ひとりドラムの軌跡

ドラムセットと伴奏をPA設備さえあれば全世界どこにでも行きます!!
呼んで下さい!!こちら ファンキー末吉BLOG モバイル版はこちら
バックナンバー
バックナンバーを表示

このブログのフィードを取得

X.Y.Z.→A オフィシャルサイト 八王子 ライブバーX.Y.Z.→A 爆風スランプトリビュートアルバム WeLoveBakufuSlump
今回新録された楽曲のみを
おまけComplete」
としてCD化しました。
OmakeCompleteJacket.jpeg 爆風スランプトリビュート盤を既にご購入されている方は、このCDを買えば「完全版」となり、更には他のCDには収録されていないファンキー末吉の「坂出マイラブ」も収録されてます。
「完全版」としてセットで買うと500円お得な2枚で3500円のセット販売もあります!!
ファンキー末吉関連グッズ
(書籍)











ファンキー末吉関連グッズ
(CD、DVD)


















ファンキー末吉関連グッズ
(その他)

爆風スランプトリビュートアルバム WeLoveBakufuSlump

2016年4月 6日

オージーはもじゃもじゃがお好き?

オーストラリアに来てから不思議なことが毎日必ず起こる・・・

基本的には香港からのご一行、つまり中華系の方々と一緒に行動しているのだが、そこを離れてひとり街中に飛び出すと、毎日必ずオーストラリア人から声をかけられるのだ。

ある時など、夜中に現地の友人(日本人)宿利くんと夜中にコリアンタウンで焼肉(笑)を食ってたら、隣の白人から「一緒に写真を撮ってくれ」と言われて写真を撮った(驚)

宿利くんは思わずその白人に
「彼のこと誰だか知ってんの?」
と聞いたらしいが、
「全然」
と答えられて「?????」・・・

「そう言えばずーっとこっちを見てたんで、こっちの頼んだ肉を見てんのかなぁと思ってたんですが・・・末吉さん見てたんですねぇ」

全くもって意味がわからない!!

道を歩けばオージーがすれ違いざまに何か言って親指を立てる。
しゃーないからこっちも「Oh Yeah!!」とか言って答えるのだが、
全くもって「?????」である・・・

アジア系でそんな人はひとりもいない。
女性もひとりもいない。
基本的には若い白人の男ばっかである!(◎_◎;)

先日は宿利くんの奥様も一緒になってそれが何かを考える。

「ファッションじゃないですかねぇ。。。」
このファッションが何か奇抜か?

WingSydnei2016Fashion.jpeg

まあ金髪の東洋人が「侍」と書いたTシャツを着てるのはウケるかも知れないが、Tシャツは毎日換えるぞ?・・・

「じゃあ・・・やっぱり顔じゃないですかねぇ。。。」
顔?

「なんか修羅場くぐってると言うか、何か高いところに到達してるように感じちゃうんじゃないですか?」

ワシ・・・そんな徳の高い顔しとるか?・・・

WingSydnei2016Satori.jpeg

そう言えばインドに行って砂浜で寝転んでたら道行くインド人がワシを拝んで行ったことがあったのう・・・(笑)

WingSydnei2016Indo.jpeg

でも例えワシの顔がそれはそれは徳が高かったとしても、
拝んだりされるのはインド人だけで他の人種は皆無!!
そこでオージーだけがそれを感じてワシに親指を立てるわけではあるまい・・・

先日はオージー和牛を食いに行ったら、
そこの店員がワシのことを大好きになって、満腹のワシに更にラムチョップを奢ってくれた!(◎_◎;)

WingSydnei2016WagyuStuff.jpeg

さっぱりわからない・・・
ワシのどこがそんなによくて自分の給料から見知らぬ客に奢るなどの行動をするのだろう・・・

毎日毎日続くので今度は聞き耳を立てて何を言ってるのか一生懸命聞き取ってみる。

注意深く聞いてたら白人がワシに親指を立てる時に
「クールヘヤー」
と言ってるのが聞き取れた。

「冷たい部屋???」

部屋〜なわけはない、ヘヤー即ちHair・・・髪の毛??
「Do you like it?」
とすかさず突っ込む宿利くん。

するとむっちゃ嬉しそうに
「Of course!! I want that!!」
などと言って来る・・・

「末吉さん、むっちゃクール!!俺もそれやりてー!!みたいな感じっす・・・」

髪型なのか!(◎_◎;)・・・

確かに最近中国では何かのキャラクターなのか「金毛狮子王(JinMaoShiZiWang)」などと言われることがあるが、オージーにはこれが「クール」に映るか?・・・

しかしそれにしても何故にオージーにだけ?・・・

インドになくて中国になくて日本にもなくてオーストラリアにだけある何か特別な感覚があるのか?・・・

オーストラリアにだけあるもの・・・これかっ!!?

WingSydnei2016Koara.jpeg

確かにどことなく似ているような気はしないではない。
ワシの場合「髪型」と言うよりは「毛並み」に近いのか?・・・

WingSydnei2016Genjumin.jpeg

言われてみれば毛並みの流れがどことなく動物的?・・・
原住民よりも原住動物なような気がしないでもない・・・

このすんげークールな「毛ぇ」を持ってて、
その顔が白人でもなく原住民でもないアジア人、
そしてそれがファッションに敏感そうな若者でもなく「おっさん」であるところがオージーにとってはとてつもなくクール「ハンパねぇ」みたいな感じなのかも知れない・・・

突き抜けているのかワシ・・・!(◎_◎;)

まあいい、女性には一切魅力と思われないようじゃが、
若いオージー達がこんなワシをファッションリーダーとして迎えてくれるならそれはそれで嬉しいことぢゃぞ!!!(喜)

さてそうなるとファッションリーダーたる者、
もう洗い晒しの髪の毛で街を歩くわけにはいかない!!

「誰に見られているやらわからない」
という意識で、外に出る時には「毛づくろい」には余念がない。

バンドのみんなとボンダイビーチに行った時、南太平洋の絶景をパノラマで写真を撮ろうと特等席へ・・・

WingSydnei2016TakingPhoto.jpeg

自慢の毛並みが風に揺られて乱れるのはファッションリーダーとしては気になるところではあるが、敢えてそれは気にせずに一心不乱に撮影してた・・・

ところが撮影終わってみんなのところに行くとみんなが笑ってこう言う。
「Funkyさん、後ろのアベックに盗撮されてましたよ」

WingSydnei2016Tousatsu.jpeg

この写真は盗撮が終わった瞬間らしい。
その後ふたりで盗撮写真を眺めながら・・・爆笑!(◎_◎;)

笑われとるやないかい!!!(涙)

まあいい、こんな「毛ぇ」でオージー達を幸せに出来るんなら・・・

Posted by ファンキー末吉 at:05:54 | 固定リンク

2016年4月 4日

葉世荣(Yip Sai Wing)という男

この男とはもう25年の付き合いになる。

いい時も悪い時も一緒・・・というより、
人間やはりどん底の時に一緒にいた友達関係は一生の付き合いになるのかも知れない・・・

中華圏で今だにどのバンドも超えることが出来ない大成功を収めたバンド、
そのバンドのボーカリストが日本で事故で亡くなり、バンドは活動停止して、
残された彼はドラム台を降り、立ち上がってギターを持って歌を歌った。

今までリードボーカルなどそんなに取ったことがなかった彼にとってかなりの苦難の道だったようだ。

彼がギターを持って広東省の田舎町のキャバレーなどを廻っているのによく遊びに行ったりした。

その後のBEYOND再結成からは残された3人で立派にリードボーカルを割り振りし、
(今思えばC-C-Bのようじゃ)
今では彼は歌手として中国大陸では3人の中で一番成功しているように見える。

でもねぇ、お金的にはどうなのだろう・・・

彼はいつも自分のバンドWING BANDを連れて廻り、
経費だけを考えたら、あの時のようにギター片手に、もしくはカラオケ持ってBEYONDのヒット曲歌って廻ったら莫大な富を稼げたはずである。

ワシは長年の付き合いでなしくずしにWING BANDの一員にされているが(笑)
彼は大陸の小さな都市などでのコンサートにはワシではなく香港の若いドラマーを連れてゆく。

「若手を育てたい」という考えてなのだろう、ワシは今回のように海外の舞台や、北京や香港など大事な大きな舞台にだけ呼ばれるという感じである。

そしてワシがドラムを叩くコンサートでも必ずその若いドラマーも一緒に呼び、
ゲストのバンド部分や彼にもドラムを叩く場を用意する。

経費だけを考えてたら人数を減らせば減らすほどいいのは当たり前だが、
彼の頭にはそういう考えてはどうもないようだ・・・

その昔一緒に飲んでた時、
「ビジネス的にオイシイ話が来たので投資したい」
みたいな話をしてたので
「やめとけやめとけ」
と言ってたら、
「僕は理財の才能があるから大丈夫」
などと言ってたから本気で止めた。

直接は知らないが、この男は過去にどれだけの人間に騙されて金を失ったことだろうと想像する・・・

だいたい金儲けの上手い奴なら若いドラマーなんてギャラが安いから利用してるだけで、扱い方自体が違うはずである。


また、前回の北京公演の時に感じたことがある。

彼はオープニングアクトとしてマレーシアから「异种(YiZhong)」というバンドを呼んだ。

言っちゃぁ悪いがいい年したおっさんのバンドである。
金のことだけを考えてたら売れ線のバンドとかにチャンスを与えて、
それが成功したらそこからまた自分にお金が落ちて・・・
というのがむしろ「普通」であるのだろうが・・・

「Funky、紹介するよ、このバンドはなぁ・・・」
それを聞いてワシは「ああこいつらしいな」と思った。

彼らは1988年にBEYONDが最初に北京公演をやった時のオープニングアクトだったバンドであったそうだ。

何処かで再会した彼はきっと彼らにこう言ったのだろう。
「懐かしいなぁ・・・まだバンドやってんの?じゃあ世界ツアー一緒に廻ろうよ」


そんなWINGのワールドツアー、香港での楽屋でワシにとっても懐かしい人と出会った。
元BEYONDの敏腕マネージャー「レスリー」である。

WingSydney2016Leslie.jpeg

BEYONDを中華圏最大の成功に導いた立役者、
北京に紅星レコードを設立して中国大陸のロックブームの火付け役となった敏腕マネージャー・・・

その後はBEYONDと契約関係でもめたとか、
紅星では目の出ないロックバンドを片っ端から青田刈りしてるとか言われていたが、
ワシの名前を中国じゅうに響き渡らせた「許魏(XuWei)」をはじめとして、今中国で一線で活躍する数多くのロックスターは、彼がいなければ世に出てなかったかも知れない・・・

実はその紅星で制作を任されていたのが、
現在ワシが一番一緒に仕事をしているLaoLuanである。

つまりワシはLaoLuanと共にレスリーが大陸でやり残した大きな仕事を引き継いでいるとも言えるだろう・・・

そのレスリーも音楽業界を退いて長い。
噂ではオーストラリアに移民して音楽の仕事は一切していないという噂だ・・・

そんな彼をWINGが自分の香港でのコンサートに呼んだ。
北京コンサートにも旅費や滞在費を出して呼んだと言う・・・

何故か?・・・

ここからは想像でしかないが、
ワシがその前にレスリーと会ったのは1993年東京女子医大病院、
つまりBEYONDのボーカル黄家駒が命を落とす間際である。

全くの想像でしかないが、
レスリーはその時ちょっと居場所のない感じだった。

BEYONDとは契約関係でもめていると聞いてたし、
そのBEYONDと契約したアミューズはレスリーを目の上のタンコブのように思っていたのだろう、そんなレスリーが病室に現れてアミューズのスタッフが右往左往していたのを覚えている。

その後、黄家駒も死んで、BEYONDのメンバーもそれぞれの活動を開始して、
「レスリー元気かい?僕は今歌を歌ってるんだ。よかったら見に来てくれないか?」
そう言ってWINGがレスリーをオーストラリアから香港、そして北京へと呼び寄せたことは想像に難くない。

特に北京では、30年近くの時を越えて、同じこの北京で、自分がマレーシアからブッキングした「异种(YiZhong)」と再会することとなる。

どんな気持ちだっただろう・・・

レスリーの気持ちに火がついたと言えば言い過ぎだろうか・・・
結果的にはレスリー自身がこのWING世界ツアーのオーストラリア公演をブッキングすることとなったというわけだ・・・

もちろんWINGは計算ずくでそう仕組んだわけではない。
WINGの「気持ち」とその「友情」に答えたのではないかとワシはそう思う。

元敏腕マネージャーは頑張った!!
蓋を開けてみたら会場は中華系のオーディエンスで満杯!!

WingSydney2016Audience.jpeg

中華系以外のオーストラリア人には全く無名のこの男が歌う、
自分が昔プロデュースしたBEYONDの曲を、
自分が一生懸命プロモーションして集めたオーディエンスが全員で大合唱する・・・

そんな姿をレスリーはどんな気持ちでステージ袖から見ていたのだろう・・・

WingSydney2016YiZhong.jpeg

自分が30年前にBEYOND北京公演のオープニングアクトでブッキングしたマレーシアのバンドが、30年の時を越えて今度は自分の住むオーストラリアの自分が作り上げたステージの上で歌っている・・・

そんな姿を彼はどんな気持ちで眺めていたのだろう・・・

コンサートは大成功に終わり、一行は打ち上げ会場に向かう。
また豪勢な中華料理を想像してたのだが、予想に反して打ち上げ会場は中華系のカラオケ屋。

ここでワシはだんだんとこのツアーのからくりを理解してゆく・・・


いくらチケット代が十数年前のKISSよりも高くたって、
アリーナクラスではない会場に高々数百人満杯にしたところで、
これだけの数のツアーメンバーの旅費と食事、
そしてこの豪勢なホテル代を全部支払ったら元が取れるわけがない。

おそらくこの豪勢なホテルのオーナーも、
豪勢な食事を食べたレストランのオーナーも、
そしてこの中華系カラオケ屋のオーナーも全て中国人!!

その中国人実業家達がこのコンサートのスポンサードをしていることは間違いないだろう。

だからその主役であるWINGはそのスポンサーの店は廻らねばならない。
WINGがスポンサー達を接待して、
スポンサーは命がけでワシらバンドメンバーやツアーメンバーを接待する。

そんな一風変わった変な循環がワシには感じ取れた・・・

世も更けてカラオケ屋で出前の中華をつまみながらレスリーの帰りを待つワシらに、グループチャットでレスリーが写真を送って来た。

WingSydney2016Katazuke.jpeg

「まだ終わらないよ〜」

ワシらが飲んでいる間に、主催者であるレスリーは現地スタッフと共にまだ片付けをしている。
どんな気持ちで片付けをしてたのだろう・・・

祭りの後の寂しさ?・・・もしくは昔のこんな風景を思い出してノスタルジー?・・・


次の日、WINGは地元の大金持ちのプライベートジェット機で遊びに行った。

バンドのメンバーは3人は香港に帰ったが、
ほとんどの人間は次のマレーシア公演までここに滞在する。

そして地元の人達はワシらバンドメンバーやツアーメンバーを接待する・・・

こちらに来て1食目の中華料理屋さんで今晩の晩メシをご馳走になった。
そして料理がない打ち上げのカラオケ屋に料理を差し入れたのもこの中華料理屋だったのだが、
ここのオーナーのロゼッタは実はBEYONDの初期スタッフだった。

WingSydney2016Rosetta.jpeg

爆風で言うと初期ファンクラブスタッフの「みのよ」みたいなもんだろうか・・・

アマチュアだったBEYONDに惚れ込んで押しかけスタッフをして、
そこにレスリーが契約書持って現れて、
「じゃあ私はもういいわ」とバンドから離れて、
その後BEYONDは大ブレイク・・・

その後レスリーもBEYONDを離れて、
気がついたら偶然にも同じオーストラリアに移民して、
こうして今度は一緒に助け合ってこのWINGのコンサートをサポートしている・・・

オーストラリアではワシらは北京語、広東語、そして英語を使って会話をするが、
英語で的確に言い表せない言葉がある・・・

縁・・・中国語で「缘分(YuanFen)」

WINGのお陰で切れていたいろんな「缘分(YuanFen)」がまた繋がってゆく・・・

かく言うワシもびっくりするような「缘分(YuanFen)」があった。

マレーシアのバンド「异种(YiZhong)」のベーシスト
(まあ彼は若いから新メンバーなのだろうが)
は実はワシがマレーシアで行ったひとりドラムの時、ブログでも「全作大人買いしてくれた青年が」と書いているその青年が彼だったのだ!!

WingSydney2016LaoGui.jpeg

WINGがワシにくれたのは毎回いくら入ってるかわからないギャラ代わりの「红包(HongBao)」だけではない。
お金では買えないいろんな「缘分(YuanFen)」をくれた。

レスリーやロゼッタも、決してWINGの金儲けに利用されて動いたのではない。
きっとお金で買えないいろんなものをWINGからもらったのではないかと思う。

お金のことだけを考えてたらカラオケ持ってひとりでくればいい。
こんだけのバンドメンバー連れて、マレーシアからオープニングアクトのバンドまで連れて来たんじゃWINGだけじゃなく誰も金を儲けることなんか出来ない。

でも金じゃないいろんなものを得たと感じるのはワシだけではないと思うぞ・・・


最後に少し・・・

彼はコンサート当日に突然『風継続吹』という曲をを歌うと言い出した。
送られて来た音源を聞いてみたら山口百恵の『さよならの向う側』である。

WingSydney2016Stage.jpeg

実はこの日、4月1日は彼の友人でもあったのだろう、自殺したレスリー・チャンの命日。
「1コーラスだけでいいから彼の曲を歌いたいな」と思ったのだろう。

人は生きていればいろんな出会いがあって別れがある。
それを引っくるめて中国語で「缘分(YuanFen)」と言う。

バンド仲間の事故死、フィアンセの事故死、そしてお父さんの死・・・
そんなものを全て乗り越えて、彼はその亡くなったバンド仲間の歌を歌う・・・

そしてそこにまた新しい「缘分(YuanFen)」が生まれてゆく・・・

葉世荣(Yip Sai Wing)・・・
友達思いで後輩思いで、バカでお人好しで本当に金儲けがヘタな男・・・

ワシのとても大切な友人である。

Posted by ファンキー末吉 at:02:31 | 固定リンク

2016年4月 1日

WING世界ツアー2016年オーストラリア初日

香港でのリハを終え、今回のワールドツアーの最初の公演地であるオーストラリアはシドニーにやって来た。

「僕は中国人がいる国だったらどこにでも行くよ。逆にその他の人間は僕のこと知らないからね」
と笑って言ってたWINGさん。
確かにオーストラリアには80万人近くの中華系の移民がいるらしく、実際こちらに来てみてから感じたのは広東語を話す人なんかもかなり多いということである。

着いて最初の食事である昼メシの時に行った中華料理屋さんでも、決して広東料理専門店ではないのに従業員は全て広東語を話してたし、晩メシの超高級中華料理屋でも広東語が普通に話されてた。

そうそう、
「香港人とツアーに行くと中華しか食べないんだよ」
とよく言われるが、
WINGの世界ツアーでも毎回ほぼ全食中華である(笑)

ワシなんかは「オーストラリアと言えばオージービーフ」で、
過去のWINGツアーでもそうだったが、オーストラリアならぶっちして自分ひとりでオージービーフとオーストラリアワインと行きたいところなのだが、
ご一緒してると滅多に食べられない高級中華にありつけるのでそのタイミングが難しい・・・

今回は何とカジノが入っている高級ホテルに宿泊なのだが、
晩メシはその高級ホテルのオーナーなのか何やら偉い人と共に食事である。

今まで見たことがない巨大なカニ!!(◎_◎;)

足の部分だけでこんなに!!

巨大甲羅にて焼きそば!!これが上品な味にカニ味噌の香りで絶品!!

そしてアワビ!!

をしゃぶしゃぶ!!!(◎_◎;)

でもね、料理だけではない。
この後「じゃあ飲みに行こう」となって行ったのが何とカジノのVIPルーム!(◎_◎;)

どうもWINGの席に座ってた偉い人たちの中にはこのカジノのオーナーがいたらしく、その人の案内によるものらしい・・・

「パスポートは持ってるか?」
どうもVIPルームに入るにはパスポートが必要らしい・・・

「僕はパスを持ってるから」
とWINGはそれ専用のペラペラ紙を見せてくれた。

カジノなんか入るのは生まれて初めてで、
入ったら入ったでスロットマシンやルーレットなどギャンブル台が並んでて映画なんかで見るカジノと全く同じなのでむっちゃ緊張した。
(写真自粛・・・というか禁止か?)

そのカジノを抜けて専用エレベーターで最上階の17階に上がる。

いくつかのギャンブル台が並んでて中国人がディーラー相手にブラックジャックをやっている・・・

賭け金:最低1,000$最高500,000$

!(◎_◎;)・・・大雑把に計算して最低で10万円足らず?!!!
最高額賭けたら一勝負5億円?!!!(驚)

どんな人がこんなギャンブルをやってるのかと思ったら全員中国人!(◎_◎;)


賭けてるチップが100万円だとすると、
それで賭けてる人は優に毎回何百万の勝負をしている・・・

最上額のチップであろう、少し大きくて値段が書かれているのは100,000$・・・ってあーた!!いっせんまん?!!!(◎_◎;)

とある中国人・・・そのチップを何枚も賭けて、一勝負で高級マンションがぽんぽん飛んでゆく・・・(眩暈)

興味深いのはそれを見ているワシらは額を計算して目がクラクラしているのに、
そんな大金を賭けているご本人は買っても負けてもさほど気にしてない様子なことだ。

恐らくこれぐらいは「はした金」なのか、
もっと大きく勝ち負けした時にだけ感情を表に出すのだろう・・・

ワシらは隅っこのテーブルに座って、時々立ち上がってはその「はした金」の勝ち負けを覗き見してたのだが、
「コニャックでも飲むか」
と言うのでワシは大きく頷いた。

そもそもは、何やらここでしか飲めない数十万のコニャックをご馳走してくれると言うからついて来たのだ。

これ!!

WingSydney2016Hennessy.jpeg

日本円で80万円ほどする代物らしい!!!(◎_◎;)
(ちなみに瓶はクリスタルガラスで作られているらしい・・・)

これを惜しげもなくワシやバンドのメンバーに振舞ってくれる(驚)

まあ一瞬のうちにマンション何軒かが買える金が動いているこのカジノのオーナーにとってはこのコニャック一本ぐらい「はした金」みたいなもんか?・・・(恐)

飲みながらこんなことを考えた・・・


オーナーがもしこの貧乏バンドメンバーからコニャックの元を取ろうと思ったとしたら、一人に一枚ずつチップを振る舞えばよい。

スタッフも合わせて20人ほどが一度だけそのチップで博打をすればそれでいいのだ。
10万円が動くその勝負を一度だけ体験すればそれでいい。

20人いたら2〜3人は運良く勝つ人が現れるだろう・・・
その人は「10万円儲かった」と言ってすぐにそのチップを両替するか?

またその20万円を賭けて勝負をしたらもう後には引けない・・・

このホテルにはATMも山ほど設置されてるし、聞くところによるとクレジットカードでチップも買えるらしい・・・

20人いて一人がひと財産全部スってしまえばコニャックどころかみんなに配った最初のチップぐらいすぐ元が取れてしまうんではないのか・・・(恐)


帰り際にパスポートを返してくれたのだが、
それぞれにWINGと同じくこのVIPルームのパスが配られた。

でもワシはもう足を踏み入れないと思う・・・

博打は人生だけでもう十分!!

Posted by ファンキー末吉 at:12:44 | 固定リンク

2015年12月28日

銃を持ったコンサート警備員

先日行われた内モンゴル自治区「包頭(BaoTou)」での布衣(BuYi)のコンサートに呼ばれて参加して来た。

彼らもちゃんとしたドラマーがいるのだからワシを呼ぶ必要は全然ないのだが、
まあきっと「楽しいから一緒に行こう」というノリなのだろう、
「とりあえず中国太鼓とロートタム叩いてね、ゲストでドラムも数曲」
という居ても居なくてもいいような存在として呼ばれて行った(笑)

ところが会場についてびっくり!!
なんとこの街最大の大劇場である!(◎_◎;)

BuYi20thBaoTou2.jpg

暗くてちゃんと写ってないが2階席にもちゃんと人が入っている!(◎_◎;)
・・・いや〜偉くなったのう・・・

まあでもそんなでかい会場でのワンマンコンサートでも、
普段着でジャンバー着たまま自分でセッティングをしているのが老呉(LaoWu)らしくてよい(笑)

舞台監督もローディーもいない、
同行スタッフはファン上がりの女性マネージャーと、
PAエンジニア(中国では録音エンジニアがPAもする)の方言(FangYan)とその助手だけ。

舞台にはドラム台とアンプなどの楽器しかなく、
ただバックに大きな電光掲示板があるのでそこそこ大会場の雰囲気は出る・・・

BuYi20thBaoTou1.jpg

まあこんな巨大な会場でも手作り感満載のまるで高校時代の自主コンサートのような雰囲気なのだが、
ひとつだけ大きな違いが警備員!!

中国ではコンサート会場は全て「国」の持ち物。
特に大勢の人間が集まるような会場は全て中国共産党が管理する。

そりゃそうだ、どっかの団体が大勢の人間集めて反政府集会なんかやられたら中国共産党としては黙っちゃいられないからね・・・

そこで(だと思うのだが)警備として派遣されるのは人民解放軍だったりして、
ワシも大きなコンサートなどでは迷彩服着た人民解放軍の一糸乱れぬ警備風景に背筋が冷たくなる思いをしたりする・・・

というのも、
1992年に爆風スランプを北京に連れて行ってラジオ北京の45周年記念イベントで演奏した時、
4曲演奏の予定だったのが1曲目で煽り過ぎたのか司会者が出て来て送り出しを始める。

構わずに2曲目のカウントを出して演奏を始めると司会者はすごすごと帰ってゆくのだが、
ステージから見下ろす位置にあるPA席で異変が起きた。

その迷彩服の人民解放軍(だと思う)が二人、PA席にやって来て音を全部落とさせようとするのだ。

日本から来たエンジニアは真面目なので必死に抵抗する。
そこでこのイベントをブッキングしてくれた中国のロック仲間がそれを止めようとやって来て間に入るのだが・・・

当時、長髪の若者が街を歩いているような時代ではなかった。
彼のような長髪は文字通り「ロックのシンボル」であった。

人民解放軍は止めに来た彼が中国人だと認識した瞬間に、
外国人PAエンジニアに対する態度とは明らかに違う態度を示した。

いきなり彼に殴る蹴るの暴行を行ったのだ。

中国のコンサートはアリーナに客を入れず真ん中に円形ステージを作るが一般的なのだが、
PA席はアリーナにあってその様子は2万人の観客全てから見えている。

そんな状況の中で人民解放軍は彼をめった打ちにし、
うずくまった彼に容赦なく軍靴で蹴りを入れた。

客席は騒然となり、ペットボトルが投げつけられて飛び交う中、
人民解放軍はもう動けなくなった彼の、ロックのシンボルとも言える長髪をつかんでボロ雑巾のように引きずって出て行った。

PAを完全に落とされ、音の出なくなったマイクと、
アンプの生音とドラムの生音だけで届け出を出した4曲を演奏し、
胸を張ってステージを降りたら・・・

そこには銃を持った人民解放軍が待ち構えていてワシらを別室に軟禁・・・

「さてどうなったでしょう・・・続きはを買ってお読み下さい」
とワシはいつも「ひとりドラム」の時にそうやって話を締めるが、
こんなことが実際にあった時代、そんな時代も今は昔・・・

この日の布衣のコンサート、終わったらCDの即売会が行われ、
ワシも呼ばれて一生懸命サインなどをしてたのだが、
ファン達との記念撮影が終わって、最後にこの警備員達が恥ずかしそうにサインを求めて来た。

BuYi20thBaoTou3.jpg

ご覧の通り、手には銃を持っている。
一番左の若者は写真撮影のためにわざわざ銃を構えてポーズをした・・・

腕章には「特警」と書かれている。

「武警(武装警察)」やこの「特警(特殊警察部隊)」などは人を射殺する権利を有すると聞く。
もしもこのコンサートで反政府的な活動をして暴動と発展したとしたら、
この人たちはお国のためにきっと容赦なく「暴徒」達を射殺するのだろう・・・

そんな「純粋な」若者がニコニコしてCDを買ってサインを求め、
こうして一緒に記念撮影をして笑顔でワシに握手をして帰ってゆく・・・

これが「中国」・・・今の「中国」なのである・・・

Posted by ファンキー末吉 at:09:34 | 固定リンク

2015年12月 1日

強制送還その後・・・

前回の続き・・・

いつの間にやら夜が明けつつある・・・

監視のためかずーっと付き合ってくれてる職員さん(夜中の部)は非常に人当たりのいい人で、
デバイスを充電するのにコンセントのところにへたり込んでいたら椅子を持って来てくれたり、
また、朝になったら「腹が減っただろう」と外に出て食べるものまで買って来てくれた(涙)

ちなみに職員たりともペットボトル等の水は持ち込み禁止らしく、
身体が温まるようにとインスタントミルクティーを買って来てくれて、
わざわざ職員の部屋からお湯まで入れてくれた。

身体が温まるより何より心が温まったぞ(涙)

しかし状況は全然進展していない(>_<)

何せ頼みの綱の中国国際航空は「パスポートのない人間は乗せません」とはっきりと断ったと言うのだ。

これはますます映画「ターミナル」みたいになって来た・・・

でも映画の主人公は空港に一ヶ月住んで美女と恋をするが、
ワシの周りには女っ気のカケラもない(>_<)

映画では主人公は母国が内戦状態なので帰るに帰れなかったが、
ワシの場合は乗れる飛行機さえあれば帰れるのである!!

しかしその飛行機がなかなかない(>_<)

煙台経由は一度入国することになるのでダメ、
直航便は結局明日の朝までないのだ・・・(涙)

JALとのシェアコード便はあることはあるが、
「あれはJALだからうちの便ではない」
とかわけのわからんことを言う・・・

「じゃあJALに聞いてみたらどうかなぁ。日本の航空会社だったら便宜を図ってくれるかも知れないよ」
とワシはその職員にそう言った。

「そうだねぇ・・・その線も聞いてみよう・・・」
職員はそのまままた外に出て行ったまま帰って来ない・・・

きっと交代の時間だったのだろう、代わりに来た人はその人に比べるとあまりやる気のなさそうな人だった(>_<)

中国のLINEみたいなWeChatにも書き込んだらLaoLuanが心配して電話をくれた。

ひと通り事情を説明したら、
「航空会社に知り合いがいるから調べさせよう」
と言う。

まあ北京で3回調べて出て来なかったと言うのだ、
出て来ないとは思うけど、飛行機が飛んで行った青島でももう一度探してもらいたいものだ・・・

新しい職員さんにもう一度青島に電話をかけてもらっても
「そんなものないってよ」
でおしまいなので、ダメ元で何とかもう一度ちゃんと探して欲しい・・・

それと同時に帰国する便の手配である。
乗れる便がなければ本当に映画のようにここに暮さねばならない(涙)

時間は9時を回った。
大使館が開く時間なので藁をもつかむ思いで電話してみた。

そう言えば前回電話をした時もパスポート紛失の時だった・・・

「うーむ・・・これは初めてのケースですねぇ・・・」
大使館の人も頭を抱えながらいろいろ親切にアドバイスをくれる。

要は飛行機に乗せてくれさえすれば日本には帰れるのだ!!

JALとANAなら日本の航空会社なので何かと便宜を図ってくれるかも知れないということで電話番号を調べてくれたのでかけてみた。

電話口に出た日本の女性も非常に親切で、

1、夕方の東京行きには空きがある
1、外に出れなくてどのように購入するか
1、ボーディングパスの受け渡しはどうするか
1、T2からT3までの移動をどうするか

等いろんな問題を真剣に考えてくれた。
中でも一番の問題はT2からT3の移動だったが、
なんと職員さんが連れて行けば大丈夫だろうということになった。

職員さんもね、寝ずにずーっと交代で監視して、
ほんともう早く出て行って欲しいのよね。

じゃあクレジットカードで購入してボーディングパスを中で受け渡しということで何とか問題はクリア出来るのではということになった\(^o^)/

あとは空港関係と問題を詰めれば乗れると言う・・・

「それでお値段の方なのですが・・・」
一応確認のための値段を聞いて腰を抜かしそうになった。

12000元!!

つまり正規料金で買うことになるので20数万円が片道だけで飛んで行ってしまうのだ(号泣)

もうね、普段往復している片道切符7回分が一回の帰国で消えるのよ・・・
「もう帰るのやめて空港で住もうかな」
などと思い始めた時に一本の電話が鳴った。

LaoLuanである。
「パスポート青島で見つかったよ!!」

もうね、言葉ではいい表せない感激よ!!
誰もいない空港のイミグレーション前で小躍りしたもんね(涙)

きっと「3回探した」と言ってもちゃんと探してなかったのだろう。
LaoLuanがコネを使ってちゃんと探させたら出て来たということなのだろう。

今はパスポートが青島から届くのを待っている・・・←イマココ

あと2時間・・・いや〜14時間待ったのだ。それぐらいどうってことない!!
皆さんもくれぐれもパスポートの紛失には気をつけましょう!!!

Posted by ファンキー末吉 at:10:16 | 固定リンク

強制送還・・・

2015年11月30日、X.Y.Z.→Aのライブを終えたワシは中国東方航空MU526に乗るべく関西空港へと向かった。
その日はあまり腹が減ってなかったので関空のバーでシャンパンを2杯とワイン1杯、
出国してからビールを1杯飲んで搭乗口へと向かった。

飛行機は45分遅れだったので酎ハイを1本買ったのだが、それがいけなかったのかも知れない・・・

飲み干さずに酎ハイ片手に搭乗・・・
片手でパスポートと搭乗券を手渡しチェックしてもらう・・・

そのまま座席、確か32のJに座ったまではよかった。
新しく買ったスケボー付きのリュックが座席の下に入らないのでごぞごぞするためにパスポートと搭乗券を座席前のポケットに放り込んだ・・・

そしてお決まりのようにそれを機内にそのまま忘れて来たのである(>_<)

まあ前にも同じようなことはあった。
「あ、忘れた」と気付いてそのまま飛行機に取りに帰ったり、
スチュワーデスさんが持って来てくれたこともあった・・・
(結構やっとるやないかい!!)

ところが今回は飛行機から降りてバスでターミナルに向かったので取りに帰ることが出来ない(>_<)

職員さんに事情を話すと
「ここで待て」
と言って探しに行ってくれた・・・
(と言うか別にその人が探しに行くわけではない、電話で航空会社とかに探させるのだろう・・・)

そしてこう通告された・・・「見つかりません」

当然ながらワシのポシェットやリュック、服のポケットまで他人の手によってちゃんと調べられる。
見つからなかったら彼らだってむっちゃ面倒くさいのだ。
飛行機の中から掃除したゴミの中まで何度も調べたらしい・・・

「中国語は分かるか?」
役人のような担当者が何人か来てそう聞くが、
まあ言われる前からどうなるかは分かっている。

「強制送還」である。

「機内に行って自分でもう一度探してみることは出来ませんか」
そう尋ねたが、飛行機はもう別の便として青島に飛んで行ったとのことである。

ほんの少しの可能性としては、
青島で機内清掃した時に見つかるということもあるかも知れないが、
まあ3度探して見つからなかったと言うのだから可能性は低いだろう・・・

どっかに紛れ込んでなくなったのか、
見えにくいところに落ち込んで見つからないのか、
どっちにしろ今パスポートがないのだから入国は出来ないのだ。

朝いちの便で日本に帰るしかないのだが、
「じゃあこのベンチで朝まで待つの?」
と聞くと
「別の小さな部屋を用意します」
とのこと。

強制送還の人間にもある程度優しいのね・・・(笑)

「パスポートがないのに飛行機に乗れるの?」
と聞くと
「その手続きはこちらでやるから」
とのこと。

一応パスポートチェックのカウンターで入国カードを提出する。

「日本のIDは持ってるか?」
と言うので運転免許証を出したらやはりそれではダメなようだ。

日本ではマイナンバーを巡って色んな意見が飛び交っているが、
政府が発行した写真付きのIDがない国って先進国では日本ぐらいちゃうか・・・

ただiPhoneの中にはパスポートスキャンのデータが入っていたので、
それを見せたら何とか順調に手続きは出来たようだ。

何でもデータで持ち歩いとくもんだ・・・

手続きが終わるまでワシは入国審査のところのベンチで待っているのだが、
見ればひとり職員さんが残って座っている。

きっとワシを監視しているのだろう・・・

そりゃそうだ、考えてみれば十分アヤシイわのう・・・
このまま人が見てない隙にゲート乗り越えて入国しちゃうかも知れんし・・・

今回長くここにいたので初めてわかったことぢゃが、
飛行機が着いてない時間ってカウンターの職員はみんな引っ込んでしまって数人しか職員がおらんのな・・・

Kyouseisoukan1.jpg

隙を見て入国したら中国での仕事キャンセルせんでもええがな・・・
・・・ってもう二度と出国出来んわい!!!

はてさて、長い待ち時間の間この文章を書いているのだが、
「帰りのチケットを自分で取れ」
と言われていろいろ探しているが、
条件が厳しくて便が取れない・・・

まず「乗って来た空港と同じ空港へ」
そして「直航便で」
(まあそりゃそうじゃわのう、パスポートなしで乗り継ぎ出来んし)

そして面倒くさいのが「T3はダメ、今いるT2から出る便」
・・・ってこのターミナルって乗って来たMUぐらいしか飛んでないんですけど・・・

それじゃあいつまでたっても送り返せんということで、
日本国内の他の土地、そしてT3発着でも空港内を通って何とか入国せずに乗れるよう考えてくれてるようだ・・・
もうチケットはこの人達に任せた!!

ちなみに当然ながら自腹で取らねばならん(>_<)

待つこと5時間、何やら偉そうな人がやって来てワシにこう言う。
「どこも経由しなくて直接日本に行く1日の我が社の便はない。2日ならあるがどうする?」

ワシは「部屋を用意してくれる」と聞いてたので「それもよかろう」と答えた。
まあ明日の朝8:45になったら他の航空会社の便も聞いてみてくれるということで安心してまたそのまま待つ。

隣には相変わらずワシの監視のためかひとりの職員がついている。
そのまま待つこと2時間、さすがにワシは聞いてみた。

「部屋を用意してくれるとか言ってたけどそこへはいつ行けるの?」

するとその職員は笑ってこう答えた。
「部屋なんかないよ」

え?!!!(◎_◎;)
「するってーと2日まで待つってずーっとこのベンチで待つの?・・・」

職員はゆっくりと首を縦に振った・・・←イマココ

Kyouseisoukan2.jpg

速報はこちら

Posted by ファンキー末吉 at:02:23 | 固定リンク

2015年11月 5日

中国でのインタビュー記事(翻訳)

先日ネットで仲間内が盛んにリツイートしてる記事があったので見てみると、ワシのことが書かれている記事だった。

自分の見られ方は日本と中国では大きく違っているが、
中国でもこれほど感激を与えてくれる記事は初めてだった。

猪俣未来さんという方が翻訳して下さったので、
原文と共にここに(注釈も入れつつ)残しておこうと思う。


关于funky桑,他们说:
2015-10-07 + Freak

ファンキーさんについて彼らが語ったこと

在中国摇滚历史上经常会有一些传说:
某一年,京城来了一个弹吉他特别牛逼的人,他无师自通,横扫京城,弹的出神入化,没人知道他什么来头,这人就是唐朝乐队吉他老五。

ある年、北京にとんでもないギター弾きが現れた。
その男は独学でギターをマスターし、その神業ともいえる演奏で北京中を荒らし回った。
彼がどこから来たのか、誰も知らなかった。
その男が、唐朝楽隊(楽隊=バンド)のギタリスト、老五(劉義軍)である。

又是某一年,来了一个日本人,他无意间听到了张楚的歌,深受感动,自此痴迷中国摇滚乐,留在中国,带来了很多的技术和先进理念,对中国摇滚乐有特别大的贡献,这人就是funky。

またある年、一人の日本人が中国を訪れた。
彼はたまたま張楚の歌(注:実は黒豹なんだけど張楚でも間違いではない)を耳にして深く感動し、それ以来中国ロックにのめりこむことになった。
彼は中国にとどまり、数多くのテクニックや先進の理念をもたらし、中国ロックに多大な貢献をした。
その人物が、ファンキー末吉氏である。

这张由FUNKY末吉觉牵头制作的专辑<亚洲鼓魂>,参与者有黑豹乐队吉他手李彤,前主唱峦树斌,唐朝吉他手刘义君,崔健乐队贝司手刘君利,面孔乐队贝司手欧阳,BEYOND乐队吉他手黄贯中,蒙古歌手图力古尔等人。

(これらの写真はファンキー末吉氏が制作責任者を務めたアルバム『亜洲鼓魂(アジア・ドラム・スピリット)』である。黒豹楽隊のギタリスト李彤、元ボーカル巒樹斌、唐朝のギタリスト劉義軍、崔健のバックバンドのベーシスト劉君利、面孔楽隊のベーシスト欧洋、BEYONDのギタリスト黄貫中、モンゴル人歌手トリゲルなど、そうそうたるミュージシャンが参加している。)

Freak:Funky曾任布衣乐队专辑的制作人,这样的传说是真的吗,到底有没有这么神?

ファンキーさんは以前、君たち布衣楽隊のアルバムのプロデューサーをしていたけど、ファンキーさんの伝説というのは本当なのかい? 本当にそんなにすごい人なの?(神という表現をしてる)(驚)

布衣乐队:有啊,他传授给我们一甲子的功力,开国际玩笑呢。

布衣楽隊: 間違いないよ。ファンキーさんは俺達に60年分のテクニックを伝授してくれたからね。冗談だけど。

苗佳:这个不是神,你去他的录音棚看他参与过的中国唱片就知道了,前后参与过几百张中国的原创音乐唱片,不管是主流还是摇滚,这对于一个音乐人来说,你能做这么多音乐简直太不可思议,他只用了二十年时间。

苗佳(布衣のギタリスト):ウソだと思うなら(神じゃないと思うならという表現をしている)(驚)、ファンキーさんのスタジオに行って、今までに参加した中国のアルバムを見てみればわかるよ。ポップスからロックまで、合わせて数百枚のオリジナルアルバムを制作しているんだ。一人のミュージシャンがこれだけの音楽を作れるっていうのは、全くどうかしてるぜ。だって、彼が中国で活動を始めてから、まだ20年しか経ってないんだから。

作为鼓手,合作过的音乐人有陈琳《爱就爱了》、杨坤《那一天》、韩红《红》、许巍《时光,漫步》《每一刻都是崭新的》《在路上》、汪峰《生无所求》、爽子《无能为力》等等。
作为编曲制作,合作过的音乐人有零点乐队,布衣乐队,李慧珍,艾梦萌等。

(ファンキー末吉氏がドラマーとして制作に参加したアルバムは、陳琳の『愛といえば愛』、楊坤の『あの日』、韓紅の『紅』、許巍の『時間よゆっくり流れろ』『1分ごとに新しい』『道の上で』、汪峰の『生無所求(1)』、爽子の『力不足』など多数に上る。
アレンジャーとしては、零点楽隊、布衣楽隊、李慧珍、艾夢萌などと合作している。)

吴宁越:你在中国想录一张牛逼的摇滚专辑就非常难,因为所有的录音室没那么多录摇滚乐队的经验,更没有那么多录优秀摇滚乐队的经验,所以技术水平还是有差距的,你看funky,他想得到的一个鼓,从日本拿过来,他为了一个牛逼的鼓的声音花了二十多年,他找到Wyn Davis才找着这个声音,完了他把那个录音师找到北京做了这个录音棚,他找了二十年的鼓,直接就传到我们这了,现成的就有了这个鼓的声音。

呉寧越(布衣のボーカル): 最高のロックアルバムを中国で制作するのはすごく難しいことだ。すべてのスタジオがロックのレコーディング経験が豊富なわけではないし、その中でトップレベルのロックバンドのレコーディング経験が豊富なスタジオなんてさらに少ない。技術のレベルにはまだ差があるんだ。
ファンキーさんを見てみろ、手に入れようとしたのはドラムの音だけだ。日本から来て、彼は最高のドラムの音、それだけのために20年以上費やした。彼はWyn Davisと出会って、ようやくその音を見つけることができた。Wyn Davisというレコーディングエンジニアを見つけ出して、ようやく北京に自分のスタジオを作ったんだ。彼は20年間探し続けたドラムの音を、俺達に直接伝えてくれた。すでに出来上がったものがあったから、俺達のドラムの音が作れたのさ。

Wyn Davis:Gun's and Roses、Doken、No Debut等乐队的录音师,除了布衣,他还参与过爽子专辑的后期缩混,7月份签约唱片公司的零点乐队,新专辑也将由Wyn Davis制作。

(Wyn Davisとは:Guns N' Roses、Dokken、No Doubtなどのレコーディングエンジニアで、布衣以外に、爽子のアルバムの後期ミックスダウンにも参加している。
今年7月にレコード会社と契約した零点楽隊のニューアルバムも彼の制作である。)

录吉他,录人声,他告诉你怎么怎么录,人声准不是最重要的,有感情是最重要的,就像每个人都有权利谈恋爱,一个穷光蛋一个残疾人,都是有谈恋爱,谈一段辉煌恋爱的可能性,所以这张专辑都是表达一种爱,和你准不准没啥关系,最重要是你有没有得到那份感觉,只有过来人才能告诉你这个话,而且只有过来人告诉你这个话你才会听,一个年轻人告诉我准不重要,我说去死吧你,对吧,你没资格说这个话。

呉寧越: ギターのレコーディングにしても、ボーカルにしても、ファンキーさんはどのように録るべきかという話を俺達にするんだ。ボーカルの音程が正確かどうかは二の次で、感情がこもっていることが最も大切なんだと。それは例えば、誰もが恋をする権利があって、貧乏人だろうが身障者だろうが、誰もが輝くような恋をする可能性がある、だからこのアルバムは、愛の一つの形を表現したものだ。音程が合ってるかなんてどうでもいい、いちばん大事なのは、君らが愛を表現するという気持ちを持ってるかどうかなんだよと。
こういうことが言えるのは、経験が豊かな人だけだし、またそういう人でないと、言っても誰も聞かないよね。どこかの若造が、俺に音程なんてどうでもいいなんて言ったら、お前死ねって言ってやるよ。そうだろ? そいつにそんなこと言う資格はないから。

但是他告诉我们很多这方面的经验,也给我们很多的帮助,从录音到做人,他大起大落最成功的时候,超级巨星,完了他告诉我们当巨星也没什么,他到中国就是因为不想当巨星,因为每天做太多的综艺节目,类似什么爸爸去哪儿这样的,每天大量时间消耗在那里,他觉得没意思。

だけどファンキーさんは、この方面のたくさんの経験を聞かせてくれたし、それが俺達にはすごく役に立っている。レコーディングについても、人としての振る舞いについても。
彼が一番成功してた時でも、要するにスーパースターなんだけど、スターになるなんでどうでもいい、スターになりたくないから中国に来たんだ、毎日たくさんのバラエティ番組、『父さん、僕達どこに行くの』みたいなやつに出て、そこで長い時間をムダにするなんてつまらんからな、と俺達に語っていたんだ。

他来到中国找摇滚乐找了一个星期,没找着,最后一天晚上碰到张楚,他跟张楚去看演出,去看黑豹演出,跟张楚去的时候是写好遗书的,因为这个太恐怖了,你一日本人到中国看摇滚乐,张楚那时候是胖子,rockrock的感觉,funky女朋友和工作人员一看说,你别去太危险了,funky写好遗书,早上七点如果我没回来就是我死了,回日本也别找我了。

彼は中国に初めて来た時、中国のロックを1週間探し続けて見つけられなかったんだけど、最後の晩にたまたま張楚と出会って、ついて行って黒豹のライブを観たんだ。張楚について行くとき、日本人が中国でロックを観るのがあまりにも危険な状況だったから、遺書を書いていったんだ。
あの頃張楚は太っちょで(注:呉寧越が後「太っちょ」ではなく「パンク」と訂正)、一目でロックな感じだったから、ファンキーさんの彼女もホテルのスタッフも、張楚を見たとたんに、危ないから行くなって止めるもんだから、ファンキーさんは明日の朝7時になっても俺が戻ってこなかったら死んだと思え、日本に帰っても俺を探すな、と遺書を書いたんだ。

他去看黑豹乐队,我草,太牛逼了,他说的是日本语言,在一堆中国摇滚青年中间喊日本语,你想想。栾树跟大家说,不要激动,这是日本歌迷,没关系,这是歌迷。然后funky说,我是日本人,我就喜欢中国摇滚。非常传奇的,特别有探险精神,他还去过朝鲜,从中国跨过鸭绿江,走过去又走回来,那是边界,分分钟有被打死的情况,跟他一起去的人,到鸭绿江就不敢走了,没有人再往前走了,他一个人从鸭绿江跨过去,跨回来。

彼が黒豹のライブを観た時のこと、俺はスゲェなと思ったけど、日本語しゃべったらしいよ。大勢の中国人ロッカーの中で、日本語で叫んでたんだぜ、考えてもみろよ。
(注:呉寧越が後に「日本語ではなく英語で『君たちと演奏したい、一緒にドラムを叩こう』と興奮して叫んだ」と訂正)
巒樹(当時の黒豹のキーボード担当)はみんなに、エキサイトするな、この人は日本人のファンなんだから大丈夫だ、って。ファンキーさんは、僕は日本人だ、だからこそ中国ロックが好きなんだ、と言ったんだ。まさに伝説だね。
ファンキーさんについて特にチャレンジャーだと思ったのは、北朝鮮にも行ったことだ。中国から鴨緑江(中国東北部と北朝鮮との国境の川)を越えて北朝鮮に行って、また戻ってきた。あそこはしょっちゅう人が殴り殺されてる国境で、ファンキーさんと一緒に国境まで行った人も、鴨緑江から先へは行かなかった。他に誰も行かなかったのに、ファンキーさんはたった一人で鴨緑江を越えて行って、戻ってきたんだ。

FREAK:这真的是人格魅力。

Freak: それはまさに人間的な魅力だね。

吴宁越:就有特别大的,这种探险的精神。

呉寧越: 特に大きいのはチャレンジ精神だよ。

FREAK:他现在也有演出,作为演出嘉宾你去的会比较多。

Freak: ファンキーさんは今も現役でライブをしていて、呉さんがゲストとして出ることも多いよね。

吴宁越:他就疯狂的要演出,因为他知道自己年纪大了,也不可能天天练,必须要大量的演出才能够保持自己的状态,他现在身边很多玩音乐的朋友都去世了,前两天还去世了一个,而且就在前几个月来中国我和们一起演出,还挺年轻挺健康的,突然心脏病发就去世了,这种对他刺激比较大,感觉分分钟就要挂了,所以每一场演出都是最后一场,尽量多一点演出,他这种态度,你说中国大乐手有几个能够弯下腰去这种小酒吧,没有吧,很少像funky这种超级巨星,就在这种地方演,他玩儿的是音乐,不是明星。

呉寧越: ファンキーさんはクレイジーなくらいライブをしたがってるよ。なぜかというと、ファンキーさんは自分がもういい年だし、毎日練習できる状況でもないから、自分のパフォーマンスを維持するにはライブを大量にやるしかないとわかっているからね。
ファンキーさんの音楽仲間の多くが、もうこの世を去っているんだ。ついこの間にも一人亡くなったし、それから何か月か前に中国に来て俺達と一緒に演奏した、まだ若くて元気そうな人が、心臓病で突然亡くなった。このことはファンキーさんにとって影響が大きくて、1分1分を大事にしよう、毎回のライブを自分の最後のライブのつもりでしよう、そして少しでも多くライブをしようと、そんなマインドでいるんだ。
中国の有名ミュージシャンの中に、こんな小さなバーでライブをしようなんて思う人間が何人いる? いないだろ? ファンキーさんみたいにこんなところでもライブをするスーパースターはごくわずかだよ。彼はどこまでもミュージシャンであって、タレントではないからね。

苗佳:funky桑是真的艺术家,他就算在一个特别小的酒吧里演出,他也要把他的头巾带起来,换上衣服,真的,这是日本音乐家跟中国最大的区别,特别职业。

苗佳: ファンキーさんは真の芸術家だよ。たとえ小さなバーでライブをするときでも、バンダナを頭に巻いて、ステージ衣装に着替える。ホントだよ?
そこが、日本のミュージシャンが中国のミュージシャンと一番違うところだね。本当にプロだよ。

吴宁越:尊重这个现场。

呉寧越: そういうライブには敬意を払うよ。

苗佳:因为我经常就会因为要多开十分钟车,我就少带两份效果器,特别有这种可能,今天演出只有一个我就马上会飞回来,能少带就少带,他绝对不会有这种,他们不是这样的,真不是这样的。

苗佳: 俺は、車で10分余分にかかるからとエフェクターを持ってこないことがしょっちゅうあるけど、今日のライブですぐ戻ってきたのは俺だけだったよ。
持ってこないで済むものは持たずに済ませよう、なんて考えは、ファンキーさんには全くないんだね。彼らは本当に、そういう人たちではないんだ。


Posted by ファンキー末吉 at:06:46 | 固定リンク

2015年8月12日

渡辺英樹お別れ会

8月10日に「ヒデキファイナル」と銘打って行われたこのライブ、
ワシは11日に帰国予定だったのを早めて9日に戻って来た。
(その時の娘の運転どうのこうのの笑い話は後に回すとして)

当日は11時入り、
「何でこんなに早いの?別にVoThMのリハの16時までやることないよね?」
と言うと、スタッフが笑いながら答える・・・

「あら、いいじゃないですか、楽しい楽屋が待ってるじゃないですか」

そうそう、AJ〜米田度とかでは楽屋にいつも笑いと食い物が絶えなかったなぁ・・・(笑)

葬式の時には喋ることも出来なかった米川や笠くん、そしてその時には会えなかった義男なんかと談笑・・・

まあここに英樹さんと田口くんがいないだけで普段のAJ関係のイベントと何ら変わりはない・・・

サウンドチェックは逆リハで行われるのでC-C-Bが最初である。

HidekiFinalRh.jpg

ライブDVDのマルチから抜き取ったベースと歌の音源と、
それ用にまた編集したのであろう英樹さんの映像・・・

これがぴったり合っていてまるでその場に英樹さんがいるみたい!(◎_◎;)

思えばワシはまだまだ英樹さんの死を受け入れられてなかったのだろう。
「まるでそこにいるみたい」

「実際にいる」
とは雲泥の差なのだから、ここで一度ワシの涙腺は崩壊することとなる・・・

それにしても本当に「そこにいるみたい」である・・・

これは今回の全てのスタッフの努力の賜物なのだろう、
ライブ音源に合わせて・・・
そのヨレているであろう演奏に合わせてドンカマを打つ!(◎_◎;)

これがあのライブ感満載の演奏の秘訣なのだろう。

演奏が走ったりモタったり、
その全てには理由と感情があり、
みんなと一緒に走ったりモタったりしている英樹さんの演奏や歌には基本的に英樹さんの「感情」がある。

つまりその状態での「感情」がそのまま映像と共に表現されているのだ!(◎_◎;)

もちろんそれに合わせて演奏する人全ては大変なのであるが、
まあ「アンサンブル」なのだから誰かひとりがそのように引っ張ってゆけば必然的にバンドは「そのように」引っ張られてゆく・・・

つまりこの日のC-C-Bの演奏は全て英樹さんの「感情」のままに引っ張られて演奏されているというわけだ・・・!(◎_◎;)

世の中のテクノロジーは進んでいる。
まるで映画でも見ているかのように、
英樹さんの「感情(魂)」はバーチャルとなって「データ」としてここに「セーブ(保存)」されているのだ。

文字通り「バーチャルとして生きている」と言っても過言ではなかろう・・・


VoThMとしてはこのDVDの音源はマルチ録音されてないので、
代わりにニューアルバムのマルチ音源から「愛し合うために行こう」と「ソドミスト」のマルチ音源は提供していたが、残念ながらそれに同期してる映像はない。

中国での映像をいろいろ送ってはいたが
「食べてる映像ばっかじゃないですか!!」
と当日突っ込まれた(笑)

ただ1曲だけ、ボーナストラックとして録音された「Star」という曲だけ英樹さんがそれに合わせてベース弾いて歌ってる映像を撮っていた。

今にして思えばよく撮ってたよなぁ・・・


かくしてワシはドラムを叩いているのでどのような映像が使われたかは見れなかったが、英樹さんの映像とセッションライブ「ヒデキファイナル」はVoThMの演奏から開始された。

HIdekiFinalVoThM1.jpg

この写真はちょうどその「Star」の時だな・・・
この曲のこの歌詞の部分でまず丸ちゃんが泣いた・・・

「君が星になり・・・僕も星になり・・・」

もちろんこんな時のために書いた詞ではなかったのだろうが、
この状況なのでぐっと心に入って来ますなぁ・・・(涙)

なんか「VoThMの制服」みたいになっちゃった中国ジャージ・・・(笑)

HidekiFinalVoThM2.jpg


さて続いてのステージは「三喜屋・野村モーター'S BAND」と「三野姫」、
まあつまりは野村義男のステージである。

これはマルチから抜き取った音源を使うのではなく、
両ユニットのギターマイナス(だと思う)音源に合わせて野村義男がギターを演奏する。

HidekiFinalYoshio.jpg

映像の方は英樹さんの昔の写真などがスライドショーで流されるのだが、
それを見ながら数曲演奏しているうちに、こらえ切れずに今度は義男が号泣した・・・

まさに「泣き崩れる」という感じで号泣しながらギターを弾く・・・

2年前に同じバンドメンバーだったはっつぁんを亡くして葬儀で泣き崩れてた義男、
今回は仲間内でも「義男、大丈夫かなぁ」と心配されていたのだが・・・

ところがリハでも感激したのだが、最期の曲「スローバラード」のギターソロは凄かった・・・

まるで後ろの英樹さんにギターで語りかけるように、
その思いの全てをギターソロとして表現し尽くしていた・・・

義男ぉ〜お前はやっぱ凄いギタリストだよ・・・


続いてはWY、そしてAJ、ここからは英樹さんのライブ映像とマルチ音源とのセッションとなる。

いや〜ほんと、英樹さんがそこにいるようだ・・・

HidekiFinalWY.jpg

HidekiFinalAJ.jpg


そして最期はC-C-B!!

HidekiFinalCCB.jpg

まさに映像の英樹さんが一緒にライブをやっているようだ・・・

HidekiFinalYonekawa.jpg

そして心の中でまたこう呟いているのだ。
「米川ぁ〜オメエ・・・相変わらずソロが長ぇんだよ〜」
と・・・

HidekiFinalYonekawaSolo.jpg

ライブから音や映像を抜き出しているので、煽り部分とかで
「みんなこの曲覚えてるかい?」
とか
「みんな歌えるかい?」
とか、まさに英樹さんがそこにいるようで、
確かに「バーチャルの中で生きている」・・・そんな感じだった。


打ち上げの席でスタッフが各出演者に挨拶に回って来た時にこう言った。

「ありがとう御座いました。本当にいい形で見送ることが出来たと思います」

打ち上げにはいつもの「声の大きな人」が不在なので、ワシが変わりに大きな声で言ってやりましたよ!!

「見送る?・・・アイツは見送られたりせんよ〜!!
何せデータの中でちゃんとバーチャルとして生きてるからね〜
またやらせてくれ〜ってきっと言いに来るから!!(笑)」

カッカッカッという高笑いが本当に聞こえて来そうなそんな打ち上げだった・・・

松木くんはじめ全てのスタッフの皆さん、本当にお疲れ様でした!!
バーチャル英樹さん、実はワシのデータも入ってるようだから、
ワシがそっち行った時にはスクリーン二つにしてバーチャル共演しよう(笑)

スタッフの皆さん大変だけどよろしくね(笑)

Posted by ファンキー末吉 at:17:40 | 固定リンク

2015年7月17日

渡辺英樹さん永眠・・・

今日正式に発表があったということで、
それに合わせて私もブログにて思いを綴らせて頂きます。


英樹さんと会ったのはもう20年以上前、
確か野村義男が紹介してくれたんだと記憶してる・・・

デーモン小暮のオールナイトニッポンに3人で乱入して、
「この4人でバンドをやろう」
などと騒いでいたが、
結局小暮は参加せずにこの3人でクラシックロックなどをやるバンドとしてちょっとだけツアーを回った。

ここから私が外れて「三喜屋野村モータースバンド」となった、
そのバンドの原型がこれである。

その後あまり縁がなく、
結果10年以上会うことも連絡取ることもなかったけど、
ひょんなことから今度は米川英之が「紹介(笑)」してくれた・・・

「ファンキー末吉と渡辺英樹のリズムセクションってちょっと珍しいでしょ!!」
米川セッションで呼ばれた私たちふたりは、
ドヤ顔の米川くんに二人でこのストーリーを話してあげて・・・笑った。

久しぶりの再会で、
それから「また何かやりたいね〜」ということになり、
Live Bar X.Y.Z.→Aでいろいろ何やらセッションを画策したりして、
ひょんなことから「はち王子様」というキャラクターが生まれて、
「それじゃぁ渡辺英樹も呼ぼう!!」
ということになって「ヒデキング」なるものが登場・・・

今からしてみたらよかったの?こんなバカなことばっか付き合わせて・・・

このトリオではいっぱいツアー廻ったね・・・
「C-C-B以来20年ぶりに来た」
と来る土地来る土地で言ってたっけ・・・

AJ米田渡でもツアーは廻ったけどこれほど細かくは廻らなかったもんね・・・

AJ米田渡のドラマーから外れた頃、
店でライブが終わった後、突然あなたは私にこう言った。

「ねえねえねえ、丸ちゃんとVoThMってバンドやってんだけどドラム叩いてくんないかなぁ〜」

ドラマーが定まらなくて長く活動が出来なかったバンドにこうして私が呼ばれたということは、
「ファンキーさん、ツアー組んでね」
と言われてるような気がしてね・・・いっぱいいっぱい組んだ・・・

気がついたら英樹さん・・・
あなたは私がここ数年で一番多く一緒に演奏したベーシストです。

ここ数年で一番一緒にツアーを廻ったミュージシャンです。

もう一緒にツアーを廻れないなんて本当に寂しいです・・・

王様からこんなメールが来たよ。

「ありがとうございます。ヒデキングを紹介して下さって、ありがとうございました。楽しい思い出、沢山残りました。」

うん、本当に楽しかった!!

JASRACから山のような訴状が届いた時は王様ツアーで、
裁判でのあまりの個人攻撃に鬱になりかけたりした時はVoThMのツアーで、
あなたと楽しくツアーを廻ってたからこそ、
こうして挫けそうになっても何とかギリギリ乗り越えて来れたんだと思う。

楽しい時にも悲しい時にもいつもあなたがいて、
いつもその野太いベースの音と素敵な歌声、
そしてその高らかな笑い声があった・・・

「米田渡〜AJ」の初ライブが終わって、
「ファンキーさんを呼んで本当によかった!!どうもありがとう」
とメールをくれたあなた・・・

王様トリオの長い長いツアーが終わって、
「俺たちみたいな年になってもこんだけ出来るんだ!!本当に自信がついた!!ありがとう!!」
そう言ってくれたあなた・・・

VoThM中国ツアーが終わって、
「来て本当によかった!!呼んでくれてありがとう!!」
って言ってハグしてくれたあなた・・・

思えばそんなあなたに一度もちゃんとお礼を言えてない・・・

いっぱいいっぱい付き合ってくれてありがとう。
いっぱいいっぱいの楽しい思い出をありがとう。
野太いベースプレイをありがとう。
素敵な歌声をありがとう。
いっぱいの愛と素敵な友情をありがとう。

そして、VoThMに呼んでくれてありがとう。

1枚しかアルバム作れなかったけど、
こうして一緒にあなたの音楽をこの世に残すことが出来たことを誇りに思います。

一足先に人生のツアーを終えたあなたの思い出と共に、私はまだツアーを回ります。

長旅、お疲れ様でした。

VoThM最後のドラマーよりリーダーへ
愛を込めて・・・

Posted by ファンキー末吉 at:16:21 | 固定リンク

2015年7月 8日

章子怡(Zhang ZiYi:チャン・ツィイー)

今年もまた汪峰(Wang Feng)のレコーディングに呼ばれて行って来た。

過去のブログを検索してみたが、
最初のレコーディングはこれ
最新はこれ
・・・と毎回毎回アルバムを作る度に呼んで頂いてありがたい話である。

いつも仕事が終わって別れる時には
「是非俺のコンサートでも叩いてくれよ」
と言われるのだが、
日中を行き来しながら彼のような第一線の大きなツアーの仕事を受けることは難しい・・・

結局アルバムのレコーディングの時だけ会う「音楽仲間」のようになってもう数年が経つ。

その「音楽仲間」が最近結婚したというニュースは聞いていた。
しかもその相手が国際的大女優「章子怡(Zhang ZiYi:チャン・ツィイー)」!!

まあ会ったら「どうだよ?有名女優と結婚した気持ちはよ〜」などとからかってやろうとも思ってたが、章子怡(Zhang ZiYi:チャン・ツィイー)ともなるとそのレベルが違うのでその下世話な言葉を飲み込んでいた矢先に・・・

「Funky、紹介するよ、嫁さんの子怡(ZiYi)」

!(◎_◎;)・・・って呼び捨てやん!!
・・・って嫁さんなんやから当たり前か・・・

・・・ってかあの章子怡(Zhang ZiYi:チャン・ツィイー)が素っぴんやん!!!

・・・とか、決して「ミーハー」ではないはずのワシも一瞬頭の中が混乱してしまう・・・

まあ意識すればするほど態度は無関心を装うのは小学生レベルの人間の常なので、
ワシはその大女優に見向きもせずに、
今から叩くドラムの打ち合わせを汪峰(Wang Feng)と一心不乱にやることとなる。

・・・とか言いながら滅多に見ることのないこの大女優の素っぴん顔をちらりちらりと盗み見ながら、
「顔小っちゃっ!!」
とか思ってる自分を見つけては、動揺を隠せない。

何せ汪峰(Wang Feng)は毎回、中国のドラマーが叩けないものをワシに発注するのだ。
ヘタしたらもう既に別のドラマーが叩いたものをボツにしてまでワシを呼ぶ。

そんなふらふらとしてる「心」の状態ではちゃんと彼の高い要求を満たせるかどうかわからない!!

弱い心よ消え失せろ!!
今から命がけの戦いが始まるのだ!!
そんなことでどうする!!

そう自分を叱咤激励してブースへ向かう・・・

そしてまたブースの入り口横のソファーに座っている大女優をチラ見したりして自己嫌悪に襲われたりするのだ・・・

そんなこともあってか、1曲目は結構手こずってふうふう言いながらやっと仕上がった(>_<)

「心が弱いのう・・・」などと考えるのも「雑念」だから、
何とか「無心」になるべく何も考えないようにして2曲目に挑むのだが、
そこで大女優は今度はコンソールルームに入って来てワシの叩いてる姿を笑顔で見つめている!(◎_◎;)

ワシのドラムを叩いてる姿が大好きな汪峰(Wang Feng)が、
きっと「おい、見てみろよ、凄いだろ」などと嫁さんを呼び込んだのだろう・・・

2曲目は「完全に機械と一体化しろ!!」というミッションで、
打ち込みのドラムとオカズまで完璧に全く同じように叩く・・・

そんな中で気持ちが乱れたら機械と一体化なんて出来ないのよ・・・(涙)

人間なんていくつになってもアホなもんで、
「どうするよ、ドラム叩いてるワシ見て惚れてもうたら・・・」
などと馬鹿なことを考えたりする(>_<)

結局いつもよりちょっと時間はかかったが2曲完璧に仕上げて、
いつものように汪峰(Wang Feng)に親指を立てられながら見送られてスタジオを後にした。

そしてまた帰りがけに大女優の素っぴん顏をチラ見してしまう自分・・・

アホやねぇ〜アホやねぇ〜
ホンマ別に大ファンでも何でもないのよ〜

ワシは章子怡(Zhang ZiYi:チャン・ツィイー)というより鞏俐(Gong Li:コン・リー)のファンなのよ〜

その昔、彼女の出演してる映画は片っ端から全部見たし、
中国行ってはブロマイドなど買って部屋に貼ってたら、
その後知り合った前の嫁がそれを見て、
「そんなに鞏俐(Gong Li:コン・リー)が好きなら彼女と結婚すればいいでしょ!!」
とむっちゃキーキー言われたことを思い出した・・・

・・・ってそんな話どうでもええやん!!
このブログは汪峰(Wang Feng)とのレコーディングの話を書くんとちゃうかったん!!

あ・・・タイトルも既に章子怡(Zhang ZiYi:チャン・ツィイー)になってるし・・・(>_<)

Posted by ファンキー末吉 at:11:14 | 固定リンク

2015年6月30日

砂漠の羊工場で飲む!!

零点故郷に錦を飾る大コンサートは盛況の中無事に終わり、
打ち上げの大宴会の中、キーボードの朝洛蒙(Chao LuoMeng)がこんなことを言う・・・

「明日帰るのか?帰るなよ!!
ここまで来たら明日草原行って美味しい羊食って飲もうじゃないか!!」

また一緒になったテーブルが悪かった(>_<)
そのテーブルのほとんどはモンゴル族で、
朝洛蒙(Chao LuoMeng)とはモンゴル語で会話をする!(◎_◎;)

「ここは中国か!!」と思いつつも明日の張張とのレコーディングをキャンセル!!
零点のマネージャーにチケット変更をお願いするのであった・・・


翌日は10時半に集合して車に乗り込んだ・・・

BaYanNaoErCarView.jpg

左右は草原(というよりはもっと木が生えているが)、
道はその真ん中にまっすぐ・・・というのは、
その昔同じく朝洛蒙(Chao LuoMeng)に連れられて行った草原の感覚と同じである。

その時の話・・・これが凄い!!)

ところが前回のように数時間車を運転するわけでもなく、
30分ぐらいで目的地に着いた・・・

BaYanNaoErSabaku1.jpg

BaYanNaoErSabaku2.jpg

草原って・・・むしろ砂漠やん!!!

というわけでラクダになど乗せてもらう・・・(笑)

BaYanNaoErSabaku3.jpg

・・・とまあ、ここは実は目的地ではなく、
また車に揺られて目的地へ・・・

BaYanNaoErSheepFactry.jpg

何とここは養豚場ならぬ養羊場!!
牧草の生えない砂漠地帯のここでは飼料で羊を飼育しているのだと言う・・・

つまり羊の工場!!
ここで何百匹の羊が養殖され、出荷してゆくのだと言う!(◎_◎;)

その羊工場のバラックで宴会が始まる・・・

BaYanNaoErEnkai.jpg

実はテーブルはこれだけではない、
この隣にも同じぐらいのテーブルに同じぐらいの人がいる・・・(>_<)

あのねぇ・・・酒を飲むのに何でこんなに人を呼び集めないかんわけ?!!

特筆すべきはこの写真の一番向こうに見える水タンクのようなもの・・・
(アップ写真)

BaYanNaoErBaiJiu.jpg

あのう・・・これ・・・飲料水じゃないんですよ・・・白酒なんですよ・・・(涙)

テーブルにはこの地に来た時から全ての食卓に並んでいる「零点白酒」(よくこんなもん作ったよなぁ・・・笑)も並んでいたが、
LingDianBaiJiu.jpg
地元の人曰く、「こんな市販の酒より自分たちで作ったこの白酒の方が美味しいに決まっている!!こっち飲め!!」

まあドブロクみたいなもんか・・・飲んでみる・・・

BaYanNaoErDrunk1.jpg

何が「こっちのは全然強くないから大丈夫」じゃい!!
飲むと内臓が焼けただれて、
どこが食道で胃の形がどんなんかまで全部わかるやないかい!!

ちなみに零点白酒は56度、この自家製白酒は46度らしい・・・変わらん(>_<)

外では女たちが羊の肉を串に挿している・・・
車の中ではく朝洛蒙(Chao LuoMeng)
「どの羊がいいか自分で選んでそれをさばいてくれるよ」
と言ってたがさすがにそれはなかったので安心した・・・

BaYanNaoErYangRoouChuan.jpg

面白いのは金串だけでなく枝で作った串に挿しているところである。
味が違うらしい・・・焼き上がりが楽しみである・・・

BaYanNaoErKaoYangRouChuan.jpg

さてバラックの中は大宴会になっていて、
アニメーションGIFを作ってみるとこんな感じ・・・
(ディバイスによっては動いてみえないかも・・・)

BaYanNaoErDrinking.gif
(天に一滴、地に一滴、自分に一滴、そしてイッキ)

そしてモンゴルではお決まりの、酔っ払ってくるとみんなで歌を歌い始める!!

ところが今回はちょっと勝手が違った!!
昨日一緒に飲んでたおじさんが実はこのオカリナのような笛の名手だったのである・・・

カラオケに合わせて彼が吹き始めたら馬頭琴も加わってセッションとなる!!

ちなみにこのオカリナは自家製だそうで、
吹く穴は3つあるし、指で押さえる穴も複雑にたくさん並んでいて、
きっとあらゆるキーに対応しているのだろう・・・

BaYanNaoErDiz12.jpg

BaYanNaoErDiz1.jpg

セッション(というか酔いどれの宴)はどんどん進んでゆく・・・

このねぇ・・・曲を聞いててなんか涙が出て来た・・・

ワシは東京に出て来て「ドラムが上手くなること」だけを目標に生きて来た。
自分より下手な人間は見下して来たし、
それが自分が名声が出来て来たらいつの間にやら自分より無名な人を見下して来たかも知れない・・・

そりゃ弱肉強食の世界だから人を踏み台にしてのし上がって来たし、
踏み台にされる人間は弱いんだからそれでいいと思って来た。

上に行けば行ったでどこまで行っても自分より上手い人間はいて、
それを乗り越えるためにもっと「音楽的に」と高みを目指した。

誰よりも「音楽的」に、そして誰よりも「上手く」、
ワシはずーっと神様に近づこうとして生きて来たのだ。

まるで神に近づこうとして建設されたバベルの塔がその罰を受けて崩壊したように、
ワシの精神はこのモンゴルのおっさんの笛の音で崩壊しようとしている・・・

日本の、中国の、いや世界の一流ミュージシャンとセッションして来て自分を磨いて・・・
どんな一流なミュージシャンとも互角に「戦う」ことを目標として生きて来た・・・

ところがこのモンゴルの名も知れぬアマチュアミュージシャンが、
それをあざけり笑うかのようにこの「音」を奏でている。

「アマチュアは低い、プロは高い」そんな位置決めをした人間をあざけり笑うかのように、
モンゴルの人たちはみんなでこの曲を演奏し、歌い、そして踊る・・・

そして・・・飲む・・・

日本に住むいろんな人は「プロ」という言葉を使うが、
「プロ」は偉くて「アマチュア」は偉くないのか?・・・

世の中は決して平等に出来ていない。
しかし神様はどんな恵まれた人にも恵まれてない人にも、
平等に一日は24時間しか与えていない・・・

その24時間をどう使おうとそれはその人の「自由」なのである。

そして神様は平等に人々に「音楽」・・・つまり「音」を「楽しむ」権利を与えている。
それを楽しもうが楽しむまいがそれはその人の「自由」なのである。

そしてこの曲を聞いて飲み過ぎてるワシの涙腺は崩壊した・・・

ワシは一体何をやっているのだろう!!

この曲を作曲した人は誰なんだ・・・
何でこんなメロディーを書くことが出来るんだ・・・

ワシも世にヒット曲などを残すことが出来た作家の端くれとして、
あまりにもこの作家とレベルが違い過ぎてないか・・・

昔FMでアジアの音楽を紹介するラジオ番組をやってた時、
台湾の少数民族の「郭英男」という歌手(?)にインタビューをしたことがある。
(当時もかなりご高齢だったが、Wikiによると2002年に亡くなられてるという・・・ご冥福をお祈りします)

世界的に大ヒットした「エニグマ」の「リターントゥーイノセンス」という曲の、
その歌声をサンプリングされたその本人である。
これ

もちろん勝手にサンプリングされただけなので世界的にヒットしたと言っても彼のところには一銭の金も入っていない。

彼は台湾の少数民族で、その民族はその民族の「文字」を持っていない。

その民族の中から歌の上手い人間が選ばれて、
代々その民族の風習とかを歌にして次の世代に「歌い継いで」来た・・・

これとかこれとかきわめつけはこれ

彼は中国語はうまく喋れないが、
日本統治時代の影響で日本語を少し喋る。
番組のシメに「ではリスナーの皆さんに一言」という時に、
最後に彼はたどたどしい日本語でこう言った。

「私は歌がずっと好きで、
ずーっと歌を歌ってて、そして今も歌ってて、
とても幸せです」

その言葉を聞いた時にも同じ感情が湧き上がって来たのを覚えている。

モンゴルの草原で、厳しい気候の時も、生きるか死ぬかの時も、
この曲を作った人は「音楽」をやって生きていた。

そこで生み出された「音楽」は何百年もの歴史を越えて、
今もこうしてその民族の人たちに歌い継がれている。

同じように辛い時も、どうしようもない時も、
人々はこの歌を歌って、こうして笑って酒を飲んで「今日」を生きて来た・・・

音楽とはすなわち「生き方」を映し出す「鏡」のようなものである!!
その人間の生活が曇っていれば決してこんなレベルの作品を生み出せるわけがないのだ・・・

曲を作る時に「売れよう」などと思って作ってないか?・・・

同様に歌を歌うこと、楽器を奏でること、
それは誰にでも楽しみながらやっていいことであり、
決して「売れるため」に演奏しているのではない。

「プロになる」などというモノの考えがどれだけ浅ましい考えなのかをひしひしと実感する。

「音楽」を愛する者は、例えどこに住んでいても、どんな生活を送っていてもそこに愛する「音楽」がある。

貧しい者にも豊かな者にも平等に与えられているこの「喜び」を、
心から享受して楽しく「今日」を生きるのも、
曇った考えで苦しい「今日」を生きるのも、
全てはその「人」の自由なのである・・・

Posted by ファンキー末吉 at:15:58 | 固定リンク

2015年6月21日

無事草原に降り立つか小畑秀光(笑)

このイベントのために寧夏回族自治区の草原まで一緒に行く予定だった小畑秀光・・・

(ちなみにブログ記事のチケットキャンセル問題は、このブログをUPした瞬間に更に上司の方から「今回は特別にキャンセル致します」との連絡を頂きましたので会社名等を全て伏字に変更させて頂きました)

まあいろいろあって東京ー北京往復のチケットはゲット!!

本当はイベントは21日だけ参加予定だった小畑秀光、
20日のトリを務める李夏(Li Xia)と21日のトリを務める老呉(LaoWu)と一緒に飲んでる時に、
「じゃあ20日も出てもらおうぜ〜」
ということになった。

そうすると、もともと20日に草原入りすればよかったものが19日には草原入りせねばならない。

かく言うワシは李夏(Li Xia)のバックでドラムを叩くので同じく19日入りなので、
ではということでユッコ嬢も含め全員19日入りにしようということに相成った。

ところが心配なのが小畑の乗るパキスタン航空・・・
これが遅れて19日の北京ー銀川に乗り遅れたら目も当てられない・・・

「小畑は16:35に北京に着くからね!!なるだけ遅くの飛行機にしてよ!!」
と主催者に念を押しておく・・・

そうして用意されたチケットが、19:20発のCZ6117・・・

まあ約3時間の乗り換え時間があるのだから通常なら大丈夫のように思えるのだが・・・
これがさすがはパキスタン航空!!さすがにそうはうまくはいかない(笑)

発信者:小畑秀光
日付:2015年6月19日 12:09
件名:フライト時間変更
本文:15時にフライト予定であります!

まあよく言えばポジティブ、悪く言えばお気楽なヤツなのでこのような返信をしておく・・・

発信者:ファンキー末吉

既に1時間遅れたか・・・
あと1時間遅れたらアウトである・・・
自力で寧夏まで来るよーに!!(笑)

発信者:小畑秀光

ギャアアアアアアアアアア!!!

とまあここまでは笑い話であるが、ここからだんだん笑えなくなって来る・・・
以下は小畑秀光からのメール

日付: 2015年6月19日 12:12
所持金50元プラス1000円でありMAX!!!

日付: 2015年6月19日 14:54
飛行機に乗り込みました!!

日付: 2015年6月19日 14:56
ウオオオオオオオオ!!

日付: 2015年6月19日 15:31
まだ飛びません!!!

日付: 2015年6月19日 15:42
飛びそうです!!ゴーと言ってます!!

・・・と、ここで飛んでくれればまだよかったのだが、
結局飛んだのは16時を越していた・・・

・・・ということは2時間遅れ・・・
・・・ということは乗り換え時間は1時間ないということになる・・・

あかんやん(>_<)

まあ奇跡的に30分で入国手続きして荷物も取って出てくれば乗れないこともないかも知れんがまず無理!!

老呉(LaoWu)の奥さんと一緒に行って、
彼女を残してワシとユッコ嬢だけ銀川行きに乗り込む。

いや〜混んでたなぁ・・・
実はこの週末はちょうど端午の節句、旅行客が集中する時期だったのだ・・・

それがその後の小畑秀光を苦しめることになる・・・

ちなみに小畑秀光は真央くんという友達を連れて来ていた。
小畑秀光のチケットはもちろん主催者が出すが、
真央くんは自腹でついて来ているので自分で出すことになる。

その2枚のチケットは変更もキャンセルも出来ないチケットゆえ、
そのチケットを捨てて新たに買い直さねばならない・・・
(取った人間が違うのでかなり面倒くさいのよ〜)

とりあえず窓口を一本化してワシは飛行機に乗る・・・
・・・がしかし、端午の節句ゆえその日のフライトは全滅!!

小畑と真央くんは村に帰って一泊することとなる・・・

Obata&Mao.jpg

まあ笑ってられるのもこの頃までだった・・・(笑)

ワシはワシで夜中に着いて酒を飲み、
二日酔いで目覚めたらそこは草原だった・・・

Sougen1.jpg

Sougen2.jpg

草原と言っても草がないから砂漠ではないか(笑)

小畑秀光は北京のファンキースタジオにて翌日6月20日朝4時半起床!!
ちなみに八王子の家(ワシの家やないかい!!)を出たのが5時だったらしいから、この時点で既に24時間経過・・・

ワシが起きた頃にはヘタしたら草原に着いているだろうぐらいに思ってたら小畑からのツイート・・・

小畑-激鉄MAX-秀光
‏@SteelangelJet
8:48 - 2015年6月20日

またしてもトラブル!!
早朝4時30分に起床!空港のチケットをなんとか手にするが何故か搭乗直前にカウンターに止められて チケット無効。
一体どうなる!!
諦めない!!

・・・どうも主催者が取ったチケットにトラブルがあったらしく、
真央くんは乗れたが小畑は乗れなかったらしい・・・!(◎_◎;)

そこからが小畑の(というか周りの)戦いが始まる!!

老呉(LaoWu)の奥さんはその日の用事をキャンセルして小畑に付き合う・・・
・・・が中国語が喋れない小畑はコミュニケーションが出来ない(>_<)

WeChat(LINEの中国版のようなシステム)で間に入ってやりとりをする・・・

「彼女が話しかけてくれるのですが全く通じなくて苦労しておりMAX!!荷物がどうだとか言って、何かが出来ないということです」

彼女にメッセージを送ってどういうことか聞いて小畑にメッセする・・・
また草原だから電話もネットも繋がりにくくて大変なのよ・・・(>_<)

結局はこういうことらしい・・・

まず主催者の取ったチケットは無効となったので
(おそらく名前の綴りが間違ってたとか?)
そのまま無効になり買い直さなければならないのだが、
次の便もその後もその日の便は全て満席のためキャンセル待ち。

キャンセル待ちはギリギリになって乗り込むので手荷物預けが出来ないので機内持ち込みだけにしてくれということらしい・・・

幸いギターは真央くんに託して持って行ってもらってたので
(グッジョブ!!)
問題はちょっと金が入ったからといって全部使って買い揃えた小畑のエフェクターである。

ObataSougenEffecter.jpeg

手荷物と合わせて26kg以上あると言うが、
やり取りしているうちに「重さ」ではなく「大きさ」が問題なのではという結論に落ち着く・・・

あわやエフェクターボードを全部分解してバラで持って行くかという話になっているところに嫁から連絡が来た。

「この便空席あるやん・・・乗れるんちゃうん!!」

見れば乗り換え便にまだ空席があるそうな・・・
ワシも信号の悪い中、ネットでいろいろ調べてみる・・・

見れば中国のチケットサイトでは直行便しか案内されず「全滅」と出るのに、
日本のチケットサイトでは乗り換え便がちゃんと案内される・・・

老呉(LaoWu)の奥さんにすぐ連絡して「乗り継ぎ便を探せ」と指示するのだが動く気配がない(>_<)

思うに中国人は「乗り継ぎ便なんて」みたいな感覚があるのかも知れない・・・
空港のチケット売り場でも一切案内してくれず、
こちらで調べて「このチケットを買え!!」と言っても「え〜??」と反応が鈍い(>_<)

仕方ないので全ての乗り継ぎ便の可能性を調べて、
便名と出発、到着時刻を表にして老呉(LaoWu)の奥さんの送りつける。

西安の乗り継ぎ便が多いようだが、
北京ー西安の航空会社と西安ー銀川の航空会社が違う便は除外した。

現実
「乗り換え便なんて前の便が遅れたら乗れないじゃない、どうすんの」
と来たので
「同じ航空会社だったら責任持ってケアしてくれるから大丈夫!!」
と送っておく。

「結局その日に乗れなかったらどうすんの!!
秀光(XiuGuang)は言葉が喋れないのよ」
と来るので、
「大丈夫!!航空会社が責任持ってホテルを取ってくれるから!!
ワシは経験があるんだから大丈夫って!!」
と念を押すが実はこれは「ウソ」である。

航空会社がホテルを取ってくれた経験はこの話で、
小畑のこの場合に取ってくれる保証は全くないのだが、
乗り換え地が「西安」であるということからワシは「大丈夫」と踏んだのだ・・・

実は老呉(LaoWu)たちのバンド布衣(BuYi)はツアー中で、
この草原フェスティバルが終わったら翌日には西安に行くのだ。

つまり小畑が空港で野垂れ死にしそうになっても、
翌々日には老呉(LaoWu)がその空港を通るということなのだ(笑)

まあすったもんだありながらウソも交えながらやっと老呉(LaoWu)の奥さんを説得し、次の便をやっとこさ取った!!

北京12:25ー西安14:25 CA1223
西安15:35ー銀川16:45 CA1923

乗り換え時間は1時間と短いが、
CAからは18時に着く次の便もあるので間に合わなければそれに変更してくれるだろうと老呉(LaoWu)の奥さん・・・

ホンマに変更してくれるんか?・・・ワシのウソを鵜呑みにしている・・・(怖)

まあ要は遅れなければいいのである。
まあ遅れたら遅れたで・・・達者で暮らせ!!小畑秀光!!(笑)

こちらはこちらで草原フェスティバルのサウンドチェック!!
ちょうどそれが終わった頃に小畑からいくつも音声メッセージが入っていた。

「ファンキーさーん!!助けて下さい〜!!!プツッ」
「助けて下さい〜!!!ヤバいよ〜!!プツッ」

だから〜何で困ってるのか要件を送って来んかい!!
と突っ込もうとしたら空港職員らしい中国人からメッセージが来た。

「彼の荷物はまだ出て来ないけど次の便はもう出るので、
じゃあこうしましょう、銀川の住所を・・・ブツッ」

とりあえず「打电话过来(電話して〜)」と中国語で書いて電話番号送ったらその人から電話が来た。

「じゃあ荷物は空港受け取りでいいから取り敢えず本人を乗せて!!」

荷物があって本人が来なければライブは出来ないが、
本人がいてエフェクターがなくても取り敢えずはライブは出来る・・・

その後、
「乗り換えって案内が何もないんですけどどこ行けばいいんですか?」
とか
「2階の31番って一度外に出るってことなんですか?」
とか
「チケットも何もないですけどいいんですか?」
など細かいやり取りを空港職員に電話を変わってもらいながらして、
何とか無事に搭乗口まで行ったようだ・・・

乗る直前なのだろう・・・こんなメッセージが飛び込んで来た。
「ちなみにエフェクターなのでそれがないと本日とても困ります」

まあお前が来ない方がもっと困るのだからとそれを無視!!(笑)
今度は手荷物の受け渡しの段取りである。

スタッフに先ほどの西安空港のかかって来た電話番号を知らせてどの便にエフェクターを載せたを聞いてもらう・・・

ところが普段はいい加減な仕事しかしないこの国が、
時々ちゃんと仕事をしたりするから始末におえない(>_<)

「手荷物番号がなければ調べられない」

あんたが載せたんやからその便を言ってくれればいいでしょ!!
「手荷物番号をちゃんと言える人にしか教えられない」

(>_<)

小畑の到着を待って
「すぐにその手荷物番号の半券を迎えに来たスタッフに渡せ!!」

ところが実はワシが連絡を取ってるスタッフと迎えに行ったスタッフは違うスタッフだった(>_<)

言葉の通じない長髪のおかしなヤツから手荷物チケットの半券を渡され何やら言われた彼は一目散に空港に引き返し出したのだ・・・

「空港に引き返しているでMAX!!」

そのスタッフにワシに電話させろ!!!(>_<)
「现在给我打电话!!(すぐにワシに電話しろ)」
と書いて送っておく。

かかって来た電話で事情を説明し、
渡された手荷物チケットを本人に返せと指示して、
小畑にはそれを写メしてこちらに送れと指示する。

その情報を担当スタッフに送って電話をさせ、
夜8時のZH9169に載せたということがわかる。

ところが8時は既にイベントは始まっていて取りに行くスタッフはいない(>_<)

取り敢えず小畑には「あきらめろ」と言って借りられるエフェクターを探して、
この日のライブはぶっつけ本番で人のエフェクターで何とか盛り上がった!!

翌日にはスタッフがエフェクターを取りに行って、今日はフル装備で臨む!!

よくやった小畑秀光!!
ライブが終わったらなんぼでも羊食って酒飲んでよし!!

