ひとりドラムの軌跡

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爆風スランプトリビュートアルバム WeLoveBakufuSlump

2013年8月31日

ドラマーとして金を稼ぐ2つの方向性

音楽学校の副校長をやっていた時、表題のテーマで何度か生徒たちに話をした。

キャバレーなどでハコバンをやるとかを除いて、
「メジャーの仕事でお金を稼ぐには大きく分けて次のふたつの方向性がありますよ」
ということである。

ひとつは私が北京でやってるような仕事、
「スタジオミュージシャン」
である。

これをやるためには幅広いテクニックと音楽性が必要である。
ロックからJazzから、あらゆるドラムが叩けて、
プロデューサーの要求に即座に答えられなければならない。

まあ北京の仕事ではいいが日本の仕事では読譜力も必要だろう。
究極には
「与えられた譜面を一瞬で理解して、
その通りのプレイがクリックに合わせて完璧に出来るテクニック」
があれば最高峰。

そしてもうひとつが「バンドのドラマー」である。

メタリカのドラマーを例に挙げると、
彼は決して上手いドラマーではないが、
他の人では絶対に替わることが出来ない「凄いドラマー」である。

サイモンフィリップスは彼のプレイのようなドラムは全部叩けるだろうが、
メタリカのドラマーがサイモンフィリップスに替わったとしても、
バンドはグレードアップするどころが一部ではブーイングが出るかも知れない。

要は「メタリカのドラマー」であれば別に「何でも叩ける」必要はないということだ。
あの「音楽」だけが神業に凄ければあとはどうだっていい。

大事なのは「スタジオミュージシャン的なテクニック」ではなく、
その「メタリカ」というバンドを最高峰にしてゆく「プロデュース能力」が必要だということである。

「バンド」というのは面白いもので、
その特殊な「合議制」によってそのサウンドが作られてゆく。

上手い下手ではなく、
その「サウンド」が他に類を見ないほど「かっこいい」ものならそれでいいのだ。

そのバンドのドラマーであることは、
時にはそのドラムプレイだけではなくバンドサウンド全体に影響を与えることも多い。

バンドのサウンドを決めるということは、
まあワシのようにコードやメロディーを指定するということだけではない。

「なんかこう・・・もっとかっこよくなんないかなぁ・・・」
という意見の提示で「バンド」というのは成り立っているのだ。

ギターが弾けなくてもいい、
コードや音楽理論なんか知らなくてもいい、
「仲間」がやったフレーズに反応して
「それそれ!!かっこいいじゃん!!」
とドラムを叩く。

そうやって「バンドサウンド」が出来上がってゆく・・・

だからスタジオミュージシャンとして言わせてもらえば、
そんな「バンドサウンド」を再現する仕事ほど難しい仕事はない。

サイモンフィリップスがメタリカの曲をやったって「サマにならない」のと同じで、
このファンキー末吉がやったって(大きく出たな)どうしても越えられないものがあるんだから困ったもんである。

スタジオミュージシャンが逆立ちしたってかなわないのは、音楽には
「オリジナル至上の原則」
というものがあるからである。

これは20年以上前になるが、かまやつひろしさんのスパイダースカバーアルバムをプロデュースさせて頂いた時に感じたことである。

「いつまでもどこまでも」という曲をアレンジしていて、
原曲を何回か聞いてゆくうちに、
そのドラマーの田辺さん(何とあの田辺エージェンシーの創始者ですぞ)のドラムのある部分のオカズが、
リズムがコケて半拍ぐらいなくなってしまっているところでハマってしまった。

まあ当時はひょっとしたらバンドで「せーの」で録ってたり、
今みたいにドラムだけ差し替えたり出来なかっただろうから、
「ま、いーか」
でそのままOKテイクになったのだろうが、
何度も聞いてゆくとその部分のオカズはもうそれでなければならなくなってしまうのだ。

もちろん現代のレコーディングではわざと半拍なくなって叩くわけにもいかず、
「ああ、やっぱオリジナルは越えられないなぁ・・・」
と思ってレコーディングした記憶がある。

さて今日台湾で一緒にやるWINGさん、
そして明日東京に飛び込みで参加するやっちんのライブの曲でもこんなエピソードがある。

まずWINGに関してはアジア圏で最も成功したロックバンド「BEYOND」のドラマーでもあるし、
中国ではよく「WINGさんのドラムに関してファンキーさんはどう思われますか」という質問も来る。

その時に必ず答えるエピソードがこれである。

今回のコンサートではドラムは1台だが、
数年前の大陸ツアーでは2台用意して、
ワシが先にドラムソロをやって、その間に衣装換えをしたWINGが、
次にはドラムソロをしながら下からせり上がって来るという演出だった。

2時間一生懸命ドラム叩いて、ドラムソロも命賭けて叩いて、
「よっしゃー場も暖まっただろう!!WINGよ、満を持して出て来るのぢゃ!!」
とばかりバスドラを踏みながらWINGの登場を煽る。

スポットライトを浴びながらスネアロールをやって舞台真ん中のせり台からせり上がって来る。

上がり切ったらワシはバスドラを踏むのをやめてそこからWINGのドラムソロになるのだが、
まあ長年の友人だから歯に衣着せずに言わせてもらうと、
まあ「ドラムソロ」というよりは「サウンドチェック」(笑)

まあ本人も歌手になってドラムはほとんど叩いてないし、
当日もスティックもワシから借りてるし、
ドラムセットのチューニングもセッティングも全部ワシ任せである。

しかしそのサウンドチェックのような
「ドンドンドン、バンバンバン、ガシャーン、ドタドタ」
で数万人の観客は狂喜乱舞するのである。

中華圏のロック史上、
最初に中国語(広東語だが)でロックを歌って数々のヒット曲を世に送り出した、
その伝説のバンドのドラマーが目の前でドラムを叩いている・・・

ファンにとってはただそれだけでいいのだ。

まあ言うならばビートルズのリンゴスターのお歌のコンサート行ったら、
途中のコーナーでドラムソロを叩いてくれたようなもんである。

狂喜乱舞する何万人のオーディエンスを見ながら
「ワシ・・・今まで2時間一生懸命ドラム叩いて何なんやろ(苦笑)」
と思うこともあるが、
ワシは別にドラマーとしてWINGと張り合いに来たわけではない、
WINGのコンサートを成功させるミッションを遂行しに来たのである。

でも完璧に遂行するって結構大変よ(笑)

例えばBeyondのヒット曲に「真的爱你」という曲がある。
オリジナル版が見つからなかったがこれは当て振りなので音はオリジナル版であろう。

このサビに入る前のオカズ、特に3:50あたりのこのイモっぽいオカズ・・・(涙)
「お前〜よりによって何でこれやねん!!」
と同じドラマーとして本人に突っ込みたくなる(>_<)

しかしこの曲を何度となく演奏して来て、
それこそいろんなオカズをこの部分で叩いてみたけれども、
結局どんなかっこいいオカズを叩いてもこのオカズにはかなわないのだ(涙)

今ではもうすっかりあきらめて、
この部分ではいさぎよくこのオカズをそのまま叩くようにしている(笑)

言うならばこれは「ワシの作品」ではないのだ。
Beyondの・・・つまり「WINGの作品」なのである。

ワシがどれだけドラムが上手かろうが、
どれだけそのプレイに命をかけて叩こうが、
この曲を演奏する限りオリジナルであるWINGのそれにはどう逆立ちしたって絶対にかなわないのだ。

同様にやっちんツアーでよく演奏しているTHE GOODBYEのこの曲

イントロのテーマ部分の八分のウラで入るこのセクション、
3回繰り返すエンディング部分ではちゃんとドラムも合わせているが、
イントロと1番終わりに出てくるセクションではえとーさんはわざと合わせていない。

またご丁寧にクラップを重ねている(時代やなぁ・・・)オカズ、
「ドタントタッタタ」
というのがワシにしてみたら合わせているような合わせていないような、
何か非常にキモチワルイ・・・(笑)

当然ながらリハーサルでは何度となく別のオカズを試してみたが、
結果的にはやはりこれを越えられないのでもうあきらめてこれしか叩いていない!!(キッパリ)

リズムパターンにしてもそうである。

X.Y.Z.→Aだったら同じR&Rのリズムなら、
ハイハットを半開きにして4分で叩いて疾走するのだけれども、
THE GOODBYEの曲はこのようにHHは8分でバスドラは頭でシンプルに入れる場合が多い。

それが「えとーさん風」とでも言うべきか、
THE GOODBYEが解散してからのやっちんのソロ曲でも、
何やらそっちのリズムパターンの方がしっくり来てついつい「えとーさん風」に叩いてしまう。

言うならば叩き方を「コピーする」のがスタジオミュージシャンの仕事だとすると、
「コピーされる」のがバンドのドラマーである。

さあ若いドラマー諸君、あなたはどちらになりたいですか?!!

まあ実際のところどちらかを選ばなければならないことはない。
同じような立場のドラマーには今まで会ったことがないが、
ワシは一応それを両方をやっている。

まあどちらが儲かるかと言うと「バンド」は当たれば大きいが、
宝くじと同じで当たらない人の方が多い。

まあスタジオミュージシャンの方が「ツブシはきく」けれども、
今日び音楽の仕事で、それもドラムだけで食ってゆくのも難しいかもな・・・

まあどっちも金にはならんのぢゃ!!
それだったら好きな方をとことんやりたまえ!!!


ps.ワシは今から台湾でWINGのライブをやって、
そのまま5時起きで東京帰ってやっちんのツアーファイナルでドラム叩きます。

ファンキー末吉の「えとーさん風ドラム」を聞きたい人はこちらに集まれ〜

2013年09月01日(日)
曾我泰久LIVE!LIVE!LIVE!JAPAN TOUR 2013東京ファイナル

Vo.Gt.Pf.曾我泰久
Gt.Kb.田川ヒロアキ
Ba.和佐田達彦
Dr.ファンキー末吉

【会場】新宿 BLAZE
(東京都新宿区歌舞伎町1-21-7-B2)
【時間】OPEN 16:00/ START17:00
【プレイガイド】
チケットぴあ(Pコード:200-951) 0570-02-9999
ローソンチケット(Lコード:79131) 0570-084-003
e+(イープラス) http://eplus.jp/
【お問合せ】NEXTROAD 03-5712-5232(平日14:00~18:00)

