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2000年9月30日

岡崎猛が動脈瘤によるクモ膜下出血で緊急手術

先日、五星旗のライブで愛知県犬山市に行った。
その時の打ち上げことである。
ギターの岡崎はんが酒飲みながら、
「あれ?変やなあ、右半身が何か痺れて来たなあ・・・」
とつぶやいた。
「またまたー・・・酔っ払ってるんちゃうん!」
と俺たち。
「あれ?目も何かおかしいなあ、物がふたつに見えたりするなあ・・・」
「それ飲み過ぎ!」
そしてホテルに帰る頃には
「何かふらふらするなあ・・・」
「それ完璧に飲み過ぎ!」
と俺たち。

そして東京に戻って来た次の月曜日、
彼は医者に行った。
そしてこの話はそこから始まる。

「入院せなアカンねん」
電話がかかって来た。
病名は動脈瘤。
脳の動脈の壁のある部分に血圧がかかり、
そこがぷくっとふくれて瘤になる。
血管の一部が風船のように膨れてるんだから
当然ながら破れ易い。
破れればクモ膜下出血となって死に至る。
そして彼の動脈瘤は脳の一番奥深い所に出来ていて切開手術は不可能。
しかも1.7センチと言う巨大な動脈瘤である。
医者に「破裂したら死にますよ」そう言われてビビリまくって
とりあえず仕事関係の人に電話を入れたと言うわけだ。

命に関わる病気なのだから仕方がない。
10月9日の沖縄のイベントと、
突然ブッキングされた10月21日のマレーシアには、
トラとして名ギタリスト、団長をブッキングする。

そんな事務処理をしてたある朝、突然胸騒ぎがして早く目覚めた。
カラスがカーカー鳴いている。
縁起でもないなあ・・・
「ちょっと病院行って来るわ」
早朝から出かけて行った。

受け付けで部屋番号を聞いて上がってゆくと、
何のこっちゃないいつものブサイクな寝顔で彼が寝ていた。
まあ寝かせておこう・・・
座って本を読んでいると
「わっ、びっくりしたー」
突然目が覚めてびっくりされてもこちらがびっくりする。
「あんた別に入院しても家でおっても変わらんなあ。
何するでもなく朝からゴロゴロと・・・」
得意の毒舌のひとつも言ってやる。
「ほんまやなあ・・・」
と彼。

「何か欲しいもん、あるか?家まで取りに行ったるで」
「いや、オカンが来とるからかまん」
「オカンが来とるんかいな」
「医者が家族呼べ言うて」
「ひょっとしてオカンってあんたのあの部屋で寝とるんかいな」
「せやで」
「そりゃオカンも災難やなあ」
などやりとりがあった後、
「たいくつでしゃーないからギターとラジカセ取って来てや」
と頼まれる。
ふらふらっと自転車で来てそのまま入院になったんで、
その放置自転車も家まで持って行ってくれと言う。
玄関に行ってみると、自転車には張り紙がしてあって、
「ここに放置しておくとケガ人が出ますのですみやかに移動しなさい」
と書かれている。
ケガ人どころか重病人の自転車なんやけどなあ・・・

家には初めて会うオカンがいた。
「初めまして」
ギターとラジカセとCDを持ってオカンと共に病院に戻る。
CDは「暗いんはいらんでぇ、気が滅入る」と言うが、
どのCDが暗いかようわからんので、
棚にあるJazzのCDのうち自分の聞きたいものを物色した。
そして病室でせっせとパソコンに取り込む。
俺は一体何をしに来たんやろ・・・

「ほな!」
目ぼしいのを取り込んだ後、仕事に出かけた。
まるでCD取り込みに来ただけである。

「岡崎はんが入院してなあ・・・」
仕事先では会う人会う人に笑い話である。
だいたいこのテの病気は40の若さでは珍しいらしい。
「老人病や、老人病。普段家でゴロゴロしてギター弾いて酒飲んで・・・
せやからこんな病気になんねん」

そんなこんなで夕方まで仕事してたら、
後から見舞いに行った事務所社長の綾和也から連絡があった。
「WeiWeiと見舞いに行ってなあ、
元気に待合室まで一緒に行って喋ってたら突然ロレツがまわらんようになって、
アカン、頭が痛いわ、言うてベッドに戻っていったでぇ。大丈夫かなあ・・・」
夕方連絡を回していたジャズクラブSのマスターが見舞いに行って連絡が来た。
「末吉か、シャレんならんでぇ、クモ膜下出血や。破裂したらしいんや」
とんぼ返りで病院に戻った。

京都の家族、親戚に招集がかけられる。
絶対安静の病室には家族は付き添うわけにはいかず、
本当はロビーも人が泊まってはいけないのだが、
オカンが悔いが残らんようにどうしても息子のそばを離れたくないと言うので、
特別にロビーでいる分には認めてくれた。
しかしロビーは夜9時には消灯。
真っ暗なロビーの中で不安でどうしようもない年寄りひとりでおらすわけにはいかんので、
結局俺も夜通し付き合うことにした。
本人よりもとりあえずオカンの方が心配である。
少しでも気を紛らわすように岡崎はんのアホ話をたんとしてるうちに、
京都からご家族ご一行が到着した。
ロビーで泣き出すご親族もいる。
「まあまあ、今は特別にここでいさせてもらってるんで何とぞお静かに・・・」
聞けば途中の新幹線で居ても立ってもいられなくてビールを飲んだらしい。
少々取り乱していた。

酒かあ・・・
家族が来たら俺は必要ないので病院を後にする。
病院内は携帯電話禁止なので、外に出てメッセージを聞くと、
ジャズクラブSのマスターから留守電が入っていた。
「末吉か、これ聞いたらすぐ電話くれ。店でおる」
ただごとではなさそうなので店に直接向かう。

マスターはひとりでライブの後片付けをしていた。
「おう、来たか。飲むか?」
ビールが出てくる。
おかしい。ガメツイので有名なこのオッサンが店のビールをタダで出すわけがない。
「実はなあ、あの病院の医者とか看護婦とかうちの客やねん。
そいで電話して調べたら、明日の手術の担当っつうのがうちの常連やったんや。
たまたまそいつは今日休みでなあ、自宅に電話かけていろいろ聞き出した」

