ひとりドラムの軌跡

ドラムセットと伴奏をPA設備さえあれば全世界どこにでも行きます!!
呼んで下さい!!こちら ファンキー末吉BLOG モバイル版はこちら
バックナンバー
バックナンバーを表示

このブログのフィードを取得

X.Y.Z.→A オフィシャルサイト 八王子 ライブバーX.Y.Z.→A 爆風スランプトリビュートアルバム WeLoveBakufuSlump
今回新録された楽曲のみを
おまけComplete」
としてCD化しました。
OmakeCompleteJacket.jpeg 爆風スランプトリビュート盤を既にご購入されている方は、このCDを買えば「完全版」となり、更には他のCDには収録されていないファンキー末吉の「坂出マイラブ」も収録されてます。
「完全版」としてセットで買うと500円お得な2枚で3500円のセット販売もあります!!
ファンキー末吉関連グッズ
(書籍)











ファンキー末吉関連グッズ
(CD、DVD)


















ファンキー末吉関連グッズ
(その他)

爆風スランプトリビュートアルバム WeLoveBakufuSlump

2009年5月29日

北京楽器フェアー

相変わらず中国の仕事のブッキングは大雑把なものなので、
土壇場になるまでワシはどこに行って何をやるのかも聞いていない。

まあ「ドラムを叩く」のであろうことは疑う余地はないので、
とりあえずスティックとマイナスワンの伴奏を流す器材だけは準備しておく。

毎年ドラムフェスティバルがこの頃に開催され、
毎回参加出来ないワシは「来年こそは参加して下さい」と言われているので、
てっきり今回はドラムフェスティバルに参加するのかと思ってたら、
「ドラムフェスティバル29日に行われます。ふるって参加して下さい」
とメールが廻って来た。

もう29日に日本に帰るチケット取ってもうたがな・・・

もっと早く言えよ!
ってなもんであるが、
じゃあワシの今回の仕事は何なんだろう・・・

器材を持って指定された場所に来てみたらそこは楽器フェアーの会場だった。

GakkiFair.JPG

なるほど前回と同じようにまたパールのブースでデモ演奏すればいいのね・・・
去年のVisionツアーでやったプログラムを演奏して初日は終わり、
万里の長城を見に行ってるというパール本社の方々の帰りを待つ。

そして現れたのが彼

Percussionist.JPG

と彼

MarchingDrumer.JPG

今回はパーカッションの大家とマーチングドラムの大家をアメリカから連れて来たと言う。
それぞれに素晴らしいパフォーマンスを見せてくれた。

そして二日目は彼らとセッションしろと言う。
とりあえず晩飯を食いながら親交を計る。

コミュニケーションは英語なのでかなり大変だったが
酒を飲めばどこの人間だろうが同じである
酒と料理と下ネタで盛り上がる。

レストランでしか提供されない黄ラベルの青島ビール。
通常の青ラベルよりクリーミーである。

QingDaoYellow.JPG

ワインにしようかどうしようかと言うのでお薦めした老酒。

HuangJiu.JPG

日本では紹興酒と呼ばれたりするが、
紹興酒は紹興という街で作られた老酒のいちジャンル。
英語ではChinese Rice Wineとメニューには書かれているが、
中国語で黄酒と呼ばれたりするのでYellow Rice Wineと紹介してはみたが、
一口飲んで彼らが名付けたのがFunky SAKE
ペンを取り出して翌日のセッション曲を譜面に書き始める
タイトルがFunky SAKE
いったいどんな曲になるのだろう・・・

FunkySAKE.JPG

次の日演奏してみたら大好評。
見も知らずのアメリカ人と日本人が、
前の日にさらさらっと書いた譜面だけをたよりにセッションする。
息もぴったり。

少々でも打楽器をかじってる人にとってはヨダレもののセッションであっただろう。
次の日も軽くセッションして会場を後にした。
午後の便で日本に帰る。

ファンキー末吉ひとりドラムツアーの軌跡(こちら

Posted by ファンキー末吉 at:13:14 | 固定リンク

Pair全中国ツアー上海


X.Y.Z.→Aの店も無事にオープンし、
上海から手伝いに来てくれたキヨちゃんも一段落したので帰ると言うので、
ひょっとして同じ飛行機かと思ったらあっちは羽田こっちは成田である。

