉みたいなのもツマミとして美味!!(≧∇≦)
中断左からベトナムナンプラー、青唐辛子とライム、塩胡椒と唐辛子とライム(左下も同じ)
中断右は春巻のピーナッツタレ、下段右は蛤のタレ。
どれも絶品!!(≧∇≦)
そして最後にチャーハン!!これがまた癒し!!(≧∇≦)
それと共に出て来たイカを揚げたやつなのだが、
これが同じイカから作られてるとは思えないまさかの食感!!
好みでベトナムナンプラーにつけて食してチャーハンとの相性絶品!!
トドメはデザートのパイナップル!!
調味料は塩を中心とした独特の薬味。
まあ日本人がスイカに塩をかけて食う感覚か・・・
全く違う世界観を醸し出して美味!!(≧∇≦)
今日はこのぐらいにしといたろう!!
明日に続く!!
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2015年4月20日
寧夏回族自治区銀川ツアー3本
布衣のボーカル老呉(LaoWu)がブッキングするというのもあって、
彼の故郷寧夏回族自治区でのライブが多くなる。
今回はいつもお世話になっている涼縁Barが18周年(ハンパやなぁ・・・笑)ということで日本からの旅費も出るというので小畑とユッコちゃんもブッキングした。
先日の天津と北京のライブも、
「せっかく来るのだから」
ということでこれにくっつけたというわけだ。
本当はVoThMも一緒にと言ってたのだが、
「世界で一番美味しい羊肉が食べられるよ」
と誘ったんだけど、英樹さん丸山さん共に
「羊なんか食えないもん」
と言ってたのでVoThMなしとなった。
しかしお二人ももうこちらの羊肉の洗礼を受けて食べられるようになったので19周年から参加か?!!(笑)
それにしてもこのBar、
せっかくそんな大金を出すんだったら北京からもっと有名人を呼べばいいのに、
わざわざ「高水準音楽秀」と称して「Funky和他的朋友们」としてワシらをブッキングしてくれるんだからちょっとオカシイ(笑)。
でもそのオカシイのが
「水準が高い音楽だったらそれでいいんだ」
というとてつもなく「ROCK」な思想(演奏してるのはJazzだったりもするが)でいつもとてつもなく「カッコイイ」と思ってしまうのだ。
15日天津、16日北京のライブを終えて、
そのまま17日に移動して砂漠に行って遊ぼうということになってたが、
老呉(LaoWu)が障害を持つ子供たちのための曲を作ったので、
そのチャリティーライブがあるということで参加して来た。
そこでちょっと懐かしい仲間と再会!!
名を張海龍といい、10年近く昔になるが、ワシの院子で住んでた真面目で貧乏なベーシストだった。
真面目で貧乏な若者は大好きなのでいろいろ面倒を見てたのだが、
老呉(LaoWu)が「彼んちは本当に貧乏でねぇ・・・」と言ってたので本当に貧乏だったのだろう。
覚えているのはみんなで牛肉しゃぶしゃぶを食いに行った時、
牛のいろんな部位を図解している表を見て、
「牛スジが載ってないじゃない、どこの部位なの?」
と聞いてきたのが印象に残っている。
「この店にはいつもお前が食べてる牛スジは扱ってないんだよ。
食べたことない牛肉がいっぱいあるからいくらでも食え!!」
そんな彼は電気が強かったのもあり、
「うちのスタジオで専属エンジニアやんないか?」
と勧めたのだが、
「僕はベーシストになりたいんです」
と言ってそれを断った。
「別にベース弾きながらエンジニアやればいいんだよ、かっこいいじゃん!!」
と説得したのだが、人のいい彼にしては珍しく頑固にそれを断った。
それから数年後、うちの院子出身の同郷の仲間がライブハウスを開くというので、
彼はそこのエンジニアとして呼ばれて行った。
結果そのライブハウスは大成功し、彼はまとまったお金を持って田舎に帰り、ライブハウスを始めたという話は聞いていたが、縁あってこうして初めて彼の店で演奏するチャンスが訪れたというわけだ。
