ひとりドラムの軌跡

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爆風スランプトリビュートアルバム WeLoveBakufuSlump

2000年11月18日

さいはての土地T市で出会った中国人ホステス・・・・

T市よいとこ一度はおいで

昔、爆風スランプがデビュー前、毎月毎月
「大きくてすいません号」で関西にツアーに言ってた頃、
初日である渋谷ライブステイション終了後、街道レストランでコーヒーを飲みながら一言。
「ところで明日の米子ってどこにあるの?」
当時移動日なしの8連チャンとか当たり前で、
今回から初めてブッキングされた米子バンピンストリートでのライブは翌日である。
「米子か?島根県かなあ、鳥取県かなあ・・・まあどっちにしても山陰地方や」
知ってるのか知らないのかわからない返答をする俺。
「ふーん、じゃあどれぐらい時間かかるのかなあ・・・」
当時運転担当であったパッパラー河合が聞く。
「調べてみよう・・・」
地図などを引っ張り出して調べてみる。
「末吉ぃ、まずいよぉ。雪道で山越えだし15,6時間はかかるよ」
げっ!
飲みかけのコーヒーをそのままにすぐに出発。
ひたすら運転して着いたのがやっと入り時間であった。
そのまますぐに機材搬入してライブ・・・

まあそんな思い出も笑い話であるが、
今回の五星旗の工程もそれに近いものがあった。
大阪終了後、夜走りして、翌日T市に着くのは午前中だろうと言う。
ひえー・・・
「ロイヤルホースでは飲酒禁止!
もたもたせんですぐ積み込みして出発!
ワシがへばったらメンバーが運転代わってや!」
同行した綾社長が激を飛ばす。

ところで俺のお袋はK県のUSAと言われる宇佐出身である。
(単にローマ字で書くとUSAと言うだけの話)
K県には小さい頃から数限りなく行ったことがあるが、
K県の隣の宇佐の、まあその隣ぐらいがT市かと思ってたら大間違い。
夜走りして朝方K県に着いた時、T市出身のベースの仮谷くんが一言。
「ここから更に、今まで走ったぶんぐらいありますから・・・」
ひえー・・・

仮谷くんが運転を代わって、曲がりくねった一般道をひたすら走る。
それが本当に走れど走れど着かない。
同じ百数十キロでも高速と山道とは違うのである。
「もうすぐかなあ・・・」
誰ともなしに声が出る。
「以前清水アキラがT市に来た時もこの辺でそのセリフが出たそうですから・・・」
ひえー・・・
海沿いの道に出て、朝焼けの中ひたすら走る。
海沿いと言っても曲がりくねっていることに違いはない。
「でも景色はいいし、何かいい田舎って感じやなあ・・・」
ピアノの進藤くんがやたら感激している。
「その田舎を通り抜けて更にもっと田舎に行くんですから・・・」
仮谷くんがそう説明する。

もう着くだろうと言うぐらいになって、景色がおもむろに賑やかになって来た。
「着いた?」
みんなの開放感が口から出るが、
「ここは最寄の一番大きな街、N市です。さらに1時間あります」
ひえー・・・

T市と言えばもう四国の端っこである。
ほう・・・俺たちは四国を半分横断したわけね。
それにしても四国ってこんなに広いのか・・・

列車はK市からN市までしか通っておらず、
そこからは更にバスでゆくことになると言う。
最寄の鉄道駅まで50kmと言う街なのである。
仮谷くんが帰省しようと思っても、
K空港まで飛行機で行って、
バスでK駅まで行って、
それから列車でN駅まで行って、
それからバスに揺られ・・・
とあまりに遠いのでめったに帰省しないと言う。
いわゆる車を持ってないと生きていけない土地である。

「みなさん、言っときますけど、外国だと思っててくださいよ、言葉通じませんから」
と仮谷くん。
なになに、K県弁ならお袋が喋ってるので聞き取れると思ってたら、
街に着いておばはん同士が何喋ってるか全然わからんかった・・・
旅館の大広間で仮眠を取らせてもらって午後2時起床。
メシを食って会場に向かう。

F会館と聞いていたのでコンサートホールかと思ったら
「パチンコF会館」の3Fの結婚式場だった。
まさに地元の人達の手作りコンサートである。

楽屋は新婦の着替え部屋。
・・・さて、ここからが本題である。
その楽屋から隣のビルのとある部屋が見えた時からこの物語は始まる。
(長い前置きやなあ・・・)



