ファンキー末吉プロフィール

香川県出身。
81年に「爆風スランプ」を結成し、98年の活動停止までドラマー、コンポーザーとして活躍。99年にXYZ→Aを結成。
90年頃から中国へ進出し、プレイヤー、プロデューサー、バーの経営等、現在に至るまで多方面で活躍中。

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Kちゃんの物語その2
Kちゃんの物語その1
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泥棒
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MengMeng(モンモン)の物語
Wing北京コンサートを終えて
貧民街の日本人妻
ドラマーがドラムスタジオを作るワケ
どれだけ愛していたかは失って初めてわかるもの・・・
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2008年03月17日

Kちゃんの物語その2

私の携帯の番号は、私が携帯と言うものを手にしてから一度も変えたことがないので、
時には思いもよらぬ古い友人から電話がかかる時もある。
番号表示で誰だかわかる時もあるし、
声を聞いてやっとわかることもあるのだが、

「私よ、誰だか忘れたの?」

と言う彼女の声を聞いた時、とっさにこの声の主を思い出すことが出来なかった。
ひょっとしたら心の奥底で忘れてしまいたいと思っていたのかも知れない。

「私よ!車持ってるでしょ!すぐ迎えに来て!」

迎えに来てったって真夜中である。
「この夜中にのこのこ迎えに行ける人間がどこにいる」とは思ったものの、
その日は嫁も子供も寝静まってひとり仕事部屋で仕事をしてたので別に行こうと思えば行けないこともない。
「どこに行けばいいんだ?実家か?」
彼女の実家にはアッシー(死語)として何度も送り迎えに行ったことがあるので今だによく覚えてはいる。
「バカねぇ。今だに実家にいるわけないじゃん!私もう結婚したんだから。
でも今から家出するの!だからすぐ迎えに来て!」

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今更「あわよくば心」はない。
前回の事件で私は彼女を、いや「女」と言うものの怖さを心底感じてしまっている。
スケベ心よりは好奇心である。

(彼女は結局あの男と結婚したのか?)
(やっぱりあの女を殺したのか?)
(それとも・・・)
いろんなことを考えながら彼女の指定した公園に向かった。

数年ぶりに会った彼女は二十歳の頃と変わらず若々しく、そして相変わらず美しかった。

「行くところがない」と言われたって嫁も子供もいる私の家に転がり込まれても困る。
例え彼女のことを好きだったのは今は昔であろうともである。
とりあえずめったに帰って来ない友人のアパートがあるので
彼女を紹介してしばらくそこに住まわせることにした。

そこでゆっくり話を聞いた。

聞けば殺傷事件にまでなってしまったその昔の男は、
その原因となったその女とその後も切れずにいたらしい。
私から見たら命知らずの男なのである。

「何か私ってどんなことされても我慢してついてくる女に見えるらしいの」

彼女はある意味ではそう言う女である。
その男が他の女に手を出しさえしなければ平穏無事な幸せな家庭を築けたかも知れない。
しかし男は女と切れなかった。

それじゃあ予告通り彼女はその女を殺したのか?・・
いや、修羅場はそれ以上続かなかった。
新しい男性が現れ、失意の彼女を慰め、
そして彼女と結婚したのである。

その旦那は見事に彼女を救い、
そして結果的にはその女の命までをも救ったと言えよう。


しかし男とはどうしようもなくアホな生き物であると言うべきか、
はたまた彼女はとことん男運が悪いと言うべきか、
運命は再び繰り返し、悪いことにまたこの旦那が浮気をしたのである。

今や私なんぞ、
「こんな女を妻にして浮気なんぞしようものなら命がいくらあっても足りないぞ」
と自己防衛本能が素直にそう思わせるのだが、
当の旦那はどうもそんなこと夢にも思わないらしい。
昔の男も、そしてその旦那も、
私の見た彼女のあの恐ろしい面はまるで見ることが出来ないのである。

私があの時見た彼女、
あの極端なまでの冷静さで殺人を遂行しようと言う恐ろしさは、
実は決して人からは見ることが出来ない「Dark Side Of The Moon」だったのではあるまいか。
実はそれはまだ誰も見たことがなく、あの時私にだけ見せたものだったのではあるまいか。

だから今回も私を呼び出したのではあるまいか。
その「Dark Side Of The Moon」を見てしまった私を。
それを見せられる唯一の人間である私を。

ちなみにピンクフロイドの名盤「Dark Side Of The Moon」の邦題は「狂気」と名付けられている。
後に続く「Crazy Diamond」も「The Wall」も、
全て彼らは「人間の狂気」を題材にその音楽を作って来た。
しかし彼女は違う!
彼女は決して狂ってなどいない。
恐ろしいほど冷静に、「普通」に殺人を遂行しようとしていた。
狂気のかけらなど微塵にも見られなかった。

殺人など激情に駆られてやるもの、
狂気に駆り立てられてやるものだと思っていた私は、
だからこそ身の凍るほどの恐怖を感じた。

彼女があまりに「普通」で、あまりに「冷静」であったからだ。

それはまさに人の心の「Dark Side Of The Moon」。
「人を愛する」とか「尽くす」とかと言う表の部分が、
そのターゲットの裏切りによりそのままその裏側、
つまり「殺す」と言うことになるだけで、
それは激情にほだされてでも何でもない。
彼女にとって、いや人にとってそれは「普通」の行動だったのではあるまいか。

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普段と変わらない様子で彼女は旦那の浮気について説明する。
それは別に普通の笑い話と寸分変わらない言い方である。

「旦那もそうだけどその女もバカだわよねぇ。
そんなことして私にバレないと思ってるのかしら」

そう、彼女は決して頭は悪くない。
むしろ洞察力、頭の回転、女のカン、どれをとっても恐らく人並み以上の能力であろう。
それをフルに稼働して、その女が誰か、名前は何で、年はいくつで、
仕事は何をしていて、職場はどこで、
勤務ローテーションはどのようで、
住んでるところはどこで、実家はどこで、
その電話番号まで全てを既に調べ上げている。

私はまた背筋が寒くなって彼女にこう聞いた。
「まさか・・・また殺すとか言いだすんじゃないだろうね」
彼女はまたそのとびっきりの笑顔でそんな私の心配を笑い飛ばした。
「バカねぇ。私もあの時は子供だったの。
もう殺したりなんかするわけないじゃない」
くったくのないその美しい笑顔を見て私はほっと肩をなでおろした。

