ひとりドラムの軌跡

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爆風スランプトリビュートアルバム WeLoveBakufuSlump

2013年10月30日

ミュージシャンは〜楽しい仕事と〜来たもんだ〜

1ヶ月近く出ずっぱりのツアーというのはなかなかなかったが、
まあ考えてみれば中国とかアジア諸国とかと旅してることを考えると普通の生活である(笑)。

毎日毎日違う土地でライブをやるというのも幸せなことだが、
まあいつも言っている通り別にそれは苦痛でも何でもない。

問題は音楽以外に抱えているたくさんの「仕事」である。

「音楽以外やらない」というミュージシャンは多いが、
それはワシにとっては非常に恵まれていると思うだけで、
ワシはと言えばどんな仕事でも朝から晩までやっていくのが自分の人生だと思っている。

「音楽で食ってる」
というのは形上のことであって、その実、ワシはいろんな「仕事」をしているのだ。

例えば音楽の仕事とはまるで関係ないが、
今は地方新聞の連載の話が来ていて、
自分の中国から北朝鮮までのいろんなロック放浪記を書いている。

新聞なので毎日連載とかという話もあるのだが、
本職が物書きではないのでそのために全てのスケジュールをそれに合わすわけにはいかない・・・

「とりあえず何本か書きますので溜まったら連載しましょう」
ということになって楽屋や投宿先で毎日いろいろと書き溜めているのだが、
まあ今更ながらワシは「ゼロから1を作る」という仕事は苦手であるなと気付く。

音楽の仕事で言うと、
アレンジの仕事は一ヶ月に何曲でも受けることが出来るが、
作曲となると盆と正月ぐらいに時たま「いい曲」が出来る程度なのだ。

文章も同じで、「小説」は1本だけ書いて「小説現代」に掲載されて講談社から漫画として発売されたことがあるが、
それもネタ元は自分の中国での体験談であってまるっきりのフィクションではない。

「書き物」と言っても体験談を書くならそれは「得意」である。
飲みながら人に体験談を「喋っている」ようなものなのだから・・・

まあこのブログもそうだが、基本的にワシの文章など「酔っ払って喋ってる」程度の文章なのだ。
ただその内容が人が経験出来ないことなだけでかろうじて少々人には評価されているが、まあ言ってみればこれは「文学」でも何でもない。

同じように考えると自分の「音楽」だってその程度のものである。

音楽教育を受けたことがないから、そのコンプレックスを払拭するために死に物狂いでクラシックの「楽典」や「Jazz理論」やを勉強した。

きっとその辺のプレイヤーより「知識」はあるだろう・・・
でもそんなものが何の役に立つ?・・・

「音楽」なんてのはしょせん「生き様」である。
「どう生きてどう死んだ」というのが「作品」に残るだけの話であって、
「知識」なんてそれに付随する「一部分」でしかない。

「音楽」と「生活」というのは全く同じである。

今回はワシがその考えに至る大きなきっかけになったひとつのエピソードをご紹介したいと思う。


20年ほど前、爆風スランプがドイツにORAGAYOのジャケット撮影に行った時に、
東京に出て来た頃に知り合った現代音楽のパーカッショニストがドイツに住んでると言うので訪ねて行った。

彼はワシが東京に出て来た頃に知り合った打楽器奏者で、
元々はクラシックの人なのだが
道を外れて「サンバ」というリズムに取り憑かれて道を踏み外したがためにワシなんかと知り合った。

ワシも通常のロックドラマーよりもサンバだレゲエだ他の民族のリズムに詳しいのはきっかけは彼との出会いであった。

彼は今では世界的な現代音楽の打楽器奏者。
ドイツまで渡って来て、名前を聞いてもワシは知るはずもない偉大な現代音楽の作家に師事していた。

クラシックの世界である、もちろん金になんかならない。

生活があるからまず部屋を借りなばならない。
でも金がないのだから拙いドイツ語で大家さんと一生懸命交渉する。

「あなたがこの部屋を安く私に貸すことはひいてはドイツ国の音楽に貢献するということなんですよ」と・・・

そしてその借りた練習場で大工仕事が始まる。
現代音楽の打楽器奏者というのは楽器を「作る」ところから始まるのだ。

見せてもらった「タム」の譜面は五線譜ではなく「絵」である。
「1、2、3、4」などないのだ。
早く打つ部分は音符が「密」なだけで、小さく打つ部分は音符が小さい、
それだけである。

じゃあどのようにタムをセッティングするか、
その譜面からインスピレーションを受けて彼はそのタムの台を作ることから始める。

タイコを叩いているよりも大工仕事の方が主なのだ。
だからこそ音の出せる大きな地下室を借りている。

難解な現代音楽の譜面をまず「読む」・・・つまり「理解する」。
これだけで半年を費やす。

その作家の書いた本も全部読む。
「ああこの作家は左翼な考え方を持ってる人なんだな」
そう感じた彼は、そのイメージに合う「楽器」を探しに行く。

譜面の最後には「リンを弓で弾く」という指示しかない。
彼は半年かけて譜面と向かい合って、それは「大三次世界大戦への警告音なんだ」と理解したのだ。

「リン」とは仏壇とかにある「チーン」というあれである。
彼はイメージに合うその音を探してヨーロッパじゅうを車で走る。

半年かけて彼はケルンのとある古道具屋でやっと自分のイメージに合うリンを探し当てる。
そして1年後にやっとその「音楽」を演奏することが出来るのだ。

「半年は譜面を見て考える、
半年かけてやっとわかったら今度は楽器を揃える。
毎日毎日車でハイウェイをぶっ飛ばして、
帰って来たら台を作ったり、ほとんどは大工仕事で半年が終わる。
そして半年かけてやっとそれを練習するのさ」

彼は笑いながらそう言った。
そしてワシの音楽人生にバイブルともなるこの言葉を言ったのだ。

「リンを探してヨーロッパじゅう廻る、
朝から晩まで大工仕事してる、
大家と頑張って家賃交渉する、
これも全部ひっくるめて自分の音楽なんだ。そう思わないか?」

この考えがワシの現在の音楽生活の「全て」である。
彼のこの言葉があるからワシの「人生」がある。

師匠、中村さん、今何してるかなぁ・・・
不肖の弟子はまだまだだけどとりあえず毎日車転がしてドラム叩いてますよ〜

ドイツにまだいらっしゃるならまた訪ねて行きたいなぁ・・・・

Posted by ファンキー末吉 at:04:32 | 固定リンク

2013年10月27日

ツアー9日目にして体調を崩す(?)

