
2023年2月28日
布衣劇場ツアー2023河南省鄭州河南艺术中心
一日移動日次の日ライブというスケジュールで組まれている今回のツアー、時々間に2日空く時がある。
移動して次の日セッティング、その次の日ライブのみというスケジュールで、今回の鄭州がそれ!!
ところで、河南省に来たら待ち構えているおっさんがいる!!
(最初はこの時、次はこの時・・・など(>_<))
こう言うと人にびっくりされるが、実はこう見えても人見知りなのである(>_<)
でもまあ今ではマネージャーと繋がっててくれて、私ではなくマネージャーに直接連絡が行くので楽である。
向こうは好意であっても、毎回私のところに連絡が来て、私からマネージャーに食事のセッティングとかを相談するってのは実は非常に手間なのである・・・
ツアーで一番大変なのは、駅とか空港に着いてからタクシーなどに分乗して機材持っての移動なのだが、今回は大型バスが待ち構えているし、機材もトラックに積んで運んでいるので楽である。
ホテルに着いてがら連絡が回る・・・
「ご飯行く人は降りて来てね〜ご馳走が待ってるわよ〜」
連れて行かれたところがまた高級なレストラン!(◎_◎;)
店の名前が「杜康なんたら」という店で、この杜康酒っつうのが実はこの辺の名物で、中国最古の酒と言われてる銘酒らしい!(◎_◎;)
元々は人の名前で、日本でも酒を作る人のことを杜氏と言ったりするのはここから来ているということだ!(◎_◎;)
また、田中角栄が最初に中国に来て国公正常化を成し遂げた時にこの酒を求めたという都市伝説もある!(◎_◎;)
これ!!
非売品を売っているところが中国らしい(笑)
料理もずらりと並ぶ・・・
エビチリって中華やったんや!(◎_◎;)
こっちで見たことなかったから、天津飯みたいなジャパニーズ中華かと思ってた・・・
そしてシメのスープ!!・・・やはり味が薄い(>_<)
(なぜ中国のスープは味が薄いのかの考察はこちら)
実は今回はおっさん頭(笑)の大刚(DaGang)は来ておらず、いつものその子分みたいな(笑)坤(Kun)が色々取り仕切ってくれてたのだが、この食事は実は彼のお兄さんの奢りだそうである!(◎_◎;)
まあ手を変え人を変えありがたい話である・・・
鄭州にはJazzクラブがあると言うのでその後に行ってみた・・・
なんとピアニストはオーストリアのウィーン音楽学院でJazzを学んだと言う!(◎_◎;)
さっそく混じってセッション!!
2曲目はswingや言うてたのにevenで弾いとるん?ソロからまたswingなん?
16-16-8-8の変則A-A-B-A形式なんや〜まだまだ知らん曲多いのう(>_<)
ここでもオーナーにしこたま酒を奢ってもらって、明日また来ることを約束してその日はこてん・・・
次の日は会場に入ってセッティングして、そのまままた接待を受ける〜
また手を変え人を変えて、今度は有名な役者さんの自宅やと!!!(◎_◎;)
前菜の鶏の足でロックピース!!(笑)
そしてまたJazsクラブ!!
キーボードの順治も混じってセッション!!
オーストリア帰りのピアニストともセッションしたかったので呼び出してセッション!!
この日もオーナーにまたしこたま奢ってもらって次の日は二日酔い(>_<)
まあライブ当日ではあるけど、前日にセッティングとサウンドチェックは全部終わらせているので夕方まで寝るだけ!!ゆっくり休めるわぁ・・・
と思っていたら!(◎_◎;)
今まで現れてなかった大親分の大刚(DaGang)が今晩来れないんで食べ物持って訪ねて来るって・・・(>_<)
困るのよねぇ〜部屋まで押しかけてこ来られちゃ(涙)
後には坤(Kun)までやって来て(涙)
LaoWu達が助けに来てくれてダベってくれてるのが非常に助かる・・・(>_<)
でもね、それやったらみんなLaoWuの部屋でダベってくれたら助かるんですけど・・・(涙)
というわけで差し入れられた地元の名物・・・これってツアー中には荷物になるから実は困るのよねぇ・・・(>_<)
というわけでやっと帰ったのでゆっくり休んでライブ!!
ドラムソロ!!
打ち上げは去年と同じくラーメン屋さんを貸し切り〜
ということはこのラーメン屋さんが我々を接待!!(◎_◎;)
まあ手を変え人を変えて色んな人にご馳走になりました〜!!!