するとすかさず彼女、
「死んだ方がましだと思うぐらいの目に合わせてやるの」

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私はまた恐怖で凍りついてしまった。
彼女を絶望から救ったこの旦那は、
また自らの手で彼女の「Dark Side Of The Moon」をひっぱり出してしまったのだ。


それからの彼女は私は心底恐ろしかった。
毎日のようにその女を追いつめてゆく。

「まず仕事をやめさせてやるの」
職場に行く。
その女のローテーションは全て把握しているので、
敢えてその女が出勤していない時間を狙って行く。

「一番偉い人出してちょうだい!
おたくの従業員が私の留守中に私の旦那と・・・」

その女が部屋に残した遺留品をつきつけて、
泣く!喚く!全社員の前、全てのお客の前で可哀想な被害者を演出する。
それを沈着冷静に完璧に演じるのである。

「次は親だわ」
実家に電話をして女の両親に向かって泣く!喚く!
その全てが「感情」ではない、「計算」なのである。

「そうそう、住むところもなくさなくっちゃ」
今度は勤務時間のローテーションを見計らって
アパートでご近所さん、大家さん相手にそれをやる。

やられた方はたまったもんじゃない。
しかも相手は今や家出していて携帯もOFFにしているので捕まえようにも捕まえようがない。
旦那とてたまったもんじゃない。
言いたいことがあるなら自分に言えばいいじゃないかと思ってもその相手がつかまらないのである。

私にその旦那もその女も救うことは出来ない。
何故なら私には彼らと何の接点もないのである。
会ったこともなければ名前すらも知らない。
ただひたすら、時間のある時に彼女を慰め、
気をまぎらわせてやるだけである。

「ほんと、私って男運悪いのかしら・・・」

彼女はちょっと疲れた感じで私にそうつぶやく。
何も特別なことで疲れた感じではなく、
ただ「仕事が忙しかった」とか普通に「生活に疲れた」といった感じでそう言うのである。

それにしても私は何故こうして彼女に世話を焼いているのだろう。
10年近く会ってなくてもすぐにこのように「普通」に会える友人であるから?
それともやっぱり彼女が美しく、魅力的だから?

彼女はその美しい横顔をちょっとこちらに向けてほほ笑みながら言った。
「末吉さん、今でも私のこと好き?」

私は体中に鳥肌が立つほど恐ろしかった。
それほどまでにも彼女の笑顔は美しかったのである。

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その女に対する彼女の猛攻撃は続く、
職場にいようともアパートに帰ろうとも、
そしてたまりかねて友人宅に身をよせようとも、
必ず彼女はそこを突きとめてやってくるのである。

しかも必ず本人がいない時間を見計らって・・・

気も狂わんばかりになったその女は、
結局頼るところは自分が愛人関係にあるその相手、
つまり彼女の旦那のところしかない。
最終的にその女は旦那のマンション、
つまり家出する前に彼女が旦那と住んでたその部屋に転がり込んで来た。

彼女の最終攻撃が始まる。

旦那の勤務ローテーションも完全に把握しているので、
旦那が絶対に電話にも出れない、職場も放棄できない時間帯を狙って、
その女が一人で震えながら待つ、かつての自分のマンションに乗り込んでゆく。

ピンポーン

自分の家なのでカギは持っているのにわざわざ呼び鈴を鳴らす。
女はもう精神を病んでしまっているので出てこない。
女が出てくるまで何度でも何度でも鳴らす。
恐る恐るドアまでやって来てのぞき穴から彼女の顔を見たとたん絶叫した。

「キャー!!!!」

彼女はゆっくりドアにカギを差し込みゆっくりとカギを開けた。

ガチャン

「キャー!!!!来ないで!!!入って来ないで!!!」
女は部屋の中で半狂乱となる。

しかしドアには運良くチェーンロックがかけてあった。
彼女はそのドアの隙間から部屋を覗き込んで優しそうにこう言う。

「開けなさい。ここは誰の家だと思ってるの?」

「助けて!!!誰か助けて!!!」
半狂乱で救いを求めて電話をかける。
救いを求める相手はただひとり、彼女の旦那であるにも関わらず、
その彼はあいにく電話口には出られない。
職場にかけても職場を離れることは出来ない。

彼女はドアの外でゆっくりと自分の携帯を取り出し110番に電話をかける。
「もしもし、警察ですか。
私の家に知らない人が入ってて中から鍵かけて出て来ないんです。
何とかしてもらえませんか」

近所の交番から数人の警官がやって来る。
「中の人!出て来なさい!あなたのやっていることは犯罪です!」
チェーンロックをかけたドアの間から警官が叫ぶ。
半狂乱の女は泣き叫ぶ。
「その人を何とかして!私、殺される!!」

警官が彼女に質問する。
「どう言うことなんですか?お知り合いですか?」
ニコっと笑って彼女は余裕で答える。

「いいえ、会ったこともありませんよ。あの女、頭おかしいんじゃないですの?」

法律的にはこの女は「不法侵入」を犯している。
警察としては最後の手段として、チェーンカッターでチェーンを切って中に入るしかない。
説得すること数十分。
中の女は最後には説得に応じて恐る恐るチェーンロックを外した。

するとドアが開くが早いか中に飛び込むが早いか、
彼女は勝手知ったる自分の家に飛び込んだ。
そして勝手知ったる台所の包丁を掴んで女に切りかかった。

「キャー!!」

警官が数人がかりで彼女を取り押さえて事なきを得たが、
結局はこの事件は三角関係が生んだ痴話喧嘩と言うことで処理され、
切りかかった彼女よりも法律的にはその女の方が罪に問われる。
彼女はただ「嫉妬で逆上した」可哀想な妻にしか見えないのである。

そう、彼女の「Dark Side Of The Moon」を見ていない全ての人間は彼女をそのようにしか見ることが出来ない。
しかし私は知っている。
彼女は「逆上」などしていない。
いつでも「冷静」で、「やるべきこと」を「完璧に」遂行しようとしているだけなのだ。
人を愛し、尽くすのと同じように遂行しているだけなのだ。


「また殺し損なっちゃった・・・」
笑顔でそう私に報告する彼女に私は心底震え上がった。
離婚調停は「絶対に別れない」と言う彼女のかたくなな態度により泥沼化したと聞く。
彼女はまたあの美しい笑顔で私にそう言った。

