2011年12月29日
全中国ドラムクリニックツアー2011年 湖南省「岳陽」3日目
さてこの朝にパソコンでだいたいの仕事を全てやり終えてしまった。
ワシはこのパソコン、まあ周辺機器も含めて全ての仕事はいつも持ち歩いてるこのリュックサックさえあれば全部こなせるのだ。
だからこのようにツアーなどに出ると非常に仕事がはかどると言うわけだ。
今では北朝鮮以外どんな国に行っても同様にネットに繋げ、
同様に仕事が出来るシステムを持ち歩いているというわけだ。
さてこの日は地元を観光して夜汽車で帰るということになっている。
私は別に観光など興味はないのであるが、
地元の人にとっては
「こんな遠くまで来て頂いて何のおもてなしもしない」
というのは中国人的な「面子」に関わる問題なのだ。
一度担当者Shaとの連絡ミスで、
「明日何時に帰るの?」
となった時、
「え?明日は一日こちらで観光するという約束でしょ?」
と地元の人が悲しみを超えて怒りまでいったことがある。
まあ一日観光をお付き合いするのも「仕事」のひとつだということだ。
何せこの全中国ドラムクリニックツアーにはPearlドラムを宣伝するだけではなく、
「各地のパール倶楽部との連携を強化する」
という大きな目的もあるのだから・・・
名所ということで「岳陽楼」というところにやって来た。

「岳陽楼」と聞いても別にピンとはこなかったが、
そこに面する「洞庭湖」というのは聞き覚えがある。
確か「洞庭湖を臨む」とかいう漢詩を学校で習わなかったか?・・・
とりあえず岳陽楼に登って洞庭湖を臨んでみる。
まあなんつうことはない。
ここが中国最大の淡水湖だということで
なるほどこの辺は魚料理が多かったのかと思えた程度である。
さて観光するところなど言ってみればここぐらいのもんなのであろう、
地元観光もあっという間に終わり、
あとはお決まりの「飲む」と「食う」だけである。
食うと言ってもそんなに延々と食い続けることなどは出来やしないので、
とりあえず途中足裏マッサージなど行ったりしてまたメシを食う、
そんなことを続けてたわけだが、
晩飯終わって
「まだ列車まで時間があるなあ、よっしゃ、ほなサウナでも行こう!!」
となった時に事件が起きた。
車に乗り込もうとしたら、
車の所でみんなが呆然としている。
「どうしたの?」と駆け寄ってみると、
車の窓ガラスが無残にも割られ、
中のものがごっそりと持っていかれている。
ワシのトランクやリュックも全てである。
トランクの中にはひとりドラムをするための器材、
リュックの中には
「それだけあればどこにいても仕事が出来る」
というパソコン一式の機材類とiPad、
そしてパスポートが入っていた・・・
Posted by ファンキー末吉 at:11:39 | 固定リンク
全中国ドラムクリニックツアー2011年 湖南省「岳陽」2日目
午前中はホテルでかなりの量の仕事をこなした。
この日と次の日の午前中に仕事を全部こなしてなければその後数日間何も出来なくなるのだから世の中うまく出来ている。
昼飯は魚の大鍋!!
なんとこの大鍋はテーブルにがっちり固定されている。
洗う時はどうするのかとまず思うが、
従業員がオタマとタワシを持って来て、
水をかけてはタワシで擦り、
それをオタマで掬ってはバケツに捨てながら器用に洗っていた。
なぜ鍋がテーブルに固定されているかと言うと、
このテーブル自体が炉になっていて、
ストーブのように薪をくべてその直火で鍋が焚かれるというわけだ。

そのため、この鍋とテーブルは完璧に密閉されてなければならず、
煙はテーブルとつながった壁を経て外に流れてゆく。
見事なほど店内には煙は流れない。
見事なもんだと腹鼓〜
腹も叩いてドラムも叩く〜
いや〜田舎に行くほど人は集まるねぇ〜
ドラムクリニックなんて別に何百人の人に見せる代物ではないと思うのだが・・・
今回難儀だったのはお決まりのサイン会。
いつもはPearl製品の宣伝も兼ねて大きなポスターにサインをしてたのだが、
今回は日本から大量に仕入れたというファンキー末吉モデルのスティック。
スティックってサインするの大変なのよねぇ・・・
聞けば中国のPearl担当のShaが最初にこのパール倶楽部というシステムを作ったのがこの街、
つまりこの街のパール倶楽部の張老師がやった一番最初の冒険が今の中国でのパール楽器の全ての基盤となっているというわけだ。
Shaはきっとこのファンキー末吉モデルのスティックを中国で販売したいんだな。
だからまず最初にここで実験してみてそれから国内生産に着手しようとしてるのではないかと想像する。
かくしてこの日も「平和に」終わりゆく・・・
Posted by ファンキー末吉 at:10:48 | 固定リンク
全中国ドラムクリニックツアー2011年 湖南省「岳陽」初日
思えばクリスマスなのだが関係ない。
23日の夜中に北京に着いたワシは、
次の日には指定された便に乗り込み機上の人となった。
「長沙行きCA1373」?・・・
確か広東省で二本やると聞いてたが、まあその辺は気にしない。
問題はこの湖南省というところが暖かいところなのか寒いところなのかということである。
地図で調べると・・・
(地図は後ほどUPします)
緯度は沖縄ぐらい低いではないか・・・
ということで軽装で来てしまったのが大間違い。
その後滞在中ずーっと寒い思いをすることになるとはこの時点では夢にも思っていない。
ただANAのマイレージがつくはずのCAに3時間も乗りながら、
チェックインの時に登録を忘れたことばかりが気になって仕方がない。
後にそんなことなどどうでもよくなる事件が勃発するとはこの時点では夢にも思ってないのだ。
長沙でやるのかと思いきや「岳陽(YueYang)」という街でやるらしく、
そのまま車に揺られること2時間強、
着いた頃にはもう腹が減ってたがそのまま会場入り。
毎度の事ながら垂れ幕デカ過ぎなんちゃうん!!
今回のセットはタムがあまりにも小口径だったのでイアンペイス式セッティングにした。
「タカトン」という常道フレーズを叩いた時に、
小口径のタムだとスネアよりも音程が高くなり、
聴感上キモチワルイのだ。
このセッティングだとタム2を叩くことになって座りがよい。
通常のバスドラにタムホルダーを挿すセットだとアダプターが新たに必要なので難しいが、
今回のようにタムホルダーを挿す穴がないバスドラだと、
もともとアダプターでセッティングするので楽である。
そんなこんなでセッティングもサウンドチェックも終わり、
湖南料理に舌鼓を打って初日は「平和に」終わってゆく・・・
Posted by ファンキー末吉 at:09:43 | 固定リンク
2011年8月21日
全中国ドラムクリニックツアー2011年 江蘇省「徐州」
♪徐州〜徐州と人馬は進む〜♪
という歌があるが、なるほど徐州は沿岸部ではちょうど南北の間に位置し、
日本軍にとってはどうしても押さえておきたかった要地だったのかも知れない。

北京南駅から噂の新幹線に乗り、
3時間足らずでもう徐州である。
そのまま会場に行ってセッティングとチューニング!!
何じゃこのドラムの数は?!!!・・・まるでドラムの海である・・・
聞けば今回のイベントは徐州電視台の公開録画らしい。
勝手に名付けて
「徐州子供ドラマー100人イベント(ゲスト日本著名鼓手Funky末吉)」
ってな感じであろうか・・・
イベントは3時頃から始まり、ワシの出番は5時過ぎだというが、
面白そうなので3時には開場に入った。
これですよこれこれ!!
1度目の時もそうでしたが、
ここの子供達は髪型、ファッション、叩き方共に「ロック」である。
こんな子供たちが100人集まってメタリカやボンジョビを叩くんだから笑いが止まりません!!
ワシの出番までたっぷり堪能させて頂いて、
司会者に呼び込まれて3曲ぶっ叩く!!
・・・はずが2曲で司会者が出て来てワシと絡み始める・・・
まあいい、1曲目が8分あるのでカットになったのだな・・・
と思いながらテレビ用の顔にチェンジ、
中国語でサービス精神たっぷりにMCしてたらいきなり3曲目の曲紹介!!
同期モノのイヤホン抜いてしまいましたがな・・・
慌てて3曲目のセッティング・・・
まあそう言やプログラムにちゃんと曲名を載せているんだから突然カットはないわな。
予定していた3曲終わったら100人ドラマー全員出て来て、
「ファンキーさんと一緒にドラムを叩こう!!」
のフィナーレ。
何と曲はワシが録音した許魏の「漫歩」である。
しかし100人で叩くとぐしゃぐしゃじゃぞ・・・(笑)
この曲と最後のフィナーレの曲がメドレーになっているということで、
演出として子供が花束と酒を持ってワシを迎えに来る。
ワシはそれを受け取ってJBよろしくステージを降りて帰ってゆくということだ。
まあJBのようにもう一度マントをはねのけてステージに上がることもなく、
そのままその酒を飲もうとしてたらまたステージに呼ばれた。
「ファンキーさんエンディングです!!」
エンディングも撮るのか・・・聞いとらんかったぞ・・・
というわけで全てのプログラムが終わった。
3曲だけ叩くというのも全曲叩くよりより疲れた気がするが、
何より大変だったのはバックステージである。
およそ100台のドラムセットが2組の子供達が入れ替わり立ち替わり叩くのだから、
その200人の子供達をまとめるのが大変!!

先生達、本当にお疲れさまでした。
再来年はもっと大きなイベントを考えてらっしゃるということで、
微力ながら私もまた駆けつけて参加させて頂きます。
Posted by ファンキー末吉 at:09:53 | 固定リンク
2011年7月25日
全中国ドラムクリニックツアー2011年 吉林省「吉林」
吉林に来るのはもう3度目である。
一度目はまだこのツアーが始まった初期の頃、
確か2本目の場所がここだった。
一度目は列車で来たのだが、二度目はスケジュールの関係で飛行機で。
今回はそれと同じく最寄りの飛行場「長春」に降り立った。
長春から車で吉林まで1時間ほど。
あまりに夜が遅かったのでこの日は飲まず、
次の日も終わったらすぐに帰るというスケジュール。
毎回ここに来たら死ぬほど飲むのにと思ったら後で落とし穴が待ち受けているのだが・・・
会場は地元のテレビ局のホール。
よくある話でワシらの前に別の演目が入っており、
それがまあ終わるのが押すであろうということ。
もうこの辺は慣れたもんである。
客の入ってる状態でセッティング・・・
満席の中で組み終わり・・・
合間に地元テレビ局のインタビュー・・・
まあこの辺は慣れたもんである。
終演後にまた山ほどのサインをして、
用意された車に飛び乗ってその中で服を着替える。
ワシはアイドル歌手か?!!
と突っ込んでみたりするが、
開演が押しているのだからこうでもしなければ飛行機に間に合わない。
飛行機に間に合わなければこの日に北京にたどり着けない。
たどり着けなければ次の日の朝いちの日本行きに乗れない。
乗れなければその日のライブに間に合わないのだ・・・
北京に着いたら1本打ち合わせを入れていたが、
その相手から不吉なメールが・・・
「北京は今晩豪雨らしいよ。帰って来れるの?」
慌てて北京に電話をするがまだ降ってはいないらしい。
ワシは数日前の機内に5時間缶詰事件を思い出した。
まあいい、乗ってしまえば5時間待とうがどうしようが、
明日の朝までに北京に飛んでくれればいいのだ。
しかし長春空港に着く頃に北京からメールが来て、
予想通り北京が豪雨になったと言う。
カウンターでチェックインを行うが、
あいにくワシが乗る便は欠航となってしまった。
欠航ならばやりようがない。
そうこうしているうちに全ての北京行きが欠航となってしまった。
「天津行きの便はないのか?!!」
見送りに来た若い衆に探させるがあいにくそんな航路はないと言う。
「沈陽でも大連でも、北京に近いどこかの空港まで飛べないのか」
とにかく今晩中に近くまで行けば陸路で朝までに北京に着けるかも知れない。
しかしあいにく北京近辺の空港への便は全て欠航であるだけでなく、
また北京からの情報では、
豪雨のため空港だけでなく高速道路も全て閉鎖されているので
例えどこかに着いたとしても北京空港までたどり着けないのだ。
ならば空以外の手段はないのか?!!
今夜中に陸路で沈陽でも大連でもどこか最寄りの国際空港まで行って、
そこから朝いちの日本行きに乗ればライブに間に合うではないか。
クリニックツアー担当者のShaがいろいろ調べてくれるが、
結局列車も夜行バスも全滅。
今からではチケットは取れないし、
取れたとしても、
こんな北の外れの街から朝いちにそこまで行けるほど中国は狭くないのだ。
あきらめてまた吉林まで引き返して飲む!!

そうなのだ。
ここに来たら飲まずに帰るわけにはいかないのだ!!
地元のバーへも繰り出す。
そこは革命の頃のコンセプトバーで、
「日本人禁入(日本人入るべからず)」と書かれていたが、
バンドの連中がワシを見るや否やその看板を取り外し丁重に中に入れてくれた。
反日感情もどこ吹く風である。
楽しく飲んでたら上海の友人からメールが来た。
「上海経由で日本に帰る便が取れましたよ」
持つべきものは和僑仲間である。
中国人がこれだけ血眼になって探しても取れなかったチケットを、
上海の日本人がいとも簡単に取ってしまった。
帰り着くのは成田に17時。
(まあそれも順調に飛べばの話だが)
ライブに間に合うかどうかは神のみぞ知るである。
Posted by ファンキー末吉 at:06:29 | 固定リンク
2011年7月11日
全中国ドラムクリニックツアー2011年 山西省「晋城」
「20:50分の飛行機に乗って長治王村空港へ行け」
というミッションだけを頼りにそのわけのわからない空港に着いた。
預けた荷物のレーンがただひとつだけという、
昔の高松空港よりまだ小さい小さい空港だった。
迎えの車に乗せられて1時間強、
どこにあるのかiPhoneのマップで探してみると、
意外と今まで来た街の近くであることが判明!!
焦作、新乡、洛阳、郑州、濮阳、
そしてこの地図の下の方には平頂山もある。

山西省とは言っても省都である太原よりはむしろ河南省に近いのね・・・
もうこれぐらいたくさん中国じゅうの街に行ってれば、
何かHPにでっかい中国の地図か何かをUPして、
そこに行ったことのある土地をピンで止めてブログにリンクするみたいなことをやりたいが、
どなたかそんなシステムを作ってもらえんもんかのう・・・
今回のパール倶楽部はちょいと変わり種である。
聞けば地元の武術学校の中に属するらしく、
武術を習う子供達がドラムを習うという学校であると言う。
まあ武術もドラムも似たようなもんか・・・
とひとり納得しつつ、
その総本山は少林寺よろしくやはり「お寺」である。
「白馬禅寺」というこのお寺が総本山で、
つまりその和尚がこのドラムスクールのトップということになる。
まあ宗教も音楽も似たようなもんか・・・
とひとり納得しつつ、
当日はちゃんと偉いお坊さんや尼さんが最前列に座って見守る中、
神妙な心持ちでドラムをぶっ叩いた。
まあ宗教心が全くないワシにとって、
「音楽」こそが唯一の「宗教」である。
チベットなどに行って五体投地をする人々を見たり、
ラマ僧と問答をしたり、
純粋に宗教に身を投じる人々が与えてくれる感動は、
ワシの中では素晴らしい音楽を聴いた時に生まれる感動と似ている。
「人間、ここまで出来るものなのか・・・」
という驚きと畏怖と尊敬である。
思うにこういう宗教に携わる人達は、
いわゆる「経済活動」をしていないわけだから、
別に社会に対して「金を生んでいる」、
つまり生産的なことをしているわけでもないのだが、
人がその人達に対して自然と頭が下がるということは、
つまりその人達は「立派なこと」をしてるからである。
特に音楽業界の世知辛い人達と権利ビジネスの話でもめたりしていると思う。
「金があるから俺は人より偉いんだ」
とか、
「大きな会社に入っているから人より偉いんだ」
とかいう心ない輩に比べたら、
「ひたすら自分の音楽を追究する人間」
はもっともっと人に尊敬されてもいいのではないか、と・・・
まあいい、ワシはとにかく「ドラムを叩いてビール」が人生である。
開場はまた例によって超満員!!

しかしPA担当の現地スタッフは客が入って来ようが熟睡している(笑)
相変わらず門構えだけは豪勢で、
「お前ら外面を立派にする前に中身をまず何とかせーよ!!」
と突っ込み満載なところがまた「中国」である。
中国を好きになる人と嫌いになる人の境目は、
こういうことに「腹が立つ」か「笑える」かというところだと言うが、
なるほど外国で会う日本人は関西人が多いと思うのは気のせいであろうか・・・
ともあれドラムをぶっ叩き地ビールを呑む!!

「白馬王(BaiMaWang)」、略して「BMW」、美味であったぞ!!
Posted by ファンキー末吉 at:18:29 | 固定リンク
2011年6月13日
全中国ドラムクリニックツアー2011年 浙江省「永康」
永康という場所がどこにあるかよくわからない・・・
とりあえず指定された飛行機に乗って降り立ったのが杭州。
そこから車で2時間半。
まあ地図で見るとこんなところらしい・・・

まあ日帰り気分で行ってるけどちょっと遠いよ・・・(笑)
車の中で担当者の沙が耳打ちする。
「このパール倶楽部はうちの売り上げが断トツにいいんだ。
そこでお願いなんだが、
今日着いたらちょっと子供達にクリニックしてやってくんないか?」
全くもって本末転倒である。
もともと「クリニックツアー」だったのが、
今では「ひとりドラムコンサートツアー」になってしまい、
本来の目的であるクリニックをするのに悪そうに頼まねばならないという・・・(笑)
ネオンに出迎えられてパール倶楽部に着いた。
琴行というのは「楽器屋」という意味で、
このパール倶楽部では教室だけでなく楽器の販売もやっているらしく、
その関連でギター教室やらいろんな楽器の教室もあり、
おしなべ今まで行ったパール倶楽部の中では大きな方に属するだろう。
とりあえず翌日のドラムセットをセッティングし、
それを使ってドラムクリニック!!
終わって地ビール!!

つまみはザリガニ!!
・・・とここまではいつもと同じ感じで和やかに進んでいたのだが、
「それじゃあ明後日帰るまでに・・・」
などという会話にちょいと待ったをかけた。
「帰りは明後日ではなく明日ですよね!!
終わったらすぐ北京に帰るんですよね!!」
全くもって担当者の沙はその辺がいい加減である。
てっきりワシも自分と一緒にもう1日遊んで帰る気になっている。
「ダメですよ!!もういっぱい予定も入れちゃったんですから!!」
現地の老師は必死になって止めるが、
その日じゅうに北京まで戻らないと次の日に日本に帰れないのじゃ!!
帰れないとX.Y.Z.→Aのリハが出来ないのじゃ!!
こちらも必死で食い下がるが、
「飛行機は変更出来ないチケットです」
などといろいろな手で引き止めが入る。
最後には
「その日本行きのチケットこそ変更出来ないのか?」
と来る。
「そうだなあ・・・この位置関係なら上海発で帰った方が楽かなあ・・・」
などとアホな考えを頭から振り払い、
「列車はどうなんだ? 夜行列車で帰れないのか?」
などと聞いてみる。
中国は広い。
ここから北京までは列車で20時間はかかるのだそうだ。
結局は向こうが押し切られ、非常に残念そうにチケットを変更した。
もう残念を通り越して怒っているぐらいである。
「せっかくこんな所まで来て頂いて、
こんなチャンスは滅多にないのにこんなにすぐに帰っちゃうなんて・・・」
きっとたくさんおもてなしを考えてたんじゃろうな・・・
すまんね、きっとまた来るからね・・・
・・・というわけで翌日!!
今度は垂れ幕に迎えられて会場へ!!
高級ホテルの大宴会場!!
ドラム叩くにはちと豪華過ぎじゃないの?!!
まあ場所はどんなでもやることは同じである。
今回はこのパール倶楽部のTシャツを着て頑張って叩かせてもらった。

