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X.Y.Z.→A オフィシャルサイト 八王子 ライブバーX.Y.Z.→A 爆風スランプトリビュートアルバム WeLoveBakufuSlump
今回新録された楽曲のみを
おまけComplete」
としてCD化しました。
OmakeCompleteJacket.jpeg 爆風スランプトリビュート盤を既にご購入されている方は、このCDを買えば「完全版」となり、更には他のCDには収録されていないファンキー末吉の「坂出マイラブ」も収録されてます。
「完全版」としてセットで買うと500円お得な2枚で3500円のセット販売もあります!!
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爆風スランプトリビュートアルバム WeLoveBakufuSlump

2012年10月29日

日本語ってほんとに難しい・・・

北朝鮮ロックプロジェクトの発売日まで1ヶ月を切った。
だが校正は続く・・・

OninoHenshuuSatou.JPG

鬼の編集「佐藤」がやって来て、全ての直し部分を1ページずつ確認!!

例えば「確認と言うことは」と言うと、
これは正しい日本語としては「確認ということは」でなければならない。

どちらの「言う」が漢字で、どちらを「いう」にするか、とか、
「会社で直して来る」のは「来る」なのか「くる」なのか、とか、
日本語としてどれが正しいのか、ということ以外にもいろいろある。

この本は北朝鮮の少女たち
(ちなみに「少女達」は全て「少女たち」に統一)
と「音楽交流」の話なのだから、
当然ながら音楽用語がたくさん出て来る。

(この「来る」はひらがなが正しいのか?ようわからん・・・)

例えば「バスドラ」である。

音楽を知ってる人は「バスドラ」は「バスドラ」なのであるが、
音楽を知らない人にとってはそれが何であるのか想像だに出来ない。

(ちなみに「予想だに出来ない」とは言うが「想像だに出来ない」とは言わないらしい)

仕方がないので「バスドラ(バスドラム:足踏み式大太鼓)」とか注釈を入れる。

ところがいろいろ直して行って、
(ちなみにこの「行って」も「いって」が正しいらしい)
「ハイハット」に「足踏み式合わせシンバル」と注釈を入れようとした時に、
さすがの鬼の編集「佐藤」も「もういいでしょ・・・」とあきらめた。

注釈ばっかでよけいわけがわからなくなるのだ。

出版社には「校正のプロ」という人がいて、
その人を中心に少なくとも4〜5人の人がみんなで原稿をチェックする。

そりゃ「プロの目」は厳しいですよ〜・・・

そしてその「プロの意見」をどこまで採用するかは、
担当編集者である「鬼の佐藤」の仕事なのだ。

「この表現はこちらに直していいですか?」
全ての項目に「作家」であるワシのお伺いを立てる・・・

ワシ・・・もういいです・・・全て任せますのでそちらでいいように直して下さい・・・(涙)

「平壌6月9日高等中学校軽音楽部〜北朝鮮ロックプロジェクト」
(順調にいけば)11月26日発売です!!

順調にいくのか?・・・(涙)

Posted by ファンキー末吉 at:13:51 | 固定リンク

2012年10月27日

ユナの文化祭

ユナの歌う歌大募集」で募集した歌で、
昨日ユナちゃんが無事文化祭で歌を歌いました。

いや〜よかったよかった〜・・・

それにしても世の中には才能ある人がいっぱいおるんやな。
この曲も含めて、選ばれなかった曲も全て、
ユナが春に北京に来た時に全曲レコーディングしようと思います。

参加してくれた皆様どうもありがとう御座いました。

11月10日(土)、もしくは11日(日)に大阪に来ることが出来る方には、
私が本場の朝鮮料理でもごちそうさせて頂きます。


11月10日(土)17時〜「老呉(LaoWu)結婚披露パーティー&世界平和激鉄MAX宴会」‎
うまいもん家 雅楽
〒581-0038 大阪府八尾市若林町1丁目91
072-948-4112

11月11日(日)昼頃か〜コリアンタウンまつり2012
タイムスケジュール

におりますので見かけたらお声をかけて下さい。

Posted by ファンキー末吉 at:06:10 | 固定リンク

2012年10月24日

北朝鮮プロジェクトついに書籍化!!

と言ってもまだ最終ゲラ直しが終わってない・・・

でもとりあえずは発売日が大決定になり、
まあ一応本国の了承も取れたということで、
よっぽどのことがない限り
11月26日(月)に発売致します!!

NorthKoreaRockProjectBook.jpeg

下記の情報ですぐに本屋さんでご予約ください!!

発売日:2012年11月26日(月)

著者:ファンキー末吉

出版社:集英社インターナショナル

タイトル:ピョンヤン6月9日高等中学校軽音楽部
~北朝鮮ロックプロジェクト~

定価:1575円(本体1500円)

Amazonでの予約はこちら:

プロローグ:北朝鮮? いいですよ、行きましょ!!

このプロジェクトを目にした全ての人がまっ先に浮かぶ疑問、
「なぜこいつだけがあの国でこんなことが出来るのか」
が詳しく書かれています。

また、92年に中国の朝鮮族自治区から凍った河を渡って北朝鮮に密入国したエピソードも・・・


第1章:平壌をロックに染めてやる!

初めての渡航。
少女たちの演奏をロックにアレンジ。
そして人民と酒を飲み、マスゲームのようなフォークダンスを踊り、
挙げ句の果てには広場でドラムを叩いて咎められて案内人と共に逃げる!!


第2章:北朝鮮のオリジナル・ロック曲

2度目の渡航。
「ムルムピョ(クエスチョンマーク)」というゴリゴリのロック曲を書いて、
少女たちと1週間缶詰になってそれをレコーディングするが、
模範演奏でドラムをぶっ叩いた瞬間に軍部から中止命令が来る。

この楽曲は後ほどこちらに音源をUPします。


第3章:チベットで発見した「ロックとは何か」

自分の能力以上のものを生み出した苦しみから逃れようと、
少女たちと作り上げた「ムルムピョ」をラマ僧に聞かせるべくチベットへ。
そこでラマの高僧との問答を通して「ロックとは何か」を悟る。


第4章:次世代の部員との本気のセッション

3度目の訪朝。
今度は自ら少女たちの中に入ってドラムとアコーディオンの楽曲を録音。
心を通い合わせなければ完成しない楽曲のために、
何度も話し合い、ぶつけ合い、1週間のガチのセッションの中で、
少女たちから大きなものを教わる。
愚かなのは実は自分だったのである!!

