ファンキー末吉プロフィール

香川県出身。
81年に「爆風スランプ」を結成し、98年の活動停止までドラマー、コンポーザーとして活躍。99年にXYZ→Aを結成。
90年頃から中国へ進出し、プレイヤー、プロデューサー、バーの経営等、現在に至るまで多方面で活躍中。

最新のひとりごと
布衣貴州ツアー
ぷんぷん!!
重慶ツアー
四川ツアー
寧夏の羊肉面
上海楽器フェアー
雲南省でのロックフェスティバル
内モンゴル草原ロックフェスティバル
チベットにて悟った「ロックとは何か」
いやー・・・ええとこでしたなぁ・・・
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2008年06月03日

布衣貴州ツアー

最近の航空チケットはeチケットとやらになって非常に便利なのじゃが、
時々便利過ぎて不安になることがある。

日本にずーっといたワシは北京に帰ってすぐ翌日、
「12時50分HU7189に乗れ」と言うメールだけを持って再び空港へと向かった。
カウンターに着いてパスポートを見せればそれで貴陽行きのキップを渡される。

「貴陽ってどこ?」

この日北京は非常に暑かったが、この土地が南にあるのか北にあるのかさえ知らない。
全天候型万能の服装、「ジャージ」のまま飛行機に乗り込み、爆睡する。

飛行機に揺られること3時間。
前日は2時間半揺られて関空から帰って来てるので、
日本に帰るより遠いと言うことになる。

飛行場にはライブハウスの老板(社長さん)が迎えに来ていた。
「貴陽は初めてかい?ド田舎でびっくりするよ」
としきりに説明するが、車で走ること15分、
そこはいきなり高層ビルが立ち並ぶ大都会であった。

GuiYang.jpg

リハーサルをすませ、そのまま名物である「酸湯魚」を食べに行く。

GuiYangSuanTangYu.jpg

「酸湯魚」というのは酸っぱくって辛いスープの魚の鍋である。
老板が魚を選んでくれたが、これはどう見てもナマズのようである。

GuiYangNamazu.jpg

これがまた肉にもちもち感があって旨い!
酸っぱくって辛いスープも非常にビールを誘うが、
演奏前に飲むと叩けないので必死で我慢した。

そして老板はまた奇妙なものを頼んだ。

GuiYangIkichi.jpg

「生のにしますか、煮たやつにしますか」
と従業員に聞かれ、迷わず
「生の」
と答えていたようじゃが、
聞けばこれは「鳥の活き血」であるらしい。
じゃあどうして液体じゃなくゼラチン状なのか聞く勇気はなかったが、
老板はこれをスプーンですくってつるんとおいしそうに食べる。
ためしに食べてみたが・・・

・・・味のほどは・・・

まあ目をつぶって「豆腐だよ」と言われればそうかなと思うかも知れないが、
一度見てるだけになあ・・・


さてライブである。
ライブハウスに戻ってみると歌謡ショーが始まっていた。

GuiYangStage.jpg

ここでロックをやんのか?・・・

布衣の出番が来た。
花道の一番前にボーカルが立ち、
その後ろにギタリストが立つと言う変なステージである。
ちなみにワシの右側にベーシストがいる。

いろんなところでライブをやったが、
こんな変な立ち位置でやるのは初めてである。

GuiYangBuYi.jpg

大音量でドラムを叩くも、怒る客も帰る客もおらず、
むしろドラムソロが終わったら一番前の客がビールを差し入れてくれた。
遠慮なく頂いてライブ終了!


さて、貴陽と言えば屋台が有名と言うことで、
さっそくそのまま屋台に繰り出した。

GuiYangYeShi.jpg

さて屋台と言えばビールである。

ビールとは非常に不思議な飲み物で、
例えばタイ料理にはタイビールが一番合うし、
日本料理に中国のビールはやっぱ合わない。
地元の料理にはやっぱ地ビールが一番なのである。

芽台(マオタイ)酒と言う有名な白酒があるが、
実はここ貴州省(どの辺や?それ)の名物だそうで、
その芽台(マオタイ)にビールもあると言う。

GuiYangMaoTaiPiJiu.jpg

芽台(マオタイ)ビール、絶品である。
こんなの北京では絶対飲むことが出来ない。
そしてここの辛い料理に絶妙によく合う。

ちなみにその手前にあるのは唐辛子。
何でもこの唐辛子につけて食べる。
色こそは真赤だが非常に香ばしく味が深い。
あまりに旨いのでついついつけ過ぎてしまう。

そして老板の頼んだ絶品がこれ!
「貴陽春巻」

GuiYangHarumaki.jpg

このラー油のような辛いタレにつけて食べるのだが、
これがまた絶品!!

「食は貴州にあり」
と言う言葉は本当にあるらしい。
中国は広い。
いろんなところに食の名物があるもんである。


翌日の昼はラーメン。

GuiYangMianGuan.jpg

ホテルの近くの行列の出来る店に飛び込んだが、
これがまた非常に旨かった。
こちらの小吃も名物であるらしい。

しかしあまりに辛すぎて残してしまった。

GuiYangTabenokoshi.jpg

さらに名物なのが薔薇らしい。
薔薇の砂糖とか薔薇のお茶とかいろいろあったが、
やはり興味を惹かれるのが「薔薇酒」である。

GuiYangMeiGuiJiu.jpg

さっそく飲んでみたが、甘くて非常に飲みやすい。
度数は決して低くないので飲み過ぎるとぶったおれるらしい。
こんな酒が酒屋にはいろんな種類置いてある。

GuiYangJiuDian.jpg

ぶっ倒れてもいいから全部飲んでみたいもんじゃ。
食は貴州にあり!
酒は貴州にあり!
この後すぐに全中国巡演ドラムクリニックツアーが始まるが、
半月後にはまたそれでここに戻って来る。

酒よ、待ってておくれ!!

Posted by ファンキー末吉 at:14:46

2008年04月13日

ぷんぷん!!

布衣のファンのブログで
ワシのことが「デブドラマー」だと書かれていた。


第一次听布衣...确实不错 女BASS手 相当有型
不修边幅的主唱 还有我最爱的鼓手 胖胖的鼓手 疯狂的鼓手

初めて見た布衣。とってもよかった。
個性的な女性ベーシスト、身なりに頓着しないボーカル、
そして何よりも大好きなドラム。
デブのドラム、クレイジーなドラム。


ワシ・・・本気でダイエットしようかな・・・

Posted by ファンキー末吉 at:12:35

2008年04月09日

重慶ツアー

ツアーは続く。

ワシはスケジュールの関係で飛行機で行ったが、
(2時間半かかったから大阪まで行ける距離である)
他のメンバーは北京から30時間かけて列車で成都に入った。

成都と重慶はお隣なので移動はみんなで列車。

ChongQingTour.jpg

3時間かけて重慶に着いたが、今度はライブハウスの場所がわからない。
やっと見つけたのは雑居ビルの地下。
看板も出ていない。

ChongQingLiveHouse.jpg

聞けばここのオーナー、
警察とのいたちごっこで摘発と引っ越しを繰り返しながらライブハウスを営業していると言う。

いつ摘発を受けるかわからないので基本的に内装はしない。
音響機材もボロボロで、うちの院子のリハーサルスタジオと変わらない。

こんなところで演奏が出来るのか?
いや、それ以前に客が来るのか?

そうである。
看板もない、宣伝も出来ない、場所もころころ変わるライブハウスを、
客はどうやってその日にライブがあることを知り、
その場所を探し当ててやって来ることが出来るのだろう・・・

今日は客なしで公開リハーサルみたいなもんやろうな・・・

そう思って開演時間に会場に着くと、
なんと会場はほぼ満員。
こいつらどこで今日ライブがあることを知ったのだろう・・・

ロックとはもともとそう言うものであった。
ワシが中国に初めて来た頃、
北京のロッカー達はそうやってロックをやっていた。
それを援助する人たちは同じように警察といたちごっこをしながらロックをやっていた。
ロックファンは少ない情報を一生懸命集めて、
ボロボロの器材で奏でられるロックを一生懸命聞いた。

中国全土が既に解放されている現状で、
ここ重慶だけでまだ「ロック狩り」とも言える厳しい状況が続いているとは思えない。
恐らくここのオーナーが不器用で、
警察への付け届けやコネクション作りをやれない人間だっただけではないのか。

ライブハウスの数本向こう側の通りは「床屋街」である。
ChongQingHongDengQu.jpg

どっから見ても売春じゃろ!
ここで髪を切りに来る客がいるとは思えない。

警察はここを取り締まらずにライブハウスを取り締まる。
きっと売春の元締めは「うまいこと」やっているのである。

世の中には「うまいこと」やれる「イヤな奴」が多いが、
「うまいこと」やれない「イイ奴」が、
その不器用な生き方でロックをやり続けていることがワシは非常に嬉しかった。

次に重慶に来る時、
このライブハウスはまた場所を変えているだろう。
そしてそこをどうやって見つけて来るのか、
またファン達はライブを見に来るだろう。

ロックってええもんやね。

Posted by ファンキー末吉 at:06:55

2008年04月08日

四川ツアー

布衣(BuYi)が成都、重慶とツアーに行くと言うので、
ノーギャラだと言うのにのこのこと着いて行った。

目的はただひとつ!!本場の四川料理である!!

会場に着いてサウンドチェックもそぞろに、向かうは麻婆豆腐の発祥の店「陳麻婆豆腐」である。
ChenMaPoDouFu.jpg

そしてこれが本場の麻婆豆腐。
MaPoDouFu.jpg

そう、陳婆さんが作った豆腐料理。当然ながら辛い!
その辛さは脳天にキーンと来る唐辛子の辛さと共に、
下が痺れる「麻」と言う辛さ、これは「山椒」の辛さである。
「山椒は小粒でぴりりと辛い」と言うレベルではない。

そして日本でも馴染みの深い「坦々麺」。
DanDanMian.jpg

これも当然ながら辛い!
日本で食べる胡麻味噌のピリ辛と言うレベルではない。
ラー油の中で麺が泳いでいると言う感じである。

そして「本場は違う!」の典型的な料理がこれ。「回鍋肉」である。
HuiGuoRou.jpg

日本ではキャベツと甘味噌で炒める豚肉料理だが、これは明らかに「ウソ中華」である。
もともと回鍋肉は肉の保存料理。
「回」は戻って来ると言う意味の中国語で、
「鍋に戻って来る肉」、つまりいつでも鍋で炒め直して食べれる肉料理と言うわけである。

当然ながら甘味噌など使わない。
基本的にこれも辛い料理である。

「四川料理は辛くない料理はないんかい!」
と突っ込まれそうだが、独断と偏見で答えさせて頂くと、「ない!」である。

Shokutaku.jpg

食べ終わった皿はご覧の通り「真赤」。
辛いも相当辛いのだが、本場の唐辛子は辛い中に甘さがあり、味が深い。
この辺が四川料理の神髄であり、
当然ながら北京で食べる四川料理でもこのレベルには達せない。

満腹のままライブをやったが、
ドラムソロを叩けば唐辛子が胃からこみ上げて来るし、
吐きそうな思いを耐えながら何とかステージを終えた。

そして夜はまた辛いものである。
MaLaTang.jpg

麻辣燙(マーラータン)!
ご覧の通り、まるでラー油の中で串を茹でるような料理である。

これがまた半端じゃなく辛い!
辛いものにはビールが合うのじゃが、
これがまたどんどんビールが進み、
そして辛いものとアルコールで頭がぶっ飛ぶことになる。

「ファンキー、大丈夫か?」

気がつけば飛んでいた。
「飛びます飛びます、日本を四川にしておくれ!」

仮眠を取って次の日は重慶。

Posted by ファンキー末吉 at:03:42

2008年01月24日

寧夏の羊肉面

北京の冬は寒い。
寒い時はマイナス15度にもなるし、
まあ暖かい時にでも決して零下から上回らないことは、
水が流れているはずの河が凍っているのを見ればその通りだと思わざるをえない。

そんな有様だから、ちょっと長く家を空けるともう水道の水は出ない。
風呂にも入れず、布衣のレコ発ライブのため彼らの故郷、寧夏省に行く日を指折り数えて待っていた。

ところが!!!

