ひとりドラムの軌跡

ドラムセットと伴奏をPA設備さえあれば全世界どこにでも行きます!!
呼んで下さい!!こちら ファンキー末吉BLOG モバイル版はこちら
バックナンバー
バックナンバーを表示

このブログのフィードを取得

X.Y.Z.→A オフィシャルサイト 八王子 ライブバーX.Y.Z.→A 爆風スランプトリビュートアルバム WeLoveBakufuSlump
今回新録された楽曲のみを
おまけComplete」
としてCD化しました。
OmakeCompleteJacket.jpeg 爆風スランプトリビュート盤を既にご購入されている方は、このCDを買えば「完全版」となり、更には他のCDには収録されていないファンキー末吉の「坂出マイラブ」も収録されてます。
「完全版」としてセットで買うと500円お得な2枚で3500円のセット販売もあります!!
ファンキー末吉関連グッズ
(書籍)











ファンキー末吉関連グッズ
(CD、DVD)


















ファンキー末吉関連グッズ
(その他)

爆風スランプトリビュートアルバム WeLoveBakufuSlump

2008年12月27日

北京戻りのはずか・・・

末吉家民族大移動である。
嫁は生まれたばかり(と言ってももう10か月じゃが)の子供を連れて神戸の実家に、
そしてワシはふたりの子供を連れて北京へ。

と言うのも、前回春休みの時に、前の嫁から
「北京のお父さん身体悪い。孫に会いたい言う。
連れて来てくれるよろしか」
と言うので(厳密には元嫁は今アメリカにいて英語でemailなので全然ニュアンスは違うが)、
それじゃあと言うわけで、
高知まで行って子供たちを連れて関空に行き、
いざチェックインしようとしたら、
「パパ、パスポートどこにあるが?」
と言われ愕然となる。

結局パスポートを高知の自宅で紛失してしまい渡航不能。
その後その父は夏には他界し、結局孫には会えなかった。

「そんなことはお前が気にすることはない」
といろんな人は言う。
別れたら母親とも会わさない家庭も多い中、
その別れた嫁の両親に孫を会わす義務は当然ワシにはない。

子供たちも春休みは春休みで忙しいので、
その予定をキャンセルしてわざわざ北京に行くのもめんどくさい。

でもワシは言った。
「うちのじいちゃん去年死んだけど、
あんた達に会えて嬉しかったやろ。
北京のじいちゃんももう長くないんやて。
あんた達に会えたらとっても嬉しいと思う。
人を怒らせることは誰でも出来る。
でも喜ばせることはめったに出来んから、
よかったら北京に行ってやってくれんか」

親に似ず素直な子供たちである。
喜んで行ってくれると言うのに行けなかった。
結局は北京のじいちゃんは孫に会えずに逝ってしまった。

まあそれもワシのせいではないこともわかっている。
でもまあちょっとでも縁があった人が少しでも幸せでいてもらえることは、
ワシにとっても嬉しいことなのでちょっと心残りだった。

そんなこんなで今度は、
「うちのお母さんショックでちょっと元気ないあるよ。
孫に会いたい言うから連れて来てくれるあるか」
(厳密には英語メールなので全然ニュアンスは違うが)
と言うのでそれではと言うことでまた3人分のチケットを買って成田まで行ったのじゃ。
もちろん子供たちのパスポートもちゃんと再交付してである。

ところが今回は
「このお名前では予約がありません」
と窓口で言われる。

旅行会社に問い合わせる。
どうもWingのマレーシアやシンガポールツアーのチケットとかと一緒になって、
どれをキャンセル、どれをOKとなってたのがぐしゃぐしゃとなり、
結局このフライトはキャンセルになってしまってたらしい。

「ほな今からチケットブッキングしてーな!!」
しかし年末である。どのフライトも満席。
仕方がないので北京で待つ元嫁に電話する。
事情を話して子供たちに電話を代わる。
娘の目から一筋の涙が・・・

「ママ・・・泣いてたの?・・・」
うん・・・と子供はうなずく。

よし!しゃーない。
例えワシにその責任がなくても、
ワシは子供を北京に連れて行かねばならんじゃろ。

というわけで旅行会社にまた電話をする。
年を越したらブッキングが出来るということで、
年明けの便を押える手配をして、
後は今日これからどうするかである。

年末に北京から帰って来てすぐに高知に行って年始を過ごす予定だったので、
まずそのチケットが変更できるかどうかを調べたら出来ると言う。
翌日の高知行きは3席だけ空いているというのでそれを取って、
成田から羽田にバスで行き、ビジネスホテルに一泊。
そのまま朝いちの飛行機で高知に帰って来た。

そのまま「ひろめ市場」に直行。

BeerSakeInHirome.JPG

娘が
「パパ、これが飲まずにやってられっかぁ!でしょ?」
と言うので
「それ何?」
と聞くと、
「パパ、前回もそう言ってたよ」
と言うので喜んで飲ませて頂いた。
ちなみに日本酒ワンショット1杯100円。

ワシは年末年始は高知で飲んだくれるのじゃ!!