49本連続ライブツアー、今日で11本目。
今日からC-C-Bの田口智治と笠浩二が合流する。

元気である。

先月のX.Y.Z.→Aのリハーサルの時、
「何で俺はこんなに元気なんだろう」
とちょっと怖くなった。

中国でちょっとしたインタビューを受けてお礼にもらった黒胡麻

Kurogoma.jpg

これを飲んでるせいかも知れないし、
リハ前に2日連続食べたステーキかも知れない。

と、そうなると強迫観念でもう黒胡麻もステーキもやめられない。
チャンスがあればステーキを食い、
毎朝欠かさずに黒胡麻をお湯に溶かして飲んでいる。

ツアー9日目、ライブハウス近所にステーキ屋があったのでリハ終了後に小畑秀光を連れて飛び込んだ。

1ポンドステーキというのがあったが、
さすがにそれは食い切れまいと300gステーキにしたが、
これも食い切れなかったのだが無理して完食したのがいけなかった。

ライブ中に胸焼けして大変!!(>_<)

ライブ終了後もその胸焼けが続き、
一緒に出演してくれた地元バンドが打ち上げを用意してくれたのだが、
出された唐揚げを食ったらまた胸焼け(>_<)

ワシにしては珍しく中座して帰って寝た・・・

渡辺英樹が「珍しいねぇ」とびっくりしている。
ワシも自分で不安である。
何せワシの「才能」と言えば「胃腸が丈夫なこと」
それが自分の音楽の全ての「根本」と言っても過言ではない。

不安な思いで夜を明かし、
朝目覚めてみれば胸焼けは治まってたのでホテルの朝食を食った。

無料だし豪華な食事なのでまた食い過ぎてしまい胸焼け(>_<)
ところが胸焼けが治まればまた腹が減るのだ(驚)

九州上陸して九州ラーメンを食い、
餃子を追加して英樹が残したライスまで食ったらまた胸焼け(>_<)

心配になって嫁にメールする。
「どっか悪いんちゃうんやろか・・・」

嫁、一刀両断!!
「食い過ぎぢゃ!!ほどほどにせい!!」

その日も打ち上げを用意してくれたが、
本場のもつ鍋を命がけでセーブして食ったら調子がよい。

何事もほどほどですなぁ・・・ってそれが出来ん性格やから困ってるんですが・・・(>_<)

Posted by ファンキー末吉 at:08:37 | 固定リンク

2013年10月25日

JASRACが訴訟準備を・・・

JASRACの弁護士からLive Bar X.Y.Z.→Aの大家宛に書簡が送られて来た。
「損害賠償請求準備のため賃貸契約の内容を教えて欲しい」
と・・・

なぜこの時期に?・・・頭をひねらざるを得ない。

今回JASRACが簡易裁判所に持ち込んだ調停において、
最終的にはJASRAC自らが「調停不成立」に落とし込んだ。

著作権侵害にも時効があるらしく、
JASRACが調停で提出した資料の期日が店がオープンした日ではなく中途半端な期日であったのはこの時効の期間を考慮してのことであったらしいが、
調停不成立を受けて、もしJASRACが一ヶ月以内に訴訟を提起すればその期日は次の訴訟の場でも有効となるが、
一ヶ月以内に提訴しなければ、その時にJASRACが提起した資料のほとんどは時効となってまた新しい期日から後の案件となって訴訟せねばならない。

手っ取り早く言うとJASRACは時間が経てば経つほど金を取りっぱぐれるわけだ・・・。

だからワシは調停不成立から一ヶ月は静かにしていた。
当然JASRACは訴訟を提起するだろうと思っていたからである。

その間にやるべきことは、この一連の騒動を本にまとめるための資料作りと、
そして現在出演者から預かっている著作権使用料を法務省に供託すること。
もともとはこちらとしては「金なら払う。だからちゃんと分配しろ」というものなのだから、
こうして法務省に供託すれば現実的には「支払った」ということになり、法律的には何の落ち度もなくなる。
受け取らないならそれはJASRACが悪いのだ。

当然この時点でJASRACがそれを受けて再び訴訟を起こす可能性があり、
ワシとしてはそれが「宣戦布告」の引き金となるのだろうと想像してた。

タイミングとしては来年か、まあ本が出版されたらそれを見てまたJASRACも動くだろうからその頃に供託をと考えていた。

しかしながら今回は思わぬタイミングで、
しかもJASRACが有利ではない今それを行う意味がよくわからない・・・
どうせやるなら調停不成立一ヶ月以内にやればよかったのだ。

どうしてこのタイミングで宣戦布告をしようとしているのかはもう想像の域を出ないが、
「絶対に勝つ」という何か材料を見つけたのか、
それとも単に案件が担当者から弁護士に移ったので弁護士が物理的に処理しているのか・・・

どっちにしろJASRACとしてはこの戦いは分が悪いのだ。
何せ勝っても取れる金はせいぜい数年分の著作権使用料、
毎日満席でフルにずーっと演奏してたと計算したとしてもこちらが払うのは数百万。
しかしもし負ければこちらの要求通りにちゃんと著作権者に分配するシステムを数千万かけて構築せねばならない。

まあしかし何より困ることは、
本当に裁判になってしまったらその裁判中はまたこの問題の詳細を公表出来なってしまうということだ。

ワシの目的はこの問題をより多くの国民に知ってもらって一緒に考えてもらいたいということなので、
今のうちにかいつまんで全てをここに公表しておきたいと思う。


まず経緯についてはこのブログカテゴリーをさかのぼって見れば書いてあるのでよいとして、
ワシが最初に提出した書類は、まずX.Y.Z.→Aの1999年結成当初から2010年3月までの全てのライブ履歴を挙げ、
この時期に相当するJASRACからの著作権使用料分配明細を照らし合わせて、
「ライブハウスから徴収されている著作権料は、実際にその曲を演奏している自分たちに正しく分配されてない」
ということを論理的に証明している資料である。

詳しくはこちら

最初の調停の時、
すなわち2012年4月16日八王子簡易裁判所に出廷し、この資料を提出した。

そしてそれを受けたJASRACは、
「いやそんなことはない。ちゃんと分配されてますよ」
とそれを論破すると思いきや、とんでもない行動に出た。

それらを完全に無視したのである。


2012年6月11日2度目の調停

それを受けてJASRACが裁判所に提出した資料は、
私の提出した書類に対する回答は一切無視して、私への個人攻撃も含め、非常に辛辣なものであった。
通常の商店主だったらここで完全に心が折れてしまったことだろう。

