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2019年6月16日

ある愛の唄プロジェクトまとめ

「ある愛の唄」

1988年春、その1年後に爆風スランプから江川ほーじんが脱退することが決まり、「それまでにヒット曲を生み出せなければバンドを終わる」という状況の中、私は苦しみ抜いて「Runner」を生み出す。

同年のNHK紅白歌合戦にこの曲で出場し、願い通りこの曲はヒットするものの、「ヒット曲が続かねばバンドは一発屋として終わる」と言われ、また苦しみ抜いて「リゾ・ラバ」を生み出す。

その苦しみの果て頭の中でぽんと何かが弾けた私は、1990年5月に初めて中国北京を訪れ、偶然地下クラブで演奏するロックバンドのライブを見ることとなる。

「中国で本物のロックを見つけた!!」

インターネットもeメールも普及していなかった時代、興奮した私は所属事務所にそのレポートをFAXで毎日送りつけるが、所属事務所はそれを無視していた。その後、アジアブームが訪れ、アジアに進出したい所属事務所は私ではなく、別の歌手を北京に行かせて「彼が北京でロックを見つけた」という取材企画を組むこととなる。

爆風スランプがその事務所に移籍した時のトップとのミーティング。議題は末吉の個人活動について。社長は私にはっきりとこう宣言した。

「当社は爆風スランプの末吉くんとビジネスをしたいのであって、末吉くんの個人活動には興味がない」

つまり「お前は爆風スランプにだけ曲を書いとけ。ほかの曲には興味がない」ということ。爆風スランプっぽくない楽曲を生み出しても誰からも必要とされてない状況が続いていた。

「楽曲は生み出した自分の子供と同じである」と考える私は、爆風スランプの楽曲としては必要なしとされてしまった、膨大な数の生み出した楽曲をなんとか形に残そうとして、この「ある愛の唄」というコンセプトアルバムのデモ音源を作成した。

<デモ制作>

そのデモ音源は、当時近所に住んでいた歌手の卵である「キョンマ」こと岸恭子(現眞辺恭子)がアルバムの全編を歌って制作した。しかし私自身その後、日本に失望して中国に渡ってしまうことになり、いつしかこのアルバムのこと自体もすべて忘れ去ってしまっていた。

デモ音源

<コンセプト>

当時サンプラザ中野以外の詞が採用される状況ではなかったなか、このアルバムの詞は全曲私の手によって書かれた。ある女性が生まれる前から伴侶が死ぬ前までを組曲にしたコンセプトアルバムである。

のちに、池川明さんが「おぼえているよ。ママのおなかにいたときのこと」という本を出版されて、私もその本を読むことになるが、そのもっと前から私は「赤ちゃんが自分で母親を選んで生まれてくる」という考えを持っていて、それがこのアルバムのコンセプトの中心となっている。

<天安門にロックが響く>

さらに同時期、私は中国で出会ったロックの話を元に「天安門にロックが響く」という小説を書いた。

この小説が「小説現代」に掲載され文壇デビューとなった。

そしてこの小説が原作となって、漫画「北京の春」が発刊された。

この本は中国語に翻訳され、香港、台湾で発売された。
中国共産党のお膝元である中国大陸ではもちろんご法度であるが、中国人である私の妻(当時)の両親が北京から来日した時に見つかってしまいこっぴどく説教をされた。
「中国では絶対にやってはいけないことがふたつある。ひとつは色ごと、もうひとつは政治批判!!家族の中でそんなことやってる人間が現れたら一族郎党どんな目に遭わされるやらわからない」
と・・・

実は、この小説のモデルとなった中国の女性シンガーと、天安門事件で人民解放軍に殺される恋人との話が、アルバムに収録されている「ママの初恋」という曲になっている。

また、このコンセプトアルバムの主人公は、いくつかの大恋愛を経て最終的に中国に嫁いでゆき安住の地を手に入れるところなど、この小説とリンクされている部分も多い。

<キョンマとの再会>

私は長くこのアルバムのことを忘れていたが、デモですべての楽曲を歌っていたキョンマがこれを大切に保管してくれていた。

これを末吉に渡した時に彼女はこう言った。

「よかった。やっとこのアルバムを末ちゃんにお返しできた。この楽曲たちはあなたの生み出した大切な子供たちです。どの子もとってもいい子です。私もライブで時々歌うけど、聞いた人はみんな涙するんだもの」

私はまるで忘れていたこのアルバムを「初めて」に近い気持ちで聞くことになり、これを聞いて自分でも涙した。

その後、前回のクラウドファンディングでキョンマ自身が「出張ライブ」の出資者となり、このアルバムの楽曲をライブで再現しようということにもなった。

<制作開始>

ドラムレコーディング

ハーモニカ入れ

ベース、キーボード完了〜!!歌入れも平行して始めてます

Logicを使ったオーケストラアレンジ

二胡(ErHu)と扬琴(YangQing)のレコーディング

中国民族楽器レコーディング

ギター録り完了!!

そしてついにアルバムが仕上がった!!


こちらで購入できます)

そして2019年5月19日にアルバム全曲再現ライブが行われた。

そして、このアルバムの楽曲は「世界中のより多くの人に歌ってもらいたい」というコンセプトにより、現在のところ「著作権フリー」にしている。

その流れを受けて、歌手の山下直子さんもこのアルバムを歌って下さった。


こちらで購入できます。ダウンロード販売はこちら

そして今、世界中の人たちに歌ってもらうべく、キョンマ自ら歌うベトナム語版、
そして中国の著名歌手「李慧珍」が歌う中国語版と、
カンボジアくっくま孤児院の子供たちが歌うクメール語版の制作が始まっている。

ブログ記事「ある愛の唄中国語版
ブログ記事「ある愛の唄中国語版その後
ブログ記事「中国の契約書との戦い

ブログ記事「クメール語バージョン制作開始!!
ブログ記事「支援は人のためにあらず
ブログ記事「クメール語版「中国のマドンナ

Posted by ファンキー末吉 at:08:05 | 固定リンク

2019年6月12日

中国の契約書との戦い

もちろん私が最初に中国に行った時にはこんな感じではなかった。

ロックミュージシャンに機材を買って来てくれと頼まれて、
税関で没収されたらコネを伝ってそれを裏口から出す。

まあ「法律」なんか「上に政策あれば下に対策あり」なのだから何のためにあるのかという話である・・・

まああれから30年近く経ってるのだから中国も近代化して来て当たり前!!

でも「昔は良かった」という部分もあるわけで、このままガチガチで日本みたいに全く融通の効かない国になったら魅力半減という部分もある・・・


大きな山が動いた・・・私が30年近く前に作って、そのまま日本に絶望して中国に渡ってしまったために忘れ去られていたコンセプトアルバム「ある愛の唄」の中国語版がついに実現となったのだ。

日本人の音楽業界人には信じられないことかも知れないが、
今では著作権ビジネスが日本より進んでいるかもという中国のこと、
当然ながら彼女のような大歌手に歌ってもらおうとするならば会社が出て来て「契約書」などの締結が必須である。

彼女は彼女で事務所にこう伝えたと言う・・・

「Funkyは私のことをとても愛しているからお金は要らないと言うけど、そこはそこできちっとしてあげてよね」

ここで言う「愛」は、世間で言う「愛」とはちょっと違う。
非科学的なことを言うなら、彼女は前世でもきっともっと前でもいつも一緒にいたような気がするが、男女としてはいつも一緒にいない・・・

そう、「自分の分身」か「家族」のような感じである。

今世では一緒に「亜州鼓魂」と彼女のデビューアルバムを生み出しただけである。
そのおかげで彼女はスターになり、私はこうして中国での地盤を確固たるものにした。

そして今は・・・時々思い出したように数年に一度食事をしたり、
まあSNSとかで相手が元気なことを確認しては「ほっとする」・・・

そう、「分身」なのだから不幸になってくれたらちと困る。
お互いにチラ見して「ああ元気そうだな」と言うと「安心する」・・・そんな関係である。

まあこのアルバムをどうしても彼女に歌ってもらいたかったというのも、こう考えれば「必然」のような気もするし、布衣のツアー彼女の住む海南島三亜に訪ねて行った時も、漠然と「こうなるだろう」とは感じていた。

そしてそこからが大変であることも重々承知していた。
「会社」が出て来るからである。

「プロジェクトを始めるためには、まず会社とあなたが楽曲の権利に関して契約書を交わさなきゃならないの」
と彼女は言う。

聞けば会社は、このアルバムは通常の商業的なアルバムではないので、他の投資会社も巻き込んで日本円で数千万円の投資をすると言う。

日本とは全く違う権利ビジネスを歩んでいる中国音楽界であるが、
もう昔のように「歌ってよ、いいわ」で済むような世界は遠い遠い昔の話である。

契約書の雛形が送られて来て、それを布衣のマネージャーに見せたのが悪かった・・・
彼女が内容を見て激怒したのである。

「何よこの契約書!!あんたに全く不利じゃない!!」

広い中国には私を本当に愛している人がたくさんいる。
音楽ビジネスの深い仲間であるLuanShuやLaoLuanが見たらもっと激怒するだろう。

今の中国では、このアルバムが万が一売れたとすると、
日本でJASRACなどからの分配よりももっと多額の金が入って来るのだ。
「末吉が損をする」・・・これは私を愛する全ての人が忌み嫌う、一番あってはならないことなのだから・・・

でもね、「金は要らん」と言うとるんやからそれでええんとちゃうん?
権利商売はその後にあるのよ・・・

私も人から「損」だと見られることでも、結局は「恩返し」を受けて今があるし、
そもそも「契約」っつうこと自体が会社に損になることは書くわけはないのだから「そういうもの」である。

昔はよかった・・・とか言っても、
昔にもし「これしたげるから必ずこれしてね」みたいな契約書を交わさねばならなかったとしたら今の私はないだろう・・・

というわけで私はここから「板挟み」で胃が痛くなるような毎日が始まる。
ついには当の本人の李慧珍に泣きついた・・・(涙)

「心配しないで、私はあんたのこと愛してんだからあんたに悪いようにするわけないでしょ」

いや、そりゃそうなんだけど、これは俺とお前の話じゃなく会社の問題なんですけど・・・(>_<)
愛されるものの辛さである・・・

何じゃかんじゃで基本この内容で布衣んとこの弁護士に契約書をまとめてもらい、
あとは会社と私が双方で署名捺印、それでこのプロジェクトは晴れて動き出すことが出来る・・・

でもアジア諸国を放浪してるのにどうやって契約締結?・・・(笑)

最初はベトナムから一度北京に帰ろうと思ってたのだが、ビザの関係で出国出来ず(>_<)
カンボジアに郵送してもらおうと思ったが契約書送るには郵便事情が不安・・・

その後結局、大元の日本語版のタイトルを書き入れねばならなくなったので、
契約書をメールで送って来るのでそれに書き入れて、
それを印字して先に私が署名捺印して北京に送り返すことになった。

そういう作業なら1泊5ドルのバックパッカー宿でやるよりは、Wingさんが取ってくれる香港の高級ホテルがよかろう・・・
というわけでホテルで印字!!