Posted by ファンキー末吉 at:10:14 | 固定リンク

2015年5月19日

ギャラの取りっぱぐれ(>_<)

まあ中国ではよくある話ではあるけれども、
これに関しては長い経験の中からいろいろとうまい方法を編み出している。

まずは「(1)損して得取れ!!」

「いくらでもいいから、そしてタダでもいいから仕事しとけば後々いいことあるよ」
と判断した場合、
「別にギャラは要らないよ」
と言ってそれでも一生懸命仕事をやってあげる。

「(2)後払いはもらえないと思え」

これは昔の日本のスタジオ仕事でもそうだったが、
その日にくれなければ後にくれるという確率は断然低くなる。

そういう場合はもう「もらえない」と判断して(1)の範疇に入れ込んで諦める。

「(3)中国人には中国人をぶつける」

基本的に「本人としか話をしない」という中国人だが、
外国人が喧嘩をするとネイティブな中国語の人には必ず負けるので、
とりあえず交渉ごとは中国人と中国人でしてもらった方が話がまとまりやすい。

ワシの場合は長い付き合いの人には自分で話すが、
初めての人とか映画音楽のように契約書を結んだ方がよいモノに関しては必ず中国人を間に入れる。

上記のような経験則によりここ数年このような事件は起こらなかったけれども、
今回はちょっと話が違ってしまったようだ・・・(>_<)


事の始めはと言うと一本の電話である。

いろんな勧誘電話が多い中国では基本的に知らない番号の電話には出ないのだが、
何の気なしに受けた一本の電話が発端である。

「Funky!!俺はギタリストの@@、CD Bluesで会ったことあるだろ、覚えてる?」

もちろん覚えていない(>_<)
でもそう言うと元も子もないのでとりあえず要件を聞く。

「秋にツアーを廻りたいんだけれども・・・」
いろいろ相談を持ちかけられる・・・

「仕事取るのにどうしてもMVが必要なんだけどどうやって撮ったらいいかなぁ・・・」
取りあえずうちに来れば〜ということで会う日を決める。

もちろんそこにアシスタントである方言(FangYan)も同席させる。
すなわち(3)の原則である。

うちに現れたギタリストの@@、ボーカリストの奥さんも連れて来ている。
ところがいろいろ話すに考えが多すぎて全然話がまとまらない。

MVの撮り方にもいろんなやり方があるが、
「どれだけのモノを撮りたい」
というのがあって初めて方向性が決まる。

もちろんそれによって予算も大幅に違って来る。

カメラ何台も置いて、マルチレコーディングしてなどと言ったら、
録音やシューティングだけでなく編集やミックスダウン、
更に追求して差し替えなどやってたら1ヶ月仕事になってしまう。

まあJazzミュージシャンだと言うし、
「だったら昼間のライブバーでも借りて一発録音でやればいいんじゃないの?」
とアドバイスする。

まあその時にちゃんとギャラの話をしとけばよかったんだけど、
これは(3)の原則があるので方言(FangYan)
「後でちゃんと話しておけよ」
と釘を刺しておく。


それから何度かやり取りするのだが、
譜面を用意しろと言ってもロクでもないのが送られて来るし、
なんかわけのわからんデモとかも送られて来るし、
「仕切りが悪い」の典型的である。

また考えがいろんなところにぽんぽん飛ぶので収拾がつかない。
「決定になったものだけ伝えてくれればいいよ」
と釘を刺す。

MVもまだ取ってないのに秋のスケジュールなんか押さえたって何の役にも立たないのだ(>_<)

かくしてMV収録の日取りが決まり、その前日に方言(FangYan)がギャラの話をした。

同様に「バンドに加入してくれないか」というPushというバンドは、
「照明とかにお金使って予算もないだろうから」
ということで「2000元でいいよ、リハ代も要らない」と指示していたのが、
なんとその数倍のギャラを先に振り込まれたりしてる事実もあるので、
「取りあえずお金もないだろうから1000元って言ってみなよ」
と指示した。
「別にそれが500になっても構わないから」
と付け加えてもいる。

まあ要は「人助け」である。

現実、そんな「人助け」で安いギャラでやってあげた映画がその年のタイタニックの興行成績を抜く大ヒットとなって、
一躍ワシを「売れっ子映画音楽家」に祭り上げてしまったということもあったし・・・

ところが方言(FangYan)が悲しそうにワシに言う。

「お金の話をした途端にいきなり機嫌が悪くなって・・・」

それでも「払う」と言ったのならそれでよい。
イヤな役回りは方言(FangYan)に任せて、ワシは笑顔で音楽の話だけしておけばよい。

まあこれも(3)の役割分担である。


かくして現場に到着・・・和やかに撮影は始まるが・・・
まあこれが仕切りが悪い悪い(>_<)

「一応全部の譜面は印字して持って来てね」
と念を押してるのに持って来てない(>_<)

見ればベーシストが譜面を持ってたのでそれをもらって全部コピーに走る・・・

オリジナル曲は全く使えないほどの手書き譜面で、
コピー楽曲は6枚綴りの勧進帳譜面・・・(>_<)

時間は1時から5時までの4時間しかないので、
「時間もないから大事な曲から順番に撮っていこう」
と提案。

彼が最初に選んだのがその勧進帳の曲(>_<)

なんで????
ツアーブッキングするためにはまず奥さんの歌うオリジナル曲でしょ???

まあ「仕事」なのでよい。
「じゃあやるよ」となると、ただでさえややこしいその譜面で、
いろんなセクションが書かれてないので叩けない。

「これはドラムは上段のメロディー部分に合わすの?それとも下段のベース部分?」
質問してもキョトン・・・

「じゃあ原曲聞いてみよう・・・」
おいおい、あるんだったら予め送っておけよ!!!!(>_<)

むっちゃ難しいタワーオブパワーのようなそのセクションを譜面に書き込んで、
「じゃあやってみるよ」

ベースは違うことやってんじゃん!!
ギターは違うことやってんじゃん!!

「ゆっくりの速度からやるよ!!」
確認しては譜面を書き直してやっとセクションが出来上がり、
「じゃあ撮るよ!!」

結局誰かが間違えたりして何度も何度も撮り直し・・・

だいたいこの曲撮ってツアー先に送りつけて何かメリットあんの?・・・
徒労感満載だが、ドラマーとして初見でこの難曲を完璧に叩けるという「満足度」はある。

他の誰が間違えてようが、自分が完璧なら「OK」を出して(笑)次に進む・・・

奥さんが歌うオリジナル曲、これはボサノバ曲なのだが、
譜面がぐちゃぐちゃなのでベーシストがそれを書き直すのに大きな時間のロス。

でもまあ簡単な曲なのであっと言う間に終わる・・・
何故これを先に収録せん!!!!(>_<)

じゃあ次のオリジナル曲をやるのかなと思ったら、
「時間がないのでそれは今日はやらない」
とのことで、
「じゃあSpainをやろう」
となる。

何故Spain????(>_<)

もうこうなって来ると何の目的やらわからなくなって来る。
オリジナルを後回しにして何故Spain???
それでライブツアーが組めるの???・・・

馴染みの深い曲だったので譜面をチェックしてなかったが、
これはよく知られてるバージョンではなく、
変拍子も入るしユニゾンのセクションも全然違うバージョン(>_<)

これを初見でやんの?・・・

まあいい、ドラマーとしては大きな挑戦である。
セクションごとにまた細かくチェックしてゆき、
違ってるところは指摘して譜面に書き込んでゆく。

「じゃあ最初からやるよ」

やれるわけがない(>_<)
まあそれでも簡単にするところは簡単にして最後まで通すか通さない頃に時間切れ・・・

「ふう・・・」
と一息ついて帰ろうとする前に方言(FangYan)に「金の話はしたの?」と釘を刺す。

「いえその話は出てません・・・」
おいおい、その話を出すのがお前の仕事じゃろ!!!(怒)

もう一度ギタリストを捕まえて話をして帰って来て、
「今日はギャラなしだそうです。次の時にということで」

アホか!!

(2)の原則である。
長く付き合おうと思う人間にはよいが、
このままこのギタリストに付き合ってずーっと「先生」をするつもりもないので、
「次はない!!今日もらえなければもう次はないから今日もらえ!!」
と言い放つ。

方言(FangYan)も「もうこれ以上言えない」と困り顔。

「よし俺が言う!!」
とギタリストを呼び出して座らせる。

向こうの言い分はこうだ。
「お金の話なんか一度も出なかったじゃないか。突然言われても困る」

こちらの反論はこうだ。
「昨日ちゃんと話したでしょ」

あちらの再反論はこうだ。
「昨日言われたって払えるわけないじゃん」

とどのつまりには
「金払えなんてそんなヒドい話はない!!」
となる。

まあ最後にはテーブルを叩いてコップを割ったり、
奥さんがヒステリックにわめいたり大変(>_<)

まあまあまあ・・・

カメラを回していた映像担当者が心配そうに寄って来た。
彼は今日出会って開口一番に
「お会いできて光栄です。私は中学の時にあなたのアルバム亜州鼓魂を聴いてました」
と言ってた人間である。

顔を近づけて耳打ちする。
「じゃあギャラももらえないようですから、俺の音と映像は一切使わないで下さいね。勝手に使ったら告訴しますから」

まあ相手は怒ってるので話してもしょうがない。
「じゃあそういうことで〜」
と笑って手を振って場を後にする。

笑顔、笑顔・・・どの世界でも一番大切なのは笑顔である!!


夜にはCD BluesのオーナーのBig Johnに会ったのでこの話をしてみる。

ロック界(流行音楽会も含む)では誰もワシに未払いを起こすような人間はいない。
もう二度とワシの周りの人間と仕事が出来なくなるからである。

(1)の逆のパターンである。
1000元ぐらい払っといてお近づきになっといた方が逆に得なのである。

まあJazz界はまた世界が違うから、とりあえずその世界のトップの人間に一報入れておいたというわけだ。

別にそのギタリストを追い込もうというのではない。
彼も今日の映像を使おうと思ったら次の機会には
「Funkyさん久しぶりdす〜」
と笑って電話をかけて来るのだ。
それが中国人(笑)

その時にBig Johnに一報入れておくことで彼もBig Johnにとりなしを頼んだり出来る。

まあヤクザの世界と同じやな(笑)

Big Johnは
「あいつかぁ・・・金がねえんだよな・・・」
と頭を掻く。

そうなのだ。
だから決してこのギタリストを攻撃してはいけない。

弱気を助け、強きをくじく・・・

彼がワシよりも強い立場だったら堂々と胸を張って攻撃すればよいが、
自分より立場の低い人間にそれをやっては「任侠」がすたる。

まあこのギタリストも100元でも払っておけばよかったのだ。
もしくは金がないなら自分を偉そうに見させるよりも「ない」と素直に相談すればよかったのだ。

まあそれでもワシは一日出向いてドラムの練習させてもらって、
またちょっと上手くなったからそれでいいか(笑)

北京の仕事はこの時代になってもこうやって進んでゆく・・・

Posted by ファンキー末吉 at:10:17 | 固定リンク

2015年4月 5日

売れないドラム叩きの成れの果て

去年ずーっと高知新聞で連載させて頂いたエッセイを編集加筆して
自叙伝としてまとめた本
ファンキー末吉 中国ロックに捧げた半生
を出版してくださった高知の出版社「リーブル出版」の担当者の方が、
Facebookページにこの本の宣伝をUPして下さった時にコメント欄に書き込まれたのがこの言葉である。

「売れないドラム叩きの成れの果て」

一瞬目を疑ったが、その後の担当者の受け答えが絶妙だった。

◯◯さま、その通りかもしれません(≧∇≦)
ただ、その「成れの果て」の話がなんとも面白いのです。
ぜひご一読いただければ幸いです(*^o^*)

思えば私の本を出版して下さった出版社の方は揃って私の本に愛情を持って下さっている。

前作(ストーリー的にはこの続編に当たる)「平壌6月9日高等中学校・軽音楽部 北朝鮮ロック・プロジェクト
の担当者の方は
「自分が今まで手がけた本の中で一番面白い」
とおっしゃってくれたし(毎回言ってるのかも知れないが)笑
大陸ロック漂流記―中国で大成功した男
を出版して下さった(今はもうこの会社自体がなくなってしまったが)担当者の方は、
タレント本を出し続けなければならない現状、
ろくな文章でもないのにタレントの名前が有名な人ほど売れる現状
などを話して下さった後に、
「出版という仕事に従事している身として、この本の出版に携われたことを誇りに思います」
とまで言って下さった。

本当にありがたい話である・・・

「物を生み出す」という作業において一番幸せなことは、
その生み出されたものを愛してくれる人たちと一緒に仕事をすることである。

改めてお礼を述べさせて頂きたい。


さて前述の「売れないドラム叩きの成れの果て」の話・・・

思い起こせばドラマーとして、
あのまま所属事務所とケンカもせずにずーっと爆風スランプのドラマーとしてだけ活動していたとしたら、
相変わらず多くて年に1回だけ発売するアルバムのドラムを10曲ほどレコーディングして、
その曲と他数曲いつもと同じ楽曲だけをツアーで演奏するだけで一生を終えてただろう・・・

ところが中国に渡ってからはスタジオミュージシャンとして既にもう500曲は超えるだろうレコーディングを経験している・・・

その後日本に帰ってからはセッションミュージシャンとして数多くの楽曲を演奏しているから、
あのまま爆風スランプの曲だけを演奏し続けたとしてレパートリーはせいぜい100曲?・・・
優にその何百倍もの曲・・・どんなジャンルのドラムであろうが、どんな難曲であろうが叩けるようになったと自負している。

「売れない」どころか昔に比べたらドラマーとして大きく花咲いているぞ・・・(笑)

逆にあの頃のワシは「ドラマー」としては全く「売れてない」と言っても過言ではあるまい。

本にも書いているが、
日本では誰もワシのドラムを求めてたわけではない、
ワシの「名声」を求めてただけの話なのだから・・・

まあこのコメントを残した人も間違いなくワシの「名声」だけを見てたのだろう・・・

ワシもこんな人間だから過去にはいろいろ人に名声を利用されたり金を騙し取られたりしたのでわかるが、
自分に確固たる「価値観」がない人ほど「名声」とか「金」にしか価値観を見出せなくなる・・・

それしか価値観を見出せないんだからそれを手に入れるためにはそれこそ人を騙したり悪いことをしてでも手に入れようとする・・・

ところが「ドラムが上手い」とか、お隣の二井原さんみたいに「歌が上手い」という価値観とかあるとしたら話は別である。

何せこの自分が求めている価値観まで達成するためには、
人を騙したって悪いことしたって「魂」と「経験値」以外には全く何の役にも立たないのだから・・・

芸能界は砂の城みたいなもんだと中国でも言われているが、
その砂の城を守ろうとしてみんながしゃかりきになっている。

爆風スランプが一番売れている時でさえ、
歌番組なんかに出るとワシらは「この中で一番売れてないのは自分だ」と思っていた。

きっと全ての芸能人がそうなのだろう・・・
むしろあの頃は今ほど売れてなかったぞ(笑)

まあこの人が言いたいのはきっと「落ちぶれた」という意味のことだと思うのだが、
そう思うと、日本における爆風スランプの見られ方というものが浮き彫りになって、
「ああなるほど・・・だから俺は中国に逃げて行かねばならなかったんだな」
と妙に納得する。

甘利匡輔という男がいる。
(その話はこちら

中国ロックを愛する者なら知らない人はいない。
ワシは今でも彼が作り上げた中国ロックのレールの上をひとりでとぼとぼ歩いているのだ。

たまたま同じ八王子に住んでいるので老呉(LaoWu)や張張(ZhangZhang)が来日した時に紹介した。

もう二人とも目の色が違う。
何せあの中国ロックの数々のスタンダードを作り上げた人間、
あのギターのフレーズを弾いている人間が目の前にいるのだ!!

「彼は今どんな活動をしてるんですか?」
そう質問された時に、ウソを言っても仕方がないので
「いや、家業を継いで今は趣味でギターを弾いてるそうだよ」
と答えた。

中国ロックを愛する者ならば、それを聞いたところで誰も甘利くんを「落ちぶれた」などとは思わない。

何せ彼が崔健(CuiJian)と一緒に作り上げた音楽は、
「中国で初めて生まれたロック」として今でも人々に大きな影響を与え続けているのだ。

誰もがその偉業を尊敬している。
あまりにも素晴らしい偉業であるがゆえに、
今その人が何をしてようが関係ないのだ。

「売れないドラム叩きの成れの果て」
そうコメントしたこの人は、もちろん爆風スランプのことを知ってて言っているのだろう。

ということは爆風スランプは中国における崔健(CuiJian)に比べたら全然尊敬されてないということなのだ・・・

ワシは何もこの人に文句を言おうとか思っているのではない。
この人に代表されるように、これが「芸能界」であり、
ワシにとっての「この国」であった。

だからワシは中国に逃げて行かねばならなかったのだ・・・

「有名である」・・・ワシにとっては本当にやっかいな「諸刃の刃」である。
そんなものとは決別して裸一貫で今の中国での地位を築いた。

でも日本に帰ると今だにそのどうでもいい「負の遺産」に振り回されることとなる。

「有名税」とはよく言うが、
ワシにとってはもう得るものよりも払うものの方が多くないか?・・・

あ、それが「税」か・・・(笑)

Posted by ファンキー末吉 at:16:59 | 固定リンク

2015年3月26日

最強のドライバー「娘」

娘が小さい頃から
「お前いくつになった?あと何年で免許取れる?」
と聞いていたらしい・・・

もちろん自分が酒飲んでる時に運転して欲しいからである!!

かくして娘も18歳になり、
もちろん真っ先に合宿免許を取りに行ってもらった。

金も全部ワシが出す!!
毎回タクシーに乗って帰ることを考えたら安いもんである・・・

そしてVoThMのツアーでついに長距離も経験!!
ツアードライバーを3度も経験して初心者マークが取れて今に至る。

そして先日の鶴ヶ島ハレでのVoThM+五星旗3rdライブの時、
ワシが飲むといつも運転させられる仮谷くんも飲めるようにと「娘ドライバー」を稼働することとなった。

さてこの鶴ヶ島ハレは沖縄料理の美味しい店で、
美味しい焼酎やら何やら盛り上がってた時に、
一緒に盛り上がった横浜市にお住まいのとある奥様、
「終電乗り遅れたらもうタクシーで帰ります!!」
と言いながら盛り上がっている。

「鶴ヶ島から横浜なんかタクシー使ったら2万円はいくで〜」
とか盛り上がってるうちに本当に終電に乗り遅れた(>_<)

まあ聞けば横浜市ではあるが「たまプラーザ」だというのでうちからそんなに遠くない。
「ほな娘がみんなをうちに送った後にそちらまで送って行くわ〜」
ということに相成った。

「うんええよ〜」
ということで娘ドライバーはワシら酔っ払いとこの奥様を乗せてうちへ〜

ついでに店が終わってあーちゃんが家に帰るというので、
「ほなあーちゃんも乗せて帰ってあげてや〜」
「うんええよ〜」
というわけでワシら酔っ払いは酔いつぶれて寝た。

さて翌日、ワシは弁護士とミーティングがあるので朝早起きしたのだが、
ふと見つけた昨夜の奥様からのLINEのメッセージ・・・

2:43 羽田なう!!

羽田?・・・たまプラーザじゃなかったっけ・・・
娘のFacebookを覗いてみる・・・

2:47 羽田なう笑笑笑笑笑笑 二倍通り過ぎた笑笑笑笑 これから40分かけて目的地戻ります笑笑笑

HanedaNow.jpg

八王子からたまプラーザに行くのに、
何をどう通り過ぎて羽田空港まで行くの?・・・
しかも空港ん中やし・・・(>_<)

TamaPlazaMap.jpg

八王子はこの地図の左上、
羽田空港いうたら右下やで・・・

聞いたら「お喋りに夢中で・・・」らしいけど、
本来なら調布インターで降りるところを、
通り過ぎたいうても三宅坂まで行って突き当たって、
それを右に折れて首都環状線を出口を出ずに芝浦まで行って、
芝浦でちゃんと1号線に乗って、羽田線に乗って空港方面に走るのか、
もしくはベイブリッジ渡って有明でちゃんと右折するのか、
どっちにしろ「迷って」そこに着くのは逆に難しいのではないか・・・

奥様はここで大笑いしてワシにLINEを送ったのだろう・・・

「お喋りに夢中やったきいかん!!帰りは運転に集中せないかん!!」
とばかり今度は寡黙に運転する娘・・・

しかししばらく運転したところで奥様が口を開く。
「あれ?ここ・・・さっき通ったところとじゃない?」

見れば先ほどと全く同じ看板が・・・
「あ・・・また羽田に来てしもた・・・」

どこをどう間違ったらたまプラーザ行くのにまた羽田に戻って来なければならんのか(>_<)

今度こそはちゃんと帰らねばと思いつつハンドルを握る手にも力が入った瞬間、
ガソリンのインジケーターが点灯していることに気づく。

「ガソリン入れな帰れん・・・」
降りたところがお台場(笑)

なぜに八王子からたまプラーザに行くのにお台場で降りねばならんのか(>_<)

結局4時間かかって奥様を送り届け、
朝6時頃にやっと我が家に帰って来た娘、
車内でぐっすり寝ていたあーちゃんを起こして「着きました」・・・

目を覚ましたあーちゃん、
「え?なんで?なんで朝なの????」

こうして次の日にはこの話はファンキー村の皆が知る有名なエピソードとなってしまっていたとさ・・・

Posted by ファンキー末吉 at:18:20 | 固定リンク

2014年12月25日

募金目標額達成おめでとう!!


本当におめでとう!!

でもきょうこちゃんの本当の戦いはこれからだ!!
手術という大きな戦いに勝って、元気で帰って来てくれることを心から祈っている。

きょうこちゃんを救う会はとりあえず募金のサイトを閉じるみたいだけれども、
ミュージシャン達がチャリティーしてくれてる「きょうこちゃんチャリティー」の楽曲は、私の一存で引き続きそのままチャリティーさせて頂こうと考えている。

立ち上がったばかりでいきなり閉じるわけにもいかないのもあるし、
きょうこちゃんにもこれからどれだけ金が必要かわからんという現実もあるというのもあるし、
何よりも私自身が今回の募金を通じて感じたことがあります。

私自身は別にきょうこちゃんと面識はないし、
知り合いの知り合いの娘さんということでしかない。

庶民には絶対工面しようもない1億を超えるような金がなけりゃ必ず娘は死ぬ。
例え金があっても絶対に助かるかどうかはわからない・・・

そんな事態になってしまった親御さんの気持ちは、
例え面識がなくても私も子供が3人もいるのでよくわかる。

でもね、私が腹が立つのはね、
人類という生き物の社会がこれだけ発展していても、
相変わらず「人の命が金次第」であるというアホな現実がまかり通っていることである。

これでは医療保障も何にもない中国の山奥で、
一族の中で誰かひとりが大病になったら一族郎等全員が路頭に迷うので治療させない(聞いた話)と全く同じではないか!!

モラルや宗教心の問題で日本では臓器移植が出来ないという現実もしかり、
いざアメリカに行ったらこんな天文学的金額を請求されるという現実もしかり、
一生懸命募金を集めたら円安で数千万消えてしまったという現実もしかり・・・

でもね、じゃあ
「アメリカさん、1億とか言わずにタダにしてよ」
と言われてもアメリカのお医者さんは困ってしまう。

レストランだって、
「飢えてる人がこんなにいるんだからさぁ、あんたんとこタダで料理出しなさいよ」
などと言われたら潰れてしまうのだ。

ワシらミュージシャンだって
「チャリティーだからさぁ」
で毎回タダで演奏出来るほど豊かなミュージシャンはほんの一握りである。

だから貧乏なミュージシャンが出来る範囲で本当に小さなことをやるしかない。
いや〜こんな小さなことしか出来ん自分を本当は心の中では恥じている。

私がマイケルジャクソンだったらもっと大きなことをしてやれただろう。
でも例えそれでも問題は解決しないのだ。

もしマイケルジャクソンが生きてて全ての困った人を全部救ってたら、
いくらマイケルジャクソンでもやっぱ破産してしまうだろう。

そう、世界にはまだまだ救いが必要で救われなくて死んでしまう人間があまりにも多い。
それを私たちは何の力にもなれなくて目の前でそんな命が失われてゆく・・・

きょうこちゃんはたまたま私の知り合いの知り合いだったから私自身は本当に恥ずかしいぐらいの少々のお金を募金出来た。
でもその少々の募金さえままならない人たちはたくさんいる。

逆にそんな救いの必要な人たちが全員が知り合いだったら今度は私が破産してしまうだろう(笑)

仏教に「縁」という考え方がある。
今回はたまたまほんのちょっとの「縁」があった。

だから私個人の考えだが、
ミュージシャン達がチャリティーしてくれたこの楽曲はこのまま
「きょうこちゃんチャリティー」
として「縁」を残して置こうと思う。

幸いにも音楽は時代が変わっても色あせない。
時代が巡り巡ってこれら数曲のチャリティー楽曲の中の一曲が将来いきなり大きなお金を生むようになるかも知れない。

そうなった時にはまた次の人をこの楽曲で救えばいいのだ!!

晴れてきょうこちゃんが文字通り「命を賭けた」戦いに勝って元気で帰って来て、
「私もうお金要りません」
となった時に、
また周りにきっと現れるのだ、本当に助けが必要な人たちが・・・

それをきょうこちゃん自身が「縁」をつないでこれら収益を全部そっちに回してくれればいいと思う。

そうなるためには是非、
きょうこちゃんがこの大きな戦いに勝って元気に帰って来て欲しい!!

そうすればこんな「人の命が金次第」みたいなアホな世の中に大きなアンチテーゼをしたひとつの「事実」となる!!

これこそ「ロック」だ!!

「ロックは世界を救う!!」
この年になったら死ぬまでに一度はそう心から思って死んでゆきたいと思う・・・

世の中には「金がない」という理由だけで命を落としてゆく人たちがあまりにも多い。
でもこのひとつの小さい小さい「ロック」が、
そういう人たちに小さな小さな「希望」となってくれることを心から願う。

Rock'n'Roll Never Die!!
そう言って飲める酒をオジさん達に与えて欲しい!!

だからきょうこちゃん、絶対絶対、元気になって帰って来てね!!
Rock'n'Roll Never Die!!

乾杯!!

Posted by ファンキー末吉 at:22:52 | 固定リンク

2014年11月20日

マグロ漁船出航決定!!

前回のマグロ漁船が出航しなかったため、声をかけた渋谷有希子さんには大きな迷惑をかけてしまった。

と思ったらまたすぐに大きな話が転がり込んで来るのがここ中国である。

ことの始めは青島コンサートのリハーサルの時、
歌手として参加する馬上又が小声で話しかけて来た。

「ファンキーさん、大きな仕事があるんだけど是非あなたにやってもらいたい」

小声で話しかけて来るのでまるで「悪だくみ」である。
「ここでは詳しく話せないが」ということでワシはリハ終わりに彼に電話をかけた。

まるで一緒に悪だくみをしてるようである(笑)

聞けば本番30本の上にリハーサルが60本入り、
その全てのギャラが日本より高い(驚)

あまりにも大きな企画なので中国の音楽界にはまだ秘密にしたいのだろう、
というわけで詳しい内容はまだここでは書けないが、
要はロックミュージカルみたいな仕事である。

但し、いつもみたいな音楽監督の仕事でもなく、演奏者としての仕事でもない。
いや、厳密に言うと「演奏者」なのぢゃが、むしろ「出演者」である。

「え?俺・・・演技なんか出来んよ・・・」

戸惑うワシに彼はこう説明する。
「演技をする必要はない!!
ファンキーさんはいつものようにドラムを叩いてくれればいい!!
ドラムを叩いてるだけでヘタな役者より表現している、そんなプレイヤーを探してるんだ」

というわけで同じぐらい存在感を持つプレイヤーとして彼から田川ヒロアキの名前が上がった。

どこかで会ったかな?・・・映像でも見たのかな・・・と思ったら、
何度か田川くんを北京に連れて来てライブをやったうちの1本を偶然見に来ていたそうだ。

いろんな人を北京に連れて来たが、
それがこうして「仕事」としてつながってゆくということはおせっかい冥利に尽きることである・・・。

ドラムとギターは決まった、じゃあベースは?・・・
ということで先日の北京ライブに監督はじめ関係者全員が渋谷有希子さんのプレイを見に来たというわけだ。

結果は満場一致で決定!!
ついでにその時に出演してた小畑秀光まで乗船決定となったオマケ付きである(笑)

ちなみに彼は終演後に送って来たメッセージの中でこう語った。

「監督たち飯に連れてくから先に出るよ。
みんなみんなあんたのこと大好きだって、ばっちしだよ!!」

このライブは彼にとっては「ファンキー末吉ありき」のこの作品を監督にプレゼンする大事なライブでもあったのだろう・・・。

彼は昔からワシに絶対的な信頼と尊敬の念を抱いてくれてる。
きっかけはこんな些細なことだった。

一緒にレコーディングとバックバンドをやって中国ロックの新しい時代を作った許義(XuWei)の最初のライブの時・・・

当時ワシはこちらのスタジオミュージシャンとして絶頂期で、
多い時にはヒットチャートのほとんどのドラムはワシが叩いているような状態だった。

中国ロックに憧れてこっちに移住して、
やっていることは音楽を金に変えるような毎日じゃ日本でいたって同じじゃないか・・・

そんな悩みを抱えていた頃で、
それを「神がかり」ということで解決しようとしていた。

エイトビートの4拍子の曲なんてもうどんな状態でも叩ける、
でもだったらそれで満足するんじゃなくもっと上に行こう・・・

楽屋で出番直前までひとり、譜面とにらめっこをしているワシに彼が声をかけた。

「ファンキーさんはいつもそうやって真面目に仕事しますけど、
それはやっぱ日本人特有の気質というものによるんですか?」

ワシは一瞬きょとんとしたが意味がわかって笑ってこう答えた。

「ほら、神業ってあるじゃん・・・
でも人間はいくら頑張っても神にはなれない。
偶然時々神が降りて来る時があるだけよ。
人間が出来ることは努力と準備だけだからね。
それしか出来ないならそれを出来るだけやっとかないともったいないだろ」

結果その許魏(Xu Wei)の北京ライブは伝説のライブとなった。
神が降りて来たのだ・・・

それ以来、彼はワシの「仕事」には絶対の信頼を置いている。
今回このマグロ漁船を出向させるために提出した数かぎりない資料、
それを監督、制作会社、投資方に見せる時に彼は胸を張ってこう言ったという・・・。

「ほら、ファンキーの仕事は完璧だからね」

ところが人間は神にはなれないのでその後いろいろミスが出て来るのだが・・・(>_<)

さて、そんな彼ももう偉くなった。
当時はいちキーボード奏者だったが、今では音楽プロデューサー、歌手として有名になった。

ワシが音楽をやって大ヒットした映画「疯狂的石头(クレイジーストーン)」の続編映画は、
ワシではなく彼がその音楽を担当したのだからもうワシなんかよりは「大御所」だろう(悔)。

何度も「一緒にバンドをやろう」と誘われた。
「三顧の礼」よろしく貧民街にも何度も足を運んでくれたが、
こちらのスケジュールは直前に決まり、日本は数ヶ月前に決まるので、
ライブ収入が全てのバンド活動で「その日は私は無理です」ではこちらでバンドなんかやっていけない・・・

そんな彼からの仕事なので間違っても前回のように「ドタキャン」はなかろうとは思うのだが、
自分だけならいざ知らず、日本人ミュージシャンを呼ぶんだったらやっぱ「前金」である。

スケジュール押さえるなら「まず前金」!!

というわけで9日間のツアー中ずーっと4人のスケジュール調整、仮契約書の作成、
等いろんなことをやってたのでいつものように旅先ブログ更新が出来なかったわけだ。

ちなみにこの「仕事」で一番キツいのが「中国語」(>_<)
ワシレベルの中国語で契約書クラスの翻訳は無理なのだが、
契約書の草案も全てワシが作った。

簡単な契約書である。
「これこれのスケジュールをいついつまで押さえさせてね〜お金いくら払うからさ〜」

本契約はまたちゃんとやるとして仮契約は簡単であるほどよい。
これにサインして前金さえもらっておけば、後は仕事が潰れようが友情は潰れない(笑)

というわけで田川くんは日本にいるので後回しとして、
末吉、ユッコ、小畑が中国にいるうちにそれぞれ契約をしてとっとと前金を受け取っておくことである。

誰かひとりでも前金を受け取って初めてマグロ漁船「出港!!」ということになる。

白羽の矢が立ったのが小畑秀光!!
彼の帰国スケジュールだけが二人より早く、
14日の10時から12時までなら北京空港でインターセプト出来る。

契約書の内容を何度かやり取りして最終的なものにして、
小畑に見せても中国語なんでどうせわからんし、とりあえずこう命じた。

「10時に北京の国内線に着いたら国際線の出発ロビーに行って、
ギターを抱えたまま時刻掲示板の下で待ってろ!!」

ただでさえ高所恐怖症で飛行機に乗れない男が、
格安航空券のせいで寧波ー北京ー上海ー東京(ちなみに寧夏と上海はすぐ近所)という3度も飛行機に乗らねばならないスケジュールの上にこんな大仕事を仰せつかったのだ、本人も気合を入れたのだろう・・・

ObataWaitingAtAirport.JPG

ここなら見つけてくれるだろうと思ったのかこの大きなぼんぼりの下を選んで、
このギターをルパン三世の五右衛門よろしく抱きかかえて座っていたらしい(笑)。

さて音楽プロデューサーの馬上又、どうやって本人を見つけるのか不安でしょうがなかったが、
ワシが「絶対見つかるから」というので不安を抱えながら行ってみたらすぐ見つかった。

「まるで武士やなぁ・・・(笑)」と彼の弁・・・

しかし実はこの馬上又という男、ガタイがデカい上にロッカーなので全身刺青である。
そんな男に声をかけられ、全然言葉も通じない上にいきなり中国語の契約書を見せられ
「サインしろ」
と言われる・・・

やっぱ偉いな、小畑秀光・・・失うもんがないというのはホンマに強い!!
こいつはきっと臓器売買の契約書でもサインしてたやろうな・・・(笑)

というわけで前金ゲット!!!!!!!

ObataMaekin.jpg

よくやった小畑秀光!!これにてマグロ漁船出港決定!!!

日本のみなさん、来年は基本的に中国にいますので日本の仕事は・・・
企画がぽしゃれば喜んでやります!!(キッパリ)

これがあるから中国はまだまだ安心出来んな・・・(笑)

Posted by ファンキー末吉 at:17:24 | 固定リンク

2014年10月27日

朝鮮学校のイベント

日本の至る所に朝鮮学校が存在していることは知っているが、
普通に日本人社会だけで暮らしていたら、そこに足を踏み入れたり、
ましてやこうしてそのイベントに出演する機会などは滅多にない。

ワシの場合この辺のおっちゃんおばちゃん達の知り合いが増え、
北朝鮮ロックプロジェクトがきっかけになってこのようなチャンスが増えて来た。

朝9時に学校に入ってみたら校庭には何とも立派なステージが組まれていた・・・

ChosengakkouKouteiStage.JPG

しかも客席にはテーブルまで並べられていて、
「飲むのか?飲むのだな!!」
という雰囲気満載である(笑)

ちなみにテーブルの高さがあまりにも低すぎるのではという疑問が頭をかすめたが、
この時点では「普通のテーブルの数が足りなかったのね」ぐらいにしか思わなかったのだ。

後にこれには長年のイベントによって培われた大きな理由があることが判明する・・・

テーブルには今日のプログラムと屋台で売られている食品等のメニューが貼られている。

ChosenGakkouMenu.JPG

食うのか?食うのだな!!(笑)

とりあえず屋台の営業が始まるまでに自分の物販売り場を確保!!
客も多いだろうということで全てのアイテムを大量に持って来た。

ChosenGakkouBuppan.JPG

ちなみにワシは知っている。
このイベントで立ち並ぶ屋台には実は朝鮮学校存続の大きな役割があることを・・・

前回この学校を訪問した時に、あまりの生徒数の少なさにびっくりした。
6年生などは生徒がおらず、人数の少ない学年は他の学年と一緒に授業をする。

まるで過疎地の学校のようだが、
これも在日が5世6世の時代となり、民族教育の必要性が薄れて来たためなのか、
それよりも気になるのは、そうなると学費による収入がなくなるわけだから当然ながら学校自体の運営が厳しくなるわのう・・・という余計な心配が頭をかすめる。

ちなみに先生は朝鮮語で授業をするので、
少なくともネイティブに近い朝鮮語を喋れる在日の人とかに限られる。

決して本国北朝鮮から教師が派遣されるわけはないのだから、
「さぞかし人材不足やろうなぁ・・・」とまた心配もしてみる・・・

学校の3階にある資料館にはこの学校の歴史が写真と共に綴られているが、
それを見るとまさに「日朝間の政治に振り回されて来た学校」である。

歴代の大阪府知事の歴史の中ではこの学校に多額の援助をした時代もあったし、
ご存知のように橋下知事はその援助を一切カットした。
横山ノックの写真もあったので横山知事の時代は援助をしていた方なのだろう・・・

ここで日本国の税金を使って朝鮮学校を維持するべきかどうかの議論をするつもりはない。
大阪府民が選んだ代表者が自分たちの民意を反映すればそれでいいだけの話である。

ただおっちゃんおばちゃん達は何とか自分たちの母校を存続させようと思っている。

そこで考えついた・・・というか自然発生的なのかどうかはわからんが、
父兄や卒業生たちが自分とこの食材などを持ち込んでそれをここで売って、
そのお金を学校に寄付して存続して来たのだと言う・・・

アジア的というか大阪的というか、その発想の面白さや、
おっちゃんおばちゃん達の母校も大変なんやなぁという思いもあって、
ワシも仕入れ値がかからないいくつかの物販の売り上げは寄付することにした。

ChosenGakkouBuppanKifu.JPG

本当は一番ピンポイントであるこの本をそうしたかったのだが、
本の場合はお金を払って出版社から仕入れるので、
この学校の運営のみならずうちの家計も大変なのでそれは通常に売らせて頂いた・・・

昼頃になると会場にはいい匂いが満載して腹が減る・・・

朝鮮独特のメニューで言うと、まず代表的なチジミ!!

ChosenGakkouChijimi.JPG

日本ではちょっと珍しい(沖縄ではあるそうだが)豚足のおでん!!

ChosenGakkouOden.JPG

定番のキムチ・・・

ChosenGakkouKimchi.JPG

やはり定番の焼肉・・・

ChosenGakkouYakiniku.JPG

え?焼肉?・・・焼肉ってどうやって焼くの?売店で焼いてくれるの?・・・と思ったら・・・

ChosenGakkouShichilin.JPG

何とこの低すぎると思ったテーブルは七輪を置いてちょうどよい高さなのだ!!(驚)

さすがは何十年の間に培われたこのシステム・・・
ちなみに七輪には学校の名前が書かれている七輪もあり、
長年のこのイベントの歴史が伺える・・・

・・・ってか焼肉焼きながら見るイベントって珍し過ぎるやろ!!(笑)

ChosenGakkouEventKaishi.JPG

生徒たちの出し物に続いて焼肉の煙の中でワシの出番!!
叩く前は飲めないからこの匂いが大変なのよ・・・(笑)

そうそう、ワシのつぶやきFacebookの投稿を見て、たまたま大阪にいた落合みつを君がかけつけてくれた。

いや〜勇気あるなぁ・・・
「朝鮮学校」と聞いただけで「怖い」という人や、
ワシがこんなおっちゃんおばちゃんと仲良くしてただけで反感を感じる日本人もいる中で、
わざわざこうして自分から飛び込んでくる歌手もいるんやなぁ・・・

というわけで、せっかくなので一緒に1曲歌ってもらう!!

ChosenGakkouOchiaiMitsuo.JPG

一緒に連れて来たベースの浅田くんは多少ビビってたらしいが(笑)、
いや、みんな来てみたらええんやと思うよ。

実際自分の目で見てからいろんなことを自分で考えればいい。
見えてない部分が多くて論じることがいろんな問題を生んでいるというのも事実やしな・・・

ちなみにベースの浅田くん、新潟から大阪に引っ越して来てまだ1ヶ月で友達もまだ出来てないと言うが、日本人の友達より朝鮮人の友達の方がいっぱい先に出来たな(笑)

そしてこのイベントでワシが一番やりたかったこと。
平壌6月9日高等中学校軽音楽部のみんなと作ったムルムピョをこの朝鮮学校の子供たちとコラボして歌ってもらうことである!!

ChosenGakkouMurumpyo.jpg

あれからもう7年・・・彼女たちとまた会ってこの曲を演奏することは叶わないけど、
海を越えてその同胞たちに歌ってもらうのは感慨深い・・・

次には是非軽音楽部とかと一緒に演奏も生でやってみたいね。
他の朝鮮学校の人からも声かけて頂いたし、来年には是非!!

というわけでライブ終了!!食うぞ!!!

ChosenGakkouKuuzo.JPG

おっちゃんおばちゃん達、いろいろお世話になりました。
7時には酔いつぶれて終了致しました!!

この辺にはしょっちゅう来ますんでまた飲みましょう!!!


ひとりドラムツアーの軌跡はこちら

Posted by ファンキー末吉 at:05:10 | 固定リンク

2014年10月23日

さようならSoftBank!!もう貴方とは付き合いません!!

iPhone6plusをゲットした。
もちろんSIMフリーである。

ワシのように海外に多く行く人間は日本のキャリアに縛られるわけにはいかんのよね〜
中国に行ったら中国のSIM、香港に行ったら香港のSIM、
タイやマレーシア、最近ではミャンマーでも手軽にSIMをゲット出来るようになったのでそれを挿せば現地で快適にネットや電話生活を送ることが出来る・・・

ところがワシはiPhone4sのまま5には行かなかったので、SIMはまだmicroSIMである。

中国の携帯電話機がmicroで、iPadも古いiPadなのでmicroだし、
ひとつだけnanoになってもややこしいなぁと思ってそのままにしておいたのだ・・・

ところがご存知のようにiPhone6はnanoSIMである。

中国では至る所でSIMをぱっちんと切ってくれるが、
日本では一応その行為は違法とされているようだ。

アホな法律ではあるが、
だから日本ではそれをサービスとしてやっているところはなく、
でもAmazonなんかではSIMカッターが堂々と売られてたりする。

ところがSIMカッターって買ってもその一回きりしか使わないので、
家を探してみると「通常SIM→microSIM」のカッターがごろごろ転がっていた(>_<)

これでまた「microSIM→nanoSIM」カッターを買って、
しばらく使わなくてそれがゴロゴロしてるのも悔しい。

何よりも一応日本国民として違法である行為をするより、
堂々とSoftBankに行ってSIMをnanoに変えてもらった方が早いと思って出向いて行った。

ところがSoftBank八王子の店員さんが言うには、
「ではプランがスマホーダイになります」
と抜かしやがる(怒)

「ワシ・・・別にネット要らんし、電話だけかけられたらええし・・・」

ちなみにワシのSIMは電話だけしかかけられないようにしているプランで、
月々980円である(安い!!)

ネットはWiFiルーターで接続する。
これがSoftBankのやつで、最初の頃は「速い」と喜んでいたが、
使ってるうちにやはり「つながらない」「パケ詰まりする」など不満が続出(>_<)

そうなると月々3880円は高いなと思いつつ、
2年縛りという恐ろしいシステムのおかげで今では娘に使ってもらっている・・・

今ではiijというdocomo回線を利用するSIMで月々1000円ちょいである。

2年縛りが解けたらこんな糞ルーターなどぶち捨ててしまってこれ一本にすれば月々の通信費がどれだけ安く収まるか・・・

まあここでSoftBankにまた月々5000円だの、
安いプランでも月々3000円だののプランに強制的に変更されたのではたまったもんじゃない。

「プランを変えずにSIMのサイズだけ変えてくれたらそれでいいんですが・・・」

ところがこんな簡単なことが日本という国では出来ないのである。
「いえ、必ずスマホーダイのプランになってしまいます」

激怒!!!!!

ネットで調べたらこれは代理店が儲けるために嘘を言ってるという話も出たが、
実はMNPでSoftBankのオペレーターに聞いてみてもそういうことらしい。

上に政策あれば下に対策あり(中国の諺)でいろいろ考えてみる・・・

「ではしばらくその3000円だののプランを使ってみて、
ダメだったらまた元の大きさのSIMで元のプランに戻してもらえますか?」

ワシのこのシステムの唯一の欠点はこの980円プランでは携帯回線から添付ファイル(例えば現在地情報とか)を送れないことである。
ちょっと使ってみてよかったらずーっとそのプランでもよいかもと思ってのことである・・・

ところが店員さんの返事は凄まじかった。

「プランを変えたら最低でも2年間はそのプランになってしまいます」
まあそれは2年縛りなので仕方がないかとも思うが、
「ホワイトプラン自体が今年で終わってしまうので、来年からは全ての契約はスマホーダイとなってしまいます」

まあ今ホワイトプランの人は何も変更しなければ継続のままでいいと言うが、
これにはワシは心底頭に来た!!

これって例えて言うとこういうことではないのか・・・

ワシはここのラーメンが好きでずーっとこのラーメン屋に通っていた。
ラーメンの値段は980円である。

ところがこのラーメン屋がいきなりこう言いだした。

「ラーメンだけのメニューはありません!!
必ず餃子とラーメンとビールのセットになってしまいます!!
値段は合わせて3000円です、お得でしょ!!」

お得でも何でもない!!
ワシはお前んとこにラーメンを食べに来ているのだ。
餃子とかビールとか要らんし!!

同様にSoftBankには万が一かかってくる時のために電話番号だけが必要で、
その他の繋がりにくいネットとか要らんし!!

餃子とビールが飲みたかったらワシは他の店に行く!!
お前んとこにはラーメンだけを食べに来てるんじゃ!!

お前んとこも電話会社やったら電話回線だけを売れ!!っつうこってある。

SIMカッター買って来て、
もしくは次に中国に行った時にカットしてもらえば今まで通り使えるのであるが、
このままこんな会社と付き合うのがほとほと嫌になったのでMNPでiijに乗り換えることにした。

音声付きSIMで月々1600円!!

来月には今のiijのSIMを解約して、
SoftBankのルーターも解約すればデザリングも出来るしこれだけでよいではないか!!

ネットで注文したらSIMが届くまで電話が不通になってしまうので、
即日乗り換えが出来る都内のビックカメラに行ってきた。

案内のお姉さんがもの凄い親切で好感が持てる。

いろいろ手続きをして30分後にはSIMを渡してくれるというので飯を食ってまたビックカメラに戻って来た。
もらったSIMをiPhone6に挿してちゃんと通話やネットが出来るか確認・・・

「APN設定はお済みですか?」
さすがプロ、iijのSIMは自分でAPNを設定せねばならないのだ。

「済んでますよ〜OS8から手動で出来なくなったんですよね〜
プロファイルをDLしてやりましたよ〜」

など無駄話を叩く。

「あら、お詳しいですねぇ・・・」
に答えて、なぜこんな発言をしたのか自分でも不思議なのだが・・・

「はい、週刊アスキーに連載してたりもして、デジタルにはちょっとウルサいんです」

そこでその店員さんが思わぬ発言をした。

「そうだったんですか・・・八王子のお店には一度伺ったことがあります」

え?!!!
呆然とするワシに店員さんがちょっと慌ててこう答えた。

「はい、私・・・渡辺英樹さんが大好きで一度ライブを見に伺ったんです・・・」

おいおい、昨日の夕方まで一緒におったがな・・・

というわけで今日のライブには仕事のため来れないそうだが、
今月のライブには是非どこかで見に来て欲しい!!


ツアーお疲れさんライブ

10/23(木)八王子Live Bar X.Y.Z.→A
http://www.livebarxyz.com
開場:18:30 開演:19:30 当日のみ4000円(+ミニマム1000円の飲食代が必要です)


都内近郊ツアー

10/28(火)さいたま新都心Heaven's Rock
http://www.heavensrock.com/index.html
開場:18:30 開演:19:00
前売3500円当日4000円

10/29(水)新宿Wild Side Tokyo
http://ws-tokyo.com/
開場:18:00 開演:18:30
前売3500円当日4000円

10/30(木)柏Thumb Up
http://www.kashiwa-thumbup.com/
開場:17:00 開演:17:30
前売3500円当日4000円

10/31(金)熊谷Heaven's Rock
http://www.heavensrock.com/index.html
開場:18:00 開演:18:30
前売3500円当日4000円

Posted by ファンキー末吉 at:14:35 | 固定リンク

2014年10月20日

この格好のどこが悪いっつうの?!!

VoThMツアー真っ只中・・・各地でワシの格好が波紋を撒き散らしているようだ・・・

中国で北京や青島の道を歩いていても誰も何も言わないのに、
日本でツアー中どこを歩いても何か人の視線を感じるだけでなく、
娘の友達にまで「あれはどうかと思うよ」と言われる始末・・・(>_<)

この格好のどこがあかんっつうの!!!

KonoKakkounoDokoga.JPG

ちゃんと赤色を基調とした「コーデネート」っつの?・・・ちゃんと出来てるやん!!

しかし反応をリサーチするに、どうもこの「中国」っつう文字があかんらしい・・・

「お前は左翼か!!右翼が殴り込みに来るぞ!!」
と西野やすしさんに言われたが、
いえいえ私のジャージは二井原実さんから頂いた自衛隊に納めているという筋金入りのジャージ、ちゃんと日の丸も入ってます!!

KonokakkouHinomaru.JPG

右翼よ、殴り込みに来るなら来い!!
ワシは日の丸背負って街を闊歩してるミュージシャンじゃぞ!!

「中国」の文字に比べて大きさが小さいと言うなら仕方あるまい、
園部のイベントの時に頂いた日本国京都製造男前豆腐店のタオルを頭に巻いてやろう!!

KonoKakkouKanseikei.jpg

よし、これで完璧!!!・・・(なはず)・・・
あとは日本国民が早くワシのセンスについて来れるようななるのを待つのみやな・・・

いつの時代もファッションリーダーは辛いのう・・・

Posted by ファンキー末吉 at:09:10 | 固定リンク

2014年10月11日

青島の大仕事終了!!!!

青島大劇場でのLuanShuソロコンサート
ワシは8日に入ってプレイベントに参加、9日にはゲネプロ(通しリハ)が始まった。

オーケストラも入るとなるとステージが人で溢れておる(>_<)

LuanShuQingDaoGenePro.JPG

何人いるのだろう数えてみよう・・・

バイオリン1:8人
バイオリン2:6人
ビオラ:4人
チェロ:4人
コントラバス:2人
トランペット:1人
トロンボーン:1人
ホルン:1人
フルート:1人

オーケストラが28人にバンドが

ドラム:2人
ベース:1人
ギター:2人
キーボード:2人(LuanShu本人も含む)
コーラス:3人

これに取っ替え引っ替え登場するゲスト歌手などを合わせると50人近くはいるのではないか・・・
それを音楽監督であるワシが全部仕切るのだ(涙)

オーケストラの世界はそれはそれで大変なので3週間前からいろいろ準備はしていたのぢゃが、
北京からトップバイオリンの赵坤宇(ZhaoKunYu)が来てくれたので本当に助かった。

LuanShuQingDaoZhaoKunYu.JPG

コンサートの中ではソロ曲もある。

張張(ZhangZhang)がリハの時に、
「先生・・・むっちゃ上手いですねえ・・・」
と感服して話しかけたら、
「当たり前だ、もう40年もバイオリン弾いてるからな・・・」
と笑った。

すかさず、
「お、私も40年ドラム叩いてますよ」
と言うといっぺんに意気投合して結局彼がワシの代わりに指揮者がやるべきことを全部やってくれた\(^o^)/

開口一番に
「Funky、譜面のリピートマークが違っているところがいろいろあるよ」
と言ってたので、
「全部直して持って来ました。書き直して配っとくのがいいですか?口頭で言って本人に書き直させるのがいいですか?」
一応指示を仰ぐが、
「いや〜日本人の仕事の細かさにはホント頭が下がるよ」
と褒められた。

小沢征爾やヨーヨーマと仕事をしている中国国家ナンバーワンのオーケストラのバンマスに褒められて悪い気はしない。

何度も一緒に仕事をしたが、その度に出来る限りのことをやって来たことを見てくれてたんやなぁ・・・(感涙)

何せ譜面が間違ってたらオケの人達はそのままそれを弾くのだ!!
イジワルでも何でもない。
ひょっとしたらそんなアレンジなのかも知れないわけなのだから勝手に変えることは許されない。

ある曲などリハで別の曲の譜面を見ながら弾いてた(笑)
「音が変だと思わんか?」と言うのは愚問である。

「そんなアレンジだ」と言われればそれまでなので、
それが自分でおかしいと思っても変えてはいけない。

要は譜面は軍隊の命令書みたいなもんなのだから、
それに間違いがあったらもうおしまいなのである。

念入りにチェックする・・・

LuanShuQingDaoCheckScore.JPG

また青島のオーケストラ団員はみんな若かったのでこれがよかった\(^o^)/

若いミュージシャンは応用力があるし、
何よりも文化大革命を経てない世代にはあの扱いにくい「プライド」というものがない。

自分より歳上の、しかも国家を代表するトップバイオリンの人の指示を聞かない人はいない。
ワシはもうひたすら赵坤宇(ZhaoKunYu)の小間使いに徹した。

曲順に難しそうなパートだけを彼が拾って練習してゆくのに、
その曲の譜面の変更点を直した譜面を持って全パートに知らせて廻る。

譜面の量がハンパじゃないので床に全部並べて必要なページを拾って各パートのところに走るのだが、
本当はワシのような立場の人間が中国ではこのような小間使い仕事をしてはいけない。

地べたに這いずり回って汚れ仕事をやっているトップの人間
(このコンサートの場合、総監督のLuanShu本人を除いてはワシが一番偉い)
なんか中国ではナメられてしまって言うことを聞く人間なんかいないのだ。

ところが今回は違った。

ブラスセクションの立ち位置はワシの中国大太鼓の隣だったのだが、
リハの途中で彼らがぶったまげて
「一緒に写真撮って下さい」
と来た・・・

ドラム叩いてりゃ何とかなるな・・・(笑)

しかしいくらドラムを頑張ってもどうにもならないことがある・・・
・・・それは「仕切り」である。

ワシはもう慣れたが、ここに一人でも日本人スタッフがいたら胃痛で死ぬか気が狂ってしまってるだろう・・・

何せステージ上の人間が多いのでその全ての人間の回線の確保が大変(>_<)
前の日から入ってやっているのだがサウンドチェックが全然進まないのだ・・・

最近日本ではこの規模のコンサートをやったことはないのでわからないが、
中国ではもう10年以上前からモニターがマルチである。

手元に16chのミキサーがあり、全ての音がこのミキサーに流れていて自分で好きなようにバランスを取れるのだ(凄)

LuanShuQingDaoQueBox.JPG

モニターを置かなければ全ての音はヘッドホンに流れるのでハウリングはないし、
一切の音の回り込みがないのでライブレコーディングでは音の分離が桁違いである。

しかしその反面ヘッドホンをするとレコーディングのようになってしまい、
どうしてもプレイが冷静になってライブっぽくなくなってしまう・・・

ところがファンキースタジオ北京のエンジニア方言(FangYan)は頑張った!!

LuanShuQingDaoFangYan.JPG

このシステムと共にそれぞれにモニタースピーカーも置き、
ヘッドホンから返す音は自分でバランスを取り、
モニタースピーカーから返す音は彼に言えば別にちゃんと返してもらえるのだ(驚)

ちなみにワシは自分のイヤホンを持ち込んだが、
それはクリックを聞くためのものでベースとかを再生するには限界があるので、
スピーカーからベースなどイヤホンに返さない低音などを返してもらった。

そして全てのイヤホンはワイヤレスである(驚)

つまりワシなんかもドラムセットから隣の中国大太鼓に移動したり、
他のパートの人のところに走ってゆくのにもいちいちシールドを気にしなくてもよい。

よくこれだけの人間の周波数チャンネルを確保したなぁと思うのだが、
当然ながらシステムが便利になればなるほどトラブルも増えるので、
結局サウンドチェックが全然進まない・・・(>_<)

19時半にはゲストの有名歌手たちが来ると言うのに、
バンドのサウンドチェックが終わったのはその直前だった・・・

そしてオーケストラは18時に来ると言ってたのに来やしない(涙)

聞いたら「19時だって言われましたよ」って(泣)
おまけに「管楽器は20時だって聞いてますよ」って(号泣)

結局はオーケストラはぶっつけ本番で歌手と共に全曲を本番どおり通してそれでおしまい(怖)

幸運だったのはこの青島のオーケストラがむっちゃ上手かったことだ・・・
ワシはドラムを叩いているのでモニターから聞こえる部分でしか判断出来ないが、
赵坤宇(ZhaoKunYu)が「没問題!!」と言うのでそれを信じるしかあるまい・・・

怒濤のゲネプロは終わり、
当日また通しをやるのかと思ったらオーケストラも来ず、
バンドの不安箇所だけをやって、照明とスクリーンの動画のチェックだけでもう本番である!!(恐)

本番前のお祈りの儀式

LuanShuQingDaoPray.JPG

ドラムソロもやりました

LuanShuQingDaoDrumSolo.JPG

ロートタムも叩きました

LuanShuQingDaoRoteTom.JPG

中国大太鼓も叩きました

LuanShuQingDaoChineseBigDrum.JPG

コンサートは大成功

LuanShuQingDaoEnding.JPG

北京から100人を超える業界人が見に来ていたと言うが、
コンサート終了後にみんなワシをハグして「素晴らしかったよ」と言った。

でもワシはその実感がない・・・

実は本当に頑張ったのはこのデブなのである。

LuanShuQingDaoZhangZhang.JPG

打ち上げの時に
「いや、お前が一番働いたよ!!」
と労をねぎらってやったら、首を大きく振ってこう答えた。

「何言ってんですか!!!
15年前に酒場で弾いてた僕を引っ張り上げてここまでしてくれたのはあなたです!!
あなたは僕の先生であり親であり、僕の音楽の全てです!!
あなたのためだったら何だってやりますよ、当たり前でしょ!!」

実はこのコンサートはこれで終わりではない。

青島はLuanShuの故郷ではあるが、
実は故郷に錦を飾るためにこのコンサートをやったのではないのだ。

どの国でも音楽を発信する中心地は首都である。
青島で成功しても北京には届かず、
逆にコケてもその悪名は北京には届いて来ない。

LuanShuはこれを大掛かりな「リハーサル」にして、
同様のコンサートを北京でやるつもりなのだ。

そこで成功したらその偉業は全国に響き渡る・・・

デブよ、その時にはもうお前はひとりで音楽監督を立派にやれる!!
お前はもう立派に独り立ち出来るぞ!!

ご苦労であった!!

Posted by ファンキー末吉 at:15:01 | 固定リンク

2014年8月17日

サマソニ見るため北京より・・・

湖北省恩施土家族苗族自治州にいる時に電話がなった。

「Funky老師!!今度サマーソニック見に行くんですが、
中国ではもうチケットが取れない。老師日本で取ってくれませんか」

中国の若いドラマー「李浩(LiHao)」である。

冗談じゃない!!
コンサートなんかやるもんで見に行くもんじゃなかったので
チケットなんか自慢じゃないが取ったことなど一度もない・・・

困り果てて断ろうとしたのぢゃが、
頼み倒されててしゃーなく取ることとなった・・・

ところがこの電話を受けたのが洞窟の中、
ただでさえ山の中で電波が悪いのでやり取りを聞き違えて、
「チケットを2枚ね!!通しチケットです!!」
というのを「通しチケットを2枚」買ってしまった(>_<)

もちろん払い戻しなんぞ出来るわけがない。
ワシはちょっと腹が立ってこうメッセージを送った。

「お前なぁ、ワシにそんなこと頼むな!!
頼むにしてもちゃんと文章で送らんかい!!
しゃーないから誰かに売る段取りするからもう2度とワシに頼むなよ!!」

向こうも悪いと思ったのだろう、
「いえいえ、売ったりする必要はありません。
秀光(XiuGuang)が時間があったらあいつと行きますから」

なるほど小畑は北京に行くと彼のところによく泊まりに行ったりして、
もう李浩(LiHao)はワシのというより彼の友達である。

ワシは小畑に聞いてみた。
「マジっすか?!!」
3万円近くするチケットがタダで転がり込んで来たのである、
彼とて小躍りするぐらい喜んだ。

いや、サマソニに行けるということよりも、
むしろ北京から友達、しかもえらく世話になった友達がやって来るというのに喜んでいるようである。

「ホテルどこに取ってんの?小畑に迎えに行かせるから」
とワシが連絡取ってやると、いつの間にか
「秀光(XiuGuang)んとこに泊まることになりました〜」
と返事が来る。

小畑のところと言うと・・・すなわちうちである(>_<)

まあよい、ワシはやっちんツアーで出ているので嫁にくれぐれもよろしく頼む。

よろしく頼むというのは、やはり北京から若い衆が来たら泊まるだけではなくいろいろと奢ってやらねばならんじゃろうということである・・・

「命かけるでMAX!!」

小畑もだんだん中国人化しているようだ。
受けた恩は何倍にもして返さねばならんことをよく分かっている。

寿司!!

LiHaoJapanSushi.JPG

「中国で食べる寿司と比べたら全然生臭くないし美味い!!」
と大喜び。

問題は小畑に全然金がないことである(>_<)

サマソニ行ったら飲み食いもするだろうと万扎を渡しておく。
結局はワシが間違えて買ったサマソニのチケット代をワシが出して小畑にプレゼントしたようなもんである・・・(>_<)

まあいい、それで中国の若い衆が喜んでもらえたらそれで・・・
と思ってたらそこで問題発生!!

そのまま八王子に帰るのは遠いということで、
サマソニ終わったらホテルに泊まろうと探していたらしいのだが、
結局ラブホに泊まることとなり、男ふたりでは頼み込んでも断られるので、
最後には長髪の小畑が女の振りをしてカップルとしてホテルに入ったらしい(笑)

LiHaoJapanLoveHotel.JPG

これには李浩(LiHao)も大喜び!!
初めて日本に来て男ふたりでラブホに泊まった中国人もおらんわのう・・・(笑)

問題は小畑が中国語はおろか英語もほとんど喋れんことである・・・
どんな説明をして男ふたりで寝たのかを今度是非聞いてみたい・・・

李浩(LiHao)よ、ええ思い出が出来たな(笑)

Posted by ファンキー末吉 at:17:53 | 固定リンク

2014年8月14日

日中友好こども(大人も可)サマードラムスクール2014無事終了!!

マッド大内先生が飲みながら言ったこんな言葉が忘れられません。

「ほら俺たちがさぁ、20年前呼ばれてパールのサマースクール行ったじゃない。
あれが楽しくってさぁ、今だに忘れられないじゃない。今回の参加者もこれ、一生の思い出になるよ」

そうそう、あの時はマッドさんがうちの部屋のベッドの上で飛び跳ねてベッドの床をぶち抜いてしまったのね・・・忘れられません!!(笑)
今回は器物破損もなく、けが人もなくホントに無事で何よりでした。

問題と言えばただひとり、衛藤浩一先生です!!(キッパリ)

次回の課題として残ったのが、今回一番大変だった本庄駅までの送迎・・・
また駅までこんなに遠いとは思わんかったのな・・・

それなのにえとーさん、講師は1時間前に集合のところ案の定「遅刻します〜」のメール・・・(>_<)

困るのよねぇ・・・車何台も何往復するようにして送迎をプログラムしてるのに・・・
おかげで初っ端から送迎スケジュールがぐっしゃぐしゃ・・・(>_<)

夜は夜で酒飲んではしゃぎ過ぎて、最後には声が出なくなって授業どころじゃないし、
最終日は二日酔いで起きれなくて自分のドラムセットも片付けず、
結局中国人が手分けして片付けてくれたという有り様・・・

えとーさん、来年もお誘いしますが、宣言しときましょう・・・減棒!!!

えとーさんのギャラを減らして、
そのぶん浮いた金でみんなでもっと美味しいものを食いましょう\(^o^)/

そうそう美味しいものと言えば一番大変だったスタッフは厨房スタッフでした。

50人分を超える食事を毎食作らねばならないということで、
上海から居酒屋勝グループの総帥Kさん、通称「被告勝山」(笑)
(Live Bar X.Y.Z.→Aのオーナーということで私と共にJASRACに告訴されてます)
を呼びました。

中国人は有り余るぐらい料理を出さなければ満足しないし、
イスラム教だのいろいろ難しい部分があるのでこの人以外無理だろうということで、
「ほな頼むわ〜」というと総勢5人で上海からやって来た。

それにLive Bar X.Y.Z.→Aからあーちゃんと赤間くんとまさえもん、
この8人が不眠不休で料理を作る・・・

朝ご飯が7時なので毎日4時起きで、
夜はえとーさんはじめワシも含めて2時や3時までガンガンに飲んでいるので寝られない(スマン)

しかしこの頑張りのおかげで中国人も大喜び!!

海苔や漬け物など日本のものだけでなく腐乳や皮蛋など中華の小鉢も用意してるし、
中華が恋しくなった頃にはちゃんと中華も作ってくれる。

途中で出た「西红柿炒鸡蛋」や「麻辣烫」などは日本人にも嬉しいメニューだったのではなかったかな・・・

終止天候には恵まれず、
準備のため前乗りした私と調理スタッフは逆に死ぬほど暑かったので心配してたが、
結果的にはずーっと雨だったので涼しかったのでよかったのではないか・・・。

毎日キャンプファイヤーで野外ライブの予定が、初日以外は全部屋内になってしまったが、
結果ワイワイ騒げる感じでよかったのではないかと思う。

今回の課題曲はJASRACからクレームが来ることを念頭に置き、
全曲JASRAC管理楽曲ではない曲を選んだ。

私の曲が中国語の曲が2曲あり、それを生演奏となると誰かが歌わねばならない。

小畑秀光と衛藤浩一に一応カタカナ中国語で歌えるようにとミッションを与えていたのだが、
中国から参加の生徒の中に歌える人間がいて、
結局は毎日生バンドの生歌でのセッションとなった。

初心者ドラマーが石川俊介さんのベースと田川ヒロアキさんのギターで一緒に演奏出来るなんて夢のようですぞ・・・

・・・と言うのもワシは中国のドラム教育の実情を垣間みて、
ワシがやるんだったら絶対に「生演奏」と決めていたのだ。

全中国を50カ所以上廻って、多いところにはひとつのドラム教室で1000人を超える生徒がいる(驚)

当然ながら天才ドラム少年少女も多数いるわけだが、
そのほとんどがバンドというものを経験せずに大人になる。

そんな中のひとりに相談されたことがある。
「私もファンキーさんみたいにレコーディングやコンサートの仕事をしたいの!!」

彼女は出会った頃は17歳の天才ドラマー少女だったが、
結局はずーっとクリックと伴奏のみでしか演奏したことがない。

そんな彼女が今や先生になってまた100人以上の生徒を教えて、
そんな天才ドラマー少年少女をたくさん育ててゆく・・・

ワシは彼女にアドバイスをした・・・「バンドをやりなさい!!」

しかし「住んでるところが違う」というのはいかんともし難い。
「バンドってどうやればいいの?・・・」

だからこのスクールでは「バンド」を体験してもらう。
しかも一流の演奏で、だ。

日替わりでゲストを呼んで、一流の演奏というのを聞いてもらう。

「ああバンドって楽しいんだな・・・」
そう思ってもらえば、このファンキー校長が一番教えたい部分はもうクリアである。

日中関係が冷え込んで久しい昨今、
日中のロックを愛する人達、ドラムを叩きたい人達が、一緒になって拳を上げ、一緒になって酒を飲む。

ワシは日本のアホなメディアの方々に聞きたいが、それってこの日中関係で「少数派」か?

いや違う!!ヘイトスピーチをする日本人団体が日本で多数派ではないのと同じように、
日本企業を焼き討ちする中国人は決して多数はではない。

世界中でこのような人間こそが「多数派」であることを私たち人類は絶対に忘れてはいけない!!

子供は一緒になって遊ぶ・・・
今年はその半数近くは日本語も中国語も喋れる子供だった。

ワシは「日中友好」なる言葉が大嫌いで、
「ファンキーさんは日中友好の架け橋ですね」
などと言われると虫酸が走った。

ワシは別に日の丸背負ってロックをやってるわけではない!!
ワシは普通に「ロック」をやってるわけであって「日中友好」をやってるわけではないのだ。

ワシは偶然中国にいっぱい「仲間」がいるだけの話であって、
「日中の架け橋」と言うならばうしろこんな子供たちこそではないか・・・

尖閣問題やいろんなことがあって、ワシは今回初めて「日中友好」という言葉を自分から使った。

でも参加した人は全て思うだろうが、
アホな日本人(講師含む)とアホなワシの仲間の中国人が集まってロックやって楽しく時を過ごしただけのことである。

来年は100人規模での開催が決まった。

この時期は中国でドラムのイベントが多いという問題や、
お盆の近くは飛行機代がベラ高いという問題があるので開催日はまたゆっくり検討します。

とにかく中国側は来年は当初の予定通り50人で来ることが決定!!
日本人は50人集まるかな?・・・

集まったら集まったで送迎スタッフと厨房スタッフが死ぬな(笑)

今回集まってくれた方々、ボランティアの方々、
協賛して頂いたたくさんの企業の方々、差し入れをしてくれたたくさんの方々、
本当にどうもありがとう御座いました!!

来年もまた盛り上がりましょう!!

こちらにギャラリーをUPしました。
参加された方でいい写真をお持ちの方がおりましたらこちらにお送り下さい。
掲載させて頂きます。

Posted by ファンキー末吉 at:10:04 | 固定リンク

2014年8月 6日

カラムーチョZ〜秘密組織コイケヤのテーマ〜制作秘話

知り合いからこんな仕事が廻って来た。

作曲と音楽制作依頼
内容:コイケヤの新製品カラムーチョZの音楽
歌う人:水木一郎

水木さんとは一度アウェイインザライフの舞台でご一緒した。
奇しくもあの「マジンガーZ」のテーマをバンドで演奏したではないか!!

その時の資料でもらった「マジンガーZ」を聞き返しながら考える・・・
ワシの音楽のルーツはひょっとしたらアニソンかも知れない・・・

小学校の頃、統計かなんかを勉強する時の材料だったと思うが、
「昨日何時間テレビを見ましたか?」というアンケートに、
みんなは「30分」とか「1時間」とか書いているのに、
先生が1枚の紙を取り出して「これは長いですねぇ・・・」と言うので、
それはてっきりワシだと思ったら「2時間」とかで、
それだけでも教室は「凄〜い・・・誰なの?」と騒然としてたのに、
ワシの書いた紙を取り出した瞬間に先生が絶句した。

6時間・・・

いや、別に毎日それだけテレビを見ているわけではない。
うちは両親が商売をしてたので家には誰もいないし、
その日は確か風邪気味で学校から帰ったらテレビの前に布団を敷いてずーっと寝っ転がっていたのだ。

そしていつの日かテレビの内容よりも(まあそれもあるのだが)そのテーマソングに興味を持つようになって来る。

覚えている一番古い記憶で「子連れ狼」、
このテーマソングを一生懸命テープレコーダーに録音してた。

録音と言ってもテレビのスピーカーの前にテレコを置いて、
エアダビングでテレコのマイクで録音していたのだ(笑)

その後アマチュア無線などをやり出して電気に興味を持ち、
家にあったステレオを分解し始める。

そこでスピーカーが左右にあることを発見し、
よく聞くとブラスセクションがひとつのスピーカーからしか聞こえず、
反対側はそのリバーブ音だけが聞こえてたり、
右と左のコードをショートさせると音が真ん中から聞こえて来たり、
片方を逆につなぐと今度はベースとか真ん中の音が逆相で打ち消しあって消えて左右に定位している音だけが聞こえたり、
そんなことをやって遊ぶようになり出した。

その時によく聞いていたのが仮面ライダーやバビル二世や、
その辺のアニソンだったのだ。

その頃のアニソンはオーケストラで一発録音のが多く、
音に興味を持ち始めたばかりの末吉少年は必然的にブラスだストリングスだとオーケストラに興味を持つ。

その後中学生になってからロックの洗礼を受けることになるが、
今にしてみればドラマーの分際でオーケストラのアレンジが出来たりするのはこの頃の原体験があるからだと思う。

話が横道に逸れたが、だからワシにとっては
ストリングスはサビでタリラリラーンと走るもの!!
ブラスはパパラパパーと歯切れよく!!
など自分のオーケストラアレンジはアニソンの影響は大きい。

だからアウェイインザライフでマジンガーZを演奏するとなった時には血湧き肉踊った。

あの歌のキモはティンパニであるが、
子供の頃はわからんかったが今聞くとあれが大きくリズムがズレてるのな(笑)

ティンパニを打ち込んで同期させてもどうしても雰囲気が出なかったので、
あのオケをそのまま使ってリズムを補正して、
EQとかでティンパニ以外の音を目立たないようにして使ったもんなぁ・・・

そうそう、「時代」なのであるが、冒頭のピューンという安っぽいシンセ、
あれが入るだけで当初はむっちゃ「新しいマシン」というイメージやったのが、
今となってはあの音を再現するのは難しいからあれもそのまま使ったような記憶がある。

もちろんサビで走るストリングスもそのままのラインを打ち込んで使ったぞよ(笑)

そんなこともあってワシはマジンガーZをかなり分析し切ってたので、
今度の仕事は漠然とあの頃のアニソン、
つまりオーケストラ一発録音でブラスがリズムを刻み、ストリングスが走り回るサウンドをイメージしていた。

さて歌詞が届いた。
蓋を開けてみたらこの仕事は「詞先」の仕事だったのだ。


燃えあがれ 勝負だゼ
パリッとしようぜ男なら
夢を掴むその日まで
カラムーチョ Z!

地球を愛す おーおーノンフライ
時空を超えたレッドサタン
激辛バトルだ 涙を拭くな

ナ・リ・マ・ス、成増
世界一に

火を噴くぜ  (おしりがいたーい)
秘密のサンカク (教えてあげないよ)

デンセツ! 伝説の! 秘密組織コイケヤ


おうっ!!やはり「Z」という部分が入っている!!
これはやはりマジンガーZのように「ゼーット!!」と叫んでもらわねばならぬ(笑)

当然ながらそこが一番盛り上がる部分になるのだが、
ところがマジンガーZと違ってこの詞の場合は冒頭にそれがある。

「詞先」の場合その詞が「構成」までも支配してしまうということがやっかいな部分である。

そこでマジンガーZを聞き返してみて分析するに、
この曲もおそらくは「詞先」だったのだろう。
AーBーAの形式のようで、最初のAは8小節使って低いところからゆっくりサビまで盛り上がってゆくのに対して、
最後のAは一瞬で「ゼーット」まで持ってゆく。

これは「曲先」で詞もなく純粋にメロディーだけを作る人のアイデアとしては非常に奇妙である。

「詞がこうだから」という理由でそうなったと考えると心なしか納得する。
(真実のほどはわかりませんが)

そこでワシも頑張る!!
詞の並びが自分の考えていた構成と違ってたって、
純粋にその詞が「歌いやすい」ように組み合わされてさえいれば、
マジンガーZのような「黄金比率」の構成になるのだ!!!

というわけで詞とにらめっこの日々が続く・・・

まあワシはドラマーが本業なので日々はセッションだひとりドラムだの生活の中で、例えば電車や車や飛行機(これが一番多かったりするが)に乗っている時間や、
その他うんこや日々の余った時間を活用してまずは大雑把に考えるのだ。

そんなこんなで第一回目のミーティングの日が近づいて来たので本格的に考える。

理数系なので物理的に消去法などを使って考えるに、
「ゼーット」が冒頭にあるのならもう何をどうしようがサビ始まりしかない!!

問題は、そうなるとこの詞は4部構成となってメロディーがつけにくくなってしまうということである。
マジンガーZのようにストリングスが走るあのBメロはどの部分になる?・・・

当初は「火を噴くぜ」の部分をこのような展開にして、
マジンガーZよろしく最後はAメロに似た一節だけで終わろうと思ったのだが、
そうするとAメロが長すぎてどうも間持ちがしない・・・

そこでまた詞とにらめっこをしながらふと見ると、
(おしりがいたーい)とかはメロディーではなく子供の掛け声でよいではないか!!

ではそこからまた最初のサビと同じメロディーではどうだろう・・・

試しに最初のサビのメロディーに乗せてみるとこれが偶然見事に乗った!!
「カラムーチョZ」と「秘密組織コイケヤ」は字数が違うが、
それはまあ「最後だけはちょっと違うんですよ」で十分成り立つだろう・・・

ちなみにワシが曲を作る時はまずサビから作る。

これはRunnerやリゾラバや、
当時の「必ずヒットする曲を作れ!!」という無茶苦茶なミッションの中で体得した一種の手法論なのだが、
サビの次に作るのはAメロの歌い出しである。

まあサビの歌い出しとAメロの歌い出しさえキャッチーであれば、
まああとはヒットするかヒットしないかはプロモーション次第だよと開き直れる(笑)

この曲のAメロはフック(引っかかり)を作るために、
わざとドレミファソラシド以外の音を使っている。

キーがCの場合はメロディーは鍵盤の白鍵だけで弾けるものとなるが、
わざとそうではない音を使うためにそれ用のコード付けがある。

キーがCの場合のB7などがそうなのだが、
歌い出しの小節1拍目にちょうどレ#、つまり黒鍵で弾く音が来るようにしている。

ちょっと「あれ?」という感じでいいツカミになるのよ〜にであるが、
ちなみに単調なサビメロにちょっと変化をつけるために、
サビのコード付けのところにもこの手法を使っていてる。

キーがAmの場合Fのコードは通常Fメジャー7になるのだが、
わざとF7にしてちょっとオルタードな雰囲気にしているのだ。

まあメロディーこそここには落ちてないが、
このサビのようにベタな五音階旋律の場合やはりちょっとフックをと思ってミの音をわざとフラットさせているのである。

まあこのミbはメロディーでは歌ってないが、後にストリングスとかブラスで強調するという計画である。

さて理屈はさておいて、サビーAメロと来たら自然に流れるBメロを作るが、
この時にあまり欲をかいてはいけない。

Aメロ、Bメロ、サビのことを英語でVerse Bridge Chorusと言う。

つまりBメロは「橋渡し」をする部分であり、
そこにサビのようなキャッチーなメロディーを持って来る必要はない。

要はAメロから自然に受け継いで、サビに入った時に気持ちよければそれでよい。

さてこうして一応メロディーは出来た。
ここからワシの最大の難関が始まる。

「デモ作り」である・・・

二井原はワシに言った。
「せっかくいいメロディーなんやからお前が歌うな!!
お前が歌えばどんないいメロディーも悪く聞こえる」

・・・(涙)・・・

しかし往々にして「クライアント」というのはシンセメロでメロディーを聞かせてもイメージ出来ないものである。

それは例えて言うと新製品のお菓子のプレゼンでワシなんかに、
「これはまだ完成品ではないのですが、これに手を加えてこのようになることを想像して食べてみて下さい」
と言われてもワシら素人にはそれが最終的にどのような味になるかは皆目見当がつかないのと同じである。

だからせめて「仮歌」で歌ってやらねば「歌」に聞こえないのだから歌うしかない・・・(涙)

アレンジの方向性はワシの頭の中にはあるもののまだ決定ではないので、
まあ「メロディーのプレゼン」ということでギターと歌(とこれをシンセメロにしたもの)だけでデモを作る。

またこの「プレゼン」っつうのが緊張するのな・・・(恐)

ワシにこの仕事を紹介してくれた会社の人と、
コイケヤの担当者とが雁首並べて店にやって来てくれた。

恐る恐るとりあえずシンセメロバージョンを聞かせる・・・無反応・・・

あかんやん!!・・・というわけで禁断のワシの仮歌による歌入りデモ・・・

これ・・・ホンマ博打やな(笑)
シンセメロで「うんなかなかいいじゃない?」と思ってた人達にヘタしたら冷水を浴びせかけることになりかねない(笑)

結果はその時には結局結論は出ず、
とりあえずちゃんとしたデモを作って送ってくれということになる。

さてそうなるとそこからが「アレンジ」という作業である。

このアレンジによって曲のイメージが固定されるから、
「こんな風に」が「違う風に」なってメロディー自体を否定される可能性も出て来る。

あのう・・・

ワシは自分のルーツである昔のアニソン、
オーケストラ同時録音風でラッパがパパラパーと鳴ってストリングスがタリラリラーンと走る、
そんな感じのイメージを一生懸命説明する・・・

いやっ!!

クライアントがきっぱりとそれを否定した。
「曲のイメージはヘビーメタルにして下さい!!」

げっ!!!

しかしメタルというのは得意分野なので逆に気が楽である。

メタルアレンジというのは即ちギターアレンジ、
つまりギタリストによってそのサウンドは大きく変化するので、
取りあえずはワシはこのギターを弾いてもらう候補として思い付いた田川ヒロアキの映像を見せる。

一同唖然・・・

よっしゃー掴んだ!!
これで田川くんに発注決定!!
〆切を決めてそれまでにアレンジ込みのデモを作成することになる。

さてアレンジであるが、
これに一番大切な部分は「イントロ」である。

イントロにキャッチーな掴みを作ることがアレンジ作業の一番のキモであるので、
ここにたっぷり数日時間をかけてイントロのフレーズを考える。

ロック系のイントロには、
1、メロで持ってゆく
2、リフで持ってゆく
等いろんな手法があるが、
歌メロがアニソンよろしくポップに作ってあるのでドイントロはやはりリフで攻めることにした。

「田川さんのギターもフィーチャリングして下さいね」
というクライアントの意見も取り入れ、
とりあえずその次にすぐにギターメロに行くようにしてとりあえずイントロは完成!!

ちなみにこの時点でワシはそのギターメロまで作ってデモ(田川くんに渡す段階)にしているが、
それは「指定」ではなく自由に変えていいようにする。

ギターも弾けないアレンジャー(ワシのこと)がいろいろ指定するよりも、
ギタリストが自分のフィーリングで弾いた方がより「ロック」になったりするからである。

さてイントロさえ出来ればワンコーラスまではすんなりアレンジ出来たが、
ワンコーラス終わってからはたと頭を抱える。

この詞の構成は2番も1番と同じく
サビーAメローBメローサビ
となっている・・・

本当は1番がサビで終わった場合は流れとしては次はAメロから入るのが一番流れがいいのよーん(>_<)

2番は冒頭のサビをカットするか・・・いやいやそれではキモである「ゼーット!!」がなくなってしまう・・・

しばらく悩んでいるうちにひょっとクライアントの要望を思い出す。
「出来ればファンキーさんのドラムもフィーチャリングして頂ければ嬉しいのですが・・・」

そこで決断!!

通常のポップス構成、いわゆる2ハーフという
1番ー2番ー間奏ーBメロもしくはサビ
という構成はあきらめてもっと変則的な構成にしよう!!!

1番が終わったらとりあえずドラムをフィーチャリングして、
そこから長いギターソロ!!!
たっぷりと田川くんをフィーチャリングした後に仕切り直してまたサビ始まりでワンコーラス歌う!!

これしか物理的に方法がないのだ!!
もし「これはちょっと・・・」と言うならもう歌詞を削るしかない。

せっかくイントロを作ったのだから一回だけしか聞かせないのももったいないので、
それをそのままエンディングに持って来てフルコーラスのデモ(田川くんに渡す段階)完成!!

「田川くーん〜これにギター入れて〜」
とメールでデータを送りつける。

打ち込みのギターではどうしても「メタル」感が出ないので、
デモ段階と言えどホンモノで弾いてもらわねばならない。

「デモやからね〜大体でええからね〜」

そしてこの言葉を必ず付け加えねばならない。

「ついでに仮歌も入れといて〜」

これが何より大事!!
一生懸命作ったデモでもワシの仮歌ではそれが原因でイメージが悪くなりボツになってしまう(笑)

こうして田川くんの完璧な仮歌によるデモが完成した(笑)
構成やアレンジのOKを待つ・・・

ところがこれがなかなか返事が来ない・・・
「ひょっとしてボツになったかなぁ・・・」
と思って待つこと数日、

「水木さんからOKが出ました!!これで本チャンレコーディングして下さい!!」

え?水木さんがOK出すの?・・・
・・・と不思議に思ったのだが、クライアントは既にOKを出していても、
やはり歌ってもらう水木さんが乗り気でなければこのプロジェクト自体が成功しないということだろうか、
兎にも角にもこのテの仕事では非常に珍しく「一発OK!!」

私も田川くんも飛び上がらんばかりに喜んで次の作業に入る。

まずはドラム録り!!
それが終わらなければベースとかギターとか上モノは被せられないのでこれだけは早急に録音する。

まあドラムは本職だし自宅スタジオでちょちょいと(でもないが)出来るのでツイキャスしながら録音した。

ドラムのデータを田川くんところに送って、あとは本チャンギターと、
ベースはエンジニアとして発注した仮谷くんに「弾く?」と聞いたら、
めんどくさがったのか「弾かない」と言うのでそれも田川くんに頼んだ。

ワシはここからは単なる「こだわり」なのだがやはりルーツである昔のアニソン風のストリングスと、
まあ現代っぽく(という言い方が既に古い)デジタルモノのシンセ等を被せる。

まあ「ダビンガー」が二カ所で同時にダビングしているようなものである(笑)

ストリングスは将来(あるんか?)本物を録音する時にも対応出来るように、
バイオリンパートとチェロパートで作っておく。

まあこの辺も「こだわり」なのだが、
「こだわり」がなくては100%「仕事」である。

「こだわり」があって初めて「音楽」になるのだから、
この「仕事」としては無意味なことにも思いっきり時間を使わせて頂く。

これにてワシの作業は終了!!
あとは田川くんの作業が終わり次第歌入れ!!!

というわけで初めてアニソンの帝王水木一郎さんの歌入れとやらをディレクションする羽目となった(緊張)

いや〜何も申し分ありません!!冒頭の「ゼーット!!」で全てOKでした。

WithMizukiIchiro.jpg

その時に水木さんがおっしゃった。
「アニソンの流れを世襲しながら新しいものを大胆に取り入れた新しいアニソンの世界・・・名曲です!!」

恐縮です。

何千曲もレパートリーがあるアニソンの帝王が、
ここまでこの曲を気に入ってくれて、
私としては本当にこだわった甲斐がありました!!

この曲は本日こちらより配信開始!!

レコチョクはこちら〜

プロモーションビデオはこちら〜

Posted by ファンキー末吉 at:13:00 | 固定リンク

2014年8月 5日

平和のための飲み会(中国の少数民族土家族の風習)

中国湖北省恩施土家族苗族自治州の袁老師の命がけの接待を受けて、
恩施の隣町である利川というところにやって来た。

利川には「腾龙洞」という世界一と言われている洞窟があり、
なるほど「ヘリコプターが飛べるほどデカい」というのは本当である。

LiChuanTengLongDong.JPG

全長3000mを超える洞窟の中は本当にヘリコプターが飛べるぐらいデカく、
そこには2つの大きなステージがあり、
まずひとつは噴水とレーザー光線を使ったショーを行うところ

LiChuanTengLongDongStage1.JPG

洞窟の壁と噴水の霧をスクリーンにして一大スペクタクルショー!!
ってこれは恐ろしく金がかかってそうだが突っ込みどころ満載(笑)

そしてもうひとつのステージは少数民族土家族の歌や踊りのショー、
これが劇団四季(見たことないけど)もまっ青の凄いショーだった。

LiChuanTengLongDongStage2.JPG

こんなド田舎(失礼)に日本人などなかなか来ないだろうし、
バックパッカーなら来るかも知れんが、
バックパッカーは180元というバカ高い入場料(私はもちろん奢り)払ってここには入らんじゃろうから、
きっと最初で最後(でもないか・・・)の日本人客として楽しませて頂いたが・・・

・・・と書いてたらこんなブログを発見!!
見に行った日本人いたのね・・・

というわけで前置きはこのぐらいにして、
今回の接待の中で一番心に沁みたのが実はこれである。

本題・・・

この辺は中国の少数民族土家族が住む自治州で、
酒を飲む時にこの辺では飲み干した碗を床に叩き付けて割るという習慣がある。

もちろんそれ用の碗をレストランで購入するのだが、
袁老師がまた命がけで100個も購入して来よった(>_<)

つまり100杯飲めっつうことなのね(笑)

ところがいざこれをやってみると非常に楽しい・・・
いわゆるスカッとするというかストレス解消になる。

隣では何やら歌を歌って盛り上がっていたが、
歌い終わったらみんなで碗を割る。

「すみませんねぇ〜ちょっと撮らせて下さいな〜」
という感じでお邪魔したのだが、それを拒むどころか
「おいでおいで〜一緒に飲もう〜」
となる。

碗を割るという暴力的な行為とは裏腹に非常に友好的な飲みである。

少数民族のお姉ちゃんが歌を歌ってくれたが、
これは数え歌みたいなもんで、歌い終わったらこれも飲み干して碗を割る。

実はレストランの壁にこの風習の云われが書かれてあったが、
これを見てワシは酔いも相まって涙が出るぐらい感激したぞ・・・

LiChuanShuaiWanLaiLi.JPG

概訳:その昔、土家族にふたつの対立した部族があった。ふたりの長老は民族の生存と発展のため、ふたりで酒を飲み、遺恨を流すために飲み干して碗を割った。

何で今のいろんな国の偉い人たちはこの長老のようにやれんのかのう・・・
人間豊かになって逆にどんどん愚かになってるんちゃうかなとホントに思う・・・

というわけでワシは袁老師に言ってこの碗を仕入れることにした!!
取りあえず1000個!!!

船便で送ってもらうので店に着くのはいつの日になるやらわからんが、
一日それ用の日を作って世界平和のためにみんなで飲もうではないか!!

名付けて「世界平和の飲み会」・・・実現を待て!!