YinChuanSnow.jpg

寧夏省の省都である銀川空港に降り立った私はあまりの寒さに身が凍る思いだった。
この日の気温はマイナス17度。
北京より寒いやん!!!
今年の寒波でマイナス25度まで下がる日もあると言う・・・

空港から市街に出る途中に黄河を渡るが、
その黄河が凍ってるんだからどうにかして欲しい・・・

日本では香取慎吾の西遊記映画版のロケ地であると言えば通りがよかろうが、
あれは夏、今は冬である。
砂漠の街の冬は厳しい・・・


西夏王国と言う伝説の文明が1000年前に現れ、
そして200年あまりで滅亡したと言う神秘の街、銀川。
歴史的な観光名所にはことかかないが、
こんな寒い中、わざわざ砂漠の中に出て行きたくない。

とりあえずボーカルの老呉(ラオ・ウー)がいつも
「寧夏の羊肉はどこの羊肉とも違ってむちゃ旨やからな!」
と自慢してたのでそれを食することにする。

YinChuanShouBaYangRou.jpg

「手づかみ羊」と中国語で言ったりするが、
まずこれを食してみたい。

もともとこの料理を最初に食べたのは内モンゴルであった。
新鮮な羊肉をそのまま茹でてどどんと出すと言う豪快な料理だが、
これほど素材の味に左右される料理はない。

チベットに行った時にも途中で立ち寄った店で食べたこの料理に感激し、
「寧夏の羊肉ってのはこんな味か?!!」
と老呉(ラオ・ウー)にメールを送ったが、
「寧夏の羊はどこの羊とも違う!」
とビシッと言われてしまい、
私の中ではどんな味なのかずーっとムルンピョ(疑問符)だったのだが、
この日初めて食べた寧夏の羊肉の味は確かにどこの羊とも違う味だった。

一度老呉(ラオ・ウー)を鮨屋に連れて行ってトロを食べさせたことがあったが、
「旨い!まるで寧夏の羊肉のようだ!!!」
と感激していたが、言われてみればトロのような食感がなくもない。

そして北京ではまず食べられないのがこれ!

YinChuanYangBoZi.jpg

羊の喉の肉である。
柔らかくてトロっとしててこれが旨い!!

その他、羊のホルモン煮込みとか

YinChuanYangZa.jpg

羊の頭とか

YinChuanYangTou.jpg

いろいろと珍しいものも食べさせて頂いた。
ちなみに小皿に乗っているのは羊の脳である。
あんきものようでなかなか旨い!

しかし決して「ここに人達はゲテモノ食いだ」などと思わないように。
ここは中国で唯一の回族(イスラム族)の自治区であり、
豚肉を食さない彼らが厳しい砂漠の気候の中で培った文化なのである。
生魚を食し、欧米ではデビルフィッシュと恐れられているタコまで食す日本人も、
見ようによってはある種「ゲテモノ食い」だと思われても仕方がないのだから。


さて食ってばかりもいられない。
今回は我がロック村の村長、老呉(ラオ・ウー)率いる布衣
記念すべきアルバム発表記者会見ライブのためにはるばる彼らの故郷までやって来たのだ。

そのプロモーションのために2本ほどラジオの生放送に出演する。

YinChuanRadioIntervie1.jpg
YinChuanRadioIntervie2.jpg

北京でテレビとかインタビューを受けたことはあるが、
いくら地方局とは言え、生放送でヘタな中国語を喋るのは初めてである。

ボーカリストが出演するのは分かる。
ワシもまあメンバーではないが、
このアルバムのプロデューサーと言うのならそれもわかる。
しかし空港まで迎えに来てくれて、仕事を休んで車を運転してくれている彼
YinChuanDEBU.jpg
が、「布衣の元ボーカリストです」と言って番組に出演してるのはどう言うことなんじゃろ・・・

ちなみにこの彼が頬張っているのが羊肉バーガー。
肉と青唐辛子を炒めた物が入っているバージョンと、
手づかみ肉がそのまま入っているバージョンがあり、
これがどちらも旨い!!


また食べ物の話になってしまった・・・
記者会見、そしてサイン即売会である。
YinChuanBuYiFaBuHui.jpg

アンダーグラウンドバンドとは言え、地元ではやはりヒーローなのであろう。
若者から親から親戚からたくさんの人が来て、
我が院子で全て録音された記念すべきこのアルバムをたくさん買って行ってくれた。
一番たくさん買って行ってくれたのが老呉(ラオ・ウー)のお兄さんなのであるが・・・

買って行った枚数・・・ひとりで100枚・・・(涙)・・・

アルバムの中で一番人気なのが私が書いた「羊肉面」と言う曲。


ろう君が一番自慢なのはお母さん
一番幸せなのがお母さんが誕生日に作ってくれる羊肉面

ある日ロックと出会ったろう君
家にも帰らなくなりロックの日々
お母さん待っててよ
いつか大成功してお母さんを幸せにしてあげる

息子よあんたは幸せって何なのかをわかってない
お母さんが一番幸せなのはお前がおいしそうに食べる顔を見ることなんだよ

帰っておいで 苦しい時には
おうちであんたの大好きなものを食べさせてあげる
帰っておいで 苦しい時には
あんたの大好きな羊肉面を食べさせてあげる


お母さん心配しないで
こっちの生活はなかなかですよ
毎日刺激もあるし美味しい食べ物もたくさんある
いつか大成功して
お母さん呼び寄せて一緒に暮らすんだ

息子よあんたは幸せって何なのかをわかってない
お母さんが一番幸せなのはお前がおいしそうに食べる顔を見ることなんだよ

帰っておいで 苦しい時には
おうちであんたの大好きなものを食べさせてあげる
帰っておいで 苦しい時には
あんたの大好きな羊肉面を食べさせてあげる


ある日ろう君はいなくなった
誰も彼のゆくえがわからない
彼の机の上には彼が作った曲が置いてあった
曲名は「大好きなお母さん」

息子よあんたは幸せって何なのかをわかってない
お母さんが一番幸せなのはお前がおいしそうに食べる顔を見ることなんだよ

帰っておいで 苦しい時には
おうちであんたの大好きなものを食べさせてあげる
帰っておいで 苦しい時には
あんたの大好きな羊肉面を食べさせてあげる


ええい!発売記念にここにUPしちゃれ!
興味のある人は聞いてみて下さい。

そしてワシは思うのじゃ。
このろう君が食べていた羊肉面はどんな味なんじゃろう・・・

ひと口に羊肉面と言っても、
讃岐うどんいろんな種類があるのと同じようにたくさん種類があるのじゃ
そのうちのひとつ。
これは面をちぎって茹でたタイプ

YinChuanYangRouMian.jpg

その他いろんなタイプがあると言うが、
今回の旅ではまだ全部食べたわけではない。
次はもうちょっと長く滞在してあらゆる羊肉面を食べてみたいもんじゃ・・・

Posted by ファンキー末吉 at:11:27

2007年11月22日

上海楽器フェアー

先月の話になるけど、
上海の楽器フェアーに呼ばれてドラムを叩きに行って来た。

さすが商業都市、上海。
北京の楽器フェアーの数倍の規模で、
各ブースでのデモンストレーションも多く、
北京からもあらゆるミュージシャンが呼ばれたりしているので、
会場を歩くと知り合いばかりに出会うこととなる。

日本からは手数王こと菅沼孝三も来ていた。

GakkiFairKouzo.jpg


前回彼が北京に来てた時には、
私がステージに飛び入りしてバトルをやったりしたが、
今回は彼はヤマハのデモンストレーション、
私はパールのデモンストレーションと言うわけで、
お互い商売敵のブースに行ってドラムを叩くわけにはいかないので
今回は遠慮させて頂いた。

しかし前回の模様は誰が撮ったか海賊版DVDが出回っていたので、
ここ中国ではそのようなことはあまりしない方がよろしいようである。

GakkiFairDruming.JPG

さて、私が今回参加したのは、
パール楽器をはじめ、
世界中のありとあらゆる楽器の代理店をやっている
「中音」と言う会社のブースでのデモンストレーションである。

パールドラムを叩く叩く!!

ドラムの音を聞いてオーディエンスもわさわさ集まって来る。
そのほとんどがドラムおたくなのであろう・・・

GakkiFairAudience.JPG

ここで撮影されたものがまた海賊版となって全国に出回る可能性はあるが、
それはそれ、これはこれ、ThatはThat、ThisはThisと言うことで、
4日間、通算5ステージもあるので、
スタッフに撮ってもらって一番いい演奏を
逆にオフィシャル海賊版として先に出してしまえばよい。

これぞThis is China的な生き方である。


さて今回は、
もともとはミュージシャン連れて来て一緒に演奏したかったのじゃが、
ブッキングがあまりに突然だったので結局ひとりで来た。

ドラムなんて楽器はひとりだけで叩いてたって「音楽」ではない。
仕方ないのでコンピュータを持ち込んで、
ドラムマイナスワンの伴奏に合わせて演奏する。

曲目はXYZのWingsの中の橘高のインスト曲「Incubation」やら、
五星旗の定番ナンバーだった「炎の靴」やら、
あらゆるジャンルの音楽を叩きまくるわけじゃが、
命の綱はこのコンピュータである。
コンピュータが止まれば演奏もそれで止まってしまう。

曲中のMCでは、
ドラムを叩きながら説明する時には、
わざわざ担当者が後ろからマイクを持って来てくれるのじゃが、
ご丁寧と言うか、
この担当者は演奏を始めると、
マイクと共にパソコンのインターフェイスの電源を引っこ抜いてしまったりする。

そしてこれがこの中国最大の代理店のドラム部門の責任者である。

GakkiFairMC.JPG

彼とは今回しこたま飲んだ。
「回族」と言う回教(イスラム教)を信じる民族なのだが、
さすがに豚肉は食わないが酒は飲む飲む・・・

二の腕にイスラムのタトゥーを入れながら
「酒とたばこがなければ生きていけないから」
と酒を煽る彼は、神をも恐れぬ相当なロッカーである。

そして彼は今回、
周囲の反対を押し切って「窒息」と言うヘビーメタルバンドをブッキングした。
中国の楽器フェアーでヘビーメタルバンドが演奏したのは初めてのことである。

最前列で頭を振り、ファンと共に一緒に記念撮影。

Chissoku.JPG

しかしヘビーメタルと言うとなぜこのように「痛い」顔で写真を撮らねばならないのだろう・・・
ラウドネスが全盛の頃、
二井原もアー写を見た友人に「お前どっか痛いんか」と言われたらしい。

