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X.Y.Z.→A オフィシャルサイト 爆風スランプトリビュートアルバム WeLoveBakufuSlump
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おまけComplete」
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2013年7月30日

Pearlリズムトラベラー(ファンキー末吉仕様)

本日の菅沼孝三vsファンキー末吉投げ銭ライブ、
ドラマー同士のバトルのように見えて、
その実はYAMAHAとPearlの持ち運び用小さなドラムセット同士の戦いという意味も持っていた。

YAHAMAはHipGigという小さなドラムセットを売り出しているし、
Pearlは同様にリズムトラベラーというドラムセットを売り出している。

ところがHipGigは20万を越える高級品なのに対して、
Pearlのリズムトラベラーは6万円台の廉価版である。

真っ当に戦えば勝負にならないということで、
こちらはこちらで少々手を加えさせて頂くことにした。

菅沼孝三はもともとHipGigについているスネアをタム代わりにして、
自分モデルのスネアを加えていたのだが、
こちらは逆にバスドラである。

もともとついていたバスドラはその大きさがあまりに小さいため、
18インチのバスドラを加えさせて頂いた。

RythmTraveler1.jpeg

新しいバスドラの場合、そのフロント側のヘッドに穴を穴を開けなければならない。

口径が小さいので手近にあった灰皿を置いて、
それに沿って丁寧にカッターで切ってゆく・・・

RythmTraveler2.jpeg

もともとが不器用なワシが自分でこんなことするから・・・失敗(>_<)

RythmTraveler3.jpeg

今度はそれより大きな皿を持って来て、
直接カッターで切るのではなくマジックで下書きをする。

RythmTraveler4.jpeg

ちょっとギザギザで左に寄ってしまったが気にしない(>_<)

RythmTraveler5.jpeg

ところがヘッドを貼り終わって発覚したのだが、
フープには打面用とフロント用があり、
打面用にはちゃんとフットペダルをマウントする部分がついていて実は逆に使ってしまっていたことが発覚(>_<)

RythmTraveler6.jpeg

ヘッドを外してフープを交換して貼り直す(>_<)

バスドラだけでこれだけ苦労するのだから先が思いやられるが、
次はリズムトラベラーのバスドラをフロアタムとして使う。

もともとバスドラとして使われるものなので、
ついているヘッドには穴が開いている(>_<)

RythmTraveler7.jpeg

その上、貼ってから発覚したのだが、
これも実は打面と裏側が逆であった・・・貼り直し(>_<)

逆だとどうしてダメかと言うと、
もともと付けられている舟形をそのまま利用して、
手前の2本はフロアタムの足を、
そして反対側は市販のタムホルダーで足代わりにしたかったのだ。

そうするともともとタムをマウントするための2つのホルダーをシンバルとかいろいろ利用することが出来る。

RythmTraveler8.jpg

このようにひとつのホルダーにはライドシンバル、
もうひとつのホルダーにはタムをマウントして全部を組んでみたのだが、
いざセッティングの微調整をしようとすると、
フロアタムの位置を動かしただけでタムやらシンバルやらいろんなものをまた微調整せねばならぬので変更!!

RythmTraveler9.JPG

こうしてフロアタムからは2つのシンバルが、
バスドラからはスネアとタムが、
そしてスタンドから2つのタムとシンバルがマウントされる最終形へと相成った!!!\(^o^)/

菅沼孝三のHipGigと並ぶとなかなか壮観である!!

RythmTraveler10.jpeg

こうして始まった菅沼孝三vsファンキー末吉ゲスト川口千里の投げ銭制ドラムバトル、
お歌のライブだと数人しか集まらないのに噂が噂を呼んで立ち見も出る満員御礼である。

ジャンケンで先攻後攻を決め、最初に先行になったワシは、
いつも全中国ドラムクリニックツアーで演奏しているVisionRocksから演目を始める。

この時点で、もともとリズムトラベラーについていたシンバルがこのような有り様に(笑)

RythmTraveler11.jpeg

これにはさすがに客席中が大爆笑。

同じシンバルがハイハットとしても使われていて、
それもライブ終了後にはベコベコである(笑)

まあ廉価版なのだから仕方がない。
YAMAHAのHipGigにはもともとシンバルはついてないが、
6万円台で一応シンバルもついてますよという形のコンセプトなのだ。

もちろんワシもこうなることは想定の上でマウントしてあるので問題ない。

最初に買ったPearlの廉価版のセットの思い出が浮かんで来てむしろ懐かしかったぞ(笑)

その後菅沼孝三の怒濤のドラムソロ、
そして川口千里ちゃんのソロ、そしてツインドラム、とラウンドは進み、

投げ銭も1ラウンド1万円を越える盛況振りで、
結局は勝者は札束のレイまでもらった菅沼孝三ということで、
本来は罰ゲームとして用意していた松田聖子の赤いスイトピーを勝者なのに歌わされる(笑)

RythemTraveler12.jpeg

ちなみに後ろでひそかにドラムを叩いているのはワシである(笑)

非常に楽しくてお客さんの評判もすこぶるよかったのでまたやりたいのであるが、
これでツアーにも廻りたいな・・・

全国のライブハウスのオーナー方々、よかったらブッキングしておくんなはれ!!

またやりましょう〜

RythmTraveler13.jpeg

Posted by ファンキー末吉 at:02:01 | 固定リンク

2013年7月27日

Jazzのレコーディングはキツ(>_<)

五星旗3rdのツアーが9月に行われる。
それに合わせてこのメンバーで五星旗の定番曲をレコーディングしようということになっていたのぢゃが、
気がついたらワシはこんなにツアーを入れとるし、いつレコーディングすんねん!!という感じである。

とりあえずスケジュール合わせをしてたら、先日の五星旗のライブ前ならみんなスケジュールは空いていると言う(当たり前か?)・・・

というわけでライブ前に朝10時八王子駅集合でレコーディングが行われた。

五星旗には大きくわけて2週類の楽曲があり、
ひとつは「Pop Instrumental」と呼ばれるジャンルで、
基本的に「ポップス」なのでドラム自体が上モノによって即興的に演奏が変わることがない。

このような楽曲はクリックに合わせて先にドラムだけを録っておけばよいのだが、
問題はインプロビゼイション(即興性)の高いJazz曲で、
こればっかりはソリストやバッキングの即興性によってドラムの叩き方が瞬時に変わるので「先に録っておく」ということが出来ない。

同時録音しかないか・・・

ところがこのFunkyスタジオ八王子というのは非常に狭い!!(>_<)
5人全員が入れるかどうかが問題である。

FunkyStudioZumen.jpeg

ベースはだいたいラインで録るが、
ギターをアンプで鳴らすというなら無理なのだが、
ギターもラインでよいなら方法はある。

まずドラムのブースにギタリストとベーシストに入って弾いてもらう。

GoseikiRecGtBass.jpeg

これがまたかなり狭い!!(>_<)
加齢臭が心配である・・・

そして生音である二胡と、MIDIで信号だけを録るピアノはコンソールルームで!!

GoseikiNikoPiano.jpeg

まあ結論から言うとピアノの進藤くん以外はみんなキツいのね(笑)

まあキツいのはセッティングだけではない。
「同時録音」というレコーディングの仕方が非常にプレッシャーなのである。

通常ロックやポップスなどでは「別録り」をする。

パンクなど「勢い」を求めて同時録音する場合もあるが、
まあそれは「別に録ってもそんなに変わらない」という演奏レベルであったりするのだが、
基本的に即興の連続、つまり1曲まるまるずーっとドラムソロをやってるような楽曲で、
一切差し替えも出来ずにそれがOKテイクになってしまうのは非常にプレッシャーがキツい。

ある時はソリストのフレーズについて同じように叩き、
またある時はソリストにこう弾いてもらいたい世界観を先に提示し、
バッキングにおいては例えばピアニストが伴奏する左手に合わせてスネアを入れ、
ずれたらずれたで即興的にそれを物語的に修正し、
そんな「戦い」の連続を一発OK目指してするのである。

Jazzの人はようやるなぁ・・・(感心)

基本的にドラムがOKテイクが録れればそれで次の曲にいくのだが、
多い曲で4テイクも録ったら精神的にももうボロボロである。

だいたい2テイク目には欲が出て、
ついつい1テイク目と同じフィルを叩かないように意識してしまうと、
3テイクも叩けばもうフレーズなんか残っていない。

精神的にもボロボロになるので演奏に緊張感がなくなる・・・

一生懸命反省して初心に戻る。
「ええかっこすんな!!お前はしょせんこの程度なのだ!!」
と自分に言い聞かせ、一番手慣れた手数でもう一度勝負する。

最初からそうやればいいのだ!!