Posted by ファンキー末吉 at:17:12 | 固定リンク

2014年8月 1日

渋谷有希子さんこんな仕事やる?・・・

こんなこと直接メールで書けばすむことなのだが、
あまりにも「中国的」というか、
あまりにも中国の音楽界の「今」を表してる内容なので公開でお伺いしたいと思います。

このブログはいろんなミュージシャンも見てますが、
もしあなただったらこんな仕事受けますか?・・・


まず状況を説明しとかねばならないのが、
今中国はオーディション番組花盛りです。

まあこれは私が関わっただけでも2006年5月13日のブログ・・・
まあでもこの頃はもうオーディション番組ブームとしては下火なのである。

しかし2006年9月21日のブログによるとそれでもこの娘はそれに出て大スターとなっている・・・

この「下火になっても絶大な影響力」というのが中国の恐ろしいところで、
次に一大ブームになるのがインターネット番組によるオーディション・・・

2013年4月18日のブログによると、
この頃には全てのミュージシャンがこの仕事に駆り出されて仕事が回っていかず、
2013年6月21日のブログによると、
この頃には回って行かない仕事が海を越えて日本のミュージシャンのところに回って来ている。

ワシぐらい経験値が高い人間がこのように3日間徹夜してやっとひとつの仕事が終わるという状況を、
北京のミュージシャンはみんながみんな毎日それをやっているというのがこの頃の現状だった。

ところがこの頃からちょっと流れが変わって来る。
オーディション番組にプロの歌手が出演し始めたのだ(驚)・・・

そりゃそうだ、何億人が見るこのテの番組に出演して、
勝ち残ってゆく限りそれはその歌手のプロモーションとしては絶大な「価値」が出て来る。

ワシの知り合いの歌手もこれに出演して歌手としてまたランクを上げたし、
「バンドをやろうぜ!!」と誘われるその誘いは大概は、
「バンド組んでこのオーディションに出ようぜ」という誘いで全部断っている(笑)

そりゃそうだ、勝ち残ってゆく限り延々スケジュールを押さえられ続けるようなそんな生活が外国で住んでいるミュージシャンに出来るわけがない!!

しかしそれが「仕事」になったらどうだろう・・・


さてここまでが前振りだったが、ここからが本題。

中国では既に有名な歌手であるTさん(ちなみにワシは顔見知りではない)、
既に有名な歌手でもこのオーディション番組には絶大なプロモーション効果があるし、
テレビ局としても有名歌手が出演してくれたら宣伝効果になるということで、
じゃあということでこの番組に出ることにした。

今やプロモーションが必要ない超トップの歌手以外にとってはそれほどこの番組のプロモーション効果はでかいのだ。

じゃあプロモーションと言う限りにはランクの高い見せ方をせねばならない、
というわけでまず白羽の矢が立ったのがワシ・・・

まあ毎週参加曲を視聴者がびっくりするようなランクの高いアレンジをして、
他の歌手のバンドでは無理なようなランクの高い演奏で・・・
というので目を付けられていたのだろうが、
そこで「じゃあベーシストも日本から呼ぼう」ということになった。

そこで前回大高清美さんと共に中国にやって来た渋谷有希子さん、
あなたに白羽の矢が当たったのです!!

まあこの裏側にはうちのアホなアシスタント方言(FangYan)があなたのセクシーなプレイに悩殺されて、
先方にグイグイとあなたをプロモーションしたのではとワシは思っているが、
兎にも角にも先方はではこの人でと決まったようである。

そこで夕べの夜中、仕事の詳細が送られて来た。

これが笑ってしまうほど中国的で・・・と言っても「悪い意味」ではない、
日本人ミュージシャンにしては喉から手が出るほどオイシイ仕事でもある。

方言(FangYan)はワシにこうメールを書いて来た。


「この仕事にはいい面と悪い面があります。
まずいい面から説明しましょう。・・・」

と来た(笑)・・・いつものヤツの話の持って行き方である。

「この歌手の会社はあなた方にちゃんとしたギャランティーを出します。
私が交渉した高額なギャランティーを先方は呑みました。
要求した渡航費、滞在費も全部先方が出します。
おまけに日本式のギャランティーの支払いである、
リハーサルは本番の半額というのも呑みました」

ちなみに中国の一本のバックバンドの仕事は日本のギャラより高い。
でもリハーサルのことが考慮されてないのでリハが長いとやっぱり割に合わなかったりする。

最近の不景気な日本で一本のバックバンドのギャラはいくらが大体想像はつくが、
この本番のギャラは実はその相場よりも高い・・・
・・・ということは、この「リハは本番の半額」で仕事が決まったということは、
日本の仕事に換算してもトップクラスの「お仕事」ということになる。

「オーディション番組は全部勝ち抜くと13週、
毎週本番があり、そのために4日リハーサルをします」

ということは全部勝ち抜けばゆうに日本円で何百万円持って帰れる仕事となる(驚)


ところがここからが「悪い面」である。

「まず仕事始めは11月10日以降、
ここで大切なのは、それがまだ決定ではないこと」

つまりスケジュールを押さえていても開始が遅れることもあり得るということだ。
開始が遅れれば13週の最後も遅れるから押さえるべきスケジュールはもっと多くしとかねばならない。

「そしてこの仕事の期間は最大で13週、
その間基本的に別の仕事をしてはいけません。
する場合はこの仕事を絶対的に優先せねばなりません」

まあ高いギャラをくれるわけだから優先はするよ・・・
ワシのほとんどの仕事はレコーディングだからこれは大丈夫じゃろう・・・

「そしてこれが問題なのですが、仕事のタームが確定しません。
13週のスケジュールをベタ押さえさせて頂きますが、
このオーディションの途中でこの歌手が負けてしまった場合、
仕事はその瞬間に打ち切りとなります。
確率は低いですが、もし初戦敗退したらそれで終わり、
事務所もこのために押さえたスケジュールを賠償したりはしません」

つまりこうだ、
渋谷有希子さん、あなたは13週のスケジュールをこの仕事のために押さえ、
日本の仕事の全てを捨てて北京に来て、
うまく行けば何百万持って帰れる、
もし初戦敗退したら1週間分のギャラだけ持って帰って何も仕事のない日本に帰る(笑)

まあワシはいいのよ、北京にいれば何ぼでも仕事はあるから、
よかったら13週ずーっと北京で遊んでてもらってもいいぞ(笑)

さあ渋谷有希子さん、この「遠洋漁業のマグロ漁船」のような仕事やるか?!!

大漁になれば何百万!!
海がシケればボーズで帰る!!

どうですか?みなさんだったらやりますか?・・・ちなみにワシはやります!!(キッパリ)

Posted by ファンキー末吉 at:08:17 | 固定リンク

2014年7月 7日

はっつぁん祭

去年この世を去ったはっつぁんゆかりのミュージシャンが集まって、
はっつぁんの曲、もしくはゆかりの曲のみでライブをやろうという企画、
私は「ハウスバンド」のドラマーとして呼ばれた。

ところが先日リハに行ってみると、
ワシの他にも衛藤浩一はじめいろんなドラマーが参加するので、
純粋にワシがドラムを叩くのはたったの3曲、
それと全員参加のセッションのみである。

ワシがドラムを叩く曲の中には渡辺英樹、田口智治のおふたりのバックもあり、
あの「Pさん」ことパッパラー河合さんが歌う曲のバックもある。

リハには渡辺英樹さんは30分前に着いているというのに、
Pさんは30分しかリハ時間ないのに30分以上遅刻して来る(笑)

それでもちゃんとギターを持って来ただけよい。
ある時なんかギター忘れて現場来て、
「お前なにしにここに来たんや!!」
ということもあった・・・

その辺はC-C-Bの田口くんも似たようなところがある。

王様ツアーのゲストで熊本呼んだ時も手ぶらで来て、
小屋にキーボードがなくって大慌てしたこともある。

この日のリハにも田口くん、
当然ながら与えられた曲の譜面すら持って来てない・・・(笑)

どんなバンドにもこういうメンバーがひとりいて、
C-C-Bでは田口くん、爆風ではPさん、
そしてTHE GOODBYEではさしずめえとーさんであろう・・・

魅惑の3トップがこの日に集結した!!(笑)

Hacchanmatsuri3top.JPG

さて話はまたPさんに戻るが、
往々にして遅く来るヤツほど早く帰るもので、
与えられた曲を1回だけ歌ったらもうギターを片付け始めている(笑)

「もう一回やらんの?」
と聞くと、例によってきょとんとして不思議そうにこう答えるのである。

「やるの?」

何が不思議なのかワシらにはわからない(笑)
そもそもが一回だけでええなら別に当日リハで十分なのである。

「不思議なことを言う人達だけどみんながやりたいならやってもいいよ」
と言わんばかりにまたギターを取り出してもう一回歌う。

しかもその構成は一回目とはもう違っているのだ(笑)

ワシはメンバーに
「歌が入ったところがAメロということで、あとはフリー!!」
と説明する。

そしてその構成が違うもう一回を歌い終わったら、
もう問答無用でさっさとギターを片付けて帰ってしまうのだ。

もちろん本人は自分が違う構成で歌っていたことなど夢にも思っていない・・・(笑)

そして衝撃の事実が発覚する。
何と彼は当日の昼間には7時間耐久マラソンのスケジュールを入れているのだ(驚)

まあいい、この人に大きな期待をしてはいけない。
本番にさえ来てくれればそれでいいのだ・・・

・・・ただしそれさえもが「忘れていた」で実現しないことが多いのだが・・・


兎にも角にも当日がやって来た。
Pさんのことは一切忘れて通しリハーサルが始まる。

実のところワシはこの段階で既に涙腺が崩壊しかけていて、
目の前のえとーさんをイジメて気を紛らわせる(笑)

何にそんなに涙腺を崩壊させられるかと言うと、「曲」なのである。

THE GOODBYEの曲と言えばやっちんか義男の曲がメイン曲で、
はっつぁんの曲はまあ言ってみれば「アルバム曲」というか、
いわゆる「メイン」ではない。

THE GOODBYE解散後に組んだバンドの曲とか、
まあいわゆる「売れてない」バンドの曲なんだからやはり「マイナー」な曲である。

ところが世の中で言うその「マイナー曲」ばかりを並べたこのコンサートメニュー、
これがどの曲もいい曲ばかりで素晴らしいのだ・・・

「マイナーで何が悪い!!」
はっつぁんがまたあの笑顔でそう言っている姿が見えるようだ。

ワシは自分も曲を書いたりするからよくわかる。

レコード会社は絶対これらの曲をメイン曲に持って来たりしない。
そう言えば河合も選曲会議の時に
「これが売れるの?」
という言葉をよく使っていた。

そう、ワシらは「売れるため」に曲を書いて来た。

まるで大人になるにつれて恋が上手になって、
いつの間にやらあんな無防備な恋をすることが出来なくなってしまうように、
いつしか曲も「上手に」書いていってしまう。

そうならなければならなかったのだ。
いつの間にやらワシらは「売れるため」にバンドをやっていた。
幼稚なこと、子供っぽいことは捨てて「大人」にならなければならなかった。

でもはっつぁんはいつも「愛と平和」のために曲を作ってた。
そしてやりたいことをやるためにバンドを組んでいた。

「それしか出来ねぇんだから仕方ねーだろよ〜」
とまたグラス片手に笑ってるはっつぁんの顔が思い出されて来る。

リハが終わって英樹と顔を見合わせて、
「飲みますか〜・・・」
となった。

ワシはどうせ3曲しか叩かないのだ。
普段は叩く前には飲まないワシも、
「飲んじゃえ〜」
とはっつぁんにまた笑いながらそう言われているような気がする。

HacchanmatsuriHideki.JPG

いつの間にやら楽屋で宴会が始まった。

司会の綾和也と会うのも4年振りの結婚式以来である。
アホな思い出話で笑い転げながら本番が始まった。

主催者の池沢もとい未亡人となった加賀ゆう子さんの挨拶から・・・

HacchanmatsuriIkezawa.JPG

演目が進むにつれ酒も進む・・・

HacchanmatsuriWasada.JPG

タイムスケジュールをかなり余裕を持って作っていたため、
2バンド目が終わったら既に10分巻き!!

仕切りたがりのワシは司会の綾和也、衛藤浩一に伝令を飛ばし、
もっと各出演者にはっつぁんとの思い出話を語らせるよう指示を出す。

実際THE GOODBYEに加入する前に組んでいたバンドとか、
ワシはおろかやっちんでさえ知らなかったりするのだ。

ワシらの知らないはっつぁんのエピソードをもっと聞きたい・・・

しかしそんなこんなしていると結局、
ワシらもお客さんもMCに曲に釘付けとなってトイレに立つヒマもないのだ。

「休憩を入れよう」
とやっちんが言い出して15分ほどゆっくり休憩。

やっちんの出番から後半戦がスタートするのだが、
その次がワシがドラムを叩くコーナー・・・

と言えばPさんが来てなければならないところがまた来ていない・・・

電話にも出ずにLINEも返さない。
池沢はだんだん青ざめた顔になってゆくのだが、
慣れているワシや和佐田は、
「まあ本番終わる前に来てくれればそれで御の字ですから」
と余裕である。

まあ何とか間に合ってワシからPさんを紹介してステージに呼び込む。

いや〜出て来たら満場の拍手で気をよくしたのか喋る喋る!!(笑)
結局持ち時間10分のところ30分も喋ってたのです(驚)

それにしてもこの起爆力・・・
爆風スランプがブレイクしたのはこのPさんのエンターテイメントによるものは大きいな・・・

爆笑の30分が終わり、30分押しで最後のコーナーが始まる。
いや〜飛び込みで飛び込んで来た義男がまた喋るのな・・・(笑)

でもTHE GOODBYEの曲歌う時はちょっと泣いてたな。
きっと義男もワシと同じ気持ちだったのだろう。
ステージ袖でずーっと全ての出演者を食い入るように見てたやっちんも・・・

はっつぁんの曲・・・どれも素晴らしいな・・・

最後に全員参加のセッションが終わって、
はっつぁんの曲流して写真をスライドショーで流すのじゃが、
さすがに酔いも回って涙腺崩壊したな・・・

はっつぁん・・・まるでジョンレノンのようじゃないか・・・

考えてみると曲なんかしょせんその人が「どう生きたか」という生き様でしかないなのだ。

化粧して一生懸命着飾って生きてたあの頃・・・
化粧も上手くなって、いつでもそこそこの「自分」を見せられるようになった。

そしていつしか化粧しなければ、
着飾らなければ街も歩けなくなってしまった・・・

そんな感じでしか曲なんか書けなくなっちまった・・・

金も出来たし名声も出来た。
でもいつも何か物足りなかった・・・。

着飾ってないアホな「仲間」がいたからこそ、
着飾らなくてよいそんな「付き合い」があったからこそ今がある。

そんな「仲間」が死んでこのコンサートがあるまで、
そいつがそんなジョンレノンみたいなヤツだってことすら知らなかった。

ジョンレノンのように有名じゃないけれど、
たかだかこの会場いっぱいの人ぐらいにしか知られてなくても、
ジョンレノンのように生きて、
ジョンレノンのように死んでいった仲間がいた・・・

そいつの仲間がまたみんなバカばっかで・・・
アホばっか言いながらバカやって・・・

そしてワシらもいつかはあんたのところに行く・・・

ワシが死んだらそんな仲間がまた集まって、
こんな風にワシの曲をみんなで歌ってくれるのか・・・

来年もまたあんたの歌をみんなで歌おうじゃないか!!
アホな仲間が集まって、あんたの歌を歌おうじゃないか!!

飛び切りアホで飛び切り素敵な仲間に乾杯!!

HacchanmatsuriKanpai.JPG

はっつぁん・・・あんたが残していったこの仲間たちは・・・
ほんまにアホで最高なヤツらです!!

HacchanmatsuriFinale.jpg


HacchanmatsuriKazuya2.JPG

HacchanmatsuriKazuya1.JPG

Posted by ファンキー末吉 at:10:10 | 固定リンク

2014年6月 9日

ミャンマーで逞しく生きる素敵な日本人女性たち

昨日お世話になったミャンマーのラテン料理の店「Latin Restaurant salud」、
店長のまいこさんと終了後一緒に飲んだ。

「またどうしてミャンマーなんですか?」
とお決まりの質問をぶつけてみる。

まあこの店の本店は日暮里にあるというから、
ワシはてっきり社内の人事異動かなんかで
「お前ミャンマー行ってこい」
と言われたのだろうと思ってたら、
まあその「行ってこい」と言ったのは「ママ」というから本店を預かるママさんに言われたのかと思ったら実の母親だと聞いてびっくり!(◎_◎;)

聞くところこのママが非常にファンキーなお人で、
ダンスのコンテストかなんかで優勝したのをきっかけでキューバへ行って、
「私ラテンのバーやりた〜い!!」
と言い出してこの日暮里の本店がオープンしたらしい。

料理もお酒も作れない、お金の勘定すら出来ないので従業員にレジも触らせてくれない(笑)
そんな中、娘が大学を卒業して店を手伝わされる羽目になる・・・。

彼女のおじさんがミャンマーと貿易をしていて、
「ミャンマーいいよ〜」
ってなことになり、いきなり
「お前ミャンマーへ行け!!」
となったが、その当時娘は婚活のため断った。

それから数年後、「これが最後だからね!!」と
またママに強くミャンマー行きを言われる。

その時に、
「うーん・・・ミャンマーちょっといいかも・・・」
と思ってしまったがために今がある(笑)

いやね、もともと昨日のライブのシチュエーションはちょっと不思議だったのよ・・・。

同じミャンマーのヤンゴン市内で、片や日本居酒屋、片やラテン料理のレストランだとしても、
同じように日本人をターゲットにしている店同士というとライバルで、
その居酒屋の店長であるゆっこ嬢が、わさわざライバル店であるこの店をブッキングして、
自ら店を休んでまでこのライブにつきっきりでいてくれている・・・。

まあ「ワシのため」だと思えば解せるのではあるが、
同じく10万チャット出して機材をレンタルするのであれば、
別に他所のレストランでなくても自分ちの2階でライブをやればいいではないか・・・。

まあゆっこ嬢まいこさんも、同じく女性でこんなところ(失礼)までやって来て頑張って店を切り盛りしている。

ミュージシャンが例えばドラマーはライバルだから足を引っ張るみたいな世界じゃないのと同じように、
この異国の地でこの二人が何かのシンパシーを感じ合っているのだとしても不思議ではなかろう。

ちなみにゆっこ嬢は店の3階の一室に寝泊まりしている。
ワシはまいこさんはまさか外にマンションかなんか借りてくれてるだろうと思ったら、
「いえ、この上で寝てますよ」
ってあーた!!!

2Fの客席はワシが控え室として使わせて頂いてたが、
2Fのトイレの横に「Private」と書かれた部屋があったがそこなのか?!(◎_◎;)

MyanmarMaikoRoom.JPG

ちなみにトイレの大きさから想像すると相当狭いぞ・・・(笑)

ちなみに居酒屋「勝」では2Fの客席とかで従業員が泊まってたりするが、
まあ女性にとってはそれもイヤかも知れんが、
まいこさんは現在ひとりでこの店に寝泊まりしている。

これはこれで異国で女性ひとりっつうのも大変やで・・・(防犯上後にはすぐに改善されると思うが)

ある日のこと窓の外からミャンマー人の変態に部屋を覗かれたりシャワールームを覗かれたりしたらしいが、
今では外の窓にはちゃんと目張りをして逞しく暮らしている(涙)

そして驚いたことにまいこさん、ミャンマー語はおろか英語も全く喋れないのだ!(◎_◎;)

ラテン料理ということでテキーラのロックをちびちび飲んでたのだが、
おかわりということになって「ダブルで」と言うと、まいこさんスタッフに日本語で、
「テキーラを〜ダブルで〜ふたつね!!わかった?!!」

お前は関西人のおばちゃんかい!!と突っ込みたくなったが、
本人はこれでいたって真面目(笑)

休日も、仕事のない昼間も現地のティーンエイジャーと机を並べて英語教室に通っているらしいが、
「ミャンマー語習った方がええんちゃうん!!」
と突っ込むと、
「でもね、うちの店は西欧の外国人のお客様もよくいらっしゃいますし、
それにうちに来るミャンマー人のお客様はほとんど英語を喋れる方ばかりですし」
ってあーた従業員が困るやん!!

「従業員の方が今一生懸命日本語勉強してますから・・・」(笑)

日本語が喋れるミャンマー人スタッフは最初はいたがもうやめてしまい、
通訳は雇ってはいるが毎日は来てもらえず、
基本的にまいこさんがたったひとりで通じない日本語で全部店を切り盛りしている(凄っ)

「誰かいい人見つけて結婚すれば」
とおせっかい言ってみたりするのだが、
「駐在員だとそのうち帰っちゃうでしょ、だからダメなんです」
ってあーた帰りたくないんかい!!!!(笑)

「でも異国の地でたったひとりで暮らしてて、たまには寂しくなったりしませんか?」
とちょっと中年的なことを聞いてみたりする。

「夜ですか?もうそんなヒマないです。片付け終わって部屋入ったら速攻寝ちゃいます!!落ちちゃいます!!」

「うんうん」とうなずくゆっこ嬢(笑)

「夜中にひとりで枕を濡らすなんてそんなヒマありませんよね〜」
ふたりでうなずき合うのを見ながら、我が国の女性はこんなにも逞しいのかと感激した。

日本のみなさん、ミャンマーに行くことがありましたら是非
ラテン料理の店「Latin Restaurant salud」と居酒屋「勝」に飲みに行ってあげて下さい。

ほんとに素敵な我が国の女性が異国の地で逞しく頑張ってます。
応援してあげて〜

MyanmarMaikoYukko.jpg

Posted by ファンキー末吉 at:19:11 | 固定リンク

2014年5月23日

お前食えてるか?

Facebookとはまことに便利なツールである。
先日ツアーを廻ってる時に懐かしい人間からメッセージが入った。

「ファンキーさん、ご無沙汰しております。お元気ですか?
昔アミューズで大変お世話になった李涛(リタオ)です。
まだ覚えてらっしゃいますか?」

おう!!覚えてるぞ!!

あれは当時の所属事務所アミューズが初めて中国人アーティストと契約して、
ワシが中国語喋れるということで事務所から紹介されたんだな・・・

何とかしてやろうと思っていろいろやったけど、
結局アミューズではどうにもならなくって国に帰ったと聞いた。

「また今度会いたいね」
ということでその時のやり取りは終わったのだが、
今日のライブで仮谷くんが、
「今日李涛が来るって連絡来ましたよ」
と言うのでびっくりした。

確かデモテープか何かを作ってやろうということで、
それじゃあということで仮谷くんを紹介したのかな・・・

仮谷くんはあーちゃんにも懐かしそうに「今日李涛が来るってよ」と言う。
「え?李涛?久しぶりねぇ・・・」
あーちゃんがいきなり「母」の顔になる。

当時の彼はそれはそれは一生懸命頑張っていたのだが、
とてもじゃないけど浮かび上がれるような状態ではなかった。

あーちゃんのことだからきっと
「ちゃんとご飯食べれてる?」
とか言ってメシでも食わせてやってたのだろう・・・

開場してしばらくして相変わらずの好青年がやって来た。

「おう!!久しぶりだなぁ!!」
取りあえずチャージなんか払わせない。
中に連れ込んで取りあえずビールを奢る。

「お前、食えてるか?今何やってんの?」
そんな気持ちはあるが直接はなかなか聞けない。

そんなこんなでライブが始まる。

彼をMCの肴にしながら2ステージを終え、
やっと彼との昔話の時間となる。

話のはずみに、
「来月19日にまたこのセッションするから何曲か歌いにおいでよ」
という話になる。

聞けば劇団四季に所属してたと言うではないか・・・

「劇団四季は中国でも公演してたじゃない?あの時いたの?」
中国人なのでもしその時いたらさぞかし重宝されたことだろう。

「いえ、僕が劇団四季に入ったのはその後なんです」

そうなのだ・・・彼は決して世渡りが上手な人間ではない。
自分から前に前に出る人間でもないからチャンスにも無縁なキャラである。

ただ、やっぱ人間がいい!!
ワシも仮谷くんも、あーちゃんなんてホント「母」の目線で李涛を見てる。

「苦労したんだねぇ・・・」
そんな目線なのであるが、それがワシらにとっては「現在進行形」である。

「苦労してるんだねぇ・・・」

先入観というのは恐ろしいもんで、
ワシら3人は完璧に彼のことをそう思っている(笑)

ワシなんかは、
「あの時に仮谷家でレコーディングしたデモの曲でも歌えば」
と思って誘っているのだが、
劇団四季に所属してたのならもっと歌える曲はあるだろう。

「劇団四季の何のミュージカルやってたの?」

確か中国公演では「李香蘭」であっただろうが、
その後というと何だっけ・・・

「ライオンキングです」

彼がそう言うと周りから喝采があがった。
「だったらライオンキング歌ってもらおう!!」

おいおい、ライオンキングのミュージカルで彼が何の役やってたのかわかんないだろ。
決して前に前に出るキャラじゃないんだからきっと端役だろう、
みんなが知ってるライオンキングの曲なんか歌えるかどうかわかんないだろ・・・

ワシのそんな思いをよそに、周りの酔っ払いは彼に遠慮なく質問する。

「ライオンキングで何の役やってたんですか?」

おいおい、また遠慮なくそんなこと聞いて、
彼が恥ずかしそうに役名言ったってどうせ誰も知らないんだから、
中国人はメンツを大切にする民族なんだから恥かかせちゃいけねーよ!!

ワシは内心そう心配するが、
相変わらず彼はいいヤツなので笑顔でこう答えた。

「はい、シンバの役でした」

ほら見ろ、ワシはもう受け答え出来んぞ、
そんな聞いたこともない役名を言われたって・・・

などと思ってたら周りが大喝采に湧いた。
「え?シンバの役って主役じゃないですか!!」

主役なのか?・・・ワシは劇団四季見たことないから全然知らんかったが・・・

ワシはこっそりWikiで調べてみた・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%B6%9B

おいこら李涛!!何でお前それを早う言わん!!
言うたらワシらの態度が変わって・・・ないやろな〜やっぱ・・・

ワシは相変わらずこう、あーちゃんは相変わらず母の目線で
「ちゃんと食べられてる?」
ってニュアンスなのだ。

先輩と後輩の関係は一生の関係である。
例え李涛が大出世したとしても(実際そうなったわけなのだが)、
ワシにとってはいつまでも「お前食えてるか?」の関係で、
あーちゃんにとっては「何か美味しいもの作ったげようか」の関係なのだ。

思えばこの人生、飛鳥さんも含め(敢えてワシはここにこう書きます!!)
いろんな先輩方から恩を受けて来た。

だからこそ昔からいろんな後輩の面倒を見て来た。その恩は後輩に返すしかない!!
そうしなければならない!!世の中はそのように出来ているのだ!!
そうやって回っているのだ!!

でもそんな後輩のひとりが知らない間に大出世をしてて、
こうしてワシや仮谷くんやあーちゃんを訪ねて来た。

そして人から聞かれるまで自分からは一切そんなことを言わず、
昔のままの李涛で相変わらず気を使いながらワシらと飲んでいた。

李涛〜お前はまだまだ大きくなるわ・・・

アーティストという言葉は嫌いだが、
表現する人間にとって一番大切なのはやっぱその「人間」である。

その表現すべき「人間」が腐ってたらどんな作品も腐ってくる。

人を押しのけて前に出るような人間ではない、
どちらかと言うと不器用な人間で、真面目でコツコツとしか出来ない彼が、
そうやって大きなチャンスを掴んでも相変わらずその「人間」が変わってない。

それが嬉しいなぁ・・・

李涛、訪ねて来てくれて本当にありがとう!!
また一緒に何か出来るかどうかはどうでもいい。
別に来月歌いに来なくてもいいぞ!!(笑)

昔何らかの関係があって少々面倒見た人間が、
こうやって覚えててくれて、
成功してもまた訪ねて来てくれるっつうことがワシにはとてつもなく嬉しいことなのぢゃ。

今日はいい日だった!!!

ライオンキングの主役の図
LiTao.jpg

Posted by ファンキー末吉 at:23:20 | 固定リンク

2014年4月30日

ここはどこ?私は誰?

昨日はX.Y.Z.→Aのファンクラブ会だった。

昼間障害者施設でひとりドラムをやって、
新幹線に飛び乗ってぎりぎり飛び込んでのライブである。

ちなみに帰りは23時30分の夜バスを取っている。
新幹線では1万いくらかかるが夜バスでは3700円なのよ〜ん。

大阪から東京に帰る時、何故か「ほな東京行って来るし〜」と言う自分がいる。

ずーっと旅なのである。
東京には「帰る」ではなく「行く」感覚なのであろう。

ライブ終わってお決まりの「飲み会」!!
まあファンクラブ会のメインはライブと言うよりこれであろう(笑)

ワシはジャックダニエル片手に「イッキ」をする。

聞けば亡くなった樋口つぁんもジャックが好きだったそうな・・・
昨日はX.Y.Z.→A結成当時の状況を再現しようということで、
橘高も参加したギタリストオーディション!!

当時まだ結成以前のX.Y.Z.→A、
ここでラウドネスの曲を演奏してギタリストを決めたんやなぁ・・・

というわけでファンから有志を募ってラウドネスの曲を一緒にやった!!

MCでワシは、橘高が
「ドラムマガジンが特集するようなフィルを叩いて下さい」
というのをネタにしたが、
確かに樋口っつぁんってのはそういうところに特化したドラマーやったなぁ・・・

などとジャックをイッキしながら感慨に耽る・・・

まあファンクラブ会でも「イッキ」を宣言してボトル半分ぐらいは飲んだぞ・・・
「23時半にバスに乗るからな!!
今日び夜バスは酒持ち込み禁止!!
iPadやパソコンなど光るものも迷惑で使用禁止!!
ほな乗ったら寝るしかないやん!!23時半に酔い潰れる覚悟で飲みます!!」
と・・・

忘れ物がないようにライブ前から荷物は全部梱包して、
ジャックをイッキしてそのままバス停に向かえばいいようにして、
ファンとガンガンにイッキしたぞ!!!

さてそこから記憶がない。

二井原は「ファンキーはこのまま店で酔い潰れるだろう」と宣言していたが、
ワシは新幹線代をケチって夜バスを取ってるのでそんなことはありえない!!(キッパリ)

ところが気がついたら「ここはどこ?私は誰?」である・・・

回らない頭を一生懸命働かせて考えるに、
ここは恐らくファンキースタジオ八王子のブースの中である・・・

どうしてワシは夜バスに乗らずに自宅に帰って来て、
しかも寝室ではなくスタジオに寝てるのかが理解出来ん・・・

あとは嫁からの話である・・・

ワシはべろんべろんになってバス停に行ったらしい・・・
ジャックが空いた後にはあーちゃん赤間くんはそのボトルに朝鮮人参酒を入れて、
ワシはまたそれをガンガンに飲んでたらしい。

23時30分出発のバス・・・

ワシは完璧に体内時計にそれをシミュレーションしてたのだろう。
23時30分きっかりに酔い潰れるように・・・

さすが理数系・・・

嫁は心配してバス停まで送りに来た。
既にべろんべろんであるが、荷物は完璧!!
シミュレーションは完璧なのである・・・

ところが時間通りバス停に着いて、
ではその「チケットを見せて下さい」となって、
既にべろんべろんのワシはメールの中からチケットを検索出来ない。

一生懸命検索するのだがそのチケットが出て来ないのである。
後日談だが、実はチケットはメールではなくコンビニで発券してポシェットに入れていた(涙)

バスの運転手さんも業を煮やして23時30分きっかりにワシを捨てて出発した。

ワシの体内時計は素晴らしい。
23時30分きっかりにワシはそのバス停の路上で酔い潰れたらしい・・・

Yoitsubure.jpg

嫁曰く
「凄いわぁ・・・iPhone握ったまま離さんのやからなぁ・・・」

そこからが大変である。
粗大ゴミとなったワシをどうやって家まで運ぶか・・・

お隣の二井原嫁まで稼働して南口バス停まで車で迎えに来てもらう。
お隣のまーくんと二井原がふたりでワシを後部座席に運び込む。

荷物と共にうちでワシを降ろすのだが、
とてもじゃないけどワシを2階まで運び込めない。

仕方がないのでスタジオに常備してある布団でワシを寝かせた・・・
というわけだったらしい・・・

ワシの体内時計は素晴らしく、
そのまま夜バスが大阪に着くであろう朝6時きっかりに目が覚めている。

「ここはどこ?私は誰?・・・」
ここは八王子ファンキースタジオ、私は酔い潰れてバスに乗れなかったファンキー末吉である。

階段を上がってしばらく会ってない小学校に入ったばかりの息子を起こしに行った。
息子・・・久しぶりの父親に狂喜乱舞するはずである・・・

寝ぼけた息子・・・ワシを拒絶して「あっち行け」ポーズ・・・

「何で?・・・」
唖然とするワシに息子が一言・・・

「オサケクサイ・・・」(涙)

バス代3700円を捨てて、今日は新幹線で宝塚入ります(号泣)


-------------------------

2014年04月30日(水)
ひとりドラムOAツアー宝塚

場所:【宝塚市】バックステージ

爆風スランプドラマー
「ファンキー末吉」ひとりドラムがOAって逆やろ?frame Live in BackStage

MC ¥2500(飲食代別途必要)
OPEN 19:00
START19:30~
出演:frame,ファンキー末吉(爆風スランプ)
会場:バックステージ
〒665-0022 兵庫県宝塚市野上1-5-6
   0797-74-0147(予約・問い合わせ)
   http://bstage.sakura.ne.jp/

爆風スランプのドラマー、ファンキー末吉氏が宝塚にやってくる!
しかもなんと、frameのオープニングアクトで、ひとりドラムを叩きまくる!
日本最高峰のドラムテクニックを堪能し、一緒にのみましょう。


2014年05月01日(木)
ひとりドラムOAツアー三重

場所:HINOKIYA STOVE

出演:イケヤマアツシ
OA:ファンキー末吉ひとりドラム
OAのOA:ザ・ヒノキーズ

OPEN18:00 START19:00
前売:1000円
当日1500円
(小学生以下無料)

18:00 オープン
19:00 ザ・ヒノキーズ スタート
19:30 ファンキー末吉 スタート
20:10 イケヤマアツシ スタート
21:00 終了


2014年05月02日(金)
ひとりドラムOAツアー高槻

☆ オープニングアクト☆ ファンキー末吉 (爆風スランプ XYZ→A etc.)

☆ メインライブ ☆ y.OMOIS (ワイドットオモイッス) ☆その他 セッション!

Vo. & G. YONE (米倉 弘)
Dr. モンチ (門地 雅和 Without you etc)
Ba. いっつあん (山崎 浩一 ex.DANCER. ex.クルベラブリンカetc.)

OPEN 19:00 START 20:00
CHARGE 2500円 (1drink)

bar Flame 大阪府高槻市天川新町1-10
072-672-5051
車でご来店なら、近くにTIMES上限500円あります!


2014年05月03日(土)
ひとりドラムOAツアー高槻

高槻 "裏" ジャズストリート T-true 音楽祭

☆ オープニングアクト☆ ファンキー末吉 (爆風スランプ XYZ→A etc.)

☆ メインライブ ☆ エッド・デンド
Vo. ヨーネー (米倉)
G. ターキー (瀧井)
Ba. クレイジー・カール・ジョー(吉田)
Dr. クレイジー・クール・ジロー(高木)

OPEN 朝から演奏してますが、私たちはSTART 18:30予定
FREE!(ドリンク代は別)

bar T-true 大阪府高槻市高槻町4-3サタリー第一ビルB1-B 072-682-0241


2014年05月04日(日)
ひとりドラムOAツアー岡山

KINGDOMハードロック・ナイト

「KINGDOMでファンキー末吉を応援しNgiht」

場所
岡山CRAZYMAMA KINGDOM

岡山市 北区 中央町6-22中央町ヒルズ4F
Tel:086-233-9014

日時
2014年5月4日(日)
開場17時 開演17時30分

チケット
前売り3,000円 当日3,500円(ドリンク代別途500円)
ローソンチケット

出演

ファンキー末吉(ひとりドラム)ちびドラマー☆Yuki♪(ひとりドラム)
D_Drive JUDAS RISING(tb- Judas Priest) その他


2014年05月05日(月)
ひとりドラムOAツアー香川

場所:香川県宇多津町ケセラ

香川県綾歌郡宇多津町平山2628-146
0877-49-7065

5時半開場6時開演
チャージ:3500円(ワンドリンク、オードブル付)

ファンキー末吉の同窓生は500円引きとなりますので入り口にてそう宣言して下さい。

OA(オープニングアクト)と言ってもこの日は他のバンドの出演はありません。
メインアクトは「The同窓会」!!

ステージの上に同窓生を引っ張り上げて、
ファンキー末吉と同窓生が昔の恥ずかしい出来事を暴露し合います。

同窓生じゃない方も笑いに来て下さい〜


2014年05月06日(火)
ひとりドラムOAツアー松山

BAR-STANDARD
2000円(1ドリンク付)
open17:30 start18:00
松山市三番町1丁目16-10 スター21part II4F
089-947-5433


2014年05月07日(水)
落合みつをミニライブ(Dr.衛藤浩一、Ba.ファンキー末吉)

場所:高知ゼロ

Gt.Vo.落合みつを
Ba.ファンキー末吉
Dr.衛藤浩一

17時開場18時開演
チャージ:1500円(ドリンク付)

全国をバイクで旅するシンガーソングライターの落合みつを君がちょうど高知に来るというので、
次の日やっちんのライブでベースを弾くのでその練習も兼ねて、
えとーさんも無理矢理呼び出してドラム叩いてもらいます〜

ひとりドラムもやるかも知れんけど、
これだけでは寂しいのでオープニングアクトやってくれる地元のバンド募集〜!!

誰か一緒にライブやろ〜こちらにメール下さい〜


2014年05月08日(木)
ひとりドラムOAツアー高知

場所:高知X-pt

『曾我 泰久 with 衛藤 浩一 LIVE TOUR 2014春 ~ Dear Friend ~』の

追加公演が5/8(木)にファンキー末吉さんをゲストに迎えて高知で決定しました!


オープニングアクトには「ファンキー末吉ひとりドラム」。

本編ではドラマーが二人になってしまうため・・・なんと!!!

通常アコーステイックライヴに加え、曾我さんもエレキギターに持ち替え、ドラムは衛藤さん、末吉さんがベーシストとして参加することに!

スペシャルな追加公演をお楽しみに!!!


・・・・・・・・・・・・・・・

『曾我 泰久 with 衛藤 浩一 LIVE TOUR 2014春 ~ Dear Friend ~』
 ≪スペシャルゲストベーシスト/ファンキー末吉≫

<高知公演>(O.A./ファンキー末吉ひとりドラム)

【日程】5月8日(木)

【会場】高知 X-pt.(クロスポイント)http://www.x-pt.jp/
    (高知市はりまや町1-5-1 デンテツターミナルビルB1)

【時間】OPEN18:30 /START19:00

【料金】前売り5,000円/当日5,500円(税込・自由席・ドリンク代別途)

【発売日】3/16(日)

【プレイガイド】
X-pt.(クロスポイント)店頭販売またはホームページより予約 http://www.x-pt.jp/
ローソンチケット(Lコード:)0570-084-005
チケットぴあ  (Pコード:)0570-02-9999
    d-Ticket http://www3.d-ticket.net/inet/servlet/index
    高新PG http://www.kochi-sk.co.jp/pg/

【お問合せ】
X-pt.(クロスポイント)  086-235-3277

*入場は整列順となります
*未就学児童入場不可
*高知公演のみY's CLUB先行予約はございません。


2014年05月09日(金)
ひとりドラムOAツアー京都

場所:京都都雅都雅

〒600-8031 京都市下京区寺町通四条下ル貞安前之町613 火除天満宮B1F
TEL.075-744-1497 FAX 075-744-1498

中村隆太の勝手にROCK!
YABAOKA MOVEMENTS / Self Portrait / Jack Drunk / Apple jack / FUNKY末吉
■開場 18:30 ■開演 19:00 ■前売 ¥2000 ■当日¥2300

2014年05月10日(土)
the-triton-acesツアー2014藤枝

【会場】藤枝市 KOKOPELLI(054-645-0011)

【料金】¥3,500-(1D付)
    高校生以下 ¥2,500-(1D付)
    ※当日は+¥500-となります。

【時間】開場 PM5:00~ 開演 PM5:30~
    
【出演】the-triton-aces
(オープニングアクトあり)

tritonaces.jpg

Posted by ファンキー末吉 at:06:49 | 固定リンク

2014年4月18日

元クリスタルキング同窓会ライブ

去年のブログでクリスタルキングのことを書いた。

ドラムのケン坊さんがワシにバトンを渡してくれたからこそ、
ワシは何とか今でも破産宣告もせず、犯罪に手を染めることもなく生きている。

九州に行った時はいつもこのよきアニキ達を訪ねて行ってたし、
そんな関係でケン坊さんも紹介されて一緒に飲んだ。

クリキンの人達は恩人であり、よきアニキであるのと同じように、
ワシにとってはケン坊さんも全く同じく恩人でありよきアニキである。

そんなアニキが癌になったと聞いた。

元クリスタルキングのメンバー、サポートメンバーが集まって同窓会ライブをやろう!!
ということになってワシにも声がかかった。

体力的には難しいだろうが、ケン坊さんにも数曲叩いてもらい、
歴代のドラマーも全員呼ぶからお前も何曲か叩け、と・・・。

ありがたき幸せである。

あいにくリハーサルのスケジュールは合わなかったのでぶっつけ本番となったが、
ドラムセットを運ばねばならないので6時半に起きてドラムを満載して会場に向かった。

どこから搬入していいやらわからなかったのでマー坊さんのマネージャーさんに電話をし、
ちょうど搬入口を塞いでいた野元さんが車をどかしに会場から出て来た。

「お久しぶりです〜」
明るく挨拶を交わすワシを、野元さんはいきなり強く抱きしめてこう言った。

「末ちゃん・・・間に合わんかった・・・」
そのままワシを抱いたまま泣いた。

ワシはとっさに何のことやらわからんかったが、
後にケン坊さんが夕べ亡くなったと知った。

くよくよしてても仕方がない・・・そんな気持ちだろうか・・・
野元さんをはじめ、メンバー全員はそれ以外はすこぶる明るく、
楽屋も「同窓会」に相応しい楽しいものだった。

「ケン坊はなぁ・・・」
楽屋はここには書けないような下ネタや笑い話で満載である。

「まあここではこの辺にしとこ、後は打ち上げで喋らなな」

あ、そうか・・・打ち上げか・・・
今日は小畑も都合が悪く、娘もバイトなので自分で運転して来る羽目となったので、
まあ打ち上げはご遠慮させて頂いてとっとと帰ろうと思ったのじゃがそうもいかない・・・

ホテルを押さえようとしたが当日はなかなか難しく、
まあサウナかどっかに泊まればいいやと覚悟を決める。

リハが始まった。

ワシの出番はアンコールのみ、
初めてレコーディングした北斗の拳のテーマソング「愛をとりもどせ」と「ユリア永久に」、
そして後は洋楽カバーのセッション。

全曲通してリハをやったが、
ワシが知ってる曲は半分以下というかなりコアな選曲のコンサートである。

チケットはソールドアウト、
会場は立ち見も出来ないというので本当の限定ライブである。

コンサートが始まった。
オープニングSEが客席に流れ出すと、マー坊さんがメンバーを集めて円陣を組む。

「今日はな、ケン坊を送り出すコンサートやからな、泣いたらあかんで!!
涙は禁物や!!家に帰ってから思いっきり泣こ、な!!」

その言葉でワシの涙腺は崩壊しそうになる。
そんなこと言ってるこの人が一番涙もろいのだ・・・。

でもコンサートは本当に楽しく、和やかに進行した。
途中でドラマーが入れ替わる間のアコースティックコーナーで舞台を降りた野元さんは、
「マー坊また構成間違えやがって」
と笑う。

「打ち上げのいいネタじゃないですか」
とワシも笑う。

本当に本当に楽しく、和やかにコンサートは進行した。

本編が終わり、アンコールとなって、
今から舞台に出るとなった瞬間に舞台袖でマー坊さんが泣いた。

「アホー、それが今日はあかんとお前が言うたんやろが」
野元さんが笑う。

気を取り直して笑顔でマー坊さんがステージに上がり、
一人一人メンバーを呼び込んだ。

最後がワシ・・・ついでに関西人芸のごとく舞台でコケてみる(笑)

「ユリア永久に」そして「愛をとりもどせ」、
爆風スランプの給料が2万円だった頃、1曲5万円のギャラを1日で2曲分もらった。

サラ金に借金が40万あったら破産宣告するしかないという時代に、
70万あったワシの借金は全てこんなクリキンのギャラで完済したのだ。

2曲終わってケン坊さんのVTRが流れる。

元々出演する予定だったのが体調が悪くなったので来れないと言うので、
メンバー全員が九州の病院に見舞いに行ってコメントビデオを撮って来たのだ。

誰もまさかそれを流す前に死んでしまうとは夢にも思ってない。

大急ぎで編集したのだろう、最後に
「金福 健 4月16日永眠」
というテロップが流れた瞬間に客席がどよめいた。

客も泣いたがワシも泣いた。
マー坊さんも当然泣いた。

でも気丈に笑ってマー坊さんはこう言った。

「せっかちなヤツやったからな。一日間違えて早う逝ってしまったんやろ。
賑やかなことが好きやったからな、みんなで楽しく送ってやろうや!!」

佐世保の米軍キャンプで、米兵にケンカ売るがごとく演奏していた頃のカバー曲、
ロッドスチュアートのHot Legs、そしてレッドツェッペリンのRock'n Roll、
アホなことしながらホンマに盛り上がった。

ワシは在籍も短かったし、
こんなにも歴史のあるバンドのオリジナルメンバーに送る言葉はない。

でもひょっとしたらとこんなことを思う。

「ケン坊さん、あんたどうしてもここに来たかったんちゃうん?・・・。
ひょっとして身体が重いから捨てて魂だけ飛んで来たんやろ・・・」

それぐらい素晴らしいコンサートだった。
素晴らしい一日だった。

ケン坊さん、ありがとう。

クリキンのドラマーというバトンをワシに渡してくれた偉大なアニキ、
そして今日のこの素晴らしいコンサートに参加させてくれて、本当にありがとう。

あなたがいて、クリキンを作ってくれて、そして私がいます。

本当にどうもありがとう!!

Posted by ファンキー末吉 at:03:01 | 固定リンク

2014年1月 6日

ガリガリガリクソンの受難

友人の友人である芸人のガリガリガリクソン
暴虐武人の芸風に反してちゃんと正月の挨拶を送って来るマトモな男である(笑)。

ヤツもiPhoneを使ってるらしく、iMessageで送って来た。

iMessageというのはSMSが進化したApple独特のメッセージ送受信法で、
AppleIDによってAppleの全てのディバイスでメッセージを送受信することが出来る。

ワシは持ち歩いているiPhoneとiPad、そしてパソコンも同じIDで登録しているので、
彼のメッセージは全てのディバイスで受信されることになる。

ところが自宅に置いてある古いiPad、
これは主に5歳の息子が使っているのだが、
この息子がIT関係の天才であることを忘れていた(>_<)

ブログ記事「うちの子は天才かっ?!!
ブログ記事「うちの子はやっぱり天才かっ?!!

何故息子のiPadにワシのAppleIDを設定していたかと言うと、
日々刻々とワシのスケジュールが変わってきーきー言う嫁に、
「息子のiPadには最新のワシのスケジュールデータが入ってるから」
ということで同期しているのだ。

iMessageのアドレスは個別に電話番号以外にも設定出来るので、
確かこのアドレスはメアドか何かに変更してたはずなのぢゃが、
いやうちの息子ぐらいの天才になるとそれすらも無意識に戻してしまうのかも知れない・・・

兎にも角にもいつもiMessageで嫁とかに遊びでわけのわからんメッセージを送る息子、
今度はガリクソンにそれを送りつけよった・・・

GariksonMessage1.PNG

ガリクソンもびっくりしたんやろうなぁ・・・

何せワシはヤツと会う時には先輩風吹かしてヤツの芸風よりも暴虐武人に装って接している。
もちろんヤツはこのメールはワシ本人から送って来ているとしか思えないわけだから、
自分を暴虐武人に扱う大先輩からこの意味不明のメールが送られて来たと思って、
「さてどのように対処すればよかろう」
としばらく悩んだに違いない。

ここで
「末吉さん、このメールはどういう意味ですか?」
と聞くのも芸人としてのプライドが許さなかったのだろう、
自分の面白い写真を送って来て同じく絵文字でメッセージを送って来た。

GariksonMessage2.PNG

ところがメッセージを送っているのは5歳児の息子、
面白がってまた同じような意味不明のメッセージで返す。

困り果てたガリクソン、秘蔵の写真なのだろう、浴槽で溺れている写真を送って来た。

GariksonMessage3.PNG

この写真には実はワシは大笑いしてしまったのだが、
5歳児の息子の反応は全然違う。
ガリクソンの絵文字を組み合わせてまた意味不明なメッセージで返す。

これにはもうガリクソンも理解の限界を超えて
「えええええええ」
というメッセージを送って来るが、
息子はまた構わずに意味不明なメッセージで返す。

GariksonMessage4.PNG

もうこの辺まで来るとガリクソンも疲れ果ててしまっているのだろう、
「大先輩、一体ボクにどうせぇと言うとるんですか・・・」
とばかり絵文字をひとつ送るのみである。

そこに息子は今度は文字で返すのだが、
ここでガリクソンは力尽きてしまいメールのやり取りはここで終わってしまう。

「大先輩、ボクもう返せません・・・」と言わんばかりに・・・(笑)

その後にワシは嫁にメールして、
「龍がガリクソンにメッセージ送ってるやろ」
と忠告し、息子はワシのメアドに
「パパごめんなさい」
とメッセージを送って来たが、いやいや息子よ、面白かったぞ。

あんまり面白かったのでガリクソンにはこのことを伝えていない。
きっと今でも「大先輩はボクにどうしろと言ってたのだろう」と悩んでいるに違いない(笑)。

ガリクソン君、2時間もの長い間息子と遊んでくれてありがとう!!

ワシとiMessageでやり取りしている方々、
時々こんな意味不明なメールが来たらそれは息子ですんで〜

Posted by ファンキー末吉 at:15:32 | 固定リンク

2013年12月 3日

S君の童貞喪失物語

生まれ育った香川県の実家の2軒隣のS君
(これでほぼ特定されるので伏せ字にしても意味がないのじゃが)
と30年振りに京都で飲んだ。

不思議なことに彼とはお隣さんで同い年でありながら18歳くらいまで一言も言葉を交わしたことがなかった(不思議)

後で聞くところによると、毎日素振りや空手の練習や、硬派一筋のS君は、
隣でバンドなんかをやってチャラチャラしているワシを「いつかシメてやる」ぐらいに思っていたとかいないとか・・・(笑)

それを聞いたのは、そこのお母さんが自宅でスナックをやっていて、
高校3年生の頃からそこに飲みに行ってたからだ。

硬派一筋のS君はもちろん酒など飲まず、
初めて一緒に飲んだのは大学1年生の夏休み、
その頃から何故か一気に仲良くなった。

ワシの家はいつもカギをかけてなかったので、
夜中とかにもよく友達が遊びに来たりしていたが、
その夜はS君、コンドームを握りしめて夜中にワシの部屋にやって来た。

「末吉!!ナンパしに行こう!!」

何故AIDSもない時代にコンドーム?・・・
何が硬派一筋の彼を変えたのかはよくわからないが、
彼はその日に童貞とおさらばしようと心に決めてやって来たのだ。

彼から見たらバンドなんかやってて練習場に女子高生なんかたむろしている軟派な末吉に頼めば何とかなると思ったのだろうが、
ワシは当時付き合っていた彼女はいたがナンパというのはしたことがなかった。

「ディスコ行こう!!ディスコ!!」

S君はやる気満々であるが、
ワシは背伸びして隣のスナックで飲むぐらいが関の山で、
そんなところにもあんまり飲みに
行ったことがなかった。

基本的にダンスなんて・・・踊れんがな・・・(>_<)

その頃オープンしたディスコにフィリピンバンドが入ってて、
「おい、やっぱり外人のバンドは上手いぞ」
とか仲間内で噂になってたディスコには一度行ったことがあるので仕方なくそこに二人で向かった。

バンドはもう入ってなかった。
ワシはちょっと落胆したが、S君はもうギラギラを女の子を物色している。

フロアで年の頃は同い年ぐらいの2人組の女の子が踊っていたのを見つけたS君、
いきなりワシの首根っこを捕まえてこう言った。

「末吉!!おったぞおったぞ!!あれをナンパしてこい!!」

ナンパして来いと言われたって基本的に踊りが踊れん(>_<)
ダンスと言うよりは猿が身体を動かすような風体で二人に近づいてゆくと、
当然のように一瞥されてあっちを向いてしまう。

猿の風体でS君のところに戻ってゆくがS君は絶対に許さない。

「末吉!!こらお前!!この根性なし!!」
と、とにかく怒気が凄い・・・

仕方なくワシはまた猿の風体で女の子に近づいてゆく。

ワシはやっとの思いで声をかけた。
すると女の子は思いもよらない一言をワシにぶつけた。

「あんた平和園の息子さんやろ!!」

げっ!!・・・ワシは猿の風体で踊りながら後ずさりした。

平和園とはうちの実家の中華料理屋の名前で、
彼女がバイトしていたステーキ屋さんに家族で食べに行った時に店長さんから説明されて記憶にあったらしい。

「S君、あれはいかん!!面が割れとる!!他のんにしよ!!」

ワシはそうS君に懇願するのじゃが、夜も更けていて女の子は彼女たちしかいない。

S君は拳を握りしめてワシを威圧して来る。
殴ろうとしたわけではない、
その拳の中にはコンドームが後生大事に握りしめられているのだ。

仕方なく猿のダンスでまた女の子に近づいてゆく。
S君も今度は一緒に来て二人に話しかける。
ワシは面が割れてるので基本的にまるでやる気がない。

「さ、もう帰ろうかな・・・」
わざとそのように持ってゆくがS君は
「飲みに行こう!!」
と必死である。

飲みに行こうったって当時の田舎町はそんな真夜中に飲める店などないのだ。

4人でディスコを出た。
ワシの足は既に家路へと向かっているが、
S君はひとりの女の子を連れて先へ先へ進み、公園の中に入っていった。

公園の中ではぐれたワシらふたりは芝生に寝転んで話し込んでいたが、
何かの雰囲気で彼女がこう言った。

「ねえキスしたことある?」

げげっ!!・・・

小心者のワシである。
面も割れてて、こんな狭い街で自分の付き合っている彼女にでも知れたらと思ったらまるでそんな気になれない。

のらりくらりとかわしていたら
「私に魅力がないんや・・・」
とついに彼女が泣き出した(>_<)

いや、それはそうなのだが・・・
「いやそんなことは・・・」
と言いながら必死でなだめる。

さんざんなだめてやっと泣き止んでから
「じゃあ帰ろうか」
ということになった。

散々である。ワシは家に戻ってベッドに倒れ込んだ。

疲れた・・・

うとうととし始めた頃である。
朝方ガタンとドアが開いてS君が入って来た。

顔は一面の笑顔である。
「末吉ぃ!!やったぞ!!ついにやったぞ!!」

ワシはげんなりである。
S君はそれから延々と自分の初体験をこと細かく説明した。
聞けば相手も初めてだったと言う。

そして最後にこう言ったのだ。
「そいでなぁ、終わってからなぁ、ポケットに千円しかなかったからそれ渡したんや」

えっ?!!!

初体験で青カンなだけでも「変」やのに、
風俗も行ったことのない男がどうしてその相手に金を渡す?!!

この辺は夕べ飲みながら本人に聞いてみたが、
本人もどうしてなのか皆目見当がつかんらしい。

面が割れてない自分を守るために後腐れがないようにしたかったのか、
もしくは純粋に「お礼」の気持ちだったのか・・・

ワシは次の日隣のスナックに飲みに行って、
お母さんに事細かにこのことを全て報告したことは言うまでもない。

まだAVも無かった頃、
エッチな映像を見ようと思ったらヤクザかなんかが主催する「ブルーフィルム」を見るしかなかった時代、
情報と言えばせいぜい「エロ本」ぐらいしかなく、
誰かが1冊でもエロ本を持ってたらそこに友人が全員集まって来るような時代・・・
当時の18歳はこんな「青春りっしんべん」を繰り広げていたんやなぁ・・・シミジミ・・・


聞けばS君のお兄さんが香川県の宇多津という街でライブハウスをやっているらしく、
話のはずみでワシは正月高知に里帰りするついでにそこでライブをやることになった。

小畑秀光を連れて行って、
ベースは「エアバンド」なるものをやっているワシの息子に弾かせてみよう(笑)

S君もお母さんも来るというので、
MCはきっとこの話で持ちきりになるであろう\(^o^)/


ファンキー末吉 TALK & ひとりドラムLIVE (ゲスト小畑秀光Gt.Vo.とド素人の息子Ba.)

1月4日(土)開場5時半開演6時
場所:香川県宇多津Kesera
チャージ3000円(1ドリンク付)

偶然ながら三井ぱんと大村はんも出たことのある店らしく、
「骨付鳥」がむっちゃ美味しいそうです〜

ps.このお話はS君の許可を頂いてUPしております〜
S君、「酔った上のことや〜頼むから消して〜」言うても消さんで〜(笑)

Posted by ファンキー末吉 at:17:26 | 固定リンク

2013年8月28日

お前、慢心してただろ・・・

Wing台湾公演のリハーサル開始。

例によって夜9時開始という遅い時間開始なので、
ワシらは近くの重慶大厦(チョンキンマンション)に行ってカレーを食べた。

重慶大厦(チョンキンマンション)というのは昔は「悪の巣窟」と言われていて、
不法滞在のインド人や、まあインド人だけが悪いことをしているわけではないが、
いろんな犯罪の温床になっていた時代が長かったが、
今では治安も向上されて観光スポットになっている。

ビルの中にはバッタもんの電気機器や両替商だけでなく本場のインド人がインド人相手にカレーを食べさせる店も多く、
滞在中には一度はカレーを食いに行きたい場所である。

当然ながら辛さで飛んでビールで酔って一日終わってしまうが、
ワシにとって大事なのはそこから9時まで寝ることである。

ここ数ヶ月毎日移動してはドラムを叩いているので一日ゆっくり寝ることがないが、
歳とってくるとどんだけ遅く寝てもつい早起きしちゃうのな・・・

だからこうして昼間時間があると昼から酒飲んでぶっ倒れることにしている(笑)


さて9時には二樓後座(Beyond Band Room)へ向かう。
数々の名盤を生み出したBeyondのホームスタジオで、今ではWingの所有物となっているようだ。

ワシはたっぷり寝たので体力はばっちし!!
軽くドラムをチューニングしてリハーサルが始まる。

ところが今度は小畑秀光の様子がおかしい・・・
表情が暗いというか、いつものような元気はつらつとした姿がないのである。

今回の台湾コンサートでは、前回の広東語曲だけではなく北京語の曲も多く加わっているので、
この日のリハーサルはまずやっていない曲を全部おさらいしてみようということなのだが、
小畑秀光にとっては全ては「新曲」なのであっぷあっぷしてるのだ。

また今回加わった北京語曲は昔ワシがアレンジしてレコーディングした1曲を除いて全てバラード、
しかも小畑秀光が苦手とする歌謡曲コード進行の曲ばかりである。

リフだけで出来ている激メタルの世界で生きて来た彼には「鬼門」の曲ばかりなのである。

肩を落としてタクシーに乗る小畑秀光にワシは優しくこう説いた。
(このような男はおだてれば空も飛べるが叩けばすぐ潰れるので大変である)

「お前・・・慢心してただろ」

「そんなことありません!!」
と彼は首を横に振る。

彼にしてみれば前回と同じく一生懸命やって来たのだろうが、
「結果」は大きく違う。

そりゃ今回は苦手な曲ばかりだったと言えばそれまでだが、
思い起こしてみろ、前回だって苦手な曲は半分以上あったのだ。
前回は出来てて今回は出来てないのはどうしてだ?

前回は「まだあやふやだ」と思ったらもっと突き詰めてやってなかったか?

「いや・・・音源聞いてそれに合わしてはやって来たんですが、
バンドで音出してみたら取って来たコードと何か違うんです・・・」

ワシはこのように分析してやった。

バンドのメンバーだって久しぶりにやる曲ばかりだ。
うろ覚えであやふやに弾いてる曲もあるだろう。
でも前回はお前がちゃんと覚えてるから「これだよ」という感じで弾く。
みんなはそれに引っ張られてバンドがまとまる。
ディストーションギターのお前が一番音がでかいんだから、
お前が間違うとみんながよけいあやふやになっちまうだろ。

ホテルに帰って全曲とり直し。
ワシは酒を飲みながら付き合ってやる。

「ここはそれではなくこのコード」
とか直しを入れるだけではなく、
「この部分はパワーコードで刻んで。この部分は単音で」
とか指示を与える。

前回は初回のリハーサルでこの作業が出来たのに、
今回はリハーサル1回分「遅れて」スタートになってしまったのだ。

凹むと全く使い物にならなくなる男なのでこんなアドバイスも与えてやる。

ワシはもう慣れてるし譜面もあるから、1回ぐらい聞いたらもう出来る。
でも何回聞いても出来ないということを恥じる必要はない。
「1回聞いてステージでこのぐらい出来た」というのと、
「100回聞いてステージでこのぐらい出来た」というのは、
実は客にとっては何も関係ない。
「要はステージでどれだけ凄いか」
ミュージシャンに取ってはそれだけよ。

才能のないヤツはあるヤツの何倍も努力すればそれでいい。
作曲の世界でもワシはそう思ってやって来た。
(そのエピソードはこちら
だから耳障りがいいだけで内容がない曲を作るヤツが嫌いだ。

あんたはこのコード進行でもっとメロディーを突き詰めなかったの?
「このぐらいでいいや」と思ってぽんと曲出してない?

ひとつのコード進行にメロディーは無限大にある。
そのコード進行自体がまた無限大に存在するんだから、
これだけの楽曲が世に存在しててもまだまだいい曲は書けるはずなのだ。

ただ、現存する素晴らしい楽曲はこの上ない素晴らしいメロディーがそのコード進行に乗っかっている。
それを越えようと思ったら並大抵の努力では無理だよ・・・

音楽における全ての作業は「戦い」である。
「このぐらいでいいか」と思ったらそれがその人の「限界」である。

ただ、ずーっと突き詰めてばかりいると結局何も出来上がらないので、
いつかは「もうここまでです、無理です」と言って引導を渡さねばならない。

その「限界」が高いか低いかを人は「才能」と呼んでいるだけで、
実のところこんなものは親から受け継いだものでも何でもない。

「性格」というのが親から受け継いだものだとすると、それこそが「才能」である。

小畑秀光の選択肢の中には、
「僕はメタルギタリストなんですからこんなもの弾けなくて当然でしょ」
という考え方もある。

実際Wingの中ではこれらの曲の中に小畑秀光の参加は考えてなかった。
「特効(特攻?)」のようにメタル曲の部分だけ暴れてもらえればよかったのだ。

でもワシは「いやあいつは出来るから大丈夫だよ」と言って全曲参加させた。
それがイヤなら一生貧乏して好きなメタルだけやってゆけばいいのだ。

それもひとつの立派な人生である。別にワシは止めはしない。
別に今回これらの曲を全て外して、得意な曲だけ登場して弾いてもいいだろう。

でもそんなギタリストなんてそのうち仕事がなくなる。

学校に通ってた時と違って、先生が
「あれをやってはいけません、これをやってはいけません」
と教えてくれるわけではない。

間違った選択肢を選んだら「仕事」がなくなる。
それが「この世界」なのである。

「尖った部分」を伸ばしてゆかなければ「アーティスト」として生きてゆけない。
しかし「引っ込んだ部分」を最低限引き上げておかねば「仕事」が出来ないのだ。

まあ教えることだけは教えて、確認する部分だけは確認してやった。
あとは本人が「どうしたいか」だけである。

苦手な曲の中でも少しでも存在感を出したいのか。
もしくはボリュームを絞って弾いた振りをしとくのか。

お前はどっちが「かっこいい」と思う?・・・

ワシは酔っ払って先に寝たが、結構夜中までギターを弾いていたようだ。
ベッドは深センから遊びに来た奥野くんに占領されているので、
朝起きたら床で寝ていた。

JetSleepingOnTheFloor.JPG

相変わらず床で寝るのが似合う男やのう・・・(笑)

どこで寝ようが本番でもの凄いギターを弾けば拍手をもらえるし、
ヘタを打てば二度と仕事は来ない。

それがワシらの住む世界なのぢゃ・・・慢心は一番の敵ぢゃぞ・・・

Posted by ファンキー末吉 at:08:37 | 固定リンク

2013年8月25日

クリスタルキングの思い出

やっちんツアー鹿児島で和佐田と飲んでいて、
「クリキンが一度だけの再結成するらしいよ」
という話を聞いた。

そんなはずはない、「クリスタルキング」というのはリーダーのムッシュのもので、
それを使っただの使わないのでボーカルのマー坊さんを訴訟した事件は記憶に新しい。

「いや、ムッシュさんとやらは来ないらしいけど、
なんかメンバーの誰かかなんかが不治の病で、
一日だけその人のために集まろうということになったらしいよ」

いや、その「不治の病」の方が問題やん!!
ワシは慌ててすぐにマー坊さんに電話をした。


クリスタルキングはワシの恩人である。

爆風スランプがまだデビューしてないアマチュア時代、
バイトをしてそれをリハーサル代に使う生活がついに破綻して、
ワシはサラ金に莫大な借金を作っていた。

30年前の当時、サラリーマンが40万借金してたら破産宣告するしかないという時代に70万借金があったんだから「破綻」というより「破滅」に近い。

そんな時にクリスタルキングからドラマーとして招かれた。

ドラマーのケン坊さんが脱退して新しいドラマーを探しているクリキンに、
当時のディレクターがワシを推薦してくれたと言う。

そんなメジャーなレコーディングディレクターがどうしてワシのようなドアマチュアのドラマーのことを知っていたのか首を傾げたが、
よくよく聞いてみたらヤマハのEast Westでグランプリを取った爆風銃(Bop Gun)が世界歌謡祭に出場するに当たって、
そのエントリー曲をレコーディングせねばならないからということでレコーディングした時のディレクターがずーっとワシのことを覚えていて推薦してくれたのだそうだ。

当時爆風スランプは後に「オフィスすいか」となるプライベート事務所があって、一応給料は月2万円ほど出ていたが、
当然ながらそれで生活が出来るわけもなく、
このクリキンの「一本いくらリハーサルはその半分」というギャラで後にその借金を全部返すことが出来た。

金銭の面だけではない、
ワシより年上だったメンバーはみんなワシによくしてくれて、
全員が全員ワシのいい「兄貴」だった。

キーボードのキミハルさんは家が近かったのもありいつもメシを奢ってくれたし、
ベースの野元さんは車を運転してパール楽器までワシを連れて行ってくれて、
そのおかげでワシはパールとモニター契約を結べることとなった。

同じ事務所でもありクリキンと親交の深かったチャゲアスの飛鳥さんは、
新生クリスタルキングの初ライブを見に来てくれて、
ライブ終了後にメンバーにこう言ったと言う。

「あのドラマーを離したらいかんよ。
あのドラマーのおかげでクリキンは大きく生まれ変わった!!」

飛鳥さんは腕より何よりも
「ライブであんなに楽しそうにドラムを叩くドラマー」
というところがえらく気に入ったてくれたようだ。

楽しいも何も、バイトに追われて生活も破綻しているワシが、
こうして音楽だけをやって生活出来るようになったのだ、
楽しくないはずがなかろう。

当然ながらクリキンのメンバーも事務所も、
「サポートメンバーではなく正式メンバーになってくれないか」
と誘ってくれたが、
アマチュアとは言え、ワシは爆風スランプがあるのでそうもいかない。

でも心はかなり動いていた。

最初のレコーディングの仕事は「北斗の拳」のテーマソング。
カップリング曲と合わせて2曲レコーディングしただけで、
たかだか半日で爆風スランプの5ヶ月分の給料が稼げてしまうのだ。

しかしワシの心を決めさせたのは他でもない、
クリキンのメンバーであるキミハルさんの一言である。

ある日、
「末ちゃんのやっているバンドというのはどんなバンドなんだろう」
ということで、
小さなライブハウスの爆風のライブにキミハルさんが見に来てくれた。

客が数人しかいないライブ。
後にランナーなどヒット曲を飛ばすとは信じられないほどのアンダーグラウンドな楽曲のみの演奏。
「ステージで脱糞と出産以外は全てやった」
と豪語する「笑えるパンクバンド」だった頃の爆風である。

ライブを見終わって、
酒を飲みながらキミハルさんはワシにこう言った。

「このバンドはいい!!」

キミハルさん曰く、
「あのカマキリのようなボーカルや面白いギタリスト、
そしてリズム隊のあの抜群の演奏テクニック・・・」
それが果たして後にヒット曲を連発するだろうとはキミハルさんだとてまさか想像だにしていない。
だがキミハルさんはワシにこう言った。

「いや、本音を言うとクリキンは喉から手が出るほど末ちゃんが欲しい。
でも末ちゃんには末ちゃんの未来がある。
それをクリキンが奪い取ってしまうのはやっぱり違うと思う」

キミハルさんはメンバーと事務所を説得して、
「スケジュール調整が可能な限り、今まで通りサポートメンバーとしてやってもらおう」
ということになった。

その後爆風スランプはデビューし、ついにその時がやって来た。
スケジュールが調整つかずについにダブルブッキングしてしまったのだ。

事務所から「それでは」ということでこの「仕事」はおしまいとなった・・・

それからもワシは「兄貴」として各メンバーとお付き合いをしていたが、
ある時こんなこともあった。

爆風スランプがホールツアーを廻るようになってから、
キミハルさんがそのコンサートを見に来た。

終演後に楽屋を訪ねて来たキミハルさんが、
例によってまたワシと馬鹿話をしてたのだが、
突然こんなことを言い出したのだ。

「末ちゃん、売れてからちょっといい気になってないか?」

まさかそんなことはと思っていたのだが、
「気をつけぇや。売れたらみんな自分では気付かないうちに変わってしまうもんなんやで」
と言って、ワシが脱ぎ捨てたステージ衣装を笑って指差した。

「クリキンの時には自分で片付けてたやろ、今は人に片付けさせるのかい?」
ということである。

ワシが売れても天狗になったりしなかったのは、
この兄貴たち先輩方がいろんなことを教えてくれていたからである。


その後クリスタルキングはギターの山下さんが家庭の事情で脱退、
頃を同じくして所属事務所からも契約が切れて、
それを機にメンバーは散り散りバラバラとなって、
最終的にはムッシュがひとりその名前を抱いてほそぼそと活動している。

日本という国はアーティストを給料で縛る不思議な国で、
所属事務所と契約が切れたということは
即ちあくる日から「無職」であるということである。

その後売れて金持ちになったワシと無職となった兄貴たちは突然立場が逆になった。

しかし久しぶりに一緒に飲んだりして、
「いや、今日は僕が奢りますよ」
と言っても、兄貴たちはみな頑としてそれを拒んだ。

「何言うてんねん!!お前なんかに奢られてたまるかい!!」

昔の「関係」というものは時が立って立場がどう変わろうが、
いつまで経ってもその「関係」のままなのだ。

だからワシは今でも兄貴たちと酒を飲む時にはありがたく奢って頂いて飲む。
その分ワシは兄貴たちから受けた恩を、
形を変えて下の世代に与えてゆけばそれでいい。

世の中というのはそういう風に出来ているのだ。


さてその後、
マー坊さんとは時々セッションなどをしていたが、
他の兄貴たちとは10年以上連絡を取っていない。

「メンバーの誰かが不治の病で・・・」
と聞いた日にゃぁのんびり酒なんか飲んでいられない。

ワシの入れた留守電を聞いてマー坊さんから折り返し電話がかかって来た。
聞けば病気になったのはメンバーではなくギターの山下さんの奥さんだそうだ。

あれから爆風とかで九州に行けば田舎に帰った兄貴達の誰かを訪ねてゆき、
久留米の山下さんのお宅にも何度か泊まりに行ったことがある。

その奥さんのためにみんなが集まろうとしたのだが間に合わず、
ちょうどそのライブの日(つまりこのブログを書いている今日)はその四十九日なのだそうだ。

ワシはマー坊さんから山下さんの電話番号を聞いてすぐに電話を入れた。
鹿児島から京都への移動はちょうど久留米を通る。
やっちんツアーのメンバーとは別行動をさせて頂いて懐かしい山下さんのお宅に伺った。

いつもと変わらぬ感じで世間話に花が咲く。
話を聞くと山下さんは四十九日でバタバタしてるのでクリキンの久留米でのライブには参加はしないが、一応顔は出すつもりだそうだ。

そりゃそうだろう。
残念ながら奥さんにそのステージを見せることは出来なかったが、
昔仲間が集まって楽しくワイワイやってる姿こそを奥さんはきっと見たかったのだ。


今日、ワシは神戸でやっちんツアーの最終日。
その後はまたいつものようにチキンで打ち上げをしているだろう。

同じ頃、素敵な兄貴達は久しぶりに集まって、
酒を飲みながらまたバカな話をしてるだろう。

ありがとう兄貴たち、僕はあなた方から教わったことを下に伝え、
あなた方から受けた恩を何倍にもして下に返します。

いつまでもお元気で。
また一緒に飲みましょう!!

またありがたくご馳走になります!!

Posted by ファンキー末吉 at:22:17 | 固定リンク

2013年6月 7日

Wasuremonoが止まらない♪♪

今回の王様ツアー、
物販が山ほどあるので前日から小畑秀光と物販の区分けをしていた。

王様は王族のくせに気が小さいので、
「そんなに物販あがあるんだったら車に載らないかも」
とか前日までやいのやいのとウルサイ(笑)

嫁も
「もし売り切れそうだったら追加分を小屋に送ってあげるから」
と言うので、それではということで全ての物販を梱包し直したのだ。

小畑グッズ・・・
Tシャツ、ハチマキ、旗、それを立てる台代わりのコップ・・・

ワシのグッズ・・・
爆風トリビュートのCDおまけCompleteそのTシャツ朗読CDX.Y.Z.→Aの新譜激鉄オムニバス・・・

これに今回新しく作った王様トリオのグッズも加わるのだから大変である。

車に山ほどのグッズを積み込んで出発!!
用賀で王様と渡辺英樹と合流!!
彼らの私物やギターなどを積み込んでギリギリである。

更に初日の豊橋の会場には直で王様自身のグッズが送られて来るのである(怖)

会場に着いてすぐに物販の確認。
ステージには楽器より先に山ほどの段ボールが並ぶ。

「では楽器をセッティングしよう」
となってワシは愕然となった。

ワシ・・・自分の楽器を何も積んでないやん・・・・

物販のことばかりを考えていてスティックやツインペダルを積むのをすっかり忘れているのである・・・(号泣)

ワシは一体何をしにここに来たの?!!!!


泣いてても仕方ないので対策を考える。
まずはスティックである。

近くに楽器屋がないか聞いたらあると言うので行ってみる。

前回もそうだったが、
ここで「ファンキー末吉モデル」を置いてなかったら置いてなかったで寂しいし、
置いてあったら「どうして本人がこれを買いに来たのか?」と思われても恥ずかしいし、
本人と気付かれなかったらそれもそれでちと寂しい・・・

スタジオに鎮座している歳の頃は爆風世代真っ只中であろうお年頃の店員さん、
スティックが並べられた棚にはパールのスティックの番号が貼られているが、
「ファンキー末吉モデル」である「104H」が見当たらない。

「あのう・・・104Hは置いてありますかねぇ・・・」
恐る恐る聞いてみる。

店員さんは無表情で棚の一部分を指差した。
「おっ!!置いてあるやん!!」

とりあえず喜んで2セット手に取るワシ。
無表情で「2000円です」と言い放つ店員さん。

まあいい!!ワシが誰だか知らんでもスティックさえ売ってくれさえすればそれでよい!!

「領収書下さい」
いつものようにそうワシが言うと、店員さんはワシの想像を絶した言葉を口にした。

「お宛名は何にしましょうか?」

・・・

ここで「有限会社ファンキー末吉」と言う勇気はない。
ワシは一瞬のうちに人生全てを走馬灯のように見るほど考えてこう答えた。

「上様でいいです・・・」

Got104H.jpeg

こうして無事にスティックはGET!!
ツインペダルはラッキーにも小屋に一個あったので事なきを得た。

次の日の名古屋は対バンがツーバスのセットを持ち込むのでそれを叩いて下さいと言うのでこのスティックが折れさえしなければ問題はなかろう。

いや、折れても名古屋には楽器屋が多いので明日また買いに行けばそれでいいのだ。


その日のうちに名古屋に移動。
直で豊橋に送ってある物販が満載で後部座席にも物販が積まれている。

これは物販整理して半分ぐらいは高知とかに送っとくべきやなぁ・・・

次の日は小屋に着いたら即物販の整理である。
対バンのドラマーがドラムをセッティングしている間じゅうずーっと物販の整理をしている・・・

ワシらが出番が後なのでリハが先である。
「ファンキーさん、じゃあサウンドチェックよろしくお願いします〜」
そう言われてドラムのところに座って愕然となった。

昨日買ったスティックは今度はホテルに忘れとるやないの!!!

ワシは一体何をしにここに来たの?!!!!・・・・

小畑秀光にスティックを取りに行ってもらってライブ開始!!
客席からは何とスティックの差し入れ!!

ご丁寧に昨日の楽器屋まで行って買って来てくれて、
領収書を「はち王子さま様」でもらって来てくれている(感涙)

SticksRecipt.JPG

ステージは無事に終わって物販開始!!

王様と英樹ingはそのままステージを降りて物販売り場に直行するが、
ワシはとりあえず「はち王子様」から「ファンキー末吉」に戻らねばならない。

いつものようにひとり楽屋で着替え・・・

今度はメイク落としを忘れてるやないの!!!!!

とりあえず濡れティッシュで顔をゴシゴシするだけで降りてゆく。
ヒゲのあとが残ってるのよ〜・・・

誰かWasuremono 止めてWasuremono
胸が 胸が 苦しくなる♪♪

Posted by ファンキー末吉 at:07:53 | 固定リンク

2013年6月 2日

ドラムは何歳になったって上達する

X.Y.Z.→Aのツアーが終わった・・・

毎回橘高が考えるのであるが、
今回のメニューは定番曲から新曲からなかなか劇的なメニューであった。

Faster! Harder! Louder! Deeper!」などは今から考えれば当時は
「今日はもう叩けないかも知れない・・・」
と腹をくくる曲だったが、今はもう・・・
いや、決して「楽」ではないが・・・
とりあえず叩けなくて崩壊してしまう恐れはない。

あの頃100本ツアーで毎回命がけで叩いて来たのだ。
今さら「もう叩けません」ということはあり得んじゃろう・・・

その後「Lybirinth」という曲が現れた。
この曲は実際「もう叩けない」と思った。

レコーディングで手こずった影響もあったのだろう。
「叩けない」と思ったら実際に叩けない。

足がもつれて崩壊寸前で何とか叩いたら、
今度は精神的にそれを引きずってしまって、
それよりも全然テンポが遅い「Never Say Die」も叩けない。

「ドラムを叩く」ということは「アスリート」に近いと思う。
「負ける」と思った試合は必ず「負ける」のだ。

「戦い」というのは何のことはない。
「自分との戦い」に他ならないのだ。

その昔、親戚の叔父さんを殴って家出して東京に出て来たのだから、
「田舎に帰る」ぐらいだったら「死んだ方がマシ」だった。

人間「死ぬ気」になれば何だって出来る。
人に「下手くそ」と言われるぐらいなら「死んだ方がマシ」なのだ。

その時は
「次のライブでこの曲が叩けなかったら俺はドラムをやめる」
とメンバーに宣言した。

ドラムをやめたら人生の行き場がなくなるから文字通り「死ぬ気」である。

まあ無様な叩き方ではあっただろうが、
とりあえず「死ぬ」ことはなくドラムを叩き終えた。

そして今ではこの曲も「叩けない」と思うことはもうない・・・

そしたら今度は「生きるとは何だ」という曲が現れて来る。
いや〜実際「生きるとは何か」ということを考えながら命がけで叩く(笑)

普段
「ドラミングに一番大切なのはそのフォームである」
とか偉そうに言いながら、
フォームもへったくれもない、
棍棒のようにスティックを握りしめて、ただがむしゃらに叩く・・・

決して本意なプレイではないのだが、
理想的なフォームで完璧な演奏が出来たライブと、
このように息切れしながらやっと叩き終えた無様なドラミングと、
どちらのライブがよかったと感じるかは客によって分かれるようだ。

どっちにしろ「末吉はやった!!」と思われればそれでよい。
少なくとも「下手くそ」と言われて自殺するレベルではない。

そうこうしているうちにアルバムも4枚目となり、
これが体力的にも技術的にも更に高度な楽曲が増えて来る。

今回毎回メニューに入っていた「Long Way」などは、
当時は「叩けるかい!!」とさじを、いやスティックを投げ捨てるレベルであったが、
また死ぬ気で当時のワンツアー廻ったら叩けるようになった。

その後あまりメニューに入っていなかったのだが、
そんなこんなでもう7枚目のツアー・・・
久しぶりにやってみたら問題なく叩けた。

やはり一度自転車に乗れた人間は、
数年後に自転車に乗ってもちゃんと乗れるのだ・・・

そして今回この東阪名でメニューに加わった「Initiation」、
レコーディングで叩けなかったんだからライブで叩けるわけがない!!

そのことばかり考えててふと気付いたのだが、
今回のオープニングナンバーである「Patriot's Dream(美しく花と散れ)」・・・
前までは乗り越えなければならん最大の「壁」だったのがいつの間にやらするっと乗り越えとる・・・(笑)

人間とはそんなもんである。
もともとは「出来る」はずなのにどこかで「出来ない」もしくは「出来なければどうしよう」などと考えるから出来ないのである。

自転車に乗る時に、
「右に倒れそうになったらハンドルを少し右に切り、
左に倒れそうになったらハンドルを少し左に切り」
などと考えながら乗るヤツはいない。

そう考えてしまったらもう自転車は乗れない。
考えさえしなければ自転車なんて誰にだって乗れるのだ。

「歳をとった」などと考えるのは自由である。
しかし「もう叩けない」と思ったらこれはもう絶対に「叩けない」。

昔は出番前に酒を飲んで叩いてたワシも、
今ではさすがにそれは出来ん。
二日酔いでバケツを横に置いて吐きながら叩いてたのも遠い昔である。

若かりし頃と違って前の日はちゃんと寝るし、
他のことを犠牲にしてでもドラムだけはちゃんと叩く。

モニターに自分の音は絶対に返さないが、
あるライブでバスドラが返っていて実は非常に叩きやすかった。

次からも・・・と誘惑にかられたがやめた。
自分の音が自分で聞こえないぐらいだったらドラムなんてやめてしまえ!!

・・・とか言いながらいつの日かモニターがなければ叩けなくなる日が来るのかも知れない。
二日酔いより何よりももう酒自体をやめなければ叩けなくなる日が来るかも知れない。

でも何を犠牲にしてもドラムだけは絶対に叩ける!!
・・・と言うより、今まで叩けて来てたんだから叩けなくなる理由がない!!
「Initiation」だってきっと次のライブでは「楽勝」になるのだ。

でもその時にはまた新しい「壁」が現れて、
それに向かってまた命がけで戦っているだろう。

その戦い・・・自分との戦いにさえ負けなければ、
50歳になったって幾つになったってドラムは上手くなるのだ。


ps.7月31日X.Y.Z.→A追加公演決定!!
橘高文彦曰く、ソールドアウトした土地では必ず追加公演をやるそうな・・・\(^o^)/

Posted by ファンキー末吉 at:11:06 | 固定リンク

2013年6月 1日

ビジュアル系への道

激鉄オムニバスが発売され、
その出演者によるオムニバスライブが行われた。

ワシはカルペディエムというバンドの曲でドラムを叩いていたので、
「ファンキーさん、ライブではこの曲叩いてもらえませんか」
と言われたのだが、
いやいや、ビジュアル系の中にこれが飛び込んでドラム叩いたのではファンに対して失礼ではないか・・・
というわけで「変身」することにした。

ビジュアル系のドラマーということで
「スエヨシキ」
という芸名を考えたのだが、
「あのバンドのファンを刺激すると大変なことになりますよ」
といろんな人に言われた。

うむ、違うバンドだが大変なことになったことがある。
こんなメイクでテレビに出たら・・・

178663072.v1370023682.jpg

同じくほっぺに「B.T」と書いているとあるバンドのファンが大激怒!!

ネットなどない時代だから事務所にカミソリ入りの封書が山ほど届く。
「あんたみたいなゲスが○○様のマネするんじゃないわよ!!」

ゲスって・・・初めて言われたなぁ・・・(涙)

まあ今度もどんなことが起こるかわからんが、
気持ちとしては決して御本人をバカにしているわけではないので、
危険を承知でこの企画を遂行することにした!!(恐)


まずはカルペディエムのスタッフが前日にいろいろ試してみる・・・

彼女が真っ先に試したのが、
「このもじゃもじゃがストレートになるかどうか」
である。

sUmjr.jpeg

左半分だけアイロンで伸ばしてみたが・・・
おうっ!!ちゃんとストレートになるではないかっ!!!

・・・しかしこれって・・・彼女の中で
「もじゃもじゃはビジュアルではない」
という図式がくっきりとある?・・・

ま、いい。変身して美しくなるならそれで・・・(涙)

Twitterに写真をUPしたら、
「だいたいあってる」
というコメントと共にこんな写真が上げられた。

BLf6-JSCQAE5t6B.jpeg

うむ、相手のお方はどう思うかわからんが、
ワシは悪い気はせんぞ・・・(笑)


当日は早く入ってまず髪の毛から着手する。

qAMoR.jpeg

着々と・・・

5BeRm.jpeg

おうっ確かにイメージが全然違うそ!!!
後ろの赤間くんの方がむしろ「ファンキー末吉」ではないかっ!!

IMG_4086.JPG

完成!!
ここまでで既に1時間以上費やしている・・・(涙)

gusyd.jpeg

次は問題の「メイク」!!
うちの嫁も動員されて二人がかりで、
まずは「塗りつぶす」!!
そして「ゼロから顔を描く!!」

k3Ol8.jpeg

化粧品の消費量がハンパないのよ〜・・・
顔が大きいですから・・・(涙)

莫大な化粧品で塗りつぶした後は、
まずは目を描く!!

ここで嫁が悲鳴を上げる。

目を閉じてアイラインで描いたら、
目を開けたらそれがこの腫れぼったい瞼に全部隠れてしまうのだ・・・(涙)

試しに目を開けた段階で「こんな感じだろう」で描いてみると、
今度は目を閉じると大きな隙間が開いてしまう・・・(笑)

しゃーないのでその隙間も多量のアイラインを投入して埋めてしまってやっとこんな感じ・・・

Caxx6.jpeg

化粧品代がハンパない・・・(涙)

口紅はワシとしては妖艶な「赤」を臨んだのぢゃが、
聖飢魔II信者の嫁としては「黒」である。

結局は間を取って黒っぽい赤(赤っぽい黒?)になり、
頬の部分はデーモン閣下のように灰色でくっきりと入れて欲しかったのぢゃが、
ドーランで塗りつぶしているわけではないのでこれがどれだけ入れても目立たない。

結局また莫大な化粧品を投入してやっとこんな感じ・・・

5QbaU.jpeg

ワシはいつも髪の毛を結んでいるので、
髪に後ろに結ばれているクセがついていて、
それだとせっかくのストレートヘアーが目立たないのでなるだけ前に垂らす。

そうすると顔にちくちく髪の毛が当たってキモチワルイ・・・

「スエヨシキ様は地球上では3分しか持たない」
と発言していたが、実際には3分もすると顔かきむしって塗ってるものも全部こすり取ってしまいたい衝動にかられる・・・

ビジュアル系も大変やなぁ・・・(涙)

さて最後に衣装なのであるが、
これが体型があらわになるものはアカンので・・・

・・・って言うか体型があらわになる衣装ってそもそもワシの体型に合うサイズは存在せんやん!!!

なるだけふわっとした感じの衣装にしてもらい、
パンツは渡辺英樹が前日忘れていったヒョウ柄のタイツ!!

どうして渡辺英樹がこんなもんを持ってたかと言うと、
「王様+はち王子様+渡辺英樹家来」で、
「俺も王族になりたい!!」とばかり「ヒデKing」に変身するための衣装だったのだ!!
(いろいろキャラがややこしいバンドが多いのう・・・)

ところが王族ふたりから
「王族のタイツは白と決まっているじゃろう!!」
と猛反対を受けて、結局用意したこのタイツは使われなかったのである。
(ビジュアル系はポリシーにウルサイ・・・)

出来上がりはこんな感じ・・・

PJadA.jpeg

ここまでで費やした化粧品量数知れず、
時間は既に2時間半が経過してしまっている・・・

しかしこの格好で3分間・・・やっぱ無理っ!!!

バンドの出順がジャンケンで決められて、
結局2バンド目になったので、1つ目のバンドの間死ぬ思いで待ってたのでした・・・

やっとステージ!!
近くで見ると化け物だが、遠くで見るとビジュアル系に見えないこともない。

776406821.jpg

無事に1曲だけ出演してステージ降りて、
狂ったように顔を落とした・・・

2曲以上無理っ!!!

かくしてTwitter上ではこんな写真もUPされてました。

EvUa8.jpeg

やり過ぎ(笑)

でもまあいい経験になりました。
世のビジュアル系バンドは毎回ライブの度にこんな苦労をしてるのね・・・

まあ元がええ人はこんな苦労せんでもええんやろうけど(笑)

というわけでライブの映像もUPされてました。
危険なのでかのバンドのファンには見せないようにお願い致します。

ごめんなさい!!ごめんなさい!!もうしません!!!

