ひとりドラムの軌跡

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爆風スランプトリビュートアルバム WeLoveBakufuSlump

2010年11月30日

システム総取っ替え

仕事というのは来ない時には全然来ないくせに来る時にはいっぺんに来る。
普段全然鳴らない電話が、鳴ったと思ったらキャッチになるのと同じである。

北京で3つのアルバムを抱えて日本に帰って来た。

まずは1枚目からずーっとやっているBeiBeiのアルバム。
ま、これはいい。こいつには随分貸しがあるから一番後回しにして待たせとけばよい。

そして紅焼肉楽隊のレコーディング。
ま、これはドラムだけなので始まったら数日で終わるだろうからよい。

ところがいきなり決まったラップ歌手のアルバムはそうはいかない。
アルバム1枚をひとりでプロデュースせねばならんし、
アレンジもしてレコーディングもせねばならん。
おまけに前金ももらってしまったので逃げるわけにはいかん・・・

と言いながら日本に逃げて来て和佐田のツアーを回ってた。

毎日ドラム叩いて美味いもん食って酒飲んで、
そんなことしながら実は八王子のファンキースタジオでは仮谷くんに、
張張のプロデュースしてるアルバムのミックスをやってもらったりもしている。

ファイルの受け渡しをしたりメールで双方の通訳をしたり、
おまけに中国語の歌詞の部分部分の上げ下げまでオーダーが来たので、
歌詞が分からない仮谷くんには無理である。

仕方がない・・・ワシがやるか・・・

そんな時に限って中国用の携帯電話が鳴る。
「今北京か?日本か?」
だいたいはドラムのレコーディングの仕事なので
「いついつ帰るよ」
ですむのだが、今回はアレンジの仕事である。

誰かに振るか?・・・仮谷くん・・・忙しいか・・・
北京の若い衆・・・

あ、そう言えば北京ではみんなCuBaseからLogicに移行してしまっている。
あの張張まで嬉しそうに新しいMacを見せびらかしていたではないか・・・

システムを変えようかどうしようか・・・

これって変えてしまうとまたインストールで一晩徹夜、
ソフトの概念を把握するのに数日徹夜、
操作を把握するのに数日徹夜、
そして全ての音色を聴いてみるのに数日徹夜せねばならない。

そんなこんなで声優の作曲の作り直しが待っている。
何とかワシとのコラボを実現させようと頑張ってくれてる友人のためにも、
何とかプレゼンに通るような楽曲を提出してやりたいのじゃが、
クライアントに分かりやすいDEMOを作る時間がもうない。

プレゼンに通ったとしてもそれをまた同じようなやりとりをしながらアレンジしてゆく時間もない・・・

「どなたかアレンジャーを立ててもらえませんか」
自分で膨大なやり取りをするよりも、
もう「作曲」だけに専念した方が楽である。
通った場合にはそのアレンジはお願いしますから、
通らせるやり取りのインターフェイスになって下さいというわけだ。

ちょうど今、仮谷くんと張張との間でワシがやってるような仕事である。

紹介してもらったアレンジャーに電話をかけて聞いてみた。
「音楽ソフトは何を使ってアレンジしてますか?」
もし同じソフトだったらデータが互換性を持っててやりとりがしやすい。

「私ですか?Logicです」

がびーん!!この一言がワシの背中を押した。
もともとあの中国人が今みんなLogicに移行しているのだ。
どんなソフトも全部海賊版で出回ってて、
それを全部おもちゃのように使いこなして、
最後に「このソフトがいい」となったら当然それが一番いいということになる。
張張も、ラップ歌手もみんなLogicである。

しゃーないな・・・

というわけで新しいMacBook Proを買いに行った。
ワシのMacBook Proではもう容量不足でインストール出来ないのだ。

今夜は徹夜でインストール、
明日から徹夜で「お勉強」である。

しかし子守りしながらそれが出来るかどうかは未知数である・・・

Posted by ファンキー末吉 at:02:38 | 固定リンク

2010年11月29日

サプリメント「なかったコトに」の効果たるや?!!

8日間に渡るツアーが終わった。
旅に携帯していった「なかったコトに」、果たして効果はあったのか・・・

Nakattakotoni.jpg

検証する前に今回の旅を食べ物で綴っていきたいと思う。

初日:静岡・・・新横浜でシューマイ弁当を買って新幹線で食す!!

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出番前に名物の屋台!!

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終演後はライブハウスで宴会をして撃沈・・・

2日目:岡山・・・新幹線で弁当を喰い、開場で間食をし、終演後は店で宴会!!
しかしワシは墓参りのためそのまま香川県へ・・・

3日目:投宿先の上原家で朝食をご馳走になりながら、墓参り後うどん!!

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悪いことにもう一杯お替わりをしつつ土讃線で高知へ!!
リハ終わりでひろめ市場!!もちろん塩タタキ!!

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ついでに名物の安兵衛の餃子!!

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満腹のままでドラムを叩き、
まだ空腹感がないまま終演後は居酒屋で大宴会の後実家で撃沈!!

4日目:母とモーニングを食いつつ・・・

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そのままバスに乗って大阪へ!!会場着いてまずラーメン!!

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リハ終了後も腹が減らず、そのまま本番!!
そして終演後はホルモン!!

HizoukkoTabeLog8.jpg

この日からハゲの家でやっかいになる。
ハゲと飲んで撃沈!!

5日目:神戸に向かう前にハゲとラーメン!!

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ライブ終了後はまた大宴会!!

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神戸なのでシメはそばめし!!

HizoukkoTabeLog11.jpg

6日目:とりあえず風呂に行こうということで温泉銭湯へ!!
そこで何と温泉施設にお好み焼きがあることを発見!!
昼からお好みとビール!!

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酔っぱらって会場入り!!差し入れの甘いもので酔いを醒ます!!

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終演後は居酒屋で一杯やってハゲ宅に帰宅!!

7日目:京都に向かう前にやっぱ餃子の王将!!

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出番前にはハゲとたこ焼き!!

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終演後はハゲとラーメン

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食ってすぐ寝てブタになりつつ最終日:とりあえずハゲとお別れなう!!

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ひとり近鉄で名古屋に向かうため、近鉄駅で立ち飲み!!

HizoukkoTabeLog18.jpg

電車の中でも飲み!!

HizoukkoTabeLog19.jpg

終演後はやぶ屋で味噌とんちゃん!!

HizoukkoTabeLog20.jpg

シメは小倉トースト!!

HizoukkoTabeLog21.jpg

ちょうどこの辺で「なかったコトに」が底をついた!!!!

HizoukkoTabeLog22.jpg

毎食事の前というわけにはいかなかったが、
思い出したら食事の途中でも「なかったコトに」を飲んだが、
結果戻って来てから体重を計ったらなんと!!!!

1kg増・・・

「なかったコトに」を飲んでたこと自体がなかったコトになってたのか・・・
いやいや、和佐田曰く、
「これだけ食ってて1kg増ですむというのは効果があったぞ」
と・・・

「なかったコトになる」と思って食い過ぎてしまうのが難点じゃが、
また新しく購入して続けてみる価値はありそうじゃ・・・

Posted by ファンキー末吉 at:08:34 | 固定リンク

2010年11月28日

掲示板を作って頂きました

こんなに大きな騒ぎになると思ってなかったので、
「詞やDEMOが出来上がったらメールで送って下さい」
などと言ってたら毎日毎日誰かからメールが来るので、
ツアー先でそれを処理し続けるのも限界が来た。

Twitterで「掲示板立ち上げてくれー」と呼びかけたら、
週刊アスキー末吉担当の中山さんが手を挙げてくれた。

こちらである。

http://tailwind.bz/joyful/joyful.cgi?

こんなもんをよー作るなあ・・・感謝感激・・・

とりあえずこれでメールを受けていちいち自分のWebにUPする手間は省けた。
みなさんどんどんUPして下さいね。

歌詞の方はタイトルを、オケの方はBPMを添えて下さい。
二井原がブログで言ってたように
いろんな人がそれぞれ能力を持ち寄って面白い作品がどんどん出来上がったら素晴らしいと思います。

ツアー終了!!東京に戻ります!!!

