ファンキー末吉プロフィール

香川県出身。
81年に「爆風スランプ」を結成し、98年の活動停止までドラマー、コンポーザーとして活躍。99年にXYZ→Aを結成。
90年頃から中国へ進出し、プレイヤー、プロデューサー、バーの経営等、現在に至るまで多方面で活躍中。

最新のひとりごと
二井原家とCOCOSでお食事
正月の次は旧正月
K大サーカス
謹賀新年
北京戻りのはずか・・・
ひぐっつぁんメモリアルバースデー
デブと共に関西ツアー最終目大阪
デブと共に関西ツアー3日目移動日
デブと共に関西ツアー2日目京都
デブと共に関西ツアー初日神戸
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2009年02月20日

二井原家とCOCOSでお食事

明日は目黒ライブステイションでXYZのライブである。
毎日リハーサルスタジオでリハーサルをしていた。

休憩中のアホ話の中で、
「この前、週刊ASCIIの大槻との対談の写真みて思たんですけど・・・
二井原さん、むっちゃ痩せましたね」
と橘高くん。

「そやろ、もう58kgや」
と二井原。

「末吉さんのも見ましたけど・・・
あんぱんみたいでしたよ」
と再び橘高。

「そやろ、もう68kgや」
とワシ。

小ニイハラと呼ばれだして早や数年。
今では体重は二井原と逆転し、今や立派な大ニイハラである。
どうして太ったのかはいくらでも理由が思いつくが、
どうして痩せたのかを二井原にとくとくと聞いてみる。

「まず普段酒を飲まんことかな。
あと8時以降は飯食わん。
それと俺なんか晩飯はもうほんのちょびっとしか食わん」

「ほんまかいな」
とワシ。
これは今夜は二井原家を誘って一緒に外食してみるに限る。

お互い子供がいるということで子供が喜ぶCOCOSにそのまま集合。
ふたテーブルに分かれてそれぞれ注文するが、
基本的に注文する量も違えば内容も根本的に違っているようだ。

小学4年生のワシの息子は
「から揚げとソーセージとポテトのセット」という酒飲みのつまみのようなメニューを頼めば、
ワシなんか「ほな生ビールも飲まなあかんな」と飲みモードである。

二井原家は酒も飲まず、いたってシンプルに食事を終え、
「ほな明日もあるし、ワシら帰るわ」
と先に帰ってしまう。
そのテーブルたるや非常にシンプルである。

NiiharakeShokugo.JPG

それに比べて末吉家は山盛りになった空き皿を3度は持って行ってもらい、
生ビールは既に3杯目に突入している。

SueyoshikeShokugo.JPG

そしてトドメは、「シロノワールに対抗馬現る!」とばかりの新メニュー。

SueyoshikeDesirt.JPG

ワシは酒好き、嫁子供は甘いもの好き、
そしてワシはどちらもOKなのでそりゃ太るわなぁ・・・

明日は頑張ってドラム叩いて少しは痩せるのじゃ!
(終わってビール飲んだらおんなしか・・・)

Posted by ファンキー末吉 at:22:00

2009年02月03日

正月の次は旧正月

今年の旧正月は1月26日。
プロデューサーのLuanShuが旧正月には日本に来たいと言うので、
重慶にはデブのキーボードを行かせてさっさと帰って来た。

彼が着いたのが25日。
つまり旧正月の大みそかである。
中国人が一年で一番賑やかに過ごす日。
でも日本では普通の日。

これではいかんということでカウントダウンパーティーを催すことにした。

(駆り出されたバン・ヘイレンのコピーバンド、バン・ヘイサンと田川くん)
VanHeysanAndTagawa.JPG

日本人にとってはこの日に何でカウントダウンなのかよくわからんが、
まあ細かいことは言うなということで大騒ぎしてもらった。

CountDown.JPG

その後ずーっと正月気分で過ごしている。
日本の正月前からずーっと続いているので、
今年は2か月近く正月を過ごしていることになる。

重慶に送り込んだデブは、
結局正月返上でワシの代わりに働いていると言う。
ワシもさすがにぼちぼち北京に帰って仕事をせねば・・・

Posted by ファンキー末吉 at:21:45

2009年01月05日

K大サーカス

子供たちの高知の友人一家がサーカスを見に行くと言うので、
末吉家も一緒にどうですかと誘われた。
嫁が「何か重慶雑技団の音楽のヒントになるかも知れんから行って来ぃ」と言うので、
期待せずに行って来たらこれが想像以上に楽しかった。

そう言えばこのサーカス団を見るのは小学校の頃以来である。
田舎だったのでタダ券が回って来たので何度も見に行って飽きた記憶がある。

あの頃から比べると、もうこのサーカス団はひとつの「企業」である。
両親もサーカス団、子供もここで生まれて、
全国を団員と動物たちと旅をしながら大きくなって、
「自分もこのサーカス団の花形になるんだ!!」
みたいなブルースが一切ない!!

また団員がイケメンと美女ばっかなのよ!!

アクロバットをするわけだから当然スタイルはいいし、
化粧は舞台衣装なのでみんな派手で美しいし、
小さい頃はそんなことに興味がないから見てなかっただけか、
もしくは本当に団員のルックスは飛躍的に上がっているのだろうか・・・

ところが・・・

Circus.JPG

この演目を見た時にいきなり重慶雑技団の子供たちを思い出した。
重慶に行った時に同じ演目を練習でやっていたからである。

あの子たちは遊びも知らず、おしゃれも知らず、
物心ついた時からずーっと練習している。
「生きていること」すなわち「練習すること」である。

そういう目で見ると、もしかしたらこの団員たちは、
体育大学を卒業して、そのままこの「企業」に入社した人たちなのか?
などと考えてみたりもする。

危険な演目には必ず命綱がある。
そりゃそうだ。
簡単なジャグリングや動物使いのミスなどを見るに、
むしろ「頼むから命綱をつけてくれ」と思ってしまう。

技だけで言うとそりゃ雑技団にはかなわない。
雑技団の子供たちにとっては
「別にこのレベルの演目で命綱はいらない」
というだけの話である。

ワシは別に「サーカスだったら命綱をつけるな!」と言いたいわけではない。
最終演目の空中ブランコは、安全のために下にネットをひいているが、
むしろそれをうまく使ってフィナーレを決める。
非常に出来あがった演目である。

体育大学を卒業した団員達を危険にさらす権利は誰にもない。
彼女たちに「おしゃれよりも、恋よりも」と強要する権利はない。

子供の団員がいないのは労働基準法の問題か?・・・
ワシの好きな旅芸人の一家は今後どうなってゆくのだろう・・・

思いは多岐にわたる。

ロックがいつの間にやら「テクニック不要」の音楽になってしまった。
ギタリストは超絶テクのソロを弾く必要もなく、
かっこいいリフを生み出してそれを弾けるテクニックだけがあればいい。
ドラマーは超絶テクニックを叩く必要もなく、
ひたすらリズムを刻んでいればいい。

それはそれでいい。
ある人はそう生き、ある人はああ生きる。
それだけの話である。

インスピレーションはもらった。
北京に帰って頑張って重慶雑技団の音楽を作ろう。

Posted by ファンキー末吉 at:11:14

2009年01月01日

謹賀新年

と言うわけで正月は高知の実家である。

おりしも大晦日の高知新聞では一面全部使ってのワシの記事が掲載された。
「あんた!新聞一面にでっこう出ちょったでぇ」
と親戚一同からは犯罪者扱いである。
まっこと犯罪でもせにゃあこんなに大きくは扱うてはくれんじゃろうと・・・

神戸からは嫁と子と嫁の母がやって来た。
千客万来でうちの母、大喜びである。

おせち料理は地元の有名ホテル「城西館」で注文した。
天皇が来た時にはここに泊まるという名家で、
実はうちの親戚筋にあたる。

当然ながら「末吉んくは城西館でおせちを注文した」と親戚筋に知れ渡ることとなる。
何故それほど大騒ぎになるかと言うと、
城西館のおせちと言うのはそれはそれは豪勢で、
庶民は一度は食べてみたいのじゃが、
値段もそれはそれはお高くて頼むことが出来ないと言うしろものなのじゃ。

大晦日に人が集まって来たので、
「ほしたらおせちは今から食べましょう」
と城西館に「すぐ持って来てや」と電話した母。

しかし持って来てくれてお金を払う段になると母がいない!!

「しゃーないなぁ・・・おいくらですか・・・」
と値段を聞いてワシの目が飛び出てしまった。

しぶしぶなけなしの金を払いつつテーブルに並べる。
これが噂の「城西館のおせちと皿鉢料理」である。

JouseikanOsechi.JPG

やけ食いにやけ酒で年を越した。
このおせちがなくなるまで飲み続ける所存である。

Posted by ファンキー末吉 at:10:42

2008年12月27日

北京戻りのはずか・・・

末吉家民族大移動である。
嫁は生まれたばかり(と言ってももう10か月じゃが)の子供を連れて神戸の実家に、
そしてワシはふたりの子供を連れて北京へ。

と言うのも、前回春休みの時に、前の嫁から
「北京のお父さん身体悪い。孫に会いたい言う。
連れて来てくれるよろしか」
と言うので(厳密には元嫁は今アメリカにいて英語でemailなので全然ニュアンスは違うが)、
それじゃあと言うわけで、
高知まで行って子供たちを連れて関空に行き、
いざチェックインしようとしたら、
「パパ、パスポートどこにあるが?」
と言われ愕然となる。

結局パスポートを高知の自宅で紛失してしまい渡航不能。
その後その父は夏には他界し、結局孫には会えなかった。

「そんなことはお前が気にすることはない」
といろんな人は言う。
別れたら母親とも会わさない家庭も多い中、
その別れた嫁の両親に孫を会わす義務は当然ワシにはない。

子供たちも春休みは春休みで忙しいので、
その予定をキャンセルしてわざわざ北京に行くのもめんどくさい。

でもワシは言った。
「うちのじいちゃん去年死んだけど、
あんた達に会えて嬉しかったやろ。
北京のじいちゃんももう長くないんやて。
あんた達に会えたらとっても嬉しいと思う。
人を怒らせることは誰でも出来る。
でも喜ばせることはめったに出来んから、
よかったら北京に行ってやってくれんか」

親に似ず素直な子供たちである。
喜んで行ってくれると言うのに行けなかった。
結局は北京のじいちゃんは孫に会えずに逝ってしまった。

まあそれもワシのせいではないこともわかっている。
でもまあちょっとでも縁があった人が少しでも幸せでいてもらえることは、
ワシにとっても嬉しいことなのでちょっと心残りだった。

そんなこんなで今度は、
「うちのお母さんショックでちょっと元気ないあるよ。
孫に会いたい言うから連れて来てくれるあるか」
(厳密には英語メールなので全然ニュアンスは違うが)
と言うのでそれではと言うことでまた3人分のチケットを買って成田まで行ったのじゃ。
もちろん子供たちのパスポートもちゃんと再交付してである。

ところが今回は
「このお名前では予約がありません」
と窓口で言われる。

旅行会社に問い合わせる。
どうもWingのマレーシアやシンガポールツアーのチケットとかと一緒になって、
どれをキャンセル、どれをOKとなってたのがぐしゃぐしゃとなり、
結局このフライトはキャンセルになってしまってたらしい。

「ほな今からチケットブッキングしてーな!!」
しかし年末である。どのフライトも満席。
仕方がないので北京で待つ元嫁に電話する。
事情を話して子供たちに電話を代わる。
娘の目から一筋の涙が・・・

「ママ・・・泣いてたの?・・・」
うん・・・と子供はうなずく。

よし!しゃーない。
例えワシにその責任がなくても、
ワシは子供を北京に連れて行かねばならんじゃろ。

というわけで旅行会社にまた電話をする。
年を越したらブッキングが出来るということで、
年明けの便を押える手配をして、
後は今日これからどうするかである。

年末に北京から帰って来てすぐに高知に行って年始を過ごす予定だったので、
まずそのチケットが変更できるかどうかを調べたら出来ると言う。
翌日の高知行きは3席だけ空いているというのでそれを取って、
成田から羽田にバスで行き、ビジネスホテルに一泊。
そのまま朝いちの飛行機で高知に帰って来た。

そのまま「ひろめ市場」に直行。

BeerSakeInHirome.JPG

娘が
「パパ、これが飲まずにやってられっかぁ!でしょ?」
と言うので
「それ何?」
と聞くと、
「パパ、前回もそう言ってたよ」
と言うので喜んで飲ませて頂いた。
ちなみに日本酒ワンショット1杯100円。

ワシは年末年始は高知で飲んだくれるのじゃ!!

Posted by ファンキー末吉 at:23:22

ひぐっつぁんメモリアルバースデー

デブはそのまま関空から北京に帰り、
ワシは新幹線に乗ってひぐっつぁんのお別れパーティーに参加した。

HiguchiLastMemorialBirthday.JPG

これは会場外に設置されたトラックに展示された遺品の一部である。
彼こそは「ロックに生きてロックに死んだ」ひとりの英雄であろう。
ワシは北京から来たデブのキーボーディストに、
「日本のロックは俺達が作ったんや!」
と発言したが、厳密に言うとそれは間違いである。

日本のロックはあんたが作ったんや!!

俺はひぐっつぁんの遺影の前でそう呟いた。
「ご会葬御礼」にはドラムに座ったひぐっつぁんの写真の横にこう記されていた。

「あとは頼んだで、よろしく」

任せとけ!!
俺が、二井原が、橘高が、そして数多くのあんたの友人達が、
あんたの精神を継いで日本のロックをけん引してゆくことをここに誓う!!

Posted by ファンキー末吉 at:20:10

デブと共に関西ツアー最終目大阪

ワシもデブも飲み過ぎでヘロヘロである。
しかしデブの彼女に頼まれた化粧品を探しに街に出る。

「DHCとは何ぞいや?!」

ここ数日、街に出ればDHCを探し、
最終日にやっとそれが化粧品のいちメーカーの名前であることを知る。
クリームファンデーションには7種類の色があり、
どれが必要なのかもやっと調べてGet!!

ワシとデブの化粧品屋巡り・・・かなり浮いていた・・・

最終日はデブは「さんにーご」のみ。
一生懸命美女三人の写真や動画を撮りまくっていた。
日本なので勝手にUP出来ないのが残念である。

当日はゲストにブラザー・コンさんも飛び入りしたり、
客席に小室の被害者である神戸の投資家さんも来たり、
やはり44マグナムの地元である大阪ということでライブも非常に盛り上がった。

打ち上げである。
「和佐田さん、香港で会った時と違って表情がシリアスだったけど、
やっといつもの和佐田さんに戻ったね」
とデブに言わしめるほど、今回の仕切りである和佐田の労力は大きかった。

三井はんの乾杯の音頭。
お決まりのギャグである。
長々と乾杯の音頭を喋りながら、
待ちきれないみんなは勝手に乾杯して、
それでも三井はんはずーっと喋っている。
そういうコテコテのギャグを同時通訳しながらワシの仕事も終わり。

思えば演奏よりも飲みがしんどいツアーであった。

打ち上げにはいろいろ関係ない人間も乱入してきて、
結果的に金を払わずに帰った輩も多く、
「金が足りないんだ・・・」
と金計算をする和佐田、三井、そしてポール。

パーキーソン病にかかったポールとは、
実はちょっと見てられなくてあんまし密に話せなかった。
でも動かない身体を一生懸命動かして割り勘の勘定を手伝ってるポール、
ちょっと多めに払ったワシに、
自分は関係ないはずなのに「ありがとな」と言いに来るポール。

ワシら有名になっても病気になっても、全然変わってない。
ワシはデブにこう言った。

「ここにいるこいつらみんなが日本のロックを作り上げたんだ!
中国の今のロッカーみんなに伝えてやれ!
自分が数十年後にパーキーソン病になっても”歌いたい”と言うか?
歌わせてやりたいと和佐田みたいにツアーを組んでやるか?
ここにいるみんなのように銭金なくこれに参加するか?
日本のロックは俺達がこうやって作って来た。
お前も帰ったら中国のロックをこうやって作ってゆけ!!」

デブの旅は終わった。
「お金に換えられないものを得ましたから」
とギャラの全てを返上して飲み代の足しにと置いていった。

ここで得たものを是非中国の音楽界のために使ってもらいたい。

Posted by ファンキー末吉 at:19:54

デブと共に関西ツアー3日目移動日

せっかくじゃからデブを京都見物にでも連れて行ってやろうと思っていたのじゃが、
とにかく連日の朝までの飲みで疲れ果てている。
「大阪まで帰るぞ!」
デブと共に投宿先である大村亭へと向かう。

大村亭に並ぶ数十台のギターに「ここは博物館か!!」とびっくりすつつ、
とりあえず梅田の「なにわ湯」で汗を流す。
八王子で「湯楽の里」、
神戸では宿泊した温泉サウナ「クアハウス」と日本の温泉を堪能したデブであったが、
今は心は「美女」のみである。

「大村はん、美女御一行の宿は君んとこらしいやないん」
話によるとマンションの別部屋をゲストルームとして借りて彼女たちが泊まり、
大村亭にはむさくるしい男どもが泊まると聞いていたが・・・

「男衆の人数が多いんでね、とりあえず男衆はゲストルームに、
女の子達はうちに泊まってもろてます」

これを通訳してデブが喜ぶこと喜ぶこと。
「それでボクたちはどちらに泊まるんですか?」
大村はんも考えに考えて、
「5人もいるゲストルームに見知らぬ男ふたりを押しこむのも可哀そうやし、
まあうちのギター部屋にでも・・・」
と聞いて飛びあがらんばかりに喜んだ。

「ボクは今日こそあの美女たちとお近づきになるんだ!!」

さてホルモン鍋を食って美女の帰りを待つデブとワシ。
しかし夜遅くに彼女たちが帰って来た頃には既に泥酔状態である。
帰って来てお決まりのあいさつを交わしてすぐふすまを閉める彼女たち。

「ピシャッ!!」

デブと私は狭いギター部屋でお互いのいびきに悩まされながら寝る。
そして目が覚めたら美女は既にいない。

お決まりである。
デブよ、これが日本の正しいロックの世界なのじゃよ!!


Posted by ファンキー末吉 at:19:35

デブと共に関西ツアー2日目京都

さて、プレッシャーも徐々に克服して来たデブ。
2日目の京都ではエミさんに、
「どしたん?昨日と全然ちゃうやん!」
とプレイを絶賛されつつも、
周りが見えるようになると目が行くのが美女。

実はPaulPositionには3人の美女がいるのじゃ。

PaulPositionBijo1.JPG

まずデブ一番お気に入りのドラムのアヤちゃん。
一番のアイドル顔でデブとオヤジを虜にする。

そしてステージで非常に華がある色っぽいベースのユッコちゃんと、
非常に可愛くて守ってあげたいタイプのキーボードのマミちゃん。

PaulPositionBijo2.JPG

デブは言う。
「どうして美人なのに楽器なんかやろうと思うのか?」

そう、中国では「美人」とはすなわち「金になること」。
楽器のように習得するのに何年も苦労せねばならない道を選ぶ人はいない。

例えて言うと、ワシは「美人Jazzシンガーを探してくれ」と頼まれたことがある。
いろんな音楽仲間に聞いてみたらみんな笑ってこう言った。

「美人がどうして金にもならないJazzとかRockとか歌わねばならんのじゃ?
歌もうまくて顔もよかったら普通一番金になる流行歌歌うじゃろ!」

しかし日本では美人のプレイヤーがこんなにいる。
美しいからステージでも映える。
ドラム、ベース、キーボードのソロ回しを見てデブは狂喜乱舞した。

お前・・・ワシの超絶ソロ聞いてもそこまで感激せんかったじゃろ・・・

デブご満悦の日々であった。

Posted by ファンキー末吉 at:17:08

デブと共に関西ツアー初日神戸

よく考えたらワシらは関西ツアーの曲をコピーしてなかったので、
福生チキンシャックから帰って朝までしこしこ譜面を書く。

「あんたは鉄人か!」
とデブに言われつつ、
そのまま新幹線に飛び乗って神戸まで!!

和佐田主催のライブであり、
ワシとデブとは「さんにーご」というおアホブルースユニットで参加。
「にー」の二井原さんは北京でも会ってるし、
「さん」の三井はんも北京で会ってて知ってるけど、
「ごー」の後藤ゆーぞーさんは・・・ま、ええじゃろ・・・という感じで、
まあデブも緊張感なくリハーサル。

しかし
「せっかく北京から来たんやからたくさん弾かせてあげてね」
と和佐田に言ってあったので、
小林エミ&西野やすしユニットでも参加。

KobayashiEmi.JPG

小林エミさん。
ワシは高校だか若いころに一度ライブを見たことがある。
まあ言ってみればワシのアイドルでもある。
西野やすしさんとは初対面。
既に関西ブルース界の重鎮である。

そんな凄い人たちに囲まれて演奏することもワシや和佐田はもう慣れた。
しかしデブは初めてである。
音楽もおもろい感じの「さんにーご」とは全然違う。

リハ終って本番までの時間に南京町に連れていったデブ、
この日はナーバスになって一日ふさぎこんでいる。

初対面の人間に譜面を渡され、
「ほなやりまひょか」
と1回だけ合わせて
「ほな本番よろしゅう」
で音楽が出来るのか・・・

北京なんかではありえんよ・・・

でも他の人たちはみんな出来る。
ボクだけ出来ないなんてボクはなんてレベルが低いんだ・・・

落ち込むデブ。

デブよ・・・みんな最初はそうなのじゃ。
譜面なんて外国語と一緒。
慣れたらアホでも出来るようになる。

そんなプレッシャーを吹き飛ばすように顔でソロを弾くデブ。
そのソロに三井はんが感激してこう言った。

「アホじゃ!こいつも大アホじゃ!」

アホとは関西では最上級の褒め言葉。
デブよ!喜べ!!お前も既にアホの仲間入りじゃ!

Posted by ファンキー末吉 at:16:48

デブと共に12月19日再び福生チキンシャック

前の日は朝まで飲んで、
結局始発も乗り遅れてしまい、
家に帰ったら嫁はもう子供たちとご飯を食べていた。

気まずく仮眠を取って再び福生チキンシャック。
田川くんはこの日は参加できないということなので、
地元のギタリスト、健太郎を呼んでセッション。

DebuWithKentaro.JPG

頑張るデブ。
しかし健太郎もデブなのでワシも合わせてステージデブばっかでうっとーしー。

そこに美女ギタリストが乱入!!

3_1_05BNV9RAFD.jpg
彼女のHPから拝借)

いやーズルいわ!
美女でギターも弾けて歌も歌えて、おまけに女優もしていると言う。

火のついたように頑張るデブ。

DebuWithSatoru.JPG

もう手よりも顔の動きが凄くて撮影不能である。
ご満悦のデブ、
「ファンキーさんはこんな美女のプレイヤーといつもやってるんですか?」

いやいや、ワシも初対面なのじゃよ・・・

「お近づきになりたい」と言うデブを尻目に、
次の日から関西ツアーのワシらは飲まずにとっとと家に帰るじゃ。

Posted by ファンキー末吉 at:16:24

デブと共に12月18日新宿SOMEDAY

前の日は福生チキンシャックでしこたま飲んで、
帰って来たら嫁はもう既に子供の朝ごはんを作っていて、
気まずい感じで仮眠を取って、逃げるようにデブと新宿に出て行った。

成田から直で八王子に降り立ち、
その後福生しか行ったことのないデブにとって初めての「東京」である。
(八王子も福生も一応東京都ではあるが)

楽器店から二丁目ホモ街まで案内してSOMEDAYに入る。
彼とは北京で五星旗のナンバーをよく演奏するので、
「よし!ボクは今日はたくさん弾くぞ!」と最初は思っていたのじゃが、
よく考えたら自分がたくさん弾いたら進藤くんが同じ曲をどうやって弾いているのかをその目で見ることが出来ない。
「やっぱ先生のプレイをたくさん見たいのでボク、ちょっとだけ弾けたら後は見学したいです」
デブ、なかなか大人である。

リハーサルで進藤くんのプレイを見て目を白黒、
そして当日の飛び入りゲストのプレイでまた目を白黒。
田川くんの超絶プレイは知ってはいたが、
ギターの岡崎はんや、トランペットの寺内くん、
そしてドラムの宇山くんまでが、リハもやらず当日譜面を見せられただけで完璧に演奏するのにはぶったまげた。

「あの人たちは日本ではさぞかし名のあるJazzプレイヤーなんでしょ」

もうビビりまくるデブであるが、
「まあJazzメンやったらあれぐらい出来るじゃろ」
と顔の怖いマスターに言われて更にビビる。

しかし終演後みんなで飲みに行って、
「あんなに凄い人たちなのに飲むとなんてアホなんじゃろ・・・」
とまた別の意味でビビることとなるデブであった。

Posted by ファンキー末吉 at:16:06

2008年12月25日

デブと共に12月17日福生チキンシャック

福生チキンシャックというライブハウスの名前は古くから聞いていたが、
八王子のうちから30分のところにこんないいライブハウスがあるとは夢にも思わなかった。

何せ「やらせて下さいな」で、
「この日はライブ入ってないんでじゃあやんなさいな」
で終わるんだからワシにとっては言うことなし!!

おまけに「1バンドじゃナンでしょう」ということで対バンまでつけてくれた。
「北京のブギウギピアニスト」と振れこんでいたので、
「それじゃあ彼がよかろう」とブッキングしてくれたのが何と盲目のキーボーディスト、ジョニー君。

こちらはちょうどギターに田川くんを呼んでいたので、
こりゃセッションするしかない!!

ワシの音楽人生始って以来、
初めてふたりの盲目のプレイヤーに挟まれて演奏した。

2Blindness.JPG

「日本ってこんなに盲目のプレイヤーが多いの?・・・」
目を白黒させるデブ。

「いやいや・・・ワシも生まれて初めてや、こんなセッション・・・」

Posted by ファンキー末吉 at:22:37

2008年12月17日

デブが来たりてピアノ弾く。

今週は移動が多かった。
ほぼ毎日飛行機に乗っている。

八王子→成田→北京→広州→成都→北京→成田(上海経由)→八王子

それぞれ飛行機に乗っている時間と、
八王子ー成田の時間があんまし変わらないのが情けない・・・

日本にはデブのキーボード、張張(ZhangZhang)と一緒に帰って来た。
せまいエコノミークラスの隣にデブが座ってると大変である。


このデブ、20歳の頃バーで弾いてのをワシが発掘した。
「お前!!Jazzをやりなさい!!」
共にプレイを通して神の域を目指すパートナーが北京にも出来たと思って非常に楽しみにしてたのじゃが、
「ボク・・・ヒップホップやりたいんですぅ」
とあっさりプレイヤーの道を否定。
仕方ないのでDEMO作ってやったり、いろいろ世話してやってたのじゃが、
その後ワシの美人秘書を密かに恋人にしてたり、ふとどき千万な奴である。

バックバンドの仕事や、映画音楽、テレビドラマの音楽や、
最近では重慶雑技団の音楽も一緒にやってた彼であるが、

「ボク・・・日本に行きたいんです・・・
このままやってるとボク・・・きっとピアノ弾けなくなってしまいます・・・
こんな仕事ばっかやってると、ほんとヘタになってしまうんです・・・
そうやって弾けなくなった人、ボクたくさん知ってます・・・
日本に行って、バーべQさんや田川さんや、
日本の一流の人とセッションして勉強したいんです・・・」

と言い出した。
嬉しい限りである。
10年前からワシが言ってたことを大人になってやっと理解してくれたみたいなもんである。

ところが中国人が外国に行くビザを取るのは大変である。
ワシも東北のクリニックツアーで会った子供ドラマーを夏休みに招へいしようとしたが、
結局ビザが下りなかった。

「お前、どっかビザの専門家探して来て、
どんな理由で招へいしたらビザが下りやすいか聞け!
ワシがその通り書いて書類作ってやるから」

そして最終的に作った書類が、
「ワシ・・・このデブと仲良しなんで日本連れて行きたいんですけどええですか?」
という簡単なもの。

こんなんでビザ下りるんかい?!!

絶対に下りんじゃろうとタカをくくってたらほんとにビザが下りてしまった。

DebuVisa.JPG

今日から山ほどセッションをブッキングした。

12月17日 福生チキンシャック ファンキー末吉セッション
12月18日 新宿SOMEDAY 五星旗
12月19日 福生チキンシャック ファンキー末吉セッション
12月20日 神戸「WYNTER LAND」 和佐田パーティー
12月21日 京都「都雅都雅」 和佐田パーティー
12月23日 大阪「SUNHALL」 和佐田パーティー

デブよ、弾くだけ弾いて痩せて帰れ。

Posted by ファンキー末吉 at:09:58

2008年12月11日

着ぐるみ一家

アホとは伝染するものなのであろうか。

父はタヌキ、母はピンクのブタの着ぐるみパジャマで生活していると、
子供もだんだんそれが自然となってしまい、
自分が普通のパジャマで生活しているのが不自然になってしまうのかも知れない。

「パパ、私も着ぐるみパジャマ買う」
と言い出した上の娘と一緒に近所の「しまむら」に買いに行った。

数ある種類の着ぐるみパジャマの中から娘が選んだのはリロ&スティッチ。

Stitch.JPG

うむ、なかなかよいではないか。
「さとしには何がいいかなあ・・・」
弟のために着ぐるみを探す姉。
ちなみにこの段階ではまだ弟は着ぐるみを着ることに同意していない。

そして選んだのがミッキーマウス。

Micky.JPG

なかなかええではないの・・・
家に帰って弟にミッキーマウスを見せる姉。
しかし弟はもともと着ぐるみを着るつもりは全然なく、
その上自分で選んだものではないのでなかなか納得がいかない。

「ぼく、パパのがいい」
と言い出し、パジャマの交換。
ミッキーマウスは小さいので姉が来て、
ワシは必然的にリロ&スティッチ。

NiawanaiStich.JPG

似合わん・・・

ワシ愛用のタヌキを着た弟は姉に打たれて死ぬ運命となる。

MickyShootsTanuki.JPG

そうかぁ・・・タヌキだと打たれて死ぬのかぁ・・・

なんじゃかんじゃで着ぐるみが一巡し、
結局はもとのさやにおさまって一段落。
ピンクのブタの嫁も家事が終わってしばしの休息。

KigurumiIkka.JPG
(写真:着ぐるみ一家 撮影:タヌキ)

一番下の子はペンギンの着ぐるみがあるので今度からそれを着せよう。
楽しい我が家である。

問題は誰かが訪ねて来た時にどうやって応対するかである。

Posted by ファンキー末吉 at:08:58

2008年12月07日

シェーカー来たりて酒を飲む

八王子にライブハウスがあるなどとは夢にも思わなかったが、
この日は何とアース・シェーカーがそこでやると言うので、
嫁の買い物のついでにリハにおじゃました。

工藤ちゃんがドラムをセッティングしている。
Anthemを見た瞬間に火のついたように泣きだした我が子、
すでにちょっと泣きかけであったが、
楽屋から降りて来た甲斐くんが話しかけた頃にはもうダメだった。

「怖いおじちゃんばっかで怖かったねぇ・・・」
あやすワシ。
「お前の親の方がよっぽど怖いおじちゃんじゃわい!」
と心の中で拳を握り締めるメンバー達。

子供がいるのでそうそうに引き上げて、
寝かしつけてからライブを見に行くことにした。

到着したのは9時過ぎ。
ライブはもうアンコール前の2曲だった。
でもアンコールもたっぷりやってくれて、
Radio Magicも聞けたし、Moreも聞けたし、
非常に楽しめた。

楽屋に行く。
酒を飲む。

AfterShakerLiveWithMember.JPG

いやー懐かしい友達と酒を飲むのは楽しい!!

それにしても工藤ちゃん痩せたよねえ。
昔、シェーカーのメンバーの体重はそれぞれ10kgずつ違うと言われていた。
(シャラが「よう覚えてんなあ」と言うてたが)
マーシーが40キロ台、
シャラが50キロ台、
甲斐くんが60キロ台、
そして工藤ちゃんが70キロ台。

ワシの今の体重なんて・・・(涙)・・・。

やっぱみんな「努力してる」と言うけど、
当時の体型をそのままキープしてるのももの凄い。

「演奏もよかったよ」
とワシはベタ褒め。
再結成した頃はリズムがちょっと重かったり、
グルーブがちょっと乱れたりもしてたが、
今ではもう完璧に「現役」の若いバンドである。

音楽談義に花が咲く。
「うち泊まってけや!!
スタジオで飲んだらどれだけでも大騒ぎ出来るでぇ」
さすがにもうそこまで若くない。
翌日もライブだということでみんな三々五々お開きとなった。

八王子の若い衆と記念撮影。

AfterShakerLiveWithAll.JPG

彼らの力でこの日のシェーカーのライブが実現した。
その後彼らとまたがんがん飲んだことは言うまでもない。
17日と19日に福生でセッションライブ入れてもろた。

ヤバイ、八王子・・・結構ええとこかも知れん・・・

Posted by ファンキー末吉 at:17:09

2008年11月30日

風邪をひき、日本帰って、何故かAnthem(字余り)

iPhoneの「天気」というアプリで調べたら北京の最低気温は連日零下である。
そしてワシの院子は基本的に外気と温度差がない。
つまり石炭が消えたら即零下なのである。

「そりゃ風邪もひくわい」とばかり日本に脱出した。

嫁が「それなら私Anthemのライブ行きたい!!」
筋金入りのAnthemファンである。

三十路前だというのにいきなり3人の子持ちとなっていっぱいいっぱいの嫁である。
メタルを聞いて少しでも発散出来るのならそうしてあげたい。

上のふたりの子には留守番をさせ、
嫁と下の子供を乗せて車で川崎に向かった。

車の中で子供は熟睡。
こりゃええわいと思ってたら、
よく考えたら車の中で熟睡ということは着いたら起きるということである。

駐車場に車を停め、嫁を会場に送り出したら案の定子供が起きた。
このまま寝ててくれたらワシも車で寝れてよいのじゃが、
子供ばかりはそうも親の都合のいいようには動いてくれない。
どこか子供をあやせるところはないものか・・・

そうじゃ!!楽屋があるではないか!!

Anthemとは何度かイベントで一緒になってはいるが、
メンバーとはさほど親しいわけではない。
ドラムの本間くんはドラマー同士で親しいので訪ねて行こうと思ったら、
このツアーは本間くんが怪我のためMAD大内が叩くと言う。
ま、大内も知り合いなので大内を訪ねて行けばいいか・・・

子供を抱いて裏の楽屋口から会場に入る。
そう言えばワシはマスクをしているので見ようによっては女性に見えたのかも知れない。
楽屋口からでかい態度で入って来るワシをスタッフは誰も止めようとしない。

「あんたの子供よ!!認知してちょうだい!!」

と殴りこみに来たとでも思ったのだろうか・・・
ずんずんと進むワシ、固まるスタッフ。

まさにステージに出ようとするMAD大内を発見。
「大内ぃ!久し振りやなあ。ワシや、末吉やぁ」
目を細めてワシを確認し、懐かしがる大内。
「わぁ、ファンキーさん、久しぶりぃ。
いや、こんな小さい子がいるんですか、貸して貸して、抱かせて」

いきなり怖いおじさんに抱きかかえられた息子、
火がついたように泣きだす。
今からの大音量のステージよりも更に大音量である。

「あかん、あかん、怖いおじさんがいっぱいか、外に出よ」
子供を抱いて再び外に出るワシ。
しばらく楽屋口の外で子供をあやす。

「ファ、ファンキーさん、寒いですし、ど、どうぞ中へ・・・」
メタル界では「鬼のバンマス」と異名をとる柴田くん、
出番前の緊張感を台無しされてもさすが「大人」である。

「いいんです。怖いおじさん達がいっぱいなんでびっくりしただけなんです。
ステージ始まったら中入りますからご心配なく」

柴田くん達メンバー一同、
お前の顔の方がよっぽど怖いわい
と心の中で拳を握り締めながらステージへ。

ワシ、頃合いを見てだましだまし楽屋口から中へ。
爆音の業界席ではまた泣くので
機材ケースが山積みされたステージ裏で子供に飯をあやす。

AnthemBackstage.JPG

3度のアンコールを終え、
嫁のために楽屋に戻って来たメンバーにサインをもらい、
「ほな」
とばかり会場を後にするワシ。

当日券をちゃんと買って入った嫁も大喜びである。
世界平和は家庭平和から!!
ワシはまたAnthemのチケット代のために、
そしてGoods代、CD代のために働くのじゃ!!

ゆっくり挨拶が出来なかったが、
Anthemのみなさん、素晴らしいステージをありがとう。
(こぼれる音でしか聞けなかったが)


世のメタルファンよ(女性)!!
子供が出来てもメタルを愛し続けるよーに!!
そしてその旦那よ!!
メタルを愛する嫁をこよなく愛し続けるように!!

そしてその子供よ!!
怖いおじさんを見ても泣かないよーに!!

世界平和の道はまだ険しい・・・。

Posted by ファンキー末吉 at:08:04

2008年11月03日

休息の日々

風邪も引いていることだし、
酒も飲まず、治療と子育ての毎日であった。

子供たちも幸い新しい学校にも慣れたみたいだし、
今のところイジメもないようである。

毎朝5時に起きて上の子の弁当を作り(嫁が)、
6時半には子供たちを起こしてご飯を食べさせ(嫁が)、
7時半には集団登校で送り出し(嫁が)、
部屋中の掃除をし(嫁が)、
買い物に行き(嫁が)、
夕飯の支度をして(嫁が)、
子供たちの帰りを待つ(ワシも)。

これがショーン・レノンだったら、
「パパはパンを焼いている人だと思ったらビートルズの人だったんだ」
と来るのじゃが、うちの子は違った。

「パパ稼ぎもないくせに何で家とか買えるが?」

息子よ・・・世の中いろいろあるのじゃ・・・
口ごもるワシ。
それにしても誰がそんなことを子供たちに吹き込んだのか・・・
母親の顔がちらりと脳裏をよぎる・・・


この日の買い物はワシも一緒に出かけた。
ファッションにはからっきし縁のないワシじゃが、
イオンモールでふと素敵なパジャマが目に入ったワシは思わず衝動買いしてしまった。

「服なんか着れればいい」
と思っているワシなのでこんなことは非常に珍しいのじゃが、
何せ柄が「ピンクのブタ」なのである。
「ピンクのブタ」と言うと「ピンクフロイド」である。
限りなくロックではないか!!

PinkButa.JPG

おまけにこのパジャマはツナギ形式になっているので、
冬が北京なみに寒い八王子には持って来いではないか。

嫁用にタヌキのも購入したが、
さすがに嫁も筋金入りのロックファンである。
風呂上がりには有無を言わさず「ピンクのブタ」を着用した。

仕方がないのでワシはタヌキである。

Tanuki.JPG

キンタマ袋の部分が大きくたるんでいるところが妙に琴線に触れる。
嫁は「ピンクのブタ」で家事をする。
そんな我が家にピンポンと呼び鈴が鳴った。
インタホンで声だけで応答すると、どうもPTAの人のようである。

イカン、イカン、ただでさえ変な人と思われているのでいちいち服を着替えて応対。

今夜の晩御飯は自家製スモークビーフと押し寿司。
嫁の母親が伊丹空港で買って来てくれたものである。

「そうなるとビールやなあ・・・」

コンビニにビールを買いに行こうとしたら子供が止める。
「パパ、その格好で買いに行くが?」

そうか・・・そういうわけにもいかんか・・・
「ほなお前買いに行って来い!」
小銭を渡そうとするのじゃが、
最近では未成年は酒は買えないらしい。

仕方がないのでまた着替えてからコンビニに行く。
「パパ・・・その寝巻き・・・やめれば・・・」
子供はそう言うが、何せツナギ形式で暖かいので手放せない。

ビールを買って来てまたパジャマに着替え、乾杯!!
いや・・・ふと見ると押し寿司の量が非常に多いぞ・・・
ワシは明日から香港、シンガポールのツアーなので、
生モノがこんなにあっても我が家では腐らせてしまう。

そうだ!お隣の二井原家にお裾分けしよう!!
一家でパジャマのまま二井原家を訪ねる。

ピンポン!!

反応がない。
後で聞いたらドアホンの映像は白黒なので、
白いマントを羽織った変な人たちに見えるのである。

脅える二井原家、
これがアメリカだったら銃を用意してからドアを開けるところであろう。
何度目かの呼び鈴でやっとドアを開けた二井原家。
ワシらの格好に大爆笑。

「写真撮ってブログに載せるからちょっと待て」
玄関先で待たされるワシら。

NiiharakeGenkan.JPG

押し寿司を手渡して二井原家を後にする時に子供たちが
「お菓子をくれないとイタズラしちゃうぞ!」
と言う。

そうか・・・巷ではハロウィンなのか・・・
まあうちは毎日ハロウィンみたいなもんじゃが・・・

Posted by ファンキー末吉 at:04:13

2008年10月11日

泥棒のはじまり

何故かうちにファミリーマートのカゴがある。
どうしたんじゃろう・・・記憶をたどってみる。

今回ワシが八王子に帰って来たのは10月1日。
リビングの改装が終わり、
その日はいちにち台所用品とかの片づけをしていた。
風呂道具も洗面道具もしまったままなので、
風呂は近くの温泉銭湯に行った記憶がある。

段ボールの中から歯ブラシを引っ張り出して来て、
歯だけ磨いてその日は寝た。
その日はたしか・・・コンビニには行ってない。

次の日嫁が来て、
段ボールからいろんなものを出して整理を始めた。
育児はせなあかんわ片付けはせなあかんわでキーキー言うてた。

幸いサンプラザ中野くんのリハーサルが始まり、
毎日リハーサルスタジオへと逃亡。
確か2日目のリハではそのまま終了後にSOMEDAYに直入りした。

そうそう、そのまま夜中に帰って来て、
風呂に入って歯ぁ磨いて寝ようと思ったその時、
そうそう、洗面所には嫁の歯ブラシしかなかったのじゃ。

「ワシの歯ブラシがない・・・」
愕然とするワシ・・・
なんで嫁は自分の歯ブラシだけを残してワシの歯ブラシを捨ててしまったのか・・・

「ダメおやじ」という漫画が昔あった。
鬼嫁が一家団結しておやじをイビる話である。
ワシ・・・まさにその心境・・・

風呂上がりの裸のまま予備の歯ブラシを探す。
しかし新しい洗面所でどこに何が置いてあるのか皆目わからない。

そっと寝室を覗く・・・
どうもこの日は嫁の寝顔が鬼嫁に見えて仕方がない。

なんでこいつは「歯ブラシを捨てる」という陰湿な行動に出ざるを得なかったのじゃろう・・・

思えばワシとて悪いところはたくさんある。
仕事とは言え、家事を逃げ出してリハに行っている。
しかもウキウキと・・・

世にあるサラリーマンの家庭とはかなり違う。
「お父さん、私たちのために辛い仕事頑張ってくれてありがとう」
そんな美辞麗句はあてはまらない。
好きなことしに行ってるんだから、
仕事というよりはむしろ「遊び」である。

またリハだ、セッションだなどというとなまじ金にもならないんだから、
見方を変えて見るとまさに「遊び」である。

嫁ついに爆発!!腹いせにワシの歯ブラシを捨てる!!・・・

ワシは放心しながら部屋着に着替え、コンビニに歯ブラシを買いに行った。
時間は夜中の2時である。
疲れているし、何より精神的ショックで放心している。
どうもその時に歯ブラシと一緒に買い物カゴを持って帰ったものに違いない。

でもどうして店員さんはそれを咎めなかったじゃろう・・・

ワシの普段着と言えば・・・
イスラム教の友人からもらった白装束。
いくら宗教関係者が多く住むこの辺とは言え、
ちょっと「浮き過ぎてた」かも知れんのう・・・

そう言えば近所の理事会かなんかでワシのことが噂になり、
二井原の嫁さんが
「怪しい人ではありませんから」
と一生懸命説明してくれてたという話である。

ともあれこのまま人の物を家に置いてたらそれは「泥棒のはじまり」、
いや、既にこの行為は既に立派な「泥棒」である。

返しに行って来よう。
心底気持ちを込めて謝れば店員さんも許してくれるじゃろう。

FamilyMart.JPG

行ってきます。

PS....後に嫁に聞いた。「どうして歯ブラシ捨てたの?・・・」

「えー?!!あれ使ってたの?
てっきり工事の人がどっか磨いたまま置いてたのかと思ってたぁ。
あんなボロ歯ブラシで歯ぁ磨けんでぇ」

ワシは目を白黒させて嫁に聞いた。
「じゃあワシはいつもどうやって歯を磨いてたと思った?」

「えー?パパ・・・歯ぁ磨くの?
てっきりずーっと磨いてないのかと思った・・・」

嫁よ。
そりゃワシはそんなにきれい好きではないが、
歯ぁぐらいは毎日磨く。
長年一緒に暮らしていてそんなこともわからんかったんか・・・

嫁・・・少し育児に疲れているようである・・・

Posted by ファンキー末吉 at:09:21

2008年10月07日

10月5日サンプラザ中野くんライブ

芸名を「サンプラザ中野」から「サンプラザ中野くん」に変えたと言うからややこしい。

イベントの司会者なんかワシを紹介するのに
「ファンキー末吉さん」
和佐田を紹介するのに
「バーべQ和佐田さん」
なのに中野が登場する時には
「それではお待ちかね!サンプラザ中野くんの登場です!」

これって変なんちゃうん!!

中野はメールする時に必ず「末吉さま」と冒頭に書いてくるので、
ワシもちゃんと「サンプラザ中野くん様」と書いて返信する。
司会者も敬語を使うなら
「それではお待ちかね!サンプラザ中野くんさんの登場です!」
と言うべきではないのか!!


まあそんなことはどうでもいい。
ライブは非常に楽しく終わった。

面白かったことが、
ステージはトラックの荷台を全面開放し、
客は後ろからも見ることが出来ることである。


Kashiwa.JPG


嫁いわく、「末吉ファンは全員後ろから見てた」そうである。
そりゃそうだ。
ドラムと言うのは後ろから見るのが一番どう叩いているのかがわかりやすいのである。
「ああ、ここで足を踏み変えているのか」
とか
「ああ、ここで手がこのように動いているのか」
とか、
ワシも自分のアイドルドラマーがここで演奏するなら絶対後ろから見たい!!

ところが演奏終わってふと素朴な疑問が浮かんだ。
これがX-Japanだったらヨシキのファンは後ろから見るか?・・・

微妙なところである。
ワシだったらヨシキの華麗なドラムはやはり前から見たい。
つまり・・・

末吉ファンはワシの「顔」などどうでもええのである。


まあいい。
ドラムはしょせんは「顔」である。

Wingのバックでドラムを叩く。
1時間半とか一生懸命叩かせて頂いて、
後半の盛り上がりの起爆剤としてWing自身によるドラムソロ。
ワシはそこにピークを持っていくべくドラムを叩く。
ワシのソロが終わって大盛り上がりの中、
ステージ後方からせり上がり台に乗ってドラムを叩きながらWingが登場。

キャー!!

ドラムソロと言うよりはサウンドチェック(失礼)ぐらいのソロなのに、
観客はこれ以上ないほど狂喜乱舞する。

ワシ・・・今まで何を頑張ってたんやろ・・・

ちょっと虚しさが心をよぎるが、まあいい!
こういうのを「スタードラマー」と言う。
BeyondファンにとってWingはいつまでたっても「ドラマー」なのである。

まあドラマーの背中しか見れないのに
わざわざ後ろからステージを見ようという末吉ファンは逆に言えばありがたい。
ワシは来週マレーシアでWingに会ったらこう胸を張って言おう。

「ふ、ふ、ふ・・・名役者は背中で演技するのさ」

ちょっと負け惜しみである。

Posted by ファンキー末吉 at:06:10

10月4日SOMEDAY

Someday.jpg

SOMEDAYに出るのは久しぶりである。
思えばあの頃、どうしてあんなに狂ったようにJazzをやってたんだろう・・・

きっと「居場所がなかった」のである。
爆風スランプというメジャーなバンドのある種のイメージにより、
ロック界にも入れてもらえず、芸能界にも入れてもらえず・・・
みたいな焦燥感が自分にあったのではないかと思われる。

Jazz界はいい。
「腕」だけが全てである。
自分がよその世界でどんな名声やイメージを持ってようが、
ここではドラムがうまければそれでいいのである。

日本中のJazzクラブで武者修行をして、
最後にここSOMEDAYに落ち着いた。
ここのJamセッションで岡崎はんや進藤くんという友人も出来たし、
彼らと一緒に五星旗というバンドも作ってKingレコードから念願のJazzデビューした。

思えばSOMEDAYは自分のJazzの「家」みたいなところだった。
遊びに行けば太鼓叩き、
結局朝まで飲んで岡崎はんちに泊まり、
これじゃ離婚されても仕方がない・・・

SOMEDAYは数多く引っ越しを繰り返し、
新橋に移転した時にマスターはここに骨を埋めるつもりだったのだが、
立退きにあって、本気で店をたたむことも考えたらしい。

でもやっぱ新宿に戻って来て店を開いた。
またとんちんかんと自分で工事をして手作りで店を作るんだからもの凄い。
数年ぶりのSOMEDAY、
新しい店舗であるはずだが無性に懐かしい。
この造りは新大久保の地下にあった頃の造りとそっくりである。

そりゃそうだ。
テーブルからカウンターから看板まで、
数多かった引っ越しで全てを持ち歩いているのである。

内装からスピーカー作りまで全部自分でやる。
演奏前のピアノの調律から全部自分でやる。

ある種ロックである。

自分の店なんだから遠慮はしない。
好きな音楽なら客が入らなくてもブッキングする。
どんなに有名でも自分が嫌いなら出演させない。

そんなマスターのことを数多くのミュージシャンは「大嫌い」と言い、
もっと数多くのミュージシャンは「大好き」と言う。

もちろんワシは「大好き」である。

この日は中野のリハ終わりで飛び込んだので、
そのままリハを一緒にやっていた田川くんも連れて来た。
変人で名高いマスターも「こいつ・・・凄いなあ・・・」と目を白黒させていた。

Jazz命!ロックなんて大嫌いなこのマスターも、
ジャンルを超えて凄いものは認めることが出来るのが偉いところである。
そうじゃないとワシや和佐田なんかここで演奏など出来るわけがない。
団長なんてここでギター壊しパフォーマンスなど出来るわけがない。

天才サックス奏者、佐藤達也さんが来てたので久しぶりにセッションした。
この人と一緒にやってたら命がけである。
煽っても煽っても、この人は更にワシを煽って来る。

そう、俺はいつもこんな日本の一流プレイヤーと一緒に演ってたのだ。

江川ほーじんが脱退し、Runnnerが巷を賑わしていた頃、
ワシは日本を捨ててニューヨークでJazzをやろうと旅立ったことがあった。
Jazzの殿堂「Blue Note」のJamセッションで、
そのあまりのレベルの高さにびびって叩かずに帰って来た。

数年日本で武者修行して、
再びこのJamセッションでは楽勝に叩けた。

そりゃそうだ。
俺は日本最高のミュージシャン達と一緒に演ってたんだから。

北京に渡って悩んだことがある。
「俺にはライバルがいない・・・」
だからいつも若いミュージシャンを育てて来た。

久し振りに佐藤達也さんと音を出して
「またやってみるか」
と腰を上げた。

12月の空き日にはスケジュールが合わなかったので五星旗をブッキングしたが、
来年からまた達也さんとブレッカーセッションをする。
またあの日々が始まるのだ。

離婚されないようにほどほどに・・・

Posted by ファンキー末吉 at:05:24

2008年09月16日

ロック魂Tシャツの波紋は続く・・・

服装に無頓着なワシは、
ひとつの服が臭くなるともうひとつの服を着て
その服を洗ってるうちに着ている服が臭くなると
またその洗った服を着て・・・
というローテーションが常である。

ゆえに先日のロックTシャツはまさに今日着るべき服なのであった。

さてそんな今日この頃なのであるが、
実は子供たちを来月から八王子で育てようと、
高知の学校に転出の書類をもらいに行こうとしたその時、
お袋が血相変えて

「あんたぁ!!まさかそんな服で学校行くんかね!!」

別に冠婚葬祭やあるまいし、学校行くのに普段着ではいかんかね・・・
普段着は普段着でも、
お袋はどうしてもワシに襟付きのちゃんとした服を着させたいらしい。

自慢ではないがワシ、
服には無頓着なくせに、人が着ろと言う服には拒絶反応が強い。
おかげで襟付きの服なんぞ着たことがないのでよけいに拒絶感が強い。

またお袋はそういうワシに拒絶感が強いと来たもんだからキーキー言う。
それぐらいのことでケンカするのも大人げないのじゃが、
ワシは法事で襟付きの服を着てやったことだけでも感謝されたいと思っているほどなので、
ここにふたりの感情は平行線どころか異次元のところに行ってしまっていて、
この言い争い、どうにも決着がつくことは難しい。

「あんたじゃなく恵理が笑われるんやから!!」

と娘の名前を出してまでワシを思いとどまらせようとする母・・・
この黒いTシャツを着ることはそこまで罪悪なのか」とあくまで疑問なワシ・・・

ワシは考える。
もしワシがとび職だったら、
鳶職人の服を着て学校に行くことはそんなに恥ずかしいことなのか。
ラーメン屋の店主だったら
エプロンかけて学校行くことはそんなに恥ずかしいことなのか。
工務店の社長さんだったら、
よく見る工務店っぽい服で学校に来ているし、
代議士だったらきっと金バッチつけて学校来るぞ!!

ロックミュージシャンが黒いTシャツで学校行って何が悪い!!

もしワシの身体がピアスと刺青だらけで、
同じTシャツでも「Fuck You」とか書かれたものだったらさすがワシでも考えるが、

「ロック魂」のどこがアカンの?!!!

まあ敢えて言えばちょっと貧乏臭いだけである。
でも更に言わせてもらえば、

じゃあ貧乏のどこがアカンの?!!!

結局ワシには、着なれたこの服を着てはいけない理由が見つからないのである。
納得できないものには屈することは出来ない!!