このガチのセッションの音源は後ほどこちらにUPします。


第5章:新人類たちとのロック

数年振りに降り立った平壌の街は大きく変貌していた。
そこで育った「新人類」とも言うべき現代っ子たち、
そこは以前とはまるで違う「けいおん」であった。


第6章:はるかなる北朝鮮〜さようなら愛弟子たち

金正日体制が終わった直後の最後の渡航。
少女たちにとって「将軍様」とはどんな存在なのか?
あの涙はホンモノなのか?
この国はどうしてこんなに金があるのか?
そして何より、
「何故このロックプロジェクトがこの国に受け入れられたのか」
の謎が解き明かされる。

Posted by ファンキー末吉 at:01:13 | 固定リンク

2012年10月23日

中国ロックを作り上げた日本人ギタリスト

甘利匡輔という男がいる。

日本ではその名前を知る人はほとんどいないだろう。
中国でも今はその名前を知る人は少なくなったが、
ワシ世代、もしくはそのせめて10年やそこら下の中国ロックファンでその名を知らない人はいない。

ワシなんかが中国に行くもっともっと前、
天安門事件より更に前に彼は北京に留学し、
中国ロックの創始者「崔健(Cui Jian)」のバンドに入った。

いち留学生がその中国ロックの創始者と共に、
中国ロックの歴史に残る名盤を作り上げたのだ。

CuiJianJieJue.png

奇異な運命である。

留学生仲間と対バンライブで崔健(Cui Jian)と一緒になった彼は、
その後「バンドを手伝ってくれ」という連絡を受ける。

人生にはいろんな出会いがあるが、
多くの出会いはそこに飛び込まないがために「縁」がなく終わってしまうが、
崔健(Cui Jian)の1枚目をすり切れるぐらい(当時はカセットしかなかった)聞いてて大ファンだった彼は二つ返事でそこに飛び込んだ。

そこから彼の崔健(Cui Jian)との「青春」の日々が始まる・・・


実はこの甘利匡輔という男、帰国して八王子近辺に住んでいたのだ。

昨日ワシは彼と20年振りに会って酒を飲み交わした。

FunkyWithAmariKyosuke.JPG

ちなみにワシらは北京で会ったことはない。
前回会ったのも彼が帰国した1992年のことだったと思う。

「あの頃はとにかく落ち込んでて、何も話す気になれなかったんです」
と彼は言う。

そりゃそうだ。
中国にいればロックの「歴史」の人、
日本に帰れば誰もそんなことは知らないただの「人」なのだ。

そのギャップを埋めるのに彼は10年かかったと言う。
今は楽しく「日本人」として(笑)生きていると言う。


ワシが最初に北京に行ったのは90年、
彼が帰国したのは92年。

だが彼は崔健(Cui Jian)と「青春」を共にし、
ワシは黒豹(Hei Bao)と共にし、
北京ではそのふたつは交わることはなかったが、
ここ八王子でそれが交わった。

「あの頃はよかったねえ」
そんな話でいつまでもいつまでも酒を飲み交わした。


2年前、崔健(Cui Jian)が来日した時に彼のところに連絡が来て、
そのステージに呼ばれて一緒に「快让我在雪地上撒点儿野」を演奏したと言う。

「どうして僕なんか呼んでくれたんでしょうね・・・」
彼はそう言ってたがワシはこう言い返した。

「例え大スターになっても
崔健(Cui Jian)にとってはいつまでたっても甘利くんは青春なのよ!!」


1枚目を一緒に作ったADOというバンドと別れ、
崔健(Cui Jian)は「自分のバンド」を組む為にメンバーを探していた。

甘利くんを見つけて毎日毎日リハーサルをした。

昼飯を食って2時頃集まり、
休憩なしでずーっと彼の曲を演奏する・・・
何時間も何時間も練習する・・・

甘利くんにとっても辛くも何ともない。
彼が留学時代に見たあのステージの感動、
すり切れるほど聞いたカセットのあの曲、
憧れの崔健(Cui Jian)と一緒にプレイしているのだ。

日が暮れて「腹が減ったなぁ」となるとみんなでメシを食いに行く。

当時はビールの次は白酒、しかも二鍋頭(ErGuoTou)しかない。
それを飲む・・・ひたすら飲む・・・

毎日毎日ぶっ倒れるまで飲んで、また翌日休みなくギターを弾く。
そんなことを3年間、毎日毎日続けた・・・

当時は「打ち込み」の機械なんて存在しない。
崔健(Cui Jian)にとっても自分の「音楽」を作り上げるためにはどうしても「バンド」が必要なのだ。

こうして作り上げた数々の名曲の中に甘利くんの「ギター」がある。
崔健(Cui Jian)にとっては甘利くんのギターがなくては自分の「サウンド」は出来なかったのだ。

その頃ワシも遅ればせながら中国に行き、
黒豹と出会って天津体育館でドラムをぶっ叩く。

「会場に着いたら絶対に口を開くな」
そう言われたよね?!!
うんうん、言われた言われた(笑)

外国人がステージに上がってロックをやる・・・
そんなことをやったらどんな目に遭うやらわからない・・・
そんな「時代」だった。

甘利くんはそれをワシより前に3年間も崔健(Cui Jian)と一緒にやり続けていた。

雪の中でプロモーションビデオも撮った。
いろんなところにツアーも行った。

その後、甘利くんは北京から去り、
ワシは黒豹(Hei Bao)たちと商業ロックの黎明期を築いた。

ふたりの日本人のうち、ひとりが築き上げた「ロック」に、
もう一人が引導を渡したようなものである。

「何で帰国したの?」
素朴な疑問として甘利くんに聞いた。

「金がなかったんですよ・・・」

今でもそうだが諸外国と違って外国人が「アルバイト」など出来る国ではない。
崔健(Cui Jian)がいくらロックの創始者だったとしても、
バンドメンバー全員を食わせるほど金持ちでもない。

みんな貧乏だった・・・でも楽しかった・・・

ワシも黒豹(Hei Bao)相手に毎日飲み明かしたあの日々を思い出して目頭が熱くなった。

この映像は甘利くんが帰国した後に行われた崔健(Cui Jian)の北京でのライブ映像である。

メンバーは変わっても、
崔健(Cui Jian)は甘利くんと一緒に作り上げた歌を今も歌っている。

最後に彼の代表曲である「一块红布(一切れの赤い布)」を紹介したいと思う。

女が男に赤い布で目隠しをする。
「何が見える?」と聞かれて男は「幸福が見える」と答える。
とても気持ちがよく、自分がどこにいるのかもわからない。
女は尋ねる。「どこに行きたい?」。
男は答える。「あなたの行くところに」。
女は尋ねる。「何を考えてる?」。
男は答える。「あなたが主で私は従だ」と。
ここは荒野ではないと男は感じる。
例えそれが既に干からびてしまってても、自分にはそれを見ることが出来ないから。
男は渇きを覚える。女はその口を優しくふさぐ。
僕はもう歩けない。僕はもう涙も出ない。身体はすっかり干からびてしまったから。
でも僕はずーっとあなたに着いてゆく。だって一番苦しいのはあなた自身なのだから・・・。

