
2011年12月29日
パスポート紛失!!その初日
ワシは岳陽発北京行きの夜汽車に乗っていた。
岳陽ではあれから警察を呼び、被害届を出し、
パスポートなしでは国内移動もなかなかままならないので被害届の中にちゃんとパスポート番号など詳細も書いてくれた。
思えば湖南省の街はどこへ行っても寒かった。
緯度は低いのだが、それだから各部屋に基本的に暖房をつけてないのである。
コンサートホールも暖房はつけられておらず、
照明に照らされて本来とても暑いはずのステージ上でも、
子供達はコートを着込んだままドラムを叩いている。
そりゃそうだ、楽屋なんかでも平気で窓を開けっ放しにしてるんだから、
この会場と外気温の差はほとんどない。
窓ガラスを割られた車の前で調書を取られている時も寒かった。
思えば派出所に行ってこの盗難届を作っている時だけが暖かかった思い出だ。
「絶対見つかるよ!」
みんながそう言って慰めてくれる。
「中国の警察を信用しろ」と・・・・
それが一番信用出来ないんやけどな・・・(。-_-。)
まあ地元の人の言うには、
「これが中国人だったらそりゃ警察も一生懸命動かんかも知れんよ。
でも被害者が外国人や言うたら警察としても面子の問題がある。
特に担当警察官は昨日のあんたのステージを見てるんだよ」
まあ早く捕まるにこしたことはない。
ワシはこのまま北京に着いて次の日、
もしくは翌々日の29日の朝いちには飛行機に乗って日本に帰らなければX.Y.Z.→Aのファンクラブライブに間に合わないのだ。
二井原実はいつもワシにこう言う。
「ファンキー、お前にはなあ、
"強く思い込んだことが実現する"
という能力がある。
くれぐれも人を恨んだり悪いことを思いなさんなや、
ほんまにそうなってまうで」
と・・・
しかしワシはこの時こう強く念じた。
「泥棒さん、ワシの荷物を持って逃げてる時に事故に逢いなさい。
お前は死んでもええから、パスポートだけはすぐに私の手に返しなさい」
しかしその念も虚しく、ワシはこうして夜汽車に乗っている。
タイムリミットはワシが北京の日本大使館でパスポート遺失届を出すまで。
その瞬間にそのパスポートは失効し、
たとえ出てきたとしても使うことは出来ないのだ。
とりあえず寝よう・・・
夜汽車は走る。
日本大使館のある北京に向けて。
何の荷物もない手ぶらのワシを乗せて・・・
続く・・・こちら