【料金】前売り4,800円/当日500円増し(税込み/自由席/D代別途)
  ※整理番号入場  ※未就学児童入場不可

Posted by ファンキー末吉 at:11:15 | 固定リンク

2013年8月28日

お前、慢心してただろ・・・

Wing台湾公演のリハーサル開始。

例によって夜9時開始という遅い時間開始なので、
ワシらは近くの重慶大厦(チョンキンマンション)に行ってカレーを食べた。

重慶大厦(チョンキンマンション)というのは昔は「悪の巣窟」と言われていて、
不法滞在のインド人や、まあインド人だけが悪いことをしているわけではないが、
いろんな犯罪の温床になっていた時代が長かったが、
今では治安も向上されて観光スポットになっている。

ビルの中にはバッタもんの電気機器や両替商だけでなく本場のインド人がインド人相手にカレーを食べさせる店も多く、
滞在中には一度はカレーを食いに行きたい場所である。

当然ながら辛さで飛んでビールで酔って一日終わってしまうが、
ワシにとって大事なのはそこから9時まで寝ることである。

ここ数ヶ月毎日移動してはドラムを叩いているので一日ゆっくり寝ることがないが、
歳とってくるとどんだけ遅く寝てもつい早起きしちゃうのな・・・

だからこうして昼間時間があると昼から酒飲んでぶっ倒れることにしている(笑)


さて9時には二樓後座(Beyond Band Room)へ向かう。
数々の名盤を生み出したBeyondのホームスタジオで、今ではWingの所有物となっているようだ。

ワシはたっぷり寝たので体力はばっちし!!
軽くドラムをチューニングしてリハーサルが始まる。

ところが今度は小畑秀光の様子がおかしい・・・
表情が暗いというか、いつものような元気はつらつとした姿がないのである。

今回の台湾コンサートでは、前回の広東語曲だけではなく北京語の曲も多く加わっているので、
この日のリハーサルはまずやっていない曲を全部おさらいしてみようということなのだが、
小畑秀光にとっては全ては「新曲」なのであっぷあっぷしてるのだ。

また今回加わった北京語曲は昔ワシがアレンジしてレコーディングした1曲を除いて全てバラード、
しかも小畑秀光が苦手とする歌謡曲コード進行の曲ばかりである。

リフだけで出来ている激メタルの世界で生きて来た彼には「鬼門」の曲ばかりなのである。

肩を落としてタクシーに乗る小畑秀光にワシは優しくこう説いた。
(このような男はおだてれば空も飛べるが叩けばすぐ潰れるので大変である)

「お前・・・慢心してただろ」

「そんなことありません!!」
と彼は首を横に振る。

彼にしてみれば前回と同じく一生懸命やって来たのだろうが、
「結果」は大きく違う。

そりゃ今回は苦手な曲ばかりだったと言えばそれまでだが、
思い起こしてみろ、前回だって苦手な曲は半分以上あったのだ。
前回は出来てて今回は出来てないのはどうしてだ?

前回は「まだあやふやだ」と思ったらもっと突き詰めてやってなかったか?

「いや・・・音源聞いてそれに合わしてはやって来たんですが、
バンドで音出してみたら取って来たコードと何か違うんです・・・」

ワシはこのように分析してやった。

バンドのメンバーだって久しぶりにやる曲ばかりだ。
うろ覚えであやふやに弾いてる曲もあるだろう。
でも前回はお前がちゃんと覚えてるから「これだよ」という感じで弾く。
みんなはそれに引っ張られてバンドがまとまる。
ディストーションギターのお前が一番音がでかいんだから、
お前が間違うとみんながよけいあやふやになっちまうだろ。

ホテルに帰って全曲とり直し。
ワシは酒を飲みながら付き合ってやる。

「ここはそれではなくこのコード」
とか直しを入れるだけではなく、
「この部分はパワーコードで刻んで。この部分は単音で」
とか指示を与える。

前回は初回のリハーサルでこの作業が出来たのに、
今回はリハーサル1回分「遅れて」スタートになってしまったのだ。

凹むと全く使い物にならなくなる男なのでこんなアドバイスも与えてやる。

ワシはもう慣れてるし譜面もあるから、1回ぐらい聞いたらもう出来る。
でも何回聞いても出来ないということを恥じる必要はない。
「1回聞いてステージでこのぐらい出来た」というのと、
「100回聞いてステージでこのぐらい出来た」というのは、
実は客にとっては何も関係ない。
「要はステージでどれだけ凄いか」
ミュージシャンに取ってはそれだけよ。

才能のないヤツはあるヤツの何倍も努力すればそれでいい。
作曲の世界でもワシはそう思ってやって来た。
(そのエピソードはこちら
だから耳障りがいいだけで内容がない曲を作るヤツが嫌いだ。

あんたはこのコード進行でもっとメロディーを突き詰めなかったの?
「このぐらいでいいや」と思ってぽんと曲出してない?

ひとつのコード進行にメロディーは無限大にある。
そのコード進行自体がまた無限大に存在するんだから、
これだけの楽曲が世に存在しててもまだまだいい曲は書けるはずなのだ。

ただ、現存する素晴らしい楽曲はこの上ない素晴らしいメロディーがそのコード進行に乗っかっている。
それを越えようと思ったら並大抵の努力では無理だよ・・・

音楽における全ての作業は「戦い」である。
「このぐらいでいいか」と思ったらそれがその人の「限界」である。

ただ、ずーっと突き詰めてばかりいると結局何も出来上がらないので、
いつかは「もうここまでです、無理です」と言って引導を渡さねばならない。

その「限界」が高いか低いかを人は「才能」と呼んでいるだけで、
実のところこんなものは親から受け継いだものでも何でもない。

「性格」というのが親から受け継いだものだとすると、それこそが「才能」である。

小畑秀光の選択肢の中には、
「僕はメタルギタリストなんですからこんなもの弾けなくて当然でしょ」
という考え方もある。

実際Wingの中ではこれらの曲の中に小畑秀光の参加は考えてなかった。
「特効(特攻?)」のようにメタル曲の部分だけ暴れてもらえればよかったのだ。

でもワシは「いやあいつは出来るから大丈夫だよ」と言って全曲参加させた。
それがイヤなら一生貧乏して好きなメタルだけやってゆけばいいのだ。

それもひとつの立派な人生である。別にワシは止めはしない。
別に今回これらの曲を全て外して、得意な曲だけ登場して弾いてもいいだろう。

でもそんなギタリストなんてそのうち仕事がなくなる。

学校に通ってた時と違って、先生が
「あれをやってはいけません、これをやってはいけません」
と教えてくれるわけではない。

間違った選択肢を選んだら「仕事」がなくなる。
それが「この世界」なのである。

「尖った部分」を伸ばしてゆかなければ「アーティスト」として生きてゆけない。
しかし「引っ込んだ部分」を最低限引き上げておかねば「仕事」が出来ないのだ。

まあ教えることだけは教えて、確認する部分だけは確認してやった。
あとは本人が「どうしたいか」だけである。

苦手な曲の中でも少しでも存在感を出したいのか。
もしくはボリュームを絞って弾いた振りをしとくのか。

お前はどっちが「かっこいい」と思う?・・・

ワシは酔っ払って先に寝たが、結構夜中までギターを弾いていたようだ。
ベッドは深センから遊びに来た奥野くんに占領されているので、
朝起きたら床で寝ていた。

JetSleepingOnTheFloor.JPG

相変わらず床で寝るのが似合う男やのう・・・(笑)

どこで寝ようが本番でもの凄いギターを弾けば拍手をもらえるし、
ヘタを打てば二度と仕事は来ない。

それがワシらの住む世界なのぢゃ・・・慢心は一番の敵ぢゃぞ・・・

Posted by ファンキー末吉 at:08:37 | 固定リンク

2013年8月27日

ドラマーとドラムセットの関係

2週間におよぶ曾我泰久のツアーを終えて香港に来ている。
嫁曰く、今月は1日しか家に帰らないそうだ(笑)

日本のライブハウスツアーでは基本的にそのライブハウスのドラムセットをお借りするのだが、
時々ぐちゃぐちゃのチューニングのドラムセットに出会うことがある。

特に前回行ったことがある小屋で、
そんなに期間が空いているわけではないのにワシが一生懸命チューニングしたドラムセットがこんなになってると首をかしげてしまう。

日本全国のライブハウスに出演しているドラマーの諸君、
もし君らの直前にファンキー末吉が出演してたとしたら、
君らはドラムのチューニングをいじるではない!!

ワシが完璧にチューニングしてるから変えるな!!(キッパリ)

まあドラムセットやヘッドの状態にもよるのだが、
毎回毎回ワシはその小屋のセットを一番「鳴る」ようにチューニングする。

前回の京都「都雅都雅」と神戸「チキンジョージ」は特にばっちしであった。

でもまあ他のドラマーに言わせれば「末吉のセットは鳴らない」という人もいる。
「力いっぱい叩いてやっとその音がする」とも・・・

ドラマーとドラムセットの関係は、
戦いに出る時に乗る馬と戦士の関係に似ている。

以前書いた文章を読んでみて下され)

ワシの場合、スネアはリムショットで思いっきりシバいて無理矢理鳴らすし、
バスドラはそもそもが踏み込んでビーターでそのまま音を止めてしまうのでいいが、
やはり残響音が長いタムの音が一番大変である。

最近気付いたのだが、
サウンドチェックでボンボンとタムを叩いている時、
その跳ね返りなど手応えと、出て来る音のバランスで、
そのドラムセットとの付き合い方、音の鳴らし方というのが決まってゆくのだと思う。

ワシはどちらかと言うとどんなドラムセットでも力ずくで鳴らし込む方じゃが、
かと言ってドラムセットの「気持ち」も汲んであげないと鳴るものも鳴らない。

ワシがいつも使っているヘッド「クリアエンペラー」ならいつもの感じ、
「コーティッド」ならイアンペイスみたいな感じ、
と叩く側もそのドラムセットに合わせてちょっと変わってあげられればドラムセットも鳴り易いだろうと思う。

「ドラムに叩かされてる感じ」というのは、
ワシはX.Y.Z.→Aのファーストアルバムのレコーディングの時に味わった。

数々のロックの名盤を作り上げて来たこのスタジオで、
数々の名ドラマーのドラムをチューニングして来たチューナーが、
「一番ロックな音」にチューニングされたそのドラムセットを叩いた時に、
ワシはこれこそが「ロックの音」だと思った。

それがウェイン・デイヴィスが作る世界最高の音でヘッドホンから流れて来る。
あとはその「音」をこの「音符」で叩けばいいのである。

ところが叩けない。
いつもなら何でもない8ビートのリズムを1コーラス叩いただけで息が切れてしまうのだ。

ふーふーぜーぜー言いながらやっと叩き終えて思った。
もともと「ロックな音」というのはあの人たちのような、
マッチョで巨体の白人が棍棒のような手でぶん殴ってはじめて出る音なのではないか・・・