龍老師、いろいろありがとう!!
今度来る時は必ずもう1泊するよ。
ついでに杭州とかいろんなところも一緒に廻ろう!!
お世話になりました!!
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2011年6月10日
飛行機の中で5時間・・・
広東省と言えば香港の隣である。
最終日が終わって
「ちょいと足を伸ばして香港まで」
ということで広州からの帰りの便を一日遅らせてもらって香港に遊びに行った。
ところがお隣の深圳だったらまだしも、
広州からだとこれがちと遠かった・・・
バスで3時間、イミグレーション等の時間もあるのでおおよそ半日、
しかし交通費は190元(2千円ちょい)っつうのは安い!!
香港は冷房がキツい。
外は死ぬほど蒸し暑く、部屋の中に入れば凍えるほど寒い。
これで風邪引かん方がおかしいじゃろ!!!
というわけで、一日遊んで帰る頃にはもう鼻声・・・
行きはバスだったが列車に乗って広州まで帰って来た。
昼の14時過ぎの列車に乗って16時過ぎには広州駅に着く。
広州駅から空港まで結構距離があると聞いていたので地下鉄に乗り、
予定時刻の17時過ぎにはもう空港に着いている。
ここまでは順調!!
時間通りに飛行機に乗り込む。
そしていつものようにこてんと寝る。
疲れている時はそのまま着陸するまで起きないこともあるが、
まあだいたいは食事が運ばれて来て目が覚める。
腹が減ってないので断ってまた寝ようとしたが、
何か周りの雰囲気が違う・・・
まだ離陸してないやないの?!!
到着地の北京が雷雨のため飛び立てないと言うが、
それにしても先に食事を配るということは、
その片付けの時間を計算してもあと当分は飛び立たないということだ。
まあ中国では飛行機の中で携帯なんぞ当たり前なので、
とりあえずiPhoneの「インターネット共有」で、
パソコンをiPhone経由でネットにつないで仕事をする。
同時につぶやきながら日本のみなさんにウケを取る。
CA130219:25発の飛行機は22:40分には北京に着く予定だったが、
気がついたらずーっと座っててそのままもう到着時間を過ぎているではないの〜
などなど・・・
この時点で機内で3時間閉じ込められてしまっているのだ・・・
機長のアナウンスでは、
「荷物を預けてない人はフライトをキャンセルして降りてもかまいません」
と言うが、ワシは預けているのでどうしようもない。
不思議なことに乗客は誰も騒ぎ出したりしないことである。
中国人は不思議である。
協調性がなく自分勝手で列に並んだりしないくせに、
このような時には誰も騒がない。
例えばトローリーバスが故障して動かなくなった時、
「しゃーないなー」とばかり乗客は一致団結してそのバスを降りて押したりする。
思うに「どうしようもない事態」に日本人よりも慣れているのであろう。
所詮ここで騒いだって飛行機が早く出発するわけではないのだ・・・
4時間が過ぎて機長もさすがに、
「荷物がある人もフライトキャンセルして降りたい人は乗務員に申し出て下さい」
と言う。
ついでに
「もう夜も遅いし、荷物を取り出すスタッフも大変なんでバラバラに言わないでよ」
などと日本では考えられない暴言を吐いているが、
それに怒り出す乗客もおらず、
誰ひとりとして降りようともしない。
ツイッターでは
「もう降りてとっとと休めば」
というアドバイスが多かったが、
「ここで降りたら負け」みたいな意地もあるし、
何よりも誰も降りてないんだからちょっと降りるのは勇気が要る・・・
結局5時間が経過した後に機長はついにこうアナウンスした。
「この飛行機は飛びません!!みなさん降りて下さい」
これに文句を言う乗客もおらず、
みんな別に平然と飛行機を降りてゆく。
面白いのでツイキャスで配信してみた。
日付のスタンプを見るに、日本時間1時50分。
こんな夜中だというのに30人の物好きさんがこれを見ているというのが驚きである。
飛行機を降りたはいいが誰も何も案内しない。
こうなると航空会社の問題になるので、
空港スタッフに詰め寄ったところで何の解決にもならない。
他にも何機か飛行機が欠航となったので空港は人で溢れている。
それを順次ホテルに連れてゆくんだから大変である。
しかし問題はそれを誰も案内しないことである!!(笑)
結局誰も案内せずにホテルに着いた(笑)
さすが中国人、誰も並ばずに我れ先にチェックインする。
「ふたりで一部屋ですよ!!」
とカウンターで言われるが、
ワシはひとりなのでどうすればいいの?
結局カギを渡されて、
「後で相部屋の人が部屋に行きますから」
ということだった。
「相部屋の人が怖いオッサンだったらイヤだなあ」
と思いながらシャワーを浴びて、
とりあえず全ての電子機器をコンセントにつないで充電してる時にドアが空いた。
バタン
ワシを見たその人はびっくりしていきなりドアを閉めた!!
向こうにとってはワシこそがその「怖いオッサン」だったのだ・・・(笑)
「ふたりで一部屋ですからね」
と優しく言って部屋に招き入れ、そのまま知らない人と寝た(苦笑)
翌日はまた何の案内もなくいきなりドアをノックされて起こされる。
そのまま何の案内もなく空港に連れて行かれ、
何の案内もなく代替え便を自力で探して乗って北京に帰った。
結局香港の鉄道駅に向かおうかなと思ってから
ちょうど24時間後にやっと北京に着いたわけだ。
あまりに嬉しかったのでツイキャスで日本のみなさんをワシの院子に案内した。
おしまい!!
Posted by ファンキー末吉 at:08:33 | 固定リンク
2011年6月 7日
ドラムを教えるということ・・・
こうして全中国をクリニックツアー(もう既に「コンサートツアー」となってしまっているが)で廻って、
全国各地のいろんな老師(先生)達と会う。
「僕は北京でドラムやってたんだけどやめて田舎に帰って、
全然違う仕事についたんだけどやっぱ音楽のそばにいたいと思って、
それで脱サラしてドラム教室始めたんだ」
という老師もいれば、
「ドラムなんか叩いてて金になりますか?
生徒集めて教室やった方が全然儲かるじゃないの!」
という老師もいる。
人それぞれである。
ワシはもちろん前者の老師の方が個人的には好きだが、
まあ人の人生である。ワシがとやかく言うことではない。
日本では有名ドラマーがモニターとなってドラムの売り上げに貢献するが、
中国ではこの老師たちがモニターとなる。
それはパールドラムの中国の代理店である中音公司の、
そのドラム担当である沙が考え出した中国ならではのシステムである。
「有名ドラマーをモニターにしたって、
若い衆は必ずしもパールドラムを買うとは限らない!!
先生をモニターにしたらその生徒は必ずパールを買うではないか!!」
という発想で始めたそうだが、
まあ今のところはそれが中国マーケットでは成功してると言えるだろう。
そして、日本のドラム教室はロックをやりたい若者が習いに来たりするが、
中国ではピアノなどの習い事と同様その生徒のほとんどは子供である。
ロック好きには時々、
「あいつのどこがモニターに値する腕がある?!!
あんなのは子供騙して金にしてるだけじゃないか!!」
などと言うやつもいるが、
ワシは決してそうは思わない。
「いいドラマーが必ずしもいい先生とは限らない」
そしてその逆もまた真なのである。
まあ稀には菅沼孝三のように
世界的なドラマーでもあり教室をいくつも持つ優秀なドラム教師でもある人もいるが、
ワシはと言うとやはり根気がないのか「人に教える」というのはからっきしである。
ある時、院子に若いドラマーがワシを訪ねてやって来た。
「僕は今までドラムを練習して来てわかった。
僕が伸び悩んでいる原因はいい老師と巡り会わなかったからだ!!
高名なファンキーさん、お金はいくらでも払います。
是非僕を弟子にして下さい!!」
ワシは聞いた。
「君はどうなりたいの?」
「決まってるじゃないですか、あなたのようになりたいんです。
国内の大きなコンサートは全部僕が叩き、
レコードは全部僕が叩き・・・」
無理〜!!!!
更にこう聞いた。
「じゃあどんな音楽が好きなの?」
「何でも好きです。ロックもジャズも・・・何叩いたっていいです!!」
ワシはこんこんと言った。
「お前は決して音楽が好きなわけではない。
金儲けが好きなだけだ。
本当に音楽が好きなら俺と一緒にここで住めばいい。
1年も一緒に住めば俺から学べることはいっぱいあるぞ!!」
まあ住んだとしてもだいたい数日で泣いて逃げてゆくだろう。
酒飲んで毎晩さんざん説教されてスティックも握らせてもらえないんだから・・・
日本の職人気質に、
「お前はまだ料理の心を知らん!!
包丁を持つなんて10年早いわ!!!」
みたいなのがあると聞くが、まさに「ドラム道」だとてそれだとワシは思う。
不思議なことにドラマーにはひとりもいないが、
ベースの韓陽、キーボードの張張などはワシから巣立って行って、
今では若手で一番仕事の多いミュージシャンのひとりとなった。
ワシから「音楽とは何か」、「仕事とはどうやってするのか」、
など、まさにワシの生き様からモノを学んだのだ。
全くもってワシはいい「先生」ではない。
ワシが教えられるのは「生き様」であって「ドラム」ではないのだ。
今回非常に熱心な老師がいて、何かと言うとワシに質問する。
「ファンキーさん、
やっぱシングルストロークはテンポ200まで練習しないとダメですよねえ」
菅沼孝三だったらそこで的確なアドバイスが出来るだろうが、
そんな「基礎練習」とやらをやったことのないワシは、
非常にバツが悪いのではあるが「知りません」と答えるしかない。
テンポ200でツーバスを踏むこともあるが、
それは「その楽曲をどうしても演奏しなければならない」ので
単に死にもの狂いで叩いているだけである。
ただ「プロ」として、「大人」としてそのことに「責任感」があるから、
テンポ120の時と同じようにヨレずにモタらずに、
また絶対にくじけて音量が下がったりしないように、
とにかく「負けない」、「誤摩化さない」で人生を賭けて戦っているだけのことである。
これで負けたらワシのドラム人生はその時点で終わりなのである。
そしてその日、教育熱心なその老師はひとりの子供ドラマーにドラムを叩かせて、
それをワシに聞かせてこう言った。
「どうです、この子は? 上手いでしょ? この子の前途をどう思いますか?」
そんなことを聞かれて
「うん上手いですねえ、頑張りなさい」
以外に一体何を答えてやればいいのだろう・・・
前途も何も、これら数多くの子供ドラマーのうち、
大きくなってもまだドラムを叩いてる子はほんの一握りなのだ。
またそうなったとしてもどうせ今と同じように伴奏に合わせてドラムを叩いて、
一番うまくいったところでこの老師たちと同じように、
また同じような子供達を集めてドラム教室をやっているといったところである。
ドラム教師が悪いと言う意味ではない。
今まで行った中で大きな教室では生徒が600人以上いる。
ひとりが2000円ずつ月謝を払ったとしても月収100万円は下らない商売なのだ。
その昔、17歳でバリバリに叩きまくる女の子ドラマーのDVDを見たことがある。
その娘も今では先生となって北京で教室を開いている。
「どうして私にはファンキーさんのような音楽の仕事が来ないのでしょう・・・」
呼び出されて相談を受けた時にワシはこう答えてあげた。
「そりゃそうだよ。生きて来た世界が違う。
あんたはいつもひとりでドラムを叩いて来た。俺はずーっとバンドをやって来た。
それだけの違いだよ・・・」
多くの子供ドラマーは決して「音楽」をやっているわけではない。
ただ「ドラムを叩いている」だけなのだ。
その証拠に、もし最後まで決して「子供だ」ということを隠して、
果たして彼らの「音」が大人のそれと同じように通用するか?
それを聞いた人は同じように拍手をするか?
「それを聞いた人は同じように涙するか?」
と書こうと思って気がついた。
そもそも彼ら自身が本当に涙したことがあるのか?
「世の中はこんなにも矛盾に満ちている」と、
その「怒り」をドラムにぶつけたことがあるのか?
「世の中にはどうしようもないことがあるんだ」と、
その「悲しみ」をドラムで表現したことがあるのか?
彼らにはその表現すべき「人生」がないのだ。
ワシは老師達にはよくこう言って話を誤摩化す。
「まあ彼らが大人になって、初恋でもして失恋でもして、
その時にまだドラムを叩こうと思ってたら、
それが彼らの音楽へのスタート地点じゃないですか」
と・・・
そんな子供ドラマーの中に、
広州に住む日本人の男の子がいた。
前回会ってから時々メールをくれるのだが、
今回はちょっとメールの内容が大人びていた。
「先生のドラムを聞いてドラムの素晴らしさを実感した」
ワシはちょっと興味を持って彼を食事に誘った。
身体も大きくなってもう中学2年生だと言う。
同じような質問をする。
「君はどうなりたいの? 何をしたいの?」
少年から今までどんな中国の若者が答えたのとも違った答えが返って来た。
「どんどん音楽が好きになって来て、だんだんこんな風に思って来たんです。
出来たら将来もずーっとドラムを叩いてるか、
もしくは何か音楽に関する仕事について僕はずーっと音楽のそばにいたいって」
彼ははもう入り口まで来た。そこからが「音楽」のスタートだ。
別に音楽は他の仕事をしながらでも出来る。
高校行ってバンドをやるもよし、どっか大学行ってバンドをやるもよし。
「君のその夢は必ずかなうよ」
日本の高校に行くことになったら、
家もそんなに遠くないというから、うちの店でアルバイトでもすればいい。
うちに出ているいろんな素晴らしいミュージシャン達の生き様を見て、
そこから何かを学んで自分の生き方を考えればいい。
貧乏さえ苦にしなければ、一生音楽と共に生きてゆくなんて簡単なことなのである。
「僕は音楽で僕の気持ちを伝えたいんです」
と彼は言った。
果たして10年後、彼が本当に音楽をやり続けているかどうかはわからない。
その「伝えたい気持ち」を別の仕事で表現してたとしても別に構わない。
彼の音楽は・・・つまり彼の「人生」は今始まったばかりなのである。
今からどんな「人生」を作ってゆくのか、それこそが彼の「音楽」なのである。
また広州か、八王子で会おう!!(笑)
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2011年6月 6日
全中国ドラムクリニックツアー2011年 広東省「佛山」
佛山は以前来たことがある。(こちら)
「ロックの街」というイメージがなかったこともないが、
中国のTwitter「微博」でワシを見つけた主催者がメッセージを送って来た。
「ファンキーさん、この街がどれほどクレージーか経験して頂きましょう。
あなたのポスターは街中のいたるところ、
バスやタクシーの中にも貼られ、
このドラムフェスティバルには何百人の人間がやって来ることでしょう。
街を歩けばサインをねだられ、
サインのしすぎでドラムが叩けなくなるかも知れません!!」
そんなに凄いんか?!!と思いつつ返事を書く。
「そりゃ体力を蓄えとかないかんですな。
終わったらぱーっとビールでも飲みましょう!!」
そしたら凄い返事が来た。
「ははは、こちらでは1トンのビールを用意してお待ちしてます!!」
何つう街じゃ!!!
というわけで佛山に到着!!
いつものことながら暑い!!!
言われた通りいたるところでポスターを見かけた。

まあポスターを見るに、
「第一回佛山ドラム芸術フェスティバル」
ということらしい・・・
昨日の例があるので早くから来てドラムのセッティングをする。
場所はショッピングモールの広場、野外である。
暑い!!・・・くらくらしながらセッティングが完了!!
奥内に退避!!!
まったく6月でこれなんだから7月、8月になったら殺人的な暑さであろう・・・
退避はしたが、
担当者の沙はメシ食って地元の人と延々ダベリながらワシをケアもしない。
聞けば地元のパール倶楽部の苦情を聞いているようである。
後でまとめて触れたいと思うが、
ドラム教室をやるというのは言わば「商売」である。
この主催者はちょっと「商売」が過ぎたようである。
まあワシには関係ない。
ショッピングモールで買い物をして時間をつぶしたりして過ごす。
ホテルにチェックインして夜に会場に戻って来たら、
バンドがいーっぱい出ていてそこはもうロックフェスティバルであった!!
そうか・・・今日はロックフェスティバルのトリの演奏で呼ばれたんだな・・・
とステージ袖で気合いを入れる。
しかし気がついたらステージ袖では誰もスタッフがいない。
担当者は「暑い」ということで奥内に退避し、
主催者は自分もバンドでドラムを叩いたりしてるのだから、
一体ワシは大体何分後にステージなのかが皆目分からない。
仕方がないので司会者が降りて来たら捕まえて聞いてみる。
そもそも進行を一番理解しているのは司会者なのだ・・・
司会者が言うには「あと4バンドだよ」ということで、
ステージ袖で気合いを入れながら待つのだが、
警備もへったくれもないステージ袖には若者やらガキやらおばはんやら、
わけのわからん連中がひっきりなしでやってきて写真をせがむので、
出番前のコンセントレイトもへったくれもない。
バンドの入れ替えの時に逃げるようにステージに上がり、
自分のドラムセットのセッティングをチェックに行く。
「絶対にセッティングを変えるな」と言ってあるので、
セッティング自体は変わってないのだが椅子がない。
聞けば他のドラムセットで使っているらしい。
どうせ戻って来た時には違う椅子で、
せっかくセッティングした高さも違っているのだ・・・
そんなことでへこたれていたのでは中国でドラムは叩けない。
客の前でチューニングやセッティングをするぐらいなら、
客の前で椅子の高さを調節するぐらい屁のカッパ(死語)である。
主催者がやって来て「あとバンドひとつですよ」と告げる。
司会者から聞いてたのより少し早いが、
じゃあということでプログラムを走らせる器材の電源を入れに行く。
担当者の沙がやって来て主催者と何やら打ち合わせをしている。
聞けば終演時間が押していて、
ワシが叩き始める時間が既に終演予定時刻らしい。
ワシが心配することではないが、
野外なので終演時間は大切じゃろう・・・
ドラム叩き始めたら警察が来たなんてのはシャレにならんなあ・・・
と少々心が折れ始めるが、
それに負けてはプロとは言えない。
よし!!行くか!!!と思ったらまだバンドがステージに上がる。
「話が違うやん!!」と思いながらも我慢する。
中国でドラムを叩くのである、
警察に一度ぐらい捕まらなくては一人前とは言えないだろうと覚悟を決めて、
終演時間を過ぎた頃にやっとステージに上がる。
ショッピングモールの広場なのに客席は異様に盛り上がっている。
佛山・・・噂に違わずロックの街なのか・・・
と思いつつ1曲目終了!!
ロックバンドがメンバー数人で出すオーラを一人で出さねばならないので大変である。
橘高文彦を見習って必要以上に頭を振る。
大受けである・・・
我ながらいい演奏が出来ていると感じた。
これはひょっとしたら今日は「神の域」まで行けるかも知れんぞ・・・
と思いつつ2曲目に突入!!
ところがここでまたプログラムが止まる。
思い起こせば一昨日もこの曲でプログラムが止まった。
HDレコーダーなので、ひょっとしたらHDに傷がついてるのかも知れない。
そう言えばどっかでは演奏中に電源を抜かれたこともあるし、
これだけ持ち運んでるんだから傷ぐらいついても不思議ではない。
電源を落として急遽ドラムソロ!!
時間の関係もあるので3曲目にやるドラムソロをここで持って来て事なきを得る。
まあ事なきことはないのだが、
客はウケているようなのでよしとしよう・・・
いつもの3曲目は飛ばして4曲目!!!
と思ったらここでまたプログラムが止まった。
イントロで止まったのでどうしようもなく、
結局電源を入れ直してやり直し。
最後の曲でもまた止まってドラムソロでシメた。
どうしたのじゃ器材くん!!
もうワシと旅をするのがイヤなのか?!!
思い起こせば昨日は止まってないので、
一昨日と今日・・・共通点は「野外」であると言うこと・・・
機械のぶんざいで暑さでやられているのか・・・
短い付き合いじゃったがお前とはもうここまでかも知れんのう・・・
マッド大内がこの前店に持って来てたシステムが小さくてよさそうなのでそれに変えるか・・・
マッドさん、このブログ見たら製品番号教えて下さい。
Posted by ファンキー末吉 at:11:57 | 固定リンク
全中国ドラムクリニックツアー2011年 広東省「広州」
江門でしこたま飲んでバタンQ(死語)・・・
の後に次の日は午前中は現地のパール倶楽部を表敬訪問。
そこでまたわけのわからない質問をされてぶち切れたりしたのだが、
それはまた別の機会に触れるとしよう。
長〜い長〜い昼飯がやっと終わって車に乗っていざ広州へごー!!
・・・と言うよりは「行く」より「戻る」が正しいかな・・・
この日の会場は昼間は別のイベントで使っていて、
夕方5時じゃないと使えないというのでしばしホテルで待機・・・
ホテルから見た広州の街・・・ちょっとぞっとした・・・
ゴミゴミしていて、まるで香港と北京の悪いところを足して増幅したような街である。
過去に何度か来ているが、
タクシーでボラレたり、うんこするのに公衆便所でボラレたり、
とてもじゃないけどいい街とは思えない。
まあでも「友達がいるところはいい街」である。
今回は前回来た時に友達になった龍一君が来ると言うので楽しみにしていた。
まあその辺はまた次の機会に書くとしよう。
とりあえずは8時に開演であるのだから
5時に前のイベントが終わってバタバタとセッティングをして
8時にクリニック(Drum Show?)始めればそれでいい!!
しかしホテルで待てども待てども誰も呼びに来ない!!
やっと呼びに来たのは7時である!!
「前の公演が押したから」
と言うが、8時から「ワシの」公演が始まるのである!!
7時に呼ばれたって間に合わんじゃろ!!
まあ別に間に合わんでも中国人は別に困りもしなければ何の文句もない。
そんなことに目くじらを立てるのは日本人ぐらいである。
別に客の前でドラムをチューニングしたこともあるし、
もう今となっては何がどうであろうがあまり気にしない。
中国を大好きになる人と大嫌いになる人との分かれ道というのは、
「不条理なこと」に出会った時に、
それを「アホか〜」と笑い飛ばせるか腹が立つかの違いであると言われる。
ワシはそれで20年この国と付き合ってるので別に何とも思わない。
この国はこれで成り立っているのである!!!!
まあいい!!ワシごときが4000年の文化を語るのははばかれる。
要はこの日にワシの使命である
「ドラムクリニック」・・・いや、「ひとりドラムコンサート」が出来ればそれでいいのである!!
いや〜・・・人間やれば出来るものである。
ワシのドラム人生最速の15分でチューニングからセッティングまでやり終えた!!
しかしこれで喜んではいけない!!
15分で出来ると思われたら最後、
この国は「ああ15分あればいいんだな」ということで15分しか与えてくれなくなるのだ!!!
気をつけなくてはならん!!・・・と思いながら、
結局それが出来なければ仕事が出来ないんだから仕方がない!!
その試練は翌日も続く・・・
というのは置いといて、とりあえずドラムがセッティング出来たので、
あれだけ押してたタイムスケジュールのくせに、
いきなり巻いて始めよった!!!(驚)