「離婚なんかするわけないじゃん!だって愛してるんだもん」


それから彼女には会ってない。
だから数日前、また彼女から突然電話があった時には心底びっくりした。
聞けば再婚し、子供が出来、その新しい旦那もまた浮気をしたと言う。

しかし今度は状況は違った。
旦那は泣いて真剣にあやまり、
彼女の目の前でその浮気相手と手を切り、
今も彼女に毎日毎日あやまり続けていると言う。

「でも一生許せないかも知れない」
彼女が私にぽろっとこぼしたその言葉を聞いて私はとても安心した。
これは「感情」が言わせるもので
彼女の「Dark Side Of The Moon」が言わせていいるものではないからである。
その旦那ならきっと一生彼女の「Dark Side Of The Moon」を封じ込めるかも知れない。
そしてそうであって欲しいと心から思う。


人はみなその心に「Dark Side Of The Moon」を持っている。
私の妻に、
そしてこれを読んでいる全ての妻帯者の妻だけにはそれがないと誰が言いきれよう。

それを引っ張り出すか永遠に封印するかは全てはその旦那次第なのである。
Kちゃんの物語、これは決して他人事ではないと世の全ての男性は知るべきであろう。

完・・・(であることを心から願う)

Posted by ファンキー末吉 at:00:57

2008年03月15日

Kちゃんの物語その1

Kちゃんと初めて会ったのは、
彼女がまだ20歳かそこらのピチピチGAL(死語)だった頃のことである。

美貌にも恵まれ、セクシーで明るいキャラである彼女を、
一目見て口説かない男がいたらその顔を拝みたいものだと言うほどのものなのであったのだが、
あいにくと彼女には当時付き合ってる彼氏がいて、
そして彼女自身非常に身持ちが堅く、
それは
「私は最初に付き合った彼氏と結婚する」と言う信念を強く持っているところから来ていたり、
まあ常識ではそこに割り入って略奪したりするのは至難の技であることは明白な事実であるにもかかわらず、
それを無謀にも果敢に食事に誘い、飲みに誘い、
アッシー(死語)となってもメッシー(死語)となってもその想いを遂げようとする若き日の末吉青年がいた。

よくある話で、このような努力は往々にして
「話を聞いてくれる便利なオジサン」
で終わってしまうのが常であるにもかかわらず、
若き日の末吉青年は多額の必要経費と時間と労力を費やしながら、
その「あわよくば」の夢にまい進していたのである。

彼女の口からその彼氏の浮気問題で悩み相談を受けるようになるまでにはそう長くはかからなかった。
悩みを聞いてあげる振りをしながら、
暗に「そんな男とは別れた方が身のためだよ」とほのめかす。
そしてもしも現実そうなった暁には、
当時男友達など私しかいなかった彼女が次に選ぶ選択肢はこの私しかないではないか!悩みを聞きながらそれとなく自分をアプローチする若き日の末吉青年。

しかし彼女はまるでなびいて来ようとはしない。
理由は「どんなひどいことをされようとも彼のことが好きだから」

何と素晴らしい女性ではないか!

美人でセクシーで明るくて身持ちがいい、
そんな理想とも言える女性が初めて出会った男性がどうして私ではなくそのどうしようもなく女癖が悪い男でなければならなかったのか・・・
もう少しで神に恨みごとを言いそうになっていたある日のこと、
その恐ろしい出来事は起こったのである。

「便利なオジサン」とは悲しいものである。
かけた電話は五万回(ウソ)
おごった食事は五万回(ウソ)
使ったお金は五万元(ウソ)
聞いた悩み相談五万回(ちょっとホント)
でもそこまでやって見込みがないものはもう仕方がないのではないか。
さすがにあまりにも実にならない努力は続かないものである。
近所の飲み屋でひとり上機嫌だった私は、
その日の彼女の悩み相談電話を適当にあしらって切った。
彼女の悩みを聞くぐらいなら、もう誰かに私の悩みでも聞いてもらいたいもんだ。
もう既にそんな心境になっていたのである。

だいぶ深酒をして家に千鳥足で戻り、
カギを取り出してマンションのドアを開けようとした時、
そこに誰かがうずくまって坐っているのを見てびっくりした。
見れば彼女である。

「ちょっと上がらせてもらってもいい?」

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真夜中に美女にそう言われて嬉しくない男性がいたらその顔を拝んでみたいが、
それにしても終電でやって来たとしたら彼女は一体何時間ここに坐っていたことなのだろう。
少々気味が悪い気持ちを「あわよくば心」が押しのけて彼女を部屋に上げた。

さて美女と夜中にふたりっきりである。
しかも彼女はわけありの様相。
恐らくはその彼氏の問題であろうことは容易に想像はつく。
そしてそれを相談する男性はこの私。
つまりこれは

ついに今までの私の苦労が報われるに違いないシチュエイションではないか!

逸る気持ちをおさえつつ、腰を落ち着けて話を聞き始める末吉青年。
そしてそれから身の毛もよだつ恐ろしい話を聞くこととなるのである。

「人間ってダメねぇ。いざとなったらやっぱ手元が狂うのよね」
彼女は淡々と語り始めた。
「包丁なんかじゃダメなのよ。どうしてピストル買わなかったのかしら私・・・」
泣くでもなく青ざめるでもなく、
一切興奮することもなく彼女は淡々とこう語り始めたのである。


彼氏は当時で言うプー太郎。
親の実家の隣にアパートを借りて、アルバイトをしながら生活し、
美人でセクシーで明るくて気立てもよく、一途で自分にぞっこんなこんな彼女がありながら、
なんと二又をかけて別の女とも付き合っていた。

そう言うことをうまくやれる男性とそうじゃない男性が世の中には存在する。
彼はまさに「そう言うこと」が下手であった。
彼女はとっくの昔にその女の存在を感じ取り、
そしてその女もこれ見よがしにその存在の痕跡を部屋に残してゆく。
そしてこの日、その全てがいっぺんに噴出したのである。

「その女、部屋にいるんでしょ。電話に出しなさい!」

女と言うのは恐ろしい生き物である。
それを知るのに何の「根拠」も「物的証拠」も必要としない。
「女のカン」と言うものがそれを瞬時に明確に知らしめさせるのである。

こう言う時の「男」と言うものは一体どのようにふるまうのが普通なのであろうか。
「確信」を持っている電話口の彼女に一切のごまかしは通じない。
そして目の前のその女は受話器を握って茫然としている男にこう詰め寄る。