そして署名して捺印!!・・・って朱肉がないやん(>_<)

朱肉を買いに行くところから始めて署名捺印!!

別に印鑑は持ち歩いてるけど拇印がいいんですと・・・
そりゃそうやろなぁ・・・日本ぐらいやろなぁ印鑑がこれほどまでに万能な国・・・

そして割印!!

これであとは北京に送り返すだけである!!
香港でよかった(涙)・・・カンボジアやったらどないなってたことやら・・・(笑)

はてさて賽は投げられた・・・このプロジェクト、どうなりますことやら・・・


Posted by ファンキー末吉 at:16:39 | 固定リンク

2019年5月10日

今や中国の著作権ビジネスは日本より進んでいる?!

中国の音楽界の仕組みを知っている日本人は少ないだろうと思うが、
私は30年のこちらでの仕事や付き合いの中で、日本人としては一番よく知っている日本人ミュージシャンであると自負している。

その私が先日はちょっと目からウロコのような状態だったのでその話をブログに書きたいと思う。

中国の進歩の速度は目覚しい。
ちょっと時間が空くとすぐに「浦島太郎」になってしまったりするが、
先日の私がちょっとそんな感じだったのだ・・・


まず基本をおさらいしておこう。

私の本にも書いたが、日本の音楽ビジネスが、
「コンサートツアーを赤字で廻っても、それでアルバムを売って権利商売で利益を得る」
というビジネスモデルで例えられるとすると、中国は全くその「真反対」である!!(あった?)

中国では「音楽は名刺と同じ」、歌手は自分で金を出しても立派な「名刺」を作り、
それが立派であればあるほど自分の「営業ギャラ」が上がるという、
「レコードはプロモーション、コンサートで儲ける」という「真逆」のビジネスモデルである。
(いやこれこそ「あった」というべきか・・・)


ちなみに有名歌手になると一本のギャラが日本円で1千万円を超えると言われていて、
私の知り合いの歌手はそれを年に300本以上こなしていると聞く。

まあそれぐらいの歌手になると、事務所と歌手の取り分は2:8。
日本のように、「アーティストは権利を全部事務所に譲り渡して給料をもらう」というシステムと比べて、歌手がどれだけ金持ちであるかがわかるだろう。

ちなみにその歌手は数年前に東京のベイエリアに高級マンションを買った。
支払いはもちろん「即金」である。


ではどこからそんな高いギャラが捻出出来るのかと言うことを説明しとこう。

まず彼らが出演しているイベントの多くは放送局主催(もしくは協賛等)の歌謡オムニバスイベント。
そこにコンサートの目玉として出演して2曲ほどヒット曲を歌う。

今は禁止になったが、昔は口パクだったりして、
ということは、彼らは自分のレコードに合わせて口パクで10分間笑顔を振りまいているだけで一千万単位のギャラをもらってたわけである。


ではそのギャラはどこから捻出する?

日本と違って、中国には放送局が400以上あって、
放送局主催とかだと、その放映権を当然その放送局が所有する。

全国のテレビ局はいつもソフト不足で、再放送などを繰り返したり・・・
そう、よそのテレビ局から番組を買って流したりしている。

つまり、大金をはたいてイベントをやるという目的のひとつには、
その主催番組を400以上ある他の放送局に売るというのは大きな目的である。

売るためには看板歌手が必要なので、視聴率を取れる有名歌手は必然的に一番高いギャラを貰えるというわけだ。


それだけではない。
イベントなのだから客を集めなければならない。
そのために何万人も集められる動員力の歌手が必要であるというのもある。

何万人も集まって、その映像が400の放送局全部で流れるとすると、
必然的にステージの後ろや至る所にあるところに企業の名前を入れたり、
いわゆる「広告収入」は桁違いに高くなる。

聞くところによると、サッカーというスポーツは中国は弱いのに、
自国が出場していない世界大会とかの「広告」は、今では中国企業ばかりであると言う(笑)。

そういう話を聞くにつれ、この「広告」のシステムが、現在では世界的に機能しているのだと実感する。

当然ながらそのチームが世界大会に出場したとすると、そのチームの広告収入はとてつもなく莫大になる。
これに例えると看板歌手のギャラがどうして高いのかが理解しやすくなるだろう・・・

だから歌手にとって「レコード」など「名刺」と同じ、
その「営業ギャラ」こそが一番大きな収入なので、
「名刺」なんかいくらでもタダで配ってもいいよ・・・

・・・というのが今までの私の認識であった。
(注:その現実は今もなくなったわけではない)


さてここまでは「今は昔」の話・・・
それが今はその「名刺」がお金になるよ、
つまり、中国にはもうちゃんと「著作権ビジネス」があるよというお話・・・

先日、中国の業界人の重鎮で古い友人であるLaoLuanと飲みながら、
前々から感じてた素朴な疑問をぶつけてみたところから話は始まる。

先日私がレコーディングした歌手は、彼の会社の「所属」なのであるが、
「じゃあどこで儲けてんの?」
という話をしたのである。

新人なんだから当然有名歌手のように高いギャラでイベントに呼ばれることもない。
「営業ギャラ」自体がないような存在なのであるから、前述のように「音楽は名刺、コンサートで儲ける」はあり得ない。

それなのに、先日のレコーディングように事務所がお金を出して、私やその他スタジオミュージシャンをブッキング、
またその高級なレコーディングスタジオの料金までを事務所が払っている・・・

「そんなにお金使ってどこで元取ってんの?」
ということである。

「投資だよ。今はまだまだ回収出来ないけど、1曲当たれば全部回収出来る」

!(◎_◎;)・・・それって楽曲の権利?・・・って一体どこから回収すんの?

何せ、往年のカセットテープの時代、
「一応印税はあるんだけどねぇ・・・工場で何本以上製造したら、最初のお金の他に一本いくら支払いますって契約なんだけど・・・その海賊版がその工場自体でプレスされてたりするからどうしようもないんだよ(笑)」
などと言われたりしていた・・・

そしてCDの時代、
「発売日になるとねぇ・・・やっぱ海賊版が気になるんだよ。ひどい時にはどっかからデータが横流しされて正規版より先に海賊版が発売されてたりする(笑)・・・でもねぇ、海賊版が作られてないって状態だったらそれはそれでこのCDは売れないってことでそれも困る(笑)」
などと言われてたりした・・・

そして今はネットの時代!!

ちなみに日本は映像メディアがDVDの時代になっても、VHSだベータ(懐かしい)だのの「ビデオテープ」がそれはそれは長く長く流通していた。
(今もされてる?)

ひょっとしたらそれは国や日本国民がビデオ屋さんとかを守ろうとしているブレーキをかけているのかも知れないが、
中国なんてDVDが出て来た瞬間にビデオテープなんか一瞬にして消え去った。

そしてネットの時代になり、レコード屋(昔は中国では本屋でカセットが売られてたなぁ・・・)とか何軒潰れようが誰も全く気にしない。

国の体制は社会主義、だけど経済は資本主義、それが「中国特色の社会主義」。
その経済のシステムである「資本主義」は、新しいものに対応出来ないヤツらは没落していって当たり前!!それが「生き馬の目を抜く」資本主義なのである。


さてネットの時代・・・と言ってもまだまだ配信だけではなくCDも生き残っているが、
カセットテープの時代と一番大きく違うのは「デジタル刻印」である。
(これはネット配信もCD販売も同じ)

ちなみに私は自己のJazzバンド「おすし」のアルバム「いただきます」の中国での発売を申請している。
その時に色んな「刻印」を要求される。

楽曲ごとのISRCは日本にもあるのだが、「IFPI証書」って何?・・・
みたいなどったんばったんで学習してゆく・・・

まあISRCは楽曲にデジタル刻印されている楽曲ごとの番号だが、
CDに物理刻印されているIFPIというものも含めて、その他色々申請せねばならない。

まあそれがなくてもCDは出せる。
しかし、ライブ会場で手売りすることは出来るけど、正式に発売したり配信でダウンロード販売したりは出来ないよ、と・・・

つまり、ライブ会場で細々と手売りするならいいけど、
発売量の大きなちゃんとした売り方をしている全てのCDや楽曲には「全てこの刻印がされている」ということである。

そう、だから今の時代、使われた曲やCDはデジタル追跡して調べられるのだと・・・!(◎_◎;)


ではそれを誰が調べて誰が徴収してどのようにして回収してくれるのか・・・

・・・と、このように考えてしまうところがまず「日本的」(笑)、
古き良き(?)時代から長くJASRACさんとかの恩恵に預かっていてぬるま湯にずーっと浸かっていたからこのような発想しか出来なくなる・・・

「著作者の皆さんが、ご自身で使用者を調べて徴収するのは手間でしょ?だからJASRACがそれを代わって徴収してあげましょう」
その代わり
「権利は完全に譲渡して下さい。自分の曲でも勝手に使ったら告訴しますよ」
・・・とこれが日本のシステム。

流通するものほぼ全てにデジタル刻印がされてて、ネットさえあればそれを誰でも追跡出来る時代に何それ?・・・(笑)

ちなみに飲みながら私が一億円損した話とかの話をしてたら、
「昔はね、でも今ではあり得ないね。もしあったら連絡して。うちの弁護士紹介するから」

・・・そう、JASRACの代わりをするのは「弁護士」!!
「著作権侵害されてるな」という事件があったら、弁護士が「仕事」としてその金を回収して来る。

・・・と言っても別に告訴するとかではなかろう。
「代理人」として内容証明を送りつければ事足りる。
悪あがきして告訴でもされたらもっと払わなければならなくなるのだ。

・・・ってか将来そんなめんどくさいことになるなら最初に払っときましょうよ!!
・・・そう考える方が当たり前。

「著作権料払わんかい!!」とエグい裁判ばっかやり続けている日本なんかより、よっぽど「民度が高い」と言えはしないか?(笑)
(但し、そのシステムを支えているのは、例えて言うと「人民ひとりひとりにもデジタル刻印されている」みたいなこの国の監視システムがあるからであろうことは想像に難くない)


また、日本にはアメリカなんかと違ってフェアユースという物の考え方がない。

例えば布衣の楽曲を誰かがカバーして演奏したとする。
でも布衣自身が「こりゃ宣伝のためにもやって欲しいよねぇ」と思えばそれでいいが、
日本では著作者がどう考えようがJASRACが否応なしに徴収しに行く。