ちなみに言わせてもらおう!!
後ろでしゃがんでいるのはPAエンジニアである。
「そんなとこにミキサー置いたって音作れんじゃろ!!」
と毎回いろんな現場で声を大にして叫ぶ!!
しかし何ともならない!!
彼らのいい分はひとつ!!
「そんな長いシールドはありませんから・・・」
まあいい!!ワシがやることはドラムを叩くことだけだある!!
そんな細かいことを気にしてても仕方がない!!
PAに頼ってどうする!!
ワシは武道館クラスまでだったら生音で届かせてやるぞ!!!
などと言いつつ、不思議なことにツアーなりやってると、
同じことをやってるのにある時は神様が降りて来るような演奏が出来たりする。
今回はちょっとその辺の域まで行けたような演奏が出来た!!
まあその後に大きくなった龍一君と語り合うのじゃが、
ワシが音楽をやってる目的はただひとつ、
「神の域まで行きたい」
ということだけである。
ところが人間なんだからどうやったって神様にはなれない。
だから「努力」と「偶然」を駆使して「神業」を目指すだけなのである。
その日に「神業」が生まれたかは文字通り「神のみぞ知る」なのだが、
器材のトラブルもなく、自分としてはなかなかいいレベルの演奏が出来たと思う!!
しかしそれは次の日の佛山の序章でしかなかったのだ・・・・続く・・・
Posted by ファンキー末吉 at:04:08 | 固定リンク
全中国ドラムクリニックツアー2011年 広東省「江門」
まったくもってこの仕事は行ってみるまで何が起こるか、
いや、どこへ行くのかもわからない!!
もともとは6月1日は徐州の予定だったのだ。
ほんの少し前に「ドタキャン」と言われ、
同時に3日も広州だと聞かされていた。
まあ北京行きのチケットは押さえているので予定通り5月31日に北京に飛んで、
そして広州に出発する前に
「4日も入ったから3、4、5日の3連チャンね」
と知らされる。
3日の朝に二日酔いのまま6時に起きて飛行機に乗る。
国内なのに飛行機で4時間かかるっつうのがもともと信じられん!!
日本まで帰り着けるやないの!!
というわけで広州に着いてそこからまた車で2時間。
「広州とちゃうの?」と聞くと、
「広州は明日、今日は江門、明後日は佛山!!」
・・・とそれだけである。
まあどこに行こうとやることは同じなので別にいいのじゃが、
とりあえずはどの辺に行くのかぐらいは知っておきたいということで、
iPhoneのマップを起動する。

ほうほう・・・このような位置関係なのね・・・
というわけで車の中でこてん・・・
会場に着いて起こされたらそこは野外ステージであった・・・
そう言えばこのVisionツアーが始まって以来の野外かも知れない・・・
もともと「ドラムクリニックツアー」だったのが、
今では「ひとりドラムのコンサート」になってしまっているので、
まあ野外だろうが何だろうが同じなのだが、
ところがこの広東省というところが暑い!!!
どのぐらい暑いかと言うと、
歴代で言うと第一位が広西省欽洲のWingのコンサート!!
これは暑かった・・・死ぬかと思ったが、
死んだのはワシではなく一緒に来た週刊アスキーの編集者であった・・・
きっとワシはこの灼熱の中で高速道路をマラソンしたので、
「それに比べれば」ということで大丈夫だったのであろう・・・
頭が完全にイっていた・・・
第二位は武漢!!これは暑かった・・・
キチガイ沙汰である!!クーラーからはひっきりなしに湯気が出てるというんだから凄い!!
今回が3番目に暑い!!と言っても広東省はまだマシだというわけではない!!
上記ふたつの街に行った時は7月と8月、
つまり今の6月なんかまだ全然「涼しい」方なのである!!!(驚)
いやー・・・あまりの暑さにクラクラしました・・・
またこんなに暑いのに客が集まります!!
これを見て、もう「クリニックでも何でもない」ということはお分かりでしょう!!
いつの間にやら「ドラムクリニックツアー」は、
「ファンキーひとりドラム全中国コンサートツアー」になってしまったのです(涙)
司会者がステージに上がって喋っているのを聞いて初めてわかりました。
今回は
「第三回南方ドラムフェスティバル、ゲストはファンキー末吉」
であったようだ・・・
まあいい、どこであろうと何であろうとやることは同じなのだ!!
ぐっしょぐっしょに汗をかきながらステージ終了!!
途中「7th Door to Heaven」でプログラムを流す器材がトラブったが、
まあすぐにドラムソロにして事なきを得た。
しかしそれは実は「事なきを得た」ことではなかったのだ・・・続く・・・
Posted by ファンキー末吉 at:02:37 | 固定リンク
2011年5月22日
全中国ドラムクリニックツアー2011年 河南省「焦作」
今回の移動は辛かった〜・・・
前の日やっちんのライブで、
えとーさんも来てたのでえとーBarではないけれど結局朝まで飲んだ・・・
そのまま5時半に出発して羽田へ!!
完全にまだ酔っぱらっとる・・・
北京に着いたのが昼の12時、まだ酔っぱらっとる・・・
とりあえずスタジオ仕事で2曲ドラムを叩いた頃にやっと酒が醒め、
夜はちとラムしゃぶなんぞを食べてから最終の飛行機に飛び乗って鄭州へ!!
今回行く「焦作」という街は、
鄭州から車で1時間、前回行った新郷からも1時間だということだ。

飛行機が遅れ、結局ホテルに着いたのは夜中の3時頃だった。
日本時間で夜中の4時、
昨日はまだやっちんとえとーさんと飲んでたではないか!!!
爆睡・・・
昼頃起きて水野美紀さんと連絡を取る。
どうも撮影かなんかでこの近所にいるらしいのだ。
「おんけん」と言ってたので調べると、
焦作の南に方にある「温县」というのがそれではないか・・・
この広い中国で、同じ日に同じこんな田舎町にいるなんて何かの縁である。
ドラムクリニックが終わったら訪ねてゆく約束をする。
こんな片田舎で美女と会いに行こうというのだから気は焦るが、
まあ毎度のことで会場設営やらセッティングは遅々として進まない。
3時半から始まるというのにドラムが来たのは3時前、
客はもう入って来とるがその前でチューニングをする。
もう慣れたもんである(悲)
ついでにサウンドチェックも客前でやってしまう。
まあシステムとしてはモニターとかに一切頼らず、
外音がどうであろうが自分とこでは完璧な状態で演奏出来るように作ってあるので、
まあ外にちゃんと音さえ出てたらそれでいいというシステムである。
しかし始まってみれば最初の曲の半分ぐらいは音が出てなかったのじゃが・・・
まあ前半はドラムソロだったと思ってて下さい(笑)
ちなみにオープニングアクトは隣街新郷から来てくれたお子ちゃまバンド。
今まで見たお子ちゃまバンドの中で一番可愛かったなあ・・・
ちなりにオリジナル曲をやってました!(驚)
なんじゃかんじゃでいつものようにライブは終わり(笑)
サイン会!!
ライブ終わりで車飛ばして1時間、
水野さんが撮影してる街に来ました。
聞けばNHKの番組でこの温県という太極拳発祥の地で太極拳を習うというドキュメントらしい。
日本人のスタッフばっかりだったんで、
差し入れの味噌汁やらふりかけやら全部置いていきました。
みなさんあと数日ロケ頑張って下さい!
私は朝5時起きでまた移動頑張ります(笑)

Posted by ファンキー末吉 at:16:59 | 固定リンク
2011年4月25日
全中国ドラムクリニックツアーの特番
仕事をしようと思って何の気なしに中国のサイトで「Funky末吉」と検索したら
出るわ出るわ自分の映像・・・
X.Y.Z.→Aのもあるが、
そのほとんどは全中国ドラムクリニックツアーである。
中にはサウンドチェックをUPされてたりして油断もすきもあったもんじゃないが、
こんな映像を見つけてつい見入ってしまった。
あったあった・・・こんな場所・・・忘れもしません・・・どこやったっけ?・・・
何せもう何十都市も行ってるのだ。
とっさには思い出さないが、
この服を見るに非常に寒かった!!
きっとここだろう。
そう言えば先日、黒豹の連中と会った時、
「俺たちが行くところ行くところ"Funkyが来たよ"って
お前は一体何をやってるんだ?!!」
と言われたことがある。
今年も5月からまた始まる・・・
うん、これでいいのだ!!
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2010年12月18日
全中国ドラムクリニックツアー2010年 江蘇省「揚州」
北京では結局朝のレコーディングが終わったらヒマになってしまった・・・
昼から飲んで、夜汽車に乗る前にもがんがんに飲んでそのまま寝台車でしこたま寝た。
一晩気絶して、着いたらもう揚州である。
日本に「揚洲商人」というラーメンチェーン店があるが、
「揚州ラーメン」というのは厳密に言うと存在しない。
揚州の名物と言えばチャーハン、「揚州炒飯」である。
腹ごなしをして会場へ・・・しかしそこは・・・
体育館であった!!!!
こりゃ明らかにもうドラムクリニックの会場ではあるまい・・・

サウンドチェックをするのだが、
何やら北京からバンドまで呼んでいるようである・・・
弥藏楽隊・・・
こちらの方をメインアクトにしなはれ!!
ワシはドラムひとりなの!!
客を煽ることも出来なければただひたすらドラムだけ叩いとるんやから!!
というわけで本番前に会場に入ったのだが・・・

この会場がほぼ満杯になっているところが恐ろしい・・・
この人達・・・何が面白くて日本のドラマーのクリニックを見に来てるのだろう・・・
少々胃に痛みを感じつつとりあえずステージを見る。

オープニングは子供達の演奏・・・これはいい!!
過去の記憶で一番華々しかったのは徐州だったと思うが、
規模はこれよりは小さくても方向性は同じである。
ところがその後の出し物で演劇が出て来たのには頭をかしげた。

どこの世界に「ドラムクリニックに来てくれ」と呼ばれて、
来てみたらその前に演劇をやっているというシチュエーションがあり得るのだろう・・・
この頃から胃がちくちくと痛くなって来る。
アイドルコンサートのごとく光り物を手にしたオーディエンスを、
ワシはひとりドラム叩いてどう盛り上げろと言うのか・・・

だいたいドラムひとりでステージに上がるというのが間違っとる!!
キーボードだドラムだっつうのは基本的に動けんので目線が変わらず、
数曲で客は飽きてしまう。
それはもう何十カ所もクリニックツアーを廻って、
どうなれば子供が飽きて遊び出すか身をもってよく分かっている。
過去一番大きかった会場は貴州省の田舎町である。
1200人余りの観客がドラムひとりの演奏にどう反応していいかわからず、
地元の人間が立ち上がって手拍子をしようにもリズムが難しく叩けず、
ロックファンがヘッドバッキングをしようにも変拍子で頭振れず、
結局1200人が盛り上がれずに終わったのを覚えている。
ワシはここで強く言いたい!!
「ワシは客を盛り上げるために来てるのではない!!
ドラムを教えに来ているのじゃ!!!」
この時点ではワシは本当に強くこう思っていた。
ドラマーひとりしかいないのだから、
そりゃリズムも複雑にするし、
演奏曲もドラマーがうなるような難曲を用意して来る。
アイドルコンサートを見に来るつもりで来て盛り上がれるわけはない!!
演劇がまた始まった・・・
なんか音楽があっては演劇がある。
また客席がその演劇で非常に盛り上がっているのが胃が痛い・・・
しばらく悩んでいたのだが、
ワシの出番の前にステージに上がった弥藏楽隊・・・を見て思った。
しょせんこの客は何でもいいのである!!
演劇であろうがバンドであろうが子供のドラムであろうが、
楽しければ拍手をし、嫌であれば帰る。
ただそれだけの客なのである。
人を感動させるとは何か?
ワシは芸能ごともいろいろ勉強させてもらったからいろいろ出来る。
こんなシチュエーションでどんな風にやれば持っていけるかの手法論もいろいろ持っている。
しかしワシは日本では今だに「芸能人」として見られているところは多いが、
ここ中国では少なくとも「ドラマー」でしかない。
ワシはドラムを叩いてなんぼなのである!!
弥藏楽隊は盛り上がってアンコールまで来ている。
基本的に歌もなく、ドラマーひとりがやっているパフォーマンスで彼らにかなうわけはない!!
しかしワシはドラムを叩きに来てるのである!!
ワシがドラムを叩いて、どんな客であろうと観客がどっちらけになったとしたら・・・
それはやはりワシが悪いのだと思う。
とどのつまり「人を感激させる」ということは「人間力」の成せる技である。
ワシのパフォーマンスが弥藏楽隊にかなわないとしたら、
それは「ワシひとりの人間力が彼ら5人の人間力に劣っている」というだけのことなのだ!!
ワシは悟り切った心境でステージに上がった。
客は結果・・・ウケた・・・
なんのこっちゃない・・・彼らは何でもいいから・・・「感動しに」来ているのだ・・・
終わってステージ袖の看板を見た。

「70年代80年代に生まれた人達が昔を懐かしむパーティー」
なんのこっちゃない。
ただの体育館コンサートのひとつの演目にワシが呼ばれていただけのことである。
このドラムクリニックツアーももうすぐ足掛け4年になる。
最初の1年で終わる予定だったこのクリニックツアーも、
結局「次の年も次の年も」ということで毎年やっている。
パール本社の企画として始めたこのツアーが、
次の年から中国の代理店主導でまた始まったということは、
少なからずその代理店に「メリット」があるということである。
中国人が言う「メリット」というものは、
日本人のそれと違い、「メリット」であればその形はどんどん変わっていってよい。
これはもう「ドラムクリニック」ではないのだ!!
ファンキー末吉という「人間」が、
「ドラム」という楽器を使って「人間力」によって人を「感動」させる「パフォーマンス」なのだ。
それが少なからず関わりある中国人に「メリット」がある。
それだけのことなのだ!!
ワシは少なからずこのプロジェクトに魅力を感じている。
そのひとつはまずここが「外国」であること。
自国内でどれだけ「有名」でもその実力がない人達をたくさん知っている。
自分だけはそうなりたくないと昔から思ってた。
だから爆風銃がコンテストでグランプリを取っても、
「これはマグレで取れたんではない!!
来年顔も変えて名前も変えてエントリーしても必ずまたグランプリを取れる!!
これは俺たちの実力なんだ!!」
と思ってた。
だからプロダクションがアーティストよりも強い力を持つ「芸能界」に強い反発を持っていた。
ところがここは「外国」である。
自国でどれだけ有名であろうが外国に来てしまえば何の役にも立たない。
ワシは「スティック2本」だけでここで「勝負」しているだけのことなのである!!
もうひとつは毎回たくさんの子供達がワシと記念撮影をし、
サインをねだってゆくことである。

かれこれ数十カ所の街を廻って来た。
反日感情など会ったこともない!!
かれこれ数万人の子供達にサインを書いた。
北朝鮮でもそうだったが、
その国がどれだけクソっ食らえであろうが、
そこで暮らす子供達はどれも素晴らしい!!
子供に罪はないのである!!
日本のマスコミもあらゆる日本人も、
まだまだ中国人のことを理解していない。
世界第二位の経済大国となったこの国が、
ひょっとして世界を滅ぼしてしまうだろう危機感をそんなに持ってない。
ワシはこの国がいつか日本を巻き込んだ世界と戦争をするのかも知れないと思っている。
そんな予想が当たらないに越したことはないが、
北朝鮮だ中国だがもし日本と戦争したとしても・・・
その昔アメリカが日本と戦争をしてた時代・・・
Jazzという素敵な敵国の音楽に魅了された日本人が、
売国奴と呼ばれる危険性をものともせずに、
ラジオから流れるチャーリーパーカーを譜面に起こしていた・・・
そんな時代が日本にだってあったのだ。
平和のこの時代に、中国が反感を持っている国のひとりのドラマーが、
中国人アーティストでさえ行ったことがないような街に行って、
ひとりでドラムを叩いて何もわからないその土地の人達を感動させる。
これは現在世界中の人間の中でワシしか出来ないことなのだ・・・
「今年最後に揚州を選んだのは何でかわかるか?」
中国側の担当者、沙泳江はこう言った。

「輪廻ってバンドの烽火扬州路って曲があっただろ」
アホの考えることである。
自分がやっていることは全て「ロック」だと思っている。
それに付き合っている日本のアホがいる。
だからロックは美しい!!
アホでなくてはロックは出来ない。
アホこそ世界を救うのである!!
来年も、再来年も・・・ワシとこのアホが生きてる限り、きっとこのツアーは続くに違いない・・・
烽火扬州路(轮回)
凭谁问,廉颇老矣尚能饭否!
千古江上英雄曾道寄奴曾住,
人道是舞榭歌台风流总被雨打风吹去.
斜阳草树,
寻常项末人道寄奴曾住
想当年金戈铁马气吞万里如虎.
权家曹操,封狼居婿,
赢的仓皇呀仓皇北顾
四十三年呀,望中尤记,
烽火扬州路,烽火扬州路.
可叹回首,壁里瓷下,
一片神鸦社鼓
可叹回首,壁里瓷下,
一片神鸦社鼓
凭谁问,廉颇老矣尚能饭否!
千古江上英雄曾道寄奴曾住,
人道是舞榭歌台风流总被雨打风吹去.
斜阳草树,
寻常项末人道寄奴曾住
想当年金戈铁马气吞万里如虎.
权家曹操,封狼居婿,
赢的仓皇呀仓皇北顾
四十三年呀,望中尤记,
烽火扬州路,烽火扬州路.
啊!!!
咽!!!
可叹回首,壁里瓷下,
一片神鸦社鼓
可叹回首,壁里瓷下,
一片神鸦社鼓可叹回首,壁里瓷下,
一片神鸦社鼓
可叹回首,壁里瓷下,
一片神鸦社鼓可叹回首,壁里瓷下,
一片神鸦社鼓
可叹回首,壁里瓷下,
一片神鸦社鼓可叹回首,壁里瓷下,
一片神鸦社鼓
可叹回首,壁里瓷下,
一片神鸦社鼓
呦呵!!!
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2010年11月14日
全中国ドラムクリニックツアー2010年 陝西省「西安」
西安は許魏を生んだロックの街である。
私は2006年に彼のコンサートで一度やって来ている。
その時に一番印象深かったのがイスラム寺院がある回民街。
ここは地元の人達にも絶賛のイスラムフードが食える街である。
西安空港で合流した沙泳江が
「空港から直でそこに行こう」
というので直行した。
夜来るのは初めてである。

敬虔なイスラムの店が多く、店内にはこんな看板が・・・

「とりあえず酒飲まずに何軒かハシゴして美味しいもん食べて、
それからどっかでビール飲もうや、な!!」
よっぽど食いたいものがあるらしい・・・

最初に入った店ではまずこれ!!
名物のチャーハンと羊肉串。
ビールなくて食うのってある種拷問なんですけど・・・

そして「これだけは何があっても食わないかん!!」
という「酸湯餃子」
辛くて酸っぱいスープに餃子が山ほど積まれている。
イスラムなのでもちろん豚肉ではなく羊肉である。
皮を箸で破ってスープと一緒に食す。これ絶品!!
また彼がこれをお替わりしたりするもんだから完璧に満腹。
いや、実は1軒目で既に満腹だったのじゃが、
酸湯餃子があまりにも美味しくて更に食ってしまったので撃沈しているのじゃ。
2日目は朝から全然腹が減っておらず、
昼過ぎに鳴って名物の「羊肉泡馍」
これは前回の許魏の時にも説明したので今回はパス。
ただこの「馍」が腹の中で膨れて半日ずーっと満腹感が続くという、
恐ろしく腹持ちのいい食い物なのじゃ。

会場に着いてばたばたとセッティング。
今回の会場は楽器屋の小ホール。
だいたい5時までピアノの発表会で使ってて6時から本番を始めようというのだから無理がある。
また客が入った!!

「今日は600人ぐらい来るよ」と言ってたがそんなにいるか?・・・
どの道各地の反日デモの人数よりは多いだろう。
各地のパール倶楽部、すなわちドラム教室の主催なので
そこの生徒である子供達が中心なのだが、
西安ではロック少年が多かったように思える。
許魏の出世作「時光漫歩」は「日本人ドラマーファンキー末吉」の出世作でもあるのだ。
許魏の音楽を愛して育った全中国の若者が、
政府の陰謀に加担して反日デモに駆り出される。
君らが愛する中国ロックは、このひとりの日本人ドラマーと一緒に作られたんだぞ!!
今日はそんな気持ちをドラムに込めて叩いたぞよ!!
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2010年11月 8日
全中国ドラムクリニックツアー2010年 江蘇省「徐州」
徐州の呉老師もほんとワシのことが好きなのか、
単に担当者の沙泳江のことが好きなのか、
山東省のツアーにも車を飛ばして遊びに来ている。
今回も車で迎えに来ると言ってたが、
列車移動になってよかった。
睡眠不足なのよ・・・
そしてその列車は何と寝台車!!
眠れるではないか・・・
しかし軟臥(特等寝台)ではなく硬臥(2等寝台)。
長い距離を走る列車なので既に誰かが寝た後・・・
硬臥(2等寝台)は3段ベッドで、渡された切符は一番下。
担当者の沙泳江は別の車両ということで
「くれぐれも荷物に気をつけろよ」
と言い残してとっとと行ってしまった。
荷物は大事じゃが睡魔には勝てず爆睡!!
終着駅ではなかったが早起きして無事に徐州に降り立った。
まず最初に連れて行かれたのが牛肉湯鍋!!

この牛肉スープが絶品で前回も是非連れて来たかったが閉まってたということである。

この絶品スープに焼きたてのナンを入れて食す!!

いやー絶品絶品!!
というわけで満腹のまま会場に着いた。

オーディエンスは子供達。

ワシはこの活動をもう「全中国青少年ロック化活動」と呼ぶことにした。
さてお決まりのドラム演奏とサイン会を終えて、
もう手ぐすね引いてたように打ち上げ!!
呉老師、ほんまにワシらのこと好きなのね・・・
まるで飲む理由を作るためにブッキングしているかのようである。
打ち上げ会場

いやーさすが呉老師!!ワシの好きな感じの店を知っている!!!
中国ってほんま高級な店になればなるほど不味いのよ。
現地の人が行くこのような店が一番美味い!!!
絶品だったのが羊の腸の激辛炒め!!

ビールが進むー!!って感じである。

鶏の血の煮こごりとか、変わったモノも食べられてご満悦だったのじゃが、
「よし!!次は羊肉串に行くぞ!!」
というのでぶったまげた。
この人達・・・どこまで食う気やろ・・・

また連れて行かれたここがワシの好きな感じ!!
こんなところで食う羊肉串は美味いに決まっている!!
羊肉串から羊のキンタマ、

最後には羊のおちんちんまで出たぞよ!!