Posted by ファンキー末吉 at:08:29 | 固定リンク

2013年5月24日

税関で捕まった(>_<)

先日の北京ライブのことを書きたいのだが、
残念ながらこんなおもろいネタが飛び込んで来たのでこれからUPさせて頂きます(笑)


そもそもがどうしてワシが身銭の中国元を払って中国でこの小畑秀光のグッズを制作せねばならないのか・・・

「幸せの壷」なるものを売り歩く輩がいると聞くが、
この無名のギタリストはそれと同様の才能があるらしく、
可哀想なのもあり、何やら本当に幸せになれるような気がしたりするから、
ついついとよけいなおせっかいを焼いてまたこちらまで貧乏になってしまうのだ・・・

ワシはもともとは音楽の仕事などなくなってしまったに等しい日本の音楽業界ではなく、バブル真っ盛りの中国での仕事で人民元を稼いでいるのだから、
当然ながら人民元がダブついて来る。

高い手数料など払って両替などしてはいられない。

中国で必要な経費、
例えばFunkyスタジオ北京は持ち家ではなく借りているのでその家賃やら、
アホではあるが今ではなくてはならない大切なスタッフになってしまった方言(FangYan)などを住まわせてスタジオ自体を維持しているわけなのだからその結構な維持費などは全て中国の仕事で賄っている。

日本は日本でセッションなどして、また忘れた頃に入って来る印税などで嫁子供が暮らしている。

両方面の収入はまあ低空飛行ながら順調で、
幸いながらここ数年、日本円から両替だの中国元から両替だのしなくてはならなくなったことはなかったのだが、
ここに来てこの小畑秀光のせいで久しぶりに日本円から中国元に両替した。

何せこんなアホなグッズを思い付いては山ほど作るのだからその支払いで人民元が底をついてしまったのだ(涙)


今回は更に小さな旗とステッカーを作ったので、
前回持って来れなかった半分のTシャツと合わせるとまたとんでもない量である。

今回の滞在は3日間だったが、
こんなことも想定してちゃんと大きなトランクを持って来ている。

前回はトランクに入り切らず、
ズタ袋にまでTシャツを入れて持って帰って来たので、
今回はそれも想定して機内持ち込み出来る小さなトランクまで持って来ている。

しかし、グッズを詰めながらふとイヤな予感がして、
その更に半分のTシャツをたまたま上海から来ていたLive Bar X.Y.Z.→AのオーナーKさんに託してしたのがよかった。

何と今回初めて日本の税関で止められたのである。


「3日間でこの荷物は多過ぎですねぇ・・・中を見せてもらえますか?」

若い税関職員がこう言った。
開けたら中身はこれである・・・

ObataGoodsInZeikan.JPG

(涙)!!!!

税関職員の呆れたような情けないような、そんな表情が忘れられない・・・

絞り出すように彼は言った。
「これは・・・何ですか?・・・」

ワシは二日酔いの頭をフル回転させて考える・・・
まずは相手の質問に答えることである。

「ティ・・・Tシャツです・・・」

それは見ればわかる!!
税関職員が聞きたいのはそうではなくて、
こんなものをたくさん持ち込んでどうしようという気なのかということなのである。

「これは・・・中国で作ったんですか?」

ワシは二日酔いがいっぺんに冷めてしまって、
錆び付いた頭がオーバーヒートするまで考えた。

だいたい「大ウソ」というのはよっぽど悪人でない限りなかなかつくことは出来ない。
つけるとしたらせめてその中にいくらかでも本当のことを入れておかねば、
小市民ではなかなかそれを突き通すことが出来ないのだ。

「昨日ライブで売ろうと思って持って行ったんですけど・・・結局売れませんでしたねぇ・・・」
ちなみに昨日ライブがあったということは本当で、あとはウソである。

「売れませんでしたねぇ」の部分に大きく頷いて税関職員は真顔でこう聞き返す。
「これは日本で作って持って行ったんですか?」

そもそもワシはそこまで大ウソをつけないからこそこのような回りくどい言い方をしたのだ。
それを税関職員は真っ正面から突いて来るんだから真っ正面からウソをつくしかない。

「はい、日本で作って持って行きました」

この時点でワシの心臓はもうばっくんばっくんである。
ひとつのウソが次のウソを生む。
こうやって世の中ではいくつも
「小さな犯罪を犯した小市民が大犯罪者になってしまう転落劇」
が起こってしまうのだろう・・・

「ちょっと開けさせてもらっていいですか?」
税関職員は手慣れた手つきでTシャツの袋を開けて中身を広げる。

タグを広げてそこに書かれている「Made in CHINA」という文字を、
わざわざワシに見せつけるようにしながらこう言った。

「これは中国で作られたものですよね」

犯罪者の心理というのはおおよそこのようなものであろう・・・
ウソをつくならとことんつき通さなければならないのだ。
そのウソが本当になるまでつき通さなければならないのだ。

「いや、これはバンドのメンバーが日本で作ったもので、
それを私が北京でライブがあるんで売って来ようと持って行ったんです」

頭の中ではこの小畑秀光という無名のギタリストと一緒にバンドをやってる姿を一生懸命シミュレーションする。

「バンドのメンバー・・・ですか?」
税関職員が理解に苦しむような顔をするのですかさず胸を張ってこう言う。

「この太陽の顔の本人です!!彼と一緒にバンドをやっていて、
このTシャツは彼が作ったグッズなんです!!」

ここでもかなりの割合でウソを散りばめているのであるが、
頭の中ではそれを「本当だ」というまで信じ込まなければならない。

「でもこれはMade in Chinaじゃないですか!!」
税関職員は冷静にそのように言い放つ。

「さ、さぁ・・・日本で発注した業者が実は中国で製作してたんじゃないでしょうか・・・」
そのような事態が可能性としては起こり得るという自信と共になるだけ胸を張ってそう言い張る。

「つまり、中国で作ったものが日本に入って来て、
それをまた中国に持って行って、またそれを持って帰って来たということですか?」

税関職員が分かり易くそれを言い直すが、
ワシはそれを一生懸命シミュレーションしてそのように心から思い込むしかない。

「その通りです!!」

何やらそのような気がして来た。
このTシャツは全て自分と一緒にバンドをやっている小畑秀光という人間が、
ワシの知らないところで作って、それがたまたまMade in Chinaであっただけなのだ!!

しかしいくらシミュレーションだとは言え、
あんな男と一緒にバンドをやっている50男が、
こんなわけのわからないモノを日本で作って、
それを山ほどトランクに入れて中国に行ってライブをやり、
それを一生懸命売ろうとして結局売れず、
そのままトランクに詰めて帰国している図は悲し過ぎるぞ・・・


今にして思えば「宗教」にしてやればよかったのだ!!

「太陽神」を崇める「MAX教」かなんかで、
「これを崇めればあなたもきっと幸せになります!!」
とでも言って一生懸命お祈りでもしてやればよかったのだ・・・


「とりあえず別室へ!!」

税関職員が荷物と共にワシを別室に連れてゆく・・・
まるで取調室に連行される犯罪者のような気分である・・・

別室と言っても普通の税関のカウンターと全く同じで、
ただそれが小屋のようになっていて外から見えないようにされてあるだけである。

「全部開けさせてもらっていいですか?」

ワシはうなずいて全ての荷物、バックパックからポシェッットまで全てをそのカウンターに並べる。

小さなトランクにはワシの着替え、
バックパックにはパソコン類、
ポシェットにはWi-Fiやディバイス系、
・・・とまずは大旨確認した後、
税関職員はまずは問題の一番大きなトランクの荷物を全部取り出す。

37枚のTシャツを取り出した後に現れるのは旗である。

ObataGoodsHata.JPG

「こ、これは何ですか?・・・」

またもや税関職員の呆れたような情けないような、そんな表情が忘れられない・・・
ワシは何もウソをつく必要がないので胸を張ってこう答える。

「旗です!!!」

それは見ればわかる!!
税関職員が聞きたいのはそうではなくて、
こんなものをたくさん持ち込んでどうしようという気なのかということなのである。

売り物ですと言うとまためんどくさそうなのでこう言った。

「これはステージ上に並べるんです!!
毎回ライブではステージ上が旗ばかりになります!!」

ワシはその様子を頭に浮かべてシミュレーションの中に組み込みながら、
だんだんと情けない気分になって来るのを隠せない・・・

「これも日本から持ち込んだんですか?」
税関職員はそのように聞くが、
小市民のワシはもうこれ以上ウソを積み重ねてゆくことに精神がついてゆけなくて折れてしまう。

「これは・・・向こうのバンド仲間が作ってくれたんですけど・・・
ライブで売ってみたら・・・やっぱ売れないですよねぇ・・・」

税関職員はその「売れないですよねぇ・・・」というところで大きくうなずいてまた仕事を続ける。


「これは何ですか?」
次に取り出したのはステッカー。

ObataGoodsTieHua.JPG

また「中国の仕事」であるからして、
切れ目を入れてるのが図柄の位置より中になっているところが情けない。

頭をかしげている税関職員に捲し立てる。

「これも向こうのバンド仲間が作ってくれたんですけど・・・
こんな作りじゃぁ・・・やっぱ売れませんよねぇ・・・」

また「売れませんよねぇ・・・」というところで大きくうなずくものの、
もともと税関職員が頭をかしげるのが、
「何故にこのような売れないものばかりをこんなに多量に日本に持ち込もうとするのか」
という「作り手の頭の中」が不思議でならないのだ・・・


次に取り出したのはアホのアシスタント方言(FangYan)がキム姐さんに頼まれて買った中国のタバコ・・・

こればっかりは税関職員は鬼の首を取ったようにこう言った。
「これは持ち込み制限数を越えてますよねぇ・・・」

二日酔いだったので何カートンあるかも考えずにそのままトランクに放り込んでいたのだ。

「あ、友人に頼まれたのですが、
すみません、自分はタバコを吸わないのでうっかりしてました」

これは素直に罪を認めるしかない。
本当に自分はタバコを吸わないのでうっかりしていたのだ。

「ご自分で買われたのですか?」

ここでハッとして気付く、
知らない人から荷物を頼まれて、
そこに麻薬なんかが入ってたりして知らぬ間に「運び屋」にされてる事件が多いと聞くではないか。

まあ相手が方言(FangYan)なのだから実際にはその恐れはないのだが、
問題はそう思われたら取り調べがもっと大変になるということである。

「私が買いました」

これは100%ウソなのだがそう答えるしかない。
ヘタしたらそのタバコを全部開けられて一本一本全部調べられる羽目になってしまうだろう・・・

「ウソをつく」ということは大変なことである。
ひとつウソをつけば、それを本当にするためにもっとたくさんのウソをつかなければならないのだ。


税関職員は更に荷物を調べる。
文字通り「隅から隅まで」である。

そして税関職員はトランクのサイドポケットに入れている雑誌の切り抜きを見つけた。
ワシが北朝鮮に行って少女たちにロックを教えている記事である。

それを取り出して今度はもっと真顔でこう聞いた。

「今回行って来たのは本当に中国だけですか?」

いや〜前々回北朝鮮から帰った時に同じことを聞かれて、
全ての北朝鮮での購入物を没収されたことを思い出す。

犯罪者の心理というものは大旨こんなもんであろう。
こうやって次から次へと過去の犯罪が連鎖的に暴露されてゆくのだ・・・

一瞬目の前が真っ暗になったが、ワシの頭は二日酔いながら更にフル回転して、
このような言葉を税関職員に浴びせかけた。

「お兄さん、今回北朝鮮行ってそれが今こうして記事になってるわけないでしょ!!」

それもそうだ・・・と税関職員はその記事をしまった。
そもそもこの変な男が北朝鮮まで行ってそれでこんなわけのわからないものを持ち込んで来ているとしたら更にもっとわけのわからないことになってしまうのだ(笑)

実は税関職員が探していたのはそんなものではない。
伝票・・・だったのだ。

中国でモノを作って日本に密輸入している「業者」は、
必ずそれを証明する伝票のようなものを持っている。

それが「商売」なのだから必ずそれに関するものを持っている。

しかしワシの荷物にそれらしきものは一切ない。
そりゃそうだ、ワシは中国のロック仲間にグッズ製作を頼んで、
出来上がったら現金でそいつに金を払い、
領収書だの伝票だのそんなものは一切持ち合わせてないのだ。


そしてトランクの中から税関職員が見つけたのは、
無造作に放り込まれているレポート用紙の束。

往々にしてこのように「伝票」は発見されるのだ。

税関職員はそれを開いて見たのだが、
更にわけがわからないような表情をしてこう聞いた。

「これは何ですか?・・・」

税関職員が首を傾げるのも仕方がない。
これは喜国雅彦先生が書いてくれた激鉄♪MAXの絵コンテだったのだ。

GekiMaxStoryboard1.jpgGekiMaxStoryboard2.jpg
GekiMaxStoryboard3.jpgGekiMaxStoryboard4.jpg
GekiMaxStoryboard5.jpgGekiMaxStoryboard6.jpg
GekiMaxStoryboard7.jpg

税関職員、もうますますわけがわからない。
この変なルックスの50男は一体何をやってる人間なのだ・・・

ワシは助け舟を出すつもりで優しくこう言った。
「いや、税金だったらいくらでも払いますから・・・」

以前タバコや酒を規定量以上持ち込んだ時にも、
ちゃんと申請して税金を払えば何も問題はなかったではないか。

要は税金さえ支払えばそれでいいのである。


税関職員の仕事はもう大詰めとなり、
あとは税金の額を決めて支払ってもらうだけである。

しかしタバコは別として、
この怪しげなグッズが一体いくらの値打ちがあるかが皆目わからない。

伝票さえあれば細かい金額が出るのだが、
それがないのだからだいたいでここで決めてしまうしかない。

「Tシャツ1枚いくらぐらいで作りましたか?」

そもそもワシはまとめて金をどんと払うだけなので1枚いくらまではとっさに出て来ない。
「うちのボーカルが作ったんでそこまではわかりませんが・・・
まあだいたい500円ぐらいじゃないですか・・・」

税関職員はTシャツを500円として計上、
問題は山ほどの「旗」である。

「この旗はいくらで?・・・」

と言いかけて税関職員はあきらめた。
きっと「こんなものいくらも値打ちがないだろう」と踏んだのだ。

「旗と・・・このステッカーは・・・いいです」

かくしてTシャツとタバコの持ち込み税金ぶん、合わせて1万円ほど支払って無事に取り調べ終了!!!

ワシは最後に税関職員に聞いた。
「麻薬とか摘発したこともあるんですか?」

税関職員は言った。
「ここではしょっちゅうですよ」

日本国家のために税関職員はこうして一生懸命仕事をしている!!
彼らの仕事に敬意を表するぞ!!

そんな皆様のお手を煩わせてどうもすみませんでした!!


というわけで噂の太陽神グッズ

 ■TシャツS、M、L、XL、3,000円(現在は黒のみです)

 ■ハチマキ白、黒 各1,000円

 ■旗 大2000円 ← 一番偉い、中、小 ← 安い 発売未定

お問い合わせ、ご注文はコチラから↓
 >>> http://hidemitsu.jp/mail.html

Posted by ファンキー末吉 at:00:16 | 固定リンク

2013年5月 8日

パパ、私はもう大丈夫だからまたベース弾いて!!

爆風と同時期に活躍していたバンドに「REACTION」というのがある。

そのベーシスト、YUKIと再会したのは数年前、
場所は八王子Live Bar X.Y.Z.→Aであった。

飲みながら昔話に花が咲いたが、
その時に一番印象に残っていたのが彼の娘さんの話である。

まあワシもそうだが娘さんが小さい頃に彼は離婚、
子供は彼が引き取って男手ひとつで頑張って育てた。

バンドが解散し、レコード会社は彼に音楽業界に残るように説得したが、
彼はそれを断ってスパっと見切りをつけて音楽業界から足を洗った。

それから彼はベースを押し入れにしまい込み、
「音楽」を封印して、文字通り「娘のため」だけにその人生を生きて来た。

彼がまた押し入れからベースを引っ張り出して弾くようになったのは、
娘さんが中学生になった時に彼に言った一言がきっかけだった。

「パパ、私はもう大丈夫だからまたベース弾いて!!」


こうしてYUKIが戻って来た。
昨日は彼と一緒に18日のイベントのリハーサル。

意外にもワシは彼と一緒に音を出すのは初めてだった。

Dr: ファンキー末吉
Ba: 反町YUKI哲之
Gt: 志村PUNKY広司
Kb: Kou
Vo: DIOKEN

でロニージェームスディオの曲を演るのだが、
まあよくこれだけ大酒飲みばかりのメンバーを選んだものだ(笑)

DrinkWithYuki.jpg

飲みながらまたいろんな昔話に花が咲く。

「REACTIONの狂犬反町」と呼ばれていたYukiが、
子供のスクール水着に初めて「反町」と名前を刺繍する話は感動である。

「水着はねぇ、生地が伸びるからそれを見込んで遊びを持たせて縫うんだよ。
ちょっと縫っては生地を引っ張ってまた縫う」

仕事しながら子育てもして、
結局刺繍をしながらジャパメタ界の「狂犬」はうとうとと居眠りをしてしまうのだ。

そうやって育てた娘さんももう二十歳。
誕生日には娘と二人でワインを乾杯したと言う。

「パパ、20年間育ててくれてありがとう」
娘にそう言われて号泣しない父親などいようはずがない。

素敵な「狂犬」が戻って来た。
彼とのライブは18日(土)渋谷duo MUSICEXCHANGE

この日もまたしこたま酒を飲むのだろう・・・


THANX RONNIE JAMES DIO LIVE Vol.2

『THANX RONNIE JAMES DIO LIVE Vol.2』
~In M emories Of Cozy Powell~
日程:5月18日(土)
会場:渋谷duo MUSICEXCHANGE
料金:前売り¥5000当日¥5500共にドリンク 別
座席:全自由

【出演予定者】
Vo : EIZO SAKAMOTO (ANTHEM, 哀旋士, ex.アニメタル etc...)
Vo : Ray (GALACTICA PHANTOM, Amenbow)
Vo : DIOKEN (RE-ARISE, Rainbow Knights, aDIOs)

Dr : 工藤"KUDO→"義弘 (EARTHSHAKER)
Dr : 本間大嗣 (ANTHEM, ex.LOUDNESS, EZO, FLATBACKER)
Dr : ファンキー末吉 (X.Y.Z.→A, 爆風スランプ)
Dr : 出原卓 (ex.HURRY SCUARY, ex.RATTLESNAKE, aDIOs)
Dr : 赤間慎 (RE-ARISE)

Gt : 清水保光 (CYCLONE, ex.HELLEN)
Gt : PUNKY (RE-ARISE, ex.ALKALOID, 東京X-RAY)
Gt : 里村源多郎(STORM RIDER, 音風, aDIOs)
Gt : Dannie (THE BEGGARS)

Ba : 臼井OZMA孝文 (ex.X-RAY)
Ba : 反町"YUKI"哲之 (REACTION, ex.DEVILS, G.D.FLICKERS)
Ba : SHIGE NAKAYASU (Rainbow Knights, MARGE LITCH)
Ba : Kassy (aDIOs)

Kb : TOSHI SHIMADA (Rainbow Knights)
Kb : KOH (aDIOs)
Pf : はんだすなお

Cho : KAN (ex.SWEET JUNKEY)

Ronnie James Dioへの愛ある方のご参加お待ちしております。
本物をまだ知らない方も、見れなかった方ももちろん大歓迎です!
追悼というよりは感謝をしたいんです!

ロニー・ジェイムス・ディオの名のもとに、
より多くの\m/ horns \m/を掲げに来て下さい!

(問)東京音協:03-5774-3030 (平日10:00~17:00)

Posted by ファンキー末吉 at:02:53 | 固定リンク

2013年4月20日

ワシは中国で1億元損した男(笑)

中国の寧夏省、省都の銀川からさらに80kmほど車で走ったところにある「大武口(DaWuKou)」というところに来ている。

まあはっきし言って「田舎」である(笑)

布衣(BuYi)は今年になってオリジナルメンバーでもあるギタリスト兼箏奏者の張威(ZhangWei)が脱退して、
今はボーカリストである老呉(LaoWu)ひとりが、ライブによってメンバーを変えて活動していると聞いていたが、
最近はよく張張(ZhangZhang)のAcidユニット「化現場(HuaXianChang)」と一緒にライブをやることも多いらしく、
今回はその形でこんな田舎町までやって来たということらしい。

ワシはゲストで数曲叩くだけなのでライブをボーっと見てたのじゃが、
こんな田舎町でも彼らの曲をみんなが大合唱してるのな(驚)。

羊肉面(YangRouMian)!!羊肉面(YangRouMian)!!」
とワシの作った曲をオーディエンスが連呼するのを聞いてとても嬉しく思い、
ライブ終了後に羊肉食って飲みながらその話をしてたら老呉(LaoWu)からこんな面白い話をされた。

羊肉面(YangRouMian)なんかよりもっと凄いのがあるよ。
「我爱你亲爱的姑娘(WoAiNiQinAiDeGuNiang)」・・・
何せ携帯の着メロダウンロードで1億元稼いだって噂だよ。

ちなみに日本はCD等からダウンロード商売に移行するのに非常に手間取っているようだが、中国ではあっと言う間である。
ビデオからDVDへのシフトもあっと言う間だった。

きっとシステムを完全移行させる場合、
日本ではCD屋や従来のレコード会社が潰れてしまうことを恐れて慎重に対処するのに対して、中国ではそんなこと気にしないからあっと言う間なのだと思う。

この国では別にCD屋など潰れてもいいのだ。
レコード会社もビデオ業者なども潰れてもいいのだ。

どんな手を使ったって早く金持ちになるのが「勝ち」なのだ。

中国の携帯電話利用者数は今や11億人を越え、
着メロビジネスが儲かるぞと言われ出してからもう久しい。

こちらでは1曲のダウンロードにだいたい1元が課金される。
日本円でだいたい15円なので貧乏人でも携帯を持ってるぐらいの人なら十分払える額である。

しかしヒット曲となると1000万ダウンロードは下らないと言うのだから凄まじい!!

私が友人から頼まれて映画音楽を担当した「瘋狂的石頭(Crazy Stone)」はその年タイタニックを抜く興行成績を挙げ、
その中の挿入歌である「我爱你亲爱的姑娘(WoAiNiQinAiDeGuNiang)」も1000万ダウンロードを越える大ヒットなのだと言う。

「1000万ダウンロードって1億元だよ?」
老呉(LaoWu)がそう言って笑う。

1億元と言えば日本円で大体15億円である。
もちろん曲を作ったワシにも、詞を書いた老呉(LaoWu)にも一銭たりとも支払われていない(笑)

まあ訴訟を起こしても無駄である。
何十億元も稼いでるヤツらはこの国では既に絶大な「力」を持っていて、
こんな金のないヤツらの訴訟なんか問答無用ではねつけることが出来る。

それにまあ、この曲に関する権利関係も実は非常にアヤシイ・・・

契約上は映画会社が全部権利を持っていることになっている。
つまり全ての楽曲は「買い取り」なのである(恐)。

しかし通常は契約書もへったくれもない。
たしかこの時は香港の会社だったのでわざわざ契約書を作ったようだが、
ワシのところに契約書を持って来たのは公開した後、
つまり誰もが「儲かるぞ」とわかってからである。

もちろんワシはサインをしていない。
記憶によると困った先方は「誰でもいいからサインして下さい」と言うので、
嫁か助手か誰かがしたかも知れない(笑)

「儲かるぞ」となったのだからいろんな人がいろんなことをする。

エンディングロールで重慶語のラップを歌った「潤土(RunTu」はさっそく、
「ファンキーさん、あの曲を発売してもいいですかねぇ」
と電話をかけて来る。

ヤツとてワシからたかだか1万円にも満たないギャラしかもらってないのだ。
「儲かる」ならそれをどんどん使いたいというのは当たり前である。

「ワシはサインしてないから権利関係については何とも言えんが、
まあひょっとしたら映画会社がお前を訴訟するかも知れんぞ」
・・・と、ワシが言えるのはたかだかこのぐらいのことである。

「いいんです。訴訟されたら話題になってまたその曲が売れますから」

これがこの国での「物の考え方」である。

そもそもが「力がある者」が「力のない者」を訴訟したりはしない。
ヤツらにとっては「力のない者」など「ゴミ」と同じなのである。

逆に万が一「潤土(RunTu」が売れたら「力」を持つことが出来るので、
そうなったら逆にヤツらだって手出しが出来なくなる。

要は「どっちが正しいか」ではなく、「どっちが力があるか」なのである。

そうして「潤土(RunTu」は売れた。
お礼に彼はワシにたんまりとご馳走を奢ってくれた(笑)

中国で絶対やってはいけないこと、それは「友達を裏切ること」。
だから彼はワシのところに真っ先に電話をかけて来たのだ。

こうしてワシは彼の「恩人」となった。

これを受けてワシは当時ファーストアルバムをレコーディングしている布衣にもこう言った。
「お前らも自分のアルバムにこの曲を入れればいいんだよ」

そしてその曲が1億元を動かす曲になったというだけの話である。

もともとはこの曲は映画ではこのように使われている。

女をナンパするシーンで、
宝石を盗んだ悪ガキが、同じ宝石を狙う親分の女を見初める瞬間にかかる曲。

以前にやった「ショムニ映画版」で似たようなシーンにキングトーンズの歌う「I can't stopp loving you」を使ったので、
同じようにそれを貼付けてデモとして、
監督のOKが出たのでそれと同じような雰囲気の曲を作っただけの話である。

つまり「やっつけ」(笑)

録音も隣で住んでいる布衣の連中を呼び出して
「誰か歌え!!」
と言ったらドラマーが手を挙げたので彼に歌わせただけの話である。

実はサビだけでなくAメロもちゃんと作っていたのだが他に使い場所がなく、
結局彼らがそのAメロとサビを使ってこのようにアレンジして自分のCDに入れたのだ。

この映画音楽はサントラを出してないので、
このバージョンが着メロとなって1億元を生み出したということだ。

「今の中国のダウンロードビジネスに則ったら、
楽曲の権利が業者から2000万元は入って来るから、
ふたりで1000万ずつだぜ〜」
そう言って老呉(LaoWu)は笑う。

つまりワシとあんたで1億5000万円ずつ〜(笑)

間違ってもその金を「取り返そう」などと思ってはいけない。
ワシはこのアンダーグラウンドバンドの未来によかれと思ってそれを進言しただけである。

実際この曲と羊肉麺(YangRouMian)は彼らの代表曲となった。
そして寧夏省のド田舎でもこのようなライブを行えるようになって、
そしてワシをゲストとして呼んで好きなだけ絶品の羊肉を食わせてくれる。

ワシにとっては今からまた人と争っていろんなものを失って、
その結果やっと1000万元手に入れるより、
このような「友達」がこの国にもっともっと増えて、
その人達が今よりももっと大きくなってもっともっと美味しいものを奢ってくれればそれでいい。

ワシにとって大切なものはもっと他にあるのだ。

東京に出て来て爆風銃(Bop Gun)でグランプリを取った時、
「これはまぐれで取ったのではない!!俺たちにはその実力があったからなんだ」
と頑に信じた。

まぐれで取ったグランプリにしがみついて生きてゆくなんて人生ミジメ過ぎる。

爆風スランプがデビュー出来た時も、
「俺らには実力があったからだ」
と頑に信じた。

まぐれで出来たデビューにしがみついて生きてゆくなんて人生ミジメ過ぎる。

バンドはレコード会社のコントロール下に置かれたので仕方なくワシはひとりでJazzなどを命懸けでやって自分を磨いた。
「もしこのバンドが突然なくなっても俺は少なくても全く同じことが出来る実力はある」
とばかり・・・

Runnnerがヒットした時は揺れた・・・

「金」とはある種「麻薬」である。
なくなると禁断症状に見舞われて、何をやってもまたそれを手に入れようとする。

「次にヒット曲を出さなければバンドは一発屋で潰れる」
と言われ、死に物狂いで「リゾラバ」を作ったが、
その後中国に行ってワシは「ヒット曲を出す」戦いよりも、
「このクオリティーの曲ならいつでも作れるんだ」
という戦いに身を置いた。

「今まで日本でここまで来れたのは爆風スランプの名声のおかげではない。
全ては自分の実力だったんだ!!」
もしそれが本当なんだったら、
誰も爆風スランプなどしらない中国でゼロから同じぐらいの結果は出せるはずではないか。

そして中国での今がある。

嫁がはワシに
「パパは日本では正当に評価されてない」
と言ったことがあるが、
「中国での評価が余りあるもんだから俺は気にせーへんよ〜」
と笑った。

自分の曲で1億元儲けたやつがのうのうとしていることに腹は立たない。
大事なのは「こんな曲ならいつでも作れるぞ」ということである。

ここで「1000万元取り返そう」という人生にシフトしたとしたら、
いつかそれが取り戻せたとしてもその時にはもうこんな曲は作れなくなっているだろう。

ドラムもそうだが、「音楽」そのものこそが「生き様」なのだから・・・

Posted by ファンキー末吉 at:15:16 | 固定リンク

2013年3月25日

続編(ライブに飛び入り)

中日摇滚交流大派对(日中ロック交流大パーティー)の2日後に、
張張(ZhangZhang)老呉(LaoWu)のライブがあると言うので行って来た。

張張(ZhangZhang)は自らのユニット「化现场(HuaXianChang)」というアシッド系のユニットをやっており、
基本的にはDJを中心としたインストを演奏してるのだが、
毎回ゲストボーカルを迎えていてこの日はそれが老呉(LaoWu)だということである。

このライブハウスのオーナーはもともとワシらの院子に住んでたヤツで、
おまけにドラマーだということからワシが行くと必ずタダ酒を振る舞ってくれる。

わしはこの日に散々タダ食いされたので元を取るつもりで出かけていったのだ(笑)

布衣(BuYi)の曲がテクノアレンジになったり、
タダ酒飲みながらなかなか楽しくライブを見てたのだが、
最後の曲のソロ回しのコーナーとなったので、
「これは小畑秀光に飛び入りささないかん!!」
とばかりヤツをステージに連れて上がった。

ヤツとて酔ってべろんべろんなのだが、
一昨日のライブを見てファンになった客も多く、
それなりに客を楽しませて降りていった。

「さて飲むか」と思ったら今度はワシにソロをしろと呼び出される。

「飲んだらドラム叩けんのよね〜・・・」
と思いつつもしゃーないからステージに上がる。

飲んだ酒を全部吐きそうになりながら何とか叩き終えてステージを降りたら、
また「まだソロが残っているぞ!!」と呼び出される。

この曲には寧夏省で酒を飲む時の「はしけん」のような掛け合いがあるのだ・・・

いわゆる中国語のラップ・・・

歌詞もないし「無理じゃ」と言うのだが、
客席が盛り上がって降りるわけにはいかない・・・

仕方ないのでハナモゲラでラップするのだが、
酔っ払ってるので「ほんじゃらほい!!」とかアホ丸出し(恥)

見事に中国のYouTubeことYouKuにUPされてしまいました・・・

小畑秀光のソロ(4:00辺り)
酔いどれドラムソロ(6:30辺り)
アホ丸出しラップ(8:30辺り)

どーもすみません!!!!!

Posted by ファンキー末吉 at:12:02 | 固定リンク

2013年3月 7日

北朝鮮に初めてiPhoneを持ち込んで国際電話をかけた日本人

今年から北朝鮮に携帯電話が持ち込めるようになったということはネットニュースなどでも伝えられて来た。

ところが「持ち込めるようになった」のと「実際に持ち込める」のとは大きな違いがある。

例えば中国など国際免許が通用しない国で、
「現地で免許が取れる」
という風には早くから伝えられていたのだが、
ところがワシのような不法就労の身では
やれ居住証だやれZビザだと現実的には
「免許など金でバッタもん買った方が早い」
というのが現実である(笑)

「北朝鮮で外国人用にSIMカードの販売が開始され、
携帯電話で国際電話がかけられるようになった」
というニュースは既に流れていたが、
「実際私たちのような旅行者が本当にそれが出来るのか」
というのとは現実としてまるで違うのである。


奇しくもワシは今年になって北朝鮮に入国した最初の日本人であるらしい。

北京発平壌行きの飛行機は相変わらず中国人客を満載してたが、
平壌空港に着いたらその中国人客は皆携帯電話を税関職員に差し出してるではないか・・・

「ほら見てみぃ」という気持ちで私も携帯電話を差し出した。

大体にしてニュースというのはこんなもんである。
誰もそれを確かめもせずに流しているのだから・・・

あきらめてそのまま税関を出ようとしたら、
いつもの案内人がやって来て
「携帯電話の預かり証はもらいましたか」
と言うので、
「あ、そう言えばもらってねえや」
とばかり引き返す。

案内人が二言三言税関職員と話していたと思ったら、
職員はなんとそのまま携帯電話をぽんと渡してくれた。

「え?!!ウソー!!」

ワシはつい取り乱してしまったが、
追い打ちをかけるように案内人はこう言った。

「外国人用に電話のカードも売ってますけど買いますか?」

ワシはついに絶叫した!!
「え?!!ホントに買えるの?!!すっげー!!!」

空港内であまりに狂喜乱舞していたので案内人に注意されたぐらいである(笑)

見れば税関を出た所にこんな看板がある。

PyongYangSIM.jpg

まるでネットにつなげんばかりのポスターではないか!!(ワクワク)

ワシは迷わずSIMカードを購入した。
一番安いパックを中国元で支払う。

450元・・・日本円でだいたい7000円ぐらいであろうか・・・

中国から持ち込んだGSM携帯もあったが、
ここでは3G携帯しか使えないと言うので、
迷わずiPhoneにこのSIMを挿すことにした。

「iPhone5か?」と聞かれるので「4Sです」と答えたが、
よく見るとカウンターの裏にはSIMカッターが2つ置いていて、
おそらくひとつがmicroSIM用、もうひとつがnanoSIM用で、
客の電話の種類によって通常のSIMをカットするのだろうと思う。

SIMにはPINコードが設定されていて、
カウンターのお姉ちゃんが「0000」打ち込んだら、
なんと見事にiPhoneはこの北朝鮮製のSIMを認識しているようだ。

試しに電話をかけてみたいのだが、
「この携帯は国内にはかけられません。国際電話だけです」
と案内人が言う。

まあどうせこの国内に電話をかけるような友達はいないのだ。
ワシは迷わず嫁の携帯に電話をした。

ワシは興奮している。
なにせ日本人で初めて北朝鮮国内から日本に携帯で電話しているのだ。
それを受ける歴史的な相手は嫁!!

平壌から愛を叫ぶのだ〜!!!!!!!!

電話の呼び出し音が鳴る。
ワシの心臓は興奮でもう飛び出しそうである。

嫁が電話に出た!!
ワシは興奮してまくし立てる。

「奥さん?!電話番号表示されとる?!!
これ平壌のSIM!!凄いやろ!!携帯で電話しとるんやで!!」

嫁:「ふーん・・・」

この歴史的な大きな目撃者であるべきその相手は「ふーん・・・」(号泣)

ワシは涙を拭いて携帯を切った。
兎にも角にもワシは北朝鮮にiPhoneを持ち込んで国際電話をかけた初めての日本人となったのだ!!!(涙)


見ればKoryoLinkからメッセージも届いている。

Thank you for choosing koryolink.You have 4200.00 Won and valid until 2013-03-05To recharge your account or check on your balance please

「おうっ!!」とばかり嫁にSMSを送ってみるが、
残念ながらSMSは送れないようになっているらしい。
同様にネットにも接続出来ないらしい。

しかしこの記事によれば2月末からネットに接続も出来るという話である。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130306-00000021-jij-kr

まあわからんけど・・・
「出来るようになった」と「実際出来る」というのは大きな違いなのだから・・・


さて、このKoryoLinkのSIMなのであるが、
高い金を出した割にはあっと言う間にチャージがゼロになってしまった。

中国と同じで受信しても通話料を払わねばならないのだろうが、
受信もちゃんと出来た。

「パパ〜あれどこに置いとったっけ?」
これでおそらく1000円は吹っ飛んでいるのだろう(笑)

まあいい、たっぷり楽しんだ!!

ファンキー末吉、北朝鮮で最初にiPhoneで国際電話をかけた日本人・・・

iPhoneInPyongYang.jpg

携帯オタク以外には自慢出来んか・・・
ちなみに中国、日本から持ち込んだ全てのSIMはローミングが出来なかったので、
現状あの国で携帯を使うのはこのSIMを購入する以外ない!!!

KoryoLinkSIM.jpg

以上!!携帯マニアにはヨダレもののレポートであるが、
実はもうひとつとても大切な事実がある。

核実験を行って世界的に孤立している北朝鮮であるが、
それと相反するように実は外国人に対してどんどん門を開いているということだ。

アメリカと敵対しているというこちらの報道だけを見たのでは頭を抱えるだろうが、
実際同じ飛行機に乗り合わせたアメリカ人女性は、
アメリカの会社が平壌に開いた事務所に赴任して来る人であった。

テレビ等のニュース等では読み解けないいろんなものが世界にはある。

この目で見て自分で判断しないとなかなかホントのことはわからない
というのがワシの持論である。

天安門事件だって日本で報道されているのとはだいぶ違ってたし、
チベットやモンゴルの人権問題に関してもワシが見て来たものと報道とは大きくかけ離れている。

報道が「視聴率」つまり「ウケ」を追求するようになったからこうなるのだろう。

情報が溢れている昨今であるがゆえに、
我々はもっといろんなことを考えながらその情報を選択しながら受け入れていかねばならないのではないかと強く思う。

Posted by ファンキー末吉 at:22:07 | 固定リンク

2013年2月13日

潜入!!ミャンマーの巨大売春系キャバレー

ミャンマーでの本の即売飲み会の時、
現地の日本人の若者と飲んで盛り上がった。

「ミャンマーの女の子は素朴で可愛いよね」
という話になった時、どういう流れか
「売春系のキャバレーもありますよ、行ってみますか?」
という話になった。

時は夜の8時半、ワシは9時半には店を出発してソウルに出発せねばならない。

「滞在時間15分でも行ってみるか!!」
というわけでその場でいる人全員(男ばかり)が席を立つ。

タクシーに乗り込んだワシらを心配そうに見送るオーナーのKさん。
「9時半までに戻って来れんで飛行機乗り遅れたらあんたたちに飛行機代出さすけんね!!」
と釘を刺した。

まあワシとて別に女遊びがしたいわけではない!!(キッパリ)
この純粋無垢な可愛い女性ばかりのこの国に、
売春婦というジャンルのミャンマー女性が存在するのか?
そしてちょっと前まで軍事体制だったこんな国にそんな売春キャバレーなんかが存在するのか?
それに対する興味が大きかっただけなのである。


タクシーに(文字通り)揺られること15分、
屋台なんかが立ち並ぶ素朴な街角とは打って変わって、
巨大なネオンサインが眩しい街角に着いた。

案内する地元の若者がタクシーを降りると、
彼と顔見知りのようなガードマン(警察の制服だった気も・・・)が声をかけて、
そのネオンサインのビルにワシ達を案内する・・・。

ビル自体は古い住居ビルのような感じで、
噂通りこの店は軍事政権の頃から何年もこうして営業されていたのだろう。

エレベーターも普通の住居ビルのようなエレベーターで、
階上に着いた途端に耳をつんざくようなディスコミュージックが飛び込んで来た。

建前としては「ディスコ」として営業しているということだが、
エレベーターを降りた途端に着飾った女の子達がわっとワシらを取り囲む。

店内は非常に広く、フロアでは何組もの着飾った女の子と客らしき男性とが踊っている。

店の人が女の子にもみくちゃにされているワシらをボックス席に案内するが、
すぐさま20〜30人ぐらいの女の子がそのボックスを取り囲んだ。

「私を指名して!!」ということなのだ。
日本語でアピールする女の子もいる。


中国でも何度かこのテのキャバレーに連れて行かれたことがあるが、
ワシはこの「選ぶ」という作業が非常に苦手だ。
ついつい「選ばれなかった女の子」の気持ちを考えてしまうのである。

ワシは中国で何人ものそんな女の子たちと友達になり、
彼女たちの生活をいろいろ聞いた。

ミャンマーではどうか知らないが、
中国では基本的に「選ばれてなんぼ」、
誰も指名してくれなければ収入はゼロなのだ。

当然ながら客は「ヤリに」来ているわけで、
そんな客はワシのように素朴でぽつんとたたずんでいる田舎もんの女の子などを指名したりはしない。

女の子たちは選ばれ易いように精一杯セクシーな服や派手なドレス着て来るのだが、
実はそのその洋服代や化粧品代も基本的に全て自腹なのである。

多くの女の子が同郷の先輩などを頼ってこの世界に入り、
その先輩に、もしくは店に、ミャンマーだったらひょっとしたらブローカーに借金をしてその服や化粧品を買う。

「売春は元手がいらない商売」などというのはそんな女の子たちの生活を知らない人達が言う言葉である。

この店にはざっと見て100人近くの女の子がいるが、
その中でちゃんと指名をもらってその日の稼ぎを得る子などほんの一握りなのだ。
そして運良く「お持ち帰り」をしてもらって生活費を稼げる子はそのうちの更に何分の一かである。


「お前が選べ!!」ワシは若い衆にそう命じた。
そもそも自分で選ぼうにも店内が暗過ぎて暗闇に弱い老眼のワシには選ぶに選べないのだ(笑)

若い衆はiPhoneをライト代わりにして女の子を照らす。
女の子はしまいにはそのiPhoneを奪い取って代わる代わる自分を照らす。

こうして最初に選ばれた女の子が隣に座った。
名前を聞いたがミャンマー語なのでよくわからない。
年は20歳と言ってたが、見た感じ16〜8歳ぐらいであろうか・・・

彼女は座るや否や「この子を選んであげて」と知り合いらしい女の子をアピールする。
きっと彼女が頼ってこの店に入った「先輩」なのであろう。

「あの女の子も選んだげて!!」
ワシは若い衆にそう指示した。


なんじゃかんじゃで女の子が人数分揃って椅子に腰掛けた頃にはもう9時を回っていた。
もうぼちぼち出発せねばならない。

「ここのシステムどうなってんの?チップは直接払うの?」
若い衆に聞いてみる。

どうやらチップは店の勘定に含まれているらしい。
しかし座って5分で帰ってしまったら、
逆に「お前のサービスが悪いから怒って帰ってしまった」と女の子たちが店から責められるかも知れない。

「店にも十分金落とすからじゃんじゃん酒頼んどいて!!」

女の子たちも飲むか聞いてみるが、どの子も首を横に振る。
思うにこの店は日本のキャバクラのように別に飲み物代で儲けているわけではなさそうだ。

運ばれて来た缶ビールを一口飲んでもう席を立とうとするのだが、
女の子たちのことを考えると、
せめてワシについた女の子ぐらいには直接チップを払ってあげたい・・・

そう思い立ってポケットに手を入れてミャンマー紙幣を取り出すのだが、
店が暗い上に、一番目につく紙幣の数字がミャンマー文字で書かれているのでとっさにいくらなのかよくわからない。
(言ってみれば漢数字で書かれているお札を見る欧米人の感覚)

まあ去年来た時の最高額紙幣は1000チャット、
今回は新しく5000チャット紙幣が登場してたが、
それでさえ日本円にしてみればたかだか500円、ワンコインなのである。

無造作に紙幣を一枚取り出して女の子に握らせた。

ところが偶然ながらその紙幣は最高額紙幣の5000チャットだった。
女の子が目を白黒させている。

「よし、帰るぞ!!店にも迷惑かけないように多めに金置いていけ!!」
若い衆にそう指示する。

若い衆は店には1万5千チャット(日本円で1500円)にイロをつけて支払って、
全ての女の子にチップとして1000チャット紙幣を握らせた。

この時点でワシの隣の女の子はチップを2重取り、
いや、店からも配当がもらえるとしたら3重取りである。

これでいいのだ!!
5分しか滞在しない客なのだ、
「お持ち帰り」をして彼女たちの生活を豊かにしてあげるようなこともない。
人よりも多くお金を落としてあげてしかりである。

ワシは残ったビールを全て一気に飲み干してすっくと立ち上がってエレベーターに向かった。

エレベーターの近くまで来たらワシの隣に座った女の子が追いかけて来た。

「Thank you very much」
彼女はちょっと背伸びをしてワシの頬にキスをした。

一緒に来た他の日本人客はまだ残っているようだが、
ワシと若い衆2人はすぐさまタクシーに乗り込んで帰途に着いた。

お会計はしめて3万チャット(日本円で3000円)。
更に「お持ち帰り」をするならば、
女の子に2万チャット(日本円で2000円)払えばそれでいいらしい。


売春が悪いことだというのは周知の事実だが、
世界中どこに行っても売春がない国はない。

戒律があれだけ厳しいイスラム国であるマレーシアにもいた。

黒髪を他人に見せることすら神への冒涜である国で、
セクシーな服を着て客を挑発するようにダンドゥットを踊る彼女たちは、
自分があの世で神にどのように罰せられても後悔しない「覚悟」があるのだろう。

お金があるのに売春をするのは日本ぐらいであって、
世界じゅうのそのほとんどの女の子たちは何か事情があってこの世界に足を踏み入れている。

ミャンマーの彼女たちの先輩たちも、軍事政権の厳しい国情の中で、
恐らく軍部が経営しているであろうこの店に、
何かしらの事情を抱えて飛び込んで来て、
その中でも彼女たちなりに頑張って明るく生きてゆく。

中国のLINEみたいなアプリでWeCHatというのがあるが、
ワシの携帯にはその中にひとつ、そんな中国の女の子からのメッセージが入っている。

「Funky、その節はいろいろありがとうね。
私、故郷に帰って結婚したの。
こっちに来ることがあったら連絡して!!ダーリンを紹介するわ」

ワシはそっとそのメッセージを開いて読み返して、また閉じた。

ミャンマーのこの店で働く全ての女の子たちも、
一生懸命頑張っていつか本当の幸せを手に入れて欲しい。

暗くて顔はよく見えなかったが、
年端も行かない女の子が精一杯セクシーな洋服を着て、
精一杯の厚化粧をして背伸びしてキスしてくれた、
右側のほっぺがいつまでも暖かかった。

Posted by ファンキー末吉 at:12:50 | 固定リンク

2012年7月28日

悟り切った人

お隣の仮谷さん、
昨日は武蔵小山のジャムセッションにセッションリーダーとして出かけて行ってた。

そしてその帰りに店に寄ってあーちゃんと私とえとーさんを迎えに来てくれた。

「ほな帰ったら一杯飲みますか?」
と言うと、
「困ったなあ・・・一杯だけですよ」
とビール片手にニコニコしながらスタジオにやって来る。

どうも何か人に話したくてうずうずしてることがあるようだ。

「今日のジャムセッションでね、凄い人と会ったんですよ」
聞けば、そのジャムセッションに参加した、ちょっとメタボのベース弾きの話である。

「いやー人生は何て楽しいんだ〜!!」
その人は酔っ払ってベースを弾きながらそればっかり言ってたらしい。

「そんなに楽しいんですか?」
と仮谷くんは聞いてみる。

満面の笑みを浮かべて彼はこう答える。

「いやー人生はホントに楽しいっ!!
金がないのと嫁がキツいのを除いては!!」

これについつい笑ってしまった仮谷くん、更に聞いてみる。

「嫁、やっぱりキツいっすか・・・」
それに答えて彼、やはり満面の笑顔でこう答える。

「いや〜キツいっすよ〜(ニッコリ)」

この笑顔に仮谷くんは参った。
「なんて幸せなんだ〜」
を連発しながら酔っ払ってベースを弾く彼のことがもう忘れられない。

当時の値段で50万はしたであろうYAMAHAの6弦ベース、
まあ中古で購入したにしても大枚はたいて買ったであろうその「宝物」を持って、
彼は「自分で金を払って」音楽をやりに来る。
そしてこう叫ぶのだ。

「いや〜人生はホントに楽しいっ!!」

いや、ホントに楽しいのだろう。
金がないと言ってるのだからこのベースを買うのも大変だったろうし、
嫁がキツいと言うんだからその時にはさぞかし風当たりも強かっただろう。

でも彼は「本当に」楽しいのだ。幸せなのだ。

考えてみれば日本人のほとんどの家庭は金がなく、
ほとんどの嫁は旦那に毎日キーキー言っているのだ。
それは「当たり前のこと」なのだ。

人が「幸せ」かどうかというのは「金」のせいでも「嫁」のせいでも、
はたまた自分をそのように追い込んだ「世の中」のせいでも何でもない。

幸せな人はどんな環境でも幸せだし、
不幸な人はどんな環境でも不幸なのだ。

そして幸せな人は連鎖的に人を幸せにする。

みんなこのベーシストのように、
「目の前の幸せなこと」を探そう。
そしてそれに没頭しよう。

「いやー人生はホントに楽しいっ!!
金がないのと嫁がキツいのを除いては!!」

これはある種の「悟りの境地」と言えるだろう。

「いや〜ねぇ〜・・・嫁に言ったんですよ。
そんなに毎日キーキー言うんだったら離婚すれば〜ってね。
でもね、それが別れないんですよ〜(ニッコリ)」

これにはワシもえとーさんもひっくり返って笑った。

いや、こんなことをブログに書くとまたうちの嫁が、
「パパ、私は違うわよね。パパにキーキー言ったりしないわよね!!」
とまたキーキー言うかも知れない。

だが、逆にワシは全世界の嫁族にも彼のことを伝えたい。

考えてみなさい。
全世界ほぼ全ての旦那族は「稼ぎがない」のだ。
そしてほぼ全ての旦那族は「どうしようもないアホ」なのだ。

金がない、旦那がアホだと愚痴っても仕方がないではないか!!

断言しよう!!
あなた方嫁族がどれだけ旦那のケツを叩いたって稼ぎは上がりません!!
どれだけ旦那にキーキー言ったって旦那のアホは直りません!!

それならばそんなことは考えずに自分の好きなことをやろう!!
バンドが好きな人はうちの店に来て
仮谷主催の「酔いどれジャム」で酒飲んで好きなロックをやればいい!!
他の趣味がある人は旦那なんぞ忘れてそれに没頭すればよい。

悟りを開いている人は偉大である。
その「教え」は人から人へと伝わって確実に人を幸せにする。

世の悩める旦那族よ!!
この言葉をお経だと思って毎日唱えるのぢゃ!!

さすれば幸せは必ず訪れる!!
信じる者は必ず救われるのぢゃ!!

さあ、みんなでこの言葉を唱えよう!!!

「いやー人生はホントに楽しいっ!!
金がないのと嫁がキツいのを除いては!!」

Posted by ファンキー末吉 at:09:55 | 固定リンク

2012年7月23日

1万円落として幸せ気分

高校2年生の長女が夏休みにひとりでアメリカに行くというので、
いろいろ買い物に付き合っていた。

店を移動する時に、駐車場に停めた車も移動せねばならないので、
1万円札を1枚渡して先に店に行っててもらった。

そして娘がベソをかいて戻って来る。
「1万円落としたぁ・・・」
ポケットに入れていたはずの1万円がなくなってしまったというのだ。

1万円と言えば大金である。
警察に届けるか、いや現金なら戻って来ることはあるまい、
とかいろいろ考える・・・

娘もそうだろうがワシの金であるのでワシも段々凹んでくる・・・

いかんいかん!!
ここでマイナスモードになると全てのことが悪い方に動いてゆくことになってしまう!!!

娘が隣のまーくんちの草刈りとかで稼いだバイト代から返すと言うので、
「よっしゃ〜!!ほなその金で贅沢なランチでも食おう!!」
ということにした。

娘にしてみたら虎の子の1万円でたまたま来ている小畑くんにメシを奢る。
ワシにしてみたら娘に渡したはずの1万円で小畑くんにメシを奢る。
どのみち得をするのは小畑くんだけなのだが、
まあ「人に盗まれた」とかイヤな思いで損した気分になるぐらいなら、
貧乏なロックミュージシャンに豪勢な昼飯を食わせてやると思った方が世界平和のためである。

小畑くんに何が食いたいかを聞くと、
「焼肉か寿司かラーメンかトンカツがいいでありMAX!!」
と言うので結局はトンカツにした。

トンカツ屋に向かうべく車に乗ろうとしたら娘が大喜びでこう言った。
「パパぁ〜1万円見つかった〜!!」

ポケットの中でiPhoneのケースの中にすっぽり入ってしまって無くなったと思ってしまってたのだ。

1万円を返してもらってワシは得した気分で小畑くんにメシを奢った。
娘も無くしたと思った1万円が出てきた上にメシを食って得した気分である。

結局小畑くんを含め、みんなが得をした。
幸せな気分で娘はアメリカに旅立った。

うむ、いい旅になるに違いない・・・

Posted by ファンキー末吉 at:17:35 | 固定リンク

2012年7月14日

小畑秀光のプロフィール

アジアを股にかけて活躍していたビジネスマンのMさんが、
「老後は古巣のマレーシアで暮らそうと思うんですよ」
と永住のビザの申請を始めたと聞いて、
「ほなマレーシアでまた何かおもろいことやりまひょか」
と盛り上がった。

手っ取り早いのは、
マレーシアでも有名なBEYONDのドラマーWINGのエージェントをやることである。

あれからしばらくマレーシアにも行ってないので、
バンバン仕事取って来てくれる人がいたらWINGも嬉しいはずである。

「ほな挨拶代わりに何か仕事取って来ておくんなはれ」
と言うとMさん、さっそくひとつ仕事を取って来た。

「安売りするつもりはないんですけどねえ、
このぐらいのギャラしか出ないそうなんです・・・」

さっそくWINGに連絡してみる。
「安いそうじゃがやるか?」
「没問題!!」

中国人はまっこと決まれば仕事が早い。
まあなかなか決まらんだけのことなのじゃが・・・

かくして正式にプレゼンするのに、
バンドのメンバー全員のプロフィールが必要ということになった。

バンドって香港のんは取り寄せて、
あとはワシと・・・小畑くんは行くのか?・・・

一応あの日
「どや?このギタリスト?」
と言ったら
「ええなあ」
と言っていたではないか・・・

「あいつも連れて行きまっか?」
と電話したら、
「是非そうしてくれ」
と言うのでさっそく小畑くんにプロフィールを送って来させる。

日本語で送られてもワシが翻訳せねばならんので、
「大きなミッション!!
マレーシアをブッキングするのに君のプロフィールが必要です。
英語もしくは中国語で作成しなさい!!
・・・無理か・・・(~_~;) 」
とつぶやいておいた。

まあ無理であろうが、
Twitterでつぶやくと英語が出来るファンが助けてくれるかも知れない。

数日たって、英文のDMが送られて来た。

「Hidemitsu JET Obata The best vocalist & guitarist in Japan!
You've never seen a show like this before.
Bringing world peace through ROCK!」

一生懸命考えたのだろう。
しかしこれは「プロフィール」ではない!!

「宣伝文句を書くのでなく音楽経歴を書くのじゃー!!!!
日本語でええから送って来なさいー!!」

まあここまでは予定通り。
本人も「了解致しました\(^o^)/」としばらくしてから送られて来たのがこれ。

「1979年産まれ1998年日本デビュー
2000年最強激メタルバンドFULLAHEAD結成
ヤングギターにインタビューでほぼカットされる
2008年最強激バンドSTEEL ANGEL結成
2012年北京で自分の居場所発見
ファンキー末吉さんの後を追って絶賛世界平和中!」

お前なあ・・・これを訳してマレーシアに送って仕事が取れるか?・・・

「アメリカツアーしたやろ? CD何枚出したとかそういう事実をたくさん書くのぢゃ!!」

と言って送って来たのがこれ。

「アメリカでは私だけ社長に付き合わされ一人で何処かわからない場所でギターを弾く。
CD1万枚擦ったのにJASRAC登録をせず現在9000枚の在庫CDが倉庫に眠る」

お前なあ・・・(涙)

「こういう風に書くのです。
何年デビュー 何年ツアー 何年アメリカ 何年二井原 何年それが発売」

そしたらやっとそれらしいのを送って来たのじゃが・・・

「1998年デビュー
1999年全国ツアー120本制覇!
2005年アメリカギター引き倒し
原住民に君ならハリウッドの山に素手で登れると言われる
2008年二井原実SOLO LIVE参加
2008年二井原実SOLO LIVE参加それがCDとして発売!!!」

もうええです・・・こっちで適当に作っときます・・・(涙)

「つたない文書でしたが1週間分の脳みそをフルに使ったでMAX\(^o^)/」

はいはい・・・(涙)

Posted by ファンキー末吉 at:21:03 | 固定リンク

2012年7月 5日

うちの二人の息子たちとドラム

うちには子供が3人いて、
一番上は女の子で高校二年生。

その下に中学二年生の長男と4歳半の次男がいる。


よく中国で
「子供達にドラムを教えてないんですか?」
と聞かれて、
「ない」
と答えると、
「それはせっかくの才能がもったいない」
と言われてつい首を傾げてしまう。

ワシはもともと「才能」たるもんを信用してないし、
それが「遺伝」するなんてことはさらさら信用しない。

そもそもワシに音楽の才能などありはしないのだ!!

ワシにあったのは
「好きなことは何があってもやらねば気が済まない偏執的な性格」
と、
「それをやるための行動力」
だけの話である。

その証拠にワシの親や先祖、親戚一同探したって、
音楽をやってる人間なんかワシ以外にいやしない。

まあドラムの腕なんかにしても、
こうして40年近く偏執的にドラム叩いてりゃそりゃ人よりちょっとは上手くなるし、
好きで始めたアレンジやプロデュースも、
まあこれだけ偏執的に人よりも多く仕事をこなしてればそこそこは上手くなる。

大事なのはそれをやり続けてこれたこの肉体!!
「何でも食べれてどこでも眠れる」
こればっかりは親が与えてくれた大きな「才能」だとつくずく思う。

感謝・・・


ところでうちの息子たち、
上の息子は小さい頃ばーちゃんに育てられたので、
「音楽なんてとんでもない!!パパみたいになったらどうすんの!!」
と半ば家庭内では「タブー」であった。

必然的に楽器も触るぐらいしか出来ないのであるが、
ある朝突然、
「パパ、ドラムロールってどうやるが?」
と聞いて来たのでびっくり。

「うちの息子もついに音楽に目覚めたか」
と思ったが、その時はあいにく仕事で手が離せない。

息子はそのままスタジオに入って行って、
「ドタバタドタバタ」とスネアを連打する。

こん棒のようにスティックを持って、
シングルストロークでスネアを連打したって
「ドタバタドタバタ」にしか聞こえやしない。

要はバズロールと言って、
スティックをスネアに押し付けて転がして音を出せばいいのだが、
「よっしゃ今度教えてやるわ」
とばかりその場は取り合わなかった。


しばらくこのことは忘れていて中国に行ってたのであるが、
帰って来てからご近所で話題騒然。

「この前の中学校での運動会でさぁ・・・」
お隣の仮谷さんが笑いをこらえながらワシに話す。

「運動会の最後に赤組と白組の成績発表をするのね。
そしたらね、
赤組〜とか言ったらドタバタドタバタってドラムの音が聞こえるのよ。
そいでまた白組〜とか言ったらまたドタバタドタバタ・・・
誰が叩いてるのかなぁと思ったらそれが・・・」

うちの息子やったわけやな。
この話にはその現場を見てた二井原も大爆笑。

「あれはさとくんやったんか・・・
いやぁ・・・あれはいくら何でも下手くそやった・・・」

そりゃそうだ!!
息子はドラムも叩いたことのないずぶの素人なのだ。
それを学校側はきっと
「ファンキー末吉の息子だから」
という理由で息子をこの役に抜擢したのだ。

ワシもその「ドタバタドタバタ」を聞いているので、
その現場を想像するだけで笑いがこみ上げて来て大変である。

息子よ!!
来年までにはじっくりドラムロール教えてやるからな!!
リベンジしろよ〜


というわけで今度は下の息子。
これは母親が大のメタルファンなのでちょっと環境が違うようだ。

X.Y.Z.→Aのビデオを見ながら橘高ちゃんのマネをすると思えば、
先日は嫁に連れられて「酔いどれ楽器Jam」に参加してドラムを叩いて来たらしい。

RyunosukeDrumingAtYoidoreJam.jpeg

親が6Fで命懸けのセッションを繰り広げている時に、
息子は5Fで叩けもしないドラムを叩いて、
親よりも拍手をもらっているという「現実」にワシは一抹の寂しさを感じる・・・

またBGMでX.Y.Z.→Aがかかるとそれに合わせて叩くと言うから驚きである。
(嫁の英才メタル教育・・・)

しかしもっと驚くのはMCである。

RyunosukeTalkingAtYoidoreJam.jpeg

「さて問題です!!好きな動物は何でしょう?」
などわけのわからないMCで爆笑を誘う。

問題なのは客がウケるのに息子が気をよくして大喜びであるということである。

拍手の味は蜜の味・・・
この子がこのまま客にウケる喜びに邁進したとしたら・・・

そしてその親のように自分の人生ででもウケを取ろうとし出したら・・・

往々にして親からはそんなところばっかり「遺伝」するのだ。
この偏執的な性格・・・
遺伝したとしても頼むから平和利用してくれよ〜・・・

Posted by ファンキー末吉 at:16:33 | 固定リンク

2012年6月14日

news every最終話

番組でも言ってたように、とりあえず今回で北朝鮮プロジェクトは一区切りとなります。

現在は今までの北朝鮮プロジェクト全てを本にまとめて出版すべく、
いろんなところでドラムも叩きながらその合間に執筆に勤しんでいます。

足掛け7年に渡るこのプロジェクトを本にまとめるということは想像以上に大変な作業です。
もう「記憶力との戦い」に他ありません(笑)

自分の書いたブログを読み返しながら、
そこに書けなかったいろんなこともどんどん書いていってます。
(但し本国にいる人達に危害が加わらない程度に)


私が今日の放送を見て個人的に一番心に残ったのは部長の最後の言葉でした。

実は部室を後にしたときに
「もう卒業したら会えなくなるけど元気でね」
と言った時に、まさかの部長の涙を見てしまったのです。

あの現代っ子の飄々とした部長が涙を見せるなんて意外でした。

「またいつか会える日がきっと来るから」
そう言って別れた時の部長の最後の言葉が
「お元気で」
だったので、その普通の挨拶が逆に心に沁みたのです。


本を書きながらアネゴやカレンや、
オデコやボンボンや末っ子のことをいっぱい思い出しました。

幸いオデコにだけは会えたけど、
みんな卒業してしまったら私のコネの届かないところに行ってしまうので、
体制が劇的に変化するか、もしくは日朝関係が劇的に変化するか以外、
どれだけ彼女達に会いたいと思ったってもう会うことは出来ないのです。

そしてそんな世の中にしてしまったのは全て私たち「大人」なのです。


最初にこのプロジェクトがテレビで流れた時、
当時高知にいた二人の子供が私に
「パパは何しに北朝鮮行きゆうが?」
と聞きました。

上の子は当時小学生、あの子達よりちょっと下ぐらいの年齢でした。

「日本人が誰も知らないお隣の国で、
お前達と同じぐらいの年の女の子が、
同じように笑ったり泣いたりしながら暮らしている。
パパは大人達がぐちゃぐちゃにしてしまったこの世の中を、
お前達の時代にはもっといい世界にして欲しい、
そんなお手伝いが出来たらいいなと思って行ってるんだよ」
と答えました。

そんな話をインタビューで言ったのですが残念ながらカットされてましたね(笑)。


このプロジェクトはハリウッドの映画「スクール・オブ・ロック」のように、
「あの国をロックに染めるんだ」というバカな発想から始まりました。

でもやり続けてゆくうちにだんだん変わって来ました。
この旅は実は私自身が成長してゆくための旅だったんです。

そしてこの旅で得たいろんなことを、
私は自分の「音楽」で表現してゆきます。

北朝鮮ロックプロジェクトは私が音楽をやめない限り、
私の中では永遠に続いてゆくのです。

to be continue....


いかんいかん・・・本の結びの言葉を先にブログに書いてもた(笑)

Posted by ファンキー末吉 at:03:22 | 固定リンク

2012年6月 6日

ミャンマーROCK!!

やっちんツアーから車で東京に帰る間、
ミャンマーで買ったロックバンドのCDを田川くんと聞いていた。

「いや〜こんなギター弾いてて許されるんですねえ(笑)」
と田川くん。
むっちゃくちゃメタルなギターからそのライブアルバムは始まった。


現地のミャンマー人に嫁いだ美冬嬢のダンナ様、
MYO MYOがワシのために選んでくれたお気に入りのROCKのCDは、
その辺のスーパーのCD売り場で買ったやつなので当然ながらマニアックなやつではない。

日本ではROCKのCDを聞く人は「ROCKファン」であり、
一般人民は「J-POP」というジャンルの音楽だけを聞く。

当然ながら品揃えが薄い店には「ROCK」というジャンルのCDは置いてない。
在庫がハケ易い「J-POP」、しかもチャートの上位のCDしか置いてないということである。

ミャンマーがどれだけ特殊な国だとしてもこの辺の事情に変わりはないだろうから、
必然的にこのメタルな音楽はミャンマーでは、
「限られた人だけが聞く音楽」ではない!!

これがこの国で売れている音楽だとしたら、
この国では一般人民、すなわち知識階級から農民まであらゆる人達がメタルを聞くのだ!!

何と素晴らしい国ではないか!!
ワシは感激しながらCDを聞き進めていった。


売れ線のバラードや、民族的なメロディーの曲もあるものの、
そのライブCDは基本的に「メタル」であった。

ヘビーでちょっとメロディアスなROCKはアジア各国でも人気である。
中国でもそうだったしタイでもマレーシアでもそうであった。

でもミャンマーのこれはあまりにもメタル過ぎてないか?!!
ワシはわくわくしながらCDを聞き進めた。

ワシが初めて中国に行った1990年頃、(天安門事件の翌年)もそうだったが、
上から押さえつけられている民衆は「大きな音で叫ぶ音楽」つまり「ROCK」を愛する傾向があるとワシは感じている。

軍事政権で世界中から経済制裁を受け、
貧困と政治不安にあえぐこの国の人民がROCKを愛したとて何ら不思議はない。

「凄いぞ!!ROCKはこの国ではこれほど民衆に愛されているんだ!!」

前回行った時にその空気から
「この国ではROCKが流行っている」
と感じたのはやはり間違いではなかったのだ!!


田川くんとそんな話をしながら聞いていたら
「あれ?・・・これ・・・バンヘイレンの曲ですよ。しかもミャンマー語で歌ってます(笑)」
と田川くん。

CDのインデックスを見てみるがクレジットはミャンマー文字なので読めないが、
確かにライブ音源なのでこの膨大なオーディエンスは全員その曲をミャンマー語で大合唱している・・・

その他、
「あ、この曲もうちにCDあります。誰の曲だったっけなあ・・・」
と田川くん。


つまりこういうことだ!!
こいつらは欧米のゴリゴリのROCKをコピーして、
それをミャンマー語に訳して歌っている?!!

ひょっとして自分らの曲だと言い張ってCDを出している?・・・

まあさすがにバンヘイレンも自分の曲がこのアジア辺境の地でどのように勝手に使われているかは管理し切れんわのう・・・(笑)

まあ著作権的にはそれは大きな問題なのではあるが、
何よりもワシは「それほどまでしてメタルをしたいのか?」ということに更に感激してしまう。

売れるためにビートルズのメロディアスな音楽をパクっているではない!!
ヤツらがやっているのは「メタル」なのだ!!


その辺がワシを感激させてやまない・・・

売れたいのならビートルズでええやん!!
何で好き好んでこんなメタルなプレイをせなあかんねん!!(笑)

ROCK少年ならまあそれもよくある話だろう。
しかしそんな音楽でスタジアムを満杯にして、
そんな音楽に熱狂するその満杯のオーディエンスが凄いと思う。

ROCKを知らない人民がそれこそが「ポップス」だと思い、
それに熱狂し、支持している。

理由はどうであれミャンマー人民はこれほどまで熱狂的にメタルを求めているのだ!!

勝山さん、こりゃミャンマー店の3Fは是非ともLive Barにせないかんでしょ!!
小畑秀光を1年ぐらい放り込んで更なるメタルムーブメントを作るらせるのぢゃ!!

ワシと田川くんが熱狂したバンド(基本的にはソロシンガーとバックバンドらしいが)の映像をネットで探したらたくさんヒットした。

ちなみにCDに書かれていた彼のキャッチコピーは
「俺はもう13年ROCKをやっている!!」
だった。

ミャンマー熱いぜ!!!

Posted by ファンキー末吉 at:13:53 | 固定リンク

2012年5月28日

またもやパスポートを紛失?!!!

菊田さんのライブは19時からというのに、
その会場であるホテルに着いたのは19時をとっくに過ぎていた。

高級ホテルのロビーのラウンジに小さなドラムセットとギターアンプ、ベースアンプ、そして気持ちばかりのボーカルアンプが置かれている。

「これってラウンジのハコバンやん!!」

目の前にはオーナーらしきアメリカ人が時計を見ながら睨みをきかせている。
「お前の国ではどうだか知らんが少なくとも中国ではお前が考えてるほど物事は思い通りに進まんのじゃい!!」
と逆に睨みをきかせながらドラムをセッティングする。

大体この状況でタダでさえ音の大きなワシにドラムを叩かせるのが間違っている!!
はるばる日本からやって来た納さんに45分ステージを3回もこんなところでやらせるのが間違っている!!

40分遅れて始まった1ステージ目はワシはずーっと腹が立ってしょうがなかった。
アメリカ人オーナーが腰を抜かすぐらいの音量でぶっ叩いてやろうかとも思ったが、
そしたら「仕切り」ではなくワシの「音楽」が悪いと言われるので、
苦手ではあるが最上級の小さな音で叩く。

ドラマーにとって小さな音で叩くことは大きな音で叩くことよりも数倍も難しい。

レコーディングをする時など、
90%の音量でずーっと叩きながらところどころ100%のアクセントを入れる
(もしくは100%で叩いてアクセントでは「根性」をプラスして120%)
などワシにとってはもう普通に出来るテクニックなのであるが、
10%の音量でずーっとバラけずにキープしながら、
アクセントを毎回20%で打つなど至難の技である。

何倍もの集中力と冷や汗をかきながら1ステージ目を終えた途端にJohnに対して怒りがこみ上げて来た。

ワシはまだいい!!友達だからね。
でも菊田さんは初対面でしょ?!!
納さんは初対面でしょ?!!
何でお前がこの人たちをこんな目に合わせるの?!!・・・

電話だとケンカになるのでSMSで
「こんなのはブルースフェスでも何でもない!!
タダの酒場でのハコバンじゃないか!!
そんなのはハコバンミュージシャンにやらせればいいんだ!!
いい加減にしろ!!」

折り返し電話がかかって来たらうっとーしいので電話を切って2ステージ目を叩く。

要は「修行」なのである。
Jazzを始めて数十年、やっと音量をコントロール出来るようになって更なるステップに進んでいる、そう思えばよいのだ。

そういう点での経験値があるので8ビートよりもSwingモノの方が叩きやすい。
ドラムソロさえなければ結構この音量でもコントロール出来そうだ。

「ワシも上手くなったもんじゃのう・・・」
などと自画自賛しながら2ステージ目終了!!
見れば客席の隅っこの方に張張(ジャンジャン)が小さくなって座っている。

「よっ!!来たか!!じゃあお前もピアノ弾くか?」

客席に弾き語り用のピアノもあるので一応そう誘って見るが、
「無理です〜!!こんな厳粛な雰囲気なところで弾けるわけありません!!」
と恐れをなす。

そりゃそうだ!!ワシでさえこれは大きな「戦い」なのだ・・・

携帯の電源を入れると老呉(LaoWu)からメッセージが入っている。
「両個好朋友で10時から羊の丸焼きやるよ〜」

こりゃハコバンの演奏なんて早く切り上げて行かねばならない。
羊肉好きを豪語する納さんに、
日本では絶対に食べられない羊の丸焼きを食べさせてあげるのだ・・・

「元々7時から45分、8時から45分、9時から45分の予定だったから、
休憩短くして詰めれば何とか10時には終わりますよね?」

菊田さんにそう聞いてみれば
「オーナーがアメリカ人なんで契約にウルサイんですよね。
始まったのが契約より40分遅れてるんでちょっとナーバスになってるみたいですが聞いてみます」
と困り顔。

でもさすがにシカゴで20年以上ブルースマンとして活躍している人は違う。
オーナーと流暢に英語で話して、
「10時前に客がいなかったらその時点で終わっていいが、
ひとりでも客がいたら契約通り10時までは演奏してくれ」
ということで話がついた。

まあ元々は9時45分には終わると思ってたんだからまったくもってJohnの話とは違っていたのだ・・・
などと考えてたらちょうどJohnからメッセージが入った。

「ファンキー、お前がなるだけLIVEブッキングしてくれって言うから俺も頑張ったんだぜ。
どんな場所だと駄目だとか言われてないんだから俺だってコントロール出来やしないよ。
俺だって苦労してやっとこのブルースフェスティバルに協力してくれるところを見つけたんだ。
ここのオーナーはとてもブルース好きで、俺たちの活動にも賛同してくれてて、
そんなところで演奏することの何がそんなに気に食わないんだ?
俺はこれっぽっちもそれが悪いことだとは思わないよ」

自分勝手な理論だとは思ったが、
「まあお前の意見は参考にはするけど」
と付け足しているところに友情も感じてちょっと考えてみた。

こいつだって一生懸命このフェスティバルを成功させようと頑張っているのだ。
菊田さんが泊まるホテル代を協賛するのにそのホテルで一回演奏するぐらいの話も必要だろうということも想像出来る。

昨日の「照明もなく真っ暗で演者の姿も見えなければ譜面も見えないので演奏不能」というのと違って今日は少なくとも演奏は出来る。
ワシが怒ってばっくれたりしたら今度はJohnだけではなく菊田さんにも迷惑がかかってしまうだろう。

まあワシがこれまで叩いたことのないぐらいの小さな音量で叩くことが出来ればそれでいいのだ!!
その昔ライブハウスでやる気なさそうに叩いている若いドラマーに説教したことがあったではないか!!

「やるんだったら全力でやれ!!
そんなみっともない姿を見せるぐらいだったらドラマーなんてやめちまえ!!」

Johnには
「お前の頑張りは重々わかっている。
俺は俺で与えられた任務を頑張るから。
でも国外の音楽家の中にはこういう環境を嫌がる人もいる。
もしやるなら莫大なギャラを取るだろう。
そのことも分かってやってくれ。
まあとにかくいろいろお疲れさん!!」
とメッセージを送って3ステージ目を頑張る!!


「スローボールは力のないボールじゃないんだ」
これは若い衆によく説教垂れる時に使う例えだが、
「思いっ切り」小さな音で叩くのは「命懸け」なのだ。
やってやろうじゃないか!!!

と思ったら菊田さんがいきなり客席に飛び出してそれぞれの客のテーブルの前でソロを弾く。
BGMよろしく雑談をしてた客が喜んで拍手をする、写真を撮る。

最後にオーナーのところに行って煽る。
オーナーも喜んで親指を立てる。

この菊田さんのパフォーマンスにワシの目からウロコが落ちた。

この人は違うんだ!!
どんな国のどんな場所で演ったって、
この人はいつも「ブルース」を心から演奏してるのだ。

「Do you enjoy BLUES?」

ブルースを心から愛し、
ブルースで聞く人を同じように幸せにしたいと思っている、
そんな素晴らしい歌が、ギターが、MCがそこにあった。

「ドラムソロ振らないでね、今日は無理だからね」
と言ってたのだが盛り上がって最後には振られてしまった。

ワシのドラム歴の中で一番小さな音量のドラムソロに、
それをかき消すぐらいの大きな拍手が来た。

曲が終わって菊田さんはちらっと時計を見ながらオーナーに言った。
「どうですか?時間ですけど終わっていいですか?」

「いいじゃないですか、もう一曲やろうじゃないですか」
ワシもつい盛り上がってそう言った。

とっても小さな音の、とっても熱いステージが幕を閉じた。

ドラムを片付けているワシにオーナーが寄って来て
「あなたはいつもどの店で叩いてるの?」
と聞いた。

「僕はハコバンのミュージシャンではありません。
レコーディングミュージシャンですから」
と答えながら我ながらちょっと恥ずかしくなった。

ミュージシャンにハコバンもスタジオミュージシャンもない。
あるのは音楽を愛するか愛さないかだけのことなのだ。


「何かいろいろ考えさせられる日だったなあ・・・」
と思ってその場を後にしようと思ったら、
パスポートや現金、クレジットカードや実印まで入れているポシェットがない!!

携帯はドラムのケースの上に置いてあるのだが、
その携帯でいろいろメッセージ送ったり大高さん達のピックアップなどを指示してたのでポシェットをそこに置いて来たのだ!!

さっき座っていたロビーのソファーを血眼になって探す!!
今回はパスポートだけでは済まない!!
全てのものを再交付せねばならないのだ。

おまけに今日は土曜日、
明後日まで大使館は空いてないので6月のやっちんのツアーには絶対に間に合わない!!!!

「俺が演奏している間にこのソファーに誰か座ったか?!!」
ホテルのボーイに血眼でそう聞くが、
「ロビーなので沢山の人が座って行きましたが・・・」

ワシは頭を抱えてソファーに座り込んだ。
前回はまだそれをギャグにして笑い飛ばす元気があったが、
今回はもう完全に打ちのめされた。

そもそもワシがハコバンだの何だの下らないことを考えるからこんなことになったのだ。

神様はいるのだ!!自分の心の中にいるのだ!!
そして自分の甘えた心に容赦なく罰を与えるのだ!!

ホテルじゅうの人が大捜索をしてくれている。
監視カメラの映像をプレイバックして見てくれると言う。

でも無理だ・・・きっと見つからない・・・
これは俺が悪いんだ・・・
音楽の神様に対して邪な考え方を持ってしまった俺が悪いんだから・・・

力なくうなだれているワシにオーナーのアメリカ人が寄って来て言った。
「あなたの探しているモノはこれですか?」

見れば確かにワシのポシェットである。
ロビーではなく張張(ジャンジャン)のテーブルに行った時に忘れて来てウェイターが忘れ物として処理してくれてたのだ。

助かった〜!!!


その日は羊肉の丸焼きを食ってしこたま飲んだ。
納さんは翌日の朝一番で帰った。

次の日はブルースフェスティバルの最終日で
菊田さん、John、そして張張(ジャンジャン)や三科さんも飛び入りしてセッションした。

全部が終わってJohnと笑顔でハイタッチした。

全ては「ミュージシャンシップ」である。
「フレンドシップ」のない「ミュージシャンシップ」なんてあり得ないのだ。

よく若い衆に説教垂れる時に使う自分の言葉を思い出した。

「俺はな、こうしてこの年になって今でもドラム叩いて生活していることを本当に幸せだと思うよ。
お前らぐらいの若い頃の俺の仲間はもうほとんど音楽をやめてしまっている。
でも俺がこの年になってもまだドラムを叩いてられるのは、
金がいくらだっていい、こうしてドラムの仕事をくれる人がいるからだろ。
だからどんな仕事だって手を抜いちゃいけない!!
今日もこうしてドラムを叩いてられることを心から幸せだと思わなきゃならない!!」

何年ドラム叩いてたって自分はまだまだなのである。
偉そうに人に説教垂れてたってまだまだなのである。


その日予定されていた両個好朋友のライブは中止になったので、
大高さんと三科さんにはいっぱい観光してもらった。

「ファンキーさんにいっぱいお金使わせちゃったね」
と大高さんは言うが、
まあ二つ分のセッションをしてるので皆様にご馳走ぐらいはそのギャラで十分まかなえる。

たかだかこのぐらいの金を後生大事に持ってたって墓場まで持っていけるわけじゃない。
「友遠方より来たりて酒を飲む」
中国人なら例え家計が破綻しようが仕事をクビになろうが誰だってそうするだろう。

ワシはそれよりも大高さんや、三科さんや、納さん、
そして菊田さんのような素晴らしいミュージシャンと一緒にやれたことによってまた少しドラムが上手くなった。
それこそがお金で買えないほど大事なことなのだ。

あんな小さな音でもドラム叩けるようになったしね(笑)


ブルースフェスティバルの全ての演目を終えたJohnから電話があった。
「夜中にごめんね。一言お礼を言いたくてね」

ミュージシャンシップ溢れる素晴らしい仲間から、
お金では買えないフレンドシップを沢山もらった。

ありがとうみんな。
また世界のどっかで一緒に楽しいセッションをしよう!!

Posted by ファンキー末吉 at:08:12 | 固定リンク

2012年5月19日

ミャンマー着!!ネット接続や闇両替との戦い!!

噂通りミャンマーのネット環境はよくない。
空港でSIMを売ってたので買おうと思ったが、
どのSIMもネットにはつなげないというのであきらめた。

噂によると最近ネットにつなげるSIMが発売されたと言うが、
その値段は日本円で3万円と高く、
それでもどこも売り切れで入手困難である。

ホテルのネットは部屋にはなく、ロビーにWi-Fiが飛んでいるのだが、
その速度があまりに遅くて使えない。

現地の比較的速い速度であるというネットカフェに行って、
そのWi-Fiのパスワードを500円で買って試してみたら何とかツイキャス配信が出来た。
見てた人の書き込みによるとぶれた静止画が紙芝居のようにペラペラ変わるだけのレベルらしいが・・・

まあ週刊アスキーの担当者が見ていて
「ミャンマーからツイキャスは日本初、ひょっとしたら世界初ですよ!!」
と書き込んでたのでとりあえずよしとしよう・・・

またチャンスがあったら配信します。
こちらにて)


さて街に繰り出す。
経済制裁を受けている国にしては物が豊かである。
北朝鮮もそうだったが、
世界中が一生懸命経済制裁をしようが中国がどんどん物を流すので意味がないのである・・・

しかしいくら警備だとは言え街中に銃を持った警備員がいるのはいかがなもんか・・・

MyanmarKeibiin.jpg

でもスッチーさんは噂通り国民には大人気らしい・・・
(ノートブックの表紙はスッチーさん)

MyanmarSuchi.JPG


さて、まずは闇両替屋を探さねばならない。
ホテルや銀行ではドルやユーロしか扱っておらず、
日本円や人民元の両替は闇両替に頼るしかないのだ。

ホテルの近所のマーケットを歩いていると日本語が堪能な男の子が声をかけて来る。

MyanmarMarket.JPG

彼に連れられて行ったところはマーケットの中の普通の商店。
その店が闇両替をしてくれるのであろう、
彼は流暢な日本語でレートを交渉。

Kさんは「ネットで調べたレートより安い」と言うと、
「ここはヤンゴンね!!これはヤンゴンのレートだから仕方ないね!!」
と反論。

いくつか別の闇両替屋も行ってみたがまあどこも似たようなもんだったのでとりあえず数万円ばかし両替!!
1万円が10万ミャンマーチャットで、最高紙幣は千円程度なので札束がどんと来る。

数えるのが大変である・・・
相手はその間それが偽札かどうか調べるのが大変である・・・

MyanmarSatutabaCheck1.jpg


かくして現地の美冬嬢と合流、新店舗となる物件をチェックに来る。
彼女はKさんと一緒にミャンマーに店を出す長谷川さんの従姉妹で、
ミャンマー人に嫁いで言葉も達者な美女である。

MyanmarTenpoCheck.JPG

物件は3階建てで非常に広く、
3階スペースは住居にしようとか言ってたので、
「いや、ここはライブが出来るようにしてLive Bar X.Y.Z.→Aの支店にするのじゃ!!」
と強く押す!!

八王子でライブをやったミュージシャンはバンコクの店でライブをやって、
そのままミャンマーでライブをやって、
帰りに上海に寄ってライブをやって帰ればよい。

もしよければそのまま数ヶ月居残ってくれてもよいが・・・(笑)


そのまま一行は電気街にある楽器屋に向かった。
音響設備も楽器も品揃えが豊富である。

MyanmaGakkiya.JPG

ライブをやるからこの楽器屋に来たのかと思ったら大間違い!!
実はここは美冬嬢のダンナ様の友達で、
日本から楽器を輸入しているので多額の日本円を闇両替出来るというのだ。

開店資金として持って来た日本円を両替したら何とこのむちゃくちゃな現地紙幣の量!!

MyanmarYamiryougae2.JPG

数えるのも大変である・・・

MyanmarSatutabeCheck2.JPG

運ぶのも担いで運ぶ・・・(笑)

MyanmarKatsuidehakobu.jpg

続く・・・

Posted by ファンキー末吉 at:22:55 | 固定リンク

2012年4月22日

ドラムを叩くということ・・・

響太という高校生ドラマーがいる。

小畑秀光というキチガイが
「こいつは見どころがあるんですよ」
と言って連れて来たので相当のキチガイかと思ったが、
まあワシの印象としたらおとなしくて可愛い普通の「子供」である。

人はワシと北朝鮮の子供達との交流の番組を見て、
「ファンキーさんって子供好きなんですねえ」
とか言ったりするが、
誤解なく言うとどちらかと言うと子供は「嫌い」である。

「自分の子供は例外である」と言うが、
その例外がファンキー村の7人の子供達、
そして北朝鮮の「ロックの生徒達」に広がっているだけで、
どちらかと言うと子供好きかどうかと言われれば嫌いだと思う。

「子供ドラマー」というのがまた嫌いで、
全中国をドラムクリニックで廻っていると、
「これでもか」というほど中国の「ちびっ子天才ドラマー」と出会うが、
その親や先生などから
「ファンキー先生、どうですかねえこの子は?プロになれますかねえ」
と質問される度にうんざりする。

「ちょっと見どころがあるなあ」と思った子供に世話を焼いたところで、
そのほとんどが10年もすればドラムなんて叩いてないのである。

世話を焼くだけ無駄である・・・

と言いながらどちらかと言うと「出会い」は大切にする方なので、
大人ドラマーだ子供ドラマーだは関係なく、
それはそれでひとつぐらいドラマーとしてのキーワードを与えておいたりする。

それが心の底から理解出来たドラマーだけが次のドアを開けることが出来る、
そんな「宿題」を与えてたりするのだ。


そもそもが「音楽」に大人だ子供だは関係ない!!
子供ドラマーのそのほとんどが「子供である」ということで拍手をもらっている。

中国で「スーパーちびっ子ドラマー」の演奏を見た後も、
必ず惜しみない拍手を与えなければならない

「お前のドラムは音楽以前の問題だよ!!」
などと「本当のこと」を言おうものなら、すぐさま
「何て大人げない」
と総攻撃を受けることとなる。

これは一種の「暴力」である。

「拍手は芸人を殺す」という言葉があるが、
そんな拍手が子供ドラマーの「才能」を容赦なく殺してゆく。

あのアホな大人ドラマーを見ればわかるだろう。
有名であるがだけでちやほやされているドラマーにろくにドラムが叩けるヤツがいないのは、
「その人であればそれだけでいい」
というミーハー共の拍手によってその「芸」が殺されてしまったからに他ならない。


「いや、響太は違うんです!!
こいつはもう自分は音楽で生きてゆくしかないと思ってますから!!」
と小畑秀光のキチガイは言う。

「何言うてんねん!!子供ドラマーである限り、
ステージで失敗したってシマッタという顔したらみんなカワイイと思って許されるだろ。
お前や俺がステージでそれやって許されると思うか?
ステージは何だ?!!戦場だろ!!俺らは生きるか死ぬかでステージやっとるんじゃ」

とかつい「本当のこと」を口走ってしまうと、小畑秀光のようなキチガイでさえ、
「そんな大人げない・・・」
という目でワシを見る・・・

「いいよ、わかったよ!!21日のX.Y.Z.→Aのライブに連れて来い!!
ドラムの後ろでずーっとその命懸けの戦いを見させとけ!!
それで何かを感じることが出来たら一生音楽でも何でも好きにやればいい!!」

というわけで昨日のライブは響太がずーっとドラムの後ろで見ていた。

リハの時に
「ここに座って1ステージずーっと俺のドラムを見とけ」
と言ったらドラムの後ろでちょこんと正座して見てたので、
「楽にしてみてたらいんだよ」
と言い直した(笑)。

どうもワシは「顔が恐い」らしくよく人にこのような緊張感を与えるらしい・・・(笑)


本番が始まる前にワシは響太にこう言った。

--------------------------------------

間違ってもオカズなんか聞いてんじゃないぞ。
「これどうやって叩いてるんだろう」なんてこと考えた瞬間に、
もう「音楽」を聞く状態になってない。
オカズなんて何叩いたって「音楽」になるんだ。
注意深く聞くのはむしろ「スネア」だよ。
「パーン」って音が鳴るだろ、
その「パーン」を全部呑み込むつもりで叩くんだよ。
「ン、パーン、ン、パーン」と音が続くだろ、
それを全部呑み込みながら叩いてるんだ。

オカズ叩いてる時にもその「パーン」が聞こえてるようなつもりで叩く。
その「感覚」を覚えておいて、
次に自分がドラムを叩いた時に同じように「パーン」を呑み込むように聞きながら叩く。
「あれ?何か違うなあ・・・何が違うんだろう・・・」
と思ったらそれこそが「音楽への入り口」よ。

スネアの音にはいろんな「表情」があるからそれを聞くんだ!!
特にバラードなんかではその音色がとても「悲しい」ものになったりする。
「どうやったら叩けるんだろう」は次の段階だ。
要はその「表情」が「感じ取れる」かどうかよ。
感じ取れなかった一生それを叩くことは出来んからな。

例えばAメロとBメロ、そしてサビは全部その「表情」が違う。
オカズを叩く。
何を叩いたっていい。ただ「今からサビですよ」という「気持ち」が大切だ。
そしてサビに行く。
「パーン」というサビの「音色」を、
今度はサビの間じゅう「同じ音色」になるように踏ん張って叩く。

それを「聞く」んだ。それを「感じる」んだ。

ドラムなんて所詮は「同じ音量」の「同じ音色」を「同じタイミング」で叩くだけに尽きるんだよ。
それに命を賭けてるだけの話だよ。

--------------------------------------

要は「責任感」の問題である、とよく人に説明する。

オカズを叩く、人間なんだから当然ちょっとヨレる、
次のスネア一発でそれを強引に、
いや強引だとは気付かれないように命懸けでそれを修正する。
「あ、今度はちょっと強過ぎた」それを次の一発で修正する。
一発一発を命懸けで「キープ」するのだ!!

その繰り返しを「リズム」と言う。

だからリズムには「人生のドラマ」がある。
「戦いの連続」なのだ!!

チャラチャラした性格のとある大人ドラマーにこう説教したことがある。

「お前、今その瞬間にヘラヘラ笑って誤摩化しただろう!!
何でそれを次の一発で命懸けで取り戻そうとしない?!!
お前はずーっと人生をそうやって生きて来たんだ。
ヘラヘラ笑ってたら今まで全て許されて来たんだ。
俺は違う!!俺がそれをやってたらもう周りに誰もいなくなる。
だから俺は戦って生きるしかなかったんだ!!
だから今も命懸けで戦う!!それだけだよ!!」


ちんちんに毛も生えてない子供には分かるはずもないので今回は言わなかったが、
中国の若い衆にはこれをよく「初恋」に例えて説明する。

「初恋の感覚を思い出せ!!
強く抱きしめたら壊れてしまう。
弱く抱きしめたら逃げてしまう。
じゃあお前はどうする?
あ、強かった・・・死にもの狂いで次の一発で何とかするだろ?
弱かった・・・命懸けで次の一発を何とかするだろ?
その連続がリズムなんだ!!
要はどれだけ"愛してるか"だよ・・・」

こんな話をしていると昔プロデュースした萌萌(MengMeng)という歌手を思い出す。
「恋の歌が歌えないの・・・だって私・・・恋したことないから・・・」
と言ってた彼女、華々しくデビューして以来そう言えばあまり噂を聞かないなぁ・・・

「ママなんて捨ててもいい。何を失っても、全て捨てても私はこの人と一緒にいたい」
そんな気持ちになったことがない人間に人の心を打つ歌なんか歌えるわけなんかないじゃろ・・・


「人生」とはそんなにうまいことばっかいくもんではない。
その証拠に現実の「恋」はそのほとんどが「大失敗」に終わる。

だからドラムを叩くときぐらいは失敗はしたくない。
ここは自分だけの「ドリームキャッスル」なのだ!
「失敗するぐらいなら死んだ方がまし」なのだ!!
「戦場」なのだ!!戦って生きるのだ!!