でもサウンドチェックの時にはちゃんと音が出ている。
一発ずつ叩く時には出ているんだけど、
要はそれを連続して叩けるフォームが出来てないのだと思う。

まあフォームが出来てないなら作ってやればすむことなのでよいが(笑)
ドラムという楽器は身体で叩いてはいるんだけど実際は「耳」で叩いているという部分も大きいと思う。

バンと叩いて「気持ちいい」と感じる。
その時には実際にいろんな要素が身体の動きに反映されているのだろう。

ビートを叩いているのだからそれが「連続」せねばならない。
身体というのは無意識に「耳」からのいろんな情報を処理して連続的に「動き」を微調整しているのだと思う。

「耳」からの情報というのは当然ながら「ドラムセットの音」なのだから
出る音とプレイとが密接な関係であることは自明の理であろう。

例えば樋口宗孝という偉大なドラマーがいたが、
彼のドラムセットを鳴らすのはホントにしんどかった。
(その話はこちら

思うにひぐっつぁんってヘビーな音でスピード感を出すドラマーだったので、
彼はその重い音を力ずくで前のめりに叩いてたっつうスタイルやったんやないかな・・・

シェイカーのクドーちゃんのドラムはもっと鳴らん(>_<)

クドーちゃんの場合はどしっとヘビーにグルーブさせるスタイルなので、
そのドラムセットで手数を入れまくったりスピードドラムを叩くってしんどいのよねぇ・・・

まあそれと同じようにワシのドラムセットを人は「叩きづらい」と言うのぢゃろうが、
ライブハウスのドラムセットにあれこれ「こうであれ」などと言っても話は始まらない。

要はそのドラムセットがどんなドラムセットなのかをよく理解してやって、
それに合ったような叩き方をしてあげた方がドラムは全然よく鳴るし、
むしろそれの方が結果的に「ファンキー末吉の音」になる。

「どんなドラムセットか」というのはチューニングこそが「対話」である。

口径の小さいタムで低い音を出そうとしても無理なのと同じで、
「このドラムセットであんな音を」などと思っても「無理」である。

スネアもヘッドがアンバサダーだったりすると、
エンペラーを貼ってる時のように低めのチューニングは絶対無理なので必然的にカランカラン鳴る音になるし、
裏のヘッドが古かったりいろんな要素でスナッピーがあまり鳴らない状態のスネアもある。

でもカランカラン言ってようがドシっとしてようが、
それなりに「ファンキー末吉の音」というのは出せる。

ひぐっつぁんのドラムセットを叩いたってクドーちゃんのドラムセットを叩いたって、結果「ファンキー末吉の音」になるのである。

でもプレイの内容は少々違って来る。
重たい音のセットだと力が要るので細かいパッセージのフレーズは叩けないし、
カランカラン言うセットだと逆にスピードメタルのスタイルで叩いたりする。

実際やっちんの年頭の東京ライブでは、
そのドラムセットの音色により手数系のソロはあきらめて別のスタイルのソロを叩いている。
9月1日のファイナルでは自分のセットなのでタムも多いし手数系のソロをやるかも知れん。
(自分のドラムセットでも毎回音が違うし、自分の状態でも違ってくるので一概には言えんが)

要はその時々のドラムの鳴り方によってそれを受け止めてやれる「度量」は必要である。

自分がこんな音を求めてるからドラムセットに「そんな音で鳴れ!!」と言ってもそりゃ無理である。
ステージでの音というのはドラマーとドラムセットとのコラボレーションなのであるから、
「あんたがそうなら俺はこうするよ」
という「対話」が全面的に必要である。

Jazzのような即興性のあまりないライブでもライブが毎回違うのは、
それこそミュージシャン同士のコラボレートが違うからであり、
ひいてはそのミュージシャンのプレイが微妙に毎回違うからである。

ドラマーだけ取ってみても、
毎回同じ音符を叩いているのだけれども、そのドラムセットとのコラボレートが違うのだから、
音色をはじめ、ビートにもそれは大きく影響してくる。

それを受けて他のプレイヤーの演奏も微妙に影響を受け、
それが歌う人にも影響する。

たかだかドラムのチューニングだと思ってバカにしてると、
結果的にライブそのものを左右しかねんよ〜

繰り返し言おう!!

各ライブハウスに出演するドラマーの諸君、
ワシが数日前に叩いたドラムセットだったら悪いことは言わん、
そのまま叩きなはれ!!

Posted by ファンキー末吉 at:12:16 | 固定リンク

2013年8月25日

クリスタルキングの思い出

やっちんツアー鹿児島で和佐田と飲んでいて、
「クリキンが一度だけの再結成するらしいよ」
という話を聞いた。

そんなはずはない、「クリスタルキング」というのはリーダーのムッシュのもので、
それを使っただの使わないのでボーカルのマー坊さんを訴訟した事件は記憶に新しい。

「いや、ムッシュさんとやらは来ないらしいけど、
なんかメンバーの誰かかなんかが不治の病で、
一日だけその人のために集まろうということになったらしいよ」

いや、その「不治の病」の方が問題やん!!
ワシは慌ててすぐにマー坊さんに電話をした。


クリスタルキングはワシの恩人である。

爆風スランプがまだデビューしてないアマチュア時代、
バイトをしてそれをリハーサル代に使う生活がついに破綻して、
ワシはサラ金に莫大な借金を作っていた。

30年前の当時、サラリーマンが40万借金してたら破産宣告するしかないという時代に70万借金があったんだから「破綻」というより「破滅」に近い。

そんな時にクリスタルキングからドラマーとして招かれた。

ドラマーのケン坊さんが脱退して新しいドラマーを探しているクリキンに、
当時のディレクターがワシを推薦してくれたと言う。

そんなメジャーなレコーディングディレクターがどうしてワシのようなドアマチュアのドラマーのことを知っていたのか首を傾げたが、
よくよく聞いてみたらヤマハのEast Westでグランプリを取った爆風銃(Bop Gun)が世界歌謡祭に出場するに当たって、
そのエントリー曲をレコーディングせねばならないからということでレコーディングした時のディレクターがずーっとワシのことを覚えていて推薦してくれたのだそうだ。

当時爆風スランプは後に「オフィスすいか」となるプライベート事務所があって、一応給料は月2万円ほど出ていたが、
当然ながらそれで生活が出来るわけもなく、
このクリキンの「一本いくらリハーサルはその半分」というギャラで後にその借金を全部返すことが出来た。

金銭の面だけではない、
ワシより年上だったメンバーはみんなワシによくしてくれて、
全員が全員ワシのいい「兄貴」だった。

キーボードのキミハルさんは家が近かったのもありいつもメシを奢ってくれたし、
ベースの野元さんは車を運転してパール楽器までワシを連れて行ってくれて、
そのおかげでワシはパールとモニター契約を結べることとなった。

同じ事務所でもありクリキンと親交の深かったチャゲアスの飛鳥さんは、
新生クリスタルキングの初ライブを見に来てくれて、
ライブ終了後にメンバーにこう言ったと言う。

「あのドラマーを離したらいかんよ。
あのドラマーのおかげでクリキンは大きく生まれ変わった!!」

飛鳥さんは腕より何よりも
「ライブであんなに楽しそうにドラムを叩くドラマー」
というところがえらく気に入ったてくれたようだ。

楽しいも何も、バイトに追われて生活も破綻しているワシが、
こうして音楽だけをやって生活出来るようになったのだ、
楽しくないはずがなかろう。

当然ながらクリキンのメンバーも事務所も、
「サポートメンバーではなく正式メンバーになってくれないか」
と誘ってくれたが、
アマチュアとは言え、ワシは爆風スランプがあるのでそうもいかない。

でも心はかなり動いていた。

最初のレコーディングの仕事は「北斗の拳」のテーマソング。
カップリング曲と合わせて2曲レコーディングしただけで、
たかだか半日で爆風スランプの5ヶ月分の給料が稼げてしまうのだ。

しかしワシの心を決めさせたのは他でもない、
クリキンのメンバーであるキミハルさんの一言である。

ある日、
「末ちゃんのやっているバンドというのはどんなバンドなんだろう」
ということで、
小さなライブハウスの爆風のライブにキミハルさんが見に来てくれた。

客が数人しかいないライブ。
後にランナーなどヒット曲を飛ばすとは信じられないほどのアンダーグラウンドな楽曲のみの演奏。
「ステージで脱糞と出産以外は全てやった」
と豪語する「笑えるパンクバンド」だった頃の爆風である。

ライブを見終わって、
酒を飲みながらキミハルさんはワシにこう言った。

「このバンドはいい!!」

キミハルさん曰く、
「あのカマキリのようなボーカルや面白いギタリスト、
そしてリズム隊のあの抜群の演奏テクニック・・・」
それが果たして後にヒット曲を連発するだろうとはキミハルさんだとてまさか想像だにしていない。
だがキミハルさんはワシにこう言った。

「いや、本音を言うとクリキンは喉から手が出るほど末ちゃんが欲しい。
でも末ちゃんには末ちゃんの未来がある。
それをクリキンが奪い取ってしまうのはやっぱり違うと思う」

キミハルさんはメンバーと事務所を説得して、
「スケジュール調整が可能な限り、今まで通りサポートメンバーとしてやってもらおう」
ということになった。

その後爆風スランプはデビューし、ついにその時がやって来た。
スケジュールが調整つかずについにダブルブッキングしてしまったのだ。

事務所から「それでは」ということでこの「仕事」はおしまいとなった・・・

それからもワシは「兄貴」として各メンバーとお付き合いをしていたが、
ある時こんなこともあった。

爆風スランプがホールツアーを廻るようになってから、
キミハルさんがそのコンサートを見に来た。

終演後に楽屋を訪ねて来たキミハルさんが、
例によってまたワシと馬鹿話をしてたのだが、
突然こんなことを言い出したのだ。

「末ちゃん、売れてからちょっといい気になってないか?」

まさかそんなことはと思っていたのだが、
「気をつけぇや。売れたらみんな自分では気付かないうちに変わってしまうもんなんやで」
と言って、ワシが脱ぎ捨てたステージ衣装を笑って指差した。