まあ痛い顔の奴らほど飲んでて楽しいものである。
酒を飲みながら彼らに最高の称賛をしてやった。

「お前らの音楽、最高だ!
でも断言する!
こんな音楽やってる限り、お前ら一生貧乏じゃ!」

笑いながらぼそっとメンバーが言う。

「別にいいよ、毎日楽しいし・・・」

うん、なかなか痛い奴らじゃ。
金のない奴ぁ俺んとこへ来い!
俺もないけど・・・

Posted by ファンキー末吉 at:09:33

2007年10月08日

雲南省でのロックフェスティバル

2か月ぶりに帰って来たらパソコンが2台とも壊れていた。
しかも中国では10月1日から1週間は国慶節で大型連休となる。
パソコン修理会社も全て休みである。

困った・・・

数日後には北朝鮮の幹部が平壌に帰るので
次作品の譜面とDEMOを持って帰ってもらわねばならない。
北朝鮮プロジェクトの第2章は既に始まっているのである。

仕方がないので新しいのを買った(涙)
2日間かけて山ほどの音楽ソフトをインストールする。
4日には海淀公園で布衣のライブがあるのじゃが
毎度のことながらインストールは確実にトラブりながら時間は無駄に過ぎてゆく。

忙しい時ほど仕事が重なるものである。
巒樹(LUAN SHU)から電話があり「1曲叩いてくれないか」と言うのじゃが、
「ライブ終了後にしか時間がないんだけど・・・」
と言うしかない。
「じゃあ夜9時からね」
と言うことになって電話を切ると、
間髪置かずに今度は曲世聰(QU SHICONG)から電話がある。
「すまん・・・夜の12時からならなんとか・・・」
ライブ(その前にリハーサルも含む)とレコーディング2本のトリプルブッキングである。

全くもって中国の仕事は「明日空いてる?」で全てが決まるので、
どっかに出発する前にはいつも徹夜である。

朝方までドラムを叩き、帰ってから譜面を作り、DEMOを作り、
やっと終わった頃にはもう出発である。

毎度のごとく空港でビールを煽る。
「Funky、朝からよくビールが飲めるなぁ」
いやいや、ワシにとってはまだ夜の延長なのじゃよ。


初めてゆく雲南省。
飛行機はまず省都である昆明に飛ぶ。
所要時間3時間強。
関空まで帰るより更に遠いではないか!!

目的地の麗江に行くにはここで更に3時間のトランジットがある。
こりゃ飲むしかない。
しかし布衣の人たちはアンダーグランドバンドなので貧乏である。
全世界共通空港のバカ高いレストランなんかに行く金はないので、
仕方なくケンタッキーフライドチキン。
まあこれにしても1日100円で暮らしている彼らにとっては物凄い贅沢である。

ワシは売店でビールを買って来て持ち込んで飲む。
日本だとつまみ出されてしまうような行為だが、
中国だとこれは普通の行為である。
だいたい「唐揚にビール」と言えば定番であるはずなのに、
その「唐揚屋」にビールを置いてないこと自体が間違いである。
神様であるお客がわざわざそれを買って持って来てやってるのである。
感謝こそされ、咎められる理由はどこにもない。

さて再び飛行機に揺られること1時間。
こりゃ言わば関空から伊丹で乗り換えて高知まで行くようなもんである。

遠い・・・

更にはロックフェスティバルがあるのはそこから更に1時間ほど車にゆられたところにある。
聞くところによると、麗江の古い街並は世界遺産に指定されていて、
今から行くところはそれを真似て作った巨大な人工遺跡のようなところである。

着いてみるとそこは夢の世界。
「ここは湯ばーばの街か・・・」
とワシは思った。

一連の石畳の街・・・
網の目のように街中に広がる小川。
土産物屋とバーと食堂がその小川の両脇にひしめき合っている。
北京で言うと后海(HouHai)と言う、
湖の周りの古い街並を改造してバーストリートにしているところがあるが、
それを小川バージョンにしてやたらと広くした感じである。

全部見て回ろうと思うのだがとても1日では回れようもない。
とりあえず酒飲んで寝る。

夜中に起こされた。
例によってイベントの仕切りは無茶苦茶なので、
翌日の午前中だとリハが出来ない可能性が大だと言うので
前日の夜中にやっとくと言うのだ。

SiFangTingYinNight.jpg

(夜のステージ)

会場は大舞台と小舞台とあり、
布衣はアンダーグランドバンドなので小舞台である。
しかしこれがまた美しい!!

夜中にどんどんサウンドチェックをしていると突然おっさんの怒鳴る声が・・・
警備に当たっている警察が一斉に動く。
警察が動くとワシは条件反射的にビクっとするが、
心配ない、ここでは警察はワシらを守る立場なのである。

見ればステージ袖の民家の2階から血相を変えて怒鳴っているおっさんがいる。
そりゃそうだ、3日間のイベントで一日中大音量を鳴らされ、
昨日は夜中の4時まで、そして朝は9時から大音量を鳴らされ、
今日もまた夜中までがんがんやられたのではたまったもんではない。

大勢の警察とすったもんだやった後、
おっさんは最後にはしぶしぶひっこんだ。
このイベントは言うならば村おこしの一環。
中国じゅうから何万人と言う人がここに集まり、
そして周辺の商店に、売店に、バーに、旅館に莫大な金を落とす。
たったひとりのおっさんの睡眠不足なんか知ったこっちゃないと言うことか・・・

「リハ、もういいでしょ・・・」
どうせリハやったって明日にはセッティングが全て変わってるのが中国である。
ワシはそうそうに現場を引き上げた。
朝起きて院子でメールチェックした後、街を探索する。

HotelYuanzi.jpg
(旅館は四合院を改造したもの。写真は二階からの見る院子。うちの院子とは大違いである)

YunNanStreetDay.jpg
(一番の繁華街)

YunNanHorse.jpg
(街中の移動手段には馬、馬車と言う選択肢もある)

YunNanMonkey.jpg
(橋の欄干には何故か猿回しの猿が・・・)

SiFangTingYinDay.jpg
(昼間の会場。右手に見える建物の2階で、おっさんは眠れる毎日を過ごす)

YunNanAudience.jpg
(オーディエンスも盛り上がる)

YunNanGoods.jpg
(イベントの公式グッズ)

会場で売られていたイベントの公式グッズは何故か大麻のデザインであった。
さすがは麻薬トライアングルに含まれる土地と言うか何と言うか・・・

実際、世界から集まったいろんなバックパッカーが、
最後にここでパスポートを捨てて住み着いてしまうと言う話もある。
一年中春の気候だと言うしね。

二泊三日で急いで北京に帰って来てしまったが、
今度は是非嫁と子供と連れてせめて1週間ぐらいはのんびりしたいものだ。


Posted by ファンキー末吉 at:19:56

2007年07月22日

内モンゴル草原ロックフェスティバル

張楚バンドのドラマーとして内モンゴルで開かれた草原ロックフェスティバルに参加してきた。

そのステージで凄いバンドを見つけたぜ!!
外モンゴル、つまりモンゴル共和国のヘビーメタルバンド、HURD

Hurd1.jpg

ステージ袖で見かけた時から非常ーーーーに気になってたのよ。
特に右から2番目のこのオッサン。
なんか威圧感あるし、デブやし、
そう、アメリカで言うとZZトップみたいな匂いがぷんぷんしてて・・・
でも顔は朝潮みたいな・・・

とにかくかっこいいのである!!!(わかるかなぁ・・・この感覚・・・)

「モンゴル人だったら知らない人はいない伝説のロックバンドだよ」
関係者がワシに耳打ちしてくれた。
中国の時と同じように、
モンゴルが開放された時伝説のロックバンドが生まれたと言う噂は聞いたが、
年齢や風格からして彼らのことではあるまいか・・・

ステージを見て驚いた。
あまりにも正統派なヘビーメタルである。

ギターのこのオッサン、朝潮みたいな顔して弾きまくるは歌うわ。
リードボーカルはシャウト専門みたいな感じで、
MCも全部このオッサンがとる。
ドラムは上半身裸で恐るべきパワードラムである。

Hurd2.jpg

ちなみにこのイベントは中国の内モンゴルにあるチンギスハン陵の公園で行われた。
ステージの後方にそびえるのはチンギスハンの銅像である。

そして外モンゴルからやって来たファンなのか、
モンゴル共和国の国旗を振る輩もいる。

日本人には少し理解しにくい環境かも知れないが、
通称内モンゴル、中国にあるモンゴル族自治区のモンゴル族中国人は、
外モンゴルと呼ばれるモンゴル共和国の言語であるモンゴル語も話すことができる。
彼らのモンゴル語の楽曲を客も大合唱。
すんごいインパクトであった。

以前、中国政府は、モンゴル族の独立を煽ると言う理由で
彼らの中国国内でのコンサートを中止させたと言う逸話も聞いた。

どっちにしろそんな伝説はもとより、
とにかく彼らの演奏はハードでヘビーで正統派で、
ワシはいっぱつでファンになってしまったのじゃ!

北京に帰ってネットで探してみたが、
UPされている楽曲はバラードが多く、
U-TUBEにもこんなのがUPされてはいたが、

彼らのライブの凄さはこんなもんじゃない。

いろいろ検索したが、とりあえず比較的ハードなのは
http://www.56.com/u49/v_MzQzNzQwNg.html


しかしこれってインストではないか!!!

じゃあこれ?
http://www.56.com/u63/v_MTI3NTg3MzI.html


ほとんどがイントロやないかい!!

すんげーーーーいいバンドだけどここのボーカルにだけはなりたくないなぁ・・・

Posted by ファンキー末吉 at:17:35

2007年06月28日

チベットにて悟った「ロックとは何か」

ムルンピョを聞きながら考える。
「この歌声はこんなに澄んでいて、聞いてて心が洗われるのは何故なのか・・・」
答えは簡単である。彼女達の心が澄んでいるからである。

日本のテレビで放送したバージョンのミックスダウン
(ひとつひとつの音を最終的に整えて完成させる作業)
は、自分自身の手によって北京の自宅スタジオで行った。
しかしこれを世界発売するためには、
もっと音を磨いて世界レベルにまで持って行かねばならない。
そのためには世界のロックの頂点、ゴッドハンドとも言える
Wyn Davisにミックスダウンを任せたいと思っている。
そうすればこの楽曲はアメリカはもちろんのこと、
世界を震撼させるレベルの音にまで磨かれるに違いない。

ところがそこで考えた!
磨くのは「音」だけでいいのか!
もっと磨かねばならないものが他にあるのではないか!

「ロック」なんだから、楽器の音は歪んだ音をたくさん使う。
もともとは澄んだ音色であるギターにディストーションと言うエフェクターをかけ、
それをスタジオで更にはマーシャルと言うどでかいアンプに通し、
そのボリュームを限界まで上げることによってスピーカーが悲鳴をあげさせ、
もっと汚い音になるように作ったりする。

「ロック」はもともとそう言うもんなんだから仕方がない!
その「汚す」作業は私が責任を持って担当させて頂いた。
しかしそれをやる人間の「魂」が汚れてたとしたら
そんな作業に、いやこのプロジェクトをやってゆくこと自体に何の意味があるのか!!!

