2012年4月24日
中国ではもう作曲家が食ってゆけなくなる?!
北京に来てから毎日ブログを書いているが、
別に「ヒマ」だからというわけではない。
連続テレビドラマの粗編集のデータが届いたが、
60分を越すドラマが28本、
つまり全部見終わるのに30時間近くかかるということだ。
まあ1週間の滞在はこれを見るだけで終わってしまうだろう・・・
その前に、と今日は実はのんびりしてたのだが、
先日BeiBeiに頼まれて日本でドラムとベースを録った曲のギター入れをするというので、
まあ自分の仕事ではないがちょいと付き合っていろいろ意見を言ったりしていた。
毎度の如く「じゃあメシを食いに行こう」ということになってびっくりする情報を耳にした。
現在北京の全てのレコーディングの仕事はペンディングになっていると言う。
その原因は政府がいきなり
「18元出したらどんな曲でも合法的に使い放題」
だとかなんだとか・・・
思えば年末にパスポート盗まれてからめっきり中国によりつかなかったので、
ここ最近こちらでちゃんと仕事をした記憶がない。
レコーディング関係の仕事をしてないのでこの辺の噂話を聞くこともなかったし、
最近中国のTwitter「微博(WeiBo)」もあまり覗いてなかったが、
そう言えばこんなリンクがしきりにRTされてた時期があったなぁ・・・

すまんすまん、こんな長ったらしいファイルを添付するこたぁなかったな。
漢字ばっかで読むのも億劫なぐらいで結局何が書いてあるかようわからんが、
要するに
「販売から3カ月を経た録音作品は、著作権者の許可なく使用できる」
ということらしい。
噂話の18元という金額がどこから出たかわからんが、
タダで使い放題だとしたら作曲家にとってはもっと致命的である。
ワシはこちらでの仕事は作曲よりもドラムやアレンジプロデュースが多いのでいいが、
BeiBeiのような「作曲家」にとっては、
今まで1曲書いたら5万円から10万円ほどの現金収入になっていたのが、
いきなりそれがタダか、もらえても200円になってしまうのだからたまらない。
音楽業界は30日に施行される(人民の意見を吸い上げる〆切という噂もあるが)まで、
とりあえず全てのレコーディングはペンディングにしておこうということらしい。
「何で政府はこんなことやってんの?何の得があるの?」
と聞いてみたが、これはあくまでも「噂」だが、
どうもこういうことらしい。
近頃は歌手がべらぼうに金を稼いでその「力」が巨大になり過ぎている。
中国のTwitter「微博(WeiBo)」や、
YouTubeにあたる優酷(YouKu)などで反政府的なメッセージを発信したり、
その増長振りは目に余る。
だからその「力」を少しでもそいでおくのだ、と・・・
でもこの「噂」はある部分では信憑性に欠けるところがある。
こんな法律を作ったところで困るのは「作曲家」で、
ヒット曲を持ってる歌手達は相変わらずそのヒット曲を歌って荒稼ぎをする。
この国の音楽界で儲かるのは歌手だけなのだ!!
しかしまあその「ヒット曲」すら誰でも無料でカバー出来るわけだから、
歌のヘタな歌手にとってはこれも致命的かな・・・
カバー曲が乱立するとすればワシのようなアレンジャーは逆に仕事が増えるかな・・・
などと考えたりしていたが、
飲み話の中でのほんの一言で重要な事実に気がついた。
「音楽はみんなのものである。
革命を推進するためのものであり、
誰かが個人的に占有するものではない」
という考え方の国が隣にあるではないか・・・
そう、このシステムは北朝鮮のシステムそのものなのだ。
北朝鮮の国家体制は中国の文化大革命の頃に似ているとワシは何度も発言したことがあるが、
忘れてはならない、いくら市場経済でシステムが成り立っていようが、
中国はまぎれもなく「社会主義の国」なのだ。
SF小説とかではよく
「世界を滅ぼすのは中国人だ」
などと書かれることがあるが、
逆に言うと「世界が中国のシステムに近づいている」という現実はあると思う。
ビデオテープからDVDに市場が移行する時、
日本や諸外国はその業種がすぐに潰れないようにゆっくりゆっくり移行していったが、
中国なんてビデオやMD、DATなどは普及する間もなく次のメディアに食って変わられた。
そして今はダウンロードビジネス・・・
CDを売る業者がどれだけ潰れようが関係ない。
何せ
「白い猫でも黒い猫でも鼠を取るのがいい猫だ!!
豊かになる者から先に豊かになりなさい!!」by鄧小平
という国なのだ・・・
ナップスターが出て来て音楽が無料でやりとりされることに抗議したメタリカは、
逆にそのファン達に総スカンを食ったのもひと昔。
思えば昔は日本のCDだってプロテクトされてて自由にファイルのやり取り出来なかったけど、
いつの間にやらもう自由にやり取り出来るようになっとるなぁ・・・
CDなんか誰にでも出せるようになって、
歌のヘタな歌手もいくらでもエディットして上手く化粧出来る世の中になって、
結局は誰もCDなんか買わなくなってから久しい。
思えばワシがJASRACと喧嘩しているからではなく、
周りで楽曲を著作権登録しない人が増えた。
「どうせ登録したって金だけ取られるだけで売れやしないのだ。
それよりもっと広く曲を聞いてもらってプロモーションになればいい・・・」
なんて今の中国の音楽界のシステムそのものやぞ!!!
その昔、中国の放送局で日本の曲を放送していて、
「じゃあ著作権量払え」
と言ったら
「音楽は空気の振動でしょ?どうして空気にお金払わなければならないんだ」
と言われたという話を思い出す。
中国政府は「音楽」をどうしようとしてるのだろう・・・
昔の社会主義国のように「音楽はタダ」だという世の中にしたいのだろうか・・・
これに関しては私も正しい情報をまだ持ってない。
教えて〜詳しい人〜
Posted by ファンキー末吉 at:02:38 | 固定リンク
2012年4月23日
中国の連続テレビドラマの音楽の仕事
前回「映画音楽」だと聞いていた話は実は連続テレビドラマの音楽だった。
まあ映画だろうがテレビだろうがやることは同じなのだが、
映画の長さは長くても高々2時間たらず、
テレビは1時間ドラマが30本とかその量がハンパじゃない。
まあ仲間内では
「テレビドラマなんて主題歌作ってそれを何バージョンかアレンジして、
適当にそれを散りばめときゃそれでいいのさ」
などと言われている。
そりゃそうだ!!
2時間の仕事を同じように30時間やったら死んでしまう・・・(泣)
それに30時間もあったら台本の量だけでハンパじゃないのだ!!(大泣)
ワシは外国人なのでこの「台本を読む」という仕事が一番シンドイ。
2時間の映画の台本でさえ読み終わるのに1週間はかかる。
ましてや30時間と言うと・・・(恐)
というわけで前回北京に来た時にアホのアシスタントに、
「お前が全部読んで、最終日にどんな話か要約して俺に伝えろ!!」
と命じていたのだが、
「ファンキーさん、無理です!!中国人の僕が必死に読んでも1週間はかかります」
と泣きが入った。
この方言(Fang Yan)という男、昔は全く使えなかったと思ったら、
惚れた女にかっこいいところを見せようと水深15cmの湖に飛び込んで頭を打ってから何だか少しずつ使えるようになって来ている気がするので、
ワシはいっそのことこう命じてみた。
「よし、じゃあ俺はまずDEMOを何曲か作るので、
お前が台本の何ページのどの部分に合うかを考えて、
"これはこのシーンのために作った曲です"と監督に提出しろ」
日本の映画業界は知らないが、
中国の映画音楽では「音楽監督」というのと「作曲」というのがある。
つまりこいつに「音楽監督」をやらせて自分は「作曲」だけやろうという魂胆なのである。
しかしそれ以前に彼には大きな使命がある。
「ちゃんと契約書を交わして前金を取る」
という重大な任務である。
往々にして中国で仕事を受けても、
いざ仕事を始めてみたらその話はお蔵入りして金は取れないということがしょっちゅう起こる。
実際ワシも何本かの映画音楽の仕事はギャラが未払いである。
制作会社が借金抱えてトンズラしてしまったら一体どこから金を取れと言うの?!!(号泣)
というわけで映画音楽やアルバムのプロデュースなど制作が長期にわたる仕事では必ず「前金」をもらうことにしている。
ただ、いくら中国の映画音楽界に名前があると言っても、
一緒に仕事したこともない相手にぽんと大金を払うというのも会社としては腰が重い。
だからとりあえずちょびっとだけタダで仕事をするのだ。
スケッチ程度のDEMOと主題歌候補曲、
今回はX.Y.Z.→Aの「WINGS中国語版」を出してみたのだが、
これが見事に監督の心にヒット!!
よくある話で、仕事も正式にまだ始まってないのに「直し」が来る(笑)
「ちょっと長過ぎるから短くしてくれ」
とかいう要求は方言(Fang Yan)のところで切り貼りして処理する。
そして「どうしてもそれ以上」ということになったら胸を張ってこう言う。
「じゃあ前金半分振り込んで下さい。そしたら正式に取りかかりましょう」
というわけで今回ワシが北京に来る前にめでたく前金が振り込まれた。
正式に仕事開始である!!(メデタイ)
まあここからが大変なのである。
何せ最初に彼らが言ってたのは
「上海バンスキングのようなJazzの楽曲」
だったのだ。
それがいつの間にやらメタルになってしもとる(笑)
今後もこのように言うことがころころ変わることは想像に難くない。
まあ前金さえもらっていれば後は何回直しをしようが、
「〆切」があるのはこっちではなくあっちの方なので気が楽である(笑)
本輿入れてお付き合いしましょ!!
そして最後の難関!!後金の集金!!
これはレコーディングでもそうであるが、
最終的にOKが出た音源は後金がもらえなければ絶対に渡さない!!
それまでに渡す音源にはわざとノイズを入れておくとかいろいろ工夫をこらして本チャンでは使えないようにしておく(笑)
ほんと、中国で仕事するのは、
その仕事の内容よりも「集金」の方が大変なのよ・・・(苦笑)
というわけで今回は集金も監督との刷り寄せも全部方言(Fang Yan)がやる!!
頑張れ方言(Fang Yan)!!
辛い仕事は全部お前がするのじゃ!!(笑)
Posted by ファンキー末吉 at:11:33 | 固定リンク
2012年3月29日
Big Johnという男
張嶺という男がいる。
英語名をBig Johnというらしいのでここではそう呼んでおこう。
彼は中国ロックの創始者である崔健(Cui Jian)のベーシストだったことで有名で、
その音楽性の高さでも知られる崔健(Cui Jian)が使っていたということはすなわちそのベースの腕も相当のものであるという証拠である。
事実、ワシが北京でスタジオミュージシャンを始めた頃、
ドラムを叩き終わったら必ず彼が来てベースを弾いてたし、
一流歌手のバックをやればベースは必ず彼だった。
そしてワシが彼に非常に興味を持ったのは、
Big EasyというJazzクラブで彼と再会した時のこと。
毎週水曜日の夜、彼はここでベースを弾いていた。
「1曲レコーディングやればその何倍ものギャラがもらえるのに何で酒場でベースなんか弾いてるんだろう」
素直なそんな疑問は彼とそこで何度かセッションしたらすぐに吹っ飛んだ。
彼はJazzをもっとしっかり勉強したかったのだ!!
なるほどそれまでの彼はロックやブルースのプレイヤーでJazzというイメージからは遠かったが、
その店で毎週毎週Jazzをやっているうちにみるみるうちに「Jazzベーシスト」になった。
北京にも小さいながら「Jazz界」というものがある。
同じく崔健(Cui Jian)のバンドメンバーだった劉元(Liu Yuan)や金佛などがその中心人物で、
まあ劉元(Liu Yuan)は自分のJazzクラブを持っているのであまりBig Easyには現れなかったが、
久しぶりにBig Easyで金佛とセッションした時には、
「Funky!!あっちの世界に行っちゃったと思ったら戻って来たのかい」
と言われた。
どういう意味かと言うと、
「流行音楽なんてクソみたいな音楽やって金稼いでるって噂聞いたけど、
ドラム聞いて安心したよ。またJazz界に戻って来てくれたんだね」
という意味である。
崔健(Cui Jian)が最初に日本にやって来た時、私はバンドのメンバーをいろんなJazzクラブに連れて行った。
当時まだ新大久保にあったSOMEDAYではJamセッションが行われていて、
Jazzを始めたばかりの私はその時彼らと一緒に恥をかきながら飛び入りして武者修行したもんだ。
それから彼らは北京に帰ってJazzの創始者となった。
Big Johnは別として彼らは流行音楽に背を向けてひたすらJazzだけを追求した。
だからこそこんな発言が出るのである。
そう言えばBig Johnもその頃から仕事で一緒になることは少なくなったが、
その後、彼は北京の老舗のJazzクラブ「CD Cafe」を買い取ってオーナーとなったと聞いた。
「もう流行音楽の仕事なんてやってないよ。
そんなことでお金稼ぐより、
今みたいに毎日自分の音楽をやって暮らした方が数倍幸せさ」
と彼は言う。
ベースの腕はと言うと、
去年三科かをりさんを北京に連れて行った時に一緒にプレイしたが、
持ち込まれた十数曲の譜面をあっさり初見で弾きこなしたし、
「こいつ・・・上手くなりよったなあ・・・」
と感心するほどになっていた。
そりゃそうだ。
数年間RealBookと共にあらゆるJazzのスタンダードを弾きこなしたんだからそりゃ上手くもなっとるだろう・・・
「うちでブルースフェスティバルを開催するんだ。
あの素晴らしい女歌手をまた呼びたいんだけど・・・」
そういう連絡を受けてワシはすぐに三科かをりさんをブッキングし、
今日はその打ち合わせでまたCD Cafeにやって来た。
「今日のライブは若いミュージシャン達のJazzバンドだよ」
見れば何人か知り合いがいる。
ベースの奴は確か・・・爽子(Shuangz)のライブで一緒だったなあ・・・
ドラムの奴も見たことあるんだけど・・・どこで会ったっけ・・・
「どうだい?なかなかのもんだろ?」
彼はちょっと自慢げにそう言った。
北京では若者がJazz離れし出してから久しい。
同じ腕があるなら流行音楽のバックでもやってた方が何倍も金を稼げるのだ。
それなのに好き好んで金にもならないJazzなんかやる若者がまだこんなにいたんだ・・・
ピアノを弾いているのは何と12歳の少年だと言う。
ソロを弾けば平気でアウトしてモード奏法に入るし、
バンマスが目配せするとラテンから何からすぐにリズムを変える。
「お前が育てたのか?」
びっくりしてそう聞くとBig Johnは恥ずかしそうに頷いた。
ワシと一緒にSOMEDAYで武者修行した仲間達が、
昔のCD Cafeで若いミュージシャンを育てて、
彼らがもう大御所になってしまったら今度はBig Johnがもっと若いミュージシャンを育てている。
「よっしゃ!!ワシも1曲ぶっ叩いてみるか!!」
少々酒は入っていたがドラムで乱入する。
北京の一番若い世代とのセッションはとても楽しかった。
ワシが育てた韓陽(Han Yang)というベーシストはもう流行音楽の仕事をバリバリこなす売れっ子だが、
仕事に伸び悩んだ時にワシにこう相談して来たことがあった。
「僕はどうしてあの偉大な先輩達を越えられないんでしょう・・・
彼らにあって僕にないものって一体何なんですか?」
その答えが浮かんで来て韓陽(Han Yang)に電話した。
「どうしてかわかったぞ。とどのつまり"生き様"さ」
自分の能力を超えた難曲に毎日挑んで暮らしたあの頃のBig John、
誰でも弾けるような流行音楽を毎日弾いて荒稼ぎしている今の韓陽(Han Yang)。
韓陽(Han Yang)もいつの日か、
「Funkyさん、もうお金なんか要らない、僕はこの音楽をやりたいんです」
と言ってくる日が来るかも知れない。
経済成長が著しく、みんな自分よりどんどん金持ちになってゆくと焦って暮らす北京の若者達・・・
胡同(フートン)と呼ばれる昔ながらの風景をぶち壊して高層ビルが立ち並ぶ今の北京の街並み・・・
人も社会もみんな目まぐるしく変わっていっても、
飛び切りの素敵な仲間が暮らす北京という街は、
ワシにとってはいつまでもいつまでも「素敵な街」なのです。
Posted by ファンキー末吉 at:07:51 | 固定リンク
2012年2月12日
凄い時代になったもんじゃ・・・(Gtalk編)
いやー年末のX.Y.Z.→Aライブを日中をネットでつないで敢行した時も凄かったが、
今回はレコーディングである!!
もともとは「急ぎの仕事」ということで電話が来たのが始まりである。
中国語で子供の歌を録音してくれと言う。
日本で中国語をネイティブに歌える子供を探すのは至難の業じゃが、
中国ならいくらでもいる。
ゆえにそのレコーディングは北京でやる!!
・・・とここまではいつもの仕事のやり方なのでいいのじゃが、
ところがそのレコーディングの日にワシはおふくろの入院とかがあって北京に行くわけにはいかん。
しかしいつも一緒に仕事をしている仲間達がいるので別にワシがわざわざそっちに行かなくてもおそらくは完璧にやりこなしてくれるだろう・・・
ということで段取りだけすることにして「お任せ」していた。
日本の古いアニメ曲だというのでまず向こうで歌われている歌詞を取り寄せる。
日本には出版社とかいろいろ難しい関所がたくさんあるので、
クライアントさんとしてもなかなか一筋縄にはいかない。
「その中国語詞は日本語の元詞と比べたらちょっと意味が違うところがあるじゃないか!!」
というわけで結局全部作り直すことになる。
まあこの辺も作詞家ならたくさん知り合いもいるし、
LaoWuもよくそんな仕事を振ったことがあるので慣れたもんである。
アレンジは日本で制作スタッフ側がやるというので完成したバッキングデータを取り寄せて、
メロ譜も取り寄せて送りつけてある。
これで詞のOKが出たらそれで問題なし!!
というわけだがまあこの辺は紆余曲折あって何とかOK!!
ところがクライアントの北京支社のお偉いさんが、
「じゃあ私もそのスタジオに見学に行きましょう」
となって日中が大慌て!!
日本側の制作スタッフも
「制作側だけでお任せしてもらうことになってたのに・・・」
と慌て気味。
往々にしてこんな時には「お偉いさんの一言」によってこれまでやって来たことが水泡と化すことも珍しくないのだ。
しかも中国側に実際に仕事を振っているワシ自身がその人のことを全然知らない。
中国側に取っては「どこの誰やら全くわからない人」が現場に来るのだ・・・
うーむ・・・すぐにチケット取って北京に飛ぶか・・・
と考えたが間に合わない。
よし!!ということでまたネットでつなぐことにした!!
前回はFacetimeというAppleのシステムを使ったが、
これはお互いがApple製品、しかもパソコンにはOS Lionが入ってないと使えない。
どんなパソコンのどんなシステムでもつながるやり方はないのか・・・
と探すこと数日、
Gtalkというのがよさそうだというので試してみた。
Gmailアドレスさえ持っていればパソコンは選ばない。
うちのアシスタントのWindowsパソコンでも大丈夫なのじゃ!!
中国携帯のSMSなどでやりとりしながらスタジオにGtalkをつないだ。
よくストリングスをレコーディングしたり、
ドラムで中国ロックの名盤に参加したりしたスタジオが映像に現れた。

懐かしい・・・
そう言えばパスポート盗まれてから今年になってまだ一度も北京に帰ってないのだ・・・
懐かしい仲間とお喋りしているうちにふと気がついた。
日本側の制作会社も同じ時間にパソコンの前でずーっと待機しているではないか・・・
何とかその人達にもこの映像を見せてやりたい。
何とか3人でビデオチャットが出来ないものか・・・
しかし基本的にパソコンのカメラをひとりに独占されてしまうのでそれは不可能のようだ・・・
じゃあ何とかiPad2を使ってつなげないものか・・・
というわけで探してみるとVtokというアプリが見つかった。
これはGtalkをiPad2で使うことが出来るというものだったのだ。
自分のパソコンとiPad2をつないでみるとこれがバッチシつながる。
ところが日本の制作側のパソコンとはうまくつなげなかった。
他のシステムはないものか・・・
一番オーソドックスなシステム「Skype」があるではないか!!
というわけでiPad2と制作会社のパソコンをSkypeでつないで、
うちのパソコンの画面の前に置いて北京の映像を見せる。
制作側の声はiPad2から出るので、
必然的にワシのパソコンのマイクで拾って北京のクライアントにも聞こえる。
ワシも含めて3者が相談しながらうまくレコーディングが出来たぞ!!
最終チェックは大音量で歌を流してもらい、
それを聞いて3者がOKを出してレコーディング終了!!
後は北京から送られて来る歌データを転送して日本でミックスダウンが行われて完成!!というわけだ。
いやー凄い時代になったもんじゃ・・・
いや、この分じゃとこれからもっともっと凄いものが出て来るぞ!!
楽しみじゃ・・・
Posted by ファンキー末吉 at:00:05 | 固定リンク
2011年12月31日
帰国のための最後の関門!!
本来ならばこのまま出入国管理局に行って、
予定通りVISAのハンコが押された臨時パスポートを受け取ってくればそれで終わりのはずなのだが、
それがそのようにうまくいかないのが中国である。
不測の事態を想定して一応飛行機は一番遅い便を取ってある。
9時から窓口業務開始ということで8時半には院子を出発する。
外気温はマイナス7度。
「寒いね〜」と言うと、
運転手として、そして不測の事態に備えて一緒に行ってくれる老呉(LaoWu)が、
「大したことないよ。寧夏ではマイナス20度もザラだから・・・」
車を運転しながら
「どうするよファンキー、書類に不備が〜とか言われたらさぁ」
と冗談を飛ばすが、
それが容易にあり得るのがこの国なのである。
出入国管理局に着いた。
まだ窓口は空いてないが長蛇の列である。
9時になって全員が2階にある窓口に殺到するが、
そんなに「我れ先に」とならないのはやはり外国人窓口だからか?(笑)
人は多いが流れはスムーズである。
書類を出してパスポートをもらってそれだけに流れ作業。
よくある失敗でその書類を失くしたというのがあるが、
昨日からずーっと握りしめているので問題ない。
非常に速い単調なリズムで列が短くなってゆき、
そのリズムを止めたのがワシのところだった。
窓口のお姉ちゃんがピタリと手を止め、
「シッシッシッ」と犬を追い払うような仕草で
「配骂你(PeiMaNi)」みたいなことを言う。
Peiという発音から一瞬「赔钱(PeiQian)」、
つまり「弁償しろ」という単語を連想してしまったために頭の中が真っ白になり身体が固まった。
実際には数秒のことなのだろうが、
かなり長い時間固まってて我に返ったらお姉ちゃんはまだ「シッシッシッ」という動作をしている。
「何を弁償すればよろしいのでしょうか・・・」
なるだけ丁重に聞いてみる。
お姉ちゃんは「チッ」と舌打ちしてゆっくり言い直した。
「ペイマネー!!Pay Money!!」
見ると「シッシッシッ」とされている方角にはお金を払う窓口があった。
「何じゃ英語かいな!!それやったらそう言いなはれ!!」
無事に金払って手続き完了!!
飛行機は夜の便なので後は飲むのみ!!!!
Posted by ファンキー末吉 at:11:05 | 固定リンク
2011年12月30日
ネットを使ったX.Y.Z.→Aのスーパーライブ
パスポートを盗られてしまって出国出来ないので、
「じゃあ29日のファンクラブライブは中止かな・・・」
と思ったら誰もそんなこと口にしない。
まあ「口にする」と言っても厳密にはメールでやり取りしてるのだから口にしてるわけではないのだが、
「とにかく3人でもやる方向でいこう」
とみんながみんなそんな気持ちである。
そんなやり取りの中、たしかパスポートを盗られて途方にくれている列車の中でのやりとりか?
橘高がちらっと言った一言
(まあ厳密にはメールなので言ってるわけではないのだが)
「末吉さん、そっちでドラム叩いてネットで繋げません?
こっちの音聞かずに勝手に叩いてくれたら僕らそれに合わせて演奏しますんで」
うーむ・・・こっちの音と映像をリアルタイムに送るシステムはいろいろあるが、
どれも中国の遅い回線では「ライブ」という点では信頼性に欠けるものばかりやのう・・・
しかし同じように他の音を聞かずに勝手にドラムを叩くなら、
別にリアルタイムでなくてもレコーディングして送ったって同じではないのか?・・・
そんな考えが頭をよぎった時に既にこの企画が出来上がったと言っても過言ではないだろう。
何せうちにはスタジオがあるのだ。
レコーディングだってネット経由でそんなデータのやり取りをしとるじゃろ。
というわけでパスポートの問題が解決した28日の夜、
飛び込んで来たスタジオ仕事の後にレコーディングを開始することになった。
レコーディングのやり方はいろいろ考えられるが、
CDとかに合わせて叩いたら一番きちんとした演奏が録音出来るとは思うが、
それではおそらく「ライブ感」というものがなくなるだろう。
ここはいっぱつドラムだけで、他の楽器が鳴っているかのようにひとりで最初から最後まで「ライブ」として叩くしかなかろう・・・
通常のライブのように気合を入れる。
フルライブを一人で叩くのである。
曲つなぎなども通常のライブの通りつなぐ。
目をつぶればいつものライブと同じ光景が目に浮かぶように叩くのである。
これが実は想像以上にキツい!!
ライブではメンバーが隣にいてお互いに励まし合って山を登るようなものなのだが、
これをひとりでやるとなると相当の精神力が必要となる。
叩いている時は歌を口ずさんでいる。
ギターソロもメロディーを口ずさんでいる。
そうでなければ今自分がどこを叩いているのかわからなくなってしまう。
「頭」ではなく「身体」で覚えているからこそ出来るのである。
新曲ばっかりだったら恐らくこの企画は自滅してしまっただろう。
1ブロックずつ汗だくになって録音してゆくうちに少しずつ誘惑が頭をもたげて来る。
「ライブじゃないんだから、レコーディングなんだから、
別に途中で止めてパンチインすればいいじゃん」
と・・・
特にX.Y.Z.→Aのライブには速いツーバスの曲が多いので、
シンドくなったらそこで止めて続きをそこから録音出来たらヒジョーに楽である。
しかしすんでのところでその考えを押し戻す。
そんなことをしたらワシはライブでもシンドくなったらそうしようと考えてしまうではないか!!
「ロックとはあきらめないこと」とか何とか偉そうに言いながら、
そんな奴に限ってすぐにあきらめる癖がついてしまうのだ!!
フィルが少々ヨレようがテンポが少々走ろうがモタろうが、
ワシはライブではそう叩いておるのだ。
それが上手いと思われようが下手だと思われようが全ては自分の「責任」である。
・・・と言い聞かせながら1ブロックずつ叩いてゆくのだが、
そこで問題発生!!
Fasterでの客との掛け合いはどうするよ?!
XYZでのベースソロはどうするよ?!
これらはドラマーがその部分の長さを決めているのではなく、
二井原や和佐田がそれを決めているのだ。
ドラムが先に長さを決めてしまってみんな後からそれに合わせて演奏出来るのか?
まあとりあえずはチャイナを叩くなりそれなりの合図をちりばめておいて一応レコーディング終了!!
いやーこの汗の料は確かに「ライブ」である。
さてそれをMP3に落としてメールで各メンバーとスタッフに送りつける。
「それぞれの長さはこんな感じだよ」とか
「曲のつなぎはこんな感じだよ」とかも細々と。
そして当日、新しく買ったiPad2で日本とつないでみる。
回線はカクカクしていて決っしてよくない。
リアルタイムだと絶対無理なレベルである。
今回使ったシステムはFaceTime。
相互方向の音と映像のやりとりではなかなか画期的なシステムである。
回線が途切れたりアプリが落ちたりするのでバックアップシステムとしてiPhone4sも隣に並べておく。
中継が途切れたらどちらでも繋がりやすい方を呼び出してもらえばよい。
日本側の音はヘッドホンで聞かねばならないので、
繋がる先がiPadかiPhoneか変わる度にヘッドホンを抜き差しするのも大変なので、
どちらの音もミキサーに繋いで両方同じヘッドホンで聞けるようにしておく。
メンバーが現れた。
二井原には曲繋ぎのカウントの説明をしておく。
いつもは歌から入る曲でも必ずカウントで入らなければならない。
和佐田がやって来た。
ベースソロの大体の長さときっかけのフィルなどを説明する。
橘高も来たのでみんなで全曲合わせてみる。
非常に高度なテクニックが必要だが出来ないことはなさそうだ。
「そいで末吉さんも一緒に叩いてくれるんでしょ?」
と橘高。
もちろんそうするつもりである。
ワシの叩いたドラムの音に合わせて演奏しているみんなの音に合わせてワシは一緒にドラムを叩くのだ。
もちろんそのこちらのドラムの音は向こうには流さないし、
映像は数秒遅れるから絶対的に叩いてる姿が音とシンクロするわけはないが、
要は気持ち!!一緒に「汗をかく」ことが大事なのである。
日本側のiPadの映像(つまりワシが叩いている映像)はモニターの画面に映し出され、
そのモニターは本来ドラマーがいるべき位置に置かれていたらしい。
(誰かその時の写真あったら送って〜)
こうしてライブが始まった。
ワシの声も向こうに聞こえるし、
向こうの声も途切れ途切れながらこちらに聞こえるのでまるで会場に一緒にいるようでさる。
演奏の方はこちらではよく途切れるのでよくわからんかったが、
評判を聞くにばっちしだったらしい。
特にワシはFasterで合図のチャイナを叩くと同時に二井原が掛け合いの最後の「ホー!!」に入ったのには鳥肌もんやったなあ・・・
何でわかるんやろ・・・
和佐田もワシが考えた通りにベースソロをベースソロを組み立てて、
考えた通りにボケて、
考えた通りに二井原が突っ込んで、
せやのに合図と共にちゃんとリフに入って曲に戻る。
やっぱパーマネントバンドって凄いな。
みんなが阿吽の呼吸なんやな。
ライブ終わって怒涛のファンクラブ飲み会、
ワシは悪ノリして坂出マイラブ熱唱したり、
風呂入ってそれを中継したり、
しまいには布団に入って寝転んだりしっちゃかめっちゃかでした。
改めてこのバンドの凄さとファンクラブ会のアホさ加減を思い知ったな(笑)
そんな凄いバンドがファンと共に(笑)ツアーに回ります。
皆さん恐れ入りに来なさい!!(笑)
「X.Y.Z.→A IS BACK → THE ROAD #2 2012」
3月4日(日) 横浜 SUNPHONIX HALL (EVENT)
「横浜メタル地獄 スペシャル!」
出演:X.Y.Z.→A / さかもとえいぞう with 少年ハンサム隊
3月11日(日) 梅田 ShangriLa
3月17日(土) 千葉 LIVE SPOT LOOK
3月18日(日) 熊谷 HEAVEN'S ROCK
4月7日(土) 豊橋 ell.KNOT
4月8日(日) 名古屋 ell.FITS ALL
4月10日(火) 広島 NAMIKI JUNCTION
4月12日(木) 京都 都雅都雅
4月13日(金) 岡山 MO:GLA
4月14日(土) 神戸 WYNTERLAND
4月21日(土) 渋谷 club asia
チケット情報など詳細は来年だそうです〜♪
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パスポート紛失!!その3日目
結婚式で飲み過ぎて二日酔いのまま出入国管理局に向かった。
日本大使館からもらった臨時パスポートと、
それに貼り付けたその前までに集めた書類、
それをこれ見よがしにカウンターのお姉ちゃんに突き付ける。
今までの手続きに不備はない。
当然ながらこれで手続きが終了のはずである。
ところがお姉ちゃん、
「フン」という感じでワシを見て吐き捨てるようにこう言った。
「居住証明書!!」
げげっ!!まだそれが要るんですかいな(>_<)!!
もうホントにヘコみそうである。
昨日届けたのはShaの住所だったのだがそれをメモしていない。
電話をしても電源が入ってないとアナウンスされる。
でも考えてみたら彼だってどうせちゃんと届け出なんか出してないんだから実は何の役にも立たない・・・
かくなる上はこのためだけに本当にホテルにチェックインするか・・・
それにしてもこの子供銀行のようなぺらっぺらの臨時パスポートが本当に身分証明書になるのか?!!
考えろ!考えろ!!・・・
そこで思い出した。
Facebookを見て心配して電話してくれた北京在住の日本人Fさんがいたではないか!!
さっそく朝っぱらから電話で叩き起こして住所と所轄派出所名を聞く。
試しにその書類だけ出して見ても
「証明書!!」
と言ってまた突っ返されるので仕方がない、
Fさんとその派出所で待ち合わせをして一緒に証明書を発行してもらう。
そのままそれをカウンターに叩きつける。
その後、写真を撮って貼り付けたりいろいろカウンターをたらい回しにされたりしていよいよこれでOKかと思いきや、
「それで?あんたいつ帰るの?」
ここでワシはブチ切れる。
「いつ帰るってあーた!!今朝の飛行機で帰る予定でしたがな!!
帰れるんやったら帰っとるわい!!
いつ帰る?こっちが聞きたいわい!!いつ帰れるんじゃい!!」
とりあえず口喧嘩は声の大きなもんの勝ちなので、
これには相手もビビったようである。
「最速で1月1日かな・・・」
1月1日はどうせ休みやからヘタしたら休み明けの4日にもらって5日戻りになってまうやないのー!!!
怒ったらあかん!
怒ったらあかん!!
今度は泣いてみる。
「子供が病気でどうしても明日帰らないかんのですぅー」
まあ色男に甘えられたらお姉ちゃんも悪い気はしないだろうが、
こんなオッサンに甘えられたらそれはキモチワルイだけである。
しかしそれが良かったのかいきなり態度が軟化した。
「ではこちらの書類に何故早く帰国せねばならないかの理由をお書きください」
「孩子生病很着急要回国」
書類をしげしげと見てるお姉ちゃん・・・
ドキドキしながらそれを見つめるワシ・・・
「12月31日の朝にビザが出来ますのでその午後か夜には帰れます」
やったー!!
小躍りするワシにお姉ちゃんがまた水をさす。
「んでどの便で帰るの?チケット番号は?」
あーた!!今やっと帰れる日取りが判明したんやからチケット番号なんかあるはずないやん!!
「ほなチケット取ってからもう一度おいで」
ギャフン(>_<)!!!
もう参りました!!
私が悪いんです!!
日頃の行いが悪いからこんなことになるのです!!
来年から人が変わったほどいい人間になりますから頼むから帰らせて下さい!!!
ワシはすぐさまいつも使ってる航空会社に電話してチケットを押さえ、
その電話をそのまま渡すが
「チケットがないと申請出来ない」
と突っぱねられる。
チケットなんて今日び全部電子チケットでんがな・・・
途方に暮れるがふと思い立つ。
電子チケットということはメールが送られて来る。
そしたらそのメールを印字すればいいのではないか・・・
メールを印字する手法は昨日既に確立してしまっている。
困難は人間を強くするのだ。
神だのみで全部の書類をまた同じカウンターに叩きつける。
ポンポンポン・・・
お姉ちゃんは無表情に書類にハンコを押し、
黄色い書類をぽんと投げて渡した。
「これを31日の朝一番に持って来ればワシはその夜には帰れるんやな!!」
何度も何度も念を押した。
大きなどんでん返しさえなければ
(それがあるのが中国なのだが・・・)
ワシはやっと31日には帰れるはずである。
ただ考えてみるに、
これがワシではなく普通の旅行者、
特に中国語が喋れなかったり現地に友達がいなかったりしたら、
果たしてその人はいつになったら出国出来るのだろうか・・・
海外旅行をする人はくれぐれもパスポートを盗まれないように・・・
Posted by ファンキー末吉 at:14:02 | 固定リンク
Wingの結婚式
ワシが今回中国に来たのは何もドラムクリニックのためばかりではない。
20年来の親友である彼の結婚式に参加するためでもある。
Wingとは本当にいろんなことがあった。
最初に会ったのは彼らBEYONDが日本で活動するようになった時。
所属事務所のスタッフから紹介されて一緒に飯を食いに行った。
共通言語の中国語が喋れるということもあり、
ドラマー同士というのもあり、
それから1年はいつも一緒にバカなことばっかやって騒いでた。
そんな中、BEYONDのボーカルの黄家駒が日本のテレビ局の事故で死んだ。
ワシは香港に帰る彼らと一緒に葬式に参加して失意の中の彼らを少しでも支えてあげようと努力した。
それからしばらく3人で活動していたBEYONDも活動停止し、
個人活動に入った頃の彼が人生で一番大変だった時期かも知れない。
そんな彼に追い打ちをかけたのが彼の婚約者の死である。
2002年10月1日夕方、
香港の彼の自宅の浴槽にて彼の婚約者が死んでいるのを彼自身が発見した。
BEYONDは今年で結成20周年を迎え、
10周年目はボーカルの黄家駒が不慮の死を遂げて
何の大きな10周年記念活動も出来なかったので、
今年こそは活動停止中のみんなが集まって何かやりたいねと言ってた矢先である。
失意のどん底にある彼を慰めるためにワシはまた香港に飛んだ。
(その時の様子はこんな感じ)
自分もどん底の時もあっただろうし人のどん底を見ることもあるが、
あの時の彼ほどどん底はない。
10年に一度、彼は一番大切な人を失っているのだ。
たまたまワシはその直後に彼の日本での小さなライブツアーをブッキングしていた。
こんなことになるなんて夢にも思ってなかったので
「久しぶりだし日本に遊びにおいでよ」
ぐらいの軽い気持ちだったので、
「キャンセルしていいよ。こんな状況だし」
と言ったのだが、彼は小さな声でしかも力強くこう言った。
「行くよ、歌うよ・・・」
バンドが解散してドラマーがドラム台を降りて前に出てきて歌を歌うなんてちょっと考えても無理な話である。
事実彼のそれまでの低迷がそれを証明している。
ところが結果的にその事件後初の彼のステージとなったそのライブは素晴らしいものだった。
黄家駒の遺作となった「海阔天空」歌う前に彼はこうMCした。
「これは黄家駒の残した素晴らしい曲です。
僕は彼ほどはうまく歌えないけど、
黄家駒・・・天国でそれを聴いて笑わないでね」
客も何人もいない各会場で、
彼は黄家駒や婚約者に向けて歌を歌っている。
「いやー・・・Wingって素晴らしいボーカリストやねえ・・・」
ベースを弾いてた和佐田がその歌に恐れ入ってた。
それからBEYONDは再び再結成して3人で過去の歌を歌い回した。
ワシは今でも彼の歌が一番好きである。
彼は再びスターダムに返り咲き、
今では立派な「歌手」として中国全土をツアーで回っている。
人生いい時もあるし悪い時もある。
今回彼に呼ばれたのがまた悲しい出来事ではなく、
こうしてメデタイことなのだから言うことはない。
ワシは大使館から結婚式場に直行した。
着の身着のままである。
そりゃそうだ、荷物を全部盗まれた上に着替えに帰る時間すらないのだ。
風呂にも入ってなければパンツも替えてない。
まあ中国では結婚式も葬式も正装ではなく普段着なので、
少々クサいかも知れないが間に合わないよりマシである。
結婚式は盛大に行われた。
中国式に新郎からは新婦の両親に、
新婦からは新郎の両親にお茶を注ぐという儀式があり、
その時にふと思い出した。
そうかぁ・・・あのお父さんはもう亡くなってたんだな・・・
いつぞやの彼のツアーで
「今回のギャラはしばらく待ってくれないか」
と言われたことがあった。
「お父さんが死んだので、できる限りの葬式を開いてやりたいんだ」
と言っていたなぁ・・・
人生にはいろんなことがある。
いいことも悪いこともたくさんある。
ワシがパスポート盗まれたことなんか、
人生のひとつの笑い話にしか過ぎないのだ。
Posted by ファンキー末吉 at:12:39 | 固定リンク
パスポート紛失!!その2日目の続き
北京市内は渋滞が問題になっていて、
政府は曜日によって市内を運転できる車のナンバーを制限したりいろんな対策をしているものの、
「うちの車この曜日には運転出来んのやったら、
しゃーないな〜もう一台買うちゃろ!!」
という富裕層も多く、依然として何の解決にもなっていない。
列車が着いた北京西駅から出入国管理局までがまた大渋滞のルートなので、
タクシーを拾おうにも皆乗車拒否である。
仕方ないので地下鉄を乗り継いでやっと最寄りの駅まで行って、
道行く人に最寄の派出所を聞くのだがまたこれが遠い!!
北京の冬は湖南省よりもはるかに寒く、
「身を切る思い」というのはこのことである。
やっとの思いで派出所に着いて、
「パスポートを落とした」
と告げると、
「パスポート番号は?」
と相変わらずの共産主義仏頂面でつっけんどんに返される。
だいたいそのパスポートを無くしたんだから番号なんて分かりようがないようなもんだが、
そこはそうそうこれだけこちらでいろんなやり取りをしてるとiPhoneの中にそのデータぐらいは残っている。
パスポート番号を告げると、
「どこに泊まってたの?検索するから!」
と言う。
そう言えば法律が変わって、
外国人は入国して24時間以内に居住先を届けねばならなくなってると言う。
ワシが住んでいるスラム街は外国人が住んではいけないところなので、
ホテルに宿泊記録が残ってないワシは「法律違反」ということになる。
「何言うてまんねんな!
ワシはこっち着いてすぐに湖南省に行きましたさかい
こっちでは一泊もしてまへんがな!!」
などと苦しい言い訳をするのだが、
そんなもの湖南省のホテル情報からパスポートナンバーを検索して、
入国記録と照らし合わせたらすぐにバレるウソなのであるが、
拍子抜けにそのウソがすんなり通る。
データベースが繋がってなくて北京から湖南省のデータは検索出来ない、
もしくはアメリカのように連邦制に近いのかも知れない。
ともあれ、それなら湖南省で既に盗難届を出していることはバレないわけだ。
ひと安心した途端に
「じゃあ今日の宿泊先は?!!」
ちゃんとホテルを取って宿泊先を確保してから来いと言うのだ。
既に午後3時を回っていて、
そんなことしてたらとてもじゃないが役所が閉まる5時までに手続きが終わるはずがない。
ワシはふと隣でぼーっと突っ立ってるShaを見た。
「こいつです!!こいつんとこに泊まってます!!」
Shaはいきなりのことで一瞬驚きはしたが、
すぐに気がついて話を合わせてくれた。
彼の住所を登録して無事手続き完了!!
また同じ道を歩いて出入国管理局に向かう。
窓口の係員はどこでも一緒でここも相変わらず無愛想である。
「じゃあパスポートのコピー出して!!」
なんて言われたってそのパスポートを紛失してるんだから出しようがないじゃろ!!!
という前に考えろ!!
先日の北朝鮮渡航の際にパスポートコピーのやり取りをしてただろ。
メールしてそれを送り返してもらう。
「ほら!!」
iPhoneに表示されたパスポートコピーを鼻高々に見せるが、
「ちゃんと印字して持って来い!!」
と突っ返される。
iPhoneから印字・・・iPhoneから印字・・・
そうだ!!近くのコピー屋とか写真屋とか、
そこには必ずパソコンがあるから、
そこに行ってそのパソコンにメールして印字すればいい!!
寒空の中またコピー屋を探して彷徨う。
しかしこれがワシじゃなくって普通の旅行者だったらどうなるんだろう・・・
ましてや中国語が出来ない人がパスポートを紛失して、
宿泊先はと言われてもパスポートなしではホテルにも泊まれず、
パスポート番号はと言われてもわかるはずもなく、
ましてやそのコピーを提出しろと言われたってそりゃ物理的に不可能じゃろう・・・
何とかコピー屋で印字してもらい書類を提出して大使館に駆け込んだのが5時ぎりぎり。
何とかここまでは間に合ったのだがここでもらった臨時パスポートとやらをまた出入国管理局に持って行ってビザをもらうのはもう今日は間に合わない。
「まあいい、泣いても笑っても明日朝いちでこれを持って出入国管理局に行けばもうそれで手続きは終わりじゃろう」
その考えが甘かったとまた打ちのめされるとは夢にも思わず、
ぺらっぺらの子供銀行のような臨時パスポートを持ってワシは大使館を後にした・・・
Posted by ファンキー末吉 at:10:43 | 固定リンク
パスポート紛失!!その2日目
パスポート遺失届は出したのであとは大使館に行って臨時のパスポートを発行してもらい、
その後に中国の出入国管理局に行ってビザを発行してもらって帰国ということらしい。
また列車の中でこれらを調べること自体が非常に大変である。
充電器は1個しか持ち歩いていないため、
iPhoneはパソコンから充電しようとか、
ネットにはなるだけiPadで接続してとかいろいろ考えていたのだが、
そのパソコンもiPadも盗まれてしまっている。
facebookやTwitterなど見てる場合じゃないのだが、
何か情報はないかと思って見てみると、
いろんな人がいろんな情報をUPしてくれてわかったことだ。
6時頃目が覚めたらまだ鄭州だった。
となりで寝ているShaの話では10時には着くと言うので、
まあ起きてても仕方ないので二度寝する。
しかしこの時に気がつくべきだった。
「鄭州から北京まで4時間で行けますか?
飛行機だって2時間かかるんですよ!!」
電話が鳴った。
取ってみると大使館からであった。
「パスポートを紛失なさったそうで」
今にして思えば不思議である。
なぜ大使館がこのことを知っているのか?
そして何よりどうしてワシの電話番号を知っているのか?
しかもかけて来たのはワシの日本の番号である。
以前ワシは日本大使館と全面戦争覚悟でこんな書簡を送りつけたことがある。
(実際には書簡を託した人がビビって渡さなかったのだが、
ここまで大きな問題になってしまって大使館の人もワシのブログでこの書簡を見ることとなったと聞く)
敵対してるとばかり思っていた大使館の人のこんなにも優しい対応に心暖かくなりながら、
「10時には北京に着きますから着いたらすぐにそちらに向かいます」
と言って電話を見た。
もう10時過ぎとるではないかい!!!
隣で寝ているShaを叩き起こして聞いてみる。
「この列車は10時に着くんとちゃうんか?!!」
Shaは慌てて車掌さんに聞きに行った。
帰って来た時の彼の表情が忘れられない。
バツの悪そうな顔をしながら、
「着くのは2時だそうだ。悪いな、ファンキー・・・
そうだ、食堂車行こう!!
昼飯でも食って、そいでビールでも飲もうじゃないか・・・」
ワシは中国ではいろんな経験をしているが、
共通して言えるのは「没办法(MeiBanFa)」
つまり「アカンもんはアカン!!しゃーない!!」である。
イライラしてもアセっても、着かないものは着かないのである。
ワシは大使館に電話を入れてその旨を伝えたが、
電話を切ったらまた折り返し電話がかかって来た。
先ほどの担当者である。
「現地で取って来た書類はどんな書類ですか?」
ワシが内容を読み上げると担当者は困ったようにこう言った。
「その書類ではダメです。
出入国管理局が発行するパスポート遺失届が必要なのです」
「ほな北京着いたらまずはその出入国管理局とやらに行くということですね?」
と聞くと担当者は更に困ったようにこう言った。
「必ず盗難届を出した管轄の出入国管理局で届けなければダメなのです。
管轄が違うと受付けてくれません・・・」
パスポートがない身で飛行機には乗れず、
列車に12時間揺られてやっとここまで来てるのに、
同じ思いをしながらまた現地まで帰れ、と・・・
茫然となってるワシに担当者は言った。
「それでは今持ってる届出のことはもう一切忘れて下さい。
北京に着いたらまず派出所に行って、
今"北京で落とした"と言って遺失届を出して、
その足で出入国管理局に行ってパスポート遺失届をもらって来て下さい」
日本人なのだからもっと杓子定規なのかと思ってたら、
さすがは「中国の」日本大使館である。
やり方が「中国的」と言うしかない。
二重に盗難届を出したらオンラインでバレてしまわないか不安ではあったが、
まあ他に選択肢はない。
ワシは着いたらすぐさま派出所に向かった。
しかしそこで待ち受けていたのはそれよりももっとややこしい大問題だったのだ・・・
Posted by ファンキー末吉 at:08:08 | 固定リンク
2011年12月29日
パスポート紛失!!その初日
ワシは岳陽発北京行きの夜汽車に乗っていた。
岳陽ではあれから警察を呼び、被害届を出し、
パスポートなしでは国内移動もなかなかままならないので被害届の中にちゃんとパスポート番号など詳細も書いてくれた。
思えば湖南省の街はどこへ行っても寒かった。
緯度は低いのだが、それだから各部屋に基本的に暖房をつけてないのである。
コンサートホールも暖房はつけられておらず、
照明に照らされて本来とても暑いはずのステージ上でも、
子供達はコートを着込んだままドラムを叩いている。
そりゃそうだ、楽屋なんかでも平気で窓を開けっ放しにしてるんだから、
この会場と外気温の差はほとんどない。
窓ガラスを割られた車の前で調書を取られている時も寒かった。
思えば派出所に行ってこの盗難届を作っている時だけが暖かかった思い出だ。
「絶対見つかるよ!」
みんながそう言って慰めてくれる。
「中国の警察を信用しろ」と・・・・
それが一番信用出来ないんやけどな・・・(。-_-。)
まあ地元の人の言うには、
「これが中国人だったらそりゃ警察も一生懸命動かんかも知れんよ。
でも被害者が外国人や言うたら警察としても面子の問題がある。
特に担当警察官は昨日のあんたのステージを見てるんだよ」
まあ早く捕まるにこしたことはない。
ワシはこのまま北京に着いて次の日、
もしくは翌々日の29日の朝いちには飛行機に乗って日本に帰らなければX.Y.Z.→Aのファンクラブライブに間に合わないのだ。
二井原実はいつもワシにこう言う。
「ファンキー、お前にはなあ、
"強く思い込んだことが実現する"
という能力がある。
くれぐれも人を恨んだり悪いことを思いなさんなや、
ほんまにそうなってまうで」
と・・・
しかしワシはこの時こう強く念じた。
「泥棒さん、ワシの荷物を持って逃げてる時に事故に逢いなさい。
お前は死んでもええから、パスポートだけはすぐに私の手に返しなさい」
しかしその念も虚しく、ワシはこうして夜汽車に乗っている。
タイムリミットはワシが北京の日本大使館でパスポート遺失届を出すまで。
その瞬間にそのパスポートは失効し、
たとえ出てきたとしても使うことは出来ないのだ。
とりあえず寝よう・・・
夜汽車は走る。
日本大使館のある北京に向けて。
何の荷物もない手ぶらのワシを乗せて・・・
Posted by ファンキー末吉 at:14:41 | 固定リンク
2011年12月11日
BeiBeiについに彼女が・・・
明日日本に帰るので羊でも食べようと出かけて行った。

羊のもも肉を自分で焼いて食べる素敵な店である。
お供は北京の若い衆のひとりであるギタリストのBeiBei。
まあ彼は7時に待ち合わせと言えば絶対7時には来ないので、
老呉(LaoWu)の奥さんとふたりで1匹食い終わったぐらいにやっと現れた。
見れば美女をひとり連れている・・・
毎度の如く「頑張っているなあ」と思ってまたちょっかいを出す。
「BeiBeiのこと好きなの?」
たいがいこう聞くと美女は、
「そんなんじゃありません、ただの友達です」
と答えるのだが、今回はちょっと反応が違う。
なんと
「嫌いです!!」
と笑って答えるではないか・・・
まさかとは思ったが構わず2匹目の羊を食いながら、
彼女がちょっと席を立った時に説教してみる。
「お前なあ、美女連れて来てワシとばっか話し込んでてどうする!!
頑張って彼女とお近づきにならないでどうする!!」
ワシはこちらではドラマーの弟子はいないが、
BeiBeiやら張張やら、
彼らと言えば「生き様」までワシから学んでいて女性に対してはからきしである。
特にBeiBeiは毎回美女を連れて来てはこっぴどく振られているのでついついおせっかいを焼いてしまったというわけだ。
ところが今回は違う!!
「僕・・・彼女が出来たんです・・・」
まじまじとまた美女を見る・・・カワイイではないか・・・
日本の誰かアイドルに似てる気がするが名前を思い出さない。
SoftBankのCMとか映画Azumiとかで主役をしていた・・・
たしかひらがなで5文字だったと思うのだが漢字を思い出さない・・・
そう言えば検索ではひらがなで入れれば「これですか?」と漢字を出してくれることを思い出してひらがなで入れてみる。
「何を探してるんですか?」
美女が興味ありげに覗いて来るので、
「君は日本のとても有名なアイドルに似てるんだよ、
今その写真を探してるんだよ・・・
彼女が覗き込むiPhoneでひらがなを入力・・・「あやとちえ」・・・
ヒットしたのはおばはんの写真ばかり・・・
「この人が私と似てるんですか・・・」
と彼女・・・
いや別に綾戸智絵さんが悪いわけではない。
歌も上手いし素晴らしいシンガーである。
でもワシが探しているのはあなたではないのですよ・・・
苦労してやっと探し当てた「うえとあや」・・・

ちょっと似てると思いません?・・・
BeiBei頑張るのぢゃ!!
飲みに誘ったらワシのことより彼女を気にかけて、
寝ても覚めても彼女を気遣うのぢゃ!!
まあそのうち振られるとは思うが、
頑張ればその時間を少しでも延ばすことが出来る!!
頑張るのぢゃ!!
Posted by ファンキー末吉 at:04:32 | 固定リンク
2011年12月10日
新聞記者と酒を飲む
院子でひとりコタツに座ってメール処理等地味な仕事をやっていた。
アホのエンジニアの隣の老呉(LaoWu)もいないので
「今晩のメシは何にしようかな」
と思っていた矢先に一本のメールが来た。
「北朝鮮のお話をお伺いしたいのですが・・・」
見れば日本の新聞社の北京駐在の方である。
こりゃうまいこと言うてメシでも奢ってもらおう!!
・・・ということで「今北京にいますよ」と返信。
すぐに返事が来ていそいそと出かけて行った。
実はこのようなメールは先月も一本あった。
東京の新聞社の方である。
新聞社の方もアホなワシのブログを見とるんやなあ・・・
とりあえずこういう場合にはワシはこう返事をすることにしている。
「ブログの中から引用して使ってくれる分には、
何か誤解を与える記事になったとしてもブログに立ち戻って誤解は解けるけど、
それをどんな人がどのように記事にするかわからない状態でいきなり取材を受けるのは、
こと北朝鮮関係においてはちょっと危険だと思ってます。
情報という点ではブログに書けない面白いネタもたくさん持ってますので、
とりあえずお会いして情報交換ということなら喜んで」
まあ例を出して言うと、
ワシのブログから
「JASRACはヤクザのみかじめ」
という部分だけを取り出して記事にされても、
ブログからの引用だと実際ワシが言いたいことは
「ワシの著作権印税をちゃんとワシに分配せぇ!!」
と言っているということは後にわかってもらえるが、
北朝鮮関係の取材をしていてその一部分をデフォルメされたらえらいことになる・・・
特に「よど号」関係な・・・(笑)
東京の新聞社の方とはその話で盛り上がって、
その人の情報ソースである「宿命」という本をわざわざ送って来てくれた。
非常に面白い本で、ワシは700ページ近いこの本をもう2回も読破している。
まあ「メンドクサイ性格」と思われている(知られている)のか、
幸いブログの言葉尻を取ってあーだこーだ文句を言う輩は今のところいないが、
とりあえず浅はかな知識で文句を言って来るような輩がいた日には、
そいつの家まで行って延々論破出来るだけの知識だけは蓄えている。
北朝鮮と関わり合うのは大変なのじゃよ・・・
というわけで今回、
北京駐在の日本の新聞社の方ということで、
これが想像以上に楽しい食事会となった。
彼は朝鮮人民の立場で物を考える人で、
情報交換どころか逆にいろんな有益な情報や考え方を教えてもらって非常に感謝!!
ワシははっきり言って「マスコミ」は嫌いである。
でも「ジャーナリズム」は別やな。
(果たして今の日本のメディアにどれだけ「ジャーナリズム」というものが残っているかは別にして・・・)
まだふたりの新聞記者としかお会いしてないが、
どちらも「この人ならいい記事を書いてくれるのでは」と思わせてくれる人だった。
夕べはどうもごちそうさまでした。
Posted by ファンキー末吉 at:10:30 | 固定リンク
2011年11月29日
Wyn Davisと私(その2)
スタジオを作ろうと思い立つ数年前から北京でスタジオミュージシャンの仕事を始めた。
日本では「ミュージシャン」というよりは「芸能人」というイメージが強いのか、
それでもいくつかの仕事には呼ばれて行ったことがあるが、
北京に移り住んでからのあの「売れっ子ぶり」とは比べ物にならない。
「爆風スランプ」など知りもしない中国人は、
色眼鏡なくワシのことを純粋に「腕のいいドラマー」だと評価してくれた。
しかし困ったことにドラムをちゃんと録れるエンジニアがいない。
「マイクは何を使ったらいいの?」
とか
「角度はこのぐらいか?」
とか、そんなことワシに聞かれたってわからんわい!!
ってなもんである。
中国人のおかしな物の考え方で、
「このぐらいドラムが叩けるんだからそれぐらいのことは知ってるだろう」
ということなのだが、
日本では全ての「プロフェッショナル」には「職人的分業化」が進んでいて、
「ワシはドラムを叩く人、エンジニアはそれをいい音で録る人」
ということで当の本人はマイク選びや立て方なんぞ知るよしもない。
仲のよいスタジオのエンジニアとは、
徹夜でマイク選びや立て方を一緒に研究したりしたこともあったが、
「料理はセンスだ」という言葉があるように、
レコーディングこそまさに「センス」である。
そこで非常に役に立ったのが「あの時食べた極上の料理」、
すなわちWyn Davisのドラムサウンドだったのである。
いろんなプロデュースの仕事も多く、
バンドものの時には総合的なバンドサウンドも全てWynのそれをイメージした。
そんなこんなでいつの間にか、
ドラムは叩くわマイクは立てるわ、
挙げ句の果てにベースやギターの録音まで手伝ってやるような変な生活が始まることとなる。
「何でも出来るは何にも出来んと一緒やでぇ、ほんま・・・」
と苦笑いするワシに二井原は笑いながらこう言った。
「何言うてんねん、ホンマに何にも出来んに比べたら全然ええで」
確かに現実的に外国人であるワシが
地元の人間の仕事を取ってまでのし上がってゆくにはこのぐらい出来てイーブンだったのかも知れない。
そんな中、バンドのレコーディングの中でもバジェットのある
零点(ゼロポイント)をプロデュースした時にはWynにミックスを頼んだ。
我が師匠は快く「中国値段」でミックスを引き受けてくれたが、
1枚目のレコーディングの時には録った音に対して容赦ないダメ出しが来た。
現地のエンジニアが録った音に対してもワシにクレームが来る。
「だってお前がプロデューサーだろ?!!」
試行錯誤をしながら何とか零点(ゼロポイント)の次のアルバムを録って、
LAの彼のスタジオまでミックスに行った時、
彼はワシにこう言った。
「うん、よく録れてる!!
それがミックスにとって一番のHelpだよ。
You are a good engineer!!」
別にワシはエンジニアになろうなどと思っちゃいない。
30数年間耳元でシンバルをガンガン叩いてて破壊されている耳で
純粋に「音がいい、悪い」など聞き分けられるわけがない。
実際高音部分にノイズが乗ってたってこの破壊された耳には既に聞こえやしないのだ。
でも「いい音楽」は録ることが出来る。
「一流の味」を知っているコックは、
その味の「詰め」までは出来なくてもある程度のものが出来るのだと思った。
そんなこんなで
「アレンジの時、レコーディングの時に既にミックスのことを考えてる」
ということが大事なことなんだなということを学習して今に至る。
この爆風スランプトリビュートアルバムが
18曲もの収録曲がありながらこれほどスムーズにミックスが進むのは、
ひとえにこの「師匠」の教えをこの不肖の弟子が忠実に守っているからである。
「師匠」は相変わらずミックスの合間に難しいミックスの奥義を教えたり、
誰も知らないProtoolsのショートカットを教えたり、
でもそのほとんどはもう右耳から左耳に流れてしまっている。
師匠!!プロデュース仕事はもうこの辺まででいいんです。
しばらくドラムを叩いてないんで今はちょっとドラムが叩きたくてうずうずしている頃なんで・・・(笑)
Posted by ファンキー末吉 at:15:20 | 固定リンク
2011年11月 7日
外国語で歌うということ
そう言えば昔よく
「中国語で歌を出したいんですけど」
と有名歌手から相談を受けたりしていたが、
「何言うてるんですか、
中国人が先に中国で成功したいのに
中国語も喋れないあんたがそれを押しのけて成功するわけないでしょ!!」
といつも言ってて嫌われたのか最近とんとそういう相談がない。
二井原実という隣人がいるが、
彼は英語も喋れなかったのにアメリカに打って出て成功した。
まあ喋れなかったと言うと語弊があるかも知れないが、
メンバーより先にアメリカに渡って英語学校に通い、
まあ「自分は人よりは喋れる」というレベルになってから。
ネイティブの歌唱指導を受けて英語の歌を歌うのは相当大変だったらしい。
「今のは音程はよかったが発音が・・・」
とか、
「今のは発音がよかったがリズムが・・・」
とか、
とどのつまりは
「今のは音程も発音も全部よかったが、
心なしかニューヨーク訛りなんだな。
メタルだからやっぱLA訛りで歌ってもらわなきゃ」
で二井原は諦めた。
「何度でも歌いますから、
マグレでいいからそちらで選んで下さい・・・」
こうして1行にまる一日、
1曲にまる3日間かかったりしながらラウドネスのアメリカデビュー盤は完成したと言う。
今日は昼間は紅焼肉楽隊のドラムレコーディングをしてから
夜はWINGの歌う「神話」をレコーディングした。
別にWINGが日本に進出したいわけでもなんでもない。
ただワシに頼まれて爆風スランプトリビュートに参加してくれただけの話である。
BEYONDは日本語の歌も出していたし、
彼自身もコンサートで日本語の歌も歌っていたので大丈夫かと思ったが、
これが想像以上に大変やったな。
中国人にありがちな濁点のあるなしの間違いや、
広東人が苦手な「L」と「N」の違いや、
発音っつうのはそういう耳で聞くとなかなか大変なんやな、これが。
ひとつ面白かったのが、
ワシが一生懸命ディレクションして正しい発音で録り終えた時に、
彼はこう言ったのである。
「僕、間違えてるよ。だってサンプラザはそう歌ってないもん」
神話のオリジナル盤を取り込んでお手本として流しながらレコーディングしているのだが、
たしかにその部分、WINGは「ボク」と歌って、
発音は正しいのに自分が間違いだと言ったが、
実際聞いてみると中野は「ボキ」とか「ボキュ」とか歌っているように聞こえる。
(一番のサビ前「僕たちは泣いていたね」の部分)
まあ外国人に指摘されるまでわからないぐらいそれはあまりにも「自然」なので、
おそらくそれに気づいた日本人は今まで皆無であろう。
そう、もともとそういうことばかりを考えて歌を録ること自体が間違えているのだ!!
歌は「心」なのであるからして、
発音が「気にならない」ぐらいの「歌」を録ればそれでいいのだ!!
と思いつつ結局数時間もぶっ続けてレコーディングしてしまった・・・
まあその甲斐あって素晴らしい「神話」が出来上がったと思う。
皆様、くれぐれも重箱の底をつつくような耳で発音を聞かないように!!
日本に帰ったら時間を見てサイトにUPします!!
WINGさん、ほんまにご苦労様、本当にありがとう!!
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2011年10月20日
ついでに四方山話
中国人で嫌いな人というのはあまりいない。
こんな性格だから人に騙されたりもするが、
日本人にはヒドい目に合わされたことはあるが不思議と中国人にはない。
まあ「いけ好かないヤツ」と言えばまず挙げるのがひとりのモニターエンジニア。
零点(ゼロポイント)スタジアムコンサートのサウンドチェックの時、
モニターから突然何も聞こえなくなったので一生懸命ジェスチャーで伝えていたが、
今度は突然爆音で鳴ったので慌ててまたジェスチャーで伝えた。
「何やってんだよ〜」
とその後彼に言うと
「そりゃ器材の問題だ!!俺のせいじゃない!!」
と胸を張られたのには非常に腹が立った。
そんなヤツがワシよりも高いギャラで仕事をする大御所なのが気に食わない!!
(金が絡むと人間突然心が小さくなるのよ・・・笑)
それから若い衆と飲んでるとよくこんな話をする。
「お前ら間違ってもあんなヤツにはなるなよ。
日本のエンジニアを見てみろ!!
X.Y.Z.→Aで100本ツアーを廻ってた吉田くんなんて、
毎回毎回ライブが終わると必ず楽屋に来て、
"今日はモニターどうでしたか?"と聞く。
例え小屋の器材が悪くったって絶対そんなせいにしない。
それが"音楽"ってなもんと違うか?!!」
「爽子(Shuangz)」のライブの打ち上げでまた別のいけ好かないヤツと会った。
映画音楽家Yはもともとはとあるバンドのキーボーディストとして知り合ったが、
2006年に「予算がないんです〜」と泣きつかれて映画音楽を担当した
「疯狂的石头(クレイジーストーン)」の最終音入れの時に監督が連れて来て再会した。
監督の要求は高く、
結局いくつかのBGMは作り切れないということで監督が彼を呼んだのだ。
結局彼が作った部分はほんの少しなのだが、
クレジットには「音楽」というところにワシと共に彼の名前が載っている。
まあ今にして思えば監督の音楽に対する要求はそれはそれは高く、
ワシは何度も直しをし、それを何度も監督に聞かせ、
彼の場面においてはそんな作業を彼もやってくれるかと思ったら、
まあ中国人にはよくあるのだけれども
「電話に出ない」「メールを返さない」
で結局ワシが全部やった。
まあいい。
ワシが音楽監督なのだからそれも含めて全て「ワシの音楽」である。
怒濤の如く音楽制作が終わり、
その映画は結局中国でタイタニックを上回るほどの動員記録を樹立した。
ワシは一躍「映画音楽家」として時の人となったが、
その後年に数本の映画やドラマの音楽をやる生活に突入する羽目になり、
スティックではなく毎日マウスを握る生活が嫌になって日本に逃げて来た。
YもYでその後いろんな映画の仕事をやったのだろう。
そのひとつの大型映画がまた大ヒットして、
今ではトップクラスの映画音楽家となった。
まあそれはそれでいい。
その後彼は会社を立ち上げ、
10人の若い衆に音楽を作らせ、
それを自分の作品として仕事を量産していると聞く。
まあワシとてその後、
張張(ジャンジャン)やら若い衆と映画音楽をやったりしているが、
根本的に違うのは、
「俺は別に映画音楽家になろうと思っているわけでもない。
お前がこの仕事を将来やりたければ、
これをチャンスだと思って頑張れ!!
監督とはお前が打ち合わせをしろ!!
気に入られたら後はお前が自分の仕事としてやっていけばいい」
というところである。
若い衆のうちひとりは北京オリンピックの閉幕式の音楽(の一部)を任されるなど、
今では音楽家としてトップクラスに躍り出たのもいるが、
相変わらずワシはこのままである。
ワシはYと違って「人の上前をはねる」ということが出来ないのだ。
この日、打ち上げに現れた彼の服装が気に食わなかった。
ブランドもののシャツにゴールドのネックレス、
ブランドもののバッグに腕時計。
それにスーツではなくGパンを履いているところが
「これは普段着ですよ。いつも普通にこれを着てますから」
という感じで腹が立つ。
またそのGパンのベルトがブランドものっぽいのがトドメである。
だいたいこのアンダーグランドのラッパーの打ち上げに、
そこまでブランドもので着飾って来る必要があるのか?
みんなTシャツにジャージ(ラッパーやからね)、
「ロック」なんだからスタッフだってスーツ着てるやつもおらんぞ!!
ワシも中国のスター達に知り合いも多いが、
ヤツらが公の場に姿を見せる時にスーツなので着飾るのはわかる。
でもお前は「裏方じゃろが!!!」
まあ「金」のことになると人間心が小さくなってしまうので、
ひょっとしたらこれは完全にワシの「ヒガミ」なのかも知れない。
でも昨日行ったジャニーズの芝居、

を見て改めて思う。
汗みどろの稽古をして来た若きジャニーズのスター達、
それに携わる本当に演劇を愛するたくさんのスタッフ達、
そんな人達と彼はやっぱ「何か」が違う。
人間どう生きようが人の勝手なのでワシがとやかく言うことではないが、
ワシはやっぱり「こういう世界」で生きて来たし、
「こういう世界」でずーっと生きてゆきたいと思うから、
「こういう世界」の人間の方が一緒にいて居心地が良い。
舞台「美男ですよ」
11月末まで全国廻りますので行ってやって下さい。
http://www.ikemen-desune.com/
素晴らしい舞台でした!!
(私は楽器指導として少しだけご一緒させて頂きました)
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2011年10月16日
「爽子(Shuangz)」のライブ

中国のラップ歌手「爽子(Shuangz)」のライブに参加して来た。
仕切りも何もあったもんじゃない。
一昨日着いてから誰も「何時にどこに行け」という連絡すらないのだから・・・
まあこのままばっくれたところで罪はないが、
やはりちゃんと調べて自分で行ってしまうのがワシである。
着いたらドラムセットがふたつ置いてあった。

聞けば3人のドラマーが代わる代わる叩くと言う・・・
しかしドラムセットはあってもシンバルが1枚もない・・・
「取りに行ってます」
まあこの辺はよくあることなのでいいだろう。
しかし「この曲はプログラム聞いて叩いて下さい」と、
ぽんとiPod touchを渡されるのはどうしたものか・・・
音響スタッフに言ってミキサーは持って来させた。
PAにつなぐべきシールドもあった。
しかしヘッドホンがない!!
「もうひとりのドラマーが持って来てるからそれを借りよう」
と言うのだがそいつのはミニジャックでこのミキサーにはつなげない。
仕方がないのでクリックでミキサーのレベルメーターが振れるのを見ながらリハーサルする。
よっぽどテクニックがなかったらこんなこと出来まへんで!!
しかし考えてみたらメーターをガン見せねばならんので譜面を見れない!!
他にも同期を使わない曲で「テンポが遅い」だの「速い」だのクレームが来たので、
「よっしゃ!!全曲クリック聞いて叩いてやる!!」
とイヤホンをはじめ自分のシステムを取りに帰る。
まあ考えてみれば歌う人と違ってラップの人は、
テンポがちょっと速いだ遅いだっつうのはとても気になることなんやな。
でもそやったらあらかじめ言っとけよと言いたい。
リハもそこそこでシステムを取りに帰り、
戻って来た時には既に満場の客が入っていた。
客前でセッティング・・・まあこれも中国では慣れたもんである・・・
そんなこんなでやっと楽屋に着いたらプロデューサーDが現れた。
左手をいつもポケットに隠していて、
一説によると「ヤクザともめて指を切り落とされた」とか噂される謎の人物である。
「この前の会社は結局どうなったの?」
ワシは聞いた。
もともとワシは前の会社から仕事を頼まれたのだ。
しかし仕事が始まったら彼が暴走してコントロール不能となり、
最後には前金だけもらったままこの仕事は流れた。
なのにこの左手のない男はまたここにいる。
「またあんたが金出してこのアルバム作ったの?」
彼は言う。
「あいつは俺にしかコントロール出来ないからな。
でもそれもまたロックだろ?」
まあワシはそんな輩と直で仕事をやる気はないが、
誰かがちゃんと金を払ってくれれば逆に相手がどんなヤツでも構わない。
「実はなあ・・・」
彼は小声でこんなことを話した。
「お前の作ってくれた世界観なあ、
ありゃ全くもってニュービー(Fuckin' great!!の意)だった。
でもなあ、あいつもガキだからなあ、どうしても消化不良になっちまったんだ。
それで今回は自分たちだけでアルバム作ったというわけさ」
日本でバンドやっててもよく
「大衆はバカなんだからそんな高度なことやったって誰もわかんねーよ!!」
なんてことを言われて言い争いをして来た。
結局そんなバカな音楽しかやれない世界はイヤになって「芸能界」とやらを後にした。
爽子(Shuangz)に最初に作ったDEMOは妥協せずに高度な転調を盛り込んでいた。
ラップは基本的に同じ音程でずーっと歌うわけだからバックが絶え間なく転調すればその場面場面で色が変わる。
ただそれを理解して完璧に演奏出来るJazzミュージシャンが北京にはあまりいないというだけの話である。
この日ワシがドラムを叩くことになっている曲にはこの曲も入っていた。
それほど複雑ではないにしろサビになると転調してみんなで大合唱出来るようになっている。
それどころかアメリカ持って行ってWyn Davisにミックスを頼むとか、
基本的には全部ワシが敷いたレールに乗って全てが作られている。
しかしライブが始まってみてワシはちょっと考えるところがあった。
爽子(Shuangz)のファンは強力である。
始まる前から待ちこがれて熱狂し、
そんな熱いオーディエンスをワシは、
10年前の許魏(Xu Wei)、20年前の崔健(Cui Jian)で体感したことがある。
そんなオーディエンスが中国の音楽界を変えていった。
この日は崔健(Cui Jian)の曲を爽子(Shuangz)も歌った。
きっとプロデューサーDが彼を説き伏せて歌わせたのだろう。
彼も、オーディエンスもまだ生まれてなかった頃に、
中国じゅうの若者が熱狂した歌を、
80年代生まれの若者達がまた熱狂して歌う。
爽子(Shuangz)はそんな「大人達」のいうことを、
自分なりに一生懸命消化してここまで来ている。
ワシの作った2曲は形を変え、
それなりに彼が一生懸命に消化しながら、
やっぱライブではワシの力が必要だからワシを呼んだのではあるまいか。
アンコールに彼がネットで最初に発表した曲をやった。
最初っから最後までずーっと同じリズムとアレンジ、
そんなどうしようもなくアンダーグランドな曲にオーディエンスが熱狂した。
もともとはワシは「この曲を何とかしてくれ」と頼まれたのだ。
今なら
「この曲はどうにもならん!!このままが一番なんだ!!」
と言うだろう。
でも「大人達」は彼をもっと上に連れてゆきたいと思う。
彼をはじめ、ステージ上に立つ全てのミュージシャン、
そして客席のほとんどの若者はタトゥーを入れている。
入れてないのはワシぐらいのもんである。
爽子(Shuangz)は二の腕に両足、
背中には今の彼女の顔と全身の絵を彫っている。
「大人達」がそんな彼に未来のレールを敷く。
例えばワシが布衣に羊肉麺という曲を書いた。
ずーっと自分たちの音楽しかやって来なかった彼らは最初戸惑い、
でもボーカルのLaoWuだけは最後までワシのことを信じて歌い続け、
結果この曲は今では彼らの代表曲となった。
それは例えて言うと、彼らにワシが
「階段を一足飛びに飛び越えられるハシゴ」
を与えたというだけではないのか。
「大人達」には彼らの未来が見える。
しかし爽子(Shuangz)には決してそんなものは見えはしない。
そんなもの見えてたら今の彼女の顔を自分の背中一面に彫りますか?!!
彼が見ているものは「今」だけ。
そして同じように「今」しか見られない若者達がそんな彼の歌に熱狂する。
そして彼らがまた「新しい中国」を作ってゆくのだ。
プロデューサーDは打ち上げでワシに言った。
「お前との付き合いは永遠だからな!!
こいつの二枚目と三枚目、またお前の力を借りるぞ!!」
ワシはまた彼に「一足飛びに階段を飛び越えるハシゴ」を与えるだろう。
そして彼はまた苦労して、
そのハシゴを解体して低いハシゴにしてしまい、
ワシは怒り、あきれ、あきらめ、
彼は「大人達」の思惑とは別に彼なりの人生を歩んでゆくだろう。
プロデューサーDはワシに
「こいつを中国を代表するロッカーにしてやってくれ」
と言う。
でもそれをするのはワシではない。
とどのつまりは「彼自身」なのである。
Posted by ファンキー末吉 at:03:19 | 固定リンク
2011年9月27日
中国のラップ歌手「爽子(Shuangz)」のその後
前回、女と手に手を取って逃げ出した「爽子(Shuangz)」であるが、
戻って来てアルバムを制作しているらしいことは聞いていた。
事務所と喧嘩して逃げ出して、
ワシはその事務所に雇われたわけだからもう手を貸すわけにはいかない。
友人のスタジオに詰めてずーっとやっていたらしいが、
結局ワシは一度も顔を出さなかった。
そんなある日、アメリカのWyn Davisからメールが来て、
「Funky、また素晴らしいアーティストを紹介してくれてありがとう!!
お前のプロジェクトなら俺はいくら安くてもやってやるから言ってくれ!!」
と、えらい感激して言うのだがとんとあてがない。
よくよく聞いてみると、
結局この「爽子(Shuangz)」のアルバムはWynんとこでTDしたようだ。
ちゃんとワシが引いたレールの上をワシなしで歩いていたのか、
と少々腹立たしい気持ちはあったが、
まあ人のトラブルに首を突っ込んでろくなことはないので放っといた。
ところがここに来て、
その昔の制作費を出したDongLinという男から電話がかかって来た。
「来月15日ヒマか? 爽子(Shuangz)の新作発表ライブで1曲叩いてくれ!!」
どうもこのDongLinという男はよくわからない。
前回は結局ワシに前金を払って本人にトンズラされたのに、
もう懲りていると思ったらまた新しいプロジェクトにも顔を出している。
いや、口ぶりではまたこれにも金を出しているのだろう・・・(不思議)
まあスケジュールだけ押さえて忘れていたら、
今日、中国のTwitterとも言われる「新浪微博」が騒がしい。

【亚洲鼓王Funky末吉和爽子】
@FunkySueyoshi 在日本家喻户晓的摇滚乐队"暴风"领队鼓手,被誉为亚洲鼓王。
本次爽子新专辑中,有两首作品的旋律是老Funky亲子操刀谱写。
10月15日,爽子新专辑首唱会,Funky将作为助演嘉宾出席,鼓迷和爽磁绝不可错过。
まあてっとり早く言うと
「アジアドラムキングが爽子(Shuangz)のために2曲作曲した!!
次のライブではゲストでドラムも叩くからみんな見に来い!!」
というわけだ。
ワシのリンクがついているもんだからみんなRTしまくって、
フォロワーは増えるわRTは来まくるわ・・・
曲を聞けるリンクも貼られていたが、
最近の中国のサイトは外国のIPアドレスから曲を聞けなくしているので日本からは聞けなかったが、
まあタイトルに見覚えがあるのできっとワシがアレンジした曲だろう。
アレンジと言ってもラッパーは詞しか書かないので、
必然的にサビをつけたワシが「作曲」ということなのだろう。
中国にしてはちゃんとしている!!(笑)
まあワシにしてみれば前金をもらっているので途中で投げたその仕事をどうしようと知ったこっちゃないが、
まあワシに何も言わずにワシの引いたレールを自分のレールのように走ってたんじゃ少々面白くなかったところが、
まあいつもの中国らしく最後に全部帳尻を合わせて来る。
念のために北京のアシスタントに
このイベントはギャラが出るのかどうか電話で確かめさせた。
「何かギャラではないけど紅包は出るそうですよ」
まあ前金をもらっているので出なくても顔出しには行くが、
紅包(ご祝儀)まで出るというのはなかなか破格である。
ひとつだけ心配なのは、
X.Y.Z.→Aの「I Promise You」をラップにして歌わせようとしてたのだが、
ワシが作曲したというもう1曲がこの曲だったらワシはX.Y.Z.→Aのメンバーに申し訳が立たんぞ・・・
ま、二井原の歌が並の中国人歌手で歌えるわけないからまあありえんやろうなあ・・・
・・・と言いつつちょっと心配な今日この頃である。
Posted by ファンキー末吉 at:15:44 | 固定リンク
2011年9月13日
乗馬クラブに集まる大金持ち達のパーティー
気がつけば毎年参加している。
(もちろん客としてではなく演奏者としてだが)
だいたい乗馬を楽しもうと言うのだから金持ちであろう。
毎年9月の第二土曜日に試合か何かが開かれるのだ。
金持ち達が集まって、そのパーティーのためにどでかいステージが組まれ、
有名人達が客として、そして出演者として集い、
ワシのようなミュージシャンがタダ酒を飲む(笑)
この日は雨だったので「馬術館」という奥内でステージが組まれたが、
外ではやっぱ乗馬の試合が行われていた。

ワシらは馬術館でセッティング・・・
しかし例によって仕切りが悪い!!
前の日にmp3で送られて来た曲は一応譜面にしておいたが、
いきなり見知らぬ歌手(こちらは覚えてないが向こうはやたら親しそう)から、
「じゃあファンキーさん、今日はこの曲を頼みますよ」
と譜面を渡される。

なんやこれ!!まるで赤本やないの!!
まあ歌手の人が一生懸命曲を説明するので、
とりあえずこれに書き込んで自分なりにシミュレーションする。
「まあリハなりで一回やっとけば大丈夫でしょう」
とタカをくくってたら馬術の試合が終わっていきなり客が入って来た。
リハも何もなくいきなりぶっつけ本番である。
進行表もへったくれも何もない。
ただいきなりステージに上がらされて、
「じゃあオープニンング曲、叩いて!!」
と言われる。
「オープニング曲って何でっか?」
言うが早いかピアニストがラテンのリズムを弾き始めるので適当に合わせて、
ある程度したら目と目を合わせてエンディング、
そしてまた何やらリズムが始まるので適当に合わせてたら司会者が出て来て話を始める。
「それでは一番目の歌手を紹介しましょう!!」
と言うので適当に終わらせてステージを降りる。
出て来た歌手は「李漠(Li Mo)」。
一夜にしてスターになった例の彼女である。

そしてバンドを引き連れて彼女が歌った曲は、
うちでレコーディングした昔のロックナンバーだった。
何故だか涙が出て来た。
「客なんか関係ない!!
私はここにいてこれを歌う!!
それだけのもんなのよ!!」
とでも言いたそうな彼女の態度がとてつもなくかっこいい。
そうだ、スターになっても彼女はいつまでもここにいるのだ!!
数曲(ワシにとっては)懐かしい曲が終わり、
バンドがステージに降りてカラオケであのヒット曲を歌う。
そうそう、この曲を否定してしまったら身もふたもない。
彼女はここにいて、そしてあそこにもいるのだから・・・
歌のコーナーが終わってオークションのコーナー。
何やらどでかい「書」がオークションにかかる。
落札額は15万円!!(約180万円)驚!!
そういや去年は白い馬が出品されて1千万とかで落札されてたっけ・・・
中国の金持ちはとてつもなく金持ちである・・・
ワシはもうこの頃からガブ飲み!!
どうせ「仕事」ではないのだ。
仕切りも悪いし、
同じぶっつけ本番だったら若いドラマーもいるからそいつに叩かせればいい!!
結局予定してた曲は1曲もやらず、
また何やらセッション風の遊びをやったっきりでイベントは終了!!
「ギャラは酒だから!!」
とばかり死ぬほど飲んで帰ったワシのポシェットにはこんなのが入っていた。

あ、一応ギャラも出たのね・・・もうちょっと真面目にやった方がよかったかな・・・(笑)
まあ来年もまた呼ばれるだろうからスケジュール空けておこう!!
Posted by ファンキー末吉 at:19:11 | 固定リンク
2011年9月 1日
Appleのやり方にもの申す!!
まあ別に毎日誰かにもの申しているわけではないのぢゃが、
これは前々から思っておったことなのでこのチャンスに声を大にして言っておこう。
もともとワシはAppleとかSonyとかいう会社が嫌いである。
何かっつうと「独自の方式」なんぞを作り出して互換性というのを無視する高飛車な商売・・・
パソコンも昔はVAIOを使っていたが、
CDとかを取り込むとその「独自のファイルフォーマット」とやらで取り込むのでイヤになった。
既存のMP3とかWMAとかで取り込むな!!
我が社の方式で取り込んで、
ファイルのやりとりをする相手もみんな我が社のパソコンを使うのぢゃ!!
という商売がどうも鼻について仕方がなかった。
MACももともとそうだったのぢゃが、
週刊アスキーなる雑誌のレポートのためにiPhoneなるものを買ったがために、
あれだけ嫌いだったMACに全てのシステムを移行してしまった・・・
そのおかげで我が家にはスタジオも含めて5台のMACと5台のiPhoneと1台のiPodと1台のiPadがある。
言うならばワシはAppleのお得意様である!!
Appleに頭を下げられるならまだしも高圧的な商売をやられる筋合いはない!!
まあAddobeかなんか相手に高飛車な喧嘩をふっかけてFlashが使えないのはいい。
使えないのは「製品の欠点」と言えばそれまでである。
ところが壊れた自社製品の修理がこれだけめんどくさいというのはどういう了見じゃ!!
ワシはカスタマーセンターにクレームを言う時によくこの言葉を使う。
「自分たちが楽になるために客にめんどくさいことをやらすっちゃあどんな了見じゃい!!」
事の始めはうちの3歳の息子がiPadを離さないところから始まる。
ただでさえこの親の血を受け継いでいるのだ。
取り上げようにも取り上げられるわけがない!!
かくしてワシのiPadはこの3歳の息子専用のおもちゃになってしまったのじゃが、
これがいきなり画面が映らなくなってしまった。
機械には強い方なのでいろいろ調べてみたが、
これは内部の問題ではなく液晶、もしくはそれに関係する回路がいかれているしかない。
ソフトウェアならいざ知らず、
ハードウェアまではワシの手に負える分野ではないので修理に持ち込む。
まあこの会社の方針としては
「バッタもんの修理屋には持ち込むなよ!!
純正んとこで修理しなはれや!!」
という方針なので純正のアップルショップを調べてみる。
バカでかい探しにくいAppleのサイトから修理と言うキーワードで探し、
最終的に八王子に一番近い吉祥寺店でiPadという欄に印が入っていることを確認し、
車で1時間近くかけてそこまで持ち込んだが、
「この印はiPadを売ってますという印で、
修理は全て渋谷か銀座のアップルショップに持ち込んで頂かないと
うちではお預かりで来ません」
こりゃちとおかしくないか?
「お前んとこで売ってるもんなんやから
お前んとこで預かってお前が渋谷に送ればええじゃろ」
と言うが取り合ってくれない。
どうせアップルショップに持って行ったところでその場では直せない。
必ず1週間以上待たされて戻って来るのぢゃ。
ワシは腹が立ったのでそのまま北京に持ってゆき、
前回iPhoneを直してもらった店に持ち込んだ。
「アップルの優良ディーラー」という看板があるが、
おそらくはバッタもんである。
その証拠にその場でちょちょいと直してくれた。
新品のようになったiPadと、壊れた液晶部分をどどんと渡されて850元(1万円足らず)!!

ワシは昔爆風が武道館でコンサートをやった時のことを思い出した。
武道館の外ではテキヤがバッタもんの爆風グッズを売りまくっている。
ワシは事務所に言った。
「やめろと言ったってやめんのやったら、
ほな人ひとり雇ってそれぞれのテキヤからパーセンテージ取ったらええねん!!
自分ちのグッズ売上よりヘタしたら売上多いかも知れんで」
しかし事務所は聞き入れない。
海賊版のない世界でも理想なこの国で、
その御本家のお膝元でバッタもんを売る商売を、
何故その御本家が取り締まらないか今でもワシは不思議であるが・・・
そんなこんなで自分なりに結論を出した。
グッズを見てみろ!!
御本家よりもバッタもんの方がよく出来てるやないかい!!
どれもこれも安くて購買欲をそそるグッズやないかい!!
そりゃ御本家は負けるわのう・・・
Appleさん!!
ワシはもう二度とお前んとこで修理せん!!
お隣の国にはお前んとこよりもサービスのいい修理屋がいくらでもあるんじゃ!!
自分らが楽するために客に不便をかけよって、
それでも「サービス」かい!!
というわけで無事iPadは修理完了!!
しかしこれはすぐさま息子のところに行ってしまう・・・
Posted by ファンキー末吉 at:15:09 | 固定リンク
2011年8月30日
日本ラーメン横町in北京にもの申す!!!
うちの院子からほど近い望京というところに「ラーメン横丁」なるものが出現し、
今月だけでワシは4回行っているということは
「北京滞在の日はそこに行かない日の方が少ない」
ぐらい通っているというわけである。
初日に行ったのは「富山ブラック麺屋いろは」
しかし味は美味しいのであるが残念!!スープがぬるい!!!
ワシは別に美食家でもないしラーメン通でもないが、
この「スープがぬるい」というのだけは許せない。
味がどうのというレベルではなく「手抜き」である。
スープなんてちゃんと湧かしていれば誰が碗によそったって同じように熱いんだから。
ラーメン屋の店長というのはその味に誇りを持って、
ひとつひとつ魂を込めて作っているという印象があったので、
ワシはこっそりと従業員を呼び出して中国語でこう聞いた。
「店長さんいる? もしくは日本人スタッフいる?」
別にクレームをつけようというのではない。
店長の魂がこんな下らない凡ミスで穢されているのが残念だったのだ。
ワシはきっと厨房の中から汗だくになった店長が出て来ると思ったが、
出て来たのは隣の店の日本語を喋る従業員だった。
「あれ? 日本人いないの?・・・」
仕方ないのでワシは彼に、
「味は申し分ないのにスープがぬるいのもったいないよ」
とだけ言ってその店を後にした。
次の日は「札幌みその味噌専門」に行った。
「ラーメンを食べる前にゆで卵をまず食べて下さい。
ラーメンの味が見違えるほど変わります。無料です」
と書いた張り紙があり、テーブルの上にはゆで卵がどどんと置かれている。
しかし今度は麺が少し堅かった。
厨房を見ると日本人らしき人はいない。
麺の湯で加減というのはスープに次ぐラーメン屋の「命」ではないのか?
それをここの店長は中国人にそれを任せて平気なのか?・・・
失望して次の日は「これが最後」とばかり「TETSU」に行った。
例の日本語を話せるスタッフがいる店だ。
この店も不味かったらもう二度とこのラーメン横町には足を踏み入れまい!!
そんな強い決意の下で訪れた最後の店だったのだ。
ところがこの白味噌ラーメンは絶品!!
スープまで残すことなく完食してしまった。
ふと見ると若い日本人スタッフが忙しく走り回っている。
聞けば中国語も出来ないのにひとり異国の地に送り込まれているらしい。
「素晴らしい!!あんたがいるから初めてこの味が出せたんだ!!」

ワシは非常に気持ちよく北京を後にして、
徐州に行ってそのまま日本に帰った。
そして次にまた北京に戻って来て、
さっそくまたワシはこのラーメン横丁にやって来た。
新しいラーメン屋を開拓するか、
もしくはまた再びTETSUか・・・
やはりここは冒険は出来ない。
確実に美味いラーメンを選ぶべきであろう・・・
というわけでまた同じく白味噌ラーメンを頂き、
変わらぬレベルの高さに舌鼓を打った。
例の日本人スタッフはこの日は自分でラーメンを茹でていた。
テーブルまでやって来て、
「今日は材料が思う通りに入らなくて苦労したんですけど、
スープのお味の方は大丈夫ですか?」
と聞く。
ドラムの音が毎日毎日違うように、
同じように作ったってスープの味が毎日違うというのは想像に難くない。
ましてや日本のようにマニュアル通りに材料がやって来る国ではないのだ。
誰がどのような考えでこんなところに
「日本ラーメン横丁」なんてものを作ったのかは知らないが、
誘われて日本からのこのこ出店して、
自分の「命」とも言えるその味を中国人スタッフだけに任せて日本で悠々としている他の店の店長さんの気が知れない。
それは例えて言うと
「X.Y.Z.→Aのレコーディング終わったから、
中国人さん、勝手にミックスして中国のお客さんに売っといてや」
というのと同じではないのか?
あなた達がやっていることは自分たちの、
そして日本の文化である「ラーメン」の恥を異国で広めているだけだ!!
自分で来れないならせめて彼のような素晴らしいスタッフを派遣して、
自分の命が少しでも間違いなく異国の人に伝わるように努力をせねば、
そもそもあんたたちの「命」はたかだか
「麺が堅くてスープがぬるい」ような、
例えて言うと
「チューニングも出来ないアマチュアミュージシャン程度」
だったということだ!!
ワシはこの日本人スタッフに聞いた。
「あんた休みないの?」
「はい、12月の最終日まで毎日休みなしです」
ワシは彼の肩を叩いて言った。
「今度、店終わったら飲みに行こな。是非ともワシに一杯奢らせて!!」
異国の地で誰ともわからぬ変な日本人に声をかけられて、
少々ビビりながらも「はい、ありがとうございます」とうなずく彼であった。
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2011年8月17日
戦争勃発?!!
過去、中国のロック史に残る争いとして、
歴史上一番レコードを売った黒豹の第二期のボーカリスト巒樹(LuanShu)が、
第三期ボーカル秦勇(QinYong)と黒豹、
そして日本のレコード会社JVCを相手取って起こした訴訟がある。
自分が歌っている音源をあたかも秦勇(QinYong)が歌っているかのように商売をしたと言うのだ。
昔の仲間を告訴するなんてことはやめた方がよい。
その頃巒樹(LuanShu)は誰にも相手にしてくれる者もいなくなり、
そんなことを知らないワシがいつものように
日本から遊びに来て彼んちに泊まったりしてたもんで、
今では
「いい時もどん底の時もずーっとそばにいた朋友」
となって今でもしょっちゅう仕事もしている。
ワシは今回北京に戻って来て、
何故か零点からリハのブッキングがないなと思ったら突然ミーティングに呼ばれ、
脱退したボーカルの周曉歐(ZhouXiaoOu)を相手に訴訟を起こすと言うのだ。
聞けば周曉歐(ZhouXiaoOu)が地方の営業の仕事で「零点」という名前を使ったらしい。
まあ例えて言うと、もし
「ラウドネスを脱退した二井原がラウドネスという名前で仕事をしたらタッカンがどれだけ激怒するか」
という感じだが、
彼らの場合はもっと流行バンドなので、
国内にふたつの零点が現れたら誰もバンドの方なんか見向きもしない。
彼らにとったら致命的に「絶対に許せない」ことなのである。
「そんなヒマあったら練習せーよ!!もっと上手くなりなはれ!!」
しかしやつらは既に訴状を用意し、
マスコミを呼び、明日宣戦布告をすると言う。
「ファンキーさん、明日から全中国が大注目する訴訟劇が始まる。
いい宣伝になるから今晩すぐ1曲アレンジしてくれ。
急いでレコーディングしてネットにUPする!!」
ひぇー!!!
まあ金さえもらえば別に急ぎの仕事でも何でもするが、
人の争いで金をもらうのも何か武器商人のようですっきりしない。
院子に帰る道すがら周曉歐(ZhouXiaoOu)方面の友達にも電話を入れる。
「零点が訴訟まで考えてるから気をつけろって伝えといて!!」
そして零点側にも「訴訟劇の最中に絶対俺の名前を出すな」と伝えておかねば・・・
こんなことに巻き込まれて敵など作りたくない。
中国の音楽界は狭い。
人と恨まれなんかしたら商売なんて出来やしないのだ・・・
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2011年8月14日
雨漏りとの戦い!!
北京ではうちのような辺鄙なところに住むのはむっちゃ金持ちか、
もしくはこの村の住人のようにむっちゃ貧乏かどちらかである。
政府はどんどんと開発を進めるもんだから、
近隣の村を潰された住人もどんどんうちの村に引っ越して来て、
小さなこの村に掃き溜め労働者が2万人もひしめきあっていると言う・・・
この村もいずれは潰される。
ということで大家はやっきになって増築ばかりやっている。
そんなこんなもあって恐らく地盤が沈下したのもあるのだろう。
最近のスタジオへの雨漏りがひどい!!
また異常気象で暴風雨が続くのでなおさらである。
夕べも夜中に集中豪雨があった。
夜中に叩き起こされたらスタジオはくるぶしまで水が浸かっている。
ドラム等全ての楽器は退避させてあるが、
基本的にどの部屋も多かれ少なかれ水浸しなんだから始末に負えん。
「日本はこういうのって全部大家が責任持って修繕してくれるよ!!」
と言ってみると、
「中国もそうです!!
どうして僕らが自分の金で大家の持ち物を修繕しなきゃなんないんです!!」
とは言うが、ここからが中国と日本の大きな違い、
大家はどうせあと数年で潰されるんだから余計な金をかけたくないのである。
しかも胸を張って!!(笑)
詰め将棋の好きなワシはいろいろシミュレーションして提案してみる。
家賃を下げてもらうように交渉してもダメ、
じゃあ水浸しの部屋はもう使えないんだから解約するから安くしろと言うと、
その部屋に別の人間を住まわせるからダメ。
こんな水浸しの部屋に住む人間いるの?
と聞くが、この村は北京で一番貧しいスラム街なのだ。
安ければ住むやつはなんぼでもいる・・・
まあワシも言わば不法滞在の不法就労みたいなもんだから強くは言えない。
こうなったら「自分たちで」直すしかないのである。
スタジオにどうしてこんなにたくさん水が入って来るのかというと、
どうも隣の建物との間の狭い空間に多量の水が溜まり、
それが壁を伝って入って来るのでは、と。
ということで我らが老呉(LaoWu)の出番である!!
貧乏なミュージシャンは何でも直せる!!
とばかり彼はひとりその壁の間に入り込んで防水塗料を塗り付ける。

