2011年12月18日
Yahooニュースを受けてコメントします
時事通信から先日の訪朝の記事が配信され、
Yahooニュース等にそれが載った。
(いつまでこのリンクが有効かは知らんが・・・)
まあこの記事だけ読んでどれだけ伝わるかわからないというのは事実である。
案の定あまり物を考えない人達はいろんなアホなコメントを書き込んだりはしているのは見たが、
まあそれにいちいち反応してても仕方がない。
ただFaceBook等でフォローしてくれてる人達からもいろんな小さな疑問が投げかけられたりするので、
この機にいろんなことを追加説明しておきたいと思う。
まず
「どうしてファンキー末吉だけがあの国に行けるのだろう」
という素朴な疑問については、
極端な答えを言うと「誰でも行けます」!!
よど号妻の時代、
日本のパスポートに「北朝鮮を除く」と書かれていた時代は別にして、
現状では政府が「渡航自粛」と言っていても行くことは全然可能です。
北朝鮮の旅行代理店(北京などにある)に申請をすれば、
政府関係者とか記者、その他北朝鮮の国益に反すると判断されない限り、
また正月や国家行事がある時には国を閉ざすのでそんな期間以外なら基本的に行けます。
「行けない」という間違った認識が、
私の行動をよりわけがわからなくしているということはありますが、
日本からの渡航は北京なり第三国を経由せねばならないので文字通り「近くて遠い国」ですが、
北京に住んでいるとそこから申請してすぐに飛べるので非常に「近い」。
現に中国からは毎日とてもたくさんの中国人観光団が訪れています。
日本人も同様の手続きで渡航することは可能です。
ただ行けたとしても私のように自由に行動出来るとは限らない。
「サッカー選手があれだけ監視されててなんで末吉だけが?」
という書き込みもよくわかります。
簡単な答え方をすると「私も監視されているのです」というのが正しい。
あの国では外国からの旅行者には必ず「ガイド」という名の監視員がつきます。
それはサッカー選手でもファンキー末吉でも例外ではありません。
ただその人達を「監視員」として接するのか「仲間」として接するのか、
その辺がその人の「行動」の明暗を分ける。
このプロジェクトを始めるに当たって、
このプロジェクトのプロデューサー
(今は「相方」と呼んでいるが)
が考えたのが、
1、文化交流であるからして必ず何かの特殊技能を持っていること
2、文学、歌は言葉の壁があり、絵画はリアルタイムでなく、スポーツは勝ち負けが出るのでそれは「音楽」、しかも「楽器」であることが望ましい
3、それを演奏した途端に何かの化学反応が起きるぐらいの「腕」があり、共産国に住んでいる「日本人」であることが望ましい
ということである。
いろいろしちめんどくさく聞こえるが、
要するに「ロック」の楽器を演奏して先方が度肝を抜かれればそれでいいというわけであるが、
ただこの「共産国に住む日本人」というのに該当する人間が私しかいなかった。
なぜ共産国に住んでる人が望ましいかと言うと、
あの街は私も行って分かったが、
非常に「特殊」な街なので、そうでなければ「街」自体がその「人」を拒絶して「絵にならない」のである。
「街が拒絶する」というニュアンスはすなわち、
「その人がその街を拒絶している」ということに相違ない。
私ももう4度目の訪朝になるが、
最初は4日目ぐらいから非常にヘビーになっていたのが、
今では感覚的に「中国のいち地方都市」ぐらいにしか思わない。
もう何週間でも暮らすことが出来る。
共産国ならではの「物の考え方」というのがあって、
私の場合はそれを「中国」でのいろんな経験によって消化しているのである。
共産国にも試合に行っているだろうサッカー選手と、
どっぷり共産国に20年も住んでいる私とはその「感覚」に大きな「差」がある。
例えばこの「監視員」についても、
「日本人」にとってはこれはただの「監視員」でしかないが、
私の場合はもう彼らは「共犯者」なのである。
はっきり言ってあの国で自分が監視している「ターゲット」に「ロック」なるものをやらせる「監視員」は「明日には命がない」身の上である。
しかしどうしてそれが出来るかと言うと、
長年の「相方」と彼らの「信頼関係」である。
30回に渡る訪朝で少しずつ「関係」を築いてゆき、
例えばそれをもしテレビで流したとしても
「過去一度も問題になってないでしょ」
ということでその関係はずーっと続いてゆくことが出来る。
もちろん最初にこのプロジェクトのテレビ放映が決まった時には、
テレビ局の人からも
「どんな不測の事態になるやらわかりませんので、
出来れば放送日には日本から出て外国にいた方が身のためですよ」
と言われていた。
しかし結果、想像されるような右翼や総連からの攻撃もなかった。
そして何よりもこの子達や、
その「共犯者」とも言える人々の身が「安全」であったということが何よりも大事である。
そうでなければこのプロジェクトは続けてはいられない!!
私はこのプロジェクトを「続けてゆきたい」のである。
「志の低い」いろんな輩が、
一度だけあっちに行って盗み撮りをしているのと根本的に違う。
これは「文化交流」なのである。
この根本には私と中国との「人生をかけた」交流の歴史がある。
1990年6月4日、
私が天津体育館で黒豹のドラマーとしてドラムをぶっ叩いた時、
実は中国国家としてはそれは
「我が国の法に反する犯罪行為だ」
という状況だった。
(バレなかったのでことなきを得ましたが)
その時の「共犯者」はまぎれもない当時アンダーグラウンドだった中国のロックバンド「黒豹」のメンバーだった。
その私の軽はずみな行動が、
後に万が一彼らの人生に暗い影を与えることになったとしたら、
私はきっとその瞬間に中国に「亡命」して、
同じく中国人となって彼らに対する弾圧と命を懸けて戦っていっただろう。
まあ若かったし「アホ」でしたからな・・・
まあ今となっては中国がこのように変わっていったわけだから全て「笑い話」となってしまったが、
私としてみれば単に北朝鮮で「中国と同じことを今やっている」という気持ちでしかない。
単に北朝鮮は「まだその状態ではない」というだけのことである。
願わくば現状の北朝鮮に対するいろんなことが全て「杞憂」に終われば私にとっては言うことがない。
そしてあの番組が放映された時もうひとつ考えたのは
「拉致被害家族」に対する感情の問題である。
最初の放送の時にいろいろ反応を調べたが、
幸いにも被害者家族からは好感を持たれているというリサーチがあった。
もし万が一この時に彼らから反感があったとしたら、
私は住所を調べて彼らに土下座しに行ったことだろう。
「人を不幸にしてまで自分のやりたいことなんかやってらんない!!」
私はこのプロジェクトをその場で封印したであろう。
「こんなことが拉致被害家族の人達に知れたらどれだけ悲しむか」
という書き込みは、
今までもこのブログに震災問題で寄せられる
「被災者の身にもなってみろ!!」
という発言と同じく私は非常に腹が立つ。
そういう人こそ一番その人達のことを考えてないし理解してないと思う。
そのような人には私は今までも容赦なく対応して来た。
確固たる考えがあってのことなら是非実名でメールを頂きたい。
funky@funkycorp.jp
あとこの辺は日本人が一番理解出来ないことだと思うが、
理解しなければあの国のことが全く理解出来ない感覚・・・
例えば中国に行き始めた頃、
「だって末吉が付き合ってる人達はみんな金持ちなんでしょ、
ロックなんて出来てる人は特権階級で、
中国には食べるものもないような貧しい人達がいっぱいいるのよ」
と言われたことがある。
新宿のホームレスだけを見て「日本は貧しい」ということも出来ないし、
六本木ヒルズの人だけを見て「日本は豊かだ」ということも出来ない。
要は「どう交流するか」ということである。
私は今中国の貧民街で「ロック村」を作って貧しいアンダーグラウンドバンド達と一緒に暮らしている。
ある人は
「中国の最下層と一緒に暮らしている」
と言うかも知れないし、でもある人達は
「彼らは楽器を買う金があるんだからまだ豊かじゃないか」
と言うだろう。
しかしそれはどちらも正しくてどちらも間違っている。
反日感情の取材をする時に日本のマスコミは、
「日本人に殴り掛かった中国人」
を好んで映像に納めるが、
その隣で「その日本人を庇っている中国人」は一切映像を出さない。
「わかりにくい」からである。
国際関係・・・というと話は大きくなるが、
人間関係なんてそんなに「わかりやすい」ものばっかりじゃない。
だから私は少なくとも「自分の目で見たこと」しか信用しない。
日朝関係はもっと複雑である。
「平壌の街は中国マネーである種のバブルである」
と言うと、
「また見せられたプロパガンダに乗せられてる馬鹿」
と感じる日本人は少なくないと思うが、
私がブログで書いた
「危ないよ、今!!」
という警告がそのようなアホな感覚によって心に届かないとしたら日本ももうおしまいだと思わざるを得ない。
私は中国人のことを誰よりも理解していると思う。
北朝鮮が潰れそうで潰れない、
そのバックに中国がいることは誰でも容易に想像出来るだろう。
でも「あの人達」が、
単なる「商売」のもくろみだけで国家予算規模の金を北朝鮮に投資して、
「いっぱい投資して人民が中国のもん買ってくれて儲かりました、ほな!!」
と言って手を引く人達ですか?!!!
その裏のもくろみに「軍事」があって、
中国にとって次に狙うべき「アメリカ」が基地を置く、
「日本」という国と接する海(つまり日本海)に、
初の「中国の軍事港」を開港することを念願としてたとしたら、
日本は今まで通り経済制裁だけをしてのぺーっとしてていいですか?!!
まあこの辺は「軍事評論家」とやらに任せよう。
「要はこの事実が日本国民に正しく知らされてないこと」
自体が根本的に一番大きな問題なのである。
それには拉致被害家族に気を使ってとかいろんな問題はある。
でも一番その問題を大きく助長しているのは実はそのような「アホな輩」が言う「アホな考え方」なのである。
目の前の問題を直接現場に行って自分の目で見ることもなく、
マスコミ等が「こうですよ」と言ってることを鵜呑みにして、
そのような考え方や行動があるということは
北朝鮮よりももっと「危険」な「全体主義」の匂いがする。
もっと「自分の意志」と「考え方」を若者が持たないと「国」自体がどのようになってゆくのか・・・
「北朝鮮がそんな国だから日本の朝鮮学校の子供をいじめる」
という物の考え方とまるで同じだと私は思うのです。
中国という国が数十年前に今の北朝鮮と同じ状態だった。
国交のない日本にとってはそれこそ「暗黒の大陸」であった。
そんな中にも「民間交流」をしてる人達がいて、
それが今の日中間のいろんなものの礎となっている。
日本だってあの日アメリカが「頭越し外交」で電撃的に中国と国交正常化をして、
「わっちゃーどうすんべか」
と慌てて日中国交正常化して、
その時にひとつも民間交流、
すなわち「中国のちょっとでもいい話」がなかったら、
日中関係はここまで進んでましたか?!!
私は少々「中国かぶれ」はしているが、
まぎれもなく「日本人」である!!
子供達のうちふたりは中国の血が入っているが、
国籍は日本であり、ふたりとも「日本人」として暮らしている。
そんな私が「日本の国益」にならんことをやるとお思いですか?!!
断言しよう!!
このプロジェクトはいつか必ず「日本の国益」になる日が来る!!
だから「ロックは世界を救う」のである。
それを「アホ」と言ってくれることは私の「誉れ」である。
中国でもそうやって来た。
また北朝鮮でもそれをやっている・・・
それだけのことなのである。
PS.私が見て来た北朝鮮は確かに「外国人が見ることの出来る北朝鮮」である。
同様に私が20年間接して来た中国人は「メシを食うことが出来る中国人」である。
全てはその「人民との交流」においてその国を語っている。
でもそれを出来ている日本人(その道の本職だと言う評論家も含め)は私だけだと私自身は思っている。
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2011年12月14日
北朝鮮ファンキー末吉ロックスクールの生徒たち
今は亡き金日成首席が
6月9日にここに学校を建てるようにと指示したことから
「6月9日高等中学校」と名付けられたこの学校。
日本語で「ロック」と読めるではないか!!
とファンキー末吉が思ってしまったがために、
2006年からこの学校の軽音楽部はひそかに
「ファンキー末吉ロックスクール」
となっている。
2006年7月25日に初めてこの学校を訪れ、
その時に在学していた美少女達が
「ファンキー末吉ロックスクール」の「第一期生」となった。
懐かしい第一期のバンドメンバー達
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ベース&ボーカル 鄭慶姫(チョン・キョンヒ) 通称「あねご」 |
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メンバーの中で最年長の6年生。
(北朝鮮は小学校と言える人民学校に4年通い、 その後中学校と言える高等中学校に6年通う。 つまり日本で言うと高校1年生) 彼女がこの時代のクラブの「リーダー」である。 歌を歌いながら弾く楽器としてベースを選んだのであるが、 「こんなに難しいプレイを求められるとは夢にも思わなかった」 と後に語る。日テレの特番で流れた、別れの時の彼女の涙は記憶に新しい。 |
ドラム&ボーカル 李恵蓮(リ・ヘリョン) 通称「カレンちゃん」 |
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同じく最年長の6年生。
ほわーっとして天然入ってるキャラクターで見るものを虜にしていたが、天然どころか実はとても勉強が出来る優等生だったと後で聞いた。 最初にファンキー先生のドラムを聞いた時、一番目を輝かせていたのが印象深い
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・・・と、ここまでが「ファンキー末吉ロックスクール」の「第一期生」である。
彼女達を中心として「ムルンピョ(疑問符)」をレコーディングした。
そして「第二期生」と言えるその1年下の世代。
ギター&ボーカル 李順(リ・スン) 通称「おでこちゃん」 |
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彼女が「アネゴ」の後を継いでクラブのリーダーとなる。
手を口に当てて「おほほ・・・」と笑う、生まれも育ちも生粋の「お嬢さん」である。 今回の訪朝でも学校まで私を訪ねて来てくれて、花の女子大生となった姿を見せてくれた。 結果的にはこのプロジェクトとしては一番付き合いが長く、深い人間となった。
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キーボード&ボーカル 金秀慶(キム・スキョン) 通称「ボンボンちゃん」 |
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実はアコーディオンの名手で、後に「おでこちゃん」とふたりで「デコボン」というユニットを作って、ドラムにファンキー末吉も交えて「豊年の春」というインストナンバーをレコーディングした。
その音源はまだ世に出してないが、機会を見てまた発表したいと思っている。
ちなみに北朝鮮では楽器を持って農業や工業などの現場を「応援」しに行く活動があり、電気が要らないアコーディオンはここでは一番「要」の楽器である。 |
・・・と、ここまでが「第二期生」と言えるだろう。
ところがこの「第一期バンド」の中にとんでもない逸材がいた!!
ギター&ボーカル 柳真玉(リュウ・ジンオク) 通称「末っ子」 |
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その更にひとつ下の学年で、メンバーからは「末っ子」と可愛がられていた彼女、ひとたびギターを持てばその超絶テクニックにファンキー末吉をはじめ、それが放映された特番を見ていた全ての人間を唖然とさせた。
いや、厳密に言えば「超絶」というより「真っ白」であったため、ファンキー先生が教えるチョーキングやライトハンドなどロック的な新しい奏法をあっと言う間に自分のものにしていったということだろう。 ファンキー末吉ロックスクール「第三期生」の中心人物となった。 |
その後「お前は関西人かっ!!」と言いたくなるほどのキャラを持つ「長男の嫁」や、これまた美少女の「ホクロちゃん」などのキャラもその下に現れるのであるが、
わけあってその時代の映像や写真はUPされていない。
そして3年のブランクを経て今回訪朝し、
今のメンバーと初めて出会うこととなる。
「第五期」メンバーの中心人物、
ギター&ボーカル:リュウ・イエギョン 通称「部長」
いやーこの娘にはもう振り回されっぱなし!!
私の目から見ても「新人類」であるが、
北朝鮮の社会の中でも、もうこの子達の世代は
「戦争を知らない子供達」ならぬ「革命を知らない世代」である。
第一期生たちが
「先生の言うことは絶対に聞かねばならない」
という感じだったのに対して、
この世代の子たちは
「はっきりと自分の意見を言う」
そしてその意見が先生と違っていても
「自分の意見を通す」
という世代である。
思えば「末っ子」の世代にもそういう風潮はあった。
「お客さんが来たら必ず出迎えとお見送りをするのよ」
ということになっているにも関わらず、
末っ子や部長はよく考えたら結局一度も来たことがない。
その時になるとす〜っといなくなるのである(笑)
「イヤなものはイヤ!!みんなはやっても私はやりません!!」
という世代なのかも知れない。
いや、北朝鮮の世代が徐々にそのように変わって来ているのかも知れない。
それは「一人っ子」がもたらす「核家族」の影響かも知れないし、
中国をはじめとする巨額の投資を受けての「経済」の変化が原因かも知れないが・・・
「第六期」メンバー
ベース&ボーカル:リ・ヘジョン 通称「ペコちゃん」
第一期メンバーの「アネゴ」が「歌いながら弾く楽器」としてベースを選んだのとは違って、
アコーディオン奏者(北朝鮮では「楽器」と言えばアコーディオン」なので多くのプレイヤーがアコーディオンを演奏出来る)でもある彼女は、
純粋に「ベース」という「楽器の面白さ」に魅力を感じて始めたように見受けられる。
その「吸収力」は「末っ子」に共通するものがあり、
オクターブランニングからスラップ奏法までをあっという間に習得する。
「じゃあみんなで曲を作ろう」とか
「みんなで詞を考えよう」とかの時にも積極的に意見を言うという面も持ち合わせている。
こと北朝鮮では全ての面において「リーダー」は絶対であり、
そういう意味では「部長」はこのクラブでは「絶対的」に君臨している。
「リーダーに逆らうこと」は即ち「国家に逆らうこと」と同等であるというぐらいこの国ではその「秩序」に厳しい。
しかし私が感じる最近の北朝鮮では、
もっと「合議制」に近いというか、
感覚的な言葉で言うと・・・ユルい感じ・・・
になって来ているのではと感じることがある。
たかが「クラブ活動」なのであるが、
昔はもっと「肩肘張った」ものであったような気がするが、
今では「けいおん」のようなユルさが生まれて来ているような気がする。
(しかし厳しいところは厳しい部長)

(でも笑うとやっぱりカワイイ部長)
というわけでこのペコちゃんと部長が中心となってバンドを引っ張ってゆくことになるのだが、
第一期のバンドに実はボンボンちゃんがそうであったように、
「バンドの音楽的な中心人物」というのが存在したりする。
「第六期」メンバー
キーボード&ボーカル:キム・ソヨン 通称「ハナちゃん」
思い起こしてみれば、今回作ったオリジナル曲のメロディーは、
結局のところ彼女が全部生み出したと言っても過言ではない。
部長はとどのつまり「採択する」という「役割」なのだ。
例えば
「やーね〜 誰かここんとこ何かアイデアない?」
と部長・・・
そんな時に率先してメロディーを口ずさんだりするのが彼女である。

