爆風スランプトリビュートアルバム WeLoveBakufuSlump

2011年12月31日

帰国のための最後の関門!!

本来ならばこのまま出入国管理局に行って、
予定通りVISAのハンコが押された臨時パスポートを受け取ってくればそれで終わりのはずなのだが、
それがそのようにうまくいかないのが中国である。

不測の事態を想定して一応飛行機は一番遅い便を取ってある。

9時から窓口業務開始ということで8時半には院子を出発する。
外気温はマイナス7度。
「寒いね〜」と言うと、
運転手として、そして不測の事態に備えて一緒に行ってくれる老呉(LaoWu)が、
「大したことないよ。寧夏ではマイナス20度もザラだから・・・」

車を運転しながら
「どうするよファンキー、書類に不備が〜とか言われたらさぁ」
と冗談を飛ばすが、
それが容易にあり得るのがこの国なのである。

出入国管理局に着いた。
まだ窓口は空いてないが長蛇の列である。

9時になって全員が2階にある窓口に殺到するが、
そんなに「我れ先に」とならないのはやはり外国人窓口だからか?(笑)

人は多いが流れはスムーズである。
書類を出してパスポートをもらってそれだけに流れ作業。

よくある失敗でその書類を失くしたというのがあるが、
昨日からずーっと握りしめているので問題ない。

非常に速い単調なリズムで列が短くなってゆき、
そのリズムを止めたのがワシのところだった。

窓口のお姉ちゃんがピタリと手を止め、
「シッシッシッ」と犬を追い払うような仕草で
「配骂你(PeiMaNi)」みたいなことを言う。

Peiという発音から一瞬「赔钱(PeiQian)」、
つまり「弁償しろ」という単語を連想してしまったために頭の中が真っ白になり身体が固まった。

実際には数秒のことなのだろうが、
かなり長い時間固まってて我に返ったらお姉ちゃんはまだ「シッシッシッ」という動作をしている。

「何を弁償すればよろしいのでしょうか・・・」
なるだけ丁重に聞いてみる。

お姉ちゃんは「チッ」と舌打ちしてゆっくり言い直した。
「ペイマネー!!Pay Money!!」

見ると「シッシッシッ」とされている方角にはお金を払う窓口があった。

「何じゃ英語かいな!!それやったらそう言いなはれ!!」
無事に金払って手続き完了!!

飛行機は夜の便なので後は飲むのみ!!!!

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2011年12月30日

ネットを使ったX.Y.Z.→Aのスーパーライブ

パスポートを盗られてしまって出国出来ないので、
「じゃあ29日のファンクラブライブは中止かな・・・」
と思ったら誰もそんなこと口にしない。

まあ「口にする」と言っても厳密にはメールでやり取りしてるのだから口にしてるわけではないのだが、
「とにかく3人でもやる方向でいこう」
とみんながみんなそんな気持ちである。

そんなやり取りの中、たしかパスポートを盗られて途方にくれている列車の中でのやりとりか?
橘高がちらっと言った一言
(まあ厳密にはメールなので言ってるわけではないのだが)

「末吉さん、そっちでドラム叩いてネットで繋げません?
こっちの音聞かずに勝手に叩いてくれたら僕らそれに合わせて演奏しますんで」

うーむ・・・こっちの音と映像をリアルタイムに送るシステムはいろいろあるが、
どれも中国の遅い回線では「ライブ」という点では信頼性に欠けるものばかりやのう・・・

しかし同じように他の音を聞かずに勝手にドラムを叩くなら、
別にリアルタイムでなくてもレコーディングして送ったって同じではないのか?・・・

そんな考えが頭をよぎった時に既にこの企画が出来上がったと言っても過言ではないだろう。
何せうちにはスタジオがあるのだ。
レコーディングだってネット経由でそんなデータのやり取りをしとるじゃろ。

というわけでパスポートの問題が解決した28日の夜、
飛び込んで来たスタジオ仕事の後にレコーディングを開始することになった。

レコーディングのやり方はいろいろ考えられるが、
CDとかに合わせて叩いたら一番きちんとした演奏が録音出来るとは思うが、
それではおそらく「ライブ感」というものがなくなるだろう。
ここはいっぱつドラムだけで、他の楽器が鳴っているかのようにひとりで最初から最後まで「ライブ」として叩くしかなかろう・・・

通常のライブのように気合を入れる。
フルライブを一人で叩くのである。

曲つなぎなども通常のライブの通りつなぐ。
目をつぶればいつものライブと同じ光景が目に浮かぶように叩くのである。

これが実は想像以上にキツい!!

ライブではメンバーが隣にいてお互いに励まし合って山を登るようなものなのだが、
これをひとりでやるとなると相当の精神力が必要となる。

叩いている時は歌を口ずさんでいる。
ギターソロもメロディーを口ずさんでいる。
そうでなければ今自分がどこを叩いているのかわからなくなってしまう。

「頭」ではなく「身体」で覚えているからこそ出来るのである。
新曲ばっかりだったら恐らくこの企画は自滅してしまっただろう。

1ブロックずつ汗だくになって録音してゆくうちに少しずつ誘惑が頭をもたげて来る。
「ライブじゃないんだから、レコーディングなんだから、
別に途中で止めてパンチインすればいいじゃん」
と・・・

特にX.Y.Z.→Aのライブには速いツーバスの曲が多いので、
シンドくなったらそこで止めて続きをそこから録音出来たらヒジョーに楽である。

しかしすんでのところでその考えを押し戻す。
そんなことをしたらワシはライブでもシンドくなったらそうしようと考えてしまうではないか!!

「ロックとはあきらめないこと」とか何とか偉そうに言いながら、
そんな奴に限ってすぐにあきらめる癖がついてしまうのだ!!

フィルが少々ヨレようがテンポが少々走ろうがモタろうが、
ワシはライブではそう叩いておるのだ。
それが上手いと思われようが下手だと思われようが全ては自分の「責任」である。

・・・と言い聞かせながら1ブロックずつ叩いてゆくのだが、
そこで問題発生!!
Fasterでの客との掛け合いはどうするよ?!
XYZでのベースソロはどうするよ?!

これらはドラマーがその部分の長さを決めているのではなく、
二井原や和佐田がそれを決めているのだ。
ドラムが先に長さを決めてしまってみんな後からそれに合わせて演奏出来るのか?

まあとりあえずはチャイナを叩くなりそれなりの合図をちりばめておいて一応レコーディング終了!!

いやーこの汗の料は確かに「ライブ」である。


さてそれをMP3に落としてメールで各メンバーとスタッフに送りつける。
「それぞれの長さはこんな感じだよ」とか
「曲のつなぎはこんな感じだよ」とかも細々と。

そして当日、新しく買ったiPad2で日本とつないでみる。
回線はカクカクしていて決っしてよくない。
リアルタイムだと絶対無理なレベルである。

今回使ったシステムはFaceTime。
相互方向の音と映像のやりとりではなかなか画期的なシステムである。

回線が途切れたりアプリが落ちたりするのでバックアップシステムとしてiPhone4sも隣に並べておく。
中継が途切れたらどちらでも繋がりやすい方を呼び出してもらえばよい。

日本側の音はヘッドホンで聞かねばならないので、
繋がる先がiPadかiPhoneか変わる度にヘッドホンを抜き差しするのも大変なので、
どちらの音もミキサーに繋いで両方同じヘッドホンで聞けるようにしておく。


メンバーが現れた。
二井原には曲繋ぎのカウントの説明をしておく。
いつもは歌から入る曲でも必ずカウントで入らなければならない。

和佐田がやって来た。
ベースソロの大体の長さときっかけのフィルなどを説明する。

橘高も来たのでみんなで全曲合わせてみる。
非常に高度なテクニックが必要だが出来ないことはなさそうだ。

「そいで末吉さんも一緒に叩いてくれるんでしょ?」
と橘高。

もちろんそうするつもりである。
ワシの叩いたドラムの音に合わせて演奏しているみんなの音に合わせてワシは一緒にドラムを叩くのだ。

もちろんそのこちらのドラムの音は向こうには流さないし、
映像は数秒遅れるから絶対的に叩いてる姿が音とシンクロするわけはないが、
要は気持ち!!一緒に「汗をかく」ことが大事なのである。

日本側のiPadの映像(つまりワシが叩いている映像)はモニターの画面に映し出され、
そのモニターは本来ドラマーがいるべき位置に置かれていたらしい。
(誰かその時の写真あったら送って〜)


こうしてライブが始まった。
ワシの声も向こうに聞こえるし、
向こうの声も途切れ途切れながらこちらに聞こえるのでまるで会場に一緒にいるようでさる。

演奏の方はこちらではよく途切れるのでよくわからんかったが、
評判を聞くにばっちしだったらしい。

特にワシはFasterで合図のチャイナを叩くと同時に二井原が掛け合いの最後の「ホー!!」に入ったのには鳥肌もんやったなあ・・・

何でわかるんやろ・・・

和佐田もワシが考えた通りにベースソロをベースソロを組み立てて、
考えた通りにボケて、
考えた通りに二井原が突っ込んで、
せやのに合図と共にちゃんとリフに入って曲に戻る。

やっぱパーマネントバンドって凄いな。
みんなが阿吽の呼吸なんやな。

ライブ終わって怒涛のファンクラブ飲み会、
ワシは悪ノリして坂出マイラブ熱唱したり、
風呂入ってそれを中継したり、
しまいには布団に入って寝転んだりしっちゃかめっちゃかでした。

改めてこのバンドの凄さとファンクラブ会のアホさ加減を思い知ったな(笑)

二井原が絶賛しているブログ


そんな凄いバンドがファンと共に(笑)ツアーに回ります。
皆さん恐れ入りに来なさい!!(笑)


「X.Y.Z.→A IS BACK → THE ROAD #2 2012」

3月4日(日) 横浜 SUNPHONIX HALL (EVENT)
         「横浜メタル地獄 スペシャル!」
         出演:X.Y.Z.→A / さかもとえいぞう with 少年ハンサム隊

3月11日(日) 梅田 ShangriLa

3月17日(土) 千葉 LIVE SPOT LOOK

3月18日(日) 熊谷 HEAVEN'S ROCK

4月7日(土) 豊橋 ell.KNOT

4月8日(日) 名古屋 ell.FITS ALL

4月10日(火) 広島 NAMIKI JUNCTION

4月12日(木) 京都 都雅都雅

4月13日(金) 岡山 MO:GLA

4月14日(土) 神戸 WYNTERLAND

4月21日(土) 渋谷 club asia

チケット情報など詳細は来年だそうです〜♪

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パスポート紛失!!その3日目

結婚式で飲み過ぎて二日酔いのまま出入国管理局に向かった。

日本大使館からもらった臨時パスポートと、
それに貼り付けたその前までに集めた書類、
それをこれ見よがしにカウンターのお姉ちゃんに突き付ける。

今までの手続きに不備はない。
当然ながらこれで手続きが終了のはずである。

ところがお姉ちゃん、
「フン」という感じでワシを見て吐き捨てるようにこう言った。

「居住証明書!!」
げげっ!!まだそれが要るんですかいな(>_<)!!

もうホントにヘコみそうである。
昨日届けたのはShaの住所だったのだがそれをメモしていない。
電話をしても電源が入ってないとアナウンスされる。

でも考えてみたら彼だってどうせちゃんと届け出なんか出してないんだから実は何の役にも立たない・・・
かくなる上はこのためだけに本当にホテルにチェックインするか・・・
それにしてもこの子供銀行のようなぺらっぺらの臨時パスポートが本当に身分証明書になるのか?!!

考えろ!考えろ!!・・・

そこで思い出した。
Facebookを見て心配して電話してくれた北京在住の日本人Fさんがいたではないか!!

さっそく朝っぱらから電話で叩き起こして住所と所轄派出所名を聞く。
試しにその書類だけ出して見ても
「証明書!!」
と言ってまた突っ返されるので仕方がない、
Fさんとその派出所で待ち合わせをして一緒に証明書を発行してもらう。

そのままそれをカウンターに叩きつける。
その後、写真を撮って貼り付けたりいろいろカウンターをたらい回しにされたりしていよいよこれでOKかと思いきや、

「それで?あんたいつ帰るの?」

ここでワシはブチ切れる。
「いつ帰るってあーた!!今朝の飛行機で帰る予定でしたがな!!
帰れるんやったら帰っとるわい!!
いつ帰る?こっちが聞きたいわい!!いつ帰れるんじゃい!!」

とりあえず口喧嘩は声の大きなもんの勝ちなので、
これには相手もビビったようである。

「最速で1月1日かな・・・」

1月1日はどうせ休みやからヘタしたら休み明けの4日にもらって5日戻りになってまうやないのー!!!

怒ったらあかん!
怒ったらあかん!!

今度は泣いてみる。
「子供が病気でどうしても明日帰らないかんのですぅー」

まあ色男に甘えられたらお姉ちゃんも悪い気はしないだろうが、
こんなオッサンに甘えられたらそれはキモチワルイだけである。

しかしそれが良かったのかいきなり態度が軟化した。
「ではこちらの書類に何故早く帰国せねばならないかの理由をお書きください」

「孩子生病很着急要回国」

書類をしげしげと見てるお姉ちゃん・・・
ドキドキしながらそれを見つめるワシ・・・

「12月31日の朝にビザが出来ますのでその午後か夜には帰れます」

やったー!!
小躍りするワシにお姉ちゃんがまた水をさす。

「んでどの便で帰るの?チケット番号は?」

あーた!!今やっと帰れる日取りが判明したんやからチケット番号なんかあるはずないやん!!

「ほなチケット取ってからもう一度おいで」
ギャフン(>_<)!!!

もう参りました!!
私が悪いんです!!
日頃の行いが悪いからこんなことになるのです!!
来年から人が変わったほどいい人間になりますから頼むから帰らせて下さい!!!

ワシはすぐさまいつも使ってる航空会社に電話してチケットを押さえ、
その電話をそのまま渡すが
「チケットがないと申請出来ない」
と突っぱねられる。

チケットなんて今日び全部電子チケットでんがな・・・

途方に暮れるがふと思い立つ。
電子チケットということはメールが送られて来る。
そしたらそのメールを印字すればいいのではないか・・・

メールを印字する手法は昨日既に確立してしまっている。
困難は人間を強くするのだ。

神だのみで全部の書類をまた同じカウンターに叩きつける。

ポンポンポン・・・
お姉ちゃんは無表情に書類にハンコを押し、
黄色い書類をぽんと投げて渡した。

「これを31日の朝一番に持って来ればワシはその夜には帰れるんやな!!」
何度も何度も念を押した。

大きなどんでん返しさえなければ
(それがあるのが中国なのだが・・・)
ワシはやっと31日には帰れるはずである。

ただ考えてみるに、
これがワシではなく普通の旅行者、
特に中国語が喋れなかったり現地に友達がいなかったりしたら、
果たしてその人はいつになったら出国出来るのだろうか・・・

海外旅行をする人はくれぐれもパスポートを盗まれないように・・・

Posted by ファンキー末吉 at:14:02 | 固定リンク

Wingの結婚式

ワシが今回中国に来たのは何もドラムクリニックのためばかりではない。
20年来の親友である彼の結婚式に参加するためでもある。

Wingとは本当にいろんなことがあった。

最初に会ったのは彼らBEYONDが日本で活動するようになった時。
所属事務所のスタッフから紹介されて一緒に飯を食いに行った。

共通言語の中国語が喋れるということもあり、
ドラマー同士というのもあり、
それから1年はいつも一緒にバカなことばっかやって騒いでた。

そんな中、BEYONDのボーカルの黄家駒が日本のテレビ局の事故で死んだ。

ワシは香港に帰る彼らと一緒に葬式に参加して失意の中の彼らを少しでも支えてあげようと努力した。

それからしばらく3人で活動していたBEYONDも活動停止し、
個人活動に入った頃の彼が人生で一番大変だった時期かも知れない。

そんな彼に追い打ちをかけたのが彼の婚約者の死である。

2002年10月1日夕方、
香港の彼の自宅の浴槽にて彼の婚約者が死んでいるのを彼自身が発見した。

BEYONDは今年で結成20周年を迎え、
10周年目はボーカルの黄家駒が不慮の死を遂げて
何の大きな10周年記念活動も出来なかったので、
今年こそは活動停止中のみんなが集まって何かやりたいねと言ってた矢先である。

失意のどん底にある彼を慰めるためにワシはまた香港に飛んだ。
(その時の様子はこんな感じ)

自分もどん底の時もあっただろうし人のどん底を見ることもあるが、
あの時の彼ほどどん底はない。
10年に一度、彼は一番大切な人を失っているのだ。

たまたまワシはその直後に彼の日本での小さなライブツアーをブッキングしていた。

こんなことになるなんて夢にも思ってなかったので
「久しぶりだし日本に遊びにおいでよ」
ぐらいの軽い気持ちだったので、
「キャンセルしていいよ。こんな状況だし」
と言ったのだが、彼は小さな声でしかも力強くこう言った。

「行くよ、歌うよ・・・」

バンドが解散してドラマーがドラム台を降りて前に出てきて歌を歌うなんてちょっと考えても無理な話である。
事実彼のそれまでの低迷がそれを証明している。

ところが結果的にその事件後初の彼のステージとなったそのライブは素晴らしいものだった。

黄家駒の遺作となった「海阔天空」歌う前に彼はこうMCした。

「これは黄家駒の残した素晴らしい曲です。
僕は彼ほどはうまく歌えないけど、
黄家駒・・・天国でそれを聴いて笑わないでね」

客も何人もいない各会場で、
彼は黄家駒や婚約者に向けて歌を歌っている。

「いやー・・・Wingって素晴らしいボーカリストやねえ・・・」
ベースを弾いてた和佐田がその歌に恐れ入ってた。

それからBEYONDは再び再結成して3人で過去の歌を歌い回した。
ワシは今でも彼の歌が一番好きである。

彼は再びスターダムに返り咲き、
今では立派な「歌手」として中国全土をツアーで回っている。

人生いい時もあるし悪い時もある。
今回彼に呼ばれたのがまた悲しい出来事ではなく、
こうしてメデタイことなのだから言うことはない。

ワシは大使館から結婚式場に直行した。

着の身着のままである。
そりゃそうだ、荷物を全部盗まれた上に着替えに帰る時間すらないのだ。
風呂にも入ってなければパンツも替えてない。

まあ中国では結婚式も葬式も正装ではなく普段着なので、
少々クサいかも知れないが間に合わないよりマシである。

WingWedding.JPG

結婚式は盛大に行われた。

中国式に新郎からは新婦の両親に、
新婦からは新郎の両親にお茶を注ぐという儀式があり、
その時にふと思い出した。

そうかぁ・・・あのお父さんはもう亡くなってたんだな・・・

いつぞやの彼のツアーで
「今回のギャラはしばらく待ってくれないか」
と言われたことがあった。
「お父さんが死んだので、できる限りの葬式を開いてやりたいんだ」
と言っていたなぁ・・・

人生にはいろんなことがある。
いいことも悪いこともたくさんある。

ワシがパスポート盗まれたことなんか、
人生のひとつの笑い話にしか過ぎないのだ。

Posted by ファンキー末吉 at:12:39 | 固定リンク

パスポート紛失!!その2日目の続き

北京市内は渋滞が問題になっていて、
政府は曜日によって市内を運転できる車のナンバーを制限したりいろんな対策をしているものの、
「うちの車この曜日には運転出来んのやったら、
しゃーないな〜もう一台買うちゃろ!!」
という富裕層も多く、依然として何の解決にもなっていない。

列車が着いた北京西駅から出入国管理局までがまた大渋滞のルートなので、
タクシーを拾おうにも皆乗車拒否である。

仕方ないので地下鉄を乗り継いでやっと最寄りの駅まで行って、
道行く人に最寄の派出所を聞くのだがまたこれが遠い!!

北京の冬は湖南省よりもはるかに寒く、
「身を切る思い」というのはこのことである。

やっとの思いで派出所に着いて、
「パスポートを落とした」
と告げると、
「パスポート番号は?」
と相変わらずの共産主義仏頂面でつっけんどんに返される。

だいたいそのパスポートを無くしたんだから番号なんて分かりようがないようなもんだが、
そこはそうそうこれだけこちらでいろんなやり取りをしてるとiPhoneの中にそのデータぐらいは残っている。

パスポート番号を告げると、
「どこに泊まってたの?検索するから!」
と言う。


そう言えば法律が変わって、
外国人は入国して24時間以内に居住先を届けねばならなくなってると言う。

ワシが住んでいるスラム街は外国人が住んではいけないところなので、
ホテルに宿泊記録が残ってないワシは「法律違反」ということになる。

「何言うてまんねんな!
ワシはこっち着いてすぐに湖南省に行きましたさかい
こっちでは一泊もしてまへんがな!!」

などと苦しい言い訳をするのだが、
そんなもの湖南省のホテル情報からパスポートナンバーを検索して、
入国記録と照らし合わせたらすぐにバレるウソなのであるが、
拍子抜けにそのウソがすんなり通る。

データベースが繋がってなくて北京から湖南省のデータは検索出来ない、
もしくはアメリカのように連邦制に近いのかも知れない。

ともあれ、それなら湖南省で既に盗難届を出していることはバレないわけだ。

ひと安心した途端に
「じゃあ今日の宿泊先は?!!」
ちゃんとホテルを取って宿泊先を確保してから来いと言うのだ。

既に午後3時を回っていて、
そんなことしてたらとてもじゃないが役所が閉まる5時までに手続きが終わるはずがない。

ワシはふと隣でぼーっと突っ立ってるShaを見た。
「こいつです!!こいつんとこに泊まってます!!」
Shaはいきなりのことで一瞬驚きはしたが、
すぐに気がついて話を合わせてくれた。

彼の住所を登録して無事手続き完了!!
また同じ道を歩いて出入国管理局に向かう。

窓口の係員はどこでも一緒でここも相変わらず無愛想である。

「じゃあパスポートのコピー出して!!」
なんて言われたってそのパスポートを紛失してるんだから出しようがないじゃろ!!!

という前に考えろ!!
先日の北朝鮮渡航の際にパスポートコピーのやり取りをしてただろ。
メールしてそれを送り返してもらう。

「ほら!!」
iPhoneに表示されたパスポートコピーを鼻高々に見せるが、
「ちゃんと印字して持って来い!!」
と突っ返される。

iPhoneから印字・・・iPhoneから印字・・・

そうだ!!近くのコピー屋とか写真屋とか、
そこには必ずパソコンがあるから、
そこに行ってそのパソコンにメールして印字すればいい!!

寒空の中またコピー屋を探して彷徨う。

しかしこれがワシじゃなくって普通の旅行者だったらどうなるんだろう・・・
ましてや中国語が出来ない人がパスポートを紛失して、
宿泊先はと言われてもパスポートなしではホテルにも泊まれず、
パスポート番号はと言われてもわかるはずもなく、
ましてやそのコピーを提出しろと言われたってそりゃ物理的に不可能じゃろう・・・

何とかコピー屋で印字してもらい書類を提出して大使館に駆け込んだのが5時ぎりぎり。
何とかここまでは間に合ったのだがここでもらった臨時パスポートとやらをまた出入国管理局に持って行ってビザをもらうのはもう今日は間に合わない。

「まあいい、泣いても笑っても明日朝いちでこれを持って出入国管理局に行けばもうそれで手続きは終わりじゃろう」

その考えが甘かったとまた打ちのめされるとは夢にも思わず、
ぺらっぺらの子供銀行のような臨時パスポートを持ってワシは大使館を後にした・・・

Posted by ファンキー末吉 at:10:43 | 固定リンク

パスポート紛失!!その2日目

パスポート遺失届は出したのであとは大使館に行って臨時のパスポートを発行してもらい、
その後に中国の出入国管理局に行ってビザを発行してもらって帰国ということらしい。

また列車の中でこれらを調べること自体が非常に大変である。
充電器は1個しか持ち歩いていないため、
iPhoneはパソコンから充電しようとか、
ネットにはなるだけiPadで接続してとかいろいろ考えていたのだが、
そのパソコンもiPadも盗まれてしまっている。

facebookやTwitterなど見てる場合じゃないのだが、
何か情報はないかと思って見てみると、
いろんな人がいろんな情報をUPしてくれてわかったことだ。


6時頃目が覚めたらまだ鄭州だった。
となりで寝ているShaの話では10時には着くと言うので、
まあ起きてても仕方ないので二度寝する。

しかしこの時に気がつくべきだった。
「鄭州から北京まで4時間で行けますか?
飛行機だって2時間かかるんですよ!!」


電話が鳴った。
取ってみると大使館からであった。

「パスポートを紛失なさったそうで」

今にして思えば不思議である。
なぜ大使館がこのことを知っているのか?
そして何よりどうしてワシの電話番号を知っているのか?

しかもかけて来たのはワシの日本の番号である。

以前ワシは日本大使館と全面戦争覚悟でこんな書簡を送りつけたことがある。
(実際には書簡を託した人がビビって渡さなかったのだが、
ここまで大きな問題になってしまって大使館の人もワシのブログでこの書簡を見ることとなったと聞く)

敵対してるとばかり思っていた大使館の人のこんなにも優しい対応に心暖かくなりながら、
「10時には北京に着きますから着いたらすぐにそちらに向かいます」
と言って電話を見た。

もう10時過ぎとるではないかい!!!

隣で寝ているShaを叩き起こして聞いてみる。
「この列車は10時に着くんとちゃうんか?!!」

Shaは慌てて車掌さんに聞きに行った。
帰って来た時の彼の表情が忘れられない。
バツの悪そうな顔をしながら、
「着くのは2時だそうだ。悪いな、ファンキー・・・
そうだ、食堂車行こう!!
昼飯でも食って、そいでビールでも飲もうじゃないか・・・」

ワシは中国ではいろんな経験をしているが、
共通して言えるのは「没办法(MeiBanFa)」
つまり「アカンもんはアカン!!しゃーない!!」である。

イライラしてもアセっても、着かないものは着かないのである。

ワシは大使館に電話を入れてその旨を伝えたが、
電話を切ったらまた折り返し電話がかかって来た。
先ほどの担当者である。

「現地で取って来た書類はどんな書類ですか?」
ワシが内容を読み上げると担当者は困ったようにこう言った。

「その書類ではダメです。
出入国管理局が発行するパスポート遺失届が必要なのです」

「ほな北京着いたらまずはその出入国管理局とやらに行くということですね?」
と聞くと担当者は更に困ったようにこう言った。

「必ず盗難届を出した管轄の出入国管理局で届けなければダメなのです。
管轄が違うと受付けてくれません・・・」

パスポートがない身で飛行機には乗れず、
列車に12時間揺られてやっとここまで来てるのに、
同じ思いをしながらまた現地まで帰れ、と・・・

茫然となってるワシに担当者は言った。

「それでは今持ってる届出のことはもう一切忘れて下さい。
北京に着いたらまず派出所に行って、
今"北京で落とした"と言って遺失届を出して、
その足で出入国管理局に行ってパスポート遺失届をもらって来て下さい」

日本人なのだからもっと杓子定規なのかと思ってたら、
さすがは「中国の」日本大使館である。
やり方が「中国的」と言うしかない。

二重に盗難届を出したらオンラインでバレてしまわないか不安ではあったが、
まあ他に選択肢はない。
ワシは着いたらすぐさま派出所に向かった。

しかしそこで待ち受けていたのはそれよりももっとややこしい大問題だったのだ・・・

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2011年12月29日

パスポート紛失!!その初日

ワシは岳陽発北京行きの夜汽車に乗っていた。

岳陽ではあれから警察を呼び、被害届を出し、
パスポートなしでは国内移動もなかなかままならないので被害届の中にちゃんとパスポート番号など詳細も書いてくれた。

思えば湖南省の街はどこへ行っても寒かった。
緯度は低いのだが、それだから各部屋に基本的に暖房をつけてないのである。

コンサートホールも暖房はつけられておらず、
照明に照らされて本来とても暑いはずのステージ上でも、
子供達はコートを着込んだままドラムを叩いている。

そりゃそうだ、楽屋なんかでも平気で窓を開けっ放しにしてるんだから、
この会場と外気温の差はほとんどない。

窓ガラスを割られた車の前で調書を取られている時も寒かった。
思えば派出所に行ってこの盗難届を作っている時だけが暖かかった思い出だ。

「絶対見つかるよ!」
みんながそう言って慰めてくれる。
「中国の警察を信用しろ」と・・・・

それが一番信用出来ないんやけどな・・・(。-_-。)

まあ地元の人の言うには、
「これが中国人だったらそりゃ警察も一生懸命動かんかも知れんよ。
でも被害者が外国人や言うたら警察としても面子の問題がある。
特に担当警察官は昨日のあんたのステージを見てるんだよ」

まあ早く捕まるにこしたことはない。
ワシはこのまま北京に着いて次の日、
もしくは翌々日の29日の朝いちには飛行機に乗って日本に帰らなければX.Y.Z.→Aのファンクラブライブに間に合わないのだ。

二井原実はいつもワシにこう言う。
「ファンキー、お前にはなあ、
"強く思い込んだことが実現する"
という能力がある。
くれぐれも人を恨んだり悪いことを思いなさんなや、
ほんまにそうなってまうで」
と・・・

しかしワシはこの時こう強く念じた。
「泥棒さん、ワシの荷物を持って逃げてる時に事故に逢いなさい。
お前は死んでもええから、パスポートだけはすぐに私の手に返しなさい」

しかしその念も虚しく、ワシはこうして夜汽車に乗っている。

タイムリミットはワシが北京の日本大使館でパスポート遺失届を出すまで。
その瞬間にそのパスポートは失効し、
たとえ出てきたとしても使うことは出来ないのだ。

とりあえず寝よう・・・

夜汽車は走る。
日本大使館のある北京に向けて。

何の荷物もない手ぶらのワシを乗せて・・・

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2011年12月11日

BeiBeiについに彼女が・・・

明日日本に帰るので羊でも食べようと出かけて行った。

YangTui.jpeg

羊のもも肉を自分で焼いて食べる素敵な店である。
お供は北京の若い衆のひとりであるギタリストのBeiBei。

まあ彼は7時に待ち合わせと言えば絶対7時には来ないので、
老呉(LaoWu)の奥さんとふたりで1匹食い終わったぐらいにやっと現れた。

見れば美女をひとり連れている・・・
毎度の如く「頑張っているなあ」と思ってまたちょっかいを出す。

「BeiBeiのこと好きなの?」

たいがいこう聞くと美女は、
「そんなんじゃありません、ただの友達です」
と答えるのだが、今回はちょっと反応が違う。

なんと
「嫌いです!!」
と笑って答えるではないか・・・

まさかとは思ったが構わず2匹目の羊を食いながら、
彼女がちょっと席を立った時に説教してみる。

「お前なあ、美女連れて来てワシとばっか話し込んでてどうする!!
頑張って彼女とお近づきにならないでどうする!!」

ワシはこちらではドラマーの弟子はいないが、
BeiBeiやら張張やら、
彼らと言えば「生き様」までワシから学んでいて女性に対してはからきしである。

特にBeiBeiは毎回美女を連れて来てはこっぴどく振られているのでついついおせっかいを焼いてしまったというわけだ。

ところが今回は違う!!
「僕・・・彼女が出来たんです・・・」

まじまじとまた美女を見る・・・カワイイではないか・・・

日本の誰かアイドルに似てる気がするが名前を思い出さない。
SoftBankのCMとか映画Azumiとかで主役をしていた・・・

たしかひらがなで5文字だったと思うのだが漢字を思い出さない・・・

そう言えば検索ではひらがなで入れれば「これですか?」と漢字を出してくれることを思い出してひらがなで入れてみる。

「何を探してるんですか?」
美女が興味ありげに覗いて来るので、
「君は日本のとても有名なアイドルに似てるんだよ、
今その写真を探してるんだよ・・・

彼女が覗き込むiPhoneでひらがなを入力・・・「あやとちえ」・・・

ヒットしたのはおばはんの写真ばかり・・・
「この人が私と似てるんですか・・・」
と彼女・・・

いや別に綾戸智絵さんが悪いわけではない。
歌も上手いし素晴らしいシンガーである。

でもワシが探しているのはあなたではないのですよ・・・

苦労してやっと探し当てた「うえとあや」・・・

BeiBeiGirlFriend.jpg

ちょっと似てると思いません?・・・

BeiBei頑張るのぢゃ!!
飲みに誘ったらワシのことより彼女を気にかけて、
寝ても覚めても彼女を気遣うのぢゃ!!

まあそのうち振られるとは思うが、
頑張ればその時間を少しでも延ばすことが出来る!!

頑張るのぢゃ!!

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2011年12月10日

新聞記者と酒を飲む

院子でひとりコタツに座ってメール処理等地味な仕事をやっていた。
アホのエンジニアの隣の老呉(LaoWu)もいないので
「今晩のメシは何にしようかな」
と思っていた矢先に一本のメールが来た。

「北朝鮮のお話をお伺いしたいのですが・・・」

見れば日本の新聞社の北京駐在の方である。
こりゃうまいこと言うてメシでも奢ってもらおう!!
・・・ということで「今北京にいますよ」と返信。
すぐに返事が来ていそいそと出かけて行った。


実はこのようなメールは先月も一本あった。
東京の新聞社の方である。

新聞社の方もアホなワシのブログを見とるんやなあ・・・

とりあえずこういう場合にはワシはこう返事をすることにしている。
「ブログの中から引用して使ってくれる分には、
何か誤解を与える記事になったとしてもブログに立ち戻って誤解は解けるけど、
それをどんな人がどのように記事にするかわからない状態でいきなり取材を受けるのは、
こと北朝鮮関係においてはちょっと危険だと思ってます。
情報という点ではブログに書けない面白いネタもたくさん持ってますので、
とりあえずお会いして情報交換ということなら喜んで」

まあ例を出して言うと、
ワシのブログから
「JASRACはヤクザのみかじめ」
という部分だけを取り出して記事にされても、
ブログからの引用だと実際ワシが言いたいことは
「ワシの著作権印税をちゃんとワシに分配せぇ!!」
と言っているということは後にわかってもらえるが、
北朝鮮関係の取材をしていてその一部分をデフォルメされたらえらいことになる・・・

特に「よど号」関係な・・・(笑)


東京の新聞社の方とはその話で盛り上がって、
その人の情報ソースである「宿命」という本をわざわざ送って来てくれた。
非常に面白い本で、ワシは700ページ近いこの本をもう2回も読破している。

まあ「メンドクサイ性格」と思われている(知られている)のか、
幸いブログの言葉尻を取ってあーだこーだ文句を言う輩は今のところいないが、
とりあえず浅はかな知識で文句を言って来るような輩がいた日には、
そいつの家まで行って延々論破出来るだけの知識だけは蓄えている。

北朝鮮と関わり合うのは大変なのじゃよ・・・


というわけで今回、
北京駐在の日本の新聞社の方ということで、
これが想像以上に楽しい食事会となった。

彼は朝鮮人民の立場で物を考える人で、
情報交換どころか逆にいろんな有益な情報や考え方を教えてもらって非常に感謝!!

ワシははっきり言って「マスコミ」は嫌いである。
でも「ジャーナリズム」は別やな。
(果たして今の日本のメディアにどれだけ「ジャーナリズム」というものが残っているかは別にして・・・)

まだふたりの新聞記者としかお会いしてないが、
どちらも「この人ならいい記事を書いてくれるのでは」と思わせてくれる人だった。

夕べはどうもごちそうさまでした。

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2011年11月29日

Wyn Davisと私(その2)

スタジオを作ろうと思い立つ数年前から北京でスタジオミュージシャンの仕事を始めた。

日本では「ミュージシャン」というよりは「芸能人」というイメージが強いのか、
それでもいくつかの仕事には呼ばれて行ったことがあるが、
北京に移り住んでからのあの「売れっ子ぶり」とは比べ物にならない。

「爆風スランプ」など知りもしない中国人は、
色眼鏡なくワシのことを純粋に「腕のいいドラマー」だと評価してくれた。

しかし困ったことにドラムをちゃんと録れるエンジニアがいない。

「マイクは何を使ったらいいの?」
とか
「角度はこのぐらいか?」
とか、そんなことワシに聞かれたってわからんわい!!
ってなもんである。

中国人のおかしな物の考え方で、
「このぐらいドラムが叩けるんだからそれぐらいのことは知ってるだろう」
ということなのだが、
日本では全ての「プロフェッショナル」には「職人的分業化」が進んでいて、
「ワシはドラムを叩く人、エンジニアはそれをいい音で録る人」
ということで当の本人はマイク選びや立て方なんぞ知るよしもない。

仲のよいスタジオのエンジニアとは、
徹夜でマイク選びや立て方を一緒に研究したりしたこともあったが、
「料理はセンスだ」という言葉があるように、
レコーディングこそまさに「センス」である。

そこで非常に役に立ったのが「あの時食べた極上の料理」、
すなわちWyn Davisのドラムサウンドだったのである。

いろんなプロデュースの仕事も多く、
バンドものの時には総合的なバンドサウンドも全てWynのそれをイメージした。

そんなこんなでいつの間にか、
ドラムは叩くわマイクは立てるわ、
挙げ句の果てにベースやギターの録音まで手伝ってやるような変な生活が始まることとなる。

「何でも出来るは何にも出来んと一緒やでぇ、ほんま・・・」
と苦笑いするワシに二井原は笑いながらこう言った。

「何言うてんねん、ホンマに何にも出来んに比べたら全然ええで」

確かに現実的に外国人であるワシが
地元の人間の仕事を取ってまでのし上がってゆくにはこのぐらい出来てイーブンだったのかも知れない。

そんな中、バンドのレコーディングの中でもバジェットのある
零点(ゼロポイント)をプロデュースした時にはWynにミックスを頼んだ。

我が師匠は快く「中国値段」でミックスを引き受けてくれたが、
1枚目のレコーディングの時には録った音に対して容赦ないダメ出しが来た。
現地のエンジニアが録った音に対してもワシにクレームが来る。

「だってお前がプロデューサーだろ?!!」

試行錯誤をしながら何とか零点(ゼロポイント)の次のアルバムを録って、
LAの彼のスタジオまでミックスに行った時、
彼はワシにこう言った。

「うん、よく録れてる!!
それがミックスにとって一番のHelpだよ。
You are a good engineer!!」

別にワシはエンジニアになろうなどと思っちゃいない。
30数年間耳元でシンバルをガンガン叩いてて破壊されている耳で
純粋に「音がいい、悪い」など聞き分けられるわけがない。
実際高音部分にノイズが乗ってたってこの破壊された耳には既に聞こえやしないのだ。

でも「いい音楽」は録ることが出来る。
「一流の味」を知っているコックは、
その味の「詰め」までは出来なくてもある程度のものが出来るのだと思った。

そんなこんなで
「アレンジの時、レコーディングの時に既にミックスのことを考えてる」
ということが大事なことなんだなということを学習して今に至る。

この爆風スランプトリビュートアルバム
18曲もの収録曲がありながらこれほどスムーズにミックスが進むのは、
ひとえにこの「師匠」の教えをこの不肖の弟子が忠実に守っているからである。

「師匠」は相変わらずミックスの合間に難しいミックスの奥義を教えたり、
誰も知らないProtoolsのショートカットを教えたり、
でもそのほとんどはもう右耳から左耳に流れてしまっている。

師匠!!プロデュース仕事はもうこの辺まででいいんです。
しばらくドラムを叩いてないんで今はちょっとドラムが叩きたくてうずうずしている頃なんで・・・(笑)

Posted by ファンキー末吉 at:15:20 | 固定リンク

2011年11月 7日

外国語で歌うということ

そう言えば昔よく
「中国語で歌を出したいんですけど」
と有名歌手から相談を受けたりしていたが、
「何言うてるんですか、
中国人が先に中国で成功したいのに
中国語も喋れないあんたがそれを押しのけて成功するわけないでしょ!!」
といつも言ってて嫌われたのか最近とんとそういう相談がない。

二井原実という隣人がいるが、
彼は英語も喋れなかったのにアメリカに打って出て成功した。

まあ喋れなかったと言うと語弊があるかも知れないが、
メンバーより先にアメリカに渡って英語学校に通い、
まあ「自分は人よりは喋れる」というレベルになってから。
ネイティブの歌唱指導を受けて英語の歌を歌うのは相当大変だったらしい。

「今のは音程はよかったが発音が・・・」
とか、
「今のは発音がよかったがリズムが・・・」
とか、
とどのつまりは
「今のは音程も発音も全部よかったが、
心なしかニューヨーク訛りなんだな。
メタルだからやっぱLA訛りで歌ってもらわなきゃ」
で二井原は諦めた。

「何度でも歌いますから、
マグレでいいからそちらで選んで下さい・・・」

こうして1行にまる一日、
1曲にまる3日間かかったりしながらラウドネスのアメリカデビュー盤は完成したと言う。

今日は昼間は紅焼肉楽隊のドラムレコーディングをしてから
夜はWINGの歌う「神話」をレコーディングした。

別にWINGが日本に進出したいわけでもなんでもない。
ただワシに頼まれて爆風スランプトリビュートに参加してくれただけの話である。

BEYONDは日本語の歌も出していたし、
彼自身もコンサートで日本語の歌も歌っていたので大丈夫かと思ったが、
これが想像以上に大変やったな。

中国人にありがちな濁点のあるなしの間違いや、
広東人が苦手な「L」と「N」の違いや、
発音っつうのはそういう耳で聞くとなかなか大変なんやな、これが。

ひとつ面白かったのが、
ワシが一生懸命ディレクションして正しい発音で録り終えた時に、
彼はこう言ったのである。

「僕、間違えてるよ。だってサンプラザはそう歌ってないもん」

神話のオリジナル盤を取り込んでお手本として流しながらレコーディングしているのだが、
たしかにその部分、WINGは「ボク」と歌って、
発音は正しいのに自分が間違いだと言ったが、
実際聞いてみると中野は「ボキ」とか「ボキュ」とか歌っているように聞こえる。
(一番のサビ前「僕たちは泣いていたね」の部分)

まあ外国人に指摘されるまでわからないぐらいそれはあまりにも「自然」なので、
おそらくそれに気づいた日本人は今まで皆無であろう。

そう、もともとそういうことばかりを考えて歌を録ること自体が間違えているのだ!!

歌は「心」なのであるからして、
発音が「気にならない」ぐらいの「歌」を録ればそれでいいのだ!!

と思いつつ結局数時間もぶっ続けてレコーディングしてしまった・・・

まあその甲斐あって素晴らしい「神話」が出来上がったと思う。
皆様、くれぐれも重箱の底をつつくような耳で発音を聞かないように!!

日本に帰ったら時間を見てサイトにUPします!!

WINGさん、ほんまにご苦労様、本当にありがとう!!