八王子~成田・・・遠い・・・

ワシは乗り物に乗ったらすぐ寝る習性がある。
離陸前に寝て着陸後に起きることもざらである。
時にはスチュワーデスさんに「着きましたよ」と起こされることもあるが今回は違った。
宇宙服に身をまとったエイリアンにレーザー光線で額を撃ち抜かれたのである。

PairShanghaiBougofuku.jpg

よくよく見れば防護服を着た検疫官が赤外線を額に当てて体温を測ってまわっているのだ。

びっくりするやん!!

上海に着いてキヨちゃんの店に直行する。
キヨちゃんも投資しているからX.Y.Z→Aの店はこの店の支店であるとも言える。
うちと同様に木材をふんだんに使った落ち着きのある沖縄料理店である。

キヨちゃんはもう働いていた。
東京に手伝いに来てそのまま怒涛のファンクラブ会。
朝8時にやっと寝て次の日は結婚式のパーティー。
3時まで働いて仮眠をとってすぐ上海に帰ってまた働いている。

頭が下がる思いで一杯飲ませてもらう。
上海ライブは週末じゃが、
ワシは北京でパールの楽器フェアーのデモ演奏があるので
どうしても一度北京に帰らねばならない。
また上海に戻って来て、ライブの翌日は横浜でライブなので、
必然的に上海から朝いちの飛行機でギリギリに飛び込まねばならない。

そうなれば日本からのチケットは上海往復にせねばならず、
翌日の北京までの移動は会社が用意した10時間の列車の旅である。

ほどほどに飲んでぐっすり寝てしまうと10時間が寝れずに退屈だし、
飲み過ぎてしまうと10時間がしんどいし、
微妙なさじ加減で店をあとにした。

さて10時間の列車の旅、
昼間の列車は寝台車がない。
夜中のはあるけど着いてすぐ仕事も嫌なのであえて昼間にしてもらった。

想像以上に退屈である。

iPhoneでビデオを見たり、
本を読んだりうたた寝したりしてやっと北京に着いた。

自分にご褒美!!
ワシは焼肉屋に直行する。
肉でも食ってビールでも飲まないとやってられない。

ひとりじゃ何なのでデブのキーボードを呼び出した。

「週末は寝台車だからしこたま飲もうな」
などと話していたらデブが悪そうにこう言う。

「ファンキーさん、ひょっとしてまだ聞いてませんか?」

悪い予感・・・ビールが喉にひっかかる・・・
デブは心を決めて改まってワシにこう言った。

「上海のライブ・・・ドタキャンになりました・・・」

ぱたっと箸を落とすワシ。
悪そうにうつむくデブ。
「ワシ・・・何のために上海入りにして10時間も列車乗って来たの・・・」
同情の気持ちを身体中の脂肪に充満させて暑苦しくうなずくデブ。
「そいで帰りも上海発やからまたひとりで10時間寝台車乗って上海まで行くわけね」
慌てて首を振りながら立ち上がるデブ。

「ファンキーさんにだけ辛い目に合わすわけにはいきません。
僕も一緒に上海行きます!
寝台車でしこたま飲みましょう!!」

いや、遠慮するわ・・・
ワシは29日の仕事終わったらそのまま北京から帰る!!

まったくもってこのPairのギタリストBeiBeiと付き合っててろくなことがない。

Posted by ファンキー末吉 at:09:32 | 固定リンク

2009年5月25日

Live Bar X.Y.Z.→Aついにオープン!!

23日に怒濤のファンクラブ会をやり、
昨日24日には無事にX.Y.Z.→Aの店をオープンすることが出来た。

見ればこんな人達からお祝いのお花が...