それが「ロック道ではないのかい!!」

・・・と言いつつも、
家を飛び出して学校に着く頃には少々弱気である・・・
息子の小学校が終わり、娘の中学校。
中学生の女の子と言えば一番多感な時期である。

許せ!父はロックに生きる者なのじゃ!
もしお前も星雲高校に入学することがあったら、
入学面談の時に胸を張ってこう言うのじゃ。

うちの父ちゃんは日本一の日雇いミュージシャンです

しかしよくよく思い起こしてみると、
別にこのTシャツにそれほど愛着があるわけでもない。
何のことはない、
実のところ着替えるのがめんどくさかっただけなのである。

そんなアホ親父の前で先生がしきりに娘のことを誉めてくれていた。
まあこんな時に人の子をけなす先生もおらんじゃろうが、
この先生が娘に対する愛情がひしひしと伝わって来る。

そう言えば娘の転校日を来月に延ばしたのも、この先生が
「来月文化祭があるので、転校はそれまで延ばすことは出来ませんか」
とおっしゃったからである。

先生と話している時に吹奏楽部の練習が聞こえていた。
そう言えば前回この中学校で講演をさせて頂いた時、
(我ながらいろんなことやっとるなあ・・・)
記念に吹奏楽部に何かお役に立つことをやってあげようと思ってたなあ・・・
娘がいるうちに吹奏楽部に何か残してあげられればよかったなぁ・・・

文化祭の練習でもしてるのだろうか、
思ってみれば、娘にとっては文化祭の日が最後の登校日、
この吹奏楽部の演奏を聞くのもその日が最後なんだ・・・

親バカとしてはちらっとこんなことも頭をよぎる。
「吹奏楽部がうちの娘のために何か演奏してくれんかのう・・・」
しかしそれはいくらなんでも吹奏楽部を私物化し過ぎている。
これでは背中の「ロック魂」に笑われる。

それにスケジュールを聞いたら吹奏楽部は非常に忙しい。
月末には体育祭がありその練習に忙しく、
終わったらすぐに吹奏楽のコンテストがあり、
それが終わってすぐ文化祭である。

そうじゃ!
考え方が逆なんじゃ!
娘のために何かするんじゃなくて、
「娘が世話になった学校やみなさんのために何か出来んか」
と考えるべきではないのか!!

コンテストにも出ると言うので出来れば優勝させてあげたい。
ありものの譜面ばかりで出場している他校と比べて、
書き下ろしの譜面だと点数も稼げるのではないか。

楽曲はオリジナルでもいいが、
出来れば有名な曲、
出来れば爆風の曲でワシが書いた曲が望ましい。

Runnerはベストじゃが、
転調が多く、難易度が高い。
もっと簡単で意味がある曲はないものか・・・

いい曲があるではないか!!
転校生は宇宙人

そうだ!
この曲は娘がこの学校に残して行くのだ。
入学して半年で消えてゆく、
父親がちょっと地球人離れした女の子そのものの物語じゃないか!!

吹奏楽部だから詞は伝わらない。
でもアレンジでワシや娘の気持ちは伝わるのではないか・・・
それが音楽っつうもんではないか・・・

啖呵を切って学校を後にした。
大喜びでワシの申し出を受けてくれた校長はじめ、全ての先生方の期待を
背中の「ロック魂」が背負っていた。

帰ってすぐにザビエル大村の妻(生粋の爆風ファン)から楽曲を送ってもらった。
Bメロはほとんど忘れていたが、だいたい頭に叩き込んで銭湯へ。

そうそう、ワシ・・・よく風呂に入って物考えるのよね・・・
うちの実家の風呂、今壊れてるし・・・

そして譜面ソフトを立ち上げ、いざ入力開始!!

そうそう、ワシ・・・別に楽器がなくても譜面書けるのよね・・・
でも周りに音楽がなってると出来ないので娘の見てるテレビを無理やり消しちゃうのよね・・・

・・・本末転倒・・・

そして楽器構成を把握して譜面の枠組みだけをやっと作って唖然とした・・・
何と久々の20段譜面・・・

ワシ・・・かなり後悔・・・
でも今さら後には引けない。
今晩とりあえず徹夜してみる・・・

ロック魂Tシャツはそんなワシを嘲り笑うように
洗濯機の中で回っていた・・・

Posted by ファンキー末吉 at:22:43

法事である

父の一周忌のため一時帰国。

葬式ではちゃんと喪服(服道楽だった親父のを拝借)で正装したが、
前回の四十九日では喪主が普段着だったのでえらい騒ぎになり、
結局果物を配達してもらった幼馴染の果物屋に
「ついでに何かお前の黒い服も配達せえ!」
と言って事なきを得た。

人間とは学習する動物なので、
今回は北京からちゃんと黒いTシャツでやって来た。
ズボンもちゃんと黒いジャージである。
上下黒なら何にも問題はあるまいと思ってたら嫁が、

「そんな服で行く気なの!!すぐに着替えなさい!!キーッ!!」

RockDamashii.jpg

アカンかなあ・・・
ちゃんと黒いTシャツで文字も白やからええと思たんやけど・・・

嫁に耳をひっぱられて黒い服を買いに行き、
どったんばったんでやっとお寺に着いた。
親戚一同は高知からマイクロバスで乗り付けている。

どうしてマイクロバスかと言うとこう言ういきさつがある。
高知の親戚代表の明子おばちゃん。
名前の通りとても明るいおばちゃんである。

「明日のお祭りのことやけんどねえ・・・」

高知ではどうも「一周忌」のことを「お祭り」と言うらしい。

「あんたぁ、どうするが?高知から親戚がこじゃんと行くがやけんど、
どうせやったらマイクロバスでも借りるかえ?」

「こじゃんと」とは「たくさん」という意味である。
このおばちゃん、東京から来たスタッフにカツオのタタキをふるまった際、
結局一言も喋っていることが理解されなかったという武勇伝を持つ。

「うちの知り合いが安っすう貸してくれる言ゆうけんど、
どうする?おまんが全部払うかよ?」

まあつまり親戚の分のマイクロバス代はワシが出せぇと、
それが高知のしきたりやと。
まあよかろう。

「坂出の親戚からぎっちぃ電話かかってきゆうでぇ。
そっちにも電話しちゃりぃやぁ」

かけてみると、
「覚くん、坂出のやり方ではな、
来た人に何かおみやげ包まないかんきんな、
とりあえず人数分そうめん注文しといたきんな」
主催地の坂出のしきたりで言うとそれもワシ持ちである、と。
ま、それもいいでしょ。

かくして「お祭り」が始まる。

Houji.jpg

葬式の時はさすがに神妙であったが、
人が死んで一年にもなるとさすがにそうは神妙ではない。
にこやかに、そして騒がしく雑談に花が咲く。
親戚とてこんな機会でもなければ一同に会するチャンスはないのである。

そして「お祭り」のフィナーレ、酒盛りである。
その酒代ももちろん言わずと知れたワシ持ちである、と。
相当な出費であるが、
ワシは何となく嬉しい気分になって来た。

うちの親戚は仲が悪かった。
(ワシが親戚と仲が悪かっただけか?)
昔の日本のことだから兄弟も多く、
親父がガンでもう長くないと聞いて、
ワシはいろんな親戚に会いに行った。

向こうはテレビで見たり
噂を聞いたりしてワシのことを知っているが、
ワシにとってはまるっきりの初対面である。

「すみません、ところでうちとはどのような関係の親戚なんですか?」

一言に兄弟と言っても、
ある人は母親を同じくする種違いの兄弟じゃったり、
またある人は父親を同じくする腹違いの兄弟じゃったり、
それはそれはややこしい。

しかし蓋を開けてみるとそれがこうして一同に会している。
親父も草葉の陰で喜んでいることじゃろう。

ある人はこう言った。

「盆だ法事だ言うのは、
死んだ人がそれをネタに親戚みんな集まって仲良うせいと言うこっちゃ」

ほんまじゃのう、ほんまじゃのう・・・と酒を飲む・・・

Posted by ファンキー末吉 at:08:20

2008年08月31日

おそるべし!江川ほーじん

二井原バンドのリハ終了後、
ジェットフィンガー横関くんには居残ってもらい、
近所に住む江川ほーじんが合流してレコーディング。

HojinYokozeki.jpg

はてさてこの3人でどんな音楽を?
それは発売が決まってからのお楽しみということにして、
とにかく今回はほーじん節がさく裂した。

だいたい今の音楽界でこんな個性的なプレイヤーがどこにいる?

ベースの弦を親指のアップダウンで弾き、
弦が上下に揺れるのでその音色は極めて個性的。
莫大な練習量により機械のように正確な16分音符を高速でプレイする。

ルーツはラリーグラハムであることは有名な話じゃが、
もう既にそのサウンドはラリーグラハムとは全然違う。
世界中でこんなスタイルでプレイする奴は彼だけであろう。

思うに今の音楽業界はいつからこんなに没個性になってしまったのじゃろう・・・

ベースという楽器、
いや全ての楽器演奏において、
彼ほど独特のスタイルを築いたプレイヤーは後には存在していない。

ほーじんのアイデアにより、
ギターはダビングもなし。
定位はドラムが真ん中、ベースが左、ギターが右。
ギターソロになったら当然バッキングギターはなし。

ドラムはツーバス、ベースはチョッパー弾きまくり。
16分の嵐、音数の洪水・・・
「ギター要らんやん・・・」
ジェットフィンガー横関がちょっと困惑・・・

ベースがバスドラよりアタックが強いので、
当然ながらドラムとケンカする。
ギターが負けじと弾きまくれば当然ながら音がぶつかる。
そうなると上に歌を乗せたところで全てが歌とケンカする。

そうかぁ・・・これが初期の爆風サウンドやったのかぁ・・・

ワシの恋女房とも言うべきバーベQ和佐田というプレイヤーは、
その人間性が表れているかのごとく、
音に包容力があり、ドラムを包み込んでくれる。

やはりほーじんのこのサウンドは彼の火の玉のような性格から来ているのであろう。
「音」とはすなわち「生き様」である。
おそるべしは、
彼は50も近いというのにその生き様に微塵たりともゆらぎがないということである。

レコーディング終って一緒に爆風銃のビデオを見た。
末吉22歳、ほーじん21歳の時の映像である。

「二十歳そこそこでこの演奏やってるんですかぁ・・・」

ジェットフィンガー横関からため息がもれる。
そう、ワシら基本的にあの頃から上手くなってない・・・

思えば昔はそんなバンドがうじゃうじゃいた。
いつからこの国の音楽界はヘタクソばっかりになってしまったんじゃ?・・・

江川ほーじん、おそるべし!
死ぬまでこの生き様を貫いたら君はこの国の国宝になれるであろう。
いや、国が認めんでもワシは君を人間国宝に認定するぞ!

Posted by ファンキー末吉 at:10:34

2008年08月29日

もの凄い雨やったなあ

レコーディング終わってエンジニアの崎本くんを駅まで送りに行った。

「雷の音が怖い」と言う嫁も、
ひとりで家にいると怖いので子ども連れて一緒に乗り込んだ。

大雨ではあるが、行きの道はまあ「雨が強いなあ」というぐらいだったが、
「どっかで生ビールでも飲みたい」と言うワシのわがままにより、
コースを変えて別の道を帰ったのが運のつき、
ワシらは生ビールどころではなくなったのである。

だいたい駅までの道に山道があるというのが、
この「八王子ロック村(自称)」である二井原家近辺の恐ろしさである。
豪雨は山を直撃、溢れ出す水は道路両脇の山肌から全て道に流れ出す。

「道が川じゃぁ!!」

小学校の頃見た「マイティージャック」の浸水シーンよろしく、
ファンキースタジオ専属軽自動車ファンキー号は水をかき分け進む。

車とは実はタイヤホイールの半分が水につかるとエンジンが止まるらしい。
エンジン音が心なしか力がない。

力なく減速しながらそれでも車は進む。
止まりそうになりながらも何とか下り坂になっては息を吹き返す。
下れば水も溜まるのでまた水につかり、
一時は車の電気系統がふーっと全部消え、
そしてまた復活しては水の中を進む。

もしここで止まってしまったら・・・

ワシは携帯を握りしめ、
いつでも二井原に助けを呼べるようにしながらアクセルを踏み抜く。
プスプスと力ない音を立てながら、
車はようやく滝山街道にぶち当たった。
左側の道は警察により封鎖されている。
ここを右折すればうちはもう目と鼻の先・・・

・・・と、右折する途中についにエンジンが止まった。
イグニッションキーを回すがスターターは回らない。
慌てるワシ、子供に授乳しながら放心する嫁・・・
警察がかけよって来る。
このままおっぱい丸出しの嫁と共に救出されるのか・・・

ふと見るとギアは「D(ドライブ)」のままである。
これではスターターは回らない。
「N(ニュートラル)」に入れ直して無事にセルが回る。

警察に会釈して右折し、
何事もなく無事帰宅。
駐車場にて嫁、やっとおっぱいをしまう。

その後もの凄い雷の音で寝れず。
予報では今夜も更に200mmの雨が降るらしい。
大丈夫かファンキースタジオ!!

Posted by ファンキー末吉 at:09:17

2008年08月20日

末吉家のある日の昼食

八王子での暮らしも1か月を超え、
車も買ったので、二井原家に教わってもういろんなところに行った。

中でもお気に入りが名古屋の喫茶店チェーンである「コメダ珈琲」。
八王子バイバスを車で30分ほど下ったところにある。

発見者の二井原でさえまだ1回しか行ったことないのに、
我が家はもう既に4回も通っている。

メニューの中でも一番お気に入りがこの「シロノワール」
Komeda1.jpg

温かいパンの上にソフトクリームが乗っていて、
それにキャラメルシロップをかけて食べるというヘビーメタボリックな食べ物である。

最初の数回はこのシロノワールだけを目当てに通っていたのじゃが、
実はこの店のハンバーガーとかサンドイッチとか、
食事メニューも非常においしいことを発見し、
この日は一家で昼食を食べに行った。

嫁はヒレカツサンド、
上の子はビーフシチュー、
下の子は卵サンド、
しかしワシは卵サラダだけで我慢。
シロノワールの量とて半端じゃないからである。
もちろんこの時点で飲み物もそれぞれオーダーしている。

そして食後のデザートとなるが、
みんなの心はシロノワールである。

ウェイトレスさんが食器を片づけに来て、
シロノワールを追加注文する。
ソフトクリームが溶けないように、
みんな食後まで注文を待ってたのである。

「シロノワール4つ!!」

店員さんがニコニコしながら
「大と小と御座いますが、どちらになさいますか?」

「大よっつ!!」

ニコっと注文するワシら。
ギョっとする店員。

「あのう・・・大は相当大きいですよ・・・」

なだめる店員。
「食ったことあるからわかっとる!」
がんとして言い張るワシら。

かくしてテーブルにシロノワールが並ぶ。
Komeda2.jpg

お勘定しめて6750円。

ワシ・・・シロノワールのためにもっと頑張って働くのじゃ・・・

Posted by ファンキー末吉 at:09:44

2008年08月09日

福生祭り

八王子から福生はすぐ近くだというので車で行ってみた。

「いやー、ええ感じにさびれてて、ファンキーの好きな感じやで」
と二井原が言ってたので覚悟して行ったら、
おりしもこの日は福生祭りで非常に盛り上がっていた。

「おっ!山本恭司が・・・」
と思ってたらお狐様だった。

FussaMatsuri1.jpg

屋台には「鮎の塩焼き」なども売っていて、
なるほどこの辺には川が多いからなあ・・・と思っていたら、
変な団体が・・・

FussaMatsuri2.jpg

米軍キャンプの神輿である。

こいつらも神輿担ぐんかぁ・・・

福生・・・なんやらおもろそうな街やのう・・・
23日の米軍基地でのライブ、非常に楽しみである。

Posted by ファンキー末吉 at:06:41

2008年08月06日

江川ほーじん

久し振りにほーじんと会った。

数年前モー娘のレコーディングをした時ちょっとメールのやりとりをしたぐらいで、
ちゃんとお茶でも飲んで話をするのは久しぶりである。
何せレコーディングは別々に録音するんで顔合わすこともないからなあ・・・

実は彼も八王子に住んでおり、ご近所なのである。
近所の街道レストランでご対面。

積もる話はいろいろあるが、
ひょんなことから同じく八王子に引っ越してきてご近所となった田川くんの話になる。
「今度紹介するわ」
と言うものの、
ミュージシャン同士、会ってこうして街道レストランでお茶したところで
彼もただの「ただの目が悪い人」で終わってしまう。

「そや、ほーじん、ベース持って来てるか?」
幸い7日間のツアーを終え、そのまま機材車で街道レストランに乗り付けている。

「田川くん、今からヒマか?ギター持ってうちおいでよ」

田川くんの新居はうちから歩いて5分。
いつでも音を出せるのが我が家のいいところである。

初対面のセッションが始まる。
相変わらずバチバチ弾くほーじん。
ペラペラ弾きまわる田川くん。

「変わらんなあ・・・」

ほーじんも田川くんも下戸なので仕方ない。
セッションが終わり、スタジオの地べたで麦茶飲んで話し込む。
昔話に花が咲く。

結論・・・「とどのつまり、ワシら、二十歳の頃からそんなに上手くなってないんやな」

そういう意味ではラウドネスのみんなも基本的に同じである。
深くはなっているが上手くはなっていない。
「根が同じ」なので「変わってない」のである。

ほーじんが30年近く前の爆風銃(バップガン)のビデオを入手したらしい。
あの頃は「音楽」というより「爆発」である。
何も考えず初期衝動をそのまま楽器で爆発させているだけなのである。

見たいなあ・・・

きっと「今と同じ」である。
いや、むしろ「今より上手い」かも知れない。

「あの頃は人生と音楽が完璧に一致してたやろ」
ほーじんが懐かしそうにそう言う。
臭い言葉やが「青春」という言い方がぴったりそのものなのである。

「そう言えばほーじん、あれ覚えてるか?」
爆風時代の青春の思い出、
撮影スタジオに行ったらいきなり
「はい、じゃあ服全部脱いで」
と言われて、4人で裸で抱き合って撮影させられたのである。

「ははは・・・覚えてない」

ワシなんか忘れたくても忘れられんよ。
でも人間、イヤなことを忘れていくから幸せになれるのである。
バンドをやってる頃はほーじんともほんまいろいろあったけど、
こうして数年ぶりにセッションしてみると「同じ」なのである。

「ご近所やし3人で何かやろか」

笑顔で別れて、はたと気がついた。
うちの防音、外には完璧やが、
木造の家そのものを吸音材に使っているようなものなので、
2階とかは結構爆音がそのまま振動でまる聞こえなのである。

上には年老いた母親がいる。
身体も悪くなってるし、
大音量など聞いたらいっぺんで血圧が上昇してしまう。

「おふくろ・・・音・・・うるさかったか?・・・」
おふくろ、ケロっとして
「全然聞こえんかったよ・・・」

よかった・・・既に耳も遠かったのである。

Posted by ファンキー末吉 at:05:15

2008年07月30日

八王子のおもろい人々

夏休み中ここで暮らすとなったらもう立派な住民である。
午前中に子供の予防接種の手続きに行って来た。

役所の人に住所を告げ、いとも簡単に手続き完了。
予防接種を受ける病院のリストをもらう。

うちの町には受けられる病院はない。
そこが八王子北部なのか八王子西部なのか、
その分類すらわからないので近所の病院がどれなのかなどわからない。

もう一度住所を告げて最寄りの病院を教えてもらう。
一生懸命調べてくれる職員。
しばらくして・・・

「その地域には子供はいませんねえ」

は?・・・

確かに小学校には1クラスしかないと言っていたが、
この辺には新生児はいないのか?・・・

呆然とするワシ・・・
心配そうに見つめる職員・・・

「車はお持ちですか?」
深刻そうに尋ねる職員・・・
「はい持ってますが・・・」
緊張して答えるワシ・・・

「それはよかったです」
にこっとして答える職員・・・

「では都会の方に出て来て予防接種を受けて下さい」

ワシんとこってそんなへき地やったんか?・・・

確かに二井原は
「この辺はカルフォーニャと同じやから何でも車やで」
と言っていた。
時々発音がネイティブな英語になる変な町民である。

確かに・・・

ワシはそのまま嫁子供を連れてイオンに買い物に行く。
買う量が既にアメリカ人のように買いだめすることとなる。
車のトランクいっぱい食料を買い込むなんぞまさにそのカルフォーニャであろう。

嫁が子供連れてトイレに行っている間、
ひとりで一生懸命山ほどの食糧を袋に詰めるワシ。

「あのう・・・」

ひとりのおばはん(と言っても同い年ぐらいじゃろうが)が声をかけて来る。

「失礼ですけど、爆風スランプの方ですか?」

「そうですよ」
嘘ついても仕方がないのでそう答えるワシ。
「ほんとですかぁ!!」
喜んで握手を求めるおばはん。

「まだ音楽やってるんですか?」


どう答えたらええの?ワシ?・・・・


しばし沈黙・・・


「あ、パッパラーさんは北朝鮮行ってバンドやってらっしゃいましたね」

ご丁寧にドラムを叩くマネをしながらそう言うおばはん・・・


「それ・・・俺・・・」

「え?・・・」

再びドラムを叩くマネをしながら、
「パッパラー」・・・と口をぱくぱくしながらワシの顔を指差すおばはん・・・

八王子には面白い人が多い・・・

Posted by ファンキー末吉 at:20:01

2008年07月23日

爆音のリハーサル

今日から二井原実ソロライブのリハーサル。

0722Rh.jpg

横関くんもマーくんも一緒に音を出すのは初めて。
それにしても音がでかい!!
横関くんが音を出した瞬間に、
「す、すまん・・・ちょっとアンプの角度向こうに向けてくれんか・・・」
と言ってしまった。
通常なら「こっち向けてくれ」と言うぐらいなのに・・・

また貸しスタジオのドラムなので音が鳴らんのよ・・・
マーくんがまた爆音で弾くのでバスドラなんか自分で全然聞こえん。
「すんまへん・・・ちょっと音下げまへんか・・・」
ポリシーを曲げてまでそう頼んでしまった。

それぞれアンプのボリュームに手をやるふたりのプレイヤー、
しかし実際にはちょっと触っただけで決して音を下げてはいないのをワシは見逃さなかった。

ええのよ、ええのよ・・・
ワシかてそう言われたら下げるマネしかせんもんね・・・

リハなのに死ぬ気で叩く!!


それにしてもこんなでかい音でリハーサルするのは初めてである。
そしてまた上手い!!

なんでこんな難しい曲すらすら弾けるの?・・・

高崎晃を始めとし、
山本恭司や橘高文彦等、日本を代表するギタープレイヤーと一緒に演ったことがあるが、
これだけ数多くのミュージシャンとセッションしてるワシが、
まだまだ日本には一緒にやったことのない凄いミュージシャンがおるんやのうと感心した。

またマーくんのベースがよい。
ピックで8ビートを弾かせたら右に出るもんはおらんのとちゃうかのう・・・
そう言えば44マグナムのトリビュートで録音したベースの音聞いてぶったまげたのう・・・


面白いことに今回は、
ラウドネスの楽器陣の方がひとりいるので、
「これどない処理してんの?」
と聞けるからよい。

前回なんか「ほな高崎に電話して聞こうや」とまで言うてたもんなあ・・・

「ああこれ、ライブでは無視してた」
とかご本人に言われたら今回非常に安心して変更出来る。

ホンモノ交えてコピーバンドするって楽しいなあ・・・

それにしてもLOUDNESSって曲多い・・・
前回でほとんどコピーしたと思ったら、
まだまだこんなに知らない曲あるのね・・・

またリハの進み具合早いし・・・

今日は寝ずに残りの曲コピーするの巻・・・

Posted by ファンキー末吉 at:23:18

日本のサラリーマンおそるべし!!

あまりに暑いのでクーラーを買いに行ったら、
景品で北京オリンピックのタオルをくれた。

ワシを誰やと思てんじゃ!!!

ま、いい・・・電気屋の店員にとってはただの変なオジサンである・・・
二井原嫁の話では、もう既に町内会では
「最近越してきたあの変な人、誰?」
と噂になっているらしい。

ワシのことをよくわからんと思うのは各地で同じらしく、
もう少し難聴とボケも始まっているうちの母親相手に、
足げに通って世話を焼いてくれる生命保険会社の方も奇特な人である。

何かでどうしても親権者であるワシのハンコが必要らしく、
年寄りではやはり埒が明かず、北京まで電話をかけて来た。
「ほな八王子に送っとけ!」
とその時は無下に電話を切ったのじゃが、
結局八王子に着いたら書類を記入することもなく二井原家と橘高家とバーベQに行く。

連休も明けて一応平日になったので、
本当なら今日こそ郵便局から郵送すべきなのじゃが、
平日なので子供を連れて東京サマーランドに行く。
休日を避けれるのが自由業の強みである。

しかし生命保険会社は通常勤務している。
当然矢のように催促の電話が入る。
「はい、すぐ送りますよ」
愛想良く口先だけで答えるのじゃが、しばらくしたら
「どこの郵便局から何時に送りましたか?」
と電話の嵐で慌ただしい。
ウソもつけないので「夕方送ります」と言うと、
「うちの会社の偉い人が取りに伺いますので送らなくていいです」
と言う。

高知から?・・・八王子まで?・・・たかが書類を受け取りに?・・・

かくして最終の飛行機で担当のトップの人が取りに来た。
一応書類を持って八王子駅まで迎えに行く。
どっか喫茶店ででも書類を確認しようと車にお乗せして事情を聞く。

「お金が既に引き落としされていてるのに書類が手元にないと言うことは、
わが社にとっては実は大きな問題でして・・・」
ま、ワシが外国にいたからな・・・それもしゃーないのでは・・・
中国式に気楽に考えていたら、

「明日の朝8時までに書類がないと関係者のクビが・・・」

あんた・・・明日の8時言うたら今からすぐ夜行バスで引き返すしかありませんがな!!
ファミレスはキャンセルして車の中で書類をチェックしてもらい、
大慌てで駅までお送りした。

この移動スケジュール・・・ある意味ワシより凄いかも知れん。
ワシ・・・移動距離だけは凄いが、着いたら必ず酒飲む時間ぐらいはあるもん・・・

日本のサラリーマンは凄いなぁ・・・
中国人に見習わせたい・・・

Posted by ファンキー末吉 at:01:25

2008年07月20日

八王子が熱い!!

いや、熱いのではない。暑いのである。

全ての仕事をぶっちして作った北京の畳の部屋では結局一晩しか寝られず、
最終日は例によって徹夜で全ての仕事を終わらせて空港へ。

成田からリムジンバスに乗って八王子に着いた頃にはもう夕方だった。
関空経由で高知に帰るのと同じぐらいである。

嫁子供の待つ二階に上がるとこれが暑い!!
扇風機をがんがんに回すが熱風しか来ない。
聞けば夏は都内の温度より数度高く、
冬は都内の温度より数度低いらしい。
これが八王子。

ところが下のスタジオはひんやりと涼しい。
40cmの壁で囲まれたシェルターみたいなもんやから涼しいのか・・・

と思ったらドラムブースのクーラーが入れっぱなしであった。

数日前二井原がここでこもっていた。
嫁に隠れてオナニーをしてるのかと思ったら、
先日の神楽坂のライブを仮ミックスしていたのじゃ。

うちの嫁もワシから聞いて、
「二井原さんがスタジオにいる時はドアを開けちゃダメ」
と強く心に誓ってたから開けてはないが、
「二井原さんはドラムブースには入ってない」
と宣言する。

と言うことは前回のリハ以来ずーっとクーラーが回されていたわけか・・・

八王子が燃えている・・・
ワシの家計も燃えている・・・

Posted by ファンキー末吉 at:08:27

2008年06月29日

日本も捨てたもんじゃない

母がハリ治療のため山梨に行くと言うので、
母に預けている上のふたりの子供の面倒を看るために、
生まれたばかりの3人目の子供と共に高知に行っていた。

XYZのリハーサルがあるので
高知龍馬空港(このネーミング何とかできんもんか・・・)から羽田に飛ぶ。
選んだ航空会社はANA。
別に格別ANAを贔屓しているわけではないが、なんとなくである。

0歳児の子供には機内でおもちゃが配られる。
長年のFlying Manの習性で、
ワシは飛行機に乗ったらすぐ寝て着いたら起きる習性があるので覚えていない。
そう言えば嫁が「このおもちゃ龍之介がものすごい気に入ってるのよ。
と爆睡しているワシに言ったような言わないような・・・


なにせ寝たら起きないというのはこんなエピソードもある。
爆風スランプ熊本ツアー、羽田発熊本行き。
ワシは乗ったらすぐ爆睡。
座席は飛行機の羽のところ、隣の席はバーべQ和佐田。

ワシ爆睡の中離陸、しばらくしてエンジンから火が吹いた。
ばーべQ和佐田仰天、機内騒然、ワシ爆睡。
機内アナウンス
「只今エンジンに若干トラブルが起こりましたが飛行には支障は御座いません。
飛行には何の問題もありませんが、
念のため当機は羽田に戻ります。
「んなことあるかい!火ぃ吹いてるがな!」
とバーべQ・・・ワシ爆睡。

かくして全乗客不安の中、エンジンが火を吹きながら羽田空港に降り立った。
安堵する乗客、ワシ爆睡。
別の飛行機に案内される乗客・・・起こされるワシ。

「何でまだ羽田?まだ飛んでないの?」
これにはさすがに乗客全員あきれかえったと言う・・・


そんな有様だからこの日、子供がおもちゃをもらって喜んでいるなど知る由もない。
そしてそれを機内に忘れてしまったことなど知る由もない。

嫁に言われ、ちょうどその夕方羽田に友人のピックアップのため羽田に行ったついでに、
ANAのインフォメーションカウンターに行ってこう言った。
「飛行機の中で頂いた子供のお気に入りのおもちゃを機内に忘れてしまいました」

受付嬢、若くて美人。
しかしどことなくちょっと冷たい感じ。
「遺失物を検索いたしましたけどそのような忘れ物は御座いません」

そりゃそうだろう。
ANAとしては子供に配ったおもちゃを持って行かなかった客がいる、
それは遺失物ではなく「破棄」である。
しかし実は子供はそのおもちゃが気に入っている。
つまりANAにとっては「捨てるもの」、
子供にとっては「大切なもの」、
これでは論法に折衷点はない。

「もし捨ててしまったのなら、
何とか新しいのを入手することは出来ませんか?お金なら払います」
まるで成金のヒヒオヤジである。

「これは乗客にお渡しするもので、
お金を頂いてお売りすることは出来ません」
そりゃそうじゃろう、でもそこを曲げてワシはお願いする。

「でもそんなサービス品を子供がいたく気に入って、
何がなんでもそれが欲しいと言う。
これってANAに取っても美談なんじゃないですか?
何とかなりませんか・・・」
モードはまるでイヤな業界人である。
ワシ、実はこの時点で内心
「お前、もしこれでも断りよったら、
ブログとあらゆる自分の動かせるマスコミ使ってこの事件を表ざたにしてやるからな!」
とコブシを握り締めてたりする。

しかし考えてみればそれってあまりに大人げない。
もともとはワシが無理なお願いをしているのである。
ANA側にはもともと落ち度はない。


ワシは前日のちとしたトラブルを思い出した。

ずっと使い続けているとあるソフト。
MACのOSを最新のにしたらバグが出た。
サービスセンターに電話する。
話し中で延々待たされる。
やっとつながったらオペレーターにつなぐのでまた延々待たされる。
高知からの長距離電話代を払うのはワシである。

やっとつながる。
バージョンをアップグレードすれば直ると言う。
電話を切る。
ダウンロード出来ないかネットで探す。
どうも有償らしい。
でもいい、中国と違ってソフトも正規版を買っているので胸を張ってアップグレイドする。

しかしダウンロード版だと思っていたらそれはパッケージ版であった。
登録先の誰もいない住所に送られてくると言う。
それは困る。
何とかならないか、またサービスセンターに電話する。
待たされる。
長距離電話代払って待つ。

やっと出た。
「この製品にダウンロード版はありません」
冷たく言い放たれる。
「だってダウンロード版送料無料って書いてたから・・・」
とショックを隠せないワシ。
「どこに書いてましたか?当社で調査します」
と、まるで「わが社に非はない」モード。
ワシ、カード決済で支払も終わってるし、何とかソフト手に入れたいモード。
「私、外国に住んでるのでその住所に送られても困るんです。
例えばそのパッケージ、例えばパソコンに取り込んで送ってもらうとかはそんなことは出来ませんか?」

「出来ません」

それはわかる!
ワシが無理を承知で言ってることはワシ自身それを一番分かっている。
しかし、担当者の
「あなたの言っていることは八百屋に行ってパソコンを下さいと言っていることです」
と言うのにワシはブチ切れた。

会話がそうなるともうクレーマーである。
ワシをクレーマーにさせたのは誰じゃ?!
誰でもない、お前じゃろ!!

それからワシは出口のない無味乾燥な会話を自分の電話賃を払って続けるハメとなる。
担当者は会社からお金をもらって、
ワシは自分で金を払って、
どちらが正しいかの論破のし合いをするのである。

金も時間も無駄じゃ・・・


そんないやな思い出が頭をよぎった時、
ANAのお姉ちゃんは別のセクションに電話をかけていた。
別に内密な話ではない。
そのまま業務的にワシの言ったことを伝える。

「少々お待ちください、係りの者が機内を探しております」

ここでワシは気付くべきだった。
昼間に降り立った飛行機は
おそらく機内清掃を終えて別のところに飛び立っているはずだと言うことを・・・

「お客様のお忘れになったおもちゃは黄色いあひるのおもちゃですか?」

ANAのお姉ちゃんが相変わらずの業務的なきき方でそう言うのを聞いて
そんなことは考えもつかないアホなワシは小躍りした。
「そうです、まさにそれです」
お姉ちゃんは初めてちょっとにこっとしてこう言った。
「機内にございました。今係りの者が持って来ます」

まつこと数十分、別の係員がおもちゃを持って来てワシに手渡した。
ANA_Ahiru.jpg

新品である。
そりゃそうだ。子供が舐めたり床に捨てたりするおもちゃを、
日本のシステムの中でそれを再使用するわけはない。
渡すなら新品を渡すしかないのである。
でも規則としてはそれは出来ない。
だから「忘れ物が見つかった」と言う名目にしてワシに新品をくれたのである。

感激の逸話である。
ワシは心底「日本もまだまだ捨てたもんじゃない」と思った。

ワシは基本的にこの日本のマニュアル社会は嫌いなのである。

確かに日本のシステムは素晴らしい。
しかし何かが違うとワシはいつも思ってた。
例えば、

関空行きのバスで重いトランクがコインロッカーに預けられない、
でもどうしても5分だけ買い物に行かねばならない、
切符売りのおばさんに「一瞬だけ見といて下さい」と言っても
「そんな業務はやってない、コインロッカーに預けろ」
コインロッカーに入らんから言うとるんやなかい!
あんたも見たらわかるじゃろ!
じゃあ何か紐買ってきて、ゆわえつけてその端をコインロッカーに入れることにする。
紐あるか?ない!じゃあ買って来るからその間だけでも見てて!
「もし何かあった時に当社では責任が負えないのでダメ!」

ワシは何も責任取ってくれと言ってるわけではない。
見知らぬ人に「ちょっとお願いしますね」でトランクがなくなったらそりゃワシが悪い。
でもどうしようもない状況もある。
「じゃあ見てくらなくてもいい!
ワシはここにトランク置いていく!
もし誰かが盗んで行ったらお前はそのまま見てるだけでいい!
じゃあ行くからな!」
そんなことを言わさないやり方はいくらでもあったのではないか・・・

オムライスのチェーン店で、中国から来た友人が、
「じゃあ卵を大盛りで」
と言うと、店員はロボットのような笑顔で
「オムライス大ですね」
と言う。
「ライスは普通盛りでいいんです、卵だけ大盛りでお願いします」
と言うと、
「オムライス大ですね。卵だけ大盛りと言うメニューは御座いません」

メニューの問題ではない!卵だけ大盛りっつう簡単なことも出来んのかい!!

一事が万事、日本では全てのシステムがそうである。
そんな中で日本有数の大会社ANAが
ワシのようなアホなクレーマーに取ってくれたこの態度。
ワシは一生忘れんよ。

このことによってワシはおもちゃGetして確かに得をした。
でも大きな意味ではANAはもっと得をしたと思う。
ワシは同じ路線に乗るならもうANAしか使わん!

これがサービス業っつうもんと違うか?
ワシは今回のサービスに関して心からANAに感謝した。
その恩に対して出来ることは少ないが、
まあワシが飛行機乗る時にはANAを選ぼうと言うことと、
こんなブログでしか言えないが、声を大にして「ANAありがとう」と言おう。

子供上機嫌でワシ親バカである。
RyuWithOmocha.jpg

Posted by ファンキー末吉 at:04:25

2008年06月10日

私は何をする人ぞ

嫁がネットで面白い日記を探して来た。
こんなやつである。


もうだいぶ経ちますが、ダイハツmoveのCM、柴咲コウの出てるやつで、
最近のは柴咲コウが機会仕掛けの恐竜でmoveを追いかけるも、
恐竜は途中でガス欠になっちゃうって奴です。
ま、内容はともかく(笑)、
バックで流れてる曲は爆風スランプ『Runner』のアレンジした奴です。
我が愛するドラマー『ファンキー末吉』氏の曲でありますが、
普段から俺が、ファンキーさんファンキーさんと言っているためか、
流れてるCMを見て母が突然

「ファンキーさんよファンキーさん」
え?
「ファンキーさんよ」

いや、これファンキーさんじゃ無くて柴咲コウだから(笑)
確かに彼女はファンキーな面もあるのかも知れないが、
決してファンキーさんと言う名では無い
ファンキーさんはこの歌書いた人だから

そう言う俺の言葉を聞いてか聞かずか、

「最近ファンキーさんどうしてるの?北朝鮮から帰って来たの?」
いやいや、別に移住した訳じゃ無いし。
最近は~、そうそう、日本でスタジオ作ってね
「又作ったの?中国でも作ったでしょ?」
そうそう、それでね
「スタジオ作りが好きなの?」

どんな趣味だ(笑)

と、言う訳で、俺の伝えた情報により、
ウチの母の中のファンキーさんは
「柴咲コウが北朝鮮に渡り中国と日本で趣味のスタジオ作りをする人」
になってしまいました(笑)

おもろいなぁ・・・

確かにワシは今まさに北京のスタジオの大掃除をしていた。
しばらく帰って来ないうちにマイクも機材もホコリだらけである。

先日MacBookを日本で修理に出したら
「どこで使ってたんです?かなりホコリの多いところですよね」
と言われたぐらいホコリっぽい。

かと言って自分の部屋はホコリがあろうがカビが生えようがおかまいなし。
やっぱスタジオ作りが好きなのかも知れないなぁ・・・

人間強くイメージしたことは実現すると言うが、
あとLAと、きっと平壌にもスタジオを作るような気がして仕方がない。


かと言って決してスタジオ仕事が好きなわけではない。
昨日もアンダーグランドバンドのレコーディングしてて、
ドラムがあんまし下手なことに癇癪を起したところである。
結局助手(これがまた使えないんだ)にやらせて
ビールを飲んで酔っ払ってた。

自分でドラムを叩いてそれを自分でレコーディングするのは
もう言わばドラマーの豪勢な趣味のようなもので、
ヘタしたら一晩中やってて、
「やっぱ最初のテイクが一番よかったよね」
と言うこともしばしばであるが、
だが人のプレイを録音するのはひとえに「忍耐」である。
忍耐力がなくて前回離婚してしまったワシは、
だからこそレコーディングはなるだけ早くすませようと努力する。

盲目のギタリスト田川くんと作り上げた「Vision Rocks」なんか、
これだけ難度の高い曲を、
ドラムは映像のシューティング含めて2時間、
ギターも2時間、ベースは1時間足らずで録り終えた。

こんなもん長くやってたら気が狂っちゃいます・・・

この楽曲は、このページでも紹介しているように
「パール楽器中国工場初の国内流通製品によるデモンストレーション楽曲」
である。

これをひっさげて中国全土をクリニックツアーにまわる。
既に東北地方、遼寧省と吉林省に行って来たが、
これを半年かけて廻るのは結構大変である。

そしてその前にはアンダーグランドバンドの助っ人ドラマーとして、
中国の西南に位置する貴州省に行って来たばかりである。

一日のうちに中国の西南から東北までを縦断しているんだから、
その移動距離とて半端じゃない。

被災地に近い四川省にはツアーに廻らないと言うことなので、
独自に現地の小学校にドラム担いでロックを教えに行く企画もある。
まあ行ったら2週間は帰って来れないやろうなぁ・・・


四川省のために何かやってあげたいと言う気持ちはあるのよ。
先日も吉林省でのクリニックで
会場で募金を集めようと言う企画で前の日は盛り上がったが、
蓋を開けてみたら
「個人が勝手に募金を集めるのは違法行為です」
と言うことで許可が下りない。
それを持って逃げてしまう輩が続出しているのでわからない気もしないが、
じゃあその団体である中国赤十字社に
「ほな会場に募金集めに来てや」
と言うと
「そんなヒマない」
と言って取り合ってくれない。

そりゃもうドラムセットに支援物質詰め込んで自分で運ぶしかないやろ!

現在企画進行中。
日本から支援物質を援助してくれる企業等求む。

私は何をする人ぞ
ますますわからなくなってくる

Posted by ファンキー末吉 at:05:00

2008年05月12日

スタジオのおっさんの生活2

二井原実ソロライブが終わり、
間髪置かずにXYZのライブが始まった。

橘高にとっては自宅から30分以内で来れるので大喜びであるが、
和佐田にとっては都内から2時間かけて来ねばならないので大変である。
少しでも居住性をよくして是非毎回ここでリハーサルして欲しい。

と言うことでとりあえずケータリングを充実させる。

StudioOssanKeitaring.jpg

そして管内全域を禁煙とする。

StudioOssanKinen.jpg

まあたばこを吸うのは橘高だけなので本人に口頭で言えばすむことなのじゃが、
ご丁寧に二井原が作成してくれたので館内に貼り出すことにした。

そりゃそうじゃ。
ワシは今回のXYZのツアーが終わったらもう北京に帰ってしまうので、
後にどんな人が来てこのスタジオを使うやらわからない。
念には念を入れて、命に関わる張り紙を・・・

StudioOssanFan.jpg

そうそう、M氏は完璧な防音を施工してくれたので
このスタジオの機密性は非常に高い。
ただでさえ酸欠になるヘビーメタルのリハーサルで死人が出たのではシャレにならん・・・

ちなみに先日の二井原ソロライブでは、
二井原がステージで「酸欠じゃぁ」と言っていたが、
実際PA席で煙草を吸おうとしていたエンジニアはライターに火がつかなかったらしい。
ライブを見に来てた橘高も、
煙草を吸おうとしてライターがふたつとも着火せんかったと言う。

別にスタジオが酸欠でも問題ないか・・・

Posted by ファンキー末吉 at:07:59

2008年05月11日

頭の中はラウドネス

ライブのMCで二井原が言ってたように、
ワシはライブ終了後そのままの格好で隣の居酒屋に駆け込んだ。

店員は汗みどろのワシの格好を見てぎょっ!としつつ、
「お、お疲れさんです」
と固まりながら、
「ど、どうぞ」
と1日目と同じくレジの隣の一人用の席にワシをうながす。

痛風が心配なので生ビールではなくホッピーを注文し、
そのままトイレに駆け込んでステージ衣装を着替える。

昨日はちょうどホルモンが出て来た時に二井原から
「帰るぞ」
と電話があって食えなかったので、
今日はつまみはホルモンからスタートである。

2杯ほど一気した頃、
ライブを見に来た客がちらほらとやって来る。
まさかさっきまでステージでドラムを叩いてた人間が
自分より早く飲み屋で出来上がっているとは夢にも思わないので
数人はそのまま汚いものででもあるようにレジ横の酔いどれを無視する。

居酒屋じゅうの客がそのようにワシを見ている中、
ひとりの店員だけが非常にワシに優しく接してくれた。
聞けば今日ワシらが機材を全て持ち込んだため、
ライブハウスの据え置き機材は全部この居酒屋の4階に入れているらしい。
KagurazakaNomiya.jpg
(優しくしてくれた店員。バンドをやっていると言う)


ロック談義に花が咲いている中、二井原が「帰るぞ」と呼びに来た。
そのままFunkyスタジオに河岸を変え、
おっさんコーラス隊と朝まで飲む。

嫁にぶいぶい言われながら二日酔いで目覚めたら
ひとりを除いてみんな家に帰っていて寂しかった。


頭の中にはまだがんがんにラウドネスが鳴っている。
思えば今回一番苦労したのはラウドネスのコピーである。
どんな有名なアメリカのドラマーが叩いている二井原のソロの曲より、
やはりひぐっつぁんのドラムに苦労した。

二井原いわく、
闘病生活に入ったひぐっつぁんの助っ人でドラムを叩いている菅沼孝三もそんなことを言ってたらしい。

ワシも「人間が叩いているものなら叩けないものはない」と自負しているし、
孝三に至ってはひぐっつぁんのドラムなんて手数的には簡単なものであろう。
しかしワシらこぞって苦労するのである。
ひぐっつぁんのドラムっつうのは・・・

それはラウドネスが完璧な「バンドサウンド」であるからである。
ワシはビートルズのドラマーが、
ローリングストーンズのドラマーが、
イーグルスのドラマーが上手いと思ったことは一度もない。
ドラム雑誌のコラムで
「クイーンのドラムなんてどこが上手いの」
とコメントしようとしたら、読者より先に編集部にカットされた。
「そんなこと書いたら全てのドラマーを敵に回しますよ」と。

その昔、かまやつひろしさんのスパイダーストリビュートをプロデュースした時、
「いつまでもどこまでも」とか言う曲の、
今や田辺エージェンシーの社長である田辺さんのへたくそなドラムが、
あの半拍ぐらいなくなってしまっているようなヨレたオカズが、
どうしてもその原曲が越えられなくて苦労した。

上手くなることだけを目指して頑張っていた末吉少年はその時、
「ドラムなんて、音楽なんて、究極には上手い下手なんて関係ないのでは」
と思ったものである。

話をひぐっつぁんに戻そう。
まああんましここで褒めちぎるとオッサンこのまま帰って来んかったら困るのでやめとくが、
まあワシのイメージとしては二井原がMCで言ってたように、
ひぐっつぁんとは酒を飲むと「うっとーしー」オッサンである。
すぐスティックを取りだして「これ叩けるか?」と言ってたのを思い出す。
初めて菅沼孝三を紹介した時にもそれをやるので
「ひぐっつぁん、こいつにだけはそれやめときや」
と言ったもんである。

その菅沼孝三がラウドネスのサポートで、
このワシが二井原のソロライブで、
おっさんのドラムを一生懸命コピーさせて頂いた。

あんまししんどいのでリハの時もみんなで冗談で言ってたが、
「お前が叩け!」
である。

おっさん、早う復帰して来いや。
一晩ぐらいは我慢して一緒に飲んだるでぇ。

Posted by ファンキー末吉 at:12:07

2008年05月08日

スタジオのおっさんの生活

年寄りの朝は早い。
ワシなんか子供の授乳に合わせて起きるので5時起き、6時起きはざらである。

まず何をやるかと言うとゴミ出しである。
北京ではゴミの分別などないので楽であるが、
ここ八王子は非常に細かくゴミを分別するので大変である。

FunkyGomidashi.jpg


それが終わると午前中はライブの曲のコピーである。
爆風時代には「たいやきやいた」と言う曲の口上で

「アクションはオジンだぁ!
ラウドネスは天狗だぁ!
44マグナムはバカだぁ!」

と叫んでいたが、
天狗と言われても恥ずかしくないほど(変な言い方やなぁ)
このラウドネスと言うバンドの音楽は今更ながら素晴らしい。

ワシは脳みそのメモリーが少ないので、
ひとつのプロジェクトが終わってから次のプロジェクトの音資料を聞くようにしているが、
リハ開始当日に初めて聞いたのではさすがにコピーが間に合わんかった。
結婚は判断力の欠如、離婚は忍耐力の欠如、再婚は記憶力の欠如と言うが、
三つとも経験しているワシは全部の能力が欠如しているわけだから、
仕方ないので全曲えっちらほっちらと譜面にする。

ところがこれが既に判断力の欠如。
曲のテンポが速すぎて譜面を目で追えないのである。

仕方がないので真っ暗なスタジオでひとりギターの練習をしている田川くんに付き合ってもらって、
身体で覚えるべく「早朝練習」を開始する。
よく考えたらおっさんコーラス隊も上で寝てるわけだから叩き起こして参加してもらう。

OssanRh.jpg

いやー久し振りやなぁ・・・ベースなしで練習なんかするの・・・
高校生以来かなぁ・・・

ちなみに入口の壁際に見えるガムテープで作ったリモコンホルダーは
ここのスタジオのおっさんであるワシの力作である。

スタジオのおっさんの仕事はいろいろ忙しく、
備品を揃えたり修繕したり、
あげくの果てには嫁が買い物に行くと言うと子守までせねばならん。

FunkyKomori.jpg

昼過ぎにはみんなわさわさと集まって来る。
それまでにスタジオのおっさん仕事は全部終わらせておかねば・・・

Posted by ファンキー末吉 at:11:18

2008年05月07日

二井原リハ合宿状態

Funkyスタジオはもともと二井原大邸宅の近所の木造一戸建てを改造したもので、
1階部分は玄関と台所と風呂とトイレ以外は全てぶっ潰してスタジオにしているが、
2階部分はそのまま手つかずの日本家屋である。

もともとあったリビングもぶっ潰してしまったので、
スタジオにあるべきロビーと言うものがない。
そこで中二階にある茶室(前住人は優雅な趣味をお持ちやったんやなぁ)をそのままリビングとして使用することにした。

FunkyStudioLiving.jpg

スタジオ真上の二部屋はリハの爆音がそのまま聞こえるので、
昼間は子供はここで寝かすこととなる。
休憩時間はここにたむろしているメンバーが子供を見てくれるので嫁も楽である。


ちなみに昨日も一昨日も、近所に住む橘高一家が遊びに来た。
隣人である二井原家の子供も遊びに来る。
橘高ジュニア3+二井原ジュニア2+ワシの子供1で総勢6人。
まるで「託児所」である。

これに高知にいるワシの二人の子供が夏休みにでも遊びに来た日にゃぁ総勢8人。
こりゃぁ確かに子だくさんバンドやわぁ・・・
「少子化反対!」


ところで今回の二井原バンドは、

1、ドラマーは北京から
2、ギタリスト1の田川くんは山口から
3、おっさんコーラス隊1の飯田くんは愛知から
4、おっさんコーラス隊2の稲田くんは群馬から

と言うことで、必然的にFunkyスタジオに泊まり込まねばならない。
残り3部屋を宿泊施設とするのじゃが、
とりあえずオーナーの特権としてベランダのある南側の一番大きい部屋は末吉家が頂くことにしてベッドを購入。

FunkyStudioSueyoshikeRoom.jpg

この部屋で嫁が赤ちゃんの授乳をするので「開けるな危険」である。


そしてその隣の北向きの和室は田川部屋。
おっさんコーラス隊は、
そのために「おっさん部屋」を用意しているにもかかわらず何故かそこではなくここにたまる。

FunkyStudioTagawaBeya.jpg

ちなみに田川くんは非常に練習熱心である。
夜中に起きだして来てはスタジオでギターの練習に余念がない。
「よ、やってるね」とビール片手に励ましに降りて来たら、
電気もつけず真っ暗闇のスタジオでひとりもくもくと練習してた。

そうか・・・盲人ギタリストには電気はいらんのか・・・


と言うわけで残りひと部屋、
ベランダに面した東南の洋間を「おっさん部屋」として開放しているのじゃが、
何故におっさんコーラス隊は自分の部屋ではなく田川部屋でたむろするのか・・・

ドラムブースの真上だから音がうるさいのか?
いやリハをやってないからたむろしてるんだからそれはない。

理由は・・・

FunkyStudioOssanBeya.jpg

足の踏み場もないからであった。


合宿状態のリハは続く・・・

Posted by ファンキー末吉 at:05:07

2008年05月06日

Funkyスタジオ稼働開始!

二井原実のソロライブ(5月9日、10日神楽坂DIMENSION)のリハーサルのため、
ここFunkyスタジオが初めて稼働されることになった。

もともとワシとしては、北京のFunkyスタジオでドラムはレコーディング出来るので、
世界一物価の高い日本ではダビング出来るぐらいの小規模なスタジオでいいと思っていたのじゃが、
隣人である二井原はどうしてもパジャマのままリハーサルに行きたいらしく、
狭い一軒家を改造に改造を重ね、
結局ドラムレコーディングもリハーサルも出来るスタジオと相成った。

ただでさえ狭いスタジオがあれもこれもといろいろ要求されるわけだからそれはそれは狭い。
XYZならメンバーが4人だからまだいいのじゃが、
二井原バンドは、まず楽器陣はドラム、ベースにギター2本。
更にそのひとりはキーボードも弾く。

全員をドラムブースに詰め込んだらもうそれだけで立錐の余地もない。

FunkyStReh1.jpg

凄い世界です。
とてもじゃないけど仲の悪いメンバーとは一緒にリハをしたくない。

更に二井原バンドはコーラス隊が3人もいる。
コーラス隊と言えばきれいなねーちゃん達を想像するが、
これが一般公募したメタル兄ちゃんばっか、
名づけて「おっさんコーラス隊」なので、
とてもじゃないがドラムブースの中には入って欲しくない。
いやそれ以前にもう入るスペースがない。

仕方がないのでコンソールルームで全員歌うことになる。

FunkyStReh2.jpg

いやですねー・・・むさくるしいですねー・・・
エンジニアの崎本くんなってこっち向いてもくれませんもの・・・

部屋が狭いと言うことでこのようなシステムになってしまったものの、
ところがどっこい蓋を開けてみたらこれが音響としては非常にいい結果になってしまった。

まずドラムブースの音が、
これが通常のリハーサルスタジオよりはるかによい。
ギター兼キーボードの田川くん曰く、
「ライブ盤のレコードを聴いているような音だぁ」
と言うことで、これはきっとこのスタジオがレコーディングスタジオであることからきているに違いない。

スタジオ設計をしてくれたM氏は、
防音のために40cmの壁を作り、
更に部屋の形を複雑にして壁間のエコーを防ぎ、
いわゆる「広さ」を犠牲にして「音」を重要視してくれた。
通常のリハーサルスタジオでは商売としてはどうしても「広さ」を重要視せねばならなかったのではないか・・・

また、ボーカルが部屋の中にいないため、
楽器の音がボーカルマイクにかぶってしまう現象がない。
これも音がクリアな原因だと思う。

ボーカリストにしても、
Protoolsでバランスをとった楽器陣の音を、
自分が聞きやすい音量でコンソールルームに流し、
極端には自分のマイクの音はドラムブースにだけ流して
コンソールルームでは生音で歌えばよい。
エフェクトをかけたければ
レコーディングのようにProtoolsでリバーブでもコンプレッサーでも好きにかければよい。

つまり通常のリハーサルスタジオのように、
「自分の声が聞こえない」とガナって歌う必要がないのである。

二井原の喉も絶好調!
これはライブが楽しみである。

MINORU NIIHARA  
"ROCK’N ROLL GYPSY" JAPAN TOUR 08

5月9日 (Fri) open/start 19:00/19:30
5月10日 (Sat) open/start 18:00/18:30 

Venue;神楽坂( Kagurazaka )DIMENSION

Vo Minoru Niihara
Gtr 田川ヒロアキ( Hiroaki Tagawa)
Gtr 小畑秀光 (Hidemitsu Obata)
Bass 寺沢こういち (Kouichi Terasawa)
Dr ファンキー末吉(Funky sueyoshi)
B.V.飯田 泰生 
B.V.佐名手 一成
B.V.稲田 尚士

Ticket;5000円 (ドリンク別)
各プレイガイド発売 中!
Tickets are still available now!