頑張れ老呉(LaoWu)!!我らが未来はお前の修繕能力にかかっている!!!
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2011年8月 5日
サーディンディンのアレンジ
アウェーインザライフの仕事で2ヶ月日本に滞在した張張、
彼を日本に呼ぶ時にワシはわざわざ彼のお父さんの前で彼にこう言った。
「生き馬の目を抜く芸能界で、
お前が2ヶ月この北京から姿を消した時点で、
今の仕事は全てもっと若いミュージシャンに奪われてしまって、
帰って来た時には本当にゼロからのスタートになってしまうに違いない。
でも俺はお前は日本に来て勉強出来ることがたくさんあると思う。
今の地盤を全部犠牲にしても有り余る経験を俺はさせてあげられる。
北京に帰ったらまたゼロからやり直すんだ。
今の地盤にしがみついてこのまま終わっていくか、
それともそれを今全部捨ててゼロからやり直すのか、
それはお前の人生だ、お前が決めろ!!」
彼は二十歳の頃から酒場で超絶ピアノを弾いて両親を養っている。
それを知っているからこそワシは敢えて彼の父親の前でこれを言ったのだ。
彼は結局ワシの申し出を呑んで、
その結果、その仕事が終わって北京に帰って、
仕事を失うどころかよりステップアップしていろんな歌手が彼を求めた。
そのひとりが雲南の少数民族の歌手、高洪章であり、
そして今回の萨顶顶(サーディンディン)である。
あれから長らく張張は彼女の仕事をやっていることは知っているが、
今回「助けて下さい」とワシにストリングスアレンジの発注が来た。
まあ日本人にしてみたら不思議に思うかも知れないが、
ワシはもう既に中国では数十曲ストリングスアレンジの仕事をやっている。
パソコン等機械を使ってだけ音楽をやっている音楽理論の「いろは」も知らない輩が
「僕はアレンジャーです」
と胸を張っている現状に怒りを感じてワシは独学でこれを習得した。
今ではワシの生活を支えるひとつの「仕事」である。
「何でも出来るっつうのは何にも出来んっていうことやで!!」
というのがワシの座右の銘で、
だからこそ
「ドラムを極めて墓場に行きたい」
という人生を送っているのではあるが、
ある日、朋友二井原から
「何でも出来るっつうのは、ほんまに何にも出来ん人に比べたら素晴らしいことやで」
と言われてからそっち方面にも胸を張って頑張れるようになった。
張張もよほど困ったのだろう、
「この曲のストリングスアレンジをファンキーさんに頼みたい」
と言って来た。
まあワシもその辺の日本人の似非アレンジャーに比べたら経験はあるが、
所詮はドラマー、「その道のプロ」ではない。
しかし張張はどうしてもワシに頼みたいと言う。
まずは大雑把にアレンジして張張に送りつける。
「これでいいのか悪いのか?
あんましめんどくさいと俺、やらないよ?」
ワシとて「ヒマ」な人間ではないのだ。
北京のあらゆる歌手が全て「めんどくさい」人間であることは
ワシこそが世界で一番理解している「外国人」である。
彼曰く、
「いやー、ちょっとOK出ないと思いますねえ。
ちょっと昔ボツになったアレンジのDEMOを送りますから、
それ聞いてちょっと作り直して下さい」
ワシ曰く、
「そんなつもりはない!!あかんかったらお前がやれ!!
俺はもともと人助けでやっとんのじゃ!!
何日もそれに付き合うつもりはない!!」
まあそう言われれば一番板挟みになって困るのが張張なのであるが、
結局そのまま本人に聞かせたら何とストリングス部分はそのままOK!!
ただ、今までのように打ち込みを使ってバッキングを作るのではなく、
「久石譲のようにピアノでバッキングを作ってくれ」
と言う。
まあ日本のロック界でもいろいろ逸話はあるが、
ワシも例に漏れず、
「彼女は世界的な歌手なんでしょ、
久石さん紹介したげるから彼に頼めば?!!」
と無下に電話を切ろうとしたが張張は切らせない。
「ストリングスとピアノだけで全ての人が涙するように持って行って欲しいんです!!」
と涙ながらにそう言う。
中国にはワシの友人でもある「三宝(sanbao)」というその辺の大家がいる。
「そいつに頼めばぁ・・・」
と言うのだが、どうしてもワシにやって欲しいらしい。
ここまで来るとワシは専門外も甚だしい。
しかももともとワシへの発注は「ストリングスをアレンジして欲しい」ということで、
それがOKになってるのだから仕事は終了!!
早くギャラくれ!!飲みに行く!!てなもんである。
ピアノだ何たらワシへの発注外であるし何より「専門外」である。
ところが張張が作った何バージョンものDEMOが全部ボツになる中、
ワシが作ったDEMOがその歌手本人の琴線に触れたらしい。
「あなたの作ったストリングス、ピアノ、全て素晴らしい!!
願わくばイントロもそれでやって最後のサビもそれをやって欲しい!!」
まあこのように書いていれば、
日本の皆さんは「え?末吉さん凄いなあ」と思うやも知れないが、
何のこっちゃない、中国は「採用されて初めてギャラ」なので、
とどのつまり「いいように使われてるだけの話」である。
聞けば彼女は中国の歌のコンテストでグランプリを取って、
流行歌でデビューして成功せず、
流行のディスコを歌って成功せず、
ルーツに戻って民族音楽を歌って世界的に成功した。
だから「変なアレンジャー」に自分の人生を任せるつもりはないのだ!!
彼女は僕にこう言うんですよ。
「この曲はね、私がモンゴルの大草原に行って作ったの。
あの感激をね、メロディーにして歌ったの。
だからアレンジも同じ感動にして欲しいの」
もうやってられませんよ。
大事なのは彼女の「気持ち」を理解してあげること、
そしてそれを「表現」してあげること。
「久石譲のように」と言っても、
本当に久石さんを呼んで来たところでそれが出来るものではないのだ。
彼女はとにかく歌が上手い。
DEMOのボーカルトラックを聞いただけで涙が出て来る。
人にはそれぞれ「人生」がある。
それをどうやって表現してゆくかは人によって違う。
奇しくもワシはドラムによってそれを表現し、
彼女はそれを歌によって表現した。
とどのつまり「同じ」なのである。
最終的にどうなるかはわからないが、
とりあえずワシは明日命がけでこれを完成させる!!
それは彼女のためでも張張のためでもない。
「このミッションがワシをまた高い所に連れて行ってもらえるなら」
それにまさるものはワシの人生にはないのだ!!
こんな素晴らしい「音楽家」が間接的ではあれワシに助けを求めてて、
ワシが明日一日頑張って、もし彼女がまたそれを「素晴らしい」と言ってもらえたら、
それはひとりの「音楽を愛する者」としてこんなに素晴らしいことはないのではないか!!
そんなことを言いながら、
今日は酔っぱらったのでもう寝る。
明日ちょっと一生懸命やってみようと思う!!
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2011年7月24日
零点(ゼロポイント)のリハーサルは続く・・・
今回で3回目になるのか?
演奏レベルもちょっと上がって来て、
何とかぐしゃぐしゃにはなりそうになるものの最後までいけるようになった。
何よりもみんなの顔色が変わった。
「有点儿意思!!(ちょっと面白いね)」
とみんなが口々に言う。
階段を一歩踏み出した実感がそう言わせるのか、
久しぶりにバンドで音を出した感触がそう言わせるのか、
おそらくその両方であろう。
彼らは「バンド」であった頃を思い出して来ているのだ。
ワシはギタリスト席にいるのでいつも大毛をこう言って励ます。
「上手いじゃない。こんなにテクニックがあるなんて思わなかったよ」
もともと彼らは成功する前は実力派のバンドだった。
しかし莫大なあぶく銭が、あの芸能人の生活が彼らをダメにした。
思い出すんだ!!あの頃を!!
モンゴルの片田舎からみんなで出て来て、
北京の院子に住んで一緒にカップ麺をすすりながら、
箱バンの仕事をし、オリジナルを作ってはレコード会社に売り込んだ。
「あの日に戻ってやり直そう!!」ただそれだけのことなのだ。
「若い頃はねえ、怖いもの知らずだったから何でも弾ける気になってた。
でも大人になったら実は弾けてないことがわかったんだ」
と大毛は言う。
みんなそうなんだよ。
それに負けたらもう楽器は弾けない。
それを乗り越えるのよ!!
ボーカリストはとくとくとワシにこう言った。
「最初にこのアレンジをもらった時にはね、
まるで陌生(見知らぬものの意)でね、
こんなものが自分たちがやってどうなるのかさっぱり見えなかった。
でも実際にやってみたらちょっとずつ分かって来た。
昔ツイジエン(中国ロックの創始者)だって、
最初に作った曲は全部当たり前のコードだったけど、
そこに外国人から新しいギターの弾き方を導入した。
それを初めて聞いた時には俺たちはぶったまげたもんだよ」
それそれ!!それをワシは君らにやらせたいのだよ。
今まだそれが自分のものになってないうちは消化不良をおこすかも知れない。
でもいつの日かそれが自分のものになった時に「新零点(ゼロポイント)」は誕生する。
思えば爆風にはいろんな優秀なプロデューサーがついたが、
悲しいかな、どれも「バンド」のプロデューサーではなかった。
ドラマーじゃない人が指定するダサいドラムのフレーズにケチはつけるわ、
どんな一流のプロデューサーに対してもでかいツラするこのドラマーに、
その偉大なプロデューサー達はみんなきっとイヤな思いをしたと思う。
でもその人達から学んだノウハウをワシは、
今度は「バンドのプロデューサー」として人に与えてあげたい。
くじけそうになっているメンバーを励まし、
飲んでは「ロックとは何か」を語り合い、
それぞれのメンバーのいいところを引き出して伸ばしてやり、
それと一緒に音を出しているメンバーがいかに幸せかを説き、
バンドとはどれだけ楽しく素晴らしいものかを教えてやり、
そしてどうなればそのバンドがよくなるかを提示してやる。
バンドの6番目のメンバーとして、
一緒に泣いたり笑ったりしながら共に上へ登ってゆく。
それが出来るのがワシだけなんだからもうちょっと頑張ってやってみようと思う。
1曲だけではなんだから、
彼らのモチュベイションのためにも2曲目をぼちぼちアレンジしよう。
難易度は少しだけ落として、
「ほら、お前らもう昔に戻って来てるんだ!!
これぐらいだったらもうすぐに弾けるじゃないか!!」
そう言ってまた彼らの笑顔が見たい。
演奏終わってみんなで顔見合わせてニコーっとする、
そんな「バンドの姿」を見たいからこの仕事をやってるんじゃないかな。
そんな風に思えて来た今回のリハーサルであった。
Posted by ファンキー末吉 at:11:29 | 固定リンク
2011年7月20日
ちなみにまた飛行機の中で5時間強・・・
そして帰りの飛行機。
嫁は4時半起き、ワシは前の日のライブから徹夜で飛行機に乗り込んだ。
8時半発の中国国際航空CA181
8時には搭乗したのだがこれがまたなかなか飛ばない。
日本には台風が近づいていてそれで降りられないのか?
何か空港が混雑ということで順番待ちらしいが、
結局搭乗口のところで待つこと3時間。
そしてやっと滑走路の方に動き出したと思ったら突然、
「ご気分の悪いお客様が出ましたので」
ということでまた搭乗口に引き返す始末!!
そしてまた順番待ち・・・
「キャンセルの方は5分以内に申し出て下さい」
というのは前回の時と似ているが、
一番違うのが機内食の対応である。
ワシは毎回搭乗したらすぐに熟睡してしまうのだが、
前回は機内食が配られてそれで起きた。
空の上で機内食を食ってるのかと思ったらまだ飛んでなかったのでびっくりしたが、
今回は結局いつまでたっても機内食が出なかった。
「子供が朝から食ってないんで何か食うもん出してくれ」
と言うと
「機内食はもう長い時間経ってしまって食べることが出来ません」
とのこと。
どうやらずーっと暖め続けている機内食は数時間で賞味期限が切れるらしい。
結局子供には持っていたクッキーなどを食わせ、
自分はビールを頼んで我慢する。
しばらくしたら通路を食事のワゴンが通過する。
運んでいるのが業者の制服だったのできっとこれは外から運んだものなのだろう。
「よっしゃー食うかー!!」と思ってたらいきなり発車。
そのまま離陸してしまった・・・
結局機内滞在時間5時間強。
自己最高記録であった。
Posted by ファンキー末吉 at:12:59 | 固定リンク
PS.生誕52周年記念4時間マラソン亜洲鼓魂ライブ
写真がいっぱい送られて来たので掲載したいと思います。

まずライブは「ひとりドラム」から始まりました。
この「ひとりドラム」っつうのは非常に疲れる!!
ステージというものは「人間力」を表現しているものだとすると、
バンド数人でそれをやっている、その数人分をひとりでやらねばならない。
まあその大部分を「顔」で表現しているわけですが・・・(笑)
そしてボーカルに老呉(LaoWu)を迎えて布衣のナンバーを演奏。

彼らのナンバーの中にも私が作曲した曲もいくつかあります。
特には映画、「疯狂的石头」の中で挿入歌「我爱你亲爱的姑娘」は全国的に有名にはしたが、
本人曰く
「別にそれによって金持ちになったとかそういうことは一切ない」
とのことです(笑)。
まあ「羊肉麺」に関しては完璧に彼の代表曲となった。
春節に田舎に帰る若者は列車の中でこの曲を聞きながら涙し、
バブルの音楽業界で疲労困憊した大人たちはこの曲を聞いては涙してワシにメールして来たりした。
羊肉麺
ろう君が一番自慢なのはお母さん
一番幸せなのがお母さんが誕生日に作ってくれる羊肉面
ある日ロックと出会ったろう君
家にも帰らなくなりロックの日々
お母さん待っててよ
いつか大成功してお母さんを幸せにしてあげる
息子よあんたは幸せって何なのかをわかってない
お母さんが一番幸せなのはお前がおいしそうに食べる顔を見ることなんだよ
帰っておいで 苦しい時には
おうちであんたの大好きなものを食べさせてあげる
帰っておいで 苦しい時には
あんたの大好きな羊肉面を食べさせてあげる
お母さん心配しないで
こっちの生活はなかなかですよ
毎日刺激もあるし美味しい食べ物もたくさんある
いつか大成功して
お母さん呼び寄せて一緒に暮らすんだ
息子よあんたは幸せって何なのかをわかってない
お母さんが一番幸せなのはお前がおいしそうに食べる顔を見ることなんだよ
帰っておいで 苦しい時には
おうちであんたの大好きなものを食べさせてあげる
帰っておいで 苦しい時には
あんたの大好きな羊肉面を食べさせてあげる
ある日ろう君はいなくなった
誰も彼のゆくえがわからない
彼の机の上には彼が作った曲が置いてあった
曲名は「大好きなお母さん」
息子よあんたは幸せって何なのかをわかってない
お母さんが一番幸せなのはお前がおいしそうに食べる顔を見ることなんだよ
帰っておいで 苦しい時には
おうちであんたの大好きなものを食べさせてあげる
帰っておいで 苦しい時には
あんたの大好きな羊肉面を食べさせてあげる
そして次は「派儿(Pair)」のコーナー。
ギターのBeiBeiは、零点(ゼロポイント)のギターの大毛の弟子で、
6万人コンサートの時にアンプの裏でエフェクターのスイッチを踏んでいた。
その後「僕アルバムを出したいんです!!」と電話が来て、
話を聞いてみたらボーカルもいなければバンドメンバーもいない。
ただ「僕には素晴らしい曲が何曲もあるんです!!」というキチガイである。
その後ボーカルは2度メンバーチェンジをしてこの安敏捷となり、
レコーディングはうちの院子でこのメンバーでやった。
その中でもワシがオーケストラまでアレンジした「海妖」は、
もう彼らの曲というよりはワシの曲と言っても過言ではない。
なんでワシにこんなものが作れるのかようわからんが、
盆と正月など(?)年に何度か気が狂った時だけどうも何かが乗り移るようである(笑)
そして次はまた「ひとりドラム」、言わば「52歳のヘビーメタル」のコーナー!!
X.Y.Z.→Aのマルチから作ったドラムマイナスの音源で演奏するのですが、
これが本気で「疲れる!!」。
いやーこのメンバー3人分のオーラを背負って叩くんですから命がけです!!
オーディエンスもこれが一番ウケてたようです。
そしてピアノに張張、ベースに韓陽を迎えて、
「7th Door to Heaven」や「ろう君の初恋」などインスト曲を演奏した。

この男、ここではこのような冷静な顔をしているが、
実は布衣のコーナーの中で一度慌ててステージを降りた。
みんな「どうしたんだ? 感激して泣いてんのか?」などと言ってたが、
そのまま帰って来ずに彼抜きで1曲演奏した。
後で聞いたら「どうしてもウンコが我慢出来なかったらトイレに行った」とのことである。
まあ4時間もライブやってたらいろいろあります!!(笑)
そしてこのトリオにゲストの三科かをりさんが乗っかって数曲。

いやー相変わらず凄まじいな、彼女・・・
いつも言うけど「有名だから」と言うだけで人を幸せにしている気になっている歌手などには彼女の歌を是非聞かせてやりたい!!
日本で歌っている有名歌手などのうちほとんどは
その「名声」がない外国に行って裸一貫で歌うたったら単なる「ヘタクソ」な歌手なのだ。
翌日の彼女単独のライブでも大喝采を浴びてました。
そして最後に亜洲鼓魂の楽曲を4曲演奏して終了!!
いやーなかなか濃い素敵なライブだったと思います。
4時間と言わず5時間でも6時間でもまだまだいけるな!!(笑)
Posted by ファンキー末吉 at:11:51 | 固定リンク
2011年7月19日
生誕52周年記念4時間マラソン亜洲鼓魂ライブ
いや〜いつも通り中国っつうとこはちゃんと始まらない!!
リハーサルもミュージシャンが揃わないので2回しかやってないし、
そのうち1回は老呉(LaoWu)はいないので彼の声をマルチに録音して、
それを流しながらリハーサルをした。
ゲストで呼んだ三科かをりさんのリハはまだやれてないので、
「当日は10時入りね」とリハ後に全員に伝えたにも関わらず、
前の日に「明日何時入り」と全員からSMSが届くのはまだしも、
当日の朝7時に
「今仕事から帰って来ました。仮眠してから行くのでちょっと遅れます」
とメールが来たのが張張だというのが恐ろしい。
だいたいギタリストのBeiBeiっつうのと、
この張張っつうのが「遅刻王」と異名を取るふたりである。
ある時、とある友人が彼らふたりと飯を食おうと待ち合わせをした。
集合時間の7時に店に行ってもふたりとも現れない。
酒でも呑みながら根気よく待ってたが現れない。
夜の10時にやっとBeiBeiが現れた。
それをツマミに張張はもう来ないと思って呑んでたが、
来ないと思ってた張張がやって来た。
夜中の2時だった・・・
基本的にお前があの三科さんの難しい曲が弾けないというから当日早く入って初音合わせをしようということになったのだ!!
弾けるんだったら別にリハに来なくてもいいが、
弾けないんだったら寝ずにでも来い!!
まあ銭金お払い出来るライブではないので強いことは言えない。
今回の4時間ライブはワシのひとりドラムコーナー以外は基本的にベースの韓陽と張張は出ずっぱりなのだ。
ワシのアホのアシスタントには
「明日は10時入りだからライブハウスがその時間にちゃんと開くように、
お前がカギ預かるか誰かに来るように手配するかちゃんとしとけよ」
と電話しておいたが、当日の朝になって、
「ファンキーさん11時って言ったじゃないですか。
店にはそう伝えたから11時じゃないと開きませんよ」
と抜かしやがる。
どうもワシの発音の「10点(シーディエン)」と「11点(シーイーディエン)」が紛らわしいらしく聞き間違えたらしい。
まあそれはワシが悪い!!
それならば諦めるしかないとばかり全員にまたSMSを送る。
「入り時間は10時ではなく11時になりました」
と。
早い人はもう出発の準備をしててもおかしくない時間である。
しかし返信が来たのはベースの韓陽のみ。
ということは他の人間はまだ起きてないということなのじゃ!!!
まあいい、今日はライブ録音もするので、
11時に着いてアホのアシスタントとふたりでセッティングをするのじゃ!!
と早々と出発しようと思ったら、
「ちょっと待って下さい。
僕のアシスタントが10時に来るはずなんですがまだ来ないんです!!」
お前いつの間にアシスタントなんか出来たんや!!
まあそのライブハウスの若いスタッフだということだが、
アホのアシスタントのアシスタントなんで、
普通に考えたらきっと「アホ」である。
「10時に出発するからね」と9時頃電話を入れてからというもの、
出発直前に電話を入れても電話に出ない。
「きっと寝てるんじゃ、ほっとけ!!」
と見捨てて出発しようとしたが、
「僕アシスタントいないと困ります」
とアホのアシスタントが泣く。
まあワシとてこんなアホではあるがいないと困るので、
「どこに住んでんねん!!」
と聞くとうちのすぐ前だと言う。
「お前なあ、最初っから電話やのうて起こしに行かんかい!!」
ということでアホのアシスタントのアホなアシスタントのおかげで大幅にまた遅刻!!
そしてライブハウスに着いて、
「カギは誰が開けるの? 店の人が来るの?」
と聞くと、
「カギは僕のアシスタントが持ってますんで彼が開けます」
見ればアホのアシスタントのアホなアシスタントが、
ポケットからカギを出してライブハウスのドアを開けている。
「ほな最初っからこいつを叩き起こして10時に入ったらよかったんちゃうん!!」
まあこのぐらいで怒っていたのではアホとは付き合えない。
とりあえずセッティングをしながらメンバーの到着を待つ。
時間通りに来たのはやはりベースの韓陽だけ。
「BeiBeiと張張に電話して起こしといて」
と言いつけてワシはひたすらセッティング。
「ふたりとも来る道の途中だそうです」
という韓陽の言葉などワシはまるで信じていない。
その証拠にしばらくしてBeiBeiは本当に現場に着いたので張張はやっぱりまだ来ない。
今度はワシが直々に電話をする。
「今どの辺じゃ?!!」
彼は慌てふためいている様子で一生懸命こう言う。
「今そちらに向かってる道の途中です!!」
お前はそば屋の出前かい!!!
というわけで結局一番後に来てもらうことになってた三科さんよりも後に張張がやって来て、
当日合わせでちょっとだけリハーサルをして本番が始まった。
というか譜面を忘れた張張に、
「じゃあリハの時は俺のんを見せてやるから本番までにコピーしに行って来い」
と言いつけていたので彼が帰って来るまで開演が押したのではあるが・・・
しかしまあ始まってみるとなかなか素晴らしいライブだったんじゃないかな。
Pairの曲や布衣の曲や、
そして懐かしい亜洲鼓魂の曲などを演奏したのであるが、
考えてみれば外国人であるワシがこれほどの中国の曲に関与しているというのがもの凄い!!
しかもこれは「有名歌手」を一切省いた、
本当にアンダーグランドのものだけで4時間のコンサートが出来るのだ。
いつの日かワシが関与したいろんな有名歌手もこんなオムニバスコンサートに参加してくれるかも知れない。
いや、実際今回も李慧珍や栾樹など、
オリジナルを歌ってくれた人達も今回「遊びに行くよ」と言ってはくれてたが結局来れなかったようだ。
でもMengMeng(モンモン)とか懐かしい友人もたくさん来てくれて客席も華やかだった。
今度は彼女が歌ってるワシの曲なども歌ってもらってもいいなとかも思いつつ、
まあ商業的なイベントではないので「ぼちぼちいこか」と羊を食った。
今回は
「入場料は友人であっても必ず払うこと」
と
「羊肉は必ず金を払ってから食べること」
というのを命がけで徹底したので、
前回のように持ち出しをすることもなく、
アホのアシスタントも含め、参加したメンバーに少ないながらギャラをあげることも出来そうだ。
とにかく感謝すべきはこの仲間達である。
その友情に甘えつつ、
現在このライブ録音も何とかミックスして発売しようと画策している。
ひとりドラムの演奏ではあるがX.Y.Z.→AのWings中国語版も収録出来るかも知れない。
プロデューサーはアホのアシスタント!!
ワシが日本に帰ってる間に全曲ラフミックスして各メンバーに聞かせておいてちょ!!
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2011年7月16日
零点(ゼロポイント)リハーサル開始!!
最近の一番大きなプロジェクトとなった零点(ゼロポイント)復活計画!!
それにしても腹が立つ。
バンドが活動停止してからというもの、
奴らには「収入」というものがない。
早い話「人から借金しながら生活」しているのである。
それなのにドラマーの二毛(ErMao)は、
郊外ではあるが広大な院子を借りていて、
そこにこんな豪勢なリハスタまで作っている。

写真はこの部屋の半分ぐらい、
それが院子(中庭)を囲んで四方にあるひとつの建物の半分ぐらいの広さなので、
建物としては全部でこの写真の16倍、
院子も含めれば30倍以上の広さがあるということになる。
この生活を「収入なし」で続けるためには、
いったい人からいくらの借金をしていることやら・・・
そしてその中にはこいつに踏み倒されたワシのギャラも入っているのだ・・・
まーしゃーない!!
金のないところから金は取れないので、
まずは彼らを見事復活させて金持ちにさせてからたっぷり取り返すしかないのだ。
リハーサルが始まったが、現状では演奏はひどいもの。
末吉スタイルのロックアレンジではディストーションギターとアルペジオギターと2本入ることが多いが、
人手が足りないのでアルペジオギターを弾いていたワシがヘタしたら一番上手いぐらいである。
このレベルのバンドをX.Y.Z.→Aクラスの演奏力にするには一体どれだけの莫大な労力と時間が必要なんだろう・・・
精神的にも疲労困憊でリハを終えた時、
二毛(ErMao)がワシに言った。
「このスタイルのドラムをいくら頑張ったってファンキーにはかなわない!!
もっと金の儲かるようなのやろうぜ!!」
「そうよそうよ!!零点はあんな素晴らしい財産がたくさんあるんだから、
むしろそれを使ってそのスタイルを貫くべきだわ!!」
「試しに」ということでベーシストで参加してもらっている二毛(ErMao)の妹
(彼らはギタリストの大毛(DaMao)を筆頭に4人兄弟みな楽器をやっている)
まで口を揃えてこう言い出す始末。
お前ら今まで楽器弾けなくたって
「俺たちは売れてるから」
というのを言い訳にずーっとそれから逃げて来た!!
(日本でもそんなバンドが多いが)
今バンドが売れてない状態でまだそんなことを言うか!!
「これがちゃんと演奏出来なかったらお前らの未来はない!!
ワシはもう助けようがないからな!!」
と始まったこのプロジェクト、
「やっとれるか!!ボケー!!」
ともうぶっちして帰ろうと思ったら、
彼らに投資している社長がワシを呼んで、
「ファンキーさん、これお約束のプロデュース料の半金」
と札束をどどんと渡した。
ま、ええか・・・のんびり構えて頑張るか・・・
中国人はまことに飴と鞭の使い分けが上手い。
金さえもらえば「感情論」はない。
あと数ヶ月ワシが頑張って奴らがダメなら、
そりゃもうワシのせいではない、奴らが悪いのである。
わずかな救いは、
今まで自分でギターを弾く気もなかった大毛(DaMao)が、
今回は誰よりも早く来て頑張って練習していることである。
あんた長男でしょ、弟ちょっと何とかしてよ・・・
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2011年6月24日
零点(ゼロポイント)復活計画
中国のロック史の中で商業的に最大に成功した、
つまり「一番金を稼いだロックバンド」である零点は、
麻薬によるメンバーの逮捕から始まって、
数年前にボーカリストの脱退を受けて完全に活動を停止した。
最後の打ち上げ花火である6万人スタジアムコンサートと、
最後2枚のアルバムはワシがプロデュースさせて頂いた縁で、
数年前にも一度ワシはメンバーひとりひとりに
「お前らを救えるのは俺だけだ!!」
と言ったことがある。
中国のロック事情、
マーケット戦略、
豊富な経験値でモノが言え、作れ、
そして何よりもメンバー間の人間関係をうまくやれるのはワシだけだ。
ボーカリストが脱退した今、
メンバーに対して対等にモノが言え、
メンバーが絶対的にそれを聞いてくれる人間関係があるのはワシだけなのである。
考えてみれば昔はそれがアダとなったのかも知れない。
実質のシンクタンクであるドラマーは、
ワシをしっかと懐に抱き、
ワシを使ってバラバラになったメンバーを頭ごなしに言うことを聞かせようとしたのではあるまいか。
だからボーカリストはそれに嫌気がさして出て行ったのではあるまいか。
どのバンドも似たようなもんである。
思えば爆風スランプも同じくロックバンドの形態を持ちながら商業的な音楽活動をしていたところでは非常に似ていたかも知れない。
彼らと打ち合わせのためにテレビ局に行き、
そこでバラエティーに出演する彼らが終わるのを待ちながら、
「ああこんなこと俺も昔やってたなあ」
と思った。
ワシはそんな生活がイヤで今に至るが、
彼らは何せ莫大な金がそれによって転がり込んで来るのだ。
家を買い、外車を乗り回し、
メンバーがサッカー賭博で何百万円、何千万すった頃にはバンドももう下火になっていた。
彼らの収入のほとんどは全国を回る営業の仕事。
そのほとんどがカラオケか口パクである。
実際ワシが彼らのアルバムを録ろうとした時、
「待ってくれ、もう何年もドラム叩いてないんだ」
と言ってたぐらいである。
ただベースの王笑冬だけは違っていた。
彼はもともとスタジオミュージシャンであり、
零点(ゼロポイント)をやりながらもいろんなスタジオ仕事をこなしていた。
優秀なミュージシャンである。
しかし今回は彼が不参加を表明した。
理由は「もう疲れた」ということである。
彼は昔は零点(ゼロポイント)があるゆえに、
スケジュールがバッティングしていろんな大きな仕事を受けられなかったりしたが、
今となっては国内の全ての仕事は全部受けることが出来るのだ。
「同じベースを弾くならこっちの生活の方がましだ」
と思うのも無理はない。
彼はある意味もう「頂点」にいるのだから。
最初のミーティングの時に彼の不参加を聞いて、
ワシは「こりゃちょっと前途多難だなあ」と思った。
新しいボーカリストの歌は申し分ないが、
昔の曲を歌えば全てオリジナルと比較されるのだ。
どうやってもそれを越えることは出来はしない・・・
だからバンドでガツンとやって、
「零点(ゼロポイント)はやっぱ凄い!!」
と言わせてからの新ボーカリストなのである。
しかし王笑冬がいなくなった今、
プレイで人をあっと言わせるメンバーはいない。
ギタリストなんてまたしゃーしゃーと別の若いギタリストを連れて来てる始末である。
お前、また自分で弾く気がないな・・・
日本で最大の売り上げを記録したサザンオールスターズもそうだが、
バンドは売れて来るとどうして「バンド」ではなくなるのか?
爆風でこそそれはなかったが、
いろんなバンドがもうメンバーではなくスタジオミュージシャンが録音したりする。
こんな奴らだけが残って、
零点(ゼロポイント)のあらゆるヒット曲だけを継承して、
それでまたあのていたらくで大金を稼ぎたいと言うのか?
半分やる気をなくしていたワシに、
一番そんなことを言い出しそうなドラマーから意外な発言を聞いた。
「宣伝費とか大金を投資とかそんなことをもう言うな!!
俺らはゼロからやり直す!!
バンドのバスに乗ってもう一度またキャバレー廻りからやり直すんだ!!」
この言葉がワシを動かした。
長い中国ロックの歴史で本当にこれをやったバンドはいない!!
文字通り零点(ゼロポイント)からやり直すんだったらワシは手を貸すぞ!!
というわけでここ数日ずーっと彼らのアレンジを考えてた。
そしてついさっき出来上がった。
難易度が高い「ロック」である。
長いメールと共に彼らに送った。
これが叩けないようなら、
これが弾けないようなら、
もうバンドをやめろ!!
今、中国は黒豹などが頑張って小さなクラシックロックブームが始まりつつある。
零点(ゼロポイント)はそれには呼ばれなかった。
そう言えばワシは黒豹の連中にもこう言ったことがある。
「お前らを救えるのは俺だけだ」と・・・
しかし彼らはワシを選ばなかった。
零点(ゼロポイント)はワシを選んだ。
黒豹のみんな、
悪いけどお前らが今まで作り上げて来たものは全部ワシらがもらう!!
零点(ゼロポイント)はそれを全部踏み台にしてお前らの頭の上に君臨するだろう。
与えられた時間は半年!!
それまでにワシが彼らを何とかしてやろうではないか!!
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2011年6月11日
いろいろミーティング
北京で仕事がない場合は結構いろいろミーティングに駆り出される。
これをやらないと次の仕事がないのだから仕方ない。
まずボーカリストの脱退により活動を休止してた
中国最大の売り上げを記録したロックバンド零点(ゼロポイント)が、
新しいボーカリストを招き入れて活動を再開する。
活動休止までプロデュースしてたのがワシだったので、
今回もワシがプロデュースさせて頂くことになった。
まあバンドというのは人間関係が一番大変なので、
メンバーのうち誰は誰がいいと言い出したらまとまらない。
ワシだったらメンバーの誰も文句を言わないというわけだ。
これもまた「人間関係」でやっている仕事と言えよう。
人間関係と言えば、
7月17日に亜洲鼓魂コンサートをやるのだが、
その時にせっかく三科かをりさんをゲストで呼んだので、
せっかくだから18日も彼女のライブをやれないかと思って、
北京の老舗のJazzクラブ「CD Cafe」に行って来た。
今は張嶺というベーシストが株を買い取って経営者となっているが、
彼と話していて非常に興味深かったのが、
「俺はもう歌謡曲とか人のバックとかやらないよ。
人のために音楽やるぐらいだったら
しんどくてもこの店で自分の音楽やってた方がマシだよ」
という言葉である。
八王子で店をやってるワシにしてみたら非常に興味深い発言である。
そんな彼だからこそワシは三科さんのブッキングをお願いした。
しかしメールで送った彼女のURL、
例えばYou-Tubeとかは中国政府がブロックしていて見れない。
仕方ないのでワシが自分で資料を持って行って聞かせたのだ。
音を聞いて一言、「いいね、やろう!!」
中国も変わった。
これで話が決まるというのは昔ではありえなかったのだ。
「それでいくら儲かる?」
とかから話を始めなければならなかったのもひと昔、
「金」の話はおろか、「こいつは有名なの?」の一言もなかった。
北京にもやっと「ミュージシャンシップ」が根付いたのだ!!
20年かかったけど・・・
そして次のは新彊ウィグル自治区の歌手とのミーティング。
とあるドラマーからの紹介で会うことになったのだが、
行ってみると怖そうな人達がたくさんいる。
ウィグル族は基本的に漢民族や日本人とは全然違うので、
こちらから見るとまるで「外人」である。
また彼らはウィグル語で喋るのでこちらは全然わからない。
ワシに言う時だけ「中国語」になるのだ。
まるでワシが「中国人」で彼らが「外人」みたいじゃが、
実は逆なんだなあこれが・・・(笑)
この歌手は家が金持ちなのか、
自分の曲を30曲レコーディングしてアルバムを発売したいらしい。
まずは「ドラムが音楽の要」ということでワシを訪ねて来たのだそうだが、
この怖い人達は何をしに来たのかと言うと、
「ワシが彼を騙さないかどうか見極めに来た」んだと思う。
彼はその怖い人を紹介する。
「阿凡提楽隊のHAZIKENさんです!!」
おうっ!!あの伝説の!!・・・
何度かライブも行ったことあるし、
向こうもワシのことを知っていた。
こうなると話は早い。
「同じロック界」で住んでいるのだ。
人を騙そうにも同じ世界の人間を騙しようがない。
いきなり雰囲気が和んで話はトントン拍子に進んだ。
まずは来月ドラムを録音するが、
恐らくこの2枚組のアルバムはワシがプロデュースすることになるだろう。
後にして思えばその他ふたりのウィグル人(カザフ族という話だが・・・)は
結局一言も口を開かなかった。
機嫌が悪いのでも何でもない。
きっと彼らは「中国語」が分からないのだろう・・・(笑)
中国は広い。
そしてその広い中国のとんでもない田舎にドラム叩きに行って、
また現地の人と友達になる。
「どこに行っても友達がいる」
そして
「その友達が決してワシの悪口を言わない」
「関係(コネクション)」が一番大切なこの国で、
これこそがワシがこの国で20年間培って来た「信用」なのである。
金にもならないこともやる。
失ったものは労力と時間で、得たものは「信用」。
人にも騙されたりする。
失ったものは時間と金で、得たものは「信用」。
ワシがこの国で20年間作って来たのは結局それだったんだなと実感した。
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2011年6月10日
飛行機の中で5時間・・・
広東省と言えば香港の隣である。
最終日が終わって
「ちょいと足を伸ばして香港まで」
ということで広州からの帰りの便を一日遅らせてもらって香港に遊びに行った。
ところがお隣の深圳だったらまだしも、
広州からだとこれがちと遠かった・・・
バスで3時間、イミグレーション等の時間もあるのでおおよそ半日、
しかし交通費は190元(2千円ちょい)っつうのは安い!!
香港は冷房がキツい。
外は死ぬほど蒸し暑く、部屋の中に入れば凍えるほど寒い。
これで風邪引かん方がおかしいじゃろ!!!
というわけで、一日遊んで帰る頃にはもう鼻声・・・
行きはバスだったが列車に乗って広州まで帰って来た。
昼の14時過ぎの列車に乗って16時過ぎには広州駅に着く。
広州駅から空港まで結構距離があると聞いていたので地下鉄に乗り、
予定時刻の17時過ぎにはもう空港に着いている。
ここまでは順調!!
時間通りに飛行機に乗り込む。
そしていつものようにこてんと寝る。
疲れている時はそのまま着陸するまで起きないこともあるが、
まあだいたいは食事が運ばれて来て目が覚める。
腹が減ってないので断ってまた寝ようとしたが、
何か周りの雰囲気が違う・・・
まだ離陸してないやないの?!!
到着地の北京が雷雨のため飛び立てないと言うが、
それにしても先に食事を配るということは、
その片付けの時間を計算してもあと当分は飛び立たないということだ。
まあ中国では飛行機の中で携帯なんぞ当たり前なので、
とりあえずiPhoneの「インターネット共有」で、
パソコンをiPhone経由でネットにつないで仕事をする。
同時につぶやきながら日本のみなさんにウケを取る。
CA130219:25発の飛行機は22:40分には北京に着く予定だったが、
気がついたらずーっと座っててそのままもう到着時間を過ぎているではないの〜
などなど・・・
この時点で機内で3時間閉じ込められてしまっているのだ・・・
機長のアナウンスでは、
「荷物を預けてない人はフライトをキャンセルして降りてもかまいません」
と言うが、ワシは預けているのでどうしようもない。
不思議なことに乗客は誰も騒ぎ出したりしないことである。
中国人は不思議である。
協調性がなく自分勝手で列に並んだりしないくせに、
このような時には誰も騒がない。
例えばトローリーバスが故障して動かなくなった時、
「しゃーないなー」とばかり乗客は一致団結してそのバスを降りて押したりする。
思うに「どうしようもない事態」に日本人よりも慣れているのであろう。
所詮ここで騒いだって飛行機が早く出発するわけではないのだ・・・
4時間が過ぎて機長もさすがに、
「荷物がある人もフライトキャンセルして降りたい人は乗務員に申し出て下さい」
と言う。
ついでに
「もう夜も遅いし、荷物を取り出すスタッフも大変なんでバラバラに言わないでよ」
などと日本では考えられない暴言を吐いているが、
それに怒り出す乗客もおらず、
誰ひとりとして降りようともしない。
ツイッターでは
「もう降りてとっとと休めば」
というアドバイスが多かったが、
「ここで降りたら負け」みたいな意地もあるし、
何よりも誰も降りてないんだからちょっと降りるのは勇気が要る・・・
結局5時間が経過した後に機長はついにこうアナウンスした。
「この飛行機は飛びません!!みなさん降りて下さい」
これに文句を言う乗客もおらず、
みんな別に平然と飛行機を降りてゆく。
面白いのでツイキャスで配信してみた。
日付のスタンプを見るに、日本時間1時50分。
こんな夜中だというのに30人の物好きさんがこれを見ているというのが驚きである。
飛行機を降りたはいいが誰も何も案内しない。
こうなると航空会社の問題になるので、
空港スタッフに詰め寄ったところで何の解決にもならない。
他にも何機か飛行機が欠航となったので空港は人で溢れている。
それを順次ホテルに連れてゆくんだから大変である。
しかし問題はそれを誰も案内しないことである!!(笑)
結局誰も案内せずにホテルに着いた(笑)
さすが中国人、誰も並ばずに我れ先にチェックインする。
「ふたりで一部屋ですよ!!」
とカウンターで言われるが、
ワシはひとりなのでどうすればいいの?
結局カギを渡されて、
「後で相部屋の人が部屋に行きますから」
ということだった。
「相部屋の人が怖いオッサンだったらイヤだなあ」
と思いながらシャワーを浴びて、
とりあえず全ての電子機器をコンセントにつないで充電してる時にドアが空いた。
バタン
ワシを見たその人はびっくりしていきなりドアを閉めた!!
向こうにとってはワシこそがその「怖いオッサン」だったのだ・・・(笑)
「ふたりで一部屋ですからね」
と優しく言って部屋に招き入れ、そのまま知らない人と寝た(苦笑)
翌日はまた何の案内もなくいきなりドアをノックされて起こされる。
そのまま何の案内もなく空港に連れて行かれ、
何の案内もなく代替え便を自力で探して乗って北京に帰った。
結局香港の鉄道駅に向かおうかなと思ってから
ちょうど24時間後にやっと北京に着いたわけだ。
あまりに嬉しかったのでツイキャスで日本のみなさんをワシの院子に案内した。
おしまい!!
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2011年6月 7日
ドラムを教えるということ・・・
こうして全中国をクリニックツアー(もう既に「コンサートツアー」となってしまっているが)で廻って、
全国各地のいろんな老師(先生)達と会う。
「僕は北京でドラムやってたんだけどやめて田舎に帰って、
全然違う仕事についたんだけどやっぱ音楽のそばにいたいと思って、
それで脱サラしてドラム教室始めたんだ」
という老師もいれば、
「ドラムなんか叩いてて金になりますか?
生徒集めて教室やった方が全然儲かるじゃないの!」
という老師もいる。
人それぞれである。
ワシはもちろん前者の老師の方が個人的には好きだが、
まあ人の人生である。ワシがとやかく言うことではない。
日本では有名ドラマーがモニターとなってドラムの売り上げに貢献するが、
中国ではこの老師たちがモニターとなる。
それはパールドラムの中国の代理店である中音公司の、
そのドラム担当である沙が考え出した中国ならではのシステムである。
「有名ドラマーをモニターにしたって、
若い衆は必ずしもパールドラムを買うとは限らない!!
先生をモニターにしたらその生徒は必ずパールを買うではないか!!」
という発想で始めたそうだが、
まあ今のところはそれが中国マーケットでは成功してると言えるだろう。
そして、日本のドラム教室はロックをやりたい若者が習いに来たりするが、
中国ではピアノなどの習い事と同様その生徒のほとんどは子供である。
ロック好きには時々、
「あいつのどこがモニターに値する腕がある?!!
あんなのは子供騙して金にしてるだけじゃないか!!」
などと言うやつもいるが、
ワシは決してそうは思わない。
「いいドラマーが必ずしもいい先生とは限らない」
そしてその逆もまた真なのである。
まあ稀には菅沼孝三のように
世界的なドラマーでもあり教室をいくつも持つ優秀なドラム教師でもある人もいるが、
ワシはと言うとやはり根気がないのか「人に教える」というのはからっきしである。
ある時、院子に若いドラマーがワシを訪ねてやって来た。
「僕は今までドラムを練習して来てわかった。
僕が伸び悩んでいる原因はいい老師と巡り会わなかったからだ!!
高名なファンキーさん、お金はいくらでも払います。
是非僕を弟子にして下さい!!」
ワシは聞いた。
「君はどうなりたいの?」
「決まってるじゃないですか、あなたのようになりたいんです。
国内の大きなコンサートは全部僕が叩き、
レコードは全部僕が叩き・・・」
無理〜!!!!
更にこう聞いた。
「じゃあどんな音楽が好きなの?」
「何でも好きです。ロックもジャズも・・・何叩いたっていいです!!」
ワシはこんこんと言った。
「お前は決して音楽が好きなわけではない。
金儲けが好きなだけだ。
本当に音楽が好きなら俺と一緒にここで住めばいい。
1年も一緒に住めば俺から学べることはいっぱいあるぞ!!」
まあ住んだとしてもだいたい数日で泣いて逃げてゆくだろう。
酒飲んで毎晩さんざん説教されてスティックも握らせてもらえないんだから・・・
日本の職人気質に、
「お前はまだ料理の心を知らん!!
包丁を持つなんて10年早いわ!!!」
みたいなのがあると聞くが、まさに「ドラム道」だとてそれだとワシは思う。
不思議なことにドラマーにはひとりもいないが、
ベースの韓陽、キーボードの張張などはワシから巣立って行って、
今では若手で一番仕事の多いミュージシャンのひとりとなった。
ワシから「音楽とは何か」、「仕事とはどうやってするのか」、
など、まさにワシの生き様からモノを学んだのだ。
全くもってワシはいい「先生」ではない。
ワシが教えられるのは「生き様」であって「ドラム」ではないのだ。
今回非常に熱心な老師がいて、何かと言うとワシに質問する。
「ファンキーさん、
やっぱシングルストロークはテンポ200まで練習しないとダメですよねえ」
菅沼孝三だったらそこで的確なアドバイスが出来るだろうが、
そんな「基礎練習」とやらをやったことのないワシは、
非常にバツが悪いのではあるが「知りません」と答えるしかない。
テンポ200でツーバスを踏むこともあるが、
それは「その楽曲をどうしても演奏しなければならない」ので
単に死にもの狂いで叩いているだけである。
ただ「プロ」として、「大人」としてそのことに「責任感」があるから、
テンポ120の時と同じようにヨレずにモタらずに、
また絶対にくじけて音量が下がったりしないように、
とにかく「負けない」、「誤摩化さない」で人生を賭けて戦っているだけのことである。
これで負けたらワシのドラム人生はその時点で終わりなのである。
そしてその日、教育熱心なその老師はひとりの子供ドラマーにドラムを叩かせて、
それをワシに聞かせてこう言った。
「どうです、この子は? 上手いでしょ? この子の前途をどう思いますか?」
そんなことを聞かれて
「うん上手いですねえ、頑張りなさい」
以外に一体何を答えてやればいいのだろう・・・
前途も何も、これら数多くの子供ドラマーのうち、
大きくなってもまだドラムを叩いてる子はほんの一握りなのだ。
またそうなったとしてもどうせ今と同じように伴奏に合わせてドラムを叩いて、
一番うまくいったところでこの老師たちと同じように、
また同じような子供達を集めてドラム教室をやっているといったところである。
ドラム教師が悪いと言う意味ではない。
今まで行った中で大きな教室では生徒が600人以上いる。
ひとりが2000円ずつ月謝を払ったとしても月収100万円は下らない商売なのだ。
その昔、17歳でバリバリに叩きまくる女の子ドラマーのDVDを見たことがある。
その娘も今では先生となって北京で教室を開いている。
「どうして私にはファンキーさんのような音楽の仕事が来ないのでしょう・・・」
呼び出されて相談を受けた時にワシはこう答えてあげた。
「そりゃそうだよ。生きて来た世界が違う。
あんたはいつもひとりでドラムを叩いて来た。俺はずーっとバンドをやって来た。
それだけの違いだよ・・・」
多くの子供ドラマーは決して「音楽」をやっているわけではない。
ただ「ドラムを叩いている」だけなのだ。
その証拠に、もし最後まで決して「子供だ」ということを隠して、
果たして彼らの「音」が大人のそれと同じように通用するか?
それを聞いた人は同じように拍手をするか?
「それを聞いた人は同じように涙するか?」
と書こうと思って気がついた。
そもそも彼ら自身が本当に涙したことがあるのか?
「世の中はこんなにも矛盾に満ちている」と、
その「怒り」をドラムにぶつけたことがあるのか?
「世の中にはどうしようもないことがあるんだ」と、
その「悲しみ」をドラムで表現したことがあるのか?
彼らにはその表現すべき「人生」がないのだ。
ワシは老師達にはよくこう言って話を誤摩化す。
「まあ彼らが大人になって、初恋でもして失恋でもして、
その時にまだドラムを叩こうと思ってたら、
それが彼らの音楽へのスタート地点じゃないですか」
と・・・
そんな子供ドラマーの中に、
広州に住む日本人の男の子がいた。
前回会ってから時々メールをくれるのだが、
今回はちょっとメールの内容が大人びていた。
「先生のドラムを聞いてドラムの素晴らしさを実感した」
ワシはちょっと興味を持って彼を食事に誘った。
身体も大きくなってもう中学2年生だと言う。
同じような質問をする。
「君はどうなりたいの? 何をしたいの?」
少年から今までどんな中国の若者が答えたのとも違った答えが返って来た。
「どんどん音楽が好きになって来て、だんだんこんな風に思って来たんです。
出来たら将来もずーっとドラムを叩いてるか、
もしくは何か音楽に関する仕事について僕はずーっと音楽のそばにいたいって」
彼ははもう入り口まで来た。そこからが「音楽」のスタートだ。
別に音楽は他の仕事をしながらでも出来る。
高校行ってバンドをやるもよし、どっか大学行ってバンドをやるもよし。
「君のその夢は必ずかなうよ」
日本の高校に行くことになったら、
家もそんなに遠くないというから、うちの店でアルバイトでもすればいい。
うちに出ているいろんな素晴らしいミュージシャン達の生き様を見て、
そこから何かを学んで自分の生き方を考えればいい。
貧乏さえ苦にしなければ、一生音楽と共に生きてゆくなんて簡単なことなのである。
「僕は音楽で僕の気持ちを伝えたいんです」
と彼は言った。
果たして10年後、彼が本当に音楽をやり続けているかどうかはわからない。
その「伝えたい気持ち」を別の仕事で表現してたとしても別に構わない。
彼の音楽は・・・つまり彼の「人生」は今始まったばかりなのである。
今からどんな「人生」を作ってゆくのか、それこそが彼の「音楽」なのである。
また広州か、八王子で会おう!!(笑)
Posted by ファンキー末吉 at:10:42 | 固定リンク
2011年6月 1日
亜洲鼓魂コンサートのリハーサル
怒濤の2日間超難曲のセッションを終え、
朝まで飲んでそのまま北京にやって来た。
そのままうちの院子で始めてのリハーサルである。
メンバーは下記の通り!!
ベース:韓陽
ギター:BeiBei
キーボード:張張
ボーカル:LaoWu
ボーカル:安敏捷
どれもワシが公私にわたって世話して来た人間だから気が楽である。
中国では金も取れない代わりに金も払わなくていいので楽なのである!!(笑)
リハーサルのギャラもへったくれもない!!
当日いくら払うかも言わなくてよい!!
またノーギャラだったらそれはそれでよいのである!!!
若い衆よ、頑張れ!!
7月17日のライブが成功したからと言って誰も何の得もしないが、
その夜には羊肉と美味いビールをご馳走するぜよ!!
何よりも君らがこれによって
音楽的にまた少しでも高いところに行けるようになってくれたらそれでよい!!
加油!!(中国語で頑張れの意味)
Posted by ファンキー末吉 at:17:54 | 固定リンク
2011年5月23日
これchan来たりてギターやっぱ弾く
河南省焦作を後にして、車で新郷まで走って列車に乗り、
昼過ぎにやっと北京に着いた。
まったくもってこの3日間の移動は凄まじいものがあった・・・
院子に着いて一息ついた頃、是方さんからメールがあり、
「北京に着きました〜いろいろ観光廻ってます〜」
とのこと。
今回は奥さんと共にパック旅行で来たらしい。
観光から食事からガイドまで全部ついてる旅行らしい。
夜にホテルに迎えに行ったら何と5つ星の高級ホテル!!
たまにはこんなツアーもええもんやなあ・・・
翌日も朝8時から万里の長城ということなので、
とりあえず軽く両個好朋友に連れて行った。
この日はアメリカ人のバンドがやっていて、
例によって「友達だ!!」と言えばタダで入れる(笑)
まあ人のライブもタダで入る代わりに自分のライブも誰も金を払わないというわけだ・・・(苦笑)
今日はオーナーもいたのでバンバン酒も出る(笑)
まったくもってこの店は儲かっているのやらいないのやら・・・
通り道なのでじゃあJazzクラブもということで次はCD Cafeに連れて行った。
先々週は知り合いのJazzバンドがやってたので乱入したが、
今日はアマチュアロックバンドがふたつやっていたので楽器を借りて乱入した。
ご満悦の是方さん、
「今度また旅行がてらライブやりに来ようかな・・・」
歓迎です!!
また是非〜
(運転してくれたLaoWu夫婦と両個好朋友にて)
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2011年5月 3日
亜洲鼓魂コンサートVol.1おわた〜
この日の中国のTwitterではベースの韓陽(HanYang)がこのようにつぶやいてた。
「みんな亜洲鼓魂って知ってる?
僕が小さい頃聞いて感激して身震いしたアルバム。
そしてこの作者、実は長年に渡って中国の音楽を助けて来て、
同時に僕たち若いミュージシャンを育てて来た。
本当に感謝したい!!
そして今晩、恐らくこのアルバムが出てから初めて
この曲がライブで演奏される。
きっと僕は感激でまた身が震えると思う。
ありがとうファンキーさん!!」
終わってからまたこうつぶやいていた。
「僕はもうNew Beeee!(Fuckin' greatの意)としか言いようがない。
このようなパワー、このような激情、
そしてこのような年齢のこのような青春!!
ロックとは素晴らしきかな!!
パワーと希望の源、羊肉を一緒に食べましょう!!」

UPされてる写真がまたアホ面である!!(笑)
まあいい!!アホなのだから仕方がない!!
しかしアホなのは実はルックスだけではなかった!!
実は今日のライブはチケット50元、
羊の丸焼きはワシが買って、
ひと皿10元でそれを売って、
それで足りなければワシがその分払おう、と・・・。
昼から羊の仕込み!!
これを手作りの炉で焼いてゆく!!

ワシが頼んだのは小さいのを2匹、
羊肉が日本円で1万ぐらい、
その他運送費や焼く炭の値段とかでもっとかかる。
まあ日本円で1万5千円ぐらいか・・・
ライブ前に焼き上がったらワシが呼ばれて、
それに最初に包丁を入れることとなる。
まあそれは金を出してるのがワシだからそりゃそうだろう!!
しかし包丁を知れたその瞬間!!
子羊一匹分はあっという間に周りの人間の胃袋に収まった!!
ワシも一口食ったが相当の美味である!!
しかし今からドラムを叩くに当たって、
ビールも飲まず、この極上の羊肉をたらふく食うわけにもいかない!!
「もう一匹はライブ終わってからな!!頼むよ!!」
ワシはそう言い残してステージに上がった。
ライブは大成功である。
特にワシの「ひとりドラム」は観客の度肝を抜いた。
そりゃそうだ!!
所詮は何をやるにも大切なのは「人間力」である!!
ひとりしかいないんだからバンドの時より何倍もオーラを出して頑張る!!
まあ2時間のコンサートぐらいワシにとっては「お茶の子さいさい」である。
(使っててようわからんが実はどんな意味や?)
しかし終わってみたらもう既に羊肉はない!!
ワシが手にしたのは最後の一切れであった!!
まあいい!!
ひとり10元出してこれだけ食ってもらったら、
恐らく2匹分の羊肉の金はもう出ているであろう・・・
しかし中国はそんなに甘いところではなかった!!
この羊肉を食った全ての人間は実は誰も金を払っていない!!
焼き上がって切り取られたらすぐさま、
周りの人間の胃袋に収まっている!!
このライブハウスの怖い女将までもが、
「こんないいプレゼントをしてくれたんだから、
今日はあなたのビールはお金は要らないわ!!」
まあこの店に来て金を払って酒を飲んだことの方が少ないのだが、
誰が「今日はみんなに羊肉を奢るよ!!」と宣言した?!!
まあもともとの考えでは、
今日の入場料を全てこの羊肉に充てて、
足りない分はワシが払おうというアイデアもあった。
しかし蓋を開けてみたら、
今日は実は誰も金を払ってライブを見に来てない!!
みんな「ファンキーの友達だから」と言ってタダで入っているのだ!!
100人近くはいたぞ!!
全然見たこともない外人も大勢いたぞ!!
お前ら亜洲鼓魂の時代の中国と違うねんぞ!!
とわめいてももう後の祭りである。
幸い参加したミュージシャンは誰も「ギャラが欲しい」などと思っていない。
キーボードの雷子(Leiz)なんかすぐさま中国のツイッターでつぶやいてた。
「今日はとっても楽しかった。
舞台袖で韓陽(HanYang)と話してたんだ。
僕たちがみんな小さい頃に聞いてたあの曲を、
今日は僕たちが演奏したんだよ、って」
みんな誰もギャラを要求することなく笑顔で帰って行った。
いや、ありがとう、みんな!!
・・・ってかこの中国の風習ってちょっとちゃうんとちゃうの!!!
というわけで第二弾が今日決まりました!!
7月17日(日)同じくこのライブハウスにて、
「ファンキー末吉52歳の誕生日を迎えて、
52歳と4日後に初めてドラムを叩くバースデーパーティー」
しかもこの日は昼間っからぶっ続けて4時間叩き続けます!!
昼間誕生日パーティー、夜はライブという声もありましたが、
ワシはドラム叩く前は酒が飲めんので昼からライブします!!
4時間なんてお茶の子さいさい!!
(ってどういう意味や?)
亜洲鼓魂に参加した歌手の方々、
その他ファンキーさんが参加した数多くの歌手の方々、
奮ってご参加下さい!!
チケット代は52歳にちなんで52元!!
おつりは出しません!!
小銭のない人は60元でも100元でも払って、
おつり分はファンキーさんの誕生日プレゼントにして下さい!!
この日は友達と言えど、
誕生日プレゼントと思って必ず金を払って下さい!!!
というわけで次の亜洲鼓魂ライブは7月17日(日)に決定!!
・・・実は13日のワシの誕生日は嫁との結婚記念日でもある。
願わくば嫁もライブに来て欲しいものなのじゃが・・・
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2011年4月19日
あの美少女秘書のその後・・・
彼女と会ったのは彼女がまだ15歳の頃。
(中国の歳の数え方は数え年なので16歳と言っていた)
黒豹のドラマーに騙されて安い金でプロデュースさせられた、
そのレコーディングの小間使いとして働いていた。
生まれがとてつもなく貧乏なのだ。
ワシが今暮らしてるような貧民街で生まれ育ち、
ひょっとしたら戸籍もなかったかも知れない。
義務教育分は知らないが、とりあえず高校には行ってない。
「君の夢は何なの?」
と聞いた時、
「勉強がしたいの」
と言ったのが心に残っている。
ワシは彼女に仕事の傍らワシの電話秘書をしてもらい、
かかって来た仕事の電話を日本にいるワシにメールで転送したりしてくれていた。
「掃き溜めに鶴」という言葉が適切かどうかはわからないが、
18歳の頃はモデルのスカウトが来たり、
その美貌はますます磨かれて来たようだ。
その後「白雪(バイシュエ)という歌手のマネージャーとなって、
全国飛び回って忙しくしていたが、
去年会った時には、一緒に飲んでいても数限りないショートメールは来るわ、
彼女に恋する男どもからひっきりなしに電話が来るわ、
もうこのぐらいの美女になるとゆっくり落ち着いて酒も飲めない。
その時はひとりの男性に、
「じゃあおいでよ、友達と一緒に飲んでるから」
と言って電話を切ったのだが、
喜び勇んで来たその男性は、
傍らにいるワシらなんかを見てそそくさと帰って行った。
「一緒に飲めばいいじゃん!!」
という理論は恋する男性には通用しない。
ある時は男を連れて来たので、
「よ、恋人が出来たか?」
とからかったら、
「そんなんじゃないの、ただの友達よ」
と言うので、こっそりその男に、
「彼女のこと好きなの?」
と聞いたら、頬を赤らめて
「好きです」
と答えたこともあった。
数限りない男達が彼女に恋い焦がれ、
そして玉砕して行ったのをワシは見て来た。
ワシも恋い焦がれてはいたが、
デブのキーボードにかっさらわれたので見込みなしである。
見込みはないのに呼び出されたらいそいそと出かけてゆくんだから
男というのは悲しい生き物である。
この日も今更何の期待感もなく、
そのくせいそいそと風呂に入って服を着替えたり、
それなりに気を使って出かけて行った。
約束の店に着いて、
「何飲む?」
と聞いた途端、彼女の開口一番にひっくり返りそうになった。
「私、飲めないの。妊娠してるから・・・」
相手は誰じゃい!!
ワシでなくても世の男はみな興味津々であろう。
聞いてみればお相手はワシら音楽界の仲間ではなく、
白雪(バイシュエ)から紹介された建設会社の社長さん。
まあ金はあるんだろうが、ルックスは別にそんなにぱっとしないらしい。
なみいる男どもが全て玉砕していったというのに、
何故にこの男だけが紹介された会ってすぐにこの美女をモノに出来たのか・・・
「试试吧(試してみなよ)」が口説き文句だったらしい。
そんなに簡単でええのか!!
ワシも含め全ての男どもは勘違いをしていた。
こんな美女なんだから誰もが真剣にアプローチしていたが、
こんなんでいいのである!!
失敗した・・・
後悔してももう遅い。
彼女はもう人妻となり、11月には子供を出産する。
玉砕した数多くの男ども、
みんなで彼女とその羨ましい旦那の前途を祝おうではないか!!

おめでとう!!麗麗(LiLi)
幸せにな!!
PS.18歳の誕生日にワシがプレゼントした化粧品も結局今まで使われなかった。
結婚式の時も結局化粧をしなかったらしい。
26歳の今まで化粧をしたことがないと言う。
美女は化粧品も必要ないのだ・・・はあ・・・(ため息)
Posted by ファンキー末吉 at:08:25 | 固定リンク
2011年4月15日
亜洲鼓魂コンサートへの道
北京に来ている。
BeiBeiのレコーディングをやって、
終わって飯を食いつつそのまま
布衣がライブをやるというのでみんなで見に行った。
・・・というより「飲みに」行った。
布衣も今ではアンダーグランドの中では有名になったが、
やはりバンドであるからして本人が歌いたくても歌えない曲とかもある。
先日とあるライブで一緒にやって、
そんな曲を思いっきり歌って彼の楽しかったようだ。
「じゃあソロプロジェクトとしてライブやるか?」
と言ってはみたが、
やはりボーカルがそれをやるとメンバーがやはり面白くないらしい。
BeiBeiはBeiBeiで、
バンドではなくボーカルとのユニットだったらライブをすることもままならない。
毎回ミュージシャンにギャラを払って雇わねばならないからである。
ワシは真ん中でまたアホ話をしながら飲んでたのだが、
誰かがワシのアルバム、亜洲鼓魂の話をし出してふとひらめいた。
「ワシ名義のライブだったらお前らどちらも助かるんじゃないのか?」
目がキラリと光ったLaoWuが興奮して乾杯する。
「そうだ!!亜洲鼓魂コンサートをやるんだ!!」
実はこのアルバムを発売した時に、
ストリングスオーケストラも全部入れてあのアルバムを再現したコンサートをやりたかった。
しかし当然ながらそんな予算もなく、
日本では売れなかったのでスポンサーも現れず、
中国では売れたが海賊版ばっかなので誰も儲からず、
結局その話は流れてしまっていたが、
こうしてそのアルバムを聞いて育った若い衆達と一緒に、
自由が利くライブハウスでやる分には何も問題ないのだ!!
最初は小さいところで始めて、
毎月やっているうちにこのアルバムに参加したスター達、
黒豹や唐朝やBeyondの連中や、
李慧珍をはじめとするこのアルバムでスターになった人達も集まって来るかも知れない。
(いや、ヤツらはみんなワシに恩があるから呼べば必ず来るな・・・)
とりあえずは小屋を押さえる。
昔院子に住んでたドラマーが開いたライブハウス、
「北京两个好朋友酒吧」に連絡してみた。
「5月2日なら空いてるよ」
しかしワシが次に来る便は5月1日の夜中便である。
綿密なリハーサルをやる時間がない。
「よし!!当日リハで出来ることをやろう!!」
何もあのアルバムの曲をメインで持って来る必要はない。
布衣の曲、Pairの曲などを中心に、
時間が足りなければ張張とのセッションもやりーの、
全中国ドラムクリックでやっているひとりドラムもやりーの、
とりあえずはタイトルチューンの亜洲鼓魂1曲ぐらいでええんとちゃうの!!
よし!!とりあえず5月2日を皮切りに、
毎月ちょっとずつライブをやって、
将来は「亜洲鼓魂コンサート」と銘打ってでっかくやってやろうじゃないか!!
それにしても日本だけじゃなく中国にこれだけ楽曲を残しているっつうのは我ながら大したもんじゃと思うのう・・・
ギャラは参加した人間で均等に分けて、
みんなで羊を1匹買ってその場で丸焼きにして食べよう!!
(「北京两个好朋友酒吧」は最近羊を丸焼きに出来るオーブンを買ったらしい・・・)
雨が降らなきゃいいのじゃが・・・
Posted by ファンキー末吉 at:23:03 | 固定リンク
2011年4月10日
李慧珍(Li HuiZhen)
中国のツイッターをやり始めて彼女と久しぶりに繋がった。
「ご飯でも食べましょ」
ということで待ち合わせをし、数年振りに会った。
彼女はワシが最初に中国でプロデュースをした歌手である。
その後、そのアルバムの曲は中国のグラミー賞に当たる作曲賞を受賞し、
中国のヒットチャートを荒らした。
その功績により日本レコード大賞アジア賞なるものも頂いたが、
その受賞パーティーの席で堀さんはスピーチでこう言った。
「アジアブームと言われてますが、
いろんな会社が中国に莫大な投資をして、
結局得をしたのはファンキー末吉だけです!!(笑)」
最近彼女は当時の中国側の社長と会って裏話を聞いたらしく、
結局ホリプロが出した6000万の出資金は、
当時は直接中国に投資出来なかったので、
その中継会社となった香港の会社に流れ、
結局中国側にも、もちろんワシのところには流れては来なかった。
ホリプロスカウトキャラバン中国版として鳴り物入りで行われた
全中国からスターを探すオーディション、
そこで歌はナンバーワンだったのにホリプロから捨てられたのが彼女だった。
中国の「ホリプロ3人娘」として鳴り物入りでデビューするという
その3人の中から彼女は外された。
そんなことは知らないワシは中国ロック話で彼女と盛り上がり、
中国側からの強いオファーもあって彼女を自分のソロアルバムに起用した。
そのアルバムは中国のロックのバイブルのひとつとなり、
今だに彼女は彼女が歌ったその中の曲
「Let Me Be Freeは歌わないの?」
と言われるという。
サンプラザ中野という偉大な作詞家と一緒にいたがために、
「自分で作詞をする」
などということなど夢にも思わなかったが、
あの時はがむしゃらに曲を作って詞を書いた。
「言いたいこと」がたくさんあったのだ。
「あの頃はお互い気が狂ってたねえ」
ワシらはそう語り合った。
誰にも伝えられない想いをワシは楽曲に込め、
彼女はワシの分身としてそれを歌った。
まだ10代だった彼女はもちろんのこと、
ワシも若かった。
「商売」などと考える余裕もなく、
ただがむしゃらに「音楽」をやってた。
このアルバムのTDを陣中見舞いに来たアミューズのマネージャーは、
この曲の彼女のシャウトを聞いた時に涙を流してこう言った。
「ヤバいよ!!末吉さんがどっか行っちゃうよ・・・
爆風が・・・なくなっちゃうよ・・・」
彼の言う通り、ワシの夢は彼女と一緒にこの中国大陸を駆け巡った。
ホリプロの撤退と共に彼女は事務所と契約でもめ、
ほされた期間もあり病気になった期間もあり、
新しい事務所は彼女から「ロック」のイメージを払拭すべく、
彼女から極力ワシを遠ざけた。
そのおかげで彼女は「スター」となったが、
数年前、安徽省のテレビ局が彼女をゲストに呼ぶ番組の中で、
ロックファンであるその番組の若いディレクターが
サプライズとしてワシをブッキングして合肥までワシを呼んだ。
思いもよらぬサプライズで号泣した彼女は、
ワシの手を握りしめて泣きじゃくった。
一緒に行った嫁はそれを見て呆然としていた(笑)
「あの頃はねえ、
誰にも伝えられない思いがたくさんあっの・・・」
それが「芸能界」である。
彼女はその中で今まで頑張って来た。
夕べのふたりの写真を中国のツイッターにUPした彼女、
6万人近くいる彼女のフォロアーは、
ある人は「誰よこのオッサン?」と言い、
ある人は「バカねえ、この人がいるから彼女がいるのよ」と言う。
一番印象に残った書き込みが、
「バラードなんかもうくそっ食らえだ!!ロックを歌ってくれ!!」
というものだった。
「また一緒に何かやろうか・・・」
そう言って夕べは別れたが、
本当に何かが始まるかどうかは神様のみぞ知る。
「縁」とはたかだかそういうものなのだ・・・
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2011年4月 5日
貧乏人から太陽を取り上げるな!!
雲南省に着いて楽しい仕事が始まっているが、
北京の院子の騒動の顛末が面白いので
雲南レポートより先にそちらをレポートしたい。
もともとこの院子というのは庭みたいな意味で、
北京伝統の四合院と言えば聞こえがよいが、
コンクリートの箱みたいのを3方にどどんと置いて、
その真ん中が住民共通の庭となるものである。
うち間取りはこちらを参照のほど
この3方全ての部屋を一人で借りて、
このひとつの「院子(この場合は庭も含めて全て)」を独り占めする、
これがワシの思う究極の贅沢なのじゃが、
マンションなんかを指す「楼房(Lou Fang)」と違って、
いわゆる「平屋」という意味の「平房(Ping Fang)」というのは、
今や豊かになってしまった北京人はなかなか住もうという気にはならない。
まあ土地だけはあって、
手っ取り早く家(というよりただのコンクリートの箱)を建てればいいんだから、
最近では人里離れたうちのような貧民街か、
逆に超豪勢な都心の四合院かしかお目にかかれない。
往々にしてトイレや風呂はなく、
ここに住む貧民の一番のメリットはこの真ん中の院子(庭)なのである。
それを大家は自分が政府を騙して金儲けしたいがために貧乏人からたったひとつのそれを奪おうとする・・・
「ファンキーさん、2階なんて作られたらこの院子(庭)が死んじゃうじゃないですか!!
断固戦うべきですよ!!」
とうちのアホのエンジニアは鼻息を荒くするが、
ワシは外国人の住めないこの地区に内緒で住んでいるのでそう強いことも言えない。
「まあ上がそう言ってんだったらしゃーないんじゃない?!!」
と取り合わなかった。
ところがいざ雲南省に出発しようとしたら、
院子の入り口で警察までやって来て大騒ぎをしている。
聞いたら「警察に通報した」と言う。
「見て下さいよ!!
こんなところにこんな雑な作り方で壁なんか作られたら、
隣は共同トイレでいろんな人がここ通るのに危ないじゃないですか!!」
大家も巻き込んで警察とやりやっている方言を後に、
ワシはそそくさと雲南省に出発した。
その後彼からメールが届く。
「警察は相手にしてくれなかったけど、
この話をツイッター(中国の)にUPしたから見て下さい」
と。
これである。
「ファンキーさんの院子に」
と書かれてあるのでうちにもResが来て大変だが、
「貧民から太陽を取り上げるな!!」
と盛り上がっている。
Resにも大家に対して、
「金さえ儲かれば他の人が死のうが生きようが構わないのか!!」
など話がどんどん飛躍してゆく。
とどのつまりには方言はこんな激を飛ばす。
こんな詩を知ってるか。
ドイツで昔、共産党員を皆殺しにし出した。
私は何も言わなかった。
何故なら私は共産党員じゃないし・・・
今度はユダヤ人を皆殺しにし出した。
私は何も言わなかった。
何故なら私はユダヤ人じゃないし・・・
今度はカトリックを皆殺しにし出した。
私は何も言わなかった。
何故なら私はカトリックじゃないし・・・
最後に私を殺しに来た。
ししたら誰も何も言わなかった・・・
「みんな!!今回俺は声を出して言った!!
だけど声が届かない!!
誰か俺たちのために立ち上がって声を上げてくれる人はいないのか!!」
そんな叫びが実ったかどうなのか、
大家は彼に折衷案を出した。
「2階は作りますが、
屋根は透明の素材にしてあなた達の太陽は守りましょう」
方言の叫びがついに届いた!!
院子は2階建てになっても太陽は残るぞ!!
・・・ん?・・・待てよ・・・
これから気温40度を越える夏がやって来るというのに、
天井に透明な素材で蓋なんかされた日にゃ蒸し焼きになってしまうぞ・・・
方言・・・まことにいいヤツなんじゃがひとつ詰めが甘い・・・
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2011年4月 4日
貧乏人が村を追われる日・・・
北京に帰って来たら向かいの院子から音が聞こえている。
ふらふらと遊びに行ったら貧乏なミュージシャン達がリハをしていた。
うちのスタジオでは張張が雲南省ツアーのためのデータを作っている。
「メシを買って来たから食おう」
と言うので
「ビールがなきゃいやだ!!」
というと
「隣の院子が宴会してるからもらって来よう」
と窓越しにビールがやって来る。
我が院子、この世の天国のロックステイションなのだが、
ここに来て物価の値上がりとかも凄まじく、
ついに家賃もまた値上がりした。
6年前ここを借りた時の既に倍近くなっとるやないの!!
貧乏ミュージシャンは天然記念物のトキのように、
また住むところを追われて遠くに行かねばならないのか・・・
事実、この村は数年後に取り壊しになるという話である。
一昨年のある日、大家が勝手に院子に屋根をつけた時には、
「中国政府がここを買い取る時に、
院子(庭)だと人が住んでないので金にならんが、
家屋のように見せかけると金になる」
ということでせっせこ仮説の屋根を作っては数日後に撤去していたが、
ふと見ると今度はせっせこ2階を作っているようだ。
なんでも
「2階を建ててると倍金がもらえる」
ということらしいが、
2階なんか作られたら自慢の院子(庭)は意味をなさなくなってしまうし、
朝から天井でとんちんかんやられる住民にとってはいい迷惑である。
うちにはアホのエンジニアと共にもうひとり居候がいるが、
彼は騒音にたまりかねてスタジオに非難した。
うち(八王子)でも
酔い潰れて帰れなくなったえとーさんはうちのスタジオで寝たりするが、
こちらは基本的に土間なのだから、
そこに布団を敷いて寝た方がよいというのはよっぽどである。
村の中でもちょっとでも金をもらおうという算段で改修工事ばっかやっている。
こういうのを中国語で「騙銭(Pian Qian)」という。
偏見を承知で言えば、
国民のほとんどが「人を騙してでも儲けられればいい」と思ってるこの国で、
本当の意味でも「民主主義」なんてまだまだ先に話である。
Posted by ファンキー末吉 at:14:05 | 固定リンク
2011年3月23日
李漠(LiMo)と食事会
「李漠(LiMo)」から電話があった。
どうしてもその日に一緒に食事をと言う。
ワシはその日はライブハウスで行われる
日本の震災に対するチャリティーライブに呼ばれていたのだが、
まあ出番前で酒は飲めないがリハ終了後に行けないことはない。
集まってみると彼女のバンドメンバーが勢揃いしていた。
彼女はこう切り出した。
「4月にね、イベントがあってそれに出るんだけど、
みんなスケジュール空いてるかなあ・・・
是非またみんなと一緒にやりたいんだ」
5月にも6月にもあるから是非お願いねと彼女は言う。
権利ビジネスのない、
コンサート収益だけが生活の糧であるミュージシャン達にとって、
もちろんこんなありがたい話はない。
「アイヤー、4月半ばは結婚式なんだよ〜」
などと言ってるメンバーにワシが突っ込む。
「じゃあそれはトラでワシが行ってやるからお前はドラム叩け!!
心配すんな嫁さんのことはワシに任せて心おきなく仕事してこい!!」
など和気あいあいに酒が進む。
「私の1枚目のアルバムはみなさんのおかげで無事に発売することが出来ました。
今度は2枚目を作ることになってます。
私はまたみんなと一緒に作りたいの。
制作費をもらったからこれみんなで分けましょ」
2000元(約2万5千円)が入ったさほど分厚くない封筒をみんなに配る。
ワシにもひとつ、うちのアホのエンジニアにもひとつ。
「おいおい、ワシらふたりでひとつで十分やぞ・・・」
と言おうと思ったがやめた。
ワシは知っている。
今やスターの仲間入りをした彼女のアルバムは、
当然ながら彼女の手を離れて会社が制作をする。
もう昔のようにアンダーグランドバンドじゃないんだから
制作費が全部で1万元なんてこともないだろうし、
制作費を彼女に託されるということもないだろう。
彼女はウソをついた。
きっとこの金は彼女があれから自分で稼いだ金か、
もしくは制作費ではなく次のアルバム制作のためにもらった彼女のギャラだ。
しかし彼女が言う
「またみんなと一緒に作りたいの」
という「気持ち」はウソではない。
この金はまさしく彼女の「気持ち」なのだ。
ワシにしても2000元でまたアルバム1枚作るなんて大赤字だし、
1曲2000元のミュージシャン達がこの金で10曲レコーディングさされるなんて
「仕事」として考えるとバカみたいな話である。
でもみんなありがたくこの金を受け取った。
彼女の「気持ち」を受け取ったのだ。
いろんな仕事をして、
いっぱいお金をもらうこともあれば
「これっぽっちかよ」という仕事もある。
でももらってこんな嬉しい金はない。
「1枚目の時はごめんね」と言って渡したのではない。
彼女はこの金で「未来」をつなげたのだ。
ワシもそんな彼女の「気持ち」をありがたく頂いた。
乾杯!!

Posted by ファンキー末吉 at:09:22 | 固定リンク
2011年3月21日
不意打ち突かれて思わず号泣!!
風邪気味なので布団かこたつに潜り込んで
日本のツイッターや中国のツイッターなどを見てはアホな書き込みをしてたのだが、
ふとRTされていたこの映像をみて号泣してしまった。
まさに不意打ちである。
なんでこんなに涙が出て来るのかわからない。
日本のテレビ局の事故で死んだこの駒くんは
今では中華圏では「ロックの神様」となった。
何十年たっても彼の歌が流れてない日はない。
「今から日本を拠点として頑張るんだ」
ということで活動を開始した頃の事故である。
「志半ばで若くして死んだ」
という風に皆は言うが、
近くにいたワシはどうも今だにそうは思えない。
「ヤツは死んで神様になった」
それだけである。
現実、BEYONDは香港では大スターだったが、
これほど中華圏の大スターとなるのは彼が死んだことを受けてからである。
何も有名になることが大事でも何でもないが、
「彼はここで死んで神様になることに決まっていた」
とワシなんかは思わざるを得ない。
彼は一生のうちにやるべきこと以上のことをやり尽くしたのだ。
同様にひぐっつぁんやキヨシローさんが亡くなって、
「若いのに惜しいことをした」
という声にはワシはどうも違和感を覚える。
「あんた達んところにワシも早く行きたいのに、
そんな偉大な人がぽんぽん先に行かれたらたまらんわ〜」
って感じである。
中野や河合や、この映像に一緒に映っているそれぞれの人が、
あれからそれぞれの人生を歩んでいる。
ただワシだけがまだ駒くんと一緒に、Wingと一緒にいる。
人生はそれぞれである。
ワシはやっぱり日本を離れて心は彼らと一緒にいることが決められてたのだろう。
北朝鮮に行って帰って来て、
「何で俺はこんなことをやってるんだろう」
とひとりで酒を飲んでいた時、
突然彼のこの笑顔が浮かんで来たことがあった。
「そうかぁ、お前が行きたかったんかぁ!
お前は生きてたら絶対行ったわなぁ。
せやから俺に行かせてるんかぁ。
何や、そうやったんかぁ。行って来たでぇ、楽しんでもらえたかな?」
そうやってひとりで泣き笑いして飲んだことがあった。
今日の映像の彼はワシにこんなことを言っている。
「ファンキー、泣いても笑ってもどうせ人は死ぬんだ」
と。
大震災でいーっぱい人が死んで、
それぞれにまたいーっぱい大切な人がいた。
有名かどうかは関係ない。
それがたったひとりであってもかけがえのないものである。
その人はそのたったひとりの中で神様となる。
まあ被災こそしてないがそこそこ大変な今日この頃、
ワシはふと
「あいつだったら今どうしてるかなあ」
と考えた。
「あいつだったら」と考えることこそが、
死んでもその人と一緒にいるというか、
魂は死んでないというか、
そんなことなのかも知れない・・・
まあ影響力は今のワシとは比べ物にならないが、
ヤツはやっぱ基本的には同じことをしてただろうな・・・
ワシはやっぱドラムを叩くのだ。
日本中で不謹慎と言われたらよその国で叩く。
ドラムを叩いて生きて、ドラムを叩いて死んでゆく。
「そやで、そんなもんなんやでぇ」と彼が言っている。
今日は中国の歌手のレコーディング。
明日は何やらわからんチャリティーライブ、
でもこうやってドラムを叩いて生活出来ること自体が素晴らしい。
彼の笑顔に負けないようワシも今出来ることを精一杯頑張りたいと思う!!

ちなみにこれは我が家の彼の遺影。
日本に来て「女朋友、女朋友」とウルサイので、
誕生日にみんなでダッチワイフをプレゼントした時の写真である。
ちなみにこれが彼の最後の誕生日となった。
今は北京のスタジオに神棚のように飾られている。
こんな写真を遺影にしているのは中国広しと言えどもワシぐらいじゃろう!!
は、は、は!!
Posted by ファンキー末吉 at:11:24 | 固定リンク
2011年3月19日
一度日本に帰ったらもうこちらに戻って来れない(笑)
「日本から中国に変える中国人が殺到し、
それを受けて航空会社従業員がチケットを買い占めして
希望者に高値で横流しをしているせいで、
チケットの値段が1万元を越す高値となり一般人は入手出来ない」
というデマが飛んでる。
中国の会社だったらいざ知らず、
日本の会社、諸外国の会社ではいくらなんでもこれは無理じゃろう(笑)
こんなことがまことしやかに流れるということは、
この中国という社会は平然とそれが行われているということだ。
だいたい「節電で風邪引いたよ」というと、
「何で?」と聞かれる。
「だって誰も監視しているわけじゃないんだろ。暖房つけろよ!!」
がこちらの物の考えである。
いろんな買い占めとか何かが日本で問題になっているが、
いやいや中国人に比べたら全然問題ではない!!
日本人は素晴らしい!!と再び声を高らかに叫びたい。
ところで今、帰りのチケットを手配しているのだが、
北京から東京まではいつでも飛べるが、
東京から北京のチケットはなるほど今月は一席も空席がない。
中国人よ、何をそんなに慌てて帰国する?!!
ワシはSARDSの頃でもこの国を離れんかったじゃろ!!
ほんまこの国の人達が何かに踊らされて何かをやると、
人数が多いだけにやっかいである。
Posted by ファンキー末吉 at:13:53 | 固定リンク
中国は中国で大騒ぎ
一昨日の夜北京に帰って来て、
「中国では今塩か買えなくて大変なんだ」
と聞いて大笑い。
中国のツイッターでも
「もうダメだ!!風邪に乗って放射能がやって来る!!」
とかデマが飛ぶので、
「お前なあ、東京がまだ大丈夫やのに中国なんてまだまだ大丈夫じゃい!!」
と檄を飛ばしていたが、
もともとこの国民、中央からの放送は
国が都合のいいようにねじ曲げて報道していることを知っているので、
その反面デマに流されやすいという面はあるのかも知れない。
だいたい
「塩の中に含まれている何たらという化学物質が放射能の影響を受けて...」
など庶民には理解出来ないデマほど庶民を振り回す。
結果「塩が入手出来なくなるぞー!!」ということになり買い占めが起こる。

またこの国の人は並ばないから余計に大変やな〜(笑)
ニュースなんか見ても福島の映像ばかりを流すので、
日本全体がこのような状況に陥っていると錯覚するので、
「次は中国だ」みたいに思うのだろうか・・・
日本の皆さん、日本の元気な部分も頑張って海外に発信せねばどんどん誤解されますぞ!!
Posted by ファンキー末吉 at:08:50 | 固定リンク
2011年1月16日
北京での仕事全て終わり(?)日本に帰る
アレンジの仕事というのは、
いつも思うがドラムのレコーディングに比べて非常に大変である。
ワシのこちらでのギャラはアレンジはドラムの5倍の値段だが、
一昨日のように1日に6曲レコーディングしてしまえば断然アレンジよりは割が良い。
アレンジはまず仕事をもらってアレンジするのに1日、
直しを入れて(今回はキーぐらいだったがたいがい直しが入る)1日、
リズム録りに1日(今回は2日でも終わらなかったので3日)、
場合によっては歌録りに立ち会いTDに立ち会うと1週間仕事である。
今回の仕事はラテンのアレンジで、
ベースには今では若手ナンバーワンとなった韓陽、
ギターには新彊ウィグル族のKermanを呼んだ。
こうやって友人に仕事を振ってあげられるところはいいとこなのだが、
今回はパーカッションがスケジュールが合わず録りこぼれている。
Kermanはスパニッシュギターの名手であるがエレキは専門外なのでエレキのソロも録りこぼれ。
これらは日本に持ち帰りということになる。
田川くん・・・弾いてくれるかのう・・・
パーカッションは・・・ゲンタ来てくれんかのう・・・
録り終わったらそのデータ持って月末にまた帰って来ねば・・・
Posted by ファンキー末吉 at:10:35 | 固定リンク
2011年1月14日
仕事だってしているのだ!!
ラップ歌手のレコーディングが流れ、
毎日酒飲んで遊んでいるように見えるかも知れないが、
まあ実はその通りではあったのだが一昨日からちゃんと仕事をしている。
BeiBeiのリハーサルをし、昨日はそれをレコーディング。
そして今日はいっぱいドラムを録音する。
毛寧という国民的歌手のアレンジを頼まれ、
Logicを使って初めてアレンジしたのだが、
それが非常に評判がよく、さっそくレコーディングしようということになっている。
「せっかくだから別のも1曲叩いていってよ」
ということで数曲録ろうということになっているが、
「そしたらうちのも1曲」ということで曲がどんどん増えてゆく。
中国では「1曲いくら」なので商売としては嬉しい限りである。
こんな時に限って
「ファンキーさん北京にいたら1曲お願いしたいんですが」
と連絡が来る。
「今日にしなさい!!そしたらいっぺんに出来るから」
と返事をする。
ドラムなんてヘタしたら別のスタジオで録るとすると、
ドラム運んで1時間、
セッティングに1時間、
音決めに30分、
レコーディングはヘタしたら30分、
そして片付けにまた1時間、
運んで帰るのに1時間とかかかるので、
出来たらひとつのところで一回でやってしまいたい。
明日はその自分のアレンジにベースやギターをかぶせて仕事終わり!!
明後日には帰ります。
うん、今回はいっぱい仕事した!!
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2011年1月12日
新年会(LuanShuのバースデーパーティー)
「ファンキーが北京にいるのか?」ということで
「11日夜に乗馬クラブに集合!!」というメールが届く。
空港の近くの辺鄙なところにある大金持ち相手の乗馬クラブ。
だいたい北京は金持ちになるほど、
または貧乏人になるほど辺鄙なところに移り住むが、
うちの院子なんかよりもっと辺鄙なんだから金持ちの度合いももの凄い。
こんな豪勢な建物が広大な敷地に何個もあるのだ。
馬を走らせるトラックもあれば体育館のような馬舎もある。
中に入ってみればロビーに池がある。
専属のコックが派遣され、

ケータリングがずらりと並ぶ。
LuanShuは昔から乗馬クラブを持っていたがこれほどではなかった。
うちの母と親戚が初めて北京に来て、
それではここで天ぷらを作りましょうと言った時、
あとで話してくれたところによると彼らは金がなく、
あんなにたくさんの天ぷら油が買えないのでお隣に借りに行ったということである。
そんな昔の乗馬クラブにひとりのロシア人がいた。
名をBaNaと言い、ワシのヘタクソな中国語を一生懸命聞いてくれた。
後に乗馬クラブを閉めることになり、
国に帰ったのか音沙汰聞かなかった彼がそこにいた。
ワシは小躍りして抱きついた。
昔からオッサン顔だったので20年たってもまるで変わっていない。
まるでタイムスリップしたかのようにあの頃のままのBaNaがそこにいた。
昔話に花が咲く。
ホットワインをしこたま飲んだ。
ホットワインは趙明義の昔の彼女だったドイツ人、
アンディーが初めて中国に伝えて乗馬クラブでみんなで飲んだ。
みんな彼女のことを大好きで、彼にはこいつしかいないと思ってたのに、
彼はあんまり美人でない彼女と別れて、
後にはキャバレー(売春あり)を何軒も経営し、
「俺は嫁はいないが200人のお姉ちゃんといつでもセックス出来る」
という人間になった。
「みんな偉くなっちゃって変わっちゃったね」
とワシは言う。
「人は変わらなければ生きてゆけないんだよ」
とBaNaは言う。
みんな貧乏で、安酒飲んでロックと夢と、
そんなアホな話ばかりしてたあの頃の友達はみんな変わってしまって、
今は会っても車の話と家の話、女の話と商売の話、
世知辛い話ばっかで何も面白くない。
「あの時代はもう帰って来ないんだ」
とBaNaは言うけど、
ワシは何とかかろうじて生息している貧乏なアンダーグランドバンドと一緒に暮らしている。
泣いたり笑ったりふたりでいろんな話をしているうちに、
ふと会場の片隅で居場所もなくひとりでぽつんと座っている李漠(LiMo)を見つけた。
「よっ!!一夜にしてスターになった気分はどうだい!!」
さっそく呼びつけてからかってみる。
しどろもどろにジョークを返す彼女を見てワシは全部理解した。
「周りが突然あまりにも変わってしまって、自分の居場所がなくって困ってるんだろ」
先日の焼き肉にも顔を出さなかった。
「彼女どうして来ないんだ?」
とみんな言ってたが、彼女の今日の表情が全てを物語っている。
「俺が昔スターだった話、知ってるか?
このBaNaと知り合った頃、日本ではちょうど今のお前みたいな感じだった。
バンドが好きでドラムが上手くなりたいだけの人間がある日スターになっちまって、
居場所がなくって中国に逃げて来た。
でもなあ、今でこそわかる。
スターなんて砂で出来た城みたいなもんだ。
それをみんながむしゃらに守って生きている。
場違いなテレビとか毎日駆り出されるだろ?
右見ても左見ても大スターばかり。
俺もあの頃は"こんなスター達の中で何で俺がいるんだ"と思ってた。
でもそのスター達だって逆に
"すっげー!!ロックスターが今隣にいる"
とか思ってビビってんだ。
そんなもんさ」
事実この日の李漠(LiMo)の周りは大スターばかり。
ワシは彼らがペーペーの頃から一緒だから何も思わないが、
さすがに初めてここに放り込まれたらそれはビビってこうなるのもわかる。
「確かにお前はずーっとアンダーグランドの人間だった。
金にもならないロックを歌っているバンドのボーカルだ。
そして今もしょせんはそうなんだ。
そのことにコンプレックスを持ってたってしかたない。
むしろそのことに胸を張れ!!誇りに思え!!」
中国の芸能界の歴史の中でも、
若くもない、美人でもない、ただロックが好きで歌がうまいだけの人間が、
ある日を境にに突然大スターになるなんてことはなかなかない。
「お前は俺たちと一緒なところで生きて来た人間だ。
それが何かの運命でここに来た。
日本で俺がそうなった時は俺はそれに背を向けて逃げて来た。
でもお前は逃げずに頑張るんだ。
お前が頑張ればアンダーグランドの人間みんなが幸せになれる」
頃は数ヶ月前、誰も彼女がこんなになるとは夢にも思ってなかった頃、
ワシは彼女を呼び出して説教をした。
「お前な、そうやって今までやって来たメンバーをないがしろにしてると、
お前が失敗した時はいい、万が一大成功でもしてみろ、
みんな表面でいい顔して心の中で軽蔑する、
お前はそんな人間になりたいのか?!!」
ワシだって彼女がその後こんなことになるとは夢にも思ってなかった。
しかしこれも運命である。
間に合った!!
彼女は既にバンドメンバーに電話をして、
今後1年の自分のギャラをみんなで分けたいと申し出ている。
ほんと、間に合ったのである。
今日はベースの韓陽と会ったが、
みんな彼女の成功を祝福している。
このまま彼女が一本何十万元の歌手になっても、
自分のところにその4分の1が入るなんて思ってない。
要はその「気持ち」が嬉しいのだ。
「お前はな、いつまでたっても俺たちと一緒なところにいる。
お前が生きて来たところに胸を張れ!!
そこには奴らがいて俺がいる。
お前はそこにもいてここにもいる、そんな数少ない人間のひとりなんだ!!」
セッション大会が始まり、
今までどこに言っても隠れるように隅っこで隠れていた彼女も、
いつの間にか大スター達のマイクを奪ってハナモゲラで歌を歌う。
スター達だってしょせんは一皮向けばワシと同じアホばかりなのである。
「もう帰ります。今日はほんとに・・・初めて楽しかった・・・」
彼女はそう言って先に帰って行った。
これでもうしばらくはこの世界でも迷うことなく生きてゆくだろう。
またもし迷うことがあったらワシがいる。
一緒に頑張って来たバンドメンバーがいる。
「変わらなきゃ生きてゆけない」世の中でも、
ずーっと変われなくて不器用に生きている仲間もいるのだ。
頑張れ李漠(LiMo)!!アンダーグランドの星!!
俺たちはずーっとお前を見守っているぞ!!