「お、凄いやん、あれ絶対ホステスやで・・・」
窓から景色を眺めていた綾社長がそう叫ぶ。
「どれどれ・・・」
男どもが全員窓に張り付く。
そして見えたのがフィリピン人らしき人影。
「フィリピンパブかなんかがあるんですか?」
地元の人に聞いて見る。
「そうなんですよ、最近はチャイニーズパブまで出来ましてねえ。
それが出来たとたんにT市の本屋から中国語の教材が売り切れたんですよ。
もう先に言葉覚えたもんの勝ちですからねえ・・・」
NHK中国語口座、一番視聴率がいい地域はここ、T市かも知れない・・・

さてそのフィリピン人ホステスに手を振ったら笑顔で手を振り返され、
「よーし、今晩はフィリピンパブに繰り出すぞ!」
と血気盛んな俺たちである。
ライブをちゃんとオンタイムで始め(普段は必ず押すのにねえ)、
地元の人が催してくれた打ち上げの席でも、
「フィリピンパブ!フィリピンパブ!」とうるさい。

「じゃあ行きますか・・・」
地元の人が腰を上げる。
聞けばこの狭い街、
総人口が2万人に満たない街にフィリピンパブが2軒あると言い、
ひとつはこの会館の関連の店だが、
俺たちに手を振ったのは違う方なのでそちらに行くのでは義理が通らないらしい。

まあ俺にしてみればフィリピンパブでさえあればどちらでもいい。
間違ってもチャイニーズパブなどに連れて行かれた日にゃあ、
よくてホステスの身の上相談、悪くて酔客の通訳で終わってしまう。
「フィリピン!フィリピン!」
うるさい一行が街を闊歩し・・・と言いつつも、
繁華街など歩いて数分で一周出来るぐらいなのであっと言う間に着いた。

入り口にはご丁寧に顔写真が張られている。
指名も出来るのであろう。
よく見ると、ケバい感じのフィリピン人に混じって・・・
何とチャイナドレスを着た数人のホステス・・・
「あのー、おっしゃってたチャイニーズパブってひょっとして・・・」
「ああ、ここですよ。フィリピンパブに最近チャイニーズを入れたんです」
げっ!

店内に入ると接客しているホステスが一斉にこちらを向く。
中にはライブに来ていたフィリピン人もいる。
後で聞くと、「同伴」と言うことで、
その後ホステスと一緒に店に来るならライブに連れて行ってもいいらしく、
これも水商売のひとつのスタンダードらしい。

「ワシあの娘がええ」
「いや、ワシはあの娘がええ」
などと口々に言うが、そうは思い通りの娘がテーブルにつくわけではない。
一番若くて可愛い娘はすでに別テーブルで接客している。
「イラッシャイ」
それでもまあまあ若くて可愛いフィリピン人ホステスがテーブルにつく。
地元の人が気を使って俺の右隣に座らせてくれる。
やったー!
「イラッシャイマセ」
今度は確かに若くて可愛いが、見るからに中国人。
「俺んとこ来るなよ、絶対に来るなよ・・・」
心の中でそう祈っていたが、地元の人が気を使って俺の左隣に座らせる。
がーん・・・
そしてよせばいいのに俺が中国語を喋れると説明する。
「あら、中国人?違うの?日本人?それにしても中国語うまいわねえ」
まだ日本語をほとんど喋れない彼女の目がランランと輝く。
がーん・・・
それから先はお決まりの身の上相談である。
しまった・・・
と思ったが時すでに遅し。
右隣のフィリピン人ホステスはその右隣の客の接客を始め、
俺はすでに左隣の彼女の接客である。
いや、正確に言うと俺が彼女の接客である。

「見ましたよ、ライブ。
よかったわー。中国語の歌も聞けて・・・
懐かしいわ・・・
え?私?来てまだ2ヶ月目。
日本語なんかまだ全然喋れないし、
この店の上で一緒に暮らしてる中国人ホステス以外の人と中国語話したのは初めて。
嬉しいわ、中国語で話が出来るなんて・・・」
これではT市で中国語の教材が売り切れたわけである。
「先に喋れるようになったもんの勝ち」と言う意味がよくわかる。
そして彼女の話はだんだん熱をおびて来、目が潤んでくる。