ライブハウスのドアを開けると地元のスカバンドのリハーサルが行われており、
彼が神妙な顔をしてエンジニアをしていた。
ベーシストがリハに来れなかったのかベース抜きでそれこそスカスカの音でリハーサルをしてたのだが、
しばらくして突然ベースが聞こえて来たと思ったら彼が卓を離れてステージに上がってベースを弾いていた。
「別にベース弾きながらエンジニアやればいいんだよ、かっこいいじゃん!!」
ワシは昔彼に言ったそんな言葉を思い出して思わずニヤニヤしてしまった。
ふと見ると壁にはいろんな写真が貼られていた。
昔仲間で今では故郷のロックスターとなった老呉(LaoWu)の写真だけでなくワシとの昔の写真もちゃんと飾られていた・・・
なんか懐かしくなって胸が熱くなった・・・
10年近く会わなかったけど、
彼の中ではずーっとこのワシがいた・・・
回族である彼が最初に出来た彼女、
同じ回族じゃないということで両親に猛反対されていた話とかも思い出した。
今は結婚しているというがその彼女かい?・・・
いろんな話をしたかったが、この日はバタバタしててゆっくり話せなかった。
「どうだい?経営の方は?儲かってるかい?」
そう聞くワシにいつもの素朴な笑顔で頭を掻きながら、
「いや、決して儲かってはいませんが・・・」
そう答える彼に、
「俺でよかったらいつでもライブやりに来るからな」
と言い残してこのライブハウスを後にした。
老呉(LaoWu)のように故郷に錦を飾るロックスターにはなれなかったけど、
無一文で北京に出て行ってこんな素敵な店のオーナーとなって地元のロックに貢献しているお前を、ワシは昔の仲間として心から誇りに思うぞ!!
困ったことがあったらいつでもワシんとこへ来い!!
金ならないけどなんとかなるさ〜!!(笑)
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2015年4月19日
VoThM天津北京ライブ
もう中国で数年間やり続けている「Funky末吉和他的朋友们」のライブ、
いつもライブを組んでくれる老呉(LaoWu)が既にアンダーグラウンド界では有名になったというのもあり、
最初は20人ぐらいから始まったこの定例ライブも今では動員数が必ず100人は超える勢いとなって来た。。。
今回もVoThMが中国でライブをということで組んでもらったのだが、
本当はレコーディング機材を持ち込んでライブレコーディングでも出来ればと
「同じ小屋を2日間ブッキングしてね」
と言ってたのだが、一日が天津、もう一日が北京ということになって、とりあえずライブ音源をマルチでレコーディングするのはあきらめた・・・。
この小屋選びもなかなか難しい。。。
キャパが大き過ぎると客席がガラガラで寂しいし、
オーナーに熱意がないと一生懸命宣伝してくれないので集客が出来ないという状況もある。
個人的には昔よくやらせてもらった「蓝溪」という店が、
終わった後にいつも目をうるうるさせてビールを持って来て、
「また是非うちでやってくれ!!」
と言いに来るオーナーが大好きで、小屋を探している老呉(LaoWu)に
「あそこでやれば?」
と言うのだが、
「うーん・・・あそこはちょっと小さすぎるだろ・・・」
ということでご縁がない。
この定例ライブももうあそこのキャパを超える規模になって来たということか・・・
天津のこのライブハウスも老呉(LaoWu)に紹介されて一度やったことがある。
(その時の模様はこれ)
大学のそばにあることもあって若い学生客が狂喜乱舞して小畑が
「僕はまるでスーパースターになったみたいです」
と喜んでいたのが記憶に新しい。
ここのオーナーから頻繁に「機材も一新して改装したからまた是非やってくれ」とメッセージが来てたのを老呉(LaoWu)に振ってたので「よし」とばかりここをブッキングしたのだろう。
天津師範大学の南門の同じストリートに引っ越したこの店
「LiveHouseとは和製英語で、アメリカ人なんかからはヌードショーの店を連想させて全く通じないよ」