ロックやポップスのレコーディングで若い衆に説教をするのを思い出す・・・

「ワシらの時代はな、アナログ録音だったのでドラムはパンチインなんか出来なかった。
だからいつも80%のテクニックで叩く。
それでこのぐらいのレベルで叩けてなかったらレコーディングなんか無理なんだよ」

Jazzになったら気負ってしまって自分でそれが出来ない(笑)

まあどんなレコーディングでも同じである。
音楽なんてしょせん「自分との戦い」なのだ。

幸いここ数日(カレンダーを見ると何と2ヶ月近く)国は違えど毎日毎日ドラムを叩いている。
そのおかげで手足は現在非常に高速に動くのでよかった。

やっぱ音楽は精神面なのだが「ドラムを叩く」という作業は「運動」である。
運動能力が高ければ、同じフレーズでも無理をせずに叩くことが出来る。

容量の小さなスピーカーで大音量を出すより、
容量の大きなスピーカーで同じ音を出した方が音がいいのと同じである。

特にJazz系のレガートではその「軽さ」が命なのだからこの辺は助かった。

「ロックドラムは足でキープするがJazzドラムは手でキープする」
と言われたりするが、
シンバルレガートだけでリズムを盛り上げたり下げたりしているプレイバックを聞きながら、
ピアノの進藤くんがこうつぶやいた。

「いや〜凄いなぁ・・・これがヘビーメタルドラマーが叩いてるレガートとは思えん(笑)」

確かに全然違うジャンル、いや「違う楽器」と言ってもいいかも知れない。
叩き方の根本が違うのであるから・・・

ロックはもう40年近く叩いているが、
本格的にJazzを始めてまだまだ20年程度である。

でも20年やってたらやっとこのぐらいのことが出来るようになったんやな・・・
と我ながら感慨深い・・・

皆様のアンケートから選曲された8曲
(ソロなどもあり1曲が長いので今回は8曲収録)
まずは五星旗3rdのツアーで発売致します。

末吉のJazzドラムを聞きたい方は是非お楽しみに!!


2013年09月07日(土)岐阜ソウルダイナ

問い合わせ:058-240-7999

開場18時半開演19時
前売3500円当日4000円

対バン:ENEN&SKY,Pussy's


2013年09月08日(日)名古屋メモリーレーン

問い合わせ:052-971-3577

開場18時開演18時半
前売3500円当日4000円

対バン:ENEN&SKY,Pussy's


2013年09月09日(月)四日市EAST

問い合わせ:059-351-5010

開場19時開演20時
前売3500円当日4000円


2013年09月10日(火)梅田ロイヤルホース

問い合わせ:06-6312-8958

開場17時開演19時
前売3500円当日4000円


2013年09月11日(水)京都RAG

問い合わせ:75-241-0446

開場18時開演19時半
前売:3500円 当日4000円

対バン:三井ぱんと大村はん


2013年09月12日(木)加古川OHAMA

問い合わせ:079-435-5227

開場18時開演19時半
前売3500円当日3500円

対バン:三井ぱんと大村はん


2013年09月13日(金)岡山デスペラード

問い合わせ:086-225-5044

開場19時開演19時半
前売3500円当日4000円

対バン:地元バンド(未定)


2013年09月14日(土)高知X-pt.

問い合わせ:088-885-2626

開場18時半開演19時
前売3000円当日3500円

対バン:FLAT FIVE


2013年09月15日(日)宿毛NEUE(ノイエ)

問い合わせ:0880-63-3215
住所:高知県宿毛市幸町5-6

開場18時開演19時
前売2500円当日3000円

対バン:JUJIRO. (and more)


2013年09月16日(月)
五星旗3rdツアー打ち上げライブin大阪

場所:大阪RwTracks

問い合わせ:06-6358-0005

開場19時開演19時半
前売3500円当日4000円

対バン:三井ぱんと大村はん、Frame

Posted by ファンキー末吉 at:03:59 | 固定リンク

2013年7月21日

続報!!Wing来日1本だけでもライブを!!

今朝のブログで書いたように、Wingの来日自体が中止となり、
ブッキングしていた全てのライブをキャンセルしていたのだが、
そのうちのひとつ、最後にブッキングしていたESP学園での留学生交流会だけはキャンセル出来ないと言われた。

もともとこれはESP学園でこれらのイベントを担当するMという友人にブッキングしてもらったもので、
彼は実はWingとも面識がある。

当時丹沢にあった山小屋でよく酒を飲んでいたワシとMは、
「Beyondってバンドが香港から来てて山中湖でレコーディングしてるよ」
ということで一緒にスタジオまで遊びに行った。

そこでWingとも一緒に飲んだし、
飲んだ勢いで死んだ黄家駒まで山小屋に連れ帰って更に飲んでいる。

そんなこんなもあって、
ESP学園が留学生相手に時々行っているこの留学生交流会に是非Wingをということになったのだ。

ESP学園はコンサートホールも持っているので、
昼は交流会、夜はそこを使って彼のコンサートをということになっていた。

ゲストには二井原実をブッキングしていた。

二井原を含め、関わり合う全ての人間にはキャンセルのお知らせを送っていたのだが、
ESP学園がどうしてもというならこの1本だけは実現出来るかもよ・・・

バンドは連れて来れないのでWingとゆかりのあるメンバーを集めてみた。

ワシと小畑は元々スケジュールを押さえられてたわけやから問題ないし、
和佐田と団長は最初の来日の時にバックやってもらったからその4人やな。

二井原がOKやったらそのままゲストで歌ってもらって、
こりゃ素敵なコンサートが出来そうじゃ!!

バンドを連れて来れないので彼のワールドツアーの一環には出来ないが、
来年日本ツアーが実現するならそのプレ来日という感じではいいかも・・・

今回の中止のお知らせを受けて悲しんでたBeyondファンの皆様、
Wingのスケジュールはもう押さえました!!
ひとりだけでも来日します!!

詳細は決まってからまたこのブログで発表しますが、
一応このコンサートは11月16日(土)に高田馬場ESP学園12号館のホール「club 1ne2wo」にて行います。

その翌日にはLive Bar X.Y.Z.→AにてRock Partyをやる予定!!

遠方の方も是非お集まり下さい!!
詳細を待て!!