「東京から来たんですか?
東京はここなんかに比べたらもっといいですよねえ。
どんなところかなあ、東京って・・・
え?どこも行ったことないわよ。
沈陽から飛行機に乗って、広島で乗り換えて、そしてここ。
私にとって日本ってここしか知らないの。
友達?日本語喋れないし・・・・
第一ここに中国人って私達4人しかいないもの・・・ひとりもいないわよ。
彼女達とうまくやってるかって?・・・うーん・・・まあまあかなあ・・・」
彼女の顔がちょっと曇る。
話題を変えるように彼女は笑顔で話を切り返した。
「それにしても今日は私が日本に来て一番嬉しい日。
仕事しててね、こんなに中国語でお話出来て、最高の日だわ。
ねえ、あなた。
もし私が他のテーブルに呼ばれたら、指名して私をよそに行かさないで。
私、あなたとずーっとこうして話していたい」

げっ!・・・
右隣のフィリピン人ホステスが気になるものの、
俺は以後ずーっと彼女の独占物である。
頃合を見てトイレに立つ。
そしてついでによそのテーブルに座って、しばし地元の人のご機嫌を伺う。
彼女はと見れば、同じく地元の人を接客しているが、
ちらりちらりとこちらを見ている。
日本語喋れなくての接客も辛かろう・・・

「ごめんね、ほら、地元の人が頑張って俺たち呼んでくれたでしょ。
お礼言ってまわらなきゃ・・・」
そして結局は彼女のテーブルに帰って行ってしまう俺である。
そしてその後、俺はずーっと彼女の話し相手、兼、彼女と地元の人との通訳・・・

「閉店でーす」
スキンヘッドのこわもてのマネージャーがお愛想にまわる。
いくらかかるのかは知らない。地元の人の奢りである。
女の子達が入り口でずらーっと並んでお見送り。
帰り際に彼女に声をかけて見た。
「M市かK市だったらライブに来ることあるし、休みだったらまた見においでよ」
彼女の顔がちょっと曇る。
「車も持ってないし、無理だわ・・・」
思えばここは天然の要塞。
日本語を喋れなくてバスを乗り継いでこの土地を出るのは不可能である。
ちょっと彼女に同情しながら店を出る。

「もう一軒行きますか?」
「行く行く!もう一軒のフィリピンパブ行こう!」
突然元気になる俺。
「フィリピンパブはどちらも12時までなんですよ。
系列の店に行きますか・・・」
「行く行く!フィリピンじゃなくても日本人ホステスでも何でもええ!」

連れて行かれたお店は同じく系列のスナック。
しかし、見るからにがらんとしていて、ホステスもひとりしかいない。
「ま、いいでしょう。飲みましょう」
男4人でテーブルに座る。
たったひとりの日本人ホステスは他のテーブルで接客中。
「女の子呼んで来ましょうか」
地元の人がおもむろに立ち上がって外に出て行く。
「どう言うシステムなんですか?」
聞けば、先ほどのお店の女の子を「アフター」として連れてくると言う店らしい。
アフターしたいお客さんは、先ほどの店の店長にその旨を告げると、
ここの店等系列店だと許されるらしい。
他の店に行こうなどと言っても女の子の方から断られるのがオチらしい。

「女の子、全員予約が入っていてダメなんですー」
地元の人が悪そうに帰ってくる。
「まあいいじゃないですか、飲みましょうよ」
男同士の酒のほうが美味かったりする。
「おつまみの出前をしますが・・・」
メニューを持ってくる。
食べ物は全てが出前らしい。
「系列店の居酒屋から出前するんですけどね」
地元の人が耳打ちする。

しばらくすると団体さんが入ってきた。店がいきなり慌しくなる。
一緒に入ってきた女の子は全て先ほどの店のホステスである。
彼女もいた。目が合った。
何か言いたそうにずーっとこちらを見ている。
俺も地元の人と酒を飲みながら時々様子を伺った。
「いやー、うまいこと出来とるんですよ。
向こうの店はチャージが5000円でしょ、
こちらは3000円で安いと思うんですけど、
実際は女の子のぶんまで払わなアカンから6000円なんですよ。
実は1000円高いのに得した気分になるんですね」
地元の人が説明してくれる。
見ればいつの間にかスタッフは全て先ほどの店のスタッフがそのまま働いている。
彼女は酔客の相手をしながら、ずーっとこちらを見ていた。
時々酔客に笑顔を振り撒きながら、そして何かを言いたそうにこちらを見ていた。