「ファンキーさんなら分かると思う」
甘利くんはこの曲の話が出た時にそう言った。

西側社会では「反体制」というくくりでしか語られない崔健(Cui Jian)、
でも彼ほど毛沢東を敬愛し、中国を愛している人間はいない。

「この歌は・・・悲しいのよ・・・」

崔健(Cui Jian)はこの曲を演奏する時に共産党を表す赤い布で目隠しをしてトランペットを吹く。
甘利くんは何万人の中国人が涙しながら拳を上げるのをステージの上から見ていた。

中国ロックはこうして・・・始まった・・・


そしてワシは、崔健(Cui Jian)が、甘利くんが作った「中国ロック」のレールの上を、
今もまだひとりとぼとぼと歩いている。

日本人が誰も知らないひとりの日本人ギタリストが作った道の上を・・・

Posted by ファンキー末吉 at:08:24 | 固定リンク

2012年10月22日

素敵な常連さん(2)

昨日も嫁が店に駆り出されて手伝いに行ってた。

昨日は5Fは地元のグルーブパーティー、
楽器を持ち寄って延々1コードでグルーブを楽しむというもの。

そして6Fはスーパーベーシスト永井敏己率いるTOSHIMI SESSION。
今回はギター米川英之、ドラム今井義頼というメンバーである。

まずこの今井くんのドラムにうちの嫁が心奪われた。

「初めて見たけどむっちゃ素晴らしいドラムやったでぇ」
翌朝嫁が嬉しそうにそう言う。

まあファンキー末吉の嫁に絶賛されるんだから大したもんである(笑)
嫁は続ける。

「しかもなぁ。歳聞いたらびっくりしたでぇ。24歳やて!!」

本人に「え?!そんなに若いんですか!!」と言ったら、
「じゃあいくつに見えましたか?」と苦笑して聞かれたと言うが、
ルックスの問題ではない。ドラムの上手さである。

例えばヘビーメタルというジャンルは、「若手がいない」と言われたりする。
その高度なテクニックを習得するのにかなりの年月が必要であることから、
若いミュージシャンではなかなかそのレベルに達せないからである。

嫁が驚愕したのは彼のロック、Jazzを問わない幅広いテクニックと、
それぞれが決して付け焼刃ではない安定感なのであろう。

自分のダンナが40年間ドラムを叩いてやっと来たこの域に、
24歳の若者がリーチをかけようとしている・・・
それに対する驚愕なのであろう。

そして嫁の話は続く・・・音楽の話から全然それて常連さんの話。

「パパのお気に入りのA子さんがねぇ・・・」

世のダンナ族はこのような意味ありげな言い方をされたらドキッとして馬脚を表すのだろうが、
まあワシの場合、馬脚も何もとっさに何を言ってるかよくわからなかった。

「米川のA子って言ったらファンキーさん絶対わかってくれるから!!」
と彼女はそう言ったらしい。

それで思い出した!!
米川ライブには必ず最前列に座る生粋の米川ファン、
お歳の頃はまあC-C-B時代からと言うと想像出来るだろうが、
それを信じさせないほど若くてお美しい。

美熟女と言うよりは美魔女・・・
その「魔女」とはまたその「酒癖」がおありになってのことである・・・

いや、酒癖と言っても酔って暴れたり人に迷惑をかけたりとかそんな類ではない。

「楽しい酒」と言うか、周り、特に殿方たちにとってはとにかく楽しい酒をお飲みになる素敵な女性である。

昨日もお酔いになって店のワインを全てお空けになって一言、
「あら、赤間くんならスグに下まで買いに行ってくれるわよ〜」

あいにくその日はスタッフの赤間も、
鼻の下の長〜いえとーさんもいなかったので嫁がいそいそ買いに行く。

これホントお店にとってはとても嬉しいお客さんなんですよ〜
毎回たくさん頼んで頂いて楽しく飲んで頂いて、
おまけに鼻の下を伸ばした男性スタッフの心まで和ませてくれる・・・

米川くんも素敵なファンを持ったなぁ・・・
とワシも常々思っておったのじゃが、
そこでいきなりワシの話が飛び出して来る。

「ファンキーさんは来ないの?!!」
まあTwitterで「今日は子守」とつぶやいていたので他の米川ファン仲間がそう耳打ちする。

「あらそう、残念〜!!ファンキーさんだったらA子の言うことな〜んでも聞いてくれるのに〜」

これには嫁も大爆笑!!

ちなみに嫁も別にヤキモチとかそんな感情は全然ない。
このダンナがそもそもこのスパイだらけのこの店で、
すぐにバレるような悪いことをするはずはないのだ。

ただダンナがA子さんに振り回されて右往左往する姿が目に浮かんだのだろう、プッと吹き出してしまった。

それを見たA子さん、ふと嫁を見て、
あまり会ったことがないスタッフだと思ったのだろう、こう聞いた。

「ごめんなさい、お名前まだ聞いてなかったわねぇ。何ちゃんって言うの?」

嫁は笑顔でこう答える。
「キャナで〜す!!よろしくお願いします〜」

その場にいる人が耳打ちする。
「ファンキーさんの奥さんですよ・・・」

「ギャー!!!!」

A子さん、あなたは素敵なお客さんだ。
米川ライブ以外にも是非またお越しになって下さい。
ファンキー末吉はじめ、店のスタッフ全てはあなたのために何でもやらさせて頂きます。

素敵な常連さんが集まる店、Live Bar X.Y.Z.→A、今日も元気に通常バー営業しております。

Posted by ファンキー末吉 at:10:07 | 固定リンク

素敵な常連さん(1)

日本に帰ったらひたすら子守をする。
遠洋漁業の漁師の家庭のようなもんなので、
丘にいる間に会っとかなければいつ今度またいなくなるやらわからないのだ。

ワシが子守をしている間、嫁は時々店を手伝いに行く。
「キャナBar」と称して自分のイベントを開く時もあれば、
今月から5Fをライブのない日はまた通常営業することになったので、
人出が足りない時に嫁も駆り出されたりもする。