Posted by ファンキー末吉 at:18:26 | 固定リンク

Wing日本ツアー中止(延期?)のお知らせ

来日に関して間に立ってくれている方から突然
「長崎でのイベント自体が来年に延期になりましたので」
と連絡が来た時には一瞬目の前が真っ暗になった。

「ドタキャンだけは絶対困ると言うたじゃろ!!お前は中国人か?!!」
とその方(日本人)に腹を立てたりしたのだが、
よく考えてみると中国ではそんなこと日常茶飯事なのだから腹を立てたって仕方がない。

中国ではドタキャンはされるけど逆にしても許されるので(笑)よいが、
日本でこれだけガチガチに組んでいたライブを全部キャンセルするのは非常に骨が折れる。

まず長崎のイベントとやらの翌日に無理矢理ねじ込んでもらった佐賀バルーンフェスタから始まり、
神戸チキンジョージ、大阪南堀江knave、京都FANJ、名古屋ell Size、と東京に戻ってゆくために組んだこれらのライブを全部キャンセルせねばならない。

名古屋ell Sizeなどは週末のためスケジュールがなかったところを、
北京で一緒にWingと酒を飲んだということからオーナーのシゲさんが一生懸命調整してくれて、
夜のライブのスケジュールが入っているその前の昼のライブならOKとしてくれてた。

全くもって日本のライブハウスのこの週末の埋まり具合はキチガイ沙汰である。
長崎のイベント自体が来年の5月頃に仕切り直しということだが、
来年のスケジュールをブッキングするのにもう今から小屋が埋まっている状態である(驚)

イベントの主催者はリスクを考えて決定をなるだけ遅めたいということで、
そうなると決定が決まって契約書を交わしてから初めてそれにつながるライブツアーをブッキングしていたのでは間に合わない。

渡航費をそのイベントに頼るのではなくライブの上がりで香港からの渡航費っつうのは現実無理なので、
こりゃ結局いつまでたってもいたちごっこでライブツアーなどブッキング出来ないことになってしまう・・・

間に立ってくれてた方が責任を感じて5月にはご自身でツアーまで組んでくれるとのことですが、
そうしてもらわないと多方面に対してメンツを潰してしまったワシはなかなか「今度こそよろしく」とは言いづらい。

キャンセルをお願いした大阪南堀江knaveなどは既に対バンまで用意してくれていて、
そのバンドは「Wingさんは存じ上げてませんでしたが、ファンキーさんと是非一緒にライブをしたいというバンドでして・・・」などと言われてしまうと何とかキャンセルせずに別ライブにスライド出来ないかと頭を悩ませてしまう・・・

そもそもこのライブツアーありきで前後に王様ツアーを組んでいるので、
これがぽこっとなくってしまうと、
九州でツアーが終わったワシと小畑秀光はそのまま何もせずに東京まで車を運転して帰らねばならない。

行きと次のツアーで同じ小屋を組んでしまっている王様トリオで出演するわけにもいかない。
渡辺英樹のスケジュールさえ大丈夫だったら「小畑辺英吉」もありかと思ったが、
残念ながらもう既にスケジュールが入ってしまっている。

「困ったなぁ・・・誰かベーシストがおればワシと小畑とトリオでライブが出来るのに・・・」

と思ってたら今はブルースバンドのツアー中、
そんなことを言ってたメンバー車の隣の席では和佐田がふごーっと高いびきをかいて寝ている・・・

「和佐田ぁ・・・スケジュール空いてるか?」

かくして名古屋ell Sizeだけは昼の部なのでキャンセルさせて頂いて、
神戸チキンジョージ、大阪南堀江knave、京都FANJと全て「和佐田秀吉」のトリオでそのまま廻れるではないか!!

対バンを既に用意してくれていた大阪南堀江knaveは別にして、
今から対バンを探さねばならん11月6日の神戸と8日の京都は和佐田パーティーにしてもらおう!!

対バンしたい地元のバンドは是非和佐田かワシにメール下さい〜

Posted by ファンキー末吉 at:09:20 | 固定リンク

2013年7月16日

黒豹25周年のドキュメント

中国のテレビ番組かなんかなのだろう。
こんなドキュメントがネットで流れていた。

うまく表示されない場合はこちらこちら

番組ではワシのことは触れていないが、
いくつかの写真で若かりし頃のワシが登場している。

そう、中国ロックの歴史の中で一番CDをセールスした黒豹というバンドとワシはいつもそばにいた。

それどころか番組の中の1998年オリンピックスタジアムで彼らが叩いていたドラムセットはワシのドラムセットである(笑)


あの頃はワシが中国に入れ込むのをみんな「理解出来ない」という表情で傍観していた。
今ならこんな風に説明出来るかな・・・

「北朝鮮のように自由にロックが出来ない国、
そんなマンガみたいな国は世界には実際にあったんだ。
そしてそんな国で実際に命がけでロックをやっている若者が本当にいたんだ」

実際、命がけでロックをやって来た中国ロックの創始者「崔健(CuiJian)」のいばらの道を横目で見ながら、
ワシの老朋友たち黒豹はまた違った道を歩んではいた。

殺されることはなかったにしろ、
企画したコンサートは政府の妨害にあって中止されることもしょっちゅう。

そんな弾圧の中、彼らを突き動かしたのは「反体制の精神」でも何でもない。
今から考えると、
「ロック・・・かっこいいじゃねえか」
という若者独特のヒロイズムだったのかも知れない。

ロックが一番熱かったそんな時代を北京で一緒に生き、
そしてロックが商業化されてゆくに従ってワシらの距離は広がっていった。

その後ボーカルの「竇唯(DouWei)」が脱退し、
このドキュメントは5人目のボーカル「张淇(ZhangQi)」が加入し、ニューアルバムをリリースするところで終わっている。

実はそのアルバムにはワシも「趙明義(ZhaoMingYi)」から
「どうしても叩けない曲があるんだよ〜叩いてくんないか」
と呼ばれて2曲ドラムを叩いたが、
後にその曲はボツになったらしく、アルバムには収録されていない。

まあちゃんとギャラはもらったのだからどうでもよいが・・・(笑)


インタビューの中でギタリストの李彤(LiTong)はこう発言している。

「もし俺たちが楽器が弾けなくなっても、
後継者達がそのブランドを継ぐだろう。
黒豹=誰というのではない、黒豹はひとつの旗(a symbol of Spirit)なんだ」

あの日、趙明義(ZhaoMingYi)と飲んでる時、彼はこう言った。

「誰か若いドラマーを募集してドラムの座を譲る。
俺はドラマーを引退して黒豹の株主として生きてゆくさ」

ワシはそれを聞いた時に「いいアイデア」だと言った。

頃は同じくジャーニーが若いフィリピン人ボーカルを入れて大復活を遂げていたが、
バンドが会社になって引退したメンバーが会長職に残る形式なんて聞いたことがない。

あの頃、ロックをやってはいけない国でロックをやってた若者たちは、
ロックで大儲けしてそのブランドを守り続け、
今度はそのブランドを「ロックで儲けたい」と思っている若者たちに継承させて、
自分たちはその配当をもらって生きてゆく。

ロックが一番熱かった時代は過ぎ、こうしてロックはまた商業化されてゆくのだ・・・

黒豹の行く末は世界のロックの行く末を暗示しているのかも知れない・・・

Posted by ファンキー末吉 at:13:50 | 固定リンク

2013年7月11日

ドラムで最も大切なのは構成力

中国でドラムクリニックなどをする時、
食い入るように「テクニック」だけを見てるアホがいる。

ひとりでドラムを叩くのだから、
そりゃデモ演奏曲はテクニカルな楽曲ばかりを用意しているが、
そんな鬼のような手数フレーズや、
難解な変拍子フレーズなんぞいくら仕事やったってまず使うことないぞ!!

