
2018年4月25日
誰がためにドラムを叩くのか
このツアーが始まってから、どこだっけか・・・おそらく紹興かどっかのライブ終了後に、
「哎呀,今天的演出真好啊!!(今日のライブよかったねぇ)」
とLaoWuに言ったことがあった。
バンド用語で「初日が出た」という言葉があるが、まさにそれである。
ライブ終了後の物販販売サイン会も終わり、
スタッフが機材を片付けている間、楽屋でビールを飲みながらそう言って、
続けてLaoWuにこんなブラックジョークを投げかけてみた。
「どうだい?お前の新しい(この)バンドは?前のバンドと比べてどうだい?(笑)」
まあ気の置けない仲間同士の冗談なのであるが、
LaoWuはちょっと苦笑いをしながらこんなことを言った。
「好太多了(良すぎるよ)・・・记得那天一起演出的鼓手吗(あの日対バンしたドラマーのこと覚えているか)?」
あの日対バンしたドラマー・・・
あれはLaoWuの住む院子に私が引っ越して来てすぐの頃・・・
その頃の布衣はライブをやったって数人ぐらいしか客が集まらないバンドだった。
全くと言っていいほど金にならないバンドだったので、
メンバーも何か用事を入れては来られないということが多く、
その日もドラマーが来られないということで私が駆り出されて行った。
その日のライブは何と一晩に2つのライブハウスをハシゴするというもの・・・
でもひとつ目のライブハウスにもほとんど客はいない(笑)
そちらの出番は一番最初にしてもらって、終わったらすぐにふたつ目のライブハウスに車を飛ばす・・・
そしてふたつ目にもほどんど客はおらず(笑)、
それでも汗だくでドラムを叩いた後に、ビールを飲みながら対バンの演奏を見ていた・・・
ちなみにその日もらったお金は、2つのライブ合わせてバンドみんなで20元、
私の飲んでるビールはもちろん自腹で20元・・・
まあこの日の収支は15元の赤字である(笑)
それでも命がけでドラムを叩いた後のビールは旨い!!
この一杯のビールのためにドラムを叩いていると言っても過言ではない!!(笑)
ところが対バンのドラマーを見てたら、そのビールも不味くなってしまうようでむっちゃ腹がたった。
そのドラマーは、後ろの壁にもたれてやる気がなさそうにドラムを叩いていたのだ・・・
リズムが悪い、グルーブが悪いという次元ではない。
「態度」が悪い!!
何やら自分が大切にしている何かを冒涜されているような気がして、私は腹がたって腹がたって仕方がなかった・・・
こいつがステージから降りて来たらこってり説教してやろう・・・
と思ったのだが、大人気ないと思い直して「帰ろうぜ」と言ってその場をあとにした。
帰りの車の中でも怒りが収まらない。
LaoWuに言ったところでどうしようもないのだが、
「何なんだ!!あのドラマーは!!」
と愚痴が止まらない・・・
「俺なんか5元もらって20元のビール飲んで、15元の赤字でも命がけでドラム叩いてんのに、何だあいつは!!そんなに金が欲しけりゃ三里屯の箱バンの店でも行って流行歌でも叩いてろ!!」
・・・ってそこかい!!(笑)
まあその時の思い出話を語りながら、
「バンドのメンバーみんながあの時のドラマーみたいな状態だったんだ・・・」
とLaoWuは苦笑いしながらそう言った。
まあ難しいよねぇ・・・
これだけ長いツアー廻って、
毎日同じ曲、同じ曲順、同じような客の反応・・・
モチベーションをどこに置くかを見失ったら誰にだってそこに陥ってしまうだろう。
LaoWu自身だって容易に陥ってしまう状態のところを、すんでのところで踏みとどまっているにすぎないのだ。
彼の中にはいつもあの時の私の姿がある。
「Funkyさんはあのドラマーとは違う」
だから自分もそうなってはいけないんだ・・・
じゃあこの私はどうしてこんなに頑張ってるんだろう・・・
楽屋でビールを飲みながらふとそんなことを考えた・・・
話はちょっと変わって、重い話ではなく「神様」の話・・・
私にはちょっとバカみたいな「宗教心」がある。
中学生の頃、姉を事故でなくしてから漠然とこんなことを考えている・・・
人は死んだら雲の上で穏やかに暮らしている。
そこにはテレビがあって無限のチャンネルがある。
そのチャンネルにはそれぞれ、まだ生きてる人の人生が放映されていて、
あるチャンネルでは、この人はこの人の人生の「脇役」、
でもチャンネルを回すと、この人がそのチャンネルの「主人公」。
各チャンネルには「視聴率」があって、
面白い人生を送った人は、死んだ時にその雲の上に上がった時に神様みんなに拍手で迎えられる。
だからもっと面白い人生を送りたいな、と・・・
まあ当初は死んだ姉のぶん、
楽しいことも2倍、悲しいことも2倍、人の倍生きてやろう・・・
みたいに考えていたのかも知れないが、
いかんせんこの歳になって来ると、
友達がいっぱいいっぱい先にそこに行ってしまい(笑)
もうね、今では
「お前のぶんまでは何倍も生きられんよ、まあせいぜいこのチャンネルを楽しんでおくれ」
程度である(笑)
そんな、先に逝った友達の中にこいつもいる。
生きてるうちは酒ばっか一緒に飲んで、
ただの「バカな酒飲み友達」だったのが、
死んでから本当に中華圏のロックの「神様」になりよった!(◎_◎;)
当時一緒に飲んでた頃、
私は日本という国では「爆風スランプ」のイメージが強すぎて、
好きなJazzなんかやっても誰も見向きもしなかった。
(今でもそんなに見向かれてはいないが・・・(笑))
ところが彼はある日、そんな私のライブを初めて見に来てこう言った。
「凄いよ!!全く素晴らしい!!毎月やってんのか?次のライブも絶対に見に来るからな!!」
そしてそれが彼と交わした最後の会話となった・・・
だからなぁ・・・毎回ライブではヤツが見てると思うとさぁ・・・・
誰でも大切な人がライブ見に来てたら頑張るだろ?