「帰りますか・・・」
男4人で飲むだけ飲んで立ち上がった。
彼女の方を見ると、酔客が彼女に覆い被さってキスをしていた。
気づかれないようにそっとその店を後にした。



翌日、車の中で綾社長は上機嫌である。
「いやー、飲んだ飲んだ・・・。
昨日の日本人ホステス、かずみちゃんね。
16歳で出産して現在25歳で2児の母・・・」
よう知っとるなあ・・・
「いやーそれにしても昨夜末吉が話してたあの中国人、
次の店のトイレで会うたんやけど、
俺がニイハオとか中国語で挨拶した途端、
○☆★◎◇△□▲▼◇言うていきなり中国語で返されてもなあ・・・
俺がもっと喋れる思たんかなあ・・・そんなに中国語喋りたいんかい!」

・・・いや、やっぱ喋りたいんやと思うで・・・

二日酔いの俺たちを乗せた機材車は、
また山道を長い間かけてK県まで・・・
途中俺の携帯が鳴った。携帯の番号表示は「公衆電話」。昨日の彼女である。
「昨日はほんとにありがとう。もっともっとお話したかった。
2軒目の店であなたに会った時、心は焦って焦って・・・
でも別のお客さんについてるから仕方ない。また会えますか?
今度こっちに来る時には必ず連絡下さいね。
ライブ頑張ってね。成功すること祈ってます」

「末吉ぃ。モテるやないかい・・・」
綾社長がそう茶化す。
「また連絡下さいね。の連絡先どこか知っとるか。あの店や。これが水商売の世界やで」
もらった角の丸い名刺を車の窓から放り投げた。
彼女の源氏名と店の番号、
そして手書きで彼女の本名と中国の実家の電話番号が書かれた名刺が
風に吹かれて黒潮の海に落ちた。

さいはての土地、T市。ちょっとBluesな素敵な街だった。

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:12:20 | 固定リンク

2000年11月 8日

オリコンに載っていた

前回のメルマガを見て多量のResを頂いた。
大半が大阪の人だった。
まあほとんどが
「東梅田は谷町線で、四ツ橋線は西梅田やでぇ」
と言うご指摘であったが、
それにしても地元を愛すると言うか、
地名のひとつひとつ、店のひとつひとつに対する郷土愛が伺える。
これも一種の大阪人気質か・・・

一般的に関西人は逞しいと思う。
タイで大きなプロジェクトとして女の子をプロデュースしているが、
日本人であるその会社の社長も、そこで働く社員も、
ひいては取引先の日本人スタッフも全員関西人であった。
彼らは標準語として関西弁を喋り、関西の習慣に則ってビジネスをし、
そして関西のシステムに則って会社を運営しているに違いない。
そこのタイ人スタッフはそれが日本企業の通常のシステムだと思い、
疑うことなくそれに則って働く。
私が見る限り人情味溢れるいい会社である。

これって中国で言うと福建人の架橋社会に似てないか?
彼らは標準語とされる北京語ではなく、
北京人にはまず聞き取ることが出来ない福建語を喋り、
福建ポップスを聞きながら、
恐らく福建独特の民族性に則って福建独特の食物を愛していることだろう。

今度タイに行ったら、社長の家にタコヤキの鉄板があるかどうか聞いてみよう。
そしてその子供達がタコヤキをおかずにご飯を食べるかどうか・・・
そしたらひょっとしたら五星旗やXYZのライセンスより、
関西の文化の代表である「三井はんと大村はん」のライセンスをやった方が
早いかも知れん。
そうか、「三井はんと大村はん」って中国で言うと福建ポップスやったのか・・・

話はもどって、前回の私の間違いにより、
その串カツ屋がどこにあるかが気になって夜も眠れないと言う方々のために、
今回ちゃんとその場所を説明したいと思う。

大村はんちは守口の淀川沿いにある。
沿線はご指摘の通り谷町線であった。

~朝起きて~谷町線に乗って~
「三井はんと大村はん」の「淀川リバーサイドBlues」の歌詞の一節だが、
私が~四ツ橋線に乗って~と書いていたのを添削されたのを思い出した。
まったくもって学習せん・・・