Posted by ファンキー末吉 at:23:22 | 固定リンク

ひぐっつぁんメモリアルバースデー

デブはそのまま関空から北京に帰り、
ワシは新幹線に乗ってひぐっつぁんのお別れパーティーに参加した。

HiguchiLastMemorialBirthday.JPG

これは会場外に設置されたトラックに展示された遺品の一部である。
彼こそは「ロックに生きてロックに死んだ」ひとりの英雄であろう。
ワシは北京から来たデブのキーボーディストに、
「日本のロックは俺達が作ったんや!」
と発言したが、厳密に言うとそれは間違いである。

日本のロックはあんたが作ったんや!!

俺はひぐっつぁんの遺影の前でそう呟いた。
「ご会葬御礼」にはドラムに座ったひぐっつぁんの写真の横にこう記されていた。

「あとは頼んだで、よろしく」

任せとけ!!
俺が、二井原が、橘高が、そして数多くのあんたの友人達が、
あんたの精神を継いで日本のロックをけん引してゆくことをここに誓う!!

Posted by ファンキー末吉 at:20:10 | 固定リンク

デブと共に関西ツアー最終目大阪

ワシもデブも飲み過ぎでヘロヘロである。
しかしデブの彼女に頼まれた化粧品を探しに街に出る。

「DHCとは何ぞいや?!」

ここ数日、街に出ればDHCを探し、
最終日にやっとそれが化粧品のいちメーカーの名前であることを知る。
クリームファンデーションには7種類の色があり、
どれが必要なのかもやっと調べてGet!!

ワシとデブの化粧品屋巡り・・・かなり浮いていた・・・

最終日はデブは「さんにーご」のみ。
一生懸命美女三人の写真や動画を撮りまくっていた。
日本なので勝手にUP出来ないのが残念である。

当日はゲストにブラザー・コンさんも飛び入りしたり、
客席に小室の被害者である神戸の投資家さんも来たり、
やはり44マグナムの地元である大阪ということでライブも非常に盛り上がった。

打ち上げである。
「和佐田さん、香港で会った時と違って表情がシリアスだったけど、
やっといつもの和佐田さんに戻ったね」
とデブに言わしめるほど、今回の仕切りである和佐田の労力は大きかった。

三井はんの乾杯の音頭。
お決まりのギャグである。
長々と乾杯の音頭を喋りながら、
待ちきれないみんなは勝手に乾杯して、
それでも三井はんはずーっと喋っている。
そういうコテコテのギャグを同時通訳しながらワシの仕事も終わり。

思えば演奏よりも飲みがしんどいツアーであった。

打ち上げにはいろいろ関係ない人間も乱入してきて、
結果的に金を払わずに帰った輩も多く、
「金が足りないんだ・・・」
と金計算をする和佐田、三井、そしてポール。

パーキーソン病にかかったポールとは、
実はちょっと見てられなくてあんまし密に話せなかった。
でも動かない身体を一生懸命動かして割り勘の勘定を手伝ってるポール、
ちょっと多めに払ったワシに、
自分は関係ないはずなのに「ありがとな」と言いに来るポール。

ワシら有名になっても病気になっても、全然変わってない。
ワシはデブにこう言った。

「ここにいるこいつらみんなが日本のロックを作り上げたんだ!
中国の今のロッカーみんなに伝えてやれ!
自分が数十年後にパーキーソン病になっても”歌いたい”と言うか?
歌わせてやりたいと和佐田みたいにツアーを組んでやるか?
ここにいるみんなのように銭金なくこれに参加するか?
日本のロックは俺達がこうやって作って来た。
お前も帰ったら中国のロックをこうやって作ってゆけ!!」

デブの旅は終わった。
「お金に換えられないものを得ましたから」
とギャラの全てを返上して飲み代の足しにと置いていった。

ここで得たものを是非中国の音楽界のために使ってもらいたい。

Posted by ファンキー末吉 at:19:54 | 固定リンク

デブと共に関西ツアー3日目移動日

せっかくじゃからデブを京都見物にでも連れて行ってやろうと思っていたのじゃが、
とにかく連日の朝までの飲みで疲れ果てている。
「大阪まで帰るぞ!」
デブと共に投宿先である大村亭へと向かう。

大村亭に並ぶ数十台のギターに「ここは博物館か!!」とびっくりすつつ、
とりあえず梅田の「なにわ湯」で汗を流す。
八王子で「湯楽の里」、
神戸では宿泊した温泉サウナ「クアハウス」と日本の温泉を堪能したデブであったが、
今は心は「美女」のみである。

「大村はん、美女御一行の宿は君んとこらしいやないん」
話によるとマンションの別部屋をゲストルームとして借りて彼女たちが泊まり、
大村亭にはむさくるしい男どもが泊まると聞いていたが・・・

「男衆の人数が多いんでね、とりあえず男衆はゲストルームに、
女の子達はうちに泊まってもろてます」

これを通訳してデブが喜ぶこと喜ぶこと。
「それでボクたちはどちらに泊まるんですか?」
大村はんも考えに考えて、
「5人もいるゲストルームに見知らぬ男ふたりを押しこむのも可哀そうやし、
まあうちのギター部屋にでも・・・」
と聞いて飛びあがらんばかりに喜んだ。

「ボクは今日こそあの美女たちとお近づきになるんだ!!」

さてホルモン鍋を食って美女の帰りを待つデブとワシ。
しかし夜遅くに彼女たちが帰って来た頃には既に泥酔状態である。
帰って来てお決まりのあいさつを交わしてすぐふすまを閉める彼女たち。

「ピシャッ!!」

デブと私は狭いギター部屋でお互いのいびきに悩まされながら寝る。
そして目が覚めたら美女は既にいない。

お決まりである。
デブよ、これが日本の正しいロックの世界なのじゃよ!!