問い:神楽坂EXPLOSION 03-3267-8785

Posted by ファンキー末吉 at:09:19

2008年04月29日

Funkyスタジオ八王子完成!

二井原のブログで報告してくれてた工事状況を見ながら完成を楽しみにしていたが、
先日業者から引き渡しと言うことで強行スケジュールで来日して来た。

まずブースにドラムを組んでみましたが、
予想以上に場所を取って大変だった。
ワシのドラムって非常に場所を取るのよね・・・

DrumBooth.jpg

XYZは4人しかメンバーがいないのでなんとかいけるだろうが、
5月から始まる二井原ソロプロジェクトはドラム、ベースにツインギター、
しかも田川くんはギターを弾きながらキーボードも弾こうと言うのだから、
これはとてもじゃないけど全メンバーは入りきらない。
おまけにコーラス隊が3人もいると言うではないか・・・

あきらめていた頃、橘高王子様が登場。
とりあえずマーシャルを鳴らしてみる。
ドラムも一緒に叩いてみて二井原が表に出て音漏れをチェックしてみると、
これが何とほとんど表には聞こえてない。
ブースとコンソールの間のドアを開けっ放しにしても外にはほとんど音は漏れてないのだ。

と言うことは、楽器陣はブースの中、
歌の人たちはコンソールで歌えば十分リハーサルも可能だと言うことである。

喜び勇んでベースアンプとPAシステムを購入。
楽しいことってやっぱお金がかかるのよね・・・

Console.jpg

レコーディング機材はなるだけ北京と同じものを揃えたのじゃが、
ミキサーが注文のものと違っていたのでまたちょっとシステムを変える。
二井原がいそいそと近所のディスカウントショップで買って来てくれたミキサー台も、
最終的にはお払い箱になる可能性が高い。

完成とは言ってもここから長い間かけてまたマイナーチェンジを繰り返し、
数か月はかかって最終的な形に落ち着くのが常である。
5月いっぱいここに籠っていろいろといじくってみたい。

もう既に貧乏なバンドから使わせてくれと言うオファーが来てはいるが、
正式な稼働は6月以降になることであろう・・・

Posted by ファンキー末吉 at:07:11

2008年04月01日

ブータン王国の話

嫁の実家にいた時ずーっと関西ローカル製作のテレビ番組を見ていた。
非常に面白い!
くだらないのからためになるのからいろいろあるのだが、
とある番組のいちコーナーでワシは画面にくぎ付けになった。

番組の司会者が素朴な疑問を番組で掘り下げてゆくのだが、
その日のテーマは「ブータン王国初の総選挙」。
台湾の総選挙が大きな話題になると言うのならわかるが、
新聞ももの好きやのう、なんとマイナーな事件を取り上げとるのう・・・
と思って調べてみたらこれが物凄い!
と言うコーナーであった。


ブータンと言うのはヒマラヤ山脈に面した
人口100万人足らずの小さな国だそうだ。
産業と言えば
その急斜面を利用して発電した電気を近隣諸国に売っているぐらいで、
基本的には農業を営んでやっとこ生活しているであろう小国である。
政治形態は王様による統治が100年以上続いている王国で、
その王様がとにかく国民に愛されていて、
国民全てに「統治されている」と言う意識がないのだと言う。


そこの国王が突然言い出した。
「民主化するぞ!」
ところが国民誰もがそんなことを望んではいない。
それを国王が全ての国民をひとりひとり説得してまわった。
「権力が一箇所に集中するのはよくない。
今はよくても、もし統治者が悪い人間だったらどうなる?」
と・・・
国民は「敬愛する国王様がそう言うのならば」と言うことで、
ここに初の総選挙が行われたと言うことなのである。

凄い話である。
どっかの国の権力に固執している政治家に見せてやりたい。


この国王はもの凄い考え方を持った人で、それは、
「国にとって大事なのはGNP(国民総生産)ではない、
GNH(国民総幸福量)こそが最も大切なものである!」
と言うものである。
そして国勢調査の最後に書かれている
「あなたは幸せですか」
と言う質問に、
国民全員の何と97%の人が「幸せです」と答えると言うから驚きである。

インターネットもテレビ放送も
「まだいらんじゃろ」
と言うことで整備されてないし、
たったひとつあった信号も誰も使い方がわからず、
「やっぱこれもいらんわ」
と取り外されたと言う。

外国との交流は制限されており、それは
「観光収入よりも文化や伝統や宗教を守る方が大切だ」
と言う考えに基づいてのことである。


その宗教と言うのがここの国教である「チベット仏教」。
これでワシは何となく全てを理解することが出来たような気がした。
去年訪れたチベット自治区、
そこの最高僧侶が庶民と同じく質素な生活をしていたのと同じように、
ここの国王も庶民と同じ普通の住居に住み、
修行に生き、ひたすら世の幸せを祈る、そんな「生き方」なのである。

そして精神世界の頂点のようなこの国が「友好国」としている国が何故か日本。
物質文化の極みなような、
「幸せですか」に何人の人が「幸せです」と答えられるかわからんような、
そんな日本が何故だかこの国が選んだ「友好国」である。

その理由にはひとりの日本人の存在が大きいと言う話を聞いた。
とある日本人がブータン王国に半生を捧げ、
島国で培った急斜面での農業のやり方を伝授したのだと言う。

彼はもちろん日本では知る人もいない無名人だが、
ここブータンでは知らない人はいない英雄である。

似たような話を内モンゴルで聞いた。
とある日本人が半生をここに捧げると決意し、
一本一本植林したその砂漠は、今では森になっていると言う。

凄い人たちもおるもんじゃ。

中国ロックのために半生を捧げ、
北朝鮮にまでロックを伝えようとするアホなら知っている。
「ワシは幸せじゃ」と毎日酒を飲んでいると言うからブータン国民にちょっとだけ近い。

このアホがほんまもんになるためには、
やっぱ一生それをやり続けることなんやなぁと思った。

いやほんま。
世界は広いでぇ。

Posted by ファンキー末吉 at:20:44

2008年03月28日

Funkyスタジオ八王子

ワシは金には縁がない。

爆風全盛期のころにその莫大な収入をその年のうちに使ってしまい、
翌年には税金が払えなくて借金したと言うのは有名な話である。

江戸っ子でもないのに宵越しの金は持たず、
貯金をしたこともなく、
不動産とかに投資をしたこともない。

人生そのものが「博打」みたいなものなので賭けごともやらず、
商売とやらもいやな思いしかしたことないので、
これはきっと神様が「お前はそんなことやるな!」と言っているとしか思えない。

先日なんかドルが非常に安くなってたので、
XYZのアメリカツアーのために安いうちにドル貯金をしとこうと
口座を開設して入金した次の日にはもっと下がっていた。

「じゃあもうちょっと貯金しときましょうか」
さすがに損したと言う気持ちがあるので
これ以上はいくら何でも下がりはしまいとばかり更にドル貯金をすると、
何とその後すぐに史上まれに見るほどのドル安となった。

さすがに本当にもうこれ以上下がるはずはないだろうから
今回来日した時にまた更にドル貯金してもいいのだが、
その神様のポリシーにより更にドルが下がった暁には日本経済はガタガタになってしまうだろうから、
世のため人のため、世界平和のためにもうやめた。

そう、ミュージシャンは貯金なんかしたらあかん!
江戸っ子じゃなくても宵越しの金なんぞ持ってはいかんのである!


と言うわけで買い物をした。
二井原が「近所に安い物件が売りに出されてるでぇ」と言うので、
そこを買ってスタジオにしてしまおうと言うのである。

二井原の大邸宅がある八王子は、
一応東京都であるにもかかわらず、土地が非常に安い。
過疎化が問題となっている高知のうちの実家のマンションと
同じ値段でここでは一戸建てが買えると言うのである。
八王子は高知と一緒か!いやそれ以下か!!!と言いたくなる。

二井原大邸宅には何度か泊めてもらったことがあるが、
まあ言わば日本と言うよりはカリフォルニアである。
車がなければ生きてゆくことは出来ない。

閑静な住宅街、
自然が多く、空気もよい。

朝は探索を兼ねてその辺をジョギングした時の話。
近所に小川があり、澄んだ水には魚も泳いでいる。
川っぺりの道を走っていると、
川の中に何やら鳥のオブジェのようなものを発見した。

鶴?・・・いやいや一本足で立ってるからフラミンゴ?・・・

どっちにしろセンスがいい。
公園にタヌキやパンダのオブジェを置くのとは雲泥の差である。
その正体を見極めようと近くに寄ってみると、
いきなりそのオブジェが羽を広げて飛び立った。

この街はこんな大きな野生の鳥が生息してるんか・・・

こんな理想とも言える住宅地にスタジオなんか作ってええんかい・・・
北京のスタジオは周りが全部ロックミュージシャンなので防音なんてしてないが、
こんな閑静な住宅地でそれをやったら間違いなく警察沙汰である。

「ファンキー、いくらなんでも防音はせなアカンでぇ」
このスタジオをXYZスタジオとしてしまい、
レコーディングから、果てはリハーサルまでを全て近所でやってしまおう
と虎視眈々と狙っている二井原が、インターネットで業者を探して来た。
録音機材から本格的スタジオ施工までをこなすプロフェッショナルな会社である。
家のカギは二井原が持っているので、業者を呼んで見積もりを出してもらった。

「機材込みで総額1000万?!!!」

ヘドが出るほど驚いてしまった。
機材で400万ぐらいはかかるだろうとは思っていたが、
なにせ北京のスタジオは防音工事代がゼロだったもので、
どうも器材より高い防音工事と言うのがどうしても感覚的に解せない。

「もっとまかりませんか」

担当のM氏は年のころはワシらより少し若いぐらいであろうか、
完璧にラウドネス、爆風世代である。
「私の青春を飾ってくれたお二方のためなら死ぬ気で安くしましょう」
頼もしい言葉を残して図面作りに入る。
ドラム録音からミックスダウンまで出来るスタジオにすべく、
機材やドラムブースにいろいろ注文をつけるワシ。
夜中にパジャマでやって来てそのままリハーサルが出来るようにすべく、
防音関係にいろいろ注文をつける二井原。
かくしてM氏の命をかけた見積もりが出た。

「総額1200万」
上がっとるやないかい!!!

まあそれもそうである。
M氏が言うには、これだけ閑静な住宅地でドラムが叩けるようにするには、
そしておまけにヘビーメタルのような音楽をやろうなどと思ったら、
防音だけで少なくとも800万はかかってしまうのはいた仕方ない、と。

「もっとまかりませんか」
ひつこく食い下がるワシ。
何度も図面を引き直すM氏。
しかしどこをどのようにいじっても最終的に値段はそれほど変わらない。

「ではご予算は一体おいくらなんですか?」
M氏から最終的に泣きが入る。
「そうですねぇ・・・北京のスタジオが400万ぐらいで出来たんで・・・
なんとか400万ぐらいで出来ればありがたいんですが・・・」
親身になってまた図面を引き直そうとするM氏。
「防音工事を400万と言うのはかなり厳しいですがちょっと頑張ってみます」

「あ、違います。機材と防音合わせて400万っつうことなんですが・・・」

それ以来M氏からのメールの返事が途絶えた。
「怒ったんかなぁ・・・二井原ぁ、どう思う?」
周りの友人にも意見を聞いてみる。

「あんた中国の屋台でばったもんの土産でも買うとるんやあるまいし、
日本で値段交渉を半額以下から始めてどないしまんねん!!」

国際電話で詫びを入れて、再び値段交渉である。
この辺になると、間に立っている二井原が少しナーバスになって来た。

「ファンキー、1000万言うたらやっぱ大金やでぇ。
それをやっぱ土産もんでも買うみたいにぽんと買うのはおかしいでぇ。
俺、少なくてもやっぱそこまで責任持てんわ。
もっと冷静に考え直して見るべきなんとちゃうかなぁ・・・」

パジャマ姿で歩いてレコーディングスタジオは頭で考えたら素敵な夢だが、
こうして生々しい現実に晒されてみると恐れ多い夢と言うことである。
実際北京のFunkyスタジオは理想そのものである。
ウェイン・デイヴィスにセッティングしてもらった世界最高の音が
目が覚めたらそのままパジャマのままで録音出来るのだ。
しかもドラム叩き終ったらすぐにビール片手に風呂に飛び込む。
こんな理想があの値段で手に入ったのは
ひとえにここが北京の貧民街であるからであって、
それを世界一物価の高い東京で、
しかもこんな閑静な住宅地で作り上げようと言うのは
これはもう夢を通り越して幻なのかも知れない。

「ほな嫁と相談しまひょ」
少なくとも嫁はワシより常識人である。
子供も生まれて将来にも不安もあることだろう。
いきさつから結論まで細かく嫁に説明した。
そして嫁はこう言った。

「XYZのスタジオ作るんに私が反対出来るわけないやろ。
うちの旦那は飲む打つ買う。
飲むは酒を飲む、打つはドラムを打つ、買うは機材を買う。
もうあきらめとるわ・・・」

嫁の鏡である。
かくしてFunkyスタジオ八王子は着工した。

FunkyStudioZumen.jpg


M氏はこれ以上落とせないまで値段を下げ、
しかも他の現場から余った材料まで持って来て
「最高のスタジオを作らせてもらいます」
と頑張ってくれている。

二井原は日本にいないワシの代わりに工事を監督し、
100円ショップで末吉のハンコを買って、
電気、ガス、インターネット等の手続きまでやってくれている。

4月末にはスタジオは工事は終わると言う。
今回のXYZのベストに入れる新曲のレコーディングには間に合わなかったが、
今後XYZは無尽蔵に時間をかけて好きなだけアルバムを作ることが出来る。

二井原も別にラウドネスで使ってくれてもいいし、
橘高も筋少で使ってくれてもいい。
和佐田もあれだけプロジェクトを抱えてるんやからどんどん使ってくれてええし、
田川くんも東京引っ越して来ると言うならここで住めばいい。
二階にはまだ4部屋余ってるし、
何なら金のないバンドは泊まり込みでレコーディングすればよい。
二井原がきっといいプロデュースをしてくれるじゃろう。

うん、これでいいのだ!
世のため人のため、ロックのためである。

Posted by ファンキー末吉 at:05:09

2008年03月17日

Kちゃんの物語その2

私の携帯の番号は、私が携帯と言うものを手にしてから一度も変えたことがないので、
時には思いもよらぬ古い友人から電話がかかる時もある。
番号表示で誰だかわかる時もあるし、
声を聞いてやっとわかることもあるのだが、

「私よ、誰だか忘れたの?」

と言う彼女の声を聞いた時、とっさにこの声の主を思い出すことが出来なかった。
ひょっとしたら心の奥底で忘れてしまいたいと思っていたのかも知れない。

「私よ!車持ってるでしょ!すぐ迎えに来て!」

迎えに来てったって真夜中である。
「この夜中にのこのこ迎えに行ける人間がどこにいる」とは思ったものの、
その日は嫁も子供も寝静まってひとり仕事部屋で仕事をしてたので別に行こうと思えば行けないこともない。
「どこに行けばいいんだ?実家か?」
彼女の実家にはアッシー(死語)として何度も送り迎えに行ったことがあるので今だによく覚えてはいる。
「バカねぇ。今だに実家にいるわけないじゃん!私もう結婚したんだから。
でも今から家出するの!だからすぐ迎えに来て!」

Kchan4.jpg


今更「あわよくば心」はない。
前回の事件で私は彼女を、いや「女」と言うものの怖さを心底感じてしまっている。
スケベ心よりは好奇心である。

(彼女は結局あの男と結婚したのか?)
(やっぱりあの女を殺したのか?)
(それとも・・・)
いろんなことを考えながら彼女の指定した公園に向かった。

数年ぶりに会った彼女は二十歳の頃と変わらず若々しく、そして相変わらず美しかった。

「行くところがない」と言われたって嫁も子供もいる私の家に転がり込まれても困る。
例え彼女のことを好きだったのは今は昔であろうともである。
とりあえずめったに帰って来ない友人のアパートがあるので
彼女を紹介してしばらくそこに住まわせることにした。

そこでゆっくり話を聞いた。

聞けば殺傷事件にまでなってしまったその昔の男は、
その原因となったその女とその後も切れずにいたらしい。
私から見たら命知らずの男なのである。

「何か私ってどんなことされても我慢してついてくる女に見えるらしいの」

彼女はある意味ではそう言う女である。
その男が他の女に手を出しさえしなければ平穏無事な幸せな家庭を築けたかも知れない。
しかし男は女と切れなかった。

それじゃあ予告通り彼女はその女を殺したのか?・・
いや、修羅場はそれ以上続かなかった。
新しい男性が現れ、失意の彼女を慰め、
そして彼女と結婚したのである。

その旦那は見事に彼女を救い、
そして結果的にはその女の命までをも救ったと言えよう。


しかし男とはどうしようもなくアホな生き物であると言うべきか、
はたまた彼女はとことん男運が悪いと言うべきか、
運命は再び繰り返し、悪いことにまたこの旦那が浮気をしたのである。

今や私なんぞ、
「こんな女を妻にして浮気なんぞしようものなら命がいくらあっても足りないぞ」
と自己防衛本能が素直にそう思わせるのだが、
当の旦那はどうもそんなこと夢にも思わないらしい。
昔の男も、そしてその旦那も、
私の見た彼女のあの恐ろしい面はまるで見ることが出来ないのである。

私があの時見た彼女、
あの極端なまでの冷静さで殺人を遂行しようと言う恐ろしさは、
実は決して人からは見ることが出来ない「Dark Side Of The Moon」だったのではあるまいか。
実はそれはまだ誰も見たことがなく、あの時私にだけ見せたものだったのではあるまいか。

だから今回も私を呼び出したのではあるまいか。
その「Dark Side Of The Moon」を見てしまった私を。
それを見せられる唯一の人間である私を。

ちなみにピンクフロイドの名盤「Dark Side Of The Moon」の邦題は「狂気」と名付けられている。
後に続く「Crazy Diamond」も「The Wall」も、
全て彼らは「人間の狂気」を題材にその音楽を作って来た。
しかし彼女は違う!
彼女は決して狂ってなどいない。
恐ろしいほど冷静に、「普通」に殺人を遂行しようとしていた。
狂気のかけらなど微塵にも見られなかった。

殺人など激情に駆られてやるもの、
狂気に駆り立てられてやるものだと思っていた私は、
だからこそ身の凍るほどの恐怖を感じた。

彼女があまりに「普通」で、あまりに「冷静」であったからだ。

それはまさに人の心の「Dark Side Of The Moon」。
「人を愛する」とか「尽くす」とかと言う表の部分が、
そのターゲットの裏切りによりそのままその裏側、
つまり「殺す」と言うことになるだけで、
それは激情にほだされてでも何でもない。
彼女にとって、いや人にとってそれは「普通」の行動だったのではあるまいか。

Kchan6.jpg


普段と変わらない様子で彼女は旦那の浮気について説明する。
それは別に普通の笑い話と寸分変わらない言い方である。

「旦那もそうだけどその女もバカだわよねぇ。
そんなことして私にバレないと思ってるのかしら」

そう、彼女は決して頭は悪くない。
むしろ洞察力、頭の回転、女のカン、どれをとっても恐らく人並み以上の能力であろう。
それをフルに稼働して、その女が誰か、名前は何で、年はいくつで、
仕事は何をしていて、職場はどこで、
勤務ローテーションはどのようで、
住んでるところはどこで、実家はどこで、
その電話番号まで全てを既に調べ上げている。

私はまた背筋が寒くなって彼女にこう聞いた。
「まさか・・・また殺すとか言いだすんじゃないだろうね」
彼女はまたそのとびっきりの笑顔でそんな私の心配を笑い飛ばした。
「バカねぇ。私もあの時は子供だったの。
もう殺したりなんかするわけないじゃない」
くったくのないその美しい笑顔を見て私はほっと肩をなでおろした。

するとすかさず彼女、
「死んだ方がましだと思うぐらいの目に合わせてやるの」

Kchan5.jpg


私はまた恐怖で凍りついてしまった。
彼女を絶望から救ったこの旦那は、
また自らの手で彼女の「Dark Side Of The Moon」をひっぱり出してしまったのだ。


それからの彼女は私は心底恐ろしかった。
毎日のようにその女を追いつめてゆく。

「まず仕事をやめさせてやるの」
職場に行く。
その女のローテーションは全て把握しているので、
敢えてその女が出勤していない時間を狙って行く。

「一番偉い人出してちょうだい!
おたくの従業員が私の留守中に私の旦那と・・・」

その女が部屋に残した遺留品をつきつけて、
泣く!喚く!全社員の前、全てのお客の前で可哀想な被害者を演出する。
それを沈着冷静に完璧に演じるのである。

「次は親だわ」
実家に電話をして女の両親に向かって泣く!喚く!
その全てが「感情」ではない、「計算」なのである。

「そうそう、住むところもなくさなくっちゃ」
今度は勤務時間のローテーションを見計らって
アパートでご近所さん、大家さん相手にそれをやる。

やられた方はたまったもんじゃない。
しかも相手は今や家出していて携帯もOFFにしているので捕まえようにも捕まえようがない。
旦那とてたまったもんじゃない。
言いたいことがあるなら自分に言えばいいじゃないかと思ってもその相手がつかまらないのである。

私にその旦那もその女も救うことは出来ない。
何故なら私には彼らと何の接点もないのである。
会ったこともなければ名前すらも知らない。
ただひたすら、時間のある時に彼女を慰め、
気をまぎらわせてやるだけである。

「ほんと、私って男運悪いのかしら・・・」

彼女はちょっと疲れた感じで私にそうつぶやく。
何も特別なことで疲れた感じではなく、
ただ「仕事が忙しかった」とか普通に「生活に疲れた」といった感じでそう言うのである。

それにしても私は何故こうして彼女に世話を焼いているのだろう。
10年近く会ってなくてもすぐにこのように「普通」に会える友人であるから?
それともやっぱり彼女が美しく、魅力的だから?

彼女はその美しい横顔をちょっとこちらに向けてほほ笑みながら言った。
「末吉さん、今でも私のこと好き?」

私は体中に鳥肌が立つほど恐ろしかった。
それほどまでにも彼女の笑顔は美しかったのである。

Kchan7.jpg


その女に対する彼女の猛攻撃は続く、
職場にいようともアパートに帰ろうとも、
そしてたまりかねて友人宅に身をよせようとも、
必ず彼女はそこを突きとめてやってくるのである。

しかも必ず本人がいない時間を見計らって・・・

気も狂わんばかりになったその女は、
結局頼るところは自分が愛人関係にあるその相手、
つまり彼女の旦那のところしかない。
最終的にその女は旦那のマンション、
つまり家出する前に彼女が旦那と住んでたその部屋に転がり込んで来た。

彼女の最終攻撃が始まる。

旦那の勤務ローテーションも完全に把握しているので、
旦那が絶対に電話にも出れない、職場も放棄できない時間帯を狙って、
その女が一人で震えながら待つ、かつての自分のマンションに乗り込んでゆく。

ピンポーン

自分の家なのでカギは持っているのにわざわざ呼び鈴を鳴らす。
女はもう精神を病んでしまっているので出てこない。
女が出てくるまで何度でも何度でも鳴らす。
恐る恐るドアまでやって来てのぞき穴から彼女の顔を見たとたん絶叫した。

「キャー!!!!」

彼女はゆっくりドアにカギを差し込みゆっくりとカギを開けた。

ガチャン

「キャー!!!!来ないで!!!入って来ないで!!!」
女は部屋の中で半狂乱となる。

しかしドアには運良くチェーンロックがかけてあった。
彼女はそのドアの隙間から部屋を覗き込んで優しそうにこう言う。

「開けなさい。ここは誰の家だと思ってるの?」

「助けて!!!誰か助けて!!!」
半狂乱で救いを求めて電話をかける。
救いを求める相手はただひとり、彼女の旦那であるにも関わらず、
その彼はあいにく電話口には出られない。
職場にかけても職場を離れることは出来ない。

彼女はドアの外でゆっくりと自分の携帯を取り出し110番に電話をかける。
「もしもし、警察ですか。
私の家に知らない人が入ってて中から鍵かけて出て来ないんです。
何とかしてもらえませんか」

近所の交番から数人の警官がやって来る。
「中の人!出て来なさい!あなたのやっていることは犯罪です!」
チェーンロックをかけたドアの間から警官が叫ぶ。
半狂乱の女は泣き叫ぶ。
「その人を何とかして!私、殺される!!」

警官が彼女に質問する。
「どう言うことなんですか?お知り合いですか?」
ニコっと笑って彼女は余裕で答える。

「いいえ、会ったこともありませんよ。あの女、頭おかしいんじゃないですの?」

法律的にはこの女は「不法侵入」を犯している。
警察としては最後の手段として、チェーンカッターでチェーンを切って中に入るしかない。
説得すること数十分。
中の女は最後には説得に応じて恐る恐るチェーンロックを外した。

するとドアが開くが早いか中に飛び込むが早いか、
彼女は勝手知ったる自分の家に飛び込んだ。
そして勝手知ったる台所の包丁を掴んで女に切りかかった。

「キャー!!」

警官が数人がかりで彼女を取り押さえて事なきを得たが、
結局はこの事件は三角関係が生んだ痴話喧嘩と言うことで処理され、
切りかかった彼女よりも法律的にはその女の方が罪に問われる。
彼女はただ「嫉妬で逆上した」可哀想な妻にしか見えないのである。

そう、彼女の「Dark Side Of The Moon」を見ていない全ての人間は彼女をそのようにしか見ることが出来ない。
しかし私は知っている。
彼女は「逆上」などしていない。
いつでも「冷静」で、「やるべきこと」を「完璧に」遂行しようとしているだけなのだ。
人を愛し、尽くすのと同じように遂行しているだけなのだ。


「また殺し損なっちゃった・・・」
笑顔でそう私に報告する彼女に私は心底震え上がった。
離婚調停は「絶対に別れない」と言う彼女のかたくなな態度により泥沼化したと聞く。
彼女はまたあの美しい笑顔で私にそう言った。

「離婚なんかするわけないじゃん!だって愛してるんだもん」


それから彼女には会ってない。
だから数日前、また彼女から突然電話があった時には心底びっくりした。
聞けば再婚し、子供が出来、その新しい旦那もまた浮気をしたと言う。

しかし今度は状況は違った。
旦那は泣いて真剣にあやまり、
彼女の目の前でその浮気相手と手を切り、
今も彼女に毎日毎日あやまり続けていると言う。

「でも一生許せないかも知れない」
彼女が私にぽろっとこぼしたその言葉を聞いて私はとても安心した。
これは「感情」が言わせるもので
彼女の「Dark Side Of The Moon」が言わせていいるものではないからである。
その旦那ならきっと一生彼女の「Dark Side Of The Moon」を封じ込めるかも知れない。
そしてそうであって欲しいと心から思う。


人はみなその心に「Dark Side Of The Moon」を持っている。
私の妻に、
そしてこれを読んでいる全ての妻帯者の妻だけにはそれがないと誰が言いきれよう。

それを引っ張り出すか永遠に封印するかは全てはその旦那次第なのである。
Kちゃんの物語、これは決して他人事ではないと世の全ての男性は知るべきであろう。

完・・・(であることを心から願う)

Posted by ファンキー末吉 at:00:57

2007年09月29日

頑張れ高知ファイティングドッグス

今年の夏は父の葬儀やら何やらで結局2か月間ずーっと日本にいた。
・・・暑かった・・・

北京に帰るチケットをBookし、
「もう北京は秋だなぁ・・・」
などと郷愁を募らせている頃、
地元のラジオでショッキングなニュースが飛び込んできた。


四国アイランドリーグは、
財政難のため、高知ファイティングドッグスのオーナーを急募、
10月半ばまでにオーナーが見つからなければ、
四国4県のうち高知のみがその球団の活動を停止する。


なんじゃと!!!
ワシはせっかく「よさこいランナー
と言う応援歌まで作って、
それがいざ発売となったらいきなり活動停止かい!!!

こうなったらワシがオーナーになって存続してやる!!

などと思って調べてみると、
球団の運営には1年でおよそ1億円がとこ金がかかると言う話である。

ひえぇー・・・

スポンサー収入や、試合の興行収入でそれを補っているのであるが、
高知県にはナイター設備がある球場がないので、
ナイターで試合観戦出来る他の3県と違い、
やはり観客動員数で大きな差がついてしまう高知ではオーナーが見つからず、
現状ではリーグ自体がその運営をやっているのだが
もうそれが限界に来たと言うことである。

念願のランナーのCMの印税が入り、
懐が少々は暖かくなったワシであるが、
年間1億の金となるととてもじゃないけど手が届かん・・・
誰かこの危機を救ってあげれるお金持ちはおらんもんか・・・

・・・ま、まずおらんやろうからワシは考えた。
それなら高知市民が株主となって球団を支えてゆけばどうだろうか。
1株1万円で有効期限1年限りの株を1万株売れば球団は存続出来るぞ!

高知と言えば「よさこい祭り」を生みだしたお祭り大国である。
そして「ひろめ市場」と言う、
昼から酒が飲めてタタキが食える屋台村が大成功している。
ナイターが出来なければ、
リーグにお願いして高知の試合だけは土日祝日のデーゲームにしてもらい、
その日を朝から「よさこい祭り」に、
そして球場全体を「ひろめ市場」にしてしまえばよいのである。

高知にはアマチュアバンドをはじめとし、
ダンスバンドやブラスバンド等、
発表の場を求めている人たちはたくさんいる。

シーズン中毎週末祝日が「よさこい祭り」となる球場のイベントには、
もちろん株主以外は参加することが出来ない。
出演者は持ち株が多い順にいい出番で出演出来るし、
球場最後列の屋台の出店は、
持ち株が多い順にいい場所とその面積を確保できる。

そして高知と言うところは、
「よさこい祭り」を運営するための数多くの制作会社、
そしてPA、照明等、設備関連の会社が日本一多い。
彼らはその機材提供や制作を無料で請け負う代わりに、
その労力に応じた株をもらえる。

いやいやどうせ大半の会社はよさこい祭り以外の時期はヒマなのである。

そして一番貢献してもらうのは高知のメディア。
中央からネットされている番組を買うには金がかかる。
地元制作の番組を作るにも金がかかる。
特に地元ケーブルテレビはチャンネル数が多い分もっと大変である。

それやったら番組枠だけを無償で提供してくれればよい。
制作は株主である別の制作会社がやり、
番組には全ての株主のCMなりのテロップを流す。
もちろんその長さは持ち株の多さに比例する。

1株1万円と言えば1か月で1000円を切る。
球場イベントにも参加でき、
屋台で出店も出せて、
おまけにメディアでCMまで打てるんやったら
1株と言わず数株持つ輩もたくさんおるんではないか・・・


「ファイティングドッグスを残そう会決起集会」
とやらがあると言うので顔を出して来た。

私設応援団やら県のお偉いさんなどが集まって
マイクをまわしながらいろいろ発言していたが、
「ナイター設備を作って欲しい」
「いやそれには数億の予算がかかるから無理だ」
とか、
「四国4県の中で高知だけがなくなるのは恥だ」
とか、埒のあかない話ばっかりしてるので、
「ちょっといいですか」
とマイクを奪い取り、ワシのそのアイデアを大々的にぶち上げた。

反応は・・・ぱらぱらぱら・・・

そんなに奇抜なアイデアか?これは!!!
悔しいので企画書にまとめてもらい、
球団側のトップに直接送ってもらおうと決意。
もう発言はせずにただ座っておこうと思ったら、
県のお偉いさんの次の一言でワシは激怒!

「球団としましても、
続けるとなると来年スケジュール調整とかでもう今から業務は始りますし、
存続するかどうかは早めに決定しないと
選手のみなさんにも迷惑がかかりますから」

「ちょっといいですか!!!」
またマイクを奪い取るワシ、
困惑する会場、
止めようとする司会者・・・

「ワシら部外者が何とか存続してもらいたいと頑張ってても、
球団側が自分で勝手に締切作ってそれを延ばすことも出来んなんて、
そりゃ本末転倒もええとこやないかい!
10月半ばでスポンサーなんか見つかるかい!
存続したかったら締切延ばせ!アホたれ!
存続したいんかい、しとうないんかい!」

しかしその発言者は実は球団の人ではない。
その日、ファイティングドッグスは追加試合のため
球団関係者は誰も参加していなかったのである。

ワシは思う。
今日ここに選手たちがいたとしたらきっとこう発言したことだろう。

「僕ら、野球が好きなんです。
何でもします。球団を存続させて下さい!」

プロとはいえマイナーリーグ。
月給12万円で生活しながら、
田植えの時期には農家に手伝いに行き、
オフシーズンには地元でバイトを斡旋されて働きながら野球をしている。

これを「ロック」と言わずして何とする!!


結局ワシの意見は黙殺され、
議題は募金の話とか、
もし存続しようとして動いてダメだったらその責任が誰がとるのかとか、
これまた全然ワシが願っている世界と違う方に動いてゆく。

責任なんか政治家が取れ!
ワシが後ろにメディア引連れて、
地元の市議会議員県会議員ひとりひとりにインタビューしてやる。

「ファイティングドッグ残したいですか?
立ち上がりますか?
立ち上がるなら来たるべき株主1万人の票は全部あなたんとこに行きますよ」

そん代わり球団の赤字はお前が被れ!
メディアでタダで政見放送出来るんやから安いもんやでぇ。


結局この決起集会は失敗だったとワシは思う。
次期知事を狙っていると言う噂の人物も来ていたが、
ワシの意見にも耳も傾けん奴に知事はつとまらん!
わしゃお前には投票せんぞ!
(現在ワシの住民票は高知にあるもんで)

ま、ええわ。
どうせワシは明日には北京に帰る。
ひとえに選手たちのことを想んぱかるのみである。

「まあみんな、気ぃ落とすなよ。
野球を愛してるんやったら、
きっとどっかでずーっと野球が出来る。
それだけはワシが保障する」


金のない奴は俺んとこへ来い!
俺もないけど心配するな!

----------------------------------------------------------------------

「よさこいランナー」発売中!
http://www.global-twist.com/CICADAPEAKS/YOSAKOI/index.html

「これが1枚売れたら選手たちの生活が少し潤う」
がスローガンやったが、
1枚売れたところで球団が存続すると言うほど影響力はない(涙)。


Posted by ファンキー末吉 at:06:03

2007年09月02日

始球式

よさこいランナーがついに製品となって発売された。

YosakoiRunnerJacket.jpg

一応高知限定販売なのだがここで通販で購入も出来る。


この楽曲は四国アイランドリーグ高知ファイティングドッグスの応援歌となっているのだが、
この高知ファイティングドッグスの選手達の生活こそ「ロック」である!

マイナーリーグなので給料がそんなに出るわけでもなく、
地域密着なので時には農家にも出向き田植を手伝う。
当然ながらこのよさこいランナーのプロモーションにも駆り出される。

街に出て一緒にチラシを配る。
そのついでに配るのはホームグラウンドである高知での試合のチケット。
当然ながらワシもその試合に行かないわけにはいかない。

夏休みももう残り少なくなった8月30日。
子供を誘ったら「暑いから」と断られ、
高知在住の友人には「仕事だから」と断られ、
ワシは結局ひとりでその会場に駆けつけた。

アナウンサーが選手を紹介し、
スポンサーを紹介し終わった時、
「それでは始球式を開始したいと思います」

なんと始球式のボールを投げるのはワシだったのじゃ!!!

恐ろしいことである。
野球など中学校以来したこともなく、
基本的にテレビで流れる試合なども見たことがない。

そんな人間が始球式なんぞ・・・
・・・ってそれよりマウンドからキャッチャーまでボールが届くのか・・・

Shikyushiki.JPG

山ボールのクソボールを、
お約束のようにバッターは空振りしてくれる。

「ストライク!!」

審判が景気よくそう叫んでから試合が始まる。

そして今度は本物のピッチャーが投げる。
当然のように速さが全然違う。
「手前で伸びる」と言うが、
物を投げて放物線にならないと言うのはそもそも物理の法則に反しとる!!

「やっぱ本物は違うなぁ・・・」
感心することしきりのワシに球団関係者がぼそっとつぶやく。
「これだけ投げられてもプロになれないんだから
プロ野球っつうのはそれだけ物凄いっつうことですよ・・・」

いえいえ、彼らは少しでも給料もらって野球やってんだから立派なプロですよ。
現にこうしてワシを感動させてくれてるんやし・・・

思えばワシらアマチュアの頃は「お金払って」バンドをやってた。
「プロになって」とか言うが、
その実どこまでがプロなのかどこまでがアマチュアなのかもはっきりしていない。

音楽は彼らスポーツの世界に比べてどれだけ甘い世界なんだろう・・・
ドラムが下手でも歌が下手でも、
ある別の条件を満たせばその人たちはスターダムに登り詰めることができる。

しかしスポーツはそう言う意味では「結果」が全てである。
球を投げてどれだけ速いか、
走ってどれだけ速いか、
飛んでどれだけ高いか、
それだけが全てであり、
コネがあっても金があっても、
どんなバックアップがあっても役に立たない。

聞いた話によると、あの松坂の弟がこの四国アイランドリーグにいるらしい。
兄貴があれで自分がこれだとかなり精神的に大変だと想像するが、
ワシはきっと彼は「野球を愛してる」からこそここで生きているのだと思う。

素晴らしい奴らである。
ワシは金がたまったらこいつら全員にカツオのタタキを腹いっぱい食わせてやるぞ!
そう心に誓って球場を後にした。

ちなみにこの日の高知対香川、
1対10で高知の惨敗であった。

頑張れ高知ファイティングドッグス
ワシがついとるぞ!


PS.
このCDが1枚売れれば、
それだけ球団が潤い、
選手達が潤い、
地域が潤い、
そして世界が平和になる。

みなさん世界平和のために是非このCDを(出来れば球場に行って)購入して欲しい。

Posted by ファンキー末吉 at:09:16

2007年08月27日

夏祭り

40度を超える北京の夏を避けて日本に帰って来たら、
からっとした北京よりも更に暑い日本の夏が待っていた。

香川県坂出市で生まれ育ったワシじゃが、
今は実家は高知に移ってしまい、
とんと御無沙汰じゃったこの街に今回縁あって久しぶりに行って来た。

これがワシの昔の実家のビルである。

Heiwaen.jpg


「平和園」と言う中華料理屋の3階で生まれ、
そしてこの3階の部屋にドラムやアンプを持ち込んでロックをやり、
「親の神経を疑います」
と言う名無しの苦情ハガキが来て親が泣き、
「平和園のドラムス子」と近所中から陰口を叩かれながら
最後には追い出されるようにこの街を出た。

言わばこのビルのこの部屋こそが、
後に世界を震撼させる(まだ全然させてないが)「ファンキー末吉」の原点であると言って過言ではない!

ワシが死んだ後にはヒデのようにミュージアムでも作ってくれる・・・と言う話もなく、
跡取りがこうなってしまったので人手に渡って今にいたるこのビルは、
今となってはただただ朽ち果てるのを待つのみのビルである。
(ちと寂しくもあり・・・)


そしてこの日はおりしも「坂出祭り」の日であった。

SakaideMatsuri.jpg

懐かしい。
うちなんぞ商店街のど真ん中だったので、
踊りを踊ればうちの前、
出店が出ればうちの前、
「あの頃はこの街も活気があったなぁ・・・」
と感傷に浸ることしきり。

感傷と言えば当然「初恋の人」である。
(ようわからんが・・・)

どれを「初恋」とするかはその人の考え方によるのであろうが、
記憶の糸をたどってみるに、
小学校の頃好きだった女の子の名前は、
同じクラスの「筒井さん」、そして「川井英津子」さん。
(よう覚えとるなぁ・・・)
実名を出してよいものなのかと言う考えも脳裏をかすめながらも、
どちらかと言うと下の名前まで覚えている「川井英津子」さんの方が
小学生ながら「本気」だったのであろうとも考えられるが、
私にとってはその後、中学3年間ずーっと片思いだった「岸本浩子」さんこそが、
言わば私の青春の思い出と言うか、
いわゆる少年期のプラトニックな「初恋」と呼べる女性であったと言って過言はなかろう。
(その後「Iさん」と言う実質の初恋と出会う前の甘酸っぱい思い出である)

そして、「祭り」と言うとやはり「恋」である。
(ようわからんが・・・)
踊りを踊る若いお姉ちゃん達、
そしてそれを見に来る浴衣姿のお姉ちゃん達の中から
無意識に初恋の人、「岸本浩子」さんを探してしまうワシのことを誰が咎めることが出来よう・・・
(嫁が知ったらきっとむっちゃくちゃ咎めるであろうが・・・)

かくしてワシは大きな間違いに気づく。
我が初恋の君は、ワシの頭の中では永遠に中学生。
つまり48歳の中年の眼が追っているのは実は全て「女子中学生」の姿・・・
これでは我が初恋の人を捜しあてられるわけはない。

そんな中、商店街で眼鏡をかけたオバハンから声をかけられる。
「末吉くん!なんしょーん?(何してる?の讃岐弁)帰って来とるんな!」
見たこともないオバハンであるが、
「わからんの?私やがな!同級生のTやがな!」
と言われてみれば確かに面影がある。
小学生の同級生は既にオバハンなのである。
ましてや我が初恋の人や如何である・・・

かくしてワシは生れ故郷の坂出を後にした。
初恋の君は永遠にワシの心の中ではあの姿で封印したい。


今度は子供の小学校で「江ノ口祭り」と言うお祭りが開かれると言うので呼ばれて行って来た。

いわゆる村祭りなのだが、
祭りをやる場所がどんどん少なくなっている昨今、
こうして小学校を「祭りの場所」とすることも少なくないと聞く。

行ってみれば何のことはない、
学校の施設を飲み屋に代えた「ご近所さんの飲み会」である。

EnokuchiTaiikukan.jpg

よさこい鳴子音頭を踊る町内会の人々、
そしてそれを見るでもなくひたすら飲み続ける町内の人々、
さしずめ江ノ口小学校の体育館は、
「酔いどれの館」よろしく変な盛り上がりを呈しているのである。

そんな中、父兄の有志の中から結成された「父兄バンド」に交じって2曲ほどドラムを叩く!

EnokuchiMatsuriStage.jpg

拍手をする人がいるでもなく、
まともに聞いてる人がいるでもなく、
「世界のファンキー末吉(そこまで行ってない確固たる証明であるが)」のドラム演奏は
こうして幕を閉じた。

PTAから、
そして出演者の父兄バンドのメンバーからお礼のビールをほおばりながら、
「これでいいのだ!」
とむしろ迷いはない!

「やっぱドラム、違いますねぇ!全然違いますよ!」
と酔いどれから握手をされながらも
「まあ違わなければワシ・・・何する人ぞ・・・」
と笑顔で返すほど大人になった。

結構この日のビールも旨かった。

「これでいいのだ!」

Posted by ファンキー末吉 at:16:33

2006年12月31日

酒とタタキと温泉と

全ての仕事をぶっちして高知の温泉に来ている。
桂浜のほとりの小高い丘の上にある桂浜荘と言う宿泊施設である。

(桂浜から見た桂浜荘)
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この旅館は何故か説明書から店内の注意書きまで全て土佐弁で、土地の者以外の宿泊者にちゃんと意味が通じるのかどうかが不安ではあるが、

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展望風呂や客室からは太平洋が一望でき、水平線から昇る朝日や、足摺岬に沈む夕日を見ることが出来る。
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絶景かな絶景かな・・・

晩飯にはやはりカツオのタタキは欠かせない。
日本ではノロウィルスと言うのが流行っていて、最近は生モノを口にするのも命がけと言う噂じゃが、ここ高知ではそんなことを気にするヤツはいない!(ほんまか?)
命を落とそうが、晩飯にはやはりタタキである。
カツオのタタキはもちろんのこと、クジラのタタキまで出てくる始末。
アメリカの動物愛護協会が何を言って来ようが、「おらんくの池に泳ぎゆう潮吹く魚」を食うなと言ってもここの人達には馬の耳に念仏である。

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さて、タタキと言えばやはり日本酒!
土佐鶴やら土佐菊水やら、さすがは酒飲み王国!土佐にもいろいろ名酒は数多いが、今回はまた物凄い酒を発見した。

その名も「土佐宇宙酒」!!

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いやー物凄い話である。
「てんくろう会」と言う団体が数年がかりで実現させた、ロシアの宇宙船ソユーズに酵母を乗せ、宇宙空間で数日寝かせたその酵母で酒を造ると言う壮大なプロジェクト。
「てんくろう」と言うのは「天喰らう」、すなわち「大ぼら吹き」と言う意味なのだが、そのスケールの大きさとアホさあることは加減は全国、いや世界一であることはゆるぎなき事実であろう。

第一、酵母を宇宙に持って行って何かええことあんのん?!
コストもべらぼうにかかり、このプロジェクトは絶対に成功しないと言われてたところ、この酒が今年売れに売れた!
まあ新し物好きの高知の県民性もあろうが、何せ「飽き易い」と言うことにかけても世界一であるここでヒット商品を作ろうと思ったら至難の技である。

成功した一番の原因は「飲んでみたら意外とおいしかった」と言うなんとシンプルなその理由!
酵母を宇宙空間で寝かしたところで何も味が変わることはなさそうなもんじゃが、各酒蔵がそれを持ち帰り、遊び心よろしく真剣に宇宙への夢を込めて丹念に地酒を作ったところが成功の原因であったに違いない。

この土佐宇宙酒、いろんな銘柄が既に発売しているが、年越しに至っては全ての銘柄を飲み干し、宇宙への夢でも見ながら酔いつぶれてみるのも一興である。

さて、狭い北京にも住み飽きた。
来年は宇宙にでも出て見るか!!
(出えへん!出えへん!)

Posted by ファンキー末吉 at:19:07

2006年08月15日

よさこい祭りより帰国

よさこい祭りとは高知が、いや日本が世界に誇るべきお祭りである。
言うならば「リオのカーニバル」のようなものである。

にわか知識でその歴史を説明すると、もともとは高知県が徳島の阿波踊りに対抗する何かを作ろうと言う村おこしイベントの一環であったと言う。
そして武政英策さんと言う地元の音楽家に楽曲を発注した。
それが「よさこい鳴子踊り」、いわゆる「よさこい節」である。

よっちょれよ よっちょれよ
よっちょれ よちょれ・よっちょれよ
よっちょれ よちょれ・よっちょれよ 
高知の城下へ 来てみいや(ソレ) 
じんばも ばんばも よう踊る よう踊る 
鳴子両手に よう踊る よう踊る

まあ阿波踊りの「踊る阿呆に見る阿呆、同じアホなら踊らにゃ損損」に比べるとインパクトが少ないが、この後に続く歌詞が実は絶品なのである。


土佐のー(ヨイヤサノ サノ サノ) 
高知のはりまや橋で (ヨイヤサノ サノ サノ)
坊さん かんざし買うをみた(ソレ)
よさこい よさこい(ホイ ホイ)

これは実在の悲恋の物語をもとにして作られたと言う。

安政2年(1855)五台山竹林寺の脇坊、南の坊の 僧「純信」が、高知城下の鋳掛け屋の娘「お馬」を好きになり、はりまや橋のたもとの 小間物屋でかんざしを買い与えたのが、いつのまにか
おかしなことよな はりまや橋で 坊さんかんざし 買いよった ヨサコイ ヨサコイ
と歌で歌われ有名になってしまい、いたたまれなくなった二人は駆け落ちしたが捕らえられ、破戒と番所破りの罪で城下の三カ所でさらし者にされたのち、純信は国外へ(現愛媛県川之江)、お馬は仁淀川以西に追放されたと言う悲恋の物語である。

坊さんやって恋をする!
型破りな県民性の高知県人ならではの素敵な物語やと思わんか?
そしてそれに続く、

言うたちいかんちゃ おらんくの池にゃ
潮(しお)吹く魚が 泳ぎよる
ヨサコイ ヨサコイ

と言うのも高知県人らしい。
太平洋はおまんく(お前んとこ)の池かい!
鯨はおまん(お前)が飼うちゅうがかえ!
と突っ込みたくなる素敵な歌詞である。

ともあれ曲は出来た。
後は踊りを作ればいいのじゃが、思えば何かイベントを代表するようないい小道具はないものか・・・
「素手の阿波踊りに対抗してこっちは小道具使って踊ろう!」
と言うことで作られたのが「鳴子

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ワシの子供が高知の幼稚園に通っていて、その運動会でも最後には鳴子を持って踊るのだから、今では高知を代表する民族楽器なのであるが、実は打楽器奏者から言わせてもらえば、この楽器の演奏性たるや最低である。
木の板の表裏に3枚の木切れがくっついているんだから、振り上げようが振り落とそうがガチャガチャとウルサイ!
両面にあるんだから音の切れは最悪!!
さすがはスタッフが愛人とセックスしててタンスがカタカタ揺れるのを見て考えついたと言われているだけのことはある・・・(これ本当!・・・らしい・・・)

さてこうして始まったよさこい祭り、当初は「正調よさこい鳴子踊り」に合わせて決められた踊りを踊るだけの祭りだったのであるが、70年代に入ってからそれが大きく様変わりしだした。
高知が誇る伝説のアマチュアバンド「トラベリンバンド」が、トレーラーにバンドの機材を乗せ、よさこい節とは似ても似つかない奇妙な音楽を演奏しながら、踊り子達はそれに合わせて自由な振り付けで奇妙なな踊りを踊ったのである。
新しもの好きの高知の若者は狂喜乱舞し、頭の固い大人達は顔をしかめ、後にこれが「ロック」だと初めて知った。

香川県で生まれ育ったワシも、高校の頃このトラベリンバンドの噂はよく聞いた。
後にも先にも高知の大ホールを満杯にするアマチュアバンドは彼らだけであろう。

伝説によると、ベースの堀田さんのおばあさんはいわゆる「土佐のはちきん(男も顔負けの高知女性の気質をこう言う)」で、孫が学校もサボって音楽ばっかりやりゆうきと言うことで、
おまん、何がやりたいがか?音楽やりたいがやったら音楽だけやり!他のことは金輪際せんでえい!」
と、自分のところのみかん山のみかん小屋にバンド一同を放り込み、実際バンドは朝から晩までバンドばっかりやりよったと言う話である。

かくして次の年からはトラックに演奏機材を積んでよさこいに参加するグループが続出し、委員会はその対応に右往左往することとなる。
何せトラベリンバンドはツインドラム、ツインギターのバンドである。
音量とて半端じゃない!
バカでかいトレーラーにバカでかい音響機材を積み込んで、トレーラーのステージは横からしか見えないと言うことで、踊り子に向けてトレーラーを蛇行しながら運転するんだからキチガイ沙汰である。
当時はこんなキチガイが現れようなどと考えもしなかったので、よさこい祭りの参加条件はただ「鳴子を持って踊る」だけじゃったが、今では「地方車(じかたしゃと読む)の大きさは4トンまで」、「音楽には必ずよさこい節の一節を入れること」など規則が出来ている。

さてよさこい祭りが路上ロックフェスティバルだった時代から数十年。
サンバやヒュージョン、演歌やトランスまでありとあらゆるジャンルまで時代と共に流行は変わりゆき、ここ最近は三味線や日本太鼓などを取り入れた和風モノが主流なようです。
今年も三味線の上妻宏光さんも地方車に乗ってました。

まあ去年は二井原実を送り込み、ヘビーメタルをシャウトしまくってたなんてのは時代錯誤もはなはだしい邪道中の邪道でしょう。
そして今年はサンプラザ中野による「よさこいランナー」。
私も地方車に乗ってドラムを叩きました!!