それを人は「ロック」と言う。


響太は素直な男の子である。
怖い顔した変なオッサンにわけのわからんことを言われて、
緊張してドラムの後ろに正座して、
ひょっとして言われた通り結局はスネアだけ聞いて何も理解出来なかったかも知れない(笑)

でもいいのだ!!ワシはこう言った。

「今日俺が言ったことが理解出来なくてもずーっとこれを覚えとけ!!
いつかひょっとしたらわかる時が来るかも知れない。
ああ、あの時に聞いたことはこれこれだったんだ、と」


ワシは響太の父親でも何でもないので、
「お前はこう生きろ」などということは出来ない。

自分の人生なのだ。
子供だろうが何だろうが、自分で決めて自分でそれに向かって戦ってゆかねばならない。

社会に出ればいずれわかるだろう。
恋をすればいずれわかるだろう。
まっとうに生きたってどうせ人生なんてシンドイもんなのだということを。
そしてキチガイとして世間と戦って生きたってシンドイもんなのだということを。

神様はこの部分だけは人間を平等に作った。
「人生はどんな人間にも平等にシンドイ」のである!!


初恋をして、熱病のように「この人といれたら何も要らない」と思うような同じ気持ちで、
「何を捨ててもいい、一生貧乏でもいい、僕はロックで生きるんだ!!」
と思った時にまたワシのところに来ればいい。

その時にまたドラムの後ろで正座してこのドラムを聞いてみろ。

初めてこのオッサンがどう生きて、
どう死んでゆくのかを「感じる」ことが出来るだろう。


頑張れ響太、お前の人生はまだまだ長い!!
逃げてはいけない!!戦って生きるのだ!!

Posted by ファンキー末吉 at:09:06 | 固定リンク

2012年3月29日

Big Johnという男

張嶺という男がいる。
英語名をBig Johnというらしいのでここではそう呼んでおこう。

彼は中国ロックの創始者である崔健(Cui Jian)のベーシストだったことで有名で、
その音楽性の高さでも知られる崔健(Cui Jian)が使っていたということはすなわちそのベースの腕も相当のものであるという証拠である。

事実、ワシが北京でスタジオミュージシャンを始めた頃、
ドラムを叩き終わったら必ず彼が来てベースを弾いてたし、
一流歌手のバックをやればベースは必ず彼だった。

そしてワシが彼に非常に興味を持ったのは、
Big EasyというJazzクラブで彼と再会した時のこと。

毎週水曜日の夜、彼はここでベースを弾いていた。
「1曲レコーディングやればその何倍ものギャラがもらえるのに何で酒場でベースなんか弾いてるんだろう」
素直なそんな疑問は彼とそこで何度かセッションしたらすぐに吹っ飛んだ。

彼はJazzをもっとしっかり勉強したかったのだ!!

なるほどそれまでの彼はロックやブルースのプレイヤーでJazzというイメージからは遠かったが、
その店で毎週毎週Jazzをやっているうちにみるみるうちに「Jazzベーシスト」になった。

北京にも小さいながら「Jazz界」というものがある。

同じく崔健(Cui Jian)のバンドメンバーだった劉元(Liu Yuan)金佛などがその中心人物で、
まあ劉元(Liu Yuan)は自分のJazzクラブを持っているのであまりBig Easyには現れなかったが、
久しぶりにBig Easyで金佛とセッションした時には、
「Funky!!あっちの世界に行っちゃったと思ったら戻って来たのかい」
と言われた。

どういう意味かと言うと、
「流行音楽なんてクソみたいな音楽やって金稼いでるって噂聞いたけど、
ドラム聞いて安心したよ。またJazz界に戻って来てくれたんだね」
という意味である。

崔健(Cui Jian)が最初に日本にやって来た時、私はバンドのメンバーをいろんなJazzクラブに連れて行った。

当時まだ新大久保にあったSOMEDAYではJamセッションが行われていて、
Jazzを始めたばかりの私はその時彼らと一緒に恥をかきながら飛び入りして武者修行したもんだ。

それから彼らは北京に帰ってJazzの創始者となった。
Big Johnは別として彼らは流行音楽に背を向けてひたすらJazzだけを追求した。
だからこそこんな発言が出るのである。

そう言えばBig Johnもその頃から仕事で一緒になることは少なくなったが、
その後、彼は北京の老舗のJazzクラブ「CD Cafe」を買い取ってオーナーとなったと聞いた。

「もう流行音楽の仕事なんてやってないよ。
そんなことでお金稼ぐより、
今みたいに毎日自分の音楽をやって暮らした方が数倍幸せさ」
と彼は言う。

ベースの腕はと言うと、
去年三科かをりさんを北京に連れて行った時に一緒にプレイしたが、
持ち込まれた十数曲の譜面をあっさり初見で弾きこなしたし、
「こいつ・・・上手くなりよったなあ・・・」
と感心するほどになっていた。

そりゃそうだ。
数年間RealBookと共にあらゆるJazzのスタンダードを弾きこなしたんだからそりゃ上手くもなっとるだろう・・・

「うちでブルースフェスティバルを開催するんだ。
あの素晴らしい女歌手をまた呼びたいんだけど・・・」
そういう連絡を受けてワシはすぐに三科かをりさんをブッキングし、
今日はその打ち合わせでまたCD Cafeにやって来た。

「今日のライブは若いミュージシャン達のJazzバンドだよ」

BeijingCD_CafeYoungJazzBand.JPG

見れば何人か知り合いがいる。
ベースの奴は確か・・・爽子(Shuangz)のライブで一緒だったなあ・・・
ドラムの奴も見たことあるんだけど・・・どこで会ったっけ・・・

「どうだい?なかなかのもんだろ?」
彼はちょっと自慢げにそう言った。

北京では若者がJazz離れし出してから久しい。
同じ腕があるなら流行音楽のバックでもやってた方が何倍も金を稼げるのだ。
それなのに好き好んで金にもならないJazzなんかやる若者がまだこんなにいたんだ・・・

ピアノを弾いているのは何と12歳の少年だと言う。
ソロを弾けば平気でアウトしてモード奏法に入るし、
バンマスが目配せするとラテンから何からすぐにリズムを変える。
「お前が育てたのか?」
びっくりしてそう聞くとBig Johnは恥ずかしそうに頷いた。

ワシと一緒にSOMEDAYで武者修行した仲間達が、
昔のCD Cafeで若いミュージシャンを育てて、
彼らがもう大御所になってしまったら今度はBig Johnがもっと若いミュージシャンを育てている。

「よっしゃ!!ワシも1曲ぶっ叩いてみるか!!」
少々酒は入っていたがドラムで乱入する。

北京の一番若い世代とのセッションはとても楽しかった。

ワシが育てた韓陽(Han Yang)というベーシストはもう流行音楽の仕事をバリバリこなす売れっ子だが、
仕事に伸び悩んだ時にワシにこう相談して来たことがあった。
「僕はどうしてあの偉大な先輩達を越えられないんでしょう・・・
彼らにあって僕にないものって一体何なんですか?」

その答えが浮かんで来て韓陽(Han Yang)に電話した。
「どうしてかわかったぞ。とどのつまり"生き様"さ」

自分の能力を超えた難曲に毎日挑んで暮らしたあの頃のBig John、
誰でも弾けるような流行音楽を毎日弾いて荒稼ぎしている今の韓陽(Han Yang)。

韓陽(Han Yang)もいつの日か、
「Funkyさん、もうお金なんか要らない、僕はこの音楽をやりたいんです」
と言ってくる日が来るかも知れない。

経済成長が著しく、みんな自分よりどんどん金持ちになってゆくと焦って暮らす北京の若者達・・・
胡同(フートン)と呼ばれる昔ながらの風景をぶち壊して高層ビルが立ち並ぶ今の北京の街並み・・・

人も社会もみんな目まぐるしく変わっていっても、
飛び切りの素敵な仲間が暮らす北京という街は、
ワシにとってはいつまでもいつまでも「素敵な街」なのです。

Posted by ファンキー末吉 at:07:51 | 固定リンク

2011年12月30日

ネットを使ったX.Y.Z.→Aのスーパーライブ

パスポートを盗られてしまって出国出来ないので、
「じゃあ29日のファンクラブライブは中止かな・・・」
と思ったら誰もそんなこと口にしない。

まあ「口にする」と言っても厳密にはメールでやり取りしてるのだから口にしてるわけではないのだが、
「とにかく3人でもやる方向でいこう」
とみんながみんなそんな気持ちである。

そんなやり取りの中、たしかパスポートを盗られて途方にくれている列車の中でのやりとりか?
橘高がちらっと言った一言
(まあ厳密にはメールなので言ってるわけではないのだが)

「末吉さん、そっちでドラム叩いてネットで繋げません?
こっちの音聞かずに勝手に叩いてくれたら僕らそれに合わせて演奏しますんで」

うーむ・・・こっちの音と映像をリアルタイムに送るシステムはいろいろあるが、
どれも中国の遅い回線では「ライブ」という点では信頼性に欠けるものばかりやのう・・・

しかし同じように他の音を聞かずに勝手にドラムを叩くなら、
別にリアルタイムでなくてもレコーディングして送ったって同じではないのか?・・・

そんな考えが頭をよぎった時に既にこの企画が出来上がったと言っても過言ではないだろう。
何せうちにはスタジオがあるのだ。
レコーディングだってネット経由でそんなデータのやり取りをしとるじゃろ。

というわけでパスポートの問題が解決した28日の夜、
飛び込んで来たスタジオ仕事の後にレコーディングを開始することになった。

レコーディングのやり方はいろいろ考えられるが、
CDとかに合わせて叩いたら一番きちんとした演奏が録音出来るとは思うが、
それではおそらく「ライブ感」というものがなくなるだろう。
ここはいっぱつドラムだけで、他の楽器が鳴っているかのようにひとりで最初から最後まで「ライブ」として叩くしかなかろう・・・

通常のライブのように気合を入れる。
フルライブを一人で叩くのである。

曲つなぎなども通常のライブの通りつなぐ。
目をつぶればいつものライブと同じ光景が目に浮かぶように叩くのである。

これが実は想像以上にキツい!!

ライブではメンバーが隣にいてお互いに励まし合って山を登るようなものなのだが、
これをひとりでやるとなると相当の精神力が必要となる。

叩いている時は歌を口ずさんでいる。
ギターソロもメロディーを口ずさんでいる。
そうでなければ今自分がどこを叩いているのかわからなくなってしまう。

「頭」ではなく「身体」で覚えているからこそ出来るのである。
新曲ばっかりだったら恐らくこの企画は自滅してしまっただろう。

1ブロックずつ汗だくになって録音してゆくうちに少しずつ誘惑が頭をもたげて来る。
「ライブじゃないんだから、レコーディングなんだから、
別に途中で止めてパンチインすればいいじゃん」
と・・・

特にX.Y.Z.→Aのライブには速いツーバスの曲が多いので、
シンドくなったらそこで止めて続きをそこから録音出来たらヒジョーに楽である。

しかしすんでのところでその考えを押し戻す。
そんなことをしたらワシはライブでもシンドくなったらそうしようと考えてしまうではないか!!

「ロックとはあきらめないこと」とか何とか偉そうに言いながら、
そんな奴に限ってすぐにあきらめる癖がついてしまうのだ!!

フィルが少々ヨレようがテンポが少々走ろうがモタろうが、
ワシはライブではそう叩いておるのだ。
それが上手いと思われようが下手だと思われようが全ては自分の「責任」である。

・・・と言い聞かせながら1ブロックずつ叩いてゆくのだが、
そこで問題発生!!
Fasterでの客との掛け合いはどうするよ?!
XYZでのベースソロはどうするよ?!

これらはドラマーがその部分の長さを決めているのではなく、
二井原や和佐田がそれを決めているのだ。
ドラムが先に長さを決めてしまってみんな後からそれに合わせて演奏出来るのか?

まあとりあえずはチャイナを叩くなりそれなりの合図をちりばめておいて一応レコーディング終了!!

いやーこの汗の料は確かに「ライブ」である。


さてそれをMP3に落としてメールで各メンバーとスタッフに送りつける。
「それぞれの長さはこんな感じだよ」とか
「曲のつなぎはこんな感じだよ」とかも細々と。

そして当日、新しく買ったiPad2で日本とつないでみる。
回線はカクカクしていて決っしてよくない。
リアルタイムだと絶対無理なレベルである。

今回使ったシステムはFaceTime。
相互方向の音と映像のやりとりではなかなか画期的なシステムである。

回線が途切れたりアプリが落ちたりするのでバックアップシステムとしてiPhone4sも隣に並べておく。
中継が途切れたらどちらでも繋がりやすい方を呼び出してもらえばよい。

日本側の音はヘッドホンで聞かねばならないので、
繋がる先がiPadかiPhoneか変わる度にヘッドホンを抜き差しするのも大変なので、
どちらの音もミキサーに繋いで両方同じヘッドホンで聞けるようにしておく。


メンバーが現れた。
二井原には曲繋ぎのカウントの説明をしておく。
いつもは歌から入る曲でも必ずカウントで入らなければならない。

和佐田がやって来た。
ベースソロの大体の長さときっかけのフィルなどを説明する。

橘高も来たのでみんなで全曲合わせてみる。
非常に高度なテクニックが必要だが出来ないことはなさそうだ。

「そいで末吉さんも一緒に叩いてくれるんでしょ?」
と橘高。

もちろんそうするつもりである。
ワシの叩いたドラムの音に合わせて演奏しているみんなの音に合わせてワシは一緒にドラムを叩くのだ。

もちろんそのこちらのドラムの音は向こうには流さないし、
映像は数秒遅れるから絶対的に叩いてる姿が音とシンクロするわけはないが、
要は気持ち!!一緒に「汗をかく」ことが大事なのである。

日本側のiPadの映像(つまりワシが叩いている映像)はモニターの画面に映し出され、
そのモニターは本来ドラマーがいるべき位置に置かれていたらしい。
(誰かその時の写真あったら送って〜)


こうしてライブが始まった。
ワシの声も向こうに聞こえるし、
向こうの声も途切れ途切れながらこちらに聞こえるのでまるで会場に一緒にいるようでさる。

演奏の方はこちらではよく途切れるのでよくわからんかったが、
評判を聞くにばっちしだったらしい。

特にワシはFasterで合図のチャイナを叩くと同時に二井原が掛け合いの最後の「ホー!!」に入ったのには鳥肌もんやったなあ・・・

何でわかるんやろ・・・

和佐田もワシが考えた通りにベースソロをベースソロを組み立てて、
考えた通りにボケて、
考えた通りに二井原が突っ込んで、
せやのに合図と共にちゃんとリフに入って曲に戻る。

やっぱパーマネントバンドって凄いな。
みんなが阿吽の呼吸なんやな。

ライブ終わって怒涛のファンクラブ飲み会、
ワシは悪ノリして坂出マイラブ熱唱したり、
風呂入ってそれを中継したり、
しまいには布団に入って寝転んだりしっちゃかめっちゃかでした。

改めてこのバンドの凄さとファンクラブ会のアホさ加減を思い知ったな(笑)

二井原が絶賛しているブログ


そんな凄いバンドがファンと共に(笑)ツアーに回ります。
皆さん恐れ入りに来なさい!!(笑)


「X.Y.Z.→A IS BACK → THE ROAD #2 2012」

3月4日(日) 横浜 SUNPHONIX HALL (EVENT)
         「横浜メタル地獄 スペシャル!」
         出演:X.Y.Z.→A / さかもとえいぞう with 少年ハンサム隊

3月11日(日) 梅田 ShangriLa

3月17日(土) 千葉 LIVE SPOT LOOK

3月18日(日) 熊谷 HEAVEN'S ROCK

4月7日(土) 豊橋 ell.KNOT

4月8日(日) 名古屋 ell.FITS ALL

4月10日(火) 広島 NAMIKI JUNCTION

4月12日(木) 京都 都雅都雅

4月13日(金) 岡山 MO:GLA

4月14日(土) 神戸 WYNTERLAND

4月21日(土) 渋谷 club asia

チケット情報など詳細は来年だそうです〜♪

Posted by ファンキー末吉 at:16:05 | 固定リンク

パスポート紛失!!その3日目

こちらからの続き

結婚式で飲み過ぎて二日酔いのまま出入国管理局に向かった。

日本大使館からもらった臨時パスポートと、
それに貼り付けたその前までに集めた書類、
それをこれ見よがしにカウンターのお姉ちゃんに突き付ける。

今までの手続きに不備はない。
当然ながらこれで手続きが終了のはずである。

ところがお姉ちゃん、
「フン」という感じでワシを見て吐き捨てるようにこう言った。

「居住証明書!!」
げげっ!!まだそれが要るんですかいな(>_<)!!

もうホントにヘコみそうである。
昨日届けたのはShaの住所だったのだがそれをメモしていない。
電話をしても電源が入ってないとアナウンスされる。

でも考えてみたら彼だってどうせちゃんと届け出なんか出してないんだから実は何の役にも立たない・・・
かくなる上はこのためだけに本当にホテルにチェックインするか・・・
それにしてもこの子供銀行のようなぺらっぺらの臨時パスポートが本当に身分証明書になるのか?!!

考えろ!考えろ!!・・・

そこで思い出した。
Facebookを見て心配して電話してくれた北京在住の日本人Fさんがいたではないか!!

さっそく朝っぱらから電話で叩き起こして住所と所轄派出所名を聞く。
試しにその書類だけ出して見ても
「証明書!!」
と言ってまた突っ返されるので仕方がない、
Fさんとその派出所で待ち合わせをして一緒に証明書を発行してもらう。

そのままそれをカウンターに叩きつける。
その後、写真を撮って貼り付けたりいろいろカウンターをたらい回しにされたりしていよいよこれでOKかと思いきや、

「それで?あんたいつ帰るの?」

ここでワシはブチ切れる。
「いつ帰るってあーた!!今朝の飛行機で帰る予定でしたがな!!
帰れるんやったら帰っとるわい!!
いつ帰る?こっちが聞きたいわい!!いつ帰れるんじゃい!!」

とりあえず口喧嘩は声の大きなもんの勝ちなので、
これには相手もビビったようである。

「最速で1月1日かな・・・」

1月1日はどうせ休みやからヘタしたら休み明けの4日にもらって5日戻りになってまうやないのー!!!

怒ったらあかん!
怒ったらあかん!!

今度は泣いてみる。
「子供が病気でどうしても明日帰らないかんのですぅー」

まあ色男に甘えられたらお姉ちゃんも悪い気はしないだろうが、
こんなオッサンに甘えられたらそれはキモチワルイだけである。

しかしそれが良かったのかいきなり態度が軟化した。
「ではこちらの書類に何故早く帰国せねばならないかの理由をお書きください」

「孩子生病很着急要回国」

書類をしげしげと見てるお姉ちゃん・・・
ドキドキしながらそれを見つめるワシ・・・

「12月31日の朝にビザが出来ますのでその午後か夜には帰れます」

やったー!!
小躍りするワシにお姉ちゃんがまた水をさす。

「んでどの便で帰るの?チケット番号は?」

あーた!!今やっと帰れる日取りが判明したんやからチケット番号なんかあるはずないやん!!

「ほなチケット取ってからもう一度おいで」
ギャフン(>_<)!!!

もう参りました!!
私が悪いんです!!
日頃の行いが悪いからこんなことになるのです!!
来年から人が変わったほどいい人間になりますから頼むから帰らせて下さい!!!

ワシはすぐさまいつも使ってる航空会社に電話してチケットを押さえ、
その電話をそのまま渡すが
「チケットがないと申請出来ない」
と突っぱねられる。

チケットなんて今日び全部電子チケットでんがな・・・

途方に暮れるがふと思い立つ。
電子チケットということはメールが送られて来る。
そしたらそのメールを印字すればいいのではないか・・・

メールを印字する手法は昨日既に確立してしまっている。
困難は人間を強くするのだ。

神だのみで全部の書類をまた同じカウンターに叩きつける。

ポンポンポン・・・
お姉ちゃんは無表情に書類にハンコを押し、
黄色い書類をぽんと投げて渡した。

「これを31日の朝一番に持って来ればワシはその夜には帰れるんやな!!」
何度も何度も念を押した。

大きなどんでん返しさえなければ
(それがあるのが中国なのだが・・・)
ワシはやっと31日には帰れるはずである。

ただ考えてみるに、
これがワシではなく普通の旅行者、
特に中国語が喋れなかったり現地に友達がいなかったりしたら、
果たしてその人はいつになったら出国出来るのだろうか・・・

海外旅行をする人はくれぐれもパスポートを盗まれないように・・・

続く・・・こちら

Posted by ファンキー末吉 at:14:02 | 固定リンク

Wingの結婚式

ワシが今回中国に来たのは何もドラムクリニックのためばかりではない。
20年来の親友である彼の結婚式に参加するためでもある。

Wingとは本当にいろんなことがあった。

最初に会ったのは彼らBEYONDが日本で活動するようになった時。
所属事務所のスタッフから紹介されて一緒に飯を食いに行った。

共通言語の中国語が喋れるということもあり、
ドラマー同士というのもあり、
それから1年はいつも一緒にバカなことばっかやって騒いでた。

そんな中、BEYONDのボーカルの黄家駒が日本のテレビ局の事故で死んだ。

ワシは香港に帰る彼らと一緒に葬式に参加して失意の中の彼らを少しでも支えてあげようと努力した。

それからしばらく3人で活動していたBEYONDも活動停止し、
個人活動に入った頃の彼が人生で一番大変だった時期かも知れない。

そんな彼に追い打ちをかけたのが彼の婚約者の死である。

2002年10月1日夕方、
香港の彼の自宅の浴槽にて彼の婚約者が死んでいるのを彼自身が発見した。

BEYONDは今年で結成20周年を迎え、
10周年目はボーカルの黄家駒が不慮の死を遂げて
何の大きな10周年記念活動も出来なかったので、
今年こそは活動停止中のみんなが集まって何かやりたいねと言ってた矢先である。

失意のどん底にある彼を慰めるためにワシはまた香港に飛んだ。
(その時の様子はこんな感じ)

自分もどん底の時もあっただろうし人のどん底を見ることもあるが、
あの時の彼ほどどん底はない。
10年に一度、彼は一番大切な人を失っているのだ。

たまたまワシはその直後に彼の日本での小さなライブツアーをブッキングしていた。

こんなことになるなんて夢にも思ってなかったので
「久しぶりだし日本に遊びにおいでよ」
ぐらいの軽い気持ちだったので、
「キャンセルしていいよ。こんな状況だし」
と言ったのだが、彼は小さな声でしかも力強くこう言った。

「行くよ、歌うよ・・・」

バンドが解散してドラマーがドラム台を降りて前に出てきて歌を歌うなんてちょっと考えても無理な話である。
事実彼のそれまでの低迷がそれを証明している。

ところが結果的にその事件後初の彼のステージとなったそのライブは素晴らしいものだった。

黄家駒の遺作となった「海阔天空」歌う前に彼はこうMCした。

「これは黄家駒の残した素晴らしい曲です。
僕は彼ほどはうまく歌えないけど、
黄家駒・・・天国でそれを聴いて笑わないでね」

客も何人もいない各会場で、
彼は黄家駒や婚約者に向けて歌を歌っている。

「いやー・・・Wingって素晴らしいボーカリストやねえ・・・」
ベースを弾いてた和佐田がその歌に恐れ入ってた。

それからBEYONDは再び再結成して3人で過去の歌を歌い回した。
ワシは今でも彼の歌が一番好きである。

彼は再びスターダムに返り咲き、
今では立派な「歌手」として中国全土をツアーで回っている。

人生いい時もあるし悪い時もある。
今回彼に呼ばれたのがまた悲しい出来事ではなく、
こうしてメデタイことなのだから言うことはない。

ワシは大使館から結婚式場に直行した。

着の身着のままである。
そりゃそうだ、荷物を全部盗まれた上に着替えに帰る時間すらないのだ。
風呂にも入ってなければパンツも替えてない。

まあ中国では結婚式も葬式も正装ではなく普段着なので、
少々クサいかも知れないが間に合わないよりマシである。

WingWedding.JPG

結婚式は盛大に行われた。

中国式に新郎からは新婦の両親に、
新婦からは新郎の両親にお茶を注ぐという儀式があり、
その時にふと思い出した。

そうかぁ・・・あのお父さんはもう亡くなってたんだな・・・

いつぞやの彼のツアーで
「今回のギャラはしばらく待ってくれないか」
と言われたことがあった。
「お父さんが死んだので、できる限りの葬式を開いてやりたいんだ」
と言っていたなぁ・・・

人生にはいろんなことがある。
いいことも悪いこともたくさんある。

ワシがパスポート盗まれたことなんか、
人生のひとつの笑い話にしか過ぎないのだ。

Posted by ファンキー末吉 at:12:39 | 固定リンク

パスポート紛失!!その2日目の続き

2日目からの続き・・・

北京市内は渋滞が問題になっていて、
政府は曜日によって市内を運転できる車のナンバーを制限したりいろんな対策をしているものの、
「うちの車この曜日には運転出来んのやったら、
しゃーないな〜もう一台買うちゃろ!!」
という富裕層も多く、依然として何の解決にもなっていない。

列車が着いた北京西駅から出入国管理局までがまた大渋滞のルートなので、
タクシーを拾おうにも皆乗車拒否である。

仕方ないので地下鉄を乗り継いでやっと最寄りの駅まで行って、
道行く人に最寄の派出所を聞くのだがまたこれが遠い!!

北京の冬は湖南省よりもはるかに寒く、
「身を切る思い」というのはこのことである。

やっとの思いで派出所に着いて、
「パスポートを落とした」
と告げると、
「パスポート番号は?」
と相変わらずの共産主義仏頂面でつっけんどんに返される。

だいたいそのパスポートを無くしたんだから番号なんて分かりようがないようなもんだが、
そこはそうそうこれだけこちらでいろんなやり取りをしてるとiPhoneの中にそのデータぐらいは残っている。

パスポート番号を告げると、
「どこに泊まってたの?検索するから!」
と言う。


そう言えば法律が変わって、
外国人は入国して24時間以内に居住先を届けねばならなくなってると言う。

ワシが住んでいるスラム街は外国人が住んではいけないところなので、
ホテルに宿泊記録が残ってないワシは「法律違反」ということになる。

「何言うてまんねんな!
ワシはこっち着いてすぐに湖南省に行きましたさかい
こっちでは一泊もしてまへんがな!!」

などと苦しい言い訳をするのだが、
そんなもの湖南省のホテル情報からパスポートナンバーを検索して、
入国記録と照らし合わせたらすぐにバレるウソなのであるが、
拍子抜けにそのウソがすんなり通る。

データベースが繋がってなくて北京から湖南省のデータは検索出来ない、
もしくはアメリカのように連邦制に近いのかも知れない。

ともあれ、それなら湖南省で既に盗難届を出していることはバレないわけだ。

ひと安心した途端に
「じゃあ今日の宿泊先は?!!」
ちゃんとホテルを取って宿泊先を確保してから来いと言うのだ。

既に午後3時を回っていて、
そんなことしてたらとてもじゃないが役所が閉まる5時までに手続きが終わるはずがない。

ワシはふと隣でぼーっと突っ立ってるShaを見た。
「こいつです!!こいつんとこに泊まってます!!」
Shaはいきなりのことで一瞬驚きはしたが、
すぐに気がついて話を合わせてくれた。

彼の住所を登録して無事手続き完了!!
また同じ道を歩いて出入国管理局に向かう。

窓口の係員はどこでも一緒でここも相変わらず無愛想である。

「じゃあパスポートのコピー出して!!」
なんて言われたってそのパスポートを紛失してるんだから出しようがないじゃろ!!!

という前に考えろ!!
先日の北朝鮮渡航の際にパスポートコピーのやり取りをしてただろ。
メールしてそれを送り返してもらう。

「ほら!!」
iPhoneに表示されたパスポートコピーを鼻高々に見せるが、
「ちゃんと印字して持って来い!!」
と突っ返される。

iPhoneから印字・・・iPhoneから印字・・・

そうだ!!近くのコピー屋とか写真屋とか、
そこには必ずパソコンがあるから、
そこに行ってそのパソコンにメールして印字すればいい!!

寒空の中またコピー屋を探して彷徨う。

しかしこれがワシじゃなくって普通の旅行者だったらどうなるんだろう・・・
ましてや中国語が出来ない人がパスポートを紛失して、
宿泊先はと言われてもパスポートなしではホテルにも泊まれず、
パスポート番号はと言われてもわかるはずもなく、
ましてやそのコピーを提出しろと言われたってそりゃ物理的に不可能じゃろう・・・

何とかコピー屋で印字してもらい書類を提出して大使館に駆け込んだのが5時ぎりぎり。
何とかここまでは間に合ったのだがここでもらった臨時パスポートとやらをまた出入国管理局に持って行ってビザをもらうのはもう今日は間に合わない。

「まあいい、泣いても笑っても明日朝いちでこれを持って出入国管理局に行けばもうそれで手続きは終わりじゃろう」

その考えが甘かったとまた打ちのめされるとは夢にも思わず、
ぺらっぺらの子供銀行のような臨時パスポートを持ってワシは大使館を後にした・・・

続く・・・こちら

Posted by ファンキー末吉 at:10:43 | 固定リンク

パスポート紛失!!その2日目

初日からの続き・・・

パスポート遺失届は出したのであとは大使館に行って臨時のパスポートを発行してもらい、
その後に中国の出入国管理局に行ってビザを発行してもらって帰国ということらしい。

また列車の中でこれらを調べること自体が非常に大変である。
充電器は1個しか持ち歩いていないため、
iPhoneはパソコンから充電しようとか、
ネットにはなるだけiPadで接続してとかいろいろ考えていたのだが、
そのパソコンもiPadも盗まれてしまっている。

facebookやTwitterなど見てる場合じゃないのだが、
何か情報はないかと思って見てみると、
いろんな人がいろんな情報をUPしてくれてわかったことだ。


6時頃目が覚めたらまだ鄭州だった。
となりで寝ているShaの話では10時には着くと言うので、
まあ起きてても仕方ないので二度寝する。

しかしこの時に気がつくべきだった。
「鄭州から北京まで4時間で行けますか?
飛行機だって2時間かかるんですよ!!」


電話が鳴った。
取ってみると大使館からであった。

「パスポートを紛失なさったそうで」

今にして思えば不思議である。
なぜ大使館がこのことを知っているのか?
そして何よりどうしてワシの電話番号を知っているのか?

しかもかけて来たのはワシの日本の番号である。

以前ワシは日本大使館と全面戦争覚悟でこんな書簡を送りつけたことがある。
(実際には書簡を託した人がビビって渡さなかったのだが、
ここまで大きな問題になってしまって大使館の人もワシのブログでこの書簡を見ることとなったと聞く)

敵対してるとばかり思っていた大使館の人のこんなにも優しい対応に心暖かくなりながら、
「10時には北京に着きますから着いたらすぐにそちらに向かいます」
と言って電話を見た。

もう10時過ぎとるではないかい!!!

隣で寝ているShaを叩き起こして聞いてみる。
「この列車は10時に着くんとちゃうんか?!!」

Shaは慌てて車掌さんに聞きに行った。
帰って来た時の彼の表情が忘れられない。
バツの悪そうな顔をしながら、
「着くのは2時だそうだ。悪いな、ファンキー・・・
そうだ、食堂車行こう!!
昼飯でも食って、そいでビールでも飲もうじゃないか・・・」

ワシは中国ではいろんな経験をしているが、
共通して言えるのは「没办法(MeiBanFa)」
つまり「アカンもんはアカン!!しゃーない!!」である。

イライラしてもアセっても、着かないものは着かないのである。

ワシは大使館に電話を入れてその旨を伝えたが、
電話を切ったらまた折り返し電話がかかって来た。
先ほどの担当者である。

「現地で取って来た書類はどんな書類ですか?」
ワシが内容を読み上げると担当者は困ったようにこう言った。

「その書類ではダメです。
出入国管理局が発行するパスポート遺失届が必要なのです」

「ほな北京着いたらまずはその出入国管理局とやらに行くということですね?」
と聞くと担当者は更に困ったようにこう言った。

「必ず盗難届を出した管轄の出入国管理局で届けなければダメなのです。
管轄が違うと受付けてくれません・・・」

パスポートがない身で飛行機には乗れず、
列車に12時間揺られてやっとここまで来てるのに、
同じ思いをしながらまた現地まで帰れ、と・・・

茫然となってるワシに担当者は言った。

「それでは今持ってる届出のことはもう一切忘れて下さい。
北京に着いたらまず派出所に行って、
今"北京で落とした"と言って遺失届を出して、
その足で出入国管理局に行ってパスポート遺失届をもらって来て下さい」

日本人なのだからもっと杓子定規なのかと思ってたら、
さすがは「中国の」日本大使館である。
やり方が「中国的」と言うしかない。

二重に盗難届を出したらオンラインでバレてしまわないか不安ではあったが、
まあ他に選択肢はない。
ワシは着いたらすぐさま派出所に向かった。

しかしそこで待ち受けていたのはそれよりももっとややこしい大問題だったのだ・・・

続く・・・こちら

Posted by ファンキー末吉 at:08:08 | 固定リンク

2011年12月17日

元嫁来たりてNew末吉家〜

元嫁がはるばるアメリカから八王子についた頃、
ワシは高田馬場で西野やすしセッションのドラムを叩いていた。

八王子駅まで元嫁を迎えに行ったのは長女の恵理、
しかし小学校の頃からもう数年会ってないのだから待ち合わせも大変である。

なんとか待ち合わせで二人が出会えたのはワシがちょうどドラムソロをぶっ叩いていた頃だった・・・

ワシがライブを終えて家に帰って来た頃には当然ながらみんな寝静まっている。
とりあえず次の日は結構忙しそうなので翌日の米川セッションの予習は夜のうちにやってしまっておく・・・

朝は恵理が学校に行くので一番早起きである。
当然ながら元嫁も一緒に起きることだろう。

時々寝坊してバスに乗り遅れ、
「パパ〜送って〜」
と来るので、
その時に我が家の寝間着姿(着ぐるみのタヌキ)を目撃されるのもちとバツが悪い・・・
まあ娘よりも早く起きて仕事でもしとこうと思ったが、
米川セッションの新曲が意外に多く、
目覚めた時にはふたりはもう起きていて、
結局数年ぶりに元嫁とのご対面はタヌキだった・・・

Tanuki.JPG

だいたい元嫁と嫁との関係がよいという根本には、
「自分の生んだ子供を一生懸命育ててくれてありがとうございます」
という感謝の気持ちが元嫁にあるところであるが、
元嫁も大事な娘をタヌキに育てられたと知ったらそれはショックであろう・・・

まあ気を取り直し、
娘を学校に送りに行くついでに3人で朝ココス・・・

まあ聞けば八王子駅での二人のご対面はお互いやっぱわからなかったらしい。
何せ元嫁が一緒に暮らしてた頃の恵理はまだこんな感じだったのだ。

FunkyFamilyEri.jpg

うちの一家は嫁を除いてみんな同じ顔をしていると言うがそうだろうか?

ちなみに元嫁が恵理を産んですぐに、
ワシの生まれ故郷の香川県坂出市でライブがあったので連れて行ったことがある。

元嫁の初めての坂出である。

商店街を乳母車に恵理を乗せて散歩していた時、
道ゆく人が恵理を見て、元嫁に
「あんた末吉さんとこの奥さんでしょ?」
と言ったということに元嫁もびっくりした。

「アンタトオナジ顔ダカラネー!!」

ちょうどこの思い出話をしながら恵理がiPhoneからこの写真を見せた。
「これだーれだ?!!」

FunkyFamilyRyunosuke.jpg

元嫁はおそるおそる言う。
「サトシでしょ・・・」

「ブー!!龍之介ですー!!」

元嫁は何度も何度も写真を見て、
「ハハオヤデモワカラナイッテドーユーコト?!!」
と困惑を隠せない。

ちなみに元嫁の生んだうちの長男の写真はこれである。

FankyFamilySatoshi.jpg

「オナジジャナイデスカ!!!!」

うちの家族は嫁を除いて同じ顔をしているらしい。

一度八王子の田舎を家族乗せて車で運転していて、
信号待ちで横に並んだ車の中の子供がこっちを見ていきなり泣き出した。

「何でこっち見て泣かなあかんねん!!」
とワシが言うと、
「それはきっとパパの顔が怖いからだよ」
と子供達。

それを聞いていた嫁、
「何言うてんねん、全員同じ顔してるやん・・・」


というわけでココスを後にしてその奇妙な末吉家に帰って来た。

「元嫁生んだ子供と瓜二つの嫁生んだ子供」と元嫁はこの時初対面。
「マッタクオナジデス!!」
とまた困惑を隠せない・・・

聞けばアメリカで子供達の夢を見る時に出て来る子供達はちょうどこのぐらいの時の子供達なのだ・・・

元嫁がスタジオに置いた自分の荷物を整理してると、
嫁の生んだ、自分と血のつながってない同じ顔をした子供がトランクに潜り込んで来る。

FunkyFamilyRyunosukeTrank.JPG

これもよくサトシが小さい頃やってたことである。

「コンナトコロマデオナジデスー!!!」
さすがに困惑も最高潮・・・


ワシはこのまま嫁と元嫁と嫁の生んだ子を置いて米川セッションに出かけた。
ちょうどドラムソロを叩いている頃には今度は嫁の母が孫に会いに来ている頃だ。

翌日は久しぶりに休みなので、
嫁と元嫁と嫁の母と元嫁の生んだ子供と嫁の生んだ子供とみんな連れて温泉にでも行って来よう。

New末吉家、あと数日はこの家族構成である(笑)

Posted by ファンキー末吉 at:09:37 | 固定リンク

2011年12月12日

不思議なメール

突然知らない人からこんなメールが来た。


東京と大阪を拠点に活動しているインディーズの音楽レーベルです。
ドラムス奏者さんを探しています

楽曲数は1曲
内容:都内、または大阪府寝屋川市内でのレコーディングスタジオでの録音
日程:2012年2月以降
音資料、スコアは用意します。
ドラムスは、スタジオに常設のドラムスを使用します
「業務上の守秘事項を遵守出来る人」
「ドタキャン、ばっくれしない人」
『ポップスの演奏と、スタジオワークに対応出来る人(経験者)の募集になります』
待遇:応相談
交通費:実費

○○○レーベル
○○○○○○


何度も読み返してみたが、やっぱ意味が分からない・・・
この人はワシにスタジオ仕事を紹介しようとしているのか?

それだったら
「ファンキーさん、1曲叩いてくれませんか?
ギャラは少ないんですけどいいですか?」
とメールが来るのが普通だと思うのだが・・・

そもそもワシのことをドタキャンしたりばっくれたりする人だと思っているのだろうか・・・(笑)

『ポップスの演奏と、スタジオワークに対応出来る人(経験者)の募集になります』
とあるが、そもそものところ、
「ファンキー末吉」というドラマーが、
果たしてポップスが演奏出来るのか、
もしくはスタジオワークが出来るのか、
経験者であるのかを疑っておる(笑)


いや、これはひょっとしたら
誰か若いドラマーを紹介してくれと言ってるのか?・・・

でもそれだったらどうしてそう書かん?・・・
「ファンキーさん、
誰か人間性もよくて腕のいいドラマー紹介してくれませんか?」
の一言ですむ。


思うにこれはきっと、
ワシのことを誰か知らずにメールを送っておるのじゃろう・・・

それはそれでいい!!
成田の税関で「ご職業は何ですか?」と聞かれて、
嫁が冗談で「お前、俺を知らんのか!!と言えばぁ」と笑うが、
今日びワシのことを知ってる人の方が稀少なのだから別にそれはいい。

しかしこういう「募集」の仕方ってワシじゃなくても何か「失礼」ではないか?・・・

もう何百曲もスタジオ仕事はしたが、
こんな仕事の依頼をされたことはないぞ・・・うーむ・・・


とりあえず次のような返信をしてベッドに入った。

「いきなりのメールで意味がわかりませんが、
私にドラムを叩けとおっしゃってるんですか?
もしくは人を紹介しろと?」

そのままこてんと寝て早起きしてみたら返事が来ていた。

「そういう捕らえ方をされたのでしたら結構です。他を探しますので

失礼します」


逆切れされてしまってよけいにわけがわからない・・・

「これはブログネタやな・・・」
ということでちょっとネットで○○レーベルというのを調べてみる。

それに該当するインディーズレーベルはヒットしたが、
どうもそこにワシがこのような仕事の発注(もしくは勧誘?オーディション?)をされる覚えはやはりない・・・

いや別に小さいレーベルだからとか無名だからということではない。
基本的にワシはそういうことを全然気にする人間ではない。

ただこの文面の「上から目線」が、一体どこから由来しているのか、
どんな人がこのワシをこの目線で見てるのかを調べてみたかっただけである。

もし今をときめく力のあるレーベルだったとしたら
逆にワシは実名を出して喧嘩をふっかけるだろうが、
そうでもなければ伏せ字でブログネタにすればよい・・・


と思ってこのブログを書いてたら再び返信が来た。

「プロフィール、音を拝見してオファーしたつもりですが、
意図が伝わらず残念です。
公募するとアマチュアに毛が生えたのばかり来て、困っていましたが、、
迷惑なようですので、残念ですが他を探します

失礼しました」


ワシにドラムの依頼やったんや?!!!(驚)


渡部さんとやら(あ、実名出してもた)・・・
見ればあなたは年齢の割にこの業界でキャリアがあるようには思われない。
このような「仕事」をしてたのではそりゃアマチュアに毛が生えたレベルのミュージシャンしか集まらんと思うよ・・・

やれやれ・・・

Posted by ファンキー末吉 at:04:58 | 固定リンク

2011年10月21日

母が振込詐欺?!!

御年80歳を越え、高知に住んでる母ももう少しボケが入っている。
喋りもちょっとモゴモゴになって来ているので、
シンバル強打による職業病的難聴のワシには
もう言ってることが少し聞き取りにくい状況である。

そんな母から昨日突然電話がかかって来て長々と話を聞いた。

母:「あんたなあ、みずほ銀行のエバラ支店っつう人から電話があってなあ」
ワシ:(ああ、武蔵小山のみずほな・・・)
母:「いやな、おかしい思たんや、そんな銀行知らんし!!」
ワシ:(ああ、おふくろ忘れてるんやな、昔口座作ったで・・・)
母:「ほら、今なんたら詐欺って流行っとるやろ、ピンと来たんや」
ワシ:(いや、それホンマに銀行の人やと思うで・・・)
母:「だっておかしいやろ、その口座に459円入っとるとか言うんやで」
ワシ:(そりゃ銀行の人やったらわかるやろ・・・)
母:「最初な、女の人やったんやけど最後には男の人に電話かわるんや」
ワシ:(そりゃ銀行の人も大変やったな・・・)
母:「そいでな、電話切ってすぐ高知のみずほ銀行行って来たんや、そしたらな・・・」
ワシ:(ほう・・・)
母:「ホンマに口座があってな・・・」
ワシ:(そりゃあるやろ・・・)
母:「そんでホンマに459円入ってたんやで、怖いなあ・・・」
ワシ:(そりゃ入ってるやろ・・・)
母:「なんたら詐欺の人ってそんなことまで知っとるんやなあ・・・」
ワシ:(銀行の人やったらそりゃ知っとるって・・・)
母:「もう恐ろしいから全部解約してキレイにして来たから・・・」

ワシ:「よかったな、おふくろ。振込詐欺にひっかからんでよかったな。次からも気をつけるんやで!!」

みずほ銀行の職員さん、どうもお手数かけました!!(ぺこり)

Posted by ファンキー末吉 at:11:14 | 固定リンク

2011年6月 7日

ドラムを教えるということ・・・

こうして全中国をクリニックツアー(もう既に「コンサートツアー」となってしまっているが)で廻って、
全国各地のいろんな老師(先生)達と会う。

「僕は北京でドラムやってたんだけどやめて田舎に帰って、
全然違う仕事についたんだけどやっぱ音楽のそばにいたいと思って、
それで脱サラしてドラム教室始めたんだ」

という老師もいれば、

「ドラムなんか叩いてて金になりますか?
生徒集めて教室やった方が全然儲かるじゃないの!」

という老師もいる。

人それぞれである。
ワシはもちろん前者の老師の方が個人的には好きだが、
まあ人の人生である。ワシがとやかく言うことではない。


日本では有名ドラマーがモニターとなってドラムの売り上げに貢献するが、
中国ではこの老師たちがモニターとなる。

それはパールドラムの中国の代理店である中音公司の、
そのドラム担当である沙が考え出した中国ならではのシステムである。

「有名ドラマーをモニターにしたって、
若い衆は必ずしもパールドラムを買うとは限らない!!
先生をモニターにしたらその生徒は必ずパールを買うではないか!!」
という発想で始めたそうだが、
まあ今のところはそれが中国マーケットでは成功してると言えるだろう。


そして、日本のドラム教室はロックをやりたい若者が習いに来たりするが、
中国ではピアノなどの習い事と同様その生徒のほとんどは子供である。

ロック好きには時々、
「あいつのどこがモニターに値する腕がある?!!
あんなのは子供騙して金にしてるだけじゃないか!!」
などと言うやつもいるが、
ワシは決してそうは思わない。

「いいドラマーが必ずしもいい先生とは限らない」
そしてその逆もまた真なのである。

まあ稀には菅沼孝三のように
世界的なドラマーでもあり教室をいくつも持つ優秀なドラム教師でもある人もいるが、
ワシはと言うとやはり根気がないのか「人に教える」というのはからっきしである。


ある時、院子に若いドラマーがワシを訪ねてやって来た。

「僕は今までドラムを練習して来てわかった。
僕が伸び悩んでいる原因はいい老師と巡り会わなかったからだ!!
高名なファンキーさん、お金はいくらでも払います。
是非僕を弟子にして下さい!!」

ワシは聞いた。
「君はどうなりたいの?」

「決まってるじゃないですか、あなたのようになりたいんです。
国内の大きなコンサートは全部僕が叩き、
レコードは全部僕が叩き・・・」

無理〜!!!!


更にこう聞いた。
「じゃあどんな音楽が好きなの?」

「何でも好きです。ロックもジャズも・・・何叩いたっていいです!!」

ワシはこんこんと言った。
「お前は決して音楽が好きなわけではない。
金儲けが好きなだけだ。
本当に音楽が好きなら俺と一緒にここで住めばいい。
1年も一緒に住めば俺から学べることはいっぱいあるぞ!!」

まあ住んだとしてもだいたい数日で泣いて逃げてゆくだろう。
酒飲んで毎晩さんざん説教されてスティックも握らせてもらえないんだから・・・

日本の職人気質に、
「お前はまだ料理の心を知らん!!
包丁を持つなんて10年早いわ!!!」
みたいなのがあると聞くが、まさに「ドラム道」だとてそれだとワシは思う。

不思議なことにドラマーにはひとりもいないが、
ベースの韓陽、キーボードの張張などはワシから巣立って行って、
今では若手で一番仕事の多いミュージシャンのひとりとなった。

ワシから「音楽とは何か」、「仕事とはどうやってするのか」、
など、まさにワシの生き様からモノを学んだのだ。

全くもってワシはいい「先生」ではない。
ワシが教えられるのは「生き様」であって「ドラム」ではないのだ。


今回非常に熱心な老師がいて、何かと言うとワシに質問する。
「ファンキーさん、
やっぱシングルストロークはテンポ200まで練習しないとダメですよねえ」

菅沼孝三だったらそこで的確なアドバイスが出来るだろうが、
そんな「基礎練習」とやらをやったことのないワシは、
非常にバツが悪いのではあるが「知りません」と答えるしかない。

テンポ200でツーバスを踏むこともあるが、
それは「その楽曲をどうしても演奏しなければならない」ので
単に死にもの狂いで叩いているだけである。

ただ「プロ」として、「大人」としてそのことに「責任感」があるから、
テンポ120の時と同じようにヨレずにモタらずに、
また絶対にくじけて音量が下がったりしないように、
とにかく「負けない」、「誤摩化さない」で人生を賭けて戦っているだけのことである。

これで負けたらワシのドラム人生はその時点で終わりなのである。


そしてその日、教育熱心なその老師はひとりの子供ドラマーにドラムを叩かせて、
それをワシに聞かせてこう言った。

「どうです、この子は? 上手いでしょ? この子の前途をどう思いますか?」

そんなことを聞かれて
「うん上手いですねえ、頑張りなさい」
以外に一体何を答えてやればいいのだろう・・・

前途も何も、これら数多くの子供ドラマーのうち、
大きくなってもまだドラムを叩いてる子はほんの一握りなのだ。
またそうなったとしてもどうせ今と同じように伴奏に合わせてドラムを叩いて、
一番うまくいったところでこの老師たちと同じように、
また同じような子供達を集めてドラム教室をやっているといったところである。


ドラム教師が悪いと言う意味ではない。
今まで行った中で大きな教室では生徒が600人以上いる。
ひとりが2000円ずつ月謝を払ったとしても月収100万円は下らない商売なのだ。

その昔、17歳でバリバリに叩きまくる女の子ドラマーのDVDを見たことがある。
その娘も今では先生となって北京で教室を開いている。

「どうして私にはファンキーさんのような音楽の仕事が来ないのでしょう・・・」
呼び出されて相談を受けた時にワシはこう答えてあげた。

「そりゃそうだよ。生きて来た世界が違う。
あんたはいつもひとりでドラムを叩いて来た。俺はずーっとバンドをやって来た。
それだけの違いだよ・・・」


多くの子供ドラマーは決して「音楽」をやっているわけではない。
ただ「ドラムを叩いている」だけなのだ。

その証拠に、もし最後まで決して「子供だ」ということを隠して、
果たして彼らの「音」が大人のそれと同じように通用するか?
それを聞いた人は同じように拍手をするか?

「それを聞いた人は同じように涙するか?」
と書こうと思って気がついた。

そもそも彼ら自身が本当に涙したことがあるのか?

「世の中はこんなにも矛盾に満ちている」と、
その「怒り」をドラムにぶつけたことがあるのか?
「世の中にはどうしようもないことがあるんだ」と、
その「悲しみ」をドラムで表現したことがあるのか?

彼らにはその表現すべき「人生」がないのだ。

ワシは老師達にはよくこう言って話を誤摩化す。
「まあ彼らが大人になって、初恋でもして失恋でもして、
その時にまだドラムを叩こうと思ってたら、
それが彼らの音楽へのスタート地点じゃないですか」
と・・・


そんな子供ドラマーの中に、
広州に住む日本人の男の子がいた。

前回会ってから時々メールをくれるのだが、
今回はちょっとメールの内容が大人びていた。

「先生のドラムを聞いてドラムの素晴らしさを実感した」

ワシはちょっと興味を持って彼を食事に誘った。
身体も大きくなってもう中学2年生だと言う。

同じような質問をする。
「君はどうなりたいの? 何をしたいの?」

少年から今までどんな中国の若者が答えたのとも違った答えが返って来た。

「どんどん音楽が好きになって来て、だんだんこんな風に思って来たんです。
出来たら将来もずーっとドラムを叩いてるか、
もしくは何か音楽に関する仕事について僕はずーっと音楽のそばにいたいって」

彼ははもう入り口まで来た。そこからが「音楽」のスタートだ。

別に音楽は他の仕事をしながらでも出来る。
高校行ってバンドをやるもよし、どっか大学行ってバンドをやるもよし。

「君のその夢は必ずかなうよ」

日本の高校に行くことになったら、
家もそんなに遠くないというから、うちの店でアルバイトでもすればいい。
うちに出ているいろんな素晴らしいミュージシャン達の生き様を見て、
そこから何かを学んで自分の生き方を考えればいい。

貧乏さえ苦にしなければ、一生音楽と共に生きてゆくなんて簡単なことなのである。

「僕は音楽で僕の気持ちを伝えたいんです」
と彼は言った。

果たして10年後、彼が本当に音楽をやり続けているかどうかはわからない。
その「伝えたい気持ち」を別の仕事で表現してたとしても別に構わない。

彼の音楽は・・・つまり彼の「人生」は今始まったばかりなのである。
今からどんな「人生」を作ってゆくのか、それこそが彼の「音楽」なのである。

また広州か、八王子で会おう!!(笑)

Posted by ファンキー末吉 at:10:42 | 固定リンク

2011年4月 9日

雲南の少数民族歌手

張張がプロデュースした雲南省の少数民族高洪章のアルバムを、
ぜひ日本のファンキースタジオで仮谷さんにミックスしてもらいたい
と言われてその音楽を初めて聞いた。

サックスのような強烈なブロウのインプロビゼイションを聞いた時、
「これ何の楽器?」
と聞いたら、
「何言ってんですか、歌ですよ」
と言われて度肝を抜かれた。

いわゆる「金切り声」を自由自在
に操って歌ってるんだからこれぞ「メタル」!!

また張張のアレンジも素晴らしく、
民族音楽とロック、FUNKなどが見事に融合しとる!!

全音源をUPしました)


そんな高洪章のアルバム発売記念コンサートは雲南省の昆明で行われるというので、
「ファンキーさんスケジュール大丈夫ですか?」
と言われて無理矢理スケジュールを開けて駆けつけた。

何せ常春の雲南省にリハを含めて5日間滞在すると言うのだ!!
行かねばなるまい!!


リハーサルは3日間、
北京から5人メンバーのバンド編成でやって来てたのだが、
日に日にメンバーが増えてゆく。

琵琶、中国琴、二胡、中国笛から始まって、
雲南省の見たこともない民族楽器から、
民族歌唱のコーラス隊まで加わって最後には大所帯のバンドになってしまった。

その音楽監督が張張なのである!!
偉くなったのう・・・

さていよいよ本番当日、
会場に着いて真っ先に目に飛び込んだのは数メートルもある巨大なポスターである。

KunMingPoster.JPG

ご丁寧にワシの写真まで入っているというのに、
音楽監督の張張の写真がない。
その代わりギタリストの写真は2枚あるのできっと間違えたのであろう(爆笑)。

コンサートはまずイントロダクションでこの楽器が登場!!

KunMingMinZuYueQi.jpg

何という楽器なのかは聞き忘れたが、
いわゆる「ラッパ」である。
「ぶぉ〜〜」という音がする。

それを循環呼吸を使って
音が途切れずにずーっと吹き続けるのだ!!

ワシが循環呼吸というのを初めて聞いたのは、
クルセイダースのライブアルバム「スクラッチ」であった。
トロンボーン奏者(だったと思う)が、ソロでひとつの音を延々吹き続けて大拍手をもらう。

この循環呼吸奏法というのは、
まあ鼻から吸いながら口から息を吐き続けるようなもんで、
当然ながらむっちゃ難しいテクニックである。

Jazzのセッションなどで同様のソロが振られた時、
友人の一流管楽器奏者などがよく本番では挫折して別のソロをやっていた。

必ず成功するかどうかわからないというそれほど難しいテクニックを、
彼は、というよりこの楽器奏者は必ず出来なければならない。
この楽器を始めた時からずーっとそれを訓練して、
必ず何時間でも吹き続けられるようにならないとこの楽器奏者と言えない。

ティンパニー奏者のロールの話を書いたことがあったが、
それと同じでこの「音」こそが彼の「人生」なのである。

人の「人生」を目の当たりに感じた時に人は涙が出て来る・・・


それだけではない!!
その後に出て来たこの民族パーカッション!!

KunMIngShenGu.jpg

名を「神鼓(Shen Gu)」と言う。

タイコに鈴が付いていて、
右手でそれを揺らして鈴を鳴らし、
左手でバチでタイコを叩く。

普段はこのように地べたに座って演奏するのだが、
最後のサビの繰り返しになると突然立ち上がって、
狂ったように踊りながら演奏するのだ!!

リハの時にそれを見た瞬間にワシは号泣!!

本番の時はワシの位置からは見えなかったが、
よく見える位置の張張が号泣!!

「ファンキーさん、あれはねぇ、神様と交信してるんだよ。
誰にもじゃま出来ない神との会話なんだよ!!」

それもそのはず、彼の職業はもう音楽というレベルを越えている!!

病気の人がいればそこに行って「神鼓(Shen Gu)」を叩き、
運気が悪い人がいればそこに行って「神鼓(Shen Gu)」を叩く。

神鼓奏者というのはもう音楽を越えて呪術師のレベルにいっているのだ。


宗教は人を救うために生まれ、
そして時には戦争を起こし、人を殺す。

ヘタな宗教をやるぐらいだったら、
楽器をつきつめて神と交信した方がよっぽど平和である!!


ゲストで出てくれた少数民族のふたり、

KunMingGuestDuo.JPG

この歌も鳥肌もんであった。
人間の声が、訓練によってここまでになるのかという鳥肌である。

もちろん訓練だけではなく天性のものも必要なのであろうが、
この少数民族にだけその天性のものがあるというわけはない。
やっぱ「訓練」というよりは「生き様」なのである。


ワシは結局この人達から感激ばかりさせられながら、
それでも頑張ってドラムを叩いた。

わざわざ民族衣装を買いに行って衣装にしたぐらいである!!

KunMingMinzokuIshou.jpg

昔はマッド大内のように上半身裸で叩いていたが、
太って腹が出て来てからそれも気後れしてやめてたが、
この少数民族の兄ちゃん達を見るにそれもバカらしくなった。

腹が出てようが何だろうがカッコイイのである!!

むしろその腹がカッコイイ!!
わざと裸でベストを着て、
ズボンは下っ腹の下で縛り、
腹もひとつのオプションとしてカッコイイ!!

KunMingMyIdle.jpg

ギネスの公式記録を軽々と上回る循環呼吸奏法を軽々と成し遂げつつ、
ステージで狂ったように踊りながらコーラスをする。

「これが男だ!!」

その証拠に、彼らの民族衣装を身にまとって狂ったようにドラムを叩くワシに、
コーラスの美女達はメロメロで
「一緒に写真撮って下さ〜い」
なんて寄って来るのじゃよ!!

KunMingBijo.JPG

は、は、は!!・・・というわけでコンサートは大盛況のうちに幕を下ろした。
打ち上げである。


KunMingUchiage.jpg

噂には聞いてたが少数民族は飲む飲む!!
今までは本番前だということでセーブしてたのだろう、
ここに来てまた狂ったように飲む!!

ワシもひとりひとりと乾杯をしながら飲む飲む・・・

この中で一番偉いであろう人がワシの肩を抱いてこう言った。
「私たち一族はあなた達に感謝の意を表します」

私たち一族?・・・

そう、マネージャーも歌手の奥さんなら、
コンサートホールの支配人も親戚、
当然ながらワシにメロメロのはずの美女達は・・・

「そう、あれはあの歌手の嫁さんと、
もうひとりはあちらの楽器奏者の兄さんの嫁」

そうですかそうですか・・・俺がそんなにモテるわきゃないよっとくらぁ(涙)

しかし自分の一族だけでこの大きなコンサートを実現出来るというのも凄いし、
その一族の中にこれだけ優秀な楽器奏者や歌手が揃うというのがもの凄い!!


宴もたけなわの中、
さすがにもう飲めんので先においとましようと思ったら、
最後に高洪章とゲストの歌手が一緒に「酒歌」を歌ってくれた。

KunMingJiuGe.jpg

あまりに楽しくて涙が出て来た。

彼らは嬉しい時には酒を飲んでこの歌を歌い、
悲しい時には酒を飲んでこの歌を歌う。

民族の歴史は必ずしも平穏ではなかったと想像するが、
それでも彼らはこの歌を何十年、何百年、
いや、ひょっとしたら民族が生まれてからずーっと歌い続けて来た。

今年ヒットして来年には忘れ去られる音楽しかやってないヤツに、
彼らのこの歌声はどう響くのであろうか・・・

「そこに酒があれば〜行って飲み〜
そこにベッドがあれば〜そこで寝る〜」

コンサートでも歌った曲であるが、
狂ったように踊りながら大声を張り上げてこの歌を歌う彼らを見ながらこう思った。

日本のみんな、酒を飲んで歌を歌おう!!
狂ったように踊りながら歌を歌おう!!
民族の歴史は決して平穏ではないが、
それでもみんな楽しく生きてゆこう!!

Posted by ファンキー末吉 at:02:52 | 固定リンク

2011年3月12日

世界に尊敬される日本人

震災が起きて日本のツイッターにも目が離せないが、
中国ツイッターにも目が離せなくなった。

日本のツイッターは店のアドレスなのだから
フォローしてくれた人にはなるだけ全部フォローしようと頑張っているが、
中国ツイッターは基本的に知り合いしかフォローしてない。

それでもその42人しかいないフォロワーの会話の中で
「歓迎日本に最大の震災!!」
とかふざけた書き込みをRTで見ることが出来てびっくりした。

国家安全のために国民の全書き込みを検閲するひどい国家も
さすがにこれは即座にサーバーから削除した。
そしてみんなから散々非難を浴びる。
「お前はそれでも人間か!!」
とか
「お前みたいなのは民族の恥だ!!」
とか。

中国は今国家戦略もあり民族意識が高揚しているが、
ワシには昔からこの「民族」という意識がよくわからない。
「日本人として」というのもよくわからない。

しかし今回彼らのツイートの中にこの写真を見つけた時に思った。

5e1b2f9djw6df4re2ity0j.jpg

「四川省大地震の時のこの人達を覚えているか。
我々中国人のために最大の哀悼をしてくれたこの人達が、
今はまた一番忙しく働いていることだろう。
ご武運を祈ろうではないか!!」

いろいろ心配してくれたり書き込んでくれた中国の朋友達に感謝すると共に、
ここに今一度胸を張ってこう叫びたいと思う。

日本人は素晴らしい!!

ワシは言う「日本人」というのは民族でも何でもない。
この島に生まれた同様の「気質」を持っている、
言わば「日本人気質」とでも言うべきか。

この人達はあの反日感情の中、
ただ自分の任務を一生懸命に全うしただけかも知れない。

ワシは一度News Weekの
「世界が尊敬する100人の日本人」
とやらに選ばれたことがあったが、
ワシも含め、ワシの知り合い数人も含め、こんなろくでもないヤツにこんな称号はいらん。

本当に世界に尊敬される日本人というのはこのような人達のことなのだ。

被災地の映像を見た中国人はこぞって
「見ろよ、彼らはこんなに秩序だって動いている、
俺たちがこうなるにはあと50年はかかるぞ!!」
と。

その通り!!
言っちゃぁ悪いがバスに乗るのにも並ばない君たちには
まだこのレベルには来るのは到底無理な話である。

中国が日本を抜いて世界第二の経済大国になったことを受け、
「日本はもうダメだ」
と嘆く人は少なくない。

しかし考えても見て欲しい。
GDP(国内総生産)というのは「総生産」なのだから当然ながら人口の多い国の方が有利である。
中国は日本の10倍あっておかしくないどころか、
日本はその10分の1の人口で世界第3位なのだ。

唯一の被爆国であり、何度も震災にあい、
そして毎年台風もやって来るこの島国の国民は、
その度に持ち前の勤勉さと真面目さでそれを乗り越えて来た。

外国のメディアはこぞって、
「この規模の災害でこの程度の被害で収まってるいるのは奇跡だ」
とかき立てる。

同じ気質を持つこの島国の国民達よ!!
想像しろ!!すれば実現する!!

今回も必ず乗り越えることが出来るのだ!!

みんな自分がやるべきことを一生懸命やるだけでいい!!
歌舞音曲を禁止するなんてもっての他である。
歌うやつは歌えばいい、踊るやつは踊ればいい。
電気が不足してたら生音でやればいい。

いわき市が復興したらみんなで常磐ハワイアンセンターに行って、
飲んで食って大騒ぎしてお金を落とそう!!
食いたい物を食って、飲みたい酒を飲んで、
それぞれの職務を一生懸命全うしよう!!

働くのだ!!そして遊ぶのだ!!

そしたらこの国はきっとまた不死鳥のように復興するだろう!!
我々は世界に誇るべき「気質」を持っているのだから!!

Posted by ファンキー末吉 at:13:00 | 固定リンク

2011年1月 9日

極寒の北京に着いたら悲しいお知らせ3連発!!

常夏のペナンから極寒のペキンである。
気温差40度・・・

マイナス15度の北京空港に降り立った時、
迎えに来てたLaoWuから「悲しい知らせ」を2つ聞いた。

ひとつは友人が結婚祝いにプレゼントしてくれたオンボロジープ。
車検に出したのだが、もう製造20年経ってしまったので車検が通らないというのだ。

ボロくってすみません号・・・
君は中国ロックのために本当によく働いてくれた。
修理代が購入代よりも高くかかってしまったが、
君と暮らした5年間のことは忘れない・・・

Borokuttesumimasenngou.JPG

そしてもうひとつは「院子が数日停電している」ということ。
これは命にかかわる!!

もともとマイナス15度のところにあるただの「コンクリートの箱」なのだ。
コタツもエアコンも使えないとなると寝たらそのまま凍死してもう起きて来ないことにはなるまいか・・・

服を着込んで、ドテラまで着込んで布団に入った。
朝早くLaoWuに起こされる。
旧正月で田舎に帰る彼を送りに行くのだ。

空港に着いて暖をとってる時に発覚した。
キャッシュカードがない!!!

夕べ村の近くの銀行でお金を下ろした後、
どうもそのままATMから取り忘れてしまったようだ・・・

中国では1回の作業で2000元しか取り出せず、
更に続けるには「継続」を押し、
それで終わりなら「カードを取り出す」を押す。

「カードを取り出す」を押したらそのカードを忘れるわけはないので、
きっとそのままにして現金だけ取って帰っていったのだ・・・

当然ながら次にこのATMを触る人はもう暗証番号は入っているのだから、
1日の限度額2万元までそのままお金を引き出すことが出来る。

しかし私のカードは
現金を引き出したら自動的に携帯にショートメールで知らせてくれるので、
現状ではまだ誰かが引き出したということはないようだ。

「すぐ行ってカード取って来る」
と言うワシをLaoWuが止めた。

「まだ銀行開いてないから無駄だよ」

どうも中国のATMはそのまま30秒操作されなかったら、
カードを回収したまま機械を停止してしまうらしい。
銀行が開いたら職員はそのカードを回収し、
引き続きATMが使えるようにするのだと言う・・・

銀行が開いて幸いカードが回収されていたとしても、
中国の銀行は通帳がなくカードと暗証番号だけなので本人確認が大変である。

前回は(こちらに顛末が)
パスポートが更新によりパスポート番号が登録してたのと変わってたので大変だったが、
今回はその時から既にまた更新されているのでまた大変である。

こんなことなら10年のパスポートにすればよかったと思うが、
5年のパスポートでも出入国のハンコでいっぱいになるので無理である。

うまくいけばおなぐさみ・・・
いかなければ・・・

ワシの今まで中国で稼いだ金を全て失うことになる・・・

Posted by ファンキー末吉 at:08:26 | 固定リンク

2010年12月28日

何よりも大切なのはパソコン?データ?

前回のシステム総取っ替えで買った新しいパソコンが朝起きたらお亡くなりになっていた・・・

「まだ買って一ヶ月やん!!」
と怒るよりも先に困り果ててしまった。

ワシは知っている〜Macの修理は非常に時間がかかるのよ〜

今日は明日幕張で行われるカウントダウンジャパンの筋肉少女帯のリハ。
そのままリハ終わりに会場の近くに用意してくれたホテルに泊まり、
翌日はX.Y.Z.→Aのライブ終了後にそのままマレーシアに行ってしまう。
そのまま年を越してしばらく滞在するのだが、
その間パソコンがなければ仕事どころか何も出来ないのだ・・・

メールやTwitterなどはiPhoneやiPadでも出来るが、
何よりも前回のシステム総取っ替えでインストールしたLogicを使ってアレンジの仕事や、
Finaleを使って譜面作業が出来なくなってしまう・・・

旅ばかりやっているワシはパソコンさえあれば全てが出来るようになっているが、
逆にパソコンがなければ何も出来ないのだ・・・

新しいのを買うか・・・
一応嫁に相談してみる。

「ええよ、買うたら」
となかなか反応はいい。

ちなみに末吉家は家計は嫁ではなくワシが握っている。

結婚当初、北京で住んでた頃は嫁が握っていたが、
ミュージシャンという浮き草稼業、
仕事がある時は1ヶ月寝ずに仕事をしてるが、
ないときは1ヶ月何もないというのざらである。

ある時「パパ〜今月家賃も払えんよ・・・」と泣きが入る。
「んなもん何とかなるがな」
実際何とかなって来たから今こうして生きてられるのだが、
嫁は精神的にこれが性に合わない。
「毎月こんな思いをするのは心臓に悪い」とばかり財布を返上、
今に至る・・・

またワシが四国生まれのくせに落語に出てくる江戸っ子ばりに宵越しの金を持たないのよ・・・

よし!!ビックカメラに買いに行こう!!

一応お亡くなりになったパソコンも持ってゆく。
修理より何より、「初期不良」で新品に交換してくれるならそれにこしたことはない。

パソコンにはかなり強い方だが、
インストールディスクで初期化も出来ないというのは異常である。
昔ビックカメラで初期不良のパソコンをすぐに交換してくれたことがあったので、
持ち前の「言ってみるもんや」の精神である。

慌てて家を飛び出す。
なぜならリハに行くべく橘高王子がもうすぐ車で迎えに来てくれることになっているのだ・・・

着くや否や「時間がない!!」とまくしたてる。

「ワシはパソコンには強い!!
週刊アスキーで連載してるほどである。
そのワシが言ってるのだ!!これは初期不良である!!」

店員がびびって上の者を連れてくる。
ワシは更に捲し立てる。

「初期不良ですぐ交換してくれるならそれでよし。
さもなくば新しいのを買って帰るのですぐに返事をしろ!!
ワシは時間がないのじゃ!!王子がもうすぐ迎えにくるのじゃ!!」

上の者はびびりながら
「初期不良かどうかはお預かりして調べなければならないので」
と丁重に説明してくれるが、
「あ、そう。じゃあ買うわ。これの上位機種のこれね。
カードで払うとポイントが減る?ほな金引き出しに行ってくるから!!」

立ち去ろうとするワシを呼び止める。
「お客様、在庫があるかどうか確認して来ますのでしばしお待ちを」

「待たん!!時間がないんじゃ!!お前が調べとけ!!
その機種がなかったらその下位機種な、ほな!!」

嵐のように去ってゆき、また嵐のように戻って来た時には
商品は既に用意されていて店員はお亡くなりになったMacを調べている。

「ほなこれ買うし、それは修理しといてや!!」
嵐のようにレジに行く。

店員が金魚のウンコのように着いて来て、
隣で一生懸命梱包してるが、
「梱包なんかいらん!!それより修理の預かり証持って来い!!
金払ったらすぐ帰るぞ!!王子が迎えに来るのじゃ!!」
と一括する。

「あのう・・・Macはうちでは修理はお受けしてないんです。
銀座のMacセンターに持ち込んで頂かないと・・・」

言い終わるか終わらないかぐらいですかさず一喝する。
「お前んとこで買うたんやお前んとこが何とかせい!!
不良品売りつけてそれをたらい回しにするつもりか?!!」

店員がまた上の者を呼ぼうとするので、
「とりあえず電話番号置いとくからどうなるか決まったら連絡せい!!」
電話番号を置いて、
買ったばかりのパソコンを持って嵐のように去って行った。

パソコンのデータはAppleのタイムカプセルにバックアップしている。
無線LANルーターにもなって、
接続している間に自動的にバックアップしてくれるスグレモノである。

これを引っこ抜いて筋肉少女帯のリハに持ってゆき、
ドラム叩いてる横でゆっくり復元していればそれでよい。

ところがここに来て大問題が発生!!
なんとパソコンがタイムカプセルを認識しないのだ!!

データが復元出来なければパソコンなんてワシにとってただの「箱」ではないか!!

いろいろ試行錯誤してみるがやはり駄目。
困り果てている頃に電話がなった。
先ほどのビックカメラである。

「先ほどはどうもすみませんでした」

君に謝られるような覚えはないが・・・
と突っ込む前に店員はこう言った。

「先ほどのMacですが、直りました!!」

げっ!それでは24万かけて買ったこの「箱」は・・・
と一瞬思ったが、よく考えたら前のんは13インチで老眼のワシには少々使い辛かった。
15インチに買い替えたということで、
後は13インチからデータを移行すればそれでいいではないか・・・

「ワシ八王子に戻るわ!!電車で幕張入るし・・・」

リハ会場の高井戸から東京の西にある八王子まで京王線で行き、
パソコン取ってJRで東に向かう。
新宿も東京も通り過ぎてもっと東の千葉県まで・・・

立派に東京を横断しとるやないの・・・

まあいい!!
ただの箱と認識しないタイムカプセルを持ってホテルに入った日にゃぁ、
ワシはきっと徹夜でそれを認識させようとしてしまうのだ!!
ホテルに着いたらゆっくりデータ移行しよう・・・

ビックカメラに着いた。
心なしか店員がワシにびびっている。

ワシは意識して笑顔を作りながら店員に聞いた。
「どうやったら直りました?」
店員は自信ありげにこう言った。

「インストールディスクから無事に初期化出来ました!」

ガーン!!!するとデータはもう残っておらんではないか・・・
いやいかん、顔に出てしまった。店員がまたびびっている。
君のせいではないのじゃよ。タイムマシンが悪いのよ!!

ワシはおとなしくお礼を言ってビックカメラを後にした。
今からひとり電車で東京を横断するのだ・・・

背中には今朝買ったばかりの「箱」を背負い、
手には新たにゲットした「箱」を持って・・・

Posted by ファンキー末吉 at:08:58 | 固定リンク

2010年12月20日

女性ロック歌手「李漠(LiMo)」のその後

いい話があったのでここでご紹介しときたい。

李漠(LiMo)あれから一度訪ねて来た。

「ファンキーさん、私・・・今後のライブでの収入をバンドと分けることにします」

レコードが商売にならない中国ではコンサートでの収入だけが全てなので、
ソロでレコードを出した彼女にしてみたらこれは並大抵の決断ではない。
ワシの知る限り中国でこのような決断を下した歌手は皆無である。

ワシは言った。
「お前もクソ貧乏なんやから一生とは言わんでええ!!
向こう一年とかな、メンバーも銭金やない、気持ちの問題や!!」

LaoLuanにもすぐさま電話して、
「今後李漠(LiMo)のライブがあったら
ワシやのうてあのバンドのメンバーをブッキングしてや!!
メンバーの都合が合わんかったらワシがやってもええけど、
まずは優先的に彼らにやらしてやってや!!」
と伝えた。

これでいいのだ!!
貧乏でも仲間がいればこの国では生きてゆける。
頑張れ李漠(LiMo)!!

・・・と思ってたらここに来て状況が一変した。

LuanShuとやっていた映画音楽の仕事が終わり、
この年末に公開されるということで大々的に記者会見が行われた。

中国に一大北海道ブームを巻き起こし、
中国人観光客が北海道に大挙して押し寄せ、
観光収入が激増したと知事が感謝状を贈ったというエピソードもある、
その大監督が撮ったその続編の映画であり、
彼の前作「唐山大地震」は100億円を越す興行成績を残しているという、
言うならば今中国で一番売れている監督の期待の最新作である。

その主題歌を李漠(LiMo)が歌った!!

監督はLuanShuに面子を重んじて、
この大作の貴重な主題歌を彼んとこの無名の新人に歌わせたのだ。

全中国人が注目する記者会見で彼女はこの歌を歌い、
そのプロモーションビデオはこの監督自身の手によりこの映画を編集して作られた。


(ブラウザによって再生出来ない場合にはこちらへ)

《最好不相见》
曲:栾树 词:仓央嘉措 演唱:李漠

最好不相见,便可不相恋。
最好不相知,便可不相思。
最好不相伴,便可不相欠。
最好不相惜,便可不相忆。
最好不相爱,便可不相弃。
最好不相对,便可不相会。
最好不相误,便可不相负。
最好不相许,便可不相续。
但曾相见便相知,相见何如不见时。
安得与君相诀绝,免教生死作相思。
最好不相见,便可不相恋。
最好不相知,便可不相思。
最好不相伴,便可不相欠。
最好不相惜,便可不相忆。
最好不相依,便可不相偎。
最好不相遇,便可不相聚。


中国の古い詞を用いたこの曲は一瞬にして全ての中国人の心をとらえた・・・

昨日LuanShuから電話がかかって来た。
「ファンキー、いろいろありがとうな。
おかげで李漠(LiMo)のHPは2日でアクセス1千万を越えたよ」

もともとはと言えばお前が
「こいつを何とかしたいんだ、頼むよ」
と言ってワシに預けたのだ。
ワシはアルバムをレコーディングしてやるぐらいしか出来なかったが、
最後にはお前が自分の手で落とし前をつけた。

これでいいのだ!!

大々的に配られている彼女のプロモーション盤にはちゃんと、
バンドのメンバーの名前もワシの名前もアホのアシスタントの名前もクレジットされている。

LiMoCredit.jpg

ド貧乏なひとりのロック歌手が一夜にして大スターになった。
ワシの助言は彼女を取り巻く全ての人間を幸せにした。

これでいいのだ!!

Posted by ファンキー末吉 at:08:40 | 固定リンク

2010年11月 5日

Sからの贈り物

昔いっしょにつるんでいたSから突然メールが来た。

「末吉さんご本人にどうしても連絡が取りたい事があり、
どこに連絡すれば良いのか分からなく、こちらにメールしました。
お手数ですが、ご覧になられましたら、
以下の連絡先を末吉さんにお伝えいただけますでしょうか」

おいおいそんなにかしこまらんでもこのメアドはワシ個人のやぞ!!
というわけで懐かしくなってその連絡先に電話をした。
なんと20年振りである。

「おうっ!!久しぶりやないかい!!何やってんねん!!」


Sは当時17歳、同じアミューズのタレント部門所属だった。

もともとワシに引き合わせたのはまだ売れない頃の福山雅治だったのだが、
当時ふたりともそれはそれは金がなく、
武蔵小山のJazz屋で会うといつもふたりに酒を奢ってやってた。
覚えてないがS本人曰く、「毎日奢ってもらってた」そうである(笑)

どちらも当然ながらイケメンなので、
それを肴に女の子を呼び出そうと、
「今から飲み来んか? イケメンも一緒やでぇ」
と電話をしても
「どうせ福山とかSとかでしょ」
と言って相手にしてもらえなかった、そんな時代である。

当時ぺーぺーで仕事も何もない福山と違って、
テレビ等にレギュラー出演していたSの方がまだ売れてたのだが、
そこは体育会のワシら、先輩の福山がいつもSの面倒を見てたのを覚えている。

福山もあんな甘いルックスのくせに非常に男気のある奴で、
ワシも個人的には大好きだったのだが、
ちょっと「不良」が入ってたSのことは「ほっとけない」というか、
結局うちに泊めたり連れて飲み歩いたりしていた。

ひどい時は
「おい、今から金沢のおもろい友人がおるから訪ねて行くぞ!!」
若い衆集めて当時のマイカー「ダットラ」とオンロードのバイク
(当時はオンロード、オフロード、アメリカン、サイドカーと4台のバイクを所有してた)
と並走して関越自動車道をぶっとばした。

要は自分がバイクに乗りたいというだけで、
でも疲れたら車にも乗りたいので、
バイクの免許を持っているSが便利だったのである。

金沢でしこたま飲んで、
「ほなワシは飛行機で帰るわ、お前バイク乗って帰っといて!!」

Sは彼の身体よりひと回り小さいワシのツナギを着せられて、
窮屈でアザが出来る思いをしながら徹夜でバイクを転がして、
東京でいち早く飲んでいるワシのとこに届けてこう言った。

「末吉さん・・・かんべんして下さいよ・・・」

かんべんするどころかワシの傍若無人は止まらない。
2丁目のオカマバーにハマってた頃は、
「おいお前、あの人達はなあ、俺たちなんかより凄い人達なんじゃ。
人間を越えとるんじゃ!!お前も勉強しに来い!!」
とか何とか言って連れてゆき、
お化け屋敷のようなオカマ達に囲まれながらSが本気で
「末吉さん・・・かんべんして下さいよ・・・」
と言ってたのを覚えている。

同じように福山もオカマバーの洗礼をと連れて行ったが、
本当に「かんべんして下さいよ」と言って二度と寄り付かなかったのと違い、
何故かSは何度も何度も「かんべんして下さいよ」と言いながら、
結局はいつもいつも一緒にいたんだから大したものだ。


そんな中、
「軽井沢に友達がペンションやっとるからツーリングに行くぞ!!」
とまたSを呼び出し、
みんなで山道を攻めて走ってた時、
カーブを曲がり切れず、Sがトラックと正面衝突した。

現場に駆けつけて救急車を呼んで、
病院に運んだのを覚えている。

幸い骨折と全身打撲ぐらいで大事には至らなかったが、
それ以来なんとなく疎遠になってもう20年・・・
とりあえず翌日会う約束をして電話を切った。


ほどなくメールが来た。

------------------------------------------------------------------

末吉さん、電話有難うございました!!!

20年、本当にあっというまでした。
どうしても悔やまれていた、バイク代、
富士銀行時代の通帳等と共にやっと、明日、お渡しできます!!!
飲み代、ぷらっとこだまに乗り遅れた交通費の足しにして下さいませ(*^_^*)

バイクで事故をした後、意識を取り戻し目を開けると、病室で末吉さんが、
「おまえはあほやの~。」と笑って言ってました。

武蔵小山マンションのウォーターベッドで寝ていると、
「そこは俺の寝床じゃ!どけ~!」と怒って起こされました。

音楽したいんです!って相談したら、
「ぼちぼちいこか」をきけ~!っと、関西ラグタイムのアルバムは、
今、お借りしたまま私の自宅にあります。

時代と共に変わっていかなきゃいけないものだらけの20年でした。

末吉さんは、
時代には関係なく変わっちゃいけないものを20年保ち続けた男前な先輩でした。

成功しようがしまいが、男前な生き方を示した先輩と、
若き日に時間を共有できた事は、私にとってかけがいのない宝物です。

末吉さんの20年は、過去のメルマガを全部通読させて頂きました。
その文脈の奥に、文章にならない数々の想いが伝わって、涙がたくさんこぼれました。
この方は、本物やと。。

末吉さんの熱い人生(音楽)との取り組みを私も誇りにして、
自分の人生(仕事)に精進しております。

これから先は、受けた恩を少しでもお返しします!
どこまでできるかわかりませんが、
日本にいらっしゃるオフの日は、大江戸温泉にご一緒させて下さい。
(大江戸温泉代くらいは!稼ぎます!!!)

末吉さんがへたって日本に帰ってきて入院して、意識を取り戻したら、
「あほですね~、養生せんからですよ~!養生してくださいっ!」
と、病室で笑って話しかけたいです。

明日、お会いできるのを楽しみに!

------------------------------------------------------------------

何故か涙が出て来て止まらなかった。

あの頃俺はなんであんなに狂ったように遊んでたんだろう・・・
まるで芸能人というクソっ食らえな職業で稼いだ金が憎いのかというぐらい、
毎日毎日湯水のように金を使い、
何千万あった預金は1年でゼロになり、
税金が払えなくなってアミューズに借りに行ったらこう言われた。

「そりゃお前から取りっぱぐれる心配はないから貸すことに問題はない。
でもこれは友人として忠告する、その生活を改めよ!!」

ワシもその数年後にはアミューズをやめることとなるが、
Sはこの頃にはもうアミューズをやめている。

大組織の中でうまくやってゆけず、
完全に浮いてしまっているこんな人間とつるんでたから感化されてやめてしまったのか、
もしくは同じような人間だからつるみだしたのか、
それは今となってはわからない。

テレビにもよく出ていたSはその後職探しにも苦労したようだ。
どこに行っても「芸能人」というのはついてまわるのだ。

このワシがどこに行っても爆風スランプがついてまわるのと同じように・・・

芸歴を隠して就職し、
今では裸一貫で会社を起こして頑張っているという。

20万という金は、返せそうな額で実はやりくりするのが大変な額である。

「それをぽんと返せるということは
ちゃんとまっとうに生活出来るようになったということなんだな!!」

ワシはありがたくその金をちょうだいした。

「今日は僕が奢ります」と言うSを制止してワシは言った。
「アホか、もし俺がおちぶれてお前が大金持ちになったとしても、
永久に俺はお前の先輩や、後輩に奢られてたまるかい!!
お前はまたお前の後輩に奢ったったらええねん!!」

昔ほど豪遊する金はないが、
Sと20年振りに朝まで飲んでそのまま羽田から北京に飛んだ。

金の問題ではない。
あいつはもっと素晴らしい利子をいっぱいつけて俺に返してくれたのだ。

同じ爆風のメンバーが同じように儲けた金でいい車を買ったり別荘を買ったり、
結局俺だけが家も売って金もなく・・・

でも俺にはこんな素晴らしいものがあったんじゃないか・・・

ありがとな!!S!!
昔ほどはアホ出来んけどまた飲もうな!!