「末吉氏が2012年4月5日付書面で述べている『包括契約をしろ』『聞く耳を持たない!!とにかくお前は著作権料を支払え!!』『1曲90円のシステム』を『広く全ライブハウスに教えてない』『全てを包括契約に持ってゆきたい』というような事実も意図も全くありません。」
と、この文面はちゃんとJASRACが裁判所に提出した書類に書かれている文面であるが、しかしJASRACは後にこれさえも反故にしてしまう。

それについては後に述べるとして、その日の調停で決まったことがこれである。
http://www.funkyblog.jp/2012/06/post_754.html

これは何もワシが勝手にやっていることではない。
JASRACが「こうしなさい」と言うからそうしたのだ。

書類に不備があると言われれば大枚はたいてそれを直し、
「JASRACが指定した書式でちゃんと書け」と言うならどんなに手間でもそうする。
それで著作権者にちゃんと正しく著作権料が分配されるならそれでいいのである。

ちなみにJASRACは後にこのことも自ら反故にすることとなるが、
この時点では誰しもが「これで解決だな」と思った。
JASRACは裁判所での調停の場で「これならちゃんと著作権者に正しく分配される」と発言し、
ワシは全面的にそれを信じてその後この方法で現在に至るまで出演者から著作権料をお預かりしている。

調停委員の一人は「こんなにスムーズに調停が進むことは珍しいんですよ」などと発言し、
JASRACは
「毎回この書類をコピーして書くのも大変でしょう」
ということで、店にその書類を送って来ると発言、
実際に送られて来たその送り状を保管してたことは弁護士が後に「よくぞやって下さいました」と言う事実となる。

またこのブログ記事をその日のうちにUPし、形に残したことも弁護士から「よくぞやって下さいました」と言われることとなる。

何せJASRACはこのブログを見て、
「記入例の書き方が間違っている」
とワシに電話でそれを直させているのだ。

つまりこの方式はJASRACからこれほどまでに細部に指導を受けてやったことであり、直してまた電話をかけ、
「これでいいですか?」
と聞き、
「これでいいです」
と言われるまでの何度かの電話の通信記録は全て「証拠」となる。

ところが次の調停、2012年11月19日3度目の調停から流れは大きく変わって来た。
JASRACの言う主張がころっと変わってしまうのだ。

ワシはこの時点で弁護士を代理人に指定している。
それまで自分の力だけでやって来たのは、ワシも少々人より頭がいい人間だという自負もあったし、
もちろん弁護士と相談はするけれども、とりあえず自分の力だけで戦えるだけ戦ってみて、ここぞという時に「伝家の宝刀」を出すという作戦である。

このタイミングがワシにとって「ここぞという時」であり、
この「伝家の宝刀」がとても切れ味が鋭かった。
やはり「プロ」というものはもの凄いものの考え方をするもんだと舌を巻いた。


まずは小難しい法律用語が並ぶJASRACの提出書類を読み解く。
これがそもそもが普通の商店主では出来ないことなのである。

まず弁護士はその中で大きな落とし穴を見つけた。

JASRACの担当者は過去にワシに電話で
「1曲90円という支払い方もありますよ」
と案内したが、
それは厳密に言うと後に「ウソ」ということになる。

この調停の場でもはっきりと
「いや、店の面積を調べて計算したら1曲140円です」
と発言し、
「そうすれば正しく著作権者に分配される」
と説明をしているにもかかわらず後に自らそれを反故にしている。

裁判所という空間で調停委員会という目の前で発言しているのだからということで、ワシはそれを信じてそのやり方で支払うことを裁判所で宣言し、
それを受けて現在の店の支払いシステムとなっているのだ。

ところがJASRACは後に
「曲ごとの個別の徴収システムはありません。全ては包括契約による月ごとの支払いです」
とそれを否定する発言をするようになる。

話を戻すと、弁護士が読み解いたその一行はつまり、
「それではやっぱり正しく著作権者に分配されない可能性がありますよ」
というところであった。

誰もが
「この140円の中からJASRACがしかるべき手数料を取って残りを著作権者に分配する」
と理解するところが、
実はJASRACが案内している「積算算定額による包括許諾契約」というのは、
必ずしもそれを正しく著作権者に分配するというわけではなく、
それを「包括契約のサンプリング」つまり「ブラックボックス」に入れてしまって、
相変わらず誰にいくら分配したかを公表することはしませんよという解釈が成り立つのだ。

これでは「騙し」ではないのか?

JASRACはもともとはそうするつもりでそれを書いている。
ワシだって読み解けなかったんだから普通の商店主でそれを読み解くことはまず無理なのに、である。

だから
「著作権料が正しく著作権者に分配されること」
を絶対的な条件として話し合いが積み上げられてしまうと矛盾が生じてしまうから突然主張を変えたのではないかとワシは想像している。


また、弁護士が次の調停の時に送りつけた書状が痛快な内容だった。
「JASRACはそもそも金銭請求を行う法律根拠を明らかにしていない」
というところから始まって、
「ライブハウスは『演奏者』ではない」
という項目には正直言って舌を巻いた。

さすがは「プロ」である。

これはある「判例」をもとに構築している理論なのであるが、
和歌山のとある判例は、ぱっと見はJASRACが勝訴して商店主は請求される金を払ったという事実しか見えないが、
その裁判の時にちゃんと、「ライブハウスは『演奏者』ではない」という判例が下されている。

一般人がある「事例」を見る時にある一面しか見てないのと違って、
弁護士が見る一面は全然違う面を見ているのだ。

そもそもこの一連の著作権に関する訴訟は、
「カラオケ屋は機械を置いてあるだけで歌ってるのは客だから店は著作権侵害をしていない」
という「カラオケ論争」から始まったものであるが、
それに対しては
「店がちゃんと設備を用意して客から金銭を取って歌わせているのだから」
ということでちゃんと判例が出ている。

つまりカラオケについて論じればそれは
「著作権侵害をしているのは店である」
ということである。

この判例を元にあらゆる著作権に関する裁判が行われて来たわけであるが、
この和歌山の判例は一般社会では単なる「JASRAC勝訴」と取られているが、
法律界では「ライブハウス」というものにおける新しい判例となった大きな事例であったという。

簡単に言えば、演奏者に場を提供して飲食で儲けている場合は、
店はその演奏によって集客が増えるという間接的な利益はあるが、
基本的に著作権侵害を行っているのは演奏者であって店ではないというものである。

特にX.Y.Z.→Aのようにチャージバックを100%バックしている店は、
JASRACはこれも一様に「社交場」に当てはめて金銭請求をしているが、
これはむしろ「コンサートホール」と同様に扱われてしかるべきものなのだ。

著作権侵害は演奏している演奏者であり店側ではないというものである。


また、
「オリジナル曲を著作権者自身が演奏する場合、不法行為は成立しない」
という点も挙げている。

JASRACは、著作権者自身が自分の曲を演奏した場合も必ず指定した書式に記入して著作権料を支払えと主張するが、
それは明らかに「権利の濫用」つまり「やり過ぎ」なのである。

実際ワシら著作権者は全ての権利をJASRACに預けている。
だからJASRACは著作権使用者に対してその権利を行使出来るのである。

しかしそれを自分に行使されたらどうなる?
自分の曲を自分で演奏してJASRACが「金を払いなさい」というのはどう考えてもおかしいのではないか?