「クリキンの時には自分で片付けてたやろ、今は人に片付けさせるのかい?」
ということである。

ワシが売れても天狗になったりしなかったのは、
この兄貴たち先輩方がいろんなことを教えてくれていたからである。


その後クリスタルキングはギターの山下さんが家庭の事情で脱退、
頃を同じくして所属事務所からも契約が切れて、
それを機にメンバーは散り散りバラバラとなって、
最終的にはムッシュがひとりその名前を抱いてほそぼそと活動している。

日本という国はアーティストを給料で縛る不思議な国で、
所属事務所と契約が切れたということは
即ちあくる日から「無職」であるということである。

その後売れて金持ちになったワシと無職となった兄貴たちは突然立場が逆になった。

しかし久しぶりに一緒に飲んだりして、
「いや、今日は僕が奢りますよ」
と言っても、兄貴たちはみな頑としてそれを拒んだ。

「何言うてんねん!!お前なんかに奢られてたまるかい!!」

昔の「関係」というものは時が立って立場がどう変わろうが、
いつまで経ってもその「関係」のままなのだ。

だからワシは今でも兄貴たちと酒を飲む時にはありがたく奢って頂いて飲む。
その分ワシは兄貴たちから受けた恩を、
形を変えて下の世代に与えてゆけばそれでいい。

世の中というのはそういう風に出来ているのだ。


さてその後、
マー坊さんとは時々セッションなどをしていたが、
他の兄貴たちとは10年以上連絡を取っていない。

「メンバーの誰かが不治の病で・・・」
と聞いた日にゃぁのんびり酒なんか飲んでいられない。

ワシの入れた留守電を聞いてマー坊さんから折り返し電話がかかって来た。
聞けば病気になったのはメンバーではなくギターの山下さんの奥さんだそうだ。

あれから爆風とかで九州に行けば田舎に帰った兄貴達の誰かを訪ねてゆき、
久留米の山下さんのお宅にも何度か泊まりに行ったことがある。

その奥さんのためにみんなが集まろうとしたのだが間に合わず、
ちょうどそのライブの日(つまりこのブログを書いている今日)はその四十九日なのだそうだ。

ワシはマー坊さんから山下さんの電話番号を聞いてすぐに電話を入れた。
鹿児島から京都への移動はちょうど久留米を通る。
やっちんツアーのメンバーとは別行動をさせて頂いて懐かしい山下さんのお宅に伺った。

いつもと変わらぬ感じで世間話に花が咲く。
話を聞くと山下さんは四十九日でバタバタしてるのでクリキンの久留米でのライブには参加はしないが、一応顔は出すつもりだそうだ。

そりゃそうだろう。
残念ながら奥さんにそのステージを見せることは出来なかったが、
昔仲間が集まって楽しくワイワイやってる姿こそを奥さんはきっと見たかったのだ。


今日、ワシは神戸でやっちんツアーの最終日。
その後はまたいつものようにチキンで打ち上げをしているだろう。

同じ頃、素敵な兄貴達は久しぶりに集まって、
酒を飲みながらまたバカな話をしてるだろう。

ありがとう兄貴たち、僕はあなた方から教わったことを下に伝え、
あなた方から受けた恩を何倍にもして下に返します。

いつまでもお元気で。
また一緒に飲みましょう!!

またありがたくご馳走になります!!

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2013年8月24日

Neoファンキー末吉リアルGoldへの道

爆風スランプをやるもっと前から・・・
きっと爆風銃(Bop Gun)をやるもっと前から「Funky末吉」と名乗っていた。

その後、前の中国人の嫁もその家族も、
というより中国人は全て「Funky」と読んでいるし、
もう今となれば「ジャッキー・チェン」のジャッキーと同じような「英語名」となっている。

爆風デビュー当時の・・・
というより爆風銃の時からずーっとアフロヘアーであった。

90年に北京の地下クラブで当時アンダーグラウンドだったロックバンドと出会って、
「ここには本物のロックがある!!俺も中国人になる!!」
などとアホなことを言い出す前は、
Funkミュージックを聞いて感激して
「俺は黒人になる!!」
と言ってアフロヘアーにしてたのだから、
おおよそ「ファッション」というのとは無縁の人生であった(笑)

ちなみに高校の頃グレてリーゼントにしてた頃は、
そのリーゼントのひさしは長ければ長い方が素晴らしく、
当然ながらアフロヘアーは大きければ大きいほど素晴らしかった。

弱い動物が自分を大きく見せて外敵から身を守るのと同じである(笑)

まあそんなこんなでずーっとアフロヘアーだったのだが、
当時の事務所の社長がある日ワシを呼び出してこんなことを言い出した。

「爆風スランプが今いち大ブレークしないのはお前の髪型が原因だ!!」

「げげっ!!!」
というわけで「Newファンキー末吉」が生まれた。

画像を検索したが見つからないので、
まあとりあえず短髪で髪の毛ツンツンという感じである。

ちなみにこの頃はまだ携帯電話などない時代なので、
TOPSマンションに遊びに行ったがメンバーはまだ帰ってなかったので、
「近くのデニーズにいますので帰ったら連絡下さい」
と貼り紙をしてたのだが、
帰って来た川㟢さんがそれを見てデニーズに電話をした。

「Newファンキー末吉さん呼び出して下さい」

ワシのいる店内にアナウンスが響く。
「お客様にお呼出を申し上げます。お客様にお呼出を申し上げます」
に続いて・・・

「Newファンキーの末吉さま、Newファンキーの末吉さま、お電話がかかっております」

「Newファンキーっつう店かい!!(>_<)」
全お客さんの注目を浴びながら赤面しながらカウンターに立った記憶がある(笑)


それから爆風スランプの映画「バトルヒーター」なるものを撮ることとなり、
パンクバンドのドラマーという役でそのままスプレーで金髪に染めてみたら、
これがなかなか評判がいいのでそのままリアル金髪にして
「Newファンキー末吉Gold」
の誕生である。

ちなみにこれらのネーミングを考えたのは全て中野で、
その後「青春玉」かなんかのアルバムの時にアフロのカツラを被って、
「ファンキー末吉Clasic」
が誕生して以来、もう末吉の髪型で遊ぶのにも飽きてしまったようだ(笑)

まあその後ストレートパーマを当てたりもしていたが、
結局は地毛である現在の髪型におちついた。

いわゆる「もじゃもじゃ」である(笑い)


まあ別段それで何も問題なかったのであるが、
この歳になって来るとめんどくさいのが「白髪染め」。

1ヶ月もたたないうちに生え際が真っ白になってしまう・・・

「金髪にしたら白髪が目立たんよ」
と言われて、このやっちんツアーの移動日に金髪に染めることを決意。

鹿児島の美容室に飛び込んで髪染め開始!!

NeoFunkySueyoshiRealGold1.jpeg

綺麗なお姉さんふたりがかりで脱色する。

この間にTwitterでいろいろ名前を募集してみる。
Neoファンキー末吉Goldリターン・・・
Neoファンキー末吉Goldアゲイン・・・

ちなみにNewファンキー末吉Goldは短髪なので敢えてNeoにしている。
(そんなことにはこだわるのね・・・笑)

個人的には「アゲイン」が「リゲイン」みたいで強そうだなと思っていたのだが、
「Neo」にもともと「アゲイン」という意味があるということで却下!!
(どうでもええとも思うが・・・笑)

「え?!!ライブの時にスプレーとかで染めるのかと思ったら本当に金髪にするのね」
という声を受けて、同じく強そうな「Realゴールド」から頂いて、
「Neoファンキー末吉リアルGold」に決定!!

Twitter上ではみんな、こんなんになるんちゃうかとか

NeoFunkySueyoshiRealGold2.png

こんなんになるんちゃうかとか

NeoFunkySueyoshiRealGold3.jpeg

はたまたこんな写真もUPされていたが、

NeoFunkySueyoshiRealGold4.jpg

結局こんな感じになった!!

NeoFunkySueyoshiRealGold.png

新しいネーミングは飽きるまで使い続けようと思ったが、
鹿児島ライブの一日で飽きたので
もうめんどくさいので「ファンキー末吉」のままでいいです(笑)

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2013年8月20日

親父の7回忌

社会科学には「社会通念」という概念があるようだ。

とある社会学者と問答になった時、
「は、は、は、ファンキーさんのその理論の組み立てには"社会通念"という要素が全く欠落してますね」
と笑われたことがある。

そう、想像に難くなく、ワシはその辺の概念が大きく欠落している(笑)

嫁に言わせればそれは「社会的常識」という言葉を使うかも知れないが、
ワシに言わせると逆にワシはむしろバカがつくぐらい「常識人」で、
その「常識」が人とちょっと「ズレている」だけなのだと自分では思っている。

昔、中野に
「お前は歴代の総理大臣や今の総理大臣の名前だって言えないだろう」
とバカにされたことがある。

いや、その通りなんですが・・・(笑)

どんな人間にも平等に一日は24時間しかないのである。
総理大臣の名前を覚えるヒマがあったら新しいドラムのフレーズを覚えたいし、
政治の話で盛り上がるぐらいなら音楽の話で盛り上がりたいと思っていた。

そう思って来たからこそ、まあ立派な社会人にこそはまだなれてないが、
そこそこの「音楽人」ぐらいには手が届いたと思う。

人というのは面白いもので、ちょっと社会的に成功したりすると人は
「やっぱり才能があったんですねえ」
とか言ったりするが、
ことワシ自身に関しては残念ながら親から受け継いだ「音楽の才能」など微塵もない!!(キッパリ)

今日の法事をチャンスに17歳の娘と末吉家の家系図などを作っていたのだが、
一族郎党どこを探したって音楽や芸術に関わった人間などひとりもいないのだ。

ワシが両親から受け継いだ大きな才能、それは
「何でも食べて何でも消化出来る強靭な内蔵」と、
「どこでも眠れて一瞬で体力が回復出来るサバイバルな身体」と、
「好きなことのためなら何でもがむしゃらにやるかなりゆがんだ性格」
ぐらいなもんである。

でもこの才能と24時間全部を好きなことに費やす「アホさ」さえ持ってれば、
まあ「好きな音楽やって食ってゆけたらそれでいいや」ぐらいの人生は送ることが出来るぞ!!(キッパリ)

大きな才能である・・・(感嘆)


さて、そんな大きな才能を与えてくれた親父の7回忌、
まあ7回忌が6年目であることも知らなかったのだが、
一応ひとり息子だったのでワシしかいなく、
あまりわからないまま「法事」とやらをまたブッキングすることとなった。

まあ「ブッキング」ぐらいなら音楽の世界でもいつもやってることなので簡単である。
でもワシの場合、一番大変なのが「着てゆく服」なのだ・・・(>_<)