医者曰く、最善を尽くしてはみるが、見込みは少ないと言うことであった。
まず場所が非常にやっかいなところなんで切開手術が出来ないと言う。
それにこんなに大きな動脈瘤が出来てて、
本人がこんなに正常だと言うのがそもそもおかしいらしい。
そしてすでに破裂してしまった。
破裂したら死にますと言われてたんだから、
考えてみたらまだ生きてるだけでももうけもんである。

「何で破裂する前にすぐ手術せんかったんや!
破裂したら死ぬから入院せぇと言いながら病院で破裂するとは何ごとや!」
当然ながらマスターは怒る。
しかし医者としては、
「だいたいあんな大きな動脈瘤を持ちながら
自分で自転車乗って病院まで来たと言うのが不思議なぐらいなんです。
普通だったらそのまま路上で破裂して倒れて死ぬ場合が多い。
行き倒れで死んだ人が、
調べて見たら実は動脈瘤が破裂してたと言うことはよくある話なんです。
だからと言って、病院では例えば検査とかをしますよね。
血管の検査をしている時に突然破裂する可能性もある。
それは患者さん側から見たら検査したから破裂した、なんですよ。
どう言うわけかわからんが本人が何故か正常なんですから、
安静にしてゆっくり調べるより他なかったんですよ」
その実、もう運び込まれた時点で
この場所のこの大きさの動脈瘤だともうお手上げで、
現実的に効果的な処置が見つからなかったと言うのもあったらしい。

とにもかくにも破裂した。
今本人は薬で眠らされている。
目が覚めて興奮したりするとさらに大破裂して死に至る。
「今すぐ手術するわけにはいかんのかなあ・・・」
「何か足らん道具があって至急取り寄せとるから、どうしても明日の夕方になるらしい」
裏事情通のマスターである。
「手術まで眠らせとくわけにはいかんのかなあ・・・」
「そやなあ、明日もういっぺん電話してビシっと言うといたる。
ちゃんとせんかったらジャズクラブS出入り禁止やぞ!」
出入り禁止ぐらいが脅しの材料になるとは思えんがなあ・・・
でもこうなったらとにかく医者を信じるしかないのである。
後は神か?

「俺、もう助からんのちゃうかなと思うねん」
飲みながらぼそっとそうつぶやいてみる。
中学生の頃、姉が亡くなった時の感覚に物凄く似ているのだ。
「確率的にはそやろ、まず助かる確率は低い。医者も手遅れや言うとった」
裏情報通のマスターである。

今は五星旗の2枚目のアルバムが仕上がったばかりである。
ミキシングやマスタリングで今回はいつになく積極的に頑張ってやってた彼である。
「遺作んなるんかぁ、シャレんならんのう・・・」

岡崎はんとの思い出が浮かんでは消え、浮かんでは消えてゆく。
最初に会ったのはジャズクラブSのジャムセッション。
新大久保に住んでると言う立地条件もあって、いつも泊まらせてもらってた。
そうじゃなくても酒飲む時にはいつも呼び出して飲んでた。

当時人は、自分で思ってるほど俺のことをJazzミュージシャンだとは思ってくれず、
たまにお誘いがあっても、爆風スランプの名前で動員数を稼ごうとする輩ばっかりだった。
純粋に腕を買われて○○カルテットとかのドラマーで呼ばれたかったが、
そんな酔狂な輩はいなかった。
そんな中、岡崎はんだけが自分のカルテットに俺を呼んでくれた。
客の入らん小さいライブハウスから、
新宿のカクテルバーの夜中の生演奏までやった。
当時の俺はヘタなJazzメンよりもJazzのライブが多かった。
街角の超マイナーな場所でストレイト・アヘッドなJazzを叩く俺を偶然見かけた
近所に住むJazzミュージシャンなどがびっくりして声をかけたりした。
そうして俺はJazz界でやっとJazzミュージシャンとして認められていった。

ある日のラウンジでの演奏で、
突然ある曲で偶然ブラシを使うコツを習得した。
「どしたんや、オッサン。突然ブラシがうもうなったなあ、別人みたいやで」
演奏後の彼の嬉しそうな顔を思い出す。
思えば彼こそが俺のJazzの師匠であった。
彼から、そして彼と一緒に俺はJazzのいろんなことを学んでいった。

ロックや中国音楽の要素も混ぜて五星旗を結成した時、
やはり俺はギタリストとして彼に声をかけた。
それからは彼に彼の知らないJazzではないいろんなことを教えてあげた。
CDデビューが決まり、評判もよく、
プロデューサーのN氏は
「五星旗が売れたら次は岡崎さんのソロアルバムを作りましょう」
と言っていた。
「それが岡崎はんの幸運期とちゃうん!」
数年前のJazzツアーの時、四国のとある占い士が岡崎はんに
「あなたは数年後に人生最大の幸運期が訪れます」
と言ったのが、仲間内ではずーっと酒の肴になっていたのだ。
でも実際今のなってみれば、彼の人生最大の幸運と言うのは、
飲み友達のアルバム2枚でギターを弾いただけやったんか?・・・

「こんなことやたらさっさとソロアルバム録っといたらよかったなあ・・・」
と俺。
「俺もそう思とったんや、何でやっといたらんかったやろってな」
とジャズクラブSのマスター。

俺が事務所やレコード会社の契約で悩んでいたある時期、
ある人が俺にこうアドバイスことがある。
「そんな大会社がそりゃお前のやりたいそんな音楽をやるわけはない。
でもなあ、その音楽は来年にはない。きっと今しかやれん音楽や」
結局俺は日本ではなく中国でそれを発売し、そして今に至る。
五星旗の前身と言える姿がそこにあった。

そう、音楽っつうのは空気を震わせて、そして消えてなくなるもんである。
レコードと言う「記録」をせん限りはそれでおしまいなのである。
でもヤツが死んでもうたらもうそれを記録出来るチャンスは永遠になくなる。
ヤツとの数々のセッションは、
俺にとったらほんまにかけがいの無いVSOP
(Very Special Onetime Performance)
やったんやと実感した。