さて写真の後ろの方で所在なく立ちすくんでいるこの少年。
彼こそがこのバンドで最年少であり、
唯一の男の子であるドラマー!!
「第八期」メンバー
ドラム:キム・イルピョン 通称「一平」
「イルピョン」というのを漢字で当てれば「一平」ということで私達も「一平」と呼んでいるわけだが、
まあ最年少も最年少、最年長の部長から見ると3歳も年下なので、
部長をはじめ、いろんなところから
「こらイルピョン!!私の上着取って来い!!」とか、
あれしろこれしろといろんな声が飛ぶ。
女性ばかりのクラブの中でひとり男、そして最年少となると、
まあ「オソロシイお姉様方」の「パシリ」となるわけである。
また本人いたって性格が明るく、
何を押し付けられても笑顔で使いっ走るので、
そういう意味でもクラブの全女性からマスコット的に愛されている。
当然ながら曲を作るだの詞を作るだの、
意見を出したところでまともに取り合ってもらえないのだから、
みんなが喧々囂々話合ってる時もひとりアクビをしたり、
ぼーっとしててそれをまた突っ込まれてやいのやいの言われるわけである。
一番面白かったのは、お姉様方3人が順繰りにインタビューを終え、
最後に一平に「お姉様方はオソロシイ」ですか?とインタビューした時、
横に並んだお姉様方(特に部長)が一斉に、
「あんた!!余計なこと言ったらコロスわよ!!」
ってな感じでニラミを聞かせたシーンである。
それをチラ見した一平、生ツバをごくりと飲んで、
「お姉様方はみんな優しいです」
と答えたということは言うまでもない(笑)
そんなこんなで楽しく、あくまでもユルく、
彼女達のオリジナル曲が完成した。
6月9日高等中学校バンド2011年版
「学校へ行こう!!」
メロディーは全部彼女達自身によるもの。
アレンジは私が提示したものを部長を中心に彼女達自身が自分で選んだもの。
詞はもともとこの学校の先生か書いてあったものを元に、
彼女達が自分たちで変えたり付け加えたりして作り上げた。
変な輩に突っ込みされる前に書いておくが、
彼女達が加筆した部分に「将軍様」という一節がある。
私は敢えてそれを変えろと言わなかった。
(もちろん言ったところでそれは「将軍様を否定すること」になるのだからこの国では削除することは不可能なのだが)
今となっては私は
ロックの様式美に「悪魔」だの「ハイウェイ」だのがあるように、
「そこにそれを持って来ると曲が締まる」
のではないか、
もっと言うと
「それがなくては曲が締まらない」
ぐらいのアイテムとなっているのではないか、とそう思う。
うちのおふくろやその世代の日本人に
「天皇は神様じゃないんだよ」
と言ったところで理解出来ないのと同じように、
この国の人に私たちの常識を伝えたっておいそれとは理解は出来ないだろう。
同じように私たちにとって彼女達の「常識」を理解することは非常に難しい。
でも世が世で、私が見た「現代の北朝鮮の若者達」が、
神様が「死ね」と言ったら躊躇なく敵に向かって自爆するような、
そんな世代ではもうないのではないかと強く感じる。
北朝鮮はどんどん変わって来ている。
それが日本人には見えないだけである。
彼女達北朝鮮の若者、そして日本の若者達が、
今の大人達が成し得なかった「新しい関係」を作っていってくれることを切に願う。
(あらまあ、大きく出たわねえ・・・と部長(笑))
Posted by ファンキー末吉 at:11:04 | 固定リンク
2011年11月 6日
4度目の北朝鮮訪朝番外編2:よど号乗っ取り犯人と酒を飲んだ!!
スミノフBar(別にそんな名前ではないのだが、いつもここに来るとロシアのウォッカ、スミノフを飲みながらアホ話をするのでワシらはこう呼んでいる)でまたスミノフを飲みながら、
「部長はやっぱ可愛いな、いやペコちゃんの方が可愛いな」
などとアホ話をしながら盛り上がっていると、
どうやら隣に座っている人が日本人らしく、
ワシのアホな話を聞いてはクスクスと笑っている。
「すみません、日本の方ですか?」
と聞くと、笑いながら
「はい、そうですよ」
と答えた。
イントネーションが関西弁なので、
前回会った
「日朝関係は今がピンチでっけどな、
商売っつうのはピンチの時がチャンスなんですわ、は、は、は」
と笑う関西の商売人のことを思い出したが、
その出で立ちがどうも商売人っぽくない。
「こちらには商売でいらしたんですか?」
そう聞くと、
「いえ、こちらに住んでます・・・」
と答える。
ぽかんとしているワシに相方が耳打ちした。
「ファンキーさん、アレですよ、アレ、
よど号乗っ取り事件の犯人グループのひとりですよ」
げげっ!!!
そんな国際的な犯罪グループの人がこんな大手を振って酒を飲んでていいのか・・・
そう言えば聞いたことがある。
日本では「犯罪者」であるが、この国では「政治亡命者」である、と。
ところ変われば犯罪者が犯罪者ではないということはワシの身近なところでも経験がある。
爆風スランプが「ORAGAYO」というアルバムを出した時、
中野はフランスに亡命している天安門事件のリーダーのひとり、ウアルカイシと会って、
爆風スランプはその模様をビデオに納めて販売すると共に、
「おおBeijing」という楽曲に「ウアルカイシに捧ぐ」と注釈を入れてCDも発売した。
これに当時の中国人の嫁とその家族は過敏に反応した。
嫁の母などは泣き喚きながらこんなことをワシに言う。
「中国ではやってはいけないことがふたつある。
ひとつは黄色いこと(ポルノ)、
もうひとつは政治のこと。
このふたつはあなたの命を奪うだけでなく、
私たち家族の身にも大きな危険が降り掛かってくることだから頼むからやめて下さい」
と。
ウアルカイシを民主化の英雄と見るかどうかは人の勝手であるが、
ところ変われば彼は大犯罪者であるということを日本人はあまりに理解していない。
逆によど号乗っ取りグループが犯罪者であることは日本人であるワシはよく理解しているが、
ところ変わって北朝鮮では政治亡命者であるということがワシには逆に非常に不思議な感覚だったのでそのことが強く頭に残っていたのだ。
そう言えば出国前に
「よど号の乗客であった人の100歳の誕生日に乗っ取り犯人グループが謝罪文を送った」
というニュースを聞いたことがあるので、
その真意のほどを聞いてみたい気持ちと、
「こんな人達に関わり合いたくない」
という気持ちが複雑に交錯する中、
酒の酔いというのは恐ろしいもので、
ワシの口から真っ先にこぼれた質問はこれだった。
「メンバーのうちどなたかが、
あの伝説のロックグループ"裸のラリーズ"のギタリストだったというのは本当ですか?」
彼はまたもやぷっと吹き出しそうになりながらワシにこう言った。
「本当ですよ、私がそうです」
裸のラリーズ初代ギタリスト、若林盛亮。
高校の頃ビートルズを聞いて衝撃を受け、
ギターを手にしてロックを始め、
まあ学生運動真っ盛りの当時ではおそらく「ロック」と「革命」というのは同じようなものだったのだろう、
ある日ギターを捨てて学生運動に身を投じ、
飛行機を乗っ取ると決めた時に髪の毛を切った。
彼にとってはギターよりもむしろその長髪こそが「ロック」だった。
髪の毛を切るということはすなわち
「もうここには戻らない」
ということだったと言う。
ワシはと言えば、
事務所の命令で髪の毛を切った時もあったが、
いろいろあったはあったが相変わらず「革命」はずーっと「ドラムを叩くこと」だけである。
北朝鮮ロックプロジェクトのあの映像はDVDで見たことがあるらしく、
この国でロックをやることがどれだけ難しいかを一番理解している彼にとって、
それはとてもとても感動するものであったと言うけれども、
この国で「亡命者」として暮らす日本人が、
どのようなルートでこのように日本の情報と接しているのかこそがワシにとっては「ムルンピョ(疑問符)」である。
「そもそも爆風スランプなんか知ってるんですか?」
と聞いてみると、
「知ってますとも!!Runner!!息子が好きでよく聞いてましたから」
そうかぁ・・・息子さんがいるのか・・・
今は帰国して日本で暮らしていると言うが、
この国で生まれ育ち、乗っ取り犯を父に持ち、
拉致事件容疑者(本人は否定していると言うが)を母に持つ少年の人生たるや一体どんなものなのだろうか・・・
「若林さん、あなたが犯罪者である以上、私は"日本人"として、
あなたを助けたり支援したりするわけにはいきません。
でももしもお子さんが日本で言われなき差別を受けたりしたら、
私はひとりの"人間"として彼を命がけで守ります。
遠慮なく私を頼って来るようお伝え下さい」
と言ってお別れした。
不思議な夜だった・・・
思えば政治の話など出来ないワシは、
結局アホなロック話しかしなかった。
「自首するなら北京から露払いぐらいしますよ」
とは言ってはみたが、
もし本当にちゃんと帰国して刑に服したとしたならば、
ワシは是非またそこに面会に行って、
面会室の窓越しにまたアホなロックの話でもしてみたいと強くそう思う。
Posted by ファンキー末吉 at:00:53 | 固定リンク
4度目の北朝鮮訪朝番外編1:遊園地
最初の渡航の時にこの遊園地に来た。
当時は浅草の「花やしき」に毛が生えたようなもので、
まあワシもそんなつもりで現地の女の子と一緒に乗り物乗ったりしたものだ・・・
しかしここに来てそれが恐ろしいほどリニュアルオープンし、
毎日全国から観光バスが乗り付けるほどの観光名所になったと言うので行って来た。
いや〜「花やしきに毛が生えた」もんがいきなり
「ディズニーランドから毛が抜けた」ぐらい凄いもんになったので驚きである。
入り口近くのアトラクション、
ワシも乗ったがこれは結構凄かったぞ!!
大人気のジェットコースターはこれまた凄い!!
日本にはどっかにあるかな?
宇宙船の様に上から釣り上げられたコースターに
身体を伸ばして腹這いになって3〜4人乗って、
それこそ本当の宇宙船が空を飛ぶようにアクロバットに走り回る。
どのアトラクションもイタリア製の最新式らしく、
全国の若者のみならず軍人さん達も多く利用して笑顔が溢れている。
そうそう、ワシがこの番外編で一番言いたいことは、
経済制裁を受けている国なんだからきっと人民はぴーぴー言ってるだろうと思ってたら、
物は減るどころが逆に増えているし、
人民は豊かになって笑顔と活気に溢れている。
こんなことを書くとまた何もこの国のことをわかっちゃいないアホな評論家とかが、
「それはそのように見さされているだけなんです」
と言うかも知れんが、
お前ら日本でぬくぬく座って得てる情報だけで物を考えとるから日本は
「後ろにところてん押し出し機のような穴がいくらでも開いてるのに、
経済制裁したらそれでええやろとばかりちゅーっと圧力かけて、
実は後ろからだらだら流れ出てる〜」
っつうこともわからんのじゃボケー!!
と声を大にして言いたくなる。
渡航自粛もええけど、
誰かは実際に行ってその目でこの国の本当の状況を調べて来にゃあ、
その国相手にどんな制裁をしたらええのかわからんのとちゃうの?!!
国民に行くなと言うなら、
政治家か、もしくはスパイでも雇って送り込むぐらいのことせな安全保障としてどうしようもないんとちゃうん?!!
(そうなるとこりゃほんまゴルゴ13の世界やな・・・)
日本がこの3年まるで北朝鮮に興味がなかったその間に、
エジプトや、特にお隣の中国が湯水の如く金を投資して、
そして豊かになった人民が中国のモノを買って還元してゆく。
そうやってこの国が中国に飲み込まれたら、
中国っつうとこは念願の日本海側に軍港を作って新潟を狙いまっせ!!
政治家も人の揚げ足取ることばっかやってへんで、
ええかげんお隣の国の状況をもっと本気でリサーチして、
そこに一番効果的な手段で国益を守らなあかんのちゃうん!!
・・・などと珍しく政治的な発言をしてみたりもするけど、
まあワシは政治と宗教だけはやらんと心に決めとるので、
これもまあ酔っぱらいの戯言だと思って聞き流してもらおう。
でも政治家のみなさんは聞き流したらあかんよ!!
ほんまこの国と中国にええようにされてまうよ。
というわけで最後のアトラクション!!
ワシが最初に来た時に乗ったアトラクション。
「これだけは昔のまま」
と言いたいのはマウンテンマウンテンなのですが、
やっぱ違うな、
同じアトラクションなんやけどもう何かが違う。
まるで全てを塗りつぶして発展して来た中国みたいに、
この国は今ある種の「バブル」のまっただ中である。
PS.アホな評論家のみなさん!!
農村では飢餓で死んでゆく人がたくさんいるからと言って、
だから都市部がバブルであることを否定する理由にはなりません。
少なくとも平壌がどのような状況であるのか、
それはあんた自身が自分の目で、肌で確かめなあかんのとちゃうの?!!
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2011年11月 5日
4度目の北朝鮮訪朝最終日
2011年11月4日(金)
今日が最終日である。
別に録画してそれをどう使おうというのではないが、
とりあえず今の6月9日高等中学校音楽クラブの「ロック」を記録しておきたい。
5年前に初めて来て、
アネゴとカレンちゃんという(ワシにとっての)初代から始まり、
その下級生であるオデコちゃんとボンボンちゃん、
そして更にその下級生である末っ子ちゃんとで「ムルンピョ(疑問符)」を作り上げた。
その後アネゴとカレンちゃんは卒業し、
オデコちゃんとボンボンちゃんの世代となり、
「豊年の春」という曲を完成させ、
そして「とうがらしトンボ」という曲の制作途中でふたりは卒業、
末っ子や、他ホクロちゃん、長男の嫁、など素敵なメンバー達の時代を経て、
(この時期の話はいろいろあってブログにもUPしてません)
しばらく来ない間に今度は新世代であるこの「部長」の時代である。
探究心が旺盛で新しいもの好き、
自分の意志をはっきりと持ってて物怖じせずに口に出す。
調和のために自分を犠牲にするのではなく「主張」する。
明らかに先輩達とは違うキャラクターである。
昔はそんなキャラクターがひとりでも混じってたら「浮いて」いたのだが、
今の時代だと程度の差はあれみんながみんなそうってな感じである。
そんな時代なのである。
この学校の子供達はいつも座って演奏をする。
最初は何とか立って演奏してもらおうとしたが、
「座ってやるロックがあってもいいんだ」
と思い直した。
でもやっぱ立って欲しい。
言葉のパズルのようなものなのだが、
「立ち上がれ若者よ!!」
みたいな気持ちなのである。
まあ言ってみれば「ワシのワガママを聞いてくれるかい?」ってな感じである。
やっぱ「上の言うことを聞くいい子」ばかりの国なので、
今まではいろんなことがスムーズ
(軍部が怒鳴り込んで来たこともあるんだからそうでもないか?)
に進行して来たが、
この新世代相手にそんなワガママが通るかどうか不安な思いを抱きながら学校へ向かった。
恒例の如く車が着くと学生が出て来て出迎えて、
歓迎の意味を込めて腕を組んで部室に連れて行ってくれるのだが、
往々にしてこの場にはいつも部長はいない。
そう言えば彼女の先輩である末っ子もそうだった。
機嫌が悪いのかなと思ったらむっちゃくちゃ素敵な笑顔で微笑んでるし、
かと思ったらいきなりぷっといなくなったりする。
「部長と末っ子ってどっか似てません?」
と先生に聞くと、
「そうなのよ、全く同じなのよ・・・」
マイペースでいて非常に魅力的な子なのでついつい翻弄されてしまうのだ・・・
「4人バンドでリードボーカル取れる人がふたりしかいないんだから、
部長さんもギター弾きながら歌ってよ」
部長はまたとびっきりの笑顔で
「ネー(はいの意)」
と答え、その笑顔にワシらおっさんはもうメロメロなのだ・・・
ベースのペコちゃんは非常にテクニックがあったので、
チョッパーを含めいろんな技を伝授したが、
「あれ弾きながら歌える?」
と聞くと、今度は大和撫子風のハニカミ笑顔で
「ネー」
と答える。
オジサンもうたまりません!!!
最後に
「立って演奏してくれる?」
と言うと、今度は何の抵抗もなく「ネー」と言う。
もうこの世代には立ち上がって演奏することに抵抗感はないのだ。
いや、もしあったとしても面白そうだと思ったら飛び込む世代なのだ。
今回のメンバーが4人だったがために、
偶然ながらツートップ形式のかっこいいロックバンドになった。

まあ何をもって「ロック」と言うかは人によって違うだろうが、
純朝鮮ポップスのメロディーに、
彼女達(特に部長)が自分で選んだロックコード、
そして容量が小さいがために何のエフェクターを通さずとも常に歪んでいるギターとベースのサウンド。
音楽の専門家ではない相方は
「これまた凄い曲が出来上がりましたねえ」
と目を丸くする。
「いや、今回は全部彼女達がやりたいものをやっただけで、
私はただお手伝いしただけですから」
据え置きのコンピュータで簡単に撮った映像だが、
たまたま持ってた和佐田モデルのベース型USBにコピーして学校に置いてくからと言ったらみんな大喜び。
「ファイル名が必要だから何か曲タイトル考えて」
と言ったら彼女達自身が打ち込んだファイル名がこれ。
「GoTo6,9Royng Bok middle school」
まあつまり「学校へ行こう!!」という曲が出来上がったということだ。
全てを自分たちで作ったこの曲を、
部長たちはこのクラブで歌い継いでゆくのか、
もしくはこのままもう忘れてしまうのか、
それも含めて全て彼女達自身で決めればよい。
君たちが自分で決めて、
自分の足で思うように歩くことによって、
この国の未来はきっともっとよくなる。
そんな願いを胸に学校を後にした。

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4度目の北朝鮮訪朝6日目
2011年11月3日(木)
夜遊びが出来ないので基本的に早寝早起きである。
(まあ早起きしたところで勝手に外出できないので同じであるが・・・)
よく考えたら今日と明日で6月9日高等中学校のみんなとはお別れである。
一平や音楽クラブのみんなのために何か残していってやりたい。
ヤツらが練習しやすいようなドラムのパターンをノートにびっしり書いて、
ファンキー末吉流ドラム教則本みたいのを残してやろうと思って、
案内人(兼監視員?)に「ノート買っといて下さい」と言っておいたのだが、
まあこんなアホの相手に忙殺されているのかいっこうに買ってくれる様子がない。
仕方ないのでホテルの売店で高っかい高っかいノートを一冊買った。
値札には798ウォンと書かれてある。

もちろん外国人が北朝鮮の貨幣を使うことは出来ない。
基本的に外貨じゃないと買い物は出来ないのだが、
3年前は値札にはドル、ユーロ、中国元など主要貨幣の値段で表記されていたのが、
今回は全部がウォン表記である。
しかし支払いは外貨なのだからよけいに計算がややこしい。
ここ数日の経験で、北朝鮮ウォンの相場は日本円のその数値と同じぐらいのようだ。
ノート一冊に700円!!!(高っ!!!)
まあ今朝のヒマなうちに譜面を書いてやらないともう時間がないのだから仕方ない。
支払いは外貨でということで人民元を取り出すが、
あいにくと小額紙幣を使い果たしたところである。
「米ドルならありまっせ!!」
常に財布に各国の紙幣をしのばせておくとこういう時に役に立つ。
北朝鮮のレジのお姉ちゃんは凄いな。
瞬時に暗算で人民元いくらと端数をドルでいくらかを計算して、
ちょうどお釣りのいらないようにドルとかユーロとかの小額紙幣を取ってゆく。
ちなみに前回高額紙幣で買い物をした時にはお釣りが人民元で来た。
ワシは人民元もらってそれでいいが、
中国以外の諸外国の人は困るやろうなあ・・・
いや、この国ではもう中国の兌換紙幣のような役割を人民元が担っているのかも知れない・・・

学校に着いて、今日はアレンジの大詰めである。
基本的に1コーラス分のメロディー、コード、リズムは出来上がっているので、
あとはイントロ付けて間奏付けてエンディング付ければそれで完成である。
今回一番の美少女である「部長」はギターの本職ではないので、
前回の「末っ子ちゃん」に当たる存在はベースの「ペコちゃん」である。
前回「アネゴ」は実は歌手志望で、
ベースはルートだけ弾いてれば弾きながらでも歌える簡単な楽器だと思って選んでたところが、
ワシが来てこんなにもいろんな音を弾かされるので戸惑ったと言うが、
この「ペコちゃん」のベースの腕はずば抜けている。
「こんな奏法あるんだけどやってみる?」
と昨日帰り際にスラップ奏法を教えてあげてたが、
初めて目にする奏法に最初は目を白黒させていた彼女も、
今日にはもうそれが弾けるようになっていた。
「こりゃベースソロ入れるしかないじゃろ」
というわけで2番が終わった後にチョッパーベースソロ!!
ラリーグラハム風8分音符フレーズは一発でマスターし、
そいじゃあもっと高度なフレーズでシメるようにと最後に16分音符フレーズも作ってやると、
ベースソロ明けてドラムソロに入る時に一平がそれにびっくりしてソロに入れなかった。
こら一平!!ドラマーは惑わされるな!!
ひたすらビートを刻み続けるのがお前の使命なのじゃぞ!!!
というわけで北朝鮮の新人類、
全員あっという間に1曲さらっと演奏出来るようになってしまった!!(驚)
それじゃあアクションもということで、
最後は子供らしくみんなで「オー!!」と手を挙げよう!!
と提案したが、先輩達と違って躊躇も照れもない。

今回は4人メンバー、
歌えるのはギターの「部長」とベースの「ペコちゃん」の美女ふたり。
明日はマイクを2本前に並べてあげるから、
ふたりとも立って弾きながら歌うのじゃ!!
ロックじゃー!!ロックなのじゃー!!!