親父が死んで翌年の命日(2周忌と言うのか?)の時は、
お袋もいてそれはそれはワシの着てゆく服に文句を言った。

翌々年(これが2回忌か?)の時はだいぶ柔らかくなったのでまあ今年は短パンでもええかとそれで出かけようとしたら、
「パパほんとにそれで行くがぁ?」
と娘が真顔で聞いて来る。

ちょうど夏休みで里帰りしていた高校生の娘と、
この日にちょうど少林寺の全国大会で四国にいた中学生の息子はちゃんとこの法事のために学校の制服を持って来ている。

そりゃ制服は冠婚葬祭万能の衣装ではあるが・・・
パパはお前達をそんないい子に育てた覚えはないぞ!!(涙)


かくして娘に「せめても」ということでばーちゃんの黒いスラックスを履かされ、
一同は車に乗って高知から坂出へと向かった。

坂出で生まれ育ったワシだが、
今は実家が高知なのでこんな機会でもなければ坂出に行くこともまずない。

お寺の近所で果物屋をやっている昔なじみの店で果物を調達し、
あらかじめ「ブッキング」してあったお寺さんに着いてからふと思い出す。

お寺さんっていくら払ったらええんやっけ・・・

前回と前々回、まあ毎回これで非常に困る。
何せ仏教なのでそれを「商売」にしてはダメだという根本があるため、
「いくらですか?」と聞いても「お心のままに」としか答えないのである。

この「社会通念」には毎回泣かされる(涙)

あと、それを包むのし袋の形式・・・(号泣)
そこに書き入れる名目の書き方・・・(爆泣)

まあこれが出来ないワシがひとえに「社会通念が欠落している」だけなのだ。

でも悪いが今後もそれを努力して勉強してゆくつもりはない!!(キッパリ)
人生は短いのだ!!まだまだ勉強したい音楽のたくさんのことが山ほど残っている。

・・・と言いながら親戚から勉強してちゃんと包む(涙)


そこで発覚!!今回の大きな忘れ物・・・位牌・・・(号泣)


そうかぁ・・・遺影は高知にあったから、
「どうせやったら大きな遺影ぐらい並べちゃろうかなぁ」
と思って文字通り「忘れていた」のであるが、
法事に位牌が必要だということは「知らん」かった・・・(涙)

前回まではお袋がいたからな。
今回はさすがに寄る年並で四国までは来れんから仕方ない・・・

だから位牌がないのも仕方ない・・・(号泣)

お寺さんは
「ほな臨時のを作りましょうかな」
と、達筆で親父の戒名やら没年月日やら達筆で書いて法事が始まる・・・

こういうところはいわゆる「檀家」と言うのか?
コンピュータを使えるとも思えないこのお寺さんが、
全ての檀家のデータを持っているということにかなり感激した。


Houji7.JPG


全てのセレモニーが終わって、お寺さんがワシに何気なくこう言った。
「次は13回忌ですなぁ・・・」

いろいろ聞いたところ13回忌はやらない家が多いと聞くので、
ワシとしてももうこれで最後だろうと思っていたのだが、
まあお寺さんとしてはそれ以外に坂出にもう住んでないワシとの一切のつながりがないので仕方がない。

やるのか?・・・またワシが?・・・(涙)

傍らで所在無く座っている息子(中学三年生)を見て思い付いた。
「そや!!6年後言うたらお前はもう20歳や!!お前がやれ!!」

「げっ!!」

一瞬ひるむ息子にワシは畳み掛けた。
「親の死に目を見とって初めて子供は一人前になれると言う。
パパも初めてこんなことをやる羽目になってちょっと大人になった。
次はお前がやれ!!もう20歳は大人や!!お前がやれ〜!!」

うむ、これも親の愛情である。
20歳になったら祖父の13回忌をお前が仕切るのぢゃ!!

そうしましょうそうしましょうヽ(*´∀`)ノ
末吉家の長男万歳!!!法事万歳!!!ご先祖様万歳!!

親父も草葉の陰でさぞかし喜んでくれていると思う!!(キッパリ)

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2013年8月16日

シャッフルの叩き方

ツアーに出ると「ドラムの叩き方でもUPするかな」と思う。

今廻っているやっちんのツアーではシャッフル曲はほとんどないが、
先月廻ったブルースのツアーでは当然ながらたくさんあった。

シャッフルのリズムは原型が「Swing」にあると思うので、
まずその「Swing」のリズムをご紹介しよう〜

ShuffleScore1.jpg

これをちょっと「固く(?)」したのがシャッフルのリズムである。

ShuffleScore2.jpg

「固く」というのは、
漂うように叩くJazzのSwingのリズムと違ってロック的にカチっと叩くというニュアンスである。

もっと「ロック的」に叩くとするとこのような叩き方もある。

ShuffleScore3.jpg

ツーバスを使ってこのように叩くこともあるし、

ShuffleScore4.jpg

筋肉少女帯の曲では逆にこんな叩き方の曲もあった。

ShuffleScore5.jpg

フュージョン的なアプローチではこんな叩き方もある。

ShuffleScore6.jpg

でも今回ご紹介したいオススメの叩き方はコレ!!!

ShuffleScore7.jpg

この叩き方を最初に見たのは高校生の頃、
88ロック(懐かしいなぁ)に出場していた「花伸(はなしん)」というブルースバンドのドラマーがこれを叩いていてぶったまげた。

右手より左手の方が速く動かねばならんなんて・・・無理!!!

と最初はあきらめていたのだが、
Jazzを叩くようになり出してからSwingのリズムの左手を自由に入れる時、
結局このように全パツ叩くこともあり、
試しにブルースでもやってみたらこれが非常に気持ちがいい!!

コツは
「無理して2拍目4泊目に大きくアクセントを入れよう思わないこと」
だと思う。

ずーっとこの速さで叩いてるのだから大きいアクセントは大変である。
2拍目4拍目にはハイハットも踏んでいるのだから、
アクセントというよりは手首の位置をちょっと落としてやってここだけリムに当てるぐらいに考えた方がよい。

右手を左手と同じく全パツ叩く叩き方もあるが、
個人的にはHHを叩いた時にその開閉でSwingのリズムが強調されるのでこっちが好きである。


ちなみに「スティックを振る」という動作には大きく分けて3種類の動作があり、
一番多く使うのが「手首」で振る動作。

タム回しなど、上手いドラマーは実は腕を振っているのではなく、
腕の位置がタムの上に移動しているだけで叩くのは手首で叩いている。

「腕を振る」という動作は実はアクセントの時。

HHを両手で叩きながらところどころにアクセントを入れてみるとわかるが、
普段は腕の位置は動かず、アクセントの時だけ腕を振り上げて叩いている。

そして3つ目は一番小さなこの動き、「指」の動きでスティックを振る。

親指と人差し指でスティックを持ち、
残りの3本の指でスティックのお尻の部分を動かしてスティックを振るのである。

Swingのシンバルレガートなどもこの動きである。
あの速いパッセージを手首で叩くのは実質無理だし、
出来てもビートが固くなって使い物にならない。

シンバルからの跳ね返りなども利用して指先だけで振るのである。

このシャッフルのリズムパターンの左手もそうである。
手首で振るのではなく指で振って、
2拍目4拍目のアクセント部分だけ手首の位置をちょっと下げてやってリムに当てる。

これはワシも慣れるのに数年かかったが、
実際に出来るようになるとスネアにスティックが吸い付く感じ(?)で、
自分がまるで黒人になったような(?)気持ちいいビートが生まれて来る。

慣れるとかなり速い速さでも叩けるようになるが、
速いシャッフルには「ストンプ」と呼ばれる叩き方もある。

ShuffleScore8.jpg

2拍目4拍目のアクセントはハイハットだけに任せて、
スネアは全パツ裏拍だけでドンカドンカドンカドンカと叩く。

そして最後にこの進化系!!

ShuffleScore9.jpg

右手をSwingのリズムにしてスネアはストンプ。
高速でこれが決まると相当気持ちいいですぞ!!

練習あるのみ!!

ちなみに末吉がブルースを叩いてる参加アルバムはあまりないが、
このアルバムではその「黒人的」シャッフルビートを叩いてます。

Swingを叩いてるアルバムはもっと少ないが、
五星旗3rdのアルバムでは何曲か見事なシンバルレガートを披露してます〜

ミックス終了!!予約受付ちう〜

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2013年8月 8日

小小舞台(小さな小さなステージ)

もう何度目になるだろう・・・
亜洲鼓魂ライブとか誕生日マラソンライブとかやってるから実はもう結構回数を重ねているかも知れないが、
毎月を目標にやろうと決めてから数回目、今回がある意味一番いいライブだったかも知れない・・・

いつもは張張(ZhangZhang)が来て即興性の高いことやって混ぜ返してくれるのだが今回はあいにく忙しくて来てくれない。

飛び入りで歌うことになってた破碎楽隊の江巍も来れなくなって、
結局はいつもの布衣BeiBeiのユニットPairだけである。

まあワシには「ひとりドラム」という強い武器があるので全然気にしないが、
問題はPairのボーカルの安敏捷(An MinJie)が突然脱退したということである。

まあBeiBeiもよくボーカルに逃げられる男である・・・(笑)

いや、笑い事ではない。
最初のボーカル妮子(Niz)に逃げられてから一度ボーカルを換え、
それにも逃げられてやっと見つけたボーカルが安敏捷(An MinJie)だったのだ。

実はこの最初のボーカル妮子(Niz)とBeiBeiは彼氏彼女の仲だった。
まあ言うなれば夫婦喧嘩がバンド仲に飛び火したようなもんである。

「ファンキーさん〜誰かいいボーカルいませんか?」
そう泣きついて来たBeiBeiにワシはこんこんと説教した。

「お前なぁ!!歌もうまい、ルックスもいい、その上オ○ンコもいいなんて、
(スミマセン、ワタシ外国人、表現ガチョット直接的ネ)
いくら中国が広いったってそんな都合のいい女がいるわけないじゃろ!!」

ワシは「1、二度とボーカルを変えない。2、二度とボーカルとヤらない」を条件に
(スミマセン、ワタシ外国人、表現ガチョット直接的ネ)
最後にもう一度だけ助けてやることにして今がある。

まあ逃げ出した二人目のボーカルは仕方がない。
BeiBeiが妮子(Niz)と作った楽曲の数々を聞いて、
「これはイケる!!」
と思って自分でレコーディング費用を出すことにしたが、
思ったよりも金がかかるしこれは回収出来ないなと判断して逃げ出したのだ。