片や物質文明の最高峰の場所であるアメリカで「音」を磨く。
そしたら片や精神世界の最高峰の場所で「魂」を磨いてくるべきであろう・・・
「それだったらいいところがありますよ」
そう言われて連れて行かれたところが、
まさに世界の精神世界の頂点とも言うべき聖地「チベット」であった。

俺はチベットならラサに一度言ったことがある。
その時の話
五体投地と言う荒行をしている人を何人も見た。
大地にひれ伏して頭を地面にこすり付けて祈り、
そして身体を頭のところまで持って来て起き上がり・・・
そんな小さな一歩一歩を進みながらチベット仏教の総本山、ポタラ宮殿を目指す。
何百キロも何千キロもの道のりを、何年もかけて進んでゆく。
やっとポタラ宮殿までたどり着いたら、
彼らはそこに全財産を置いて、また同じように五体投地をしながら帰ってゆくのである。
彼らの表情に苦しみはない。
溢れんばかりの喜びがあるだけである。
あまりに感激して言葉が出てこなかった。

今から俺が行くところは、ラサのような観光化された大都市ではなく、
もっとディープなチベットだよと教えられていた。
北京から始発の飛行機で蘭州に飛び、そこから車をチャーターして延々と走る。
昔は3日間かかってたと言うその道のりを、
今回は整備された高速道路を走って1日で走り抜けた。
着いたらもう真夜中である。

「大丈夫ですか?頭は痛くありませんか?」
と俺達をここまで案内してくれたラマの高僧が優しく俺に尋ねる。
標高が3500メートルを超えていると聞いた途端に軽い頭痛に襲われた。
聞かなければ何ともなかったかも知れないが軽い高山病である。
数日間はここに身体を慣らさねばならない。
ゆっくりと山に上ったり村を探索したりして過ごす。

LamaVillege.JPG
(写真:寺院とラマ僧が住む家)

SougenUndoukai.JPG
(写真:草原での運動会)

ButaSanpo.JPG
(写真:村を散歩する豚の親子)

3日目になり、ようやく身体が楽になった。
さて「魂を磨く」と言うことはここで一体何をすると言うことなのだろうか・・・
それを見つけるのも修行のひとつである。
俺はとりあえずラマ高僧の許可を得て、若い修行僧の1日に密着してみることにした。

朝6時半起床。高原の朝は夏でも凍えるように寒い。
暖房はヤクと呼ばれる牛の糞を乾燥させてそれをストーブで燃やす。
寝床の傍らには小さなテーブルがあって、ここが彼らの寝床でもあり勉強の場でもある。

彼の名はデンパ君。
中国語をそんなに喋れないが、
ここで会った全てのラマ僧がそうであるのだが、
その笑顔が自分の心をふわっと包み込んでくれて、
それだけで魂が救われるような気になる。

デンパ君のその日の一日は部屋での読経から始まった。
俺はそのお経をとりあえず隣に座ってずーっと聞いていた。
読経が終わればお寺に行くのだが、
デンパ君はその前に俺にどうも朝ごはんを作ってくれるようだ。
お椀を出して来て、その中にバターを入れる。
炒った米のような粒を入れてお湯を入れるのでお粥のようなものなのかと思ったら違った。
それに小麦粉のようなものを入れて片手でこね始めるのである。
ツァンパと呼ばれるおだんごのようなチベット料理なのであるが、
これが味が全然なくてひたすら不味い・・・。
デンパ君は気を利かせて別のお椀にお湯を入れてくれて、
丁寧にそれに砂糖を入れてくれて飲めと言うのだが、
これも残念ながら飲めたものではなく断念。

お寺に向かう道すがら、いきなり彼が道端に座り込むので
何をしているのかと思ったらおしっこをしていた。
見ればラマ僧は全てこうやって用を足す。
ラマ僧の袈裟の下はパンツを穿いておらず、
そのまましゃがんだらすぐ用が足せるように出来ているのである。
寝る時は寝間着に着替えるでもなく、
ラマ僧達は一日中その袈裟を着て過ごしている。
デンパ君の家には着替えの袈裟があるわけでもなく、
洗濯も入浴もそう頻繁にする生活には見えないが、
高山で空気が薄く、非常に乾いていて汗もかかないのでそんなに気にならないのであろう。
ただ、うんこはどうやってするのかは今だにムルンピョ(疑問符)である。

さてお寺に着いたらラマ僧がたくさん集まって来て全員で読経する。
堂内は暖房もないのでとても寒く、
夏でこのぐらいなんだから冬は相当な苦行だろうと想像した。

昼前になると「問答」が始まる。
ラマ僧達が仕掛け手と受け手に分かれて、
仕掛け手が受け手に大仰に質問を出してぱんと手を叩く。
受け手はその質問に答えてゆくが、
仕掛け手は更にその答えの矛盾を引き出す質問をしてぱんと手を叩く。
こうして問答は延々と続くのだが、
それは結論の出ない仏教の奥儀にまで入ってゆき、
逆に言えばこうして修行僧は仏教の奥儀を学んでゆくとも言える。

Mondou.JPG
(写真:問答を行う修行僧たち)

午後には授業がある。
デンパ君は俺なんかにかまってたために遅刻をしてしまった。
「もう始まってるよ」と道行く修行僧から教えられて、
走って教室に飛び込んで行った。
それを見て思った。
日本だったら「遅刻したら叱られる」と言う意識で走ってゆくのかも知れないが、
彼はきっと「遅刻してありがたい話を一言でも聞き逃したら惜しい」と言う意識で走って行ったのだ。

その後にも問答がある。
夕方の問答はお寺のふもとの林の中で行われた。
先生がその「勉学の林」とも言うべきところでひとりで読経を始めると、
村の中に木霊するその声を聞きつけて
全ての修行僧がそこに集まって来て一緒に読経を始め、
それが終わるとまた問答が始まるのである。

問答を見ていて思った。
修行僧達は非常に楽しみながらそれをやっている。
打ち負かされそうになって必死で相手を論破する奴、
「お前それは違うだろ」とぷっと笑ってたしなめる奴、
「よく出来ました」とばかりさっさと終りにする奴ら等等・・・。

最初のうちはロックで例えると
「飲み会でロック談義をしている感じ?」
みたいなことを思っていたのだが、
よくよく見てみると根本が全然違う。
どちらかと言うと「ジャムセッション」に近いのである。
相手がどう答えるかによってこのセッションは全然違う方向に進んでゆくし、
テクニックやネタが多いミュージシャンほどいろんなセッションに対応してゆけるのと同じように、
やはり仏教の奥儀に深い人の方が問答が深く面白いものになってゆくのである。

なるほど・・・
そして俺はこの問答の天才、今世紀不出の天才と言われ、
30代でこの寺のナンバー2にまで上り詰めたラマの高僧相手と、
後に問答をするハメとなる。

翌日は山に登り、川を見たり、いろんなことを考えながら1日を過ごした。
例えばこうである。
この村の命の源であるこの川は、
上流では地下(アンダーグラウンド)から湧いたとてつもなくきれいな湧水
であるにも関わらず、人里まで流れて来るとゴミを捨てられ汚くなってしまう。
これは音楽も同じではないのか。

Kawa.JPG

汚れた水がまた地下に戻ればまたきれいな湧水となって湧いて出てくるように、
音楽もまた地下に潜ればきれいな湧水のようになることが出来るのか・・・

Koketsu.JPG
(写真:川の上流の更に上には、修行僧が修行した洞窟「虎穴」がある)

また例えばこうである。
この川の上流にはところどころに水車小屋がある。
しかしそれはその水車の力で穀物を挽いたり電気を起こしたり
そんなことをしているのではない。
1回まわせばお経を1回読んだことになると言われているマニ車と呼ばれる筒を、
水の力で延々と回し続けているのである。
もちろんそれは村人のため、
ひいては世界中の人が救われるように一生懸命それを建設したのである。
つまり何の生産的なことをしているわけでもない。
この寺の僧侶の人生もそう言う意味では同じである。
物を生まないのである。
究極には彼らは一生女性の身体に触れることもなければ子供も作らない。
物を生まないから心がきれいなのか、
心がきれいだから物を生まないのか・・・

Maniguruma.JPG
(写真:水車小屋)

ちょっと前までは電気も通じてなかったこの村は、
今ではホテルもあればインターネットもある。
そう言う意味では俺が住んでいる貧民街よりは進んでいるかも知れない。
しかしそこに住んでいる俺は物質文明にどっぷりつかった生活を送っているのに、
ここで住む僧侶たちの生活はまるで違う。

・・・うーむ・・・

Kangaeru.JPG
(写真:考える)

かくして問答の日はやって来た。
俺はまず自分がどんな人生を歩んで来たのかを説明した。
金も名声も一番あった頃の自分が実は幸せではなかったこと、
北京に来てから今までになかった幸せを深く感じていること、
北朝鮮の子供たちと出会ったこと、
そして自分自身も感激し、人も感激してくれたこと・・・
ラマの高僧は相変わらず全てを包み込んでくれるかのような笑顔で、
それをうなずきながら聞いていた。

テンションが上がって来たので立ち上がって続けざまに問答をふっかけた。

「人はみな平和を愛するのに世界にはなぜ平和が来ない!!」
「信仰が人を救えるとしたら音楽で人を救えるや否や!!」

しかし問答はこれ以上続かなかった。ラマがこう答えたからである。

「音楽は人を救えるよ」

その笑顔は優しく俺の全てを包み込んでくれてた。
俺はへなへなとまた座り込み、彼に質問した。

「どうして音楽は人を救えるの?」

彼はこう答えた。

「音楽はひとつの手段でしかないからさ。
大事なのは人間。君は音楽を使って人を救おうとしている。
だから人を救えるのさ」

そして彼はこう続けた。

「どうして戦争がなくならないか。それは仏教では縁起と言う。
もし私があなたを殺したとする。するとあなたの家族が私を殺す。
そうやってその縁起は延々と繰り返されてゆく。
戦争を起こす人もみな世界を平和にしようと思って戦争を起こす。
それは平和にするための方法論がそれぞれの人たちによって違うからなんだよ」

なるほど、そうである。
北朝鮮は朝鮮民族を日本人が侵略したことを絶対に許さないし、
日本は北朝鮮の日本人拉致事件を絶対に許さない。
だから俺達大人たちの時代に平和を成し遂げることは並大抵のことではない。
この代でだめなら、それをあの子たちと私たちの子供の世代にそれを託したい。

「Funkyさん、あなたは北朝鮮で会った子供たちの笑顔に涙したと言う。
それは何故か、
子供たちにはその固執しなければならない方法論がないからである。
あなたはこの村の川がどうして汚れてゆくのかと言った。
人間も同じである。
子供は生まれて来た時にはみんなきれいな心で生まれて来る。
人間はもともとはきれいなものなんだよ」

俺はここで出会ったいろんなラマ僧たちの笑顔を思い出した。
みんな素晴らしい笑顔であった。
「人を救える」と言うに相応しい何かがある。

「この村であなた達の生活を見ました。
私の生活は音楽半分と生活半分。
あなた達の生活は信仰がほとんどで生活はちょびっとだけ。
私も自分の音楽と言うのをあなた方の信仰の域まで高めたいと思っている。
でも私にはあなた方のような生活は出来ない。
何て言うか・・・あんた達・・・凄いよ・・・凄すぎる・・・」

俺はちょっと胸が熱くなっって言葉が詰まって来たが、かまわずに続けた。

「いろんな宗教はみんな自分を害する者を愛せよと教える。
そんなことが出来るわけない!
俺だって自分を害した奴は憎い。
とてもじゃないけどそんな域にまで達することなんて出来るわけない。
難しすぎるよ。世界平和?俺みたいなちっぽけな人間が何言ってんだ。
そんな大それたことなんかもともと俺に出来るわけないんだ・・・」

ついつい泣き声になってしまった。
ラマ僧は優しく俺に言った。

「出来ることを少しづつやればいいんだよ。
私たちの最終的な目標を知ってるかい?
それは仏になることなんだ。
そのために少しづつ頑張って生きてる私たちは、
毎日を本当に幸せだと感じている。
私たちの生活は北京や日本の人たちに比べたらそりゃ貧しいかも知れない。
でも私たちは人の物を盗ったことがない。
人を害したことがない。
私たちの生活なんて簡単なもんなんだよ」

この人達の口から
「人生なんて簡単なもんなんだ」
と言われたら
「なるほど」
と思わざるを得ない。
この人達はその生き様でそれを証明してるではないか。

「仏教で一番大切なことは何か教えてあげよう。
それはふたつある。
ひとつは菩薩心、そしてもうひとつは覚悟」

ラマは紙に中国語でそのふたつの言葉を書いた。
覚悟の覚は実は私の本名、両親が与えてくれた私の名前なのである。
心の中でずーっとぼやけてたものが、
この言葉を聞いてはっきり見えたような気がした。

私は宗教心と言うものを一切持ち合わせていない。
中国語で行われた上記の会話で、私はしばしば「信仰」と言うことばを使ったが、
それは日本語の「信仰」とは少しばかりニュアンスが違う。
そのニュアンスを適切に表す日本語がないかとずーっと探していたのだが
それがやっと見つかった。

それは「道」とかいて「どう」と読む。
つまりこう言うことである。

ロック道とは武士道と見つけたり。
技を磨き、己を死ぬまで磨き続ける。
だからロックを志すには覚悟が必要である。
覚悟さえあればその剣は揺れることなく、
人を切るにあらず、人を救うものとなる。

世界中のロックを志す者たちよ!
貧乏を恐れるな!胸を張れ!
くじけずやり続ける覚悟を持てばそれでいい!
胸を張ってこう言おう!
俺達の人生なんか簡単なもんだ。
人の物を盗らず、人を害することもなく、
ただ酒を飲んでロックをやる。
素敵な人生じゃないか!