Posted by ファンキー末吉 at:19:35 | 固定リンク

デブと共に関西ツアー2日目京都

さて、プレッシャーも徐々に克服して来たデブ。
2日目の京都ではエミさんに、
「どしたん?昨日と全然ちゃうやん!」
とプレイを絶賛されつつも、
周りが見えるようになると目が行くのが美女。

実はPaulPositionには3人の美女がいるのじゃ。

PaulPositionBijo1.JPG

まずデブ一番お気に入りのドラムのアヤちゃん。
一番のアイドル顔でデブとオヤジを虜にする。

そしてステージで非常に華がある色っぽいベースのユッコちゃんと、
非常に可愛くて守ってあげたいタイプのキーボードのマミちゃん。

PaulPositionBijo2.JPG

デブは言う。
「どうして美人なのに楽器なんかやろうと思うのか?」

そう、中国では「美人」とはすなわち「金になること」。
楽器のように習得するのに何年も苦労せねばならない道を選ぶ人はいない。

例えて言うと、ワシは「美人Jazzシンガーを探してくれ」と頼まれたことがある。
いろんな音楽仲間に聞いてみたらみんな笑ってこう言った。

「美人がどうして金にもならないJazzとかRockとか歌わねばならんのじゃ?
歌もうまくて顔もよかったら普通一番金になる流行歌歌うじゃろ!」

しかし日本では美人のプレイヤーがこんなにいる。
美しいからステージでも映える。
ドラム、ベース、キーボードのソロ回しを見てデブは狂喜乱舞した。

お前・・・ワシの超絶ソロ聞いてもそこまで感激せんかったじゃろ・・・

デブご満悦の日々であった。

Posted by ファンキー末吉 at:17:08 | 固定リンク

デブと共に関西ツアー初日神戸

よく考えたらワシらは関西ツアーの曲をコピーしてなかったので、
福生チキンシャックから帰って朝までしこしこ譜面を書く。

「あんたは鉄人か!」
とデブに言われつつ、
そのまま新幹線に飛び乗って神戸まで!!

和佐田主催のライブであり、
ワシとデブとは「さんにーご」というおアホブルースユニットで参加。
「にー」の二井原さんは北京でも会ってるし、
「さん」の三井はんも北京で会ってて知ってるけど、
「ごー」の後藤ゆーぞーさんは・・・ま、ええじゃろ・・・という感じで、
まあデブも緊張感なくリハーサル。

しかし
「せっかく北京から来たんやからたくさん弾かせてあげてね」
と和佐田に言ってあったので、
小林エミ&西野やすしユニットでも参加。

KobayashiEmi.JPG

小林エミさん。
ワシは高校だか若いころに一度ライブを見たことがある。
まあ言ってみればワシのアイドルでもある。
西野やすしさんとは初対面。
既に関西ブルース界の重鎮である。

そんな凄い人たちに囲まれて演奏することもワシや和佐田はもう慣れた。
しかしデブは初めてである。
音楽もおもろい感じの「さんにーご」とは全然違う。

リハ終って本番までの時間に南京町に連れていったデブ、
この日はナーバスになって一日ふさぎこんでいる。

初対面の人間に譜面を渡され、
「ほなやりまひょか」
と1回だけ合わせて
「ほな本番よろしゅう」
で音楽が出来るのか・・・

北京なんかではありえんよ・・・

でも他の人たちはみんな出来る。
ボクだけ出来ないなんてボクはなんてレベルが低いんだ・・・

落ち込むデブ。

デブよ・・・みんな最初はそうなのじゃ。
譜面なんて外国語と一緒。
慣れたらアホでも出来るようになる。

そんなプレッシャーを吹き飛ばすように顔でソロを弾くデブ。
そのソロに三井はんが感激してこう言った。

「アホじゃ!こいつも大アホじゃ!」

アホとは関西では最上級の褒め言葉。
デブよ!喜べ!!お前も既にアホの仲間入りじゃ!

Posted by ファンキー末吉 at:16:48 | 固定リンク

デブと共に12月19日再び福生チキンシャック

前の日は朝まで飲んで、
結局始発も乗り遅れてしまい、
家に帰ったら嫁はもう子供たちとご飯を食べていた。

気まずく仮眠を取って再び福生チキンシャック。
田川くんはこの日は参加できないということなので、
地元のギタリスト、健太郎を呼んでセッション。

DebuWithKentaro.JPG

頑張るデブ。
しかし健太郎もデブなのでワシも合わせてステージデブばっかでうっとーしー。

そこに美女ギタリストが乱入!!

