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2020年4月15日

亜州鼓魂を巡る日中のいろんなドラマ

このブログでは結構頻繁に出て来るこのアルバムにまつわる話を、今回はちょっと掘り下げてゆっくり話そうと思います・・・

長くなるけどひとつの「読み物」としてまとめてみました。
本として出版するつもりはないけれども、
最近ではブログにも「投げ銭」と同じシステムで、読み終わって気に入ったらその分の報酬を支払うシステムがあるというので、一応「物書き」の端くれとして、「作品」として初めてそれをやってみようと思います。
もちろん一瞥して無視してくれても構いません。

それでは始めてみましょう、「亜州鼓魂を巡る日中のいろんなドラマ」

調べてみると、このアルバムが日本で発売されたのは1996年の7月19日、
爆風スランプが何をやってたかと調べてみると、その2ヶ月後の9月21日には「旅人よ 〜The Longest Journey」が発売されている・・・

ということは、ちょうどこのアルバムを制作している時に電波少年の猿岩石の応援歌のタイアップが舞い込んで来たということだ。

タイアップを取って来たレコード会社とのミーティングの様子を覚えている・・・

あれはきっと当時の所属事務所であるアミューズの会議室だったであろう、
ひとつの部屋にメンバー全員と、爆風担当のスタッフ、そしてレコード会社のディレクターと宣伝担当なのか、とにかくそのタイアップを取って来た人とが面を合わせる・・・

「電波少年って番組知ってますか?」
そこから話が始まったと記憶している・・・

もちろん私は日本のテレビ番組なんか見ないし、ましてやバラエティー番組など知る由もない。
そんなこともあろうかと、担当者は番組を録画して会議室で私たちに見せた。

若いお笑いの二人組がヒッチハイクをしながらアジアを旅をしている姿があった・・・

「どうですか?」
担当者がみんなに聞いてゆく・・・

「面白いねぇ」とかいう意見が出てたような気がする。
しかし私には全く興味がない・・・

番組が面白いかどうかは今から曲を作ってタイアップ付きで売ってゆくのに全く関係ない。
「番組が売れてるかどうか」以外に意味はないのではないか・・・
それが「ショービジネスの世界」ではないのか・・・

「どうですか?末吉さん」
ひとりだけ何も反応もない私に担当者が聞いて来る・・・

「こんなことは私は自分の人生でやっていますから・・・全く興味がないですね!!」

私は中国にカメラクルーを連れて行ったわけではない。
ロックを探して「殺されるかも知れない」と震えながら地下クラブに行った。
出会ったパンクスに彼の歌を天安門広場で歌って欲しいと言われて、ギター持って広場に行ったものの怖くて怖くて歌えなくて泣いて帰った。
爆風スランプを何とか北京でイベントにねじ込んで、1曲目に煽ったら中止命令が来たけど構わずやり続けたら、銃を持ってる武装警察に別室に監禁された。

全部テレビカメラなんかない。
その時そこにいた人、そして私自身以外は誰も知らないことである。

私はテレビのためにこれをやってるのではない。
私のためにこれをやっているのだ。

私の人生のために・・・

結局タイアップの曲は河合の曲に決まった。
それが「旅人よ 〜The Longest Journey」である。

「選曲会議」というのがある。
次のシングルとかを決める時に、それぞれメンバーが書いた曲を持ち寄って、レコード会社とかとどれにするかを決める会議である。

私はこれが嫌いで・・・っていうかみんな嫌いなんじゃないかな?
持って来た自分の曲は一番いいと思って持って来るのに、
それをあーだこーだと否定されに行くようなもんである。

インターネットなどない時代であるが、
カセットテープを郵送するからそっちで決めて結果だけを教えて欲しいぐらいなもんである(>_<)