Posted by ファンキー末吉 at:08:36 | 固定リンク

2010年11月25日

反響、補足、お詫び・・・

いやー前回の「ご自由にお使い下さい」、思いのほか反響が大きかったなあ・・・

二井原は悪ノリしてこんなんこんなんや好き勝手に盛り上がってくれたり、
Twitter上でもハッシュダグまで作られて反響が大きかった。

でも一番びっくりしたのはその仕事の発注元がブログを見てたことやな・・・(驚)

「誤解があるようだから」と丁寧なメールを頂いたが、
いえいえ、謝るのは私の方です。

私としては「クライアントは曲の良し悪しではなくイメージで曲を選ぶ」とか、
「キャラに合う合わないが一番である」とかいうことは実はよーくわかっている。
決して二井原がブログで書いてるような、
「このクライアントは聞く耳がない」という風には思ってないし、
そうはブログでも書いてはいないのだが、
やはりご本人にとっては少々びっくりした内容であったのだろう。

この友人というのは逆に「何とか末吉の曲を通してやりたい」という一心で、
いろいろあーしたらこーしたらというのを言ってくれてただけで、
ところが私自身の方が「声優」というものに対してまるで素人なので仕方がない。
「サイリウムが振れるように」
と言われても理解出来ないのはクライアントが悪いのではなく、
私が「この仕事」を受けるにプロフェッショナルではないということです。

ドラムは違う!!
どんな難曲でもどんなジャンルでも叩けと言われたら絶対に叩くし、
中国でもレコーディングでは無理難題言われても
「俺に出来ないことはない」と言って全部形にして来た。

「ジャンル」は違えども「音楽」として同じなのだとばかりジャズでもロックでも叩く。
この域までいっているドラマーは日本人では菅沼孝三以外とっさには思い浮かばないが、
なーに2〜30年頑張ればこれぐらいの域には誰でも行ける!!(断言)

ただ頑張ろうと思うかどうかの違いなのだ・・・

作曲に関しては私は残念ながら「何でも書ける作家」になろうとは思ってない。
つまり「それを頑張ろう」とは思ってないのだ・・・

今も是方さんとツアーを廻っているが、
ボズ・スキャッグスの「We're All Alone」という曲を毎回やっていて思うのは、
「名曲はどんなアレンジで演ってもいい曲なんだな」ということである。

私は「そんな名曲を作りたい」と思っているだけなのだ。

残念ながらこの曲はクライアントの必要とするイメージではなかった。
でもいい曲だと思う、だからみなさんご自由に!!というだけの話だけなのだ。

決してこれをボツにしたクライアントを誹謗中傷するものでもないし、
名前も出さないその声優を悪く言っているものではないことをここに改めて明記させて頂きます。


それにしても二井原の食いつきはもの凄いなあ・・・
よっぽどインパクトあったんやなあ・・・

この曲・・・メタルになるでぇ・・・X.Y.Z.→Aでも1バージョンやらんか?・・・

Posted by ファンキー末吉 at:17:52 | 固定リンク

2010年11月24日

ご自由にお使い下さい

昔の知り合いから突然メールが来て仕事をしている。
とある声優に曲を書いてくれと言うのだ。

「ランナーみたいなライブで盛り上がる曲」
という注文である。

日本で作曲の仕事をするのは10数年振りである。
「仕事」としてみると、「作曲」という仕事はお国柄によってまちまち。

まず中国では基本的に「買い取り」である。
作曲してそれがOKになった段階で即金でお金をくれ、
それが売れようが売れまいがそれ以上お金にはならない。

相場は人によって違うが、ワシ程度でも日本円で10万円以上はもらえ、
1曲でもヒット曲があるとその値段はもっともっと高くなる。

日本はその真反対で「印税」が全てで、曲を書いた時点では一銭にもならない。
売れたら売れた分だけ入って来て、
ランナーやリゾラバぐらいヒットするとヘタしたら小さな家ぐらいは建つ。

しかし売れなければ悲惨である。
累計で数千円、いやヘタしたら千円いかないかも知れない。

だから日本の作家は大御所になって来ると相手を選ぶ。
売れてる人のしかもシングルでなければ書かないとか、
アルバム曲だったらわざとストックの中からそれなりのを選んで渡したりすると言う。

香港や台湾ではもっとシステムが進んでいて、
基本的には「印税」なのだが、
「アドバンス」という「前渡金」をくれる。

「じゃあアドバンス1万枚分ね」ってな感じで、
1万枚以上売れたらそれ以上の印税をもらえるし、
それに満たなくてもそのアドバンスはお返ししなくてよい。

まあ作曲という仕事は
「お金のために」やってると思えばこんな世知辛い仕事もないので、
ドラムもそうだがワシは「自分の表現」のためだと思って一生懸命やらさせて頂いている。

「ランナーみたいな」という発注なのだからそれなりに一生懸命考えた。
何をもって「ランナーみたいな」と感じるかは人によって違うが、
ある人はサビのキャッチーなメロディー、
またある人はあのドンパンドンパンというリズムパターン、
など様々なのだが、ワシ自身にとってはあの無茶な転調がイメージとして強い。

キャッチーなメロディーを作って、
それを無茶な転調で持って行って、
そしてリズムもドンパンドンパンのあのリズムにすれば極めつけなのだが、
あいにくドラマーとしては個人的にあのリズムは嫌いである。
やってて楽しくない。
だからとりあえずリズムパターンだけは変えて簡単なDEMOをお送りした。

返事が来た。

1、テンポ感を速めて欲しい
2、音数をもうちょっと詰め込んでほしい
3、もっとライブでノレる感じ

ではということで返信を返す。

1、テンポ感というのはテンポを上げればよいですね。
2、メロはもうちょっと詰め込んでみましょう。
3、ライブでのれる感じというのはメロというよりはアレンジの問題ですね。
ちょいと手を加えてみます。

ということでそこで初めて「アレンジ」という作業も加えてみる。

こんな感じ

アレンジは今は日本で相場がいくらなのかわからないが、
中国だとやっぱ10万円以上はもらえるので、
結果いくら稼ぎ出すかわからない「作曲」という仕事に、
その楽曲が採用されたら別の人に発注がいくだろう「アレンジ」という仕事も加えると「仕事」としては非常にロスがあると感じるのだが、
まあ楽曲が採用されて初めて「仕事」なので、
まあ四の五の言わずに頑張らせて頂く。

1、テンポを上げました(120から135)
2、字数を増やしました(サビのみ)
3、サビ始まりにしました。
4、ライブでノレるようにリズムをアレンジしました。

まあ「自分の音楽」としてはこれで「完成」である。
我ながら「よく出来た作品だ」とまで思っている。

返事が来た。

デモ確認しました。
全体的にメロは良い感じですが、ノリが重すぎるような感じです。
基本アイドルソングなので、「足踏み」ではなく
「サイリウム」を振る合いの手が入るようなノリでお願いします。

ここでもうワシには何が何だかわからなくなっている。
これはもう「アレンジ」の範疇であって「メロ」の問題ではないのではないか・・・

ワシが思う作曲という作業はメロディーを作ること。
つまりコードとメロディーぐらいがあるこの段階

ちなみに中国だとこの段階で現金をもらって
それで収工(仕事はおしまい)である。
アレンジは「アレンジという仕事」を受けてから新たに始まる。
そこからが「アレンジャーの仕事」なのだ。

また個人的にはオーダーを受けてメロの音数を増やしたことが気に入っていない。
音数を増やす前の方がメロディーとしては出来上がっている気がしてならないので、
どうもこれ以上直しをやるには気が進まない。

言うことを聞けば聞くほどどんどん曲が悪くなるように思えて仕方がないのだ。

そこで考えた。
このメロディーに愛情のかけらも持ってない人にいじられて曲がどんどんと悪くなるぐらいなら、
これをネットにUPしますので、
「この曲はいい」と思った人がご自由にお使い下さい!!

その方がせっかく生み出されたこの曲のためです!!

どうぞこちらからご自由にお使い下さい!!

Posted by ファンキー末吉 at:12:31 | 固定リンク

2010年11月22日

墓参り

こんな和佐田ツアーでもなければ
実家も引っ越してなくなってしまった香川県に来ることなどないだろうから、
岡山のライブの後に終電で高松の友人宅に向かった。

上原訓(さとる)・・・
私がコラムを連載していた「タウン情報かがわ」の
おもろいコーナーに投稿していた高校生だった彼は、
今や嫁も子供もいる立派な社会人である。

香川県に来るといつもこの上原邸に泊めて頂いている。
坂出で生まれ育った私でさえあまり聞いたことがなかった「三木町」という、
八王子のうちの辺りがどれだけ都会かと思うほどの田舎である。

どれぐらい田舎かと言うと、ある朝ひとりでジョギングに出た時の話。
よくある話で道に迷った。

上原邸の近くにはため池があったので
それを目指せば帰って来れると思ってたのが大間違い!!
香川県は基本的にため池だらけなのである。

困り果てて電話をした。
「私はどこにいるのでしょう・・・」
上原は言った。
「何が見えますか?」
ワシは答えた。
「田んぼしか見えません」
上原は言った。
「それではわかりませんねえ・・・
何か目印になるものが見つかったらまた電話下さい」

ワシは走った。
田んぼ道をひたすら走ったら信号のある交差点に出た。
電話をした。
「信号があるよ」
上原は冷静にこう答えた。
「それはそれは遠くまで行ったもんですねえ・・・」

そんな上原邸に久しぶりに泊めてもらい、
翌日上原の車でお墓まで送ってもらった。

SueyoshikenoHaka.jpg

この末吉家の墓は数年前に他界したうちの親父が作った。

両親が離婚して母親方に引き取られたワシは、
実は父親とは30年疎遠であった。

爆風スランプが高松に来れば宣伝カーを雇って自作の爆風うちわを配って廻るうちの親父が実はワシとは疎遠であったことを皆想像だにしない。
おふくろが子供の姓を変えまいと末吉姓のままでいたからなおさらである。