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2011年1月11日
銀行カード無事ゲット!!電気も無事(?)ゲット!!
朝早くに起きて銀行に行った。
番号カードを取って順番を並んで、
窓口でさっさと書類とパスポートを出す。
「一昨日、ここのATMでカードなくした!!
カードの番号はこの書類!!
私のIDはパスポート!!」
これだけである。
ついでに最後に引き落とした時間が携帯にショートメールで届いているので、
「これがカードなくした時間!!」
中国語はこれだけで済んだ。
見れば別の係員がノートと輪ゴムでとめられた沢山のカードを持って来て、
ワシの銀行名とカード番号からカードを特定し、
名前をパスポートで照合して、
「はい、ここにサインして」
で終わりである。
めでたしめでたし!!
ということで院子に帰ったがまだ電気は通じていない。
大家さんが機材を持って一生懸命直している。
ワシは布団にくるまってiPadで映画を見ていた。
気がつけば周りはすっかり暗くなって来て、
ふと見ると他の部屋は電気が来ていてうちだけ来てないではないか!!
大家んとこに殴り込みに行く。
「なんでうちだけ電気来んのじゃ!!」
大家の説明では、
どっかが漏電している恐れがあるのでコンセントを全部おおもとから抜けと。
8部屋もあってスタジオには山ほど電気機器があるのにあいにく今日はワシしかいない。
懐中電灯を持って全ての部屋のコンセントを抜いてまわった。
それでもダメだというので全ての電球を外してまわった。
やっとOKになったので今度はひとつづつ電球を入れてゆく。
原因はスタジオの電球の回線だった。
とりあえずは騙し騙しではあるが電気はつながった。
こたつの中で仕事をするぞ!!
Posted by ファンキー末吉 at:15:29 | 固定リンク
2011年1月10日
ラップ歌手のミーティング
今回は本人抜きでミーティングが行われた。
「個人的な問題は解決しました。
頑張って曲作りに励みます」
とメールをもらっていたのでこうして極寒の北京まで帰って来たのじゃが、
実はそれ以外にもいろいろ問題が多いらしい。
事務所が連絡しても返さない。
勝手に自分で仕事をブッキングする。
出番直前にドタキャンする。
等いろいろ問題を起こしているらしい。
事務所としては「コントロール不能」ということで、
とりあえずこのプロジェクトを停止しようということである。
もちろんもらった前金は返さないが・・・
ミーティング場所には彼との連絡係も含め、
いろんなアレンジも振っていた苗佳(MiaoJia)と、
いつもながら何の仕事をやってる人なのかよくわからんDongLinという男がいた。
左手をいつもポケットにしまい、
「ヤクザとの抗争で指を失った」とかまことしやかに噂されるアヤシイ男である。
この男、昔はワシに
「スタジオを作るからお前それを自分のスタジオとして自由に使え」
という話を持って来たところからの付き合いである。
「貧民街に作ったばかりでんがな!!」
と言うと、
「マンションも借りてやるから引っ越せ!!」
と言う。
おまけに
「このスタジオを自分で使う分にはお金はいらん。
好きに使え!!
そして外部に貸して儲かった金は3割お前にやる!!」
という好条件付きである。
こちらの有名プロデューサーがスタジオをいくつも持ってたりする話を聞くが、
それがどういうシステムなのかがよくわかった。
つまり「DongLinのスタジオ」と言ったところで通りが悪いが、
「誰々のスタジオ」等、有名プロデューサーの名前があった方が通りがよいというわけだ。
バブルの北京ではそんなスタジオが山ほど出来ている。
ワシぐらいでそんな話が来るぐらいだから超有名ブロデューサーがいくつもスタジオを持っているわけだ。
まあ結局ワシは貧民街で貧乏なアンダーグランドバンドと暮らす道を選んだが、
その後も彼は
「ロックのオムニバスを作るからプロデュースしてくれ」
とかわけのわからんプロジェクトを持って来る。
しかもどれも途中で尻つぼみになっているんだから力があるのかないのかよくわからん男だが、
このラップ歌手のプロジェクトにも恐らく金を出しているのだろう、
今では「あいつはこの男の言うことしか聞かない」ということで乗り出して来たようだ。
彼はいつものように熱く中国ロック論をぶちかます。
「崔健、黒豹、唐朝、あの時代からNiuBi(ファッキングレートの意)なロックが現れていない!!」
が彼の口癖である。
事務所は「売れるアルバムを作ってくれ」というのに対して、
彼はいつも「ファンキー、ロックだ!!NiuBiなロックを作ってくれ!!」と言う。
ワシは彼に説明する。
「ロックは時代と共に生まれ、育ってゆく。
あの頃のロックはあの時代のものなのだ」
と。
しかしワシはこのラップ歌手は次の時代を担うロックスターになれると思っている。
歌詞がワシの中国語力では全部は理解出来ないが、
要するに何か「空気」のようなものである。
アンダーグランドの底辺にいる24歳の不良の歌を、
全国の道に迷った中学生がみんな口ずさんでいる。
「あと5年したらその子供達が時代を作ってゆくことになる。
その時に彼は時代を代表するロックスターになってるに違いない」
そんな「錯覚」を人に生ませるかどうかがまた「才能」である。
そんな「錯覚」をした大人達が金を出し、
ワシという人間を引っ張り出し、
そしてその「錯覚」を現実のものにしようと走り出した時、
その本人は女と手に手を取ってタイに逃げ出した。
よくわからない。人は
「あいつは母親がいなかったからなあ・・・
女っつうのに対する感情が俺たちとは違うんだろ」
と言うが真偽のほどもわからない。
とにかく事務所はさじを投げ、
ワシは前金だけをもらってこのプロジェクトは中断した。
ワシは言う。
「どんなに才能を持った人間でも、
上に行けるか行けないかはまた別の才能である。
彼が本当にトップに行ける人間だったとしたら、
旧正月が終わったら帰って来てまた始めるだろう。
そうでなかったらただそこまでの人間だったということだ」
ミーティングを終えて飲みに行く。
キャッシュカードの一件のため金はないが、
でも奢ってくれる友達がたくさんいて、
院子には電気が来てないが泊めてくれる友達がたくさんいて、
そう言えば昔のロッカーはみんな、
国から与えられる単位(職場)を放棄して毎日友達んとこで酒飲んでそんな生活をしてたなあ・・・
今は昔、変わるものは大きく変わるが、変わらないものは全然変わらない。
ワシはまだまだ変わらずに生きてゆこう・・・
Posted by ファンキー末吉 at:12:44 | 固定リンク
その続き・・・
銀行に行った。
9時に開くというので8時半に行った。
「今日は担当者がおらんので明日9時に来い」
と追い返された。
今日は日曜日。
中国の銀行は年中無休だが、
さすがに日曜日にはやれない業務もあるのか・・・
とあきらめようと思ったが、
ふと手元を見ると持ち金がない。
カードを紛失したのは農業銀行、
ワシのカードは招商銀行なので、
とりあえず招商銀行に行ってカードを再発行出来ないか聞いてみよう。
前回から更に数年が経過しているため、
パスポート番号が更新のためまた変わっている。
まあどちらにしろめんどくさいのだ・・・
農業銀行よりは大きな銀行である。
心なしか対応もよい。
順番待ち番号を取る前にお姉ちゃんが事情を聞いて教えてくれる。
「カードの再発行は最低でも1週間かかります。
その銀行が翌日カードを返してくれると言うなら、
うちであなたがそのカードの持ち主だという証明書を出しますので、
それを持って明日そちらの銀行に行くのが一番早いですよ」
親切に順番カードまで取ってくれて無事証明書発行!!
午後からミーティング!!
Posted by ファンキー末吉 at:12:31 | 固定リンク
2011年1月 9日
極寒の北京に着いたら悲しいお知らせ3連発!!
常夏のペナンから極寒のペキンである。
気温差40度・・・
マイナス15度の北京空港に降り立った時、
迎えに来てたLaoWuから「悲しい知らせ」を2つ聞いた。
ひとつは友人が結婚祝いにプレゼントしてくれたオンボロジープ。
車検に出したのだが、もう製造20年経ってしまったので車検が通らないというのだ。
ボロくってすみません号・・・
君は中国ロックのために本当によく働いてくれた。
修理代が購入代よりも高くかかってしまったが、
君と暮らした5年間のことは忘れない・・・
そしてもうひとつは「院子が数日停電している」ということ。
これは命にかかわる!!
もともとマイナス15度のところにあるただの「コンクリートの箱」なのだ。
コタツもエアコンも使えないとなると寝たらそのまま凍死してもう起きて来ないことにはなるまいか・・・
服を着込んで、ドテラまで着込んで布団に入った。
朝早くLaoWuに起こされる。
旧正月で田舎に帰る彼を送りに行くのだ。
空港に着いて暖をとってる時に発覚した。
キャッシュカードがない!!!
夕べ村の近くの銀行でお金を下ろした後、
どうもそのままATMから取り忘れてしまったようだ・・・
中国では1回の作業で2000元しか取り出せず、
更に続けるには「継続」を押し、
それで終わりなら「カードを取り出す」を押す。
「カードを取り出す」を押したらそのカードを忘れるわけはないので、
きっとそのままにして現金だけ取って帰っていったのだ・・・
当然ながら次にこのATMを触る人はもう暗証番号は入っているのだから、
1日の限度額2万元までそのままお金を引き出すことが出来る。
しかし私のカードは
現金を引き出したら自動的に携帯にショートメールで知らせてくれるので、
現状ではまだ誰かが引き出したということはないようだ。
「すぐ行ってカード取って来る」
と言うワシをLaoWuが止めた。
「まだ銀行開いてないから無駄だよ」
どうも中国のATMはそのまま30秒操作されなかったら、
カードを回収したまま機械を停止してしまうらしい。
銀行が開いたら職員はそのカードを回収し、
引き続きATMが使えるようにするのだと言う・・・
銀行が開いて幸いカードが回収されていたとしても、
中国の銀行は通帳がなくカードと暗証番号だけなので本人確認が大変である。
前回は(こちらに顛末が)
パスポートが更新によりパスポート番号が登録してたのと変わってたので大変だったが、
今回はその時から既にまた更新されているのでまた大変である。
こんなことなら10年のパスポートにすればよかったと思うが、
5年のパスポートでも出入国のハンコでいっぱいになるので無理である。
うまくいけばおなぐさみ・・・
いかなければ・・・
ワシの今まで中国で稼いだ金を全て失うことになる・・・
Posted by ファンキー末吉 at:08:26 | 固定リンク
2010年12月22日
あかん・・・中国のTwitterにハマってしもた・・・
何度か書いたか中国では国家が
TwitterだのYouTubeだのにアクセスするのをブロックしている。
まあ一党独裁国家で人民が敵国アメリカのサーバーで好き勝手に反政府運動を繰り広げられては都合が悪いのだろうが、
ここが「上に政策あれば下に対策あり」の中国人の凄いところで、
別に国家がアメリカのサイトにアクセス出来ないようにしようが関係ない!!
YouTubeの代わりにはYouKu、
そしてTwitterの代わりには微博がある。
ページに行ってもらえばわかるが、
何とフォロアーの数が桁違いである!!
ワシの日本の知り合いで一番フォロワーが多いのは、
中国関係で知り合った蓮舫さんだが、
それでもフォロワーは20万人である。
ところが中国の知り合いは桁は数百万なので恐れ入る!!!
自国にこれだけ人数がいると別にアメリカに頼らなくても自分たちで全部出来てしまうのだ・・・
友人に
「微博やれよ、自分のプロモーションにも役立つよ」
と言われて、
まあ登録するだけならと思ってIDだけは取っておいた。
ところがここに来て誰かがワシのアカウントで
「私はファンキー末吉です。フォローして下さい」
と呟いたもんだからたまらない。
誰がやったかわからんが、
きっとワシが使った友人のパソコンにそのままIDが残ってたのだろう。
それを 知り合いの有名人がRTしたもんだから、
いきなり「ファンキーさんも始めた」とばかりいろんな人がフォローし始めた。
つぶやいたらいかん、つぶやいたらいかん・・・
そう思いながら数日、
ここに来て黒豹のドラマー、趙明義のつぶやきを見てついつぶやいてしまった。
「临沂の友人達よ!詳細を教えてくれ!!
誰かが黒豹の名前を使って商売をしている!!
黒豹は今北京にいるのに誰が今日临沂でコンサートをしてるのだ?!!
これは詐欺だ!!」
おりしも临沂のワシが行った時のパール倶楽部のオーナーから
「黒豹のボーカルの秦勇が来るんだけど遊びに来ないか?」
とメールをもらったばかりである。
調べてみるとその体育館コンサートに秦勇を呼んだ主催者は、
堂々と彼が黒豹から脱退前の写真をポスターに使って宣伝したのだ。

そのつぶやきを临沂の公安局が返信するほどの騒ぎになっている。
もともと黒豹というのは中国で最初に「海賊バンド」が現れたバンドである。
もう20年近く前であろうか・・・
当時「ロック」というだけでテレビには出れなかった時代、
大ブレイクした黒豹の曲は全中国人が知っているが、
いかんせん誰もその顔をはっきりと知らない・・・
顔を知る術はその発売されたカセットテープのみである。
そこである若者はこんなことを考えた。
「あのカセットテープの写真のような格好をして、
バンドを組んで彼らのコピーをし、
自分たちが「黒豹」だと名乗ってコンサートをしようじゃないか・・・」
黒豹本人が認識しているだけで2件そういう事件があったんだから
実際にはもっともっとこんな輩が現れていたのだろう。
どうしてこれが発覚したかと言うと、
一生懸命コピーはするもののやはり素人である。
体育館クラスのワンマンコンサートで、
客が次第に気がついて来た。
「これはひょっとしてニセモノではないのか・・・」
誰かが「ニセモノだ!!」と叫んだが最後、
数万人の観客は「騙された」とばかりステージになだれ込み、
そのバンドのメンバーをめった打ち!!
まあだから発覚したのだが、
発覚してないコンサートはきっと山ほどあったことだろう・・・
懐かしくてつい彼に向かってつぶやいてしまった。
いやー懐かしいねえ・・・李慧珍のレコーディングの時にもお前、
「黒豹の名前を勝手に使うな」と言って大もめしたねえ・・・
日本語だけど写真があるからこのブログのアドレスを見せてやろうと貼付けたら、
当の本人の李慧珍がそれを見て、
「ファンキーさん・・・私・・・涙が出てきちゃったわ・・・」
と発言。
彼女はその後ワシのプロデュースによってヒット街道を走って今がある・・・
この話は中国でも有名で、
ある日など地方のテレビ局が
「彼女をびっくりさせたいのでサプライズゲストで来てくれませんか」
と安徽省まで呼ばれたことがある。
番組の中でワシが登場したら彼女は号泣・・・
ベタだったがいい番組だった・・・
そしてふと見ると・・・5分間に10人ずつワシのフォロアーが増えている・・・
あかんやん!!
日本のTwitterだけでいいかげん大変やのに中国のまでやってられるかい!!
しかしモノは考えようである・・・
中国ではUstreamも規制されているが、
ツイキャスなら中国からでも見れる。
このアドレスをつぶやいといてやろう・・・
明日は西野さんのライブで高田馬場に行く。
あの超絶ブルースギターを中国人に生中継してやろうじゃないか!!
いろんな有名人がツイキャスで生中継して、
当然ながらそれを見る人は全て日本人である。
中国人しか見ないツイキャスなんて非常に面白いんではあるまいか?!!
明日このアドレスでライブ配信します。
メンバーが許せばリハから配信しようと思うけど、
すまんが明日は全部中国語で解説してみようと思う。
何人の中国人が見るだろう・・・
中国語でつぶやかにゃつぶやかにゃ・・・
(注:日本のTwitterにはそのつぶやきは反映されませんのであしからず)
Posted by ファンキー末吉 at:23:50 | 固定リンク
2010年12月20日
女性ロック歌手「李漠(LiMo)」のその後
いい話があったのでここでご紹介しときたい。
「ファンキーさん、私・・・今後のライブでの収入をバンドと分けることにします」
レコードが商売にならない中国ではコンサートでの収入だけが全てなので、
ソロでレコードを出した彼女にしてみたらこれは並大抵の決断ではない。
ワシの知る限り中国でこのような決断を下した歌手は皆無である。
ワシは言った。
「お前もクソ貧乏なんやから一生とは言わんでええ!!
向こう一年とかな、メンバーも銭金やない、気持ちの問題や!!」
LaoLuanにもすぐさま電話して、
「今後李漠(LiMo)のライブがあったら
ワシやのうてあのバンドのメンバーをブッキングしてや!!
メンバーの都合が合わんかったらワシがやってもええけど、
まずは優先的に彼らにやらしてやってや!!」
と伝えた。
これでいいのだ!!
貧乏でも仲間がいればこの国では生きてゆける。
頑張れ李漠(LiMo)!!
・・・と思ってたらここに来て状況が一変した。
LuanShuとやっていた映画音楽の仕事が終わり、
この年末に公開されるということで大々的に記者会見が行われた。
中国に一大北海道ブームを巻き起こし、
中国人観光客が北海道に大挙して押し寄せ、
観光収入が激増したと知事が感謝状を贈ったというエピソードもある、
その大監督が撮ったその続編の映画であり、
彼の前作「唐山大地震」は100億円を越す興行成績を残しているという、
言うならば今中国で一番売れている監督の期待の最新作である。
その主題歌を李漠(LiMo)が歌った!!
監督はLuanShuに面子を重んじて、
この大作の貴重な主題歌を彼んとこの無名の新人に歌わせたのだ。
全中国人が注目する記者会見で彼女はこの歌を歌い、
そのプロモーションビデオはこの監督自身の手によりこの映画を編集して作られた。
(ブラウザによって再生出来ない場合にはこちらへ)
《最好不相见》
曲:栾树 词:仓央嘉措 演唱:李漠
最好不相见,便可不相恋。
最好不相知,便可不相思。
最好不相伴,便可不相欠。
最好不相惜,便可不相忆。
最好不相爱,便可不相弃。
最好不相对,便可不相会。
最好不相误,便可不相负。
最好不相许,便可不相续。
但曾相见便相知,相见何如不见时。
安得与君相诀绝,免教生死作相思。
最好不相见,便可不相恋。
最好不相知,便可不相思。
最好不相伴,便可不相欠。
最好不相惜,便可不相忆。
最好不相依,便可不相偎。
最好不相遇,便可不相聚。
中国の古い詞を用いたこの曲は一瞬にして全ての中国人の心をとらえた・・・
昨日LuanShuから電話がかかって来た。
「ファンキー、いろいろありがとうな。
おかげで李漠(LiMo)のHPは2日でアクセス1千万を越えたよ」
もともとはと言えばお前が
「こいつを何とかしたいんだ、頼むよ」
と言ってワシに預けたのだ。
ワシはアルバムをレコーディングしてやるぐらいしか出来なかったが、
最後にはお前が自分の手で落とし前をつけた。
これでいいのだ!!
大々的に配られている彼女のプロモーション盤にはちゃんと、
バンドのメンバーの名前もワシの名前もアホのアシスタントの名前もクレジットされている。

ド貧乏なひとりのロック歌手が一夜にして大スターになった。
ワシの助言は彼女を取り巻く全ての人間を幸せにした。
これでいいのだ!!
Posted by ファンキー末吉 at:08:40 | 固定リンク
2010年12月17日
だいたいがそんなに予定通りにいくわけがない・・・
北京空港に着いたらすかさずアホのアシスタントに電話する。
「んで? 最初のレコーディングは結局誰になったの? BeiBei?」
その最初のレコーディングの人がミーティング終わりでワシを2時に迎えに来て、
そのまま一緒に院子に帰ってレコーディングという段取りになっている・・・
・・・はずである・・・
「あ、BeiBeiはレコーディングしないそうです」
ひょうひょうと答えるアホのアシスタントにちょっとキレそうになりながら、
「あ、そう。じゃあ紅焼肉楽隊は?」
「紅焼肉楽隊のことはよくわかりませんが・・・私のレコーディングは明日の朝9時です」
だいたいワシは数日前から彼に、
「滞在時間は2日間だけである。
BeiBeiが2日間押さえているが、紅焼肉楽隊もやりたいというので、
お前が全てに連絡取って時間調整して、
最初にレコーディングする人が2時にワシを迎えに来て・・・」
とメールを書いているのに、
結局こいつは自分のレコーディングしかブッキングしてないのだ・・・
力なく電話を切ってBeiBeiに電話する。
「今日はレコーディングないの?!!」
心なしか語気がちょっと荒い・・・
「あれ? ファンキーさんは今回は紅焼肉とか他の仕事が忙しいんでしょ?」
「他の仕事は関係ない! お前はやるのかやらないのか?!!」
「いや今回はベースの韓陽がツアーでいないから出来ないんです・・・」
元はと言えばこいつが
「ファンキーさん月末に一度リハーサルして、
じゃあ来月は16日と17日に2日間かけて録っちゃいましょう」
というから今回の行程を組んだのだ。
日にちを決める前にちゃんとミュージシャンのスケジュールを押さえとかんかい!!!
というわけでデブに電話する。
「いつでもレコーディング出来るぞ!!メンバー招集しとけ!!」
力なくラップ歌手のミーティング場所に着く。
このプロジェクトだけがちゃんと前金をもらっているのでこちらとしても力が入る。
予定をオーバーしつつ中国の音楽市場について力説し、
大体の方向性と今後のスケジュールを決め込んでゆく。
後は旧正月にそのラップ歌手を日本に招聘して、
そこでリーディングソングを数曲レコーディングしてそのままTD。
旧正月開けにはその他の楽曲を仕上げて、
予定通り春にはアルバムをリリース・・・と・・・
「ところで新曲が全然上がって来ないんだけどどうしたの?」
とちょっと元気のないラップ歌手を心配してみる。
「彼はちょっと心情不好なんだ・・・」
と周りが笑いながら言う。
「何だ何だ? 色恋沙汰か?・・・ま、いい。日本にはその彼女も来るんだろ?
温泉連れてってやるから!! お前は全身入れ墨なんで無理やけど・・・」
冗談も交えながら普通に受け答えていたが、
後で聞いたら色恋沙汰から派生した暴力沙汰だそうである。
まあ彼は被害者なのだそうだが、今中国ではネットで大きく騒がれているらしい・・・
「それより何より彼のビザって本当に下りるんですか?・・・」
スタッフが心配そうに聞く。
聞けばどうやら犯罪歴もあるようだ・・・
ワシの横にちょこんと座っているおとなしい少年・・・
ステージでは全中国の若者を魅了するこの少年は実はとどのつまり・・・
・・・全中国の不良の親玉なのだ・・・そしてワシはその親分・・・(涙)
ビザは下りんじゃろ・・・旧正月明けたら北京でゆっくりレコーディングしましょう・・・
Posted by ファンキー末吉 at:09:48 | 固定リンク
2010年12月16日
こなせるのかこのスケジュール?!!
ツアーから帰ってすぐ「また中国行かにゃぁ・・・」とこぼしたら嫁が涙目になったので、
とりあえずは爆風のライブもあることだしということで日本にずーっといたら、
結局今回北京に行く数日に全てのことをやってしまわねばならない・・・
今から数時間後には羽田に行って北京に飛ぶが、
正午に着いてまずラップ歌手の制作ミーティング。
これは既に前金をもらってしまったので最優先にさせてもらっている。
1時にそいつの事務所着いて、
DEMOなど聞かせてミーティングして、
基本的に2日間レコーディングで押さえているBeiBeiに迎えに来させて、
一緒に院子に帰ってレコーディング・・・
・・・と思ったらデブからメール・・・
「ファンキーさん、この2日間で紅焼肉楽隊のレコーディングリハする時間ありますか?」
「んなん知らんがな、BeiBeiに聞きなはれ!!」
とばかりうっちゃっていたが、また何がどうなってるのかBeiBeiが連絡が取れない。
国際電話かけるのももったいないのでアホのアシスタントにメールして振っておく。
しかしこんな時に限ってこいつは仕事を取って来るのだ・・・
「ファンキーさん、この2日間で1曲ドラムのレコーディング出来ますかねえ・・・」
お前が全ての人間に連絡して時間を調整すんならワシはかまわんぞ!!
まず16日は正午に着いてラップ歌手の事務所でミーティングするので、
最初のレコーディングの人はワシを2時にそこに迎えに来なさい。
その後その日は夜中まで入れ替わり立ち代わりレコーディングすればよろしい。
次の日は朝からすればよろしい。
ワシは夜の8時には出発して揚洲に向かうからそれまでの時間は全部お前に任せた!!
アホなりに頭を使ってそのレコーディングは次の日に朝に入れたようだ。
どこの世界にもロックミュージシャンは朝起きないので賢明な判断である。
それでもメールでアレンジした仕事のミーティングは入れられるやわからないし、
旧正月に招聘するラップ歌手の手続きもやる時間があるやらわからない。
なんじゃかんじゃで揚洲に行ってしまえばこちらのもんである。
「没問題(MeiWenTi)」という言葉があり、いわゆる「ノープロブレム」なのだが、
それと平行して「没办法(MeiBanFa)」という言葉もよく使う。
「There is no choice」すなわち「しゃーない!!」である。
Wyn Davisが中国に来た時にこんな言葉を残した。
「そりゃノープロブレムじゃろ・・・何事も全部しゃーないんやからなあ・・・」
北京にいなけりゃそりゃ「没办法(MeiBanFa)」・・・
せやから「没問題(MeiWenTi)」、全てOKなのである。
さてワシはそのまま夜汽車に揺られて揚洲まで行って、
18日の朝に着いてそのままドラムクリニックを行う。
終わったらお決まりの大宴会・・・
しかしワシは19日の夜には店でプロJam爆風スランプ大会のセッションリーダーをやらねばならない。
揚洲という場所がどこにあるかようわからんが、
一番近い国際空港は上海のようだ。
終演後に酒を飲み、そのままそこのパール倶楽部のオーナーがワシを車に乗せ、
5時間かけてワシを上海空港まで乗せて行ってくれるらしい・・・
ほんまに間に合うんか?・・・
予定通り朝一番の飛行機に乗れれば午後2時には成田に着いて、
そのまま夕方には八王子についてセッションをしているはずである。
では日本のみなさん!!19日にLive Bar X.Y.Z.→Aで会おう!!
(順調に行けばの話やが・・・)
Posted by ファンキー末吉 at:02:26 | 固定リンク
2010年11月16日
いっぱい仕事したどー!!
昨日いち日ふて寝したので今日は働いた。
まず午後からラップ歌手のミーティング。
散歩も兼ねて歩きとバスと地下鉄で相手の事務所まで向かう。
1時間ちょいということはこの貧民街は日本で言うと八王子ぐらいの位置にあるのね・・・
着いたらラップ歌手はギタリストを連れて来ていた。
今彼が一緒にいろいろDEMOを作っている相方だ。
通常こういう場合は話がややこしくなる。
会社が選んだプロデューサーより、
いつも一緒にやっている人間の言うことしか聞かなくなるというのはよくある話だ。
しかしこのギタリスト、苗佳(Miao Jia)は張楚(Zhang Chu)のバンドでも一緒だったし、
今まさにレコーディングしようとしている紅焼肉楽隊のギタリストでもある。
RUN DMCがエアロスミスのWalk This Wayをカバーしたように、
「X.Y.Z.→Aのカバーやんなよ」という意見にも一緒に飛びついて来る。
事務所の社長も飛びついて来た。
この事務所の社長も古くからの友達である。
金を出すのは事務所だが、
その事務所の人間が全面的な信頼を置いてくれるということは非常に仕事がやりやすい。
じゃあ帰ろうと思ったらもうひとり来るから待ってくれと言う。
待ってたら別会社のDである。
きっとこのプロジェクトに投資してるのか何かであろう。
彼には数年前「ロックのオムニバスを作るぞ!!」と声をかけられ、
あてにしてX.Y.Z.→Aの中国語バージョンまで作って企画が流れてしまっているので貸しがある。
「ファンキー、NewB(牛のおま○こ、つまりファッキングレートの意)なRockアルバムにしてくれよ」
の一言で終わる。
ここで全ての関係者のベクトルがひとつに集約した。
「ファンキーに頼めば世界レベルのRockになる」
これだけである。
知り合い以外が関係者にいない、
この状態をなし得るまでにワシは20年の月日を費やしている。
ロック界でファンキーを知らなければ「モグリ」なのである。
あと重要なこと、事務所と契約書を交わしてサインした。
これは昔にはなかったことだが、
金の支払いまでちゃんと明記されており、
明日にはちゃんと前金が振り込まれるだろう。
仕事成立!!
別れ際に苗佳(Miao Jia)がワシの肩を抱いてこう囁く。
「ファンキーさん、いろいろ助けて下さいね」
ワシは言う。
「助けてもらいたいのはこちらの方さ。
ラップ歌手とワシの間に立っていろいろよろしく頼むよ」
彼は言う。
「いやいや、僕はいろいろあなたから学びたいんです」
どうも金ももらうつもりはないようだが、
いやいやちゃんとギャラは払いますよ。
プロデュースの名前に一緒に連ねてもいい。
こういう損得なしで燃えている人材が一番必要なのよ!!
みんなと別れて張張を訪ねて行った。
彼がプロデュースしている歌手のアルバムのミックスをファンキースタジオ八王子でやりたいと言うのだ。
中国のデブでも日本のデブでも仕事をくれるデブはいいデブである。
(鄧小平の白猫黒猫の理論より)
別にデブは今日のレコーディングが終わったらデータを持って来ると言うのだからわざわざ行かなくてもよかったのじゃが、
その歌手というのが会ったことのない人なので、
これは一度脅しをかけに・・・いや、ちゃんと面通ししに行かねばと思ったのだ。
想像するにこのプロジェクトはその歌手が自分で金を出している。
そしてどんな人間にも「感情」があり、中国人は特にそれが強い。
大事な金を払う相手をちゃんと見極めておきたいというのは人情である。
そのスタジオとやらは初めて行くスタジオだったのじゃが、
そこのエンジニアがワシのソロアルバムを聞いて育った世代だった。
「やっぱりファンキーさんでしたか。あのアルバム聞いてました。
一緒に写真を撮って下さい」
こういうシチュエーションはその金を出す人に大きな安心感を生む。
すかさずデータの受け渡しについていろいろ打ち合わせをし、
ミックスの方向性、特に中国のマーケットにどう合わせるかを話し合う。
この辺は外国人ではまず出来ない技なので先方には更なる安心感を生む。
最後に金の支払いについて話をして終わり。
みんなワシが必ず前金を取るのを知っているのでそれも尊重してくれる。
院子に帰ってしみじみ思う。
ワシは20年ここにいるからそれが出来るのだ。
どんなところにでも10年頑張れば地盤が出来、
20年頑張ればそれなりの地位が出来る。
日本やアメリカに仕事を振る時に、
「高いだろ」
と言われたら必ずワシは
「中国値段でいいよ」
と言う。
「悪いねえ・・・」
とみんな言うが実はわかっていない。
不景気のどん底であがいている日本より、
ドル安であがいているアメリカより、
バブルまっただ中の中国の方がヘタしたらギャラが高いのだ!!
まあ今は円高なので両替して持って帰ろうとは思わない。
突然没収されるリスクはないとは言えないが、
北京のスタジオの維持や何やらこちらでも金が出てゆくのだから仕方がない。
日本政府よ!!円高をいつ止めてくれる!!!
ま、どっちでもいいけど・・・
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2010年11月15日
ふて寝するしかないなあ・・・
北京に帰り着いた。
寒い・・・
もともと今日は紅焼肉楽隊のレコーディングであった。
しかしドタキャン。
もともとBeiBeiのレコーディングとスケジュールの取り合いをしてたんだから、
じゃあBeiBeiのをやるかと思ったら北京にいない。
じゃあラップ歌手のShuangzのアルバムから着手するかと思ったら連絡が取れない。
3つのアルバムを同時に録ろうと言うんだぞ!!
ワシが北京にいるうちに少しでもドラムを録っとかにゃおらん時にダビングとか出来んじゃろ!!
というわけで3つとも停滞・・・
ということは3つともまたいっぺんに始まるということなのだ・・・
なんでこうスケジューリングがうまいこといかんかのう・・・
全てが行き当たりばったりやから仕方ないが・・・
それをうまく処理しようとあがいてるからあかんのやな。
こっちも行き当たりばったりでやらな噛み合ん!!
次に北京に来れるスケジュールを見てみたら、
秘蔵っ子ツアーが終わって五星旗オリジナルのライブをやった翌日。
今回日本に帰ってすぐ秘蔵っ子ツアーに出て、
帰ってまたすぐ北京に飛んだら今月は全然家庭におらんっつうことやないの!!
いかんいかん、いくら仏の嫁でも鬼の嫁に変身してしまうじゃろ・・・
爆風のライブが終わった後は数日空いているが、
全中国ドラムクリニックがここで上海か広州を入れようとしている。
一ヶ月前に行き当たりばったりのスケジュール入れるんやめようや・・・
そこがダメなら次の週末と言うが、
クリスマスっって飛行機高いやろうしやめようや・・・
みなさんねえ!!
ワシに仕事して欲しければちゃんとスケジューリングやろうよ!!
いついつからいついつまでってまずスケジュール押さえてから、
やるべきことは先先にやって、後は飲むなり遊ぶなりすればええんとちゃうの!!
っつうこってふて寝!!
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2010年11月 9日
レコーディング3本
中国で「仕事」と言ってもそれが即「仕事」となることは少ない。
昔は「胃袋で仕事する」と言われてたように、
まず一緒にメシを食って、そしてやっと「仕事」になったのだが、
もう中国に来始めて足掛け20年にもなると最近はそれもない。
その代わりやっぱり「話半分」に聞いてないとダメである。
「これをやるから頼むよ」
と言われてそのまま順調に仕事になることは少ない。
ラップ歌手のアルバムも全然動いていない。
「じゃあお金提示して」
と言ったら全然よりつかなくなるのだ。
しかしもう「契約した」と言うからあと一歩だろう。
「お話ししたいことがある」とまた呼び出されている。
そんな時は
「毎日院子でレコーディングしてるからお前が来い」
と言っておく。
いちいち付き合ってちゃ身が持たない・・・
というより
「僕も紅焼肉楽隊に入ったんだ。
メンバーはこれで全部、つまりドラマーがいないんだ。
ロックと言えばファンキーさん、是非ドラムを叩いてくれないかなあ・・・」
と言う。
じゃあとりあえず音を出してみよう・・・
ということでレコーディングスタジオにアンプやらPAやらを持ち込む。
うちも別部屋にちゃんとリハーサルスタジオを作っておいたのだが、
隣の布衣のリハスタでやった方が早いので今では倉庫になってしまっている。

Wyn Davisの「ブースには物を置くな」という言いつけを守って、
最初はがらんとドラムだけだったのが、
ギターダビング用にアンプは数台起きっぱなしだし、
ベースアンプからPAまで来てしまったらちょいと狭い・・・
部屋鳴りを重視してドラムを隅っこに置いてないのでなおさらである。
しかし八王子のスタジオで8人でリハーサルしたことを考えるとまだマシである。
リハが終わり、「じゃあこんな感じでアルバム1枚録ろう」ということになって、
張張にちょいと耳打ちした。
李漠(LiMo)の話、聞いたか?
メンバーがちゃんとレコーディングfeeについて話し合ってないと、
結局契約は歌手名義になって一銭ももらえないということになりかねんよ。
中国は印税がないので、収入は全てライブでの収益にかかっている。
しかしレコーディングして発売されたアルバムが歌手名義になると、
ライブも歌手名義になって、そのギャラをバンドで等分する歌手は少ない。
来週からレコーディングしようという話になっているが、
どうせまた金の話がちゃんと出来なくて延びてゆくのだろう・・・
ちゃんと順調なのは今日からレコーディングが始まるBeiBeiの2ndアルバムだけである。
順調と言っても
「2枚目作るぞ!!」
と言い出してもう半年ほど経っているのでその程度のものなのだが・・・
また中国では実際に仕事が始まったら〆切が異様に早い。
(まあ始まるまでもたもたしてるんだから当たり前なのじゃが・・・)
だからきっと年末はこの3つのレコーディングを同時にやってるような気がする・・・
とりあえずやっつけられる仕事からやっつけてしまおう・・・
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2010年10月17日
中国の結婚式
日本ではほとんど人の冠婚葬祭には出ない!!
出ようにも「礼服」とやらを持ってないのだ!!
中国では別に葬式も普段着でよいので出たりするが、
結婚式にはなかなか縁がなくて列席出来なかった。
古くは唐朝のギタリストの結婚式に出たのが6年前、
この時は純中国風だったが、その後仕事仲間の結婚式に出た時は純正洋風だった。
今回はこちらで秘書をやってくれてた石蘭が結婚するという連絡をもらい、
重慶を日帰りで帰れば参加出来るとばかりよろこんで参加させてもらった。
お相手は元その上司であった横澤さんと言うが、
長い付き合いじゃがそんなこと全然知らんかったぞ!!!!
ま、いい!!めでたいことである。
いくら普段着でいいと言っても日本人も多く列席するであろうから、
先日香港で買った中国服を着させて頂いた。

しかしズボンは持ってないのでいつものジャージである。
許せ!!!
まあいい、服装は別に「自由」なんだからジャージが悪いとは言わせないが、
問題は「紅包(HongBao)」つまりご祝儀である。
日本でもこの辺はほんとによくわからないのだが中国でもなおさらである。
とりあえず「紅包(HongBao)」の封筒を買ってタクシーに飛び乗る。

タクシーの運転手に
「結婚式行くんだけどいくらぐらい包めばいいかねえ」
と聞くと、
「800元から始まって1800でもいいし、2800でも、
要はその人との関係がどれだけ深いかによるなあ」
そんなに高いんかい!!
数年前まで300元ぐらいだったのにもう数倍にも値上がっているぞ・・・
しかもタクシーの運転手のような「庶民」がそう言うなら、
業界人の石蘭なんていくら包めばいいんじゃ?・・・
ちなみに「八」という数字が末広がりで縁起がいいというので「八」に絡む数字にすると言う。
日本では2万とか「2で割れる」数字は縁起が悪いと言うので、
じゃあ日本円なら「1万円」か?・・・少なければ次は「3万円」やのう・・・
どの道困った問題である。
ワシは社会常識がないのじゃ!!
「社会常識を勉強するヒマがあったら音楽理論でも勉強してた方がなんぼかいい」
と思ってこの年になってしまったんだからもう取り返しがつかない。
とりあえず「1万円」にしたが少なかったかのう・・・
会場はホテルの宴会場、式は純然たる西洋式だったが、
ところどころに中国式な儀式があって興味深かった。

まずは新郎新婦のご両親を舞台に上げて、
新郎が新婦の両親にお茶を飲ませる。
そして新婦が新郎の両親にお茶を飲ませる。
新郎の父君はお亡くなりになっていたので母君だけだったが、
石蘭が日本語で、
「お母さん、お茶をどうぞ」
と言ってたのが興味深かった。
中国では「結婚」というのは「家と家との結びつき」という意識が強いんだなあと改めて思った。
そしてお決まりの乾杯!!
ここで新郎新婦が手を交差して酒を飲むのが中国式!!

「なんでこうするの?」といろんな中国人に聞いたが何故だかわからない。
「マレーシアの中国人もこうしてましたよ」と聞いたので、
きっと中国の昔からの何かのしきたりなのであろう・・・
あとは新郎新婦が各テーブルを周り、
誰もシメをしないうちに三々五々帰って行って終わりである。
どうしてシメをしないのかも不思議であるが、まあそれも「中国」なのであろう。
今回の結婚式は平和だった。
誰も酔い潰れてないし、名物の「1対何百」のイッキ大会もない。
通常中国の結婚式だと新郎側と新婦側でイッキ大会になり、
特に新郎側は「うちの大事な娘を持って行きやがって」というのもあり、
命がけで飲まされるものだと言う。
だからだいたい結婚式にはひとりやふたり「酒飲み」の友人を必ず用意する。
酒を飲むためだけにブッキングされるのだ。
私の友人にもひとりいる。
寧夏省の友人「馬向東(マーシャンドン)」である。

今度は寧夏の結婚式にも出席してみたいものだ・・・
お幸せに、横澤さん、石蘭さん!!
Posted by ファンキー末吉 at:20:22 | 固定リンク
2010年10月15日
イベントキャンセルの実情
今日はレコーディングの途中でひとりの魑魅魍魎がラップ歌手「爽子(Shuangz)」を連れてやって来た。
先日「9月までにアルバムを完パケ」という無茶な要求をして来た男である。
当然ながら今は10月なのでその話はとっくに流れている。
今度は「来年の4月までに完パケ」という話である。
もともとこの男も少々うさんくさい。
先日
「じゃあ1曲アレンジするからそれ聞いて決めようよ」
ということで1曲アレンジしたのじゃが、
結局本人は大喜びだったもののどこからもギャラが支払われていない。
まあこっちの仕事は金をもらわなければ絶対に「使える」形にしては渡さないので問題はない。
間違っても「カラオケ」なんぞは渡さない。
そのままライブで使われて金も払わないような
そんな目に合ってたまるもんかという感じである。
アレンジ聞いて、
「ああ、ファンキーさんいいな・・・やってもらいたいなあ・・・」
と思ったらどうしても金を払わねばならないのだ。
この辺、まあこちらで覚えた処世術・・・
当然ながら本人はワシにやってもらいたいと思う。
会社もそう思うのだが、根本的な問題として実は彼とまだ契約してなかったのだ。
よくある話、よくある話・・・
いろんなところからワシに爽子(Shuangz)の話が出る。
「ファンキーさん今度爽子(Shuangz)やるんだって?」
はまだいいものの、
「爽子(Shuangz)のことでお会いしたい」
という会社も現れる始末。
今では爽子(Shuangz)はラップを歌うアンダーグランド歌手としては頭ひとつ飛び抜けた存在である。
そこにいろんな金の亡者がまとわりついて来るのは仕方のないことである。
要は「誰がワシに金を払うのか」ということである。
1曲無償でやったアレンジをエサに魑魅魍魎達を手玉に取る。
これもこちらで覚えた処世術である。
その魑魅魍魎のほとんどは「演出公司(イベンター)」である。
この国はコンサートでしか金を稼げないんだから仕方がない。
コンサートのギャラを吊り上げるまえに立派な名刺が欲しい、
つまりレコードは名刺なのである。
「大丈夫、金さえ払えばこいつに最高の名刺を作ってやるぜ」
ってなもんである。
そんな魑魅魍魎から今日聞いた話、
「どうして最近イベントがことごとくキャンセルになるのか」
中国経済は今バブル。
昔は国の組織しか企画出来なかった音楽イベントも今では誰でも企画出来るようになった。
しかし「音楽が国のプロパガンダ」だったのは今も昔、
今では「音楽は金儲け」の時代なのである。
国が金を出して企画するイベントはまだいい。
個人が能力もないのにイベントを企画して、
蓋を開けてみたらステージも作れなくてキャンセルになる、
そんなことが今日び日常茶飯事。
ワシだけでこの夏3つのイベントがドタキャンになっているが、
ベーシストの韓陽なんて一ヶ月に9つドタキャンになっているというからもの凄い。
もともとこの北京だけで1年で100近いイベントがあるというので。
全国では何百、しかもその全ての出演者は同じバンド。
じゃあと言ってその全てのバンドが儲かっているわけではない。
ひどい話になると、出演バンドが現地に着いた。
ステージは出来てない、イベントも開催出来ない。
主催者は逃げた、帰りの切符ももらえない。
そんなイベントが相次いでいると聞く。
中国のバンドの諸君!
音楽は決して「金」ではない。
しかし自分の身を守るために最低限「金を確保する術」を知らねばならない。
金のない奴ぁ俺んとこに来い!!
俺もないけどいろいろ教えてやるぜ!!
Posted by ファンキー末吉 at:23:24 | 固定リンク
不思議な現場
映画音楽制作も佳境に差し掛かり・・・と言うか全然佳境に差し掛からないんですが・・・
ワシだったら今月末に〆切だったら今頃うちでせっせこコンピュータと格闘し、
何日に監督に聞かせるからOKが出たらミュージシャン押さえてレコーディング・・・
と来るところ、ミュージシャンと一緒にあーでもないこーでもないと、
結局数日間のんびりと時間が過ぎている気がするのはワシだけだろうか・・・
ドラムなんかそんなに出番はないので、
ヒマなもんで走り書きのメモからちゃんと譜面にしてあげて、
気がついたら今日はバイオリンの人が来てちゃんとそれをレコーディングしていったり、
まあ進んでないように見えて進んでるのかも知れない。
今日は昼間に香港から知り合いが来てたので、
昼飯でビールを飲んでスタジオ入りした。
「酔っぱらっちゃったよー」
ってなもんでスタジオ入りしたところで誰もとがめる人もおらず、
ワシ抜きで制作はどんどんと進んでいるような進んでないような・・・

結局ワシは酔い潰れて寝てしまった・・・
目が覚めたら目の前においしそうなつまみが・・・
「ビールあるよ」と言うので結局また飲んでしまう・・・
「晩飯はじゃあラムしゃぶでも食うか!!」
と一同レコーディングそっちのけで食いに行く。

これがレコーディング中の食事ですか?!!
ビールどころか白酒まで出て来てみんなでイッキしとるし・・・
ひとりだけ車で来ていた張張以外はもうガンガンに飲んでいる。
結局そのままスタジオに帰るんで張張以外は仕事が出来る状態ではない。
「ワシら監督するからお前仕事頑張れ!!」
ってなもんで結局飲んでいる。

ワシはまた酔い潰れて寝てたら気づいたらみんなで録音したやつを並べて聞いていた。
17日には監督が聞きに来るそうな・・・
出来てたんや・・・
ワシが映画音楽制作をする時はシーンごとに曲番号を振って、
台本のページもつけて表にしてから片付けてゆくのじゃが、
そんなもんが全然ないんだから進んでるのか進んでないのかも全然わからない。
「明日は車で来るなよ、ガーンと飲むからな」
と言われても今日も飲んでたんだからよくわからない。
まあお役に立っているんだったらそれでいいじゃろう。
明日は明後日の重慶の用意をして行かねばならんのう・・・
Posted by ファンキー末吉 at:03:25 | 固定リンク
2010年10月12日
ところ変われば音楽制作変わる
映画音楽とかを「劇バン」と言って、
日本のスタジオ仕事では
「劇バンだからギャラはごめんね」
と言って1日で数十曲まとめて録ったりする。
ワシはやったことないが和佐田なんかはオーケストラと一発録りで、
誰かがミスをしたら全員でやり直しなので、
譜面初見でノーミスで演奏という過酷な仕事となる。
それもこれも日本はスタジオ代が世界一高いのだから仕方がない。
ところが最近では音楽ソフトウェアの充実と、
誰でも自宅スタジオを持てる環境となったので少し違って来たのは日本も中国も同じである。
ワシも北京にスタジオを作った時に「元が取れますか?」と人に聞かれたが、
音楽制作をする人間にとってよそにスタジオ代を支払わなくてもいいのはとても大きい。
今回映画音楽を一緒にやっているLuanShuも自分でスタジオを持っているので、
言ってみればスタジオは使い放題!
予算に入らないというわけである。
今回は大監督の仕事で予算もあるということで、
「生バンドでやる!!」
ということで集められたこのメンバー、
考えてみたら非常に効率的なメンバーである。
ギタリストの趙衛はそうでもないが、
キーボードの張張はピアノプレイだけでなくテクノ系のアレンジに長けているミュージシャンだし、
ベースの李劍もMacを操って器用にアレンジをするミュージシャンである。
そうなるとこの制作現場は考えてみれば非常に効率の良い音楽工場のようである。
趙衛がギターを録音してる隙に張張が音色を探し、
隣では李劍が電子系のループ等を作っている。
ワシはドラムが終わればブラスをアレンジし、
サンプルを出力してメインコンピュータに貼付ける。
ひとりの力では出来ないものをみんなの力を借りてもっとレベルが高いものを作ろうとするなんて、
団体競技の苦手な中国人らしからぬやり方である。
ここで発覚したのが最近ヤツらの使っているソフトウェアが変わって来ていることである。
録音はProToolsを使ってやるのは変わらないが、
以前はWindowsPCでCuBaseを使うのが主流だったが、
最近はMacでLogicを使うのが主流なようだ。
当然ながら海賊版である。
もう10年近く前になるが、
売れっ子アレンジャーが近々ソフトウェアを一新するのに
ハッカーの若い衆に最速のパソコンと共にシステムを発注してたので
ワシも便乗して作ってもらった。
10万そこそこの金で世界中の優秀なソフトと音色が入って届けられた時には肝をつぶしたが、
それよりも何よりもそれを使いこなすのに半年ぐらい徹夜せねばならないのが辛い。
何せループだけで何万音色あるのだ。
それぞれのソフトでどんな音色があるのか試すだけで数ヶ月かかってしまう。
それを今から全部Logicに変えてまた最初からやるのは気が遠くなるが、
しかし周りがみんなそうなって来ているなら互換性の問題でワシもそうならざるを得ない。
Logicのソフトウェアと音色は60G以上あるというのでワシのMacProにはもう入らない。
それより何よりワシはもう海賊版生活からは足を洗って、
今では日本でちゃんと正規版を買っている。
海賊版をひとつ入れてトラブルに見舞われるよりは
正規版買って業者に文句言う方がはるかに楽なのである。
「ファンキーさん、この際パソコンごと買い替えちゃいなよ」
とみんな言う。
代わりに買ってソフトも全部入れてあげるよ、と・・・
見ればMacは日本より中国の方がはるかに安いのだ・・・
いかんいかん!
そうやってまた半年間眠れない生活になるのはもうよそう・・・
アレンジャーという仕事は多かれ少なかれこのように機材の進歩についてゆかねばならないのが非常にめんどくさい。
当分ドラムだけ叩いて生活するしぃ・・・
Posted by ファンキー末吉 at:15:21 | 固定リンク
2010年10月11日
ドラムだけや言うたやん!!
北京に着いてそのままスタジオに行って撮ったばかりの映画を見せられる。
まだ編集したてでこれから更に30分ほど削らねばならないという段階のものである。
画面の隅には「音楽制作のサンプル」とずーっと字幕が入っている。
データなんぞ渡したらそれが次の日には海賊版になってすぐに出回る国だから仕方ない。
昔零点の6万人コンサートの映像を編集している時に、
外部にどうしてもデータを出さねばならないとなった時、
「ほなお前ずーっとアホなこと喋っとけ!!」
と、音に合わせて若い衆に喋らせてた記憶がある。
「冯小刚」という監督は今では中国のナンバーワンの映画監督で、
前回の映画は7億元(約100億円)の大ヒットとなり、
その前の北海道を舞台に撮った映画は、
おかげで中国人旅行客が大挙して押し寄せて来て北海道が感謝状を贈ろうとしたほどの大監督である。
ラッシュを見てそれを記者に喋ったりしないように、
データを渡された瞬間に秘密を守る契約書にサインするほどである。
今日ラッシュを見るために集められたのは、
ドラムにワシと、キーボードに張張、
ギターに輪廻楽隊の趙衛、
ベースは韓陽が呼ばれるのかなと思ってたら艶楽隊の李劍が呼ばれている。
打ち込みが出来てアレンジにも長けているからということらしいが何で?・・・
まずみんなで2時間を越える映画を見るのだが、
字幕のない外国語の映画を2時間見るのはワシとしては非常に疲れる。
実は半分ぐらいしか聞き取れてないのよ・・・
見終わったらみんなで意見を言う。
この部分はこうしたらいいよ、とか・・・
「ファンキーさん、あなたの意見は?」
と聞かれても、せめてデータもらって何度も見て一週間ぐらいくれないとアイデアなんか出まへんがな・・・
「困るなあ、ファンキーさん。
今回はドラムはあんまりないからあんたにももっと一生懸命頑張って欲しいんだ」
あーた!!前回酒飲んでこの話持って来た時、
「今回は手伝って欲しいんだ。あなたのグルーブが必要だ」
とか言ってたやん!!
早い話、この大仕事をみんなで手分けして今月中に終わらせてしまえというわけなのね・・・
みなさんの後ろに隠れてこそこそしときます・・・
Posted by ファンキー末吉 at:09:54 | 固定リンク
2010年9月29日
歌手(Singer)とボーカリスト(Vocalist)の違い
これはワシだけのかんがえかも知れんが、
ワシは歌手(Singer)とボーカリスト(Vocalist)とは全然違うものではないかと思っている。
中国語で歌手(GeShou)と主唱(ZhuChang)と言う。
主唱(ZhuChang)と言うぐらいだから「主力で歌う」、
つまり「バンドあってのボーカリスト」である。
ワシもいろんなバンドをやって来たし、
仕事でいろんなバンドや歌手と仕事をする。
歌手がいい、ボーカリストがいいと言うわけではなく、
何となくこのふたつは全然違うものだと感じるのだ。
ワシが今まで会った人間の中で、
こいつは根っからのボーカリストだなあと感じるのが、
一人は二井原実、もう一人が老呉(LaoWu)である。
二井原はX.Y.Z.→Aで初めてバンドを一緒にやったが、
最初のリハーサルの時にびっくりしたのは、
ボーカリストのくせに誰よりも早くスタジオに来て、
ひとりで録音マイクをセッティングし、
音作りにいろいろ意見を言いつつ
「ほなこの曲はこんな感じでいきまひょか」
となったらいそいそとバンドの音を録音し始める。
最後には家に帰ってボーカルメロをあーでもないこーでもないと録音し、
「こんなんでどーでしょ?」
とバンドのみんなにメールで送る。
自分のバンドなのにねえ・・・
早い話がこの男は自分は「喉」という楽器で「バンドの一員」として参加しているという意識なのである。
思い起こせばドラムにワシ、ベースに和佐田しか決まってなかった頃、
とにかくギタリストは「自分が憧れるぐらい凄いギタリスト」にこだわった。
「こんなもの凄いミュージシャンの隣で歌える自分はなんて幸せなんだろう」、と・・・
自分のバンドじゃろ・・・
・・・ってそれ以前に「歌手」って「隣」じゃなく「前」で歌うもんじゃろ・・・
まあ二井原の例は「特殊」だろうと思ってたら老呉(LaoWu)の例はもっと特殊である。
布衣(BuYi)のドラマーとして朝陽音楽節というイベントに出た時の話、
ギタリストとベーシストはその時我々の院子にいなかったので、
結果的にワシら二人でバンドの器材を運ぶこととなる。
まあワシは特別ゲストやし、
まあ敬老精神(笑)で彼が手伝ってくれるのもわかる。
しかしボーカリストが朝から山ほどのギターエフェクターを積み込んで、
自分で車を運転して運び、着いたら自分でそれらを下ろし、
セッティングまでしてみんなの入りを待つってのはさすがに初めて見る光景である。
まあ彼がギターも弾きながら歌うギターボーカルなので普通の歌手よりはプレイヤーに近い感覚であるのも理解出来るが、
今や布衣(BuYi)と言えばアンダーグラウンドではもうかなりの名声を得ているバンドとなっている。
よくある話でその評価のほとんどは「歌」に集まっていて、
今では「バンドを呼ぶ金はないからあなたひとりで歌いに来て下さい」とまで言われる始末。
まあ呼ぶ人のとっては布衣(BuYi)の楽曲を本物が歌ってくれればそれでいいわけで、
多くのボーカリストはこの時点で「歌手」となる。
あのライオネルリッチーでさえ、
コモドワーズを離れてソロになった時のインタビューで
「ソロとバンドは何が違いますか」
と聞かれ、
「いやーソロはバンドの器材を運ばなくていいからねえ」
と答えたとか答えなかったとか・・・
だいたいバンドの一番めんどくさいのがメンバーの意見をいちいち聞かねばならないことである。
ソロになったら一人で全部好きなように決めればよいし、
ギャラだってメンバーで等分に割らなくてもよいし「独り占め」である。
中国にもそうやってバンドのボーカリストからソロになって大成功してる例も多い。
さてくだんの老呉(LaoWu)であるが、
どうしても断れなくて一度だけ一人で歌いに行ったらしい。
大概のボーカリストはこの時点で味をしめてソロに転向したりするのだが老呉(LaoWu)は違った。
「ほら、俺達いつも一緒にいるだろ、
一緒に地方行ってさあ、
一緒に演奏してさあ、
ほんのちょびっとの金もらってさあ、
それみんなで全部使い切って美味いもん食ってさあ、
飲んで騒いで楽しいじゃない。
それがひとりぼっちで行ってさあ、
孤独で居場所もなくって寂しくてしょうがないよ」
幸か不幸かこのライブが評判がよく、
いろんなところから出演依頼が相次いだ。
彼は今ではこう答えているそうだ。
「どうしても一人で来て欲しかったらさあ、
悪いけど友達5人連れてってもいい?」
当然ながら
「それならバンドのメンバー連れてった方がマシだ」
となる。
めでたしめでたしである。
何でワシが突然こんなことを言い出したかと言うと、
先日ブログに書いた李漠(LiMo)のことである。
昨日別のリハで韓陽(HanYang)に会って、
彼女はまだちゃんとバンドのメンバーに筋を通してないと聞いたからだ。
こんな狭い北京のロック界で、
彼女が契約したことどころか、
彼女が会社からいくらもらったかまでみんな知っている。
1万元と言えば彼女にとっては大金だが、
みんなで分ければ微々たるもんである。
今日のいくつかのミーティングのあい間に彼女を待ち伏せてワシはこう詰め寄った。
「その金をみんなで分けろ!
金を使っちゃったと言うなら俺が貸してやる!!」
ワシは1年間スタジオを提供して実は「金をもらう側」なのでとんだやぶ蛇であるが仕方ない。
たった1万元のために彼らが何年も頑張って作ったロックが「ウソ」になってしまったら中国ロック界にとって何よりの損失ではないか!!
今頃彼女はバンドのメンバーとちゃんと話をしているはずである。
いや、そうでなければ彼女が売れた時この歪はもっと大きくなって、
口では彼女におべっかを言いながら心の中では彼女を軽蔑するような、
そんな「歌手」になってしまうのだ。
まったくもってただでさえ中国にはそんな歌手が多いのだから・・・
Posted by ファンキー末吉 at:03:55 | 固定リンク
2010年9月25日
女性ロック歌手「李漠(LiMo)」
李漠(LiMo)という女性歌手がいる。
オリジナルのロックナンバーを歌い、
失礼を承知で言わせてもらうとちょっとブサイクで、
それがまた「ロック」を醸し出していていい感じである。
韓陽(HanYang)とか馴染みのミュージシャンと一緒にバンドを組み、
うちで延々1年以上アルバムをレコーディングしていた。
前回北京に来た時にLaoLuanから
「今回彼女と契約してアルバムを発売することになった」
と聞いてちょいと心配していた。
「彼女と」ということはそれはバンド名義ではないということ。
そしてそのうちでレコーディングした音源をそのまま出すということ。
うちはそりゃ人助けでやってるので銭金はどうでもよいが、
それにしてもそれをそのまま勝手に発売して何の見返りもないというのは少々面白くない。
相手がLaoLuanじゃなかったら殴り込みに行くところだ。
またバンドメンバーにとっては、
「バンド」のために一生懸命頑張って、
やっと1枚のアルバムを作り上げたと思ったらそれが個人名義のアルバムとなってしまい、
何よりもそれからブッキングされるライブのメンバーが自分たちではないということだ。
ドタキャンになったが10月2日の天津の音楽祭ではワシがドラムを叩くことになっていた。
バンドのドラマーの気持ちを考えると複雑な心境である。
要は「順序」の問題なのである。
ワシとて本人から
「あの音源発売することになったけどお金にならないの」
と言われてたら「しゃーないなー」で終わってしまうが、
本人からではなく他所から聞いたら
「どーなってんの?」
ということになる。
バンドのメンバーとて同じである。
よけいなおせっかいとは知りながら彼女を呼び出した。
とくとくと話すワシの言葉を目に涙をためながら聞いている彼女がまたブサイクでよい。
こいつが美人だったらきっとワシは助けてなかっただろう。
何より美人だったら元々こんな金にならないロックなんてやってなかっただろう。
「美人」はそれだけで金になるのだから・・・
おせっかいついでにLaoLuanに電話した。
「これはメンツの問題だ!!
あれを発売して少しでも金が入るのならそれをバンドのメンバーで分けようぜ」
金が入らなくたってそれでもいい。
これで奴らはLaoLuanとのコネクションが出来、
何らかの仕事をまた振ってもらえたりする。
中国の仕事は全て「関係学(コネクション)」で出来ている。
ひとつの仕事が金になるならないよりも「関係学(コネクション)」を作れるだけで大きな功績なのだ。
これでいいのだ!!
PS.うちで録った彼女の作品をここで聞くことが出来る。
久々に聞いたがなかなかいいぞ!!頑張れ!!
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2010年9月15日
行ったり来たりの生活がまた始まった・・・
LuanShuから先日呼び出しをくらい、
さんざん酒を飲まされて仕事を山ほど振られた。
嫁が日本で出産して、北京に戻ろうかと思ったら
粉ミルクや餃子など子供を育てるには不安な事件ばかり起こるので、
結局日本で育てることになってしまったのでワシも八王子に定住している。
「ファンキーがいないなら生ドラムの仕事はやらない」
ということで最近あんまし第一線にいなかったように見えてた彼であるが、
今回大きな映画音楽の仕事を請け負って、
「是非また力を借りたい」
ということになったということだ。
酔っぱらいながらも「映画音楽」と言われると警戒してしまう。
中国映画「瘋狂的石頭(Crazy Stone)」の音楽を担当して、
その映画がタイタニックを抜く動員記録を樹立したということから、
ある年など1年に2、3本映画音楽をやりつつテレビドラマの音楽もやっていた。
もともとこの仕事も知り合いの知り合いが監督で、
「予算がないんだ」ということで人助けのつもりでやったのだが、
それがこれほどの大ヒットとなってしまったおかげで、
ワシの名前と共にワシのギャラの安さも有名になってしまったというわけだ。
朝から晩までパソコンに座って映画音楽作ってる毎日より、
毎日ドラム叩いて美味しいビールを飲んでる生活の方が楽しいので今ではこのテの仕事はやってない。
もし「1本映画音楽をやってくれ」と頼まれてたら、
いくら酔ってても「それはちょっと・・・」と言ってたところだろうが、
「今回の映画は生バンドを使いたい」ということならやぶさかではない。
聞けばヤツのギャラはワシの10倍近くあるやないの!!!
まあ銭金ではない、
ドラムを叩いてくれと言うならどこにでも馳せ参じねばなるまい!!
というわけで今日本で押さえてる全ての仕事の合間のスケジュール、
たとえそれが2日間であろうが全て押さえられた。
合間があれば北京に往復するのだ・・・
「北京にいるんだったらこれもやってもらおう」
で、その仕事よりもバックバンドの仕事が先にばんばん入る。
「譜面を書け」と言うんだから「バンマス」の仕事だろう。
昨日も1日かけて9曲譜面を書き上げた。
今月末に一度リハーサルにやって来て、
店のライブだけのために一度日本に帰って来て、
10月2日には朝イチの便で北京に飛んで、
そのまま空港に待機している車に乗せられて天津まで行く。
音楽イベントはもう始まっていて、
ワシが着き次第その歌手の出番が始まるという予定らしい。
大丈夫なんか?・・・
まあいい、中国では何とかなるのである。
今回も直接空港から入り時間に間に合っている。
まあ間に合わなくても何とかなるであろう・・・
まあ行ったり来たりだと空港で必ず泥酔して飛行機に乗ることにしているワシは
必然的に飲み過ぎとなってしまう。
たまには飲まずに飛行機に乗るとするか・・・
Posted by ファンキー末吉 at:06:26 | 固定リンク
2010年9月12日
北京も蜂!!!
日本での蜂騒動に続いて北京の院子にも蜂の巣があったことが発覚!!
「ファンキーさん、これスズメバチですよ。やばいっす!!」
と言う方言(FangYan)に
「ほな片付けといてな」
と言い残して日本に帰ったが、
真面目なだけが取り柄の彼である、
本当に自分で一生懸命駆除したようである。
その時の写真・・・
完璧に素人仕事であるが何とか完全防備をして、
殺虫剤らしきスプレーにライターで火をつけて蜂の巣を燃やしている・・・
大丈夫やったんか?・・・
北京に帰って来たら生きてたんでまあ無事だったのだろう・・・
数々の伝説を作る彼であるが、
もしこれで火事でも起きてたら笑えない伝説になるところだった・・・
Posted by ファンキー末吉 at:09:19 | 固定リンク
2010年9月 7日
北京のお仕事とは
基本的に北京にいないと仕事が来ないのである。
「あ、いないのか、じゃあ別の人に頼もう」
で、いないとどんどん仕事がなくなって来るのが常である。
まあどの国もそうなんじゃろうが、
ここ北京は仕事が全て「関係学(コネクション)」で出来上がっているから尚更である。
ワシの場合はもう20年になるので「関係学(コネクション)」も強いし、
何よりも当時貧乏だった奴らが出世して一緒に仕事をしているので、
もうこれは「一生の付き合い」である。
仕事をするためにはまず「飲む」から始まるが、
(最近は大分近代化して来たが)
ワシの場合は仕事のために嫌な人間と飲んだりする必要がなく、
長年の友達と飲んでたらそのまま仕事になるので楽である。
最近は全中国ドラムクリニックツアーがまた始まったのでしょっちゅう北京にいる。
そしたら仲間内と飲むことも多く、
「ファンキーが帰って来た」
みたいな感覚が彼らにはあるのじゃろうが、
どっこいワシは「行ったり来たり」しているだけなのじゃ。
先日飲んだ時に、
「いるのか?じゃあ11日にちと仕事してくれよ」
と言うので安請け合いしてたら、
小さなチャリティーライブではあるが、蒼々たる大物歌手達のバックである。
「譜面も書いてね」
と言われたのできっとこれは「バンマスをやれ」ということなのじゃろう・・・
寧夏の最終日にはどこも遊びに出ずに10曲譜面を書いた。
夜の便で北京に帰って来たら2曲追加が来てた。
朝方まで書いて早起きして、
今度はそのドラム譜を書く。
自分がバンマスの時は往々にして、
曲のコード進行やアレンジの面ばかり把握していて、
実際ドラムをどう叩くのか覚えてなかったりするので大変である。
だいたいこういうのは当日の朝やることにしている。
年をとって頭も悪くなって来てるのでその日にやった方が物覚えがいいのだ。
今日、明日とリハーサルして明後日一度日本に帰り、
明々後日スペクトラムトリビュートのリハーサルをして、
その翌日朝一番で帰って来てそのままライブである。
月末には来月にもこんなスケジュールを入れてくれた。
いやいや、大変だというわけではない。
世界中いろんなところで自分を必要としてくれてるということは、
ドラマーとして非常に嬉しいことである。
Posted by ファンキー末吉 at:13:09 | 固定リンク
2010年9月 1日
方言(Fang Yan)の恋
北京である。
着いてさっそくアホのアシスタントの方言(Fang Yan)に捕まった。
恋をしているそうである・・・
お相手は前回布衣のツアーで寧夏省に行った時に出会った女性であるらしい。
アホであるだけに思い込みも激しいらしく、
メールで仕事のやり取りをしてるのに内容はほとんどそのことばかりである。
您也去银川么?我也很想去......
我刚回来就想再去,银川真是好地方!
而且我还遇到一个特别好的姑娘!
她很漂亮,人品正直,心地善良,我现在满脑子都在想她......
また銀川に行きたい!
行きたくって仕方がない!!
寝ても覚めても彼女のことばかりなんだ!!!
みたいなことである。
アホなことこの上ないが、
面白いので若い衆連れて飲みに行って酒の肴にした。
「お前なあ!!
そんな若くて美人で金持ちで、
性格もよくってオシャレで高級車乗り回してるような娘が、
何を間違えてお前なんかになびくと思う?
無理無理!!逆立ちしたって無理!!」
そんなワシのいたぶりを聞いて彼はこう答えた。
「Funkyさん、僕にとって結果がどうであるかは問題じゃないんです。
今彼女のことを想うだけで僕は幸せなんです。
今僕が幸せだということの方が結果より大切なことなんです」
アホのくせになかなかいいことを言う・・・
「明後日の寧夏省のロックイベントにはお前は呼ばれてないの?」
そもそもワシが今回北京に来たのもその仕事のためであるが、
明後日出発というのに誰からも連絡が来ない。
噂ではでっかい野外イベントなのに会場がまだ出来てないらしい・・・
「呼ばれてませんけど僕は自腹ででも行きます!!」
さっそく恋のお相手にショートメールを送る。
彼女も何かこのイベント主催の一角を担っているらしい。
さっそく明後日のチケットまでブッキングし始める始末。
「ファンキーさん、朝7時の飛行機ですけどいいですか?」
イベント中止やったらワシ行ってどうせいと言うの?
でも羊肉旨いし、おもろそうやから行ってくるかな・・・
頑張れ方言(Fang Yan)!
お前の玉砕はワシが見届けてやるぞ!!
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2010年8月21日
再び香港ぬぁう!!人民元の話
なんかTwitterなんかブログなんかわからんようになって来ましたが、
先週往復7000km行って帰っただけの旅から帰って、
またすぐに香港に来ているんだから「旅好き」と言われても仕方ないが、
これぐらいになって来るともう「旅」ではなく「移動」である。
夕べの「移動」は羽田からであったが、15時半には家を出て、
八王子からバスで羽田、
そして空港で飲んで飛行機で飲んで、
香港に着いた頃には既にべろんべろんなのにまだ飲みに行く。
Twitterというのは恐ろしいもので、
ワシが何かあるごとにつぶやいているので、
地元のTwitter仲間がホテルの前で待ち伏せしているのだ。
ホテルの前のバーはエンジェルが出没するので、
チェックインもせずに荷物をひきずったままその裏のレストランに入った。
何を話したかあんまり覚えてないが、
香港在住のMac_HirakiさんとBucky_Bluesと、
とにかくべろんべろんで朝まで盛り上がった。
おふたりとも商売をなさってる方なので普段聞けないいろいろ面白い話が多かったと思う。
ちょっとだけ覚えているのが
「人民元は危険だよ、香港ドルに替えといた方がいいよ」
という話である。
ワシは中国で稼いだ人民元はそのまま両替せずに中国の銀行口座に入れている。
人民元を稼いで人民元を使って生活してたのだからそれが「自然」である。
しかし相手は「中国」である。
北朝鮮がある日デノミをやって大失敗したように、
ある日突然この人民元が紙くずになってしまう可能性もないとは言えない。
中国の銀行だって果たしてちゃんと信用出来るもんかどうか・・・
中国の銀行には口座はあっても「通帳」というものがない。
あるのはキャッシュカードだけである。
そのキャッシュカードがカードの磁気が弱ったか何かでいきなり使えなくなった!!
仕方ないので銀行に行く。
通帳がないのでカードだけを持ってゆくことになる。
身分証明はパスポートだけである。
窓口で手続きをしている兄ちゃんがパスポートを調べてこう言った。
「登録されているパスポート番号はこれではありません!!」
何でや?!!
おもむろにパニックになるワシ・・・
聞けばどうもこの口座を開いた時には前のパスポートで、
更新したらパスポート番号が変わってしまったのだ。
こうなると「お役所仕事」のこの国はどうにもならん。
何をどう頼み込んでもらちがあかないのだ。
下手な中国語を駆使して粘ること数十分。
窓口の兄ちゃんもいいかげんウザくなって来たのか、
「そしたらこのカードを作った支店に行って相談してみればぁ」
と言う。
ワシが口座開いたんこの支店じゃなかったの?・・・
あんまし記憶はないが、とりあえず言われた支店に行ってみた。
同じように新しいパスポートと使えなくなったキャッシュカードを出す。
「あら、パスポート番号が違うわねえ・・・」
今度はお姉ちゃんである。
そしてこのお姉ちゃんがいい加減だったから助かった。
「ま、いいか・・・」
とそのまま新しいパスポート番号でキャッシュカードを作ってくれたのだ!!
めでたしめでたし・・・
でも考えてみればめでたくもないぞ!!
いつどこでどんないい加減な手続きで自分のカードがいきなり人のものになることがないとも言えない。
何かトラブルが起こった時、
中国という国はこの「金」の出所を調べる。
日本円から両替したならそのレシートを提出させる。
中国で稼いだものならその出所、そして税金、
そして何よりもビザ・・・
ワシは労働ビザを持ってない・・・言うならば不法就労・・・
もらう金も全て「取っ払い」・・・いわゆる「ヤミ金」である・・・
当然ながら中国政府としては・・・「没収!!」・・・
怖いよー怖いよー・・・
かと言って全額引き出してタンス預金にすると今度は泥棒が怖い。
貧民街にそんな大金持って暮らすなんて命が要らんのと同じじゃよ・・・
マジでこれは香港ドルに替えといた方がいいか?・・・
Posted by ファンキー末吉 at:13:25 | 固定リンク
2010年8月10日
北京和僑会設立パーティー
Keizoの嫁さんであるなるみちゃんから「出てね」と言われ、
何の集まりかもよくわからないまま参加した。
もともと和僑という言葉は、
和僑会が世界各地で設立される10年近く前からワシが使ってた言葉である。
「責任取ってタダでドラム叩け」
ということらしい・・・
ミーティングに行ってワシが真っ先に言った言葉は、
「ドラムってみなさんが考えているよりはるかに大音量なんですよ」
だった。
会場は北京有数の高級ホテル、ケリーセンターである。
もともとは1Fのビュッフェルームで叩くことになってたので、
ロビーの業務にすら支障が出る可能性がある。
それを聞いた担当者の鈴木さん、
今度はビビりまくって講演会がある会議室に移してくれということにあいなった。
その方が無難である・・・
若い衆とドラムを積み込む!!
伴奏を流すアンプとフルセットを積んだら車は一杯になってしまい、
仕方がないので
「それぞれタイコを抱いてから座るよーに」
ということで全員やっとこさ車に乗り込んだ。
高級ホテルの会議室にセッティング!!
この頃からワシは「何か場違いなんじゃないか・・・」とは思っていたが、
会議が始まり、日本大使館首席公使のスピーチが始まった頃には、
「こりゃいかんやろ・・・」
と思い出した。
ここでドラムを叩くんか?!!
近年まれに味わったことのない緊張感がワシを襲う!!
経済界のお偉いさんや名だたる経営者に、
日本大使館のお偉いさんまで来られた日にゃぁ、
ワシの存在自体がもう既に「場違い」である。
だってワシは2000年から北京に住んでたが、
日本大使館に届けを出したこともなければ、
こっちでまっとうな商売をしてる人と違ってワシがもらう人民元は全て「裏金」。
ビザだって持ってないし、いわゆる「不法就労」ではないか!!
にぎにぎしく紹介を受け壇上に上がる。
こりゃ毒舌のひとつも言っておかねばならないとばかりおもろいことのひとつも言って叩き始める。
こんな場違いな場でも何とか盛り上がってくれたようだ。
よかったよかった・・・
会場を1Fのビュッフェに移して懇談会。
昔は北京にいる日本人て変わり者が数人しかいなかったのに、
今ではこんなにたくさんの人がこちらで商売をしてるのね。
ワシは中国人社会で生きてるから日本人と会うことも滅多に無いが、
店とかをやってらっしゃる方には「ノーギャラで叩きに行きますよ」と言った。
和僑同士の相互助け合いの精神である。
「その代わり飲み放題食い放題にさせて下さいよ」
というと
「その方が高くつきそうですからやっぱギャラ払います」
で落ちがついた。
みなさん、異国の地でいろいろ大変でしょうが頑張って下さい!!
Posted by ファンキー末吉 at:07:38 | 固定リンク
2010年8月 3日
北京帰って8時間飲んだ・・・
昼の列車に乗ったら3時過ぎにはもう北京に着いている。
中国はどこでも新幹線みたいな特急列車でつながっていてほんと便利になった。
4時にとある会社に呼ばれてミーティング。
新しく歌手と契約したのでプロデュースしてくれと言う。
聞いたら9月いっぱいでアルバム一枚?・・・無理じゃろう・・・
まあ今月中に1曲やってみてから考えましょうと言って後にした。
6時半からケリーセンターというホテルで「和僑会」のミーティング。
「和僑会」というのはワシが「和僑のススメ」とか言って講演をしてる頃から
実は全世界に存在してたらしい。
「和僑会」で検索するといろんな国の和僑会がヒットする。
ワシももともと中国人が外国に出て行って
華僑となってその国を新天地とするバイタリティーを見習え!!
とさんざん和僑和僑と口にしてたのだが、
こうして見ると日本人もなかなか捨てたもんではないなと思う。
8月8日に北京和僑会設立のパーティーがあるというので、
私も和僑の一員としてそこでドラムを叩かせてもらうことになった。
北京にお住まいの方は、ケリーセンターの豪華なビュッフェが150元で食い放題、
ビールも飲み放題が付くというのでメシ食ってドラム聞きに来るだけでもお得です。
是非お集まり下さい!!
(北京和僑会のパンフレットはこちら)
ということで会場の下見とミーティングに来たわけじゃが、
いかんせん時間が早過ぎる!!
というわけで5時からひとりワインを飲み始めた。
6時半ごろ和僑会の人々がわさわさ集まって食事!!
そしてビール!!
しばらくしてワシはBeiBeiに呼び出されたので中座して飲みに行く。
BeiBeiはPairというユニットのギタリストだが、
まあよく言えば単純、悪く言えばアホである。
もともとこのユニットのボーカルと恋仲になり、
男女の喧嘩からユニット解散の危機となり、
その後ボーカルを替えて再始動した。
「お前なあ!!
歌も上手くてルックスもよくて性格もよくて、
その上自分の彼女としてもいいなんて、
中国広しと言えどそんな女性ボーカルがいるかい!!」
とさんざん説教をし、
バンド内恋愛を全面的に禁止することを条件に今もいろいろ助けてやっている。
その後いいボーカリストが見つかって今に至るが、
自分の彼女はまた別の女性ボーカルである。
去年それと失恋、ワシはまたこう説教した。
「お前なあ!!まだわからんか?!
女性ボーカルがお前を好きなのはその音楽の能力だけ!!
みんなお前を利用してんの!!
そうじゃなきゃあんな美人がお前なんかと付き合うわけないだろ!!
(むちゃくちゃ言う)
なのにお前は自分の彼女よりも自分のユニットのボーカルを大事にする。
そりゃ当たり前なんじゃがまあ彼女は怒るわのう!!
何でみすみすそんなめんどくさいことに自分を放り込むかのう・・・」
というわけで私生活でも女性ボーカルと付き合うのを禁止して今に至るが、
この日はまたひとりの美人を連れて来た。
歴代の彼女もかなり美人だったが、
今まで見たこともないぐらい美人である!!
(写真を撮り忘れた!!)
いやーワシも仕事柄歌手やらモデルやらいろんな美人と会うことはあるが、
今まで見たどのアイドルよりも美人である。
ちょっと腹が立ったので彼女に聞いてみた。
「何やってる人? 歌うたってるの? それともモデル?」
すると
「そんなんじゃないです、まだ学生です」
と答えるその仕草がまたカワイイ!!
おじさんもうむっちゃくちゃ腹立っていきなりこう聞いた。
「BeiBeiと付き合ってんの?!」
これでウンとでも言われたらもうBeiBeiを殺してしまうところだったが、
「そんなんじゃないんです。ただの友達です」
と来たもんでおじさんいきなり大喜び。
またその時のBeiBeiの情けない顔を肴に飲む飲む!!
せっかくだからもっと美人を呼ぼうということになって、
薄幸の元美人秘書を呼び出した。
そしたらなんとその美人秘書は男の子を連れて来た!!
「なになに? 彼氏出来たの?」
とからかうと、
「そんなんじゃないの、ただのお友達」
と答える。
またその男の子の情けない表情が非常におもしろい。
「あんたLiLiのこと好きなの?」
と聞くと、恥ずかしそうに
「好きです」
と答える。
BeiBeiに
「あんたこの娘好きなの?」
と聞くと同様に
「好きです」
と答える。
いやーおもしろいなあ・・・
ふたりの男がふたりの美女を好きだと言うが、
美女は二人ともその男を「ただの友達」と答える。
でもこうやって一緒に飲んでるんだからチャンスはあるだろう。
頑張れ若人!!
この美女たちはなかなか難攻不落だが、
命をかけて頑張れば夢はきっと叶うぞよ!!
いやー気がつけば夜中の1時を過ぎていた(らしい)・・・
どうやって帰ったかも覚えていない。
楽しい酒は時間を忘れるのう・・・
Posted by ファンキー末吉 at:14:35 | 固定リンク
2010年7月27日
北京なう!!・・・トイレの話・・・
北京のトイレ事情は昔からいろんなところでネタにされているが、
今では我が貧民街を除いてはかなり改善されている。
我が貧民街は下水(中国語では汚水という)が完備されてないので
基本的には汲み取り式のぽっちゃんである。
「トイレ」という「箱」はあるが「大便室」という「箱」はなく、
基本的には穴がいくつか開いてあるだけで仕切りはない。
ワシも中国に来はじめて20年以上になるが、
今だにここでウンコをする勇気はない。
ましてや日本人である嫁はや、
ということで、
北京ファンキースタジオにはキャンプ用の移動式トイレを買った。

まあこれでもスターなんかがレコーディングに来ると、
「こんなところで用は足せない」
と言うのだから中国人も弱くなったもんだ(笑)
このトイレは風呂場の中にあり、
(と言ってもコンクリートの同じ「箱」の中というだけだが)
ワシがシャワーを浴びに行くと、
きっとLaoWuのところに泊まっているのであろう見ず知らずの若い衆がウンコをしていた。
昔はギョっとしたもんだが今では慣れっこで、
そのまま服を脱いでシャワーを浴びる。
トイレはシャワーの方に向かって設置(というほどのもんでもないが)されていて、
一応仕切りのカーテンは用意してあるのだが、
誰も使わないのでもうボロボロになってしまっている。
つまり見知らぬ同士がすっぽんぽんで対峙してそれぞれの用を足しているのだ。
慣れとは恐ろしいものだ。
今では別にぽっちゃんトイレでウンコも出来る。
というかそうせねばならない状況に陥ったらそうなってしまうのだ。
あれは貧民街に暮らしてしばらくしての頃。
ワシは日課であるジョギングで村はずれを走っていた。
よくある話でウンコしたくなり、勇気を持ってぽっちゃんトイレに飛び込んだ。
村はずれの人通りのないトイレであるが、
往々にしてそういう時に限って先客がいる。
3つ並んだ穴のど真ん中にしゃがんで新聞を読みながらウンコをしているので、
どうしてもそのオッサンの隣にしゃがむしかない。
しゃがんでブリブリとやってはたと気がついた。
「ジョギング中なので紙を持って来てないではないか!!」
もちろんそんなぽっちゃんトイレに紙など常備しているはずはない。
このまま拭かずに家まで走るか・・・その勇気もない。
どうせ勇気が要るのである。
ワシは中国人がよくするように隣のオッサンに声をかけた。
「ニイハオ!!」
後はお決まりのウンコしながら世間話である。
初めてぽっちゃんトイレに入ってウンコした時、
後から隣に入って来たオッサンに声をかけられて
「何じゃこいつ!!やめてくれー!!」
と思ったが、今回は立場が逆である。
「新聞にいいニュースはありますか?」
相手は新聞を読んでるんだからこの会話しかない!!
そしてしばし意味のない会話をした後にオッサンが立つ。
すかさずワシは言った。
「読み終わったその新聞くださいな!!」
中国で生きてゆくのは全くもってバイタリティーが要る・・・
Posted by ファンキー末吉 at:09:37 | 固定リンク
2010年7月 5日
iPhone修理とiPed探し
実は我が家にはiPhoneがたくさんある。
私個人で日本用と中国用に電話番号が違うのに2台所有している。
日本用のはSoftBankで購入したモノで、SoftBankのSIMカードしか使えないが、
中国用のは香港で購入したSIMフリー版である。
日本で使うとDOCOMOのキャリアを選択したりするので面白い。
あともうひとつは中国で買ったモノで、
これが破解(PoJie)版と言ってSIMロックされたモノを無理矢理解除したモノである。
これが廻り廻って娘のモノとなったのだが、
ある日これを娘がトイレに落としてしまった。
幸いにも電源ボタン以外は無事だったのでそのまま使っていたが、
破解(PoJie)するのにはこのボタンがやはり必要で、
いろいろあって結局立ち上がらなくなってしまったのだ。
こちらでAppleの正規ディーラーと言っても大概ニセモノである。
先日もMacBookを日本で修理に出した時に、
「どこかで一度修理しましたね、純正ではないパーツが入ってます」
と言われた。
北京の正規ディーラーは純正じゃないパーツを使うんかい!!
ということで、このiPhoneを買ったのもどうせ正規ディーラーではないのだから、
(もともと正規ディーラーが破解(PoJie)版を売るわけはない)
そこで買ったiPhoneも直せるはずである。
ちなみに日本で外国製のiPhoneを修理する店を見つけたが、
この壊れたiPhoneは修理出来ないと言われた。
まあ出来ればもうけものと思ってその店に預け、
電話番号を伝えて向かいのバッタもんパソコンショップに行く。
iPadのまがいもん、iPedというものが売られてるらしく、
いろんな人から「それを買って来てくれ」と言われているのだ。
しかしどの店に言っても「そんなものは知らない」と言う。
中国人は今や安い海賊版よりも性能の良い正規版を求めるのだ、と。
ちなみにiPadは8万円ほど、iPhone4に至っては18万円の高値で売られていた。
ネットで調べるに、iPedは深圳産で値段は1万円少々、
きっとネット販売が主流なのではないかと思われる。
そんなこんなしてるうちに電話が鳴った。
先ほどiPhoneの修理をお願いした店である。
こんなに早く電話が来るということはやはり「お手上げ」だったのか・・・
と思いながら電話を取ると、
「直ったよ、取りに来な」
とのことである。
「この部品がイカレてたんだよ」
と言って見せてくれたのがこれ。

電源部分を司るパーツらしい。
一瞬にしてそれを入れ替えて修理を終えるなんて、
さすがはAppleの正規ディーラー!!(笑)
ちなみに日本でも恐らく他の国でも数日から一週間、
Appleの正規工場まで郵送してやっと修理出来るというのに・・・
バッタもんばかりのこの国・・・便利なんだか不便なんだか・・・
Posted by ファンキー末吉 at:16:26 | 固定リンク
2010年7月 4日
北京に来てみたらスケジュールぐっちゃぐちゃ!!
今日HPのスケジュールを更新していて頭ぐっしゃぐっしゃになった。
まず今月末に予定されていたWing中国ツアーの北京公演がキャンセルになっていた。
まあそれはいい。ヒマになるのはいいことだ!!
しかしそれがあるからついでとばかりブッキングしていた天津での張張のライブはどうする?
どうせ天津の小さなライブハウスで何かやるのだ。
このためだけに渡航しても絶対に赤になるじゃろう。
まあ中国はドタキャンもされるけどしても怒られないので(笑)、
まあこの小さなライブはキャンセルしようと思っていたが、
天津の日本人雑誌の人から取材依頼が来て初めて知った。
このライブ・・・ワシ名義のライブやないの!!!
そりゃキャンセルも出来んわのう・・・
まあその数日後に全中国ドラムクリニックツアーが入ったので、
まあそれとくっつければいいか・・・
と思ったらそのツアーは8月15日にも入っている。
スケジュールの打診が来た時には12日と13日の山本恭司、江川ほーじんセッションが終わったら空いているよとは答えたが、
その後に西やんから16日に京都RAGでやろうと言われたのでOKを出していた。
そうなると問題である。
15日の貴陽というところは日本から直行便はないので、
14日にはどこか中国の国際空港を経由して現地に入っておかねばならない。
そして15日のクリニックが終わったらとりあえずその国際空港にその日のうちに入っておく。
そうすれば16日の朝いちの便で関空に飛んでかろうじて京都に間に合うということになる。
日本でいる時にはよくこんな無茶なスケジューリングをしてたが、
それは日本が「狭い」からである。
この小さな島国でその日のうちに移動出来ない距離ではない。
しかし中国は平気で数日かかる土地だってある。
飛行機の乗り換えだってどうなってるかわからない。
何より飛行機がちゃんと飛ぶかどうかもわからない・・・
大丈夫なのかこのスケジュール・・・
Posted by ファンキー末吉 at:17:16 | 固定リンク
2010年4月24日
和佐田ツアー初日終了!
京都「都雅都雅」は、X.Y.Z.→AのPAエンジニアとして100本ツアーを共に廻った吉田くんの古巣であった。
和佐田が「若いのにごっつい音を出すヤツがいる」と言ってスカウトし、
その後中国に渡り、今では日本人PAエンジニアとして活躍している。
中国のエンジニアには頭に来たことがあるので、
彼のような真面目で優秀な人材が中国に来てくれることは大歓迎である。
「零点(ゼロポイント)」の6万人コンサートの時、
サウンドチェックでモニターが聞こえず、
ある瞬間に爆音で聞こえ出したので
「下げろ下げろ!!」と大慌てで叫んだ。
リハが終わって売れっ子中国人エンジニアに
「何やってんねん!!」
と叱ったら、平然として、
「これは機材の問題で俺の問題ではない!!」
と言い放ちよった。
こんな輩がワシよりも高いギャラを取ってんのだから腹が立つ。
吉田くんは100本ツアーの時、
毎回終わったら
「モニターはどうでしたか?」
とか楽屋に聞きに来る。
どんな絶悪なライブハウスの状況でも、
「音」というものには絶対的な責任を負う。
これが日本人が誇るべき「職人気質」というものではないか!!
ところが彼が中国に来て、ワシはいろんな現場を紹介したが、
それで即仕事があるというわけではなかった。
中国の仕事は全てがその「関係学(コネクション)」から成り立っているので、
どんなワシの大嫌いなエンジニアでもその関係学が強固であるならば、
このワシごときが何を言ってもそれを崩して新しい人間に変えることなど出来はしないのだ。
まあそんなこんなで苦労しながら異国の地で頑張っている吉田くん、
昨日は偶然ビザの関係で里帰りしていてふらっと都雅都雅に遊びに来た。
張張(ZhangZhang)とも顔見知りなので、
ライブ終了後にホルモン!!
なんかツアーに出ていつものメンツと中国語で酒飲んでいると、
まるで自分が中国に帰って来たみたいである。
「最近はやっと何とか食っていけるようになりましたよ」
と吉田くん。
今でこそ「一番忙しいレコーディングエンジニア」として活躍しているKeizoだって、
北京にやって来て数年は食えなかった。
中国人の関係学をぶち破って、
外国人がそこに割り込んで仕事を取ってゆくなんてことは至難の業なのだ。
「僕に仕事が来るようになったのは北京オリンピック以降なんです」
と吉田くんは言う。
金にまかせてあらゆる先進機材を買いまくった中国、
今世界で一番いい機材を持っているのはアメリカか中国である。
しかしハードウェアーが素晴らしくてもそれを使いこなせる人材がいない!!
最近
「うちの仕事は全部あなたにお願いしたい」
という会社が現れたので、吉田くんは
「なんで僕なんですか?」
と聞いたらしい。
「私は音がいいとか悪いとか全然わからない。
でもあなたに頼んだら出てなきゃなんない音は必ずちゃんと出てる。
だからあなたに頼みたいんです」と・・・
ドラムだって何だって同じである。
リズムが狂わず、音量も安定していて、
曲を完全に把握して叩いてさえいればドラマーはそれだけで食っていける。
逆にそんなことも出来ない輩が多過ぎるのだ!!
ちょうどそんな時、香港のWingからメールが来た。
「7月の2週間の大陸ツアー、スケジュール空いてるか?」
と。
当然ながら吉田くんも名指しである。
「最終日がちょっとスケジュールぶつかってるんですけどねえ・・・」
と吉田くん。
ぶっちしなさい!!ぶっちしなさい!!
またふたりで中国じゅうに「日本人の職人魂」を見せて廻ろうじゃあーりませんか!!
気持ちはもう中国に飛んでしまった京都の夜であった。
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2010年3月27日
布衣ライブat彊進酒
この日は布衣のライブがあるというので駆り出されて行って来た。
「ドラム叩いた後、酒を飲みたいだろ?」
というわけで2部制の第1部にドラムを叩いてくれということである。
昼間は院子の彼らのリハーサル室でリハーサルをやっていたので、
「ほな君らの終わったら教えてちょ」
と言っておいたのじゃがいつの間にかリハーサルが終わっていた。
「別にお前はリハなんかいらんじゃろ」
ということである。
日本では数曲老呉(LaoWu)と一緒にやったが、それ以外の曲はほぼ2年振りである。
果たしてまだ覚えとるんかと心配していたが、
やってみるとこれがなかなか覚えておるもんじゃ。
また、他の楽器が次にどんなパートに行くのかは、
その音を聞いていれば何らかの変化があるので、
注意深く聞いていればほぼ間違いなく叩くことが出来た。
ふむふむ、ワシも納浩一のレベルまで来たかな・・・(ウソ)
客は超満員!!

出世したなあ・・・
とくにびっくりしたのが、羊肉麺なんかもう全員が大合唱しとる・・・
今となればこの曲は彼らの代表曲となってしまったが、
思えばあの頃は彼ら自身は私が書いたこの曲をあまり気に入ってなかった。
いや気に入ってないというよりも、
「自分たちのものではないから違和感がある」
というものなのであろう。
レコーディングして、初めてこの店でこの曲をやるかやらないかの時、
ワシはギタリストの張威(Zhang Wei)にこの店でこう言った。
「俺はな、日本では既に数百曲の楽曲を世に送り出している。
自分の中ではどれも自分の生み出した子供みたいなもんで、
どんな曲でも平等に可愛いのだけれども、
その中でもヒットしている曲もあれば全然ヒットしてない曲もある。
でももう数百曲も子供がいると、
生まれた瞬間にこの子供が優秀かどうかわかってくる。
何か大きな生命が生み出される時にはそれがわかるもんなのさ」
それでも張威(Zhang Wei)はやっぱりずーっとこだわりがあったようだ。
ただひとりボーカルの老呉(LaoWu)だけがそれを信じた。
人の歌なんか歌ったことのない彼が、
毎日ギターを弾いてこの曲を練習していた。
老呉(LaoWu)があの時ワシのことを信じなかったら、
全面的にワシに委ねなかったら、
恐らくこの曲はこれほど中国に浸透することはなかっただろう。
レコーディングしてそのまま捨てられる子供で終わっていたのだ。
打ち合わせも兼ねてライブを見に来てたデブのキーボードが感激してこう言った。
「すんげーなー・・・布衣の現在の代表曲って2曲ともファンキーさんの曲じゃないですか・・・」
まあ1曲は映画音楽を歌ってもらってその映画がヒットしただけじゃが、
この羊肉麺は「老呉(LaoWu)のボーカルを何から何までわかって書いたとしか思えない」と言う。
厳密に言うとそれは間違いである。
そりゃいっしょに貧民街で暮らしてるんだから彼のことはよくわかっているつもりだが、
これは実はワシが彼に「合わせて」曲を書いたのではなく、
彼が「ワシの表現したいもの」に全面的に「身を委ねた」だけなのだ。
こうやって人の能力に素直に身を委ねられるアーティストと、
ひたすら我が道をゆくアーティストがいる。
前者が老呉(LaoWu)で、後者が張威(Zhang Wei)であるというだけで、
別にそれがどちらが正しくてというわけではない。
老呉(LaoWu)はワシと縁があったというだけのことである。
ライブが終わっていつものように店の奢りでビールを飲み、
新加入の若い布衣のドラムで2部を見終わった後、
老呉(LaoWu)がワシにそっとギャラを渡した。
500元!!!
貧民街ならじゅうぶん一ヶ月ぐらい生活出来るではないか!!
数年前には1日に3本ライブハウスをブッキングして
全部でみんなで50元しかもらえなくてビール代にもならなかったバンドが、
今やひとり500元ももらえるようになったのか・・・
老呉(LaoWu)のおかげで羊肉麺が生命をもらい、
羊肉麺のおかげでバンドがメンバーの生活に生命をもらえている。
素晴らしい!!
中国のロック界もまだまだ捨てたもんじゃない!!
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2010年3月26日
あえなく解決
日本人学校に行って来た。
初めて来たが、想像事情に厳重な警備である。

ここは治外法権。
一歩入れば中国ではなく言わば「日本」である。
だから脱北者が駆け込んで来たり、
いろいろ問題があるので警備を厳重にせざるを得ない。
入るのにパスポートの提示が必要と書かれているが、
あいにく持って来てなかったので運転免許証を見せて取り次ぎをお願いする。
アポを取ってなかったのでちょっと手間取ったが、
担当者が出て来るまでそんなに待たされなかった。
「すみません、脱北者の問題とかいろいろあって、
アポのない人をそう簡単に中に入れるわけにはいかないんです」
ということで門のところでお話をした。
「飛鳥ヒロキ君ですか? 昨日面接に来ましたねえ・・・」
聞けば話はこういうことである。
まず日本人学校のシステムはそれぞれの国によって事情が違うので様々であるが、
北京の日本語学校ではとりあえず先生の話をちゃんと理解するレベルの日本語が必須であり、
そのレベルに達しない生徒を入学させるわけにはいかない。
ところがこれが杓子定規な日本で話されると
「日本国籍を持つ子供に教育を受けさせないつもりか!!」
と噛み付かざるを得ないが、
さすがは中国で仕事をしている日本人はニュアンスがちょっと違う。
「ヒロキ君は今一生懸命日本語を勉強してますので、
昨日面接をした時にもレベルは上がってたのですが、
まだもう少しだなということをお母さんにも話させて頂きました」
「もうすぐ4月じゃないか?
入学には間に合わないじゃないか、どうするんだ?」
とワシとか母親とかは焦っているのじゃが、
この担当者の受け答えを聞いていると全然大丈夫だと感じた。
つまり、
「このまま日本語の勉強を続けて頂いて、
面接も定期的に続けて、
レベルに達したと判断した時に随時入学すればよい。」
ということである。
別に親の日本語レベルの問題ではない、本人のレベルである。
「1年経ってもレベルに達さなければ2年から入れてくれるのか?
もしくは小学校からいきなり浪人で1年からやり直すのか?」
という質問は愚問であった。
もともと
「子供なんてすぐに言葉覚えるんだからとりあえず入学させろ」
と怒鳴り込んで来たわけなんだから・・・
どんな不器用な子供でも数ヶ月あればまあ日本語を聞き取るぐらいにはなるじゃろう。
とりあえず聞き取れるレベルにくれば、
学校内には専門に日本語の先生もいてマンツーマンで教えてくれるシステムもあるらしい。
いろいろ雑談で聞いてみたら、
公立の日本人学校の場合は言葉が出来なくても受け入れるところはあるけれども、
北京の日本人学校は大使館直属ではあるもののあいにく私立であり、
過去このような受け入れによりいろんな問題が起こって来たことから、
一応規則としてはそのような規則になっていると言う。
まあ、「上に政策あれば下に対策あり」の国である。
「別にどうしても4月に入学しなくてもいいんじゃないの?」
ってな感じにこっちも思えて来る。
ワシは著作権料を別の人に払われるとブーブー文句言うが、
別に4月が7月になろうが文句を言う筋合いはないぞよ!!
門の前で記念撮影して帰路に着く。

ヒロキ君、頑張って日本語を勉強するのじゃ!!
恵美子ねえさんが7月に北京に引っ越して来るまでにはちゃんと日本語学校に通えるようになるんじゃぞ!!
お姉ちゃんが頑張ってお父さんの店を再建させてあんた達を立派に養ってゆくからな!!
Posted by ファンキー末吉 at:13:55 | 固定リンク
日本人学校に殴り込み!
中国を愛し、音楽を愛し、
そしてこの地でガンに冒されて死んでいった飛鳥さんのために
飛鳥倶楽部を再建しよう!!ということで北京に来ている。
ところが飛鳥さんは日本人、奥さんは中国人、
そのふたりの子供であるヒロキ君の国籍は日本。
中国で生まれ、中国で育ったので現状ではまだ中国語しか喋れない。
もう小学校に上がる年なので、
この4月からは北京にある日本人学校に入ろうということで一生懸命日本語を勉強している。
昨日亡き飛鳥さん宅でご飯をご馳走になっている時に
「今日は日本人学校の面接だった」
というのを聞いて「あれ?」と思った。
「日本語を喋れないと日本人学校に入れない」と言うのだ!!
ワシの前妻は中国人だったので子供をインターナショナルスクールに入れようと考えたこともあるが、
「両親のうちどちらかが英語を喋れないと受け入れない」
と言われた。
「親が学校側とコミュニケーション出来ない」
ということと、
「子供の言語が英語となった場合、親とコミュニケーションブレイクダウンに陥る」
ということが理由らしい。
同様に日本人学校も、
「母親が日本語を喋れないので受け入れられない」
と言っているという・・・
小学校は「義務教育」じゃぞ!!
仮にも日本の国籍を持つ子供が、
「日本人として義務教育を受けたい」
というのを日本人学校は拒むのか?!!
ワシの娘も実は北京の小学校に半年ほど通ったが、
本来ならば中国人の通う小学校に日本国籍を持つ人間が正式に通うことは非常に難しい。
仕方ないので「裏金で」ということになり莫大なお金を払って学校に通わせてもらった。
娘は当時日本語しか喋れなかったが、
何のこっちゃない、通えばすぐに中国語しか喋れなくなり、
日本に帰って日本の小学校に通えばすぐにまた日本語しか喋れなくなった。
子供なんてそんなもんである。
そりゃその時々には少し苦労するが、
言語の問題はそんなに大きくないとワシは思っている。
ところが「日本語が喋れない」という理由で義務教育を拒否されたら、
この子はどうやって北京で教育を受ければいいのじゃ?!!
未亡人である奥さんがワシのように中国人学校莫大なお金を払って通わせることは不可能じゃぞ!!
ということは、
「日本国はこの日本国籍を持つ子供に教育を受けささない」
ということを言っているのである!!
そんなアホなことあるかい!!
ということで今日、早起きをして日本人学校に殴り込みに行ってくる。
「お前なあ!!ワシを誰やと思うとる!!
大問題にされたくなかったら面接とか四の五の言わずすぐに入学を許可しろ!!」
ってなもんである。
飛鳥倶楽部再建以前にまだまだいろんな問題が山積みである。
Posted by ファンキー末吉 at:05:26 | 固定リンク
2010年3月25日
いい知らせと悪い知らせ
北京空港に降り立ったらいつものように老呉(LaoWu)が迎えに来てくれた。
駐車場に止めたら金を取られるし、
到着楼だと駐車禁止を取られちゃうので
いつも着いたら出発楼に上がって電話をしてそこでピックアップしてもらってたのじゃが、
最近はそういう輩が多いので出発楼に出迎えは禁止になってしまった。
ところが「上に政策あれば下に対策あり」のこの国では、
「出迎えではないですよ、見送りですよ」
ということで助手席に人を乗せてればOKとなる。
というわけで今日は彼は奥さんを助手席に乗せて堂々と「出迎え」に来てくれた。
開口一番彼が言った言葉が、
「いい知らせと悪い知らせがあるけどどっちから聞きたい?」
である。
まあ別にどっちから聞いてもどうせ両方聞かねばならないのだからどっちでもいいと答えたら、
「じゃあまずいい話、
うちの村が潰されて立ち退きになるという話、
あれは運良くまだまだ数年先の話になりそうだ」
貧民街を潰して都市開発をしようという政府の政策に追いやられて、
住むところがなくなった天然記念物のトキのように貧乏ミュージシャンの大移動がもうすぐ始まるはずだったのじゃが
まあこれでしばらくはもう一安心である。
「そして悪い話、
それを受けて大家が家賃を値上げするぞと言い出した」
北京の土地の値上がりは往年の日本の比ではなく、
ちょっと前から比べてもう3倍、
1平米3万元(45万円)するんだから完璧に八王子より高い!!
それに伴って賃貸しの部屋代もどんどん上がってゆき、
おまけに隣村も潰されて住むところを失った貧民がうちの村に流れて来ているので完璧に貸し手市場である。
ま、値上がりも仕方あるまいと思ってその値段を聞いたら、
「今年から5万元(年間75万)って言うんだよ」
と言うので腰を抜かしそうになった。
今まで25000元だからいきなり倍である!!
老呉(LaoWu)が一生懸命値切ってくれて結局年間3万9千元(約60万)
まあ8部屋あってこのぐらいの値段は日本だと安いが貧民街では法外である。
大家は村が潰される前に稼げるだけ稼いでおこうという魂胆であろう・・・。
ま、仕方ない。嫌なら出て行くしかないのだ。
5月にまた半年分納めなければならないので銀行行って引き出して奥さんに託した。
北京もむっちゃ住みにくくなって来てるんですけど!!!!
Posted by ファンキー末吉 at:17:28 | 固定リンク
2010年3月 2日
やっと帰国
昨日から雪が降っており、今日帰れるかどうか微妙であった。
「飛行機が飛ばなかったら飲もう」
と飲み会を企画する気が早い奴もいる。
朝になったらうちの貧民街では雪が積もっていたが、
交通量の多い道路なんかは何とか大丈夫そうである。
そうそう、飛行機なんて車と違って別に滑走路が凍っててもそんなに問題はあるまい。
現在進行形で雪が降ってて視界が悪ければ問題だけど・・・

搭乗口から見る飛行場はまあ何とか大丈夫そうである。
搭乗!!
しかしこれが搭乗してからがなかなか飛行機が動かない。
アメリカの飛行機会社なので英語のアナウンスを聞いて何とか理解し、
中国語のアナウンスを聞いてそうだったかと確認する。
やっぱ滑走路に雪があっても大変なのか、
何やら知らんが20台の飛行機が離陸を待っているらしい。
ひたすら寝る・・・
起きた頃やっと飛行機が動き出した。
いつもだったら上空でメシが配られてる頃である。
予定をかなり遅れて成田に着く。
パーキングに預けている車を取りに行く。
これだけで小一時間かかっている・・・
そして成田から八王子まで・・・これが遠い!!!
結局朝6時に院子を出て、八王子に着いたのは夕方6時。
LAまで行けるやん!!!
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2010年2月28日
今日は旧正月最後の日
いつも仕事をしているプロデューサーが
「うちにメシ食いに来いや」
と言うので行ってみたら、
そうそうたるメンバーが集まってがんがんに飲んでいた。
役者もいれば歌手もいればロックスターもいれば、
まあ「いつもの連中」なのじゃが、
何でこんなに盛り上がっているのかワシだけがわけわからない。
聞いてみると、今年の旧正月は2月14日。
28日がちょうど15日目。
旧正月最後の日ということで15日目は正月と同じように過ごし、
14日目は当然ながら大晦日と同じように過ごす。
つまり酒飲んで大騒ぎするのである。
よう酒飲む民族やなあ・・・
ワシなんか日本の正月で酒飲んで、
中国の正月で酒飲んで、
そいで正月最後の日にまた酒飲んだら大変ですわ・・・
実際中国人は旧正月前後一ヶ月は働かないのですわ・・・
これは中国本土だけのことではない。
全世界で中華系の従業員がいる会社はこの時期全く稼働しなくなる。
タイで仕事をしている時もそうだった。
「この時期はダメだ!スタッフがみんな里帰りしてるんだ・・・」
マレーシアでもそうだった。
アメリカでもきっとそうだ。
経済効果悪過ぎるやん!!!
夕べは遅くまで爆竹がぱんぱん鳴り響き、
今日は朝早くからまたぱんぱん鳴り響き、
これに関しては経済効果良過ぎるやん・・・
ま、ええわ。ワシも覚悟決めて今年3回目の正月を楽しもう。
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2010年2月27日
あなたのファンからというメール
そう言えば中国の友人からこんなメールをもらった。
あなたのひとりのファンの文章と、
デブのキーボードがライブハウスでやっている「ろう君の初恋」の映像があったんで送ります。
http://blog.sina.com.cn/s/blog_645a3bab0100fy1g.html
とのことである。
そのサイトにいってみると、いきなりワシのソロアルバムの写真と、
ワシのドラムを青島で見たということ、
そして友人に推薦されてこの映像を見たと書かれている。
中国にはワシのドラムに影響された人間は多い。
しかし彼は純粋にこの曲に感動し、
悲しい時はこの曲を聞き、
そしてその恋が終わっていったと書かれている。
五星旗のレコードを出してくれたレーベルのプロデューサーが
こんなことを言っていたのを覚えている。
「Jazzが衰退していった一番の原因は、
人にカバーされる楽曲がなくなって来たからだ」
この曲は進藤陽悟のアルバムでもカバーされたのだが、
その時はリリカルなピアノソロの演奏で全然違和感がなかったのだが、
彼らの演奏はもう既に原作とは遠く離れてしまっている。
昨日のライブでもこの曲は演奏されたが、
だいたいこの曲にドラムソロを入れようなどとはワシは思ったこともないし、
ブラシを使って思いっきり爆発しているドラムソロは、
どちらかというと「初恋」というより「ロック」である。
しかし言い方を変えると、彼らの初恋は「ロック」だったのかも知れない。
自分の生み出した楽曲を愛してくれて、
それを語り継いでくれるというよりも、
別物にして楽曲がひとり歩きをしている姿がワシにはとても嬉しかった。
今度デブが日本に来たら、
是非またこの曲を一緒にプレイしたいものだ。
Posted by ファンキー末吉 at:15:56 | 固定リンク
80后のライブ
夕べはデブのキーボードに
「ライブがあるんだけど見に来ませんか」
と言われたので行って来た。
9時からだというのでちょっと遅れて着いたら、
デブはおらず、ステージではDJが曲を流している。
「ライブじゃないの?・・・」
どうもこのDJというものがワシにはよくわからない。
人の音楽を流すだけで何が「ライブ」なんじゃろう・・・
まあそんなことを言ってるからワシは「古い世代」なのじゃ。
何せこのデブらみんなは80年代生まれ、
「80后」と呼ばれる新世代なのだから・・・。
1時間ぐらいたってバンドが登場。
DJの「機械のリズム」に合わせてインプロビゼーションを繰り広げる。
おっ、凄いぞ・・・
もともとこのデブはバカテク(死語?)であった。
初めて見た時に
「お前は中国Jazz界のトップになれるぞ!!」
と声をかけた。
彼もワシのソロアルバムを聞いて育った世代なので喜んで食いついて来た。
しかし後に彼はCとAとGのキーしか弾けないことが発覚。
「1オクターブは12音しかない!
だからあと9つ、
つまりあと3倍練習しろ!
そしたら全てのキーで弾けるようになる!」
このテクニックで全キーを制覇したら、
冗談じゃなく中国のJazz界、
いや世界的なプレイヤーになれるぞ!!
ワシは夢膨らんで彼にいろんなことを教えた。
コード理論やJazz理論、モード奏法からアウト奏法まで、
ありとあらゆる奏法を叩き込もうとしたのは、
当時ワシが北京に移り住んで一緒にバンドが出来るほどのレベルのプレイヤーがいなかったのが大きな理由であろう。
いないなら育てる!!
それだけのことである。
しかし彼はそれに背を向けてHip Hopユニットでデビューを目指した。
「アホか!お前はそれだけの腕がありながら歌謡界に行きたいのか!!」
さんざん彼に説教したが、
考えてみれば彼は20歳そこそこからもうキーボード一本で両親を養ってきてるのだ。
この中国でナンバーワンの「プレイヤー」になったところで大金持ちにはなれないが、
「スター」になったら想像もできない大金が転がり込むことになる。
仕方がないので彼らのデビュー曲をプロデュースしてやった。
これである。
まあ今聞けばなかなかよく出来た作品なのじゃが、
ワシは何か面白くなかった。
だってこれ・・・お前じゃなくても出来るじゃん!!
あの超絶ソロはお前じゃないと出来んもん!!
結局このユニットは思惑通りにデビューすることが出来ず、
彼はその後ワシの背中を見ながらスタジオミュージシャンとなった。
歌謡曲をプレイするので必然的に全キーで弾けるようにはなったが、
もうワシ自身が彼をJazzプレイヤーとして育てようという情熱は失った。
ところがライブでの彼のプレイを聞いて、
いきなり初めて彼と出会った時の衝撃が蘇った。
いつの間にやらアウト奏法、3拍フレーズはもちろんのこと、
それより難解である5拍フレーズまで自分のものにしてしまっている。
10年かかったがヤツはちゃんとワシの教えたことを身につけたんだ・・・
歌手が登場した。
彼女が歌うアメリカンポップスをDJと共にデジタルにアレンジしているのが気持ちいい。
デジタルが中国のアレンジの主流となって、
ワシは1年寝ずに全てのデジタルソフトウェアを勉強し、
それをおしげもなく彼に教えた。
ソフトウェアを共有することによりワシが彼に仕事を振れるからだ。
こうして重慶雑技団をはじめとし、
数々の映画音楽、テレビドラマの仕事を彼に振った。
「こんな仕事・・・やってられるか・・・」
と、その後この世界に背を向けて、
デジタルからも背を向けてX.Y.Z.→Aのように身体張ってぶつかる音楽に戻っていったワシと違って、
彼はその全てを「自分の音楽」にした。
いや、もともと好きだったのだろう。
その好きなものを融合したらこの日のこんな音楽になったのだ。
最後にラッパーが出て来た。
おいおいおい!!ハッパ吸うアクションで歌うなよ!!
10年前だったら即逮捕じゃぞ!!
平和である。
中国も平和になった。
そしてその中国を彼ら80后が引っ張ってゆく。
新世代が自分たちのやりたいことをやっているこのライブ。
ワシは非常に楽しまさせて頂いた。
デブは4月に来日し、筋少のエンゲキロックの仕事を手伝ってもらう。
3ヶ月も日本にいるのだ。
時間があれば店でもライブをやってもらうことにしよう。
Posted by ファンキー末吉 at:10:13 | 固定リンク
2010年2月26日
中国でのドラム教本チューニング編収録終了
分刻みのスケジュールの中、
順調に終わったので次の現場に行くまえにレポート。

「共鳴を恐れるな!!ミュートなんか貼るな!!
ひとつを叩けば全部がワンワン鳴る。
それがドラムぞ!!」
みたいなことがちゃんと中国語で言えたかどうかは不安じゃが、
まあ後は字幕で何とかフォローしてくれるじゃろう。
字幕の原稿書かねば・・・(涙)
ところでこれらの仕事、もちろんノーギャラである。
パールのドラムを中国に浸透させるために金なんか取ってられません!!
ということで日頃のお礼にSavianの限定モデルのシンバルを贈呈された。