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ちなみにドラムの前にある発砲スチールの箱は高知名物カツオのタタキを冷やしているわけではない。
もちろんビールである。
飲んでもすぐ汗で出て行ってしまう・・・

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ベースを弾きまくる和佐田

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熱唱する中野

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踊る踊り子(我がチームの今年のコンセプトはチアガール)

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狂喜乱舞する観客

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そしてフィナーレは全員で踊り狂う

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邪道万歳!である。
来年も参加したいもんだ。

photo by 「kaori@高知」

ps.よさこいランナーの音源は下記にUPしておきます。
これを聞きながら盛り上がりを想像してちょ。
https://www.funkycorp.jp/funky/Yosakoi/

Posted by ファンキー末吉 at:05:29

2004年11月30日

成田の風呂にて・・・またアメリカに飛ぶアホな生活・・・

成田の風呂にて・・・

そうそう、あまり知られてないが、成田空港には風呂があるのじゃよ。
チェックインしてイミグレーションも通ったその向こうだから知っている人は少ないが、
リラクゼイションルームたら何たら書いてあって、シャワールームから仮眠室まである。

一度、日本から北京に向かう時、身体が臭くてどうしようもないので(毎度のことじゃが)、
時間ぎりぎりではあるがここでシャワーを浴びてから飛行機に乗ったことがある。
30分500円で、まあいわゆる往年のコインシャワーみたいなもんじゃが、
ここで仮眠室を取って仮眠したり、そんなぁワシら2時間前しかチェックイン出来ないのに
どこの誰がそんなもん使うんかと思ってたら、
よく考えたらトランジットで時間が余った人が使うのね・・・

そうなのじゃ、ワシは今回は帰国のためでもなく、出国のためでもなく、
北京からアメリカへのトランジットのために成田にいる。
だから今回はこのシャワールームのバスタブにお湯を入れ、
こうしてゆっくり漬かりながら考え事をしていると言うわけだ。

ここ数ヶ月はほんま寝るヒマもないほど忙しかったが、
それも本当は昨日で全部終わるはずだった。

日本から米倉利紀と言う歌手が北京に来て、陳琳と一緒にライブをやると言うので、
ワシはそのバックバンドのリーダーとして、ライブアレンジをして全ての譜面を起こし、
メンバーを集め、リハを数日やって歌手が来るまで万全の体制で待ち、
歌手よりも早く現場に入り、歌手よりも遅く現場を後にする。
これ、ミュージシャンの生きる様である。

大変だった零点(ゼロポイント)のレコーディングはワシの担当部分は全て終わり、
予算削減のためなのか何なのか、キーボードの部分は例の新しいシステム
(関連ネタ:https://www.funkycorp.jp/funky/ML/102.html)
を使ってワシ自身で全部作ることになってまた数日徹夜した。
何せ何万色も音色があるのである。1音色選ぶだけで半日かかってしまうのである・・・

その後は米倉利紀の譜面を書く。
陳琳とのクリスマスソングのデュエットもあるのでそのアレンジもする。
リハが始まるまでには終わらせねばならないので、
言うならばリハが始まりさえすれば後はドラムを叩くだけ、
つまりワシの仕事はほとんど終わったも同然である。
ええ生活じゃ。スティック持ってリハ会場に行き、ドラムだけ叩いて帰って来る・・・

昼間リハをやりつつ、
ちと心配なので帰りには零点(ゼロポイント)の歌入れにも顔を出す。
でもまあワシに何が出来るわけでもないから遊んでるだけじゃが・・・

「ファンキー・・・TDどうしようなあ・・・」
相談を受けるが、まあ今回は予算もないと言うし、
国内のエンジニアを数人使ってやると言うことになっているのでそれも「お任せ」である。
バブルの真っ只中の中国、
最近は台湾からも著名なミュージシャンやエンジニアが移住して来ているので
人材には困らないはずである。
「優秀なエンジニアはいることはいるが、
やっぱ前回のウェイン・デイヴィスにはかなわんのう・・・」
メンバーも懐かしそうに言う・・・
「でも今回は予算もないしのう・・・」

「ヒマやったらまけてくれるかも知れんし、聞いてみよか?」
口が滑ってそう言ったがためにこうなってしまった。
1曲だけ頼もうか、いや、そしたら他の曲とのサウンドの差がつきすぎる。
やるんなら全曲。やらんのなら1曲もやらん!
歌のMixのディレクションはどうする?
会社は移籍したばっかりやから絶対自分たちでやりたがるぞ。
予算はどうする。ディスカウントしてくれたと言うても国内の倍はかかるぞ・・・

それから数日、彼らと会社との間ですったもんだもめることとなるが、
メンバーもこれ以上予算を使いたくないと言う雰囲気、
まあ国内でやろうじゃないのと決まりかけていたその中、
とあるメンバーが突然机を叩いて立ち上がった。

「うだうだ言うな!ほな金は全部俺が個人で出す!そしたら文句ないじゃろ!
全曲アメリカでやる!それでええな!」

侍である・・・いや、立派なアホである・・・
そしてワシのアメリカ行きが決まった。
何せ今からデータを全部整理してFTPにUPしてアメリカでダウンロードするより、
ワシが今からハードディスクを担いでアメリカに飛んだ方が早いのである。

ひえぇーーーっとばかり、さっそくチケットをブッキングする。
「明後日のLA行き1枚お願いします」
っつうんだからチケット会社もびっくりする。
「ビザの方は問題ありませんよね」
と聞かれ、「日本人はビザ要りまへんがな」と言おうとして思い出した。
ワシのパスポートは北京で更新し、北京の日本大使館で発行したので、
これは日本で発行したのと違い、機械で読み取れず、
テロ対策でやっきなアメリカにこのパスポートで行くのにはビザが必要なのである。

大使館に問い合わせる。
「今年の10月以降、もしこのパスポートでまだ1度もアメリカに行ってないないなら、
今回に限りビザなしでアメリカに行けます。
入国の時、スタンプを押されてしまうので、そうしたら次回からはビザが必要です」
とのことでとりあえず胸をなでおろすが、
世界中どこにでも行けるはずの日本のパスポートがこれでは不便すぎる。
次に日本に行ったら是非日本で再発行することにしよう。

チケットもビザも問題ないとしたら、後はワシの仕事のスケジュールである。
12月6日に、また許魏(シューウェイ)と言うシンガーのバックがあるので、
リハの始まる3日までに戻ってくればよいが、
問題はワシがまたその譜面を書かねばならないことである。
徹夜で譜面書いて、そのまま米倉利紀のリハに行く。
もう翌日はライブと言うその日、リハが終わったらそのまま会場にてサウンドチェック、
夜中までそれをやって翌日は朝8時からリハと言うので、
こりゃヘタしたら帰れまいと言うことで着替えや荷物等を用意する。
一応そのままアメリカ行けるように荷物を用意してゆくところがワシであるが、
案の定それが役に立つこととなる。

サウンドチェック終了後、そのまま会場の近くでホテルを探す。
シャワーも浴びず、4時間だけ仮眠を取ってまた会場へ・・・
通訳代わりにバンドの控え室ではなく、米倉利紀のゲスト楽屋に詰めてろと言われるが、
このソファーが気持ちよくて、通訳もせず、つい爆睡してしまう・・・

ライブは無事に終わり、機材等を片付けて打ち上げに向かうが、
その中でワシの電話はひっきりなしに鳴る。
零点(ゼロポイント)が最終的なデータの整理をしているのである。

打ち上げ終了後、そのままスタジオに行き、
朝ぎりぎりまでデータを整理し、出来たデータを持ってそのまま飛行場に行き、
そして成田で4時間トランジット・・・

いい湯だな、ははん・・・

風呂に入るのも数日振りじゃが、湯船に入るのは数週間ぶり、
4時間もあればよよいのよい。
いろいろ考えるにアメリカでの支払いはどうする?
見れば日本円がこんなに高いではないか・・・

スタジオで零点(ゼロポイント)にどさっと人民元の札束を渡されるが、
こんなもん持って税関通るわけにもいかんし、
何より中国では闇両替じゃないとドルに換えられん。
今は成田やアメリカでも換えられるがレートが安い。
いつものように日本から美人秘書に送金させても手数料が結構高い。

そうか!4時間もあったら外に出て、
つまり日本に入国して、キャッシュカードでありったけの現金を引き出し、
それをドルに換えて持って行けば一番ええんとちゃうのん!

風呂から飛び出てイミグレーションに並ぶ。
外に出たら、と言うより入国したらどこにキャッシュサービスがあるかは覚えている。
いつも着いたら日本円おろしているからである。

ありったけの額をおろそうとして愕然となる・・・
「残高4700円」・・・
これが45歳の一家の主の口座の残高か・・・

日本の携帯を取り出して電源を入れ、片っ端から電話する。
「誰か今から成田に50万ほど持って来てくれんか・・・」

誰も相手にしてくれないのでコンビニで歯ブラシと髭剃りを買って、また中に入る。
・・・と言うよりもう一度出国する。

また同じシャワールームに戻って来て風呂にお湯を入れ、
「いい湯だな、ははん・・・」

しまったぁ・・・入浴剤もついでに買って来るんじゃったぁ・・・

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:15:35

2004年03月25日

おかしいぞ!ニッポン!

数ヶ月ぶりに日本に帰ってきて、
T銀行をインターネットバンキング出来るようにしようと登録していたがまるで使えない。
「どうなっとるんですか」
帰国したついでに銀行に電話で問い合わせるが答えてくれない。
「お届けの住所をお願いします」
ワシ・・・もうどの住所かわからんがな・・・
「どの住所ですかねえ・・・品川区小山?それとも荏原?それとも東五反田?」
歴代の住所をうろ覚えで言うのだが、
ちょっとでも間違っているとそれで本人認証が出来ないことになり話を聞いてくれない。
「登録の電話番号をどうぞ」
宿無し生活数年、電話なんてとっくに解約し、歴代の電話番号などもう覚えていない。
「お電話番号がなければご本人様だと認証出来ませんのでお答えできません」

お前はコンピュータか!

高知に帰ったら厳格な母Kが、
「あんた生命保険でまた借金したん?」
と鬼のような形相で迫ってくる。
見るとN生命から借入額返済の振込用紙が届いている。名義はワシ名義である。
「あのう・・・借りた覚えがない借入金なんですけど・・・」
N生命の代表番号にかけると本社につながる。
「ご本人様で御座いますか?」
またここで面倒な本人認証が始まる。
「ワシ・・・そもそも生命保険かけた覚えがないんですけど・・・」
調べてみると母がワシ名義でかけているのである。
「ほなおふくろ、あんた電話しなよ」
めんどくさいので受話器を渡すと、
「ご本人様じゃないとお答えするわけにいきません」
と来る。

「ごちゃごちゃ言うとったら解約するぞ!責任者出せ!」

調べて見るとこれは、ワシの子供たちのための保険で、
幼稚園に入学したり、小学校に入学したりしたらお祝い金が出ると言う。
母は送られてきたキャッシュカードでそのお祝い金を引き出したところ、
それは実はその生命保険で借り入れできるローンカードであったのだ。

「そんなもんうちのおかんが知るかいな!わかるわけないやないん!
んなもんワシは借金とは認めんぞ!お祝い金を引き出したんじゃ!
そのように処理しとけ!」
頭に来てそう言うが、電話の向うでは機械のように冷静に答えて来る。
「いえ、確かにローンカードでご自分でお借り入れしてますので、
これは法律上でもお借り入れとなり、ご返済して頂かなければなりません」

「んなもん知るかい!
返して欲しかったらそのお祝い金とやらを先に払ってそれで相殺せい!」
こちらが熱くなっても向うはいつまでも冷静である。
「ではお祝い金のお受け取りをなさると言うことですね。
それでは手続きをしますが、それは本人様でないと無理ですがよろしいでしょうか」
ワシ・・・それほどヒマじゃないんですけど・・・
「あのう・・・母が私名義でかけたんで母が手続きするでええんでないでしょうか・・・」
「いえ、ご本人様でないとお受けできないことになっております」
「かけた本人は母なんですけど・・・」
「名義人は覚様になってますので」
「でもそちらとしてはどっちが手続きしたかはわからんでしょ」
「いえ、ご本人様がいらっしゃらないともうお聞きしましたので
もう書類をお送りするわけにはいきません」

お前は中国のお役所か!

沖縄ライブのため羽田空港集合。
BOW WOWとXYZのメンバー、そして家族、スタッフ一同総勢16人の大所帯である。
見れば荷物を預けているスタッフが何やらもめている。

「重量オーバーだそうなんです。16万も超過料金取られるとか・・・」
んなもん、行くだけで赤字やがな!
「ちょっとあんた!」
よせばいいのにまたワシがしゃしゃり出てゆく。
「同じメンバーで札幌行った時は同じ機材で全然オーバーせんかったのに何でやねん!」
受付のスタッフは非常に冷静である。
「はい、他の旅行会社様の重量と私どもとは違いますから」
んなわけあるかい!日本の2大航空会社の手荷物制限重量がそんなに違うんかい!
「ほなしゃーない!小さいやつは手荷物で持って入りますわ」
てきぱきと指示をするワシを制止する受付のスタッフ。
「手荷物持込はひとつまでとなってますので・・・」
「ひとりひとつまででしょ。ほな16人やから16個降ろしまひょ」
「それは無理です。お客様は既に一個バッグを背中に背負ってらっしゃいますでしょ。
お一人様ひとつまでですのでもう持ち込むことは出来ません」

んなこと言うたっていつも持ち込んでますがな・・・

そう言えばある時、北京に運ぶ荷物が重量オーバーで、
中の小荷物を取り出そうとした時同じことを言われた。
「はいはいそうですか」
とばかりワシは荷物を引き上げ、外で中の小荷物を引っ張り出し、
別のカウンターでチェックイン。
見事に重量パス。しかも誰も手荷物がふたつだとか咎めない。
現実ハンドバッグやポシェットとか言い出すとほとんどの人が手荷物2個以上なので、
そう言う規則はあってもそれを誰もチェックしないのである。

「なあ、お姉さん。規則はわかる。
ほな今から自分の今の手荷物全部捨てるわ。持って入らへん。
ほんまやで。持って入りません!ほなこの荷物、持ち込み荷物に出来ますな」
ああ言えばこう言う。中国語で「上に政策あれば下に対策あり」。
「手荷物にも重量制限がありますからお持込は出来ません」
結局サブのギターとかスネアとかを下ろして荷物を減らす。
ブーブー言う係員の制止を振り払い、小さい荷物を手荷物で持ち込む。
それでも重量オーバーで10万円取られているのである。

沖縄の空港について係員に噛み付いた。
「ちょっと見て下さい。これが16人で10万円もオーバーしてる荷物ですか!」
重量を測りなおしてもらう。
見事に重量パス。
10万円返せーーーー!!!

もうこんな国イヤ!

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:15:55

2002年02月07日

サウナでテレビはアカンわぁ・・・死ぬかと思た・・・

大阪に来ている。
寝床はいつもように守口の大村亭である。

夕べは京都からの帰りに天下一品(てんいち)のラーメン。
一昨日はホルモンの「へんこつや」
昼間はお好み焼き、と胃が休まる暇もない。
デラックス銭湯「摂津の湯」で体重を量ったら、確実に1kg太っていた。

こっちに来ると風呂三昧である。
昨日も朝一番で「摂津の湯」に行き、
レコーディングの合間ではスタジオ近くの温泉銭湯に行っている。

今回はその銭湯でのお話。


もともと今回の関西入りはふたつの目的がある。
ひとつは16日にバナナホールで行われるXYZレコード祭りのプロモーション。
もうひとつは「三井はんと大村はん」のレコーディング。
大の阪神ファンの三井はんのたっての願いにより、
4月からの開幕に向けて阪神の応援歌を発売するのだ。

プロモーションの方は朝から晩までラジオ等メディアで告知。
今日も午後から三井はんの持つKBS京都の生放送で喋りまくる。

「一応ワシ、街を歩けば
中国語の先生や言うてジジババに囲まれる有名人でっせ。
それをマネージャーもつけず、
XYZのTDのスタジオから直で夜行バスに放り込まれ、
自力で放送局まで行ってこうしてプロモーションし、
ついでにこうしてXYZの新曲かけさせてもろて、
あ、ええ曲でっしゃろ、これ。すんごいバンドでっしゃろ、ほんま。
今度大阪でライブやりまっせ!
16日のバナナホール、みなさん来ておくんなはれや。
こうして夜行バスで来て、こうしてプロモーションさせてもろて、
こうしてラジオ聞いてくれてはる人が6人、
6人の人がチケット買うてくれて初めて、この夜行バスの往復運賃が出まんねん。
そうでんねん、うちの会社。
お前もええ年こいた大人なんやからひとりで行けるやろ、
ひとりで行ってチケット売って、そいでその金で帰って来い!言いまんねん。
今からチケット買うてくれなワシ、もう帰りのチケット買えまへんねん。
16日バナナホールでっせ。
XYZレコードのいろんなアーティスト出まっせ。
XYZ、五星旗、ファンキー松田、秋人、がっしゃん、
後藤ゆうぞう、三井はんと大村はん、
四国からはROCOCOっつうアイドルまで来ますがな。
何、ジャンルがむちゃくちゃや?
そうでんねん。うちのレーベル、むちゃくちゃでんねん。音楽ポリシーなし!
共通点はみんなワシの友達。ツレっつうだけや。
おもろそうやなあ、俺のCDも出してくれや。ほなやろか。それだけでんがな。
そのおかげでこうして夜行バス乗せられて大阪来てます。は、は、は。
チケット買うておくんなはれや」

もうワシ、プロモーションマシンである。
どの番組に出ても、それがどんな番組であろうと言うことは同じ。
特に生放送やと少しでも長く居座ったが勝ちなので、
アナウンサーに喋る隙間も与えまへん。
でも頭ん中ではちゃんと計算してて、
XYZのシングル、「PURE」だけは回す時間は残しとくんですな。
そしたらお別れに1コーラスだけでもかかりまっしゃろ。
その後、番組の後ろの何のコーナー潰れてもワシには関係おまへん。
宣伝出来て、シングル回せたらそれでええんです。
これ、すなわち関西式プロモーション。

こうして6枚チケット売ったらもとが取れると言いながら、
そのついでにちゃっかりレコーディングまでやる。
これ、すなわちXYZ商法。


スタジオは京都のタウンハウススタジオ。
朝からデラックス銭湯行って、昼からわさわさ集まってみると、
全然関係ないのに後藤ゆうぞうはんが来ている。
「久しぶりでんなあ、メシでも食いに行きます?」
おいおい、レコーディングは?! である。
これ、中国と同じ。

昼からビール飲みながら、
「そうでっか。CD出すんでっか。
元ネーネーズの人たちと。そりゃよろしゅおまんなあ」
うちのレーベルは別に誰とも契約書を交わしたりしてるわけではないので、
別に1枚うちで出して、次にどこから出そうが勝手である。
ワシ自身が昔、大レコード会社との契約でもめて辛い思いをしたので、
他の人に同じことをやりたくない。それだけである。
こうして楽しく酒が飲めればそれでいい。


スタジオではひとり、大村はんが一生懸命ギターを録音している。
クリックなどと合わせてちゃんと録ったことがないので苦労している。
「機械がワシのプレイに合わせてくれんから大変でんねん」
お前が合わせよ!!

スタジオに戻って酒臭い息で、
「ほな仮歌入れまひょか」
あの世界の二井原実に、
「別に音程が悪いわけでもリズムが悪いわけでもないんやけど、
ファンキーの歌は何か・・・歌やないなあ・・・」
と言わしめさせた噂の仮歌ボイスである。

とっとと北京に帰っても残りの作業がやりやすいように、
なるだけ完成形が見えやすいように効果音まで入れておく。
「仮アナウンス入れます。別チャンネル用意して下さい。ほな行きまっせ」
天下の阪神タイガースである。
実際に使われた名場面のアナウンスの使用許可が取れるかどうかわからない。
いざとなったらアナウンスもそれらしく録音する必要があるので、
仮にこんな感じだと入れておくのだ。
猛虎会の方々にも来てもらって歓声も入れてもらおうと思っているので、
ひとり二役でアナウンスと歓声と両方入れる。
打ったぁ!大きい!ドンドンドン!
太鼓の音まで口で入れる。
「おもろいやないかい!」
いつの間にやらそれが本チャンになってしまった。
ええんかい!

あっと言う間に1曲録り終わり、
カップリングの「加古川の男 第31話〜タイガース編〜」
1作目に第4話まで収録したギャグソングの続編である。
「こんなん自分らで勝手に録っとけ!」とばかりさっさと銭湯に繰り出す。
「いやー、銭湯通って40数年!銭湯やったら俺にまかせなはれ!」
わけのわからんこと言いながら後藤ゆうぞうはんもついて来る。
ゆうぞうはんは京都の風呂なしのアパートを、ついには全部屋借り切って、
家族4人と風呂なしの一軒家に住んでいる。
これ、ある種の贅沢!

スタジオの近くの温泉銭湯は非常にいかした銭湯で、
銭湯通って40数年のゆうぞうはんも、銭湯フェチの末吉も大満足。
サウナもついて、これで350円なのが申し分ない。
大村はんがいたら洗髪料の10円を払うか払わないかで
またひとギャグかますのだが、
今日はゆうぞうはんの妙なうんちくだけでさっさと入浴。

ワシはだいたい真っ先にサウナに入る。
乾いた肌がだんだん汗で湿ってゆく瞬間を楽しみたいからである。
風呂に先に入るとこの瞬間は味わえない。

サウナにはだいたいテレビがあって、
そこでサスペンスとか、先日など「名探偵コナン」をやっていて最悪だった。
ちょっと目を離すとトリックとかを見逃してしまうので、
ふーふー言いながらCMまで我慢せねばならない。
ワシ、風呂は大好きじゃがこらえ性がないのじゃよ・・・

今回は「見せます。芸能界のウラのウラ!」とか言う番組で、
岩井小百合がどうやってトップアイドルから転落したかを説明していた。
自分の芸能人生を折れ線グラフにして説明させるのである。
どん底のところを解説しているところで、
ひな壇で一緒に笑うゲストの人々の顔が抜かれる。
「マー坊さんやん!」
元クリスタルキングのハイトーンボーカル、田中昌之さんが出演している。

元たのきんトリオのよっちゃんこと野村義男と、
自称他称「男前」ことバーベQ和佐田とともに
「あ°しすたー(あにまるシスター)」と言うバンドを作って
XYZレコードからCDを出した。
ひょっとしてそのCDの宣伝するんとちゃうん!ゴールデンで・・・
XYZレコードとしては画期的である。
いきなりサウナから出れなくなった。
「さてゲストの方々にも自分の芸能人生を折れ線グラフにして頂きました。
さてこのグラフはどなたの書いたグラフでしょう!」
折れ線グラフのアップ。爆笑するゲストの顔が抜かれてCM・・・

ぶはー!・・・
息も絶え絶えに水風呂に飛び込む。
だいたいにしてそのようなゲストばかりなのでみんなどん底がある。
次はマー坊さんかと思いながらまたサウナに飛び込んでテレビにかじり付く。

「この方でした。アラジンの高原兄さん!」
ぶはー!・・・
息も絶え絶えにまた水風呂に飛び込む。
爆風スランプの前身バンド「爆風銃(バップガン)」で世界歌謡祭に出た時、
その年のグランプリを取ったのがアラジンの「完全無欠のロックンローラー」
ちなみにその時の司会は、坂本久とジュディーオングであった。
懐かしい・・・
思えばあそこでワシらがグランプリ取ってたら、
ワシがあそこに座ってて高原兄がサウナでそれを見てたんか・・・

思い出に浸っててマー坊さんを見逃したらことである。
XYZレコードの宣伝をゴールデンでやることなど滅多にありえん快挙である。
また思い切ってサウナに飛び込んでテレビにかじり付く。
「さて今度の折れ線グラフはどの方のでしょう!」
司会者が叫ぶ。ゲストの笑い顔が抜かれる。
CM!

ぶはー!・・・
息も絶え絶えにまた水風呂に飛び込む。
しかしテレビと言うのはまことにうまく作られている。
いいところで必ずCMが入り、
必ず次を見たくなるのである。
決死の思いでまたサウナに飛び込んでテレビにかじり付く。

見逃したらことなので、
わざわざCMの終り頃に早めにサウナに戻って来ているのに、
またテレビと言うのはCM前と同じことを
必ずCM明けにもダイジェストで流すのである。
「それはええから早う次に行かんかい!」
遠赤外線のおかげで、いくら水風呂に入ろうが身体は芯からぽかぽか。
サウナ室にちょっと入ればすぐ汗だくである。
「この折れ線グラフを書いてくれた方はこの方です。堀江淳さん!」

ぶはー!・・・
息も絶え絶えにまた水風呂に飛び込む。
堀江淳はええっつうねん。マー坊さんはまだかっつう話や・・・

気になるのでまたサウナ室に戻ってテレビにかじり付く。
画面ではマー坊さんが
「アラジンと堀江くんと俺とで一発屋トリオ言われてるんですよ」
一発屋はええから早うマー坊さん行かんかい!
「これに円広志が加われば・・・」

ぶはー!・・・
息も絶え絶えにまた水風呂に飛び込む。
円広志はええっつうねん!

そう言えばこの辺のヤマハの方々には昔可愛がってもらった。
当時サラリーマンが40万借金すると首を吊らねばならないと言われてた頃、
爆風スランプがまだデビューする前、給料は2万円。
すでに70万サラ金から借金してたワシは、
クリスタルキングに招かれて1本いくらでドラムを叩き、
家もなく、スタジオに住み込みで、
クリキンのメンバーやこの辺のヤマハ所属の方々に可愛がられ、
飯を食わせて頂いて酒を奢って頂いて今がある。
飛鳥了さんの家で作って頂いた冷凍チャーハンの味は忘れはしない。

しかし思い出に浸っていてマー坊さんの出番を見逃してしまってはことである。
また死ぬ思いでサウナに飛び込んでテレビにかじり付く。

そしてついにやって来たマー坊さんの出番!
果たしてゴールデンタイムにあにまるのCDの宣伝は出来るのか!
CM!

ぶはー!・・・
息も絶え絶えにまた水風呂に飛び込む。
後藤ゆうぞうはんが心配して覗き込む。
「ファンキーはん、ほんまサウナ好きやねんなあ・・・大丈夫でっか」
大丈夫ちゃいまんねん!でもこれ見逃したら後悔するからな。
あ、先に出まっか。もうちょっと、もうちょっと待ってておくんなはれ。

死ぬ思いでまたサウナに飛び込んでふらふらしながらテレビにかじり付く。
栄光の大都会の時代の映像。
このしばらく後にワシが参加して、「北斗の拳」とかはワシが叩いている。
しかしテレビはうまいこと作るもんで、その後すぐに折れ線グラフはどん底である。
「その直後に田中昌之さんをとんでもない不幸が襲った!」
CM!

ぶはー!・・・
息も絶え絶えにまた水風呂に飛び込む。
また死ぬ思いでサウナに戻ってテレビにかじり付く。
「野球のボールが喉を直撃し、
あのハイトーンボイスが出なくなってしまったのです」
わかったわかった。それは何回も本人から飲み会で聞いた。
原因も不明なんやな。もともと暗示にかかりやすい人やしね。
とあるテレビ番組では「俺が催眠術かかるわけないやないかい!」言うて、
実は一番かかってて受け取ってたもんねえ。
「いや、俺はかかってない!催眠術師が”これはコーヒーです”言うても、
ちゃんと”これはジュースや”言うのはわかっとる。
飲んでもちゃんと”これはジュースや”言う味しとる。
でも”これは何ですか”言われたら、”ジュースや”言うて答えようと思うても、
”コーヒーです”言うてしまうんや。
味はジュースや思うてるんやから、俺は別に催眠術にかかっとるわけやない」
マー坊さん、それを「かかっとる」言うんですわ。

そんな昔話の回想はええ!
画面ではマー坊さんの別録インタビューが流されている。
そして涙・・・
テレビはほんまにうまいこと作るわ・・・
ワシ、もらい泣きしようにも、もう水分の欠けらもありまへん!
CM!

ぶはー!・・・
息も絶え絶えにまた水風呂に飛び込む。
そしてまた死ぬ思いでサウナに・・・

ゆうぞうはんが心配して覗きに来る。
「ファンキーはん、ほんまサウナ好きやねんなあ・・・大丈夫でっか」
大丈夫ちゃいます!
もう死にます・・・

やっと現在の活動の紹介となり、
ついにあにまるのCDジャケットが!
ワシ、もうクラクラです。
そのまま画面は田中昌之コーナーを〆るわけでもなく
だらだらと「情報屋ジミー」と言うコーナーにそのまま突入。
おいおい、これドラムのジミちゃんのこととちゃうやろなあ・・・
「ドラムのジミ橋詰、実はウラの職業は情報屋」
っつうんやったらオイシイのになあ・・・

しかしもう体力は限界!
確認する体力もなく、水風呂に飛び込んで気絶寸前である。
ゆうぞうはんが心配して覗きに来る。
「ファンキーはん、ほんまサウナ好きやねんなあ・・・
三井がスタジオで待ちくたびれて探してますで」
わかりました。もう出ましょう!

結局、温泉銭湯で温泉に入らず、サウナと水風呂だけであった。

ジミちゃんが情報屋やったんかなあ・・・
んなわけないか・・・

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:08:01

2002年01月17日

キャバクラは楽し・・・

キャバクラは楽し・・・

日本に帰ってXYZの3rdアルバムをレコーディングしていた。
いやー今度のはすんごいのになりそうじゃ・・・
ある曲などをとれば「こりゃすんごいPOPなアルバムやで」と思うし、
ある曲などは「コミックソングやね・・・」二井原のアホ炸裂である。

相変わらず橘高の曲では2バスで足が釣り、
よせばいいのにまた自分でも早い2バス曲書いて、
「ライブで叩けるんやろか・・・」と自分の首を締める。

「そうそう、人間いつポックリ逝くやらわからんからね、
毎日を悔いなく生きていかなアカンよ」
そう自分で自分に言い訳して、
一度行って見たかった近所のキャバクラについに足を運ぶことにした。

キャバクラとは、名前は淫靡だがその実、極めて健全な、
「お触り」も「持ち帰り」もNGの単なる女の子とお話するだけのスナックである。
北京のカラオケの方がよほどアブナイ・・・

ドラム部屋の主、南波を誘う。
「末吉さん・・・僕、勤めてた牛タン屋が狂牛病の煽りを受けて潰れちゃったんで・・・
いわゆる無職なんで金がないんですぅ・・・」
「そうか、そんなら明日から
XYZのレコーディングするために必要なコンピュータを自作しろ。
安く出来たらその差額を工賃としてやろう」
今日び、プロトゥールスが動く高スペックのパソコンが6万円で自作出来るのだ。
これで俺は北京と東京に互換性を持つシステムを確立出来る。

「末吉さん・・・やっと出来ました・・・」
朝から続けて夕方頃やっとパソコンが完成した。
心なしか南波の腰が落ち着かない。
「よし!じゃあ繰り出すかぁ!」
ドラム部屋から歩いて20秒。
こんなところにキャバクラを作られたのでは迷惑な話である・・・

「この店のシステムはどんななんですか?」
金のない南波はチェックに余念がない。
「40分までなら飲み放題で4000円です」
ほう・・・飲み放題ねぇ・・・
末吉と南波に飲み放題は冒険じゃろう・・・

女の子がつく。
「お仕事とか何やってるんですか?」
お決まりのこの会話が嫌いで、
女の子のつく店と散髪屋には行きたくなかった俺である。
どうも何か自分のこの仕事を餌にモテようとか、
それが何かコソクに思えて、
また芸能人として扱われるのも嫌いでどうしても抵抗があったのだが、
最近はそれなしで若い娘に喜んでもらえる会話も出来るわけはない
と言う現実もよくわかった。
昔、某有名ギタリストに
「Oさん、ファンに手ぇ出すのはいくらなんでも御法度でしょう・・・」
と咎めたら
「末吉ぃ、ワシらみたいのが女にモテようと思ったらそれ以外に何がある!」
と反撃されたことがある。
いいのよ、いいのよ。
俺は20数年ストイックに生きて、
昔は付き合う女性まで爆風を知らない娘しか選ばなかった。
今こそ自分を解き放って真っ先に身分を明かすのじゃ。
それでもうモテモテ(死語)じゃぁ!

「爆風スランプのドラマーです!」
胸を張って言ったこの言葉・・・
なかなか緊張する・・・
「そうですか・・・大変ですねえ・・・」
意外にも普通にあしらう女の子に南波が質問する。
「お姉さん、爆風スランプって何なのか知ってる?」
早い話、今日びの若い娘は爆風スランプなど知らないのである。
ラルク・アン・シェルだとでも言えばよかった・・・

隣の女の子がそっと耳打ちし、
「そう言えば私のお母さんが大好きでした」
などとわけのわからないフォローを入れながら酒を注ぐ。
いいのよ、いいのよ。
飲みに来たんだから飲み放題で元取れればそれでいいのっ!

いきなりペースが上がる俺。
財布を心配する南波。
それでもこのつわもの達は、
40分もたたないうちにふたりですでにボトル1本は空けている。
すでにベロンベロンである。

「延長なさいますか?」
店長が聞きに来る。
「ファンキーさんとは一度面識があるんですよ」
いきなりキャバクラの店長に言われてもなあ・・・
「私、昔蒲田でJazzクラブやってたんです。
一度Jazzバンドで出ていただいて・・・」
「ああ、あの時の!・・・」
昔話で花が咲き、いつの間にやら延長する俺・・・

ついた女の子のひとりが地元の人間で、
共通の友人がいたことが発覚!
さらに場は盛り上がるが、
残念ながらその娘はすぐに別のテーブルへ・・・
「ちょっとぉ!店長さん、話の途中だよ。そりゃないんじゃないのぉ?」
「じゃあ指名なさいますか?」
そして指名料まで取られてしまう俺。
「お時間ですが、もう1回延長なさいますか?」
更にもう一度延長してしまう俺・・・

「3万4千円になります」
ニコニコと伝票を持って来る店長。
青ざめる南波。
「ま、楽しかったからいいじゃん。またパソコン作ればぁ」
慰める俺・・・


かくして翌日からXYZのレコーディングが始まった。
話題はキャバクラの話題ばかりである。
二日酔いのまままったりとドラムを叩いてたら携帯にメールが入った。
「キャバクラ嬢からメールが来たぁ!」
スタジオ中大騒ぎである。
いきなりテンポの速い曲を叩き始める俺・・・
「それって営業メールって言うんですよ・・・」
冷ややかな橘高・・・

こうしてドラム録りは無事終わり、
最終日にはまたキャバクラに行ってしまった俺である。
金がないと言いながらまたついて来る南波・・・
「女の子の盛り上げ方がなってない!」
とダメ出しをするラジオディレクター・・・
男はみんなアホばっかである。


そして今は北京。
キャバクラ嬢からのメールはまだ届く・・・

うん、メールだけならタダである。
しばらく日本に帰るのはやめとこう・・・


ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:19:40

2001年12月26日

大槻ケンヂと対バン。刺激されたわぁ・・・

長年使っていたmicrasと言うサーバーが突然ダウンした。
まる1日以上1本もMailが来ないなんておかしいと思ってたのじゃ。

大変じゃ、大変じゃ。
大急ぎで新しいアドレスを立ち上げないとマズイ!
全ての仕事をMailでやってる俺としては、
サーバーがパンクしたのでは全てが止まってしまうのじゃ・・・

と言うわけでクリスマスじゅうかかってやっと引越しが終わった。
新しいアドレスは
funky@funkycorp.jp
HPアドレスは
funkycorp.jp/funky
である。(ただ今引越し中)
みなさん、アドレス変更してね。


さてこれをパソコンに入っているアドレス全てに送信せねばならない。
数えて見たらゆうに1200を超えている。
何せもらったファンメールや、
懐かしい友人や同窓生等のメールまで全部とっといてるんだから凄い!

半日かかってやっと全部に送ったら、いろんな奴もいるもんである。
「あなたは誰ですか?」と言う返信も来た。
「お前が誰じゃ!」と言う感じである。
どうせファンだとか言いつつ俺にMailを送って忘れてしまっているのだろう。


嬉しいのは、滅多に連絡を取らない友人等から
これをきっかけに連絡が来たりすることである。

特に嬉しかったのが香港のJazzギタリスト、ユージン・パオである。
彼女(かな?奥さんかな?)と一緒に写ったX'masカードが添付されている。
五星旗の2ndでギターソロを弾いてもらって以来である。
懐かしいなあ・・・
こいつ、腕は最高なんだけど、ルックスがねえ・・・
それがこんな可愛い彼女をねえ・・・
ちょっとインドネシア系のとっても可愛い彼女と、
ニヤけることもなく、相変わらず無愛想に一緒に突っ立ってる彼と
またセッションしたくなった。

北京でいると俺はどちらかと言うとスタジオミュージシャンである。
1週間に1曲ドラムを叩けばその週は食っていけ、
1ヶ月に1曲アレンジすればその月は食っていける。
しかしセッションはと言うとなかなかそんな場はない。

最近はいろんなバーに箱バンが入っているが、
どれも酔客相手の中国歌謡か洋楽ポップスばっかでJazzと言えばごく少数である。
ロックはと言うとパンクスやハードコアバンドが
アンダーグラウンドに活動している。
ハードロックなど皆無である。


来日してXYZのツアーにまわる。
俺はもはや外タレである。

昨日は大槻ケンヂ率いる特撮と一緒にやった。

前回も東京でご一緒させてもらったが、
自分らの出番が終わったら俺はJOCとの打ち合わせに出てしまい、
結局彼らのステージを見ることが出来なかった。

何でJOCことオリンピック委員会と打ち合わせをせねばならないかと言うと、
何やら北京オリンピックに向けて、
体操、新体操、スケート、シンクロナイズドスイミング
の強化合宿でドラムを叩いて欲しいと言うのだ。

この4種目だけ音楽と一緒にやるスポーツなのだが、
そのリズム感たるや最悪だと言うのだ。
「どう最悪なんですか?」
と聞くと、
「私の手拍子に合わせて、この裏で叩いて下さい」
と言うと、
真面目そうな顔をして、リズムの裏を取るのではなく、
手の裏と裏を合わせて叩くのだそうだ。

「作っとるんちゃうん!」
と言うエピソードだが、
全世界的にこのようなレベルだとおっしゃるが本当だろうか・・・

原因は教える人も体育の先生がタンバリンなどを持って教えていて、
世界的に音楽のプロがリズムと言うのを教えることはないと言うことだ。
試しにプロのドラマーに
北京オリンピックを目指すジュニア達をみっちり教えてもらおうではないか
と言うことらしいが、まことに分不相応な大役である。
まあこの1回で終わるとは思うが・・・


そんなことはどうでもよい!
昨日は特撮と一緒にやった。

久しぶりに見る大槻ケンヂに俺はびっくりした。
「奴は現役だ!」
ステージに上がって奴が一声あげた瞬間にそう思った。
「クリスマスの日にみんなのこのことこんなとこ集まって来やがって!
メリー・クリスマス!メリー・クリスマス!
キリスト教の人もメリー・クリスマス!
イスラム教の人もメリー・クリスマス!
創価学会の人は南妙法連月経!」
何を言ってるのか全然わからんが、
何を言ってても何かパワーがあって、思わず「イエー!」である。

「こいつ、現役だ!」

何だかとっても嬉しかった。
奴は俺よりはひと回り下だが、
もう30も越したミュージシャンは何か「引退」しているところがあるもんだが、
こいつはバリバリ現役を感じた。

何がかと言うとうまく言えないが、オーラが違うとでも言おうか・・・

数年前楽屋に挨拶に来た大槻を
「お前、あんな歌い方してたらそのうち歌手生命終わるぞ!」
と説教したことがあるが(俺も何ともいやなジジイである)、
そんなアドバイスを聞くこともなく、
相変わらず歌うと言うより叫ぶばっかである。
それがまたかっこいい!


叫ぶと言えば、「叫ぶ詩人の会」のドリアン助川に、
ROCOCOのアルバムのために詞を書いてもらった。
当時爆風がどんどんPOPになってゆく中、
コアのファン達が「爆風は終わった、これからは叫ぶ詩人の会だ」と言って
かなりの人間がそちらに流れた記憶がある。

「いやー、びっくりするほど売れませんでしたよ」
と本人は言うが、今さらながらアルバムを聞かせてもらって涙が出た。
当然ながら「現役」である。

「いやーねえ・・・、
世の中から嫌われてる人ばっかが好きだって言うバンドだったんで・・・
世の中の人が好きなわけないんです・・・」
と本人がおっしゃるが、
それはそれはコアなバンドとして君臨してたのだろう、当時は。
思えば初期の爆風も筋肉少女帯も似たようなもんである。

ドリアン助川のとある取材の時の話・・・
「いやー、ずーっと叫ぶ詩人の会、応援してました。
その後4年間ぐらい精神病院に入院してたんですけど、
今でもずーっとドリアンさん応援してますよ」
(ドリアン、心の中で)
「あなた達みたいな人ばっかが応援してたから売れなかったんです・・・」

ひょんなことから知り合いになった暴力団の組長の話
「助川さん。今日も3軒ほどレコード屋まわって、
何じゃ!叫ぶ詩人の会を置いてないんかい!
こらぁ!店長呼んで来い!
とシメときましたから!」
(ドリアン、心の中で)
「あなた達みたいな人ばっかが応援してたから売れなかったんです・・・」


そんなことはどうでもよい。
特撮の大槻ケンヂである。
こいつに俺は自分の現役である意地を刺激された。

おかげで大阪のライブはめっちゃくちゃしんどかった。

アンコールの「イワンのバカ with 大槻ケンヂ」と、
「ラビリンス」の2曲はほんと、死ぬかと思った。
40過ぎて、テンポ180を越すツーバスは無謀である。
いつポックリ逝ってもおかしくない。

もともと手数はもうかなり上手くなってるので、
どんな速いフレーズでも別に労せずに叩けるが、
ツーバスは早い話走っているのと同じだから楽出来ないのである。

いっそのことどっかのテレビ局で、
「42.195kmフルマラソンを完走した直後に
ゴールのところに組んだステージでラビリンスを叩く」
と言うイベントでもやってくれんもんか。
そこで死んだら俺は本望である。


スタジオばっかやってたらアカン!
JOCもええけれど、音楽学校の副校長もええけれど、
雑誌のコラムも中国語関係の仕事もええけれど、
俺はいつまで現役のドラマーで生きたい!
と大槻に教えられた昨日だった。


そして今日は今から未唯さんと名古屋でライブ。
この人もまだまだ現役である。

明日はJOCの強化合宿行って、
その後は五星旗のライブ。

明後日はついに今年最後のライブとなるが、
ゲストにはVOWWAWのVo.だったGenkiが来る。
この人の歌もバリバリ現役である。
実際は引退し、定職について普段は音楽活動はしてないが、
歌うとバリバリに現役である。
名実共に日本を代表するボーカリストの一人であろう。

歌ってる時に現役だったらあとはどうでもええのよ!
俺らミュージシャンやし・・・


いやー、やっぱ日本はええ!
中国だと俺は何かちょっと偉くなり過ぎている気がするなあ・・・
いつまでも死ぬか生きるかでドラム叩いていたいもんだ。

・・・てなことを支離滅裂に考えながら今からステージである。
ポックリ逝っても後悔しないようにメルマガだけは発刊しておこう・・・

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:19:43

2001年10月08日

日本に帰って来るも、食って飲むのはやはりDeepなアジア街

北京で住んで日本に仕事に帰って来る生活である。

日本に仕事がないと帰ってこないので、
帰れば必ず飛行機代ぐらい稼げるので問題ない。
中国にいると逆に仕事が引く手あまたなので生活費は稼げるので問題ない。
長年思い描いていた理想の生活である。

今回の日本での仕事は、
香港プロジェクトのレコーディング、
そして11月に発売する「未唯with XYZ」のジャケ写撮り。


まず香港プロジェクトだが、
前回某スタジオで24時間1ヶ月毎日レコーディングしていた時、
朝方未唯さんのコーラスを録音してる時、香港からMailが入った。
「日本のミュージシャンを使ってレコーディングしたい」
日本人を妻に持つ香港のテクノアーティスト、J氏である。

「俺は今ピンクレディーの未唯さんとスタジオにいるところさ」
と返事を打つと
「それは羨ましい」
と即答。
「お前未唯さんを知ってるの?」
「ピンクレディーの人でしょ。大好きだよ」
とのこと。
とにかく非常に日本通である。
「レコード会社がKinki KidsみたいなBoysグループを作る
っつんでプロデュースを頼まれたんだ」
とのこと。

数日後に彼が来日して1曲レコーディング。
その時に和佐田や橘高と録音した曲が評判で、
今回はさらにアルバムをと言うものである。

横浜のスタジオを押えて、今回は1日で5曲録った。
俺も和佐田もレコーディングはばっちしだが、英語はからっきしである。
彼のネイティブは広東語、私の学んだ北京語とは似ても似つかない。
仕方ないので彼との言語は英語となる。
時々わからない言葉は強引に北京語、
そして彼が奥さんから学んだ片言の日本語を混ぜながら、
いつものようにレコーディングが進んでゆく。

実は1日5曲も叩くとギャラにしても相当なもんで、
俺は十分飛行機代が出るっつうんで内心ほくほくである。
いい気になって、
「CD-Rにデータを焼くのは俺がやっといてやるから先に帰れ」
とローディーと共に彼を先に送り出す。
その間、エンジニアに仕事を任せて俺は横浜中華街へひとりで繰り出した。


まだ中国に全然興味がない頃から俺は、この街が大好きであった。
異国情緒でがちゃがちゃしてて、何となく溢れて来るパワーが好きだった。
「いつかこの街に住みたい」
そう思っていた。

1時間ほど歩いて、ふと興味深い屋台を見つけた。
豚足や焼き豚をつまみにビールで一杯。
ぐでんぐでんになった頃、エンジニアが焼きあがったCD-Rを届けに来た。


翌日はまた、二日酔いで顔を腫らしてジャケ写撮りに向かった。
XYZのジャケ写撮りでは「末吉の顔待ち」と言うわけのわからん時間が必要なので、
ディレクターの橘高もカメラマンのK氏も大変である。

イビキの手術の時に入院中に書いたプログレ大曲が未唯さんのお気に入りで、
こうして今回初めてXYZとのコラボレートだが、
考えて見れみれば非常に平均年齢の高いプロジェクト(失礼)である。

未唯さんと会うのはROCOCOのレコーディング以来なので、
相変わらず会えば緊張し、会わねば寂しい、そんな人である。
撮影終了後に火鍋に誘って見る。
「いいわねえ。私、辛いものには目がないの」
よし、それじゃあ本場の四川火鍋を食べさせてあげよう。


やって来たのは新大久保。
ちょっとディープなアジア屋台村である。
昨日のCD-Rを渡すためにJ氏も呼び出した。
憧れの未唯さんと会えて彼も感激である。
「ワタシ、ピンクレディーの英語版のアルバム持ってます」
つくづく日本通な男である。

屋台村のシステムと言うのは、
酒は大家さんしか売ることが出来ないので、
各屋台は自分とこの料理を注文してもらうのに必死である。
この屋台村では俺はちょっとした顔で、
特に中国人は平気で仲間内のような口を叩いてくる。
「ちょっと例の四川火鍋作ってくれる?思いっきり辛くしてよ」
中国語でまくしたてる。

当時は日本人客なんか全然いなかったこの屋台村だが、
今はちょっとブームになって日本人も多い。
現地の人のために本場の味を誇ってたこの火鍋のようなメニューも、
今や俺のような奴が特注するのみの裏メニューとなってしまった。
こんな激辛鍋など日本人は誰も食わん。

それでも未唯さんは「辛さが足りん!」とご立腹なので、
さらに激辛に作り直してもらって、
一般的辛さの舌を持つ未唯さんのマネージャーは一口も食えない辛さとなった。

あとは大好きなタイ料理を注文する。
マネージャーはもう蚊帳の外である。

この屋台村、各屋台のオーナーはそれぞれの国の人なのだが、
ひとつだけ日本人の女の子が経営するタイ料理屋台がある。
彼女のルックスのため、絶対タイ人だと思っていたが、
実はタイに旅行に行ってハマったと言う日本人であることを後に知る。
タイ語を流暢に操り、タイ人のバイトを使って店を切り盛りする。
名前が「田井」と言う姓だそうで、恐ろしい偶然と言うか運命であろう・・・
最近では片言の北京語まで操るので恐れ入る。

彼女が店をはけた後友達と羊肉串を食べに行くので一緒に行こう
と言うのでJ氏と一緒にのこのこ着いて行った。
未唯さんはあきれてマネージャーさんと先に帰った。
明日も元モー娘の中澤なんたらとV6の坂本なんたらとの
ミュージカルの舞台なのである。


着いたところは朝鮮族中国人が経営する炭火焼の店。
中国語で注文を取る。
もう新大久保は日本であって日本でないのである。
俺は日本にいてもこんなとこばっかししか行かない変態である。

彼女の友達がやって来た。
みんなマレーシア人である。
日本語が喋れる人もいれば全然喋れない人もいる。
必然的にここにいる7人の共通言語は北京語となる。

J氏も頑張って北京語で話すが、
彼らが広東語も話せることがわかって大盛り上がり。
やはりネイティブな言語に勝るものはない。
ある人とある人は広東語で喋り、
ある人とある人はネイティブの潮洲語で喋り、
俺と彼女とは日本語で話す。

「彼氏なの」と言って紹介してくれた彼は全然日本語が喋れない。
片言の北京語だけが彼らの共通言語である。
それでよくコミュニケイション・ブレイクダウンにならないのが不思議であるが、
それはそれで1年間とてもハッピーに過ごしているそうだ。

「前の彼はねえ。タイ人だったんで言葉のギャップは全然なかったんだけどねえ。
今は言葉なんていらないって感じ。
彼と初めて会った時、
お互い全然言葉通じないのにふたりで3時間喫茶店で喋ってたり。
もう一緒にいて喋ってるだけで時間を忘れちゃうの」

恋とは素晴らしいものである。

J氏がいきなりこんなことを言い出した。
「凄いねえ、みんなカルチャーがふたつあるねえ。
ワタシはワイフが日本人で広東語と日本語。
ファンキーさんはワイフが北京人で日本語と北京語。
彼女はもっとたくさんねえ」

この飲み会、非常にマルチ・カルチャーである。
ここに未唯さんがいたらこれに英語が加わるだけで、
なんか言葉や文化や国境など関係ないと思えて来る。

ここに更にイスラム文化圏の人間がいたりしたら、
こうして戦争が始まろうなどとはしないのではなかろうか・・・

世界中の人々が恋をしよう。
人種を超えて文化を超えて恋をしよう。
そしたら世の中から戦争なんぞなくなってしまうかも知れない・・・

などと考えながらJ氏のホテルの床で酔いつぶれるのであった。

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:10:48

2001年07月22日

宿無しなので24時間1ヶ月のレコーディングをやっている

タイから帰ってきた友人が、「東京の夏はバンコクよりも暑い」と言っていた。
北京の夏も40度を越える暑さだが、湿度が低い分カラッとしていて過ごしやすい。
気温が40度を越すと学校とか企業とかが休みとなるので、
政府の発表が常に「39度」が毎日続くと言う北京の夏を今年は経験することなく、
この夏は俺はひたすら日本にいる。
8月中旬までは都内某スタジオで24時間体制でレコーディングなのでである。

日本にいると言っても家はない。
住んでたマンションには借り手がついて、
その家賃収入で北京の家族に仕送りが始まる。
俺はと言えば別に日々のライブ等をやってその日暮らしをすればいい。
長年思い描いてた理想の生活である。

一応家財道具は「ドラム部屋」と呼ばれている木造のアパートに放り込んでいる。
と言ってもほとんどが嫁の荷物で、俺の荷物なんぞ段ボールに半分ぐらいのもんだが・・・
ドラム部屋には南波と言う住人がいる。
Jazz屋をやってた男だが、今独立をして店を出す準備をここでやっている。
俺もここで寝ることは出来るのだが、クーラーはないし、風呂もないので、
よしとばかり24時間体制のレコーディングに突入したと言うわけだ。

実はレコーディング開始直前にスタジオが変更となった。
予定していたスタジオが日々の俺のレコーディングプランを聞き及ぶにつれ、
「エンジニアが死ぬのですみませんがお断り致します」
とドタキャンされた。
仕方がないので某スタジオの社長に相談したら、
「わかりました。じゃあひとりデブのエンジニアをあてがいましょう」
と快諾してくれ、
かくして俺はそのエンジニアのダイエットの手伝いをしていると言うわけだ。
「じゃあとりあえず初日は五星旗とROCOCOのリズム!
せめてドラムだけでも20曲録るぞ!」
かくして朝6時までドラムを叩いている俺である。

翌日からは未唯さんがやって来てROCOCOの歌入れ。
3日後には記者会見でマキシの楽曲がお披露目となるので、
その時に配る表題曲の完パケとカップリング曲2曲のカラオケが必要である。
四国からやって来たROCOCOの二人に歌唱指導を施し、
まずはカップリング曲からレコーディング。
「何で表題曲から録らないんですか?」
素朴な疑問をぶつけてみたが、
「あれは先にコーラス入れてからにしましょ」
下敷きの中で微笑んでた笑顔で軽く返されてしまう。
まあプロデューサーは未唯さんである。
お任せしよう。

完璧主義者の未唯さんのレコーディングは厳しく、
声の出し方から息の合わせ方まで何から何までを指導する。
6~7時間かかってやっと1曲録り終えてROCOCOを帰らせて、
それから未唯さんがコーラスを自身で歌って録ってゆく。
いきなりひとりで12本かぶせてゆくのだ。
「末吉さん・・・ボク・・・あの集中力についていけません・・・」
夜も更けてエンジニアから泣きが来た。
「ダイエット、ダイエット!全ては君のダイエットのためよ」
見ると未唯さんのテンションは落ちることもなく、
朝6時になっても同じテンションでコーラスを入れ続ける。
次の日は午前からスタイリストと衣装合わせだが、
それに遅刻することもなく平然と現れる。
あれはバケモンじゃ・・・

ROCOCOにとっては3度目の東京。
「街歩いてたら人とぶつかるんですよ」
とびっくりしていた田舎もんである。
スタッフも忙しいので「自力で来い」と指示していたら、
山手線を逆に乗って大遅刻。
2日目にして未唯さんを激怒させた。

翌々日は記者会見。
やることは山積みである。
しかもROCOCOのスケジュールはこの週と次の週しかいないので、
録れるやつは全部録っとかねばならない。
その合間を縫って記者会見で配るべき表題曲のTD。
その間には未唯さんはROCOCOに振り付けをして伝授する。
文字通り寝るヒマはない。

記者会見の前日となって、突然双子の片割れ、愛子がトイレで泣き出した。
ついていけなくなったのだ。
「どうしたの?もうやめる?」
優しい未唯さんの言い方がよけい胸に響く。
泣いても笑っても翌日には記者会見なのである。
「私たちの頃はね、2、3時間寝る時間あったらそれを削って練習してたのよ」
未唯さんは優しくそう諭す。

素直なだけがROCOCOの取り得である。
6時に帰って、あと2時間しか眠れない睡眠時間をどうする?
「今やっても頭が働いてないから1時間だけ寝てからおさらいしましょ」
けなげな練習をやっていたと言うその頃。
俺は朝9時までかかってその日に歌う曲のカラオケをTDをしている。
未唯さんのテンションはまだ落ちることなく、
「末吉さん・・・あの人・・・人間じゃないですよ・・・」
エンジニアが泣きを入れる。
「お前んとこにピンクレディーのごみ箱があったって言ってたでしょ?
そう、あの人は人間じゃないの。ごみ箱の絵柄なの。
だから寝なくても生きていけるの。
君は人間だからね。ダイエット、ダイエット・・・」

数時間後には記者会見が始まった。
簡易ステージで楽曲を披露する彼女たちは、
あまりの緊張のあまり歌詞と振りつけを間違えてしまう。
裏方もどったんばったんで、
うちの社長の綾和也も睡眠不足で死にそうである。
「愛子が昨日トイレで泣いたらしいでぇ・・・」
と社長に言うと、すかさず一言。
「ワシが泣きたいわい!」

その後は当初の予定ではそのままレコーディング。
しかしもうみんなヘトヘトである。
元気なのは人間ではない未唯さんだけである。
「未唯さん、今日はもうやめましょうよ・・・」
俺の一言を聞いてスタッフはほっとする。
かくしてその日はトラックの整理と次週の打ち合わせをして解散!

