
2013年7月 9日
スタジオミュージシャンという職業
「ファンキーさんは中国で何やってんですか?」
とよく聞かれるが、迷わず
「スタジオミュージシャンですよ」
と答えると、大体の日本人は不思議そうな顔をする。
日本でテレビなんかに出てた人がどうして外国行ってスタジオミュージシャンなんかやらなきゃなんないんだろう・・・とでも言いたそうである(笑)
ワシにとってスタジオミュージシャンは憧れの職業だった。
尊敬するドラマーは村上ポンタさんだし、
その世代のスタジオミュージシャンは皆ワシの憧れの人達である。
ワシも何とか日本でスタジオミュージシャンとして活動したかったのだが、
中国と違って日本は「バンド」はバンドの世界、
「スタジオミュージシャン」はスタジオミュージシャンの世界があって、
「芸能人」と見られているワシはどうしてもそこに入ってゆくことが出来なかった。
代官山プロダクションに所属して、
社長の新田一郎からいろんなスタジオ仕事を紹介され、
「お前は立派にスタジオが出来る腕を持っている」
と言われて小躍りしたもんだが、
当時はバンド内部にいろんな危機もあり、
新田一郎はワシにむしろプロデューサーとしての資質を見出してそれを徹底的に叩き込んでくれた。
あのスタジオミュージシャン達になくてお前にあるものは何だ?
それはバンドの「名前」だ。
ヤツらだってそれが喉から手が出るほど欲しいんだ。
お前が一番メリットがあることは何だ?バンドを大きくすることだろ。
お前が一番得をすることは、お前の前にいる中野や河合がもっともっと輝くことなんだ。
精神的には一番苦しかった時代だが、
ここで勉強したことが今一番ためになっている。
その後所属事務所がアミューズになって、
当時のトップに人とのミーティングでこんなことを言われた。
「爆風スランプ以外の仕事はしないで下さい」
新田一郎の時代にも、結局スタジオ仕事というのはバンドの「名前」を利用するものが多かったわけだから、
所属事務所としてはそんな「はした金」でこのブランドを利用されたりしたらたまったもんじゃない。
「じゃあバンドの名前を出さなかったらいいですか?」
ワシはとことん食い下がる。
「私と和佐田はバンドのメンバーである前にプレイヤーなんです。
それを捨ててまでバンドなんてやるつもりはありません!!」
そうまで言ったか言わないか、さすがに相手はプロである。
ビシっとこう断言した。
「アミューズは末吉くんを含めた爆風スランプとビジネスをしたいのであって、
末吉くん個人とビジネスをしたいわけではない」
まあ日本の中でも大会社であるアミューズのトップからこれだけ断言されるというのもなかなかもの凄い(笑)
結局「やるなら金は取らないで下さい」なのか、
「そんなはした金どうでもいいや、勝手にやれ」なのか、
何となくずるずるとセッション活動などはやり続けることになったのだが、
結局スタジオ仕事というのは意に反して廻って来るわけはなかった。
当時としては天下の爆風スランプのメンバーに、
「一曲いくらでドラム叩いて下さい」
などと言える業界人などいるわけがないのだ(笑)
結局今でも「ファンキー末吉」と言えば「爆風スランプの人」で、
いつまで経ったってスタジオミュージシャンなんて世界とは遠い遠い世界の人だと思われているのがワシにとっての「日本」という国の現実である。
その点、中国では爆風スランプなど誰も知らなかったから楽である(笑)
この国では、
「中国ロックの先人たちと今の中国ロックを作り上げた日本人ドラマー」
という一種の「伝説」じみた存在であると共に、
何よりも「とてつもなく優秀なドラマーである」と思われている。
「優秀である」のであるから譜面が書けたりアレンジも出来たり作曲したり、
ひいては音楽ビジネスにも長けているわけだからプロデュース仕事は当然出来るだろう・・・
・・・とこの国の人達の考えってとてつもなく単純である(笑)
最初にこの国でスタジオ仕事をやった時は可笑しかった。
「噂のファンキーさんとやらと是非仕事をしてみたい」
ということでとあるアレンジャーが私を使ってレコーディングをした。
しかし彼は当時流行りの「テクノ」のアレンジャーで、
生ドラムを使うのは生まれて初めてのこと。
参考となる曲を聞かせて、
「テンポは○○です。では叩いて下さい」
?????