モンゴルの草原ロックフェスティバルに出演してる時に、
病院から親父がガンでもう助からないと聞いてまず思ったことが、
「ああドラマー家業でよかった」ということである。
特に中国では親のことはどんな仕事よりも優先されるので、
ワシは全ての仕事をキャンセルして香川県で親父に付き添った。
親父は再婚しておらず、私はたったひとりの子供なのだ。

親父が生きているうちに是非やっておきたかったことが、
「末吉家」というのは一体どうなっとるのかを調べることだった。

これはボケも入っていて鎮痛剤のモルヒネも効いている親父から聞き出すのは無理なので大変だった。

母方の親戚ならいざ知らず、
父方にも親戚と呼ばれる人はたくさんいたが、
彼らと大喧嘩をして故郷を飛び出した私には、
それが親父とどういう関係なのか皆目わからないのだ。

家を知っている親戚のところには直接会いに行って聞いた。
向こうはテレビなどで見て私のことは知っているが、
私にとっては長年の疑問、
「あのー・・・それでお宅はうちの親父とはどういう関係なんですか」
と・・・

1ヶ月近くかかってわかったことは、
親父には種違いの兄がひとりと、
両親を同じくする弟がふたりと、
腹違いの弟がふたりいることだった。

両親を同じくする親戚は私も幼少の頃から付き合いがあったが、
その他の親戚はあまり縁がなかった。
聞けばいろんな問題があって長くもめてたというのが原因であったようだ。

しかしどの親戚のところにも晩年の親父は出没していたところを見ると、
きっと親父はこの親戚を何とかまとめようとしているのではないか、
そう思って、何とか葬式には全親戚を集めることが出来たのは唯一の親孝行だったと思っている。

しかしこんな人間関係の問題より、
何よりも問題なのがこのお墓の問題であった。

おふくろが末吉姓を名乗っているのでまた話がややこしくなっているのだが、
普通だったら私は両親の離婚によって母の旧姓である柏木姓となり、
末吉家ではなく「柏木覚」という「柏木家」の人間となっていたはずである。
末吉家には直系の子供は私しかいないが、
まさか柏木覚さんが末吉家の墓を継ぐわけにもいかんじゃろう・・・

また「本家」だ「分家」だというわけのわからんしきたりがあり、
親父には両親を同じくする弟が近所にいて、
そこには立派に息子さんもお孫さんもいらっしゃるのだから、
親父が他界した時点でそれこそそこが「末吉家」なんだろうと思ってたら、
「うちは本家ではない、お前んとこが本家じゃ」
と言われても困ってしまう。

お前んとこって・・・私ですか?・・・

両親の離婚の時に「末吉家の財産を守るため」という名目で、
「子供を自分にもらえるなら」と全ての借金を背負って家を出たおふくろ、
おふくろは自分が死んだらどっかのお寺に位牌だけを預けるつもりのようだが、
私ゃてっきりその隣にでも自分の位牌が並べられるのかと思ったら、
何とこの末吉家の墓に入れと皆が言うのである。

じゃあおふくろは?と聞くと、
「あれは柏木家の人間だから関係ない」と言う。

なんぼしきたりでもそれはないんとちゃうん?

すぐ近所に一番「末吉家」を守っている弟がいて、
そこが「本家」となって先祖代々末吉家を守ってゆくのが一番「末吉家」のためだと私は思うのだが、
「弟は本家の墓に入れない」というしきたりがまたあるらしく、
もうその親戚は自分の立派な墓を作ってしまっているらしい。

香川県、そしておふくろの親戚にも聞いてみたら、
みんな「弟は本家の墓に入れない」と言うが、
誰ひとりとして「何故か」という明確な答えは持っていない。

困り果ててお寺さんに聞いてみた。
答えはこうである。

「仏教の考えにおいてはお墓に誰が入ってはいけないというのはありません」

つまり何か仏教以外の考え方により、
この狭い日本の国土に無数の墓が生まれ、
そのほとんどが継ぎ手がいなくて無縁仏化していると言うのだ。

「くれる言うもんやからもろとったらええやないか」
という知り合いの一言で私は意を決しておふくろにこう言った。

「仏教ではどのお墓に誰が入ってもええと言うから、
おふくろいっそのことあんたあの墓に入らんか」

私には姉がいて20歳で事故で亡くなっている。
だからおふくろはいつも遠く坂出まで行ってこの墓参りをするのだ。

「まあ親父のことは今でも嫌いかも知れんがのう、
俺も死んだらそこに入るからまた家族4人で毎日また親父と喧嘩しときぃ」

これで親戚がまた文句でも言おうもんなら私はもう知らん!!
この墓は誰も貰い手がいなくて無縁仏になるところを私が貰い受けたのだ。

私の自由に使わせてもらう!!

現在位牌は今おふくろんとこの仏壇にある。
おふくろは姉の位牌と共に末吉家代々の位牌、
そしてあれだけ嫌っていた親父の位牌にも毎日手を合わして拝んでいる。

墓問題はこうして解決したが、墓参りは・・・やっかいである。
もう誰も坂出では住んでないのだ・・・。

上原の家で不思議なものを見つけた。

UeharakenoMiniHaka.JPG

精巧なお墓のミニチュアである。
石も本物の墓石を使い、
本物の上原家の墓を細部まで完璧に再現している。

ワシは思う。
30万以上かかるというが、もう全ての墓はこれでいいのではないか(笑)
役に立たない悪しき風習よりも祖先を敬う心が大切なのだ。
「私のお墓の前で泣かないで下さい」
誰もあのごたいそうなお墓の中で眠っているわけではないのだ。

Posted by ファンキー末吉 at:16:59 | 固定リンク

2010年11月21日

秘密兵器「なかったコトに!」

現在和佐田企画の「秘蔵っ子ツアー」中!!

ワシのツアーは別名「美食ツアー」とか「食いまくりツアー」とか言われるので、
今回は旅のお供にこんなもんを持って来た。

Nakattakotoni.jpg

嫁の買い物について行ったら薬屋のすみっこに置いてあったのだ。
なんとネーミングの通り「食べたものを食べなかったことに」してくれるらしい・・・

本当は食事の前に飲んでくれと書かれているが、
往々にして食べ始めてから思い出すので、
現在食事中にこれを飲んでいることが多いが、
それでも一応毎食これを食べているので、
きっと帰る頃には「何も食べなかったことに」なっているのだろう・・・

そう考えるといきなり食後でも腹が減った気がするが、
それはいくらなんでも気のせいだろう・・・(笑)

Posted by ファンキー末吉 at:18:30 | 固定リンク

2010年11月19日

江川ほーじん6DAYS初日終了!!

いやー今回改めて思ったのは
「江川ほーじん」という男のミュージシャンからの評価のされ方である。

毎月山ほどの機材をひとりで運び込んで片付けて帰るほーじんを見て、
「ほな何日か連続で演ってみたら?」
と提言したものの、気がついたらブッキングするのはワシである。

とりあえずドラマーを中心にいろんなミュージシャンに声をかけてみたのだが、
みんながみんな「それは光栄だ」という反応である。
中には「僕なんかでいいんですか?」という反応もちらほら・・・

少々年齢差はあっても同じ時代を同じく第一線で駆け抜けたミュージシャン達に、
ある種の「気後れ」まで与えてしまうこの男は一体何なんだろう・・・

ある時期は一緒に生きて来たワシではあるが、
その後「売れる」という洗礼を受けてからある種「芸能人」として見られている部分がある。
初日にワシとトリオでやろうとお誘いした米川英之くんもそうである。

ところがほーじんはそれを経験していないのでそのまま「知る人ぞ知る」ミュージシャンズミュージシャンとして君臨しているのではないか・・・

ワシや米川くんはやり残したその世界を取り戻そうと今の人生を送っているのではないか・・・

そんなことを考えながら入り時間の相談。
「何時に入る?」
携帯も持たずにいきなり旅に出たりする男である、
密に連絡を取るのは至難の業であるが、何とかつかまえた。

「うーん・・・PAも運び入れるから1時かな・・・」

米川くんに伝える。
「ほーじんはまた例によって山ほど機材入れるんで1時に入るそうやけど、
米川くんはまあ4時ぐらいでええよ」

そうすると米川くん、
「え、ほーじんさんがそうなら僕もフルセット持ち込みます!!では2時に!!」
ってあーた達、雑居ビルにそんなに爆音機材持ち込んでどうするつもり?!!(涙)

結局ほーじんが持ち込んだPAは1200W、
ベースアンプはなんと3200W、
店潰す気か・・・

客入れをした時に気がついたが、
当然ながらその爆音のアンプの前に座る奴がいるわけだ。

それがこいつ・・・

HojinKaburitsuki.jpg

別にそこしか席が空いてないから仕方なく座ったのではない。
自ら選んでその席に座っているのである。

ドMとしか言いようがない・・・

うちの店はステージの上手側と下手側に客席が別れているが、
まあ下手側は下手に位置する米川くんのファン、
上手側は上手に位置するほーじんのファンとびしっと別れるとするならば、
ワシに言わせればわざわざ選んで上手に座る客はみんなドMである。

演奏が佳境になってベースソロでほーじんがディストーションを踏んだ。
「ギャー!!」
客が耳を押さえて絶叫する。
ヤツのアンプはベースアンプと言いながらフルレンジ、
ツイーターまで完備する全音域型アンプなのだ。

3200Wでバリバリのディストーションを鳴らされたら、
ひとりだけ生音のワシは命がけでドラムを叩くしかない。
ベースソロが終わってギターソロを弾けと目で合図するが、
ほーじんは自分がディストーションを切ってないことに気づいてない。
恐る恐るソロを弾き始める米川くん、まるで音が聞こえなくてあきらめる・・・(笑)。

いやーもの凄いセッションでした。
前回の江川ほーじん山本恭司ファンキー末吉のトリオを彷彿させる。

あと5日間、日本を代表するいろんなドラマーが彼とバトルを繰り広げる。
「ファンキーさんもまたやって下さいよ」
とファンに声をかけられたが、
「一日でよかった・・・」
がワシの感想である。

なーにまた近々一緒にやるだろう。
今日ゲストで呼ぼうとしてたポールが体調万全ではなかったため、
「今度日を改めて自分のレパートリーをやる日を作ろうよ」
ということになっている。
ほーじん、二井原、他近所のミュージシャンを集めて近々ポールDAYもやるぞ!!