中国人は往々にして即物的なモノの考え方を持っているので、そんな時には
「よし、お前に一番金になることを教えてやろう」
と言って一発バラードなんぞを叩いてみせる。

なにせ中国のスタジオ仕事のほとんどはバラードぢゃからな。

例としては中国人なら誰でも知っているBEYONDの「海阔天空」などが望ましい。

ワシはこの曲を叩かせたら誰よりも上手い自身がある。
(オリジナルを叩いているWing本人を除く)

北京でPaulとWingが対バンをした時、
Wingが歌うこの曲のワシのドラムを聞いて、
Paulバンドの若い香港人メンバーは皆腰を抜かしていた(笑)

この曲は1コーラスの間ほとんどドラムを叩かない。
サビが終わってやっと盛り上がった時に、
フォルテシモ(と言っても80%ぐらい)でキメを叩く。

そしてそのまま盛り上がるように見せかけてちょっとだけ力を抜いてやるのだ。
そうすることによってこの曲のキモである間奏のサブメロディーがとてつもなく「悲しく」聞こえる。

ちょうどワシが叩いたシンガポールだと思うが映像がUPされていたので聞いてみて欲しい。
こちら、3分15秒あたりから)

残念ながらその後の盛り上げの部分がぶつ切りになっているが、
その後大サビになった時にはフォルテシモまで盛り上げるが、
サビに入る時にはまた少し力を抜いてやる。

この時に「スローボールは決して力のないボールではない」という原則を忘れてはいけない。
「気持ち」まで抜いてしまってはならない。
力一杯命をかけて力を抜くのだ。

そして途中アカペラで歌って、
次にサビに入る時には今度は90%まで盛り上げといて、
最後のサブメロディーに入る時にはまた少し落としてやる。

ここまで来れば号泣しない中国人はいない(笑)

その後のギターソロはもう好き放題、
100%を越えて力の限り叩きまくってもよい。
何をやっても中国人は号泣するだろう・・・

・・・何故かって?・・・ワシこそが一番泣きながらこれを叩いているのだ。

間奏でちょっと力を抜く時にはいつも死んだ黄家駒のことを考えて、
「世の中には思い通りにいかないことがあるんだ」
という気持ちがこみ上げて来る。

フォルテシモには自分の人生の全てがその中に表現されている。
怒り、悲しさ、無力感、希望、絶望・・・

どうだ?若造、ドラムを叩いて金を稼ぎたいんだろ?
これこそが中国で一番「金になる」ドラムだ!!

・・・と言っても大体がドラム叩いて金にしようと思ってる人間に、
そんなことを感じ取れる「心」があるわけがない。

「あのう・・・この曲だったら僕もバーのハコバンでよく叩いてましたし・・・」

アホか!!お前のドラムとワシのドラムのどこが違っているか分からんヤツが、
ワシのドラムから何かを学べるわけがないじゃろ!!

全くもってアホは手数しか見とらんからな。
そんなヤツほど覚えたてのかっこいいオカズをやたらめったら入れまくって喜んでいるのぢゃ。

若造、教えてやろう。ワシにどうして仕事が来てお前に来ないのか。

ワシと一緒にやっとるプレイヤーはみんな言っとるぢゃろう。
「ファンキーさんと一緒に演奏してると曲を間違えない。
今が曲のどの部分にあるのか、いつサビが来るのか、
その時に自分はどのようにプレイしなければならないのかが全部わかる」
と・・・

オカズはそのように入れるものなのぢゃよ。
手数なんて関係ない。

「はい、サビですよ」
とか、
「はい、Aメロですよ」
とか、
「はい、もうすぐギターソロね、盛り上がりまっせ〜」
とかな。

例えばサビに入る時に1小節付け加えているような構成の曲もあるぢゃろ、
そんな時にはその部分に逆にわざとオカズを入れないのよ。
通過して、その付け加えた1小節の部分ではじめてオカズを入れる。

逆に付け加えてない部分には必ずオカズを入れるのよ。
そしたら、
「あ、1番は付け加えてなくて2番は付け加えてる」
ってのがはっきりわかるぢゃろ。

時には入れて時には入れないとかやってはダメじゃ。
入れるなら必ず入れる、入れないなら必ず入れない。

ドラマーはバンドの指揮者ぢゃ。
メンバーに絶対的な信頼感を与えていなければならない。

もちろんミストーンなどはもってのほか。
ドラマーは絶対に間違えてはならぬ!!

それぐらい絶対的な信頼を与えておけばもう、
プレイヤーもそれぞれ勝手に解釈して演奏したりしないぢゃろ。

全部が全部ドラマーの描いた絵の通りに演奏するとバンドがまとまるぢゃろ。
バンドがまとまると歌が歌いやすいぢゃろ。

そしたらその歌手は必ずお前を呼んでくれるではないか!!

それで初めてお前は金を稼ぐことが出来る、と・・・
風が吹いて桶屋が儲かるより確実ぢゃろ。

わかったか、わかったらビール奢れ!!
授業料ぢゃ!!

今は40円のビールでいい。
しかしお前が本当にこれで儲けたら今度はもっと高い酒をワシに奢れ!!

わかったな、じゃあ今日は朝まで飲むぞ!!

Posted by ファンキー末吉 at:09:11 | 固定リンク

2013年7月 9日

スタジオミュージシャンという職業

「ファンキーさんは中国で何やってんですか?」
とよく聞かれるが、迷わず
「スタジオミュージシャンですよ」
と答えると、大体の日本人は不思議そうな顔をする。

日本でテレビなんかに出てた人がどうして外国行ってスタジオミュージシャンなんかやらなきゃなんないんだろう・・・とでも言いたそうである(笑)


ワシにとってスタジオミュージシャンは憧れの職業だった。

尊敬するドラマーは村上ポンタさんだし、
その世代のスタジオミュージシャンは皆ワシの憧れの人達である。

ワシも何とか日本でスタジオミュージシャンとして活動したかったのだが、
中国と違って日本は「バンド」はバンドの世界、
「スタジオミュージシャン」はスタジオミュージシャンの世界があって、
「芸能人」と見られているワシはどうしてもそこに入ってゆくことが出来なかった。

代官山プロダクションに所属して、
社長の新田一郎からいろんなスタジオ仕事を紹介され、
「お前は立派にスタジオが出来る腕を持っている」
と言われて小躍りしたもんだが、
当時はバンド内部にいろんな危機もあり、
新田一郎はワシにむしろプロデューサーとしての資質を見出してそれを徹底的に叩き込んでくれた。

あのスタジオミュージシャン達になくてお前にあるものは何だ?
それはバンドの「名前」だ。
ヤツらだってそれが喉から手が出るほど欲しいんだ。
お前が一番メリットがあることは何だ?バンドを大きくすることだろ。
お前が一番得をすることは、お前の前にいる中野や河合がもっともっと輝くことなんだ。

精神的には一番苦しかった時代だが、
ここで勉強したことが今一番ためになっている。


その後所属事務所がアミューズになって、
当時のトップに人とのミーティングでこんなことを言われた。

「爆風スランプ以外の仕事はしないで下さい」

新田一郎の時代にも、結局スタジオ仕事というのはバンドの「名前」を利用するものが多かったわけだから、
所属事務所としてはそんな「はした金」でこのブランドを利用されたりしたらたまったもんじゃない。

「じゃあバンドの名前を出さなかったらいいですか?」
ワシはとことん食い下がる。

「私と和佐田はバンドのメンバーである前にプレイヤーなんです。
それを捨ててまでバンドなんてやるつもりはありません!!」

そうまで言ったか言わないか、さすがに相手はプロである。
ビシっとこう断言した。

「アミューズは末吉くんを含めた爆風スランプとビジネスをしたいのであって、
末吉くん個人とビジネスをしたいわけではない」

まあ日本の中でも大会社であるアミューズのトップからこれだけ断言されるというのもなかなかもの凄い(笑)

結局「やるなら金は取らないで下さい」なのか、
「そんなはした金どうでもいいや、勝手にやれ」なのか、
何となくずるずるとセッション活動などはやり続けることになったのだが、
結局スタジオ仕事というのは意に反して廻って来るわけはなかった。

当時としては天下の爆風スランプのメンバーに、
「一曲いくらでドラム叩いて下さい」
などと言える業界人などいるわけがないのだ(笑)

結局今でも「ファンキー末吉」と言えば「爆風スランプの人」で、
いつまで経ったってスタジオミュージシャンなんて世界とは遠い遠い世界の人だと思われているのがワシにとっての「日本」という国の現実である。


その点、中国では爆風スランプなど誰も知らなかったから楽である(笑)

この国では、
「中国ロックの先人たちと今の中国ロックを作り上げた日本人ドラマー」
という一種の「伝説」じみた存在であると共に、
何よりも「とてつもなく優秀なドラマーである」と思われている。

「優秀である」のであるから譜面が書けたりアレンジも出来たり作曲したり、
ひいては音楽ビジネスにも長けているわけだからプロデュース仕事は当然出来るだろう・・・

・・・とこの国の人達の考えってとてつもなく単純である(笑)


最初にこの国でスタジオ仕事をやった時は可笑しかった。

「噂のファンキーさんとやらと是非仕事をしてみたい」
ということでとあるアレンジャーが私を使ってレコーディングをした。

しかし彼は当時流行りの「テクノ」のアレンジャーで、
生ドラムを使うのは生まれて初めてのこと。

参考となる曲を聞かせて、
「テンポは○○です。では叩いて下さい」

?????