酒場で歌っていた安敏捷(An MinJie)を引っ張って来た時、ワシは
「これで最後だからな」
と念を押したが、まあ言ってみれば安敏捷(An MinJie)はよく頑張った。

BeiBeiにプロトゥールスの使い方を教えてやって、
「お前が自分で操作するんだったら別にいつでもスタジオ使っていいから」
とほっぽり出していたら、これが毎日毎日昼から夜中まで歌入れをしている。

BeiBeiのあまりに厳しいディレクションにベソをかくこともしばしば・・・
そんな甲斐あって今では安敏捷(An MinJie)ももう大歌手の貫禄がある。

ところが1枚CDを出して評価が少々高かったぐらいですぐに大金持ちになれるほど中国も甘くはない。

安敏捷(An MinJie)の結婚、出産もあってPairの活動が出来ないうちに、
生き馬の目を抜くこの世界からはとんと置き去りにされた感は否めない。

BeiBeiは作曲や編曲の能力を認められてスタジオ仕事などをやって稼いではいるが、
こうなって来ると潰しのきかないのがボーカルである。
いろいろあって脱退したのもうなずける。

まあバンドが売れなくて解散するのと似たようなもんである・・・

「じゃあライブどうすんのよ・・・」
ワシはすぐさま電話をかけてBeiBeiに聞いた。

「実は・・・妮子(Niz)に声をかけたんです・・・」
そう答えたBeiBeiに、
「お前!!またなぁ!!・・・」
と説教しようとするのを遮って、
「大丈夫です。彼女はついこないだ男の子を生んだばかりですから・・・」

まあこんないきさつでとりあえずは妮子(Niz)と一度やってみようということになった。

ワシのこの北京定例ライブは「商業的ではない」というポリシーを持っていて、
参加する人は平等に「金のため」ではなく、「自分の音楽」のために参加する。

Pairなどはボーカルとギターだけのユニットなので
こんなイベントでもなければバックバンド雇わなくちゃなんないんだからライブなんか出来ようはずがない。

だからやりたい新曲でも持って来ればリハしてやってあげるし、
他の歌手でも誰でも参加したい人はバックをやってやる。
新しいボーカルのオーディションとして利用してくれるのも全然問題ないぞ!!

というわけで子連れのリハーサル開始!!

NizAndBaby.png

授乳とかあるので仕方がないのよ〜
リハの途中にオムツ変えたり授乳したりもう大変(笑)

歌の方はあれから10年歌ってなかったと言うが、
「なんかしっくり来るなぁ」と思ったら、
まあもともとオリジナルを歌ってたのは彼女なのだからそりゃそうである。

なんか安敏捷(An MinJie)の歌がもの凄く「大人」で、
彼女の歌がもの凄く若く聞こえたのは気のせいだろうか・・・

その謎はライブが終わってから解けることとなる・・・

などと謎めいた言い回しをせずとも明くる日がもうライブである(笑)
院子からせっせこと機材を積んで先にライブハウスに入る。

例によって遅刻魔のBeiBeiは来てないが
後で聞いたら妮子(Niz)を迎えに行ったが授乳があるから6時まで出れないとのことなので許す(笑)。

いつも張張(ZhangZhang)とのセッションから始まるこのライブも、
今日は張張(ZhangZhang)がいないので「ひとりドラム」から始める。

まあ「ひとりドラムツアー」で慣れているので全然大丈夫である。
相変わらずどん引きしてるのか度肝を抜かれているのかわからない客席の反応を全く気にすることもなく叩きまくり(笑)、
終わった拍手を聞いて「あ、受けてたんだな」といういつものパターン。

どうせどん引きされてても叩くドラムは同じなんだから気にするだけ損なのよね〜

そしていよいよPairの出番。
楽器のセッティングもあるだろうから妮子(Niz)は置いて先にプレイヤーから呼び込む。

BeiBeiを呼び込む時には毒舌をたっぷり込めてやる。

「知り合ったのは私が音楽監督を務めた零点のスタジアムコンサートの時、
ギターの裏でエフェクターの切り替えをしてたのがこいつです」

から始まって、
「終わってしばらくしてから電話かけて来たんだけど全然覚えてませんでした〜」
と続いて、

「『僕レコード出したいんです!!』と言うので
『バンドやってんの?』と聞いたら『やってません』
『じゃあお前が歌うの?』と聞いたら『歌えません』
『じゃあどうやってレコード出すの?」と聞いたら、
『僕は何曲も素晴らしい曲を書いたんです。ボーカルを紹介して下さい』
『そんなこと出来るかい!!自分で探して出直して来い』
と言って探して来たのが彼女なんです」
と言って妮子(Niz)を呼び込んだ。

ライブ後に他のメンバーはワシが彼氏彼女のネタを言うのかと思ってヒヤヒヤしていたと言うが、ワシもそこまでバカではない。
ボーカル脱退をまだ正式に表明していないPairのボーカルが今日はどうして彼女なのかをお茶を濁してうまく説明してやりたかっただけのことである。

「つまりこの妮子(Niz)はPairのオリジナルメンバーなんですよ。
皆さんが聞いたPairのアルバムは実は彼女とBeiBeiが作った曲。
今日はPairのオリジナルバージョンをお楽しみ下さい」

こう紹介すれば、別に今日だけボーカルが変わったんだなと思ってくれてもいいし、
今日やってみて妮子(Niz)はやっぱダメだなと思ったら次に誰が来て歌ってもいい。

Pairのライブが始まった。

BeiBeiもいつもちょろちょろと余計なこと考えてミストーンは多いし、
ベースも今日は韓陽(HanYang)が来れないのでテクニック的にはちょっともとないので、
まあ今日はいろいろ「事故」があるだろうなと思ったら、
BeiBeiのギターが初っ端からもの凄く「しっかり」していたのでびっくりした。

まるで人が変わったようである。
妮子(Niz)も10年歌ってないと言うので舞台でどうなのかと思ったが、
なんかもともとこのバンドで歌っていたボーカルのように堂々と歌っている。

そこでいろんなことを思い出した。

10年前ワシらはこうやって毎日リハーサルをやっていたのだ。
あーでもないこーでもないと曲を作って、
ああそれだったらこうして転調すればいいよと教えてあげたり、
その時の記憶が全部呼び戻されて来た。

考えてみたら妮子(Niz)はリハーサルだけを一生懸命して、
結局一度もライブをやることなく脱退したのだ。

昨日のリハーサルの時に感じた不思議な感じはこれだったのだ。

妮子(Niz)も脱退してからいろいろあっただろうが、
その間の歌を全く歌ってなかったという人生を全部カットして、
ワシらはタイムマシンに乗ってあの時の次の瞬間に来て、
妮子(Niz)と一緒にこうして「初ライブ」をやっているのだ・・・

ワシがストリングスアレンジをやった海妖(HaiYao)という曲もやった。
あの時あんなにあーだこーだやってやっと作り上げたこの大曲を、
彼女は今日初めて人前で歌っているのだ。

そして最後の曲「小小舞台(XiaoXiaoWutai)」で彼女は涙を見せた。


路灯已不太亮 影子都摇摇晃晃
(街灯はもう明るくなく、影がゆらゆら揺れている)
空荡荡的街 也不再匆忙
(がらんとした街、もう慌ただしくもない)
倦了累了哭了 每天平凡地收场
(疲れて泣いてイヤになって、毎日の平凡な幕引き)
没有人抚慰我疲惫肩膀
(誰も私の疲れ果てた肩を抱いて慰めてはくれない)

经过的人 怕触摸彼此冰冷的目光
(通り過ぎる人と冷たい視線を交わす)
也许心中 和我一样 想放声歌唱
(ひょっとしたら心の中は私と同じ、声を張り上げて歌いたいのかも知れない)

如果有一个小小舞台
(もしも小さな小さなステージがあったとしたら)
让我站在中央 做着美梦 唱着我的心情
(私をその中央に立たせて美しい夢を見させて、私の気持ちを歌わせて)


曲の最後のギターと歌だけになる部分、
「如果有一个小小舞台(もしも小さな小さなステージがあったとしたら)」
で彼女は泣いた。

声を詰まらせながら歌い終えた彼女は、
その小小舞台(小さな小さなステージ)を降り、
授乳のためにそのまま家に帰って行った。

彼女がやっと立ったその小小舞台(小さな小さなステージ)に残されたワシは、
もう一曲だけひとりドラムでWings中国語版を演った。

いいステージは伝染するのか、続く布衣のステージももの凄くよかった。
まるで何十年も一緒にやってるバンドのようだ。

でも考えたらワシも彼らともう8年一緒にやっている。
ファーストアルバムを一緒に作ってから、
来月発売になるアルバムでもう4枚目になるのだ。

20130807BuYi.jpg

ライブは大成功に終わり、
ワシもその小小舞台(小さな小さなステージ)を降りた。

いつの間にかその小さなライブハウスは満席になっていた。

お客さんは口々に「とてもよかった」とワシに言い、
チャージを渡しに来た若いオーナーは
「ビール飲むかい?奢るよ。何本でも飲んでいいよ」
と言った。

今日一緒にやってくれた出演者にいつものように100元ずつ配ったら、
今回初めてワシの手元にいくらか残った。

100元と言えば日本円で1500円もないが、
50元の入場料で店が半分取ったらお客さん4人分の収益である。

それぐらいは払わなくちゃと思って毎回ワシは足りない分は自腹で払っていた。

飛行機代を払って往復し、自分で金を払ってライブをやってりゃ世話ないが、
でもこの外国で、毎月でもいつでもこんな自分名義のライブをやることが出来る日本人なんてワシしかいないのだ。

晩飯もみんなで食っていつもワシが払っていたが、
今回はその晩飯代をさっ引いてもワシの手元に27元残ったのだ。

BeiBeiが帰り際にこう言った。

「ファンキーさん、すぐレコーディングを始めます!!
テレビドラマで使ったというあの曲を僕に下さい!!」

安敏捷(An MinJie)に歌ってもらった挿入歌を、
彼は妮子(Niz)でPairの2枚目の曲としてレコーディングするつもりなのだろう。

止まっていたタイムマシンが動き出した・・・
こんなこともあろうかと曲の権利はテレビドラマ側に渡さずに置いてある。
曲ぐらいなら何曲でも提供してやるぞ。

「来月のライブは9月4日にCD Cafeでやるからな。遅刻すんなよ」
そう言って別れようとしたが、やはり憎まれ口のひとつでも叩いてやらねば気が済まない。

「あ、そうそう・・・」
と言ってBeiBeiを呼び止めて耳元で囁いた。

「もうヤるなよ!!こんどヤったらもう二度と助けてやらんからな」
(スミマセン、ワタシ外国人、表現ガチョット直接的ネ)