と聞いたことがあるが、ここ中国では日本からこの和製英語が入って来て完璧に定着してしまっている。
もともとは「酒吧」すなわち「酒場で演奏する」と言ってたのだが、
だんだん機材とかも本格的になって来て、
本当に「LiveHouse」になって来たのはここ数年のことである。
日本が「Jazz喫茶」から「LiveHouse」に進化して来たのと似ている・・・
店が新しくオシャレになったのと関係があるのかないのか、
狂喜乱舞の前回のライブとは違って客層が落ち着いた気がするが、
それでも100人を超えるオーディエンスは十分楽しんでくれたように思う。
ただ・・・演奏時間が長かった・・・(>_<)
最初に新宿ゴールデン街Acesのマスターでもある山下剛史の演奏が30分、
その後に小畑秀光が30分、
そして張張(ZhangZhang)と渋谷有希子によるピアノトリオが30分、
その後に老呉(LaoWu)のステージを1時間足らずやってからVoThMのステージを1時間以上やるのだから、客もさながら昼からこのリハーサルで全てを叩いているワシが死んだ(>_<)
というわけで翌日の北京ライブは全員に「曲目減らしてね」ということで全体で2時間のステージを目指す(無理なのぢゃが・・・)
小畑の出番はやはり最後にすることにした。
最初に激メタルをやられると身体のダメージが後の演奏に残ってしまう・・・
この日のライブは黄昏黎明DDCという新しいライブハウス。
よくやらせてもらってた江湖から分かれたライブハウスだという・・・
前日に演奏しているのでリハもがっつりやらず、
初っ端の山下剛史も3曲(うち2曲伴奏)にして、
張張とユッコちゃんのトリオも3曲でソロ短め、
次のVoThMも10曲に減らしてもらい、
老呉(LaoWu)は5曲、
体力が極度に消耗する小畑秀光は最後にして3曲にしたにもかかわらず、
この頃にはもう体力が限界で「神様」を見てるような始末・・・
しかし「ライブは水モノ」とはよく言ったもんで、
この日のライブは数年間の「Funky和他的朋友们ライブ」の中で最高の出来だったようだ。
小畑曰く張張トリオは今まで見た中で最高の演奏だったらしいし、
VoThMはワシがドラムを叩かせて頂いてから最高のライブだったし、
最後の小畑の時のドラムソロは「神がかっていた」と言う・・・
ユッコちゃんは「今まで聞いたことないフレーズがいっぱい出てた」と言うけど、
全く覚えてないところを見るともう「気絶」に近い感じで叩いてたのだろうし、
「背中に後光のようなオーラが見えた」と言うが、
ひょっとしたらその瞬間は本当に死んでいたのかも知れない(笑)
みんなでお茶している時に
「あと余命いくばくもないと宣告されたら」
という話を誰ともなくしてたが、ワシは確実に
「別に今と変わらんと思う」
と答えた。
別に「悔いのない人生を歩んでいる」とかかっこいい話でも何でもない。
「お前は既に死んでいる」の世界なのだ(笑)
次の「Funky和他的朋友们」は5月11日に江湖でやる。
張張とユッコちゃんのトリオをちゃんとやりたいので、
今回はこのトリオと老呉(LaoWu)とだけでという話になってはいるが・・・
まあまた増えたら増えたで・・・
余命いくばくもないのはまあ人間ならば誰でも同じなので、
ドラム叩けるうちにいっぱいこんなライブをやっとこうと思う今日この頃である。。。
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2015年4月18日
VoThM北京レコーディング&ライブ(食事編)
長かったマグロ漁船のリハーサルも終わり、
そのまま次の日の11日朝一番でワシは北京に飛び立った。
夜にはVoThMのレコーディングで英樹さん達がやって来る。
食を充実させるのは中国関係にて絶対的な「基本」とも言えるもので、
無謀だとは思ったが、空港から直で向かったのがワシが最近一番ハマっている麻辣烫の店!!