そんなある日、嫁がひとりで5Fの店番をしていた時、
一見さんのお客さんが恐る恐る店に入って来た。

黙ってカウンターに座ってウィスキーを頼み、
それを飲みながら至って無口である。

「この店にいらっしゃるのは初めてなんですか?」
恐る恐る嫁が聞いてみる。

ハードボイルド風に静かに頷く寡黙な一見さん。

酔いが回ってくる。
ハードボイルドでも酔いにはかなわない。
一見さん、少しずつボソボソと喋り出す。

「近所に住んでて実はこの店ずーっと気になってたんですけどね・・・」

だいたいこの店を気になるような人種は「ロックファン」である。
恐る恐る嫁が聞いてみる。

「音楽お好きなんですか?」

一見さん、ハードボイルドが少し崩れてちょっと恥ずかしそうに喋り出す。
「いや〜僕の好きな音楽なんて周りは誰も聞いてませんから・・・」

これはとてつもなくマニアックなバンド名が出るかも知れない・・・
嫁は更にさりげなく聞き出そうとする。

「どんなの聞いてるんですか?」

ハードボイルドな一見さん、
気がつけば気さくな中年のオジサンに変身し、恥ずかしそうにこう答える。

「ラウドネスとか・・・」

吹き出しそうになる嫁は笑いをこらえてウィスキーのお代わりを作る。
一見さん、続けて喋る。

「二井原さんが八王子に引っ越して来たと聞いて、
狂喜乱舞してたんですよね・・・僕ひとり・・・。
それで二井原さんのブログはいつもチェックして、
その流れでファンキーさんのブログもいつもチェックしてて、
この店にはいつか来ようとずーっと思ってたんですけどね・・・」

聞けばどうもこの店は非常に敷居が高いらしい。
関係者以外立ち入り禁止だと思っていたらしい。

「そんなことないんですよ。
ライブのない日は近所の常連さん達たちがいつもバカ言って飲んでますからいつでもいらして下さい」

嫁はまた一見さんにハードボイルドにウィスキーを作りながら、
「ウィスキーお好きなんですね」
と聞いてみる。

一見さん、ちょっとばつが悪そうにこう答えた。

「いや〜、ほんとはいつもビールなんですけどね、
ほら、Barとか書いてるからやっぱウィスキーでも飲まないと叱られちゃうかなと思って・・・」

一見さん、いやもう一度来て頂いてるから新しい常連さん!!
ビールがんがん飲んで下さい!!

次にいらした時には二井原の恥ずかしい写真をいっぱい用意して、
あいつがどれだけアホかを肴に一緒に飲みましょう!!

素敵な人種が集まるLive Bar X.Y.Z.→A
あなたと話が合うロックファンにきっと出会えます(笑)

Posted by ファンキー末吉 at:09:24 | 固定リンク

2012年10月14日

中国美女の友人達

李慧珍(Li HuiZhen)からバンドをやろうと誘われてからもう数ヶ月経っている。

中国のTwitter微博(WeiBo)などで「今日から北京に帰るよ〜」などとつぶやくと、
「いつまでいるの?」とResが来るが、残念ながらスケジュールがなかなか合わない。

年末にはEP(日本で言うシングルみたいなもん)出すからね、
と言うので年間スケジュールを送ったがなしのつぶて。

どうも全然スケジュールが合わなかったかららしいが、
今回はやっとお互い北京にいるということで、
「じゃあむっちゃくちゃ美味しいお肉をご馳走するわ」
ということになった。


向かった所は香港式火鍋,
ワシはちょっと早く着いてしまったので先に座っとこうとばかり中に入ったら、
いきなりLaoLuanの奥さんに遭遇。

「何やってんの、こっちよこっち」と彼らの部屋に連れて行かれる。

「いや、李慧珍とメシ食いに来たんだけど・・・」
と言いながら、じゃあ彼女が来るまで先に一杯やっとこうとそこに座り込む。

そこにはこの前一緒に飲んだ美女が座っていた。

SunTing.jpeg

元女子十二学坊の二胡奏者の孙婷(Sun Ting)である。

女子十二学坊などそれぞれのメンバーに何の発言権もなく、
給料もひと月2000元ぐらいで、文句を言ったら
「代わりなんかいくらでもいるんだから」
とクビになる。

彼女も早々とやめて今に至るのだろうが、
この周り(このテーブル)にいる人脈を見ると、やめて正解だったのではと思う。

性格も明るくて楽しいお嬢さんで、前回飲んだ時には二胡も弾いてくれた。

ちなみに隣で騒いでいるアホなオッサンが、
昨日ブログで書いた黒豹のドラマー趙明義である(笑)

「周りにいる人脈」というのは彼のことも含まれる。

今日のテーブルの流行音楽界や映画界の偉い人達だけではなく、
まあご覧の通りアホなオッサンなのだが、業界では(特に裏社会)では大きな力を持つ。

そう言えばこんなこともあったなぁ・・・
と李慧珍が来てから思い出話に花が咲いた。


李慧珍はお母さんを連れて来た。

深々と私に頭を下げる。
「娘をこんなに長きに渡って支持してくれてどうもありがとう」

彼女とはもう20年になるが、彼女の人生も決していいことばかりではなかった。

ホリプロが全中国で行ったスカウトキャラバン、
「中国の山口百恵を探せ」
で3位に入賞した彼女も、北京の水が合わなかったのか、
来てすぐに吹き出物は出るわ太っちゃうわ。

日本側は「これでは・・・」ということで
彼女を外して他の娘を入れて「中国のホリプロ3人娘」として売り出した。

しかし彼女の歌のうまさは中国側も何とかしたいということで、
その後ワシと出会ってソロアルバム「亜洲鼓魂」で彼女を起用。

そしてその後にプロデュースした彼女のアルバムは鳴り物入りでデビューしたホリプロ3人娘よりもヒットした。

しかしその後事務所ともめて干される時期もあり、
脳に大きな病気をして生死をさまよう手術もした。

今は、まあトップ歌手というわけではないが有名歌手のひとりだし、
高級車を乗り回すほどの金持ちでもあるが、
思えば彼女の人生の中で、ワシと出会ったことが一番「幸運」だったのかも知れない。

お母さんは彼女が北京に来て太ったことにより不運が訪れたと思ってるのか、
今のような痩せている彼女が好きだと言うが、
ワシはあの出会った頃のあの田舎者の感じの彼女が好きだ。

数年前に撮った写真だというが、その頃の面影がある写真がこれ!!