「言ってやりなさい、彼女に。いつも言ってるでしょ、愛してるのは私だけだって」

この男が特に軟弱だったのか、
はたまたこう言う状況に追い込まれた世の男が全てそうするのか、
そんな経験のない私にそれを計り知ることは出来ない。
男がいつまでも決断を下せないでいると、
最終的にその女は自ら電話口に出てこう言った。

「出てらっしゃい!決着をつけましょ!」

彼女は極めて冷静に電話を切り、
極めて冷静に出支度をし、
そして極めて冷静に近所のスーパーで包丁を購入して
その女が待つ彼の家に向かった。
ドアを開け、部屋に入り、極めて冷静にその女の言い分を聞き、
そして勝ち誇ったようにドアを開けて出て行こうとするその女の背中に向かって
極めて冷静に包丁を突き立てた・・・

・・・つもりだった。
しかしいざとなったらわずかながら手元が狂った。
狙った心臓をわずかに逸れ、
かすり傷しか負わせられなかった彼女は
また極めて冷静に包丁を持ち直し、
再びその女に突進した。

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「人殺しぃ!助けてぇ!誰か来てぇ!」
玄関口を飛び出して逃げまどう女をまた極めて冷静に追おうとする彼女を、
さすがにそれまでは借りてきた猫のようにうずくまっていた彼が体当たりでそれを止めた。
騒ぎを聞いて彼の母が駆け付けてきて、息子と一緒に彼女を取り押さえる。
女はコートの下から血を流しながら玄関口で叫び続ける。
「誰かぁ!警察呼んでぇ!殺されるぅ!」

男はこんな現場で一体どのような行動を取るのが「普通」なのであろうか。
全ては自分がまいた種なのに何のなす術もなく彼女を取り押さえるだけの彼。
一番冷静に(但し何度も言うように実は極めて冷静であった彼女本人を除いて)動いたのはむしろその彼氏の母親だった。

取り乱す女の頬をぴしゃりとやって正気にさせ、部屋の中に引き入れて傷口を見る。
軽傷である。
病院に行くまでもないと判断するとその場で応急手当をし、
明日念のため病院に行くように指示し、
「今日のところは私に任せてもう帰りなさい」
もちろん警察に行くなどと言う彼女の考えは完ぺきに思い留まらせた。

「Kちゃん、今日は母屋で泊まりなさい。私と一緒に寝ましょ」
母はそう言って、彼女を優しく抱きとめて一緒の布団にくるまった。
「ごめんね、ごめんね、Kちゃん。うちの息子があんなんがためにあなたにこんな辛い想いをさせて」

しかし彼女はこの母が(例え彼女が事をし損じることがなかったとしても)
彼女に対してこのような態度であろうことは冷静に分析して分っていた。

いや、そのように「持っていってた」と言っていい。

彼女にとっては彼は将来「絶対に」自分と結婚する相手、
その母親とどう付き合うかは彼女は既に彼と交際し始めた頃からシュミレーションしていた。
それは彼女の「愛」であり、「頭のよさ」であり、
そして「完璧さ」であった。

もちろん彼に女がいることも
彼のいないところでその母親と何度も相談をしている。
その男は自分だけが知らないところで既に周りを全て彼女に固められてしまっていたのである。

自分の交際相手の母親をそこまで自分のものにするのは実は非常に難しいことかも知れない。
しかし彼女はその困難なミッションを長年かけて完璧に遂行していた。
母親にしてみたら今や彼女は若いながら「うちのけなげな嫁」なのである。
不肖の息子に泣かされながら一生懸命尽くしている彼女に同性として同情もしていたことだろう。

いや、彼女は少なくとも彼女は「そう見えるように」頑張って来た。
そしてその一挙一投足は極めて「完璧」であった。

「もう落ち着きました。お母さんありがとう。ごめんなさい」

そう言って彼女は彼の家を後にして私の部屋に来た。
もちろん彼女はほんの少しも取り乱したりはしていないので、
「もう落ち着いた」と言うのは少なくとも「ウソ」である。

彼女が私の部屋に来る道すがら考えたことはただひとつ、
「どうして手元が狂ったんだ」と言う唯一の後悔だけである。

彼女が私の部屋に来たのは何も私が恋しかったわけではない。
「どうして自分ともあろう者がこんな簡単なミスを犯したのか」
その原因を自分をよく知る、
しかもこの時間でも迷惑にならない第三者聞いてみたかっただけなのである。

と言ってしまえば非常に簡単なものなのだが、
しかし男女の仲などそんな単純に出来てはいない。
もし万が一、私の「あわよくば心」が、その持ち前の臆病さと状況判断能力を少しでも上回ってたとしたら、
私たちふたりの関係はこの日を境に劇的に大きく変わってしまっていたことだろう。

「あーあ、何で私、あんな男好きになっちゃったのかなぁ、、、」
彼女はちょっとだけ笑って更にこう言った。
「末吉さんともうちょっと早く出会ってたら私はもっと幸せになれてたかもね」

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その笑顔は鳥肌が立つほど美しく、
そして同時に・・・とてつもなく・・・怖かった、、、

私の自己防衛本能が彼女をそのまま家に帰した。
彼女は何も取り乱していないのだ。
いつでも冷静で、そして真剣で、純粋なのだ。
それが私には身の毛がよだつほど恐ろしかった。
神が私を彼女の最初で最後の男にしなかったことに感謝するほどに・・・

見送り際に彼女に質問してみた。
「男の方を殺すと言う考えはなかったの?」
彼女はさらっと答える。
「全然!」
「どうして?」
「だって愛してるから彼は殺せない。
でも自分が自殺でもして死んじゃったらその後ふたりがうまくやったりするのはもっと許せない。
だったら女が死ぬしかないじゃん!」
極めて冷静に彼女はそう言ってのけた。

彼女はいつだって冷静で、そして美しかった。
「これからどうするの?」
最後に私は彼女に聞いた。

「またやるわよ。今度こそしくじらない」

その後、私は縁あって最初の妻と結婚し、もう彼女と会うこともなく数年の月日が流れた。
そしてある夜の一本の電話が次なる悲惨な事件への序章であったのだ。

続く・・・

Posted by ファンキー末吉 at:01:24

2007年05月31日

MIDI音楽学校にてクリニック

先日の清算をしにMIDI音楽学校に行って来た。

と言っても決してギャラの清算ではない。
このイベントは何ぴとたりとも決してギャラは払わない。
出演者全てノーギャラなのである。

しかし二井原と田川くんとその介添人の渡航費まで自腹で出して、
そのホテル代まで自分で出すわけにはイカン!
とばかり苦手な金銭交渉ではあったが、
「ホテル代ぐらいは出してぇな」
とダメもとで言ってみたらふたつ返事でOKしてくれたのでその金を取りに行ったのである。