JASRACはそもそもが
「著作権者に個別に許諾を取るのは難しいでしょ。うちはその楽曲に関して著作権者に全ての権利を譲渡されているのでうちにお金払ってくれたら許諾を出しますよ」
というのが「商売」である。

自分の曲を自分で演奏するのに許諾もへったくれもないが、
JASRACが言ってるのは「それではしめしがつかない」という程度の理論なのだ。


また「制度改善努力の欠如」という点もちゃんと挙げている。

この時代、例えば各ライブハウスに演奏曲目入力ソフト(仮称)を無償提供する(無償ダウンロードを可能化する)等の方法により、
各ライブハウスにおいて出演者がJASRAC管理楽曲の演奏を申告出来るシステムを構築するなどとても簡単なことなのである。
そうでなくても「曲別清算」の契約を推奨すべきであるというもの。


ところがJASRACは2012年11月19日3度目の調停以降、
全てのこちらの主張を一切無視した。
主張するのは「店が提出した書類に不備がある」ということの一点張りである。

それはJASRACから指導を受けた2012年6月11日以降の書類ではなく、
それより前の出演者による手書きの楽曲リストである。

ファンがUPしたブログを引用して、
「ほら提出したリストと違うでしょ。こんなものは信用に値しない。やっぱり包括契約で支払いなさい」
と来る。

理論があまりに「幼稚」である。
そんなにファンのブログを信用するならもう楽曲リストなど提出しても意味がないのだ。
「全部お前がファンのブログをチェックしてリストを作れ!!」
と言いたい。

JASRACが提出したブログを書いた人間に個別に連絡を取って、
「そんなものを証拠として使われたんじゃおちおちネットにモノも書けないではないか」
というコメントを取ったり、
だんだん戦いが「幼稚」なものとなって来たが、
それでもワシらは少なくともJASRACの主張に全部答えて来た。
資料を直せと言えば大枚はたいて直し、実に誠意を持って答えて来た。

しかしJASRACは全てのこちらの主張を無視し続け、
最終的にテーブルをひっくり返したのだ。

「そもそも包括契約しかないのだ。末吉氏はありもしない徴収方法で支払いたいと無茶を言っている」
とは何たる主張なのか!!


ついでにこれも書いておこう。
これは裁判所に提出したものではないが、
現状の包括契約では絶対に著作権者に著作権料が分配されないという私なりの分析である。


1、全国の名だたるライブハウスがひとつもモニター店ではないという可能性

バンド「X.Y.Z.→A」が52軒のライブハウスで行った演奏がJASRACのサンプリングに引っかかってない事実に対して、JASRACは2012年6月11日の調停時に口頭で、
「モニター店が毎日モニターをしているわけではなく、たまたまモニターをしてない時期に演奏をしたのであればそれはサンプリングにひっかからない」
と、あたかもX.Y.Z.→Aが出演した全国のライブハウスも立派にモニター店として網羅してあるかのような答弁をしましたが、
これが正式な答弁とすればそれは虚偽です。

例えば、分かり易く数字を辛めに設定しますが、
52軒全てのライブハウスがモニター店であり、
それが「たまたま」モニター時期でなかった確率をそれぞれのライブハウスで半々の確率(1/2)であると設定しますと、
52本のライブがそれぞれ全て「たまたま」モニター時期ではなかった確率、
つまりJASRACが2012年4月16日の調停時に提出した書類の中の、
「バンドX.Y.Z.→Aが行った52本のライブにおける著作権料が正当に分配されてない事実」
のような「現実」が起こり得る確率は1/2の52乗、
つまり4503599627370496分の1の確率であり、
現実的には「絶対に起こり得ない」確率となります。
(注:同じライブハウスに複数回出演している場合も「1回」として計算しています)

また、1年のうちに1四半期だけモニター店であるとして数字を甘くしてゆき、
たまたまモニター店でなかった確率を3/4に設定しても、このような現実が起こる確率は0.00000031855593となり、
これも「絶対に起こり得ない」確率となります。

つまり「たまたま」モニター時期ではなかったということは「あり得ないこと」としか言いようがありません。

また、この数字を甘くしてゆけばゆくほど、「モニター店」としては実際に機能してゆかなくなるわけですから、
現実的に導かれる結論としては、
これら全国の名だたるライブハウスはひとつもモニター店ではないか、
現実的にモニター店としては機能してないということになります。

つまりライブハウスから徴収された著作権料は、
現実的にはライブハウスではない場所でのサンプリングによって分配している可能性が高いということです。


2、実際はサンプリングなど行われてないに等しいという可能性

JASRACが2012年6月11日調停時に裁判所に提出した書類の中の「JASRACだよりNo.31」には、
「2008年度、飲食店、ライブハウス、ホテルなどで生演奏やレコード演奏等により利用された作品の延べ曲数はおよそ2万曲である」
と書かれてあります。

またJASRACが2012年6月11日の調停時に提出した書類の中には
「1四半期合計200件を無作為に抽出し各店の一日の全ての利用曲目を記録集計して、社交飲食店全体の利用曲目の利用頻度を推計して分配のための資料としています」
と書かれています。

「件」という単位が「軒」ではないので理解に少し苦しみますが、
仮に各店舗が1日に10曲演奏したと仮定すると、
200軒が90日それを続けると1四半期では18万曲となって、
上記2万曲よりはるかに多い数字となってしまいます。

1年で2万曲と言うと大きな数字に聞こえますが、
1四半期でたかだか5000曲、一日で割るとたかだか55曲程度ということです。

また「1四半期に200件」という数字に関して分析すると、
その5000曲という数字が実際にJASRACがサンプリング調査した曲数だと考えるとすれば、
1四半期200件という数字は一件につきたかだか25曲しかサンプリングしていないということで、
これはCDを一日中流している店でいうとたかだか2時間分、
仮にひとつのサンプリング店で8時間調査をしていると考えるとJASRACは4日に一度しかサンプリング調査を行っていないということです。