Posted by ファンキー末吉 at:03:31 | 固定リンク

2011年10月20日

ついでに四方山話

中国人で嫌いな人というのはあまりいない。

こんな性格だから人に騙されたりもするが、
日本人にはヒドい目に合わされたことはあるが不思議と中国人にはない。

まあ「いけ好かないヤツ」と言えばまず挙げるのがひとりのモニターエンジニア。

零点(ゼロポイント)スタジアムコンサートのサウンドチェックの時、
モニターから突然何も聞こえなくなったので一生懸命ジェスチャーで伝えていたが、
今度は突然爆音で鳴ったので慌ててまたジェスチャーで伝えた。

「何やってんだよ〜」
とその後彼に言うと
「そりゃ器材の問題だ!!俺のせいじゃない!!」
と胸を張られたのには非常に腹が立った。

そんなヤツがワシよりも高いギャラで仕事をする大御所なのが気に食わない!!
(金が絡むと人間突然心が小さくなるのよ・・・笑)

それから若い衆と飲んでるとよくこんな話をする。

「お前ら間違ってもあんなヤツにはなるなよ。
日本のエンジニアを見てみろ!!
X.Y.Z.→Aで100本ツアーを廻ってた吉田くんなんて、
毎回毎回ライブが終わると必ず楽屋に来て、
"今日はモニターどうでしたか?"と聞く。
例え小屋の器材が悪くったって絶対そんなせいにしない。
それが"音楽"ってなもんと違うか?!!」

「爽子(Shuangz)」のライブの打ち上げでまた別のいけ好かないヤツと会った。

映画音楽家Yはもともとはとあるバンドのキーボーディストとして知り合ったが、
2006年に「予算がないんです〜」と泣きつかれて映画音楽を担当した
「疯狂的石头(クレイジーストーン)」の最終音入れの時に監督が連れて来て再会した。

監督の要求は高く、
結局いくつかのBGMは作り切れないということで監督が彼を呼んだのだ。

結局彼が作った部分はほんの少しなのだが、
クレジットには「音楽」というところにワシと共に彼の名前が載っている。

まあ今にして思えば監督の音楽に対する要求はそれはそれは高く、
ワシは何度も直しをし、それを何度も監督に聞かせ、
彼の場面においてはそんな作業を彼もやってくれるかと思ったら、
まあ中国人にはよくあるのだけれども
「電話に出ない」「メールを返さない」
で結局ワシが全部やった。

まあいい。
ワシが音楽監督なのだからそれも含めて全て「ワシの音楽」である。

怒濤の如く音楽制作が終わり、
その映画は結局中国でタイタニックを上回るほどの動員記録を樹立した。

ワシは一躍「映画音楽家」として時の人となったが、
その後年に数本の映画やドラマの音楽をやる生活に突入する羽目になり、
スティックではなく毎日マウスを握る生活が嫌になって日本に逃げて来た。

YもYでその後いろんな映画の仕事をやったのだろう。
そのひとつの大型映画がまた大ヒットして、
今ではトップクラスの映画音楽家となった。

まあそれはそれでいい。
その後彼は会社を立ち上げ、
10人の若い衆に音楽を作らせ、
それを自分の作品として仕事を量産していると聞く。

まあワシとてその後、
張張(ジャンジャン)やら若い衆と映画音楽をやったりしているが、
根本的に違うのは、
「俺は別に映画音楽家になろうと思っているわけでもない。
お前がこの仕事を将来やりたければ、
これをチャンスだと思って頑張れ!!
監督とはお前が打ち合わせをしろ!!
気に入られたら後はお前が自分の仕事としてやっていけばいい」
というところである。

若い衆のうちひとりは北京オリンピックの閉幕式の音楽(の一部)を任されるなど、
今では音楽家としてトップクラスに躍り出たのもいるが、
相変わらずワシはこのままである。

ワシはYと違って「人の上前をはねる」ということが出来ないのだ。

この日、打ち上げに現れた彼の服装が気に食わなかった。
ブランドもののシャツにゴールドのネックレス、
ブランドもののバッグに腕時計。
それにスーツではなくGパンを履いているところが
「これは普段着ですよ。いつも普通にこれを着てますから」
という感じで腹が立つ。

またそのGパンのベルトがブランドものっぽいのがトドメである。

だいたいこのアンダーグランドのラッパーの打ち上げに、
そこまでブランドもので着飾って来る必要があるのか?
みんなTシャツにジャージ(ラッパーやからね)、
「ロック」なんだからスタッフだってスーツ着てるやつもおらんぞ!!

ワシも中国のスター達に知り合いも多いが、
ヤツらが公の場に姿を見せる時にスーツなので着飾るのはわかる。

でもお前は「裏方じゃろが!!!」

まあ「金」のことになると人間心が小さくなってしまうので、
ひょっとしたらこれは完全にワシの「ヒガミ」なのかも知れない。

でも昨日行ったジャニーズの芝居、
IkemenDesunePoster.jpg
を見て改めて思う。

汗みどろの稽古をして来た若きジャニーズのスター達、
それに携わる本当に演劇を愛するたくさんのスタッフ達、
そんな人達と彼はやっぱ「何か」が違う。

人間どう生きようが人の勝手なのでワシがとやかく言うことではないが、
ワシはやっぱり「こういう世界」で生きて来たし、
「こういう世界」でずーっと生きてゆきたいと思うから、
「こういう世界」の人間の方が一緒にいて居心地が良い。

舞台「美男ですよ」
11月末まで全国廻りますので行ってやって下さい。

http://www.ikemen-desune.com/

素晴らしい舞台でした!!
(私は楽器指導として少しだけご一緒させて頂きました)

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2011年10月16日

「爽子(Shuangz)」のライブ

ShuangzAndFunky.jpg

中国のラップ歌手「爽子(Shuangz)」のライブに参加して来た。

仕切りも何もあったもんじゃない。
一昨日着いてから誰も「何時にどこに行け」という連絡すらないのだから・・・

まあこのままばっくれたところで罪はないが、
やはりちゃんと調べて自分で行ってしまうのがワシである。

着いたらドラムセットがふたつ置いてあった。

ShuangzFaBuHui2Drums.jpeg

聞けば3人のドラマーが代わる代わる叩くと言う・・・

しかしドラムセットはあってもシンバルが1枚もない・・・
「取りに行ってます」
まあこの辺はよくあることなのでいいだろう。

しかし「この曲はプログラム聞いて叩いて下さい」と、
ぽんとiPod touchを渡されるのはどうしたものか・・・

ShuangzFaBuHuiProgram.JPG

音響スタッフに言ってミキサーは持って来させた。
PAにつなぐべきシールドもあった。

しかしヘッドホンがない!!

「もうひとりのドラマーが持って来てるからそれを借りよう」
と言うのだがそいつのはミニジャックでこのミキサーにはつなげない。

仕方がないのでクリックでミキサーのレベルメーターが振れるのを見ながらリハーサルする。
よっぽどテクニックがなかったらこんなこと出来まへんで!!

しかし考えてみたらメーターをガン見せねばならんので譜面を見れない!!

他にも同期を使わない曲で「テンポが遅い」だの「速い」だのクレームが来たので、
「よっしゃ!!全曲クリック聞いて叩いてやる!!」
とイヤホンをはじめ自分のシステムを取りに帰る。

まあ考えてみれば歌う人と違ってラップの人は、
テンポがちょっと速いだ遅いだっつうのはとても気になることなんやな。
でもそやったらあらかじめ言っとけよと言いたい。

リハもそこそこでシステムを取りに帰り、
戻って来た時には既に満場の客が入っていた。

客前でセッティング・・・まあこれも中国では慣れたもんである・・・

そんなこんなでやっと楽屋に着いたらプロデューサーDが現れた。
左手をいつもポケットに隠していて、
一説によると「ヤクザともめて指を切り落とされた」とか噂される謎の人物である。

「この前の会社は結局どうなったの?」
ワシは聞いた。

もともとワシは前の会社から仕事を頼まれたのだ。
しかし仕事が始まったら彼が暴走してコントロール不能となり、
最後には前金だけもらったままこの仕事は流れた。

なのにこの左手のない男はまたここにいる。
「またあんたが金出してこのアルバム作ったの?」

彼は言う。
「あいつは俺にしかコントロール出来ないからな。
でもそれもまたロックだろ?」

まあワシはそんな輩と直で仕事をやる気はないが、
誰かがちゃんと金を払ってくれれば逆に相手がどんなヤツでも構わない。

「実はなあ・・・」
彼は小声でこんなことを話した。

「お前の作ってくれた世界観なあ、
ありゃ全くもってニュービー(Fuckin' great!!の意)だった。
でもなあ、あいつもガキだからなあ、どうしても消化不良になっちまったんだ。
それで今回は自分たちだけでアルバム作ったというわけさ」

日本でバンドやっててもよく
「大衆はバカなんだからそんな高度なことやったって誰もわかんねーよ!!」
なんてことを言われて言い争いをして来た。

結局そんなバカな音楽しかやれない世界はイヤになって「芸能界」とやらを後にした。

爽子(Shuangz)に最初に作ったDEMOは妥協せずに高度な転調を盛り込んでいた。
ラップは基本的に同じ音程でずーっと歌うわけだからバックが絶え間なく転調すればその場面場面で色が変わる。

ただそれを理解して完璧に演奏出来るJazzミュージシャンが北京にはあまりいないというだけの話である。

この日ワシがドラムを叩くことになっている曲にはこの曲も入っていた。
それほど複雑ではないにしろサビになると転調してみんなで大合唱出来るようになっている。

それどころかアメリカ持って行ってWyn Davisにミックスを頼むとか、
基本的には全部ワシが敷いたレールに乗って全てが作られている。

しかしライブが始まってみてワシはちょっと考えるところがあった。

ShuangzFaBuHuiAudience.JPG

爽子(Shuangz)のファンは強力である。
始まる前から待ちこがれて熱狂し、
そんな熱いオーディエンスをワシは、
10年前の許魏(Xu Wei)、20年前の崔健(Cui Jian)で体感したことがある。

そんなオーディエンスが中国の音楽界を変えていった。

この日は崔健(Cui Jian)の曲を爽子(Shuangz)も歌った。
きっとプロデューサーDが彼を説き伏せて歌わせたのだろう。

彼も、オーディエンスもまだ生まれてなかった頃に、
中国じゅうの若者が熱狂した歌を、
80年代生まれの若者達がまた熱狂して歌う。

爽子(Shuangz)はそんな「大人達」のいうことを、
自分なりに一生懸命消化してここまで来ている。

ワシの作った2曲は形を変え、
それなりに彼が一生懸命に消化しながら、
やっぱライブではワシの力が必要だからワシを呼んだのではあるまいか。

アンコールに彼がネットで最初に発表した曲をやった。

最初っから最後までずーっと同じリズムとアレンジ、
そんなどうしようもなくアンダーグランドな曲にオーディエンスが熱狂した。

もともとはワシは「この曲を何とかしてくれ」と頼まれたのだ。

今なら
「この曲はどうにもならん!!このままが一番なんだ!!」
と言うだろう。

でも「大人達」は彼をもっと上に連れてゆきたいと思う。

彼をはじめ、ステージ上に立つ全てのミュージシャン、
そして客席のほとんどの若者はタトゥーを入れている。

入れてないのはワシぐらいのもんである。

爽子(Shuangz)は二の腕に両足、
背中には今の彼女の顔と全身の絵を彫っている。

「大人達」がそんな彼に未来のレールを敷く。

例えばワシが布衣羊肉麺という曲を書いた。
ずーっと自分たちの音楽しかやって来なかった彼らは最初戸惑い、
でもボーカルのLaoWuだけは最後までワシのことを信じて歌い続け、
結果この曲は今では彼らの代表曲となった。

それは例えて言うと、彼らにワシが
「階段を一足飛びに飛び越えられるハシゴ」
を与えたというだけではないのか。

「大人達」には彼らの未来が見える。
しかし爽子(Shuangz)には決してそんなものは見えはしない。

そんなもの見えてたら今の彼女の顔を自分の背中一面に彫りますか?!!

彼が見ているものは「今」だけ。
そして同じように「今」しか見られない若者達がそんな彼の歌に熱狂する。

そして彼らがまた「新しい中国」を作ってゆくのだ。

プロデューサーDは打ち上げでワシに言った。
「お前との付き合いは永遠だからな!!
こいつの二枚目と三枚目、またお前の力を借りるぞ!!」

ワシはまた彼に「一足飛びに階段を飛び越えるハシゴ」を与えるだろう。
そして彼はまた苦労して、
そのハシゴを解体して低いハシゴにしてしまい、
ワシは怒り、あきれ、あきらめ、
彼は「大人達」の思惑とは別に彼なりの人生を歩んでゆくだろう。

プロデューサーDはワシに
「こいつを中国を代表するロッカーにしてやってくれ」
と言う。

でもそれをするのはワシではない。
とどのつまりは「彼自身」なのである。

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2011年9月27日

中国のラップ歌手「爽子(Shuangz)」のその後

前回、女と手に手を取って逃げ出した「爽子(Shuangz)」であるが、
戻って来てアルバムを制作しているらしいことは聞いていた。

事務所と喧嘩して逃げ出して、
ワシはその事務所に雇われたわけだからもう手を貸すわけにはいかない。

友人のスタジオに詰めてずーっとやっていたらしいが、
結局ワシは一度も顔を出さなかった。

そんなある日、アメリカのWyn Davisからメールが来て、
「Funky、また素晴らしいアーティストを紹介してくれてありがとう!!
お前のプロジェクトなら俺はいくら安くてもやってやるから言ってくれ!!」
と、えらい感激して言うのだがとんとあてがない。

よくよく聞いてみると、
結局この「爽子(Shuangz)」のアルバムはWynんとこでTDしたようだ。

ちゃんとワシが引いたレールの上をワシなしで歩いていたのか、
と少々腹立たしい気持ちはあったが、
まあ人のトラブルに首を突っ込んでろくなことはないので放っといた。

ところがここに来て、
その昔の制作費を出したDongLinという男から電話がかかって来た。

「来月15日ヒマか? 爽子(Shuangz)の新作発表ライブで1曲叩いてくれ!!」

どうもこのDongLinという男はよくわからない。
前回は結局ワシに前金を払って本人にトンズラされたのに、
もう懲りていると思ったらまた新しいプロジェクトにも顔を出している。

いや、口ぶりではまたこれにも金を出しているのだろう・・・(不思議)

まあスケジュールだけ押さえて忘れていたら、
今日、中国のTwitterとも言われる「新浪微博」が騒がしい。

ShuangzAndFunky.jpg

【亚洲鼓王Funky末吉和爽子】
@FunkySueyoshi 在日本家喻户晓的摇滚乐队"暴风"领队鼓手,被誉为亚洲鼓王。
本次爽子新专辑中,有两首作品的旋律是老Funky亲子操刀谱写。
10月15日,爽子新专辑首唱会,Funky将作为助演嘉宾出席,鼓迷和爽磁绝不可错过。

まあてっとり早く言うと
「アジアドラムキングが爽子(Shuangz)のために2曲作曲した!!
次のライブではゲストでドラムも叩くからみんな見に来い!!」
というわけだ。

ワシのリンクがついているもんだからみんなRTしまくって、
フォロワーは増えるわRTは来まくるわ・・・

曲を聞けるリンクも貼られていたが、
最近の中国のサイトは外国のIPアドレスから曲を聞けなくしているので日本からは聞けなかったが、
まあタイトルに見覚えがあるのできっとワシがアレンジした曲だろう。

アレンジと言ってもラッパーは詞しか書かないので、
必然的にサビをつけたワシが「作曲」ということなのだろう。

中国にしてはちゃんとしている!!(笑)

まあワシにしてみれば前金をもらっているので途中で投げたその仕事をどうしようと知ったこっちゃないが、
まあワシに何も言わずにワシの引いたレールを自分のレールのように走ってたんじゃ少々面白くなかったところが、
まあいつもの中国らしく最後に全部帳尻を合わせて来る。

念のために北京のアシスタントに
このイベントはギャラが出るのかどうか電話で確かめさせた。

「何かギャラではないけど紅包は出るそうですよ」

まあ前金をもらっているので出なくても顔出しには行くが、
紅包(ご祝儀)まで出るというのはなかなか破格である。

ひとつだけ心配なのは、
X.Y.Z.→Aの「I Promise You」をラップにして歌わせようとしてたのだが、
ワシが作曲したというもう1曲がこの曲だったらワシはX.Y.Z.→Aのメンバーに申し訳が立たんぞ・・・

ま、二井原の歌が並の中国人歌手で歌えるわけないからまあありえんやろうなあ・・・

・・・と言いつつちょっと心配な今日この頃である。

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2011年9月13日

乗馬クラブに集まる大金持ち達のパーティー

気がつけば毎年参加している。
(もちろん客としてではなく演奏者としてだが)

だいたい乗馬を楽しもうと言うのだから金持ちであろう。
毎年9月の第二土曜日に試合か何かが開かれるのだ。
金持ち達が集まって、そのパーティーのためにどでかいステージが組まれ、
有名人達が客として、そして出演者として集い、
ワシのようなミュージシャンがタダ酒を飲む(笑)

この日は雨だったので「馬術館」という奥内でステージが組まれたが、
外ではやっぱ乗馬の試合が行われていた。

RichMansPartyHorseRace.jpg

ワシらは馬術館でセッティング・・・
しかし例によって仕切りが悪い!!

前の日にmp3で送られて来た曲は一応譜面にしておいたが、
いきなり見知らぬ歌手(こちらは覚えてないが向こうはやたら親しそう)から、
「じゃあファンキーさん、今日はこの曲を頼みますよ」
と譜面を渡される。

RichMansPartyScore.jpg

なんやこれ!!まるで赤本やないの!!

まあ歌手の人が一生懸命曲を説明するので、
とりあえずこれに書き込んで自分なりにシミュレーションする。

「まあリハなりで一回やっとけば大丈夫でしょう」
とタカをくくってたら馬術の試合が終わっていきなり客が入って来た。
リハも何もなくいきなりぶっつけ本番である。

進行表もへったくれも何もない。
ただいきなりステージに上がらされて、
「じゃあオープニンング曲、叩いて!!」
と言われる。

「オープニング曲って何でっか?」

言うが早いかピアニストがラテンのリズムを弾き始めるので適当に合わせて、
ある程度したら目と目を合わせてエンディング、
そしてまた何やらリズムが始まるので適当に合わせてたら司会者が出て来て話を始める。

「それでは一番目の歌手を紹介しましょう!!」
と言うので適当に終わらせてステージを降りる。

出て来た歌手は「李漠(Li Mo)」。
一夜にしてスターになった例の彼女である。

RichMansPartyLiMo.jpg

そしてバンドを引き連れて彼女が歌った曲は、
うちでレコーディングした昔のロックナンバーだった。

何故だか涙が出て来た。

「客なんか関係ない!!
私はここにいてこれを歌う!!
それだけのもんなのよ!!」

とでも言いたそうな彼女の態度がとてつもなくかっこいい。
そうだ、スターになっても彼女はいつまでもここにいるのだ!!

数曲(ワシにとっては)懐かしい曲が終わり、
バンドがステージに降りてカラオケであのヒット曲を歌う。

そうそう、この曲を否定してしまったら身もふたもない。
彼女はここにいて、そしてあそこにもいるのだから・・・

歌のコーナーが終わってオークションのコーナー。
何やらどでかい「書」がオークションにかかる。

落札額は15万円!!(約180万円)驚!!

そういや去年は白い馬が出品されて1千万とかで落札されてたっけ・・・
中国の金持ちはとてつもなく金持ちである・・・

ワシはもうこの頃からガブ飲み!!
どうせ「仕事」ではないのだ。
仕切りも悪いし、
同じぶっつけ本番だったら若いドラマーもいるからそいつに叩かせればいい!!

結局予定してた曲は1曲もやらず、
また何やらセッション風の遊びをやったっきりでイベントは終了!!
「ギャラは酒だから!!」
とばかり死ぬほど飲んで帰ったワシのポシェットにはこんなのが入っていた。

RichMansPartyHongBao.jpg

あ、一応ギャラも出たのね・・・もうちょっと真面目にやった方がよかったかな・・・(笑)
まあ来年もまた呼ばれるだろうからスケジュール空けておこう!!

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2011年9月 1日

Appleのやり方にもの申す!!

まあ別に毎日誰かにもの申しているわけではないのぢゃが、
これは前々から思っておったことなのでこのチャンスに声を大にして言っておこう。

もともとワシはAppleとかSonyとかいう会社が嫌いである。
何かっつうと「独自の方式」なんぞを作り出して互換性というのを無視する高飛車な商売・・・
パソコンも昔はVAIOを使っていたが、
CDとかを取り込むとその「独自のファイルフォーマット」とやらで取り込むのでイヤになった。

既存のMP3とかWMAとかで取り込むな!!
我が社の方式で取り込んで、
ファイルのやりとりをする相手もみんな我が社のパソコンを使うのぢゃ!!

という商売がどうも鼻について仕方がなかった。

MACももともとそうだったのぢゃが、
週刊アスキーなる雑誌のレポートのためにiPhoneなるものを買ったがために、
あれだけ嫌いだったMACに全てのシステムを移行してしまった・・・

そのおかげで我が家にはスタジオも含めて5台のMACと5台のiPhoneと1台のiPodと1台のiPadがある。

言うならばワシはAppleのお得意様である!!
Appleに頭を下げられるならまだしも高圧的な商売をやられる筋合いはない!!

まあAddobeかなんか相手に高飛車な喧嘩をふっかけてFlashが使えないのはいい。
使えないのは「製品の欠点」と言えばそれまでである。

ところが壊れた自社製品の修理がこれだけめんどくさいというのはどういう了見じゃ!!

ワシはカスタマーセンターにクレームを言う時によくこの言葉を使う。
「自分たちが楽になるために客にめんどくさいことをやらすっちゃあどんな了見じゃい!!」


事の始めはうちの3歳の息子がiPadを離さないところから始まる。

ただでさえこの親の血を受け継いでいるのだ。
取り上げようにも取り上げられるわけがない!!

かくしてワシのiPadはこの3歳の息子専用のおもちゃになってしまったのじゃが、
これがいきなり画面が映らなくなってしまった。

機械には強い方なのでいろいろ調べてみたが、
これは内部の問題ではなく液晶、もしくはそれに関係する回路がいかれているしかない。

ソフトウェアならいざ知らず、
ハードウェアまではワシの手に負える分野ではないので修理に持ち込む。

まあこの会社の方針としては
「バッタもんの修理屋には持ち込むなよ!!
純正んとこで修理しなはれや!!」
という方針なので純正のアップルショップを調べてみる。

バカでかい探しにくいAppleのサイトから修理と言うキーワードで探し、
最終的に八王子に一番近い吉祥寺店でiPadという欄に印が入っていることを確認し、
車で1時間近くかけてそこまで持ち込んだが、
「この印はiPadを売ってますという印で、
修理は全て渋谷か銀座のアップルショップに持ち込んで頂かないと
うちではお預かりで来ません」

こりゃちとおかしくないか?
「お前んとこで売ってるもんなんやから
お前んとこで預かってお前が渋谷に送ればええじゃろ」
と言うが取り合ってくれない。

どうせアップルショップに持って行ったところでその場では直せない。
必ず1週間以上待たされて戻って来るのぢゃ。

ワシは腹が立ったのでそのまま北京に持ってゆき、
前回iPhoneを直してもらった店に持ち込んだ。

iPadRepair.JPG

「アップルの優良ディーラー」という看板があるが、
おそらくはバッタもんである。

その証拠にその場でちょちょいと直してくれた。
新品のようになったiPadと、壊れた液晶部分をどどんと渡されて850元(1万円足らず)!!

iPadRepaired.jpg

ワシは昔爆風が武道館でコンサートをやった時のことを思い出した。

武道館の外ではテキヤがバッタもんの爆風グッズを売りまくっている。
ワシは事務所に言った。
「やめろと言ったってやめんのやったら、
ほな人ひとり雇ってそれぞれのテキヤからパーセンテージ取ったらええねん!!
自分ちのグッズ売上よりヘタしたら売上多いかも知れんで」

しかし事務所は聞き入れない。
海賊版のない世界でも理想なこの国で、
その御本家のお膝元でバッタもんを売る商売を、
何故その御本家が取り締まらないか今でもワシは不思議であるが・・・

そんなこんなで自分なりに結論を出した。

グッズを見てみろ!!
御本家よりもバッタもんの方がよく出来てるやないかい!!
どれもこれも安くて購買欲をそそるグッズやないかい!!
そりゃ御本家は負けるわのう・・・


Appleさん!!
ワシはもう二度とお前んとこで修理せん!!
お隣の国にはお前んとこよりもサービスのいい修理屋がいくらでもあるんじゃ!!

自分らが楽するために客に不便をかけよって、
それでも「サービス」かい!!

というわけで無事iPadは修理完了!!
しかしこれはすぐさま息子のところに行ってしまう・・・

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2011年8月30日

日本ラーメン横町in北京にもの申す!!!

うちの院子からほど近い望京というところに「ラーメン横丁」なるものが出現し、
今月だけでワシは4回行っているということは
「北京滞在の日はそこに行かない日の方が少ない」
ぐらい通っているというわけである。

RiBenLaMianStreet.JPG

初日に行ったのは「富山ブラック麺屋いろは
しかし味は美味しいのであるが残念!!スープがぬるい!!!

ワシは別に美食家でもないしラーメン通でもないが、
この「スープがぬるい」というのだけは許せない。

味がどうのというレベルではなく「手抜き」である。
スープなんてちゃんと湧かしていれば誰が碗によそったって同じように熱いんだから。

ラーメン屋の店長というのはその味に誇りを持って、
ひとつひとつ魂を込めて作っているという印象があったので、
ワシはこっそりと従業員を呼び出して中国語でこう聞いた。

「店長さんいる? もしくは日本人スタッフいる?」

別にクレームをつけようというのではない。
店長の魂がこんな下らない凡ミスで穢されているのが残念だったのだ。

ワシはきっと厨房の中から汗だくになった店長が出て来ると思ったが、
出て来たのは隣の店の日本語を喋る従業員だった。

「あれ? 日本人いないの?・・・」

仕方ないのでワシは彼に、
「味は申し分ないのにスープがぬるいのもったいないよ」
とだけ言ってその店を後にした。


次の日は「札幌みその味噌専門」に行った。

「ラーメンを食べる前にゆで卵をまず食べて下さい。
ラーメンの味が見違えるほど変わります。無料です」
と書いた張り紙があり、テーブルの上にはゆで卵がどどんと置かれている。

しかし今度は麺が少し堅かった。

厨房を見ると日本人らしき人はいない。
麺の湯で加減というのはスープに次ぐラーメン屋の「命」ではないのか?
それをここの店長は中国人にそれを任せて平気なのか?・・・


失望して次の日は「これが最後」とばかり「TETSU」に行った。
例の日本語を話せるスタッフがいる店だ。

RiBenLaMianStreetTETSU.JPG

この店も不味かったらもう二度とこのラーメン横町には足を踏み入れまい!!
そんな強い決意の下で訪れた最後の店だったのだ。

ところがこの白味噌ラーメンは絶品!!
スープまで残すことなく完食してしまった。

ふと見ると若い日本人スタッフが忙しく走り回っている。
聞けば中国語も出来ないのにひとり異国の地に送り込まれているらしい。

「素晴らしい!!あんたがいるから初めてこの味が出せたんだ!!」

RIBenLaMianStreetJapaneseStuff.jpg

ワシは非常に気持ちよく北京を後にして、
徐州に行ってそのまま日本に帰った。
そして次にまた北京に戻って来て、
さっそくまたワシはこのラーメン横丁にやって来た。

新しいラーメン屋を開拓するか、
もしくはまた再びTETSUか・・・

やはりここは冒険は出来ない。
確実に美味いラーメンを選ぶべきであろう・・・

というわけでまた同じく白味噌ラーメンを頂き、
変わらぬレベルの高さに舌鼓を打った。

例の日本人スタッフはこの日は自分でラーメンを茹でていた。
テーブルまでやって来て、
「今日は材料が思う通りに入らなくて苦労したんですけど、
スープのお味の方は大丈夫ですか?」
と聞く。

ドラムの音が毎日毎日違うように、
同じように作ったってスープの味が毎日違うというのは想像に難くない。
ましてや日本のようにマニュアル通りに材料がやって来る国ではないのだ。

誰がどのような考えでこんなところに
「日本ラーメン横丁」なんてものを作ったのかは知らないが、
誘われて日本からのこのこ出店して、
自分の「命」とも言えるその味を中国人スタッフだけに任せて日本で悠々としている他の店の店長さんの気が知れない。

それは例えて言うと
「X.Y.Z.→Aのレコーディング終わったから、
中国人さん、勝手にミックスして中国のお客さんに売っといてや」
というのと同じではないのか?

あなた達がやっていることは自分たちの、
そして日本の文化である「ラーメン」の恥を異国で広めているだけだ!!

自分で来れないならせめて彼のような素晴らしいスタッフを派遣して、
自分の命が少しでも間違いなく異国の人に伝わるように努力をせねば、
そもそもあんたたちの「命」はたかだか
「麺が堅くてスープがぬるい」ような、
例えて言うと
「チューニングも出来ないアマチュアミュージシャン程度」
だったということだ!!

ワシはこの日本人スタッフに聞いた。
「あんた休みないの?」

「はい、12月の最終日まで毎日休みなしです」

ワシは彼の肩を叩いて言った。
「今度、店終わったら飲みに行こな。是非ともワシに一杯奢らせて!!」

異国の地で誰ともわからぬ変な日本人に声をかけられて、
少々ビビりながらも「はい、ありがとうございます」とうなずく彼であった。

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2011年8月17日

戦争勃発?!!

過去、中国のロック史に残る争いとして、
歴史上一番レコードを売った黒豹の第二期のボーカリスト巒樹(LuanShu)が、
第三期ボーカル秦勇(QinYong)黒豹
そして日本のレコード会社JVCを相手取って起こした訴訟がある。

自分が歌っている音源をあたかも秦勇(QinYong)が歌っているかのように商売をしたと言うのだ。

昔の仲間を告訴するなんてことはやめた方がよい。
その頃巒樹(LuanShu)は誰にも相手にしてくれる者もいなくなり、
そんなことを知らないワシがいつものように
日本から遊びに来て彼んちに泊まったりしてたもんで、
今では
「いい時もどん底の時もずーっとそばにいた朋友」
となって今でもしょっちゅう仕事もしている。

ワシは今回北京に戻って来て、
何故か零点からリハのブッキングがないなと思ったら突然ミーティングに呼ばれ、
脱退したボーカルの周曉歐(ZhouXiaoOu)を相手に訴訟を起こすと言うのだ。

聞けば周曉歐(ZhouXiaoOu)が地方の営業の仕事で「零点」という名前を使ったらしい。

まあ例えて言うと、もし
「ラウドネスを脱退した二井原がラウドネスという名前で仕事をしたらタッカンがどれだけ激怒するか」
という感じだが、
彼らの場合はもっと流行バンドなので、
国内にふたつの零点が現れたら誰もバンドの方なんか見向きもしない。
彼らにとったら致命的に「絶対に許せない」ことなのである。

「そんなヒマあったら練習せーよ!!もっと上手くなりなはれ!!」

しかしやつらは既に訴状を用意し、
マスコミを呼び、明日宣戦布告をすると言う。

「ファンキーさん、明日から全中国が大注目する訴訟劇が始まる。
いい宣伝になるから今晩すぐ1曲アレンジしてくれ。
急いでレコーディングしてネットにUPする!!」

ひぇー!!!

まあ金さえもらえば別に急ぎの仕事でも何でもするが、
人の争いで金をもらうのも何か武器商人のようですっきりしない。

院子に帰る道すがら周曉歐(ZhouXiaoOu)方面の友達にも電話を入れる。
「零点が訴訟まで考えてるから気をつけろって伝えといて!!」

そして零点側にも「訴訟劇の最中に絶対俺の名前を出すな」と伝えておかねば・・・

こんなことに巻き込まれて敵など作りたくない。
中国の音楽界は狭い。
人と恨まれなんかしたら商売なんて出来やしないのだ・・・

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2011年8月14日

雨漏りとの戦い!!

北京ではうちのような辺鄙なところに住むのはむっちゃ金持ちか、
もしくはこの村の住人のようにむっちゃ貧乏かどちらかである。

政府はどんどんと開発を進めるもんだから、
近隣の村を潰された住人もどんどんうちの村に引っ越して来て、
小さなこの村に掃き溜め労働者が2万人もひしめきあっていると言う・・・

この村もいずれは潰される。
ということで大家はやっきになって増築ばかりやっている。

こんな話があったり、こんな話になってたり・・・)

そんなこんなもあって恐らく地盤が沈下したのもあるのだろう。
最近のスタジオへの雨漏りがひどい!!

また異常気象で暴風雨が続くのでなおさらである。
夕べも夜中に集中豪雨があった。

夜中に叩き起こされたらスタジオはくるぶしまで水が浸かっている。
ドラム等全ての楽器は退避させてあるが、
基本的にどの部屋も多かれ少なかれ水浸しなんだから始末に負えん。

「日本はこういうのって全部大家が責任持って修繕してくれるよ!!」
と言ってみると、
「中国もそうです!!
どうして僕らが自分の金で大家の持ち物を修繕しなきゃなんないんです!!」
とは言うが、ここからが中国と日本の大きな違い、
大家はどうせあと数年で潰されるんだから余計な金をかけたくないのである。

しかも胸を張って!!(笑)

詰め将棋の好きなワシはいろいろシミュレーションして提案してみる。
家賃を下げてもらうように交渉してもダメ、
じゃあ水浸しの部屋はもう使えないんだから解約するから安くしろと言うと、
その部屋に別の人間を住まわせるからダメ。

こんな水浸しの部屋に住む人間いるの?
と聞くが、この村は北京で一番貧しいスラム街なのだ。
安ければ住むやつはなんぼでもいる・・・

まあワシも言わば不法滞在の不法就労みたいなもんだから強くは言えない。
こうなったら「自分たちで」直すしかないのである。

スタジオにどうしてこんなにたくさん水が入って来るのかというと、
どうも隣の建物との間の狭い空間に多量の水が溜まり、
それが壁を伝って入って来るのでは、と。

ということで我らが老呉(LaoWu)の出番である!!

貧乏なミュージシャンは何でも直せる!!
とばかり彼はひとりその壁の間に入り込んで防水塗料を塗り付ける。

LaoWuFangShui.jpg

頑張れ老呉(LaoWu)!!我らが未来はお前の修繕能力にかかっている!!!

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2011年8月 5日

サーディンディンのアレンジ

アウェーインザライフの仕事で2ヶ月日本に滞在した張張
彼を日本に呼ぶ時にワシはわざわざ彼のお父さんの前で彼にこう言った。

「生き馬の目を抜く芸能界で、
お前が2ヶ月この北京から姿を消した時点で、
今の仕事は全てもっと若いミュージシャンに奪われてしまって、
帰って来た時には本当にゼロからのスタートになってしまうに違いない。
でも俺はお前は日本に来て勉強出来ることがたくさんあると思う。
今の地盤を全部犠牲にしても有り余る経験を俺はさせてあげられる。
北京に帰ったらまたゼロからやり直すんだ。
今の地盤にしがみついてこのまま終わっていくか、
それともそれを今全部捨ててゼロからやり直すのか、
それはお前の人生だ、お前が決めろ!!」

彼は二十歳の頃から酒場で超絶ピアノを弾いて両親を養っている。
それを知っているからこそワシは敢えて彼の父親の前でこれを言ったのだ。

彼は結局ワシの申し出を呑んで、
その結果、その仕事が終わって北京に帰って、
仕事を失うどころかよりステップアップしていろんな歌手が彼を求めた。

そのひとりが雲南の少数民族の歌手、高洪章であり、
そして今回の萨顶顶(サーディンディン)である。

あれから長らく張張は彼女の仕事をやっていることは知っているが、
今回「助けて下さい」とワシにストリングスアレンジの発注が来た。

まあ日本人にしてみたら不思議に思うかも知れないが、
ワシはもう既に中国では数十曲ストリングスアレンジの仕事をやっている。

パソコン等機械を使ってだけ音楽をやっている音楽理論の「いろは」も知らない輩が
「僕はアレンジャーです」
と胸を張っている現状に怒りを感じてワシは独学でこれを習得した。
今ではワシの生活を支えるひとつの「仕事」である。

「何でも出来るっつうのは何にも出来んっていうことやで!!」
というのがワシの座右の銘で、
だからこそ
「ドラムを極めて墓場に行きたい」
という人生を送っているのではあるが、
ある日、朋友二井原から
「何でも出来るっつうのは、ほんまに何にも出来ん人に比べたら素晴らしいことやで」
と言われてからそっち方面にも胸を張って頑張れるようになった。

張張もよほど困ったのだろう、
「この曲のストリングスアレンジをファンキーさんに頼みたい」
と言って来た。

まあワシもその辺の日本人の似非アレンジャーに比べたら経験はあるが、
所詮はドラマー、「その道のプロ」ではない。

しかし張張はどうしてもワシに頼みたいと言う。

まずは大雑把にアレンジして張張に送りつける。

「これでいいのか悪いのか?
あんましめんどくさいと俺、やらないよ?」

ワシとて「ヒマ」な人間ではないのだ。
北京のあらゆる歌手が全て「めんどくさい」人間であることは
ワシこそが世界で一番理解している「外国人」である。

彼曰く、
「いやー、ちょっとOK出ないと思いますねえ。
ちょっと昔ボツになったアレンジのDEMOを送りますから、
それ聞いてちょっと作り直して下さい」

ワシ曰く、
「そんなつもりはない!!あかんかったらお前がやれ!!
俺はもともと人助けでやっとんのじゃ!!
何日もそれに付き合うつもりはない!!」

まあそう言われれば一番板挟みになって困るのが張張なのであるが、
結局そのまま本人に聞かせたら何とストリングス部分はそのままOK!!

ただ、今までのように打ち込みを使ってバッキングを作るのではなく、
「久石譲のようにピアノでバッキングを作ってくれ」
と言う。

まあ日本のロック界でもいろいろ逸話はあるが、
ワシも例に漏れず、
「彼女は世界的な歌手なんでしょ、
久石さん紹介したげるから彼に頼めば?!!」
と無下に電話を切ろうとしたが張張は切らせない。

「ストリングスとピアノだけで全ての人が涙するように持って行って欲しいんです!!」
と涙ながらにそう言う。

中国にはワシの友人でもある「三宝(sanbao)」というその辺の大家がいる。
「そいつに頼めばぁ・・・」
と言うのだが、どうしてもワシにやって欲しいらしい。

ここまで来るとワシは専門外も甚だしい。
しかももともとワシへの発注は「ストリングスをアレンジして欲しい」ということで、
それがOKになってるのだから仕事は終了!!
早くギャラくれ!!飲みに行く!!てなもんである。
ピアノだ何たらワシへの発注外であるし何より「専門外」である。

ところが張張が作った何バージョンものDEMOが全部ボツになる中、
ワシが作ったDEMOがその歌手本人の琴線に触れたらしい。

「あなたの作ったストリングス、ピアノ、全て素晴らしい!!
願わくばイントロもそれでやって最後のサビもそれをやって欲しい!!」

まあこのように書いていれば、
日本の皆さんは「え?末吉さん凄いなあ」と思うやも知れないが、
何のこっちゃない、中国は「採用されて初めてギャラ」なので、
とどのつまり「いいように使われてるだけの話」である。


聞けば彼女は中国の歌のコンテストでグランプリを取って、
流行歌でデビューして成功せず、
流行のディスコを歌って成功せず、
ルーツに戻って民族音楽を歌って世界的に成功した。

だから「変なアレンジャー」に自分の人生を任せるつもりはないのだ!!

彼女は僕にこう言うんですよ。
「この曲はね、私がモンゴルの大草原に行って作ったの。
あの感激をね、メロディーにして歌ったの。
だからアレンジも同じ感動にして欲しいの」
もうやってられませんよ。

大事なのは彼女の「気持ち」を理解してあげること、
そしてそれを「表現」してあげること。

「久石譲のように」と言っても、
本当に久石さんを呼んで来たところでそれが出来るものではないのだ。

彼女はとにかく歌が上手い。
DEMOのボーカルトラックを聞いただけで涙が出て来る。

人にはそれぞれ「人生」がある。
それをどうやって表現してゆくかは人によって違う。

奇しくもワシはドラムによってそれを表現し、
彼女はそれを歌によって表現した。

とどのつまり「同じ」なのである。

最終的にどうなるかはわからないが、
とりあえずワシは明日命がけでこれを完成させる!!

それは彼女のためでも張張のためでもない。
「このミッションがワシをまた高い所に連れて行ってもらえるなら」
それにまさるものはワシの人生にはないのだ!!

こんな素晴らしい「音楽家」が間接的ではあれワシに助けを求めてて、
ワシが明日一日頑張って、もし彼女がまたそれを「素晴らしい」と言ってもらえたら、
それはひとりの「音楽を愛する者」としてこんなに素晴らしいことはないのではないか!!

そんなことを言いながら、
今日は酔っぱらったのでもう寝る。

明日ちょっと一生懸命やってみようと思う!!

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2011年7月24日

零点(ゼロポイント)のリハーサルは続く・・・

今回で3回目になるのか?
演奏レベルもちょっと上がって来て、
何とかぐしゃぐしゃにはなりそうになるものの最後までいけるようになった。

何よりもみんなの顔色が変わった。

「有点儿意思!!(ちょっと面白いね)」
とみんなが口々に言う。

階段を一歩踏み出した実感がそう言わせるのか、
久しぶりにバンドで音を出した感触がそう言わせるのか、
おそらくその両方であろう。

彼らは「バンド」であった頃を思い出して来ているのだ。

ワシはギタリスト席にいるのでいつも大毛をこう言って励ます。
「上手いじゃない。こんなにテクニックがあるなんて思わなかったよ」

もともと彼らは成功する前は実力派のバンドだった。
しかし莫大なあぶく銭が、あの芸能人の生活が彼らをダメにした。

思い出すんだ!!あの頃を!!

モンゴルの片田舎からみんなで出て来て、
北京の院子に住んで一緒にカップ麺をすすりながら、
箱バンの仕事をし、オリジナルを作ってはレコード会社に売り込んだ。

「あの日に戻ってやり直そう!!」ただそれだけのことなのだ。

「若い頃はねえ、怖いもの知らずだったから何でも弾ける気になってた。
でも大人になったら実は弾けてないことがわかったんだ」
と大毛は言う。

みんなそうなんだよ。
それに負けたらもう楽器は弾けない。
それを乗り越えるのよ!!