世界で限定100枚しかないという記念シンバル。
ご丁重に物々しい木の箱に入っている。
どうやって持って帰るんじゃ?・・・
Posted by ファンキー末吉 at:15:14 | 固定リンク
不思議やなあ・・・
日本にいる比率が多くなって、必然的に中国語を忘れている。
思うように喋れなくて、発音も悪くなってるのを自覚する。
しかし喧嘩をすると非常に流暢にに喋れる。
っていうか喧嘩するためには流暢じゃなきゃいかんのだが・・・
飲み屋から出るとタクシーが拾えない。
また服装を春の日本のまま来てしまっているので非常に寒い。
凍えながら交差点の近くまで行ってやっと1台拾えた。
すかさず乗り込んで行き先を伝える。
「この車線からは曲がれないな!あっちの車線の車を拾え!!」
などと言うもんだからワシもいきなり戦闘モードになる。
「Uターンでも大回りでも何でもしろ!!仕事だろ!!」
「交差点近くじゃなく、
もうちょっと後ろで拾ってくれたらここで曲がれたのに・・・」
とかうじうじ言い続けるので、説教する。
「それはお前の勝手であり、客にとってそれは関係ない。
だいたいお前はサービス業というものをどう考える?
お前がよければそれでいいのか?
客がよければそれでいいんだろ!!
結局大回りして儲かるのは誰だ?
お前だろ。
客は大回りしてでも行けと言ってるんだ。
黙っていけばよかろう!!」
あとは何を喋ったか忘れた。
何も考えずに延々言葉だけが出続けるんだから凄い!!
運転手にとっても口論しているヒマがあったら走った方が早いのでとっととメーター倒して走ってゆく。
全く中国で暮らすというのは毎日エネルギーが必要なのじゃよ・・・
今日の仕事は全部中国語を使う。
1時から中国語で話してドラム教本のチューニングの部分を収録。
3時から泰山日中ロックフェスティバルの打ち合わせ。
5時から克爾曼(KAHRIMAN)とレコーディングの打ち合わせ。
夜はデブのキーボードがライブなので見に行くだけじゃが、
昨日のリハビリで中国語力が戻っていることを願うばかりである。
Posted by ファンキー末吉 at:10:10 | 固定リンク
2010年2月25日
めんどくさいなあ
車で出かけようと思ったら無理だった。
ワシの(というかロック村で共有の)車のナンバーの末尾は5、
なんと今日は五環路の中には入れないという。
またこの数字の法則がよくわからない。
月曜日(星期一という)は末尾が2と7、
火曜日(星期二という)は末尾が3と8、
水曜日(星期三という)は末尾が4と9、
木曜日(星期四という)は末尾が5と0、
金曜日(星期五という)は末尾が6と1、
覚えられんぞ!!
星期一なんだから1と6にせーよ!!
というか東京だったら
「環八内にこの車は入れません」
などとやった途端に大パニックになるぞ!!
相変わらず無茶するなあ中国政府・・・
明日は明日で五環路内のスタジオを取っていたら、
「私の車は明日五環路内に入れません」
と言われてスタジオ変更したぞ!!
渋滞より何より経済効果が悪いと思うんですけど・・・
Posted by ファンキー末吉 at:15:58 | 固定リンク
2010年2月 1日
「集金」というお仕事(?)
ワシはどうも人より「偶然」が多いと見える。
サンフランシスコの交差点で日本から旅行に来ている知り合いと偶然すれ違ったり、
飛行機で知り合いに会うなんざしょっちゅうである。
今回はまた、行きの飛行機でLAで知り合った日本人と一緒になった。
奥さんと北京に旅行に行くところらしい。
そして座席に着いたら今度は隣にソン・ルイという日本に住む中国人ギタリストが座っていた。
前回一緒にバックバンドの仕事をしたミュージシャン仲間である。
聞けば今回も曲世聡の仕事だというので、
そう言えば前回のギャラをまだもらってないので見に行くことにしたのだ。
いわゆる「集金」である。
仕事内容はまたバックバンドというが、
行ってみると音楽賞の受賞イベントで、
生バンドの出演は2曲のみ。
しかも夕べのゲネプロは朝4時までやっていたというのだから、
今回の仕事はワシでなくってよかったと胸を撫で下ろす。
いわゆる「歌謡ショー」のステージは、
ワシひとりで見るにはあまりに退屈だった。
そう言えばワシはあんましコンサートを見に行くことがない。
コンサートは「見に行く」ものではなく「出演しに行く」ものだったのじゃ・・・
しかもこれはもう既に「コンサート」ではない。
有名歌手、女優等をしこたま呼んで、
授賞式の公開録画を金を取って体育館クラスでやっているだけのもんである。
授賞式ももちろん見に行ったことはない。
「出演する」か、もしくは「受賞しに」行くだけである。
数年前は受賞すると思ってなかったのでジャージとか汚い格好で行ったら、
参加したロックオムニバスが最優秀ロックアルバムを受賞し、
プロデューサーだけではなく参加者みんな壇上に上がれと言われ、
みんな正装してるのにあまりに恥ずかしいのでこそこそ逃げ帰った記憶がある。
それにしても受賞イベントはつまらない。
昔はもっと知り合いがいっぱいノミネートされてたり、
自分がレコーディングした曲が受賞したりしてたものじゃが、
ワシらが参加しなくなったから受賞する音楽がつまらなくなったのか、
はたまた単に時代が変わったか・・・
そんなことを考えながら待てども待てどもバンドが出て来ない。
もう飽きてしまって早く帰りたいのじゃが、
帰ってしまってはまたギャラをもらいそびれてしまうので我慢して見る。
「先にギャラくれよ」と言ってもみたのじゃが、
「仕事終わって一緒にメシ食おうよ、その時に渡すよ」
と言われたら待つしかない。
ほんま中国って何でもかんでもメシ食わねばならないので大変である。
やっと授賞式が終わったが、
ヤツらは機材片付けがあるので、
「どこメシ行くの?先に行っとくよ」
と言って先に会場を出た。
思えば今回はまだ一度も北京料理を食ってない。
これが今回最後の食事になるので是非北京料理を食いたかったのじゃが、
指定されたレストランは何と香港レストランだった。
ちょっと残念じゃが中華は中華なので、
腹がへってたまらないので先にいっぱい頼んでやけ食いした。
当然ながらみんなが集まった頃には満腹である。
おまけに車で来ているので酒も飲めない。
ながーいながーい酒盛りに付き合ってやっとギャラがもらえた。
ごっつい札束をもらってむっちゃ稼いだように見えるが、
実は最高額紙幣が100元(1500円ぐらい)なので、
日本円にすると何ぼにもならんのよーん。
でもまあ、遊んでるみたいなもんやからええか・・・
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2010年1月31日
中国人経営の日本料理屋
昨日は友人のスタジオのドラムのチューニングをしていた。
まあ「人助け」である。
この「人助け」が一日仕事になるのが「中国」である。
何故なら必ず「お礼にメシでも食おう」になるからである。
まあ泰山ロックフェスティバルの話もあったのでちょうどいい。
この話が実現したら舞台制作の一切は彼らにお願いしようと思っていたのだ。
「じゃあ日本料理でも行こうか」
ぎゃー!!やめてくれー!!
ワシはこっち来てから日本人バー巡りをしているので全食日本料理なのじゃー!!
羊肉食わせろー!!辛いもん食わせろー!!
しかし彼らはすっかり日本料理を食う気まんまんで予約までしているというので仕方がない。
連れて行かれたところは中国人が経営している日本料理屋。
非常に高級店である。
食べ放題飲み放題のプランにして日本酒を頼む。
山ほどの料理が運ばれて来る。
食べ放題だからと言って食べきれないぐらい頼むのが中国人である。
とりあえず刺身でもつまんでみる。
不味い・・・
ほんと、中国人が経営する日本料理屋ほど不味いものはない。
もうこの段階で山ほどの料理を食う気にならなくなる。
最後に鉄板焼きが始まる。
肉なら食えるぞ!!!
まあ神戸牛のように霜降りでも何でもないが、
アメリカのステーキだと思えば全然食える味である。
要は肉であればいいのじゃ。
たらふく肉食ってえみちゃん達と合流。
また日本人バー巡りである。
結局全部で7軒廻って二日酔い。
今日こそは中華食うぞー!!!
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2010年1月30日
韓国人サウナ
院子はもう水道管が凍っていて水が全然出ない。
つまり「風呂に入れない」!!
まあ北京は乾燥しているので数日入らなくても大丈夫なのじゃが、
それでも日にちが経って来るとさすがにそうもいかない。
近所のスラム街にも公衆浴場はあるが、
浴槽にお湯がたまってなくてシャワーだけだったりするし、
町中にある公衆浴場は抜き系だったりするので危険である。
そんな中、ワシは隣町「望京(ワンジン)」に出来た韓国人サウナがお気に入りである。
フロアに入ったら床暖房で床が暖かいし、
エコ意識もなくお湯が溢れるほど浴槽から流れ落ちている。
サウナのテレビが朝鮮語なのと、
タオルも与えられずお兄ちゃんが濡れた身体を拭いてくれるのだけには今だに慣れないが、
仕事終わりにゆっくり浸かるもよし、
仕事前にざばっと風呂に入るもよい。
今日はスタジオでドラムのチューニングと、
それが終わればその関係者とメシ食って飲まねばならないし(辛いなあ)、
その後はまた美女たちと合流して飲み歩かねばならない(辛い辛い・・・)。
さてひとっ風呂浴びに行って来るか!!
Posted by ファンキー末吉 at:11:19 | 固定リンク
美女と北京で飲み倒す!!
いやー・・・辛い仕事である・・・辛い辛い・・・(笑)
先日メルマガで送ったように現在飛鳥さんの娘さんと一緒に北京に来ているわけじゃが、
ひとくちに「店をやりたい」と言っても北京の他の店がどんな感じなのかを見なければ話にならない、
というわけで、今回は「1日10軒飲み歩くぞ!」というわけで、
北京中の日本人バーを飲み歩いている今日この頃である。
北京で長く暮らしてはいるが、
暮らしているのが中国人のまっただ中なので、
こんなにたくさんの日本人バーがあるのかと今更ながら驚くばかりである。
お供はこの話の言い出しっぺであるなるみちゃんと、
あと、飛鳥さんと同じ岩手県人会である吉野譲。
気がついてみると3人の美女と飲み歩いているのである。
ustreamでweb配信させない中国政府にたてついて、
違法ソフトを使って配信出来るか実験も兼ねながらやっているので、
配信が成功した時にはその映像は美女と飲んでいる時ばかりである。
「末吉さん、キャバレー行く時は配信切ってないとヤバいですよ」
とありがたいメールが届いたが、
考えてみれば日本人美女と日本語で話しながら飲んでいる映像を配信したところで日本と何も変わりはない。
誰かiPhoneでセキュリティーを破れる方法を教えてくれぃ!!!
そしたらワシは町中をiPhoneで配信するのに・・・
明日は午後からスタジオにドラムのチューニングに行くのでとりあえずそれでも配信してみよう。
www.blasty.jp/barxyzにて可能な限りゲリラ配信中!!
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2010年1月29日
中国からはTwitterが出来ない?!!
中国政府は国内のインターネット接続に関して6つの「関所」を設け、
常に人民のインターネット接続を監視していると言う。
だから国外のサーバーに接続する速度は非常に遅い。
これだけではない。
驚くべきことにYou-Tube等アメリカのサーバーには接続出来ないようになっているのだ。
同様に店の配信システムであるustreamにも接続出来ない。
同様に今回北京に来て発覚したことが、Twitterにも接続出来ないということである。
You-Tube等は反国家的な動画を配信されたらたまったもんじゃないという考えも理解出来るが、
Twitterなんてもんがそんなに国家を脅かすようなことか?・・・
しかし中国人はたくましい。
「上に政策あれば下に対策あり」
という言葉があるように、
政府が取り締まればその抜け道を考えて「うまくやる」のである。
海賊版ソフトがこれだけはびこる国である。
そんな政府のセキュリティーなんぞぶっ飛ばしてしまうソフトが出回っている。
Free VPN
このパソコンがアメリカのIPアドレスに接続しようとしているのではない、
とパソコンを騙してしまうソフトなのである。
中国の若い衆はみんなパソコンにこのソフトをインストールして、
自由にYou-Tube等の動画を楽しんでいる。
もちろん「関所」のせいで速度は非常に遅いが・・・
ところが政府もバカではない。
ワシが北京にやって来てTwitterに接続出来ないことを知り、
それではとこのソフトを立ち上げてみると、
何と見事にこのソフトを使っても接続出来ないようになってしまっている。
若い衆に電話をして聞いてみる。
「あのソフトが使えなくなってしまってるみたいだけど・・・」
答えは簡単である。
「新しいバージョンのが出てるからそれ使ってみぃ」
それだけの話である。
永遠に「いたちごっこ」なのである。
中国政府よ。こんな規制をしたところでどうせ「いたちごっこ」なのである。
金と労力の無駄じゃ!すぐ規制を解きなさい!!!
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2009年12月21日
LaoWuは偉大やなあ
院子に帰って来たら水道管に凍結防止処理がなされたいた。
ミュージシャンのくせに何でも出来る!!
貧乏がそうさせたのか、出来るからずーっと貧乏で不自由がないのか・・・
彼曰く、
「嫁にも言われたことあるよ、なんであんたはそんなに貧乏なのって、
でも俺は答えたんだ、この生活をやってるからあくせく働かなくていい、
朝から晩までバンドの練習以外お前とテレビ見たり毎日遊んでるだけじゃないか。
こんな生活はよっぱど金持ちかよっぽど貧乏かしか出来ないよ」
けだし名言である。
ワシここまでサバイバルなミュージシャンは彼以外会ったことがない。
彼に空港まで送ってもらって今から日本に帰る。
山ほどの土産である。
画面下から順に、
前回好評だったビールがいくらでも進む唐辛子の激辛スナック、
武漢名物鴨の喉笛、
寧夏名物手づかみ羊肉、
29日には客と一緒に全部食らうのじゃ!!
Posted by ファンキー末吉 at:15:26 | 固定リンク
2009年12月20日
空港にて物思う・・・
文無しでもLaoWuが空港まで送ってくれるし、
電子チケットやからパスポート出したらチケットくれるし、
武漢着いたら迎えが来てるから金使うことない。
中国はほんまに金使わんでええから楽やわ・・・
それはそうと昨日のコンサート、
思い起こせば結構歴史に残るいいコンサートやったに違いない。
通常歌謡曲系のコンサートでは「チェイサー」と言って
最後の曲が終わったら歌手の退場のためにエンディングとかをリピートで演奏するのじゃが、
通常はその段階で客はぞろぞろ帰ってしまい、
ひどい時にはチェイサーが終わったら1万人の客が全員帰ってしまっている。
早っ!!
しかし今回は珍しく、
ドラムを片付けているのに大半のファンは帰らずにずーっとアンコールを続けている。
こんなことは中国のコンサートではなかったことである。
中国人・・・合理的やから無駄なことせんし・・・
また、歌謡曲系のコンサートでは出モノ腫れモノ何でも来いじゃが、
あれもやりたい、これもやりたいでいろいろやっても、
まあ成功する企画はせいぜい半分ぐらいである。
ところが昨日のコンサートでは全てが大成功。
しょっぱなの軍隊ダンス(この監督・・・ほんまこれが好きやなあ・・・)
ダンスがバシッと決まって大成功。
小さい頃アニメが好きでということでアニメメドレー、
ドラえもんから始まって聖闘士星矢まで日本語で歌う。
大盛り上がり・・・
ヒット曲のメドレーも電子音楽風にダンスも交えて大成功。
マイケルジャクソンメドレーではムーンウォークからダンスをビシっと決め、
お決まりのバラード(これが大半なのであるが)では、
デブのキーボードがもらい泣きするほどの歌唱力を見せつける。
そう言えば日本にはここまで歌えて踊れるエンターティナーっておらんなあ・・・
基本的に中国の歌手は歌がうまい。
今回のコンサートもそうなるだろうが、
よく大きなコンサートはすぐに海賊版DVDとして発売されるが、
無修正のその音源を聞いて、
バンドはミストーンがあっても歌手が音を外すことはまずない。
彼はMengMeng(モンモン)のようにテレビのオーディション番組で出て来た歌手なのじゃが、
人口比率で言うと応募者の数は日本のオーディション番組の比ではない。
顔がよい、キャラクターがずば抜けているだけでは勝ち残っていけないのだ。
少なくても歌はもの凄く上手い!!これは中国で歌手やるなら必須である。
その上、彼は80后(80年代生まれ)と呼ばれる中国の新世代である。
ネットと海賊版で全ての情報を手に入れ、
一人っ子政策で好き勝手に育った宇宙人世代である。
ワシが「なんだかなあ」と思うことは彼らにとっては当たり前のこと、
中国という国はこの宇宙人世代が牽引しているのである。
ギャラはもらいそびれたが、まあ次の仕事もワシだろう。
その時にもらえばよい。
このバンドのメンバーも全て80后、
デブのキーボードも含め、全てワシが育てた新世代のミュージシャンなのだから・・・
ぼちぼちドラマーも育てにゃいかんのう・・・
おっと出発の時間だ、搭乗するとするか・・・
武漢まで2時間・・・毎度のことながら・・・国内線が遠過ぎる・・・
Posted by ファンキー末吉 at:07:42 | 固定リンク
ギャラもらうん忘れたぁ!!
文無しである・・・
しゃーないなぁ・・・武漢へ出発ぅ!!!
眠い・・・
Posted by ファンキー末吉 at:06:37 | 固定リンク
2009年12月19日
終わったどー
いやー長かったなあ・・・
これで終わると思ったら思いっきり叩かせてもらったぞよ。
歌謡曲ごときでミスなんかしてたまるかい!!
完璧なドラムです!!!
今から慶功宴。
胸を張って酒を飲ませて頂きます!!
明日朝6時出発で武漢やけど・・・
Posted by ファンキー末吉 at:23:36 | 固定リンク
ゲネプロは長かったぁ・・・
なにせ1回通して、晩飯食ったらまた最初っから通したもんなぁ・・・
北京工人体育館、キャパ1万2千人。
まあ日本で言うと武道館である。
新人のくせに売れてるらしいから金あるでぇ・・・
(しかし往々にしてバンドには回って来ないのであるが)
出モノ腫れモノ何でもあり!!
バンドのメンバーも多いけどダンサーもうじゃうじゃ・・・
ちなみにこの写真はダンスのリハをしているように見えるが、
実はバンドのサウンドチェックである。
日本だと何時から何時までは照明、何時からはバンド、
と時間をちゃんと分けてやるのが普通だが、
ここ中国では我先にいっぺんにやってしまう。
さすがバス停で並ばずにダンゴになってバスに乗る民族・・・
だいたい「ドラム下さい」とか言われてドンドンとか叩いてるのに、
全然違うテンポで「イーアルサンスー」とか叫びながら
それに合わせてダンスを踊ってるわ、
照明は勝手に色合わせしてるわぐしゃぐしゃである。
サウンドチェックも、まずドラムをひとりで叩いて、
その音が大きいか小さいかをそれぞれのミュージシャンに聞いて、
全員回ったら次はそれにベースを一緒に弾いて、
ベースの音が大きいか小さいかをまた全員に聞いて・・・
という風に順列組み合わせで全員を回ると、
バンドのメンバーが多いので結局ドラムは1時間ぐらい叩き続けている。
このやり方は5−6年前に韓紅という歌手のコンサートでドラムで呼ばれた時、
その時の台湾の舞台監督がやり出したのが最初だったと記憶している。
ミュージシャンにはすこぶる不評だったがそれから定着してしまった。
それにしてもダンサーは凄い!!
全楽器が大音量で別のリズムを延々刻んでいるのに、
全然違う別の曲を踊ってるんだから・・・
さて夕方頃になって歌手が登場!!
見て下さい!!
リハ装束がもうマイケルそのものです!!!
凄いですねえ。
もちろんMJメドレーもやります!!
ダンスも踊ります!!
ムーンウォークもやります!!
勇気あるなあ・・・
Earth Songに至っては映像もMJと同じです!!
(著作権どうなっとるんやろう・・・)
しかしアレンジがちょっと違ってて、
中国らしく二胡が入っていて、
(画面右手)
この曲のためだけに呼んだ二胡奏者がそれはそれは美人で・・・
(お近づきにはなれなかったが・・・)
それが最後にはステージの一番前でギターふたりに挟まれて弾きながらのけぞるのよ・・・
客席で見たい・・・
いやーやる前は「なんだかなー」と思うことがいっぱいあったが、
ここまでやってくれると何か・・・凄い!!
思うに今の時期、武道館クラスでこうも真っ向からMJを再現する歌手は世界広しと言えど中国だけでしょう・・・
中国人おそるべし・・・
Posted by ファンキー末吉 at:02:03 | 固定リンク
2009年12月18日
風呂に入るのも命がけ
中国古来の院子(ユエンズ)というのはその作り上
風呂に行くにもトイレに行くにも一旦部屋から出て行かねばならない。
夜中のトイレなんぞ命がけである。
外は零下、サウナに行こうと着込んで外に出るが、
車のエンジンをかけようとして思いとどまる。
この凍った鉄の塊の中でこのオンボロ車がエンジンがかかるまでに凍え死んでしまわないとも限らない。
またこの車ときたら夏はエンジンの熱気で外気より暑いくせに
冬はすきま風で外より寒い。
サウナ上がりに湯冷めしてしまう可能性大である。
そう言えばうちの風呂桶はLaoWuが直してくれたからうちでも風呂が入れるではないか・・・
風呂場に行く。
お湯をひねってみる。
出ない。
水道管が凍っているのだ・・・
部屋に帰ってコタツにくるまって考える。
さてどうしたものか・・・
困った時のLaoWu頼み。
隣なのにコタツから出たくないので電話で呼び出す。
ニ井原がパソコンが壊れたらワシを呼び出すのと同じである。
お湯を持ってLaoWuが現れる。
貧民街では通常部屋の中で練炭ストーブを炊いて(危険やなあ)暖をとるのでその上に置いてあるヤカンにいつもお湯があるのだ。
お湯の温度を調節してお湯をためる間またこたつに飛び込む。
この間にもう体は冷え切ってしまっているのだ。
お湯がたまった頃、覚悟を決めてこたつの中で服を脱ぎ捨てて全裸になる。
えいやとばかり覚悟を決めて外に飛び出す。
零下の院子を駆け抜けてお湯にざっぷん。
わっちっち!!
お湯の温度が熱すぎた。
飛び出して水でうめる。
しかし浴室も外気の温度と同じである。
凍え死にしてしまうのでまた意を決して浴槽に飛び込む。
わっちっち!!
まるで熱湯コマーシャルである。
これをくり返すうちにお湯もうまり、
身体も温まってゆっくりお湯に浸かれるというもんである。
出る時はもう身体も温まっているので裸で院子に出ても大丈夫。
身体から物凄い勢いで水蒸気が出ている。
全然寒くない。
部屋に入って服を着ていざ出陣!!
今日は会場入りしてゲネプロ。
Posted by ファンキー末吉 at:13:33 | 固定リンク
2009年12月17日
ドラムセットを持ち込んだ
日本ではだいたい全てのライブは自分のセットでやるが、
中国では持ち込まないのが普通である。
リハーサルスタジオは機材リース会社を兼ねており、
ここでリハーサルをするということは即ちここに機材を使うということである。
北京には3つこのような会社があり、
そのひとつはオーナーがドラマーなのでよいが、
あとのふたつの場合ワシはそのドラムをあまり信用していない。
特にワシはパールのモニターなので
その会社の一番のドラムセットがパールとは限らないのでなおさらである。
持ち込んだこのセットはパールのVisionシリーズ、
中国のパール工場が作った初の国内流通バージョンである。
ワシはこのシリーズの宣伝で全国を廻っているのである。
今回ドラムセットを持ち込んだのは、
このスタジオが用意してくれるパールのセットが必ずしもいいものとは限らないのもあるし、
ドラムより大切なヘッドがちゃんとしてない可能性もあるし、
チューニングがぐしゃぐしゃである可能性もあるし、
でも何よりも今回の歌手が「アンコールでドラムソロをやりたい」と言い出したからである。
勇気あるなあ・・・
いくらワシがギターやピアノの心得があってもアンコールでソロをやらせろとはよう言わんもんなあ・・・
まあ自分のコンサートである。
やりたいことは全部やればよい。
当日はドラムセットを2台用意して、
アンコールでは彼がドラムソロをやりながらせり上がって来るということで、
それをサポートするために自分のドラムセットも持ち込んだのである。
当日はワシは自分のセットを、
彼はこのスタジオが用意したセットを叩くことになる。
叩けるというレベルでもないドラマーにソロが出来るのか?!
・・・出来るのである。
ワシが手取り足取り教えてやろう。
ドラムソロとは即ちパフォーマンスである。
ワシがやるなら難度の高いパフォーマンスが求められるが、
歌手が叩くのに難度は必要ない。
Wingを見てみろ!!
ワシが2時間一生懸命ドラム叩いて、
アンコールで出て来てちょこちょこっとドラム叩いただけで観客の全てを持って行ってしまう。
ドラムはやっぱ顔やでぇ・・・
彼は中華圏で一番のドラムスター、
今は歌を歌っているが、彼がドラムを叩いてくれさえすれば客はそれでいいのである。
しかも彼はショービジネスの世界でいろんなことを知り尽くしている。
彼のドラムソロを手本にして組み立てればそれでよい!!
まずせり上がって来る時にはスネアの連打。
上がり切ったらそのままタムに移動し、
フロアタムまでいったらいきなりツーバスとシンバルで乱れ打ち。
「難しくないか?」
歌手は心配そうに聞くが、
お前がやりたいような複雑なリズムソロは、
テクニックが必要な上に出来たとしてもそんなに効果がない。
ツーバスとシンバルの乱れ打ちぐらい実は誰でも出来るのだ。
そしてゆっくりした速度からシンバル+バスドラ、
そしてスネア、
これを交互にゆっくりから始め、速度をじょじょに上げて速くする。
これだけで観客は狂喜乱舞よ!!
「こんな簡単なことで?」
歌手は心配そうに聞くが、
「じゃあ俺がWingのドラムソロをそのままやってやろう!!」
Wingはこの辺のことを知り尽くしているので、
彼はバスドラ+シンバルではなくスネア+シンバルである。
その時に同時に首も振る。
タンというのを身体ごと打ってるような感じですな。
これをゆっくりからだんだん速くしてゆく。
そして最後にバスドラも交えて乱れ打ち。
客は狂喜乱舞よ!!
「わかったか!!ドラムは所詮は顔よ!!
お前はWingに負けず劣らずルックスがいいんだから絶対に出来る!!自信を持て!!」
なんか言えば言うほど悲しくなって来た・・・
Posted by ファンキー末吉 at:15:14 | 固定リンク
風呂桶なおった・・
さすがうちの村長ことLaoWuは天才である。
貧乏がそうさせるのかもともと器用なのか、
何でも自分で直してしまう。
今日はリハ終わって帰って来たら風呂に入ってみよう・・・
Posted by ファンキー末吉 at:12:39 | 固定リンク
2009年12月16日
リハは続くよだらだらと・・・チャット・・・
ドラム台の横にパソコンを置いて、
叩いている時は無理でもヒマがあればメールチェックしている。
昨日は田川くんから別件でメールが来て
そのままメールチャットになってしまった。
(それぐらいヒマなのよん・・・)
>ところで、ヤンクンの時の舞台監督は、ファンキーさんが泣かせた人ですよね。
>OPで鼓笛隊を提案してきたあの監督(笑)。
ワシが泣かせたかなあ・・・泣かされた記憶しかないがなあ・・・
そうそう、あの時は日本から田川くんも呼んで一月滞在してもらって一緒にこの大仕事やったんじゃったのう・・・
何でYangKunのオープニングで軍服着た鼓笛隊が行進せないかんのか今でもようわからんが、
他にもいろいろあったのう・・・
「ベンツの中で女はべらせて歌え」とかのう・・・
YangKunの歌は全部失恋の歌で女はべらせて歌う歌は1曲もないっつうねん!!
>そういえば、ファンキーさんがプロデュースの時、ゲネ前の舞台上で寝ていたのを思い出します。
>本当の大物だと思いました。(笑)
いやーもう・・・疲れ果ててな・・・
コンサートの前日にVIP席の招待券を持ってS社長んとこ行って朝7時まで飲んでたのよ。
音楽監督は誰にでも出来るけどYangKunとS社長を仲直りさせるのは中国広しと言えどワシしかおらんからな。
またステージ上が照明で暖かくて寝やすいのよ。
「ドラムの番になったら起こしてね」ってね。
爆風のツアーでも二日酔いでよくこうやって寝てた。
今回も寝るでぇ!!
あんましたいくつなもんで・・・(笑)
>寝ても寝なくてもギャラは同じですし(笑)
音楽監督でギャラいっぱいもらっても、
あれだけやること多くて神経もすり減らして、
それよりはドラマーでこうやってだらだらやってる方がよっぽどええわな。
あ、リハが始まった。
またチャットしよな!
ほな!!
Posted by ファンキー末吉 at:14:15 | 固定リンク
2009年12月15日
リハは続くよだらだらと・・・取材・・・
だいたい何が仕切りが悪いってベースが来てないのである。
遅刻するようなヤツじゃないのになあと思って待ってたが、
今日は他のライブがあるので遅くなると言う。
じゃあ遅く始めろよ・・・
待てども待てども来ないのでだらだらしてたら
いきなり取材の人間がうじょうじょ来だした。
中国はよくあるのよ、リハの様子を取材するって・・・
ワシが音楽監督の時はうっとおしくて喧嘩してたけど、
今回はワシの仕切りではないのでどうでもよい。
テレビ用に演奏しろと言うのでベースなしで演奏してたら、
何やらメディアが全部ドラムんとこに集まって来ている。
見れば歌手がドラムのそばで歌っているではないか!!
やめてくれよぉ・・・
と曲が終わったらそそくさとドラムから逃げ出す。
そしたら何か当日のゲストの歌手かなんかが来てインタビューが始まる。
もうリハどころではないので外に逃げ出してタバコ・・・
をみんなは吸うのじゃがワシは吸えないのでまた戻って来て写真撮影。
聞けば明日明後日はもうゲネプロということであるが・・・
まだ全曲合わせてないぞ・・・
まあ何とかなるのじゃ、中国では・・・
デブもあきれる中国のリハーサル。
Posted by ファンキー末吉 at:19:39 | 固定リンク
音楽監督の立場とドラマーの立場
中国でこのような大仕事を受ける時には「音楽監督」という立場で仕事を受ける時が多い。
前回はYangKunという大歌手の復帰コンサートであった。
彼は苦節10数年、S社長に拾われて大ブレイクしたが、
事務所移籍に関してS社長ともめて、その結果鬱病を煩って一線を退いた。
そんな彼が満を持しての北京でのソロコンサート、
心配性の彼が訪ねて来たのはS社長の親友であったはずの私である。
「これは相当な覚悟でワシんところに来てるな」
と思ったワシは快く音楽監督を引き受けた。
それからの毎日は筆舌に尽くしがたい。
まず困るのが「舞台監督」との衝突である。
ワシとYangKunとはデビュー前からの付き合いだし、
レコーディングもライブも数々やったので心も通じ合っている。
ところが初めて会うその舞台監督のわけのわからん要求にキレるのはワシだけではなかったようだ。
当のYangKunも
「あいつの言うこと聞かなくていいから。
音楽は俺とお前で作ればそれでいい」
と言ってたぐらいで、最後にはその監督が何を言おうと誰も相手にしなくなった。
昨日のリハーサルでその監督を見た時には目を疑った。
「彼が今回の監督なの?・・・誰が呼んだ?・・・」
ワシは小声でプロデューサーの曲世聡に聞いた。
「前回のYangKunのコンサートが素晴らしかったんで僕が呼びましたが?」
アホか・・・あの監督がどれだけめんどくさいか・・・お前は知らんから・・・
と言おうとしてふと考えた。
別に今回はワシの立場は音楽監督ではない、
音楽監督はこいつである。
つまり監督がまたどんなめんどくさいことを言い出しても聞くのはワシではない、こいつなのである。
「よしよし、君がよければそれでいいではないか」
ワシは今日もリハに行く。
リハはだらだらと続く。
しかしリハが終わればそれで終わりである。
夜中に全部アレンジをやり直したりしなくてよい。
次の日に目を赤くしてやって来た彼の意見を聞いてまたドラムを叩くだけである。
楽しいかな、ドラマーの立場・・・
今はちょっと風邪ひきさんなので、
直ったらバンドのメンバー連れて飲みに行こうかな。
Posted by ファンキー末吉 at:11:31 | 固定リンク
2009年12月14日
風呂桶壊れた
中国人は欧米人と同じくシャワーしか浴びんが、
日本人はやっぱ風呂である。
この院子に引っ越した時に真っ先に購入したのがこの風呂桶。
ついでにこの桶にいっぱいのお湯を沸かすための給湯器が右側。
これがまた高かったのよ・・・。
風呂はやっぱ中国では贅沢品やね。
そしてこの風呂桶に先日お湯を入れようとして発覚。
風呂桶の木が乾燥により割れ目が出来てお湯が漏れてしまうのだ。
久しぶりにLaoWuに会ったので修理を依頼する。
彼は何でも直せるサバイバルなミュージシャンなのだ。
どのように直すんじゃろ?・・・
まあ彼のみが知ることじゃが、
直るまでワシは風呂に入れない。
韓国人が開いたサウナがあるので当分はそこに通うことになるな・・・
めんどくさいので入らない可能性もあり・・・
Posted by ファンキー末吉 at:13:56 | 固定リンク
2009年12月 8日
リハは続くよ果てしなく・・・
だいたいバンドのメンバーが多い!!
ドラム、ベースにパーカッション、
ギターはふたりにキーボードもふたり、
コーラス4人に音楽監督やらマニュピレーターやら、
そりゃ広いスタジオじゃないとという気持ちはわかるがこれは広過ぎじゃろ・・・
映っているのでまだ半分である。
左側にまだ同じぐらい広さがあり、
そこにコーラス隊が陣取っている。
しかしリハも佳境になって午後を過ぎると
このスタジオにどんどん知り合いのミュージシャンが集まって来る。
どうもこのスタジオは2時から別の歌手が使うらしい。
「ラッキーね、仕事2時に終わるあるよ、メシ食いに行くアル」
デブのキーボードがワシに耳打ちする。
「よっしゃ!!今日は昼から飲んだる!!」
とワシ。
「昼から飲むアルか、じゃあ私もつきあうアル」
とデブ。
今回北京に着いてからずーーーーーっと働きっぱなしやないかい!!
今日ぐらい飲まんでどうする!!
飲む気満々でリハにも気が入る。
「おう・・・ファンキー、頑張っとるなあ・・・」
次のミュージシャンが次々やって来て感心する。
ところが2時が過ぎ、3時になってもリハは終わらない。
いくら「いつも待たされるから待たせてもいい」という中国人でも
「早くしろよ」というモードになって来る。
「ぼちぼち終わるな・・・」
というモードになって演奏にもいっそう気が入る。
終わった!!・・・機材を片付け始めるメンバー・・・
「よし!!飲みに行くぞ!!」
ワシもドラムの持ち込み機材を片付けて帰ろうとすると、
「終わりじゃないよ、別の部屋に移ってまだやるよ」
がーん!!!!・・・まだ続くのね・・・
スタジオがまた狭いのじゃ・・・
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こりゃなかなかやろ・・・
夕べも2時ぐらいまでリハやってて、
今日は前半の最終日ということで午前中から。
こうもはかどらないのはひとえに仕切りが悪いからである。
曲は直前に届いたが、譜面はないし、
ワシなんか一度聞いただけでそれをメモし、
それをみながら「さあやるぞ」と言われたって
自分で書いたこんな譜面しかないんだからどんな曲だかすら思い出せるわけがない。
ワシが音楽監督の現場は出来れば全てのパートが何を弾くかがわかるような譜面、
少なくともコード譜ぐらいは書いて来る。
つまり現場に入る前にアレンジは終わっているのである。
(まあそれだからそれが出来ない音楽監督はワシを呼ぶのであるが・・・)
もちろんワシの場合は五線譜で譜面を書くが、
中国の場合は「数字譜」が一般的である。
「簡譜」とも言う。
こんな感じ
一番複雑であろうはずのストリングスの譜面がこれである。
出て来る音はご想像の通りである。
一時が万事・・・最終リハはまだまだ続く・・・
Posted by ファンキー末吉 at:13:57 | 固定リンク
2009年12月 7日
潰れかけた屋根
中国古来の住宅形式である「院子」というのは、
四方を(貧乏村では三方を)住居だ囲み、中庭を作る。
通常はこれをその4軒の家の共有部分とするのであるが、
この貧民街では比較的裕福であるワシはその全部を借りている。
(8部屋あって中庭あって月々数万円・・・
しかし暖房は自分で石炭・・・涙・・・)
夏は太陽によって暖められたコンクリートの箱である部屋は外気より暑くなり、
そして冬は外気と同じ温度まで下がるので、
こうして院子にビニールを被せて温室効果を狙うのじゃが、
まあ気休めぐらいにしかならないのじゃが
それでもということで冬支度として毎年ビニールを被せる。
しばらく日本にいた間に2回ほど大雪が降ったそうで、
そのおかげでもう屋根が潰れかけている。
あと1回大雪が降ったら潰れるじゃろう。
今年は北京に大雪が降りませんように・・・
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2009年12月 6日
いきなりリハ
寒いよーーー
暖冬の日本と違って北京はほんまに寒いーー
空港から院子に帰ってとりあえず石炭をくべて、
そのままオンボロ車でリハスタに向かった。
悪い予感というのは当たるもんで、
新幹線の中でチェックした曲順表にはちゃんと「マイケルジャクソンメドレー」が入っていた。
ほんまにやるんや・・・
リハスタに着いたら「ビリージーン」が聞こえて来たので、
そのスタジオに行ったらハオズがいた。
北京で一番スタジオ仕事が多いドラマーである。
「お前がドラムなの?ほな俺いらんやん・・・」
と言うと、
「Funkyのスタジオは隣!!」
とたしなめられた。
この時期、北京中の歌手がマイケルジャクソンメドレーやるんかい!!!
突っ込み満載のままリハーサル開始!!
どんな完璧主義ぶった歌手が来るのかと思ったら来てなかった。
リハがどうしてこんなにたくさん必要かやってみてわかった!!
仕切りが悪いから時間がかかるだけやないの!!!!!
だいたい30曲近くもあってメドレーも何曲もあるのに譜面ひとつない!!
みんなそれぞれコードとって来るんだけどみんな違ってるしぃ!!
まあそのぶん自分もいい加減でいいから助かるけど・・・
・・・てなこと言うてるからこんな時間(夜中の2時)までリハやってたやん!!
もう帰って今日は寝る!!
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2009年11月 2日
長い一日
曲世聡から久しぶりに電話があったのは一昨日の夜。
12月の彼が音楽監督を務めるコンサートのオファーと、
こっちにいるうちに3曲ほどドラムのレコーディングをしてくれないかというオファー。
もちろん大歓迎なので今日の午前中にレコーディングして、
午後から二胡のコンサートというスケジューリングにしていた。
スタジオ押さえとか、最終的なスケジューリングで連絡を取り合った時点では
お互いにまだ知らされていない・・・
その後昨夜UPしたブログで書いたアホな服装問題でもめてた頃、
実はベースの韓陽(HanYang)が一本の電話を受けていた。
「陳琳(チェンリン)が自殺したって噂だけど何か聞いてる?」
まさか・・・ってな感じである。
院子に帰ってブログを書き終えた頃、知らない電話番号から電話が来る。
「友人からこの電話番号を聞きました、
○○の記者ですが、Funkyさんは陳琳(チェンリン)ととっても親しかったということなので・・・」
親しいと言っても、どちらかと言えばワシは陳琳(チェンリン)とというよりも
その旦那のS社長と親しかったからなあ・・・。
彼らが別れてから縁がなくて連絡取ってないし・・・。
彼女の新しい旦那は仕事はやったことがあるが電話番号も知らないし・・・。
などと喋ったらさっさと電話を切りよった。
おいおい!!
お前が持ってる情報をワシに教えんかい!!!
ネットで調べてみるが、
どこもその真相をまだつかんでない。
だからワシんとこまで電話がかかって来るのだ・・・。
状況はよくわからんが死んだことは間違いないらしい。
人の生き死にはここ数年よく見てるのでとりあえず考えない。
死ぬということは単なる「形を変えて生き続ける」ということらしいではないか。
釈然としないまま仮眠を取って、
朝7時に起きてレコーディングに出発しようと思ったら、
何といつの間にか大雪である。
車に機材を積もうにもこのありさま・・・
やっとこさで機材を積んでスタジオに・・・。
それまで死んだ人のことは忘れている・・・。
いや、忘れるべきなのだ、ましてや自分で命を断ったと言うならばなおさら・・・。
しかし曲世聡と会ったらまたいろんなことを思い出してしまう。
ヤツが初めて北京に来て、初めて生ドラムをレコーディングしたのがワシ。
それも全て陳琳(チェンリン)の曲ではないか・・・。
ワシらはいつも現場に一緒にいた。
ワシに言わしめても田舎モンの彼が今や大プロデューサーになっていられるのも全て陳琳(チェンリン)のおかげではないか・・・
同じことを彼も考えていたのだろう。
陳琳(チェンリン)との思い出はお互い相当に深いものである。
思えばワシが最初に中国でやったスタジオ仕事も陳琳(チェンリン)の曲だった。
むっちゃくちゃ旨い四川料理を作ってくれる、
素朴で歌好きの女の子がスターダムにのし上がってゆく最初から最後までワシらはずーっと一緒にいたではないか・・・
でも言わない・・・考えない・・・。
ワシの周りの死んだ人はみんなワシにこう言ってるではないか・・・
「生きてる人間は今を生きろ」と・・・
しかし今日と言う日は会う人会う人、
「陳琳(チェンリン)の話・・・聞いたか?』
が挨拶である。
レコーディングが終わって二胡の現場にかけつける。
ここの方がまだ気が楽である。
韓陽(HanYang)とか以外とは別にその話はしないから・・・。
でもその韓陽(HanYang)だって陳琳(チェンリン)の仕事で知り合った仲間じゃないか・・・
思い出が多過ぎる。
過去にメルマガで配信したのだけでもこんなにある。
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/47.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/48.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/55.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/56.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/58.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/59.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/63.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/64.html
これだってそうである。
この時に聞いて涙してた音楽こそ陳琳(チェンリン)の音楽だったではないか!!
彼女が死んだお父さんに向けた詞を書いてオーケストラと共演した曲・・・。
あの時、生のオーケストラと一緒にコンサートやって、
リハーサルの時にあんまし奴らが不真面目なんで沖衡(ZhongHeng)が怒ったよねえ。
「これは彼女が死んだお父さんに向けて書いた大切な曲なんだ。
頼むから一生懸命やってくれ」って・・・
お父さんが死んで、君まで死んだらお母さんはどうなる?・・・
秦勇のライブを見に来て、
「ねえ、この短期間にどうやってこれらの曲を作り上げたの?」
と聞かれたからこう言ったよねえ。
「簡単だよ、うちの院子においで。
曲を発売するからレコーディングして、それを演奏するからリハーサルして、
そんなんじゃない世界がここにあるから。
銭金じゃない、みんなやりたい音楽をやってる世界だってあるんだよ」
でも君は来なかった。
高いところに立ったら吸い込まれそうで怖くなるけど、
それでも飛び降りたいと思うほど辛かったのかい?
だったらどうして訪ねて来てくれなかったんだろう・・・
みんなそう思ってるよ。
今まで一緒にいろんな音楽を作り上げて来たんじゃない。
この中国の今の流行歌は全て僕たちが一緒に作り上げて来たんだよ。
仲間じゃないか・・・
僕は明日もう日本に帰るから・・・
君のことを誰も知らない国に帰る。
悲しいこともあることはあるけど、
でも僕は楽しく酒を飲む。
美味しいものを食べて好きな音楽をやって、
友達ともいろいろ会っておこう。
君みたいに悩んでる人もいるかも知れないしね。
そしてもう君のことは忘れるよ。
だって僕はまだ・・・生きてるから・・・
さようなら、陳琳(チェンリン)、僕はまだこの世で音楽をやるよ。
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2009年11月 1日
民族音楽番組に出演
二胡の劉継紅さんのコンサート、
明日は本番なのだが、今日はテレビの収録である。
「民族音楽の番組では最高峰の番組なんです。
ファンキーさん一緒に出て下さい」
と言われたので、
「テレビ嫌いだからヤダ!!」
ととりあえずは断っていた。
だいたい中国のテレビに出たってワシが得することは全然ない。
有名になったってギャラが上がるわけでもなく、
イヤな仕事がまた増えるぐらいだったら出ない方が全然よい。
X.Y.Z.→Aで出れるんだったら考えてもええけど・・・(無理か)・・・
まあどうしてもと言われると、
延々と話し合いながら断る労力よりも出た方が楽なので
「仕事」として引き受けさせて頂いた。
今回はミュージシャンがみんな売れっ子になってしまったため探すのが大変だったが、
いつものメンバーがスケジュールを空けて集まってくれた。
ドラムやベースアンプを運んで別のところでリハをし、
収録スタジオにまた運んでセッティングするのは大変じゃが、
一流の民族奏者(中国で最高峰ということは世界一の人達か・・・)が演奏する
中国最高峰(ということは世界一ということか・・・)の楽曲に混じって、
私の「ろう君の初恋」と「Memories」を演奏してくれるということは非常に光栄なことである。
リハも一生懸命やり、やる気まんまんで収録スタジオにやって来たら、
ワシらを見てプロデューサーが何やらけげんそうである。
そりゃそうだ、ドレスで着飾った一流の民族奏者に混じって、
ワシらだけ普段着なのである。
「こんな服で出演するつもりですかぁ!!!」
劉さんがきーきー噛み付いて来る。
「いけませんか?・・・」
一応いつも来ている服よりはいい服を着て来たのじゃが、
まあお気に召さないと言うならステージ衣装も持って来ているのでそれに着替えよう。
「テレビに短パンで出るつもりですかぁ!!!」
更におかんむりとなる。
短パンにTシャツはワシの正式な「衣装」じゃぞ・・・
「ひょっとして明日のコンサートもそれで出るつもりじゃないでしょうね!!!」
もちろんそのつもりじゃったが、
あんましきーきー言われるので
「正装しろと言うなら予め言ってくれたら用意するのに」
と一応言ってみる。
用意するにも持ってないのじゃが・・・
「明日DVDのシューティングが入ることは言ってましたよね。
つまり撮影するんだからそれようの衣装を着て来ることは伝えているのと同じですよね!!」
またきーきー言われるので大きく反論してみる。
「中国のあらゆる有名歌手のコンサートDVDを見てみなさい。
ワシが堂々とこの服を着てドラムを叩いてるから。
誰もこの服をダメだと言う歌手はいないよ。
これはワシの正装なんだから」
まあ焼け石に水である。
「住む世界」が違うのである。
彼らにとってテレビやコンサートではドレスやタキシード、
短パンなんぞはもっての外なのである。
それだったら最初から言え!!
拘束時間がどれだけで、労力がどれだけで、
ギャラがいくらで条件が何々、
折り合いがつけばやるし、
条件が飲めなければやらないし、
いきなり言われたって無理でしょう。
・・・と言いながらもし正装が条件なら断ってただろうなあ・・・
・・・映画賞のレッドカーペットも結局ぶっちして帰ったもんなあ・・・
やり合ってる場合じゃない、
もうすぐ収録が始まるのだ。
「ちょっとその上着脱いでみて下さい」
上着の下は筋肉少女帯のTシャツである。
「うん、なかなかいいんじゃない?」
プロデューサーはそう言うが、
何で民族音楽に筋肉少女帯なのかがワシにはよくわからない。
「髪の毛は彼はバンダナを巻きますから大丈夫ですよ」
劉さんが助け舟を出すので一応巻いて見せる。
メイクさんがやって来てみんなにメイクするのだが、
ワシの様子を見て
「うん、この人はこれでいいんじゃない?十分よ」
と言われるところからしてバンダナの威力は偉大である。
これよぉ!この格好のどこがいかんのぉ!!
短パンがいかんと言うので思いっきりジャージですが・・・
そして本番が始まる。
前のふたりだけがちゃんとしてればバックバンドなんてどうでもいいのよ・・・
と思ってたが・・・やっぱ浮き過ぎじゃろう・・・
明日はちゃんとした服装を持ってゆくとしよう。
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2009年10月31日
ロック村の酒とロックの生活
北京空港に着いてLaoWuに迎えに来てくれとメールする・・・
返事がない。
電話する・・・出ない。
しばらくしてLaoWuの奥さんから電話が来る。
「今リハーサル中よ」
仕方がないからタクシーでロック村に帰る。
空港から近いので運転手さんに嫌な顔されながら、
院子の入り口に着いたらリハーサルの音が聞こえて来る。
まさにロック村。
自分の院子に帰らずそのままLaoWuの院子に直行してリハ見学。
終わったらメシ。
村のレストランに行ったら別の院子のミュージシャン達がいたので合流。
ビールを頼む。
酔っぱらって「ライブ行く時に起こしてね」と言って寝る。
起きてみんなとライブハウスに行く。
このライブハウスのオーナーもロック村出身である。
ここに来て酒に金を払ったことがない。
いつも奢りである。
「よっ、帰って来たのか」
会う人会う人に声をかけられる。
従業員も出演者も会う客会う客みんなロック村出身である。
タダ酒なので飲み過ぎてバタンQ(死語)。
粗大ゴミのように車に乗せられて帰って寝る。
まさにロックな生活である。
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2009年10月26日
北京の若い衆
寧夏省、雲南省に長いツアーに行っていた布衣の連中が帰って来た。
老呉(ラオ・ウー)がエンジニアとして方言(ファン・イエン)まで連れて行ってしまったので、
今回、そして前回は院子に誰もおらず寂しかった。
この方言(ファン・イエン)という男、
去年の布衣のライブ録音の時からうちに常駐しているエンジニアの卵である。
真面目なだけが取り柄の、機転が利かない、要領が悪い、
まあよくあるタイプの憎めない人間である。
あまりにアホなので温厚なワシでも時々癇癪を起こしてしまったりするが、
基本的には彼が院子のスタジオに常駐してくれているのでFunkyスタジオ北京がどうにか存続していると言っても過言ではない。
今回は布衣のみんなが話してくれたツアーのこぼれ話。
まずツアーは布衣の故郷である寧夏省銀川から始まり、
そこのライブハウスに来ていた美女に一目惚れしたことから彼の苦難が始まる。
「だいたい20代そこそこで高級車乗り回している美女が
お前なんか相手にしてくれるわけないじゃないか」
みんなはそう言って彼をバカにするが、
真面目なだけが取り柄な彼は、
空いてる時間は全部彼女の尻を追いかけ、
音響の、設営等の仕事は例によって能率が悪いので、
結局彼は銀川にいる間はほとんど寝ていない。
下馬評のごとく、まるで相手にされることなく銀川を後にし、
一行は雲南省へと向かう。
常春の楽園である雲南省でみんながその大自然を満喫している間、
彼ひとり風邪で寝込んでしまっている。
銀川で寝てないせいか、はたまた恋煩いの病か。
彼らを呼んだライブハウスのオーナーが一生懸命みんなを接待している間、
彼だけひとりで寝ている。
これでは可哀想だと地元の人間がミルクティーを彼に振る舞った。
「これを飲むと風邪なんか吹っ飛んでいっぱつで元気になるから」
実はこのミルクティー、なんかアブナいモノが入っていたそうで、
その通り、彼は一発で元気になった。
街に出てゆき、見るもの聞くものがバラ色である。
露天で言われるままに物を買う。
頭に巻くバンダナと銀のブレスレット。
だいたいにしてお前がいつこんな物を身につけるんじゃ?
80元もした銀のブレスレット、
実際は5元ぐらいの価値だろうとみんなは言うが、
彼はアレルギーで、つけているとすぐ蕁麻疹が出てしまう。
役に立たんやん!!
よし、ワシが買い取ってやろう。
嫁へのプレゼントである。
その代わり、そのバンダナとやらとブレスレットを身につけて写真を撮らせてくれ。
ハイになってバッタもんをつかまされて、
この格好で喜び勇んで帰って来た彼を、人はみんな「アホ」と呼んでいる・・・
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2009年10月25日
北京に戻って来た
久しぶりの北京である。
1ヶ月以上帰って来ないことはここ数年ではなかったのではなかろうか・・・
院子に帰って来たら前回取り付けられていた屋根がなくなっていた。
聞くところによると、前回屋根を取り付けたのはワシの仲間たちではなく、
ここの大家が「測量」のために取り付けたと言う・・・。
測量?・・・何のことかと思えば、
何と都市計画でこの村を潰して近代化しようという計画があるらしい。
そのために誰にどのくらいの立退料を払えばいいのか測量しているらしく、
院子のような中庭がある場合はそこは建物ではないと測量されてしまうので、
ちゃんと屋根をつけてその面積も建物ですよと換算してもらうためらしい。
え?・・・この村がなくなるの?・・・
一瞬びっくりしたけれども、
この写真の向こう側に映っている高圧電線、
こんなものを引っ越しするのは並大抵のことではない。
計画はあっても実現するのは数年先のことではないかという噂である。
まあいい、潰されるなら潰されるで、
機材一式持ってみんなで別のところに引っ越せばそれでいいのだ。
どれだけ街を近代化しようが、
近代化されてないところは絶対にある。
こうして住むところを失った天然記念物のトキのように、
貧乏なロックミュージシャンの放浪の生活は続くのじゃ・・・
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2009年9月 7日
セルフ打ち上げ
ワシは大仕事で何かを生み出した時には、
それを大音量で聞きながら酒を飲むのを愛する。
仮ミックス途中で洛陽に行ってしまったので仮ミックスをまだ聞いていない。
夜汽車でしか寝てないワシはまる二日間風呂に入ってないので、
まず北京に着いたら三日ぶりの風呂!!
そしてずーっとネットにつなげなかったのでいろいろメール仕事をする。
本当はメンバーにデータをUPして聞かせたいのじゃが、
まだデータを受け取ってないので仕方がない。
なんじゃかんじゃしているうちに
スタジオに人が来ている時間になったのでデータを取りに行く。
もう夕方である。
ビールとつまみを用意して、若い衆集めて
「さー今から聞くぞ!!」
ってなもんである。
ところが1曲目を再生してみると、
ストリングスは大きすぎるしコンプはかかり過ぎてるし、
「お前・・・これはないじゃろ・・・」
というぐらい音がひどい。
仮ミックスを頼んだエンジニアも北京ではもう既に有名なエンジニアとなっているのだが、
いかんせんワシにどうやってこれで酒を飲めと言うのか・・・
ワシの求めているものが・・・
いや、要するにワシらの10年の歴史をお前はわかっとらん!!!
メンバーがこれを聞いて同じように感激しながら酒が飲めるか?
仕方がないからミックスをやりなおす。
ところがそうなると開かないファイルが現れて来たりする。
アルバムを録っていると試練に見舞われる曲が次々と現れて来て、
日本では「眠れなくて」のデータを消してしまうし、
アレンジの時はアルバムタイトルチューンの「Yesterday Today Tomorrow」で譜面ソフトがトラブった。
ストリングス録音の時は「Z to A」が開かんかったし、
ここに来て開かなかったのもまたこの曲である。
原因はファイルではなく院子のスタジオのプロトゥールスにあるようだ。
仕方ないのでMacBookのプロトゥールスで開いて作業する。
そしてこういう時に限って院子名物、「停電」である。
かまうもんか!!MacBookは電池でも動く。
ヘッドホンをかぶってひたすら作業する。
「絶望の〜風よもっと吹け〜」
ってなもんである。
呼び集められた若い衆がもう飽きてしまった頃、電気が復活!!
「よし、大音量で聞くぞ!!」
自分で考えた仮の曲順通りにBounceしてゆく。
全部をWavファイルに落とした後に、
それをMP3に変換してWebにUPする。
そのアドレスをメンバー全員にメールすればそれで終わりである。
いやいや、メンバーにメールする前にもう一度Webから音を聞いてみてチェックせねば・・・
最後の曲になる前に酔い潰れて寝てしまった。
セルフ打ち上げ、いつの間にか終了であった。
メンバーにメールを送り、飛行機に乗って日本に帰る。
明日はX.Y.Z.→Aのジャケットの撮影があるのでみんなFunkyスタジオに集合する。
よく考えたらそこでみんなで聞けばよかったのではないか?
いやいや、少しでも早くみんなに聞かせてやりたいのよ。
一日早くみんなに聞かせるために一日無駄にした。
バンドとは突き詰めればそのようなもんである。
Posted by ファンキー末吉 at:19:14 | 固定リンク
2009年9月 6日
大仕事その2管楽器とパーカッション
ストリングスオーケストラが帰って行った後、
スタジオが次の管楽器録音のために大幅なセッティング替えをしてる間、
先ほど録ったストリングスを片っ端からデータ整理してゆく。
ブースの中で聞いているので録ったものをいちいちプレイバックしていない。
また、どの部分はどの部分を貼付けるとか計算しながらやっていたので、
それだからこそこれだけ短時間で録り終えることが出来たのだが、
自分の耳が、そして頭が少しでも悪ければそこでおしまいである。
ひとつひとつの録音を丁寧に聞いてゆき、
数テイク録ったものは一番いいものを選んで貼付けてゆく。
そんな作業をやっているうちに管楽器奏者がやって来た。
今回は管楽器はホルンだけである。
通常の編成では2本呼んでダブルで重ねて4本にするが、
何故かひとりしか呼んでくれていない。
「中国で最高のホルン奏者なんだ。ギャラも最高級だよ」
聞いてみるとひとりで800元(約1万2千円)持ってゆく。
日本のスタジオミュージシャンより高いやん!!
同時録音ではなくダビングだからひとりでよろしい!!
ポケットマネーでレコーディングしてるんだから破産してしまうわい!!
だいたいホルンはオープニングの曲のイントロの8小節だけしかないのだ。
時間で言うと20秒足らず。
譜面を見せたらあからさまに「これだけ?」という顔をしている。
「4本ダビングしてくれるかい?」
そう言うとよろこんで、
「没問題!!(ノープロブレム)」
・・・そりゃそうじゃろ・・・
結局6本ダビングして5分足らずで帰って行った。
5分で800元・・・ワシは一体何をやってるんじゃろ・・・
いかんいかん!
音楽をつきつめる時に金を考えるとよくない。
もともと予算をそのままスタジオに渡しているのだ。
ブッキングもスタジオが責任持ってやってくれる。
ワシは音楽だけを考えていればいいのだ。
パーカッションが着くまでエディットを続ける。
「パーカッションは何時に着くの?」
ワシは9時40分の夜汽車で洛陽に行かねばならないのだ。
「楽器は・・・6時だな。奏者は・・・子供を迎えに行かねばならないので7時だ」
ブッキングしたのは女性。
一流の奏者であるが主婦でもあると言う。
「仕事だからすぐに来るように言いなさい!!」
人の都合よりワシ自身の都合である。
いくらコネで友人を呼ぶにしても金を払うのはワシなのだから・・・
奏者が先に到着した。
まずシンバルを録音する。
「どのシンバルがいい?」
向こうはワシがドラマーであることを知ってるので意見を請う。
とりあえず一番大きいのを選んで叩いてもらう。
このシンバルロールというのは言わば「芸術」である。
同じ打楽器奏者としてこのシングルストロークにはため息が出る。
ワシもよくドラムのレコーディングでやらされるが、
とてもじゃないけどこれだけ粒立ちのよいロールは叩けない。
そりゃそうじゃ、
この人たちはこのシングルストロークだけをひたすら練習して生きて来たのだ。
ロールに「命」がある。
あっと言う間に録り終わり、次は合わせシンバル。
猿のおもちゃみたいに左右からがしゃんと合わすのかと思いきや、
合わせシンバルは横にして、
叩くときに空気を逃がすように一瞬こすり合わせるのだ。
プロじゃ・・・
これもあっと言う間に録り終わり、
そうこうしているうちにティンパニが届く。
この引っ越し業者が実は今回のレコーディングの中で最高額の1200元(約2万円弱)を取ってゆく。
ティンパニはこの曲の要である。
機材レンタルして自分で叩けと冗談を言われるが、
とてもじゃないけれどもこのレベルで叩けない。
同じ打楽器奏者として悔しくはあるが、「餅は餅屋」である。
それに命をかけて生きて来た人にはとてもかなわない。
これもあっと言う間に録り終えてさっさと帰って行った。
所要時間10分そこそこである。
ちなみにギャラを聞いてみるとやはり最高額の800元。
ワシ・・・ドラムセッティングして30分、
音決めして30分、
いろいろ注文聞いてレコーディング30分、
片付けで30分。
ワシなんか2時間いろんな技を駆使して2000元なのに、
この人シングルストロークだけで10分で800元・・・
いかんいかん、金のことを考えて音楽は出来ん!
とりあえず全部録り終わったのだからビールを注文して
セルフ打ち上げをセッティングしつつエディット作業を再開。
順調に行けば仕上がった音をiPhoneに入れて夜汽車で聞ける予定だったが、
結局はエディットが間に合わず、そのまま夜汽車に乗る羽目に・・・
早く聞きたいよー・・・
洛陽から帰ったら仮ミックスをしてメンバーみんなにも聞かせてやるのさ!!
大仕事これにて終了!!
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2009年9月 4日
大仕事その1ストリングス
9時入りと言えばラッシュアワーなので8時に院子を出る。
雨が降り出して道路が少々混みだした頃スタジオに着いた。
8時半、まだ誰も来てないのでしばしスタジオの門の前で待つ。
「日本人は時間の観念が違うねえ・・・」
カギを開けに来たスタッフはそう言うが、
自分が遅刻したらそれが原因で今日録り上げることが出来なくなるかも知れないのに、
それでもゆっくりと来ようとする中国人の性格を疑いたくなる。
譜面の整理などをしてオーケストラメンバーの到着を待つ。
入り時間の10時より前にコンマスのKunYuが到着した。
小沢征爾やヨーヨーマとも競演経験がある実力派である。
彼が心配そうに「譜面を見せてくれ」と言う。
全曲のスコアを見せると、
「美しい!!まるで問題ないじゃないか」
そう、いいアレンジはその譜面が芸術的に美しくなるのである。
そう、今回のアレンジはどれも自信作。
いつもはコンソールルームでガラスの向こうから指示を出すのであるが、
今回はブースの中に入って指示することにする。
中に入って生音を聞いた方が音程とか響きとかがよくわかるからである。
「中で棒でも振るのか?」
とスタジオの連中がからかうが、
クリックに合わせてやるレコーディングは別に指揮者はいらない。
みんなクリックを聞いているのだから。
でも指揮どころかリズム指導までせねばならない事態になることをこの時点では想像だにしていない。
雨が降ったので大渋滞となり、
バイオリンとビオラがそれぞれひとりづつまだ着いてないが、
「じゃあ始めるか」
と言う。
この辺が中国である。
24人もいるのだからひとりやふたりいなくても変わらないさと言うのである。
まあ、待ってて録り終えなくてもいやだから、
少々不満ではあるが録り始めてるうちに到着。
ダブルにかぶせてるうちには全員揃った。
日本のレコーディングシステムではダブルにするとギャラも倍必要だったりするが、
ここ中国ではギャラの中に必ず「ダブルにする」というのが含まれている。
だから
トップバイオリン8
セカンドバイオリン6
ビオラ4
チェロ4
コントラバス2
の24人のオーケストラを揃えても、
実際にはその倍の48人のオーケストラが鳴っているということになる。
1曲目は彼らの得意とするバラードにして正解。
30分もたたないうちに1曲目が終わり、次の譜面を配布。
順調である。
この調子で行けば予定通り半分録リ終えて昼飯ということになる。
2時半までしか時間がないんだからメシ抜きでやってくれればいいのにと思うのだが、
ここ中国では日本人的なそんな考えは通用しない。
「腹が減ってはいい演奏も出来ないだろ!」
ということで食事の時間は絶対なのだ。
曲によってはその場でスコアを直したりもする。
トップバイオリンにフレットもないような高い音を弾かせたりしているのだが、
それがあんまりよくないのではと言うのだ。
ブラスをアレンジする時にもそうだが、
こういう音はそれが弾ける人がいて始めて成り立つ。
弦の場合はセカンドバイオリンとかがそれをオクターブ下で支えることによってフォローする。
まあしかし結局は
「もっと大編成だといいけどこの編成だからオクターブ下げておこう」
ということになる。
こんな時に馴染みのオーケストラだと楽である。
予定通り午前中の曲を録り終えてメシ!!
時間がないのにメシの時間どころか食後の休憩までとる。
焦っても仕方がない。
This is China!! これが中国なのである。
午後の部開始!!
しかし音がだらけきっている。
コンマスなんぞ明らかに
「私満腹で弾けません!」
という音である。
そんなになるまでメシ食うなよ!!
仕方がない、いろいろ指示しながら士気を上げる。
彼らの苦手なロック的なキメとかではリズム指導などもしながら、
最終的には予定通りぎりぎりの2時半には全曲録り終えた。
神業である。
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大仕事の準備
ストリングスを8曲も録るのは初めてである。
前の日に譜面とデータを持ってスタジオに行ってくる。
(8曲だと譜面の量もハンパじゃない)
日本から持って来たプロトゥールスのデータをコピー。
ファンクラブ用にTDが終わった曲も多いのでデータが大きい。
やっとコピーが終わって開こうと思ったら、
プロトゥールスのバージョンが違っていて開かない。
中国では海賊版を使うために低いバージョンを使っているスタジオが多いことを忘れていた。
すぐさま院子のスタジオまでタクシーを飛ばし、
全てのデータを低いバージョンでSAVEし直す。
前の日にこの作業をやっててよかった。
当日でいいやと思ってたらタイムアウトになるところだった。
何せこの日は弦の人達が3時から仕事があると言うので
朝9時集合で10時からレコーディングである。
2時過ぎには終えようと言うと1曲30分の計算である。
トラブルなんかに見舞われたらまず録り終えれなかったところである。
だいたいかなり前からこの日に大仕事をやるぞと言っているのに、
かまわずにこの日に仕事を入れるのが中国である。
まあ大丈夫だろう、この人たちは前回の「Wings」も30分で録り上げている。
「Funkyの譜面はいつも難しいからなあ・・・」
とボヤイていたそうだが、今回は変拍子の曲はないから大丈夫。
前回の「びっくりミルクMetalicaオーケストラバージョン」のような超難曲ではない。
(あれはいつになったら発売されるのだろう・・・)
あとは管楽器と打楽器の手配である。
ティンパニを運ぶのに引っ越し会社を呼ばねばならない。
こちらでは大きな楽器は引っ越し会社が運ぶのだ。
「んで?ティンパニはお前が叩くのか?」
ドラムが叩けるからティンパニが叩けると思ったら大間違いである。
レコーディングでドラムが終わったら「じゃあコンガも叩いてよ」と言うのが中国人である。
まるで違う楽器やっつうねん!!
「んで?シンバルはお前が叩くんだろ?」
これも悪いがプロにお任せする。
この人達はシングルストロークでティンパニやシンバルをロールすることに命を懸けている人達である。
一生をそれだけに懸けていると言っても過言ではない。
基礎練習が嫌いでライブで修行しようとしているドラマーとは粒立ちが全然違う。
「んじゃあ打楽器は夜ね」
おいおい、言ってなかったっけ?
ワシはこの日の夜の列車で洛陽まで行かねばならないので
夕方には全てを終えねばならない。
全部の楽器は夕方までにまとめてよ。
いろいろあったが何とか準備万端!!
世紀の大仕事が今日始まる。
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2009年9月 3日
80万のSTUDERの卓
中国はバブルなので金持ちがうじゃうじゃしてるのか、
いきなりメールが来て、
「今Yahooオークションに出ているSTUDERの卓を競り落としてくれ」
と言う。
「お前がそんなの競り落としてどうすんの?」
と聞くと、
「あれ?言ってなかったけ?俺は北京に今度10個のスタジオをオープンさせるんだ」
何をやってそんなに金があるのかわからんが、
確かに昔は数千万したSTUDERの卓が80万とは安い!!
ところがワシはYahooオークションのIDを持ってないので競り落とすにもオークションに参加出来ない。
何よりも京都のスタジオだと言うからひょっとしたら知り合いかも知れない。
「連絡先が分かれば直接連絡とって交渉してやるよ」
と言うが、競り落とさないと連絡先も分からないのでその時は流れてしまった。
数日たってまたメールが来る。
「あの卓がまたオークションに出たから競り落としてくれ」
お前なあ・・・俺はそれに付き合ってるヒマはないの!!
北京で誰かID持ってる日本人探してそれに競り落としてもらえ!!
金振り込むぐらいだったらやってやる!!
と無下にあしらっていたのじゃが、
本当にID持っている日本人を探し当てて競り落としてしまった。
「ちょっとそこ行って取って来てくれないか」
軽く言うが、この人は京都と東京がどれだけ離れているかわかってない。
それにそもそもこんな巨大な卓をどうやって北京まで運ぶんじゃ?!!
「大丈夫、3つに分割出来るからそのまま北京に送ってもらえば」
税関は?手続きは?・・・
とりあえずワシはもう成田で、今から北京に行かねばならないので、
着いてからまた話をしようと言うと、
「連絡先わかったから連絡だけとってくれないか」
というので、しゃーないから電話した。
「はじめまして、STUDERの卓の件で・・・」
と喋り始めたらすぐに、
「その声は・・・ひょっとしてFunkyさん?・・・」
なんとそのスタジオは知り合いのスタジオだった。
X.Y.Z.→Aのライブ録音もしてもらったことがあるではないか!!
「とりあえず今は成田で今から飛行機乗るので、
詳しいことは着いてからメールでやりとりしましょう」
と言い残して飛行機に乗った。
北京に着いたらメールが来ていた。
「これもご縁ですねえ・・・
オークションに出したらひとつだけ連絡が来て、
一応それが競り落としたことにはなってるんですけど、
それから何の連絡もないし、恐らく悪質ないたずらでしょう。
4日まで待ってリミットが切れたらFunkyさんにお譲りしますから」
それ・・・同じ人間なんですけど・・・
買い手に連絡とってぶーぶー言う。
「とりあえず、その競り落とした日本人に連絡させろ!!
事情を説明してその後はFunkyがやるからと言えばそれでいい!!」
やりたくないが双方の知り合いとなればやってやるしかない。
「とにかく知り合いの貿易会社を探せ!!
その会社まで納めるまでだったらやってやる!!」
めんどくさいことがまた増えてしまった。
今からストリングスの譜面とデータを持ってスタジオに行く。
Posted by ファンキー末吉 at:11:04 | 固定リンク
2009年8月21日
久しぶりの北京
夜遅く着いたのでわからんかったが、
よく見るとトタン板で屋根が出来ていた。
院子らしさが全てなくなってしまったが、
直射日光が当たらないぶん少し涼しいようだ。
それにしてもこの木は実は雑草。
切っても切ってもすぐに屋根より高く育ってしまう。
中国人のたくましさを象徴するような雑草である。
まあ今回もいろいろたまった仕事をせねばならないのじゃが、
それよりももう完パケのスケジュールが迫っているX.Y.Z.→Aの10周年記念アルバムのストリングスの手配が一番重要である。
今回は既に毎月のライブで新曲を1曲づつ発売しているので、
それらの曲も全てリミックスし、
更にはストリングスを入れられる曲は積極的に入れてゆこうということになっている。
成田までの道のりで既に発売した7曲を聞いてみると・・・
これが入れようと思えば全部入るのよ・・・
メタルにストリングスって・・・合うなあ・・・
とりあえずいつも使っているスタジオのオヤジ、
いやいや彼とももう20年来の付き合いでもう家族みたいなもんなのじゃが、
彼にちょっと相談してみる。
「例えば7曲録音したらいくらになるかなあ・・・」
中国がいくらストリングスが安いと言っても、
7曲全部入れたらそれなりに高い値段となる。
日本では1時間いくらで値段を換算するが、
中国では1曲いくら。
前回Wingsの時にはちょっと裏技を使った。
通常5分を超えると(最近は3分になってるらしいが)2曲分と換算されるので、
とりあえず分数は言わず、ストリングスが入る部分しか聞かせない。
弾いている時間が5分以内だから10分を超える大曲でも1曲でいいでしょ、
というわけである。
また、本当はM1の「Heavy Road」とその大曲の「Wings〜Fire Bird」は別の曲なのじゃが、
実はメロディーは同じメロディーであることから、
「ほら同じ曲でしょ。イントロで使うから」
と嘘を言って全部で1曲にしてもらっている。
今回も1曲フルでストリングスを入れる曲よりも、
おそらくサビだけとかそんな使い方をしたり、
それよりも何よりもイントロダクションで使おうと思っている小曲までを1曲と換算されてはたまらない。
「今回は1曲いくらではなく、時間いくらでやってもらえない?」
まあ長年の付き合いである。親身になってストリングス隊と交渉してくれる。
「ま、弾いてくれる人達もみんな友達だから悪いようにはせんじゃろ」
と彼が言うように、
ワシはもう既に数十曲ここでストリングスをレコーディングしているが、
来るのはいつも同じメンバー。
トップのスタジオミュージシャンはいつも同じ連中となるので、
(これは小沢征爾が指揮をするときも同じ)
当然ながらワシとも顔なじみである。
彼らにとっては譜面の準備が完璧で仕事が早いワシの仕事は「ありがたいお仕事」である。
うちの院子の木のようにたくましい中国人と値段交渉するのは本当に骨が折れるが、
交渉を頼んでいるのも中国人なのでまだマシである。
交渉が成立したら日本帰ってひたすらストリングスアレンジをやるぞ!!
うまくいったら全曲ストリングス入れたりして・・・
それも全てはこの値段交渉次第である。
Posted by ファンキー末吉 at:11:23 | 固定リンク
2009年5月29日
北京楽器フェアー
相変わらず中国の仕事のブッキングは大雑把なものなので、
土壇場になるまでワシはどこに行って何をやるのかも聞いていない。
まあ「ドラムを叩く」のであろうことは疑う余地はないので、
とりあえずスティックとマイナスワンの伴奏を流す器材だけは準備しておく。
毎年ドラムフェスティバルがこの頃に開催され、
毎回参加出来ないワシは「来年こそは参加して下さい」と言われているので、
てっきり今回はドラムフェスティバルに参加するのかと思ってたら、
「ドラムフェスティバル29日に行われます。ふるって参加して下さい」
とメールが廻って来た。
もう29日に日本に帰るチケット取ってもうたがな・・・
もっと早く言えよ!
ってなもんであるが、
じゃあワシの今回の仕事は何なんだろう・・・
器材を持って指定された場所に来てみたらそこは楽器フェアーの会場だった。
なるほど前回と同じようにまたパールのブースでデモ演奏すればいいのね・・・
去年のVisionツアーでやったプログラムを演奏して初日は終わり、
万里の長城を見に行ってるというパール本社の方々の帰りを待つ。
そして現れたのが彼
と彼
今回はパーカッションの大家とマーチングドラムの大家をアメリカから連れて来たと言う。
それぞれに素晴らしいパフォーマンスを見せてくれた。
そして二日目は彼らとセッションしろと言う。
とりあえず晩飯を食いながら親交を計る。
コミュニケーションは英語なのでかなり大変だったが
酒を飲めばどこの人間だろうが同じである
酒と料理と下ネタで盛り上がる。
レストランでしか提供されない黄ラベルの青島ビール。
通常の青ラベルよりクリーミーである。
ワインにしようかどうしようかと言うのでお薦めした老酒。
日本では紹興酒と呼ばれたりするが、
紹興酒は紹興という街で作られた老酒のいちジャンル。
英語ではChinese Rice Wineとメニューには書かれているが、
中国語で黄酒と呼ばれたりするのでYellow Rice Wineと紹介してはみたが、
一口飲んで彼らが名付けたのがFunky SAKE
ペンを取り出して翌日のセッション曲を譜面に書き始める
タイトルがFunky SAKE
いったいどんな曲になるのだろう・・・
次の日演奏してみたら大好評。
見も知らずのアメリカ人と日本人が、
前の日にさらさらっと書いた譜面だけをたよりにセッションする。
息もぴったり。
少々でも打楽器をかじってる人にとってはヨダレもののセッションであっただろう。
次の日も軽くセッションして会場を後にした。
午後の便で日本に帰る。
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2009年5月 9日
戻って来たら北京は夏だった
前回は寒くてコタツにくるまってたというのに、
ほんの2週間ちょい留守にしてただけでもう夏になってた。
ほんと北京は春だ秋だの過ごしやすい期間は非常に短い。
今朝は早く起きて
1週間の和佐田ツアーで溜ってたメール仕事をこなしながら、
コタツを片付けたり毛布を片付けたり、
夏支度をしてたらあっと言う間に集合時間である。
今日はPairの全中国ツアーの初日。
もともとは大連から始まる予定だったが、
やはり最初は北京の小さいところで肩ならしをしてからということで
今回突如ブッキングされた。
ワシは和佐田ツアーの最終日の高知から直入りしてるので、
大連だったら間に合わなかったかも知れないのでよかったと言えばよかったのじゃが、
それにしてもこのギリギリの移動、
はっきり言って老体にはもうしんどい・・・
会場に着いたらポスターが貼られていてそこにはワシの名前も・・・
なになに?・・・2009年度巡演城市・・・
上海、広州、シンセン、成都、重慶、西安、武漢、長沙、杭州、天津、フフホト、長春、大連、青島、ハルビン、貴陽、包頭、南宁、銀川、岳陽、常徳、蘇州・・・
こんなに廻るんかい!!!
このテの小型ツアーはライブハウスを廻るので必然的に客が入る週末だけがブッキングされる。
つまりワシは今年じゅう毎週末このギリギリの移動をせねばならんというわけか・・・
6月からはパールのドラムクリニックツアーも始まると言う。
それもスケジュールは全て週末である。
どうなるワシのスケジュール・・・
久しぶりに合ったメンバー達、
「今回はいつまでいられるんだい?」
にこやかに聞かれてもついどよーんと答えてしまう。
「明日もう帰りまんねん」
目を白黒させながら再びこう聞くメンバー達。
「じゃあ今回はこのライブのためだけに帰って来たの?」
力なく頷くワシ。
やりとりを聞いてたBeiBei、
悪そうに近寄って来てこう耳打ちする。
「今回はライブハウスなんで300元しか出ないんですけどいいですか?」
いいですかも何ももう来てしまってますがな!
入り口の看板にはライブの値段が書かれている。
成人40元、学生30元
それでも学生10人分のチケット代をワシにくれると言うんだから
それでもかなり頑張ってくれたのだと思うしかない。
サウンドチェックの合間にMengMeng(モンモン)から電話が入る。
「社長のスケジュールが今しかないの。今から会社に来れないの?」
行けまへん!!
だいたいどんだけ偉い人か知らんが、
ワシはこういうスケジュールの人間なんやから、
そちらが合わせてくれんと一緒に仕事は出来まへん!!
めんどくさいので全部デブのキーボートプレイヤーZhangZhangに振ってぶっちする。
この親娘と付き合ってたら身体がいくつあっても足りないのじゃ。
汗をだらだらかきながらデブが電話で話し終わって、
泣きそうな顔で哀願する。
「MengMeng(モンモン)の次のアルバムなんですが、
会社の社長はもう張亜棟(ジャン・ヤードン)にお願いしてるんですけど、
彼女はどうしてもファンキーさんにお願いしたいと言うので、
是非社長に一度会って欲しいとのことなんです」
張亜棟(ジャン・ヤードン)とは中国で一番売れているプロデューサーで、
当然ながら値段も一番高い。
「張亜棟(ジャン・ヤードン)に払える金があるんだったらそれでいいじゃん!
ワシは金のない奴の面倒見るので忙しいの!!」
また泣きそうな顔で哀願するZhangZhang。
「あの人達の申し出を断る労力を考えたら、
一度だけでも社長に会う方が全然楽なんですけど・・・」
仕方がない、来週末の来北京は予定を一日早めることにする。
社長がそのスケジュールじゃ駄目ならワシゃもう知らん!!
レコーディングするならもう八王子に来てやってくれ!!
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2009年4月19日
村のレストランが帰って来た
二井原実や田川ヒロアキなど、
北京に来たことのあるミュージシャン全てに舌鼓を打たせた村のレストラン「状元紅」。
オリンピックの締め付けにより潰されて早や半年。
その跡地には「紅辣椒」というレストランが出来ていた。
大繁盛だった「状元紅」と違っていつ見ても客が入っていたためしがない。
最近では「全品2割引」と張り紙をしているが客が入っていたためしはない。
「レッド・ホット・チリペッパーだってよ。
ロックな名前じゃないか。今日はここで食べよう」
と口にしたうちのアホなエンジニアはみんなに総スカンにあう。
「俺達は状元紅が帰って来てくれるのを心待ちにしてるんだ。
誰がこんなレストランに食いに行くか!!」
そんなみんなの思いが通じたのか、ついに状元紅が戻って来た。
跡地には紅辣椒がまだ陣取っているので、その斜め前にオープンである。
これでもう紅辣椒の先行きは決定的になったと言えよう。
「ロック村の社員食堂」というべき状元紅。みんなでいそいそと食べに行った。
味はもちろんのこと、二井原実が「坂田師匠」と名付けた女主人も健在である。
坂田師匠、いつもはむっつりしてるので「アホの坂田」に酷似しているが、
きっと初めてのことなのだろう、「一緒に写真を撮ってください」などと言われて、
初めて見るこの笑顔がスパイスとなり、この日は少し食い過ぎたようだ。
嫁が大好きだった「インゲン豆の唐辛子炒め」も健在ならば、
二井原実が絶賛したチャーハンも健在である。
極寒の冬も越して気候もよくなって来た。
皆の衆、北京に来るなら今ぞよ!!
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2009年4月 5日
飲んだ飲んだ
突然香港からJamesがやって来たから大変である。
10年ぶりの北京と言うからいろんな人を紹介してくれと言う。
ちょうど日本から大友さんが来てたし、
日本人エンジニアのKeizoなんかも呼び出して市内で外食。
普段貧民街から出ないのでこれはワシにとってもいいチャンスである。
毎日北京ダックとかおいしい物を食べさせて「アワビ話」満開!
今回のツボは、
「その後そのアイドル、新しい名前がついたネ。
コンサートで誰かが叫んだ。
黒アワビ!!
それから全員が彼女をそう呼ぶ・・・。黒アワビ!!」
初対面の大友さんやKeizoは抱腹絶倒。
次には何か一緒に仕事出来ればいいね。
ところがこうして私が夜な夜なおいしい物を食って酒を飲んでる時にも、
梁棟(Liang Dong)はひとり院子に残ってドラムの練習。
ワシは午前中は彼に説教し、午後はリハーサル、夜は飲みの毎日である。
「あいつなあ・・・全然進歩しないんだよ・・・どうしたもんかなあ・・・」
ロック村の村長である老呉(ラオ・ウー)に相談してみる。
「あいつはダメだよ。思考が間違ってる。
つまりあいつは焦ってるのさ。
早く習得して有名になりたい、金を稼ぎたい、
親戚のLuanShuみたいに成功したい、
そんな気持ちがある限り無理だよ」
「そうだなあ・・・俺も中国人ミュージシャンは少し焦り過ぎていると思う。
みんな顔に金って書いてるようなもんだ。
まあ周りがみんな金持ちになって何で俺だけって気持ちがあるんだろうなあ・・・」
「その通り。
俺達を見てみろ。
布衣楽隊結成して今年で14年。
今だに成功してない。
でも俺達も何か迷った時にはお前の生き方や、
お前の友達、盲人ギタリストやXYZのボーカルなんかのことを思い出して物事を決めるんだ。
中国人の全てのミュージシャンは周りにそんな人間がいないからな。
中国の古い物語でこういうのがあるんだけど、
達人に人が物を教えて下さいと来る、
達人はでは私と3年暮らしなさい、
その間一切何も教えない、
たいがいの人間はその3年が我慢できなくて逃げて行ってしまうけど、
ども実はその3年の間に実はその奥義の多くは既に伝えてあるんだ、
3年我慢できた人間は
その後にちょっとしたことを教えるだけでびっくりするほど進歩する。
つまり奴はまだ教えるには早いのさ」
深いなあ・・・
明日は日本に帰るというその日。
LuanShuはここぞとばかりドラムのレコーディングをブッキングする。
また悪いことに1曲目は叩きまくりのロックスタイルである。
ツーバスを使ったテクニカルなフレーズに梁棟(Liang Dong)の目はらんらんと輝いてる。
「お前なあ・・・こんなもんいくら練習したって金にならんぞ!
一番金になるのは最後に5分で叩いたバラード!
一度曲を聞いただけで曲の全てを把握し、
Aメロはこの強さ、Bメロはこの強さ、サビは一番盛り上げて、
一打たりともその強弱、打点の揺れがない。
そして歌心な!!
それが出来たら中国じゅうの仕事は全部お前のもんだ!!」
つまりは毎日院子で練習させていることだけである。
理解してるのやら理解してないのやら・・・
レコーディングは夜中に終わり、そのままLuanShuらと朝まで飲む。
これも久し振りのことである。
事情を話して彼らからもうまく説明してもらう。
非常に熱心に聞いてて頭では理解してるんだろうけどダメなのである。
アルコールも回り、最後にワシは業を煮やして怒鳴りつける。
「明日は午後の飛行機で日本帰って、
月半ばにまた北京帰って来るけど、
明日の午前中に最後にもう一度叩いてみて、
それでもこんな簡単なこと出来ないんだったら、
もう次から来なくていい。
お前には無理だ!!」
梁棟(Liang Dong)はもう泣きそうである。
ワシはもう知ったこっちゃない。
別にワシが惚れ込んで教えてるわけでもないし、
もともとはBeiBeiのツアーのためにやってやってるわけだから、
人助けのためにまた人助けしてるようなもんである。
酔いつぶれて寝てドラムを叩く夢をみる。
ここ数日毎日ドラムを叩いてたからなあ・・・
しかし目が覚めてみると
それは隣で練習している梁棟(Liang Dong)のドラムだった。
「なかなかいいじゃない。
それでいいんだよ。やっとわかったか」
遠慮なく誉めてやる。
「ま、これを1年も続けるとお前もいっぱしのドラマーになれるよ」
と言うと、
「い、1年もやるんですか・・・」
ダメだこりゃ・・・
空港まで送って行ってくれた老呉(ラオ・ウー)が言う。
「ま、次に戻って来た時にはまたもとに戻ってるだろうよ。
今はやっとのことで心が平静を保っているけど、
またしばらくしたら焦りが頭をもたげてくる。
同じことだよ」
ワシもそう思う。
改革開放が進むバブル真っただ中の中国で、
真の意味でのロックをやってゆくのは難しい・・・
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2009年3月31日
若手の育成
北京に帰って来てPairというユニットのリハーサル。
このユニットはBeiBeiというギタリストのユニットで、
ワシがプロデュースしたゼロ・ポイントの6万人コンサートで
ギターアンプの後ろでエフェクターを踏んでた若造が
「ファンキーさん、僕アルバムを出したいんです」
と言い出したところから始まる。
「ほう、君が歌うのかい?」
と聞くと、
「いえ、ボーカルがいないんです。
誰か紹介して下さい」
アホか!!
というところから苦節5年。
うちの院子でレコーディングし、
アメリカからWyn Davisを呼び出してミックスしてもらい、
この度やっとアルバムが出るのか出ないのか・・・
最近わかったのじゃが、
「自分のためには使えないまれに見る強運」
を持ったワシが助けてあげた人はほとんど大成功している。
しかしこの
「不運を絵に描いてゲゲゲの鬼太郎みたいな顔にした」
ようなこの男にはどうも通じないようである。
「アルバム発売の前に全国ツアーをやりたい」
と言うので、
まあ「助けてやるなら最後まで」という気持ちでOKした。
しかしワシとて毎回そんなスケジュールを空けられるとは限らない。
また、中国は土壇場でいきなりスケジュールが変わるのでなおさらである。
ここは別のドラマーを育成して、将来は独り立ちさせてやるに限る。
ということで青島から梁棟(Liang Dong)というドラマーを呼び寄せた。
彼は先日日本に遊びに来たLuanShuから
「うちの親戚がドラム叩いててお前に教えを請いたいと言ってるんだ。
よろしく頼む」
と言われたので遠慮なく呼び出した。
ワシがドラムを教えるにはまず一緒に飲んで語る。
「音楽とは何ぞや?!」ってなもんである。
日本でもそうじゃが、
だいたい若いドラマーは目先のテクニックにしか興味がない。
中国人には「どうやったら金が稼げるか」という話が一番分かりやすいので、
「俺がスタジオ仕事でそんな超絶テクニックを使うことがあるか?
一番大事なのはリズム、グルーブ!それが一番金が稼げるの!!」
と言うのじゃが、
それでも目先のテクニックにしか目がいかないのが常である。
Pairの曲の中で一番簡単な曲を叩かせる。
基本リズムだけの簡単な曲なんかが実は一番難しい。
「オカズを入れるな!」
と言ってるのにほっとくといろいろ小手先に走っている。
「お前!リズムもちゃんと叩けんくせにオカズを入れるな!
クリックからヨレてるのがわからんか!!
オカズはリズムがちゃんとヨレなくなってからじゃ!!」
まあ鬼太鼓座が入団してすぐに10km走らされ、
ちゃんと走れるようになるまでスティックは持たさないよりはマシである。
(えんえんクリックとリズムだけをやらされる梁棟)
まあ何とかサマになったかなと言う頃、
ワシは市内に出て行ってLuanShuのレコーディング。
勉強になるだろうと彼を連れて行った。
今日の仕事は映画音楽のロック版で、
オーケストラががんがん入ってて
テンポも指揮に従って変わりまくるオケに合わせてドラムを叩く。
リットやアクチェルなどを完璧に合わすのは至難の業だったが、
何とかパンチインを繰り返して録り終えて、
シンバルロールをダビングしている時に気がついた。
梁棟(Liang Dong)がドラムブースの中でらんらんと目を輝かして見ているのである。
「お前・・・ずーっとここにいたの?・・・」
「は?・・・見させて頂いてましたが・・・」
「んで?・・・勉強になった?・・・」
「はい!とっても勉強になりました!」
「お前!音楽が聞こえなくてドラムの音だけ聞いてて何が勉強になるの!!
ここでずーっといてどんな曲なのかもわかんないだろ!!
俺が音楽に対して何を苦労してどう乗り越えたかがドラムだけ聞いてたんじゃ全然わかんないだろ!!」
朝まで説教である。
全くもって若手を育てるのは難しい。
今日からリハーサルが始まる。
若手だらけである。
先が思いやられる・・・・
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2009年3月18日
汪峰のレコーディング
久し振りの北京でのレコーディング仕事。
オリンピックもあり、金融危機の煽りもありで、
音楽業界はしばし沈黙状態であったが、
ここに来てまたぼちぼち活動が活発化し始めたようである。
汪峰と言えば中国を代表するロック歌手であるが、
バンド出身というのもあり、自分の音楽は自分で全てプロデュースする。
ドラム録音でこれほど意見を言う歌手は二井原実か彼ぐらいであろう。
もちろんブッキングも彼自身が自分でやる。
日本にまで電話かけて来て
「いつ帰るんだ?!それじゃあ間に合わない」
とすったもんだあったが、
結局ワシが帰るまで待っててくれたんだな、と思ったら、
なんと既に録音してあるドラムをボツにして録り直すのであった!!
それほどまでしてワシのドラムが欲しいのか!
それほど他のドラムでは満足出来ないのか!
ドラマーにとっては嬉しいことこの上ないことである。
写真右は彼んとこの若いアレンジャーなのじゃが、
これがよくある話でなかなか要求が難しい。
「ここでハイハットを裏で踏んでくれ」とか無理難題が来るのじゃが、
それは彼らの世代ではドラムマシンしか知らないのでこうなるのである。
謹んで無茶な要望を実現してあげる。
パンチインを繰り返しながら最後まで録り終え、
「じゃあこれキープして最初っからもう一度叩いていい?」
これもいつものやり方である。
だいたいにしてドラムというのは、
このように頭を使って叩いても結果がよくないものである。
OKになったオカズももう身体が覚えてしまっているので、
ステージでのライブ演奏のように最初っから最後まで一気に叩く。
「ファンキー!!最高だよ!!」
汪峰がガラスの向こうで叫ぶ。
「本当はこう叩いて欲しいのに」と思ってるアレンジャーも、
プロデューサーが大満足しているのに文句は言えない。
2曲目は最初っから最後まで思い通りに叩く。
もう誰も文句を言わない。
あっと言う間にレコーディングが終わった。
「次はいつ北京にいるんだ?」
別れ際に彼が聞く。
これはすなわち「またドラムをお願いしたい」ということじゃが、
実はドラムはもう既に全部録音し終わっていることをワシは知っている。
既に録音が終わっているオケというのは、
そのドラムのヨレに合わせてリズムが微妙に揺れているので難しい。
自分のリズムで同じようにヨレながら叩いてやらねばならないからである。
中国広しと言えどこれが出来るのはワシぐらいであろう!(自慢)
それにしても汪峰の曲というのは悪く言えばどれも同じ、
よく言えばひとつのスタイルが確立している。
帰り際にはサビのメロディーが頭に残って離れないということはキャッチーであるということでもある。
人のことは言えないが
「よく同じリズムで同じコード進行で曲が作れるよなあ」
ってなもんである。
このアルバムもまた大ヒットするのであろう。
また中国のロックの名盤に参加してしまったという実感である。
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2009年3月16日
北京で仕事がてんこもり
XYZのライブが終わってすぐ北京に帰って来た。
いろんな人が待ちわびていて電話が鳴りっぱなしである。
今日から毎日BeiBeiの全国ツアーに向けてのリハーサル、
加えて明日はロック歌手汪峰のレコーディング。
その合間をぬってパールドラムの全中国ツアーの打ち合わせをせねばならない。
リハーサルはうちの院子で行われることになった。
BeiBei達が住む市内からはちと遠いが、
スタジオ代が要らないということと、ワシに気を使ってのこともあるとは思う。
何せこのBeiBeiと来たらとかく時間を守らない。
デビューアルバムのレコーディングリハでワシは切れたことがある。
「お前、助けてやってるワシが時間通りに来て、
助けてもらってるお前が遅刻するとは何事ぞ!!」
デブのキーボードのZhangZhangっつうのもまた時間を守らない。
ある時ふたりがとある友人と飲み屋で待ち合わせして、
夜の7時という約束なのにその友人ひとりしかいない。
10時頃ZhangZhangが遅れてやって来て、
ふたりで飲んでたら夜中の2時頃やっとBeiBeiがやって来たという逸話もある。
自分ちでやるなら誰が遅れようが来るまで自分の仕事が出来るので時間が無駄にならない。
遅れること1時間以上たってやっとリハーサルが始まった。
(今回はうちのリハーサル室ではなく、隣の布衣のリハーサル室を借りた)
6時からパールドラムの全中国ツアーの打ち合わせが入っている。
そこにBeiBeiを連れて行って紹介し、
彼がブッキングしようとしている彼らの全国ツアーと、
パールのクリニックツアーとを連携させたいのじゃ。
何せふたつとも
「じゃあ週末はツアーね」
とブッキングが乱暴なので絶対にスケジュールががっちんこするばかりか、
ヘタしたらどちらもワシのスケジュールを見ずにブッキングしたりするから大変である。
クリニックはだいたい昼間行われるので、
昼間クリニックをやった土地で夜BeiBeiのライブが出来れば言うことない。
しかし1時間以上遅れてリハをやってるんだから時間通り5時に終わるわけがない。
「5時半に黒タク(中国では白タクをこう言う)を呼んでるから一緒に行こう」
まあ5時半なら順調なら間に合う時間なので5時半まできっちりリハをする。
そしたら今度はその黒タクが待てど暮らせど来やしない。
打ち合わせの時間を遅らせようとするが今日はもう時間がないと言われる。
明日はリハをやめて打ち合わせとレコーディングである。
万事がこんな調子でBeiBeiとパール、ふたつの全国ツアーがブッキング出来るのか?!
ワシは毎週末過酷な移動で泣かねばならないのではないか?!
ここ中国では蓋を開けてみなければ何もわからない。
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2008年12月17日
こたつ
そして北京に帰って来た。
・・・寒い・・・
暑いとこや寒いとこや、毎日居場所が違うので風邪をひいてしまった。
上海の友人、Kさんが送ってくれたこたつを組み立てる。
やっぱ日本人はこたつである。
うちの部屋・・・もう北京の貧民街とは思えない・・・
ちょっと暖を取ったらもう日本に帰る。
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2008年11月20日
北京・・・寒すぎ・・・
シンガポールは32度だったのに北京は1度である。
院子に帰って来たらバンドの連中がレコーディングしていた。

左の端は最近エンジニア見習でやって来た方言(Fang Yan)なのであるが、
家が遠いと言うことでレコーディングがあるとうちに泊まる。
前回も青島から帰って来たら
突然の寒波で気温が3度。
その頃はまだ石炭を売りに来てないので暖房はナシである。
酔っ払って帰って来た方言(Fang Yan)が
外気と温度が変わらない彼の部屋でホゲーっと寝ているのを見て
「こりゃこいつそのうち凍死するな」
と思ったらまだ生きてた。
「俺のいない時は勉強だと思って友達のバンドとかレコーディングしてあげなさい」
と言ってあったので、
真面目だけが取り柄の彼は毎日レコーディングしていたらしい。
(もちろんタダで)
一昨日からめっきり寒くなったという北京。
服を着込んで電気ストーブひとつでレコーディングしていたバンドの連中も、
「これでは寒くて指も動かない」ということでやっと石炭を購入、
ワシが帰って来た時には自慢の畳の部屋もそこそこ暖かい。
問題は誰がこの石炭を炊き続けるかである。
数時間ごとに石炭をくべてないと消えてしまい、
そうなるとまた薪から火をつけねばならないので大変である。
嫁がいる時は夜中なんか凍えて目が覚めたりしたら、
お互いに膀胱のあたりをつつき合って、
おしっこが我慢できなくなった方が石炭をくべに行くことになっていたが、
酔っ払ったら凍死するまで起きない人間が相手ではそうもいかない。
仕方がないので近所の貧乏人に金を与えて定期的に石炭をくべてもらおう。
そうなるとまた泥棒が心配なのじゃが・・・
明日からまたドラムクリニックで山西省に行く。
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2008年9月 9日
宗教とは
ミュージシャンの受難は続く。
「オリンピック期間中、北京にいたってライブはないし、
それだったら俺の田舎に来ないか?」
メンバーのひとりの実家の近くに、
機材も持ってて音も出せる部屋もある友人がいると言うのである。
物価がどんどん高くなっている北京と違って、
田舎の生活はなかなかのものである。
バンドのメンバー全員でその友人の家にこもって毎日練習していた。
「いいもんだなあ・・・
朝起きたら練習して、
飯食って練習して、
ビール飲んで寝て・・・」
ところが1週間ほどしたある日、
その練習場に突然警察が踏み込んで来た。
中国の警察は本当に恐ろしい。
ドアをノックして捜査令状を出して中に入れてもらうような、
そんな日本のような甘っちょろいもんではない。
例えて言うと、いきなりドアを蹴破って「ホールドアップ」という感じである。
別に彼らがロシア人力士のように大麻を吸っていたわけではない。
その部屋の持ち主である友人が法輪教であったと言うだけである。
法輪教はもともとは気功の集団である。
友人の若いドラマーも昔、法輪教に入っていて気功を勉強していた。
彼曰く、とてもよい気功の論理であったと言うが、
その周りの人間がつぎつぎ捕まるので恐ろしくなって法輪教をやめたと言う。
中国政府が法輪教を徹底的に弾圧しだしたのは、
ある日のこと、法輪教が天安門広場で彼らが何万人集まって集会を開き、
「何じゃ?」と思ってるヒマなく、
集会が終わったら何万人が一瞬のうちに跡形もなく消え去り、
その後にはゴミひとつ落ちてなかったと言う事件からであると聞く。
時の支配者、江沢民は激怒した。
よりによって自分のおひざ元で
このような一糸乱れぬ統率力を見せつけられたのである。
「殺せ!徹底的に根絶やしにしろ!」
中国で別に警察が人民を逮捕するのに、
日本のようにややこしい手続きや逮捕状など必要ない。
警察に「確信」があればそれだけでいい。
事実、その友人は法輪教であった。
だからそのアジトである部屋でうるさい音を出している奴らも一緒に逮捕してしまえ!
とまではいかず、彼らは無関係ということで結局逮捕はされなかったが、
警察がもし「お前らも法輪教だな」と「確信」したら即逮捕である。
誤認逮捕なんて怖くない。
間違って逮捕された人民だって「いやー・・・ひどい目にあった」ぐらいである。
ロシア人力士のように
「納得できない!法的手段に訴える!」
と言ったって無駄である。
ここ中国ではそれこそが「法」なのだから。
北京のワシの院子に住んでいる貧乏ミュージシャン、
その奥さんは顔の皮膚病で悩んでいる。
見ればどうも薬品か何かにかぶれたように見える。
薬を処方してもらえば悪化し、
医者に診てもらえば更に悪化し、
残るは「神頼み」しかない。
彼女は熱心に何たらという宗教を信じている。
これも一種の気功である。
瞑想とかダンスとかをうまく取り入れて、
わかりやすく人間の持つ潜在パワーを引き上げて病気を治す。
その旦那であるミュージシャンはいつも
「嫁が法輪教でねえ・・・」
と冗談で笑い飛ばすが、
本当に法輪教だったら彼らどころかワシの身も危ないので、
これはかなりのブラックジョークと言えよう。
「こういうのはなあ、日本人にはきっと効かないんだ。
いろんな情報もあるし、頭もいいし、
でもな、中国では文明のない農民とかが本当に心から信じる。
そしたら本当に医学では説明がつかないような奇跡が起こるんだ」
そんな奇跡を目の当たりに見た人間は心底それを信じ、
人間の潜在パワーはそれによりまた奇跡が起こる。
その嫁さんの皮膚にはまだ奇跡は起きていない。
ワシなんかが見るに、
「日本でちゃんとした医者に診てもらえば?」
と思うのじゃが、
その医者が女の命であるこの顔をこんなにしたんだと思ってる限り
医学だって万能ではない。
思えば日本人にとっては「科学」こそが心から信じて疑わない「宗教」なのである。
「何をやったって治らない。
毎日毎日皮膚が痒くってしかたがない。
うちの嫁がこの宗教に出会わなかったらきっともう自殺してただろう」
彼にそう言われて「なるほどな」と思う。
その宗教が本物かウソものか、
ワシはそんなことはどうでもいいのではと思っている。
ワシの友人が少しでも幸せになってくれればそれでいい。
八王子のスタジオが何かバイオリズムがいいと思ったら、
二井原曰く、周りの宗教家や学生が毎日お経を唱えているからではないかと。
その宗教自体はワシは昔強引な勧誘にあってから大嫌いなのじゃが、
宗教はもともとは「みんなが幸せになって欲しい」というものではないのか。
学生さん、毎日毎日、ワシや二井原の幸せのために祈ってくれてありがとう。
ワシらもみんながもっと幸せになれるように音楽すっからな。
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2008年9月 6日
こちらの業者の仕事ときたら・・・
残暑厳しい日本と違い、北京の秋の過ごしやすさときたら格別である。
涼しい秋風、乾いた空気、
ビール飲んで先日出来上がった畳の部屋にごろんとなるのは至福である。
夕べはちょっと肌寒かったので、こりゃタオルケットだけでは風邪をひいてしまうなあ、
とばかり秋物の布団を出すことを決意。
実はこのたたみの台は箱になっていてそこにいろんなものが収納できるのじゃ。
中国の家具ときたら木なんかすぐに変形してしまうし、
今回はこだわって特上の木材をと発注した。
完全オーダーメイドの畳が1枚6千円程度なのに対して、
その大きさのこの箱だけで1個4万円近くする。
こんな貧民街なんか政府にいつお取り潰しにされるかわからないので、
どこに引っ越してもこの箱と畳と共に移動すれば同じ環境が手に入るというわけである。
「ミュージシャンは畳の上で死ねない」と言うので、
将来的にはこの畳をかついでドラムを叩いたらステージ上でも畳の上で死ねるぞ、
と思ってたら嫁に
「死ぬ時は普通うつぶせに倒れるから畳の下になるんちゃうん」
と諭された。
ミュージシャンはやはりどうしても畳の上で死ねないようなので、
せめて生きてるうちにたっぷり畳でごろごろしたい。
よし布団を出そう!
重い腰をあげて立ち上がった。
ちょっと小さめなので軽い畳をひっぺがす。
箱の蓋には開閉用の紐がついている。
それを引っ張ればぱかっと・・・
ぱかっと開くはずじゃが・・・
こりゃいかん。
あんましここで力を入れたら紐が切れてしまう。
どうやら業者があまりにぴったり寸法を作りすぎたので、
木の微妙な膨張のせいか箱が開かなくなってしまったのじゃ・・・

トンカチとバールで格闘してやっとこじ開けたら今度は閉まらない。
完璧に見えた業者の仕事であったが、
こちらの仕事なんて蓋を開けてみたらそんなもんである。
て言うか、その蓋が開かないのだから・・・
大騒ぎの末、結局布団はここには仕舞ってないことに気付いた。
しまらないオチでした。
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2008年9月 2日
貧乏ミュージシャンの苦難は続く・・・
「ギャラ少し前借り出来ませんか・・・」
テレビドラマの音楽の続きをやらせていたデブのキーボードから泣きが入る。
オリンピック期間中はコンサート等も許可が下りず、
レコードも発売が出来ないのでミュージシャンは開店休業状態である。
請け負っていた映画音楽も四川省地震のため撮影中止となってるし、
そんな中でこのテレビドラマだけが中止にならないのもワシ、
ひいてはこのデブも非常にラッキーなことである。
しかしいかんせんこのテの長期に渡る仕事というのは、
基本的に全部仕上がるまで金がもらえないので、
他の仕事が全然ないデブ達ミュージシャンは仕事はしてても金が回らず、
生活費そのものがなくなってしまうというわけである。
しゃーない、ワシが立て替えておいてやろう。
今日はその主題歌のTDではないか。
アシスタントにある程度やらせておくから飯でも食いに行こう。
ところがそのアシスタントがいつまでたってもやって来ない。
電話をかけると入院したと言う。
尿結石である。
中国では基本的に医療は全額本人負担である。
うちの村では怪我なんかしても病気になっても病院なんか行かない。
家族にひとり重病人が出ただけで一族郎党まとめて破産してしまうという国である。
農村などでは見殺しどころか家族のために病人を殺すこともあると言う。
入院なんかしたらいくらかかるの?・・・
幸いうちのアシスタントは北京の実家で暮らしていて、
両親が彼のために医療保険をかけていたらしい。
保険料もばかにならないだろうが、破産するよりましである。
近所の貧乏ミュージシャンに聞いたら、
やはり保険なんかかけている奴は皆無。
みんな病気にでもなったらそれでおしまいである。
みんな健康には気をつけろよ!!
保険と言えば火災保険にも入ってない友人のライブハウスが火事になったと言う。
このオーナーはうちのロック村出身でドラマーときているので、
行けば必ずタダで飲ませてくれるいいライブハウスであったが、
まあ貧乏なミュージシャンとロックファン相手に商売している店が
火災保険に入る金はあるまいなあ・・・
火事が起こったのが運悪く(運良く)オリンピックの閉幕式の時。
煙を見た通行人が消防署に通報。
警察がかけつけて来て事情徴収。
「よりによって閉幕式に時に火事起こすなよ」
と担当の警察官。
ライブハウスも災難だが担当警察官もえらい災難なのである。
ヘタしたら責任とらされてクビということもありうる。
「よっしゃ!火事は起こってなかったことにしよう。
わかったな!火事は起こってなかった!
その燃えカスは自分たちで何事もなかったかのようにちゃんと片付けとくこと!」
半焼しているライブハウスをミュージシャン仲間で片付ける。
でもこれはむしろラッキーなことである。
オリンピックをぶち壊すようなことをした関係者は、
二度と店など開けないばかりか
将来どんな迫害を受けるかわかったもんじゃない。
何せ「火事は起こってなかった」のである。
燃えた機材を買い替えてリフォームすればすぐにでも営業出来る。
これが火事が一日遅れていたら容赦なく「お取り潰し」であっただろう。
仕事が一段落したら様子を見に行って来よう。
ドラムセットぐらいはワシが責任もって修繕してやるぞ。
営業が再開したらまたばんばんタダ酒飲ませてくれよ!!
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北京に帰って来た
ナンバーの奇数偶数による車の通行規制はまだ続いている。
昨日は奇数日だったので貧民街の貧乏ロッカーが空港まで迎えに来てくれたが、
よく考えたら今日は偶数日なのでこの村から出ることが出来ん・・・
不便な毎日はパラリンピックが終わるまで続くらしく、
何よりもショックだったのが、
村で一番おいしいレストランが潰れてしまっていた
のである。
うちの嫁がこの貧民街に連れて来られて、
「もしこのレストランがなかったら私はもう泣いて帰っていた」
と言うぐらいこのレストランの味は絶品だった。
この味は二井原実、田川ヒロアキ、等ここに来たことのある全ての日本人の舌も魅了し、
「他で御馳走してくれたどんな高級料理よりもここがおいしかった」
と言わしめるものであった。
潰れた、いや潰された理由は、「煙」だと言う。
オリンピックに備え、中国政府は貧民街のレストランに
「空気が汚れるからレストランで飯を作るな!」
と通達したと言う。
他のレストランはデリバリー専門で対応したが、
このレストランは村の偉い人たちにも御用達だったので、
まあいいだろうとばかりそのまま営業していて、
もっと上の偉い人の目にとまり潰されたと言う噂である。
北京の大気汚染は飯作る煙が原因か?!!
デリバリー専門で営業しても同じだけの煙が出るし、
村で人気の羊肉串の店も、
結局は外で焼いてたのを店の中で焼くので煙の量は同じである。
貧民いじめるヒマがあるなら公害を垂れ流す金持ちを規制しろ!!
貧民街に住むロッカー達が鼓楼にあるライブハウスで演奏していた時、
ちょうどその時、同じく鼓楼で殺人事件があった。
ライブハウスの外は外国人記者でいっぱいである。
警察がライブハウスに飛び込んで来てオーナーを脅す。
「お前ら、記者に何か喋ったらどうなるかわかってるだろうな。
何を聞かれても私は知らないで通すんだぞ。
わかったか」
ミュージシャン上がりのオーナーは青くなってうんうん肯くしかない。
貧乏生活からやっと開いたこの店を
こんなことで潰してしまったんでは元も子もない。
万事がこうである。
パラリンピックが終わるまで貧乏ミュージシャンの苦難は続く・・・
村の噂では、四川省に帰ってしまったレストランのオーナーは、
パラリンピックが終わったらまた戻って来て、
また村の中で同じ味のレストランを開いてくれると言うことである。
その頃にはまたロッカーにとって楽しい毎日が始まることを心から願う。
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2008年7月28日
北京空港にて
ワシは怒っているのじゃ!!
オリンピック前は全てのイベントがことごとくキャンセルになるので、
今回の靖江(どこや?)、徐州のドラムクリニックもキャンセルになる
と踏んで日本でのスケジュールを入れていたが、
そういう時に限ってキャンセルにならないもんで、
仕方ないので日本から自腹で渡航費払って現地まで自力で向かう。
そのレポートは日本に帰ってからゆっくりUPするとして、
ギャラより高い交通費・・・(鯉のぼりの節で歌ってちょ)・・・
はミュージシャンの心意気なのでよい!
しかし問題は中国政府が
「オリンピック前は飛行機、列車に大型電子機器を持ち込むな」
と言うのである。
ワシのドラムクリニック用のシステム(このブログ参照のほど)は、
ひょっとしたら預けることも出来なければ持ち込むことも出来ないかも知れないと言うのである。
自分が好きで金払って中国の子供たちにロックを教えに行くのはいい!
しかし中国政府のために金を払って新しいシステムを構築するのはどうも腹が立って仕方がない。
MDと小さなミキサーを使った新しいシステム

まあそれもいい!
菅沼孝三の言う通り、MDこそが「絶対に止まらない」安全なシステムであることも事実である。
八王子ムラウチ電気で買ったこの1万2千円のミキサーも
ひいては「ロックで世界平和」のために少しでも役に立てば本望であろう。
それはいいのである!
ワシが怒っているのはそれだけではない!
地方都市からやっとの思いで北京に帰って来たワシは、
いつものように同じ貧民街に住む老呉(LaoWu)に空港まで迎えに来てもらう。
「ワシはお前らの音楽を助ける、お前らはワシの生活を助ける」
持ちつ持たれつ(中国語でどう言うか知らんが)である。
「明日は午後の飛行機で日本帰るからまた空港まで送ってね」
と言うと老呉(LaoWu)は悪そうにこう言う。
「この車は奇数ナンバーなので明日は街を運転できない」
何やと!!!
オリンピックに向けて市内の渋滞緩和のためにナンバーによる運転規制を始めたと言う。
ワシら貧民街に住むミュージシャンは車がなかったらどうやって生活するよ?!!
北京には半日しか滞在しないが、
その間に仕事を済ませておこうと若いミュージシャンをブッキングしていたが、
「ファンキーさん、僕の車偶数ナンバーなんで12時過ぎないとそっち行けません」
何じゃそりゃ!!
村の入り口には門番がいて、許可証がないと村に入れない。

村の入り口まで迎えに行こうとも12時越したら車を運転することも出来ん。
だいたいこんな貧乏な村の出入りを規制してどうしようって言うの!!!
テロリストは少なくともここの村の住人より金持ちやからこんなところには来んぞ!
言うちゃ悪いけど生き馬の目をえぐり抜くようなこの国で、
日雇労働者として地方から流れて来たこの村の住人ははっきり言って頭も悪い(失礼!!)。
この国を転覆させるようなことを考えたり、
またそれを実行するような頭を持ってたらそもそもこんな貧民街には住まん!
そんな村の出入りを規制するぐらいやったら、
悪いやつがいっぱい住んでる金持ち地区を規制しろ!
レコーディングが始まろうとしたその時、例によって停電。
UPS(電源安定器)は先日の大雨と落雷で壊れてしまったので
いきなりパソコンの電源が落ちる。
だいたいこの時期に毎日大雨っつうのがおかしいんとちゃうん?!!
だいたい北京はもともと雨が降らない土地とちゃうん?!!
オリンピックのために人口雨を降らせているという噂が頭をよぎる。
そうなると全ては疑惑である。
うちの村はもう数週間断水している。
オリンピックのために貧民街にまわす水はないと言うのか?
停電もオリンピックのせいか?
日本ではエコが叫ばれているけど、
ワシの村ではもう数週間風呂にも入れなければ
しょっちゅう停電してるから電気も使ってないぞ!!
電気もなければレコーディングも出来ないので酒を飲む。
ついつい口に出る言葉は
「反対!奥運会!!(オリンピック反対!!)」
回りの若い衆達が慌ててワシの口を押さえる。
「そんなこと言って誰かに聞かれたりしたらどうするんですか」と・・・
知ったこっちゃない。ワシは数時間後には日本に帰るのじゃ!
くそったれオリンピックが終わるまで北京には帰らんのじゃ!
「僕たち・・・どこにも逃げるとこないし・・・」
涙声で訴える若い衆を隣村の朝までやってる食堂に連れて行って酒を飲む。
「ワシはもう9月まで帰らんからな!
お前らワシの仕事ちゃんとやっとけよ!!
ワシはもう知らん!!」
酔いつぶれて寝て、
そのまま黒車(中国では白タクのことをこう言う)を呼んで空港まで来た。
白タクまで奇数ナンバーと偶数ナンバーを用意せなあかんとは何事ぞ!!
空港に着いたら厳重な警備でボディーチェックされる。

出国する外国人が目につくのは気のせいか?
中国政府は外国人のビザの延長、更新を規制している。
ワシの友人のアメリカ国籍のミュージシャンも仕方なく帰省している。
空港でビールを飲んで、
酔っ払ったふりをして大声で叫んでやった。
「オリンピック反対!!俺はボイコットするぞ!!」
ただし日本語で・・・
Posted by ファンキー末吉 at:13:09 | 固定リンク
2008年7月18日
榻榻米
明日で日本に帰る。
オリンピックはボイコットして夏休みじゅう子供たちと八王子で暮らすのじゃ。
そのためには仕事を全部今日までに終えなければならない。
重慶雑技団とテレビドラマの音楽と布衣のニューアルバム・・・
まあ終わるわけがない。
重慶雑技団は引き続き日本に帰ってインターネット経由でやり続けるとして、
テレビドラマは主題歌を今晩レコーディングして後はデブのキーボードに任せて、
布衣は・・・ま、ええか、お前ら後は自分でやれ!
それよりも大事なのは、
ワシの住処の大改造。
何と貧民街に畳の部屋を作ってしまったのじゃ!!