LiHuiZhenPhoto.jpeg

残念ながらこの写真はお母さんはあまり好きではないらしい(笑)


思い出話に花が咲いてる頃、私たちの部屋に突然美女が飛び込んで来た。
ホリプロ3人娘のひとり、張茜(Zhang Qian)である。

ZhangQianPhoto.jpeg

いや、不覚にも写真を撮り忘れたので、
彼女の写真の中からその日のイメージの写真を選んだのじゃが、
いやいやこんなもんじゃないぐらいびっくりするぐらい美人じゃった!!!

とりあえず彼女の写真のサイトがあるのでこちらを見て想像して欲しい。

ちなみに李慧珍の写真はこちら!!

ふたりとも18やそこらの小娘だったのが、今や40歳。大人の女である。

人生いろんなこともあっただろうが、まあ二人とも高級車を乗り回して、
それなりに楽しい人生を歩んでいるのじゃろう。

いろんな思い出話を語りながら食った料理はとっても美味しかったぞ!!

また奢ってくれ〜!!

Posted by ファンキー末吉 at:12:41 | 固定リンク

2012年10月13日

黒豹(HeiBao)のレコーディング

ワシが中国にいるのは黒豹(HeiBao)あってのことである。

天安門事件の翌年、ふらっと来た北京旅行の最終日、
音楽茶座(まあカラオケ屋みたいなもん)のボーイに
「今日ロックパーティーがあるよ」
と言われ、「危険だから行くな」という仲間を振り切って、
「朝までに帰らなかったら大使館に連絡してくれ」
と言ってひとり飛び込んだ地下クラブで、
当時アンダーグランドだった彼らの演奏を見て血が逆流し、
「俺も中国人になる!!」
と言って今がある。

中国政府が「精神汚染音楽」として締め付けを厳しくしている時代、
ロックが本当に「ロック」だった時代である。

その後天津体育館での彼らのコンサートにドラマーとして参加してドラムソロをぶっ叩いた。

「会場に着いたら絶対に口を開くなよ」
外人だとバレたらどんなことになるかわからない、そんな時代だった。

ドラムの趙明義(Zhao MingYi)がその時から、
ワシが北京に来る度に金魚のウンコのように後を着いて来た。

「何かドラムのアドバイスをくれ」と言うので、
「お前はおどおどして叩いてる。俺はナンバーワンなんだと思って叩け!!」
と言った。

ホテルの部屋で「俺はナンバーワンだ!!」と叫ばせた。
「声が小さい!!もう一度!!」
何度も何度も叫ばせた。

「それだけで見違えるようにドラムが上手くなった」
とその話は人づてに中国で伝説になっている。

そんな彼もそのうちにバンドのマネージャーも兼ねるようになり、
商売もやって夜総会を5軒も経営しながらこんなことを言い出す始末。

「俺は商売人の中でドラムが一番上手い、ドラマーの中で商売が一番上手い(笑)」

諸外国と同じく、ロックがよかった時代はあっという間に過ぎ去り、
黒豹(HeiBao)は彼のマネージメントの元、
ボーカリストを次々にチェンジしながら過去のヒット曲を演奏して金にする商業ロックの権化となり下がった。

それでも趙明義(Zhao MingYi)はワシの人生では節々に大きな出来事を運んで来る。

北京に引っ越して来て、中国ロックがどんどん商業化されてゆく中、
「俺はここで何をしてるんだ・・・」
と悩んで失意のどん底にいた頃、突然彼から電話がかかって来た。

「今、二毛(ErMao)と一緒にあなたが叩いた許巍(XuWei)のアルバムを聞いてました。
音楽の中でドラムがどれほど大切なのかがよくわかりました。
僕たち二人は最初からもう一度あなたにドラムを教わりたい」

何かそのひと言で悩みが全部吹っ飛んでしまい、
「お前らにもまだ音楽を聞く耳はあったんだな(笑)」
と憎まれ口を叩きながら嬉しくてちょっとほろっとした。

中国で一番金を稼いだバンド「零点(LingDian)」のプロデュースをやることになったのも趙明義(Zhao MingYi)の強い推薦があったからである。


そんな彼からまた突然電話が来た。

「ファンキーさん!!北京にいるのか?!!そりゃよかった!!」

聞けば黒豹がアルバムをレコーディングしているが、
1曲どうしても叩けない曲があるので叩いて欲しいと言う。

まあ零点(LingDian)でも後期は全部ワシが叩いてたし、
売れているバンドが実際に演奏しないのは別に日本だけに限ったことではない。

何より、この長い付き合いで実は黒豹(HeiBao)と「仕事」をしたことは一度もなかったので、
それが嬉しくて喜んでスタジオに駆けつけた。

HeiBaoDrumset.jpg

彼のドラムセットがセッティングされている。
セッティングもそのままで叩かせてもらうことにした。

曲を作ったキーボードの惠鵬(Hui Peng)と共に、
趙明義(Zhao MingYi)がどう叩いてくれといろいろ注文をつける。

本当は自分がこう叩きたいんだけどどうしても叩けないのが、
ワシがどんどんとそれを実現させてゆくのが楽しくて仕方ないようだ。

「ファンキーさん!!あなた何叩いても機械のように正確ですよ!!凄い」

と言う彼に、
「おう!!お前専属のドラムマシンだと思って何でも言え!!」
と答える。

フィルなんかも「もっと叩きまくって埋めてくれ」と言うので、
「お前、ライブはどうすんだよ!!」
と言うと、ギターの李彤(Li Tong)が、
「練習すんだよ!!それしかないだろ!!」
と笑った。

商業ロックの権化として若いロッカーから忌み嫌われている彼らの、
そんな笑顔を見てるうちに、
「ああ、こいつらもやっぱ音楽好きなんだな」
と思ってちょっとほろっとした。

叩き終わって、
「クレジットどうすんの?
俺は別に自分の名前でなくてもお前が叩いたことにしてもいいよ」
と言うと、
「ファンキーさん、それはいかんでしょう・・・
これを自分が叩いたなんて言ったらみんなに総スカン食っちゃうでしょ」
と頭をかいた。

FunkyWithHeiBao.JPG

そう言えば前回飲んだ時に、彼はこんな面白いことを言っていた。

「ファンキーさん、僕ドラムやめようと思うんです。
黒豹(HeiBao)の新ドラマーは全国でオーディションして、
もうどんどん若いミュージシャンにバトンタッチしていっていいんじゃないかな、と」