「あのう・・・クリックだけ?・・・オケとかはないんですか?・・・」
そう言った瞬間に彼の顔にありありと
「これだから外国人と仕事は出来ないんだ。言葉が通じない(怒)」
とばかりの表情が現れる。
「よく伝わってませんか?あの曲をお聞かせしましたよね。
そんな感じでイントロが8小節、Aメロが8小節、サビが8小節です。
ではどうぞ!!」
「ではどうぞ」って言われたってどんな曲かもわからない(笑)
「せめてメロディーはないんですか?」
と聞いてみる。
「メロディーが必要ですか?」
とても意外そうな顔をしながら、彼はクリックに合わせて仮歌を入れた。
ワシ・・・クリックと仮歌だけを聞きながらドラム叩いたんですけど・・・(爆)
考えてみたら彼はテクノのアレンジャーなので、
ドラムマシンのようにスイッチを押したら最高のグルーブが出て来るものだと思ってたのだ。
これは笑い話として、それから彼とは何度も仕事をして、
一緒に中国のヒットチャートに何曲もヒット曲を送り込んだ。
彼はワシのドラムをサンプリングして、
それを打ち込みのドラムと混ぜてうまく使った。
業界人はあまりにクリッックに対して正確なワシのドラムに
「え?これ生ドラムなの?」
と驚愕し、この国のその後のスタジオ仕事のやり方が変わっていった。
ワシも彼から学んだものは多いし、
彼はワシとのコミュニケーションの中で「生楽器」というものを学んだ。
何作目からは
「やっぱりパンチインせずに最初っから最後まで叩いたテイクが一番いいね」
ということを覚えてしまい、
その後彼とのレコーディングは地獄を見ることになるのだが・・・(笑)
昨日の汪峰(Wang Feng)の仕事では、
贾轶男(Jia YiNan)という若いアレンジャーがいろいろ指示を与えるのだが、
これがまたドラムマシンに慣れている世代は言うことが恐ろしい。
「ファンキーさん、この曲のこの部分はハイハットを裏で踏んで下さい」
とかいろいろ無理難題を要求する。
自分がプログラムしたドラムパターンと全く同じでなければ気がすまないのだ。
カチンと来たワシは少々時間をもらってそのパターンを練習して、
完全に叩いてテイク1を録る。
「スゲーや!!このパターンが生ドラムになった!!」
小躍りしている彼に冷静に水を差す。
「じゃあこれをキープして、もう1テイク別パターンを録らせて下さい」
今度はドラマーとして叩き易いパターンで叩く。
「どっちがいい?」
彼はもちろん自分の考えたドラムパターンがいいと言うが、
今度は当の本人の汪峰(Wang Feng)が頭を抱える。
ブースに戻って来てお茶を飲みながら語る。
「頭で考えたことって実際やってみると企画倒れになることが多いよ。
身体が自然に動いてそうなるものっていうのは一番自然だったりする。
頭で考えたことは頭でしか理解されないけど、
身体が自然に動いたものは身体がそれを理解する。
要はどっちが歌い易いかということだよ」
ドラマーはフロントマンを輝かせるのがその仕事だ。
尊敬する村上ポンタさんはこんな名言を残している。
「歌ってるヤツでも吹いてるヤツでも弾いてるヤツでも誰でもいい。
思いっきり輝きたかったら俺を呼びな。一番輝かせてやるぜ!!」
昨日のレコーディングではワシが参加した汪峰(Wang Feng)のアルバムももう3枚目になる。
3枚も一緒に作るとお互いにもう理解し合っている。
香港のライブが終わって、寝ずに飛行機に乗って北京に着いて、
そのままスタジオ行ってセッティングして、ドラムをチューニングして叩く。
打ち込みと完全に同期するように機械的に、
しかもそれに人間ならではの「感情」を入れて叩く、
そんな種類のワシにとっては簡単な曲から録ってゆく。
まあ疲れててもそれぐらい叩けないことではない。
しかしそれが終わってシングル曲になった時に汪峰(Wang Feng)はこう言った。
「ファンキー疲れてるだろ。今日はもう終わりにしよう」
仕事なのだから疲れてる姿など微塵も出さないように努力しているのだが、
「音楽」というのは不思議なもので、それが「音」で伝わってしまうのだ。
1枚目、2枚目とワシはもの凄く高いレベルのドラムを叩いた。
次には
「ファンキーだったらこれぐらい出来るはずだ」
そう思って曲を用意して来るのだ。
その「期待」に答えられないようじゃこの仕事はやっていけない。
その日はゆっくり寝て次の日には絶好調で叩きまくった。
「OK!!」
叩き終わったプレイバックも聞かずに汪峰(Wang Feng)は即OKを出した。
そこらじゅうに折れたスティックが散乱していた。
「どうもありがとう」
そう言って札束をどどんとくれる。
(中国の最高紙幣が日本円でたかだか1000円ぐらいなので、5曲も叩くと必然的に札束がどどんと来るのだ)
お金をもらうことはもちろん嬉しいことだが、
何よりも人に感謝をされてお金をもらえるこの仕事がワシは素晴らしいと思う。
ポップスの歴史が始まってからが浅いこの国では、
ワシよりも年齢が上のスタジオミュージシャンは事実上いない。
また、ワシよりも経験値の高い現役ミュージシャンもいない。
(みんなこの歳になったらもっと実入りのいい生活に入ってるしね)
だから一番先輩としてワシはこの国の後輩ドラマー達に対していつもこう思っている。
「今回お前じゃなくてどうして俺にこの仕事が来たのか、
このドラムテイクを聞いてゆっくり考えてみろ。
お前は今までこれほど命懸けで叩いて来たか?」
ワシは日中を行ったり来たりしているので、
スケジュールが突然決まるこの国のたくさんの仕事は断らねばならなくなる。
その時にはお前がこの仕事を受けて、
俺のドラムをお前が死に物狂いでコピーして、
そして次からはお前がその仕事をやればいい。
お前らが全員俺を越えた時には俺は喜んで引退してやろう。
スタジオミュージシャン・・・素敵な職業である・・・