ちょっと前に日本の有名バンドが
「結婚式でうちの楽曲は無償で使用していいよ」
と発表して波紋を呼んだが、
ファンがそれを見て「著作権料払わなくていいんだ」と思って実際に結婚式で使ったとすると、それがJASRAC管理楽曲だったらJASRACはそれを容赦なく徴収しに行く。

そして私との裁判で主張したのと同じように胸を張ってこう言うだろう。

「これはお前らの曲じゃない!!うちに譲渡してるんだからうちの曲だ!!」

なんて「野蛮」な国だと思わざるを得ない。
中国では作者がそうして欲しいと言えばそれで通る!!
弁護士に回収しに行かせなければそれでいいのだから・・・


ちなみにアメリカのバンドは弁護士をマネージャーにしたりすると聞く。
イベント出演における金銭トラブルがないように契約書を作成したり、
また万が一トラブルがあったら決して取りっぱぐれないように取りに行くということらしい。
プロモーションはプロモーションで別のプロモーション会社に発注するらしい。

日本のように、アーティストが全ての権利を所属事務所に譲渡して、その代償として給料を貰って「サラリーマン」になるのとは根本的に違う。

著作権においても、
「日本:全ての権利をJASRAC等に譲渡して、そこから手数料引いて分配をもらう」
のと、
「中国:お金取って欲しい時に弁護士雇って取って貰って手数料を弁護士に払う」
のとの違いである。


さて、前述のLaoLuanの事務所は、この「取りっぱぐれがない」という現実を見て、こうして多額の投資(しかも莫大な額やと思う)をしているのである。
取りっぱぐれる可能性が高いなら、当然そんなビジネスはやらない・・・

まあ想像だが、こうしてこの新人女性歌手に投資してどんどん曲を作ってEP(シングル)としてタダでネット配信して、ちょっとでも名声が上がって来て、ここぞという時に弟のLuanShuが手がける映画音楽(それが必ず大きな映画である)のテーマソングなどが決まって、まあそれが新しく書き下ろしでもいい、その曲がヒットして金を生むだけでなく、今までこうして投資して作って来た全ての楽曲がその瞬間から全部金を生むようになる。
こんな感じ

つまりは「権利商売」!(◎_◎;)

「一曲ヒットしたら全部元が取れる」
というのはあながち誇張ではないと私は感じる・・・


ちなみに、中国ではどうやら「著作権」と「原盤権」が一緒になっているというニュアンスを感じる。

楽曲を作った彼女と事務所の取り分は現状では半々であると言う。
日本の音楽出版社が最初は作家と半々で契約するのと同じであるが、
それは「楽曲はお前のもの、原盤は金を出したうちのもの」みたいなものではないかと想像する。

しかし日本では一番最初に金を徴収するJASRACの手数料が引かれる。
CMの場合は何もせずに25%、つまり1千万のCM料が許諾を受けて出版社に流すだけで750万に減るのだ。
Runnnerの出版社がCMの印税だけはJASRACを外すというのも頷ける。

しかし中国ではその1千万が丸々入る。
もし万が一ばっくれられて入らなかったとしたら、弁護士に250万払ってそれを回収して貰ったとしたとしても、それでも日本と同じ収入である。

ちなみに日本でのJASRACのように権利を全部弁護士に譲渡してる訳ではないので、
自分で使うのももちろん自由、チャリティーで使うのも自由、要は「取って来て欲しいものだけを依頼」すればそれでいい。

でもまあこれほどシステマライズされた時代に無許可でCMに使うアホはおらんわのう・・・(笑)
使いたかったら、後々大きなトラブルになって莫大な額を取られるより最初に払っておいた方がよい(そりゃそうだ・・・)。


ではどうやって最初に払う?・・・

これは今度は布衣LaoWuから聞いた話だが、
「もしこれがお前が作った曲だとするだろ?」
から始まって、
「それだったらこれはお前の曲だと注册(ZhuCe)されてるから」

!(◎_◎;)

注册(ZhuCe)・・・つまり「登録」

デジタル刻印には当然ながら作詞作曲家の情報も紐付けされているから、調べようと思ったらすぐに調べられる。
つまり国家のデータベースに全て情報があるから、JASRACみたいな組織は必要ないのである!(◎_◎;)

ちなみに「おすし」の「いただきます」の申請の時にも作曲者名を申請しているので、
進藤くんの曲は調べたら(どうやって調べるかわからんが)ちゃんと「進藤陽悟」と出る(はず)。

ではその曲を使いたい場合はどうやって進藤くんに辿り着く?
・・・それは申請とまるで逆のルートを辿ればよい。

レコード会社(どこになるか知らんが)→発売元(布衣の会社)→布衣のマネージャー→ワシ(申請者)→進藤くん

まあこれは日本でも同じ、国家のデータベースがJASRACのデータベースとなるだけで、バカ高い手数料を取られて同じようなルート(日本の場合は出版社経由)で私をすっ飛ばして進藤くんに行く。


さて最後にあとひとつ、ダウンロード配信に関しても日本と全く違うシステムが存在するのでそれについて書きたいと思う。

まず最初に、YouTubeとかも同じだが、無料で音楽や映像を配信する会社の「収入」というのはやはり「広告料」であろう。

YouTubeとかにも広告が流れたりするが、中国ではヒドいところになると1分以上広告を見させられるのだからたまらない(>_<)

「広告イヤでしたら会員になって下さい。そしたら広告消しますので」
まあ日本でもよく見るシステムだろうが、中国のこの長ったらしい広告を見たらみんな会員になって消すだろう・・・(笑)

この会員料というのは一見非常に安く見えるが、ひとりひとりは安くても何億人も集まれば相当な収益になる。
そして企業にとって助かるのは「毎月必ず安定した収入を生む」・・・

例えひと月に100円の会員料であっても1億人が登録すれば月間100億円の定期収入なのだ!(◎_◎;)
(参考資料:中国のネット人口7億人

まずはこの莫大な「収益」というのを頭に置いて読んで頂きたい。


いつぞやネットで「中国の音楽ダウンロードのほとんどは正規版である」みたいな記事が出て物議を醸していたが、私はそれは本当だと思う。

現実、中国ではQQ、网易云など多くの音楽配信を行う会社があるが、
どれも中国の大手企業であり、ここが違法ダウンロードなど扱えるはずがない。

昔とは違う。
昔は「大手=国とがっつり=違法し放題」みたいな流れがあったが、
それも習近平政権になっての「汚職追放キャンペーン(という名の粛清?)」の流れでどんどん難しくなっている。

人民もわざわざウィルス満載のそんなアブナいサイトに行って違法ダウンロードしなくても、今では合法にいくらでも無料ダウンロード出来る。
その合法ダウンロードを経済的に支えているのが「広告料」であることは容易に想像出来るだろう。

「ほらやっぱダウンロードは無料だから商売にはならないじゃん」
などと言ってるとまた中国人からバカにされますぞ!!
次のビジネスモデル・・・


これは布衣から聞いた話・・・

まるっきりのド新人だとまず曲を無料で配信する。
前述の新人女性歌手などもそうであるが、
売りたくても誰もド新人の名前も曲も知らないんだから、
まずは無料だろうが何だろうが聞いてもらわなければ始まらない。

ところが布衣のように、アンダーグラウンドとは言え、どの地方都市に行っても数百、大都市だとヘタしたら1000人近く動員するバンドになったらわけが違う。
現在どの大手サイトに行っても必ず布衣の楽曲は全部ある。

次のステップは「専属契約」・・・!(◎_◎;)

大手のうちひとつ選んで、
「次のアルバムはあんたんとこからだけ配信しますんでお金下さい」

!(◎_◎;)・・・そんなシステムがあるのか?!!

これはもう「著作権」というよりは「モノを売り買いして儲ける商売」と同じ理論である。
「この音楽をうちが独占したらどのぐらいうちの得になるか」
というところで「値段」が決まる。

超有名歌手の作品を独占して、「うちでしか聞けない」となると、必然的に他のサイトよりも人気サイトになるわけだし、そうすれば広告料もねずみ算的に跳ね上がる。

当然ながら有名歌手の方が布衣なんかよりも金は高い。
日本のように「売れてる人も売れてない人も同じ著作権料」というのとは違う、
「金持ちはより金持ちになる」という純粋な「資本主義」のシステムがここにもある。

それぐらいの有名歌手になると、更に「会員限定配信」とかにするらしい。
そうすれば会員数が劇的に増えて、毎月サイトに落ちる金が莫大になる。

次には更に「無料」ではなく「有料配信」!!
会員様はその値段が安くなります!(◎_◎;)

日本人には想像出来ないビジネスモデルがここにある・・・


昔からこちらでバックバンドの仕事をする時に、
「演奏曲目はこれですんで」
で音源など送られて来ない。
「ネットにいくらでもあるだろ、自分でDLして聞いとけ」
である。

その先にこんな「ビジネス」があったなど私なんかも想像だにしてなかった(>_<)

私も日本に自分の音楽の音楽をDL配信しているサイトを持っている。
ファンキー末吉楽曲配信サイト

サイトを開いてみて頂ければわかるが、
アメリカの会社AppleのiTunesを始めとして色んなダウンロードサイトがひしめいているけれども、そのほとんどが外国の会社である。

中国は違うのだ!!
ほぼ全部国内の会社でそのシェアを競い合っている!(◎_◎;)

日本で「レコチョク」と「AWA」がシェアのほとんどで、Appleも含め後のシェアはほとんどありません・・・なんてことが起こり得るか?

だからアーティストも「レコチョク」が「次のアルバムはうちで独占で配信させて下さいよ〜お金払いますから」と言ったって契約するはずがない。
シェアがないんだからアーティストにとってそれでは「損」になる。

だからこのビジネスモデルは現状の日本ではあり得ない。

でも中国では最大手のQQがそれを言うと、どんなバンドも喜んで契約する。
他のシェアを全部潰したって残るシェアが大きいから・・・


ちなみに「じゃあiTunesとかはどうなの?」と質問してみたら、
「ああいう外国のサイトは別」
と言うので、試しに布衣の一番新しいアルバムをうちのサイトから販売してみることにした。

こちら

これが中国のダウンロードビジネスにどのように影響するかちょっと実験してみようと思う・・・

こんな国で活躍しているアンダーグラウンド(と言ってももうかなりのビッグバンドになって来ているが)の音楽を日本の方々もぜひ聞いてみて頂きたい。
(全曲私のアレンジ、私もドラムとプロデューサーとして参加してます)


最後に「あとがき」として・・・

中国から見たらむっちゃ古い時代遅れのシステムに今だに縛られ続けている日本の方々にはちょっとびっくりするレポートだったかも知れないが、
「・・・だと思う」とかレポートだったら無責任だろ!!とか言わないで欲しい。

私はレポーターでもジャーナリストでも何でもない。
このレポートを配信してお金を儲けている「プロ」でもない。

私はこの国で何十年も音楽をやって糧を得ている「音楽家」である。

同じく日本でも何十年もやって来たから日本の音楽システムもかなり理解している。
でも中国で何十年も音楽をやって生きて来た日本人は私だけである。

その私が「経験」してわかったこと、それはまだまだこの国の音楽ビジネスの氷山の一角かも知れないが、それでも日本とは「全然違う」ことに間違いはない!!