今日のお酒:柳の焼酎!!
(買って帰って店に置いとくんでみんなで飲もう!!)
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4度目の北朝鮮訪朝5日目
2011年11月2日(水)
今朝は相方がこちらのどっか工場とかを見学に行くというので謹んでご遠慮させて頂いてホテルでアレンジ等を考えることにした。
ワシは別に勝手にホテルから出て街を出歩いたり、
ガイド(兼監視員?)に迷惑をかけるつもりはさらさらないのだが、
ご本人達としては万が一何か問題が起こったとしたら自分の身も危なくなるということで、
結局キムさんは相方についてゆき、
ウンギョンちゃんはホテルに残ることとなった。
「じゃあどっかふたりでデートでもしますか?」
と言いつつ、
結局ホテルの喫茶店で一緒にフルーツパフェを食おうということになった。
昨日6月9日高等中学校のみんなから出て来たメロディーは、
BメロでトップがDという高いところまでいくのに、
サビは低いGから始まるのでつながらないと彼女達が悩んでいたので、
「それはいろんなテクニックがあるから明日ね」
と言って据え置きにして来たということから、
ウンギョンちゃんには是非とも「キー」や「転調」といった音楽用語も覚えて欲しい。
中学校の音楽教室よろしく「ハ長調」だの「変ロ長調」だの音楽理論を調号と共に紙に書き、
今回覚えたとしても後に一生使うこともないであろう単語をいくつも覚えてもらった。
ガイド(兼監視員?)の仕事も大変である。
ワシらといると関西弁の下ネタは覚えさせられるわ、
しょーもないアホネタばっかり聞かされては、
勉強熱心な彼女達はご丁寧に全部それをノートに書き留めている(笑)
でも以前ワシらが出会ったうさんくさい連中や、
隙あらば隠し撮りをしようとする評論家やジャーナリストよりはマシである。
彼らはこの人達のことを「監視員」だとしか思ってないし、
だからこの人達は「お客さんは敵だ」と思って仕事をして来た。
だから一緒に食事をしても「笑顔」など出て来るわけがない。
数日間ずーっと一緒に時を過ごして、
帰る時にはお互いに、
「あーミッションが終わった」
と安堵するだけの関係である。
そんな連中が口を揃えて
「北朝鮮で見たことは全部作られてことです。信用してはいけません」
みたいな発言を繰り返す。
アホか!!ガイドの気持ちも掴めない人間に、
こちらの人民の本当の顔なんか見えるわけがないだろが!!!!
まあウンギョンちゃんもその前任者のリーさんもみんないい人だったので一緒にいろんな話をした。
情報から隔離されて暮らしている彼らは往々にして日朝関係や国際情勢のことを聞きたがるが、
残念ながらワシは政治問題はさっぱりなので全然お役に立てなかったが、
それでも気がついたら2時間近く一緒におしゃべりしてた。
いつかは彼女が自由に日本に来れるようになって、
いろんな疑問を自分の目で確認出来るような時代が来て欲しいものである。
さて、昼飯は平壌冷麺!!
日本で食す韓国系の冷麺と違って、
こちらの冷麺は酢とマスタードで味付けをするタイプである。
北京では北朝鮮直営のレストランがあるので食することが出来るが、
日本にはもちろんそんなものはないだろうからここぞとばかり食い過ぎてしまう。
だいたい冷麺の前にこれだけの更に盛られた料理が出て来るんだから食い切れるわけがない!!
日本に帰って更にデブになってたとしたら全て冷麺のせいである。
満腹のまま学校にやって来た。
生徒達がいつものように出迎えてくれて腕を組んでクラブまで案内してくれるのだが、
ワシのお相手はワシらが「一平」と呼んでいる少年ドラマー。
クラブの中では一番年下で、
いつもにこにこしていて憎めない可愛いやつである。
女の子達はお客さんに対して腕を組むのだが、
どうも男の子は手を握るようである。
逆に照れくさいものがあるがしっかと握らせて頂いた。
部員達みんなをキーボードのところに集めて、
「君たちのメロディーを形にするには大きくわけて3つの方法がある」
というところから説明した。
予習しているウンギョンちゃんが適切に通訳する。
1、同じコード進行でサビのメロディーをBメロより高いメロに変える。
2、Bメロの最後の高い部分のメロディーをちょっと低いメロディーに変える。
3、サビを転調してキーを上げる。
いろんなパターンを実際に音を出して聞かせてあげるのだが、
びっくりしたのが彼女達、
特にひときわ美少女である「部長」の反応である。
「これ!!これがいい!!!」
間髪置かずにすぐに反応を返す。
少なくとも彼女達の先輩達はいつも自分の意見を述べるのにほんの少しの躊躇があったが彼女達にはそれがない。
全てにおいて積極的、物怖じしない、
3年間来なかっただけで北朝鮮の少女達はこんな「新人類」の時代になってしまっているのだ。
メロディーが決まったのでコード付けをする。
これも彼女達の好きなものを引き出してゆきたいので、
この音符に当てられるコードの選択肢を全部弾いてあげて本人達に選んでもらう。
「これ!!これがいい!!!」
いいと思ったら間髪入れずに反応が来る。
しかも「部長」が好んで選ぶコードは、
北朝鮮だと通常DmとかFとかを当てる部分に「Bb」、
つまりロックコードである。
恐らく北朝鮮には今までなかったコード付けである。
少なくともワシが先日カラオケで聞いた朝鮮曲の中にはその片鱗すらない。
新しいものが好きなのだ・・・
転調も含め、全体を通してみたら、
結局コードは「Bb」ばかりになってしまったので、
「部長~!!AメロかBメロかどっちかDmに戻した方がいいんじゃない?!!」
と言うと、
「わかりました」という感じでコード付けが終わり、
「ではバンドみんなで一緒にやってみましょう」
となって最初から通すのだが、
何度やっても同じ所で音が濁って聞こえる。
よくよく聞いてみると「部長」だけがその部分をかたくなに「Bb」を弾いているのだ。
「こっちの方が好きなの?」
そう聞くとまた間髪入れずに
「うん、こっちがいい!!」
と答える。
人の言うなりにならないのだ・・・
結局メロディーは純朝鮮ポップス、
アレンジはかなりロック寄り、
という、それでいてちぐはくではない
(そりゃそうだ、全部彼女達の中から出て来たものなのだ)
不思議な音楽が出来上がった。
北朝鮮の新世代・・・もの凄いかも知れんぞ・・・
この子達がこのまま大きくなったらこの国は一体どのように変わってゆくのだろう・・・
楽しみである。

今日のお酒:蛇の焼酎!!
(買って帰って店に置いとくんでみんなで飲もう!!)
写真
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4度目の北朝鮮訪朝4日目
2011年11月1日(火)
「一緒に曲を作る」ということは、
ワシもやっぱりこちらの曲をたくさん聞いて感覚をこちらの子供達に近づけておかねばならない。
ということで夕べはカラオケに行った。
中国でも感覚を近づけるために現地のカラオケに行ったりするが、
中国ポップスのほとんどがバラードで、
コード進行がマイナーコードであることが多いのに対して、
こちらのポップスはそのほとんどがメジャーコードである。
年寄りが好む演歌系バラードを除いて、
そのほとんどはアップテンポの8ビートである。
中国人が「悲しみ」を背負って歌を歌っているのに対して、
こちらの人民は音楽をもっと「楽しみ」と捉えているように思う。
音楽クラブのみんなからどんなメロディーが飛び出して来るのかを楽しみに、
6月9日高等中学校に向かった。
まずはドラムを叩く!!
まあ「お約束」である。
最初に度肝を抜いておかねばワシなんぞただの「変なオッサン」なのだから仕方ない。
次にはドラム教室!!
ドラムはピアノやギターよりも演奏形態が単純なので、
遊び感覚で入れ替わり立ち替わり楽しめるし、
叩けなければ笑いが出るので非常になごむ。
聞けばワシが来てから音楽クラブ内では「ドラムブーム」らしく、
ドラムを叩きたい部員が急増したらしい。
それだけではなく、
「ちょっと好きなリズムを叩いてごらん」
と言うと、ムルンピョっぽいグランジ系のリズムを叩く子もいる。
「こんなリズムどこで聞いたの?こちらの音楽にはないでしょ?」
と聞くと、
「自分で考えた」
と言う。
ワシの撒いた種はこんな形で息づいているんだな、とちょっと感激・・・
そんなこんなしている時に、
「ファンキーさん、お客さんですよ」
と言うので応接室に行ってみると、
なんと懐かしいオデコちゃんが訪ねて来てくれた。
もう立派な大人、「レディー」である!!(驚)
そうかぁ・・・もう出会ってから5年もたっているのかぁ・・・
来年には大学を卒業し、音楽の先生になると言う。
この音楽クラブでこの音楽の先生にいろんなことを教わったのと同じように、
今度は自分が子供達にいろんなことを教えてゆくのだ、と。
大学の勉強は大変だと言うけれど、
頑張れオデコちゃん!!
君ならきっと立派な先生になれる!!
子供達を導いて、君の祖国をもっともっといい国にしてゆくのだ!!

今日のお酒:ブルーベリーの焼酎!!
(買って帰って店に置いとくんでみんなで飲もう!!)
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4度目の北朝鮮訪朝3日目
2011年10月31日(月)
今日は最悪である。
iPhoneが持ち込めないので嫁のカメラを持って来て写真を撮っていたのだが、
いじり方がわからないので誤って撮った写真を全部消してしまったのだ。
仕方がない。
相方の撮ったビデオの中から同じものがあったらキャプチャーさせて頂くが、
昨日平壌の街を散歩してた時、
河のほとりで釣りをしているおじさんの隣でのんびりと休憩していて、
そのおじさんがやっと小魚を釣り上げた瞬間を写した写真が消えてしまったのだけは悔やまれる・・・
また街を出て散歩をするがどうも気が晴れない。
それに反して平壌の街はどうしてこんなにも賑やかで明るいのか・・・
世界中が経済制裁を行っていると聞いていたので、
きっと人民は貧窮に苦しんでいると思っていたが、
街のいたる所で改修工事が行われ、
古いアパートはどんどん取り壊され、
新しい高層マンションがどんどん建てられている。
商店には以前よりモノが増え、
若い子はみんな携帯電話を片手に楽しそうに街を歩く。
ヘタしたら不景気に喘ぐ日本の街よりもその表情は明るい。
「北朝鮮は劇場国家だから、
旅行者が見せられている光景は全て北朝鮮によって作られたものである」
という人がいるが、
そういう人に限って北朝鮮のことをまるで知らない。
ワシは今回で4回目、相方に至ってはもう30回はここに来ているのだ。
しかもジャーナリストが規制されながら街を見さされるのと違って、
ワシらはいつも人民と同じ目線で同じ様に街を歩く。
人民が泣き笑い、取っ組み合いの喧嘩をするのを目の当たりに見る。
そんなものまで完璧に「作られたもの」であるとしたら、
その「制作予算」は国家予算のうちにどれだけの割合を占めねばならないのか(笑)
「豊かになった」と観光客に思わせるために
ウソのビル工事をやってるとまで言うのなら、
その人はあまりに頭が工事中である(笑)
世界最大を目指して建設されたが頓挫してしまい、
そのみじめな姿を街の中心に晒していた柳京ホテルは、
エジプトの資本を受けてその外観はもう完成、
来年から5フロアーのみだが営業を開始される。
(ちょっと前まで)

(今・・・)
ワシが投宿している平壌駅近くのこの高麗ホテルのすぐ裏には、
中国資本を受けて巨大なホテルが建設されている。
知らぬは日本人ばかりである。
他所からこれだけの投資を受けている国に、
自分とこだけが経済制裁をしてそれで効果があると思っている政府のお偉いさん方が全くもってアホに思えて仕方がない。
マスコミはマスコミで、
何もわかっちゃいないのにわかったような振りをして報道をする。
中国が今の平壌のようにどんどんと豊かになっている時に、
あの人達は相変わらず中国の悠久の大地とまだまだ貧しいところだけを報道して来た。
数年遅れて今度は中国の豊かな部分だけにスポットを当てて、
その貧富の差にあえぐ人民の姿はもう忘れてしまっている。
それではまるで新宿で段ボールで暮らすホームレスだけを報道して、
「日本はこんなに貧しい」
と言ってるようなものでないのか!!
北朝鮮の農村部の貧しい生活は、
いくらワシらでもそれを目の当たりに見ることは出来ない。
まあ亡命者の数と比例してそれはきっと悲惨な生活をしているのだろう。
しかし都市部、もっと言うとこの平壌の街だけは、
外国(特に中国)の投資をふんだんに受けて活気に溢れているというのは紛れもない「事実」なのだ!!
ま、いい。
ワシひとりだけ写真データを消して落ち込んでいても仕方がない。
月曜日になったので懐かしの6月9日高等中学校に行くとしよう。
通い慣れた道、見慣れた街角、
そして懐かしいその校門をまたいで学校に入った。
平壌の街がどれだけ変わろうが、
この思い出の空間だけは時空が止まって真空パックされているかのようにそのままであった。
ワシが行くことは知らされてなかった懐かしい音楽の先生がびっくりして出迎えてくれた。
溢れんばかりの愛情で子供達を育て、
顧問である音楽倶楽部にこんな外国人を手放しで受け入れ、
自分はどうなっても子供達に新しい音楽を教えさせたいと思う、
こんな素晴らしい先生がそのままの真空パックで目の前に現れた。
先生は開口一番でワシにこう言った。
「リュノスケ・・・でしたよね?」
これには相方の方がびっくりした。
前回来た時に
「ファンキーさんに子供が生まれたよ」
と話してはいたそうだが、
別にその名前なんかちらっと言ったか言わないかぐらいのことである。
それに先生は今日ワシが来ることを知らなかったのだから用意して待ち構えているわけでもない。
本当にワシのことをいつも思ってくれてて、
そしてとっさにその子供の名前が口から出たのである。
校長先生は外出していたのだが、
「ファンキーさんが来ましたよ」
ということですぐさま携帯電話で呼び出された。
ほんとこの平壌もいつの間にやら携帯社会である。
「3年間も来ないなんてファンキーさんはきっと私たちを裏切ったと思ってましたよ」
校長先生が笑いながらこう言う。
「3年間子育てで忙しかったんです」
そう言い訳して頭をかいた。
やっぱ来なければならない。
これはロックによる「民間外交」なのだ。
いつの日か両国の人々が自由に行き来が出来るようになるまで、
今はそれが出来る人間はワシしかいない。
日本政府は「渡航自粛」と言いながらサッカーの選手団と何百人のサポーターを送り込むぐらいなら、
ワシを送り込んでこの国でロックをさせた方が我が国に有益じゃぞ!!
などとアホ言うのもそこそこにして、
部員が全く新しくなった音楽倶楽部を見学してから先生にこう提案してみた。
「今回はみんなで一緒に曲を作りましょう」
今まではワシが持って来た「ロック」とかいうわけのわからないものを「やらせて」いた。
今回は子供達の心の中から湧き出て来る何かをつむいで、それを形にしたい。
自分で考えるのだ!!自分で行動するのだ!!
たとえどんな障害があってもそれを形にするのだ!!
それが今この国では一番必要なのではないか?!!
今日のお酒:にんにくの焼酎!!
(買って帰って店に置いとくんでみんなで飲もう!!)
Posted by ファンキー末吉 at:20:05 | 固定リンク
4度目の北朝鮮訪朝2日目
2011年10月30日(日)
今日も朝から平壌の街を歩く。
「空気がどう変わったか」肌で感じるためである。
見ればいたるところで工事が行われている。
来年は金日成生誕100周年ということで、それに向けていろいろ街を整備したり、
古いアパートを取り壊して新しいマンションを建てたり、
問題は「その金がどこから出てるの?」ということである。
ホテルの裏には中国資本の大きなホテルが建つというので24時間態勢でトンカンやってるし、
日本国が一生懸命経済制裁をしたところで諸外国がどんどんここに投資をしてるのだから意味があるとは思えない。
金日成スタジアム
スポーツにはとんと疎いので知らんかったが、
2週間後には日本と北朝鮮のサッカーの試合がここで開かれるという。
「どんな理由があっても渡航は自粛して下さい」という国が、
選手団をはじめ何百人のサポーターをこの国に送り込む。
「スポーツと政治は別だ」と言うならば、
ワシがやってる「ロック」も政治とは別なので、
そういうことならばワシも胸を張ってこの国に滞在させて頂こう!!
街のいたるところで子供達が練習をしている。
来年の4月には金正日生誕100周年祭があるので、今から練習しないと間に合わないのだろう。
子供達に「やらされている」表情はない。
身体の柔らかい子が選ばれて、
その中から更に優秀な子供が選ばれて、
(そこにどんな政治思想があるにしろ)その晴れの舞台で踊ることが出来るのだ。
目を輝かせて頑張る子供達のどこにも罪はない。
懐かしいモランボン(牡丹峰)に登った。
ここは街の中心にある小高い丘(というより山)で、庶民の憩いの場所である。
日本で言うと日比谷公園が山になってるようなものか・・・
前回ここに来た時には、
宴会をしている御一行に呼び込まれて一緒に酒を飲むという不思議な体験をした。
思えばワシはよくこのような不思議な体験をする。
人よりも「偶然」に遭遇する確率が高いのだ。

踊りさえ得意ならばこの中に乱入してまた面白い出会いがあったかも知れないが、
前回のフォークダンスで懲りたので今回は大人しくしていた。
広場に降りて来たら結婚式に遭遇した。
金日成の絵に献花して結婚をご報告するというしきたりらしい。
国の制度は違っても、しきたりは違っても、
目出たいという気持ちは同じである。
離婚歴のあるワシであるが、
迷惑でなければ一緒にお祝いさせて頂きたい。
国の体制が、指導者の考え方がどうであれ、
この国にも人民がいて、
一生懸命生きている。
ワシはこの人達の幸せを心から願いたい!!