翌日、ラマ僧達を集めてムルンピョを聞いてもらった。
作り手の魂に一点の曇りでもあれば、
世界一心のきれいなこの人達にはそれがわかるだろう。
それだったらもうこのプロジェクトは封印しよう・・・

チベットの山の中で聞く彼女たちの歌声は、
その空気と不思議に溶け合っていて心を打った。
聞き終ったラマ僧達の表情もそれを語っていた。

よし!決まった!!
俺は自信を持ってこれをアメリカに持ってゆく。
そして覚悟を持ってこのプロジェクトを続けてゆくぞ!!


Posted by ファンキー末吉 at:23:41

2007年06月17日

いやー・・・ええとこでしたなぁ・・・

Tibet.JPG

帰って来て1週間ぶりに風呂に入った。
詳しい話はまた後ほどUPするとして、
ロックとは何か」をラマ僧との問答の中で悟ることが出来た貴重な旅だった。

胸を張ってアメリカに飛ぶ!!


・・・しかし、実は明日監督と会い、また映画音楽の仕事が始まると言う・・・
明後日映像データをもらい、明々後日には日本に飛ぶ。
アメリカからは香港にすぐ飛ぶし、その後はXYZのライブやし、
果たしてやる時間はあるのか・・・

これも「ロック」への道、悟りへの道である・・・

Posted by ファンキー末吉 at:23:50

2006年11月24日

忙しかったのじゃ・・・

気がついてみたら2ヶ月ブログを更新していない。
何をやってたんじゃろうと思い出しながらまとめて書いてみたい。

まず9月末と言うと張礎から電話があって、レコーディングとライブを手伝ってくれと来た。
話せば長い話になるが、彼はワシが初めて北京に来て知り合った人間で、彼がワシを黒豹の地下クラブでのライブに連れて行ってくれたからこそ今のワシがある。
断れようはずがないので快諾。
そして日々ワシのところでリハーサルが始まり、それで9月は終わってしまった。

10月はそのライブ。
北京で初めて「Beer & Rock Festival」とやらが1週間に渡って開かれ、張礎はその3日目のトリを務めるのである。
BeijingBeerRock.JPG

ところがちょうど同時期に広州でも同様に「Beer & Rock Festival」が開かれているので、全てのロックミュージシャンは同時期に北京と広州を行ったり来たりすることとなる。
GuangZhouBeerRock.JPG

飛行機はまるでロックミュージシャンの貸切状態で、そりゃまたガラが悪い悪い・・・
北京では先に行ってきた連中から「広州のフェスティバルは待遇がよくってびっくりするぜ!ビールは飲み放題だし、ホテルにはプールがあって、まるでロックスターのような気分にさせてくれるぜ!」と言われていたが、
YeCha.JPG
こんなのや、
AK47.JPG
こんなのや
DeBuStuff.JPG
こんなのが(いや、彼は実はスタッフなのであるが・・・)、刺青だらけの肌をあらわにプールで横たわり、タダだと言って酒をあおり、そのホテルはその後一般客の宿泊客はいなくなるであろうと言う有様。

かくして私はGEMINIと言うロックユニットでもドラムを叩かねばならないのでそのまま北京に帰り、また北京の「Beer & Rock Festival」に参加し、思う存分ビールを飲み、北京ロックに酔いしれたのである。

さて、飲んでたばかりではない。
仕事もやっていた。
映画音楽なんぞをやって、またそれが記録的な大ヒットなんぞしてしまうと奇妙な仕事も舞い込んでくる。
国内最大の映画祭の最後を飾るメドレーをアレンジしてくれと言うのである。
8分間のメドレーをアレンジしつつ、その納期が気になるところである。
実は平行してまた映画音楽の仕事を請けている。
その撮影が終わるのがちょうどこの時期なのである。
このふたつの仕事が同時期に重なるとちょっと大変なことになるなぁと心配してたら、想像通り映画の撮影は遅れているとのこと。

「メドレー納めて、日本に布衣連れて行って、月末に帰って来たら映画音楽が始まって・・・」
理想的なスケジューリングである。

ところが世の中そうは思い通りに行くものではない。
日本に発つ数日前に監督から電話かかってきて、「Funky!数日後には全部仕上げなきゃならん!」と来る。

「無理じゃ・・・」

と言うわけで影武者を用意する。
「お前、俺が日本行ってる間、この音楽全部作っとけ!」
若い衆はチャンスが欲しいので「クレジット載せてくれたら金はいらん」と非常に気持ちよく快諾してくれる。
「自分で監督と連絡取って、意見聞いてちゃんとやっとくんじゃぞ!」

これで安心して日本に行ける。
日本では布衣と飲む飲む・・・
帰って来て影武者がほとんど作り終わってたらもうこれでしめたものである。

「出来たか?」
北京に帰って真っ先に影武者に連絡する。
「まだやってないよ。だって監督から電話来ないんだもん・・・」

「お前が電話するんじゃ!!!」

と言うわけで話は振り出しに戻る。
「12日までには音楽全て完パケてもらわなきゃ困る!」
監督の厳しい命令を受けて、影武者とふたりがかりで作業を始める。
出来たもの片っ端からスタジオに持って行き、絵と合わせて監督に聞かせる。
「うん、これはいいねぇ・・・あ、これはダメだ」などと意見を聞く。

OKでたのは全部影武者のんでダメが出たのは全部ワシの作ったやつやんけ!!!

山ほどの直しを抱えて更に影武者にも曲を割り振る。
既に作るべき楽曲は60曲を超え、泣きそうになりながら影武者が電話してくる。

「あのう・・・今回の仕事・・・やっぱお金もくれますか・・・」

金ならいくらでもやる!とにかく期限までに完成させろ!!!
と言うわけで絵に合わせる作業も全部影武者にやらせ、ワシは既に次のプロジェクトに突入している。
流行歌手「韓紅」のバックで無錫に行くので、そのリハーサルと、偶然にも同じ時期に新曲発表記者会見ライブを行う「愛楽団」のリハーサルが同時進行しているのじゃ。

午前中に「愛楽団」のリハーサルに行き、午後から「韓紅」のリハーサルに行き、夜にはうちのスタジオで岳浩昆のレコーディングをしている。
なんでじゃ!!
「うちのスタジオがいい」と言うもんだから仕方がない。
忙しい時には仕事が重なり、電話中に限って割り込み電話がかかってくるもんである。
そしてそれが終わると電話は一切鳴らず、仕事は一切なくなる・・・

これが音楽の仕事、水商売の極地である。

今「韓紅」のコンサートで無錫に来ている。
地方はいい。仕事に追い回されない。

そして12月は仕事はなくなることであろう。
布衣のレコーディングでもやってやるか・・・

Posted by ファンキー末吉 at:11:44

2006年05月22日

許魏(XuWei)5万人コンサートin西安

許魏(XuWei)と知り合ったのはもう10年以上も前。
当時彼は北京に来たばかりで貧乏で何もなく、
彼の部屋でビールを飲みながら後に彼のデビューアルバムとなる「在別処」のDEMOを聞いていた。

ロックとして非常に高く評価された彼の音楽だったのだが、
商業的に彼に大きな富をもたらしたかと言うとそうではなく、
その後生まれ故郷の西安に帰って何もしなかった時代もある。

復帰作「時光・慢歩」のレコーディングで久しぶりに再会し、
このアルバムがブレイクし、音楽を愛する全ての若者から神様のようにあがめられる存在となっても、
まあ彼の生活は大金持ちかと言うとそうでもないと人は言う。

そんな彼が生まれ故郷で初めて大きなソロコンサートをやると言うので、
この時からほぼ固定しているレコーディングメンバーがここ西安に集結した。

北京から西安は2時間足らず。北京から関空までが2時間半だからそんなに遠さは変わらない。

ホテルに着いたら目の前にでっかい看板が掲げられている。
数年前は同じこの場所で食うにも困ってた人間が、不思議と言えば不思議である。

XuWeiGuangGao.jpg


何はともあれ、西安と言うと小吃が名物と聞く。
さっそく飛び込んだのが有名な羊肉泡鏌のお店。
泡鏌と言ってもそれが何なのか全然知らずに入ったので、
座ったらすぐ出てくるどんぶりと乾パンみたいのに驚かされる。

PaoMo1.jpg


隣の人を観察するにこれを自分の手でちぎってどんぶりの中に入れるんだと言うことで見よう見まねでやってみる。
ちなみに小さければ小さいほどよいらしい・・・

PaoMo2.jpg


しばらくしたら従業員がそれを取りに来てくれ、
羊肉のスープと春雨と一緒に煮て持って来てくれる。
自分でちゃんとちぎるのが本式らしいが、いかんせんちょっとめんどくさい・・・

Concert1.jpg


会場に着いたらサウンドチェック。
ドラムセット等機材は全て北京から運んで来ている。
中国のバンドがなかなか全国ツアーが出来ないのはこの機材の運搬の問題も大きい。

バックバンドの場合、ドラマーの仕事の中に「テンポ出し」と言う大きな仕事がある。
曲のテンポを正確にメンバーにカウントするのだが、
そのためにドラマーの助手を用意して、彼が次の曲のテンポをリズムボックスで出してくれる。
通しリハの時に曲のテンポを間違えて、もっとゆっくりなはずなのに速いテンポの曲と間違えて出してたので取り合えず頭を張り飛ばしておいた。

Concert2.jpg


零点(セロ・ポイント)の6万人コンサートの時は、「客が入るんだろうか・・・」とずーっと心配のままステージに上がったが、
今回は記者発表会だけで2万人集まったと言うからほぼ満席になることは間違いないと言われていたが、
始まってみるとさすがに人だらけである。
一番後ろの客なんかステージ上の歌手は米粒ぐらいしか見えんぞ・・・

しかし会場は隅から隅まで一体となって大盛り上がり。
個人的には小さなミスがあって少々残念なのだが、コンサートとしては大成功に終わったと言えよう。

頑張れ許魏(XuWei)
ワシが中国で一番好きなアーティストである。

Posted by ファンキー末吉 at:17:04

2002年01月22日

中国でテレビに出る時は何故かバンダナを外せと言われる

何故に中国のテレビでバンダナはあかんのや!