「岡崎ぃ、死ぬなよなぁ」
とマスター。
「しゃーないでぇ、人間がどうのこうの出来る問題ちゃうし」
と俺。
「岡崎死んだら追悼Jamセッションブッキングしたる」
「マスター、間違うてもそれで儲けたら許さんでぇ」
「当たり前じゃ!いくらワシでもそこまではせんわい」

ガメツイので有名なマスターと5時まで飲んだ。
すでにべろんべろんだが、やっぱ気になるので病院まで行ってみる。
ところが家族がいるはずの待合室には誰もいない。
「アカン、とうとう死んだんや」
あわてて病室に飛び込んでみると、岡崎はんひとりが薬で寝ていた。
「ご家族の方はみなさんお帰りになりましたよ」
面会時間外に酒臭い息を絶対安静の病室に持ち込むふとどきな輩を
看護婦さんがそう言ってたしなめる。
「すんません」
待合室に帰って来て、俺は結局そこで寝た。

朝になると入院患者でいっぱいの待合室。
目が覚めると、病院の待合室で酔いつぶれてる変な男を、
みんなはけげんそうな目で見て見ぬふりをしていた。
しゃきっとしたふりをしながらご家族の到着を待つ。
「おはようございます」
まるで今来たかのようなふりをしながら挨拶を交わす。
「じゃあ僕は仕事に行きますんで・・・」
病院を出て携帯の留守電をチェックする。
病院内が携帯禁止なのでまことに不便である。

ふと見ると隣にホテルがある。
そそくさとチェックインした。
「今晩からホテルに泊まるから」
嫁と事務所に連絡する。
「そこまでする必要があるんか?」
「やかましい!いつ死ぬかわからんのやでぇ。
もしもの時に病院が俺の携帯に連絡くれるか?
ご家族にそんだけの余裕があるか?
ホテルに詰めて、1時間に一回でも様子を見に行くだけでそれでええんやがな」

新大久保から仕事に通う毎日が始まった。
ホテルは携帯が通じるだけでもかなり便利である。
それに、もしもの時には待合室ではなく、ここを関係者の溜まり場にすることが出来る。
コマが死んだ時のことを思い出す。

XYZのライブステイションでのゲリラライブにリハと本番の間にまた病院に戻って来た。
手術が予定より2時間早く始まっていた。
「道具が早く揃たんやな・・・」
裏事情を推測する。
「一度目が覚めてから手術室に入ったんですか?
それともあのまま寝たまま手術室に?」
話を聞くとそのまま寝たまま手術らしい。
結果的に理想の形である。
安心してライブステイションに引き返す。

本番が終わって山手線に飛び乗ると携帯が鳴った。
ジャズクラブSのマスターである。
「今電車の中やから着いたらかけ直します」
こんな時にもマナーにはウルサイ俺である。
「今ちょっとだけ聞いてくれ」
電話を切らせないマスター。不吉な予感が頭をよぎる。
「4時に手術室に入って、たった今まで4時間。
手術は成功してその担当医が今からジャズクラブSに飲みに来る。
成功や。わかるか。とりあえずすぐ死ぬことはもうない」
興奮してそうまくし立てる。

病院に行くと、ご家族が偉い先生から話を聞いていた。
「動脈瘤は塞ぎましたが、
クモ膜下出血は基本的にいろんな合併症を引き起こすので安心は出来ません。
現在は意識障害や麻痺などがあり、最悪はこのまま植物人間になることも考えられます。
脊髄液に血液が混ざって循環が悪くなると水頭症になって、
脳内の圧力が上がって脳を圧迫して痴呆になる可能性もあります」

そのままジャズクラブSに飛び込む。
今日の出演者は「岡崎ブラザース」。
トランペットの岡崎好朗とサックスの岡崎正典のグループである。
マスター手書きの入り口の看板を見ると、
「本日の出演者」のところに
「岡崎好朗」ではなく、「岡崎猛」と書かれていた。
しかもご丁寧に「岡崎猛 Gt」である。
おいおいオッサン、岡崎猛は今病院じゃろ。
今日の出演者にギタリストがおるんかい!
オッサン、何じゃかんじゃクールに装っててもよっぽどパニックしてたんやなあ・・・

店に入ろうとすると、マスターがそれを制止する。
「店に入ったらミュージシャンの手前チャージを取らんわけにはいかん。
俺は岡崎のことでは出来る限りのことは全部やった。
公私混同はしとないし、最後にケチつけとうないんや。
ライブ終わるまで外で待っといてくれ」
ガメツイと評判のマスター。
でもそれはミュージシャンの千円二千円のチャージバックを守るためだったりもする。
「かまへんで。チャージ払うがな。お祝いにええ演奏聞かせてもらうわ」

店に入ると、1ステージ目の最後の曲をやっていて、
一角だけやたら大盛り上がりのテーブルがある。
いかしたオブリには「イエイー!」、
いいソロが終わると「ウォー!」、
曲が終わると「ワーワー!」、
まるでキチガイである。
「あれがお医者さん?」
「せやで」
見ると、すでにテーブルの上にはバドワイザーの空き缶が所狭しと並べられている。