BarOpenKingShow.jpg

橘高くんが筋肉少女帯のメンバーと話してお花を出してくれたようだ。

そしてこんな人達からも・・・

BarOpenLoudness.jpg

二井原が事務所に電話して「友達が店出すんで」と言って・・・
友達やのうて本人なんですが・・・

そしてこんな人達からも・・・

BarOpenBakufu.jpg

和佐田が中野と河合に電話してお花を出してくれたそうだ・・・。
感謝感謝・・・。

開店祝いの花というのは、
聞くところによると来てくれた人が一本ずつ抜いて持って帰るという風習だそうで、
今では花の本数も少なくまばらになっているが、
せっかくなので1週間ぐらい飾らせて頂こう。

Posted by ファンキー末吉 at:08:36 | 固定リンク

2009年5月23日

X.Y.Z.→Aの店がオープンする!

Kさんという男がいる。

上海で上海人の奥さんと共に居酒屋を出して大当たりし、
故郷の長崎で居酒屋を出して大当たりした男であるが、
しかしこの男、シモの方に少し問題がある。

長い付き合いなのでワシは上海の奥さんとも知り合いだが、
X.Y.Z.→Aが長崎にツアーに行った時に連れて来た女性は違う女性だった。
「彼女です」と紹介されるが、
嫁とも子供とも会ったことがあるワシとしては少々複雑である。

中国人の気性はじゅうじゅう知っているが、上海人となればもっとキツい。
いや、現実的とでも言うべきか、
そんな嫁にこのことがバレたらどんなことになるのじゃろう・・・

恐ろしや恐ろしや・・・

数年経って爆風スランプの再結成の噂を聞きつけたKさんから電話があった。
「コマ劇場見に行きますよ。彼女と子供連れて」

彼女と子供一緒にしたらアカンじゃろ!!

「あれ?言ってませんでしたっけ?
彼女に子供が出来たんですよ」

もっとアカンじゃろ!!

最近の電話の転送技術はもの凄いらしく、
上海の嫁から長崎の店に電話がかかって来た日にゃぁ、
店長をはじめとして従業員一同大きな緊張が走る。
電話をとった店長、
「Kさんですか?今調理場です。ちょっと待って下さい」
と言って保留にし、すぐさまKさんの携帯に電話をする。
「大変です!奥方から電話ですよ」
と言ってその電話をKさんの電話に転送し、
Kさんはあたかも仕事をしてるように答える。

「今ちょっと忙しけん、後で電話するばい」

こんな綱渡りを繰り返しながら子は育つ。
そしてシモの方は相変わらずまた同じようなことを繰り返す。

「ファンキーさん、今度は2号ならぬ3号が出来まして」

「アホか!お前は!!そんなことやっとったらそのうちバレてまうぞ!!」
と言い残してから数ヶ月後、また電話があった。

「2号のことも3号のことも全部バレてしまいました」

そりゃそうじゃろ!!
彼の上海での全ての商売、不動産は全て嫁の名義である。
この事件で当然ながら離婚、
彼が失った財産は億を超えると言う・・・

そんな彼とワシの付き合いはもう20年近くになる。
一緒に仕事こそしたことないが、
ワシが商売関係でひどい目にあってるのを見ていつも
「ファンキーさん、今度は僕と是非何か一緒にやりましょう」
と言い続けてくれて20年、
縁あってここに一緒にX.Y.Z.→Aの店をやることと相成ったのである。

まあ店を立ち上げると言ってもワシがやることは、
「ホルモンとホッピーでファンキーセットっつうのを作ってくれ」
とかお気楽なもんである。

まあクリエイティブなことと言えば、
八王子在住の盲目の天才ギタリスト、田川くんに
「毎週日曜日ここでライブやってや」と電話したり、
セッション王の和佐田に
「X.Y.Z.→Aの店なんやからここでセッションやってや」と電話したり、
とどのつまりには八王子近郊に住む江川ほーじんに
「何でもええからここでセッションやってや」と電話するぐらいなもんである。
江川ほーじん爆風脱退後、
この爆風初期のリズムセクションが20年ぶりに一緒に音を出すのは
ひょっとしたらこの店かも知れない・・・。

