ひとりドラムの軌跡

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爆風スランプトリビュートアルバム WeLoveBakufuSlump

2000年8月28日

五星旗のレコーディングでNYに

12時間飲み放題9万1千円の旅・・・



今回は東海岸、ニューヨークへの旅立ちである。
前回はX.Y.Z.で西海岸、ロサンジェルスでレコーディングとライブをやって来たが、
今回は五星旗でニューヨーク録音、そしてライブである。

アメリカ・・・
中国にこんなに入れ揚げる前にはいつも夢みてた。
俺はやっぱ大陸が好きなのかも知れない。

黒人達が奏でる「ブルース」と言う音楽を初めて聞いて、
俺も黒人になってメンフィスとやらに行くんだと思ってた。
ファンキー末吉と名乗って、
でーっかいアフロヘアーで、金ラメの短パンに上半身裸、
ネックレス等をじゃらじゃらつけて顔の3倍はある大きなサングラスをかけて
その格好で山手線に乗っていたあの頃・・・
結局メンフィスがどこにあるやら知らないままJazzへ傾倒してゆき、
わが聖地は次第にニューヨークへと移っていった。

考えてみれば当時から不思議とL.A.と言うのはなかった。
去年、二井原に連れられて初めてロックの聖地、L.Aを訪れるまでは、
俺にとってアメリカと言えばニューヨークだった。

もともと四国の片田舎で暮らしてた頃、
東京に出てロックをやるかニューヨークに行ってJazzをやるか、
人生の岐路に立って悩んでいた。
そのまま東京を選んでロックで生計を立てられるようになり、
置き忘れた何かを探すかのように、
憧れの街、ニューヨークの土地を初めて踏んだ。
爆風スランプは当時大全盛だったが、
そんな中、俺はともすればそれを全て捨てて人生をやり直すつもりで、
スティック片手にBlue Noteの門をくぐった。

おりしも着いた日は金曜日。
そこでは飛び入り自由のJam Sessionがくりひろげられていた。
案内人は当時バークリーに留学してた友人の松宮くん。
「よし、どんなもんか見てやるぜ」
気負いだけはあるものの、
その素晴らしい本場の演奏に圧倒され、
ハナ肇のサイン付の宝物だったスティックケースは、
次第にテーブルの下の見えないところへと押しやられていった。

セッションリーダーのトランペットの黒人が、
「最後に、それじゃあ誰かドラマーはいませんか」
と言っている。
「末吉さん、ドラマーいないかって言ってますよ」
完全にびびってるが、
かと言って通訳してくれる松宮に格好つけなければならない俺は、
「う、まあ、えーと、あとひとりどんなもんか見てから叩いてやろうかな・・・」
などと最後の曲なのにわけのわからないことを言いつつ、
スティックケースをさらにそのトランペッターから見えないところに押しやる。

「そうか、ドラマーはいないのか。
じゃあ俺のブラザー、○○に叩いてもらおうか・・・」
と呼ばれて叩いたその黒人ドラマーのプレイがまたすさまじかった・・・
自分がナンバーワンだと思ってる俺は、何とか心の中でいいわけをつくる。
「松宮ぁ、あれはプロだよ。うますぎる。
ほら、ブラザーだって言ってたから彼の弟かなんかだよ、きっとそうだ」
「末吉さん、ブラザーって言う意味はね・・・」
「あ、松宮ぁ、セッション終わって降りて来た。話し掛けてくれぇ」
俺はそのドラマーを呼び止めて話し掛けた。

「さぞかしご高名な方だと存じ上げます。
私は今日初めてニューヨークに着いたところで、
機会があればもう一度あなたのプレイを聞きたいと思ってます。
毎日でも行きます。どこでプレイしてますか?」
松宮がそれを通訳する。
ブラザーと呼ばれたその黒人ドラマーは、
黒人独特のあのおどけたポーズで笑いながらこう言った。

「は、は、は、俺のドラムを聞きたいって?
簡単だ。じゃあ来週の金曜日またここへ来いよ。じゃあな」
笑いながら去ってゆく彼を後に、
「どう言う意味なの?それ?」
松宮に尋ねる。
「来週のJam Sessionに来いってことじゃないの」
「それって、彼はアマチュアってこと?・・・」
アメリカのあまりの層の厚さにぶったまげた俺は、
その旅でもうスティックケースを持ち歩くことなく、
観光旅行をして帰った。



狂ったように日本でJam Sessionをやりまくり、
数年後また聖地ニューヨークに行った時は、
今度は狂ったようにJam Sessionを荒らしまくった。
案内人は松宮くんと、当時日本から移り住んで来ていた西岡女史。
「今夜も行くんですかぁ、もう勘弁して下さいよ・・・」
ふたりがかわりばんこに俺の通訳兼ガイドをしつつ、
一晩に何軒もハシゴし、あのBlue Noteを始めとし、
ドラムを叩けるならば
どんな危ないストリートにあるわけのわからんJazzクラブにも行った。
ふたりがかりでふらふらになるまで毎日やってたんだから俺の体力も物凄い。