昨日はまたいきなりS社長に
「ファンキーさん、テレビの収録あるんだけどドラム叩いてよ」
と言われた。
ここの看板歌手「陳琳」のバックバンドである。

テレビと言うと通常「あてぶり」である。
いわゆるカラオケに合わせて演奏している振りだけで、
歌だけは生で歌っていると言うものだが、
アメリカなんかでは歌まで口パクであったりすると言う。
中国では日本と同じくあてぶりが通常らしく、
どうせ演奏しないのだからと、その辺の連中を適当に集めてた。
ベースの奴なんかはS社長んとこの社員である。

でもS社長は「こいつの顔を売りたい」と言う人間をそんな中に呼んで来たり、
時にはアジアの小室と言うべきプロデューサー張亜東なども駆り出されて
ギターを弾いたりする。
これをワシは「北京の友達地獄」と言う。
今回の場合はワシとあの新人くんである。
あの朝から晩まで音楽やってるだけが生きがいのオタクのシンガーソングライター、
一応マルチミュージシャンなので
キーボードからギターから持ち替えてあてぶりする。
今日も「その服は何だ!」と怒られていた、ぬぼーっとした憎めないやつ。
一応長髪である。

ワシはと言えば最近S社長の策略に乗って
中央電視台の生放送やら何やらに駆り出され、
奇声を上げながらアホ面してコンガを叩きまくる変なジジイとして認知され、
そのおかげで今ではラテンのアレンジを頼まれたりするキャラである。
「ファンキーさん、この前テレビに出てましたねえ」
とよく言われるが、実は全然嬉しくない。
そんな顔を売るなっつう話である。

「今日どんな曲やんの?」
あてぶりだが一応ちゃんとチェックをする。日本人は仕事が細かいのだ。
大体は発売された最新アルバムの中からやると言うので音だけもらって、
「当日やる前に音は聞けるよね」
だけでOKである。
あてぶりじゃなくても一度聞けば叩けるぐらいだから心配はいらない。

スタジオからドラムセットを運び出す。
「ファンキーさん、どれとどれが必要か指示しといてね」
あてぶりなので最小セットでよい。
どうせ手元のアップなど来るわけないし・・・
コンガと違ってドラムは一番後ろに位置するのでそんなもんである。

収録スタジオに着いたらドラムを下ろし、
セッティングしようと思ったら、すぐ「メシ食おう」とS社長。
まあ社長がそう言うならと隣のレストランに飛び込む。
「ビールいく?」
今から収録なのにビールを勧めるS社長。

しばらくしてスタッフが飛んでくる。
「シンバルが1枚しかないけどいいのか?」
慌ててたのでハイハットもシンバルも忘れて来ている。
「ま、あてぶりなんでいいでしょ」
とりあえずビールを飲む。
「カメリハとかはあるよね?」
S社長に一応チェックを入れる。ワシは今日どんな曲をやるのかも知らんのだ。
日本だとサウンド・チェックにカメラリハーサルにゲネプロと呼ばれる通しリハ、
結局最低でも3度は同じ曲をやるので、
これだけやればきっちり覚えてしまう。
まあ3回も曲を聞ければ完璧なのでビールでも飲みながら待つことにする。

しかし待てども待てども呼びに来ない。
これでは収録前に酔いつぶれてしまう。
まだ曲も聞いてないし、
ドラムのパーツも足りないので特殊なセッティングもしたい。
「俺、先に行くよ」
と言うワシをS社長が止める。
「まだ前の収録が終わってないんだからぁ。行ってもしゃーないよ。飲も!」
飲も!じゃねえって感じである。

しばらくしてスタッフが呼びに来る。
行って見ると前の収録は零点(ゼロ・ポイント)と言うロックバンド。
売れない頃に時々一緒に遊んだもんだが、今はブレイクして大金持ちである。

そこのドラマーからハイハット等忘れ物を借りようかなあとも思ったが、
まああてぶりだからいいか、と自分の歯抜けドラムをセッティングする。
タムを左側に多めに被せて、ハイハットがあるべきところを隠すようにする。
まあハンディーカメラが傍まで回り込まない限り自然なセッティングではある。

リハーサルが始まる。
「ファンキー、衣装を出せ。カメラ合わせで吊るしてやるから」
スタッフが言いに来るが、
「ほならワシ、その衣装に着替えてリハやりまっさ」
そそくさといつもの黄色い「寝巻き」と呼ばれた服に着替える。
これしか持ってないのである。
ご丁寧に同じく黄色にコーディネートされたバンダナ付である。

カメリハが始まる・・・ように見えるがイントロが流れるとすぐ次の曲に行く。
「ああ、これはサウンドチェックなのね・・・」
と納得しつつ一応あてぶりなどをやっては見るものの、
じーっとこちらを覗きこむ美人ADが気にかかって仕方がない。
また「外国人は出演禁止」とか言われても困るので、
一生懸命
「実はのおばあさんは中国人で、私は日本で生まれた華僑で・・・」
とか言い訳を考える。
外国人はダメだが華僑はいいと言うのは差別である。
それでもじーっとこっちを見てるので
「どうかしましたか?」
と中国語で声をかけてみたら、
「いや、あなたの服を見てただけよ」
とちょっときつめの(中国美人はだいたいきつめだが)美人は答える。

何事もなかったかのようにサウンドチェックが進むかに見えたが、
おもむろにS社長がやって来て、
「ファンキーさん、そのバンダナ、ダメだって。
ついでに髪の毛も後ろで結わえて下さい」
前回中央電視台の公開録画のイベントに出演した時も、
偉い人からバンダナにクレームを受け、
外して長髪のままいたらそれもクレームを受け、
結局侍のように髪をたばねてコンガを叩いた。
中国のお偉いさんはバンダナが嫌いなのか!!!
しかもワシ以外の奴はみんな同じく長髪やでぇ。
あのオタクの新人くんはよくって、何でワシだけあかんねん!

バンダナを外し、髪を結わえて残り数曲のイントロ部分を合わせたらいきなり
「はい本番です!」
本番かいな!カメリハはやらんのでっかいな!ゲネプロは?・・・
ワシ、どんな曲かまだ全然知りまへんがな・・・

楽屋でS社長に「CDウォークマンある?」と聞いて見る。
「ないよ」
お前、楽屋では音聞ける言うたやないかい!

どんな曲をやるやもわからずそのままステージに・・・
「アジア最高のドラムキング、ファンキーです」
陳琳からものものしく紹介されて公開録画用の客に向かって挨拶する。
マヌケである・・・
曲が始まる。
カメラが右手方向から回り込む。
「おいおい、これ、バラードやんか・・・ドラム入ってないやんけ!」
どうせ回り込むなら激しい曲で回り込んで欲しいもんやった・・・
ハイハットがないのを身体で隠しながら、
音には実際は入ってないシンバルなんかを叩いてみたりする・・・
大マヌケである・・・

曲の後半でドラムが入る。
あれ?聞いたことあるなあ・・・
思い出せばこれ、俺がレコーディングで叩いた曲である。
そうなれば話は早い。
曲は忘れていても癖はわかるから、
オカズとか入りのフレーズを聞けばそれだけですっと叩ける。
すまん!俺のフレーズって多彩に見えて実は結構ワンパターンなのよ・・・

2曲目はアップテンポの曲。
これも俺がレコーディングで叩いた曲。
このプレイを聞いて
張亜東に「自分の曲は今後全部こいつに叩かせる」と言わしめた。
しかしどんな曲やら覚えてはいない。
情けない・・・

だいたいスタジオミュージシャンと言う仕事は、
その音楽自体を実はあんまし覚えていない。
プレイも自分の手癖手なりでやっているので
自分の音楽生活としてはさほど印象に残ってない仕事が多い。

その昔、少年隊のレコーディングに呼ばれた。
どんな曲やらまるで覚えてないが、
ある時有線で流れてたドラムフレーズで、
「これ、俺に似てるドラマーやなあ」
と思ったらその曲だった。

街角のオーディオショップのテレコからドラムソロが流れてた。
「いなたいソロやってんなあ。誰が叩いてんねん」
と思ったらキョン2に提供した曲でワシが叩いたソロやった。

そんなことをぼーっと思い出しながら収録は進み、
アップの曲ではハイハットを叩く振りをしながらスティックは空を切る。
これって大リーグボール3号の星飛馬の手首ぐらい負担がかかるのよ・・・
過酷な100本ツアーで傷めた手首は勲章になるが、
あてぶりの仕事にハイハット忘れて傷めた手首はどうしようもない・・・

ステージは進み、今度は陳琳の最新アルバムからではなく、
いきなり過去の彼女のヒット曲が流れ出した。
もちろん知らない曲なのだが、音が流れたらついあてぶりをしてしまい、
バンドのメンバーもこれは打ち合わせになかったのか、
さすがにみんな狼狽は隠せない。
キーボードは鍵盤までアップにはならないのでいいが、
ギターやベースは指板が画面に映り込むので必死である。
ギターの奴など困り果ててドラムを煽ってる振りをしながら後ろを向いている。
後姿で煽っているフリをしながら顔で困っているのである。
「頼むからワシにその困った顔を向けるな!ワシの方が困ってんねん!」

過去のヒット曲、1コーラスが終わり、いきなり次の曲につながる。
「ヒットメドレーやないかい!」
テンポが変わるとドラマーはもうお手上げである。
もうどうしようもないとむちゃくちゃ合わせていたが、
何かその中の曲でも合わせやすい曲と合わせにくい曲とある。
合わせやすい曲をあてぶりしながらふと思い出した。
この曲はワシが6年前にレコーディングで叩いた曲である。

懐かしいなあ・・・

当時はOnAirしてはいけない精神汚染音楽だったロックが、
革命の歌の残骸である中国歌謡を凌駕し、
その巻き返しとも言えるニューミュージック(古い言い方やなあ・・・)
がポップス界を席捲していった。
陳琳もそのひとりである。
そして今では、
日本と同じく宣伝費をかけない音楽はどんないいものであっても売れず、
ロックバンドはテレビに出て金を稼ぎ、
こうして歌謡曲歌手と肩を並べてカメラに媚を売る。

ま、俺なんぞもそんな世界で
スタジオミュージシャンやバックバンドをやってるんだがね。

収録が無事終わり、
ドラムセットなどを片付けていると、
いきなり陳琳のマネージャーからギャラを手渡される。
「そんなあんたぁ・・・ステージで裸銭渡さんでもぉ・・・」
まああてぶりなんで
スタジオ仕事やアレンジ・プロデュース料に比べたら微々たるもんだが、
それでもここ数日は遊んで暮らせる。

ま、いいか・・・飲みに行こっ!

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:00:40

2000年03月23日

点滴打ちながら四川旅行

いやー・・・
実は身体を壊してたんですよ・・・
いや、これほんま!