いやー飲んだ飲んだ!!食った食った!!!
この日はこのまま夜汽車で北京戻り。
今回はハードなスケジュールじゃった・・・
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全中国ドラムクリニックツアー2010年 河南省「新郷」
今回のツアーは移動が過酷である。
「北京西駅6:50の列車に乗れ」
このミッションからツアーが始まる。
もともと田川ツアーで三井はんに笑かされて寝てない上に、
20年振りに会ったSと朝まで飲んでそのまま北京に来て、
そのままスタジオに入って映画音楽の仕上げをし、
次の日の朝5時半には出発せねばならないのだ。
もちろん同伴者はいない。
ひとりで現地に行かねばならない。
切符を見ると「北京ー新郷」となっているが、
乗った列車は「鄭州」行き。
この「新郷」というのがどの辺に位置するのかわからない。
寝たらあかん寝たらあかんと思いながら乗ったらすぐ熟睡・・・
目が覚めたところがどこなのか、
果たして乗り越したのか、あとどのくらいなのか皆目わからない。
iPhoneのマップで位置情報を検索しながら、
何とか新郷駅に降り立った。
迎えに来たのは平頂山の王老師!!
平頂山からは車で2〜3時間かかるはずなのじゃが、
王老師はただワシを駅まで迎えに来るためだけに車を飛ばし、
ワシを会場でもあるホテルに送り届けたらまた車を2〜3時間飛ばして帰ってしまった・・・
鄭州でのPairのライブにも来てくれたし、
ほんまにワシのこと好きなのね・・・(涙)・・・
さて会場はホテルの中である。
垂れ幕のワシの顔の大きさに表されてるように、
会場もかなりでかい・・・
数百人は入るであろうか・・・
各地で行われているという反日デモの人数より多いぞ・・・
元々のスケジュールは終演後に次の開催地である徐州の呉老師が迎えに来て、
夜走りで車で移動ということになっていたが、
予定が変わり列車移動ということでホテル泊まり。
新郷に着いてホテルに直行し、昼飯もここで喰い、
会場もホテルの中、終演後の宴会もホテルのレストランということで、
今回は何と一歩もホテルから出ていない。
お決まりの地ビール!!

地元名物羊肉煮込み!!
数ある料理の中でもおいしかったニラまん!!
たらふく食べていっぱい飲んで、
移動時間もいらないのでそのまま部屋で寝てたっぷり睡眠が取れる・・・
・・・と思ったら翌日は4時起きで出発のスケジュール・・・なんつうスケジュールじゃ!!
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2010年10月17日
全中国ドラムクリニックツアー2010年 重慶市
重慶は縁のある街である。
布衣のツアーでも来たし、BeiBeiのツアーでも来たし、
重慶雑技団の音楽でも来たし、
何よりも私が映画音楽を手がけて大ヒットした「疯狂的石头」は重慶を舞台にした映画だったのだ。
今回の行程は何と日帰り!!
朝7時の飛行機で重慶に来て、
2時間半かけて重慶に着いて、
セッティングしてライブやって、
そのまま火鍋食って8時半の飛行機で北京に帰る。
そんな行程である。
毎度のごとく着いたら知らない人が空港まで迎えに来てて、
車に乗せられて会場まで運ばれる。
何と今回の開場はライブハウスであった。
布衣やBeiBeiの時に演ったライブハウス。
重慶のロックの殿堂である。
会場には月末に来る布衣のポスターが貼られていた。

こいつらこんなにツアー廻るのかぁ・・・
スケジュールが合ったら一緒に行きたかったなあ・・・
さていつものこのクリニックツアーはパール倶楽部、
すなわち現地のドラム教室が主催するので会場は会館、
もしくは劇場などわりとお固い所が多かったが、
今回はロックの殿堂、しかも子供達のドラム演奏もなし!!
正真正銘の「ファンキー末吉のロックドラムコンサート」だった。
客も全て若いロック好きの男女、
雰囲気も既にドラムクリニックのそれではない。

メニューも急遽X.Y.Z.→Aのナンバーを増やし、ロック系にした。
客も大喜びである。
しかし4人のバンドや5人のバンドでここに来たが、
ひとりの方が客入るやん・・・
いや、それは言うたらいかん!!
これはパールドラムを広める布教活動、
タダやから来てくれてるんやと思とこう・・・
終了後はそのまま火鍋屋に駆け込む。
重慶に来たら訪れる地元の有名チェーン店である。

北京に帰っても「重慶行った」と言うと必ず「火鍋食ったか?」と聞かれるぐらい、
同じ火鍋なのに本場の味は何か違う!!
Live Bar X.Y.Z.→Aでも同じような火鍋を時々出したりもしているが、
我ながら「日本で一番本場に近い味」とは自負しているものの、
やっぱり本場のにはあとひとつかなわない。
「食は広州にあり!!味は重慶にあり!!」
と地元の人は自慢してたが、その通りかも知れない。
味の街、重慶・・・
この火鍋の味を越える日はまだまだ遠い・・・

Posted by ファンキー末吉 at:18:00 | 固定リンク
2010年9月27日
全中国ドラムクリニックツアー2010年 河北省「沧州」
もう「沧州」という所からしてどこかわからない。
聞けば河北省だというので北京からそんなに遠くないと思ってたら列車で2時間で着いた。
まあ日本で言うなら新幹線で2時間の名古屋みたいなもんか・・・

着いたらお決まりに現地の人と酒を飲む。
肴はこの辺の名物だという「麻辣火鍋鶏」。
こちらのパール倶楽部の先生から地元の若い衆から、
なんかちょいと偉い人からいろいろいたが、
またもや「中国ロック」の話で大盛り上がり!!
日本車の話とかいろいろ話題は出たが全部ぶっちする。
何せ自分の乗っている車のメーカーも知らないんだから会話にならない。
ワシは中国語教育を全く受けたこともなく、
独学で中国語を習得したんだからこの話題しか出来ないのよーん!!
まあ「中国ロック」に関しては「生き字引」のような人間である。
会話も大盛り上がりのまま酒宴も終え、
ホテルに帰ってこう思う。
「この土地でも友達が出来た・・・」
あの現地の人達の笑顔を思い出す。
「ファンキーさんはほんと、面白い人だなあ」
と笑うみんなに担当の沙泳江がこう言った。
「みんなまだドラム聞いてなくてそれだろ?
明日ドラム聞いたらぶったまげるからな」
今回も心してドラムを叩かねばならない。
早めに入ってチューニング・・・
それにしても日中間がこれほどもめている時に、
日本人名義の演奏会がこんなに大々的に行われているなんて不思議である。
この後ろの垂れ幕、今回は比較的小さなやつだったので、
持って帰ってファンクラブのプレゼントにしよう・・・
さて今日も命を懸けてドラムを叩いた。
「当年とって51歳!!」
といつものMCをぶち上げると客がいつものようにどよめいた。
なんか最近どうしてこんなことをやっているのかと考えることがある。
日本から飛んで来てとんぼ返りをすると完璧に赤字である。
現地で旨いものは食えるが、「趣味」としてはいささか「贅沢」である。
先日黒豹のドラマー「趙明義」と会った時、彼がこう言った。
「あんた一体何をやってんだ?
俺らが行くところ行くところ全部ファンキーさんが来たよ、って・・・。
名実共にあんた中国いち有名なドラマーだよ。
全国であんたのこと知らない人はいない!!」
別に有名になりたくてこんな活動をしてるわけではない。
お世話になっているパール楽器への恩返しもあるし、
何より51歳でこのドラムが叩ける人間が、
中国で「伝説」になろうとしているんではないかと人ごとのように思う。
まあ人生折り返し地点を過ぎて、
「どう生きるか」より「どう死んでゆくか」みたいな時期に差し掛かっている。
嫁よ、子よ。
パパは死ぬ頃には「ひとかどの」人間になっとるじゃろう。
お前達が困った時には中国じゅうの友達が手を貸してくれるぞよ!!
なんてことを考えながら今日も叩きまくりに叩きまくり、
恒例の打ち上げ!!

いやーみなさんワシのツボに入るような店をよー知っとるなあ・・・
ここは羊の脚焼の専門店らしく、
こんなもんが出て来た。
生でかぶりつきたくなるような新鮮な羊肉である。
それを回しながらこんがり焼いて、
焼けた部分から肉をナイフで削いで食べてゆく。
いやー新たな友よ、絶品だったぜよ!!
また来るきにゃ!!!
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2010年8月16日
全中国ドラムクリニックツアー2010年 貴州省「貴陽」から帰る!!
物事は考え方によって幸せにも不幸にもなる。
「無駄足」と考えると不幸だが、
「美味しいモノを食いに来た」と考えると幸せである。
いっぱいいただいた!!
憧れのマオタイビールに
名物の酸湯魚!!
今回はナマズでいただいた。
地元の米酒も飲んだし、名物の屋台街にも行ったし、
よく考えたら夜の7時ぐらいから夜中の2時ぐらいまでずーっと飲み食いしっぱなしで、
そのままバタンQ(死語)して朝になったらまた腹が減っている・・・
あれだけ食って飲んだもんはどこに消えたんじゃ?!!
(ワシの血となり肉となったに違いない・・・)
昼飯はミャオ族の料理!!
ミャオ族の娘が歌い、
酒を献じる!!
本当は今頃ライブをやってる頃なわけで
飲んでなんかいられないはずだったのじゃが、
昼から当初の予定の夜の便まで飲み続けると大変なので、
無理行って午後の便に変えてもらった。
この日のうちに上海に着いてないと次の日の京都のライブに間に合わないのだ。
飛行機に乗って爆睡しているうちに上海に着いた。
地元の若い衆を呼び出して三黄鶏の旨い店に案内させる。
上海名物数あれど、ワシが一番好きなのはこれ!!
足・口・皮が黄色い鶏のことで、皮や脂身がぷるんぷるんしてて絶品!!
これともうひとつ海陸空火鍋
(海はスッポン、陸は蛇、空は鳩を漢方薬膳で煮込んだ鍋)
を食いたかったのじゃが、
さすがに胃袋がグロッキー(死語)、
そのままキヨちゃん(Live Bar X.Y.Z.→Aの投資者でもある)の店に行って、
明太子で焼酎飲んだ。
いやー日本料理は胃に優しい!!
というわけでそのまま朝一番の飛行機で関空に飛び、
そのままRAGに入ってライブ!!
今回の行程は全てぎりぎりだったが、
どの飛行機も遅れることなく全ての行程を予定通りこなしたわけだ。
ただひとつ、目的であるライブがキャンセルになったこと以外は・・・
(それが一番大事なんちゃうん!!!)
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2010年8月15日
全中国ドラムクリニックツアー2010年 貴州省「貴陽」
貴陽にはもう3回目である。
1回目は2008年の布衣のツアー、
2回目はすぐにまたこのドラムクリニックツアーで来ている。
いや、正確に言うと、それの後に行われた興義のツアーの乗り換えでもこの地に降り、
名物の酸湯魚を食べているので4回目と言ってもいいかも知れない。
料理は辛くて旨いし、マオタイビールはここでしか飲めないし、
思い出深くていい街なのじゃがいかんせん遠い・・・
地図でいうとこんなところである。

また今回の移動が過酷である。
14日じゅうには貴陽に移動しておかねばならないので、
朝一番の上海行きをブッキングしてある。
8:55成田発というから6:55には成田に着いてなければならない。
始発の成田エキスプレスでも間に合わんのよ・・・
江川ほーじん山本恭司セッションが終わって考える。
はてさてどうやって成田まで行ったらいいものか・・・
そうだ!!ハゲのケンタロに乗せて行ってもらおう!!
というわけでそのまま4時半出発で運転してもらう。
ワシは後部座席で爆睡!!

成田からまず上海に飛び、乗り換えて貴陽に飛ぶのじゃが、
上海には成田と羽田みたいにふたつの空港があり、
着いたのは浦東じゃが出発は虹橋。
タクシーで行くと時間が読めないのでツイッターで現地の人に聞いてみると、
「リニアモーターカー乗って龍陽路で地下鉄2号線の乗り換えるのが一番早い」
ということでまずリニアに乗ってみる。
時速430kmで走るというが、8分で着くのでそんな乗ってた気がしない。
普通の新幹線みたいなもんである・・・
龍陽路で地下鉄2号線に乗り換える。
満員電車に揺られながら考える。
ワシはどうしてこんなことをやっとるんじゃろう・・・
1本だけのために北京からではなく日本から行って帰ると、
もらうギャラよりも日本からの渡航費の方がはるかに高いのだ。
銭金だけいうとこんな「仕事」はやらん方がよいのじゃが、
ワシはまだ北京に住んでない頃からずーっとこんなことをやり続けて来た。
だから中国での「今」があるわけだから迷わず今もそんなことをやっている。
しかしどんな辺鄙な場所にでも自分でチケット取って自力で駆けつけるドラマーが
世界広しと言えどワシ以外にいるのだろうか・・・
とか何とか考えながら虹橋空港から貴陽に飛ぶ。
これが遠いのよ・・・飛行機で3時間近くかかる国内線って・・・
山の中の小さな空港に着いた。
なんか懐かしい気がする。
数ある中国の地方都市の中で3度も訪ねて来るんだから何か「縁」があるのかも知れない・・・
「会場まで自力で来い」と言われることが多いが、
今回は北京の担当者が迎えに来てくれた。
そこでショッキングなことを聞かされる。
「ファンキーさん、悪い知らせです。
甘粛省の水害のため、突然政府が明日を哀悼日に定め、
全ての演奏活動を禁止すると通達しました。
つまり明日のドラムクリニックは中止です」
ワシはこんなに苦労してこんな遠い所まで何をしに来たのでしょう・・・
Posted by ファンキー末吉 at:09:58 | 固定リンク
2010年8月 3日
全中国ドラムクリニックツアー2010年 山東省「済南」
临沂から車で2時間ということだったが、
高速が大渋滞のため下道を通ったりして
結局6時間以上かかってやっと済南に着いた。
さっそく会場に向かう。
会場はホテルの大きな会議室ということだが、
入り口にこんな看板が・・・

そうかぁ・・・
ドラムクリニックなのに1000人も客入れたり、
今まで変だと思ってたのじゃ・・・
「Funky末吉の中国巡演」
つまりワシのコンサートツアーだったのか・・・
ま、いい!!どうせやることは同じなのだ・・・
セッティングが終わってホテルで休憩。
偉い人との食事も無いというのでゆっくり休ませてもらった。
ホテルが会場から歩いてすぐなので、
ステージ衣装に着替えて開始時間に会場に入る。
今回は司会者が子供達。
可愛くなごやかに会が進行する。
オープニングはお決まりのちびっこドラマー!!
ここで小さな発見!!
ちびっこドラマーも年齢が小さいほどいいドラムを叩く。
10歳を越えると課題曲も難しくなるのもあるけど、
きっと「上手く叩こう」とか雑念が多くなるんじゃないかあ・・・
無心に楽しそうに叩くちびっ子の方がいいドラムじゃぞ!!
などと考えてるうちに自分の出番が来た。
コンサートツアーなのだ、頑張って叩くどー!!
・・・と思ってステージに立って初めて発覚!!
ホテルにイヤホンを忘れて来た!!!
アホである。
同期の伴奏のクリックを聞くのにイヤホンがなければ曲ができんではないか!!
スタッフにホテルまで取りに行ってもらってひたすら喋る!!
喋っても喋っても間が持たないがまだ喋る!!

もう喋るネタも尽きて
「なんだ? 喋ってないで早くドラム叩け」
みたいな雰囲気になった頃やっとイヤホンが到着!!
ことなきを得てステージが始まった。

いやー冷や汗も一緒になって汗だくですわ・・・
というわけでお決まりの地ビール!!
この日連れて行ってもらったのは
ひとつの通りが全部串焼きの店という「烧烤街」
流行っている店では一夏に1000万円売り上げるというから驚きである。
地ビールの樽ごと販売もあり、
自分のテーブルに地ビールの樽を置いて、
自分で注いで飲むという素敵なサービスもあった。
済南よいとこ!!济南好地方!!
Posted by ファンキー末吉 at:13:24 | 固定リンク
2010年8月 1日
全中国ドラムクリニックツアー2010年 山東省「临沂」その2
昨日は結局飲むと食うしかしていない。
たったひとりで現地に来て、初めて会った人と飲んで食って、
そいで仲良くなって「また来てよ」と言われるのって、
ひょっとしてドラムを叩くよりも凄い才能かも知れない・・・
と思いつつもう昼飯である。
鶏肉が名物というので「美味しい」と絶賛してたら、
「じゃあ昨日のは辛く炒めたやつだったんで今日は煮込み!!」
というわけでその専門店に連れて行かれた。
鶏が一匹まるごと煮込まれとる・・・
だいたいライブ前の食事ではビールを飲めないのでワシはおとなしい。
食うだけ食ってセッティング!!
毎回毎回違うドラムを叩くわけだからチューニング等が大変である。
汗だくになりながらチューニングを終えるが、
サウンドチェックはまだ出来ない。
PAのケーブルが足りなくて取りに行ってるのだ。
このぐらいは慣れたもんである。
どんな環境でもドラムが叩けるように、
モニターにも頼らない、
外に音さえ出てれば形になるようにシステムを作っている。
なんじゃかんじゃで音が出るようになったらもう晩飯の時間である。
別に腹は減ってないが地元の偉い人と食事をせねばならない。
これも「仕事」なのであるが、
ワシはどんな過酷な移動もどんなドラム環境でもイヤだと思ったことはないが、
これだけは毎回・・・シンドイ・・・
だいたいこれが出番前に食うメシですか?!!!
だいたいワシは今日演奏する全ての曲は1年振りなのじゃ!!
もちろんリハーサルもやってないので、
せめて出番前にはVision Rocks等難しい曲はその構成ぐらい思い出す時間が欲しい・・・
偉い人は何とかワシとコミュニケイションを取りたいといろんな話題を振ってくるが、
ワシがそういう人とそんな会話を出来るボキャブラリーを持ってないのだ。
酒の勢いでも借りれば何とかなるかも知れないが、
あいにく出番前に酒を飲んだのではドラムが叩けなくなってしまう・・・
苦痛の時間がやっと終わって現場へ・・・
すると何とワシの顔がステージいっぱいにこんなに大きく!!!
だいたい1000人も入る会場でドラムクリニックをやろうっつうのが間違えとる!!
もうこれでは「コンサート」のレベルである。
演奏ナンバーを思い出しつつ汗だくで叩いてステージが終わった!!
お決まりの写真大会!!
まあいい!!
どんな楽しみ方をしてくれても、
要は楽しんでもらえればそれでいいんじゃよ!!
現地の人とも仲良くなったし、
「今度は家族連れて遊びにおいでよ」
と言われた土地となった。
そんな土地が中国にいくつもあるワシは非常に幸せもんだと思う。
Posted by ファンキー末吉 at:19:06 | 固定リンク
2010年7月31日
全中国ドラムクリニックツアー2010年 山東省「临沂」その1
今年もまた全中国ドラムクリニックツアーが始まった。
(突然ブッキングされるのじゃー!!)
メールで「7月30日朝8:10発临沂行きに乗れ」とメールされるだけである。
しかも南苑空港発という・・・
南苑空港?・・・
うちはいわゆる北京空港のすぐ近くであるが、
そこから車で30km以上ある小さな軍事用空港だという・・・
チケットが安かったのね・・・
まあ羽田の近くに住んでる人が
ラッシュの時間に調布空港に行けと言われるようなもんである。
5時起き・・・
小さな飛行機に揺られること1時間。
別に何があるわけではなく無事に着陸したが、
特筆すべきは機内食が素パンと水だけだった・・・

現地のパール倶楽部の人が迎えに来てくれた。
「今日のクリニックは何時から?」
と聞くと、
「クリニックは明日の夜だよ」
と言う。
じゃあ何故ワシをこんなに早く現地に入れる?!!
もしも飛行機が朝の便しかないのなら明日の便で十分間に合うではないか!!
そしたらワシはこの日は北京で仕事を入れられるのだ!!!
まあしゃーない!!
「当日入りでは大変でしょう。
早めに来て美味しいものでも食って酒飲んでゆっくりしていって下さい」
ということななのだ・・・
食う!!
この街には有名な河が流れていて、
そこで取れる河エビを中心に、名物の鶏肉、
そしてその鶏の足!!
極めつけは蝉!!!!
漢方薬にもなっており、身体によいと言うが、
お味のほどは・・・まあ別にどうってことない・・・
地元の人と延々3時間ぐらいロック談義を繰り広げ、
そのまま地元の偉い人との対談と取材に連れてゆかれる。
そんなんがあるんやったら早う言えよ!!

前の日は3時ぐらいまで飲んでてそのまま5時起きだったので
さすがにそのままホテルでバタンQ(死語)。
沙泳江から電話で目が覚めた。
考えてみれば担当者が夕方までやって来ずに、
ワシがひとりでやって来てもろもろ全てをこなしているんだから
このプロジェクトもおかなしなもんである。
晩飯!!
地ビール!!