ボーカリストはとくとくとワシにこう言った。

「最初にこのアレンジをもらった時にはね、
まるで陌生(見知らぬものの意)でね、
こんなものが自分たちがやってどうなるのかさっぱり見えなかった。
でも実際にやってみたらちょっとずつ分かって来た。
昔ツイジエン(中国ロックの創始者)だって、
最初に作った曲は全部当たり前のコードだったけど、
そこに外国人から新しいギターの弾き方を導入した。
それを初めて聞いた時には俺たちはぶったまげたもんだよ」

それそれ!!それをワシは君らにやらせたいのだよ。
今まだそれが自分のものになってないうちは消化不良をおこすかも知れない。
でもいつの日かそれが自分のものになった時に「新零点(ゼロポイント)」は誕生する。

思えば爆風にはいろんな優秀なプロデューサーがついたが、
悲しいかな、どれも「バンド」のプロデューサーではなかった。

ドラマーじゃない人が指定するダサいドラムのフレーズにケチはつけるわ、
どんな一流のプロデューサーに対してもでかいツラするこのドラマーに、
その偉大なプロデューサー達はみんなきっとイヤな思いをしたと思う。

でもその人達から学んだノウハウをワシは、
今度は「バンドのプロデューサー」として人に与えてあげたい。

くじけそうになっているメンバーを励まし、
飲んでは「ロックとは何か」を語り合い、
それぞれのメンバーのいいところを引き出して伸ばしてやり、
それと一緒に音を出しているメンバーがいかに幸せかを説き、
バンドとはどれだけ楽しく素晴らしいものかを教えてやり、
そしてどうなればそのバンドがよくなるかを提示してやる。

バンドの6番目のメンバーとして、
一緒に泣いたり笑ったりしながら共に上へ登ってゆく。

それが出来るのがワシだけなんだからもうちょっと頑張ってやってみようと思う。

1曲だけではなんだから、
彼らのモチュベイションのためにも2曲目をぼちぼちアレンジしよう。
難易度は少しだけ落として、
「ほら、お前らもう昔に戻って来てるんだ!!
これぐらいだったらもうすぐに弾けるじゃないか!!」
そう言ってまた彼らの笑顔が見たい。

演奏終わってみんなで顔見合わせてニコーっとする、
そんな「バンドの姿」を見たいからこの仕事をやってるんじゃないかな。

そんな風に思えて来た今回のリハーサルであった。

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2011年7月20日

ちなみにまた飛行機の中で5時間強・・・

そして帰りの飛行機。
嫁は4時半起き、ワシは前の日のライブから徹夜で飛行機に乗り込んだ。

8時半発の中国国際航空CA181

8時には搭乗したのだがこれがまたなかなか飛ばない。
日本には台風が近づいていてそれで降りられないのか?

何か空港が混雑ということで順番待ちらしいが、
結局搭乗口のところで待つこと3時間。

そしてやっと滑走路の方に動き出したと思ったら突然、
「ご気分の悪いお客様が出ましたので」
ということでまた搭乗口に引き返す始末!!

そしてまた順番待ち・・・

「キャンセルの方は5分以内に申し出て下さい」
というのは前回の時と似ているが、
一番違うのが機内食の対応である。

ワシは毎回搭乗したらすぐに熟睡してしまうのだが、
前回は機内食が配られてそれで起きた。
空の上で機内食を食ってるのかと思ったらまだ飛んでなかったのでびっくりしたが、
今回は結局いつまでたっても機内食が出なかった。

「子供が朝から食ってないんで何か食うもん出してくれ」
と言うと
「機内食はもう長い時間経ってしまって食べることが出来ません」
とのこと。

どうやらずーっと暖め続けている機内食は数時間で賞味期限が切れるらしい。

結局子供には持っていたクッキーなどを食わせ、
自分はビールを頼んで我慢する。

しばらくしたら通路を食事のワゴンが通過する。
運んでいるのが業者の制服だったのできっとこれは外から運んだものなのだろう。

「よっしゃー食うかー!!」と思ってたらいきなり発車。
そのまま離陸してしまった・・・

結局機内滞在時間5時間強。
自己最高記録であった。

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PS.生誕52周年記念4時間マラソン亜洲鼓魂ライブ

写真がいっぱい送られて来たので掲載したいと思います。

20110717_1.jpg

まずライブは「ひとりドラム」から始まりました。

この「ひとりドラム」っつうのは非常に疲れる!!
ステージというものは「人間力」を表現しているものだとすると、
バンド数人でそれをやっている、その数人分をひとりでやらねばならない。

まあその大部分を「顔」で表現しているわけですが・・・(笑)

そしてボーカルに老呉(LaoWu)を迎えて布衣のナンバーを演奏。

20110717_2.jpg

彼らのナンバーの中にも私が作曲した曲もいくつかあります。
特には映画、「疯狂的石头」の中で挿入歌「我爱你亲爱的姑娘」は全国的に有名にはしたが、
本人曰く
「別にそれによって金持ちになったとかそういうことは一切ない」
とのことです(笑)。

まあ「羊肉麺」に関しては完璧に彼の代表曲となった。
春節に田舎に帰る若者は列車の中でこの曲を聞きながら涙し、
バブルの音楽業界で疲労困憊した大人たちはこの曲を聞いては涙してワシにメールして来たりした。


羊肉麺

ろう君が一番自慢なのはお母さん
一番幸せなのがお母さんが誕生日に作ってくれる羊肉面

ある日ロックと出会ったろう君
家にも帰らなくなりロックの日々
お母さん待っててよ
いつか大成功してお母さんを幸せにしてあげる

息子よあんたは幸せって何なのかをわかってない
お母さんが一番幸せなのはお前がおいしそうに食べる顔を見ることなんだよ

帰っておいで 苦しい時には
おうちであんたの大好きなものを食べさせてあげる
帰っておいで 苦しい時には
あんたの大好きな羊肉面を食べさせてあげる


お母さん心配しないで
こっちの生活はなかなかですよ
毎日刺激もあるし美味しい食べ物もたくさんある
いつか大成功して
お母さん呼び寄せて一緒に暮らすんだ

息子よあんたは幸せって何なのかをわかってない
お母さんが一番幸せなのはお前がおいしそうに食べる顔を見ることなんだよ

帰っておいで 苦しい時には
おうちであんたの大好きなものを食べさせてあげる
帰っておいで 苦しい時には
あんたの大好きな羊肉面を食べさせてあげる


ある日ろう君はいなくなった
誰も彼のゆくえがわからない
彼の机の上には彼が作った曲が置いてあった
曲名は「大好きなお母さん」

息子よあんたは幸せって何なのかをわかってない
お母さんが一番幸せなのはお前がおいしそうに食べる顔を見ることなんだよ

帰っておいで 苦しい時には
おうちであんたの大好きなものを食べさせてあげる
帰っておいで 苦しい時には
あんたの大好きな羊肉面を食べさせてあげる


そして次は「派儿(Pair)」のコーナー。

ギターのBeiBeiは、零点(ゼロポイント)のギターの大毛の弟子で、
6万人コンサートの時にアンプの裏でエフェクターのスイッチを踏んでいた。

その後「僕アルバムを出したいんです!!」と電話が来て、
話を聞いてみたらボーカルもいなければバンドメンバーもいない。
ただ「僕には素晴らしい曲が何曲もあるんです!!」というキチガイである。

その後ボーカルは2度メンバーチェンジをしてこの安敏捷となり、
レコーディングはうちの院子でこのメンバーでやった。

その中でもワシがオーケストラまでアレンジした「海妖」は、
もう彼らの曲というよりはワシの曲と言っても過言ではない。

なんでワシにこんなものが作れるのかようわからんが、
盆と正月など(?)年に何度か気が狂った時だけどうも何かが乗り移るようである(笑)

そして次はまた「ひとりドラム」、言わば「52歳のヘビーメタル」のコーナー!!

X.Y.Z.→Aのマルチから作ったドラムマイナスの音源で演奏するのですが、
これが本気で「疲れる!!」。

いやーこのメンバー3人分のオーラを背負って叩くんですから命がけです!!
オーディエンスもこれが一番ウケてたようです。

そしてピアノに張張、ベースに韓陽を迎えて、
「7th Door to Heaven」や「ろう君の初恋」などインスト曲を演奏した。

20110717_4.jpg

この男、ここではこのような冷静な顔をしているが、
実は布衣のコーナーの中で一度慌ててステージを降りた。

みんな「どうしたんだ? 感激して泣いてんのか?」などと言ってたが、
そのまま帰って来ずに彼抜きで1曲演奏した。

後で聞いたら「どうしてもウンコが我慢出来なかったらトイレに行った」とのことである。
まあ4時間もライブやってたらいろいろあります!!(笑)

そしてこのトリオにゲストの三科かをりさんが乗っかって数曲。

20110717_5.jpg

いやー相変わらず凄まじいな、彼女・・・

いつも言うけど「有名だから」と言うだけで人を幸せにしている気になっている歌手などには彼女の歌を是非聞かせてやりたい!!
日本で歌っている有名歌手などのうちほとんどは
その「名声」がない外国に行って裸一貫で歌うたったら単なる「ヘタクソ」な歌手なのだ。

翌日の彼女単独のライブでも大喝采を浴びてました。

そして最後に亜洲鼓魂の楽曲を4曲演奏して終了!!
いやーなかなか濃い素敵なライブだったと思います。

4時間と言わず5時間でも6時間でもまだまだいけるな!!(笑)

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2011年7月19日

生誕52周年記念4時間マラソン亜洲鼓魂ライブ

いや〜いつも通り中国っつうとこはちゃんと始まらない!!

リハーサルもミュージシャンが揃わないので2回しかやってないし、
そのうち1回は老呉(LaoWu)はいないので彼の声をマルチに録音して、
それを流しながらリハーサルをした。

ゲストで呼んだ三科かをりさんのリハはまだやれてないので、
「当日は10時入りね」とリハ後に全員に伝えたにも関わらず、
前の日に「明日何時入り」と全員からSMSが届くのはまだしも、
当日の朝7時に
「今仕事から帰って来ました。仮眠してから行くのでちょっと遅れます」
とメールが来たのが張張だというのが恐ろしい。

だいたいギタリストのBeiBeiっつうのと、
この張張っつうのが「遅刻王」と異名を取るふたりである。

ある時、とある友人が彼らふたりと飯を食おうと待ち合わせをした。
集合時間の7時に店に行ってもふたりとも現れない。
酒でも呑みながら根気よく待ってたが現れない。

夜の10時にやっとBeiBeiが現れた。
それをツマミに張張はもう来ないと思って呑んでたが、
来ないと思ってた張張がやって来た。

夜中の2時だった・・・

基本的にお前があの三科さんの難しい曲が弾けないというから当日早く入って初音合わせをしようということになったのだ!!
弾けるんだったら別にリハに来なくてもいいが、
弾けないんだったら寝ずにでも来い!!

まあ銭金お払い出来るライブではないので強いことは言えない。
今回の4時間ライブはワシのひとりドラムコーナー以外は基本的にベースの韓陽と張張は出ずっぱりなのだ。

ワシのアホのアシスタントには
「明日は10時入りだからライブハウスがその時間にちゃんと開くように、
お前がカギ預かるか誰かに来るように手配するかちゃんとしとけよ」
と電話しておいたが、当日の朝になって、
「ファンキーさん11時って言ったじゃないですか。
店にはそう伝えたから11時じゃないと開きませんよ」
と抜かしやがる。

どうもワシの発音の「10点(シーディエン)」と「11点(シーイーディエン)」が紛らわしいらしく聞き間違えたらしい。

まあそれはワシが悪い!!
それならば諦めるしかないとばかり全員にまたSMSを送る。
「入り時間は10時ではなく11時になりました」
と。

早い人はもう出発の準備をしててもおかしくない時間である。
しかし返信が来たのはベースの韓陽のみ。

ということは他の人間はまだ起きてないということなのじゃ!!!

まあいい、今日はライブ録音もするので、
11時に着いてアホのアシスタントとふたりでセッティングをするのじゃ!!

と早々と出発しようと思ったら、
「ちょっと待って下さい。
僕のアシスタントが10時に来るはずなんですがまだ来ないんです!!」

お前いつの間にアシスタントなんか出来たんや!!

まあそのライブハウスの若いスタッフだということだが、
アホのアシスタントのアシスタントなんで、
普通に考えたらきっと「アホ」である。
「10時に出発するからね」と9時頃電話を入れてからというもの、
出発直前に電話を入れても電話に出ない。

「きっと寝てるんじゃ、ほっとけ!!」
と見捨てて出発しようとしたが、
「僕アシスタントいないと困ります」
アホのアシスタントが泣く。

まあワシとてこんなアホではあるがいないと困るので、
「どこに住んでんねん!!」
と聞くとうちのすぐ前だと言う。

「お前なあ、最初っから電話やのうて起こしに行かんかい!!」
ということでアホのアシスタントのアホなアシスタントのおかげで大幅にまた遅刻!!

そしてライブハウスに着いて、
「カギは誰が開けるの? 店の人が来るの?」
と聞くと、
「カギは僕のアシスタントが持ってますんで彼が開けます」

見ればアホのアシスタントのアホなアシスタントが、
ポケットからカギを出してライブハウスのドアを開けている。

「ほな最初っからこいつを叩き起こして10時に入ったらよかったんちゃうん!!」

まあこのぐらいで怒っていたのではアホとは付き合えない。
とりあえずセッティングをしながらメンバーの到着を待つ。

時間通りに来たのはやはりベースの韓陽だけ。
「BeiBeiと張張に電話して起こしといて」
と言いつけてワシはひたすらセッティング。

「ふたりとも来る道の途中だそうです」
という韓陽の言葉などワシはまるで信じていない。
その証拠にしばらくしてBeiBeiは本当に現場に着いたので張張はやっぱりまだ来ない。

今度はワシが直々に電話をする。
「今どの辺じゃ?!!」
彼は慌てふためいている様子で一生懸命こう言う。

「今そちらに向かってる道の途中です!!」
お前はそば屋の出前かい!!!

というわけで結局一番後に来てもらうことになってた三科さんよりも後に張張がやって来て、
当日合わせでちょっとだけリハーサルをして本番が始まった。

というか譜面を忘れた張張に、
「じゃあリハの時は俺のんを見せてやるから本番までにコピーしに行って来い」
と言いつけていたので彼が帰って来るまで開演が押したのではあるが・・・

しかしまあ始まってみるとなかなか素晴らしいライブだったんじゃないかな。

Pairの曲や布衣の曲や、
そして懐かしい亜洲鼓魂の曲などを演奏したのであるが、
考えてみれば外国人であるワシがこれほどの中国の曲に関与しているというのがもの凄い!!

しかもこれは「有名歌手」を一切省いた、
本当にアンダーグランドのものだけで4時間のコンサートが出来るのだ。

いつの日かワシが関与したいろんな有名歌手もこんなオムニバスコンサートに参加してくれるかも知れない。
いや、実際今回も李慧珍や栾樹など、
オリジナルを歌ってくれた人達も今回「遊びに行くよ」と言ってはくれてたが結局来れなかったようだ。

でもMengMeng(モンモン)とか懐かしい友人もたくさん来てくれて客席も華やかだった。
今度は彼女が歌ってるワシの曲なども歌ってもらってもいいなとかも思いつつ、
まあ商業的なイベントではないので「ぼちぼちいこか」と羊を食った。

今回は
「入場料は友人であっても必ず払うこと」

「羊肉は必ず金を払ってから食べること」
というのを命がけで徹底したので、
前回のように持ち出しをすることもなく、
アホのアシスタントも含め、参加したメンバーに少ないながらギャラをあげることも出来そうだ。

とにかく感謝すべきはこの仲間達である。

その友情に甘えつつ、
現在このライブ録音も何とかミックスして発売しようと画策している。
ひとりドラムの演奏ではあるがX.Y.Z.→AのWings中国語版も収録出来るかも知れない。

プロデューサーはアホのアシスタント!!
ワシが日本に帰ってる間に全曲ラフミックスして各メンバーに聞かせておいてちょ!!

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2011年7月16日

零点(ゼロポイント)リハーサル開始!!

最近の一番大きなプロジェクトとなった零点(ゼロポイント)復活計画!!
それにしても腹が立つ。

バンドが活動停止してからというもの、
奴らには「収入」というものがない。

早い話「人から借金しながら生活」しているのである。

それなのにドラマーの二毛(ErMao)は、
郊外ではあるが広大な院子を借りていて、
そこにこんな豪勢なリハスタまで作っている。

Y_m.jpg

写真はこの部屋の半分ぐらい、
それが院子(中庭)を囲んで四方にあるひとつの建物の半分ぐらいの広さなので、
建物としては全部でこの写真の16倍、
院子も含めれば30倍以上の広さがあるということになる。

この生活を「収入なし」で続けるためには、
いったい人からいくらの借金をしていることやら・・・

そしてその中にはこいつに踏み倒されたワシのギャラも入っているのだ・・・

まーしゃーない!!
金のないところから金は取れないので、
まずは彼らを見事復活させて金持ちにさせてからたっぷり取り返すしかないのだ。

リハーサルが始まったが、現状では演奏はひどいもの。
末吉スタイルのロックアレンジではディストーションギターとアルペジオギターと2本入ることが多いが、
人手が足りないのでアルペジオギターを弾いていたワシがヘタしたら一番上手いぐらいである。

このレベルのバンドをX.Y.Z.→Aクラスの演奏力にするには一体どれだけの莫大な労力と時間が必要なんだろう・・・

精神的にも疲労困憊でリハを終えた時、
二毛(ErMao)がワシに言った。

「このスタイルのドラムをいくら頑張ったってファンキーにはかなわない!!
もっと金の儲かるようなのやろうぜ!!」

「そうよそうよ!!零点はあんな素晴らしい財産がたくさんあるんだから、
むしろそれを使ってそのスタイルを貫くべきだわ!!」

「試しに」ということでベーシストで参加してもらっている二毛(ErMao)の妹
(彼らはギタリストの大毛(DaMao)を筆頭に4人兄弟みな楽器をやっている)
まで口を揃えてこう言い出す始末。

お前ら今まで楽器弾けなくたって
「俺たちは売れてるから」
というのを言い訳にずーっとそれから逃げて来た!!
(日本でもそんなバンドが多いが)
今バンドが売れてない状態でまだそんなことを言うか!!

「これがちゃんと演奏出来なかったらお前らの未来はない!!
ワシはもう助けようがないからな!!」
と始まったこのプロジェクト、
「やっとれるか!!ボケー!!」
ともうぶっちして帰ろうと思ったら、
彼らに投資している社長がワシを呼んで、
「ファンキーさん、これお約束のプロデュース料の半金」
と札束をどどんと渡した。

ま、ええか・・・のんびり構えて頑張るか・・・

中国人はまことに飴と鞭の使い分けが上手い。
金さえもらえば「感情論」はない。

あと数ヶ月ワシが頑張って奴らがダメなら、
そりゃもうワシのせいではない、奴らが悪いのである。

わずかな救いは、
今まで自分でギターを弾く気もなかった大毛(DaMao)が、
今回は誰よりも早く来て頑張って練習していることである。

あんた長男でしょ、弟ちょっと何とかしてよ・・・

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2011年6月24日

零点(ゼロポイント)復活計画

中国のロック史の中で商業的に最大に成功した、
つまり「一番金を稼いだロックバンド」である零点は、
麻薬によるメンバーの逮捕から始まって、
数年前にボーカリストの脱退を受けて完全に活動を停止した。

最後の打ち上げ花火である6万人スタジアムコンサートと、
最後2枚のアルバムはワシがプロデュースさせて頂いた縁で、
数年前にも一度ワシはメンバーひとりひとりに
「お前らを救えるのは俺だけだ!!」
と言ったことがある。

中国のロック事情、
マーケット戦略、
豊富な経験値でモノが言え、作れ、
そして何よりもメンバー間の人間関係をうまくやれるのはワシだけだ。

ボーカリストが脱退した今、
メンバーに対して対等にモノが言え、
メンバーが絶対的にそれを聞いてくれる人間関係があるのはワシだけなのである。

考えてみれば昔はそれがアダとなったのかも知れない。
実質のシンクタンクであるドラマーは、
ワシをしっかと懐に抱き、
ワシを使ってバラバラになったメンバーを頭ごなしに言うことを聞かせようとしたのではあるまいか。
だからボーカリストはそれに嫌気がさして出て行ったのではあるまいか。

どのバンドも似たようなもんである。
思えば爆風スランプも同じくロックバンドの形態を持ちながら商業的な音楽活動をしていたところでは非常に似ていたかも知れない。

彼らと打ち合わせのためにテレビ局に行き、
そこでバラエティーに出演する彼らが終わるのを待ちながら、
「ああこんなこと俺も昔やってたなあ」
と思った。

ワシはそんな生活がイヤで今に至るが、
彼らは何せ莫大な金がそれによって転がり込んで来るのだ。
家を買い、外車を乗り回し、
メンバーがサッカー賭博で何百万円、何千万すった頃にはバンドももう下火になっていた。

彼らの収入のほとんどは全国を回る営業の仕事。
そのほとんどがカラオケか口パクである。

実際ワシが彼らのアルバムを録ろうとした時、
「待ってくれ、もう何年もドラム叩いてないんだ」
と言ってたぐらいである。

ただベースの王笑冬だけは違っていた。
彼はもともとスタジオミュージシャンであり、
零点(ゼロポイント)をやりながらもいろんなスタジオ仕事をこなしていた。

優秀なミュージシャンである。

しかし今回は彼が不参加を表明した。
理由は「もう疲れた」ということである。

彼は昔は零点(ゼロポイント)があるゆえに、
スケジュールがバッティングしていろんな大きな仕事を受けられなかったりしたが、
今となっては国内の全ての仕事は全部受けることが出来るのだ。

「同じベースを弾くならこっちの生活の方がましだ」
と思うのも無理はない。
彼はある意味もう「頂点」にいるのだから。

最初のミーティングの時に彼の不参加を聞いて、
ワシは「こりゃちょっと前途多難だなあ」と思った。

新しいボーカリストの歌は申し分ないが、
昔の曲を歌えば全てオリジナルと比較されるのだ。
どうやってもそれを越えることは出来はしない・・・

だからバンドでガツンとやって、
「零点(ゼロポイント)はやっぱ凄い!!」
と言わせてからの新ボーカリストなのである。

しかし王笑冬がいなくなった今、
プレイで人をあっと言わせるメンバーはいない。
ギタリストなんてまたしゃーしゃーと別の若いギタリストを連れて来てる始末である。

お前、また自分で弾く気がないな・・・

日本で最大の売り上げを記録したサザンオールスターズもそうだが、
バンドは売れて来るとどうして「バンド」ではなくなるのか?
爆風でこそそれはなかったが、
いろんなバンドがもうメンバーではなくスタジオミュージシャンが録音したりする。

こんな奴らだけが残って、
零点(ゼロポイント)のあらゆるヒット曲だけを継承して、
それでまたあのていたらくで大金を稼ぎたいと言うのか?

半分やる気をなくしていたワシに、
一番そんなことを言い出しそうなドラマーから意外な発言を聞いた。

「宣伝費とか大金を投資とかそんなことをもう言うな!!
俺らはゼロからやり直す!!
バンドのバスに乗ってもう一度またキャバレー廻りからやり直すんだ!!」

この言葉がワシを動かした。
長い中国ロックの歴史で本当にこれをやったバンドはいない!!
文字通り零点(ゼロポイント)からやり直すんだったらワシは手を貸すぞ!!

というわけでここ数日ずーっと彼らのアレンジを考えてた。
そしてついさっき出来上がった。
難易度が高い「ロック」である。

長いメールと共に彼らに送った。

これが叩けないようなら、
これが弾けないようなら、
もうバンドをやめろ!!

今、中国は黒豹などが頑張って小さなクラシックロックブームが始まりつつある。
零点(ゼロポイント)はそれには呼ばれなかった。

そう言えばワシは黒豹の連中にもこう言ったことがある。
「お前らを救えるのは俺だけだ」と・・・

しかし彼らはワシを選ばなかった。
零点(ゼロポイント)はワシを選んだ。

黒豹のみんな、
悪いけどお前らが今まで作り上げて来たものは全部ワシらがもらう!!
零点(ゼロポイント)はそれを全部踏み台にしてお前らの頭の上に君臨するだろう。

与えられた時間は半年!!
それまでにワシが彼らを何とかしてやろうではないか!!

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2011年6月11日

いろいろミーティング

北京で仕事がない場合は結構いろいろミーティングに駆り出される。
これをやらないと次の仕事がないのだから仕方ない。


まずボーカリストの脱退により活動を休止してた
中国最大の売り上げを記録したロックバンド零点(ゼロポイント)が、
新しいボーカリストを招き入れて活動を再開する。

活動休止までプロデュースしてたのがワシだったので、
今回もワシがプロデュースさせて頂くことになった。

まあバンドというのは人間関係が一番大変なので、
メンバーのうち誰は誰がいいと言い出したらまとまらない。
ワシだったらメンバーの誰も文句を言わないというわけだ。

これもまた「人間関係」でやっている仕事と言えよう。


人間関係と言えば、
7月17日に亜洲鼓魂コンサートをやるのだが、
その時にせっかく三科かをりさんをゲストで呼んだので、
せっかくだから18日も彼女のライブをやれないかと思って、
北京の老舗のJazzクラブ「CD Cafe」に行って来た。

今は張嶺というベーシストが株を買い取って経営者となっているが、
彼と話していて非常に興味深かったのが、
「俺はもう歌謡曲とか人のバックとかやらないよ。
人のために音楽やるぐらいだったら
しんどくてもこの店で自分の音楽やってた方がマシだよ」
という言葉である。

八王子で店をやってるワシにしてみたら非常に興味深い発言である。

そんな彼だからこそワシは三科さんのブッキングをお願いした。
しかしメールで送った彼女のURL、
例えばYou-Tubeとかは中国政府がブロックしていて見れない。
仕方ないのでワシが自分で資料を持って行って聞かせたのだ。


音を聞いて一言、「いいね、やろう!!」

中国も変わった。
これで話が決まるというのは昔ではありえなかったのだ。

「それでいくら儲かる?」
とかから話を始めなければならなかったのもひと昔、
「金」の話はおろか、「こいつは有名なの?」の一言もなかった。

北京にもやっと「ミュージシャンシップ」が根付いたのだ!!
20年かかったけど・・・


そして次のは新彊ウィグル自治区の歌手とのミーティング。
とあるドラマーからの紹介で会うことになったのだが、
行ってみると怖そうな人達がたくさんいる。

XInJiangGeShouMeeting.JPG

ウィグル族は基本的に漢民族や日本人とは全然違うので、
こちらから見るとまるで「外人」である。

また彼らはウィグル語で喋るのでこちらは全然わからない。
ワシに言う時だけ「中国語」になるのだ。

まるでワシが「中国人」で彼らが「外人」みたいじゃが、
実は逆なんだなあこれが・・・(笑)

この歌手は家が金持ちなのか、
自分の曲を30曲レコーディングしてアルバムを発売したいらしい。
まずは「ドラムが音楽の要」ということでワシを訪ねて来たのだそうだが、
この怖い人達は何をしに来たのかと言うと、
「ワシが彼を騙さないかどうか見極めに来た」んだと思う。

彼はその怖い人を紹介する。
阿凡提楽隊HAZIKENさんです!!」

おうっ!!あの伝説の!!・・・

何度かライブも行ったことあるし、
向こうもワシのことを知っていた。

こうなると話は早い。
「同じロック界」で住んでいるのだ。
人を騙そうにも同じ世界の人間を騙しようがない。

いきなり雰囲気が和んで話はトントン拍子に進んだ。
まずは来月ドラムを録音するが、
恐らくこの2枚組のアルバムはワシがプロデュースすることになるだろう。

後にして思えばその他ふたりのウィグル人(カザフ族という話だが・・・)は
結局一言も口を開かなかった。

機嫌が悪いのでも何でもない。
きっと彼らは「中国語」が分からないのだろう・・・(笑)


中国は広い。
そしてその広い中国のとんでもない田舎にドラム叩きに行って
また現地の人と友達になる。

「どこに行っても友達がいる」
そして
「その友達が決してワシの悪口を言わない」

「関係(コネクション)」が一番大切なこの国で、
これこそがワシがこの国で20年間培って来た「信用」なのである。


金にもならないこともやる。
失ったものは労力と時間で、得たものは「信用」。

人にも騙されたりする。
失ったものは時間と金で、得たものは「信用」。

ワシがこの国で20年間作って来たのは結局それだったんだなと実感した。

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2011年6月10日

飛行機の中で5時間・・・

広東省と言えば香港の隣である。
最終日が終わって
「ちょいと足を伸ばして香港まで」
ということで広州からの帰りの便を一日遅らせてもらって香港に遊びに行った。

ところがお隣の深圳だったらまだしも、
広州からだとこれがちと遠かった・・・

バスで3時間、イミグレーション等の時間もあるのでおおよそ半日、
しかし交通費は190元(2千円ちょい)っつうのは安い!!


香港は冷房がキツい。
外は死ぬほど蒸し暑く、部屋の中に入れば凍えるほど寒い。

これで風邪引かん方がおかしいじゃろ!!!

というわけで、一日遊んで帰る頃にはもう鼻声・・・
行きはバスだったが列車に乗って広州まで帰って来た。

昼の14時過ぎの列車に乗って16時過ぎには広州駅に着く。
広州駅から空港まで結構距離があると聞いていたので地下鉄に乗り、
予定時刻の17時過ぎにはもう空港に着いている。

ここまでは順調!!

時間通りに飛行機に乗り込む。
そしていつものようにこてんと寝る。

疲れている時はそのまま着陸するまで起きないこともあるが、
まあだいたいは食事が運ばれて来て目が覚める。
腹が減ってないので断ってまた寝ようとしたが、
何か周りの雰囲気が違う・・・

まだ離陸してないやないの?!!

到着地の北京が雷雨のため飛び立てないと言うが、
それにしても先に食事を配るということは、
その片付けの時間を計算してもあと当分は飛び立たないということだ。

まあ中国では飛行機の中で携帯なんぞ当たり前なので、
とりあえずiPhoneの「インターネット共有」で、
パソコンをiPhone経由でネットにつないで仕事をする。

同時につぶやきながら日本のみなさんにウケを取る。
CA130219:25発の飛行機は22:40分には北京に着く予定だったが、
気がついたらずーっと座っててそのままもう到着時間を過ぎているではないの〜
などなど・・・

この時点で機内で3時間閉じ込められてしまっているのだ・・・

機長のアナウンスでは、
「荷物を預けてない人はフライトをキャンセルして降りてもかまいません」
と言うが、ワシは預けているのでどうしようもない。

不思議なことに乗客は誰も騒ぎ出したりしないことである。

中国人は不思議である。
協調性がなく自分勝手で列に並んだりしないくせに、
このような時には誰も騒がない。

例えばトローリーバスが故障して動かなくなった時、
「しゃーないなー」とばかり乗客は一致団結してそのバスを降りて押したりする。

思うに「どうしようもない事態」に日本人よりも慣れているのであろう。
所詮ここで騒いだって飛行機が早く出発するわけではないのだ・・・

4時間が過ぎて機長もさすがに、
「荷物がある人もフライトキャンセルして降りたい人は乗務員に申し出て下さい」
と言う。

ついでに
「もう夜も遅いし、荷物を取り出すスタッフも大変なんでバラバラに言わないでよ」
などと日本では考えられない暴言を吐いているが、
それに怒り出す乗客もおらず、
誰ひとりとして降りようともしない。

ツイッターでは
「もう降りてとっとと休めば」
というアドバイスが多かったが、
「ここで降りたら負け」みたいな意地もあるし、
何よりも誰も降りてないんだからちょっと降りるのは勇気が要る・・・

結局5時間が経過した後に機長はついにこうアナウンスした。
「この飛行機は飛びません!!みなさん降りて下さい」

これに文句を言う乗客もおらず、
みんな別に平然と飛行機を降りてゆく。

面白いのでツイキャスで配信してみた。

日付のスタンプを見るに、日本時間1時50分。
こんな夜中だというのに30人の物好きさんがこれを見ているというのが驚きである。

飛行機を降りたはいいが誰も何も案内しない。
こうなると航空会社の問題になるので、
空港スタッフに詰め寄ったところで何の解決にもならない。

他にも何機か飛行機が欠航となったので空港は人で溢れている。
それを順次ホテルに連れてゆくんだから大変である。

しかし問題はそれを誰も案内しないことである!!(笑)

結局誰も案内せずにホテルに着いた(笑)
さすが中国人、誰も並ばずに我れ先にチェックインする。

「ふたりで一部屋ですよ!!」
とカウンターで言われるが、
ワシはひとりなのでどうすればいいの?

結局カギを渡されて、
「後で相部屋の人が部屋に行きますから」
ということだった。

「相部屋の人が怖いオッサンだったらイヤだなあ」
と思いながらシャワーを浴びて、
とりあえず全ての電子機器をコンセントにつないで充電してる時にドアが空いた。

バタン

ワシを見たその人はびっくりしていきなりドアを閉めた!!
向こうにとってはワシこそがその「怖いオッサン」だったのだ・・・(笑)

「ふたりで一部屋ですからね」
と優しく言って部屋に招き入れ、そのまま知らない人と寝た(苦笑)

翌日はまた何の案内もなくいきなりドアをノックされて起こされる。
そのまま何の案内もなく空港に連れて行かれ、
何の案内もなく代替え便を自力で探して乗って北京に帰った。

結局香港の鉄道駅に向かおうかなと思ってから
ちょうど24時間後にやっと北京に着いたわけだ。

あまりに嬉しかったのでツイキャスで日本のみなさんをワシの院子に案内した。

おしまい!!


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2011年6月 7日

ドラムを教えるということ・・・

こうして全中国をクリニックツアー(もう既に「コンサートツアー」となってしまっているが)で廻って、
全国各地のいろんな老師(先生)達と会う。

「僕は北京でドラムやってたんだけどやめて田舎に帰って、
全然違う仕事についたんだけどやっぱ音楽のそばにいたいと思って、
それで脱サラしてドラム教室始めたんだ」

という老師もいれば、

「ドラムなんか叩いてて金になりますか?
生徒集めて教室やった方が全然儲かるじゃないの!」

という老師もいる。

人それぞれである。
ワシはもちろん前者の老師の方が個人的には好きだが、
まあ人の人生である。ワシがとやかく言うことではない。


日本では有名ドラマーがモニターとなってドラムの売り上げに貢献するが、
中国ではこの老師たちがモニターとなる。

それはパールドラムの中国の代理店である中音公司の、
そのドラム担当である沙が考え出した中国ならではのシステムである。

「有名ドラマーをモニターにしたって、
若い衆は必ずしもパールドラムを買うとは限らない!!
先生をモニターにしたらその生徒は必ずパールを買うではないか!!」
という発想で始めたそうだが、
まあ今のところはそれが中国マーケットでは成功してると言えるだろう。


そして、日本のドラム教室はロックをやりたい若者が習いに来たりするが、
中国ではピアノなどの習い事と同様その生徒のほとんどは子供である。

ロック好きには時々、
「あいつのどこがモニターに値する腕がある?!!
あんなのは子供騙して金にしてるだけじゃないか!!」
などと言うやつもいるが、
ワシは決してそうは思わない。

「いいドラマーが必ずしもいい先生とは限らない」
そしてその逆もまた真なのである。

まあ稀には菅沼孝三のように
世界的なドラマーでもあり教室をいくつも持つ優秀なドラム教師でもある人もいるが、
ワシはと言うとやはり根気がないのか「人に教える」というのはからっきしである。


ある時、院子に若いドラマーがワシを訪ねてやって来た。

「僕は今までドラムを練習して来てわかった。
僕が伸び悩んでいる原因はいい老師と巡り会わなかったからだ!!
高名なファンキーさん、お金はいくらでも払います。
是非僕を弟子にして下さい!!」

ワシは聞いた。
「君はどうなりたいの?」

「決まってるじゃないですか、あなたのようになりたいんです。
国内の大きなコンサートは全部僕が叩き、
レコードは全部僕が叩き・・・」

無理〜!!!!


更にこう聞いた。
「じゃあどんな音楽が好きなの?」

「何でも好きです。ロックもジャズも・・・何叩いたっていいです!!」

ワシはこんこんと言った。
「お前は決して音楽が好きなわけではない。
金儲けが好きなだけだ。
本当に音楽が好きなら俺と一緒にここで住めばいい。
1年も一緒に住めば俺から学べることはいっぱいあるぞ!!」

まあ住んだとしてもだいたい数日で泣いて逃げてゆくだろう。
酒飲んで毎晩さんざん説教されてスティックも握らせてもらえないんだから・・・

日本の職人気質に、
「お前はまだ料理の心を知らん!!
包丁を持つなんて10年早いわ!!!」
みたいなのがあると聞くが、まさに「ドラム道」だとてそれだとワシは思う。

不思議なことにドラマーにはひとりもいないが、
ベースの韓陽、キーボードの張張などはワシから巣立って行って、
今では若手で一番仕事の多いミュージシャンのひとりとなった。

ワシから「音楽とは何か」、「仕事とはどうやってするのか」、
など、まさにワシの生き様からモノを学んだのだ。

全くもってワシはいい「先生」ではない。
ワシが教えられるのは「生き様」であって「ドラム」ではないのだ。


今回非常に熱心な老師がいて、何かと言うとワシに質問する。
「ファンキーさん、
やっぱシングルストロークはテンポ200まで練習しないとダメですよねえ」

菅沼孝三だったらそこで的確なアドバイスが出来るだろうが、
そんな「基礎練習」とやらをやったことのないワシは、
非常にバツが悪いのではあるが「知りません」と答えるしかない。

テンポ200でツーバスを踏むこともあるが、
それは「その楽曲をどうしても演奏しなければならない」ので
単に死にもの狂いで叩いているだけである。

ただ「プロ」として、「大人」としてそのことに「責任感」があるから、
テンポ120の時と同じようにヨレずにモタらずに、
また絶対にくじけて音量が下がったりしないように、
とにかく「負けない」、「誤摩化さない」で人生を賭けて戦っているだけのことである。

これで負けたらワシのドラム人生はその時点で終わりなのである。


そしてその日、教育熱心なその老師はひとりの子供ドラマーにドラムを叩かせて、
それをワシに聞かせてこう言った。

「どうです、この子は? 上手いでしょ? この子の前途をどう思いますか?」

そんなことを聞かれて
「うん上手いですねえ、頑張りなさい」
以外に一体何を答えてやればいいのだろう・・・

前途も何も、これら数多くの子供ドラマーのうち、
大きくなってもまだドラムを叩いてる子はほんの一握りなのだ。
またそうなったとしてもどうせ今と同じように伴奏に合わせてドラムを叩いて、
一番うまくいったところでこの老師たちと同じように、
また同じような子供達を集めてドラム教室をやっているといったところである。


ドラム教師が悪いと言う意味ではない。
今まで行った中で大きな教室では生徒が600人以上いる。
ひとりが2000円ずつ月謝を払ったとしても月収100万円は下らない商売なのだ。

その昔、17歳でバリバリに叩きまくる女の子ドラマーのDVDを見たことがある。
その娘も今では先生となって北京で教室を開いている。

「どうして私にはファンキーさんのような音楽の仕事が来ないのでしょう・・・」
呼び出されて相談を受けた時にワシはこう答えてあげた。

「そりゃそうだよ。生きて来た世界が違う。
あんたはいつもひとりでドラムを叩いて来た。俺はずーっとバンドをやって来た。
それだけの違いだよ・・・」


多くの子供ドラマーは決して「音楽」をやっているわけではない。
ただ「ドラムを叩いている」だけなのだ。

その証拠に、もし最後まで決して「子供だ」ということを隠して、
果たして彼らの「音」が大人のそれと同じように通用するか?
それを聞いた人は同じように拍手をするか?

「それを聞いた人は同じように涙するか?」
と書こうと思って気がついた。

そもそも彼ら自身が本当に涙したことがあるのか?

「世の中はこんなにも矛盾に満ちている」と、
その「怒り」をドラムにぶつけたことがあるのか?
「世の中にはどうしようもないことがあるんだ」と、
その「悲しみ」をドラムで表現したことがあるのか?

彼らにはその表現すべき「人生」がないのだ。

ワシは老師達にはよくこう言って話を誤摩化す。
「まあ彼らが大人になって、初恋でもして失恋でもして、
その時にまだドラムを叩こうと思ってたら、
それが彼らの音楽へのスタート地点じゃないですか」
と・・・


そんな子供ドラマーの中に、
広州に住む日本人の男の子がいた。

前回会ってから時々メールをくれるのだが、
今回はちょっとメールの内容が大人びていた。

「先生のドラムを聞いてドラムの素晴らしさを実感した」

ワシはちょっと興味を持って彼を食事に誘った。
身体も大きくなってもう中学2年生だと言う。

同じような質問をする。
「君はどうなりたいの? 何をしたいの?」

少年から今までどんな中国の若者が答えたのとも違った答えが返って来た。

「どんどん音楽が好きになって来て、だんだんこんな風に思って来たんです。
出来たら将来もずーっとドラムを叩いてるか、
もしくは何か音楽に関する仕事について僕はずーっと音楽のそばにいたいって」

彼ははもう入り口まで来た。そこからが「音楽」のスタートだ。

別に音楽は他の仕事をしながらでも出来る。
高校行ってバンドをやるもよし、どっか大学行ってバンドをやるもよし。

「君のその夢は必ずかなうよ」

日本の高校に行くことになったら、
家もそんなに遠くないというから、うちの店でアルバイトでもすればいい。
うちに出ているいろんな素晴らしいミュージシャン達の生き様を見て、
そこから何かを学んで自分の生き方を考えればいい。

貧乏さえ苦にしなければ、一生音楽と共に生きてゆくなんて簡単なことなのである。

「僕は音楽で僕の気持ちを伝えたいんです」
と彼は言った。

果たして10年後、彼が本当に音楽をやり続けているかどうかはわからない。
その「伝えたい気持ち」を別の仕事で表現してたとしても別に構わない。

彼の音楽は・・・つまり彼の「人生」は今始まったばかりなのである。
今からどんな「人生」を作ってゆくのか、それこそが彼の「音楽」なのである。

また広州か、八王子で会おう!!(笑)

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2011年6月 1日

亜洲鼓魂コンサートのリハーサル

怒濤の2日間超難曲のセッションを終え、
朝まで飲んでそのまま北京にやって来た。

そのままうちの院子で始めてのリハーサルである。
メンバーは下記の通り!!

ベース:韓陽
ギター:BeiBei
キーボード:張張
ボーカル:LaoWu
ボーカル:安敏捷

どれもワシが公私にわたって世話して来た人間だから気が楽である。
中国では金も取れない代わりに金も払わなくていいので楽なのである!!(笑)

リハーサルのギャラもへったくれもない!!
当日いくら払うかも言わなくてよい!!
またノーギャラだったらそれはそれでよいのである!!!