出来れば日本のジャーナリスト達も、私の中国語レベルではないちゃんとした通訳を雇って、ちゃんとこのビジネスモデルを「しっかりと」取材することをお勧めしたい。

また、頭の固い日本の音楽業界の方々も、是非「心を開いて」このビジネスモデルを研究してもらいたい。

新しいものを取り入れられない、古い体制から変われない、そんな輩は淘汰されて没落してゆくのが「生き馬の目を抜く資本主義」なのだから・・・

日本が没落しないために・・・

Posted by ファンキー末吉 at:16:42 | 固定リンク

2019年5月 8日

「ある愛の唄」中国語版

ブログ記事「ある愛の歌」中国語版でも書いた「李慧珍(Li HuiZhen)」からやっと返事が来た・・・

彼女にアルバムを聞かせてから、このせっかちな私が全く彼女に連絡せずにひたすらずーっと返事を待っていた。

元々がそんなに頻繁に連絡を取るような間柄ではない。
いつもWeChatのモーメンツとかで相手のアップした情報を見て、
「うんうん、元気そうだな」
と「生存確認(笑)」をするだけでいい。
そんな「間柄」である。

布衣のツアーのアモイの日にメッセージが来た。

「Funky〜あの歌詞カードのデータある?私にくれたのPDFじゃない?文字データのが欲しいの」

事務所の人に聞かせてミーティングするらしい・・・

それからまたぷつっと音沙汰がなくなったが、
このせっかちな私がひたすら待った。

アルバムの感想なども一言も聞いてない。
「聞いたわよ。とても良かった」とかの一言もない。

「催促」とかしちゃったら、大切にしている「何か」が壊れてしまいそうな気がして、逸る心を抑えてひたすら待ったのよね・・・

でも「ミーティングにかける」ということ自体が「良かった」ということではないか・・・

まあ万が一「これはちょっと・・・」と言われる可能性も頭に入れていたのだが、
この「ミーティングにかける」ということ自体で「最初の本人の段階で蹴られる」という懸念は全て吹っ飛んだことになる。


しかしここからが問題。
彼女も、まあ今は第一線は退いているとしても「有名歌手」のひとりである。
ちゃんとした事務所に所属もしているし、彼女自身が「商品」として色んな会社や人々の生活を支えている存在であることも十分想像出来る。

「これいいわねぇ、遊びでいいから出したいわ」
が通じる立場ではない。
「出すならちゃんと商売にする」
という人達の中で生きているのが「スター」なのである。


そのまま布衣のツアーをしながらひたすら待った・・・
そしてようやく先日、長春の山奥にて返事を受け取った。

「Funky、事務所のOKが出たわよ!!
このアルバムは通常の商業的なアルバムじゃなくコンセプトを売るアルバムなので、普通の売り方じゃなくそれ用の宣伝チームを組まなきゃなんない。
だから別の会社も探して来たから、その会社も投資してうちの会社と一緒にやることになりそう」

!(◎_◎;)・・・山が動いた・・・しかも巨大な山となって・・・

「だからね、まず権利関係をクリアにして契約書を結ばなくちゃなんないの」

権利関係ったってワシが作ったもんで別にどこにも権利はおまへんがな・・・

というわけで、現在事務所のマネージャも出て来て難しい契約書のやり取り・・・
・・・ですが皆さん、ここでひとつ声を大きくして言いたいのは、
「今では中国ではヘタしたら日本より著作権がしっかりしている」のだよ!!

発展の速度がハンパじゃないこの国は、気がつかないうちに昔書いた「権利商売」はその先にある!!よりももっと先に進んでいる・・・!(◎_◎;)

まあその辺は次のブログ「今や中国の著作権ビジネスは日本より進んでいる?!」で詳しく説明するとして、とにかくこの中国語版によって私にはお金が入るのですぞ!!

つまり中国で権利商売が出来る時代になった!!(◎_◎;)

全てはこのクラウドファンディングでパトロンになってくれた方々のおかげ!!
感謝感謝!!・・・もう立派にJASRACなど必要のないシステムがこの国では出来上がっているということです・・・

思い通り以上に上手く動いているこのプロジェクトですが、
そもそも私は別に「儲けよう」と思ってこのアルバムを出したのではない!!(キッパリ)

日本の音楽ビジネスの狭間で捨てられていたこの子たち(このアルバムの曲たち)を、世界中の色んな人たちにもらってもらいたい、歌い継いでもらいたい・・・

DEMOを歌って大事に保管してくれてたキョンマ自身が歌ってくれた世界で最初のこのバージョンに続き、キョンマ自身によるベトナム語バージョン、カンボジアのくっくま孤児院の子供達に夜クメール語バージョンも制作を開始している。


そしてここに来て、日本の歌手「山下直子」さん(通称ナッキー)による新しいバージョンが出来上がりました!!

そうそう、これをやりたかったのよね〜・・・
色んな人に歌い継いでもらいたい!!

ナッキーが「この曲を歌いたい!!アルバム全部歌いたい!!」と言ってくれてとっても嬉しかった。

レコ発ライブもあるというので是非足を運んでやって下さい!!

また、クラウドファンディングでカラオケをゲットして自分バージョンのアルバムを作りたいと思ってる人、まだ躊躇してたり、色んな困難にぶち当たってたりしてたら是非私にご一報下さい。

金はないけど出来ることはお手伝い致します!!

クラウドファンディングには参加してないけど、「私も歌いたい」という方も遠慮なく相談して下さいね〜こちら


ご本家キョンマのレコ発ライブはこちら〜!!

第一部は売り切れです。
19:30からの第二部をご予約下さい〜こちら

世界初のバージョンとなるキョンマバージョンはこちら〜

「ある愛の唄プロジェクト」・・・想像以上に動いてます〜

Posted by ファンキー末吉 at:17:54 | 固定リンク

2018年12月31日

SING THE BLUES FOR YOUライナーノーツ

01:最後までよろしく
 (作詞:ザビエル大村・三井雅弘 / 作曲:ザビエル大村)

私が大村はんと出会ったのは2000年春のこと。
X.Y.Z.→A (エックス・ワイ・ズィー・トゥ・エー:Vo 二井原実、 G 橘高文彦、B 和佐田達彦、Ds ファンキー末吉)というバンドで「100本ツアー」と銘打って日本全国をくまなくツアーで廻っていた。
二井原実が喉の不調により関西方面のライブが何本かキャンセルになってしまい、共通の友人"三井はん"の紹介で大村はんのマンションに初めて泊まりに来た。
マンションには「ギター部屋」があり、見たこともないようなギターがいっぱい並んでいた。
その中から一本を取り出して弾いてくれたのがこの曲。
ギター1本でベースラインから伴奏、メロディーまで奏でる「ラグタイムギター」という奏法に度肝を抜かれた。


02:淀川リバーサイドBlues
(作詞作曲:ファンキー末吉)

谷町線「守口」駅からほど近い、淀川を見下ろせる
大村はんのマンションにあるCDはそのほとんどがブルース。
大村はんがギターを爪弾いてもその全てはブルース。
朝起きてからそんなブルースばかり聞いていたら、ついつい酒を飲みたくなる。
昼間っからウィスキーの水割りを飲みながら「ええなぁ」とブルースに酔いしれる。
当時このマンションの近所に「へんこつや」というホルモン屋があり、夕方にはそこに行ってホルモンを食う。
そんな数日間の生活でだんだんわかって来たのだが、このマンションにはちょっと前まで「嫁」がいたらしいが出て行ってしまったらしい。
「歌になるなぁ...」ということで出来上がったのがこの曲。


03:ハゲでよう見たら背もちっちゃいからずんぐりむっくりやけどそれでも今日からあたいの大事なだんな様(仮)
(作詞作曲:ファンキー末吉)

「髪」、いや「神」というのはいるもんなんですなぁ・・・
そんな大村はんにも「二人目の嫁」がやって来た。
爆風スランプの追っかけの双子姉妹のひとり。
双子というのは面白いことに二人でいつも一緒にいる。
学校も同じ、卒業して職場も同じ、趣味も同じ爆風スランプ、妹はサンプラザ中野、姉はファンキー末吉のファン。
また面白いことに双子というのは二人を一緒くたにされるのが嫌らしい。
「だったら一緒におるな!!」という話なのであるが、姉は姉、妹は妹、ちゃんと一人して区別してくれる相手じゃないと、結婚どころか恋愛とかも絶対にダメらしい。
そこで「髪」ならぬ「神」が登場!!
ある日、同じ大阪でサンプラザ中野のライブとファンキー末吉のライブが同じ日に行われたのである。
双子の姉妹はここで初めて別々に別れてライブを見に行くことになり、私のライブにひとりで来た姉を大村はんに紹介し、トントン拍子に結婚と相成った。
私は新郎新婦の紹介者として結婚式の仲人となり、披露宴で歌うこの曲を作ってプレゼントした。
思えばこの結婚式以来誰も歌うことがなかったこの曲を、私自身が歌い継ごうと思い今回アルバムに収録した。
タイトルは今だに仮タイトルのままである。


04:おお BEIJING
 (作詞:サンプラザ中野、作曲:ファンキー末吉)

爆風スランプが「Runner」「リゾ・ラバ」などヒット曲を連発していた頃、実は私の精神状態は一番よくない状態であった。
毎日テレビの娯楽番組などで忙殺され、「芸能界」というところが大嫌いになり、「自分は何をやっているんだろう」という思いがピークになって来たある日、友人の鍼治療に同行して初めて中国に旅行に行った。
その時偶然地下活動をしている中国のロックバンドのライブを見た。
血が逆流するほどの感動の中で「俺は中国人になる!!」と言って今に至る。
若かりし頃、黒人音楽を初めて聞いて「俺は黒人になる!」と言ってアフロヘアーにし「ファンキー末吉」と名乗って以来の人生の大転換である。
頃は1990年、前の年に起こった天安門事件以来、一番締め付けが厳しい時代の中国で、地下活動としてロックをやっている若者たちのことを思ってこの曲を作った。
サンプラザ中野はこの曲に天安門事件の民主化のリーダーの一人とその恋人をモチーフにしてこの詞を書いた。


05:ママの初恋
(作詞作曲:ファンキー末吉)