ところがライブは週末しかやらないのに
ワシは週末はいつもPairのツアーで中国各地のライブハウスに駆り出されている。
夢のセッションはいつのことになるのやら・・・。

と言うわけで現在店は着々と内装工事中。
親はなくとも子は育つ。
ワシがいなくても店は出来る。
Kさんは長崎から4tトラックに材木を満載して、
大工さん、そして地元のボランティアの人達と今店を作っている。

23日、X.Y.Z.→Aの高田馬場でのライブが終わった後、
プレオープンとしてそのままファンを連れてファンクラブ会をやることになっている。

そして翌日の24日、田川くんのライブから本格的な営業が始まる。
ミュージシャン仲間に声をかけて八王子でしか見られないセッションをブッキング中。
まさにX.Y.Z.→Aファミリーとも言うべきミュージシャン仲間が八王子に集う。

お暇な方は是非いらしてみて下さいな。
めったに入らない珍しい焼酎と、
Kさんが腕によりをかけた素晴らしいツマミが皆様を歓迎します。

Live Bar X.Y.Z.→A
横山町7-6
東亜建設第七ビル5F
042-656ー0910
http://www.blasty.jp/barxyz/
mailto:livebarxyz@gmail.com

【JR八王子駅から】
JR八王子駅北口を出て左方向へ進み、
一つ目の信号「三井住友銀行」左側に伸びている西放射線通り(ユーロード)に入
り、
前方「長崎屋」の角右折、
前方「八王子温泉やすらぎの湯」を越してファミリーマート隣の5F。
徒歩5分。

Posted by ファンキー末吉 at:07:28 | 固定リンク

ストリングスアレンジは楽し!(難し!!)

結成十周年記念で毎月ライブをしつつ毎月新曲をリリースしている。
今月の23日には5枚目のアルバム「Wings」を再現しようということで、
何とライブにストリングスオーケストラを呼ぶことになった。
今一生懸命アレンジをしている。

ワシが最初にストリングスを書いたのは1995年、
ソロアルバム「亜洲鼓魂」のレコーディングでのことである。

当時はまだ便利な楽譜編集ソフトなどなかったから大変であった。
パソコンで打ち込んだMIDIデータを見ながら手書きで10段譜以上の譜面を書いてゆく。
ヘ音記号、ト音記号まではいけるが、ビオラはハ音記号なのでやっかいである。
当然音符にミスがたくさん出る。

ひとつひとつチェック・・・

それだけではない。
ブラスやストリングスなど生楽器というものは使う音域によって響きが全然違うので、
同じドミソでも選んだ音域によって和音の響きが全然違うのである。

そして今でも時々間違うことがあるが、
シンセでは音が出てても、実際には生楽器の音域から外れてる場合もある。

ひとつひとつチェック・・・

ええい!!出来るわけないやないかい!!
というわけでその時はさすがにプロの手を借りた。

オーケストラアレンジャーの松原さん。
「大きな玉ねぎの下で」のオーケストラバージョンをアレンジしてくれた人で、
更には爆風スランプの映画「バトルヒーター(あったなあ・・・そんなん)」
のサントラを担当した人でもある。

松原さんが譜面をチェックしてくれたり直してくれたり、
更には木管を書き加えたり書き下ろし部分を作ってくれたり、
こうして今では中国のロックのスタンダードとなった「亜洲鼓魂」は完成した。
言わば松原さんは私のストリングスの師匠である。

あれから師匠の教えを胸に抱いてひとり立ちした。
日本のオケの人には意地悪な人もいて、
わざとミストーンをしてアレンジャーの耳を試したり、
あの手この手でアレンジャー潰しをやる。

それに耐えながら耳と腕を鍛え、
映画「香港大夜総会」のサントラや、
ノイズファクトリーのフルオーケストラアレンジや、
キム・ヨンジャのアレンジをした時にはディレクターに
「ドラマーがどうしてこんなこと出来るの?」
と言われてちょっとこそばゆかった。