ところで今回の酒の席で坤(Kun)がこんなことを言っていた・・・
「僕と大纲(DaGang)はね、北京に行くとLuanShuにいつもご馳走してもらうんだよ。だからね、LuanShuにFunkyさんを紹介してもらって、そしてFunkyさんに布衣を紹介してもらって、だから僕らはあなた達が来たら絶対もてなさなければならないんです!!この縁に本当に感謝してます!!」
奢られてばかりで感謝されてもなんなのだが(笑)、このLuanShuという人間も、まだ彼がペーペーだった頃、私が彼をいっぱい助けてやった。
回り回ってLuanShuから受けた恩を彼らは私に返しているというわけだ・・・
実際のところ中国社会はいくら経済大国になったと言っても、基本的にはこれで回っている・・・
中国は4000年の歴史の中で、徳川幕府のように何百年も国が平定されたことがない。
常に戦乱があり、血で血を洗うような戦いの中で生き抜いて来た。
「中国人は地縁、血縁、金しか信じない」と言われるのはこのためである。
ITがこれだけ進化した国でも「友達がいなければ生きてゆけない」というのは、私がこの国に来て30年間まるで変わってはいない。
ツアーの合間にぽっこり入ったBlueNote北京でのライブの為にそのまま北京に着いたら、王晓旭(WangXiaoXu)という男が私を待ち構えていた。
好久没见的老朋友喝酒!! - Spherical Image - RICOH THETA
何のことはない、「久しぶりだから飲もうぜ」というだけの話である・・・
こいつと最初に会った時はこいつもまだペーペーだった。
それでも彼はなけなしの金で私に「豆豉鲮鱼油麦菜(DouChiLingYuYouMaiCai)」という安い野菜炒めみたいな料理を奢ってくれた。
その時の話:豆豉鲮鱼油麦菜(DouChiLingYuYouMaiCai)と涮羊肉
その代わり(笑)私も彼から来る金にもならない仕事を一生懸命やってやった。
今ではこんな豪勢な料理を私に奢ってくれるぐらいにはなっているようだ。
私も遠慮なく色んなことを頼む。
今ではとても難しいこの国の労働ビザのこと、今度ドラムの教材を出すに当たっての「
版号」という国家の出版許諾・・・とか、私が「これ何とか出来る?」と言うと、彼はすぐさま知り合いに電話をかけて調べてくれるのだ。
ちょっとニュアンスは違うが「コネ」という日本語は中国語で「関係(GuanXi)」と言う。
関係が変わればその周りの人間も変わるので、こちら側から叩いても響かなかったものが、あちら側から叩いたら響いたりするので、実際こういう食事会は私にとってもありがたいのである。
しかも奢ってもらって・・・(笑)
・・・とここまで書いてふと思い出した。
中国人は食事を奢ってもらっても「ごちそうさま」とは言わないのだ。
「ありがとう」も言わない。
言うと「何言ってんだ、おかしいぞ!!」と逆に恐縮される。
私も気がつけばこの時、「ごちそうさま」の一言も言わなかった。
日本人だと何と失礼なことだろう・・・もう日本では暮らせないかも知れない(笑)
でも中国はこれで回っている。
世話になったんだから奢るのは当たり前、また次に末吉が奢ってくれるならそれはまたありがたくご馳走になる。
「持ちつ持たれつ」・・・「ああ美味かった」それでいいのである。
あの鄭州の人たち、そしてこの王晓旭(WangXiaoXu)、今の関係では私が一方的にご馳走になってばかりだが、彼らがもし何か困ったことがあった時、もしそれが私の力で解決するものであれば(これ中国ではむっちゃ大事!!)私は喜んでそれをするだろう。
昔、NHKが中国で私のドキュメンタリー番組を制作した時に、そのスタッフの中に中国人女性がいた。
撮影が終わって彼女が私にこう言った。
「Funkyさん、疲れませんか?昼には誰々夜には誰々、四六時中誰かと会ってお酒飲んだり・・・」
「え?だってそれやらないとこの国で生きてゆけないでしょ?」
「私はそれが出来ないからこうやって日本に来たんです。日本は私にとって天国です。あのめんどくさいことをやらなくたって仕事が出来るんですから・・・」
私はきっとそれが「好き」なのだろう・・・だからこの国でこうして生きてゆけている・・・