Posted by ファンキー末吉 at:11:19 | 固定リンク

2010年11月16日

いっぱい仕事したどー!!

昨日いち日ふて寝したので今日は働いた。

まず午後からラップ歌手のミーティング。
散歩も兼ねて歩きとバスと地下鉄で相手の事務所まで向かう。
1時間ちょいということはこの貧民街は日本で言うと八王子ぐらいの位置にあるのね・・・

着いたらラップ歌手はギタリストを連れて来ていた。
今彼が一緒にいろいろDEMOを作っている相方だ。

通常こういう場合は話がややこしくなる。
会社が選んだプロデューサーより、
いつも一緒にやっている人間の言うことしか聞かなくなるというのはよくある話だ。

しかしこのギタリスト、苗佳(Miao Jia)張楚(Zhang Chu)のバンドでも一緒だったし、
今まさにレコーディングしようとしている紅焼肉楽隊のギタリストでもある。

RUN DMCがエアロスミスのWalk This Wayをカバーしたように、
「X.Y.Z.→Aのカバーやんなよ」という意見にも一緒に飛びついて来る。

事務所の社長も飛びついて来た。
この事務所の社長も古くからの友達である。

金を出すのは事務所だが、
その事務所の人間が全面的な信頼を置いてくれるということは非常に仕事がやりやすい。

じゃあ帰ろうと思ったらもうひとり来るから待ってくれと言う。
待ってたら別会社のDである。

きっとこのプロジェクトに投資してるのか何かであろう。
彼には数年前「ロックのオムニバスを作るぞ!!」と声をかけられ、
あてにしてX.Y.Z.→Aの中国語バージョンまで作って企画が流れてしまっているので貸しがある。

「ファンキー、NewB(牛のおま○こ、つまりファッキングレートの意)なRockアルバムにしてくれよ」
の一言で終わる。

ここで全ての関係者のベクトルがひとつに集約した。
「ファンキーに頼めば世界レベルのRockになる」
これだけである。

知り合い以外が関係者にいない、
この状態をなし得るまでにワシは20年の月日を費やしている。
ロック界でファンキーを知らなければ「モグリ」なのである。


あと重要なこと、事務所と契約書を交わしてサインした。

これは昔にはなかったことだが、
金の支払いまでちゃんと明記されており、
明日にはちゃんと前金が振り込まれるだろう。

仕事成立!!

別れ際に苗佳(Miao Jia)がワシの肩を抱いてこう囁く。
「ファンキーさん、いろいろ助けて下さいね」

ワシは言う。
「助けてもらいたいのはこちらの方さ。
ラップ歌手とワシの間に立っていろいろよろしく頼むよ」

彼は言う。
「いやいや、僕はいろいろあなたから学びたいんです」

どうも金ももらうつもりはないようだが、
いやいやちゃんとギャラは払いますよ。
プロデュースの名前に一緒に連ねてもいい。
こういう損得なしで燃えている人材が一番必要なのよ!!


みんなと別れて張張を訪ねて行った。
彼がプロデュースしている歌手のアルバムのミックスをファンキースタジオ八王子でやりたいと言うのだ。

中国のデブでも日本のデブでも仕事をくれるデブはいいデブである。
(鄧小平の白猫黒猫の理論より)

別にデブは今日のレコーディングが終わったらデータを持って来ると言うのだからわざわざ行かなくてもよかったのじゃが、
その歌手というのが会ったことのない人なので、
これは一度脅しをかけに・・・いや、ちゃんと面通ししに行かねばと思ったのだ。

想像するにこのプロジェクトはその歌手が自分で金を出している。
そしてどんな人間にも「感情」があり、中国人は特にそれが強い。
大事な金を払う相手をちゃんと見極めておきたいというのは人情である。

そのスタジオとやらは初めて行くスタジオだったのじゃが、
そこのエンジニアがワシのソロアルバムを聞いて育った世代だった。

「やっぱりファンキーさんでしたか。あのアルバム聞いてました。
一緒に写真を撮って下さい」

こういうシチュエーションはその金を出す人に大きな安心感を生む。
すかさずデータの受け渡しについていろいろ打ち合わせをし、
ミックスの方向性、特に中国のマーケットにどう合わせるかを話し合う。
この辺は外国人ではまず出来ない技なので先方には更なる安心感を生む。

最後に金の支払いについて話をして終わり。
みんなワシが必ず前金を取るのを知っているのでそれも尊重してくれる。


院子に帰ってしみじみ思う。
ワシは20年ここにいるからそれが出来るのだ。

どんなところにでも10年頑張れば地盤が出来、
20年頑張ればそれなりの地位が出来る。

日本やアメリカに仕事を振る時に、
「高いだろ」
と言われたら必ずワシは
「中国値段でいいよ」
と言う。

「悪いねえ・・・」
とみんな言うが実はわかっていない。
不景気のどん底であがいている日本より、
ドル安であがいているアメリカより、
バブルまっただ中の中国の方がヘタしたらギャラが高いのだ!!

まあ今は円高なので両替して持って帰ろうとは思わない。
突然没収されるリスクはないとは言えないが、
北京のスタジオの維持や何やらこちらでも金が出てゆくのだから仕方がない。

日本政府よ!!円高をいつ止めてくれる!!!

ま、どっちでもいいけど・・・

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2010年11月15日

ふて寝するしかないなあ・・・

北京に帰り着いた。
寒い・・・

もともと今日は紅焼肉楽隊のレコーディングであった。
しかしドタキャン。

もともとBeiBeiのレコーディングとスケジュールの取り合いをしてたんだから、
じゃあBeiBeiのをやるかと思ったら北京にいない。

じゃあラップ歌手のShuangzのアルバムから着手するかと思ったら連絡が取れない。

3つのアルバムを同時に録ろうと言うんだぞ!!
ワシが北京にいるうちに少しでもドラムを録っとかにゃおらん時にダビングとか出来んじゃろ!!

というわけで3つとも停滞・・・
ということは3つともまたいっぺんに始まるということなのだ・・・

なんでこうスケジューリングがうまいこといかんかのう・・・
全てが行き当たりばったりやから仕方ないが・・・

それをうまく処理しようとあがいてるからあかんのやな。
こっちも行き当たりばったりでやらな噛み合ん!!

次に北京に来れるスケジュールを見てみたら、
秘蔵っ子ツアーが終わって五星旗オリジナルのライブをやった翌日。

今回日本に帰ってすぐ秘蔵っ子ツアーに出て、
帰ってまたすぐ北京に飛んだら今月は全然家庭におらんっつうことやないの!!

いかんいかん、いくら仏の嫁でも鬼の嫁に変身してしまうじゃろ・・・

爆風のライブが終わった後は数日空いているが、
全中国ドラムクリニックがここで上海か広州を入れようとしている。

一ヶ月前に行き当たりばったりのスケジュール入れるんやめようや・・・

そこがダメなら次の週末と言うが、
クリスマスっって飛行機高いやろうしやめようや・・・

みなさんねえ!!
ワシに仕事して欲しければちゃんとスケジューリングやろうよ!!
いついつからいついつまでってまずスケジュール押さえてから、
やるべきことは先先にやって、後は飲むなり遊ぶなりすればええんとちゃうの!!

っつうこってふて寝!!

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2010年11月14日

全中国ドラムクリニックツアー2010年 陝西省「西安」

西安許魏を生んだロックの街である。
私は2006年に彼のコンサートで一度やって来ている。

その時に一番印象深かったのがイスラム寺院がある回民街。
ここは地元の人達にも絶賛のイスラムフードが食える街である。

西安空港で合流した沙泳江が
「空港から直でそこに行こう」
というので直行した。

夜来るのは初めてである。

Vision2010XiAnHuiMinJie.jpg

敬虔なイスラムの店が多く、店内にはこんな看板が・・・

Vision2010XiAnYanJinYinJiu.jpg

「とりあえず酒飲まずに何軒かハシゴして美味しいもん食べて、
それからどっかでビール飲もうや、な!!」

よっぽど食いたいものがあるらしい・・・

Vision2010XiAnChaoFanRouChuan.jpg

最初に入った店ではまずこれ!!
名物のチャーハンと羊肉串。

ビールなくて食うのってある種拷問なんですけど・・・

Vision2010XiAnSuanTangJiaoZi.jpg

そして「これだけは何があっても食わないかん!!」
という「酸湯餃子」

辛くて酸っぱいスープに餃子が山ほど積まれている。
イスラムなのでもちろん豚肉ではなく羊肉である。

皮を箸で破ってスープと一緒に食す。これ絶品!!