中国に渡ってからも、もう数十曲にわたってストリングスを録音した。
この「Wings」もそのひとつである。
今では一声かければ小沢征爾が使うオーケストラが集まる。
(まあ奴らはギャラさえもらえば誰のアレンジでもやるのであるが)
もうみなさん顔なじみである。
冗談を交わしながら、あの難解な変拍子の曲を30分で録り終えてしまった。
やはり相当な腕前であると言えよう。

まあもし中国でライブをするならその連中に来てもらったり、
予算の都合もあるなら音楽大学の学生に来てもらったり、
大きなコンサートでも当てぶりの学生を呼んだりしているので、
まさかブッキングと言うものに困り果てるとは夢にも思っていない。

「末吉さん、ストリングス本当に大丈夫ですか?」
と心配するスタッフに
「何言うてんねん!
日本にやってどれだけの学生とアマチュアオーケストラがある思てんねん!
大丈夫!大丈夫!」
とタカをくくっていたら、
これがまた当たっていた全ての学生のオーケストラ、
全ての街のアマチュアオーケストラなどは全てNGであった。

万事休すである。
途方に暮れながら電話帳のデータを隅から隅まで開いていたら、
ふとこの松原さんのデータが見つかった。

当時の電話帳のデータである。
携帯電話などない時代、当然自宅の電話番号しかない。
ダメもとで自宅に電話をして、
ご本人かどうかわからない留守番電話にメッセージを入れた。

もしこの電話が松原さんの電話でなければ、もう次のライブは
「告知しておりましたストリングスオーケストラとの競演は中止になりました。
メンバー4人による演奏でお楽しみ下さい」
という羽目に陥っていたのであるが、
待つこと半日、何と松原さんから折り返しの電話があった。
奇跡的に10年間引っ越してなく電話番号が変わってなかったのである。

無理を承知で頼んでみたら快く引き受けてくれた。
持つべきものは師匠である。

北京に帰り、「Wings」の譜面を探し出し、
86442の譜面を6422に手直しする。
(コントラバスを外して、大編成を中編成に直す)
このライブのみでしか聞けない書き下ろし曲は
師匠と分担して今アレンジをしているというわけだ。

どんなライブになるのか蓋を開けてみなければわからない。
失敗したら失敗したで、
成功したら成功したで、
泣いても笑ってもこの日だけの「1 time performance」となる。

X.Y.Z.→Aの歴史、いや日本のロック史に残るライブにしたいと思う。
スケジュールの合う人は是非見に来られたし!!

Posted by ファンキー末吉 at:07:26 | 固定リンク

2009年5月18日

Pair鄭州ツアー

まったくもって何の因果か週末になると大移動をせねばならない。

八王子から北京まで、ドアtoドアで10時間・・・
アメリカまで行けるやないかい!!

しかも今回はBassの韓陽(ハン・ヤン)は都合が悪くて来られないと言う。
日本からワシがこれだけ頑張って駆けつけと言うのに北京の人間が来られないとは何事ぞ!!
「ほなワシも都合が悪いから次から来ん!」
と言いたいところじゃが、
ワシがプロデュースしたこのアルバム、
このドラムはやっぱワシじゃないとちと叩けんわのう・・・。
まあ「人のアルバム」ではあるが「自分の音楽」である。
頑張って通うとするか・・・。

北京に着いて一泊し、次の日の朝の列車に揺られて鄭州まで。
中国も昔は日本のローカル線のようなボックス席の列車だったが、
今では新幹線のような特急列車になっている。
ちょいとビュッフェで一杯・・・

PairZhengZhouTrainBeer.JPG


そのままこてんと寝てるうちに鄭州に着いた。
片道6時間の旅・・・東京から九州まで行けるやないかい!!