「なんじゃ、数年前はなんて凄いんじゃと思った本場ニューヨークのレベルも、
改めて聞いてみると大したことないじゃん」
鬼門であったBlue Noteでちょっといい気になってる俺に松宮くんが水を挿す。
「最近、打ち込み音楽が主流でしょ。
腕のいいプレイヤーが仕事がなくなってどんどんナッシュビルに流れてるんですよ。
超一流は超一流で活躍してるけど、
Jam Sessionで光ってるぐらいのクラスのミュージシャンが
一番空洞化してますよね」
そうか、本場のレベルが下がっただけだったのか・・・
あのグレイトなプレイをしていた黒人ドラマーのことを思い出した。



それにしてもこの時の体験が俺に大きな勇気と自信を与えてくれた。
今やどんな場所の、どんな人相手にでもびびらずに太鼓が叩ける。

思えば、ある程度うまくなって、
いろんなジャンルで人よりも経験を積んで来ると、
後はドラムはうまいか下手かではなく、「いい」か「悪い」かになる。
そこで長年培われた音楽性や、人生や、いろんなものが武器となって来る。
もう今さら、実力を十分に発揮出来ないことはあっても、
人に恥ずかしいようなプレイをすることはまずない。
年をとると言うことはいいことなのだぁ(バカボンのパパの口調で)。

先日もロックの聖地、L.A.のライブハウスで演った時も、
別に本場の地元バンド相手に気負うこともなく、
いつもの通り(ちょっと張り切りすぎてたと言う話もあるが・・・)
いつもの演奏をするだけに過ぎない。
リハ終了後などにそこのメンバーやスタッフが話し掛けて来るが、
もう別に昔のようにコンプレックスがあるわけでもない。

面白いのが、
「何年ドラムを叩いてるんですか」
と聞かれて、
「そうだなあ、25年ぐらいかなあ・・・」
と答えた時の相手のリアクションである。
思えば彼らの人生ぐらいもう太鼓を叩いているのである。
「俺のこといくつだと思ってる?41だよ」
これでまた相手はびびってしまう。
40を超えてこんな体力勝負の音楽をやる奴はよっぽどのアホなのである。
恐れ入ったか・・・

・・・とまあこんな具合に、
早い話、周りが全部年下になってしまったので、
思うぞんぶんいやなジジイよろしく態度がでかくしていられる。
儒教万歳である。
(何のこっちゃ・・・)



さて今回は3度目のニューヨーク。
行きのこの飛行機の中でメンバーと、
「Jam Session行こうぜ」
などと盛り上がっている。
思えばこのメンバー達も東京のJam Sessionで知り合った仲間達だ。
昔はアメリカに責めてゆく立場だったのが、
今度は若いミュージシャンを引っ張ってゆく立場になってしまっている。
これも時代の流れか・・・
俺が初めて行った時もこんな先輩がいたらよかったのになあ。

今回のレコーディング・エンジニアはあの松宮くん。
今ではフリーのエンジニアとして活躍している。
ジャケット撮影は、あの西岡女史の彼氏であるチャイニーズのカメラマン。
何や、俺も立派にネットワーク作りあげてるやないの。

「深夜のJam Sessionのハシゴはもう勘弁して下さいよ」
そう言う奴等の顔が目に浮かぶ・・・

うーむ・・・
・・・てなことを考えながら飲むただ酒はうまい。
1万メートルを越す上空ではワイン1本が実は3本に相当すると言うから気をつけねば・・・

コリアン・エアーよりは機内食がまずいノース・ウェストの機内にて・・・

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:18:50 | 固定リンク

2000年8月26日

子供がいきなり中国語になってワシは一日主夫生活

子供が中国人になって帰って来た・・・

アメリカから帰って来てから、
嫁は北京の実家に預けている子供たちを迎えに行っていた。

現在嫁は日本の国籍を申請中で、
これって審査官には非常に印象の悪いことらしい。
「あんた日本人になりたいって申請しながら、日本にいないじゃないの。
日本人になって日本に住みたいってのはウソなのね」
と言うことらしい。
つまり、俺のように世界を飛び回る日本人など、
この日本国には必要ないと言うことじゃ。
実際、審査期間中に70日以上海外に出ると、
この人は日本に住むと言う意思が無いとみなされるらしい。