3_1_05BNV9RAFD.jpg
彼女のHPから拝借)

いやーズルいわ!
美女でギターも弾けて歌も歌えて、おまけに女優もしていると言う。

火のついたように頑張るデブ。

DebuWithSatoru.JPG

もう手よりも顔の動きが凄くて撮影不能である。
ご満悦のデブ、
「ファンキーさんはこんな美女のプレイヤーといつもやってるんですか?」

いやいや、ワシも初対面なのじゃよ・・・

「お近づきになりたい」と言うデブを尻目に、
次の日から関西ツアーのワシらは飲まずにとっとと家に帰るじゃ。

Posted by ファンキー末吉 at:16:24 | 固定リンク

デブと共に12月18日新宿SOMEDAY

前の日は福生チキンシャックでしこたま飲んで、
帰って来たら嫁はもう既に子供の朝ごはんを作っていて、
気まずい感じで仮眠を取って、逃げるようにデブと新宿に出て行った。

成田から直で八王子に降り立ち、
その後福生しか行ったことのないデブにとって初めての「東京」である。
(八王子も福生も一応東京都ではあるが)

楽器店から二丁目ホモ街まで案内してSOMEDAYに入る。
彼とは北京で五星旗のナンバーをよく演奏するので、
「よし!ボクは今日はたくさん弾くぞ!」と最初は思っていたのじゃが、
よく考えたら自分がたくさん弾いたら進藤くんが同じ曲をどうやって弾いているのかをその目で見ることが出来ない。
「やっぱ先生のプレイをたくさん見たいのでボク、ちょっとだけ弾けたら後は見学したいです」
デブ、なかなか大人である。

リハーサルで進藤くんのプレイを見て目を白黒、
そして当日の飛び入りゲストのプレイでまた目を白黒。
田川くんの超絶プレイは知ってはいたが、
ギターの岡崎はんや、トランペットの寺内くん、
そしてドラムの宇山くんまでが、リハもやらず当日譜面を見せられただけで完璧に演奏するのにはぶったまげた。

「あの人たちは日本ではさぞかし名のあるJazzプレイヤーなんでしょ」

もうビビりまくるデブであるが、
「まあJazzメンやったらあれぐらい出来るじゃろ」
と顔の怖いマスターに言われて更にビビる。

しかし終演後みんなで飲みに行って、
「あんなに凄い人たちなのに飲むとなんてアホなんじゃろ・・・」
とまた別の意味でビビることとなるデブであった。

Posted by ファンキー末吉 at:16:06 | 固定リンク

2008年12月25日

デブと共に12月17日福生チキンシャック

福生チキンシャックというライブハウスの名前は古くから聞いていたが、
八王子のうちから30分のところにこんないいライブハウスがあるとは夢にも思わなかった。

何せ「やらせて下さいな」で、
「この日はライブ入ってないんでじゃあやんなさいな」
で終わるんだからワシにとっては言うことなし!!

おまけに「1バンドじゃナンでしょう」ということで対バンまでつけてくれた。
「北京のブギウギピアニスト」と振れこんでいたので、
「それじゃあ彼がよかろう」とブッキングしてくれたのが何と盲目のキーボーディスト、ジョニー君。

こちらはちょうどギターに田川くんを呼んでいたので、
こりゃセッションするしかない!!

ワシの音楽人生始って以来、
初めてふたりの盲目のプレイヤーに挟まれて演奏した。

2Blindness.JPG

「日本ってこんなに盲目のプレイヤーが多いの?・・・」
目を白黒させるデブ。

「いやいや・・・ワシも生まれて初めてや、こんなセッション・・・」

Posted by ファンキー末吉 at:22:37 | 固定リンク

2008年12月17日

デブが来たりてピアノ弾く。

今週は移動が多かった。
ほぼ毎日飛行機に乗っている。

八王子→成田→北京→広州→成都→北京→成田(上海経由)→八王子

それぞれ飛行機に乗っている時間と、
八王子ー成田の時間があんまし変わらないのが情けない・・・

日本にはデブのキーボード、張張(ZhangZhang)と一緒に帰って来た。
せまいエコノミークラスの隣にデブが座ってると大変である。


このデブ、20歳の頃バーで弾いてのをワシが発掘した。
「お前!!Jazzをやりなさい!!」
共にプレイを通して神の域を目指すパートナーが北京にも出来たと思って非常に楽しみにしてたのじゃが、
「ボク・・・ヒップホップやりたいんですぅ」
とあっさりプレイヤーの道を否定。
仕方ないのでDEMO作ってやったり、いろいろ世話してやってたのじゃが、
その後ワシの美人秘書を密かに恋人にしてたり、ふとどき千万な奴である。

バックバンドの仕事や、映画音楽、テレビドラマの音楽や、
最近では重慶雑技団の音楽も一緒にやってた彼であるが、

「ボク・・・日本に行きたいんです・・・
このままやってるとボク・・・きっとピアノ弾けなくなってしまいます・・・
こんな仕事ばっかやってると、ほんとヘタになってしまうんです・・・
そうやって弾けなくなった人、ボクたくさん知ってます・・・
日本に行って、バーべQさんや田川さんや、
日本の一流の人とセッションして勉強したいんです・・・」

と言い出した。
嬉しい限りである。
10年前からワシが言ってたことを大人になってやっと理解してくれたみたいなもんである。

ところが中国人が外国に行くビザを取るのは大変である。
ワシも東北のクリニックツアーで会った子供ドラマーを夏休みに招へいしようとしたが、
結局ビザが下りなかった。

「お前、どっかビザの専門家探して来て、
どんな理由で招へいしたらビザが下りやすいか聞け!
ワシがその通り書いて書類作ってやるから」

そして最終的に作った書類が、
「ワシ・・・このデブと仲良しなんで日本連れて行きたいんですけどええですか?」
という簡単なもの。

こんなんでビザ下りるんかい?!!