ライブハウスに着いたら彼らのポスターが貼ってあった。
しかしタイトルは「Pair楽団&Funky末吉」。
バックバンドのドラマーの名前を使わにゃ集客が出来んようじゃまだまだじゃのう・・・

PairZhengZhouPoster.JPG


サウンドチェックが始まるが、
例によって小屋のエンジニアは態度が悪い。
ボーカルは「自分の音が聞こえない」と悲鳴を上げる。

「俺がやる!どけ!!」

こんな時にPAの吉田くんが来てないのは痛い。
仕方がないのでワシがモニターを作る。
スピーカーを動かして、
EQを調整して・・・。

中国では自分で何でもやらねばならないので倍疲れる・・・。

河南省と言えば麺が有名ということで、
リハ終わりで近所のラーメン屋に飛び込んだ。

いわゆる普通の牛肉麺。

PairZhengZhouNoodle1.JPG

日本のラーメンと違って麺にはコシがないし、
スープもダシと言えば具の牛肉のダシぐらいじゃん・・・
全然気合い入れずに食ってたらいつの間にか全部たいらげてしまった。
気がつけばスープまで全部飲もうとしている・・・。

これって・・・実は旨いの?・・・

なんかわけもわからず満腹になって本番。
非常に盛り上がってアンコールがかかるが、
あいにくアルバムの11曲以外にレパートリーがない。

ステージの前っつらに全員で出て挨拶してたら、
「ファンキー!!ドラムソロやれー!」
ファンキー!ファンキー!

結局引っ張りだされてソロをやって、
しまらないままステージは幕を閉じた。
後でとことん説教してやろう。
「これは誰のコンサートじゃ!
ちゃんと最後まで自分たちでやってシメろ!」
と・・・。

夜はそのまま平頂山の王先生達が来てたので一緒に飲みに行く。
地元ならではの屋台である。

PairZhengZhouYeShi.JPG

「地元名物」と言って頼んでくれた「粉奨麺条」。

PairZhengZhouNoodle2.JPG

何か伸びきったラーメンが片栗粉たっぷりのタレにまぶしてあるような麺である。
味も結構変わった味で、うまいのかまずいのかわからないまま、
気づいたらまた全部食ってしまっていた。

これって・・・やっぱり旨いんか・・・

地元のビールも飲んだ。
これも結構旨い!!

PairZhengZhouBeer1.JPG

メンバーに呼ばれたので合流したらヤツら鄭州まで来て広東料理屋でメシ食ってやがった。
これだから素人はイヤである。
しかし得体のしれない美女がいて、それだけはうらやましかった。

美女が勧めてくれた地ビール

PairZhengZhouBeer2.JPG

翌日は列車で7時間かけて北京まで、
そして今、北京からドアtoドアで10時間かけて八王子に戻っている。

次のツアー先は上海。
日本からちょっと近いのが救いである。

Posted by ファンキー末吉 at:03:14 | 固定リンク

2009年5月 9日

戻って来たら北京は夏だった

前回は寒くてコタツにくるまってたというのに、
ほんの2週間ちょい留守にしてただけでもう夏になってた。
ほんと北京は春だ秋だの過ごしやすい期間は非常に短い。

今朝は早く起きて
1週間の和佐田ツアーで溜ってたメール仕事をこなしながら、
コタツを片付けたり毛布を片付けたり、
夏支度をしてたらあっと言う間に集合時間である。

今日はPairの全中国ツアーの初日。
もともとは大連から始まる予定だったが、
やはり最初は北京の小さいところで肩ならしをしてからということで
今回突如ブッキングされた。

ワシは和佐田ツアーの最終日の高知から直入りしてるので、
大連だったら間に合わなかったかも知れないのでよかったと言えばよかったのじゃが、
それにしてもこのギリギリの移動、
はっきり言って老体にはもうしんどい・・・

会場に着いたらポスターが貼られていてそこにはワシの名前も・・・

PairPoster.JPG

なになに?・・・2009年度巡演城市・・・

上海、広州、シンセン、成都、重慶、西安、武漢、長沙、杭州、天津、フフホト、長春、大連、青島、ハルビン、貴陽、包頭、南宁、銀川、岳陽、常徳、蘇州・・・

こんなに廻るんかい!!!