また彼がこれをお替わりしたりするもんだから完璧に満腹。
いや、実は1軒目で既に満腹だったのじゃが、
酸湯餃子があまりにも美味しくて更に食ってしまったので撃沈しているのじゃ。

2日目は朝から全然腹が減っておらず、
昼過ぎに鳴って名物の「羊肉泡馍」

これは前回の許魏の時にも説明したので今回はパス。
ただこの「馍」が腹の中で膨れて半日ずーっと満腹感が続くという、
恐ろしく腹持ちのいい食い物なのじゃ。

Vision2010XiAnSetting.jpg

会場に着いてばたばたとセッティング。
今回の会場は楽器屋の小ホール。
だいたい5時までピアノの発表会で使ってて6時から本番を始めようというのだから無理がある。

また客が入った!!

Vision2010XiAnAudience.jpg

「今日は600人ぐらい来るよ」と言ってたがそんなにいるか?・・・
どの道各地の反日デモの人数よりは多いだろう。

各地のパール倶楽部、すなわちドラム教室の主催なので
そこの生徒である子供達が中心なのだが、
西安ではロック少年が多かったように思える。

許魏の出世作「時光漫歩」は「日本人ドラマーファンキー末吉」の出世作でもあるのだ。

許魏の音楽を愛して育った全中国の若者が、
政府の陰謀に加担して反日デモに駆り出される。
君らが愛する中国ロックは、このひとりの日本人ドラマーと一緒に作られたんだぞ!!

今日はそんな気持ちをドラムに込めて叩いたぞよ!!

ファンキー末吉ひとりドラムツアーの軌跡(こちら

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2010年11月13日

あわや飛行機乗り遅れ・・・

二井原R&Bライブ終了!!

いやー二井原の歌、JAYくんの歌のみならず、
各プレイヤーの腕が一流で鳥肌もんの演奏でした。
これがみなさん初見で出来るんやから世界的にも有数のプレイヤーやと思います。

痛飲!!!
そしてハシゴ酒!!

「ファンキー、明日はどうやって関空行くの?」
と二井原が聞くけれど、
「ふ、ふ、ふ、ミナミにはバスターミナルがあってなあ、
東京で言うたら箱崎バスターミナルみたいなもんや!!
そこ行ったら50分で関空まで行けまんがな!!」
と自慢たらしく喋ってたが、
それは「ちゃんと時間通りにそこに着けたら」の話である。

「もう飲めん!!もう食えん!!」
になったのが4時ぐらいかな、
そっからホテルに帰ってそのままベッドにごろん。

今思えば「そのままごろん」が結果的によかった。

iPhone2台を6時に目覚まし合わせて熟睡!!
ところが目覚めたらもう8時43分!!!
飛行機はなんと10時発!!

通常空港にはフライト2時間前に着いてなければならんが、
目が覚めた時点でもう1時間17分前である。

反射的にiPhone2個を持ってリュックを背負い、
トランクを引きずってフロントにルームカードを放り込んで外に飛び出す。

あいにくと外は雨、前の道にはタクシーはおらず、
仕方がないので御堂筋までダッシュ!!

タクシーに飛び乗って「関空まで!!」と言う。
あまりの慌てように運転手さんが
「何時の飛行機なんですか」と聞くが、
「10時です」と答えたらそこで会話が止まってしまった。

この時点でもう9時である。
バスで50分かかるならタクシーで30分か?
いや、無理やろう・・・

通常国際線のチェックインはフライト30分で閉まってしまう。
これは実際乗り遅れたことのあるワシが身をもって知っている。

通常乗り遅れたら裏技で次の日の同じ便に換えてもらう。
数万円のキャンセル料がかかるが、
それでも新たにノーマルチケットを買うよりは全然安い。

ところは今回は北京経由で西安まで飛ばねばならん。
つまり乗り遅れたらすぐ後の便を正規料金で自腹で買って、
北京乗り換えが間に合わなかったら西安までも自腹で買って、
結局20万近い金が飛んでゆくでないの!!!

高い飲み代やったなあ・・・

「そうや、夕べはぼったくりバーに行ったんや」
とかいろいろ言い訳を考える。
貯金の残高を考える。

でもちょっとおもろいからTwitterネタで投稿する・・・(涙)・・・

そんなこんなしているうちに運転手さんがこう言った。
「35分ぐらいには着きますよ」

ダメもとで飛び込みで入れてもらうしかない。
着いて料金払ったらそのままダッシュ!!
ANAのカウンターで「10時のフライトです!!」と叫ぶ。

何と滑り込みセーフ・・・

一緒に搭乗口まで走ってくれたお姉さんが息を切らせながらこう言った。
「荷物担当の人がいい人だったんで特別に乗せてもらえたんです」

ANAにまた助けられた!!
日本経済のためにはJALの再建のお手伝いもしたいところじゃが、
やっぱワシはANAに乗るぞ!!!

Posted by ファンキー末吉 at:12:22 | 固定リンク

2010年11月11日

オイラのiPhone4にSIM3つ!!!

iPhone4TrilpeSIM.jpg

ふっふっふ・・・ここで買ったのさ!!!
来年の週刊アスキーレポート用に持って来いのネタだわさ・・・

もちろんSIMフリーのiPhone4じゃないと使えないけど、
オイラの場合は中国用データ通信SIM(China UNICOM)と
日本用データ通信SIM(b-mobile)をメインに、
日本にいる時にはあまり使わないが仕事の電話が来るので待ち受けしとかねばならない中国の携帯のSIMを挿し、
中国にいる時はあまりかかって来ないが日本からの電話用のSoftBankのSIMを挿し、
Wi-Fi環境がある時は常に電話のSIMに切り替えておいて電話を待ち受けし、
Wi-Fiじゃないところでデータ通信したい時にだけデータ通信用に切り替えるのさ。

そしたらどんないいことがあるかと言うと、
例えば日本のSoftBankでは毎月データ用と電話用とが合わさって、
毎月8000円がとこの通信料を取られてるわけだけど、
b-mobileでデータ通信して使い放題で月2000円足らず、
SoftBankをiPhoneの契約解除してネットを使えないようにしてしまえば、
通話料だけで月1000円ちょっとで電話専用になる。

オイラの場合もう2年の縛りは終わってるもんね。
さっそく朝一番でiPhone用の契約解除するもんね。

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2010年11月 9日

レコーディング3本

中国で「仕事」と言ってもそれが即「仕事」となることは少ない。
昔は「胃袋で仕事する」と言われてたように、
まず一緒にメシを食って、そしてやっと「仕事」になったのだが、
もう中国に来始めて足掛け20年にもなると最近はそれもない。

その代わりやっぱり「話半分」に聞いてないとダメである。
「これをやるから頼むよ」
と言われてそのまま順調に仕事になることは少ない。


ラップ歌手のアルバムも全然動いていない。
「じゃあお金提示して」
と言ったら全然よりつかなくなるのだ。

しかしもう「契約した」と言うからあと一歩だろう。
「お話ししたいことがある」とまた呼び出されている。

そんな時は
「毎日院子でレコーディングしてるからお前が来い」
と言っておく。
いちいち付き合ってちゃ身が持たない・・・


昨日は張張紅焼肉楽隊を連れて来た。

というより
「僕も紅焼肉楽隊に入ったんだ。
メンバーはこれで全部、つまりドラマーがいないんだ。
ロックと言えばファンキーさん、是非ドラムを叩いてくれないかなあ・・・」
と言う。

じゃあとりあえず音を出してみよう・・・
ということでレコーディングスタジオにアンプやらPAやらを持ち込む。
うちも別部屋にちゃんとリハーサルスタジオを作っておいたのだが、
隣の布衣のリハスタでやった方が早いので今では倉庫になってしまっている。

RehearsalInYuanz.jpg

Wyn Davisの「ブースには物を置くな」という言いつけを守って、
最初はがらんとドラムだけだったのが、
ギターダビング用にアンプは数台起きっぱなしだし、
ベースアンプからPAまで来てしまったらちょいと狭い・・・
部屋鳴りを重視してドラムを隅っこに置いてないのでなおさらである。

しかし八王子のスタジオで8人でリハーサルしたことを考えるとまだマシである。

リハが終わり、「じゃあこんな感じでアルバム1枚録ろう」ということになって、
張張にちょいと耳打ちした。

李漠(LiMo)の話、聞いたか?
メンバーがちゃんとレコーディングfeeについて話し合ってないと、
結局契約は歌手名義になって一銭ももらえないということになりかねんよ。