寝る!!!!
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2009年12月21日
新全中国ドラムクリニックツアー湖北省武漢
去年で終わるはずだったこのクリニックツアー、
今年になって追加都市が増えたがその理由はふたつ。
ひとつは
「一度来てもらったが非常によかったのでもう一度来てもらいたい」
もうひとつは
「よかったと聞いてうちもやってみたい」
ここ武漢の状況は後者であった。
つまり彼らにとって初めてのこと、つまり・・・
仕切りが悪い・・・
5時半からだというのに
会場である武漢音楽学院の大教室はまだ前の人が使っているのである。
仕方がないので会場の入り口でチューニング・・・
いやー凄いです!!
写真はばしばし撮られるわ、
中に入れない子供は暴れてじゃまするわ・・・
5時半から始まる予定が、会場が空いたのが5時半、
急いでステージに運び込んでセッティング。
何と前代未聞!!ミキサー卓がドラムの後ろにある!!
地元のミキサーがタムとか全部にマイクを立てようとするのを制止、
「バスドラとオーバーヘッドだけでええねん!!」
マイク立てたってドラムの後ろで調節も出来へんやん!!
だいたいこのぐらいの広さやったらもともと生音で十分やし・・・
全観客の見守る中、1時間でセッティングを終え、イベント開始!!
オープニングナンバーは10人の子供によるメタルナンバー、
それにしても全国各地で課題曲にメタルがあるのは
きっと先生方がみんなロック世代であるからであろう。
いいことである。
なんじゃかんじゃで何とかイベントを終え、
お決まりの地ビールと地元の名産で打ち上げ。
「手数王が6月に来たよ」
と地元の人が言うので菅沼孝三にメールしたら、
「あ?あの小龍包のおいしいところね」
と返事が来た。
小龍包は上海の名物やのになあ・・・
と思ってたら地元の人が、
「もともとこの砂鍋料理も広東省の名物ですが、
武漢は中国のちょうど真ん中に位置するので
東西南北全ての料理がここでは食べられるのです」
と説明してくれた。
コーゾーくんは一日観光する時間があったそうだが、
ワシはもう次の日には日本に帰らねばならない。
「また来て下さい」
という地元のみなさんに
「夏は暑いから春か秋にしてね」
と言うと、
「ここは夏と冬しかありません。
食べ物がおいしいので今度は是非夏に!」
と笑顔で言われた。
50度を超えることもあるという中国最暑の夏を覚悟しておこう・・・
ところでこの新全中国ドラムクリニックツアーも今年はこれで最後だが、
来年からもまだまだ続くらしい。
湖南省や青海省、新彊ウィグル地区などまだ行ったことのないところをブッキング中だと言う。
今日、担当の沙永江が酔っぱらってこんなことを言っていた。
「みなさん、聞いてよ。
俺はな、めったに人を尊敬(中国語で崇拝と言う)したことないよ、
でもね、ふたりだけ俺が尊敬する人物がいる。
ひとりは崔健(中国ロックの創始者)、
そしてもうひとりはこのファンキーなんだ。
この数年一緒にいろんなところを廻って俺は尊敬してやまない。
だって50だぜ!!
俺なんか50になったら何やってるかわからないじゃないか」
アホはウソつかない。
ウソは頭のいいヤツだけがつくもんである。
とびっきりのアホにこう言われるとさすがに
「やってよかったなあ」
と思う。
ワシらの旅も来年、さ来年・・・
ワシがドラムを叩ける限り続くだろうと思った。
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2009年12月20日
やっと武漢に着いた・・・
中国で一番暑い街は、冬は逆にむっちゃ寒いらしい。
京都や熊谷がそうであるように・・・
ところが着いてみると意外と(北京に比べれば)暖かい。
聞くと「今日は珍しく太陽が出てるからさ」と地元の人は言う。
長江に面しているこの街では霧が発生し、
冬にこうやって太陽が出ていることは珍しいらしい。
北京のようにからからに乾燥した零下と違い、
ここの湿気の多いここの冬は零下2、3度でも体感温度は零下10度より寒いらしい。
「太陽もファンキーさんを歓迎してるんですよ」
と地元の人は言うが、
「太陽ぐらい歓迎してくれよ」
と言いたいほどのふんだりけったりであった。
ホテルで一休みして4時からセッティング、5時半から本番!!
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今度は搭乗券とパスポート無くした・・・
空港で物思う・・・ワシはなんでこんななんやろ・・・
四国を関西と呼ぶかは別にして、
関西圏の文化である「笑うて!笑うて!」という気質が備わってなければいいかげん生きてることさえいやになってしまう・・・
確か手荷物検査の時には搭乗券をパスポートに挟んで口にくわえてジャケットを羽織った。
それからトイレに行ってウンコした。
空港のトイレは院子のように凍えてしまうこともなければ洋式でちゃんと紙もあるので快適なのじゃ・・・
そして搭乗口でちゃんと武漢行きかをチェックし、
前回のように違う便だと困るので便名をチェックしようと搭乗券を探すが・・・
・・・見つからない・・・
どこで落とした?
トイレか?・・・
トイレまで探しに行く。
あいにくワシがウンコしたトイレは人が入っていたので出るまでずーっと待つ。
他のトイレは空いてるのにひたすらそのトイレを待つ。
人にいぶかしがられながらひたすら待つ。
トイレが空いた。
悲愴な顔で出て来た人に尋ねる。
「ワシの搭乗券とパスポート知りませんか?!!!」
トイレから出て来たらウンコもれそうな悲壮な顔でこんなこと聞かれるので
その人もびっくりして、
「いえ?見かけませんでしたけど・・・」
びびりながらかなり丁寧に答えてくれる。
トイレの清掃のおじさんに尋ねるが知らないと言う。
手荷物検査のところまで引き返して、
片っ端から尋ねてみるがどこにもない。
インフォメーションでも探してみるがどこにもない。
搭乗券はまだいい!!
いざとなれば武漢はぶっちすればよいが、
パスポートがなければとりあえず嫁の待つ日本に帰れないではないか!!
嫁にメールするとさすがに嫁も今度ばかりは慌ててる。
見つからなければもちろん武漢にも行けない。
いや、搭乗券を再発行してもらって行けるかも知れんが、
帰りに飛行機に乗る時にIDが必要なので逆に帰って来れなくなる。
大使館に届けてパスポートを再発行してもらって日本戻りの飛行機に間に合うのだろうか・・・
焦りながら手荷物検査から搭乗口のインフォメーションを全部尋ねてまわって、
最後に一番搭乗口に近いインフォメーションでこう言われた。
「29番搭乗口に届いてますよ」
ワシの乗る30番はまだ開いてないので隣の29番に届けてくれたのだ。
偉いぞ!中国人!!
中国人のことをワシはブログでいつも皮肉っているが、
ヤツら、根はみんないい人なのじゃ。
携帯は落としてもまず見つからないが、
パスポートや搭乗券は売り飛ばすことが出来ないのでちゃんと届けてくれるのだ・・・
ありがたや、ありがたや・・・
かくしてワシはまた先ほどと同じカフェの、
30番搭乗口が見える席でまたコーヒーを飲んでいる。
この一週間、リハとゲネプロと本番以外何もなかったが、
その代わりこの午前中でネタ満載である。
願わくば今日はこのぐらいにしてこのまま何もなく武漢までたどり着きたいものだ・・・
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飛行機乗り遅れたぁ!!!
ちゃんと時間通りに空港着いて、
ちゃんと時間通りにチェックインして、
ちゃんと時間通りに武漢行きの搭乗口の前のカフェでコーヒー飲んでた。
搭乗案内がアナウンスされたので並んで搭乗しようとしたら、
ピンポンとバーコードが警報音を鳴らした。
「この便はお客様の搭乗する便ではございません」
ゲゲッ!!じゃあワシの便は?・・・
「お客様の便はもう出発してしまってます」
な、な、なんと!!!
いくら何でも同じ航空会社でこんなに近い時間に同じ武漢行きが飛んでるとは夢にも思いませんでしたがな・・・
嫁にメールしたら
「またそんなことしよるし・・・
もう帰って来なさい!!」
そうそう、あれは関空やったなあ・・・
昼過ぎの便。
空港で寿司食って日本酒飲んで、
中入ってVIPラウンジでビール飲んで、
またタダやから言うて命がけで飲んでたなあ・・・
ふと目が覚めたら誰もおらん。
時計を見たらもう夕方。
何で誰も起こさへんねん!!!
今考えても不思議である。
VIPラウンジでは入り口で搭乗券を確認して
乗り遅れないようにするのが仕事ではないのか?!!
嫁は
「パパは酔っ払ったらなかなか起きんから」
と言うが、普通は起きるぞ?!
椅子に座ってうたた寝やぞ?!
「きっと起こすにしても身体に触れてはいけないとか規則があるのよ」
と嫁。
そんなアホな?!!
VIPラウンジの人全員でワシの周りを取り囲んで耳元でずーっと囁いてたのか?!!
結局その日は北京には帰れず、
もう出国しているので出口で「出国取消」のハンコを押されてとぼとぼと大村亭に帰った。
今回は国内線なので出国もへったくれもないが、
どうも荷物はその飛行機には乗ってないので
一旦外に出て荷物を取ってチケットを買い直さねばならないらしい。
どうやって乗り遅れた人の荷物を選別して下ろすのかが新しい謎である。
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2009年9月 7日
新全中国ドラムクリニックツアー河南省洛陽
録り終わったオーケストラの音を夜汽車で聞きながら
セルフ打ち上げをしたかったのじゃがあいにく間に合わず、
後はスタジオのエンジニアに任せて夜汽車に飛び乗った。
酒量は十分だったのですぐにバタンQ(死語)。
夜汽車に揺られること10時間、朝早くには洛陽の街に着いた。
洛陽・・・13の王朝が都を置いた歴史の深い街である。
すぐさま会場向かう。
いつものように自分のポスターに迎えられた。
いつものようにドラムのチューニングをして昼飯。
「洛陽菜是都帯湯的(洛陽の料理はどれもスープがついてくる)」
と言ってたので、ひとつの料理にひとつのスープがついてくるのかと思ったら違った。
全てがスープ料理なのである。
海鮮料理は海鮮スープになるし、
肉料理は肉スープになる。
まあこれだけバラエティーに富んだスープ料理が作れるもんだというほど凄い。
中でも一番おいしかったのがこれ!
おこげを団子のようにしたものにその場でスープをかける。
ジュッと言ってスープが弾け、
中がまだカリカリのおこげをピリ辛のスープと一緒に食す。
これがまた絶品!!
今回の会場は音楽学校の教室である。
まあまた日本から来たわけのわからんドラマーがドラム叩くだけで何故にこんなに人が集まる?・・・
地元の偉い人が言うことにゃぁ、
「今日は地元メディアが全部来てるぞ。
テレビだろ、ラジオだろ、新聞だろ、
洛陽でこれだけ大きなイベントは初めてだ。
お前はここではもう有名人だ、は、は、は・・・」
早い話、それをやってやったのは俺の力だぞ!と言いたいのだ。
毎回ながら地元の偉い人とは付き合い辛い。
洛陽では管楽器が盛んらしく、
地元のブラスJazzバンドがオープニングをつとめてくれた。
ビッグバンドの譜面はいくつか書いたことがあるのでプレゼントしようと思ったが、
そんな時に限って譜面ソフトFinaleが使えなくなる。
ひとつのパソコンでしか使ってないのに認証確認がどうのこうのと、
これだから正規版はダメなんだと中国人が言う気持ちがよくわかる。
日本に帰ったらまた思いっきりクレームを入れてやろう。
各地の天才子供達を数多く見て来たが、
その中でもワシはこの娘に一番心惹かれた。
レギュラーグリップとマッチドグリップを持ち替えながら
デイブウェッケルばりの凄腕プレイもさることながら、
シンバル等を叩く時に「ちくしょうめ」という表情が愛らしい。
彼女は何に怒っているのでろう・・・
心の内を覗いてみたくなるような魅力的なパフォーマンスであった。
うちの娘より1歳下の12歳というが、
この娘が大人になって、世の中のいろんな矛盾に直面し、
それを全部スティックに込めて叩き出したら凄いことになるかも知れない。
問題はそれまでドラムを叩き続けているか、
そして「ドラム」だけではなく「音楽」というレベルにまで到達出来るかどうかである。
名前は聞かなかったけど、
もしまだずーっとドラムを叩き続けているならいつか北京においで。
その気があるなら日本においで。
次の中国の音楽を作り上げるのは君たちなんだから・・・
そんな暖かいものを抱きながら全てのプログラムは終了し、
慌ただしく打ち上げ。
ちなみに列車は1時間半後には出てしまうのでワシには1時間しか時間がない。
何と往復20時間の旅で滞在時間たったの10時間なのである。
偉い人がまたとやかく講釈を足れているので、
「とにかくビールを飲ませろ』
と催促する。
洛陽ビールで喉を潤す。
偉い人は白酒である。
瓶の中に帆船が彫られている高級酒。
地元の習わしで、3杯ついでもらってイッキするというのにも付き合った。
何せワシはあとは夜汽車でぶっ倒れて寝るだけなのである。
隣では地元の若い衆が酒も飲まずに待機している。
彼がワシを無事に駅まで送り届けて、
入場券を買ってちゃんとワシを寝台車まで連れてゆくのである。
嫁に言わせると「あんたはホント若い衆使うのが上手いなあ」と言うが、
「地元の有名人」なんだろ?それぐらいしてくれよ・・・
ついつい偉い人へのあてつけでそう思ってしまう。
3杯のイッキは偉い人だけでなく、それぞれの人とやらねばならないので、
まあ1時間あればぶっ倒れるのには十分である。
若い衆に引きずられるように寝台車まで運ばれ、
そのままベッドに寝かされてお別れした。
見れば3段ベッドの2等寝台である。
「地元の有名人」を2等寝台に乗せる中国人の考え方がようわからんが、
酔い潰れればどこでも一緒である。
寝返りも出来ない狭い寝台で眠りについた。
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2009年6月29日
新全中国ドラムクリニックツアーその1、東北地方吉林省吉林
全中国ドラムクリニックツアーが再開した。
去年だけの企画だと言ってたのに再開するということは、
きっと評判がよかったということだろう。
嬉しい話である。
しょっぱなは、去年もしょっぱなに行った東北地方、
その中でも一番酒を飲んだと言ってもよい吉林である。
ワシはLive Bar X.Y.Z.→AでのJazzライブを終え、
目黒ライブステイションでのXYZのライブを終え、
そのまま店にゆーぞーさんのライブを見に行ったのがいけなかった。
結局朝まで飲みに行って、ほぼ朝そのまま飛行機に乗る羽目になってしまった。
吉林に一番違い飛行場は「長春」。
運良く毎週日曜日には成田から直行便が飛んでいるということで
この無茶なスケジュールが実現してしまったというわけである。
午後3時には空港に着いたのだが、
新型インフルエンザの検査が思いのほか厳重で、
結局入国出来たのは午後4時だった。
迎えの車に飛び乗って聞いてみた。
「今日は何時開演なの?」
「6時からだよ」
「ふーん、じゃあ空港からはどのぐらいで着く?」
「そうだなあ・・・だいたい2時間ぐらいかなあ・・・」
間に合わんやん!!!
着いてみたらそこはどでかいコンサート会場であった。
垂れ幕にはご丁寧に
「日本のドラム大先生、Funky末吉のVision演奏会」
と書かれている。
もう既に「クリニック」のレベルではないんですけど・・・
一昨日は八王子のLive Barで10数人、
昨日は目黒のライブハウスで百数十人を集めてドラムを叩いてた人間が、
次の日にはドラムひとりで千人クラスの会場を満杯にしてるのだからよくわからない。
終わったらまたサイン会。
この人数が全員ステージにあがって写真を撮ったりサインをしたりするんだから大変である。
この日はさすがにへとへとで、酒もあんまし飲まずにバタンQ(死語)。
次の日は地元のみんなが手ぐすね引いて待っている。
前回も行った、あの美しい湖の畔で酒を飲むのだ。
そのために「スケジュールは絶対に二日間空けておいてくれ」と頼まれている。
ドラム一日、酒一日というわけである。
ほどほどに飲んで、次の日は北京でレコーディングである。
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2008年12月17日
全中国ドラムクリニックツアーその16、四川省成都
一応この全中国ドラムクリニックツアーの最終日である。
(来年も続くという噂もあるが・・・)
成都を最終日にしたのは四川省大地震によるものも大きい。
お国変われば募金も変わるで、
中国ではコンサートやクリニックなどで募金を集めることが禁止されている。
「ドラムセットをかついで慰問に行くぞ!」と息巻いていたが、
受け入れ先の教育機関も見つからず、
結局成都に新しくパール倶楽部を設立し、
そこから何らかの援助をやっていければという考えである。
今回のクリニックはライブハウスを借り切って行われた。
客はロック好き、音楽好きの若者ばかりである。
だからというわけではないが、今回はちと頑張った。
・・・というのも、実は前日の広州ではブランクが長すぎてあんまし叩けなかったのじゃ。
だいたい練習というものをしないワシは、
だからなるだけライブを入れてドラムを叩くようにしている。
いろんなジャンルを叩けるのもこのためである。
1週間ならまだその日のウォーミングアップである程度回復出来るが、
今回のように2週間以上ダラダラしてたら無理である。
ウォーミングアップはしょせんはウォーミングアップでしかなく、
アドレナリンが出まくったステージ上でのプレイでは、
その状態での身体の持って行き方のみが全てである。
高速プレイが叩けるかどうかをステージで瞬時に判断して、
その日のフレーズをAランクかBランクに割り振り、
まあ往々にしてBランクの方が抑えが利いたいいプレイとなったりするのじゃが、
この日はCランクにまで落とさねばならない事態となっていた。
そして1日たって回復したので少なくともBランクで叩けるだろうと思いつつ、
あとはテンションで持ってゆくしかない。
今までのクリニックだとオープニングや途中に子供の演奏が入るが、
今回は地元のバンドである。
そのうちひとつはアメリカ人によるJazzのバンドであった。
迷わず乱入!!
特Aランクの調子の時にはシンバルレガートをするとシンバルがスティックに吸いつくような感じなのだが、
まあこの日はBランクの上という感じか・・・
Jazzも久しくやってなかったので新鮮なのと大変なのとでかなりテンションが上がった。
ドラムクリニックのいつものメニューも最後にふさわしい内容になったと思う。
もうクリニックというよりはコンサートである。
もう慣れた。
四川料理で乾杯!!
盆菜(ペン・ツァイ)という、熱した皿に料理を乗せる料理なのじゃた、
これがまた辛くて旨い!!
同じ辛いのでも四川料理は「麻(マー)」と言って、
山椒の辛さが脳天を直撃する。
演奏後のアドレナリンと相成ってトリップした夜なのであった。
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全中国ドラムクリニックツアーその15、広東省広州
八王子でダラダラしてたらあっと言う間に2週間たってしまった。
ツアーに旅立つためにまず北京に帰る。
八王子がいくら都内より寒いと言っても、
iPhoneのお天気アプリによると
「最高気温マイナス1度、最低気温マイナス11度」
と、こりゃ水分は一日中凍っている温度である。
滞在時間半日にてすぐに広州に出発!!
空港に迎えに来た人はなんと半袖であった・・・
温度差あり過ぎ!!!
食は広州にあり!というが、やはり広東料理と言えば飲茶(ヤムチャ)
しかしまあ広東料理は香港でもよく食べるのでここでは触れないでおこう。
特筆すべきは、ここのパール倶楽部の生徒には何と日本人がいた!!
浜川龍一くん、11歳。
お父さんの仕事の関係で7歳の時から広州にいると言う。
中国人の子供にまじって中国語でドラムを習うという
うちの子供と同じ龍の字を持つ日本人の子供と出会うというのは何か不思議な感覚である。
もちろんこのツアーを廻っていて日本人と出会ったのは初めてである。
そしてここのパール倶楽部には何と3歳の子供がいた!!
足がほとんど届いていないが、
それでもちゃんとドラムを叩いていた。
こういう子どもが後に・・・「ボク10歳、ドラム歴7年」とか言うんやろうなあ・・・
地ビール飲んで四川省成都へ・・・
Posted by ファンキー末吉 at:07:45 | 固定リンク
2008年12月 7日
全中国ドラムクリニックのラジオ生放送音源
先日の楡次でのドラムクリニックの全貌を生放送したラジオ番組の録音を入手した!!
これである。
相手が中国なんで著作権なんか無視してUPしてもよかろう。
サーバーがパンクするまでここにファイルを残しておこうと思う。
いやー、よくこんなもんを生放送で流すよねぇ・・・。
ゲストに呼ばれた夜の生放送では「ラジオを聞いた」という生電話が何本も入ったし・・・。
せっかくだからインデックスを紹介しておこう。
まず冒頭のドラムソロは私のではなく、
ここのパール倶楽部の先生。
6分頃から司会者が出て来て私を紹介する。
そして9分頃からドラムソロに続いてXYZの「Incubation」。
この曲はいつも最初にやると決めている。
ヘタな中国語による次の曲の解説をはさんで、
17分頃から「7th Door to Heaven」。
日本では五星旗のナンバーとして認識されているが、
中国では今や「ロックのバイブル」となっている私のソロアルバム、
「亜州鼓魂(Asian Drum Spirits)」の中の1曲として紹介した方がわかりやすい。
速いパッセージのシンバルレガートのやり方とかを説明しつつ、
28分頃から「Canal Street Samba」。
ラジオなので途中のソロの途中に時報が入るのが笑える。
そしてお決まりのシンバルやドラムの宣伝。
これをやらねば主催者も私を呼ぶ意味がない。
「いい楽器、いい音はあなたの技術も進歩させるよ」
で〆て、次の曲がXYZの「Wingsメドレー」。
10分を超える大曲なのじゃが非常に一生懸命に聞いてくれた。
XYZでは前半は何も叩いてないのだが、
ステージ上には私しかいないのに、
二井原と橘高の音だけ流して何もしないのもなんなので、
まあちょっとお茶を濁すように何かを叩いている。
そして前半部分最後の曲はラテンなので、
Songoの叩き方を少々説明して、
54分頃から「炎の靴」。
司会者が出て来て子供を呼びこみ、
1時間01分頃から子供のドラムソロ。
そしてそれに対する批評。
この時は「ドラムは音量だよ」と言っている。
1時間06分頃からはふたりめの子供の演奏。
ヘビーメタルを叩いているが、
実はみんな小学生なのじゃよ!!
ちなみにこの子は10歳。
その後の批評では「お前なんでRockなんか選んだの?」と聞いている。
小学生のぶんざいで「とっても好きなんです」などと答えるので、
「Rockとは何か」をえんえん語ろうと思ったが、
さすがにこれは場がどんどん危険な方に行ってしまうので、
「Rockやるなら頭振らなきゃぁ」
とヘッドバンキング講座に話を変えた。
それでも司会者は相当困ったらしく、
「彼は生活がRockじゃないんですがどうしたらいいんでしょう」
などとアホなことを聞く。
「生活から変えなさい!!」
と言いたかったが、やはり
「生活はそのままで、頭だけ振りなさい」
とまとめた。
10歳の子供の人生をこんなことで狂わすわけにはいかんからね。
そして1時間23分頃から最後の曲、「Vision Rocks」。
しかし1時間27分にならないうちにCMが入って番組は終わる。
それにしてもよくこんな生放送を放送した!!
よくやった晋中放送局!!
一生の記念にしておこう。
Posted by ファンキー末吉 at:17:44 | 固定リンク
2008年11月26日
全中国ドラムクリニックツアーその14、山西省楡次
太原から楡次までは車で1時間ぐらい、
まあ言うならば東京と八王子ぐらいであろうか。
当然ながら旨いものも同じなのでここでまとめて紹介したい。
まずここの名物は麺。
「刀稍面」という、包丁で麺生地を削ってお湯の中に飛ばす麺を代表として
中国でも一番麺の種類が多いと言う。
レストランでは毎食小さなお椀に入れてたくさんの種類の麺を食べさせてもらった。
そして酒じゃが、
今回はビールではなくこれにハマってしまったのでえらいことになった。

