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2012年10月23日

中国ロックを作り上げた日本人ギタリスト

甘利匡輔という男がいる。

日本ではその名前を知る人はほとんどいないだろう。
中国でも今はその名前を知る人は少なくなったが、
ワシ世代、もしくはそのせめて10年やそこら下の中国ロックファンでその名を知らない人はいない。

ワシなんかが中国に行くもっともっと前、
天安門事件より更に前に彼は北京に留学し、
中国ロックの創始者「崔健(Cui Jian)」のバンドに入った。

いち留学生がその中国ロックの創始者と共に、
中国ロックの歴史に残る名盤を作り上げたのだ。

CuiJianJieJue.png

奇異な運命である。

留学生仲間と対バンライブで崔健(Cui Jian)と一緒になった彼は、
その後「バンドを手伝ってくれ」という連絡を受ける。

人生にはいろんな出会いがあるが、
多くの出会いはそこに飛び込まないがために「縁」がなく終わってしまうが、
崔健(Cui Jian)の1枚目をすり切れるぐらい(当時はカセットしかなかった)聞いてて大ファンだった彼は二つ返事でそこに飛び込んだ。

そこから彼の崔健(Cui Jian)との「青春」の日々が始まる・・・


実はこの甘利匡輔という男、帰国して八王子近辺に住んでいたのだ。

昨日ワシは彼と20年振りに会って酒を飲み交わした。

FunkyWithAmariKyosuke.JPG

ちなみにワシらは北京で会ったことはない。
前回会ったのも彼が帰国した1992年のことだったと思う。

「あの頃はとにかく落ち込んでて、何も話す気になれなかったんです」
と彼は言う。

そりゃそうだ。
中国にいればロックの「歴史」の人、
日本に帰れば誰もそんなことは知らないただの「人」なのだ。

そのギャップを埋めるのに彼は10年かかったと言う。
今は楽しく「日本人」として(笑)生きていると言う。


ワシが最初に北京に行ったのは90年、
彼が帰国したのは92年。

だが彼は崔健(Cui Jian)と「青春」を共にし、
ワシは黒豹(Hei Bao)と共にし、
北京ではそのふたつは交わることはなかったが、
ここ八王子でそれが交わった。

「あの頃はよかったねえ」
そんな話でいつまでもいつまでも酒を飲み交わした。


2年前、崔健(Cui Jian)が来日した時に彼のところに連絡が来て、
そのステージに呼ばれて一緒に「快让我在雪地上撒点儿野」を演奏したと言う。

「どうして僕なんか呼んでくれたんでしょうね・・・」
彼はそう言ってたがワシはこう言い返した。

「例え大スターになっても
崔健(Cui Jian)にとってはいつまでたっても甘利くんは青春なのよ!!」


1枚目を一緒に作ったADOというバンドと別れ、
崔健(Cui Jian)は「自分のバンド」を組む為にメンバーを探していた。

甘利くんを見つけて毎日毎日リハーサルをした。

昼飯を食って2時頃集まり、
休憩なしでずーっと彼の曲を演奏する・・・
何時間も何時間も練習する・・・

甘利くんにとっても辛くも何ともない。
彼が留学時代に見たあのステージの感動、
すり切れるほど聞いたカセットのあの曲、
憧れの崔健(Cui Jian)と一緒にプレイしているのだ。

日が暮れて「腹が減ったなぁ」となるとみんなでメシを食いに行く。

当時はビールの次は白酒、しかも二鍋頭(ErGuoTou)しかない。
それを飲む・・・ひたすら飲む・・・

毎日毎日ぶっ倒れるまで飲んで、また翌日休みなくギターを弾く。
そんなことを3年間、毎日毎日続けた・・・

当時は「打ち込み」の機械なんて存在しない。
崔健(Cui Jian)にとっても自分の「音楽」を作り上げるためにはどうしても「バンド」が必要なのだ。

こうして作り上げた数々の名曲の中に甘利くんの「ギター」がある。
崔健(Cui Jian)にとっては甘利くんのギターがなくては自分の「サウンド」は出来なかったのだ。

その頃ワシも遅ればせながら中国に行き、
黒豹と出会って天津体育館でドラムをぶっ叩く。

「会場に着いたら絶対に口を開くな」
そう言われたよね?!!
うんうん、言われた言われた(笑)

外国人がステージに上がってロックをやる・・・
そんなことをやったらどんな目に遭うやらわからない・・・
そんな「時代」だった。

甘利くんはそれをワシより前に3年間も崔健(Cui Jian)と一緒にやり続けていた。

雪の中でプロモーションビデオも撮った。
いろんなところにツアーも行った。

その後、甘利くんは北京から去り、
ワシは黒豹(Hei Bao)たちと商業ロックの黎明期を築いた。

ふたりの日本人のうち、ひとりが築き上げた「ロック」に、
もう一人が引導を渡したようなものである。

「何で帰国したの?」
素朴な疑問として甘利くんに聞いた。

「金がなかったんですよ・・・」

今でもそうだが諸外国と違って外国人が「アルバイト」など出来る国ではない。
崔健(Cui Jian)がいくらロックの創始者だったとしても、
バンドメンバー全員を食わせるほど金持ちでもない。

みんな貧乏だった・・・でも楽しかった・・・

ワシも黒豹(Hei Bao)相手に毎日飲み明かしたあの日々を思い出して目頭が熱くなった。

この映像は甘利くんが帰国した後に行われた崔健(Cui Jian)の北京でのライブ映像である。

メンバーは変わっても、
崔健(Cui Jian)は甘利くんと一緒に作り上げた歌を今も歌っている。

最後に彼の代表曲である「一块红布(一切れの赤い布)」を紹介したいと思う。

女が男に赤い布で目隠しをする。
「何が見える?」と聞かれて男は「幸福が見える」と答える。
とても気持ちがよく、自分がどこにいるのかもわからない。
女は尋ねる。「どこに行きたい?」。
男は答える。「あなたの行くところに」。
女は尋ねる。「何を考えてる?」。
男は答える。「あなたが主で私は従だ」と。
ここは荒野ではないと男は感じる。
例えそれが既に干からびてしまってても、自分にはそれを見ることが出来ないから。
男は渇きを覚える。女はその口を優しくふさぐ。
僕はもう歩けない。僕はもう涙も出ない。身体はすっかり干からびてしまったから。
でも僕はずーっとあなたに着いてゆく。だって一番苦しいのはあなた自身なのだから・・・。

「ファンキーさんなら分かると思う」
甘利くんはこの曲の話が出た時にそう言った。

西側社会では「反体制」というくくりでしか語られない崔健(Cui Jian)、
でも彼ほど毛沢東を敬愛し、中国を愛している人間はいない。

「この歌は・・・悲しいのよ・・・」

崔健(Cui Jian)はこの曲を演奏する時に共産党を表す赤い布で目隠しをしてトランペットを吹く。
甘利くんは何万人の中国人が涙しながら拳を上げるのをステージの上から見ていた。

中国ロックはこうして・・・始まった・・・


そしてワシは、崔健(Cui Jian)が、甘利くんが作った「中国ロック」のレールの上を、
今もまだひとりとぼとぼと歩いている。

日本人が誰も知らないひとりの日本人ギタリストが作った道の上を・・・

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