若い衆よ、頑張れ!!
7月17日のライブが成功したからと言って誰も何の得もしないが、
その夜には羊肉と美味いビールをご馳走するぜよ!!

何よりも君らがこれによって
音楽的にまた少しでも高いところに行けるようになってくれたらそれでよい!!

加油!!(中国語で頑張れの意味)

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2011年5月23日

これchan来たりてギターやっぱ弾く

河南省焦作を後にして、車で新郷まで走って列車に乗り、
昼過ぎにやっと北京に着いた。

まったくもってこの3日間の移動は凄まじいものがあった・・・

院子に着いて一息ついた頃、是方さんからメールがあり、
「北京に着きました〜いろいろ観光廻ってます〜」
とのこと。

今回は奥さんと共にパック旅行で来たらしい。
観光から食事からガイドまで全部ついてる旅行らしい。

夜にホテルに迎えに行ったら何と5つ星の高級ホテル!!
たまにはこんなツアーもええもんやなあ・・・

翌日も朝8時から万里の長城ということなので、
とりあえず軽く両個好朋友に連れて行った。

この日はアメリカ人のバンドがやっていて、
例によって「友達だ!!」と言えばタダで入れる(笑)

まあ人のライブもタダで入る代わりに自分のライブも誰も金を払わないというわけだ・・・(苦笑)

今日はオーナーもいたのでバンバン酒も出る(笑)
まったくもってこの店は儲かっているのやらいないのやら・・・

通り道なのでじゃあJazzクラブもということで次はCD Cafeに連れて行った。

先々週は知り合いのJazzバンドがやってたので乱入したが、
今日はアマチュアロックバンドがふたつやっていたので楽器を借りて乱入した。

ご満悦の是方さん、
「今度また旅行がてらライブやりに来ようかな・・・」

歓迎です!!
また是非〜

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(運転してくれたLaoWu夫婦と両個好朋友にて)

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2011年5月 3日

亜洲鼓魂コンサートVol.1おわた〜

この日の中国のTwitterではベースの韓陽(HanYang)がこのようにつぶやいてた。

「みんな亜洲鼓魂って知ってる?
僕が小さい頃聞いて感激して身震いしたアルバム。
そしてこの作者、実は長年に渡って中国の音楽を助けて来て、
同時に僕たち若いミュージシャンを育てて来た。
本当に感謝したい!!
そして今晩、恐らくこのアルバムが出てから初めて
この曲がライブで演奏される。
きっと僕は感激でまた身が震えると思う。
ありがとうファンキーさん!!」

終わってからまたこうつぶやいていた。

「僕はもうNew Beeee!(Fuckin' greatの意)としか言いようがない。
このようなパワー、このような激情、
そしてこのような年齢のこのような青春!!
ロックとは素晴らしきかな!!
パワーと希望の源、羊肉を一緒に食べましょう!!」

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UPされてる写真がまたアホ面である!!(笑)

まあいい!!アホなのだから仕方がない!!
しかしアホなのは実はルックスだけではなかった!!


実は今日のライブはチケット50元、
羊の丸焼きはワシが買って、
ひと皿10元でそれを売って、
それで足りなければワシがその分払おう、と・・・。

昼から羊の仕込み!!

KaoQuanYangZhunBei.JPG

これを手作りの炉で焼いてゆく!!

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ワシが頼んだのは小さいのを2匹、
羊肉が日本円で1万ぐらい、
その他運送費や焼く炭の値段とかでもっとかかる。

まあ日本円で1万5千円ぐらいか・・・

ライブ前に焼き上がったらワシが呼ばれて、
それに最初に包丁を入れることとなる。

まあそれは金を出してるのがワシだからそりゃそうだろう!!

しかし包丁を知れたその瞬間!!
子羊一匹分はあっという間に周りの人間の胃袋に収まった!!

ワシも一口食ったが相当の美味である!!

しかし今からドラムを叩くに当たって、
ビールも飲まず、この極上の羊肉をたらふく食うわけにもいかない!!

「もう一匹はライブ終わってからな!!頼むよ!!」
ワシはそう言い残してステージに上がった。

ライブは大成功である。
特にワシの「ひとりドラム」は観客の度肝を抜いた。

そりゃそうだ!!
所詮は何をやるにも大切なのは「人間力」である!!
ひとりしかいないんだからバンドの時より何倍もオーラを出して頑張る!!

まあ2時間のコンサートぐらいワシにとっては「お茶の子さいさい」である。
(使っててようわからんが実はどんな意味や?)

しかし終わってみたらもう既に羊肉はない!!
ワシが手にしたのは最後の一切れであった!!

まあいい!!
ひとり10元出してこれだけ食ってもらったら、
恐らく2匹分の羊肉の金はもう出ているであろう・・・

しかし中国はそんなに甘いところではなかった!!

この羊肉を食った全ての人間は実は誰も金を払っていない!!
焼き上がって切り取られたらすぐさま、
周りの人間の胃袋に収まっている!!

このライブハウスの怖い女将までもが、
「こんないいプレゼントをしてくれたんだから、
今日はあなたのビールはお金は要らないわ!!」

まあこの店に来て金を払って酒を飲んだことの方が少ないのだが、
誰が「今日はみんなに羊肉を奢るよ!!」と宣言した?!!

まあもともとの考えでは、
今日の入場料を全てこの羊肉に充てて、
足りない分はワシが払おうというアイデアもあった。

しかし蓋を開けてみたら、
今日は実は誰も金を払ってライブを見に来てない!!

みんな「ファンキーの友達だから」と言ってタダで入っているのだ!!

100人近くはいたぞ!!
全然見たこともない外人も大勢いたぞ!!
お前ら亜洲鼓魂の時代の中国と違うねんぞ!!

とわめいてももう後の祭りである。

幸い参加したミュージシャンは誰も「ギャラが欲しい」などと思っていない。
キーボードの雷子(Leiz)なんかすぐさま中国のツイッターでつぶやいてた。

「今日はとっても楽しかった。
舞台袖で韓陽(HanYang)と話してたんだ。
僕たちがみんな小さい頃に聞いてたあの曲を、
今日は僕たちが演奏したんだよ、って」

みんな誰もギャラを要求することなく笑顔で帰って行った。

いや、ありがとう、みんな!!
・・・ってかこの中国の風習ってちょっとちゃうんとちゃうの!!!

というわけで第二弾が今日決まりました!!

7月17日(日)同じくこのライブハウスにて、
「ファンキー末吉52歳の誕生日を迎えて、
52歳と4日後に初めてドラムを叩くバースデーパーティー」

しかもこの日は昼間っからぶっ続けて4時間叩き続けます!!
昼間誕生日パーティー、夜はライブという声もありましたが、
ワシはドラム叩く前は酒が飲めんので昼からライブします!!

4時間なんてお茶の子さいさい!!
(ってどういう意味や?)

亜洲鼓魂に参加した歌手の方々、
その他ファンキーさんが参加した数多くの歌手の方々、
奮ってご参加下さい!!

チケット代は52歳にちなんで52元!!
おつりは出しません!!

小銭のない人は60元でも100元でも払って、
おつり分はファンキーさんの誕生日プレゼントにして下さい!!

この日は友達と言えど、
誕生日プレゼントと思って必ず金を払って下さい!!!

というわけで次の亜洲鼓魂ライブは7月17日(日)に決定!!

・・・実は13日のワシの誕生日は嫁との結婚記念日でもある。
願わくば嫁もライブに来て欲しいものなのじゃが・・・

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2011年4月19日

あの美少女秘書のその後・・・

彼女と会ったのは彼女がまだ15歳の頃。
(中国の歳の数え方は数え年なので16歳と言っていた)
黒豹のドラマーに騙されて安い金でプロデュースさせられた
そのレコーディングの小間使いとして働いていた。

生まれがとてつもなく貧乏なのだ。
ワシが今暮らしてるような貧民街で生まれ育ち、
ひょっとしたら戸籍もなかったかも知れない。

義務教育分は知らないが、とりあえず高校には行ってない。
「君の夢は何なの?」
と聞いた時、
「勉強がしたいの」
と言ったのが心に残っている。

ワシは彼女に仕事の傍らワシの電話秘書をしてもらい、
かかって来た仕事の電話を日本にいるワシにメールで転送したりしてくれていた。

「掃き溜めに鶴」という言葉が適切かどうかはわからないが、
18歳の頃はモデルのスカウトが来たり、
その美貌はますます磨かれて来たようだ。

その後「白雪(バイシュエ)という歌手のマネージャーとなって
全国飛び回って忙しくしていたが、
去年会った時には、一緒に飲んでいても数限りないショートメールは来るわ、
彼女に恋する男どもからひっきりなしに電話が来るわ、
もうこのぐらいの美女になるとゆっくり落ち着いて酒も飲めない。

その時はひとりの男性に、
「じゃあおいでよ、友達と一緒に飲んでるから」
と言って電話を切ったのだが、
喜び勇んで来たその男性は、
傍らにいるワシらなんかを見てそそくさと帰って行った。

「一緒に飲めばいいじゃん!!」
という理論は恋する男性には通用しない。

ある時は男を連れて来たので、
「よ、恋人が出来たか?」
とからかったら、
「そんなんじゃないの、ただの友達よ」
と言うので、こっそりその男に、
「彼女のこと好きなの?」
と聞いたら、頬を赤らめて
「好きです」
と答えたこともあった。

数限りない男達が彼女に恋い焦がれ、
そして玉砕して行ったのをワシは見て来た。

ワシも恋い焦がれてはいたが、
デブのキーボードにかっさらわれたので見込みなしである。

見込みはないのに呼び出されたらいそいそと出かけてゆくんだから
男というのは悲しい生き物である。

この日も今更何の期待感もなく、
そのくせいそいそと風呂に入って服を着替えたり、
それなりに気を使って出かけて行った。

約束の店に着いて、
「何飲む?」
と聞いた途端、彼女の開口一番にひっくり返りそうになった。

「私、飲めないの。妊娠してるから・・・」

相手は誰じゃい!!
ワシでなくても世の男はみな興味津々であろう。

聞いてみればお相手はワシら音楽界の仲間ではなく、
白雪(バイシュエ)から紹介された建設会社の社長さん。
まあ金はあるんだろうが、ルックスは別にそんなにぱっとしないらしい。

なみいる男どもが全て玉砕していったというのに、
何故にこの男だけが紹介された会ってすぐにこの美女をモノに出来たのか・・・

「试试吧(試してみなよ)」が口説き文句だったらしい。

そんなに簡単でええのか!!
ワシも含め全ての男どもは勘違いをしていた。
こんな美女なんだから誰もが真剣にアプローチしていたが、
こんなんでいいのである!!

失敗した・・・

後悔してももう遅い。
彼女はもう人妻となり、11月には子供を出産する。
玉砕した数多くの男ども、
みんなで彼女とその羨ましい旦那の前途を祝おうではないか!!

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おめでとう!!麗麗(LiLi)
幸せにな!!

PS.18歳の誕生日にワシがプレゼントした化粧品も結局今まで使われなかった。
結婚式の時も結局化粧をしなかったらしい。
26歳の今まで化粧をしたことがないと言う。
美女は化粧品も必要ないのだ・・・はあ・・・(ため息)

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2011年4月15日

亜洲鼓魂コンサートへの道

北京に来ている。

BeiBeiのレコーディングをやって、
終わって飯を食いつつそのまま
布衣がライブをやるというのでみんなで見に行った。

・・・というより「飲みに」行った。

布衣も今ではアンダーグランドの中では有名になったが、
やはりバンドであるからして本人が歌いたくても歌えない曲とかもある。

先日とあるライブで一緒にやって、
そんな曲を思いっきり歌って彼の楽しかったようだ。

「じゃあソロプロジェクトとしてライブやるか?」
と言ってはみたが、
やはりボーカルがそれをやるとメンバーがやはり面白くないらしい。

BeiBeiはBeiBeiで、
バンドではなくボーカルとのユニットだったらライブをすることもままならない。
毎回ミュージシャンにギャラを払って雇わねばならないからである。

ワシは真ん中でまたアホ話をしながら飲んでたのだが、
誰かがワシのアルバム、亜洲鼓魂の話をし出してふとひらめいた。

「ワシ名義のライブだったらお前らどちらも助かるんじゃないのか?」

目がキラリと光ったLaoWuが興奮して乾杯する。
「そうだ!!亜洲鼓魂コンサートをやるんだ!!」

実はこのアルバムを発売した時に、
ストリングスオーケストラも全部入れてあのアルバムを再現したコンサートをやりたかった。

しかし当然ながらそんな予算もなく、
日本では売れなかったのでスポンサーも現れず、
中国では売れたが海賊版ばっかなので誰も儲からず、
結局その話は流れてしまっていたが、
こうしてそのアルバムを聞いて育った若い衆達と一緒に、
自由が利くライブハウスでやる分には何も問題ないのだ!!

最初は小さいところで始めて、
毎月やっているうちにこのアルバムに参加したスター達、
黒豹や唐朝やBeyondの連中や、
李慧珍をはじめとするこのアルバムでスターになった人達も集まって来るかも知れない。
(いや、ヤツらはみんなワシに恩があるから呼べば必ず来るな・・・)

とりあえずは小屋を押さえる。

昔院子に住んでたドラマーが開いたライブハウス、
北京两个好朋友酒吧」に連絡してみた。

「5月2日なら空いてるよ」

しかしワシが次に来る便は5月1日の夜中便である。
綿密なリハーサルをやる時間がない。

「よし!!当日リハで出来ることをやろう!!」

何もあのアルバムの曲をメインで持って来る必要はない。
布衣の曲、Pairの曲などを中心に、
時間が足りなければ張張とのセッションもやりーの、
全中国ドラムクリックでやっているひとりドラムもやりーの、
とりあえずはタイトルチューンの亜洲鼓魂1曲ぐらいでええんとちゃうの!!

よし!!とりあえず5月2日を皮切りに、
毎月ちょっとずつライブをやって、
将来は「亜洲鼓魂コンサート」と銘打ってでっかくやってやろうじゃないか!!

それにしても日本だけじゃなく中国にこれだけ楽曲を残しているっつうのは我ながら大したもんじゃと思うのう・・・

ギャラは参加した人間で均等に分けて、
みんなで羊を1匹買ってその場で丸焼きにして食べよう!!
(「北京两个好朋友酒吧」は最近羊を丸焼きに出来るオーブンを買ったらしい・・・)

雨が降らなきゃいいのじゃが・・・

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2011年4月10日

李慧珍(Li HuiZhen)

中国のツイッターをやり始めて彼女と久しぶりに繋がった。
「ご飯でも食べましょ」
ということで待ち合わせをし、数年振りに会った。

彼女はワシが最初に中国でプロデュースをした歌手である。

その後、そのアルバムの曲は中国のグラミー賞に当たる作曲賞を受賞し、
中国のヒットチャートを荒らした

その功績により日本レコード大賞アジア賞なるものも頂いたが、
その受賞パーティーの席で堀さんはスピーチでこう言った。

「アジアブームと言われてますが、
いろんな会社が中国に莫大な投資をして、
結局得をしたのはファンキー末吉だけです!!(笑)」

最近彼女は当時の中国側の社長と会って裏話を聞いたらしく、
結局ホリプロが出した6000万の出資金は、
当時は直接中国に投資出来なかったので、
その中継会社となった香港の会社に流れ、
結局中国側にも、もちろんワシのところには流れては来なかった。

ホリプロスカウトキャラバン中国版として鳴り物入りで行われた
全中国からスターを探すオーディション、
そこで歌はナンバーワンだったのにホリプロから捨てられたのが彼女だった。

中国の「ホリプロ3人娘」として鳴り物入りでデビューするという
その3人の中から彼女は外された。

そんなことは知らないワシは中国ロック話で彼女と盛り上がり、
中国側からの強いオファーもあって彼女を自分のソロアルバムに起用した。

そのアルバムは中国のロックのバイブルのひとつとなり、
今だに彼女は彼女が歌ったその中の曲
「Let Me Be Freeは歌わないの?」
と言われるという。

サンプラザ中野という偉大な作詞家と一緒にいたがために、
「自分で作詞をする」
などということなど夢にも思わなかったが、
あの時はがむしゃらに曲を作って詞を書いた。

「言いたいこと」がたくさんあったのだ。

「あの頃はお互い気が狂ってたねえ」
ワシらはそう語り合った。

誰にも伝えられない想いをワシは楽曲に込め、
彼女はワシの分身としてそれを歌った。

まだ10代だった彼女はもちろんのこと、
ワシも若かった。
「商売」などと考える余裕もなく、
ただがむしゃらに「音楽」をやってた。

このアルバムのTDを陣中見舞いに来たアミューズのマネージャーは、
この曲の彼女のシャウトを聞いた時に涙を流してこう言った。

「ヤバいよ!!末吉さんがどっか行っちゃうよ・・・
爆風が・・・なくなっちゃうよ・・・」

彼の言う通り、ワシの夢は彼女と一緒にこの中国大陸を駆け巡った。

ホリプロの撤退と共に彼女は事務所と契約でもめ、
ほされた期間もあり病気になった期間もあり、
新しい事務所は彼女から「ロック」のイメージを払拭すべく、
彼女から極力ワシを遠ざけた。

そのおかげで彼女は「スター」となったが、
数年前、安徽省のテレビ局が彼女をゲストに呼ぶ番組の中で、
ロックファンであるその番組の若いディレクターが
サプライズとしてワシをブッキングして合肥までワシを呼んだ。

思いもよらぬサプライズで号泣した彼女は、
ワシの手を握りしめて泣きじゃくった。

一緒に行った嫁はそれを見て呆然としていた(笑)

「あの頃はねえ、
誰にも伝えられない思いがたくさんあっの・・・」

それが「芸能界」である。
彼女はその中で今まで頑張って来た。

夕べのふたりの写真を中国のツイッターにUPした彼女、
6万人近くいる彼女のフォロアーは、
ある人は「誰よこのオッサン?」と言い、
ある人は「バカねえ、この人がいるから彼女がいるのよ」と言う。

一番印象に残った書き込みが、
「バラードなんかもうくそっ食らえだ!!ロックを歌ってくれ!!」
というものだった。

「また一緒に何かやろうか・・・」
そう言って夕べは別れたが、
本当に何かが始まるかどうかは神様のみぞ知る。

「縁」とはたかだかそういうものなのだ・・・

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2011年4月 5日

貧乏人から太陽を取り上げるな!!

雲南省に着いて楽しい仕事が始まっているが、
北京の院子の騒動の顛末が面白いので
雲南レポートより先にそちらをレポートしたい。

もともとこの院子というのは庭みたいな意味で、
北京伝統の四合院と言えば聞こえがよいが、
コンクリートの箱みたいのを3方にどどんと置いて、
その真ん中が住民共通の庭となるものである。

うち間取りはこちらを参照のほど

この3方全ての部屋を一人で借りて、
このひとつの「院子(この場合は庭も含めて全て)」を独り占めする、
これがワシの思う究極の贅沢なのじゃが、
マンションなんかを指す「楼房(Lou Fang)」と違って、
いわゆる「平屋」という意味の「平房(Ping Fang)」というのは、
今や豊かになってしまった北京人はなかなか住もうという気にはならない。

まあ土地だけはあって、
手っ取り早く家(というよりただのコンクリートの箱)を建てればいいんだから、
最近では人里離れたうちのような貧民街か、
逆に超豪勢な都心の四合院かしかお目にかかれない。

往々にしてトイレや風呂はなく、
ここに住む貧民の一番のメリットはこの真ん中の院子(庭)なのである。

それを大家は自分が政府を騙して金儲けしたいがために貧乏人からたったひとつのそれを奪おうとする・・・

「ファンキーさん、2階なんて作られたらこの院子(庭)が死んじゃうじゃないですか!!
断固戦うべきですよ!!」
とうちのアホのエンジニアは鼻息を荒くするが、
ワシは外国人の住めないこの地区に内緒で住んでいるのでそう強いことも言えない。

「まあ上がそう言ってんだったらしゃーないんじゃない?!!」
と取り合わなかった。

ところがいざ雲南省に出発しようとしたら、
院子の入り口で警察までやって来て大騒ぎをしている。

FangYanBaoJing.JPG

聞いたら「警察に通報した」と言う。

「見て下さいよ!!
こんなところにこんな雑な作り方で壁なんか作られたら、
隣は共同トイレでいろんな人がここ通るのに危ないじゃないですか!!」

大家も巻き込んで警察とやりやっている方言を後に、
ワシはそそくさと雲南省に出発した。

その後彼からメールが届く。
「警察は相手にしてくれなかったけど、
この話をツイッター(中国の)にUPしたから見て下さい」
と。

これである。

「ファンキーさんの院子に」
と書かれてあるのでうちにもResが来て大変だが、
「貧民から太陽を取り上げるな!!」
と盛り上がっている。

Resにも大家に対して、
「金さえ儲かれば他の人が死のうが生きようが構わないのか!!」
など話がどんどん飛躍してゆく。

とどのつまりには方言はこんな激を飛ばす。


こんな詩を知ってるか。

ドイツで昔、共産党員を皆殺しにし出した。
私は何も言わなかった。
何故なら私は共産党員じゃないし・・・

今度はユダヤ人を皆殺しにし出した。
私は何も言わなかった。
何故なら私はユダヤ人じゃないし・・・

今度はカトリックを皆殺しにし出した。
私は何も言わなかった。
何故なら私はカトリックじゃないし・・・

最後に私を殺しに来た。
ししたら誰も何も言わなかった・・・


「みんな!!今回俺は声を出して言った!!
だけど声が届かない!!
誰か俺たちのために立ち上がって声を上げてくれる人はいないのか!!」

そんな叫びが実ったかどうなのか、
大家は彼に折衷案を出した。

「2階は作りますが、
屋根は透明の素材にしてあなた達の太陽は守りましょう」

方言の叫びがついに届いた!!
院子は2階建てになっても太陽は残るぞ!!


・・・ん?・・・待てよ・・・
これから気温40度を越える夏がやって来るというのに、
天井に透明な素材で蓋なんかされた日にゃ蒸し焼きになってしまうぞ・・・

方言・・・まことにいいヤツなんじゃがひとつ詰めが甘い・・・

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2011年4月 4日

貧乏人が村を追われる日・・・

北京に帰って来たら向かいの院子から音が聞こえている。
ふらふらと遊びに行ったら貧乏なミュージシャン達がリハをしていた。

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うちのスタジオでは張張が雲南省ツアーのためのデータを作っている。
「メシを買って来たから食おう」
と言うので
「ビールがなきゃいやだ!!」
というと
「隣の院子が宴会してるからもらって来よう」
と窓越しにビールがやって来る。

我が院子、この世の天国のロックステイションなのだが、
ここに来て物価の値上がりとかも凄まじく、
ついに家賃もまた値上がりした。

6年前ここを借りた時の既に倍近くなっとるやないの!!

貧乏ミュージシャンは天然記念物のトキのように、
また住むところを追われて遠くに行かねばならないのか・・・

事実、この村は数年後に取り壊しになるという話である。
一昨年のある日、大家が勝手に院子に屋根をつけた時には、

「中国政府がここを買い取る時に、
院子(庭)だと人が住んでないので金にならんが、
家屋のように見せかけると金になる」

ということでせっせこ仮説の屋根を作っては数日後に撤去していたが、
ふと見ると今度はせっせこ2階を作っているようだ。

YuanziGaiErLou.JPG

なんでも
「2階を建ててると倍金がもらえる」
ということらしいが、
2階なんか作られたら自慢の院子(庭)は意味をなさなくなってしまうし、
朝から天井でとんちんかんやられる住民にとってはいい迷惑である。

うちにはアホのエンジニアと共にもうひとり居候がいるが、
彼は騒音にたまりかねてスタジオに非難した。

StudioFuton.JPG

うち(八王子)でも
酔い潰れて帰れなくなったえとーさんはうちのスタジオで寝たりするが、
こちらは基本的に土間なのだから、
そこに布団を敷いて寝た方がよいというのはよっぽどである。

村の中でもちょっとでも金をもらおうという算段で改修工事ばっかやっている。

こういうのを中国語で「騙銭(Pian Qian)」という。
偏見を承知で言えば、
国民のほとんどが「人を騙してでも儲けられればいい」と思ってるこの国で、
本当の意味でも「民主主義」なんてまだまだ先に話である。

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2011年3月23日

李漠(LiMo)と食事会

李漠(LiMo)」から電話があった。
どうしてもその日に一緒に食事をと言う。

ワシはその日はライブハウスで行われる
日本の震災に対するチャリティーライブに呼ばれていたのだが、
まあ出番前で酒は飲めないがリハ終了後に行けないことはない。

集まってみると彼女のバンドメンバーが勢揃いしていた。
彼女はこう切り出した。

「4月にね、イベントがあってそれに出るんだけど、
みんなスケジュール空いてるかなあ・・・
是非またみんなと一緒にやりたいんだ」

5月にも6月にもあるから是非お願いねと彼女は言う。
権利ビジネスのない、
コンサート収益だけが生活の糧であるミュージシャン達にとって、
もちろんこんなありがたい話はない。

「アイヤー、4月半ばは結婚式なんだよ〜」
などと言ってるメンバーにワシが突っ込む。

「じゃあそれはトラでワシが行ってやるからお前はドラム叩け!!
心配すんな嫁さんのことはワシに任せて心おきなく仕事してこい!!」
など和気あいあいに酒が進む。

「私の1枚目のアルバムはみなさんのおかげで無事に発売することが出来ました。
今度は2枚目を作ることになってます。
私はまたみんなと一緒に作りたいの。
制作費をもらったからこれみんなで分けましょ」

2000元(約2万5千円)が入ったさほど分厚くない封筒をみんなに配る。
ワシにもひとつ、うちのアホのエンジニアにもひとつ。

「おいおい、ワシらふたりでひとつで十分やぞ・・・」
と言おうと思ったがやめた。

ワシは知っている。
今やスターの仲間入りをした彼女のアルバムは、
当然ながら彼女の手を離れて会社が制作をする。

もう昔のようにアンダーグランドバンドじゃないんだから
制作費が全部で1万元なんてこともないだろうし、
制作費を彼女に託されるということもないだろう。

彼女はウソをついた。
きっとこの金は彼女があれから自分で稼いだ金か、
もしくは制作費ではなく次のアルバム制作のためにもらった彼女のギャラだ。

しかし彼女が言う
「またみんなと一緒に作りたいの」
という「気持ち」はウソではない。

この金はまさしく彼女の「気持ち」なのだ。

ワシにしても2000元でまたアルバム1枚作るなんて大赤字だし、
1曲2000元のミュージシャン達がこの金で10曲レコーディングさされるなんて
「仕事」として考えるとバカみたいな話である。

でもみんなありがたくこの金を受け取った。
彼女の「気持ち」を受け取ったのだ。

いろんな仕事をして、
いっぱいお金をもらうこともあれば
「これっぽっちかよ」という仕事もある。

でももらってこんな嬉しい金はない。
「1枚目の時はごめんね」と言って渡したのではない。
彼女はこの金で「未来」をつなげたのだ。

ワシもそんな彼女の「気持ち」をありがたく頂いた。

乾杯!!

LiMoAndBandGanPei.jpg

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2011年3月21日

不意打ち突かれて思わず号泣!!

風邪気味なので布団かこたつに潜り込んで
日本のツイッター中国のツイッターなどを見てはアホな書き込みをしてたのだが、
ふとRTされていたこの映像をみて号泣してしまった。

まさに不意打ちである。
なんでこんなに涙が出て来るのかわからない。


日本のテレビ局の事故で死んだこの駒くんは
今では中華圏では「ロックの神様」となった。
何十年たっても彼の歌が流れてない日はない。

「今から日本を拠点として頑張るんだ」
ということで活動を開始した頃の事故である。
「志半ばで若くして死んだ」
という風に皆は言うが、
近くにいたワシはどうも今だにそうは思えない。

「ヤツは死んで神様になった」
それだけである。

現実、BEYONDは香港では大スターだったが、
これほど中華圏の大スターとなるのは彼が死んだことを受けてからである。

何も有名になることが大事でも何でもないが、
「彼はここで死んで神様になることに決まっていた」
とワシなんかは思わざるを得ない。

彼は一生のうちにやるべきこと以上のことをやり尽くしたのだ。


同様にひぐっつぁんやキヨシローさんが亡くなって、
「若いのに惜しいことをした」
という声にはワシはどうも違和感を覚える。

「あんた達んところにワシも早く行きたいのに、
そんな偉大な人がぽんぽん先に行かれたらたまらんわ〜」
って感じである。


中野や河合や、この映像に一緒に映っているそれぞれの人が、
あれからそれぞれの人生を歩んでいる。

ただワシだけがまだ駒くんと一緒に、Wingと一緒にいる。

人生はそれぞれである。
ワシはやっぱり日本を離れて心は彼らと一緒にいることが決められてたのだろう。


北朝鮮に行って帰って来て、
「何で俺はこんなことをやってるんだろう」
とひとりで酒を飲んでいた時、
突然彼のこの笑顔が浮かんで来たことがあった。

「そうかぁ、お前が行きたかったんかぁ!
お前は生きてたら絶対行ったわなぁ。
せやから俺に行かせてるんかぁ。
何や、そうやったんかぁ。行って来たでぇ、楽しんでもらえたかな?」

そうやってひとりで泣き笑いして飲んだことがあった。


今日の映像の彼はワシにこんなことを言っている。
「ファンキー、泣いても笑ってもどうせ人は死ぬんだ」
と。

大震災でいーっぱい人が死んで、
それぞれにまたいーっぱい大切な人がいた。
有名かどうかは関係ない。
それがたったひとりであってもかけがえのないものである。

その人はそのたったひとりの中で神様となる。


まあ被災こそしてないがそこそこ大変な今日この頃、
ワシはふと
「あいつだったら今どうしてるかなあ」
と考えた。

「あいつだったら」と考えることこそが、
死んでもその人と一緒にいるというか、
魂は死んでないというか、
そんなことなのかも知れない・・・

まあ影響力は今のワシとは比べ物にならないが、
ヤツはやっぱ基本的には同じことをしてただろうな・・・

ワシはやっぱドラムを叩くのだ。
日本中で不謹慎と言われたらよその国で叩く。
ドラムを叩いて生きて、ドラムを叩いて死んでゆく。

「そやで、そんなもんなんやでぇ」と彼が言っている。

今日は中国の歌手のレコーディング。
明日は何やらわからんチャリティーライブ、
でもこうやってドラムを叩いて生活出来ること自体が素晴らしい。

彼の笑顔に負けないようワシも今出来ることを精一杯頑張りたいと思う!!

KomaIei.jpg

ちなみにこれは我が家の彼の遺影。
日本に来て「女朋友、女朋友」とウルサイので、
誕生日にみんなでダッチワイフをプレゼントした時の写真である。

ちなみにこれが彼の最後の誕生日となった。

今は北京のスタジオに神棚のように飾られている。
こんな写真を遺影にしているのは中国広しと言えどもワシぐらいじゃろう!!
は、は、は!!

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2011年3月19日

一度日本に帰ったらもうこちらに戻って来れない(笑)

「日本から中国に変える中国人が殺到し、
それを受けて航空会社従業員がチケットを買い占めして
希望者に高値で横流しをしているせいで、
チケットの値段が1万元を越す高値となり一般人は入手出来ない」
というデマが飛んでる。

中国の会社だったらいざ知らず、
日本の会社、諸外国の会社ではいくらなんでもこれは無理じゃろう(笑)
こんなことがまことしやかに流れるということは、
この中国という社会は平然とそれが行われているということだ。

だいたい「節電で風邪引いたよ」というと、
「何で?」と聞かれる。

「だって誰も監視しているわけじゃないんだろ。暖房つけろよ!!」
がこちらの物の考えである。

いろんな買い占めとか何かが日本で問題になっているが、
いやいや中国人に比べたら全然問題ではない!!
日本人は素晴らしい!!と再び声を高らかに叫びたい。

ところで今、帰りのチケットを手配しているのだが、
北京から東京まではいつでも飛べるが、
東京から北京のチケットはなるほど今月は一席も空席がない。

中国人よ、何をそんなに慌てて帰国する?!!
ワシはSARDSの頃でもこの国を離れんかったじゃろ!!

ほんまこの国の人達が何かに踊らされて何かをやると、
人数が多いだけにやっかいである。

Posted by ファンキー末吉 at:13:53 | 固定リンク

中国は中国で大騒ぎ

一昨日の夜北京に帰って来て、
「中国では今塩か買えなくて大変なんだ」
と聞いて大笑い。

中国のツイッターでも
「もうダメだ!!風邪に乗って放射能がやって来る!!」
とかデマが飛ぶので、
「お前なあ、東京がまだ大丈夫やのに中国なんてまだまだ大丈夫じゃい!!」
と檄を飛ばしていたが、
もともとこの国民、中央からの放送は
国が都合のいいようにねじ曲げて報道していることを知っているので、
その反面デマに流されやすいという面はあるのかも知れない。

だいたい
「塩の中に含まれている何たらという化学物質が放射能の影響を受けて...」
など庶民には理解出来ないデマほど庶民を振り回す。

結果「塩が入手出来なくなるぞー!!」ということになり買い占めが起こる。

MaiBuDaoYan.jpg

またこの国の人は並ばないから余計に大変やな〜(笑)

ニュースなんか見ても福島の映像ばかりを流すので、
日本全体がこのような状況に陥っていると錯覚するので、
「次は中国だ」みたいに思うのだろうか・・・

日本の皆さん、日本の元気な部分も頑張って海外に発信せねばどんどん誤解されますぞ!!

Posted by ファンキー末吉 at:08:50 | 固定リンク

2011年1月16日

北京での仕事全て終わり(?)日本に帰る

アレンジの仕事というのは、
いつも思うがドラムのレコーディングに比べて非常に大変である。

ワシのこちらでのギャラはアレンジはドラムの5倍の値段だが、
一昨日のように1日に6曲レコーディングしてしまえば断然アレンジよりは割が良い。

アレンジはまず仕事をもらってアレンジするのに1日、
直しを入れて(今回はキーぐらいだったがたいがい直しが入る)1日、
リズム録りに1日(今回は2日でも終わらなかったので3日)、
場合によっては歌録りに立ち会いTDに立ち会うと1週間仕事である。

今回の仕事はラテンのアレンジで、
ベースには今では若手ナンバーワンとなった韓陽、
ギターには新彊ウィグル族Kermanを呼んだ。

こうやって友人に仕事を振ってあげられるところはいいとこなのだが、
今回はパーカッションがスケジュールが合わず録りこぼれている。
Kermanはスパニッシュギターの名手であるがエレキは専門外なのでエレキのソロも録りこぼれ。

これらは日本に持ち帰りということになる。

田川くん・・・弾いてくれるかのう・・・
パーカッションは・・・ゲンタ来てくれんかのう・・・

録り終わったらそのデータ持って月末にまた帰って来ねば・・・

Posted by ファンキー末吉 at:10:35 | 固定リンク

2011年1月14日

仕事だってしているのだ!!

ラップ歌手のレコーディングが流れ
毎日酒飲んで遊んでいるように見えるかも知れないが、
まあ実はその通りではあったのだが一昨日からちゃんと仕事をしている。

BeiBeiのリハーサルをし、昨日はそれをレコーディング。
そして今日はいっぱいドラムを録音する。

毛寧という国民的歌手のアレンジを頼まれ、
Logicを使って初めてアレンジしたのだが、
それが非常に評判がよく、さっそくレコーディングしようということになっている。

「せっかくだから別のも1曲叩いていってよ」
ということで数曲録ろうということになっているが、
「そしたらうちのも1曲」ということで曲がどんどん増えてゆく。
中国では「1曲いくら」なので商売としては嬉しい限りである。

こんな時に限って
「ファンキーさん北京にいたら1曲お願いしたいんですが」
と連絡が来る。
「今日にしなさい!!そしたらいっぺんに出来るから」
と返事をする。

ドラムなんてヘタしたら別のスタジオで録るとすると、
ドラム運んで1時間、
セッティングに1時間、
音決めに30分、
レコーディングはヘタしたら30分、
そして片付けにまた1時間、
運んで帰るのに1時間とかかかるので、
出来たらひとつのところで一回でやってしまいたい。

明日はその自分のアレンジにベースやギターをかぶせて仕事終わり!!
明後日には帰ります。

うん、今回はいっぱい仕事した!!

Posted by ファンキー末吉 at:10:46 | 固定リンク

2011年1月12日

新年会(LuanShuのバースデーパーティー)

「ファンキーが北京にいるのか?」ということで
「11日夜に乗馬クラブに集合!!」というメールが届く。

空港の近くの辺鄙なところにある大金持ち相手の乗馬クラブ。
だいたい北京は金持ちになるほど、
または貧乏人になるほど辺鄙なところに移り住むが、
うちの院子なんかよりもっと辺鄙なんだから金持ちの度合いももの凄い。

PertyHouse.JPG

こんな豪勢な建物が広大な敷地に何個もあるのだ。
馬を走らせるトラックもあれば体育館のような馬舎もある。

中に入ってみればロビーに池がある。

PertyLobby.JPG

専属のコックが派遣され、

PertySheff.jpg

ケータリングがずらりと並ぶ。

PertyCataring.JPG

LuanShuは昔から乗馬クラブを持っていたがこれほどではなかった。
うちの母と親戚が初めて北京に来て、
それではここで天ぷらを作りましょうと言った時、
あとで話してくれたところによると彼らは金がなく、
あんなにたくさんの天ぷら油が買えないのでお隣に借りに行ったということである。

そんな昔の乗馬クラブにひとりのロシア人がいた。
名をBaNaと言い、ワシのヘタクソな中国語を一生懸命聞いてくれた。
後に乗馬クラブを閉めることになり、
国に帰ったのか音沙汰聞かなかった彼がそこにいた。

PertyWithBaNa.JPG

ワシは小躍りして抱きついた。
昔からオッサン顔だったので20年たってもまるで変わっていない。
まるでタイムスリップしたかのようにあの頃のままのBaNaがそこにいた。

昔話に花が咲く。
ホットワインをしこたま飲んだ。

ホットワインは趙明義の昔の彼女だったドイツ人、
アンディーが初めて中国に伝えて乗馬クラブでみんなで飲んだ。
みんな彼女のことを大好きで、彼にはこいつしかいないと思ってたのに、
彼はあんまり美人でない彼女と別れて、
後にはキャバレー(売春あり)を何軒も経営し、
「俺は嫁はいないが200人のお姉ちゃんといつでもセックス出来る」
という人間になった。

「みんな偉くなっちゃって変わっちゃったね」
とワシは言う。

「人は変わらなければ生きてゆけないんだよ」
とBaNaは言う。

みんな貧乏で、安酒飲んでロックと夢と、
そんなアホな話ばかりしてたあの頃の友達はみんな変わってしまって、
今は会っても車の話と家の話、女の話と商売の話、
世知辛い話ばっかで何も面白くない。

「あの時代はもう帰って来ないんだ」
とBaNaは言うけど、
ワシは何とかかろうじて生息している貧乏なアンダーグランドバンドと一緒に暮らしている。

泣いたり笑ったりふたりでいろんな話をしているうちに、
ふと会場の片隅で居場所もなくひとりでぽつんと座っている李漠(LiMo)を見つけた。

「よっ!!一夜にしてスターになった気分はどうだい!!」
さっそく呼びつけてからかってみる。
しどろもどろにジョークを返す彼女を見てワシは全部理解した。

「周りが突然あまりにも変わってしまって、自分の居場所がなくって困ってるんだろ」

先日の焼き肉にも顔を出さなかった。
「彼女どうして来ないんだ?」
とみんな言ってたが、彼女の今日の表情が全てを物語っている。

「俺が昔スターだった話、知ってるか?
このBaNaと知り合った頃、日本ではちょうど今のお前みたいな感じだった。
バンドが好きでドラムが上手くなりたいだけの人間がある日スターになっちまって、
居場所がなくって中国に逃げて来た。
でもなあ、今でこそわかる。
スターなんて砂で出来た城みたいなもんだ。
それをみんながむしゃらに守って生きている。
場違いなテレビとか毎日駆り出されるだろ?
右見ても左見ても大スターばかり。
俺もあの頃は"こんなスター達の中で何で俺がいるんだ"と思ってた。
でもそのスター達だって逆に
"すっげー!!ロックスターが今隣にいる"
とか思ってビビってんだ。
そんなもんさ」

事実この日の李漠(LiMo)の周りは大スターばかり。
ワシは彼らがペーペーの頃から一緒だから何も思わないが、
さすがに初めてここに放り込まれたらそれはビビってこうなるのもわかる。

「確かにお前はずーっとアンダーグランドの人間だった。
金にもならないロックを歌っているバンドのボーカルだ。
そして今もしょせんはそうなんだ。
そのことにコンプレックスを持ってたってしかたない。
むしろそのことに胸を張れ!!誇りに思え!!」

中国の芸能界の歴史の中でも、
若くもない、美人でもない、ただロックが好きで歌がうまいだけの人間が、
ある日を境にに突然大スターになるなんてことはなかなかない。

「お前は俺たちと一緒なところで生きて来た人間だ。
それが何かの運命でここに来た。
日本で俺がそうなった時は俺はそれに背を向けて逃げて来た。
でもお前は逃げずに頑張るんだ。
お前が頑張ればアンダーグランドの人間みんなが幸せになれる」

頃は数ヶ月前、誰も彼女がこんなになるとは夢にも思ってなかった頃、
ワシは彼女を呼び出して説教をした。

「お前な、そうやって今までやって来たメンバーをないがしろにしてると、
お前が失敗した時はいい、万が一大成功でもしてみろ、
みんな表面でいい顔して心の中で軽蔑する、
お前はそんな人間になりたいのか?!!」

ワシだって彼女がその後こんなことになるとは夢にも思ってなかった。
しかしこれも運命である。

間に合った!!

彼女は既にバンドメンバーに電話をして、
今後1年の自分のギャラをみんなで分けたいと申し出ている。

ほんと、間に合ったのである。
今日はベースの韓陽と会ったが、
みんな彼女の成功を祝福している。

このまま彼女が一本何十万元の歌手になっても、
自分のところにその4分の1が入るなんて思ってない。
要はその「気持ち」が嬉しいのだ。

「お前はな、いつまでたっても俺たちと一緒なところにいる。
お前が生きて来たところに胸を張れ!!
そこには奴らがいて俺がいる。
お前はそこにもいてここにもいる、そんな数少ない人間のひとりなんだ!!」

セッション大会が始まり、
今までどこに言っても隠れるように隅っこで隠れていた彼女も、
いつの間にか大スター達のマイクを奪ってハナモゲラで歌を歌う。
スター達だってしょせんは一皮向けばワシと同じアホばかりなのである。

「もう帰ります。今日はほんとに・・・初めて楽しかった・・・」

彼女はそう言って先に帰って行った。
これでもうしばらくはこの世界でも迷うことなく生きてゆくだろう。

またもし迷うことがあったらワシがいる。
一緒に頑張って来たバンドメンバーがいる。
「変わらなきゃ生きてゆけない」世の中でも、
ずーっと変われなくて不器用に生きている仲間もいるのだ。

頑張れ李漠(LiMo)!!アンダーグランドの星!!
俺たちはずーっとお前を見守っているぞ!!