中国は印税がないので、収入は全てライブでの収益にかかっている。
しかしレコーディングして発売されたアルバムが歌手名義になると、
ライブも歌手名義になって、そのギャラをバンドで等分する歌手は少ない。

来週からレコーディングしようという話になっているが、
どうせまた金の話がちゃんと出来なくて延びてゆくのだろう・・・


ちゃんと順調なのは今日からレコーディングが始まるBeiBeiの2ndアルバムだけである。

順調と言っても
「2枚目作るぞ!!」
と言い出してもう半年ほど経っているのでその程度のものなのだが・・・


また中国では実際に仕事が始まったら〆切が異様に早い。
(まあ始まるまでもたもたしてるんだから当たり前なのじゃが・・・)
だからきっと年末はこの3つのレコーディングを同時にやってるような気がする・・・

とりあえずやっつけられる仕事からやっつけてしまおう・・・

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2010年11月 8日

全中国ドラムクリニックツアー2010年 江蘇省「徐州」

徐州の呉老師もほんとワシのことが好きなのか、
単に担当者の沙泳江のことが好きなのか、
山東省のツアーにも車を飛ばして遊びに来ている。

今回も車で迎えに来ると言ってたが、
列車移動になってよかった。
睡眠不足なのよ・・・

そしてその列車は何と寝台車!!
眠れるではないか・・・

しかし軟臥(特等寝台)ではなく硬臥(2等寝台)。
長い距離を走る列車なので既に誰かが寝た後・・・

硬臥(2等寝台)は3段ベッドで、渡された切符は一番下。
担当者の沙泳江は別の車両ということで
「くれぐれも荷物に気をつけろよ」
と言い残してとっとと行ってしまった。

荷物は大事じゃが睡魔には勝てず爆睡!!
終着駅ではなかったが早起きして無事に徐州に降り立った。

まず最初に連れて行かれたのが牛肉湯鍋!!

Vision2010XuZhouNiuRouTangGuo.jpg

この牛肉スープが絶品で前回も是非連れて来たかったが閉まってたということである。

Vision2010XuZhouNiuRouTang.jpg

この絶品スープに焼きたてのナンを入れて食す!!

Vision2010XuZhouShaoBing.jpg

いやー絶品絶品!!

というわけで満腹のまま会場に着いた。

Vision2010XuZhouPearlClub.jpg

オーディエンスは子供達。

Vision2010XuZhouAudience.jpg

ワシはこの活動をもう「全中国青少年ロック化活動」と呼ぶことにした。

さてお決まりのドラム演奏とサイン会を終えて、
もう手ぐすね引いてたように打ち上げ!!
呉老師、ほんまにワシらのこと好きなのね・・・
まるで飲む理由を作るためにブッキングしているかのようである。

打ち上げ会場

Vision2010XuZhouUchiage1.jpg

いやーさすが呉老師!!ワシの好きな感じの店を知っている!!!
中国ってほんま高級な店になればなるほど不味いのよ。
現地の人が行くこのような店が一番美味い!!!

絶品だったのが羊の腸の激辛炒め!!

Vision2010XuZhouYangChang.jpg

ビールが進むー!!って感じである。

Vision2010XuZhouJiXue.jpg

鶏の血の煮こごりとか、変わったモノも食べられてご満悦だったのじゃが、
「よし!!次は羊肉串に行くぞ!!」
というのでぶったまげた。

この人達・・・どこまで食う気やろ・・・

Vision2010XuZhouUchiage2.jpg

また連れて行かれたここがワシの好きな感じ!!
こんなところで食う羊肉串は美味いに決まっている!!

羊肉串から羊のキンタマ、

Vision2010XuZhouYangBao.jpg

最後には羊のおちんちんまで出たぞよ!!

Vision2010XuZhouYangJiBa.jpg

いやー飲んだ飲んだ!!食った食った!!!
この日はこのまま夜汽車で北京戻り。

今回はハードなスケジュールじゃった・・・

ファンキー末吉ひとりドラムツアーの軌跡(こちら

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全中国ドラムクリニックツアー2010年 河南省「新郷」

今回のツアーは移動が過酷である。

「北京西駅6:50の列車に乗れ」
このミッションからツアーが始まる。

もともと田川ツアーで三井はんに笑かされて寝てない上に、
20年振りに会ったSと朝まで飲んでそのまま北京に来て、
そのままスタジオに入って映画音楽の仕上げをし、
次の日の朝5時半には出発せねばならないのだ。

もちろん同伴者はいない。
ひとりで現地に行かねばならない。

切符を見ると「北京ー新郷」となっているが、
乗った列車は「鄭州」行き。
この「新郷」というのがどの辺に位置するのかわからない。

寝たらあかん寝たらあかんと思いながら乗ったらすぐ熟睡・・・
目が覚めたところがどこなのか、
果たして乗り越したのか、あとどのくらいなのか皆目わからない。

iPhoneのマップで位置情報を検索しながら、
何とか新郷駅に降り立った。

迎えに来たのは平頂山の王老師!!
平頂山からは車で2〜3時間かかるはずなのじゃが、
王老師はただワシを駅まで迎えに来るためだけに車を飛ばし、
ワシを会場でもあるホテルに送り届けたらまた車を2〜3時間飛ばして帰ってしまった・・・


鄭州でのPairのライブ
にも来てくれたし、
ほんまにワシのこと好きなのね・・・(涙)・・・

さて会場はホテルの中である。

Vision2010XinXiang.JPG

垂れ幕のワシの顔の大きさに表されてるように、
会場もかなりでかい・・・
数百人は入るであろうか・・・

各地で行われているという反日デモの人数より多いぞ・・・

元々のスケジュールは終演後に次の開催地である徐州の呉老師が迎えに来て、
夜走りで車で移動ということになっていたが、
予定が変わり列車移動ということでホテル泊まり。

新郷に着いてホテルに直行し、昼飯もここで喰い、
会場もホテルの中、終演後の宴会もホテルのレストランということで、
今回は何と一歩もホテルから出ていない。

お決まりの地ビール!!
Vision2010XinXiangBeer.jpg

地元名物羊肉煮込み!!
Vision2010XinXiangDunYangRou.JPG

数ある料理の中でもおいしかったニラまん!!
Vision2010XinXiangJiuCaiBaoZi.JPG

たらふく食べていっぱい飲んで、
移動時間もいらないのでそのまま部屋で寝てたっぷり睡眠が取れる・・・

・・・と思ったら翌日は4時起きで出発のスケジュール・・・なんつうスケジュールじゃ!!

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2010年11月 5日

Sからの贈り物

昔いっしょにつるんでいたSから突然メールが来た。

「末吉さんご本人にどうしても連絡が取りたい事があり、
どこに連絡すれば良いのか分からなく、こちらにメールしました。
お手数ですが、ご覧になられましたら、
以下の連絡先を末吉さんにお伝えいただけますでしょうか」

おいおいそんなにかしこまらんでもこのメアドはワシ個人のやぞ!!
というわけで懐かしくなってその連絡先に電話をした。
なんと20年振りである。

「おうっ!!久しぶりやないかい!!何やってんねん!!」


Sは当時17歳、同じアミューズのタレント部門所属だった。

もともとワシに引き合わせたのはまだ売れない頃の福山雅治だったのだが、
当時ふたりともそれはそれは金がなく、
武蔵小山のJazz屋で会うといつもふたりに酒を奢ってやってた。
覚えてないがS本人曰く、「毎日奢ってもらってた」そうである(笑)

どちらも当然ながらイケメンなので、
それを肴に女の子を呼び出そうと、
「今から飲み来んか? イケメンも一緒やでぇ」
と電話をしても
「どうせ福山とかSとかでしょ」
と言って相手にしてもらえなかった、そんな時代である。

当時ぺーぺーで仕事も何もない福山と違って、
テレビ等にレギュラー出演していたSの方がまだ売れてたのだが、
そこは体育会のワシら、先輩の福山がいつもSの面倒を見てたのを覚えている。

福山もあんな甘いルックスのくせに非常に男気のある奴で、
ワシも個人的には大好きだったのだが、
ちょっと「不良」が入ってたSのことは「ほっとけない」というか、
結局うちに泊めたり連れて飲み歩いたりしていた。

ひどい時は
「おい、今から金沢のおもろい友人がおるから訪ねて行くぞ!!」
若い衆集めて当時のマイカー「ダットラ」とオンロードのバイク
(当時はオンロード、オフロード、アメリカン、サイドカーと4台のバイクを所有してた)
と並走して関越自動車道をぶっとばした。

要は自分がバイクに乗りたいというだけで、
でも疲れたら車にも乗りたいので、
バイクの免許を持っているSが便利だったのである。

金沢でしこたま飲んで、
「ほなワシは飛行機で帰るわ、お前バイク乗って帰っといて!!」

Sは彼の身体よりひと回り小さいワシのツナギを着せられて、
窮屈でアザが出来る思いをしながら徹夜でバイクを転がして、
東京でいち早く飲んでいるワシのとこに届けてこう言った。

「末吉さん・・・かんべんして下さいよ・・・」

かんべんするどころかワシの傍若無人は止まらない。
2丁目のオカマバーにハマってた頃は、
「おいお前、あの人達はなあ、俺たちなんかより凄い人達なんじゃ。
人間を越えとるんじゃ!!お前も勉強しに来い!!」
とか何とか言って連れてゆき、
お化け屋敷のようなオカマ達に囲まれながらSが本気で
「末吉さん・・・かんべんして下さいよ・・・」
と言ってたのを覚えている。

同じように福山もオカマバーの洗礼をと連れて行ったが、
本当に「かんべんして下さいよ」と言って二度と寄り付かなかったのと違い、
何故かSは何度も何度も「かんべんして下さいよ」と言いながら、
結局はいつもいつも一緒にいたんだから大したものだ。


そんな中、
「軽井沢に友達がペンションやっとるからツーリングに行くぞ!!」
とまたSを呼び出し、
みんなで山道を攻めて走ってた時、
カーブを曲がり切れず、Sがトラックと正面衝突した。

現場に駆けつけて救急車を呼んで、
病院に運んだのを覚えている。

幸い骨折と全身打撲ぐらいで大事には至らなかったが、
それ以来なんとなく疎遠になってもう20年・・・
とりあえず翌日会う約束をして電話を切った。


ほどなくメールが来た。

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末吉さん、電話有難うございました!!!