この選曲会議の時だったと思うけど、中野がこんなことを言ったのを覚えている。

「河合の曲は売れ線だけど中身がない。
末吉の曲は深いけど大衆的ではない。
お前らその真ん中の曲が書けないのか?(笑)」

どうして覚えているかと言うと、「そうかも知れない」と思ったからである。


その頃・・・いやもうちょっと前の時代かも知れない、
きっと黄家駒が死んでからしばらくしてのライブだったと思うが、
爆風のコンサートを見に来てくれたひとりの友人が、終演後に私にこう言った。

「末ちゃんだけがひとり別のところを見てる」

「出てる音」が違うのだ、とそう言う。
一体私だけがひとりどこを見てたと言うのか・・・

見てるところが違ってて、音にもそれが出てるのだから、
こうしてタイアップで曲を作ろうったって、出来て来る曲の方向性は全く違って来る・・・

実のところ私はこの亜州鼓魂の曲は爆風の選曲会議には出さなかった。
どうせ中国ロックだJazzだ変拍子だなんぞ出したって笑われてボツにされるのがオチである・・・

そう言えば1曲、「R&Rオヤジ」という曲はその前の選曲会議で出したような記憶がある。
当時「チキダッチョ」という言葉がラジオで流行ってて、それを連呼する面白い曲にしようということになったので「冗談じゃない」とばかり曲ごと引き上げたのだ。

「チキダッチョ」にしてたら売れたかも知れない。
でも私は自分が笑えない曲をその後もずーっと演奏し続けてゆく自信がない。

結局「摇滚老头(R&Rオヤジ)」というテーマで自分で詞を書いた。
途中にこんなコーラスが入る。

「摇滚老头站起来吧!!不怕牺牲!!排除万难!!勇敢向前!!昂头冲向未来!」

毛沢東の革命のスローガンである。
それを実際に軍隊のコーラス隊に歌ってもらってるんだから笑える。

25年経った今聞いても、私にはとても「笑える」のである。

「チキダッチョ」がもし大ヒットしてたとしても、25年経った今聞いても果たして笑えるかどうか・・・歴史に「もしも」はないのでそれはわからない・・・

そういえばこのアルバムのミックスダウンの時に、当時の担当マネージャーが陣中見舞いに来てくれた。

その時にちょうどミックスが仕上がり、最初から全曲聞いてみようということで、
部屋を暗くして音量を大きくして、さてA面の1曲目から・・・

そう、このアルバムはまだカセットテープが主流だった中国の流通を考えて、
アナログ盤と同じくA面、B面、そしてA面の5曲はメドレーとして繋がっていて、B面の4曲も繋がっている。
アナログ盤をひっくり返すように、ひと息ついてカセットをひっくり返すように作られているのだ。

A面の最後の曲がこのアルバムのリーディングソングで、李慧珍が歌う「Let Me Be Free」。
この曲が終わってひと息入れて、さてB面を聞こうとした時にマネージャーが「帰る」と言い出した。

「あの女の子の歌の、最後に転調を繰り返すところで涙が出て来て・・・
僕、帰ります!!帰って爆風の新しい活動計画を作らなきゃ・・・
このままだと・・・このままだと末吉さんがどっか行っちゃう(涙)」

そして私はその予想通りどっか行ってしまった。
その「どっか」は中国である。

後に中野が何かのインタビューで爆風活動停止について聞かれた時にこう答えていた。
「中国に入れ込んだ末吉が・・・結果爆風を壊してしまったんです」

その通りだと思う・・・

その後マネージャーは爆風のどんな活動計画を作ったのかは記憶にない。
だが、「旅人よ 〜The Longest Journey」は売れた!!