このテの小型ツアーはライブハウスを廻るので必然的に客が入る週末だけがブッキングされる。
つまりワシは今年じゅう毎週末このギリギリの移動をせねばならんというわけか・・・

6月からはパールのドラムクリニックツアーも始まると言う。
それもスケジュールは全て週末である。

どうなるワシのスケジュール・・・

久しぶりに合ったメンバー達、
「今回はいつまでいられるんだい?」
にこやかに聞かれてもついどよーんと答えてしまう。
「明日もう帰りまんねん」
目を白黒させながら再びこう聞くメンバー達。
「じゃあ今回はこのライブのためだけに帰って来たの?」
力なく頷くワシ。

やりとりを聞いてたBeiBei、
悪そうに近寄って来てこう耳打ちする。
「今回はライブハウスなんで300元しか出ないんですけどいいですか?」

いいですかも何ももう来てしまってますがな!

PairKanban.JPG

入り口の看板にはライブの値段が書かれている。
成人40元、学生30元
それでも学生10人分のチケット代をワシにくれると言うんだから
それでもかなり頑張ってくれたのだと思うしかない。

サウンドチェックの合間にMengMeng(モンモン)から電話が入る。
「社長のスケジュールが今しかないの。今から会社に来れないの?」

行けまへん!!

だいたいどんだけ偉い人か知らんが、
ワシはこういうスケジュールの人間なんやから、
そちらが合わせてくれんと一緒に仕事は出来まへん!!

めんどくさいので全部デブのキーボートプレイヤーZhangZhangに振ってぶっちする。
この親娘と付き合ってたら身体がいくつあっても足りないのじゃ。

汗をだらだらかきながらデブが電話で話し終わって、
泣きそうな顔で哀願する。

「MengMeng(モンモン)の次のアルバムなんですが、
会社の社長はもう張亜棟(ジャン・ヤードン)にお願いしてるんですけど、
彼女はどうしてもファンキーさんにお願いしたいと言うので、
是非社長に一度会って欲しいとのことなんです」

張亜棟(ジャン・ヤードン)とは中国で一番売れているプロデューサーで、
当然ながら値段も一番高い。

「張亜棟(ジャン・ヤードン)に払える金があるんだったらそれでいいじゃん!
ワシは金のない奴の面倒見るので忙しいの!!」

また泣きそうな顔で哀願するZhangZhang。
「あの人達の申し出を断る労力を考えたら、
一度だけでも社長に会う方が全然楽なんですけど・・・」

仕方がない、来週末の来北京は予定を一日早めることにする。
社長がそのスケジュールじゃ駄目ならワシゃもう知らん!!

レコーディングするならもう八王子に来てやってくれ!!

Posted by ファンキー末吉 at:09:21 | 固定リンク

2009年5月 2日

年金払い損

その男、どちらかと言うとかなりアホである

浮き沈みの激しい人生を送っていると思われるが
どちらかと言えば貧乏な方が長いようだ
「江戸っ子は宵越しの金は持たへんねん」
と言いながら江戸っ子でもないのに持った金はキレイに全部使い切る

そんな男がどう言うわけかまた突然ちょっと金持ちになってしまったもんだから
「にわか江戸っ子」よろしくまたキレイに使い果たす
既にその金はもういくらも残っていない。

ところがそうやって再び貧乏になっての苦労というのは
彼も何度も経験しているうちにもうイヤと言うほどわかっているのだから
今度ばかりは金がなくなって来ると彼らしくない「不安」が頭をよぎって来る

だいたいにしてこのような男は
往々にして攻めにはめっぽう強いが守りにまわるとからっきしであるのが常である
また若い頃から人に迷惑ばっかかけて生きて来たもんだから
「世のため人のため」という言葉にはめっぽう弱い