北京から帰った私は「心ここに在らず」でいつも中国ロックのことばかり考えていた。
爆風スランプが活動停止となったのもこれがひとつの大きな原因である。
そんな中、私は中国ロックを題材に小説を書き、それが「小説現代」に掲載され文壇デビューすることとなる。
この「天安門にロックが響く」という小説は、その後「北京の夏」という漫画の原作となり、それが翻訳されて香港、台湾で発売された。
中国共産党が支配する中国大陸ではもちろんご法度である。
私の嫁(当時)は中国人で、その両親が初めて日本に来てこの漫画を見つけた時、私にそれはそれはこんこんと説教をした。
「中国では絶対にやってはいけないことが二つある。
ひとつはエッチ系、そしてもうひとつは政府批判」
そしてこう強く念を押した。
「家族のうち誰かがそんなことをしていただけで、ひょっとしたら一族郎党殺されていまうかもわからないのよ」
そんな時代である。
だが私は当時、天安門事件で恋人を殺されるこの小説の主人公である女性ロッカーをモデルにしたこんな曲まで作っていた。
これは当時作ったコンセプトアルバム「ある愛の唄」の主人公(この女性ロッカーの子供)が、子守唄として母親から恋人との恋物語を聞くというお話である。

(小説はこちら、コンセプトアルバムの詳細はこちら、別バージョンのこの曲のMTVはこちらにあります)


06:あんた好みの女
(作詞作曲:ファンキー末吉)

その時代、私はよくオカマバーに飲みに行ってた。
年老いた化け物のようなオカマが経営する小さなスナックに行くと、「ようこそお化け屋敷に〜」とそのママさんがドスの効いた声で言うのが好きだった。
そこのメグちゃんという筋肉隆々のオカマ。
彼氏に振られたらしく私が一生懸命慰めていた。
「それでね、彼ったらね、腹いせに女なんか連れて来たのよ〜」
さめざめと泣きながら涙を流すメグちゃん。
「それで?どうなったの?」
「もちろん半殺しにしてやったわよ」
心は女、でも身体は筋肉隆々のメグちゃんが好きだった。
後に化け物のようなママさんが私にこう言った。
「あんたあの娘のこと好きでしょ、ダメよ〜あんたは女ともすぐに友達になっちゃうでしょ、そんな男はオカマにはモテないの。オカマはね、ち○ち○好きで人間捨てたのよ〜オカマ好きになるならすぐにやっちゃわないと」
オカマの世界も深い・・・
私もいつかこんなオカマと手を繋いで街を歩いてみたいものである、という曲。


07:あたいの100$の恋
(作詞作曲:ファンキー末吉)

売春婦に本気で恋をした男がいた。
貧乏なミュージシャンなのであるが、金が入ると彼女に全部使っていた。
無口な男なのだが、ツアー中に電話がかかって珍しく長話をしているのでついつい聞いてしまった。
「だからツアーなんだよ。仕事なんだ。帰ったらすぐに会いに行くから」。
女性と縁遠かった彼がやっと恋人が出来たのかと思ったらその売春婦だった。
「え?でも普通に一緒に食事したりしてるんだったらもう恋人じゃん」
私なんかは単純にそう思ったのだが、
「だって、やったらお金払わなくちゃなんないし・・・」。
私は彼にこう聞いた。
「でも・・・君は彼女のこと好きなんでしょ?」
これはちょっと困った顔でこう言った。
「いや、そんなにお金ないですから」
返答に困っているのか質問と答えが微妙に食い違っている。
「じゃあお金あったら結婚したいとか思う?」
「いや、お金ないっすから・・・」
また質問と答えが微妙に食い違う。
「もしあったらの話だよ。結婚したいと思う?って聞いてるの」
彼はちょっと間を置いて小さく頷いた。
涙なしでは歌えないBluesである・・・


08:Merry Christmas Blues
(作詞作曲:ファンキー末吉)

2000年ぐらいに北京に居を移した私に飛び込んで来た色んな世界情勢のニュースの数々。
アメリカの同時多発テロ、その対テロ戦争としてのアフガン侵攻・・・
そんな北京である日、ギターを爪弾いてたらふと浮かんだこのメロディーと歌詞。
遅筆な私には珍しく、最後まですらすらと歌詞が出来上がった。
そこでは生きていてもどうしようもないというほど悲しみに満ちた女性が世界平和を祈る。

その後とある中国の有名歌手がこの曲を歌ってくれて、その歌手が愛してやまないこの曲を作ったのが私だと聞いて涙を流して抱きついて来た。
(その時の話はこちら
この歌手にこんなにも愛されて、この曲はなんて幸せなんだろう、そして作った私もなんて幸せなんだろうと思った。
この曲はそうやって世界平和を願う多くのシンガーに歌い継いでもらいたいと、心からそう思う。


09:Star
(詞:渡辺英樹、作曲:丸山正剛)

一世を風靡したバンド「C.C.B.」のベーシストでありリーダーでボーカリストの渡辺英樹さん、
彼の最後のバンドとなった「VoThM」のレコーディングが北京で行われ、それが最後のアルバムとなって彼は帰らぬ人となった。
この曲は、その時にレコーディングされた曲である。
基本的に自分の作った曲しか歌えない私が、それからこの曲を歌い継ごうと決意した。
毎回毎回ライブの時に、
「あんたほど上手くは歌えないけどね」
と天国の英樹さんに言い訳しながら歌う。
「かっかっかっ」・・・生きてる頃の高笑いが聞こえてきそうである。
ところが北京の自宅でひとりで真夜中にこのテイクを録音している時に、いつもは絶対出ないようなこんな声や歌い方が突然出来た。
どうしてなのかわからない。
こんなテイクはもう二度と録れないだろう。
「かっかっかっ・・・その後のライブでは頑張ってこんな風に歌いなはれや!!」
天国で英樹さんがそう言って笑っているような気がした。


10:What a Wonderfull Night
(作詞作曲:ファンキー末吉)

私は、はすっぱな女が好きである。
まだ会ったことはないが自分のことを「あたい」と言い、相手のことを「あんた」と呼ぶ・・・
そんな女が本当に絶望したらどんな気持ちなのか・・・
そんなことを考えながら多くのBluesの曲を作ってきた。
しかしこの曲の主人公は珍しく男性である。
同様に人生に絶望し、この相手こそはと思った相手が、朝になったらいなくなってしまうことを知っている。
それでも「なんて素敵な夜なんだ」と歌う・・・
男性版Bluesの決定版である。


11:キーキー言われてもーたBlues
(作詞作曲:ファンキー末吉)

「世の女性という生き物は、どうしてあんなにキーキー言うのだろう」
世の男性は、口には出さないもののみんなこのように思っているに違いない。
ある時にアマチュアミュージシャンのジャムセッションでとあるベーシストに会った。
彼は本当に楽しそうにベースを弾き、そして本当に美味しそうに酒を飲む。
そしてこんなことを言うのだ。
「幸せだなぁ...ほんっと、金がないのと嫁がキツいのを除けば人生はほんっと楽しい!!」
この話を題材に、詞だけ書いてツアーに持って行った。
曲なんかは
「キーはDの3コードのブルース。手ぇ挙げたらブレイク!」
これだけでBluesの曲なんかすぐに出来てしまうのだ。
ライブの度に歌い回しやメロディーなどを変えてゆき、キーがDからEに、そして最後には金切り声のGまで上がり、ギターもオープンチューニングのスライドギターになって完成されたライブバージョン。
こうして全世界の男性の心の叫びを代弁するBluesが 出来上がった。


12:人は何で酒を飲むのでしょう
(作詞作曲:ファンキー末吉)

2000年に私がプロデュースしてデビューした「三井はんと大村はん」の代表曲。
当時のレコード会社にはJazzのレーベルがあり、そこで私のJazz系のユニットがレコードを出させて頂いていたためにそのレコード会社から発売させて頂くことになった。
ところがそのJazzのプロデューサーのトップの方が私の事務所に打ち合わせに来た時に、出来上がったばかりのこの曲が事務所で流れていた。
そのプロデューサーは打ち合わせを中断してこの曲に聞き入り、そしてこう言った。
「末吉くん、この曲は・・・哲学だよ!!」
ライブバージョンなので途中の間奏に喋りが入っている。
「結婚は判断力の欠如!離婚は忍耐力の欠如!!そして再婚は記憶力の欠如!!!」
哲学である・・・


13:65歳の地図
(作詞作曲:ファンキー末吉)

1989年にリリースされた爆風スランプの楽曲に「45歳の地図」という曲がある。
奇しくもちょうど20年後にこの「65歳の地図」という楽曲がリリースされることになるのだが、残念ながらアンサーソングではない。
「45歳の地図」は主人公が息子に、中学校の文集で「親父のようにはなりたくない」と発表されるお話だが、こちらの設定は息子ではなく娘。
定年退職を目前に控えて熟年離婚されるサラリーマンの悲哀と娘への愛情を歌った曲である。
私の友人にモリタカシという人間は存在するのだが、そこの家庭の物語ではない。
別の友人「E」の家庭が、実際に自分の部屋に食事を運んでもらってひとりで食べてたところからこのストーリーを思いついた。
もっとも「E」は同じ家にいながらご飯のお代わりが欲しい時は嫁にメールしていたのだが・・・

この曲のMTVはこちら

これら楽曲はこちらからダウンロード購入出来ます。
(視聴も出来ます)

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2018年12月27日

裏おすし

Jazzなのだから毎回演奏は違う。
「失敗」も含めて、「人生」と同じでそれも含めてひとつの「作品」である。

今回「おすし」の「いただきます」をライブ録音するに当たって、ワンツアー全てのライブを録音して、結果一番勢いのある最終日2日間の録音を採用した。

しかし他のライブにもいいテイクがいっぱいあった・・・

というわけで、「いただきます」と全く同じ曲順で、テイク違いのアルバムを作ろうと思い立った。
タイトルは「ごちそうさま」(笑)

「いただきます」はこちらでも販売しているが、「ごちそうさま」はライブ会場のみでCD-Rにて販売する。

配信はこちらにて両方ゲット出来るので、コアな人は両方揃えて聞き比べてみるとよいと思う。

配信では詳しいディティールを書ける場所がないので、下記にそれぞれのディティールを解説と共に書いてみたいと思う。


まず、ミックスは予算がないので私自身がやらせて頂いた。
そのせいかドラムがちょっと大きいなというテイクもあるかも知れない(笑)

あと世俗的過ぎると言うか、小市民と言うか、
「いただきます」は拍手はなるだけ切っているのに対して、
こちらの方は思いっ切り大きく、そして長く入れてあるのであわや74分のCDに入らなくなるところだった(笑)

マスタリングはファンキーStudio北京の方言(FangYan)。
銭金抜きでやってくれたのはいいのだが、その分こだわり過ぎて・・・(>_<)