「それはいいアイデアだ!!」
とワシは絶賛した。

どうせ過去のヒット曲で稼いでいるバンドである。
それが誰が演奏してたってそのヒット曲さえあればいい。

要は黒豹(HeiBao)が「会社」みたいになって、
自分は株主、運営するのは別のミュージシャンというわけだ。

こんなことをやったバンドはいないし、
まあいかにも趙明義(Zhao MingYi)らしいアイデアだが、
オーディション自体が全国的に大きなプロモーションになるし、
何よりも若手にチャンスを与えられるというのがよい。

まあでもレコーディングの時のあの嬉しそうな顔を見る限り、
そのアイデアはまだまだ実現されまい。

まあそれまで「一番商売が上手いドラマー」として頑張ってくれ(笑)


あの日、「世界がなくしたロックがここにある」と感激して中国に来たワシは、
黒豹(HeiBao)がどんどん商業化されてもまだ取り残されたようにそこにいる。

もう今は交わることはほとんどないけど、
商業化するならとことん商業化すればよい。

ワシはいつまでもあそこで、あのままの自分のままで、
ずーっとお前達を「よき友人」として見守ってゆきたいと思うぞ!!

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2012年10月12日

曲を作るということ

昨日若い衆にメシを奢ってもらいながらふと思い付いた。
「そう言えばお前ら、新しいアルバム制作らしいなぁ・・・」

彼らの前作にはワシの曲は入っていない。
BeiBei
「僕はこんなに素晴らしい曲をこんなにたくさん生み出したというのに、
それを形に残さなければこんなもったいないことはないとは思いませんか」
というゴリ押しの電話を何度も何度もかけて来て、
「相手にしないより一度付き合ってあげた方がまだ楽だ」
と思ってアルバムを作ってやっただけの話なのだ(笑)

しかしその全ての楽曲には彼の魂が入っていて、
それに突き動かされてついつい一生懸命アレンジしてしまった・・・

「曲を作る」という作業は「ゼロから一を生み出す」ことで、
それはそれは大変な作業だと思う。
「アレンジする」という作業は「一を百にも千にもする作業」で、
ワシに取ってはまだ気楽な作業である。

十分「職業」としてやっていけるが「作曲」は無理!!!(> <)


こう言うと不思議に思われることが多かったが、
ワシは作曲という作業が嫌いである。

「今だに日本ではドラムの収入より印税の収入が多い人間が何を抜かす!!」
と思うかも知れないが、嫌いなもんは嫌いである。

まあRunnnerを生み出してから、業界の人から
「Runnnerのような曲を作って下さい」
というアホな発注ばかり来ててから嫌い度は加速したが、
やはりもともとそんなに好きではなかったのであろう。。

それなのに何故作曲なんかやり出したかと言うと、
爆風銃(バップがン)というバンドには曲を書けるメンバーがいなかったからである。

1980年にEstWestというヤマハのバンドコンテストに出場して落選。
その時に「オリジナルがないからだ」ということで、
自分が書くしかなかったから一生懸命書いていただけの話である。

決して楽しくはない。
どうしようもない曲を書いては練習スタジオでみんなにボロクソに言われる。

「ほなお前が作れ!!」と言うのだが出来るメンバーがいないんだから仕方ない。

後に作曲家になった友人に相談したら、
「ドラムを最初に叩いた時のことを思い出せ」
と言われた。

「メトロノームにぴったり合うことなんて、偶然の偶然でしかなかっただろ?
10分に1回偶然合えばいい方だったのに、
ずーっと叩き続けてたら、それが5分に1回になり、
8小節に1回になり、1小節に1回になり、
最後には全発ぴったり合うようになる。作曲も同じだよ。
お前は才能がないから1000曲かけばまぐれで1曲ぐらいいい曲が出来る。
でも次の1000曲にはまぐれが2曲ぐらいある。
ずーっと続けてたらそのうち書く曲全部いい曲になってるよ」

ああ、そんなことでいいのか・・・
と思ってそれから毎日1曲ずつ書いていって、
練習スタジオでボロカスに言われて続けてまた書いて、
1年かかって何とか2曲だけ出来た曲で翌年グランプリをとった。

ところがその「まぐれ」は続かない。
「コツ」がつかめて来ると、そのある程度のレベルでないと満足出来ないから、
結果、昔みたいに「この程度のレベル」で「1曲出来た」と言えないのである。

産みの苦しみである。
その時から「何となく苦手」だった「作曲」という作業は「嫌い」になった。

爆風銃(バップがン)もその後ホッピー神山や斉藤かんじがメンバーになって、
ワシは「作曲なんて出来る人がやればいい。ワシはもうええやろ」とばかり、
ころころ変わるベーシストのためにレパートリーを譜面に書く作業をしていた。

ワシが譜面が読めるのはその時のこの作業があったからである。


思えば「バンド人生」である。
ドラマーなんてひとりで音楽出来ないんだから、
ドラムを叩きたかったら「バンド」をやるしかない。

「バンド」をやりたかったら「バンド」のために一生懸命「何か」をせねばならん。

その中にある時は「作曲」があり、ある時は「譜面」があった。
それだけの話なのだ。

その後、爆風銃(バップがン)は解散し、爆風スランプとなった。

言い出しっぺのバンドの創設者であり運営者、
つまりリーダーなのであるから影となり日陰となって頑張ったが、
その後、江川ほーじんの脱退が決まり、
「それまでにヒット曲を出さなければバンドは終わる」
という事態となった。

苦しんで苦しんで「Runnner」を生み出した。

運良くヒットしてこれで開放されると思ったら、
「次にヒット曲が続かなければ一発屋でバンドは終わる」
となって、また苦しんで苦しんで「リゾラバ」を生み出した。

そして頭の中で何かがぷつんと切れて中国に行ってしまった。


夕べBeiBeiが「曲が足りないんですよ」というので、
昔のデモ音源を引っ張り出して来てみんなで聞いていた。

もう忘れてしまってる曲もあるし、
どうしようもない曲もあるけれども、
誰も歌ってくれなかったいい曲もたくさんある。

やはり、もう「ある程度のレベル」ではないとというのはまだ続いているのだ。

その代わりもう「毎日1曲作る」などは出来ない。
今では年に数回、盆と正月ぐらいに(笑)ふと
「ああ、こんな曲いいんじゃないかな」
と思い付くことがあり、それをその場にいる誰かに歌ってもらうことがある。