先月X.Y.Z.で東北ツアーに行った時、
何やら身体が重いなあと思ってたところ、
八戸に移動したとたん身体が動かんようになってしまった。
あんなしんどかったのは前回ジュディマリの公太と四川旅行に行った時以来である。

まずノドが腫れて、
肩こりと腰こりがむちゃんこひどくなったような感じでやって来て、
ツバを飲み込むのも痛いし、
寝返り打つにも痛いし・・・
起きるに起きられんようになってしまう。

これが四川に旅行中だった時はまたひどかった。
医者に行き、
またこれが長い中国渡航経験の中で中国の医者に行くのは初めて。
うちの嫁はもともと医者で、
まあ中国っつうとこは日本と違ってお医者さんと言うのはそんなに偉くない。
共産主義国家の中では、
基本的に無料である医者と言う職業は教師に次いで「金にならないNo.1職業」
つまり今や開放経済真っ盛りのこの国では
「なりたくない職業ワースト1」に近い。
つまり日本のように厳しい国家試験をパスしてやっとなり得る職業ではなく、
うちの嫁のように短大卒業すると誰でもぽっとなれる職業である。
当然医者にも当たり外れが多く、
うちの嫁も当直かなんかで夜中に詰めてて、
交通事故かなんかで運ばれた急患にあわてふためいて、
「ええい!縫っちゃえ」
とばかり応急手当をしたと言う。
あんた歯医者やろうが!
と突っ込もうとした俺であるが、
そんなこんなで嫁は出産をどうしても中国ではやりたがらなかった。
「命を中国の医者に預けるつもりはない」と言う。
いやー、あんたみたいな医者ばっかりやないでぇ、きっと。

などと言う話は置いといて、
四川省重慶のそのお医者さんは親切だった。
寝かされて点滴を打ってくれ、
「明日また来なさい」
と言う女医さんに
「でも明日も旅なんでここには来れないんですよ」
と答えた俺に、彼女は飲み薬と共に点滴の1セットを持たせてくれた。
でも点滴のビンはともかく、
それにぶら下がっとる針を誰が打つんじゃい!

一緒に旅をしていたJazz-ya北京の責任者、安田に、
「お前もこれだけ成功するにはヤバいこともやっとるやろ。
お前なら注射の2,3本打ったことあるはずじゃ」
と言ってカマをかけたが外れた。
まあ麻薬はこの国では死刑やからなあ・・・

まあ行く先々で町医者を探し、
あの時はまるで四川省病院巡りの旅だった印象がある。
覚えているのは飲み薬の抗生物質がやたら飛ぶこと・・・
アメリカもそうなのだろうが、
中国の薬はそれはそれはきつい。
「病気になったらとにかく水を飲め」
の教え通りとにかく「飲んじゃ寝ぇ、飲んじゃ寝ぇ」の毎日。
これが酒じゃないのが残念だが、
その分抗生物質で飛べた。

さて日本、それも東北の、長いツアー人生の中でも行ったことがなかった土地、
八戸初上陸である。
ホテルではなく旅館に投宿し、
着くや否やバタンQ(死語)。
八戸Roxxと言うライブハウスは、今回我々のためにPAまで増設してくれ、
非常に熱心に応援してくれているのでまさかキャンセルするわけにもいかない。
仕方ないのでほぼ「本番だけ」モードにしてもらう。
小屋が狭く、ぎゅうぎゅう満タンの2daysなのであるが、
どちらも本番ぎりぎりまで寝ていて、
そのまま車に乗せられていきなりステージ。
温度差30度はあるだろうそのステージで酸欠ライブをやり、
一歩外に出るとまるで湯上りのように身体から湯気が出る。
そしてまた車に乗せられて帰る。
バタンQ(死語)・・・
それを2日間繰り返したが、
次の日の盛岡移動で本格的にダウン。
医者に駆け込んで薬をもらったが、
これが中国のように強くもなければ点滴も打ってくれない。
水をしこたま買って来て、
また「飲んじゃ寝ぇ、飲んじゃ寝ぇ」
しかし何も飛べないので苦しいだけである。

東京に帰って嫁に怒られた。
「あんた酒、もうやめなさい!」
ほんまやな・・・と納得。
酒をやめたら人生の楽しみのほとんどがなくなってしまうが、
この苦しさには代えられない。

思えばこの時期、
一番パワーがなかった。
そりゃ身体が動かんのやからパワーもへったくれもないが、
その上精神まで限界に来ていて、
「身体が何じゃい!根性じゃい!」
と言う無茶がもうきかん。
よぼよぼのジジイのようにとぼとぼと旅館の食堂に行って、
痛いノドに押し込むようにメシを食い、
風呂だけが楽しみで
(本当は風呂も悪いんじゃないかとみんなに言われたが、
身体が一瞬軽くなるのでついつい入ってしまう)
でもライブだけはプロとしてちゃんとした演奏をやるのだが、
体力がないので、なるだけフォームをきちんとし、
客煽りなどもなるだけ控えて、それはそれは優等生な演奏。
最近はフォームが変わって来て力でぶんまわすようになりだしたんで、
そんな最近の演奏に比べたらはるかに安定はしている。
でもそれってロック?

自分の身体が動かんと言うのはそれはそれは情けないが、
それより、パソコンも開けない、ゆえに原稿も書けない、
ゆえに「カラオケで学ぼう中国語」の執筆も途絶え、発売が延期になるとか、
何か精神的にも闘争心が失われてゆくのが悲しい。

思えばこの時期、パワーのかけらもなかった。
そんな自分を振り返りながらこんなことを考えた。
「こんな人間からパワーと根性を取ってしまったら、
それはそれはただのイヤなジジイやなあ・・・」
ほんまやほんまや。
どうせ今さら優等生にはなれんからなあ・・・
基本的にイヤなジジンやで、この男、やっぱ・・・
動いてなんぼやなあ・・・

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:07:40

1999年09月27日

まったく中国っつう国は・・・!その2

今日は朝9時半から夜中の1時半まで、
ラジオの収録が目白押し・・・
俺はいったい何をする人なんやろか・・・


さて今日のお題。

まったく中国っつう国は・・・!その2。
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思えば30代は中国で明け暮れた。
90年に針治療に行く友人のお供で何の気なしに訪れた北京。
天安門事件の翌年でもあり、
締め付けの厳しい当時の北京で、
地下クラブでロックを演奏する若者達と出会った。
「これぞ本物のロックだ!」
魂を揺さぶられた俺は、
「俺も中国人になる!」
と、そのバンドの追っかけを妻にして今に至る。

そのバンド、黒豹はその後、
開放経済政策を歩む中国政府と、
ある時は「精神汚染音楽」として対立し、
またある時は「共に金を儲けよう」と手を結び、
揺り返しや波の振幅が落ち着いた昨今となっては、
はてさて俺の魂を焦がしたあの「本物のロック」
とやらはどこへ行ってしまったのだろう。

黒豹は商業ロックの波に乗り、
最高動員数40万人(のスタジアムを2Days?)を誇る、
名実共に中国ナンバー1のロックバンドとなり、
若者は「黒豹に続け」とばかり、
今や北京はバンドブームに沸く。

その火付け役の末端はひょっとして俺か?
李慧珍と言う田舎から出て来た小娘と一緒に、
自分の魂を焦がした中国ロックを再生した。
新人賞を総ナメにし、
中国のグラミー賞作曲賞とやらを俺にも頂いた。

でもそれってロックか?
曲を書けるわけでもなく、
ギターが弾けるわけでもなく、
かと言って自分でバンドが組めるわけでもない、
ただただ声が、
この天性の声がひたすらロックだったこの小娘ははたして
「ロックシンガー」なんだろうか?
うーむ・・・
俺こそが、この愛してやまない中国ロックにトドメを刺した人間
なんではあるまいか・・・


安田と言う近所の若い衆に
「お前、明日から北京に行け、
何でもいいから地盤を作るまで帰って来んな!」
と金を持たせて放り出したら、
Jazz-yaと言うBarを立ち上げて、
北京ナンバー1のバーに選ばれた。
非常に儲かってるらしい。
はよう分け前くれんかい!

俺とて今や北京で一番高いミュージシャン。
仲間にも仕事にも困らない。
こんな世界一物価の高い島国に住んで、
人民元稼ぎに飛行機に乗るんじゃあまりに割りが合わない。
早くそれを逆にするべきじゃ。
北京に移住しようと何度も夢見た。
仕事の全部をインターネットで出来るようにし、
今や電源と電話線さえあれば全世界どこででも生きていける。

よし、もう今年には引越しじゃ!
と思ったら急につまらなくなった。
口説いて口説いて、やっとヤレるかとなると急に冷めるようなもんか。
嫁は嫁で、
「ニュージーランドに移民して、
牧場を経営しながら子供を育てる」
といきまいている。
どうもインターネットとやらで
ニュージーランドの美しいページを見せたアホがおったようだ。
おまけにニュージーランドは中国人の移民を歓迎する国らしい。

世界じゅうに華僑ネットワークがあるかの国の方々である。
親戚のひとりがすでにこの地で住んでいることを調べ上げた。
もう親戚がいるとなれば「自分の国」である。
はてさてどうなることやら・・・

親戚と言えば、
香港の有名な歌手の夫婦、
ジョージ・ラムとサリー・イップは俺の親戚になるらしい。
嫁の母方の親戚の娘が、
ジョージ・ラムの親戚に嫁いだらしい。
「香港で仕事をする時は訪ねて行きなさい」
嫁の母は俺にそう言うが、
会ったこともない日本人ドラマーが
「親戚です」
とばかり会いに行って、
「はいそうですか」
とばかり会ってくれるもんか。
さらには一緒に仕事などしてくれるもんか。
などと嫁やその友人達に言うと、
「会ってくれるに決まってるじゃない。親戚でしょ」
「はぁ?」
「仕事するに決まってるじゃない。向こうにとってもメリットなんだから」
「はぁ?」
どうも人間の根本がこの人たちとは違っているのだろう。
俺達島国の人間は・・・


さて、上海で行われる予定だった建国50周年Jazzイベントが
よくわからない下手な日本語のFax1枚にて
突然延期された話は前回お送りしたが、
実は同じ日程で平行して凄いイベントがブッキングされようとしていた。

発端は香港の俺のエージェント、MUSIC WEEK。
そこのQueenyと言うやり手の中国人女性が、
いきなり凄い話を持ちかけて来ていた。
「ファンキー、10月2日から7日まで空いてるか」
空いてるかと言われてももうXYZのライブが入ってるがな。
それに上海もあるし・・・
「上海なんてどうでもいい。
こっちの方がメリットがあるから、
すぐにキャンセルしてせめてWeiWeiだけでもこっちによこせ」
WeiWeiとは五星旗(Five Star Flag)の二胡奏者である。

なんかギリシャのパルテノン神殿と、
エジプトのピラミッド近くに巨大なステージを組んで、この2箇所で
2000年に向けた中国人の手による最大の音楽イベントが開かれると言う。
マンガみたいな話である。
こんな巨大なイベントが
10日前にまだ出演者も決まってないと言うんだからウソみたいだが、
中国ではコンサートが一週間前に決まったりすることもあるので
ホントみたいな話でもある。
俺はスケジュールの都合で出演出来んが、
WeiWeiひとりでいいなら是非出演させたいもんだ。

まず事務所に打診する。
「末吉なぁ、いくらなんでももう決定が出てる上海に、
こちらの都合で10日前に出演キャンセルするっつうのは出来んでぇ」
「中国相手やろ、かめへんかめへん」
「お前なあ、そんな仕事のやり方はいくら何でも俺は出来ん」
等等、綾社長とすったもんだがあったが、
結果としては、その綾社長が義理立てした中国に裏切られ、
スケジュールにはぽっかりと大穴が空くこととなった。
「Queenyさん、そのイベント、今からでもブッキング出来ますか・・・」
日本人とは本当に真面目な国民である。
すでにこの国際的イベントに早々と乗り換えていた中国人歌手が何人いたことやら。
いや、ほんまはみんな乗り換えたから上海が延期されたんちゃうか・・・

まったく中国って国は・・・


さて、そんな中、
延期となっていた建国50周年Jazzイベントin上海であるが、
いきなり一通のFaxにより、
「規模を縮小して10月29日、30日に決定となりました」
と通告された。
一方的に日にちを変更され、
一方的に日にちを指定されて他の出演者達はみんな来れるんだろうか。
中国人歌手だと近くに代わりがそれこそいーっぱいいるからいいだろうが、
外国人アーティストはなかなかそうはいかんでぇ。
「ファンキーさんスケジュールでダメだったんで
代わりに西城秀樹さんブッキングしてくれませんかねえ・・・」
なんて言われるのがオチである。