絶対に下りんじゃろうとタカをくくってたらほんとにビザが下りてしまった。

DebuVisa.JPG

今日から山ほどセッションをブッキングした。

12月17日 福生チキンシャック ファンキー末吉セッション
12月18日 新宿SOMEDAY 五星旗
12月19日 福生チキンシャック ファンキー末吉セッション
12月20日 神戸「WYNTER LAND」 和佐田パーティー
12月21日 京都「都雅都雅」 和佐田パーティー
12月23日 大阪「SUNHALL」 和佐田パーティー

デブよ、弾くだけ弾いて痩せて帰れ。

Posted by ファンキー末吉 at:09:58 | 固定リンク

こたつ

そして北京に帰って来た。

・・・寒い・・・
暑いとこや寒いとこや、毎日居場所が違うので風邪をひいてしまった。

上海の友人、Kさんが送ってくれたこたつを組み立てる。

Kotatsu.JPG

やっぱ日本人はこたつである。
うちの部屋・・・もう北京の貧民街とは思えない・・・

ちょっと暖を取ったらもう日本に帰る。

Posted by ファンキー末吉 at:09:49 | 固定リンク

全中国ドラムクリニックツアーその16、四川省「成都」

一応この全中国ドラムクリニックツアーの最終日である。
(来年も続くという噂もあるが・・・)

成都を最終日にしたのは四川省大地震によるものも大きい。
お国変われば募金も変わるで、
中国ではコンサートやクリニックなどで募金を集めることが禁止されている。
「ドラムセットをかついで慰問に行くぞ!」と息巻いていたが、
受け入れ先の教育機関も見つからず、
結局成都に新しくパール倶楽部を設立し、
そこから何らかの援助をやっていければという考えである。

今回のクリニックはライブハウスを借り切って行われた。
客はロック好き、音楽好きの若者ばかりである。

だからというわけではないが、今回はちと頑張った。
・・・というのも、実は前日の広州ではブランクが長すぎてあんまし叩けなかったのじゃ。

だいたい練習というものをしないワシは、
だからなるだけライブを入れてドラムを叩くようにしている。
いろんなジャンルを叩けるのもこのためである。

1週間ならまだその日のウォーミングアップである程度回復出来るが、
今回のように2週間以上ダラダラしてたら無理である。
ウォーミングアップはしょせんはウォーミングアップでしかなく、
アドレナリンが出まくったステージ上でのプレイでは、
その状態での身体の持って行き方のみが全てである。

高速プレイが叩けるかどうかをステージで瞬時に判断して、
その日のフレーズをAランクかBランクに割り振り、
まあ往々にしてBランクの方が抑えが利いたいいプレイとなったりするのじゃが、
この日はCランクにまで落とさねばならない事態となっていた。

そして1日たって回復したので少なくともBランクで叩けるだろうと思いつつ、
あとはテンションで持ってゆくしかない。

今までのクリニックだとオープニングや途中に子供の演奏が入るが、
今回は地元のバンドである。
そのうちひとつはアメリカ人によるJazzのバンドであった。

VisionChengDuJazz.JPG

迷わず乱入!!

特Aランクの調子の時にはシンバルレガートをするとシンバルがスティックに吸いつくような感じなのだが、
まあこの日はBランクの上という感じか・・・
Jazzも久しくやってなかったので新鮮なのと大変なのとでかなりテンションが上がった。

ドラムクリニックのいつものメニューも最後にふさわしい内容になったと思う。
もうクリニックというよりはコンサートである。
もう慣れた。

VisionChengDuFood.JPG

四川料理で乾杯!!

盆菜(ペン・ツァイ)という、熱した皿に料理を乗せる料理なのじゃた、
これがまた辛くて旨い!!

同じ辛いのでも四川料理は「麻(マー)」と言って、
山椒の辛さが脳天を直撃する。

演奏後のアドレナリンと相成ってトリップした夜なのであった。

VisionChengDuTrip.JPG

ファンキー末吉ひとりドラムツアーの軌跡(こちら

Posted by ファンキー末吉 at:08:11 | 固定リンク

全中国ドラムクリニックツアーその15、広東省「広州」

八王子でダラダラしてたらあっと言う間に2週間たってしまった。
ツアーに旅立つためにまず北京に帰る。

八王子がいくら都内より寒いと言っても、
iPhoneのお天気アプリによると
「最高気温マイナス1度、最低気温マイナス11度」
と、こりゃ水分は一日中凍っている温度である。

滞在時間半日にてすぐに広州に出発!!

空港に迎えに来た人はなんと半袖であった・・・
温度差あり過ぎ!!!

VisionGuangZhouYamCha.JPG

食は広州にあり!というが、やはり広東料理と言えば飲茶(ヤムチャ)
VisionGuangZhouYamCha.JPG

しかしまあ広東料理は香港でもよく食べるのでここでは触れないでおこう。

特筆すべきは、ここのパール倶楽部の生徒には何と日本人がいた!!