また「200件」というのを「200軒」と考えて、
もしモニター店が本当に全国に200軒あるとするならば、
毎日その店でサンプリングを行ってくれてるであろうという私たちの想像とは裏腹に、
JASRACは1軒につき1四半期にだいたい1日分のサンプリングしか行っていない、
つまり90日のうち1日しか働いてないということになります。
(1日25曲を演奏しているとして計算)

また、もし1日25曲を演奏するライブハウスを1四半期毎日調査をしたとすれば、その店だけで調査数は90件となり、モニター店は全国で3軒もないということになります。

どちらにしろあり得ないほど非常に低い数字であり、間違ってもサンプリングが正しく行われていると言うことは出来ません。

もしこの2万曲という数字がJASRACが言うように1年間「実際に」演奏された曲数とするならば、
Live Bar X.Y.Z.→A1軒だけで1年間に400曲以上演奏するのですから、
それが全曲JASRAC管理楽曲であったとしても、
それならば全国に飲食店は25軒もないということになり、
この数字は「実際に演奏が行われている」数字ではなく、
「JASRACが把握している数字」
つまり「実際にサンプリングを行った数字」としか考えられません。

そうすればJASRACが実際に1日に行ったサンプリング数はほぼ55曲しかないということになります。
(2万曲÷365日として計算)

更に、この数字はライブハウスだけでなく全ての飲食店で演奏(CD等をかけるだけも含まれる)わけですから、
特に1日8時間ずーっとCDを流している店をサンプリングした場合を想定すると、
1曲5分の曲を8時間流し続けるとそれだけで100曲を超えてしまうわけですから、
実際にライブハウスで演奏されているサンプリングは1日に1軒もないと考えられます。

すなわち現実的にJASRACはライブハウスにおけるサンプリングを全く行っていないに等しいということです。

これらの事実は、JASRACがそのサンプリング調査の実情を公表することを長きに渡って拒み続けているので、実際はどうであるのかということは闇の中です。

私どもが個人の力で2012年6月11日から現在に至るまで3四半期以上JASRACの指定する形式にて全ての楽曲をリストに記入していることを考えると、
JASRACほどの組織の規模がモニター店を実際に200軒作り、同様にその毎日の演奏曲目を1四半期分毎日集計することはあまりにもたやすいことです。

しかしそうなるとJASRACの言葉で言う「一年に演奏された楽曲」は実際に発表された2万曲よりも更に多い72万曲という発表になるはずです。
(1四半期分18万曲の4倍で計算)

つまりJASRACはその能力があるにも関わらず、その努力を一切行わず、
その事実を隠蔽しているということに他ありません。


以上はまだ提出してない原稿である。

そもそもが法律的な「戦い」とは相手の挙げ足の取り合いのようなものである。
ここにUPした内容も敵はそれを十分吟味し、その内容を逆手に取って攻撃して来るだろう。

それが「戦争」である。

JASRACが今このタイミングでどうして訴訟準備をしているのは本当に頭をかしげてしまうが、
上記の内容に完璧に答えて論破出来ると弁護士が踏んだのか、
もしくは上記の内容は完璧に無視出来ると踏んだのか・・・

どっちにしろ裁判が始まればここに書いた内容はもうこうして公表することは出来なくなるのだから、
例えこれが後に自分に不利になろうがここに公表しとかねばと思いUPすることにした。

うちの弁護士はこれが裁判になるとかなり「世間を騒がす」ことになるだろうと言う。
今まで誰もこの部分にメスを入れたことがなかったからである。

奇異な運命で「もらう側」と「払う側」の両方を知ってしまったからこんなことになっている。

本当に裁判となり、こちらが勝てばJASRACは何千万かけようが何億円かけようが、ちゃんと著作権者に著作権料を支払うシステムを構築せねばならなくなるだろうし、
負ければこちらは数百万という「損害賠償」という名の著作権料を「包括契約」というドブに捨てることとなるけれども、
和歌山の判例と同様に形の上では負けたことになっていても法律界にとっては判例として大きな一歩を残せるだろうと信じている。

来るなら来い!!とことんやってやる!!

Posted by ファンキー末吉 at:07:09 | 固定リンク

2013年10月22日

11月5日(火)福山Cable

前回のブログで「何かやれないかなぁ」と告知したらいろんな人が動いてくれました。

中でも福山Cableという店にアクセスが集中(笑)し、店長さんはおおわらわ・・・

実は渡辺英樹がこの日に来れるということで「お願いします」と言ってた店なのぢゃが、
飛行機がキャンセル出来ないチケットであるということで「すみません」となったところで、
それがここに来て外部から「ファンキーさんが演りたいと言ってますよ」とバンバン連絡が入るのできっと「???」という状況だったと思います(ペコリ)。

渡辺英樹は佐賀バルーンフェスタ終了後に東京に帰ってしまい、
この日は小畑秀光とワシだけということで、店長さん直々に地元のベーシストをブッキングしてくれた。

その他近隣に住むミュージシャン仲間に声をかけているのぢゃが、
地元ミュージシャンで参加出来る人は是非福山Cableに連絡下さい。

一緒に何かやりましょう!!!

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2013年10月21日

49日で46本ライブツアー開始!!

10月17日(木) 八王子Live Bar X.Y.Z.→Aから始まって、
18日(金) 豊橋club KNOT
19日(土) 枚方P×9 cafe
20日(日) 滋賀BARI-HARI

ここまで「小畑辺英吉(おばたなべひできち)」と称して
Gt.Vo.小畑秀光
Ba.Vo.渡辺英樹
Dr.ファンキー末吉
にゲストとして二井原実を呼んで廻った。

初日の八王子のあと渡辺英樹がうちに泊まって、
何だかわからんが非常におはしゃぎになられてたので、
ついつい飲み過ぎて次の日は二日酔いのまま車移動・・・

豊橋ではガチャピンと一緒だったので、
自分が飲みながら見れるようにわざわざ出番をトリにしてもらい、
物販売り場でガチャピン見ながらすでにべろんべろんの上に、
その後の打ち上げでも大いに盛り上がり、
さすがに飲み過ぎて「酒はもうええわ」状態・・・

枚方のあとはさすがに酒を抜いて、
二井原最終日の滋賀の前には温泉銭湯でゆっくり休んだ。

二井原さんはここまでで東京に戻り、次は王様と合流して

21日(月) 姫路ベータ
22日(火) 鳥取AZTiC tottori
23日(水) 松江AZTiC canova
24日(木) 広島NAMIKI JUNCTION
25日(金) 周南TIKI-TA
26日(土) 小倉FUSE
27日(日) 熊本Be-9 V1
28日(月) 長崎Be-9
29日(火) 福岡Be-1
30日(水) 唐津Funky
31日(木) 大村RONS
11月1日(金) 諫早 裸蛇
2日(土) 大分CANTALOOP II
3日(日) 宮崎SR-BOX

その翌日はまだ詳細が知らされてないが佐賀バルーンフェスタに呼ばれている。
ここまでで連続19本!!