居心地がいいのじゃぁ!!
もうこの部屋から出たくない!!
「お前らレコーディングは自分らでしなさい!!」
と、昨日は一歩もここから出ずに畳でごろごろした。
中国語で畳のことを榻榻米(ターターミー)と言う。
日本から輸入することを覚悟していたが、
日本料理屋や、金持ちの中国人の住居のために
中国にもちゃんと榻榻米(ターターミー)業者がいた。
寸法も言った通りの寸法で作ってくれる。
全て手作りである。
ちょっと小さめの寸法のを8枚作ってもらったのじゃが、
1800元(約3万円)と言うので24万円ほど覚悟してたら、
何と8枚全部で1800元だった。
安い!!
その代わり、台にするために収納にもなる箱を特注したがそれはちと高くついた。
まあこの村が開発のために潰されたら箱ごと持って引っ越しすればよい。
貧乏なロッカー達と畳担いで引っ越しする様も圧巻であろう。
何よりもそのために専門の清掃業者を呼んだのじゃがそれが安い!!
ひとり1時間15元(約200円)だと言うから日本とゼロがひとつ違う。

家具を運び込む前に全部拭いてくれ、
部屋のすみずみまで掃除してくれる。
畳を見てみんな「なんじゃこりゃ?!」・・・
日本の文化をとくと説明してやった。
ほな清算を・・・
と思ったらいきなり20元に値上がりしていた。
日本人だと思ってボラれたに違いない・・・
もう明日帰る・・・
Posted by ファンキー末吉 at:14:25 | 固定リンク
2008年6月10日
ところ変われば募金も変わる
前回のメルマガで四川省大地震へ何か援助が出来ないかと言う話を書いたら、
やっぱそんなことを考えてる人は多いと見え、いろいろメールを頂いた。
とある人は何とか被災地の子供たちのために文房具を送りたいと関係者に相談したら、
・新品を送るとピンハネされる
・政府や赤十字みたいなところに送ってもやはり殆どがピンハネされる
・ということで、中古の文房具を信頼の置けるところもしくは人に直接送る
というのがよい
とアドバイスされたそうである。
彼女はワシに言う。
「その文房具をドラムに詰めて担いで四川省まで行ってくれ」
と・・・
こりゃほんま本腰入れて行くしかないか?・・・
知り合いが現地の教育機関に受け入れを要請してくれている。
ひとりではドラムセットすらも担げないので、
隣に住んでる布衣のボーカルに
「お前らどうせヒマなんじゃろ!」
と言うことで声をかけたらふたつ返事でOKだった。
まあ生き死にの段階がすんで、
衣食住が何とかなってから初めて「教育」だろうから、
ワシらが受け入れを許可された頃は少しは復旧が進んでいると言うことじゃろうが、
おそらく宿舎はその受け入れ先の学校となったとしても、
まあワシらの住んでる環境とそんなに違わんしなあ・・・
何とか冬になる前に行かなきゃ凍死するなぁ・・・
しかし彼から中国での募金の状況を聞いてびっくりした。
なんと中国では募金をしたらその名前と金額が公表されると言うのだ。
これは募金の額を吊り上げることには貢献しているが、
自分の名前と額を村に張り出された貧民達はたまらない。
誰それはいくらだからと更に募金をするために借金をする。
とある売れっ子の女性アイドルが被災者のために献血をした。
そのことが報道されると国民全てが怒り狂ってネットで彼女を叩きまくった。
「お前、金持ちなんじゃろ!血じゃのうて金送らんかい!!」
香港のとある超売れっ子歌手が何百万(日本円で)も募金した。
しかし彼よりも金持ちの事業家は中国にはたくさんいる。
「お前、誰それはもっと募金したぞ!お前はたったそれだけか!!」
ネットで叩かれまくって彼は
もう百万単位ではどうしようもないので千万単位の募金をする。
そしてそれよりもっと募金をした人が公表され、彼はもっと叩かれる。
これやったらせん方がマシなんちゃうん!!
ドラエモン募金みたいのんがこっちにもあって、
ある番号に電話をすると電話代から10元が募金として送られるのじゃが、
ワシなんかもうそれで叩かれたらと思うとドキドキよ。
そうやって病気のように毎日募金をする貧民はたくさんいると言う。
でもその金は果たしてちゃんと現地に届くのか?
届くと信じて募金するしかないのじゃが、
現実この国でのその横領は非常に問題になっている。
送られたテントが被災地ではなく受け取った幹部の庭で使われてたり、
物資の横流しは日々ネットで報道されて国民の知るところとなる。
「日本では被災地に国と社会とどっちが多く金を払う?」
変な質問を布衣のボーカルからされる。
「いや?・・・日本では国はまず絶対救済せなあかんし・・・
全力でそれせんかったら次の政権ないし・・・
いや、中国はその政権交代自体がないし・・・」
非常に答えにくい質問だったが、彼から先にこう答える。
「中国ではなぁ。被災地に送った金はほとんどが社会、
つまり国民からの募金なんだ。
政府はオリンピックに費やすお金の数分の一しか使ってない」
被災者よりもオリンピックが大切と言うわけか?
でも政府関係者はこの国では一番金持ちやぞ!
政府要人の個人資産を公表して、
彼らの個人資産からも募金させたらんかい!
先日ネットの書き込みで四川省の被災者をなじった少女が、
翌日にはその本名と住所と電話番号まで公表されて警察に保護された。
逮捕ではなく保護である。
そうじゃなきゃ間違いなく殺される・・・
ワシにも友達がいるが、中国のハッカー達の技術は物凄い。
ひとつの書き込みからその本人を特定するなんぞ朝飯前である。
奴らなら政府要人の個人資産なんぞすぐにハッキング出来るだろう。
その途端に殺されるか・・・
ドラム担いで被災地に行ったところで、
この国がそんなにすぐによくなることはあるまいが・・・
ロックで出来ることなんてほんの小さいことなのよね・・・
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2008年4月 4日
中国のJAF
ワシの車はオンボロである。
岡崎はんが初めて中国に来て、
初めてこの車に乗った時に発した言葉が
「ポンコツやな」
であった。
今時「ポンコツ」と言う言葉が非常に新鮮だったので褒められたような気がしたが、
決してそんなことはないだろうと言うことは運転してみて初めてわかる。
こっちで買ったタンスが壊れた時に、
こちらの生活十数年のN嬢が
「中国の家具はね、壊れたのを直して直して最後に強いタンスに育つのよ」
と言って嫁を感激させていたが、
この車はラジエーターを直し、マフラーを直し、
最後にはエンジンまで積み替えていて
既に中身は新品であろうと言うぐらい修理したのにまだ壊れる。
冬になるとエンジンがかからんし、
夏になるとラジエーターパイプが熱で爆発する。
街中でエンコすることもしょっ中で、
「押しがけ」と言う言葉さえ知らなかった嫁も
今では「北京いち押しがけがうまい嫁」である。
いつもは壊れるとロック村の村長が飛んで来て直してくれるのじゃが、
今日ばかりは状況が違った。
明日からは布衣の四川ツアーのため、
そのボーカルであるロック村の村長は既に列車で24時間かけて成都に行っているのだ。
ワシはプロデューサーであり、メンバーではないのであるが、
本場の四川料理に目がくらみ、
ノーギャラなのにドラマーとして同行する約束をしてしまったのだから仕方がない。
明日の朝の飛行機で行かねばならないので今日中に仕事を終わらせるべく無理をしたのがいけなかった。
いや、無理をしたのはワシばかりではない。
車もきっと無理をしてしまったのじゃろう。
帰り道の高速道路で突然うんともすんとも言わなくなってしまった。
こうなったらいつも馴染みの(こんな馴染みがあること自体情けないのであるが)
近所の修理工場に助けに来てもらおうと電話をしたのじゃが、
今日に限って
「悪りぃなぁ。今日は車が出払ってるんで行けない」
とそっけなく切られてしまった。
万事休すである。
このまま高速を人力で押して帰ることも考えたが、
仮にも「北京ジープ」、巨大である。
夏のエンストで道端まで押してゆくだけでへばってしまったことを思い出してあきらめた。
片っぱしから友達に電話をかけて救いを求めると、
なんと中国にもJAFがあることが判明!!
これしかない!と言うわけで電話をかけてJAFを呼んだ。

てきぱきとした処置で車を牽引車とつなぎ、
「どこの修理工場に入れますか?」
と非常にプロフェッショナルである。
「うちの近所の修理工場まで」
と言うと
「それは遠すぎる」
と言われたので、とりあえず高速から下してから考えようと言うことになり、
そのまま牽引車の助手席に乗せられた。
ちょっと感激である。
この読者の中にも中国のJAFの牽引車に乗ったことのある輩はそうはおるまい!
と感激している場合ではない。
車をとりあえずどうするかと言うことである。
高速を降りるとそこには韓国系の怪しいサウナと言うかホテルと言うか売春宿がある。
「ここでいいですわ。
この駐車場に止めさせてもらって
明日修理工場の人間に取りに来させますわ」
逆に日本だとこう言うことは難しい。
ある時、京都から関空まで行くリムジンバスのバス停で、
「どうしてもここで買わなきゃならない物があるので
5分間だけこのトランク見といてもらえませんか」
と切符売場のおばはんに頼んだら
「そのような業務は取り行っておりません」
と無下に断られた。
コインロッカーに預けろと言うのだが、
あいにくそれに入る大きさではない。
ヒモかなんかあればそれにトランクをつないで、
片方に結び目を作ってそれをコインロッカーに入れて施錠出来るのではと思い、
(そんなことを思いつくこと自体が貧乏くさいのだが)
「何かヒモみたいのありませんか?」
と聞くと、
「そのようなものは取り扱っておりません」
とまた無下に断られる。
「じゃあヒモ買って来ますんでその間見ておいて下さいよ」
と言っても
「その間トラブルが起こっても責任持てませんので、
そのようなことは一切お受け致しかねます」
と取り付く島もない。
ワシは頭に来て、
「じゃあトランク置いて行きますからね。
周りは全部階段でこんな重いもの持ち歩けないんだから仕方ないでしょ。
別にそれに関して責任とれと言ってるわけじゃない。
誰かがこれを盗みに来たとしたらあんたはそれをじーっと見てればいいから。
俺は勝手にこれを置いて行くだけだからね」
と言ってヒモを買いに行って、
当初の計画通りトランクをコインロッカーに固定してから買い物に行った。
中国だったらまずこのようなことはない。
今回も簡単なものである。
「半日止めさせてよ。
明日修理工場が取りに来るからさあ」
で済む。
当然「お前ここの客か?」と来るが、
「金払うからさあ」
で済むのである。
ご丁寧に従業員4人で、牽引車から外したワシの車を押してくれる。
最初は30元と言ってたのじゃが、
最後には「やっぱ40元くれ」と言う。
「押してくれたからかなぁ」
と思ったら違った。
「僕ら4人だから」
であった。
お前らに行くんかい!この金!!
国際問題の渦中の国であるが、人民はスーダララッタ(死語)と暮らしている。
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2008年2月 9日
子供生まれてワシ、ついに神となる(何じゃそりゃ?)
48歳にして第三子の誕生である。
この子が成人する頃にはワシは70に手が届こうとしていることになる。
生きとるやろか・・・
それはよい。
人類最大の痛みと戦いながら子供を生むのは「女」と言う高尚な生き物である。
ちなみに嫁にとっては第一子。
どれぐらい痛いのかと言うと、
聞いた話によると「男」が小便をしてそのままキン○マをチャックで挟んでしまい、
もんどおり打ってひっくり返ったところに運悪く金属製のポールがあり、
「キン!」と言う金属音が出たとか出ないほど強く打ちつけてしまい、
ぱんぱんに腫れあがったキン○マを子供がサッカーボールと間違えて思いっきりキックしてしまい、
「これでは死んでしまう!」とばかり消毒液と間違えてタバスコを振りかけてしまった・・・
と言う痛さの更に47.5倍ほど痛いらしい。
「男」なら必ず気が狂うと言うほどの痛さらしいが、
それを「女」と言う生き物は気絶することもなく、
麻酔とか科学の力を借りることもなく自力でそれを乗り越えて出産するのであるから
尊敬の念を通り越して偉大としか言いようがない。
ちなみにワシの第一子は、
ワシが病院の食堂でステーキ定食を注文し、
不謹慎だがビールを頼もうかと迷っている瞬間に生まれた。
第二子はレコーディングで2バスを踏んでいる時に生まれた。
そして嫁代わり、第三子となるのであるが、
立会出産とまではいかなくても、
今度は嫁のそばでこの偉大なる作業を見守ろうとスケジュールを押さえていたのじゃが、
それはこれ、ここは中国ではないのでそうそうスケジュール通りに生まれはしない。
中国ではスケジュール通りなのか?
それが実にスケジュール通りなのである。
ある日のこと、とある音楽仲間から電話があって、
「明日スケジュール空いてるか?」
と言うので
「空いてるよ。どうしたの?」
と答えると、
「言わなかったっけ?明日俺の子供がうまれるんだ。パーティーやるからおいでよ」
と来る。
生まれるんだと言われても、
ワシも一応2月13日が予定日ではあったが、
別にその日にパーティーをブッキングしたりはしない。
頭の中ムルンピョ(疑問符)ばかりでパーティー会場に行くと、
場はまさに生まれたばかりと言うほど大盛り上がり。
「生まれたの?」
と聞くと、
「生まれたさ。今日だって言ってあっただろ」
????
お前らレコーディングとなっても全然時間守らんのに、
子供生むとなると何でこんなに時間に正確なの?・・・
中国の女性はこんなにも予定日ぴったりに出産するのか・・・
ムルンピョ(疑問符)だらけのワシの顔を見て、
ははぁ・・・とばかり彼は言った。
「日本では帝王切開はしないのか?」
そうなのである。
今日び、中国でお金持ち層の人たちはまず帝王切開で出産するのである。
お金持ち層の女性が出産で苦しみたくないのか、
いやいや、それよりも何よりも大事なことが・・・
・・・風水・・・
そう、何月何日の何時に生まれた子供は風水がよい!
それに合わせて正確に帝王切開で出産するのである。
恐るべし中国人・・・
ところがうちの(今度の)嫁は日本人・・・
それほど風水が大切か?自然分娩に勝るものなかろう・・・
と言うわけで日本で出産である。
当然ながら子供とてそうそう予定通りに出てきてくれはしない。
予定を2週間早まって破水したその時、
ワシは北京で見事に酔いつぶれていた。
不謹慎極まりないと言うことで罰があたり、風邪まで引いている。
その日はWingの工人体育館でのコンサートのゲネプロであり、
ワシは携帯電話を首からぶらさげながらドラムを叩く。
携帯が鳴ろうものなら全ての作業は中止である。
「生まれたか・・・」
アーティスト、スタッフ全てがかたずを飲んでワシを見守る。
「間違い電話でした・・・」
作業続行。
ここが関西なら全員がその場でずっこけていたことだろう。
そして陣痛が始まったと言う連絡を受けた頃ゲネプロは終わり、
ワシは突然呼び出されたレコーディングへとかけつける。
そこでももちろん携帯を首からぶらさげながらドラムを叩くが、
夜中に叩き終わっても連絡なし。
Wingが用意してくれたホテルに帰ってからメールが来た。
「今、分娩室に入りました」
嫁のお母さんである。
出産の大先輩である。
偉大である。
そして無事出産!
男の子である。

名前は「龍之介」。
中国の暦で「丁亥の年、寅の刻」に生まれた「龍」である。
縁起が良いことこの上ない。
しかしこの髪の毛のもじゃもじゃが・・・
よし、ワシもどうせ親父としてろくなことはやってやれんが、
せめてこの子のために頑張って最高のドラムを叩いてやろうじゃないか!!
まるでこの日は我が子の誕生パーティーさながらの盛り上がりの中、
円形ステージのど真ん中にセットされたドラムセットで叩きまくる。
「神が降りてくる」とでも言うのか、「息子が龍になって降りてくる」とでも言うのか、
確かにこの日のワシのドラムは神がかっていたかも知れない。
全てのアーティスト、スタッフはこの日のワシをこう称賛した。
「お前、もう亜洲鼓王(アジア・ドラム・キング)どころじゃない。
今日からお前は亜洲鼓神(アジア・ドラム・ゴッド)だ!」
龍を生んだのワシではなく嫁なんですけど・・・
ま、いいか・・・その名に負けないぐらいワシ・・・頑張るのじゃ!
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2007年12月17日
シェイクスピアをロックで!
破碎.聲音のドラマーから電話があった。
「師匠!お久しぶりです!大偉(ダーウェイ)です!」
以前こいつが自分の結婚式だっつうんで助っ人ドラマーとしてライブに参加して、
その後一緒に飲んでからそのメンバーとは親しくしているが、
もともとこいつがおらんからワシが駆り出されたわけで、
別に面識のあまりないこいつを弟子にした覚えもなければ、
実は名前を言われたからと言ってワシには全然その顔を思い出せない。
聞けばとある演劇でバンドのドラマーとして参加しているらしい。
「ヘビーメタルバンドが演劇に参加してるんです。見に来ませんか?」
そう言えば上海で一緒になった窒息と言うバンドもそんなこと言ってたなぁ・・・
と思ってよくよく聞いてみたら、
彼が助っ人ドラマーとして参加している痛苦的信仰と窒息とふたつもバンドが参加するらしい。
しかもふたつとも筋金入りのアンダーグラウンドなバンドである。
きっと演劇のバンド役かなんかで出演してるのだろうと思って行ってみたら驚いた。
「中国話劇生誕百周年記念演劇」
演目は何とシェイクスピアの「コリオレイナス」
・・・何じゃそりゃ・・・
話劇と言うぐらいだから音楽劇(ミュージカル)ではない。
しかも「お堅い」イメージが強いシェイクスピアにどうしてアンダーグラウンドのバンドが?・・・
しかも主役はワシは詳しくは知らんが、中国では舞台役者の第一人者、
監督は古い世代の大御所中の大御所。
つまりここ中国の現状で言うと、文化大革命の時代の人たち。
およそロックには、
いや新しいものにはまるで無縁であろう人たちなのである。
頭の中はムルンピョ(疑問符)だらけの中、
7時半の開演時間ぴったしに劇は始った。
いきなり窒息の演奏である。
ワシが上海で
「お前らこんな音楽やってる限り一生売れん!」
と言う褒め言葉(?)を贈ったそのままの、
重金属と言うか、ボーカルはただグォーとがなっているだけのデスメタルである。
その演奏に合わせて数十人の出演者が全員飛び出して来る。
壮観である。
そして驚くべきはその後、
劇中のバックミュージック、効果音、全ては彼らが生で演奏しているのである。
もちろん生声で喋る演劇に、
大音量のヘビーメタルはそのまま被せることは出来ない。
セリフのバックの演奏はベースだけ、ギターだけ、バスドラだけ等
実に緻密に計算されているのである。
セリフがない部分、役者が叫んだその直後、登場人物が入れ替わるジングル、
等々の部分には遠慮なく大音量のバンドの演奏となる。
敵軍が登場!
上手からはもう一台バンド車が現れて、
今度は痛苦的信仰の演奏が始まる。
そして戦闘シーンではふたつのバンドが両軍を代表してヘビーメタル合戦を行う。
・・・デスメタルとハードコアの掛け合い・・・
凄い!
許されるのか?!こんな演出!!
第一幕の最後は痛苦的信仰のオリジナル曲で締める。
シェイクスピアにハードコアである。
第二幕までの休憩時間、ワシはプログラムを眼を皿のようにして探した。
音楽監督の名前を・・・
ワシも中国ではいろいろ映画音楽をやらせてもらっているのでよく分かる。
この音楽をつけた人間は天才である!
ワシ流の映画音楽理論で言うと、
登場人物、心理状態等においてそれぞれテーマを決め、
そのテーマをメロディー、楽器等で割り振ってそれをコンセプトとするが、
この演劇では見事にそれをロック、しかもデスメタルとハードコア、
そしてその楽器を巧みに使って完璧にそれを表現している。
しかし音楽監督の名前が・・・どこを探してもないのである!!
舞台は第二幕。
ふたつのバンドに役者ふたりもギターを持って参加する。

これまたウルサイ!
ぐちゃぐちゃのヘビーメタル(と言うかデスメタルとハードコアが一緒になったような)である。
その部分はセリフがないから別にうるさくてもかまわないのであるが、
演奏が終わり、セリフを言い終わった役者が、
バンドのメンバーよろしくギターをかき鳴らして自分で効果音を入れるところなんぞ、
この演出家、タダモノではない。
演出家がロックを分かっているだけではなく、
名前がどこにも紹介されてないこの音楽監督は、
実に完璧に「ロック」と言うものを理解している。
ギターを、ベースを、全ての楽器を完璧に理解しきっている。
そうでなければこのような・・・
陰謀うずまくシーンでは必ずベースが、
ミ、ファ、シb
いわゆる最低音であるEのコードから半音上の音であるFをぶつけて、
そしてそのFから元キーであるEのフラット5の音にあたるBbをぶつける・・・
ある種ヘビーメタルの王道である。
対抗する軍隊のシーンでは、
ギターが深いロングディレイをかけて、
16分音符のフレーズをそれにからませて演奏する・・・
ある種プログレッシブロックの王道である。
またある部分ではピンクフロイドよろしく、
バスドラを2回づつ、
心臓の音のように踏むだけで役者の心理状態を演出する。
これもある種王道である。
きわめつけは、
ふたりのギタリストがステージ左右に座り込んで、
メタリカのバラードばりの泣きの演奏を奏でながら、
後に役者が出てきてそれに乗せて絶叫する。
鳥肌ものである。
ありえん!
日本で言う大御所と言うと、
唐沢寿明で同じくシェイクスピアのコリオレイナスを演出した蜷川幸雄か?
彼がここまでロックの「奏法」を理解してバンドのメンバーに指示できるか?
もしくは合議制よろしく、
バンドが「このシーンではこんなのどう?」とか言って自然発生的に決まった?・・・
それもありえん!
そうだったとしたら、
このふたつのアンダーグラウンドバンドは、
少なくともワシよりもっと素晴らしい映画音楽家である。
どちらにしても、
これは「ロック後進国」であったはずの中国のそのレベルの音楽ではない!
日本にだってこんな演劇があったか?!!!
ワシも日本では映画や演劇の音楽もやったが、
やっぱ流行歌(歌謡ロック、J-POPも含む)最全盛の日本において、
その「ロック」と言うのは封印せざるを得なかった。
中国は日本より顕著である。
ロックは果てしなくアンダーグラウンド。
ロック好きな劇団が有名ロックバンドとコラボレイトしているのとは次元が違う。
共産党幹部が、ごみだめの中の精神異常者とコラボレイトしているようなものなのである。
もしそうだとしたら日本のロックは、
少なくともロック後進国であった中国には遙かに後れを取っていることになる。
ワシは焦った。
ニッポン!何をしている。
ワシを呼べ!XYZにこれをやらせろ!!
ワシ以外に日本人で誰がこれをやれる?!・・・
日本人で?・・・
じゃあ欧米人なら?・・・
そうだ、きっとこれは欧米で演じられたことのあるロックとシェイクスピアとのコラボレイトなんだ。
バンドは既に演じられた欧米のロックバンドのプレイをコピーしてるんだ。
だから音楽監督の名前がないんだ。
すなわち音楽は全てコピー!
それなら納得がいく。
もしそうじゃなきゃ大変だ!
中国のロックは日本を追い越し、
ついに欧米までを追い越したと言うことになる。
欧米人は肉食ってるから強いだ!
んだんだ!
ワシらも頑張って肉食ってあんなになるだ!
んだんだ!
ワシは気を取り直して観劇する。
舞台はついにはクライマックスを迎え、
ミュージカルならありうるであろう最後のロック演奏もなく、
最後のセリフひとつで幕を閉じる。
あれ?
派手好きな欧米人ならこんな演出はしないがなぁ・・・
カーテンコール

最後にバンドのメンバーを代表して窒息のギタリストがこう言った。
「役者の皆さん、スタッフのみなさん。中国ロックを支持してくれてありがとう」
ワシはいても立ってもいられなくなって、
終演後すぐさま大偉(ダーウェイ)に電話をした。
「音楽監督は誰なんだ?!」
詰問するワシに彼は不思議そうにこう答えた。
「そんなのいないよ。俺達が1か月のリハーサルで彼らと一緒に考えたのさ」
しばし呆然・・・
ロック後進国だった中国は、
ここに完全に日本どころか欧米を追い越した。
革命の演劇しかやらなかったであろう大御所監督が、
忌み嫌われていたアンダーグラウンドのロックと手を結んだのである。
聞けば今日で公演は最終日だったらしい。
彼らはロングランしたこの演劇の立役者として脚光を浴びることもなく、
またいつもの貧しいロッカーの生活に戻ってゆく。
客の来ないライブハウスと暖房もない院子の生活に戻ってゆく。
そしてワシはまた彼らに同じことを言うだろう。
「お前ら、こんな音楽やってるうちは絶対売れん!」
そして彼らはまた同じことを言うだろう。
「ま、どっちでもいいや。毎日楽しいし・・・」
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2007年12月14日
あの美少女秘書は今?
ベースの韓陽(ハン・ヤン)から
「今日ライブがあるんだけどヒマだったら来ませんか」
とメールが来たので久しぶりに貧民街を出て行ってみた。

ライブと言っても彼名義のライブではなく、
「白雪(バイシュエ)」と言う歌手のバックである。
キーボードはデブの張張(ジャンジャン)、
ギターは元Core Of Soulの宋睿(ソン・ルイ)、
みんな友達である。
結局朝6時まで飲んで盛り上がるハメとなった。
さていくら奴らがワシのことが大好きで、
「ファンキーのおかげで今がある」
と涙ながらに思い出話をしたところで、
もう既にこちらでも「ロック仙人」と呼ばれだしているワシが
まさかそれぐらいで朝までベロンベロンになるまで連中と付き合ったりしない。
ワシらの盛り上がりを一気にピークに持ってゆく懐かしい娘がそこにいたのである。
その名を「麗麗(リーリー)」、その名前の通り、麗しき美少女である。
初めて出会った時、彼女はまだ15歳(中国式数え年で16歳)。
とあるスタジオで小間使いとして働いていた。
家が貧しいため、学校にも行ってない。
今のワシの住んでるとこみたいな貧民街に一家は住んでいて、
夜道が危険だと言うことで毎日スタジオのソファーで寝泊まりしていた。
(その頃の写真)
そしてワシは彼女ともっとお近づきなるために、ウソ!本当は純粋に彼女の将来ために、
ワシの携帯を留守の時に転送して要件をメールしてもらうと言う「電話秘書」の仕事をしてもらった。
このぐらいの年の少女は数年間で驚くほど変わってゆく。
この頃にワシは日本からのおみやげで化粧品を買ってきた記憶がある。
ワシも化粧品のことは一切わからないので、
店員さんに選んでもらうのに使った写真がこれである。
(ちょっと大人になった彼女)

後にはワシが中国語の教材本を出すと言うことになって、
そのナレーションも手伝ってもらったりもした。
別に恩を売ってもっとお近づきなろうとかそんなことを考えたわけではない。
純粋に「彼女のためになれば」と思ってのことである。
(その時に本の中で使用した写真)

こんな美少女を世の中の男がほっとくわけはない。
彼女の心を射止めたのは
よりによってこれがこの日のステージでキーボードを弾いている張張(ジャンジャン)!!!
よりによってこんなデブ・・・いやいや、若い人同士素晴らしいことじゃないですか・・・涙・・・
もともと、ワシが彼女を連れだしてJazzバーに行き、
そこでキーボードを弾いてたのがこのデブである。
いや別に少女を酒場に連れて行ってどうのこうのと言う邪念があったわけではない。
純粋に音楽を愛する彼女に生のライブを見せてやりたかっただけである。
(これホント!)
なのにこのデブは・・・
いやいや、まあ彼の超絶プレイにぶったまげたのはワシだけではなかったと言うわけよ。
・・・涙・・・
と言うわけで月日は流れ、
彼女もデブとは無事別れ、
「ファンキー・・・俺・・・振られちゃったよ・・・」
と言う可愛いデブに「ざまみろ」とも言わず酒を飲ませてやったり、
その後彼女はモデル事務所のスカウトに合ったりもしながら、
(その感動的なエピソードはこちら)
結局はその夢のような話も断りながら、
次に務めた会社がこの白雪(バイシュエ)の事務所だったのである。
果たしてライブ会場の受付に彼女はいた。
目を疑ったが間違いない、彼女である。
まさに数年ぶりに見る彼女である。
びっくりさせてやろうとばかり、入場する関係者に資料を渡している列に並び、
いきなり彼女の前に立った俺を見て彼女は絶句・・・
「ファンキー・・・」
心なしか彼女の眼に涙が浮かんでいたと思ったのはワシの錯覚だろうか・・・
数年ぶりに再開するワシらが一生懸命言葉を選んでいる瞬間に、
「ファンキー、来てくれたのか、嬉しいよぉ!!久し振りぃ!!!」
横からデブの張張(ジャンジャン)が割り込んで来てワシに抱きついた。
おいおい!俺が抱擁したいのはお前じゃなくてぇ・・・
彼女はもう次の関係者の接待をしたり忙しそうである。
暑苦しいデブの抱擁の中、
「よし、今夜は絶対このデブを肴に盛り上がってやる!」
ワシは心にそう決めた。
かくして飲み会は絶好調に盛り上がった。
若い衆と飲むのは久しぶりだったし、
日本からは宋睿(ソン・ルイ)も来てるし、
張張(ジャンジャン)が盛り上がって来ると麗麗(リーリー)の話を出したら急にしおれてしまうし、
面白くて仕方ない。
白雪(バイシュエ)のライブ打ち上げなのに、
こちらのテーブルは誰も彼女なんか相手にせず勝手に大盛り上がりしている。
事務所が案内してくれた3次会のカラオケボックスには結局ワシらしか残ってなかった。
アーティストを送り届けて麗麗(リーリー)が戻って来た。
「ふー・・・私にもちょうだい!!」
昔仲間のワシ達のグラスを奪い取ってビールを飲んだ。
「お酒飲むようになったの?・・・」
目を丸くするワシにちょっと笑って彼女は答えた。
「私・・・もう22歳よ・・・」
まだ22歳かい!!!!
白雪(バイシュエ)付きのマネージャーになってもう3年。
もう事務所でのポジションも大したもんだろう。
「給料上がったかい?」
ニコっと笑ってうなずく彼女。
「仕事はどう?楽しい?」
ちょっと苦笑いして彼女はまたビールを飲んだ。
「あのモデルの話・・・断って後悔してない?」
ちょっと考えてから彼女にいつもの笑顔が戻って来た。
大きくうなずく彼女にビールをついでやった。
ま、社会に出ればいろいろあるさ!
彼女にとってはワシらも非常に懐かしい昔仲間である。
嫌なことは忘れて今日は飲もう!
最後に記念写真。

ピンボケなのは、
映してくれたPAの吉田君が彼女の美しさに見とれていたからである。
(と言うことにしておこう)
Posted by ファンキー末吉 at:15:31 | 固定リンク
2007年5月31日
MIDI音楽学校にてクリニック
先日の清算をしにMIDI音楽学校に行って来た。
と言っても決してギャラの清算ではない。
このイベントは何ぴとたりとも決してギャラは払わない。
出演者全てノーギャラなのである。
しかし二井原と田川くんとその介添人の渡航費まで自腹で出して、
そのホテル代まで自分で出すわけにはイカン!
とばかり苦手な金銭交渉ではあったが、
「ホテル代ぐらいは出してぇな」
とダメもとで言ってみたらふたつ返事でOKしてくれたのでその金を取りに行ったのである。
しかし何だ・・・
渡航費出してホテル代まで出して、
スタッフやローディーまで全部連れて大赤字で世界中から集まってくるバンドを横目で見ながら、
自分だけたとえそれがたったの1500元(2万円ちょい)であろうが金をもらうのも悪い気がするなぁ・・・
と言うわけでつい
「ほな代わりに今度学校に来て無料でクリニックしますわ」

ま、これも世のため人のため、まわりまわって世界平和のためである。
Posted by ファンキー末吉 at:18:41 | 固定リンク
2007年5月23日
・・・平和やなぁ・・・
日本から帰って来たらいきなり電話で呼び出された。
「明日ヒマか?」
だいたいこちらの仕事はこのノリでブッキングされるので、
まあ何のことやらわからないながら出かけて行った。
途中のうちの近所の交差点。
信号が青になったにもかかわらず車が進まないのでふと見てみると、

なんと羊飼いが羊を連れて幹線道路を横断しているのである!!
ちなみに、
普段ひっきりなしにクラクションをならす中国人ドライバーも、
羊相手になす術もなくおとなしく通り過ぎるのを待っていた。
・・・平和やなぁ・・・
呼び出された現場に着いてみれば、
そこで何やら「リズムクリニック」とやらが始まると言うのである。
スタジオで一番売れっ子のベーシスト、張嶺(ZhangLing)と、
崔健(CuiJian)のバンドのドラマーとして活躍している貝貝(BeiBei)がちょっとしたデモ演奏を披露し、
終了後、
「さあ、それではみんなで写真を撮りましょう!!」

ワシも一緒に呼ばれ、
招待されたマスコミがバチバチと写真を撮る。
それで今日のプログラムはおしまいである。
それだけ?・・・
ちなみに今日呼ばれた人、
全てこの国では名だたるドラマーとベースプレイヤーである。
まるでワシらがここで教室やるみたいやん!!!
まあここ中国ではよくある話である。
数年前も
「新しく音楽教室が開校するから来てくれ」
と呼ばれて行ったらでかでかとワシのポスターが貼られていて、
堂々とここの客員講師として宣伝されていた。
もしワシの名前に釣られてここに入校した生徒がいたらそりゃサギやん!!
と思ってその点をつついてみたら、
「それだったら本当に我が校で講義してもらってもかまいませんよ」
と丁寧に言われたが、
そんなヒマはないだろうから丁重にお断りした。
・・・平和やなぁ・・・
次の日はカナダのシンバルメーカー「Sabian」の人から
「ドラムコンテストの決勝戦があるから見に来てくれ」
と言われていたので出かけて行った。

全てのプログラムが終わり、
ワシ同様に呼び出されてやって来た全てのSabian中国地区モニターであるドラマーは、
舞台上に呼ばれ、マスコミ達がそれを写真に収める。
でもワシ・・・モニター言われたって・・・
まだシンバル1枚ももらってないんですけど・・・
我が愛する街・・・北京・・・平和である・・・
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2007年5月10日
さすが中国
もうライブの隠し撮り(堂々と撮っていたが・・・)がUPされてました。
http://www.6rooms.com/watch/562206.html
これは日中お友達ライブでの田川くんのソロ曲。
ぶつぶつ切れるけど、我慢して最後までバッファすれば後はきれいに見れるよ。
それにしてもこの曲だけUPされたんじゃ、
世界の二井原がただの司会者とカメラマンではないか!!!
後ろで手拍子してる姿が特に・・・(涙)・・・
世界平和はまだ遠い!!!
ps.インタビューはちゃんと撮られてた。
http://bn.sina.com.cn/rock/2007-05-04/23277031.html
しかしU-Tubeでは二井原実と言うのは・・・
http://www.youtube.com/watch?v=teT7nJza1mo
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2007年2月20日
廟会は楽し
中国は旧正月である。
日本で言うと初詣みたいなもんであろうか、正月は神社とかで廟会が催される。
出店がたくさん出て楽しいので今年も出かけて来た。

中は人だかりで、午後ともなるとすし詰め状態で動けなくなるが、いろんな屋台が出て楽しい。

紙芝居もあったし、

お面屋さんも出てたし、

鯉のぼりも売っていた。

モンモンのポスターを発見!!

そうかそうか、やっと日の目を見れてよかったねぇ・・・
さて、こうして買い物や買い食いなども楽しいが、毎年入ってみたくて入ったことのないこの出店

見るからに「見世物小屋」である。
暖冬の今年と違って去年は非常に寒かったので入りたくて入りたくてしょうがなかったが断念した。
一番見たい出し物がこれである。

ふた首女・・・
まさに「親の因果が子に報い・・・」の世界である。
こんなのがなければ場末の見世物小屋とは言えない。
入場料は10元。
高いのか安いのか微妙な値段である。
日本で言うと街の空き地に出来たお化け屋敷に1000円払うようなものであろうか・・・
期待に胸を膨らませて中に入ってみると
客はまばら・・・
それでこそ場末の見世物小屋!!
これで客が超満員だったら逆に興醒めである。

入った時には1ステージ目最後の出し物をやっていた。
カンフーSHOW!!
しかし別に身体を鍛えてるような少年ではないのだが、奇妙なカンフーのようなポーズをしながら、最後には皮膚に針を刺して、それにレンガをくくりつけて引っ張り上げると言うショーであった。

そして5分の休憩の後、2ステージ目が始まる。
入れ替えはない。
入れ替えなんかしてたら見る客がいなくなるからである。
飽きるまで何回見てもいいと言うことになっている。

最初の出し物はマジック。
客はぴくりとも反応せず、拍手もない。
これでこそ場末の見世物小屋である。
客席でワシひとり興奮に胸躍らせていた。
そして早くも次の出し物でワシの興奮は最高潮の達したのである。

出たぁー!!!蛇女である。
ポスターの蛇とは全然違うどじょうのような蛇を5分ぐらいかけてゆっくり口に入れてゆく・・・
いや、結局は口に入れると言うより先っぽをちょこっと咥えただけでおしまいである。
チープである!
チープ過ぎる!!!
更に二人組みで見るからに柔らかそうな鉄の棒を曲げるカンフーSHOWや、先ほどの蛇女の行うマジックSHOWなどが続き、そしてまたもや蛇の登場!!!

今度は2匹である。
司会者は「鼻から蛇を入れて口から出す」と言っているが、なんのこっちゃない、鼻に1匹の頭を入れ、口にもう1匹の尻尾を咥えているだけである。
シュール過ぎる!
渋すぎるぜ!!!
そしてクライマックスはついにふた首女の登場である!
司会者がカーテンを開け、大きな箱をステージに運び込み、その箱を開けると、中には果たしてそのふた首女が座っていた!!

もちろん前のおばはんの方に後ろから女の子が首をのせているだけである。
またどうしてひとりがおばはんでひとりが若い女の子なのか理解に苦しむところが非常によい!!
ワシはもう脳みそが沸点に達し、何を考えることも出来なくなり、夢心地の中、司会者からマイクを向けられたそのおばはんが「ニイハオ」と言うのを聞いた。
ああいいものを見た!
今年はいい年になるであろう!!
Posted by ファンキー末吉 at:17:30 | 固定リンク
2007年2月 8日
大変だぁ!!
今日はオーケストラとの競演である。
しかしそんなことが「大変」なわけではない。
入り時間が早いので目覚ましを7時にかけていたら、何故か5時に鳴って起こされてしまった。
しかしそんなことが「大変」なわけではない。
仕方ないから今日着る衣装選びでもするとしよう。
「オーケストラから浮かないように黒い服を着てきてくれ」と言われているので、
まあドラマーなんだから黒いTシャツがタンクトップでも着てゆけばいいようなものなのだが、
昨日届いた招待状を見ると、今日は映画人のイベントで、参加者は赤い絨毯を歩いて舞台に上がるらしい。
アカデミー賞みたいなもんか・・・
まあそんなことが「大変」なわけでもない。
物置から懐かしい衣装を引っ張り出して来た。

絹ではないがそのような光沢があり、ロック的でもあるので髪の毛振り乱してドラムを叩いてても様になる。
問題はこの下に穿くズボンである。
ここ数年、ジャージとか短パンとかぼってりしたズボンとかしか穿いたことがないが、この服にはとてもじゃないがピシッとしたズボン以外は合わないのである。
Gパンはひとつしか持ってないが、ここ数年穿いたことがない。
最後に穿いた時にはやっとの思いでボタンを留めたが、立ってて苦しいのはいいが、座ってドラムを叩ける状況ではなかったので、結局ボタンを外して社会の窓全開でドラムを叩いた記憶がある。
皮パンが光沢もあり理想なのじゃが、亜州鼓魂のレコーディングの時に股が破けてしまい、応急処置で自分が縫ってそのままである。
眠気眼で嫁が、「ほな私の皮パン穿いたら?」とタンスを指差すので引っ張り出して穿いてみた。
だいたいうちは服を共有できる夫婦である。
一般的に女性の方が男性より体脂肪率が高いので、慣れない異国の地での生活を「食生活」で楽しくしている嫁の皮パンなら絶対に穿けると思って足を通してみたら、
そう・・・足を通しただけで終わってしまい、とてもチャックを上げるまでいかない・・・
サァー・・・(血の気が引く音)・・・
俺は嫁に付き合って毎晩うまい物食って、安いもんでビールがんがん飲んでるうちにここまで来てしまったのか!!!
物置を引っ掻き回して、たったひとつしかないピシッとしたズボン、昔のGパンと皮パンを引っ張り出して来る。
足を通してみると、何とか足だけではなく腰も通るようである。
息を思いっきり吐いて腹筋に思いっきり力を入れて、ようやくボタンをとめ、鋲のついた分厚いロックベルトでぎゅうぎゅうに締める。
心なしかベルトの上からお肉が覆いかぶさっているような気がするが、まあ何とか赤い絨毯の上を歩けないことはない。
問題はどうやってドラムを叩くかである。
かくなる上は今から腹筋を繰り返し、もちろん本番までは絶食!
待ち時間は爪先立ちで過ごし、時間が許すなら車なんか使わずにドラム担いで会場まで歩いてゆくしかない!
そうかぁ!そのために神様は俺を2時間早く起こしたに違いない!!
と言いながら、朝からこんなアホなブログ書いてるうちに時間になってしまった。
とりあえず衣装持って会場行ってから考えよう。
Posted by ファンキー末吉 at:07:11 | 固定リンク
2007年2月 5日
泥棒
先日のことである。
草木も眠る丑三つ時。
嫁のけたたましい声で目を覚ます。
「パパ!!起きて!!泥棒よ!!」
院子の外の大門ががちゃがちゃ鳴り、外では犬がけたたましく鳴いている。
だいたいうちに泥棒が入ると言うのは普通では考えにくい。
うちの院子の外の大門が夜になると閉まるので、(と言っても鍵はかかってはいないが)
その門を開け、うちの院子の門を開け、そしてうちの寝室の門を開けて忍び込むのだから大変である。
見知らぬ人が入れば犬は吼えるわ、周りのロッカー達には見つかるわ、通常ならば外部からはなかなか泥棒には入りにくいシチュエイションである。
ところが泥棒は入った。
外の大門ががしゃがしゃいっているところを見ると外部の人間である。
「盗まれたものはないか?!!」
見れば枕元のテーブルに置いてある嫁の携帯がふたつとも(ひとつは日本の、ひとつは中国の)なくなっている。
ワシの中国の携帯は枕元で充電していたので無事だったが、寝室の入り口に無造作に置いてあった日本の携帯は見事に盗まれていた。
夜型の生活を送る重田はまだ起きていて、ちょうどヘッドホンをしていたので物音は聞こえなかったと言う。
スタジオには500万円とも言われる高級機材があり、リハーサルルームにはドラムやギターアンプ、ベースアンプ、そして簡易レコーディングが出来る録音システムもあるが、それらには目もくれず、犯人は外の大門を開け、カギをかけてないワシの院子の門を開け、そしてその日たまたまカギをかけずに寝てたワシらの寝室にわき目も振らず直行し、大胆不敵にも嫁がフゲーっと(かどうかは知らんが)寝ているそのすぐ隣の携帯電話をわしづかみにし、そして帰る時にドアの横に置いてあるワシの携帯を持ち、ジャラジャラとうるさいキーをつけたそのケースをドアの外に捨て、一目散に外に逃げて行ったと見える。
ワシはすぐさま3つの携帯に電話をしたが、電源をじゅんぐりに切られ、最後にはどの電話も鳴らなくなった。
重田はすぐさま外に追いかけて行ったが、その姿を見つけることは出来なかった。
嫁の中国の電話はプリペイド式なので、今チャージされてる分を使い切ったらそれで終わりなのでよいが、日本の電話はこちらでローミングされており、そんなもんでじゃんじゃん電話されたらたまらないのですぐさまSoftBankに国際電話して電話を止めてもらった。
腹が立つのは日本の電話はSIMロックがかかっているため、こちらではROMを焼きなおすとか、大改造をしないと使えないのに盗まれてしまったことである。
盗んだ者にとって実は何も価値がないのに盗まれたと言うのが今となってはくやしくてたまらない。
今はこれにこりて、夜中は必ず院子の門と寝室のドアにはカギをかけて寝ているが、しかし腹の虫はおさまらない。
犯人は必ず現場に戻って来ると言うので、今度はいろいろ仕掛けをして報復してやれと頭をめぐらす。
1、犯人がドアを開けたら上から金タライが落ちてくる!
(ドリフターズ的で楽しいが、その割に犯人に与えるダメージが少ない)
2、ドアを開けたら頭から水をぶっかぶる!
(冬なので効果てき面だが、水は夜中には凍ってしまう可能性もある)
3、水ではなく満載したうんこをひっかぶる!
(精神的に与えるダメージは最高級だが、後の掃除が大変である)
4、日本のATMで使われている特殊塗料入りのボールが炸裂する!
(後の追跡にとっても効果的だが、中国では入手困難である)
5、院子の門が鉄製なので電流を流しておく。
(電気代が高い)
6、門を開けた途端に打ち上げ花火の水平発射!
(発火装置の製作が難しい)
7、長い竹を水平に思いっきりしならせて、一歩中に入ったら顔面にハリセンをかませる!
(ちょうど顔面に当たるように調整するのが難しい)
アイデアとしてはいろいろ出るのじゃが、それを実現するための仕掛けを実際に作るのは実は非常に骨が折れる。
実は仕掛けとして一番簡単なのは手榴弾なのである。
うちの院子の門は写真のような掛け金でカギを止めるようになっているので

その掛け金の一方に手榴弾のピンを結びつけて置くだけで、門を開けばその力でピンが抜け、手榴弾が落下し爆発・・・
一番簡単な仕掛けである。
しかし院子まで全部爆破してしまっては元も子もないので殺傷半径1メートルぐらいの手榴弾がないかどうか専門家に聞いてみたら、(周りにそんな専門家がいるんだからワシの交友関係も大したもんである)
なんと練習用の手榴弾がちょうど殺傷半径1メートルぐらいだと言う話である。
これはいい!と思っていたらそこには大きな穴があった。
よく映画なんかで見る手榴弾は、ピンをかっこよく口かなんかで抜いてそのまま投げて爆発しているように見えるが、実際はピンを抜いてから手榴弾のケツを何かにぶつけてから投げるらしい。
つまり、ピンを抜く、手榴弾のケツを何かにぶつける、と言う2アクションが必要だと言うことである。
と言うわけで手榴弾は却下・・・
そんなこんなでその後も日々いろんなアイデアを考えているのじゃが、何よりも犯人の捕獲を目的とすると、犯人を門のところで撃退するのではなく、中まで引き入れてから仕掛けが作動するような時差装置が必要である。
出来れば仕掛けが作動してから門を閉めてしまい、それからゆっくり犯人をいたぶるのが望ましい。
何かそんな時差装置はないか・・・
そんなある日、高知の子供たちに電話をしてたら向こうからテレビの音が聞こえて来た。
「ピタゴラスイッチ」
そうだ!この教育番組のピタゴラスイッチこそその理想の時差装置ではないか!!!
毎週このコーナーの始まりには、スイッチを入れると鉄球等が転がっていろんな仕掛けをONにしてゆき、最後には「ピタゴラスイッチ」と言うタイトルが出てくるこの装置こそが理想の時差装置である。
犯人が院子のドアを開ける。
その時にこのピタゴラスイッチはONとなり、犯人の気づかないところでレールの上を鉄球がゆっくり転がってゆく。
レールの端まで来ると玉は籠の中に静かに落ち、その籠が重さで下に下がることにより、次のふたつのレールの鉄球のストッパーが外れ、別のレールを転がり始まる。
ひとつは向かいに住む老呉の寝室まで転がって、彼の枕元のブザーのスイッチを押し彼を起こす。
もうひとつは寝室の中の敷布団の下に敷いたマッサージの機械のスイッチを入れ、ワシら夫婦を音もなく振動で起こす。
ワシらが実は目を覚ましていることを知らない泥棒は、わざとカギをしていない寝室のドアをそっと開ける。
寝室のドアは内開きなので、ドアに取り付けたヒモはドアの入り口の上に置いてある洗面器を支えてあるつっかえ棒を引っ張り、つっかえ棒が外れた洗面器は中に入った水を泥棒の頭からぶちまけると共に、その洗面器に取り付けられたヒモが引っ張られ、院子の入り口に仕掛けてあるシャッターの留め金を外し、シャッターが勢いよく音を立てて閉まると共に泥棒が最後に見るのはそのシャッターに書かれた文字。
「アホが見るブタのケツ!」
それを最後に泥棒は視力を失う。
何故ならば洗面器に入っている水は、ただの水ではなく唐辛子入りの激辛水だからである。
焼けるような目の痛さに藁をもつかむ思いでそばにある藁をつかむと、今度は頭上から臼が落ちて来る。
臼には栗が真っ赤に焼かれて待機していてここぞとばかりに泥棒目がけてはじけ飛んでゆく。
「うわっちっち!これはたまらん」
とばかり泥棒は手探りで風呂場まで行くのだが、飛び込んだ浴槽の水の中にはカニがかくれていて、泥棒の大事なところをチョッキンと攻撃する。
「んぎゃー!」
と声にならない悲鳴を上げた泥棒はここでウンコを満載したバケツにけつまづき、頭からウンコをひっかぶり命からがら浴室から脱出する。
その頃になってピタゴラスイッチの時差装置によってやっと発火装置に火がついた打ち上げ花火が一斉に水平発射を始める。
「たまや~かぎや~」
そう、狙いはひたすらタマである。
タマを直撃された泥棒はあまりの痛さに失禁し、その尿が床に滴り落ちた瞬間に床に流された220Vの電流がそのまま尿を伝わってタマタマを襲う。
命からがら院子の出口までたどり着いた泥棒は狂ったようにそのシャッターを蹴破り、院子の鉄製のドアに手をやった瞬間に「ジュッ・・・」っとおいしそうな音がして手が焼け焦げる。
「あちちちち」
とばかり傍らの洗面器に手を突っ込むと、その中に入っているのは水ではなく瞬間接着剤A液である。
ピタゴラスイッチによって既に電気で真っ赤に焼かれた鉄製のドアの熱で、その頃には天井に留めてあったプラスチックの留め金が溶けて頭上からB液が落ちて来て泥棒にひっかかる。
もんどおり打って床に手を着いた泥棒はそのまま床に手が瞬間接着されてしまい、そのまま両手を床につけたまま逃げようと腰を上げるが、その尻目がけて強力なハリセンが飛んでくる。
尻を真っ赤に腫らせて動けない泥棒はそのまま尻を上げたまま許しを請う。
「もう悪いことはしません。どうか許してください」
その頃ゆうゆうと起き出して来たワシら夫婦と老呉は、1枚の契約書を泥棒につきつける。
ずーっと一連を撮影していたビデオの肖像権等を放棄する契約書である。
サインをすることを条件に泥棒を解放してやり、ワシらはそれをネットにUPして大儲けをしよう、そう言う魂胆である。
こんなおもろいビデオ、ネットにUPしたら数千万Hitoは間違いない!
早く来い来い泥棒さん。
ピタゴラスイッチが待っている。
しかしほんまに作れるんやろか・・・
ほいでもって酔っ払って自分がひっかかったらどうしよう・・・
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2007年1月28日
Wyn来たりて風邪を引く
Wyn Davisと言えばロック界では世界的に有名な大御所エンジニアである。
彼のLAのスタジオ、「Total Access Studio」には、Guns and RosesやDokenなどのプラチナディスクがところ狭しと飾られ、レコード棚にはそこでレコーディングしたXYZのCDが申し訳なさそうに末席を飾る。
1999年にXYZのデビューアルバム、「Asian Typhoon」をレコーディングしてからの付き合いなので、もうかれこれ8年がかりの付き合いになるのだが、何の縁なのか、一度も日本に来たことがない彼が今回でもう3回目の北京である。
1度目の北京は当時プロデュースしていた零点のコンサートのライブレコーディングのため。
そして2度目の北京は我がファンキースタジオを作りにやって来てくれた。
つまり過去2回はワシに呼ばれてやって来たのじゃが、今回だけは違う。
「ファンキー、むっちゃ安いチケットがあったんやけどその時期なんかプロジェクトないか?」
とメールが来たのである。
何かと言われても、Wynを呼べるだけのバジェットがあるバンドは中国ではまあ零点ぐらいなもんやし、今ワシが手伝ってるバンドは布衣を含めみんなペーペーのド貧乏である。
あと、BeiBeiと言うギタリストのアルバムも手伝っているので、
「お前ら、10曲言うても絶対無理やろうから、5曲分づつ金だして半分づつやってもらえ!」
ってなもんでWynの相場からしてみたらタダ同然の値段でまた北京までやって来てくれることになった。
200kgを越すと言うWynは例によって飛行機の座席が二人分必要じゃが、今回はお母さんも一緒に連れて来て、二つの座席をお母さんと一緒にシェアしながらやって来ようと言うことになった。
お母さんは痩せているのでふたりで座席二つ分と言うことである。
さて、お母さんは中国どころかアジアは初めての旅行である。
メールでさんざんやりとりをするが、LAで暮らしてる人たちにはどうもこの北京の寒さはピンと来ないようである。
「アメリカで言うたらアラスカ行くようなもんやからね(行ったことないが・・・)!死ぬほど厚着して来なアカンよ!」
とは言うものの、
「まあ寒かったら現地で防寒着買いますわ」
と非常にのんびりしている。
「お母さんのは買えるかもわからんが、Wynのはまずサイズがないよ!」
とさんざん言うのじゃが、
「うちの息子は非常に暖かいBodyを持っているので大丈夫ですわ」
とのんびりしている。
何せ、肌寒い秋の北京に、ワシはもう冬服を着てたと言うのに最後まで半そでで通した人である。
ひょっとしたらマイナス15度の北京にも半そでで来るかも知れんと思ってたら、本当に半そでに薄い上着を着ただけでやって来た。
みなさん!本当にこの薄い上着の下は半そでのTシャツなんです!!!
見てるワシが風邪を引いてしまい、ひとり天安門や万里の長城などを観光していたお母さんが風邪を引いてしまい、最後にはやはりWynも風邪を引いてしまった。
そりゃそうじゃろ・・・
と言うわけで、鼻水をすすりながら10曲トラックダウンをし、また激安チケットの過酷なトランジェットでLAに帰って行った。
ワシはまだ風邪で寝込んでいる。
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2007年1月13日
イスラム文化のリハーサル

新疆ウィグル族の友人、阿布都(写真)がうちにリハーサルに来るようになってもう半年以上になる。
ロックバンドと違って、生ギター2本にパーカッション、エレキはあってもベースぐらいなので、ボーカルもPAで拾わなくてもいいし、ほぼ「アンプラグド」と言ってもいい編成なので、隣でレコーディングしてようが何してようが全然邪魔にならないのがいい。
毎日のリハーサルのかいあって、なんかもうすぐアルバムのレコーディングに入ると言うことで、ワシに数曲ドラムを叩いてくれと頼まれた。
まあそんな嬉しいことはないので二つ返事で引き受けて、今度はワシも一緒にリハーサルと言うことにあいなった。
北京の貧民街にある我がFunkyスタジオは、リハーサルルーム(図面左下のRehearsal Room)にも簡単なレコーディングシステムがあり、特にバンド物などリハーサルが必要なものはここでリハーサルをやりつつ、テンポや構成を決定したらそれをマルチトラックに録音出来る。
今日び、レコーディングはドラムから順番に別々に録ってゆくのじゃが、ドラムを録音する時にはガイドとしてその他の楽器や仮ボーカルが必要なので、このシステムだとリハーサルが終わった瞬間に、もうドラムの本チャン録りの準備は出来上がっていると言うシステムなのである。
便利である。
かくしてリハーサルが始まる。
新疆ウィグル地区の民俗音楽がベースになっているので、さりげなく変拍子などが出てきたりもするので、とりあえず彼らだけで一度演奏してもらってそれを譜面にする。
そしてテンポを決めてそのクリックに合わせてドラムも一緒に録音しながら演奏してみる。
基本的なリズムアレンジなどに問題がなければそれでOK!
次の曲に・・・と思ったらいきなりリハーサルが中断し、お祈りが始まる。
文化が違えば大事にするものも当然違うので、それを尊重して彼らのお祈りが終わるまで待つこととなる。
前回お祈りに遭遇した時には、彼らは中央の院子(図面の真ん中、Terrace)で土砂降りの中一心不乱にお祈りしているのを見かけたが、今ではこのスペースには卓球台が置かれているのでここでは無理である。
っつうか、マイナス15度の北京の冬には屋外でお祈りは無理である。
次に広いスペースはリハーサルルームなので、「ここでやれば」と言うのだが彼らはそれを聞かず外に出て行ってしまう。
聞くところによると、部屋の中に酒を置いてあるような部屋だとか、不浄な飾りつけをしてる部屋とかはお祈りに適さないと言う話である。
結局彼らが見つけたのはレコーディング用のドラムセットを置いてあるレコーディングブース(図面右上のBooth)である。
ここはこのスタジオを一緒に作ったWyn Davisに「Empty room!」と言われ、なるだけ余計なものを置かないようにしているので、きっと彼らの言う「不浄な飾りつけ」などがないのであろう。
まあ飾りつけと言えば、

XYZ結成の時、パール楽器がわざわざアメリカのREMOに発注してくれて作ってくれたバスドラのヘッド(しかしデザイン的に穴を開けるスペースがなかったので結局使わずじまい)がドラムの後ろに掲げられているのじゃが、そう言えばこのもうひとつのヘッドを院子に掲げている時にもお祈りをしていたので、XYZのロゴはありがたくも「不浄なもの」ではないのであろう。
そうすると、リハーサルルームの何が不浄なのかと見渡してみると、いつぞやのドラムクリニックのポスター、

つまり「不浄なもの」、すなわちワシの顔!!・・・
まあよい、彼ら自身がそんな不浄な顔のワシにレコーディングを頼んでいるのである。
どこでお祈りをしようと暖かい目でみてあげようではないか!!
と言うわけで彼らのお祈りも無事に終わり、(あまりに厳粛なので写真撮影をする勇気はなかった・・・)次の曲のリハーサルが開始される。
次の曲は6分を超える民族調組曲で、構成を確認したりリズムアレンジをいろいろやっていたらもう夕方になってしまった。
何とかフルサイズで録音し終わると、「夕方のお祈りの時間なので今日はこの辺で」と言うことでお開きになってしまった。
家まで帰ってゆくとお祈りの時間に間に合わないのか、またドラムブースに引きこもってお祈りが始まる。
しかし・・・これって仕事的には非常に効率よくないのでは?・・・
イスラム社会・・・今だに謎である・・・
Posted by ファンキー末吉 at:20:37 | 固定リンク
2006年12月11日
おでん
映画音楽を「今月中に完パケしてくれ」と言いながら「監督がまだ北京に帰ってないので会ってから着手してくれ」と言うのもヒドい話である。
返事を待ってる間、隣の布衣楽隊のレコーディングをしつつ、BeiBeiと言う若手ギタリストのユニットのレコーディングをする。
ふたりともずーと私のスケジュールを待って待って久しいのでやれるうちにやっとかないと非常に悪いノダ・・・
と言うわけで、このふたつのレコーディングをとっとと仕上げて、映画音楽やらないならそのまま日本に帰ってしまおうと言うことで今ダブルブッキングで頑張っている。
日本に帰るには子供に頼まれたベイブレードとやらを買いに行かねばならない。
日本ではもう発売されてない種類のが北京のイトーヨーカドーにはあると言うのだ。
前回夏休みに北京に来た時にめざとく見つけているんだから子供はあなどれない。
ベイブレードの
●ガイアドラクーン メタルスパイク
●ドライガー メタルスラッシュ
●ドラシエル メタルシールド
と言われてもワシら大人にはさっぱりわからない。
午前のレコーディングと午後のレコーディングの合間にヨーカドーに行ったのはいいが、おもちゃ売り場の中国人の店員に聞こうとも中国語でどう言っていいのかさっぱりわからない。
仕方がないのでベイブレードとやらを全て出してもらい、片っ端から品名を確認してゆく。
これが種類が多いのよ・・・ほんと・・・
そしてやっとみつけたのがこの3つ。

せっかくヨーカドーまで来たのだから買い物でもして行こうと地下の食品売り場に降りてゆく。
ここには日本食も置いてあり、おでんが隣の布衣楽隊の大好物なので(彼らの日本ツアーで一番おいしかった食べ物がローソンのおでんだったらしい)、買っていこうとしたら暖めるだけで食べられるレトルトパック詰めがもう売ってなかった。
あんなの買うのはワシら夫婦ぐらいだったのだろうか・・・
と言うわけでダイコンやらレンコンやらを買って自分で作ることにする。
ガンモドキやらチクワブやらハンペンやら、およそ中国語でどう訳していいやらわからないものは、「店内になければすなわち売ってない」と覚悟してあきらめる。
なんか今日はこんなことばっかりしてる日のようだ・・・
帰って来たら院子が非常に賑やかである。
久しぶりにAbudu率いる新疆ウィグル族のバンドがカシュガルから帰って来て久しぶりに練習しに来てるし、レコーディングルームではBeiBeiの中国Popロックがレコーディングされ、その間にある院子では午前のレコーディングを終えた布衣楽隊が卓球をしている。
ワシと重田はひたすら仕込みをしておでんを作る。

日本酒もあるでよ!
豚肉を使ってないので君らも食べられるんじゃない?
とAbudu達も誘ったが、恒例のお祈りの時間になり部屋から出てこない。
恐らく断食の時期かなんかで食べられないのであろう。
彼らを除いて今日はみんなでぱーっとやりますか!!!
ps.北京在住の方でこのブログをいち早くチェックした人はすぐ来て一緒に食いましょう。
Posted by ファンキー末吉 at:17:17 | 固定リンク
2006年12月 2日
そしてまた忙しくなる・・・
無錫から帰り、日本に行き、結局ずーっと飲んでばっかり・・・
命の洗濯、胃袋の消毒ってなもんである。
ところが帰って来てびっくり!!
日本では持って行った上着をバッグにしまってトレーナーだけで出歩くこともあったと言うのに、こちらは何と気温がマイナス8度!!
「寒い」と言うより「痛い」と言う感じである。
空港から院子に着いたらすぐせねばならないことが焼煤(ShaoMei)。
つまり石炭を焚いて暖房をせねば死んでしまうと言うことである。
貧民街の大部分の家庭では、一酸化炭素中毒でころっと逝くのも顧みず部屋の中で練炭を焚いているが、うちは部屋数が多いので各部屋でそれをやるよりはと言うことで、一括でこのようなボイラーで石炭を燃やす。

この炎でお湯を沸かし、そのお湯が各部屋を循環し、部屋を暖めるのである。
(お湯はこの鉄板の中を廻り、その鉄板の熱で部屋を暖める)

この方式は石炭が燃える部分は部屋の外に設置してあるので一酸化炭素中毒の心配はないが、逆に熱効率から言うと直接部屋の中で練炭を焚くよりもはるかに悪い。
まあ寒くて死にたくもないが、一酸化炭素中毒で死にたくもないので我が家はこのシステムにしている。
石炭は1トン単位で購入し、値段は去年より50元値上がりして550元(8千円ぐらい)。
なくなった頃を見計らってオッサンが配達に来てくれる。

ご存知の通り(そんなことを知っている人はあまりいないかも知れんが)、石炭はそれだけを放り込んで火をつけても火はつかない。
まず新聞紙などの燃えやすい紙を暖炉の一番下に引き詰め、その上に薪を入れてその上に石炭を乗せる。
ここでめんどくさがって石炭をドバーっと入れてしまうと火がつかないので、根気よく石炭を追加してゆくのがコツである。
また、勢いよく火がおこっても、そのままにしておくと水が沸騰して蒸発してしまうので、ほどよい加減で空気の量を調節するのも忘れてはならない。
火がちゃんとおきて、ボイラーが完全に温まるまでに大体2時間強・・・
極寒の中、それら一連の作業をやりながら、震えながらメールチェック、スケジュール調整・・・
北京の美人秘書のブッキングによると、今日はこの後、とある映画のプロデューサーとミーティング・・・
「なぬ?また映画音楽?・・・」
ひとつの映画が大ヒットすると、二匹目のドジョウを狙ってあらゆる映画がそれを模倣する。
それに出演した役者さんもいろんな映画にひっぱりだこになってるぐらいだから、その音楽を担当したワシにもいろんなところからお呼びがかかると言うもんである。
それにしても映画音楽って半年で3本もやるもんなの?・・・
ま、ヒマだと飲んでばかりいてまた太ってしまうからやりましょか・・・
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2006年9月21日
MengMeng(モンモン)の物語

重田から電話があったのがもう数ヶ月前。
「末吉さん、テレビ見ましたぁ?」
「いや、うちテレビないから・・・」
「超級女声、何気に見てたらMengMeng(モンモン)が出てて吐きそうになりましたよ」
超級女声とはいわゆるアサヤンの中国版みたいなオーディション番組で、
数年前からこれが大ブームになり、ここで優勝すれば、
いや、参加していいとこまで行くだけで、もう国内では大スターとなる。
「MengMeng(モンモン)」とは、ワシが昔プロデュース「させられてた」女の子。
「吐きそうになる」と言うのは、
この母親であるモンモン・ママが、北京の2大有名ママのひとりで、
これと関わりあったらタダ同然の仕事を延々とさせられたりして、
ワシの周りの人間は既に「MengMeng(モンモン)」と言う名を聞いたり、
見たり、電話がかかって来たりするだけで吐きそうになるのである。
北京にはこう言う親子はけっこういるらしく、
だいたいにして父親はおらず、歌好きの子供のマネージャーを母親が務め、
まあいわゆるリエママのようにステージマネージャーまで務め、
往々にして娘は男と付き合ったこともなく、
24時間、完全無菌培養で「成功」することだけに「人生の全て」をかける。
書いてるだけで吐きそうである・・・
「MengMeng(モンモン)」も例外なく男と付き合ったこともなく、
変な話、一緒に遊びに行く友達もいない(と見受けられる)。
ワシら仲間の鍋会に来た時も、
まあその時は珍しく(ほんとに珍しく)モンモン・ママが一緒に来なかったので、
「こりゃMengMeng(モンモン)が羽目を外すのを見ることが出来るかも・・・」
と思ってたら、8時を過ぎた頃から矢のように電話が入り、
結局MengMeng(モンモン)は鍋食ってそのまま自宅に帰ってゆく。
後で聞いたらそれでもかなり門限破りの時間だったらしく、
結局MengMeng(モンモン)はこっぴどく怒られてしまったらしい。
全てにおいてこんな感じだから彼氏なんて出来るわけもなく、
また本人も別に恋愛なんぞに興味もなく、ある時なんぞ
「私バラード歌えないんだよね、何が悲しいのかさっぱりわかんないし」
などとほざいてたので
「これはいかん!」とばかり、モンモン・ママに意見したことがある。
「プロデューサーとして失礼を承知で言わせてもらうけど、
MengMeng(モンモン)がこれほどの才能を持ちながら伸び悩んでいるのは、
ひとつにはあなたが完全無菌状態で育て過ぎているところにあると思う。
例えば彼女の好きなR&Bのルーツはブルースである。
汚れ、傷つき、ボロボロになって搾り出すような心の悲鳴、
それが美しい魂の叫びとなって歌となる。
このままで行くと彼女は一生そんな歌は歌えないよ」
まあいささか失礼ではあるのだが、
「まあたまには遊びに行ったり恋したり、失恋したり、
傷ついて初めて成長するっつうのもあるんじゃないの?」
と言うことである。
そしたらモンモン・ママはぴしゃりと一言。
「女の子は傷つかずに一生を終えるのが一番幸せなんです!!!」
年の頃は50過ぎ(かな?)
二井原の嗜好で言うとストライクゾーンど真ん中
であるこのちょっと中年太りのこのおばさんの顔を見ながら、
人から聞いた、とある悲惨な物語を思い出した。
その歌手も、同じくこのように無菌培養で母親に育てられ、
20も後半になって初恋を経験し、もちろんのこと母親に大反対され、
まあそれもそうである。
母親としたら娘を取られたら本当にひとりぼっちになってしまうのである。
結果その娘は思い悩んだあげく自殺してしまった・・・
・・・まあ人の家庭である。もうこれ以上とやかく言うのはやめよう。
その代わりこの思いを歌にしてプレゼントしてやろう。
そして出来上がったのが「紅舞鞋」と言う曲。
その靴を履いたら死ぬまで踊り続けてしまうと言う伝説の靴の話である。
DEMOを作り、詞のコンセプトを説明する。
「あんた達はもうこの靴を履いてしまってるんだよ。
もう脱ぐことは出来ない。死ぬまで歌い続けるんだね。
それでいいんだよね」
そしてその曲は
中国文化部主催オリジナル曲新人歌手コンテストで全国グランプリを受賞した。
そんな彼女を見初めたとある企業が彼女をイメージガールに起用し、
その企業のイメージソングを作って彼女に歌わせようと言うことで
去年(もっと前か?)ワシにその製作依頼が来た。
当時「紅舞鞋」はまだコンテスト参加のための録音状態で、
伴奏のみのラフミックスしかなく、歌入れもTDもしていない。
彼女達は彼女が歌を歌って稼ぐ収入だけで暮らしているので、
歌入れしようにもTDしようにも金がないのである。
北京に出て来たこんな親子を食い物にする悪い奴らもいるらしく、
デビューを餌に騙されたことも一度や二度ではないらしく、
ワシとしても結果的に彼女達から金をむしりとるみたいなのはいやなので、
「ないならないなりのモノでいいじゃない!」
と言うことで、その予算で出来る限りのこと(つまり伴奏のみのラフミックス)
で終わらせておいたのである。
モンモン・ママはワシにこう言った。
「ファンキー、だからあんたはこのイメージソングの製作費で、
何としてもあの紅舞鞋を完成させて!」
つまり1曲分の製作費で2曲録れと言うことである。
吐きそうになってきた・・・
じゃあスタジオ代どうすんの?
エンジニア代どうすんの?
ミュージシャンfeeどうすんの?
みんな1曲いくらよ?2曲ぶんないじゃない・・・
「ファンキー、大事なのは紅舞鞋よ。
こっちの曲は思いっきり手ぇ抜いていいから。
そっちの金ぜんぶ紅舞鞋につぎ込んで!」
かくしてそのイメージソングはワシの新しいシステムの実験台となり、
(関連ネタ:http://www.funkycorp.jp/funky/ML/102.html)
そんな思いっきり手を抜いたその楽曲は、
そのまま中国のエコロジー楽曲コンテストに出品され、
「エコロジー楽曲大賞」を受賞した。
呼ばれて会場にも行ったが、
あまりにお恥ずかしいので呼ばれても壇上には上がらんかった・・・
あとで主催者が激怒していたと言う話である。
「何であんな手抜きの曲がグランプリなんか取るんじゃろ・・・」
と人に漏らしたことがあるが、彼はその時こう答えた。
「手ぇ抜いたからグランプリ取れたのよ。
一生懸命作ってたらきっと落選してた。
それが中国よ!」
なんかわかったようなわからんような・・・
ワシは昔、李慧珍の「猜愛」でも十大金曲賞を受賞しているので、
(関連ネタ:http://www.funkycorp.jp/funky/fixed/sakkyokusyou.html)
実は都合3つも賞を取ってる作曲家である。
何の役にも立たん!!
この国で儲かるのは歌手のみ!
裏方は何も儲からんのである。
さてMengMeng(モンモン)であるが、
じゃあそれから順風満帆かと言うとそうでもなく、
レコード会社から手が上がることもなく、
いや、現実には上がっているがモンモン・ママがその話を潰してると言う噂もある。
実際ワシの知り合いのレコード会社はワシを通してコンタクトを取っているが、
モンモン・ママは
「あんな小さいレコード会社じゃ話にならん!」
と話を断っている。
現実そのレコード会社は半年で潰れたのでよかったと言えばよかったのであるが・・・
さて1年ほど連絡もなく、平和に暮らしていたワシにいきなり電話がかかって来た。
「ファンキー、久しぶり!!私よ、モンモン・ママ!!」
吐いたらいかん!吐いたらいかん!!
唾液を一生懸命飲み込みながら話す。
「超級女声で勝ち残ってるらしいじゃない?よかったよかった。おめでと!」
「それなのよ。私達は瀋陽地区から参加したんだけど、
そのおかげで北京でのプロモーションがあんまし出来てないのよね。
ちょっと協力してくれない?
何社かインタビューに行くから思いっきり褒めちぎってちょうだいね。
あと、誰かロック界でMengMeng(モンモン)褒めちぎってくれる人紹介して」
「ロック界?なんで?・・・」
「あら、うちの娘ロック歌手じゃないの!ロック界からも賛辞を頂きたいわ」
吐き気通り越して頭が痛くなって来た・・・
かくして次の週にはいよいよ飛び道具「紅舞鞋」を歌うと言うので、
ワシは初めて「超級女声」と言う番組を見に行った。
見に行ったと言うのは、うちにはテレビがないので、
その時間に合わせてテレビがある村のレストランにテレビを見に行くのである。
情けないと言えば情けないが、なんか普通の村人になったみたいで心地よい。
金曜日夜8時、生放送である。
出稼ぎ労働者で満席のそのレストランのテレビにかぶりつく。
始まっていきなり勝ち残っている6人で踊りを踊る。
最終的な6人に残っていると言うのは相当なもんである。
一緒にテレビを見ている老呉(LaoWu)の話によると、
彼の知り合いの歌手は地区大会の第3位で落選したが、
それでも全国的には超有名で、それ以降すでにバンバン稼いでいると言うから、
地区大会第1位で、現在最終的な6人と言うのは物凄い成績である。
6人が2人づつのペアに分かれ、その2人が戦い、勝ち組と負け組みに分けられる。
つまり第一試合は勝ち抜き線なのである。
司会者はそれぞれにインタビューし、歌う曲の名前を聞いてゆく。
MengMeng(モンモン)は、いきなり「紅舞鞋」である。
なんでいきなり最終カードを切るの?!!
ワシはもう気が気ではない。
老呉(LaoWu)の話によると、今日はこの6人の中から5人を選ぶと言うことは、
この第一試合に勝ち残っておくことが一番近道なので
ここでまずこの最終兵器を先に出したのであろう。
久しぶりにこの曲を聞くが、何かアレンジがちと違うような気がする。
見ればワシのアレンジではなく、生バンドが勝手にアレンジを変えている。
お前ら!コードまでかってに変えんなよ!!
音もちょっと外してたみたいだったし大丈夫だろうか・・・
ドキドキしながら審査発表を待つ。
結果は・・・・落選!!!
最終カードを使いながら落ちてしまった!!
まるでウルトラマンが最初にスペシウム光線を使って怪獣は倒れなかった!!
みたいな衝撃である。
楽曲と言うのは不思議なもので、
言うなれば自分が生み出した子供のようなものである。
どんな駄作でも可愛いし、
でも時々、親のひいき目なしにとんでもないいい子が生まれる時もある。
何か自分が書いたのではなく、別の大きな力が書かせたような、
そんな楽曲がワシにも何曲かある。
ランナーやリゾラバのような商業的に大成功した楽曲だけでなく、
人知れず名曲と言われる曲もあれば、
誰にも歌われずにお蔵入りしてしまっている曲もある。
ワシのような自分で歌う人間でない限り、
生み出された子はすぐによそにもらわれていってしまい、
生みの親より育ての親、つまりそこでどのように歌ってもらうかで運命が決まる。
「紅舞鞋」はひいき目なしに名曲であるとワシは思うが、
MengMeng(モンモン)にその運命を預けた以上、
MengMeng(モンモン)ダメならもうそこまでの運命である。
老呉(LaoWu)曰く、
「詞ぃ誰が書いたんだ?コンセプトはいいんだけど言葉選びがあんましよくねぇなぁ・・・」
しかしそれも仕方が無い。
もらわれて行ったところで詞を与えられ、それを歌われて初めて楽曲なのである。
負け組みに落とされた彼女は、またその中で敗者復活戦に臨む。
その間、他の2組の戦いが終わるのを待たねばならない。
ビールを飲みながらひたすら待つ。
そして敗者復活戦!!
と思いきや、次は歌ではなく、人気投票による戦いである。
全国から携帯電話による投票、それには1票につき1元のお金がかかる。
ひとりで100票投票してもよい。100元かかるだけの話である。
人気の歌手だとひとり1000万票集めることもあると言うから、
このビジネスだけでも相当なビジネスである。
1000万元と言うと、日本円にすると1億5千万円なのである。
少なくともこの投票の段階だけで3億円以上は動いている。
恐ろしい番組じゃ・・・
さて、この投票で敗者復活かと思えばそうではなく、
これは勝ち残った3人の中からひとりを「落とす」のである。
日本の試合方式は「受かる」人をだんだん作ってゆくが、
中国ではどうも「どんどん落としてゆく」方式であるらしい。
かくしてこの投票により、
3人の勝ち組と3人の負け組だったのが2人の勝ち組と4人の負け組みに分けられ、
その負け組4人がまた2人組で勝ち抜き線を行うのである。
番組の進行がカメよりも遅いだけでなく、CMもいたる所に入るので、
番組開始から既に1時間以上経過し、
レストランではもう既に門を閉め、従業員のメシの用意が始まっている。
「知り合いが歌い終わったらすぐ帰るからね」
そう言ってビールを更に追加する。
すぐに敗者復活戦が始まるのかと思ったら、更にゲストのコーナーがあり、
3人のゲストがそれぞれ持ち歌を1曲づつフルコーラス歌う。
やっと始まるかと思ったら、その3人のゲストが一緒に更に1曲歌う。
もうやめてくれー!!早く歌ってくれー!!
さすがに番組もすぐには歌わせない。
それぞれの参加歌手のイメージビデオ、ファンへのインタビュー、
そしてまたCM。
最高視聴率を誇るこの番組のCMは最高値段がついていると言う・・・
やっと敗者復活戦が始まった頃には既に番組開始から2時間以上たっていた。
MengMeng(モンオン)が歌う。
今度はミディアムテンポのダンスナンバーである。
「受かると思う?」
一緒にテレビを見ている老呉(LaoWu)に聞いてみる。
「ちょっとアブナイところだなぁ・・・
聞いてみろよ。他の歌手と違って声援が断然少ない。
親衛隊がいないんだな。
それも結構不利じゃないかなぁ・・・」
確かにほかの歌手の応援団は若い健康的な男女が多いが、
MengMeng(モンモン)の応援団はどうもオタクが多いと見受けられる。
メガネをかけたデブのオタクがびっしょり汗をかいて応援している。
吐きそうである。
「この娘、ちょっとココ・リーに似すぎてるなぁ・・・」
老呉(LaoWu)がそうつぶやく。
ココ・リーとは台湾で活躍するアメリカン・チャイニーズの歌手である。
そう、彼女はココ・リーに似ているから
「小ココ・リー」としていろんなイベントでココ・リーの歌を歌って生きてきた。
それで母子ふたりが食ってこれた。
ココ・リーに似てるからここまでこれた。
そしてココ・リーに似てるからここまでしかこれなかった。
今歌っているこの曲もきっとココ・リーの曲なのだろう。
彼女が一番得意で、そして一番歌ってはいけないナンバー。
しかしバラードが歌えないんだから仕方が無い。
最終カードの紅舞鞋はもう歌ってしまっている。
彼女にはもう切るべきカードが残ってないのである。
・・・審査発表・・・
これで勝ち残れば勝ち組である。
後は残った負け組ふたりが戦って負けた方が落選。
「負けるだろうなぁ・・・」
残ったビールを飲み干し、更にビールを追加しようとしてたらいきなり、
「勝者は・・・MengMeng(モンモン)!!」
やったぁー!!!残ったぁ!!!
と言うわけでビール腹をさすりながら家路に着いた。
めでたしめでたし・・・

数日してまたモンモン・ママから電話があった。
「見てましたよ、テレビ。よかったじゃない。次で決勝戦でしょ」
もうここまで来たら優勝できなくても既に超有名人である。
「違うのよ。また今週戦って初めて決勝戦なのよ。
あの番組はとにかく戦わせるから・・・
(間髪入れず)
ところで!今週の金曜日空いてる?
MengMeng(モンモン)の後ろでドラム叩いて欲しいのよ。
アジアドラムキングがバックで叩いてくれたら絶対票も集まると思うのよ」
かんべんしてくれーーーーー
丁重にお断りして電話を切った。
来週も村のレストランで影ながら応援させて頂きますぅ。
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2006年9月18日
布衣楽隊日本へ行く!!
この前の週末もライブを頼まれた。
布衣楽隊のドラマーは全くもって週末は家庭サービスの忙しいのであろう。
話のついでにボーカルの老呉(ラオ・ウー)に聞いてみた。
「この前のライブハウスのはしごん時のギャラ、50元まだもらってないんだけど・・・」
老呉(ラオ・ウー)は非常に信頼できる男で、お金を踏み倒したり、人を騙したり、そんなことはもちろんのこと、渡すべきお金を忘れていたなんてことはありえないことなので、あれからあの50元をワシにくれないばかりかその話すら出ないことはワシの心の中にいつまでも引っかかっていた小さな不思議であった。
「お?!ああ・・・あれか・・・全部で50元だよ」
相変わらず無愛想にそう言う。
ワシとしても別にその50元が惜しいわけではない。
しかし今回に限ってワシにそれをくれないのは何かおかしい・・・
いぶかしがるワシに彼はまたこうたたみかける。
「ファンキー!あの日は2つのライブ合わせて全部で50元だったんだよ」
いつもは50元だろうが100元だろうが、「今日は全部で500元だからメンバーとミキサーとで5割してひとり100元ね」とちゃんと払うヤツが今回に限ってふたつのライブ合わせて全部で・・・・」
なぬ?!!ひょっとしてふたつのライブの全員のギャラ合わせて50元?!!」
50元と言うとライブハウスの生ビール2杯分である。
つまりひとつのライブハウスのギャラが生ビール1杯分!
それをメンバー4人とミキサーの5人で割るんだからひとりビール5分の1である。
(何もビールを割らんでもええが・・・)
結局手弁当で来てくれた吉田くんにその50元はそのままあげて、メンバーは平等にノーギャラと言うわけである。
しかし大の大人が5人まる半日稼動して全員で50元とは情けなさ過ぎる!
ノーギャラのボランティーの方がよっぽど潔い。
お前ら身分が低いにもほどがある!!!
と言うわけで(と言うわけでもないが)、ちょうど日本のイベントで中国のバンドを紹介してくれと言われてたので彼らを紹介した。
「大阪産業大学経済学部設立20周年記念国際シンポジウム」
なんとこれは「ロック・ミュージックを通して考えるアジア共同体の可能性」と言うタイトルが銘打たれていて、アジアがいわゆるEUのような共同体を経済ではなくロックによって作り上げることが可能かどうかを考えるシンポジウムなのである。
「ヨーロッパは経済によってその国境をなくし、EU共同体を作り上げたが、アジアはそれをロックでやるのじゃ!出来ると思うか?!」
と言う、ちょっと聞いたらおよそ真面目なイベントとは思えんイベントを大真面目に、真剣に主催するのは「大阪産業大学経済学部」。
もちろんワシもパネラーとして呼ばれて参加する。
日 時 2006年10月20日 12:50~18:00
場 所 大阪産業大学本館1階 多目的ホール
出演:ghod(日本)、Ah=SIN(韓国)、布衣楽隊(中国)
入場は無料である。
これに合わせて和佐田が2本のライブをブッキングしてくれた。
10/22(日)大阪・西九条「ブランニュー」ファンキー末吉プレゼンツ 日中お友達演奏会
出演:FunQ和佐吉(Funky末吉Ds BBQ和佐田B 三好ひろあきG 寺内茂Tp 古谷光広Sax) アックスバイツ 布衣 他
OPEN 17:00 START 17:30 前¥2000 当¥2500 Lコード:5570 Pコード:240-588
(問)会場 06-6466-0099
10/23(月)京都「都雅都雅」ファンキー末吉プレゼンツ 日中お友達演奏会
出演:FunQ和佐吉(Funky末吉Ds BBQ和佐田B 三好ひろあきG 寺内茂Tp 古谷光広Sax 中村建治Key) 布衣 Sirensphere
OPEN 18:30 START 19:00 前¥2000 当¥2500 (問)会場 075-361-6900
お暇な方は是非見に来て下さいな。
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2006年9月10日
Jazzフェス、Rockフェス、そしてワシは貧乏・・・
音楽仲間のLongLongから電話があった。
「ファンキー、今度のJazzフェスに香港の○×△を呼ぼうと思ってるんだ。
知り合いだってな。一緒にプレイしたことあると言ってたぞ。
それでそのベースを俺、ドラムをお前で出演させてやりたいんだけどいいか?やるか?」
日本では香港人の名前は「ブルース・リー」とか英語名で呼ぶが、ここ中国では「李小龍(リー・シャオロン)」と中国語読みで呼ぶので、いきなりその中国語名を聞いてその人を特定するのは我々日本人にとっては非常に難しい。
例えて言えば、いきなり「チョン・ロン」と言われて、「チョン・ロン・・・チョン・ロン・・・ああ成龍ね、すなわちジャッキー・チェン!」と言うように頭の中で何段階も連想をしてから本人を特定する。
ワシはJazzフェスに出演する自分の知り合いの香港人だからと言うのでてっきり「ユージン・パオ」かと思ってふたつ返事で出演を引き受けたら、蓋を開けてみたら実はブルースギタリスト「Tommyチュン」だった。
ま、いい。どうせ叩くのはドラムじゃ!同じようなもんじゃろ・・・
Tommyチュンは元弁護士。
高額収入の全てをブルースに投入し、自費で竹田和夫にプロデュースを依頼して山中湖スタジオで自分のアルバムを録音している。
その後、本職である弁護士すらやめてしまい、自ら香港にブルースバーをオープンしてそこで思う存分ブルースを演奏していたが、噂に聞くと今ではそれも潰れてしまったと言うからワシみたいな人間はきっと世界中にごまんといるのであろう。
ま、いい。友達なんだから「予算がないんだ、それでもいいか?」に駄々をこねるほどワシも人間が出来ていない。
ブルースなんだからリハーサルなんていらないようなもんだけど、LongLongは何故か自分のスタジオで2日間もリハをすると言う。
俺はあの、香港でウンコもらした日に彼の店で延々ジャムセッションをやっているが、ベースの和佐田含めもちろんリハなんてやっていない。
まあしかしリハをやりたいと言うならやぶさかではない。LongLongのスタジオに出かけてゆく。
しかし、機材は全部あると言いながらスネアとシンバルがなかったのでうちに取りに帰る。
それだけでワシは5元の高速代の往復と、ガソリンを撒き散らしながら走っているようなおんぼろジープのガス代だけでえらい出費である。
ま、いい。友達なんだから金の話はいいじゃろう。
2日間のリハを終えていざ本番!