「あのう・・・クリックだけ?・・・オケとかはないんですか?・・・」

そう言った瞬間に彼の顔にありありと
「これだから外国人と仕事は出来ないんだ。言葉が通じない(怒)」
とばかりの表情が現れる。

「よく伝わってませんか?あの曲をお聞かせしましたよね。
そんな感じでイントロが8小節、Aメロが8小節、サビが8小節です。
ではどうぞ!!」

「ではどうぞ」って言われたってどんな曲かもわからない(笑)

「せめてメロディーはないんですか?」
と聞いてみる。

「メロディーが必要ですか?」
とても意外そうな顔をしながら、彼はクリックに合わせて仮歌を入れた。

ワシ・・・クリックと仮歌だけを聞きながらドラム叩いたんですけど・・・(爆)

考えてみたら彼はテクノのアレンジャーなので、
ドラムマシンのようにスイッチを押したら最高のグルーブが出て来るものだと思ってたのだ。


これは笑い話として、それから彼とは何度も仕事をして、
一緒に中国のヒットチャートに何曲もヒット曲を送り込んだ。

彼はワシのドラムをサンプリングして、
それを打ち込みのドラムと混ぜてうまく使った。

業界人はあまりにクリッックに対して正確なワシのドラムに
「え?これ生ドラムなの?」
と驚愕し、この国のその後のスタジオ仕事のやり方が変わっていった。

ワシも彼から学んだものは多いし、
彼はワシとのコミュニケーションの中で「生楽器」というものを学んだ。

何作目からは
「やっぱりパンチインせずに最初っから最後まで叩いたテイクが一番いいね」
ということを覚えてしまい、
その後彼とのレコーディングは地獄を見ることになるのだが・・・(笑)


昨日の汪峰(Wang Feng)の仕事では、
贾轶男(Jia YiNan)という若いアレンジャーがいろいろ指示を与えるのだが、
これがまたドラムマシンに慣れている世代は言うことが恐ろしい。

「ファンキーさん、この曲のこの部分はハイハットを裏で踏んで下さい」
とかいろいろ無理難題を要求する。

自分がプログラムしたドラムパターンと全く同じでなければ気がすまないのだ。

カチンと来たワシは少々時間をもらってそのパターンを練習して、
完全に叩いてテイク1を録る。

「スゲーや!!このパターンが生ドラムになった!!」
小躍りしている彼に冷静に水を差す。

「じゃあこれをキープして、もう1テイク別パターンを録らせて下さい」
今度はドラマーとして叩き易いパターンで叩く。

「どっちがいい?」

彼はもちろん自分の考えたドラムパターンがいいと言うが、
今度は当の本人の汪峰(Wang Feng)が頭を抱える。

ブースに戻って来てお茶を飲みながら語る。

「頭で考えたことって実際やってみると企画倒れになることが多いよ。
身体が自然に動いてそうなるものっていうのは一番自然だったりする。
頭で考えたことは頭でしか理解されないけど、
身体が自然に動いたものは身体がそれを理解する。
要はどっちが歌い易いかということだよ」

ドラマーはフロントマンを輝かせるのがその仕事だ。
尊敬する村上ポンタさんはこんな名言を残している。

「歌ってるヤツでも吹いてるヤツでも弾いてるヤツでも誰でもいい。
思いっきり輝きたかったら俺を呼びな。一番輝かせてやるぜ!!」


昨日のレコーディングではワシが参加した汪峰(Wang Feng)のアルバムももう3枚目になる。

3枚も一緒に作るとお互いにもう理解し合っている。

香港のライブが終わって、寝ずに飛行機に乗って北京に着いて、
そのままスタジオ行ってセッティングして、ドラムをチューニングして叩く。

打ち込みと完全に同期するように機械的に、
しかもそれに人間ならではの「感情」を入れて叩く、
そんな種類のワシにとっては簡単な曲から録ってゆく。
まあ疲れててもそれぐらい叩けないことではない。

しかしそれが終わってシングル曲になった時に汪峰(Wang Feng)はこう言った。

「ファンキー疲れてるだろ。今日はもう終わりにしよう」

仕事なのだから疲れてる姿など微塵も出さないように努力しているのだが、
「音楽」というのは不思議なもので、それが「音」で伝わってしまうのだ。

1枚目、2枚目とワシはもの凄く高いレベルのドラムを叩いた。
次には
「ファンキーだったらこれぐらい出来るはずだ」
そう思って曲を用意して来るのだ。

その「期待」に答えられないようじゃこの仕事はやっていけない。


その日はゆっくり寝て次の日には絶好調で叩きまくった。

「OK!!」
叩き終わったプレイバックも聞かずに汪峰(Wang Feng)は即OKを出した。
そこらじゅうに折れたスティックが散乱していた。

「どうもありがとう」
そう言って札束をどどんとくれる。
(中国の最高紙幣が日本円でたかだか1000円ぐらいなので、5曲も叩くと必然的に札束がどどんと来るのだ)

お金をもらうことはもちろん嬉しいことだが、
何よりも人に感謝をされてお金をもらえるこの仕事がワシは素晴らしいと思う。


ポップスの歴史が始まってからが浅いこの国では、
ワシよりも年齢が上のスタジオミュージシャンは事実上いない。

また、ワシよりも経験値の高い現役ミュージシャンもいない。
(みんなこの歳になったらもっと実入りのいい生活に入ってるしね)

だから一番先輩としてワシはこの国の後輩ドラマー達に対していつもこう思っている。

「今回お前じゃなくてどうして俺にこの仕事が来たのか、
このドラムテイクを聞いてゆっくり考えてみろ。
お前は今までこれほど命懸けで叩いて来たか?」

ワシは日中を行ったり来たりしているので、
スケジュールが突然決まるこの国のたくさんの仕事は断らねばならなくなる。

その時にはお前がこの仕事を受けて、
俺のドラムをお前が死に物狂いでコピーして、
そして次からはお前がその仕事をやればいい。

お前らが全員俺を越えた時には俺は喜んで引退してやろう。


スタジオミュージシャン・・・素敵な職業である・・・

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2013年7月 8日

Wingワールドツアー1本目香港コンサート

1本のギャラが日本円で1000万円を超えると言われているBEYONDの再結成話を断ってまでやりたかったのは「自分の音楽」だと彼は言う。

逆に言えばBEYONDに頼らなくても「自分の音楽」が出来る立場になったということか・・・

「スタイルをメタルにシフトしたいから日本人のメタルギタリストを紹介してくれ」
と言われたのが去年のこと。

小畑秀光を北京まで連れて行ってライブをブッキングし、
自分の目でそれを見て決めろと言って今がある。


「ワールドツアーを廻りたいんだ」
と彼は言っていた。

まあ中国人の話はだいたい話半分に聞いておくのだが、
お膝元であるこの香港を皮切りに、8月には台湾、11月には日本、
そして来年にはオーストラリアやカナダなど中華系の移民が多い国をブッキングしていると言う。

ただ彼がしょっちゅうコンサートに行っているマレーシアやシンガポールなどは、
それが彼にとっての営業の生命線であるため、
そのギャラや待遇などを絶対に落とすことが出来ないので逆にちょっと難航しているらしい。