今日のお酒:松茸の焼酎!!
(買って帰って店に置いとくんでみんなで飲もう!!)
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4度目の北朝鮮訪朝(初日)
2011年10月29日(土)初日
13時の高麗航空で平壌入り。
座席は満席どころか、
30分後の13時半にも平壌行きの便が飛んでいるということは、
経済制裁をされている国に渡航する人がこんなにも多いということである。
知らぬは日本人のみである・・・
15時前には平壌に着いた。
中国で言うと国内線並みに近いということである。
例によって手荷物検査が厳しい。
前に並んでいた中国人の御一行は
みんながみんな携帯を持っていたためによけいに時間がかかる。
「これやから素人さんはなあ・・・」
と相方が舌打ちするが、確かにワシらはちゃんと携帯なんぞ置いて来ている。
パソコンも調べられ、ビデオやカメラも念入りに調べられる。
見ればGPS機能、ワイヤレス機能、中国のパソコンでSIMカードを挿入出来てネットに接続出来るようなパソコンもあるので、そういうのを特に念入りに調べているようだ。
ガイド兼監視員のウンギョンちゃんが出迎えてくれる。
見れば懐かしいキムさんの顔が・・・
キムさんはその後別の部署に栄転となったと聞いたが、
やっとお務めを終えてまた戻って来たようだ。
現代っ子のウンギョンちゃんは相変わらずオシャレだ。
前回は大学卒業してすぐの仕事だったというからもろ「ギャル」だったが、
上げ底のスニーカーはパンプスに代わり、
バッグはさりげなくブランド物、
服装選びもさりげなく「大人の雰囲気」がある。
そうかぁ・・・あれから3年近くたっているのね・・・
不覚にも高麗航空の不味い機内食を食べてしまったので腹が減ってないので、
我々はそのまま平壌の街を散歩に出かけた。
街に慣れるために我々はまず「街を歩く」のだ。
普通の観光客がこんなこと出来るのかどうかはわからんが、とにかくワシらは歩く。
庶民の素の生活を見ながら街をくまなく歩く。
日も落ちて暗くなる頃には小腹がすいた。
北朝鮮第一食目は「鍋」である。

何故か毎回一食目はこれ。
味付けが日本食っぽいからお腹がびっくりしないような心遣いか?
でもワシは唐辛子をいーっぱい入れるので同じなのだが・・・
嬉しいのが水キムチ!!
そう言えば北朝鮮に来なければなかなか食する機会がない。
あっと言う間にキムさんの分もふたつ平らげてしまった。
北朝鮮のビール、大同江(テドンガン)ビール!!

日本食には日本のビールが一番合うというのと同じように、
その土地の食事にはその土地のビールが一番合うというのがワシの持論である。
どんぐりの焼酎!!

中国の白酒と違ってそんなに強くない。
日本酒程度か・・・
予想通り食い過ぎてホテルにチェックイン!!
平壌駅に近い高麗ホテルである。
ここにはホテルの地ビールがあるので寝る前に一杯!!

ツマミのスケソウダラの干物がまた旨い!!
タレがまた旨い!!
何じゃこれは?!!三杯酢にワサビか?!!
おかげで今回は毎日ここで生ビールとスケソウダラという組み合わせになることとなる・・・
部屋に着いてもネットが通じないのでやることがない。
嫁から
「ホテルに着いたら一応電話番号教えてね」と言われていたが、
その電話番号とやらがどこにも書いてないのでとりあえずあきらめる。
テレビをつけるとお決まりの朝鮮放送。

皆様の予想にたがわず面白くないので、
仕方ないのでブログ用の文章を書く。
書いてもアップ出来ないのでこれではもろ「日記」である(笑)
書きながら〜 どんぐり焼酎〜 飲んでます〜
(けっこうイケるので買って帰って店に置いとこう)
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2011年10月29日
また北朝鮮に行って来ま〜す
などと明るく書いていたらまた心ない人達から
「何と不謹慎な!!」
というメールが来るかも知れないので強く言っておこう。
何が悪い?!!
確かに昨日成田出国する時に
「北朝鮮に行く方はそれがどんな理由であれ自粛して下さい」
と書かれていた。
確かに
「あの娘たちは今どうしてるかな?」
と会いに行くことは理由にもならん下らないことであるかも知れない。
この文章をワシはネットが通じるうちにと北京の自宅で書いているが、
ワシはこの中国という国がどのように変わって来たかをずーっと見て来たし肌で感じて来た。
今の北朝鮮は中国の文化大革命の頃とよく似ていると思う。
と言ってもワシはその頃に中国に来たことはなかった。
「自粛」どころか「冷戦」の時代である。
しかし中国が開放されてワシのような人間が気軽に渡航出来るようになって、
ワシは実はそれ以前にもたくさんの日本人がここに来ていたことを知った。
「どんな理由があるにせよ国交のない国に渡航するということはいけないことだ」
という考えもわかる。
しかし今の日中関係は、国交もないそんな敵国に
そのような民間交流をした人達によって築かれて来たということも事実である。
そう、ワシがやっていることは単なる「民間交流」である。
北朝鮮の未来を担う若い娘たちに「ロック」を教えているだけである。
実際今までの数度の渡航で何人か日本人とも会ったことがある。
ひとりは関西弁丸出しの商売人だった。
「テポドンなんか飛ばしよったから今は日朝関係最悪ですわ。
でも商売っつうのはピンチのときこそチャンスでっからな、は、は、は」
と言ってはホテルのバーで北朝鮮の幹部達と夜な夜な商談していた。
外国でたくましい日本人を見ると
だいたいそれは関西弁で話しているから面白い。
核実験を行った直後に渡航した時にも日本人と会った。
ワシが一緒に行った相方(彼が私をいつも連れて行ってくれる)が、
「こんな時にここに来る日本人なんて
どうせうさん臭い奴らに決まってんだから絶対接触したらダメですよ」
と警戒していたぐらいうさん臭かった。
「ほなそんな時に来ているワシらもうさん臭い人間っつうことですな」
と笑って切り返したが、実はそうではない。
いつも飯を食いに行くホテルのレストランの
支配人のおばさんが最終日にワシらにこう言った。
「ご旅行は楽しめましたか?
私はいろんなお客様を接待しますが、
あなた方のことは一番印象に残りました。
だってこのように奥様を連れて来られる方は非常に少ないですので」
そう、うちの嫁は韓国には一度も行ったことがないが、
北朝鮮にはもう2度も行っている。
そんなこんなでワシら御一行にはいつも笑顔があった。
カレンちゃんの、アネゴの、末っ子ちゃんのことを話しながら、
いつも笑顔で飯を食い、酒を飲んでいた。
しかしワシがそこで会ったその日本人は違った。
最終日に焼肉屋(北朝鮮は牛は労働用なので焼き肉はダックであるが)で、
偶然彼らに隣り合わせた時、
ひとりがもう一人をこずいて「カメラを回せ」と言った。
もう一人は店内を撮る振りをしてワシらを撮った。
相方はプロなのですかさず笑顔でカメラに挨拶をしたら、
彼らはチッという顔をしてカメラを止めた。
どういうことなのかはその後帰国した時にわかったが、
彼らはそこで撮ったいろんな写真や映像を、
写真週刊誌やいろんなところに売る「商売」をしている人達だったのだ。
北朝鮮のレストランはそれこそ絶世の美女達が給仕をしてくれるが、
その美女達の写真を
「北朝鮮のキャバクラに潜入」
という記事を捏造して載せていた。
ワシは見つけ出して殴ってやろうかと思った。
ワシだとて、まあ誰だとてあの「国」のことは好きじゃない。
しかしあの国に住んでる「人」に罪はない。
この人達は自分のやっていることを自分の子供達に胸を張って喋れるのだろうか。
ワシの活動がテレビで放送された時に、
「パパは北朝鮮行って来たが?」
と聞く、当時小学生だったワシの子供達にワシは胸を張ってこう言った。
「お隣の国にはお前達と同じような子供達がいる。
パパはその子供達にロックを教えに行ってるんだよ。
今は大人達がいがみ合って大変なことになってるけど、
お前達とその子供達の時代には、
きっと今とは違ういい関係になってて欲しいと思ってね」
そのうさん臭い人達は帰りの飛行機も一緒だった。
いい年したおっさん二人が一度も笑顔を見せず、
最後に一度だけニヤっと笑ったのは
成田に着いて荷物を降ろす時だった。
そのうさん臭い笑顔を
彼らは自分の子供に胸を張って見せられるのだろうか。
ワシは今からまたボロボロの高麗航空の飛行機に乗って北朝鮮に行くわけだが、
今回はさすがに嫁はいないが、
ワシは笑顔であの国の「人」達と会って来る。
ガイド(という名の監視員とも言われる)ももう何代目かになっていて、
今では現代っ子のウンギョンちゃん。
上げ底のスニーカーを履いてバリバリ携帯でメールしているという噂である。
もう結婚したかな?・・・
「経済制裁」だと言いながら、
アジア最後の手つかずのレアメタルの発掘権を狙って、
日本以外のあらゆる国の商売人がこぞってやって来ているので、
道路は整備され、ホテルは改装され、
日本だけが蚊帳の外で世界中の多額の金が北朝鮮じゅうを廻っているという噂もある。
別にジャーナリストでも何でもないのでワシには関係ない話だが・・・
ネットも通じない、携帯電話も持ち込み禁止だというので、
まあこれは飲むしかない!!
あのロックの生徒達は幸せに暮らしてるのだろうか。
あの街はいまどのように変わったのだろうか。
そして今度はまたどんな楽しい出会いがあるのか。
そんなことを肴にのんびりと酒でも飲んで来よう。
Posted by ファンキー末吉 at:09:09 | 固定リンク
2011年2月21日
北朝鮮の音楽が変わっていってる?!!
中国のツイッターでこんな映像がUPされていた・・・
おうっ!!立ってギターを弾いとる!!
心なしかディストーションがかかっとる!!
ワシが数年前に彼女達に教えて来たことは形を変えて残ってるんやな〜
(ライトハンドこそしてないが・・・)
あの旅が北朝鮮の音楽を変えるきっかけになったとしたらこんな嬉しいことはないな〜
願わくば音楽だけやのうて国も変わって欲しいもんじゃが・・・
Posted by ファンキー末吉 at:06:48 | 固定リンク
2007年12月 3日
3度目の訪朝を終えて
北朝鮮から帰って来たら
おりしも夕方のニュースで前回の映像が流されていたと聞いた。
さすが夕方の番組は反響が大きいのか、
いろんなメールが即座に飛び込んで来てたが、
「コメンテーターのおっさんには面白いぐらい伝わってなかったねぇ」
と言うのが多く、
誰がどんなコメントをしたのかが非常にムルンピョ(疑問符)である。
アメリカでのミックスダウンの映像も流れたと言うが、
確かそこでのインタビューで、
「第一章は完結した!そして第二章は既にもう始まっている」
とコメントした記憶があるが、
その通り、人知れず第二章はすでに始まっており、
実はここに既に大きく実を結んで帰って来ているのである。
本来なら出発前にも、
そして今頃は得意顔でそれをUPしてそうなものだが、
今回の訪朝は敢えてそれをしなかったのにはわけがある。
結果的に言うと、前回の放映は
想像以上に世の中に大きなインパクトを与えたのである。
その証拠に敏感な業界人はしきりにコンタクトを取って来るし、
現実、今回訪朝する時にも北京空港で、
要人が降り立つのを出待ちする全然顔見知りでもない報道陣から、
「ファンキーさん、今回は北朝鮮ですか?」
と声をかけられた。
お笑いである。
こんなアホなドラマーの一挙一投足が今や世界中で注目されているのである。
世界中と言ったのは、
このプロジェクトに巻き込んだアメリカ人エンジニア、Wyn Davisが、
「一応アメリカも馬鹿じゃないから
CIAは一応チェックぐらいはしていると思っててよい」
と言ってたと言うこともあるが、
何より北朝鮮当局こそがこのことにピリピリしているのである。
ゆえに今回のビザはなかなか下りなかった。
前回のように自由に彼女たちと交流出来ない恐れもあった。
彼女たちの心にも大きな壁が出来ている可能性もあった。
実際現地では、前回の放送のことは関係者全員が知っていた。
でも学校に着いてみると、
彼女たちは何も変わらぬ笑顔で俺を迎えてくれた。
何の曇りもなかった。
彼女たちの笑顔こそが「ロック」なのである。
卒業したアネゴやカレンちゃんを足して2で割ったような美女や、
「お前、絶対関西人やろ!」と言うキャラもいたし、
当日入部したばかりの戸惑いの隠せない超美少女もいたが、
それらの写真は今回はUPしない。
彼女たちとどんな音楽を作り上げたかもレポートしない。
ただ、奇跡はまだ続いているのである。
例え国と国との関係がどのようになろうが、
それは永遠に続くのだと俺は信じている。
今回、最後に彼女たちにこう言う言葉を残した。
「あなた達が大人になったらわかる時が来る。
私とあなた達がやったことと言うのは、
実は世界中の誰にも出来ないことだったんだって」
でもいつの日かそんなことが「誰にでも出来ること」となる時代が来る。
どんな時代だっていつかは変わるのである。
そしてそれはそんなに遠い日のことではない!
と今回の旅で実感した。
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2007年7月 2日
北朝鮮プロジェクト第一章無事終了!