多くの人はRunnerこそが爆風最大のヒット曲だと思っているが、
実はCDの売上枚数だけで言うとこの曲の方が「売れて」いる・・・

会社のトップである大里会長は、波に乗っている私たちにハッパをかけようと、食事をしながらこんなことを言った。

「お前らこれぐらいで満足してるのか?
桑田はお前らよりもっと金持ちだぞ?俺はもっと金持ちだぞ?
このぐらいの金で満足か?」

確か河合は目をキラキラさせながら「頑張ります!!」と言ってた気がする(笑)

私はぼーっとしながら考えた・・・結論から言うと「満足している」のだ・・・

メンバー全員が都内にマンションを買い、
更には別荘や、もう一軒マンションをという時に、
私は本当に金がなかった・・・

持ち慣れてない金を持って浪費し過ぎたのもあるが、
やはり大部分の金は中国に消えている・・・

結局買ったマンションも安値で売り、
そりゃ金はあるならあった方がいい・・・

でも中国のあの若者たちは命がけで(と当時は思っていた)ロックをやっている。
俺は一体何をやっているんだ・・・

そんな思いがいつもあったから、
このまま「もっと売れて」とか思う考え方が私の中にはなかったのだ。

電波少年はますますヒットし、猿岩石は全国民が知る有名人となり、
旅人よ 〜The Longest Journey」も大ヒットした。

時間がなかったのはわかる。
中野と河合と二人でインドに行ってこの曲を歌うのもわかる。
それがカップリングとしてCDに入るのもまだわかる・・・

だが、寝耳に水で他所から1枚の8cmシングルCDのことを聞かされた私と和佐田の気持ちはどんなもんだろうか・・・

「爆風スランプ」という自分の「バンド」名義である。
その名義で私と和佐田が全く参加していないこの曲のオーケストラバージョンを、私と和佐田が全く知らないうちにレコーディングして、それを発売しようとしている・・・

レコード会社のディレクターやマネージャーにとっては「あ、しまった!!お二人に伝え忘れてた(>_<)」だけのことであろう・・・
だが私にとってはもうひとつもっと許せないことがあった。

私は亜州鼓魂の中で11分にも及ぶフルオーケストラとの組曲を書いている。
ラス前の「天界への7番目の扉」という曲である。

中国最高のオーケストラとガチで組んで、血が逆流するぐらいの思いでこの曲を録り終えた。
この「旅人よ~ロイヤル フィルハーモニック オーケストラ ヴァージョン」のオーケストラアレンジを引き受けた福田さんから、実は福田さんがこのアレンジをやって、ロンドンで私と同様に血が逆流する思いで演奏した話を聞かされた時の私の気持ちは想像出来るだろうか・・・

今では私はおそらく日本のその辺のアレンジャーよりは多くの曲をオーケストラとレコーディングしている。
X.Y.Z.→Aでもオーケストラを入れたアルバムも2枚作っているが、
その時に橘高が(うちはレコーディングディレクターは橘高がやる)、私の知らないうちに別のアレンジャーにそれを発注してたらX.Y.Z.→Aは今この世に存在しているだろうか・・・

確かにこの時点では私は、オーケストラアレンジャーとしては初めての大波を超えた程度のキャリアかも知れない。
でももしこれがX.Y.Z.→Aだったら橘高は私にどう言うか・・・

「末吉さん、これ、やりますか?それとも他に頼みますか?
もし末吉さんがやると言うなら、僕らはバンドの運命を全て預けますんで死んで来て下さい」

そして私はまた血の涙を流しながら戦うのだ。
愛するバンドのために、愛するメンバーのために、そして愛する「自分の音楽」のために・・・

思い起こせば私が90年に最初に北京に行った時、
地下クラブで黒豹のライブを見て、その後天津体育館で一緒にドラムを叩き、
泣きながら飲んで、「Someday your dreams come true!!」と言う言葉を残して日本に帰った。