その他軽犯罪と言えど審査期間中に起こすと、絶対に受理されない。
これはまあ、「日本国民たるもの犯罪を犯すような輩はいらん!」と言うことである。

先日、レコーディングの帰りに、明治通りの新宿あたりの渋滞で、
ラリった若者達の車にからまれた。
いきなり運転席のドアを開けて来て、
「何見てんだよ、コノヤロー」
と来る。
運転していた竹越の話によると全員酒臭かったと言うが、
酒だけであれだけ大暴れしないだろう。
何かクスリも併用してたに違いない。

何を聞いても答えない俺たちに、
奴らは俺たちの車のKeyを抜いて捨ててしまおうとしたが、
俺はすかさずギアをローに入れ直し、抜けないようにしてにらみ付けた。
若造が3人、こちらにガンを飛ばしていたが、
俺の人相がやはりどことなくただもんじゃないと感じたのか、
「見てねえんだな。見てねえんだったら許してやらぁ」
と退散した。
警察に電話しちゃれと携帯電話を握り締めていたのが
スタンガンかなんかに見えたのかも知れない。

どっちにしろこんな輩こそは日本国には必要なかろう・・・
ちゃっかり110番に通報しといたが・・・
俺は右翼の宣伝カーを見ても、
「うるさいんですけど法には触れないんですか」
と車の番号を通報するイヤな男である。



そんな話はどうでもよい。
成田に嫁を迎えに行った。
ゲートから出てきたのはまぎれもなく中国人になった子供がふたりであった。

3ヶ月も向こうにいれば日本語は全て忘れ、
北京のジジババに着せられた服もどことなく中国的と言えば中国的だが、
いきなり全ての言語が中国語となり、
それにつれ、表情までどことなく中国的になる。

下の子供は2歳なのでまだ片言だが、
それでも中国語である。
理解不能な言葉が多いが、
それを上の子供4歳が通訳する。
この子には完璧に理解出来るらしい・・・

かくして新しい家庭(俺にとってはそんな感覚)が始まった。

X.Y.Z.の韓国公演がキャンセルになり、
その前にくっつけていた、タイプロジェクトの記者会見が延期になり、
ぽっこり空いたスケジュールを見て嫁が、
「じゃああんた子供たち見といて!私遊びに行くわ」
と突然の主夫生活を余儀なくされる。

えりちゃん、さとくん、と呼んでいた昔は今、
京京(ジンジン)、天天(ティエンティエン)である。
一生懸命下の子を呼んでたら上の子が返事をしてたりなど日常茶飯事である。
「何が食べたい?」から「公園に行く?」まで全部中国語なのも不思議な感覚である。
かと言って「そんなことしてるとママに叱られるよ」の「叱る(罵)」と言う言葉は通じない。
子供用に「怒る(生気)」と言ってあげなければならないようだ。
かと思ったら夏風邪をひいて「不通気!不通気!」と意思表示するのがよく理解出来ない。
「どう言う意味なの?」と聞いてやっと「ああ鼻が詰まってるのか・・・」と理解する。
この上、下の子のもっと特殊な赤ちゃん言葉が来るので大変である。
何か喋っていると必ず上の子を呼んで通訳してもらう。
この通訳も中日辞典ではなく中中辞典なので大変である。
ついでに「発音違うよ」と正しい発音を教える。
俺の発音が正しくなければ一生それで覚えてしまうので緊張する。

そのくせ金曜日の7時になると
「ドラエモン、ドラエモン」とこれは日本語である。
3ヶ月北京に行ってても金曜7時にドラエモンがあることは忘れてないのである。
テレビと言うのはなんと偉大であることか・・・
日本語ならまかせとけ!
ちょっと関西訛りで正しくはないが胸を張って教えることが出来る。

一日子供たちと暮らすと、
最初慣れてなかった子供たちも、
「ああこの人はママと違って何やっても怒らないないんだ」
とわかるらしく、どんどんわがままになってくる。
「わがまま言うんじゃない!」の「わがまま(任性)」
と言う言葉から教えなければならないので大変である。

せっかく飯を作ってやってもポテトチップスばっか食って飯を食わない。
「どれどれ、こんなおいしいのにねえ・・・」
こうやって主婦は太ってゆくのね・・・

じゃあおやつは近所のおいしいケーキ屋さんに行きましょう。
そこで暴れまわって言うことをきかないふたりを中国語で叱り飛ばす。
近所の人は俺をどう見ているのだろう・・・
結局一口しか食べないケーキを俺が全部たいらげる・・・
明日はX.Y.Z.の2ndのジャケット撮影なのに・・・

夜は夜で子供を寝かしつけたらチューハイで一杯やる。
つまみは晩飯の残り物である。
また洗い物が増えるのもイヤだし、残すのももったいないから全部食べる。
こうしてキッチン・ドランカーとキッチン・デブが増えてゆくのだろう・・・

世の主婦達に合掌・・・

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:07:40 | 固定リンク