LAにてムルンピョのトラックダウンを無事終えた。
前回のTVで少し流れた「Funky Edition」とは全然違う、
Wyn Davisの手による「Amerikan Edition」の完成を得て、
この北朝鮮プロジェクトの第一章は無事その幕を閉じることとなった。
その後は日本での少々のテレビ露出を経て、
次は第二章の始まりである。
請うご期待!
Posted by ファンキー末吉 at:14:16 | 固定リンク
2007年6月28日
チベットにて悟った「ロックとは何か」
ムルンピョを聞きながら考える。
「この歌声はこんなに澄んでいて、聞いてて心が洗われるのは何故なのか・・・」
答えは簡単である。彼女達の心が澄んでいるからである。
日本のテレビで放送したバージョンのミックスダウン
(ひとつひとつの音を最終的に整えて完成させる作業)
は、自分自身の手によって北京の自宅スタジオで行った。
しかしこれを世界発売するためには、
もっと音を磨いて世界レベルにまで持って行かねばならない。
そのためには世界のロックの頂点、ゴッドハンドとも言える
Wyn Davisにミックスダウンを任せたいと思っている。
そうすればこの楽曲はアメリカはもちろんのこと、
世界を震撼させるレベルの音にまで磨かれるに違いない。
ところがそこで考えた!
磨くのは「音」だけでいいのか!
もっと磨かねばならないものが他にあるのではないか!
「ロック」なんだから、楽器の音は歪んだ音をたくさん使う。
もともとは澄んだ音色であるギターにディストーションと言うエフェクターをかけ、
それをスタジオで更にはマーシャルと言うどでかいアンプに通し、
そのボリュームを限界まで上げることによってスピーカーが悲鳴をあげさせ、
もっと汚い音になるように作ったりする。
「ロック」はもともとそう言うもんなんだから仕方がない!
その「汚す」作業は私が責任を持って担当させて頂いた。
しかしそれをやる人間の「魂」が汚れてたとしたら
そんな作業に、いやこのプロジェクトをやってゆくこと自体に何の意味があるのか!!!
片や物質文明の最高峰の場所であるアメリカで「音」を磨く。
そしたら片や精神世界の最高峰の場所で「魂」を磨いてくるべきであろう・・・
「それだったらいいところがありますよ」
そう言われて連れて行かれたところが、
まさに世界の精神世界の頂点とも言うべき聖地「チベット」であった。
俺はチベットならラサに一度言ったことがある。
(その時の話)
五体投地と言う荒行をしている人を何人も見た。
大地にひれ伏して頭を地面にこすり付けて祈り、
そして身体を頭のところまで持って来て起き上がり・・・
そんな小さな一歩一歩を進みながらチベット仏教の総本山、ポタラ宮殿を目指す。
何百キロも何千キロもの道のりを、何年もかけて進んでゆく。
やっとポタラ宮殿までたどり着いたら、
彼らはそこに全財産を置いて、また同じように五体投地をしながら帰ってゆくのである。
彼らの表情に苦しみはない。
溢れんばかりの喜びがあるだけである。
あまりに感激して言葉が出てこなかった。
今から俺が行くところは、ラサのような観光化された大都市ではなく、
もっとディープなチベットだよと教えられていた。
北京から始発の飛行機で蘭州に飛び、そこから車をチャーターして延々と走る。
昔は3日間かかってたと言うその道のりを、
今回は整備された高速道路を走って1日で走り抜けた。
着いたらもう真夜中である。
「大丈夫ですか?頭は痛くありませんか?」
と俺達をここまで案内してくれたラマの高僧が優しく俺に尋ねる。
標高が3500メートルを超えていると聞いた途端に軽い頭痛に襲われた。
聞かなければ何ともなかったかも知れないが軽い高山病である。
数日間はここに身体を慣らさねばならない。
ゆっくりと山に上ったり村を探索したりして過ごす。
(写真:寺院とラマ僧が住む家)
(写真:草原での運動会)
(写真:村を散歩する豚の親子)
3日目になり、ようやく身体が楽になった。
さて「魂を磨く」と言うことはここで一体何をすると言うことなのだろうか・・・
それを見つけるのも修行のひとつである。
俺はとりあえずラマ高僧の許可を得て、若い修行僧の1日に密着してみることにした。
朝6時半起床。高原の朝は夏でも凍えるように寒い。
暖房はヤクと呼ばれる牛の糞を乾燥させてそれをストーブで燃やす。
寝床の傍らには小さなテーブルがあって、ここが彼らの寝床でもあり勉強の場でもある。
彼の名はデンパ君。
中国語をそんなに喋れないが、
ここで会った全てのラマ僧がそうであるのだが、
その笑顔が自分の心をふわっと包み込んでくれて、
それだけで魂が救われるような気になる。
デンパ君のその日の一日は部屋での読経から始まった。
俺はそのお経をとりあえず隣に座ってずーっと聞いていた。
読経が終わればお寺に行くのだが、
デンパ君はその前に俺にどうも朝ごはんを作ってくれるようだ。
お椀を出して来て、その中にバターを入れる。
炒った米のような粒を入れてお湯を入れるのでお粥のようなものなのかと思ったら違った。
それに小麦粉のようなものを入れて片手でこね始めるのである。
ツァンパと呼ばれるおだんごのようなチベット料理なのであるが、
これが味が全然なくてひたすら不味い・・・。
デンパ君は気を利かせて別のお椀にお湯を入れてくれて、
丁寧にそれに砂糖を入れてくれて飲めと言うのだが、
これも残念ながら飲めたものではなく断念。
お寺に向かう道すがら、いきなり彼が道端に座り込むので
何をしているのかと思ったらおしっこをしていた。
見ればラマ僧は全てこうやって用を足す。
ラマ僧の袈裟の下はパンツを穿いておらず、
そのまましゃがんだらすぐ用が足せるように出来ているのである。
寝る時は寝間着に着替えるでもなく、
ラマ僧達は一日中その袈裟を着て過ごしている。
デンパ君の家には着替えの袈裟があるわけでもなく、
洗濯も入浴もそう頻繁にする生活には見えないが、
高山で空気が薄く、非常に乾いていて汗もかかないのでそんなに気にならないのであろう。
ただ、うんこはどうやってするのかは今だにムルンピョ(疑問符)である。
さてお寺に着いたらラマ僧がたくさん集まって来て全員で読経する。
堂内は暖房もないのでとても寒く、
夏でこのぐらいなんだから冬は相当な苦行だろうと想像した。
昼前になると「問答」が始まる。
ラマ僧達が仕掛け手と受け手に分かれて、
仕掛け手が受け手に大仰に質問を出してぱんと手を叩く。
受け手はその質問に答えてゆくが、
仕掛け手は更にその答えの矛盾を引き出す質問をしてぱんと手を叩く。
こうして問答は延々と続くのだが、
それは結論の出ない仏教の奥儀にまで入ってゆき、
逆に言えばこうして修行僧は仏教の奥儀を学んでゆくとも言える。
(写真:問答を行う修行僧たち)
午後には授業がある。
デンパ君は俺なんかにかまってたために遅刻をしてしまった。
「もう始まってるよ」と道行く修行僧から教えられて、
走って教室に飛び込んで行った。
それを見て思った。
日本だったら「遅刻したら叱られる」と言う意識で走ってゆくのかも知れないが、
彼はきっと「遅刻してありがたい話を一言でも聞き逃したら惜しい」と言う意識で走って行ったのだ。
その後にも問答がある。
夕方の問答はお寺のふもとの林の中で行われた。
先生がその「勉学の林」とも言うべきところでひとりで読経を始めると、
村の中に木霊するその声を聞きつけて
全ての修行僧がそこに集まって来て一緒に読経を始め、
それが終わるとまた問答が始まるのである。
問答を見ていて思った。
修行僧達は非常に楽しみながらそれをやっている。
打ち負かされそうになって必死で相手を論破する奴、
「お前それは違うだろ」とぷっと笑ってたしなめる奴、
「よく出来ました」とばかりさっさと終りにする奴ら等等・・・。
最初のうちはロックで例えると
「飲み会でロック談義をしている感じ?」
みたいなことを思っていたのだが、
よくよく見てみると根本が全然違う。
どちらかと言うと「ジャムセッション」に近いのである。
相手がどう答えるかによってこのセッションは全然違う方向に進んでゆくし、
テクニックやネタが多いミュージシャンほどいろんなセッションに対応してゆけるのと同じように、
やはり仏教の奥儀に深い人の方が問答が深く面白いものになってゆくのである。
なるほど・・・
そして俺はこの問答の天才、今世紀不出の天才と言われ、
30代でこの寺のナンバー2にまで上り詰めたラマの高僧相手と、
後に問答をするハメとなる。
翌日は山に登り、川を見たり、いろんなことを考えながら1日を過ごした。
例えばこうである。
この村の命の源であるこの川は、
上流では地下(アンダーグラウンド)から湧いたとてつもなくきれいな湧水
であるにも関わらず、人里まで流れて来るとゴミを捨てられ汚くなってしまう。
これは音楽も同じではないのか。
汚れた水がまた地下に戻ればまたきれいな湧水となって湧いて出てくるように、
音楽もまた地下に潜ればきれいな湧水のようになることが出来るのか・・・
(写真:川の上流の更に上には、修行僧が修行した洞窟「虎穴」がある)
また例えばこうである。
この川の上流にはところどころに水車小屋がある。
しかしそれはその水車の力で穀物を挽いたり電気を起こしたり
そんなことをしているのではない。
1回まわせばお経を1回読んだことになると言われているマニ車と呼ばれる筒を、
水の力で延々と回し続けているのである。
もちろんそれは村人のため、
ひいては世界中の人が救われるように一生懸命それを建設したのである。
つまり何の生産的なことをしているわけでもない。
この寺の僧侶の人生もそう言う意味では同じである。
物を生まないのである。
究極には彼らは一生女性の身体に触れることもなければ子供も作らない。
物を生まないから心がきれいなのか、
心がきれいだから物を生まないのか・・・
(写真:水車小屋)
ちょっと前までは電気も通じてなかったこの村は、
今ではホテルもあればインターネットもある。
そう言う意味では俺が住んでいる貧民街よりは進んでいるかも知れない。
しかしそこに住んでいる俺は物質文明にどっぷりつかった生活を送っているのに、
ここで住む僧侶たちの生活はまるで違う。
・・・うーむ・・・
(写真:考える)
かくして問答の日はやって来た。
俺はまず自分がどんな人生を歩んで来たのかを説明した。
金も名声も一番あった頃の自分が実は幸せではなかったこと、
北京に来てから今までになかった幸せを深く感じていること、
北朝鮮の子供たちと出会ったこと、
そして自分自身も感激し、人も感激してくれたこと・・・
ラマの高僧は相変わらず全てを包み込んでくれるかのような笑顔で、
それをうなずきながら聞いていた。
テンションが上がって来たので立ち上がって続けざまに問答をふっかけた。
「人はみな平和を愛するのに世界にはなぜ平和が来ない!!」
「信仰が人を救えるとしたら音楽で人を救えるや否や!!」
しかし問答はこれ以上続かなかった。ラマがこう答えたからである。
「音楽は人を救えるよ」
その笑顔は優しく俺の全てを包み込んでくれてた。
俺はへなへなとまた座り込み、彼に質問した。
「どうして音楽は人を救えるの?」
彼はこう答えた。
「音楽はひとつの手段でしかないからさ。
大事なのは人間。君は音楽を使って人を救おうとしている。
だから人を救えるのさ」
そして彼はこう続けた。
「どうして戦争がなくならないか。それは仏教では縁起と言う。
もし私があなたを殺したとする。するとあなたの家族が私を殺す。
そうやってその縁起は延々と繰り返されてゆく。
戦争を起こす人もみな世界を平和にしようと思って戦争を起こす。
それは平和にするための方法論がそれぞれの人たちによって違うからなんだよ」
なるほど、そうである。
北朝鮮は朝鮮民族を日本人が侵略したことを絶対に許さないし、
日本は北朝鮮の日本人拉致事件を絶対に許さない。
だから俺達大人たちの時代に平和を成し遂げることは並大抵のことではない。
この代でだめなら、それをあの子たちと私たちの子供の世代にそれを託したい。
「Funkyさん、あなたは北朝鮮で会った子供たちの笑顔に涙したと言う。
それは何故か、
子供たちにはその固執しなければならない方法論がないからである。
あなたはこの村の川がどうして汚れてゆくのかと言った。
人間も同じである。
子供は生まれて来た時にはみんなきれいな心で生まれて来る。
人間はもともとはきれいなものなんだよ」
俺はここで出会ったいろんなラマ僧たちの笑顔を思い出した。
みんな素晴らしい笑顔であった。
「人を救える」と言うに相応しい何かがある。
「この村であなた達の生活を見ました。
私の生活は音楽半分と生活半分。
あなた達の生活は信仰がほとんどで生活はちょびっとだけ。
私も自分の音楽と言うのをあなた方の信仰の域まで高めたいと思っている。
でも私にはあなた方のような生活は出来ない。
何て言うか・・・あんた達・・・凄いよ・・・凄すぎる・・・」
俺はちょっと胸が熱くなっって言葉が詰まって来たが、かまわずに続けた。
「いろんな宗教はみんな自分を害する者を愛せよと教える。
そんなことが出来るわけない!
俺だって自分を害した奴は憎い。
とてもじゃないけどそんな域にまで達することなんて出来るわけない。
難しすぎるよ。世界平和?俺みたいなちっぽけな人間が何言ってんだ。
そんな大それたことなんかもともと俺に出来るわけないんだ・・・」
ついつい泣き声になってしまった。
ラマ僧は優しく俺に言った。
「出来ることを少しづつやればいいんだよ。
私たちの最終的な目標を知ってるかい?
それは仏になることなんだ。
そのために少しづつ頑張って生きてる私たちは、
毎日を本当に幸せだと感じている。
私たちの生活は北京や日本の人たちに比べたらそりゃ貧しいかも知れない。
でも私たちは人の物を盗ったことがない。
人を害したことがない。
私たちの生活なんて簡単なもんなんだよ」
この人達の口から
「人生なんて簡単なもんなんだ」
と言われたら
「なるほど」
と思わざるを得ない。
この人達はその生き様でそれを証明してるではないか。
「仏教で一番大切なことは何か教えてあげよう。
それはふたつある。
ひとつは菩薩心、そしてもうひとつは覚悟」
ラマは紙に中国語でそのふたつの言葉を書いた。
覚悟の覚は実は私の本名、両親が与えてくれた私の名前なのである。
心の中でずーっとぼやけてたものが、
この言葉を聞いてはっきり見えたような気がした。
私は宗教心と言うものを一切持ち合わせていない。
中国語で行われた上記の会話で、私はしばしば「信仰」と言うことばを使ったが、
それは日本語の「信仰」とは少しばかりニュアンスが違う。
そのニュアンスを適切に表す日本語がないかとずーっと探していたのだが
それがやっと見つかった。
それは「道」とかいて「どう」と読む。
つまりこう言うことである。
ロック道とは武士道と見つけたり。
技を磨き、己を死ぬまで磨き続ける。
だからロックを志すには覚悟が必要である。
覚悟さえあればその剣は揺れることなく、
人を切るにあらず、人を救うものとなる。
世界中のロックを志す者たちよ!
貧乏を恐れるな!胸を張れ!
くじけずやり続ける覚悟を持てばそれでいい!
胸を張ってこう言おう!
俺達の人生なんか簡単なもんだ。
人の物を盗らず、人を害することもなく、
ただ酒を飲んでロックをやる。
素敵な人生じゃないか!
翌日、ラマ僧達を集めてムルンピョを聞いてもらった。
作り手の魂に一点の曇りでもあれば、
世界一心のきれいなこの人達にはそれがわかるだろう。
それだったらもうこのプロジェクトは封印しよう・・・
チベットの山の中で聞く彼女たちの歌声は、
その空気と不思議に溶け合っていて心を打った。
聞き終ったラマ僧達の表情もそれを語っていた。
よし!決まった!!
俺は自信を持ってこれをアメリカに持ってゆく。
そして覚悟を持ってこのプロジェクトを続けてゆくぞ!!
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2007年6月11日
チベットに行ってくる!!
6月9日は、秦勇(QinYong)とライブをやって過ごした。
正しい「ロックの日」の過ごし方だと思う。
月末にはムルンピョのTDのためLAに行って来る。
録音した「音」を更に磨いて世界レベルにまで持ってゆくためである。
物質文明の最高峰のアメリカでそれを行うのは自然の流れであろう。
ところが徒然に考えてみる。
磨くのは果たして「音」だけでいいものなのであろうか・・・
ロックは常に「魂」の表現手段である。
その「魂」こそ実は一番磨くべき大切なものなのではないか・・・
と言うわけでその物質文明と対極をなす精神文明の頂点であるチベットに行ってくることにした。
ラマ僧たちと1週間ほど修業をして自分のロックの「魂」と真剣に向かい合ってみたい。
修行が終わったらそのラマ僧たちと改めてこのムルンピョを聞いてみよう。
作り手の心に一点の曇りでもあればそれは「音」となって聞こえて来るはずである。
彼女たちのこよなく純粋な歌声に対して、
自分自身がそこまで行けてないんだったとしたら
この曲はもう世に出るべきではない。
そうだそうだ!
汚れのない「魂」こそが世界を救うのじゃ!!
と言うわけでほな行ってきます!
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2007年4月26日
放送日決定!!
奇特なテレビ局もあるもんで、
俺の一連の北朝鮮ロック物語を報道特番として放送してくれると言うのである。
ついにあの楽曲の全貌が世界に先駆け、日本のメディアで発表されるのか!!
いやー、世界発売にはまだまだクリアせねばならぬ問題はたくさんあるのだが、
それにしてもこれを世界に先駆け、
報道番組で特集して放送しようと言うテレビ局もかなり「ロック」である。
この一連の映像はよくあるゲリラ撮影ではないので、
不思議なのはどうやってあの国の許諾を得たのかと言うことである。
何せ、真っ赤な横断幕に書かれた北朝鮮のスローガンだけがあるがらんとした校舎の中で、
美少女達が
「私はムルンピョ(疑問符)を愛する」
と歌っているのである。
こよなく「ロック」である。
詞はあの学校の国語の先生に書いてもらったものだが、
もともと
「よい子はいつもムルンピョ(疑問符)を愛して勉学に勤しみなさい」
と言う内容の詞が、
ちょちょいと順番を変えるだけでとんでもない「ロック」な詞に変貌した。
私はムルンピョ(疑問符)を愛する
知識の高いタワーを築けば築くほど
知恵の中で湧き出る私のムルンピョ(疑問符)
その秘密の門を開きなさい
成功のキーを与えてくれる
ムルンピョ(疑問符)私は好きなんだ
みんな一緒に昇ろうとささやいてくれる
ムルンピョ(疑問符)私は好きなんだ
いつも生まれる私のムルンピョ(疑問符)
こんなものを放送してええのか!!!!!!
おふくろさん騒動の森真一のように、
「勝手に俺の詞を変えよって」
と怒られるぶんにはまだよいが、
おりしも長崎市長がヒットマンに射殺され、
去年には自民党の加藤幹事長の自宅が放火され、
家族にまで危害が加えられたことがあると言うではないか!
まっ先に考えたことが、
「うちの子供たちは大丈夫だろうか・・・」
と言うことである。
俺のような男でも子供は大切なのだから、
ましてやあの国に子供を拉致された家族の人の気持ちたるやどんな思いなのだろう・・・
その人たちはこの映像をどんな思いで見て、俺のことをどのように思うのだろう・・・
いろんなことを考えれば考えるほどまたムルンピョ(疑問符)が生まれてくる。
そしてあの曲のメロディーを思い出し、
彼女たちのプレイを思い出し、
そして彼女たちの笑顔を思い出す。
何と言われても俺はやっぱり彼女たちのことが可愛い。
時々ちょっと不憫に思うこともあるが、でもそれは決して同情ではない。
単なる国家体制の悲しさである。
でももし俺の子供が北朝鮮に拉致されたとしたら、
俺は彼女たちのことを同じように愛おしく思えるだろうか。
ひょっとしたら憎たらしくて引っ叩いてやるかも知れない。
でも彼女たちにも親がいて、
俺達が自分の子供に対する思いと同じように愛してやまない。
俺が彼女たちを引っ叩いたら、彼女たちの親は俺を半殺しにするだろう。
だから戦争はいつまでも世界からなくならない。
世の中ムルンピョ(疑問符)だらけである。
俺は今北京に住んでいる。
戦争加害国と言われてる国の人間が戦争被害国と言われてる国に住んでいるんだから、
まあ俺のような特殊な生活環境の中でもいろいろある。
だが、俺の周りの中国人は俺に戦争問題を持ちかけたことは一度もない。
ひとりだけ
「私の両親は私の目の前で日本軍に殺された」
と言う人と会ったことがあるが、
その人でさえ俺に戦争問題を持ちかけたりしなかったのと同じように
俺は、彼女たちに拉致問題を持ちかけることはなかった。
今だに
「天皇陛下は神様だ」
と思っているうちのおふくろに
「あれは人間なんだよ」
と言えなかったのと同じように、
俺は、彼女たちの「父なる将軍様」がやっていることを彼女達に伝える勇気はなかった。
「それでもお前は日本国民か?!」
と糾弾されても仕方がない。
結局俺は向こうに行って何もやって来てはいないのだ。
ただ彼女たちと「ロック」をやって来た、それだけなのである。
俺は「ロック」の専門家であって、決して「朝鮮問題」の専門家ではない。
そんな生半可な立場でテレビと言う大きなメディアでそんなものが流されたりしようもんなら、
それこそどこからどんな攻撃をされたりしてもそれをシュミレーションすることも出来なければ防ぐことも出来ない。
まあ行く前も同じことで悩んだりはしたのであるが、
嫁に
「世界中であんたしかやれないことなんやからやるしかないんちゃうん」
と言われて、もう既にその時に覚悟は決めているが、
しかしどうしてそれが俺じゃなくてはならないのかが一番ムルンピョ(疑問符)である。
「あそこに行く」ことは確かに「ロック」なことであるかも知れないが、
別にそれだけなら「冒険家」が行けばいいことである。
「ロック」と言うなら内田裕也さんに行って頂いても全然かまわない。
「日朝友好」ならば政治家が行けばいいことである。
東国原宮崎県知事が行って頂いても一向に構わない。
でもロックの神様は何故か俺を選んだ。
きっと、「俺が」とかそう言うニュアンスではなく、
「この曲が」生まれるべくして生まれるために俺を使ったと言うか、
まあわかりやすく言うと処女懐妊したマリア様がキリストを生んだような・・・
(全然ちゃう?・・・えらいブサイクなマリア様やと?・・・)
まあ考えるに、
この奇異な運命を持ついちドラマーがするりと滑り込んだのは、
実のところ何か時代の裂け目と言うか、
いわゆる世界情勢のどさくさだったと言うことである。
そこでそれは生まれるべくして生まれて、
そして世に出るべくして出ようといる。
まあきっとただそれだけのことなのであろう・・・
よかったら番組見て、
世界一ロックが不毛なところで生まれた世界一「ロック」な音楽でも聞きながら、
このおアホなドラマーのおアホな人生を肴に酒でも飲んで下さいな。
4月30日(月)、5月1日(火)二夜連続
日本テレビ深夜のニュース番組「ZERO」にて放送予定
(ニュース番組なので大きなニュースが飛び込んで来ると変更になります)
きっととびっきり美味い酒が飲めること間違いなし!
ファンキー末吉
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2007年4月 1日
北朝鮮にロックが響く(後編)
前号までの話:
半年前ひょんなことから北朝鮮に行ったファンキー末吉は、
あろうことかそこで出会った北朝鮮の女の子バンドにロックを教えることとなる。
そして今回、彼女たちと北朝鮮初のロックナンバーを録音するべく
山ほどの録音機材を抱えて再び渡航した。
初日に自らドラムをぶっ叩き軍部から中止命令が来るものの、
2日遅れのスケジュールで何とかレコーディングは続いている。
その結末やいかに・・・
2007年3月3日 土曜日(5日目)
学校側が
「この子が一番音楽的才能が高い」
と言うのでメンバーに抜擢し、
ロックの要であるディストーションギターを担当させたおでこちゃんは、
蓋を開けてみたら実は半年前にギターを始めたばかりのずぶの素人だった。
もうひとりのギタリスト末っ子ちゃんは、
前回来た時は弦が3本しかなかったのでその腕のほどは未知数である。
もし彼女がまるで弾けなかったらこのプロジェクトは失敗に終わることとなる。
「じゃあちょっとオケに合わせて一緒に弾いてみようか」
「ファンキー節」のアレンジではアルペジオの部分でいつもギタリストが根を上げる。
そんなに難しいアレンジをしているつもりはないのだが、
俺自身がギタリストではないので、
どうもギタリストの手くせと全然違う弾き方を考えてしまうのが理由らしい。
今回はMIDIで作ったガイドアルペジオも一緒に流して、
それを聞きながら録音する。
その方が弾いてて気持ちがいいし、
このキモであるアルペジオがリズムがよれたりすると都合が悪いので、
彼女が実際に弾いているアルペジオの音が、
ちゃんとその機械のアルペジオと完璧に合ってるかどうか
録音しながら俺がチェックし易いようにするためでもある。
「おかしいなぁ・・・」
何度か合せて弾いてもらってるのだが、
どうも彼女が弾いている音がよく聞こえない。
「もう一度弾いてみて」
今度はMIDIの音を少し下げて聞いてみる。
「あ!これは!!・・・」
恐るべきことに、
これは彼女の音がよく聞こえなかったのではなく、
彼女が弾いているギターがあまりにも正確で、
機械のアルペジオとまったく同じであったために、
音がぴったり重なって判別しづらかったのである。
「凄い・・・」
最初から最後までほぼ間違うことなくほぼ一発録りで終了!
奇跡である・・・
「ソロだ!ソロも君が弾いてくれ!」
ギターを始めて半年のおでこちゃんになまじソロまでは無理である。
彼女だったらちゃんとソロを弾けて、しかも今日中に録り終わるかもしれない。
写真:初めてのディストーション