「勘弁して下さいよ・・・」
笑いながらBeiBeiはこの小さな小さなライブハウスをあとにした。

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2013年8月 6日

ドラムの基礎練習は中国語の単語学習のようなものだ

中国で地方地方のドラムの先生方と飲むにつれ、必ず聞かれる言葉が
「ファンキーさんは一日どのぐらい練習してるんですか」
という言葉である。

これには答えるのが非常に難しい・・・

基礎練習などJazzを始めた頃から20年近くやった覚えがない・・・
それからは数年前にレガートのコツを掴んでからたまに楽屋でトコトコやるぐらいである・・・

「いや〜・・・
この2ヶ月は毎日なんかしらライブやレコーディングでドラムを叩いてたから、
まあ言うならばそれが一番の練習ですよ」
と言うとそれがまたあらぬ誤解へと発展する。

「練習は嫌いでライブは好きなんですね」

いや、それはその通りなのだが、それだけ言われたのでは身も蓋もない(笑)
そんな時にはこの例えを出せば一番わかりやすいようだ。

「私の中国語は決してうまくないでしょ?」

まあこれに正直にうんと言えない中国人はいない。
学校に通ったこともなく、教育も受けずに全くの独学でここまで喋っているのだ。

「通訳の人って凄いですよねぇ、私の知っている単語の数十倍は知ってるし、
何よりも発音が私なんかと違ってと全くあなた達と同じぐらいちゃんとしている・・・」

うんうんと頷く中国人たち・・・ワシは続ける・・・

「でもね、あなた方は今このヘタな中国語の話をみんな食い入るように聞いている。
これが流暢な中国語を話す通訳が何か話してても今ほど熱心には聞かないでしょ。
音楽もこれと同じです。
ドラムのテクニックは例えて言うと中国語の単語数と同じ。
私は少ないテクニックでも心からあなた達に伝えたいことがある。
それがない通訳の人がどれだけ流暢な中国語を喋っても誰も耳を傾けない。
音楽で一番大切なのは『伝えたいこと』なのです。
それを伝えるために単語数が必要になって来るというだけの話なのです」

これでだいたいの中国人は大きく納得する。
なにせ実際このヘタな中国語の話を食い入るように聞いていたのだから(笑)


ところが中国人よりも日本人の方が始末に負えないかも知れない。
インタビューでこんな話をしたら
「僕はヘタなドラムでも人の心を動かすようなドラムを叩きたいと思います」
などと書かれて憤慨したことがある。

ワシのドラムがヘタか?!!!!(怒)

全く日本のインタビュアーにはアホが多くてイヤになる・・・(笑)

ワシは音楽をずーっと独学でやって来たので
それがコンプレックスになって、逆に音楽理論から何から全部自分で勉強した。
その辺の音楽理論も知らないアレンジャーよりは数倍知識(単語数)は多いはずである。

ところが単語数を全部覚えようとするとこれは無限にあって実質不可能なので、
ルーディメント系は実際よく使うものから習得して来た。

実のところ「ふたつ打ち」は弱い(これホント)。

だってロックやっててそんな姑息な技やったって聞こえへんのやも〜ん(笑)

だからワシのフレーズのほとんどは「フラム」だの「ディロル」だの
(実のところようわからんが)
何とかひとつ打ちを組み合わせて自分なりのフレーズにしている。

そうでなければロックの爆音の中ではフレーズが「立たない」のだから仕方がない。
「ふたつ打ち」が弱くて苦労したのはJazzをやり始めてからである。

「歴史」が違うのである・・・人生は短く、習得すべきものは山のように多い・・・

世の中には運のいい人悪い人、お金持ちの人貧乏な人、
それぞれの人生は決して平等ではないけれども、
神様は平等に全ての人に一日の時間を24時間しか与えていない。

それをどう使うかは「自由」だし、
どう使ったかこそがそれぞれの人の「人生」となる。

ドラムというものは、いや「人間」というものは決してまん丸なものではない。
金平糖のように尖ったり凹んだりしているものである。

ある人はその凹んでいる部分を持ち上げようとするが、
そうすると人は一生そのコンプレックスとだけ戦わねばならない。

もちろんその戦いから一生逃れることは出来ないのだが、
またある人はその尖っている部分をもっと伸ばそうとする。

要はで〜っかい金平糖になりたいか小さなまん丸になりたいかである。

「伝えたいもの」がない人達はとりあえず練習をしようとする。
(いや、それも非常に大事なことのだが)

中国語を習得したいから辞書を1ページ目から最後まで単語を全部覚えてゆくようなもんである。
(いや、それで全部覚えたらもの凄いことなのであるが)

いくら単語をたくさん覚えたって「伝えたい」ものがなければただの「翻訳機械」を越えられない。

中国語がろくに喋れないのにワシは単身この国に乗り込んだ。
使えるほんの一握りの武器(単語)でロッカー達と毎日酒を飲んだ。

戦う前に「絶対に負けない」ように全ての防御を習得してから戦いに行く人もいるだろう。
でもワシはとりあえず「戦場」に出た。

力不足で討たれて死ぬのならそれは自分が「悪い」のである。

Jazzをやり始めた頃、生まれ故郷の香川県でJazzのライブを組んでもらった。

「Jazz屋のオヤジ」という言葉があるぐらい、
好きなJazzで自分の城を作り上げた人は頑固者が多い。

そこのマスターはワシがドラムを叩いてる最中に、
「こらドラム!!やかましい!!ピアノが聞こえんやないか!!」
と怒鳴った。

その後は萎縮してろくなドラムが叩けない。
持ってる武器(ルーディメント)がロックのしかないのだから戦ったって勝てるわけないのである。

ライブ終了後はワシの首根っこを捕まえて全ての客のテーブルに連れて行って、
それぞれの客全員にこう言った。

「おい、こいつのドラムはどうやった?正直に言え!!」

全てのテーブルを廻った後にマスターはワシに
「うちの店は最高のJazzしか流さんのじゃ!!出直して来い!!」

その日は男泣きに泣いた。

勝つ戦いばかりではない、負けることだってある。
でも幸い致命傷にはならなかったから命がけで足りない技を習得してまた戦場へ向かう。

傷つきながらも幸い死ぬことはなかっただけの話で、
「ライブが一番の練習になる」というのはこういう意味である。

正当に武術を習得している人から見たらワシの武術なんて無茶苦茶なもんである。
でも最低限「死なない」程度の技は持っている。

命を守るためには最低の武器(基本)は必要なのである。
中国語を話したかったら最低の単語数が必要なのと同じように・・・

ドラムを叩いてメトロノームと完全に同期するなんて、
ドラマーとして仕事をするんだったら絶対に出来なければならない技。

初見で譜面読んでどんな変拍子であろうが即座にそれを叩くなんて、
セッションミュージシャンとして仕事をするんだったら絶対に出来なければならない技。

それが出来なかったら「戦場」に行けないだけの話である。
なくて行ったら討ち死にしておしまいである。

金平糖がどれだけデコボコでも凹んでいるところを討たれたら死ぬのだからその「まる」は必然的に大きくもなる。

いろんな技術的な質問をして来る中国のドラマー達にも日本のドラマー達にも、
答える言葉はいつもこれである。

「お前が今考えるべきことはそれではない!!」

では何なのか・・・それを考えることが「人生」であり「音楽」なのだ。

全世界のドラマー諸君!!
戦場に出ることもなく武器の磨き方だけを考えてるヤツは討ち死にするぞ〜!!
頑張るのぢゃ!!

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2013年8月 5日

全中国ドラムクリニックツアー2013年 湖南省「長沙」

北京に着いたらLuanShuに呼び出されてずーっと映画音楽の仕事をやらされていた。

逃げるように空港に行き飛行機に飛び乗って長沙に来た。
初めて降り立つ空港ではない、
実は前回パスポートを盗まれた岳陽に行く時に一度この空港に降り立っている。

(パスポート紛失劇はこちら)

岳陽初日
岳陽2日目
岳陽3日目にしてついに紛失
紛失初日(なんとか北京に帰る)
紛失2日目(なんとか届け出を)
紛失2日目の続き(お役所仕事に振り回される)
紛失3日目(帰れない・・・)

まあこんなドタバタがあった土地に、
こうしてiPadを盗まれた直後に降り立つのも何かの縁である・・・


着いたのはもう夜中だったのでこの日はすぐこてん、
次の日の昼飯から旅は始まった。

この全中国ドラムクリニックツアーは「食の旅」でもある。
ギャラの額なんぞどうでもいい、
中国全土のめったに食えない美味いモノを御馳走してくれる旅でもあるのだ。

まずは長沙と言えば一番有名なのが臭豆腐!!

Vision2013ChangShaChouDoufu.JPG

納豆が大豆を発酵させたものなのに対してこれは豆腐を発酵させたもの。

中国全土にこの料理はあるが、発祥の地ここではまたひと味違う。
周りが真っ黒になるまで発酵させた豆腐をまず油で揚げて、
それを更に炒めて煮込んでいる。

湖南料理は辛いのでも有名で、
この唐辛子が四川省のでも雲南省のでもないここでしか味わえない味である。

それを使って作ったチャーハン!!!

Vision2013ChangShaChaoFan.JPG

これが美味いのなんの!!
簡単に作っているはずなのになぁ・・・やっぱ唐辛子自体の味が違うんやな・・・

そして毛沢東が愛したという毛氏紅焼肉!!
これもここが発祥の地です。

Vision2013ChangShaHongShaoRou.JPG


さてグルメ話はこの辺でもういいだろう。
この食事の席で劉氏という男と同席した。

彼は中国南方地区最大のロックイベントを仕切る地元のイベンターで、
ワシを見るなりいきなり「亜洲鼓魂」の話を始めた。

「俺はそのカセットテープを持っているんだぞ!!」

他の人が「俺もCD持ってる」と言うのを制して、
「何言ってんだ!!俺のは最初に出たカセットだ!!
これが発売された頃には中国にはまだCDはなかったんだ!!」
と言う。

かなり熱い人間である・・・

この日のイベントは彼が大きく盛り上げてくれて忘れられないイベントとなった。


いつもこの仕事は開場に着いてみないとどんなイベントかわからない(笑)
今回はどうもドラムコンテストのゲストとして出演するようだ・・・

Vision2013ChangShaPoster.JPG

青少年超級ドラマー大コンテスト、鼓王(ワシか?)と零の距離に!!