PertyWithLiMo.jpg

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2011年1月11日

銀行カード無事ゲット!!電気も無事(?)ゲット!!

朝早くに起きて銀行に行った。
番号カードを取って順番を並んで、
窓口でさっさと書類とパスポートを出す。

「一昨日、ここのATMでカードなくした!!
カードの番号はこの書類!!
私のIDはパスポート!!」

これだけである。
ついでに最後に引き落とした時間が携帯にショートメールで届いているので、
「これがカードなくした時間!!」

中国語はこれだけで済んだ。
見れば別の係員がノートと輪ゴムでとめられた沢山のカードを持って来て、
ワシの銀行名とカード番号からカードを特定し、
名前をパスポートで照合して、
「はい、ここにサインして」
で終わりである。

めでたしめでたし!!

ということで院子に帰ったがまだ電気は通じていない。
大家さんが機材を持って一生懸命直している。

ワシは布団にくるまってiPadで映画を見ていた。
気がつけば周りはすっかり暗くなって来て、
ふと見ると他の部屋は電気が来ていてうちだけ来てないではないか!!

大家んとこに殴り込みに行く。
「なんでうちだけ電気来んのじゃ!!」

大家の説明では、
どっかが漏電している恐れがあるのでコンセントを全部おおもとから抜けと。

8部屋もあってスタジオには山ほど電気機器があるのにあいにく今日はワシしかいない。
懐中電灯を持って全ての部屋のコンセントを抜いてまわった。
それでもダメだというので全ての電球を外してまわった。

やっとOKになったので今度はひとつづつ電球を入れてゆく。
原因はスタジオの電球の回線だった。

とりあえずは騙し騙しではあるが電気はつながった。
こたつの中で仕事をするぞ!!

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2011年1月10日

ラップ歌手のミーティング

今回は本人抜きでミーティングが行われた。

「個人的な問題は解決しました。
頑張って曲作りに励みます」
とメールをもらっていたのでこうして極寒の北京まで帰って来たのじゃが、
実はそれ以外にもいろいろ問題が多いらしい。

事務所が連絡しても返さない。
勝手に自分で仕事をブッキングする。
出番直前にドタキャンする。

等いろいろ問題を起こしているらしい。
事務所としては「コントロール不能」ということで、
とりあえずこのプロジェクトを停止しようということである。

もちろんもらった前金は返さないが・・・

ミーティング場所には彼との連絡係も含め、
いろんなアレンジも振っていた苗佳(MiaoJia)と、
いつもながら何の仕事をやってる人なのかよくわからんDongLinという男がいた。

左手をいつもポケットにしまい、
「ヤクザとの抗争で指を失った」とかまことしやかに噂されるアヤシイ男である。

この男、昔はワシに
「スタジオを作るからお前それを自分のスタジオとして自由に使え」
という話を持って来たところからの付き合いである。

「貧民街に作ったばかりでんがな!!」
と言うと、
「マンションも借りてやるから引っ越せ!!」
と言う。

おまけに
「このスタジオを自分で使う分にはお金はいらん。
好きに使え!!
そして外部に貸して儲かった金は3割お前にやる!!」
という好条件付きである。

こちらの有名プロデューサーがスタジオをいくつも持ってたりする話を聞くが、
それがどういうシステムなのかがよくわかった。

つまり「DongLinのスタジオ」と言ったところで通りが悪いが、
「誰々のスタジオ」等、有名プロデューサーの名前があった方が通りがよいというわけだ。

バブルの北京ではそんなスタジオが山ほど出来ている。
ワシぐらいでそんな話が来るぐらいだから超有名ブロデューサーがいくつもスタジオを持っているわけだ。

まあ結局ワシは貧民街で貧乏なアンダーグランドバンドと暮らす道を選んだが、
その後も彼は
「ロックのオムニバスを作るからプロデュースしてくれ」
とかわけのわからんプロジェクトを持って来る。

しかもどれも途中で尻つぼみになっているんだから力があるのかないのかよくわからん男だが、
このラップ歌手のプロジェクトにも恐らく金を出しているのだろう、
今では「あいつはこの男の言うことしか聞かない」ということで乗り出して来たようだ。

彼はいつものように熱く中国ロック論をぶちかます。
「崔健、黒豹、唐朝、あの時代からNiuBi(ファッキングレートの意)なロックが現れていない!!」
が彼の口癖である。

事務所は「売れるアルバムを作ってくれ」というのに対して、
彼はいつも「ファンキー、ロックだ!!NiuBiなロックを作ってくれ!!」と言う。

ワシは彼に説明する。
「ロックは時代と共に生まれ、育ってゆく。
あの頃のロックはあの時代のものなのだ」
と。

しかしワシはこのラップ歌手は次の時代を担うロックスターになれると思っている。
歌詞がワシの中国語力では全部は理解出来ないが、
要するに何か「空気」のようなものである。

アンダーグランドの底辺にいる24歳の不良の歌を、
全国の道に迷った中学生がみんな口ずさんでいる。

「あと5年したらその子供達が時代を作ってゆくことになる。
その時に彼は時代を代表するロックスターになってるに違いない」

そんな「錯覚」を人に生ませるかどうかがまた「才能」である。
そんな「錯覚」をした大人達が金を出し、
ワシという人間を引っ張り出し、
そしてその「錯覚」を現実のものにしようと走り出した時、
その本人は女と手に手を取ってタイに逃げ出した。

よくわからない。人は
「あいつは母親がいなかったからなあ・・・
女っつうのに対する感情が俺たちとは違うんだろ」
と言うが真偽のほどもわからない。

とにかく事務所はさじを投げ、
ワシは前金だけをもらってこのプロジェクトは中断した。

ワシは言う。
「どんなに才能を持った人間でも、
上に行けるか行けないかはまた別の才能である。
彼が本当にトップに行ける人間だったとしたら、
旧正月が終わったら帰って来てまた始めるだろう。
そうでなかったらただそこまでの人間だったということだ」

ミーティングを終えて飲みに行く。
キャッシュカードの一件のため金はないが、
でも奢ってくれる友達がたくさんいて、
院子には電気が来てないが泊めてくれる友達がたくさんいて、
そう言えば昔のロッカーはみんな、
国から与えられる単位(職場)を放棄して毎日友達んとこで酒飲んでそんな生活をしてたなあ・・・

今は昔、変わるものは大きく変わるが、変わらないものは全然変わらない。
ワシはまだまだ変わらずに生きてゆこう・・・

Posted by ファンキー末吉 at:12:44 | 固定リンク

その続き・・・

銀行に行った。
9時に開くというので8時半に行った。
「今日は担当者がおらんので明日9時に来い」
と追い返された。

今日は日曜日。
中国の銀行は年中無休だが、
さすがに日曜日にはやれない業務もあるのか・・・
とあきらめようと思ったが、
ふと手元を見ると持ち金がない。

カードを紛失したのは農業銀行、
ワシのカードは招商銀行なので、
とりあえず招商銀行に行ってカードを再発行出来ないか聞いてみよう。
前回から更に数年が経過しているため、
パスポート番号が更新のためまた変わっている。

まあどちらにしろめんどくさいのだ・・・

農業銀行よりは大きな銀行である。
心なしか対応もよい。
順番待ち番号を取る前にお姉ちゃんが事情を聞いて教えてくれる。

「カードの再発行は最低でも1週間かかります。
その銀行が翌日カードを返してくれると言うなら、
うちであなたがそのカードの持ち主だという証明書を出しますので、
それを持って明日そちらの銀行に行くのが一番早いですよ」

親切に順番カードまで取ってくれて無事証明書発行!!
午後からミーティング!!

Posted by ファンキー末吉 at:12:31 | 固定リンク

2011年1月 9日

極寒の北京に着いたら悲しいお知らせ3連発!!

常夏のペナンから極寒のペキンである。
気温差40度・・・

マイナス15度の北京空港に降り立った時、
迎えに来てたLaoWuから「悲しい知らせ」を2つ聞いた。

ひとつは友人が結婚祝いにプレゼントしてくれたオンボロジープ。
車検に出したのだが、もう製造20年経ってしまったので車検が通らないというのだ。

ボロくってすみません号・・・
君は中国ロックのために本当によく働いてくれた。
修理代が購入代よりも高くかかってしまったが、
君と暮らした5年間のことは忘れない・・・

Borokuttesumimasenngou.JPG

そしてもうひとつは「院子が数日停電している」ということ。
これは命にかかわる!!

もともとマイナス15度のところにあるただの「コンクリートの箱」なのだ。
コタツもエアコンも使えないとなると寝たらそのまま凍死してもう起きて来ないことにはなるまいか・・・

服を着込んで、ドテラまで着込んで布団に入った。
朝早くLaoWuに起こされる。
旧正月で田舎に帰る彼を送りに行くのだ。

空港に着いて暖をとってる時に発覚した。
キャッシュカードがない!!!

夕べ村の近くの銀行でお金を下ろした後、
どうもそのままATMから取り忘れてしまったようだ・・・

中国では1回の作業で2000元しか取り出せず、
更に続けるには「継続」を押し、
それで終わりなら「カードを取り出す」を押す。

「カードを取り出す」を押したらそのカードを忘れるわけはないので、
きっとそのままにして現金だけ取って帰っていったのだ・・・

当然ながら次にこのATMを触る人はもう暗証番号は入っているのだから、
1日の限度額2万元までそのままお金を引き出すことが出来る。

しかし私のカードは
現金を引き出したら自動的に携帯にショートメールで知らせてくれるので、
現状ではまだ誰かが引き出したということはないようだ。

「すぐ行ってカード取って来る」
と言うワシをLaoWuが止めた。

「まだ銀行開いてないから無駄だよ」

どうも中国のATMはそのまま30秒操作されなかったら、
カードを回収したまま機械を停止してしまうらしい。
銀行が開いたら職員はそのカードを回収し、
引き続きATMが使えるようにするのだと言う・・・

銀行が開いて幸いカードが回収されていたとしても、
中国の銀行は通帳がなくカードと暗証番号だけなので本人確認が大変である。

前回は(こちらに顛末が)
パスポートが更新によりパスポート番号が登録してたのと変わってたので大変だったが、
今回はその時から既にまた更新されているのでまた大変である。

こんなことなら10年のパスポートにすればよかったと思うが、
5年のパスポートでも出入国のハンコでいっぱいになるので無理である。

うまくいけばおなぐさみ・・・
いかなければ・・・

ワシの今まで中国で稼いだ金を全て失うことになる・・・

Posted by ファンキー末吉 at:08:26 | 固定リンク

2010年12月22日

あかん・・・中国のTwitterにハマってしもた・・・

何度か書いたか中国では国家が
TwitterだのYouTubeだのにアクセスするのをブロックしている。

まあ一党独裁国家で人民が敵国アメリカのサーバーで好き勝手に反政府運動を繰り広げられては都合が悪いのだろうが、
ここが「上に政策あれば下に対策あり」の中国人の凄いところで、
別に国家がアメリカのサイトにアクセス出来ないようにしようが関係ない!!

YouTubeの代わりにはYouKu
そしてTwitterの代わりには微博がある。

ページに行ってもらえばわかるが、
何とフォロアーの数が桁違いである!!

ワシの日本の知り合いで一番フォロワーが多いのは、
中国関係で知り合った蓮舫さんだが、
それでもフォロワーは20万人である。

ところが中国の知り合いは桁は数百万なので恐れ入る!!!
自国にこれだけ人数がいると別にアメリカに頼らなくても自分たちで全部出来てしまうのだ・・・

友人に
微博やれよ、自分のプロモーションにも役立つよ」
と言われて、
まあ登録するだけならと思ってIDだけは取っておいた。

ところがここに来て誰かがワシのアカウントで
「私はファンキー末吉です。フォローして下さい」
と呟いたもんだからたまらない。

誰がやったかわからんが、
きっとワシが使った友人のパソコンにそのままIDが残ってたのだろう。
それを 知り合いの有名人がRTしたもんだから、
いきなり「ファンキーさんも始めた」とばかりいろんな人がフォローし始めた。

つぶやいたらいかん、つぶやいたらいかん・・・

そう思いながら数日、
ここに来て黒豹のドラマー、趙明義のつぶやきを見てついつぶやいてしまった。

临沂の友人達よ!詳細を教えてくれ!!
誰かが黒豹の名前を使って商売をしている!!
黒豹は今北京にいるのに誰が今日临沂でコンサートをしてるのだ?!!
これは詐欺だ!!」

おりしも临沂のワシが行った時のパール倶楽部のオーナーから
「黒豹のボーカルの秦勇が来るんだけど遊びに来ないか?」
とメールをもらったばかりである。

調べてみるとその体育館コンサートに秦勇を呼んだ主催者は、
堂々と彼が黒豹から脱退前の写真をポスターに使って宣伝したのだ。

HeiBaoGuangGao.jpg

そのつぶやきを临沂の公安局が返信するほどの騒ぎになっている。


もともと黒豹というのは中国で最初に「海賊バンド」が現れたバンドである。

もう20年近く前であろうか・・・
当時「ロック」というだけでテレビには出れなかった時代、
大ブレイクした黒豹の曲は全中国人が知っているが、
いかんせん誰もその顔をはっきりと知らない・・・

顔を知る術はその発売されたカセットテープのみである。

そこである若者はこんなことを考えた。
「あのカセットテープの写真のような格好をして、
バンドを組んで彼らのコピーをし、
自分たちが「黒豹」だと名乗ってコンサートをしようじゃないか・・・」

黒豹本人が認識しているだけで2件そういう事件があったんだから
実際にはもっともっとこんな輩が現れていたのだろう。

どうしてこれが発覚したかと言うと、
一生懸命コピーはするもののやはり素人である。
体育館クラスのワンマンコンサートで、
客が次第に気がついて来た。

「これはひょっとしてニセモノではないのか・・・」

誰かが「ニセモノだ!!」と叫んだが最後、
数万人の観客は「騙された」とばかりステージになだれ込み、
そのバンドのメンバーをめった打ち!!

まあだから発覚したのだが、
発覚してないコンサートはきっと山ほどあったことだろう・・・

懐かしくてつい彼に向かってつぶやいてしまった。

いやー懐かしいねえ・・・李慧珍のレコーディングの時にもお前、
「黒豹の名前を勝手に使うな」と言って大もめした
ねえ・・・

日本語だけど写真があるからこのブログのアドレスを見せてやろうと貼付けたら、
当の本人の李慧珍がそれを見て、
「ファンキーさん・・・私・・・涙が出てきちゃったわ・・・」
と発言。


彼女はその後ワシのプロデュースによってヒット街道を走って今がある・・・

この話は中国でも有名で、
ある日など地方のテレビ局が
「彼女をびっくりさせたいのでサプライズゲストで来てくれませんか」
と安徽省まで呼ばれたことがある。

番組の中でワシが登場したら彼女は号泣・・・
ベタだったがいい番組だった・・・


そしてふと見ると・・・5分間に10人ずつワシのフォロアーが増えている・・・

あかんやん!!
日本のTwitterだけでいいかげん大変やのに中国のまでやってられるかい!!

しかしモノは考えようである・・・

中国ではUstreamも規制されているが、
ツイキャスなら中国からでも見れる。
このアドレスをつぶやいといてやろう・・・

明日は西野さんのライブで高田馬場に行く。
あの超絶ブルースギターを中国人に生中継してやろうじゃないか!!

いろんな有名人がツイキャスで生中継して、
当然ながらそれを見る人は全て日本人である。
中国人しか見ないツイキャスなんて非常に面白いんではあるまいか?!!

明日このアドレスでライブ配信します。
メンバーが許せばリハから配信しようと思うけど、
すまんが明日は全部中国語で解説してみようと思う。

何人の中国人が見るだろう・・・
中国語でつぶやかにゃつぶやかにゃ・・・
(注:日本のTwitterにはそのつぶやきは反映されませんのであしからず)

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2010年12月20日

女性ロック歌手「李漠(LiMo)」のその後

いい話があったのでここでご紹介しときたい。

李漠(LiMo)あれから一度訪ねて来た。

「ファンキーさん、私・・・今後のライブでの収入をバンドと分けることにします」

レコードが商売にならない中国ではコンサートでの収入だけが全てなので、
ソロでレコードを出した彼女にしてみたらこれは並大抵の決断ではない。
ワシの知る限り中国でこのような決断を下した歌手は皆無である。

ワシは言った。
「お前もクソ貧乏なんやから一生とは言わんでええ!!
向こう一年とかな、メンバーも銭金やない、気持ちの問題や!!」

LaoLuanにもすぐさま電話して、
「今後李漠(LiMo)のライブがあったら
ワシやのうてあのバンドのメンバーをブッキングしてや!!
メンバーの都合が合わんかったらワシがやってもええけど、
まずは優先的に彼らにやらしてやってや!!」
と伝えた。

これでいいのだ!!
貧乏でも仲間がいればこの国では生きてゆける。
頑張れ李漠(LiMo)!!

・・・と思ってたらここに来て状況が一変した。

LuanShuとやっていた映画音楽の仕事が終わり、
この年末に公開されるということで大々的に記者会見が行われた。

中国に一大北海道ブームを巻き起こし、
中国人観光客が北海道に大挙して押し寄せ、
観光収入が激増したと知事が感謝状を贈ったというエピソードもある、
その大監督が撮ったその続編の映画であり、
彼の前作「唐山大地震」は100億円を越す興行成績を残しているという、
言うならば今中国で一番売れている監督の期待の最新作である。

その主題歌を李漠(LiMo)が歌った!!

監督はLuanShuに面子を重んじて、
この大作の貴重な主題歌を彼んとこの無名の新人に歌わせたのだ。

全中国人が注目する記者会見で彼女はこの歌を歌い、
そのプロモーションビデオはこの監督自身の手によりこの映画を編集して作られた。


(ブラウザによって再生出来ない場合にはこちらへ)

《最好不相见》
曲:栾树 词:仓央嘉措 演唱:李漠

最好不相见,便可不相恋。
最好不相知,便可不相思。
最好不相伴,便可不相欠。
最好不相惜,便可不相忆。
最好不相爱,便可不相弃。
最好不相对,便可不相会。
最好不相误,便可不相负。
最好不相许,便可不相续。
但曾相见便相知,相见何如不见时。
安得与君相诀绝,免教生死作相思。
最好不相见,便可不相恋。
最好不相知,便可不相思。
最好不相伴,便可不相欠。
最好不相惜,便可不相忆。
最好不相依,便可不相偎。
最好不相遇,便可不相聚。


中国の古い詞を用いたこの曲は一瞬にして全ての中国人の心をとらえた・・・

昨日LuanShuから電話がかかって来た。
「ファンキー、いろいろありがとうな。
おかげで李漠(LiMo)のHPは2日でアクセス1千万を越えたよ」

もともとはと言えばお前が
「こいつを何とかしたいんだ、頼むよ」
と言ってワシに預けたのだ。
ワシはアルバムをレコーディングしてやるぐらいしか出来なかったが、
最後にはお前が自分の手で落とし前をつけた。

これでいいのだ!!

大々的に配られている彼女のプロモーション盤にはちゃんと、
バンドのメンバーの名前もワシの名前もアホのアシスタントの名前もクレジットされている。

LiMoCredit.jpg

ド貧乏なひとりのロック歌手が一夜にして大スターになった。
ワシの助言は彼女を取り巻く全ての人間を幸せにした。

これでいいのだ!!

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2010年12月17日

だいたいがそんなに予定通りにいくわけがない・・・

北京空港に着いたらすかさずアホのアシスタントに電話する。

「んで? 最初のレコーディングは結局誰になったの? BeiBei?」

その最初のレコーディングの人がミーティング終わりでワシを2時に迎えに来て、
そのまま一緒に院子に帰ってレコーディングという段取りになっている・・・

・・・はずである・・・

「あ、BeiBeiはレコーディングしないそうです」
ひょうひょうと答えるアホのアシスタントにちょっとキレそうになりながら、
「あ、そう。じゃあ紅焼肉楽隊は?」

紅焼肉楽隊のことはよくわかりませんが・・・私のレコーディングは明日の朝9時です」

だいたいワシは数日前から彼に、
「滞在時間は2日間だけである。
BeiBeiが2日間押さえているが、紅焼肉楽隊もやりたいというので、
お前が全てに連絡取って時間調整して、
最初にレコーディングする人が2時にワシを迎えに来て・・・」
とメールを書いているのに、
結局こいつは自分のレコーディングしかブッキングしてないのだ・・・

力なく電話を切ってBeiBeiに電話する。
「今日はレコーディングないの?!!」
心なしか語気がちょっと荒い・・・

「あれ? ファンキーさんは今回は紅焼肉とか他の仕事が忙しいんでしょ?」
「他の仕事は関係ない! お前はやるのかやらないのか?!!」
「いや今回はベースの韓陽がツアーでいないから出来ないんです・・・」

元はと言えばこいつが
「ファンキーさん月末に一度リハーサルして、
じゃあ来月は16日と17日に2日間かけて録っちゃいましょう」
というから今回の行程を組んだのだ。

日にちを決める前にちゃんとミュージシャンのスケジュールを押さえとかんかい!!!

というわけでデブに電話する。
「いつでもレコーディング出来るぞ!!メンバー招集しとけ!!」

力なくラップ歌手のミーティング場所に着く。
このプロジェクトだけがちゃんと前金をもらっているのでこちらとしても力が入る。
予定をオーバーしつつ中国の音楽市場について力説し、
大体の方向性と今後のスケジュールを決め込んでゆく。

後は旧正月にそのラップ歌手を日本に招聘して、
そこでリーディングソングを数曲レコーディングしてそのままTD。
旧正月開けにはその他の楽曲を仕上げて、
予定通り春にはアルバムをリリース・・・と・・・

「ところで新曲が全然上がって来ないんだけどどうしたの?」
とちょっと元気のないラップ歌手を心配してみる。

「彼はちょっと心情不好なんだ・・・」
と周りが笑いながら言う。
「何だ何だ? 色恋沙汰か?・・・ま、いい。日本にはその彼女も来るんだろ?
温泉連れてってやるから!! お前は全身入れ墨なんで無理やけど・・・」

冗談も交えながら普通に受け答えていたが、
後で聞いたら色恋沙汰から派生した暴力沙汰だそうである。
まあ彼は被害者なのだそうだが、今中国ではネットで大きく騒がれているらしい・・・

「それより何より彼のビザって本当に下りるんですか?・・・」
スタッフが心配そうに聞く。

聞けばどうやら犯罪歴もあるようだ・・・

ワシの横にちょこんと座っているおとなしい少年・・・
ステージでは全中国の若者を魅了するこの少年は実はとどのつまり・・・

・・・全中国の不良の親玉なのだ・・・そしてワシはその親分・・・(涙)

ビザは下りんじゃろ・・・旧正月明けたら北京でゆっくりレコーディングしましょう・・・

Posted by ファンキー末吉 at:09:48 | 固定リンク

2010年12月16日

こなせるのかこのスケジュール?!!

先月は和佐田のツアー中国などで数日しか家にいなかった。

ツアーから帰ってすぐ「また中国行かにゃぁ・・・」とこぼしたら嫁が涙目になったので、
とりあえずは爆風のライブもあることだしということで日本にずーっといたら、
結局今回北京に行く数日に全てのことをやってしまわねばならない・・・

今から数時間後には羽田に行って北京に飛ぶが、
正午に着いてまずラップ歌手の制作ミーティング。

これは既に前金をもらってしまったので最優先にさせてもらっている。

1時にそいつの事務所着いて、
DEMOなど聞かせてミーティングして、
基本的に2日間レコーディングで押さえているBeiBeiに迎えに来させて、
一緒に院子に帰ってレコーディング・・・

・・・と思ったらデブからメール・・・
「ファンキーさん、この2日間で紅焼肉楽隊のレコーディングリハする時間ありますか?」

「んなん知らんがな、BeiBeiに聞きなはれ!!」
とばかりうっちゃっていたが、また何がどうなってるのかBeiBeiが連絡が取れない。

国際電話かけるのももったいないのでアホのアシスタントにメールして振っておく。
しかしこんな時に限ってこいつは仕事を取って来るのだ・・・

「ファンキーさん、この2日間で1曲ドラムのレコーディング出来ますかねえ・・・」

お前が全ての人間に連絡して時間を調整すんならワシはかまわんぞ!!
まず16日は正午に着いてラップ歌手の事務所でミーティングするので、
最初のレコーディングの人はワシを2時にそこに迎えに来なさい。
その後その日は夜中まで入れ替わり立ち代わりレコーディングすればよろしい。
次の日は朝からすればよろしい。
ワシは夜の8時には出発して揚洲に向かうからそれまでの時間は全部お前に任せた!!

アホなりに頭を使ってそのレコーディングは次の日に朝に入れたようだ。
どこの世界にもロックミュージシャンは朝起きないので賢明な判断である。

それでもメールでアレンジした仕事のミーティングは入れられるやわからないし、
旧正月に招聘するラップ歌手の手続きもやる時間があるやらわからない。

なんじゃかんじゃで揚洲に行ってしまえばこちらのもんである。
「没問題(MeiWenTi)」という言葉があり、いわゆる「ノープロブレム」なのだが、
それと平行して「没办法(MeiBanFa)」という言葉もよく使う。
「There is no choice」すなわち「しゃーない!!」である。

Wyn Davisが中国に来た時にこんな言葉を残した。
「そりゃノープロブレムじゃろ・・・何事も全部しゃーないんやからなあ・・・」

北京にいなけりゃそりゃ「没办法(MeiBanFa)」・・・
せやから「没問題(MeiWenTi)」、全てOKなのである。

さてワシはそのまま夜汽車に揺られて揚洲まで行って、
18日の朝に着いてそのままドラムクリニックを行う。
終わったらお決まりの大宴会・・・

しかしワシは19日の夜にはでプロJam爆風スランプ大会のセッションリーダーをやらねばならない。

揚洲という場所がどこにあるかようわからんが、
一番近い国際空港は上海のようだ。

終演後に酒を飲み、そのままそこのパール倶楽部のオーナーがワシを車に乗せ、
5時間かけてワシを上海空港まで乗せて行ってくれるらしい・・・

ほんまに間に合うんか?・・・

予定通り朝一番の飛行機に乗れれば午後2時には成田に着いて、
そのまま夕方には八王子についてセッションをしているはずである。

では日本のみなさん!!19日にLive Bar X.Y.Z.→Aで会おう!!
(順調に行けばの話やが・・・)

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2010年11月16日

いっぱい仕事したどー!!

昨日いち日ふて寝したので今日は働いた。

まず午後からラップ歌手のミーティング。
散歩も兼ねて歩きとバスと地下鉄で相手の事務所まで向かう。
1時間ちょいということはこの貧民街は日本で言うと八王子ぐらいの位置にあるのね・・・

着いたらラップ歌手はギタリストを連れて来ていた。
今彼が一緒にいろいろDEMOを作っている相方だ。

通常こういう場合は話がややこしくなる。
会社が選んだプロデューサーより、
いつも一緒にやっている人間の言うことしか聞かなくなるというのはよくある話だ。

しかしこのギタリスト、苗佳(Miao Jia)張楚(Zhang Chu)のバンドでも一緒だったし、
今まさにレコーディングしようとしている紅焼肉楽隊のギタリストでもある。

RUN DMCがエアロスミスのWalk This Wayをカバーしたように、
「X.Y.Z.→Aのカバーやんなよ」という意見にも一緒に飛びついて来る。

事務所の社長も飛びついて来た。
この事務所の社長も古くからの友達である。

金を出すのは事務所だが、
その事務所の人間が全面的な信頼を置いてくれるということは非常に仕事がやりやすい。

じゃあ帰ろうと思ったらもうひとり来るから待ってくれと言う。
待ってたら別会社のDである。

きっとこのプロジェクトに投資してるのか何かであろう。
彼には数年前「ロックのオムニバスを作るぞ!!」と声をかけられ、
あてにしてX.Y.Z.→Aの中国語バージョンまで作って企画が流れてしまっているので貸しがある。

「ファンキー、NewB(牛のおま○こ、つまりファッキングレートの意)なRockアルバムにしてくれよ」
の一言で終わる。

ここで全ての関係者のベクトルがひとつに集約した。
「ファンキーに頼めば世界レベルのRockになる」
これだけである。

知り合い以外が関係者にいない、
この状態をなし得るまでにワシは20年の月日を費やしている。
ロック界でファンキーを知らなければ「モグリ」なのである。


あと重要なこと、事務所と契約書を交わしてサインした。

これは昔にはなかったことだが、
金の支払いまでちゃんと明記されており、
明日にはちゃんと前金が振り込まれるだろう。

仕事成立!!

別れ際に苗佳(Miao Jia)がワシの肩を抱いてこう囁く。
「ファンキーさん、いろいろ助けて下さいね」

ワシは言う。
「助けてもらいたいのはこちらの方さ。
ラップ歌手とワシの間に立っていろいろよろしく頼むよ」

彼は言う。
「いやいや、僕はいろいろあなたから学びたいんです」

どうも金ももらうつもりはないようだが、
いやいやちゃんとギャラは払いますよ。
プロデュースの名前に一緒に連ねてもいい。
こういう損得なしで燃えている人材が一番必要なのよ!!


みんなと別れて張張を訪ねて行った。
彼がプロデュースしている歌手のアルバムのミックスをファンキースタジオ八王子でやりたいと言うのだ。

中国のデブでも日本のデブでも仕事をくれるデブはいいデブである。
(鄧小平の白猫黒猫の理論より)

別にデブは今日のレコーディングが終わったらデータを持って来ると言うのだからわざわざ行かなくてもよかったのじゃが、
その歌手というのが会ったことのない人なので、
これは一度脅しをかけに・・・いや、ちゃんと面通ししに行かねばと思ったのだ。

想像するにこのプロジェクトはその歌手が自分で金を出している。
そしてどんな人間にも「感情」があり、中国人は特にそれが強い。
大事な金を払う相手をちゃんと見極めておきたいというのは人情である。

そのスタジオとやらは初めて行くスタジオだったのじゃが、
そこのエンジニアがワシのソロアルバムを聞いて育った世代だった。

「やっぱりファンキーさんでしたか。あのアルバム聞いてました。
一緒に写真を撮って下さい」

こういうシチュエーションはその金を出す人に大きな安心感を生む。
すかさずデータの受け渡しについていろいろ打ち合わせをし、
ミックスの方向性、特に中国のマーケットにどう合わせるかを話し合う。
この辺は外国人ではまず出来ない技なので先方には更なる安心感を生む。

最後に金の支払いについて話をして終わり。
みんなワシが必ず前金を取るのを知っているのでそれも尊重してくれる。


院子に帰ってしみじみ思う。
ワシは20年ここにいるからそれが出来るのだ。

どんなところにでも10年頑張れば地盤が出来、
20年頑張ればそれなりの地位が出来る。

日本やアメリカに仕事を振る時に、
「高いだろ」
と言われたら必ずワシは
「中国値段でいいよ」
と言う。

「悪いねえ・・・」
とみんな言うが実はわかっていない。
不景気のどん底であがいている日本より、
ドル安であがいているアメリカより、
バブルまっただ中の中国の方がヘタしたらギャラが高いのだ!!

まあ今は円高なので両替して持って帰ろうとは思わない。
突然没収されるリスクはないとは言えないが、
北京のスタジオの維持や何やらこちらでも金が出てゆくのだから仕方がない。

日本政府よ!!円高をいつ止めてくれる!!!

ま、どっちでもいいけど・・・

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2010年11月15日

ふて寝するしかないなあ・・・

北京に帰り着いた。
寒い・・・

もともと今日は紅焼肉楽隊のレコーディングであった。
しかしドタキャン。

もともとBeiBeiのレコーディングとスケジュールの取り合いをしてたんだから、
じゃあBeiBeiのをやるかと思ったら北京にいない。

じゃあラップ歌手のShuangzのアルバムから着手するかと思ったら連絡が取れない。

3つのアルバムを同時に録ろうと言うんだぞ!!
ワシが北京にいるうちに少しでもドラムを録っとかにゃおらん時にダビングとか出来んじゃろ!!

というわけで3つとも停滞・・・
ということは3つともまたいっぺんに始まるということなのだ・・・

なんでこうスケジューリングがうまいこといかんかのう・・・
全てが行き当たりばったりやから仕方ないが・・・

それをうまく処理しようとあがいてるからあかんのやな。
こっちも行き当たりばったりでやらな噛み合ん!!

次に北京に来れるスケジュールを見てみたら、
秘蔵っ子ツアーが終わって五星旗オリジナルのライブをやった翌日。

今回日本に帰ってすぐ秘蔵っ子ツアーに出て、
帰ってまたすぐ北京に飛んだら今月は全然家庭におらんっつうことやないの!!

いかんいかん、いくら仏の嫁でも鬼の嫁に変身してしまうじゃろ・・・

爆風のライブが終わった後は数日空いているが、
全中国ドラムクリニックがここで上海か広州を入れようとしている。

一ヶ月前に行き当たりばったりのスケジュール入れるんやめようや・・・

そこがダメなら次の週末と言うが、
クリスマスっって飛行機高いやろうしやめようや・・・

みなさんねえ!!
ワシに仕事して欲しければちゃんとスケジューリングやろうよ!!
いついつからいついつまでってまずスケジュール押さえてから、
やるべきことは先先にやって、後は飲むなり遊ぶなりすればええんとちゃうの!!

っつうこってふて寝!!

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2010年11月 9日

レコーディング3本

中国で「仕事」と言ってもそれが即「仕事」となることは少ない。
昔は「胃袋で仕事する」と言われてたように、
まず一緒にメシを食って、そしてやっと「仕事」になったのだが、
もう中国に来始めて足掛け20年にもなると最近はそれもない。

その代わりやっぱり「話半分」に聞いてないとダメである。
「これをやるから頼むよ」
と言われてそのまま順調に仕事になることは少ない。


ラップ歌手のアルバムも全然動いていない。
「じゃあお金提示して」
と言ったら全然よりつかなくなるのだ。

しかしもう「契約した」と言うからあと一歩だろう。
「お話ししたいことがある」とまた呼び出されている。

そんな時は
「毎日院子でレコーディングしてるからお前が来い」
と言っておく。
いちいち付き合ってちゃ身が持たない・・・


昨日は張張紅焼肉楽隊を連れて来た。

というより
「僕も紅焼肉楽隊に入ったんだ。
メンバーはこれで全部、つまりドラマーがいないんだ。
ロックと言えばファンキーさん、是非ドラムを叩いてくれないかなあ・・・」
と言う。

じゃあとりあえず音を出してみよう・・・
ということでレコーディングスタジオにアンプやらPAやらを持ち込む。
うちも別部屋にちゃんとリハーサルスタジオを作っておいたのだが、
隣の布衣のリハスタでやった方が早いので今では倉庫になってしまっている。

RehearsalInYuanz.jpg

Wyn Davisの「ブースには物を置くな」という言いつけを守って、
最初はがらんとドラムだけだったのが、
ギターダビング用にアンプは数台起きっぱなしだし、
ベースアンプからPAまで来てしまったらちょいと狭い・・・
部屋鳴りを重視してドラムを隅っこに置いてないのでなおさらである。

しかし八王子のスタジオで8人でリハーサルしたことを考えるとまだマシである。

リハが終わり、「じゃあこんな感じでアルバム1枚録ろう」ということになって、
張張にちょいと耳打ちした。

李漠(LiMo)の話、聞いたか?
メンバーがちゃんとレコーディングfeeについて話し合ってないと、
結局契約は歌手名義になって一銭ももらえないということになりかねんよ。

中国は印税がないので、収入は全てライブでの収益にかかっている。
しかしレコーディングして発売されたアルバムが歌手名義になると、
ライブも歌手名義になって、そのギャラをバンドで等分する歌手は少ない。

来週からレコーディングしようという話になっているが、
どうせまた金の話がちゃんと出来なくて延びてゆくのだろう・・・


ちゃんと順調なのは今日からレコーディングが始まるBeiBeiの2ndアルバムだけである。

順調と言っても
「2枚目作るぞ!!」
と言い出してもう半年ほど経っているのでその程度のものなのだが・・・


また中国では実際に仕事が始まったら〆切が異様に早い。
(まあ始まるまでもたもたしてるんだから当たり前なのじゃが・・・)
だからきっと年末はこの3つのレコーディングを同時にやってるような気がする・・・

とりあえずやっつけられる仕事からやっつけてしまおう・・・

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2010年10月17日

中国の結婚式

日本ではほとんど人の冠婚葬祭には出ない!!
出ようにも「礼服」とやらを持ってないのだ!!

中国では別に葬式も普段着でよいので出たりするが、
結婚式にはなかなか縁がなくて列席出来なかった。

古くは唐朝のギタリストの結婚式に出たのが6年前、
この時は純中国風だったが、その後仕事仲間の結婚式に出た時は純正洋風だった。

今回はこちらで秘書をやってくれてた石蘭が結婚するという連絡をもらい、
重慶を日帰りで帰れば参加出来るとばかりよろこんで参加させてもらった。

お相手は元その上司であった横澤さんと言うが、
長い付き合いじゃがそんなこと全然知らんかったぞ!!!!

ま、いい!!めでたいことである。
いくら普段着でいいと言っても日本人も多く列席するであろうから、
先日香港で買った中国服を着させて頂いた。

ShiLanJieHunYiFu.jpg

しかしズボンは持ってないのでいつものジャージである。
許せ!!!

まあいい、服装は別に「自由」なんだからジャージが悪いとは言わせないが、
問題は「紅包(HongBao)」つまりご祝儀である。
日本でもこの辺はほんとによくわからないのだが中国でもなおさらである。

とりあえず「紅包(HongBao)」の封筒を買ってタクシーに飛び乗る。

ShiLanJieHunHongBao.jpg

タクシーの運転手に
「結婚式行くんだけどいくらぐらい包めばいいかねえ」
と聞くと、
「800元から始まって1800でもいいし、2800でも、
要はその人との関係がどれだけ深いかによるなあ」

そんなに高いんかい!!

数年前まで300元ぐらいだったのにもう数倍にも値上がっているぞ・・・
しかもタクシーの運転手のような「庶民」がそう言うなら、
業界人の石蘭なんていくら包めばいいんじゃ?・・・

ちなみに「八」という数字が末広がりで縁起がいいというので「八」に絡む数字にすると言う。
日本では2万とか「2で割れる」数字は縁起が悪いと言うので、
じゃあ日本円なら「1万円」か?・・・少なければ次は「3万円」やのう・・・

どの道困った問題である。
ワシは社会常識がないのじゃ!!
「社会常識を勉強するヒマがあったら音楽理論でも勉強してた方がなんぼかいい」
と思ってこの年になってしまったんだからもう取り返しがつかない。

とりあえず「1万円」にしたが少なかったかのう・・・

会場はホテルの宴会場、式は純然たる西洋式だったが、
ところどころに中国式な儀式があって興味深かった。

ShiLanJieHunDaoCha.jpg

まずは新郎新婦のご両親を舞台に上げて、
新郎が新婦の両親にお茶を飲ませる。
そして新婦が新郎の両親にお茶を飲ませる。
新郎の父君はお亡くなりになっていたので母君だけだったが、
石蘭が日本語で、
「お母さん、お茶をどうぞ」
と言ってたのが興味深かった。

中国では「結婚」というのは「家と家との結びつき」という意識が強いんだなあと改めて思った。

そしてお決まりの乾杯!!
ここで新郎新婦が手を交差して酒を飲むのが中国式!!

ShiLanJieHunGanBei.jpg

「なんでこうするの?」といろんな中国人に聞いたが何故だかわからない。
「マレーシアの中国人もこうしてましたよ」と聞いたので、
きっと中国の昔からの何かのしきたりなのであろう・・・

あとは新郎新婦が各テーブルを周り、
誰もシメをしないうちに三々五々帰って行って終わりである。

どうしてシメをしないのかも不思議であるが、まあそれも「中国」なのであろう。

今回の結婚式は平和だった。
誰も酔い潰れてないし、名物の「1対何百」のイッキ大会もない。

通常中国の結婚式だと新郎側と新婦側でイッキ大会になり、
特に新郎側は「うちの大事な娘を持って行きやがって」というのもあり、
命がけで飲まされるものだと言う。

だからだいたい結婚式にはひとりやふたり「酒飲み」の友人を必ず用意する。
酒を飲むためだけにブッキングされるのだ。

私の友人にもひとりいる。
寧夏省の友人「馬向東(マーシャンドン)」である。

YinChuanDEBU.jpg

今度は寧夏の結婚式にも出席してみたいものだ・・・

お幸せに、横澤さん、石蘭さん!!

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2010年10月15日

イベントキャンセルの実情

今日はレコーディングの途中でひとりの魑魅魍魎がラップ歌手「爽子(Shuangz)」を連れてやって来た。

先日「9月までにアルバムを完パケ」という無茶な要求をして来た男である。
当然ながら今は10月なのでその話はとっくに流れている。
今度は「来年の4月までに完パケ」という話である。

もともとこの男も少々うさんくさい。
先日
「じゃあ1曲アレンジするからそれ聞いて決めようよ」
ということで1曲アレンジしたのじゃが、
結局本人は大喜びだったもののどこからもギャラが支払われていない。

まあこっちの仕事は金をもらわなければ絶対に「使える」形にしては渡さないので問題はない。
間違っても「カラオケ」なんぞは渡さない。
そのままライブで使われて金も払わないような
そんな目に合ってたまるもんかという感じである。

アレンジ聞いて、
「ああ、ファンキーさんいいな・・・やってもらいたいなあ・・・」
と思ったらどうしても金を払わねばならないのだ。

この辺、まあこちらで覚えた処世術・・・

当然ながら本人はワシにやってもらいたいと思う。
会社もそう思うのだが、根本的な問題として実は彼とまだ契約してなかったのだ。

よくある話、よくある話・・・

いろんなところからワシに爽子(Shuangz)の話が出る。
「ファンキーさん今度爽子(Shuangz)やるんだって?」
はまだいいものの、
「爽子(Shuangz)のことでお会いしたい」
という会社も現れる始末。

今では爽子(Shuangz)はラップを歌うアンダーグランド歌手としては頭ひとつ飛び抜けた存在である。
そこにいろんな金の亡者がまとわりついて来るのは仕方のないことである。

要は「誰がワシに金を払うのか」ということである。

1曲無償でやったアレンジをエサに魑魅魍魎達を手玉に取る。
これもこちらで覚えた処世術である。

その魑魅魍魎のほとんどは「演出公司(イベンター)」である。
この国はコンサートでしか金を稼げないんだから仕方がない。
コンサートのギャラを吊り上げるまえに立派な名刺が欲しい、
つまりレコードは名刺なのである。

「大丈夫、金さえ払えばこいつに最高の名刺を作ってやるぜ」
ってなもんである。

そんな魑魅魍魎から今日聞いた話、
「どうして最近イベントがことごとくキャンセルになるのか」

中国経済は今バブル。
昔は国の組織しか企画出来なかった音楽イベントも今では誰でも企画出来るようになった。

しかし「音楽が国のプロパガンダ」だったのは今も昔、
今では「音楽は金儲け」の時代なのである。

国が金を出して企画するイベントはまだいい。
個人が能力もないのにイベントを企画して、
蓋を開けてみたらステージも作れなくてキャンセルになる、
そんなことが今日び日常茶飯事。

ワシだけでこの夏3つのイベントがドタキャンになっているが、
ベーシストの韓陽なんて一ヶ月に9つドタキャンになっているというからもの凄い。

もともとこの北京だけで1年で100近いイベントがあるというので。
全国では何百、しかもその全ての出演者は同じバンド。

じゃあと言ってその全てのバンドが儲かっているわけではない。
ひどい話になると、出演バンドが現地に着いた。
ステージは出来てない、イベントも開催出来ない。
主催者は逃げた、帰りの切符ももらえない。

そんなイベントが相次いでいると聞く。

中国のバンドの諸君!
音楽は決して「金」ではない。
しかし自分の身を守るために最低限「金を確保する術」を知らねばならない。

金のない奴ぁ俺んとこに来い!!
俺もないけどいろいろ教えてやるぜ!!