羊肉麺という曲もそうだった。

思い付いて夜中に隣の老呉(LaoWu)を
「おい、お前、これを歌え」
と叩き起こしてデモにした。

人の曲など演奏するのはイヤだという布衣(BuYi)のメンバーを一生懸命説き伏せた。

「俺は今まで世に出した曲だけで数百曲ある。
出てない曲も含めたら何曲生み出してると思う?
その俺が言ってるんだ。この曲は意識して生み出すレベルの曲ではない。
必ずお前らの運命を変える。俺を信じてこれを歌え!!」

そしてその後、この曲は彼らの代表曲となる。

「ファンキーさん、どうしてこんな曲を思い付いたの?」
とBeiBeiは聞くがどうしてなのかよく思い出せない。

ただ、「思い付いた」のである。
わざと出来るレベルのものではない・・・


盆と正月(笑)にたまたまこんなことがある以外は、
今でもワシは苦しんで苦しんで曲を作る。

今回のX.Y.Z.→Aの新譜でも全然湧いて来なくて苦しんだ。

昨日BeiBeiが昔のデモを聞きながら、
「不思議ですねえ。中国に来てから書いた曲と、
日本にいる時に書いた曲と全然違いますねえ・・・」
と言ったが、その通り!!

曲とは「生活」の中から出て来るものなのだ。

まさにX.Y.Z.→Aの曲を書かんと頑張ってた頃、
ワシは寧夏省行って羊肉食ってたんだから中国的な曲しか生まれて来ない(笑)

X.Y.Z.→Aの曲は日本に帰ってからモードを「ロック」に切り替えて一生懸命作った。

思えばこの「何重生活も出来る」人間だからいろいろ曲が作れるというのはある。
(まあ、もっと才能のある人は生活を変えなくても頭を切り替えるだけで作れるのだが・・・)


昨日のデモを聞いてたら、それぞれの曲にそれぞれの「生活」があった。

北京に引っ越して、ドラムでも作曲でもアレンジでも、
とにかく「仕事」をせねばならないのでがむしゃらに作ってた時代・・・

李慧珍とまた一緒にやろうと思って書いた曲や、
イスラム教の友人のために一生懸命作った曲、
その他中国の大歌手に書いた曲もあれば、
今では大歌手になっている歌手がデモを歌ってくれている曲もある(驚)

曲なんぞパソコンの中で眠ってても何の役にも立たない。
BeiBeiよ!!使いたいならなんぼでも持って行っていいぞ!!

残った曲はDropBoxの中に入れて置こう。

ワシが死んだらみなさん、ご自由にお使い下さい。
但し、いい曲もあるけどホンマ話にならんような駄作もありますんでそのつもりで!!(笑)

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2012年10月11日

若い衆のリハーサル

北京に帰って来ていろいろ仕事を整理してたが、
半月で仕上げなければならないテレビドラマの音楽は、
その後直しに直しが来て4ヶ月もやり続けていたが、
無事に2本とも終わったようである。

「ようである」というのは、
結局は今回の仕事は最初にテーマ曲を何曲か作った後は、
方言(Fang Yan)と若い衆達が全部作り上げてくれたから知らないのである。

まあワシがやってたらとっくの昔にケンカしてテーブルひっくり返していただろう。

アホだとばかり思っていた方言(Fang Yan)もいつの間にか大きく育ち、
契約書の問題でキレそうになったのも我慢し、
主題歌を誰が歌うかでまたひと揉めし、
その頃にはもう悟りの域にまで行って、
仕事とは太極拳のようなもの」と言い出す始末。

若い衆が一番苦手な金の回収も、あと残す所2万元のみであると言う。

まあワシなんか
「それぐらいやったらばっくれられてもしゃーないな〜」
と思うところだが、彼はやはり最後までちゃんと仕事をやりたいようだ。

金が無事回収出来たらテーブルの上に並べ、
スタジオの維持費と日本に遊びに来る金を残して頑張ってくれた若い衆と山分けしてちゃんちゃんである。

若い衆も思ったより多くもらえて嬉しがっている。
そりゃそうだ、頑張った人間から多く持っていけばよい。
ワシはこのスタジオが回っていけばそれでいいのよ〜ん。

もうこの「映画音楽家」っつうのをずーっと続けるつもりもないし〜(笑)


若い衆と言えばBeiBeiというギタリストが今うちにリハーサルしに来ている。

WakaishuRehearsal.jpg

派儿(Pair)」というユニットでCDを出したが、
ボーカリストが妊娠して休業していたのが復帰して活動再開するらしい。

レコーディングはワシがドラムを叩いているのだが、
今回は若いドラマーを連れて来てそのリハーサルをうちでやっている。

まあ何でわざわざこんな遠くまでリハしに来るのかよくわからんが、
ワシが帰って来てることも知らなかったのできっと「タダ」だからだろう(笑)

まあいい、若い衆がリハしたらワシが損するわけではない。

「金のない奴ぁ俺んとこへ来い!!」である。
「俺もないけど心配するな!!」である。

「ファンキーさん、いるんですか?そりゃいい!!」
彼はついでに若いドラマーにドラムを教えてくれと言う。

まあいい、若い衆が上手くなったらワシが損をするわけではない。
40年近くドラムを叩いているワシを追い抜くにはあと30年は頑張らねばならんのだ。

頑張りなはれ!!頑張りなはれ!!

というわけでレコーディングではどう叩いているか、
君のテクニックではこう変えた方がいいよとか、
大事なのはフレーズではないリズムであるとか、
まあ大事なことをいろいろ教えてやる。

ボーカルはアコギを弾きながら歌うようだ。

昔はワシや張張(Zhang Zhang)などがライブを手伝ってたが、
もっと活動を広げるためには編成を小さくして、
ボーカルもギターを弾いた方がライブがいっぱい出来るぞということらしい。

いいことである。

ワシとかのスケジュールを待ってたのではいつまでたってもライブなんか出来ない。
若いドラマーを育てて、ボーカルもギター練習してというのは素晴らしい。

ギターの弾き方も含めてアレンジしてやる。

もともと彼らの曲は全てワシがプロデュースしたのだ。
言うならば「ワシの作品」なのである。

せっかく作品を生み出しても、
「売れなければもう歌わない」
とかご無体な現実が多いのはどの国も同じである。

どうせなら自分たちでいつまでも歌い継いで欲しい。
そしてどうせなら高いレベルで頑張って欲しいもんじゃ。

頑張りなはれ!!頑張りなはれ!!

頑張った人はそのあとワシにビールを奢りなさい!!
今日はお前らの金で飲むからな!!