「初めまして」
M氏と言うその担当医と、そのアシスタントに挨拶をした。
「いやー、Jazzギタリストだと聞きましてね。
出来る限りのことはやりました。
後は本人の体力と頑張りです」
病院で聞いた偉いお医者さんと同じ説明をしてくれる。
「素人質問で悪いんですけど、
切開手術が出来なくてどうやって手術するんですか?」
この際なので素朴な質問をぶつけてみる。
「腰あたりの血管の中からテグスみたいな糸を入れて、
それをレントゲン見ながら患部まで何とか到達させるんです」
「ちょっと待って下さい。腰から頭言うたらえらい距離がありますがな。
なんで首からとか入れんのですか?」
「場合によっては首から入れる時もありますけど、
頭に近ければ近いほど危険だと言うのもありまして、
だいたいの場合は腰からが一番いいとされてます」
「でも動脈言うたらいろいろ枝葉に別れてて、
道を選ぶだけでも大変やのに、患部までの正しい道のりにテグスを導くって大変でしょう」
「いやー、ほんと指先ひとつですよ。
入り口のところでテグスをちょこっと回すんです。
そしたらテグスの先がちょこっと方向転換するんです。
それをレントゲンで見ながら患部まで持って行くんですね」
「そりゃ確かに大変ですわなあ。4時間っつうたら、よく集中力が続きますねえ」
「いやー、根性ですよ。何回もくじけそうになりますけどね」
「でも患部に到達してからどうするんです?」
「このテグスは到達したら先っぽが丸まるんです。
それで動脈瘤の中でくるくるとテグスをコイル状に丸めていくんです」
「丸めたら何のええことがあるんです?」
「例えば川のほとりに水溜りが出来たとするでしょ。
そこに水が流れ込むようになれば水溜りはどんどん大きくなる。
これが動脈瘤です。
ですからその水溜りを小石かなんかで埋めてしまうんです。
そうすると水が流れ込まないので川の流れはそのままと言うわけです」
「でもコイル状になったはええけど、
そのままテグス抜いたらコイルもほどけて抜けてしまうやないですか」
「そのテグスには、電流を流すとあるところで切れてしまうように作られてるんです。
その部分まで丁重にコイル巻きして詰めてやるわけです」
すんごい作業やなあ・・・・

「先生はトランペットを吹かれると言う話ですけど、
そんな器用な指先っつうのはトランペットによって鍛えられたとかありますか?」
まるでインタビュアーのような質問をしてみる。
「トランペットがどうのこうのと言うより、手術はそもそもJazzと同じですよ」
「は?・・・と言いますと・・・」
「Jazzのコード進行と同じように、
手術にも確固たる守らなければならないセオリーがあります。
でもそれだけでは手術は出来ないんです。
患者の反応とか状況を見ながら、それに合った風に変えていかなければならない。
つまり人のプレイに反応するJamセッションと同じなんです」
「そりゃすごい。ほなセンスの悪い人に当たったら最悪ですね」
驚く俺にアシスタントが耳打ちする。
「この先生、こう見えてもこのジャンルでは日本で3本の指に入る名医なんですよ」
ひえー・・・
岡崎はんの大幸運期はこの人とめぐり合うっつうことやったんか・・・

今後のこともいろいろ聞いてみる。
「今まではいつ大破裂するかわからない状態だったんで、
集中治療室で外界からの刺激を一切なくして薬で眠らせたりしてましたが、
もう破裂することはまずないですから、
今度はどんどん刺激を与えてあげなければなりません」
「それって、ほな例えばJazzとか聞かせるのってええことなんですか」
「そうですね。でも実は僕の手術の時にはいつもJazzかけながらオペしてるんですよ」
ほな岡崎はんも4時間Jazz聞きながら手術受けてたんかぁ。
そりゃ本人幸せやなあ・・・

とか何とか言ってるうちに2ステージ目が始まった。
「ワーワー、ギャーギャー、イエイ!」
このふたりはまことにウルサイ。
でも俺もステージで演奏する側として、
こんな客が実は一番嬉しい客であることを知っている。
的確なところで的確に騒いでミュージシャンを盛り上げてくれる。
言わば客席にてミュージシャンとセッションしてるようなもんである。
「そうかぁ。このセッションで岡崎はんは助かったんかぁ・・・」
何だか気が抜けて酔いがまわった。

ステージでのご機嫌な演奏を聞きながら、
「ああ、俺も岡崎はんもこの世界に住んでる人間なんやなあ」
と実感する。
そして偶然にも岡崎はんの命を救ったこの医者も同じ世界で住んでいた。
それをその媒介にここのマスターがいた。
みんな同じ世界に生きているのである。

俺もいろんなトラブルを起こして今の環境で音楽をやっているが、
いつも感じてたのが、「住んでる世界が違う」と言うことだった。
そしていつもこんなJazzクラブやライブハウスに戻って来た。
そして今は何の因果かレコード会社までやっている。
何のためにレコード会社をやっているのか・・・
そりゃXYZのために作ったのではあるが、
でも大きく考えると、リリースしたい物をリリースするためにやっとるんではないか・・・

最初にこの五星旗の前身とも言える音楽を持って行った先はSONYレコード。
俺は契約上SONY以外からリリースすることは出来なかったのだ。
爆風スランプのメンバーのソロプロジェクトと言うことで、
偉い部長がじきじきにJazzクラブまで来てくれて、
そして会議室でミーティングまで開いてくれた。
そして最後に一言。
「これが50万枚売れるんですか?」
この人達とは生きている場所が違うんだ!
そう強く感じた。

「よし、岡崎はんのソロアルバム作るぞ!」

現状、彼が再びギターが弾けるようになるのはまだまだ先だろう。
まずは健常な生活に戻れることからである。
それからリハビリが始まる。
運が悪ければ合併症で死ぬ。
このまま意識障害で社会復帰出来ないかも知れない。
でも運が良ければまた元通りギターが弾ける。
5年後なのか、10年後なのか、
でもひょっとしたら半年後かも知れない。
生きてると言うことは素晴らしい。
またギターを弾ける可能性があると言うことである。
死んでしまえばそれは永遠にゼロである。
岡崎ぃ。生きててよかったなあ・・・

しかし生きてゆくには大変なことも多い。
努力もいるし、金もいる。
岡崎はんの過去のライブ録音の中から名演と呼ばれるのを集めて、
「岡崎えーど(関西弁風に上がり口調で読む)」と題してソロアルバムを作ろう。
プレス代等リスクは全部俺が被ろう。命拾いした岡崎に対するご祝儀じゃ。
ガメツイので有名なマスターにも今度ばかりは無料でマスタリングしてもらおう。
問題は音源である。
本人の家、友人の家のテープ類を漁るが、
もしみなさんの中で、岡崎はんのライブの隠し録りのテープがあったら、
その中で「名演」と言えるものを是非無料で提供して欲しい。
ミュージシャンへの許諾は俺がとる。
もちろんギャランティーは泣いてもらおう。

「これが50万枚売れるんですか?」
いえいえ500枚がええとこでしょう。
でも500枚を越したら利益が出る。
そしたらヤツのリハビリの大きな役に立つやないかい。
これが俺の生きてるところである。