VisionGuangZhouRyuuichi.JPG

浜川龍一くん、11歳。
お父さんの仕事の関係で7歳の時から広州にいると言う。
中国人の子供にまじって中国語でドラムを習うという
うちの子供と同じ龍の字を持つ日本人の子供と出会うというのは何か不思議な感覚である。

もちろんこのツアーを廻っていて日本人と出会ったのは初めてである。

そしてここのパール倶楽部には何と3歳の子供がいた!!

VisionGuangZhouDrumKid.JPG

足がほとんど届いていないが、
それでもちゃんとドラムを叩いていた。

こういう子どもが後に・・・「ボク10歳、ドラム歴7年」とか言うんやろうなあ・・・


地ビール飲んで四川省成都へ・・・

VisionGuangZhouBeer.JPG

ファンキー末吉ひとりドラムツアーの軌跡(こちら

Posted by ファンキー末吉 at:07:45 | 固定リンク

2008年12月11日

着ぐるみ一家

アホとは伝染するものなのであろうか。

父はタヌキ、母はピンクのブタの着ぐるみパジャマで生活していると、
子供もだんだんそれが自然となってしまい、
自分が普通のパジャマで生活しているのが不自然になってしまうのかも知れない。

「パパ、私も着ぐるみパジャマ買う」
と言い出した上の娘と一緒に近所の「しまむら」に買いに行った。

数ある種類の着ぐるみパジャマの中から娘が選んだのはリロ&スティッチ。

Stitch.JPG

うむ、なかなかよいではないか。
「さとしには何がいいかなあ・・・」
弟のために着ぐるみを探す姉。
ちなみにこの段階ではまだ弟は着ぐるみを着ることに同意していない。

そして選んだのがミッキーマウス。

Micky.JPG

なかなかええではないの・・・
家に帰って弟にミッキーマウスを見せる姉。
しかし弟はもともと着ぐるみを着るつもりは全然なく、
その上自分で選んだものではないのでなかなか納得がいかない。

「ぼく、パパのがいい」
と言い出し、パジャマの交換。
ミッキーマウスは小さいので姉が来て、
ワシは必然的にリロ&スティッチ。

NiawanaiStich.JPG

似合わん・・・

ワシ愛用のタヌキを着た弟は姉に打たれて死ぬ運命となる。

MickyShootsTanuki.JPG

そうかぁ・・・タヌキだと打たれて死ぬのかぁ・・・

なんじゃかんじゃで着ぐるみが一巡し、
結局はもとのさやにおさまって一段落。
ピンクのブタの嫁も家事が終わってしばしの休息。

KigurumiIkka.JPG
(写真:着ぐるみ一家 撮影:タヌキ)

一番下の子はペンギンの着ぐるみがあるので今度からそれを着せよう。
楽しい我が家である。

問題は誰かが訪ねて来た時にどうやって応対するかである。

Posted by ファンキー末吉 at:08:58 | 固定リンク

2008年12月 9日

ちょっと悲しかったこと

去年は父親が死に、今年はひぐっつぁんである。
しかもどちらも癌。

父が死んで去年はワシもいそいそと人間ドッグに行ったが、
「どっこも悪いところありません!健康体そのものです!!」
でおしまいである。

XYZの100本ツアーの時も、
「こりゃもう身体ボロボロじゃろう」
と山梨の知り合いの先生に精密検査をしてもらったが、
「問題なし!!健康そのもの!!」
であった。

昔からそうである。
身体がいくらしんどくても実は健康体そのものなのである。

今回実は胃が痛かった。
全中国ドラムクリニックツアーでしこたま飲んでいるのだからそのせいだと思っていたのじゃが、
どうも周りでこれだけ癌で死ぬ人間が出て来たらやっぱり不安である。
ワシは実は医者に行く時にはいつも最悪の覚悟をして行くのである。

そう言えばエイズが流行り出した頃もそうだった。
ニューヨークから帰って来たワシはエイズが発症した症状と同じ水疱が出来、
熱でうなされながら救急車で運ばれた。

「先生・・・エイズなんでしょ・・・」

ワシは遺言から自叙伝の執筆までシュミレーションしながら医者に聞いた。
医者は症状を調べて、「このお年で珍しいですねえ・・・」と付け加えながらこう言った。

「水ぼうそうです」

30過ぎての水ぼうそうはそれはそれは大変である。
寝がえりを打てば背中の水疱をつぶしてシャツを膿だらけにし、
熱にうなされながら静岡と仙台のコンサートをこなし、
ステージでバク転を失敗し、おでこの水疱をつぶし・・・

そんな話はいい。
水ぼうそうは別に命には影響しない。
年取ってやると熱で精子が死んでしまい不妊症になる可能性があるとも言うが、
幸い3人も子供を作ってその世話でてんてこ舞いである。

しかし癌となればシャレにならない。
日野元彦さんというこれも偉大なるJazzドラマーは、
死ぬまで自分の店でドラムを叩き続けてたと言うので、
「こりゃ遺書より先に自分の店作る必要があるなあ・・・」
とばかりまたヒロイックなシュミレイションをしながら精密検査に向かった。