しかし何だ・・・
渡航費出してホテル代まで出して、
スタッフやローディーまで全部連れて大赤字で世界中から集まってくるバンドを横目で見ながら、
自分だけたとえそれがたったの1500元(2万円ちょい)であろうが金をもらうのも悪い気がするなぁ・・・

と言うわけでつい
「ほな代わりに今度学校に来て無料でクリニックしますわ」

ClinicAtMIDI.jpg

ま、これも世のため人のため、まわりまわって世界平和のためである。

Posted by ファンキー末吉 at:18:41

2007年02月05日

泥棒

先日のことである。

草木も眠る丑三つ時。
嫁のけたたましい声で目を覚ます。

「パパ!!起きて!!泥棒よ!!」

院子の外の大門ががちゃがちゃ鳴り、外では犬がけたたましく鳴いている。

YuanziMap1.JPG

だいたいうちに泥棒が入ると言うのは普通では考えにくい。
うちの院子の外の大門が夜になると閉まるので、(と言っても鍵はかかってはいないが)
その門を開け、うちの院子の門を開け、そしてうちの寝室の門を開けて忍び込むのだから大変である。
見知らぬ人が入れば犬は吼えるわ、周りのロッカー達には見つかるわ、通常ならば外部からはなかなか泥棒には入りにくいシチュエイションである。

ところが泥棒は入った。
外の大門ががしゃがしゃいっているところを見ると外部の人間である。

「盗まれたものはないか?!!」

見れば枕元のテーブルに置いてある嫁の携帯がふたつとも(ひとつは日本の、ひとつは中国の)なくなっている。
ワシの中国の携帯は枕元で充電していたので無事だったが、寝室の入り口に無造作に置いてあった日本の携帯は見事に盗まれていた。

YuanziMap2.JPG

夜型の生活を送る重田はまだ起きていて、ちょうどヘッドホンをしていたので物音は聞こえなかったと言う。
スタジオには500万円とも言われる高級機材があり、リハーサルルームにはドラムやギターアンプ、ベースアンプ、そして簡易レコーディングが出来る録音システムもあるが、それらには目もくれず、犯人は外の大門を開け、カギをかけてないワシの院子の門を開け、そしてその日たまたまカギをかけずに寝てたワシらの寝室にわき目も振らず直行し、大胆不敵にも嫁がフゲーっと(かどうかは知らんが)寝ているそのすぐ隣の携帯電話をわしづかみにし、そして帰る時にドアの横に置いてあるワシの携帯を持ち、ジャラジャラとうるさいキーをつけたそのケースをドアの外に捨て、一目散に外に逃げて行ったと見える。

ワシはすぐさま3つの携帯に電話をしたが、電源をじゅんぐりに切られ、最後にはどの電話も鳴らなくなった。
重田はすぐさま外に追いかけて行ったが、その姿を見つけることは出来なかった。

嫁の中国の電話はプリペイド式なので、今チャージされてる分を使い切ったらそれで終わりなのでよいが、日本の電話はこちらでローミングされており、そんなもんでじゃんじゃん電話されたらたまらないのですぐさまSoftBankに国際電話して電話を止めてもらった。

腹が立つのは日本の電話はSIMロックがかかっているため、こちらではROMを焼きなおすとか、大改造をしないと使えないのに盗まれてしまったことである。
盗んだ者にとって実は何も価値がないのに盗まれたと言うのが今となってはくやしくてたまらない。

今はこれにこりて、夜中は必ず院子の門と寝室のドアにはカギをかけて寝ているが、しかし腹の虫はおさまらない。
犯人は必ず現場に戻って来ると言うので、今度はいろいろ仕掛けをして報復してやれと頭をめぐらす。

1、犯人がドアを開けたら上から金タライが落ちてくる!
(ドリフターズ的で楽しいが、その割に犯人に与えるダメージが少ない)

2、ドアを開けたら頭から水をぶっかぶる!
(冬なので効果てき面だが、水は夜中には凍ってしまう可能性もある)

3、水ではなく満載したうんこをひっかぶる!
(精神的に与えるダメージは最高級だが、後の掃除が大変である)

4、日本のATMで使われている特殊塗料入りのボールが炸裂する!
(後の追跡にとっても効果的だが、中国では入手困難である)

5、院子の門が鉄製なので電流を流しておく。
(電気代が高い)

6、門を開けた途端に打ち上げ花火の水平発射!
(発火装置の製作が難しい)

7、長い竹を水平に思いっきりしならせて、一歩中に入ったら顔面にハリセンをかませる!
(ちょうど顔面に当たるように調整するのが難しい)

アイデアとしてはいろいろ出るのじゃが、それを実現するための仕掛けを実際に作るのは実は非常に骨が折れる。
実は仕掛けとして一番簡単なのは手榴弾なのである。
うちの院子の門は写真のような掛け金でカギを止めるようになっているので
MenYaoShi.jpg
その掛け金の一方に手榴弾のピンを結びつけて置くだけで、門を開けばその力でピンが抜け、手榴弾が落下し爆発・・・
一番簡単な仕掛けである。

しかし院子まで全部爆破してしまっては元も子もないので殺傷半径1メートルぐらいの手榴弾がないかどうか専門家に聞いてみたら、(周りにそんな専門家がいるんだからワシの交友関係も大したもんである)
なんと練習用の手榴弾がちょうど殺傷半径1メートルぐらいだと言う話である。
これはいい!と思っていたらそこには大きな穴があった。
よく映画なんかで見る手榴弾は、ピンをかっこよく口かなんかで抜いてそのまま投げて爆発しているように見えるが、実際はピンを抜いてから手榴弾のケツを何かにぶつけてから投げるらしい。
つまり、ピンを抜く、手榴弾のケツを何かにぶつける、と言う2アクションが必要だと言うことである。

と言うわけで手榴弾は却下・・・

そんなこんなでその後も日々いろんなアイデアを考えているのじゃが、何よりも犯人の捕獲を目的とすると、犯人を門のところで撃退するのではなく、中まで引き入れてから仕掛けが作動するような時差装置が必要である。
出来れば仕掛けが作動してから門を閉めてしまい、それからゆっくり犯人をいたぶるのが望ましい。