当時試験期間の新米ドラマーだった赵明义に変わって、私は日本を捨てて黒豹のドラマーとして中国に残る選択肢もあった。

ところが「こんな国で夢追いかけたってお前ら・・・絶対に叶うわけがない」という思いもあった。
だからこの言葉を贈る時、私は・・・泣いた。

私は結局「ウソ」の言葉を残して日本に帰ったのだ。
当時誰も彼らが後に何十万人のスタジアムを満杯にするバンドになるなど想像だにしていない。

私も夢にも思ってなかったが、そちらの方が「茨の道だから」私は楽な日本の道を選んだわけでもない。
私には日本に「バンド」があるのだ。「仲間」がいるのだ。

その仲間を見捨てることは出来ない。だから日本に帰ったのだ・・・

その時には、その後そのバンドからこのような仕打ちを受けようとは夢にも思っていない・・・

亜州鼓魂は中国で売れた・・・
続いてそのリーディングソングを歌った李慧珍のデビューアルバムをプロデュースし、
それは本当の意味で売れた。

こんな感じ・・・
後に中国のグラミー賞みたいなので作曲賞を頂くこととなる・・・こんなん

「本当の意味」というのはどういうことかと言うと、
当時は中国では海賊版がひどくて、ヘタしたら正規盤を作っている工場で多量の海賊版が作られているような状況だったのだ。

実際に何枚売れたかなどカウント出来ないが、
レコード会社にも、このアルバムを作ってくれた日本のホリプロにもおそらく亜州鼓魂の収入はほとんど入ってないと聞く。

しかし李慧珍の場合は、ド新人の歌手が一世を風靡するようになったのだから事務所としては御の字である。
亜州鼓魂のようなオムニバスだとなかなかそうはいかない。

しかし亜州鼓魂の影響力はデカかった。

それは今でも感じている。
中国では80年代生まれのミュージシャンと仕事をすることが多いが、
新しい人と出会うと必ず「学生の頃このアルバムを聞いてました」と言う。

「知らない人はいない」というぐらいのレベルである。

布衣のボーカルLaoWuは、同じく学生の頃貧乏だったので、このたかだか数元のカセットを買う金がない。
友達と「あれ買いたいんだけど」という話になって、みんなで血を売ってその金で買ったらしい(笑)

どうしてそんなにこのアルバムを買いたかったかと言うと、
当時中国には「ロック」のアルバムは本当に数枚しかなかったのだ。

このアルバムのセールスコピー「中国三大ギタリスト夢の共演」というのは当時のロックファンの購買欲をそそるのに十分であった。

ちなみに中国三大ギタリストというのはみんな私の友人で、
黒豹のギタリスト李彤と唐朝のギタリスト老五、そしてBeyondのギタリストPaulである。

ところが買ってみたら、三大ギタリストの共演は「R&Rオヤジ」だけだし、あとはJazzやら変拍子やらRapやら、当時の中国では聞いたこともないような音楽ばかりである。

今布衣のエンジニアとして一緒にツアーを廻っている海龍は私にこんなことを言った。
「ない金叩いて買っては見たものの、ほとんどの曲は听不懂、全く理解出来ないんだ。
だから毎日毎日何回も何回も聞いた。だから今でも覚えてて歌えるし、ああこれは7拍子だったんだと今ではやっとわかる」

そう、このアルバムはロックのバイブルみたいに中国ではロック好きなら誰もが聞くアルバムになったが、収録されている曲はロックばかりではない。
むしろコンセプトアルバムの最後を飾る2曲はJazzである。


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「ソロアルバムを出したいんですけど・・・」
日本のシステムは世界では珍しく「全ての権利を売り渡して給料をもらう」というシステムなので、私はそのやり方に則って所属事務所にお伺いを立てる。

所属事務所はレコード会社にレコードに関する部分を譲渡するので、当然ながらレコード会社に相談する。

日本最大のレコード会社であるソニーレコードの会議室に、所属事務所のマネージャーとレコード会社の大幹部たちが集まって私を呼んで会議を開く。

「どんなアルバムを作りたいのかね?」
私は胸を張って答えた・・・「Jazzです!!」

一瞬の沈黙・・・そしてレコード会社の幹部はこう聞き返した。
「それが一体何枚売れるのかね?」

「Jazzもコアなファンがいるのでちゃんと作ったら1万枚は売れるでしょう。
5000枚売れたら大ヒットという世界ですから、とりあえず私は1万枚以上を目指したいと思います!!」