俺の場合、いっぱいいるんだよなぁ・・・あそこから見に来てる人(笑)
しゃーないなぁ・・・
まあ昔は、こんな風に自分は先に逝っちまったこいつらの為に頑張ってんのか、と思ってたのだが、
先日こいつの墓参りの時にちょっとしたことに気がついた。
タクシーが墓地の入口までしか行ってくれず、
重いリュック背負って汗だくになってこいつの墓まで山道を歩いて、
幸い平日の午前中なので誰も墓参りに来ていない。
休憩がてら墓の前で座り込んで、ひとりこいつに色々と話しかけてる自分がいる。
「どうだい?俺の人生は?笑ってもらえてるかい?(笑)」
ところがしばらくして、
「自分は誰に話しかけてるんだろう」
と思って来た。
もちろん死んだ人の魂がここにいて眠ってるわけではない。
となると、私は自分自身に向かって話している?・・・
つまりは「自問自答」である。
言い換えれば、こいつはこの墓の中にいるわけじゃない。
こいつは私の心の中にいるのである。
別に「ステージを見に来てる」なんて言ったって、
ステージの天井の照明の梁んとこにこいつがいるわけではない。
ドラムを叩いてる自分の心の中にいるのである。
だから「こいつのために」とかいうのはちょっと違う・・・
しょせんは「自分のために」なのである。
中国語で「信仰(XinYang:シンヤンと読む)」という言葉がある。
言うならば私は「私の信仰(XinYang)」のためにドラムを叩いているのであるが、
この「信仰(XinYang)」という中国語は、日本語の「信仰(しんこう))」とはまたニュアンスが違っていて、日本語で言い表すのが非常に難しい・・・
強いて言えば「自分の信じる道」、「生き様」、
私流に言うと「武士道精神」みたいなものだろうか・・・
重要的就是"信仰"!・・・私はLaoWuにそう言った。
「大切なのは"信仰(XinYang)"、それさえあればあの日のあのドラマーみたいにはならないんだよ」
と言ったのである。
例えばこういうことである。
私たちはまだ神じゃない、小さな人間なんだから、
モーゼのように海を真っ二つに割ったり出来ないし、
キリストのように死んで生まれ変わったりも出来ないし、
ブッダのように悟りを開いたりも出来ない。
「神業」なんてまだまだ出来っこないけど、
何かの「偶然」が重なって、ひょっとしたら「神が降りて来る」みたいなことがあるかも知れない・・・
「偶然」・・・それは神様のほんの小さな「いたずら」なのかも知れないが、
それを掴むためには、ちっぽけな「人間」なんかがやれることといったら、しょせんはこのふたつだけしかない。
「努力」と「準備」・・・ただそれだけなのである。
でもこのままそれを続けてゆけば、
いつかは神様の「いたずら」で、ほんの「偶然」に「奇跡」のようなライブが出来るかも知れない・・・
「奇跡」は信じてれば必ず起こるし、
信じてなければ絶対に起こらない。
考えてみれば俺たちはいつか「奇跡」を起こすためにライブやってるんじゃないか?・・・
客はその「奇跡」を見るためにこうして金払って足を運んでんじゃないか?・・・
そんな風に思ってやり続けてゆく限り、
俺たちはもうあの日のあのドラマーみたいになることはない。
但し、そのままくじけたり、諦めたりしなければね・・・
だから「くじけないこと」、「諦めないこと」、それを「ROCK」と言うんだ!!
这就是我的"信仰"!!
今日もそう言って気合入れてステージに立つ!!
「初日」が出てからまだそれを超えるステージは出ていない。
「奇跡」はまだまだ手の届かない遠いところにあるのかも知れない。
でも必ず「奇跡」は起こる!!
信じること・・・それを「ROCK」と言うんだよ・・・
这就是"摇滚的精神"!!
おりゃー!!今日もやるどーーー!!!