(初めてのディストーション)
ディストーションの音色はロックでは欠かせないものだが、
初めて聞く彼女にはどうもただウルサイだけのようで、
少し顔をしかめてた。
「とりあえず今日はこんな音色で。後で音色変えてもっといい音にしてあげるから」
ギターから直のラインの音もレコーディングしておいて、
北京に帰ってからそれをマーシャルにつないでアンプの音を録音し直すのである。
写真:初めてのチョーキング

(初めてのチョーキング)
「ロックギターと言えばチョーキングである!」
と言いたいのだが、
ロックと言う言葉が先日の軍部の中止命令の余波で禁句になっているので
「とりあえずこう弾いて!」
と言うしかない。
本人は指が痛いので嫌がっているのか、
前回はいつも笑ってた彼女が心なしか今回はあんまし笑わないように感じる。
そしてソロのクライマックスは高崎晃ばりの高速タッピングとまではいかないが、
やはりライトハンドでかっこよく決めてもらいたい。
写真:初めてのタッピング

(初めてのタッピング)
「どうして普通に弾けるフレーズをわざわざ右手で弾かなきゃなんないの?」
とでも言いたそうな彼女に向って心の中でこうつぶやいた。
「末っ子ちゃん、それがロックなんだよ!」
かくして末っ子ちゃんのパートは想像以上に順調に無事終了!
「あんたは上手い!!」
と手放しで褒める俺に彼女は満面の笑みを返してくれて初めて気づいた。
彼女は現在歯の矯正中。
笑うと歯をがちがちに止めている針金が見えるので恥ずかしくて笑えなかったのである。
それでも彼女の笑顔は世界最高級である。
さて残り時間は1時間。
一番の誤算と言うか、唯一残っている問題がおでこちゃんのギターである。
少々下手でも録り終えることが出来るように
最初から正統派メタルではなく、
ニューメタルと言うかグランジと言うか、
ディストーションギターのニルバーナカッティングでアレンジしているので大丈夫とふんでいたが、
相手がギターを始めて半年のど素人レベルだとしたら話は別である。
残り時間は1時間。
彼女は全部弾き切ることが出来るのか・・・
写真:おでこちゃんレコーディング

「ちょっと合わせて弾いてみて」
とりあえずオケに合わせて弾いてみる。
あねごが卒業した後には次期部長となるアイデンティティーと尊厳をかけて、
緊張しながらも威厳を持って一生懸命弾く。
先ほど手ほどきした
オルタネードピッキングからは程遠いむちゃくちゃな弾き方ではあるが、
うん、まあまあ。後にエディットすれば使えないことはない。
よし!
とばかりとりあえず1コーラス、パワーコードによるリズムだけを録音、
そしてそれを後にLRに振り分けてステレオにするためにダブリングした。
こうしとけば後にエディットする時に
いい部分がたくさん残るので便利であることを俺は経験上いやと言うほど知っている。
(こんなことをいやと言うほど経験する俺って・・・)
残り時間はあと10分!
時間どおり彼女たちを家に帰さないと、
今度は彼女たちの親からクレームが来てこのプロジェクトは中止せざるを得ない。
楽曲にいやと言うほど散りばめているキメを録音する時間はもうない!
最後の手段である。
「曲に合わせなくていいから、クリックに合わせてこのフレーズを弾いて!」
裏打ちから始まる難しいキメも全て簡単に表から弾いていいから、
クリックに合わせて素で弾いてもらい、それだけを単独録音する。
つまりとりあえずギターの音をサンプリングして、
後でそれをエディットでつなぎ合わせるのである。
ちょっとずるしたが、とりあえずオケの録音は全て終了。
冷汗もんのスケジュールであった。
2007年3月4日 日曜日(6日目)
大切な国民の休日だと言うのに彼女たちは学校に来てくれた。
早く歌入れを終わらせて、
今日ばかりは早くおうちに帰ってもらってゆっくり国民の休日を楽しんでもらいたい。
今日の歌入れのために俺は夕べ夜中遅くまでホテルでオケをエディットした。
寝不足とプレッシャーでヘトヘトになっていた俺の頭をノックアウトしたのは、
彼女たちそれぞれのプレイ、特に末っ子ちゃんのギターソロであった。
彼女はまだ14歳。
日本の流しの演歌ギターのように伴奏にちょっとメロディーを入れて
革命の歌を伴奏することしかしたことのない普通の女の子なのである。
凄すぎる・・・
ホテルに持ち込んだ設備では完璧にエディットすることは出来ないが、
全てのパートをとりあえずだいたいの形になるようにして持って来た。
それが大事な国民の休日まで返上してこんなわけのわからんことに付き合わされている
彼女達に対する俺のせめてもの気持ちである。
一番喜んだのが実はギターがど素人だったおでこちゃん。
1コーラスしか弾いてないのに
一晩経ったら最後まで全部ちゃんと弾けてるかのように仕上がっているので上機嫌である。
これで彼女の次期部長としてのメンツは保てたに違いない。
さて最後は歌入れである。
とりあえずメンバー全員で別々に1トラックづつ歌ってもらって録音する。
全員使えればそのままユニゾンで歌えばよいし、
いい部分だけを出し入れして部分部分でリードボーカルが代わるようにしてもよい。
今までメンバーの歌を聞いたことがないので、
とりあえず歌ってもらって録音してみないと何とも言えないのである。
まずしょっぱなは来年のこのクラブを背負う次期部長、おでこちゃんから。
写真:おでこちゃんの歌レコーディング

うん、初めてのレコーディングで緊張しているものの、
歌はなかなかのもんである。
思えばこのクラブは普通の学校の音楽クラブで、
プロ養成の音楽専門学校ではない。
歌の好きな子供たちが集まって、
そのついでに楽器を練習して外国のお客さんに披露しているコーラスクラブみたいなもんなのである。
リズムと音程に細心の注意を払いながら録音し、
その後はその彼女のボーカルにぴったり合わせて
全てのメンバーのボーカルをそれぞれ録音する。
ただ末っ子ちゃんだけは「私、歌はイヤ」と言って辞退した。
きっと歌を歌うと歯の矯正が見られてしまうからイヤなのだろうと想像した。
みんなだいたいするっとレコーディングが終了したが、
最後のボンボンちゃんだけは、完璧主義者よろしく
自分自身で何度もダメ出しをしながらとことんやり直した。
キーボードのレコーディングの時は時間がなかったのである程度でOKを出したが、
今回は俺もとことん付き合った。
写真:ボンボンちゃんの歌レコーディング

面白いことに、
彼女がやり直せばやり直すほど歌い方がロックと程遠くなり、
彼女自身がOKを出した時には、
まるで彼女たちがいつも歌っているこの国の革命の歌そのものの歌い方になってしまっているのである。
そうやって聞いてみるとみんなどこかしらこぶしが回っていて、
オケだけ聞くと超ヘビーなロックなのだが
その上に朗々と歌う革命の歌が乗っかってるような感じである。
最近ゴシック・メタルとか言う、
オペラの歌唱法をするヘビーメタルのジャンルが流行っていると聞くが、
さしずめじゃあこの曲は「レボリューショナル・メタル」とでも言うべきか・・・
とにかく俺と彼女たちが作り上げた世界で最初のジャンルの音楽であることだけは間違いない。
兎にも角にも世界初の北朝鮮ロック、
「レボリューショナル・メタル」はついにここに完成したのである!!
さて今日は国民の休日なのでみんなには早くおうちに帰ってもらって、
明日学校側が許せばMTV撮影と追いコンを兼ねた「小文化祭」をやって全てが終了である。
しかしそのためには多重録音で録音したレコーディングバージョンではなく、
ライブで演奏出来るようにパートを振り分けたライブバージョンを作らなければならない。
その振り分けだけは今日伝授しておかねばならないので、
あと少しだけ彼女たちに付き合ってもらった。
キーボードは完璧主義者のボンボンちゃんが既に自分で譜面を写して、
ちゃんと自分とおでぶちゃんに演奏を振り分けていたが、
問題はギターである。
なにせレコーディングでは結局主なパートは全て末っ子ちゃんが弾き、
おでこちゃんはパワーコードのニルバーナディストーションバッキングを1コーラス弾いただけ
と言う状態なので、
ツインリードのハモの部分はおでこちゃん自身どう弾くかなんて全然知らないのである。
末っ子ちゃんが録音したフレーズなので、
末っ子ちゃんがおでこちゃんに直で教えるのが一番早い
と思ってそのように指示したら、ここで問題が勃発!
このふたりがいきなり喧嘩を始めたのである。
言葉がわからないので定かではないが、
どうも次のようなやりとりであると思われる。
ファンキー先生「じゃあ末っ子ちゃん、おでこちゃんにどう弾くか教えてあげてね」
おでこちゃん(末っ子ちゃんに向かってつっけんどんに)「どう弾くのよ?」
末っ子ちゃん「こう弾くのよ(チョーキングを使って弾いてみせる)」
おでこちゃん「こうね(チョーキングを入れずにノーマルに弾く)」
末っ子ちゃん「いや、こうよ(もう一度チョーキングを使って弾く)」
おでこちゃん「だからこれでしょ(チョーキングを使わずに収めようとする)」
ファンキー先生「おでこちゃん、弾き方を全く同じにしないとハモらないからね。ちゃんと末っ子ちゃんみたいに弦を持ち上げてチョーキングしてね」
末っ子ちゃん「こう弾くのよ(チョーキングを一生懸命伝授しようとする)」
おでこちゃん「指が痛いのよぉ!どうしてこれじゃだめなの!同じじゃない!」
末っ子ちゃん「私だって知らないわよ!先生がこうやれって言ってんだから!」
雰囲気がどんどん険悪になり、最後には口もきかない。
ギタリストふたりが息を合わせてツインリードを弾くと言う俺のはかない夢は一気に砕け散った。
写真:険悪になったおでこちゃんと末っ子ちゃん

(目も合わさないし口もきかない)
その後、うちの嫁が
(このストーリーに嫁が初登場!実は前回からずーっと一緒に行っているのじゃ)
暗い部室の片隅で隠れるようにひとりでたたずんでいるおでこちゃんを目撃した。
泣いていたのか?・・・
「パパ(嫁は俺をパパと呼ぶ)、あれはいかんわ。あれじゃおでこちゃん可哀想やわ」
「何があかんねん」
「まずねぇ、パパは末っ子ちゃんを褒めすぎ!
同じギタリストとしてあれじゃおでこちゃん、メンツずたずたやわ」
「ギタリストって、カレンちゃんがもうすぐ卒業したらおでこちゃんがドラマーになるんちゃうん?
末っ子ちゃんはもともとギタリストやからそれに張り合ったってしゃーないでしょうよ」
「パパってほんまに分かってないねぇ。なんぼギターが上手くても末っ子ちゃんは年下で、
おでこちゃんは次期部長よ!それをみんなの前で格下に扱われたのよ」
嫁のその言葉に改めて衝撃を受けた。
この国は儒教の教えが非常に徹底しているとか、
序列が非常に大切にされているのもあるが、
何よりもこの俺は最も大切な原則を認識してなかったのだ。
子供だけど彼女たちは「女」なのである。
これをこの日はいやと言うほど思い知らされた。
2007年3月5日 月曜日(最終日)
夕べはよく眠れなかった。
確かに録音は全部終わった。
彼女たちに聞かせるべく
彼女たちの歌での仮ミックスを作ってて眠れなかったのもあるが、
何よりもおでこちゃんと末っ子ちゃんのことが気がかりで仕方なかったのである。
俺はこんなところまで来て何をやってんだろう・・・
確かに物凄いロックは録れた。
世界を震撼させるものになったと自負している。
しかしそのために彼女たちがいやな思い出を残したとしたら、
そんなことにいったい何の意味があるのか?
どう言う運命のいたずらか、
世界でただこの俺だけが今、
この国のこの学校にだけ自由に入れて自由に彼女たちと音楽を作ることが出来る。
わけのわからないロックとか言う変なものを、
彼女たちは持前の素直さと、
先生の言うことは絶対だと言う儒教の教えにより、
それこそ国民の休日を返上してまで一生懸命一緒にやってくれた。
俺は楽しかった。
でも彼女たちは辛かったんだとしたら、
たとえこのプロジェクトが世界的に評価されたとしても何の意味もない!
俺はそんなことを考えながら一日中落ち込んでいたが、
午後には意外なチャンスが訪れた。
学校側が引き続き彼女たちのスケジュールを俺に預けてくれて、
朝からMTV撮りと発表会を兼ねたファンキー末吉主催「小文化祭」の準備をしてた彼女たちなのだが、
実は今日外国のお客さんが来ると言うので、
いつものように彼女たちが歌と演奏をお客さんに披露しなけれならないので
その間俺たちには待ってて欲しいと言うのである。
「パパ!チャンスよ!
この待ち時間に次期ドラマーのおでこちゃんにドラムを教えるの!
そして最後に君は筋がいいとか言ってみんなの前で誉めるのよ!」
「おう!それは確かにそれはベストなチャンス!
でもだいたい外国のお客さんは
今俺達が彼女たちと一緒にいるこの部室代わりの大教室に通されるから、
むしろここを出ねばならないのは俺達で、
しかもメインどころのおでこちゃんは当然ながらその演奏に駆り出されるじゃろう・・・」
「そうねぇ・・・」
この話はここで終ったが、
ところがその予定の時間が近づいて来ても彼女たちは全然その備を始める気配がない。
そしてその時間になるとボンボンちゃんがアコーディオンを担いで部室を出て行った。
「なんで?」
俺の疑問に先生が丁重に説明してくれる。
「今はこの場所はファンキーさんに専属です。
お客さんには悪いですが今回は校長室で少人数バージョンのショーで楽しんでもらいます」
しかもラッキーなことにメインどころのおでこちゃんは呼ばれずに残っている。
チャンス到来!!!
しかしここでおでこちゃんだけを贔屓したら
今度はまた年上のカレンちゃんがいやな思いをするだろうからふたり一緒にレッスンをする。
子供でも女なんだ!子供でも女なんだ!子供でも女なんだ!・・・
しかし楽器がドラムでよかった。
ちょっと難しいパターンなどを紙に書いて叩かせると、
ほかの楽器と違ってドラムと言うのは叩けないと必ず笑いが出るのである。
下級生たちがそれを見ながら、
「いいなぁー私も教わりたいなぁ」
と言っているのを聞いて、
俺は拳をぎゅっと握ってほくそえんだ。
大成功!
一番年上のカレンちゃんと次期部長のおでこちゃんだけがこれが出来るのである。
おでこちゃんのメンツもこれで挽回されたと言うものである。
「ぎゃははは!!!」
俺がドラムを教えている間、
嫁は下級生達とお菓子を食べながらだべったり、
彼女たちにステージ装飾のためのぼんぼりや千羽鶴の折り方などを教えたりしてたのだが、
俺は時折聞こえる彼女たちの大笑いが気になって仕方がない。
見ると嫁はいつのまにかパソコンを開いて、
彼女たちはその画面を覗き込んで大笑いをしている。
「何やっとんじゃい!」
ドラムのところから降りて来て彼女たちを押しのけてパソコンの画面を覗いてみると、
何と彼女たちの大爆笑のネタは俺達の結婚式の写真だったのだ。
特に俺が神妙な顔をして嫁にキスをしているシーンはみんなお腹がよじれるほど笑っている。
最後にはおでこちゃんもカレンちゃんもドラム台から降りて来てみんなと一緒にだべりだした。
ドラム教室は自然消滅である。
もうファンキー先生の威厳もへったくれもない。
俺も一緒にお菓子の席に加わる。
嫁が自慢そうに
「私、もう朝鮮語ふたつ覚えたで!完璧やで!」
と言う。
「何や、言うてみぃ!」
彼女たちが興味津津に嫁を見る。
「カバン、オボン」
彼女たち大爆笑!
鞄とお盆はどうも発音が同じらしい。
「まだあるでぇ!三角関係!」
これは発音が微妙に違うのか彼女たちには通じない。
通訳兼ガイド兼監視員の女性が正しい発音で発音してくれる。
「サムガッククアンゲ、意味も日本語と同じです」
と言うのを聞いてすかさず俺、
「じゃあみんなに質問!この中でその経験ある人!」
通訳がそれを訳すより早く嫁が俺の頭を張り飛ばす。
「子供になんてこと聞くのよ!」
まあ日本語が分かる人は大爆笑していたが、
儒教の教えで育った彼女たちにはきっとかなりインパクトがあったに違いない。
なにせ女が男に手を上げるだけでも信じられないのに、
殴られた男が殴られて笑っているのである。
この国ではまずありえないことなのではないか・・・
思えばこの瞬間に俺の先生としての地位は完全に地に落ちた。
このチームで一番偉いのは嫁であることを全ての人間が認識したのである。
さてアホな時間はあっと言う間に過ぎ去って、
外国人相手に校長室にショーを披露しに行ったボンボンちゃんが帰って来たので
いよいよ「小文化祭」の始まりである。
まずMTV撮影の素材撮りも兼ねて、ひとりひとり別々にオケに合わせてプレイしてもらう。
みんながそれぞれ個人パートがちゃんと出来れば、
最後にはみんなが生でそれを演奏してもらってフィナーレと言う企画である。
既にファンキー先生の地位は地に落ちてしまってるので今日はもう誰も個人練習などしていない。
ちゃんと出来るのかなぁと思っていたら、
難度のそんなに高くないキーボードのふたりがちゃんと弾けたのはともかく、
驚いたのがあれだけ高難度のプレイでありながら
今日にはそれをを生で弾けるようになっていた末っ子ちゃんである。
「こいつは天才か!」
言葉に出して言おうかとおもったが、
おでこちゃんのことを気遣って飲み込んだ。
子供でも女なんだ!子供でも女なんだ!子供でも女なんだ!・・・
さてファンキー末吉主催「小文化祭」、
次の出し物は「統一アリランロックバージョン」
前回アレンジした統一アリランロックバージョンに、
今回俺がドラマーとして加わって彼女たちと一緒に演奏しようと言うものである。
写真:統一アリランWithファンキー