確かに去年友人を通して彼をマレーシアにブッキングした時は、
その条件が厳しすぎて結局実現しなかった。

「一度でも落としたらもうそれが次からの値段になっちゃうからね」
悪そうに彼はそう言った。


逆に日本のようにマーケットがない国はどうでもよい。

BEYONDを知っている日本人の方が少ないのである。
マーケットもへったくれもない。

だから11月には逆に小さなライブハウスでみんなで車移動しながら日本じゅうを旅しようぜということになっている。

20年前日本での活動を始めたBEYONDは、
ボーカリストの黄家駒がフジテレビのウッチャンナンチャンの番組で事故死してから撤退を余儀なくされた。

BEYONDが果たせなかった日本ツアーの夢を、
形を変えて彼が実現出来るとしたら別に規模や金など彼にとってはどうでもいいことなのだ。


折しも今年は黄家駒の没後20年に当たり、
香港では様々なBEYOND関係のイベントが行われている。

彼としては本当は6月30日の黄家駒の命日にこのコンサートを行いたかったのだが、
あいにくワシのスケジュールが既に入ってしまっていたので、
わざわざワシのために1週間ずらしてくれて今日行うことになった。

ありがたい話である・・・


さて7月1日の上海ライブを終えたワシと小畑秀光は、
7月2日の予定されてフライトで無事に香港に・・・

着くはずだったのだが、
上海の空港で飲み過ぎたふたりは飛行機に乗り遅れてしまい、
その後の便に変更して香港入り。

その日はミーティングのみで、
曲順や全ての流れを確認する。

そして3日、4日、5日とリハーサルをしながら、
衣装合わせやヘヤーメイクなど、
バックバンドというよりは完全に「バンド」である。

演目の中にもワシのドラムソロや小畑秀光のギターソロのコーナーまで用意されている。

衣装は「ロック」の統一感があり、ワシはこんな感じ・・・

WingWorldTourHongKOngFunkyIshou.jpeg

いつもの履き慣れた靴でないことと、
短パンではなく叩くと蒸れる皮パンであることに抵抗はあるものの、
それでもせっかく用意してくれたのだから頑張って慣れさせて頂こうと思う。

ヘヤーメイクは香港島のセントラルにある高級美容室がタイアップしており、
ワシの髪の毛をさらにもじゃもじゃにしてくれた。

WingWorldTourHongKongFunkyHair.JPG


さて本番、10時半にロビーで集合して、会場に着いたらびっくり!!
なんと大きな会場ではないか・・・

WingWorldTourHongKongHall.JPG

チケットは既にソールドアウトしていると言うから彼の位置ももう結構なところに来ているのだろう。


ドラムセットは香港最大の楽器屋であるTom Leeが用意してくれていた。
ワシはドラムセットはPearl、シンバルはSabianのモニターなのだが、
当初はそれが用意出来ないということだったのだが、
当日はたくさんのメディアが取材するだろうかそれではまずいだろうということで頑張って用意してくれたようだ。

WingWorldTourHongKOngDrumset.JPG

用意されたタムは10、12、13、14、16というもので、
頑張ってチューニングしたのだが、
12、13、14のインチ数が近すぎてどうもうまく決まらないので13インチのは外させて頂いた。

香港のコンサートは夜8時からとか遅く始まるくせに、
だいたいが3時間を越える長丁場のコンサートとなるが、
今回のメニューは4時間近くいくんではないかというほど盛りだくさんである。

リハーサルもほぼフルでやって、そのままヘヤーメイクに取りかかる。

先日お伺いした香港島セントラルの美容室のスタッフが数人やって来て、
Wing本人をはじめバンドのメンバー全ての髪の毛を数人掛かりで作ってゆく。

衣装を来て、渡されたチェーンをじゃらじゃらとつけたりしてたらもう客入れの時間である。

WingWorldTourHongKongPray.JPG
(道教から来ていると言われているが、コンサートの前には必ずここでお祈りをする)

楽屋は訪ねて来た関係者や友人達でごったがえして、
お喋りをしたり写真を撮ったり、まるで緊張感などありはしない。

舞台監督らしき人間もおらず、何分押しで開始するのかすらわからない。

ただ客席の興奮度はもの凄く、
BGMの曲が変わる瞬間に音が切れると、
今から始まるんだと思ったオーディエンスはウォーっと歓声を上げる。

こんなに大きな期待感を持ったオーディエンスは、
私がバックを務めたの「許魏」の2003年の北京コンサート以来である。

熱狂的に支持されていた許魏はその後スタジアムをひとりで満杯にする歌手の仲間入りをすることとなった。

ワシはWingのどん底の頃を知っているだけに、
このコンサートがきっかけで彼もそのように大ブレイクして欲しいと心から思う。


メイクが終わったWingが立ち上がって、
「よっしゃー!!やるぞ!!」
これで全スタッフに伝令が走る。

It's time to ROCK!!

メンバー全員が円陣を組んで気合いを入れる。
その声が漏れ聞こえたのかオーディエンスがまた興奮のるつぼとなる。

WingWorldTourItsTimeToROCK.JPG


コンサートは先月のリハーサルで作り上げたメタルアレンジのナンバーから始まるが、
香港のオーディエンスに一人馴染みのない小畑秀光は、
この数曲で見事にがっちり認知されたようだ。

最初のメンバー紹介で、長年バックを務めているEverのメンバーよりも拍手をもらった。
Wingにこいつを紹介したことが大当たりであったことが嬉しい。

ワシも負けてはいられない!!
ドラマーであるWingのコンサートでは何故か必ずワシのドラムソロ!!(笑)

そしてラッパーのゲストを迎えてその後はBeyondコーナー。
数曲のBeyondナンバーをバンドで歌った後、
最新シングル「薪火相传」の前にWingがギターを持って客のリクエストに答えてBeyondの歌を歌う。

前日のゲネプロの時に、
「バンドは適当に伴奏してればいいから」
と言われたが、小畑秀光以外全ての人間は知っている大ヒット曲ばかりなのでついつい一生懸命叩いてたら、
「Funky、ダメだよ。オリジナル通りに叩いちゃ〜。
ファンが本気になって入れ込んじゃうでしょ。
遊びでいい加減に叩いてくんなきゃ〜」
と言われたのだが、どれも思い出深い曲ばかりなのでワシとしてはそうもいかない。

ふと見るとステージのドラムのそばには若いドラマーがローディーとしてうじゃうじゃついているではないか!!
そいつらに順番に叩かせる(笑)

WingWorldTourHongKongYoungDrumers.JPG
(ステージ上で平気で記念撮影は中国でも香港でも・・・笑)

3曲ほど1コーラスずつ代わる代わるに叩いてたら、
Everの連中も振り返って大笑い。
しまいにはボーカルの家豪もやって来てドラムを叩いた。

これでいいのだ(笑)

ワシはやることがないのでドラムの後ろで両手でロックピースをして手を振っていたら、
客席が全員それに合わせてロックピースをする。

20年前の光景がフラッシュバックして来た。

黄家駒の棺を見送る時、葬儀場の前の道路を埋め尽くしたファン達はみな、
こうしてロックピースを掲げながら「Beyond!! Beyond!!」と絶叫していた。

あの時は号泣しながら振っていたロックピースも、
今ではみんなが笑いながらここで振っている。

不覚にもここで涙が出て来てしまった・・・

ロックの育たない香港で自分たちだけが歴史に残る大成功を収めたBeyond。
黄家駒が何とか香港の若者にもっとロックをという意思を継いで、
Wing達はこうして若手を育成し、日本の若いメタルギタリストにまでチャンスを与える。

最新シングルの「薪火相传」という曲は、
黄家駒の没後20年目を受けて、
「あんたの精神を俺たちは次の時代に伝えてゆくよ」
という曲なのである。

彼がメタルにスタイルをシフトしたいという思いも、
このようなシングル曲は香港歌謡よろしくポップに作ったとしても、
「ロック」の曲は限りなく「ロック」であり続けたいという気持ちが大きいのだと思う。