まあ「胃が痛い」のはまぎれもなく「飲み過ぎ」なのであったが、
胃カメラの写真を見せながら医者がこう言った。

「ピロリ菌がいますねえ・・・」

ピロリ菌?・・・
そう言えば爆風でそんな歌をやってたなあ・・・

「年取った人は70%以上の人がこの菌を持っているとも言われてます。
若い人が持ってないことから、衛生状態とかいろんなものが原因とも考えられてますが・・・」

衛生状態・・・
思い当たる節もなきにしもあらず・・・
しかし衛生状態が問題だとするとうちの村の連中は全てピロリ菌と共存してるのか・・・

「今は薬を飲めばまず除菌は出来ますんで薬を出します。
ちょっと多いですけど頑張って飲んで下さいね。
それと・・・便なんですが・・・」
検便のデータを見ながら医者の顔が曇る・・・

「先生・・・大腸癌とかなんかでしょうか・・・」

「いや・・・これは恐らく肛門からの出血だと思われますが・・・」

こ、肛門?・・・・
つまり・・・痔?・・・

「ピロリ菌の除菌の薬が終わったら胃酸を抑える薬を飲んで、
それが終わったら来月の検診までに痔を治してからまた検便して持って来て下さいね」

痔・・・の治療・・・ですか・・・

むっちゃくちゃたくさんの薬を持って帰るワシ・・・
いっきに「年寄り」になったみたいでちょっと悲しい・・・

ManyDrugs.JPG

しかもお医者さん・・・ワシの名前「マサル」になってんですけど・・・

ま、ええか・・・痔ぃ治してからまた医者行こう・・・

Posted by ファンキー末吉 at:10:10 | 固定リンク

とっても嬉しかったこと

零下の北京を避けて八王子で子育てに専念している今日この頃、
北京からとっても嬉しいニュースが飛び込んで来た。

なんと、私が音楽を担当した重慶雑技団が全国大会でグランプリを取ったらしい!!

いやー・・・嬉しかった!!
わけもなく涙が出て来た。

11月中旬が大会だったのじゃが、
ずーっと何の音沙汰もなかったので「こりゃ落選したな」と思っていた。

まあこちらとしては「仕事」としてやっているわけだから、
向こうが満足してギャラ払ってくれればそれで「仕事」は終わりである。
別にそれでコンテストに落選しようがワシには関係ない。

しかし・・・

あのスーパー子供たち・・・
毎日毎日あの苦しい練習をして来たあのスーパー子供たちのことを考えると・・・
やっぱ何らかの「結果」を形として残してやりたい。

例え数回しか会ったことがなくても、
例え今後一生会うことがないにしても、
ワシは確かにあの子たちの人生の一部(実は大部分)をこの胸で受け止めて、
それを「音楽」という形にして返してあげた。

「仕事」としてはこれまでである。
しかしずーっと「何か」が心にずーっとひっかかっていた。

ひぐっつぁんが死んでまだそう日がたってないが、
おっさんが偉大なドラマーであったことは世界中が認めている。
ワシもおっさんの精神を受け継いで、
今後もおっさんの残した偉大なる楽曲を演奏してゆく所存である。

しかしあのスーパー子供たちはどうだ?!
小さい頃から一生を雑技に捧げ、
その大部分は世に一切認められずに死んでゆくのだ。

いや、音楽の世界とてそうである。
どんな世界でも、その人の一生が認められずに死んでゆく方が多いのじゃ。

しかし一瞬たりと言えどもワシはあのスーパー子供たちと一緒にいた。
音楽で出来ることなんてほんの小さなことである。
この曲を聞いて涙を流す人はおそらくいない。
でもこの音楽と共に演技をしているこのスーパー子供たちを見て、
おそらく大多数の人が涙した。

だからグランプリを取った。

たかが賞である。
しかし彼らにとっては「優勝」こそが「全て」であった。

そのためにあのスーパー子供たちがどんな毎日を送っていたか、
そんなことはちょっとでもその演技を見れば容易に分かる。
「勝負は時の運」と言うけれども、
少なくとも彼らはそんなところで生きていたのではなかった。

そんな彼らの一生の中で、
ほんの少しでもワシの音楽によって花を添える手伝いが出来たことが非常に嬉しいのじゃ。

(コンテストの時の写真、動画も是非入手したい)

ChongQingPhoto1.jpg

ChongQingPhoto2.jpg

ChongQingPhoto3.jpg


あの時、副団長はワシに言った。
「雑技界に革命を起こしたいんだ!」
少しはお手伝いが出来たことが嬉しい。

そしてこう言った。
「グランプリなんかとったらファンキーさんも雑技界音楽界からひっぱりだこですよ」

それだけは避けたい!!

しんどいのよ・・・このテの仕事・・・
ワシはやっぱドラム叩いてビール飲んで暮らしたい。

Posted by ファンキー末吉 at:09:20 | 固定リンク

2008年12月 7日

全中国ドラムクリニックのラジオ生放送音源

先日の楡次でのドラムクリニックの全貌を生放送したラジオ番組の録音を入手した!!