ホテルに帰って今度は奈央子が号泣したと言う。
思うようにこなせなかった欲求。
とっさのトラブルに対処出来なかった自分のはがゆさ。
瀬戸の海のようにおだやかなこのふたりには初めての荒波である。

ドラム部屋にはいつの間にやら簡易シャワーがついていた。
洗濯機を置く防水パンのところに南波が湯沸し機を取り付けていたのだ。
中国の風呂などはこれが多いのだが、流石は北京帰り!発想が中国人である。
しかしドラム部屋にはガスを引いてないので水しか出ない。
クーラーのない部屋で目覚めての水風呂・・・
サウナ好きの俺にはなかなか快適であった。

さて、地元香川県では知らない人がいないROCOCOであるが、
週末と言えばやはりイベントやら何やらで忙しい。
それでも東京の大海原よりは楽なのか、かなりリフレッシュして帰ってきた。
ようやくいつもの明るさを取り戻したようだ。

スタジオにはいつの頃か枕と布団が運び込まれている。
基本的にこのスタジオは寝泊り禁止で、
ソファーもわざと寝転がれないソファーにしているが、
どこででも寝られる俺は
作業の合間にスタジオの床で十分な仮眠を取る。
スタジオにとっては迷惑な話である。
しかし未唯さんがうたた寝したり眠そうにしているのは見たことない。
さすがは文房具の絵柄である。人間ではない。

あと残り3曲。
ROCOCOのスケジュールは2日。
今日2曲録れば最終日は1曲でいい。
ゴールが見えたぞ!
別室で未唯さんが歌唱指導している間、
エンジニアは録った曲のチャンネルをまとめ、
俺は布団で仮眠をする。
夜中の2時を越えた頃、スタッフが起こしに来た。
「ファンキーさん、大変なんです。来て下さい」

別室では愛子が泣きじゃくり、
俺の顔を見た途端、奈央子も号泣した。
「私たちね、歌が好きで、歌っているだけで楽しかったの。
でももう歌の表現力もいらないし、うまくもならなくていい。
プロになんかならなくてもいい・・・」

未唯さんと目くばせして、
「ほな今日はもうやめましょ。明日残りの2曲録れば工程的には同じですから」
泣きじゃくるROCOCOを車に乗せて送っていく。
物言わずふたりは窓から夜の東京の街並みを見つめている。
「四国でやってたらそりゃ楽しいやろ。その選択肢もあるでぇ。
でも現実的には録らなアカン曲は2曲、スケジュールは1曲。
これをクリアせにゃ、マキシは出てもアルバムは出ん。
とりあえずこれをクリアして四国に帰るもよし、放棄して帰るもよし。
君らの人生や。自分で選びなさい。
俺らは明日2時からスタジオ入っとくから、
来るなら来るでええし、来んなら来んでもええがな。君らで決めなさい」

ドラム部屋の簡易シャワーは、周囲に簡易防水壁とカーテンが設置され、
シャワーの水が飛び散って壁や床を濡らすのが防がれていた。
ドラム部屋の居住性がどんどん高まって来る。
これなら住めるぞ!

翌日スタジオで待つ俺たちの前にROCOCOが現れた。
未唯さんは何事もなかったかのように歌唱指導を始め、
夜中過ぎには最後の2曲も録り終えた。
ROCOCOの顔に生気が戻る。
何かを乗り越えた後の笑顔は格別である。
あの笑顔のためにはもう少し徹夜してもええなあと思う俺であった。

トラックの整理をし、ROCOCOの歌う部分が本当に全て終了したことを確認して、
俺はみんなをJazz屋に連れて行った。
「よかったよかった。終わってよかった・・・」
乾杯をする。
「あら、まだよ。まだ4曲コーラスが残ってるじゃない」
エンジニアがビクッとしてカクテルをこぼす。
未唯さんのテンションが一番上がるのが、コーラス入れとTDなのである。
カウンターでは未唯さんがおもちゃの絵柄よろしく微笑んでいた。

ドラム部屋にてしばしの仮眠をとっていたら、
朝の9時頃おばはんのけたたましい声で起こされる。
「防水パンは洗濯機置くところでシャワーにするところではありません!」
階下に水漏れがして怒鳴り込んで来た大家であった。
「すんません、すんません」
働かぬ頭で一生懸命言い訳をする。
40面下げてシャワーで怒られて頭を下げる人生・・・

これでいいのだぁ・・・

今日は千葉LookでのXYZのライブ。
俺はもうホテルを取った・・・

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:12:20

2001年06月11日

晴れて宿無しになった。宿無し時代の思い出・・・

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イビキの手術は無事成功!
でも人と一緒に寝てないのでイビキが治っているかどうかはまだ未定!
誰か一緒に寝てくれる人募集!

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退院して痩せました。
そりゃそーじゃ。痛くてモノがノドを通らんかった・・・
昨日、引越しも無事終了し、退院後初めて酒を飲んだ。

HPやメルマガで募集して集まった人14名。
みんなで一日作業して、そのまま銭湯にザブン!
いやー・・・気持ちいいねえ・・・
その後ビールを我慢できるほどワシは精神力が強くはない。
まだノドにしみようが、傷を悪化させようが、
そのまま全員でJazz屋に行って乾杯!
いやー・・・久々の酒はうまい!

嫁と子供も昨日の飛行機で無事に北京に帰り、
あとは部屋の賃貸しの手続きをやってしまえば、それでおしまい。
俺の日本での住家は晴れて「ナシ」と言うことになる。

憧れの宿無し生活である。

以下は三井はんと大村はんの2ndに入れようとしている。
「デビット・リンドレー」の「RAG BAG」と言うブルースの日本語詞。

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  RAG BAG(ボロボロ紙袋)

    Huuu… Huuu…

    俺が立ってる 道端が寝ぐら
    泥水だらけの 道端が寝ぐら
    この狭いドブで 寝るのが最高
      風呂に入らない ヒゲ剃らない
      何の心配もしなくていい
      その日暮らしの 野良猫みたいさ
      Huuu… Huuu…

    街の灯りが 点っては消える
    今夜も明日も またその次の日も
    働きづくめの 誰もが叫びたいのさ
      会社サボりたい! 嫁いらない!
      子供なんかは とんでもない!
      その日暮らしの 野良猫みたいに
      Huuu… Huuu…

         <間奏>

    住所もなければ かける電話もない
    手紙も出さなきゃ FAXもいらない
    ただ鼻をかむ場所さえあれば幸せ

    そこが俺の 楽しい我家
    たとえ狭くても 住み慣れた場所
    本当は誰もが ここに憧れてる
      金も欲しくない 見栄もない
      流行りのモノなど 関心ない
      俺の暮らしは ボロボロ紙袋
      Huuu… Huuu…
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いやー・・・夢のような暮らしですなあ・・・
Faxいらんでもインターネットには繋げにゃあ死んでしまうが・・・



小さい頃からお金持ちの家庭に育った俺。
ヒッピー文化、ウッドストック、学生運動、等は、
四国の片田舎に住む俺のところには、もう過ぎ去ったノスタルジーとして入って来た。
リアルタイムで経験してないから、一生の憧れである。

初恋の人に振られ、
傷心のまま東京にスネアとカセットデンスケ
(当時はウォークマンはまだない)
だけを持って家出。
ちなみにパンツとか着替えとかは、スネアのネジを外して太鼓の中に畳んで入れる。

家がないので友達のところに転がり込むが、
そこは同居人を認めないところで、すぐに追い出される。
早稲田の音楽サークルに潜り込み、
毎日誰かと酒を飲んで仲良くなって、その日はそいつのところに泊まりに行く。
誰か友達を作らないと寝ぐらがないんだから必死である。

金がなくなると、高田馬場の公園に始発で行って、
通称「立ちんぼ」と言う日雇い労働のアルバイトをやって日銭をもらう。
1日働いて6000円・・・
そのまま銭湯に行って、また居酒屋に行って酒を飲む。
音楽談義等をしながら友達を作って、そこに泊まりに行く・・・



俺は浮浪者に憧れていた。
ヒッピーを原体験したことがない俺は、
何となく憧れで、浮浪者達を「自由の象徴」みたいに幻想してたのね。

ある日、振られたはずの彼女が東京に遊びに来ると言うので、
「金を溜めよう!」
と「飯場」に入ることを決意。
まあ日雇い労働の10日間契約みたいなもんである。
バラックに投宿して、メシもつくので、
10日間勤め上げればそれらを差引かれても数万円残る。

でも俺は夜な夜な飯場を抜け出し、
高田馬場の居酒屋で飲んでは仲良くなって泊まり、
始発で飯場に帰ると言う生活をしていた。
もったいない!っつねん。

そんな中で、ある光景を目撃した。
一緒に働いてるオッサンが、現場監督に一生懸命取り入って、
何とか自分を楽な現場にまわしてもらおうとする姿だった。

幻滅した・・・と言うより目が覚めた。

ああ、この人達も、俺が嫌いだと思って飛び出した世界の人たちも、
みんな実はおんなじなんだなあ・・・

それ以来、ぱたっと日雇い生活にピリオドを打った。



いやー・・・でも、楽しかったなあ・・・

爆風がデビューしてしばらくして、
「あの頃の方が楽しかったなあ・・・」
と思う日が来た。
まあ、一段落した時に人間がよく思う心境である。

そのまま何となく成功してゆき、ある日中国のロックバンドと出会う。
「精神汚染音楽」とされていた当時のロックをやる若者達。
金もなければ家もない。ついでに仕事もあるわきゃない。

友達のところを転々としながら、メシを食わせてもらい、酒を飲む。
「もうぼちぼち出てってくんないかなあ」
と思われそうな頃を見計らって、次の友達のところに転がり込む。
またそこでメシを食わせてもらい、酒を飲む。
また頃合を見計らってまた次の友達のところに転がり込む。
そして友達を一巡して、最初の友達のところに戻って来た頃には、
「いやー、久しぶりだなあ、飲め、食え」
・・・とそれを延々繰り返すわけである。

「俺は中国人になる!」
と言わせるのに十分な世界だった。

その後、数限りなく北京に通ったが、
ホテルなんかとらずとも友達が山ほどいるので、
寝るに関しても食うに関しても困ったことはない。

そんな友達たちも今ではみんな偉くなって、
最近は北京に行って電話しても、みんな忙しくて誰も遊んでくれない。
これも時代の流れか・・・

当分は北京と日本の二重生活をすることになる俺だが・・・
もうある意味「ちゃんとしてしまった」北京より、
宿無しとなった日本の生活の方が楽しいかも知れない・・・



7月には1ヶ月間レコーディングスタジオを借り切った。
未唯さんプロデュースのROCOCOの2ndを録らなければならないからだが、
それだけでスタジオ代が払えるほど予算はない。
「よし、新生五星旗のレコーディングも一緒にしてしまえ!」
「よし、それだったらその1ヶ月に他の録れるアイテムも全部録っちゃれ!」
エンジニアをふたり用意し、12時間交代で24時間体制でレコーディングする。
何アイテム録れるだろう・・・
もちろんアイテム数が増えれば増えるほど各原盤製作費は安くつくと言うわけである。
俺は人が作業している間、スタジオで寝てればいい。
どうせ家はないのである。

楽しそうじゃのう・・・

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:08:10

2001年05月25日

双子ユニット 今度はピンクレディー未唯さんがプロデュース

ツアーから帰って来たら嫁が一生懸命荷造りをしていた。

「何をしとるんですか・・・」
「引越し・・・」
「ひ、引越しですか?・・・ど、どこへ・・・」
「北京!日本の国籍取れたし・・・」
「今度はタイではなく、ペ、北京ですか・・・」
「恵理ちゃんの小学校も9月からでしょ、急いで手続きしないと・・・」
「あのー・・・この荷物全部北京へ?・・・」
「そんなわけないでしょ!ドラム部屋!」
「じゃあ、今住んでるこの部屋は?・・・」
「人に貸すに決まってるでしょ!北京での生活費もいるし・・・」
「あのー・・・ワシは?・・・」
「ドラム部屋!」

ワシは荷物と一緒か!



と言うわけで、引越しの助っ人募集!

日時:6月10日(日)

場所:目黒線武蔵小山駅下車徒歩5分
タイムスケジュール:朝10時集合、18時終了、それから銭湯行ってJazz屋で一杯
報酬:無償(但し、不要物のお宝グッズ多数あり。お持ち帰りください)

手伝いに来てくれる方は
mailto:naoxyz@livedoor.com
まで・・・

ついでにうちのマンション借りてくれる人大募集!
日当たり良好、2F、5LDK、目黒線武蔵小山駅徒歩5分、Jazz屋から徒歩1分。
下が店舗なのでピアノ弾いてもドラム叩いてもとりあえずは怒られたことはない。
家賃は25万ほどになる予定。

ご希望の方は、
mailto:funky@micras.ne.jp
まで・・・

ふう・・・・・・
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香川県の双子ユニットROCOCOがデビューし、デビューライブが地元高松で行われた。
商店街の特設ステージ(渋い!)であるが、
あいにくの雨だったのにこれが予想に反して非常にたくさんの人が集まって大盛況。
香川県人、タダだと来るのよ・・・

まあ地元からお笑いは南原清隆や松本明子、
ミュージシャンはファンキー末吉やサニーデイサービス。
しかし歌手とかアイドル系は意外といない。
高知県が広末涼子を生み出したのとは対照的である。

そんなこんなもあって、地元では非常に彼女達を応援してくれているように見受けられる。
デビューしたての新人だと言うのに、NTTドコモ四国のキャラクターに抜擢された。
四国4県のドコモの広告、TVコマーシャルには全て彼女達が使われ、
店頭には等身大の彼女達のPOPが出現すると言う。

もともとNTTドコモ四国はブレイク前の広末涼子を起用し、
それが全国区となり現在の広末があると言う話である。
彼女達もそうなるとええがのう・・・

一昨日から流れている210シリーズのCMは彼女達が出演し、歌を歌っている。
「あーああんあん、あーああんあん、あードコモのにいいちまるー」
ピンクレディーの「渚のシンドバッド」の替え歌である。
デビューアルバム「ROCOCO(同じやないかい!)」に収録されている曲であるが、
このCM収録の時に、カバーされている当の本人であるピンクレディーの未唯さんが現れた。
「ひえー・・・」
スタッフは上へ下への大騒ぎである。
「何でや何でや・・・」
である。

用意された椅子にどっかと腰を降ろした(かどうかは知らんが)未唯さんは、
「この娘たち、よろしくね」
と言ったとか言わないとか・・・
そして大騒ぎのうちに未唯さんは帰って行った。台風一過である。



これと言うのも実はROCOCOの次のマキシシングルと2ndアルバムを
この未唯さんがプロデュースすることになったからである。
「ひえー・・・」
はエクゼクティブプロデューサーのワシである。
打ち合わせに未唯さんの自宅に通されたワシは、気がつけばずーっと正座していた。
話してる内容など全然要領を得ていない。

だってアレは下敷きの中で微笑んでいるもんで、
目の前で動いたりワシに喋りかけてくるもんではない!

かくしてROCOCOは8月29日には未唯さんプロデュースのマキシシングルを発売し、
今年じゅうにはもう2ndアルバムを発売する。
デビューして半年で2枚のアルバムを出すとはROCOCOの忙しさとはいかなるものか。

更に彼女達は去年グランプリを取ったJACCOMのコンテストのゲストとして
全国をまわるのだ。
未唯さん曰く、
「あーら、私たちが全盛の頃はもっと忙しかったわよ」
そりゃそうじゃ!

先日は未唯さんのご自宅で、発声法とハーモニーを合わすコツを伝授してもらっていた。
ボーカリストではないワシにはようわからんが、
何か秘訣があるらしく、その瞬間に彼女達のハーモニーが見違えるように合うようになる。

ワシが彼女達のデビューアルバムを録ってた時、
「ああ、双子ってやっぱ違うなあ、お互いを読み合って息がぴったり」
と思っていたが、
実は2人は、本来デュエットとして訓練せねばならないところを、
双子であるがためにすっとばして出来て来れたのだと言うことを感じた。

一昨日のデビューライブの時、
見た人はみんな口々にこんなことを言った。
「いやー、よかったですよ。CDで聞くよりももっとよかったです・・・」
ワシ、苦笑である・・・
「まあレコーディングした時よりも上手くなってるってことですよ・・・」
そう、彼女達はまだまだ伸びるであろう。
ブレイク前のまだ垢抜けなかった広末が今に至るように・・・

未唯さん、よろしくお願いしますわ、ほんま。



ワシは来週からイビキの手術のため入院します。
人に聞いたら、これ、非常に痛いらしい・・・
術後は大好きな辛いものとか、酒とか、
極端な話、しょっぱくても傷口にしみるので食べたくないらしい。

「そうか、食い納めなんやな」
とばかりここ数週間、飲んで食っての大騒ぎ。
おかげで現在人生の中で一番太っている。

まあ入院してお粥しか口にしなければ痩せるでしょ。
入院、入院、ダイエット・・・

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:11:20

2001年04月09日

北京行きがビザでダメになり家で・・・

週末、北京に住む日本人留学生の爆風ファンからMailが来た。
前回のメルマガを配送する前のことである。

「最近HPも更新がないし、メルマガも届かないし・・・一体何してるんですか?」

まあなるほどと言うMailである。
昔爆風が売れに売れてた頃、
人生これほど忙しいと言うことがあるのかと言う毎日だった頃、
全国ツアーとレコーディングに追われ、
ベストテンだのトップテンだのへの露出が少なくなったある時期、
香川県のうち近所の商店街のオッサンがうちの親にこう言ったらしい・・・
「覚くんももう終わったんかのう・・・
東京でヒマしとるぐらいやったら帰って来いやと伝えてくれ」

まあ昔はテレビだけしかワシが活動しとるかわからんかったが、
今はインターネットだけしかわからんと言う・・・
これって広まったの狭まったの?・・・



ところでそのMailにこんなことが書いてあった。

「BEYONDのドラマー、Wingさんが北京で何かライブをやるらしんんです。
末吉さん、何か知ってますか?」

Wingと言えばワシの大親友である。
彼が日本の女の子と遠距離恋愛してた頃は、
よく香港から国際電話で相談を受けたもんじゃ・・・

去年来日して五星旗の「1.5」と言うアルバムに参加してもらったが、
その時は、Jazz屋で飲んで朝まで説教された。
何かワシの結婚前に嫁と密談を交わしたその席だったらしい・・・
「お前、家庭をもっと大切にせなアカンでぇ!」

そんなやりとりを聞いてたバーテンの南波。
「俺、今日は感激っすよ、末吉さん。
ダチって本当にいいもんですよねえ。
そんな出逢いの場所でシェーカー振らせて頂いてるの、本当に幸せっす・・・」

と言いつつ奴ももう独立してワシの出版の仕事とか手伝いながら、
今は時々お手伝いでしかJazz屋には立ってない・・・

同様に時代は移り変わるもんで、
BEYONDはボーカルの黄家駒が日本でバラエティー番組の収録中に事故死、
3人で見事に復活したが、現在は活動休止である。
各メンバーのソロ活動が注目されている今日この頃だが、
ギターのポールは先日ソロアルバムを発売し、
ワシも2曲ドラムを叩いている。
Wingは昔から「北京はRock Townだから行きたい」と言ってたが、
残念ながら今回はRockではなく、ディスコで何かするらしい。

急に無性に会いたくなって電話をしてみる。
「北京に行くってホンマか?(これ、日本語訛りの中国語)」
「おう、何で知ってんねん?(これ、広東語訛りの中国語)」
行くぞ!北京で素敵な仲間達と酒を飲むんじゃ!

週末のスケジュールを調整して、
いつもの旅行会社に電話を入れる。
「明後日のチケットよろしくね!」
しかし後の祭りだが、これがいつもの旅行会社だったのが悪かった。
チケットをわざわざ自宅近くまで持って来てくれて受け渡し。
久しぶりに会ったので立ち話などして、
「じゃあ」
と別れたその瞬間。
旅行会社のその友人の一言。
「末吉さん、確認してなかったんですけど、ビザは大丈夫ですよね・・・」

日本人が中国に入国するためにはビザが必要である。
またこれが通常では1次ビザで、
行く度に新しいのを取得しなければならないので大変なのだが、
ワシの場合はもう「マルチビザ」っつうのをもらっていて、
一度のビザで何回でも入国出来るのさ・・・

「まあマルチやから大丈夫やと思うが、確認して見るわ・・・」
その場にパスポートまで持ち歩いているのがワシの生活である。
このパソコンバッグさえあれば、
ワシはいつどこにでも逃亡出来て、
そこで仕事から生活から全て出来るのである。

「ビザが切れとった・・・」

かくして北京行きは土壇場で断念・・・
チケットをキャンセルし、とぼとぼと自宅に帰る・・・



自宅には今、何故か家族以外の人間が住んでいる。
通称「マオミー」と言うが、
この人、数年前日本人と結婚して、
何で旦那ほっといてずーっとうちにいるのかようわからんが、
まあプライバシーやし、込み入った話を中国語でするのもめんどくさいので、
気が付いたら何も聞かずにもう1ヶ月近く一緒に暮らしている。

まあ家事一切をやってくれる主婦的人間で、
うちの嫁と違ってキーキー言うこともないので暮らしやすいが、
今これを書いている現在など、
嫁が仕事に行ってるこの時間、
どうしてこの赤の他人とふたりっきりで過ごしているのか少し不思議である。

この前までは「シャオマー」と呼ばれる若い娘が住んでいた。
ある時期など韓国に留学していたその彼氏まで住んでいた。
彼氏も移り変わり、日本語を喋れないアメリカ人まで来た日にゃあ、
中国語と英語の狭間でえらい疲れた・・・

そう言えば当時は嫁も子供連れて北京に里帰りしてて、
数ヶ月その若い娘とふたりで暮らしてたこともあったなあ・・・
よう間違いがおこらんかったもんじゃ・・・

その娘、思えば巨乳系であった。
うちの子供をマザー牧場に連れて行った時、
牛の乳搾りをさせようとして、
その牛を見たその瞬間にうちの娘が牛のオッパイを見て一言。
「シャオマーみたい・・・」

あいつは牛か!

今ではアメリカに留学している。
元気だろうか・・・

ある日、がらっと部屋を開けたら風呂上りのその娘に遭遇したことがある。
むふふであるが、
それ以来ワシは人の部屋には入らないようにしている・・・

人の部屋と言ってもワシの家だが、
うちの家にワシの部屋はない。
このパソコンバッグだけがワシの全てである。
このまま家が火事になって全てを失ってもワシは少しも困らん・・・

昔は家にちょっとしたレコーディングが出来る部屋があった。
昔はそこで数々の名曲を生み出した(これ言い過ぎ!)のであるが、
子供が出来て、制作活動の佳境の時に邪魔されるのも大変である。
ヒドい時には、ワシが物凄くのめり込んでいて、
入り込んで入り込んで、涙流しながら曲作ってて
(実際あるのよ、そんな瞬間・・・)
もうちょっとで出来上がるっつうその瞬間に嫁が部屋に入ってきた。

がちゃ・・・

ずんずんずん・・・・

むぎゅ!
(これワシの耳をつかむ音)

「痛ってー!・・・な、何すんねん・・・(痛くても瞬時にこれを中国語で言うワシ・・・)」

嫁はものも言わずワシの耳を引っ張って、
ずんずんとワシをお風呂場までひきずってゆく・・・

「我給説一百遍了!」

はあ?・・・

言葉が聞き取れてないのか、
あるいは正しく理解出来てないのか、
はたまた状況を理解出来てないのか、
彼女の行動を理解出来てないのか・・・
恐らく全て理解出来てないのである・・・

きょとんとして一生懸命頭を働かせているワシ・・・

嫁はやっと耳から手を放してワシにまくしたてる。
「○☆◇●§£¥★▲※□・・・!」
怒ると早口になる上に、
「罵人話」と言う人を罵る学習したことのない単語が増えるのでさっぱりわからん。

見ると、風呂場の水道からぽたぽたと水滴が落ちていた・・・

きれい好きで神経質で、
耳と鼻が異常にによくて過敏な嫁は、
はたしてその音に我慢出来なかったのか、
はたまた家計を預かる者として水道代の節約のために怒ったのか・・・

部屋に戻ったワシは、
作業を再開しようと思っても、
そのインスピレーションのかけらも残っておらず、
こうして世に出ずに埋もれていった名曲は実は数多い。
(これ、ちょっと言い過ぎ・・・)

うちの嫁、
その時の水道代をケチって、
ひょっとしたら数百億稼ぐやらわからん名曲を失う・・・
(これ、かなり言い過ぎ・・・)



こんなこともあって、
うちの機材を全部仮谷くんちにあげてしまい、
今では全てをこのノートパソコンでやっている。
近所の公園とドトールコーヒーがワシの職場である。



もうすぐマオミーが飯を作ってくれるが、
子供が帰って来る時間を見計らってワシはまたパソコンバッグ持って家を出る。
パスポートも持ち歩いとるし、
このままどっかに行ってしまってもいいのじゃよ・・・

暖かくなって来たんで、北京もええのう・・・

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:11:40

2001年03月02日

嫁が本気でタイ移住を?・・・

NHK中国語会話の最後の収録が昨日終わった。
去年から2年間やらせてもらったが、今年で私は卒業である。

思えばこれに出演するのが夢だった。
10年前、中国に入れ込み始めて、
当時誰も相手にしてくれないのでひとりでこれを見て中国語を勉強した。
当時、アシスタントに朱迅と言う可愛い女の子
(後にトゥナイトの風俗レポーターとなって山本晋也監督と夜の街を闊歩する)
が出演していて、
「中国に行けばこんな可愛い娘がいるんだなあ・・・」
と挫けそうになる気持ちを一生懸命励ましながら、
結局それより可愛い嫁と結婚して(ヨイショ!)今に至る。

タテマエ社会の日本の風習に昔からあまり馴染まず、
友達が裏切ったら殺してもいい中国社会(ウソ)があまりに心地よく、
「中国人と結婚して北京に住むぞ!」
と一大決心してからはや10年。
日本に住んでしまった嫁は今や
「何であんな不便なとこ帰らなアカンねん(これ中国語・・・)」
とのたまいつつ我が夢は今だに実現していない。

思えば小さい頃から描いてた夢は少しづつ実現して来た。
レコードを出してプロミュージシャンになること、
自分モデルのドラムスティックが発売されること、
酔っ払って這って帰れるところに自分のバーを持つこと、
印税生活をすること、
本を出すこと、
キャンピングカーを買って、それを商店街の看板にぶつけて多額の賠償金を払うこと(ウソ)
Jazzドラマーとして認められること・・・

そうそう、先月のJazz Lifeの2000年ベストアルバムに、
五星旗のボーダレス・ラブがドラマー部門で9位に選ばれた。
人知れず長く続けてきてよかったと思える小さなエピソードである。

あとまだ実現してない夢と言えば、
アホの二井原と共に世界に出ることであるが、
まあヨーロッパのライセンスも取れたのでこれもぼちぼちであろう。

人間長く続けていれば何とかなるもんである。



さて、この中国語会話、
私にとって一番悩みのタネが服装であった。
教育番組の予算枠では、もちろんスタイリスト等をつけれるわけもなく、
基本的に衣装は自前である。
人間イヤなことは先送りする習性が有るらしく、
いつも月曜日の朝ぎりぎりになって、収録で何を着るかを悩むこととなる。
数年来服など買ったことがなく、
悩んだところで服などは持ってて数着なので、
視聴者から
「あ、ファンキーさんはまた同じ服だ・・・」
と思われないようにただ順番を変えるだけである。
そうやって2年間、100本以上の収録を数着でやり過ごしたが、
結局「ズボンはいつも同じGパンですね」と指摘され、
さらには気が付いてみればずーっと靴は同じスニーカーであった。

将来科学がもっと発達し、
服と言うモノが臭くならないなら、私など一生同じ服で暮らしたい。
めんどくさいので脱ぐのもイヤである。
朝起きたら、そのままの服で仕事に行って、
帰ってきたらそのままの格好で寝たい。

・・・あ、今かてそうか・・・

「あんたまた外で着た服のまま寝て。きーきー!(これ中国語)」
二日酔いの朝にはキツい寝覚めであるが、
これは厳密に言うと間違いである。
外で着る服で寝ているのではなく、寝る服で外に出ているのである。



だいたい寝覚めてすぐ中国語なのもキツい。
「ほらちゃんと布団をたたみなさい。きーきー!(これ中国語)」
二日酔いの頭でぼーっと、
「そうか・・・たたむと言うのはディエ(die)と言うのか・・・」
と学習する。

最近など子供がちゃんと2ヶ国語を喋るので、子供に発音を正されるのもキツい。
「パパぁ、酢はツー(cu)、ツー(ci)は骨!」
「すまんのう・・・」
5歳のガキに40のオッサンがモノを教わるのも情けない。
自分のガキでなければ張り倒してやりたいぐらいである。
「やかましい!わしゃ日本人じゃい!」
と言い返してやりたいが、こいつらとて日本人でもあるので反論にならん。

NHK中国語会話を2年やらせて頂いて、
これはさぞかしいい復習となって俺の中国語力は・・・と思ってたら、
結局テキストを開いて復習するわけでもなく、
ひたすらスキットのギャグを考えて終わりであった。

収録の合間にはひたすらパソコン開いて別の仕事である。
隔週月曜日を朝10時から夕方まで拘束され、その後は必ずラジオ、
翌日もだいたいラジオであるので、俺の1週間は6日で暮らしていたようなもんである。
合間に仕事を詰め込まねばとてもこなしていけるもんではない。

去年は100本ツアーもやりーの、半分以上外国に行っていたのでまたなおさらである。
八戸でライブ終了後すぐ夜行に飛び乗れば翌朝の収録には間に合うが、
大分から朝いちの飛行機に飛び乗っても10時の入り時間には無理である。
福井から終了後すぐ機材車に飛び乗って車で夜走りで帰って間に合わせたこともあったが、
自分のスケジュールでみなさんに無理言って、
ラジオがあるので早く出させてもらうために
全員が1時間スケジュールを巻いてくれて9時入りとなっても、
その迷惑をかけている当の本人が
物理的に9時には入れなかったりするので恐縮この上ない。

自分がこの番組で中国語を覚えたので、
一応視聴者の先輩として、励みのひとつになってもらおうと、
また基本的に味気ない「学習」と言うものの味付けになればと、
しょーもないギャグを考えてはちりばめたりもする。
聞けば、
「ちょっと喋れるようになったらそれを応用して外に出て使ってみようコーナー」
は、その後全ての語学講座のスタンダードになったと言う。
お役に立てて嬉しい限りである。



さてひとつのレギュラーが終わったら少しだけヒマになる。
日本でのレギュラーは後ラジオが2本半(半は電話で月いちなのでどうでもよい)。
日本に縛り付けられる要素がこうしてひとつひとつなくなっていくと、
考えることはやはり外国へ移住である。
北京がダメならタイである。

タイのChanel[V]のチャートで、私の曲が今2位になっていると聞く。
SPINと言う女の子3人グループだが、
TSUTAYA THAILANDのオーディションを勝ち抜いた後、
TSUTAYA THAILANDの内部抗争に巻き込まれ、
この度グループ名をb'からSPINに変えてデビューした。

彼女達を連れてTSUTAYAを出たS氏は、
TSUTAYAに対抗すべく楽楽と言うビデオレンタルショップのチェーン店を立ち上げた。
タイ語で「Rak」は「愛」と言う意味だと言うからこれは素敵な名前である。
もともとTSUTAYAをタイで60店舗にまでしたのはS氏の手腕によるものなので、
この楽楽の成功は火を見るより明らかである。
「よし、じゃあフランチャイズを受けて1店舗オーナーになれば、
そこで嫁が店長になって生活費を稼ぎ、
俺は日本とタイとで音楽の仕事でその借金を返せばそりゃええ話やなあ・・・」
Jazz-ya北京の安田をS氏に紹介して、どんなもんなのかを聞いてきてもらった。
「いやー、なかなかよく出来たシステムですよ。立ち上げの際には是非協力させて下さい」
安田が言うならそりゃなかなかのもんである。
後は嫁の気持ち次第である。

「これこれこれでこんな話があんねんけど・・・(これ中国語)」
恐る恐るそう聞いてみたのがひと月前。
どの道今は国籍変更の途中なので海外に出れない。
書類は今や入国管理局から法務省にまわり、
受理されれば官報と言うのに名前が載り、晴れて日本のパスポートが取れると言う。

その官報って何じゃい!

役所はわからんことだらけである。
現状で、もし中国のパスポートで出国し、
本人が外国でいるうちに受理されればその時点で日本人となり、
中国人として出たのに日本人として帰るので法律的に非常にややこしくなると言う。
つまり国外には出るなと言うことである。
でも曙って国籍取るのに2年かかったとか言うぞ・・・

まあタイと言う国は全てにおいてWelcomeな国なので
日本と違って中国のパスポートでもめんどくさいと言うこともあるまいが、
どっちでもええから早くはっきりさせて欲しいもんじゃ・・・

かくして私はこうしてタイ移住を虎視眈々と企んでいるわけである。
自分の曲がヒットチャートに入っている国は音楽家としては住みやすい国である。
年をとると寒さが堪えるので暖かい国は申し分ない。
メイドさんが月1万5千円も出せば雇えると言うこの国で住んで、
ツアーやりに来日する日がいつかやってくるかも知れない。
それまでSPINの3人には頑張って売れ続けていて欲しいもんじゃのう・・・



まあそんな夢物語を考えながら、今日は子供を幼稚園に送りに行く。
うちの幼稚園の先生は若くて可愛い先生ばっかりなので楽しい。
「先日もお伝えしましたが、振込口座が郵便貯金に変わりましたので・・・」
別にそんなことは嫁がやるのでふんふん言うだけで何も聞いちゃいない。
若い娘とお話出来るだけで朝から幸せである。
ジジイなので若い娘の空気を少しでも吸っておこうと深呼吸までしたりなんかして・・・
「あ、それから・・・」
帰ろうとしたのを呼び止められたりしたらまたこれが幸せである。
「5月からお仕事の関係で幼稚園をやめられるとのお話はその後どうなりましたか?」
「はあ?」
「あのう、奥さんがおっしゃってた、5月ぐらいから・・・」
「はあ?」
「もし決まりましたら早めに知らせて下さいね」
「はあ・・・・」

よ、嫁は果たして本気でタイ行きを?・・・・
うーむ・・・・

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:12:50

2001年01月04日

高知よいとこ早う独立しなはれ

謹賀新年 謹賀新年 謹賀新年 謹賀新年 謹賀新年 謹賀新年 謹賀新年 謹賀新年 謹賀新年
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21世紀最初のお題:
「高知よいとこ早う独立しなはれ!」
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香川県坂出市で生まれた俺も、
今や母親が生まれ故郷の高知に帰って来たので、
必然的に実家が高知になってしまった。

高知と言えば俺は小さい頃からしょっちゅう行き来をし、
あの難解とされる土佐弁も喋ることは出来ないが聞き取るには問題ない。

土佐の「いごっそ」と言うと酒をたくさん飲むと言うイメージがあるが、
実際高知には「ベグハイ」と言う杯があって、
例えば円錐形になっていて、
あるいはひょっとこのお面の形をしていて口のところに穴が空いており、
そこを指で押さえて酒を注ぎ、
いわゆる注がれた酒は飲み干してしまわないと置けないのである。

皿鉢料理と言う料理もある。
大きなお皿にこれでもかと料理をてんこもりにして、
三日三晩それを魚に酒を飲み続けるのである。

日本のおせち料理と言うのが
主婦を台所から解放するために作られたと言う話があり、
作り置き出来る料理を年末にたくさん作って置いて
正月三が日はそれだけをつまんで主婦を楽にさせると言うものだが、
土佐の皿鉢料理と言うのはその大型版なのではあるまいか。
これが正月だけではなく、何かお祝い事があるごとに出て来るのである。

しかし、おせち料理と違って皿鉢料理が主婦を解放するかと言うとそうでもない。
三日三晩続く宴会の世話はやはり主婦がやる。
当然酔いつぶれた男どもの世話も主婦である。

おふくろの田舎が宇佐と言う猟師町だが、
幼い頃そこの何かの宴会の時に遭遇したことがある。
赤ら顔をした大人と酔いつぶれた男達と、そして甲斐甲斐しく働く女たち・・・
そんな光景が来る日も来る日も続いていた。

実際、親戚のおじさんはアル中で死んだ。
いわゆる日本ではアル中だと人生の落伍者のようなイメージがあるが、
別に高知では
「○○はアル中じゃきぃしょうがないがよね」
と別に何事もないかのように酒を酌み交わす。
いつも赤ら顔をして飲んでいたそのおじさんを思い出す。

かくしてそんな高知で今回年越しをしたわけだが、
とにかく酒も飲まず、紅白も見ず、
毎日子供と共に9時には寝る生活をしていたのだが、
正月そうそうやはり電話でお呼びがかかる。
「何しゆうがぁ?伊勢海老がどっさりあるきぃ、お母さんと一緒に出て来ぃや」
高知の親戚の中でも最上級にファンキーなおばはん、
バーバー山下のアキちゃんである。

ちなみに高知では男性名詞の「いごっそ」に対抗して
女性の場合は「はちきん」と言う言葉を使うが、
このアキちゃんこそは「はちきん」の典型的なおばちゃんである。
言語はちゃきちゃきの土佐弁しか喋れず、
例えばXYZのメンバー等が来た時にも、
二井原曰く「何を言うとるんか全然わからん」と言うほど土佐弁がきつい。
アキちゃんとうちの母がふたりで東京のJazz屋で飲んでいると、
バーテンの南波が
「あのー・・・、どうしてお二人は喧嘩なさってるんですか・・・」
と聞いたと言う。
普通に喋っているのだが・・・

「あんた鍵持っちゅうが?ほいたら先に上がって待っちょいたらわ?」
と言われ、下の子供を連れて先におじゃまする。
アキちゃん一家は初詣に出かけ、母は上の子供を連れて初詣に行っている。
下の子と一緒に鍵を開けて中に入ると、
縦に長いそのビルの2階にある客間にはテーブルとグラスが用意され、
客人のお越しをところ狭しとお待ちしている。

しばらくしてアキちゃん一行が戻って来て、
一番乗りでそこに座っている俺にまくし立てる。
「あんたここやないわね、上へ上がりや」
中二階の台所をかすめながら3階の居間に行くと、
そこにはすでにところ狭しと皿鉢料理が盛られていた。
つまり宴会場が2つ用意されていたのである。
「何飲むがぁ?ビール?お酒もあるでぇ」
はちきんはせっせと酒を振舞い、
到着した宇佐の大ばあちゃんと大じいちゃんを中心に酒盛りが始まる。
「この子が下の子かね?たんまー大きゅうなってぇ」
ちなみに中国語でも感嘆詞として「他 女馬 的(タマーダ)」と言うのを使い、
いわゆる英語で言うFuck'n言葉だが、
用法やシチュエーション等土佐弁とまるで同じである。

下の子を見ると極度の人見知りをしていたって無口である。
聞けば、どうも何を話しているのか全然わからないと言うことである。
土佐弁はすでに彼にとっては第3の言語なのである。
上の子が到着した。
上の子はすでに土佐弁も理解している。
日本語、中国語、土佐弁を解するトリリンガルであった。

親戚がどんどん集まって来る。
アキちゃんの長男の嫁は去年横浜から嫁いで来た。
「何を喋ってるか分かる?」
聞いてみると彼女は小さい声で、
「まだ半分ぐらいしか分からないです・・・」
「あんた外国に嫁いだ嫁と同じやねえ・・・」

人はどんどん増えてゆき、
一家の主であるアキちゃんの旦那さんは、
下に下りて客間の客人をもてなしている。
上の居間には酔いつぶれた親戚がマグロのように寝ている。
よく見る光景である。
アキちゃんは上へ下へとかいがいしく料理を、そして酒を運ぶ。

「あんた何しゆうがぁ?早うおいでや。
これっば大きい伊勢海老がこじゃんとあるがやきぃ」
さすがは猟師町である。
生きた伊勢海老が台所でぴんぴん跳ねている。

「たんまー、カツオがどっさり来たぁ」
頼んだ量を間違えたか食いきれないほどのカツオが大皿に乗ってテーブルに並ぶ。
「残しなやぁ。どっさりあるきねぇ」
ちなみに「残しなやぁ」と言うのは、
残せと言う意味ではなく、残すなと言う意味である。

早々と帰る客にはせっせと車を手配する。
「車はおいちょきや。それっば飲んだき運転せられん!」
「せられん」とはしてはいけないの意味で、
ちなみに高知の標語はちゃんと土佐弁で
「飲んだら乗られん、乗るなら飲まれん」である。

代行運転はさすがに盛んで、
酒が文化である街に相応しい。
聞けば高知県、人口ひとりに対する飲み屋の割合が日本一高いらしく、
また、貯蓄やタンス預金等よりも、
地元でお金を落としていく割合も一番高いらしい。
高知で稼いで高知に落とす。
ここはひょっとしたら独立国家としてやっていけるんではないか・・・

数年前、民放のテレビ局は高知放送しかなかった。
高知放送は高知新聞を発行している。
高知新聞のシェアが他紙を圧倒して90%と言うから凄い。
あの時期、高知放送がクーデターを起こしていたら、
情報を一気に統制出来るので独立出来たかも知れない。

しかし独立したところでどうなのであろう・・・
ここの人達は別に毎日が楽しければそれでいいのではあるまいか・・・
「こんな小さい街に競馬と競輪と競艇とみっつ全部あるがですよ」
土地の人が笑い話でそう言う。
(まあひとつは鳴門にあって券を高知で買えると言うことらしいが)
「年寄りはみんな老後の蓄えやとばかり年金をそれに貯蓄しゆう」
冗談でそう言うが、そう言えば
「ハワイで屋台のたこやき屋をやる」
と言って出て行った俺の従兄弟は今何をしてるのだろう・・・
そんな従兄弟が年寄りになればきっと似たような感じになるだろう・・・



子供が「おうち帰る」とわめくのでそうそうにおいとました。
「もう帰るがかえ?ようけ残っちゅうきぃ、明日も食べに来ぃやぁ」
明日も明後日も、酒と料理が続く限りこの宴会は続くのであろう。
「そんなヒマはない。アキちゃんに頼まれた
”バーバー山下顧客管理データベース”を構築せなアカンがね!」

髪の毛をカットしてもらったがために、
専門家がやれば10万20万とるような仕事を引き受けてしまった・・・
今は子供が寝静まった後に、
「Access完全攻略本」を片手にプログラム作りに没頭している。

「末吉さん、XYZレコードの会計データベースの方を先にお願いしますよ」
事務所の西部嬢の顔が目に浮かぶ。

「末吉さん、原稿はまだですか?」
「中国語で歌おう!カラオケで学ぶ中国語」第2弾の原稿を待つ、
アルク出版の古市さんの顔が目に浮かぶ・・・

「末吉曲のストック、いつになったらCD-Rに焼いてくれるんや」
次のプロジェクトのプロデューサー、バーベQ和佐田の巨体が目に浮かぶ・・・

「末吉さん、原稿お願いしますよ」
週刊アスキー末吉担当、神野女史の顔が浮かぶ・・・

「末吉ぃ、2枚目のアルバム作る言うて曲が足りんでぇ」
三井はんと大村はんのブサイクな顔が目に浮かぶ・・・

「原稿締め切りは12日でいいですね」
タウン情報かがわの担当編集者のナイスバディーが目に浮かぶ・・・

「WeiWeiさんのアルバムの文字稿を・・・」
腰の低いデザイン会社の担当者の引きつった笑顔を思い出す。

「ヨーロッパのライセンス契約、その後の詰めはどないなった?」
二井原の下ネタを喋る時の至福の表情を思い出す。

「20日の北京での演奏曲は?」
綾社長の離れた目と目を思い出す。

「Would you like to do other thing on Press Conference Day?
For Example, you play guitar...」
ドラム以外は勘弁してくれぇ!・・・
・・・そや、高知から帰ったらすぐ10日からタイに行くんや!
岡崎はん連れて1週間・・・そこで全部やったれ!

・・・とばかりこんなどうしようもない文章から先に書いているアホな俺であった・・・

いやー・・・やっぱ南国がええわ・・・
次は早うタイに行こ・・・・

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:22:00

2000年12月30日

年末は子供連れて高知まで船の旅

年の瀬である。

俺は高知に来ている。
フィリピンパブに行くためではない。
子供を連れて母の実家に里帰りと言うわけである。

年末年始の帰省ラッシュで、
飛行機たるや5歳と2歳の子供連れだと往復8万円もかかる。
ちなみに嫁はご両親が北京から来ているので置き去りである。

それにしても去年は働きに働いた俺は、
ツアーで使った「九州まで船の旅35時間」と言うのにえらくシビレた。
数年前、凍った豆満江を渡って北朝鮮に密入国して記念撮影を撮ろうと、
北京から延吉までの37時間列車の旅をしたのを思い出した。

その時もやることがないのでひたすら酒を飲み、
走れど走れど変わることがない地平線に沈み行く夕日を二度見た。
中国は広いなあ・・・と心に、体に、そして胃袋に染みた旅だった。

今回ツアーでフェリーに乗り、
今度は太平洋の水平線に沈み行く太陽を見ることとなる。
いやー、海は広いな大きいな・・・である。

「よし!高知へは船で行くぞ!」
嫁にはまたキチガイ扱いされ、キーキー言われるが、
もともと巧妙な言い訳をするほど中国語のボキャブラリーがない。
「没問題!」
の連発でケムに巻き、往復のチケットを購入。
今度は20時間の船旅である。
しかも子連れで往復4万円。
安い!

結婚して8年してつくづく思うが、
俺ほど家庭と言うものに向かない人間はいない。
女房子供の誕生日や結婚記念日を知らないだけならまだ現実的だが、
基本的にツアーに出たり、音楽に没頭している時には、
家庭とかの存在自体などまるで忘れてしまっている。

よく「辛い時は子供の笑顔を思い出して頑張りました」とか言うが、
はっきり言って思い出すことはまずない。
忘れないようにパソコンのデスクトップに貼り付けたりはするが、
基本的に仕事など、家族のためや子供のために頑張ってるつもりはないので、
辛い時とかにも思い出しようがない。
仕事=音楽だとすると、音楽は基本的に自分のためにやってるし、
音楽以外の仕事も、それがとにかく辛いものであってもそれは音楽のためにやってるし、
辛い時とかしんどい時は、基本的にそのこと以外を考える余裕がないので、
またどちらかと言うとしんどい時が多いので思い出すヒマがないのである。

まあそんな中で育った子供は不幸である。
一緒にいればそりゃ出来るだけ優しくしてやろうともするが、
一緒にいないのでそれも仕方がない。
これは20時間船の上で缶詰にでもされないとマズイぞ・・・

・・・てなもんで嫁の大反対を押し切って船に飛び乗った。

高知行きのサンフラワー号は、
俺や二井原が乗った九州行きの船よりさらに豪勢で、
食堂からサウナ付きの風呂まであり、
旅客は浴衣姿で船内を闊歩している。

そんな中を酒でも飲んでのんびり出来たらいいものを、
ところがそうはいかないのが子供である。
結局船酔いはするわ、熱は出すわで振り回されっぱなし。
まあこれも日頃の子不孝のしわ寄せか・・・

それにしてもこの家族、
何やら日本語ではない奇妙な言語で会話をしとるし、
かと言ってお父さんは喋るとちゃんとした日本語喋るし、
結局は熱を出した子供のために船じゅうの乗組員が帆走してくれ、
この奇妙な家族のために無料で1等船室を開放してくれ、
閉まってしまったレストランから無料でスープを作ってくれ、
思わぬ国際親善に心温まった旅だったのです。

いやー、旅はいい。
特に異国の旅はいいやねえ・・・
(俺は一体どこの人間や・・・)

不眠不休で高知に着き、
子供と共にやっとぐっすり寝た。

いやー、実は体の調子は最近よくない。
それもこれもツアー中に行った健康診断である。
山梨にギター弾きが院長を務める大病院があるが、
そこにバンドみんなで見てもらいに行った。
結果は全員「悪いところはない」である。

これだけ酒を飲み、無茶な生活をしていて悪いところがないのも拍子抜けである。
実は手首がやられていて、それも見てもらうと、
「これは大工さんなんかがトンカチ振ってよくなる病気で、
三角繊維軟骨集合体損傷、通称TFCC損傷っつう病気やな。
まあ手首を振る動きでくるぶしんとこの軟骨がやられてしまうんですわ」
とのこと。
まあ俺の仕事と大工さんの仕事とはよく似ていると言うわけである。
ま、肉体労働やしね。

この病気、手首の関節んとこに機械入れて、
レントゲンで見ながら軟骨削ると言う治療法もあると言うが、
まあそれほどひどくないので休ませれば治ると言うことである。
しかもその間、酒を飲んだりすることは別に手首には影響はないときた。

そりゃ医者からお墨付きの健康体の上に、手首に関係ないとくりゃあ飲むしかあるまい!
と調子に乗って体を壊した。

おかげで最近眠り病である。

クリスマスにも2日間スケジュールが空いていたので、
それこそ朝から晩までずーっと寝た。
マジで1日20時間ぐらい寝るのである。
これは昔からそうだったが、
大きなプロジェクトが終わったり、スケジュールがぽっこり空いたりするとひたすら寝る。
「いやー、毎日1日20時間寝てたよ」
と言うと人は「ヤバイよ、死んじゃうよ」と言ったりするが、
嫁もそう思うのか、「キモチワルイ!オキナサイ!」とばんばん蹴飛ばす。
蹴飛ばそうが殴り倒そうが、寝てると言うより死んでるに近いので効果はない。

人間の体と言うのはきっとうまく出来てるようで、
これ以上無理が出来ない時には体を冬眠させてしまうらしい。
ひさびさに正月にスケジュールが入ってないことを知っている体は、
自らを冬眠させて英気を養おうとしているに違いない。

そんな体の思惑をよそに、
俺は高知のライブハウス、キャラバンサライのマネージャーの西岡さんに電話を入れる。
「いやー、里帰りですわ。ヒマでねえ。何かありません?」
そして新年そうそうドラムクリニックとセッションライブをブッキングした。
ええんじゃろうか・・・

今年の正月は
13時間喋りっぱなし、35km走りっぱなし、その後11時間飲みっぱなし
で始まった。

来年はせめてのんびりとスタートする年でありたいもんじゃ・・・

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:03:50

2000年11月18日

さいはての土地T市で出会った中国人ホステス・・・・

T市よいとこ一度はおいで

昔、爆風スランプがデビュー前、毎月毎月
「大きくてすいません号」で関西にツアーに言ってた頃、
初日である渋谷ライブステイション終了後、街道レストランでコーヒーを飲みながら一言。
「ところで明日の米子ってどこにあるの?」
当時移動日なしの8連チャンとか当たり前で、
今回から初めてブッキングされた米子バンピンストリートでのライブは翌日である。
「米子か?島根県かなあ、鳥取県かなあ・・・まあどっちにしても山陰地方や」
知ってるのか知らないのかわからない返答をする俺。
「ふーん、じゃあどれぐらい時間かかるのかなあ・・・」
当時運転担当であったパッパラー河合が聞く。
「調べてみよう・・・」
地図などを引っ張り出して調べてみる。
「末吉ぃ、まずいよぉ。雪道で山越えだし15,6時間はかかるよ」
げっ!
飲みかけのコーヒーをそのままにすぐに出発。
ひたすら運転して着いたのがやっと入り時間であった。
そのまますぐに機材搬入してライブ・・・

まあそんな思い出も笑い話であるが、
今回の五星旗の工程もそれに近いものがあった。
大阪終了後、夜走りして、翌日T市に着くのは午前中だろうと言う。
ひえー・・・
「ロイヤルホースでは飲酒禁止!
もたもたせんですぐ積み込みして出発!
ワシがへばったらメンバーが運転代わってや!」
同行した綾社長が激を飛ばす。

ところで俺のお袋はK県のUSAと言われる宇佐出身である。
(単にローマ字で書くとUSAと言うだけの話)
K県には小さい頃から数限りなく行ったことがあるが、
K県の隣の宇佐の、まあその隣ぐらいがT市かと思ってたら大間違い。
夜走りして朝方K県に着いた時、T市出身のベースの仮谷くんが一言。
「ここから更に、今まで走ったぶんぐらいありますから・・・」
ひえー・・・

仮谷くんが運転を代わって、曲がりくねった一般道をひたすら走る。
それが本当に走れど走れど着かない。
同じ百数十キロでも高速と山道とは違うのである。
「もうすぐかなあ・・・」
誰ともなしに声が出る。
「以前清水アキラがT市に来た時もこの辺でそのセリフが出たそうですから・・・」
ひえー・・・
海沿いの道に出て、朝焼けの中ひたすら走る。
海沿いと言っても曲がりくねっていることに違いはない。
「でも景色はいいし、何かいい田舎って感じやなあ・・・」
ピアノの進藤くんがやたら感激している。
「その田舎を通り抜けて更にもっと田舎に行くんですから・・・」
仮谷くんがそう説明する。

もう着くだろうと言うぐらいになって、景色がおもむろに賑やかになって来た。
「着いた?」
みんなの開放感が口から出るが、
「ここは最寄の一番大きな街、N市です。さらに1時間あります」
ひえー・・・

T市と言えばもう四国の端っこである。
ほう・・・俺たちは四国を半分横断したわけね。
それにしても四国ってこんなに広いのか・・・

列車はK市からN市までしか通っておらず、
そこからは更にバスでゆくことになると言う。
最寄の鉄道駅まで50kmと言う街なのである。
仮谷くんが帰省しようと思っても、
K空港まで飛行機で行って、
バスでK駅まで行って、
それから列車でN駅まで行って、
それからバスに揺られ・・・
とあまりに遠いのでめったに帰省しないと言う。
いわゆる車を持ってないと生きていけない土地である。

「みなさん、言っときますけど、外国だと思っててくださいよ、言葉通じませんから」
と仮谷くん。
なになに、K県弁ならお袋が喋ってるので聞き取れると思ってたら、
街に着いておばはん同士が何喋ってるか全然わからんかった・・・
旅館の大広間で仮眠を取らせてもらって午後2時起床。
メシを食って会場に向かう。

F会館と聞いていたのでコンサートホールかと思ったら
「パチンコF会館」の3Fの結婚式場だった。
まさに地元の人達の手作りコンサートである。

楽屋は新婦の着替え部屋。
・・・さて、ここからが本題である。
その楽屋から隣のビルのとある部屋が見えた時からこの物語は始まる。
(長い前置きやなあ・・・)



「お、凄いやん、あれ絶対ホステスやで・・・」
窓から景色を眺めていた綾社長がそう叫ぶ。
「どれどれ・・・」
男どもが全員窓に張り付く。
そして見えたのがフィリピン人らしき人影。
「フィリピンパブかなんかがあるんですか?」
地元の人に聞いて見る。
「そうなんですよ、最近はチャイニーズパブまで出来ましてねえ。
それが出来たとたんにT市の本屋から中国語の教材が売り切れたんですよ。
もう先に言葉覚えたもんの勝ちですからねえ・・・」
NHK中国語口座、一番視聴率がいい地域はここ、T市かも知れない・・・

さてそのフィリピン人ホステスに手を振ったら笑顔で手を振り返され、
「よーし、今晩はフィリピンパブに繰り出すぞ!」
と血気盛んな俺たちである。
ライブをちゃんとオンタイムで始め(普段は必ず押すのにねえ)、
地元の人が催してくれた打ち上げの席でも、
「フィリピンパブ!フィリピンパブ!」とうるさい。

「じゃあ行きますか・・・」
地元の人が腰を上げる。
聞けばこの狭い街、
総人口が2万人に満たない街にフィリピンパブが2軒あると言い、
ひとつはこの会館の関連の店だが、
俺たちに手を振ったのは違う方なのでそちらに行くのでは義理が通らないらしい。

まあ俺にしてみればフィリピンパブでさえあればどちらでもいい。
間違ってもチャイニーズパブなどに連れて行かれた日にゃあ、
よくてホステスの身の上相談、悪くて酔客の通訳で終わってしまう。
「フィリピン!フィリピン!」
うるさい一行が街を闊歩し・・・と言いつつも、
繁華街など歩いて数分で一周出来るぐらいなのであっと言う間に着いた。

入り口にはご丁寧に顔写真が張られている。
指名も出来るのであろう。
よく見ると、ケバい感じのフィリピン人に混じって・・・
何とチャイナドレスを着た数人のホステス・・・
「あのー、おっしゃってたチャイニーズパブってひょっとして・・・」
「ああ、ここですよ。フィリピンパブに最近チャイニーズを入れたんです」
げっ!