「流行らないから」という理由でどんどん廃れてゆく音楽のジャンルは多いが、
"ほら「ロック」はまだまだ死なないよ"ということを、
どうやったって食ってゆくことが難しいであろう香港のロックミュージシャン達に、
そして小畑秀光のような外国のロックミュージシャン達に対しても自分がちゃんと示してあげたいのだた思う。

ロック?・・・あるじゃないか、ここに・・・

黄家駒がどこかで笑ってこのコンサートを見ているような気がしてならない。

Wingもワシも、きっと彼に対して、
「ほら、俺たちも変わってないだろ?相変わらず楽しいよ」
というのを見せたいのだと思う・・・


コンサートの最後はゲストのポールが出て来て盛り上げてくれた。
もうステージに彼が上がって来ただけでオーディエンスは絶叫である。

WingWorldTourHongKongWithPaul.jpg

Beyondのふたりがこうしてステージに並ぶと、
まるで黄家駒もここにいるみたいである。

ポールはポールで、まあ彼はもうセールスとか気にする立場にはないので、
遠慮なくグランジやニューメタルの道をまっしぐらだし、
Wingはどん底から這い上がって何とかここまで来た。

黄家駒は死んで神様になったけど、
残されたポールやWingはそれぞれの「それから」を生きている。

ワシはもう20年、Wingの「それから」とずーっと一緒にいる。
それはきっとまだまだずーっと続くのだと思う。

ワシらが「ロック」をやめない限り、
ワシらはずーっと黄家駒と一緒にいる。

あの時の笑顔のまま黄家駒はずーっとワシらのことを笑いながら見ているだろう。

WingWorldTourHongKongPhoto.JPG

Its Time To ROCK!!

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2013年7月 5日

Funky末吉中国定例ライブ上海編

7月1日午前9時、ワシと小畑秀光は無錫のホテルを出発した。

上海までの列車は10時半出発なのぢゃが、
無錫の朝飯は有名らしいので地元の人がどうしてもということで、
9時集合でその地元の人と一緒に飯を食ってから出かけることになったのだ。

ところがこれが大間違い!!

無錫駅に着いたのが10時。
30分あるので余裕だろうと思ったら切符売り場が長蛇の列(>_<)

WuXiStation.JPG

ワシらの切符はネットで予約してあるのだが、
自動で発券してくれる機械のID読み取り装置は中国人のIDカードにしか対応していないので必然的に窓口に並ばねばならないのだ。

当然ながら間に合わない・・・

ワシは小畑をその列に並ばせておいて自分は「チケット変更」の窓口に並んだ。
乗り遅れた時点でそのチケットは無効になってしまうので、
二股かけて発車時間までにチケットを変更せねばならないのだ。

結局変更出来たチケットは何本か後の13時発。
上海の入り時間は13時。

これでは間に合うわけはない(>_<)

テロなどが多い中国では駅の中に入るのも厳しい検閲があるが、
それを抜けて中に入ると、
待合室からホームに入るのにも検札がある。

列車が入って来て初めてそのゲートは開けられ、
それまでは乗客はホームに降りることも出来ない。

ワシは考えた・・・

次に来る11時半の列車に乗れば何とか13時入りに間に合うかも知れない。
しかしそのためにはこの自動改札を突破しなければならない。

ふと見ると自動改札の横に人が改札している列もあるではないか・・・

中国の税関とか思い出した時しか仕事をしてないように、
この改札の人もひょっとしたら別に切符をちゃんと確認するとかちゃんと仕事をしてない可能性もある・・・

「小畑!!行くぞ!!」

事情がわからない小畑は不安そうに後を着いて来る。
ワシは小畑より先に切符を出して、
せっかちを装って切符を切ったらすぐにそれを奪い取るようにして中に入る。

少し遅れて小畑が切符を出した。
駅員は今度はそれを食い入るように見ている。

終わった・・・

さようなら小畑・・・
ここで捕まっても別にこの列車に乗れないだけぢゃ。
改札を追い出されたら自力で13時の列車に乗って上海まで来るのぢゃ!!

ワシは先に行ってドラムをセッティングして、
ガチャピン以外の全てのリハーサルをしておくからな!!
頑張って自力で来いよ・・・

と思ったら食い入るように見た振りをしてるだけなのかあっさりと中に入れてしまった(>_<)

話の種には面白かったのじゃが、
まあ彼も今日は中国語の曲を歌うのでやはり早く会場に入れるに越したことはない。

新幹線の通路で座り込んで1時間ちょい。
二人はかろうじて上海に着くことが出来た。


ライブハウスに着いてセッティング。

毎月北京で行われているファンキー末吉主催のオムニバスライブ、
今回の出演者はたくさんいて大変である。

日本からはガチャリックスピンが来るのだが、
飛行機が夕方着なので出番は一番最初にしてある。

彼女たちが先にやって、
セッティングを変えたら後は全部ワシがドラムを叩くのでほぼセッティングを変えなくてよい。

1、ガチャリックスピン
2、小畑秀光
3、張張、韓陽、ファンキー末吉のトリオ
4、詩音
5、布衣

と続く・・・

リハーサルも順調に終わり、
ガチャンピンが到着してリハーサル。

こうして本番が始まるのぢゃが、
これがガチャピンのステージがもの凄かった。

その話はまた改めてするとして、
「この次に出るバンド・・・イヤやろうなぁ・・・」
という感じの中、小畑秀光のひとりメタル!!

まあ「場違い」には慣れっこなので適度に客が引き(笑)、
2曲目からバンドが入って徐々に盛り上がっていった。

最後の曲が中国語の「没收你的一切」。
「お前の全てを没収する」という危険な歌である。

大もとはX.Y.Z.→Aの「Initiation」という曲なのぢゃが、
こんないきさつでこれを小畑に歌ってもらって、
もしヤツが共産党に殺されなければX.Y.Z.→Aの中国語版を作ろうという計画である(笑)

ワシはもう中国のロック界は長いので、
これをちゃんと中国語で歌えさえすれば絶対にウケることはわかっていたが、
いやぁ・・・やっぱりウケた(ドヤ顔)

日本人が外国語で歌を歌うというのは大変なことなのじゃが、
アメリカで久保田利伸もドリカムも松田聖子も目立った成績を上げられてないのにLOUDNESSだけが大成功したのは、それが「メタル」だったからだという話を聞いたことがある。

なるほどこうやって字幕を入れてみるとそのように歌っているように聞こえるぞ・・・(笑)

それに比べて詩音ちゃんがトライしている中国語のバラードなどは、
言ってみればフィリピン人が演歌を歌うみたいな、
まあ日本人がアメリカにR&Bで進出するぐらい難しいことなのだけれど、
この日の詩音ちゃんの歌もとてもよかった。

最後の老呉(LaoWu)ももう既に大歌手の貫禄やったな。

ワシはまあまた2時間半連続でドラム叩いて終わった後のビールがまたすこぶる美味かったぞ!!

ガチャピンさん、
小畑くん、
詩音ちゃん、
張張、韓陽、老呉、みんなお疲れさま!!

次は8月7日北京で行います。
はてさて次はどんなライブになりますことやら・・・乞うご期待!!