そんなことを考えてるうちに2ステージ目は終了した。
「いかした演奏をありがとう」
メンバーに挨拶に行く。
「先生もどうもありがとう御座いました」
先生にも丁重に礼を言うが、
「いやー、当然のことをやっただけですよ」
と謙遜する。
「でも先生の腕がよかったから彼の命があるんですよ」
「オペがうまくなるよりもトランペットうまくなりたいんですけどね・・・」
いやいや、オペの腕がよくって本当によかったっすよ。

Jazzキチの周りにこのJazzキチあり。
飲んだビールは2人で18缶。
支払いをしようとする先生を制止しながら
今日だけはガメツイので有名なマスターが支払う。
ミュージシャンへのチャージもマスターがちゃんと支払う。
人はとやかく言うけど、俺はこんなマスターが大好きである。
「まさか18本も飲むとは思わんかったなあ・・・」
「ええやん、それで岡崎はんが助かったんやから・・・」

現在岡崎はんは、手術後の経過も順調で、
麻痺しとるはずの手足もばたばた動かすし、
ロレツのまわらん口で
「こんなことやっとる場合とちゃうがな」
と口走ったとか口走らないとか・・・
死にかけて初めてやる気っつうもんを出したなあ、こいつ。

・・・と言うわけで友人のみなさん、ファンのみなさん。
今のところまだ家族以外は面会謝絶ですので見舞いには行けません。
集中治療室から出て病室に移ったらまた連絡しますが、
岡崎はんに関することへの問い合わせも真に勝手ながらかんべんして下さい。
以上の情報が全てです。
また今回のこのメルマガに対する返事は結構です。
次号からまたアホネタに戻ります。

五星旗は当分ギターに千葉”団長”孝を迎えて活動します。
「岡崎えーど(関西弁風に上がり口調で読む)」への音源提供の方は、
住所と連絡先を書いて下記の住所まで送って下さい。
まずそちらの方で厳選してから送って頂くと助かります。
ただでさえ今から莫大な量のテイクを聞いていかねばならないので・・・

153-0064
目黒区下目黒3-24-14目黒コーポラス405
ファンキーコーポレーション

「岡崎えーど(関西弁風に上がり口調で読む)」音源提供係まで。

・・・と言うわけで今回は特別な「ひとり言」でした。
失礼!

ファンキー末吉

 

ps.この原稿を書いた後、岡崎は無事退院し、ちょっと後遺症は残っているものの元気にギター弾いてす。

タバコは自主的にやめたが、酒は相変わらず飲んでます。

医者曰く、別にほどほどにする分には何をやってもええそうな・・・

よかったよかった・・・

Posted by ファンキー末吉 at:16:50 | 固定リンク

2000年9月20日

疥癬(かいせん)完治して北京に向かう

疥癬ついに完治!
そして俺は北京へ・・・
(例によって飛行機の中)

通常疥癬の治療には3クールに分けて治療するそうだ。
1クール1週間である。
週の最初にガンマなんたらと言う疥癬虫を殺す薬を塗る。
次の日の朝はシャワーにてガンマなんたらを洗い流して、
全身にオイラックスとか言う、
こりゃ痒み止めなのか疥癬虫を殺す薬なのか、
聞くとこによるともともとは疥癬の治療薬として開発された薬を塗る。
そして夕方にはまたガンマなんたらを塗る。
後は週末までオイラックスだけを塗り、
次の週はまたガンマから同じ工程を繰り返す。
通常ここまでで疥癬虫はまず死滅するらしいが、
大事をとって2週目、3週目に突入するのだ。

聞くところによると、
疥癬虫と言うのはこれらの薬を塗るとほぼ確実に死滅してしまうが、
疥癬だと知らずに別の薬を塗ると、
たちどころに全身に広がってしまうと言う。
どうも俺の場合はそうだったようだ。

全身に広がってしまったので仕方が無いので全身に塗る。
ぼつぼつは出て無くても、
ひょっとして衣服に、また布団にタオルについていた虫、もしくは卵が、
なにかの拍子にまた肌に付着しているかも知れない。
それがまた孵化して卵を生み・・・
ああ考えただけで恐ろしい・・・
この恐れがあるから2,3クールの治療が必要なのだ。

そしてお風呂にはムトーハップと言うのを薬屋で買ってきて、
それをキャップに2杯ほど垂らすとあら不思議、
自宅の風呂が草津の温泉に・・・
早い話、硫黄の温泉は皮膚にええのね、
ダニも殺すと言うし・・・

温泉好きの俺は、
実は北京にまでこのムトーハップを持ちこんで来ている。
疥癬は治ってもムトーハップはやめられなくなってしまったのだ。

部屋やベッド等の消毒はスミスリンと言う粉製の殺虫剤を買ってくる。
田舎の肥溜めなどでウジを殺すために撒く農薬みたいなアレである。
マスクを水で濡らして、吸い込まないようにしながら、
自分の部屋のベッドにスミスリンを撒くっつうのもなんとも情けない。
夜寝る前はそれを掃除機で全部吸い込んで綺麗にしてから寝る。

嫁から枕や掛け布団は没収されている。
2次感染の防止のためであるが、
敷布団もない殺虫剤臭いマットの上で、
枕も布団もなくごろんと寝る姿の侘しさよ・・・
これでは酔っ払って公園のベンチで酔いつぶれている日々とさほど変わらん。

実は今度の北京行きで一番楽しみなのは、
ホテルで枕と掛け布団のあるベッドで眠れることなのである。
あー情けなし・・・

そして聞くところによると、
病院なんかでは体力のない老人から感染してゆくと言うので、
これはニューヨークのハードなスケジュールで老人並に体力が低下していたために、
俺だけが感染し、発病したとみられる。
要は体力の問題である。

だからと言うのもあって、
香港から帰国し、上海がドタキャンになったのをいいことに、
3日間ひたすら寝るだけの生活だった俺だが、
上海からの帰国予定日だった日からはスケジュールがてんこもりである。
だいたい海外の仕事が多い昨今、
日本にてラジオ3本とテレビ1本を抱える生活はどうにかしている。
朝10時からNHKに詰めて中国語会話の収録をする。
終了を待って原宿にラジオの収録。
しかしここでは平行して五星旗のTDが行われているので、
終了後すぐさまそちらに飛び込む。
次の日の朝までにはマスタリングに入れなければならないので、
結局朝までかかってぎりぎり全曲TDを終わらせる。
マスタリングスタジオに放り込んで、
取り込んでもらってる隙に病院にて最終検査。
まだ疥癬虫が生息しているようだったらさらに3クール目に突入する。
しかし病院での検査結果は「問題なし」。
晴れて完治の身となった。
バンザーイ!