そんな男がテレビかなんかで
「年金は世代を超えた助け合いだ」
みたいなことを耳にしたもんだから大変である
「どうして俺は一度も年金なるものを払ったことがないのか?これでいいのか?」
自分の母親は若い頃に年金を払いその当時の年寄りを助けた
そして今は若い人が年金を払い母親を助けている
ところがその息子が一度も払ったことがないでいいものなのか、と

折しも引っ越して来た八王子市から年金の催促が来た
彼は丁重にこう聞いた
「今まで一度も払ったことがないが今からでも払えるのか」と

「大丈夫ですとも」
役所の人は明るくそう言い放つ
彼はもうわずかになった有り金全てを手にして役所に向かった
「世のため人のため」
彼は手にした全てのそのお金を先々の分まで全部前納すると言い出したのだ

びっくりしたのは役所の人である
「前納は一年分しか出来ません」
彼はしぶしぶ一年分だけ前納し、
残ったわずかなお金を握りしめて家路についた
非常に気持ちがよかった
いいことをした実感と
これで老後が安泰であるという安心感とがあったのだろう

しかし神はこの男に決して「安定」というものを与えない
もし本人が少しでもそのような考えを頭によぎらせたときには
神はいつも容赦なく罰を与えていたことを彼はもう忘れてしまっていたのか

しばらく経ってまた年金関係のニュースを見て彼は愕然とした
年金は25年以上納め続けてないと給付されないのだ
今の彼の年齢ではあと10年そこそこでもう受け取りの時期である
とてもじゃないが25年も支払い続けられる年齢ではない

彼は役所に飛んで行った
支払った領収書を提出し
自分が果たして給付を受けることが出来るかどうかを調べてもらった

現在の法律では過去3年まで遡って払えると言う
しかし彼の年齢ではそれでも全然25年に足りることはない
何せたった「今年一年だけ」支払ったことがあるのみである
「外国で住んでいればその年数は除外される」と聞いて小躍りしてはみたが
彼のように住所をずーっと日本に置きながら
しかも毎月数回日本に帰って来ているという場合は
外国に「住んでいる」のではなく外国に「行っている」
つまり法律的には「ただの旅行好き」としかみなされないのである

「どうしたもんですかねえ・・・」
役所の人は二人がかりで一生懸命考えてくれる
「学生だった時代は親の扶養家族なので除外されますが・・・」
またちょっと小躍りしてしまうが
大学も19の時に中退してるのてわ成人してからは扶養になってない
「就職してる時に厚生年金かなんかに入られてた時は?」
と聞かれても
「まっとうな会社務めをしたことが一度もないんで」
と頭をかくしかない

「それじゃあ奥さんの扶養になってるところが除外されますよ」
役所の人の顔が一瞬明るくなるが
この男、貧乏な時でも一応嫁は自分で扶養しているので該当されない

この辺からは今度は役所の人がこの男のことがよく理解出来なくなってくる
まっとうに働いたこともない男が誰の扶養にもならず
かと言って年金をぽんと前納するんだから金がないわけでもなさそうである
およそ年金を扱う役所で働いていたらまず会うことはないであろう人間である
いったいこの男はどんな生活をしているのか・・・

変な注目を浴びながら
男は意を決してこう言った
「どうあがいたって給付されないんだったら前納したお金返してもらえませんか」
役所の人はますますこの男のことがわからなくなる
金持ちなのか貧乏なのかよくわからない。
見るからに
「僕今から貧乏に突入するんです」
というような顔をしてこんな相談に来るぐらいだったら
どうしてあの時あんなに気前よく前納なんかするんだろう・・・

彼はあきらめてとぼとぼと役所を後にした
「世のため人のため」に1年分の年金を無償で寄付した
ただそれだけのことである
なんのことはない
また昔の貧乏に戻っただけの話である

年金はもらえない
しかし彼の周りのミュージシャンは全て同じである
共に楽しく生き、そして共に楽しく死んでゆこう

彼は仲間の待つ村に帰って行った

Posted by ファンキー末吉 at:15:07 | 固定リンク