前回王様トリオで14本連続でやってみて、
「まあこのぐらいなら廻れるだろう」
ということで組んでみた。

ちなみに5日(木)が移動日となって、
王様と渡辺英樹が帰って行って、小畑秀光と今度は和佐田がベースに加わって、
今度は「和佐畑秀吉(わさはたひできち)」として3本廻る。

6日(水) 神戸チキンジョージ
7日(木) 南堀江Knave
8日(金) 京都FANJ HALL

次の日にワシは大阪ミュージックスクールCATでクリニックをやって10日が移動日となり

11日(月) 八王子Live Bar X.Y.Z.→A(小畑辺英吉)
12日(火) 郡山Club#9(X.Y.Z.→A)
13日(水) 仙台enn 2nd(X.Y.Z.→A)
14日(木) 八王子Live Bar X.Y.Z.→A(セッション)

と続く・・・

その後はWingが香港から来日し、
16日(土)17日(日)のライブが終わったら18日(月)18日(火)と店でライブをやって、
そのまま20日(水)から王様トリオがまたツアー。

今度はまた15本連続である。

巷では
「ファンキーはうちに帰りたくないからこんなにツアーをブッキングして」
と噂されているが、厳密に言うと違う。

これは持って生まれた「放浪癖」もあるだろうが、基本的に
「昨日と同じ今日が来て、今日と同じ明日が来て」
ということが我慢出来ない性格から来ていると思う。

そんな人生を送るぐらいだったら、
少々危険でも中国に飛び込んだり北朝鮮に飛び込んだり
そんな人生の方が楽しいと思うぞ・・・

また「ライブハウス」というのがワシにとって「神聖な」場所だというのもある。

芸能人だった頃、アホなテレビや取材などの仕事で忙殺され、
よそでドラム叩いたら事務所にぶーぶー言われるという環境の中、
ひょんなことから参加した目黒ライブステーションのセッションが非常に楽しかった。

「自分の住むところ」はここだ!!
そう強く思った。

爆風スランプだってもともとはここから育って行ったのだ。
ワシだけでもそこに戻って来たって何も不思議なことではない。

「自分の死ぬところ」がテレビ局なんかだったらワシにとってこんなキモチワルイ人生はないが、ライブハウスで死ぬならむしろ本望だ!!とそう思った。

「ミュージシャンは畳の上で死ねない」
とよく言われるから、
「じゃあ畳を背負ってドラムを叩く!!」
と宣言したら、嫁から
「だいたい死ぬ時は前にばたんと倒れて死ぬから、背負ってたら結局畳の下になってまうやん」
と指摘された。

まあこんな素敵な嫁がいるからこそこんなツアーが出来るのであるから感謝感謝であるが、ひとつだけ気になることが、
テレビ巨人の星のセリフの中に
「死ぬ時はドブの中でも前のめりに死にたい」
という言葉もあるように、
後ろのめりに生きるわけにもいかないし、畳を前に抱いたらドラムが叩けないし、
それだけがワシの人生最大の悩みである(笑)


冗談はさておき、「シンドくないんですか?」とよく聞かれるが、
それが実は全くシンドくない!!(キッパリ)

まあ「好きなことをやってる」という根本があるからというのと、
サラリーマンなどと違って、ツアーに出ると基本的にステージの2時間ぐらいしか「働いてない」のだから楽なもんである。

好きなことやって・・・
好きなもん食って・・・
好きな酒飲んで・・・

まあそう考えるとシンドイことはひとつもないわな・・・

コツはと言えば、「寝れる時はいつでも寝る」と「イヤなことはしない」ということである!!(これ大事)

嫁は小畑秀光に、
「あんたうちのパパと同じ行動してたら死ぬよ!!
あの人に出来るんだから自分にも出来るだろうなんて思ったらホントに死ぬからね!!」
とクギを刺すが、
まあ彼も見たら楽屋ででもどこでもコテっと寝てるから大丈夫だと思うぞ・・・(笑)


ところでiPadのカレンダーを開いたら、英樹や二井原から
「凄いなぁ・・・ぎっしりやん」
と言われてはたと気が付いた。

まだ埋まってない日があるんや・・・

49日間終わったら北京に飛ぶが、その間に3日間だけライブのない日がある。
リハが1日と、あと2日は移動日・・・

これを埋めたら49日間連続ライブになるぞ・・・(凄)

東京にいる日は問題ない。
Live Bar X.Y.Z.→Aで何やらライブをやっているのだから乱入すればいいし(笑)

問題は11月4日の佐賀から6日の神戸までの移動日である・・・
この移動日の11月5日(火)に、この2点の中間地点の広島とかで何かライブをやれたら全部埋まるではないか!!

と思って今更ながら広島のライブハウスを当たってみた・・・
でもまあ今から当たってもまあ全滅やわな・・・

日本地図を見ながら今度は福山あたりのライブハウスを当たってみた。
おっ、空いとるぞ!!・・・というわけで渡辺英樹さんのスケジュールを聞いてみた。

「スケジュール自体は空いてるんだけど飛行機キャンセルしたらまるまるキャンセル料払わなきゃなんないよ」

ギャフン・・・どなたか広島県か岡山県辺りで、
11月5日(火)に渡辺英樹さんの飛行機代と3人の宿泊代ぐらいが出るライブをブッキングしてくれませんか〜

もしくはベースなしで小畑秀光の「ひとりメタル」とファンキー末吉の「ひとりドラム」でライブ出来るところ紹介してくれませんか〜

「そうまでしてライブやりたいんですか?」・・・やりたいんです!!(笑)

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2013年10月12日

Fチョッパーkoga10周年記念ライブ

誘われたので行って来た・・・

いや〜相変わらずkogaちゃん凄いな・・・
よくあれだけ頭振って踊ってチョッパー弾けるもんじゃ・・・

もともとガチャピンのことを知ったのは、
中国のTwitter「微博(WeiBo)」でkogaちゃんの教則ビデオの映像が廻って来たからである。

「中国人のレベルもここまで来たか・・・」
と驚いて日本のTwitterで廻したら、
「これは日本人ですよ」と熱心なファンがガチャピンのことを教えてくれた(笑)

北朝鮮に行く時に、ベースのペコちゃんにチョッパーを教えようと、
この教則DVDを持って行ったのだが、
「外国のものを生徒に見せるのは困ります!!」と言われ、
仕方ないので夜にはホテルでこのDVDを見て自分で奏法を覚え、翌日それをペコちゃんに教えるしかなかった。