まあビール1本30円やけど・・・(笑)

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2012年10月 9日

うちの嫁はロックの母

今日もファンキースタジオ八王子では金のない若いバンドがレコーディングしている。

何の因果か北京の貧民街に嫁いでしまった嫁は、
当時粉ミルク事件などがあった中国で子供なんか生む勇気はなく、
そいじゃあ日本に家でも買いまひょかと二井原実の二軒隣に家を買ってスタジオにしている。

何せ機材費が400万なのに
防音費は700万もかかったほど完全防音していたはずのファンキースタジオも、
ツーバスのせいかマーシャルのせいか、
今では外にというより家の中にはかなり音漏れがし始めているようだ。

今朝も朝9時頃までマーシャルがガンガン鳴っていた(笑)

我が家がスタジオの入り口の狭い狭い台所で朝ご飯を食べる頃、
エンジニアの崎本くんはコンビニに弁当を買いに行く。

「まだ作業すんの?!!」

びっくりしてそう聞くが、
午後2時からまたレコーディング再開なのでもうスタジオで泊まっていくと言う。

嫁がいそいそと布団の準備をする。
押し入れから布団を取り出して、
シーツをかけて枕カバーをかけて・・・

嫁よ・・・頭が下がるぞ・・・

元々ワシのドラムに惚れて、
「ドラム叩けんなったら別れるからね」
と言って結婚した嫁である。

嫁よ・・・お前が嫁いだのは誰でもない、「ロック」に嫁いだのだ!!

お前のダンナはどうせ日本のロックのため、
いや、ファンキースタジオ北京も似たようなもんなので、
「世界のロックのため(大きく出たな)」に尽くす男である。

嫁よ・・・お前の苦労は誰のためでもない。
日本のロックのため、いやいや「世界のロックのため」なのだ!!

嫁よ・・・お前が敷いてくれた布団は、この金のない若いバンドのため、
いやいや「次世代のロックのため」なのだ!!

・・・とは言うものの、さすがに悪く思えて来て、
嫁が出かけている間に玄関周りの雑草抜きなどをやっていた。

一種類の雑草がいろんなところに生い茂っている・・・

片っ端からそれを抜いていたのだが、
どうも雑草らしからぬ香ばしい臭いがする草である。

「奥さん、この草って雑草よね・・・」
嫁に写メを送ってみる。

「いや、これはシソよ。もうすぐ葉っぱが出来るから食べられるよ」

げげっ!!!

せめてもの慰めは嫁が大切にしているレモンの木ではなかったことである。
どろんするのじゃ!どろんするのじゃ!!

パパは今日も世界平和のためにドラムを叩きに行くからな、
ちょっと早いがもう出かけるよ!!

明日から北京やからな、朝から出かけるからな、
これも世界平和のためやからな、

ほな!!!どろん!!!!

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2012年10月 8日

三科かをりさんの結婚式

一応新郎新婦なのだから新郎の名前も併記すべきじゃろうが、
まあ結婚式は女性のためのもんじゃからやぢま君はどうでもよかろう(笑)

そもそここの歳になって来ると、
結婚式だの目出度いことに呼ばれるより葬式に呼ばれる方が多い(笑)

また若い世代の結婚式だと知り合いもおらんじゃろうからと覚悟して行ったら、
なんとワシの席のド真ん前がカシオペアの野呂一生さん!!

野呂さんと言えば30年近く前、
爆風銃を見て「プロデュースしたい」と申し出てくれて、
アルファレコードの会議室でお話しした以来かも知れない・・・

見ればギターを持って来ている。
プログラムにはちゃんと演奏者として名前が書かれているではないか!!

ちなみにその上にはワシの名前が、「乾杯のご発声」とある。

いつも参加する結婚式は暴言が飛び交うヒドいもの(笑)ばかりじゃが、
さすがにこのような厳粛な結婚式で「お祝いの言葉」というのは緊張モノである・・・

少々の暴言も吐きながら何とかスピーチを終え、
乾杯が終わって野呂さんのステージ。

KaworiWeddingNoroIssei.jpg

なんとあのカシオペアの「Take me」を御本人がアコギ1本で生演奏!!
感激ひとしおである・・・

その他、いろんな人がステージに上がったが、
とにかくどの演奏も歌もずば抜けて上手く、
これは「結婚式」と言うよりは「豪華なコンサート」である。

久しぶりに三科さんのアカペラグループ「4tune」も1曲歌った。

KaworiWedding4tune.JPG

相変わらず素晴らしかったなぁ。

やぢま君とのユニット「AmaKha」のステージでは、
バラードの途中で感極まって泣き出したり、
涙あり笑いあり(笑いはワシのスピーチだけだったが)の素晴らしい結婚式じゃった。

KaworiWeddingCrying.jpg

いいものを見た。
日本のミュージシャン、特にここに列席した方々は世界的にも素晴らしい方々ばかりである。
特に岩瀬立飛さんのラテンドラムは素晴らしかったなぁ・・・

夕方からは同じ場所(横浜モーションブルー)で2次会、
セッション大会が用意されていたのだが、
あいにく夜は店でライブを入れていたので結局ドラムも叩かず先に帰らせて頂いた。

列席者から
「さすがお喋りがお上手でらっしゃる(上手ちゃうわい!!)」
とか、
「テレビでしか見られない方とお会い出来て光栄です(テレビ出てへんちゅうねん!!)」
とかいろいろ言われたのでここでブログネタにさせてもらうが、
料理も美味しく、音楽は最高の素晴らしい「ディナーショー」であった。

やぢま君、三科さん、呼んで頂いてありがとう!!
末永くお幸せに!!!

KaworiWedding.jpg

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2012年10月 6日

教えて分かる人〜

10日からまた北京に行くのだが、
中国人の友人から「謂立健」という胃薬を買って来てくれと頼まれた。

検索すると日本語のサイトでは見つからないが、
中国のサイトではいっぱいヒットする。

在日前结束的第四届国际消化道学术会议上,国际知名消化道疾病专家、日本东京大学医学部利川根进博士介绍,经过长达18年的努力,日本科学家成功研制出了一种新型胃肠道免疫制剂----谓立健,该制剂从调节胃肠免疫、修复胃肠粘膜着手,可用于各种胃肠道疾病,具有快速性、安全性、根本性等优点,填补了全球胃肠免疫修复剂的医学空白。

この「第4回国際消化器学術会議」というのがそもそも見当たらん・・・

「利川根进」という博士は東京大学医学部には見当たらんが、
「利根川進」という博士は京都大学でノーベル賞を受賞しておる。

そもそも「ガセ」か?この薬・・・
誰か分かる人教えて〜・・・

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