まず最初のバージョンが送られて来た時にはびっくりするぐらいよくて小躍りしたもんである。
ところがしばらくして「あのバージョンはダメだ」と言い出して、またしばらくして2つ目のバージョンが送られて来た。

これが私としては個人的には気に入らない。
いじり過ぎてて何か人工的過ぎてJazzっぽくないのである。

やり直しをお願いしたらそれから1ヶ月音沙汰なし!(◎_◎;)、
この前北京に帰った時に聞いてたら、更に5つか6つバージョンを作ってたらしい。

「もうええから提出しなはれ」
と言って提出させたバージョンがこれ。

工場に納めた後も
「Funky老師〜またちょっと直したいんだけど・・・」
と言うので
「もうええわい!!工場に入れたわい!!」
と言ってやり直しを拒否した(笑)

まあ録音した場所が違うので一概には言えないが、「いただきます」に比べて音が太い印象がある。

「いただきます」が「白」のイメージだとしたら、このアルバムは「木目」のイメージ。
シンバルレガートの音がシンバルというよりスティックの木の音が強く聞こえているような気がする。

それではそれぞれの曲の解説を・・・
(「いただきます」「ごちそうさま」共通の解説も含む)


01:The Door To 7th Heaven(2018年10月22日高田馬場音楽室DXのリハーサル)

これだけが「いただきます」と同じ高田馬場音楽室DXでの、こちらは本番ではなくリハーサルのバージョン。
この曲はライブ毎に色んな変更点を加えていって、結局この最終日にやっと完成形となったのでこのテイクしかなかったのだ。

ちょっと聞くと「いただきます」と「ごちそうさま」どちらがどちらのバージョンかわからない演奏である。

最初の小さなドラムソロの部分は、「いただきます」と同じフレーズを叩いている。
これは8分の7拍子のソロの部分にいきなり4分の7拍子になるフレーズを叩くので、リハとして
「本番ではこんな風に叩きますからね」
と叩いたものが採用されてしまったからである。

まあJazzとしては少し残念だが、これも含めて「テーマ」と考えれば納得がゆく。

(この曲のエピソードはこちらにもあります)


02:ろう君の初恋(2018年10月15日名古屋Breath)

これはもう長くやっているのでどのテイクも甲乙付け難い。

このバージョンはツアー初日のバージョン。
Breathのドラムは他の店と違ってロック系のドラムセットで、タムもフロア含めて4つ並んでいるのでタム回し系のフレーズが多い。

この店だけ定位が他と違ってドラムが真ん中、ベースが左で、ピアノが右となっている。


03:Dream Express(2018年10月18日京都RAG)

京都RAGはピアノが生ピアノなのが特筆すべき点である。
ピアノの定位も客席から見て後ろを向いているので右が高音部、左が低音部と「いただきます」の逆になっている。

ツアーのこのぐらいからこの曲のドラムソロの最後のフレーズがスティーブガッド系3拍フレーズに固定された。
ドラムソロのソロフォームは、テーマ部分を最初から演奏してサビの部分をXtimeで繰り返している。
サビに入ったところで1小節目と4小節目にテーマメロをもじったセクションが入るが、
次の小説頭で仕切り直さずそのまま叩くことによって小節感を不思議にしているところがミソである。


04:Dolphin Dance(2018年10月15日名古屋Breath)

ハービーハンコックの名曲で私の大好きな曲である。
最後のドラムソロでは、このライブで3連符の8つ取り、8ビートに聞こえるフレーズをやってみたら面白かったのでその後この曲ではずーっとそれをやっている。


05:Everything Is From the Sea(2018年10月18日京都RAG)

進藤陽悟のオリジナルで3拍子の曲。
3拍子は非常に自由なリズムで、2拍で取ってゆっくりの4ビートになったり、
3拍4連で取って早い4ビートになったりする。

生ドラムと電子ドラムと同じように、生ピアノと電気ピアノとは全く違う楽器である。
楽器が違うので当然「弾き方」が違う。
生ピアノバージョンならではのセッションをお楽しみあれ。


06:炎の靴(2018年10月18日京都RAG)

「いただきます」と比べて一番違うのが「テンポ」。
こちらのバージョンが落ち着いて聞こえるのは演奏が落ち着いているだけでなくテンポそのものが落ち着いているのである。
それにしてもあの重い生ピアノの鍵盤で電気ピアノと同じように軽やかに弾く進藤陽悟は大したもんである。


07:Diamond Dust(2018年10月18日京都RAG)

ジェフベックの「ブロウバイブロウ」に収録されている5拍子の美しい曲。
ピアノトリオでこの曲をやろうとなって3人で色々試行錯誤した。

まずテーマをベースが取った時に、分数コードの分母を弾く人がいなくなる。
そして今度はピアノがテーマを取った時に、分散和音のアルペジオを弾く人がいなくなる。

結局分数コードは何とかアッパーコードで解決し、
5拍子のアルペジオを左手で弾きながら右手でテーマを取るという風に落ち着いた。

ウッドベースは「作音楽器」と言って、ピアノのように「この鍵を押さえたらこの音が出る」というのではなく「音を探りながら演奏する」楽器である。

「歌えないメロディーは弾けない」らしく、この転調の激しいメロディーを一生懸命空で歌えるようにしていた大西さんが印象的である。


08:Memories(2018年10月15日名古屋Breath)

全中華圏で知らない人はいないというバンドBEYONDのボーカル黄家駒が日本のバラエティー番組の事故で亡くなったことを受けて、その香港での葬式の時に浮かんだメロディーで作った追悼曲である。

彼は今真っ白な気持ちのいい世界にいて、音楽家は「偶然」が重なって「名演」と呼ばれる演奏が出来た時だけトリップしたような感覚になってその世界に行くことが出来る・・・


09:Canal Street Samba(2018年10月18日京都RAG)

いつもアンコールで演っているサンバの曲。

途中のドラムソロは、いつの間にか出来るようになった「上下巻全分離」。
足ではずーっとそのままサンバのリズムを刻んでいるが、
手は3連の5つ取りや16符の5つ取り等を経て、最後には足はそのままで全く自由に叩くという、「ソロ」というよりは今やもう「芸」である。


10:ママの初恋(2018年10月18日京都RAG)

天安門事件で恋人を殺された女性ロッカーが、その娘に自分のその恋の話を子守唄として語るという曲のインスト版。
2018年年末が2019年初頭までに私は4枚のアルバムを出すが、その全てに収録されている曲である。

それぞれの配信はこちら

「おすし/いただきます」、「おすし/ごちそうさま」、「ファンキーはんと大村はん/SING THE BLUES FOR YOU」が現在(2018年12月29日現在)配信されてます。

コンセプトアルバム「ある愛の歌」ただ今制作中!!詳しくはこちら

Posted by ファンキー末吉 at:19:34 | 固定リンク

Jazzへの思い

私の生まれ育った香川県坂出市という当時の田舎町では、レコード店にはまだRockやJazzというジャンル分けはなく、大きく「演歌、歌謡曲」と「ニューミュージック」というくくりしかなかった。

町にはレコード店が2店しかなく、比較的近かった「ニチイ」の中のレコード店によく通っていた。

そこには長髪の見るからに「ロック」という店員のお兄ちゃんがいて、
時々聞いたこともないような音楽を店内で流していた。

あとでわかったことだが、
お兄ちゃんとて「店員」なので、売れないレコードを仕入れるわけにはいかない。

そこで見つけたのが若かりし頃の末吉少年。

「ボク、Rock好きか?それならこのレコードを買え!!Rock好きならこれは絶対に持ってなきゃならんレコードや!!」

そう言って自分の欲しいレコードを私に注文させ、
入荷したらそれを店でヘビーローテーションして聞くだけ聞いてから私に売りつけるのだ。

四国の片田舎ではRock雑誌なども売っておらず、
お兄ちゃんがいつもレコードを買う(私に買わせる?)ために参考にしてたのは「ニューミュージックマガジン」という月刊誌。
それとて本屋などに置いてあるはずはないのでおそらく「定期購読」してたのだろう。

そのレコードレビューにオススメのレコードがあれば、それを私に注文させて、入荷したら店でヘビーローテーションさせて自分が聞いてたというものだ。

「ニューミュージックマガジン」というぐらいだから、当時の荒井由実からコアな欧米のRockまで何でも載っていた。

お兄ちゃんのオススメの(彼が聞きたかった)レコードの中に、ハービーハンコックの「ヘッドハンターズ」があり、これにぶったまげて「ハービーハンコックっていう凄いFunkミュージシャンがいる」となって、「そのレコードが欲しい」となる。

お兄ちゃんが「じゃあこれ買え」と言って注文してくれたのが、「VSOPハービーハンコックの軌跡」というレコード。

ド頭の「The Eye Of The Hurricane」がさっぱり理解出来ず、それこそ「擦り切れる」ほどレコードを聞いた。

好きなドラマーが、Rockではコージーパウウェル(高校をサボってレインボーを見に行ったので)、Jazzならトニーウィリアムスというのは全てこのお兄ちゃんのおかげ(せい?)である。

かくして、そのような状況だったので、最初からRockだJazzだのジャンル分けする環境ではなく、私にとっては全部同じく「Rock」であった。

だってレッドツェッペリンとキングクリムゾンは全く叩き方が違うけど同じRockでしょ?
だから私にとってはトニーウィリアムスもRockだったのだ。

実家が「平和園」という中華料理屋だったので、
そこの3階にある私の部屋で色んなバンドを組んで練習してたこともあり、
「平和園ファミリーズ」という名前でインストの音楽を渋谷陽一のFM番組に送りつけ、とても好評されたのを覚えている。

それはJazzというよりFusion。
スウィングの曲もやってたけど当時のテクニックではやはり難しかった。

ミュージシャンの数が絶対的に少ないので、
同じメンバーでツェッペリンをやったり、出来る程度のJazzをやったり、それが「平和園ファミリーズ」。

ジャンルを超えたP-FUNKみたいな存在だった(笑)

そんな状況なので、当時はRockをやるかJazzをやるかなどの「夢」ではない。
「とりあえずこの田舎町を出なければならない」という状況なので、
1、ニューヨークに行ってJazzをやるか
2、東京に行ってRockをやるか
という漠然とした「夢」でしかなかった。

大阪に行ってブルースをやるという夢は、当時この田舎町でもブルースバンドをやっていたのでいつの間にやら実現した気になっていた)

人生のひょんな運命から東京へ行って、爆風銃、そして爆風スランプへと続き、
そして紅白に出てRunnnerがヒット。

江川ほーじんが脱退して、中野と河合でRunnerのプロモーションをしている頃、
もういい加減日本の芸能界がイヤになってた私は、昔の「夢」がむくむくと頭をもたげて来ていた。