Posted by ファンキー末吉 at:07:55 | 固定リンク

2010年11月 3日

ポール(梅原達也)

今回のツアーは44マグナムのポールこと梅原達也が、
何と京都と大阪の2本、遊びに来てくれてステージで一緒にセッションした。

彼がパーキーソン病にかかり、
それでも頑張って歌い続けていることは皆の知るところである。
関連動画

久しぶりに会った彼は少し元気そうでちょっとだけ安心した。

しかし現代医学を持っても完治は難しいという現代の奇病である。
薬とかでちょっと状態がいいだけで決して治っているわけではない。
このまま病気が進行すれば、歌うどころか動くことすら出来なくなるのだ。

京都では風邪気味だったのでお先に失礼したが、
大阪では最後までゆっくり一緒に飲んだ。

昔話に花が咲く・・・

関西メタルブームのまっただ中、
他のバンドより頭ひとつ抜きん出てそのブームを牽引してたのが44マグナムである。

爆風スランプの「たいやきやいた」という曲の前口上でいつも、
「アクションはおじんだ!!
ラウドネスは天狗だ!!
そして44マグナムはバカだ!!」
と叫んでいたが、
実は私は彼らとは面識がなかった。

何かの映像で彼らを見た時、
「ヤバいぞ、これは・・・こいつら・・・ハンパじゃない・・・」
と思ってマジでビビった。

折しも関西のメタルバンドが東京のライブハウスに乱入し、
東京のバンドと血みどろの喧嘩が起こっていた頃である。
こんなことをステージで言ってたらそのうち標的にされ、
俺はきっと奴らに殺されるんだ・・・と本気でビビった。

「よし!!何とか本人達と仲良くなろう!!」

末吉ならではの処世術である。
パール楽器を通してまずドラムのジョー、
そしてその近所に住んでいたジミーとバン、
最後にボーカルのポールにやっとたどり着いた。

九段会館でのコンサートの時、
「ステージを見に来てくれ」
と言って本人の前で「44マグナムはバカだー!!」を絶叫した。

マグナムが解散してからも時々飲んだりしてたし、
パーキーソン病を煩ってからもポールポジションで一緒にツアーを廻ったりしていたが、
今回ひょんなことからライナセロスの話が出た。

「ほーじん元気かなあ・・・」

バンドをやってるといろいろある。
ほーじんも爆風銃への書簡で言ってるように、
爆風だっていろいろあった。
ある時期ほーじんと私が憎み合わねばならなかったように、
ポールとほーじんもいろいろあったと聞くが、
なーに年をとるということは素晴らしいことである。

いやなことから忘れてゆくのだ・・・

私は迷わずすぐにほーじんに電話をかけた。
携帯も持たずに突然旅に出て連絡が取れなくなるスタッフ泣かせの男が、
この日だけは何故かワンコールで電話に出た。

二人がこうして電話で話すのも十数年ぶりであろう。
電話に割り込んで私はこう言った。

「今月18日の米川君とのセッション、
ポールも病状がよかったら来てもらおうや」

この日は江川ほーじん6DAYSの初日である。
私は次の日からまたツアーに出るが、
ポールの体調さえよければ6日間いつでも来て歌って帰ればいい。

自宅からの送り迎えが必要だが、
なーに、下戸のほーじんが喜んでやってくれるだろう。

電話を切って飲み会もお開きとなり、
ポールとも別れて和佐田とホテルに帰る道すがら、
私はこんな提案をした。

「なあ、週末とかなあ、
みんながヒマな時、店でポールの日やらんか?
もちろん病状が芳しくない時はドタキャンあり!
チャージ無料のおひねり制!!
ポールの送り迎えは俺がやるわ・・・」

それを聞いた和佐田、ちょっとだけ間をおいてこう言った。
「そやなあ・・・ワシらがあの店立ち上げたのはひょっとしてこのためやったんかも知れんなあ・・・」

この病気は現在のところ完治する見込みはない。
こうして今は酒が飲めてても明日はどうかわからない。
今日は歌が歌えてても明日歌えるという保証はないのだ。

麻痺でろれつが回らないポールと
シンバルで耳がやられて難聴の私が
酔っ払って会話してると実は大半が聞き取れてなかったりする。

しかしポールははっきりとこう言った。
「歌いたい」と・・・

よし、手始めには18日のほーじん米川セッションやな。
早起きして迎えに行くか・・・

Posted by ファンキー末吉 at:10:28 | 固定リンク

2010年11月 2日

ツアーの思い出:名古屋ELL

名古屋はELLというライブハウスでやらせて頂いて、
そこの名物オーナーしげさんと味仙でメシ食いながら昔話に花が咲いた。

名古屋ELLは昔は地下にあるそれはそれは小さなライブハウスだった。
名物オーナーのしげさんは当時植木屋として働きながら、
合間に手作りで店を仕上げてELLが出来上がった。

爆風がライブをやった時、
客がほとんどいないのに河合が客席にダイビングして椅子を壊し、
「俺が植木屋やりながら作った大事な椅子を壊すとは何事じゃ!!」
とさんざん説教されたのを覚えている。

また言っちゃ悪いがこのしげさん、人相が悪い。
奥さんのぞうさんがまたちょっとケバい系の美人なので、
ぱっと見はヤクザとそのスケと言った出で立ちである。

そんなのに本気で説教されたんだから河合がかなりびびってたのを覚えている。

もともとそんな無茶するバンドと知りながらブッキングしたのはしげさん本人である。
客も全然入らないのに好き好んで毎月毎月ライブをブッキングし、
ついでに全国のライブハウスに
「おもろいバンドがおるで」
と紹介して毎月毎月爆風スランプは大きくってすいません号でツアーをしてた。

デビュー前のアマチュアバンドである、客なんか入るわけがない。
多くても10人、少ない時はステージ上のメンバーより少ない。

それでも懲りずにブッキングしてくれて毎月毎月ツアーをしていた。

毎月毎月ライブやってるもんだから名古屋では
「爆風スランプは名古屋のアマチュアバンドだ」
と客はみんな思っていた。

いや、全国各地のライブハウスの客もそう思ってたのかも知れない。

そんな中、サンプラザ中野はMCでこう言った。
「僕たちやっとCBSソニーからデビューすることになりました!!」

その時の客の反応が面白かった。
全員が全員口を揃えて「うっそー」と言って笑うのである。

地元名古屋のアマチュアバンドだと思ってたおかしなバンドがデビューする・・・
そんな噂の相乗効果もあってか、いつの間にやら動員数は桁外れに増えた。

当時
「どこそこのヘビメタバンドがどこそこのライブハウスで動員記録を塗り替えた」
という時代である。
もともとそんなに客なんか入れない小さなライブハウスのELLであるが、
しげさんは
「じゃあ次は爆風2DAYSやろう!!」
という暴挙に出た。

ELLで2日間で600人・・・
これは物理的に塗り替えようがない爆風の持つELLの動員記録である。

当時のELLを知る者はみんな言う。
「あの店のどこにそんなに客が入れるんですか?・・・」

しげさんは無茶をやった。
立錐の余地もないほど客が入り、
外にも入り切らない客が並んでる状態でまず演奏を始め、
わーっと前に客が押し寄せて後ろに出来た隙間にまた客を入れる。

元々小さな地下室である。
天井も低いし酸素も少ない。
カウンターでタバコを吸おうとしたしげさんが
「ライターの火がつかんがねー」
と言ってた状態でこれだけ客を詰め込むとどうなるか・・・

後ろから押されて前の方の客が次々と失神してゆく・・・

いや、ステージ上で演奏しているワシら自体がもう酸欠で失神寸前なのである。
この上、後ろから押されている小さな身体の女子は体力のない順に倒れてゆく・・・

その失神した客をスタッフがステージから救い出して、
楽屋を通って外に出す。
そしたらまた前に詰まって後ろにちょっとだけ隙間が出来るのでそこにまた客を入れるのである。

当時ライブハウスで押されて死人が出たりしていた時代である。
この動員記録はその後物理的に破ることが出来ないようになった。

当時はライブハウス全盛の時代である。
爆風のようにライブハウスからメジャーシーンに躍り出たバンドが山ほどいた。

しかし時代は変わる・・・

メジャーになればブッキングは事務所管轄になり、
そこと関係が深いイベンター預かりとなる。
イベンターは「ライブハウスの次はホールだ」とばかりホール展開し、
「ライブハウスはアンダーグランド」というイメージが定着する。

ロックが「ビジネス」となってしまい、
「ライブハウスはホールに行くまでの足がかりだけ」
という図式になってしまったのだ。

これでは一生懸命ライブハウスのオーナーがバンドを育てたところで、
おいしいところは全部イベンターが持って行ってしまうということになる。

その後ビジュアル系のブームが来て、
店に出るバンドにいつものように説教していたしげさん、
「お前らそんなヘタクソでどうする?!!もっと練習せい!!」

あるバンドは深くその言葉に聞き入り、
「わかりました。僕ら今日解散します」
にはぶったまげたと言うが、
言うことをよく聞いたバンドは逆に動員数が減っていったりしたと言う。

当時ビジュアル系に若い女の子が売春して貢いでた事件が問題になったりもしたが、
そんなファン達が
「あのバンド、うまくなっちゃってもう私たちがいなくても大丈夫」
とばかりヘタクソなバンドの方に走っちゃうと言うのだ。

あの頃の時代・・・それはバンドは「上手い」ことだけが命だった・・・

俺もほーじんもそれに命をかけていた。
「この世界、ナメられたらおしまいじゃ!!」
そう思ってた。

三井はんや和佐田がいた「ITACHI」もそうだった。
対バンした時の態度がすこぶる悪かった。
「お前ら、爆風がなんぼのもんじゃ!!ワシらの方が数段上手いんじゃ!!」

対バンとは即ち「音で喧嘩!!」
勝敗は「上手いか下手か」である。
「俺は上手いから偉そうにしとる!!
ヘタクソは楽屋のすみっこで小さくなっとれ!!」
ってなもんである。

時代も変わり、しげさんも大人になり、
もう出演者に説教をすることもなくなった。

そのせいかどうかはわからんがELLはホールクラスの大きなライブハウスとなり、
動員数の少ないバンドも出演出来るよう小さなELLも作り、
しげさんも今では4件のELLのオーナーである。

いろんな伝説を作った昔のELLはもうない。

最後に出たのはX.Y.Z.→Aの最初のツアーである。
メタルがこんなしんどいもんだとは知らず、
関西四国8本連続のツアーを組んだ最終日がELLだった。

宣伝もしてないので動員数も少なかったが、
ツアーの最終日には噂が噂を呼び、
小さなELLが超満員になった。

当然ながら酸欠である。
薄れる意識の中であの遠い日のELLを思い出した。

おりしも同じ日、中野と河合は営業の仕事で同じく名古屋に来て、
アコギでランナーと旅人よをやって新幹線で帰って行ったが、
俺と和佐田はあいも変わらず車を運転して酸欠ライブをやっている・・・

生きている世界が違うのである。

ああ、そう言えば俺たちもあそこでいたこともあったなあ・・・
でも今はやっぱりここで生きている・・・

だから俺はあいも変わらずツアーを廻るのだ・・・

Posted by ファンキー末吉 at:15:20 | 固定リンク

2010年10月 6日

昔住んでいたアパート

夕べは小林エミさんのCD発売ライブで高田馬場に行った。
いつもは車で行くのだが初めて電車で行ったので、
帰り道にふと昔住んでたアパートの前を通ってみた。

東京に来て初めて借りたアパート。
陽の当たらない台形の5.5帖のその部屋はまだあった。

OldApartment.jpg

飲み屋と飲み屋の間の暗い廊下を入っていった突き当たり右手の部屋がそうである。

この部屋の手前を右に入ったところが飲み屋のトイレにあたり、
1階の唯一の住人であるうちのトイレもここということになる。

うちの部屋はいつもカギをかけてなかったので、
知り合いはいつもうちに来て宴会をしていた。
そのまま酔い潰れて雑魚寝は日常茶飯事だった。

そんなある日、ワシはバイトに出かけるので雑魚寝の友人達をまたいで玄関まで来た。

陽の当たらない部屋なので電気を付けなければ朝でも真っ暗である。
起こしたら悪いと思って手探りで玄関まで来て靴を探す。

玄関には絨毯運びのバイトでもらって来た絨毯の端切れを足拭きに使っていたのだが、
そこに足をかけた途端なにやら湿っているような・・・
そのまま気にせず靴を履いてドアをあけた。

廊下の向こうの道からの光がわずかに差し込んで来てワシが見たものは・・・

・・・辛子明太子?・・・

何故玄関のたたきに辛子明太子が置かれているのかがよくわからない。
しかもその辛子明太子には野沢菜がまぶされている。

野沢菜入りの辛子明太子を誰が玄関に放置した?・・・

よくわからないことだらけである。
外の廊下のその外の明かりだけなのでよくはわからんが、
常識で考えて野沢菜入りの辛子明太子を、
いくらカギがかかってないからと言って外部の人間が人んちの玄関にそっと置いて帰るわけはない。

これはどう見てもウンコである・・・

しかし誰が玄関先でウンコをする?・・・
これも謎だらけである。

ワシはあきらめてバイトに行った。
犯人はきっと夕べ野沢菜を食べた人間なのだ!!

ワシは家で雑魚寝している人間にかたっぱしから電話した。
「あんた夕べ野沢菜食べた?!!」と・・・

ところが全員が全員
「食べてないよ、それどころか朝起きてからウンコしたよ。いっぱい出たよ」
と言う。

そこに雑魚寝していた人間ではないのか?・・・

考えてみれば変である。
ワシが「何やら湿っている」と感じたのは恐らく・・・おしっこ・・・

部屋の中で雑魚寝していた人間が犯人だとすると、
その人間は寝ぼけてトイレに行こうとして玄関でウンコをした・・・
ついでにおしっこをしたと考えると、
当然ながらウンコは部屋側、おしっこはドア側にあるのではないか?・・・

この状態でウンコとおしっことをするためには、
寝ぼけて部屋を出ようとして玄関で身体を反転させねばならない。
そんな理性のある人はやっぱちゃんとトイレに行くのではないか・・・

犯人が外部の人間である可能性もある。
飲み屋で泥酔している客は「トイレはどこだ?」と聞くと、
「そこの廊下を入って行って奥の右側にあるわよ」
と答えられる。

ワシの部屋の手前の路地を通り越して突き当たりの右側のドアがうちなのだ。

しかしそれも不自然である。
ふつうトイレに入った人間はウンコをしたら紙で拭くであろう。
うちの玄関には野沢菜入り辛子明太子はあったが拭いた紙はなかったぞ・・・


その謎はいまだに解けてないが、
この部屋にはその他にもいろんなドラマがあった。

爆風銃のイーストウェストでグランプリをとった楽曲もこの部屋で生み出されたし、
恋もしたし失恋もしたし、
この部屋の向かいの工事現場で爆風銃のメンバーと泣きながら大喧嘩をして爆風銃は解散した。

思い起こせば大学を勝手に中退して東京に出て来て、
公衆電話に30円だけ入れて
「今、東京、大学やめた」
とだけ家に電話して電話が切れた。

その後、母親は血眼になってワシを探したと言うが、
ワシはどこ吹く風で日雇い土方のバイトをやりながらその日ぐらしをしてた。

金もなく、職もなく、家もなく、
その日泊まる家は早稲田のキャンパスで仲良くなったヤツに酒を飲ませて泊まらせてもらってた。

それはそれは身軽で楽しかった。

でもこの部屋を借りてから生活が一変した。
金がなくなって初めてバイトすればよい生活が、
「たかが1万4千円の家賃を払うために毎日バイトする」生活になってしまった。

ふられた女にバカにされ、
「どうしてもドラムセットが欲しいんだ」
と言って親に手紙を書いた。

「そんなことよりあんたはどんな生活をしてるの?!!」

そうやって母親が初めて上京して来た時、
おりしも爆風銃が小さなコンテストに参加し、
偶然にもそこでグランプリを取ることが出来た。
手にした20万円の賞金を
「お世話になった人達みんなで飲もう」
と言ってどんちゃん騒ぎをしていた。

自分の息子には何不自由なく育てて来たという母親が見たその息子の生活は、
およそ人に自慢出来る生活ではない、
言わば世の中の底辺のような生活だった。

でも我が息子は「輝いていた」・・・そう思ったのかも知れない。
母親はこう言って高田馬場を後にした。

「あんたがどんな生活をしようがお母さんはもう何も言わん。
あんたにはあんなに素敵な友達がたくさんいる。
それだけでお母さんはもう安心や。
もうこれからはあんたは自分の力で思い通りに生きなさい」

そう言って当時のお金で数十万のお金をぽんとくれた。
「これであんたの欲しいというドラムセットとやらを買いなさい」
と・・・


念願のドラムセットは手に入ったが、
生活は何も変わらなかった。

悲しいことも楽しいこともいっぱいあったけど、
でももしも一度だけ昔の自分に戻れると言うならば、
一番売れてたあの頃ではなく、この頃に戻りたい。

そう思ってアパートの廊下をちょっとだけ中に入って行った。
傘立てに傘が置いてあるところを見ると今も誰かが住んでいるのだろう。

どんな人間が住んでるのだろう・・・
こんな部屋に住んでいるんだから社会的に弱者であることは間違いない。
今日び風呂付き、トイレ付きじゃないと学生すら部屋を借りないご時世なので、
本当に世の中の底辺の人なのかも知れない・・・

ドアをノックしようとしてやめた。

この部屋はタイムマシン・・・
きっと俺のような人間がきっと俺のように夢を持って、
きっと同じように楽しく生きているのだ。

「生まれ変わるならその時代に戻りたい」
彼がそう思うのはまだまだ何年も先のことなのだ・・・

Posted by ファンキー末吉 at:08:11 | 固定リンク

2010年9月22日

日本のマスコミ

今日のスペクトラムトリビュートが終わったら明日また北京に発つのだが、
やはりいろんな人が「中国大丈夫?」と聞いてくる。

二井原のブログにも書いてあったように、
現地に行ってみると往々にして意外と拍子抜けするもんである。
どうしてか?

それにはやはり日本のマスコミにも問題があるとワシは常々そう思う。

昔、女子十二楽坊が売れ始めた頃、NHKの人から国際電話があった。
NHKの別の部署の人からこの電話番号を聞いたとのことだが、
「女子十二楽坊の取材をしたいんですが」
という質問だった。

どこに取材の申し込みをしたらよいのかもわからないご時世だったので無理もないが、
その人がワシにこんな一言を言ったことでワシは少しカチンときた。

「彼女達は北京では街も歩けないぐらいの大スターなんでしょ?」

ワシは自信を持ってこう言った。
「誰も女子十二楽坊なんか知りませんよ」

これは本当である。
日本に逆輸入されて後にはそこそこ知られるようになったが、
その当時は北京では女子十二楽坊なんぞ知る人はいない。

「そんなはずないです。
彼女達は北京で有名になって日本に来たって言ってましたよ」

お前が誰からそんなウソを聞いて真に受けてるのかは知らんが、
彼女達が全然有名でないことは「事実」なのである。

電話の人は更にこう聞いた。
「彼女達は全国数千人のオーディションから選ばれたエリートで、
中国でもトップクラスの腕なんでしょ」

ワシは言った。
「音大とかから集めた、
どれも素人に毛が生えたようなレベルですよ」
と・・・

話があまりに噛み合わないので電話の人は最後にキレた。
「それでは番組にならないんです!!」

番組になろうがなるまいがワシは知ったこっちゃない!!
ワシは女子十二楽坊のCDでは必ず何曲かドラムを叩いとるし、
音楽プロデューサーも非常に懇意にしている友人である。

何よりも中国の音楽界のことを一番よく知っている日本人はワシなのである。

中国の携帯は電話を受けた人も同額の電話料を支払うので、
ワシはNHKがその人に経費で落とした電話代と同額の電話料を
支払ってその電話口でキレられたことになる。

その後その番組はどのように作られてどのように放送されたかはワシは知らない。
だが多かれ少なかれ日本のマスコミはこのように
「落ちどころを決めてから取材をする」
というところがあるように思える。

数年前、反日感情が高ぶってデモとかが起こっている時、
サッカー場かどっかで日本人が殴られているシーンをテレビで放送されたことがあったらしい。

ちょうど同じ日にワシは、
布衣のライブを初めて見て感激し、
彼らと一緒にどんちゃん騒ぎをしていた。

思えばその飲んでた店でも中国のテレビでデモのニュースを流していた。
反日感情を持っている人もいるし、
日本人ドラマーと大喜びで酒を酌み交わしている人もいるし、
その人達に喜んで酒や料理を運ぶ店の人もいる。

「中国各地でデモが起こり、中国じゅうが反日感情で湧いている」
というのはどう考えてもウソなのである。

サッカー場で日本人を殴る中国人もいただろうし、
それを止めようとする中国人もいたはずだ。
だがマスコミはその「日本人を守ろうとする中国人」は一切映そうとしない。
もし映り込んでいても絶対カットする。
ましてや同じ日に中国人と生涯の友情を築き上げる飲み会をしている日本人などに興味はない。

何故か?

「だってそれは少数でしょ」
と彼らは言うだろう。
「反日感情が多数で、親日は少数だ」
と。

でも違う!!

全中国人にもしアンケートが取れたとしたら、
大多数の中国人はこう言うだろう。
「日本なんか関係ない。
俺は明日自分が豊かになることの方が大切だ」
と。

こういう中国人が例えば90%いたとして、
残りの10%のうちの9%の人が
反日感情を持ってたとしたらマスコミは、
「全中国人は反日感情があって」
と報道するだろう。

ワシは今まで日本で中国を正しく報道しているメディアを見たことがない。

取材しているほとんどの人が駐在員で、
会社から与えられた豪勢なマンションで、
日本人や会社が付き合う偉い中国人とだけ一緒にいて、
庶民の中に飛び込んで一緒に暮らしたこともなく、
生涯の友と呼べる中国人と出会うこともなく、
みんな揃いも揃って任期を終えたらとっとと日本に帰ってしまう。

そんな人間に中国の何がわかる?!!

尖閣諸島問題、
ワシはこの問題がそんなに簡単に解決することはないと思う。

思想家と呼ばれる人はどの国にもいるし、
活動家と呼ばれる人もいて、
どういうシステムかわからんがそれで商売しているとも聞く。
メディアも「商売」なので面白おかしくそれを報道しなければならない。

ただ例えば、
北朝鮮がミサイルを打ったら朝鮮学校の子供をいじめたり、
日本がそんな人間が住む国にだけはなって欲しくない。

同様にワシも今まで通り反日感情に会うこともなく、
中国の仲間たちと楽しく酒が飲める中国であって欲しいと思う。

「国は国、人とは人」なのである。

思えば中国人はあんまりメディアを信用しない。
国が垂れ流すアホみたいな情報より、
自分の目で見て自分の心で感じたことを信用する。

日本人もええ加減アホなメディアの見方ばっかりを鵜呑みにしなさんなや。


Posted by ファンキー末吉 at:17:27 | 固定リンク

2010年9月19日

クドーちゃんにはかなわんなあ・・・

若いうちはドラマー同士ライバル意識があったり、
若気ゆえにいろんなことを競ったりしていた頃もあったが、
年をとってくると既にそんなものはどっかに消え失せ、
「長年の友達」というか戦友のようなそんな感覚になって来る。

思えば若かりし頃、同じくモニターをやっているパール楽器から、
「工藤義弘モデル」なるドラムセットが発売された。
白黒のストライプのかっこいいドラムセットである。

ワシら若かりしドラマーの夢というと、
1、大手メーカーのモニターとなり、カタログに名前が載る。
2、自分モデルのスティックが発売される。
3、自分モデルのドラムセットが発売される。
というのが一般的な夢である。

ワシは2番までは実現していたが、
その最後の夢をクドーちゃんに先を越されてしまったことで闘争心に火がついた。

思えばデビューも早かったし、モニターになったのも早かったし、
工藤義弘モデルのスティックだってワシより早く発売されてるんだから、
今になって考えるとこんなことで闘争心を燃やすこと自体が無駄である。

「若気の至り」としか言いようがないが、
しかしワシは実際むらむらとクドーちゃんに闘争心を燃やして、
「ファンキー末吉モデルのドラムセットも発売してくれ!!」
とパール楽器に怒鳴り込んだ。

パール楽器にとってはワシとてクドーちゃんと同じく大事なモニター様である。
無下にも出来ないので、
「ではどんなドラムセットかデザインして下さい」
というので苦労に苦労を重ねて作り上げたのが「すいかドラム」である。

いやーこれには苦労した!!

まずスイカの断面は透明なヘッドを内側から赤く塗り、
そこにマジックでタネを書けば簡単に出来たのだが、
表面のシマシマにはいろいろ試行錯誤をした。

もともとスイカというのは緑に黒のシマシマがあるのだが、
最初緑のドラムセットを注文して、
カッティングシートでそこに黒でシマシマを貼付けたのだが、
これでは緑と黒の区別がつかず、シマシマが目立たない。

そこで考えた!!
「色」というのはイメージであって必ずしも忠実に再現する必要はない!!
要は見る人に「スイカ」を連想させられればそれでいいのだ!!

この試行錯誤で既に数ヶ月の時間が経過している。
そして満を持して考えついたのが黄色!!
スイカには確かに黄色のイメージもあるので、
今度はパールに緑から黄色にラバーを張り替えてもらい、
それに今度は緑のカッティングシートでシマシマを貼付けてついに完成した。

ちなみにこのドラムセットは爆風スランプの初の武道館公演でも使用され、
「大きな玉ねぎの下で」という曲のイントロに入っている「ドドーン」という音を再生するためにシンセドラムもセットアップされたのだが、
ここでまた大きく悩まされることとなる。

このアナログなドラムセットのデザインと、
デジタルな六角形のシンセドラムとが馴染まないのである。

この六角形を基本にして何とかスイカと馴染むデザインに出来ないか・・・

武道館を成功させるための音楽的な悩みよりもワシは悩んだ!!
悩んで悩んでやっと思いついたのはこれだ!!

そうだ!!スイカなんだから昆虫だ!!

というわけでドラムセット上部に高く掲げられたシンセドラムは、
ひとつはゴキブリ、ひとつはハエとなって頭上を飛んでいるようにセッティングされたのだ。

完璧だ・・・

ワシは心底自分の才能に恐れ入った。
いくらクドーちゃんが偉大なドラマーでも、
このワシの才能には足下にも及ばないのではないか!!

武道館コンサートは大盛況のうちに幕を閉じ、
ワシは自信たっぷりにパールの人に連絡を取った。

「見てくれましたか?あのセット!!
あれをファンキー末吉モデルとして売り出しましょう!!」

当時パールはシンセドラムにも力を入れていたので、
このスイカと昆虫の抱き合わせは大きなセールスを生むこととなるのではないか!!

ワシはワクワクしながら反応を待った。
パールの担当者は電話口でゆっくりと口を開いた。

「こんなドラムセットが末吉さん以外の誰が欲しいと思いますか?・・・」

ガビーン!!!
天才というものはいつの世もこうである。
世の中が天才について来るのには「時間」がかかるのだ。

かくなる上は自分を殺して世の中に妥協するか、
もしくはもっと推し進めて有無を言わさないほどの作品を作り上げるかである。

ワシは後者を選択し、考えた。
果物の中で切り口が特徴的でもっと目立つモノは何だろう・・・
そしてついに進化系を思いついた!!

キウイだ!!!

緑のスプレーでヘッドを塗ってタネを書き、
ボディーは「毛」を貼付ければキウイになるぞ!!!

しかしパールの担当者は冷酷にこう言った。
「ドラムセットというものは、
ボディーにモノを貼付ければ貼付けるほど鳴らなくなりますから・・・」

ずーっと一緒にドラム製作を手伝ってくれた若い衆もこう言った。
「末吉さん、もう・・・やめましょうよ・・・」

かくしてワシはクドーちゃんに負けた・・・

前置きが長くなったが、
それ以来ワシは人と競ったりそんなことに興味がなくなって今があるが、
ところが昨日、ワシは久しぶりにクドーちゃんに嫉妬した。
いや、「負けた!!!」と思わざるを得ないことを彼はやってのけたのだ。

昨日店の6Fでは<EARTHSHAKER PRESENTS SMC>という、
毎月やっているシャラとマーシーのユニットのライブで、
シャラのバースデーイベントが行われていた。

末吉家は5Fの「水餃子食べ放題イベント」で家族全員で食事をしてたのだが、
いきなりクドーちゃんが5Fに降りて来たのでびっくりして聞いた。
「あれ?今日はシェイカー4人で出てるの?」
クドーちゃん曰く、
「いや、違うよ。ヒマやったから遊びに来たんや」

なるほど、長年連れ添ったメンバーのバースデーイベントである、
花を添えに来たのだろう。

かまわず5Fで飲んでたら、今度は6Fで飲んでたお客さんが腹を抱えて降りて来る。
「いやークドーさん・・・ハンパじゃないっすよ・・・」

聞けばクドーちゃんがいきなりステージに上がり、
「ちん毛焼き」なるものを披露したというのだ!!

KudoChingeyaki.jpg

かく言うワシも渋谷の公園通りで尻を出して三角倒立をして、
尻の上でドラゴン花火を燃やしたりいろいろやった。

しかしワシらはもう50歳である。
嫁もいれば子供もいる。

人に無理強いされてステージに上がったわけでも何でもない、
自分で勝手に遊びに来て、
勝手にステージに上がって勝手にちん毛を焼くとは・・・

クドーちゃん、あんたはもうワシの神様じゃ!!
いつまでも元気でパールドラムを背負ってドラムを叩き続けてくれ!!

Posted by ファンキー末吉 at:08:38 | 固定リンク

2010年9月 8日

方言(Fang Yan)が英雄(YingXiong)になった日

愛の力とはもの凄いものである。

若くて美人、スタイル抜群で頭もよく、
そして金持ちで性格もよい寧夏の女性に恋をした方言(Fang Yan)、
何とか彼女の気を引きたいが自分には彼女の気を引ける気の効いた「芸」がない。

「ファンキーさんのようにドラムでも叩ければ・・・」
と思うのは人の常だが、
彼はもともとギターをやってはいたがそれほどの腕ではない。

時は寧夏の一日目、沙湖でのこと。
「じゃあ次は湖で泳ごうぜ」となった時、彼の目が輝いた。

泳ぎだったら俺に任せろ!!

彼の頭の中ではくっきりと自分の姿が想像出来た。
さっそうと飛び込んで悠々と沖まで泳ぐ彼を、
憧れの目で見る彼女の姿が・・・

しかしそこには地元の悪友達の大きな罠が仕掛けられてたのである。

この湖、水が汚れているわけではないが、
緑色で透明度が著しく悪い。
水の底など全然見えないという水質なのである。

場所は船着き場、
まさか船着き場の水深がこんなに浅いとは誰も夢にも思わない。

悪友のひとりが方言(Fang Yan)がいないところでぽちゃんとここに飛び込んだ時にこのいたずらを思いついた。

「方言(Fang Yan)、ここは水深4mはあるからぱーっとかっこよく飛び込んで見ろよ!!」

もう彼は居ても立ってもいられない。
彼の頭の中ではくっきりと自分の姿が想像出来た。
さっそうと飛び込んで悠々と沖まで泳ぐ彼を、
憧れの目で見る彼女の姿が・・・

いそいそと水着に着替えに行く彼、
大笑いで笑う悪友達、
しかしワシは
「まさかこんな子供騙しに引っかかるヤツはいないだろう」
と思っている。

彼が帰って来た。
みんなカメラを構えて
「さあ飛び込め!ベストショットを撮ってやるぜ!!」
と構える。

彼は水に手を入れてちゃぽちゃぽと水温を見ている。
通常は水温よりも水深を計るものだが、
彼の頭の中はもうさっそうと飛び込んで悠々と沖まで泳ぐ彼を、
憧れの目で見る彼女の姿しか見えていない。

思えばこの時にもう少し手を伸ばせば水底に手が当たっていたのだ・・・

「こんないたずらに引っかかるヤツはいない」
そう思ってたワシはバカだった。

彼は手を引っ込めるといきなりさっそうと飛び込んだ!!

YingXiong1.JPG

見よ、この勇姿!!この美しさ!!

しかしこの水深は実は15cmしかないのだ!!!

「こんないたずらに引っかかるヤツはいない」
と思ってたワシは慌てたがもう間に合わない。
ほんの一瞬の出来事だったのである。

別カメラの連続写真がある。

YingXiong2.jpg

おいおい、本当に飛び込むつもりか・・・

YingXiong3.jpg

おいおい、マジかよ!!

YingXiong4.jpg

ヤバい!!こいつ、本当に飛び込みよった!!!

YingXiong5.jpg

ざっぽーん!!!

YingXiong6.jpg

後ろで笑い崩れてゆく悪友達の姿が見える。
この場でいた全員が笑い崩れてもう立てない状況である。

YingXiong7.jpg

ぷっかーん・・・いかん!!死んだか?・・・助けなきゃ・・・
・・・でも笑い過ぎて立てん・・・お腹がよじれる・・・苦しい・・・

YingXiong8.jpg

動かんぞ・・・死んだか?・・・助けなきゃ・・・
・・・でも笑い過ぎて立てん・・・

YingXiong9.jpg

ぷっかーんとしばらく浮いていた方言(Fang Yan)・・・
それが何秒だったのかもう誰もわからない。
人間笑い死ぬということがあるんだなというぐらい七転八倒してた悪友達を尻目に、
しばらくしてむっくりと起き上がった方言(Fang Yan)、
そのまま沖に行って、何事もなかったかのように悠々と泳ぎだした。

こんな姿をマンガ以外で見ることがあるのだろうか・・・
一同はまだ腹抱えてもんどうりうっている。

こうして彼は、3日間の首と腰の痛みを引き換えに、
我らの英雄(YingXiong)となった。

もちろん水底が砂であると知っての狼藉である。
よい子は絶対にマネしないように・・・

Posted by ファンキー末吉 at:10:49 | 固定リンク

2010年8月28日

続・九龍城砦のお話

香港在住の日本人の方から更なる情報を送って頂いた。
無断転載したいと思う。

まず全景!!

80klnwcity_figure12_large.jpg

凄いですねえ・・・
ここに全盛期は5万人住んでたというんだからもの凄いです。

嫁はこの写真見ただけでもう吐きそうでした・・・

違法建築のビルが密集していて、
もう崩れそうになってるのに隣のビルにもたれかかってかろうじて建っている様子がよくわかります。

真ん中のくぼみには老人ホームと幼稚園があったという話です。

80klnwcity_Centure.jpg

屋根の上は周囲の住居から投げ捨てられたゴミでいっぱいですが、
それでも本当に「無法地帯」であるはずのここが、
それなりに住民達により治安が保たれていたということを感じさせます。

城壁の中の映像ですが、
昼間でも光は当たらず、天井には電気や電話や水道、
そして汚水のパイプなどが網の目のように張り巡らされているのが見えます。

そして次の映像で嫁は本当に吐きそうになった。

考えても見て下さい。下水がないのです!!
ここで魚などをさばいたその水はどこに流れてゆくのでしょう・・・

カメラが歩くその道路がじゅくじゅく濡れているのは全て「汚水」です。
悪臭も凄まじかったらしいが、
食品衛生法が適用しないこの地区で、
香港のホテルなどで出すほとんどの点心が作られていたというのは驚きです。

医師法も適用されないのであらゆる闇医者がここに集まっていたらしい。

それにしても人間のたくましさよ!!
映像で映っているここで生まれ育った少女が大きくなって
またここで子供を産んでまたその子供が大きくなってゆくのだ。

下記にいろんな情報がまだまだあります。
興味のある方はご覧下さい。

http://www.ourradio.hk/forum/viewthread.php?tid=13676

Posted by ファンキー末吉 at:10:41 | 固定リンク

2010年8月26日

九龍城砦のお話

先日のWingのライブが行われたのは取り壊された九龍城砦のすぐ近くだった。
地元の日本人から話を聞いて感激したのでちょっとここでご紹介しておきたい。

流れだけ大雑把に説明するが、
うろ覚えのところもあるし、もっと詳しく知りたい方はいろいろ調べてみて下さい。


まず、アヘン戦争で負けて清が香港を植民地として明け渡す時に、
ちゃんと返還されるかどうか心配だった清がこの地区を飛び地として中国領土にしたところからその歴史が始まる。

香港の中にぽつんと城壁で囲まれた中国領土があり、
桟橋から船で中国と行き来が出来てた頃は、
この地には中国の役人も駐在して完全に中国領土だったが、
ある日中国の役人が祝い事で爆竹を鳴らしたことを口実に、
イギリスは「イギリスの軍事活動の妨げになった」とイチャモンをつけて中国役人を追い出してしまう。
桟橋も壊され、陸の孤島となったが、
イギリスは条約があるためここをイギリス領とは出来ず、
名実共にこの地区はどこの主権も及ばない地区となってしまった。

つまり「どの国の法律も適用されない無政府状態」である。
当然のごとく犯罪の温床となり、
麻薬、売春、あらゆる犯罪がここに集中するわけだが、
外で語られてるよりは自警団の力が強く、
食品衛生法が適用されないので中華料理の点心のほとんどはここで安く作られてたり、
医師免許も適用される法律がないのであらゆる闇医者が集まってたとも言う。

大陸から亡命者もどんどん流れ着き、
ピーク時には0.026km2(約200m×120〜150m)の僅かな土地に
5万人もの人々がひしめき合って
人口密度は約190万人/km2と世界で最も高い地区となってたらしい。

畳1枚に3人が暮らしていたことになる。

違法建築でビルがどんどんと上に作られてゆき、
そのビルが互いに寄り添ってかろうじて強度を保っていたという状態である。

無政府状態なので生活インフラは自分たちで何とかせねばならない。
光も届かないその内部は迷路のように複雑になっており、
通路の天井には電話線やら電気コードやら、地下水を汲み上げた水道管やら、
香港側に汚水を流すホースや、それらが破れて垂れ流しになっていて凄まじい汚臭が漂っていたという。

そんな中にも自警団がいて、幼稚園も老人ホームもあり、
また香港側とは自由に行き来が出来るので、
それはそうで人民はそれなりに暮らしていたという。

取り壊されるまでそこには行ったことがないが、
もし行ってたらまた「ここで暮らしたい!!」と言い出してたかも知れない。

いや・・・前世はひょっとしてそこに住んでたのかも・・・

Posted by ファンキー末吉 at:14:19 | 固定リンク

2010年7月 9日

昔話2・・・

昨日は小林エミさんレコ発ライブを終えて、三井はんと和佐田はんと飲んでいた。
どこからそんな話になったかは忘れたが昔話に花が咲く。

あれは爆風がまだRunnerでブレイクしてない頃だったかな?
TOPSはまだ池尻のTOPSマンションでタコ部屋共同生活をしてた。
野村義男のThe Good-byeは結構売れていて、
そこのドラマーの衛藤浩一とはしょっちゅう飲んでいた。

その日はその衛藤浩一と当時爆風のマネージャーだった綾和也と、
TOPSマンションで三井はんも交えて飲んでいた。

何が楽しかったのか全然覚えてないが、
べろんべろんになって楽しくて楽しくて、
誰が脱ぎ出したのか覚えてないが4人とも素っ裸になって飲んでいた。

むっちゃハイである。
しらふで帰って来た和佐田はそのあまりのテンションについていけず、
とばっちりを受けないようにこそこそと部屋に引っ込んだというが、
トランペットの寺内は運悪くつかまってしまい、
三井はんに
「こら!!お前も脱がんかい!!」
と言われるのを何とか振り切って逃げたのであろう、
記憶の中では寺内はおらず、相変わらず4人で飲んでいた。

何がそんなに楽しかったのかまるで覚えてないが、
それはそれは大笑いで、
三井はんが笑いこけてもんどうり打ってひっくり返って、
キンタマ袋の裏が見えているのがまた可笑しくってたまらず、
相乗効果で更に笑いこけて飲んでいる。

これが今の時代なら、
草薙くんのように警察に
「絶対悪い薬でもやっているのだろう」
とばかり職務質問されるのだろうが、
この4人はそれから職務質問ぐらいでは収まらないような行動に出る。

誰が言い出したのか
「じゃあ神社にお参りに行こう!!」
ということになり、
そのまま4人は素っ裸のままTOPSマンションを飛び出してゆく。

えっ!ほっ!えっ!ほっ!

階段を4人で駆け降りて、
TOPSマンションの玄関を出るとそこはもう国道246である。

えっ!ほっ!えっ!ほっ!

一列になって歩道をジョギングスタイルで駆けてゆくのだが、
時はもう朝方、通勤ラッシュのため246は大渋滞である。

ぎゃー!!

渋滞で進まない通勤バスの中で女子高生が悲鳴を上げる。
ただひとり顔が売れている衛藤浩一だけが少しひるんだが、
三井はんを筆頭にその他の人間は全然ひるむことなく走り続ける。

えっ!ほっ!えっ!ほっ!

思えば次の角には交番があったのだが運良く警察官はおらず、
そこを素通りして池尻神社にほどなく到着する。

えっ!ほっ!えっ!ほっ!

ワシの視線は先頭を走る三井はんの尻に釘付けになりながら走っているのじゃが、
池尻神社の階段を上る時にはそれがほんの目の前で揺れることとなる。

えっ!ほっ!えっ!ほっ!

尻、そしてその背後に階段の風景が、
尻、そして階段が終わった池尻神社の風景に上の方から徐々に変わってゆく。

そして尻の向こう側に見えるのは
神主さんがレレレのおじさんよろしく境内を掃除している姿。

ぶったまげて竹ぼうきを落としそうになりながら、
神主さんはスローモーションのように片手を左右に振りながら叫ぶ。

「その格好で入って来てはならん!!」

臆することなく神主さんを押しのけて境内を進む3人。
ただひとり衛藤浩一だけが神社の木に隠れて星明子のように3人を見つめていた。

えっ!ほっ!えっ!ほっ!

目の前の尻は動きを止め、3人は賽銭箱の前で横1列に並び、
柏手を打って鈴緒を振って本坪鈴を鳴らし、
お参りをすませて身体を翻し、また縦1列に並んで走り出す。

えっ!ほっ!えっ!ほっ!

神主さんは先ほどとまるで同じ姿勢で
竹ぼうきを持ったまま片手を横に振って何かを叫んでいる。
星明子のように木陰で隠れて3人を心配そうに見ていた衛藤浩一の前を3人が通ると
衛藤浩一もそれに合流し、
また4人は1列になって階段を下り、
246沿いの歩道をまた規則正しく走り出す。

えっ!ほっ!えっ!ほっ!

歩道を歩く通勤客は道をあけ、
自転車はすっ転びそうになりながら道をあける。

ぎゃー!!

先ほどの通勤バスは渋滞のためにまだ同じところに止まっていて、
満載の乗客がまた同じように悲鳴を上げる。

警察官のいない派出所の前を通ってほどなく走るとTOPSマンションにたどり着き、
階段を上がって4人は部屋に戻り、
また何事もなかったかのように素っ裸のまま酒を飲んだ。

和佐田は触らぬ神に祟りなしで部屋に引っ込んだまま出て来なかった。

4人が4人ともこれだけべろんべろんになりながら
この一部始終は昨日のように鮮明に思い出すのだから不思議である。

若き日の美しい思い出である。

Posted by ファンキー末吉 at:11:57 | 固定リンク

2010年6月21日

ギネス日本支部のアコギな仕事ぶり

今日はまるでオフなので前々から書こうと思ってたこの件について書きたいと思う。

もともとギネスなんぞに挑戦するつもりもなかったのじゃが、
二井原実にぽろっと口が滑って言ってしまったがために
なんかもう後には引けない状況になってしまった・・・

まあまる2日ぐらいドラムを叩き続ける自信はあるので、
とりあえずのスケジュールは押さえてみて、
どうやって申請するのかを調べてみた。

ギネス世界記録ー日本公式サイトはこれである。

見るからにうさんくさい。
みのもんたを起用してTOPに有名人の顔を載せているところやら、
何よりも電話連絡等一切の直接コンタクトを拒否しているところがアヤシイ・・・
・・・というか、

<ご注意> 既存の記録確認や、最新の記録調査の依頼は一切受け付けておりません。

というのはちと困る。
記録を確認出来なければ挑戦も出来ないではないか!!!

ギネス世界記録2010』っつう本を購入するか、
もしくは「ギネス・ワールド・レコーズ 英語版公式サイト」に行って自分で調べろ、と。

しゃーないから調べてみる。
自分がドラムを叩いて記録を樹立するとすれば、これだろう!!

Longest Concert By A Solo Artist
In a small theatre in Montmartre, Paris, Canadian musician, singer-songwriter, producer and rapper Jason Beck, aka Gonzales, began his attempt for the longest concert by a solo artist at 0:22 a.m. on Sunday, 17 May 2009. Spurred on by a rotating series of enthusiastic audiences (especially the 3 a.m. to 6 a.m. crowd), Gonzales continued to play throughout the night and the following day while at various times being shaved (with a cutthroat razor), eating cereal one-handed and being interviewed on TV. Determined not to repeat any songs ("I want to break the record without sounding like a broken record") Gonzales interpreted a huge playlist that ranged from Britney Spears to Beethoven. He also took requests from the audience watching him at the venue itself and online via a live stream of the attempt. The record was eventually broken in the early hours of Monday morning and by the time Gonzales finished his concert Guinness World Records™ Adjudicator Frank Chambers could announce a new record of 27 hr 3 min 44 sec.

Longest Concert By A Solo Artist、
つまりソロアーティストとしての最長コンサート。
これだったらいろんなプレイヤー呼んで入れ替わり立ち代わり、
27時間3分44秒以上セッションを続ければよいということになる。

まあ8月14日の夕方5時から始めて翌日の夜9時に終了すれば28時間、
夜8時にはX.Y.Z.→Aをブッキングしといて、
ちょうど27時間3分44秒あたりに「生きるとは何だ?!」を演奏すれば盛り上がるなあ・・・

・・・と個人的に考えつつ、
じゃあ申請しようというとこれがなかなかめんどくさい。
直接イギリスに申請するには語学力とかの問題もあるので、
「日本語プレミアムサービス」というのを選ぶことにした。

もちろん金がかかる。
要は「金を払わんヤツには何の問い合わせにも答えるつもりは御座いません」
ということなので、まあいい!!
金さえ払えばワシは「客」なのである。

金を支払ってから気がついた。
「£1,000」とあるので「千ドルかあ・・・9万円ちょいか・・・」と思ってたら、
千ポンド!!約13万5千円!!

高いぞ!!!!

まあ支払ってしまったものは仕方がない。
これで「サービス」を受けられるんだからそれでよしとしよう!!

ところがホームページでの説明では、
【料金支払完了後、申請が受理された旨を電子メールでお知らせします。
この電子メールには、「記録挑戦に関する同意書」が添付されています。
その同意書にサインをし、至急FAXにて返送して下さい】
と記載されているが、なかなかギネスからメール届かない・・・。

支払完了後、ギネスのサイト内でページにうまく遷移しなかったが、そのためか・・・?
申請が完了していないのか・・・?
今日が土曜日だからか・・・?

不安になったので、ギネスに問い合わせのメールをしてみる。
「お金を支払いました。
申請は完了していますでしょうか?
同意書はすぐに返送されるのでしょうか」

すると、ギネスから英文のメールが届いた。
URLアドレスと、ログインID、パスワードが記されている。
しかし、同意書のようなものは添付されていない。

「日本語プレミアムサービス」に金を払った「客」に何で英文のメールを送りつける?!!
あの13万5千円の金は何やったんや?!!

電話でクレームを言うことも出来んし、
「日本語プレミアムサービス」にメールしたら英文を送られて来るんじゃ仕方がない。
【Please click here to start】 と書かれているので、
試しに、メールに記載のURLにアクセスし、ログインしてみる。

すると、また申請画面が出てきた。
今度は英文のフォーマットだ。

ええかげんにせんかい!!

一応、また同じ申請内容を入力して進んでみる。
しかし、
「プレミアムサービスは1000ポンド必要です」
と、記されている。

アホかい!! 金ならすでに支払ってるやないかい!!
まだ更に金を搾り取るんかい!!

その後、ギネスからのメールが届くことはなかったので、
なんとか日本オフィスの連絡先を調べて電話で状況を説明。
(もともとちゃんと最初っから電話で対応せーよ!!)

やっとメールで同意書が届いた。
今度は日本語だ。やっとこれで申請手続きが進められる。
14ページにも渡る同意書だ。手続きが細かい。
内容を読んでみる。

【サイン入りの同意書を当社が受理した時点で、4週間以内に申請を審査・・・】

ん?

【ガイドライン受領後、6週間以内に審査します・・・・】

ん?

【有料でプレミアムサービスにアップグレードしていただけます】

ん?

全くもってよーわからん!!
13万5千円も払ってその「サービス」がこれか?
5万円で英語の通訳雇って
直接イギリスのギネスとやりとりした方が「サービス」がええんとちゃうか!!!

同意書やら煩雑な書類にサインして送り返したらやっと返事が来た。
以下が全文である。(個人名は伏せました)

---------------------------------------------------------------------------------------

末吉様、

ギネスワールドレコーズの@@と申します。
日本語プレミアムサービスをご利用いただきありがとうございます。

「最長のソロコンサート」での申請ですが、
現在の記録は、2009年7月5日から26日にかけて、インドで行われた、501時間です。

The longest performance by a solo artist lasted 501 hours and was achieved by Kuzhalmannam Ramakrishnan (India) at the Rhythm Therapy Hall, Nandavanam Hospital, Ottapalam, Kerala, India, on 5-26 July 2009

こちらとは別に、個人で長い時間ドラムを演奏した、記録もございますが、
こちらは120時間が現在の記録です。

(こちらはあくまでも、現在このメールの送信時点での記録です。
記録は、今後いつでも更新される可能性があります。
記録が更新された場合、当社から各申請者に通知することはできませんので、
記録挑戦の直前に新しい記録が達成されていないことを確認していただく必要があります。)

どちらも、ご予定になっていた28時間より大分長くなりますが、
ソロコンサートの方のガイドラインと
「記録挑戦者のためのしおり」(Record Breakers Pack)を添付いたします。
ガイドラインは規則上、全世界共通で翻訳はお送りできないことになっております。
何かご不明な点がございましたら、私までお問い合わせください。
記録の挑戦後は、申請内容をまとめて、以下の宛先にお送りください。

Records Management Team
GUINNESS WORLD RECORDS LIMITED
3rd Floor
184-192 Drummond Street
London NW1 3HP
UNITED KINGDOM.

よろしくお願いいたします。

---------------------------------------------------------------------------------------

自分とこやのうてイギリスに送らせるんかい!!
お前の仕事はこれで終わりかい!!

それより不明な点も何も、お前んとこのサイトで、
「一切の問い合わせには応じないので自分で調べろ」
というのでお前んとこの本家のサイトで調べたら27時間と出てたから、
「ほな金を払いまひょか」と払うたら「それは間違いです。ほんまはこれです」
ってそんな詐欺まがいな商売をやっとるんか?!!

せめてもっとリーズナブルな値段で
先にそれを確認してあげるサービスが妥当なんとちゃうか?!!
ワシの13万5千円返せ!!と言いたいが、
「支払い頂いたお金は申請が受理出来なくても返せません」

あんたらちと商売がアコギすぎやしませんか?!!

こうなったら乗りかかった船じゃ、120時間に挑戦するか?!!
とほざいてたら嫁に止められた。

「あんたはそんなことせんでも十分世界一のドラマーやで」

金よりも労力である。
13万5千円を取り戻すためにもっと多くの労力を費やすぐらいなら
泣き寝入りをした方がまだ楽である。

このサイトで金を支払ったワシみたいなアホな人間はもっといると思う。
全くもってネットで「先に金を振り込め」っていう商売にろくな商売はないな。

Posted by ファンキー末吉 at:10:25 | 固定リンク

2010年4月23日

乗り遅れ!!

ツアー初日!!

八王子から京都へは横浜線に乗って新横浜乗り換えで行く。
新横浜では私と張張(ZhangZhang)のチケットを持った和佐田が待っている。

時間に余裕を持って出発、
予定より早く横浜線のホームから電車に乗り、
iPhoneでブログ更新などをやりながら、
ふと顔を上げて外を見ると・・・

「知らん駅に来とるぞ!!・・・」

見れば「相模原線上溝」と書かれている。
ワシはちゃんと横浜線のホームから電車に乗ったぞ!!

仕方がないので飛び降りてタクシーに乗る。
「新横浜まで30分で行ってくれ!!」

そりゃ無理だと言われ、
「じゃあ一番近い横浜線の駅まで行ってくれ!!」

タクシー代は散財じゃが、間に合わなければもっと散財が待っている。
和佐田が用意したチケットは「プラットこだま」、
乗り遅れたら乗車変更も出来なければ払い戻しも出来ないのだ・・・

上溝から最寄りの駅は淵野辺、
タクシーを降りてそそくさと電車に飛び乗ったが、
検索によると2分違いで間に合わないらしい。

新幹線遅れんか・・・

そうは都合良く遅れるわけはない・・・
新横浜で張張(ZhangZhang)の分もチケットを買い直し、
2万4千円の散財・・・

てんやわんやで京都に着いたのであった・・・

WasadaTourKyouto.jpg

Posted by ファンキー末吉 at:20:07 | 固定リンク

2010年4月10日

爆風銃(バップガン)アライブ!!

いや、ボーカルが不参加だったので厳密には爆風銃ではないのですが、
まあ6人中5人が集まったら結構爆風銃に似ている。

特に10数年振りに一緒にプレイしたホッピー神山は圧巻だった。

10数年前のセッションでは、
拾って来たテレコやサックスの吹き口などを並べ、
キーボードはほとんど弾かずにただただノイズを出しまくってた。

ここぞボーカルの見せ場というところで
「ブォー」
とノイズを鳴らされて二井原が怒り心頭で睨んでいたのを覚えている。

昨日会場入りして一番気になっていたのがホッピーのセッティングである。
名機プロフェット5をはじめとして、
リハで使った3台のキーボードは並んでいるものの、
入り時間にやって来たホッピーが数々のノイズ発生機を並べ始めたとしたら、
それはそれらの名機は本番で必ずしも正しく弾かれるとは限らない。

いや、もともと本番になったらちゃんと弾くかどうかわからないのだ!!
これはある意味本番にちゃんと来るかどうかわからないPさんの話よりも恐ろしい・・・

しかし予想に反し、ホッピーはちゃんと弾いた!!
見事に20数年前のプレイを「再現」した!!

いや、「再現」どころではない「本領発揮」に近い!!

通常キーボードはPAに接続してステレオで再生するが、
彼の場合はJCというギターアンプを持ち込んでアンプで再生する。

しかも全部モノラルである。

「シンセのステレオなんてさあ、中でエフェクターで広げてるだけなんだからさあ。
そしたら音もぼやけるしさあ。
僕なんかリバーブも何もエフェクト全部切って全部モノラルよ!!」

その「生音」の壮絶さと言ったら、
キーボードソロの時にステージ上の全員が歯医者で奥歯を削られているような錯覚に陥り、
その8小節間の間全員が身体をよじり、顔を歪めてプレイする羽目となる。

通常のキーボードプレイヤーのように「音量」すらもPAに預けているわけではないので出し放題、
つまり「爆音」である。

ワシはただでさえ隣に爆音の低音、
いや弦をはじくのでもっと耳が痛い周波数帯域も多いベーシストが、
1000Wを越える大音量アンプを持ち込んでバキバキ鳴らしているのだ。

そしてスティーブ衛藤の金物パーカッションがその合間を縫って耳をつんざく。

ただひとりの良識人であるかんじさんは、
難聴に頭をぼーっとさせながら自然にアンプの音量が上がってゆく・・・


ほーじんが爆風銃のみんなに宛てた書簡
に書かれているように、
これぞ「向こう見ずな若者が作り上げた向こう見ずな爆風銃サウンド」なのである。

実は爆風銃がイーストウェストでグランプリを取った時、
ひとりの若者がそのサウンドに感銘を受け、
当時誰も、メディアや音楽評論家でさえあまり取り上げた事のないこの「Funk」というサウンドの虜になった。

翌年彼は同じようにヘアースタイルをアフロヘアーにして、
「ホッテントット」というバンドを組んでイーストウェストに出場した。

若き日の久保田利伸である。

チョッピン加藤が久保田くんとひょんなことから飲んだ時にその話をしたら、
彼が爆風銃に影響を受けたことを認めながらこう言ったそうだ。

「でもね、僕はあんな暴力的な、とんがったFunkはやりたくない。
もっとメローでポップなのをやりたいんだ」
と。

それからの久保田くんの活躍は誰もが知るところである。
しかし爆風銃はその道を選ばなかった。

いや、選べなかった。

どうしようもなく怒り、爆発し、それを16ビートのFunkリズムにぶつけ続けてぶっ壊れて解散した。

だからこの素晴らしいミュージシャン達は「今」がある。

おかげでワシはこの「ドッタッドッタッツ」のリズムだけで全てが表現出来る。
だからバラードがそのほとんどの仕事である中国でトップクラスのスタジオミュージシャンとして仕事ができる。

後は両極端のメタルとJazzをもっと極めれば世界一じゃ!!

いや、昔からみんな「俺は世界一じゃ!!」と言ってたのだ。
きっと一生自分でそう信じて疑わないだろう。

加藤が飲みながら
「あの時に古河電工の社員祭りに来てくれたよねえ」
と懐かしそうに語る。

「どうして今超有名人なファンキー末吉が、
たかだかうちの会社の社員祭りでアマチュアに混じってドラムを叩こうなんて思ってくれたの?
と聞いたら末吉はこう答えたんだよ」

「俺は自分を試したいんだ。
爆風スランプとかそんなのを取り払って、
裸になって自分がドラムを叩いてどれだけ通用するのかを」

そんなこと言ってたのか・・・

そう言えばその延長でアメリカのジャズクラブで武者修行もしたし、
最後には誰も爆風スランプの名前など知らない中国で地盤を築いたではないか。

だいたい音楽なんてスポーツと違って数字を争っているものではない。
売れ行き枚数が多いから少ない枚数の音楽より「いい音楽」かというわけではない。

「自分は世界一なんだ!!」
と思えればそれでいいし、
そう思い続けてゆくことが世界一の音楽の入り口なのだ。

だからワシは時々無性に自分が世界一である「確認」をしたくなる。
昨日のセッションはワシにとってはその「戦い」であったのだ。

この素晴らしい世界一の「キチガイども」に一歩も引かずに渡り合っている自分を見て、
また「俺はやっぱり世界一じゃ!!」と思って生きてゆける。

今年に入ってまだX.Y.Z.→Aの活動がないからなおさらである。

世に売れてる歌手は山ほどいる。
日本の○○さんや××さんのバックをやったってワシは自分が「世界一」だと思えない。

だって○○さんと××さんと二井原さんが自分のことを誰も知らない外国に行って歌を歌ったら、
二井原さんは絶賛されるに違いないが、
○○さんはどっちらけで、××さんは石を投げつけられるだろう。
(みなさんの中で勝手に○○さんや××さんを想像して当てはめて下さい)

そんな世界一の人達と一歩も引かずに渡り合ってゆける自分でありたい。

さあ今日はこれわさファンキー、
是方博邦さんとバーベQ和佐田さんとのセッション。

今日は昨日と違ってゆーるくセッションさせて頂きたい。

Posted by ファンキー末吉 at:13:34 | 固定リンク

2010年4月 8日

爆風銃(バップガン)のリハーサル

明日(4月9日金曜日)のリハーサルのために久しぶりのメンバーがスタジオに集まった。
ホッピー神山とはなんと10数年振りである。

今回、八丈島に住むホッピーを呼び出すのにいろいろメンバーからメールを送ったのだが、
その返事のひとつがこれである。


ははは~~、20年アヴァンギャルドひと筋ですから、どうなっても知らない
ですよ~~~。
いつもライブ時の私の手許は、AllesisのAir Synや
NoiseマシーンやKORGのKaosPadや
ゴミ箱で拾ってきたカセットテープを3台同時発声、とかだけなんですよ。
そうそう、映像VJのいつも同時にやるので、
KORGの映像用のKaos Padを使って
その場でエフェクト編集してグニャグニャした映像をプロジェクターに流してやっています。
左手でNoizマシーン、右手で映像 KaosPadですね。
ちょっと前までは自作のNolizヴァイオリンや変調SAXなどもあり、
そういう創作楽器のアプローチも多かったんですが、
ヴァイオリンは今故障中なので残念ながら稼動できないんです。
とんでもないメンバーに声かけちゃたのかも知れませんよ。

天才と何たらは紙一重と言うがその通りである!!

そう言えば10数年前に最後にやったライブでも彼はほとんどキーボードを弾かなかった。
ずーっと変なノイズを出していただけである。

これには歌を歌うフレディー・マーシーが困り果てた。
「コードが鳴ってないと歌が歌えないから頼みますよ」
と・・・

ところがホッピーは
「ベースとギターが鳴ってれば歌なんて歌えるでしょ」
と取り合わない。

前回はもう1本ギターがいたので、
「じゃあホッピーには好き勝手やってもらって、彼にちゃんとコードを弾いてもらおう」
と思ったら、スタジオに行ってみたらオリジナルメンバーのうち4人しかいない。

つまりギターは1本しかいないのだ!!

「俺はちゃんと弾くことも出来るんだ」
と常々豪語しているホッピー、今日はアンサンブルを考えてか、
それともとりあえず最低限を作っておいて本番ぶちこわすつもりか、
とりあえず今日は全曲ちゃんと弾いた。

なんか「ちゃんと弾く」か、「全然弾かない」かどちららしいよ・・・

とみんなが影でこそこそ言うが、
まあこれは「仕事」ではない、
みんなの「楽しみ」でやってるライブなのだからワシとしては別にどちらでもよい。

ちなみに「仕事」の場合、ホッピーはクライアントに誓約書を書かせられるらしい。
私はこの仕事において女装とかぶりモノは絶対にやりません
と・・・

ホッピーさん、女装でもかぶりモノでも何でもやって下さい!!(笑)

かくしてリハーサルは(本当に)無事に終わった。
さすが天才!!素晴らしいサウンドセンスである。
(このままちゃんと弾けば)

思えばワシの「ポップ」というセンスは全てホッピーから学んだ。
ホッピーはワシにとってはアバンギャルドもポップも意のままの大先生である。

それと共にワシにとってはこの青春時代の楽曲全てが「リズムの先生」である。

例えばこの楽曲を聞いてみて欲しい。

ドラムは見事に「ドッタッドッタッ」しかやっていない。
オカズもほとんど叩いていない。

二十歳そこそこの若造がこれだけで全てを表現している!!

この曲もそうである。

最近ほーじんはいつもワシに言う。
「末吉ぃ!!怒りやで!!あの頃の爆風銃はなあ、みんな怒ってたんや!!」

怒りをヘビーメタルで表現するのはストレートであるが、
FUNKのリズムでそれを表現するのは至難の業である。

ドラマーとしてそれをリズム的に分析させてもらうとこういうことではないだろうか。

通常FUNKビートというのはクリックに対して少々打点を遅らせて叩く。
つまりちょっと「重たい」ビートということである。

しかしこれでは全体的にリズムがレイドバックしてしまい、
「怒り」とはほど遠い「枯れた」世界感になってしまう。

往々にして年寄りバンドのリズムがレイドバックしてしまうのは、
だいたいは年をとってちょっとヘタになり、「打点が遅れてしまう」からということが多い。

ところがFUNKでこの「怒り」を表現するには、
この「遅れてない精一杯の遅い打点」の位置から
ほんのちょっとだけ「前のめりに叩く」ことによって
リズムを後ろから押してやる」という手法を使っているのではないかとワシは分析する。

これが打点が前に来てしまうと「突っ走っている」感じになってしまい、
この微妙なさじ加減が非常に難しい。

ちなみに「リズム」というものには「幅」があるのだ。
クリックと完璧に同時に叩いてクリック音が完全に消えている状態でも、
更にその中に「前」と「後ろ」がある。

これを自在に使い分けるのが「ドラマーの仕事」なのである。

ところが人間なのだから言うほど正確に叩けるわけがない。
だからリズムに「うねり」がある。
オカズを叩いたらちょっとだけ早くなったり、
気合いを入れ過ぎてちょっとだけ遅くなったり・・・

それを人の何百倍もの集中力で、一瞬のうちにそれを感じ取り、
次の一発でそれを修正する。

その連続が「リズム」なのだ。

例えばオカズを叩いて、
次の小節の頭のシンバルがほんの少しだけ早かったとしよう。
その次のスネアまでの1拍の間に、
もの凄いスローモーション(に本人は感じる)でそれを修正する。

ちょっと遅くなるのか、音が大きくなるのか、
また次の瞬間にはそれをまたもの凄いスローモーション
(あまりの集中力のため)で修正しようとする。

その「物語の連続」が「ビート」なのだ。

上記2曲の演奏(昔の爆風銃の演奏は全てそうなのじゃが)は、
この簡単なリズムの中でがむしゃらにその戦いを続けている。
そうやって「どうしようもない怒り」を表現しようとしている。

「いいドラム」とは何か、
それは「決してあきらめないこと」なのだと今でもワシに教えてくれるのだ。

ワシは別に人より不幸な人生を歩んだわけでもない。
人よりより多くの絶望を見て来たわけでもない。

でもワシは多感な頃に感じたいろんな感情の全てをいつも忘れない。

「怒り」を忘れてまで音楽をやるつもりはない。
「絶望」を知らない人に「希望」が語れるわけがないではないか!!
同様に「怒り」を知らない人に「愛」が語れるわけがない。
(まあ全てそれも「自分なりに」しか出来ないのであるが・・・)

若い頃にがむしゃらに感情をぶつけ合って、
傷つけ合って憎み合って別れた仲間達と、
(そう思ってるのはワシだけか?)
再び同じ音楽を奏でてると思い出す。

自分は何なのか(何だったのか)、と・・・

幸いみんな大人になった。
その「怒り」をそれぞれの相手にぶつけることはもうない。
だけどみんなまだ「怒り」を忘れていない。
それをぶつける相手はただひとり、「ふがいない自分に」だけなのである。

みんなあの頃こう言ってたではないか。
「俺は世界一なんだ!!」
と・・・

だから俺は死ぬまでそれを目指す。

そんなことを思わせてくれる昔仲間との再会だった。

明日は楽しいライブになりそうだ。
(意外とちゃんと普通に弾くかも知れないが)
特にホッピー神山師匠からは目が離せない・・・

Posted by ファンキー末吉 at:23:33 | 固定リンク

2010年2月25日

ドリスの思い出

飛行機に乗って海外に行く時、ワシはいつも寿司を食う。
日本を懐かしむのと、飛行機が落ちでもしたらもう二度と食べられないから、
と理由をつけてひとりで贅沢をしているのじゃが、
今では座れば板前さんに「毎度いらっしゃいませ」と言われるまでになっている。

昨日もいつもの席にひとりで座って飲んでたら、
隣に金髪の妙齢の美女が座った。

二井原と違って金髪美女には知り合いがいないのじゃが、
ふと頭の中に「彼女はドリスではあるまいか・・・」という考えがよぎった。

金髪美女というとドリスしか知り合いがいないのだから仕方がない。
しかしそんな知り合いが偶然隣に?・・・
そんなはずはないことがよく起こるのがワシの人生だから妄想は止まらない。

ドリスと会ったのは25年前。
爆風スランプがデビューし、
そこそこ人気はあったがどうしようもなく貧乏な時代だった。

東京駅で地図を見ながら途方に暮れているバックパッカーに声をかけた。
それがドリスである。
「May I help you?」
英語がさほど得意ではないのだが仕方がない。
聞けば彼女もドイツ人だったので英語はネイティブではなく、
「Can」を「キャン」ではなく「カン」と発音してたのを覚えている。

友人とはぐれて大使館を探しているということだったが、
その「Embassy」という単語が分からず、
結局うちの4畳半のアパートに連れて帰った。

近所は大騒ぎである。
今でこそ二井原や仮谷くんと「村」を作って暮らしているが、
当時もやはりそうだった。

村の住人はマーシー(シェイカーのマーシーではない)。
そして現在のその奥さんであるかおりちゃん。

いつものようにどんちゃん騒ぎが始まる。
ドリスはバックパックの中に玉ねぎを忍ばしていて、
それをいつも生でかじってた。
マーシーがそれをマネして辛くて吐き出したのを覚えている。

当然風呂なんかないので銭湯に連れてゆくが、
女の子はかおりちゃんしかいないのだから手取り足取り日本の銭湯の入り方を教えた。
出て来た時に男どもがこぞって聞いたのは
「下の毛も金髪なのか?」
だったのが今更ながらあきれる。

四畳半の部屋はベッドとこたつで既にいっぱいなので、
とりあえずベッドにドリスを寝かせ、
ワシと居候のかずまささんはこたつで寝た。

何故か手を出そうとは誰も考えなかった。
外国人に慣れてない当時のワシたちは、
「自分たちは日本を代表してドイツ人を助けてるんだ」
みたいな意識があったのだ。

渋谷エピキュラスで爆風のライブというか
番組の収録かなんかがあったのでドリスを連れて行った。
とても喜んで「ヨーイ!!ヨーイ!!」と歌ってたのを覚えている。

当時は爆風も人気が出て来た頃だったので、
あんな貧しい暮らしをしている若者が、
ステージに立つといきなりスターになることも面白かったに違いない。

好きなバンドやって、
金はないが、友達がいっぱいいて、
毎日酒飲んで大騒ぎして、
そんな若者の生活が、同じ若者としてドリスも楽しかったのだろう。

数日うちに泊まっただろうか、
大使館に行ってはぐれた友達とも会えたというので、
その友達も連れて来た。

ドリスはお人形さんのように可愛かった記憶があるが、
その友達はお世辞にも可愛いとは言い難かった。
だから名前も覚えていない(笑)。

四畳半のワシの部屋を見た時に
「アンタはこんなところで知らない男の人と何日も暮らしてたの?」
みたいな感じでドリスを咎めてたのを覚えている。
ドイツ語で話してたのでよくわからんが、
ひょっとしたら
「よくこんな汚いところで住めるわよね」
ぐらいのことだったのかも知れない。

結局その彼女も一泊していったが、
それを最後にふたりとも帰って行ってしまった。
その彼女と違ってドリスがとても名残惜しそうにしてたのを覚えている。

あれからドリスはどうしてるだろう・・・
この年になってもまだバックパッカーをしてたら素敵だな・・・
などと考えてるうちに隣の妙齢の金髪美女がお会計に立ち上がった。

声をかけようか・・・やっぱりやめとこう。
あれはきっとドリスだったんだと思っておこう。
きっと彼女もワシのことを
「きっとあの時の貧乏な若者なんだわ」
と思っとこうと思って声をかけなかったんだ。

妄想は素敵だ。
いい酒を飲めた。

おかげで北京初日は二日酔いである。

Posted by ファンキー末吉 at:10:55 | 固定リンク

2010年2月18日

嫁またもや本気やな・・・2

「パパがブログであんなこと書くからもう緊張してドラム叩けん!!」
と嫁。

なんでやねん!!
ワシは別に
「うちの奥さんむっちゃ上手いでぇ」
とか言うてるわけじゃない。
むしろ下手やと言うてるんや。

それにプロJamという企画はセッションリーダー以外はみんなアマチュアなんやから下手で当然!!
それを楽しむ会なんやから恥ずかしいもへったくれもないやないの!!

「かくなる上は・・・」
と嫁は言う。

「パパにつきっきりで教えてもらわないかんなあ」

げげっ!!!
嫁よ、いくらあんたがプロドラマーの奥さんやったとしてもそれはあまりにも職権乱用(?)とちゃうか!!

この一本のプロJamのおかげでワシの週末は消え去った・・・
と思いきや、
「さ、て、と・・・」
と嫁がお出かけするので運転して送りに行くと、
何と嫁が向かったのは「まつ毛パーマ」

あんたドラム練習すんとちゃうん?!!

「だってステージに立つんやからまつ毛パーマしとかな・・・」
ってあんた!!
ドラムとまつ毛と何の関係があるの?!
あんたの旦那はドラムさえ上手ければ衣装やルックスさえもどうでもええと言う人やのに、
その嫁はまず「まつ毛パーマ」。

しかもドラマーって客席からまつ毛まで見えるんですか?!!

かくしてワシはまつ毛パーマ屋の前で子守をしている。
プロJam当日も恐らく子守りじゃろう・・・

Posted by ファンキー末吉 at:10:28 | 固定リンク

2010年2月17日

嫁またもや本気やな・・・

高知から帰ったらスタジオにドラムセットがセッティングされていた。
ついでにその横に子供用のドラムセットが置いてあるのはわかるが、
じゃあ大人用のドラムは誰が叩くのじゃ?

「プロJamも近いからね、練習せんと・・・」

あんたギター弾くんとちゃうの?!!
前回あれだけギター練習しとったやん!!

聞けばコピバンというのは、
ある時期ギターで参加してたり、
ある時期ドラムで参加してたり、
嫁の場合ボンジョビをやるバンドはギターを弾いてる時期やったし、
聖飢魔IIをやるバンドの時はドラムを叩いてた時期らしい。

来たる2月21日のプロJamのセッションリーダーは石川俊介様ではないか!!

というわけで嫁はちゃんとドラムの欄に自分の名前を書いている。
同じ曲にエントリーしているドラマーもいるが、
嫁は蹴落とすか、もしくは自分が叩くまで何度でもその曲をやってもらうつもりらしい。

なにせ嫁はその曲しかドラムを叩けないのだから・・・

ま、いい。世界平和は家庭平和からである。
嫁元気で楽しければ、家族みんなが、
ひいては世界中が平和であるということじゃ。

しかしもう時間がない。
ドラムにだけ耳が厳しいわけではないが、
どう聞いてもちゃんとドラムが叩けているようには聞こえない。

「パパぁ!どうしよう!!間に合わんわ・・・」
嫁から泣きが入って言った一言が凄かった。

「パパぁ!譜面書いて!!」

おいおい!このファンキー末吉にドラムの譜面を書かすのか、嫁よ!!
まあいい、つきっきりで教えろと言われるより負担は軽い。
しかしワシがいつも書いてるような譜面で読めるのか?

「うん、私だったら読めると思う」

おいおい、夫婦だからこの走り書きのメモが読めるというもんではないぞよ。
試しにいつものようにちゃちゃっと書いて渡してやった。

YomeScore.jpg

ちなみに「ドバラドン」はスネア、タム、フロア、バスドラの連打のこと。
「タコタコ」はスネア頭打ちのリズムのこと。

わかるかなー・・・さっさと渡して逃げるように仕事に行くワシであった。

Posted by ファンキー末吉 at:17:42 | 固定リンク

2010年2月16日

親戚の寄り合い?

ワシは親戚とあんまし折り合いがよくなかったので
全然「親戚付き合い」というものをしたことがなかったが、
不思議と高知の山下家とは親しく付き合っていた。

そこの主である通称「お髭のおじさん」が何やら賞をもらったので、
何やらお祝いがあるんで来てくれというのでのこのこやって来た。
まあ高知でひとりでいるおふくろの顔も見たらんと親不孝じゃろう・・・

というわけで、おふくろの顔も見たので午後はヒマである。
昼間っから「ひろめ市場」に繰り出す。

HiromeIchiba.JPG


高知というところはまっこと(高知弁で非常にという意味)不思議なところで、
昼間っからこうして酒を飲んでいても自然である。
一族にひとりぐらいはアル中がいて、
小さい頃から酒飲みの相手は慣れているので、
学校さぼった女子高生とかに酔っぱらいのおんちゃんが絡んで来ても、
東京とかの女子高生のように毛嫌いすることもなく、
「おんちゃん昼間から飲み過ぎなや!」
とたしなめたりする不思議な光景が見られる。

かく言うワシも実は羽田で軽く一杯やっているので、
さっそく高知流に昼間っからビールである。

つまみは鰹の塩タタキ!!

WarayakiTataki.JPG

その他ウツボのタタキやウツボの唐揚げなどで満腹になり、
一度撃沈・・・
そして夕方に復帰して親戚の寄り合いに向かう。

行ってみると親戚の寄り合いどころか、
「山下哲郎 旭日雙光章受章記念祝賀会」
とか大々的にパーティーが行われているではないか!!

Shukugakai.JPG

一応「正装で行け」という親の言うことを聞いて来てよかったが、
正装と言ってもジャージにジャケットを羽織っただけである。
ワシはどうも正装だけは出来んのよ。
樋口っつぁんの葬式にもひとりジャージで行ってしまったし(涙)。

完全に居場所がないが席だけはある。
結婚式の時のように名前の書かれている場所に座るのじゃが、
なんと「ファンキー末吉」と書かれている。

ShukugakaiZaseki.JPG

あんた親戚の「覚ちゃん」を呼んどいて、
親族席に座らせといて「ファンキー末吉」はないやろ・・・
面識はないが向こうは一方的に知っている親戚の中で小さくなる・・・

列席者の高知県知事や衆議院議員や、
そうそうたるメンバーの長々とした挨拶が終わり乾杯。
しかし高知の乾杯はビールではなくいきなり日本酒である。

かけつけ一杯はビールではなくいきなり日本酒なのじゃ!!

居場所がないので飲むしかなく、
そうこうするうちにいきなり「よさこい鳴子音頭」がかかり、
ドアから踊り子さんが飛び込んで来てよさこいを踊る。

YosakoiNarukoOndo.JPG

思えばここは「よさこい祭り」の本場。
よさこいでグランプリを取ったグループは、
時々こんな目出たい席に呼ばれては花を添えるのじゃろう。

酒は進む。
そうこうするうちに「マグロの解体ショー」

MaguroKaitaiShow.JPG

いやーこれは凄い!!
高知県で養殖された、冷凍されてないマグロである。
旨くないはずがない!!

KaitaiMaguroKita---.JPG

ただでさえ飲み助の高知である。
来客はがんがんに飲み、
気がつけばレスキュー隊が飛び込んで来て誰かを懐抱しておるが、
そんなこともおかまいなく飲む飲む。

急性アルコール中毒か知らんが、
ばたばたとレスキュー隊が病人を運んで行っても、
誰も気にすることもなく、何もなかったかのように飲む。

酒飲んで人が倒れることに慣れ過ぎてるぞ・・・

かくして狂乱の(?)宴は終わった。
そしてワシは結局この賞が何の賞なのか知らない。
いや、列席した全ての人が知らないじゃろう。

これでいいのだ!!
平和なのだ!!

何やらわからんが、おじちゃん、おめでとう!!

Shukujitusoukoushou.JPG

Posted by ファンキー末吉 at:11:11 | 固定リンク

2010年2月 2日

唐辛子爆弾

試しにで出してみた揚げた唐辛子のスナックが人気で、
「帰りに持てるだけ買って来てくれ」
というのでトランクに入るだけ買って持って来た。

トランクは当然預けるのでいいが、
リュックにもぱんぱんに入っているのは手荷物である。
何か言われるかなと思ったが、
「何じゃこりゃ?」
と検査官が言っているのをすかさず
「唐辛子です」
と言ってことなきを得た。

ところがその後、搭乗口に向かおうとすると、
「あなたはダメです」
と手荷物検査場から出してもらえない。

どうしてかと聞くと、
「税関のハンコがないからだ」
と言うのだ。

「税関がハンコ押し忘れたのと俺が何の関係がある!!
すぐに通せ!!飛行機に乗り遅れるじゃろ!!」

中国語を喋ると性格が中国人になってしまうのでついキツく言ってしまう。
責任を全部相手に押し付けるのが「コツ」である。

しかし今回は聞く耳を持ってくれない。
有無を言わさず別室に連れて行かれてしまった。

見ればワシのトランクが転がっている。
考えるに、チェックイン手続きをして、
すぐにレントゲン検査をして、
問題がある場合にはすぐに番号を登録、
その荷物は別室に運ばれ、
それに連動した人間のボーディングパスには税関のハンコが押されないのだ。

前回飛行機に乗り遅れた時に、
どうしてワシの荷物が取り出されたのかもこのシステムによるのだろう。

「荷物を開けろ!」
と言うので
「カギなんかかけてないがな!
チェックしたかったら勝手に開けてチェックしてそんなことでワシを呼ぶな!!」
と更に高圧的に出る。

中国人相手に弱気に出た者が「負け」なのだ。

荷物を開けた途端、そこにいる人は絶句!!

TougarashiBakudan.JPG

そうかぁ・・・こりゃレントゲンで見たら
「砲弾状のケースの中に金属ではないうにうにしたものがたくさん詰まっている」
としか見えないか・・・

さしずめプラスチック爆弾を満載したトランク・・・

雰囲気を察したワシはいきなり態度を変えて満面の笑顔で
「唐辛子でーす!!」
しかし検査官は全員「?」という顔で呆然としている。
どうしてこんなにたくさん唐辛子を持ち出す必要があるのか・・・

「唐辛子大好きなんですぅ!!じゃっ!!」

逃げるように飛行機に搭乗して日本に帰った。
日本の税関で調べられなかっただけラッキーである。

Posted by ファンキー末吉 at:11:24 | 固定リンク

2010年1月 6日

うちの子は天才かっ?!!

去年から嫁は何かあると
「龍之介は天才よ!!」
と仕事場にまで電話をかけてくる。

聞いてみると
「自分でみかんをむいて食べた」
だの
「自分でパック牛乳にストローを刺して飲んだ」
だの飲み食いに関してばっかである。

そりゃ1歳半ぐらいで自分でみかんをむけたり、
パック牛乳の穴の部分を探し当ててシールをむいて
そこにストローを差し込んで飲むのは早熟ではあるが、
「末吉家の人間やから食い意地が張っとるだけなんちゃうん!!」
とその時は相手にしなかった。

ところがこの年越しでワシは思った。
この子はひょっとして本当に天才ではないのか?!
この子が天才なら「はじめちゃん」で上の子は「バカボン」、
ワシは「バカボンのパパ」で嫁は「バカボンのママ」なのはよいとして、
上の娘はどうなるのか?・・・

役がないからとりあえずお前は「ウナギイヌ」!!

というわけで見事役者が揃った末吉家であるが、
事の顛末はこうである。

まずうちの子はiPhoneが好きである。
ほっとくとアプリケーションの位置をぐっしゃぐっしゃにし、
大事なアプリを消してしまうのはまだしも、
気がついたら電話帳データから中国やアメリカにいたずら電話をしてしまうので困る。

この日は電話を使えないように「フライトモード」にして枕元に置いておいた。
消したアプリはあとでiTuneで復元出来るのでいたずら電話さえしなければそれでいい。

息子が夜中に起き出してまたiPhoneで遊んでいた。
ワシは寝てた。
そしたら息子がワシを起こしてiPhoneを渡す。
「ウーウー」と言って何かをして欲しいようだ。

見るとiPhoneはパスワードでロックされており、
それが開かなくなっているのだ。
「ほらほらパスワード設定なんかするから開かんようになってるでしょ」
これでiPhoneは安泰だとばかりまた寝に入ろうとして気がついた。

こいつどうやってパスワード設定したんや?!!

パスワードの設定のためには数あるアイコンの中から「設定」を押し、
その中からさらに「一般」を押して、
さらにその中から「パスワードロック」を押さねばならない。
よしんばその偶然を3回こなしたとしても、
次の画面はこれ

RyuTensaiPassword.PNG

ここに自分でパスワードを打ち込んで、
更には次の画面で同じパスワードを打ち込まねばならない。
字も読めない、言葉も喋れない1歳児が自分でパスワードを設定したと言うのか?!!
偶然にしてももの凄い!!
そして自分でそのパスワードを解除出来ずにワシを起こしたのか、息子よ。

ワシは飛び起きてもう一度iPhoneを見た。
「iPhoneは使用出来ません 59分後にもう一度試して下さい」

確か何回か間違えた後には「1分後にもう一度試して下さい」と出るが、
59分後というと何度間違えたのじゃ?・・・
間違えたと言っても自分で意識して番号を入れられる年ではないのでそれはいいとして、
確かiPhoneには
「10回間違えたらデータを全て消去する」
という設定があったはずじゃ。
こいつがそこも押していたとすると前回バックアップして以後のデータは全部消えてしまう・・・

「ちょっとそれを渡しなさい!!」
子供が泣き叫ぶのも容赦なくiPhoneを取り上げる。
この子が入れた同じパスワードを入れなければ何回目にはデータがなくなってしまうのだ・・・

子供だから4つの数字は必ず同じ数字に違いないと、
試しに「0000」を入力してみる。

外れ!!!

またパスワード入力画面に戻るのでデータはまだ大丈夫なようだ。
次にその左上にキーである「7777」を入力してみる。

外れ!!!

心臓に悪いわ・・・
ちょっとiPhoneを置いて考え直す。
うちの子は右利きなので押すとしたら左側の「7」ではなく、
むしろ右側の「9」ではないのか・・・
「9999」を入力。

外れ!!!

がびーん!!
幸いにもデータはまだ無事なようで、
最後のつもりで「8888」を入力。
ここでやっとパスワードが解除された。

おそるおそる設定画面を見てみると、

RyuTensaiDataErace.PNG

案の定、データ消去をオンにしている。
おそらくこの「8888」が最後のチャンスであったのじゃろう・・・

朝なに食わぬ顔で起き出して来た息子、
自分で椅子を引っ張って行ってテレビの前に陣取り、
「いないいないばあ」を見入っている。

RyuTensai.JPG

こいつは悪魔か天使か?!!
嫁曰く、
「はじめちゃんとちゃうで、この子はパタリロの頭脳と性格を持って生まれて来たのよ」

うーむ・・・そう言えば顔もパタリロに見えて来た・・・

Posted by ファンキー末吉 at:09:55 | 固定リンク

2009年12月21日

LaoWuは偉大やなあ

院子に帰って来たら水道管に凍結防止処理がなされたいた。

LaoWuIdaiyana.JPG

ミュージシャンのくせに何でも出来る!!
貧乏がそうさせたのか、出来るからずーっと貧乏で不自由がないのか・・・

彼曰く、
「嫁にも言われたことあるよ、なんであんたはそんなに貧乏なのって、
でも俺は答えたんだ、この生活をやってるからあくせく働かなくていい、
朝から晩までバンドの練習以外お前とテレビ見たり毎日遊んでるだけじゃないか。
こんな生活はよっぱど金持ちかよっぽど貧乏かしか出来ないよ」

けだし名言である。

ワシここまでサバイバルなミュージシャンは彼以外会ったことがない。
彼に空港まで送ってもらって今から日本に帰る。

山ほどの土産である。

YamahodonoOmiyage.JPG

画面下から順に、
前回好評だったビールがいくらでも進む唐辛子の激辛スナック、
武漢名物鴨の喉笛、
寧夏名物手づかみ羊肉、
29日には客と一緒に全部食らうのじゃ!!

Posted by ファンキー末吉 at:15:26 | 固定リンク

2009年12月20日

飛行機乗り遅れたぁ!!!

ちゃんと時間通りに空港着いて、
ちゃんと時間通りにチェックインして、
ちゃんと時間通りに武漢行きの搭乗口の前のカフェでコーヒー飲んでた。

搭乗案内がアナウンスされたので並んで搭乗しようとしたら、
ピンポンとバーコードが警報音を鳴らした。

「この便はお客様の搭乗する便ではございません」

ゲゲッ!!じゃあワシの便は?・・・
「お客様の便はもう出発してしまってます」

な、な、なんと!!!
いくら何でも同じ航空会社でこんなに近い時間に同じ武漢行きが飛んでるとは夢にも思いませんでしたがな・・・

嫁にメールしたら
「またそんなことしよるし・・・
もう帰って来なさい!!」

そうそう、あれは関空やったなあ・・・
昼過ぎの便。
空港で寿司食って日本酒飲んで、
中入ってVIPラウンジでビール飲んで、
またタダやから言うて命がけで飲んでたなあ・・・

ふと目が覚めたら誰もおらん。
時計を見たらもう夕方。

何で誰も起こさへんねん!!!

今考えても不思議である。
VIPラウンジでは入り口で搭乗券を確認して
乗り遅れないようにするのが仕事ではないのか?!!

嫁は
「パパは酔っ払ったらなかなか起きんから」
と言うが、普通は起きるぞ?!
椅子に座ってうたた寝やぞ?!
「きっと起こすにしても身体に触れてはいけないとか規則があるのよ」
と嫁。
そんなアホな?!!
VIPラウンジの人全員でワシの周りを取り囲んで耳元でずーっと囁いてたのか?!!

結局その日は北京には帰れず、
もう出国しているので出口で「出国取消」のハンコを押されてとぼとぼと大村亭に帰った。

今回は国内線なので出国もへったくれもないが、
どうも荷物はその飛行機には乗ってないので
一旦外に出て荷物を取ってチケットを買い直さねばならないらしい。

どうやって乗り遅れた人の荷物を選別して下ろすのかが新しい謎である。

Posted by ファンキー末吉 at:08:50 | 固定リンク

2009年11月29日

リズム考

今日のライブは非常に楽しかった。
シカゴから来日の菊田さんももちろん凄かったが、
マーティーブレイシーとポールジャクソンのリズムセクションがもの凄かった。

マーティーは私のアイドルドラマーのひとりだし、
ポールジャクソンも私のアイドルベースのひとりだが、
このふたりがリズムセクションを組むことによっていろいろ考えさせられるものがあった。

まずこのポールジャクソンという人が(リズム的に)変態である!!

弾くフレーズ弾くフレーズ裏のビートばかりである。
ほとんどが16分の裏の音符で、
表に来ている音符の方が少ないぐらいである。

これを弾きながら歌を歌えるんだからもの凄い!!