東梅田について、そのまま地下街をJR大阪駅を目指してゆく。
JR大阪駅の御堂筋口に出る上がり口のところにノレンがあって、
そこで立ち飲みをするオヤジ達の姿が見えることだろう。

吾妻さんだったか誰だったかとある偉大なブルースマンは、
ツアーの度に必ずこの串カツ屋に寄ると言う。
だが今だかつて私は酔いどれサラリーマン以外の人間と会ったことがない。
まだまだ通い詰めが足りないと言うことか・・・
まあみなさんも行ってやって下さい。
そして~帰りには~へんこつやで一杯~こんな俺の淀川リバーサイドBlues・・・

正しい大阪でのBluesの食生活(Soul Food)やと俺は思う。

さて、今日のお題
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オリコンに載っていた・・・
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基本的に興味がないと言うか、あきらめていると言うか、
発売日には必ずオリコンのチャートをチェックする事務所と違って、
うちの会社はまるでそんなことはしない。

それ以前にこのオリコンと言う業界紙はべらぼうに高い。
およそ本と言う値段の概念を覆すほどの値段である。
そんなものを買う金もないのもそうだが、
いちいちよその事務所だのラジオ局だのにそれを見に行くヒマもない。

昨日ラジオの収録にファーストサウンズに行ったら、
ディレクターのK氏が「オリコンに載ってましたね」と言うので
言うにことかいて「何がですか?」と聞いてしまう自分も情けない。
発売に合わせてキャンペーンまでやってたではないか・・・

見ると、番外の隅の方に、
179位 LABYRINTH X.Y.Z.→Aと載っている。

前回のアルバムは発売当日に品切れを起こし大騒ぎになってたので、
しめしめ、これはひょっとして・・・
とオリコンなど調べてみたりもしたが、
その次のビデオ「Early Days」にびっくりするような受注が来たにもかかわらず、
それより売れてない数字のビデオが入ってて
「Early Days」が入ってないことからもうチェックすらしなくなった。

いったいこの数字ってどうなってるんだろう・・・
いつも疑問である。
シングルの100位以下と言うのには枚数は掲載されてないが、
ちょっと下には桂雀三郎さんの「ヨーデル食べ放題」が入っているからもっとわからない。
関西人しか知らないと思ってたこの歌って、実は売れてたんか?・・・

まあでもやっぱ載ってたら載ってたで嬉しいもんである。
電通からお話が来て、デジキューブのCMソングに使ってもらってるのも嬉しい。
テレビをあんまし見ない私はその曲が流れたり、
テロップに名前が載っているのも見たことがないが、
まあ人並みに認められてると言う安心感が嬉しかったりするのであろう。
「この勢いで一気に売れたるでぇ」
と言うのとも種類が違うと思う。
まあチャートと言うのにそんなに命をかけてないから、
思わぬところでこんな話を聞くとちょっと嬉しかったりする。
そんな感じなのでしょう、きっと。

ところで12月19日にはXYZの100本ツアーがファイナルを迎える。
当日は、演奏終了後には客を出した後、ファンクラブ会員のみを再入場させて乾杯をやる。
その時には「マジで僕、泣くかも知れんですよ」と橘高が言っていた。
ファンが応援して来てくれたのは俺たちのチャートではなくライブだったからね。
ファンクラブの優先予約だけですでに数百売れているが、
一般チケット発売が先日始まったばかりである。
売れ行きはどんなもんだろう。
チャートより気になるのは実はこっちだったりする。

そしてもっと心配なのは俺たちが無事に当日を迎えられるかと言うことである。
実は今からツアーに出発する。
仙台を皮切りに、新潟、長野、そして山梨・・・
移動日には山梨で人間ドッグに入る予定。
岡崎はんの例もあるし、人間どこにどんな病気持ってるやらわかりまへんからなあ・・・
あと20本足らず!その後四国まわって九州まわって大阪、名古屋。
でもその間に五星旗のツアーもあるしなあ・・・
あと1ヶ月でこれ全部やるんかぁ・・・・
東京でのレギュラーの収録もあるしなあ・・・
マジで大変かも知れん・・・

ほな行ってきま-す。

ファンキー末吉



ps.
前回のResにも多かった関西の洗髪制度・・・
ハゲの人は払うべきかどうか考えて夜も眠れん・・・
大村はんはどうだったか聞いたら、
「洗髪料、払おうとしたけど受け取ってくれんかった」
だそうだ。
うん、これも関西・・・