20年、本当にあっというまでした。
どうしても悔やまれていた、バイク代、
富士銀行時代の通帳等と共にやっと、明日、お渡しできます!!!
飲み代、ぷらっとこだまに乗り遅れた交通費の足しにして下さいませ(*^_^*)

バイクで事故をした後、意識を取り戻し目を開けると、病室で末吉さんが、
「おまえはあほやの~。」と笑って言ってました。

武蔵小山マンションのウォーターベッドで寝ていると、
「そこは俺の寝床じゃ!どけ~!」と怒って起こされました。

音楽したいんです!って相談したら、
「ぼちぼちいこか」をきけ~!っと、関西ラグタイムのアルバムは、
今、お借りしたまま私の自宅にあります。

時代と共に変わっていかなきゃいけないものだらけの20年でした。

末吉さんは、
時代には関係なく変わっちゃいけないものを20年保ち続けた男前な先輩でした。

成功しようがしまいが、男前な生き方を示した先輩と、
若き日に時間を共有できた事は、私にとってかけがいのない宝物です。

末吉さんの20年は、過去のメルマガを全部通読させて頂きました。
その文脈の奥に、文章にならない数々の想いが伝わって、涙がたくさんこぼれました。
この方は、本物やと。。

末吉さんの熱い人生(音楽)との取り組みを私も誇りにして、
自分の人生(仕事)に精進しております。

これから先は、受けた恩を少しでもお返しします!
どこまでできるかわかりませんが、
日本にいらっしゃるオフの日は、大江戸温泉にご一緒させて下さい。
(大江戸温泉代くらいは!稼ぎます!!!)

末吉さんがへたって日本に帰ってきて入院して、意識を取り戻したら、
「あほですね~、養生せんからですよ~!養生してくださいっ!」
と、病室で笑って話しかけたいです。

明日、お会いできるのを楽しみに!

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何故か涙が出て来て止まらなかった。

あの頃俺はなんであんなに狂ったように遊んでたんだろう・・・
まるで芸能人というクソっ食らえな職業で稼いだ金が憎いのかというぐらい、
毎日毎日湯水のように金を使い、
何千万あった預金は1年でゼロになり、
税金が払えなくなってアミューズに借りに行ったらこう言われた。

「そりゃお前から取りっぱぐれる心配はないから貸すことに問題はない。
でもこれは友人として忠告する、その生活を改めよ!!」

ワシもその数年後にはアミューズをやめることとなるが、
Sはこの頃にはもうアミューズをやめている。

大組織の中でうまくやってゆけず、
完全に浮いてしまっているこんな人間とつるんでたから感化されてやめてしまったのか、
もしくは同じような人間だからつるみだしたのか、
それは今となってはわからない。

テレビにもよく出ていたSはその後職探しにも苦労したようだ。
どこに行っても「芸能人」というのはついてまわるのだ。

このワシがどこに行っても爆風スランプがついてまわるのと同じように・・・

芸歴を隠して就職し、
今では裸一貫で会社を起こして頑張っているという。

20万という金は、返せそうな額で実はやりくりするのが大変な額である。

「それをぽんと返せるということは
ちゃんとまっとうに生活出来るようになったということなんだな!!」

ワシはありがたくその金をちょうだいした。

「今日は僕が奢ります」と言うSを制止してワシは言った。
「アホか、もし俺がおちぶれてお前が大金持ちになったとしても、
永久に俺はお前の先輩や、後輩に奢られてたまるかい!!
お前はまたお前の後輩に奢ったったらええねん!!」

昔ほど豪遊する金はないが、
Sと20年振りに朝まで飲んでそのまま羽田から北京に飛んだ。

金の問題ではない。
あいつはもっと素晴らしい利子をいっぱいつけて俺に返してくれたのだ。

同じ爆風のメンバーが同じように儲けた金でいい車を買ったり別荘を買ったり、
結局俺だけが家も売って金もなく・・・

でも俺にはこんな素晴らしいものがあったんじゃないか・・・

ありがとな!!S!!
昔ほどはアホ出来んけどまた飲もうな!!

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2010年11月 3日

ポール(梅原達也)

今回のツアーは44マグナムのポールこと梅原達也が、
何と京都と大阪の2本、遊びに来てくれてステージで一緒にセッションした。

彼がパーキーソン病にかかり、
それでも頑張って歌い続けていることは皆の知るところである。
関連動画

久しぶりに会った彼は少し元気そうでちょっとだけ安心した。

しかし現代医学を持っても完治は難しいという現代の奇病である。
薬とかでちょっと状態がいいだけで決して治っているわけではない。
このまま病気が進行すれば、歌うどころか動くことすら出来なくなるのだ。

京都では風邪気味だったのでお先に失礼したが、
大阪では最後までゆっくり一緒に飲んだ。

昔話に花が咲く・・・

関西メタルブームのまっただ中、
他のバンドより頭ひとつ抜きん出てそのブームを牽引してたのが44マグナムである。

爆風スランプの「たいやきやいた」という曲の前口上でいつも、
「アクションはおじんだ!!
ラウドネスは天狗だ!!
そして44マグナムはバカだ!!」
と叫んでいたが、
実は私は彼らとは面識がなかった。

何かの映像で彼らを見た時、
「ヤバいぞ、これは・・・こいつら・・・ハンパじゃない・・・」
と思ってマジでビビった。

折しも関西のメタルバンドが東京のライブハウスに乱入し、
東京のバンドと血みどろの喧嘩が起こっていた頃である。
こんなことをステージで言ってたらそのうち標的にされ、
俺はきっと奴らに殺されるんだ・・・と本気でビビった。

「よし!!何とか本人達と仲良くなろう!!」

末吉ならではの処世術である。
パール楽器を通してまずドラムのジョー、
そしてその近所に住んでいたジミーとバン、
最後にボーカルのポールにやっとたどり着いた。

九段会館でのコンサートの時、
「ステージを見に来てくれ」
と言って本人の前で「44マグナムはバカだー!!」を絶叫した。

マグナムが解散してからも時々飲んだりしてたし、
パーキーソン病を煩ってからもポールポジションで一緒にツアーを廻ったりしていたが、
今回ひょんなことからライナセロスの話が出た。

「ほーじん元気かなあ・・・」

バンドをやってるといろいろある。
ほーじんも爆風銃への書簡で言ってるように、
爆風だっていろいろあった。
ある時期ほーじんと私が憎み合わねばならなかったように、
ポールとほーじんもいろいろあったと聞くが、
なーに年をとるということは素晴らしいことである。

いやなことから忘れてゆくのだ・・・

私は迷わずすぐにほーじんに電話をかけた。
携帯も持たずに突然旅に出て連絡が取れなくなるスタッフ泣かせの男が、
この日だけは何故かワンコールで電話に出た。

二人がこうして電話で話すのも十数年ぶりであろう。
電話に割り込んで私はこう言った。

「今月18日の米川君とのセッション、
ポールも病状がよかったら来てもらおうや」

この日は江川ほーじん6DAYSの初日である。
私は次の日からまたツアーに出るが、
ポールの体調さえよければ6日間いつでも来て歌って帰ればいい。

自宅からの送り迎えが必要だが、
なーに、下戸のほーじんが喜んでやってくれるだろう。

電話を切って飲み会もお開きとなり、
ポールとも別れて和佐田とホテルに帰る道すがら、
私はこんな提案をした。

「なあ、週末とかなあ、
みんながヒマな時、店でポールの日やらんか?
もちろん病状が芳しくない時はドタキャンあり!
チャージ無料のおひねり制!!
ポールの送り迎えは俺がやるわ・・・」