そのアレンジには8小節のドラムソロがあるのだが、
渾身の力でソロをぶっ叩くと、
さすがにドラムのカレンちゃんのみならず通訳兼ガイド兼監視員もぶったまげた。
ふと見ると先生だけが窓際でじーっと注意深く外を見ている。
忘れていた!
初日には俺がドラムを叩いて
この窓の向こうにある軍部から中止命令が来たのである。
見ればそちら側の窓は、
あらかじめ先生の手により全て防音のたしになるように毛布とか板とかでふさがれている。
思えばこの先生はいつもニコニコしながら生徒たちを見てた。
そして外国から来たこの変なおっさんがやることを
ひとつたりとも妨害せずに見守っていた。
再び軍部からクレームが来たら自分の立場が、
人生がどうなるかわからないのに、
俺や、彼女たちをこうまで自由にさせてくれた。
先生は彼女たちのことを本当に愛しているのだ。
少しでも彼女たちのためになれば、
そして彼女たちが幸せならばと言う気持ちで
自分の身の危険を顧みずにこの変なおっさんに全てを任せたのである。
こんな先生が今の日本にいるだろうか・・・
フィナーレの前にもうひとつ大きなイベントがある。
もうすぐ卒業してしまうカレンちゃんとあねごの追いコンである。
目くばせしたら先生が彼女たちふたりを別室に連れてゆく。
その間に下級生はこの数日考えに考えてふたりに気付かれないように作った
垂れ幕のメッセージを準備し、それを見せてびっくりさせようと言うのだ。
ふたりが別室から出て来た。
ステージいっぱいに広げられた垂れ幕には
「卒業おめでとう!」
とふたりの名前が大きく書かれ、
そしてその横にはハングル文字でびっしりと彼女たちへのメッセージが書かれている。
それを見てびっくりしているふたりに俺はすかさず用意したプレゼントを手渡した。
電池で動いてヘッドバッキングする人形である。
大受け・・・
当初は彼女たちにヘッドバッキングをさせるつもりで、
そのヘッドバッキングの先生として購入した人形なのだが、
今やそんな考えはもうすっかり消し飛んでいる。
彼女たちはもう十分やってくれた。
これだけ文化も風習も国家事情も違うのに、
確かに俺も半歩あちらに踏み出したかも知れないが、
彼女たちはもう既に一歩以上こちらに踏み出してくれたんではないのか?
椅子に座ったまま微動だにせずに演奏するロックがあってもいい!
無表情でただ黙々と演奏するロックがあってもいい!
北朝鮮のロックは今ここに始まったばかりなのである。
彼女たちなりの新しい北朝鮮のロックを作ってくれればそれでいい。
人形を手渡しながらふたりに贈る言葉を述べた。
「この人形を見るたびに私のことを思い出して下さい。
そして卒業したらまたそれぞれの道で頑張って下さい。
この国の未来はあなたたちの肩にかかってます。
一生懸命練習して、一生懸命勉強して・・・頑張って・・・
(拉致なんかなくなるような・・・と言いかけて思わず言葉を飲み込んだ)
・・・いい国を作って下さい!」
奇しくも下級生達がふたりに宛てた垂れ幕の文章は
次のようなものであったと後に聞かされた。
「卒業しても私たちのこと、そしてこの学校のことを忘れないで下さい。
一生懸命頑張っていい国を作っていって下さい」
こんな国なんか崩壊してしまえと連日報道している国の人間と、
そのこんな国で純粋培養されて育った子供たちの気持ちは
偶然にも全く同じであったのだ。
そろそろフィナーレの時間である。
俺達が一緒に作り上げたこの曲を最後に彼女たちに生で演奏してもらおう。
相変わらず窓から軍部の様子を伺ってる先生の顔をちらっと見た。
「いいわよ、私がついてるから思いっきりやりなさい!」
そう言ってるように見えた。
写真:フィナーレ

(フィナーレ:北朝鮮初のロックナンバーがついに生演奏される)
この曲は俺と彼女達だけの力では決して出来上がることはなかった。
彼女たちを愛してやまないあの先生や、
校長先生を含むその他この学校の関係者の人たち、
そして北京に住んでいるあの幹部の人や、
会ったこともないもっと上層部のいろんな人たちがいたからこそ出来上がったのである。
演奏が終わった。
「小文化祭」はこれで終わりである。
そして俺の今回の旅もこれで終わりである。
「じゃあね、帰るからね!」
とみんなに握手をして機材の片付けをしてたら、
突然彼女たちの方から
「先生を送る歌を最後に歌いたい」
と言ってきた。
末っ子ちゃんのギター、あねごのベースだけの演奏で、
後は下級生もみんなで一緒に合唱する。
「これはわが国では、ちょうど今みたいに先生を送る時に歌う曲なんです」
通訳兼ガイド兼監視員・・・最後には通訳以外は何もやってなかったが・・・がそう俺に耳打ちする。
見ればみんな泣きながら歌っている。
ボンボンちゃんなんか号泣している。
そして弾き終ってベースを置いたあのあねごまでが涙ぐんでいた。
先生が俺に長い握手をしながら「本当にありがとう」と言った。
俺は果たして彼女たちに何か出来たのだろうか?
わからない。
でも俺はまた何度もここに来なければならない。
来年の卒業生から
「去年はファンキー先生プレゼント持って来てくれたのに
どうして今年は来てくれないの」
と言われるわけにはいかないからである。
ただ、今年はふたりだからまだいいが、来年は11人である。
今から覚悟しておこう。
彼女たちに見送られながら学校を後にした。
「6月9日高等中学校」
偉大なる首領様が、
こともあろうか6月9日ロックの日に
「ここに学校を建てなさい」
と指示して作られたと言うこの学校で、
今ここに北朝鮮のロックの歴史がついにその一歩を踏み出したのである。
レボリューショナル・メタルとも言うべきそのサウンドは、
今はまだ俺の限られた友人しか聞かせてない。
今の段階ではまだこれを公表するわけにはいかないからである。
そのことによって彼女たちやいろんな人に迷惑をかけたりしたら死んでも死にきれない。
でもいつかその時は来る。
中国だって今こんな風に自由にロックが出来る日が来るなんて
あの時誰も思わなかっただろ?!
時代は変わるのである。
そしてまた、変えなければならないもんでもある。
この曲はその時が来るまで俺がゆっくりエディットする。
そしてその度にいつも俺はまた彼女たちのことを思い出すだろう。
また会おう。
そしてもっといつでも自由に会えるような、そんな世の中を早く作ろうよ。
To Be Continued
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2007年3月23日
北朝鮮にロックが響く(前編)
再び北朝鮮に渡航した。
今行かなくてもいいんじゃないか?
そんな自問自答も繰り返したが、
最終的には数年前に死んだ友人のソウルシンガー、KOUTAROが背中を押した。
癌と闘いながら
「今日のライブがこれで最後なんだ」
と言い聞かせてステージに立っていた彼の歌は、
死ぬ間際にはとんでもない高みに上り詰めていて鳥肌が立った。
それ以来俺も「今日が最後だ」と言い聞かせてドラムを叩いている。
まあドラムは死ぬまでそうやって叩いてればそれでいいのだが、楽曲はどうなる?
彼女たちに歌ってもらおうと思って作ったこのごりごりのロックナンバーは、
俺があちらに行かなければ永久に形になることはない。
もし明日俺が死んだら・・・みたいなことは現実的ではないにしても、
あの国で彼女たちが明日も無事に音楽をやっている保証はどこにもない。
明日どっかのアホがミサイルのボタンを押したら
それこそもう彼女たちこそ生きてはいられないのだ。
俺が生きていて、彼女たちも生きていて、
そして何故か今だけ、世界中で俺だけが自由に彼女たちに会いに行ける。
何故だかわからんが、何の因果か今、俺だけが自由にあそこに行けるのである。
だから俺は「ないかもわからない明日」よりも、「今しか出来ないロック」を選んだ。
外務省さん、ごめんなさい。
出発前
さて今回は荷造りが大変である。
山ほどの録音機材を持ち込まねばならないし、やはり問題なのは楽器である。
弦が3本ではレコーディングはやはり無理なので、
せめてベースとギターぐらいは持って行ってやりたいが、
どう言うわけか経済制裁の禁制品の項目に「楽器」と言う項目が入っている。
金正日が音楽好きなので、
金正日が喜ぶものを全部禁制品にしたら楽器も入ってしまったと言うおアホな理由らしい。
政治とはいつの世もそんなもんである。
「彼女たちには関係なかろう!」
と言おうがどうしようが、たかがいちドラマーの意見に耳を傾けてくれるほど政府も甘くはない。
「上に政策あれば下に対策あり」と言う言葉が中国にあるが、そこで俺はない頭で一生懸命考えた。
1、金正日を喜ばしてはダメとしても、なぜ彼女たちを喜ばしてはダメなのか?
2、彼女たちが喜ぶと果たして金正日は喜ぶとでも言うのか?
3、そもそも彼女たちに楽器をプレゼントすることは果たして日本の国益に反することなのか?
4、彼女たちがもし北朝鮮ではなく日本、もしくは北京に住んでいたとしても、北朝鮮人だったらやはり楽器を渡してはいけないのか?
5、それじゃあ国外で住んでいるあらゆる北朝鮮人に楽器をプレゼントしてはいけないのか?
えんえん考えてみても俺の頭では永久に答えは出ないので、
とりあえず北京に住む北朝鮮の友人(実はそれが何故か国家の幹部なんじゃが・・・)
に楽器を託した。
それでもお咎めが来ると言うのならもうそれは仕方がない。
出発当日
山ほどの機材である。
通常、持ち出し品の中に再び再入国する時に税金がかかるものがある場合、
あらかじめ税関にてそれらがこの国から持ち出した物であることを証明する書類を作成して、
再入国の際にそれを提出する。
録音機材などは高価なものなので、
北京に持って帰る時にまたそれが海外で購入したものとして高い税金を取られたらたまったもんじゃない。
ところがここ北京空港では税関でその届け出をしようとすると係員が
「そんなものはない!」
と突っぱねる。
「そんなぁ・・・ほな持ち帰る時どないすればいいんですかぁ」
と言うと、
「それは持ち帰る時の問題で持ち出す時の問題ではない!」
と突っぱねる。
「嘘言え!昔俺はその書類をここで作成したことがあるぞ!」
と言うと、
「昔はあったかも知れないが今はない!」
と突っぱねる。
何を言っても突っぱねるのでもうあきらめた。
北京オリンピックも近いと言うのに、この国の空の玄関はいったい何をやってるのだろう・・・
仕方ないので、とりあえず持ち帰る時に荷物を詳しく調べられないように、
高価な機材は全て穿き古した臭っさいパンツ等で梱包するしかない。
北朝鮮ではもうパンツは穿き換えないと心に誓う。
2007年2月27日 火曜日(初日)
懐かしい平壌空港に降り立った。
前回は運良く荷物が一番最初に出て来たのでスムーズに入国出来て、
それだからこそ初日にそのまま彼女たちの学校に行くことが出来て今の縁がある。
ところが今回は残念ながら一番最後である。
山ほどの荷物をこれでもかこれでもかと細かく調べてゆくので、
空港を出た時にはもう夕方になっていた。
彼女たちとの再会は残念ながら翌日である。
飯食って早々と寝る。
2007年2月28日 水曜日(2日目)
翌朝早く学校に向かった。
彼女たちはもう外で待っていて、
いつものようにふたりで両方から腕を組んで部室まで案内してくれる。
この北朝鮮式歓待にはいつまでたっても慣れることがない。
こっ恥ずかしくて仕方がないが、これはお約束と言うか、
彼女たちが外国人を迎える時には絶対にせねばならないことらしいのでされるがままにそうする。
部室に入るとレギュラーメンバーが「統一アリランロックバージョン」を演奏して俺達を迎えてくれる。
半年たっているので演奏も練られていてうまくなっている。
「毎回お客さんが来る度にこの曲を演奏しているんですか?」
と尋ねると、
「いやこの曲は演奏する前の肩慣らしとして使わせて頂いてます」
と先生が答えてくれた。
そりゃそうだ、国を代表として演奏する革命の歌を
わけのわからんロックアレンジで外国人に聞かせるわけにはいくまい。
俺は今回作って来た曲がもっとごりごりのヘビーロックなので、
先行きがちょっと不安になってきた。
まずレギュラーメンバーに譜面とMP3プレイヤーを配る。
期限は1週間、
実質6日間で全てレコーディングし終えなければならないので、
それぞれのパートを全てパート譜にした上に、
そのそれぞれの音だけを大きくMixしたDEMOをそれぞれのMP3プレイヤーに録音してあるのだ。
写真:初めてのMP3プレイヤー

(右から新メンバーのおでぶちゃん、ギターの末っ子ちゃん、そして今回ニックネームが決定!ドラムのカレンちゃん。可憐な美女であると言うのと、ドラムを叩きながら歌を歌うカレン・カーペンターからとって命名)
ギターやシンセにはダビングもあるし、
ベースソロ、シンセソロ、ギターソロもあるのでMP3プレイヤーの数は10個を超えた。
下級生もそのMP3プレイヤーを回し聞きして、もう覚えて口ずさんでいる。
メロディー自体はウケがよさそうなのでちょっと安心。
さて、まずはドラムセットのメンテナンスである。
前回このドラムを叩いてみたがとてもレコーディング出来るレベルではない。
とりあえずヘッドを張り替えてチューニングする。
バスドラのフロントヘッドは数枚余分に送っていたので、
今回レコーディングに参加しない下級生に自分たちでこのバンドのロゴを考えてもらい、
それを自分たちでフロントヘッドにペインティングするよう指示する。
みんなの音楽クラブなんだからみんなで少しづつよくしてゆこう。
写真:ロゴのデザイン

(個性豊かなデザインがたくさん出て非常に面白かった)
さてドラムのメンテであるが、これが思いの外難航した。
既に修復不可能な部分も多く、タムは裏側のリムがなくなってしまっているので
結局ボトムヘッドを張ることは出来なかった。
俺の耳からすればペコペコの音なのだが、
ドラムのカレンちゃんは「とてもいい音」だと喜んでくれた。
写真:カレンちゃんの笑顔

(可憐だぁ・・・)
しかし、そりゃ今までは
破れたヘッドをセロテープで張って叩いてたんだからそれよりはいい音かも知れないが、
レコーディングのことを考えるとちょっと先行き不安・・・
レコーディングシステムの準備や個別の演奏指導もしてたら
もう1日が終わってしまった。
とりあえずはレコーディングは明日から始めるとして、
今日はドラムのマイナスワンを使ってデモ演奏を聞かせることにする。
作ったDEMOの音源からドラムをミュートし、
ドラム以外の音をアンプで出して、クリックを聞きながら俺がドラムをぶっ叩く。
「ロックとはこれだ!」と言うのをドラムを叩いて彼女たちに伝えるのである。
渾身の思いを込めてドラムを叩いた。
みんな度肝を抜かれてた。
しかし度肝を抜かれたのは彼女たちだけではなかったのである。
このドラム演奏が次の日に大問題を引き起こそうとはこの時点では夢にも思っていない。
2007年3月1日 木曜日(3日目)
軍部から中止命令が来た。
俺のロック魂は彼女たちの心を揺さぶる前に、
学校の隣にある軍部施設を揺さぶってしまったのである。
「大音量で、明らかに朝鮮の音楽ではない外国の音楽を学校でやっているとは何事か!」
と言うことで軍部から調査が入った。
あらゆる関係者に調査の手が及ぶ。
学校側、外国人の受け入れ先である旅行社、通訳兼ガイド兼監視員、等々・・・
俺達はその間ホテルで待機である。
・・・終わった・・・
でもいい。
ここで中止になるとしたら、
それは所詮ロックの神様が俺にここまでしかやらせたくなかったと言うことである。
もう思い残すことはない。
まさか拉致されることはありえないので、
よくって残りの1週間は監視付きで無難な観光旅行か、
悪くても北京に強制送還であろう。
ホテルで俺はひたすら寝た。
思えばこの1週間ろくに寝ていない。
彼女たちに聞かせるデータや譜面などを準備してたのもあるが、
寝ようと思っても外務省にいじめられる夢や、
朝まで生テレビで出演者に総突き上げくらう夢や、
ひいては幼馴染にいじめられる夢や
初恋の人に振られる夢までみてうなされていたのである。
まあ顔は大きいが気は小さいんだから仕方がない・・・
昼過ぎになって起こされた。
紆余曲折あったが、
結果から言うとプロジェクトは続行だと言うことである。
その代り条件がついた。
1、 大きな音は出さない
2、 もし次に軍部から何らかのクレームが来た場合は即刻中止
3、 そして今後「ロック」と言う言葉は使ってはならない
大きな音を出せないとロックは出来ないが、
でも考えてみれば非常にゆるいお達しではないか・・・
どうも俺が寝ている間に上層部でいろんな戦いがあったらしい。
後に文部省から俺宛てに感謝状が届くが、
これはきっと軍部を納得させるために上層部が文部省を動かして、
とりあえず今回俺に何らかの特権を与えてつじつまを合わせるためだったのではないか
と想像するが、真実のほどはよくわからない。
午後に学校に着いた。
運悪く停電なので録音は出来ない。
でもまあ停電はうちの貧民街では日常茶飯事なので全然気にしない。
ドラム指導をする。
アンサンブル演奏で全体像が聞こえたりさえしなければ、
軍部も何か基礎練習をやっているのだろうと思うので問題はないそうである。
残り時間1時間で電源が来たのでドラムをレコーディングしてみたが、
案の定そう簡単に叩けるものではない。
翌日に持ち越して今日は終了!
2007年3月2日 金曜日(4日目)
「音」ではなく「空気」を録音するドラムのレコーディングは、
機械の力でエディットがしにくいので一番大変である。
とりあえず各メンバーのモチュベイションを考えて、
最初は一番簡単なキーボードのレコーディングから行うことにした。
シンセサイザーは、そう言う意味では
電気的な音を鍵盤と言うスイッチで発音しているだけなので、
MIDIデータと言うそのスイッチがどのようにOn Offされたかと言う情報をレコーディングしておけば、
後でリズムやミストーンを修正したり、
音色を入れ替えたりを自由自在に出来るので非常に楽である。
まずは新メンバーの「おでぶちゃん」。
全然デブではないが、ニックネームの由来は
そんな「おでぶちゃんにいつかなりたい」と言う意味らしい。
俺の腹の肉でよかったら分けてやるぞ・・・
写真:おでぶちゃん

(ルックスは一番子供っぽいが、なかなかどうして気丈な性格の持ち主である)
なんなく終了。
本当はオルガンのグリッサンドは全身で体ごと持って行って欲しいのだが、
そこまで要求する時間は今回なさそうなのであきらめた。
そして次はボンボンちゃん。