何かそんな時差装置はないか・・・
そんなある日、高知の子供たちに電話をしてたら向こうからテレビの音が聞こえて来た。

「ピタゴラスイッチ」

そうだ!この教育番組のピタゴラスイッチこそその理想の時差装置ではないか!!!
毎週このコーナーの始まりには、スイッチを入れると鉄球等が転がっていろんな仕掛けをONにしてゆき、最後には「ピタゴラスイッチ」と言うタイトルが出てくるこの装置こそが理想の時差装置である。

犯人が院子のドアを開ける。
その時にこのピタゴラスイッチはONとなり、犯人の気づかないところでレールの上を鉄球がゆっくり転がってゆく。

レールの端まで来ると玉は籠の中に静かに落ち、その籠が重さで下に下がることにより、次のふたつのレールの鉄球のストッパーが外れ、別のレールを転がり始まる。
ひとつは向かいに住む老呉の寝室まで転がって、彼の枕元のブザーのスイッチを押し彼を起こす。
もうひとつは寝室の中の敷布団の下に敷いたマッサージの機械のスイッチを入れ、ワシら夫婦を音もなく振動で起こす。

ワシらが実は目を覚ましていることを知らない泥棒は、わざとカギをしていない寝室のドアをそっと開ける。
寝室のドアは内開きなので、ドアに取り付けたヒモはドアの入り口の上に置いてある洗面器を支えてあるつっかえ棒を引っ張り、つっかえ棒が外れた洗面器は中に入った水を泥棒の頭からぶちまけると共に、その洗面器に取り付けられたヒモが引っ張られ、院子の入り口に仕掛けてあるシャッターの留め金を外し、シャッターが勢いよく音を立てて閉まると共に泥棒が最後に見るのはそのシャッターに書かれた文字。

「アホが見るブタのケツ!」

それを最後に泥棒は視力を失う。
何故ならば洗面器に入っている水は、ただの水ではなく唐辛子入りの激辛水だからである。

焼けるような目の痛さに藁をもつかむ思いでそばにある藁をつかむと、今度は頭上から臼が落ちて来る。
臼には栗が真っ赤に焼かれて待機していてここぞとばかりに泥棒目がけてはじけ飛んでゆく。

「うわっちっち!これはたまらん」

とばかり泥棒は手探りで風呂場まで行くのだが、飛び込んだ浴槽の水の中にはカニがかくれていて、泥棒の大事なところをチョッキンと攻撃する。

「んぎゃー!」

と声にならない悲鳴を上げた泥棒はここでウンコを満載したバケツにけつまづき、頭からウンコをひっかぶり命からがら浴室から脱出する。
その頃になってピタゴラスイッチの時差装置によってやっと発火装置に火がついた打ち上げ花火が一斉に水平発射を始める。

「たまや~かぎや~」

そう、狙いはひたすらタマである。
タマを直撃された泥棒はあまりの痛さに失禁し、その尿が床に滴り落ちた瞬間に床に流された220Vの電流がそのまま尿を伝わってタマタマを襲う。
命からがら院子の出口までたどり着いた泥棒は狂ったようにそのシャッターを蹴破り、院子の鉄製のドアに手をやった瞬間に「ジュッ・・・」っとおいしそうな音がして手が焼け焦げる。

「あちちちち」

とばかり傍らの洗面器に手を突っ込むと、その中に入っているのは水ではなく瞬間接着剤A液である。
ピタゴラスイッチによって既に電気で真っ赤に焼かれた鉄製のドアの熱で、その頃には天井に留めてあったプラスチックの留め金が溶けて頭上からB液が落ちて来て泥棒にひっかかる。
もんどおり打って床に手を着いた泥棒はそのまま床に手が瞬間接着されてしまい、そのまま両手を床につけたまま逃げようと腰を上げるが、その尻目がけて強力なハリセンが飛んでくる。
尻を真っ赤に腫らせて動けない泥棒はそのまま尻を上げたまま許しを請う。

「もう悪いことはしません。どうか許してください」

その頃ゆうゆうと起き出して来たワシら夫婦と老呉は、1枚の契約書を泥棒につきつける。
ずーっと一連を撮影していたビデオの肖像権等を放棄する契約書である。
サインをすることを条件に泥棒を解放してやり、ワシらはそれをネットにUPして大儲けをしよう、そう言う魂胆である。

こんなおもろいビデオ、ネットにUPしたら数千万Hitoは間違いない!
早く来い来い泥棒さん。
ピタゴラスイッチが待っている。

しかしほんまに作れるんやろか・・・
ほいでもって酔っ払って自分がひっかかったらどうしよう・・・

Posted by ファンキー末吉 at:16:03

2007年01月13日

イスラム文化のリハーサル

ABUDU.jpg

新疆ウィグル族の友人、阿布都(写真)がうちにリハーサルに来るようになってもう半年以上になる。
ロックバンドと違って、生ギター2本にパーカッション、エレキはあってもベースぐらいなので、ボーカルもPAで拾わなくてもいいし、ほぼ「アンプラグド」と言ってもいい編成なので、隣でレコーディングしてようが何してようが全然邪魔にならないのがいい。

毎日のリハーサルのかいあって、なんかもうすぐアルバムのレコーディングに入ると言うことで、ワシに数曲ドラムを叩いてくれと頼まれた。
まあそんな嬉しいことはないので二つ返事で引き受けて、今度はワシも一緒にリハーサルと言うことにあいなった。

Studio2.JPG

北京の貧民街にある我がFunkyスタジオは、リハーサルルーム(図面左下のRehearsal Room)にも簡単なレコーディングシステムがあり、特にバンド物などリハーサルが必要なものはここでリハーサルをやりつつ、テンポや構成を決定したらそれをマルチトラックに録音出来る。

今日び、レコーディングはドラムから順番に別々に録ってゆくのじゃが、ドラムを録音する時にはガイドとしてその他の楽器や仮ボーカルが必要なので、このシステムだとリハーサルが終わった瞬間に、もうドラムの本チャン録りの準備は出来上がっていると言うシステムなのである。
便利である。