幹部たちは顔を見合わせて、そして一斉に大笑いした。
「どうして爆風スランプのメンバーのソロアルバムを50万枚も売れないのにうちが出さなきゃならないのだね?」

大笑いの中、会議は終了・・・

とどのつまり、レコード会社はその数年後に発売されることになる「旅人よ 〜The Longest Journey」のような曲満載のアルバムを作って欲しいのだ。

でもそんな曲なら爆風に書く!!
ソロアルバムなど出す必要は全くないではないか・・・

爆風に持っていっても鼻もかけられないJazzや中国ロック、
でもこれはクオリティーの高い素晴らしい音楽だ、
だから世に出したい!!

これがそもそもの「ソロアルバム」という考え方ではないのか?・・・

聞くところによると、大手プロダクションに所属する有名バンドのマネージメントでは、
メインのメンバー以外のソロアルバムはガス抜きのために出してやったりするが、
決してメインの売り上げを上回らないようにうまく「手を抜く」という話がある・・・

本当か嘘かはわからないが、そりゃメインどころを追い抜いちゃったらメインどころも面白くないし、バンドはうまくいかなくなる可能性はあるわのう・・・

そして自分ひとりの音楽ではどれだけ力不足かを実感し、そしてそのメインどころがいなければ食っていけないと自覚し、そしてバンド円満、事務所もバンドのメインどころだけに気を使ってればいいから万々歳・・・

しかし私はこの枠にはまらなかった。
所属事務所からは商売敵に当たるホリプロとこの亜州鼓魂の発売を決めて来たのだ。

本来ならばご法度なのかも知れない。
日本のレコード会社は事務所と3社契約をして、アーティストには何の権利も残らないようにガチガチに縛る。
でも爆風スランプは中野の大学の友人が社長のプライベート事務所から始めて、いくつか事務所を転々としてるうちにそんな近代的な3社契約など結んだ覚えはないのだ・・・

きっと担当マネージャーには負い目があったのだろう。
「末吉さんにはソロアルバムをちゃんとリリースしてあげることが出来なかったから・・・」
そういう思いからソニーを海面下で説得して、商売敵であるホリプロからのリリースを事実上の黙認として許諾したのだと私は想像している。

通常ならこれで、このアルバムが売れなくて、何の影響もなく終わって、
末吉はやはり中野がいなくちゃダメなんだと思い返し、
心を入れ替えて爆風に専念して・・・

四方八方万々歳である。

ところがこのアルバムは日本では全く売れなかったが、
・・・というか日本語が一切なく、中国語メインで朝鮮語とモンゴル語、
(多民族国家の中国人は後のインタビューで「全部私たちの言語で」と言っていた)
流行りのJ-POPなどかけらもないアルバムがこの国で売れるわけはないが、
中国では売れた!!

・・・というか大きな影響力を持ったという方が正しいか・・・
私はその流れで97年の「日本レコード大賞アジア音楽賞」を受賞した。

これは所属事務所のアミューズにとっては屈辱的なことだったと思う。
何せご本家の爆風スランプでさえレコード大賞とは大きな縁はない。
それがずーっと切り捨てて来たそのいちメンバーが、
よりによって商売敵から出したレコードでこれを受賞する・・・

当然ながら受賞は所属事務所のアミューズではなく、レコードを出したホリプロに与えられる。
一応は所属アーティストなので受賞パーティーにマネージャーも同席するが、
それはきっと「針の上のむしろ」だったのではと想像する・・・

今にして思えば、所属事務所ももっと早くにわかっておくべきだったのだ。
誰の動きでこの爆風スランプがあなたの事務所に移籍して来たんですか?