それを聞いた和佐田、ちょっとだけ間をおいてこう言った。
「そやなあ・・・ワシらがあの店立ち上げたのはひょっとしてこのためやったんかも知れんなあ・・・」

この病気は現在のところ完治する見込みはない。
こうして今は酒が飲めてても明日はどうかわからない。
今日は歌が歌えてても明日歌えるという保証はないのだ。

麻痺でろれつが回らないポールと
シンバルで耳がやられて難聴の私が
酔っ払って会話してると実は大半が聞き取れてなかったりする。

しかしポールははっきりとこう言った。
「歌いたい」と・・・

よし、手始めには18日のほーじん米川セッションやな。
早起きして迎えに行くか・・・

Posted by ファンキー末吉 at:10:28 | 固定リンク

2010年11月 2日

ツアーの思い出:名古屋ELL

名古屋はELLというライブハウスでやらせて頂いて、
そこの名物オーナーしげさんと味仙でメシ食いながら昔話に花が咲いた。

名古屋ELLは昔は地下にあるそれはそれは小さなライブハウスだった。
名物オーナーのしげさんは当時植木屋として働きながら、
合間に手作りで店を仕上げてELLが出来上がった。

爆風がライブをやった時、
客がほとんどいないのに河合が客席にダイビングして椅子を壊し、
「俺が植木屋やりながら作った大事な椅子を壊すとは何事じゃ!!」
とさんざん説教されたのを覚えている。

また言っちゃ悪いがこのしげさん、人相が悪い。
奥さんのぞうさんがまたちょっとケバい系の美人なので、
ぱっと見はヤクザとそのスケと言った出で立ちである。

そんなのに本気で説教されたんだから河合がかなりびびってたのを覚えている。

もともとそんな無茶するバンドと知りながらブッキングしたのはしげさん本人である。
客も全然入らないのに好き好んで毎月毎月ライブをブッキングし、
ついでに全国のライブハウスに
「おもろいバンドがおるで」
と紹介して毎月毎月爆風スランプは大きくってすいません号でツアーをしてた。

デビュー前のアマチュアバンドである、客なんか入るわけがない。
多くても10人、少ない時はステージ上のメンバーより少ない。

それでも懲りずにブッキングしてくれて毎月毎月ツアーをしていた。

毎月毎月ライブやってるもんだから名古屋では
「爆風スランプは名古屋のアマチュアバンドだ」
と客はみんな思っていた。

いや、全国各地のライブハウスの客もそう思ってたのかも知れない。

そんな中、サンプラザ中野はMCでこう言った。
「僕たちやっとCBSソニーからデビューすることになりました!!」

その時の客の反応が面白かった。
全員が全員口を揃えて「うっそー」と言って笑うのである。

地元名古屋のアマチュアバンドだと思ってたおかしなバンドがデビューする・・・
そんな噂の相乗効果もあってか、いつの間にやら動員数は桁外れに増えた。

当時
「どこそこのヘビメタバンドがどこそこのライブハウスで動員記録を塗り替えた」
という時代である。
もともとそんなに客なんか入れない小さなライブハウスのELLであるが、
しげさんは
「じゃあ次は爆風2DAYSやろう!!」
という暴挙に出た。

ELLで2日間で600人・・・
これは物理的に塗り替えようがない爆風の持つELLの動員記録である。

当時のELLを知る者はみんな言う。
「あの店のどこにそんなに客が入れるんですか?・・・」

しげさんは無茶をやった。
立錐の余地もないほど客が入り、
外にも入り切らない客が並んでる状態でまず演奏を始め、
わーっと前に客が押し寄せて後ろに出来た隙間にまた客を入れる。

元々小さな地下室である。
天井も低いし酸素も少ない。
カウンターでタバコを吸おうとしたしげさんが
「ライターの火がつかんがねー」
と言ってた状態でこれだけ客を詰め込むとどうなるか・・・

後ろから押されて前の方の客が次々と失神してゆく・・・

いや、ステージ上で演奏しているワシら自体がもう酸欠で失神寸前なのである。
この上、後ろから押されている小さな身体の女子は体力のない順に倒れてゆく・・・

その失神した客をスタッフがステージから救い出して、
楽屋を通って外に出す。
そしたらまた前に詰まって後ろにちょっとだけ隙間が出来るのでそこにまた客を入れるのである。

当時ライブハウスで押されて死人が出たりしていた時代である。
この動員記録はその後物理的に破ることが出来ないようになった。

当時はライブハウス全盛の時代である。
爆風のようにライブハウスからメジャーシーンに躍り出たバンドが山ほどいた。

しかし時代は変わる・・・

メジャーになればブッキングは事務所管轄になり、
そこと関係が深いイベンター預かりとなる。
イベンターは「ライブハウスの次はホールだ」とばかりホール展開し、
「ライブハウスはアンダーグランド」というイメージが定着する。

ロックが「ビジネス」となってしまい、
「ライブハウスはホールに行くまでの足がかりだけ」
という図式になってしまったのだ。

これでは一生懸命ライブハウスのオーナーがバンドを育てたところで、
おいしいところは全部イベンターが持って行ってしまうということになる。

その後ビジュアル系のブームが来て、
店に出るバンドにいつものように説教していたしげさん、
「お前らそんなヘタクソでどうする?!!もっと練習せい!!」

あるバンドは深くその言葉に聞き入り、
「わかりました。僕ら今日解散します」
にはぶったまげたと言うが、
言うことをよく聞いたバンドは逆に動員数が減っていったりしたと言う。

当時ビジュアル系に若い女の子が売春して貢いでた事件が問題になったりもしたが、
そんなファン達が
「あのバンド、うまくなっちゃってもう私たちがいなくても大丈夫」
とばかりヘタクソなバンドの方に走っちゃうと言うのだ。

あの頃の時代・・・それはバンドは「上手い」ことだけが命だった・・・

俺もほーじんもそれに命をかけていた。
「この世界、ナメられたらおしまいじゃ!!」
そう思ってた。

三井はんや和佐田がいた「ITACHI」もそうだった。
対バンした時の態度がすこぶる悪かった。
「お前ら、爆風がなんぼのもんじゃ!!ワシらの方が数段上手いんじゃ!!」

対バンとは即ち「音で喧嘩!!」
勝敗は「上手いか下手か」である。
「俺は上手いから偉そうにしとる!!
ヘタクソは楽屋のすみっこで小さくなっとれ!!」
ってなもんである。

時代も変わり、しげさんも大人になり、
もう出演者に説教をすることもなくなった。

そのせいかどうかはわからんがELLはホールクラスの大きなライブハウスとなり、
動員数の少ないバンドも出演出来るよう小さなELLも作り、
しげさんも今では4件のELLのオーナーである。

いろんな伝説を作った昔のELLはもうない。

最後に出たのはX.Y.Z.→Aの最初のツアーである。
メタルがこんなしんどいもんだとは知らず、
関西四国8本連続のツアーを組んだ最終日がELLだった。

宣伝もしてないので動員数も少なかったが、
ツアーの最終日には噂が噂を呼び、
小さなELLが超満員になった。

当然ながら酸欠である。
薄れる意識の中であの遠い日のELLを思い出した。

おりしも同じ日、中野と河合は営業の仕事で同じく名古屋に来て、
アコギでランナーと旅人よをやって新幹線で帰って行ったが、
俺と和佐田はあいも変わらず車を運転して酸欠ライブをやっている・・・

生きている世界が違うのである。

ああ、そう言えば俺たちもあそこでいたこともあったなあ・・・
でも今はやっぱりここで生きている・・・

だから俺はあいも変わらずツアーを廻るのだ・・・

Posted by ファンキー末吉 at:15:20 | 固定リンク

2010年11月 1日

田川ツアー中

現在田川ヒロアキのツアーを廻っている。

初日は名古屋、次は京都と廻り、
ワシだけ二井原R&Bライブで東京にとんぼ返り。
そして昨日岡山でまた合流し、今日下関で田川ヒロアキ凱旋ライブ。
明日は大阪で一応旅は終わり、
そのまま八王子に直行して店でファイナルライブを行う。

まあ7本っつうたらワシにとってはもう「普通」だが、
思えばX.Y.Z.→Aではひと月近く出ずっぱりっつうのもやったなあ・・・

まあ中国に行くのもツアーだとするとワシは11月はほとんどツアーに出ていることとなる。

田川ファイナル終わって翌日大高清美さんやチャカさんとセッションやったら、
その翌日に北京に飛ぶ。
次の日の朝にはパール全中国ドラムクリニックツアー
二井原R&Bセッション大阪のためだけに帰って来て、
そのまま関空から飛んでパール全中国ドラムクリニックツアー
戻って来て江川ほーじん6Daysで米川くんとセッション、
そしてそのまま是方さんと和佐田の「秘蔵っ子ツアー」に出るのじゃ!!

いや、別に家が嫌いなわけじゃない!!旅が好きなのである!!!

かと言って観光旅行とかは嫌いである。
別にどこを見るわけでもなく、
初めて行く土地を散歩したり、
懐かしい地元の知り合いと美味しいもん食ったり酒を飲んだり、
まあ何よりも毎日ドラム叩いて暮らしていけること自体を神に感謝する。

こぼれ話はまた後ほど書くとして、
まずは下関のふく(ご当地ではフグではなく「ふく」というらしい)を堪能!!

ShimonosekiFugu.jpg

それにしても楽屋にこんな差し入れが来るんやからご当地やなあ・・・

Posted by ファンキー末吉 at:17:50 | 固定リンク