それに合わせてリズムを組み立てるんだから
必然的にマーティーのフレーズも裏打ちが多くなる。
完璧なファンクドラマーである。

しかしこのふたり・・・何といったらいいか・・・
決して「きちっと」していない。

日本人だとカクカクに正しい位置で全拍置いてゆくのだが、
このふたりはどちらかと言うと・・・ユルいのである。

例えばある曲だとベースがラテンのモントゥーノのようにバッキングをしながらそれに乗せてドラムソロを叩く。
当然ながらそのバッキングは16分の裏打ちばかりである。

ところがマーティーがそれに乗せて3連のフレーズを叩くとする。
3連と16分は頭拍以外は同時に鳴らないわけだから、
裏打ちのフレーズを弾いているポールと3連を叩いているマーティーとは、
音符的には全部「ズレている」ということになる。

ところがこれがズレてても気持ちが悪いどころか、
グルーブが同じなので非常に気持ちよく聞ける。

つまり彼らは「音符」を共有しているわけではなく「グルーブ」を共有しているのだ。

マーティーが叩くドラムソロ、
まあ手数を入れるよりもビートを刻むのだが、
それがまた非常に気持ちがいい。

中国語で「有感覚(ヨウガンジュエ)」
日本語で言うと・・・「フィーリングがある?」・・・

いや違う。一番適切な日本語は「粋」なのである。

ファンクは言わば黒人の「民謡」みたいなものである。
それをワシはドラムを始めた頃から「勉強」して来た。
黒人になろうとして「ファンキー末吉」と名乗った。

でも彼らは普通にそれをやっている。
「血」にそれがあるのである。

「黒人にはなれない」と悟って今度は「中国人になる」と言って今がある。
でも中国人になれないことはもうわかっている。
菊田さんが本場シカゴでブルースギタリストとして認められているように、
ワシも中国でドラマーとして認められている。

それでいい。
ワシらがやっているのは「イエローブルース」なのである。

明日もライブがあるのに今日はポールとマーティーと飲んだ。
なんか素敵な夜だった。
明日もきっと素晴らしいライブが出来るに違いない。

Posted by ファンキー末吉 at:02:39 | 固定リンク

2009年11月 1日

民族音楽番組に出演

二胡の劉継紅さんのコンサート、
明日は本番なのだが、今日はテレビの収録である。

「民族音楽の番組では最高峰の番組なんです。
ファンキーさん一緒に出て下さい」
と言われたので、
「テレビ嫌いだからヤダ!!」
ととりあえずは断っていた。

だいたい中国のテレビに出たってワシが得することは全然ない。
有名になったってギャラが上がるわけでもなく、
イヤな仕事がまた増えるぐらいだったら出ない方が全然よい。

X.Y.Z.→Aで出れるんだったら考えてもええけど・・・(無理か)・・・

まあどうしてもと言われると、
延々と話し合いながら断る労力よりも出た方が楽なので
「仕事」として引き受けさせて頂いた。

今回はミュージシャンがみんな売れっ子になってしまったため探すのが大変だったが、
いつものメンバーがスケジュールを空けて集まってくれた。
ドラムやベースアンプを運んで別のところでリハをし、
収録スタジオにまた運んでセッティングするのは大変じゃが、
一流の民族奏者(中国で最高峰ということは世界一の人達か・・・)が演奏する
中国最高峰(ということは世界一ということか・・・)の楽曲に混じって、
私の「ろう君の初恋」と「Memories」を演奏してくれるということは非常に光栄なことである。

リハも一生懸命やり、やる気まんまんで収録スタジオにやって来たら、
ワシらを見てプロデューサーが何やらけげんそうである。

そりゃそうだ、ドレスで着飾った一流の民族奏者に混じって、
ワシらだけ普段着なのである。

「こんな服で出演するつもりですかぁ!!!」
劉さんがきーきー噛み付いて来る。

「いけませんか?・・・」

一応いつも来ている服よりはいい服を着て来たのじゃが、
まあお気に召さないと言うならステージ衣装も持って来ているのでそれに着替えよう。

「テレビに短パンで出るつもりですかぁ!!!」

更におかんむりとなる。
短パンにTシャツはワシの正式な「衣装」じゃぞ・・・

「ひょっとして明日のコンサートもそれで出るつもりじゃないでしょうね!!!」

もちろんそのつもりじゃったが、
あんましきーきー言われるので
「正装しろと言うなら予め言ってくれたら用意するのに」
と一応言ってみる。
用意するにも持ってないのじゃが・・・

「明日DVDのシューティングが入ることは言ってましたよね。
つまり撮影するんだからそれようの衣装を着て来ることは伝えているのと同じですよね!!」

またきーきー言われるので大きく反論してみる。

「中国のあらゆる有名歌手のコンサートDVDを見てみなさい。
ワシが堂々とこの服を着てドラムを叩いてるから。
誰もこの服をダメだと言う歌手はいないよ。
これはワシの正装なんだから」

まあ焼け石に水である。
「住む世界」が違うのである。
彼らにとってテレビやコンサートではドレスやタキシード、
短パンなんぞはもっての外なのである。

それだったら最初から言え!!
拘束時間がどれだけで、労力がどれだけで、
ギャラがいくらで条件が何々、
折り合いがつけばやるし、
条件が飲めなければやらないし、
いきなり言われたって無理でしょう。

・・・と言いながらもし正装が条件なら断ってただろうなあ・・・
・・・映画賞のレッドカーペットも結局ぶっちして帰ったもんなあ・・・

やり合ってる場合じゃない、
もうすぐ収録が始まるのだ。

「ちょっとその上着脱いでみて下さい」
上着の下は筋肉少女帯のTシャツである。
「うん、なかなかいいんじゃない?」
プロデューサーはそう言うが、
何で民族音楽に筋肉少女帯なのかがワシにはよくわからない。

「髪の毛は彼はバンダナを巻きますから大丈夫ですよ」
劉さんが助け舟を出すので一応巻いて見せる。
メイクさんがやって来てみんなにメイクするのだが、
ワシの様子を見て
「うん、この人はこれでいいんじゃない?十分よ」
と言われるところからしてバンダナの威力は偉大である。

MinZuTVnoYiFu.JPG

これよぉ!この格好のどこがいかんのぉ!!
短パンがいかんと言うので思いっきりジャージですが・・・

そして本番が始まる。
前のふたりだけがちゃんとしてればバックバンドなんてどうでもいいのよ・・・

MinZuTV.JPG

と思ってたが・・・やっぱ浮き過ぎじゃろう・・・
明日はちゃんとした服装を持ってゆくとしよう。

Posted by ファンキー末吉 at:00:31 | 固定リンク

2009年10月28日

米川英之

昨日は和佐田のセッション。
ギタリストは米川英之という人だった。

米川英之と言えば、言わずと知れた元CCBのギタリスト・・・
・・・と言いながらワシだけが実は知らなかった。
ライブハウスのメンバー欄などでよく見る名前なので、
いわゆる売れっ子セッションギタリストなんだと思ってたのである。

CCBと言えば一世を風靡した大スター。
思い起こせば米川くんとは
20年以上前にベストテンかなんかの楽屋で会ったっきりということになる。

ワシや和佐田はもともとスタジオの仕事なんかをやってたからまだいいが、
元スターがセッションプレイヤーになるということはそれはそれは大変なことである。
渡された譜面を初見でなんなく弾いている彼を見て、
「元スターでこれだけ弾ける人はなかなかおらんで」
と言ったらちょっとはにかみながら笑ってた。

バンドをやってた頃はスターで、
そのバンドがなくなったら実は楽器も弾けなかったという話はたくさんある。
数いるスタープレイヤーも、その1種類の音楽ではプロフェッショナルでも、
初対面の人と初めて渡される曲を弾けるようになるには並大抵のことではない。

何たらという女流作家の話を思い出した。
小さい頃から両親にヴァイオリンを習わされ、
それがいやでいやでたまらず19歳の頃やめてしまい、
38歳で初めて小説を書いて賞を受賞して文壇デビューしたと言うその人は、
「あるひとつのことが好きで好きでたまらない
という感情を持てることこそが天賦の才能というものなのである」
という言葉を残したというが、
彼も本当にギターを弾くことが好きなんだなあということが伝わって来た。

には彼のファンがつめかけていた。
もちろん彼女達にとっては彼は永遠に「スター」である。
しかし目の前のその「スター」は自分でアンプを運び、
自分でそれをセッティングし、
演奏終わってそのまま自分でそれを片付けて運ぶ。

江川ほーじんが同様に自分であのばかでかいアンプを運びながら、
「末吉ぃ、俺はなあ、アンプが自分で運べんようになったらもう引退するぞ!!」
と言ってたのを思い出した。

これらは全て「生き様」である。

別のとある「スター」の話・・・
人気もなくなったその「スター」のために、
大阪のイベンターが仕事を振ってあげた。
その「スター」はその仕事を受けるに当たってひとつだけ条件を出した。
聞くところによると新大阪駅には、
VIPとかが別の特別な出口に出れる特別な通路があると言う。
もちろんその「スター」は今までその出口しか使ったことがない。
彼が出した条件というのが「その通路から出ること」ということだった。
いくら落ちぶれても俺は「スター」なんだ、
一般人が出る出口から出るくらいだったらそんな仕事は要らない、と。

それもまた「生き様」である。

往年のスターが自分でアンプを運んでいる姿を見て、
失望してライブに足を運ばなくなるファンもいるだろうし、
そんな彼のライブを見ることが生き甲斐であるというファンもいるだろう。
それもファンの「生き様」でしかない。

シャイで口べたな彼とはその日はあんまし喋れなかったけど、
なーに、彼がまだギターを弾いてる限り、
ワシがまだドラムを叩いてる限り、
またどっかで一緒にセッションすることがあるだろう。

俺らはしょせん「同じ世界」に生きているのだ。

そんな素敵な「ミュージシャン」と出会わせてくれた和佐田に感謝である。

Posted by ファンキー末吉 at:11:50 | 固定リンク

2009年10月10日

Pさんの思い出その2

初日の前夜祭は順調に成功した。
各出演者をホテルに送迎してほっとした和佐田をメシに誘った。
「ワシは十分なチャリティーが出来てないからこのメシ代をチャリティーするわ」

この店は大衆食堂形式で、食べたいものを取ってからお勘定をする。
しかしお勘定を払う段になって発覚!!
「財布を忘れて来てしまった・・・」

しかしワシのポシェットにはいつもパスポートと人民元とドルが入っている。
いついかなる時にそのまま海外逃亡出来るようにであるが、
幸いにも少々日本円が入っていたのでそれで払おうとしたが、
もうちょっとという額でお勘定が足りない。
和佐田はちょうどトイレに行ってたので、

「藍ちゃん・・・ちょっと小銭持ってる?・・・」

労をねぎらうどころか、ボランティアで駅のホームまで送迎等、
歌うだけではなくスタッフとしてもお疲れの藍ちゃんのお金を使わせてしまった。

藍ちゃん・・自分の音楽をやるためにバイトしながら一生懸命頑張ってる君のお金を使わせてしまった・・・

情けないが仕方がない。
いろいろ面白い話でも話してあげながら今日の労をねぎらってあげたい。

「明日・・・Pさん・・・時間通りに来るかなあ・・・」

あの秋田の話で笑わない人はいない・・・と思ったら藍ちゃんは少々不可思議な表情・・・
つまり自分にとって雲の上の人であるPさんはいったいどういう思考回路の下でこのような行動を・・・とか考えてるに違いない。

よし!もっと凄いエピソードを言ってやろう!!
これを言えばPさんがあなたや私たちとは違う思考回路を持っているとわかるだろう。

和佐田が入る前の本物の(和佐田毎回ライブで卑屈にそう言う)爆風時代、
車で寝泊まりしての貧乏ツアーはさんざんやったことがあるが、
イベンターがついて初めて招待されてのツアーの時、
言わばイベンターというのはアーティストを接待するのが仕事である。

「みなさん、今晩は何が食べたいですか?」

また悪いことにそれをPさんに向かって聞いてしまった。
ジャンクフード大好きのPさん、
普段はレトルトのカレーのルーを、
暖めるのはめんどくさいから隅っこを切って口の中で暖めながらチューチュー吸ってた時代である。
迷わず、

「マクドナルド!!」

ワシはびっくり仰天して「それだけは勘弁してくれ!!」とわめいた。
地方には地方でしか食えない旨い物が山ほどあるというのに、
何を好き好んでイベンターの奢りでマクドを食いに行かねばならないのか・・・

Pさんは真顔でこう言う。
「末吉はマクドが嫌いなんだ・・・」

いや!!好き嫌いの問題じゃない!!地方に来てまでどうしてマクドを食わねばならないのだということである!!

雰囲気を察したPさん。
と言っても今でこそKYという言葉があるが、
それを超越した人間にはこんな小市民であるワシの考えなんぞ理解出来ようはずがない。

「じゃあロイヤルホスト行こう」

これにはさすがの中野も切れた。
「お前はバカか!!!」

しかしPさんは一向にワシらの考えを理解出来ない。
「みんなロイホ嫌いなの?おいしいよ」

そんな問題ではない!!
何で旅先にまで来て、イベンターの奢りでみんなでロイホに行かねばならないのかという問題である。
最後の最後にはPさんが切れた。

「よくわかんないけど、だったら俺に聞かなきゃいいじゃん!!」

その通りである。
その理論は全くもって正しい。
この場でPさんに何が食べたいか聞いたイベンターが悪い!!
Pさんはこれっぽっちも悪くない!!

一事が万事こうである。
Pさんはいまだかって間違ったことは言ったことがない。
遅刻をして人に迷惑をかけたことはあるが、
一応本番を飛ばしたことはないので、
明日は例え寝過ごして北九州まで行ったとしても、
恐らくは本番までには必ず現場に着いているであろう。

和佐田は大人である。
Pさんが明日時間通りに新幹線に乗るか、
はたまた京都駅で寝過ごさずにちゃんと降りるかなんてことは一切気にかけていない。
和佐田は和佐田のやるべきことを一生懸命やるのみなのである。

人間は人知を超えたことを理解することは出来ない。
ましてやPさんを理解したりコントロールしようとしたり、
そんなことを考えること自体が神への冒涜である。

和佐田・・・明日も頑張れよ・・・

乾杯しようとして自分のビールのジョッキが空になってることに気づいた。
しかしもう日本円は一銭も手元に残っていない。

「和佐田ぁ・・・すまんがビール一杯奢ってくれんか・・・」

労うはずの和佐田に奢ってもらった・・・
和佐田ぁ・・・明日もしPさんが時間通り着いたとしたら、
ワシはお前の好きな物は何でも奢ってやるぞぉ!!!

心に固く誓うワシであった。

Posted by ファンキー末吉 at:01:06 | 固定リンク

2009年10月 7日

Pさんの思い出

誰よりも遅く来て誰よりも早く楽器を片付けて誰よりも長くダベって帰って行ったPさんの話をずーっとしていた。

「いや、な、今日のリハが近づくにつれてな、
あ!河合さんギター家に置いてなくって持って来れんのちゃうかな思て」
と和佐田。
「楽器は事務所の倉庫に置いてて当日になるまでそのこと忘れとるってな、
あるある・・・」
とワシ。

「それでな、慌てて電話したんよ。
ギター忘れたらあかんで言うてな」
と和佐田。
「そりゃ賢明やな」
とワシ。

「そいでな、はっ!と思い立ってまた電話したんよ。
エフェクターもちゃんと家にあるか言うて」
と和佐田。
「うん、それも賢明やな」
とワシ。

「でもそれを横で聞いてた友達がな、
いくら何でも子供やないんやから、と」
と和佐田。
「わかっとらんな、その人」
とワシ。
「ほんまわかっとらんな」
と和佐田。

ワシらは20年近く前の話をしみじみと思い出す。

クリスマスイヴの秋田でのコンサート、
その日はおりしも大雪であった。
朝の羽田発の飛行機が欠航すればあわやコンサートが中止になるところであったが、
何とか飛ぶんではないかとなったその前日、
スタッフの心配は今度はPさんがちゃんと遅刻せずに来るかということである。

前の日から散々スタッフに釘を刺されたPさん、
何せ乗り遅れたら他の便は年末なので満席だし、
陸路では開演時間に間に合わないのでコンサートが中止になると聞いて、
絶対に遅刻は出来ないとばかり寝ずに羽田にやって来た。

スタッフ一堂安堵し、チケットを渡して機内集合。
ワシもいつものように空港内でビールをひっかけて搭乗する。

ところが今度はなかなか飛行機が離陸しない。
乗務員が慌てて走り回っていたが、
今度はうちのスタッフが慌て出した。

Pさんが乗っていない!!!

スタッフが懸命に説得するが、
たった一人の乗客のためにこれ以上離陸を遅らせるわけにはいかない。
飛行機はPさんを置いたまま1時間遅れで離陸した。

さて、ではPさんはどこで何をしていたのか?・・・

絶対に遅刻は出来ない!
その大きな緊張感の中、
寝ずに空港にやって来たPさん。
チケットを受け取った瞬間に、
その安堵感のため、ゲート前のベンチに座ったまま寝てしまった。

携帯電話などない時代である。
空港じゅうに「秋田へご出発の河合康夫様」とアナウンスしても起きない人間を起こす術などない。
本人が自力で起きることを願うしかないのである。

このまま夕方まで熟睡してたら本当にその日のコンサートは中止であったが、
運良くP氏は自力で目覚め、事務所に電話をした。

「僕はこれからどうすればいいのでしょう」と。

事務所はすぐに陸路を調べ、
満席の飛行機のキャンセル待ちよりも彼を上野に走らせた。

走る走る俺ひとり 流れる汗もそのままに
たとえたどり着いても 開演に間に合わないけど

幸いこのツアーのメニューは途中に20分の長い喋りが入る。
我々は客に事情を説明し、
3人でそのMCコーナーからコンサートを始めた。
順調にいけばこのMCコーナーが終わった頃Pさんは着くはずである。

しかしそれは「順調にいけば」と言う前提での話である。
何せ彼は神戸での仕事に寝坊し、
次の新幹線に飛び乗ったが、
中で寝てしまって岡山まで行ってしまい、
慌てて飛び降りて反対側の新幹線に飛び乗ったらそれは新神戸に停まらない新幹線で、
結局新大阪まで行ってしまい、
いつまでたっても現場に来られなかった過去を持つ。

当時はまだ秋田新幹線など開通していない。
盛岡まで東北新幹線で行って、
在来線に乗り継いで秋田まで来ねばならない。
新幹線でまた熟睡でもされたらアウチである。

「僕、今から盛岡まで迎えに行きます!!」
当時のマネージャーだったM氏がそう言う。
先に盛岡に行って、東北新幹線が着いたら座席まで行って寝てたら引きずり降ろして在来線に乗せるのだ、と。

それを聞いてた和佐田、
「何もそこまでせんでも・・・子供じゃないんやから」

それを聞いた途端、
滅多に怒ったことのない温厚で有名なM氏が怒気を荒げてこう言った。

「じゃあこれが大人のすることなんですか!!!」

和佐田よ、今回のイベントが成功するためには、
トリを飾るバンドのギタリストが現場に着いてなければならん。
あわよくばちゃんと予定通り新幹線に乗ったとしても、
予定通り京都で降りてくれるとは限らんぞ!!

このイベント、終わってみるまで何が起こるやらわかったもんじゃない。

http://www.on-ko-chi-shin.com/

Posted by ファンキー末吉 at:22:00 | 固定リンク

2009年10月 2日

ちゃんとライブやってたっつうねん!!

そう言えば昨日の昼間嫁からメールが入ってた。
「今日は誰のライブ?」
嫁は家事に疲れたら時々ライブを見に来るので関内まで来るのかなあと思って
「エミさんやで」
と返信しておいたがそれっきりなしのつぶてであった。

そんなことは忘れて一生懸命ライブ。
実際はこの日はエミさんはお休みで西野さんのライブだったのだが
いつもエミさんはゲスト出演なのでやる方としては同じである。
まあいつもより西やんの歌が多いかな、ぐらい。

いっぱいドラムソロもやって汗をかいて、
車なので酒も飲まず、
そのまま車に飛び乗って帰った。

だいたいにしてワシは家に帰るより先に隣の仮谷家のドアを開け、
上がり込んでビールを飲むのが常である。
ひどい時はうちでレコーディング終わった主人の仮谷くんを
「おかえり」と言って迎えることもあるぐらいだ。

この日は仮谷くんは先に帰っていて
ワシの飲むビールを冷蔵庫から取り出しながら小声でこう言った。

「どこ行ってたんです?」

「どこ行ってた言うたって見てわからんか?ライブやがな」
汗だくのステージ衣装のまま、
頭にはバンダナもまいたままである。
これがライブでなくて何とする!!

「今日エミさん歌入れに来てたんですよ」
そう言えば歌の気になるところがあると言うので
「仮谷くんとスケジュール合わせていつでも録り直しといて下さい」
と言ってあった。

「奥さんがエミさんに、
"あれ?今日ライブじゃないんですか?"
と聞いて
"違うよ"
と答えた時、何かもの凄い緊張感が走ってましたよ」

さらに
「言うたらいかんこと言うてしもたかなあ」
とエミさん。

アカンがな!!
そこでそんな緊張感出された日にゃあワシがホンマに嫁に嘘ついて悪いことしとるみたいやがな!!

「大丈夫です。
今日はきっと西野さんのライブで、
末吉さんはそんな悪いことする人じゃありませんって
エミさん力説して帰りましたから!!」

もっとアカンがな!!

そりゃあんたの周りはそういう人が多くてそういう処理には長けてるかも知れん。
しかしワシはホンマにライブやっとったんや!!
言い訳すればするほど嘘みたいやないかい!!

今日はリハのため朝早くから家を出た。
嫁とはこの話題に触れていない。

どうしたものか・・・
話題に触れたらまたよけいワシが言い訳しとるみたいやないか・・・

誰か嫁に
「昨日のファンキーさんのドラムソロよかったわ」
とメールしてくれぇ!!

Posted by ファンキー末吉 at:11:22 | 固定リンク

2009年9月 6日

大仕事その2管楽器とパーカッション

ストリングスオーケストラが帰って行った後、
スタジオが次の管楽器録音のために大幅なセッティング替えをしてる間、
先ほど録ったストリングスを片っ端からデータ整理してゆく。

ブースの中で聞いているので録ったものをいちいちプレイバックしていない。
また、どの部分はどの部分を貼付けるとか計算しながらやっていたので、
それだからこそこれだけ短時間で録り終えることが出来たのだが、
自分の耳が、そして頭が少しでも悪ければそこでおしまいである。

ひとつひとつの録音を丁寧に聞いてゆき、
数テイク録ったものは一番いいものを選んで貼付けてゆく。
そんな作業をやっているうちに管楽器奏者がやって来た。

今回は管楽器はホルンだけである。
通常の編成では2本呼んでダブルで重ねて4本にするが、
何故かひとりしか呼んでくれていない。
「中国で最高のホルン奏者なんだ。ギャラも最高級だよ」
聞いてみるとひとりで800元(約1万2千円)持ってゆく。

日本のスタジオミュージシャンより高いやん!!

同時録音ではなくダビングだからひとりでよろしい!!
ポケットマネーでレコーディングしてるんだから破産してしまうわい!!

だいたいホルンはオープニングの曲のイントロの8小節だけしかないのだ。
時間で言うと20秒足らず。
譜面を見せたらあからさまに「これだけ?」という顔をしている。

「4本ダビングしてくれるかい?」
そう言うとよろこんで、
「没問題!!(ノープロブレム)」

・・・そりゃそうじゃろ・・・

BeijingStringsHorn.JPG

結局6本ダビングして5分足らずで帰って行った。
5分で800元・・・ワシは一体何をやってるんじゃろ・・・

いかんいかん!
音楽をつきつめる時に金を考えるとよくない。
もともと予算をそのままスタジオに渡しているのだ。
ブッキングもスタジオが責任持ってやってくれる。
ワシは音楽だけを考えていればいいのだ。

パーカッションが着くまでエディットを続ける。
「パーカッションは何時に着くの?」
ワシは9時40分の夜汽車で洛陽に行かねばならないのだ。
「楽器は・・・6時だな。奏者は・・・子供を迎えに行かねばならないので7時だ」

ブッキングしたのは女性。
一流の奏者であるが主婦でもあると言う。

「仕事だからすぐに来るように言いなさい!!」

人の都合よりワシ自身の都合である。
いくらコネで友人を呼ぶにしても金を払うのはワシなのだから・・・

奏者が先に到着した。
まずシンバルを録音する。
「どのシンバルがいい?」
向こうはワシがドラマーであることを知ってるので意見を請う。
とりあえず一番大きいのを選んで叩いてもらう。

このシンバルロールというのは言わば「芸術」である。
同じ打楽器奏者としてこのシングルストロークにはため息が出る。
ワシもよくドラムのレコーディングでやらされるが、
とてもじゃないけどこれだけ粒立ちのよいロールは叩けない。

そりゃそうじゃ、
この人たちはこのシングルストロークだけをひたすら練習して生きて来たのだ。
ロールに「命」がある。

あっと言う間に録り終わり、次は合わせシンバル。
猿のおもちゃみたいに左右からがしゃんと合わすのかと思いきや、
合わせシンバルは横にして、
叩くときに空気を逃がすように一瞬こすり合わせるのだ。

プロじゃ・・・

これもあっと言う間に録り終わり、
そうこうしているうちにティンパニが届く。
この引っ越し業者が実は今回のレコーディングの中で最高額の1200元(約2万円弱)を取ってゆく。

BeijingStringsTimpani.JPG

ティンパニはこの曲の要である。
機材レンタルして自分で叩けと冗談を言われるが、
とてもじゃないけれどもこのレベルで叩けない。
同じ打楽器奏者として悔しくはあるが、「餅は餅屋」である。
それに命をかけて生きて来た人にはとてもかなわない。

これもあっと言う間に録り終えてさっさと帰って行った。
所要時間10分そこそこである。
ちなみにギャラを聞いてみるとやはり最高額の800元。

ワシ・・・ドラムセッティングして30分、
音決めして30分、
いろいろ注文聞いてレコーディング30分、
片付けで30分。

ワシなんか2時間いろんな技を駆使して2000元なのに、
この人シングルストロークだけで10分で800元・・・

いかんいかん、金のことを考えて音楽は出来ん!
とりあえず全部録り終わったのだからビールを注文して
セルフ打ち上げをセッティングしつつエディット作業を再開。
順調に行けば仕上がった音をiPhoneに入れて夜汽車で聞ける予定だったが、
結局はエディットが間に合わず、そのまま夜汽車に乗る羽目に・・・

早く聞きたいよー・・・

洛陽から帰ったら仮ミックスをしてメンバーみんなにも聞かせてやるのさ!!

大仕事これにて終了!!

Posted by ファンキー末吉 at:09:45 | 固定リンク

2009年9月 4日

大仕事その1ストリングス

9時入りと言えばラッシュアワーなので8時に院子を出る。
雨が降り出して道路が少々混みだした頃スタジオに着いた。

8時半、まだ誰も来てないのでしばしスタジオの門の前で待つ。
「日本人は時間の観念が違うねえ・・・」
カギを開けに来たスタッフはそう言うが、
自分が遅刻したらそれが原因で今日録り上げることが出来なくなるかも知れないのに、
それでもゆっくりと来ようとする中国人の性格を疑いたくなる。

譜面の整理などをしてオーケストラメンバーの到着を待つ。
入り時間の10時より前にコンマスのKunYuが到着した。
小沢征爾やヨーヨーマとも競演経験がある実力派である。

BeijingStringsLeader.JPG

彼が心配そうに「譜面を見せてくれ」と言う。
全曲のスコアを見せると、
「美しい!!まるで問題ないじゃないか」
そう、いいアレンジはその譜面が芸術的に美しくなるのである。

そう、今回のアレンジはどれも自信作。
いつもはコンソールルームでガラスの向こうから指示を出すのであるが、
今回はブースの中に入って指示することにする。
中に入って生音を聞いた方が音程とか響きとかがよくわかるからである。

BeijingStringsCondact.JPG

「中で棒でも振るのか?」
とスタジオの連中がからかうが、
クリックに合わせてやるレコーディングは別に指揮者はいらない。
みんなクリックを聞いているのだから。

でも指揮どころかリズム指導までせねばならない事態になることをこの時点では想像だにしていない。

雨が降ったので大渋滞となり、
バイオリンとビオラがそれぞれひとりづつまだ着いてないが、
「じゃあ始めるか」
と言う。
この辺が中国である。
24人もいるのだからひとりやふたりいなくても変わらないさと言うのである。

まあ、待ってて録り終えなくてもいやだから、
少々不満ではあるが録り始めてるうちに到着。
ダブルにかぶせてるうちには全員揃った。

日本のレコーディングシステムではダブルにするとギャラも倍必要だったりするが、
ここ中国ではギャラの中に必ず「ダブルにする」というのが含まれている。
だから

トップバイオリン8
セカンドバイオリン6
ビオラ4
チェロ4
コントラバス2

の24人のオーケストラを揃えても、
実際にはその倍の48人のオーケストラが鳴っているということになる。

1曲目は彼らの得意とするバラードにして正解。
30分もたたないうちに1曲目が終わり、次の譜面を配布。

BeijingStringsFumenHaifu.JPG

順調である。
この調子で行けば予定通り半分録リ終えて昼飯ということになる。
2時半までしか時間がないんだからメシ抜きでやってくれればいいのにと思うのだが、
ここ中国では日本人的なそんな考えは通用しない。
「腹が減ってはいい演奏も出来ないだろ!」
ということで食事の時間は絶対なのだ。

曲によってはその場でスコアを直したりもする。
トップバイオリンにフレットもないような高い音を弾かせたりしているのだが、
それがあんまりよくないのではと言うのだ。

BeijingStringsFumenCheck.JPG

ブラスをアレンジする時にもそうだが、
こういう音はそれが弾ける人がいて始めて成り立つ。
弦の場合はセカンドバイオリンとかがそれをオクターブ下で支えることによってフォローする。
まあしかし結局は
「もっと大編成だといいけどこの編成だからオクターブ下げておこう」
ということになる。
こんな時に馴染みのオーケストラだと楽である。

予定通り午前中の曲を録り終えてメシ!!

BeijingStringsBento.JPG

時間がないのにメシの時間どころか食後の休憩までとる。
焦っても仕方がない。
This is China!! これが中国なのである。

午後の部開始!!

しかし音がだらけきっている。
コンマスなんぞ明らかに
「私満腹で弾けません!」
という音である。

そんなになるまでメシ食うなよ!!

仕方がない、いろいろ指示しながら士気を上げる。
彼らの苦手なロック的なキメとかではリズム指導などもしながら、
最終的には予定通りぎりぎりの2時半には全曲録り終えた。

神業である。

Posted by ファンキー末吉 at:17:06 | 固定リンク

大仕事の準備

ストリングスを8曲も録るのは初めてである。
前の日に譜面とデータを持ってスタジオに行ってくる。

StringsScore.JPG
(8曲だと譜面の量もハンパじゃない)

日本から持って来たプロトゥールスのデータをコピー。
ファンクラブ用にTDが終わった曲も多いのでデータが大きい。
やっとコピーが終わって開こうと思ったら、
プロトゥールスのバージョンが違っていて開かない。

中国では海賊版を使うために低いバージョンを使っているスタジオが多いことを忘れていた。
すぐさま院子のスタジオまでタクシーを飛ばし、
全てのデータを低いバージョンでSAVEし直す。

前の日にこの作業をやっててよかった。
当日でいいやと思ってたらタイムアウトになるところだった。

何せこの日は弦の人達が3時から仕事があると言うので
朝9時集合で10時からレコーディングである。
2時過ぎには終えようと言うと1曲30分の計算である。
トラブルなんかに見舞われたらまず録り終えれなかったところである。

だいたいかなり前からこの日に大仕事をやるぞと言っているのに、
かまわずにこの日に仕事を入れるのが中国である。

まあ大丈夫だろう、この人たちは前回の「Wings」も30分で録り上げている。
「Funkyの譜面はいつも難しいからなあ・・・」
とボヤイていたそうだが、今回は変拍子の曲はないから大丈夫。
前回の「びっくりミルクMetalicaオーケストラバージョン」のような超難曲ではない。
(あれはいつになったら発売されるのだろう・・・)

あとは管楽器と打楽器の手配である。
ティンパニを運ぶのに引っ越し会社を呼ばねばならない。
こちらでは大きな楽器は引っ越し会社が運ぶのだ。

「んで?ティンパニはお前が叩くのか?」
ドラムが叩けるからティンパニが叩けると思ったら大間違いである。
レコーディングでドラムが終わったら「じゃあコンガも叩いてよ」と言うのが中国人である。

まるで違う楽器やっつうねん!!

「んで?シンバルはお前が叩くんだろ?」
これも悪いがプロにお任せする。
この人達はシングルストロークでティンパニやシンバルをロールすることに命を懸けている人達である。
一生をそれだけに懸けていると言っても過言ではない。
基礎練習が嫌いでライブで修行しようとしているドラマーとは粒立ちが全然違う。

「んじゃあ打楽器は夜ね」
おいおい、言ってなかったっけ?
ワシはこの日の夜の列車で洛陽まで行かねばならないので
夕方には全てを終えねばならない。
全部の楽器は夕方までにまとめてよ。

いろいろあったが何とか準備万端!!
世紀の大仕事が今日始まる。

Posted by ファンキー末吉 at:07:37 | 固定リンク

2009年8月 1日

樋口っつぁんのドラムセット

昨日7月31日には
目黒ライブステイションでX.Y.Z.→A10周年記念10本ライブの二井原ナイトが行われた。

デッドチャップリンやSLYのナンバーをゲストを招いて演奏するということで、
この日は非常にゲストが多い。
ドラマーが3人いて、
そのドラムセットをどうするかというのが実はスタッフの悩みどころであった。

本来ならばそれぞれのドラムセットを持ち込んで転換してやれれば理想なのだが、
狭いライブハウスでそうも言ってられない。
菅沼孝三とワシのセッティングは、まあそんなに大きく違わないのだが、
SLYのセッションでドラムを叩く加藤くんは2バスだと困ってしまう。
彼は亡き樋口っつぁんの愛弟子で、
死ぬまで2バスを踏まなかった樋口っつぁんの意志を継いで、
本人もがんとして1バスを貫いているのである。

「何とか加藤さんのセットで叩いてもらえませんかねえ」
スタッフから泣きのお願いが入る。
「コーゾーがよければワシは別にかまわんよ」

ということでこの日は加藤くんのドラムセットを全員叩くことになった。

NiiharaNightKato.jpg

同じセットでタムを追加して叩くコーゾーくん

NiiharaNightKozo.JPG

そのセッティングをそのままお借りして叩くワシ・・・
リハーサルで既に疲労困憊して楽屋でぶっ倒れてしまった。

「コーゾーくん・・・このセット・・・叩きにくくないか?・・・」

ついつい泣きを入れてしまうワシ・・・
うんうんとうなずきながらぼそっと呟くコーゾー・・・

「なんか一打一打ごとに魂を吸い取られるぐらいしんどい・・・」

実はこのセット・・・亡き樋口っつぁんから貰い受けたセットだと言う。
そうか・・・魂を抜き取ってるのは樋口っつぁんやったんかぁ・・・

「このセットはなぁ、加藤は叩いてもええとは言うたが
コーゾーやファンキーには叩いてええとは言うてへんで!!」

誰かが樋口っつぁんの口調を真似て一席ぶる。
一同全て樋口っつぁんの旧友ばかりなので大爆笑である。

NiiharaNightFunky.jpg

2回目のアンコールでまたX.Y.Z.→Aの登場となり、
最初の4曲だけだと思って楽屋でがんがんに飲んでしまってたワシは、
もうヘロヘロになりながら「Don't Let The Sun Goes Down」を叩いた。
天国で樋口っつぁんが笑って見てるようだった。

「ファンキー・・・お前もまだまだやな!!」

Posted by ファンキー末吉 at:16:20 | 固定リンク

2009年7月 7日

プロとJamろうジャムセッション

が出来てからというもの、心なしか嫁の機嫌がよい。
先月もベビーシッターまで雇って「三井ぱんと大村はん」を見に行ってた。

7月はどんなセッションがあるのかスケジュールがUPされたら目を皿のようにしてチェックしている。
嫁の好きな爆音系はなかなかではブッキング出来ないので、
まあ強いて言えば24日の江川ほーじんセッションぐらいではないか
(同じ爆音でもジャンルが全然違うが)・・・

「パパ!!何言うてんねん!!18日があるやん!!」

18日?・・・何やろ?・・・
・・・自分でブッキングしといて忘れている・・・

調べてみると「プロとJamろうジャムセッション」
そうそう、地元のみんなが「是非Jamセッションを」と言うのでブッキングしたんじゃった。

ところがワシは実はJamセッションは嫌いである。
Jazzのセッションは決まったフォームがあり、
まあだらだらと延々ソロをやらない限り必ず終わりがある。
早い話、「曲」があるから好きなのじゃが、
ところがロックとかブルースとかのセッションとなると、
1コードやブルースコードで延々ソロをやられたりするとたまらない。
いくらドラムを叩くのが好きなワシでも
「もうええじゃろ」
と言いたくなる。

つまり「終わり」がないだけでなく「曲」がないのである。
こんなのを延々聞かされる客は哀れとしか言いようがない。
もちろんワシは金を出してまでこんなのを聞きに行くことはまずない。

ところが昔参加したJamセッションで非常に楽しかったのがあった。
目黒ライブステイション主催で、
この時は課題曲を決めてそれにプロもアマもごっちゃになって参加した。
ユニコーンのテッシーや、BowWowの満園兄弟なんかもいたなあ・・・。

ワシはその時メタリカの曲を選んで、
2バスがあまりに速くて辛くて後悔した。
まさか数年後にXYZみたいなバンドを組んでずーっと苦労し続けるとは夢にも思わずに・・・

そんなJamセッションだと楽しかろうということで、
誰かいいセッションリーダーはいないかと探したところ、
シェイカーの甲斐くんや工藤ちゃんはレコーディングということでスケジュールが合わず、
マッド大内がスケジュールが合ったのでこの日にブッキングしていたのじゃ。

「パパ!マッドさんどんなんやるん?!!」
そうかぁ・・・マッド大内と言えばアンセムのオリジナルメンバーではないか・・・
嫁は筋金入りのアンセムのファンなのである。

マッド大内が選んだ課題曲リストを見せる。

BURN(DEEP PURPLE)
I SURRENDER(RAINBOW)
SPOT LIGHT KID(RAINBOW)
LOST IN HOLLYWOOD(RAINBOW)
INTO THE ARENA(MSG)
CRAZY TRAIN(OZZY OSBOURN)
BLACK OUT(SCORPIONS)
ANOTHER THING COMING(JUDAS PRIEST)
YOU SHOCK ME ALL NIGHT LONG(AC/DC)
LIVE WIRE(MOTLEY CRUE)

見終わって嫁が一言・・・「無理やなぁ・・・」

無理やなぁって・・・まさか・・・見に行くんとちごて参加?・・・

まあ嫁は学生時代はバンドを組んでいてギターを弾いていたと言う。
花嫁道具も「エース清水モデル」のギター。
そう、嫁は筋金入りのエース清水のファンでもあるのだ。

「さ、参加なんてそんな・・・恐れ多い・・・もう10年もギター弾いてないし・・・」
顔を赤らめて言い訳する嫁。
「何言うてんねん、Jamセッション言うたらそう言う人のためのもんや!!
見に行っても1000円、参加しても1000円。それやったら参加せな損やろ!!」

育児に追われて自分のやりたいことも全然出来ない嫁が、
こんなことでストレス発散してくれたらそれこそ家庭円満!!
家庭平和は世界平和につながり、やがて北朝鮮も核を放棄するってもんである。

「でもこの曲どれも弾いたことないし・・・」
弱気の嫁を更に説得する。
「この曲だけやのうて、やりたい曲はの参加曲リストに新たに書き込んだらええんやで。
その曲やりたい人が集まって来たら別にその曲もやれんねん」

「ほな一応ギター練習してみようかな・・・
今度北京行った時、弦やらいろいろ持って帰って来てね」
何とか重い腰を上げたようである。
世界平和はもう近い!!

しばらくしてうちに一冊の本が郵送されて来た。

JamSessionHon.JPG

嫁・・・本気やな・・・

見ればボンジョビの「You Give Love A Bad Name」に折り目がついている。
に行ってこの曲を新たにエントリーすると共に、
シャレでついでに爆風スランプの「たいやきやいた」も書き込んで来た。
前の日に青島なのでドラムの欄に「ファンキー末吉(帰国が間に合えば)」と書いて。
まあこの並びの楽曲の中でこの曲を演りたいと言う人もおるまいて・・・

そしてそのまま吉林省に飛ぶ
北京に帰り着いた時、嫁からメールが入った。
「ギターケースに入れてあったチューニングメーターとピックケース持って帰って!!」

嫁よ・・・ますます本気やな・・・

ところがピックケースは何とか見つかったものの、
チューニングメーターは探せど見つからない。
まあ帰国してから一緒に買いに行けばよいじゃろ。

帰国して、嫁を連れて京王八王子駅ビルにある島村楽器へと向かう。

「そうや、パパ、シールドも買わなあかん・・・」
シールドでも何でも買いなはれ!
「ストラップも要るでぇ・・・」
何でも買いなはれ!全ては家庭円満、世界平和のためである。

こまごまとしたものを買い込んでワシがお会計をする。
これもひいては世界平和のためである。

買った物の中にこんなものを発見・・・

JamSessionKomono.JPG

ノートやらクリップやらJamセッションに必要かぁ?・・・
まあ言わぬが花、知らぬが仏である。

帰りにロックファッションのブティックを発見!!
嫁がいそいそとステージ衣装を選んでいる。
「買いなはれ!買いなはれ!」
これも全ては世界平和のためである。

買った物の中にまたもやこんな物も発見・・・

JamSessionBag.JPG

嫁よ・・・Jamセッションに何故にバッグが?・・・

いや、言わぬが花、知らぬが仏。
これも全て世界平和のためである。

Hard Offというディスカウントショップに6000円のギターアンプもあったので買って来た。
今、自宅スタジオで嫁が爆音で練習している。
これだけやる気なのにこの曲に参加する人がいなければどうなるのじゃ?!・・・

家庭平和のためにに参加者をチェックしに行く。
なーに、参加者がいなければ地元のミュージシャンを脅して参加させればいい。
子煩悩ならぬ嫁煩悩である。

店に貼り出している参加表を見ると・・・
おう・・・ぼちぼち参加者が増えて来ているではないか・・・
嫁の曲にも参加者がいるようじゃ・・・よかったよかった・・・

ふとみると「たいやきやいた」に参加者が・・・

ベース&ボーカル・・・えだちん・・・

まさか参加者がおるとは・・・
しかもこの人・・・この曲だけに参加希望・・・
ワシ・・・青島から戻れんかったらこの人どうするんやろ・・・

誰かこの曲にドラムとギターで参加出来る人求む!!

Posted by ファンキー末吉 at:11:13 | 固定リンク

2009年3月 1日

懐かしいなあ・・・クソちびりの街、香港・・・

昼飯ついでに街を散歩したら、
Wingが今回とってくれたホテルは尖沙咀(チムシャーチュイ)にあった。
まさにあの日クソをちびった街である。

悲しくも爆笑のその話

奇異な運命の人生だとは思っているが、
40過ぎて街中でウンコちびりながら疾走する経験なんかなかなか出来るものではない。

下痢便をまき散らしながら疾走した(とみられる)街角
HongKongKusochibiriStreet.jpg

クソまみれになったパンツをティッシュにくるんで捨てた(と思われる)ゴミ箱
HongKongKusochibiriGomibako.JPG

もの凄い悪臭のまま帰り着いた当時宿泊していたホテル
HongKongKusochibiriHotel.JPG

全てが懐かしい思い出である(涙)。

警備員に制止されながら飛びこんで踊り場でウンコしたビジネスビルは、
残念ながら見つけることは出来なかった。
ワシ・・・あまりに遠くまで走って行ったのか、
もしくはその後つぶれたのか・・・

トイレを求めて駆け抜けた(と思われる)公園
HongKongKusochibiriPark.JPG

の中には何と公衆トイレを発見!!

HongKongKusochibiriToilet.JPG

あの時はどうして目に入らなかったのか・・・
もしくはあの時にはなくって、
この悲惨な事件を目にした香港政府が新たに作ったのか・・・

いろんな思い出を胸に、今日はリハーサルスタジオまで歩いて行くのじゃ・・・

Posted by ファンキー末吉 at:14:40 | 固定リンク

2008年9月16日

ロック魂Tシャツの波紋は続く・・・

服装に無頓着なワシは、
ひとつの服が臭くなるともうひとつの服を着て
その服を洗ってるうちに着ている服が臭くなると
またその洗った服を着て・・・
というローテーションが常である。

ゆえに先日のロックTシャツはまさに今日着るべき服なのであった。

さてそんな今日この頃なのであるが、
実は子供たちを来月から八王子で育てようと、
高知の学校に転出の書類をもらいに行こうとしたその時、
お袋が血相変えて

「あんたぁ!!まさかそんな服で学校行くんかね!!」

別に冠婚葬祭やあるまいし、学校行くのに普段着ではいかんかね・・・
普段着は普段着でも、
お袋はどうしてもワシに襟付きのちゃんとした服を着させたいらしい。

自慢ではないがワシ、
服には無頓着なくせに、人が着ろと言う服には拒絶反応が強い。
おかげで襟付きの服なんぞ着たことがないのでよけいに拒絶感が強い。

またお袋はそういうワシに拒絶感が強いと来たもんだからキーキー言う。
それぐらいのことでケンカするのも大人げないのじゃが、
ワシは法事で襟付きの服を着てやったことだけでも感謝されたいと思っているほどなので、
ここにふたりの感情は平行線どころか異次元のところに行ってしまっていて、
この言い争い、どうにも決着がつくことは難しい。

「あんたじゃなく恵理が笑われるんやから!!」

と娘の名前を出してまでワシを思いとどまらせようとする母・・・
この黒いTシャツを着ることはそこまで罪悪なのか」とあくまで疑問なワシ・・・

ワシは考える。
もしワシがとび職だったら、
鳶職人の服を着て学校に行くことはそんなに恥ずかしいことなのか。
ラーメン屋の店主だったら
エプロンかけて学校行くことはそんなに恥ずかしいことなのか。
工務店の社長さんだったら、
よく見る工務店っぽい服で学校に来ているし、
代議士だったらきっと金バッチつけて学校来るぞ!!

ロックミュージシャンが黒いTシャツで学校行って何が悪い!!

もしワシの身体がピアスと刺青だらけで、
同じTシャツでも「Fuck You」とか書かれたものだったらさすがワシでも考えるが、

「ロック魂」のどこがアカンの?!!!

まあ敢えて言えばちょっと貧乏臭いだけである。
でも更に言わせてもらえば、

じゃあ貧乏のどこがアカンの?!!!

結局ワシには、着なれたこの服を着てはいけない理由が見つからないのである。
納得できないものには屈することは出来ない!!

それが「ロック道ではないのかい!!」

・・・と言いつつも、
家を飛び出して学校に着く頃には少々弱気である・・・
息子の小学校が終わり、娘の中学校。
中学生の女の子と言えば一番多感な時期である。

許せ!父はロックに生きる者なのじゃ!
もしお前も星雲高校に入学することがあったら、
入学面談の時に胸を張ってこう言うのじゃ。

うちの父ちゃんは日本一の日雇いミュージシャンです

しかしよくよく思い起こしてみると、
別にこのTシャツにそれほど愛着があるわけでもない。
何のことはない、
実のところ着替えるのがめんどくさかっただけなのである。

そんなアホ親父の前で先生がしきりに娘のことを誉めてくれていた。
まあこんな時に人の子をけなす先生もおらんじゃろうが、
この先生が娘に対する愛情がひしひしと伝わって来る。

そう言えば娘の転校日を来月に延ばしたのも、この先生が
「来月文化祭があるので、転校はそれまで延ばすことは出来ませんか」
とおっしゃったからである。

先生と話している時に吹奏楽部の練習が聞こえていた。
そう言えば前回この中学校で講演をさせて頂いた時、
(我ながらいろんなことやっとるなあ・・・)
記念に吹奏楽部に何かお役に立つことをやってあげようと思ってたなあ・・・
娘がいるうちに吹奏楽部に何か残してあげられればよかったなぁ・・・

文化祭の練習でもしてるのだろうか、
思ってみれば、娘にとっては文化祭の日が最後の登校日、
この吹奏楽部の演奏を聞くのもその日が最後なんだ・・・

親バカとしてはちらっとこんなことも頭をよぎる。
「吹奏楽部がうちの娘のために何か演奏してくれんかのう・・・」
しかしそれはいくらなんでも吹奏楽部を私物化し過ぎている。
これでは背中の「ロック魂」に笑われる。

それにスケジュールを聞いたら吹奏楽部は非常に忙しい。
月末には体育祭がありその練習に忙しく、
終わったらすぐに吹奏楽のコンテストがあり、
それが終わってすぐ文化祭である。

そうじゃ!
考え方が逆なんじゃ!
娘のために何かするんじゃなくて、
「娘が世話になった学校やみなさんのために何か出来んか」
と考えるべきではないのか!!

コンテストにも出ると言うので出来れば優勝させてあげたい。
ありものの譜面ばかりで出場している他校と比べて、
書き下ろしの譜面だと点数も稼げるのではないか。

楽曲はオリジナルでもいいが、
出来れば有名な曲、
出来れば爆風の曲でワシが書いた曲が望ましい。

Runnerはベストじゃが、
転調が多く、難易度が高い。
もっと簡単で意味がある曲はないものか・・・

いい曲があるではないか!!
転校生は宇宙人

そうだ!
この曲は娘がこの学校に残して行くのだ。
入学して半年で消えてゆく、
父親がちょっと地球人離れした女の子そのものの物語じゃないか!!

吹奏楽部だから詞は伝わらない。
でもアレンジでワシや娘の気持ちは伝わるのではないか・・・
それが音楽っつうもんではないか・・・

啖呵を切って学校を後にした。
大喜びでワシの申し出を受けてくれた校長はじめ、全ての先生方の期待を
背中の「ロック魂」が背負っていた。

帰ってすぐにザビエル大村の妻(生粋の爆風ファン)から楽曲を送ってもらった。
Bメロはほとんど忘れていたが、だいたい頭に叩き込んで銭湯へ。

そうそう、ワシ・・・よく風呂に入って物考えるのよね・・・
うちの実家の風呂、今壊れてるし・・・

そして譜面ソフトを立ち上げ、いざ入力開始!!

そうそう、ワシ・・・別に楽器がなくても譜面書けるのよね・・・
でも周りに音楽がなってると出来ないので娘の見てるテレビを無理やり消しちゃうのよね・・・

・・・本末転倒・・・

そして楽器構成を把握して譜面の枠組みだけをやっと作って唖然とした・・・
何と久々の20段譜面・・・

ワシ・・・かなり後悔・・・
でも今さら後には引けない。
今晩とりあえず徹夜してみる・・・

ロック魂Tシャツはそんなワシを嘲り笑うように
洗濯機の中で回っていた・・・

Posted by ファンキー末吉 at:22:43 | 固定リンク

2008年6月10日

ところ変われば募金も変わる

前回のメルマガで四川省大地震へ何か援助が出来ないかと言う話を書いたら、
やっぱそんなことを考えてる人は多いと見え、いろいろメールを頂いた。

とある人は何とか被災地の子供たちのために文房具を送りたいと関係者に相談したら、

・新品を送るとピンハネされる
・政府や赤十字みたいなところに送ってもやはり殆どがピンハネされる
・ということで、中古の文房具を信頼の置けるところもしくは人に直接送る
というのがよい

とアドバイスされたそうである。

彼女はワシに言う。
「その文房具をドラムに詰めて担いで四川省まで行ってくれ」
と・・・

こりゃほんま本腰入れて行くしかないか?・・・

知り合いが現地の教育機関に受け入れを要請してくれている。
ひとりではドラムセットすらも担げないので、
隣に住んでる布衣のボーカルに
「お前らどうせヒマなんじゃろ!」
と言うことで声をかけたらふたつ返事でOKだった。

まあ生き死にの段階がすんで、
衣食住が何とかなってから初めて「教育」だろうから、
ワシらが受け入れを許可された頃は少しは復旧が進んでいると言うことじゃろうが、
おそらく宿舎はその受け入れ先の学校となったとしても、
まあワシらの住んでる環境とそんなに違わんしなあ・・・

何とか冬になる前に行かなきゃ凍死するなぁ・・・


しかし彼から中国での募金の状況を聞いてびっくりした。
なんと中国では募金をしたらその名前と金額が公表されると言うのだ。

これは募金の額を吊り上げることには貢献しているが、
自分の名前と額を村に張り出された貧民達はたまらない。
誰それはいくらだからと更に募金をするために借金をする。

とある売れっ子の女性アイドルが被災者のために献血をした。
そのことが報道されると国民全てが怒り狂ってネットで彼女を叩きまくった。

「お前、金持ちなんじゃろ!血じゃのうて金送らんかい!!」

香港のとある超売れっ子歌手が何百万(日本円で)も募金した。
しかし彼よりも金持ちの事業家は中国にはたくさんいる。

「お前、誰それはもっと募金したぞ!お前はたったそれだけか!!」

ネットで叩かれまくって彼は
もう百万単位ではどうしようもないので千万単位の募金をする。
そしてそれよりもっと募金をした人が公表され、彼はもっと叩かれる。

これやったらせん方がマシなんちゃうん!!

ドラエモン募金みたいのんがこっちにもあって、
ある番号に電話をすると電話代から10元が募金として送られるのじゃが、
ワシなんかもうそれで叩かれたらと思うとドキドキよ。
そうやって病気のように毎日募金をする貧民はたくさんいると言う。

でもその金は果たしてちゃんと現地に届くのか?
届くと信じて募金するしかないのじゃが、
現実この国でのその横領は非常に問題になっている。

送られたテントが被災地ではなく受け取った幹部の庭で使われてたり、
物資の横流しは日々ネットで報道されて国民の知るところとなる。

「日本では被災地に国と社会とどっちが多く金を払う?」
変な質問を布衣のボーカルからされる。

「いや?・・・日本では国はまず絶対救済せなあかんし・・・
全力でそれせんかったら次の政権ないし・・・
いや、中国はその政権交代自体がないし・・・」

非常に答えにくい質問だったが、彼から先にこう答える。
「中国ではなぁ。被災地に送った金はほとんどが社会、
つまり国民からの募金なんだ。
政府はオリンピックに費やすお金の数分の一しか使ってない」

被災者よりもオリンピックが大切と言うわけか?
でも政府関係者はこの国では一番金持ちやぞ!
政府要人の個人資産を公表して、
彼らの個人資産からも募金させたらんかい!

先日ネットの書き込みで四川省の被災者をなじった少女が、
翌日にはその本名と住所と電話番号まで公表されて警察に保護された。
逮捕ではなく保護である。

そうじゃなきゃ間違いなく殺される・・・

ワシにも友達がいるが、中国のハッカー達の技術は物凄い。
ひとつの書き込みからその本人を特定するなんぞ朝飯前である。
奴らなら政府要人の個人資産なんぞすぐにハッキング出来るだろう。

その途端に殺されるか・・・

ドラム担いで被災地に行ったところで、
この国がそんなにすぐによくなることはあるまいが・・・

ロックで出来ることなんてほんの小さいことなのよね・・・

Posted by ファンキー末吉 at:05:06 | 固定リンク

2008年3月17日

Kちゃんの物語その2

私の携帯の番号は、私が携帯と言うものを手にしてから一度も変えたことがないので、
時には思いもよらぬ古い友人から電話がかかる時もある。
番号表示で誰だかわかる時もあるし、
声を聞いてやっとわかることもあるのだが、

「私よ、誰だか忘れたの?」

と言う彼女の声を聞いた時、とっさにこの声の主を思い出すことが出来なかった。
ひょっとしたら心の奥底で忘れてしまいたいと思っていたのかも知れない。

「私よ!車持ってるでしょ!すぐ迎えに来て!」

迎えに来てったって真夜中である。
「この夜中にのこのこ迎えに行ける人間がどこにいる」とは思ったものの、
その日は嫁も子供も寝静まってひとり仕事部屋で仕事をしてたので別に行こうと思えば行けないこともない。
「どこに行けばいいんだ?実家か?」
彼女の実家にはアッシー(死語)として何度も送り迎えに行ったことがあるので今だによく覚えてはいる。
「バカねぇ。今だに実家にいるわけないじゃん!私もう結婚したんだから。
でも今から家出するの!だからすぐ迎えに来て!」

Kchan4.jpg


今更「あわよくば心」はない。
前回の事件で私は彼女を、いや「女」と言うものの怖さを心底感じてしまっている。
スケベ心よりは好奇心である。

(彼女は結局あの男と結婚したのか?)
(やっぱりあの女を殺したのか?)
(それとも・・・)
いろんなことを考えながら彼女の指定した公園に向かった。

数年ぶりに会った彼女は二十歳の頃と変わらず若々しく、そして相変わらず美しかった。

「行くところがない」と言われたって嫁も子供もいる私の家に転がり込まれても困る。
例え彼女のことを好きだったのは今は昔であろうともである。
とりあえずめったに帰って来ない友人のアパートがあるので
彼女を紹介してしばらくそこに住まわせることにした。

そこでゆっくり話を聞いた。

聞けば殺傷事件にまでなってしまったその昔の男は、
その原因となったその女とその後も切れずにいたらしい。
私から見たら命知らずの男なのである。

「何か私ってどんなことされても我慢してついてくる女に見えるらしいの」

彼女はある意味ではそう言う女である。
その男が他の女に手を出しさえしなければ平穏無事な幸せな家庭を築けたかも知れない。
しかし男は女と切れなかった。

それじゃあ予告通り彼女はその女を殺したのか?・・
いや、修羅場はそれ以上続かなかった。
新しい男性が現れ、失意の彼女を慰め、
そして彼女と結婚したのである。

その旦那は見事に彼女を救い、
そして結果的にはその女の命までをも救ったと言えよう。


しかし男とはどうしようもなくアホな生き物であると言うべきか、
はたまた彼女はとことん男運が悪いと言うべきか、
運命は再び繰り返し、悪いことにまたこの旦那が浮気をしたのである。

今や私なんぞ、
「こんな女を妻にして浮気なんぞしようものなら命がいくらあっても足りないぞ」
と自己防衛本能が素直にそう思わせるのだが、
当の旦那はどうもそんなこと夢にも思わないらしい。
昔の男も、そしてその旦那も、
私の見た彼女のあの恐ろしい面はまるで見ることが出来ないのである。

私があの時見た彼女、
あの極端なまでの冷静さで殺人を遂行しようと言う恐ろしさは、
実は決して人からは見ることが出来ない「Dark Side Of The Moon」だったのではあるまいか。
実はそれはまだ誰も見たことがなく、あの時私にだけ見せたものだったのではあるまいか。

だから今回も私を呼び出したのではあるまいか。
その「Dark Side Of The Moon」を見てしまった私を。
それを見せられる唯一の人間である私を。

ちなみにピンクフロイドの名盤「Dark Side Of The Moon」の邦題は「狂気」と名付けられている。
後に続く「Crazy Diamond」も「The Wall」も、
全て彼らは「人間の狂気」を題材にその音楽を作って来た。
しかし彼女は違う!
彼女は決して狂ってなどいない。
恐ろしいほど冷静に、「普通」に殺人を遂行しようとしていた。
狂気のかけらなど微塵にも見られなかった。

殺人など激情に駆られてやるもの、
狂気に駆り立てられてやるものだと思っていた私は、
だからこそ身の凍るほどの恐怖を感じた。

彼女があまりに「普通」で、あまりに「冷静」であったからだ。

それはまさに人の心の「Dark Side Of The Moon」。
「人を愛する」とか「尽くす」とかと言う表の部分が、
そのターゲットの裏切りによりそのままその裏側、
つまり「殺す」と言うことになるだけで、
それは激情にほだされてでも何でもない。
彼女にとって、いや人にとってそれは「普通」の行動だったのではあるまいか。

Kchan6.jpg


普段と変わらない様子で彼女は旦那の浮気について説明する。
それは別に普通の笑い話と寸分変わらない言い方である。

「旦那もそうだけどその女もバカだわよねぇ。
そんなことして私にバレないと思ってるのかしら」

そう、彼女は決して頭は悪くない。
むしろ洞察力、頭の回転、女のカン、どれをとっても恐らく人並み以上の能力であろう。
それをフルに稼働して、その女が誰か、名前は何で、年はいくつで、
仕事は何をしていて、職場はどこで、
勤務ローテーションはどのようで、
住んでるところはどこで、実家はどこで、
その電話番号まで全てを既に調べ上げている。

私はまた背筋が寒くなって彼女にこう聞いた。
「まさか・・・また殺すとか言いだすんじゃないだろうね」
彼女はまたそのとびっきりの笑顔でそんな私の心配を笑い飛ばした。
「バカねぇ。私もあの時は子供だったの。
もう殺したりなんかするわけないじゃない」
くったくのないその美しい笑顔を見て私はほっと肩をなでおろした。

するとすかさず彼女、
「死んだ方がましだと思うぐらいの目に合わせてやるの」

Kchan5.jpg


私はまた恐怖で凍りついてしまった。
彼女を絶望から救ったこの旦那は、
また自らの手で彼女の「Dark Side Of The Moon」をひっぱり出してしまったのだ。


それからの彼女は私は心底恐ろしかった。
毎日のようにその女を追いつめてゆく。

「まず仕事をやめさせてやるの」
職場に行く。
その女のローテーションは全て把握しているので、
敢えてその女が出勤していない時間を狙って行く。

「一番偉い人出してちょうだい!
おたくの従業員が私の留守中に私の旦那と・・・」

その女が部屋に残した遺留品をつきつけて、
泣く!喚く!全社員の前、全てのお客の前で可哀想な被害者を演出する。
それを沈着冷静に完璧に演じるのである。

「次は親だわ」
実家に電話をして女の両親に向かって泣く!喚く!
その全てが「感情」ではない、「計算」なのである。

「そうそう、住むところもなくさなくっちゃ」
今度は勤務時間のローテーションを見計らって
アパートでご近所さん、大家さん相手にそれをやる。

やられた方はたまったもんじゃない。
しかも相手は今や家出していて携帯もOFFにしているので捕まえようにも捕まえようがない。
旦那とてたまったもんじゃない。
言いたいことがあるなら自分に言えばいいじゃないかと思ってもその相手がつかまらないのである。

私にその旦那もその女も救うことは出来ない。
何故なら私には彼らと何の接点もないのである。
会ったこともなければ名前すらも知らない。
ただひたすら、時間のある時に彼女を慰め、
気をまぎらわせてやるだけである。

「ほんと、私って男運悪いのかしら・・・」

彼女はちょっと疲れた感じで私にそうつぶやく。
何も特別なことで疲れた感じではなく、
ただ「仕事が忙しかった」とか普通に「生活に疲れた」といった感じでそう言うのである。

それにしても私は何故こうして彼女に世話を焼いているのだろう。
10年近く会ってなくてもすぐにこのように「普通」に会える友人であるから?
それともやっぱり彼女が美しく、魅力的だから?

彼女はその美しい横顔をちょっとこちらに向けてほほ笑みながら言った。
「末吉さん、今でも私のこと好き?」

私は体中に鳥肌が立つほど恐ろしかった。
それほどまでにも彼女の笑顔は美しかったのである。

Kchan7.jpg


その女に対する彼女の猛攻撃は続く、
職場にいようともアパートに帰ろうとも、
そしてたまりかねて友人宅に身をよせようとも、
必ず彼女はそこを突きとめてやってくるのである。

しかも必ず本人がいない時間を見計らって・・・

気も狂わんばかりになったその女は、
結局頼るところは自分が愛人関係にあるその相手、
つまり彼女の旦那のところしかない。
最終的にその女は旦那のマンション、
つまり家出する前に彼女が旦那と住んでたその部屋に転がり込んで来た。

彼女の最終攻撃が始まる。

旦那の勤務ローテーションも完全に把握しているので、
旦那が絶対に電話にも出れない、職場も放棄できない時間帯を狙って、
その女が一人で震えながら待つ、かつての自分のマンションに乗り込んでゆく。

ピンポーン

自分の家なのでカギは持っているのにわざわざ呼び鈴を鳴らす。
女はもう精神を病んでしまっているので出てこない。
女が出てくるまで何度でも何度でも鳴らす。
恐る恐るドアまでやって来てのぞき穴から彼女の顔を見たとたん絶叫した。

「キャー!!!!」

彼女はゆっくりドアにカギを差し込みゆっくりとカギを開けた。

ガチャン

「キャー!!!!来ないで!!!入って来ないで!!!」
女は部屋の中で半狂乱となる。

しかしドアには運良くチェーンロックがかけてあった。
彼女はそのドアの隙間から部屋を覗き込んで優しそうにこう言う。

「開けなさい。ここは誰の家だと思ってるの?」

「助けて!!!誰か助けて!!!」
半狂乱で救いを求めて電話をかける。
救いを求める相手はただひとり、彼女の旦那であるにも関わらず、
その彼はあいにく電話口には出られない。
職場にかけても職場を離れることは出来ない。

彼女はドアの外でゆっくりと自分の携帯を取り出し110番に電話をかける。
「もしもし、警察ですか。
私の家に知らない人が入ってて中から鍵かけて出て来ないんです。
何とかしてもらえませんか」

近所の交番から数人の警官がやって来る。
「中の人!出て来なさい!あなたのやっていることは犯罪です!」
チェーンロックをかけたドアの間から警官が叫ぶ。
半狂乱の女は泣き叫ぶ。
「その人を何とかして!私、殺される!!」

警官が彼女に質問する。
「どう言うことなんですか?お知り合いですか?」
ニコっと笑って彼女は余裕で答える。

「いいえ、会ったこともありませんよ。あの女、頭おかしいんじゃないですの?」

法律的にはこの女は「不法侵入」を犯している。
警察としては最後の手段として、チェーンカッターでチェーンを切って中に入るしかない。
説得すること数十分。
中の女は最後には説得に応じて恐る恐るチェーンロックを外した。

するとドアが開くが早いか中に飛び込むが早いか、
彼女は勝手知ったる自分の家に飛び込んだ。
そして勝手知ったる台所の包丁を掴んで女に切りかかった。

「キャー!!」

警官が数人がかりで彼女を取り押さえて事なきを得たが、
結局はこの事件は三角関係が生んだ痴話喧嘩と言うことで処理され、
切りかかった彼女よりも法律的にはその女の方が罪に問われる。
彼女はただ「嫉妬で逆上した」可哀想な妻にしか見えないのである。

そう、彼女の「Dark Side Of The Moon」を見ていない全ての人間は彼女をそのようにしか見ることが出来ない。
しかし私は知っている。
彼女は「逆上」などしていない。
いつでも「冷静」で、「やるべきこと」を「完璧に」遂行しようとしているだけなのだ。
人を愛し、尽くすのと同じように遂行しているだけなのだ。


「また殺し損なっちゃった・・・」
笑顔でそう私に報告する彼女に私は心底震え上がった。
離婚調停は「絶対に別れない」と言う彼女のかたくなな態度により泥沼化したと聞く。
彼女はまたあの美しい笑顔で私にそう言った。

「離婚なんかするわけないじゃん!だって愛してるんだもん」


それから彼女には会ってない。
だから数日前、また彼女から突然電話があった時には心底びっくりした。
聞けば再婚し、子供が出来、その新しい旦那もまた浮気をしたと言う。

しかし今度は状況は違った。
旦那は泣いて真剣にあやまり、
彼女の目の前でその浮気相手と手を切り、
今も彼女に毎日毎日あやまり続けていると言う。

「でも一生許せないかも知れない」
彼女が私にぽろっとこぼしたその言葉を聞いて私はとても安心した。
これは「感情」が言わせるもので
彼女の「Dark Side Of The Moon」が言わせていいるものではないからである。
その旦那ならきっと一生彼女の「Dark Side Of The Moon」を封じ込めるかも知れない。
そしてそうであって欲しいと心から思う。


人はみなその心に「Dark Side Of The Moon」を持っている。
私の妻に、
そしてこれを読んでいる全ての妻帯者の妻だけにはそれがないと誰が言いきれよう。

それを引っ張り出すか永遠に封印するかは全てはその旦那次第なのである。
Kちゃんの物語、これは決して他人事ではないと世の全ての男性は知るべきであろう。

完・・・(であることを心から願う)

Posted by ファンキー末吉 at:00:57 | 固定リンク

2008年3月15日

Kちゃんの物語その1

Kちゃんと初めて会ったのは、
彼女がまだ20歳かそこらのピチピチGAL(死語)だった頃のことである。

美貌にも恵まれ、セクシーで明るいキャラである彼女を、
一目見て口説かない男がいたらその顔を拝みたいものだと言うほどのものなのであったのだが、
あいにくと彼女には当時付き合ってる彼氏がいて、
そして彼女自身非常に身持ちが堅く、
それは
「私は最初に付き合った彼氏と結婚する」と言う信念を強く持っているところから来ていたり、
まあ常識ではそこに割り入って略奪したりするのは至難の技であることは明白な事実であるにもかかわらず、
それを無謀にも果敢に食事に誘い、飲みに誘い、
アッシー(死語)となってもメッシー(死語)となってもその想いを遂げようとする若き日の末吉青年がいた。

よくある話で、このような努力は往々にして
「話を聞いてくれる便利なオジサン」
で終わってしまうのが常であるにもかかわらず、
若き日の末吉青年は多額の必要経費と時間と労力を費やしながら、
その「あわよくば」の夢にまい進していたのである。

彼女の口からその彼氏の浮気問題で悩み相談を受けるようになるまでにはそう長くはかからなかった。
悩みを聞いてあげる振りをしながら、
暗に「そんな男とは別れた方が身のためだよ」とほのめかす。
そしてもしも現実そうなった暁には、
当時男友達など私しかいなかった彼女が次に選ぶ選択肢はこの私しかないではないか!悩みを聞きながらそれとなく自分をアプローチする若き日の末吉青年。

しかし彼女はまるでなびいて来ようとはしない。
理由は「どんなひどいことをされようとも彼のことが好きだから」

何と素晴らしい女性ではないか!

美人でセクシーで明るくて身持ちがいい、
そんな理想とも言える女性が初めて出会った男性がどうして私ではなくそのどうしようもなく女癖が悪い男でなければならなかったのか・・・
もう少しで神に恨みごとを言いそうになっていたある日のこと、
その恐ろしい出来事は起こったのである。

「便利なオジサン」とは悲しいものである。
かけた電話は五万回(ウソ)
おごった食事は五万回(ウソ)
使ったお金は五万元(ウソ)
聞いた悩み相談五万回(ちょっとホント)
でもそこまでやって見込みがないものはもう仕方がないのではないか。
さすがにあまりにも実にならない努力は続かないものである。
近所の飲み屋でひとり上機嫌だった私は、
その日の彼女の悩み相談電話を適当にあしらって切った。
彼女の悩みを聞くぐらいなら、もう誰かに私の悩みでも聞いてもらいたいもんだ。
もう既にそんな心境になっていたのである。

だいぶ深酒をして家に千鳥足で戻り、
カギを取り出してマンションのドアを開けようとした時、
そこに誰かがうずくまって坐っているのを見てびっくりした。
見れば彼女である。

「ちょっと上がらせてもらってもいい?」

Kchan1.jpg


真夜中に美女にそう言われて嬉しくない男性がいたらその顔を拝んでみたいが、
それにしても終電でやって来たとしたら彼女は一体何時間ここに坐っていたことなのだろう。
少々気味が悪い気持ちを「あわよくば心」が押しのけて彼女を部屋に上げた。

さて美女と夜中にふたりっきりである。
しかも彼女はわけありの様相。
恐らくはその彼氏の問題であろうことは容易に想像はつく。
そしてそれを相談する男性はこの私。
つまりこれは

ついに今までの私の苦労が報われるに違いないシチュエイションではないか!

逸る気持ちをおさえつつ、腰を落ち着けて話を聞き始める末吉青年。
そしてそれから身の毛もよだつ恐ろしい話を聞くこととなるのである。

「人間ってダメねぇ。いざとなったらやっぱ手元が狂うのよね」
彼女は淡々と語り始めた。
「包丁なんかじゃダメなのよ。どうしてピストル買わなかったのかしら私・・・」
泣くでもなく青ざめるでもなく、
一切興奮することもなく彼女は淡々とこう語り始めたのである。


彼氏は当時で言うプー太郎。
親の実家の隣にアパートを借りて、アルバイトをしながら生活し、
美人でセクシーで明るくて気立てもよく、一途で自分にぞっこんなこんな彼女がありながら、
なんと二又をかけて別の女とも付き合っていた。

そう言うことをうまくやれる男性とそうじゃない男性が世の中には存在する。
彼はまさに「そう言うこと」が下手であった。
彼女はとっくの昔にその女の存在を感じ取り、
そしてその女もこれ見よがしにその存在の痕跡を部屋に残してゆく。
そしてこの日、その全てがいっぺんに噴出したのである。

「その女、部屋にいるんでしょ。電話に出しなさい!」

女と言うのは恐ろしい生き物である。
それを知るのに何の「根拠」も「物的証拠」も必要としない。
「女のカン」と言うものがそれを瞬時に明確に知らしめさせるのである。

こう言う時の「男」と言うものは一体どのようにふるまうのが普通なのであろうか。
「確信」を持っている電話口の彼女に一切のごまかしは通じない。
そして目の前のその女は受話器を握って茫然としている男にこう詰め寄る。

「言ってやりなさい、彼女に。いつも言ってるでしょ、愛してるのは私だけだって」

この男が特に軟弱だったのか、
はたまたこう言う状況に追い込まれた世の男が全てそうするのか、
そんな経験のない私にそれを計り知ることは出来ない。
男がいつまでも決断を下せないでいると、
最終的にその女は自ら電話口に出てこう言った。

「出てらっしゃい!決着をつけましょ!」

彼女は極めて冷静に電話を切り、
極めて冷静に出支度をし、
そして極めて冷静に近所のスーパーで包丁を購入して
その女が待つ彼の家に向かった。
ドアを開け、部屋に入り、極めて冷静にその女の言い分を聞き、
そして勝ち誇ったようにドアを開けて出て行こうとするその女の背中に向かって
極めて冷静に包丁を突き立てた・・・

・・・つもりだった。
しかしいざとなったらわずかながら手元が狂った。
狙った心臓をわずかに逸れ、
かすり傷しか負わせられなかった彼女は
また極めて冷静に包丁を持ち直し、
再びその女に突進した。

Kchan2.jpg


「人殺しぃ!助けてぇ!誰か来てぇ!」
玄関口を飛び出して逃げまどう女をまた極めて冷静に追おうとする彼女を、
さすがにそれまでは借りてきた猫のようにうずくまっていた彼が体当たりでそれを止めた。
騒ぎを聞いて彼の母が駆け付けてきて、息子と一緒に彼女を取り押さえる。
女はコートの下から血を流しながら玄関口で叫び続ける。
「誰かぁ!警察呼んでぇ!殺されるぅ!」

男はこんな現場で一体どのような行動を取るのが「普通」なのであろうか。
全ては自分がまいた種なのに何のなす術もなく彼女を取り押さえるだけの彼。
一番冷静に(但し何度も言うように実は極めて冷静であった彼女本人を除いて)動いたのはむしろその彼氏の母親だった。

取り乱す女の頬をぴしゃりとやって正気にさせ、部屋の中に引き入れて傷口を見る。
軽傷である。
病院に行くまでもないと判断するとその場で応急手当をし、
明日念のため病院に行くように指示し、
「今日のところは私に任せてもう帰りなさい」
もちろん警察に行くなどと言う彼女の考えは完ぺきに思い留まらせた。

「Kちゃん、今日は母屋で泊まりなさい。私と一緒に寝ましょ」
母はそう言って、彼女を優しく抱きとめて一緒の布団にくるまった。
「ごめんね、ごめんね、Kちゃん。うちの息子があんなんがためにあなたにこんな辛い想いをさせて」

しかし彼女はこの母が(例え彼女が事をし損じることがなかったとしても)
彼女に対してこのような態度であろうことは冷静に分析して分っていた。

いや、そのように「持っていってた」と言っていい。

彼女にとっては彼は将来「絶対に」自分と結婚する相手、
その母親とどう付き合うかは彼女は既に彼と交際し始めた頃からシュミレーションしていた。
それは彼女の「愛」であり、「頭のよさ」であり、
そして「完璧さ」であった。

もちろん彼に女がいることも
彼のいないところでその母親と何度も相談をしている。
その男は自分だけが知らないところで既に周りを全て彼女に固められてしまっていたのである。

自分の交際相手の母親をそこまで自分のものにするのは実は非常に難しいことかも知れない。
しかし彼女はその困難なミッションを長年かけて完璧に遂行していた。
母親にしてみたら今や彼女は若いながら「うちのけなげな嫁」なのである。
不肖の息子に泣かされながら一生懸命尽くしている彼女に同性として同情もしていたことだろう。

いや、彼女は少なくとも彼女は「そう見えるように」頑張って来た。
そしてその一挙一投足は極めて「完璧」であった。

「もう落ち着きました。お母さんありがとう。ごめんなさい」

そう言って彼女は彼の家を後にして私の部屋に来た。
もちろん彼女はほんの少しも取り乱したりはしていないので、
「もう落ち着いた」と言うのは少なくとも「ウソ」である。

彼女が私の部屋に来る道すがら考えたことはただひとつ、
「どうして手元が狂ったんだ」と言う唯一の後悔だけである。

彼女が私の部屋に来たのは何も私が恋しかったわけではない。
「どうして自分ともあろう者がこんな簡単なミスを犯したのか」
その原因を自分をよく知る、
しかもこの時間でも迷惑にならない第三者聞いてみたかっただけなのである。

と言ってしまえば非常に簡単なものなのだが、
しかし男女の仲などそんな単純に出来てはいない。
もし万が一、私の「あわよくば心」が、その持ち前の臆病さと状況判断能力を少しでも上回ってたとしたら、
私たちふたりの関係はこの日を境に劇的に大きく変わってしまっていたことだろう。

「あーあ、何で私、あんな男好きになっちゃったのかなぁ、、、」
彼女はちょっとだけ笑って更にこう言った。
「末吉さんともうちょっと早く出会ってたら私はもっと幸せになれてたかもね」

Kchan3.jpg


その笑顔は鳥肌が立つほど美しく、
そして同時に・・・とてつもなく・・・怖かった、、、

私の自己防衛本能が彼女をそのまま家に帰した。
彼女は何も取り乱していないのだ。
いつでも冷静で、そして真剣で、純粋なのだ。
それが私には身の毛がよだつほど恐ろしかった。
神が私を彼女の最初で最後の男にしなかったことに感謝するほどに・・・

見送り際に彼女に質問してみた。
「男の方を殺すと言う考えはなかったの?」
彼女はさらっと答える。
「全然!」
「どうして?」
「だって愛してるから彼は殺せない。
でも自分が自殺でもして死んじゃったらその後ふたりがうまくやったりするのはもっと許せない。
だったら女が死ぬしかないじゃん!」
極めて冷静に彼女はそう言ってのけた。

彼女はいつだって冷静で、そして美しかった。
「これからどうするの?」
最後に私は彼女に聞いた。

「またやるわよ。今度こそしくじらない」

その後、私は縁あって最初の妻と結婚し、もう彼女と会うこともなく数年の月日が流れた。
そしてある夜の一本の電話が次なる悲惨な事件への序章であったのだ。

続く・・・

Posted by ファンキー末吉 at:01:24 | 固定リンク

2007年5月31日

MIDI音楽学校にてクリニック

先日の清算をしにMIDI音楽学校に行って来た。

と言っても決してギャラの清算ではない。
このイベントは何ぴとたりとも決してギャラは払わない。
出演者全てノーギャラなのである。

しかし二井原と田川くんとその介添人の渡航費まで自腹で出して、
そのホテル代まで自分で出すわけにはイカン!
とばかり苦手な金銭交渉ではあったが、
「ホテル代ぐらいは出してぇな」
とダメもとで言ってみたらふたつ返事でOKしてくれたのでその金を取りに行ったのである。

しかし何だ・・・
渡航費出してホテル代まで出して、
スタッフやローディーまで全部連れて大赤字で世界中から集まってくるバンドを横目で見ながら、
自分だけたとえそれがたったの1500元(2万円ちょい)であろうが金をもらうのも悪い気がするなぁ・・・

と言うわけでつい
「ほな代わりに今度学校に来て無料でクリニックしますわ」

ClinicAtMIDI.jpg

ま、これも世のため人のため、まわりまわって世界平和のためである。

Posted by ファンキー末吉 at:18:41 | 固定リンク

2007年5月 6日

MIDIロックフェスティバル

MIDIロックフェスティバルは、
もともとMIDI音楽学校の文化祭としてスタートした。
開校は俺が90年に初めて北京に来た頃で、
91年と95年(だったかな?)、
俺も特別講師として呼ばれて講義をしたことがある。

当時の学校施設はお世辞にも立派とは言えないもので、
一応「現代音楽」を教える専門学校として登録はしているものの、
実のところここが中国で唯一「ロック」を教えてくれる学校であることは周知の事実で、
その「ロック」を政府はまだ目の敵にしていた時代だったので、
その学校やこのイベントの歴史が順風満帆でなかったことは想像に難くない。

幾多の困難を乗り切り、
このMIDIロックフェスティバルはのべ10万人以上を動員するアジア最大のロックイベントとなった。

校長であり、このイベントのプロデューサーである張帆(ZhangFan)に街でばったり会う度に、
「Funky、今年こそは出演してくれよ」
と昔から言われてはいたのだが、
なにせこれだけ大きなイベントなのに出演料は「ゼロ」である。
日本から誰かを呼ぼうにも全部持ち出しとなってしまう。

悩んだ末に、今年は盲目のギタリスト田川くんを呼ぼうと心に決めた。
俺が初めて彼のギターを聞いた時の感動を
中国のロックを愛する若者にも与えてやりたいと思ったからである。

張帆(ZhangFan)に電話したら、
「それは素晴らしい!」
の一言で即出演は決定したのだが、
よくよく話を聞いてみると、ボーカリストがいないユニットは
メインステージではなくその隣の小さなサブステージでの出演となると言うことである。

渡航費まで持ち出してノーギャラで出演してサブステージではやはり面白くない。
「メインステージじゃなきゃヤダ!」
と駄々をこねてみるが、
「わかってくれよ、
毎年どれだけのバンドがメインステージに出たいと言ってくるか・・・」
と泣きを入れられたりしたらもう仕方がない。
一時は出演をあきらめたのだが、
ボーカリストと言われてふと思いついたのが「世界の二井原実」の存在である。

「LOUDNESS」って知ってる?
張帆(ZhangFan)にぶつけてみると、
「知らない」
とあっさり一言。
LOUDNESSが世界を席巻してた時代は、
中国ではまだロックが解禁されてなかったのである。

「よかったらその音を聞かせてくれないか」
と言うので、ふと思いついてLOUDNESSではなく
XYZの中国語バージョン
を送りつけてみた。

「何て素晴らしい音楽なんだ!!メインステージ出演決定!!」
さすがは世界の二井原実、即決である。
まあ結果としては田川くんのついでに二井原を呼んだみたいになってしまったが、
同じバンドのよしみで許せ!二井原!
これも全て世界平和のためである!

かくして二井原と田川くんがやって来た。
さすがに田川くんと介添人にうちの院子に泊まってもらうのはあんまりなのでホテルをとったが、
持ち出しにも限界があるので二井原にはうちの院子に泊まってもらった。
(許せ!二井原!!これも世界平和のためじゃ)

さて、現地の若いベーシスト韓陽(HanYang)と共にうちで2日間ほどリハーサルをした後、
予想通り会場でのサウンドチェックもなくいよいよ本番である。

写真:次の出演者の出番を待つオーディエンス
Audience.JPG

こんな大きなイベントで、
しかも中国なんだから仕切りは予想通り最悪である。
田川くんの日本製のエフェクターは
現地スタッフがそのまま220Vに接続してしまい電源が焼けてしまった。
俺は自分のドラムのセッティングもそこそこに、
他の出演バンドにエフェクターを借りに走る。
嫁は電池をGetすべく走り回る。

同行取材で張り付いている日テレのカメラマンから電池の方が先にGet出来た。
エフェクターは電池で正常に動くようである。
とりあえず音を出してみる。

TagawaInMIDI.JPG

サングラスをかけて、何故かアンプをすぐ手元にセッティングしている変なギタリストが出す音に
客席はいきなり狂喜乱舞する。

「ウォー!!」

気を良くした田川君はまたギターを弾く。
観客はまた狂喜乱舞し、会場は演奏前から超ヒートアップである。

(ギターのサウンドチェックで狂喜乱舞するオーディエンスの声)
http://fretpiano.com/sound/dl/dl.cgi?guitarcheck

準備が整った。
二井原が客を煽る。
客席は更にヒートアップする。

(世界の二井原の煽り)
http://fretpiano.com/sound/dl/dl.cgi?NiiharaAudience1

「生きるとは何だ?!」
二井原がタイトルを絶叫すると同時に
俺はハイハットを全開にしてカウントを叩き出した。
テンポ180を超すXYZの超速ナンバーが始まる。
命の限りツーバスを踏む俺。
首も折れよと頭を振る二井原。
客席の反応は・・・

しーん・・・・

それまで興奮のるつぼだった観客を一気に置いて行ってしまった。。
曲が始まるまであれだけヒートアップしていた客は、
それまで聞いたことがない超速ナンバーについて行けず
いきなりどん引きしてしまったのである。

喉も裂けよと叫ぶ二井原、
腕も折れよと叩きまくる俺、

・・・しーん・・・

ところが何万人のどん引きしたオーディエンスが、
ギターソロが始まる頃までにはだんだん変化が見られて来た。
ひとりが正気に戻って隣をつつき、
つつかれた人間がはっと我に返りこぶしを上げる。
そしてギターソロでは客席全員がついにヒートアップ。
気を良くした田川くん、
ギターソロ終わりでリフに戻るところにも超絶テクニックでソロをちりばめる。

「ウォー!!」

(ギターソロに狂喜乱舞するオーディエンス)
http://fretpiano.com/sound/dl/dl.cgi?IkiruGT

1曲目を大狂乱のうちに終えた俺達は、
予定通りそのまま2曲目の「Why Don't Ya Rock And Roll」につなげるべく、
エンディングのかき回しの中、そのまま客席を更に煽る!

「Everybody say Yehhhh!」
http://fretpiano.com/sound/dl/dl.cgi?IkiruLast

さすがは世界の二井原実である、
オーディエンスは再び超ヒートアップ。
俺達はかき回しを大仰に締め、
そのブレイクで二井原が「Why Don't Ya Rock And Roll」を歌い出そうとしたその瞬間、
「すみません、ちょっと止めて下さい。MCが入ります」
とスタッフが飛び出して来た。


悪い思い出がよみがえって来た。
15年前、ラジオ局のイベントに爆風スランプで出演した時に、
1曲目が終わった時にいきなり中止命令が出たのである。
いきなりMCが出て来て
「ありがとうございました。爆風楽隊のみなさんでした」
と送り出そうとする司会者を無視して俺達は演奏を続けた。

結果、電源を落とされ、
PAスタッフは羽交い絞めにされて連れ出され、
それを止めようとしている中国人スタッフが
公安にぼこぼこに殴られているのがステージ上からもはっきりと見える。

ドラムとアンプの生音だけで予定の4曲を全て演奏し終わって
俺達は別室に軟禁された。
中国人スタッフは
「お前らは外国人だからまだいい。
中国人の俺はきっと奴らに殺されるんだ」
と震えていた。

もう15年以上も前の出来事である。
考えてみればこの同じ国の中で同じようにロックをやって、
それが許される方がおかしいのかも知れない。


MCを無視して曲を始めるべきか、
それともここはおとなしく引き下がるべきか・・・
スティックを持った手に汗がにじむ・・・

MCが口を開いた。
「みなさん、ここでこのギタリストのことをご紹介しましょう。
彼は先天性の病気で全盲になり、3歳の時にギターを始め・・・」

何でここでお前が出てきて田川くんの紹介せなあかんねん!!!

ありえん!
ありえなさすぎる・・・・


中国語がわからない二井原は次の曲を歌い出すに歌いだせず、
宙に向かって口をパクパクさせている。
あきれ顔で俺は二井原に目くばせした。

「いいよ。次の曲入って(ちょっと投げやり)」

それからと言うもの、
同様に客席はヒートアップしているものの、
少し方向性が変わって来た。

Audience2.JPG

リズムに体を合わせ、手拍子を打ち、彼らが待つものは・・・
・・・ギターソロ・・・

「Why Don't Ya Rock And Roll」、
今回のアレンジではフリータイムのギターソロを入れてある。
二井原のボーカルと掛け合いながらギターがソロを弾き、
そして二井原の合図でまたブレイクダウンして最初から煽り直してゆく。
http://fretpiano.com/sound/dl/dl.cgi?WhySolo
客席がヒートアップして叫ぶ言葉は、

「SOLO!SOLO!」

エンディングから続けてドラムソロ。
DrumSolo.jpg

http://fretpiano.com/sound/dl/dl.cgi?drumSolo
続けて俺は中国語で田川くんを再び紹介する。
「次は彼のギターインストナンバーだぞ!!」

http://fretpiano.com/sound/dl/dl.cgi?gtSoloEternal

その間お休みの二井原は、
狂喜乱舞する客席を、そして超絶テクニックで弾きまくる田川くんを
自分のビデオカメラでシューティングする。
世界の二井原実、この日は明らかに田川くんの「前説(まえせつ)」、
そしてカメラマンであった。
(許せ、二井原!これも全て世界平和のためじゃ!)

最後のナンバーは、
XYZの5枚目のアルバム「Wings」の最後に収められてる
「Wings~Fire Bird」のメドレーである。
10分を超えるこの大曲を二井原は今回中国語バージョンで歌う。

Lyrics1.jpg

曲調はバラード。
ギターと歌だけで歌うこの前半の部分では、
もちろん初めて聞く中国人が狂喜乱舞したりはしない。
ストリングスオーケストラの短い間奏の後サビに入る

Lyrics2.jpg

ドラムとベースがハードに演奏に加わるサビでは
何割かのオーディエンスが拳を上げたりしているが、
果たして歌詞が聞き取れているのかどうか・・・

メドレー後半のFire Birdにつながるこの中間部分ではいきなり変拍子になる。

Lyrics3.jpg

もちろん手拍子を叩くことも出来ない。
どうやって盛り上がっていいか作った俺でさえよくわからないアレンジである。

そしてリズムがテンポアップして後半の「Fire Bird」に入る。
XYZのライブではここで橘高が狂ったようにヘッドバッキングを始め、
客席もそれにつられてヒートアップするのだが、
盲目の田川くんが橘高のようなヘドバンをすることは出来ない。
ツーバスを振りながら頭を振る俺に煽られ、
ある者は一緒に頭を振り、ある者は拳を振り上げ、
しかし大部分のオーディエンスは相変わらず立ち尽くしている。

Lyrics4.jpg

命の限りツーバスを踏み、命の限りシャウトする。
ちなみにこの曲にはギターソロはない。
伝えたいことを命の限り演奏するのみである。

演奏は全て終わった。
(終演後のオーディエンスの声)
http://fretpiano.com/sound/dl/dl.cgi?midiending

数万人のオーディエンスにはそれが伝わったのかどうか・・・
俺は演奏後ベースの韓陽(HanYang)に聞いてみた。

「うーん・・・このイベントに来る客は、
どちらかと言うとアホなパンク聞いて盛り上がって
楽しく帰ればそれでいいと言う奴ばっかりだけど、
お前らの音楽は明らかにそれとは違う、
中身があると言うか深いと言うか・・・
こんな深い音楽性なんて奴らには絶対わかんないんだよね・・・
でも聞いた人はそれを心の深い所に刻まれて持って帰り・・・
あとで効いてくると言うか・・・
・・・うーん・・・何て言えばいいのか・・・」

難しい中国語は俺にもわからないから簡単に聞いてみる。
「まあ、よくわかんないけど、
じゃあとりあえず反感はなかったって感じかな?」

「いや・・・反感とかそう言うもんじゃなくって・・・
俺達中国人は聞いたこともやったこともないんだ、
こんな音楽・・・NiuBi(牛のオマンコ:Fuckin Greatの意)・・・
何て言うか・・・お前ら・・・凄すぎるよ・・・
特にギターの彼はもう・・・何て言ったらいいか・・・
・・・凄すぎる・・・」
最後は言葉にならず、彼は号泣してしまった。

片付けを終えた嫁が潤んだ瞳で俺にこう言う。
「パパ・・・私・・・今日はドラムの後ろで泣いたわ・・・
だってあの曲・・・パパがどれだけ命を削って生み出したか・・・
それを二井原さんがどれだけ苦労して中国語で歌ったか・・・
でもそれは発売されることもなく、
今日やっと日の目を見たと言うか、
中国人がこれを聞いて拳を振り上げてるのを見て、
私はもう涙が出てきて止まらんかった・・・」


俺達は音楽を生み出すのは別に人に認められようとして作るわけではない。
ある曲はランナーのように巨額の富を生み、
ある曲は全然日の目を見ずに終わってしまうこともある。
それでも俺達は作り続ける。
生み出す時はどんな曲でも同じである。
世に出たいかどうかは曲自身がそれを決める。

俺たちがロックをやること、
それは「金」や「名誉」を作っているのではない。
「歴史」を作っているのである。

中国でこんな自由なロックフェスティバルが行われる日が来るなんて、
当時の俺達は夢にも思わなかった。
でも「歴史」はそうなったのである。
その陰で俺はしこたま暗躍した。
この曲が次の「中国ロックの歴史」をどう変えるのか、
それは人知の及ぶところではない。
「歴史」が決めることなのである。

ただ俺達はこうやってロックをやり続けるのみである。
全てはその延長線上にある。


翌日はライブハウスで「日中お友達ロックライブ」を開催した。
ライブハウスはやっぱりいい。
非常に盛り上がって幕を閉じた。

帰国する時には空港でそのライブを見に来たファンから写真を一緒に撮ってくれと言われた。
「あちらのギターの方も是非一緒に」
と田川くんには言うのだが
喉の保護のために首にタオルを巻き、
山ほどの荷物をカートに乗せて押していってる二井原には気づかない。

世界の二井原実、
その声とパフォーマンスで数多くの中国人をノックアウトしたその男は、
結局は「荷物持ち」としてこの国を去ってゆくのである。
心配するな、 二井原!
お前が中国人に残した感動は必ず中国のロック史を変える!