ある時はほーじんが暴れ、ある時は中野が暴れ、
その度に夜の街を駆け巡り、業界の人間を探しては飲みながら相談し、
睡眠不足でヘロヘロになりながら、ある時は涙で懇願しながら移籍を決めて来た。

アミューズへの移籍の時なんか少々売れてたりしたもんだから泥沼である。
「サザンオールスターズとプライベーツの間に位置するバンド、
出来れば桑田佳祐のケツを叩いて危機感を煽れるようなバンドが欲しかった・・・」
移籍後にこんなエピソードを幹部から聞いたが、
爆風のことを喉から手が出るほど欲しかったアミューズが、その強大な力を使ってうまく移籍をまとめてくれたのだ。

でも幹部は私にこう言った。
「お前は前の事務所の社長にこんなこと言ったんだって?そりゃあいつもショックだよ。それだけは言っちゃいけない」

何のことはない、中野が私に言ってた言葉を私がバンドを代表して言っただけのことだ。
「爆風スランプを愛してるばっかりおっしゃいますけど、十分のお金を払わないのだったらそれに意味はありません。愛情とは即ちお金です」

アミューズは今でも私のことを冷血漢かなんかだと思ってるだろう、
でも誰かがそれをやらなければバンドは終わるのだ。

私は爆風スランプを結成し、コンセプトを作り、ツアーをブッキングし、お金の管理までしていた名実共に爆風スランプの「リーダー」である。
でもデビューしてから一切それを言わなくなった。
みんな中野がリーダーだと思ってる・・・別にそれでいい。

「バンドはひとつの丼飯を4人で食ってるようなもんだ。みんな決して腹一杯にはならない」
これは江川ほーじんが私に言った言葉である。

だからいい。
だってその丼飯もなくなってしまったらそれこそみんな飢え死にしちゃうじゃないか・・・

他のメンバーがいつも私に文句だけ言う。
私だけがひとりで底辺を這いずり回って泥水を啜って悪者になる。

これでいいのだ!!・・・これは赤塚不二夫さんの言葉だが名言だと思う。
私はそれを受けて今、いろんなことに直面した時にこう言う・・・

しゃーないなぁ〜・・・

私の人生もそうである。
これしかなかった・・・だから「しゃーない」のである!!「これでいい」のである!!
WONDERFULなLIFEである!!

しかしそれは、メンバーがみんなそんな私の動きを理解してくれてて初めて成り立つことなのである。

現在、X.Y.Z.→Aでは橘高がプロデューサーとして色んなことを決める。
あいつもほーじんと同じように火の玉のような性格だから、時には敵を作ったりすることもあるかも知れない。

でも世界中の人間があいつの敵になっても、私は一生あいつの味方である。
何があってもあいつはバンドのためにそれをやっている。
だから私は何があってもあいつを・・・命をかけて守る!!


リーダーと言えば面白いことがある。

爆風スランプ時代、あらゆる業界人が中野をリーダーとして扱った。
バカなライター達はいいとしても、ロック界でカリスマ的な評論家である渋谷陽一さんもそのように扱った記事を書いていたのを覚えている。

別にいい、それがバンドにとってよければそれでいいのである。

ところがX.Y.Z.→Aを結成する時に、
「二井原ぁ〜リーダーはお前な!!」
私はこう言い放った。

どうせ、「あのラウドネスのボーカルの新しいバンド」なのである。
取材も二井原が受けるだろうし、どうせみんな二井原がリーダーだと思うんなら最初からリーダーになっとけばよい(笑)

「そんな、俺リーダーなんてやったことないし無理無理!!」
そう言う二井原であったが、
「大丈夫!!細々したことは俺と橘高がやるから、お前は胸張って自分の言葉でバンドを語ってたらそれでええ!!」