喜んでばかりもいられない。
祝杯をあげるヒマもなく、マスタリングスタジオに引き返し、
レベルやサウンドなどの最終変更をする。
X.Y.Z.の場合、橘高文彦と言う優秀なディレクター役がいるので、
俺は別にへらへらと酒を飲んでればいいが、
五星旗の場合、俺がやらねば誰もやる人間がいないので、
シンバルの大音量にてハイ落ち難聴になってる老人耳を駆使してあーだこーだ言う。
俺、実は苦手なのよ、このテの仕事・・・

最後にNYでのライブ音源も収録しようとなって、
早めに取り込んでもらう予定だった音源をチェックすると、
あら、Kingのマスタリングルームってリバーブやマルチトラック編集設備がないのね。
じゃあどうする?
俺のパソコンにまず取り込んで編集して、
それをマスタリング・コンソールに放り込むしかない。
取り込む周辺機器からソフトまで全部揃っている自分が恐ろしい。
スキャナーからCD-R、ケーブル等まで全部持ち歩いている。
おまけにパスポートも持ち歩いとるんで、
俺は実はこのまま北京に旅立ってもいいのだ。
俺に家などいらんのよ、実は。

夕方からのラジオの収録にはとうてい間に合わないので一本電話を入れて、
ようやくたどり着いたスタジオで一言。
「俺って気がついたらもう36時間ぶっ続けで働いとるのね」
3日間、眠たくなくても寝てた生活をしてた俺はもうハイである。
収録が終わり、家に帰ってムトーハップの風呂に入り、
「じゃあ飛行機出発のぎりぎりまで寝るぞ」
と思ってたら、
数時間後にぱっちり目が覚める。
おいおい、眠たかったんちゃうんかい!
仕方がないので五星旗のライナーノーツとかを朝まで書く。
子供が起きて来るので、
完治した腕でとりあえず抱いてやる。
おいおい、俺、寝んでええんかい!

そしてまた機上の人である。
寝ればいいのにまたこんなアホな文章を書いている。
海外に行けば日本でいるよりもスケジュールがゆるやかになる俺であるが、
北京だけは別である。
会わねばならない人間は多いし、
嫁の親戚へのことづけ物が山ほど託されている。
もうここは外国ではなく、久しぶりの里帰りに近い。

しかし今回の北京行きは久々に自分主導のユニットではない。
Pont Boxなどでおなじみの佐山雅弘さんのユニットにドラマーとして参加する。
思えばもろJazzの仕事は久々である。
実に楽しい。
自分のプレイ以外に責任がないからである。
ドラマー以外のいろんな顔を持つ生活から、
純粋にドラマーだけに戻れる瞬間である。

しかし周りは純粋にそうはいかない。
ここ最近北京からMailや電話がひっきりなしに入っている。
「北京でライブやるって一体どこなんですか」
とか
「泊まりはどこなんですか」
とか俺を捕まえたい連中がてぐすね引いている。

成田から北京の安田に電話する。
「今から行くでぇ」
「知ってますよ。一体どうなってんですかぁ。
末吉さんのライブはどこでやるのかとか、
チケットはJazz屋で買えるのかとか、
全部問い合わせはJazz屋に来るんですよ」
情報が口コミしかないこの国で、
俺が北京に行くと大騒ぎになるのはここ、Jazz屋なのである。
「すまん、俺のユニットじゃないんで、実は俺なーーーーんにも知らんのよ。
泊まるところも知らんし、明日どこで何時にやるかも知りまっしぇーーん」
こんな無責任な旅も久しぶりである。

CDカフェと言う老舗のJazz Clubでやる予定だったのがドタキャンになったと聞く。
アジアの仕事はドタキャンばっかりかい!
代わりに中国大飯店とやらのJazzバーでやるらしい。
うーむ、ようわからん。

後は久しぶりに北京のJazz屋に行って飲むとしよう。
どうでもええけど、ここのJazzのCD、
全部うちから持って行ったもんなんですけど・・・
ぼちぼち返せと言いつづけてもう数年。
今回は全部パソコンに取り込んでから帰るとするか・・・

ファンキー末吉

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2000年9月13日

疥癬(かいせん)治癒後には何もする気になれまっしぇーん!

なまけものになっちまっただー・・・・

皮膚のぼつぼつはもう落ち着いて、
長袖を着てると、買い物に行っても、もう「おっ」と言われることはなくなった。
しかし疥癬虫はまだ身体に衣服に巣食っている可能性があるので、
香港から帰国後、我が家では隔離状態である。

寝てごろごろ、起きてごろごろ、
与えられたベッドと浴室だけが俺の場所である。
やることと言えばたまに自分の着た服を時々熱湯消毒するぐらいである。
子供に移るやもしれんので子育ては厳禁である。
家事一般も虫を撒き散らすことになるやもしれんので厳禁である。
ワシは言わば禁治産者なのじゃよ。

病気と言っても皮膚以外はいたって健康なので、
本来ならばパワーがありあまってしかるべきなのだが、
何故かなーんにもやる気がおこらん。

スケジュール的には上海でライブをやっとる予定だったがドタキャンのため、
昨日六本木のY2Kで本数合わせのゲリラライブをやった以外には
とりたててやることもない。

思えば香港では忙しかった。
物珍しさでそこそこ人が入ってた初日とはうらはらに、
2日目のガラガラの状況もなんのその、
3日目は立ち見が出、
最終日は押すな押すなである。
Jazzやってスタンディング・オベイションなど初めての出来事であった。