この辛い鍋に漬けた具材を、更に辛い唐辛子の粉をまぶして食す!!
とてつもなく辛いので合法的に飛びます!!(笑)
中国が初めてという英樹さん、丸山さん、
そして関空から合流したゲンちゃんと東京からAce'sの山下剛史くん、
最初の食事の洗礼がこれでいいのかと思ったが、
特に丸山さんは辛いものにハマってゆくこととなったようだ(笑)
次の日の昼はこちらで貿易の仕事をなさっている山崎さんのご馳走で北京ダック!!
ところが山崎さんが麻婆豆腐を頼んでしまったので丸ちゃんの辛いもの好きに拍車がかかることとなる・・・
夜はここ数年中国で大流行している「巫山烤鱼」。
焼いた魚を辛いスープで更に煮るという絶品の食物です。
そして3日目の夜は羊の足の丸焼き!!
「羊嫌い」の英樹さんもこの頃にはだんだん変化が見られるようになる。
何せ日本で食う羊とこちらで食う羊は根本が全く違うモノなのだから・・・
3日目である14日からライブを共にする小畑秀光と渋谷有希子が合流するので、
飛行場から直で「ラムしゃぶ」に合流してもらう!!
ちょうど中国ジャージが7種類仕入れてみてたので、
ちょうど7人揃い踏みしてみました!!
これで翌日からの天津、北京のライブにレディーゴーです!!(笑)
Posted by ファンキー末吉 at:17:25 | 固定リンク
2015年4月 5日
売れないドラム叩きの成れの果て
去年ずーっと高知新聞で連載させて頂いたエッセイを編集加筆して
自叙伝としてまとめた本
「ファンキー末吉 中国ロックに捧げた半生」
を出版してくださった高知の出版社「リーブル出版」の担当者の方が、
Facebookページにこの本の宣伝をUPして下さった時にコメント欄に書き込まれたのがこの言葉である。
「売れないドラム叩きの成れの果て」
一瞬目を疑ったが、その後の担当者の受け答えが絶妙だった。
◯◯さま、その通りかもしれません(≧∇≦)
ただ、その「成れの果て」の話がなんとも面白いのです。
ぜひご一読いただければ幸いです(*^o^*)
思えば私の本を出版して下さった出版社の方は揃って私の本に愛情を持って下さっている。
前作(ストーリー的にはこの続編に当たる)「平壌6月9日高等中学校・軽音楽部 北朝鮮ロック・プロジェクト」
の担当者の方は
「自分が今まで手がけた本の中で一番面白い」
とおっしゃってくれたし(毎回言ってるのかも知れないが)笑
「大陸ロック漂流記―中国で大成功した男」
を出版して下さった(今はもうこの会社自体がなくなってしまったが)担当者の方は、
タレント本を出し続けなければならない現状、
ろくな文章でもないのにタレントの名前が有名な人ほど売れる現状
などを話して下さった後に、
「出版という仕事に従事している身として、この本の出版に携われたことを誇りに思います」
とまで言って下さった。
本当にありがたい話である・・・
「物を生み出す」という作業において一番幸せなことは、
その生み出されたものを愛してくれる人たちと一緒に仕事をすることである。
改めてお礼を述べさせて頂きたい。
さて前述の「売れないドラム叩きの成れの果て」の話・・・
思い起こせばドラマーとして、
あのまま所属事務所とケンカもせずにずーっと爆風スランプのドラマーとしてだけ活動していたとしたら、
相変わらず多くて年に1回だけ発売するアルバムのドラムを10曲ほどレコーディングして、
その曲と他数曲いつもと同じ楽曲だけをツアーで演奏するだけで一生を終えてただろう・・・
ところが中国に渡ってからはスタジオミュージシャンとして既にもう500曲は超えるだろうレコーディングを経験している・・・
その後日本に帰ってからはセッションミュージシャンとして数多くの楽曲を演奏しているから、
あのまま爆風スランプの曲だけを演奏し続けたとしてレパートリーはせいぜい100曲?・・・