「充電旅行」と称してひとり旅で最初にニューヨークを訪れた時には、
実はもう日本に帰って来るつもりはなかった。
このままニューヨークに住み着いてJazzをやろうと思っていたのだ。

それぐらい日本がイヤだったのだ・・・

着いてすぐニューヨーク在住の松宮という友達に最初に連れて行ってもらったのがBlue Note、憧れのJazzクラブである。

当時ハナ肇さんにサインをもらった白いスティックケースを改造して、
中にパスポートなどを入れるポケットを作って、それだけ持って行動してた。

文字通り「スティックだけ持って世界を廻りたい」という憧れだったのだろう。

折しも金曜日で、Blue NoteはJam Session Day。
ぶったまげるようなレベルのプレイヤーがJazzをやってた。

スティックケースをどんとテーブルに置きながら、なかなか勇気を出してステージに上がることが出来ない。

「末吉さん、誰かドラマーいないか?って言ってるよ」
松宮がそう言うのだが、
「もう一回待とう」
と言って尻込みしてた。

「しゃーないなぁ〜じゃあ俺のブラザー」
とでも言ってるのだろう、セッションリーダーのトランペッターがひとりの黒人のドラマーをステージに上げた。

忘れもしない、彼が叩いた「チュニジアの夜」があまりに凄くて、私はテーブルの上にあるスティックケースをすごすごとテーブル下に隠してしまった(笑)

「ブラザー」と言うのは「実兄弟」だと思ってたので、
きっとそのドラマーはセッションリーダーの兄弟で、名のあるプロドラマーがたまたま来てたのでステージに上げたのだろうと思い、松宮に、ステージを降りるそのドラマーを捕まえて通訳してもらった。

「あなたはさぞかし名のあるドラマーでしょう。私は一週間しかここにいない。その一週間であなたはどこでライブをやりますか。私は全部見に行きたい」
松宮にそう言って訳してもらった。

答えを聞いて愕然とした。
「俺のライブ?・・・じゃあ来週のJam Sessionでまた叩いてるからここに来いよ」

このレベルのドラマーがこの街ではただのアマチュアドラマー?
私は愕然として、もうニューヨーク滞在中にスティックケースを開けることはなかった。


すごすごと日本に帰ってから「芸能人」の生活に忙殺されたが、
むしろ私の闘争心に火がついて、ヒマさえあれば日本のJazzクラブに行ってはJam Sessionで狂ったようにJazzを叩いていた。
時には知り合いになったJazzミュージシャンのライブに行って、飛び入りで叩かせてもらったりした。

「Jazz屋のオヤジ」と言われるいわゆるJazzクラブのオーナーは爆風スランプなんか知らない。
「ドラムがうまいか下手か」だけである。

それが私にとってはとてつもなく居心地がよかった・・・


だいぶ叩けるようになってちょっと自信をつけて来た私は、
生まれ故郷の香川県での爆風スランプのコンサートの移動日に、
高松のJazzクラブでJazzライブをやらせてもらうことになった。

地元のミュージシャンとのセッションライブで、
今ではJazz界の重鎮となった多田誠司さんなんかがいた。

今から考えればなんと無謀な、
PAもない生ピアノで全部生音であるという、特に音の大きな私のようなドラマーにはとにかく過酷な条件である。

「怖いもの知らず」というか、Jazzどころか音楽も十分理解していない当時の末吉は、案の定ガンガンに叩きまくっていた。

「こらドラマー!!」
曲の途中でマスターの怒声が飛んだ。

「うるさいんじゃ!!ピアノが聞こえんじゃろ!!」

ステージ上で罵声を浴びるなど生まれて初めてのことだったので、
もう萎縮してしまってそれから全くろくに叩けない。

半泣きでステージを降りた私の首根っこを掴んだマスターは、
そのままずるずると客席のひとりひとりのところに連れて廻ってこう言った。

「うちの店では最高のJazzしか聞かさんのじゃ。
おい、こいつのドラムはどうやった?正直に言え!!」

全ての客のところにそう言って連れて行かれるのだが、
客だってそうそう面と向かって「下手でした」とは言えない。

でも見ればわかる。
「顔に書いてある」のである。

私は泣いた。
恥も外聞もなく泣いた。

絶対に上手くなってやる!!
そしていつかまたこの店に来てマスターを見返してやる!!


また狂ったようにJam Sessionでドラムを叩いて、
FusionではあるがSOMEDAYという店で定期的に演奏さえてもらえるようになった。

黄家駒が見に来たライブというのはこのライブである。

そこで知り合った佐藤達哉さんという物凄いサックスの人と一緒に高松に凱旋ライブを行った。
マスターは達哉さんの大ファンだったので渋い顔をしながらも今度は怒声を浴びせなかった(笑)

「まあまあやのう」ぐらいの感じであろうか、
「ほらギャラや!!」と無造作に渡してくれた封筒を、一緒にやってくれたJazzメンにそのまま全部渡してみんなで分けてもらった。

「これは私のリベンジのためにお願いして来てもらったのだから私がもらう言われはない」
という意味だったのだが、
「なんや、お前、かっこええやないかい」
マスターは私の頭をしばいてそう言って笑った。

マスターがおごってくれたうどん屋のおでんがすこぶる美味かった。


その後またニューヨークに行く機会があったので、Blue Noteに直行した。
Jamセッションをやってたので、今度は胸を張ってドラムを叩いた。

感触は・・・よかった。

「なんだ東京のレベルはもうニューヨークとあまり変わらないんだな」
と思ったが、後で聞いたら、当時は電子音楽の台頭で、生楽器はニューヨークでは食えないのでみんなナッシュビルに逃げて行ってたという状況もあったらしい・・・

何曲か入れ替わり立ち替わりドラムを叩いたが、
白人の若いドラマーが私のドラムソロを聞いてこう言ったのを覚えてる。

「なんだ、Rockのドラマーか・・・」

Jazz界ではRockであることに常にコンプレックスがあった私だが、
この時には頭の中で何かが弾けててこう言い返してやった。

「そやで、Rockやけどそれがどした?悔しかったら叩いてみぃ!!」・・・日本語で(笑)

その昔、スティーブガッドがチェットベイカーのアルバムでスィングを叩いた時、
「あれはSwingではない!!シャッフルだ!!」と酷評する人がいたが、
私なんかはあれはあれで素晴らしいJazzだと思った。

私自身はスティーブガッドよりはもっとJazzっぽく叩きたくて色々試行錯誤したが、
ソロになると今まで培って来たものが出てしまうのはもういた仕方がない。

「お里が知れる」というものである。

でももうこの歳になって、Jazzより長くRockと共に生きて来たのだから、
お里が知れてどうなのだと今ではそう思う。

初めての純Jazzアルバムをリリースすることになって、
今ではもう何のコンプレックスもなくこれをJazzだと胸を張ってそう言える。

ドラムソロにジョンボーナムのフレーズが出て来ますがそれが何か?
ツーバス踏んでますけどそれが何か?

私はこうやって生きて来た。
涙を流しながら、歯を食いしばりながら、
戦って来た相手は誰でもない。

「自分の中のコンプレックス」である。

私はもう解き放たれた。
それが私の中で一番大切なものである。

だから全ての人に、(高松のマスターにも(笑))、胸を張ってこれを聞かせて、胸を張ってこう言うことが出来る。

「Jazzをやってます」と・・・


Funky末吉アコースティックJazzユニット「おすし」の配信サイトはこちら(視聴もできます)
CDの購入はこちらより購入出来ます

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2018年10月31日

Logicを使ったオーケストラアレンジ

今回は少し専門的なお話・・・

このアルバム最後の曲(下記のYouTube映像32:50から)

は、このDEMOではオルガンだけで演奏されているのだが、バンドで演奏してみると、なにかドラムやら現代音楽の楽器はどうもそぐわないような気がした・・・

その時の映像:36:38から)

ではこの曲は全部オーケストラの楽器で演奏させよう!!
ということでアレンジを始めた。

このクラウドファンディングは目標額に達さなくてもアルバムは作るのであるが、
ひょっとして目標額を超えた場合には本当に生のオーケストラで録音することも出来る・・・

日本ではあまり知られていないが、私は絃楽器やら管楽器やらフルオーケストラをアレンジ出来るという珍しい「ドラマー」である(笑)

まあ音大の打楽器科の人にはそういう人もゴロゴロいるだろうし、
そういう人たちは楽器がたまたま「打楽器」であるだけで、
楽典やらの理論は他の楽器の人と全く同じように勉強するので、
まあむしろその人たちから見たら「自然」なのだろうが、
日本では「ロックドラマーが何故?」という偏見が強いのか、いつも「違和感」を持たれている。

中国ではと言うと逆に
「これだけドラムが上手いんだからそれぐらい出来るでしょう」
ってな逆に間違った(笑)考え方があるようで、
時にはレコーディングで「コンガ叩いて下さい」とか言われて閉口してしまう時もある。

ドラムとコンガは全く別の楽器なのよ〜
ギタリストにピアノ弾いて下さいって言うのと同じなのよ〜

・・・ってか言われたらやるけど(笑)


さて笑い話は置いといて、オーケストラアレンジは96年に発売した私のソロアルバム「亜州鼓魂」の時に初めてオーケストラ譜を書いたのが始まりである。

今ではコンピューター譜面で、全く馴染みのないハ音記号や移調楽器のトランスポーズ、
ひいては各楽器の鳴りまでがコンピューター音源で確認出来るのだから楽になったが、
当時は勧進帳のような何段もあるオーケストラ譜に手書きで書き込む。

ハ音記号の「ド」はどこだとか、移調楽器を別のキーで書いたり、
実際に鳴る音は譜面よりオクターブ高いとか、楽器自体の「鳴り」も想像しながら書いてゆく。

LogicTenkousei.jpg

(この時に書いた「転校生は宇宙人」のブラスバンド譜面。コンピュータでやってもこれだけ複雑である)


さて「時代は便利になった」と言っても相当ややこしい作業である。

手順としては、「Logic」という打ち込みソフトを開いて、まずメロディーを打ち込む。
そして最初から最後まで入る楽器であるオルガンを打ち込む。
ここまでは問題ない。

そして「ストリングス」である。

シンセを使ってバーっとコードを打ち込むのとはわけが違う。
ストリングスのそれぞれのパートの人は基本的にひとつの音しか弾かないのだから、
まず一番高い音のパートの人がどんなラインを弾くかを考え、
次に一番下のパートの人がどんなラインを弾くかを考え、
間の人がそのコードの中で使ってない音を拾ってゆく・・・

ストリングスは「バイオリン1」「バイオリン2」「ビオラ」「チェロ」の各パートと、
エレキベースが入らない今回のような場合には「コントラバス」を入れたりする。

この5パートのトラックを作って、それぞれにKONTAKTというソフトシンセを立ち上げて音を割り当てて行くと、それだけでパソコンのCPUがふーふー言っている・・・

これに金管楽器や木管楽器のために新しいトラックを立ち上げた途端にソフトがフリーズ!!(>_<)