かくしてリハーサルが始まる。
新疆ウィグル地区の民俗音楽がベースになっているので、さりげなく変拍子などが出てきたりもするので、とりあえず彼らだけで一度演奏してもらってそれを譜面にする。
そしてテンポを決めてそのクリックに合わせてドラムも一緒に録音しながら演奏してみる。
基本的なリズムアレンジなどに問題がなければそれでOK!
次の曲に・・・と思ったらいきなりリハーサルが中断し、お祈りが始まる。

文化が違えば大事にするものも当然違うので、それを尊重して彼らのお祈りが終わるまで待つこととなる。
前回お祈りに遭遇した時には、彼らは中央の院子(図面の真ん中、Terrace)で土砂降りの中一心不乱にお祈りしているのを見かけたが、今ではこのスペースには卓球台が置かれているのでここでは無理である。
っつうか、マイナス15度の北京の冬には屋外でお祈りは無理である。

次に広いスペースはリハーサルルームなので、「ここでやれば」と言うのだが彼らはそれを聞かず外に出て行ってしまう。
聞くところによると、部屋の中に酒を置いてあるような部屋だとか、不浄な飾りつけをしてる部屋とかはお祈りに適さないと言う話である。
結局彼らが見つけたのはレコーディング用のドラムセットを置いてあるレコーディングブース(図面右上のBooth)である。
ここはこのスタジオを一緒に作ったWyn Davisに「Empty room!」と言われ、なるだけ余計なものを置かないようにしているので、きっと彼らの言う「不浄な飾りつけ」などがないのであろう。

まあ飾りつけと言えば、
XYZ_BD.jpg
XYZ結成の時、パール楽器がわざわざアメリカのREMOに発注してくれて作ってくれたバスドラのヘッド(しかしデザイン的に穴を開けるスペースがなかったので結局使わずじまい)がドラムの後ろに掲げられているのじゃが、そう言えばこのもうひとつのヘッドを院子に掲げている時にもお祈りをしていたので、XYZのロゴはありがたくも「不浄なもの」ではないのであろう。

そうすると、リハーサルルームの何が不浄なのかと見渡してみると、いつぞやのドラムクリニックのポスター、
DrumClinicPoster.jpg

つまり「不浄なもの」、すなわちワシの顔!!・・・

まあよい、彼ら自身がそんな不浄な顔のワシにレコーディングを頼んでいるのである。
どこでお祈りをしようと暖かい目でみてあげようではないか!!

と言うわけで彼らのお祈りも無事に終わり、(あまりに厳粛なので写真撮影をする勇気はなかった・・・)次の曲のリハーサルが開始される。

次の曲は6分を超える民族調組曲で、構成を確認したりリズムアレンジをいろいろやっていたらもう夕方になってしまった。
何とかフルサイズで録音し終わると、「夕方のお祈りの時間なので今日はこの辺で」と言うことでお開きになってしまった。
家まで帰ってゆくとお祈りの時間に間に合わないのか、またドラムブースに引きこもってお祈りが始まる。

しかし・・・これって仕事的には非常に効率よくないのでは?・・・

イスラム社会・・・今だに謎である・・・


Posted by ファンキー末吉 at:20:37

2006年09月21日

MengMeng(モンモン)の物語

AiMengMeng.jpg

重田から電話があったのがもう数ヶ月前。

「末吉さん、テレビ見ましたぁ?」
「いや、うちテレビないから・・・」
「超級女声、何気に見てたらMengMeng(モンモン)が出てて吐きそうになりましたよ」

超級女声とはいわゆるアサヤンの中国版みたいなオーディション番組で、
数年前からこれが大ブームになり、ここで優勝すれば、
いや、参加していいとこまで行くだけで、もう国内では大スターとなる。

「MengMeng(モンモン)」とは、ワシが昔プロデュース「させられてた」女の子。

「吐きそうになる」と言うのは、
この母親であるモンモン・ママが、北京の2大有名ママのひとりで、
これと関わりあったらタダ同然の仕事を延々とさせられたりして、
ワシの周りの人間は既に「MengMeng(モンモン)」と言う名を聞いたり、
見たり、電話がかかって来たりするだけで吐きそうになるのである。

北京にはこう言う親子はけっこういるらしく、
だいたいにして父親はおらず、歌好きの子供のマネージャーを母親が務め、
まあいわゆるリエママのようにステージマネージャーまで務め、
往々にして娘は男と付き合ったこともなく、
24時間、完全無菌培養で「成功」することだけに「人生の全て」をかける。

書いてるだけで吐きそうである・・・

「MengMeng(モンモン)」も例外なく男と付き合ったこともなく、
変な話、一緒に遊びに行く友達もいない(と見受けられる)。
ワシら仲間の鍋会に来た時も、
まあその時は珍しく(ほんとに珍しく)モンモン・ママが一緒に来なかったので、
「こりゃMengMeng(モンモン)が羽目を外すのを見ることが出来るかも・・・」
と思ってたら、8時を過ぎた頃から矢のように電話が入り、
結局MengMeng(モンモン)は鍋食ってそのまま自宅に帰ってゆく。

後で聞いたらそれでもかなり門限破りの時間だったらしく、
結局MengMeng(モンモン)はこっぴどく怒られてしまったらしい。

全てにおいてこんな感じだから彼氏なんて出来るわけもなく、
また本人も別に恋愛なんぞに興味もなく、ある時なんぞ
「私バラード歌えないんだよね、何が悲しいのかさっぱりわかんないし」
などとほざいてたので
「これはいかん!」とばかり、モンモン・ママに意見したことがある。

「プロデューサーとして失礼を承知で言わせてもらうけど、
MengMeng(モンモン)がこれほどの才能を持ちながら伸び悩んでいるのは、
ひとつにはあなたが完全無菌状態で育て過ぎているところにあると思う。
例えば彼女の好きなR&Bのルーツはブルースである。
汚れ、傷つき、ボロボロになって搾り出すような心の悲鳴、
それが美しい魂の叫びとなって歌となる。
このままで行くと彼女は一生そんな歌は歌えないよ」

まあいささか失礼ではあるのだが、
「まあたまには遊びに行ったり恋したり、失恋したり、
傷ついて初めて成長するっつうのもあるんじゃないの?」
と言うことである。
そしたらモンモン・ママはぴしゃりと一言。

「女の子は傷つかずに一生を終えるのが一番幸せなんです!!!」

年の頃は50過ぎ(かな?)
二井原の嗜好で言うとストライクゾーンど真ん中
であるこのちょっと中年太りのこのおばさんの顔を見ながら、
人から聞いた、とある悲惨な物語を思い出した。