評判は評判を生み、
初日に見に来たオーストラリア人のギタリストがワシに仕事を依頼。
3日目には夕方にショッピングモールで3ステージこなしてから
Jazz Clubで2ステージやっとる。

最終日には朝11時からミーティングの後、
BEYONDのドラマー、Wingんとこの女の子のレコーディングをやってから、
五星旗2ndに収録するために香港No.1のJazzギタリスト、
ユージン・パオのソロを録音。
そのままJazz Clubにかけこんで最終ステージ。
しかしそこまででは終わらない。
BEYONDのギタリスト、PAULが、末吉が香港に来ているのを聞きつけて、
終演後は再びスタジオに戻り、彼のソロアルバムのレコーディング。
朝の5時ぐらいにハードロック叩いてるワシって一体何なんやろ・・・

五星旗のみなさんは5時20分のバスにて空港に向かうが、
ワシは間に合うわけないので直接空港に向かう。
空港で運良く合流できてこうして帰国していると言うわけである。

さて帰って来たら気が抜けた。
なーんにもやる気がおこらん・・・

何十本も溜まっているE-mailに返信する気力もなく、
「あ、X.Y.Z.の欧米でのライセンスが決まったとな・・・」
とか、
「タイプロジェクト再び始動か・・・」
などと重要なものだけに返信をして、
後は全部「一時保管フォルダ」にしまいこむ。
おそらくまたどっか海外に行く飛行機の中ででも返信を書くのだろう・・・

さて、ワシは数日ヒマだと言うことに出会ったことがない。
だいたいにして2日目ぐらいにいそいそと仕事をみつけ、
結局は忙しくしているのが常である。

ところが人はワシが伝染性の病気だと知っているのでなかなか仕事をくれん。
実は皮膚だけの病気で五体満足なんだと言っても、
「病気なんだから悪い」と思って誘ってくれん。
実は酒など飲んでも屁でもないのだが、飲みに誘ってくれん。

家でごろごろしてるとまるでやっかいもんなので、
今日は「ベッドの消毒」と称しておんもに出た。
「スミスリン」と言う殺虫剤を部屋じゅうに撒いて、
いつものパソコンバックを担いでおんもに出た。

ワシの目的はひとえに酒である。
夜隠れて飲んどると嫁にみつかってウルサイし、
ここぞとばかりに定食屋に飛び込む。
「と、とりあえず生ビール下さいな・・・」
久しぶりの生ビールに舌鼓。
「つ、つまみも何かもらってえーですかねえ・・・」
まるで犯罪でも犯してるかのような快感である。

嫁には事務所に仕事に行って来ると言ってあるので、
一応は事務所まで行かねばならない。
またその途中に「林試の森」と言う公園があるのだ。
ワシはそこのベンチで腰掛け、
最近購入したラジオも聞けるMP3プレイヤーで音楽でも聞く。
酔いはほどほどに回って、
そのベンチで横になって酔いつぶれるワシがいたりする・・・
これではその辺の浮浪者と変わらん・・・

夕方になってぽつぽつ降って来たので急いで事務所に来た。
途中の酒屋で数本買い出して・・・

見れば事務所の人々は一生懸命仕事をしている。
X.Y.Z.の2ndが秋には発売と言うことで、
橘高文彦を中心にデザインたら広告たら一生懸命やっとる。
千鳥足の赤ら顔のワシはもちろん用なしである。
居場所がない。

仕方がないのでパソコンを開いて何か仕事をしているフリをするのだが、
いかんせんやる気と仕事がない。
本来ならばX.Y.Z.レコードの金銭関係を扱うデータベースを構築しなければならんのだが、
いかんせんまーったくやる気がございません。
持ち込んだ酒を片手にこんなもんを書いてる次第で御座いますわ。

明日もきっと「ベッドの消毒」と称して、
ワシはまたビール片手に近所の公園で酔いつぶれていることだろう。
でも夜にはしゃきっとした顔で家に帰らねばならない。
酒など飲んでたこと、嫁にバレたら大変である。

あー、会社が潰れたのに嫁に言えずに
いつものように出勤したフリをするサラリーマンの気持ちが少しわかった。
これはこれでけっこう大変なのね・・・

あと数日したらまた忙しくなるんで、
とりあえずはダメ人間で数日暮らしますか・・・

ほな。

ファンキー末吉

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2000年9月 6日

疥癬(かいせん)にかかって体中ぶつぶつが・・・

香港行きもあわやキャンセルか?!・・・



NYで二の腕とわき腹にぶつぶつをもらって来た。
みんなは「悪いもん食ったんだろ」と言うが、
そんなそんな、朝からエイジアン・フードしか食ってません!

それに、内的要因で出るぶつぶつは、
お腹だろうが背中だろうがわきの下であろうが、
とにかく柔らかいところを中心に至る所に出て来る。
二の腕を中心と言うのはどうもちゃうんではないか・・・

10年程前、
爆風のテレビ収録スケジュールで、
昼の1本目が終わり、夜中までかかって2本目を撮ってた時、
お腹にぽつんと水泡が出来た。
「ありゃ?」
収録を続けるにつれそれがどんどん増えて来る。
「カメリハいきまーす。はい次本番でーす」
本番になるとカメリハにはなかった顔にもぽつんと出来る。
「おりょ?」
しかし身体はいたって元気。
心配するのはメイクさんぐらいで、みんなは
「末吉、また悪いもん食ったんじゃねーの?」
ぐらいで気にしない。
(みんな俺の食生活をどう思っとるんじゃい!)
「エイズとちゃうか?」
当時エイズと言う言葉が初めて囁かれだして、
何かにつれそんなことを結び付けたくなる。

ぼつぼつが身体じゅうに広がった。
するといきなり体力ががたっと落ち、
突然熱が出て立ってられなくなった。
楽屋でぶっ倒れてうなされながら考える。
「そう言えば雑誌で見たエイズの何たら肉腫っつうのはこんな感じやった。
俺はきっとエイズなんだ、もう死ぬんだ・・・」
人間しんどくなるとどうも悲劇のヒロインになりたがる。

ふーふーいいながら収録を終え、救急病院に運ばれる。
しかし日本の医療制度がこれだけ整っているといいながら、
大病院での患者の扱いはそれはそれはぞんざいである。
寒いロビーで熱にうなされながら待たされること1時間。
病気が病気やったらマジで死ぬでぇ。