毎晩毎晩一緒にいたのでもう他人ではないような感覚になってしまってたが(笑)
さすがに本物を見た時には少々緊張したな・・・

Live Bar X.Y.Z.→AのオーナーであるKさんがガチャピンの大ファンで、
ワシの上海ライブにガチャピンをねじ込んでブッキングしたのだ。

いや〜彼女たちのパフォーマンスには中国人も度肝を抜かれたな・・・

しかしワシと小畑はそのステージを袖から見てたので、
別の意味で二人で顔を見合わせてしまった。

「こいつら・・・戦士じゃ・・・」

前に向かって笑顔を振りまきながら後ろに向いた時に吐きそうな表情を見せる。
彼女たちは文字通り前に向かって「戦って」いるのである。

その時の彼女たちのスケジュール、
前の日まで日本で数日連続でライブをやっていて、
朝5時起きとかで上海にやって来てそのままライブ、
次の日はまた5時起きで北京に飛ぶのぢゃが、
それなのにちゃんと打ち上げに参加して、
打ち上げが始まると各メンバーが各テーブルに飛んで笑顔を振りまく。

「こりゃそのうち必ずブレイクするわ・・・」

ワシは自分の昔の生活を思い出して少々いたたまれなくなった。
数多くのブレイクしたバンド達は影で必ずこのような努力をしている。

ワシの場合は当時の事務所の社長から徹底的に叩き込まれたのであるが、
彼女たちを見ると、同行したマネージャーも事務所の社長もそのような素振りはない。

きっとkogaちゃんがグラビアアイドルだった頃から培ったものなのであろう・・・
苦労しとるな・・・

そんなこんなでワシはあれからもう「戦友」という感覚になってしまい、
名古屋でフェロモンオールスターズと同じellで一緒になった時もメシには誘わなかった。

行ったらまた彼女たちはワシのところに来て気を使うのだ。
「戦士よ、今日も戦ったのだ。ゆっくり休め!!」
そう言いたい。

彼女たちのブレイクを心から祈っているぞよ。


さて話は戻ってこの日の10周年記念ライブ。
小娘(笑)がベースを弾き始めてたかだか10年と言ってもなかなか歴史があるのな・・・

昔やってたユニットの曲などをやった時にはとあるエピソードを思い出した。

先日上海での打ち上げの席で、ワシのテーブルに来てくれたはなちゃんが言ってくれたのだが、
そのユニットでデビューが決まってたkogaちゃんが、事務所の
「欲しいのはお前らのルックスだけなんだからベースもはじかなくていいし、音楽もこっちで全部作るからあてぶりだけしとけ!!」
という方針に反発してデビューを蹴ってガチャピンを結成したというエピソードである。

そう言えばワシが個人活動で所属事務所ともめた時、
「我が社がビジネスをしたいのは爆風スランプの末吉くんであって、末吉くんの個人活動には一切興味がない」
と日本を代表する音楽事務所のトップからそうはっきり宣言されたことも思い出したなぁ・・・(笑)

小娘(笑)の10周年記念ライブを見ながら
「ワシも何かやろうかな・・・」
とまたふつふつと悪い虫が頭をもたげて来た・・・

「ドラムを始めてから」と言うならワシは15歳で始めたから来年で40周年である!!(凄っ)

デビューしてからと言うと30周年だし、
X.Y.Z.→A結成からと言うと15周年である。

来年の7月13日で55歳になるし、キリもいいので何かやりたいな・・・
55歳になった瞬間から55日連続ライブとか・・・(笑)

また55本連続ツアーと言うと一緒に廻ってくれる人がいなくなるので、
とりあえず相手を換えればいいのだ。

来年の7月13日は都合のいいことに日曜日だから、
また北京でマラソンライブでもやって、
翌日14日には朝いちで帰国して店でライブ、
飛行機がまた遅れるかも知れんので、
とりあえずこの日はリハが要らないJazzトリオぐらいにしといて、
次の日は爆風銃ぐらいから始めて53本ツアーを廻る・・・

さすがに王様も英樹も全部は付き合ってくれんやろうから、
途中X.Y.Z.→Aのツアーとも合流し、
和佐田のツアーも入れ込んでとにかく自分だけは55本連続ライブ出来たらええんとちゃうか・・・

よし!!ユニット数を増やすべく、あと半年間はもっといろいろセッションしよう!!

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2013年10月 6日

マキシムレストラン

天安門広場を中心に広がる北京市内の中でも、
だいたいの音楽の仕事はその東北の方向にある朝陽区がほとんどなので、
市内の南の方に行く機会はほとんどない。

ところが昨日、北京ダックを食いに久しぶりに北京駅南部を通ったら・・・

MaximRestaurantBeijing.jpg

おおっ!!マキシムレストラン!!!!こんなところにあったのか・・・

1990年、最初に北京に行った時、
最終日に知り合った不良どもの連れて行かれて初めて中国ロックと遭遇したのがここである。

タクシーに乗せられた時は身の危険を感じてとてつもなく長く感じたのだが、
実際はこんな近くにあったのだ・・・

仲良くなったホテルのボーイは
「奴らは不良だ。危険だから行ってはならない」
と泣いて止めるし、ワシはワシで仲間に
「ライブは朝の4時までだと言うから、5時に帰らなかったら大使館に連絡してくれ」
と、全くあの頃の中国ではロックを見るのも命がけだった。

実際その不良どもに連れられてこのマキシムの階段を上がる時には足が震えたし、
運良く黎明期の黒豹のライブを見た時には逆に興奮で身体中が震えた。

その翌月、奇しくも天安門事件の1年後である6月4日、
彼らの天津体育館のライブでドラムを叩いた時は、
「ファンキー、会場に着いたら絶対に口をきくな。外国人だとバレたらどんな目に遭うやらわからない」
と強く念を押されていたので、この時も「死」を覚悟した。

ドラムソロをぶっ叩いて、
割れんばかりの大歓声と裏腹に誰も立ち上がらず座ったままだったのは、
当時は立ち上がったら逮捕されるのだと聞いて後から足が震えた。

数年後、北京工人体育館にてラジオ局の開局イベントに爆風スランプが出演。
中止命令を無視して演奏を続行!!