白酒と同じ蒸留酒なのじゃが、緑色をしてるので白酒とは言わんじゃろう。
「竹葉青酒」と言う。
この地方独特の酒なのじゃが、
これがまた旨い!!
度数も38度とまだ白酒より飲みやすく、
ぐいぐい飲むと当然ながらぶっ倒れてしまう。
前日からこれだったんで写真あんまし撮れてないのよね・・・
そして忘れていけない名物が「酢」。
黒酢の発祥地とも言われているが、
レストランで席に着いたらまず酢を注がれるだけではない。
場所によっては薬の瓶みたいのに入った酢を飲んでから食事する。
これがことのほか美味しかったので二井原家に1ケースおみやげに買ったほどである。
さて酒飲んでうまいもん食ってばかりではない。
ドラムもちゃんと叩いた。
と言うより前の日に2ステージもやってるせいか、
この日は心なしか神様が降りて来た気がした。

XYZの10分を超す大曲、Wings~Fire Birdのメドレーをやったのじゃが、
最初のうちは水を打ったように静まりかえっていた観客が、
曲が終わると共に割れんばかりの拍手。
歴代ドラムクリニックでこの曲が一番ウケた街となった。
小さな街というのはいいものである。
実はこの日のドラムクリニックの模様はラジオで生中継しており、
(恐ろしいことするなあ・・・)
そのまま夜の生放送ではワシをゲストに呼ぶという暴挙である。
中国の生放送に出演するのは寧夏の時に続いて2回目なのじゃが、
前回はまだ布衣がメインだったのでいいが、
今回はなんとワシ自身がメインである。
番組のジングルには中国でワシが手がけたヒット曲をつないで作っているし、
(まあ大部分はドラムなのにプロデューサーと紹介されていたが)
中には李慧珍とか懐かしい歌手の曲も流れたりして、
なんか自分の中国での歴史を全部思い出すような番組で嬉しかった。
生電話なんかもかかって来て、
さすがドラムクリニックの生中継もたくさんの人が聞いてたんやなと感激した。
でもええのん?・・・
番組ん中でも「あの頃の中国と今とはどこが一番違いますか」と聞かれたので、
「あの頃ワシみたいな外国人を生放送で出演させてたらあんた達はもうここにはいなかったで」
と答えた。
中国は本当に変わったのである。
Posted by ファンキー末吉 at:21:29 | 固定リンク
全中国ドラムクリニックツアーその13、山西省太原
山西省太原は一度、
テレビ局のカラオケコンテストの審査員として行ったことがある。
(いろんなことやっとるなあ・・・)
北京から寝台車に乗って、
酔っ払って寝て、着いたら朝だったので楽だったのじゃが、
(素人さんのヘタな歌を一日聞くのは苦痛だったが)
今回は悪い予感が当たってバス移動である。
寝台ではなく椅子席。
しかも何やらすーすー風が入って来てえらい寒い!!
買ったばかりのiPhoneにコピーした映画を見ながら、
2本ほど見てちょうど電池が切れた頃着いた。
だいたい6時間ぐらいの旅だっただろうか、かなり疲れた。
このツアー・・・移動と酒が疲れるのよ・・・
まあお決まりの酒と料理の話は次の街でまとめてするとして、
今回は何と2ステージ、ジャニーズのように2回まわしである。
これはワシの人気がどうのこうのではなく、
単にこのパール倶楽部の生徒の人数が全国で一番多いからである。
ほとんどが子供で600人を超えている。
するとその父兄も合わせて1000人以上のオーディエンスが来るというのだから数百人クラスの小屋では足りないというわけである。
その日の夜セッティングとチューニングをやって、
翌日は朝9時と昼3時の2回ステージである。
ちなみに中国の会場の席番号というのは連番で買うと隣にならないのをご存じか。

舞台下手側は奇数ナンバー、上手側は偶数ナンバーである。
なんでじゃろ・・・
ともあれ2回まわしだと当然テンションが上がる。
いや、テンション上げないと乗り切れないと言えよう。
まだ午前中だというのに汗だく、
そしてここのパール倶楽部のシュエ先生とドラムバトルまでやって、
中国式お決まりの花束贈呈で幕を閉じる。

(共同通信京極さん提供写真)
ちなみにこの時点でまだ午前である。
先はまだ長い・・・
ホテルに帰って小休止して更にもう1ステージ。
ここでシュエ先生からリクエストが来た。
「午前中にやったヘビーメタルの速い曲を最後にやってくれ」
XYZの新曲、「Spreading of Fire」のことである。
XYZの曲ってウケるんか?・・・
まあ生徒たちはみんな課題曲にヘビーメタルやっとるしなあ・・・
遠慮なくフルパワーでぶっ叩く。
隣でシュエ先生がマイクを持って客を煽る。
先生・・・これやりたかったのね・・・
そして客(子供たちじゃが)は興奮のるつぼ・・・

(共同通信京極さん提供写真)
ええんかなあ・・・
ワシが初めて中国に来た頃にはコンサートで立ち上がっただけで逮捕されていたが・・・
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2008年10月29日
ドラマーズチャンピオンシップ中国決勝大会
重慶から帰って来たら風邪をひいていた。
そうかぁ・・・昨日の頭痛は風邪だったのか・・・
明日はドラマーズチャンピオンシップ中国決勝大会。
去年は呼ばれて見に行ったが、
今年は審査員、兼ドラムも叩いてくれと言うのでそのままセッティングに行く。
5時入りだと聞いていたが例によって誰も来ていない。
夜は零点の歌入れなので急いで院子に帰る。
それにしても寒い。
ネットで温度を調べると7度。
日本は最高気温21度、最低気温14度なのに、
北京は最高でも14度ないんだからやっぱ寒い。
暖房はというと石炭を燃やすのじゃが、
時期がまだ早いというので石炭をまだ売っていない。
仕方がないので温泉の素ぶっこんだ風呂に入る。
日本人は寒いと温泉でしょう・・・
蛇口をひねればお湯が出る。
巨大な電気湯沸かし器が残りの湯を沸かすために働き出した時、
突然全院子が全部停電した。
聞く話によるとあまりの寒さにみんなが電気ストーブを炊いたので、
総電源盤がヒートして燃えたのである。
停電したらレコーディングも出来ないので別のスタジオでレコーディング。
帰って来たら夜中の2時。
気温は3度。
これで暖房ナシなんだからそりゃ風邪もひく。
7時起きで鼻水垂らしながら会場へ。

決勝大会は2日に渡って行われ、
初日は朝9時から子供の部(13歳以下)。
昼2時から少年の部(中学生)。
そしてその後にワシのゲスト演奏。
翌日は朝9時から一般の部、
そしてメガデスのドラマー、Jimmy何たらのゲスト演奏である。
だからステージの垂れ幕はワシのではなくJimmy何たらである。
子供の部、少年の部と審査員をしたら風邪のためかなり身体はしんどいが、
そのままステージに上がってセッティングをし、
そしてそのままデモ演奏。
まあ全国各地でやって来たことをやればいいのだから慣れたもんじゃが、
今回からメニューにXYZの新曲「Spreading Your Fire」を加えたもんだから風邪ひきさんの身体にはたまらない。
演奏終了後にはぶっ倒れてJimmy何たらとの食事会はパスしてしまった。
会場には全国のパール倶楽部から先生達が集まっている。

写真はその中から最優秀ドラム教師に選ばれた人たちであるが、
既にほとんどの人間が現地で一緒に飲んだ人たちである。
そのまた全員がワシと北京で酒を飲もうと手ぐすねを引いているんだらたまらない。
ひっきりなしの電話をぶっちして院子に帰った。
院子ではデブのキーボードが待ち構えていて、
重慶の音楽にドラムを入れる。
そしてワシはその後に膨大なトラック数となったデータの整理。
次の日も7時起きで会場へ。

(Jimmy何たらのセッティング。メタルドラマーにしては少しシンプル?)
午前の部が終わり、彼のデモ演奏の頃には審査員もお疲れ。
ひとり、ふたりと気持ちの良い眠りに誘われてゆく・・・

お疲れなのよ・・・みんな・・・
ワシも・・・
というわけで、この日もワシはそそくさと退散させて頂いた。
院子に帰って重慶のミックスをし、そのまま日本に帰る。
もう移動はこりごりである。
11月3日から始まるWingのシンガポールツアーまでは八王子でのんびりしたい。
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2008年10月19日
全中国ドラムクリニックツアーその12、山東省青島
また朝から列車に乗って青島に着いた。
青島に来るのは十数年ぶりである。
前の嫁と知り合ったばかりの頃、
その他の友達と一緒に泳ぎに来た。
そう、海沿いの街、青島は夏は海水浴客で賑わう。

ちなみにこの写真は知らない人のブログから拾って来ました。
(中国だからええじゃろ・・・)
今は秋なので水着Galはいません。
それにしても気候がいい。
ドイツの疎開地だったので、建物も異国情緒があり、
避暑地、別荘地としても有名である。
会場に着いた。
地元の歌舞団の劇場である。

いつも思うのじゃが、
ドラムクリニックにこんな大きな会場を用意するのは何か違うと思う。
これではクリニックではなく、コンサートである。
毎回そうじゃが、
「亜州鼓王が我が街に来たる!」
みたいな告知からして、もうクリニックではなくコンサートである。
コンサートで言うとオープニングアクトは、
子供のバンドと共に地元のアマチュアバンド。

ひょんなことからこのバンドのドラマーが弟子入りすることになり、
この日は青島生ビールを飲みながら夜通し説教をすることになる。
それは置いといて、
この日のステージではワシは青島生ビールしか頭になかった。
何せ着いて昼飯の時に出て来たのにワシは飲めない。
若い頃はべろべろに酔っ払ってでもドラムを叩いていたが、
最近は体力が落ちて叩けないという理由と共に、
飲めば神様が降りて来ないというジンクスもあり、
ドラムを叩く前は酒は飲まない。
どれだけ辛いことよ・・・
ワシは我慢したよ。
隣で相棒の沙泳江がイスラム教のくせにグビグビ飲んでるのを見ながら我慢したよ。
だからステージではもう頭の中は青島生ビールのことばっか!!
十数年前の記憶じゃが、これがとてつもなく旨かったのじゃ!!
ステージが終わって沙泳江が言った。
「ファンキー、今日のドラムは何か神がかってたなあ」
お前のせいじゃ!!
というわけで食事に向かう。
街かどではどんな小さなレストランの外にも生ビールの樽が置かれてある。
つまり青島ではどこに行っても青島ビールが生で飲めるのじゃ!!
ワシは出番前にも我慢したし、
ステージ上でも水も飲まんかったよ。
ひたすらこの青島生ビールにかけていたのよ。
最初の一杯。
もちろんイッキである。
ウェイトレスさんがいちいちピッチャーで注いでくれるが、
もうめんどくさいのでピッチャーを右手、グラスを左手で数杯イッキ!!
旨い!!!!!!!
瓶や缶の青島と違って水のように淡泊で、
喉越しは冷たいお茶のようにぐいぐい入る。
いくらでも飲めるので当然酔っぱらう。
至極の瞬間である。
また料理が旨い!!
海鮮料理は日本人にとっては馴染みが深いだけに、
ついつい味に対してはシビアになってしまいがちだが、
ここの料理はもういちいち旨い!!
魚料理も他の土地と違って河魚や沼魚でなく新鮮な海の魚だし、
貝料理に至ってはもう言うことなし!
その上スープと来たら海鮮のダシが染みててもう芸術品!!
もうこのツアーも終盤戦を迎え、
「どこの地ビールが旨かったかなあ・・・どこの料理が旨かったかなあ・・・」
と言い出す時期なのじゃが、
もう文句なく青島が一番!!
金賞を与えて二日酔いで青島を後にする。
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全中国ドラムクリニックツアーその11、山東省淄博
「淄博」なんて街があることすら知らなかったどころか、
どう読むのかすら知らない。
どうやら「Zi(1)Bo(2)ズーボー」と読むらしい。
聞けば北京と青島との間に位置する山東省第三の街。
「田舎だよ」と言うけど、日本で言うと名古屋クラスである。
中国のひとつの省が日本ぐらいだと考えると、
「田舎だよ」と言われる名古屋クラスの都市が中国にはうじゃうじゃあるということである。
夜行で行くには近すぎるためか、
今回は朝の列車に乗って行くこととなった。
十数年前に青島に行った時は、
日本のローカル線のようなボックス席の列車にすし詰めだったが、
時代は変わるもので新幹線のような特急列車が出来ていた。

(とにかく朝が早いので眠いのじゃ・・・)
迎えに来たのがサングラスをかけたチンピラのような人だったので一瞬びびってしまったが、
紹介されてみると彼がここのパール倶楽部の校長先生。
非常に熱心に子供たちを指導していて、
人を見かけで判断してはいかんと反省した。

生徒も多い!!

クリニック終了後、
この人数が並ばすに一斉にサインを求めに来るんだからたまらない。
田舎の子は元気がいいと言うが、元気ありすぎ!!
サインをもらうポスターはもみくちゃで敗れてしまい、
その切れ端にサインをする始末。
思えばワシはこれまでどれだけの数のサインをしたことだろう・・・
各パール倶楽部には100枚ほどポスターを送りつけているらしいが、
サインをするのはポスターだけではないので、
各地でゆうに数百枚はサインをしている。
1000人を超えるホールでやった時って、
ワシ・・・一体何人にサインしたのだろう・・・
既に忘却の彼方である。
10本以上廻っているとよく
「どこが一番印象に残ってますか」
と聞かれるが、
やっぱ印象に残っている街と全然残ってない街がある。
ちょっとしか滞在してないと特にそうなのだが、
この街はどちらかと言うとそれに近い。
青島に近いということで食卓には青島ビールが出て来る。

違うのじゃ!
このツアーの目的は、全国の子供にロックを教えることでもなく、
パールとSABIANの製品を宣伝することでもなく、
「全国各地の地ビールを飲む」ということなのである!!
音楽よりも大事なことなんだから仕方がない。
無理を言って探してもらったら見つかった。

それにしても本当に各地に地ビールがあるんだから中国は凄い。
地ビールで舌鼓を打ちながら気持はもう既に次の青島である。
何せ他ではまず飲めない「青島生ビール」があるのじゃ!!
この日はそこそこで退散させて頂いた。
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2008年9月27日
全中国ドラムクリニックツアーその10、河南省濮陽
おもしろおかしかった平頂山を後にして、
一同また車に乗って次の街へ向かう。
一同と言ったのは、車は平頂山パール倶楽部の王先生が用意して、
彼も一緒に次の街まで我々を送りに来たのである。
濮陽・・・どこにあるのかわからんばかりか・・・読めん・・・
どうやらPuYangと読むらしい。
車を走らせること3時間。やっとその街に着いた。
・・・更に田舎である・・・
出迎えたのは政府高官達。
今までと全然勝手が違う。
どうもここのパール倶楽部は、
今までのようにミュージシャン崩れが運営しているのではなく、
地元の歌舞団に属する政府の組織が運営しているらしい。
早く会場でドラムのチューニングをしたいと言うワシの願いは却下され、
そのまま政府高官達と昼食に行くこととなる。

黄河のなまず料理。
「頭を食べる時はこう食べてそれにはこんな意味があって、
腹を食べる時はこう食べてそれにはこんな意味があって・・・」
延々と説明を聞かされるので食った気がしない。
また話題が全然合わない。
部屋を借りたらいきなりその大家が帰って来た話や、
嫁が貧民街に嫁いで来た話や、
ましてや香港でウンコもらした話なんぞは政府高官の前ではご法度である。
またこの人たちは日本からのお客さんだから一生懸命日本の話をしたがる。
政治のこと、経済のこと・・・
どれもワシの苦手なことばっかである。
困った歌舞団の団長は日本の文化に話を振る。
「日本の舞踏を一度テレビで見ましたが、こうやって踊るんですか?」
知らん!
ワシらの世代の日本人は、
アメリカの服を着て、アメリカの音楽を聞き、
生活をアメリカのようにすることしか考えてなかった。
日本の若者は日本の伝統文化に興味がない。
邦楽をダサいと思い、
日本舞踏たるやワシ同様全然知識がない。
この話題もダメかと思った政府高官はオリンピックに話を振る。
「オリンピックの開幕式はどちらで見られましたか」
もちろん
「いやー日本で見たけど、
あんな金あるんだったらもっと四川省復旧に使えよな。
交通は規制して住みにくくなるし、
ミュージシャンは仕事なくなって干上がってるし、
あんなのクソッタレだよ」
なんてことは口が裂けても言えない。
「いやー素晴らしかったです。中国の発展を心からお祈りいたします」
いやーほんと疲れる。
一言で言い表すと、「ワシはあんた達と住んでる世界が違う」ということである。
そんな政府主催のドラムクリニック(これ自体がもうどっかおかしい)、
国の機関のひとつである「中原文化宮」で行われた。

ここは地元の共産党の会議などを行うところである。

アカンじゃろ・・・
まあでもどんなところであれやることは同じである。
ドラムを叩く。
それだけである。
また田舎なのでクソガキ、いやお子さんたちが元気がいい。
観客も
「このチャンスを逃したら次にこの人がここに来ることはない」
と思っているので「もう一曲!もう一曲!」と非常に熱烈である。
久し振りにXYZのWingsもやった。
10分を超すこの曲を客は非常に熱心に聞く。
そして後半のツーバスになった時に客は拍手を送る。
・・・まるでカラオケで1番を歌い終わった時に送るような拍手を・・・
まあいい。
ロックをどのように聞こうがそれは聞き手の自由である。
ツーバスで頭を振ろうが、
50過ぎのオッサンがしんどそうに叩いているのに感心して拍手をしようが、
それは全て聞き手の自由なのである。
大事なのはワシ自身が常にロックの気持ちを持ち続けているかどうかである。
演目が全て終わり、
政府高官はまたワシをもてなすべく宴を用意する。
もう勘弁してくれー・・・
しかし主役が参加しないわけにはいかない。
こんな時ってワシ・・・酒がまずくて喉を通らないのよね・・・
そんな中、ドラムの片づけを終えた若い衆が帰って来た。
連れの彼女はかなりのべっぴんさん(死語)である。

「こいつは無口だからなあ・・・」
政府高官はそう言って彼を紹介するが、
話がロックや音楽生活に及ぶと喋る喋る・・・
最後には彼のドラム演奏を携帯で撮影したものまで見せてくるから恐れ入る。
彼女も一生懸命彼に喋らそうとするし、
何かワシから話が聞けて彼のためになればと一生懸命である。
・・・いいカップルじゃないの・・・
普通なら美女を連れた若いミュージシャンは徹底的に苛めてやるのに、
今日はこのふたりのことを非常に好きになった。
聞けば彼も同様に北京に出て行って頑張ったけど、
帰って来て今は歌舞団でドラムの仕事をしているらしい。
「ロックとは縁遠いと思っても心がロックだったらそれでいいんだよ」
ワシは一生懸命彼を、そして彼を応援している彼女をも激励した。
こんな田舎でいたって幸せはきっとある。
幸福在哪里?(幸せはどこにある?)
幸福在这里!(幸せはここにある)
なのである。
彼ならきっと今日ワシが演奏したWingsの歌の内容を理解出来たと思う。
友達が出来た。
こんなところにでも友達がいる。
ワシはなんて幸せな人間なんだろう・・・
平頂山の王さんも
「君と別れるのは辛いよう、もっと一緒にいたいよう」
と言いながら帰って行った。
移動はとてつもなくしんどかったけど、
今回はいっぱい友達が出来て幸せな旅立った。
翌日の帰りは長距離バスである。

平頂山の友人たちの言うには、
平頂山から北京まではバスで8時間なので、
まあ5時間もあれば着くんではないか、と。
政府高官達はこの日も宴を用意していて、
夜のバスで帰ればよいと言うのを、
ワシはありがたく固辞して「朝一番で帰る」と言い張った。
実はその後に行く予定だった淄博(何と読むのかわからん)と青島は、
会場の都合で日程が来月に変更となり、
やっと今日帰れるのである。
もう一日などワシの肝臓がもう持たん・・・
政府高官を振り切ってやっとバスに乗り込む。

幸いなことに寝台バスである。
自由席なので一番乗りして一番前の上段を陣取る。
このまま寝て5時間なら悪い旅ではない。
「悪い知らせがあるんだ・・・」
酒飲みイスラム族がワシに小声でそう言う。
「どうしたの?」
「このバス・・・北京まで9時間かかるんだって・・・」
寝返りも打てない狭いベッドに缶詰めになって、
結局9時間半かかってやっと北京に着いた。
しんどいよう・・・
明日は香港に行ってWingのコンサートリハである。
Posted by ファンキー末吉 at:16:24 | 固定リンク
全中国ドラムクリニックツアーその9、河南省平頂山
移動日なく3日間連続のドラムクリニック(パール工場でのプレイも含む)であったが、
今日はさすがに移動日。
浙江省から河南省までの移動はさすがに飛行機。
飛行機で2時間かけて移動したら日本では端から端まで行けるが、
中国では地図上のほんの一部分の移動でしかない。
浙江省の省都杭州から、まず河南省の省都鄭州まで飛ぶ。
そして目指す平頂山はここから更に車で2時間以上走る。
「中原」
古代の人はこの辺りをこう呼んだ。
戦国時代には「中原を制する者が中国を制する」と言われてたほどの拠点。
洛陽の街を西に望み、中原の中心地に属するこの平頂山と言う街。
・・・はっきり言って田舎である・・・
田舎だからやはり人間が素朴でよい。
(平頂山パール倶楽部の面々)