同様の経験で悩み続けている音楽家は多いと思うので、
今回偶然発見したLogicのメモリー節約方法を披露したいと思う。

(トラックのフリーズ機能というのもあるけれども、やたら時間がかかるのと、あまりCPUの負担軽減にならない)

まずLogicでも何でも作曲やアレンジをする時には履歴代わりに色んなファイルネームでプロジェクトを保存するだろうが、今回やってみたやり方は、ストリングスパートやブラスパートなどをそれぞれ別のファイルとして保存した。

Logic0.png

しかしこれでは各パートをどのようにアレンジしたのかが次の作業の時に分かりにくくなってしまう。


オーケストラのアレンジは常に色んなパートが複雑に絡み合って作られてゆくので、
勧進帳の何段もある譜面を縦に見て、「この部分ではどのパートがどんな音を出しているのか」を常に把握しながら作業を進める必要がある。


具体的に言うと、ストリングスをどう書いたかを把握して、、次に書くブラスなどのパートがそれとぶつからないように、そしてお互いに書いたラインが上手く絡み合ってよい効果を生み出すようにしなければならないということである。


だからストリングスパートをまずオーディオファイルとして書き出して、
ブラスとか次の楽器をアレンジする時にはそのプロジェクトにそのオーディオファイルを読み込んでやる。

(書き出し)

Logic1.png

全てのオーディオファイルはここにあるので、別パートのエディット作業をする場合は、そのプロジェクト以外のオーディオファイルを全てそのプロジェクトに読み込んでおけばよい。


さて、この作業がどんどん進んでゆくと、
金管楽器に続いては木管楽器、そしてコーラスパートと、ファイル数もどんどん増えてゆく・・・

しかしトラック数が増えればCPUが悲鳴を上げる。
プロジェクトをパート毎に分ければメモリーは節約出来るが、
反面、エディット等を繰り返してゆくうちに、全てのプロジェクトを開いてどれも同じ状態に保つのは逆に大変な作業になる。

これが簡単に出来る方法を今回偶然に見つけたのだ。

Logic2.png

Logicではデフォルトで、バウンスファイルはそのプロジェクトのルートフォルダにある「Bounce」というファイルに保存される。

数多く作ったStringsやらBrassやら他のパートのプロジェクトでも同じところに保存されるのだ。
これこそがミソ!!

ひとつのプロジェクトを閉じる時に、そのアレンジを何も考えずにバウンスしてやればよい。

Logic3.png

前の状態から変更があった場合はこのようなダイアログが出るが、
気にせずに「置き換える」をクリックしてどんどん書き換えればそれでよい。

何と別のプロジェクトを開いた場合には、そのオーディオデータは最新のデータに勝手に置き換えてくれるのだ\(^o^)/

注意すべきは、バウンスする時には打ち込み部分のデータのみ生かしておき、
他のオーディオデータを全てミュートすることである。

Logic4.png

また、作業をしてゆくうちに各パートの音量バランスを取って作業しやすくしたりするものだが、
どのパートの音量を上げたとか下げたというのを覚えておいて、
次にそのパートをエディットした時に出力する全体の音量もそのように変更しておけばよい。

そうすると全てのパートの音量がいい感じで揃って、最終的にプロトゥールスに出力する時に各パートの音量がいい感じに揃っている状態になる。


こうして各パートをエディットしては、それに影響される他のパートを直し、
そして元のパートに戻ってそれに合わせてエディットし、
そんな作業をもう延々1週間以上毎日続けている。

この便利な最新科学技術を使ってもオーケストラアレンジというのはこれだけの手間がかかるのだ。

あと2週間後には歌入れがある。
納得出来るまで旅先でエディットを続け、その時にはこの歌から歌ってもらって真っ先に皆さんにお聞かせしよう・・・

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2018年8月25日

Merry Christmas Blues

昨日は遼寧省の田舎街でのイベントで、
贝贝(BeiBei)という歌手と黄绮珊(Huang QiShan)という歌手のバックをやった。

リハの様子・・・

歌手1のサウンドチェックなう〜遠くに見える仏像に心癒される・・・ - Spherical Image - RICOH THETA
歌手2のサウンドチェック~夕日を浴びて仏像が神々しい~ - Spherical Image - RICOH THETA

本番の様子・・・


贝贝(BeiBei)のことはまた後に書くとして、今日はこの黄绮珊(Huang QiShan)の話・・・

彼女は去年北京で大きなコンサートを開いて、その時も私は呼ばれてドラムを叩いたのだが、同時に新しいアルバムもレコーディングしていて、何曲かスタジオミュージシャンとして呼ばれてドラムを叩いた。

そのアルバムがこれ!!

素晴らしいアルバムなのだが、聞いてみたらほとんどの曲を私が叩いている!(◎_◎;)

スタジオ仕事なんかやったらすぐ忘れてしまうのだが、
ドラムを聞くとなるほど「ファンキー末吉」である。

また、「曲を提供してくれ」と言うので、自分の作品を色々送りつけてたら、
「これが欲しい!!」
ということで、小林エミさんのアルバムに提供した「Merry Christmas Blues」と、
以外にもX.Y.Z.→Aの「Shaning Star」を伴奏音源ごと提供した。

更には「アレンジをしてくれ」と言うので、
へーすけさん、米川くん、仮谷くんのチームで3曲アレンジして音源を納めているので、そんなこんなで ドラムはほとんど私ということになってしまっているのだ・・・

まあコンサートで自分の叩いたドラムを再現するっつうほど「楽」なことはないが(笑)、案の定イベントではいい出来で演奏を終え、その打ち上げの席でのこと・・・


「もうね、この曲がいいのよ・・・」

何の話の流れか忘れたが、新しいアルバムの話になって、この「Merry Christmas Blues」の中国語カバー、「冬城」という曲をスマホで流しながら聞き入っている・・・

「Funkyさん、本当にありがとう、こんな素晴らしい曲を・・・」

作ってくれて・・・と言うのかと思ったら、どうも話が違う・・・
どうやら私はアレンジをしてオケを作っただけだと思っているようだ。

「この曲はね、誰だか知らないけど日本人が作ったメロディーだって・・・
もうね、私は歌手生活で初めて、スタジオに入って最初から最後まで一発OKで録音したんだから。一回しか歌ってないのよ・・・」

あのね・・・とばかりちょっと口を挟んでみる・・・
「この曲・・・書いたの・・・この俺・・・」

そう言うと、
彼女は突然えらく興奮して私に飛びついて来て、
強くハグして、そして涙ぐんだ・・・

「そうなの?あんたなの?この素晴らしいメロディーを書いたのはあんただったのね」

まるで「長く探し求めて人とやっと会えた」そんな感じである・・・
この曲を愛してて愛してて、
「こんな素晴らしい曲を作った人といつかお会いしたい」
と思ったら意外にもその人が目の前にいた・・・
そんな感じである・・・

彼女の涙に私の涙腺も緩み、抱き合って一緒に泣いた・・・
こんなこと・・・曲を書く人間にとって最高の誉め言葉である(涙)


曲は「自分が生み出した子供」だと思っている。

自分で歌を歌える人間でない限り、
どんな素晴らしい子供も、生み出したところで歌ってくれる人がいなければ生命を吹き込まれない。
(だから最近はお恥ずかしながらも自分で歌おうと思い始めた)

それがこの大歌手にこれほどにまで愛されて、
この我が子は、そして私自身はどれだけ幸せなことかと思えて泣けて来たのだ・・・

「見て見て、MTVも作ったのよ。これも最初から最後まで1カットで撮ってるの・・・」

MTVまで作ってるのならこの曲がアルバムの「リーディングソング」なのだろう、
嬉しい限りである・・・


この曲はもともと、イラク戦争かなんかの時に北京で書いた曲である。

主人公は関西弁のはすっぱな女。
自分のことを「あたい」と言い、相手のことを「あんた」と言う。

実際はそんなはすっぱな女と会ったことはないのだが、
そんな女が私は好きで色んな歌に登場させたりする・・・

そんな女が男を愛し、想っても想ってもどうにもならない、
そんな絶望の中で、「人に優しくしよう」と思って来る。

そんなはすっぱ女が好きである・・・


詞は別にして、誰か中国の歌手に歌ってもらえればと思ってはいたのだが、
当時の中国はまだインターネットがあまり普及してなく、
今と違って外国の情報に乏しいので「純国産風」の楽曲しか採用されなかった。

第二期の五星旗でヤンヤンに歌ってもらったりはしてたのだが、
最初に歌って「レコード」として世に出してくれたのは三井はん

「三井ぱんと大村はん」のアルバムラッカンサンというアルバムに収録され、
その後小林エミさんのこのアルバムに収録された。

(ちなみにエミさんは「あたい」とは私は言わへんなぁ・・・
というわけで「わたし」に変えている)

もうね、和佐田のベースはいいとして(笑)、
西野やすしさんの泣きのギター、
そして須藤光さんのオルガンは涙モノの演奏・・・(涙)

そしてこのバージョンが海を越えて中国でそのまま使われ、
そしてこの大歌手がイチ押しで歌うならきっとこの国でヒットして、
更に色んな人に愛される曲になるだろう・・・


当時私は別にJASRACと揉めてたわけではなかったのだが、
この曲はずーっと著作権登録をしていない。

「世界平和」のために作ったのだから、漠然と
「この曲は色んな人に歌ってもらいたい」
と思っていたからである。

だから当初の考え通り、もし日本でもこの曲を気に入ってくれる人がいたらどんどん歌って欲しい。

音源と譜面をアップしておきます。

世界がもっともっと平和になりますように・・・

MerryChristmasBluesOriginalKey.png


Merry Christmas Blues

A: 明日はChristmas あんたと出会って 初めて過ごした夜だった
あたいの人生 どうせこんなんやから せめて明日は祈りたい

A' いつかはきっと 争いもなく 平和な日々が来ますように
憎しみより 愛するみたいな あたいになれますように

B' こんな気持ちに なれたのもきっとあんた あたいのたったひとりのJesus
いつでもあんたを 忘れはしないと 泣いた遠い日のMemory

A'' あたいの人生 どうせこんなんやから せめて明日は祈りたい

<間奏>

A' いつかはきっと 争いもなく 平和な日々が来ますように
憎しみより 愛するみたいな あたいになれますように

B' 神様なんて あたいにゃわからへんけど 悲しい時はあたいのJesus
いつでもあんたを 忘れはしないと 誓ういつものMerry Christmas

A'' あたいの人生 どうせこんなんやから せめて明日は祈りたい
心から祈りたい いつまでも祈りたい

アーメン

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