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不思議な現場

映画音楽制作も佳境に差し掛かり・・・と言うか全然佳境に差し掛からないんですが・・・

ワシだったら今月末に〆切だったら今頃うちでせっせこコンピュータと格闘し、
何日に監督に聞かせるからOKが出たらミュージシャン押さえてレコーディング・・・
と来るところ、ミュージシャンと一緒にあーでもないこーでもないと、
結局数日間のんびりと時間が過ぎている気がするのはワシだけだろうか・・・

ドラムなんかそんなに出番はないので、
ヒマなもんで走り書きのメモからちゃんと譜面にしてあげて、
気がついたら今日はバイオリンの人が来てちゃんとそれをレコーディングしていったり、
まあ進んでないように見えて進んでるのかも知れない。

今日は昼間に香港から知り合いが来てたので、
昼飯でビールを飲んでスタジオ入りした。
「酔っぱらっちゃったよー」
ってなもんでスタジオ入りしたところで誰もとがめる人もおらず、
ワシ抜きで制作はどんどんと進んでいるような進んでないような・・・

MusicFactry.jpg

結局ワシは酔い潰れて寝てしまった・・・

目が覚めたら目の前においしそうなつまみが・・・
「ビールあるよ」と言うので結局また飲んでしまう・・・

「晩飯はじゃあラムしゃぶでも食うか!!」
と一同レコーディングそっちのけで食いに行く。

RecordingShuanYangRou.jpg

これがレコーディング中の食事ですか?!!
ビールどころか白酒まで出て来てみんなでイッキしとるし・・・

ひとりだけ車で来ていた張張以外はもうガンガンに飲んでいる。
結局そのままスタジオに帰るんで張張以外は仕事が出来る状態ではない。
「ワシら監督するからお前仕事頑張れ!!」
ってなもんで結局飲んでいる。

DrinkingStudio.jpg

ワシはまた酔い潰れて寝てたら気づいたらみんなで録音したやつを並べて聞いていた。
17日には監督が聞きに来るそうな・・・

出来てたんや・・・

ワシが映画音楽制作をする時はシーンごとに曲番号を振って、
台本のページもつけて表にしてから片付けてゆくのじゃが、
そんなもんが全然ないんだから進んでるのか進んでないのかも全然わからない。

「明日は車で来るなよ、ガーンと飲むからな」
と言われても今日も飲んでたんだからよくわからない。

まあお役に立っているんだったらそれでいいじゃろう。
明日は明後日の重慶の用意をして行かねばならんのう・・・

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2010年10月12日

ところ変われば音楽制作変わる

映画音楽とかを「劇バン」と言って、
日本のスタジオ仕事では
「劇バンだからギャラはごめんね」
と言って1日で数十曲まとめて録ったりする。

ワシはやったことないが和佐田なんかはオーケストラと一発録りで、
誰かがミスをしたら全員でやり直しなので、
譜面初見でノーミスで演奏という過酷な仕事となる。

それもこれも日本はスタジオ代が世界一高いのだから仕方がない。

ところが最近では音楽ソフトウェアの充実と、
誰でも自宅スタジオを持てる環境となったので少し違って来たのは日本も中国も同じである。

ワシも北京にスタジオを作った時に「元が取れますか?」と人に聞かれたが、
音楽制作をする人間にとってよそにスタジオ代を支払わなくてもいいのはとても大きい。

今回映画音楽を一緒にやっているLuanShuも自分でスタジオを持っているので、
言ってみればスタジオは使い放題!
予算に入らないというわけである。

今回は大監督の仕事で予算もあるということで、
「生バンドでやる!!」
ということで集められたこのメンバー、
考えてみたら非常に効率的なメンバーである。

ギタリストの趙衛はそうでもないが、
キーボードの張張はピアノプレイだけでなくテクノ系のアレンジに長けているミュージシャンだし、
ベースの李劍もMacを操って器用にアレンジをするミュージシャンである。

そうなるとこの制作現場は考えてみれば非常に効率の良い音楽工場のようである。
趙衛がギターを録音してる隙に張張が音色を探し、
隣では李劍が電子系のループ等を作っている。
ワシはドラムが終わればブラスをアレンジし、
サンプルを出力してメインコンピュータに貼付ける。

ひとりの力では出来ないものをみんなの力を借りてもっとレベルが高いものを作ろうとするなんて、
団体競技の苦手な中国人らしからぬやり方である。

ここで発覚したのが最近ヤツらの使っているソフトウェアが変わって来ていることである。

録音はProToolsを使ってやるのは変わらないが、
以前はWindowsPCでCuBaseを使うのが主流だったが、
最近はMacでLogicを使うのが主流なようだ。

当然ながら海賊版である。

もう10年近く前になるが、
売れっ子アレンジャーが近々ソフトウェアを一新するのに
ハッカーの若い衆に最速のパソコンと共にシステムを発注してたので
ワシも便乗して作ってもらった。

10万そこそこの金で世界中の優秀なソフトと音色が入って届けられた時には肝をつぶしたが、
それよりも何よりもそれを使いこなすのに半年ぐらい徹夜せねばならないのが辛い。

何せループだけで何万音色あるのだ。
それぞれのソフトでどんな音色があるのか試すだけで数ヶ月かかってしまう。

それを今から全部Logicに変えてまた最初からやるのは気が遠くなるが、
しかし周りがみんなそうなって来ているなら互換性の問題でワシもそうならざるを得ない。

Logicのソフトウェアと音色は60G以上あるというのでワシのMacProにはもう入らない。
それより何よりワシはもう海賊版生活からは足を洗って、
今では日本でちゃんと正規版を買っている。
海賊版をひとつ入れてトラブルに見舞われるよりは
正規版買って業者に文句言う方がはるかに楽なのである。

「ファンキーさん、この際パソコンごと買い替えちゃいなよ」
とみんな言う。
代わりに買ってソフトも全部入れてあげるよ、と・・・
見ればMacは日本より中国の方がはるかに安いのだ・・・

いかんいかん!
そうやってまた半年間眠れない生活になるのはもうよそう・・・

アレンジャーという仕事は多かれ少なかれこのように機材の進歩についてゆかねばならないのが非常にめんどくさい。

当分ドラムだけ叩いて生活するしぃ・・・

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2010年10月11日

ドラムだけや言うたやん!!

北京に着いてそのままスタジオに行って撮ったばかりの映画を見せられる。
まだ編集したてでこれから更に30分ほど削らねばならないという段階のものである。

画面の隅には「音楽制作のサンプル」とずーっと字幕が入っている。
データなんぞ渡したらそれが次の日には海賊版になってすぐに出回る国だから仕方ない。
零点の6万人コンサートの映像を編集している時に、
外部にどうしてもデータを出さねばならないとなった時、
「ほなお前ずーっとアホなこと喋っとけ!!」
と、音に合わせて若い衆に喋らせてた記憶がある。

「冯小刚」という監督は今では中国のナンバーワンの映画監督で、
前回の映画は7億元(約100億円)の大ヒットとなり、
その前の北海道を舞台に撮った映画は、
おかげで中国人旅行客が大挙して押し寄せて来て北海道が感謝状を贈ろうとしたほどの大監督である。

ラッシュを見てそれを記者に喋ったりしないように、
データを渡された瞬間に秘密を守る契約書にサインするほどである。

今日ラッシュを見るために集められたのは、
ドラムにワシと、キーボードに張張
ギターに輪廻楽隊趙衛
ベースは韓陽が呼ばれるのかなと思ってたら艶楽隊李劍が呼ばれている。
打ち込みが出来てアレンジにも長けているからということらしいが何で?・・・

まずみんなで2時間を越える映画を見るのだが、
字幕のない外国語の映画を2時間見るのはワシとしては非常に疲れる。
実は半分ぐらいしか聞き取れてないのよ・・・

見終わったらみんなで意見を言う。
この部分はこうしたらいいよ、とか・・・

「ファンキーさん、あなたの意見は?」
と聞かれても、せめてデータもらって何度も見て一週間ぐらいくれないとアイデアなんか出まへんがな・・・

「困るなあ、ファンキーさん。
今回はドラムはあんまりないからあんたにももっと一生懸命頑張って欲しいんだ」

あーた!!前回酒飲んでこの話持って来た時
「今回は手伝って欲しいんだ。あなたのグルーブが必要だ」
とか言ってたやん!!

早い話、この大仕事をみんなで手分けして今月中に終わらせてしまえというわけなのね・・・
みなさんの後ろに隠れてこそこそしときます・・・

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2010年9月29日

歌手(Singer)とボーカリスト(Vocalist)の違い

これはワシだけのかんがえかも知れんが、
ワシは歌手(Singer)とボーカリスト(Vocalist)とは全然違うものではないかと思っている。

中国語で歌手(GeShou)と主唱(ZhuChang)と言う。

主唱(ZhuChang)と言うぐらいだから「主力で歌う」、
つまり「バンドあってのボーカリスト」である。

ワシもいろんなバンドをやって来たし、
仕事でいろんなバンドや歌手と仕事をする。

歌手がいい、ボーカリストがいいと言うわけではなく、
何となくこのふたつは全然違うものだと感じるのだ。

ワシが今まで会った人間の中で、
こいつは根っからのボーカリストだなあと感じるのが、
一人は二井原実、もう一人が老呉(LaoWu)である。

二井原はX.Y.Z.→Aで初めてバンドを一緒にやったが、
最初のリハーサルの時にびっくりしたのは、
ボーカリストのくせに誰よりも早くスタジオに来て、
ひとりで録音マイクをセッティングし、
音作りにいろいろ意見を言いつつ
「ほなこの曲はこんな感じでいきまひょか」
となったらいそいそとバンドの音を録音し始める。
最後には家に帰ってボーカルメロをあーでもないこーでもないと録音し、
「こんなんでどーでしょ?」
とバンドのみんなにメールで送る。

自分のバンドなのにねえ・・・

早い話がこの男は自分は「喉」という楽器で「バンドの一員」として参加しているという意識なのである。

思い起こせばドラムにワシ、ベースに和佐田しか決まってなかった頃、
とにかくギタリストは「自分が憧れるぐらい凄いギタリスト」にこだわった。

「こんなもの凄いミュージシャンの隣で歌える自分はなんて幸せなんだろう」、と・・・

自分のバンドじゃろ・・・
・・・ってそれ以前に「歌手」って「隣」じゃなく「前」で歌うもんじゃろ・・・

まあ二井原の例は「特殊」だろうと思ってたら老呉(LaoWu)の例はもっと特殊である。

布衣(BuYi)のドラマーとして朝陽音楽節というイベントに出た時の話、
ギタリストとベーシストはその時我々の院子にいなかったので、
結果的にワシら二人でバンドの器材を運ぶこととなる。

まあワシは特別ゲストやし、
まあ敬老精神(笑)で彼が手伝ってくれるのもわかる。
しかしボーカリストが朝から山ほどのギターエフェクターを積み込んで、
自分で車を運転して運び、着いたら自分でそれらを下ろし、
セッティングまでしてみんなの入りを待つってのはさすがに初めて見る光景である。

まあ彼がギターも弾きながら歌うギターボーカルなので普通の歌手よりはプレイヤーに近い感覚であるのも理解出来るが、
今や布衣(BuYi)と言えばアンダーグラウンドではもうかなりの名声を得ているバンドとなっている。
よくある話でその評価のほとんどは「歌」に集まっていて、
今では「バンドを呼ぶ金はないからあなたひとりで歌いに来て下さい」とまで言われる始末。

まあ呼ぶ人のとっては布衣(BuYi)の楽曲を本物が歌ってくれればそれでいいわけで、
多くのボーカリストはこの時点で「歌手」となる。

あのライオネルリッチーでさえ、
コモドワーズを離れてソロになった時のインタビューで
「ソロとバンドは何が違いますか」
と聞かれ、
「いやーソロはバンドの器材を運ばなくていいからねえ」
と答えたとか答えなかったとか・・・

だいたいバンドの一番めんどくさいのがメンバーの意見をいちいち聞かねばならないことである。
ソロになったら一人で全部好きなように決めればよいし、
ギャラだってメンバーで等分に割らなくてもよいし「独り占め」である。

中国にもそうやってバンドのボーカリストからソロになって大成功してる例も多い。

さてくだんの老呉(LaoWu)であるが、
どうしても断れなくて一度だけ一人で歌いに行ったらしい。

大概のボーカリストはこの時点で味をしめてソロに転向したりするのだが老呉(LaoWu)は違った。

「ほら、俺達いつも一緒にいるだろ、
一緒に地方行ってさあ、
一緒に演奏してさあ、
ほんのちょびっとの金もらってさあ、
それみんなで全部使い切って美味いもん食ってさあ、
飲んで騒いで楽しいじゃない。
それがひとりぼっちで行ってさあ、
孤独で居場所もなくって寂しくてしょうがないよ」

幸か不幸かこのライブが評判がよく、
いろんなところから出演依頼が相次いだ。
彼は今ではこう答えているそうだ。

「どうしても一人で来て欲しかったらさあ、
悪いけど友達5人連れてってもいい?」

当然ながら
「それならバンドのメンバー連れてった方がマシだ」
となる。

めでたしめでたしである。

何でワシが突然こんなことを言い出したかと言うと、
先日ブログに書いた李漠(LiMo)のことである。

昨日別のリハで韓陽(HanYang)に会って、
彼女はまだちゃんとバンドのメンバーに筋を通してないと聞いたからだ。
こんな狭い北京のロック界で、
彼女が契約したことどころか、
彼女が会社からいくらもらったかまでみんな知っている。

1万元と言えば彼女にとっては大金だが、
みんなで分ければ微々たるもんである。

今日のいくつかのミーティングのあい間に彼女を待ち伏せてワシはこう詰め寄った。

「その金をみんなで分けろ!
金を使っちゃったと言うなら俺が貸してやる!!」

ワシは1年間スタジオを提供して実は「金をもらう側」なのでとんだやぶ蛇であるが仕方ない。
たった1万元のために彼らが何年も頑張って作ったロックが「ウソ」になってしまったら中国ロック界にとって何よりの損失ではないか!!

今頃彼女はバンドのメンバーとちゃんと話をしているはずである。
いや、そうでなければ彼女が売れた時この歪はもっと大きくなって、
口では彼女におべっかを言いながら心の中では彼女を軽蔑するような、
そんな「歌手」になってしまうのだ。

まったくもってただでさえ中国にはそんな歌手が多いのだから・・・

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2010年9月25日

女性ロック歌手「李漠(LiMo)」

李漠(LiMo)という女性歌手がいる。

オリジナルのロックナンバーを歌い、
失礼を承知で言わせてもらうとちょっとブサイクで、
それがまた「ロック」を醸し出していていい感じである。

韓陽(HanYang)とか馴染みのミュージシャンと一緒にバンドを組み、
うちで延々1年以上アルバムをレコーディングしていた。

前回北京に来た時にLaoLuanから
「今回彼女と契約してアルバムを発売することになった」
と聞いてちょいと心配していた。

「彼女と」ということはそれはバンド名義ではないということ。
そしてそのうちでレコーディングした音源をそのまま出すということ。

うちはそりゃ人助けでやってるので銭金はどうでもよいが、
それにしてもそれをそのまま勝手に発売して何の見返りもないというのは少々面白くない。
相手がLaoLuanじゃなかったら殴り込みに行くところだ。

またバンドメンバーにとっては、
「バンド」のために一生懸命頑張って、
やっと1枚のアルバムを作り上げたと思ったらそれが個人名義のアルバムとなってしまい、
何よりもそれからブッキングされるライブのメンバーが自分たちではないということだ。

ドタキャンになったが10月2日の天津の音楽祭ではワシがドラムを叩くことになっていた。
バンドのドラマーの気持ちを考えると複雑な心境である。

要は「順序」の問題なのである。
ワシとて本人から
「あの音源発売することになったけどお金にならないの」
と言われてたら「しゃーないなー」で終わってしまうが、
本人からではなく他所から聞いたら
「どーなってんの?」
ということになる。
バンドのメンバーとて同じである。

よけいなおせっかいとは知りながら彼女を呼び出した。
とくとくと話すワシの言葉を目に涙をためながら聞いている彼女がまたブサイクでよい。

こいつが美人だったらきっとワシは助けてなかっただろう。
何より美人だったら元々こんな金にならないロックなんてやってなかっただろう。
「美人」はそれだけで金になるのだから・・・

おせっかいついでにLaoLuanに電話した。
「これはメンツの問題だ!!
あれを発売して少しでも金が入るのならそれをバンドのメンバーで分けようぜ」
金が入らなくたってそれでもいい。
これで奴らはLaoLuanとのコネクションが出来、
何らかの仕事をまた振ってもらえたりする。

中国の仕事は全て「関係学(コネクション)」で出来ている。
ひとつの仕事が金になるならないよりも「関係学(コネクション)」を作れるだけで大きな功績なのだ。

これでいいのだ!!

PS.うちで録った彼女の作品をここで聞くことが出来る。
久々に聞いたがなかなかいいぞ!!頑張れ!!

Posted by ファンキー末吉 at:11:49 | 固定リンク

2010年9月15日

行ったり来たりの生活がまた始まった・・・

LuanShuから先日呼び出しをくらい、
さんざん酒を飲まされて仕事を山ほど振られた。

嫁が日本で出産して、北京に戻ろうかと思ったら
粉ミルクや餃子など子供を育てるには不安な事件ばかり起こるので、
結局日本で育てることになってしまったのでワシも八王子に定住している。

「ファンキーがいないなら生ドラムの仕事はやらない」
ということで最近あんまし第一線にいなかったように見えてた彼であるが、
今回大きな映画音楽の仕事を請け負って、
「是非また力を借りたい」
ということになったということだ。

酔っぱらいながらも「映画音楽」と言われると警戒してしまう。

中国映画「瘋狂的石頭(Crazy Stone)」の音楽を担当して
その映画がタイタニックを抜く動員記録を樹立したということから、
ある年など1年に2、3本映画音楽をやりつつテレビドラマの音楽もやっていた。

もともとこの仕事も知り合いの知り合いが監督で、
「予算がないんだ」ということで人助けのつもりでやったのだが、
それがこれほどの大ヒットとなってしまったおかげで、
ワシの名前と共にワシのギャラの安さも有名になってしまったというわけだ。

朝から晩までパソコンに座って映画音楽作ってる毎日より、
毎日ドラム叩いて美味しいビールを飲んでる生活の方が楽しいので今ではこのテの仕事はやってない。

もし「1本映画音楽をやってくれ」と頼まれてたら、
いくら酔ってても「それはちょっと・・・」と言ってたところだろうが、
「今回の映画は生バンドを使いたい」ということならやぶさかではない。

聞けばヤツのギャラはワシの10倍近くあるやないの!!!

まあ銭金ではない、
ドラムを叩いてくれと言うならどこにでも馳せ参じねばなるまい!!

というわけで今日本で押さえてる全ての仕事の合間のスケジュール、
たとえそれが2日間であろうが全て押さえられた。
合間があれば北京に往復するのだ・・・

「北京にいるんだったらこれもやってもらおう」
で、その仕事よりもバックバンドの仕事が先にばんばん入る。
「譜面を書け」と言うんだから「バンマス」の仕事だろう。

昨日も1日かけて9曲譜面を書き上げた。
今月末に一度リハーサルにやって来て、
店のライブだけのために一度日本に帰って来て、
10月2日には朝イチの便で北京に飛んで、
そのまま空港に待機している車に乗せられて天津まで行く。
音楽イベントはもう始まっていて、
ワシが着き次第その歌手の出番が始まるという予定らしい。

大丈夫なんか?・・・

まあいい、中国では何とかなるのである。
今回も直接空港から入り時間に間に合っている。
まあ間に合わなくても何とかなるであろう・・・

まあ行ったり来たりだと空港で必ず泥酔して飛行機に乗ることにしているワシは
必然的に飲み過ぎとなってしまう。

たまには飲まずに飛行機に乗るとするか・・・

Posted by ファンキー末吉 at:06:26 | 固定リンク

2010年9月12日

北京も蜂!!!

日本での蜂騒動に続いて北京の院子にも蜂の巣があったことが発覚!!

「ファンキーさん、これスズメバチですよ。やばいっす!!」
と言う方言(FangYan)に
「ほな片付けといてな」
と言い残して日本に帰ったが、
真面目なだけが取り柄の彼である、
本当に自分で一生懸命駆除したようである。

その時の写真・・・

PekinmoHachi.JPG

完璧に素人仕事であるが何とか完全防備をして、
殺虫剤らしきスプレーにライターで火をつけて蜂の巣を燃やしている・・・

大丈夫やったんか?・・・

北京に帰って来たら生きてたんでまあ無事だったのだろう・・・
数々の伝説を作る彼であるが、
もしこれで火事でも起きてたら笑えない伝説になるところだった・・・

Posted by ファンキー末吉 at:09:19 | 固定リンク

2010年9月 7日

北京のお仕事とは

基本的に北京にいないと仕事が来ないのである。
「あ、いないのか、じゃあ別の人に頼もう」
で、いないとどんどん仕事がなくなって来るのが常である。

まあどの国もそうなんじゃろうが、
ここ北京は仕事が全て「関係学(コネクション)」で出来上がっているから尚更である。

ワシの場合はもう20年になるので「関係学(コネクション)」も強いし、
何よりも当時貧乏だった奴らが出世して一緒に仕事をしているので、
もうこれは「一生の付き合い」である。

仕事をするためにはまず「飲む」から始まるが、
(最近は大分近代化して来たが)
ワシの場合は仕事のために嫌な人間と飲んだりする必要がなく、
長年の友達と飲んでたらそのまま仕事になるので楽である。

最近は全中国ドラムクリニックツアーがまた始まったのでしょっちゅう北京にいる。
そしたら仲間内と飲むことも多く、
「ファンキーが帰って来た」
みたいな感覚が彼らにはあるのじゃろうが、
どっこいワシは「行ったり来たり」しているだけなのじゃ。

先日飲んだ時に、
「いるのか?じゃあ11日にちと仕事してくれよ」
と言うので安請け合いしてたら、
小さなチャリティーライブではあるが、蒼々たる大物歌手達のバックである。
「譜面も書いてね」
と言われたのできっとこれは「バンマスをやれ」ということなのじゃろう・・・

寧夏の最終日にはどこも遊びに出ずに10曲譜面を書いた。
夜の便で北京に帰って来たら2曲追加が来てた。

朝方まで書いて早起きして、
今度はそのドラム譜を書く。

自分がバンマスの時は往々にして、
曲のコード進行やアレンジの面ばかり把握していて、
実際ドラムをどう叩くのか覚えてなかったりするので大変である。

だいたいこういうのは当日の朝やることにしている。
年をとって頭も悪くなって来てるのでその日にやった方が物覚えがいいのだ。

今日、明日とリハーサルして明後日一度日本に帰り、
明々後日スペクトラムトリビュートのリハーサルをして、
その翌日朝一番で帰って来てそのままライブである。

月末には来月にもこんなスケジュールを入れてくれた。

いやいや、大変だというわけではない。
世界中いろんなところで自分を必要としてくれてるということは、
ドラマーとして非常に嬉しいことである。

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2010年9月 1日

方言(Fang Yan)の恋

北京である。
着いてさっそくアホのアシスタントの方言(Fang Yan)に捕まった。

恋をしているそうである・・・
お相手は前回布衣のツアーで寧夏省に行った時に出会った女性であるらしい。

アホであるだけに思い込みも激しいらしく、
メールで仕事のやり取りをしてるのに内容はほとんどそのことばかりである。

您也去银川么?我也很想去......
我刚回来就想再去,银川真是好地方!
而且我还遇到一个特别好的姑娘!
她很漂亮,人品正直,心地善良,我现在满脑子都在想她......

また銀川に行きたい!
行きたくって仕方がない!!
寝ても覚めても彼女のことばかりなんだ!!!
みたいなことである。

アホなことこの上ないが、
面白いので若い衆連れて飲みに行って酒の肴にした。

「お前なあ!!
そんな若くて美人で金持ちで、
性格もよくってオシャレで高級車乗り回してるような娘が、
何を間違えてお前なんかになびくと思う?
無理無理!!逆立ちしたって無理!!」

そんなワシのいたぶりを聞いて彼はこう答えた。

「Funkyさん、僕にとって結果がどうであるかは問題じゃないんです。
今彼女のことを想うだけで僕は幸せなんです。
今僕が幸せだということの方が結果より大切なことなんです」

アホのくせになかなかいいことを言う・・・

「明後日の寧夏省のロックイベントにはお前は呼ばれてないの?」
そもそもワシが今回北京に来たのもその仕事のためであるが、
明後日出発というのに誰からも連絡が来ない。
噂ではでっかい野外イベントなのに会場がまだ出来てないらしい・・・

「呼ばれてませんけど僕は自腹ででも行きます!!」

さっそく恋のお相手にショートメールを送る。
彼女も何かこのイベント主催の一角を担っているらしい。
さっそく明後日のチケットまでブッキングし始める始末。

「ファンキーさん、朝7時の飛行機ですけどいいですか?」

イベント中止やったらワシ行ってどうせいと言うの?
でも羊肉旨いし、おもろそうやから行ってくるかな・・・

頑張れ方言(Fang Yan)!
お前の玉砕はワシが見届けてやるぞ!!

FangYan.JPG

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2010年8月21日

再び香港ぬぁう!!人民元の話

なんかTwitterなんかブログなんかわからんようになって来ましたが、
先週往復7000km行って帰っただけの旅から帰って、
またすぐに香港に来ているんだから「旅好き」と言われても仕方ないが、
これぐらいになって来るともう「旅」ではなく「移動」である。

夕べの「移動」は羽田からであったが、15時半には家を出て、
八王子からバスで羽田、
そして空港で飲んで飛行機で飲んで、
香港に着いた頃には既にべろんべろんなのにまだ飲みに行く。

Twitterというのは恐ろしいもので、
ワシが何かあるごとにつぶやいているので、
地元のTwitter仲間がホテルの前で待ち伏せしているのだ。

ホテルの前のバーはエンジェルが出没するので、
チェックインもせずに荷物をひきずったままその裏のレストランに入った。


何を話したかあんまり覚えてないが、
香港在住のMac_HirakiさんとBucky_Bluesと、
とにかくべろんべろんで朝まで盛り上がった。

おふたりとも商売をなさってる方なので普段聞けないいろいろ面白い話が多かったと思う。

ちょっとだけ覚えているのが
「人民元は危険だよ、香港ドルに替えといた方がいいよ」
という話である。

ワシは中国で稼いだ人民元はそのまま両替せずに中国の銀行口座に入れている。
人民元を稼いで人民元を使って生活してたのだからそれが「自然」である。

しかし相手は「中国」である。
北朝鮮がある日デノミをやって大失敗したように、
ある日突然この人民元が紙くずになってしまう可能性もないとは言えない。

中国の銀行だって果たしてちゃんと信用出来るもんかどうか・・・

中国の銀行には口座はあっても「通帳」というものがない。
あるのはキャッシュカードだけである。

そのキャッシュカードがカードの磁気が弱ったか何かでいきなり使えなくなった!!

仕方ないので銀行に行く。
通帳がないのでカードだけを持ってゆくことになる。
身分証明はパスポートだけである。
窓口で手続きをしている兄ちゃんがパスポートを調べてこう言った。

「登録されているパスポート番号はこれではありません!!」

何でや?!!
おもむろにパニックになるワシ・・・
聞けばどうもこの口座を開いた時には前のパスポートで、
更新したらパスポート番号が変わってしまったのだ。

こうなると「お役所仕事」のこの国はどうにもならん。
何をどう頼み込んでもらちがあかないのだ。

下手な中国語を駆使して粘ること数十分。
窓口の兄ちゃんもいいかげんウザくなって来たのか、
「そしたらこのカードを作った支店に行って相談してみればぁ」
と言う。

ワシが口座開いたんこの支店じゃなかったの?・・・

あんまし記憶はないが、とりあえず言われた支店に行ってみた。
同じように新しいパスポートと使えなくなったキャッシュカードを出す。

「あら、パスポート番号が違うわねえ・・・」

今度はお姉ちゃんである。
そしてこのお姉ちゃんがいい加減だったから助かった。
「ま、いいか・・・」
とそのまま新しいパスポート番号でキャッシュカードを作ってくれたのだ!!

めでたしめでたし・・・

でも考えてみればめでたくもないぞ!!
いつどこでどんないい加減な手続きで自分のカードがいきなり人のものになることがないとも言えない。

何かトラブルが起こった時、
中国という国はこの「金」の出所を調べる。
日本円から両替したならそのレシートを提出させる。
中国で稼いだものならその出所、そして税金、
そして何よりもビザ・・・

ワシは労働ビザを持ってない・・・言うならば不法就労・・・
もらう金も全て「取っ払い」・・・いわゆる「ヤミ金」である・・・

当然ながら中国政府としては・・・「没収!!」・・・

怖いよー怖いよー・・・
かと言って全額引き出してタンス預金にすると今度は泥棒が怖い
貧民街にそんな大金持って暮らすなんて命が要らんのと同じじゃよ・・・

マジでこれは香港ドルに替えといた方がいいか?・・・

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2010年8月10日

北京和僑会設立パーティー

Keizoの嫁さんであるなるみちゃんから「出てね」と言われ、
何の集まりかもよくわからないまま参加した。

もともと和僑という言葉は、
和僑会が世界各地で設立される10年近く前からワシが使ってた言葉である。
「責任取ってタダでドラム叩け」
ということらしい・・・

ミーティングに行ってワシが真っ先に言った言葉は、
「ドラムってみなさんが考えているよりはるかに大音量なんですよ」
だった。

会場は北京有数の高級ホテル、ケリーセンターである。
もともとは1Fのビュッフェルームで叩くことになってたので、
ロビーの業務にすら支障が出る可能性がある。

それを聞いた担当者の鈴木さん、
今度はビビりまくって講演会がある会議室に移してくれということにあいなった。
その方が無難である・・・

若い衆とドラムを積み込む!!

WakyokaiDrumsetting1.JPG

伴奏を流すアンプとフルセットを積んだら車は一杯になってしまい、
仕方がないので
「それぞれタイコを抱いてから座るよーに」
ということで全員やっとこさ車に乗り込んだ。

高級ホテルの会議室にセッティング!!

WakyokaiDrumSetting2.JPG

この頃からワシは「何か場違いなんじゃないか・・・」とは思っていたが、
会議が始まり、日本大使館首席公使のスピーチが始まった頃には、
「こりゃいかんやろ・・・」
と思い出した。

ここでドラムを叩くんか?!!

WakyokaiSpeech.JPG

近年まれに味わったことのない緊張感がワシを襲う!!
経済界のお偉いさんや名だたる経営者に、
日本大使館のお偉いさんまで来られた日にゃぁ、
ワシの存在自体がもう既に「場違い」である。

だってワシは2000年から北京に住んでたが、
日本大使館に届けを出したこともなければ、
こっちでまっとうな商売をしてる人と違ってワシがもらう人民元は全て「裏金」。
ビザだって持ってないし、いわゆる「不法就労」ではないか!!

にぎにぎしく紹介を受け壇上に上がる。
こりゃ毒舌のひとつも言っておかねばならないとばかりおもろいことのひとつも言って叩き始める。

こんな場違いな場でも何とか盛り上がってくれたようだ。
よかったよかった・・・

会場を1Fのビュッフェに移して懇談会。
昔は北京にいる日本人て変わり者が数人しかいなかったのに、
今ではこんなにたくさんの人がこちらで商売をしてるのね。

ワシは中国人社会で生きてるから日本人と会うことも滅多に無いが、
店とかをやってらっしゃる方には「ノーギャラで叩きに行きますよ」と言った。
和僑同士の相互助け合いの精神である。

「その代わり飲み放題食い放題にさせて下さいよ」
というと
「その方が高くつきそうですからやっぱギャラ払います」
で落ちがついた。

みなさん、異国の地でいろいろ大変でしょうが頑張って下さい!!

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2010年8月 3日

北京帰って8時間飲んだ・・・

昼の列車に乗ったら3時過ぎにはもう北京に着いている。
中国はどこでも新幹線みたいな特急列車でつながっていてほんと便利になった。

4時にとある会社に呼ばれてミーティング。
新しく歌手と契約したのでプロデュースしてくれと言う。
聞いたら9月いっぱいでアルバム一枚?・・・無理じゃろう・・・

まあ今月中に1曲やってみてから考えましょうと言って後にした。

6時半からケリーセンターというホテルで「和僑会」のミーティング。
「和僑会」というのはワシが「和僑のススメ」とか言って講演をしてる頃から
実は全世界に存在してたらしい。
「和僑会」で検索するといろんな国の和僑会がヒットする。

ワシももともと中国人が外国に出て行って
華僑となってその国を新天地とするバイタリティーを見習え!!
とさんざん和僑和僑と口にしてたのだが、
こうして見ると日本人もなかなか捨てたもんではないなと思う。

8月8日に北京和僑会設立のパーティーがあるというので、
私も和僑の一員としてそこでドラムを叩かせてもらうことになった。

北京にお住まいの方は、ケリーセンターの豪華なビュッフェが150元で食い放題、
ビールも飲み放題が付くというのでメシ食ってドラム聞きに来るだけでもお得です。
是非お集まり下さい!!
(北京和僑会のパンフレットはこちら

ということで会場の下見とミーティングに来たわけじゃが、
いかんせん時間が早過ぎる!!

というわけで5時からひとりワインを飲み始めた。

6時半ごろ和僑会の人々がわさわさ集まって食事!!
そしてビール!!

しばらくしてワシはBeiBeiに呼び出されたので中座して飲みに行く。

BeiBeiはPairというユニットのギタリストだが、
まあよく言えば単純、悪く言えばアホである。

もともとこのユニットのボーカルと恋仲になり、
男女の喧嘩からユニット解散の危機となり、
その後ボーカルを替えて再始動した。

「お前なあ!!
歌も上手くてルックスもよくて性格もよくて、
その上自分の彼女としてもいいなんて、
中国広しと言えどそんな女性ボーカルがいるかい!!」
とさんざん説教をし、
バンド内恋愛を全面的に禁止することを条件に今もいろいろ助けてやっている。

その後いいボーカリストが見つかって今に至るが、
自分の彼女はまた別の女性ボーカルである。
去年それと失恋、ワシはまたこう説教した。

「お前なあ!!まだわからんか?!
女性ボーカルがお前を好きなのはその音楽の能力だけ!!
みんなお前を利用してんの!!
そうじゃなきゃあんな美人がお前なんかと付き合うわけないだろ!!
(むちゃくちゃ言う)
なのにお前は自分の彼女よりも自分のユニットのボーカルを大事にする。
そりゃ当たり前なんじゃがまあ彼女は怒るわのう!!
何でみすみすそんなめんどくさいことに自分を放り込むかのう・・・」

というわけで私生活でも女性ボーカルと付き合うのを禁止して今に至るが、
この日はまたひとりの美人を連れて来た。
歴代の彼女もかなり美人だったが、
今まで見たこともないぐらい美人である!!
(写真を撮り忘れた!!)

いやーワシも仕事柄歌手やらモデルやらいろんな美人と会うことはあるが、
今まで見たどのアイドルよりも美人である。

ちょっと腹が立ったので彼女に聞いてみた。
「何やってる人? 歌うたってるの? それともモデル?」

すると
「そんなんじゃないです、まだ学生です」
と答えるその仕草がまたカワイイ!!

おじさんもうむっちゃくちゃ腹立っていきなりこう聞いた。
「BeiBeiと付き合ってんの?!」

これでウンとでも言われたらもうBeiBeiを殺してしまうところだったが、
「そんなんじゃないんです。ただの友達です」
と来たもんでおじさんいきなり大喜び。
またその時のBeiBeiの情けない顔を肴に飲む飲む!!

せっかくだからもっと美人を呼ぼうということになって、
薄幸の元美人秘書を呼び出した。

そしたらなんとその美人秘書は男の子を連れて来た!!
「なになに? 彼氏出来たの?」
とからかうと、
「そんなんじゃないの、ただのお友達」
と答える。

またその男の子の情けない表情が非常におもしろい。
「あんたLiLiのこと好きなの?」
と聞くと、恥ずかしそうに
「好きです」
と答える。

BeiBeiに
「あんたこの娘好きなの?」
と聞くと同様に
「好きです」
と答える。

いやーおもしろいなあ・・・
ふたりの男がふたりの美女を好きだと言うが、
美女は二人ともその男を「ただの友達」と答える。

でもこうやって一緒に飲んでるんだからチャンスはあるだろう。

頑張れ若人!!
この美女たちはなかなか難攻不落だが、
命をかけて頑張れば夢はきっと叶うぞよ!!

いやー気がつけば夜中の1時を過ぎていた(らしい)・・・
どうやって帰ったかも覚えていない。

楽しい酒は時間を忘れるのう・・・

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2010年7月27日

北京なう!!・・・トイレの話・・・

北京のトイレ事情は昔からいろんなところでネタにされているが、
今では我が貧民街を除いてはかなり改善されている。

我が貧民街は下水(中国語では汚水という)が完備されてないので
基本的には汲み取り式のぽっちゃんである。

「トイレ」という「箱」はあるが「大便室」という「箱」はなく、
基本的には穴がいくつか開いてあるだけで仕切りはない。

BeijingToilet1.JPG

ワシも中国に来はじめて20年以上になるが、
今だにここでウンコをする勇気はない。
ましてや日本人である嫁はや、
ということで、
北京ファンキースタジオにはキャンプ用の移動式トイレを買った。

BeijingToilet2.jpg

まあこれでもスターなんかがレコーディングに来ると、
「こんなところで用は足せない」
と言うのだから中国人も弱くなったもんだ(笑)

このトイレは風呂場の中にあり、
(と言ってもコンクリートの同じ「箱」の中というだけだが)
ワシがシャワーを浴びに行くと、
きっとLaoWuのところに泊まっているのであろう見ず知らずの若い衆がウンコをしていた。

昔はギョっとしたもんだが今では慣れっこで、
そのまま服を脱いでシャワーを浴びる。

トイレはシャワーの方に向かって設置(というほどのもんでもないが)されていて、
一応仕切りのカーテンは用意してあるのだが、
誰も使わないのでもうボロボロになってしまっている。

つまり見知らぬ同士がすっぽんぽんで対峙してそれぞれの用を足しているのだ。

慣れとは恐ろしいものだ。
今では別にぽっちゃんトイレでウンコも出来る。

というかそうせねばならない状況に陥ったらそうなってしまうのだ。

あれは貧民街に暮らしてしばらくしての頃。
ワシは日課であるジョギングで村はずれを走っていた。

よくある話でウンコしたくなり、勇気を持ってぽっちゃんトイレに飛び込んだ。

村はずれの人通りのないトイレであるが、
往々にしてそういう時に限って先客がいる。
3つ並んだ穴のど真ん中にしゃがんで新聞を読みながらウンコをしているので、
どうしてもそのオッサンの隣にしゃがむしかない。

しゃがんでブリブリとやってはたと気がついた。
「ジョギング中なので紙を持って来てないではないか!!」

もちろんそんなぽっちゃんトイレに紙など常備しているはずはない。
このまま拭かずに家まで走るか・・・その勇気もない。

どうせ勇気が要るのである。
ワシは中国人がよくするように隣のオッサンに声をかけた。

「ニイハオ!!」

後はお決まりのウンコしながら世間話である。
初めてぽっちゃんトイレに入ってウンコした時、
後から隣に入って来たオッサンに声をかけられて
「何じゃこいつ!!やめてくれー!!」
と思ったが、今回は立場が逆である。

「新聞にいいニュースはありますか?」
相手は新聞を読んでるんだからこの会話しかない!!
そしてしばし意味のない会話をした後にオッサンが立つ。
すかさずワシは言った。

「読み終わったその新聞くださいな!!」

中国で生きてゆくのは全くもってバイタリティーが要る・・・

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2010年7月 5日

iPhone修理とiPed探し

実は我が家にはiPhoneがたくさんある。

私個人で日本用と中国用に電話番号が違うのに2台所有している。
日本用のはSoftBankで購入したモノで、SoftBankのSIMカードしか使えないが、
中国用のは香港で購入したSIMフリー版である。
日本で使うとDOCOMOのキャリアを選択したりするので面白い。

あともうひとつは中国で買ったモノで、
これが破解(PoJie)版と言ってSIMロックされたモノを無理矢理解除したモノである。

これが廻り廻って娘のモノとなったのだが、
ある日これを娘がトイレに落としてしまった。
幸いにも電源ボタン以外は無事だったのでそのまま使っていたが、
破解(PoJie)するのにはこのボタンがやはり必要で、
いろいろあって結局立ち上がらなくなってしまったのだ。

こちらでAppleの正規ディーラーと言っても大概ニセモノである。
先日もMacBookを日本で修理に出した時に、
「どこかで一度修理しましたね、純正ではないパーツが入ってます」
と言われた。

北京の正規ディーラーは純正じゃないパーツを使うんかい!!