両脇のスタッフのお姉ちゃんはおいといて、
ワシの右手にいるのがオーナーの王先生、
そして酒飲みイスラム族の左にいるのが貴州から来た先生。
飲みながら貴州での思い出なんかを話す。
無性に懐かしい。
ワシ・・・全国各地に友達がいるような気分である。
またここは北京を含む「北方(BeiFang)」に属するので、
ワシにとっては非常に馴染みやすい。
北京の若い衆と飲むのとほぼ同じような感覚で飲める。
まずお決まりの地ビール。

そして黄河の魚料理。

楽しい仲間とおいしい料理と酒。
これで話が弾まないわけはない。
いつものアホな話で大盛り上がりのワシら。
しかし実はその中にひとり新聞記者がいた。
そして翌々日の新聞にはその日のアホ話が記事となるのである。
さてその話はおいといて、翌日。
朝も早うから叩き起こされる。
ここの名物である「胡辣湯(フーラータン)」を食べに行こうと言うのだ。
酒飲みイスラム族曰く、
ここの「胡辣湯(フーラータン)」はとにかく酔っ払って食べるのが旨い!
べろんべろんに酔っ払って最後にこれを食うと言うのである。
しかし「胡辣湯(フーラータン)」はもともと朝食のメニューで、
それをするためにはどうしても朝までべろんべろんに飲んで、
朝6時に開いた朝食の店で食うしかない。
挑戦しようとしたが、やはり旅から旅で疲れている。
じゃあ今日は寝なさい、明日朝食べに行きましょうと相成ったのである。

小汚い店には朝からもう行列が出来ている。
高級な店ほど不味く、こんな店の料理ほど旨いというのが中国である。

そしてこれが名物「胡辣湯(フーラータン)」。
言わば日本でも流行った「酸辣湯(スワンーラータン)」のようなものである。
別売りの揚げ餅と一緒に食うが、
これが非常に腹もちがよく、一日じゅう満腹状態だった。
そしてこの日は一日中身体がこの「胡辣湯(フーラータン)」の匂いだった。
食ってばかりもいられない。
ドラムクリニックの始まりである。
オープニングアクトは地元の子供バンド。

ご立派に客を煽ったりする。
頑張れ子供たち、日本の「子供バンド(もう誰も知らん?)」を超えるのじゃ!!
そして途中では地元のバンドとセッション。
彼らが選んだ曲は何と布衣(BuYi)の曲。
寧夏の田舎から出て来たアンダーグランドバンドが、
今ではいっちょまえにコピーされる側になってるのか・・・

なんやかんやでクリニックも終わり、
その後バーに行って更にドラムを叩いたり、
楽しい一日はあっと言う間に過ぎた。
次の日はまた移動日で次の街に行く予定だったのじゃが、
みんなが「是非もう一日残ってくれ」と言うので、
さすがの酒飲みイスラム族も根負けして翌々日の当日移動ということに変更した。
そしてその日はどうしたのかと言うと、
また延々1時間以上車に乗せられて着いたところが温泉地。
見よ!この巨大な露天風呂!!

プールじゃないのよ、これ全部温泉なのよ。
こんなでかい露天風呂初めて見た。
しばしの骨休めであったのじゃ。
そしてここで新聞に載っていた自分の記事を発見。

ここにはワシの略歴と共に、
あの日に話したアホ話が包み隠さず書かれている。
まず、
「Funky末吉、背はあまり高くなく、デブである」
きー!!
お前らがよってたかってワシに旨いもん食わせてデブにしたんじゃろー!!!
そして記事は続く。
部屋を借りたらいきなりその大家が帰って来た話、
嫁が貧民街に嫁いで来た話、
せめてもの救いは香港でウンコもらした話をこの時しなかったことである。
これらの話は酒飲み話であって新聞で紹介する話ではなかろう!!
平頂山でのワシの伝説はこうして語り継がれてゆくのである・・・
Posted by ファンキー末吉 at:15:14 | 固定リンク
全中国ドラムクリニックツアーその8、浙江省杭州
そのまま朝いちのバスに乗って寧波を後にして杭州まで帰って来た。
杭州パール倶楽部の黄先生は少年のような人である。
先々日のパール工場でのワシのドラミングを少年のような瞳で見ていた。
そんな人がやっているドラム教室なんだから内容もハンパじゃない。

この娘が演奏している曲はGuns'n Rosesの曲。
しかもそれをニコニコ笑いながら叩いているのである。
ワシが初めて中国に来た時、
今ではビッグになってしまった中国ロッカー達は命がけでロックをやっていた。
常に何か大きなものを背負ってロックをやっていた。
当然ながら笑いながらドラムを叩くヤツなどいない。
ガンズの曲なんてもちろんご法度である。
それこそ政府の指定する精神汚染音楽のド真ん中である。
これをやるならドラマーはそれこそ命を捨てる覚悟で叩いてた。
それが今ではそれを少女がニコニコ笑いながら演奏している。
時代は変わったのである!!
今では少女が笑いながらロックを叩ける時代になったのである!!
そして本番ではこんなちっちゃな女の子がドリームシアターをぶっ叩く。

どうも課題曲がドリームシアターであるらしい・・・
時代は変わった。
いや時代は必ず変わる。
そんなもんである。
だから北朝鮮にもきっとこんな日が来る。
そんなもんなのである。
ビールが旨い!!

地ビールだけではない。
ここは紹興酒の原産地である紹興のすぐ近くである。
紹興酒に代表される老酒も有名である。

酔いつぶれてこの地を後にする。
Posted by ファンキー末吉 at:14:48 | 固定リンク
全中国ドラムクリニックツアーその7、浙江省寧波
パール工場のある杭州から朝一番のバスに乗り、
我々は寧波に向かった。

バスの中はすし詰め。
真後ろの席は香港からわざわざやって来たSabianアジア地区総責任者のジョナサン。
彼はいい!
隣が美女である。
ワシは相変わらずの酒飲みイスラム族のオッサンと肩を並べて数時間バスに揺られる。
着いた。
暑い!!!
海沿いの町なので湿気も多いし、むっとする暑さである。
クリニックは夜からなので、昼飯時にお決まりの地ビールを頂く。
世界広しと言えど、ワシほど中国の地ビールに詳しいミュージシャンはいない(断言!!)

ここでいつものように地元のパール倶楽部の人と交流。
ほとんどの人はミュージシャン目指して北京に来て、
そして夢破れて田舎に帰り、
パール倶楽部というドラム教室をやっている。
ここの馬先生もそうなのじゃが、
その人の言った何気ない一言にワシはカチンと来た。
「だってドラム叩いたっていくらも金にならないでしょ」
ビールがいきなりまずくなってムッとするワシに更に続けてこう言う。
「要はファンキーさんがいくら稼いでますかって話ですよ」
またワシのその日の服装がよくない。
墨田区のサウナの景品でもらったアサヒビールのTシャツ。

またこれが自慢じゃないが安っぽい。
それをちらっと一瞥するように見てから言うもんだからよけいに頭にきた。
すんでのところで
「こんな格好しててもなぁ!ワシはなぁ!・・・」
と言いそうになって、
その言葉をビールと共に飲み込む。
一事が万事で、
イヤだと思うと坊主の袈裟まで憎くなって来る。
クリニックの流れ、最後のサイン会の段取り等を話している時も、
酒飲みイスラム族が
「100枚ポスター送ってあるだろ、並んでそれにサインするんだ」
と言うと、
「ポスター?売るか?」
と来る。
ワシはブチ切れそうになったがビールと共にそれを飲み込む。
貴州省貴陽に行った時、
地元のライブハウスの人は
「あいつなんか子供騙して商売してんじゃないか!」
とパール倶楽部のことを悪く言った。
でも実際に行ってみると、
そこには音楽好きの、ドラム好きの素朴なおっさんがいた。
彼が子供を騙して商売にしてるなら、
そのライブハウスのおっさんは酔いどれ騙して商売にしている。
同じようなもんなんじゃないの?
しかしここ寧波の馬先生に面と向かってそう言われると、
まるでワシは本当に子供を騙して商売している片棒を担いでいるようで悲しくなってしまう。
ホテルでしばし休んで会場入り。
腹が立っているので写真は撮ってない。
暑いのでいらいらも増す。
大学生のJazzバンドとセッションと言うので楽しみにしてたら、
JazzのJの字も知らない連中でよけいイライラする。
オープニングアクトに地元のフィリピンバンドが演奏すると言うのが
意味がわからなくてイライラする。
気づいたらそのフィリピン人ドラマーがワシのスティックを勝手に使っているのを見てイライラする。
「Jazzバンドはフィリピン人の機材を使うので、
フィリピン人が終わったら機材をすぐ持って帰ると言うので
セッションは一番最初にしましょう」
ずっとワシらの世話をしてくれてる若い衆がそう言うのにまた切れて、
「あのなあ、何がセッションじゃ!
そのレベルにも至ってないじゃないの!
そんなのを一番最初にやって客を失望させてどうすんの!
最初はちゃんとしたワシのプログラムやって、
途中でそれを入れるしかないでしょ!!
フィリピン人には2曲だけ待ってもらえ!!」
こうしてドタバタの中でワシのステージが始まったのじゃが、
考えてみたらワシも非常に大人げない。
何か悲しくなって音楽に没頭した。
持って来た伴奏はイヤホンで聞いているので、
馬先生だの観客だの関係ない。
完全に音楽に入り込んでしまうと、
神様が降りて来てワシにこう問う。
「そんなこと考えてておまえは幸せか?
馬先生がお前に何か迷惑をかけたか?
セッションバンドのレベルが低いののどこが悪い?
フィリピンバンドがスティック使って何が悪い?
それが今日一日を棒に振るほど大事なことかい?
そうなのである。
そんな小さなことに捕らわれてて、
結局今日半日は面白くない日で終わっている。
それで今日の演奏までよくない演奏だったらもうどうしようもない。
もともとそうである。
ドラムを叩くということと、世間とは何も関係ないのである。
世間はいつだって世知辛いけど、
ドラムを叩くこととそれは関係ない。
今日はいいドラムが叩けた、それだけがワシにとって大事なことで、
その他のことで腹を立てたり悲しんだりする必要はワシにはないのである。
気を取り直してドラムに身を入れた。
何か今日は一番いいドラムが叩けた気がする。
すがすがしい気持ちで打ち上げに参加した。
セッションバンドのピアノの娘は
ワシらを世話してくれた若い衆の彼女だった。
面と向かって彼女の悪口を言われながら、
彼はそれでも一生懸命ワシらの世話をしてくれた。
あやまる気持ちをイッキで返させてもらった。
テーブルには名物が並ぶ。
一番すごかったのが寧波の名物で、
「寧波三臭」
みっつの臭い物という意味で、
ひとつは「臭豆腐」。
納豆が大豆を発酵させたものであるように、
臭豆腐は豆腐を発酵させたものである。
これは北京でも食べたことがある。
揚げたやつがポピュラーじゃが、
生の臭豆腐はそれはそれは臭い。
食卓に出て来た時にあまりの臭さに箸をつけられなかったが、
一緒にいた日本人留学生が勇気を出して食べてみた。
「どんな味なん?・・・」
興味津津のみんな・・・
「何かうんこ食べてるみたい・・・」
お前うんこ食うたことあるんかい!!!
と言うわけで食べなかったワシにはその味のほどは不明じゃが、
今回出て来た臭豆腐以外のふたつのものは、
そんなに想像してたよりも臭くない。

左側は冬瓜、右側がシナチクである。
匂ってみてもそんなに臭くないのでパクっと一気に食ってみたら・・・
あまりに臭くて涙が出た。
匂っても臭くないが食べたらとてつもなく臭いのである。
ギブアップ!!
一緒に臭い物食った仲である。
もう地元の人とも和気あいあい。
イヤなことは全部酒に流して忘れてもらおう。
これでみんなもう「臭い仲」
これでいいのだ。
Posted by ファンキー末吉 at:11:25 | 固定リンク
2008年9月22日
全中国ドラムクリニックツアー番外編:パール中国工場
「全中国を廻っているので、当然ながらこの辺にも来るだろう」
とパール工場の日本人スタッフは手ぐすね引いて待っていたと言う。
私としても
「是非とも工場で全工員の前でドラムをぶっ叩きたい」
とパール本社には申し出ていた。
まだパール本社に工場があった頃、
我々モニター達は「パール詣」と称してしょっちゅう工場に遊びに行き、
工場を見学し、新製品をテストしたりもらって帰ったりしていた。
千葉の町工場から出発したパール楽器は、
今では世界の大ブランドまでに成長し、
工場も台湾、そして最近ここ中国の杭州にも作り、
今では日本の工場はなくなってしまった。
工場の担当者はいつも自信たっぷりに自社製品を自慢していた。
パールとワシとのルーツはここにある。
だからワシは是非この中国工場でドラムを叩いて、
「お前らの作っているのはこの音なんだ」
ということを声を大にして言いたい。
あれも言おう、これも言おうと考えながら夜汽車にゆられること13時間、
気持ちよく酔いつぶれているうちに杭州に着いた。
暑い・・・
もうてっきり涼しくなった北京とは全然違う。
これが「南方(NanFang)」と言うのだ・・・
外国企業を受け入れる工場地区に入ると、
そこはもう外国。
「パスポートが必要ですよ」
と日本人スタッフが冗談を飛ばす。
パール楽器杭州工場に着いてびっくりした。
広さが半端じゃないのである。
日本の工場のゆうに20倍はある。
女工さんが流れ作業で作業をしている。
「女工さん」というイメージとは程遠い、
そのまま制服を脱いでディスコに行ったらナンパしてしまいそうな
そんなかわいこちゃんばかりである。

ひと通り工場を見学した後、
「そうだ!今日のステージ衣装はこれじゃ!!」
とばかり、ここの制服に着替えさせて頂いた。

15時の休憩のベルが鳴る。
女工さん達が黄色い声を上げてドラムの周りに集まって来る。
もちろん男性の工員も多い。
みんなおしなべ非常に若い。
ドラムをぶっ叩く。

君たちが作っているのはこの「音」なんだよ。
ベルトコンベアーに運ばれて来たどんな小さな部品も、
ひとつでもいい加減に作ってたらこの「音」は出ない。
この工場から1日100セット以上のドラムが世界中に輸出される。
そしてどれもが世界の「音楽」を作ってゆく。
このVisionシリーズはね。
初めてこの工場から中国国内に流通するドラムなんだ。
君たちの作った「音」が君たちの愛する中国の「音楽」を作るんだよ。
俺は中国の音楽を愛する全ての人に代わって、
あなたたちにお礼を言いたい。
いつも最高の仕事をありがとう!!
伝わったのか伝わってないのか、
女工さん達はドラムを聞き終わって、
またにこにこしながら持ち場に帰って行った。
そのうち誰かはきっと、
自分の好きな歌手の歌を聞きながら、
今まで注意してなかったドラムの音を聞くだろう。
そうなのか、僕が、私が毎日作っていたのはこれなんだ、
と思ったりするじゃろう。
これでいいのだ!
幸せはどこにある?
幸せはここにある!
のである。
Posted by ファンキー末吉 at:11:17 | 固定リンク
2008年7月29日
全中国ドラムクリニックツアーその6、江蘇省徐州
靖江から徐州までは車で5時間。
だいたい東京から名古屋ぐらいの距離ではないかと思う。
缶ビールを買って4本空けて酔いつぶれて寝てるうちに着いた。

ここの名物は羊肉串。
まさにワシの大好物である。
地ビールは青島ビールが地元で作っている山水ビール。
青島ビールも好きなビールなのでご満悦で酔いつぶれさせて頂いた。

朝になってホテルの外を見てみたらそこは美しい湖だった。
中国で一番大きな人工湖、「雲龍湖」である。
しかし誰が何のためにこんな大きな湖を作ったのかは謎である。

会場に着いた。
ここはまたテレビ局のスタジオである。
いかしたキッズ達を発見!
彼らがドラムを叩くのか?
これは楽しみである。

会場に入ってみたら驚いた。
これはもうドラムクリニックではない。
番組の公開収録である。

司会者が出て来て前説をする。
拍手の映像を撮ったり、手拍子の映像を撮ったり、
応援団の垂れ幕の映像を撮ったりする。

あのー・・・これってもう・・・ドラムクリニックじゃありませんよねぇ・・・
その通り!
これは実はもう既にドラムクリニックではなかった。

地元で一番の発行部数を誇る新聞の一面である。
「アジアドラムキングが徐州にやって来て祝賀コンサートを行う」
という内容である。
何を祝賀するかと言うと、
ここのパール倶楽部の10周年を祝賀するのである。
つまりこれはもう「クリニック」ではなく「コンサート」なのである。
そのコンサートの主役はこのワシと共に彼ら。

心なしかモヒカンが多い。
これは毎年毎年イベントをやっているうちにお互いに対抗意識が芽生え、
相手がどう来るなら俺はこう来る、という風にエスカレートしていったものであると言う。
演奏プログラムを見てびっくり!!
オープニング曲に「METALICA」とある。
METALICAってまさか・・・

物凄いものを見てしまった・・・
24人の子供が一斉にメタリカの曲を叩くのである。
しかもみんながみんな頭を振りながら叩く。
誰が教えたのか(もちろん先生じゃろうが)
ドラムとはヘッドバッキングしながら叩くものであると子供達は信じているのである。
長髪を振り乱しながらドラムを叩く少女

と思ったら、後でお話しした時に
「さて問題です。僕は女の子でしょうか男の子でしょうか」
・・・って・・・君・・・男の子?・・・
こいつ・・・将来はヨシキになれる・・・
当年とって10歳。
しかしドラム歴は既に7年。
おそろしやおそろしや・・・
江蘇省徐州・・・おそるべしRockシティーであった。
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2008年7月28日
全中国ドラムクリニックツアーその5、江蘇省靖江
二井原実ソロライブのリハも終わり、
そのまま朝一番の中央線に乗って成田まで行き、
北京に着いて4時間のトランジットの後、
靖江の最寄りの空港である無錫に降り立った。
4時間も待ち時間があるのだから、
最初は院子に帰って一休みしようと思っていたが、
「ファンキーさん、北京空港の税関大変ですよ。荷物全部調べられますよ」
と言われていたので空港から出なかった。
別にヤバい物を持ち込んでいるわけではないが、
あの税関の職員の態度を思い出しただけで胸が悪くなる。
国内線へのトランジットでのチェックは比較的簡単であったが、
スティックケースを必ず調べられる。
「オリンピックなのにこいつはたくさん木の棒を持ち込んで何をやるつもりだ」
とでも言いたげである。
サービスにドラムを叩くマネをしてやったが全然受けなかった。
無錫から車で1時間、靖江とは無錫の隣町だったのだ。
さっそくこの町の偉い人と一緒に食事。
オリンピック間際に全国でイベントが中止にされているのに、
このクリニックが中止にされなかったのはこれら偉い人のおかげである。
我らが沙泳江先生、イスラム教でありながらここでも飲む飲む。

ドラムクリニックより全国の地ビールを飲むというのが大きな目的であったが、
この町には残念ながら地ビールがないと言う。
仕方がないので白酒。
でも5分で空いてしまった・・・

ここの料理は上の写真のようなとうもろこしを中心とした田舎料理や、
ニラまんじゅう、

イモの煮っ転がし、

そして長江の魚、

などのさっぱりした料理であった。
飲んで食って、前の日寝てないので爆睡・・・

翌日の会場はテレビ局のスタジオであった。
どうも今回のクリニックは
市のイベントとしてテレビの収録も兼ねて行われるということで許可を取ったらしく、
テレビのインタビューも行われ、これが後に地元のテレビで放送されるらしい。
今回のツアーではワシはXYZのWings~Fire Birdの中国版を用意した。
10分を超えるロックメドレーである。
何故かと言うと、ワシはもっと子供たちに「ロック」というものをわかって欲しい、
今はわからなくてもその心の中に少しでも印象を刻んでおきたい、
大人になって何か困難なことにぶつかった時に思い出して欲しい。
各地方でたくさん天才子供たちを見て来た。
どの子もテクニックだけはある。
しかし魂というか歌心が全然ない。
当たり前だ、この子達にはまだ「歌うべき人生」がないのである。
Wings~Fire Birdの中国語歌詞にはこのような一節がある。

この子たちがまだ「世界は思い描いていた天国ではない」などと思えるわけがない。
でもこの子たちが大きくなっていつかそんなことを思った時、
この子たちは今日ワシが叩いたドラムを思い出すに違いない。
「あのオジサンが言いたかったことはきっとこのことなんだな」
と思ってくれるかも知れない。
ワシは毎回クリニックで使ったドラムマイナスの音源を置いていく。
それらの曲を今後教室で使ってもらえるように。
そして今回からその中にこのWings~Fire Birdの中国版が加わった。
子供たちよ、頑張ってコピーするのじゃ。
ドラムの叩き方だけではない、
「ロックとは何か」をこの音源からコピーするのじゃぞ!!
クリニック終って速攻で車に乗り、次の町、徐州へと向かった。
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2008年7月25日
今から大移動
今八王子駅まで行くためのタクシー待ちである。
始発電車で新宿まで行って、
成田エキスプレスで成田空港行って、
午前の便で北京まで飛んで、
そのまま乗り換えて無錫まで飛ぶ。
そこに車で迎えが来てるらしいのでそれに乗って靖江(どこや?)まで行って、
明日そこでクリニックやってそのまま車で徐州まで移動。
徐州徐州と人馬も進み、
翌々日のクリニック後にすぐさま北京まで移動して、
そしてその翌日に日本に帰る。
無事に帰りつけましたらおなぐさみ・・・
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2008年6月19日
全中国ドラムクリニックツアーその4、西南地方貴州省興義
かくして貴陽でのクリニックは盛況に終わり、
車に乗り込み、次の目的地、「興義」まで向かう。
「興義」なんて名前も聞いたことないが、
貴州省自体が山の中なので当然山の中である。
山道を延々揺られること5時間、
夜中に着いて、まずはお決まりの地ビール。

ちなみにつまみは蛙の炒め物なのだが、
別にその辺には今回は触れないでおこう。
万峰と言うのはこの辺の有名な名所で、
その名の通り万を超す山々が連なる絶景である。


大自然とは何と偉大なものかと思ってしまうが、
その中でちっぽけな人間が、
そのちっぽけな人生の中で、
この大自然の恵みとも言うべきビールを飲むわけである。
アホである。
ところでここ興義の万峰ビールには生ビールがある。

これがまた旨い!
注文をすると工場からそのままこの容器に入れて配達してくれる。
まさに「搾りたて」である。
そしてこだわりとも言うべき、
このビールは1日たつと業者が返品に来るのである。
1日たてば味が変わるので初日の味しか飲ませないと言うものである。
これが旨くないわけがなかろう!!
さて飲んでばかりもいられない。
ワシはここにドラムを叩きに来たのじゃ。
と言うわけで会場に着くと、そこは大学の大講堂。
どうでもええけどキャパでかすぎとちゃうん!!