しかし北京のJazzミュージシャンによる手作りフェスティバルの初日。
バンドの機材を運ぶ車が足りないと言うのでワシのおんぼろジープまで稼動して、入り時間は昼間の12時、サウンドチェックは4時頃から30分ほど、出番は夜の9時過ぎと言う怒涛の待ち時間を経て、挙句の果てには本番中にPAが落ちてドラムと生音だけで1曲演奏したり、話の落ちには機材の運び出しのため結局イベント終了の夜中の12時までひたすら待ってたり、
まあ懐かしい言葉で言うと「ふんだりけったり」である。
(余談であるが爆風スランプのアマチュア時代からのCD未発表曲、「ふんだりけったり」は、今から思えばかなり名曲であると思うのだがどうだろう・・・この曲を知ってるマニアの方、意見を請う!)
さてTommyチュンであるが、せっかく北京まで来てくれたんだからと言うことで、LongLongは更に2本ライブをブッキングしている。
1本は北京のJazzマスター劉元(リュー・ユエン)の新しいJazzバー、2本目は北京のライブハウス、愚公移山にて大ブルースセッション大会で締めくくると言うもの。
ワシ・・・はっきり言って非常に疲れた・・・
特にこの最後のステージは死ぬほど疲れた・・・
Jamセッションは日本ではドラマーが一番多かったりするが、この日はなんとワシだけ。
フルステージを叩いた後、欧米人のわけのわからんミュージシャン達と延々Jamセッションを繰り広ける。
ワシ・・・この数日間、同じような曲しか叩いてないんやけど・・・
ま、XYZの曲をどの曲も同じだと言う人の気持ちもよくわかるし、中国ロックは全部同じに聞こえると言う人の気持ちもよくわかるが、偏見を承知で言わせてもらおう!
ブルースは全部同じ曲である!!!
へとへとでステージを降りたワシにLongLongは言った。
「ファンキー、今日のギャラ1000元もらえたからみんなで分けよう」
Jazzの精神は「平等」だとワシは思っている。
毎月のJazz-yaライブでも、ワシの名前で客を呼んでもワシは必ず若手の無名ミュージシャンとギャラを均等に分ける。
「300元づつ3人で分けて、残りはTommyにやってよ」
この精神がなければJazzやRock、ひいてはブルースなんてもんはやれたもんじゃない。
数倍の値段で歌手のバック等をやる北京最高ギャランティーのドラマーも、ここでは全て「平等」なのである。
「ところで昨日と、あのJazzフェスのギャラってのはいくらなの?」
にこやかな笑顔でそう聞くワシにLongLongは一言。
「ああ、あれはノーギャラ・・・」
なんで?・・・
まあJazzフェスはワシの友達でもあるJazzミュージシャンが持ち出しでやってるもんだし、まあ見るからに収支は赤字やろうし、
あのJazzクラブもいわゆるJamセッションDayに無理やり入れ込ませてもらったようなステージやったし・・・
何より当の本人のLongLongが、自分のスタジオまで提供し、同じくノーギャラでやってんだからワシが何を言える筋合いではない。
「没問題!(ノープロブレム)、じゃあ来年は自分のバンドでJazzフェス出してね」
これでいい!
金のために音楽をやれば音楽が死ぬからこれで十分である。
ここ数日、これでまたブルースへの造詣もまた少し深くなり、ドラムもまた少しうまくなったじゃろう。
音楽家にとってこれは何よりもの財産である。
れから数日。
我がロック村の村長とも言うべき、布衣楽隊のボーカル、老呉(ラオ・ウー)から電話があった。
「ファンキー、週末空いてるか?ドラマーがどうしても参加出来ないんでお前ライブでドラム叩いてくれ」
中国のアンダーグランドバンドの生活は悲惨である。
いわゆる音楽界の空洞化と言うか、メジャーとアンダーグランドの間には大きな距離があり、アンダーグランドはまずよっぽどじゃないとメジャーに上がれない。
日本のアマチュアバンドはバイトをしながらバンドをやるが、北京ではそれをすると「ロック」が死ぬので、彼らのように貧民街に住みながら清く正しく美しくロックをやり続ける。
彼ら布衣楽隊も、まあアンダーグランドでは10年の歴史があり、知名度もそこそこあるので小さなライブは多いがまだメジャーデビューはしていない。
ドラマーはフランス人と結婚し、専業主夫みたいなもんだから、子育て等どうしても家を空けられない時はワシでよければ替わりにドラム叩いてあげるし、ベースは最近アメリカ人と結婚したし、ギターは弟がYanと言うクラブイベントで大成功しているのでそこそこやっていけるのであろうが、問題はこの我がロック村の村長、老呉(ラオ・ウー)である。
「ドラマーはいいよ、ベースもいいし、ギターもまあいいだろ。お前どうすんの?」
と酒を飲んでる時に聞いたことがる。
「俺か?俺ゃいいんだよ。両親がいるし、助けてもらってるよ」
30過ぎてまだ親から仕送りもらっててそれでええんかい!!
「ま、親もそのうち見限るだろうな・・・友達もそのうち見限って誰も俺を相手しなくなっても・・・でも俺はロックを歌い続けるよ」
だからワシは村長が大好きである!
村長に頼まれたらドラムも叩くよ!
かくしてその日はライブハウスのはしご。
9時半から北京の老舗のライブハウス新豪運のロックイベント。
でも客があんましおらず、10時過ぎまで待ったがやっぱりいないので、次もあるのでオープニングを飾ってそのまま機材車に飛び乗る。
そのまま同じく市内のライブハウス、無名高地に飛び込んで、既に始まっている対バンの演奏が終わるのを待って、機材をセッティングして演奏する。
終わって機材を片付けて車に積み込み、帰り道に老呉(ラオ・ウー)が一言。
「ファンキー、悪ぃーなぁ・・・今日のギャラ・・・ライブ2本合わせて50元しかないんだ・・・」
50元と言えば、そのライブハウスでビールを2杯飲めばそれで赤字である。
ま、いい。ワシはロックをやっているのじゃ、とやかく言うヤツは最初からやらねばよい!
・・・と思って笑顔で快諾したらまた次の週末も頼まれた。
どうもドラマーは週末は家庭サービスに忙しいらしい・・・
北京流行音楽節(Beijing Pop Festival)

タイトルこそ流行音楽であるが、今年はスキッド・ローのセバスチャン・バックが参加したり、その実北京を代表するロックフェスティバルのひとつと言ってもよかろう。
このイベントに我が貧民街の代表、布衣楽隊が出演するのか?セバスチャン・バックの前座をやるのか?
期待に胸膨らませながら今日を迎える。
朝8時入りである。
6時半には起きて、老呉(ラオ・ウー)と一緒にバンドの機材を積み込む。
布衣楽隊はまったくもってボーカルの老呉(ラオ・ウー)のバンドで、機材の積み込みから機材車の運転まで全てボーカルがやる。
他のメンバーはみんな既に貧民街を脱出してしまっているので、結果的には老呉(ラオ・ウー)とワシふたりで機材を運搬することとなる。
会場に着くとなんかようわからん欧米のスタッフがサウンドチェックをやっていた。
どうもセバスチャン・バックのスタッフではなさそうだが、きっと自腹で山ほどの機材を空輸してイベントに参加してるんだからご苦労なことである。
世界中のいろんなアーティストが
「中国は今はお金がないですけど、市場は世界一大きいですから今持ち出しで中国にやって来ても必ず将来は得しますよ」
と言われて、のこのこ札びら切ってここにやって来るが、そんな奴らにはいつもこの中国のロックバンドの現状を見せてやりたくなる。
まあいい・・・好きで金払ってここ来てるのである。頑張って下さい。
いつまでたってもワシらのサウンドチェックが始まらないので貧民街に帰った。
12時からイベントスタートと言うので11時半に会場に行けば大丈夫であろう。
しかし11時半現在、まだ別の欧米人のバンドがサウンドチェックをしていた。
きっとアメリカ、もしくはイギリス方式でタイムスケジュールを全く無視して自分達のサウンドチェックだけはちゃんとやらんと出演せんぞ!みたいなノリなのであろう。
小泉首相の靖国参拝により中止になったが、日本から参加が決定していたバンドも来てみればこのようにやるしか自分達の要求は達成しない。
しわよせが来るのが力の弱い者達である。
1番目のバンドは非与門と言う広東省のバンド。
彼らがサウンドチェックの時には既に客入れは始まっていて、サウンドチェックの途中からいつの間にやら本番となり、時間が押しているので「今日は5曲やります」とMCで言いながらも3曲でカット。
続く我が布衣楽隊も4曲の予定を「2曲に減らせ」と言われるが、「曲間をドラムソロでつないで3曲やっちゃえ!」と結局3曲やってしまう。
アンダーグラウンドバンドなので全体のサウンドチェックも兼ねてるのか、1曲目が終わるとステージ進行中であろうがモニタースタッフからトークバックで
「ちょっとベース弾いて!ライン来てないよ!もう一度弾いて!」
とひっきりなしで言われる。
結局本番なのかリハーサルなのかわからないままステージは終了。
セバスチャン・バックは翌日の出演と言うことで結局は会えずじまいだった。
「ほな、せっかく街まで出てきたんだから遊んで帰るわ。あと器材よろしくね!」
老呉(ラオ・ウー)に挨拶して帰る。
ギャラのことを言わなかったのできっと今日もノーギャラだろう。
この数週間、もらったお金は350元。
飲んだビールが五万本(サバ言うなぁ!このヤロー!)
金のない奴ぁ俺んとこへこい!
俺もないけど心配すんな!!!
でもちょっとは心配して欲しい・・・
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2006年7月17日
ドラムクリニック
ちょっとしたリハーサルならうちの院子で出来るのだが、大きなコンサートのゲネプロ等だとそうはいかない。
ひと昔前の北京だとリハーサルスタジオなんぞ皆無に等しかったが、最近はいくつかプロユースのスタジオが出来て非常に便利になった。
そんな中のひとつ、FiERCEは、社長が元ドラマーだと言うことでドラム機材が充実しているので結構好きである。
ある日、リハーサルの合間にドラムお宅の社長とダベっているうちにこんなアイデアが飛び出した。
「ファンキーさん、ヒマな時あったらここでドラムクリニックやって下さいよ」
もちろんふたつ返事で引き受けた。
条件など別に無い。
北京のドラマー、ひいては北京ロックのために何かが出来ればそれでよい。
若いドラマーのMuWeiがポスターを作ってくれた。

見ると、なんと入場料はタダ!!!
つまりワシへのギャラもタダだと言うことである。
ま、いいのよ・・・中国の音楽シーンのために何か出来ればそれで・・・(涙)・・・
さてその日が近づいて来たある日、パール楽器の中国での代理店にいたSさんから電話が来た。
「次の週、1週間で毎日いろんなドラマー呼んでクリニックをしてもらおうと考えてるんだけど来てもらえないかなぁ・・・」
ワシは確かにここのドラムスクールが開校する時に、
「パール楽器のためになるんだったら何でもやるよ」
とは言った。
しかしその学校のパンフレットに「講師」として名前を載せてよいとは言った覚えは無い!
まあしかし彼はまだいい方である。
去年趙明義から電話があり、大々的にオープンする音楽学校の教師として名前を貸してくれと言うので、
「名義貸しだったら、まあ年に5万元ぐらいでどうだい?」
と言った途端に烈火のごとく怒り出した。
「黒豹も葉世榮もタダでやってんのにお前だけ金くれとは何事だ!!!」
あまりの剣幕に恐れをなしたワシは、「いいよ、いいよ・・・じゃあ・・・」と渋々承諾した。
そして当然ながらその開校式には呼ばれる。
校門を入ったところにはでかでかとワシの写真・・・
・・・これってサギじゃないですか・・・
ま、いい・・・これもなんじゃらかんじゃらで中国の商売なのであろう・・・
しかしSさんのドラムスクールは勝手にワシの名前を使っているわけなので、
いくら何でもその上タダでクリニックをするのもナンじゃろ・・・
「私はひとりではなくミュージシャンを連れて行ってデモ演奏を聞かせたいんだけど、少しでいいからギャラなんてのは出ますか?・・・」
だいたい、ものを頼んでいる人間が全然ギャラの話なんか出さず、
頼まれた方が悪そうにその代償を尋ねるなんてのがワシはどうも腑に落ちん・・・
まあそれでもメンバーに交通費ぐらいのギャラは出ると言うので出かけて行った。
そのために自宅スタジオで中国最高度の演奏が出来るまでリハーサルをつんで・・・

着いて見たら生徒はガキばかりである!!!
Sさん曰く、「びっくりしたかい?子供の生徒と言うのが一番商業的には一番いいもんで・・・」
確かに子供の教育のためになら親はいくらでも金を使うからのう・・・
・・・まあ勝手に生徒が中国ロックを背負う若いドラマーばかりだと思ってたワシが悪い・・・
かと言って今さら用意した1時間半のプログラムを変更するわけにはいかん。
ドラムのチューニングから始まってスティックの効率的な振り方まではよかったが、
さすがにポリリズムの話まで行くと生徒は半分寝ていた。
そしてせっかくミュージシャンに楽器まで持って来てもらったのだから用意した高度なデモ演奏・・・
・・・感動して食い入るように見ているのはこのスクールの先生達だけである・・・
・・・そして記念撮影とサイン会・・・

お前ら俺が誰だかわかっとんのかい!!!
かくして教える側と教わる側のギャップの多いドラムスクールは無事(?)終了し、
今度はもともと予定していたちゃんとした(?)ドラムスクールである。
ミュージシャンはこの日はまた別のメンバーを呼んだので、ちょっと早めに入ってリハーサル。
そしてちょっと早めに来た生徒達も早く開場に入れて、リハを見たい奴にはとことん見せる。
コンサートではなく、クリニックなのである。
ミュージシャンに指示をするワシ、譜面を整理するワシ・・・それを見ることこそ全部彼らにはためになるクリニックであろう。
しかし毎回定期的にやる「授業」と、1回限りの「クリニック」とは根本が違う。
どうしても内容はテクニック的なものに偏らざるを得ない。
中国のドラマーは「急ぎすぎる」と言うか、上っ面だけを勉強して「もう叩ける」と思ってしまう輩が多いので、
途中の喋りでそれを常に修正しながら何とか最後まで演目を演じ切った。

汗だくである。
喋りが多いぶん、ライブよりも疲れる・・・
しかしこの一夜はきっと将来の中国のミュージックシーンにとっても有意義な一夜となったに違いない。
そう強く感じて締めの言葉を述べてお辞儀をした後に、
司会もつとめたこのスタジオのオーナーから一言。
「では最後にここにいるみなさんを代表してファンキーに一言聞きたいことがある。
来月もまたもう一度ここでクリニックやってくれるかな?」
「いいとも!!」
と言ってしまった自分に後悔・・・
せめて交通費ぐらいは欲しい・・・いやほんま・・・
Posted by ファンキー末吉 at:12:17 | 固定リンク
2006年7月 4日
サラダバーの達人
嫁と一緒にピザハットに行った。
噂どおりピザハットはかなり高い。
13寸(インチのことか?)で98元、9寸でも58元、サラダバーが28元・・・
なぬ?!サラダバーがあるのか?
28元っつうたら村のレストランで生ビール大ジョッキが14杯飲めるが、
ここ中国ではあまり生野菜を食べないので是非奮発してオーダーしてみたいものじゃ。
貧乏人ならまず考えるが、
「ひとつ頼んで二人で食べよう」
しかし店側とてその辺は考慮している。
サラダ取り放題にして、それを一緒に来た全ての客にシェアーして食われてしまったのでは上がったりである。
メニューを見て中国語を解読するに、
ここのサラダバーはお皿に1回取りっきりで28元なのである。
「じゃあ多めに取って来てふたりで食べよう」
と言うことになりサラダバーに立った時にその達人と遭遇した。
「あら、あんた、それじゃぁダメよ。サラダバーはこう取るのよ」
見も知らぬおねーちゃんがワシに指南する。
まず質量の高い、密度の濃い揚げパンとか野菜を皿に盛り、
皿のふちに胡瓜とパイナップルを積み重ねて城壁を作り、
そしてその中に入るだけの野菜を詰め込みドレッシングをかける。
更にまた皿のふちに胡瓜とパイナップルを積み重ねて城壁を高くし、
そしてその中にまた入るだけの野菜を詰め込みドレッシングをかける。
更にまたまた皿のふちに胡瓜とパイナップルを積み重ねて城壁を高くし、
そしてその中にまた入るだけの野菜を詰め込みドレッシングをかける。
更にまたまたまた皿のふちに胡瓜とパイナップルをまた積み重ねて城壁を高くし・・・
あまりに感激したので写真を撮らせてもらった。

これから30分後、達人はこの倍以上に高くなったサラダバータワーを持って席に帰り、
見ればひとりで平らげていた。
天高く馬肥える秋の空のように清々しい匠の技であった。
ファンキー末吉
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2006年7月 1日
BEYOND追悼ライブ
中華圏のロックに偉大な業績を残したボーカリスト黄家駒の命日を偲び、
そして解散した(個人的にはまた復活すると思っているが)彼のバンドBEYONDの楽曲を北京のアンダーグランドバンドがカバーしようと言うイベント。

何がどうあれ、なんぼ言うてもバンドが多すぎる!!!
日本のライブハウスでは、出演が決まった時点で出演バンド同士が話し合い、
ライブ当日には既に出演順が決まっているのが普通だが、
団体競技の苦手な中国人ではそうはいかない。
ここではライブ当日の開演直前に出演バンド全員が集まってくじ引きをするのである。
恐ろしい話である。
チラシに乗っているバンドだけで15バンド。
当日更に増えて16バンドが30分づつ演奏しても8時間。
夜の8時半に開演と言うから、順調に行って最後のバンドは夜中の3時から始まると言うことになる。
順調になんか行かん、行かん・・・
かくして今回このイベントに参加することになったいきさつはと言うと、王暁旭と言うひとりの友人からの電話である。
「ファンキー、6月30日空いてるか?BEYOND追悼ライブがあるんだけど、
破砕声音っつうバンドでドラム叩いてくんないか?
ドラマーがその日結婚式なんでどうしても参加出来ないんだ」
つい最近も布衣楽隊でドラムを叩いて来たばかりである。
布衣楽隊のボーカル、老呉(LaoWu)は、わがロック村の村長とも言うべきもんだから、
「ファンキー、ドラマーが今日は家庭サービスでどうしてもライブに参加出来ないんだ。
ちょっと助けてくんないかなぁ・・・」
と言われればそりゃふたつ返事でかけつけてゆくのじゃが、
知らないバンドとなるとどうかのう・・・
悩んでるヒマもなく王暁旭がバンドのメンバーを連れて来てリハーサル。
リハが終わってメンバーが悪そうに一言・・・
「今回のライブはギャラは出ないんだけどいいかな・・・」
間髪入れずに王暁旭、
「いいんだ。コイツはドラム叩いてたらそれで幸せなんだから」
お前が言うな!お前が!・・・
と言うわけで昨日がそのライブ。
会場に着いたら人がわんさか溢れていて、過去布衣楽隊とかで来た時とは全然違う。
BEYONDの人気はそれほど凄いと言うことであろう。
若い娘も多い。
ロックねーちゃんみたいのもいれば、素朴な娘もいる。
見れば派手なバンドには派手なねーちゃんがついてるし、
素朴なバンドには素朴なねーちゃんがついているようである。
ワシはと言えば今日は嫁が「夜遅いのはヤダ」と言って家で寝ているので、視線は最初っから最後までおねーちゃんである。
しかしワシに声をかけてくるのは全てバンドのむさ苦しいお兄ちゃんばかり。
「ファンキー、今日はどのバンドで叩くんだ?お前の見てから帰るわ」
ってな感じで、自分の出番終わったらとっとと帰るはずのバンドのメンバーは居残るわ、
外で自分の出番を待ってる連中も入ってくるわで、
結局ワシの出演時には客席は一気にむさ苦しくなる。
ドラムソロ・・・キャーと言う黄色い歓声が聞こえることもなく・・・
「ウォー!ファンキー!ニュービー(Fuckin' Greatの意、よい子は決してマネしてはいけない中国語)」
お前ら、声がオクターブ低いんやっつうねん!
ライブ終了・・・眼がうるうるしたギャルの視線を感じることもなく・・・
「ファンキー!サインしてくれー!!」
集まって来るのはむさ苦しいお兄ちゃんばかり。
「ファンキー!電話番号教えてくれー!」
かくしてワシの携帯にはむさ苦しいお兄ちゃんの電話番号ばかり増えてゆく。
すぐその場で消去!
かくはともあれビールである。
一緒に飲んでくれる美女がいるわけでもなく、
奢ってくれるお兄ちゃんがいるわけでもなく、
ノーギャラでドラム叩いて、自腹でビールを買いに行く。
「生ビールちょーだい!20元だったよねぇ」
うちの村のビールは大ジョッキで2元なのに街に出ただけで値段が10倍に跳ね上がる。
「あら何言ってんの。生は25元よ」
ビールを注ぎながらカウンターのおばちゃんがそう言う。
ちょっと悲しそうな顔でポケットの小銭を探すワシを見ておばちゃんが一言。
「ああ、あんたはいいわよ。あんただけ特別に今日は20元」
むさ苦しいお兄ちゃん以外にやっと現れたワシの女性ファン!!
おばちゃんの入れてくれた生ビール(心なしか少し大盛り)はひたすら旨かった。
ファンキー末吉
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2006年6月30日
映画音楽は楽し(安し!!!)
今日、6月30日は日本で亡くなったBEYONDのボーカルのコマ君の命日である。
でもワシはそんなことまるっきり忘れていた。
日本のBEYONDファンからメールをもらって初めて思い出した。
「気がついたら家駒の年齢を遙かに超していました」
おう!!!確かにぃ!!!
死んだ人間は年をとらんからのう・・・
しかし、昨日香港に帰るWingを空港まで見送りに行って思ったが、
(なんでワシ・・・忙しいのにそんなことまでしとるんやろ・・・)
あいつこそあれで43歳っつうのはある種サギである。
(大村はんとWing.。実は二人の年齢差はたったの3歳・・・)

送りに行って帰りに嫁とメシを食いに行ってたらいきなり雷がなって豪雨となった。
電話をしたら(何でワシ・・・そこまでするんやろ・・・)
予想通り飛行機は天候待ちで飛ばない。
ざまー見ろである。
アイドル顔でせめて30歳ぐらいにしか見えなくて男前でアイドル顔でも
しょせん天候にはかなわんのじゃ!!は、は、は・・・
かく言うワシは、
家を出る時うちでリハーサルをしていた新疆ウィグル族のバンドが
「お祈りの時間だ」と言ってイスラム絨毯やらを院子にしきつめて、
メッカの方を向いて全員でお祈りをしてたのだが、
帰って来たらどしゃぶりの中、ずぶぬれになってまだお祈りをしていた。
わけもなくむっちゃくっちゃ感動した・・・
そんなことはどうでもよい!今日、6月30日は実は、
ワシが映画音楽を担当した「瘋狂的石頭(Crazy Stone)」の公開日なのである。
監督は「寧浩(Ning Hao)」。
香港の大スター劉徳華(アンディー・ラウ)が投資して、
アジア各国の6人の若い監督に映画を撮らそうと言う壮大な企画の中で、
中国の監督として選ばれたのが彼。
実はワシのアシスタントをやっててくれた重田が
彼とは留学時代に一緒にバンドを組んでた仲間であったと言うことから、
「重田ぁ・・・実は予算を全部撮影で使い果たしてしもうてなぁ・・・
音楽作る経費がほとんど残ってないやけど何かええ方法ないかのう・・・」
と相談されたところからこの話が始まる。
「末吉さんだったら紹介出来るけど、いったいいくら残ってんの?」
と聞いた重田に監督が答えた額は、
さすがにメルマガでは何でもネタにするワシでもちょっと公表できないぐらいの値段。
(公表したことのある貧乏ネタ:http://www.funkycorp.jp/funky/ML/60.html)
「冗談じゃないっすよ。とりあえず断っときましたから・・・」
そう言う重田に一言。
「でもうちはスタジオがあるからね。
音楽製作物の経費のほとんどはスタジオ代だからね。
それが外に出ないと言うことは結構安い値段でも受けれるっつうことよ」
しかし時は遅く、
既に中国で一番安い映画音楽家にもう発注してしまったと言うことで、
「ま、久しぶりに映画音楽が出来ると思ってたら縁が無かったのね」
と思ってたら、
「末吉さん!どの中国人映画音楽家でもこの値段じゃ出来ないって
全部サジ投げられて困り果ててるそうなんですけど・・・」
と言われ、
「じゃあ人助けだと思って私がやりましょ」
と引き受けたのがなれそめである。
つまりワシは全中国で(と言うことは全世界で?)
一番安い映画音楽家であると言うことである。
まあ人助け、人助け・・・
かくして映画音楽の製作が始まった。
映画音楽は1曲の時間は短いが、しかし曲数は半端じゃなく多い。
曲を作ると言う作業は実は5分の曲を作るのも1分の曲を作るのも労力は同じである。
そんなのをバージョンを変えつつ少なくとも50曲は作るんだからどれだけ大変か。
渡された映像を見ながらワシなりに解釈して、
「太陽にほえろ」と「ルパン3世」を足して2で割ったような世界観で全てを構築し、
ついに第1回目の監督との接近遭遇である。
ワシ的には非常に自信があった。
聞いたとたんにきっと監督は涙流して喜び、絶賛し、涎垂らして放心し、
ヘタしたらウンコもらしてへたりこむかもわからんので、
一応ティッシュと雑巾と消臭剤を用意して、
OKが出ればすぐレコーディング出来るようにミュージシャンまでブッキングし、
そのまま怒涛の酒盛りまで出来るようにあらゆる酒まで買って揃えて反応を見た。
「音楽そのものは非常にいいんですが・・・
ちょっと僕の考えてたのとは違いますねぇ・・・」
それから延々彼は自分の映画論を語り、
ワシは用意した酒を飲みながらそれを聞いた。
買い揃えた酒は大半がここで消費されることとなった。
「理解してくれてありがたいです。では僕はこれで・・・」
と言うわけで彼が酔っ払ったワシを残して家路に付く。
何のことはない「全部作り直し」なのである!!!
こんなやりとりを何度も繰り返す。
作った曲は100曲をゆうに超え、参考用にもらったDVDを何度も見、
酒量は限界を超え、当初の締め切りの期限はとっくに越していた。
結局は2ヶ月以上をこのプロジェクトに費やしたであろうか・・・
自給で割ったら(割りたくない、割りたくない)確かに仕事としては最悪である。
しかしやっぱり映画音楽は楽しい。
何故か?それはひとえに「映画は究極には監督ひとりのものである」からである。
ポップスは「売れること」を目的として製作される。
会った事もない、実像もへったくれもない「庶民(中国語で老百姓と言う)」
と言う人々をターゲット・・・と言うよりも神より大切なものとして作られる。
高度な音楽性のものは極力排除され、
「聞く人バカなんだからもっとそこまで落とさないと売れないよ」
と訳知り顔のディレクターやプロデューサーはそう言い、
「いやーこれは新しいよ、これは売れるよ、ファンキーちゃん」
とかわけのわからないことを言い出したらやっとそれで仕事が終わるが、
その神様より大事な老百姓が果たしてそれを好きかどうかは発売するまでわからない。
まあ「売れるため」に作った音楽が売れなかった時ほどみじめなものはないが、
結局売れるためにみじめな思いをして製作し、
売れなくてみじめな思いをしてお金をもらう仕事っつうのはどないなもんやろと思う。
しかし映画音楽は違う。
世界で一番「凄いもん」を作っちゃるぞ!が原点である。
わけのわからん不特定多数の神様のために音楽やるより、
ひとりのその「神様」が納得するものを作ればいいのだから気が楽である。
時には「この編集はねーなぁー、俺ゃこれじゃストーリーわかんなかったべ」
と逆にその神様の考えにケチをつけたりもすれば、
「あなたはこのシーンでどんな感情が沸き起こって来ますか?
それに対してあなたがつけた音楽はどのような感情を沸き起こすものですか?」
と神様からケチをつけられたりする。
まあ早い話、監督と言うきさくな神様と一緒に大きな遊びをやっているだけなのじゃ。
もの凄く音楽性の高いことをやりたければやればいいし、
ごりごりのロックをやりたければやればいい。
要は監督が満足すればそれでいいのである。
「監督ぅ・・・
最後はやっぱ生のオーケストラ入れてガーンとぶちかますのがええんでねぇの?」
まあ作り手としてはどんどん欲が出てくる。
「そんなことが出来ますか?」
顔が心なしかほころぶ神様。
「んだぁ。オラはこう見えてもこっちでもう数十曲オーケストラ録ってるがね」
ドラマーのくせに弦がアレンジ出来る変態である。
「末吉さん、何言ってんですか。予算がどこにあるんですか!」
止める重田を振り払い、泣き叫ぶ嫁を殴り飛ばし、
つられて泣き出す子供たちを質屋に売り飛ばし、
力なく説教する高知の親を姥捨て山にぶち捨ててまで自腹で録ろうかと思ったが、
髪の毛一枚のところで思い直し、
不本意ながら予算内で全ての音楽を録り終えることが出来た。
完成して納めてお金をもらえば仕事は終わりである。
しかし映画の場合は是非それを劇場に見に行かねばならない。
試写会の招待状が来たので大村はんとそれを見に行って来た。

公開前に既に話題の映画となっており、
特に音楽は業界では大絶賛されていると言う。
DVD海賊版全盛のこのご時世で、
既に300本もの劇場公開が決まっていると言うのは物凄いことである。
期待の新作に劇場中がかなり興奮気味で、
ちょっと緊張気味に見ているワシなんかを尻目に、会場は爆笑に告ぐ爆笑。
そう、この映画は実はブラックユーモアをちりばめたコメディー映画なのである。
舞台は中国の重慶で台詞は全部四川地方の方言なので、
製作している時は台詞はわからんわ、台本見て頭で理解しても笑えんわ、
で結局一度も笑ったことなかったが、
そうかぁ・・・コメディーってこうやって会場で爆笑すんのね・・・
中国語の字幕がついているのでそれを追いながら、
隣の大村ハゲ頭がどうして笑ってるのかをいちいち聞いて来るので、
それに答えながら訳しながら見ているとワシは結局最後まで全然笑えんかたが、
最後には会場全部大拍手で幕を閉じたり、結果としては試写会は大成功である。
聞くところによると、来年あたりには日本でも公開が決まっているらしい・・・
関連サイト:http://www.imx.ne.jp/info/2006/0314.html
http://www.ffcjp.com/kutsu/news/4thNewsletter.pdf
万が一これが全世界でヒットしたりなんかすると、またワシ・・・印税生活ですかぁ?!!!・・・
「重田くん、ところでこの音楽の著作権って一体どのようになっとるのかね?」
恐る恐る聞いてみる。
金がないと言うからタダ同然でやってやったのである。
大金を生むかも知れないならそこから取れるものは取りたいと言うのが人情であろう。
「何言ってんですか、
末吉さんがいいって言うから奥さんが替わりに契約書にサインしたじゃないですか」
と言うことはこれ・・・どれだけ売れてもワシの元には1銭も入らないのね・・・
ま、いい。製作した音楽ソフトも海賊版やったし、資料用に見たDVDも海賊版やった。
これで印税もらったら罰が当たるじゃろう・・・
と言うわけで、今日は晴れてこの映画の公開日。
過去自分が携わった映画の公開日には毎回ワクワクしながら劇場に行った。
爆風スランプの「バトルヒーター」(出演)・・・劇場に人おらず・・・
香取慎吾の「香港大夜総会」(映画音楽)・・・劇場に人おらず・・・
高島礼子の「劇場版ショムニ」(映画音楽、出演)・・・劇場に人おらず・・・
今日はBEYOND追悼イベントが北京のライブハウスであり、
とあるアンダーグラウンドバンドに頼まれてドラムを叩きに行くので見に行けない。
まあこれだけ評判の映画なんだから客の入りもきっと結構なもんじゃろう。
「ワシがたずさわった映画はみなコケる」
と言うのをジンクスとして信じ切っていたが、
実は「ワシが公開日に劇場行くとコケる」のかも知れない。
今日はおとなしくBEYOND追悼イベントに専念するとしよう。
ファンキー末吉

瘋狂的石頭(Crazy Stone)関連サイト
http://ent.sina.com.cn/m/c/f/fkdst/
http://post.baidu.com/f?kw=%B7%E8%BF%F1%B5%C4%CA%AF%CD%B7
http://blog.sina.com.cn/m/ninghao
http://www.FFCJP.com/
http://www.c-c-club.net/director/ninghao.htm
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2006年6月23日
Wing北京コンサートを終えて
葉世榮ことWingは香港のBEYONDと言うバンドのドラマー。
BEYONDの連中とは、彼らが日本で活動を開始すると言う時に知り合い、
ボーカルのコマが日本のテレビ番組の収録中の事故で死亡して香港に帰ってゆくまで、
ほぼ毎日と言っていいほど一緒に酒を飲むと言う仲だった。
コマが日本の病院で息を引き取った時、
病院の待合室でその知らせを受けたWingがショックで気を失い、
俺の腕の中に倒れ込んで、突然ケタケタと笑いながらうわ言でこんなことを呟いた。
「あいつは今、真っ白な綺麗なところにいる。
そこは酒を飲むより、エッチするより、もっともっと気持ちのいいところなんだ・・・は、は、は・・・」
俺はその世界と言うのが、ドラムを叩いている時に時々味わうことがある、
妙にトリップした浮遊感のあるあの世界と同じであると思い、
偶然性が大きく作用するライブの高揚感のあの真っ白な扉の向こうにコマがいるんだと今でも信じている。
BEYONDの他の2人とは今でも会えば楽しく飲む仲間ではあるが、
Wingほど頻繁に連絡を取ったりする仲ではない。
同じドラマー同士と言うのもあるし、性格がアホであると言うのもあるが、
やはり彼との間にはその後もいろんなドラマがあったからと言うのが大きいだろう。
(関連ネタ:http://www.funkycorp.jp/funky/ML/13.html、
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/68.html、
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/70.html、
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/72.html、
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/73.html、
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/75.html、
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/77.html、
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/86.html、
・・・列挙しながら思ったけど、ワシのメルマガ・・・ほんまにWingネタって多いよねぇ・・・)
一番困難な時に培った友情は一生モノと言うが、実際あの時の彼はどん底だった。
マスコミと言うのは血も涙もないもので、人生で一番どん底の人間を漫画にし、
BEYONDの残された3人のうち2人は成功してホクホク、
Wingだけは「ボク何やってもうまくいかないの」と涙顔と言う記事を見て、俺は
「出版社に火ぃつけたろか!」
と激怒したが、当の本人が黙ってそんな記事をスクラップにしてるのを見てやるせなかった。
人間あまりにも悲しいと怒りなんぞおきないのである。
そんな彼もBEYONDの活動再開を機に、北京に自分のマネージメントオフィス設立したり、
大陸発売のソロアルバムも発売、
(その中の1曲はまたワシがタダでアレンジし、北京ファンキーDrumスタジオの記念すべき初レコーディングとなった。しかもタダで・・・)
そしてその発売を機に、
「一気に全中国ツアーを組むぞ!」
と言う大きな試みの皮切りとして今回のこの北京コンサートを自力で開催した。
音楽総監督はWing自身、
バックメンバーには北京から俺、日本から団長を呼んで、後は香港のミュージシャン。
香港で1週間リハーサルを終えて全員で北京に乗り込んで来た。
香港でのリハーサル風景

会場は北京展覧会劇場と言う2000人の小屋。
しかもそこを2DAYSと言うから彼の知名度からすると無謀とも言える。
知名度と言うなら彼の知名度はさすがに中国人なら知らない人はいないが、
それはやはりBEYONDと言うバンドの知名度であって、
例えて言うとサザンオールスターズのドラマーとか、爆風スランプのドラマーが(あ、俺か・・・)、自分名義のコンサートを渋谷公会堂で2DAYSと言うとやはりちょっと難しいんでは・・・と言うのと似ている。
ましてやそのドラマーがスティックではなくギターを持って、
ドラムを叩くのではなく歌を歌おうと言うんだから、
これが爆風スランプのドラマーだったら客は絶対に来ない!!(断言!!)
XYZのライブとかだと、いつも出番前は
「今日は客どのくらい入ってるかなぁ・・・」
とそれが一番気になることだったりするが、
俺にしてみたらいわゆるバックバンドのお仕事なのに、
開演前には客の入りを気にしてそわそわ・・・これも一種の性であろうか・・・
前日のゲネプロでは音響のスタッフに
「お前、このマイクの立て方でドラムの音がちゃんと拾えると思ってんのか!」
とどやしつけたりしている。
「子供のコーラス隊を出すタイミングが違う!」
と舞台監督に何度もやり直しを要求したりしている。
そう、俺にとってこのコンサートは、既にいちバックバンドのメンバーではない。
かけがえのない友人の将来がこの1本で決まってしまうのだ。
ドラマーにもなるし舞台監督にもなるし、音楽総監督の補佐にもなる。

初日の入りは半分ぐらい。
気落ちしないように開演前に彼に活を入れる。
始まってみると、ギターとベースの音が出ない。
音響が最悪で始終ハウリングを起こしている。
ゲストの演奏の時に舞台を降りて衣装換えしている彼を元気付ける。
「ロックはハートでやるもんだ!何があっても気落ちするな!俺がついてる!」
Wingのたっての希望でドラムソロをぶっ叩く。
当初は2人でソロの掛け合いをしようと言う企画だったが俺が却下した。
「お前はスターなんだから、俺の後でゆうゆうと登場してゆっくりソロ叩けばいいんだよ!」
彼は全アジアで一番有名なドラマーと言っても過言ではない。
知り合ういろんなドラマーが、
「葉世榮がいなければ俺はスティックなんて持ってなかった」
と言うのをいやと言うほど聞いた。
言わばアジアのリンゴ・スターなのである。
ソロの内容なんかどうでもいい。
彼がドラムを叩きさえすればそれでいいのである。
俺はテクニックの限りを尽くして客を暖めておく。
それが俺に出来る最高の演出である。
俺のソロの最後にバスドラを踏みながら舞台中央を指差すと、
そこからWingがドラムソロを叩きながらせり上がって来る。
会場は興奮のるつぼである。
ドラムソロが終わると、次の曲はAMANI。
「AMANI NAKUPENDA NAKUPENDA WE WE(平和,愛,僕達に勇気を)」
この曲はBEYONDが売れてお茶の間のアイドルとして大全盛の時、
アフリカに行って戦争で焼け出された子供たちのために作った歌である。
「戦争の陰でいつも傷付くのは、何の力もない子供達」
と歌うこの曲は、瞬く間に香港のヒットチャートを総なめにし、
アジア中に彼らのメッセージが響き渡った。
BEYONDが偉大だったのは、アイドルバンドとして売れ続けながら、
アフリカの言葉で歌うこんな曲をヒットチャートに乗せることが出来たと言うことであろう。
俺がこの曲を初めて聞いたのは、お恥ずかしながらコマが死んだ後である。
あれだけ毎日一緒に酒を飲みながら、俺は彼らの偉大さを全然知らなかった。
彼が死んでから香港に行き、
Wingと待ち合わせたコーズウェイベイの回転寿司で偶然この曲がかかっていた。
MTVには字幕が流れており、そこでこの歌詞の内容を初めて知った。
サビで「僕は歌い続ける!」と言う歌詞の部分がとてつもなく悲しくて寿司食いながらわんわん泣いた。
コマが歌い続けることが出来なくなったんだから俺が歌い続ける!
と、その後この曲を日本語訳にして夜総会バンドのレパートリーとしたが、
当の歌う本人であるボーカルのaminがこの曲を歌い続けるかと言うとそれはまた無理な話である。
そんな空回りの中バンドは解散し、歌を歌えない俺はこの曲を歌い続けることが出来なくなった。
ところが当の本人、Wingがこの曲を歌い続けている。
アンコール最後の曲は、またBEYONDの大ヒット曲「光輝歳月」。
差別と戦って神に召された黒人のことを歌った歌である。
「虹が美しいのはその色と色との間に区別がないからである」
と歌ったコマはもう神に召された。
しかしWingがそれを歌い続け、そして客がそれを大合唱する。
ボーカリストが亡くなって、そのドラマーがその歌を歌い続ける。
その後ろでドラムを叩くのが俺である。
あの日、新大久保のSOMEDAYのJamセッションを見に来たコマが俺にこう言った。
「素晴らしい!お前のドラムは最高だ!来月も、またその次も俺は毎回見に来るぞ!」
そしてその言葉が俺と交わした最後の言葉となった。
それ以来Jazzのセッションをする度に、どこかで彼がまたあの嬉しそうな顔をして俺を見ているような気がしている。
あの真っ白な世界の扉を開けたら、そこにビール片手に彼がいるような気がしている。
同じバンドのメンバーが歌手となって初の大舞台。
彼はまたいつもの笑顔でそれを見ていたことだろう。
どうだったかい?ふたりのドラムソロはよかったかい?
これを皮切りにWingは全中国ツアーを切るつもりらしい。
いつの日かあの扉が開いて彼と会える日が来るかも知れない。
ファンキー末吉
ネットで流れているライブの模様
http://ent.sina.com.cn/y/v/2006-06-14/17151122734.html音が悪い・・・
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2006年6月11日
西部来たりて酔い潰れ
岡崎はんが北京から帰国する飛行機とちょうど入れ違いの東京からの飛行機で団長が北京でトランジェット。
いわゆる五星旗歴代ギタリストが空中すれ違い、今度はその団長を連れてそのまま香港へ。
WINGのリハーサルのためである。
5日間のリハーサルを終え、昨日の正午やっと北京に帰って来た。
ちょうど日本からは元ファンキーコーポレーション幹部、西部嬢がやって来てたので、
貧民街のうちの院子にご招待。
西部嬢は「喋らなければ美人」と誰もが言うが、ルックスとはうらはらに性格はもろ「オッサン」である。
趣味は「晩酌」。しかし時には昼から晩酌。
結婚前は缶ビール片手に公園で酔い潰れ、結婚後も毎日酔い潰れてソファーで寝ているらしい。
団長とは久しぶりと言うことで、村のレストランで昼から1杯2元(約30円)の生ビールで乾杯。
だがワシはうちのスタジオで1曲ドラムのレコーディングがあるので飲まず。
若いうちはベロンベロンでもドラムを叩いていたが、年をとったのかもしくは音楽に対する欲求が高くなったのか今は叩く前は絶対に飲まない。
しかしヤツらは飲む飲む。。。
ワシが仕事してる横で中庭とも言える院子で飲む飲む。。。
そしてワシが1曲叩き終わった頃には西部は潰れていた。

うちの院子は貧民街にあるので夏はやはり蝿、蚊はかなり多い。
蝿もやはり美人が好きなのか西部にたかるたかる・・・
気にせず大いびきで寝続ける西部。

夕方頃には起きてどこへとなく帰って行った。
今頃は恐らく飛行機の中。愛するカナダ人の夫の待つ日本に帰っていってる頃である。
恐るべき来客であった。
14日には大村はんがやって来る。
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2006年6月 2日
岡崎はんの北京の1日その2
岡崎はんの北京滞在もあと残すところ3日となった。
別に帰ったって何があるわけでもないんやからおればええのに、
そう言うところだけは相変わらず意固地な岡崎はんである。
関西空港で3万円を人民元に両替し、(約2000元)
まあ2000元あればこの村では数ヶ月暮らせるので、
滞在1週間を過ぎてから「俺が払うわ」と一生懸命使おうとしているのだが全然減らん。
残すところ3日であと700元使い切りたいと言うので、村の若い衆連れて羊肉串を食いに来た。

路上でがんがん食うのが北京式である。
100本頼んだのじゃが、1本が5角(約7円)なのでやっぱ全然減らん。
ビールもここでは大瓶1本1.5元(約20円)なので何本飲んでも全然減らん。
結局支払いは93元(約1400円)。
一人頭で勘定すると200円いかない。
日本やったらビールも1本飲めんし、焼き鳥も1本しか食えんぞ・・・
「こんなに金使わん海外旅行は初めてじゃ・・・」
と岡崎はん。
日本に帰国して社会復帰出来るのか。。。
(もともと社会復帰してないか・・・)
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2006年5月31日
岡崎はんの北京の一日
克爾曼(KAHRIMAN)のレコーディングも終わり、
ネットを介してやりとりする(先進的やなぁ・・・)香港のレコーディングも終わり、
採用されたら2万元くれると言う北京オリンピックテーマソングの応募曲のレコーディングも終わり、
(中野が是非中国語で歌いたいと言うので一応Runnner中国語版も作って応募してみた)
後は岡崎はんに付き合って観光あるのみである。
夕べは日本のぴあの偉い人が北京に来てて、
中国語版ぴあの見本版を見て意見を聞きたいと言うのでしこたまただ酒を飲み、
二日酔いのまま朝早く起きて故宮に向かった。

岡崎はんの趣味はウォーキング(もう既に老人の域)。
村に来てもひとりで1時間2時間平気で散歩をするので半日以上かかる故宮の観光も平気である。
景山公園の方から入って天安門まで抜けた頃にはワシはヘトヘトじゃが彼は平気。

昼は是非北京ダックをと言うことで、口コミで聞いた美味しい店と言うのがここ。
前門にある利群北京ダック店。

紹介してくれた友人は「前門で輪タク乗ったら連れてってくれる」と言う話だったが、
値段が観光客料金で30元とべら高なので歩いて行った。
老人の散歩が趣味の岡崎はんは平気じゃが、ワシと嫁は既にへろへろ。
夜には新疆ウィグルレストラン阿凡提(A Fun Ti)に行った。
昨日、実は岡崎はんの好みの女性は新疆ウィグル族の女性ではないかと思っていたら、
やはり舞台で踊るウィグルダンサーに釘付け。

蛇を身体に巻きつけて踊るパフォーマンスに釘付け。

かなりご満悦でワシとしても非常に嬉しかったのだが、さすがに嫁がダウン・・・
次の店に行くのはやめて早々と院子に帰って来た今宵でした。
岡崎はん帰国まであと3日。
嫁の体力は持つのか?そしてワシの体力は・・・
そして大阪から1本のメール。
「楽しそうやなぁ・・・ワシも北京行こうかな・・・6月の半ばか末頃って大丈夫?・・・」
大村はんである。
歓迎!歓迎!
みんないっそのこと北京で住みなはれ!
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2006年5月30日
ウィグル族の仲間たち
どうも最近新疆ウィグル自治区の人たちと縁があるようだ。
新疆ウィグル自治区は、北京から直線距離にしておよそ2,400 km。
もちろん日本に帰るより遠いのにやっぱ中国の中のいち地方である。
この前行って来たシルクロードの起点と言われる西安から更に西に進み、
井上靖の小説や映画でも有名な敦煌よりも更に西に進み、
いわゆるシルクロードの中国最西端である。
最近ではJazz-yaライブに時々参加してパーカッションとボーカルを担当する
阿布都(A Bu Du)が新疆ウィグル族と言うことで、
彼のバンドの連中(ひとりを除いて全員ウィグル族)と仲良くなったり、
まあ中国と言えば友達になれば何でも助け合わねばならないのが常で、
お金にもならないのに彼らに楽曲をプレゼントしたり、
日本語の詞をそれにつけてくれと頼まれて徹夜して考えたり、
今では「ご近所の苦情で自宅で練習出来なくなった」と言うことでうちに来てよく練習している。

阿布都(A Bu Du)は新疆ウィグル地区でもかなり田舎の方の出身らしく、
貧しくて、小さい頃から民族打楽器を叩いたり歌を歌ったりして家族を助けていたと言う彼の歌は
Jazz-yaライブのリハーサルの時に従業員が涙したと言うほどである。
最近うちの院子に部屋を間借りし、週末には別荘代わりに泊まりに来る吉野嬢も彼らの音楽にはめろめろである。
もともとワシと新疆ウィグルとの縁と言うのは阿凡提(A Fan Ti)と言う新疆ウィグルレストラン
によく行ってたのがきっかけだったのではあるまいか。
羊肉を食い、新疆ワインを飲み、酔っ払ってステージに上がってそこで演奏していた阿凡提(A Fan Ti)と言うバンドに飛び入りしていたりしていた。
数年後にとあるライブハウスで演奏している新疆ウィグル人に
「よっ!久しぶり!」と声をかけられた。
全然覚えてなかったが、顔がぱっと見て中国人っぽくないので、きっと新疆ウィグル族だろうと思っていたら、やはりその阿凡提(A Fan Ti)でギターを弾いてた克爾曼(KAHRIMAN)である。
その時に交わした電話番号がきっかけで今、彼の新しいユニットの曲をレコーディングしている。
昨日は阿布都(A Bu Du)のバンドもリハーサルしに来てたりして、
うちはさしずめウィグル族の溜まり場である。
みんなワシに必ず「今度新疆ウィグル自治区に招待するから」と言う。
行ってみたいが北京から飛行機で4時間である・・・遠い・・・
ウルムチ出身の克爾曼(KAHRIMAN)はまだいいが、
阿布都(A Bu Du)の実家はそこから更に飛行機で1時間半かかると言う。
新疆ウィグル自治区、実は日本が20個すっぽり入ってしまうほどでかい・・・
レコーディングが終わり、克爾曼(KAHRIMAN)とそのユニットのボーカル(実は彼の奥さん)と一緒に記念撮影。

シャッターを押してもらった岡崎はんがしきりに
「全然中国人ぽくないけどあれでも中国人なんやなぁ・・・あんな美形で羨ましいよなぁ・・・ほんま・・・」
と1日中ずーっと言ってたので克爾曼(KAHRIMAN)のことかと思ってたら嫁さんの方やった・・・
惚れたな・・・岡崎はん・・・
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2006年5月29日
YangYang来たりて飲みまくる
前回来た時は、いきなり大酒をかっくらい下ネタ叫びまくり、
院子(ユエンズ:ファンキースタジオ兼住居のある北京の貧民街の一角にあるロックミュージシャンの集落。通称「ロック村」とも言う)の若い衆を捕まえては
「お前!可愛いから今日オレと一緒に寝ろ!」と部屋に連れ込もうとして逃げられ、
それを追いかけては夜通し酒瓶持って叫びまわり、
「怪獣」と言う呼び名をつけられたのはもう先々月のこと。
今回はかなりおとなしくなったとは言え、酒は昼間から飲むわ、寝てる時以外は基本的にずーっと喋ってるわ、とにかくこの怪獣の出すエネルギーには生身の人間は「当てられて」しまう。
2~3日嫁と共に相手して、既に疲れ切っていた頃やっと岡崎はんがやって来た。
その前日には嫁と共に王府井(WangFuJing:北京の銀座とも言うべき大ショッピングストリート)
で死ぬほど買い物をし、店員が泣き出すほど値切りに値切り、
「売らないならこのまま店の前で歌い続けるぞ」と脅し、
汗をかいたと言えば洋服を試着して汗を吸わせ、「要らない」と言って結局買わず、
夜は夜で阿凡提(A Fun Ti)と言う新疆ウィグル料理のパフォーマンスレストランで死ぬほど飲み、
ステージに上がって踊り、
「よし!明日はモンゴル料理だ!」
と言うことで空港に降り立ったばかりの岡崎はんを連れて蒙古人と言うモンゴルレストラン。

この店は民族衣装を着た歌手と馬頭琴奏者が来て歌を歌いながら白酒をついでくれる。
岡崎はんはもう飲めないほど飲んだが、YangYangは更に1本追加して余ったら持ち帰り。
その後もASKAと言う日本人スナックで飲み、歌い、
嫁は疲れ果てて寝込み、ワシは飲み過ぎで胃が痛み、岡崎はんは食い過ぎでぶくぶくと太ってしまった。
26日に布衣のライブに3曲参加し、27日にJazz-yaライブ、28日にやっと日本に帰って行った。
ワシらは1日間ゆっくり休み、一昨日の晩は友人のライブハウスが1周年と言うことで、
岡崎はんらとセッション。
ちょうど楽器フェアーのRolandのデモ演奏で北京に来ていた西脇さんも遊びに来て2曲ほどハーモニカ吹いていった。
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2006年5月20日
秦勇(QinYong)ライブ
中国を代表するロックバンド黒豹から、第3期ボーカリスト秦勇(QinYong)が脱退したと言うニュースを聞いたのはもう1年以上も前のこと。
もともと黒豹は第1期ボーカリストの竇唯(DouWei)があまりにも偉大であったため、
第2期ボーカリストの巒樹(LuanShu)や秦勇(QinYong)はいつもそれと比較され、苦難の道を強いられていた。
脱退前の秦勇(QinYong)と最後に会ったのは零点(ゼロ・ポイント)の6万人コンサートの打ち上げの時。
ぐでんぐでんに酔っ払った彼が、
「ファンキー、お前もきっと俺のことが嫌いなんだ。
竇唯(DouWei)の黒豹が好きだからな・・・」
とつぶやいていたのが印象的である。
竇唯(DouWei)は黒豹を脱退した後、
ある種天才の行き着く道と言うか、わけのわからない音楽をやり続け、
レコードはたくさん発売するのだが、
試しに聞いてみると、環境音楽みたいのが延々と続いて、結局最後まで1曲も歌を歌わなかったり、
不一定(決まってないよと言う意味)と言うバンドをやったりもしているのだが、このバンドがまた、
いつライブをやるのかも不一定、
やっても何を演奏するのかも不一定、
竇唯(DouWei)はドラムを叩いたりして、歌を歌うのかどうかも不一定。
最近ではメディアでの発言や、行動にも奇行が目立ち、
天才はやはり天才なんだなぁと思わざるを得ない・・・
一方、黒豹はと言えば、相変わらず竇唯(DouWei)時代の大ヒット曲を演奏して地方を回ると言う、
まあぱっとしない状態がずーっと続いていた。
バンドのマネージメントは、
「ドラマーの中では一番商売がうまい、商売人の中ではドラムが一番うまい」
と自負する趙明義が取り仕切っていて、
「竇唯(DouWei)が黒豹に戻って来てくれたら、また黒豹は昔のようにトップに返り咲くことが出来るぞ」
と言うことで実際に彼と交渉し、
そのまま秦勇(QinYong)をクビにしたのか、はたまた秦勇(QinYong)が自分で脱退したのか、
かくしてボーカルが竇唯(DouWei)に復帰して初のリハーサルが行われた。
「じゃあ久しぶりに昔の曲、やってみますか・・・」
と言うメンバーに対して竇唯(DouWei)が一言。
「俺、メロディーのある歌なんか歌わないよ!」
変人の極みである。
メンバー唖然・・・
「じゃあ何すんの?・・・」とばかりバンドはその場で崩壊。
今さら脱退した秦勇(QinYong)に戻って来てくれとも言えず、
新たにボーカリストを探して来て、相変わらず昔のヒット曲でメシを食っている。
かくして脱退後初めて秦勇(QinYong)と会ったのは何と街中の商店でのこと。
この広い北京(何と北京市の面積は日本の四国4県合わせたのと同じぐらい)の中で偶然再会するのも何かの縁であろう。
前回の愚痴のことも頭に残ってたし、
「次の活動、どうすんの?うちスタジオもあるし、何でも協力するから言ってね」
と言い残してから数ヵ月、
彼が参加する春節晩会(日本で言う紅白歌合戦。しかし今回のは地方版)
で歌う曲をアレンジしたりレコーディングしたり、
いやそれにしても彼のレコーディングはビールの消費量が凄まじい。
初日はみんなでビールを1ケース空けてしまい、
2日目は2ケース買って来といたが、それも空いてしまった。
そんな話は余談として、そんな交流の中から、
「兄貴の店で今度ライブがあるんだけどドラム叩いてくんない?」
と電話が来た。
彼のお兄さん、秦奇(QinQi)
は北京ロックの黎明期からのギタリストで、
ライブが出来るバーを開いたり、レストランを経営したり、
大山子と言うところにある芸術家村に巨大な芸術スペースを開いたり、
今回はその芸術村で3バンド集めて無料ライブをやろうと言う企画である。
入場料無料なのでもちろん出演料もナシ!
タダの仕事ほど楽しいと言うのが音楽も含む芸術の世界なのであるが、
さすがは芸術村、
ライブの前に行われる芸術家によるパフォーマンスがこれまたよくわからない。
例えばこの人

は頭の上にカセットテープのテープの部分をたくさん取り付けて、
四方八方からそれを引っ張ってもらってライトを当ててもらって綺麗だな、面白いな、と言う参加型パフォーマンス。
また、この人たち

は、マッサージ台を2台置いて、怪しげなライトの中で音楽を流してマッサージをする。
上に飾ってあるのは全て同じ時間を指してある時計。
(秒針はそれぞれ違う)
わけがわからん・・・
かくしてライブが始まる。
一番有名人である秦勇(QinYong)がしょっぱな。

うちでリハーサルやって作り上げた新曲3曲だけやってさっさと舞台を降りる。
後で聞いたらこれが彼の黒豹脱退後初のライブと言うことであった。
大成功と言えよう。
音楽のよさはビールの消費量に比例した。
次のバンドはS社長の会社と契約したニューメタル系の男女のユニットである。

レコーディングでもワシが叩いたのでここでもタダでドラムを叩く。
秦勇(QinYong)バンドのベースの重田もタダで借り出される。
ワシと重田は日本語で会話し、
ワシらと中国人ボーカリストは中国語で会話し、
中国人ボーカリストとフランス人ギタリストはフランス語で会話し、
そのギタリストとワシらは英語で会話する。
国際的と言えば国際的なのじゃが非常に疲れる・・・
そして最後のバンドはZiYou楽隊
実はこのボーカルのHelenと言うのは、
XYZの中国語版を録音した時に仮歌とコーラスをお願いした在米中国人のお姉ちゃんであった。