ところがヘビーメタル界は違った。
色んな雑誌は私のことを「リーダー」だと書いたのだ。

これは「間違い」なのではあるが、
歌謡界ではメンバーにすら認められなかった私のバンド内での動きを、このヘビーメタル界ではみんなちゃんと見てくれてるんだな・・・

そう思ったらとてつもなく嬉しかった。

話が亜州鼓魂からX.Y.Z.→Aにずれた・・・
実は今日この文章を書こうと思ったのは、私の音楽配信サイトにてX.Y.Z.→Aのニューアルバムの情報をアップした時、ちょうどその上に亜州鼓魂のサイトがあったのだ。

配信サイトのスタッフはそれこそ一生懸命このサイトを作ってくれた。
X.Y.Z.→Aの他のアルバムもここで全部DL出来るようにしたいのだが、
このご時世、色んな事情でなかなかサイトが出揃わない。

私もいろんなことにかまけてて、この亜州鼓魂のサイトが出来てたことすら忘れてしまってたのだ。

いくらなんでもこの私がこのアルバムのことを忘れてはいけないのではないか・・・
そう思って今日この文章を書こうと思い立った。


このアルバムは今聞いても名盤である。

もしこのアルバムが下らないアルバムだったら、いくら「中国三大ギタリスト」などと謳ってみても「あれはろくなもんじゃない」などと噂が立っておしまいであっただろう。
海龍が25年経った今でも大事にカセットを持っているということもあり得なかったに違いない。

「売れる音楽はいい音楽で、売れない音楽はろくでもない」という世界で生きて来た私が、日本では絶対に売れない音楽で中国に地盤を築いた。

かと言って「中国で売れよう」と思って作ったアルバムでもない。
その時にやりたかったこんな音楽が、たまたまその激動の時代に合ってただけだっただけのことなのかも知れない。

私が日本のショービジネスの世界で学んだこと、それはまず
「自分の本当にやりたいこと、それは誰も御膳立てしてはくれない。自分の力でやり通さなければならない」
ということ、そして
「自分の音楽を曲げてその国に合わせる必要はない。世界のどこかにそのままの音楽を受け入れてくれるところがきっとある」
ということである。

あの時、友人が爆風スランプのコンサートを見て私に言った言葉、
「末ちゃんだけがひとり別のところを見てる」
あの時に私はどこを見てたのか・・・それがこのドキュメンタリー映像の中にある。

日本がアジアブームに沸いたあの頃、こんなことを私に言った人がいる。
「末吉くん、うまくやったね」

何をうまくやったもんだか・・・(>_<)
そんなにうまく世の中を渡ってゆきたいなら、あんたも中国人と結婚して家庭内言語を中国語で暮らせばいい。
日中の間の子供を作り、中国が自分の子供の祖国のひとつとなる。
そうやって一生この国と離れることなく生きてゆく気があるならあんたもやればいい。

そして日本の全てを失ったとしても作りたいアルバムを作ればよい。

それが認められるかどうかは神のみぞ知る。
認められなくても、一生自分の宝物としてそれを抱いて生きてゆけばそれでいい。


(このアルバムは是非曲順通りに片面片面続けて聞いて下さい)

先日の60歳還暦の誕生日に、リーディングソング「Let Me Be Free」を歌ってくれた李慧珍や、2曲目の「力量」を歌ってくれた栾树などが集まって、このアルバムの曲を中心にコンサートを行った。
6曲目の「24th Birthday」は別のラップ歌詞をつけて「60岁生日的歌」としてみんなで歌った。

マルチで録音したのでコロナが落ち着いたら「亜州鼓魂2019Funky末吉作品集」として中国で発売する予定である。

「作品集」と言ったってもちろん「Runner」も「リゾ・ラバ」も入らない。
全て中国で、中国人アーティストに書いてヒットした曲ばかりである。

日本では絶対に売れない、だけど私の大切な宝物がまた一枚増えることになるだろう・・・

亜州鼓魂を巡る日中のいろんなドラマ・・・了

Ofuse.png

長らく読んで下さってどうもありがとう御座います。
一応投げ銭のシステムを貼り付けておきます。
初めての試みですが、もしよろしければいくらか投げ銭してみて下されば幸いです。

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