
2010年4月 8日
爆風銃(バップガン)のリハーサル
明日(4月9日金曜日)のリハーサルのために久しぶりのメンバーがスタジオに集まった。
ホッピー神山とはなんと10数年振りである。
今回、八丈島に住むホッピーを呼び出すのにいろいろメンバーからメールを送ったのだが、
その返事のひとつがこれである。
ははは~~、20年アヴァンギャルドひと筋ですから、どうなっても知らない
ですよ~~~。
いつもライブ時の私の手許は、AllesisのAir Synや
NoiseマシーンやKORGのKaosPadや
ゴミ箱で拾ってきたカセットテープを3台同時発声、とかだけなんですよ。
そうそう、映像VJのいつも同時にやるので、
KORGの映像用のKaos Padを使って
その場でエフェクト編集してグニャグニャした映像をプロジェクターに流してやっています。
左手でNoizマシーン、右手で映像 KaosPadですね。
ちょっと前までは自作のNolizヴァイオリンや変調SAXなどもあり、
そういう創作楽器のアプローチも多かったんですが、
ヴァイオリンは今故障中なので残念ながら稼動できないんです。
とんでもないメンバーに声かけちゃたのかも知れませんよ。
天才と何たらは紙一重と言うがその通りである!!
そう言えば10数年前に最後にやったライブでも彼はほとんどキーボードを弾かなかった。
ずーっと変なノイズを出していただけである。
これには歌を歌うフレディー・マーシーが困り果てた。
「コードが鳴ってないと歌が歌えないから頼みますよ」
と・・・
ところがホッピーは
「ベースとギターが鳴ってれば歌なんて歌えるでしょ」
と取り合わない。
前回はもう1本ギターがいたので、
「じゃあホッピーには好き勝手やってもらって、彼にちゃんとコードを弾いてもらおう」
と思ったら、スタジオに行ってみたらオリジナルメンバーのうち4人しかいない。
つまりギターは1本しかいないのだ!!
「俺はちゃんと弾くことも出来るんだ」
と常々豪語しているホッピー、今日はアンサンブルを考えてか、
それともとりあえず最低限を作っておいて本番ぶちこわすつもりか、
とりあえず今日は全曲ちゃんと弾いた。
なんか「ちゃんと弾く」か、「全然弾かない」かどちららしいよ・・・
とみんなが影でこそこそ言うが、
まあこれは「仕事」ではない、
みんなの「楽しみ」でやってるライブなのだからワシとしては別にどちらでもよい。
ちなみに「仕事」の場合、ホッピーはクライアントに誓約書を書かせられるらしい。
「私はこの仕事において女装とかぶりモノは絶対にやりません」
と・・・
ホッピーさん、女装でもかぶりモノでも何でもやって下さい!!(笑)
かくしてリハーサルは(本当に)無事に終わった。
さすが天才!!素晴らしいサウンドセンスである。
(このままちゃんと弾けば)
思えばワシの「ポップ」というセンスは全てホッピーから学んだ。
ホッピーはワシにとってはアバンギャルドもポップも意のままの大先生である。
それと共にワシにとってはこの青春時代の楽曲全てが「リズムの先生」である。
例えばこの楽曲を聞いてみて欲しい。
ドラムは見事に「ドッタッドッタッ」しかやっていない。
オカズもほとんど叩いていない。
二十歳そこそこの若造がこれだけで全てを表現している!!
この曲もそうである。
最近ほーじんはいつもワシに言う。
「末吉ぃ!!怒りやで!!あの頃の爆風銃はなあ、みんな怒ってたんや!!」
怒りをヘビーメタルで表現するのはストレートであるが、
FUNKのリズムでそれを表現するのは至難の業である。
ドラマーとしてそれをリズム的に分析させてもらうとこういうことではないだろうか。
通常FUNKビートというのはクリックに対して少々打点を遅らせて叩く。
つまりちょっと「重たい」ビートということである。
しかしこれでは全体的にリズムがレイドバックしてしまい、
「怒り」とはほど遠い「枯れた」世界感になってしまう。
往々にして年寄りバンドのリズムがレイドバックしてしまうのは、
だいたいは年をとってちょっとヘタになり、「打点が遅れてしまう」からということが多い。
ところがFUNKでこの「怒り」を表現するには、
この「遅れてない精一杯の遅い打点」の位置から
ほんのちょっとだけ「前のめりに叩く」ことによって
「リズムを後ろから押してやる」という手法を使っているのではないかとワシは分析する。
これが打点が前に来てしまうと「突っ走っている」感じになってしまい、
この微妙なさじ加減が非常に難しい。
ちなみに「リズム」というものには「幅」があるのだ。
クリックと完璧に同時に叩いてクリック音が完全に消えている状態でも、
更にその中に「前」と「後ろ」がある。
これを自在に使い分けるのが「ドラマーの仕事」なのである。
ところが人間なのだから言うほど正確に叩けるわけがない。
だからリズムに「うねり」がある。
オカズを叩いたらちょっとだけ早くなったり、
気合いを入れ過ぎてちょっとだけ遅くなったり・・・
それを人の何百倍もの集中力で、一瞬のうちにそれを感じ取り、
次の一発でそれを修正する。
その連続が「リズム」なのだ。
例えばオカズを叩いて、
次の小節の頭のシンバルがほんの少しだけ早かったとしよう。
その次のスネアまでの1拍の間に、
もの凄いスローモーション(に本人は感じる)でそれを修正する。
ちょっと遅くなるのか、音が大きくなるのか、
また次の瞬間にはそれをまたもの凄いスローモーション
(あまりの集中力のため)で修正しようとする。
その「物語の連続」が「ビート」なのだ。
上記2曲の演奏(昔の爆風銃の演奏は全てそうなのじゃが)は、
この簡単なリズムの中でがむしゃらにその戦いを続けている。
そうやって「どうしようもない怒り」を表現しようとしている。
「いいドラム」とは何か、
それは「決してあきらめないこと」なのだと今でもワシに教えてくれるのだ。
ワシは別に人より不幸な人生を歩んだわけでもない。
人よりより多くの絶望を見て来たわけでもない。
でもワシは多感な頃に感じたいろんな感情の全てをいつも忘れない。
「怒り」を忘れてまで音楽をやるつもりはない。
「絶望」を知らない人に「希望」が語れるわけがないではないか!!
同様に「怒り」を知らない人に「愛」が語れるわけがない。
(まあ全てそれも「自分なりに」しか出来ないのであるが・・・)
若い頃にがむしゃらに感情をぶつけ合って、
傷つけ合って憎み合って別れた仲間達と、
(そう思ってるのはワシだけか?)
再び同じ音楽を奏でてると思い出す。
自分は何なのか(何だったのか)、と・・・
幸いみんな大人になった。
その「怒り」をそれぞれの相手にぶつけることはもうない。
だけどみんなまだ「怒り」を忘れていない。
それをぶつける相手はただひとり、「ふがいない自分に」だけなのである。
みんなあの頃こう言ってたではないか。
「俺は世界一なんだ!!」
と・・・
だから俺は死ぬまでそれを目指す。
そんなことを思わせてくれる昔仲間との再会だった。
明日は楽しいライブになりそうだ。
(意外とちゃんと普通に弾くかも知れないが)
特にホッピー神山師匠からは目が離せない・・・