店内に入ると接客しているホステスが一斉にこちらを向く。
中にはライブに来ていたフィリピン人もいる。
後で聞くと、「同伴」と言うことで、
その後ホステスと一緒に店に来るならライブに連れて行ってもいいらしく、
これも水商売のひとつのスタンダードらしい。

「ワシあの娘がええ」
「いや、ワシはあの娘がええ」
などと口々に言うが、そうは思い通りの娘がテーブルにつくわけではない。
一番若くて可愛い娘はすでに別テーブルで接客している。
「イラッシャイ」
それでもまあまあ若くて可愛いフィリピン人ホステスがテーブルにつく。
地元の人が気を使って俺の右隣に座らせてくれる。
やったー!
「イラッシャイマセ」
今度は確かに若くて可愛いが、見るからに中国人。
「俺んとこ来るなよ、絶対に来るなよ・・・」
心の中でそう祈っていたが、地元の人が気を使って俺の左隣に座らせる。
がーん・・・
そしてよせばいいのに俺が中国語を喋れると説明する。
「あら、中国人?違うの?日本人?それにしても中国語うまいわねえ」
まだ日本語をほとんど喋れない彼女の目がランランと輝く。
がーん・・・
それから先はお決まりの身の上相談である。
しまった・・・
と思ったが時すでに遅し。
右隣のフィリピン人ホステスはその右隣の客の接客を始め、
俺はすでに左隣の彼女の接客である。
いや、正確に言うと俺が彼女の接客である。

「見ましたよ、ライブ。
よかったわー。中国語の歌も聞けて・・・
懐かしいわ・・・
え?私?来てまだ2ヶ月目。
日本語なんかまだ全然喋れないし、
この店の上で一緒に暮らしてる中国人ホステス以外の人と中国語話したのは初めて。
嬉しいわ、中国語で話が出来るなんて・・・」
これではT市で中国語の教材が売り切れたわけである。
「先に喋れるようになったもんの勝ち」と言う意味がよくわかる。
そして彼女の話はだんだん熱をおびて来、目が潤んでくる。

「東京から来たんですか?
東京はここなんかに比べたらもっといいですよねえ。
どんなところかなあ、東京って・・・
え?どこも行ったことないわよ。
沈陽から飛行機に乗って、広島で乗り換えて、そしてここ。
私にとって日本ってここしか知らないの。
友達?日本語喋れないし・・・・
第一ここに中国人って私達4人しかいないもの・・・ひとりもいないわよ。
彼女達とうまくやってるかって?・・・うーん・・・まあまあかなあ・・・」
彼女の顔がちょっと曇る。
話題を変えるように彼女は笑顔で話を切り返した。
「それにしても今日は私が日本に来て一番嬉しい日。
仕事しててね、こんなに中国語でお話出来て、最高の日だわ。
ねえ、あなた。
もし私が他のテーブルに呼ばれたら、指名して私をよそに行かさないで。
私、あなたとずーっとこうして話していたい」

げっ!・・・
右隣のフィリピン人ホステスが気になるものの、
俺は以後ずーっと彼女の独占物である。
頃合を見てトイレに立つ。
そしてついでによそのテーブルに座って、しばし地元の人のご機嫌を伺う。
彼女はと見れば、同じく地元の人を接客しているが、
ちらりちらりとこちらを見ている。
日本語喋れなくての接客も辛かろう・・・

「ごめんね、ほら、地元の人が頑張って俺たち呼んでくれたでしょ。
お礼言ってまわらなきゃ・・・」
そして結局は彼女のテーブルに帰って行ってしまう俺である。
そしてその後、俺はずーっと彼女の話し相手、兼、彼女と地元の人との通訳・・・

「閉店でーす」
スキンヘッドのこわもてのマネージャーがお愛想にまわる。
いくらかかるのかは知らない。地元の人の奢りである。
女の子達が入り口でずらーっと並んでお見送り。
帰り際に彼女に声をかけて見た。
「M市かK市だったらライブに来ることあるし、休みだったらまた見においでよ」
彼女の顔がちょっと曇る。
「車も持ってないし、無理だわ・・・」
思えばここは天然の要塞。
日本語を喋れなくてバスを乗り継いでこの土地を出るのは不可能である。
ちょっと彼女に同情しながら店を出る。

「もう一軒行きますか?」
「行く行く!もう一軒のフィリピンパブ行こう!」
突然元気になる俺。
「フィリピンパブはどちらも12時までなんですよ。
系列の店に行きますか・・・」
「行く行く!フィリピンじゃなくても日本人ホステスでも何でもええ!」

連れて行かれたお店は同じく系列のスナック。
しかし、見るからにがらんとしていて、ホステスもひとりしかいない。
「ま、いいでしょう。飲みましょう」
男4人でテーブルに座る。
たったひとりの日本人ホステスは他のテーブルで接客中。
「女の子呼んで来ましょうか」
地元の人がおもむろに立ち上がって外に出て行く。
「どう言うシステムなんですか?」
聞けば、先ほどのお店の女の子を「アフター」として連れてくると言う店らしい。
アフターしたいお客さんは、先ほどの店の店長にその旨を告げると、
ここの店等系列店だと許されるらしい。
他の店に行こうなどと言っても女の子の方から断られるのがオチらしい。

「女の子、全員予約が入っていてダメなんですー」
地元の人が悪そうに帰ってくる。
「まあいいじゃないですか、飲みましょうよ」
男同士の酒のほうが美味かったりする。
「おつまみの出前をしますが・・・」
メニューを持ってくる。
食べ物は全てが出前らしい。
「系列店の居酒屋から出前するんですけどね」
地元の人が耳打ちする。

しばらくすると団体さんが入ってきた。店がいきなり慌しくなる。
一緒に入ってきた女の子は全て先ほどの店のホステスである。
彼女もいた。目が合った。
何か言いたそうにずーっとこちらを見ている。
俺も地元の人と酒を飲みながら時々様子を伺った。
「いやー、うまいこと出来とるんですよ。
向こうの店はチャージが5000円でしょ、
こちらは3000円で安いと思うんですけど、
実際は女の子のぶんまで払わなアカンから6000円なんですよ。
実は1000円高いのに得した気分になるんですね」
地元の人が説明してくれる。
見ればいつの間にかスタッフは全て先ほどの店のスタッフがそのまま働いている。
彼女は酔客の相手をしながら、ずーっとこちらを見ていた。
時々酔客に笑顔を振り撒きながら、そして何かを言いたそうにこちらを見ていた。

「帰りますか・・・」
男4人で飲むだけ飲んで立ち上がった。
彼女の方を見ると、酔客が彼女に覆い被さってキスをしていた。
気づかれないようにそっとその店を後にした。



翌日、車の中で綾社長は上機嫌である。
「いやー、飲んだ飲んだ・・・。
昨日の日本人ホステス、かずみちゃんね。
16歳で出産して現在25歳で2児の母・・・」
よう知っとるなあ・・・
「いやーそれにしても昨夜末吉が話してたあの中国人、
次の店のトイレで会うたんやけど、
俺がニイハオとか中国語で挨拶した途端、
○☆★◎◇△□▲▼◇言うていきなり中国語で返されてもなあ・・・
俺がもっと喋れる思たんかなあ・・・そんなに中国語喋りたいんかい!」

・・・いや、やっぱ喋りたいんやと思うで・・・

二日酔いの俺たちを乗せた機材車は、
また山道を長い間かけてK県まで・・・
途中俺の携帯が鳴った。携帯の番号表示は「公衆電話」。昨日の彼女である。
「昨日はほんとにありがとう。もっともっとお話したかった。
2軒目の店であなたに会った時、心は焦って焦って・・・
でも別のお客さんについてるから仕方ない。また会えますか?
今度こっちに来る時には必ず連絡下さいね。
ライブ頑張ってね。成功すること祈ってます」

「末吉ぃ。モテるやないかい・・・」
綾社長がそう茶化す。
「また連絡下さいね。の連絡先どこか知っとるか。あの店や。これが水商売の世界やで」
もらった角の丸い名刺を車の窓から放り投げた。
彼女の源氏名と店の番号、
そして手書きで彼女の本名と中国の実家の電話番号が書かれた名刺が
風に吹かれて黒潮の海に落ちた。

さいはての土地、T市。ちょっとBluesな素敵な街だった。

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:12:20

2000年11月08日

オリコンに載っていた

前回のメルマガを見て多量のResを頂いた。
大半が大阪の人だった。
まあほとんどが
「東梅田は谷町線で、四ツ橋線は西梅田やでぇ」
と言うご指摘であったが、
それにしても地元を愛すると言うか、
地名のひとつひとつ、店のひとつひとつに対する郷土愛が伺える。
これも一種の大阪人気質か・・・

一般的に関西人は逞しいと思う。
タイで大きなプロジェクトとして女の子をプロデュースしているが、
日本人であるその会社の社長も、そこで働く社員も、
ひいては取引先の日本人スタッフも全員関西人であった。
彼らは標準語として関西弁を喋り、関西の習慣に則ってビジネスをし、
そして関西のシステムに則って会社を運営しているに違いない。
そこのタイ人スタッフはそれが日本企業の通常のシステムだと思い、
疑うことなくそれに則って働く。
私が見る限り人情味溢れるいい会社である。

これって中国で言うと福建人の架橋社会に似てないか?
彼らは標準語とされる北京語ではなく、
北京人にはまず聞き取ることが出来ない福建語を喋り、
福建ポップスを聞きながら、
恐らく福建独特の民族性に則って福建独特の食物を愛していることだろう。

今度タイに行ったら、社長の家にタコヤキの鉄板があるかどうか聞いてみよう。
そしてその子供達がタコヤキをおかずにご飯を食べるかどうか・・・
そしたらひょっとしたら五星旗やXYZのライセンスより、
関西の文化の代表である「三井はんと大村はん」のライセンスをやった方が
早いかも知れん。
そうか、「三井はんと大村はん」って中国で言うと福建ポップスやったのか・・・

話はもどって、前回の私の間違いにより、
その串カツ屋がどこにあるかが気になって夜も眠れないと言う方々のために、
今回ちゃんとその場所を説明したいと思う。

大村はんちは守口の淀川沿いにある。
沿線はご指摘の通り谷町線であった。

~朝起きて~谷町線に乗って~
「三井はんと大村はん」の「淀川リバーサイドBlues」の歌詞の一節だが、
私が~四ツ橋線に乗って~と書いていたのを添削されたのを思い出した。
まったくもって学習せん・・・

東梅田について、そのまま地下街をJR大阪駅を目指してゆく。
JR大阪駅の御堂筋口に出る上がり口のところにノレンがあって、
そこで立ち飲みをするオヤジ達の姿が見えることだろう。

吾妻さんだったか誰だったかとある偉大なブルースマンは、
ツアーの度に必ずこの串カツ屋に寄ると言う。
だが今だかつて私は酔いどれサラリーマン以外の人間と会ったことがない。
まだまだ通い詰めが足りないと言うことか・・・
まあみなさんも行ってやって下さい。
そして~帰りには~へんこつやで一杯~こんな俺の淀川リバーサイドBlues・・・

正しい大阪でのBluesの食生活(Soul Food)やと俺は思う。

さて、今日のお題
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オリコンに載っていた・・・
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基本的に興味がないと言うか、あきらめていると言うか、
発売日には必ずオリコンのチャートをチェックする事務所と違って、
うちの会社はまるでそんなことはしない。

それ以前にこのオリコンと言う業界紙はべらぼうに高い。
およそ本と言う値段の概念を覆すほどの値段である。
そんなものを買う金もないのもそうだが、
いちいちよその事務所だのラジオ局だのにそれを見に行くヒマもない。

昨日ラジオの収録にファーストサウンズに行ったら、
ディレクターのK氏が「オリコンに載ってましたね」と言うので
言うにことかいて「何がですか?」と聞いてしまう自分も情けない。
発売に合わせてキャンペーンまでやってたではないか・・・

見ると、番外の隅の方に、
179位 LABYRINTH X.Y.Z.→Aと載っている。

前回のアルバムは発売当日に品切れを起こし大騒ぎになってたので、
しめしめ、これはひょっとして・・・
とオリコンなど調べてみたりもしたが、
その次のビデオ「Early Days」にびっくりするような受注が来たにもかかわらず、
それより売れてない数字のビデオが入ってて
「Early Days」が入ってないことからもうチェックすらしなくなった。

いったいこの数字ってどうなってるんだろう・・・
いつも疑問である。
シングルの100位以下と言うのには枚数は掲載されてないが、
ちょっと下には桂雀三郎さんの「ヨーデル食べ放題」が入っているからもっとわからない。
関西人しか知らないと思ってたこの歌って、実は売れてたんか?・・・

まあでもやっぱ載ってたら載ってたで嬉しいもんである。
電通からお話が来て、デジキューブのCMソングに使ってもらってるのも嬉しい。
テレビをあんまし見ない私はその曲が流れたり、
テロップに名前が載っているのも見たことがないが、
まあ人並みに認められてると言う安心感が嬉しかったりするのであろう。
「この勢いで一気に売れたるでぇ」
と言うのとも種類が違うと思う。
まあチャートと言うのにそんなに命をかけてないから、
思わぬところでこんな話を聞くとちょっと嬉しかったりする。
そんな感じなのでしょう、きっと。

ところで12月19日にはXYZの100本ツアーがファイナルを迎える。
当日は、演奏終了後には客を出した後、ファンクラブ会員のみを再入場させて乾杯をやる。
その時には「マジで僕、泣くかも知れんですよ」と橘高が言っていた。
ファンが応援して来てくれたのは俺たちのチャートではなくライブだったからね。
ファンクラブの優先予約だけですでに数百売れているが、
一般チケット発売が先日始まったばかりである。
売れ行きはどんなもんだろう。
チャートより気になるのは実はこっちだったりする。

そしてもっと心配なのは俺たちが無事に当日を迎えられるかと言うことである。
実は今からツアーに出発する。
仙台を皮切りに、新潟、長野、そして山梨・・・
移動日には山梨で人間ドッグに入る予定。
岡崎はんの例もあるし、人間どこにどんな病気持ってるやらわかりまへんからなあ・・・
あと20本足らず!その後四国まわって九州まわって大阪、名古屋。
でもその間に五星旗のツアーもあるしなあ・・・
あと1ヶ月でこれ全部やるんかぁ・・・・
東京でのレギュラーの収録もあるしなあ・・・
マジで大変かも知れん・・・

ほな行ってきま-す。

ファンキー末吉



ps.
前回のResにも多かった関西の洗髪制度・・・
ハゲの人は払うべきかどうか考えて夜も眠れん・・・
大村はんはどうだったか聞いたら、
「洗髪料、払おうとしたけど受け取ってくれんかった」
だそうだ。
うん、これも関西・・・

Posted by ファンキー末吉 at:07:40

2000年11月05日

大阪よいとこ一度はおいで。岡崎猛退院のメッセージ

大阪よいとこ一度はおいで

今日が大阪芸大の学際と言うことで前乗り(前前乗り?)して大阪に入ってた。
宿は大村邸があるので別に経費がかかるわけではなく、
まあ経費と言えば夜な夜なの飲み代ぐらいであろうか・・・
(これがまたべらぼうにかかるのであるが・・・)

大村邸の近所に「へんこつや」と言うホルモン屋があり、
今回「三井はんと大村はん」のCDジャケットにもなったこのDeepな店なのだが、
またここの白ホルモン盛り合わせがまた絶品!

ホルモンと言うのは「ほおるモン」と言う関西弁から来ていると言う話をご存知か。
一説によると戦後の被差別と貧困に苦しむ関西在住の在日朝鮮人達が、
牛の内臓をきれいに洗って調理すると美味いことを発見し、
ふつうは「ほおるモン」だったものを「ホルモン」として売り出したと言う話である。
言わばこれは関西が生んだ世界に誇れる食文化ではあるまいか。

LAのコリアンタウンにはよく言ったが、
そこでのホルモンはとてもじゃないけど食えたもんではなく、
日本の、しかもここ大阪のホルモンの美味さには下を巻く。
特にここ、「へんこつや」の七輪で焼くホルモンは絶品である。

ところがこのへんこつや、儲かっているのか最近ドアをつけた。
昔は寒空に肩を寄せながらノレンを潜って一杯だったのが、
今はドアを開けて一杯である。
寒くなくてええではないかと言う声もあろうが、
密室の中で七輪でホルモンを焼くと言うのも一種拷問である。
風呂上りにいつもここに来るが、
風呂の意味はビールを美味くする以外にはない。
煙にまみれながら目を擦りながらホルモンにマッコリ(韓国の濁り酒)をすする、
これまた関西の文化である。



昼間は四つ橋線に乗って東梅田まで出る。
梅田駅の方に歩いて行くと、
御堂筋線の乗り口の横に立ち食い串カツ屋がある。
カウンターには揚げたての串カツがならび、
キャベツのぶった切りとソースの壷がある。
好きな串カツを選んではソースをつけて勝手に食うのである。
キャベツは無料だが、衛生上ソースの二度付けは禁止である。

ソースの二度付け禁止と言えば、
東京での自宅近所にある武蔵小山の立ち食い焼き鳥も有名だが、
そことこことの大きな違いは、
カウンターの中のおばちゃんであろう。

東京の人間と言うのはあんまし喋らんのか?
それとも関西のおばちゃんが喋り過ぎるのか?
とにかくこの串カツ屋のおばちゃんは何やらずーっと喋りまくってるので、
こうしてひとりでふらっと言ってもたいくつしない。



そう言えば俺って東京でおるときよりも関西での方が有名なんか?
なんか街を歩けばおばちゃんに振り返られる。
やはりNHKの影響力は偉大だが、
大阪のおばちゃんだけが中国語を学習してるわけではあるまい。

二井原とふたりでXYZのキャンペーンに行ったが、
レコード店でファンに捕まってサインや写真撮影はまあよかろう。
問題はそれを店の外から取り巻いて見ているおばちゃん達である。
「ファンキーはホンマ有名人やなあ、おばちゃんばっかり・・・」
とは二井原の感想であるが、
そのおばちゃん達は俺のことを何をやってる人と思てるんやろ・・・
CDのキャンペーンのためにCDショップを表敬訪問してるとは夢にも思うまい。
「中国語の先生がCD買い物してはるわ」
ぐらいの認識ではあるまいか・・・

二井原曰く、
俺が別に関西だけ特別に有名なわけではなく、
東京では「あ、あの人や」と思うてもそれを態度には出さないだけらしい。
やっぱ関西人は偉大である。
いろんな諸外国に行って、
大きな声で話してる日本語を聞くと、それは必ず関西弁である。
日本のラティーナと言っても過言ではあるまい。



さて話はまた食い物に戻るが、
関西で一番好きな場所と言えば、生野区のコリアンタウン近くである。
金ちゃんと言う在日朝鮮人の女の子と北京で知り合い、
今ではその一族と家族ぐるみで付き合っている。

初めて金ちゃんちに行った時はちょうどお姉ちゃんの結納の日で、
朝鮮料理がテーブルじゅうに並び、
近所のキムチ屋のおばちゃんがお土産にキムチやらいろいろ持たせてくれ、
若いモン連れて23時間営業のデラックス銭湯に行き、
その辺で冷麺などをすすると、もうこの街を後にしたくなくなる。

そんな中で発見したとある韓国食堂。
韓国人のおばちゃんがひとりでやっているのだが、
これが日本語はまるでと言っていいほど喋れない。
身振り手振りで注文をし、
おばちゃんは作るのに忙しいので生ビール等は自分で入れる。
ポッサム・キムチとか何たらチゲとか、
むちゃ美味い料理が数多く並ぶのだが、
金ちゃんとか金ちゃんのお母さんとかがいないと通訳する人がいないので
同じ料理が出て来るかどうかはもう運しかない。

メニューにはマッコリは置いてないのであるが、
どうしても飲みたい時には
「マッコリ、マッコリ・・・」
と連呼していると、どこやら電話をして韓国人のお姉ちゃんが買ってきてくれたりする。
これもまた運である。

もう何度も通っているので
おばちゃんも「あの日本人がまた来た」のノリで非常によくしてくれるが、
また来てね、のつもりでもらった電話番号も、
俺が韓国語を喋れない限り無用の長物である。



さてこの辺の名物もデラックス銭湯なのであるが、
大村はんの近くには極めつけ「摂津の湯」と言うのがある。
関西の銭湯の料金は東京よりは安いが、
げせないのは「洗髪料」と言うシステムである。
10円と言う安さではあるが、これはひとえに自己申告制で、
髪の毛を洗う人だけが申告して払うと言う、
言わばこれも関西人の人のよさを表しているシステムではあるまいか。

しかしこう言うファジーなシステムがまた関西なのであろうが、
問題は大村はんのようなハゲである。
もともと洗髪をすると水をたくさん使うからと言うシステムなのであるが、
ハゲはどうなるのだろう・・・

またこのシステムはズルをした人間が髪の毛が濡れていることによって摘発されるが、
ハゲの場合はその証拠が残らない。
いや、それ以前に、
顔を洗っていておでこの延長で頭までつるっと洗うのは洗髪か・・・
いや、洗髪とは髪の毛を洗うものであって、
頭皮を洗うのは洗髪ではあるまい・・・・

そんなことを考えて夜も眠れない大阪の夜である・・・・



さて今日のお題。

岡崎はん、ついに退院!

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動脈瘤によるクモ膜下出血により一時は生死の淵をさまよってた
五星旗のギタリスト岡崎猛が
医者も驚くほどの奇跡の回復力を見せてついに退院した。

退院と言っても当然ながら全快と言うわけではなく、
通院しながら自宅療養、そしてリハビリである。

本人からMailが来ているので皆様にご紹介。

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題名: まぐまぐ~~のせて



みなさん、今回は本当に心配かけました。
11月3日に退院することができました、体力的にも
まだまだですが無事自宅療養までこぎつけました。

いやはや、今回は本当にまいりました。
自転車で軽い気持ちで病院に来たつもりが、
こんな事になるとは夢にも思いませんでした。
脳動脈瘤が二つ。
一つは今にもはじけそうな1・7センチもあるそうで
まだ調べてみるから他にもあるかも?
といわれた時は 結局なかったが
死刑宣告されたような気持ちで、目の前が真っ暗になりました。

それからはとりあえず、仕事先に電話を入れそのまま入院、
そこまでが僕の記憶であります。
それから20日意識がなく、後から自分におきた病状を知る事になりました。
生きてこうやってメール打ってるのが奇跡みたいなものだとゆうことが・・・

と言うことで人間僕みたいに温厚に生きてても一歩先は分からんもんですね~

二回もらった人生何かないかな~?
と思ったがやっぱりギターが好きなので
またリハビリしてへたなギターに磨きがかかるようにがんばります。



岡崎 猛

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と言うわけで岡崎はん、リハビリ頑張ってくらはい。
わては大阪で飲んでます。

ちなみに大村はんはやっぱり洗髪料の10円は払ってないそうです。

では。

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:17:10

2000年10月21日

三井はんと大村はん結成。そしてタイプロジェクトの話

三井はんと言う男がいる。
アホである。

その昔、通称TOPSマンションっつうのがあって、
和佐田を含む、TOPSと言うバンドのメンバーが池尻のマンションで合宿生活をしていた。
私やジャニーズのグッバイのメンバーなどがよく出入りをしていたのだが、
この話はとある狂乱の宴の夜のこと・・・

酔いつぶれずに残ったメンバーは私とグッバイのドラマー、えとうこういち、
そしてTOPSのボーカリスト、三井はん。
人間あまりに多量の酒を摂取し、あまりにアホなことばかりを喋っていると、
次第に特殊な脳内麻薬、アホデッシャネン(すまん!今勝手に命名した)が分泌され、
危ない薬物などやらなくてもそれに匹敵するぐらい十分ハイになるらしい。

その夜、どれぐらい飲んだかは定かではないが、
気が付いたら三井はんは素っ裸であった。
どんなアホな話をしてたかは定かではないが、
すでにみんなは危険なぐらいアホデッシャネンが分泌され、
ハイになっていて気が付いたら全員素っ裸で車座になって笑い転げていた。

笑い転げると言う表現が日本語にあるが、
人間、あまりにおもろいことがあると、本当に転げまわって笑うようだ。
何を喋っていたのか全然記憶にないが、
男ばっか全員素っ裸で酒を飲んでいると言う特殊な状況が拍車をかけ、
もう誰が何を言っても文字通り、転げまわって大笑いをしていた。

男と言うのは女と違って独特の突起物を所有しているので、
女と違っていちいち鏡等を持ち出さなくても
その突起物を自分の目で見ることは容易である。
しかしキンタマ袋の裏っかわと言うのはなかなか見る機会はない。

その夜、私は真正面に座った三井はんが笑い転げる度に、
そのキンタマ袋の裏っかわと言うのを初めて真正面に見据え、
「ああ、キンタマ袋の裏ってこうなっとんのか・・・」
とまたアホデッシャネンの分泌が促進され、
そんな特殊な状況がまた酒量に拍車をかけ、
今や誰がどんなギャグを言っても笑い転げ、
そしてまたその状況がどんな特殊な状況に変化したとしても、
誰もそれを不思議だとは思わず受け入れてしまう、
そんな夜であった・・・・

誰が言い出したのか
「よし、池尻神社にお参りに行こう!」
それを受けて
「せや、せや!お参りに行こう!」
もうお参りをしなければ話は始まらない、と言ったそんな新しい状況が生まれた。

TOPSマンションは246沿いにあり、
マンションの玄関を出て右に出て246の歩道を数軒行ったところが池尻神社である。

えいほ、えいほ・・・

全員で表に飛び出したのだが、
あまりに酔っ払っているので視界はまるで200キロで失踪するバイクのように狭く、
私は自分のすぐ前を走る三井はんの尻だけを見ながら走っていた。
表が心なしか部屋より明るいことは認識しながらも
「ヤバイ!いつの間にか朝になっとるぞ」とは誰も言わず、
246が通勤通学でいつものように大渋滞していることを認識しながらも、
すし詰めのバスの乗客が目を丸くしながら通り行く私たちを見ていることも、
歩道を歩く人々が悲鳴をあげながら道を空けている状況も全て認識しながらも、
何故か「前をゆくこの尻を見ながら走ることが俺の生きて来た証である」とも言うべき、
神の啓示にも似た確固たる使命感と共に数十メートルの歩道を駆け抜け、
そして右に折れて池尻神社の境内に入った瞬間に、
そこを掃除していた神主さんが腰を抜かすのを見た。

「その格好で入ってはいかーん!」
レレレのおじさんのような竹ぼうきを持ちながら、
両手でストップを出す神主さんを
「ええい!」
とばかり横に押しのけ、
私の目の前の尻はずいずいと境内の中に進んでゆく・・・

賽銭箱の前で鈴をならし、
大きな音で手をぽんぽんと鳴らし、
ふたり並んで何をお祈りしたかは今となってはもう定かではない。

えいほ、えいほ・・・
またその尻を見ながら帰路に着く。
神主さんはすでに呆然としているのが見え、
同じく裸なのだが、勇気がなくて神社に入れなかったえとうこういちが
鳥居の影に隠れて恥ずかしそうにしているのが見え、
神社を出て歩道を左に折れて家路につく・・・

反対側から来る通勤客がモーゼの十戒のように道を空け、
渋滞で同じ所にまだ止まっているすし詰めバスからは、
乗客が身を乗り出してこちらを見ているのが見え、
そしてTOPSマンションの窓からは
TOPSのメンバー達が身を乗り出して覗いているのが見え、
そこに胸を張って手を振りながらTOPSマンションの門をくぐった。

気分はまるで新記録を打ち立てたマラソンランナーである。
みんなに拍手喝采で迎えられ、
そして何を喋りながら何を飲んだのかはもう覚えていない。

そんな三井はんは今、
加古川に引っ込んで、好きな釣りの合間に
XYZのロゴやキャラクターグッズのデザインをしてくれている。



大村はんと言う男がいる。
ハゲである。

いつ頃からか頭にはほとんど毛はなく、
しかし本人も別にそれをコンプレックスに思うどころか、
人にウケと認識を得る武器として使っているところもあるぐらいである。
これもまたアホである。

ギターフリークで、
京都産業大学の軽音学部時代には
「京都三大ギタリスト」ならぬ「京都産大ギタリスト」と呼ばれていたらしい。
淀川っぺりの彼のマンションには無数のギターが並び、
そしてそこが関西での私の寝床となる。

ラグタイム・ギターと言うジャンルの奏法がある。
私がそれを最初に聞いたのは、上田正樹と有山じゅんしの「ぼちぼちいこか」であったが、
1本のギターで、ギターのみならず、
ドラムやベースの役割までこなしてしまう気色のよい奏法である。
チョッパーと言うベースの奏法が編み出されたのは、
実はその日の仕事にドラマーがおらず、
ベースが仕方なくドラムの役割もやったところから始まったと言うが、
ラグタイム・ギターこそこのような究極のひとり芸であろう。

察するに大村はん、やっぱり友達があまりおれへんのやと思う。
せやからこの奏法の名手になったんやなあ、きっと・・・

時には数日、合鍵を借りて大村邸にひとりで泊まることもあるが、
家の電話は鳴ったことはなく、
飲みに来る輩は全て私の知り合いばかりである。
そして私の酒の相手の合間に、好きなラグタイム・ギターをひとり爪弾いている。



そんなふたりがユニットを組んだ!
と言っても何も大仰なことでも何でもない。
ただ酒飲みながら一緒に歌ってただけである。
レコーディングしようと言うのもアホだが、発売しようと言うのはもっとアホである。

11月22日には全国のCDショップに並ぶ。
発売するのもアホなら販売するKingもアホなのであろうか・・・
そして何百枚も注文を出した全国のCDショップはもっとアホなのであろうか・・・
「おもろいやんけ」
と11月24日に特番を組むFM-COCOLOはもっとアホなのであろうか・・・
世も末、いやおもろい世の中になったと言うべきか・・・

一応XYZレコードはメジャーレーベルと言うことになるので、
当然ながらレコ倫の検閲を受けることになる。
XYZの2ndアルバムの歌詞、例えば
「○○と言う言葉はある特定の人々を蔑視している表現ではないのか」
等の議論が私どもとレコ倫理の間で喧喧囂囂と交わされているのを尻目に、
「ち○×ん」とか「○んずり」とかの放送禁止用語が何の議論もなく通ったりする。
相手にされてないと言うのが現状かも知らんが、それを受けて前述の三井はんが一言、
「時代がやっと俺たちに追いついたのう・・・」

いや、やっぱりアンタが一番アホやと俺は思う。
あの時一緒にお祈りしてたのはこのことやおまへんやろな!



と言うわけで今日のお題(長い前置きやなあ・・・)
「タイはええとこ一度はおいで」

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と言うわけで私は今タイにいる。

タイでTSUTAYA THAILANDから
女の子3人のグループのプロデュースを頼まれたことは以前のメルマガで書いたが、
その後TSUTAYA THAILANDの上層部で揉め事があり、
TSUTAYAの共同経営者であるインド人と日本人Sさんとが分裂してしまった。

まあ私にとっては別に対岸の火事なのだが、
今回はその後その女の子たちを連れて出たSさんからの依頼で、
過去の私が彼女達に提供した作品等の録り直しと、
新たにヒットチャートに送り込むための書き下ろし楽曲のレコーディングに来たと言うわけだ。

そして来て見たらどうも私の曲がヒットチャートに入っているらしい。
「ゴルフ場でとある有名な歌手を紹介された時があって、
その時彼が”あの曲だろ、知ってるよ”とファンキーさんの曲歌ってくれたんですよ」
とS氏は嬉しそうにそう言う。

中国などでもそうだったが、
自分の楽曲が、そのアルバムをレコーディングしに来た時に
すでにチャートに上っていると言うのは、
私たち日本人にとっては少し不思議な感覚である。

日本と違ってこちらは音源が発売される前にチャートに上がる。
これはこちらのチャートが売上チャートではなくラジオOAチャートだからである。
製作側はとにかく音源が出来たらラジオ局に送り、
リスナーはヒットチャートに上ってる曲を聴いて、気に入れば買いに行くし、
気に入らなければ別にお金を出してまで買いには行かない。
思えばわかり易いシステムなのではあるまいか・・・



さて今回は訪泰したその日、
S氏がいいレストランがあると言うので連れて行ってもらった。
聞けばS氏、そことも何らかの合弁契約をし、
本格的に音楽ビジネスに参入するらしい。

そこで紹介されたのはとあるアメリカ人キーボートプレイヤー。
タイに移り住んで25年、タイ人と結婚し、タイ語もペラペラであると言う。
彼と私のコラボレートを画策するS氏、
ここはひとつ面通しして末吉にもここを見ておいてもらおうと言うことらしい。

客席が1000席以上もあるどでかいスペースに、
申し分ないPA設備とどでかいステージがあり、日本で言うとまるで
川崎クラブチッタか赤坂ブリッツがそのまま全部レストランになったようなもんである。

本場のタイ料理に舌鼓を打ちながら、
ウリであると言う生ビールを流し込む。
美味い!
アンプラグドのオープニングアクトの後にショーが始まる。
映像をも駆使したなかなか凝ったショーである。
タイの民族楽器を多用してそれにオリジナル楽曲等をからめたり、
今タイで流行っているムーランの映像にシンクロして、
そのテーマや劇中歌をタイ語で歌ったり、
音楽性は極めて高度で、これらの物をうまく昇華させ、
喜太郎やパットメセニーの域まで持っていってるように思えた。

中でも凄いと思ったのは終盤で出てきたルークトゥンの歌手である。
ルークトゥンとはタイの田舎歌謡とでも訳そうか・・・
日本で言うと演歌とか民謡とかナツメロとか、
そんないわゆるイナタイ旋律が小気味のいいルンバのリズムに乗せて歌われる。
それまで洋楽やタイチャートのヒット曲を歌っていたショーを見ながら、
上品に高級な料理とショーを楽しんでた1000人以上の客が、
その歌いだしと同時に一斉に狂喜乱舞する。
テーブルから離れて踊りだす輩も少なくない。
S氏のスタッフ、言わばタイではエリート集団の集まりである。
英語はもちろんのこと、日本語まで操ったり、音楽のプロも多い。
そのエリート達がその歌いだしと共に「ぷっ」と吹き出したと思ったら
やんややんやの手拍子で大盛り上がりである。

さて蚊帳の外は私たち日本人である。
ルークトゥンもタイの文化も知らない私たちには単に想像でしか物は言えないが、
例えて言うと日本で、マライヤ・キャリーとかサザンとかを演奏しながらも、
それにちゃんと民族音楽も交えて
喜太郎とかパットメセニーの世界にまで持っていってる高尚なバンドに、
ある瞬間に突然植木均が現れて
「サラリーマンは~気楽な家業ときたもんだ」
と歌いだしたようなもんであろうか・・・
日本だと狂喜乱舞するか?
わからん・・・

ともかく私はこのステージに打ちのめされた。
北京のウィグル料理屋「阿凡提」のウィグル族バンドの歌と踊り以来である。
あれも最後には全員テーブルの上に乗っかって踊りだすわ物凄かったが、
こちらは仕掛け人がアメリカ人だったと言うところが興味深い。
私も北京で25年住んだとしたらこんなことが出来るだろうか・・・

いやいやSさん、すみませんが
タイ語もルークトゥンもタイ人にウケるツボも知らない私には無理です。
今まで通り日本的なのか中国的なのかようわからん楽曲提供しますんで、
どのようにでも使って商売してくらはい。
そいでまたいいレストランに連れてってくらはい。
(今夜もレコーディング終了後にいいレストランに連れていってくれるらしい)

タイはええとこ一度はおいで・・・

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:19:30

2000年09月30日

岡崎猛が動脈瘤によるクモ膜下出血で緊急手術

先日、五星旗のライブで愛知県犬山市に行った。
その時の打ち上げことである。
ギターの岡崎はんが酒飲みながら、
「あれ?変やなあ、右半身が何か痺れて来たなあ・・・」
とつぶやいた。
「またまたー・・・酔っ払ってるんちゃうん!」
と俺たち。
「あれ?目も何かおかしいなあ、物がふたつに見えたりするなあ・・・」
「それ飲み過ぎ!」
そしてホテルに帰る頃には
「何かふらふらするなあ・・・」
「それ完璧に飲み過ぎ!」
と俺たち。

そして東京に戻って来た次の月曜日、
彼は医者に行った。
そしてこの話はそこから始まる。

「入院せなアカンねん」
電話がかかって来た。
病名は動脈瘤。
脳の動脈の壁のある部分に血圧がかかり、
そこがぷくっとふくれて瘤になる。
血管の一部が風船のように膨れてるんだから
当然ながら破れ易い。
破れればクモ膜下出血となって死に至る。
そして彼の動脈瘤は脳の一番奥深い所に出来ていて切開手術は不可能。
しかも1.7センチと言う巨大な動脈瘤である。
医者に「破裂したら死にますよ」そう言われてビビリまくって
とりあえず仕事関係の人に電話を入れたと言うわけだ。

命に関わる病気なのだから仕方がない。
10月9日の沖縄のイベントと、
突然ブッキングされた10月21日のマレーシアには、
トラとして名ギタリスト、団長をブッキングする。

そんな事務処理をしてたある朝、突然胸騒ぎがして早く目覚めた。
カラスがカーカー鳴いている。
縁起でもないなあ・・・
「ちょっと病院行って来るわ」
早朝から出かけて行った。

受け付けで部屋番号を聞いて上がってゆくと、
何のこっちゃないいつものブサイクな寝顔で彼が寝ていた。
まあ寝かせておこう・・・
座って本を読んでいると
「わっ、びっくりしたー」
突然目が覚めてびっくりされてもこちらがびっくりする。
「あんた別に入院しても家でおっても変わらんなあ。
何するでもなく朝からゴロゴロと・・・」
得意の毒舌のひとつも言ってやる。
「ほんまやなあ・・・」
と彼。

「何か欲しいもん、あるか?家まで取りに行ったるで」
「いや、オカンが来とるからかまん」
「オカンが来とるんかいな」
「医者が家族呼べ言うて」
「ひょっとしてオカンってあんたのあの部屋で寝とるんかいな」
「せやで」
「そりゃオカンも災難やなあ」
などやりとりがあった後、
「たいくつでしゃーないからギターとラジカセ取って来てや」
と頼まれる。
ふらふらっと自転車で来てそのまま入院になったんで、
その放置自転車も家まで持って行ってくれと言う。
玄関に行ってみると、自転車には張り紙がしてあって、
「ここに放置しておくとケガ人が出ますのですみやかに移動しなさい」
と書かれている。
ケガ人どころか重病人の自転車なんやけどなあ・・・

家には初めて会うオカンがいた。
「初めまして」
ギターとラジカセとCDを持ってオカンと共に病院に戻る。
CDは「暗いんはいらんでぇ、気が滅入る」と言うが、
どのCDが暗いかようわからんので、
棚にあるJazzのCDのうち自分の聞きたいものを物色した。
そして病室でせっせとパソコンに取り込む。
俺は一体何をしに来たんやろ・・・

「ほな!」
目ぼしいのを取り込んだ後、仕事に出かけた。
まるでCD取り込みに来ただけである。

「岡崎はんが入院してなあ・・・」
仕事先では会う人会う人に笑い話である。
だいたいこのテの病気は40の若さでは珍しいらしい。
「老人病や、老人病。普段家でゴロゴロしてギター弾いて酒飲んで・・・
せやからこんな病気になんねん」

そんなこんなで夕方まで仕事してたら、
後から見舞いに行った事務所社長の綾和也から連絡があった。
「WeiWeiと見舞いに行ってなあ、
元気に待合室まで一緒に行って喋ってたら突然ロレツがまわらんようになって、
アカン、頭が痛いわ、言うてベッドに戻っていったでぇ。大丈夫かなあ・・・」
夕方連絡を回していたジャズクラブSのマスターが見舞いに行って連絡が来た。
「末吉か、シャレんならんでぇ、クモ膜下出血や。破裂したらしいんや」
とんぼ返りで病院に戻った。

京都の家族、親戚に招集がかけられる。
絶対安静の病室には家族は付き添うわけにはいかず、
本当はロビーも人が泊まってはいけないのだが、
オカンが悔いが残らんようにどうしても息子のそばを離れたくないと言うので、
特別にロビーでいる分には認めてくれた。
しかしロビーは夜9時には消灯。
真っ暗なロビーの中で不安でどうしようもない年寄りひとりでおらすわけにはいかんので、
結局俺も夜通し付き合うことにした。
本人よりもとりあえずオカンの方が心配である。
少しでも気を紛らわすように岡崎はんのアホ話をたんとしてるうちに、
京都からご家族ご一行が到着した。
ロビーで泣き出すご親族もいる。
「まあまあ、今は特別にここでいさせてもらってるんで何とぞお静かに・・・」
聞けば途中の新幹線で居ても立ってもいられなくてビールを飲んだらしい。
少々取り乱していた。

酒かあ・・・
家族が来たら俺は必要ないので病院を後にする。
病院内は携帯電話禁止なので、外に出てメッセージを聞くと、
ジャズクラブSのマスターから留守電が入っていた。
「末吉か、これ聞いたらすぐ電話くれ。店でおる」
ただごとではなさそうなので店に直接向かう。

マスターはひとりでライブの後片付けをしていた。
「おう、来たか。飲むか?」
ビールが出てくる。
おかしい。ガメツイので有名なこのオッサンが店のビールをタダで出すわけがない。
「実はなあ、あの病院の医者とか看護婦とかうちの客やねん。
そいで電話して調べたら、明日の手術の担当っつうのがうちの常連やったんや。
たまたまそいつは今日休みでなあ、自宅に電話かけていろいろ聞き出した」

医者曰く、最善を尽くしてはみるが、見込みは少ないと言うことであった。
まず場所が非常にやっかいなところなんで切開手術が出来ないと言う。
それにこんなに大きな動脈瘤が出来てて、
本人がこんなに正常だと言うのがそもそもおかしいらしい。
そしてすでに破裂してしまった。
破裂したら死にますと言われてたんだから、
考えてみたらまだ生きてるだけでももうけもんである。

「何で破裂する前にすぐ手術せんかったんや!
破裂したら死ぬから入院せぇと言いながら病院で破裂するとは何ごとや!」
当然ながらマスターは怒る。
しかし医者としては、
「だいたいあんな大きな動脈瘤を持ちながら
自分で自転車乗って病院まで来たと言うのが不思議なぐらいなんです。
普通だったらそのまま路上で破裂して倒れて死ぬ場合が多い。
行き倒れで死んだ人が、
調べて見たら実は動脈瘤が破裂してたと言うことはよくある話なんです。
だからと言って、病院では例えば検査とかをしますよね。
血管の検査をしている時に突然破裂する可能性もある。
それは患者さん側から見たら検査したから破裂した、なんですよ。
どう言うわけかわからんが本人が何故か正常なんですから、
安静にしてゆっくり調べるより他なかったんですよ」
その実、もう運び込まれた時点で
この場所のこの大きさの動脈瘤だともうお手上げで、
現実的に効果的な処置が見つからなかったと言うのもあったらしい。

とにもかくにも破裂した。
今本人は薬で眠らされている。
目が覚めて興奮したりするとさらに大破裂して死に至る。
「今すぐ手術するわけにはいかんのかなあ・・・」
「何か足らん道具があって至急取り寄せとるから、どうしても明日の夕方になるらしい」
裏事情通のマスターである。
「手術まで眠らせとくわけにはいかんのかなあ・・・」
「そやなあ、明日もういっぺん電話してビシっと言うといたる。
ちゃんとせんかったらジャズクラブS出入り禁止やぞ!」
出入り禁止ぐらいが脅しの材料になるとは思えんがなあ・・・
でもこうなったらとにかく医者を信じるしかないのである。
後は神か?

「俺、もう助からんのちゃうかなと思うねん」
飲みながらぼそっとそうつぶやいてみる。
中学生の頃、姉が亡くなった時の感覚に物凄く似ているのだ。
「確率的にはそやろ、まず助かる確率は低い。医者も手遅れや言うとった」
裏情報通のマスターである。

今は五星旗の2枚目のアルバムが仕上がったばかりである。
ミキシングやマスタリングで今回はいつになく積極的に頑張ってやってた彼である。
「遺作んなるんかぁ、シャレんならんのう・・・」

岡崎はんとの思い出が浮かんでは消え、浮かんでは消えてゆく。
最初に会ったのはジャズクラブSのジャムセッション。
新大久保に住んでると言う立地条件もあって、いつも泊まらせてもらってた。
そうじゃなくても酒飲む時にはいつも呼び出して飲んでた。

当時人は、自分で思ってるほど俺のことをJazzミュージシャンだとは思ってくれず、
たまにお誘いがあっても、爆風スランプの名前で動員数を稼ごうとする輩ばっかりだった。
純粋に腕を買われて○○カルテットとかのドラマーで呼ばれたかったが、
そんな酔狂な輩はいなかった。
そんな中、岡崎はんだけが自分のカルテットに俺を呼んでくれた。
客の入らん小さいライブハウスから、
新宿のカクテルバーの夜中の生演奏までやった。
当時の俺はヘタなJazzメンよりもJazzのライブが多かった。
街角の超マイナーな場所でストレイト・アヘッドなJazzを叩く俺を偶然見かけた
近所に住むJazzミュージシャンなどがびっくりして声をかけたりした。
そうして俺はJazz界でやっとJazzミュージシャンとして認められていった。

ある日のラウンジでの演奏で、
突然ある曲で偶然ブラシを使うコツを習得した。
「どしたんや、オッサン。突然ブラシがうもうなったなあ、別人みたいやで」
演奏後の彼の嬉しそうな顔を思い出す。
思えば彼こそが俺のJazzの師匠であった。
彼から、そして彼と一緒に俺はJazzのいろんなことを学んでいった。

ロックや中国音楽の要素も混ぜて五星旗を結成した時、
やはり俺はギタリストとして彼に声をかけた。
それからは彼に彼の知らないJazzではないいろんなことを教えてあげた。
CDデビューが決まり、評判もよく、
プロデューサーのN氏は
「五星旗が売れたら次は岡崎さんのソロアルバムを作りましょう」
と言っていた。
「それが岡崎はんの幸運期とちゃうん!」
数年前のJazzツアーの時、四国のとある占い士が岡崎はんに
「あなたは数年後に人生最大の幸運期が訪れます」
と言ったのが、仲間内ではずーっと酒の肴になっていたのだ。
でも実際今のなってみれば、彼の人生最大の幸運と言うのは、
飲み友達のアルバム2枚でギターを弾いただけやったんか?・・・

「こんなことやたらさっさとソロアルバム録っといたらよかったなあ・・・」
と俺。
「俺もそう思とったんや、何でやっといたらんかったやろってな」
とジャズクラブSのマスター。

俺が事務所やレコード会社の契約で悩んでいたある時期、
ある人が俺にこうアドバイスことがある。
「そんな大会社がそりゃお前のやりたいそんな音楽をやるわけはない。
でもなあ、その音楽は来年にはない。きっと今しかやれん音楽や」
結局俺は日本ではなく中国でそれを発売し、そして今に至る。
五星旗の前身と言える姿がそこにあった。

そう、音楽っつうのは空気を震わせて、そして消えてなくなるもんである。
レコードと言う「記録」をせん限りはそれでおしまいなのである。
でもヤツが死んでもうたらもうそれを記録出来るチャンスは永遠になくなる。
ヤツとの数々のセッションは、
俺にとったらほんまにかけがいの無いVSOP
(Very Special Onetime Performance)
やったんやと実感した。

「岡崎ぃ、死ぬなよなぁ」
とマスター。
「しゃーないでぇ、人間がどうのこうの出来る問題ちゃうし」
と俺。
「岡崎死んだら追悼Jamセッションブッキングしたる」
「マスター、間違うてもそれで儲けたら許さんでぇ」
「当たり前じゃ!いくらワシでもそこまではせんわい」

ガメツイので有名なマスターと5時まで飲んだ。
すでにべろんべろんだが、やっぱ気になるので病院まで行ってみる。
ところが家族がいるはずの待合室には誰もいない。
「アカン、とうとう死んだんや」
あわてて病室に飛び込んでみると、岡崎はんひとりが薬で寝ていた。
「ご家族の方はみなさんお帰りになりましたよ」
面会時間外に酒臭い息を絶対安静の病室に持ち込むふとどきな輩を
看護婦さんがそう言ってたしなめる。
「すんません」
待合室に帰って来て、俺は結局そこで寝た。

朝になると入院患者でいっぱいの待合室。
目が覚めると、病院の待合室で酔いつぶれてる変な男を、
みんなはけげんそうな目で見て見ぬふりをしていた。
しゃきっとしたふりをしながらご家族の到着を待つ。
「おはようございます」
まるで今来たかのようなふりをしながら挨拶を交わす。
「じゃあ僕は仕事に行きますんで・・・」
病院を出て携帯の留守電をチェックする。
病院内が携帯禁止なのでまことに不便である。

ふと見ると隣にホテルがある。
そそくさとチェックインした。
「今晩からホテルに泊まるから」
嫁と事務所に連絡する。
「そこまでする必要があるんか?」
「やかましい!いつ死ぬかわからんのやでぇ。
もしもの時に病院が俺の携帯に連絡くれるか?
ご家族にそんだけの余裕があるか?
ホテルに詰めて、1時間に一回でも様子を見に行くだけでそれでええんやがな」

新大久保から仕事に通う毎日が始まった。
ホテルは携帯が通じるだけでもかなり便利である。
それに、もしもの時には待合室ではなく、ここを関係者の溜まり場にすることが出来る。
コマが死んだ時のことを思い出す。

XYZのライブステイションでのゲリラライブにリハと本番の間にまた病院に戻って来た。
手術が予定より2時間早く始まっていた。
「道具が早く揃たんやな・・・」
裏事情を推測する。
「一度目が覚めてから手術室に入ったんですか?
それともあのまま寝たまま手術室に?」
話を聞くとそのまま寝たまま手術らしい。
結果的に理想の形である。
安心してライブステイションに引き返す。

本番が終わって山手線に飛び乗ると携帯が鳴った。
ジャズクラブSのマスターである。
「今電車の中やから着いたらかけ直します」
こんな時にもマナーにはウルサイ俺である。
「今ちょっとだけ聞いてくれ」
電話を切らせないマスター。不吉な予感が頭をよぎる。
「4時に手術室に入って、たった今まで4時間。
手術は成功してその担当医が今からジャズクラブSに飲みに来る。
成功や。わかるか。とりあえずすぐ死ぬことはもうない」
興奮してそうまくし立てる。

病院に行くと、ご家族が偉い先生から話を聞いていた。
「動脈瘤は塞ぎましたが、
クモ膜下出血は基本的にいろんな合併症を引き起こすので安心は出来ません。
現在は意識障害や麻痺などがあり、最悪はこのまま植物人間になることも考えられます。
脊髄液に血液が混ざって循環が悪くなると水頭症になって、
脳内の圧力が上がって脳を圧迫して痴呆になる可能性もあります」

そのままジャズクラブSに飛び込む。
今日の出演者は「岡崎ブラザース」。
トランペットの岡崎好朗とサックスの岡崎正典のグループである。
マスター手書きの入り口の看板を見ると、
「本日の出演者」のところに
「岡崎好朗」ではなく、「岡崎猛」と書かれていた。
しかもご丁寧に「岡崎猛 Gt」である。
おいおいオッサン、岡崎猛は今病院じゃろ。
今日の出演者にギタリストがおるんかい!
オッサン、何じゃかんじゃクールに装っててもよっぽどパニックしてたんやなあ・・・

店に入ろうとすると、マスターがそれを制止する。
「店に入ったらミュージシャンの手前チャージを取らんわけにはいかん。
俺は岡崎のことでは出来る限りのことは全部やった。
公私混同はしとないし、最後にケチつけとうないんや。
ライブ終わるまで外で待っといてくれ」
ガメツイと評判のマスター。
でもそれはミュージシャンの千円二千円のチャージバックを守るためだったりもする。
「かまへんで。チャージ払うがな。お祝いにええ演奏聞かせてもらうわ」