Posted by ファンキー末吉 at:07:40 | 固定リンク

2000年11月 5日

大阪よいとこ一度はおいで。岡崎猛退院のメッセージ

大阪よいとこ一度はおいで

今日が大阪芸大の学際と言うことで前乗り(前前乗り?)して大阪に入ってた。
宿は大村邸があるので別に経費がかかるわけではなく、
まあ経費と言えば夜な夜なの飲み代ぐらいであろうか・・・
(これがまたべらぼうにかかるのであるが・・・)

大村邸の近所に「へんこつや」と言うホルモン屋があり、
今回「三井はんと大村はん」のCDジャケットにもなったこのDeepな店なのだが、
またここの白ホルモン盛り合わせがまた絶品!

ホルモンと言うのは「ほおるモン」と言う関西弁から来ていると言う話をご存知か。
一説によると戦後の被差別と貧困に苦しむ関西在住の在日朝鮮人達が、
牛の内臓をきれいに洗って調理すると美味いことを発見し、
ふつうは「ほおるモン」だったものを「ホルモン」として売り出したと言う話である。
言わばこれは関西が生んだ世界に誇れる食文化ではあるまいか。

LAのコリアンタウンにはよく言ったが、
そこでのホルモンはとてもじゃないけど食えたもんではなく、
日本の、しかもここ大阪のホルモンの美味さには下を巻く。
特にここ、「へんこつや」の七輪で焼くホルモンは絶品である。

ところがこのへんこつや、儲かっているのか最近ドアをつけた。
昔は寒空に肩を寄せながらノレンを潜って一杯だったのが、
今はドアを開けて一杯である。
寒くなくてええではないかと言う声もあろうが、
密室の中で七輪でホルモンを焼くと言うのも一種拷問である。
風呂上りにいつもここに来るが、
風呂の意味はビールを美味くする以外にはない。
煙にまみれながら目を擦りながらホルモンにマッコリ(韓国の濁り酒)をすする、
これまた関西の文化である。



昼間は四つ橋線に乗って東梅田まで出る。
梅田駅の方に歩いて行くと、
御堂筋線の乗り口の横に立ち食い串カツ屋がある。
カウンターには揚げたての串カツがならび、
キャベツのぶった切りとソースの壷がある。
好きな串カツを選んではソースをつけて勝手に食うのである。
キャベツは無料だが、衛生上ソースの二度付けは禁止である。

ソースの二度付け禁止と言えば、
東京での自宅近所にある武蔵小山の立ち食い焼き鳥も有名だが、
そことこことの大きな違いは、
カウンターの中のおばちゃんであろう。

東京の人間と言うのはあんまし喋らんのか?
それとも関西のおばちゃんが喋り過ぎるのか?
とにかくこの串カツ屋のおばちゃんは何やらずーっと喋りまくってるので、
こうしてひとりでふらっと言ってもたいくつしない。



そう言えば俺って東京でおるときよりも関西での方が有名なんか?
なんか街を歩けばおばちゃんに振り返られる。
やはりNHKの影響力は偉大だが、
大阪のおばちゃんだけが中国語を学習してるわけではあるまい。

二井原とふたりでXYZのキャンペーンに行ったが、
レコード店でファンに捕まってサインや写真撮影はまあよかろう。
問題はそれを店の外から取り巻いて見ているおばちゃん達である。
「ファンキーはホンマ有名人やなあ、おばちゃんばっかり・・・」
とは二井原の感想であるが、
そのおばちゃん達は俺のことを何をやってる人と思てるんやろ・・・
CDのキャンペーンのためにCDショップを表敬訪問してるとは夢にも思うまい。
「中国語の先生がCD買い物してはるわ」
ぐらいの認識ではあるまいか・・・

二井原曰く、
俺が別に関西だけ特別に有名なわけではなく、
東京では「あ、あの人や」と思うてもそれを態度には出さないだけらしい。
やっぱ関西人は偉大である。
いろんな諸外国に行って、
大きな声で話してる日本語を聞くと、それは必ず関西弁である。
日本のラティーナと言っても過言ではあるまい。



さて話はまた食い物に戻るが、
関西で一番好きな場所と言えば、生野区のコリアンタウン近くである。
金ちゃんと言う在日朝鮮人の女の子と北京で知り合い、
今ではその一族と家族ぐるみで付き合っている。