歌もパフォーマンスも非常によく、その日のビールの消費量は自己限界を超えた。
通風が心配である・・・
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2006年5月13日
中国のアサヤンもどき(のモドキ)
中国の音楽界で(まあ日本でもそうなのでしょうが)、
新人がいきなり社会現象になるほどヒットすることはまれである。
日本の「アサヤン」(実は見たことないのでよくわからんのだが・・・)
のようなオーディション番組をテレビで放送したところそれが去年爆発的なヒットとなり、
それに出場している女の子達がレコードも出してないのに
(まあこちらではレコードは名刺みたいなもんですが・・・)
超アイドルとしていろんなメディアにひっぱりだこになったのはほんの1年足らず前の話。
正にこちらでの「社会現象」のひとつであった。
しかし柳の下には何匹もどじょうがいると言うのがここ、中国である。
予想をまるで裏切ることなく、それモドキの番組が現在もどんどん作られている。
いつも仕事をくれるLaoLuanから電話が来た。
「Funky、小工作(日本で言ういわゆる小商い)なんだけど頼んでもいいかなぁ・・・」
まあ日本での生活もそうじゃったが、
こちらでは今やテレビすら持ってないワシにテレビの仕事を説明するのは骨がおれるらしく、
「超級女声って知ってるか?」と簡単に説明されただけだったので、
ワシはてっきりあの超級女声のバックをするのか・・・と思ってそれを引き受けた。
・・・と言うより、実はやっている時でさえずっとそうだとばかり思っていた。
かくしてリハーサルスタジオに着くと、
15人の初々しい(そうでないのも数人いるが)アイドル予備軍の女の子達が、
初々しく緊張しながら(そうでないのも数人いるが)ワシ達の到着を待っていた。
日本ではミュージシャンの地位は非常に低く、
爆風でテレビに出た時なんかもテレビ局のスタッフに
「バンドさんはこちらへ」と言われ、メンバー一同苦笑したことがあったが、
こちらではたかがバックバンドであっても「老師(先生)」と呼ばれるので
それこそ大違いと言うか、逆にちとこそばゆい。
女の子達も、日本の若い新人歌手達のように
「アンタたち誰?」みたいな視線を投げかけることもなく、
かと言って教育が行き届いたアイドル歌手のように
「よろしくお願いしまーす」と無味乾燥な笑顔を投げかけてくるわけでもない。
ここでの立場はどちらかと言うと
テレビ局が用意したダンスや歌唱指導の先生に似た感覚なのであろうか、
ある種の緊張感と尊敬の念を込めた眼差しでワシ達と接する。
ま、ドラム叩いて32年、
彼女達が生まれる遥か前から音楽をやってるワシを「老師(先生)」と呼ぶのはまだしも、
LaoLuanが呼び集めた、(まあ予算が少ないからであろうが)
ワシ以外の若い駆け出しのミュージシャン達にとっては、
年端も変わらない女の子から「老師(先生)」と呼ばれるのはかなりこそばゆいらしく、
「いい娘たちばっかりなんだけど、あの老師っつうのだけは何とかならんかのう・・・」
とは言うものの、
やはりこちらはレコーディングしててもミキサーから通行人までが歌入れに意見を言う
「13億総プロデューサー」の国である。
照れてたのは最初だけ、彼らもバンバン歌唱指導するする・・・
かくしてその場の雰囲気は、オーディションのリハーサルと言うよりはいきなり
「学園祭の練習」みたいになってしまったのである。
さて実は、そのリハーサルスタジオは一般貸しもやっていて、
アンダーグラウンドのロックバンドや、社会人、学生バンド達にもよく使われている。
まあ地元のアンダーグラウンドのロックバンドなんかが来た時には
ガラス越しにワシや若いミュージシャン達を見つけて我が物顔で中に入って来るのであるが、
そこに運良く(運悪く?)やって来たのがどうも日本人の学生バンドか何かだったらしく、
ガラス越しにどうもどっかで見た顔のドラマーを見つけるのであるが、
奥ゆかしい日本人には中国人のようにづかづかと中まで入ってゆく勇気はない。
バンド全員でガラス越しに貼り付いて中を覗いてる彼らに中国人が声をかけた。
「何やってんの?」
そこで彼らが初めてこう尋ねる。
「あのドラム叩いてるのファンキーさんですよね?」
「そうだよ」と答えられ、納得した彼らは、まあ別にワシに声をかけることもなく
そのまま自分たちのリハーサルを終え、帰って行き、
ワシは後に中国人スタッフが教えてくれて初めてそのことを知った。
「ファンキー、お前やっぱ有名人なんだなぁ・・・
あの日本人の若者達、ずーっとお前見て、ずーっとお前のこと話してたぞ・・・」
と言われ、何か複雑な心境・・・
あの人たち・・・ワシが若い女の子集めて何やってたと思ったんでしょ・・・
さてその女の子達であるが、
一応アイドル予備軍なんだから(そうでないのも数人いるが)ルックス的には一応可愛いが、
歌唱力となるとこれがなかなか難しい。
生まれてこのかた生バンドでなんか歌ったことないんだから、
いつも歌い慣れているカラオケの伴奏との違いに戸惑うばかり。
ある娘は老師たちに教えを請い、
またある娘は老師たちに胸を張ってこう言った。
「バックコーラスないの?」
一応に固まるスタッフ一同。
顔見合わせるワシ達・・・
「コンテストだからね、プロのコーラスがいるとみんなそれに頼っちゃうでしょ」
(本当は予算がないからなのであろうが・・・)一生懸命なだめるスタッフ達・・・
「お前、コーラスやれよ!」
新しく生まれためんどくさい仕事をお互いになすりつけ合うメンバー達・・・
しかし、ワシは個人的には実はこの発言をした娘が一番歌がうまいと思っていた。
ルックスも、その時は「お前、絶対年齢サバよんでるじゃろ」としか思わなかったが、
本番になるとばっちし化粧して結構美人だったし・・・
歌がうまくてルックスよければとりあえず性格は、ねぇ・・・
あと、印象に残った娘が、背がちょっと低くてぽっちゃりしていたために、
審査員からも総評の時に「それからあの・・・おデブちゃん・・・あんた歌うまいわねぇ・・・」
と言われていた女の子である。
彼女が選ぶ歌が、ちょっと古いタイプのバラードが多く、
うまいんだけどあんまし興味がなかったが、
本番のメドレーで彼女のルーツであるオペラを歌ってそのうまさに絶句。
歌がうまくて性格よければとりあえずルックスは、ねぇ・・・
しかしまあ後の娘達はと言うと・・・まあ・・・歌は・・・どうしようもない・・・
ひとり、ワシが昔プロデュースした李慧珍の曲を歌ったが、
「お前・・・頼むからその曲だけは歌うなよ・・・」
と言いたいほど情けない。
そいつだけは満場一致で「どうしようもない」のであったが、
本番ではそんなのが当選したりするんだから不思議なもんである。
歌えないと言えばひとり、頬を赤らめてマイクを両手で抱えるように持って・・・
これがまた本当に全然歌えないんじゃが、ワシのロリコン心を刺激して非常に可愛い。
本番では審査員から「あんた、可愛いのはわかるけどここは学芸会じゃないのよ」
と酷評されて見事落選。
しかしその時流した一筋の涙に司会者が同情し、
「じゃあせっかく練習したんだから1曲だけ歌っていいわよ」
とチャンスを与えてあげる。
涙ながらに歌う彼女・・・
ワシも何か他の曲よりも一生懸命ドラムを叩いたりするが、
こんな娘の選んで来る曲ってのがまたドラムなんてどうでもよいアイドル物だったりする。
でも・・・はっきり言って楽しい仕事じゃ・・・
さて、若き美しい(そうでないのも数人いるが)娘達の涙と笑顔に囲まれながら、
ワシの楽しき仕事はこれで終わった・・・と思ったらそうでもなかった。
「じゃ、また来週!」
あれ?これって決勝戦じゃなかったの?・・・
「これは15人の中から7人を選ぶ予選。来週はその中から5人を選ぶ」
・・・ワシの楽しみは続く・・・
・・・と思いしや、実はLaoLuan自身があまりのギャラの安さにこの仕事を降りてしまい、
結局ワシの楽しみは次の北京特別唱区の決勝で終わってしまった。
仕方がないのでそれをインターネットで放映しているサイト
http://www.supergirl.sohu.com/でその続きを見る。
ワシの仕事はもう既に過去のものとなってUPされてないが、
いやはやこれは・・・はっきし言って面白い!
ワシが一番歌がうまいと思った二人は最終予選で落とされてしまったようじゃが・・・
結局一番どうしようもないのが結局最後まで残ってたりするから不思議である。
うーむ・・・タダでもいいからずっとやりたかったぞ・・・この仕事・・・
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2006年1月29日
花火爆竹の中国のお正月
新年好!新春快楽!
今日は旧暦の1月1日、中国語で「春節」、いわゆる旧正月である。
日本では通常の1日でしかない今日は、中国では一番大事な祭日。
言うならば盆と正月がいっぺんに来たようなもんである。
ワシがこちらで春節を過ごすのは実はまだ2回目。
(1回目の話はコチラhttp://www.funkycorp.jp/funky/ML/96.html)
前回と大きく違っているのは嫁がいることと、
根っからの放浪癖にピリオドを打って「住処」を定めたこと。
(関連ネタhttp://www.funkycorp.jp/funky/ML/109.html、
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/110.html)
今回は実は旧正月前から夫婦して日本に帰る予定だったのだが、
チケットの予約が遅れ、どうにも満席で日本への便が取れず、
仕方がないので春節明けの2月2日のチケットを取って今もこうして北京に残っている。
誰もワシが今北京に残っているとは思ってないので
誰にも「うちに来いよ」誘われることもなく、
言うならば典型的な「家族水入らずで過ごす」春節である。
しかしワシらふたりでどう過ごせばええのん?・・・
初めてのことなのでとりあえず人を呼んで賑やかに過ごすことにする。
「中国では餃子にコイン入れてそれを茹でてみんなで食べるのさ!」
と知ったかぶりに嫁に言うが、
「餃子ってどうやって作るの?皮から作るんでしょ?」
と聞かれ、いきなりしどろもどろ・・・
そうなのじゃ。ワシは誰かが作ってくれた餃子を食べたり、
せめて誰かが作ってくれた皮を一緒に包んで餃子にしたりしてただけなのじゃ・・・
誰か餃子の皮作れるヤツはおらんか・・・
院子のロックミュージシャンはほとんど里帰りしてしまってるし、
前回一緒に旧正月を過ごした友人達は今年はみんな外地に行ってしまってる・・・
若いミュージシャン達は実家に帰ってたり、
基本的に北京人は家庭にこもって家族と過ごすので出てこない。
仕方ないので春節なのに日本に帰ってない日本人を呼び集める。
元XYZのPAエンジニア吉田くん夫妻に、
元ワシのアシスタントの若い衆重田くん、
そして昔BayFMのラジオ番組「Asian Pop Connection」
を一緒にやってた相方「千葉麻衣子」がひょんなことから北京に留学に来ているので
みんな一堂に呼び出して総勢8人で「鍋」。
そう、誰も餃子作れないから日本人的に鍋屋で鍋を囲むことにしたのだ。
XYZ北京ライブhttp://www.funkycorp.jp/funky/ML/61.html
の打ち上げでも使った中国式牛肉しゃぶしゃぶ鍋に集合して飲むぞ!
と思いきや、その向かいが政府公認の花火爆竹販売店。
そうそう・・・聞くところによると今年から北京市内で爆竹が解禁になったとか・・・
よしとばかり花火と爆竹を購入しようと心に決めつつとりあえず食事。
食べながらもいろんなところでバンバン、ヒューヒュー、ボカンと言ってるのを聞きながら、
気もそぞろになりながら食事を終え、やはり春節は花火と爆竹でしょう!!!
向かいの花火屋に駆け込んで花火と爆竹購入!!
しかしこれって意外と高いのよね・・・
百連発とかの爆竹が40元(600円)。
ロケット花火、打ち上げ花火が90元(1500円)。
これを大勢で盛り上がってやりまくろうとすればやはりひとり1万円がとこ必要である。
我が家の財布を握っている花火好きの嫁が
喜び勇んで300元(4500円)ぽんと出したところでどれほども買うことが出来ない。
「吉田家の厄払いです」と言って100元出してくれる吉田くんはありがたいが、
結局はみんなで打ち上げ花火数発と爆竹で終ってしまう。
ちと物足りない気もするが、
厄払いが目的ならもう十分目的は果たしたとばかり家路に着く。
彼らは市内へ、ワシら夫婦は貧民街へと帰ってゆくのだが、
(関連ネタhttp://www.funkycorp.jp/funky/ML/113.html)
心なしか道々、周りで花火を上げている数が増えて来るように感じる。
聞くところによると規制が厳しかったのは北京市内で、郊外は言わば無法地帯。
昔からいたるところで花火や爆竹とは聞いていたが・・・
だいたい都会のど真ん中のビル街で打ち上げ花火を上げようと思えば大変だろうが、
ウチの村はちょっと外れれば全て未開の空き地である。
花火なんぞ上げ放題なのではあるまいか・・・
・・・と期待に胸を膨らませて家路に着くが、
まあこれと言って凄い花火や爆竹の嵐があるわけでもなく、
院子に帰って風呂に入り、大家が放った爆竹の音を聞きながら眠りに着こうとすると、
夜中の11時を過ぎたぐらいから爆音と共にいきなり窓の外が明るくなり出す。
花火好きの嫁がいそいそと起き出して窓から眺めたり外に出たり、
近所のいろんなところで上がってる打ち上げ花火が小さく見えるので、
「よし、車で花火やってるとこまで見に行こう!」
とばかりふたりで起き出して車に乗る。
「近所の空き地じゃないわよ。きっとあっちの高級別荘地よ」
そうそう、花火が結構高いものだと分かった今、
あんな巨大な打ち上げ花火を、うちの村の貧乏人がやれるわけはない。
隣接する超高級別荘地に繰り出してみると、
そこはもはや隅田川の花火大会よりも凄まじい勢いで花火が打ち上げられている。
しかも路上の真ん中で一般人が勝手に墨田川級の花火を打ち上げているのである。
隣接する超高級別荘地では、恐らくその別荘の管理会社が花火を上げているのか、
それでもかなり大掛かりな花火がボンボン上がるそのま横の路上で、
車のトランクに花火を満載した人たちがどんどん集まって来て、
自分勝手にボンボンと更に巨大な打ち上げ花火を打ち上げる。
「タマや~!カギや~!」
などと風情のあるもんではなく、
花火がひとつの花だとすると、その花びらの下っ側はヘタしたら地面すれすれだし、
横っ側はヘタしたら別荘地の屋根すれすれである。
お前ら、高度が低すぎんねん!
と言ったところでそれは売られている花火のみが知っていることなのでどうしようもない。
綺麗と言えば、こんな至近距離で花が咲くんだからそれは綺麗である。
花火好きの嫁、狂喜乱舞・・・
頃は夜中の0時ともなると、
高級別荘地の全ての住人がまた自分で火を上げるもんで、
もうそこらじゅう花火だらけ・・・
綺麗を通り越してもう「壮絶」である。
隅田川も淀川も、これほど広範囲で花火を打ち上げることはあるまい・・・
またこんな至近距離でこれだけの数の花火を見ることはあるまい・・・
嫁・・・狂喜乱舞・・・
毎年死者が出たり火災が起こったりで市内では禁止されていた花火爆竹。
今年より条件付と言えど解禁!
しかしその条件と言うのが「花火購入はひとり30kgまで」と言うのは本気か!!!
この国は正月に花火で死んでもええんか!!!
かなりの数の警察が動員され、厳戒態勢で行われた花火爆竹解禁。
幸いにも本日、春節の一日で負傷者は出たが死者はゼロと言う。
そしてその負傷者のほとんどは顔面に火傷を負ったと言うものであるそうだ。
お前ら!そうまでして花火やりたいかい!!
ちなみに日本大使館は
日本人がのこのこ見に行くことを自粛するよう要請していたらしい・・・
帰り道でも道のど真ん中で打ち上げ花火をやっているので、
さしずめ戦争映画の一場面のようにそれをよけながら家路に着くワシら夫妻。
花火好きの嫁が、屋台を引いて売りに来ている花火屋さんに聞いた。
「あの一番大きな打ち上げ花火、いくら?」
「タマや~!カギや~!」の20連発で700元(1万円)。
至近距離で爆発する花火に照らされた嫁の美しい横顔がこう語っていた。
「来年はきっと院子で高級別荘地に負けない花火を上げてやるわ!」
ダンナ、来年の花火代のために一生懸命働くのみ・・・
ファンキー末吉
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2005年12月17日
貧民街の日本人妻
さて、再婚して初めての嫁ネタである。
だいたい20歳も年上のふたりの子持ちで、
まあお世辞にもロマンスグレーの素敵なオジサマでもなく、
かと言って何を我慢しても財産だけはあるのよと言えるほどの金持ちでもなく、
それでも実直で家庭思いのマイフォームパパならばいざ知らず、
家?いらん!金?いらん!好きな音楽とビールがあればそれでええんじゃい!
と言うような、ある種変人に嫁いで来ようと言うのだからかなり奇特な嫁である。
何の因果で、生活風習もまるで合わない、言葉も全然喋れない、
別にもともと縁もゆかりもない好きでも何でもないこんな国に、
旦那が「死ぬ時はここで死にたい」と言うがために
全てを捨てて嫁いで来なければならないのか・・・
数ヶ月前、この通称ロック村に初めて訪れた時、
(関連ネタ:http://www.funkycorp.jp/funky/ML/109.html)
「ここで住みたい」と強く思ってはみたものの
実はその時は数ヵ月後には結婚を控え、
「ワシはともかく嫁はこんなスラム街みたいなところに住めるのか?・・・」
と本気で心配した。
一応北京市朝陽区に属する人ロ2400人の小さな村、「費家村」、
村民のほとんどは地方からやって来た労働者、
その収入たるや想像を絶するほど低い。
逆に言うと1日100円もあれば暮らせるほど物価は安い。
村には警察はなく、自警団が夜回りをして治安を守る。
(と言うより村人曰く「奴らこそヤクザだ」)
電気、水道等インフラは完備されているものの、
中国語で言う「下水(シアシュェイ)」はあっても「汚水(ウーシュェイ)」はなく、
従ってトイレは汲み取りボッチャンの公衆トイレしかない。
その村の外れに貧乏なロックミュージシャン達が住みついて
通称「ロック村」と呼ばれる小さな集落を形成しているわけなのだが、
最初にここを訪れた時は直接このロック村に来てそのまま帰ったので思わなかったが、
2度目にここを訪れた時、村のレストランで昼飯を食っていると
隣のテーブルでは労務者達が昼飯っから安洒を煽って酔っ払っていた。
「末吉さん、ここ・・・マジでヤバいですよ・・・」
同行した元アシスタントの重田が小声でそう言う。
「絶対日本語喋っちゃダメですよ。
日本人なんてことがバレたら何されるかわかったもんじゃないっすよ。
身ぐるみ剥されてあり金巻上げられたって文句言えませんよ」
と真顔でそう言う。
村から帰って元彼女今秘書のKelly嬢に相談する。
(注:http://www.funkycorp.jp/funky/ML/87.htmlとは別人)
「ヤべぇよぉ・・・あそこ・・・」
泣き言を入れたらすぐさま一喝される。
「何言ってんの!!貧乏人は即ち悪人なの?
私の父も昔は貧乏だったけど決して悪人じゃないわ!!」
いきなりの剣幕にたじろぎながらも反論してみる。
「だって昼間っから仕事もせずに酔いつぶれてんだよ・・・ヤべぇよ・・・あれ・・・」
それを聞いた彼女、すかさずピシャっと一言。
「あんた達だって昼間っからいつもビール飲んで酔っ払ってるじゃん!!」
そうなのである。奴らからしたら、どう見てもまっとうに働いてもない、
変な格好して昼間っからビール飲んだくれるワシらはどう見てもアブナい人達。
さしずめ「あのロック村には近づくな!!マジでヤべぇぞ!!」などと噂されているのだろうか・・・
かくしてワシはここにスタジオを作り、ここで住むことを決意!!
嫁にも一応相談したが、日本に住んでいたんでは想像だに出来ないそんな環境、
「あなたの住むところが私の住むところよ」
などと口走ってしまったが最後、
中国人でさえ敬遠するこの貧民街に嫁いで来る初めての日本人妻と相成った。
瀬戸は日暮れて夕波小波、あなたの島へお嫁に行く・・・
などとロマンチックなシチュエーションがあるわけもなく、
彼女が北京空港に降り立って、すぐに連れて来られたのがこの村。
しかもその時にはまだ風呂もトイレもなく、
コンクリートむき出しのただ「箱」があるだけの北京式伝統的長屋住居、院子(ユエンズ)。
まさにベッドとソファーだけが置かれたその「箱」に嫁いで来た。
「お風呂は?・・・ト、トイレもないの?・・・」
しかもその日は北京には珍しく大雨。
雷も鳴り、おりしも停電・・・
貧民街、日暮れれば、電気なければ真っ暗闇
ほんと一切の光のない真っ暗闇なのである。
しかも聞こえる音と言えば狂ったように「箱」を叩く雨の音・・・
時は5月、温度差の激しい北京の春である。
毛布に包まり寒さに震えながら、
「私・・・ここで暮らすの?・・・」
嫁、半べそである。
翌日、雨も上がり、また手作業での改修作業が始まる。
カルチャーショックで呆然とする嫁を尻目に、この旦那、
「毎日がキャンプみたいで楽しい」
とウキウキである。
壁も全面ラスタカラーに塗り替えた。
スタジオのドラムブースの天井には卵パックを一面に貼り付ける。
壁は音の反響を調整出来るように四面を全部厚手のカーテンが開閉できるようにする。
これらを全部自分で手作業でやるのだからキャンプと言うよりはサバイバルである。
ロック村の若きミュージシャン達が日替わりで手伝いに来る。
家具は近所に泥棒市のような中古市場があり、
ボロボロだが何でもタダ同然で買える。
洗濯機も買った。
冷蔵庫もビールを多量に冷やすので2台買った。
「ここのどこが不満?
何が欲しい?何がなければ買えばいい」
トイレなければキャンプ用の移動式トイレを買った。
風呂がなければ檜作りの浴槽買った。
「浴槽あったってこう頻繁に断水してたら意味ないじゃん!」
ほな太陽熱温水器買いまひょ。いつでもお湯出るよ。
「スタジオ作ったって停電したらそれで終わりじゃん!」
しまいにはガソリン式の大きな発電機まで購入する始末・・・
これじゃぁ当初の予定通り家買った方が安く上がった?・・・
かくしてもう半年・・・今だに毎日が改修作業である。
安かろう悪かろう・・・中古で買った全ての物は一応に何度も修繕が必要である。
「中古はやっぱあかんのう・・・ここで新品は嫁だけじゃ・・・」
再婚と言う中古のお下がりの旦那が初婚の嫁見て独り言・・・
夏は40度を越す猛暑となり、嫁はさすがに夏バテでぶっ倒れた。
冬はマイナス15度を下回るので各部屋にセントラルヒーティングを入れた。
・・・と言っても石炭を自分で焚いて、その熱で蒸気を各部屋に送ると言う手動式である。
今も石炭をぶっこむために夜中に起き出したついでにこのメルマガを書いている。
「そうだ!院子(ユエンズ)をすっぽり覆ってしまうテントを作れば、
中庭が全部温室となって暖かいのではないか!!」
自分でビニールを買って来てやぐらを組んで屋根をつける。
そして突風で何度も壊され、昨日は4度目の修繕をした。
何度も何度も材料を買いに来るので村の商店でももうお馴染みである。
酒盛りが始まると「羊肉串100本!!」とか頼むので、
道端で羊肉串焼いてるおんちゃんにとっては大のお得意さんである。
嫁も言葉も通じないまま買い物に行くので珍しくて人気者である。
ある日は村のレストランで「何人だ?」と聞かれ、
身振り手振りと筆談で日本人だと答えた途端、
厨房からどこから全ての従業員が入れ替わり立ち替わり出て来て
「お、これが日本人かぁ・・・初めて見た・・・」とばかりの人だかり。
ここに住みついて半年、
訪れる訪問客は一応に
「ヤべぇよ、ここ・・・ファンキー、自分の命だけは気をつけろよ」
と言うが、今だかって身の危険を感じたことは一度もない。
ただ困るのが、タクシーに乗ってここに帰って来る時に、
タクシーの運転手がビビって村の中まで入ろうとしてくれないことである。
こんなスラム街に入りこんだ日にゃぁ
村人に寄ってたかってタクシー強盗されても不思議はないと思うのであろうが、
運転手さん、この村は貧乏人の吹きだまりではあっても犯罪者の吹きだまりではない。
第一、中国で同じ犯罪犯すならもっといい暮らしをしとるじゃろう。
こんなところに住んでまへん!!
と言うわけで、
中国人にすら「あそこやべぇよ・・・」と言われる貧民街に嫁いだ日本人花嫁。
今のところ「私・・・もう帰らせてもらいます」はまだ出ていない。
時間の問題か・・・
ファンキー末吉
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2005年10月 6日
みの吉ネタ「野茂とホモの違い」
忙しくて忘れていたが、そう言えばみの吉和尚から久々のアホメールが来ていた。
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お笑いが恋しいこの頃・・。
ホモは辛い。
最近、野茂とホモの違いが分からないと聞きます。
完投して喜ぶのが野茂、浣腸して喜ぶのがホモ
打たれるのをいやがるのが野茂、打たれるのを喜ぶのがホモ
野茂はホモを狙わないが、ホモは野茂を狙うことがある
好プレーするのが野茂、チンプレーするのがホモ
家族で楽しく見るのが野茂のプレー、家族で楽しく見れないのがホモのプレー
お尻を見せて球を投げるのが野茂、お尻を見せて玉を揺らすのがホモ
フォークが得意なのが野茂、トークが得意なのがホモ。
アメリカで観戦するのが野茂、アメリカで感染するのがホモ。
野茂は講演に行くが、ホモは公園に行く。
野茂はカレーが好きだが、ホモは彼が好き。
野茂のプレーは素晴らしいが、ホモのプレーは凄いらしい。
優勝して感動するのが野茂、融合して浣腸するのがホモ。
タマを投げてチームを守るが野茂、タマを触って彼を攻めるのがホモ。
野茂はバーモントカレーが好きらしいが、ホモはバーの元彼が好きらしい。
野茂は投手、ホモは同種。
野茂はお尻を向けて投げるが、ホモはお尻を向けて誘う。
野茂はあまり喋らないが、ホモはよくしゃぶる。
野茂はトレーニングをするが、ホモは彼にングッする。
バックに守られるのが野茂 バックから攻められるのがホモ
野茂の高校は成城だが、ホモの行動は正常じゃない。
ただの投手じゃないのは野茂 多田野投手はホモ。
ごきげんよ~♪
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相変わらずのみの吉和尚だが、
そう言えば彼は先日北京まで来てXYZ中国語版のボーカル録れをしていた。
こんな彼だが、仕事に取り組む時だけは非常に真面目である。
一言も喋れない中国語の発音を、
ワシが徹夜で書いた発音指南書と、中国人ボーカルに歌ってもらった仮歌を元にして、
自分なりの発音指南書、つまりカンペを作成し、
1曲、と言ってもこれはコンセプトアルバムの最後を飾る3曲のメドレーなのだが、
10分を越す大作の中国語ボーカルを4日かかって録り終えた。
カンペと言っても実はこれがヒドイもんである。
仮にもNHK中国語会話のパーソナリティーをも務め、
仮にも中国語学習の本まで出版したことがあるこのワシが徹夜で
無:ウー(日本語のウより少し口を尖らせて発音する)
力:リー(英語のLi、カタカナのリに近い)
改:ガイ(日本語のガイに近い)
変:ビエン(カタカナのビから英語のアップルのaを経てnに終る)
只:ジー(舌を巻いて喉の奥でジーと言う)
有:ヨウ(イォウに近い)
悲:ベイ(日本語のベイに近い)
傷:シャンg(舌を巻いて喉の奥でシャンと言い、語尾は飲み込む感じ)
などと20ページに渡る発音指南書を書いてあげたと言うのに
「これでは歌えん!」
とばかり二井原が自分で作ったカンペは次のようなもんである。
瓜・Gay・鼻炎・痔・洋・Bay・シャン
これで歌えるんかい!
ちなみに中国語の詞ではここは、
「世界はどうして俺が思い描いた天国でないのか!また自分の無力さに心傷ついてしまう」
と言う非常に感動的な部分であるのにそれが「鼻炎と痔かい!!!」・・・作者号泣・・・
まあいい。録音してるのはワシのスタジオである。
別に何日かかって録り終えてもスタジオ代はタダである。
自分の納得するやり方で死ぬまで何回でも歌ってもらえばよい。
聞けば全米で大ヒットしたラウドネスのデビューアルバムも、
当時英語が喋れなかった二井原は
音程よければ発音が・・・発音よければニュアンスが・・・
「これで完璧やろ!」と思えば
「Mick!惜しい!今のはちょっとカンサス地方の訛り入ってる。
メタルはやっぱLA訛りで歌ってくれないと・・・」
で結局数行に3日間かけてまぐれ当たりを狙って録るしかなかったと言うし・・・
さて発音にも苦労してもらうが、
実はこの二井原の特殊な声をちゃんと録音すると言う作業もこれがかなり大変である。
自分のドラム録音のためだけに7月に完成し、
今や既に30曲以上のドラムを録音しているわが北京ファンキースタジオ
(関連ネタ:http://www.funkycorp.jp/funky/ML/109.html、http://www.funkycorp.jp/funky/ML/110.html)
であるが、実はこの日のためにボーカル録音もちゃんと出来る設備を整えてあった。
スタジオ作りのためにその巨体を2シート分の飛行機に乗せ、
LAからわざわざ北京まで来てくれたWyn Davisが、
「これはMick(二井原の英語名)のボーカルにもとてもいいよ」
と選んでくれたドラムのオーバーヘッド用のマイクは実は日本円で1本40万円近くするし、
またこの時のために実は、ドラム録りにはまるで必要ない
AVARONと言う数十万円するプリアンプ、コンプレッサーも揃えている。
ところが「レコーディングとはとどのつまりEQとコンプレッサーの使い方に尽きる」と言うぐらい
特にこのコンプレッサーと言うものの使い方が非常に難しい。
ドラムの音に関してはWyn Davisの作ってくれた音をそのままの状態で保存し、
ドラムのセッティングからマイクの位置までまるで変えないので、
日々の微調整ぐらいでこのTotal Accessサウンド
(と言うより今や北京ファンキースタジオの音)を完璧に再現出来るが、
ことボーカルとなるとWynが作ってくれてるわけでもないので
エンジニアの吉田君と頭を抱えてたら、
「よ、ファンキー。あのラウドネスのボーカルが来てるって?」
と北京在住のアメリカンコリアンのエンジニア、Alexがふらっと遊びに来てくれた。
彼はセリーヌ・ディオンやらマライア・キャリーやらを手がけたり、
アメリカで大成功したと言うが何故かそれを全て捨てて北京に移住。
ワシが友人を紹介したりしてあげてるうちに今や北京でも売れっ子のエンジニアとなった。
彼曰く、ラウドネスは彼がハイスクールの時のアイドルだったらしい。
二井原の声に合わせたセッティングをしてくれ、
後にはこの曲の最後を飾る北京のフルストリングスオーケストラのレコーディングまで
全てを無料でやってくれた。
謝謝!Thanks! カムサハムニダ!
まだ発売が大決定してない中国語版は、
実は今のところ全部ワシの自腹、持ち出しなのよん・・・涙・・・
また、最終日には
女子十二樂坊のアレンジャー、プロデューサーとして名高い梁剣峰まで遊びに来てくれ、
今や1曲手がけたらそれこそ国内最高峰の値段である彼が
やはり無料で歌のディレクションをしてくれた。
何せ「鼻炎と痔」で歌ってるんだから中国人が聞いてどう聞こえるのかが心配であったが、
「なかなかいいじゃないの。とても中国語を全然喋れない外国人が歌ってるとは思えない」
とお褒めの言葉を頂いて胸を撫で下ろしてたら、彼はいつもの笑顔で一言。
「ところでファンキー。これを俺は今日は一体どのレベルまでやればいいの?」
値段だけでなく、仕事の細かさも国内一、
このワシが彼の仕事で1曲叩くのに10時間かかったと言う伝説を残すほどである。
(関連ネタ:http://www.funkycorp.jp/funky/ML/103.html)
二井原には非常に可哀想ではあったがワシは彼にこう言った。
「ネイティブの中国人が歌ってるレベル」
これはたまったもんじゃない!
歌録れは1日4時間が限度だと言うMickこと二井原実、またの名をみの吉和尚は、
結局その日は8時間以上歌うハメとなってしまった。・・・歌手号泣・・・
さてAlexや梁剣峰ら多数の人の助けにより、
何とかXYZのニューアルバムの全てのバージョンは録り終えた。
後はデータをアメリカに持って行って、
Wyn DavisのTotal Accessスタジオでミックスダウンを行うのみである。
また北京から成田経由の長いフライトでLAに降り立った。
知り合った当初は二井原の知り合いとして紹介してくれたWyn Davisであるが、
中国の数々のプロジェクト
(関連ネタ:http://www.funkycorp.jp/funky/ML/88.html、
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/92.html、
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/105.html)
を一緒にやるうちに、
言葉もろくに通じないワシが今では彼のアジアの大親友となってしまった。
週末には彼の結婚式にまでご招待されている。
初めてお会いした彼の母親から再婚相手のイタリア系美女の奥さん、
その連れ子の若手メタルギタリストまで紹介されてもワシ・・・
・・・英語がそんなに喋れへん・・・(またもや号泣)・・・
まあ音楽用語は日本でも全ては英語からの外来語なので、
何とかミックスダウンでのコミュニケーションは出来る。
ひとりで数十チャンネルもダビングするギタリストと、
自分で声を重ねて数十チャンネルコーラスを入れるボーカリストのおかげで、
4人しかメンバーがいないのにProToolsのチャンネルが足りなくなるほどのトラック数を
Wynとふたりで一生懸命整理する。
ストリングスオーケストラが入る最終曲は特に大変である。
「Mickからメールもらったんだけど、やっぱMickって中国語うまいねえ・・・」
Wynの言っている意味がよくわからない。
何度も聞き返すがどうもわからない。
「だからぁ。中国語で歌ってるんだろ、この曲。
俺には日本語と変わらないぐらい流暢に聞こえるがねぇ・・・」
Wynさん・・・それ・・・日本語・・・中国語版はまだ発売が決定してないので今回は・・・
そうじゃそうじゃ、北京に残して来た中国語版・・・
そろそろ発売元の社長が聞いて決定かどうかを伝えてくれる頃である。
国際電話をかける。
「もしもし、社長さん?聞いて頂けました?」
もしここで「ダメだ」と言われたら発売は流れ、
費用を立て替えたワシは丸損なのでかなりドキドキもんである。
「聞いたよ。素晴らしい!
あのボーカルは日本でも相当有名なボーカルなんじゃないか?」
かなり興奮して言う社長。
「いや、日本でと言うよりはアメリカや世界的に有名なボーカルですよ」
とにかく押しに押すワシ。
「歌は素晴らしい!曲も非常によいのだが、しかし10分はちょっと長すぎるなあ・・・」
すかさず押しに押すワシ。
「いえいえ、あれは3曲メドレーなんで、最初のバラードで切って編集すれば4分強。
サイズとしてはちょうどいいのでは?」
日本語版ではフルアルバムなのでコンセプト上どうしても3曲で1曲であるが、
中国語版ではロックのオムニバスへの参加なので別に編集しても事足りる。
「そうか!よし!このバンドは決定!帰って来たらさっそく契約しよう」
やったぁ!!!
オムニバスに1曲参加とは言え、念願のXYZ中国発売である。
こうなればまだ発売の決まってない日本とどちらが早いかである。
ついでに中国語版のミックスダウンもここでWynにやってもらおうか・・・
などと考えながら電話を切ろうとしたら社長さんが一言。
「それで、本チャンの歌録れはいつすんの?・・・」
あれだけ苦労したのにまた最初っから録り直すんですかぁ・・・(関係者一同号泣)・・・
二井原はん・・・アホなメール書いてへんでまたもう一度北京に来てもらえますか・・・
ファンキー末吉
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●X.Y.Z.→A●
http://www.funkycorp.jp/xyzrecords/xyz/index.htm
Vo.二井原実(ラウドネス)
Gt.橘高文彦(ex.筋肉少女帯)
B.バーベQ和佐田(爆風スランプ)
Dr.ファンキー末吉(爆風スランプ)
足掛け3年かけて製作したニューアルバムがついに今完成しようとしている。
感激もんである。
LAから帰りに日本によってミーティングをし、
スタッフ一同に聞いてもらって発売日が決定する。
さてその発売日とはいつなのか?
そして中国語版の行方は?
続報を待て!
ファンキー末吉
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2005年9月 4日
どでかいロックフェスティバルでドラム叩いたら
「見たよ、見たよ・・・」
先日からやたら人にそう言われるので何かと思ったら、
7月1日に行われた大きな野外ロックイベントがテレビで放映されたらしい。
崔健(ツイ・ジエン)、唐朝(タン・チャオ)、黒豹(ヘイ・バオ)、超載(チャオ・ザイ)、等
中国ロックの創始者の世代の大御所バンドから、
それを受けて商業的に一番ブレイクさせた零点(リン・ディエン)、
香港からはBEYONDのギタリスト、黄貫中(PAUL)まで参加した、
そんな中国ロックの大同窓会のような顔ぶれの中、
ワシは韓紅(ハン・ホン)と言う人気歌手のバックバンドとして呼ばれ、
毛沢東を讃える革命の歌を「ロックにアレンジしてくれ」と言われ、
それをしゃかりきに叩きまくっていた。
「何十年の歌手生活の中で、初めてよ、ロックイベントになんか呼ばれたの・・・
ロック歌手、韓紅(ハン・ホン)・・・何かくすぐったいわねぇ・・・」
と言ってMCで受けを取ってから気合たっぷりで始まった韓紅(ハン・ホン)のステージ。
しかしワシのアレンジがちと複雑過ぎたのか、2番に入りそびれた韓紅(ハン・ホン)、
バンドもどのパートを演奏したらいいかわからいのでちりじりバラバラになるが、
さすがは場慣れした大御所歌手である。あわてず焦らず、
「ありゃりゃ、入りそびれたわ。どっから歌うの?まあええわ・・・」
とばかり、ドラムス!ファンキー!」と絶叫してワシに振る。
しゃーないのでドラムソロごとくドラムをぶっ叩く。
このクラスになるとメンバーも一流のプレイヤー達なのでそれに絡んで来て盛り上げる。
最高潮に達した時に韓紅(ハン・ホン)のカウントにより2番に入り、
結局おかげでこの曲はこのコンサートで一番盛り上がった演奏となる。
ステージ脇のスクリーンではこれでもかと言うぐらいワシのドラムのアップ・・・
客席で見ていた嫁は
「歌手を差し置いてあんなにアップになったらアカンわ・・・」
と言うぐらい誰よりもフィーチャリングされていた。
しかしここが問題である。
この日のテーマは共産党がファシズムに打ち勝った記念日を祝うコンサート。
つまり抗日記念イベントでもある。
反日、反日と騒がれるご時世に、
日本人ドラマーがこんな抗日イベントに参加して
しかもこんなにフィーチャリングされたらアカンわぁ・・・
楽屋は昔懐かしい友達ばかりなので、
「お前、今日は何のコンサートか知っているのか!
日本人であるお前がどの面下げてドラム叩いてんだ!」
とワシをからかうが、
「こんな面でぇーす」
とばかりアホ面を巨大スクリーンにさらす。
恐らくテレビのオンエアーでも
かなりのカット数でこのアホ面が全中国に流れたことであろう・・・
日本のNHKと同じで、
中国でもひとつの大きなプログラムは北京電視台等関連放送局で何度も再放送される。
全中国にこのアホ面が流れる度にみんなワシに「見たよ、見たよ・・・」と言うのだが、
とある友人は大受けしてこう言った。
「日本人がこの趣旨のイベントに参加して、
しかもこれだけ活躍すると言うことは素晴らしいことだ。
俺は今から中国じゅうのマスコミ集めてお前のことを取材してもらう。
共産党もお前の一生の食いっぷちのみならず、住居や市民権、
ヘタしたら中華人民共和国の国籍を与えてくれるやも知れん!」
頼むからやめて下さい・・・そっとしといて下さい・・・
ファンキー末吉
Posted by ファンキー末吉 at:15:23 | 固定リンク
2005年8月20日
ドラマーがドラムスタジオを作るワケ
日本に帰って来てXYZのニューアルバムをレコーディングしている
ちなみに今日は最終日
橘高が命を削ってギターソロを録れているのを、その骨を拾ってやるべく・・・
・・・その実、隣で酒を飲みながらそれを見届けている
だからやっと時間が出来てメルマガ書ける、メールにRes出来る、HP更新出来る・・・
昔は忙しい日本を脱出して北京に行ってのんびりしてたものだが今ではまるで逆である
ドラム以外の仕事は極力避けようと言いつつ
結局アメリカからWyn Davisを呼びつけて自宅にスタジオなんぞ作ったもんだから
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/109.html
結局朝から晩までずーっとレコーディングしている
XYZの曲なんか結局スケジュールないもんで朝8時から2バス踏んでいる
このテの音楽・・・真夜中に汗だくでやってると
「この時間にやる音楽じゃないわのぅ・・・」と毎回思うが、
さすがに朝8時にやる音楽では決してない・・・
昼は韓紅(ハン・ホン)のリハーサル、夜は許魏(シュー・ウェイ)のリハーサル
夜中に帰って来て譜面の整理などをしながらバタンQ(死語)
朝8時には今は既に北京に移住して来た元XYZのPAエンジニア吉田君が
「音を作るのはPAもレコーディングも同じじゃろ」
とばかりドラム録りに駆り出されてやって来る
叩き起こされて顔も洗わず寝ぼけ眼でそのまま全力疾走で2バスを踏む
・・・身体に悪い・・・
この北京ファンキードラムスタジオは人にはレンタルしないし
ドラムのセッティングもマイクのセッティングもWyn Davisがセットしてくれたまま動かさないし、
また、ドラムの傍らにもディスプレイとマウス、キーボード等が設置されていて
ワシ一人ででもパンチイン、パンチアウトをやりながら最後まで録り終えることが出来る
自宅スタジオなんだから時間を気にすることもエンジニアに気をつかうこともなく
納得するまでレコーディングを・・・と当初は思っていたのだが、
何曲か録るうちにそれはミュージシャンにとって非常に危険な状況であることが判明
つまり何度でもやり直せると言うことは即ち「終わらない」と言うことで
吉田君の必要性は
Wynの作ってくれたTotal Access Studioサウンドをキープ、メンテすることだけではなく
「ねえ、今の2バスちょっとヨレてた?」とか言う質問に
胸を張って「いいえ、よれてません!!」と断言してもらうことも大きい
それでも録り終わった後、夜中に聞いたりして
「やっぱもう一回やろうかな・・・」と言って録り直すのも自由なんだから始末が悪い
その度に吉田君も何度も呼び出され
やっとの思いで叩き終えたアルバム全曲のドラムデータを持って来日
そしてそれを聞きながら人の苦しみを横目で酒を飲む
・・・いやぁ・・・すんごい音やなぁ・・・
まるでLAのTotal Access Studioで録ったが如きぶっといドラムサウンド
こんなんが自宅で録れるっつうのはほんまミュージシャンにとって至福の環境やなぁ・・・
もともとドラムの音っつうのはドラマーが自分の耳の位置で聞いて一番いい音に叩いとる
それをひとつひとつの太鼓のあんなにそばのマイクで音拾って録音したところで
到底自分の聞いているドラムサウンドとは似ても似つかない
これはライブでも同じことで
ドラマーは一生自分の出音を生で聞くことが出来ないので
PAエンジニアに全てを托すしかない
つまり録音した音、ライブの音はすでにワシの音ではなくエンジニアの音なのである
しかしこれからのワシは違う!!
Wynの残してくれたこのサウンドこそが「ファンキー末吉のドラムサウンド」である
このためだったら金にいとめはつけん!!
・・・と言いつつワシ・・・ワシ・・・これに一体いくらつぎ込んだんやろ・・・
二井原がロニー・ジェイムス・ディオと対談した時
「Wynと会うたらむっちゃ痩せてるんでびっくりするでぇ」
と言われたと言うので非常に期待してたのだが
30kg痩せたと言っても彼のその巨体を飛行機で運ぶためにはやはり座席が2つ必要で、
オンシーズンのその頃のLA-北京往復運賃は2席で20万円
LAメタルの頂点とも言える彼のギャラ数十万
2バス5タムのフルセットを録るために必要なマイクの数は13本
オーバートップなど大切なマイクの値段は一本40万円
96kHzのハイサンプリングで録音出来るプロトゥールスHDと周辺機器で200数十万円・・・
すっからかんなはずじゃ・・・
実は明日は結婚式・・・
誰のって実は・・・ワシの再婚・・・(お恥ずかしい)・・・
結婚資金はどうすんの?!・・・
式場の費用は?!・・・
遠方から来て頂く親戚縁者の交通費は?!・・・
エンゲージリングは?!・・・
そう言えば前回は買ってすぐ失くした・・・
指輪してはドラム叩けんからつい亡くしちゃうのよん・・・
初婚の嫁よ・・・こんな旦那でええんかい・・・
ファンキー末吉
Posted by ファンキー末吉 at:15:24 | 固定リンク
2005年5月 7日
反日デモって何?・・・それよりワシはスタジオ作るぞ!!
Sonyのエアーボードと言うテレビを購入して北京に持って来た。
このテレビはなかなかすぐれもので、
本体を東京に置いてモニター部分だけを外国に持って来て、
それをインターネットにつなぐことにより、その本体の映像、
つまり日本のテレビ番組がそのまま外国で見れるのである。
ただし設定が非常にややこしく、
本体に固定IPアドレスを割り当てたり、これはとてもじゃないけど素人さんには無理である!
せっかく買ったのに北京で見れないのはあまりにくやしいので、
本体をファンキー荘http://www.funkycorp.jp/funky/ML/107.htmlに置き、
設定全てを住人Cに全部任せて北京に発つ。
彼の涙ぐましい努力により
やっと北京からインターネット経由で本体につながったのはいいが、
こちらの回線って遅いのよねえ・・・特に海を越えると・・・
カクカクの画面と途切れ途切れの音声で、
まあニュースぐらいなら字幕もあるし何とか見れないことはない。
と言うわけでこうしてやっと日本のテレビを見れるようになって思ったのが、
なんと日本では中国での反日感情のニュースが多いことよ!
そんなにヒドイかなあ?・・・
まあ住んでる世界が違うので縁がないんだろうけど、ワシなんか
「今日は大規模なデモがあるから外に出ない方がいいよ」
と言われてたその日に北京の若いバンドのライブに行き、
カウンターでビールを頼む時に「日本人か?韓国人か?」と聞かれて胸を張って
「日本人だよ」と答え、
結局ライブ終了後にそのバンドの連中と客のほとんどを連れて
ドメスティックな中華料理屋で日本人を囲んでドンちゃん騒ぎを繰り広げていたが
別に投石されることもなく酔い潰れてちゃんと家まで連れて帰ってくれてた。
中国のお偉いさんが世界の中でもどれだけ頭がいいかは前々号
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/107.htmlでも書いたが、
薄っぺらい切り口の日本のマスコミには考え付かないようないろんなもくろみを
このお偉いさん達は全部計算してやらせているんだと言う噂がある。
1、国民のうっぷんの矛先が新政権に向かないようにする
2、政治運動が勃発しやすい五・四運動を前にして、国民を国内問題から気をそらせる
3、文化革命の時代の壁新聞よろしく、
挑発してやらせるだけやらせといてその首謀者をリストアップしてブラックリストを作成する
まあもっともな話だが、
大規模デモの日に中国人ロッカー集めてドンちゃん騒ぎをしている日本人には
今後もどの道関係がなさそうな話である・・・
ところでその日一緒にドンちゃん騒ぎをしていた若いバンド、
布衣(ブーイー)楽隊と言うのが、前号
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/108.htmlで書いた、
唐朝のベーシスト、ZhangJuの追悼アルバムで私が1曲担当したバンドである。
バンド肌であるワシとしては、どうしても
「スタジオで初顔合わせで現場でヘッドアレンジすればいい」
と言うレコーディングのやり方には納得がいかず、
「どうしても彼らのリハーサルに参加して一緒にアレンジしたい」と言い張り、
じゃあと言うことで単身そこに行って見てびっくり!
五環路(東京で言うと環八か?)の更に外側のとある貧民街に
メンバー全員が院子(ユエンズ:長屋みたいなもん?)を借りて住み、
そこに機材を入れて練習場にしとる・・・
その院子(ユエンズ)は既に他の若いロックミュージシャン達も住み着いて、
ちょっとした「ロック村」を形成してしまっている。
平房(平屋の一番安い形式の建物)なので風呂もなければトイレも汲み取りで共同で、
近くにはバスもなければタクシーなどまず通らない。
不便極まりない環境なのだが、
彼らはコミューンとも言えるその仲間達と貧乏ながら楽しく暮らしていた。
好きやなぁ・・・俺・・・こんな感じ・・・
そしてお決まりのように「ここって家賃いくら?」と聞いたりしてみる。
いくつかの部屋が集まって三方を囲み、
中庭を共有した院子(ユエンズ)がいくつか集まってこのロック村を形成しているのだが、
その院子(ユエンズ)ひとつ、3部屋と中庭がついて一月たったの1万円!!!
安い!!!
去年「家を買うぞ!」と決心しhttp://www.funkycorp.jp/funky/ML/97.html、
その明け渡しをずーっと待ちながらついに最近ドタキャンに合い
「売らない」と言われてしまったワシである。
「そうじゃ!スタジオを作ってここに引っ越して来よう!!!」
スタジオ作りの費用として大きいのは機材と家賃と防音工事である。
しかしここは家賃はタダ同然だし、ロック村なので別に防音もちょっとしたもんで足りる。
XYZのレコーディングももうすぐ始まるし、
家の頭金として用意した金もほっとけばどうせアルコールに化けてしまって消えるので、
その金で機材を買ってここにスタジオを作り、
飽きたらいつでも機材引き上げて引っ越してゆけばよい。
そうである。
家なんか買って毎月のローンに追われ、
更には100万円近くかけて防音してスタジオを作るなんてナンセンスである。
と言うわけでさっそく家賃を半年分、6万円少々払い、
大きな部屋に壁を作って半分に割ってもらい、隣の部屋を住居にし、
残りの部屋をシャワールームと台所にする。
さすがは貧民街である。
家賃を払ったところで大家は何の契約書を作成するわけでもなく、
壁を作る工事も大家とそこの人夫がやってくれるっつうんで2万5千円ほど渡し、
更には近所の中古市場行って、
クーラー2台とソファーとベッドと机と椅子を買って全部で2万5千円。
これなら別に、もしXYZのレコーディング終って引き払っても痛くはない。
部屋に金をかけるのはポリシーに反するので、
「君らのファーストアルバムをここでタダで録ってやる」
と言う約束でその若いバンドの連中を駆り出して自分達で手作り内装工事をやる。
ペンキ塗りなんて初めてやったわぁ・・・ちょっと楽しい・・・
住居部分がようやく完成し、
ちょうどその日はその住民のひとりが誕生日だと言うのでみんなで飯を食いに行き、
ハッピーバースデーと共にその会はワシの入居祝いにもなった。
住民にも認められ、もうワシはれっきとしたこのロック村の住人である。
北京ロックンロール・ビレッジ、ファンキースタジオは6月にオープン!
外部に貸し出すつもりは一切ないが、宿泊設備と共に利用したい日本の方がいたら、
そりゃ日本より断然安くレコーディングできまっせ!
XYZのレコーディングではアメリカからウェイン・デイヴィスを呼ぶ予定である。
貧民街のくせに国際的やなあ・・・
ウェインもいっそのことそのままここに住み着いてくれんかしら・・・
ファンキー末吉
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2005年4月 9日
台湾で一番売れっ子のアレンジャーギタリストまで
また反日感情が高ぶってるんか???
中国に通い始めてからもう15年。
北京に住むようになってからもう5年。
どう言うわけか一度もその反日感情とやらに出会ったことがない。
去年はサッカーの試合でどうたらこうたらで、日本のラジオのインタビュー等を受けると
必ずと言っていいほど反日感情についての質問が来る。
まあ日本のマスコミは往々にして、
まず結論がありきでその結論に導くための材料を集めるやり方で番組を作るため、
(関連ネタ:http://www.funkycorp.jp/funky/ML/91.html)
こちらに住んでこれだけ長い人間から
「いえ?反日感情なんてあったこと一度もありませんよ」
なんて言われたら番組にならない。
まああったことも目の当たりに見たこともないので、「ある」とも言えないし、
本音を言えば
「俺が中国ロックのためにどれだけのことをして来たと思う?
俺の前で反日感情なんぞ持つ人間が現れたら
中国じゅうのミュージシャンから袋叩きに合うぞ!」
とでも言いたいもんだがそうもいかず、
「まあひとつの視点だけでみてそれが中国を代表することは土台無理なことなんで・・・」
とひとつひとつ説明するしかない。
反日感情の中で苦しんでいる企業も実際あるだろうし、
ワシのようにこれだけ深く関わりながら15年間一度もあったことがない人間もいる。
それもひっくるめて「中国」なのである。
まあ反日感情ではないが一度、
よく仕事をやってるLuanShuと言うプロデューサーに売り込みの電話があったと言う。
「LuanShuさん、あなたも中国人なんだからぼちぼち中国人のドラマーを使うべきですよ」
LuanShuはその時笑ってこう言ったと言う。
「Funkyのことか?アホか!あいつは中国人じゃい!」
彼と出会ってもう15年。
いい時も悪い時も、更にはワシは彼が一番どん底の時に唯一そばにいた人間でもある。
中国人だ、日本人だを超えて、誰が俺達のこの間に入って来れる?
まあそう言う意味では特殊な日本人じゃわのう・・・ワシは・・・
とても日本人を代表してコメントなんか出来んわい
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江建民(ジャン・ジエンミン)と言うギタリストがいる。
中国ポップスのファンなら一度は彼の名前をクレジットの中で見たことがあるだろうし、
そうでなくても必ず一度は彼のギターを聞いたことがあるはずである。
台湾のあらゆるヒット曲のアレンジをし、あらゆる楽曲にギタリストとして参加している。
ワシのアシスタントの重田に言わせると「台湾のスティーブ・ルカサー」だそうだが、
そんな超売れっ子ミュージシャンが去年北京に移住して来た。
日本のスタジオの世界は、アレンジャーはアレンジャー、プレイヤーはプレイヤー、
ある偉いプロデューサーが昔、
「○○クンもいつまでも”弾き”やってないで早く”書き”やんなきゃ」
と言ってたのを聞いたことがあるが、どうも日本では
プレイヤーを卒業してアレンジャーやプロデューサーにグレードアップするようである。
だから小室はすでにキーボードプレイヤーではないし、
その他名うてのアレンジャー、プロデューサーを
プレイヤーとしてスタジオに呼ぶような恐れ多いことは通常ありえないが、
こちらではある時はワシの仕事で江建民(ジャン・ジエンミン)をギタリストとして呼び、
またある時は彼の仕事でワシがドラマーで呼ばれたりする。
そんなかんなでしょっちゅう仕事をしてるので仲良くなり、
ある日興味しんしんで質問してみた。
「何てあんたほどの超売れっ子がわざわざ台湾捨てて北京くんだりまで来たの?」
ワシとしては
「いやー・・・実は北京の娘に恋をしてねえ・・・」
などとロマンチックな答えを想像していたのだが、答えは簡単明瞭。
「音楽業界不況真っ只中の台湾のどこに仕事がある?」
であった。
あんたほどの超一流に仕事が来ないほど?・・・
そう言えば日本の音楽業界もまた売り上げ40%ダウンたらなんたら・・・
古株は相変わらず君臨してるわ、若手はどんどん台頭して来るわ・・・
まるで日増しに小さくなる丼の飯を
どんどん増え続ける大勢の人間が奪い合いながらむさぼっているようなもんである
・・・日本のミュージシャンってホンマに仕事あんの?・・・
インターネットのダウンロード等に押され、全世界どこの音楽界も不況である。
中国の海賊版事情も同様に、いやもっと深刻ではあるのだが、
この国はそれを上回るほど人口が多い。
日本全土がすっぽり入るぐらいの土地と人口を持つ中国のいち地方には、
日本人の歌手と同じぐらいの数の歌手がいて、
その地方が単純に10個以上はあり、
その全ての歌手が首都、北京に出て来てレコードを作るわけだから、
単純に10倍の仕事があるとすれば
例え日本と同じように売り上げ40%減になったとしてもまだ6倍の仕事がある。
まあそんな単純計算では割り切れないだろうが、それでも彼曰く、
「台湾の音楽業界は終った。残るは北京だけだ」
まあ、あんたらは言葉が同じやから楽やわなぁ・・・
しかしそれでも中国の音楽業界のシステムには戸惑うことも多いらしく、
同じく外地からやってきた先輩としていろいろアドバイスをする。
彼も今ではもうすっかり慣れてしまったのか、中国らしく
「ファンキー明日空いてる?」
で仕事が来る今日この頃である。
そんなある日、また彼から仕事が来る。
ワシはと言えば、命に関わるからもう今年から無茶な仕事の入れ方はやめよう
(関連ネタ:http://www.funkycorp.jp/funky/ML/107.html)
と決意したものの、
スケジュールのブッキングがいつもこうも突然ではなかなかそうもいかない。
その日はLuanShuと共に10年前にバイク事故で死んだ、
中国を代表するロックバンドのひとつ、唐朝のベーシスト、ZhangJuの
追悼アルバムをレコーディングしているところで、
今年からアレンジ、プロデュースはあんましやらんよと言ってはあるものの、
死んだ友人のためならいた仕方ない。これは仕事ではない!!
若いバンドをひとつ受け持って、
風呂もトイレもない長屋のような彼らの住居の彼らの練習場でリハをし、語り合い、
「俺、好きやなあ・・・こんな生活・・・」
と、また自分の四畳半時代を懐かしみながら感情移入し、
まさにそのレコーディング当日にダブルブッキングで仕事を受けるハメとなる。
仕方がないのでバンドに朝早くスタジオに入ってもらい、(迷惑な話やのう・・・)
レコーディング途中で抜け出して江建民(ジャン・ジエンミン)のドラム録り。
今年は頑張らんのちゃうんかい!!
でもまあドラムの仕事ですし・・・
スタジオ仕事は順調だと1曲30分ほどで終るし・・・
と思っていたら彼の譜面(と言っても五線譜ではなく中国式数字譜ですが)を見てびっくり!!
8小節に渡るギターとオールユニゾンの32分音符を含む複雑なキメ・・・
まあ人間が物理的に叩ける速度ならどんなに難しくても叩けないはずはない!!
と覚悟を決めてそのままDEMOを聞いていると
サビは確かどこかで聞いたことがあるようなメロディー・・・
「これ・・・BEYONDの曲やん!!!」
タイトルを見ると「長城」。まさにワシとBEYONDが出会った時、
彼らが日本で初めてレコーディングをしていたまさにその曲である。
そしてワシらは友達になり、その後リードボーカルの黄家駒はワシの目の前で死んだ。
「ちと時間くれるか?」
日本のスタジオミュージシャンは1時間いくらであるが中国は1曲いくらである。
でもここが日本であってもワシは時給いらんから時間くれと言ってただろう。
光栄な話である。
死んだ友人が作った歌を、10年以上の月日がたった今ここで、
こうしてワシがその曲のドラムを叩いているのである。
死んだ友人のためである。これは仕事ではない!!
たっぷりと感情移入させて頂いてスタジオを後にする。
元のスタジオに戻るとバンドはまさにギター録りの真っ最中。
今日じゅうに歌まで全部録り終わらねばならない。
夜中の3時にやっと終了。長い一日を終える。
何か今日は死んだ人間のためオンパレードの日やったなぁ・・・
うん、よう働いた。
「ありがとう、私達のためにこんなに頑張ってくれて」
とバンドのマネージャーからショートメールが届く。
いやいや、君たちのためっつうか・・・別にそう言うわけでも・・・
まあよう働いたことは働いたが、何のためと言われてもほな何のためやろ・・・
人間なんでこんなに一生懸命働くんやろ・・・
食うために? 生活のため?
音楽なんて100%金のためやったらこんな割の悪い仕事もないでぇ。時給低いでぇ・・・
まあもともとは自分で金払ってバンドやってたのが原点である。
音楽なんてもともと金払ってやるもんである。
それがこんなありがたいことに、金もらって、
しかも人に感謝され、尊敬され、お金をもらう・・・
こんなありがたい話があるか!!
よし、かっこつけて胸張って声高に叫んでやろう。
音楽は金のためにやるもんじゃない!!
ふふふ・・・かっこいいぜ、俺・・・と思ってたらふと思い出した。
昼間の江建民(ジャン・ジエンミン)の仕事のギャラまだもろてない・・・
(こちらの仕事はその場で現金清算、とっぱらいが原則)
すまん、やっぱ金も必要です。次の仕事ん時絶対清算してや!!
ファンキー末吉
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2005年3月13日
あらゆる海賊版ソフトを使いこなす中国の若き天才達に・・・
迎春にたてた今年の目標
先日爆風の再結成ライブで
パッパラー河合とサポートキーボーディストのエンペラー福田が話しているのを聞いた。
「福田さん、ソフトシンセって使ったことある?」
「あるよ。この前仕事でFM7のレポートの仕事やってねえ。
いやー、あれは結構凄いよ。使えるよ。」
ちなみに福田さんは「日本シンセサイザー協会副会長」とか何かの肩書きを持っている
いわゆる日本を代表するシンセサイザー奏者のひとりなのにソフトシンセがFM7???
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/102.htmlでも書いたが、
この国では、中国の音楽家達は「海賊版反対!」と叫びながら、
自分は海賊版ソフトを使って音楽を作ってたりする。
だからどうせ使うならFM7よりももっと高級な、
日本だと高くて誰も手が出せないようなソフトを使う。
世界中のあらゆる最先端の優秀なソフトが全部「タダ」なのじゃよ!
今では中国を代表するプロダクションのひとつを取り仕切る
業界の風雲児となってしまったS社長がある日こんなことを言っていた。
「中国の政府のトップの人たちって、どれだけ頭がいい奴らだと思ってる?
一党独裁のこの国である日あいつらが本当にその気になったら、
”海賊版全部撲滅するぞ”
の一言で中国中の海賊版がひとつ残らず撲滅出来ちゃう人たちだよ。
でもどうしてそれをしないと思う?
今中国で流通している全ての海賊版からロイヤリティーを徴収したとしたら、
中国は何百億単位の金をアメリカに払わねばならない。
結局儲かるのはアメリカなのよ。
そんなの国益を考えたらたとえ明日出来たとしても絶対やるわけがない。
今の状態で中国人民が海賊版音源や映像を見放題聞き放題で耳も肥え、
海賊版ソフトを使ってクオリティーの高い音楽作ったりしてそのうち、
そのうち中国がアメリカからお金を取れるようになってから撲滅すればいいのよ。
そのぐらいのことを考える人たちだよ、あの人たちは・・・」
本当かウソかはわからない。
しかしこの海賊版おかげでこの国の若い音楽家達は
日本だとひとつが何十万もするソフトを平気でいくつも使いこなし、
日本人よりももっとアメリカやイギリスのヒットチャートに精通していて、
ほんと、ここでアレンジャーとしてやっていこうと思ったら
通常の日本人アレンジャーぐらいのレベルではやっていけないのではないかと思う。
その昔、ピアノとオーケストラしか書けなかったアレンジャーが、
シンセサイザーの発明によりシンセサイザーを使いこなせないと仕事が出来なくなった。
そして今、ソフトシンセ、プラグイン、あらゆるデジタル機器に精通してないと、
特にここ、中国ではアレンジャーとして食っていけない。
アレンジの概念もすっかり様変わりしてしまった。
私ぐらいの世代のアレンジャーは
「いい対旋律を書くこと」がすなわちアレンジだったのに対し、
今の世代は「いい音色やループを選ぶこと」がすなわちアレンジである。
1音色選ぶのに一晩徹夜せねばならんのよ!!!
ソフトシンセ、こちらではVSTプラグインが広く使われているが、
ひとつのソフトがどう言う個性を持っているソフトかを知るために、
全音色聞き比べ、軽く使ってみてそのソフトの概念がわかるまでに
ヘタしたら1週間は徹夜せねばならない。
そんなソフトが100個以上手に入るとしたら
その中から気に入ったいくつかのプラグイン以外を捨てて
自分のシステムを完成させるまでに幾晩徹夜せにゃいかん?
更にVSTプラグインの高度な使い方としては、
音色の中に既にリズムやメロディーなどが含まれている音源データ自身を、
曲と完全に同期させながらリアルタイムにエディットしつつ、
そのエディット情報を音楽データと一緒にデータに書き込んでゆくことが出来る。
つまりメロディーを打ち込むように音色の変化を打ち込むわけである。
ここまで来ると、1週間徹夜してやっと理解出来るソフトを100個以上、
つまり100週間以上徹夜して選んだ自分のシステムの中から
1音色選ぶのにまた徹夜してそれを何音色も選び、
その選んだ音色をまた幾晩か徹夜して何パターンにもエディットする。
この国の若き天才アレンジャー達・・・
彼らは果たして幾晩徹夜してこのレベルまで達成したと言うのだろう・・・
でもこれって音楽?!!!
しかし世界中のロック、ポップス、全てのジャンルの音楽の中で
電子音、つまりデジタル音色が使われてない曲はないと言うぐらい
電子系は今や流行と言うより定着に近い位置まで広がった。
音色が勝負!
だったら同じセンスだとしたらたくさん音色持ってる人が必ず勝つよ!
海賊版のない日本で同じ環境を構築しようと思ったらいくらかかる?
こんなことが出来るのはよっぽど売れてて金が有り余っている
ほんのほんの一握りの人たちだけであろう。
そのうち絶対負けるよ、日本人・・・
いや・・・もう既にもう負けとるかも知れん・・・
まあワシと言えばテクノ大嫌い、電子系も全然好きじゃない、
特にロックはシンセもいらん!と言うXYZ魂ばりばりの人間である。
ところが耳が肥えたこの国のクライアントが発注するアレンジには、
まあ世界的な風潮から見てもそうなのだが、
必ずデジタル、電子系の味付けが不可欠である。
デジタルの師匠、若きプロデューサーDの仕事を
彼の作ったデータを見せてもらったりして勉強する。
そしてある日わかった・・・と言うか、悟った!
彼にとってコンピューターと言うのはワシにとってのドラムと同じ。
つまりアレンジャーにとってパソコンそのものが「楽器」なのである。
その日からワシは電子系に対しての嫌悪感がなくなった。
勤勉で真面目がとりえの日本人気質、「仕事」となれば「好き嫌い」は関係ない職人肌、
さらにはワシの負けず嫌いとパソコン好きが災いして、
今では電子系のアレンジの発注まで来る始末。
でもそのためにワシが幾晩徹夜した?!!!
更には次のXYZの新譜を自分の今までの集大成にするべく
並行して壮大なコンセプトと組曲を1年かけて作り上げているので、
気がついたら北京では2日間寝ずに働いて6時間寝てまた2日間徹夜する生活が続く。
こんな生活がいつまで続く?!!!
その代わり日本に帰ったら反動で15時間寝続けたりする。
人間、寝ないと死ぬのである。
実際「ああ・・・あともう少し行くときっと死ぬんだな・・・」と思う瞬間もあった。
ドラム叩きながら死ぬのは本望じゃが、
このファンキー末吉がパソコンの前で死んでそれでええんか?!!!
と言うわけで、旧正月に里帰りして15時間寝ながら考えた。
音楽的に深いドラミングや、数々のアレンジ、プロデュースの仕事が評価され、
「ドラマー」と言うよりは「音楽人」と評価されることが多くなった今日この頃。
「ドラマー」としてはそんなに自分の前を走っているドラマーを思いつかないが、
アレンジャー、プロデューサーはこの国では若き天才達がたくさんいる。
その人達全てを死ぬまでに追い越すべくもっと頑張るか?
もうええじゃろ、ドラム叩いてなんぼでその金持って飲みに行くのが一番ええわ。
日本では10以上スタジオミュージシャンの値段は変わってないが、
こちらでは年ごとにミュージシャンのギャラが高くなり、私のドラムの値段は
S社長が5年前に当時の一番高いスタジオミュージシャンの値段設定してくれたのだが、
今では他のドラマーに比べてあまりに安すぎるから頼むから値段上げてくれ
とミュージシャン仲間にお願いされても頑として上げず、
その代わりアレンジの値段を最高額に上げた。
ワシに、この額を取ってるあの天才達と同じレベルの仕事が出来るんか?・・・
出来るわけがない。
でもこう言えばアレンジやプロデュースの仕事が減るからそれでいいのよん。
ドラム叩くよん。酒飲むよん。酔い潰れて寝るよん。
ええなあ・・・今年の目標は「頑張らない」
XYZの新譜も半分までは死ぬ気で作り上げたが、
後は橘高にでもおぶせて楽するとすっか・・・
と思ったら今度は橘高がつぶれた。
わかったわかった。やっぱみんな一緒にやろうな。
今年もやっぱ「ちょっとは頑張る」から・・・
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東京にヤサが出来た。
昔住んでた武蔵小山の5LDKマンション。
名義は母の名義なのだが、誰も住まなくなったので人に貸してたら、
今年になって突然出てしまうと言う。
そのまま遊ばしてたら管理費や固定資産税等でおふくろの年金が飛んでしまうので、
不動産屋に「次の借り手見つけて下さいよ」と催促するが、今日びのご時世で
家賃32万、売値5600万のマンションなんぞ貸すに貸せず売るに売れない。
はたと困ってたところに飲み友達のめいりんからメールが来た。
「友達男女4人で共同生活しようと部屋探してるんだけどどこも貸してくれないの」
日本ではルームシェアーの習慣が定着してない上に、
男女の共同生活と言うとまだまだ大家である大人たちには感覚的に受け入れがたい。
「よし、うちに住め!」
とは言ってはみたものの、芸術家を目指す若い男女4人がどれだけ頑張っても
月に32万の家賃を払うのは無理である。
「いくらだったら払えるの?」
「4人合わせて18万」
そりゃあんた安すぎじゃろ!
母にしてみても遊ばしてるよりはいいが32万が18万じゃイメージが悪いじゃろ・・・
「何とか20万出せんか・・・」
「出せない!」
こうもはっきり言うんだからそりゃ絶対に出せんじゃろう・・・
「よし、5LDKに4人やったら一部屋余るじゃろ。ワシが2万円出してそこ借りちゃろ!」
ところが家賃はこれで解決しても次には敷金礼金と言う大きな問題がある。
「敷金、礼金、出せるの?」
「うーむ・・・・そんなに出せないかも・・・」
礼金をゼロにしたら間に立っている不動産屋の儲けがなくなるので不可欠だが、
敷金は単なる預かり金だからナシでもええんちゃうの・・・
ところが大家と借主がそれでいいと言っても不動産屋が商売だからそれでは通らない。
結局敷金はワシが持つことにしてやっと話をまとめた。
ワシ・・・敷金40万払って家賃2万円のヤサを手に入れた男・・・
ワシらの時代からすると「コミューン」とも言うべきめいりん達の新居、
その名も「ファンキー荘」
ワシは月に数回しか帰らないだろうから、
井上陽水のデビューライブのアナログ版がかかってたりする(お前ら年いくつや!!)
素敵なリビングに面したワシの部屋は普段はゲストルームとして使われる。
みなさんも東京に宿が必要になった時には「ファンキー荘」のゲストルームに泊まって、
若き芸術家達のために1000円でも2000円でもカンパしてあげて下さいな。
ファンキー末吉
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2004年12月28日
どれだけ愛していたかは失って初めてわかるもの・・・
ドラム物語
パール楽器のドラムのモニターになってもう20年。
すいかドラムを初代として、
去年北京のスタジオ仕事用に作ってくれた最新のドラムセットまで合計7台、
またファンキー末吉モデルのスティックはもちろんのこと、
消耗品であるドラムヘッドまでその都度提供してくれている。
アメリカでレコーディングする時にはアメリカの支社から必要なセットを送り届けてくれ、
「二井原、お前の今度のバンドのメンバーっつうのはちゃんと演奏出来るのか」
と当初あまりに心配してそう言ってたウェイン・デイヴィスはそれを見て、
「電話一本でパールからフルセットを送りつけさせるこのドラマーは何者だ!」
と目を丸くした。
そう、パール楽器は楽器メーカーとして世界では超ブランドの域に入るのである。
しかしその実は千葉に工場を持つ、ごくファミリー的な会社。
ワシがドラマーとしてパールと一生を共にしようと思ったのは
この会社気質によるものも大きい。
その昔、クリスタルキングのドラマーとして仕事をしていた頃、
お膝元のヤマハにモニターの話を持って行ってむげに断られた。
ところがパール楽器の当時の担当者、市川さんは
むしろ当時アマチュアだった爆風スランプのことを、
「あのバンドはいい。君もドラマーとしてうまいし、モニターやるかい」
と言ってくれてワシとパール楽器との付き合いが始まった。
ある時期、ヤマハがモニター戦略に力をいれ、
パールのドラマーが次々とヤマハに乗り換えていた頃、
いろんな先輩ドラマーがワシにこう言った。
「末吉ぃ。パールなんかやめてヤマハ来いや。待遇えぇでぇ」
ヤマハの当時の担当者もある日私にこう言った。
「河合さんもヤマハのギター使ってくれてることだしさぁ。
末吉くんもぼちぼちヤマハ使ってみたら?」
パール楽器と違い、大会社であるヤマハは担当者がよく変わる。
本社から派遣されたその担当者は職務を本当に一生懸命遂行するが、
パール楽器は逆に会社をやめるまでひとりの人が担当する。
「人間対人間」の関係なのである。
ヤマハの人にはこう言って丁重にお断りした。
「違う担当の方だったので恨みを言うつもりはありませんが、
当時一番貧乏だったあの頃、自社のバンドであるクリキンをやっていながらも
ヤマハは私に何をしてくれようともしてくれませんでした。
でもパールはその頃からずーっと私をサポートしてくれてます。
ですから私は死ぬまでパールと一緒に歩んで生きたいと思います」
パールから提供していただいたドラムセットは全部まだ持っている。
XYZ用と五星旗用の2台を除いては全部北京に持って行き、
「ドラムセットを大事に長く使ってくれるのは有難いのですが、
中国でそれほど活躍なさってて、それが全部古い製品ではそれも問題なので」
と言うことで、わざわざ最新モデルを1台作ってくれ台湾の工場から北京に送ってくれた。
そのセットを始め、今では製造中止の銀色のセットや、
最近では初代すいかドラムも整備をして、
それぞれのセットをよく仕事で使う別々のスタジオに常備してある。
レコーディングの仕事が来た時、
そのそれぞれのスタジオにスティックだけを持って行けばよいので楽である。
そんな生活の中で、最近ドラムに対して気づいたことがある。
それぞれのドラムセットには「人格」のようなものがあり、
ドラムセットはそれぞれが間違いなく「生きている」と言うことである。
木と言う生もので出来てるし、もともと楽器と言うのはそんなものなのかも知れない。
例えば、XYZのツアーが長く、そればかり叩いていて北京に戻り、
久しぶりにスタジオのセットを叩くと、
まるで女の子がすねているかのように言うことを聞いてくれない。
理論的に言うとセットによって音色が微妙に違うので、
それに合わせて叩き方が微妙に違い、
それが微妙に反映して違うセットでは微妙に音が鳴らなかったりするのであろうが、
しかし感覚としてはそれが非常に人間的で、
「あんた他の女抱いて来たでしょ」
ってなもんである。
・・・非常に面白い・・・
そんな時はヘッドを張り替えてあげたり、
チューニングに時間をかけたりしてゆっくり対話してやる。
たっぷりと愛情を注いでやるとやっと機嫌を直して鳴ってくれるようになる。
そう言う点ではすねたらすねっ放しの人間の女の子よりは扱いやすい。
だから最近はドラムのレコーディングとなると1時間は早くスタジオに行き、
なるだけそのセットと会話してやるようにしている。
まあワシも人間の女の子相手にこれをやってればモテるのであろうが・・・
そんなある日、またレコーディングの依頼。
ところが行ってみるとスタジオの若い衆が「フロアタムが見当たらない」と言う。
「今時の若いもんは」はどの国でもどの時代でも共通で、
仕方がないのでその日は14インチのタムをフロアに代用して録音したが、
叩きながら
「いざ本当に無くしてしまって見つからなかったらどうしよう」
と思ったらもう気が気でない。
このセットは基本的に既に製造中止の型番なので、
無くしてしまったらもうそれっきりである。
音が変わってしまうのでフロアタムだけ別の型番でと言うわけにもいかず、
早い話フロアが無くなればすなわちドラムセット全部が役に立たなくなってしまう。
パールさんにお願いして再び同じ材質の同じフロアを作ってもらうか・・・
それもえらい手間と出費であるし、また他のタムタムとの長年の歴史を考えると、
同じ型番であろうと絶対にマッチしない。
このドラムセットは胴が厚く、運ぶにも非常に重く、スタッフにも嫌われるし、
胴が厚いとなかなか鳴らないし、
しまいには癇癪を起こしてぶち捨ててやろうと思ったが、
1ヶ月間叩きに叩き込んでやっと言うことを聞くようになり、
そうなると逆に可愛くてたまらなくなり、
今ではワシの一番好きなドラムセットである。
つまり同じ型番で新しいのを作ってもらっても、
10年以上叩きこんだ歴史がないので決して同じ音色にはなれないのである。
「無くなった」と思ったら、急にこのセットとの数々の思い出が思い出されて来た。
音が鳴らなくて、もう捨ててしまおうかと思っていたあの頃・・・
鳴り始めて可愛くてたまらなかったあの頃・・・
新しいドラムセットが来てそっちに夢中になり、倉庫の隅っこに追いやってたあの頃・・・
北京に行く便があったので「先に北京に行け」とばかり里子に出した・・・
北京のあらゆるドラマーがレコーディングやリハーサルで使ったが、
「このドラムはダメだ。全然鳴らねえや」
と誰にも相手にされなかった。
そのまま誰にも鳴らしてもらうことなく、ずーっとほっとかれてた・・・
北京に引っ越して来て久しぶりにあいつにあった。
誇りまみれのボロボロで、セットを組むにも相変わらず重く、
まるで太ってものぐさで言うことを聞かない駄馬である。
しかしヘッドを変えてやって組みなおし、性根を入れて叩いてやると、
「何?こいつのどこが駄馬じゃ?」
突然生き生きとして昔と変わらぬいい音で鳴ってくれた。
「ほら見てみぃ!」
得意げに人に聞かせるワシ。
それからあいつと一緒にいろんな名演、名盤を残して来た。
あいつはワシを乗せてこの戦場を得意げに走り回り、
この北京の音楽界に「ファンキー末吉」の名を残し、そして歴史を残した。
名馬騎手を選ぶと言うが、
実はワシがあいつを選んだのではない、
ワシがたまたまあいつに選ばれただけなのである。
そんな名馬が片足をもがれたように、こんな些細なことでもう走れなくなるのか・・・
それを思うとワシは悲しくって情けなくって、
そんな名演、名盤を引っ張り出して来て酒を飲みながら聞いていった。
とあるオーケストラとの競演・・・
仕上がってみると結局オーケストラとドラムだけのオケである。
・・・何と言うスケール感・・・
たったひとりで何十人ものオーケストラ相手に一歩も引かず、
スティックを振りかざして切り込んでゆく。
ワシはいつの間にこんなことが出来るようになっとったんじゃ・・・
音楽は偶然の積み重ねである。
このセッションでこの音色、このリズム、このグルーブがあるのは、
神様が与えてくれたほんの偶然に過ぎない。
ドラムなんてもともと、
同じチューニング、同じ部屋、同じ人間が叩いたって毎回全然音が違うんだから・・・
こんなワシがこいつと出会って、
この日、この場所でこんなレコーディングセッションをし、
そしてこんな音楽をここに残した・・・
これはひとつの偶然でしかない。
しかしお互い生きてさえいれば、またこんな偶然を生み出せるかも知れない・・・
もうお前は戻って来れないのか・・・
そう思ったらまた涙が出て来た。
愛とは失って初めてわかるものだと人は言う。
「俺はこんなにあいつのことを愛してたのか・・・」
だったらどうしてもっと大事にしてやらなかった!
どうしてもっと愛してやらなかった!
今さら後悔したところで全てが遅い。
新しいドラムが来たからと言ってさっさと乗り換えていったワシ・・・
北京に里子に出されて誰にも相手にしてもらえなかったあいつ・・・
せっかくステージ栄えするようにと銀色にしたのに、
結局誰にも磨いてもらえずに今ではくすんだ灰色である。
ネジひとつ換えてもらえず、ボロボロのまま走れなくなってしまったのか・・・
こんなことだったらもっと大事にしてやればよかった。
もっと愛してやればよかった・・・
また酒を飲んで泣いた。
数日たって若い衆から連絡があった。
「フロアタム、見つかりました」
電話の向こうで心配してくれてた会社の人が大喜びであるが、
ワシはもう「嬉しい」と言うより「あいつに悪い」と言う気持ちでいっぱいである。
「このことに責任を感じている人間、
そしてこのドラムに少しでも愛情を持ってくれてる人間、
全員集合してこいつの大メンテナンスをやるぞ!」
家から全てのドラムの部品を運び込み、
半日かけてドラムのヘッドを全部外し、ネジを全て締めなおし、
痛んでる部品は全部取り替え、考えられるメンテは全てやった。
しかし紛失されていたフロアタムを始め、全体的に機嫌が悪く、鳴ってくれない。
よくよく調べてみると、もうタムの木本体が張り合わせが浮いていたり、
早い話、いろんなところにガタがきているのである。
「お前も年とったんじゃのう・・・ワシと一緒じゃ・・・」
「よし!」とばかり再びスティックを振りかざす。
「名馬よ。たとえお前の肉体が老いてしまおうが、お前はまだまだ走れる。
ワシもまだまだスティックを振り回せる。
共に死ぬところは戦場じゃ。お互い走れなくなったら共に死のう!
我ら生まれし日は違えども、死ぬ日は同じ日同じ場所!」
まるで三国志演義である。
共感したのかウケたのか、
次の日のライブでやつはとてもいい音で鳴ってくれた。
アホなドラマーのドラムはやはりアホである。
共に一生アホな人生を送ってゆきたいもんじゃ
ファンキー末吉
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2004年11月17日
亜洲鼓魂があるから今のワシがある!!
ホリプロの堀さんが北京にいらっしゃった。
非常に懐かしい!
お会いするのはもう5~6年ぶりではなかろうか・・・
あれは10年ほど前の話・・・
日本は「アジアブーム」に浮かれ、
雑誌やメディアはどこでも中国ネタを取り上げ始め、
企業は不景気から抜け出せない日本から脱却すべく中国に夢を見た。
そんな中で
その数年前に既に中国にかぶれ、挙句の果てに中国人と結婚して
家庭内言語を中国語で暮らしているアホなドラマーにみんな興味を持った。
いちいち呼ばれて飲みに行くのもめんどくさいので
新宿で中華料理の屋台「萬吉」を開き、
そこで定例の如く業界の人間が集まってアジアの話をする、「アジア会」
と言うのがいつの間にか始まりだした。
日本で初めての中国ロック専門のレーベルを設立したJVCビクターを始めとし、
中国ロックの創始者「崔健(ツイ・ジェン)」を日本デビューさせた東芝EMI、
酒井法子を有するサンミュージック、
「第二の山口百恵」を探すべく中国で40万人オーディションを開き、
現地でプロダクションも設立して
中国の「ホリプロ3人娘」をデビューさせたホリプロ、
他、全アジアに支社を設立したポニーキャニオンや
中国最大のレコード会社ロックレコード等々、
中国と音楽に関係のある全てのそのトップの人たちが
何故かこのキタナイ屋台に毎月顔を出し、
北京家庭料理を食いながら北京の二鍋頭酒と言う56度の白酒を飲んでアジアを語った。
堀さんともこの中で出会ったである。
今思えばそうそうたるメンバーであるが、
思い起こせば北京にアミューズ北京まで設立して本格的に中国進出に乗り出した
所属事務所であるアミューズの国際部だけがあまり顔を出さなかったように思う。
アミューズだけが何故かワシを相手にしてくれなかったのである。
そんな風だからワシは
アミューズに所属しながら、爆風のレコード会社であるSONYではなく、
言わばライバル会社と言ってもよいであろうホリプロからソロアルバムを出すこととなり、
結果ワシの夢は叶い、「亜洲鼓魂」は日本と中国で発売され、
そのまま華僑ネットワークでアジア中の国々にライセンス(か海賊版か知らんが)された。
その後、そのアルバムで歌を歌ってもらった新人歌手、
「李慧珍(リー・ホイチェン)」のデビューアルバムをプロデュースし、
彼女は結果的にホリプロ中国三人娘より先に成功し、
いろんな新人賞を始めとしてワシも十大金曲作曲賞を受賞、
それが認められて日本レコード大賞アジア音楽賞を受賞した。
その受賞パーティーを
所属会社であるアミューズではなくホリプロ仕切りで開催するのも変な話であるが、
そのパーティーの席で堀さんはスピーチでこう言ってウケをとった。
「もうアジアはこりごりですよぉ。みなさんもういい加減にやめましょうよ。
結局得した人はファンキー末吉ぐらいなもんなんですから」
そして堀さんの言う通りそのままアジアブームは収束を向かえ、
全ての音楽系企業は中国から撤退した。
JVCも、ポニーキャニオンも、アミューズも、そしてホリプロも・・・
あの時アジア、アジアと声高に言ってた人は、
熱病がさめたかの如く本業に戻り、もしくは今度は韓国ブームに踊らされ、
ワシだけがこうして今、北京で暮らしている。
ワシは本当に得をしたのか?
こちらに来て徒然に考えてみた。
「何でワシはこれほどまで中国が好きやったんやろう・・・」
確かに「友人のためなら人をも殺す」と言う北京人気質は大きい。
中国ロックも大きな感銘を受けたし、
食文化をはじめ、ここの生活や風土(極寒の冬を除く)も大好きである。
ワシは死ぬならここ、北京で死にたいと思っている。
いや、そう心に決めている。
なんで?・・・
BEYONDの黄家駒が死んだりして、
まあ年をとるといろいろ考えたりもするんだけども、
思うにまあ人間生きてるうちに出来ることってそんなにないのよね。
いろんな夢見て挫折して、またいろんな夢みて、それでも結構叶って来た。
レコードデビューも出来たし、挙句の果てに個人名義のソロアルバムまで出してもらった。
ドラマーの夢である自分モデルのスティックまでPearlさんに作ってもらっている。
あの程度だが金持ちになったこともあるし、美人女優と浮名を流したこともある。
でもある時、自分の若い頃の夢を思い出した。
当時の四国の片田舎ではレコード店には演歌と歌謡曲しかなく、
探して探してロックやJazzのレコードを手に入れた。
そこで聞いた数々の音楽、それはワシにとってかなりの衝撃だった。
「この人たちは人間ではない」
そんな神様にワシはなりたかった。
本当はJazzピアニストになりたかったが、
選んだ楽器と言うか楽器に選ばれたと言うか、
手の小さいワシは縁あってスティック握ってドラムを叩いている。
ニューヨークに行ってJazzをやるか、東京に行ってロックをやるか、
でも縁あって東京に行ってバンドをやり、
親の功徳か前世の成就か、
はてまた死んだ姉の霊的加護のおかげか何故かあのような成功を収めることが出来、
しかしひとつの成功はまたひとつの苦悩を生む。
まあ今思えばあの成功はワシには分不相応に大きすぎたのと、
あと、ちょっとだけ種類が違っていた。
テレビなんかでアイドル達とご一緒させてもらうと思うけど、
やっぱあの人たち・・・凄い!
歌手の人たちもやっぱ・・・凄い!
こっちでまたプロデュースするハメになった新人の女の子も、
やっぱインタビューした時に言うとった。
「私もいつかあんな風に大勢の人の前で歌ってテレビにも出て、
みんなに知られてて、愛されてて、そんな大きな歌手になりたい」
みんな凄いわぁ・・・
ワシ・・・悪いけど一度もそんな大それた夢みたことない・・・
恥ずかしいわぁ・・・あんなプロ達と一緒にテレビなんか出て・・・
顔も売れるから人にサインを求められたりもする。
「爆風の人ですか。ファンなんです。サイン下さい」
サインしながら時々こう聞かれる。
「あのう・・・爆風の何やってる人でしたっけ・・・」
そんな時は時々黙って「パッパラー河合」と書いたりする。
ワシはやっぱ日本にいると永遠に「爆風の人」である。
ところが北京ではワシはただ「ドラムのうまい人」である。
ワシは別に街歩いてて振り返られる有名人になりたくて東京出て行ったわけではない。
ワシはただ・・・あの時聞いたレコードの中の・・・あんな・・・
神様になりたかった・・・
まあ今だに神様からは程遠いが、
ワシはここにいれば「ドラマー」として生きられるのでここにいる。
ここはワシにとってほんの少しだけまだその頃の夢に近いのである。
そしてそのスタートとなったのが
アジア会がきっかけとなって生まれた「亜洲鼓魂」なのである。
若いミュージシャンと初めて仕事をする時に、
「高校の頃あのアルバムを聞いた」と言われることが多い。
あのアルバムは中国の今のワシには非常に大きな地盤となっているのである。
だから堀さんが北京に来ると聞いたからどうしても会ってお礼が言いたかった。
「堀さん、あのアルバム出してくれてありがとう。
あれがあるから今のファンキー末吉があります」
夕べは堀さんと、李慧珍(リー・ホイチェン)、
そしてホリプロ3人娘としてデビューしたダイヤオも来てて懐かしかった。
あれから10年近く会ってないのである。
なにせこのワシの最近の生活である。
若い娘と話をすること自体が久しぶりなのでそれだけでも感激しているのに、
懐かしい上にまたふたりともしばらく会わない間に美人になって、
そしてやっぱ現役の歌手なので何より華があるね。
李慧珍(リー・ホイチェン)なんか初めて会った時はまだ18歳とかそのぐらいだった。
アルバムのレコーディングの時に20歳の誕生日を祝ってあげた記憶があるから、
・・・もう三十路?・・・
ダイヤオは確か・・・彼女より年上?・・・
見えんのう・・・
会社が撤退して堀さんがその後の彼女たちを非常に心配してたけど、
大丈夫、彼女たちは十分たくましい。
ホリプロは確かに金銭的には損をしたのかも知れないが、
でもそのおかげで今、彼女たちがいるし、そして何よりも今もまだ歌を歌っている。
これは素晴らしいことだと思う。
ついでに今のワシもいるし、今もドラム叩いている。
(小さいフォントで書いたつもり)
確かに10年前のアジアブームで、
中国で損した人の話はよく聞くがあまり儲けた人の話は聞かない。
2008年オリンピックが近づいたら、また日本が中国ブームに沸いたりするんだろうか。
そして加熱するだけ過熱したらまた何事もなかったかのようにブームが去り、
残された人の中で儲けた人もいれば、また損した人もいることだろう。
でも得をすると言うことは何も銭金のことだけではない。
ワシはそりゃ中国のおかげでひと財産潰したが、でもおかげで今の生活を得た。
うん、ワシは確かに一番得したかも知れん・・・
ファンキー末吉
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2004年11月11日
零点(ゼロ・ポイント)の新しいギタリストは日本人?!!
前回の来日は長かったぁ・・・
2週間もの間日本を空けるのは久しぶりである。
飲むヒマどころか飯食うヒマも寝るヒマも風呂に入るヒマもない北京での生活の反動で、
ツアー中は飲むは食うわ、数キロ痩せた身体にお釣りが来るほど肉がつく・・・
昔は忙しい日本での生活から逃げるように北京に来てたものだが、
それがすっかり逆転してしまい、
今では日本に帰って初めてゆっくり出来ると言うありさま・・・
ツアー終了後、橘高文彦のソロアルバムに参加するために東京に向かった。
ドラムを叩く仕事なら大歓迎である。
予想通りの体力モノのツーバスを命がけで踏みながら生きてることを実感する。
まあこの体力モノばかりを10曲、2日間で全部録音し終えてしまうのはかなりしんどいが、
北京での生活のように朝から朝までパソコンと格闘しているよりはマシである。
ワシは「ドラマー」なのである。
「末吉さん、北京帰ったらまた忙しいんですか?詞を1曲書いて欲しいんですけど・・・」
詞ぃですかぁ?・・・
一番苦手な分野であるが、橘高の頼みなら仕方がない。
やるのはかまわんが問題はその時間、あるんかなあ・・・
この来日のためにいろんなプロジェクトをぶっちして帰って来たからなあ・・・
まず零点(ゼロポイント)。
(関連ネタ:http://www.funkycorp.jp/funky/ML/78.html、http://www.funkycorp.jp/funky/ML/92.html)
「今回のアルバムは
メンバーがそれぞれ気に入ったアレンジャーに2曲づつやってもらう」
と言うことで2曲だけですむやったのが、ちと頑張りすぎたのか、
「やっぱお前のんが一番ええわ。やっぱお前が9曲全部やってくれ」
ひぇーーー
「2週間も日本に帰るのか?そりゃ帰るまでにあと7曲全部アレンジしてくれなきゃ困る!」
ひぇーーーひぇーー
んなもん2日や3日であと7曲もやれるはずもなく、
結局やっと出来上がった3曲だけを渡して逃げるように帰って来た。
あとは知らん!勝手にやっといてくれ・・・
「北京に5セットあると言うお前のドラムセット全部スタジオに運び込んで
アルバム10曲全部ドラム叩いてくれ!」
と言うギタリストWの新しいユニットのレコーディング。
アレンジも数曲上げ、非常に楽しみにしてたのだが結局スケジュールが合わず、
他のドラマーが叩くと言うことでドラムセットだけ貸してあげて逃げるように帰って来た。
いいアルバムに仕上がることを願う。
「3枚目のレコーディングやってんだけどまたドラム叩いてくんないか」
と言うプロデューサーLの女子十二樂坊のレコーディング。
(関連ネタhttp://www.funkycorp.jp/funky/ML/91.html)
まあこう言う時に限って来日の2週間がデッドラインやったりするんやなぁ・・・
やってあげたいのはやまやまじゃが逃げるように帰って来た。
「いつ時間あんの?この前アレンジやってもらった曲、早くレコーディングしなくちゃ」
と言うS社長んとこの新人のプロジェクトはそのままずーっとほったらかしてるし、
頼まれた陳琳のブラスとストリングスアレンジは、
譜面までは起こしたもののスタジオに入ってレコーディングする時間がない。
すまん・・・ほな逃げるように日本帰るんで誰か使って適当にやっといて・・・
あれ?・・・なんや結局ぶっちして消えてしまった仕事はドラムの仕事が多く、
帰ってもまだやらねばならんのはアレンジとかが多いやないのん・・・
・・・ドラマーとして生きるために北京に移り住んだのになあ・・・
ま、でも零点(ゼロポイント)さえなければ詞ぃ書くぐらいなんとかなるじゃろ。
確か今月半ばにはレコーディングを終え月末には発売と言うとったから、
まあワシが北京に戻った頃にはレコーディングも終了してるはずである。
「いいよ、ワシの詞なんかでよかったら使ってやって下さいな」
橘高の申し出を快諾し、またドラマーじゃないことを背負い込んでしまうことになる。
そしてこれが後に自分の首を大きく絞めることになることを
その時点では夢にも思ってなかったのである・・・
北京空港に着いて、中国用の携帯の電源を入れたとたんに電話がなった。
「おう、ファンキー!やっと帰って来たか」
零点(ゼロポイント)の会社の人間である。
「待ちかねてたんだよ。じゃあ、明後日からスタジオ入るからね」
あのう・・・レコーディングはワシのいないうちにやり終えてしまってたのでは・・・
「やっぱお前がいないと始められないと言うことでずーっと待ってたんだよ
とりあえず明後日までに残りの曲を全部アレンジしてくれ」
ひぇーーーー
ぶっちしてたつもりがポーズ押して停止してただけなのね・・・
マスターが仕上がったら1週間後にCD発売されるこの国では、
発売日なんぞあってないようなもんなのである。
「そいで、ギタリストはやっぱ日本から呼ぶことにしたら
誰かいいの探して明々後日に連れて来てくれ」
ひぇーーーーひぇーーーー
零点(ゼロポイント)は先日ギターとキーボードが脱退し、
現状ではサポートメンバーを使って活動している。
前々から日本のギタリストを呼ぼうとは言われていたが、
どこの酔狂なギタリストがわざわざ北京くんだりまで来ますかいな・・・
まあ前々から言われてたように「半年北京で住め」と言うならまず不可能だが、
レコーディングだったら1週間でいいんだからなんとかなるかも・・・
まず彼ら自身の第一リクエストであるXYZのギタリスト、橘高文彦・・・
・・・んなもんさっき橘高ドラム叩き終わったところなんやから今から佳境やないの・・・
ソロアルバムと北京入りやったらまずソロアルバムが大切でしょう・・・ボツ!
まるっきり面識のない人間でも困るので、近いところから片っ端から連絡をとってみる。
山本恭司・・・シャラ・・・高崎晃・・・
んなもんみんないきなり明々後日から1週間なんて空いてるわけないやないの!!!!
ボツ!
困り果ててた時に、自宅にてJUNXION(ジャンクション)のCDを発見。
去年XYZレコードからデビューしたハードロックバンドである。
「こんなんどうかなあ・・・」
ダメ元でメンバーに聞かせてみる。
「非常にいいじゃない。彼で行こう」
本人のいないところで勝手に話が決まる。
胸を撫で下ろしたワシはギターの櫻田に電話をし、
「お前、どんな大事な用事があろうが全てキャンセルしてすぐ北京に来い。
断ったらお前らのバンド、潰す!」
と言い放ち、電話を切る。
あとはワシの日本の美人秘書がチケット等を手配してくれる。
やはりこのような人間関係をいたるところで構築しておくべきじゃのう・・・
と言うわけでジャンクション櫻田はチケット代が一番安いパキスタン航空に乗せられ、
彼にとって生まれて初めての海外である北京空港に降り立った。
北京のワシのアシスタントがピックアップに行き、スタジオまで連れてくる。
「お、来たね。マーシャル用意しといたからね。
明日から5日間で5曲。録り終えなければ帰さないからね。
一応パスポートと帰りのチケットは預かっとこう」
こうなるともうタコ部屋状態である。
そのままホテルに帰って、渡された譜面とDEMOを聞いてちゃんと弾けるように練習して、
スタジオに来てちゃんと弾けたら次の日のを渡され、
最後までちゃんとやれたら日本に帰れるが、ひとつでもつまづいたら帰れない。
どっかのテレビ番組の罰ゲームのようなものである。
また今回のアルバムは中国の民謡や童謡や古い歌謡曲のカバーアルバムなので、
特に京劇とかの舞台曲とか民俗音楽系は非常に難しい。
外国人に歌舞伎が難解なのと同じように、
これをロックにアレンジすると変拍子がいっぱい出てきてまるでプログレである。
しかもそのうちの2曲は16部音符の超早引きフレーズが
書き譜で最初から最後まで指定フレーズとして書かれている。
しかも中国人なら誰でもそのフレーズを知ってるわけで、
少しでも間違ったり直したりするわけにはいかないのである。
「こんなの弾けませんよぉ・・・」
ナキを入れる櫻田に、
「アホか!民族楽器が原曲ではもっと早いスピードでオールユニゾンやがな。
自分のバンドでもっと早弾きしてるギタリストが弾けんわけはない!」
と渇を入れる。
「運指が全然違うんですよぉ・・・こんなのイングヴェイでも弾けませんよぉ・・・」
とナキを入れながらジャンクション櫻田の眠れぬ生活が始まる。
でも考えて見ぃ!ワシはこの難曲を1週間かけて解析して
ロックにアレンジしてDEMO作って譜面書いて何日徹夜してると思とんねん!
おまけに今回は昼間ギター録りしながら夜は次の曲をアレンジ、
その合間を見ながら他の仕事もこなさなアカンのやでぇ・・・
他の仕事・・・他の仕事・・・
しもたぁ!!!!橘高の詞ぃ書かなアカン!!!
音楽仕事も水商売と同じで、忙しい時に仕事が来て、ヒマな時は閑古鳥である。
まあ、ワシが寝れんのやからお前も寝るな!
ってなもんでジャンクション櫻田は
初めての外国での唯一の知り合いであるワシにかくも冷酷に突き放され、
罰ゲームのようなレコーディングに突入するのであった。
部屋から出ようにも外国なので怖くて出れないし、
英語もわからないのでコミュニケーションも出来なくて、
国際電話をかけれるようになるのに1日、
部屋のポットでお湯を沸かすのに2日、
腹が減ってたまらず、
勇気を振り絞ってホテルの下のSUBWAYでサンドイッチを購入するのに3日、
近所のコンビニでビールを購入できたのは最終日の5日目であった。
ワシはワシで11月4日には北京Jazz-yaでJazzライブも入ってるので、
ギター録りはその日から夜中にやることになり、
ひとりで買い物も出来ないジャンクション櫻田は
朝方ホテルに帰ってから夕方までひたすら腹を減らしてギターを練習していたのであった。
かくしてギター録り5日目。
鬼のようなパンチインを繰り返した問題の超難曲を含め、
予定されていた5曲全部を無事に録り終えた。
ジャンクション櫻田もさすがにヘロヘロであるが、
中国ではプロデューサー自身がパンチイン、パンチアウト
等、プロトゥールスの操作全てを自分でせねばならないのでワシももうヘロヘロである。
ギターや機材を片付け終わり、ビールの栓を開けたジャンクション櫻田が、
そのまま録音データを整理しているワシに一杯ついでくれる。
もう朝方である。いっぺんで酔いが回る・・・
予備日として予定してあった明日、正確には今日はジャンクション櫻田はOFF。
「僕ぅ・・・どうすればいいですかぁ・・・」
捨てられた子犬のような顔でワシを見る櫻田。
ほっといたらこいつ、
ヘタしたら一日飯も食わずにずーっと部屋から出ないんではないかと思いつつも、
ワシは1時から、つまり数時間後には女子十二樂坊のレコーディングである。
プロデューサーLは彼女たちの民俗楽器の部分を先に録り終え、
ワシが帰って来るのをてぐすねを弾いて待っていたと言うわけである。
「何だって?お前これからプロデューサーLの仕事か?」
スタジオのエンジニアがびっくりしてワシに聞く。
そうだよと答えると
「そうかぁ・・・それはお気の毒に・・・」
彼の病的に細かいこだわりぶりは業界では有名な話で、
「明日何曲叩くの?ヘタしたら朝までだよ」
と本気で同情する。
まあ確かに他のアレンジャーよりは数倍時間はかかるが、
まあ今まで何度か仕事をやったが長くても2、3時間で終わっているので、
まあ何曲録るのかわからんが
夜には零点(ゼロポイント)のレコーディングに戻って来れるだろう、
とスタジオを夜にブッキングして家に帰る。
翌日、正確にはその日の数時間後、Lは時間通りにスタジオに来ていた。
世間話をしながらドラムをセッティングする。
ドラムセットと言うのは面白いもので、
まあ楽器と言うものはそんなものなのだろうが、
それ自身が生き物のように人格を持っている。
同じセッティング、同じ環境で叩いても毎回音が違うし、
久しぶりに叩くとしばらく相手にしてなかった恋人のようにすねて音が出なかったりする。
またワシのように7台も持っていると、
例えばXYZのツアーから帰って来てこのドラムを叩いた時、
「あんた、他の女抱いたわね!」
てなもんで音が出てくれなかったりする。
まあ楽器によって鳴らし方が微妙に違うのでフォームが違って来るんでしょうな。
機嫌を直すには女性と同じでひたすらかまってあげるしかない。
恒例のごとく長い間かけてチューニングしてあげると
やっと機嫌を直して言うことを聞いてくれるようになる。
プロデューサーLは世間話をしながら、
いつもの笑顔でワシと恋人達との音での会話を見ている。
「今日は何曲録るの?」
と聞くと、
「一応2曲で、発注しているアレンジが間に合えば3曲」
まあ少なくとも夜中には終わるだろうから12時ぐらいには零点の方に行けるじゃろう。
セッティングが終わって曲を聞かせてもらう。
壮大なクラシックの組曲のような大曲で、
3拍子と4拍子が入れ混じった変拍子の何曲である上に、
ご丁寧に途中には小さなドラムソロが3箇所も用意されている。
「ガイドドラムは?」
と言うと、「今回はない」と言う。
つまりどう言うリズムでどう叩けばいいかと言うことがわからないのである。
彼が簡単な構成譜を書いて、
口頭で彼がイメージしている叩き方を聞いてそれに書き込んでゆく。
打ち込み系の音楽はパンチインでぶつ切りで録音してゆけばよいが、
こう言うクラシック系の曲は強弱が難しく、大きな流れもぶつ切れてしまうので、
「とりあえず全体を把握するために、何度か合わせて叩いてみますか」
と言うことになり、この巨大組曲との格闘が始まったころ電話が鳴る。
OFFを満喫しているはずのジャンクション櫻田である。
「ホテルの人が来て、予約は今日までだって部屋追い出されちゃったんですよぉ」
んなわきゃないやろ!金は明日まで払うてるがな・・・
「そりゃ間違いや言うて交渉せい!」
と言ってもそりゃ無理な話であろう・・・
日本語の喋れるアシスタントを手配してそちらに行かせるよう段取りする。
巨大組曲との格闘は続く・・・
例によって「こう叩いてくれないか」と言う彼の要求を織り込んで何度かやってみる。
「どうも違うなあ・・・」
最後には彼自身がスティックを持って自分で叩く。
それを聞きながら、「じゃあこう言う感じか?」と叩いてみる。
何せ1曲が長いからこの作業だけでも大変である。
電話が鳴る。
「そのホテルに払ったお金の領収書が必要なんですが・・・」
ジャンクション櫻田である。
お金を払った零点に連絡とって段取りする。
巨大組曲との格闘は続く・・・
だいたいどう叩けばいいかが決定し、
ラフに最初から最後まで通して録音し終わった頃にはもう夕方である。
それまでに録ったテイクは5パターンを超え、スティックももう何本も折れている。
女子十二樂坊のレコーディングでスティックが折れるとはのう・・・
それからそれを基にしてちゃんとしたテイクを録音してゆく。
こだわり満載の彼は、「こう言う風に叩いてくれ」まで細かく指定するが、
打ち込めばそのまま音が出る機械と違って、
生ドラムの場合は手順であったり音の強弱の問題もあってそうはいかない。
例えば
「そこはタムとスネアでこう言うフィルを叩いてくれ」
と言うのを、
「その前にこのフレーズをこう叩いているのに、
その次にダブルストロークを入れると音量が下がって全体的には盛り下がるでしょ。
だからここはむしろタムを両手でフラムショットで叩いて、
その合間はスネアではなくバスドラで埋めるべきよ。
そしたらこうなるから音量も上がるしもっと盛り上がるでしょ」
といちいち1回1回録音し直して納得させる。
日本のスタジオミュージシャンはプロデューサーのイエスマンで仕事をする人が多いが、
こちらではそれぞれがアーティストとして認め合っているので、
必ず「自分はこうするべきだと思う」と言うのをはっきりと言わねばならない。
そりゃそうだ、音楽の構築は全部彼がやっているが、
ドラムを知っていると言うことに置いては彼はワシにはかなわないんだから。
「君の考えではタムはここから出てくるでしょ、
でもタムって出てくるともう消えたら寂しくなっちゃうわけ、
だからここのパターンは君の考えたパターンではなく、
むしろタムを使ったこのパターンに変えた方がいいと思うよ」
更にパターンを変え、また最初から録りなおす。
彼も満足し、基本的なリズムが構築された頃にメシ。
その頃には録ったテイクは10を超え、折れたスティックは10本を超えている。
橘高の体力モノのレコーディングでもここまでは折れんかった・・・
さて最後の難関は小さなドラムソロ。
と言うよりほんの小さなドラムピックアップのフィルイン程度なのだが、
通常でもフィルイン全てを全部パンチインして直す彼のこと、
そのフィルインの連続であるこのセクションでまたスティックを何本も折る。
結局録り終わったのは11時過ぎ。
つまりセッティングから始まって10時間、まあ連続して8時間はドラムを叩き続けている。
スタジオの人はあきれ顔でワシに同情するが、
なに、ワシはドラマーである。ドラムやったら何時間でもまかせんかい!
ワシ待ちである零点(ゼロポイント)や、
最後の北京の夜であるジャンクション櫻田からもがんがん電話かかって来るが、
「よし!次の曲!」
きっと脳内には物凄いアドレナリンが出てるのであろう、物凄くハイである。
あとの2曲はこの曲ほど難しくもなく、
それでもフィルインのひとつひとつを全部直す勢いで、
まあ1曲2、3時間ペースと言うところで3曲全部叩き終えたのは朝の7時。
つまり18時間ずーっとドラム録りをしているのである。
ひぇーーー・・・
でも先週まで「ワシはドラマーじゃぁ」と言うとったんじゃから仕方がない。
ドラマーならドラム叩きながら死ぬつもりじゃないと。
と言いつつもよく考えたら
ワシはそのまま昼の1時には同じスタジオでまた別のドラム録りである。
「6時間後かぁ・・・どうする?」
エンジニアと顔見合わせる。
「俺はもうこのままスタジオで寝る」
エンジニアは帰宅を放棄、そのまま翌日に備えるが、ワシは・・・
「あ、そう言えばジャンクション櫻田は6時にホテル出発で帰国ではないか!!!」
ピックアップは手配して置いたが、
無事にチェックアウトして空港までたどり着けたかどうか・・・
心配する余裕もなくまた気がついたらドラムを叩いている。
このスタジオには自分のドラムセットを置いているので、
「おっ、ファンキーが叩いてんのか?そいじゃあ俺のも1曲頼もうかな」
と言うことも少なくない。
よそのドラム録りのついでにやれば
セッティングの時間も音作りの時間も要らないので便利なのである。
その日は途中ちょっとストリングスのレコーディングも入っていたが、
ドラムセットはそのままにして
その前に窮屈にオーケストラが入ってレコーディングしている。
このスタジオではワシのドラムが一番偉いのである。
ストリングスが終わり次第そのままドラム録り。
結局その日は2本のドラム録りを追え、
次のスタジオに行って零点(ゼロポイント)のデータの整理をしてそのまま日本に帰る。
ドラムももう十分叩いたじゃろ・・・
飛行機に乗ってふと思い出す。
「そう言えばジャンクション櫻田はパキスタン航空やったなあ・・・」
パキスタン航空はリコンファームが必要である。
「そう言えばリコンファームしてなかったなあ・・・無事帰れたかなあ・・・」
まあ帰れんかったら帰れんかったでええかぁ・・・
このアルバムは恐らく数億の中国人が聞くこととなるわけやから、
当然毎日のようにテレビラジオで流れるやろうし、
何万人いるかわからんが中国のギタリストが全てコピーすることになるじゃろ。
言わば日本では知る人だけぞ知るギタリスが
中国では知らない人はいないギターヒーローになるわけやからなあ・・・
そのまま零点(ゼロポイント)のギタリストにでも納まっちゃえば
彼らと同じく大金持ちになれるわけやしなあ・・・
ジャンクション櫻田の運命やいかに!!
ファンキー末吉
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2004年9月30日
「海賊版撲滅!」を声高に叫びながら・・・
忙しかったぁ・・・
毎週週末にはライブで日本に帰ってたと思ったら、
北京ではそれこそ寝るヒマがないぐらい仕事が来る。
と言ってもいつものように「ちょっとドラム1曲叩いてくんないかなあ」とかだとまだいいが、
アレンジだのプロデュースだの、ああ言う仕事はドラムと違って、
「ひょいと行ってちょちょいと叩いてはいおしまい!」
と言うわけにはいかないので非常に時間を食う。
まあギャラと言えばドラムの数倍はくれるが、
その代わりドラムは1日で数曲叩けるがアレンジとなるとそうはいかない。
どうアレンジするかを考えて1日、DEMOを作って1日、
本人に聞かせて意見を聞いて1日、それを繁栄させて1日、
スタジオに入って2日、最終段階のミックスダウンで1日。
軽く1週間はかかるやないの!!!!
また悪いことにヒマな時は何もなくずーっと飲んだくれてると言うのに
仕事が来る時にはどう言うわけか必ず同じ時期に重なるのである。
「新しいユニットをデビューさせるんだけど3曲ほどアレンジを・・・」
バブルで好景気な中国では新しいプロダクションやらレコード会社やらもどんどん設立され、
どこかのスタジオでは必ずどこかの新人のレコーディングをやっている有様である。
「週末日本に帰るから来週ね」
と答えても、中国では必ずデッドラインを提示される。
「今週末までに必ず仕上げてくれ」
そりゃいくらなんでも無理じゃろ・・・
何とか週明けまで延ばしてもらって、日本でのツアー中にアレンジしようと思ったら、
また他の人から曲を書いてくれだの、アレンジをしてくれだの、
挙句の果てにはとある打楽器ミュージカルの音楽監督までやらされて、
製品レベルの楽曲を2曲明日までに書いてくれとか言われる。
ワシはアレンジとか作曲とか本当は好きじゃないの!
ずっと前から、若手プロデューサーDに
CuBaseを使った新しいシステムを購入しろと言われて久しい。
そんなことしたらまた一日中パソコンの前に座り込んで、
「自分は何をする人ぞ」ってな生活になってしまうのでずーっと断り続けていたのだが、
「俺が揃えるシステムとまるで同じものを揃えてやるから。それだと楽だろ?」
と押し切られ、
ついにあらゆる音楽ソフトや山ほどの音源をいっぱい入れ込んだ最速のマシンが届いた。
ちなみにソフト類は全部海賊版である。
ええんかい!
だいたいさっきまで
「海賊版のおかげで俺たち音楽家の収入が少ない」
と熱く語ってたのに、そう言う奴に限って自分は絶対正規版を買わない。
まあこの国だと正規版を探す方が難しかったりするのだが・・・
正規版だと思って買ったらネットでダウンロードした海賊版をそのまま売ってたり、
聞くところによるとこちらでは時には正規版より海賊版のほうが優れてたりする。
CuBaseも本当はUSBでハードウェアKeyを差し込んでなければ起動しないそうだが、
こちらではもう最初っからソフトを改造してあって、
そんなものはいらないからUSBにアクセスしない分動作が速いとか・・・
しかし日本では今だに著作権印税が大きな収入だというワシが
こうやって海賊版満載の最速パソコンなんて使ってていいものだろうか・・・
(ほんまは犯罪です!すまん!)
まあ罪悪感より仕事が優先である。
製品レベルのものをスタジオに入らずに
期限までに納めるにはやはりこの新しいシステムに頼るしかない。
何せ世界最高のソフトと音源が山ほど入っている夢のマシンなのである。
使ったことのないソフトを説明書もなくさわりながら
ひとつひとつ学習しながら仕事をするのでよけいに時間がかかる。
また朝から朝まで何をやっとるのかわからん生活をしながら、
もうすぐ日本に帰らねば、そのためには仕事を終わらせねばと言う時に電話が鳴る。
「お前、歌手のMに曲書いただろ。
俺審査員で呼ばれて決勝大会に呼ばれて行ったら1位になってたよ」
去年、まだレコードも出てない女性歌手に頼まれて曲を書いてレコーディングした曲が、
何と中国最大の新人歌手コンテストで、
歌手部門と楽曲部門の両方でグランプリを取ったと言うことである。
案の定、この忙しいタイミングに絶妙にその歌手が訪ねて来る。
「ファンキー、ありがとう」
と例によって派手な賞状とトロフィーを渡されたまではいいが、
「すぐにこの曲の本ちゃんの歌入れをして、
至急MTV撮って、テレビ、ラジオ局にプロモーションをしなきゃ」
「本ちゃん・・・ですかぁ・・・」
そうなのである。
こちらではレコードを出す前にヒットチャートに入れるのが普通なのである。
「これがきっかけで、ある企業のイメージガールとしてその会社の曲を歌うことになったの」
嫌な予感がしたが、案の定
「だから来週頭までに曲書いて」
と来る。
しかもMTVを撮るのでそれまでに製品レベルの完成品を作らねばならない。
「また製品レベル・・・ですかぁ・・・」
これはもうこの新しいシステムに頼るしかない。
とりあえず日本でネタを考えれるだけ考えて、
それを持って戻って来たらこの世界最高のソフトウェアと世界最高の音色で・・・
夢のマシンがあるんだから何でも出来ると思ったら甘かった。
だいたい何万もある音色をどうやって選べと言うんじゃい!
全部聞くだけで何週間もかかるわい!
またタダやから言うて
あんなにたくさんのソフトやプラグインをこの短期間で使いこなせるわけないやないの!
少しでも使い勝手がよくなるようにとあーでもないこーでもないと設定をいじってたら、
どう言うわけか今度はソフト自体が立ち上がらなくなってしまった。
こうなったらもうパソコンとの格闘である。こんなの音楽でも何でもない。
同じ海賊版をダウンロードしようとネットにつないで検索しまくったり、
同じソフトを持っている友人を探しまくったり、
ますますどんどんと「音楽」と言う作業から遠く離れてゆく・・・
そんな中で久しぶりのモンゴル族中国人から電話が来る。
せや!こいつがおったぁ!
昔彼にシステムを見せびらかされた記憶がある。
よし!こいつからソフトをコピーさせてもらおう!
「ソフト?ちょうどいい。
今日はお前の家の近くの友人と飯を食う約束があるのでハードディスク持って行くよ」
ありがたい話である。
持つべきものは友達である。
かくして彼と彼の友人達と飯を食う。
外でこんなにゆっくり飯を食うのは久しぶりである。
「ファンキー、紹介するよ。彼はチベットの友人で・・・」
なるほどなるほど、紫外線に焼けて肌が黒かったり、代表的なチベット族の顔立ちである。
「あと彼は朝鮮族の友人で・・・」
なるほどなるほど、目の細さかげんとか、エラの張り具合とか、朝鮮族って顔である。
「そして俺がモンゴル族だろ。
俺たち音楽学校の同窓生で、今日10数年ぶりに会うんだ」
チベット族と朝鮮族とモンゴル族と日本人。
中国で飯食っててひとりも漢族がいない。
「じゃあ乾杯!!」
忘れてた・・・モンゴル族は食事の度に白酒なのじゃ・・・
しかも10数年ぶりに会う友人と・・・こりゃまともにすむわけはない・・・
またその朝鮮族が酒が強い強い!
チベットは空気が薄いのでチベット族はあまり酒は飲まないと言うが、それでも強い強い!
山ほどの料理と10数年ぶりの積もる話・・・そして浴びるほどの酒・・・
・・・こりゃソフトのインストールどころじゃないわ・・・
「ハードディスクを貸してくれたら自分でインストールするから」
と言ってはみたものの、
「海賊版はハッカーによってインストールのやり方が違うから無理」
と無碍に却下さる。
大宴会の後に千鳥足でやっとうちに帰って来て、
彼がひとつひとつソフトをインストールするのを見てて驚いた。
CDがないとインストール出来ないソフトはバーチャルCDを何種類も使い、
システムIDからシリアルナンバーをGetして、
それからオーサライズKeyをGetする方式では、
ご丁寧にそれぞれそれを返してくれるハッキングソフトがついてたりする。
あるソフトなどは、インストールしてパソコンを再起動したら、
そのまま何もせずにまたもう一度パソコンを再起動する。
なんで?
「ああ、このソフトは2回再起動しなきゃならんと言うことが判明した」
しかしよくこんなにたくさんのそれぞれのソフトをここまで熟知出来るもんじゃ・・・
「アレンジャーを本格的に始めて、半年間はこればっかりやってたからねえ・・・」
そう言う彼の気持ちはよくわかる。
ここ中国ではDEMOと言うのは製品レベルでないとクライアントが納得しないのだ。
ワシなんかペラペラのMIDIの音でDEMO持って行ったら
「どうやって歌えばいいのかフィーリングが全然つかめない」
と言われ、じゃあ自分で仮歌入れて持って行って聞かせれば
「あんたの歌じゃいいメロディーも悪く聞こえる」
と言われる。
そんなお国柄でこれだけ海賊版が普及してたら、
やはりどんなDEMOでも製品レベルになろうと言うものである。
白酒にあまり強くないワシがもう既に力尽きてぐったりしてる間、
白酒なんか茶と変わらない彼はひたすら海賊版ソフトをひとつづつインストールしてゆく。
「あのさあ・・・音楽作ってる時間とパソコンと格闘してる時間って・・・どちらが長い?」
試しにそう彼に聞いてみた。
「そりゃ間違いなくパソコンだろ」
北京の一流のアレンジャーはほとんどパソコンの細かい設定や修理まで出来ると言う。
ワシ・・・もうアレンジャーなんかやらん・・・
ドラム叩いてなんぼの生活に戻りたい・・・
ファンキー末吉
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2004年7月27日
再婚とは・・・
心に染み入るいい一言
結婚とは「判断力」の欠如
離婚とは「忍耐力」の欠如
そして
再婚とは「記憶力」の欠如
先日久しぶりに会ったMさんのその日は、
偶然にもめでたい再婚数周年目のアニヴァーサリー。
Mさん本人からこの言葉を教えて頂きました。
ただ今北京のミュージシャンの間でひそかに流行中・・・
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「ファンキー、金曜日は空いてるか?」
よく一緒に仕事をしているプロデューサーLから電話があった。
だいたいこう来ると「ドラムを叩いてくれ」と言う「仕事電話」なのだが、今回は
「唐朝のギタリストWが結婚するんだ。行くか?」
と来る。
「行く!行く!」
ふたつ返事である。
ミュージシャン仲間も偉くなって忙しくなったのか、
またその音楽界自体が巨大化してしまったのか、
現在一緒に仕事をするある一部の音楽仲間以外と会う機会は滅多にない。
「よっ、久しぶり。じゃあ飲むか?」
と言って
「いいね」
とすぐ酒盛りが始まるほど、奴らは(自分も含めて)今はヒマじゃないと言うか、
まあ大人になったと言うか・・・
月日がたつのは早いもので、初めて北京にやって来てからもう15年。
それから数年後には、もうロック界も巨大化し、それぞれいろんな派閥も出来、
昔のように全てのロックミュージシャンが一同に会すなんてことはなくなった。
10年前、唐朝のベーシストZhangJuがバイク事故で他界し、
その葬式のときにあらゆるロック界の人間が一同に会したのが最後である。
まあ、ロック界も巨大化し、若い新しいバンドもどんどん現れ、
向うは私のことを知ってても、私はとてもじゃないけど覚えきれたもんじゃない。
唐朝のギタリストWが結婚と言えば、まあ昔仲間はほぼ全員集まるであろう。
ところで結婚式と言えば、
ワシは北京で親戚だけ集めてレストランで略式やったが、
あとは今日本で秘書として私の日本の業務をやってくれているA嬢が結婚した時、
ワシと和佐田と団長がバンドとして呼ばれ、
一流ホテルの宴会場にて団長はギターを振り回し顔にぶち当たり、
流血しながらギターソロを弾きまくり、
新郎新婦には大うけしつつ中国人列席者が全員無口になったと言うことがあるぐらいで、
まあ中国で正式に結婚式に列席したことはない。
だいたい日本でもすでに冠婚葬祭の礼服とかは一着も持ってはおらず、
そう言えば10年以上そのような催し物には参加したことがない。
葬式にはBEYONDの黄家駒、ドラマーのWINGのフィアンセ
関連ネタ:http://www.funkycorp.jp/funky/ML/70.html、http://www.funkycorp.jp/funky/ML/72.html
そして前述の唐朝のベーシスト、ZhangJuの葬式には参加したが、
中国の葬式は別に礼服を着て行く必要もなく、
ZhangJuなんか葬られる方が革ジャンに皮パンだったので服装は気にすることはない。
「ねえねえ、結婚式って何着て行くの?」
一応確認はしてみるが、予想通り「随便(スイビェン:お好きに)」と言うことである。
いつもの普段着で行けるなら参加のしようもあると言うものだ。
結婚式は昼間に行われると言う。
「12時からだけど11時半には来いよ」
と言われていたが、
まあ中国時間だろうとばかり30分ほどゆっくりして遅刻して行ったら、
何と列席者はもう全員席に着いていて、遅れたのはワシだけである。
「ちゅ、中国人がこんなに時間を守るなんてぇ・・・」
受付でしばし呆然とし、芳名帳に記帳し、