ということで、このiPhoneを買ったのもどうせ正規ディーラーではないのだから、
(もともと正規ディーラーが破解(PoJie)版を売るわけはない)
そこで買ったiPhoneも直せるはずである。

ちなみに日本で外国製のiPhoneを修理する店を見つけたが、
この壊れたiPhoneは修理出来ないと言われた。

まあ出来ればもうけものと思ってその店に預け、
電話番号を伝えて向かいのバッタもんパソコンショップに行く。

iPadのまがいもん、iPedというものが売られてるらしく、
いろんな人から「それを買って来てくれ」と言われているのだ。

しかしどの店に言っても「そんなものは知らない」と言う。
中国人は今や安い海賊版よりも性能の良い正規版を求めるのだ、と。

ちなみにiPadは8万円ほど、iPhone4に至っては18万円の高値で売られていた。

ネットで調べるに、iPedは深圳産で値段は1万円少々、
きっとネット販売が主流なのではないかと思われる。

そんなこんなしてるうちに電話が鳴った。
先ほどiPhoneの修理をお願いした店である。
こんなに早く電話が来るということはやはり「お手上げ」だったのか・・・
と思いながら電話を取ると、
「直ったよ、取りに来な」
とのことである。

「この部品がイカレてたんだよ」
と言って見せてくれたのがこれ。

iPhoneParts.jpg

電源部分を司るパーツらしい。

一瞬にしてそれを入れ替えて修理を終えるなんて、
さすがはAppleの正規ディーラー!!(笑)

ちなみに日本でも恐らく他の国でも数日から一週間、
Appleの正規工場まで郵送してやっと修理出来るというのに・・・

バッタもんばかりのこの国・・・便利なんだか不便なんだか・・・

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2010年7月 4日

北京に来てみたらスケジュールぐっちゃぐちゃ!!

今日HPのスケジュールを更新していて頭ぐっしゃぐっしゃになった。

まず今月末に予定されていたWing中国ツアーの北京公演がキャンセルになっていた。

まあそれはいい。ヒマになるのはいいことだ!!
しかしそれがあるからついでとばかりブッキングしていた天津での張張のライブはどうする?

どうせ天津の小さなライブハウスで何かやるのだ。
このためだけに渡航しても絶対に赤になるじゃろう。

まあ中国はドタキャンもされるけどしても怒られないので(笑)、
まあこの小さなライブはキャンセルしようと思っていたが、
天津の日本人雑誌の人から取材依頼が来て初めて知った。

このライブ・・・ワシ名義のライブやないの!!!

そりゃキャンセルも出来んわのう・・・
まあその数日後に全中国ドラムクリニックツアーが入ったので、
まあそれとくっつければいいか・・・

と思ったらそのツアーは8月15日にも入っている。

スケジュールの打診が来た時には12日13日の山本恭司、江川ほーじんセッションが終わったら空いているよとは答えたが、
その後に西やんから16日に京都RAGでやろうと言われたのでOKを出していた。

そうなると問題である。
15日の貴陽というところは日本から直行便はないので、
14日にはどこか中国の国際空港を経由して現地に入っておかねばならない。
そして15日のクリニックが終わったらとりあえずその国際空港にその日のうちに入っておく。
そうすれば16日の朝いちの便で関空に飛んでかろうじて京都に間に合うということになる。

日本でいる時にはよくこんな無茶なスケジューリングをしてたが、
それは日本が「狭い」からである。
この小さな島国でその日のうちに移動出来ない距離ではない。

しかし中国は平気で数日かかる土地だってある。
飛行機の乗り換えだってどうなってるかわからない。
何より飛行機がちゃんと飛ぶかどうかもわからない・・・

大丈夫なのかこのスケジュール・・・

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2010年4月24日

和佐田ツアー初日終了!

京都「都雅都雅」は、X.Y.Z.→AのPAエンジニアとして100本ツアーを共に廻った吉田くんの古巣であった。
和佐田が「若いのにごっつい音を出すヤツがいる」と言ってスカウトし、
その後中国に渡り、今では日本人PAエンジニアとして活躍している。

中国のエンジニアには頭に来たことがあるので、
彼のような真面目で優秀な人材が中国に来てくれることは大歓迎である。

「零点(ゼロポイント)」の6万人コンサートの時、
サウンドチェックでモニターが聞こえず、
ある瞬間に爆音で聞こえ出したので
「下げろ下げろ!!」と大慌てで叫んだ。

リハが終わって売れっ子中国人エンジニアに
「何やってんねん!!」
と叱ったら、平然として、
「これは機材の問題で俺の問題ではない!!」
と言い放ちよった。

こんな輩がワシよりも高いギャラを取ってんのだから腹が立つ。

吉田くんは100本ツアーの時、
毎回終わったら
「モニターはどうでしたか?」
とか楽屋に聞きに来る。
どんな絶悪なライブハウスの状況でも、
「音」というものには絶対的な責任を負う。

これが日本人が誇るべき「職人気質」というものではないか!!

ところが彼が中国に来て、ワシはいろんな現場を紹介したが、
それで即仕事があるというわけではなかった。
中国の仕事は全てがその「関係学(コネクション)」から成り立っているので、
どんなワシの大嫌いなエンジニアでもその関係学が強固であるならば、
このワシごときが何を言ってもそれを崩して新しい人間に変えることなど出来はしないのだ。

まあそんなこんなで苦労しながら異国の地で頑張っている吉田くん、
昨日は偶然ビザの関係で里帰りしていてふらっと都雅都雅に遊びに来た。

張張(ZhangZhang)とも顔見知りなので、
ライブ終了後にホルモン!!

ZhangZhangYoshidaHorumon.JPG

なんかツアーに出ていつものメンツと中国語で酒飲んでいると、
まるで自分が中国に帰って来たみたいである。

「最近はやっと何とか食っていけるようになりましたよ」
と吉田くん。

今でこそ「一番忙しいレコーディングエンジニア」として活躍しているKeizoだって、
北京にやって来て数年は食えなかった。

中国人の関係学をぶち破って、
外国人がそこに割り込んで仕事を取ってゆくなんてことは至難の業なのだ。

「僕に仕事が来るようになったのは北京オリンピック以降なんです」
と吉田くんは言う。
金にまかせてあらゆる先進機材を買いまくった中国、
今世界で一番いい機材を持っているのはアメリカか中国である。

しかしハードウェアーが素晴らしくてもそれを使いこなせる人材がいない!!

最近
「うちの仕事は全部あなたにお願いしたい」
という会社が現れたので、吉田くんは
「なんで僕なんですか?」
と聞いたらしい。

「私は音がいいとか悪いとか全然わからない。
でもあなたに頼んだら出てなきゃなんない音は必ずちゃんと出てる。
だからあなたに頼みたいんです」と・・・

ドラムだって何だって同じである。
リズムが狂わず、音量も安定していて、
曲を完全に把握して叩いてさえいればドラマーはそれだけで食っていける。

逆にそんなことも出来ない輩が多過ぎるのだ!!

ちょうどそんな時、香港のWingからメールが来た。
「7月の2週間の大陸ツアー、スケジュール空いてるか?」
と。
当然ながら吉田くんも名指しである。

「最終日がちょっとスケジュールぶつかってるんですけどねえ・・・」
と吉田くん。

ぶっちしなさい!!ぶっちしなさい!!
またふたりで中国じゅうに「日本人の職人魂」を見せて廻ろうじゃあーりませんか!!

気持ちはもう中国に飛んでしまった京都の夜であった。

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2010年3月27日

布衣ライブat彊進酒

この日は布衣のライブがあるというので駆り出されて行って来た。
「ドラム叩いた後、酒を飲みたいだろ?」
というわけで2部制の第1部にドラムを叩いてくれということである。

昼間は院子の彼らのリハーサル室でリハーサルをやっていたので、
「ほな君らの終わったら教えてちょ」
と言っておいたのじゃがいつの間にかリハーサルが終わっていた。

「別にお前はリハなんかいらんじゃろ」
ということである。

日本では数曲老呉(LaoWu)と一緒にやったが、それ以外の曲はほぼ2年振りである。
果たしてまだ覚えとるんかと心配していたが、
やってみるとこれがなかなか覚えておるもんじゃ。

また、他の楽器が次にどんなパートに行くのかは、
その音を聞いていれば何らかの変化があるので、
注意深く聞いていればほぼ間違いなく叩くことが出来た。

ふむふむ、ワシも納浩一のレベルまで来たかな・・・(ウソ)

客は超満員!!

出世したなあ・・・

とくにびっくりしたのが、羊肉麺なんかもう全員が大合唱しとる・・・

今となればこの曲は彼らの代表曲となってしまったが、
思えばあの頃は彼ら自身は私が書いたこの曲をあまり気に入ってなかった。

いや気に入ってないというよりも、
「自分たちのものではないから違和感がある」
というものなのであろう。
レコーディングして、初めてこの店でこの曲をやるかやらないかの時、
ワシはギタリストの張威(Zhang Wei)にこの店でこう言った。

「俺はな、日本では既に数百曲の楽曲を世に送り出している。
自分の中ではどれも自分の生み出した子供みたいなもんで、
どんな曲でも平等に可愛いのだけれども、
その中でもヒットしている曲もあれば全然ヒットしてない曲もある。
でももう数百曲も子供がいると、
生まれた瞬間にこの子供が優秀かどうかわかってくる。
何か大きな生命が生み出される時にはそれがわかるもんなのさ」

それでも張威(Zhang Wei)はやっぱりずーっとこだわりがあったようだ。
ただひとりボーカルの老呉(LaoWu)だけがそれを信じた。
人の歌なんか歌ったことのない彼が、
毎日ギターを弾いてこの曲を練習していた。

老呉(LaoWu)があの時ワシのことを信じなかったら、
全面的にワシに委ねなかったら、
恐らくこの曲はこれほど中国に浸透することはなかっただろう。
レコーディングしてそのまま捨てられる子供で終わっていたのだ。

打ち合わせも兼ねてライブを見に来てたデブのキーボードが感激してこう言った。
「すんげーなー・・・布衣の現在の代表曲って2曲ともファンキーさんの曲じゃないですか・・・」
まあ1曲は映画音楽を歌ってもらってその映画がヒットしただけじゃが、
この羊肉麺は「老呉(LaoWu)のボーカルを何から何までわかって書いたとしか思えない」と言う。

厳密に言うとそれは間違いである。
そりゃいっしょに貧民街で暮らしてるんだから彼のことはよくわかっているつもりだが、
これは実はワシが彼に「合わせて」曲を書いたのではなく、
彼が「ワシの表現したいもの」に全面的に「身を委ねた」だけなのだ。

こうやって人の能力に素直に身を委ねられるアーティストと、
ひたすら我が道をゆくアーティストがいる。
前者が老呉(LaoWu)で、後者が張威(Zhang Wei)であるというだけで、
別にそれがどちらが正しくてというわけではない。

老呉(LaoWu)はワシと縁があったというだけのことである。

ライブが終わっていつものように店の奢りでビールを飲み、
新加入の若い布衣のドラムで2部を見終わった後、
老呉(LaoWu)がワシにそっとギャラを渡した。

500元!!!
貧民街ならじゅうぶん一ヶ月ぐらい生活出来るではないか!!

数年前には1日に3本ライブハウスをブッキングして
全部でみんなで50元しかもらえなくてビール代にもならなかったバンドが、
今やひとり500元ももらえるようになったのか・・・

老呉(LaoWu)のおかげで羊肉麺が生命をもらい、
羊肉麺のおかげでバンドがメンバーの生活に生命をもらえている。

素晴らしい!!

中国のロック界もまだまだ捨てたもんじゃない!!

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2010年3月26日

あえなく解決

日本人学校に行って来た。
初めて来たが、想像事情に厳重な警備である。

Nihonjingakkou.jpg

ここは治外法権。
一歩入れば中国ではなく言わば「日本」である。

だから脱北者が駆け込んで来たり、
いろいろ問題があるので警備を厳重にせざるを得ない。

入るのにパスポートの提示が必要と書かれているが、
あいにく持って来てなかったので運転免許証を見せて取り次ぎをお願いする。
アポを取ってなかったのでちょっと手間取ったが、
担当者が出て来るまでそんなに待たされなかった。

「すみません、脱北者の問題とかいろいろあって、
アポのない人をそう簡単に中に入れるわけにはいかないんです」
ということで門のところでお話をした。

「飛鳥ヒロキ君ですか? 昨日面接に来ましたねえ・・・」

聞けば話はこういうことである。
まず日本人学校のシステムはそれぞれの国によって事情が違うので様々であるが、
北京の日本語学校ではとりあえず先生の話をちゃんと理解するレベルの日本語が必須であり、
そのレベルに達しない生徒を入学させるわけにはいかない。

ところがこれが杓子定規な日本で話されると
「日本国籍を持つ子供に教育を受けさせないつもりか!!」
と噛み付かざるを得ないが、
さすがは中国で仕事をしている日本人はニュアンスがちょっと違う。

「ヒロキ君は今一生懸命日本語を勉強してますので、
昨日面接をした時にもレベルは上がってたのですが、
まだもう少しだなということをお母さんにも話させて頂きました」

「もうすぐ4月じゃないか?
入学には間に合わないじゃないか、どうするんだ?」
とワシとか母親とかは焦っているのじゃが、
この担当者の受け答えを聞いていると全然大丈夫だと感じた。

つまり、
「このまま日本語の勉強を続けて頂いて、
面接も定期的に続けて、
レベルに達したと判断した時に随時入学すればよい。」
ということである。
別に親の日本語レベルの問題ではない、本人のレベルである。

「1年経ってもレベルに達さなければ2年から入れてくれるのか?
もしくは小学校からいきなり浪人で1年からやり直すのか?」
という質問は愚問であった。
もともと
「子供なんてすぐに言葉覚えるんだからとりあえず入学させろ」
と怒鳴り込んで来たわけなんだから・・・

どんな不器用な子供でも数ヶ月あればまあ日本語を聞き取るぐらいにはなるじゃろう。
とりあえず聞き取れるレベルにくれば、
学校内には専門に日本語の先生もいてマンツーマンで教えてくれるシステムもあるらしい。

いろいろ雑談で聞いてみたら、
公立の日本人学校の場合は言葉が出来なくても受け入れるところはあるけれども、
北京の日本人学校は大使館直属ではあるもののあいにく私立であり、
過去このような受け入れによりいろんな問題が起こって来たことから、
一応規則としてはそのような規則になっていると言う。

まあ、「上に政策あれば下に対策あり」の国である。
「別にどうしても4月に入学しなくてもいいんじゃないの?」
ってな感じにこっちも思えて来る。

ワシは著作権料を別の人に払われるとブーブー文句言うが、
別に4月が7月になろうが文句を言う筋合いはないぞよ!!

門の前で記念撮影して帰路に着く。

NihonjingakkouKinensatsuei.jpg

ヒロキ君、頑張って日本語を勉強するのじゃ!!
恵美子ねえさんが7月に北京に引っ越して来るまでにはちゃんと日本語学校に通えるようになるんじゃぞ!!
お姉ちゃんが頑張ってお父さんの店を再建させてあんた達を立派に養ってゆくからな!!

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日本人学校に殴り込み!

中国を愛し、音楽を愛し、
そしてこの地でガンに冒されて死んでいった飛鳥さんのために
飛鳥倶楽部を再建しよう!!ということで北京に来ている。

ところが飛鳥さんは日本人、奥さんは中国人、
そのふたりの子供であるヒロキ君の国籍は日本。
中国で生まれ、中国で育ったので現状ではまだ中国語しか喋れない。

もう小学校に上がる年なので、
この4月からは北京にある日本人学校に入ろうということで一生懸命日本語を勉強している。

昨日亡き飛鳥さん宅でご飯をご馳走になっている時に
「今日は日本人学校の面接だった」
というのを聞いて「あれ?」と思った。

「日本語を喋れないと日本人学校に入れない」と言うのだ!!

ワシの前妻は中国人だったので子供をインターナショナルスクールに入れようと考えたこともあるが、
「両親のうちどちらかが英語を喋れないと受け入れない」
と言われた。
「親が学校側とコミュニケーション出来ない」
ということと、
「子供の言語が英語となった場合、親とコミュニケーションブレイクダウンに陥る」
ということが理由らしい。

同様に日本人学校も、
「母親が日本語を喋れないので受け入れられない」
と言っているという・・・

小学校は「義務教育」じゃぞ!!

仮にも日本の国籍を持つ子供が、
「日本人として義務教育を受けたい」
というのを日本人学校は拒むのか?!!

ワシの娘も実は北京の小学校に半年ほど通ったが、
本来ならば中国人の通う小学校に日本国籍を持つ人間が正式に通うことは非常に難しい。
仕方ないので「裏金で」ということになり莫大なお金を払って学校に通わせてもらった。

娘は当時日本語しか喋れなかったが、
何のこっちゃない、通えばすぐに中国語しか喋れなくなり、
日本に帰って日本の小学校に通えばすぐにまた日本語しか喋れなくなった。

子供なんてそんなもんである。
そりゃその時々には少し苦労するが、
言語の問題はそんなに大きくないとワシは思っている。

ところが「日本語が喋れない」という理由で義務教育を拒否されたら、
この子はどうやって北京で教育を受ければいいのじゃ?!!

未亡人である奥さんがワシのように中国人学校莫大なお金を払って通わせることは不可能じゃぞ!!
ということは、
「日本国はこの日本国籍を持つ子供に教育を受けささない」
ということを言っているのである!!

そんなアホなことあるかい!!

ということで今日、早起きをして日本人学校に殴り込みに行ってくる。
「お前なあ!!ワシを誰やと思うとる!!
大問題にされたくなかったら面接とか四の五の言わずすぐに入学を許可しろ!!」
ってなもんである。

飛鳥倶楽部再建以前にまだまだいろんな問題が山積みである。

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2010年3月25日

いい知らせと悪い知らせ

北京空港に降り立ったらいつものように老呉(LaoWu)が迎えに来てくれた。
駐車場に止めたら金を取られるし、
到着楼だと駐車禁止を取られちゃうので
いつも着いたら出発楼に上がって電話をしてそこでピックアップしてもらってたのじゃが、
最近はそういう輩が多いので出発楼に出迎えは禁止になってしまった。

ところが「上に政策あれば下に対策あり」のこの国では、
「出迎えではないですよ、見送りですよ」
ということで助手席に人を乗せてればOKとなる。

というわけで今日は彼は奥さんを助手席に乗せて堂々と「出迎え」に来てくれた。

開口一番彼が言った言葉が、
「いい知らせと悪い知らせがあるけどどっちから聞きたい?」
である。

まあ別にどっちから聞いてもどうせ両方聞かねばならないのだからどっちでもいいと答えたら、
「じゃあまずいい話、
うちの村が潰されて立ち退きになるという話、
あれは運良くまだまだ数年先の話になりそうだ」

貧民街を潰して都市開発をしようという政府の政策に追いやられて、
住むところがなくなった天然記念物のトキのように貧乏ミュージシャンの大移動がもうすぐ始まるはずだったのじゃが
まあこれでしばらくはもう一安心である。

「そして悪い話、
それを受けて大家が家賃を値上げするぞと言い出した」

北京の土地の値上がりは往年の日本の比ではなく、
ちょっと前から比べてもう3倍、
1平米3万元(45万円)するんだから完璧に八王子より高い!!

それに伴って賃貸しの部屋代もどんどん上がってゆき、
おまけに隣村も潰されて住むところを失った貧民がうちの村に流れて来ているので完璧に貸し手市場である。

ま、値上がりも仕方あるまいと思ってその値段を聞いたら、
「今年から5万元(年間75万)って言うんだよ」
と言うので腰を抜かしそうになった。

今まで25000元だからいきなり倍である!!

老呉(LaoWu)が一生懸命値切ってくれて結局年間3万9千元(約60万)
まあ8部屋あってこのぐらいの値段は日本だと安いが貧民街では法外である。
大家は村が潰される前に稼げるだけ稼いでおこうという魂胆であろう・・・。

ま、仕方ない。嫌なら出て行くしかないのだ。
5月にまた半年分納めなければならないので銀行行って引き出して奥さんに託した。

FangJianFei.JPG

北京もむっちゃ住みにくくなって来てるんですけど!!!!

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2010年3月 2日

やっと帰国

昨日から雪が降っており、今日帰れるかどうか微妙であった。
「飛行機が飛ばなかったら飲もう」
と飲み会を企画する気が早い奴もいる。

朝になったらうちの貧民街では雪が積もっていたが、
交通量の多い道路なんかは何とか大丈夫そうである。

そうそう、飛行機なんて車と違って別に滑走路が凍っててもそんなに問題はあるまい。
現在進行形で雪が降ってて視界が悪ければ問題だけど・・・

SnowAirport.jpg

搭乗口から見る飛行場はまあ何とか大丈夫そうである。

搭乗!!

しかしこれが搭乗してからがなかなか飛行機が動かない。
アメリカの飛行機会社なので英語のアナウンスを聞いて何とか理解し、
中国語のアナウンスを聞いてそうだったかと確認する。

やっぱ滑走路に雪があっても大変なのか、
何やら知らんが20台の飛行機が離陸を待っているらしい。

ひたすら寝る・・・

起きた頃やっと飛行機が動き出した。
いつもだったら上空でメシが配られてる頃である。

予定をかなり遅れて成田に着く。
パーキングに預けている車を取りに行く。
これだけで小一時間かかっている・・・

そして成田から八王子まで・・・これが遠い!!!

結局朝6時に院子を出て、八王子に着いたのは夕方6時。
LAまで行けるやん!!!

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2010年2月28日

今日は旧正月最後の日

いつも仕事をしているプロデューサーが
「うちにメシ食いに来いや」
と言うので行ってみたら、
そうそうたるメンバーが集まってがんがんに飲んでいた。

2ndNewYear.JPG

役者もいれば歌手もいればロックスターもいれば、
まあ「いつもの連中」なのじゃが、
何でこんなに盛り上がっているのかワシだけがわけわからない。

聞いてみると、今年の旧正月は2月14日。
28日がちょうど15日目。
旧正月最後の日ということで15日目は正月と同じように過ごし、
14日目は当然ながら大晦日と同じように過ごす。

つまり酒飲んで大騒ぎするのである。

よう酒飲む民族やなあ・・・
ワシなんか日本の正月で酒飲んで、
中国の正月で酒飲んで、
そいで正月最後の日にまた酒飲んだら大変ですわ・・・

実際中国人は旧正月前後一ヶ月は働かないのですわ・・・

これは中国本土だけのことではない。
全世界で中華系の従業員がいる会社はこの時期全く稼働しなくなる。

タイで仕事をしている時もそうだった。
「この時期はダメだ!スタッフがみんな里帰りしてるんだ・・・」
マレーシアでもそうだった。
アメリカでもきっとそうだ。

経済効果悪過ぎるやん!!!

夕べは遅くまで爆竹がぱんぱん鳴り響き、
今日は朝早くからまたぱんぱん鳴り響き、

これに関しては経済効果良過ぎるやん・・・

ま、ええわ。ワシも覚悟決めて今年3回目の正月を楽しもう。

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2010年2月27日

あなたのファンからというメール

そう言えば中国の友人からこんなメールをもらった。

あなたのひとりのファンの文章と、
デブのキーボードがライブハウスでやっている「ろう君の初恋」の映像があったんで送ります。

http://blog.sina.com.cn/s/blog_645a3bab0100fy1g.html

とのことである。

そのサイトにいってみると、いきなりワシのソロアルバムの写真と、
ワシのドラムを青島で見たということ、
そして友人に推薦されてこの映像を見たと書かれている。

中国にはワシのドラムに影響された人間は多い。
しかし彼は純粋にこの曲に感動し、
悲しい時はこの曲を聞き、
そしてその恋が終わっていったと書かれている。

五星旗のレコードを出してくれたレーベルのプロデューサーが
こんなことを言っていたのを覚えている。

「Jazzが衰退していった一番の原因は、
人にカバーされる楽曲がなくなって来たからだ」

この曲は進藤陽悟のアルバムでもカバーされたのだが、
その時はリリカルなピアノソロの演奏で全然違和感がなかったのだが、
彼らの演奏はもう既に原作とは遠く離れてしまっている。

昨日のライブでもこの曲は演奏されたが、
だいたいこの曲にドラムソロを入れようなどとはワシは思ったこともないし、
ブラシを使って思いっきり爆発しているドラムソロは、
どちらかというと「初恋」というより「ロック」である。

しかし言い方を変えると、彼らの初恋は「ロック」だったのかも知れない。

自分の生み出した楽曲を愛してくれて、
それを語り継いでくれるというよりも、
別物にして楽曲がひとり歩きをしている姿がワシにはとても嬉しかった。

今度デブが日本に来たら、
是非またこの曲を一緒にプレイしたいものだ。

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80后のライブ

夕べはデブのキーボード
「ライブがあるんだけど見に来ませんか」
と言われたので行って来た。

9時からだというのでちょっと遅れて着いたら、
デブはおらず、ステージではDJが曲を流している。

80HouLive1.JPG

「ライブじゃないの?・・・」

どうもこのDJというものがワシにはよくわからない。
人の音楽を流すだけで何が「ライブ」なんじゃろう・・・

まあそんなことを言ってるからワシは「古い世代」なのじゃ。
何せこのデブらみんなは80年代生まれ、
「80后」と呼ばれる新世代なのだから・・・。

1時間ぐらいたってバンドが登場。

80HouLive2.JPG

DJの「機械のリズム」に合わせてインプロビゼーションを繰り広げる。

おっ、凄いぞ・・・

もともとこのデブはバカテク(死語?)であった。
初めて見た時に
「お前は中国Jazz界のトップになれるぞ!!」
と声をかけた。

彼もワシのソロアルバムを聞いて育った世代なので喜んで食いついて来た。
しかし後に彼はCとAとGのキーしか弾けないことが発覚。

「1オクターブは12音しかない!
だからあと9つ、
つまりあと3倍練習しろ!
そしたら全てのキーで弾けるようになる!」

このテクニックで全キーを制覇したら、
冗談じゃなく中国のJazz界、
いや世界的なプレイヤーになれるぞ!!

ワシは夢膨らんで彼にいろんなことを教えた。
コード理論やJazz理論、モード奏法からアウト奏法まで、
ありとあらゆる奏法を叩き込もうとしたのは、
当時ワシが北京に移り住んで一緒にバンドが出来るほどのレベルのプレイヤーがいなかったのが大きな理由であろう。

いないなら育てる!!
それだけのことである。

しかし彼はそれに背を向けてHip Hopユニットでデビューを目指した。

「アホか!お前はそれだけの腕がありながら歌謡界に行きたいのか!!」
さんざん彼に説教したが、
考えてみれば彼は20歳そこそこからもうキーボード一本で両親を養ってきてるのだ。
この中国でナンバーワンの「プレイヤー」になったところで大金持ちにはなれないが、
「スター」になったら想像もできない大金が転がり込むことになる。

仕方がないので彼らのデビュー曲をプロデュースしてやった。
これである。

まあ今聞けばなかなかよく出来た作品なのじゃが、
ワシは何か面白くなかった。

だってこれ・・・お前じゃなくても出来るじゃん!!
あの超絶ソロはお前じゃないと出来んもん!!

結局このユニットは思惑通りにデビューすることが出来ず、
彼はその後ワシの背中を見ながらスタジオミュージシャンとなった。
歌謡曲をプレイするので必然的に全キーで弾けるようにはなったが、
もうワシ自身が彼をJazzプレイヤーとして育てようという情熱は失った。

ところがライブでの彼のプレイを聞いて、
いきなり初めて彼と出会った時の衝撃が蘇った。

いつの間にやらアウト奏法、3拍フレーズはもちろんのこと、
それより難解である5拍フレーズまで自分のものにしてしまっている。

10年かかったがヤツはちゃんとワシの教えたことを身につけたんだ・・・

80HouLive3.JPG

歌手が登場した。
彼女が歌うアメリカンポップスをDJと共にデジタルにアレンジしているのが気持ちいい。

デジタルが中国のアレンジの主流となって、
ワシは1年寝ずに全てのデジタルソフトウェアを勉強し、
それをおしげもなく彼に教えた。
ソフトウェアを共有することによりワシが彼に仕事を振れるからだ。

こうして重慶雑技団をはじめとし、
数々の映画音楽、テレビドラマの仕事を彼に振った。

「こんな仕事・・・やってられるか・・・」
と、その後この世界に背を向けて、
デジタルからも背を向けてX.Y.Z.→Aのように身体張ってぶつかる音楽に戻っていったワシと違って、
彼はその全てを「自分の音楽」にした。

いや、もともと好きだったのだろう。
その好きなものを融合したらこの日のこんな音楽になったのだ。

最後にラッパーが出て来た。

80HouLive4.JPG

おいおいおい!!ハッパ吸うアクションで歌うなよ!!
10年前だったら即逮捕じゃぞ!!

平和である。
中国も平和になった。

そしてその中国を彼ら80后が引っ張ってゆく。

新世代が自分たちのやりたいことをやっているこのライブ。
ワシは非常に楽しまさせて頂いた。

デブは4月に来日し、筋少のエンゲキロックの仕事を手伝ってもらう。
3ヶ月も日本にいるのだ。
時間があればでもライブをやってもらうことにしよう。

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2010年2月26日

中国でのドラム教本チューニング編収録終了

分刻みのスケジュールの中、
順調に終わったので次の現場に行くまえにレポート。

DrumTuningVideo.jpg

「共鳴を恐れるな!!ミュートなんか貼るな!!
ひとつを叩けば全部がワンワン鳴る。
それがドラムぞ!!」
みたいなことがちゃんと中国語で言えたかどうかは不安じゃが、
まあ後は字幕で何とかフォローしてくれるじゃろう。

字幕の原稿書かねば・・・(涙)

ところでこれらの仕事、もちろんノーギャラである。
パールのドラムを中国に浸透させるために金なんか取ってられません!!

ということで日頃のお礼にSavianの限定モデルのシンバルを贈呈された。

Savian100.jpg

世界で限定100枚しかないという記念シンバル。
ご丁重に物々しい木の箱に入っている。

どうやって持って帰るんじゃ?・・・

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不思議やなあ・・・

日本にいる比率が多くなって、必然的に中国語を忘れている。
思うように喋れなくて、発音も悪くなってるのを自覚する。

しかし喧嘩をすると非常に流暢にに喋れる。
っていうか喧嘩するためには流暢じゃなきゃいかんのだが・・・

飲み屋から出るとタクシーが拾えない。
また服装を春の日本のまま来てしまっているので非常に寒い。

凍えながら交差点の近くまで行ってやっと1台拾えた。
すかさず乗り込んで行き先を伝える。

「この車線からは曲がれないな!あっちの車線の車を拾え!!」
などと言うもんだからワシもいきなり戦闘モードになる。

「Uターンでも大回りでも何でもしろ!!仕事だろ!!」

「交差点近くじゃなく、
もうちょっと後ろで拾ってくれたらここで曲がれたのに・・・」
とかうじうじ言い続けるので、説教する。

「それはお前の勝手であり、客にとってそれは関係ない。
だいたいお前はサービス業というものをどう考える?
お前がよければそれでいいのか?
客がよければそれでいいんだろ!!
結局大回りして儲かるのは誰だ?
お前だろ。
客は大回りしてでも行けと言ってるんだ。
黙っていけばよかろう!!」

あとは何を喋ったか忘れた。
何も考えずに延々言葉だけが出続けるんだから凄い!!
運転手にとっても口論しているヒマがあったら走った方が早いのでとっととメーター倒して走ってゆく。

全く中国で暮らすというのは毎日エネルギーが必要なのじゃよ・・・

今日の仕事は全部中国語を使う。
1時から中国語で話してドラム教本のチューニングの部分を収録。
3時から泰山日中ロックフェスティバルの打ち合わせ。
5時から克爾曼(KAHRIMAN)とレコーディングの打ち合わせ。

夜はデブのキーボードがライブなので見に行くだけじゃが、
昨日のリハビリで中国語力が戻っていることを願うばかりである。

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2010年2月25日

めんどくさいなあ

車で出かけようと思ったら無理だった。
ワシの(というかロック村で共有の)車のナンバーの末尾は5、
なんと今日は五環路の中には入れないという。

またこの数字の法則がよくわからない。

月曜日(星期一という)は末尾が2と7、
火曜日(星期二という)は末尾が3と8、
水曜日(星期三という)は末尾が4と9、
木曜日(星期四という)は末尾が5と0、
金曜日(星期五という)は末尾が6と1、

覚えられんぞ!!
星期一なんだから1と6にせーよ!!

というか東京だったら
「環八内にこの車は入れません」
などとやった途端に大パニックになるぞ!!

相変わらず無茶するなあ中国政府・・・

明日は明日で五環路内のスタジオを取っていたら、
「私の車は明日五環路内に入れません」
と言われてスタジオ変更したぞ!!

渋滞より何より経済効果が悪いと思うんですけど・・・

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2010年2月 1日

「集金」というお仕事(?)

ワシはどうも人より「偶然」が多いと見える。
サンフランシスコの交差点で日本から旅行に来ている知り合いと偶然すれ違ったり、
飛行機で知り合いに会うなんざしょっちゅうである。

今回はまた、行きの飛行機でLAで知り合った日本人と一緒になった。
奥さんと北京に旅行に行くところらしい。

そして座席に着いたら今度は隣にソン・ルイという日本に住む中国人ギタリストが座っていた。
前回一緒にバックバンドの仕事をしたミュージシャン仲間である。

聞けば今回も曲世聡の仕事だというので、
そう言えば前回のギャラをまだもらってないので見に行くことにしたのだ。

いわゆる「集金」である。

仕事内容はまたバックバンドというが、
行ってみると音楽賞の受賞イベントで、
生バンドの出演は2曲のみ。
しかも夕べのゲネプロは朝4時までやっていたというのだから、
今回の仕事はワシでなくってよかったと胸を撫で下ろす。

KayouShow.JPG

いわゆる「歌謡ショー」のステージは、
ワシひとりで見るにはあまりに退屈だった。

そう言えばワシはあんましコンサートを見に行くことがない。
コンサートは「見に行く」ものではなく「出演しに行く」ものだったのじゃ・・・

しかもこれはもう既に「コンサート」ではない。
有名歌手、女優等をしこたま呼んで、
授賞式の公開録画を金を取って体育館クラスでやっているだけのもんである。

授賞式ももちろん見に行ったことはない。
「出演する」か、もしくは「受賞しに」行くだけである。

数年前は受賞すると思ってなかったのでジャージとか汚い格好で行ったら、
参加したロックオムニバスが最優秀ロックアルバムを受賞し、
プロデューサーだけではなく参加者みんな壇上に上がれと言われ、
みんな正装してるのにあまりに恥ずかしいのでこそこそ逃げ帰った記憶がある。

それにしても受賞イベントはつまらない。
昔はもっと知り合いがいっぱいノミネートされてたり、
自分がレコーディングした曲が受賞したりしてたものじゃが、
ワシらが参加しなくなったから受賞する音楽がつまらなくなったのか、
はたまた単に時代が変わったか・・・

そんなことを考えながら待てども待てどもバンドが出て来ない。
もう飽きてしまって早く帰りたいのじゃが、
帰ってしまってはまたギャラをもらいそびれてしまうので我慢して見る。

「先にギャラくれよ」と言ってもみたのじゃが、
「仕事終わって一緒にメシ食おうよ、その時に渡すよ」
と言われたら待つしかない。

ほんま中国って何でもかんでもメシ食わねばならないので大変である。

やっと授賞式が終わったが、
ヤツらは機材片付けがあるので、
「どこメシ行くの?先に行っとくよ」
と言って先に会場を出た。

思えば今回はまだ一度も北京料理を食ってない。
これが今回最後の食事になるので是非北京料理を食いたかったのじゃが、
指定されたレストランは何と香港レストランだった。

ちょっと残念じゃが中華は中華なので、
腹がへってたまらないので先にいっぱい頼んでやけ食いした。

GuangDongCai.JPG

当然ながらみんなが集まった頃には満腹である。
おまけに車で来ているので酒も飲めない。

ながーいながーい酒盛りに付き合ってやっとギャラがもらえた。

ShuukinNoOshigoto.JPG

ごっつい札束をもらってむっちゃ稼いだように見えるが、
実は最高額紙幣が100元(1500円ぐらい)なので、
日本円にすると何ぼにもならんのよーん。

でもまあ、遊んでるみたいなもんやからええか・・・

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2010年1月31日

中国人経営の日本料理屋

昨日は友人のスタジオのドラムのチューニングをしていた。
まあ「人助け」である。

この「人助け」が一日仕事になるのが「中国」である。
何故なら必ず「お礼にメシでも食おう」になるからである。

まあ泰山ロックフェスティバルの話もあったのでちょうどいい。
この話が実現したら舞台制作の一切は彼らにお願いしようと思っていたのだ。

「じゃあ日本料理でも行こうか」

ぎゃー!!やめてくれー!!
ワシはこっち来てから日本人バー巡りをしているので全食日本料理なのじゃー!!
羊肉食わせろー!!辛いもん食わせろー!!

しかし彼らはすっかり日本料理を食う気まんまんで予約までしているというので仕方がない。
連れて行かれたところは中国人が経営している日本料理屋。
非常に高級店である。

食べ放題飲み放題のプランにして日本酒を頼む。
山ほどの料理が運ばれて来る。
食べ放題だからと言って食べきれないぐらい頼むのが中国人である。
とりあえず刺身でもつまんでみる。

不味い・・・

ほんと、中国人が経営する日本料理屋ほど不味いものはない。
もうこの段階で山ほどの料理を食う気にならなくなる。

最後に鉄板焼きが始まる。

TeppanyakiChina.JPG

肉なら食えるぞ!!!

まあ神戸牛のように霜降りでも何でもないが、
アメリカのステーキだと思えば全然食える味である。
要は肉であればいいのじゃ。

たらふく肉食ってえみちゃん達と合流。
また日本人バー巡りである。

結局全部で7軒廻って二日酔い。
今日こそは中華食うぞー!!!

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2010年1月30日

韓国人サウナ

院子はもう水道管が凍っていて水が全然出ない。

つまり「風呂に入れない」!!

まあ北京は乾燥しているので数日入らなくても大丈夫なのじゃが、
それでも日にちが経って来るとさすがにそうもいかない。

近所のスラム街にも公衆浴場はあるが、
浴槽にお湯がたまってなくてシャワーだけだったりするし、
町中にある公衆浴場は抜き系だったりするので危険である。

そんな中、ワシは隣町「望京(ワンジン)」に出来た韓国人サウナがお気に入りである。

フロアに入ったら床暖房で床が暖かいし、
エコ意識もなくお湯が溢れるほど浴槽から流れ落ちている。

サウナのテレビが朝鮮語なのと、
タオルも与えられずお兄ちゃんが濡れた身体を拭いてくれるのだけには今だに慣れないが、
仕事終わりにゆっくり浸かるもよし、
仕事前にざばっと風呂に入るもよい。

今日はスタジオでドラムのチューニングと、
それが終わればその関係者とメシ食って飲まねばならないし(辛いなあ)、
その後はまた美女たちと合流して飲み歩かねばならない(辛い辛い・・・)。

さてひとっ風呂浴びに行って来るか!!

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美女と北京で飲み倒す!!

いやー・・・辛い仕事である・・・辛い辛い・・・(笑)

先日メルマガで送ったように現在飛鳥さんの娘さんと一緒に北京に来ているわけじゃが、
ひとくちに「店をやりたい」と言っても北京の他の店がどんな感じなのかを見なければ話にならない、
というわけで、今回は「1日10軒飲み歩くぞ!」というわけで、
北京中の日本人バーを飲み歩いている今日この頃である。

北京で長く暮らしてはいるが、
暮らしているのが中国人のまっただ中なので、
こんなにたくさんの日本人バーがあるのかと今更ながら驚くばかりである。

お供はこの話の言い出しっぺであるなるみちゃんと、
あと、飛鳥さんと同じ岩手県人会である吉野譲。

気がついてみると3人の美女と飲み歩いているのである。

ustreamでweb配信させない中国政府にたてついて、
違法ソフトを使って配信出来るか実験も兼ねながらやっているので、
配信が成功した時にはその映像は美女と飲んでいる時ばかりである。

「末吉さん、キャバレー行く時は配信切ってないとヤバいですよ」
とありがたいメールが届いたが、
考えてみれば日本人美女と日本語で話しながら飲んでいる映像を配信したところで日本と何も変わりはない。

誰かiPhoneでセキュリティーを破れる方法を教えてくれぃ!!!
そしたらワシは町中をiPhoneで配信するのに・・・

明日は午後からスタジオにドラムのチューニングに行くのでとりあえずそれでも配信してみよう。

www.blasty.jp/barxyzにて可能な限りゲリラ配信中!!

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2010年1月29日

中国からはTwitterが出来ない?!!

中国政府は国内のインターネット接続に関して6つの「関所」を設け、
常に人民のインターネット接続を監視していると言う。
だから国外のサーバーに接続する速度は非常に遅い。

これだけではない。
驚くべきことにYou-Tube等アメリカのサーバーには接続出来ないようになっているのだ。
同様に店の配信システムであるustreamにも接続出来ない。

同様に今回北京に来て発覚したことが、Twitterにも接続出来ないということである。

You-Tube等は反国家的な動画を配信されたらたまったもんじゃないという考えも理解出来るが、
Twitterなんてもんがそんなに国家を脅かすようなことか?・・・

しかし中国人はたくましい。
「上に政策あれば下に対策あり」
という言葉があるように、
政府が取り締まればその抜け道を考えて「うまくやる」のである。

海賊版ソフトがこれだけはびこる国である。
そんな政府のセキュリティーなんぞぶっ飛ばしてしまうソフトが出回っている。

Free VPN

このパソコンがアメリカのIPアドレスに接続しようとしているのではない、
とパソコンを騙してしまうソフトなのである。

中国の若い衆はみんなパソコンにこのソフトをインストールして、
自由にYou-Tube等の動画を楽しんでいる。
もちろん「関所」のせいで速度は非常に遅いが・・・

ところが政府もバカではない。
ワシが北京にやって来てTwitterに接続出来ないことを知り、
それではとこのソフトを立ち上げてみると、
何と見事にこのソフトを使っても接続出来ないようになってしまっている。

若い衆に電話をして聞いてみる。
「あのソフトが使えなくなってしまってるみたいだけど・・・」
答えは簡単である。

「新しいバージョンのが出てるからそれ使ってみぃ」

それだけの話である。
永遠に「いたちごっこ」なのである。

中国政府よ。こんな規制をしたところでどうせ「いたちごっこ」なのである。
金と労力の無駄じゃ!すぐ規制を解きなさい!!!