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2013年7月 4日

全中国ドラムクリニックツアー2013年 江蘇省「無錫」

無錫には一度韓紅のツアーで行ったことがある。

それだけかと思ってたら、担当のShaの言うことには
「靖江の時に無錫の飛行場にお前を迎えに行ったから今回は3回目だ」
ということらしい。

イベントは2日に渡って行われているらしく、
送られて来たスケジュールはこんな感じだった。

29日
讲座:
上午:10:00-11:30 地点:珍珠鼓俱乐部(王鹏李浩)
下午:13:30-15:00地点:珍珠鼓俱乐部(王鹏李浩)
晚上:19:00-21:00地点:户外广场(王鹏李浩演奏时间40分钟)

30日:
演出:
下午:13:30-16:00地点:少年宫室内(funky,王鹏,李浩共计演奏时间120分钟)
晚上:19:00-21:00地点:户外广场(funky,王鹏,李浩共计演奏时间60分钟)

29日は講座と言いながら、着いたら野外でライブをやっている。

Vision2013WuXi1.JPG

ワシはスケジュールが入ってたので前乗り出来なかったが、
間に合ってればこれにも出てたことだろう・・・

今回は初めて「見るだけ」の参加である。
地元の黄酒(紹興酒)飲んで名物のザリガニ食ってこてん・・・

Vision2013WuXiHuangJiu.JPG

Vision2013WuXiLongXia.JPG

翌日はスケジュールによると2本ある。
まずは昼間の会場に向かう。

Vision2013WuXiStage1.JPG

ドラムセットはツーフロアタムのセットなのだが、
ワシは身体が固いので大きなフロアまで身体が回せない(涙)

まあ右手でちょいと叩くぐらいのフレーズでちょこっとだけ叩かせて頂いた(笑)

Vision2013WuXiDrumset.JPG


さて夜の部なのだが、ここでShaがおかしなことを言い出した。

「一緒に来てるお前の友達、メタルギタリストだろ?
ちょこっとステージに上がってギター弾いてもらえないかなぁ・・・」

そうそう、今回はこのまま上海トランジットで香港に行ってWingのコンサートなので、
Wingバンドのギタリストである小畑秀光も一緒に連れて行ってたのだ。

まあ中国は「何でもあり」。
プログラムに入ってないギタリストが飛び入りしようが誰も何も言わない。
ロック好きのShaのこと、おそらく彼自身が小畑秀光のギターを聞いてみたかっただけなのであろう・・・

「喜んでやらせて頂きましょう!!」
小畑秀光本人に確認もせずにOKを出す。

「じゃあオケとかあるならちょうだい」
まさかひとりメタルとは誰も思わない。
「オケなんかないよ。アンプとシールドさえあればどこででも出来るから」

こうして小畑秀光の出演が決まった。
出番はトリであるワシの後、つまり大トリである。

いきなり見知らぬ土地の見知らぬ野外ステージに放り出された小畑秀光、
頑張れど頑張れど客はあっけに取られて撮っているワシは笑いをこらえるのに一生懸命であった。

とくに真ん中で子供が遊んでいるのはシュールで笑ったぞ・・・

小畑秀光、世界はお前を待っている!!
頑張ってひとりでメタルをやるのぢゃ!!

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2013年7月 3日

加賀八郎君永眠・・・

「〜君」というのは日本語の素敵な敬称だなと今更ながら気がついた。

私の中ではいつまでたっても「はっつぁん」なのだが、
神様になってしまった人間に対してそれも不釣り合いな気もするし、
「〜氏」や「〜様」ではあまりに他人行儀な気がする・・・

まあとりあえずタイトルだけでも「〜君」にしておいて、
本文の中ではいつも通り「はっつぁん」で書きたいと思う。


はっつぁんと初めて会ったのは夜のヒットスタジオかなんかだったと思う。
私は爆風スランプで、彼はTHE GOODBYEで、ひな壇に並んでお互い
「俺はなんでこんなところに座ってんだ?」
という顔で所在無くしていた。


住んでる所が近いのでよく飲みに行った。

石屋の息子で下町の江戸っ子気質。
公称ではサバを読んでたが年齢は一歳歳上だったので、
私にとってはどちらかというとお兄さん的存在だったのかも知れない、
結構人に言えない悩みなどを相談しながら毎日飲んでいた。

爆風スランプはバンド内部にも事務所にもいろんな問題を抱えていて、
私は共産党宣伝員よろしく影でいろいろ暗躍しながら摩耗し切っていたのだが、
内部からは逆にそんな私をよく思わず、
前の敵に戦っている私に後ろから石を投げて追い打ちをかけるような有様・・・

そんなこと人には言えないし、かと言ってやらなきゃバンドは潰れるし、
どうしようもなくって酒に逃げていた頃である。

「やめちゃえ〜やめちゃえ〜」
が当時のはっつぁんの口癖だった。

あの笑顔でそう言われると逆に「もっと頑張ろう」と思ったりしたもんだ・・・


ひとり目の嫁さんも今の嫁さんも私の友人で、
結婚式は彼らしく無礼講で仲間内がしっちゃかめっちゃかにしていた。

司会は2回とも同じ友人が行ったのだが、
「それでは皆様〜3回目でまたお会いしましょう」
が司会のシメの言葉だったんだから大笑いである。


子供が生まれるという時には電話が来て病院まで駆けつけたが、
待合室で「どうしよう〜どうしよう〜」とおろおろしてたのが可笑しかった。

「あんたがそこでおろおろしたって何にもなんないじゃん」
そう言ってたしなめるのだが、
「だって子供が生まれるんだぜ!!親になるんだぜ!!大変じゃん!!」
とわけのわからないことを言ってずーっとおろおろしていた。


その後離婚、再婚ときて今の家に引っ越した時に一度遊びに行った。

それからすぐに私は北京に移り住んだのでずーっとご無沙汰だったが、
不治の病になったと聞いて病院に見舞いに行き、
その後も「ちょくちょく行こう」と思いつつ退院するまで行けなかった。

自宅療養になると言うので、
ひょんなことから爆風トリビュートでコーラスをお願いしようと思い立った。

ギャラをお支払いするのも何か変な気がして、
とびっきりのステーキ肉を買って行ってみんなで焼いて食べた。

新居だったその家もその時にはもう年代物になっていて、
「ああこんなにご無沙汰だったんだなぁ」
と思ったのだが、
はっつぁん節は相変わらずで、ワインを一緒に何本も空けて、
居間のホットプレートで肉を焼くもんだから煙と油でその新居をもっと年代物にしてしまった・・・


マイクを立ててコーラスを録音する。

「10年も〜20年も〜君のことを想うだろう〜」
やっちんがそう歌うのに続いて、
「君の〜ことを〜想う〜だろう〜」
はっつぁんがちょっと照れた感じでそう歌う・・・


私は今香港にいるので葬式には出れない。

リハーサルをしているBeyondバンドルームのドアには、
たくさんのファンが黄家駒の20周忌に向けてたくさんの寄せ書きを書いて貼っていた。

遠く離れた香港で、私は死んだ友人の残した歌を、
残されたその友人の仲間たちと一緒に演奏している・・・

20年前、日本のJazzクラブで定期的に行っていたセッションを見に来て、
「何て素晴らしいドラムなんだ。毎月やってんのか?次も絶対見に来るぜ」
と言ったのが彼の私への最後の言葉となってしまったので、
今でもドラムを叩いているとどこかで彼が見に来ているように感じる。

同じようにこれからも何か辛いことがあったら、
どこかではっつぁんが「やめちゃえ〜やめちゃえ〜」と笑って言ってくれると思う。

そしたらきっと私はまた笑って頑張ってゆけるのだ・・・


10年も20年も君のことを想うだろう・・・


心残りなのはあの時、ステーキを食いながら、
「DEMOならたくさん作ってるよ」
と言うので、
「よっしゃ〜!!じゃあ加賀八郎のソロアルバム作ろうぜ!!」
と盛り上がっていたのだが、
もらったデータがデジタルパフォーマーの形式だったので開けず、
「データ変換して送り直して〜」
と言いつつやり取りが途絶えて結局手付かずになっていることである。

ご家族も今は大変だろうから、
落ち着いた頃にまたステーキ肉を持って訪ねて行って、
データをもらえるかどうか聞いてみよう。

ワインもたくさん買って行かなきゃね。


10年も20年も君のことを想うだろう・・・
君のことを想うだろう・・・

それぞれの・・・それから

Posted by ファンキー末吉 at:10:53 | 固定リンク