いや〜・・・まず青少年を脱却して「オッサン」にならなければワシとの距離は縮まらんじゃろ・・・(笑)

Vision2013ChangShaPoster2.jpg

もうひとつのポスターには「大先生の講座」と書かれているので、
「うーむ・・・今回はひとりドラムコンサートというよりやっぱクリニックかな・・・」
と思っていたら全然違った。

夕方にコンテストが全部終わって一度客を全部出し、
PAを新たに運び込んでサウンドチェック。

そして審査発表の前にワシ単独のコンサートをやれと言うのだ・・・

開演時間が来たら劉氏がマイクを持って来てステージに上がり、
そしていきなり客を煽る!!

客席の前の方はコンテストに参加した子供達を座らせているのだが、
彼は客席に降りて行ってその後ろに立って父兄や大人達を煽る!!

「1996年、まだこの国にロックがなかった頃、
俺はこの1本のカセットテープと出会った・・・」

彼は延々とワシの「亜洲鼓魂」との出会い、そして中国のロックの歴史、
そしてワシという人間が中国のロック界の中でどういう存在なのかをとくとくと語った。

「子供達にはわからんだろう、だから俺はお前達大人に是非わかって欲しい。
何故なら、今日これからドラムを叩くゲストは、俺の・・・神様なんだ!!」

そんな紹介をされたら命がけでドラムを叩くしかない・・・

劉氏の煽りもあったのか1曲目のVisionRockが終わった時には客は全員立ち上がって前に押し寄せて来ている。

Vision2013ChangShaAudience2.JPG

いつものMCの流れで
「私のこといくつだと思います?54歳ですよ」
と言って会場を沸かせてから
「それでは54歳のヘビーメタルをお聞き下さい!!」
と言ってX.Y.Z.→Aの「Spreading Of Fire」になるのだが、
この日は何の気なしにみんなにこう聞いてみた。

「たくさんの音楽ジャンルの伴奏を持って来てますが、
みなさんどんなジャンルを聞きたいですか?」

そしたらやはり劉氏の煽りもあったのか、
会場じゅう、子供もみんな「ロック!!!」と叫ぶのだ。

「Spreading Of Fire」が終わった頃にはさすがに劉氏が出てライブを中断。

マイクを持って客を座らせる。
前の方で子供が押しつぶされたりしたら危険だからだ。

演目が最後まで終わったら劉氏が出て来てまた客を煽り、アンコール・・・

予定外なので何をやろうかと思ったが、
ロックの曲と言うとあとはX.Y.Z.→AのWings中国語版と、
自分のドラム練習のために作ったInitiation・・・

Initiationは現在小畑秀光が中国語でカバーしているが、
ちゃんとX.Y.Z.→Aの中国語版が出来上がっていれば迷わずそれを選んだのだが、
この雰囲気でいきなり「息子よ歯を磨け!!」もないような気がする・・・(笑)

Wingsは2曲メドレーになってて曲が長いし、
何よりも「煽る」曲ではなく「聞かせる」曲なので、
いつものひとりドラムではあんまり使いづらい曲ではある。

ワシはステージ袖でワシのドラムを食い入るように見ている劉氏をチラ見して、
やはりX.Y.Z.→AのWings中国語版をやることにした。

ドラムも叩かないギターと二井原の歌だけの1コーラス、
子供は例の如く飽きてお喋りを始めたが、
2コーラス目にシンバルロールなどを入れ始めるとしーんと黙った。

バラードのドラムから始まって変拍子になり、
「Fire Bird」のメタルドラムとなる。

どんな曲でも同じだが、ワシはドラムの中に何かの「思い」を込める。
それがどのように客に伝わるかは曲によっても違うしシチュエーションによっても違う。

中国でのあるコンサートではこの部分で拍手が来たが、
今回はむしろワシが頑張れば頑張るほど客はおとなしくなる。

はたから見ると「ドン引き」のような状態だが実はそうではない。
「聞いている」のである。

まあどうせドン引きだとしてもワシのやることは同じなのだが(笑)

Vision2013ChangShaPlayDrums.JPG

曲が終わってふとステージ袖を見ると、
劉氏が泣いていた。

「亜州鼓魂」で若い頃感激した彼が今聞いてた曲は、
言わば「20年後の亜州鼓魂」なのだ。

ライブが終わって彼が秘蔵の「亜州鼓魂」のカセットテープを見せてくれた。

Vision2013ChangShaYaZhouGuHun.JPG

テープの状態はすこぶるよく、今再生してもちゃんと音が聞けるだろう。

ただきっと何度も何度も歌詞を見ながら聞いたのだろう、
カセットのインデックスは破けてはセロテープで補修している。


日本がバブルに湧いてた頃、
誰もが「売れる」ということだけが「正しい」と信じてた。

どんな素晴らしい音楽を聞かせても
「それって売れてんの?」
と河合は聞いて来たし、
「ソロアルバムを作りたい」
と言ったら、アミューズはソニーの幹部を招集して会議を開き、
そのそうそうたるメンバーの前で
「Jazzをやりたいんです」
と言ったら
「それが何万枚売れるのかね?」
と聞いて来た。

1万枚売れたら大したヒットだねと言われるJazz界の話をしたら、
「何で50万枚売れない爆風スランプのメンバーのアルバムを私達が作らなければならないのかね」
とみんな呆れて席を立った。


そんな世界に背を向けてワシはこのアルバムを作った。
そして劉氏をはじめとして色んな中国の若者に大きな影響を与えた。

だから中国での今があるのである。

そんな若者が大きくなって、
こんなイベントにワシを呼んでくれる。

この日のイベントは「亜州鼓魂」が取り持つ日中二人の思い出に残るイベントとなった。

Vision2013ChangShaAudience.JPG


蛇足でまたグルメ〜

Vision2013ChangShaUchiage.JPG

打ち上げはビールを飲みながらまた中国ロックの話で盛り上がったのだが、
またこの地元の庶民が行くこの店の料理が美味かった!!

向う側の黒いのはドジョウ、
真ん中右はザリガニ、
手前左は臭豆腐のように今度は魚を発酵させてそれを炒めとる。

出て来た時は臭くて涙が出たが、
食ってるうちに(飲んでるうちに?)全然気にならなくなった。

长沙好地方!一定再来!!
(長沙いいとこ絶対また来る)

世界中どこでも友達がいるところはいいとこなのである。

この「ひとりドラムツアー」は言わばそんな「友達」を作りに行く旅。
そんな友達が中国各地にいるワシは本当に幸せ者である。


ファンキー末吉ひとりドラムツアーの軌跡(こちら

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2013年8月 2日

ワシのiPadMiniがハワイまで・・・(涙)

昨日酔い潰れて失くしたワシのiPadMini。。。
先ほど「iPhoneを探す」から「見つかりました」と報告が来た。

しかし何かが変である。
「Goldenが見つかりました」
って何なん?・・・

iPadMiniFound.jpg

これは拾った人が「iPadMiniOfFunky」という名前から「Golden」という名前に変更したということか・・・

即座に「紛失モード」にする。
パスワードロックを有効にし、
ワシの電話番号を入力し、
メッセージには
「Mr. Golden!! Please contact me.」
と入れてワシのメアドを書いておく。

まあ名前を自分の名前に変更しているのだから盗む気満々なのであろうが、
これを見て改心して連絡をくれれば世の中もまあ捨てたものではないのだが・・・

しかし空港で失くすと捜索も国際的やなぁ・・・(涙)

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搭乗口で酔い潰れてiPadMini失くす〜(涙)

別に飛行機に乗るのが怖いわけでも何でもないが、
「乗るなら飲め」という風潮がずーっと続いている。

八王子から成田までのリムジンでも飲むので効果絶大(?)である。

この日もリムジン乗る前にもつ鍋食いながらハイボール5杯、
リムジン乗ってカン酎ハイ2本、
チェックインしてから寿司屋で日本酒、
搭乗口に着いてから売店でウイスキーのダブルを飲んでいる。

見ればもう搭乗は始まっているので、
長蛇の列に並ぶのもしんどいので椅子にちょこんと腰掛けて、
・・・何とそのまま酔い潰れて寝てしまったようだ・・・・

乗務員が慌てて起こしに来て目が覚めた。
まだ搭乗してない最後の乗客を血眼で探していたようだ・・・

ワシも慌てて飛び起きて飛行機に乗る。
乗ったら入り口がバタンと閉まる。

おそらく最後の乗客(ワシ)をずーっと待っていたのだろう・・・

座席に座ってシートベルトを・・・と思って気がついた。
iPad用ポシェットに入っているはずのiPadMiniがないではないの!!!!

降りて探しに行こうとしたがドアは既に閉まっている。
乗務員にその旨を伝えると、
「では見つかりましたらお帰りの際にお渡し致します」
とのこと。

しかししばらくして外に連絡を取ってくれた乗務員が、
「搭乗口でそのようなものは見当たりませんとのことです」
と伝えに来た。

離陸ギリギリではあったが「iPhoneを探す」で探してみる。
iPadMiniにはiijMioのSIMが入っていて日本国内ではそのままネットにつながるのだ。

iPadMini1.PNG

ちなみにこれは今日キャプチャーしたので日付が「昨日」になっているが、
昨日の段階ではこれが「本日」になっていた。

その後「サウンドを再生」とかやってみたがそのままつながらなくなり、
現状に至るまでこのように「古い位置情報」のままである。

SIMが入っているのだから突然ネットにつながらなくなることはあり得ないし、
突然電池が切れるということもあり得ない。

ひょっとしたら飛行機の中で落としていて圏外になってしまったのか・・・

と思っていたのだが、
ところが北京に着いて今度はパソコンから「iPhoneを探す」をやってみたら・・・

iPadMini2.jpg

今度は位置情報が02:56に変更されている。
場所はどうやら搭乗ゲートのあたりであろう・・・

さっそくデルタ航空と成田空港に連絡を取って調べてもらうと、
「そのような落とし物はありません」とのこと・・・

これは誰かが02:56以降にこれを拾って電源を切り、
初期化して自分のモノにしてしまったのか・・・

まあ酔っ払ってモノを失くすワシが悪いのじゃが、
困るのは一昨日のライブの楽屋で撮った激鉄♪MAX!!のムービーの1カット、
橘高王子による「ギターの神様」の映像である!!(涙)

iPadMiniLostDATA.jpeg

しゃーないな・・・またドリームキャッスルに撮りに行こう・・・(涙)

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