その芳名帳の懐かしい名前の数々をちらっと見ただけで心躍らせながら中に入った。
そこは巨大な結婚式専門の式場レストランで、
巨大な会場に大きな円卓が30席はならび、ざっと見ても200人以上、
どっから見てもかなり盛大な結婚式である。
自分の席を探すが、日本のように別にテーブルに名前があるわけではなく、
一生懸命知った顔を探しているといきなり「ファンキー」と声をかけられた。
入り口に近いテーブルは、
今度日本のレコード会社とも契約して夏には来日ライブもやると言う、
ロックバンド「艶(Yan)」のドラマーをはじめ、
なんやら懐かしいドラマー中心のテーブルである。
「懐かしいなあ・・・」
と声を掛け合ってるその声に気づいてワシを招待したLuanShuがワシに気づき、
いつもの仲間のテーブルにワシを連れてゆく。
「式の進行はどうなってんの?」
ひとり遅れて来たワシは不安になってそう聞くが、
「別にぃ・・・」
と、なんかやはり日本の結婚式のように格式ばっていないらしい。
友人達が一堂に会して飲んで食って、それが結婚式なのであろう。
「じゃ、とりあえず飲むか!」
ワシなんか昼から飲む気まんまんである。
ところが意外とみんな酒に手をつけない。
「何で飲まないの?」
いつもなら真っ先にがんがん行って酔いつぶれてうだをまくのがこの連中である。
昔は昼からベロンベロンだったのに大人になったもんだ・・・
・・・と思ってたら、
「昨日は朝まで飲んでてまだ醒めてない」
とのことである。
まあそんなことなのね・・・
先ほどのドラマーのテーブルでは真っ先に乾杯の音頭が上がり、
それを皮切りにいろんなところで乾杯の嵐、
赤ら顔に千鳥足が増えて来た頃、新郎新婦の再登場。
新郎は白酒と杯を手に持ち、新婦はタバコとマッチを手に持ち、
客人に対して新郎は酒を乾杯し、新譜はタバコに火をつける。
「これを200人以上廻るとお前・・・死ぬぞ!」
中国で結婚式を挙げるのも命がけである。
酒もまわり、いたるところで「イョー!」と同じく懐かしい同士のご対面が始まる。
ワシもそのドラマーが集まるテーブルで飲んでたら、
あちこちを廻ってたプロデューサーLがそのテーブルにやって来た。
「いやー久しぶりぃ!」
ワシの隣で昔話に花の咲いてたロック中国琴奏者Wに声をかける。
一昔前はふたりは犬猿の仲。
10年前のZhangJuの葬式の時、葬式が終わって最後に集まったZhangJuの家で、
酔っ払ったふたりは取っ組み合いの喧嘩を始める寸前につまみ出されたのが、
今やふたりとも笑顔で仲良く話す。
大人になったもんじゃのう・・・
次には元黒豹の敏腕マネージャーG氏がやって来た。
「いやー久しぶりぃ!」
お前ら黒豹がらみで原告被告の関係で法廷で争った仲やないかい!
月日はいろんなものを洗い流してしまうから素晴らしい。
ワシらのテーブルは一番後ろ。
新郎新婦がやっとここまでやって来た。
案の定新郎はべろんべろんである。
そう言えばこいつはワシのソロアルバムの時、
夕方5時からだと言うのに「酔いつぶれて今日は行けない」と電話があり、
次の日には「酔っ払って包丁で指切った」と血まみれでギターソロ弾いた男である。
「お前・・・身体・・・大丈夫?」
久しぶりに会った友人の結婚式の開口一番がこれではちと情けない。
「おめでとう御座います。初めまして、私はFunkyと申します。日本人のドラマーです」
奥さんにとりあえず丁重に挨拶をする。
「今日は来てくれてどうもありがとう。たばこでもどうぞ」
吸わないと言えばそれですむのだが、
結婚式だしそれ専用に作られたカラフルな「結婚タバコ」で、
めでたそうなのでつい吸ってみる。
この国で禁煙は難しい・・・
新郎新婦が次のテーブルに行き、
乾杯した白酒とタバコでふらふらになりながらふと気づいた。
「ご祝儀はどうすんの?」
一応2~300元ぐらい包むとは聞いていたが、
どうも入り口で渡すらしいが、ご祝儀袋も持ってないし、裸銭と言うわけにもいかんので、
とりあえず現金だけ持ってテーブルにまで来ている。
「本人に渡せばいいじゃん」
と言われてもみんな入り口で渡して、ワシだけが本人に裸銭と言うわけにもいかんじゃろ。
しかし思い起こして見ればZhangJuの葬式の時は、ご家族に直接お金を渡した。
「これから大変でしょうから何かのお役に立てて下さい」
と言う気持ちなのだがら裸銭でもよい。
しかしこんな結婚式で裸銭で本人に渡すためには人がびっくりするぐらいの札束とか、
何かパフォーマンスにならなければならないので無理である。
その辺に落ちている赤い封筒を拾って自分の名前を書いて300元入れた。
日本だと2枚のお札だとふたつに分けられるので2万円ではなく3万円にすると言うが、
こちらではそう言う風習はないので、みんなは200元ぐらいだと言うが3枚入れた。
ふと見ると列席者は既に半分ぐらい帰ってしまっている。
こちらでは食って飲んで、新郎新婦に挨拶してお金渡せばそれで帰っていいのであろう。
日本の結婚式がどれだけ格式ばっているかと思ってしまう。
昔仲間達はもう席をドラマーのテーブルに移動し、
昔のノリでがんがん飲んで盛り上がっている。
シメの言葉も何もなく、ウェイトレスは空いた皿を片付けるその間を縫って、
ワシはまだ封の空いてないワインのボトルを集めにかかる。
そのテーブルも片付けに入ると表に出て、
その式場の敷地内にある人工湖のほとりのテーブルに席を移す。
ワシは中のテーブルのまだ残っているワインのボトルを拾い集める。
気がつけば席には新郎が座って一緒にうだうだしている。
「奥さんはぁ?・・・」
なんのこっちゃない、このまま通常の飲み会に突入である。
奥さんは家に帰って旦那の帰りを待つのか、
はたまた付き合いきれぬとばかりこの場を後にしたか・・・
ま、中国では(日本でも?)もう既に一緒に住んでるから別にと言う感じなのであろう。
結局、来る時からの疑問、「初婚なの?再婚なの?」は最後まで聞けなかった。
夜の噂では再婚であるとの話だが、
まあだったら「記憶力の欠如」ですか?
記憶力なんかない方が人生幸せよ。
人間、嫌なことを全部覚えてたら気が狂って死んじゃうらしいしね。
飲も、飲も!
ファンキー末吉
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2004年6月25日
小さな恋の物語・・・ええ話やなあ・・・涙・・・
小さな恋の思い出
なんか最近よく初めての人からドラム叩いてくれと頼まれる。
今日は3曲まとめてである。
こちらでは1曲叩いたら1週間食えるので3曲と言うと半月以上食える。
よし、頑張るぞ!!
スタジオミュージシャンの中でドラムは一番大変である。
この大きなかさばる機材を自分でスタジオまで運ばねばならないから。
ワシはもうかれこれ20年近くパールのモニターをやっているので、
パールから提供してもらったドラムセットももう全部で7台となり、
2台が日本、あとの5台は全部北京に送ってある。
総重量570kgあった・・・
北京にある5台のドラムセットのうち、
ひとつはS社長のスタジオに置いてあり、もうひとつはLプロデューサーのスタジオ、
そしてJazzセット(小すいか)は今後のJazzライブのためにJazz-yaに置いて、
後はどどんと今の住処に置いてある。
ドラムの山である。(すいかドラムとかいろいろ・・・懐かしい・・・)
いつもS社長のスタジオか、Lプロデューサーのスタジオで録ってくれれば、
ドラムを運ばなくていいので楽なのだが、先方にも都合があるのでそうはうまくはいかない。
アシスタントの重田に連絡して、指定のスタジオに指定の時間にドラムを運ばせる。
ドラムのフルセットをタクシーに積んで運ぶので彼も大変である。
さてワシは指定された時間に指定されたスタジオに行くのだが、
初めてゆくその日のスタジオは珍しく市外の南側にあった。
スタジオは大体北側か、遠くても西側に多いので、南側には滅多に行く機会がない。
ともすれば初めてゆく場所なのだが、
ワシにとってはとある小さな思い出のある場所であった。
数ヶ月前になるであろうか・・・
香港の夜総会好きの友人Wは、突然北京にやって来て「会おう」と言うので、
タクシーに飛び乗って行き先を伝え、そのまま着いたところが
想像にたがわず夜総会、つまりカラオケ(と言う名のキャバレー)であった。
着いた頃には上機嫌でカラオケを熱唱するW。
ワシは挨拶して一緒にちょいと酒が飲めればそれでいいのよ・・・
頼みもしないのに店長がやって来て「女の子を選べ」と言う。
いいの、いいの、ワシは・・・女の子おったってろくなことないから
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/68.html
と断るのだが、それでは店長のメンツが立たないのであろう、
仕方がないので女の子がたむろする場所、いわゆるここが「ひな壇」なのであろう、
そこに連れて行かれ、
仕方がないので適当に奥に座っている地味で目立たない女の子を指名した。
「おっ!!」
店長が何やらちとびっくりした仕草をしたので「どうしたの?」と聞くと、
「この娘は今日が初仕事なんですよ」と言う。
テーブルについた彼女も
「始めまして。私は昨日北京にやって来たばかりで今日が初出勤です。
至らぬところもあるでしょうがお許し下さい」
とお辞儀をする。
見れば素朴で、こんな商売にはまるで似合わないような娘である。
「いくつ?」
聞けば20歳だと言う。
どんな家庭の事情でこの仕事を余儀なくされたのであろう・・・
ワシはこの後打ち合わせがあり、
人と会わねばならないので「持ち帰り」などとうてい出来ないが、
飯をまだ食ってないので、連れ出して一緒に飯でも食うと言うのはどうだろう。
やり手ババアのママさんに聞いてみる。
「300元払えばいいわよ」
キャバクラの店外デートのようなもんか・・・
よし!じゃあ300元!
最近金があるのでつい無駄遣いをしてしまう・・・
アホな男である。
「じゃあ着替えて来させますから」
ママさんが彼女を裏に連れてゆき、しばらくして私服に着替えて戻って来た彼女は、
どっから見ても「田舎から出てきたばかりの素朴な女の子」である。
思えばWに初めて香港の夜総会に連れて行かれた時、
なかなか「女の子を選ぶ」と言うことが出来ず、
キレたママさんに「あんた結局どう言う女の子が好みなの!!!」と言われ、
「うーん・・・素朴な女の子・・・」
と答えたら「んなんがこんなとこにおるかい!!」と大笑いされたことがあったが、
思えば彼女こそ希少な「素朴な女の子」そのものではないか・・・
Jazz-yaに連れてゆき、とりあえずカクテルと飯を頼んだ。
「君の初仕事に乾杯!」
男は金持ってるとちとかっこいいことが出来て素敵である。
差しさわりのない程度に聞いてみる。
「なんでこんな仕事始めようと思ったの?」
別に言えることだけ言えばいい。飯を食い終わったらそのまま別れて、
恐らくまた会うことはあるまい。ワシはただの彼女の初めての客なのである。
身の上話を聞いてるうちにちょっと説教癖が出てしまう。
「でもさあ、あんたこの仕事がどう言う仕事かわかってんの?
もしこのまま俺があんたと寝るって言ったら寝なきゃなんないんだよ。
わかってんの?」
彼女の顔が少し曇る。
しばしの沈黙・・・
場が持たなくなって口を開くワシ・・・
「でも、どんな生活にだってそれなりの幸せはある。
問題なのは覚悟を決めて飛び込むかどうかだよ。
覚悟さえ決めればどんな生活にだって絶対それなりの幸せはあるからね」
Jazz-yaのキャンドルの炎のせいか、初めて飲むカクテルのせいか、
彼女の頬が少し赤らんで、目が心なしか潤んでいるように見えた。
都会の華やかなバーの雰囲気のせいか、初めて飲むカクテルの酔いのせいか、
彼女がだんだんと能弁になる。
「嬉しい。今日は私の記念日。今日のことは一生忘れない。私、頑張る!」
彼女と乾杯する。
「俺は友人が夜総会を経営したりしてるんでこの商売のことはだいだい知っている。
この商売の女の子の末路がどう言うのかも知っている。
最後には落ちぶれていなくなってしまうか、
生き残ってあのやり手ババアのママさんとなって別の女の子で稼ぐか・・・
どっちにしてもこの世界に住んだら女の子はすぐに変わってしまう。
お店にいただろ、あの派手な女の子。
あれがこの世界のプロだよ。ああじゃないと稼げない。
あんたもいつかああなってしまうのか、それもいいだろう。
でもあんたの初めての客は素朴な女の子が好きっつう変な客だった。
君の今が好きだった。
その初めての変な客からのささやかな願いを言わせてもらうと、
出来ればあんたにはこのまま変わって欲しくない。
でもそれもきっと無理な話だろう。だからせめて
今の素朴なあんたを好きだった変わった客がいたんだ
と言うことを覚えていてくれればそれでいい」
彼女の初めての客は、彼女に300元を渡してタクシーに乗せ、
自分は次の打ち合わせ場所へと向かって行った。
方向も彼女は南側、自分は北側。まるで反対方向である。
生きている世界もまるで違う。もう会うこともないだろう・・・
しかしまるで接点のないこのふたりを、携帯電話のショートメールがつないだ。
「昨日はありがとう。いい思い出になりました。あなたの仕事が順調であることを願います」
お決まりの営業メッセージである。
お決まりの返事を返してそれで終りのつもりだったが、
アホなワシはどうしても彼女のことが気になって仕方ない。
「どや?客がついたか?生活は順調か?」
いらぬ心配をしてメールを送ってしまう。
メル友をやってるうちにいろんなことがわかって来る。
彼女の収入は指名されて初めて彼女に入ってきて、
誰からも指名されなければボーズ、つまり一日ひな壇に座っててノーギャラである。
世の客はどうせ金を払うなら派手でセクシーな女の子を選ぶので、
彼女のようなキャラクターではなかなか勝ち目がない。
しかも彼女の一張羅のドレスや化粧品なども全て自前で用意せねばならない。
考えてみればキツい商売である。
「いいよ。飯ぐらい奢るよ」
ある日仕事終りに彼女を食事に誘った。
食事だけの300元でも彼女の収入になったらそれはそれでいい客である。
「初めてのいい客」をやり続けるのも大変である。
田舎から出て来て右も左もわからない彼女と待ち合わせ。
仕方がないので彼女の住んでいるところの近くにする。
彼女が転がり込んでいるホステス仲間のマンションの向かいのレストランに、
彼女はあの時と同じ服を着て来ていた。
それが今回ワシがドラムを叩きに来たスタジオの隣であったのだ。
「よ、この前と同じ上着だね。かっこいいじゃん!」
美的センスがゼロのワシが何とか服装を褒めようとすると墓穴を掘る。
「私・・・着の身着のままで来たからこの服しか持ってないの・・・」
食事をしながら彼女のグチを聞いてあげる。
職場のこと、家庭のこと、そして慣れない北京での生活のこと・・・
「じゃあ友達紹介してあげるよ。
俺の周りは有名人だけじゃなく食うや食わずのミュージシャンがいたり、
いろんな奴がいて面白いよ。
別に自分の職業言わなくてもいいし。
集団就職で来て夜レストランで働いてるとでも言っておけばいいじゃん。
君を見てまず水商売だと思う人はいないよ。
その代わりね、自分の商売を卑下しちゃだめだよ。
好きでやってるわけじゃない、これやらなきゃ生きていけないからやってんだから。
仕方ないんだからあんたが悪いんじゃない。
こんな仕事やってるからってあんたはむしろお天道様に胸張って生きていかなきゃ。
どんな生活にだってそれなりの幸せがあるんだから。それを早く見つけようよ」
そして彼女の「最初の客」は、その頃から彼女の「最初の友達」となった。
毎日のように彼女はひな壇からメールを書いて送って来たが、
彼女のグチは日増しにひどくなって来た。
ある時にはまた仕事終りに彼女の家の近所まで行って飯を食ってグチを聞いてあげた。
友達なのでもちろん300元も払わない。
そんなある日、ぷつんと彼女からのメールが途切れた。
仕事が終わってもメールが来ず、心配して電話をしても電源が入ってない。
そして次の日の昼間も連絡が取れず、夜になってひな壇からメールが来た。
「ごめんなさい。仕事終わって電話を同居人に渡したまま朝まで帰らなかったから・・・」
ピンと来た。彼女は初めて客をとったのだ・・・
それはそれで喜ばしいことではないか・・・ちょっと複雑な心境ではあったが・・・
そしてしばらくしてひな壇からメールが来た。
「この街はなんてひどい街なの・・・
私はここに来てからひとつたりともいいことなんてなかった。
世の中ってどうしてこんなに不公平なの。
私だけがどうしてこんなに辛い思いをしながら生きていかなきゃなんないの」
一生懸命慰める。
「どんな生活にだってそれなりの幸せがあるから」
すぐに返事が来た。
「幸せですって?私には遠すぎるわ・・・あまりにも遠すぎて絶対につかめない・・・」
あまりにも可哀想で、彼女にメールを送った。
「じゃあ今日仕事終わったらぱーっと行こうか。家の近所まで迎えに行くよ」
心なしか彼女のメールの表情がぱっと明るくなった。
そして真夜中の1時。彼女が仕事が終わったとメールが来る。
タクシーに飛び乗るワシ・・・
家に着いたとメールが来る。
もうすぐ着くよとメールを送る。
しかし家の近所に着く頃にメールが途絶える。
電話をかけても通じない。
当時はまだ寒かった・・・
門の前で1時間彼女からの連絡を待った。
でも連絡が取れず、ワシはあきらめて家に帰った。
南側からワシの住む東北側はタクシーでも非常に遠い。
道のりの半分を過ぎた頃、彼女からのメールが届いた。
「やっぱり来てくれなかったのね。ずーっと待ってたのに・・・じゃあおやすみなさい」
急いで電話をするワシ。
「やっとつながった!!ずーっと電話してたのにつながらなかったよ。
メールも送ったのに・・・」
聞けば「家に着いたわよ」の返信以来全てのメールが不達であったらしい。
回線が悪いのか、その時だけワシの電話にも電話がつながらなかったらしい。
不思議な話である。
「俺は寒空の下、1時間ずーっと君のこと待ってたんだ・・・」
にわかに信じがたそうな彼女。
「じゃあ今から戻るよ。外で待ってて」
しばらく考えてから彼女は優しくこう言った。
「いいの。今日はもう遅いから寝ましょう。また今度ね」
それからワシは日本に帰ってしばし仕事をし、
忘れかけてた頃、久しぶりに彼女からメールがあった。
「私・・・明日故郷に帰ります・・・」
ワシは急いで彼女と連絡を取って呼び出した。
「今日は門のところまで出て待っててくれ。前回みたいなことがないように。すぐ行く」
彼女はまた同じ服を着て門のところに立っていた。
1ヶ月働いて彼女は自分の服ひとつ、
靴下ひとつも買うことが出来なかったのである。
「明日帰るんだったら俺が北京で一番綺麗なところに連れて行ってやる」
皇帝の保養地だった后海と言う湖のほとりを手をつないで歩いた。
ベンチに座って真夜中の湖を見ながら語り合う。
「この街に幸せはなかったわ」
湖を見つめて悲しそうにつぶやく彼女。
「バカヤロー。幸せなんかなあ。つかむもんじゃ!努力もせんで何の泣き言じゃい!」
ちょっと興奮して奮起を促すワシ・・・
「でもね、世の中は平等じゃないの。幸せな人もいれば絶対幸せになれない人もいるの」
「アホか!世の中が平等なわけないやないかい!お前と俺が平等か?
お前が女である全てを捨てて稼ぐ金を俺はドラム叩いたら1日で稼ぐことが出来るんや。
誰が世の中平等や言うた?んなもん絵空事や。
でもお前よりも不幸な奴も俺はたくさん知ってる。
この国は特にヒドい。そんな話は珍しくないぐらいどこにでも転がってる。
でも低く生まれた奴はみんな不幸か?高く生まれたらみんな幸せか?
低く生まれても幸せな奴もいれば高く生まれても不幸な奴もいる。
上を見ればきりがないし、下を見てもまだまだ下はいる。
この自分の世界だけを見て、その世界の自分だけの幸せを探すんじゃ。
絶対に見つかる。見つからんのは努力してないからじゃ。
神様は人を確かに不平等に生んでるけど、幸せをつかむ権利は平等や。
ただその幸せの種類が人によって違うだけや。
見つけたらそれはその人だけのかけがえのない幸せや。違うか?」
ワシはひとりの娼婦の物語を彼女に話した。
一人っ子政策の二人目の子供である彼女の家庭は、
その罰金のためにただでさえ貧しかったのが、
お兄さんが犯罪を犯して刑務所に入れられ、
その命を守るために毎年多額の賄賂を送らねばならない。
その天文学的なお金を彼女は北京まで来て身体を売って稼ぐ。
しかし働いても働いてもお兄さんは出獄できない。
父親からは毎日催促の電話。
もう生活力もない両親。その生活も全部彼女の稼ぎの肩に乗っかる。
怒鳴り散らす彼女。金、金と毎日電話をかけて来る親・・・
この世の地獄である。
その金のためにありとあらゆることをやって、その娼婦は22歳でもうぼろぼろであった。
それに比べたらこの新米娼婦なんぞいい方である。
このまま故郷に帰って、落ちるところまで落ちずに
それなりの幸せをつかむことは出来ないことではないようにワシなんかは思うが、
しかし所詮は違う世界の人間が傍観して勝手なことを言ってるだけのことである。
まさしく「住んでる世界が違う」のである。
しばし無言で湖を見つめる。
「じゃあ私、帰る・・・いろいろどうもありがと・・・」
彼女が立ち上がる。
つないだ手を離したらもう二度と戻って来ないような気がしたが、
ふたりはその手をそっと離した。
最後にワシはまた彼女に
「どんな生活にでも絶対にそれなりの幸せはある」
と言った。
ちょっと苦笑いを見せて彼女はうなずいた。
タクシーを止めて彼女を乗せる時に、最後にちょっとだけ聞いてみた。
「ねえ・・・あの日・・・もし電話が、メールが通じてたら・・・俺たちひょっとして・・・」
彼女は何も答えず、ちょっと背伸びをしてワシのほっぺにキスをしてタクシーに乗り込んだ。
「ええ話やないの・・・」
3曲のドラム録りは順調に終り、
飯を食いながらミュージシャン仲間に思い出話を語っていた。
一番女遊びが激しいロックミュージシャンEが俺にこう言った。
「でもな、娼婦はしょせんは娼婦よ。お前と彼女は住むところが全然違う。
お前はバカだからわかっとらんかも知れんが、彼女はじゅうじゅうわかっとるよ。
男はなあ・・・金を持つと変わるんだ。女はなあ・・・金がないと変わるんだ」
今ではめったに来ることはない南側の懐かしい街角を後にした。
ファンキー末吉
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2004年6月 5日
2週間まるまる寝れないほどの忙しさの中・・・
まぐまぐからお知らせメールが来た。
「あなたのメールマガジンはもう3ヶ月発刊なさってません。どうなさったのですか?」
えらい親切なメルマガ発刊サイトである。
そうかぁ・・・そんなになるのかぁ・・・
思えば非常に忙しかった。
死ぬほど忙しかったと言えよう。
それもひとえに零点(ゼロ・ポイント)のプロデュースのせいである。
(関連ネタ)http://www.funkycorp.jp/funky/ML/78.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/88.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/90.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/92.html
今年中にいろんな企画をやるから、お前は全部で35曲年末までにアレンジせい!
と言われているので、ヒマを見ては・・・と言うより、
もうかれこれ数ヶ月間毎日常にそれをやっている。
メンバーにもごたごたがあり、ギターとキーボードが脱退したが、
なんか影ではほとぼりが冷めたら復活とかナンだかわけがわからない。
ある日なんぞ、なんか「音楽賞の授賞式があるからお前も来い」と言われ、
ベストプロデューサー賞かなんかでも頂けるのかと思っていそいそついて行ったら、
何のことはない、いきなり授賞式でのライブであてぶりでキーボードをやらされる。
もちろんノーギャラである。
ま、いいのよ。あてぶりだし、自分のアレンジした曲だからだいたい覚えてるし・・・
ノーギャラでも飲み食い豪勢なの奢ってもらえるし・・・
でもそんなアホやってるからますます忙しいのよね・・・
XYZのツアーで来日し、また北京に戻った時、いろんな業界人からこう言われてびっくりした。
「ファンキー、お前はついに零点(ゼロ・ポイント)のキーボードになったのね」
なんじゃそりゃ?と思ったら、その授賞式の模様は全国に放映され、
新聞、ニュース、ネット記事の全てで
「零点(ゼロ・ポイント)の新しいキーボードは日本人!!!」
と報道されているではないか・・・
キーボードなんか弾けへん!っつうねん!
北京に戻るや否や、
「ファンキー、すぐ新曲をレコーディングするぞ!」
メンバー脱退の痛手を払拭するために新メンバーでの新曲をすぐにでも発表せねばならん。
「新メンバーって・・・誰?・・・」
まあキーボードは弾くことは出来んが、MIDIで打ち込むならなんとかなるなあ・・・
ギターはスタジオミュージシャンでも指すかぁ・・・
とかいろいろ考えつつ、実のところ結局は
当分の間は新メンバーではなくサポートメンバーなので誰でもいいのよね。
寝ずにアレンジを1曲仕上げ、翌日にリハーサル。
そこで更にアレンジを固めて、翌々日にレコーディングと言う予定が、
当日のリハーサルでメンバーから新たな新曲が提出され、
「やっぱこの曲でいこう」
と言うことになる。
・・・ワシの夕べの徹夜はどうなんの?・・・
リハ終了後、すぐさままたその曲のアレンジに突入し、
スケジュールはその分確実に後ろ倒しとなる。
しかしワシは次の日から日本の某企業CMソングのレコーディングが入っており、
それは日本からその企業の部長さんまで北京にやって来てレコーディングするので、
中国と違っておいそれとスケジュールを動かすわけにもいかん。
「すまん!ワシ・・・明日から別のレコーディングなんで・・・」
と言っても聞き入れてくれる相手ではない。
「ワシらの命運をかけたシングルと他の仕事とどっちが大切じゃい!」
と一喝されるのかと思いきや、
「いいよ、いいよ。それ何時に終わるの?それ終わったら夜中にレコーディングしよう」
と来る。
昼間ワシ自身がドラムを叩いて、
そのセッティングのまま零点(ゼロ・ポイント)のドラマーが叩けば
レコーディングもスムーズだと言うわけである。
ほなワシ・・・いつ寝るの?・・・
かくしてその日本企業のCMソングのレコーディングと
零点(ゼロ・ポイント)のレコーディングは平行して続く。
その日本企業のCMソングは、
その日本人なら誰しも聞いたことのあると言う有名な曲であるが、
その企業の部長さんが女子十二楽坊の大ファンであると言うことと、
女子十二楽坊は日本の一種のトレンディーな流行ではないかと言うことから、
その会社がわざわざ直接女子十二楽坊に依頼をしたところ、
当然のごとく目の玉が飛び出るぐらい高い値段だったそうで私に依頼が来た。
「ファンキーさん、すみませんが女子十二楽坊風にアレンジして下さいな」
と言うもの。
・・・ワシって一体・・・
中国民族楽器オーケストラのアレンジは非常に難しいので、
零点(ゼロ・ポイント)のレコーディングが終了した朝方からも譜面を書く。
ぎりぎりで間に合って昼過ぎにスタジオに入って、
用意していた女子四楽坊とも言うべき綺麗どころの女子民族楽団に演奏してもらう。
綺麗どころでも用意してないとやってられないところなのでせめてもの憩いだが、
残念ながらブッキングされた笛だけは男性であった。
CMソングは全部で5バージョン、
同じ曲を全部違うアレンジでレコーディングせねばならない。
正味5曲分違う曲をまるまるレコーディングするのと同じ仕事である。
修羅場のようなレコーディングを、綺麗どころと共にまる一日、
天国なのか地獄なのかようわからん状態でスタジオに缶詰になる。
夜の9時になると零点(ゼロ・ポイント)のメンバーがスタジオに現れる。
これが終わればすぐさまベースとギターを録ろうと言うのである。
こちらのレコーディングでは待たされるのも日常茶飯事だが、
その代わり待たすことも「よし」とされるので、
こちらが終わるまでみんな気長に待ってくれるが、
気ぃ使いの日本人としてはどうも気が気ではなく胃が痛い思いをする。
11時頃やっと民族楽器を録り終えてほっと一息つくヒマもなく
零点(ゼロ・ポイント)のレコーディングが始まる。
終われば朝なのだが、また朝から今度はそのCMソングのTDである。
都合のいいことにメンバー同士が意見の対立でもめ、
ギターは録らずにベースだけで早めに終え、その日は少しは寝ることが出来た。
そのTDさえ終われば少しは時間に余裕が出来るはずである。
思えば本当ならその日にWINGが北京でのライブのためにやって来て、
ワシが例によってバックでドラムを叩かねばならないはずであったのが、
スケジュールがドタキャンで後ろにずれ込んだ。
これがあったら確実に死んでいただろう。
ドタキャン万歳!!
TDが終わって飲みに行く。
翌日からついに開放されるかぁ!!!!と思いきや、そんなはずはない。
朝方、零点(ゼロ・ポイント)から電話が入って来て、
「今日じゅうにギター録るぞ!ギタリストをブッキングしろ」
ワシがするんかいな。お前ら自分でするんとちゃうのん?
「バンドが言うとヤツら絶対ウンとは言わんから、お前が仕事として発注しろ」
ま、いろいろあるのね。
朝っぱらから電話番号調べて、一番売れているロックギタリストをブッキング。
そうして次の日もスケジュールは埋まるのだが、
「これが終われば開放される」
を馬の頭にぶら下がったニンジンにして何とか頑張れる。
ギター録りが終ると、すぐさま歌入れが開始される。
それが終われば、次の日とその次の日のうちにTDを終わらせればよい。
スケジュールについに白いところが出来るわけである。
「あのう・・・ワシ・・・歌入れにおってもしゃーないから先に帰ってもええやろか・・・」
歌入れをぶっちしてついに夜寝れる生活である。
「やったー!!!!」
とばかり帰宅に着こうとすると、「ちょっとファンキー」と呼び止められる。イヤな予感・・・
「明日天津でまた授賞式があるから・・・」
ワシは行かんぞ!行かんですむもんならワシは絶対に行かん!
どうせあてぶりでまたアホ面さげてキーボードを弾いてるぐらいならワシは少しでも寝る!
あまりに可哀想と思ったのか、さすがに
「じゃあ行くか行かないかは明日また連絡するよ。今日はゆっくり寝なよ」
と言う零点(ゼロ・ポイント)。
かくしてやっとゆっくり眠れると思ったら朝方電話で起こされる。
「喜べ!お前は天津に来なくていい」
そんなことで朝から電話かけてくんなと思ったら、
「バンドみんなで聞いたらやはりドラムから録りなおそうと言うことになった。
お前はスタジオ押さえて、先にドラムをセッティングして、ワシらの帰りを待て!」
ドラムを録り直すっつうことはそれに合わせてベースもギターも全部録り直すってこと?・・・
かくしてワシの寝れない日々は続く・・・
しかしよく考えたら数日後にはJazz-yaリニュアルオープンで、
日本からあの、憂歌団の木村はんが北京にやって来るのじゃ・・・
おりしもJazz-yaがオープンしてこの日で9周年。
そして大々的にリニュアルしたJazz-yaで木村さんを呼んで二日間ライブを行おうと言うもの。
譜面もまだ書いてまへんがな・・・
いつ譜面を書くんやろ・・・と思いつつ、刻一刻とライブは迫る。
「天津から帰れんようになったのでドラム録り今日は中止!」
電話がかかってくるが、こうなればその日にスケジュールが空くのが嬉しいと言うより、
スケジュールがもっとずれこんでライブと同じ日になる方が恐ろしい・・・
「ファンキー、明日はまた一緒に天津に行ってもらう」
必要じゃないものは絶対にやらん!と行って置いたにもかかわらず、
「絶対に必要だ!」
と言われるので一緒に着いて行けば、そこは盛大なサッカーの開幕式である。
そう言えばそのテーマソングを去年アレンジしたなあ・・・
オープニングであてぶりのパーカッションで彼らと一緒にそのテーマソングを演奏する。
「原曲にパーカッションなんか入ってまへんがな!!!」
何故か脱退したはずのメンバーも一緒に演奏している。
ええのん?脱退したんとちゃうのん?と聞くと、
「サッカーを愛してるからいいんだ」
と言う理由だそうだ・・・
そしてワシは何故かそこで原曲にも入ってないパーカッションを叩く・・・なんで?・・・
この最大の晴れ舞台でワシへのせめてものお礼と言うことか・・・
でもワシ・・・そんなヒマないんですけど・・・
終了後すぐにまた車に乗せられ、北京に戻る。
と思いきや、テレビ局の連れていかれて何か歌番組の収録。
着くやいなやいきなりギターを渡され、すぐに本番収録。
ギター・・・ですかぁ?・・・
昼間のサッカースタジアムと同じ曲だが、
同じあてぶりでも、原曲に入ってないパーカッションと違って、
ギターと言えば曲を完璧に知らな指が合わんやないの・・・
「キーは何なのキーは?」
せめてリフのあてぶりぐらいはポジションぐらいあっておきたい。
ベースのヤツに聞くが、「俺も忘れた・・・」とのこと。
ワシ・・・一体どうすればいいの・・・
サビのメロディーを一生懸命思い出し、ボーカルのキーと照らし合わせ、
大体このキーだろうと言うポジションでいきなり本番が始まる。
ワシがギターを持つ姿なんぞ思いっきりブサイクである。
橘高を想像して何とか頭を振ってごまかそうとする。
でもやっぱブサイクはブサイクやろうなあ・・・
だが問題はギターソロである。
どんなソロだったかは自分がディレクションしてるからだいたい覚えているが、
それをあてぶりとは言え弾きマネなんぞ出来るはずがない。
いきなりブルースギタリストごとく、恍惚の表情で、せめて顔で表現しようとする。
願わくばカメラは指先のアップではなく顔をアップにしてくれることを祈って・・・
何がなんだかわからないまま本番が終わる。
こちらでは売れてるバンドはカメリハもサウンドチェックもないのである。
「ほなさいなら」
みんな三々五々解散する。
あてぶりも基本的にノーギャラらしいが、
せめてものお車代を渡すスタッフが笑いながらワシにこう言った。
「ファンキーも、ギターっつう顔じゃないわのう・・・」
情けない話である。
これがまた全国放送され、それを見た数億人の中国人は、
零点(ゼロ・ポイント)の新しいギタリストはこんなアホ面だと思うのであろう。
そんな中、木村さんがついに北京に到着した。
譜面は結局まだ半分しか出来上がっていない。
とりあえずは食事と酒にご招待する。
朝から晩までぐでんぐでんに酔っ払ってらっしゃる人だと思ってたら意外と
「ぼ、僕はそんな人が思ってるほど強いわけじゃおまへんのや」
と言うのでびっくりしていたら、
その日に焼酎のボトルが既に数本空いてしまったらしい。
マネージャー曰く、
「この人は暇やったらパチンコばっかしてまっからなあ」
と言うのを受けて、
「あ、メニューに”パチンコ”入れるん忘れた!!!」
と口走ってしまったらすかさず木村はん、
「あの曲は今は歌えまへんのや。昔のパチンコへの情熱と今とは違って来てしもたんで」
そうかぁ・・・あの偉大な名曲にもいろんな歴史があるんやなあ・・・
そんなことも言うとれん!家帰って譜面書かなアカンのや!
失礼して中座させてもらう。徹夜で譜面書きである。
電話が鳴る。零点(ゼロ・ポイント)のメンバーである。
「ファンキー、TDのスケジュールは決まったか?」
仕方がないのでライブ当日の同じ日に平行してTDである。
リハと本番の間に抜けてスタジオに行き、また本番が終わってからスタジオに駆けつける。
んなことやってたら死ぬわ!・・・
もうかれこれ2週間ろくに寝ていない。
それでもステージには穴は空けられない。
ましてはワシにとっては木村はんとは夢の競演である。
ステージ上、モニターから聞こえる木村はんの歌声が心に染みる。
ステージももう後半、
こちらで用意した北京のJazzミュージシャンがムーディーなイントロを奏で・・・
「シカゴに来て~2年がたった~だけどいいことありゃしねえ~」
ブラシをこすりながらこの瞬間にいきなり涙がどどっと出て来た。
木村はんから頂いたリストには入ってなかったが、
ワシからリクエストしてたっての願いで今回演奏リストに入れてもらった曲である。
続けて歌から始まる
「嫌んなったぁ~もうダメさぁ~」
でもうノックアウト。
「ワシ・・・何をやっとんのやろ・・・」
徹夜して譜面書くのも音楽である。
スタジオブッキングしてバンドをプロデュースするのも音楽である。
企業のCMソングを一生懸命アレンジするのも音楽である。
でも木村はんは・・・この”天使のダミ声”は、ずーっと違うところで生きて来た。
「俺はこう生きて来たんやし、これからもずーっとこう生きてゆくでぇ・・・
文句ありまっか?・・・いやーすんまへんなあ・・・そう言うこって!すんまへん!」
そう言いたいのか言いたくないのか、笑ってんのか泣いてんのか、
本気なんだか冗談なんだか、悲しいのか楽しいのか、そんな彼の音楽の、
いや人生の全てが歌にある。
天才や!
招待した北京の音楽友達、演奏しているJazzミュージシャン、
そして75人しか入れない限定の客全員がこの天使のダミ声に舌を巻いた。
終わってから無性に酒が飲みたくなった。
スタジオでは零点(ゼロ・ポイント)がワシの到着を待っている。
が、しかしワシは酒を飲む。
途中抜け出してスタジオに行き、スタジオのロビーでもまた酒を飲む。
一段落ついて戻って来てまた酒を飲む。
見るもの聞くもの全てが輝いて見える。
雲南省から帰って来た飲み友達のMeilingまでもがやたら美人に見える。
翌日になると全ては夢と消えるのかも知れないが、
今日だけはこの全ての輝きを身体いっぱいで味わって置きたい・・・
前日一睡もしてないのでその日はいきなり電池が切れるように潰れたらしい。
朝方になって胃痛でうなされている自分がいる。
「飲み過ぎじゃ!あのトラックと、このトラックをUndoすれば直るはずじゃ!」
目の前にはプロトゥールスの画面が現れて、
エンジニアに一生懸命胃痛の原因となったトラック(なんじゃそりゃ!)
をUndoして消去するように中国語で指示している。
目が覚めてアホかと思いならが便所で吐く。
高校生かい!
そう言えばワシは高校のときに初めて憂歌団を見て、
「大学行かずに大阪行ってブルースやるんや!」
と言って担任の先生を困らせたなあ・・・
翌日、そんなワシの幼き頃のアイドルは、昼間から万里の長城で観光。
ワシはと言えばまた別のレコーディングに呼ばれてドラムを叩く。
「まだこの上、別の仕事をするかい!」
しゃーないのである。音楽商売も言わば水商売。
全然仕事がない時もあればある時にはいろんな仕事がいっぺんに来る。
これで死んでも仕方がない。自分で選んだ道なのである。
思えばRockもJazzも、全ての音楽のルーツはブルースにある。
それにちょびっとリズムがついたのをおしゃれに「リズム&ブルース」と言う。
それを白人がやったら「ロック」と言われた。
黒人に言わせたら
「ど、ど、どんなんでもええねん。自分らしかったらそれでええねん(木村はん風)」
っつう状態を彼らはスラングで「ファンキーである」と言うらしい。
「お○○のスエた(ベタな関西弁やあ)ような匂い」を表すスラングでもあると言う。
だからワシはファンキー末吉と名乗ったのよ。
まあワシにはワシのブルースがあるわいな!!お○○スエててすんまへん!
ふぁんきーお○○スエ吉
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2004年1月22日
労働ビザが取れた!ワシは不法就労で家を買った男・・・
今日は中国のお正月「春節」
中国に関わり始めて今年で14年。
日本には旧正月を祝う風習がないので、結局毎年日本で何か仕事が入り、
この13年間一度も中国で春節を過ごすことがなかった。
日本にいる中国人は、日本では普通の日と変わらないこの日に、
祖国の春節を想いながらいつものように仕事をし、寂しく年を越す。
この13年、そんな中国人と共に餃子を食い、酒を飲み、
ささやかなる春節を日本で過ごすワシだったが、
今回ついに初めて中国で春節を過ごす。
でも一体どうやって過ごせばええんじゃろ・・・
何せ初めてのことなので皆目わからない。
日本で正月を過ごしてから北京に戻って来たらこちらは年末気分で、
春節までにレコーディングを終えようと言うのでスタジオに駆り出される。
ひどい時にはスタジオのハシゴである。
しかしドラマーはドラムセットがあって初めて仕事が出来るので大変である。
S社長のスタジオでレコーディングしてくれれば
ワシのセットが常備しているので身ひとつで行けばいいのだが、
ここの製作物でない場合はなかなかそうもいかない。
パール楽器に頼んで中国用にひとつドラムセットを作ってもらい、
台湾経由でこちらに送ってもらい、
プロデューサーL(女子十二楽坊のプロデューサーとは別)
のスタジオにも常備しているのだが、
結局それも別のスタジオでレコーディングと言うとドラムセットを運び込むしかない。
引越し屋を雇って運ばせる。
人夫が3人と運転手がトラックでやって来て180元(約2500円)なので安い!
プロデューサーLのスタジオからドラムセットを運んだら、次の日が掛け持ちとなった。
仕方ないのでS社長のスタジオからLのスタジオにドラムセットを運び込む。
結局Lのスタジオのドラムセットが入れ替わってしまったのだ。
そしたら今度はS社長のスタジオから連絡が来てドラムセットが必要だと言う。
ドラムセットはマイクまでセッティングしたら動かせないので、
今度はワシの家にあるドラムセットをS社長のスタジオに運び込む。
東京のドラム部屋を解約し、山ほどあったドラムセットを全部北京に送ってあるのだ。
その総重量650kg・・・
日本に2セットを残したままこちらには5セットあることになる。
結局それぞれのスタジオのドラムセットが入れ替わり、
最終のレコーディングが終わったらまた引越し屋を雇ってもとに戻そうとしてたら、
結局晦日前までレコーディングが続く・・・
こちらのブッキングは
「今から空いてる?一曲叩いてもらいたいんだけど・・・」
だから仕方ない。
レコーディングが終わったら大晦日なので
今度はドラムを戻すべきスタジオが空いてない。
仕方がないので正月明けにまとめてやろうとドラムを片付ける。
電話が鳴る。
「年末だしメシを食おう」
出かけてゆく。
酒を飲む。
酔い潰れる。
「大晦日は俺の家で一緒に年を越そう」
プロデューサーLも、去年プロデュースした零点のメンバーもそう言ってワシを誘う。
ドラム終わったら今度は飲むのに忙しいんですけど・・・
結局プロデューサーLの家に夕方からやっかいになる。
親戚中が集まって賑やかに過ごすのかと思ったら、
想像と違い、彼女と、田舎から出てきた彼女の母と、家族水入らずで過ごす。
北京にいる3兄弟がそれぞれ自分の「家」で家族水入らずで過ごすのだそうだ。
こんな早い時間に呼び出されて何をするのかと思ったら早々とメシである。
早い話、食うと飲むしかやることがない。
山ほどのご馳走と酒が並ぶ・・・
それを早くから年を越すまでずーっと食いっぱなし、飲みっぱなしなのである。
テレビでは春節晩会(日本の紅白のようなもの)が始まる。
数億人が見るこの番組に出ることは
やはり歌手としては大きなステイタスになるのであるが、
最近は日本の紅白と同じように辞退する歌手も増えていると聞く。
紅白に2度出場させて頂いた時、
年末の3日間がびっしり押さえられるのにはびっくりしたが、
こちらでは1ヶ月がごそっと押さえられると言うから大変である。
プロデューサーLの家でも別にテレビはつけているが見てるわけではない。
「ダサくて見る気がしない」らしい。
日本の紅白で演歌歌手が浪々と歌うのと同じで、
民謡とか革命の歌とか、「いかにも中国」と言うのがワシには面白いが、
やはり若い世代にとっては古臭すぎるのか・・・
料理に箸を付けながら更にどんどん料理が作られてテーブルに並ぶ。
はっきり言って食いすぎである。
もう食べられましぇーん!と言うのにトドメに餃子が出てくる。
中国では春節の餃子は縁起物。
「1個だけでも食えよ」
と言うので無理して食べるが、これがなかなか旨い!
「中にコインが入ってるのがあるからね。それが大当たり!」
中国では餃子を包むときにいくつかコインを入れておいて、
それを食べ当てた人はその年お金に困らないと言う風習がある。
お金には困っているので是非食べ当てたいもんじゃ・・・
満腹なのに更に食う。
死ぬ思いで10個以上食うが、誰にも当たらない。
「あらあら、あっちの方の餃子だったかしらねえ・・・」
お母さんが更に餃子を煮てくれる。
最初からそっちを煮てくれよ・・・
死ぬ思いで更にいくつか食うがやはり当たらない。
Lの彼女が私のために選んでくれる。
「これよ、きっとこれが当たりだわ。食べてみて」
もう食えん・・・
しかしそう言われて食わないわけにはいかないので食うが、やはりハズレである。
「じゃあ俺が選んでやろう。これが当たりだ。食べてみろ」
Lがそう言うのでまた食う。
死にそうなんですけど・・・
目が回りそうな思いをしながらそんなことを続けてたらついに当たりを食べ当てた。
みんな大喝采!
しかしワシにしてみたら当たったことよりももう食わなくていいことが嬉しい・・・
食い続け、飲み続けでいよいよ今年もおしまい・・・
除夜の鐘はないが、表でいきなり爆竹が鳴る。
年越しは爆竹や花火が鳴り響く中国の正月だが、
火災や怪我が続出するために北京市内では禁止されている。
中国の伝統的な行事だが今では違法行為と言うことだ。
と思ったら年越しと同時に遠くで花火が一斉に上がる。
郊外では合法なので町中に鳴り響く爆竹の音がここまで聞こえているのかと思ったら、
何と大きな打ち上げ花火の山である。
窓から見える郊外の打ち上げ花火はまるで隅田川の花火大会である。
これは凄い!
ひとつの町全部が花火を上げているのである。
春節は北京より地方都市の方が賑やかで面白いと言うがその通りなのであろう。
恐らく中国中の小都市が花火大会となり、その足元では爆竹が鳴り響く・・・
・・・それにしてもケタが違う・・・
こちら北京の部屋では新年のお祝いのショートメールや電話が鳴り響く。
零点のメンバーの家に電話をしてみる。
「お、ファンキー!おめでとう。じゃあうちにおいでよ」
じゃあ予定通りハシゴしますか!
Lの家を早々とおいとましてタクシーを探す。
外の気温はマイナス10度。
隅田川の花火大会とはえらい違いである。
やっと空車が来たが「もう仕事終わったから乗せない」と乗車拒否。
運転手さんも早く家に帰って正月を楽しみたいのであろう・・・
・・・寒いんですけど・・・
身も細るような・・・と言うよりは食い過ぎで太った体が凍える・・・
マジで凍え死んでしまうのでプロデューサーLに家まで送ってもらう。
零点の家に電話をして「タクシーがないので行ったら帰れない」と言うと、
「じゃあ明日来いよ」と言われる。
こんな毎日が続くわけね・・・
日本で正月を過ごし、戻って来たらこちらで正月を暮らし、
そりゃ太るわのう・・・
今年もよろしく。
ファンキー末吉
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2002年4月 2日
CCTVの番組に出演し、ドラムソロを30秒叩かされる
「絆創膏」
先日CCTV4の番組に出演した。
いつものように陳琳(ChenLin)のバックバンドなのだが、
行ってみるとその番組の司会は私の偶像、朱迅であった。
その昔、中国語を勉強しようとNHK中国語会話を見ながら、
そこに出演していたアシスタントの女の子の可愛さを励みに
くじけそうになる気持ちを克服して頑張っていた。
その可愛い女の子もその後はトゥナイト2のレポーターとなり、
山本晋也監督と風俗をレポートしたりし、
最後には自分の音楽番組を持つほどになっていた。
そしてその後、彼女は中国に帰り、
全中国に放映される昼間の人気バライティー番組の司会を始め、
今では結構CCTVの顔となっている。
日本では司会と言うと何だか立場が低そうなイメージがあるが、
中国では
番組の司会イコールその番組の顔イコールその番組のプロデューサーである。
彼女も「自分の番組」として、
いわゆる日本の番組におけるプロデューサーの役割も担っている。
「ファンキー、久しぶりねえ。今日はドラムソロやってもらうわよ。
思いっきり派手なのお願いね!」
偶像に笑顔で面と向かってそう言われたら断れるわけがない。
「今日は当てぶりとちゃうの?」
S社長に聞いてみる。
「曲は当てぶり。ドラムソロだけ生でよろしく」
まあドラムソロは当てぶりに出来ないからねえ・・・
てっきり当てぶりだとばかり思ってたので、
ドラムセットも適当に運んでもらってるので、
パーツとかいろんなものが全部揃っているかどうか心配である。
さっそくステージ袖に組んでみて点検。
ツインペダルを忘れているが、まあその他のパーツは問題なし。
他の出演者の出番が終わり、サウンドチェックとなるが、
当の陳琳(ChenLin)が来てないので、
適当にカラオケのレベルなど合わせて終わる。
じゃあドラムばらして・・・と思ってたらいきなり朱迅が、
「ファンキー、ドラムソロの部分をやりましょ」
やりましょったってソロでしょ、適当に叩きますがな・・・
と思うが偶像が言うので仕方がない。
「まあ、こんな感じでしょうか・・・」
適当に短いやつを披露する。
「こんなに短いの?ダメダメ、30秒ぐらいはやってもらえないと・・・」
まあ偶像が言うんだから仕方がない。
「ほなこんな感じですか・・・」
ちょっとリズムソロっぽい感じのを交ぜて長めにまとめる。
「ダメダメ、そんな遅いんじゃぁ。もっとタムとか使ってものすごく速いやつ」
タムとバスドラの複合6連フレーズのことですかぁ・・・
「これのこと?」
とりあえずやって見る。
「そう、それのもっと速いやつで30秒やって!」
いくら偶像でも筋肉番付じゃないんだからそれでソロはまとまらんじゃろ・・・
「私は日本でも北京のJazz-yaでもファンキーのソロ見てるけど、
こんなもんじゃなかったじゃない。
あの時のブワーって盛り上がるやつ、あれを30秒やって!」
「わかった、わかった。そんな感じでまとめておくよ」
とりあえずお茶を濁してその場をまとめる。
「S社長!すまんが誰かにすぐツインペダルを取りに行かせてくれー」
片足でやるより両足でやった方が当然速いし楽である。
それよりも心配なのがステージの床である。
シンバルやスネアドラム等、叩く楽器はいいのだが、
バスドラムやハイハット等、踏む楽器は、
物理的な力のかかり方が上から下へではなく横にかかるので、
当然押されてどんどんと滑って遠くに行ってしまう。
通常はじゅうたんやカーペット等を敷いて、
それにちゃんとグリップするようにするのだが、
テレビ局の持ち回りのステージではそうもいかない。
「ガムテープ持って来て!」
手馴れたもんで、ガムテープを床に貼って輪を作り、
そこにバスドラ等をひっかけてストッパー代わりにして動かなくするのだ。
S社長がテレビ局の人に手配する。
そして自信満々に持って来たのが「絆創膏」・・・
絆創膏でバスドラが止まるかい!
でもそれしかないと言うからには仕方がない。
絆創膏を何重にも貼り付けてストッパーを作り、
とりあえずドラムを片付ける。
そして本番。
客も入れてオムニバスバラエティー形式で番組が始まる。
子供のマリンバの楽団や、手品まがいのおじさんや、
そんなのに混じって「大物歌手」として陳琳(ChenLin)が紹介される。
ワシはただのバックバンドである。
ほげーっと当てぶりで数曲叩くマネをしてたらいきなり朱迅から振られる。
「さてみなさま、今日は私はびっくりしました。
ドラムを叩いている彼は私の日本の友達で、こんなところで会えるとは奇遇です。
ここでみなさん。今日は彼にドラムソロを披露してもらいましょう。
いかがでしょう」
ワー!キャー!やんややんや・・・
偶像がそう言うんだから客席も盛り上がらねば仕方がない。
ドドパン!トゥルトトントドコドンドバラガッシャン!
ドバラドバラドバラドバラ・・・
偶像のリクエストでタム類を使った速いフレーズを披露すると、
さすがに音楽が全然わからない客席も大盛り上がり!
しかしここでワシはひとつの大きなミスを犯したことに気づいた。
30秒とは実はとてつもなく長い時間である。
まだ叩き始めて10秒足らず、ここで最高潮に盛り上がったんでは
残り後半をどうやって更に盛り上げることができよう・・・
片足でやってたことを今度は両足交えてもっと速く叩くしかない!
ワンバスからツーバスに切り替えて、
ついでに足だけで踏みながら上着を脱いで後ろに大きく放ったり、
ちょっとパフォーマンスに逃げてみたりもする。
客、ちょっとウケる。
ワシちょっと安心する。
しかしここでワシは
実はどんどん間違った方向性に足を突っ込んでしまったことに気づいてない。
足を突っ込んだと言えば、
絆創膏なんぞでこの強烈なツーバスを支え続けられるわけがない。
どんどん遠くに遠ざかってゆくバスドラを追いかけて足をどんどん伸ばしながら、
最後に今度はシンバルも交えた6連ツーバスフレーズでフィニッシュを決める!
客・・・あんましウケない・・・
シンバルが加わったと言えど、
速度が前半の6連と同じなのでこれではインパクトが足りないのじゃろう・・・
ひとしきりやったら乱れ打ちに持って来てエンディング。
これでは尻つぼみになるので、だんだんゆっくりにして行って、
最後の一打をスネアの頭突きでドンと決める!
ドワー・・・・
・・・とここでウケるはずが・・・
くすくす・・・客席の小さな失笑を買ったのみ・・・
しまった!ここの客には場違いのネタであった・・・
まるでバック・トゥー・ザ・ヒューチャーで過去に行った主人公が、
ダンスパーティーの会場でギターソロを弾いて
盛り上がってジミヘンばりに弾いたら客がついて来れなくて
場が一瞬にしてしらーっとなってしまったような心境である。
「君達の時代にはちと早過ぎたようだね」
その時の映画のセリフを口ずさんでその場を後にしたかったが、
残り1曲、まだ当てぶりが残っている。
何事もなかったかのようにアホ面下げて当てぶりで叩く振りする俺。
「ファンキーは本当にユーモアたっぷりの・・・」
変なフォローをする司会者。
偶像は、遠くにありて想うもの・・・
ファンキー末吉
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2002年3月16日
当てぶりのカラオケが針飛び・・・
ホワイトデーだったのかぁ!
北京にいてもキャバクラ嬢からのMailが頻繁に届く。
この営業努力は大したもんである。
「ホワイトデーだよっ!
でもファンキーさんには結局チョコあげられなかったものね(涙)」
ええ話やなあ・・・
確かバレンタインデーにはこんなMailが来ていた。
「チョコレートは何個もらえたんですか?」
「ゼロ個!」
胸を張ってそう返信するワシ。
「嘘だ!私は信じないわ!」
数行空いて
「私のチョコ・・・貰ってくれますか・・・」
胸キュン・・・(死語)・・・
飛行機に飛び乗って、チョコもらって、
代わりに数万円の飲み代を払うこともなく、
ワシは北京で仕事してたね!
胡兵(HuBing)と言う歌やドラマに大活躍の男性スーパーモデルがいて、
そのゲスト歌手に陳琳(ChenLin)が呼ばれたと言うことで、
武道館クラスの体育館コンサートだと言うのに
また当てぶりで太鼓叩きに行ってましたがな。
ワシはねえ、こう見えてもちゃんと仕事をしたい人間なので、
テレビなんかと違って
体育館では誰もドラマーの手先まで見えないとわかってても、
前の日にちゃんと全てのフィル・インを完コピして当てぶりに臨んだもんね。
しかしあの日は凄かったねえ・・・
当てぶり用のカラオケCDをミキサーに渡してるんだけど、
ワシなんかそれに合わせてもう完璧に本物のように叩いてるわけよ。
シンバルとか動くものは思いっきり叩き、
タムとかスネアは音が出ないようにリムを叩き、
まあ客席からはそんなとこまでは見えないけど、
スタッフなんかだけにでもちゃんと誇示したいですがな・・・
数曲完璧な(演奏)が続き、
ある曲での後半部分での出来事・・・
途中の静かな部分でいきなりカラオケCDが針飛びしよった!
慌ててサビを歌いだす陳琳(ChenLin)。
急いでサビのドラムを叩く振りをするワシ。
そしたらまたそのサビの途中でCDが針飛びしよった!
何か変だと思いながらサビを歌い続ける陳琳(ChenLin)。
リズムの頭を瞬時に聞き取って、また完璧に当てぶりするわし。
そしたらまた針飛びしていきなりエンディングに行きよった!
わけがわからずサビを歌い続ける陳琳(ChenLin)。
ドラムのフレーズでこれはエンディングだと瞬時に判断するワシ。
しかしまたどんどん針飛びして行き、
しまいにはプツンと音が切れてしまった。
ララララーラーラー(サビのフレーズ)・・・プツン・・・あーうー・・・謝々!
「謝々かい!」
と心で思いながらもワシはワシで生音のシンバルの音と、
リムを打つカランカランと言う音が会場にこだまする・・・
「しもた!」
振り上げたスティックを振り下ろすに下ろせず、
そのまま頭ポリポリ・・・
いやー、こんなこともあるんですねえ・・・
ええ経験させてもろた・・・
それにしても今回はたくさん仕事をしている。
着いてすぐ元黒豹のメンバーである巒樹(LuanShu)プロデュースの仕事で
「飛行機代出してやるから5曲叩いてくれ」
と言われて、スタジオに缶詰になっていた。
しかしドラムなんぞはそんなに数時間叩くもんでもないし、
とどのつまりはほとんどが待ち時間である。
昼一番で1曲ドラムを叩いたら、
そのまま「パーカッションも録るよ」と言われて待たされ、
ベースとかギターとか入れるのを待って夜中の2時になってやっと、
「よし、聞いてみるか」
うーむ・・・
「明日やろか・・・」
それを早う言え!
ひどい時にはその日は何もやらずに「今日は帰っていいよ」やもんね。
夜になってから言うな!っつう話である。
ま、それでも結局5日間で予定通り全て録り終わり、
日本のサラリーマンの初任給以上はもろたし・・・
かなりの金額やったなあ・・・そのままS社長への借金で右から左やったけど・・・
今日はいきなり黒豹のドラムの趙明義に呼び出され、
「ちょっとこのバンドの演奏聞いてくれ!
いい曲だろ。ただアレンジが今いちなんだな。
お前にプロデュースを任す!すぐアレンジしてくれ。月曜日にレコーディングする」
ちょっとちょっと、あんた・・・
明後日言うたら今晩DEMO作って、
明日打ち合わせして明後日リハやって、次の日やないかい!
バンドものはメンバーの意見が交錯して大変なので、
いくつかの方向性を用意せねばならん。
大変な作業なのじゃ・・・
頭を抱えてたらS社長から電話が来た。
「明後日、空いてるよね。テレビだよ」
ひえーっ!お前らは何で直前になってからしか言わんねん!
煮詰まったのでメルマガを書いている。
(結局発刊は翌日やけどね)
ま、この国では、結局は何とかなるんだよね。
HPの更新でもしよっと・・・
願わくば今度のテレビ収録では針飛びはしないで欲しいのだ・・・
ファンキー末吉
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2002年1月26日
中国政府がワシにバンダナを外させて髪の毛を縛らせるワケ
中国でワシがいつもバンダナを外されて髪を結わえさせられる理由。
昨日は首都体育館で「全球華語音楽大賞受賞イベント」っつうのがあって、
またアホ面下げて当て振り(実際には演奏しないが、振りだけ)しに行って来た。
全地球上での中国語による音楽のNo.1を決めるイベントである。
何と大仰な・・・
主催はChannel[V]と言うアジアNo.1の衛星音楽チャンネル。
全アジアに放送され(何故か日本を除く)、
一説によると5億人が見ていると言う。
「Channel[V]だから今回はバンダナしてもいいんじゃない」
前日、社長が飲みながらそう話す。
初回のテレビは外国人が出ては行けないと言う
中央電視台1(CCTV1)のイベント。
生放送なのでいきなりバンダナで登場!
その時は別に何も咎められなかったが、
次のCCTVのイベントでは、演奏直前に担当者から
「バンダナを外せ!髪も結わえろ!」
と言われた。
S社長の話では
「これは録画だから後でチェックされて咎められる可能性がある」
かららしい。
しかし思い起こして見れば、
この日はロックバンド「黒豹」も一緒に出演してたではないか!
「何で俺だけアカンのや!」
先日は北京電視台の収録だったが、
同じくバンダナを外されて髪の毛を結わえさせられた。
この日はロックバンド「零点」も一緒に出演してたではないか!
「何で俺だけアカンのや!」
酔ったついでにS社長に詰問してみた。
「まあ、バンダナはやっぱロックだからね。
担当者も後で何か言われてボツにされるのもイヤだからね」
まあもっともである。
「わかった。まあ百歩譲ってバンダナはあきらめよう。
でもどうして俺だけがいつも髪の毛を結わえさせられるんじゃ!」
とワシ。
「長髪もやっぱロックだからね」
と平然とS社長。
「ギターとキーボードのあの新人くんかて長髪やないかい!」
とワシ。
「あれはロックと言うより無精っつう感じだから・・・」
「そりゃ認めよう。
けど一緒にバックバンドやったあのギタリストかて長髪やないかい!」
とワシ。
「あれは美形だし、見ようによってはアイドルかな」
とS社長。
「ほな何でワシだけがいつもアカンねん!」
「ファンキーさんは・・・顔が・・・その・・・ロックだから・・・」
怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!
「ワシは顔がナニでいつもナニさせられてたんかい!」
怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!
かくしてイベントの当日。
今日は武蔵小山で買って来た新しい服を着て事務所に行く。
「お、服が新しいねえ」
とS社長。
「いつも寝巻きじゃダメだろうから買ったんだよ」
「投資したね!」
980円ですけど・・・ま、一応・・・
かく言うS社長は、そのぬぼーっとした新人くんのために
自腹でちゃんとした上着を買って与えていた。
それからギタリストの張亜東を迎えに行く。
アジア最大のヒットメーカーも、
こうして当て振りのアホな仕事に駆り出されるんだから情けない。
これを「北京の友達地獄」と言う。
ところが張亜東の家の前で待つこと30分。
電話をかけようがドアをノックしようが出てこない。
今は夕方の6時半。
彼にとってはまだ起きぬけの時間なのである。
「まったくもって芸術家ってやつはこれだから!」
運転している副社長もさすがにイライラを隠せない。
開演時間が近づいた7時過ぎ、
彼が寝ぼけ眼でやっと起きてきた。
車に揺られて会場入り。
本番はとっくに始まっている。
2万人の観客がひしめく会場の中に入ると見たことのある美人が・・・
「朱迅やないの!久しぶり!」
昔NHK中国語会話のパーソナリティーをしてて、
その後トゥナイト2の風俗レポーターもやってた美人中国人タレントである。
ワシの憧れの人であったが、
今では帰国して中央電視台の看板アナウンサーをやっている。
「あら、ファンキー。久しぶり」
「久しぶりやねえ。今日の司会は君?」
「そうよ。ファンキーは?」
「当て振りのバックバンドでんがな」
「あらそう、どうせ申請してないんでしょ」
ガッビーン!
しかしイヤなことを言う女である。
でも憧れの人なので許す!
しかし彼女が司会と言うことは・・・
げげっ!
主催者のChannel[V]の文字の隣にくっきりと「CCTV」
つまり中央電視台の名が・・・
バンダナを握り締めてたたずむワシ・・・
「お前はバンドのメンバーか。時間がない!すぐに来い!」
係員に連れられて会場のど真ん中の出演者席に座らされるワシ。
「おいおい、ワシを座らせてどないすんねん!」
見ればアジア中から集まったスター達に混じって、
顔がナニでナニなワシがちょこんと座ってテレビに抜かれている。
まあ見ればその歌手のマネージャーも
わけのわからんスタッフも座っているからいいか。
思い出したのが「夜のヒットスタジオ」のひな壇。
あれがイヤな仕事やったのよ、実は。
ワシは決して一生懸命仕事をしてないわけではないが、
決して面白くもないあの空間で、
ぼーっとしている顔を必ず抜かれて、
友人に「末吉ぃ、またおもろなさそうに座ってたなあ」と言われる。
まあおもろないんやからしゃーないが、
それにしてもアイドルと言うのは素晴らしい!
いつ、どのタイミングで抜かれても、
自分の一番いい顔をばっちりテレビに映し出すことが出来る。
ついでに言うとお笑いの人も素晴らしい!
一度プロモーションでお昼のバラエティーに出させて頂いた時、
中野や河合がプロモーションしながら、
何か面白いことを言うや否や、
ダチョウ倶楽部の上島がずずんと前に出てきて、
爆笑のボケを一発かまして司会者から頭を張り倒され、
後ろ向いて引っ込む時に
「よし」
とばかり小さくガッツポーズをしてたのをワシは見逃さなかった。
ワシらこんなプロフェッショナル相手に同じ土俵で勝負出来るわけない!
ワシが芸能界を嫌いな大きな理由である。
ステージでは香港からレオン・ライが何やら受賞して感想を述べている。
その他、同じく香港からフェイ・ウォンや台湾から張恵妹(A-MEI)や、
大陸の名だたる有名歌手達も全て出演している。
何せ「地球上の全ての中国語音楽」の大賞なのである。
ふと前列の席を見ると、
またあの零点の連中が座っていた。
ワシを見つけて嬉しそうに話し掛けてくるが、
ふーむ、奴らも昔のワシのような思いをしとんのかなあ・・・
聞けば奴らが髪の毛を切ったのも、もっと広範囲にテレビに出るためだと言うが・・・
そう言えばワシも昔アフロだった頃、
当時のプロデューサーに、
「爆風が売れるためには、まず末吉のナニをナニせねばならん!」
と髪の毛をばっさり切って「Newファンキー末吉」になったっけ・・・
スタッフがまた呼びに来て、
慌しくステージ下の奈落へ・・・
バンドの場合はここからせり上がりで登場するのだ。
ドラムセットが置かれるだけ置かれているのを急いでそれらしくセッティングして、
張亜東を始め、メンバー達が全員ぎゅうぎゅうに乗ったと思ったらイントロが流れ、
そのまませり上がって口パクで演奏が始まる。
思えばおアホな仕事である。
中国は基本的に円形ステージで、
後方にも満パンに客が入っているのだが、
張亜東側から女の子達の黄色い声が聞こえる
「亜東!亜東!キャー」
お前、歌手よりも声援を浴びてどうする!
ま、コムロみたいなもんですからな、こいつは・・・
演奏が終わるとそのままステージがせりに降りて、
そのまま奈落から楽屋に帰る。
それでおしまい。1本いくらの仕事である。
「俺、もう腹減ったし帰るわ」
張亜東がとっとと会場を後にする。
別にひな壇に座って顔を売ることに興味を持つわけではなく、
「芸術家」は「芸術家」として、仕事は以上!である。
「ワシ、顔がナニでナニなんでもう帰りまっさ」
ワシもとっとと会場を後にする。
気がつけばまだバンダナを巻いたままだった。
ま、顔がナニでもバンダナ巻いてたからいいか・・・
ファンキー末吉
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2001年11月29日
陳琳のコンベンションでドラムを叩くが衣装がない・・・
S社長の仕事はいつも急である。
「26日ヒマ?じゃあドラム叩いてよ」
まあいつものことなので許す!
「じゃあ前日にリハーサルね」
リハーサル?
聞けば今度はレコーディングではなく、ライブらしい。
陳琳の新譜発表記者会見で1曲演奏すると言うことだ。
「記者会見?俺服持ってないよ」
Gパンは北京での暴飲暴食のため穿けなくなってしまい、
ジャージと北京用の防寒着しか持ってない。
かろうじてあるのは、先日ファンキー松田のライブで来て、
「パジャマみたい」と言われた黄色の上下だけである。
ちなみにROCOCOの記者会見で
MIEさんと共にこの服で壇上に上がった俺を見て、
うちの事務所では
「今後事務所が用意した服以外でテレビに出るのは禁止」
と言うことになっていると言ういわく付である。
そう言えば先日常洲で行われた数万人の野外での中央電視台の公開録画、
ここでも結局ステージ衣装はこの黄色の上下で、
アホ面さげてコンガを叩く姿を数億人の中国人が見ることとなり、
Jazz-yaの従業員にまで「サインして下さい」と言われるようになった。
「まるでラテンの人みたいでしたよ」
ラテンの人はこんな黄色の上下は着ませんって・・・
さて、リハーサルの当日となり、
いつものようにスタジオに行くと、張亜東がいた。
フェイ・ウォンのヒット曲などを数多く手がけた
名実共に亜細亜No.1のプロデューサーである。
「ファンキー、この曲なんだけど、お前ならどう叩く?」
レコーディングなの?
S社長の仕事はいつも突然である。
リハーサルの前に彼のレコーディングを入れていたのだ。
それにしても最近の科学の発達は目覚しく、
彼なども自宅のプロトゥールスで作ったデータをCD-Rに落として、
そのままスタジオに持ってきてドラムを録り、
それをまたCD-Rに持って帰って自宅で仕上げる。
便利な世の中になったもんだ・・・
1回目は音決め、2回目は本気で叩いて1発OK!
美空ひばりさんは、テープが回ったら1度しか歌わない
と言う噂を聞いたが、そんな域に達するよう日々精進である。
すぐ終わったのでそのままレコーディングスタジオでバンドのリハーサル。
ギターはそのまま張亜東が弾く。
思えば次の日演奏する陳琳のヒット曲も彼の作曲、アレンジ、プロデュースである。
そしてもうひとりのギターは・・・
前号でも書いたこの会社の新人、曲世聡。
ぬぼーっとした風体でアコースティックギターを抱えて来た。
何を着ても似合わんし、何を持っても似合わん・・・
それなのにあんな美人の彼女がいるなんて・・・
ま、いい。
そつなくリハーサルを終えて翌日の本番。
演奏は全然心配してないが、衣装が心配である。
とりあえず黄色の上下の他に、
安田のタンスから目ぼしい服をいっぱい持って行く。
しかしS社長から全部ダメ出しを受け、結局黄色の上下になってしまう。
「借りて来たみたいでファンキーさんらしくないよ」
とS社長は言うが、実際借りて来たんだから仕方がない。
リハーサル予定時間が過ぎても張亜東は来ず、
「そりゃミュージシャンが11時入りっつうたら起きられないわなあ」
と当のS社長自身が全然焦りもせず、
会場時間が近づいても誰が焦るわけでもなく、
ぎりぎり到着を待ってリハをやり、何とか本番を迎えることが出来た。
バンドはステージの上だが、
張亜東だけは特別にPA席と照明席の間の花道に
客席を隔ててバンドと向かい合うようにセッティングしてある。
まあ彼は言わば
一時期の小室みたいなもんだからフィーチャリングしているのだろうが、
演奏が始まるとそこが記者達にとって一番オイシイ場所なので、
張亜東の後ろに記者達がどどーっと陣取って陳琳を映すので、
当の張亜東本人が逆に全然目立たないのが笑った・・・
ドラムを叩きながらふと隣を見ると、
その曲世聡が相変わらずぱっとしない風貌でギターを弾いている。
服装は・・・・
なんとジャージである!
アホか、こいつ・・・
でも晴れの舞台で緊張することもなく、
相変わらず全然ぱっとしない風貌で淡々とギターを弾くこいつが
少しだけ、いや結構好きになった・・・
ファンキー末吉
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2001年11月16日
北京のスタジオに詰め始めた新人シンガーソングライター
北京は激さむである。
いつものように自転車でスタジオにやって来たが、
もう寒くて帰るに帰れないので置いて帰った。
最近この会社が新人のアーティストと契約したらしく、
俺のスタジオ
(と言ってもスタジオの事務所にデスクとパソコンを置いただけだが)
の真後ろのミーティングルームの机を占領して、
その新人がところ狭しと機材を広げている。
聞けばこの新人、東北地方かどっかの田舎モンで、
家財道具全部売り払って、親にまで借金させて、
今やこの機材だけが唯一の財産であるそうだ。
曲を200曲以上書きため、
DEMOテープを持って上京。
いろんなところを回っては見たものの、
「音楽性が、ちと今の中国では先進的過ぎる」
とどこにも相手にされず、
「まあこんな新しい音楽だったらあの会社がいいよ」
とばかりみんながここのS社長を紹介したらしい。
おかげでS社長のところには
いろんなところから同じ彼のデモテープが山ほど届き、
「しゃーない、会うたるかい!」
とばかり面接をしてDEMOを聞いたらびっくり!
「ものすごいええもん作っとるやないかい!」
即契約である。
「君はどんな方向性で何をやりたいの?」
そう言うS社長の質問に新人は一言。
「朝から晩まで音楽やれてたらそれでいいんです」
アホである。
実際、彼は毎日朝からここにやって来ては、
何も言わずにずーーーーーーっとパソコン相手に音楽作っとる。
友達がいるようにも見えず、何か趣味があるようにも見えない。
ルックスもさほどぱっとするわけでもないので、
S社長は誰か女の子かなんかとユニットを組んでデビューさせる腹らしい。
それで最近よく女の子がオーディションに来ているのか・・・
スタジオの本業務が始まる午後2時より前に、
時々得たいの知れない女の子が来ては
中国人エンジニアに歌を録ってもらっている。
(そんなことを知ってるほど毎日スタジオに詰めてる俺もアホだが)
ある時、その中国人エンジニアが俺を呼ぶ。
「ファンキー、VCDの音だけを取り出すのはどうするんだ?」
俺は今やここのパソコンのトラブル処理班である。
この事務所で一番パソコンに強いのが俺だと言うのが情けない!
聞けばその女の子がVCDで曲を持ち込んだので、
そのカラオケトラックを使ってDEMOを録りたいらしい。
「末吉スタジオ」でWavデータに変換してやり、
CD-Rに焼いてあげて自分の仕事に戻る。
しかしまたすぐ呼び出される。
「ファンキー、これだとVCDの歌詞が見れないじゃないか・・・」
知ったことかい!っつう感じだが、
別にヒマなので「じゃあ俺のVAIOで見ながら歌えば」と、
結局ブースの中に入って女の子に歌詞を見せてあげる。
しかも字幕が動くので曲に合わせてスクロールしてあげねばならない。
「歌詞ぐらい自分で持って来い!」っつう話である。
だいたいにして中国人の女の子は誇り高いと言うか早い話、気が強い。
彼女にとっては俺のことはきっとその辺の事務員ぐらいにしか思ってないのだろう。
「ちょっと、字幕がずれてるわよ」
と言わんばかりにツンケンする。
まあ美人なので許す!
俺の人生って一体・・・
それにしてもこの会社は最近わさわさと忙しい。
看板歌手の陳琳(ChenLin)のレコードが発売されるからである。
おかげで日本人エンジニアのKEIZOは、
毎日こもってメインスタジオでTD等をしている。
このアルバムでもまた呼ばれて何曲かドラムを叩いた。
このスタジオには自分のドラムセットがあるし、
ドラム録りなどほんの30分か1時間ぐらいなので楽である。
ギャラも日本のとさほど変わらんし・・・
聞くところによると、
日本では末吉と言うとドラムだけで呼ぶには恐れ多い存在だと思われてるらしい。
アレンジやプロデュースのイメージが強いかららしいが、アホな話である。
先日は成方圓と言う女性歌手からアレンジを頼まれた。
ある年代以上の人なら知らない人はいないと言うから、
私の近い人で言うと未唯さんみたいなもんではあるまいか・・・
先日の私の仕事で、テレビなどでもご一緒させて頂いた、
陳琳(ChenLin)のライブ用音源、
ウィグル族の民謡ラテンバージョンを聞いて、
えらく感激して訪ねて来てくれたらしいが、
あーた!ドラム仕事に比べてアレンジっつうのがどれだけしんどいか・・・
そりゃギャラは数倍にはなるし得意な仕事ではあるのでいいが、
DEMOを作るだけで半日費やして、
そして打ち合わせとデータ製作でまた翌日半日費やして、
その上、必ず「直し」がある。
ドラムなど「直し」されたことがないので非常に苦痛である。
このままレコーディングに更に数日かかるんだから、
同じ時間ドラムだけ叩いてたらどれだけ楽でいくらになるかっつう話である。
要はアレンジとかプロデュースは一生懸命やらんといかんが、
ドラムは普通にやってれば人に喜ばれるから楽しいのである。
昨日はまたドラムで呼ばれた。
別に隣の部屋に自分のドラムがあるんだから、
Mail仕事の気分転換に叩きまくるのは気持ちがいいし、
しかもやっぱ楽である。
ただ困るのは最近「こいつはどんなんでも叩ける」と思われているので、
機械で打ち込んだ奇妙なドラムフレーズを平気で叩けと言われることである。
おまけにこれまで仕事をして来て、
中国人アレンジャーがちゃんと譜面にして俺に渡してくれたことがない。
「Funky!ちょっとちょっと・・・」
と呼ばれて打ち込みのDEMOを聞かされて、
「ほな頼むわ」
と言われておしまいである。
ひどい時には他のオケは全部すでに本チャンでレコーディングされていて、
「この打ち込みをお前のドラムで差し替えてくれ」と来る。
機械と同じぐらい正確に、
しかもそれに乗せて重ねた人間のプレイの揺れにも合わせながら叩く。
もう慣れた・・・
全てが友達関係だけで成り立ってる、
いたって緊張感のない楽しい現場であるが、
先日ひとつの事件が起こった。
その音楽オタクの新人の傍らにとある美女がいたのである。
いやー俺は無粋なことは言わん!
田舎もんの音楽オタクのあいつに、
女友達のひとりぐらいおってもそりゃええじゃろう・・・
頭の中ではそう思うのだが、
どうも生理的にそれを受け付けない。
「いや、この美女はきっと、
メインスタジオでレコーディングしている誰かの彼女に違いない」
そう思って自分の作業を再開するが、
彼女がすっくと立って彼がそれを送っていく姿を見るにつけ、
「人生不公平じゃ!」
とこぶしを握りたくなる。
ジブンノモノニナラナクテモコイツノモノニダケハナッテホシクナイ・・・
そして最近はこいつもスタジオに来なくなった・・・
俺は夜中にひとりでずーっとドラムを叩いていた・・・
ファンキー末吉
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2001年10月29日
テロで誰も飛行機に乗らない中、月に北京と日本を二往復
全世界の人がなるだけ飛行機には乗らないようにしようとしている昨今、
北京-東京を毎月2往復しているアホである。
東京には家はなく、かと言って北京に家があるわけでもなく、
東京ではドラム部屋と呼ばれるドラム倉庫に荷物を置き、
北京ではJazz-ya北京の安田のマンションに荷物を置き、
まあその日の泊まるところがなければそこに帰ると言う気ままな生活である。
ある日安田のマンションに帰ってきたら、
あらゆるところに「騙」と言う張り紙がしてある。
聞けば、もともとこのマンション内の広大な敷地は、
将来は大きな湖と公園を作ると言うことで入居したところ、
マンション側が約束を破って
そこに新たなマンション棟を建てようとしているところから事件は始まったらしい。
そう言えばある日、その広大な敷地の壁を住民達が
ベルリンの壁よろしくみんなで壊しているお祭り騒ぎを目撃したことがあるが、
それはこれが原因となっていたのかと納得した。
さてこの争いは次第にエスカレートしてゆき、
最後には人が死んだらしい。
人が死ぬと言うと、喧嘩による撲殺等を想像するがどうもそうではなさそうである。
中国人の友人の説明によるとその人が「気死了(チースーラ)」、
「気」とは怒ることで、これは通常は「死ぬほど腹が立つ」と言うことなのだが、
「だから腹が立ってどうして死んだの?」
と聞いても、「だから気死了(チースーラ)なんだよ」で埒があかない。
よくよく聞いてみると、本当に「気」して「死了」、
つまり怒って死んだ、憤死したと言うことなのである。
三国志演義じゃあるまいし、この現代で憤死などと言う死に方があるのか・・・
その死んだ人はマンション側との交渉で、
本当に死ぬほど腹が立って、そして30分後に死んだらしい。
憤死・・・なんとも凄まじい死に様ではなかろうか・・・
さて、そんなマンション騒動はお構いなく、北京のJazz-yaは好調らしく、
となりの日本料理屋「飯屋」や、焼肉屋「牛屋」、
(中国はまだ狂牛病の影響は皆無である)
そしてちょっと離れたところにあるSushi-Bar「すし屋」も好調らしい。
だいたい儲かっているところに集まるのは金と泥棒で、
泥棒対策は商店ではどこでも頭の痛い問題らしい。
牛屋には毎回決まった曜日に窓を割って泥棒が入り、
さんざん引っ掻き回したあげく盗る物がないので
タバコを盗んで帰ったりしてたらしい。
業を煮やした従業員が
赤外線アラームなどを設置して泊り込みで番をしてたところ、
やはり同じ曜日に侵入して来た泥棒と遭遇、
日ごろの恨みを込めて袋叩きにしたそうな。
泥棒さん、まさしく瀕死・・・
割ったガラス、壊した設備、盗んだタバコ、
身元を完全に調べ上げ、
損害総額の5倍額を請求、払えなければ警察に突き出すと言ったところ、
警察なんかに突き出された日にゃあ瀕死じゃすまないほどもっとボコボコにされるので、
泥棒仲間から金をかきあつめ、かなりの大金を払って勘弁してもらったと言う。
北京の泥棒さん、今や完全にネットワークがあり、
「捕まる」と言う泥棒商売の経営リスクを、このネットワークで軽減しているらしい。
金は耳を揃えて払った。
それにしても盗んだタバコに対して
払ったこの金額、そしてボコボコで瀕死ではあまりに割が合わんじゃろ・・・
泥棒家業も楽ではない。
瀕死・・・大変なリスク商売である・・・
さて、日本に帰ってきた。
以前北京で拾ったバックパッカーのTAKUROは、
帰国後羽田空港に着いた時には30円しか持っておらず、
ヒッチハイクをして何とかドラム部屋までたどり着き、
そこにあるインスタントラーメンなどで食いつないでいたようだが、
生まれ故郷の金沢にまたヒッチハイクで帰って以来数ヶ月、
何の音沙汰もないなあと思っていたが、今回久々にまた出現したらしい。
ドラム部屋の主、元ジャズ屋のバーテン南波の言うことにゃあ、
いきなり警察から電話があり、
「TAKUROさんと言う方は知ってますよね。身元引受人として来て下さい」
とのこと。
びっくりした南波は警察に出頭し、いろいろ事情を聞くと、
何やら再び東京には何とか着いたものの、
金もなければ腹も減って、
ついついスーパーにある大福を万引きして捕まったらしい。
・・・笑止・・・
日本では商店主にボコボコにされることも、
警察で更にボコボコにされることもなく、
こうして身元引受人さえあれば返してくれる。
平和な国よのう・・・
それにしても・・・大福か・・・
バックパッカーやるのも大変である。
ファンキー末吉
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2001年9月14日
1億2千万人が見ているテレビ番組に生出演した
北京にはもう50回以上来ているが、
いつも行ったり来たりだったのでこんなに長くいるのは初めてである。
もう「住み始めた」と言っても過言ではないだろう。
・・・と言っても家を構えたわけではない。
相変わらず安田んとことか、
酔いつぶれた部屋でそのまま寝たりの気ままな毎日である。
嫁の実家は市内からバスで1時間以上かかり、
子供はその実家に預けているが、
嫁はと言えば子供の小学校の入学金5万元(約80万円。高い!)をもらった途端、
何故かすぐ日本に出かけて行った。
俺が苦労して集めた金、本当に小学校に無事納められるのだろうか・・・
こっちにいたらいたで結構仕事が来る。
こちらでは友人Sが音楽プロダクションをやっているので、
そのスタジオにほぼ毎日詰めている毎日である。
またここの賄いのメシが旨い!
お昼時になると、何もないのにここにやって来てメシを食う毎日である。
二日酔いとか徹夜仕事とかで家で寝ているとS社長から電話がかかって来る。
「何やってんの?今日は餃子だよ!」
俺がおらんと寂しいんかい!
ちょっと冷えた残り物の餃子を食ってると、
「じゃあドラム1曲叩いて」
と突然仕事が振られたりする。
このスタジオには爆風のランナー時代のドラムセットがすでに運び込まれていて、
これがなかなか名器なので重宝している。
まあドラムはお手のものなのでいいが、
ある日など台湾のプロデューサーがオーケストラを録っていて、いきなり
「そう言えば打楽器奏者まだブッキングしてないよね」
といきなり民族音楽のパーカッションをやらされる。
わけわからんまま譜面を渡され、
大太鼓やらシンバルやら風鈴やらわけわからん楽器を演奏させられて、
うーむ、これでええんじゃろか・・・
勝手にここのプロトゥールスを立ち上げてEditやら自分の仕事をしてたら、
「ねえねえファンキーさん、
この曲ってファンキーさんだったらどんなアレンジする?」
しゃーないのでMIDIでぱぱっと作ってあげたりすると、
「じゃあ今から録ろう」
そのままレコーディングになったりする。
これでええんじゃろか・・・
ある日のこと、二日酔いで寝てたら電話が鳴った。
「何してんの?今日のメシはとっても旨いよ」
俺をメシで釣るな!
それでもまたのこのこ出かけてゆくと
先日のオケにボーカルを入れている。
ここの看板歌手、陳琳(ChenLin)である。
ウィグル族の民謡を俺が本格的なサルサにアレンジして、
手が痛いのにコンガやらボンゴやら数々のパーカッションを
自分でダビングした曲だ。
ここに常駐の中国人プロデューサーが歌のディレクションしている。
プロデューサーもアレンジャーもドラマーも常駐し、
フェイウォンなどの作曲家としても知られる中国No1プロデューサーYも
よく顔を出しては、
入手したばかりのプロトゥールスのプラグインをインストールして帰ったりする。
こっちは海賊版王国なのでここのプロトゥールスのプラグインの豊富さは
恐らく世界でも群を抜いているだろう。
ここはもうすぐレコード会社も立ち上げると言う話だが、
ひょっとしたら昔のモータウンとかの勢いを感じたりした。
そしたら俺はここのアル・ジャクソンになるんか?
歌入れをよそに自分のことなどやってたら
歌入れ終わるや否やいきなり急かされて車に乗せられる。
「今日は今から中央電視台の生放送に出てもらうからね」
「ちゅ、中央電視台で何すんねん」
「陳琳(ChenLin)のバックでコンガでも叩いてよ」
「コンガ言うたって・・・んなぁいきなりな・・・」
「大丈夫、当てぶり口パクだから。1億2千万人の人が見てるからね。
じゃあ頑張って」
「1億2千万人言うたって俺・・・短パンにJazz-yaのTシャツやでぇ」
おまけに裸足にサンダルである。
「あ、それと・・・」
S社長に呼び止められる。
「中央電視台は外国人が出ちゃダメなんで、
聞かれても絶対日本人って言わないように!」
んな無茶な・・・
その昔、まだロックが精神音楽だと言われてた頃、
天津体育館で黒豹のドラマーとしてドラムを叩いた時も
「外国人がこんなとこにいるなんてことがバレたら大変なことになるから
絶対に口きくな」
と言われていたが、
中国全土に放送するNHKみたいな局に
外国人っつうのを隠して放り込まれるんですかぁ・・・
「大丈夫、何か言われたら華僑だって言っとけば」
そう言えば当時と違って今は中国語が喋れるので全然それで通る。
考えて見れば華僑であることを証明する書類などはどこにも存在しないのだ。
アメリカ華僑はアメリカ国籍だし、
当然ながら日本の華僑は日本国籍である。
ちなみに俺の子供たちは国籍は日本人であるが、
パスポートに別に「親は中国人ですよ」と記載されているわけでもなく、
関京京(グアン・ジンジン)や関天天(グアン・テンテン)などの名前は、
言わば勝手に付けた名前であってどこにもその名前を証明するものはない。
末吉覚がファンキーと名乗ったり、
その中国名「方奇(ファンチー)」と名乗っているのとまるで同じである。
中国語を喋っている限り、「俺は華僑だ」と言っても通るのである。
厳しいチェックを受けねばならない中央電視台のセキュリティーチェックを受け、
スタジオに入ると既にリハーサルが始まっていた。
しかし往年の「夜ヒット」や「Mステーション」等と違って
何とのんびりとした雰囲気なことか・・・
秒刻みの台本が配られるわけでもなく、
メガホン持ったADが血眼になって仕切っているわけでもない。
なのにいきなり陳琳(ChenLin)の番になると
後ろにバックダンサーが現れてラテンダンスを踊る。
立ち位置が厳密に決められているわけでもないので、
俺なんぞはコンガ叩きながらそのダンサーに体当たりされて大変である。
リハーサルが終わり、カメラチェックをするわけでもなく、
楽器の出し入れの段取りをおさらいするわけでもなく、
ほどなく観客が入ってくる。
そして歌手専用の楽屋があるわけでもなく、
その辺でスタッフと一緒に配られた弁当を食べる。
ちなみに弁当も中華料理である。
結構旨い!
生放送が始まっても別にそこにモニターがあるわけでもなく、
突然スタッフに呼ばれていきなりステージに上がり、
わけのわからんまま生出演である。
ダンサーももう見切りを覚えていて俺にぶつかることもなく、
バビりをやっているわけでもなさそうなのに、
パーカッションは適当な位置に配置されてるし、
カメラ絵的にもよさそうな絵面である。
北京のあらゆる道路が自転車と車とがごった返していて、
それでも無秩序の中の秩序があってそれなりに動いている。
赤信号など守る人間はいないが、
代わりに赤信号でも渡れるからいいのである。
中国社会の仕組みを垣間見たような気がした。
ファンキー末吉
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2001年8月14日
北京に住み始めた。手始めは五星旗のTD
北京レコーディング
1ヶ月以上に渡る日本でのレコーディングが終わり、
残すは五星旗のTDのために北京にやって来た。
別に日本でやってもいいのだが、
北京で友人がスタジオをOpenし、
エンジニアも、黒豹のエンジニアでもあり、
五星旗の1枚目もやってもらったKEIZOと言う日本人エンジニアがいるので、
まあ飛行機代を出したとしても安くあがるし、北京TDに踏み切った。
実の話、東京のこのスタジオはもう飽きた。
飽きたのは俺だけではなく、
スタジオの従業員が俺のことをもうとっくに飽きている。
朝出社したらいて、帰る時にはまだいるんだからしょうがない。
毎朝毎朝寝起きの末吉の顔を見せられるのもどうしたものか・・・
昼夜ないもんだから、別に昼飯からビールを飲み、
自分が仕事をしているのにスタジオのソファーで酔いつぶれている姿を
見せられる従業員の気持ちはどうしたものか・・・
最後にはスタジオのビールは底をつき、
「また仕入れなきゃなんないんですけど、銘柄は何がいいですか」
と俺に聞くのもどうしたものか・・・
まあ人間関係がこじれないうちに居を北京に移したと言うわけだ。
ところが東京にも別に居を構えているわけではないのだが、
北京でも実はそうである。
嫁は子供を両親に預けて、
「職探し」と言う名目で北京の従妹のところで毎日遊んでいる。
そこに泊まるわけにもいかないので、
今回は元ビクターのOさんが借りている北京の部屋に住まわせてもらうことにした。
日本にいながら北京に部屋を持っているなんて素敵じゃない?
着いていつものようにすぐJazz-ya北京に直行する。
「頼んでたお酒、買ってきてくれました?」
安田がそう言うが、
朝から朝まで毎日レコーディングしてていつ買いに行くヒマがあるものか・・・
「いいんですよ、また今度荷物がない時に持って来て下さい」
俺の今回の山ほどの荷物を見て安田が慰める。
データが読めなかった時のために山ほどのマルチテープと共に、
嫁から持って来いと言われている家財道具の一部。
引越しの時に嫁はドラム部屋に荷物を運び込み、
その段ボールに通し番号を付けて俺が北京に来る度に持って来させるのである。
「頼んでたアレ、買って来てくれた?」
嫁が開口一番にそう訊ねる。
出発直前に国際電話がかかって来て「タンポンを買って来い」と言うのである。
仕方がないので事務所の西部嬢に大量に買って来てもらったのだが、
どうも銘柄が違ってたらしくぷんぷん言う。
「俺に頼むな!」っつう話である。
嫁はブツを受け取ったらそうそうに遊びに出かける。
お気楽なもんである。
俺はそのスタジオのオーナー、沈とエンジニアのKEIZOと飲みに行く。
「Oさんの部屋ってどこ?」
「ああ、うちの家の向かいだから送って行きますよ」
KEIZOがそう言うので遠慮なく酔って大暴れさせて頂いた。
日本からYさん、インドネシアからIさん、ベトナムからKさん、
と偶然この日はアジア関係の業界人が北京に終結し、俺は悪酔いして酔いつぶれた。
後はKEIZOが面倒見てくれる。
末吉プロジェクトのミキサーはこんな面倒まで見なければならないので大変である。
さてOさんの家にやっと着いた俺はKEIZOが持つ合鍵で部屋に入ろうとしたら、
なんと長年留守にしているのでついに電気が止められている。
中国の場合は張り紙をした後、
それでも払わなければブレイカーごと取り外して行くから物凄い。
真っ暗な中、手探りでベッドらしきところにたどり着いてそのまま寝た。
朝になってあまりの暑さに目が覚めた。
「ここはどこ?私は誰?」
となるのが普通だが、
東京でのスタジオ終了時間が半端に早い時、
仕方がないのでドラム部屋に帰って仮眠をしている状況に酷似していて、
「あ、もう9時か・・・スタジオ行かなきゃ・・・ラジオ行かなきゃ・・・」
・・・と思わず飛び起きてしまう。
悲しい性である。
スタジオに向かい、機材をチェックする。
全てのデータが読み込めることを確認してから、
試しに1曲大音量で聞いてたら電話が鳴った。
スタジオのドアの外で電話してたら風でドアが閉まってしまった。
見るとオートロックである。
カギを開けた沈はもうすでに出かけてしまい、
むなしくドアの隙間からYangYangのボーカルが大音量で聞こえて来る。
「閉め出されたんですけど・・・」
沈に電話をしたら大笑いされ、
「もうすぐ誰かがそっちに行くから待っててよ」
と言われ、ドアの前で数時間ぼーっと待つ。
大体にして北京での仕事はそうである。
以前もMACを持ち込みでやって来たが、
初日に電源を入れたら壊れてしまい、
次の日は修理に持って行くので1日、
その次の日は取りに行くので1日、
そのまた次の日からやっと仕事が始まった。
北京の風に吹かれながらドアの前でぼーっとするなど
言わば「これぞ北京」の日常ではあるまいか・・・
夜にはJazz-yaに行って安田相手に楽しそうにそんな話をする。
「いやー、電気が止まっててねえ・・・」
安田にそう言ったら
「末吉さん頼みますからうち泊まって下さいよぉ。
ファンキー末吉が電気もないところに泊まってるなんて僕が恥ずかしいですよ。
頼みますからまたそんなことメルマガに書くのやめて下さいよ」
書くもんねぇ!
Jazz-yaに行ったら、食い詰めたバックパッカーが職探しに来ていた。
世界中を旅しているTAKUROと言う22歳の若者である。
「すまんが今は労働局がうるさくって、ビザのない人間に働かせるわけにはいかないのよ。
末吉さんが面倒見てくれるかも知れないから言ってみぃ」
かくして毎日腹が減るとTAKUROがスタジオにやって来る。
面白いのでメシ食わせてビール飲ませてほったらかしている。
無銭旅行の土産話のギャラがメシとビールと言うわけだ。
使えるお金はあと300元、ホテル代は25元なのであと10日余りが勝負である。
「25元のホテルっつうのは凄いよねえ。どんなとこなの?」
バックパッカーの溜まり場であるが、
35元出せばクーラーがあるらしいが、25元はクーラーなし。
それでも俺の住んでいるOさんの家よりはマシかも知れない。
TAKUROはホテルまで2時間歩いて帰ったが、
俺はさすがにタクシーで帰宅する。
もちろん今夜は蝋燭を準備して帰った。
キャンプ生活のようでなかなか楽しい。
ガスが出ないので水シャワーを浴びてみる。
考えて見ればこれって俺の日本での生活とあんまし変わらん・・・
「末吉さんて人生がバックパッカーみたいなもんですからねえ・・・」
買い物をしようと外に出て、安田のこんな言葉を思い出してニヤニヤしながらドアを閉めたら、
ここもオートロックであることに気が付いた。
ひえーっ・・・
「うちのホテルも遊びに来て下さいよ。バックパッカーばっかで楽しいですよ」
TAKUROの言葉を思い出す。
うちの上の子供は天津の友人宅に遊びに行ってると言うので、
レコーディング終了したらTAKUROと一緒に天津にでも行ってみるか・・・
ファンキー末吉
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2001年6月16日
北京で黒豹のライブに遭遇
北京に来ている。
いや、帰って来ていると言うべきか・・・実は全然実感がない。
まあ当分は行ったり来たりだし・・・
今月で東京は宿無しとなる俺だが、北京にとて別に宿があるわけではない。
Jazz屋の安田や友人宅を転々としていればそれでよい。
子供たちがいる嫁の実家は北京市内から車で1時間と遠く、
そこに帰るには車をチャーターして、ちょっとした小旅行なのである。
いやしかし安いと思ってた北京の物価も、年ごと日ごとに高くなって来ている。
医療費は無料のはずの共産主義は崩壊し、
中国的特色の社会主義では全額が本人負担である。
ヘタしたら日本よりはるかに高い。
小学校の入学金が3万元(約50万円)と言うからキチガイ沙汰である。
普通の人民はどうやって生活しているのだろう・・・
またうちの子供の国籍は日本なので、外国人はよけいに高いのね・・・
ちなみに嫁の実家、燕山と言う街では唯一の外国人がうちの子供である。
嫁も国籍が日本となったので、いきなりここでは住みにくい。
外国人には何もかも高い国なのよ、ここは・・・
そんな外国人や、
日本人の人口より恐らく多いであろう日本人より金持ちの人達相手
に商売しているのがここJazz-ya。
北京No.1のバーに選ばれ、日本料理屋の飯屋、寿司バーのSushi-ya、
そして焼肉屋の肉屋、とどんどん増殖している。
値段も日本とほぼ変わらないのに連日大繁盛である。
これを支えているのが安い労働力。
田舎から出てきた従業員の給料では
俺のように連日ここで酔いつぶれることは夢また夢である。
白い猫でも黒い猫でも鼠を取る猫がいい猫だ!
豊かになれる者から先に豊かになりなさい!
と言うこの国は、中国的特色の社会主義と言う名の資本主義。
日本は資本主義と言う名の理想の共産主義。
1億総中流など、世の思想家達が夢に見た理想の共産主義国家なのである。
でもなんで俺はまたこんな街でいるんだろう・・・
昨日、CDカフェと言う小さなJazzクラブで、黒豹のライブがあった。
精神汚染音楽だった当時の北京で、
アンダーグランドな活動を余儀なくされていた彼らも、
今はスタジアムを満パイにし、大金持ちになって太って、
「自分の商売が忙しくてバンドなんてやってらんない」
と言う状況である。
ドラムの趙明義は株を買ったか何かで今やCDカフェのオーナーである。
外国人が唯一Jazzのライブが見られたこの店も、
中央電視台のイベントやらロックバンドやら、
無節操にオーナーがブッキングするもんだからとんと客離れと言う噂である。
「おい、たまには集まって音でも出そうぜ!」
・・・てなことでこの日はメンバーが気楽に集まったのか・・・
いや「中国人はあんたと違うんだから」と言う嫁の声が聞こえそうである、
生力ビールの思いっきりのタイアップ・・・金の匂いがぷんぷん・・・
何から何まで生力ビールの店内には客がまばら・・・
オープニングアクトの若いバンドの演奏が始まる。
確実に数年前の北京のバンドよりはるかに上手い!
サウンドも完成されていてケチのつけどころがない。
「みんな上手くなったよなあ・・・」
何やらつい感心してしまう。
俺が初めて地下クラブで黒豹を見た時、
奴らはお世辞にも上手いとは言えなかった。
しかし俺はそれを見て、今ここにいる。
あの日を境に俺はここ北京にいつも・・・いる・・・
オープニングアクトの演奏が終わり、黒豹が始まる頃には客席はほぼ満パイ。
しかしあの日とどこかが違う。
あの日、パンクスに連れて行かれたあの地下クラブにはもっと・・・
危険な空気・・・ヤバイぞ、ここは・・・と言うのがあった。
ここはすこぶる健全である。外の世界と変わらないのである。
演奏が始まる。
彼らの曲は老歌と新歌とに大きく分けられる。
老歌は昔のヒット曲。新歌はメンバーチェンジをし、今の黒豹のナンバーである。
ステージは老歌から始まった。
「這是新的中国!(これが新しい中国かい!)」
こんな歌詞を歌詞カードから見つけて鳥肌が立った彼らの1枚目の曲。
今では彼らこそがそんな「この新しい中国」の代名詞である。
ひとり客席で俺は当時、初めて彼らを見た時にトリップしていた。
ここには秦勇ではなくドウ・ウェイがいて、そしてあそこにはルアン・シューがいた。
リー・トンの髪の毛も当時の中国では街にはまず見かけなかった長髪だった。
お世辞にも上手いとは言えないその演奏・・・
感心はしないが、しこたま感動した・・・
そんな当時の彼らを、今の彼らを通して見て感動している・・・
今の黒豹は言ってみれば
ロジャー・ウォータースの抜けた後のピンクフロイドのようなもんである。
それを見に来てノスタルジーで感激している俺は、
再結成ラウドネスを見て涙している最前列のファンと同じか・・・
でもラウドネスに青春を捧げて婚期を逃したファンはいても、
俺ほど人生を踏み外した人間はいるまい・・・
3月まででやめようと思ってた二井原も、
最前列で涙流してるファンを見てもう半年続けようと思ったと言うが、
最前列で40過ぎの日本人ドラマーに涙しながら見られてても
そりゃ黒豹も演奏しづらいじゃろ・・・
老歌なんぞ演られた日にゃあ、俺はすぐにあの場にトリップしてしまう。
「この曲もあの日に聞いた。この曲もあの日に聞いた。
そしてこの曲はあの日に叩いたじゃないか・・・」
11年前の思い出が走馬灯のように思い起こされる。
老歌はもちろんのこと新歌も懐かしい。
唐朝のベーシスト、ジャン・ジュィーに宛てた追悼曲・・・
友達が死ぬなんて一生のうちに何回あるだろう。
この30代で俺はふたりのミュージシャンの友人を亡くしている。
思えば俺の30代はかなりドラマチックである・・・
俺の30代、俺の中国はヤツらによって始まって、
そして今もヤツらと一緒に・・・いる・・・
黒豹がどんなに肥え太って、商業主義の権化となって、
どんな無様な姿を晒そうとも、俺はいつもヤツらと一緒に・・・いる・・・
俺は最後までヤツらと一緒にいて、
黒豹の、いや俺の人生を変えた中国ロックの最後をこの目で見届けたい。
そんなことを考えながら、今から来週日本に帰るチケットのリコンファームをする。
ファンキー末吉
Posted by ファンキー末吉 at:20:50 | 固定リンク
2001年1月22日
北京で久々にライブ。やっぱ北京もええとこやなあ・・・
零下18度だと聞いていたのでどれだけ寒いかと思って、
モモヒキの上にジャージを着込んでからオーバーオールを着て、
XYZのファンからプレゼントされた防寒ジャンバーを羽織って北京空港に降り立った。
「あれ?想像してたより全然寒くないねえ」
同行した和佐田や団長がそう言う。
「本日の気温は零下4度で御座います」
ガイドさんがそう言うのを聞いて
「それは暖かい!」
とつい思ってしまうのは、
言い替えると、「うちの嫁が怒ってないから最近優しい」と言うのと同じである。
人間の順応性と言うのはまことに偉大だ。
「末吉さん、来週スケジュール空いてません?
李波の結婚式をプーケットで挙げるんですけど末吉さんも来れません?」
李波とはJazz-ya北京の実質的社長。
最近は人民代表にも選ばれ、偉くなっている。
「中国人が春節でみんなタイに行くんでホテルがとれないんです、
末吉さん最近タイで仕事してるって言うから、
そっちのコネで何とかホテル押さえられませんかねえ」
中国人もめっきり豊かになって、
ビザも取りやすいと言うことから旧正月はこぞってタイのリゾートに出かけるのだ。
さて俺はと言えばこの2週間の間に、
摂氏30度近いタイから零下4度の北京に降り立ち、
またすぐにそちらに戻って行こうとしている。
環境にすぐ順応してしまう自分が情けないが、
出来ることならずーっと一生南国で暮らしたいものだ。
とにもかくにも、また常夏のタイに戻れることは真に嬉しいもんだ。
さて、そんな末吉の最近のタイ好きを受けて、今日のお題。
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北京やっぱりいいとこ、一度はおいで・・・
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いつぞやから北京に魅力がなくなり、足が遠のいていた。
タイプロジェクトも始まり、またタイ人の心優しさに惹かれ、
そしてタイで頑張る日本人のたくましさに刺激され、
仕事もあるので足げにタイに足を運んでいるのを、
Jazz-ya北京の安田をはじめ、
末吉のせいで人生を棒に振って北京に身を投じている多くの人々は
内心それをあまり面白く思ってなかったと言う。
私の著書、「大陸ロック漂流記」は、
北京の留学生や日本にいる中国ロックファンの間ではバイブルになっていると聞く。
それに影響されて「ロックの聖地」北京に足を運んだ人も少なくないと言う。
その著者が「もうやめた」はないじゃろ!と言うことである。
今回友人の結婚式に呼ばれ、
和佐田や団長と一緒に結婚式で演奏して花を添えたのだが、
その夜、地元のバンドと一緒にライブをやらないかと持ちかけられた。
仕掛け人は小龍と言う、ついこないだまで北京の日本人留学生だった男。
今は帰国して、親の事業の一環として
渋谷パルコPart2の7Fで小龍茶館と言う中華レストランをやっている。
帰国した留学生によくあるのだが、
やはり北京が好きで、何とか中国と関係ある仕事をやりたいと言うことで、
どうせ親の会社で店を立ち上げるなら中華系にして、
買出し等の理由で北京にまた来れるじゃないかと考えてのことである。
行けば必ず地元のバンドのライブを企画すると言う彼だが、
今回たまたま俺たちと同じ時期に北京に来ていたと言うことで、
彼が一番入れ込んでいる「痩人」と言うバンドと俺たちとのライブを組んでくれたのだ。
俺が最初に足を踏み入れた10年前とは違い、
今は北京でも世界中の情報がリアルタイムで手に入り、
楽器や演奏出来る場所も容易に準備出来る。
ちょっと大げさだが「ロックやるのも命がけ」と言う当時とは全然違うのである。
黒豹をはじめ、ロックで大成功して大金持ちになった人たちを見ながら、
いとも簡単にファッションや金儲けでバンドを始める。
去年二井原と北京に来た時、地元のパンクバンドの演奏を聞きに行った。
演奏もヘタ、音楽性も流行りのハードコアそのもので面白くなく、
人間のオーラもパワーも皆無で、聞いてて退屈なことこの上ない。
そのくせ口を開けば、
「俺たちは満たされてない。
世の中は矛盾に満ちている。
俺たちは世界を変えるんだ!」
アホかい!と言うやつである。
俺が初めて北京に来た時、偶然地下クラブで黒豹のライブに遭遇した時、
同じようにヘタクソだった彼らの演奏には何かがあった。
ワクワクするような、ドキドキするような、
「こいつらはこの国の何かを変えてしまうに違いない」
と言う圧倒的なパワーやオーラがあった。
実際彼らはこの中国の音楽界を変えた。
売ってはいけない精神汚染音楽とされていたロックが海賊版で全国に広まり、
ロックは金になると知った政府はロックと手を結び、
当時放送で流してはいけなかった精神汚染音楽は、
今や若者の文化として堂々とテレビ、ラジオで紹介される。
それを見て聞いて育った次の世代の若者が、
容易に楽器を手に入れ、容易に情報を手に入れ、
楽器の練習をすることもなく容易にステージに上がり、
ファッションでパンクを気取ったって、
俺はお前らに世界が変えられるとは思わんよ。
でも君らの先輩達は中国を変えた。
ロックを変えた。
そう、ある意味、商業的にね。
一昨年の黒豹のオリンピック・スタジアム8万人コンサート。
偶然彼らの節目節目の大きなコンサートに遭遇する俺だが、
北京で開かれるロックコンサートとして歴史上最大であったこのコンサートは、
後で思えば、ある意味、中国ロック終焉の宴であった。
その後彼らはオリジナルアルバムを出していない。
俺の親友でもある彼らの元社長のシェンは俺にこう言った。
「奴らもうやる気なんかないよ。
レコード出したって海賊版で金になんかならないしさぁ。
みんな金儲けに忙しいもん。
集まってリハーサルして、集中して頑張るのもめんどくさいしさぁ。
それぞれ自分の商売に精出してた方がよっぽどいいんだよ」
俺の世代のロッカーはもうダメ、新しいロッカーは話にならないんじゃぁ、
こんな国のどこが面白い?
思えばそんなこんなで気が付けば足が遠のいていた俺であった。
結婚式の2次会終了後、迎えに来た小龍のタクシーに乗せられて、
海定区にあるライン河と言うバーの門をくぐった。
10年前はマキシムと外交員クラブぐらいしかロックが出来なかった時代とは違い、
こんなバーは今や北京に数限りなくあり、
昔と違って門をくぐった瞬間に感じる「ヤバいよ、ここ」と言う緊張感がない。
全てが「普通」なのである。
9時から始まる予定だった痩人の演奏は、10時を回った今でもまだ始まっていない。
「先に始めといてくれればいいのに」
と言う俺の意見を聞き入れず、
客を何時間待たせても俺たちが着くまで演奏を始めるなと指示していたのだ。
「よう!ファンキー!」
昔の仲間の顔がちらほら見える。
「ファンキーごめんねぇ」
李慧珍が遅れてやって来た。
初めて出会った時は田舎丸出しの小娘だった彼女も、
俺がプロデュースしたデビューアルバムがヒットして、その年の新人賞を総ナメ。
しかしその後、事務所と契約で大モメ。今はホサれている。
どうせなら何か1曲一緒にやろうと呼び出していたのだ。
ギタートリオでインストの曲ばかりしか出来ないので、
名前もあるし、せっかくなら花を添えてもらえば助かる。
痩人の演奏などそっちのけで、楽屋で和佐田と団長のために譜面を書く。
譜面渡されてすぐに弾ける彼らはまことに便利である。
軽く構成等を打ち合わせした後、李慧珍は楽屋を出て彼らのステージを見に行く。
うちの嫁が前回里帰りをした時、彼女に連れられて彼らのステージを見に行って、
「痩人、よかったわよ。私が黒豹のライブに通ってた頃を思い出しちゃった」
と言ってたのを思い出した。
「まあ、後で本人達と酒飲む時に、見てなかったでは悪いので、
ちょっとだけ覗きに行こうかな」
ぐらいの気持ちで客席に行ったら、これが思いの外かっこよくてびっくりした。
「為了自由歌唱!為了自由歌唱!」
ハードコアのようなファンクのようなサウンドに載せて連呼する。
「和佐田ぁ、ごっついええでぇ。見においでや」
譜面をおさらいしていた和佐田も
「ツェッペリンとかを彷彿させるバンドやねえ・・・」
と誉めていた。
「まずいなあ・・・こんな雰囲気でインストなんかやってもどっちらけやでぇ・・・」
客席の盛り上がりを見て心配する俺を、
「大丈夫、団長は1曲目から絶対凄いソロやるから、ほら」
和佐田に促されて客席に目を落とすと、
ギターを弾く時以外は無口で病的に内向的な団長が
客席で熱心にステージをチェックしていた。
痩人の演奏が大盛り上がりで終わり、
そのまま俺たちはステージに上がってセッティング。
だらだらとセッティングが終わってそのまま演奏が始まった。
1曲目から団長と和佐田はかなり気合の入れたソロを披露し、俺に渡した。
煽られて、俺も養生している手首をかまうことなくドラムソロをやってしまう。
2曲やってMC。
最前列1列は噂を聞きつけた日本人だが、大半は中国人なので中国語でMCをとるが、
思いの外ウケているのを実感する。
ジェフベックの曲を2曲やった後、李慧珍を呼び込んでセッション。
その後は最後の曲である。
お決まりのように団長はソロでギターをぶち壊し、アバンギャルドに幕を閉じる。
笑いと驚愕と大歓声の中、俺たちはステージを降りる。
「よかったっす、本当にありがとう御座います」
小龍が感激して声をかけて来る。
「凄いわぁ、ボーカルもいないのにこれだけ客を掴むなんて、なんて実力なんでしょ・・・」
李慧珍が感激して楽屋に来る。
「バンドと一緒にライブしたのって久しぶりよ」
中国では、歌手はカラオケを持って歌いに行き、
ヒット曲を歌って日本円で数十万もらって帰る。
海賊盤が売れて儲かるのは、
その海賊盤業者だけではなく、営業値段が釣り上がる歌手自身である。
ちなみに中国のプロダクションシステムは、
日本のとは違い、手数料制の日本で言うインペグ屋と同じである。
投資は事務所やレコード会社がして、儲けは歌手が全部持ってゆく。
これでは投資なんかしようと言う会社などいなくなるわけである。
楽屋で酒盛りが始まる。
痩人のメンバーが酒を振舞い、ロック談義に花が咲く。
「小龍は俺の義兄弟さ」
そう言う彼らを見て、10年前の自分を思い出した。
今回のこのライブ、主催は小龍個人。
経費は全て彼の持ち出しである。
北京のロックミュージシャンに刺激を与えたいと言う理由で、
我々の渡航費の3分の1を負担すると申しだしたのも彼である。
俺はともかく和佐田や団長のギャラを自腹で出すのも自分である。
そんな援助を受けながら痩人はその才能を磨き、もっと大きくなってゆくだろう。
そして家を買い、車を買い、女をはべらせて肥え太ってゆき、
最後には金儲けに忙しくなってバンドなどやってられなくなるのだろうか。
「ファンキーさん。痩人、どうでした?」
小龍が恐る恐るそう聞く。
「いや、物凄くいいバンドだと思うよ」
小龍の大きな目的の中に、この末吉のこのバンドを見せることがあったことはまぎれもない。
「それじゃあ、俺たちの素晴らしいお兄さん、ファンキーと、
日本から来てくれた素晴らしいミュージシャン達に乾杯!」
小龍の思惑通り、痩人と俺たちはこうして友情を深めてゆく。
あの時、同じように黒豹に朋友と呼ばれ、北京に足げに通い詰め、
安田と「中国人から1元でも取れた時に乾杯しましょう」と、
将来は移住するつもりで全財産をこっちに持ち込んで、
結局、商売としては安田は1元どころか巨大なBarを大成功させ、
音楽としては俺は相変わらずまだ李慧珍のために何かをやってあげようとしている。
そんな俺も今では「朋友」ではなく「お兄さん」になった。
そして10年前の俺のようなバカがこうして、
新しい世代のバンドに入れ込んで「お兄さん」を担ぎ出そうとしている。
為了自由歌唱!
自由の為に歌を歌う!
彼らが本当に自由の為に歌を歌っているのかどうかはわからない。
「中国人なんてみんなお金のために歌っているに決まってるじゃない!」
同じ中国人であるうちの嫁が笑いながらそう言う。
どっちでもいいや、かっこよければ。
ウソだって何だって、俺は感激さえさせてくれるなら何だってやるよ。
XYZの100本目のライブを初めて見に来た男の子からMailが来た。
「誉めることはいろんな人が言うでしょうから、
僕はちょっと物足りなかった部分をMailに書きます。
僕はいつもB'zとか、ユーミンのコンサートを見ているので、
照明や特効もないステージははっきり言って退屈でした。
あと、各人楽器のソロをやられてましたが、
僕は楽器のことはよくわかりませんのであまり面白くなかったです」
まあそう言われても俺達にはどうしようもない。
照明や特効で彼らにかなう資金力は俺達にないし、
まあ楽器に興味のない人に感激を与えられなかったのは、
言ってみればパフォーマーとしての俺達の技量の不足かも知れないが、
まあひょっとしたら彼を満足させることが出来るステージは
俺達には一生出来ないんじゃないのかなあ・・・。
音楽の楽しみ方は人の勝手である。
Aみたいなのが好きな人がいて、Bみたいなのが好きな人がいて、
どちらも人の勝手だし、
でもその人数によってメジャーかアンダーグランドかが決まる。
中国でも体育館でやる歌手はメジャー、
ライブハウスでやるロッカーはアンダーグランド。
しかしある瞬間からそれが逆転した。
お決まりのオムニバス歌謡ショーよりもロックバンドの方が客が入るようになった。
そしてそのロックが歌謡ショーと変わらなくなってゆく。
精神汚染音楽とされている音楽を海賊盤で入手し、
それに熱狂して地下クラブに通う時代は中国ではもう過去のものなのである。
人々はテレビやラジオでヘビーローテーションの曲を聞き、
街で大きく広告が打たれている商品を手にする。
「売れるか売れないかなんてどれだけお金をかけたかだよ」
そう言い切るシェンの手がけた歌手の看板を街角でよく見る。
彼から頼まれて俺がアレンジした彼女の曲もチャートに入っていた。
この街はもう日本となんら変わりはない。
感心はするけど感動はしない音楽が多い昨今、
むき出しの裸で俺を感動させてくれた北京のロッカー達のために、
俺は俺なりに感謝とリスペクトを込めて、いろんなことをここ、北京でやって来た。
そしてそんな俺達の世代のロックは終焉を迎え、
しかし次の世代のロックには次の世代の俺のような奴がそばにいて、
俺と同じようなバカをやっている。
バカはいい。
感心はしないが感動する。
まあそんなバカがいる限り、俺も中国からは卒業出来ないかな、
なんて考えてる俺は、やっぱバカな「お兄さん」なのかも知れないなあ・・・
なんてことを考えてしまった極寒の土地、北京。
ちょっと心は暖かかった。
ファンキー末吉
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2000年9月20日
疥癬(かいせん)完治して北京に向かう
疥癬ついに完治!
そして俺は北京へ・・・
(例によって飛行機の中)
通常疥癬の治療には3クールに分けて治療するそうだ。
1クール1週間である。
週の最初にガンマなんたらと言う疥癬虫を殺す薬を塗る。
次の日の朝はシャワーにてガンマなんたらを洗い流して、
全身にオイラックスとか言う、
こりゃ痒み止めなのか疥癬虫を殺す薬なのか、
聞くとこによるともともとは疥癬の治療薬として開発された薬を塗る。
そして夕方にはまたガンマなんたらを塗る。
後は週末までオイラックスだけを塗り、
次の週はまたガンマから同じ工程を繰り返す。
通常ここまでで疥癬虫はまず死滅するらしいが、
大事をとって2週目、3週目に突入するのだ。
聞くところによると、
疥癬虫と言うのはこれらの薬を塗るとほぼ確実に死滅してしまうが、
疥癬だと知らずに別の薬を塗ると、
たちどころに全身に広がってしまうと言う。
どうも俺の場合はそうだったようだ。
全身に広がってしまったので仕方が無いので全身に塗る。
ぼつぼつは出て無くても、
ひょっとして衣服に、また布団にタオルについていた虫、もしくは卵が、
なにかの拍子にまた肌に付着しているかも知れない。
それがまた孵化して卵を生み・・・
ああ考えただけで恐ろしい・・・
この恐れがあるから2,3クールの治療が必要なのだ。
そしてお風呂にはムトーハップと言うのを薬屋で買ってきて、
それをキャップに2杯ほど垂らすとあら不思議、
自宅の風呂が草津の温泉に・・・
早い話、硫黄の温泉は皮膚にええのね、
ダニも殺すと言うし・・・
温泉好きの俺は、
実は北京にまでこのムトーハップを持ちこんで来ている。
疥癬は治ってもムトーハップはやめられなくなってしまったのだ。
部屋やベッド等の消毒はスミスリンと言う粉製の殺虫剤を買ってくる。
田舎の肥溜めなどでウジを殺すために撒く農薬みたいなアレである。
マスクを水で濡らして、吸い込まないようにしながら、
自分の部屋のベッドにスミスリンを撒くっつうのもなんとも情けない。
夜寝る前はそれを掃除機で全部吸い込んで綺麗にしてから寝る。
嫁から枕や掛け布団は没収されている。
2次感染の防止のためであるが、
敷布団もない殺虫剤臭いマットの上で、
枕も布団もなくごろんと寝る姿の侘しさよ・・・
これでは酔っ払って公園のベンチで酔いつぶれている日々とさほど変わらん。
実は今度の北京行きで一番楽しみなのは、
ホテルで枕と掛け布団のあるベッドで眠れることなのである。
あー情けなし・・・
そして聞くところによると、
病院なんかでは体力のない老人から感染してゆくと言うので、
これはニューヨークのハードなスケジュールで老人並に体力が低下していたために、
俺だけが感染し、発病したとみられる。
要は体力の問題である。
だからと言うのもあって、
香港から帰国し、上海がドタキャンになったのをいいことに、
3日間ひたすら寝るだけの生活だった俺だが、
上海からの帰国予定日だった日からはスケジュールがてんこもりである。
だいたい海外の仕事が多い昨今、
日本にてラジオ3本とテレビ1本を抱える生活はどうにかしている。
朝10時からNHKに詰めて中国語会話の収録をする。
終了を待って原宿にラジオの収録。
しかしここでは平行して五星旗のTDが行われているので、
終了後すぐさまそちらに飛び込む。
次の日の朝までにはマスタリングに入れなければならないので、
結局朝までかかってぎりぎり全曲TDを終わらせる。
マスタリングスタジオに放り込んで、
取り込んでもらってる隙に病院にて最終検査。
まだ疥癬虫が生息しているようだったらさらに3クール目に突入する。
しかし病院での検査結果は「問題なし」。
晴れて完治の身となった。
バンザーイ!
喜んでばかりもいられない。
祝杯をあげるヒマもなく、マスタリングスタジオに引き返し、
レベルやサウンドなどの最終変更をする。
X.Y.Z.の場合、橘高文彦と言う優秀なディレクター役がいるので、
俺は別にへらへらと酒を飲んでればいいが、
五星旗の場合、俺がやらねば誰もやる人間がいないので、
シンバルの大音量にてハイ落ち難聴になってる老人耳を駆使してあーだこーだ言う。
俺、実は苦手なのよ、このテの仕事・・・
最後にNYでのライブ音源も収録しようとなって、
早めに取り込んでもらう予定だった音源をチェックすると、
あら、Kingのマスタリングルームってリバーブやマルチトラック編集設備がないのね。
じゃあどうする?
俺のパソコンにまず取り込んで編集して、
それをマスタリング・コンソールに放り込むしかない。
取り込む周辺機器からソフトまで全部揃っている自分が恐ろしい。
スキャナーからCD-R、ケーブル等まで全部持ち歩いている。
おまけにパスポートも持ち歩いとるんで、
俺は実はこのまま北京に旅立ってもいいのだ。
俺に家などいらんのよ、実は。
夕方からのラジオの収録にはとうてい間に合わないので一本電話を入れて、
ようやくたどり着いたスタジオで一言。
「俺って気がついたらもう36時間ぶっ続けで働いとるのね」
3日間、眠たくなくても寝てた生活をしてた俺はもうハイである。
収録が終わり、家に帰ってムトーハップの風呂に入り、
「じゃあ飛行機出発のぎりぎりまで寝るぞ」
と思ってたら、
数時間後にぱっちり目が覚める。
おいおい、眠たかったんちゃうんかい!
仕方がないので五星旗のライナーノーツとかを朝まで書く。
子供が起きて来るので、
完治した腕でとりあえず抱いてやる。
おいおい、俺、寝んでええんかい!
そしてまた機上の人である。
寝ればいいのにまたこんなアホな文章を書いている。
海外に行けば日本でいるよりもスケジュールがゆるやかになる俺であるが、
北京だけは別である。
会わねばならない人間は多いし、
嫁の親戚へのことづけ物が山ほど託されている。
もうここは外国ではなく、久しぶりの里帰りに近い。
しかし今回の北京行きは久々に自分主導のユニットではない。
Pont Boxなどでおなじみの佐山雅弘さんのユニットにドラマーとして参加する。
思えばもろJazzの仕事は久々である。
実に楽しい。
自分のプレイ以外に責任がないからである。
ドラマー以外のいろんな顔を持つ生活から、
純粋にドラマーだけに戻れる瞬間である。
しかし周りは純粋にそうはいかない。
ここ最近北京からMailや電話がひっきりなしに入っている。
「北京でライブやるって一体どこなんですか」
とか
「泊まりはどこなんですか」
とか俺を捕まえたい連中がてぐすね引いている。
成田から北京の安田に電話する。
「今から行くでぇ」
「知ってますよ。一体どうなってんですかぁ。
末吉さんのライブはどこでやるのかとか、
チケットはJazz屋で買えるのかとか、
全部問い合わせはJazz屋に来るんですよ」
情報が口コミしかないこの国で、
俺が北京に行くと大騒ぎになるのはここ、Jazz屋なのである。
「すまん、俺のユニットじゃないんで、実は俺なーーーーんにも知らんのよ。
泊まるところも知らんし、明日どこで何時にやるかも知りまっしぇーーん」
こんな無責任な旅も久しぶりである。
CDカフェと言う老舗のJazz Clubでやる予定だったのがドタキャンになったと聞く。
アジアの仕事はドタキャンばっかりかい!
代わりに中国大飯店とやらのJazzバーでやるらしい。
うーむ、ようわからん。
後は久しぶりに北京のJazz屋に行って飲むとしよう。
どうでもええけど、ここのJazzのCD、
全部うちから持って行ったもんなんですけど・・・
ぼちぼち返せと言いつづけてもう数年。
今回は全部パソコンに取り込んでから帰るとするか・・・
ファンキー末吉