(彼女は前回も完璧主義なところを見せてくれた)
今回も録音した自分のプレイに満足していないようなのだが、
悪いとは思いつつ時間がないのである程度でOKにさせて頂いた。
MIDI情報をレコーディングしているので後でどのようにでもEdit出来るからである。
すまん!
そして一番大切なドラムのレコーディング。
ドラムが録り終わらなければ他のものは録ることは出来ない。
バンドレコーディングの要である。
昨日あまりに叩けなくて彼女自身少し落ち込んでいたが、
日本で言うと高校1年生の女の子が初めてレコーディングするのである。
叩けなくて当然である。
自分の暴露話をすると、
俺だって最初のレコーディングの時はどうしてこんなに叩けないのか悔しくって、
トイレに行って隠れて泣いた。
そんな経験が、次の時に大きなバネになって飛躍的に進歩するのである。
彼女は昨日きっとそんな思いをしたんだと思う。
その気持ちを一晩熟成させれば今日のプレイは絶対に違うはず!
写真:カレンちゃんレコーディング

(中国人もそうだったが、北朝鮮のミュージシャンは基本的に裏打ちのビートに慣れてないので手拍子を叩きながら教えてあげる)
「ドラム録音終了!」
その言葉を聞いた瞬間に、
メンバーの中で一番天然入ってる彼女は本当に飛び上がって喜んだ。
全くもって彼女の笑顔だけは国宝級である。
さて次はベースのあねごである。
写真:あねごベース指導

(まったくもって彼女のこの貫禄だけには圧倒されるわ・・・)
彼女は現在このクラブの部長。
絶対的リーダーとしてこの音楽クラブに君臨している。
最初にみんなにDEMOを聞かせて、
「どうですかみなさん?かなり難しいと思いますが大丈夫ですか?」
と聞いた時に、間髪入れずに
「大丈夫です!」
と答えたのが彼女である。
リーダーの威信にかけてもこれはするっと録り終えたいところだが、
実はこれが予想に反して非常に手こずった。
北朝鮮の音楽はベースがほとんどルート弾きなので、
彼女にしてみてもまさか自分がこれほどベースラインが弾けないんだ
とは夢にも思わなかったのである。
レコーディングは翌日に持ち越し。
あねごらしく
「先生の高い要求に応えられない自分をはがゆく思います」
と詫びを入れて部屋を出て行った。
かっこいい・・・
2007年3月3日 土曜日(5日目)
あねごは今日も毅然としていた。
しかし16歳でこの貫禄は物凄い。
レコーディング前にスケジュールをざっと計算してみる。
当初の予定としては昨日オケを全部録音し終わって、
今日は歌録りの予定であった。
いろんなトラブルでもう2日間遅れてしまっている。
明日は国民の休日。
「学校なんか来なくて家族と一緒に国民の休日を過ごしたい」
いくらいつもニコニコ笑ってる彼女達でも、
きっとそれが心の中の本音であることは明らかであろう。
今日何としてもベースを録り終え、
出来れば残りの時間でギター2本を録り終えれば、
明日何とか彼女たちにお願いして学校に来てもらって歌入れをするか、
もしくは後は最終日の月曜日しか残っていない。
最終日は実はMTV撮りと
もうすぐ卒業するあねごとカレンちゃんの追いコンも兼ねた、
ファンキー主催の「小文化祭」の予定である。
しかし学校側から
「彼女たちのスケジュールを一週間渡すとは言っても出来れば週は跨がないでくれ」
と言われているので、土壇場になってそれはキャンセルになる可能性も高い。
出来れば今日オケは全部、そして残りは歌だけと言うことにして運を天に任せたい。
そう考えるともう本当に時間がない。
仕方がないのであねごのベースはソロも含めて、
最終兵器「一拍づつのパンチイン」で午後まで何とかかかってやっと録り終えた。
後にエディットで地獄を見ることになるがそれもいた仕方あるまい。
「先生の高い要求に答えることが出来なくてすみませんでした」
とあねごらしく毅然と出てゆく姿を見て、
「俺はこいつのためならエディットで何日徹夜してもいい!」
と心の誓った。
残るはギターで録音終了である。
果たして残り時間でギターを全部録り終えることが出来るのか・・・
今回新メンバーのおでこちゃんを加えて、ギターは2人いる。
ギターのパートも、
今回のアレンジのキモとなるアルペジオと、
ロックの要であるディストーションギターとふたつ作ってある。
2人のどちらにどのように振り分けようと言うこともあらかじめ考えて来た。
元々のメンバーである末っ子ちゃんは、
前回ギターの絃が3本しかなかったので腕のほどは未知数。
新メンバーのおでこちゃんは、
学校側は
「この子が一番音楽的才能が豊かなので是非メンバーに!」
と推薦して来たので腕の方は期待できる。
何でもアコーディオンを筆頭にあらゆる楽器が弾けるらしい。
音楽とは不思議なもので、プレイにその人の性格が如実に表れる。
前回俺が会った時の印象では、
末っ子ちゃんの性格はおとなしく、よく笑う可愛いキャラクター。
おでこちゃんは自己顕示欲が強く、自分が前に出てゆくタイプ。
こりゃ当然アルペジオは末っ子ちゃん、
要のディストーションギターはおでこちゃんでしょう!
どちらがレコーディングに時間がかかるか・・・
中国では「ファンキー節」として定着している
この曲のようなアレンジのレコーディングでは、
過去の経験上アルペジオの方がてこずった。
ディストーションギターのバッキングは、
パワーコードと言ってルートと5度の2つの音しか弾かないので
どちらかと言うとそちらの方が簡単である。
よし!先にディストーションギターを録音しよう。
「おでこちゃん呼んで来て」

緊張の面持ちでおでこちゃんがやってきた。
「緊張しなくてもいいよ。ギターはどのぐらいやってるの?」
毎回のように緊張をほぐすために世間話から入る。
通訳兼ガイド兼監視員が訳してくれる。
「前回ファンキー先生が来られた時から始めました」
ど素人やん!!
あかん・・・こりゃ時間切れで今日オケは完成せん・・・
子供たちを時間どおり家に帰してあげないと、
今度は親からクレームなんか来た日にゃあ
もっと大問題になってしまうので時間延長も出来ない。
もし明日の国民の休日に彼女たちが来れなくて、
さらに最終日に学校側が彼女たちのスケジュールをくれなければ
それでもうこのプロジェクトはおしまい!
はいそれまで・・・である。
いや、まだ半日ある。やるだけやってみるしかない!
ここでディストーションギターをてこずって明日に持ち越すか、
もしくは腕の方は未知数だが末っ子ちゃんに賭けてみるか・・・
「やっぱ末っ子ちゃんから録ろう!末っ子ちゃん呼んで来て!」
彼女は本当にちゃんと弾けるのか?
ソロもあるぞ?どちらが弾くんだ?
そしてオケが録り終わったとして、果たして歌を録る時間はあるのか?
ほんまに仕上がるんか?この曲・・・
次号に続く。
(すまん!ほんま中身が濃いんで書くのに非常にパワーが要るんです。体力蓄えてまた続き書きますぅ)
ちょびっとだけ予告編:その後また想像もしなかったトラブルが勃発!
そして笑いと涙の大団円!
乞うご期待!
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2007年3月 6日
無事帰国!!
本当に彼女たちのレコーディングをして来た。
ごりごりのRockである。
一度軍部から中止命令が来たが、最終的には国家から感謝状が贈られた。
・・・なんで?・・・
詳しくは後々またHPにUPしたいと思う。
今から日本に帰る。
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2007年2月27日
北京空港にて
いやー・・・山ほどの録音機材で大変!
そのまま北朝鮮に置いてくる機材はええけど、1本40万のマイクや、Digi002等レコーディング機材は次に北京に帰って来た時に持ち込み禁止にされると涙なので、今回はちゃんとカルネ(やっけ?)を書いて提出しようとしたら、
「そんなもんは今はやってない。戻って来た時にやれ!」
と言われた。
そんなアホな!!!
戻って来て持ち込み禁止で没収されたらどうしよう・・・
また裏から手を回して裏口から出すしかないのか・・・
中国っていつまでたってもこうなのよね・・・
ほなもう数日ネットにはつなげまへん!
無事帰れたら(それは全然心配してないが)10日からのツアーで会おう!!
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北朝鮮いってきます
最高のROCK録ってきます!!
http://www.funkycorp.jp/funky/Korea/69GirlsRockBand/
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2006年7月29日
北朝鮮美女軍団ロックバンド
北朝鮮から無事帰還!
いやー4日間メールを見れないと300本以上メールが溜まりますなぁ・・・
まあそのほとんどが迷惑メールですが・・・
北京空港に降り立ち、白タクの運ちゃんにまとわりつかれながら、
タクシーに乗って我が貧民街に降り立つと、ほんと平壌の街の清潔さを思い知る。
「ゴミひとつ落ちてない街」と言うのはまさにこのことである。
ご存知の通り平壌では観光客が自由に行動することは禁止されているが、
そこはそこ、ThatはThat、ThisはThisである。(ようわからん・・・)
案内人兼監視役のガイドのみならず、その上司である国家機関にまでコネを持つ
(北朝鮮オタク略して)北タクに不可能はない。
主体思想塔前広場でドラムは叩くわ、

遊園地に行って地元の子供と一緒に遊ぶわ、

しまいには現地の人のピクニックに乱入して一緒に大酒飲む始末・・・

それにしても日朝関係がテポドンにより非常に緊迫している中、
おりしも偉大なる首領様が、アメリカ帝国主義を打ち破った記念すべき祝日に、
道行くこんな日本人を宴に招き入れ、
あろうことか一緒に日本の歌などを歌うなどして許されるのか!
出発前にアメリカのウェイン・デイヴィスから
Please be careful in North Korea.
The Government is crazy over there.
I don't think North Korean government like Rock 'n Roll.
Just play drums, don't drink beer or go to parties.
と言うメールをもらっていながら、ワシはそれを全部破ってしまったのである。
まあ並のアホならこのぐらいで満足して帰国するのであろうが、
残念ながらワシのアホは国際級である。
ことあろうかワシは更に人民に「ロックを教える」と言う暴挙に出るのである。
まずこの美女軍団を見て欲しい。

偉大なる首領様がおりしも6月9日ロックの日に建てられた
と言う中学校の音楽クラブの美女達である。
(注:北朝鮮は小学校4年、中学校6年制である)
もともと「平壌に住むにはルックスのオーディションがあるのか!」
と言うぐらい見事に美人しかいない街じゃったが、
その中でも音楽を志す女の子にはルックスが不可欠である。
彼女達は毎日の授業を終えると、ここの練習場で歌や楽器を練習し、
そして外国人のお客さんにそれを披露する。

いやはやこれが可愛いのなんの・・・
そして彼女達の笑顔で送り出されて、
満面の笑みで帰ってゆくのが通常の観光客なのじゃが、
ワシはここで「よし!お前らにロックを教えてやろう!」と言い出した。


こんな暴挙を案内人兼監視役のガイドが許すのか?!!
学校側がこんなことを許すのか?!!
ところがこの国では誰も「ロックとは何ぞや?!」なんてこたぁ知らない。
噂にも聞いたことがないんだから通訳のしようもない。
学校の先生と来たら、
「そんなありがたいものをタダで教えて下さるなら・・・」
と言うことで、それから毎日ワシはこの学校で
この美女軍団予備軍相手にロックを教えることとなる。

まあとりあえず彼女達のレパートリーの中から1曲選んで
それをワシがアレンジして譜面にする。
後はそれを手取り足取り教えればいいのであるが、

それがまさに「言うは易しやるが難き」である。
ベースは弦が3本しかないし、ギターも弦が3本しかない。
エフェクターなんぞあるよしもなく、
アンプに至ってはベースにギターに2台のキーボードまで突っ込んでいるので
スピーカーはブーブーと悲鳴を上げてる始末・・・
しかしワシは声高に言う。
「ロックは楽器でやるもんじゃない!」

もともとこの国の体制で育った素直ないい子達である。
先生であるワシのありがたい言葉を首領様の言葉と同じように胸に刻み、
かくして北朝鮮音楽史始まって以来、「ロック版、統一アリランの歌」が完成した。

お聞かせできないのがまことに残念である。
彼女達はこのアレンジで
また今日も外国人観光客を笑顔で楽しませていることじゃろう。
あーいいことをした!
ビールも旨いっつうもんである。
持って行ったツインペダルとスティックはもちろん彼女達に寄贈し、
ついでにギタリストには橘高モデルのピックをプレゼント。
紐で作ってあげたストラップじゃ肩が痛いじゃろうから、
次に行く時にはストラップと、その他いろいろ楽器を持って行ってやろう。
あれ?・・・ワシ・・・どっかでこんなことしてたなぁ・・・
そうじゃ、ワシが初めて中国来た時もこんなことしてた・・・
彼女達へのファンレター、激励のお手紙はこちらまで。
但し、次に行く時まで渡せません。


ふたりは一番年上で中学6年生(日本で言うと高校1年生)
バンドのリーダー的存在。
ほのかな色気が漂う。

彼女は何があってもいつもニコニコ一番おとなしい子だった。

キーボードはふたりいたのに忘れていて、
彼女は初日に自分にだけ譜面が渡されないと嘆き悲しみ、
決心して直訴に来てワシは初めて知った。

もうひとりのキーボードの子は
ミストーンとかするといつも「何でこんなことが弾けないんだろう」と悔しがり、
「ごめんなさい、叱らないで」と言う顔でワシを見る。
「先生は首領様じゃないから怒らないよ。ロックは楽しくやろっ!」
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2006年7月23日
北朝鮮のVISA
生まれて初めて見た!
これが北朝鮮のVISAである!!!

なるほどVISAの申請にパスポートも要らず、パスポート番号と名前だけでよいわけである。
北朝鮮のVISAはパスポートにVISAのハンコを押すのではなく、別の小冊子(と言っても見開きの1ページだけのぺらぺらのもんじゃが)に専用のVISAを作ってくれるのである。
(日本での申請の時はどうなのかは知らんが)
聞いたところによると、パスポートに北朝鮮のハンコを押されると入国できない国(例えば韓国とか)があると言う話なので、別冊子にしてもらえるとそりゃ助かる。
さあ、そしてこの小冊子を開くとこうなる。

ハングルなのでようわからんが、まあ北朝鮮版パスポートみたいなもんである。
記念に一生持っていたいが、出国の時に没収されると言うので写真に撮って保存しておこう・・・
また、記念と言えば飛行機である。
チケットにはAir Koryoと書かれてあるが、日本語で言うと高麗航空と言うことらしい。
高麗航空の飛行機は赤い星のマークと鶴を描いるらしく、
“金正日党書記委員長の暖かい懐を形状化した赤い色で囲む中に、喜びと幸福の象徴である翼を広げて飛んで行く鶴の姿(韓半島の象徴)が、青い色で描かれている”
と言うことらしいが・・・これも出来たら写真に撮っておきたいもんじゃ・・・
乗ったことのある人の話だと
“椅子は折畳式の形態であった”とか
“機内食は洋食と韓食を混合した形態であった”とか言われるが、
これも乗ったことがある人の方が少ないんじゃから是非記念に写真でも撮っておきたいもんじゃ。
「一応落ちたことはないですから心配しなくていいですよ」
とチケットを取ってくれた(北朝鮮オタク略して)北タクは言うが、
言われなかったら全然気にしないのに言われたら何故か少し怖くなる・・・
今まで乗ったことのある飛行機、
イラン航空、パキスタン航空は機内食がイスラム食で非常に旨かったが、宗教上の理由なのかビールがおいてないのが残念であった。
大韓航空は機内食にビビンバが出て来て非常に旨かった。
中国国際航空はしょっちゅう乗るが、さすがに中国4千年の歴史と言うほどの機内食が出たことはない。
ちなみにワシは今から次の映画音楽の打ち合わせで上海に行って来る。
ちなみにそれは中国国際航空である。
明日朝いちで戻って来て次の日に北朝鮮に発つ。
高麗航空の機内食・・・楽しみである。
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2006年7月20日
北朝鮮に行ってくる(?!!)
ワシが音楽を担当した映画、「瘋狂的石頭(Crazy Stone)」は空前の大ヒットとなった。
公開して2週間足らずで興行収入は1000万元(1億5千万円)を超え、
ヒットすると必ず海賊版が発売されるので、その前にとばかりDVDが発売され、
「見たよ」と言ってはいろんな友人から電話をもらい、
音楽の評価が非常に高いので、ネットでは常にそれが話題となるのだが、
別にサントラが出ると言う話もなく(ほんま、権利関係ってどうなっとるんでしょ・・・)
サントラ盤がないんだから仕方なく
DVDから切り取った音をネットに上げてダウンロードさせる輩まで現れる始末。
音楽が評判になるとよくある話で
見も知らない他の映画会社から突然電話がかかって来たりする。
「もしもし・・・映画音楽家のFunkyさんの電話でしょうか・・・」
・・・(それはちと違う!!!)・・・
「映画関係者の友人から紹介されて電話したんですけど、
この秋クランクインするうちの映画の音楽を是非お願いしたいんですが・・・」
8月にはよさこい祭りで高知に帰るし、その後は子供達連れて戻って来るので、
9月ぐらいから製作開始だったらちょうどいいなあ・・・
一応やることにして音楽製作費を聞いておく。
○○元・・・
「お前ら!俺の値段まで映画関係者から聞きやがったか!!!」
と思わざるを得ないほどまた安い値段じゃが、まあ楽しそうだからいいか・・・
そんなこんなしているうちに
北京に住む北朝鮮オタク(略して北タク)の友人から電話が来た。
「ファンキーさん、この前言ってた北朝鮮のビザ取れましたよ、25日に出発します」
酒の勢いで、一緒に北朝鮮に行こうと盛り上がってたのじゃが忙しくて忘れていた・・・
こちらでは北朝鮮渡航のビザは比較的簡単に取れるそうなのである。
後ろめたい渡航はイヤなので、北朝鮮政府に
「ドラムによる音楽交流」
とかわけのわからない正式な申請をしてたら今になって認められたらしい。
話に聞くと日本(と言うか世界中)はテポドン発射で大騒ぎである。
よりによってこんな時期になんで北朝鮮側は
ワシのような人間をなんで正式に招聘するのかまことに不思議である。
北タクは何度も北朝鮮に行っているので顔パスで、
監視の目的も兼ねた案内人も既に仲の良い好朋友なので、
どこかの音楽学校でドラム合戦をするとか、
そこの歌舞団とアリランをロックアレンジで一緒に演奏するのも自由自在らしい。
それはそれで楽しいかも知れんが、問題はこの「時期」である。
嫁は「行かないで」と言ってワシの足にすがりつき、
母は「行くなら親子の縁は切るぞ」と言って泣き喚き、
子供達は「おみやげは金正日のバッジが欲しい」とだだをこね、
中国の友人達は「とりあえず先に墓を立てとくからな」と涙ぐみ・・・(全部ウソ!)
北タクの話によると、携帯電話はとりあえず入国の時に没収されるし、
インターネットは大使館街の決められた場所じゃないと出来ないらしいし、
それでもホテルは国際電話も通じるし、
正規な渡航なのでカメラもビデオも自由だと言うので、
まあ29日の帰国まではメールの返信も出来ないかも知れませんが、
せっかくなんでこの時期の北朝鮮の子供達と交流旅行して来ますわ。
まああのお国柄なんでまた土壇場で渡航禁止と言うこともありうるけどね。
まあ問題は25日までに全ての仕事を終わらせることである。
何かあったら25日までにメールちょうだいね。
ほな。