初めて金ちゃんちに行った時はちょうどお姉ちゃんの結納の日で、
朝鮮料理がテーブルじゅうに並び、
近所のキムチ屋のおばちゃんがお土産にキムチやらいろいろ持たせてくれ、
若いモン連れて23時間営業のデラックス銭湯に行き、
その辺で冷麺などをすすると、もうこの街を後にしたくなくなる。

そんな中で発見したとある韓国食堂。
韓国人のおばちゃんがひとりでやっているのだが、
これが日本語はまるでと言っていいほど喋れない。
身振り手振りで注文をし、
おばちゃんは作るのに忙しいので生ビール等は自分で入れる。
ポッサム・キムチとか何たらチゲとか、
むちゃ美味い料理が数多く並ぶのだが、
金ちゃんとか金ちゃんのお母さんとかがいないと通訳する人がいないので
同じ料理が出て来るかどうかはもう運しかない。

メニューにはマッコリは置いてないのであるが、
どうしても飲みたい時には
「マッコリ、マッコリ・・・」
と連呼していると、どこやら電話をして韓国人のお姉ちゃんが買ってきてくれたりする。
これもまた運である。

もう何度も通っているので
おばちゃんも「あの日本人がまた来た」のノリで非常によくしてくれるが、
また来てね、のつもりでもらった電話番号も、
俺が韓国語を喋れない限り無用の長物である。



さてこの辺の名物もデラックス銭湯なのであるが、
大村はんの近くには極めつけ「摂津の湯」と言うのがある。
関西の銭湯の料金は東京よりは安いが、
げせないのは「洗髪料」と言うシステムである。
10円と言う安さではあるが、これはひとえに自己申告制で、
髪の毛を洗う人だけが申告して払うと言う、
言わばこれも関西人の人のよさを表しているシステムではあるまいか。

しかしこう言うファジーなシステムがまた関西なのであろうが、
問題は大村はんのようなハゲである。
もともと洗髪をすると水をたくさん使うからと言うシステムなのであるが、
ハゲはどうなるのだろう・・・

またこのシステムはズルをした人間が髪の毛が濡れていることによって摘発されるが、
ハゲの場合はその証拠が残らない。
いや、それ以前に、
顔を洗っていておでこの延長で頭までつるっと洗うのは洗髪か・・・
いや、洗髪とは髪の毛を洗うものであって、
頭皮を洗うのは洗髪ではあるまい・・・・

そんなことを考えて夜も眠れない大阪の夜である・・・・



さて今日のお題。

岡崎はん、ついに退院!

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動脈瘤によるクモ膜下出血により一時は生死の淵をさまよってた
五星旗のギタリスト岡崎猛が
医者も驚くほどの奇跡の回復力を見せてついに退院した。

退院と言っても当然ながら全快と言うわけではなく、
通院しながら自宅療養、そしてリハビリである。

本人からMailが来ているので皆様にご紹介。

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題名: まぐまぐ~~のせて



みなさん、今回は本当に心配かけました。
11月3日に退院することができました、体力的にも
まだまだですが無事自宅療養までこぎつけました。

いやはや、今回は本当にまいりました。
自転車で軽い気持ちで病院に来たつもりが、
こんな事になるとは夢にも思いませんでした。
脳動脈瘤が二つ。
一つは今にもはじけそうな1・7センチもあるそうで
まだ調べてみるから他にもあるかも?
といわれた時は 結局なかったが
死刑宣告されたような気持ちで、目の前が真っ暗になりました。

それからはとりあえず、仕事先に電話を入れそのまま入院、
そこまでが僕の記憶であります。
それから20日意識がなく、後から自分におきた病状を知る事になりました。
生きてこうやってメール打ってるのが奇跡みたいなものだとゆうことが・・・

と言うことで人間僕みたいに温厚に生きてても一歩先は分からんもんですね~

二回もらった人生何かないかな~?
と思ったがやっぱりギターが好きなので
またリハビリしてへたなギターに磨きがかかるようにがんばります。



岡崎 猛

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と言うわけで岡崎はん、リハビリ頑張ってくらはい。
わては大阪で飲んでます。

ちなみに大村はんはやっぱり洗髪料の10円は払ってないそうです。

では。

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:17:10 | 固定リンク