やっと順番がまわってきて見てもらったら、
「水疱瘡(みずぼうそう)です。明日9時以降に来診して下さい」
でおしまい。
そして朝から今度は2時間待たされてやっと診察である。
ひどい・・・

その頃にはぶつぶつは全身に広がり、
お腹といい背中といい、
それが寝返りをうつとその水泡が破裂し、シャツがウミで黄色くなる。
あー思い出しても気持ち悪うぅ・・・



そう、内的な要因で出来たぼつぼつは、このようにところかまわずなのである。
でも今回はむしろシャツの外側、と場所をわきまえて出ている。
「虫さされとちゃうの?」
しかしぼつぼつに虫の食ったような後がない。

まあそんなに痒いわけではないのでそのまま帰国し、
「痒くて死んだ奴はおらん!」
とばかり仕事にいそしんでいたら、
今度はそのぶつぶつが腫れて大きくなりだした。
さすがに近所の皮膚科に飛び込んだが、
「これが日本で出来たぶつぶつなら
虫なら虫、かぶれならかぶれと原因を特定してそれに対する治療が出来ますけど、
外国でなったもので、状況もわからないものに対しては的確な対処が出来ません。
とりあえず痒み止めを出しときますから明日もう一度来て下さい」

けだしごもっともである。
痒さにさいなまれながら一生懸命考えるに、
みんなと違った食事をとったわけでもなく、
唯一違ってたのはふとんである。
エンジニアの松宮宅に泊まったのだが、
彼のベッドのマットレスを引き摺り下ろして、
その下のマットレスの上にシーツをかけて寝ていた。
そこに何か俺だけにかぶれる要因があったのではないか。
だって二の腕とわき腹とちょっとだけ太ももと言えば、
Tシャツとパンツの寝乱れ姿で布団に触れるところではないか・・・

ま、かぶれだったらどうせこれ以上広がることはないだろうからいいや、
そのうち腫れもひくでしょう。
と気楽に考えて日本での仕事にいそしむ。
ちょっと日本に帰って来たら、
テレビやラジオのレギュラー録りで大変なのである。
朝8時からFM香川の電話出演をこなし、
10時にはNHKに入り中国語会話の2本撮り。
この日は無理言って早く出させてもらい、
FM-COCOLOの2本録り。
その2本目ぐらいについに症状がピークを迎えた。

あれ、気が付いたらこれ、体じゅうに出来とるぞ。
増えて来とるわ腫れて来とるわ、
腕なんか藤壺みたいにごつごつと1.5倍の大きさに膨れ上がっている。
足や背中にもぼつぼつが出来、
しまいには顔や首筋にも出来だした。

まずい!半日後には機上の人なのに・・・
二の腕がこんなに腫れあがり、
こんなに熱を持ってるんだから、
これが全身に広がった日にゃあ、あの水疱瘡の比ではなくなる。
水泡であれほどふらふらだったんだから、
この象皮病のような腫れ上がり方だとステージは無理じゃろう。

10年前水疱瘡を押してツアーを敢行し、
ライバル・メドレーの中でのバク宙を失敗し、
顔面から墜落しておでこの水泡をつぶしたのを思い出した。

しかし今回の香港ライブは日本からツアーも出てるし、
何より無理してせっかくブッキングしてくれた香港のエージェントの顔をつぶすことになる。
中国人の顔をつぶすぐらいなら自分の顔の水泡潰した方がマシである。
「最悪、俺だけ当日入りにして明日は日本で病院に行く!」
だいたい日本人と言うのは昼間働いてて病院行く時間などはないはずなのに、
仕事終わった夜には病院が開いてないとはなにごとぞ・・・
チケットをキャンセルして次の日の便で行くしかない。

心配して収録スタジオまでかけつけた事務所の社長、綾和也が、
あまりにひどい俺の状況を見て、はたまた俺を救急病院に担ぎ込んだ。
「救急なんてアテにならんで。明日来診して下さいで終わりや」
10年前の苦い思い出を思い出す。

「末吉ぃ、次の日の香港行きはファーストクラスまで全部売り切れや。
ライブをやるためには予定通り明日の朝一番に乗るしかない」
選択肢はふたつ。
ここで救急病院で見てもらって応急処置をしてもらい、
後は香港で病院を探すか、
見てもらわずに香港で病院を探すかである。
四川省の山奥で気管支晴らしてぶっ倒れ、
四川訛りのきつい医者の治療を受けたのを思い出した。

「とりあえず日本語通じるところで一度見てもらおう」
当然のなりゆきである。
待たされること30分。
靴を脱いでみると足も見事に腫れ上がっている。
今やまるでFLYの映画でハエ男に変身しつつある主人公のようである。

当直は女医さん。しかもかなり若い。
「あら、末吉さんって爆風スランプの方ですか?」
「そうですが・・・」
「私コンサートよく行ってました」
そうか・・・あの頃ファンだった女の子がこうして女医さんになっているのか・・・
バンドは長くやるもんである。

元ファンの前でパンツいっちょになり、
ぼつぼつの位置を確認する姿もたいがいのものがあるが、
しかしおかげで女医さんはかなり熱心に治療をしてくれて、
皮膚をいくつも採取しては顕微鏡で検査してくれた。

「深夜だし私ひとりしか決断を下せない状況で断定は出来ませんが、
これは虫が原因である可能性が高いと考えられます。
顕微鏡でも断定は出来ませんが虫と卵の姿と思われるものが見えてます」

その虫を疥癬(かいせん)と言う。
NYはブルックリン、古い友人宅のベッドの、
上のマットと下のベッドの下に巣食ってたのは疥癬虫。
ブルックリン訛りの英語を喋る。
(喋らん喋らん・・・)

腫れ上がった二の腕を長袖で隠し、
なんとか香港に入国した。
迎えに来たエージェントにびっくりされながらホテルにチェック・イン。
身体じゅうに薬を塗りたくって部屋で寝ている。

明日(もう日付的には今日だが)のライブ、大丈夫かなあ・・・

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:07:30 | 固定リンク