椅子席でゆうに1200人は埋まり、
更には窓から立ち見で100人以上の人間が見ている。
これはもう既にドラムクリニックと言うよりはコンサートやで・・・
そしてお決まりのドラムの生徒の発表会に続いて、バンド演奏。
これはもう生徒と言うよりは、地元で活動するアマチュアロックバンドなのであるが、
ちょっとわかりにくいけど、観客の最前列下手、
ちょうどベースのネックに隠れている数人の小学生は、
なんとこの演奏に合わせて頭を振っているのである。

恐るべし中国!!(の田舎)
子供の頃からロックを聞き、
音楽教室でロックを習い、
そして大きくなったらこう言うのだろう。
「ロック?・・・子供の頃にやりつくしたなあ・・・」
恐ろしや恐ろしや・・・

さて大トリでワシの演奏なのじゃが、
地元のロックファンとか
先ほど演奏したバンドの連中とかが最前列で頭を振る。
こちらの頭の振り方っつうのは、
数人が並んで肩を組んで一斉に頭を振るのじゃが、
何せドラムクリニックのための曲なので変拍子が多く、これがうまく頭が振れない。
冒頭の7拍子で挫折してしばらく坐って様子を見、
次の5拍子でまた立ち上がるがまた挫折し、
こんなことだったらもっと頭振りやすい曲にすればよかったとちと後悔。
次にはXYZの曲も演奏に取り入れようと決意するのであった。

そしてお決まりのサイン会。
前日は数百人で1時間以上サインをしてたが、
今回は1000人を超えている。
子供たちだけではない、
きっとこの大学の学生なのだろうが、女学生にはつい顔もゆるむが、
子供の母親とかにはつい
「おばはんはサインせんでもええんちゃうの・・・」
と思ってしまったが、
よくよく考えてみると小学生の子供がいるおばはんは少なくともワシと同年代か、
もしくはワシより年下である。
反省、反省・・・

そして写真撮影・・・
どうでもええけど、垂れ幕・・・でかすぎ・・・
これって終わった後どうするんやろう・・・
持って帰ればよかったと少し後悔。
さてちょっと慌ただしかった今回の貴州省ツアー、
帰りは車ではなく貴陽まで飛行機であった。
(飛行距離30分)
それはここまで田舎だと列車とかの治安がよくないからだと言う理由だが、
来月に予定されている靖江と徐州のツアー、
何とワシはこの前後に日本で二井原実ソロライブのリハーサルが入っている。
つまりどこにあるかもわからないその土地に、
ワシは日本から自力で入らなければならないのじゃ。
数年前、河北省まで友人と車でスキーに行った時、
仕事が入ったので「ほなひとりで帰るわ」と言うと、
「どうやって帰る気やねん!命いらんのか!」
と言われた。
列車はまだいい。
そんなド田舎で外国人がひとりで長距離タクシーなんか乗ろうものなら、
どっか人気のないところに連れて行かれてよくてホールドアップ、
悪くて殺されでもしたらどうすると言うのである。
中国は広い。
人気の全然ない山奥で人が死んでても発見されることはない。
また、発見されたとしてもその犯人がこの広い中国のどこに逃亡しているのか、
捕まるわけがない・・・
聞けばこの靖江、
飛行場どころか列車もない街らしい。
もちろん地球の歩き方にも地図どころか名前すらも載っていない。
果たして日本からひとりで無事にたどり着けるのか・・・
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2008年6月17日
全中国ドラムクリニックツアーその3、西南地方貴州省貴陽
貴陽には先月布衣のツアーで行ったばかりである。
(その模様はこちら)
第一回目の遼寧省沈陽、吉林省吉林には北京から列車で行ったが、
さすがに1800km離れた貴州省までは飛行機に乗せてもらえた。
それでも北京から3時間。
日本に帰れるやないの!!!

空港に着いたら子供たちが迎えてくれた。
聞けばこの子たちもドラムの生徒だと言う。
ふたり仲良く手をつないでいるので姉弟かと思ったらそうではなく、
「仲良し」だと言う。
しょっぱなからちょっと甘酸っぱいスタートだった。
貴陽のパール倶楽部は市内のマンションの中にあり、
そこでは複雑なプログレッシブメタルに合わせてツーバスを踏む少女がいた。

聞けばこのパール倶楽部の娘さんと言うことだが、
何でメタルなの?
何でツーバスなの?
そしてこのパール倶楽部でのベース教室。
幼稚園ぐらいの女の子が弾いているベースは何とこれ!!

これを売りつけた張本人がこの男、
パール楽器の中国代理店、
そしてアメリカのDEANの中国の代理店でもある中音のドラム部門責任者、
沙泳江(ShaYongJiang)先生である。(画面右)

この男、イスラム教でありながら浴びるほど酒を飲む。
そして今回気づいたが、
中国の習慣なのか、それに付き合うべく酒のめっぽう強い飲み要員が各地各地にいる。
画面左がそれである。
さんざん酔っ払ってその日は爆睡し、翌日の昼間がクリニックである。
会場は巨大なキャバレーのような店を営業時間前に使わせてもらい、
ネオンにはワシの名前まで打ち込んでくれている。

これがまた客が入るのよ・・・
座席でざっと2、3百人、それが見事に満席になっていた。
まずは生徒たちの歌とドラム。


そしてソロ演奏となってゆくわけだが、

ここで気がついた。
なぜ子供たちがみんなツーバスを踏み、メタルを叩くのか。
課題曲がメタルなのである!
ワシはワンバスから始めてツーバスになったので、
ワンバスの時の足癖でツーバスは左足から踏む。
ところが日本でもいきなりツーバスから始めたドラマーは右足から踏む。
この子たちはと言えば当然ながら右足から踏む。
初めてドラムを叩くのがツーバスで(ツインペダルだが)、
しかも課題曲がメタル。
ベースなど楽器も全てメタルである。
この子たちが大きくなった時、「ロック」と言うものをどう感じるのだろう。
「ロック?・・・そう言えば小さい頃やってたわねぇ・・・」
ロック後進国であるはずの中国だが、
実は末恐ろしいロック大国なのかも知れない。
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2008年6月 3日
全中国ドラムクリニックツアーその2、東北地方吉林省
吉林省には一度行ったことがある。
90年の大晦日だったか、友人達と北京から列車に揺られて、
確か27時間かけて着いた街はマイナス25度の北朝鮮との国境の街だった。
看板はハングルが多く、
韓国とかではとっくになくなってしまった朝鮮族独自の文化が、
そのままで残っているようなそんな街だった。
だからワシは吉林に降り立った時、
真っ先にハングル文字を探したのだが見当たらない。
よくよく考えてみたら、
ワシがあの時行った街は吉林ではなく延吉朝鮮族自治区であった。
いやーでも楽しかったなぁ・・・
朝鮮族と朝鮮料理食って毎晩飲んで、
あげくの果てには凍った豆満江を徒歩で渡って北朝鮮領土と思われるところで記念撮影した。
朝鮮族クラブで酔っ払ってドラム叩いて、
ホテル帰ったら新年で、
東京の家にお袋が来てるから電話かけたらKちゃん
(参照:Kちゃんの物語その1、その2)
が電話に出たなぁ・・・
今考えてみたら恐ろしや恐ろしや・・・
さて吉林はそんな思い出深い延吉ではなかった。
吉林省の省都、松花江が流れる水の街。
朝鮮族自治区でもなく、ハングル文字の看板も少ない。
でも気持ちがそうなってしまってたので朝鮮料理をリクエストした。
お決まりの朝鮮冷麺

北朝鮮式は酸っぱく、韓国式は甘辛いと言うが、
これはどちらかと言うと韓国式である。
そして朝鮮料理と言えば犬肉を忘れてはならない。
北京でも有名なここのご当地ビール、雪花と一緒に御馳走になる。

犬好きの人、ごめんね。
まあお味はこれと言ったものでもないのじゃが・・・
さてこの日は翌日と同じ会場で
SABIAN主催のドラマーズチャンピオンシップが開催されていた。

ワシはSABIANの中国地区モニターでもある。
パールは日本地区のモニターでちょっと関係はややこしいが、
今回のツアーはSABIANのシンバルのプロモーションでもある。
翌日はこのコンテストの審査発表があって、
ワシの手から優勝者に賞状を手渡すと共に、
そのままクリニックが始まると言うよく出来た筋書きである。
コンテストが終わったらドラムをセッティングする。

中国はでかい。
ひとつのドラムセットを移動するには限界があるので、
ふたつのドラムセットをそれぞれの現地に送っておく。
右隅に小さく写っている黒い服の少年が実はこのドラムセットを買いとった。
彼にとっては一生の宝物になるであろう。
敬意をこめて最高の音にチューニングさせて頂いた。
そしてその前に写っている白い服の少年は、
去年のこのコンテスト少年の部のグランプリである。
ここのレベルは前回の遼陽のレベルより数段高い。
ついでに彼にはマンツーマンでレッスンを施した。
夏休みにはビザが取れたらファンキースタジオに来ると言う。
歓迎歓迎!
さて、左下に写っている機材が、
今回のために八王子のHardOffで買った中古品のHDレコーダーである。
以前まではProtoolsシステムを持ち歩いていたが、
インターフェイスも含めるとこれがなかなか持ち歩くには重い。
菅沼孝三にはMDを勧められた。
「コンピュータはフリーズする、
CDは針飛びする、
一番安全なんがMDやで!」
と言うことでワシも今回はMDのLchにクリック、
Rchに音源と言うデータも用意した。
バックアップにそれをCDでも用意している。
でもそのシステムは簡単だし安全だが、
出力がどうしてもモノラルになってしまう。
データをMixdownしながら
「モノラルではやっぱもったいないなぁ・・・」
と思うことしきり。
中国ではもうネットで曲もビデオもダウンロード出来る。
せっかくここまで作ったんだから、
やり手のマニアックなこだわりではあってもせめてステレオで出力したい。
と言うわけで購入したものである。
この曲もそうだが、
今回もパール倶楽部に置いてゆく今回クリニックで使う伴奏だが、
この少年たちは目を輝かせて、
大真面目にワシの手数を完全コピーするであろう。
・・・叩いた本人でさえ同じことはコピーしても叩けないのに・・・
光栄でもあるが、
ここ中国も北朝鮮と似ているところがあって少し恐ろしい。
この一連のツアーで彼のように天才少年と出会ったら、
このワシが責任持って正しくロックの道に導いてやりたいと思う。
さて本番も終わり、子供たちにサイン攻めにあう。

このオッサン達は一体何枚ワシのポスターを印刷したと言うのだ!
次から次からポスターを持ってサインをねだる子供たちを見ながら思った。
「この子供たちが大きくなったら、
このポスターを、サインをみてどう思うのか?
私は、僕は、あのFunky末吉を生で見たんだよ」
と思うのか、もしくは
「あったなぁ・・・そんなこと・・・
誰やっけ・・・」
と思うのか。
もう50も手に届くワシの人生はそんなに長くない。
この子たちがいっぱしのロッカーに育っている頃に、
まだこうしてロックドラムを叩けていたとしたら、
それだけで十分幸せなのではないか・・・
そんなことを考えながら子供たちにサインをした。
そしてそんなポスターを山ほど刷ったオッサン達がこれである。

ここのパール倶楽部の人間もいれば、
吉林省打楽器協会のお偉いさんもいる。
その全てに共通しているのが、
「こいつらどれだけ飲むんや!!」
と言うことである。
いやー飲む飲む。
翌日は例によって夜汽車、
しかし昼飯は超素晴らしい所に連れて行ってくれると言う。
それがここ。
吉林の街を流れる松花江の上流、
日本軍が作ったダムで出来たと言う松花湖。

これが非常にきれいな水である。
吉林のビールも酒もこの水を使って出来ているから美味しいのだと言う。
その畔にもともと民家で友達を招待するために食事を出すと言うレストランがあると言う。
そこで午後2時から食事が始まった。

特にこの大魚は何するもんぞ!
隣のこのこれだけ奇麗な湖で獲れた魚をそのまま料理する。
そのとてつもなく奇麗な水で作ったビールを飲む。
旨くないことがありえようはずはない!!
ワシはもともと2時から昼飯だったら夜9時40分の列車までどうすんのと思っていた。
心配ご無用!
ワシらは結局出発直前まで飲み、そして食っていたのであった。
吉林よいとこもいちどおいで。
この民家は秋には葡萄が生り、
それをちぎりながらハンモックで寝っ転がる。
今度は嫁子供を連れてそんな旅をしに来い、と。
アホなオッサン友達はそれを連呼するのであった。
全中国ドラムクリニックツアーはまだ続く!
Posted by ファンキー末吉 at:22:16 | 固定リンク
全中国ドラムクリニックツアーその1、東北地方遼寧省
遼寧省と言うところがある。
大連と言う街が比較的有名だが、省都は沈陽。
記念すべき全中国ドラムクリニックツアーはその沈陽の隣町、遼陽と言う街で行われた。
北京から夜汽車に揺られ、10時間かけて降り立った遼陽と言う街は美しかった。

東北地方には何度か足を踏み入れたことがあるが、
いつも思うのは「日本人が郷愁を感じる街」だと言うことである。
郷愁を感じたからここに満州国を作ったのか、
満州国を作ったから郷愁を感じるのか、
その答えは今も出ないままである。
申し遅れた。
この旅には重要なパートナーがいる。
世界のブランドであるパールドラムの中国総代理店、
セントラルミュージック(中音)のドラム部門責任者、
沙泳江(Sha YongJiang)先生である。

腕の入れ墨はダテではない。
その模様が示す通り(と言うが実はよくわかっていない)、
生まれきってのイスラム族(回族)。
豚肉は食わないが酒は飲むわ煙草は吸うわ。
アラーの神の天罰が落ちようとも
酒と煙草とロックなしでは生きていけないと言う神をも恐れぬオッサンである。
この写真は見事に二日酔いのショットだが、
どうせ毎日二日酔いなのでいつもこんな感じである。
・・・こんなんと二人で旅してまんねん・・・
昼ご飯は東北料理。
東北料理は餃子、きくらげ炒め等北京でもポピュラーであるが、
ここにもありました!ご当地ビール!!
その名も遼陽ビール!!

これときくらげ炒めの組み合わせはまた絶妙!
・・・と言いたいところだが、
飲んだらドラム叩けないので昼間は我慢。

ドラムを叩く

子供に教える
(何か北朝鮮と言い、こんなことばっかやっとるなぁ・・・)

そして飲む!!
全国に50以上あると言うパール倶楽部と言う組織。
そこを中心にこのオッサンは全中国にパールドラムを売っていく。
ではその50のパール倶楽部の中から、
どうやって今回廻る18の倶楽部を選んだか。
その理由はここに着いてすぐわかった。
ここの人もとにかく飲むのである。
べろんべろんになってワシらを沈陽まで送ってゆく。
半日しか滞在しなかったが思い出深い一日だった。
こうやってパール倶楽部とワシらは固い絆で結ばれてゆくのである。
全中国ドラムクリニックツアーは続く・・・
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2008年5月20日
中国全土をドラムクリニックツアー
XYZの大阪、名古屋コンサートを終えて、
次の千葉、熊谷の間まで高知の実家に身を寄せている。
地震の影響で北京がどうなっているのかは定かではないが、
それでも普通にメールが入って来ているんだからまあ大丈夫であろう。
「あなたが先日音楽監督を勤めた歌手、YangKunから至急の連絡です。
23日の上海コンサートで先日のアレンジを使いたいので
至急その時のデータを送って下さい」
23日とは急やなぁ・・・
北京の若い衆に北京スタジオのデータを調べさせるか、
もしくは八王子スタジオを.MACでつないでこちらで操作して
(今のテクノロジーはすんごいことが出来るのよ)
そのデータを送信とかいろいろ考えてたところ、
「あ、そのコンサート、四川省の地震の影響で中止になったんでもういいです」
さすが中国。
そう言えば日本に帰る前にこの仕事の依頼が来てたが、
断ってなかったら今頃ドタキャンだったわけね・・・
地震の影響は北京にはないらしく、
お気楽な仕事メールががんがんに入る。
「例の全中国ドラムクリニックツアーの件ですが」
パールドラムとワシの付き合いはもう20年近くになる。
爆風がまだアマチュアだった頃、YAMAHAもTAMAも見向きもしないワシを
最初にモニターとして迎えてくれたのがパールである。
売れてから
「末吉くんもぼちぼちうちに来たら」
とYAMAHAの担当者から言われた時に思わず拳を握りしめたが、
大会社であるYAMAHAは担当者もころころ変わるのだから仕方が無い。
ワシは死ぬまでパールのモニターじゃい!!
と言うわけでさんざんお世話になったパールに中国にて恩返しをすべく、
パールの中国代理店である中音(セントラルミュージック)とのミーティングを重ね、
中国工場初生産のVISIONをプロモーションすべく全中国クリニックツアーが決定!!!
・・・のはずなのじゃが、
中国の仕事に慣れ親しんだワシは容易にそのようなことを鵜呑みで信用しない。
なにせ先日のミーティング、
しかも日本からパール本社の人を招いての正式なミーティングの席でも
そのワシへのギャランティーを誰が支払うかも明確に決まってなかった。
中国側の考えで言うと(ビジネスの席なので口には出しては言わんが)、
「全国50カ所への旅費とホテル代、
おまけに全国各地の旨いものと酒をうちが持とうと言うのに、
どうしてお前のギャラまでうちが持たねばならないのか」
と言うことなのであろう。
しかしこの「全国の旨いものと酒」と言うのは魅力である。
「まあギャラなんかええか」と思ってしまうワシを制して、
パール本社はメンツをかけてそれだけは死守してくれる。
まあ中国では何事も蓋を開けてみなければわからない。
ワシ相手にはそれでいいのじゃが
(ほんまはそれでは困るのじゃが)
国際ビジネスの席ではそうもいかない。
代理店も中国らしからぬちゃんとしたビジネス資料を提出する。
まずポスター。

立派なもんが出来てるではありませんか!!
担当者は鼻高々でツアースケジュール表を提出する。
辽阳(どこや?)
吉林(北朝鮮との国境や)
石家庄(こりゃ北京から近い)
贵阳(どこや?)
兴义(知らん)
徐州(聞いたことはあるが・・・)
靖江(シルクロードか?)
天津(こりゃ北京から近い)
太原(一度行ったなぁ)
郑州(聞いたことはあるが・・・)
河南濮阳(かいもくわからん)
平顶山(聞いたこともない)
上海(ここはさすがに)
呼和浩特(シルクロードの果てやん!)
新疆(こりゃ遠い!!)
广州(こりゃまた南の)
江门(どこやここ?)
深圳(香港の隣)
などなど・・・
さすが中国は広い。
このワシですら行ったことすら、
いや聞いたことすらも無いような都市の名前が羅列されている。
「ファンキーが寒いところは苦手だと言うから、
春から始まって北の都市から、秋冬には南の都市に降りてゆくツアーだぞ」
と鼻高々なのじゃが、
その日程が実は問題である。
最初のツアーは5月24日開始。
つまりXYZの次の千葉と完璧にぶつかっていたのじゃ。
「あのー・・・あんたこのスケジュール決めるに当たって、
一度でも俺にスケジュールの打診をした?」
それは気づかんかったとばかり担当者。
「ほないつなら空いてるか?」
と5月30日からのスタートにその場で変更していたが、
ワシはもちろんこんなスケジュールは信用していない。
何故なら彼はその場でまた「大決定!!」とばかり
新しいスケジュール表を鼻高々に印字して会議を終了させたが、
彼は一度たりとも先方の会場にその新しいスケジュールを打診してないのだから・・・
だから中国の仕事は「決定」と言われてもワシはそんなに信用していない。
具体的な移動のスケジュール、
つまり「もう切符を押さえたぞ」と言われて初めて「決定」である。
切符さえ押さえておけば、
万が一現地でドタキャンを食ったところで、
ワシとしては「全国の旨いものと飯」だけは確保出来るので知ったこっちゃない。
そんな中、昨日担当者からメールが来た。
「移動行程です。
これでよければチケットを押さえます。
5月29日夜中23時出発
5月30日朝7時50分遼陽着
5月30日午後14時からクリニック
終了後24時19分出発
5月31日朝9時吉林着
6月1日午後14時からクリニック
6月2日21時42分出発
6月3日9時40分北京着」
つまり移動は全部列車である。
ワシは「関口なんたら中国列車の旅」か!!!
幸いなことに(無駄なことに)
各都市での滞在時間は非常に長い。
この余った時間は全て飲み食いと言うわけか・・・
過酷なツアーはもうすぐ始まる(と思う)
終了は全国廻り終わった年末辺りである(と思う)
ワシはドラマーとしてまた一回り大きくなって(身体が)帰って来ることになるじゃろう。