そう言えば昔、そうやって頼まれて
西城秀樹さんの事務所にイベントの要請書を転送したことがあった。
その他、頼まれていろんな事務所に同じことをやってたら、
最後には井上陽水さんのマネージャーから、
「こんなことしてたらあんたの信用落すよ」
と言われて金輪際やめた。

まったくもって中国って国は・・・

「どなんすんねん、行くの?」
綾社長に聞いてみる。
「もうどっちでもええわ」
綾社長ももう懲りたようである。
スケジュールを見ると、
五星旗(Five Star Flag)のメンバーはもうそれぞれ仕事が入っている。
XYZを見ると・・・
なんとぽっかり空いている・・・
行くか、やめるか・・・
みの吉和尚にでも決めてもらうか。

ファンキー末吉


ps.
台湾の震災へのチャリティーコンサートが、
ジュディー・オングさん、
西城秀樹さん、達の手によって開かれます。
10月14日新宿厚生年金会館だそうです。
ファンキー末吉も呼ばれてます。
詳細はまた追ってお知らせ致します。



また義援金を下記それぞれの方法にて募集しております。

日本赤十字社=郵便振替00110・2・5606
 通信欄に「台湾地震」と記入

中華民国留日神戸華僑総会=神栄信用金庫本店
 普通口座0094620「台湾大震災義援金」

台湾駐日経済文化代表団=第一勧銀白金支店
 普通口座1424337「台湾大地震救済義援金」

在日台湾同郷会=郵便振替00100・3・137580
 通信欄に「台湾地震救援」と記入

千葉銀行各支店の窓口にて
「bayfm・台湾大地震義援金係」と言う

郵便振替 00970−7−39728
宛先:阪神大震災地元NGO救援連絡会議
通信欄:「台湾地震支援 NGO災害救援金」と記入


そんな中国人を救援したいファンキー末吉でした。

Posted by ファンキー末吉 at:12:40

1999年09月24日

上海のイベントドタキャン!理由は雨が降るから?・・・

読者数をチェックしてみたら、もう1300を超えていた。
しかも日に日に増えつづけている・・・
こんなんでええんやろか・・・


さて今日のお題。

まったく中国っつう国は・・・!


うちの嫁の国、中国は今年建国50周年である。
マカオも今年返還されることやし、
各地でイベント等が目白押し。

そんな中、上海で建国50周年Jazzイベントが開かれると言う。
もちろん政府主催である。

上海で日本居酒屋を開いて大成功している和僑の大先輩、
勝山さんから電話が入ったのはもう7月も半ばを過ぎた頃だった。
「日本にファンキーっつうすんごいドラマーがおるけん、
その人呼んだらもう盛り上がること間違いなか!」
と主催者に掛け合ったとか掛け合わなかったとか・・・
(ちなみに彼は長崎出身)
政府主催のイベントのアテンドを居酒屋のオヤジがやるのも、
これ、中国。

北京では知らない人はいないファンキーの名も、
上海まではさすがにそのネームバリューも及ばないのか、
「ほな資料を見せとくなはれ」
と言ったとか言わなかったとか。(どっちやねん!)
ともかくファンキー末吉関連のビデオは上海のお偉いさんの手に送られた。

「これは凄い!」
と気に入られたユニットが五星旗(Five Star Flag)とXYZ。
五星旗はJazzバンド(少なくとも俺はそう思っている)やからええけど、
なんでドドドハードロックのXYZがJazzフェスティバルやねん!
「Jazzフェスって言うことで許可とって、
その実はポップスフェスティバルみたいですよ」
勝山さんはそう説明する。
まあ中国のこのテには俺は慣れっこである。

問題は「基本的にノーギャラ」だと言うことだが、
これにもすでに慣れっこである。


時は1992年、
爆風スランプの北京公演を実現させた時の話。
ラジオ北京の開局45周年イベントにゲストとして呼ばれた。
同じく「基本的にノーギャラ」である。
だが交通費と宿泊費は主催者持ちと言う。

しかしそれが土壇場になって話が違って来た。
「あなたたちにお払いする経費がない。
あなたたち、自分でスポンサーを見つけて来て、
その広告料を経費に当てるのがよい」
そんなこと言われてもなあ・・・
「ホイットニー・ヒューストンも、
フリオ・イグレッシアスもみんな、
そうやって自分で経費を作る。
どうしてあなたたちにだけ経費払えるか」
そんなこと言われてもなあ・・・
経費払う言うから初めてこの話があるんやろ。

ぶち切れた俺は、
覚えたての中国語の「反語表現」を使ってこう言った。
「金がなくってどうして中国まで来れようぞ!」
よく時代劇で大げさに身振りをつけて見栄を張る、あれである。
勝った!
と思った瞬間、主催者は俺の身振り手振りをそっくりまねてこう言った。
「金がなくってどうしてあなたたちに払えようぞ!」
負けた・・・

(詳しい話は著作、大陸ロック漂流記に記してあります)
(参照)http://www.micras.ne.jp/funky/Chosaku/Chosaku.html

「来れない、じゃあやれない。じゃあ仕方がない」
仕方がない言うてももうスケジュールはFixしとるしなあ・・・
まあもちろん
ホイットニーヒューストンもフリオイグレッシアスも来るわきゃないのだが、
結局その時は、
所属事務所のアミューズが泣いて経費の一切を出して解決したが、
今回はそうはいかない。

「綾さん(ファンキーコーポレーション社長)、まさか上海って、
チケット代とりあえず日本側が立て替えて、上海で清算とか言うて来てないやろな」
「言うてるで」
「絶対それやったらアカンでぇ。着いたら”金ない、払えん”で終わるでぇ」
「ひえー・・・」
中国とビジネスするのは大変である。


さてメンバーの方はと言えば、
五星旗(Five Star Flag)は北京レコーディングとかいろいろで中国は慣れているが、
XYZの二井原実と橘高文彦は、この暗黒大陸は初めてである。
「ファンキーぃー、ハードロックなんかやったら捕まったりせえへんやろうなあ」
二井原からナキが入る。

「まあ爆風がやった時は、煽り過ぎて電源落されて、
公安がなだれ込んで来て、スタッフは殴られ蹴られで拉致され、
それでもステージをやめなかった俺らは別室に監禁され・・・」
(参照:大陸ロック漂流記)
苦い思い出をひとしきり語ると二井原がマジでびびった。
「ほんまかいな、ファンキーぃー・・・」
ウソを言ったって仕方がないが、
当時に比べロックが市民権を得てる昨今の上に、
今回は政治の中心、北京ではなく、
商業の中心、上海である。

「まあ、殺されることはないから安心せぇ。
まあ銃向けられたとしても標的はボーカルだけやろうしな」
俺は都合のいい時だけバックバンドになる。


さて、いろんなことを言いながら、
本番まであと10日あまりとなった先日、
上海側から一枚のFaxが届いた。

綾社長は怒り狂ったが、
俺はひさびさにあまりにおもろかったので、
全文をここに記したいと思う。
(ちなみに全文日本語である)


To:西部智子様(注釈:ファンキーコーポレーション社員)

こんにちは、芸術祭の事をご苦労様でした。
今、不幸のNewsをおしらせします。
今年台風が強いし、雨もばかり。
十月の気候を最近預測をしました。
雨がおそいです。
その太めに(注釈:”ために”の間違いだと思う)
体育館の演奏会を変化しますと組織委員会を決定しました。
上海市万体館へうつします。
私はこの決定について、難かしいです。
まず、切符も買いました。
POSTもたくさん印刷をした。
机票(注釈:中国語で航空チケットの意味)も手に入れました・・・
十分の準備は全部おわりました。
市の決定です。
もし雨を降りましたら、楽器を壊れます。
お客もこない・・・
いろんな理由で演奏会はむ理也理(注釈:むりやりと言う意味だと思う)
延期をしました。
今まで私達は期日変化の準確日程(注釈:?)をまっています。
返じをおそくになって、ほんとにもしわけありません。
皆様に伝える時は、皆におごろでしょうか。(注釈:?)
宜しくお願い致します。
政府の代表としてあやまります。
勝山様に伝え下さい。
くわしくは勝山様と相談をします。


まあ政府の代表がわざわざ日本語でFaxくれたんだから許すことにしよう。
This is China!
ちなみにアメリカから出演する予定だったグループは訴訟を起こすらしい。
まだまだ青いね。

ファンキー末吉。

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みの吉和尚のひとり言
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みの吉和尚とは・・・・

日本人、いやアジア人が初めてアメリカで大成功を収めたハードロックバンド
「ラウドネス」
のボーカルとして、
当時は
「アメリカのハイスクールで今一番流行っていることは何?」
と言う質問に
「ラウドネスの変な英語をマネて歌うこと」
とまで言わしめた、
二井原実のペンネーム。

「アメリカ人は日本製の車に乗り、
日本製のカーステレオで、
日本のハードロックバンドの音楽を聞く」
と大パッシングを受けたその張本人は実はただのアホやった。

「お前英語で喋っててもこんなにアホなんか」
と言う質問に
「自慢やないけどなあ、
バンヘイレンも、モトリークルーも、AC/DCも、
みーんな俺のことアホやと思てるで」
と答えた男。

こんな日本の恥を世界に送り出したのは誰じゃ!

文責:ファンキー末吉
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みの吉 9/20分

さていよいよXYZレコードより『XYZデビューCD』リリースされます!
タイトルは『ASIANN TYPHOON』です。12/3発売です!
シングルは『DON'T LET THE SUN GO DOWN!』11/26発売です!
ヨ・ロ・シ・クね!買ってね!



さて、わしは気が小さいと思う。
一万人の前で歌えても、
2〜3人の前で急に弾き語りを頼まれたらそのとたん酔いが醒めてしまう。
知らない人2〜3人はそんなに緊張しません。
2〜3人と言っても知人であると言う条件である。知人だけだったらまだ良い。
知人の友達なんていた日には・・・・。緊張しまくりです。(汗)

カラオケには全く自信がないし。
カラオケに行くことになった日にゃあ〜〜〜た、手に汗びっしょりでっせ。
「それではお待ちかね!
世界をまたにかけた二井原さんに歌ってもらいましょう!」
って、ほめ殺しかい!!
わしは自慢じゃないが『うた下手なんじゃい!』
カラオケ店内凄い期待の中わしはいったい『何を歌えっちゅうねん!!』
「INTHE MIRROR」でも店内こだまさせたらええんか?
あれまじでカラオケで歌ったら聞いてる方『引く』っちゅうねん。
わしは歌えんのよ〜〜!普通の曲が普通のキーでは。
鈴木あみ、globe、はキー的に歌えるかもね。
とは言うものの流行りの曲は全く知らんし。
声がハスキーやからおっさんや、おばさんに「森進一」リクエストされるし。
わしは歌えんのよ「演歌」は。
でも「宇多田ヒカル」だっら全く知らん「演歌」のほうが上手く歌えるかもね。

いつだったか、自分の曲「アレスの嘆き」をカラオケ道場で歌ったら38点で
「もう一息!」と器械に評価された。(無念じゃ)

では、もう一度!!
さていよいよXYZレコードより『XYZデビューCD』リリースされます!
タイトルは『ASIANN TYPHOON』です。12/3発売です!
シングルは『DON'T LET THE SUN GO DOWN!』11/26発売です!

みの吉

Posted by ファンキー末吉 at:21:10