これである。

相手が中国なんで著作権なんか無視してUPしてもよかろう。
サーバーがパンクするまでここにファイルを残しておこうと思う。

いやー、よくこんなもんを生放送で流すよねぇ・・・。
ゲストに呼ばれた夜の生放送では「ラジオを聞いた」という生電話が何本も入ったし・・・。

せっかくだからインデックスを紹介しておこう。

まず冒頭のドラムソロは私のではなく、
ここのパール倶楽部の先生。
6分頃から司会者が出て来て私を紹介する。

そして9分頃からドラムソロに続いてXYZの「Incubation」。
この曲はいつも最初にやると決めている。

ヘタな中国語による次の曲の解説をはさんで、
17分頃から「7th Door to Heaven」。
日本では五星旗のナンバーとして認識されているが、
中国では今や「ロックのバイブル」となっている私のソロアルバム、
「亜州鼓魂(Asian Drum Spirits)」の中の1曲として紹介した方がわかりやすい。

速いパッセージのシンバルレガートのやり方とかを説明しつつ、
28分頃から「Canal Street Samba」。
ラジオなので途中のソロの途中に時報が入るのが笑える。

そしてお決まりのシンバルやドラムの宣伝。
これをやらねば主催者も私を呼ぶ意味がない。
「いい楽器、いい音はあなたの技術も進歩させるよ」
で〆て、次の曲がXYZの「Wingsメドレー」。
10分を超える大曲なのじゃが非常に一生懸命に聞いてくれた。
XYZでは前半は何も叩いてないのだが、
ステージ上には私しかいないのに、
二井原と橘高の音だけ流して何もしないのもなんなので、
まあちょっとお茶を濁すように何かを叩いている。

そして前半部分最後の曲はラテンなので、
Songoの叩き方を少々説明して、
54分頃から「炎の靴」。

司会者が出て来て子供を呼びこみ、
1時間01分頃から子供のドラムソロ。
そしてそれに対する批評。
この時は「ドラムは音量だよ」と言っている。

1時間06分頃からはふたりめの子供の演奏。
ヘビーメタルを叩いているが、
実はみんな小学生なのじゃよ!!
ちなみにこの子は10歳。

その後の批評では「お前なんでRockなんか選んだの?」と聞いている。
小学生のぶんざいで「とっても好きなんです」などと答えるので、
「Rockとは何か」をえんえん語ろうと思ったが、
さすがにこれは場がどんどん危険な方に行ってしまうので、
「Rockやるなら頭振らなきゃぁ」
とヘッドバンキング講座に話を変えた。
それでも司会者は相当困ったらしく、
「彼は生活がRockじゃないんですがどうしたらいいんでしょう」
などとアホなことを聞く。
「生活から変えなさい!!」
と言いたかったが、やはり
「生活はそのままで、頭だけ振りなさい」
とまとめた。
10歳の子供の人生をこんなことで狂わすわけにはいかんからね。

そして1時間23分頃から最後の曲、「Vision Rocks」。
しかし1時間27分にならないうちにCMが入って番組は終わる。

それにしてもよくこんな生放送を放送した!!
よくやった晋中放送局!!

一生の記念にしておこう。

Posted by ファンキー末吉 at:17:44 | 固定リンク

シェーカー来たりて酒を飲む

八王子にライブハウスがあるなどとは夢にも思わなかったが、
この日は何とアース・シェーカーがそこでやると言うので、
嫁の買い物のついでにリハにおじゃました。

工藤ちゃんがドラムをセッティングしている。
Anthemを見た瞬間に火のついたように泣きだした我が子、
すでにちょっと泣きかけであったが、
楽屋から降りて来た甲斐くんが話しかけた頃にはもうダメだった。

「怖いおじちゃんばっかで怖かったねぇ・・・」
あやすワシ。
「お前の親の方がよっぽど怖いおじちゃんじゃわい!」
と心の中で拳を握り締めるメンバー達。

子供がいるのでそうそうに引き上げて、
寝かしつけてからライブを見に行くことにした。

到着したのは9時過ぎ。
ライブはもうアンコール前の2曲だった。
でもアンコールもたっぷりやってくれて、
Radio Magicも聞けたし、Moreも聞けたし、
非常に楽しめた。

楽屋に行く。
酒を飲む。

AfterShakerLiveWithMember.JPG

いやー懐かしい友達と酒を飲むのは楽しい!!

それにしても工藤ちゃん痩せたよねえ。
昔、シェーカーのメンバーの体重はそれぞれ10kgずつ違うと言われていた。
(シャラが「よう覚えてんなあ」と言うてたが)
マーシーが40キロ台、
シャラが50キロ台、
甲斐くんが60キロ台、
そして工藤ちゃんが70キロ台。

ワシの今の体重なんて・・・(涙)・・・。

やっぱみんな「努力してる」と言うけど、
当時の体型をそのままキープしてるのももの凄い。

「演奏もよかったよ」
とワシはベタ褒め。
再結成した頃はリズムがちょっと重かったり、
グルーブがちょっと乱れたりもしてたが、
今ではもう完璧に「現役」の若いバンドである。

音楽談義に花が咲く。
「うち泊まってけや!!
スタジオで飲んだらどれだけでも大騒ぎ出来るでぇ」
さすがにもうそこまで若くない。
翌日もライブだということでみんな三々五々お開きとなった。

八王子の若い衆と記念撮影。

AfterShakerLiveWithAll.JPG

彼らの力でこの日のシェーカーのライブが実現した。
その後彼らとまたがんがん飲んだことは言うまでもない。
17日と19日に福生でセッションライブ入れてもろた。

ヤバイ、八王子・・・結構ええとこかも知れん・・・

Posted by ファンキー末吉 at:17:09 | 固定リンク