2万人の観客の目の前のPA席で、
出音を消そうとする公安が、それを阻止しようとするワシの友人の中国人スタッフをボコボコに殴り、当時はロックの象徴であった彼の長髪を鷲掴みにして引きずり回すのをドラムを叩きながら見ていた。

音の出ないマイクと生音のアンプとドラムの音だけで演奏を終えたワシたちは別室に連れて行かれ、
心配してやって来たその友人の仲間が、ボコボコにされて恐怖に震える友人の長髪にひざまずいてキスをした。

「お前達は外国人だからいい。俺は中国人なんだ。絶対ヤツらに殺される!!」
そう言ってブルブル震えている彼の肩を抱きながら、
「こいつを殺したら俺はトラックでも盗んで中南海に突っ込んでやる!!」
と心に決めた。

この国でロックをやるのは文字通り「命がけ」だったのだ・・・


時は流れ、ロックブームが到来し、
当時ヤツらが「ファッキンガバメント」と呼んでいた中国政府は、
「ロックは金になる」とばかり相反するふたつの勢力は裏で手を結んだとばかり、
今では反政府的な歌を歌わない限り自由にロックをやることが出来るようになった。

若者は流行りのファッションを着替えるように、
テクノが流行ればハードロックの洋服を脱ぎ捨ててそれを着るように、
中国のロックも時代と共にめまぐるしく様変わりをした。

あの時かけた「命」は一体何だったんだろう・・・
中国でドラムを叩く時にいつもそんなことを考える・・・

「どう生きるか」は「どう死ぬか」と考えた方が結論が簡単だからという単純な理由でそこに向かって突っ走っていただけかも知れない。

ドラムを叩く時は「これが最後の演奏になる」と覚悟する。
実際に何度も「死」を覚悟したのだ、簡単な話である・・・

北朝鮮に行ってロックをやるなんてワシにとったら危険でも何でもない。
あの頃にヤツらと一緒に中国ロックの黎明期を作り上げるのは文字通り本当に「命がけ」だったのだ。

全中国ドラムクリニックツアーで、
子供達が課題曲としてメタリカを叩くのを見て不思議な気分になる。

あの頃ロックを聞いて拳を振り上げてた若者が大人になって、
田舎に帰ってドラム教室の先生になり、
あの頃に聞いてたロックを子供達の課題曲に指定し、
なに不自由無く育った子供達はそれをそのまま受け入れて演奏する。

平和になった・・・と言えないこともない・・・

それは決してロックの先人たちが命をかけて今の社会を作ったのではなく、
単に「時代が移り変わった」だけなのかも知れないが、
兎にも角にもあの頃には絶対に想像だに出来なかった世の中に今はなった。

北朝鮮だっていつかはそうなるんだと信じても何ら不自然ではない。

平和だ・・・

小畑秀光が路上で歌っているのを見てまたそんなことを考えた・・・

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2013年10月 3日

白崎映美

えみさんと最初に会ったのはきっと30年ほど前・・・

お話しをしたわけではないが、
京都かどっかのイベントで、爆風銃だったか爆風スランプだったか
「紅龍&ひまわりシスターズ」と対バンをした記憶がある。

当時アジア系の音楽には何も興味がなかったが、
後に「上々颱風」となって、今度は五星旗と対バンした(かな?)時には、
紅龍さんが作り上げるワールドミュージックの世界、
そしてそのフロントであるえみさんのパフォーマンスにえらく心を打たれた記憶がある。

その後どこかでお酒を飲んだこともあり、
「お酒の強い方」
というイメージが強い。

他愛もないことを楽しくお喋りしてしこたま飲んだ記憶があるが、
噂を聞くとそこから酒癖が悪くなるらしい(笑)

それ以来お会いすることがなかったが、
先々月ゆーぞーさんのセッションでまた久しぶりに一緒になって、
楽屋で「田川ヒロアキ」の話になり、
「一度紹介したい」
ということになり今回のセッションとあいなった。

考えてみればまともに1ステージ一緒にやったことがない。
今回が愛してやまないアジアの歌姫との初の本格的なセッションとなったのである。

ベースはお隣の仮谷くんをブッキングしたのだが、
キーボードは誰かいつもえみさんとやっている人を選ぼうということで聞いてみると、
えみさんから真っ先に名前が挙がったのがホッピー神山!!

私は爆風銃からの付き合いなのでこれも奇遇である。

ところが楽曲を選んで送ってもらおうとなった時に、
このえみさんが大のつく電脳音痴(困)。

苦労して苦労して1個のファイルを送って下さってるのはわかるのだが、
同じ曲が何度も送られて来たり添付されてなかったり、
しまいには「家に郵送します」となって譜面とCDが送られて来たが、
結局それも漏れが多く、このセッションは「資料を整理する」大仕事から始まったのである(笑)

Webに音源と譜面をUPしてメンバー全員にURLを送ったのだが、
それを見たえみさん「魔法みたいだ」と大感激・・・

それぐらい今は誰でも出来るんですけど・・・(笑)

そしたら今度はホッピーから「DL出来ないんですけど・・・」とメール。
挙げ句の果てには「HPにUPするから詳細教えて」・・・ってあーた・・・

ライブが決まった時にちゃんとみんなに送ってあるやん!!!(怒)

全くもって爆風銃の人たちは人の話を聞かんから困る・・・
(あ、ワシもか・・・)

ShirasakiEmiSession.jpg

何じゃかんじゃでライブが始まった。
いや〜えみさんの存在感は圧倒的やな・・・(驚)

「いやー今日はロックのドラマーと爆音のセッションです」
と紹介してくれるが、
上々颱風の曲やオリジナル曲では日本タイコのようなリズムを刻むので、
3曲目まで一切ロックリズムはなくタムしか叩いてませんがな!!(笑)

純日本風の曲ばかりでなく、ジャニスジョップリンやレッドツェッペリンの曲もやるのだが、
いや〜コブシが回っていて圧倒的な存在感!!

洋楽をこれほど「自分のもの」にした日本人歌手もおらんやろうなぁ・・・

「店の雰囲気をこれほど変える出演者も珍しい」
と常連さんも大喜び。
「末吉さんをここまで煽るボーカルって珍しいよねぇ」
と仮谷くん。

そう言えば特に女性ボーカルの場合は、声量のない歌手などは中国でも
「ボーカルマイクにボーカルよりもドラムの音ばっかりやないかい!!」
とエンジニアに怒られたり、
一生懸命演奏すればするほど、
「歌手がバックに食われてるんだよね」
と酷評されたり、
えみさんぐらいの個性と存在感があればワシなんか何やっても吹っ飛ぶな(笑)

笑って泣いて、なかなか感動のライブでした。
再演が決定!!

12月17日(火)に同じメンバーにて鶴ヶ島ハレ
12月20日(金)にホッピーさんがHeyskeさんに変わってうちで〜

お時間のある方は是非楽しいお酒を飲みにいらして下さい〜

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