優にその何百倍もの曲・・・どんなジャンルのドラムであろうが、どんな難曲であろうが叩けるようになったと自負している。
「売れない」どころか昔に比べたらドラマーとして大きく花咲いているぞ・・・(笑)
逆にあの頃のワシは「ドラマー」としては全く「売れてない」と言っても過言ではあるまい。
本にも書いているが、
日本では誰もワシのドラムを求めてたわけではない、
ワシの「名声」を求めてただけの話なのだから・・・
まあこのコメントを残した人も間違いなくワシの「名声」だけを見てたのだろう・・・
ワシもこんな人間だから過去にはいろいろ人に名声を利用されたり金を騙し取られたりしたのでわかるが、
自分に確固たる「価値観」がない人ほど「名声」とか「金」にしか価値観を見出せなくなる・・・
それしか価値観を見出せないんだからそれを手に入れるためにはそれこそ人を騙したり悪いことをしてでも手に入れようとする・・・
ところが「ドラムが上手い」とか、お隣の二井原さんみたいに「歌が上手い」という価値観とかあるとしたら話は別である。
何せこの自分が求めている価値観まで達成するためには、
人を騙したって悪いことしたって「魂」と「経験値」以外には全く何の役にも立たないのだから・・・
芸能界は砂の城みたいなもんだと中国でも言われているが、
その砂の城を守ろうとしてみんながしゃかりきになっている。
爆風スランプが一番売れている時でさえ、
歌番組なんかに出るとワシらは「この中で一番売れてないのは自分だ」と思っていた。
きっと全ての芸能人がそうなのだろう・・・
むしろあの頃は今ほど売れてなかったぞ(笑)
まあこの人が言いたいのはきっと「落ちぶれた」という意味のことだと思うのだが、
そう思うと、日本における爆風スランプの見られ方というものが浮き彫りになって、
「ああなるほど・・・だから俺は中国に逃げて行かねばならなかったんだな」
と妙に納得する。
甘利匡輔という男がいる。
(その話はこちら)
中国ロックを愛する者なら知らない人はいない。
ワシは今でも彼が作り上げた中国ロックのレールの上をひとりでとぼとぼ歩いているのだ。
たまたま同じ八王子に住んでいるので老呉(LaoWu)や張張(ZhangZhang)が来日した時に紹介した。
もう二人とも目の色が違う。
何せあの中国ロックの数々のスタンダードを作り上げた人間、
あのギターのフレーズを弾いている人間が目の前にいるのだ!!
「彼は今どんな活動をしてるんですか?」
そう質問された時に、ウソを言っても仕方がないので
「いや、家業を継いで今は趣味でギターを弾いてるそうだよ」
と答えた。
中国ロックを愛する者ならば、それを聞いたところで誰も甘利くんを「落ちぶれた」などとは思わない。
何せ彼が崔健(CuiJian)と一緒に作り上げた音楽は、
「中国で初めて生まれたロック」として今でも人々に大きな影響を与え続けているのだ。
誰もがその偉業を尊敬している。
あまりにも素晴らしい偉業であるがゆえに、
今その人が何をしてようが関係ないのだ。
「売れないドラム叩きの成れの果て」
そうコメントしたこの人は、もちろん爆風スランプのことを知ってて言っているのだろう。
ということは爆風スランプは中国における崔健(CuiJian)に比べたら全然尊敬されてないということなのだ・・・
ワシは何もこの人に文句を言おうとか思っているのではない。
この人に代表されるように、これが「芸能界」であり、
ワシにとっての「この国」であった。
だからワシは中国に逃げて行かねばならなかったのだ・・・
「有名である」・・・ワシにとっては本当にやっかいな「諸刃の刃」である。
そんなものとは決別して裸一貫で今の中国での地位を築いた。
でも日本に帰ると今だにそのどうでもいい「負の遺産」に振り回されることとなる。
「有名税」とはよく言うが、
ワシにとってはもう得るものよりも払うものの方が多くないか?・・・
あ、それが「税」か・・・(笑)