店に入ると、1ステージ目の最後の曲をやっていて、
一角だけやたら大盛り上がりのテーブルがある。
いかしたオブリには「イエイー!」、
いいソロが終わると「ウォー!」、
曲が終わると「ワーワー!」、
まるでキチガイである。
「あれがお医者さん?」
「せやで」
見ると、すでにテーブルの上にはバドワイザーの空き缶が所狭しと並べられている。

「初めまして」
M氏と言うその担当医と、そのアシスタントに挨拶をした。
「いやー、Jazzギタリストだと聞きましてね。
出来る限りのことはやりました。
後は本人の体力と頑張りです」
病院で聞いた偉いお医者さんと同じ説明をしてくれる。
「素人質問で悪いんですけど、
切開手術が出来なくてどうやって手術するんですか?」
この際なので素朴な質問をぶつけてみる。
「腰あたりの血管の中からテグスみたいな糸を入れて、
それをレントゲン見ながら患部まで何とか到達させるんです」
「ちょっと待って下さい。腰から頭言うたらえらい距離がありますがな。
なんで首からとか入れんのですか?」
「場合によっては首から入れる時もありますけど、
頭に近ければ近いほど危険だと言うのもありまして、
だいたいの場合は腰からが一番いいとされてます」
「でも動脈言うたらいろいろ枝葉に別れてて、
道を選ぶだけでも大変やのに、患部までの正しい道のりにテグスを導くって大変でしょう」
「いやー、ほんと指先ひとつですよ。
入り口のところでテグスをちょこっと回すんです。
そしたらテグスの先がちょこっと方向転換するんです。
それをレントゲンで見ながら患部まで持って行くんですね」
「そりゃ確かに大変ですわなあ。4時間っつうたら、よく集中力が続きますねえ」
「いやー、根性ですよ。何回もくじけそうになりますけどね」
「でも患部に到達してからどうするんです?」
「このテグスは到達したら先っぽが丸まるんです。
それで動脈瘤の中でくるくるとテグスをコイル状に丸めていくんです」
「丸めたら何のええことがあるんです?」
「例えば川のほとりに水溜りが出来たとするでしょ。
そこに水が流れ込むようになれば水溜りはどんどん大きくなる。
これが動脈瘤です。
ですからその水溜りを小石かなんかで埋めてしまうんです。
そうすると水が流れ込まないので川の流れはそのままと言うわけです」
「でもコイル状になったはええけど、
そのままテグス抜いたらコイルもほどけて抜けてしまうやないですか」
「そのテグスには、電流を流すとあるところで切れてしまうように作られてるんです。
その部分まで丁重にコイル巻きして詰めてやるわけです」
すんごい作業やなあ・・・・

「先生はトランペットを吹かれると言う話ですけど、
そんな器用な指先っつうのはトランペットによって鍛えられたとかありますか?」
まるでインタビュアーのような質問をしてみる。
「トランペットがどうのこうのと言うより、手術はそもそもJazzと同じですよ」
「は?・・・と言いますと・・・」
「Jazzのコード進行と同じように、
手術にも確固たる守らなければならないセオリーがあります。
でもそれだけでは手術は出来ないんです。
患者の反応とか状況を見ながら、それに合った風に変えていかなければならない。
つまり人のプレイに反応するJamセッションと同じなんです」
「そりゃすごい。ほなセンスの悪い人に当たったら最悪ですね」
驚く俺にアシスタントが耳打ちする。
「この先生、こう見えてもこのジャンルでは日本で3本の指に入る名医なんですよ」
ひえー・・・
岡崎はんの大幸運期はこの人とめぐり合うっつうことやったんか・・・

今後のこともいろいろ聞いてみる。
「今まではいつ大破裂するかわからない状態だったんで、
集中治療室で外界からの刺激を一切なくして薬で眠らせたりしてましたが、
もう破裂することはまずないですから、
今度はどんどん刺激を与えてあげなければなりません」
「それって、ほな例えばJazzとか聞かせるのってええことなんですか」
「そうですね。でも実は僕の手術の時にはいつもJazzかけながらオペしてるんですよ」
ほな岡崎はんも4時間Jazz聞きながら手術受けてたんかぁ。
そりゃ本人幸せやなあ・・・

とか何とか言ってるうちに2ステージ目が始まった。
「ワーワー、ギャーギャー、イエイ!」
このふたりはまことにウルサイ。
でも俺もステージで演奏する側として、
こんな客が実は一番嬉しい客であることを知っている。
的確なところで的確に騒いでミュージシャンを盛り上げてくれる。
言わば客席にてミュージシャンとセッションしてるようなもんである。
「そうかぁ。このセッションで岡崎はんは助かったんかぁ・・・」
何だか気が抜けて酔いがまわった。

ステージでのご機嫌な演奏を聞きながら、
「ああ、俺も岡崎はんもこの世界に住んでる人間なんやなあ」
と実感する。
そして偶然にも岡崎はんの命を救ったこの医者も同じ世界で住んでいた。
それをその媒介にここのマスターがいた。
みんな同じ世界に生きているのである。

俺もいろんなトラブルを起こして今の環境で音楽をやっているが、
いつも感じてたのが、「住んでる世界が違う」と言うことだった。
そしていつもこんなJazzクラブやライブハウスに戻って来た。
そして今は何の因果かレコード会社までやっている。
何のためにレコード会社をやっているのか・・・
そりゃXYZのために作ったのではあるが、
でも大きく考えると、リリースしたい物をリリースするためにやっとるんではないか・・・

最初にこの五星旗の前身とも言える音楽を持って行った先はSONYレコード。
俺は契約上SONY以外からリリースすることは出来なかったのだ。
爆風スランプのメンバーのソロプロジェクトと言うことで、
偉い部長がじきじきにJazzクラブまで来てくれて、
そして会議室でミーティングまで開いてくれた。
そして最後に一言。
「これが50万枚売れるんですか?」
この人達とは生きている場所が違うんだ!
そう強く感じた。

「よし、岡崎はんのソロアルバム作るぞ!」

現状、彼が再びギターが弾けるようになるのはまだまだ先だろう。
まずは健常な生活に戻れることからである。
それからリハビリが始まる。
運が悪ければ合併症で死ぬ。
このまま意識障害で社会復帰出来ないかも知れない。
でも運が良ければまた元通りギターが弾ける。
5年後なのか、10年後なのか、
でもひょっとしたら半年後かも知れない。
生きてると言うことは素晴らしい。
またギターを弾ける可能性があると言うことである。
死んでしまえばそれは永遠にゼロである。
岡崎ぃ。生きててよかったなあ・・・

しかし生きてゆくには大変なことも多い。
努力もいるし、金もいる。
岡崎はんの過去のライブ録音の中から名演と呼ばれるのを集めて、
「岡崎えーど(関西弁風に上がり口調で読む)」と題してソロアルバムを作ろう。
プレス代等リスクは全部俺が被ろう。命拾いした岡崎に対するご祝儀じゃ。
ガメツイので有名なマスターにも今度ばかりは無料でマスタリングしてもらおう。
問題は音源である。
本人の家、友人の家のテープ類を漁るが、
もしみなさんの中で、岡崎はんのライブの隠し録りのテープがあったら、
その中で「名演」と言えるものを是非無料で提供して欲しい。
ミュージシャンへの許諾は俺がとる。
もちろんギャランティーは泣いてもらおう。

「これが50万枚売れるんですか?」
いえいえ500枚がええとこでしょう。
でも500枚を越したら利益が出る。
そしたらヤツのリハビリの大きな役に立つやないかい。
これが俺の生きてるところである。

そんなことを考えてるうちに2ステージ目は終了した。
「いかした演奏をありがとう」
メンバーに挨拶に行く。
「先生もどうもありがとう御座いました」
先生にも丁重に礼を言うが、
「いやー、当然のことをやっただけですよ」
と謙遜する。
「でも先生の腕がよかったから彼の命があるんですよ」
「オペがうまくなるよりもトランペットうまくなりたいんですけどね・・・」
いやいや、オペの腕がよくって本当によかったっすよ。

Jazzキチの周りにこのJazzキチあり。
飲んだビールは2人で18缶。
支払いをしようとする先生を制止しながら
今日だけはガメツイので有名なマスターが支払う。
ミュージシャンへのチャージもマスターがちゃんと支払う。
人はとやかく言うけど、俺はこんなマスターが大好きである。
「まさか18本も飲むとは思わんかったなあ・・・」
「ええやん、それで岡崎はんが助かったんやから・・・」

現在岡崎はんは、手術後の経過も順調で、
麻痺しとるはずの手足もばたばた動かすし、
ロレツのまわらん口で
「こんなことやっとる場合とちゃうがな」
と口走ったとか口走らないとか・・・
死にかけて初めてやる気っつうもんを出したなあ、こいつ。

・・・と言うわけで友人のみなさん、ファンのみなさん。
今のところまだ家族以外は面会謝絶ですので見舞いには行けません。
集中治療室から出て病室に移ったらまた連絡しますが、
岡崎はんに関することへの問い合わせも真に勝手ながらかんべんして下さい。
以上の情報が全てです。
また今回のこのメルマガに対する返事は結構です。
次号からまたアホネタに戻ります。

五星旗は当分ギターに千葉”団長”孝を迎えて活動します。
「岡崎えーど(関西弁風に上がり口調で読む)」への音源提供の方は、
住所と連絡先を書いて下記の住所まで送って下さい。
まずそちらの方で厳選してから送って頂くと助かります。
ただでさえ今から莫大な量のテイクを聞いていかねばならないので・・・

153-0064
目黒区下目黒3-24-14目黒コーポラス405
ファンキーコーポレーション

「岡崎えーど(関西弁風に上がり口調で読む)」音源提供係まで。

・・・と言うわけで今回は特別な「ひとり言」でした。
失礼!

ファンキー末吉

 

ps.この原稿を書いた後、岡崎は無事退院し、ちょっと後遺症は残っているものの元気にギター弾いてす。

タバコは自主的にやめたが、酒は相変わらず飲んでます。

医者曰く、別にほどほどにする分には何をやってもええそうな・・・

よかったよかった・・・

Posted by ファンキー末吉 at:16:50

2000年09月20日

疥癬(かいせん)完治して北京に向かう

疥癬ついに完治!
そして俺は北京へ・・・
(例によって飛行機の中)

通常疥癬の治療には3クールに分けて治療するそうだ。
1クール1週間である。
週の最初にガンマなんたらと言う疥癬虫を殺す薬を塗る。
次の日の朝はシャワーにてガンマなんたらを洗い流して、
全身にオイラックスとか言う、
こりゃ痒み止めなのか疥癬虫を殺す薬なのか、
聞くとこによるともともとは疥癬の治療薬として開発された薬を塗る。
そして夕方にはまたガンマなんたらを塗る。
後は週末までオイラックスだけを塗り、
次の週はまたガンマから同じ工程を繰り返す。
通常ここまでで疥癬虫はまず死滅するらしいが、
大事をとって2週目、3週目に突入するのだ。

聞くところによると、
疥癬虫と言うのはこれらの薬を塗るとほぼ確実に死滅してしまうが、
疥癬だと知らずに別の薬を塗ると、
たちどころに全身に広がってしまうと言う。
どうも俺の場合はそうだったようだ。

全身に広がってしまったので仕方が無いので全身に塗る。
ぼつぼつは出て無くても、
ひょっとして衣服に、また布団にタオルについていた虫、もしくは卵が、
なにかの拍子にまた肌に付着しているかも知れない。
それがまた孵化して卵を生み・・・
ああ考えただけで恐ろしい・・・
この恐れがあるから2,3クールの治療が必要なのだ。

そしてお風呂にはムトーハップと言うのを薬屋で買ってきて、
それをキャップに2杯ほど垂らすとあら不思議、
自宅の風呂が草津の温泉に・・・
早い話、硫黄の温泉は皮膚にええのね、
ダニも殺すと言うし・・・

温泉好きの俺は、
実は北京にまでこのムトーハップを持ちこんで来ている。
疥癬は治ってもムトーハップはやめられなくなってしまったのだ。

部屋やベッド等の消毒はスミスリンと言う粉製の殺虫剤を買ってくる。
田舎の肥溜めなどでウジを殺すために撒く農薬みたいなアレである。
マスクを水で濡らして、吸い込まないようにしながら、
自分の部屋のベッドにスミスリンを撒くっつうのもなんとも情けない。
夜寝る前はそれを掃除機で全部吸い込んで綺麗にしてから寝る。

嫁から枕や掛け布団は没収されている。
2次感染の防止のためであるが、
敷布団もない殺虫剤臭いマットの上で、
枕も布団もなくごろんと寝る姿の侘しさよ・・・
これでは酔っ払って公園のベンチで酔いつぶれている日々とさほど変わらん。

実は今度の北京行きで一番楽しみなのは、
ホテルで枕と掛け布団のあるベッドで眠れることなのである。
あー情けなし・・・

そして聞くところによると、
病院なんかでは体力のない老人から感染してゆくと言うので、
これはニューヨークのハードなスケジュールで老人並に体力が低下していたために、
俺だけが感染し、発病したとみられる。
要は体力の問題である。

だからと言うのもあって、
香港から帰国し、上海がドタキャンになったのをいいことに、
3日間ひたすら寝るだけの生活だった俺だが、
上海からの帰国予定日だった日からはスケジュールがてんこもりである。
だいたい海外の仕事が多い昨今、
日本にてラジオ3本とテレビ1本を抱える生活はどうにかしている。
朝10時からNHKに詰めて中国語会話の収録をする。
終了を待って原宿にラジオの収録。
しかしここでは平行して五星旗のTDが行われているので、
終了後すぐさまそちらに飛び込む。
次の日の朝までにはマスタリングに入れなければならないので、
結局朝までかかってぎりぎり全曲TDを終わらせる。
マスタリングスタジオに放り込んで、
取り込んでもらってる隙に病院にて最終検査。
まだ疥癬虫が生息しているようだったらさらに3クール目に突入する。
しかし病院での検査結果は「問題なし」。
晴れて完治の身となった。
バンザーイ!

喜んでばかりもいられない。
祝杯をあげるヒマもなく、マスタリングスタジオに引き返し、
レベルやサウンドなどの最終変更をする。
X.Y.Z.の場合、橘高文彦と言う優秀なディレクター役がいるので、
俺は別にへらへらと酒を飲んでればいいが、
五星旗の場合、俺がやらねば誰もやる人間がいないので、
シンバルの大音量にてハイ落ち難聴になってる老人耳を駆使してあーだこーだ言う。
俺、実は苦手なのよ、このテの仕事・・・

最後にNYでのライブ音源も収録しようとなって、
早めに取り込んでもらう予定だった音源をチェックすると、
あら、Kingのマスタリングルームってリバーブやマルチトラック編集設備がないのね。
じゃあどうする?
俺のパソコンにまず取り込んで編集して、
それをマスタリング・コンソールに放り込むしかない。
取り込む周辺機器からソフトまで全部揃っている自分が恐ろしい。
スキャナーからCD-R、ケーブル等まで全部持ち歩いている。
おまけにパスポートも持ち歩いとるんで、
俺は実はこのまま北京に旅立ってもいいのだ。
俺に家などいらんのよ、実は。

夕方からのラジオの収録にはとうてい間に合わないので一本電話を入れて、
ようやくたどり着いたスタジオで一言。
「俺って気がついたらもう36時間ぶっ続けで働いとるのね」
3日間、眠たくなくても寝てた生活をしてた俺はもうハイである。
収録が終わり、家に帰ってムトーハップの風呂に入り、
「じゃあ飛行機出発のぎりぎりまで寝るぞ」
と思ってたら、
数時間後にぱっちり目が覚める。
おいおい、眠たかったんちゃうんかい!
仕方がないので五星旗のライナーノーツとかを朝まで書く。
子供が起きて来るので、
完治した腕でとりあえず抱いてやる。
おいおい、俺、寝んでええんかい!

そしてまた機上の人である。
寝ればいいのにまたこんなアホな文章を書いている。
海外に行けば日本でいるよりもスケジュールがゆるやかになる俺であるが、
北京だけは別である。
会わねばならない人間は多いし、
嫁の親戚へのことづけ物が山ほど託されている。
もうここは外国ではなく、久しぶりの里帰りに近い。

しかし今回の北京行きは久々に自分主導のユニットではない。
Pont Boxなどでおなじみの佐山雅弘さんのユニットにドラマーとして参加する。
思えばもろJazzの仕事は久々である。
実に楽しい。
自分のプレイ以外に責任がないからである。
ドラマー以外のいろんな顔を持つ生活から、
純粋にドラマーだけに戻れる瞬間である。

しかし周りは純粋にそうはいかない。
ここ最近北京からMailや電話がひっきりなしに入っている。
「北京でライブやるって一体どこなんですか」
とか
「泊まりはどこなんですか」
とか俺を捕まえたい連中がてぐすね引いている。

成田から北京の安田に電話する。
「今から行くでぇ」
「知ってますよ。一体どうなってんですかぁ。
末吉さんのライブはどこでやるのかとか、
チケットはJazz屋で買えるのかとか、
全部問い合わせはJazz屋に来るんですよ」
情報が口コミしかないこの国で、
俺が北京に行くと大騒ぎになるのはここ、Jazz屋なのである。
「すまん、俺のユニットじゃないんで、実は俺なーーーーんにも知らんのよ。
泊まるところも知らんし、明日どこで何時にやるかも知りまっしぇーーん」
こんな無責任な旅も久しぶりである。

CDカフェと言う老舗のJazz Clubでやる予定だったのがドタキャンになったと聞く。
アジアの仕事はドタキャンばっかりかい!
代わりに中国大飯店とやらのJazzバーでやるらしい。
うーむ、ようわからん。

後は久しぶりに北京のJazz屋に行って飲むとしよう。
どうでもええけど、ここのJazzのCD、
全部うちから持って行ったもんなんですけど・・・
ぼちぼち返せと言いつづけてもう数年。
今回は全部パソコンに取り込んでから帰るとするか・・・

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:12:20

2000年09月13日

疥癬(かいせん)治癒後には何もする気になれまっしぇーん!

なまけものになっちまっただー・・・・

皮膚のぼつぼつはもう落ち着いて、
長袖を着てると、買い物に行っても、もう「おっ」と言われることはなくなった。
しかし疥癬虫はまだ身体に衣服に巣食っている可能性があるので、
香港から帰国後、我が家では隔離状態である。

寝てごろごろ、起きてごろごろ、
与えられたベッドと浴室だけが俺の場所である。
やることと言えばたまに自分の着た服を時々熱湯消毒するぐらいである。
子供に移るやもしれんので子育ては厳禁である。
家事一般も虫を撒き散らすことになるやもしれんので厳禁である。
ワシは言わば禁治産者なのじゃよ。

病気と言っても皮膚以外はいたって健康なので、
本来ならばパワーがありあまってしかるべきなのだが、
何故かなーんにもやる気がおこらん。

スケジュール的には上海でライブをやっとる予定だったがドタキャンのため、
昨日六本木のY2Kで本数合わせのゲリラライブをやった以外には
とりたててやることもない。

思えば香港では忙しかった。
物珍しさでそこそこ人が入ってた初日とはうらはらに、
2日目のガラガラの状況もなんのその、
3日目は立ち見が出、
最終日は押すな押すなである。
Jazzやってスタンディング・オベイションなど初めての出来事であった。

評判は評判を生み、
初日に見に来たオーストラリア人のギタリストがワシに仕事を依頼。
3日目には夕方にショッピングモールで3ステージこなしてから
Jazz Clubで2ステージやっとる。

最終日には朝11時からミーティングの後、
BEYONDのドラマー、Wingんとこの女の子のレコーディングをやってから、
五星旗2ndに収録するために香港No.1のJazzギタリスト、
ユージン・パオのソロを録音。
そのままJazz Clubにかけこんで最終ステージ。
しかしそこまででは終わらない。
BEYONDのギタリスト、PAULが、末吉が香港に来ているのを聞きつけて、
終演後は再びスタジオに戻り、彼のソロアルバムのレコーディング。
朝の5時ぐらいにハードロック叩いてるワシって一体何なんやろ・・・

五星旗のみなさんは5時20分のバスにて空港に向かうが、
ワシは間に合うわけないので直接空港に向かう。
空港で運良く合流できてこうして帰国していると言うわけである。

さて帰って来たら気が抜けた。
なーんにもやる気がおこらん・・・

何十本も溜まっているE-mailに返信する気力もなく、
「あ、X.Y.Z.の欧米でのライセンスが決まったとな・・・」
とか、
「タイプロジェクト再び始動か・・・」
などと重要なものだけに返信をして、
後は全部「一時保管フォルダ」にしまいこむ。
おそらくまたどっか海外に行く飛行機の中ででも返信を書くのだろう・・・

さて、ワシは数日ヒマだと言うことに出会ったことがない。
だいたいにして2日目ぐらいにいそいそと仕事をみつけ、
結局は忙しくしているのが常である。

ところが人はワシが伝染性の病気だと知っているのでなかなか仕事をくれん。
実は皮膚だけの病気で五体満足なんだと言っても、
「病気なんだから悪い」と思って誘ってくれん。
実は酒など飲んでも屁でもないのだが、飲みに誘ってくれん。

家でごろごろしてるとまるでやっかいもんなので、
今日は「ベッドの消毒」と称しておんもに出た。
「スミスリン」と言う殺虫剤を部屋じゅうに撒いて、
いつものパソコンバックを担いでおんもに出た。

ワシの目的はひとえに酒である。
夜隠れて飲んどると嫁にみつかってウルサイし、
ここぞとばかりに定食屋に飛び込む。
「と、とりあえず生ビール下さいな・・・」
久しぶりの生ビールに舌鼓。
「つ、つまみも何かもらってえーですかねえ・・・」
まるで犯罪でも犯してるかのような快感である。

嫁には事務所に仕事に行って来ると言ってあるので、
一応は事務所まで行かねばならない。
またその途中に「林試の森」と言う公園があるのだ。
ワシはそこのベンチで腰掛け、
最近購入したラジオも聞けるMP3プレイヤーで音楽でも聞く。
酔いはほどほどに回って、
そのベンチで横になって酔いつぶれるワシがいたりする・・・
これではその辺の浮浪者と変わらん・・・

夕方になってぽつぽつ降って来たので急いで事務所に来た。
途中の酒屋で数本買い出して・・・

見れば事務所の人々は一生懸命仕事をしている。
X.Y.Z.の2ndが秋には発売と言うことで、
橘高文彦を中心にデザインたら広告たら一生懸命やっとる。
千鳥足の赤ら顔のワシはもちろん用なしである。
居場所がない。

仕方がないのでパソコンを開いて何か仕事をしているフリをするのだが、
いかんせんやる気と仕事がない。
本来ならばX.Y.Z.レコードの金銭関係を扱うデータベースを構築しなければならんのだが、
いかんせんまーったくやる気がございません。
持ち込んだ酒を片手にこんなもんを書いてる次第で御座いますわ。

明日もきっと「ベッドの消毒」と称して、
ワシはまたビール片手に近所の公園で酔いつぶれていることだろう。
でも夜にはしゃきっとした顔で家に帰らねばならない。
酒など飲んでたこと、嫁にバレたら大変である。

あー、会社が潰れたのに嫁に言えずに
いつものように出勤したフリをするサラリーマンの気持ちが少しわかった。
これはこれでけっこう大変なのね・・・

あと数日したらまた忙しくなるんで、
とりあえずはダメ人間で数日暮らしますか・・・

ほな。

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:18:00

2000年09月06日

疥癬(かいせん)にかかって体中ぶつぶつが・・・

香港行きもあわやキャンセルか?!・・・



NYで二の腕とわき腹にぶつぶつをもらって来た。
みんなは「悪いもん食ったんだろ」と言うが、
そんなそんな、朝からエイジアン・フードしか食ってません!

それに、内的要因で出るぶつぶつは、
お腹だろうが背中だろうがわきの下であろうが、
とにかく柔らかいところを中心に至る所に出て来る。
二の腕を中心と言うのはどうもちゃうんではないか・・・

10年程前、
爆風のテレビ収録スケジュールで、
昼の1本目が終わり、夜中までかかって2本目を撮ってた時、
お腹にぽつんと水泡が出来た。
「ありゃ?」
収録を続けるにつれそれがどんどん増えて来る。
「カメリハいきまーす。はい次本番でーす」
本番になるとカメリハにはなかった顔にもぽつんと出来る。
「おりょ?」
しかし身体はいたって元気。
心配するのはメイクさんぐらいで、みんなは
「末吉、また悪いもん食ったんじゃねーの?」
ぐらいで気にしない。
(みんな俺の食生活をどう思っとるんじゃい!)
「エイズとちゃうか?」
当時エイズと言う言葉が初めて囁かれだして、
何かにつれそんなことを結び付けたくなる。

ぼつぼつが身体じゅうに広がった。
するといきなり体力ががたっと落ち、
突然熱が出て立ってられなくなった。
楽屋でぶっ倒れてうなされながら考える。
「そう言えば雑誌で見たエイズの何たら肉腫っつうのはこんな感じやった。
俺はきっとエイズなんだ、もう死ぬんだ・・・」
人間しんどくなるとどうも悲劇のヒロインになりたがる。

ふーふーいいながら収録を終え、救急病院に運ばれる。
しかし日本の医療制度がこれだけ整っているといいながら、
大病院での患者の扱いはそれはそれはぞんざいである。
寒いロビーで熱にうなされながら待たされること1時間。
病気が病気やったらマジで死ぬでぇ。

やっと順番がまわってきて見てもらったら、
「水疱瘡(みずぼうそう)です。明日9時以降に来診して下さい」
でおしまい。
そして朝から今度は2時間待たされてやっと診察である。
ひどい・・・

その頃にはぶつぶつは全身に広がり、
お腹といい背中といい、
それが寝返りをうつとその水泡が破裂し、シャツがウミで黄色くなる。
あー思い出しても気持ち悪うぅ・・・



そう、内的な要因で出来たぼつぼつは、このようにところかまわずなのである。
でも今回はむしろシャツの外側、と場所をわきまえて出ている。
「虫さされとちゃうの?」
しかしぼつぼつに虫の食ったような後がない。

まあそんなに痒いわけではないのでそのまま帰国し、
「痒くて死んだ奴はおらん!」
とばかり仕事にいそしんでいたら、
今度はそのぶつぶつが腫れて大きくなりだした。
さすがに近所の皮膚科に飛び込んだが、
「これが日本で出来たぶつぶつなら
虫なら虫、かぶれならかぶれと原因を特定してそれに対する治療が出来ますけど、
外国でなったもので、状況もわからないものに対しては的確な対処が出来ません。
とりあえず痒み止めを出しときますから明日もう一度来て下さい」

けだしごもっともである。
痒さにさいなまれながら一生懸命考えるに、
みんなと違った食事をとったわけでもなく、
唯一違ってたのはふとんである。
エンジニアの松宮宅に泊まったのだが、
彼のベッドのマットレスを引き摺り下ろして、
その下のマットレスの上にシーツをかけて寝ていた。
そこに何か俺だけにかぶれる要因があったのではないか。
だって二の腕とわき腹とちょっとだけ太ももと言えば、
Tシャツとパンツの寝乱れ姿で布団に触れるところではないか・・・

ま、かぶれだったらどうせこれ以上広がることはないだろうからいいや、
そのうち腫れもひくでしょう。
と気楽に考えて日本での仕事にいそしむ。
ちょっと日本に帰って来たら、
テレビやラジオのレギュラー録りで大変なのである。
朝8時からFM香川の電話出演をこなし、
10時にはNHKに入り中国語会話の2本撮り。
この日は無理言って早く出させてもらい、
FM-COCOLOの2本録り。
その2本目ぐらいについに症状がピークを迎えた。

あれ、気が付いたらこれ、体じゅうに出来とるぞ。
増えて来とるわ腫れて来とるわ、
腕なんか藤壺みたいにごつごつと1.5倍の大きさに膨れ上がっている。
足や背中にもぼつぼつが出来、
しまいには顔や首筋にも出来だした。

まずい!半日後には機上の人なのに・・・
二の腕がこんなに腫れあがり、
こんなに熱を持ってるんだから、
これが全身に広がった日にゃあ、あの水疱瘡の比ではなくなる。
水泡であれほどふらふらだったんだから、
この象皮病のような腫れ上がり方だとステージは無理じゃろう。

10年前水疱瘡を押してツアーを敢行し、
ライバル・メドレーの中でのバク宙を失敗し、
顔面から墜落しておでこの水泡をつぶしたのを思い出した。

しかし今回の香港ライブは日本からツアーも出てるし、
何より無理してせっかくブッキングしてくれた香港のエージェントの顔をつぶすことになる。
中国人の顔をつぶすぐらいなら自分の顔の水泡潰した方がマシである。
「最悪、俺だけ当日入りにして明日は日本で病院に行く!」
だいたい日本人と言うのは昼間働いてて病院行く時間などはないはずなのに、
仕事終わった夜には病院が開いてないとはなにごとぞ・・・
チケットをキャンセルして次の日の便で行くしかない。

心配して収録スタジオまでかけつけた事務所の社長、綾和也が、
あまりにひどい俺の状況を見て、はたまた俺を救急病院に担ぎ込んだ。
「救急なんてアテにならんで。明日来診して下さいで終わりや」
10年前の苦い思い出を思い出す。

「末吉ぃ、次の日の香港行きはファーストクラスまで全部売り切れや。
ライブをやるためには予定通り明日の朝一番に乗るしかない」
選択肢はふたつ。
ここで救急病院で見てもらって応急処置をしてもらい、
後は香港で病院を探すか、
見てもらわずに香港で病院を探すかである。
四川省の山奥で気管支晴らしてぶっ倒れ、
四川訛りのきつい医者の治療を受けたのを思い出した。

「とりあえず日本語通じるところで一度見てもらおう」
当然のなりゆきである。
待たされること30分。
靴を脱いでみると足も見事に腫れ上がっている。
今やまるでFLYの映画でハエ男に変身しつつある主人公のようである。

当直は女医さん。しかもかなり若い。
「あら、末吉さんって爆風スランプの方ですか?」
「そうですが・・・」
「私コンサートよく行ってました」
そうか・・・あの頃ファンだった女の子がこうして女医さんになっているのか・・・
バンドは長くやるもんである。

元ファンの前でパンツいっちょになり、
ぼつぼつの位置を確認する姿もたいがいのものがあるが、
しかしおかげで女医さんはかなり熱心に治療をしてくれて、
皮膚をいくつも採取しては顕微鏡で検査してくれた。

「深夜だし私ひとりしか決断を下せない状況で断定は出来ませんが、
これは虫が原因である可能性が高いと考えられます。
顕微鏡でも断定は出来ませんが虫と卵の姿と思われるものが見えてます」

その虫を疥癬(かいせん)と言う。
NYはブルックリン、古い友人宅のベッドの、
上のマットと下のベッドの下に巣食ってたのは疥癬虫。
ブルックリン訛りの英語を喋る。
(喋らん喋らん・・・)

腫れ上がった二の腕を長袖で隠し、
なんとか香港に入国した。
迎えに来たエージェントにびっくりされながらホテルにチェック・イン。
身体じゅうに薬を塗りたくって部屋で寝ている。

明日(もう日付的には今日だが)のライブ、大丈夫かなあ・・・

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:07:30

2000年08月26日

子供がいきなり中国語になってワシは一日主夫生活

子供が中国人になって帰って来た・・・

アメリカから帰って来てから、
嫁は北京の実家に預けている子供たちを迎えに行っていた。

現在嫁は日本の国籍を申請中で、
これって審査官には非常に印象の悪いことらしい。
「あんた日本人になりたいって申請しながら、日本にいないじゃないの。
日本人になって日本に住みたいってのはウソなのね」
と言うことらしい。
つまり、俺のように世界を飛び回る日本人など、
この日本国には必要ないと言うことじゃ。
実際、審査期間中に70日以上海外に出ると、
この人は日本に住むと言う意思が無いとみなされるらしい。

その他軽犯罪と言えど審査期間中に起こすと、絶対に受理されない。
これはまあ、「日本国民たるもの犯罪を犯すような輩はいらん!」と言うことである。

先日、レコーディングの帰りに、明治通りの新宿あたりの渋滞で、
ラリった若者達の車にからまれた。
いきなり運転席のドアを開けて来て、
「何見てんだよ、コノヤロー」
と来る。
運転していた竹越の話によると全員酒臭かったと言うが、
酒だけであれだけ大暴れしないだろう。
何かクスリも併用してたに違いない。

何を聞いても答えない俺たちに、
奴らは俺たちの車のKeyを抜いて捨ててしまおうとしたが、
俺はすかさずギアをローに入れ直し、抜けないようにしてにらみ付けた。
若造が3人、こちらにガンを飛ばしていたが、
俺の人相がやはりどことなくただもんじゃないと感じたのか、
「見てねえんだな。見てねえんだったら許してやらぁ」
と退散した。
警察に電話しちゃれと携帯電話を握り締めていたのが
スタンガンかなんかに見えたのかも知れない。

どっちにしろこんな輩こそは日本国には必要なかろう・・・
ちゃっかり110番に通報しといたが・・・
俺は右翼の宣伝カーを見ても、
「うるさいんですけど法には触れないんですか」
と車の番号を通報するイヤな男である。



そんな話はどうでもよい。
成田に嫁を迎えに行った。
ゲートから出てきたのはまぎれもなく中国人になった子供がふたりであった。

3ヶ月も向こうにいれば日本語は全て忘れ、
北京のジジババに着せられた服もどことなく中国的と言えば中国的だが、
いきなり全ての言語が中国語となり、
それにつれ、表情までどことなく中国的になる。

下の子供は2歳なのでまだ片言だが、
それでも中国語である。
理解不能な言葉が多いが、
それを上の子供4歳が通訳する。
この子には完璧に理解出来るらしい・・・

かくして新しい家庭(俺にとってはそんな感覚)が始まった。

X.Y.Z.の韓国公演がキャンセルになり、
その前にくっつけていた、タイプロジェクトの記者会見が延期になり、
ぽっこり空いたスケジュールを見て嫁が、
「じゃああんた子供たち見といて!私遊びに行くわ」
と突然の主夫生活を余儀なくされる。

えりちゃん、さとくん、と呼んでいた昔は今、
京京(ジンジン)、天天(ティエンティエン)である。
一生懸命下の子を呼んでたら上の子が返事をしてたりなど日常茶飯事である。
「何が食べたい?」から「公園に行く?」まで全部中国語なのも不思議な感覚である。
かと言って「そんなことしてるとママに叱られるよ」の「叱る(罵)」と言う言葉は通じない。
子供用に「怒る(生気)」と言ってあげなければならないようだ。
かと思ったら夏風邪をひいて「不通気!不通気!」と意思表示するのがよく理解出来ない。
「どう言う意味なの?」と聞いてやっと「ああ鼻が詰まってるのか・・・」と理解する。
この上、下の子のもっと特殊な赤ちゃん言葉が来るので大変である。
何か喋っていると必ず上の子を呼んで通訳してもらう。
この通訳も中日辞典ではなく中中辞典なので大変である。
ついでに「発音違うよ」と正しい発音を教える。
俺の発音が正しくなければ一生それで覚えてしまうので緊張する。

そのくせ金曜日の7時になると
「ドラエモン、ドラエモン」とこれは日本語である。
3ヶ月北京に行ってても金曜7時にドラエモンがあることは忘れてないのである。
テレビと言うのはなんと偉大であることか・・・
日本語ならまかせとけ!
ちょっと関西訛りで正しくはないが胸を張って教えることが出来る。

一日子供たちと暮らすと、
最初慣れてなかった子供たちも、
「ああこの人はママと違って何やっても怒らないないんだ」
とわかるらしく、どんどんわがままになってくる。
「わがまま言うんじゃない!」の「わがまま(任性)」
と言う言葉から教えなければならないので大変である。

せっかく飯を作ってやってもポテトチップスばっか食って飯を食わない。
「どれどれ、こんなおいしいのにねえ・・・」
こうやって主婦は太ってゆくのね・・・

じゃあおやつは近所のおいしいケーキ屋さんに行きましょう。
そこで暴れまわって言うことをきかないふたりを中国語で叱り飛ばす。
近所の人は俺をどう見ているのだろう・・・
結局一口しか食べないケーキを俺が全部たいらげる・・・
明日はX.Y.Z.の2ndのジャケット撮影なのに・・・

夜は夜で子供を寝かしつけたらチューハイで一杯やる。
つまみは晩飯の残り物である。
また洗い物が増えるのもイヤだし、残すのももったいないから全部食べる。
こうしてキッチン・ドランカーとキッチン・デブが増えてゆくのだろう・・・

世の主婦達に合掌・・・

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:07:40

2000年05月11日

四国健康村で見た旅芸人の一座

五星旗(Five Star Flag)が活動を再開し、大阪、四国、京都とツアーを回ってきた。
車に機材を積んで夜走りで行くのはX.Y.Z.と同じだが、
違うと言えばその機材の量と、移動日なく連続で入るライブである。

まあ基本はJazzなので何連チャンでも大丈夫なのだが、
移動はさすがにこたえる。
来る時なんて連休の大渋滞で15時間ですわ、ほんま。

そんなツアーの中の一本。
香川県に宇多津町と言う小さな町があるが、
今回この町の非常に立派なホールで演奏させてもらった。
わしらワンマンで600のキャパを埋められるほどのネームバリューはないので、
主催者達は、やはりやっきになって手売りでチケットをさばこうと努力してくれる。
当然地元だと言うことで同窓生にチケットを買ってもらうことになるのだが、
そうなると当然
「末吉が帰ってきとるんやけん同窓会しょうで(讃岐弁)」
と言うことになる。

ところが俺がまた同窓会と言うのに出たことがない。
生まれてこのかた年賀状を書いたことがないと言う筆不精と、
(それにしてもMailはマメに書くなあ・・・)
生来の芸能人扱いされ嫌いがたたって、結局顔を出すことがなかった。

また人間の記憶と言うのはアテにならないもんで、
また特に地元を離れて昔の交友関係と縁がなくなってる俺のような人間にとっては、
「久しぶり!○○です」
と言われてもこれがなかなか思い出せん。

ところが向こうはテレビとかでいつも俺の情報は目にし、耳にしているので、
何となくそのまま長く付き合ってる気になっている。

会っても思い出せんのよ、これが・・・

今回主催者の町役場に同窓生がいた。
高瀬くんと言って隣のクラスだったのだが、
彼が一番頑張ってチケットを捌いてくれたにもかかわらず、
当の俺は全く彼のことを覚えていない。
挨拶に行ったのだが、「悪い」が先にたって顔さえ正視できない。
そんな人たちがたくさんいる同窓会って・・・

と思ってたら出席してみたらそうでもないのよ。

女の子は、やはりお年を召すとお変わりになられるけど、
やはりよくよく見ると面影はあるし、
男どもに至っては、うちのクラスはオジン顔が多かったのか、
どうもあの頃の顔のまま、そのまんまである。

高瀬くんのことも徐々に思い出し、
「ああ、おったなあ、こんな奴」っつう感じになる。

ところが隣にどうも見覚えのありそうでなさそうな顔がある。
背がちっちゃくって、目が細くって、
よくあるマンガのキャラクターのような顔なのだが、
「3組だった亀井です」
うーん、亀井なあ・・・
そんな奴おったかなあ・・・

まあ追求しても「悪い」ので、そのままアホな話ばっか続けていた。

さてインターネットの話となる。
当然エッチページの話題となる・・・
すると亀井くんが意気揚揚と話に参加し出した・・・
「あれは一度はハマるんや・・・」
ちょっとはにかんだその表情と目の輝き・・・
「わしらの時代はプレイボーイとか平凡パンチしかなかったのに、
今日びの若い子らはどんな凄いんでもこなん簡単に見れるやからのう・・・」
哀愁を帯びたその語り口調・・・

「か、亀井ってひょっとして”エロ本屋の亀井”?」

おったおった・・・
人呼んで「エロ本屋の亀井」!
別に家業がエロ本専門店だったわけではなく、
単に普通の本屋だったのだが、
当時はプレイボーイとか平凡パンチを買うだけでも命がけだった田舎町で、
みんなの期待を一身に受けて、
家の本屋からエロ本を盗み出してはワシらに見せてくれてた亀井くんやないの!
わざわざ隣のクラスまで亀井くんのありがたいお話を聞きに行っきょったがな(讃岐弁)・・・

まあ亀井くんにしてみたら、俺なんかその中のただのひとり。
もしこうしてテレビとかに出る職業じゃなかったら
それこそ思い出すこともない存在であったことだろう。

いやーそれにしても若い頃に刷り込まれた記憶と言うのは恐ろしい。
特に下ネタ系はね。
おかげで同窓会に来てもないのに、
オナニーを教えてくれた鎌田くんの名前や顔まで思い出してしもた・・・
こんなことがなかったら、ひょっとしたら一生思い出すこともなかったかも・・・

ま、同窓会もええもんやね。

さて今日のお題、「旅芸人の一座」

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四国は宇多津と言う町に「四国健康村」と言う健康ランドがある。
香川県に行けば必ずここに風呂に入りに行くばかりではなく、
Funky Co.の社長の実家「綾御殿」に泊まれない時はここで泊まったりする。
(わしの実家はもう香川県にはないのよ)

まあだいたいはライブ終わって夜中にここ行って、
閉まりかけている食堂に無理言って酔いつぶれるまで酒を飲むのだが、
今回は一本昼間のライブがあったので、
これ幸いとめずらしく昼間っから風呂三昧としけこんだ。

このテの大きな温泉場(みたいなもんやね)には、
往々にして大宴会場かなんかあってそこで歌謡ショーかなんかやっとるもんだが、
今月の健康村の出し物は「新川博之劇団」であった。

ポスターがまたシブい!
着物を着流した座長がビシっとミエを切っている。
「時代劇かなあ・・・」
7時からの公演を心待ちにしながら、
薬草風呂に浸かる。
「薬が浸透してピリピリするところがありますが、そこが身体の悪いところです」
と説明書きされているが、みんながみんな
「ち○ぽ○がピリピリするー」
と絶叫。
そりゃ粘膜には一番染みるっつうねん!

さて7時から数分送れてショーが始まった。
お芝居かと思ったら、それは昼の部だけで、夜は「歌と踊りの歌謡ショー」となる。
着物を着た男女が舞台に上がって
演歌やら何やらに合わせて日本舞踊のような殺陣のような踊りを踊る。
歌い手が変わるごとに、それぞれに陰アナが玉置浩のような講釈を述べるのだが、
「うーむ、そうするとこの喋ってる人も一緒に旅にまわってるわけね」
とわしらの興味はそっちに行く。

「それではお待たせしました。当劇団の研修生で御座います。
○○智哉(すまん、苗字忘れた)が踊ります。トモちゃーん!」
なんか色白の男の子が出て来る。
「けんきゅーせー?!」
わしら顔を見合わせる・・・
「当劇団研修生、○○智哉。歌を踊りを毎日勉強しております。
一生懸命頑張ってます。当年とって15歳!」
「じゅーごさい?!」
学校はどないしてんねん!学校は・・・
「ああ言う人たちはな、旅先で次の公演場所決まったらすぐ転校手続きしてな、
子供の頃から転校、転校の旅人生や」
キーボードの進藤くんが物知りげに言う。

舞台では何やら日本舞踊やら殺陣やらわからん踊りが繰り広げられる。
するとトモちゃん、踊りながら舞台の最前列に歩み寄ってひょいと方膝でちょこんと座る。
すると最前列のお姉さんがひょいと着物の裾に封筒を入れるのである。

「おひねりー?!」
わしら顔を見合せる・・・

「お待たせ致しました。当劇団の副座長、新川博也が歌います」
ちょっとぽちゃっとした感じの男優が出て来る。
しかしどことなく色っぽい。
バシっとミエを切った時の流し目など、さすがと言う感じである。
当然ながらおひねりの嵐である。
「ええなあ、わしらのステージもおひねり制にしようで・・・」
誰がくれんねん!

演目はどんどんと進み、
新川笑也やら新川博なんたらやらいろいろ登場。
「やたら新川が多いなあ・・・」
「当たり前やんか、家族や、家族」
ツアーに同行したラグタイム・ブルース・デュオ「三井はんと大村はん」
の大村はんが知った風なことを言う。
「そうかぁ、家族でまわっとるんかぁ・・・」

途中、座長も歌を披露し、立派なおばはん等も出て来て、
しまいには座長とおばはんがふたりで座って話しを始めた。
「はい、当劇団の副座長、新川博也の写真入り飾りうちわ、2500円で販売しております」
物販の説明を始める。
「じゃああれがお母さんかなあ・・・」
ベースの仮谷くんも興味津々。

そしてビデオ。
座長自ら宣伝文句をたれる。
「第一部は○○劇団に新川博也が参加して演ずる○○。
そして2部は歌と踊りの歌謡ショー」
ほう・・・
となりのおばはんが次々とビデオを手に取って客に誇示する。
「そしてお次、第一部は○○劇団に新川博也が参加して演ずる○○。
そして2部は歌と踊りの歌謡ショー」
ほう・・・
「そしてお次、第一部は○○劇団に新川博也が女形で演ずる○○」
ほう・・・女形かい・・・
「そして2部は歌と踊りの歌謡ショー」
また「歌と踊りの歌謡ショー」かい!・・・
「そしてお次、第一部は○○劇団に新川博也が参加して演ずる○○。
そして2部は・・・」
「歌と踊りの歌謡ショー!またかいな!」

香川県ははっきり言ってギャグのレベルは低い。
ボケに突っ込むのはうちのテーブルの関西人だけである。
それにしても女形ねえ・・・
そりゃあれが女形やれば色っぽいやろうなあ・・・
「今こうやって喋ってる間に着替えとるんやで」
ギターの岡崎はんが知った風に言う。

「お待たせしました。副座長新川博也が女形で座長新川博之と踊ります。
○○○○!(タイトル忘れた・・・)」

じゃじゃーん!
出て来た博也くんはまたそれはそれは色っぽい・・・
「ひろやー!」
思わず掛け声をかけるわし。
「当劇団副座長、新川博也。来月で17歳になります」
じゅうななさいー?!
「学校はどなんしとんねん、学校は!」
艶やかに舞い、踊る女形の博也くん。
もちろん一番前に座り込んでご祝儀を受け取る。
こりゃおひねりも出すわなあ・・・
ある女性は博也にかんざしを手渡す。
博也はそれをひょいと自分の髪に刺し、舞い、踊る。
ほう・・・
思わずうっとりして見入ってしまったわしら・・・

ショーが終わって宴会場から出ると、
出口のところで座員自らグッズを売っている。
博也くんも女形のまま出口で立っている。

話し掛けたいのはやまやまだが、
そうするとグッズのひとつも買わなければ悪いので、
貧乏なわしらは後ろ髪を引かれつつ2階の食堂に行って酒を飲む。
「芸やな・・・立派な・・・」
誰ともなくそうつぶやく。
「三井はんと大村はん」にここで営業させようかと思うとったけど、
とてもやないけど太刀打ち出来んわ・・・

「旅から旅への旅芸人か・・・」
家族親族引き連れて、全国津々浦々と回る人生・・・
あいつら物心ついた時からずーっとそんな人生なんやろなあ・・・
しかしよう考えたらわしらバンドマンの人生も同じもんかも知れん。
グッズ売って生計立てるのもロックバンドと同じやないかい。
違うとしたら家族親族引き連れてないっつうことかな。
よし、うちのガキが大きくなったら、
学校なんか行かんでええから世界中連れて回っちゃれ・・・

そんなことを考えながら飲み続けてたら、
お勘定がひとり4000円にもなってもた。
「しもた!博也くんのビデオが一本買えたやないかい」

新川博之劇団、今日はどこでやってることやら・・・

ちなみにわては九州でX.Y.Z.のツアー・・・

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:13:40

2000年04月11日

中傷Mailを受けて・・・

X.Y.Z.はただ今ツアー中。
広島から始まった今回のツアーも、
お好み焼きから始まって、各地の名産ブタの元である。
(太るのよ、これが・・・)

そんな中で、広島のお好み焼き屋での和佐田と友人との会話。
「いやー、サンフレッチェが勝ててなかった頃なあ、
森安に向かって”やる気ないプレーすんな”言うたサポーターがおってなあ、
さすがの森安もそれに切れて乱闘や」
スポーツ無知の俺もちょっとは会話に入りたい。
「なに、なに?何の話?」
話に交ぜてもらおうとする俺を和佐田が遮る。
「末吉っさんに話しても無駄やで。
何せラモスとジーコを知らんかった人やからなあ。
食べるもんやと思てたらしいで」

バカにすんな!
そりゃサンフレッチェは食べもんかなあとは思とったけど・・・

まあその日の話で俺がわかったことと言えば、
「サッカーも野球もロックも同じや。
スタジアムに人集めて熱狂させる。
それだけや!」
わかるようなわからんようなである。

と言うわけで、
今回はスポーツの話題とはまるで関係なく、
X.Y.Z.の海外進出について。

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先日いきなり一本のMailが来た。
「X.Y.Z.は海外進出すると言いながら、現状では何もやってないのと同だ」
この1行だけである。
もちろんどこの誰ともわからん。

俺はカチンと来てResを書いたねえ。
「何も知らずに中傷だけをしたいならMailなんか送ってくんな!」
しかしそのMailはReturn Mailとして戻ってきた。
アドレスを見ればdocomoメールなので、
携帯から送って、受けるのは出来ないようになっているのだろう。

いやー、森安の気持ち、わかったねえ。
(森安と言う人が誰なのかはわかっとらんが)
サポーターとて「頑張って欲しい」のを気持ちにして言ってることなのであろう。
ところが選手とて、頑張ってないはずがない。

江夏が言うとった有名な言葉
(江夏と言う人も実はあんまりよう知らんが)
「江夏、頑張れよ」
と言う言葉に対して、
「頑張ってまんがな」
この一言である。

なんや、スポーツっつうのもロックとよう似てるかも知れんなあ・・・


さて世界進出を目標に結成されたX.Y.Z.であるが、
実際ファースト・アルバムはL.A.でレコーディングされたものの、
その時に予定されていたL.A.でのライブも結局実現せず、
去年山のように予定されていたアジアでのイベント、
上海、北京、シンガポール、韓国、etc.
全て見事に流れてしまった。
結果X.Y.Z.はこの狭い日本でしかライブをやっていない。
まあこれ事実。
熱いサポーターともすれば、
じれったくってMailの一本も送りたくなろう。

でもまあ、わたしゃもう慣れてますわ、この海外のイベントのいいかげんさ。
二井原なんかに聞くと、アメリカなんかでも
あんなでっかいイベントが、どうしてこんな間近になってからじゃないと決定にならんの?
っつうことが多々あるらしい。
いわんやアジアである。
(アジア蔑視な発言ですまんのう。でもまあ、この俺が言うんやから許して欲しい)

それでもラウドネスはアメリカに住んどったからええ。
別にイベントが没ってもどの道アメリカでおる。
中国の歌手は別に直前にイベントが決まろうが流れようが、
空いてたら行くし、忙しければ断る。
ただそれだけのことである。

ところが俺達と来たら、
数ヶ月前からスケジュールを押えて、
プロフィール作って資料送って、
ビザを取って、チケット予約して、
そいでもってぎりぎりになってドタキャンである。

話は全然変わるが、
伊達弦と言うパーカッショニストがいる。
あるミュージシャンのところに電話をして、その奥さんが電話に出た時の話。
「もしもし、伊達弦です」
「は?」
「伊達弦ですが・・・」
「はあ、そうですか・・・」
「?・・・」
「ちょっとお待ちください。あんたー、あんたー、ドタキャンらしいでぇ」
ドタキャンちゃう!伊達弦やっつうねん!