・・・と願いたい・・・

(おまけ:SOLOコールをする観客。うん、思ったより世界は平和である)
http://fretpiano.com/sound/dl/dl.cgi?Audiencesolo

Posted by ファンキー末吉 at:10:02 | 固定リンク

2007年2月 5日

泥棒

先日のことである。

草木も眠る丑三つ時。
嫁のけたたましい声で目を覚ます。

「パパ!!起きて!!泥棒よ!!」

院子の外の大門ががちゃがちゃ鳴り、外では犬がけたたましく鳴いている。

YuanziMap1.JPG

だいたいうちに泥棒が入ると言うのは普通では考えにくい。
うちの院子の外の大門が夜になると閉まるので、(と言っても鍵はかかってはいないが)
その門を開け、うちの院子の門を開け、そしてうちの寝室の門を開けて忍び込むのだから大変である。
見知らぬ人が入れば犬は吼えるわ、周りのロッカー達には見つかるわ、通常ならば外部からはなかなか泥棒には入りにくいシチュエイションである。

ところが泥棒は入った。
外の大門ががしゃがしゃいっているところを見ると外部の人間である。

「盗まれたものはないか?!!」

見れば枕元のテーブルに置いてある嫁の携帯がふたつとも(ひとつは日本の、ひとつは中国の)なくなっている。
ワシの中国の携帯は枕元で充電していたので無事だったが、寝室の入り口に無造作に置いてあった日本の携帯は見事に盗まれていた。

YuanziMap2.JPG

夜型の生活を送る重田はまだ起きていて、ちょうどヘッドホンをしていたので物音は聞こえなかったと言う。
スタジオには500万円とも言われる高級機材があり、リハーサルルームにはドラムやギターアンプ、ベースアンプ、そして簡易レコーディングが出来る録音システムもあるが、それらには目もくれず、犯人は外の大門を開け、カギをかけてないワシの院子の門を開け、そしてその日たまたまカギをかけずに寝てたワシらの寝室にわき目も振らず直行し、大胆不敵にも嫁がフゲーっと(かどうかは知らんが)寝ているそのすぐ隣の携帯電話をわしづかみにし、そして帰る時にドアの横に置いてあるワシの携帯を持ち、ジャラジャラとうるさいキーをつけたそのケースをドアの外に捨て、一目散に外に逃げて行ったと見える。

ワシはすぐさま3つの携帯に電話をしたが、電源をじゅんぐりに切られ、最後にはどの電話も鳴らなくなった。
重田はすぐさま外に追いかけて行ったが、その姿を見つけることは出来なかった。

嫁の中国の電話はプリペイド式なので、今チャージされてる分を使い切ったらそれで終わりなのでよいが、日本の電話はこちらでローミングされており、そんなもんでじゃんじゃん電話されたらたまらないのですぐさまSoftBankに国際電話して電話を止めてもらった。

腹が立つのは日本の電話はSIMロックがかかっているため、こちらではROMを焼きなおすとか、大改造をしないと使えないのに盗まれてしまったことである。
盗んだ者にとって実は何も価値がないのに盗まれたと言うのが今となってはくやしくてたまらない。

今はこれにこりて、夜中は必ず院子の門と寝室のドアにはカギをかけて寝ているが、しかし腹の虫はおさまらない。
犯人は必ず現場に戻って来ると言うので、今度はいろいろ仕掛けをして報復してやれと頭をめぐらす。

1、犯人がドアを開けたら上から金タライが落ちてくる!
(ドリフターズ的で楽しいが、その割に犯人に与えるダメージが少ない)

2、ドアを開けたら頭から水をぶっかぶる!
(冬なので効果てき面だが、水は夜中には凍ってしまう可能性もある)

3、水ではなく満載したうんこをひっかぶる!
(精神的に与えるダメージは最高級だが、後の掃除が大変である)

4、日本のATMで使われている特殊塗料入りのボールが炸裂する!
(後の追跡にとっても効果的だが、中国では入手困難である)

5、院子の門が鉄製なので電流を流しておく。
(電気代が高い)

6、門を開けた途端に打ち上げ花火の水平発射!
(発火装置の製作が難しい)

7、長い竹を水平に思いっきりしならせて、一歩中に入ったら顔面にハリセンをかませる!
(ちょうど顔面に当たるように調整するのが難しい)

アイデアとしてはいろいろ出るのじゃが、それを実現するための仕掛けを実際に作るのは実は非常に骨が折れる。
実は仕掛けとして一番簡単なのは手榴弾なのである。
うちの院子の門は写真のような掛け金でカギを止めるようになっているので
MenYaoShi.jpg
その掛け金の一方に手榴弾のピンを結びつけて置くだけで、門を開けばその力でピンが抜け、手榴弾が落下し爆発・・・
一番簡単な仕掛けである。

しかし院子まで全部爆破してしまっては元も子もないので殺傷半径1メートルぐらいの手榴弾がないかどうか専門家に聞いてみたら、(周りにそんな専門家がいるんだからワシの交友関係も大したもんである)
なんと練習用の手榴弾がちょうど殺傷半径1メートルぐらいだと言う話である。
これはいい!と思っていたらそこには大きな穴があった。
よく映画なんかで見る手榴弾は、ピンをかっこよく口かなんかで抜いてそのまま投げて爆発しているように見えるが、実際はピンを抜いてから手榴弾のケツを何かにぶつけてから投げるらしい。
つまり、ピンを抜く、手榴弾のケツを何かにぶつける、と言う2アクションが必要だと言うことである。

と言うわけで手榴弾は却下・・・

そんなこんなでその後も日々いろんなアイデアを考えているのじゃが、何よりも犯人の捕獲を目的とすると、犯人を門のところで撃退するのではなく、中まで引き入れてから仕掛けが作動するような時差装置が必要である。
出来れば仕掛けが作動してから門を閉めてしまい、それからゆっくり犯人をいたぶるのが望ましい。

何かそんな時差装置はないか・・・
そんなある日、高知の子供たちに電話をしてたら向こうからテレビの音が聞こえて来た。

「ピタゴラスイッチ」

そうだ!この教育番組のピタゴラスイッチこそその理想の時差装置ではないか!!!
毎週このコーナーの始まりには、スイッチを入れると鉄球等が転がっていろんな仕掛けをONにしてゆき、最後には「ピタゴラスイッチ」と言うタイトルが出てくるこの装置こそが理想の時差装置である。

犯人が院子のドアを開ける。
その時にこのピタゴラスイッチはONとなり、犯人の気づかないところでレールの上を鉄球がゆっくり転がってゆく。

レールの端まで来ると玉は籠の中に静かに落ち、その籠が重さで下に下がることにより、次のふたつのレールの鉄球のストッパーが外れ、別のレールを転がり始まる。
ひとつは向かいに住む老呉の寝室まで転がって、彼の枕元のブザーのスイッチを押し彼を起こす。
もうひとつは寝室の中の敷布団の下に敷いたマッサージの機械のスイッチを入れ、ワシら夫婦を音もなく振動で起こす。

ワシらが実は目を覚ましていることを知らない泥棒は、わざとカギをしていない寝室のドアをそっと開ける。
寝室のドアは内開きなので、ドアに取り付けたヒモはドアの入り口の上に置いてある洗面器を支えてあるつっかえ棒を引っ張り、つっかえ棒が外れた洗面器は中に入った水を泥棒の頭からぶちまけると共に、その洗面器に取り付けられたヒモが引っ張られ、院子の入り口に仕掛けてあるシャッターの留め金を外し、シャッターが勢いよく音を立てて閉まると共に泥棒が最後に見るのはそのシャッターに書かれた文字。

「アホが見るブタのケツ!」

それを最後に泥棒は視力を失う。
何故ならば洗面器に入っている水は、ただの水ではなく唐辛子入りの激辛水だからである。

焼けるような目の痛さに藁をもつかむ思いでそばにある藁をつかむと、今度は頭上から臼が落ちて来る。
臼には栗が真っ赤に焼かれて待機していてここぞとばかりに泥棒目がけてはじけ飛んでゆく。

「うわっちっち!これはたまらん」

とばかり泥棒は手探りで風呂場まで行くのだが、飛び込んだ浴槽の水の中にはカニがかくれていて、泥棒の大事なところをチョッキンと攻撃する。

「んぎゃー!」

と声にならない悲鳴を上げた泥棒はここでウンコを満載したバケツにけつまづき、頭からウンコをひっかぶり命からがら浴室から脱出する。
その頃になってピタゴラスイッチの時差装置によってやっと発火装置に火がついた打ち上げ花火が一斉に水平発射を始める。

「たまや~かぎや~」

そう、狙いはひたすらタマである。
タマを直撃された泥棒はあまりの痛さに失禁し、その尿が床に滴り落ちた瞬間に床に流された220Vの電流がそのまま尿を伝わってタマタマを襲う。
命からがら院子の出口までたどり着いた泥棒は狂ったようにそのシャッターを蹴破り、院子の鉄製のドアに手をやった瞬間に「ジュッ・・・」っとおいしそうな音がして手が焼け焦げる。

「あちちちち」

とばかり傍らの洗面器に手を突っ込むと、その中に入っているのは水ではなく瞬間接着剤A液である。
ピタゴラスイッチによって既に電気で真っ赤に焼かれた鉄製のドアの熱で、その頃には天井に留めてあったプラスチックの留め金が溶けて頭上からB液が落ちて来て泥棒にひっかかる。
もんどおり打って床に手を着いた泥棒はそのまま床に手が瞬間接着されてしまい、そのまま両手を床につけたまま逃げようと腰を上げるが、その尻目がけて強力なハリセンが飛んでくる。
尻を真っ赤に腫らせて動けない泥棒はそのまま尻を上げたまま許しを請う。

「もう悪いことはしません。どうか許してください」

その頃ゆうゆうと起き出して来たワシら夫婦と老呉は、1枚の契約書を泥棒につきつける。
ずーっと一連を撮影していたビデオの肖像権等を放棄する契約書である。
サインをすることを条件に泥棒を解放してやり、ワシらはそれをネットにUPして大儲けをしよう、そう言う魂胆である。

こんなおもろいビデオ、ネットにUPしたら数千万Hitoは間違いない!
早く来い来い泥棒さん。
ピタゴラスイッチが待っている。

しかしほんまに作れるんやろか・・・
ほいでもって酔っ払って自分がひっかかったらどうしよう・・・

Posted by ファンキー末吉 at:16:03 | 固定リンク

2007年1月13日

イスラム文化のリハーサル

ABUDU.jpg

新疆ウィグル族の友人、阿布都(写真)がうちにリハーサルに来るようになってもう半年以上になる。
ロックバンドと違って、生ギター2本にパーカッション、エレキはあってもベースぐらいなので、ボーカルもPAで拾わなくてもいいし、ほぼ「アンプラグド」と言ってもいい編成なので、隣でレコーディングしてようが何してようが全然邪魔にならないのがいい。

毎日のリハーサルのかいあって、なんかもうすぐアルバムのレコーディングに入ると言うことで、ワシに数曲ドラムを叩いてくれと頼まれた。
まあそんな嬉しいことはないので二つ返事で引き受けて、今度はワシも一緒にリハーサルと言うことにあいなった。

Studio2.JPG

北京の貧民街にある我がFunkyスタジオは、リハーサルルーム(図面左下のRehearsal Room)にも簡単なレコーディングシステムがあり、特にバンド物などリハーサルが必要なものはここでリハーサルをやりつつ、テンポや構成を決定したらそれをマルチトラックに録音出来る。

今日び、レコーディングはドラムから順番に別々に録ってゆくのじゃが、ドラムを録音する時にはガイドとしてその他の楽器や仮ボーカルが必要なので、このシステムだとリハーサルが終わった瞬間に、もうドラムの本チャン録りの準備は出来上がっていると言うシステムなのである。
便利である。

かくしてリハーサルが始まる。
新疆ウィグル地区の民俗音楽がベースになっているので、さりげなく変拍子などが出てきたりもするので、とりあえず彼らだけで一度演奏してもらってそれを譜面にする。
そしてテンポを決めてそのクリックに合わせてドラムも一緒に録音しながら演奏してみる。
基本的なリズムアレンジなどに問題がなければそれでOK!
次の曲に・・・と思ったらいきなりリハーサルが中断し、お祈りが始まる。

文化が違えば大事にするものも当然違うので、それを尊重して彼らのお祈りが終わるまで待つこととなる。
前回お祈りに遭遇した時には、彼らは中央の院子(図面の真ん中、Terrace)で土砂降りの中一心不乱にお祈りしているのを見かけたが、今ではこのスペースには卓球台が置かれているのでここでは無理である。
っつうか、マイナス15度の北京の冬には屋外でお祈りは無理である。

次に広いスペースはリハーサルルームなので、「ここでやれば」と言うのだが彼らはそれを聞かず外に出て行ってしまう。
聞くところによると、部屋の中に酒を置いてあるような部屋だとか、不浄な飾りつけをしてる部屋とかはお祈りに適さないと言う話である。
結局彼らが見つけたのはレコーディング用のドラムセットを置いてあるレコーディングブース(図面右上のBooth)である。
ここはこのスタジオを一緒に作ったWyn Davisに「Empty room!」と言われ、なるだけ余計なものを置かないようにしているので、きっと彼らの言う「不浄な飾りつけ」などがないのであろう。

まあ飾りつけと言えば、
XYZ_BD.jpg
XYZ結成の時、パール楽器がわざわざアメリカのREMOに発注してくれて作ってくれたバスドラのヘッド(しかしデザイン的に穴を開けるスペースがなかったので結局使わずじまい)がドラムの後ろに掲げられているのじゃが、そう言えばこのもうひとつのヘッドを院子に掲げている時にもお祈りをしていたので、XYZのロゴはありがたくも「不浄なもの」ではないのであろう。

そうすると、リハーサルルームの何が不浄なのかと見渡してみると、いつぞやのドラムクリニックのポスター、
DrumClinicPoster.jpg

つまり「不浄なもの」、すなわちワシの顔!!・・・

まあよい、彼ら自身がそんな不浄な顔のワシにレコーディングを頼んでいるのである。
どこでお祈りをしようと暖かい目でみてあげようではないか!!

と言うわけで彼らのお祈りも無事に終わり、(あまりに厳粛なので写真撮影をする勇気はなかった・・・)次の曲のリハーサルが開始される。

次の曲は6分を超える民族調組曲で、構成を確認したりリズムアレンジをいろいろやっていたらもう夕方になってしまった。
何とかフルサイズで録音し終わると、「夕方のお祈りの時間なので今日はこの辺で」と言うことでお開きになってしまった。
家まで帰ってゆくとお祈りの時間に間に合わないのか、またドラムブースに引きこもってお祈りが始まる。

しかし・・・これって仕事的には非常に効率よくないのでは?・・・

イスラム社会・・・今だに謎である・・・


Posted by ファンキー末吉 at:20:37 | 固定リンク

2006年9月21日

MengMeng(モンモン)の物語

AiMengMeng.jpg

重田から電話があったのがもう数ヶ月前。

「末吉さん、テレビ見ましたぁ?」
「いや、うちテレビないから・・・」
「超級女声、何気に見てたらMengMeng(モンモン)が出てて吐きそうになりましたよ」

超級女声とはいわゆるアサヤンの中国版みたいなオーディション番組で、
数年前からこれが大ブームになり、ここで優勝すれば、
いや、参加していいとこまで行くだけで、もう国内では大スターとなる。

「MengMeng(モンモン)」とは、ワシが昔プロデュース「させられてた」女の子。

「吐きそうになる」と言うのは、
この母親であるモンモン・ママが、北京の2大有名ママのひとりで、
これと関わりあったらタダ同然の仕事を延々とさせられたりして、
ワシの周りの人間は既に「MengMeng(モンモン)」と言う名を聞いたり、
見たり、電話がかかって来たりするだけで吐きそうになるのである。

北京にはこう言う親子はけっこういるらしく、
だいたいにして父親はおらず、歌好きの子供のマネージャーを母親が務め、
まあいわゆるリエママのようにステージマネージャーまで務め、
往々にして娘は男と付き合ったこともなく、
24時間、完全無菌培養で「成功」することだけに「人生の全て」をかける。

書いてるだけで吐きそうである・・・

「MengMeng(モンモン)」も例外なく男と付き合ったこともなく、
変な話、一緒に遊びに行く友達もいない(と見受けられる)。
ワシら仲間の鍋会に来た時も、
まあその時は珍しく(ほんとに珍しく)モンモン・ママが一緒に来なかったので、
「こりゃMengMeng(モンモン)が羽目を外すのを見ることが出来るかも・・・」
と思ってたら、8時を過ぎた頃から矢のように電話が入り、
結局MengMeng(モンモン)は鍋食ってそのまま自宅に帰ってゆく。

後で聞いたらそれでもかなり門限破りの時間だったらしく、
結局MengMeng(モンモン)はこっぴどく怒られてしまったらしい。

全てにおいてこんな感じだから彼氏なんて出来るわけもなく、
また本人も別に恋愛なんぞに興味もなく、ある時なんぞ
「私バラード歌えないんだよね、何が悲しいのかさっぱりわかんないし」
などとほざいてたので
「これはいかん!」とばかり、モンモン・ママに意見したことがある。

「プロデューサーとして失礼を承知で言わせてもらうけど、
MengMeng(モンモン)がこれほどの才能を持ちながら伸び悩んでいるのは、
ひとつにはあなたが完全無菌状態で育て過ぎているところにあると思う。
例えば彼女の好きなR&Bのルーツはブルースである。
汚れ、傷つき、ボロボロになって搾り出すような心の悲鳴、
それが美しい魂の叫びとなって歌となる。
このままで行くと彼女は一生そんな歌は歌えないよ」

まあいささか失礼ではあるのだが、
「まあたまには遊びに行ったり恋したり、失恋したり、
傷ついて初めて成長するっつうのもあるんじゃないの?」
と言うことである。
そしたらモンモン・ママはぴしゃりと一言。

「女の子は傷つかずに一生を終えるのが一番幸せなんです!!!」

年の頃は50過ぎ(かな?)
二井原の嗜好で言うとストライクゾーンど真ん中
であるこのちょっと中年太りのこのおばさんの顔を見ながら、
人から聞いた、とある悲惨な物語を思い出した。

その歌手も、同じくこのように無菌培養で母親に育てられ、
20も後半になって初恋を経験し、もちろんのこと母親に大反対され、
まあそれもそうである。
母親としたら娘を取られたら本当にひとりぼっちになってしまうのである。

結果その娘は思い悩んだあげく自殺してしまった・・・

・・・まあ人の家庭である。もうこれ以上とやかく言うのはやめよう。
その代わりこの思いを歌にしてプレゼントしてやろう。

そして出来上がったのが「紅舞鞋」と言う曲。
その靴を履いたら死ぬまで踊り続けてしまうと言う伝説の靴の話である。

DEMOを作り、詞のコンセプトを説明する。
「あんた達はもうこの靴を履いてしまってるんだよ。
もう脱ぐことは出来ない。死ぬまで歌い続けるんだね。
それでいいんだよね」

そしてその曲は
中国文化部主催オリジナル曲新人歌手コンテストで全国グランプリを受賞した。

そんな彼女を見初めたとある企業が彼女をイメージガールに起用し、
その企業のイメージソングを作って彼女に歌わせようと言うことで
去年(もっと前か?)ワシにその製作依頼が来た。

当時「紅舞鞋」はまだコンテスト参加のための録音状態で、
伴奏のみのラフミックスしかなく、歌入れもTDもしていない。
彼女達は彼女が歌を歌って稼ぐ収入だけで暮らしているので、
歌入れしようにもTDしようにも金がないのである。

北京に出て来たこんな親子を食い物にする悪い奴らもいるらしく、
デビューを餌に騙されたことも一度や二度ではないらしく、
ワシとしても結果的に彼女達から金をむしりとるみたいなのはいやなので、
「ないならないなりのモノでいいじゃない!」
と言うことで、その予算で出来る限りのこと(つまり伴奏のみのラフミックス)
で終わらせておいたのである。

モンモン・ママはワシにこう言った。
「ファンキー、だからあんたはこのイメージソングの製作費で、
何としてもあの紅舞鞋を完成させて!」
つまり1曲分の製作費で2曲録れと言うことである。

吐きそうになってきた・・・

じゃあスタジオ代どうすんの?
エンジニア代どうすんの?
ミュージシャンfeeどうすんの?
みんな1曲いくらよ?2曲ぶんないじゃない・・・

「ファンキー、大事なのは紅舞鞋よ。
こっちの曲は思いっきり手ぇ抜いていいから。
そっちの金ぜんぶ紅舞鞋につぎ込んで!」

かくしてそのイメージソングはワシの新しいシステムの実験台となり、
(関連ネタ:http://www.funkycorp.jp/funky/ML/102.html
そんな思いっきり手を抜いたその楽曲は、
そのまま中国のエコロジー楽曲コンテストに出品され、
「エコロジー楽曲大賞」を受賞した。

呼ばれて会場にも行ったが、
あまりにお恥ずかしいので呼ばれても壇上には上がらんかった・・・
あとで主催者が激怒していたと言う話である。

「何であんな手抜きの曲がグランプリなんか取るんじゃろ・・・」
と人に漏らしたことがあるが、彼はその時こう答えた。

「手ぇ抜いたからグランプリ取れたのよ。
一生懸命作ってたらきっと落選してた。
それが中国よ!」

なんかわかったようなわからんような・・・

ワシは昔、李慧珍の「猜愛」でも十大金曲賞を受賞しているので、
(関連ネタ:http://www.funkycorp.jp/funky/fixed/sakkyokusyou.html
実は都合3つも賞を取ってる作曲家である。

何の役にも立たん!!

この国で儲かるのは歌手のみ!
裏方は何も儲からんのである。

さてMengMeng(モンモン)であるが、
じゃあそれから順風満帆かと言うとそうでもなく、
レコード会社から手が上がることもなく、
いや、現実には上がっているがモンモン・ママがその話を潰してると言う噂もある。

実際ワシの知り合いのレコード会社はワシを通してコンタクトを取っているが、
モンモン・ママは
「あんな小さいレコード会社じゃ話にならん!」
と話を断っている。

現実そのレコード会社は半年で潰れたのでよかったと言えばよかったのであるが・・・


さて1年ほど連絡もなく、平和に暮らしていたワシにいきなり電話がかかって来た。

「ファンキー、久しぶり!!私よ、モンモン・ママ!!」

吐いたらいかん!吐いたらいかん!!
唾液を一生懸命飲み込みながら話す。

「超級女声で勝ち残ってるらしいじゃない?よかったよかった。おめでと!」
「それなのよ。私達は瀋陽地区から参加したんだけど、
そのおかげで北京でのプロモーションがあんまし出来てないのよね。
ちょっと協力してくれない?
何社かインタビューに行くから思いっきり褒めちぎってちょうだいね。
あと、誰かロック界でMengMeng(モンモン)褒めちぎってくれる人紹介して」

「ロック界?なんで?・・・」

「あら、うちの娘ロック歌手じゃないの!ロック界からも賛辞を頂きたいわ」

吐き気通り越して頭が痛くなって来た・・・


かくして次の週にはいよいよ飛び道具「紅舞鞋」を歌うと言うので、
ワシは初めて「超級女声」と言う番組を見に行った。

見に行ったと言うのは、うちにはテレビがないので、
その時間に合わせてテレビがある村のレストランにテレビを見に行くのである。
情けないと言えば情けないが、なんか普通の村人になったみたいで心地よい。

金曜日夜8時、生放送である。
出稼ぎ労働者で満席のそのレストランのテレビにかぶりつく。

始まっていきなり勝ち残っている6人で踊りを踊る。
最終的な6人に残っていると言うのは相当なもんである。

一緒にテレビを見ている老呉(LaoWu)の話によると、
彼の知り合いの歌手は地区大会の第3位で落選したが、
それでも全国的には超有名で、それ以降すでにバンバン稼いでいると言うから、
地区大会第1位で、現在最終的な6人と言うのは物凄い成績である。

6人が2人づつのペアに分かれ、その2人が戦い、勝ち組と負け組みに分けられる。
つまり第一試合は勝ち抜き線なのである。
司会者はそれぞれにインタビューし、歌う曲の名前を聞いてゆく。
MengMeng(モンモン)は、いきなり「紅舞鞋」である。

なんでいきなり最終カードを切るの?!!

ワシはもう気が気ではない。
老呉(LaoWu)の話によると、今日はこの6人の中から5人を選ぶと言うことは、
この第一試合に勝ち残っておくことが一番近道なので
ここでまずこの最終兵器を先に出したのであろう。

久しぶりにこの曲を聞くが、何かアレンジがちと違うような気がする。
見ればワシのアレンジではなく、生バンドが勝手にアレンジを変えている。

お前ら!コードまでかってに変えんなよ!!

音もちょっと外してたみたいだったし大丈夫だろうか・・・
ドキドキしながら審査発表を待つ。

結果は・・・・落選!!!

最終カードを使いながら落ちてしまった!!
まるでウルトラマンが最初にスペシウム光線を使って怪獣は倒れなかった!!
みたいな衝撃である。

楽曲と言うのは不思議なもので、
言うなれば自分が生み出した子供のようなものである。
どんな駄作でも可愛いし、
でも時々、親のひいき目なしにとんでもないいい子が生まれる時もある。
何か自分が書いたのではなく、別の大きな力が書かせたような、
そんな楽曲がワシにも何曲かある。

ランナーやリゾラバのような商業的に大成功した楽曲だけでなく、
人知れず名曲と言われる曲もあれば、
誰にも歌われずにお蔵入りしてしまっている曲もある。

ワシのような自分で歌う人間でない限り、
生み出された子はすぐによそにもらわれていってしまい、
生みの親より育ての親、つまりそこでどのように歌ってもらうかで運命が決まる。

「紅舞鞋」はひいき目なしに名曲であるとワシは思うが、
MengMeng(モンモン)にその運命を預けた以上、
MengMeng(モンモン)ダメならもうそこまでの運命である。

老呉(LaoWu)曰く、
「詞ぃ誰が書いたんだ?コンセプトはいいんだけど言葉選びがあんましよくねぇなぁ・・・」
しかしそれも仕方が無い。
もらわれて行ったところで詞を与えられ、それを歌われて初めて楽曲なのである。

負け組みに落とされた彼女は、またその中で敗者復活戦に臨む。
その間、他の2組の戦いが終わるのを待たねばならない。
ビールを飲みながらひたすら待つ。

そして敗者復活戦!!
と思いきや、次は歌ではなく、人気投票による戦いである。
全国から携帯電話による投票、それには1票につき1元のお金がかかる。
ひとりで100票投票してもよい。100元かかるだけの話である。

人気の歌手だとひとり1000万票集めることもあると言うから、
このビジネスだけでも相当なビジネスである。
1000万元と言うと、日本円にすると1億5千万円なのである。
少なくともこの投票の段階だけで3億円以上は動いている。

恐ろしい番組じゃ・・・

さて、この投票で敗者復活かと思えばそうではなく、
これは勝ち残った3人の中からひとりを「落とす」のである。
日本の試合方式は「受かる」人をだんだん作ってゆくが、
中国ではどうも「どんどん落としてゆく」方式であるらしい。

かくしてこの投票により、
3人の勝ち組と3人の負け組だったのが2人の勝ち組と4人の負け組みに分けられ、
その負け組4人がまた2人組で勝ち抜き線を行うのである。

番組の進行がカメよりも遅いだけでなく、CMもいたる所に入るので、
番組開始から既に1時間以上経過し、
レストランではもう既に門を閉め、従業員のメシの用意が始まっている。

「知り合いが歌い終わったらすぐ帰るからね」
そう言ってビールを更に追加する。

すぐに敗者復活戦が始まるのかと思ったら、更にゲストのコーナーがあり、
3人のゲストがそれぞれ持ち歌を1曲づつフルコーラス歌う。
やっと始まるかと思ったら、その3人のゲストが一緒に更に1曲歌う。

もうやめてくれー!!早く歌ってくれー!!

さすがに番組もすぐには歌わせない。
それぞれの参加歌手のイメージビデオ、ファンへのインタビュー、
そしてまたCM。

最高視聴率を誇るこの番組のCMは最高値段がついていると言う・・・

やっと敗者復活戦が始まった頃には既に番組開始から2時間以上たっていた。
MengMeng(モンオン)が歌う。
今度はミディアムテンポのダンスナンバーである。

「受かると思う?」
一緒にテレビを見ている老呉(LaoWu)に聞いてみる。

「ちょっとアブナイところだなぁ・・・
聞いてみろよ。他の歌手と違って声援が断然少ない。
親衛隊がいないんだな。
それも結構不利じゃないかなぁ・・・」

確かにほかの歌手の応援団は若い健康的な男女が多いが、
MengMeng(モンモン)の応援団はどうもオタクが多いと見受けられる。
メガネをかけたデブのオタクがびっしょり汗をかいて応援している。

吐きそうである。

「この娘、ちょっとココ・リーに似すぎてるなぁ・・・」
老呉(LaoWu)がそうつぶやく。

ココ・リーとは台湾で活躍するアメリカン・チャイニーズの歌手である。
そう、彼女はココ・リーに似ているから
「小ココ・リー」としていろんなイベントでココ・リーの歌を歌って生きてきた。
それで母子ふたりが食ってこれた。

ココ・リーに似てるからここまでこれた。
そしてココ・リーに似てるからここまでしかこれなかった。

今歌っているこの曲もきっとココ・リーの曲なのだろう。
彼女が一番得意で、そして一番歌ってはいけないナンバー。

しかしバラードが歌えないんだから仕方が無い。
最終カードの紅舞鞋はもう歌ってしまっている。
彼女にはもう切るべきカードが残ってないのである。

・・・審査発表・・・
これで勝ち残れば勝ち組である。
後は残った負け組ふたりが戦って負けた方が落選。

「負けるだろうなぁ・・・」
残ったビールを飲み干し、更にビールを追加しようとしてたらいきなり、
「勝者は・・・MengMeng(モンモン)!!」

やったぁー!!!残ったぁ!!!

と言うわけでビール腹をさすりながら家路に着いた。
めでたしめでたし・・・
ChaoNv5Qiang.jpg


数日してまたモンモン・ママから電話があった。
「見てましたよ、テレビ。よかったじゃない。次で決勝戦でしょ」
もうここまで来たら優勝できなくても既に超有名人である。

「違うのよ。また今週戦って初めて決勝戦なのよ。
あの番組はとにかく戦わせるから・・・
(間髪入れず)
ところで!今週の金曜日空いてる?
MengMeng(モンモン)の後ろでドラム叩いて欲しいのよ。
アジアドラムキングがバックで叩いてくれたら絶対票も集まると思うのよ」

かんべんしてくれーーーーー

丁重にお断りして電話を切った。
来週も村のレストランで影ながら応援させて頂きますぅ。

Posted by ファンキー末吉 at:00:18 | 固定リンク

2006年6月23日

Wing北京コンサートを終えて

葉世榮ことWingは香港のBEYONDと言うバンドのドラマー。
BEYONDの連中とは、彼らが日本で活動を開始すると言う時に知り合い、
ボーカルのコマが日本のテレビ番組の収録中の事故で死亡して香港に帰ってゆくまで、
ほぼ毎日と言っていいほど一緒に酒を飲むと言う仲だった。

コマが日本の病院で息を引き取った時、
病院の待合室でその知らせを受けたWingがショックで気を失い、
俺の腕の中に倒れ込んで、突然ケタケタと笑いながらうわ言でこんなことを呟いた。

「あいつは今、真っ白な綺麗なところにいる。
そこは酒を飲むより、エッチするより、もっともっと気持ちのいいところなんだ・・・は、は、は・・・」

俺はその世界と言うのが、ドラムを叩いている時に時々味わうことがある、
妙にトリップした浮遊感のあるあの世界と同じであると思い、
偶然性が大きく作用するライブの高揚感のあの真っ白な扉の向こうにコマがいるんだと今でも信じている。

BEYONDの他の2人とは今でも会えば楽しく飲む仲間ではあるが、
Wingほど頻繁に連絡を取ったりする仲ではない。
同じドラマー同士と言うのもあるし、性格がアホであると言うのもあるが、
やはり彼との間にはその後もいろんなドラマがあったからと言うのが大きいだろう。
(関連ネタ:http://www.funkycorp.jp/funky/ML/13.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/68.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/70.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/72.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/73.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/75.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/77.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/86.html
・・・列挙しながら思ったけど、ワシのメルマガ・・・ほんまにWingネタって多いよねぇ・・・)

一番困難な時に培った友情は一生モノと言うが、実際あの時の彼はどん底だった。
マスコミと言うのは血も涙もないもので、人生で一番どん底の人間を漫画にし、
BEYONDの残された3人のうち2人は成功してホクホク、
Wingだけは「ボク何やってもうまくいかないの」と涙顔と言う記事を見て、俺は
「出版社に火ぃつけたろか!」
と激怒したが、当の本人が黙ってそんな記事をスクラップにしてるのを見てやるせなかった。
人間あまりにも悲しいと怒りなんぞおきないのである。

そんな彼もBEYONDの活動再開を機に、北京に自分のマネージメントオフィス設立したり、
大陸発売のソロアルバムも発売、
(その中の1曲はまたワシがタダでアレンジし、北京ファンキーDrumスタジオの記念すべき初レコーディングとなった。しかもタダで・・・)
そしてその発売を機に、
「一気に全中国ツアーを組むぞ!」
と言う大きな試みの皮切りとして今回のこの北京コンサートを自力で開催した。

音楽総監督はWing自身、
バックメンバーには北京から、日本から団長を呼んで、後は香港のミュージシャン。
香港で1週間リハーサルを終えて全員で北京に乗り込んで来た。


香港でのリハーサル風景
WingRh.jpg


会場は北京展覧会劇場と言う2000人の小屋。
しかもそこを2DAYSと言うから彼の知名度からすると無謀とも言える。

知名度と言うなら彼の知名度はさすがに中国人なら知らない人はいないが、
それはやはりBEYONDと言うバンドの知名度であって、
例えて言うとサザンオールスターズのドラマーとか、爆風スランプのドラマーが(あ、俺か・・・)、自分名義のコンサートを渋谷公会堂で2DAYSと言うとやはりちょっと難しいんでは・・・と言うのと似ている。

ましてやそのドラマーがスティックではなくギターを持って、
ドラムを叩くのではなく歌を歌おうと言うんだから、
これが爆風スランプのドラマーだったら客は絶対に来ない!!(断言!!)

XYZのライブとかだと、いつも出番前は
「今日は客どのくらい入ってるかなぁ・・・」
とそれが一番気になることだったりするが、
俺にしてみたらいわゆるバックバンドのお仕事なのに、
開演前には客の入りを気にしてそわそわ・・・これも一種の性であろうか・・・

前日のゲネプロでは音響のスタッフに
「お前、このマイクの立て方でドラムの音がちゃんと拾えると思ってんのか!」
とどやしつけたりしている。
「子供のコーラス隊を出すタイミングが違う!」
と舞台監督に何度もやり直しを要求したりしている。

そう、俺にとってこのコンサートは、既にいちバックバンドのメンバーではない。
かけがえのない友人の将来がこの1本で決まってしまうのだ。
ドラマーにもなるし舞台監督にもなるし、音楽総監督の補佐にもなる。


WingConcert.jpg


初日の入りは半分ぐらい。
気落ちしないように開演前に彼に活を入れる。
始まってみると、ギターとベースの音が出ない。
音響が最悪で始終ハウリングを起こしている。
ゲストの演奏の時に舞台を降りて衣装換えしている彼を元気付ける。
「ロックはハートでやるもんだ!何があっても気落ちするな!俺がついてる!」

Wingのたっての希望でドラムソロをぶっ叩く。
当初は2人でソロの掛け合いをしようと言う企画だったが俺が却下した。
「お前はスターなんだから、俺の後でゆうゆうと登場してゆっくりソロ叩けばいいんだよ!」

彼は全アジアで一番有名なドラマーと言っても過言ではない。
知り合ういろんなドラマーが、
葉世榮がいなければ俺はスティックなんて持ってなかった」
と言うのをいやと言うほど聞いた。
言わばアジアのリンゴ・スターなのである。
ソロの内容なんかどうでもいい。
彼がドラムを叩きさえすればそれでいいのである。
俺はテクニックの限りを尽くして客を暖めておく。
それが俺に出来る最高の演出である。

俺のソロの最後にバスドラを踏みながら舞台中央を指差すと、
そこからWingがドラムソロを叩きながらせり上がって来る。
会場は興奮のるつぼである。

ドラムソロが終わると、次の曲はAMANI。
「AMANI NAKUPENDA NAKUPENDA WE WE(平和,愛,僕達に勇気を)」
この曲はBEYONDが売れてお茶の間のアイドルとして大全盛の時、
アフリカに行って戦争で焼け出された子供たちのために作った歌である。

「戦争の陰でいつも傷付くのは、何の力もない子供達」
と歌うこの曲は、瞬く間に香港のヒットチャートを総なめにし、
アジア中に彼らのメッセージが響き渡った。

BEYONDが偉大だったのは、アイドルバンドとして売れ続けながら、
アフリカの言葉で歌うこんな曲をヒットチャートに乗せることが出来たと言うことであろう。

俺がこの曲を初めて聞いたのは、お恥ずかしながらコマが死んだ後である。
あれだけ毎日一緒に酒を飲みながら、俺は彼らの偉大さを全然知らなかった。
彼が死んでから香港に行き、
Wingと待ち合わせたコーズウェイベイの回転寿司で偶然この曲がかかっていた。
MTVには字幕が流れており、そこでこの歌詞の内容を初めて知った。
サビで「僕は歌い続ける!」と言う歌詞の部分がとてつもなく悲しくて寿司食いながらわんわん泣いた。

コマが歌い続けることが出来なくなったんだから俺が歌い続ける!
と、その後この曲を日本語訳にして夜総会バンドのレパートリーとしたが、
当の歌う本人であるボーカルのaminがこの曲を歌い続けるかと言うとそれはまた無理な話である。
そんな空回りの中バンドは解散し、歌を歌えない俺はこの曲を歌い続けることが出来なくなった。
ところが当の本人、Wingがこの曲を歌い続けている。

アンコール最後の曲は、またBEYONDの大ヒット曲「光輝歳月」。
差別と戦って神に召された黒人のことを歌った歌である。
「虹が美しいのはその色と色との間に区別がないからである」
と歌ったコマはもう神に召された。
しかしWingがそれを歌い続け、そして客がそれを大合唱する。

ボーカリストが亡くなって、そのドラマーがその歌を歌い続ける。
その後ろでドラムを叩くのが俺である。
あの日、新大久保のSOMEDAYのJamセッションを見に来たコマが俺にこう言った。
「素晴らしい!お前のドラムは最高だ!来月も、またその次も俺は毎回見に来るぞ!」
そしてその言葉が俺と交わした最後の言葉となった。

それ以来Jazzのセッションをする度に、どこかで彼がまたあの嬉しそうな顔をして俺を見ているような気がしている。
あの真っ白な世界の扉を開けたら、そこにビール片手に彼がいるような気がしている。

同じバンドのメンバーが歌手となって初の大舞台。
彼はまたいつもの笑顔でそれを見ていたことだろう。

どうだったかい?ふたりのドラムソロはよかったかい?

これを皮切りにWingは全中国ツアーを切るつもりらしい。
いつの日かあの扉が開いて彼と会える日が来るかも知れない。


ファンキー末吉

ネットで流れているライブの模様
http://ent.sina.com.cn/y/v/2006-06-14/17151122734.html音が悪い・・・

Posted by ファンキー末吉 at:17:39 | 固定リンク

2005年12月17日

貧民街の日本人妻

さて、再婚して初めての嫁ネタである。
だいたい20歳も年上のふたりの子持ちで、
まあお世辞にもロマンスグレーの素敵なオジサマでもなく、
かと言って何を我慢しても財産だけはあるのよと言えるほどの金持ちでもなく、
それでも実直で家庭思いのマイフォームパパならばいざ知らず、
家?いらん!金?いらん!好きな音楽とビールがあればそれでええんじゃい!
と言うような、ある種変人に嫁いで来ようと言うのだからかなり奇特な嫁である。

何の因果で、生活風習もまるで合わない、言葉も全然喋れない、
別にもともと縁もゆかりもない好きでも何でもないこんな国に、
旦那が「死ぬ時はここで死にたい」と言うがために
全てを捨てて嫁いで来なければならないのか・・・

数ヶ月前、この通称ロック村に初めて訪れた時、
(関連ネタ:http://www.funkycorp.jp/funky/ML/109.html
「ここで住みたい」と強く思ってはみたものの
実はその時は数ヵ月後には結婚を控え、
「ワシはともかく嫁はこんなスラム街みたいなところに住めるのか?・・・」
と本気で心配した。

一応北京市朝陽区に属する人ロ2400人の小さな村、「費家村」、
村民のほとんどは地方からやって来た労働者、
その収入たるや想像を絶するほど低い。
逆に言うと1日100円もあれば暮らせるほど物価は安い。

村には警察はなく、自警団が夜回りをして治安を守る。
(と言うより村人曰く「奴らこそヤクザだ」)
電気、水道等インフラは完備されているものの、
中国語で言う「下水(シアシュェイ)」はあっても「汚水(ウーシュェイ)」はなく、
従ってトイレは汲み取りボッチャンの公衆トイレしかない。

その村の外れに貧乏なロックミュージシャン達が住みついて
通称「ロック村」と呼ばれる小さな集落を形成しているわけなのだが、
最初にここを訪れた時は直接このロック村に来てそのまま帰ったので思わなかったが、
2度目にここを訪れた時、村のレストランで昼飯を食っていると
隣のテーブルでは労務者達が昼飯っから安洒を煽って酔っ払っていた。

「末吉さん、ここ・・・マジでヤバいですよ・・・」

同行した元アシスタントの重田が小声でそう言う。
「絶対日本語喋っちゃダメですよ。
日本人なんてことがバレたら何されるかわかったもんじゃないっすよ。
身ぐるみ剥されてあり金巻上げられたって文句言えませんよ」
と真顔でそう言う。

村から帰って元彼女今秘書のKelly嬢に相談する。
(注:http://www.funkycorp.jp/funky/ML/87.htmlとは別人)
「ヤべぇよぉ・・・あそこ・・・」
泣き言を入れたらすぐさま一喝される。
「何言ってんの!!貧乏人は即ち悪人なの?
私の父も昔は貧乏だったけど決して悪人じゃないわ!!」
いきなりの剣幕にたじろぎながらも反論してみる。
「だって昼間っから仕事もせずに酔いつぶれてんだよ・・・ヤべぇよ・・・あれ・・・」
それを聞いた彼女、すかさずピシャっと一言。

「あんた達だって昼間っからいつもビール飲んで酔っ払ってるじゃん!!」

そうなのである。奴らからしたら、どう見てもまっとうに働いてもない、
変な格好して昼間っからビール飲んだくれるワシらはどう見てもアブナい人達。
さしずめ「あのロック村には近づくな!!マジでヤべぇぞ!!」などと噂されているのだろうか・・・

かくしてワシはここにスタジオを作り、ここで住むことを決意!!
嫁にも一応相談したが、日本に住んでいたんでは想像だに出来ないそんな環境、
「あなたの住むところが私の住むところよ」
などと口走ってしまったが最後、
中国人でさえ敬遠するこの貧民街に嫁いで来る初めての日本人妻と相成った。

瀬戸は日暮れて夕波小波、あなたの島へお嫁に行く・・・

などとロマンチックなシチュエーションがあるわけもなく、
彼女が北京空港に降り立って、すぐに連れて来られたのがこの村。
しかもその時にはまだ風呂もトイレもなく、
コンクリートむき出しのただ「箱」があるだけの北京式伝統的長屋住居、院子(ユエンズ)。
まさにベッドとソファーだけが置かれたその「箱」に嫁いで来た。

「お風呂は?・・・ト、トイレもないの?・・・」

しかもその日は北京には珍しく大雨。
雷も鳴り、おりしも停電・・・

貧民街、日暮れれば、電気なければ真っ暗闇

ほんと一切の光のない真っ暗闇なのである。
しかも聞こえる音と言えば狂ったように「箱」を叩く雨の音・・・
時は5月、温度差の激しい北京の春である。
毛布に包まり寒さに震えながら、
「私・・・ここで暮らすの?・・・」
嫁、半べそである。

翌日、雨も上がり、また手作業での改修作業が始まる。
カルチャーショックで呆然とする嫁を尻目に、この旦那、
「毎日がキャンプみたいで楽しい」
とウキウキである。

壁も全面ラスタカラーに塗り替えた。
スタジオのドラムブースの天井には卵パックを一面に貼り付ける。
壁は音の反響を調整出来るように四面を全部厚手のカーテンが開閉できるようにする。

これらを全部自分で手作業でやるのだからキャンプと言うよりはサバイバルである。
ロック村の若きミュージシャン達が日替わりで手伝いに来る。

家具は近所に泥棒市のような中古市場があり、
ボロボロだが何でもタダ同然で買える。
洗濯機も買った。
冷蔵庫もビールを多量に冷やすので2台買った。

「ここのどこが不満?
何が欲しい?何がなければ買えばいい」

トイレなければキャンプ用の移動式トイレを買った。
風呂がなければ檜作りの浴槽買った。
「浴槽あったってこう頻繁に断水してたら意味ないじゃん!」
ほな太陽熱温水器買いまひょ。いつでもお湯出るよ。
「スタジオ作ったって停電したらそれで終わりじゃん!」

しまいにはガソリン式の大きな発電機まで購入する始末・・・
これじゃぁ当初の予定通り家買った方が安く上がった?・・・

かくしてもう半年・・・今だに毎日が改修作業である。
安かろう悪かろう・・・中古で買った全ての物は一応に何度も修繕が必要である。

「中古はやっぱあかんのう・・・ここで新品は嫁だけじゃ・・・」
再婚と言う中古のお下がりの旦那が初婚の嫁見て独り言・・・

夏は40度を越す猛暑となり、嫁はさすがに夏バテでぶっ倒れた。
冬はマイナス15度を下回るので各部屋にセントラルヒーティングを入れた。
・・・と言っても石炭を自分で焚いて、その熱で蒸気を各部屋に送ると言う手動式である。
今も石炭をぶっこむために夜中に起き出したついでにこのメルマガを書いている。

「そうだ!院子(ユエンズ)をすっぽり覆ってしまうテントを作れば、
中庭が全部温室となって暖かいのではないか!!」
自分でビニールを買って来てやぐらを組んで屋根をつける。
そして突風で何度も壊され、昨日は4度目の修繕をした。

何度も何度も材料を買いに来るので村の商店でももうお馴染みである。
酒盛りが始まると「羊肉串100本!!」とか頼むので、
道端で羊肉串焼いてるおんちゃんにとっては大のお得意さんである。
嫁も言葉も通じないまま買い物に行くので珍しくて人気者である。

ある日は村のレストランで「何人だ?」と聞かれ、
身振り手振りと筆談で日本人だと答えた途端、
厨房からどこから全ての従業員が入れ替わり立ち替わり出て来て
「お、これが日本人かぁ・・・初めて見た・・・」とばかりの人だかり。

ここに住みついて半年、
訪れる訪問客は一応に
「ヤべぇよ、ここ・・・ファンキー、自分の命だけは気をつけろよ」
と言うが、今だかって身の危険を感じたことは一度もない。

ただ困るのが、タクシーに乗ってここに帰って来る時に、
タクシーの運転手がビビって村の中まで入ろうとしてくれないことである。
こんなスラム街に入りこんだ日にゃぁ
村人に寄ってたかってタクシー強盗されても不思議はないと思うのであろうが、
運転手さん、この村は貧乏人の吹きだまりではあっても犯罪者の吹きだまりではない。
第一、中国で同じ犯罪犯すならもっといい暮らしをしとるじゃろう。
こんなところに住んでまへん!!

と言うわけで、
中国人にすら「あそこやべぇよ・・・」と言われる貧民街に嫁いだ日本人花嫁。
今のところ「私・・・もう帰らせてもらいます」はまだ出ていない。

時間の問題か・・・

 

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:15:10 | 固定リンク

2005年8月20日

ドラマーがドラムスタジオを作るワケ

日本に帰って来てXYZのニューアルバムをレコーディングしている
ちなみに今日は最終日
橘高が命を削ってギターソロを録れているのを、その骨を拾ってやるべく・・・
・・・その実、隣で酒を飲みながらそれを見届けている

だからやっと時間が出来てメルマガ書ける、メールにRes出来る、HP更新出来る・・・

昔は忙しい日本を脱出して北京に行ってのんびりしてたものだが今ではまるで逆である
ドラム以外の仕事は極力避けようと言いつつ
結局アメリカからWyn Davisを呼びつけて自宅にスタジオなんぞ作ったもんだから
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/109.html
結局朝から晩までずーっとレコーディングしている
XYZの曲なんか結局スケジュールないもんで朝8時から2バス踏んでいる

このテの音楽・・・真夜中に汗だくでやってると
「この時間にやる音楽じゃないわのぅ・・・」と毎回思うが、
さすがに朝8時にやる音楽では決してない・・・

昼は韓紅(ハン・ホン)のリハーサル、夜は許魏(シュー・ウェイ)のリハーサル
夜中に帰って来て譜面の整理などをしながらバタンQ(死語)
朝8時には今は既に北京に移住して来た元XYZのPAエンジニア吉田君が
「音を作るのはPAもレコーディングも同じじゃろ」
とばかりドラム録りに駆り出されてやって来る
叩き起こされて顔も洗わず寝ぼけ眼でそのまま全力疾走で2バスを踏む

・・・身体に悪い・・・

この北京ファンキードラムスタジオは人にはレンタルしないし
ドラムのセッティングもマイクのセッティングもWyn Davisがセットしてくれたまま動かさないし、
また、ドラムの傍らにもディスプレイとマウス、キーボード等が設置されていて
ワシ一人ででもパンチイン、パンチアウトをやりながら最後まで録り終えることが出来る
自宅スタジオなんだから時間を気にすることもエンジニアに気をつかうこともなく
納得するまでレコーディングを・・・と当初は思っていたのだが、
何曲か録るうちにそれはミュージシャンにとって非常に危険な状況であることが判明

つまり何度でもやり直せると言うことは即ち「終わらない」と言うことで
吉田君の必要性は
Wynの作ってくれたTotal Access Studioサウンドをキープ、メンテすることだけではなく
「ねえ、今の2バスちょっとヨレてた?」とか言う質問に
胸を張って「いいえ、よれてません!!」と断言してもらうことも大きい

それでも録り終わった後、夜中に聞いたりして
「やっぱもう一回やろうかな・・・」と言って録り直すのも自由なんだから始末が悪い
その度に吉田君も何度も呼び出され
やっとの思いで叩き終えたアルバム全曲のドラムデータを持って来日
そしてそれを聞きながら人の苦しみを横目で酒を飲む

・・・いやぁ・・・すんごい音やなぁ・・・

まるでLAのTotal Access Studioで録ったが如きぶっといドラムサウンド
こんなんが自宅で録れるっつうのはほんまミュージシャンにとって至福の環境やなぁ・・・

もともとドラムの音っつうのはドラマーが自分の耳の位置で聞いて一番いい音に叩いとる
それをひとつひとつの太鼓のあんなにそばのマイクで音拾って録音したところで
到底自分の聞いているドラムサウンドとは似ても似つかない

これはライブでも同じことで
ドラマーは一生自分の出音を生で聞くことが出来ないので
PAエンジニアに全てを托すしかない

つまり録音した音、ライブの音はすでにワシの音ではなくエンジニアの音なのである

しかしこれからのワシは違う!!
Wynの残してくれたこのサウンドこそが「ファンキー末吉のドラムサウンド」である
このためだったら金にいとめはつけん!!

・・・と言いつつワシ・・・ワシ・・・これに一体いくらつぎ込んだんやろ・・・

二井原がロニー・ジェイムス・ディオと対談した時
「Wynと会うたらむっちゃ痩せてるんでびっくりするでぇ」
と言われたと言うので非常に期待してたのだが
30kg痩せたと言っても彼のその巨体を飛行機で運ぶためにはやはり座席が2つ必要で、
オンシーズンのその頃のLA-北京往復運賃は2席で20万円
LAメタルの頂点とも言える彼のギャラ数十万
2バス5タムのフルセットを録るために必要なマイクの数は13本
オーバートップなど大切なマイクの値段は一本40万円
96kHzのハイサンプリングで録音出来るプロトゥールスHDと周辺機器で200数十万円・・・

すっからかんなはずじゃ・・・

実は明日は結婚式・・・
誰のって実は・・・ワシの再婚・・・(お恥ずかしい)・・・

結婚資金はどうすんの?!・・・
式場の費用は?!・・・
遠方から来て頂く親戚縁者の交通費は?!・・・
エンゲージリングは?!・・・

そう言えば前回は買ってすぐ失くした・・・
指輪してはドラム叩けんからつい亡くしちゃうのよん・・・

初婚の嫁よ・・・こんな旦那でええんかい・・・

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:15:24 | 固定リンク

2004年12月28日

どれだけ愛していたかは失って初めてわかるもの・・・

ドラム物語

パール楽器のドラムのモニターになってもう20年。
すいかドラムを初代として、
去年北京のスタジオ仕事用に作ってくれた最新のドラムセットまで合計7台、
またファンキー末吉モデルのスティックはもちろんのこと、
消耗品であるドラムヘッドまでその都度提供してくれている。

アメリカでレコーディングする時にはアメリカの支社から必要なセットを送り届けてくれ、
「二井原、お前の今度のバンドのメンバーっつうのはちゃんと演奏出来るのか」
と当初あまりに心配してそう言ってたウェイン・デイヴィスはそれを見て、
「電話一本でパールからフルセットを送りつけさせるこのドラマーは何者だ!」
と目を丸くした。

そう、パール楽器は楽器メーカーとして世界では超ブランドの域に入るのである。
しかしその実は千葉に工場を持つ、ごくファミリー的な会社。
ワシがドラマーとしてパールと一生を共にしようと思ったのは
この会社気質によるものも大きい。

その昔、クリスタルキングのドラマーとして仕事をしていた頃、
お膝元のヤマハにモニターの話を持って行ってむげに断られた。
ところがパール楽器の当時の担当者、市川さんは
むしろ当時アマチュアだった爆風スランプのことを、
「あのバンドはいい。君もドラマーとしてうまいし、モニターやるかい」
と言ってくれてワシとパール楽器との付き合いが始まった。

ある時期、ヤマハがモニター戦略に力をいれ、
パールのドラマーが次々とヤマハに乗り換えていた頃、
いろんな先輩ドラマーがワシにこう言った。
「末吉ぃ。パールなんかやめてヤマハ来いや。待遇えぇでぇ」
ヤマハの当時の担当者もある日私にこう言った。
「河合さんもヤマハのギター使ってくれてることだしさぁ。
末吉くんもぼちぼちヤマハ使ってみたら?」
パール楽器と違い、大会社であるヤマハは担当者がよく変わる。
本社から派遣されたその担当者は職務を本当に一生懸命遂行するが、
パール楽器は逆に会社をやめるまでひとりの人が担当する。
「人間対人間」の関係なのである。

ヤマハの人にはこう言って丁重にお断りした。
「違う担当の方だったので恨みを言うつもりはありませんが、
当時一番貧乏だったあの頃、自社のバンドであるクリキンをやっていながらも
ヤマハは私に何をしてくれようともしてくれませんでした。
でもパールはその頃からずーっと私をサポートしてくれてます。
ですから私は死ぬまでパールと一緒に歩んで生きたいと思います」

パールから提供していただいたドラムセットは全部まだ持っている。
XYZ用と五星旗用の2台を除いては全部北京に持って行き、
「ドラムセットを大事に長く使ってくれるのは有難いのですが、
中国でそれほど活躍なさってて、それが全部古い製品ではそれも問題なので」
と言うことで、わざわざ最新モデルを1台作ってくれ台湾の工場から北京に送ってくれた。

そのセットを始め、今では製造中止の銀色のセットや、
最近では初代すいかドラムも整備をして、
それぞれのセットをよく仕事で使う別々のスタジオに常備してある。
レコーディングの仕事が来た時、
そのそれぞれのスタジオにスティックだけを持って行けばよいので楽である。

そんな生活の中で、最近ドラムに対して気づいたことがある。
それぞれのドラムセットには「人格」のようなものがあり、
ドラムセットはそれぞれが間違いなく「生きている」と言うことである。

木と言う生もので出来てるし、もともと楽器と言うのはそんなものなのかも知れない。
例えば、XYZのツアーが長く、そればかり叩いていて北京に戻り、
久しぶりにスタジオのセットを叩くと、
まるで女の子がすねているかのように言うことを聞いてくれない。
理論的に言うとセットによって音色が微妙に違うので、
それに合わせて叩き方が微妙に違い、
それが微妙に反映して違うセットでは微妙に音が鳴らなかったりするのであろうが、
しかし感覚としてはそれが非常に人間的で、
「あんた他の女抱いて来たでしょ」
ってなもんである。

・・・非常に面白い・・・

そんな時はヘッドを張り替えてあげたり、
チューニングに時間をかけたりしてゆっくり対話してやる。
たっぷりと愛情を注いでやるとやっと機嫌を直して鳴ってくれるようになる。
そう言う点ではすねたらすねっ放しの人間の女の子よりは扱いやすい。

だから最近はドラムのレコーディングとなると1時間は早くスタジオに行き、
なるだけそのセットと会話してやるようにしている。
まあワシも人間の女の子相手にこれをやってればモテるのであろうが・・・

そんなある日、またレコーディングの依頼。
ところが行ってみるとスタジオの若い衆が「フロアタムが見当たらない」と言う。
「今時の若いもんは」はどの国でもどの時代でも共通で、
仕方がないのでその日は14インチのタムをフロアに代用して録音したが、
叩きながら
「いざ本当に無くしてしまって見つからなかったらどうしよう」
と思ったらもう気が気でない。

このセットは基本的に既に製造中止の型番なので、
無くしてしまったらもうそれっきりである。
音が変わってしまうのでフロアタムだけ別の型番でと言うわけにもいかず、
早い話フロアが無くなればすなわちドラムセット全部が役に立たなくなってしまう。

パールさんにお願いして再び同じ材質の同じフロアを作ってもらうか・・・
それもえらい手間と出費であるし、また他のタムタムとの長年の歴史を考えると、
同じ型番であろうと絶対にマッチしない。

このドラムセットは胴が厚く、運ぶにも非常に重く、スタッフにも嫌われるし、
胴が厚いとなかなか鳴らないし、
しまいには癇癪を起こしてぶち捨ててやろうと思ったが、
1ヶ月間叩きに叩き込んでやっと言うことを聞くようになり、
そうなると逆に可愛くてたまらなくなり、
今ではワシの一番好きなドラムセットである。

つまり同じ型番で新しいのを作ってもらっても、
10年以上叩きこんだ歴史がないので決して同じ音色にはなれないのである。

「無くなった」と思ったら、急にこのセットとの数々の思い出が思い出されて来た。
音が鳴らなくて、もう捨ててしまおうかと思っていたあの頃・・・
鳴り始めて可愛くてたまらなかったあの頃・・・
新しいドラムセットが来てそっちに夢中になり、倉庫の隅っこに追いやってたあの頃・・・
北京に行く便があったので「先に北京に行け」とばかり里子に出した・・・
北京のあらゆるドラマーがレコーディングやリハーサルで使ったが、
「このドラムはダメだ。全然鳴らねえや」
と誰にも相手にされなかった。
そのまま誰にも鳴らしてもらうことなく、ずーっとほっとかれてた・・・

北京に引っ越して来て久しぶりにあいつにあった。
誇りまみれのボロボロで、セットを組むにも相変わらず重く、
まるで太ってものぐさで言うことを聞かない駄馬である。

しかしヘッドを変えてやって組みなおし、性根を入れて叩いてやると、
「何?こいつのどこが駄馬じゃ?」
突然生き生きとして昔と変わらぬいい音で鳴ってくれた。
「ほら見てみぃ!」
得意げに人に聞かせるワシ。

それからあいつと一緒にいろんな名演、名盤を残して来た。
あいつはワシを乗せてこの戦場を得意げに走り回り、
この北京の音楽界に「ファンキー末吉」の名を残し、そして歴史を残した。

名馬騎手を選ぶと言うが、
実はワシがあいつを選んだのではない、
ワシがたまたまあいつに選ばれただけなのである。

そんな名馬が片足をもがれたように、こんな些細なことでもう走れなくなるのか・・・
それを思うとワシは悲しくって情けなくって、
そんな名演、名盤を引っ張り出して来て酒を飲みながら聞いていった。

とあるオーケストラとの競演・・・
仕上がってみると結局オーケストラとドラムだけのオケである。
・・・何と言うスケール感・・・
たったひとりで何十人ものオーケストラ相手に一歩も引かず、
スティックを振りかざして切り込んでゆく。

ワシはいつの間にこんなことが出来るようになっとったんじゃ・・・

音楽は偶然の積み重ねである。
このセッションでこの音色、このリズム、このグルーブがあるのは、
神様が与えてくれたほんの偶然に過ぎない。
ドラムなんてもともと、
同じチューニング、同じ部屋、同じ人間が叩いたって毎回全然音が違うんだから・・・

こんなワシがこいつと出会って、
この日、この場所でこんなレコーディングセッションをし、
そしてこんな音楽をここに残した・・・
これはひとつの偶然でしかない。

しかしお互い生きてさえいれば、またこんな偶然を生み出せるかも知れない・・・
もうお前は戻って来れないのか・・・
そう思ったらまた涙が出て来た。

愛とは失って初めてわかるものだと人は言う。
「俺はこんなにあいつのことを愛してたのか・・・」
だったらどうしてもっと大事にしてやらなかった!
どうしてもっと愛してやらなかった!
今さら後悔したところで全てが遅い。

新しいドラムが来たからと言ってさっさと乗り換えていったワシ・・・
北京に里子に出されて誰にも相手にしてもらえなかったあいつ・・・
せっかくステージ栄えするようにと銀色にしたのに、
結局誰にも磨いてもらえずに今ではくすんだ灰色である。
ネジひとつ換えてもらえず、ボロボロのまま走れなくなってしまったのか・・・

こんなことだったらもっと大事にしてやればよかった。
もっと愛してやればよかった・・・
また酒を飲んで泣いた。

数日たって若い衆から連絡があった。
「フロアタム、見つかりました」
電話の向こうで心配してくれてた会社の人が大喜びであるが、
ワシはもう「嬉しい」と言うより「あいつに悪い」と言う気持ちでいっぱいである。

「このことに責任を感じている人間、
そしてこのドラムに少しでも愛情を持ってくれてる人間、
全員集合してこいつの大メンテナンスをやるぞ!」

家から全てのドラムの部品を運び込み、
半日かけてドラムのヘッドを全部外し、ネジを全て締めなおし、
痛んでる部品は全部取り替え、考えられるメンテは全てやった。

しかし紛失されていたフロアタムを始め、全体的に機嫌が悪く、鳴ってくれない。
よくよく調べてみると、もうタムの木本体が張り合わせが浮いていたり、
早い話、いろんなところにガタがきているのである。

「お前も年とったんじゃのう・・・ワシと一緒じゃ・・・」

「よし!」とばかり再びスティックを振りかざす。

「名馬よ。たとえお前の肉体が老いてしまおうが、お前はまだまだ走れる。
ワシもまだまだスティックを振り回せる。
共に死ぬところは戦場じゃ。お互い走れなくなったら共に死のう!
我ら生まれし日は違えども、死ぬ日は同じ日同じ場所!」

まるで三国志演義である。
共感したのかウケたのか、
次の日のライブでやつはとてもいい音で鳴ってくれた。

アホなドラマーのドラムはやはりアホである。
共に一生アホな人生を送ってゆきたいもんじゃ

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:15:34 | 固定リンク

2004年11月11日

零点(ゼロ・ポイント)の新しいギタリストは日本人?!!

前回の来日は長かったぁ・・・

2週間もの間日本を空けるのは久しぶりである。
飲むヒマどころか飯食うヒマも寝るヒマも風呂に入るヒマもない北京での生活の反動で、
ツアー中は飲むは食うわ、数キロ痩せた身体にお釣りが来るほど肉がつく・・・
昔は忙しい日本での生活から逃げるように北京に来てたものだが、
それがすっかり逆転してしまい、
今では日本に帰って初めてゆっくり出来ると言うありさま・・・

ツアー終了後、橘高文彦のソロアルバムに参加するために東京に向かった。
ドラムを叩く仕事なら大歓迎である。
予想通りの体力モノのツーバスを命がけで踏みながら生きてることを実感する。

まあこの体力モノばかりを10曲、2日間で全部録音し終えてしまうのはかなりしんどいが、
北京での生活のように朝から朝までパソコンと格闘しているよりはマシである。
ワシは「ドラマー」なのである。

「末吉さん、北京帰ったらまた忙しいんですか?詞を1曲書いて欲しいんですけど・・・」
詞ぃですかぁ?・・・
一番苦手な分野であるが、橘高の頼みなら仕方がない。
やるのはかまわんが問題はその時間、あるんかなあ・・・

この来日のためにいろんなプロジェクトをぶっちして帰って来たからなあ・・・

まず零点(ゼロポイント)。
(関連ネタ:http://www.funkycorp.jp/funky/ML/78.html、http://www.funkycorp.jp/funky/ML/92.html)
「今回のアルバムは
メンバーがそれぞれ気に入ったアレンジャーに2曲づつやってもらう」
と言うことで2曲だけですむやったのが、ちと頑張りすぎたのか、
「やっぱお前のんが一番ええわ。やっぱお前が9曲全部やってくれ」

ひぇーーー

「2週間も日本に帰るのか?そりゃ帰るまでにあと7曲全部アレンジしてくれなきゃ困る!」

ひぇーーーひぇーー

んなもん2日や3日であと7曲もやれるはずもなく、
結局やっと出来上がった3曲だけを渡して逃げるように帰って来た。
あとは知らん!勝手にやっといてくれ・・・

「北京に5セットあると言うお前のドラムセット全部スタジオに運び込んで
アルバム10曲全部ドラム叩いてくれ!」
と言うギタリストWの新しいユニットのレコーディング。
アレンジも数曲上げ、非常に楽しみにしてたのだが結局スケジュールが合わず、
他のドラマーが叩くと言うことでドラムセットだけ貸してあげて逃げるように帰って来た。
いいアルバムに仕上がることを願う。

「3枚目のレコーディングやってんだけどまたドラム叩いてくんないか」
と言うプロデューサーLの女子十二樂坊のレコーディング。
(関連ネタhttp://www.funkycorp.jp/funky/ML/91.html)
まあこう言う時に限って来日の2週間がデッドラインやったりするんやなぁ・・・
やってあげたいのはやまやまじゃが逃げるように帰って来た。

「いつ時間あんの?この前アレンジやってもらった曲、早くレコーディングしなくちゃ」
と言うS社長んとこの新人のプロジェクトはそのままずーっとほったらかしてるし、
頼まれた陳琳のブラスとストリングスアレンジは、
譜面までは起こしたもののスタジオに入ってレコーディングする時間がない。
すまん・・・ほな逃げるように日本帰るんで誰か使って適当にやっといて・・・

あれ?・・・なんや結局ぶっちして消えてしまった仕事はドラムの仕事が多く、
帰ってもまだやらねばならんのはアレンジとかが多いやないのん・・・

・・・ドラマーとして生きるために北京に移り住んだのになあ・・・

ま、でも零点(ゼロポイント)さえなければ詞ぃ書くぐらいなんとかなるじゃろ。
確か今月半ばにはレコーディングを終え月末には発売と言うとったから、
まあワシが北京に戻った頃にはレコーディングも終了してるはずである。

「いいよ、ワシの詞なんかでよかったら使ってやって下さいな」
橘高の申し出を快諾し、またドラマーじゃないことを背負い込んでしまうことになる。
そしてこれが後に自分の首を大きく絞めることになることを
その時点では夢にも思ってなかったのである・・・

北京空港に着いて、中国用の携帯の電源を入れたとたんに電話がなった。
「おう、ファンキー!やっと帰って来たか」
零点(ゼロポイント)の会社の人間である。
「待ちかねてたんだよ。じゃあ、明後日からスタジオ入るからね」

あのう・・・レコーディングはワシのいないうちにやり終えてしまってたのでは・・・

「やっぱお前がいないと始められないと言うことでずーっと待ってたんだよ
とりあえず明後日までに残りの曲を全部アレンジしてくれ」

ひぇーーーー

ぶっちしてたつもりがポーズ押して停止してただけなのね・・・
マスターが仕上がったら1週間後にCD発売されるこの国では、
発売日なんぞあってないようなもんなのである。

「そいで、ギタリストはやっぱ日本から呼ぶことにしたら
誰かいいの探して明々後日に連れて来てくれ」

ひぇーーーーひぇーーーー

零点(ゼロポイント)は先日ギターとキーボードが脱退し、
現状ではサポートメンバーを使って活動している。
前々から日本のギタリストを呼ぼうとは言われていたが、
どこの酔狂なギタリストがわざわざ北京くんだりまで来ますかいな・・・

まあ前々から言われてたように「半年北京で住め」と言うならまず不可能だが、
レコーディングだったら1週間でいいんだからなんとかなるかも・・・

まず彼ら自身の第一リクエストであるXYZのギタリスト、橘高文彦・・・
・・・んなもんさっき橘高ドラム叩き終わったところなんやから今から佳境やないの・・・
ソロアルバムと北京入りやったらまずソロアルバムが大切でしょう・・・ボツ!

まるっきり面識のない人間でも困るので、近いところから片っ端から連絡をとってみる。
山本恭司・・・シャラ・・・高崎晃・・・
んなもんみんないきなり明々後日から1週間なんて空いてるわけないやないの!!!!
ボツ!

困り果ててた時に、自宅にてJUNXION(ジャンクション)のCDを発見。
去年XYZレコードからデビューしたハードロックバンドである。
「こんなんどうかなあ・・・」
ダメ元でメンバーに聞かせてみる。
「非常にいいじゃない。彼で行こう」
本人のいないところで勝手に話が決まる。

胸を撫で下ろしたワシはギターの櫻田に電話をし、
「お前、どんな大事な用事があろうが全てキャンセルしてすぐ北京に来い。
断ったらお前らのバンド、潰す!」
と言い放ち、電話を切る。
あとはワシの日本の美人秘書がチケット等を手配してくれる。
やはりこのような人間関係をいたるところで構築しておくべきじゃのう・・・

と言うわけでジャンクション櫻田はチケット代が一番安いパキスタン航空に乗せられ、
彼にとって生まれて初めての海外である北京空港に降り立った。
北京のワシのアシスタントがピックアップに行き、スタジオまで連れてくる。

「お、来たね。マーシャル用意しといたからね。
明日から5日間で5曲。録り終えなければ帰さないからね。
一応パスポートと帰りのチケットは預かっとこう」

こうなるともうタコ部屋状態である。
そのままホテルに帰って、渡された譜面とDEMOを聞いてちゃんと弾けるように練習して、
スタジオに来てちゃんと弾けたら次の日のを渡され、
最後までちゃんとやれたら日本に帰れるが、ひとつでもつまづいたら帰れない。
どっかのテレビ番組の罰ゲームのようなものである。

また今回のアルバムは中国の民謡や童謡や古い歌謡曲のカバーアルバムなので、
特に京劇とかの舞台曲とか民俗音楽系は非常に難しい。
外国人に歌舞伎が難解なのと同じように、
これをロックにアレンジすると変拍子がいっぱい出てきてまるでプログレである。
しかもそのうちの2曲は16部音符の超早引きフレーズが
書き譜で最初から最後まで指定フレーズとして書かれている。
しかも中国人なら誰でもそのフレーズを知ってるわけで、
少しでも間違ったり直したりするわけにはいかないのである。

「こんなの弾けませんよぉ・・・」
ナキを入れる櫻田に、
「アホか!民族楽器が原曲ではもっと早いスピードでオールユニゾンやがな。
自分のバンドでもっと早弾きしてるギタリストが弾けんわけはない!」
と渇を入れる。

「運指が全然違うんですよぉ・・・こんなのイングヴェイでも弾けませんよぉ・・・」
とナキを入れながらジャンクション櫻田の眠れぬ生活が始まる。

でも考えて見ぃ!ワシはこの難曲を1週間かけて解析して
ロックにアレンジしてDEMO作って譜面書いて何日徹夜してると思とんねん!
おまけに今回は昼間ギター録りしながら夜は次の曲をアレンジ、
その合間を見ながら他の仕事もこなさなアカンのやでぇ・・・

他の仕事・・・他の仕事・・・
しもたぁ!!!!橘高の詞ぃ書かなアカン!!!

音楽仕事も水商売と同じで、忙しい時に仕事が来て、ヒマな時は閑古鳥である。
まあ、ワシが寝れんのやからお前も寝るな!
ってなもんでジャンクション櫻田は
初めての外国での唯一の知り合いであるワシにかくも冷酷に突き放され、
罰ゲームのようなレコーディングに突入するのであった。

部屋から出ようにも外国なので怖くて出れないし、
英語もわからないのでコミュニケーションも出来なくて、
国際電話をかけれるようになるのに1日、
部屋のポットでお湯を沸かすのに2日、
腹が減ってたまらず、
勇気を振り絞ってホテルの下のSUBWAYでサンドイッチを購入するのに3日、
近所のコンビニでビールを購入できたのは最終日の5日目であった。

ワシはワシで11月4日には北京Jazz-yaでJazzライブも入ってるので、
ギター録りはその日から夜中にやることになり、
ひとりで買い物も出来ないジャンクション櫻田は
朝方ホテルに帰ってから夕方までひたすら腹を減らしてギターを練習していたのであった。

かくしてギター録り5日目。
鬼のようなパンチインを繰り返した問題の超難曲を含め、
予定されていた5曲全部を無事に録り終えた。
ジャンクション櫻田もさすがにヘロヘロであるが、
中国ではプロデューサー自身がパンチイン、パンチアウト
等、プロトゥールスの操作全てを自分でせねばならないのでワシももうヘロヘロである。

ギターや機材を片付け終わり、ビールの栓を開けたジャンクション櫻田が、
そのまま録音データを整理しているワシに一杯ついでくれる。
もう朝方である。いっぺんで酔いが回る・・・

予備日として予定してあった明日、正確には今日はジャンクション櫻田はOFF。
「僕ぅ・・・どうすればいいですかぁ・・・」
捨てられた子犬のような顔でワシを見る櫻田。
ほっといたらこいつ、
ヘタしたら一日飯も食わずにずーっと部屋から出ないんではないかと思いつつも、
ワシは1時から、つまり数時間後には女子十二樂坊のレコーディングである。
プロデューサーLは彼女たちの民俗楽器の部分を先に録り終え、
ワシが帰って来るのをてぐすねを弾いて待っていたと言うわけである。

「何だって?お前これからプロデューサーLの仕事か?」
スタジオのエンジニアがびっくりしてワシに聞く。
そうだよと答えると
「そうかぁ・・・それはお気の毒に・・・」

彼の病的に細かいこだわりぶりは業界では有名な話で、
「明日何曲叩くの?ヘタしたら朝までだよ」
と本気で同情する。

まあ確かに他のアレンジャーよりは数倍時間はかかるが、
まあ今まで何度か仕事をやったが長くても2、3時間で終わっているので、
まあ何曲録るのかわからんが
夜には零点(ゼロポイント)のレコーディングに戻って来れるだろう、
とスタジオを夜にブッキングして家に帰る。

翌日、正確にはその日の数時間後、Lは時間通りにスタジオに来ていた。
世間話をしながらドラムをセッティングする。

ドラムセットと言うのは面白いもので、
まあ楽器と言うものはそんなものなのだろうが、
それ自身が生き物のように人格を持っている。
同じセッティング、同じ環境で叩いても毎回音が違うし、
久しぶりに叩くとしばらく相手にしてなかった恋人のようにすねて音が出なかったりする。
またワシのように7台も持っていると、
例えばXYZのツアーから帰って来てこのドラムを叩いた時、
「あんた、他の女抱いたわね!」
てなもんで音が出てくれなかったりする。
まあ楽器によって鳴らし方が微妙に違うのでフォームが違って来るんでしょうな。

機嫌を直すには女性と同じでひたすらかまってあげるしかない。
恒例のごとく長い間かけてチューニングしてあげると
やっと機嫌を直して言うことを聞いてくれるようになる。

プロデューサーLは世間話をしながら、
いつもの笑顔でワシと恋人達との音での会話を見ている。
「今日は何曲録るの?」
と聞くと、
「一応2曲で、発注しているアレンジが間に合えば3曲」
まあ少なくとも夜中には終わるだろうから12時ぐらいには零点の方に行けるじゃろう。

セッティングが終わって曲を聞かせてもらう。
壮大なクラシックの組曲のような大曲で、
3拍子と4拍子が入れ混じった変拍子の何曲である上に、
ご丁寧に途中には小さなドラムソロが3箇所も用意されている。

「ガイドドラムは?」
と言うと、「今回はない」と言う。
つまりどう言うリズムでどう叩けばいいかと言うことがわからないのである。

彼が簡単な構成譜を書いて、
口頭で彼がイメージしている叩き方を聞いてそれに書き込んでゆく。
打ち込み系の音楽はパンチインでぶつ切りで録音してゆけばよいが、
こう言うクラシック系の曲は強弱が難しく、大きな流れもぶつ切れてしまうので、
「とりあえず全体を把握するために、何度か合わせて叩いてみますか」
と言うことになり、この巨大組曲との格闘が始まったころ電話が鳴る。
OFFを満喫しているはずのジャンクション櫻田である。

「ホテルの人が来て、予約は今日までだって部屋追い出されちゃったんですよぉ」
んなわきゃないやろ!金は明日まで払うてるがな・・・
「そりゃ間違いや言うて交渉せい!」
と言ってもそりゃ無理な話であろう・・・
日本語の喋れるアシスタントを手配してそちらに行かせるよう段取りする。

巨大組曲との格闘は続く・・・
例によって「こう叩いてくれないか」と言う彼の要求を織り込んで何度かやってみる。
「どうも違うなあ・・・」
最後には彼自身がスティックを持って自分で叩く。
それを聞きながら、「じゃあこう言う感じか?」と叩いてみる。
何せ1曲が長いからこの作業だけでも大変である。

電話が鳴る。
「そのホテルに払ったお金の領収書が必要なんですが・・・」
ジャンクション櫻田である。
お金を払った零点に連絡とって段取りする。

巨大組曲との格闘は続く・・・
だいたいどう叩けばいいかが決定し、
ラフに最初から最後まで通して録音し終わった頃にはもう夕方である。
それまでに録ったテイクは5パターンを超え、スティックももう何本も折れている。

女子十二樂坊のレコーディングでスティックが折れるとはのう・・・

それからそれを基にしてちゃんとしたテイクを録音してゆく。
こだわり満載の彼は、「こう言う風に叩いてくれ」まで細かく指定するが、
打ち込めばそのまま音が出る機械と違って、
生ドラムの場合は手順であったり音の強弱の問題もあってそうはいかない。
例えば
「そこはタムとスネアでこう言うフィルを叩いてくれ」
と言うのを、
「その前にこのフレーズをこう叩いているのに、
その次にダブルストロークを入れると音量が下がって全体的には盛り下がるでしょ。
だからここはむしろタムを両手でフラムショットで叩いて、
その合間はスネアではなくバスドラで埋めるべきよ。
そしたらこうなるから音量も上がるしもっと盛り上がるでしょ」
といちいち1回1回録音し直して納得させる。

日本のスタジオミュージシャンはプロデューサーのイエスマンで仕事をする人が多いが、
こちらではそれぞれがアーティストとして認め合っているので、
必ず「自分はこうするべきだと思う」と言うのをはっきりと言わねばならない。
そりゃそうだ、音楽の構築は全部彼がやっているが、
ドラムを知っていると言うことに置いては彼はワシにはかなわないんだから。

「君の考えではタムはここから出てくるでしょ、
でもタムって出てくるともう消えたら寂しくなっちゃうわけ、
だからここのパターンは君の考えたパターンではなく、
むしろタムを使ったこのパターンに変えた方がいいと思うよ」
更にパターンを変え、また最初から録りなおす。

彼も満足し、基本的なリズムが構築された頃にメシ。
その頃には録ったテイクは10を超え、折れたスティックは10本を超えている。

橘高の体力モノのレコーディングでもここまでは折れんかった・・・

さて最後の難関は小さなドラムソロ。
と言うよりほんの小さなドラムピックアップのフィルイン程度なのだが、
通常でもフィルイン全てを全部パンチインして直す彼のこと、
そのフィルインの連続であるこのセクションでまたスティックを何本も折る。

結局録り終わったのは11時過ぎ。
つまりセッティングから始まって10時間、まあ連続して8時間はドラムを叩き続けている。
スタジオの人はあきれ顔でワシに同情するが、
なに、ワシはドラマーである。ドラムやったら何時間でもまかせんかい!
ワシ待ちである零点(ゼロポイント)や、
最後の北京の夜であるジャンクション櫻田からもがんがん電話かかって来るが、
「よし!次の曲!」
きっと脳内には物凄いアドレナリンが出てるのであろう、物凄くハイである。

あとの2曲はこの曲ほど難しくもなく、
それでもフィルインのひとつひとつを全部直す勢いで、
まあ1曲2、3時間ペースと言うところで3曲全部叩き終えたのは朝の7時。
つまり18時間ずーっとドラム録りをしているのである。

ひぇーーー・・・

でも先週まで「ワシはドラマーじゃぁ」と言うとったんじゃから仕方がない。
ドラマーならドラム叩きながら死ぬつもりじゃないと。

と言いつつもよく考えたら
ワシはそのまま昼の1時には同じスタジオでまた別のドラム録りである。

「6時間後かぁ・・・どうする?」
エンジニアと顔見合わせる。
「俺はもうこのままスタジオで寝る」
エンジニアは帰宅を放棄、そのまま翌日に備えるが、ワシは・・・

「あ、そう言えばジャンクション櫻田は6時にホテル出発で帰国ではないか!!!」

ピックアップは手配して置いたが、
無事にチェックアウトして空港までたどり着けたかどうか・・・

心配する余裕もなくまた気がついたらドラムを叩いている。
このスタジオには自分のドラムセットを置いているので、
「おっ、ファンキーが叩いてんのか?そいじゃあ俺のも1曲頼もうかな」
と言うことも少なくない。
よそのドラム録りのついでにやれば
セッティングの時間も音作りの時間も要らないので便利なのである。

その日は途中ちょっとストリングスのレコーディングも入っていたが、
ドラムセットはそのままにして
その前に窮屈にオーケストラが入ってレコーディングしている。

このスタジオではワシのドラムが一番偉いのである。

ストリングスが終わり次第そのままドラム録り。
結局その日は2本のドラム録りを追え、
次のスタジオに行って零点(ゼロポイント)のデータの整理をしてそのまま日本に帰る。
ドラムももう十分叩いたじゃろ・・・

飛行機に乗ってふと思い出す。
「そう言えばジャンクション櫻田はパキスタン航空やったなあ・・・」
パキスタン航空はリコンファームが必要である。

「そう言えばリコンファームしてなかったなあ・・・無事帰れたかなあ・・・」
まあ帰れんかったら帰れんかったでええかぁ・・・
このアルバムは恐らく数億の中国人が聞くこととなるわけやから、
当然毎日のようにテレビラジオで流れるやろうし、
何万人いるかわからんが中国のギタリストが全てコピーすることになるじゃろ。
言わば日本では知る人だけぞ知るギタリスが
中国では知らない人はいないギターヒーローになるわけやからなあ・・・
そのまま零点(ゼロポイント)のギタリストにでも納まっちゃえば
彼らと同じく大金持ちになれるわけやしなあ・・・

ジャンクション櫻田の運命やいかに!!

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:15:39 | 固定リンク

2004年6月25日

小さな恋の物語・・・ええ話やなあ・・・涙・・・

小さな恋の思い出

なんか最近よく初めての人からドラム叩いてくれと頼まれる。
今日は3曲まとめてである。
こちらでは1曲叩いたら1週間食えるので3曲と言うと半月以上食える。
よし、頑張るぞ!!

スタジオミュージシャンの中でドラムは一番大変である。
この大きなかさばる機材を自分でスタジオまで運ばねばならないから。

ワシはもうかれこれ20年近くパールのモニターをやっているので、
パールから提供してもらったドラムセットももう全部で7台となり、
2台が日本、あとの5台は全部北京に送ってある。
総重量570kgあった・・・

北京にある5台のドラムセットのうち、
ひとつはS社長のスタジオに置いてあり、もうひとつはLプロデューサーのスタジオ、
そしてJazzセット(小すいか)は今後のJazzライブのためにJazz-yaに置いて、
後はどどんと今の住処に置いてある。
ドラムの山である。(すいかドラムとかいろいろ・・・懐かしい・・・)

いつもS社長のスタジオか、Lプロデューサーのスタジオで録ってくれれば、
ドラムを運ばなくていいので楽なのだが、先方にも都合があるのでそうはうまくはいかない。
アシスタントの重田に連絡して、指定のスタジオに指定の時間にドラムを運ばせる。
ドラムのフルセットをタクシーに積んで運ぶので彼も大変である。

さてワシは指定された時間に指定されたスタジオに行くのだが、
初めてゆくその日のスタジオは珍しく市外の南側にあった。
スタジオは大体北側か、遠くても西側に多いので、南側には滅多に行く機会がない。
ともすれば初めてゆく場所なのだが、
ワシにとってはとある小さな思い出のある場所であった。

数ヶ月前になるであろうか・・・
香港の夜総会好きの友人Wは、突然北京にやって来て「会おう」と言うので、
タクシーに飛び乗って行き先を伝え、そのまま着いたところが
想像にたがわず夜総会、つまりカラオケ(と言う名のキャバレー)であった。

着いた頃には上機嫌でカラオケを熱唱するW。
ワシは挨拶して一緒にちょいと酒が飲めればそれでいいのよ・・・

頼みもしないのに店長がやって来て「女の子を選べ」と言う。
いいの、いいの、ワシは・・・女の子おったってろくなことないから
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/68.html
と断るのだが、それでは店長のメンツが立たないのであろう、
仕方がないので女の子がたむろする場所、いわゆるここが「ひな壇」なのであろう、
そこに連れて行かれ、
仕方がないので適当に奥に座っている地味で目立たない女の子を指名した。

「おっ!!」
店長が何やらちとびっくりした仕草をしたので「どうしたの?」と聞くと、
「この娘は今日が初仕事なんですよ」と言う。
テーブルについた彼女も
「始めまして。私は昨日北京にやって来たばかりで今日が初出勤です。
至らぬところもあるでしょうがお許し下さい」
とお辞儀をする。

見れば素朴で、こんな商売にはまるで似合わないような娘である。
「いくつ?」
聞けば20歳だと言う。
どんな家庭の事情でこの仕事を余儀なくされたのであろう・・・

ワシはこの後打ち合わせがあり、
人と会わねばならないので「持ち帰り」などとうてい出来ないが、
飯をまだ食ってないので、連れ出して一緒に飯でも食うと言うのはどうだろう。

やり手ババアのママさんに聞いてみる。
「300元払えばいいわよ」
キャバクラの店外デートのようなもんか・・・

よし!じゃあ300元!
最近金があるのでつい無駄遣いをしてしまう・・・
アホな男である。

「じゃあ着替えて来させますから」
ママさんが彼女を裏に連れてゆき、しばらくして私服に着替えて戻って来た彼女は、
どっから見ても「田舎から出てきたばかりの素朴な女の子」である。

思えばWに初めて香港の夜総会に連れて行かれた時、
なかなか「女の子を選ぶ」と言うことが出来ず、
キレたママさんに「あんた結局どう言う女の子が好みなの!!!」と言われ、
「うーん・・・素朴な女の子・・・」
と答えたら「んなんがこんなとこにおるかい!!」と大笑いされたことがあったが、
思えば彼女こそ希少な「素朴な女の子」そのものではないか・・・

Jazz-yaに連れてゆき、とりあえずカクテルと飯を頼んだ。
「君の初仕事に乾杯!」
男は金持ってるとちとかっこいいことが出来て素敵である。

差しさわりのない程度に聞いてみる。
「なんでこんな仕事始めようと思ったの?」
別に言えることだけ言えばいい。飯を食い終わったらそのまま別れて、
恐らくまた会うことはあるまい。ワシはただの彼女の初めての客なのである。

身の上話を聞いてるうちにちょっと説教癖が出てしまう。
「でもさあ、あんたこの仕事がどう言う仕事かわかってんの?
もしこのまま俺があんたと寝るって言ったら寝なきゃなんないんだよ。
わかってんの?」

彼女の顔が少し曇る。
しばしの沈黙・・・
場が持たなくなって口を開くワシ・・・

「でも、どんな生活にだってそれなりの幸せはある。
問題なのは覚悟を決めて飛び込むかどうかだよ。
覚悟さえ決めればどんな生活にだって絶対それなりの幸せはあるからね」

Jazz-yaのキャンドルの炎のせいか、初めて飲むカクテルのせいか、
彼女の頬が少し赤らんで、目が心なしか潤んでいるように見えた。
都会の華やかなバーの雰囲気のせいか、初めて飲むカクテルの酔いのせいか、
彼女がだんだんと能弁になる。

「嬉しい。今日は私の記念日。今日のことは一生忘れない。私、頑張る!」
彼女と乾杯する。

「俺は友人が夜総会を経営したりしてるんでこの商売のことはだいだい知っている。
この商売の女の子の末路がどう言うのかも知っている。
最後には落ちぶれていなくなってしまうか、
生き残ってあのやり手ババアのママさんとなって別の女の子で稼ぐか・・・
どっちにしてもこの世界に住んだら女の子はすぐに変わってしまう。
お店にいただろ、あの派手な女の子。
あれがこの世界のプロだよ。ああじゃないと稼げない。
あんたもいつかああなってしまうのか、それもいいだろう。
でもあんたの初めての客は素朴な女の子が好きっつう変な客だった。
君の今が好きだった。
その初めての変な客からのささやかな願いを言わせてもらうと、
出来ればあんたにはこのまま変わって欲しくない。
でもそれもきっと無理な話だろう。だからせめて
今の素朴なあんたを好きだった変わった客がいたんだ
と言うことを覚えていてくれればそれでいい」

彼女の初めての客は、彼女に300元を渡してタクシーに乗せ、
自分は次の打ち合わせ場所へと向かって行った。
方向も彼女は南側、自分は北側。まるで反対方向である。
生きている世界もまるで違う。もう会うこともないだろう・・・

しかしまるで接点のないこのふたりを、携帯電話のショートメールがつないだ。

「昨日はありがとう。いい思い出になりました。あなたの仕事が順調であることを願います」
お決まりの営業メッセージである。
お決まりの返事を返してそれで終りのつもりだったが、
アホなワシはどうしても彼女のことが気になって仕方ない。
「どや?客がついたか?生活は順調か?」
いらぬ心配をしてメールを送ってしまう。

メル友をやってるうちにいろんなことがわかって来る。
彼女の収入は指名されて初めて彼女に入ってきて、
誰からも指名されなければボーズ、つまり一日ひな壇に座っててノーギャラである。
世の客はどうせ金を払うなら派手でセクシーな女の子を選ぶので、
彼女のようなキャラクターではなかなか勝ち目がない。
しかも彼女の一張羅のドレスや化粧品なども全て自前で用意せねばならない。
考えてみればキツい商売である。

「いいよ。飯ぐらい奢るよ」
ある日仕事終りに彼女を食事に誘った。
食事だけの300元でも彼女の収入になったらそれはそれでいい客である。
「初めてのいい客」をやり続けるのも大変である。

田舎から出て来て右も左もわからない彼女と待ち合わせ。
仕方がないので彼女の住んでいるところの近くにする。
彼女が転がり込んでいるホステス仲間のマンションの向かいのレストランに、
彼女はあの時と同じ服を着て来ていた。
それが今回ワシがドラムを叩きに来たスタジオの隣であったのだ。

「よ、この前と同じ上着だね。かっこいいじゃん!」
美的センスがゼロのワシが何とか服装を褒めようとすると墓穴を掘る。

「私・・・着の身着のままで来たからこの服しか持ってないの・・・」

食事をしながら彼女のグチを聞いてあげる。
職場のこと、家庭のこと、そして慣れない北京での生活のこと・・・

「じゃあ友達紹介してあげるよ。
俺の周りは有名人だけじゃなく食うや食わずのミ