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2009年12月21日

LaoWuは偉大やなあ

院子に帰って来たら水道管に凍結防止処理がなされたいた。

LaoWuIdaiyana.JPG

ミュージシャンのくせに何でも出来る!!
貧乏がそうさせたのか、出来るからずーっと貧乏で不自由がないのか・・・

彼曰く、
「嫁にも言われたことあるよ、なんであんたはそんなに貧乏なのって、
でも俺は答えたんだ、この生活をやってるからあくせく働かなくていい、
朝から晩までバンドの練習以外お前とテレビ見たり毎日遊んでるだけじゃないか。
こんな生活はよっぱど金持ちかよっぽど貧乏かしか出来ないよ」

けだし名言である。

ワシここまでサバイバルなミュージシャンは彼以外会ったことがない。
彼に空港まで送ってもらって今から日本に帰る。

山ほどの土産である。

YamahodonoOmiyage.JPG

画面下から順に、
前回好評だったビールがいくらでも進む唐辛子の激辛スナック、
武漢名物鴨の喉笛、
寧夏名物手づかみ羊肉、
29日には客と一緒に全部食らうのじゃ!!

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2009年12月20日

空港にて物思う・・・

文無しでもLaoWuが空港まで送ってくれるし、
電子チケットやからパスポート出したらチケットくれるし、
武漢着いたら迎えが来てるから金使うことない。

中国はほんまに金使わんでええから楽やわ・・・

それはそうと昨日のコンサート、
思い起こせば結構歴史に残るいいコンサートやったに違いない。

通常歌謡曲系のコンサートでは「チェイサー」と言って
最後の曲が終わったら歌手の退場のためにエンディングとかをリピートで演奏するのじゃが、
通常はその段階で客はぞろぞろ帰ってしまい、
ひどい時にはチェイサーが終わったら1万人の客が全員帰ってしまっている。

早っ!!

しかし今回は珍しく、
ドラムを片付けているのに大半のファンは帰らずにずーっとアンコールを続けている。
こんなことは中国のコンサートではなかったことである。

中国人・・・合理的やから無駄なことせんし・・・

また、歌謡曲系のコンサートでは出モノ腫れモノ何でも来いじゃが、
あれもやりたい、これもやりたいでいろいろやっても、
まあ成功する企画はせいぜい半分ぐらいである。

ところが昨日のコンサートでは全てが大成功。

しょっぱなの軍隊ダンス(この監督・・・ほんまこれが好きやなあ・・・)
ダンスがバシッと決まって大成功。
小さい頃アニメが好きでということでアニメメドレー、
ドラえもんから始まって聖闘士星矢まで日本語で歌う。
大盛り上がり・・・
ヒット曲のメドレーも電子音楽風にダンスも交えて大成功。
マイケルジャクソンメドレーではムーンウォークからダンスをビシっと決め、
お決まりのバラード(これが大半なのであるが)では、
デブのキーボードがもらい泣きするほどの歌唱力を見せつける。

そう言えば日本にはここまで歌えて踊れるエンターティナーっておらんなあ・・・

基本的に中国の歌手は歌がうまい。
今回のコンサートもそうなるだろうが、
よく大きなコンサートはすぐに海賊版DVDとして発売されるが、
無修正のその音源を聞いて、
バンドはミストーンがあっても歌手が音を外すことはまずない。

彼はMengMeng(モンモン)のようにテレビのオーディション番組で出て来た歌手なのじゃが、
人口比率で言うと応募者の数は日本のオーディション番組の比ではない。
顔がよい、キャラクターがずば抜けているだけでは勝ち残っていけないのだ。

少なくても歌はもの凄く上手い!!これは中国で歌手やるなら必須である。

その上、彼は80后(80年代生まれ)と呼ばれる中国の新世代である。
ネットと海賊版で全ての情報を手に入れ、
一人っ子政策で好き勝手に育った宇宙人世代である。
ワシが「なんだかなあ」と思うことは彼らにとっては当たり前のこと、
中国という国はこの宇宙人世代が牽引しているのである。

ギャラはもらいそびれたが、まあ次の仕事もワシだろう。
その時にもらえばよい。

このバンドのメンバーも全て80后、
デブのキーボードも含め、全てワシが育てた新世代のミュージシャンなのだから・・・
ぼちぼちドラマーも育てにゃいかんのう・・・

おっと出発の時間だ、搭乗するとするか・・・
武漢まで2時間・・・毎度のことながら・・・国内線が遠過ぎる・・・

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ギャラもらうん忘れたぁ!!

文無しである・・・

しゃーないなぁ・・・武漢へ出発ぅ!!!

眠い・・・

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2009年12月19日

終わったどー

いやー長かったなあ・・・
これで終わると思ったら思いっきり叩かせてもらったぞよ。
歌謡曲ごときでミスなんかしてたまるかい!!

完璧なドラムです!!!

今から慶功宴。
胸を張って酒を飲ませて頂きます!!

明日朝6時出発で武漢やけど・・・

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ゲネプロは長かったぁ・・・

なにせ1回通して、晩飯食ったらまた最初っから通したもんなぁ・・・

ZhangJieGenePro.JPG

北京工人体育館、キャパ1万2千人。
まあ日本で言うと武道館である。

新人のくせに売れてるらしいから金あるでぇ・・・
(しかし往々にしてバンドには回って来ないのであるが)

出モノ腫れモノ何でもあり!!
バンドのメンバーも多いけどダンサーもうじゃうじゃ・・・

ちなみにこの写真はダンスのリハをしているように見えるが、
実はバンドのサウンドチェックである。
日本だと何時から何時までは照明、何時からはバンド、
と時間をちゃんと分けてやるのが普通だが、
ここ中国では我先にいっぺんにやってしまう。

さすがバス停で並ばずにダンゴになってバスに乗る民族・・・

だいたい「ドラム下さい」とか言われてドンドンとか叩いてるのに、
全然違うテンポで「イーアルサンスー」とか叫びながら
それに合わせてダンスを踊ってるわ、
照明は勝手に色合わせしてるわぐしゃぐしゃである。

サウンドチェックも、まずドラムをひとりで叩いて、
その音が大きいか小さいかをそれぞれのミュージシャンに聞いて、
全員回ったら次はそれにベースを一緒に弾いて、
ベースの音が大きいか小さいかをまた全員に聞いて・・・
という風に順列組み合わせで全員を回ると、
バンドのメンバーが多いので結局ドラムは1時間ぐらい叩き続けている。

このやり方は5−6年前に韓紅という歌手のコンサートでドラムで呼ばれた時、
その時の台湾の舞台監督がやり出したのが最初だったと記憶している。
ミュージシャンにはすこぶる不評だったがそれから定着してしまった。

それにしてもダンサーは凄い!!
全楽器が大音量で別のリズムを延々刻んでいるのに、
全然違う別の曲を踊ってるんだから・・・


さて夕方頃になって歌手が登場!!
見て下さい!!
リハ装束がもうマイケルそのものです!!!


ZhangJieMickelSokkuri.JPG

凄いですねえ。
もちろんMJメドレーもやります!!
ダンスも踊ります!!
ムーンウォークもやります!!

勇気あるなあ・・・

Earth Songに至っては映像もMJと同じです!!
(著作権どうなっとるんやろう・・・)
しかしアレンジがちょっと違ってて、
中国らしく二胡が入っていて、

ZhangJieGtAndErhu.JPG
(画面右手)

この曲のためだけに呼んだ二胡奏者がそれはそれは美人で・・・
(お近づきにはなれなかったが・・・)
それが最後にはステージの一番前でギターふたりに挟まれて弾きながらのけぞるのよ・・・

客席で見たい・・・

いやーやる前は「なんだかなー」と思うことがいっぱいあったが、
ここまでやってくれると何か・・・凄い!!

思うに今の時期、武道館クラスでこうも真っ向からMJを再現する歌手は世界広しと言えど中国だけでしょう・・・

中国人おそるべし・・・

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2009年12月18日

風呂に入るのも命がけ


中国古来の院子(ユエンズ)というのはその作り上
風呂に行くにもトイレに行くにも一旦部屋から出て行かねばならない。
夜中のトイレなんぞ命がけである。

外は零下、サウナに行こうと着込んで外に出るが、
車のエンジンをかけようとして思いとどまる。
この凍った鉄の塊の中でこのオンボロ車がエンジンがかかるまでに凍え死んでしまわないとも限らない。
またこの車ときたら夏はエンジンの熱気で外気より暑いくせに
冬はすきま風で外より寒い。
サウナ上がりに湯冷めしてしまう可能性大である。

そう言えばうちの風呂桶はLaoWuが直してくれたからうちでも風呂が入れるではないか・・・

風呂場に行く。
お湯をひねってみる。
出ない。

水道管が凍っているのだ・・・

部屋に帰ってコタツにくるまって考える。
さてどうしたものか・・・

困った時のLaoWu頼み。
隣なのにコタツから出たくないので電話で呼び出す。
ニ井原がパソコンが壊れたらワシを呼び出すのと同じである。

お湯を持ってLaoWuが現れる。
貧民街では通常部屋の中で練炭ストーブを炊いて(危険やなあ)暖をとるのでその上に置いてあるヤカンにいつもお湯があるのだ。

お湯の温度を調節してお湯をためる間またこたつに飛び込む。
この間にもう体は冷え切ってしまっているのだ。

お湯がたまった頃、覚悟を決めてこたつの中で服を脱ぎ捨てて全裸になる。
えいやとばかり覚悟を決めて外に飛び出す。
零下の院子を駆け抜けてお湯にざっぷん。

わっちっち!!

お湯の温度が熱すぎた。
飛び出して水でうめる。
しかし浴室も外気の温度と同じである。
凍え死にしてしまうのでまた意を決して浴槽に飛び込む。

わっちっち!!

まるで熱湯コマーシャルである。
これをくり返すうちにお湯もうまり、
身体も温まってゆっくりお湯に浸かれるというもんである。

出る時はもう身体も温まっているので裸で院子に出ても大丈夫。
身体から物凄い勢いで水蒸気が出ている。
全然寒くない。

部屋に入って服を着ていざ出陣!!
今日は会場入りしてゲネプロ。

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2009年12月17日

ドラムセットを持ち込んだ

日本ではだいたい全てのライブは自分のセットでやるが、
中国では持ち込まないのが普通である。
リハーサルスタジオは機材リース会社を兼ねており、
ここでリハーサルをするということは即ちここに機材を使うということである。

北京には3つこのような会社があり、
そのひとつはオーナーがドラマーなのでよいが、
あとのふたつの場合ワシはそのドラムをあまり信用していない。
特にワシはパールのモニターなので
その会社の一番のドラムセットがパールとは限らないのでなおさらである。

VisionGreenDrumkit.JPG

持ち込んだこのセットはパールのVisionシリーズ、
中国のパール工場が作った初の国内流通バージョンである。
ワシはこのシリーズの宣伝で全国を廻っているのである。

今回ドラムセットを持ち込んだのは、
このスタジオが用意してくれるパールのセットが必ずしもいいものとは限らないのもあるし、
ドラムより大切なヘッドがちゃんとしてない可能性もあるし、
チューニングがぐしゃぐしゃである可能性もあるし、
でも何よりも今回の歌手が「アンコールでドラムソロをやりたい」と言い出したからである。

勇気あるなあ・・・
いくらワシがギターやピアノの心得があってもアンコールでソロをやらせろとはよう言わんもんなあ・・・

まあ自分のコンサートである。
やりたいことは全部やればよい。
当日はドラムセットを2台用意して、
アンコールでは彼がドラムソロをやりながらせり上がって来るということで、
それをサポートするために自分のドラムセットも持ち込んだのである。
当日はワシは自分のセットを、
彼はこのスタジオが用意したセットを叩くことになる。

叩けるというレベルでもないドラマーにソロが出来るのか?!

・・・出来るのである。
ワシが手取り足取り教えてやろう。
ドラムソロとは即ちパフォーマンスである。
ワシがやるなら難度の高いパフォーマンスが求められるが、
歌手が叩くのに難度は必要ない。

Wingを見てみろ!!
ワシが2時間一生懸命ドラム叩いて、
アンコールで出て来てちょこちょこっとドラム叩いただけで観客の全てを持って行ってしまう。

ドラムはやっぱ顔やでぇ・・・

彼は中華圏で一番のドラムスター、
今は歌を歌っているが、彼がドラムを叩いてくれさえすれば客はそれでいいのである。
しかも彼はショービジネスの世界でいろんなことを知り尽くしている。
彼のドラムソロを手本にして組み立てればそれでよい!!

まずせり上がって来る時にはスネアの連打。
上がり切ったらそのままタムに移動し、
フロアタムまでいったらいきなりツーバスとシンバルで乱れ打ち。

「難しくないか?」
歌手は心配そうに聞くが、
お前がやりたいような複雑なリズムソロは、
テクニックが必要な上に出来たとしてもそんなに効果がない。
ツーバスとシンバルの乱れ打ちぐらい実は誰でも出来るのだ。

そしてゆっくりした速度からシンバル+バスドラ、
そしてスネア、
これを交互にゆっくりから始め、速度をじょじょに上げて速くする。
これだけで観客は狂喜乱舞よ!!

「こんな簡単なことで?」
歌手は心配そうに聞くが、
「じゃあ俺がWingのドラムソロをそのままやってやろう!!」

Wingはこの辺のことを知り尽くしているので、
彼はバスドラ+シンバルではなくスネア+シンバルである。
その時に同時に首も振る。
タンというのを身体ごと打ってるような感じですな。
これをゆっくりからだんだん速くしてゆく。
そして最後にバスドラも交えて乱れ打ち。
客は狂喜乱舞よ!!

「わかったか!!ドラムは所詮は顔よ!!
お前はWingに負けず劣らずルックスがいいんだから絶対に出来る!!自信を持て!!」

なんか言えば言うほど悲しくなって来た・・・

Posted by ファンキー末吉 at:15:14 | 固定リンク

風呂桶なおった・・

さすがうちの村長ことLaoWuは天才である。
貧乏がそうさせるのかもともと器用なのか、
何でも自分で直してしまう。

Furookenaotta.JPG

今日はリハ終わって帰って来たら風呂に入ってみよう・・・

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2009年12月16日

リハは続くよだらだらと・・・チャット・・・

ドラム台の横にパソコンを置いて、
叩いている時は無理でもヒマがあればメールチェックしている。

ComputerByDrumkit.JPG

昨日は田川くんから別件でメールが来て
そのままメールチャットになってしまった。
(それぐらいヒマなのよん・・・)

>ところで、ヤンクンの時の舞台監督は、ファンキーさんが泣かせた人ですよね。
>OPで鼓笛隊を提案してきたあの監督(笑)。

ワシが泣かせたかなあ・・・泣かされた記憶しかないがなあ・・・

そうそう、あの時は日本から田川くんも呼んで一月滞在してもらって一緒にこの大仕事やったんじゃったのう・・・
何でYangKunのオープニングで軍服着た鼓笛隊が行進せないかんのか今でもようわからんが、
他にもいろいろあったのう・・・
「ベンツの中で女はべらせて歌え」とかのう・・・
YangKunの歌は全部失恋の歌で女はべらせて歌う歌は1曲もないっつうねん!!

>そういえば、ファンキーさんがプロデュースの時、ゲネ前の舞台上で寝ていたのを思い出します。
>本当の大物だと思いました。(笑)

いやーもう・・・疲れ果ててな・・・
コンサートの前日にVIP席の招待券を持ってS社長んとこ行って朝7時まで飲んでたのよ。
音楽監督は誰にでも出来るけどYangKunとS社長を仲直りさせるのは中国広しと言えどワシしかおらんからな。

またステージ上が照明で暖かくて寝やすいのよ。
「ドラムの番になったら起こしてね」ってね。
爆風のツアーでも二日酔いでよくこうやって寝てた。

今回も寝るでぇ!!
あんましたいくつなもんで・・・(笑)

>寝ても寝なくてもギャラは同じですし(笑)

音楽監督でギャラいっぱいもらっても、
あれだけやること多くて神経もすり減らして、
それよりはドラマーでこうやってだらだらやってる方がよっぽどええわな。

あ、リハが始まった。
またチャットしよな!

ほな!!

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2009年12月15日

リハは続くよだらだらと・・・取材・・・

だいたい何が仕切りが悪いってベースが来てないのである。
遅刻するようなヤツじゃないのになあと思って待ってたが、
今日は他のライブがあるので遅くなると言う。

じゃあ遅く始めろよ・・・

待てども待てども来ないのでだらだらしてたら
いきなり取材の人間がうじょうじょ来だした。

中国はよくあるのよ、リハの様子を取材するって・・・

ワシが音楽監督の時はうっとおしくて喧嘩してたけど、
今回はワシの仕切りではないのでどうでもよい。
テレビ用に演奏しろと言うのでベースなしで演奏してたら、
何やらメディアが全部ドラムんとこに集まって来ている。

見れば歌手がドラムのそばで歌っているではないか!!

やめてくれよぉ・・・
と曲が終わったらそそくさとドラムから逃げ出す。
そしたら何か当日のゲストの歌手かなんかが来てインタビューが始まる。

ZhangJieCaiFang.JPG

もうリハどころではないので外に逃げ出してタバコ・・・
をみんなは吸うのじゃがワシは吸えないのでまた戻って来て写真撮影。

聞けば明日明後日はもうゲネプロということであるが・・・
まだ全曲合わせてないぞ・・・

まあ何とかなるのじゃ、中国では・・・

AkireruDebu.JPG

デブもあきれる中国のリハーサル。

Posted by ファンキー末吉 at:19:39 | 固定リンク

音楽監督の立場とドラマーの立場

中国でこのような大仕事を受ける時には「音楽監督」という立場で仕事を受ける時が多い。
前回はYangKunという大歌手の復帰コンサートであった。

彼は苦節10数年、S社長に拾われて大ブレイクしたが、
事務所移籍に関してS社長ともめて、その結果鬱病を煩って一線を退いた。
そんな彼が満を持しての北京でのソロコンサート、
心配性の彼が訪ねて来たのはS社長の親友であったはずの私である。

「これは相当な覚悟でワシんところに来てるな」
と思ったワシは快く音楽監督を引き受けた。
それからの毎日は筆舌に尽くしがたい。

まず困るのが「舞台監督」との衝突である。
ワシとYangKunとはデビュー前からの付き合いだし、
レコーディングもライブも数々やったので心も通じ合っている。
ところが初めて会うその舞台監督のわけのわからん要求にキレるのはワシだけではなかったようだ。
当のYangKunも
「あいつの言うこと聞かなくていいから。
音楽は俺とお前で作ればそれでいい」
と言ってたぐらいで、最後にはその監督が何を言おうと誰も相手にしなくなった。

昨日のリハーサルでその監督を見た時には目を疑った。
「彼が今回の監督なの?・・・誰が呼んだ?・・・」
ワシは小声でプロデューサーの曲世聡に聞いた。

「前回のYangKunのコンサートが素晴らしかったんで僕が呼びましたが?」

アホか・・・あの監督がどれだけめんどくさいか・・・お前は知らんから・・・
と言おうとしてふと考えた。
別に今回はワシの立場は音楽監督ではない、
音楽監督はこいつである。
つまり監督がまたどんなめんどくさいことを言い出しても聞くのはワシではない、こいつなのである。

「よしよし、君がよければそれでいいではないか」

ワシは今日もリハに行く。
リハはだらだらと続く。
しかしリハが終わればそれで終わりである。
夜中に全部アレンジをやり直したりしなくてよい。
次の日に目を赤くしてやって来た彼の意見を聞いてまたドラムを叩くだけである。

楽しいかな、ドラマーの立場・・・
今はちょっと風邪ひきさんなので、
直ったらバンドのメンバー連れて飲みに行こうかな。

Posted by ファンキー末吉 at:11:31 | 固定リンク

2009年12月14日

風呂桶壊れた

中国人は欧米人と同じくシャワーしか浴びんが、
日本人はやっぱ風呂である。

この院子に引っ越した時に真っ先に購入したのがこの風呂桶。
ついでにこの桶にいっぱいのお湯を沸かすための給湯器が右側。
これがまた高かったのよ・・・。
風呂はやっぱ中国では贅沢品やね。

Furookekowareta.JPG

そしてこの風呂桶に先日お湯を入れようとして発覚。
風呂桶の木が乾燥により割れ目が出来てお湯が漏れてしまうのだ。

久しぶりにLaoWuに会ったので修理を依頼する。
彼は何でも直せるサバイバルなミュージシャンなのだ。

どのように直すんじゃろ?・・・

まあ彼のみが知ることじゃが、
直るまでワシは風呂に入れない。
韓国人が開いたサウナがあるので当分はそこに通うことになるな・・・

めんどくさいので入らない可能性もあり・・・

Posted by ファンキー末吉 at:13:56 | 固定リンク

2009年12月 8日

リハは続くよ果てしなく・・・

だいたいバンドのメンバーが多い!!

ドラム、ベースにパーカッション、
ギターはふたりにキーボードもふたり、
コーラス4人に音楽監督やらマニュピレーターやら、
そりゃ広いスタジオじゃないとという気持ちはわかるがこれは広過ぎじゃろ・・・

ZhangJieRhStBig.JPG

映っているのでまだ半分である。
左側にまだ同じぐらい広さがあり、
そこにコーラス隊が陣取っている。

しかしリハも佳境になって午後を過ぎると
このスタジオにどんどん知り合いのミュージシャンが集まって来る。
どうもこのスタジオは2時から別の歌手が使うらしい。

「ラッキーね、仕事2時に終わるあるよ、メシ食いに行くアル」
デブのキーボードがワシに耳打ちする。
「よっしゃ!!今日は昼から飲んだる!!」
とワシ。
「昼から飲むアルか、じゃあ私もつきあうアル」
とデブ。

今回北京に着いてからずーーーーーっと働きっぱなしやないかい!!
今日ぐらい飲まんでどうする!!

飲む気満々でリハにも気が入る。
「おう・・・ファンキー、頑張っとるなあ・・・」
次のミュージシャンが次々やって来て感心する。

ところが2時が過ぎ、3時になってもリハは終わらない。
いくら「いつも待たされるから待たせてもいい」という中国人でも
「早くしろよ」というモードになって来る。

「ぼちぼち終わるな・・・」
というモードになって演奏にもいっそう気が入る。

終わった!!・・・機材を片付け始めるメンバー・・・
「よし!!飲みに行くぞ!!」
ワシもドラムの持ち込み機材を片付けて帰ろうとすると、

「終わりじゃないよ、別の部屋に移ってまだやるよ」

がーん!!!!・・・まだ続くのね・・・

スタジオがまた狭いのじゃ・・・

ZhangJieRhStSmall.JPG

Posted by ファンキー末吉 at:16:52 | 固定リンク

こりゃなかなかやろ・・・

夕べも2時ぐらいまでリハやってて、
今日は前半の最終日ということで午前中から。

こうもはかどらないのはひとえに仕切りが悪いからである。
曲は直前に届いたが、譜面はないし、
ワシなんか一度聞いただけでそれをメモし、
それをみながら「さあやるぞ」と言われたって
自分で書いたこんな譜面しかないんだからどんな曲だかすら思い出せるわけがない。

JianPuDrum.JPG

ワシが音楽監督の現場は出来れば全てのパートが何を弾くかがわかるような譜面、
少なくともコード譜ぐらいは書いて来る。
つまり現場に入る前にアレンジは終わっているのである。
(まあそれだからそれが出来ない音楽監督はワシを呼ぶのであるが・・・)

もちろんワシの場合は五線譜で譜面を書くが、
中国の場合は「数字譜」が一般的である。
「簡譜」とも言う。

こんな感じ

JianPuStrings.JPG

一番複雑であろうはずのストリングスの譜面がこれである。
出て来る音はご想像の通りである。

一時が万事・・・最終リハはまだまだ続く・・・

Posted by ファンキー末吉 at:13:57 | 固定リンク

2009年12月 7日

潰れかけた屋根

中国古来の住宅形式である「院子」というのは、
四方を(貧乏村では三方を)住居だ囲み、中庭を作る。
通常はこれをその4軒の家の共有部分とするのであるが、
この貧民街では比較的裕福であるワシはその全部を借りている。
(8部屋あって中庭あって月々数万円・・・
しかし暖房は自分で石炭・・・涙・・・)

夏は太陽によって暖められたコンクリートの箱である部屋は外気より暑くなり、
そして冬は外気と同じ温度まで下がるので、
こうして院子にビニールを被せて温室効果を狙うのじゃが、
まあ気休めぐらいにしかならないのじゃが
それでもということで冬支度として毎年ビニールを被せる。

しばらく日本にいた間に2回ほど大雪が降ったそうで、
そのおかげでもう屋根が潰れかけている。

TsuburekaketaYane.JPG

あと1回大雪が降ったら潰れるじゃろう。
今年は北京に大雪が降りませんように・・・

Posted by ファンキー末吉 at:13:35 | 固定リンク

2009年12月 6日

いきなりリハ

寒いよーーー
暖冬の日本と違って北京はほんまに寒いーー

空港から院子に帰ってとりあえず石炭をくべて
そのままオンボロ車でリハスタに向かった。

悪い予感というのは当たるもんで、
新幹線の中でチェックした曲順表にはちゃんと「マイケルジャクソンメドレー」が入っていた。

ほんまにやるんや・・・

リハスタに着いたら「ビリージーン」が聞こえて来たので、
そのスタジオに行ったらハオズがいた。
北京で一番スタジオ仕事が多いドラマーである。

「お前がドラムなの?ほな俺いらんやん・・・」
と言うと、
「Funkyのスタジオは隣!!」
とたしなめられた。

この時期、北京中の歌手がマイケルジャクソンメドレーやるんかい!!!

突っ込み満載のままリハーサル開始!!

ZhangJiePaiLian1.JPG

どんな完璧主義ぶった歌手が来るのかと思ったら来てなかった。
リハがどうしてこんなにたくさん必要かやってみてわかった!!

仕切りが悪いから時間がかかるだけやないの!!!!!

だいたい30曲近くもあってメドレーも何曲もあるのに譜面ひとつない!!
みんなそれぞれコードとって来るんだけどみんな違ってるしぃ!!

まあそのぶん自分もいい加減でいいから助かるけど・・・

・・・てなこと言うてるからこんな時間(夜中の2時)までリハやってたやん!!
もう帰って今日は寝る!!

Posted by ファンキー末吉 at:23:46 | 固定リンク

2009年11月 2日

長い一日

曲世聡から久しぶりに電話があったのは一昨日の夜。
12月の彼が音楽監督を務めるコンサートのオファーと、
こっちにいるうちに3曲ほどドラムのレコーディングをしてくれないかというオファー。
もちろん大歓迎なので今日の午前中にレコーディングして、
午後から二胡のコンサートというスケジューリングにしていた。

スタジオ押さえとか、最終的なスケジューリングで連絡を取り合った時点では
お互いにまだ知らされていない・・・

その後昨夜UPしたブログで書いたアホな服装問題でもめてた頃、
実はベースの韓陽(HanYang)が一本の電話を受けていた。
陳琳(チェンリン)が自殺したって噂だけど何か聞いてる?」
まさか・・・ってな感じである。

院子に帰ってブログを書き終えた頃、知らない電話番号から電話が来る。
「友人からこの電話番号を聞きました、
○○の記者ですが、Funkyさんは陳琳(チェンリン)ととっても親しかったということなので・・・」

親しいと言っても、どちらかと言えばワシは陳琳(チェンリン)とというよりも
その旦那のS社長と親しかったからなあ・・・。
彼らが別れてから縁がなくて連絡取ってないし・・・。
彼女の新しい旦那は仕事はやったことがあるが電話番号も知らないし・・・。
などと喋ったらさっさと電話を切りよった。

おいおい!!
お前が持ってる情報をワシに教えんかい!!!

ネットで調べてみるが、
どこもその真相をまだつかんでない。
だからワシんとこまで電話がかかって来るのだ・・・。

状況はよくわからんが死んだことは間違いないらしい。
人の生き死にはここ数年よく見てるのでとりあえず考えない。
死ぬということは単なる「形を変えて生き続ける」ということらしいではないか。

釈然としないまま仮眠を取って、
朝7時に起きてレコーディングに出発しようと思ったら、
何といつの間にか大雪である。
車に機材を積もうにもこのありさま・・・

BeijingOoyuki.JPG

やっとこさで機材を積んでスタジオに・・・。
それまで死んだ人のことは忘れている・・・。
いや、忘れるべきなのだ、ましてや自分で命を断ったと言うならばなおさら・・・。

しかし曲世聡と会ったらまたいろんなことを思い出してしまう。
ヤツが初めて北京に来て、初めて生ドラムをレコーディングしたのがワシ。
それも全て陳琳(チェンリン)の曲ではないか・・・。

ワシらはいつも現場に一緒にいた
ワシに言わしめても田舎モンの彼が今や大プロデューサーになっていられるのも全て陳琳(チェンリン)のおかげではないか・・・

同じことを彼も考えていたのだろう。
陳琳(チェンリン)との思い出はお互い相当に深いものである。

思えばワシが最初に中国でやったスタジオ仕事も陳琳(チェンリン)の曲だった。
むっちゃくちゃ旨い四川料理を作ってくれる、
素朴で歌好きの女の子がスターダムにのし上がってゆく最初から最後までワシらはずーっと一緒にいたではないか・・・

でも言わない・・・考えない・・・。
ワシの周りの死んだ人はみんなワシにこう言ってるではないか・・・
「生きてる人間は今を生きろ」と・・・

しかし今日と言う日は会う人会う人、
陳琳(チェンリン)の話・・・聞いたか?』
が挨拶である。

レコーディングが終わって二胡の現場にかけつける。
ここの方がまだ気が楽である。
韓陽(HanYang)とか以外とは別にその話はしないから・・・。

でもその韓陽(HanYang)だって陳琳(チェンリン)の仕事で知り合った仲間じゃないか・・・

思い出が多過ぎる。
過去にメルマガで配信したのだけでもこんなにある。

http://www.funkycorp.jp/funky/ML/47.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/48.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/55.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/56.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/58.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/59.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/63.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/64.html

これだってそうである。
この時に聞いて涙してた音楽こそ陳琳(チェンリン)の音楽だったではないか!!
彼女が死んだお父さんに向けた詞を書いてオーケストラと共演した曲・・・。
あの時、生のオーケストラと一緒にコンサートやって、
リハーサルの時にあんまし奴らが不真面目なんで沖衡(ZhongHeng)が怒ったよねえ。
「これは彼女が死んだお父さんに向けて書いた大切な曲なんだ。
頼むから一生懸命やってくれ」って・・・

お父さんが死んで、君まで死んだらお母さんはどうなる?・・・


秦勇のライブ
を見に来て、
「ねえ、この短期間にどうやってこれらの曲を作り上げたの?」
と聞かれたからこう言ったよねえ。

「簡単だよ、うちの院子においで。
曲を発売するからレコーディングして、それを演奏するからリハーサルして、
そんなんじゃない世界がここにあるから。
銭金じゃない、みんなやりたい音楽をやってる世界だってあるんだよ」

でも君は来なかった。
高いところに立ったら吸い込まれそうで怖くなるけど、
それでも飛び降りたいと思うほど辛かったのかい?

だったらどうして訪ねて来てくれなかったんだろう・・・

みんなそう思ってるよ。
今まで一緒にいろんな音楽を作り上げて来たんじゃない。
この中国の今の流行歌は全て僕たちが一緒に作り上げて来たんだよ。

仲間じゃないか・・・

僕は明日もう日本に帰るから・・・
君のことを誰も知らない国に帰る。

悲しいこともあることはあるけど、
でも僕は楽しく酒を飲む。

美味しいものを食べて好きな音楽をやって、
友達ともいろいろ会っておこう。
君みたいに悩んでる人もいるかも知れないしね。

そしてもう君のことは忘れるよ。

だって僕はまだ・・・生きてるから・・・

さようなら、陳琳(チェンリン)、僕はまだこの世で音楽をやるよ。

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2009年11月 1日

民族音楽番組に出演

二胡の劉継紅さんのコンサート、
明日は本番なのだが、今日はテレビの収録である。

「民族音楽の番組では最高峰の番組なんです。
ファンキーさん一緒に出て下さい」
と言われたので、
「テレビ嫌いだからヤダ!!」
ととりあえずは断っていた。

だいたい中国のテレビに出たってワシが得することは全然ない。
有名になったってギャラが上がるわけでもなく、
イヤな仕事がまた増えるぐらいだったら出ない方が全然よい。

X.Y.Z.→Aで出れるんだったら考えてもええけど・・・(無理か)・・・

まあどうしてもと言われると、
延々と話し合いながら断る労力よりも出た方が楽なので
「仕事」として引き受けさせて頂いた。

今回はミュージシャンがみんな売れっ子になってしまったため探すのが大変だったが、
いつものメンバーがスケジュールを空けて集まってくれた。
ドラムやベースアンプを運んで別のところでリハをし、
収録スタジオにまた運んでセッティングするのは大変じゃが、
一流の民族奏者(中国で最高峰ということは世界一の人達か・・・)が演奏する
中国最高峰(ということは世界一ということか・・・)の楽曲に混じって、
私の「ろう君の初恋」と「Memories」を演奏してくれるということは非常に光栄なことである。

リハも一生懸命やり、やる気まんまんで収録スタジオにやって来たら、
ワシらを見てプロデューサーが何やらけげんそうである。

そりゃそうだ、ドレスで着飾った一流の民族奏者に混じって、
ワシらだけ普段着なのである。

「こんな服で出演するつもりですかぁ!!!」
劉さんがきーきー噛み付いて来る。

「いけませんか?・・・」

一応いつも来ている服よりはいい服を着て来たのじゃが、
まあお気に召さないと言うならステージ衣装も持って来ているのでそれに着替えよう。

「テレビに短パンで出るつもりですかぁ!!!」

更におかんむりとなる。
短パンにTシャツはワシの正式な「衣装」じゃぞ・・・

「ひょっとして明日のコンサートもそれで出るつもりじゃないでしょうね!!!」

もちろんそのつもりじゃったが、
あんましきーきー言われるので
「正装しろと言うなら予め言ってくれたら用意するのに」
と一応言ってみる。
用意するにも持ってないのじゃが・・・

「明日DVDのシューティングが入ることは言ってましたよね。
つまり撮影するんだからそれようの衣装を着て来ることは伝えているのと同じですよね!!」

またきーきー言われるので大きく反論してみる。

「中国のあらゆる有名歌手のコンサートDVDを見てみなさい。
ワシが堂々とこの服を着てドラムを叩いてるから。
誰もこの服をダメだと言う歌手はいないよ。
これはワシの正装なんだから」

まあ焼け石に水である。
「住む世界」が違うのである。
彼らにとってテレビやコンサートではドレスやタキシード、
短パンなんぞはもっての外なのである。

それだったら最初から言え!!
拘束時間がどれだけで、労力がどれだけで、
ギャラがいくらで条件が何々、
折り合いがつけばやるし、
条件が飲めなければやらないし、
いきなり言われたって無理でしょう。

・・・と言いながらもし正装が条件なら断ってただろうなあ・・・
・・・映画賞のレッドカーペットも結局ぶっちして帰ったもんなあ・・・

やり合ってる場合じゃない、
もうすぐ収録が始まるのだ。

「ちょっとその上着脱いでみて下さい」
上着の下は筋肉少女帯のTシャツである。
「うん、なかなかいいんじゃない?」
プロデューサーはそう言うが、
何で民族音楽に筋肉少女帯なのかがワシにはよくわからない。

「髪の毛は彼はバンダナを巻きますから大丈夫ですよ」
劉さんが助け舟を出すので一応巻いて見せる。
メイクさんがやって来てみんなにメイクするのだが、
ワシの様子を見て
「うん、この人はこれでいいんじゃない?十分よ」
と言われるところからしてバンダナの威力は偉大である。

MinZuTVnoYiFu.JPG

これよぉ!この格好のどこがいかんのぉ!!
短パンがいかんと言うので思いっきりジャージですが・・・

そして本番が始まる。
前のふたりだけがちゃんとしてればバックバンドなんてどうでもいいのよ・・・

MinZuTV.JPG

と思ってたが・・・やっぱ浮き過ぎじゃろう・・・
明日はちゃんとした服装を持ってゆくとしよう。

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2009年10月31日

ロック村の酒とロックの生活

北京空港に着いてLaoWuに迎えに来てくれとメールする・・・
返事がない。
電話する・・・出ない。

しばらくしてLaoWuの奥さんから電話が来る。
「今リハーサル中よ」

仕方がないからタクシーでロック村に帰る。
空港から近いので運転手さんに嫌な顔されながら、
院子の入り口に着いたらリハーサルの音が聞こえて来る。

まさにロック村。

自分の院子に帰らずそのままLaoWuの院子に直行してリハ見学。
終わったらメシ。

村のレストランに行ったら別の院子のミュージシャン達がいたので合流。
ビールを頼む。

酔っぱらって「ライブ行く時に起こしてね」と言って寝る。

起きてみんなとライブハウスに行く。
このライブハウスのオーナーもロック村出身である。
ここに来て酒に金を払ったことがない。
いつも奢りである。

「よっ、帰って来たのか」
会う人会う人に声をかけられる。
従業員も出演者も会う客会う客みんなロック村出身である。

タダ酒なので飲み過ぎてバタンQ(死語)。
粗大ゴミのように車に乗せられて帰って寝る。

まさにロックな生活である。

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2009年10月26日

北京の若い衆

寧夏省、雲南省に長いツアーに行っていた布衣の連中が帰って来た。
老呉(ラオ・ウー)がエンジニアとして方言(ファン・イエン)まで連れて行ってしまったので、
今回、そして前回は院子に誰もおらず寂しかった。

この方言(ファン・イエン)という男、
去年の布衣のライブ録音の時からうちに常駐しているエンジニアの卵である。
真面目なだけが取り柄の、機転が利かない、要領が悪い、
まあよくあるタイプの憎めない人間である。

あまりにアホなので温厚なワシでも時々癇癪を起こしてしまったりするが、
基本的には彼が院子のスタジオに常駐してくれているのでFunkyスタジオ北京がどうにか存続していると言っても過言ではない。

今回は布衣のみんなが話してくれたツアーのこぼれ話。

まずツアーは布衣の故郷である寧夏省銀川から始まり、
そこのライブハウスに来ていた美女に一目惚れしたことから彼の苦難が始まる。

「だいたい20代そこそこで高級車乗り回している美女が
お前なんか相手にしてくれるわけないじゃないか」

みんなはそう言って彼をバカにするが、
真面目なだけが取り柄な彼は、
空いてる時間は全部彼女の尻を追いかけ、
音響の、設営等の仕事は例によって能率が悪いので、
結局彼は銀川にいる間はほとんど寝ていない。

下馬評のごとく、まるで相手にされることなく銀川を後にし、
一行は雲南省へと向かう。

常春の楽園である雲南省でみんながその大自然を満喫している間、
彼ひとり風邪で寝込んでしまっている。
銀川で寝てないせいか、はたまた恋煩いの病か。
彼らを呼んだライブハウスのオーナーが一生懸命みんなを接待している間、
彼だけひとりで寝ている。

これでは可哀想だと地元の人間がミルクティーを彼に振る舞った。
「これを飲むと風邪なんか吹っ飛んでいっぱつで元気になるから」

実はこのミルクティー、なんかアブナいモノが入っていたそうで、
その通り、彼は一発で元気になった。
街に出てゆき、見るもの聞くものがバラ色である。
露天で言われるままに物を買う。
頭に巻くバンダナと銀のブレスレット。

だいたいにしてお前がいつこんな物を身につけるんじゃ?

80元もした銀のブレスレット、
実際は5元ぐらいの価値だろうとみんなは言うが、
彼はアレルギーで、つけているとすぐ蕁麻疹が出てしまう。

役に立たんやん!!

よし、ワシが買い取ってやろう。
嫁へのプレゼントである。
その代わり、そのバンダナとやらとブレスレットを身につけて写真を撮らせてくれ。

FangYan.JPG

ハイになってバッタもんをつかまされて、
この格好で喜び勇んで帰って来た彼を、人はみんな「アホ」と呼んでいる・・・


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2009年10月25日

北京に戻って来た

久しぶりの北京である。
1ヶ月以上帰って来ないことはここ数年ではなかったのではなかろうか・・・

院子に帰って来たら前回取り付けられていた屋根がなくなっていた。

YuanzYanenashi.JPG

聞くところによると、前回屋根を取り付けたのはワシの仲間たちではなく、
ここの大家が「測量」のために取り付けたと言う・・・。

測量?・・・何のことかと思えば、
何と都市計画でこの村を潰して近代化しようという計画があるらしい。
そのために誰にどのくらいの立退料を払えばいいのか測量しているらしく、
院子のような中庭がある場合はそこは建物ではないと測量されてしまうので、
ちゃんと屋根をつけてその面積も建物ですよと換算してもらうためらしい。

え?・・・この村がなくなるの?・・・

一瞬びっくりしたけれども、
この写真の向こう側に映っている高圧電線、
こんなものを引っ越しするのは並大抵のことではない。
計画はあっても実現するのは数年先のことではないかという噂である。

まあいい、潰されるなら潰されるで、
機材一式持ってみんなで別のところに引っ越せばそれでいいのだ。
どれだけ街を近代化しようが、
近代化されてないところは絶対にある。

こうして住むところを失った天然記念物のトキのように、
貧乏なロックミュージシャンの放浪の生活は続くのじゃ・・・

Posted by ファンキー末吉 at:11:43 | 固定リンク

2009年9月 7日

セルフ打ち上げ

ワシは大仕事で何かを生み出した時には、
それを大音量で聞きながら酒を飲むのを愛する。
仮ミックス途中で洛陽に行ってしまったので仮ミックスをまだ聞いていない。

夜汽車でしか寝てないワシはまる二日間風呂に入ってないので、
まず北京に着いたら三日ぶりの風呂!!
そしてずーっとネットにつなげなかったのでいろいろメール仕事をする。

本当はメンバーにデータをUPして聞かせたいのじゃが、
まだデータを受け取ってないので仕方がない。

なんじゃかんじゃしているうちに
スタジオに人が来ている時間になったのでデータを取りに行く。

もう夕方である。
ビールとつまみを用意して、若い衆集めて
「さー今から聞くぞ!!」
ってなもんである。

ところが1曲目を再生してみると、
ストリングスは大きすぎるしコンプはかかり過ぎてるし、
「お前・・・これはないじゃろ・・・」
というぐらい音がひどい。

仮ミックスを頼んだエンジニアも北京ではもう既に有名なエンジニアとなっているのだが、
いかんせんワシにどうやってこれで酒を飲めと言うのか・・・
ワシの求めているものが・・・
いや、要するにワシらの10年の歴史をお前はわかっとらん!!!

メンバーがこれを聞いて同じように感激しながら酒が飲めるか?
仕方がないからミックスをやりなおす。

ところがそうなると開かないファイルが現れて来たりする。
アルバムを録っていると試練に見舞われる曲が次々と現れて来て、
日本では「眠れなくて」の