失礼しました。
そんなこんなで、海外のイベントは鵜呑みにして信じていると、
その押えられているスケジュールの間は何も活動が出来ないので、
結局ある一定の期間を棒に振ってしまうこととなっていまう。
結成間もない新人バンドがそう言うわけにもいかないので、
結果海外イベントは犠牲にして国内ツアーのようなはっきりした活動を最優先にする。
仕方ない。今スケジュールを遊ばせるわけにもいくまいよ。

まあ後は海外に住むかである。

まったくもって二井原実と言う人間は器がでかいと言うかアホと言うか。
当初日本のレコード会社をあきらめていた俺は、
アジア最大のレコード会社、Rock Recordをはじめとして、
香港の俺のエージェントにこう言っていた。
「どこの国のレコード会社でもええ。
手ぇ挙げるとこあったらその国に住むから。
とりあえずはボーカリストだけ送り込んどけばえやろ」
まったくもって無茶を言っていたもんだ。
当の二井原も、「別に歌うたえるんやったらどこで住んでもええで」と気楽なもんである。
まかり間違えば俺らは今、台湾とかマレーシアで暮らしているとこだった。
まあ縁あって(縁なくて)こうして日本に住んでいるが、
なんじゃかんじゃと海外進出のための準備は着々と進んでいる。

まあ海外にライセンスするためには、まず英語版のレコーディングであろう。
現在ツアーの合間をぬって二井原は全曲英語版をレコーディング中。
しかしこれとて経費はかかる。
また100万単位で経費が出てゆくのね・・・

X.Y.Z.レコードは今のところ順調で、
キングレコードの同じセクションの中ではダントツの売上なのだそうだが、
いかんせん何をやるにも金と言うものは出て行ってしまう。
キングが立て替えてJASRACに支払った著作権料も、
いきなり100万単位で請求が来る。
自分がもらうべき金をなんで自分で払わなアカンのか合点がいかんが仕方がない。
挙句の果てにはキングに送る計算式が違っていたらしく、
「末吉さん、多く支払い過ぎてますんですぐ返して下さい」
「おいくらですか?」
「130万円」
「あるかい!」

まあそんなこんなでやっとキングからの入金が始まり出した今日この頃であるが、
気が付いたら次のアルバムのレコーディング費用を支払わなければならない。
また何万ドルも要るのよ・・・

資金を集めてくれた嫁よ、そして嫁の親族よ。
俺ら攻めつづけとる限り借金は返せんわ!
すまんのう・・・

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:06:30

2000年01月30日

BEYONDのドラマーWingを呼んでレコーディング

いやー、久しぶりのメルマガ配送である。
1月はX.Y.Z.のライブも1本しかないのに何をしとったんじゃ!
といぶかしがる方々も多い中、
泳ぐのをやめたら呼吸が出来なくなって死んでしまうサメのように、
ただひたすら自分を忙しくしてたファンキー末吉であった。

何が忙しいと言うて、
さきおとといまで香港から友人が来てたのが一番大変やった。
何が大変やと言うて酒を飲むのが大変やった。
「友、遠方より来たりて酒を飲む」である。

友とは、香港No.1のロックバンド「BEYOND」のドラマー、Wingである。
俺自身、香港に行ったりするとそれはそれはよくしてくれる。
日本に来たらよくせいでか!と言う状態である。

友達とはほんとにいいものだ。
最後の夜、武蔵小山のJazz屋で朝まで飲んだ。
「この店にはいっぱい思い出が詰まってるんだ・・・」
彼が懐かしそうにそう言う。

フジテレビの番組収録中の事故で亡くなったBEYONDのボーカリスト、
コマ君の誕生パーティーもここでやった。
友人達が彼に贈ったプレゼント、
それは「麻衣ちゃん」と言う名のダッチワイフ。
それと共に撮った写真が我が家の遺影である。

「この店で俺も当時の彼女と知り合ったんだよね」
「いやいや、俺こそあの日、コマが死んだ夜この店で嫁との結婚が決まったんだぜ」
「お前は知らないだろうけど、この席でランランと朝まで秘密の話をしてたんだ」
等、思い出話にはことかかない。

さきおととい成田まで送りに行って、いざ彼が帰ってしまったら、
あまりの忙しさから開放されてほっとした気持ちの反面、
またとても寂しくなった。

また何か理由つけて香港に行こう・・・


さて、今日のお題
「外国語で歌うと言うこと」

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そもそもWingを呼んだと言うのも下らない仕事である。
現在五星旗で中国語の教材用CDのレコーディングをしている。
「カラオケで学ぼう中国語」と言うやつだが、
そのカラオケCDを作成すると言う仕事である。

まあバンマス兼プロデューサーとしてはいろんなことを考える。
「その予算でついでに五星旗のミニアルバムも録音してしまえば、
そんなに経済的なリスクもなく、
産休のつなぎとしてのいいリリースが出来やしないか・・・」

まあ映画音楽などはまさにその発想で、
サントラ1枚分の予算でついでに映画のBGMも全部録ってしまう。
同じ原理である。
「ほなみんなギャラないけど頼むわ」

別に演奏をレコーディングするぶんには何の問題もない。
奴らも優秀なJazzミュージシャン、
レコーディングなど朝飯前である。
おまけにベースの仮谷くんはアレンジも打ち込みも出来るので、
俺としては何もせずにいて楽である。

まあ問題なのは模範演唱であるが、
幸い五星旗の二胡奏者WeiWeiは歌も歌えるので、
「大丈夫ですよ、問題ありません」
と軽くこの仕事を引き受けたものの、
いざ製作が始まってみるとひとつの問題に直面した。
カラオケで歌いたい中国のスタンダード曲は、
必ずしも女性が歌う歌ばかりではないと言うことである。
「男性パートは誰が歌うねん!」
予算もないし、中国語で歌えるメンバーと言えば・・・・
「しゃーないなあ。俺が歌うか・・・」
レコーディングスケジュールの大部分を歌入れに割り当てた。
「さっさと録音してや、歌入れ時間かかるんやからな!」
メンバーも大変である。
これもしゃーない。

五星旗の方のアルバムにも何か書き下ろしのインストを入れなアカンなあ・・・
幸い最近書き下ろしたいい曲があったのでそれをメイン曲として・・・と・・・
後はその教材用のCDの中からちゃんとした歌バージョンを作って、
(基本的に教材なので1番が模範演唱で2番がカラオケ)
それも五星旗の方に入れてまえ!
うん、この曲なかなかええから、Rapバージョンとかも作りたいなあ・・・
・・・夢は膨らむ予算の中で・・・

そんな中、ある夜、突然久しぶりにWingからE-mailが届いた。
「何やってんのぉ。元気?電話番号変わったの?この前電話したら通じんかったでぇ」
とか言う他愛もないもんである。
ちなみに中国語である。関西弁のわけはない。
ちょっと懐かしかったんで酔いにまかせて電話した。
「見たでぇ、E-mail。日本の携帯電話の番号は090になったんや。
まあMailで送るわ。へ、へ、へ、ところで元気?」
もちろんこれも中国語である。
Mailでのやりとりもいいが、久しぶりの電話もいいもんである。
「ほなね、また・・・」
電話を切ってMailを書く。
書きながらふとこんなアイデアを思いつく。
「お前なあ、ヒマやったら日本に遊びに来んか?
俺今レコーディング中で、1曲ひとりで歌わなアカンし、
出来たらRapもやりたいんやけど、俺ひとりじゃ何なんで手伝いに来いひんか?」

我ながら下らんアイデアである。
BEYONDが活動休止してから、
全世界の中華系音楽ファンから彼らの個人活動に熱い期待が寄せられている中、
こんな下らない話につき合わせてもいいもんだろうか・・・
「かまへんかまへん。俺ロックレコードと契約切れたから、
俺がウンと言えばそれでウンやから・・・」
と彼は言う。
それにしても・・・
「Wingぅ、予算がほとんどないんや。銭もあんまし払えへんでぇ」
「かまへんかまへん。メシと酒を保証してくれたらそれでええでぇ」
それにしても中華圏の大スターを酒だけで呼ぶわけにもいかんじゃろ・・・

かくして彼の5年ぶりの来日である。
受け入れ先の会社はなし。
連絡先は俺の携帯。
この噂を聞いたアジア関係のメディアはみんな俺の携帯に電話をかけて来た。
「Wingぅ、ラジオに出て欲しい言うてるでぇ。取材もして欲しい言うてるでぇ」
結局彼のスケジュールは真っ黒。
俺は、自分の仕事の合間合間にコーディネーターとして
送り迎え等ケアをやらねばならない。

そして夜はびっしり飲み会である。
「誰それと会いたいなあ、誰それも元気?」
彼の目的はもう仕事ではない。
懐かしい友達と酒が飲みたいのである。
「今回の来日の目的は何ですか」
取材陣からの質問に彼はこう答える。
「懐かしい友達と酒を飲むこと、そしてFunkyの子供の顔を見に来た」
これでええんかい!

それはそうとレコーディングである。
これを最初に済まさないと酒も飲めない。
まず彼の書いて来た歌詞をRapで乗せて見た。
「うん、新しい!」
10年前、中国語のロックに魅せられてから、
俺にはずーっと中国語のRapに興味があった。
Rapに乗りやすい言語だと思ってはいるのだが、
どうも中華圏ではロックの雄、ツイジェンを除いてはまだロクなもんがない。
(広東語ではちらほらあるんだけどねえ・・・)

よし、一緒に歌うぞ!
歌うぞ、と言ってもRapである。
音程はいらん、リズムだけに気をつけろと言うのはドラマーの俺らにとっては楽である。
問題は発音である。
広東語がネイティブであるWingと、日本語がネイティブである俺とでは、
どうしても正しい発音であるかどうかのチェックが必要となる。
大陸出身の中国人を呼んでディレクションしてもらう。

「ファンキーさんはここの発音がちょっとはっきりしない。
Wingさんはここね」
やりとりはもちろん中国語である。
「ほなもう一回やりなおそか。ほな回してや」
エンジニアにそう言うが、エンジニアはぼーっとして何も反応しない。
気が付いてみたらそれが日本語ではなく中国語で言ってたり、
まあ中国人とレコーディングする時によくある笑い話である。
パンチ・イン、パンチ・アウトなど、言語のわからない日本人には地獄であろう。
すまんのう・・・

かくして完璧だろうと思われるテイクが録り終わったが、
どうも場の雰囲気はそれをいいものとしていない。
なんでやろ・・・

全てのものが硬いのである。
リズムもいいがグルーブはない。
発音もいいが感情がない。
こりゃ大変や・・・

やり直す。
「Wingぅ、こりゃアカンわ。
発音どうでもええから、とりあえず感情こめていこや」
完璧な発音にしてや!と言うディレクションはすぐ崩れ、
「香港人と日本人がやってるRapやっつう感じで仕上がればええわ」
となる。

その昔、二井原実がラウドネスで最初の英語版を録った時の話を思い出す。
「いやー、大変やったでぇ。
ひどい時には一行で一日かかったりなあ。
俺としては完璧な発音や思てても、
ニイハラ!今のはちょっとニューオリンズ訛だったぜ、
ロックはやっぱLA訛じゃないとな・・・
とか言われてもわからへんやん。
もうまぐれ当たりを狙うしかない。
向こうがOK出すまで何回でもまぐれを狙うて歌うしかないんや。
1曲に3日かかったこともあったでぇ」

わかるなあ・・・

何語であってもやっぱ歌である。
シンガーとして表現できてなんぼである。
発音は二の次でやっていくしかない。
「このテイクは表現としてはばっちりなんやけど、
発音がいまいちやからやり直し」
でやっていくしかない。
歌自身をもまぐれ当たりでレコーディングしてる奴にはできん芸当である。

かくして俺の中国語の歌録りが始まった。
発音指導のWeiWeiが頭をかかえる・・・
「歌がアカンの?発音がアカンの?
言うとくけど、歌がアカン言うても、何回やり直したところでレベルは上がらんでぇ!」
中国語の教材である。
すまんが歌の表現力は捨てさせてくれぇ。

Rapは発音自体は大変だが音程がないぶんまだ楽である。
歌を歌いながら、
リズムにも音程にも、そして発音にも気を使って歌えるわけはない!
二井原はようこんなことやってたなあ・・・


X.Y.Z.の英語版の録音が始まった。
Miracleとかはもう録り終わっている。
これを持って今年は全世界にライセンスを取りにまわるのだ。

いやそれにしても二井原は凄い!
ほとんど数時間で「外国語」の歌を録り終えてるのである。
英語詞と発音指導のボブが言う。
「ニイハラの発音は全然問題ない。
少々違ってたって、変だったって、
彼のその声の説得力で全てがOKになる。
こんな声を持ったボーカリストはアメリカにはいない。
だからラウドネスは売れたんだ」
酒飲んでたらただのアホやけど、
やっぱ凄いんやなあ、こいつ・・・

二井原が言う。
「俺のシャウトってなあ・・・
どうも白人達にはブルースリーのアチョーと同じに聞こえるらしいんや。
カンフーボイスとか言われてたからなあ・・・」

俺ら一生懸命ハードロックしてても、
アメリカ人から見たら香港映画と同じなんかい!

まあそれでもええわ。
世界に出れるんやったら・・・

狭い日本にゃ住み飽きた。


ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:08:30

1999年12月01日

鬼太鼓座と一緒に10km走ったら足がボロボロ・・・

X.Y.Z.のシングルが発売されたのだが、これが非常に手に入りにくいらしい。
「入荷予定はない」とか、「知らない」とか、「注文は出来ません」とかはまだいいとして、
こんなMailもファンから頂いたりした。

>町○のタ○ーレ○ードに電話して入るかどうか聴いてみたのですが、ひどい対応でした。
>最初は「入荷枚数が少ないから予約は受け付けられない」って言われ、
>その後「前は入荷したんですけど今回は発注してない」って訳のわからないことを・・・
>あんまりくやしかったので「えっ??前ですか?」って言ったら
>「前にアルバム出したときに売れなかったから今回は取ってないんです」って・・・。
>「こいつアホか」って思って「前に出してるんですか??」
>って言ったら引き下がらず「95年にアルバム一枚だしてますよ」って・・・
>「明日デビューなんですけど」って言ったら「あれ、じゃぁ違うバンドですかねぇ」
>ってしどろもどろになってました。
>適当なことは言わないでほしいです・・・。二度と町○のタ○ーには行きません。

そうか・・・俺らは95年にアルバム出してたんか・・・

ちなみに二井原は
ラウドネス、ソロ、デッド・チャップリン、SLY、そしてX.Y.Z.と5度目のデビュー。
俺は、
爆風、ソロ、夜総会BAND、五星旗、そしてX.Y.Z.とやはり5度目のデビュー。
ひょっとしたら一枚ぐらい出してたかも知れんなあ・・・(笑)


まあでもね、
在庫が余るぐらい仕入れてくれとは言いません。
ひどい話、返品と言う事態になっちゃうと、
納めるのに100円、引き上げるのに100円、
1枚につき合わせて200円の損害は俺達レコード会社が被らなければならないのである。
メジャーに所属の時代には
「何で品切れなんか起こすんじゃ!
その時に店になかったら別のCD買うて終わりやないかい!」
とレコード会社に怒ってたが、
今となっては「品切れより返品が怖い」と言うメーカーの理論もよくわかる。

でもね、レコード店って、27%も利ざや取っといて、
売れ残っても返品したら損でもないし、
しかもそのリスクもメーカーが被ってるっつうシステムなんやから、
せめてお客さんからの注文ぐらいには答えておくんなはれや。
欲しいと言う人には仕入れてあげようよ。
たのんます。

でもまあこれほど差別されてる音楽でもあります、このテのジャンルは・・・
しかし俺らはライブで売りますから・・・
100本やるし・・・
あとインターネットでも通販してます。
(詳しくは私のHPを)
あと、12月8日からコンビニでダウンロード配信されるようにもなります。
(詳しくはHPの更新をお待ちください)
まあ手に入らない人はこれらのルートもご活用下さい。

しかし何ですなあ・・・
私の若い頃は(年寄り口調)、
ロックのCDなんて探して探して注文してやっと手に入れたりしてたんで、
ここ数日のファンからの苦情等を聞いてると、
なんやら昔を思い出してほんわかした気持ちになって来たりして・・・
(なんて言うとファンの方々に失礼?)
特にうちは四国やったし情報なんて何にもないから、
レコード屋のロック好きなあんちゃんの薦めるままに小遣い叩いてレコード買うとった。
今にして思えばあのあんちゃん、
自分の聞きたいレコードを俺をダシに使うて仕入れとっただけやったんやな。
あんちゃん、今でも元気ですか?
まだレコード屋やっとるかなあ・・・
もしまだやっとったら、ひょっとして小さい頃の俺みたいな子供捕まえて、
「これ聞け」
言うてX.Y.Z.注文させとるかも知れん。
そんな子供が俺みたいに道踏み外してロックミュージシャンになったりしてね・・・


さて今日のお題

「足が痛い・・・」

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足が痛い・・・
まだ階段を下りることが出来ん・・・

世界的に有名な和太鼓を中心としたパフォーマンス集団
「鬼太鼓座」
の熱海の合宿所に行って、
よせばいいのに彼らの日課である朝6時半の走りこみに付き合った。

もともとあの大太鼓と言うものには興味があったのだが、
いかんせん縁がない。
レナード衛藤と言うアバンギャルド太鼓奏者とセッションするした時に、
「ちょっと叩かせてーな」
と言ったことがある。
「末吉さん、そんなに酔っ払ってちゃあ鳴ってくれないよ。
太鼓ってのは生き物なんだからね。
俺らや、俺らの両親や、ヘタしたらご先祖様よりも長く生きてるんだから・・・」
この言葉にびびって叩くのをやめた。

「太鼓とは走ることと見つけたり!」
そのレナード衛藤が在籍していた「鼓童」の、
そのさらに大もとである鬼太鼓座の総帥である、
田耕(でん・たがやす)さんの「走楽論」による。
太鼓を叩くことと、走ることと、そして人生までをその理論に乗っ取って論じてゆく。
「走ることによって両の足がしっかと大地に根ざして初めて太鼓が叩けるのじゃ!」
ほう・・・それってヘビメタのツーバス連打にも言えるかも知れんなあ・・・

それより何より、あの大太鼓を叩く筋肉美たるやいかんせん。
二井原のぽっちゃり飛び出た腹を叱咤しながら、
そう言えば俺とて五十歩百歩である。
「よっしゃ!つまり鬼太鼓座に入座すればこのような筋肉美になれるわけやな」
・・・と思いつきまではいつもいいのだが、
普段走るどころか歩くこともせん中年のオヤジがいきなり10kmはキツい。
折り返し地点からは膝の痛みにつき歩くことを余儀なくされた。

皆に遅れてとぼとぼと宿舎に歩いて帰り、
温泉(この宿舎は温泉があるんじゃよ)につかり、
「ご飯ですよ」
と言う声とともに今日のご飯当番の作った朝メシを食う。
やはり運動の後のメシは美味い!
しかし俺は膝痛のためその後一歩も動くことが出来なくなり、
結局はそのまま温泉に入って療養する。
「ご飯ですよ」
と言う声とともに今日のご飯当番の作った昼メシを食う。
やはり温泉の後のメシは美味い!

しかし何が彼らをこのようなストイックな生活に追い込むのだろう・・・
禁酒禁煙はもちろんのこと、
完全な合宿生活のため、プライバシーもへったくれもない。
飯も粗食だと言うので、自慢の中華料理を作ってあげた。
得意の豚の角煮である。
美味い!
やはり素敵な仲間と同じ釜の飯を食うのは美味い!

温泉に入って早めに床に入る。
彼らは隣の部屋で三味線の練習をしていた。
子守唄には贅沢過ぎる調べだった。

翌日はみんなに迷惑かけないように、
みんなより早く走り出して途中で追い抜いてもらおうと思ってたら、
やはり膝が痛くて一歩も動けなかった。
「無理しないで寝てて下さいな」
彼らはそう言っていつもの通り軽々と走って行く。
仕方がないので温泉でリハビリ。
あれって不思議と温泉に浸かってる間だけは痛くないのね。
温泉の中で走ったつもりで足踏みしてみる・・・

「ご飯ですよ」
と言う声とともに今日のご飯当番の作った朝メシを食う。
やはり運動の後のメシは美味い!
・・・と思ったが、よく考えてみると何も運動してへんやないかい!
まるまる24時間以上、何もせずに食っちゃ寝食っちゃ寝の生活である。
しかも飯が美味いのでたくさん食べている。

結局・・・太って帰って来た・・・

あれから数日、
俺はまだ走っている。
痛い足を引き摺りながら、走ると言うよりは這いずっているに近い。
もしちゃんと走れるようになったら、
来年の彼らの中国公演に参加して北京から上海まで一緒に走ってみたいなあ・・・

ファンキー末吉

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みの吉和尚のひとり言
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みの吉和尚とは・・・・

日本人、いやアジア人が初めてアメリカで大成功を収めたハードロックバンド
「ラウドネス」
のボーカルとして、
当時は
「アメリカのハイスクールで今一番流行っていることは何?」
と言う質問に
「ラウドネスの変な英語をマネて歌うこと」
とまで言わしめた、
二井原実のペンネーム。

「アメリカ人は日本製の車に乗り、
日本製のカーステレオで、
日本のハードロックバンドの音楽を聞く」
と大パッシングを受けたその張本人は実はただのアホやった。

「お前英語で喋っててもこんなにアホなんか」
と言う質問に
「自慢やないけどなあ、
バンヘイレンも、モトリークルーも、AC/DCも、
みーんな俺のことアホやと思てるで」
と答えた男。

こんな日本の恥を世界に送り出したのは誰じゃ!

文責:ファンキー末吉
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みの吉12月1日分

12月3日は
記念すべきデヴューアルバム『ASIANN TYPHOON』の発売です!(狂気乱舞!)
皆買ってくれましたか?何?手に入らん?
中には「うちでは取り扱ってません」と言うショップもあると言う噂ですが、
これは間違いです!
もしそう言う場合は「キングレコードのXZDS-1001(シングルの場合)」、
もしくは「キングレコードのXZCS-1(アルバムの場合)」と告げて下さい。
その際には
「あんたX.Y.Z.知らなきゃ遅れてるよ。ダッサーイ!」と言い残すこともお忘れなく。(笑)
注文してくださ~~~~イ!


あっという間に12月になってもうた・・・
今年1999年が明けた時は
「Sly活動休止なってもうたし、
いったいおれはこの一年、いやこの先どうやって暮らして行けばええん。」
と思い悩んでいたのだが、嘘のように早い一年やった。

XYZ・・・
思い起こせば今年の初めに本気でロックシンガー引退を考え、
本当に気のおける人間にE-mailで「今後の身の振り方」を相談したりしたのが
そもそもの切っ掛けやた。
ほんの数人の友人に「人生相談」という形で送ったと思う。
どう言う基準でその友人を選出したかは不明だが心の声に従って送ったと思う。
内容は
「現在の業界を考えてみると、わしのスタイルの音楽、ヴォーカルは
もう必要無いのでは無いか。
わしの居るべき場所が見つからん・・・」
みたいな完璧に落ち込んだ内容だったと思う。

ファンキー末吉・・・
その数人の友人の中にファンキーの名前があった。
雑誌等のインタヴューで答えている通り彼とは10年以上の付き合いである。
とにかく一緒によく飲んだな。
ただ海外へ進出していた頃の数年は全く音信が途絶えていた時期もあったけれども、
節目節目に何故か彼の存在はあった。
一番記憶に残っているのはやはりLOUDNESS脱退時、
傷心帰国した時の彼からの留守電のメッセージが一番印象に残っているな。
このことはいつぞや既に書いたと思うが。
彼はそのこと全く覚えておらんから困ったもんじゃ。
とにかく、そんな彼に「人生相談」したのがXYZのはじまりと言ってもよいだろうな。
メッセージ送信後すぐに彼から電話があって、すぐに会う事となった。

「まー人生色んな事がありまっせ、二井原」・・・

彼がその当時どんな活動をしているかはあまりよく把握していなかったが、
裏方さん的動きに徹していた(そうしたい?)ような気がする。
「夜総会バンド」もその一つですな。映画音楽とか、出版物も手掛けておったり、
飲食産業事業にも精を出したりと、とにかくバイタリティーの塊のようなお人であった。

「なんでや。生活の為に仕事探すんやったらおれの店でもやるか?
それしながら音楽出来るで。」・・・

優しい言葉やったな。その時なんかほっとした感じだったな。
彼のその気持ちで十分やった。
それ以上仕事の話はせず、中国の話やら、将来の音楽の事やら、
セラピーを受けるがごとく流れるままに会話していた。
よくよく考えてみると、
わしはその頃数週間以上人と会話らしい会話をしておらんかったのでは無いかと思う。
多分そんな生活から精神的に鬱状態にまでなっていたのかもしれない。
とにかく人と話す事で随分と気が晴れたのは言うまでも無い。
その夜別れ際に、「おれ、ソロの為に曲ためてあるねん」と話した。

「テープすぐ聞かせてや」・・・

わしはソロ用に数十曲近くためていたが、
次の日暇だったので早速テープを彼のところへ持って行った。
それで彼とこれからどうなる話しでも無いのだが、
感想でも聞けたらええかな、なにかこれからのよいアドバイスでもくれたらな
と思っていたぐらいだった。
その内容はおおむねスローな曲が多かった。
それこそヒーリングミュージックの様なものまであったり、
コンピューターで打ち込んだソウル、ポップスヴォーカルものが中心だった。
激しいメタルっぽいものはほとんど作っていなかった。
内心自信があって、ファンキーからの感想を聞くのが楽しみだった。

「悪いとは言わんが、何かちゃうやろ」
「やっぱり皆が聞きたいのは激しいギターのサウンドにのった二井原のシャウトちゃうの?」
「ロックバンドやるで!」・・・・

有無も言わさない衝撃的な発言であった!
バイタリティーの塊である。
わしはめまいがした。(笑)
「何言うねんこのおっさん!」(爆笑)

続く・・・・


****今日の一言!******

モロの毛・姫

愛は地球を巣食う

ERP = Early Retirement Program = リストラ

飢え様 お食事でございまする

夏の孝行野球     -両親のために一生懸命さ

フリントン大統領

うちの不良細君もなんとかして!    -大蔵大臣殿

無断転載すんまそん!

みの吉

Posted by ファンキー末吉 at:21:00

1999年11月16日

アジア最大の衛星音楽放送局、チャンネルV

基本的にテレビを見ない俺ではあるが、
「この放送局だけは見る」と言うのがこの
アジア全域をカバーする音楽専門衛星放送「チャンネルV」である。

一説によると5億人は見ているだろうと言うこのチャンネル、
最近はスカイパーフェクTVなどで日本でも見ることが出来る。
だいたい俺はアジア圏に旅行に行くと、
ホテルではずーっとこのチャンネルをつけっ放しにしているのだが、
北京や香港のロッカー達も同じくこのチャンネルのファンが多いらしい。

そんな中のひとりに香港のBEYONDと言うバンドのドラマー「Wing」がいる。
彼も朝から晩までこのチャンネルをかけっぱなしにしているクチなのだが、
ある日e-mailをもらって、そこには
「ファンキー、お前のJazzバンドのライブをチャンネルVで見たよ」
と書いてあった。

ほう・・・

これはきっと、
先日要請があって香港のエージェントに送った五星旗(Five Star Flag)のビデオに違いない。
香港でのライセンスを決めるために動いてくれている。
X.Y.Z..のビデオ(会場のみ限定発売の予定)も頼まれて最近送ったので、
これもそのうち流れるのであろうか・・・

日本人と言えば、
大陸でのコンサートのプロモーションのためパワープレイしているチャゲ&飛鳥とか、
この放送局を金で買い取ったと噂される小室ファミリーを見ることが多いが、
どっちにしろこんな大きなメディアである。
タダで出してもらえるなんぞ光栄のきわみではあるまいか・・・

日本のテレビ番組に出演しても、
さほど感激することもなく恥ずかしさの方がたつのだが、
どうもこのチャンネルにだけはミーハー意識が働くらしい。
「また流れんかなあ・・・」
と毎日チェックしてしまう俺がいた。

半年ほど前、台湾のホテルでかけっぱなしにしてたら、
なんと俺が出ていてびっくらこいたことがあった。
李慧珍と言うシンガーの特集で、
そのレコーディング風景がずーっと流れているのだが、
バナナを食いながらディレクションをしているムサイ男がなんと俺だった。
何でもええがスタジオでバナナ食うなよ、バナナ。

このレコーディングも、
もともとは五星旗(Five Star Flag)のレコーディングで北京に行ってた時、
「ファンキー、助けてよ」
と言うのでその五星旗(Five Star Flag)のスタジオの空き時間で録ってあげたと言うシロモノ。
俺自身、彼女にはただならぬ入れ込みがあり、
また彼女も俺の手によってデビューしてブレイク(その年の新人賞を総ナメ)したため、
お互いにはもう切っても切れない縁である。
事務所やレコード会社とトラブってる彼女に対しての、
楽曲も含めての俺のささやかなるプレゼントであった。
事務所がレコーディング費用も払わないと言うので全部チャラでやってやった。
「今回のこの経費、全部チャラにしてやるから、
その代わり俺のために2曲タダで歌え!」
原始的な物々交換である。
値段計算までしてご丁寧に契約書まで交わしているから面白い。

かくして彼女はX.Y.Z.のシングルのカップリング曲の中国語版を録る時、
そして中華圏で将来X.Y.Z.がライブをやる時、
おぼつかない二井原の中国語をフォローしながらデュエットをやるハメになっている。
あと1曲はまだ貸しね。
それまでもっともっとビッグになっといてね。

さてあれからまだ毎日チャンネルVを見ている。
まあ自宅にいる数時間なので、まだ五星旗(Five Star Flag)の出演には遭遇してないが、
よく遭遇するのがその李慧珍の新曲である。
「おう、あの曲やっと出たのね」
考えてみたら、これほど頻繁に目にすると言うことはとんでもないヘビーローテーションである。
クレジットにはちゃんとFunky末吉と日本語名で入れてある。
ちょっと恥ずかしい。
中国名「方奇」と入れてくれればよかったのに・・・

そう言えば香港から要請されて、五星旗(Five Star Flag)の衣装来てコメント撮ったがね。
う、あれも流れるんやろか・・・

怖いもの見たさでついまたチャンネルVを見てしまう俺であった。

ファンキー末吉

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みの吉和尚のひとり言
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みの吉和尚とは・・・・

日本人、いやアジア人が初めてアメリカで大成功を収めたハードロックバンド
「ラウドネス」
のボーカルとして、
当時は
「アメリカのハイスクールで今一番流行っていることは何?」
と言う質問に
「ラウドネスの変な英語をマネて歌うこと」
とまで言わしめた、
二井原実のペンネーム。

「アメリカ人は日本製の車に乗り、
日本製のカーステレオで、
日本のハードロックバンドの音楽を聞く」
と大パッシングを受けたその張本人は実はただのアホやった。

「お前英語で喋っててもこんなにアホなんか」
と言う質問に
「自慢やないけどなあ、
バンヘイレンも、モトリークルーも、AC/DCも、
みーんな俺のことアホやと思てるで」
と答えた男。

こんな日本の恥を世界に送り出したのは誰じゃ!

文責:ファンキー末吉
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みの吉10月20日分

ピノキオである。
わしはここんところピノキオになってもうた。
朝起きるとカクカクと油のきれた器械のようになっている。
足や背中、首の関節がなんかコキコキと言ってるようなそんな感じ。
XYZのライブツアーが始まって既に25本が終わろうとしているが
ちょっぴりガタが来ているようだ。

ラウドネス脱退時(1989年)に自暴自棄になっていて自堕落な生活をしていた頃
見事に太りはじめた。
そんな頃ある雑誌でアースシェイカーのVo.マーシーと対談をやった。
マーシー「最近ジムに凝って、毎日最低2時間は筋肉トレーニングをやっている」
「ほんまかいな・・」と俺
「俺等もいつまでも若くないから今からやっとかなあかんで。
酒も控えてるし、なにより精神衛生上非常に良い」とマーシーの目は輝いていた。
彼の二の腕、腹筋は嫌味な程引き締まり、はち切れんばかりであった。
「ウ~~~ン凄い・・・」とわし。
これはあかんと思ってわしはその日に某スポーツクラブに入会し
その日からがむしゃらにトレーニングを始めた。

これがそもそもの間違いだった。
しっかりトレーナーの話を聞けばええものをひたすらバーベルを上げまくった。
たっぷり着いたぜい肉はしっかり筋肉となり、
わしの体つきは数週間で見事に変わった。

そのころチャチャ丸と一緒にバンドやっていたが、
彼は俺に「お前最近でかなったな」と言った。
「引き締まって来たな」ではなく「でかなったな」である。
どう変わったか?
『太めのプロレスラー』の体型である。(トホホ)
髪は相変わらず超ロングのメタルニーチャンが
スリムな黒のジーンズにタンクトップTシャツである。
その上筋肉むちむち、短足と来たもんだ!
理想とするスリムなロックにーちゃんは遥か彼方まぼろしとなっている・・・
俺は鏡に映る全身を見て「アクセルローズ」じゃなく「長州力」だとつぶやいた。
その日を最後にジムは脱会した・・・・

そしていろいろ研究した結果、痩せるには「有酸素運動」が効果ありと分かった。
泳ぎ倒した。何でもやる事が極端な男である。
毎日1時間泳ぎ倒した。
エアロバイクもやった。
ステアマスターズもやり倒した。
結果、ビールが馬鹿うまになって幸せだった。
食欲旺盛、大量飲酒、・・・・なんのこっちゃ・・・。
食事制限を忘れておったのだ。
摂取カロリー過多である。
こうしてわしの人生の時間は費やされて行く...。

そしてつい最近、
近所の交差点でアースシェイカーのマーシーに5年ぶりぐらい偶然会った。
彼はスポーツタイプのチャリンコであった。
俺「おっ!マーシー!久しぶり!今度11/3ライブよろしくね!」
マーシー「おっ!にーちゃんやんか!久しぶりやな!
こちらこそ新しいバンドXYZ愉しみにしてるからね」
俺「今からどこいくの?」
マーシー「池袋のスタジオでリハーサルやねん」
おいおい、ここから池袋までチャリで行ったら2時間近くかかるだろうに・・・
俺「まじ????!!!」
マーシー「都内の移動はどこでもチャリやねん!健康にいいよ!じゃっ!またね!」
と言ってさっそうと走って行った。
俺は絶句だった。「ようやりはるわ・・・ほんまにこのおっさん」
マーシーの後ろ姿が眩しく、
彼のふくらはぎの筋肉は嫌味な程引き締まり、はちきれんばかりだった。

わしはすぐさまチャリンコの手入れを始めて、駒沢公園へ走ったのは言うまでもない。
マーシー恐るべしである。

Posted by ファンキー末吉 at:06:30

1999年11月04日

XYZレコードの運営法は中国的?

気が付けばご無沙汰の配信である。

「最近まぐまぐが配信されてないところを見ると、
さぞかしお忙しいことと思われますが」
と言うMailを頂きながら、
そんなMailに返信をすることもなく雑務に追われる毎日。

それもこれも全てX.Y.Z.Recordsと言うインディーズレーベルのせいである。

「レコード会社ってこんなに雑務が多いのね」
と言うのが実感であるが、
これを人に振ってしまったのでは、
結局全てを理解する頭を持ってる人間がいなくなるので
システムとしてはのちのち崩壊していってしまうしかない。
誰もシステムの全てを理解してる人間がいないわけだから、
ここはひとつ誰かが一度全てを理解してから、
それを次からは誰かに振っていくようにしてゆくしかない。

と言うわけでこの俺が、
プレスの発注から出版の管理、
ひいてはディストリビュート先のキングレコードへの
納品書の書き方まで教わりに行くハメとなる。

発売日を1ヶ月前に控えて、
最初の注文書がFaxで届く。
「ん千枚」と言う、
メジャーのイニシャル枚数だと解釈すれば屁とも思われない枚数
(それでも爆風スランプが当時
「SONYの一番期待されない新人」
としてデビューした時のイニシャルより多いぞ。
いったい何やったんや、あれは)
ではあるが、
これが自社のレーベルとなると話が違う。
納品書に、枚数と単価と総計を書き込んでいくと、
なんとこれは1千万単位の商売なのである。
ひえー・・・
さすがCDの単価が世界一高い国・・・

しかしアナログな作業である。
今どきこのテの資料は手書きのカーボン7枚綴りと来ている。
ワープロに慣れた私としては、
もう簡単な漢字でさえ手書きでは書くことが出来ない。
仕方ないので傍らでパソコンを立ち上げて、
わからない単語はそれで候補を選んで、
それを目で見て書き写す。
情けない・・・

音楽出版会社に出向いてゆく。
懇意にしている会社に数曲ぶんの出版を預かってもらうのだが、
こちらとてこの「出版」と言う権利の大事さを何も理解していない。
「どの曲が欲しいですか?」
「何曲欲しいですか?」
これではまるで「はないちもんめ」である。
出先から帰って来ていきなりやりとりを見かけたその会社の人が、
「すんげー、ファンキーさん相手に
直接出版のパーセンテージの交渉してんの?」
と驚く。
いえいえ、その日の私は、アジア・ドラムキングの末吉ではなく、
弱小レコード会社のオヤジ兼小間使いなのですよ。

音楽専門誌に有料広告を打つ。
予算は「ん百万」
億単位の宣伝費をかけなければヒットは生まれない
と言われているメジャーレコード会社の常識から言うとスズメの涙である。
まあ「ロック」と言う
ある種閉ざされた世界への露出なのでこの値段で実現するのであるが・・・

各雑誌媒体の広告掲載料の資料を取り寄せて、
「んー、これは高すぎるなあー」
とか
「いやいや、この雑誌は昔から世話になってる」
とか
「この雑誌社、電話の応対が冷たかった」
とか、
スタッフ、メンバー雁首そろえて頭をひねるのだが、
めんどくさがりの俺はもうその広告掲載料の資料の束から、
「はい、じゃあ○○社さん、雑誌○○と○○、
○○円でお買い上げぇー」
などとこちらで勝手に落札してゆく。
「○○さん、あまりに高すぎるのでボツぅー」
などとごみ箱に捨てられてゆく資料もある。
残った資料の総計を出して、
「はい、総計○○円。これにて一件落着ぅー」
それを見ていた二井原実、
「20年近く業界におるけど、こんな光景初めて見た」
いやいや、俺かて初めてやった。

支払いとかも全て俺のところに集まる。
「入金は一日でも早く、支払いは一日でも遅く」
の原則の元、
「一番待ってもらっていつ払えばいいか聞いといて」
ではスタッフも可愛そうである。

値切りとて中国的。
とある大きな支払いの交渉時、
「○○さん、ぶっちゃけておいくら払えばいいんですかねえ」
相場と言うものを知らないからこう聞くよりほか仕方がない。
「いや、もちろんファンキーさんとこは別ですけどね、
他のレコード会社さんだと250万は頂いてますが」
となりで話を聞いてた二井原実の表情が一瞬固まる。
「いくらにまかります?」
ものおじせずにそう聞くが、
「いや、そんな話を直接ファンキーさんとお話するのも・・・」
と、どうも先方もやりにくいようだ。
それもそうやと二井原がうなずく。
「はな誰と話をすれば一番安くしてもらえます?」
ではこれは交渉以前の問題である。

支払い期限の問題もある。
「一番遅くていつ支払えばいいですか?」
では答える方も答えようがない。
「いつなら払えますか?」
では禅問答である。
二井原実の顔に不安が浮かぶ。
「ディストリビュート先からの入金は3ヶ月後なんで、
払えて2月ですねえ」
胸を張ってそう言い切られても先方も困ってしまう。
「本当ならば今月中にいくらか頂かなければ困るんですけど」
値段によっては払えるなあ・・・
「じゃあ今月中にいくら払えば困りません?」
聞き方の論法がむちゃくちゃである。
「いやー、今月中に100万は入れないと会社としても・・・」
「じゃあ今月中に100万入れるとすると、
残りはいくらにまけてもらえますかねえ」
うーむと腕を組む先方。
二井原実の顔に緊張感が浮かぶ。
「値段はもうファンキーさんが決めて下さいよ」
緊張感が一瞬ゆるむ。
「そうですか、じゃあ残りは2月にあと20万!
合計で120万でどうですか?」
一瞬、先方の顔がひきつった。
笑顔で答える俺以外はもの凄い緊張感である。
二井原実が救いを求めるような目で俺と先方の顔を見くらべる。

しばしの沈黙の後、先方が緊張感を崩した。
「じゃあ全部で140万と言うことにしましょうか」
二井原実の顔に安堵感が生まれる。
「じゃあ間とって130万!」
さらなる緊張感。
二井原実の顔が泣き顔になる。

単位に「万」がついてはいるが、
感覚としては北京の露店で250元を130元にまけさせているのと同じなのだ。
またその場に現金がないのでよけいである。

結局は先方が折れてくれて130万で落札した。
そしてこの日のやりとりのことは、
その後メンバー間で語られることはない。

かくしてX.Y.Z.のCDがもうすぐ店頭に並ぶ。
視聴機を置いてくれるショップもあるらしい。
こんなこと爆風でもしてもろたことないぞ!

メジャーって一体何やったんや!


先日、北京からマブダチである黒豹の事務所の社長、
沈永革が日本にやって来た。
「ファンキーさん、レコード会社始めたんだって?」
昔から「将来は一緒に北京でレコード会社をやろう」と話している朋友である。
最近余儀なく学習したばかりの日本のシステムを説明した。
「だからぁ、最終的に会社にはこれだけの金が入るでしょ、
それをメンバー4人と、事務所と合わせて5で割るわけよ。
そうするとだいたい○○枚売れて○○円ぐらい入るじゃない。
まあ金が欲しければ現金でそれぞれ持って行ってもいいし、
まあ俺らの性格だったらきっとみんな次のアルバムにつぎ込むとか、
ライブにつぎ込んだり、もっとアホなことにつぎ込んだりしてね。
何万枚ぐらいでそれが実現するんやから、
インディーズっつうのは考えようによってはオイシイかも知れん。
なんで俺、15年もメジャーにおったんやろなあ。は、は、は・・・」
それを聞いてて沈がひとこと。
「ファンキーさん、今聞いてて思ったんですけど、
そのシステムってもろ中国じゃないですか」

言われて見て、はたと気が付いた。
日本では事務所がアーティストをコントロールするが、
中国ではアーティストがマネージメントをコントロールする。
アーティストがマネージメントを雇うと言っても過言ではない。
俺は無意識のうちに中国で覚えたこのシステムに合わせて
現在のシステムを構築してしまったのかも知れない。

考えてみればこの日本のシステム、
ミュージシャンがサラリーマンとして事務所から給料をもらうなど、
世界の中でも日本ぐらいではあるまいか。

日本人はなぜ何よりも「安定」を求めるんだろう。
日本人はなぜ美徳として金や権利を主張しないんだろう。
日本人はなぜ一匹狼よりも組織の一員になりたがるんだろう。

俺はやっぱりそのシステムでは生きて行けんなあ・・・


和僑:ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:14:20

1999年10月15日

銀座のど真ん中で街頭募金

XYZレコーズとやらを立ち上げて、
金策から契約、出版管理から販促、販推まで一手にさばいているうちに、
「ファンクラブを立ち上げよう」
と言うことになった。
入会案内から名簿作成、入金確認までやってたら当然のごとく・・・
パンクした・・

今や私のパソコンは未処理のMailが山積みである。
プレス工場の見積もり、入金確認の済んでないファン名簿の山、
有料広告のデザイン〆切から受注促進の原稿・・・
いつまでたっても書き上がらない週刊ASCIIの原稿、
いつまでも返事が出せないメル友からのE-mail・・・

そんな山積みの仕事を横目で見ながら、
人はどうしてまたメルマガを書いてしまうのでしょう・・・

うーむ・・・
好きなんやろな、やっぱり・・・
我ながらアホである。

さて今日のお題。

銀座のド真ん中で街頭募金
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昨日は新宿厚生年金で台湾チャリティーコンサートをやった。
五星旗(Five Star Flag)で出演したのだが、
どうしてXYZで出演しなかったかと言うと、
新宿厚生年金会館はいつの間にやら「ロック禁止」になっとったのね・・・

そう言えばはるか昔、
爆風スランプがコンサートをやった時、
MCで館長をネタにしたのが逆鱗にふれ、
終了後に中野とふたりであやまりに行ったことがあったが、
それも厚年ロック禁止の原因の一端ではあるまいか・・・

ともあれ、一応音量はロック並だが肩書きはJazzである五星旗で出演したのだが、
内部事情にどうも納得出来ない部分があり、
日本にいる中国人の知り合いのうち一番の大物(って言い方は失礼だが)の
ジュディー・オングさんにいろいろと相談の電話をしていた時の話である。

「そう言えばジュディーさんも
何やら台湾チャリティーみたいのやるって言う噂じゃないですか」
「やるわよ、明日。銀座のソニービルの前で。
お昼の12時からなんだけど、来る?」
「はあ、まあジュディーさんがやると言うなら僕が行かないわけには・・・」
「あら、よかったわ。そしたら11時半に7Fの会議室に集合だからいらっしゃい」
「はーい」
自分の業務もろくにこなせてないと言うのに人のために募金をしてる場合か!

しかし俺は先日のトルコ大地震の時には何も動かなかった。
・・・と言うより基本的にテレビをあまり見ない俺は、
トルコで大地震があったことすら知らなかった。
友達もいないし、はるか遠くのことだと思ってた。
でも台湾には友達もいるし、縁もありまくりである。
一般的日本人にとってはこの台湾大地震ってのは
あのトルコ大地震の時の俺と同じような感覚なのではあるまいか。
まあせっかく縁があるんだから、
ひとりでも多くに縁をばら撒くこともこの俺の出来ることのひとつではあるまいか。

実のところ昼の12時には人と会う約束をしてたのだが、
その時間を早めてもらい、打ち合わせを早く切り上げ、
約束通り11時半にはソニービルに着いた。

「あのう・・・ジュディーさんは・・・」
「はい、ジュディーさんはまだお越しになってないんですけど、
どうぞ中に入ってお待ち下さい」

中に通されてみてびっくり!
どっかで見たような人ばかりの顔ぶれが一斉にこっちを向く・・・

「あのう・・・ファンキー末吉と申しますが・・・」
「は?」
「はあ、爆風スランプのファンキー末吉と申すものですが・・・」
「ああ、爆風スランプの方・・・」
一番よく見る顔の人がにこにこと笑いながら俺を呼び寄せる。
こう言う場ではやはり爆風スランプのネームは役に立つ。
「爆風スランプの誰さんでしたっけ?」
「ファンキー末吉です」
ファンキー末吉と紙に書いてゆく。
その紙の一番上にはこう書かれていた。
「台湾中部大地震 緊急救援街頭募金 主催:歌で結ぶ絆の会」
そしてゲストの欄にはこんな名前が・・・
橋幸夫、にしきのあきら、黛ジュン、今陽子、山本リンダ、ジュディー・オング・・・・・
そして一番下にはその頭である橋幸夫さんの手によってかかれた俺の名前・・・
そして次々と現れる「よく見る顔」の人々・・・
「ここはどこじゃい!テレビ局かい!」
ってな感じである。
習性のように一番隅っこに退避し、
ズボンをはき忘れて会社の入社式に参列した時のような気持ちで
(わかるかな・・・こんな感覚・・・)
しばし呆然とたたずんでいるとジュディーさんが西田ひかるちゃんと共に現れた。
よく見る顔の人々としばしの歓談を交わした後、
俺の存在に気づいてやっと声をかけてくれた。
「あーら、ファンキーさんいらっしゃい。
みなさんに紹介するわ」
「は、はあ。もう自分で自己紹介はしましたが・・・」
「あらそう、それはよかったわ。
みなさん、こちらは爆風スランプのファンキーさん。
昨日突然参加して下さることになったんですのよ」
俺はもうジュディーさんのとなりにいるしか居場所はない。
「ジュディーさん、街角で募金するって言うから、
僕はてっきりゲリラでやるんだと思ってこんな格好で・・・」
「あらみなさんだって普段着だわよ。気にすることないのよ。
ファンキーさんはいつものファンキーさんでいいの」
そのいつもの格好がスター達とは根本的に違うんやけどなあ・・・
マネージャ軍団と絆の会のスタッフが早々と俺用のプラカードを作ってくれる。
「すみませんが手書きになっちゃうけどこれでいいですか」
「ファンキー末吉(バクスラ)」とかかれたそのプラカード、
それはいいんだけど一体どう使われるの・・・
「本人達がそれ持つわけにはいかないから、
各マネージャーさん達、後ろでそれぞれ持ったげてね」
「スターにしきの」がそうおっしゃるが、
俺にいたってはたったひとりでふらっと来てるので
マネージャーなどいるはずもない。
こりゃ俺だけ自分でプラカードを持つハメになるんじゃあるまいか・・・
「ちょっとトイレに・・・」
ほんとは逃げて帰りたかったが、それではジュディーさんの顔をつぶしてしまう。
トイレで事務所に電話する。
「誰か動ける奴おらんか。
すぐに一人よこしてくれ! 今すぐ誰か来させてくれー!」
叫びが悲痛である。

部屋に戻ると、発起人の橋幸夫さんが趣旨説明をしていた。
テーブルの上には昼食のカレーが並ぶ。
「あ、みなさん。
今回はチャリティーと言うことで、すみませんがこれは自腹でお願いします。
1000円です」
う・・・
俺の財布には536円しか入ってない・・・
まさかこの場で「お金がありません」と言う勇気はないし、
ほんと、消えてなくなりたい気分である。
「お腹がいっぱいで・・・」
と言って後からいらっしゃった清水アキラさんに何とか食べてもらう。
前の打ち合わせで軽く食べたのでよかったが、
実のところ腹が減ってたりしたらあまりに情けなさ過ぎる・・・


「時間です」
とスタッフに言われ、1Fに降りて行くと、
そこにはすでに取材陣の山、人だかりである。
みんなそれぞれマイクを持ってテレビカメラの前で道行く人に募金を募る。
「みなさーん! 山本リンダですぅ。
台湾の大地震の被災者のために募金をお願いしまーすぅ。
こちらには橋幸夫さんもいますよ。
にしきのあきらさんもジュディー・オングさんもいますよ。
そして、黛ジュンさん、今陽子さん、清水アキラさん、西田ひかるちゃん、
そして・・・えーっと・・・」
俺の番になると誰が喋ってても必ず名前が出て来ない。
そりゃそうだ、初対面もいいとこなのだ。
そして誰がどう見ても一番無名である。

取材陣のカメラなど一台もこっち向いてない。
「みなさん! 絆の会の橋幸夫です。
今日は歌手仲間が集まってみなさまに募金のお願いに来ました」
そして俺だけ歌手ではない。
誰がどう見ても場違いである。
となりの西田ひかるちゃんに隠れるように募金箱を持って凍っていると、
並んでいた人達が我々のいる所に順番に入って来て募金を入れてゆく。

しかし!
考えて見たまえ!
世の一般の人が同じ金を入れるとしたら、
「スターにしきの」と「いちドラマー」の募金箱、どっちに入れる?
「西田ひかる」と「40のオッサン」の募金箱、どっちに入れる?
当然ながら俺以外の人のところに募金は殺到し、
我さきに握手を求めて去ってゆく。
中には小銭を少しづつみんなの募金箱に入れてゆく人もいて、
やっと俺の箱にも小銭が入ると、冗談でなくとても嬉しかったりした。

そんな中、俺の箱にもついにお札が!・・・
あるおばはんがなんと、全員の募金箱に1000円ずつ入れていったのだ。
凄い!
おばはんは凄い!
そしてそれをさせるスター達は凄い!

よく見てると、なんとそのおばはんはさっきからもう何周もしているではないか!
最後には札ではなく小銭になったが、
それでももうかなり多額の募金をしたことだろう・・・
凄いもんじゃ・・・


結局俺のところは小銭しか集まらなかったが、
全体的にはかなりたくさんの募金が集まった。
そしてしまいには結構楽しんでしまったりした俺がいた。

絆の会のみなさんはそれはそれはフレンドリーで、
この場違いな田舎モンを優しく、ほんとに暖かく迎えてくれた。
何にもお役にたてなくてごめんなさい。
今度音楽でお役に立てることがあったらまた呼んで下さい。

募金してくれた人たち、ほんとにありがとう。
気を使ってくれたスタッフのみなさん、ほんとにありがとう。
そして最後に・・・
カレー代1000円払ってくれた人、どうもありがとう。
(結局払うに払えんかった自分が情けない)


この模様、明日のワイドショーに流れるんだろうか・・・
いっそのこと全然写ってなかったらまだいいが、
ちょっとだけ写ってたらやっぱり恥ずかしい。

ドラマーはやっぱスティック持ってなんぼやなあ・・・

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:04:40

1999年10月05日

第5号に添付しわすれた「みの吉和尚の独り言」

う・・・
第5号に「みの吉のひとり言」を添付するの忘れた・・・
でもそれだけ送りつけたら、これってもの凄くアホウかも知れん。

すんまへん・・・

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みの吉和尚とは・・・・

日本人、いやアジア人が初めてアメリカで大成功を収めたハードロックバンド
「ラウドネス」
のボーカルとして、
当時は
「アメリカのハイスクールで今一番流行っていることは何?」
と言う質問に
「ラウドネスの変な英語をマネて歌うこと」
とまで言わしめた、
二井原実のペンネーム。

「アメリカ人は日本製の車に乗り、
日本製のカーステレオで、
日本のハードロックバンドの音楽を聞く」
と大パッシングを受けたその張本人は実はただのアホやった。

「お前英語で喋っててもこんなにアホなんか」
と言う質問に
「自慢やないけどなあ、
バンヘイレンも、モトリークルーも、AC/DCも、
みーんな俺のことアホやと思てるで」
と答えた男。

こんな日本の恥を世界に送り出したのは誰じゃ!

文責:ファンキー末吉

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みの吉和尚のひとり言
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居候のネコと共同生活すること早二ヶ月がたった。
ネコ恐怖のわしもなんとか撫でてやることも出来るようになった。
オスとメスがいるのですが、メスの方は全くわしを寄せつけず困ったもんでした。
何故困ったもんでしたかと申しますと、
ここ二日ばかりすっかり「さかり」のついたネコちゃんになってしまったわけ。
くっ、くっくっ・・・凄いね〜〜〜『さかりのついたメスネコ』って。
ひゃ〜〜〜〜〜エッチ〜〜〜〜〜〜〜〜!でごわす!

あのね〜〜〜〜ありゃハッキリ言ってネコちゃいます。
あれは、立派な『女』です。
正真正銘「猫なで声」で近寄って来てからだを悩まし気にスリ寄せて来ます。
はじめに頭をわしの体に擦り付けて首、胴体、しっぽと
全身を愛撫するがごとくわしに擦り付けて来ます。
ひとしきり前戯が終わってから、なんと!
しっぽを少しななめ下にして「お0んこ」をわしに押し付けてくるように近ずいて来ます。
そして超強力な『バック』のポーズで受け入れ体制万端で
「早く〜〜〜〜〜〜んにゃ〜〜〜〜!来て〜〜〜!」
という表情で待ってます。
ど〜〜〜したらええんでっか?
そんな、超強力な『バック』のポーズでいつまでも待たれても・・。
すまん!わしは人間や!
惚れてくれるのは分るがわしのじゃ君には「大きすぎる」。
(ひゃ〜〜〜〜変態!!)
ティッシュを取って恐る恐る「お0んこ」を触ってやる。
(だってシャ〜〜〜ないねんもん!わしのせいやないで!そーでもせんとおさまらんのですわ・・・)
すっ凄いあえぎ声!
どのくらい触ってやればええのか分らんのですが、
とりあえずネコさんも「いく」のでしょうかと疑問を持ちながら
わしの抜群なフィンガーリングテクニックを駆使して、悶絶させました。
「ぎゃ〜〜うお〜〜〜!んぎゃ〜〜〜〜〜〜ぐるぐるる〜〜〜〜!」
前代未聞の
「さかりのついたメスネコ」対「日本一の世界をまたに掛けたロックヴォーカリスト」
のアニマルペッティング!
(ひゃ〜〜〜〜変態!!)
爆笑でっせ!久しぶりに大笑いさせてもらいました。
「さかりのついたメスネコ」おもろいわ!

で、ところでオスの方は全く彼女に相手にされず「しょんぼり」してます。
きっとメスの方が先に飼われていてオスが後から来たのが原因なのか・・・。
メスの方は自分の事を「人間」と思っているふしがあり、
それでオスの方を受け入れないのかもしれない。
ここでみなさんに質問!
なんとかこのカップルを交尾させたいのですが良い方法を御存知の方は禿げメールく
ださい。

あの女は全く「さかりのついたメスネコみたいな女」やと言う言い方がありますが
シャレになりませんぜ!
ひゃ〜〜〜〜〜エッチ〜〜〜〜〜〜〜〜!でごわす!

ある日オスのねこちゃんが凄くかわいい格好でわしのベッドで寝ていたので
早速ポラで写真を撮りました。
残念ながら「死体」にしか見えませんでした。
なんか写真のええテクニックはないかな?
これもついでに教えて!

みの吉
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すまん!
アホウでっしゃろ。
こんなアホウと一緒にバンドやってまんねん!

ファンキー末吉

失礼しましたっ!

Posted by ファンキー末吉 at:13:30