その歌手も、同じくこのように無菌培養で母親に育てられ、
20も後半になって初恋を経験し、もちろんのこと母親に大反対され、
まあそれもそうである。
母親としたら娘を取られたら本当にひとりぼっちになってしまうのである。

結果その娘は思い悩んだあげく自殺してしまった・・・

・・・まあ人の家庭である。もうこれ以上とやかく言うのはやめよう。
その代わりこの思いを歌にしてプレゼントしてやろう。

そして出来上がったのが「紅舞鞋」と言う曲。
その靴を履いたら死ぬまで踊り続けてしまうと言う伝説の靴の話である。

DEMOを作り、詞のコンセプトを説明する。
「あんた達はもうこの靴を履いてしまってるんだよ。
もう脱ぐことは出来ない。死ぬまで歌い続けるんだね。
それでいいんだよね」

そしてその曲は
中国文化部主催オリジナル曲新人歌手コンテストで全国グランプリを受賞した。

そんな彼女を見初めたとある企業が彼女をイメージガールに起用し、
その企業のイメージソングを作って彼女に歌わせようと言うことで
去年(もっと前か?)ワシにその製作依頼が来た。

当時「紅舞鞋」はまだコンテスト参加のための録音状態で、
伴奏のみのラフミックスしかなく、歌入れもTDもしていない。
彼女達は彼女が歌を歌って稼ぐ収入だけで暮らしているので、
歌入れしようにもTDしようにも金がないのである。

北京に出て来たこんな親子を食い物にする悪い奴らもいるらしく、
デビューを餌に騙されたことも一度や二度ではないらしく、
ワシとしても結果的に彼女達から金をむしりとるみたいなのはいやなので、
「ないならないなりのモノでいいじゃない!」
と言うことで、その予算で出来る限りのこと(つまり伴奏のみのラフミックス)
で終わらせておいたのである。

モンモン・ママはワシにこう言った。
「ファンキー、だからあんたはこのイメージソングの製作費で、
何としてもあの紅舞鞋を完成させて!」
つまり1曲分の製作費で2曲録れと言うことである。

吐きそうになってきた・・・

じゃあスタジオ代どうすんの?
エンジニア代どうすんの?
ミュージシャンfeeどうすんの?
みんな1曲いくらよ?2曲ぶんないじゃない・・・

「ファンキー、大事なのは紅舞鞋よ。
こっちの曲は思いっきり手ぇ抜いていいから。
そっちの金ぜんぶ紅舞鞋につぎ込んで!」

かくしてそのイメージソングはワシの新しいシステムの実験台となり、
(関連ネタ:https://www.funkycorp.jp/funky/ML/102.html
そんな思いっきり手を抜いたその楽曲は、
そのまま中国のエコロジー楽曲コンテストに出品され、
「エコロジー楽曲大賞」を受賞した。

呼ばれて会場にも行ったが、
あまりにお恥ずかしいので呼ばれても壇上には上がらんかった・・・
あとで主催者が激怒していたと言う話である。

「何であんな手抜きの曲がグランプリなんか取るんじゃろ・・・」
と人に漏らしたことがあるが、彼はその時こう答えた。

「手ぇ抜いたからグランプリ取れたのよ。
一生懸命作ってたらきっと落選してた。
それが中国よ!」

なんかわかったようなわからんような・・・

ワシは昔、李慧珍の「猜愛」でも十大金曲賞を受賞しているので、
(関連ネタ:https://www.funkycorp.jp/funky/fixed/sakkyokusyou.html
実は都合3つも賞を取ってる作曲家である。

何の役にも立たん!!

この国で儲かるのは歌手のみ!
裏方は何も儲からんのである。

さてMengMeng(モンモン)であるが、
じゃあそれから順風満帆かと言うとそうでもなく、
レコード会社から手が上がることもなく、
いや、現実には上がっているがモンモン・ママがその話を潰してると言う噂もある。

実際ワシの知り合いのレコード会社はワシを通してコンタクトを取っているが、
モンモン・ママは
「あんな小さいレコード会社じゃ話にならん!」
と話を断っている。

現実そのレコード会社は半年で潰れたのでよかったと言えばよかったのであるが・・・


さて1年ほど連絡もなく、平和に暮らしていたワシにいきなり電話がかかって来た。

「ファンキー、久しぶり!!私よ、モンモン・ママ!!」

吐いたらいかん!吐いたらいかん!!
唾液を一生懸命飲み込みながら話す。

「超級女声で勝ち残ってるらしいじゃない?よかったよかった。おめでと!」
「それなのよ。私達は瀋陽地区から参加したんだけど、
そのおかげで北京でのプロモーションがあんまし出来てないのよね。
ちょっと協力してくれない?
何社かインタビューに行くから思いっきり褒めちぎってちょうだいね。
あと、誰かロック界でMengMeng(モンモン)褒めちぎってくれる人紹介して」

「ロック界?なんで?・・・」

「あら、うちの娘ロック歌手じゃないの!ロック界からも賛辞を頂きたいわ」

吐き気通り越して頭が痛くなって来た・・・


かくして次の週にはいよいよ飛び道具「紅舞鞋」を歌うと言うので、
ワシは初めて「超級女声」と言う番組を見に行った。

見に行ったと言うのは、うちにはテレビがないので、
その時間に合わせてテレビがある村のレストランにテレビを見に行くのである。
情けないと言えば情けないが、なんか普通の村人になったみたいで心地よい。

金曜日夜8時、生放送である。
出稼ぎ労働者で満席のそのレストランのテレビにかぶりつく。

始まっていきなり勝ち残っている6人で踊りを踊る。
最終的な6人に残っていると言うのは相当なもんである。

一緒にテレビを見ている老呉(LaoWu)の話によると、
彼の知り合いの歌手は地区大会の第3位で落選したが、
それでも全国的には超有名で、それ以降すでにバンバン稼いでいると言うから、
地区大会第1位で、現在最終的な6人と言うのは物凄い成績である。

6人が2人づつのペアに分かれ、その2人が戦い、勝ち組と負け組みに分けられる。
つまり第一試合は勝ち抜き線なのである。
司会者はそれぞれにインタビューし、歌う曲の名前を聞いてゆく。
MengMeng(モンモン)は、いきなり「紅舞鞋」である。

なんでいきなり最終カードを切るの?!!

ワシはもう気が気ではない。
老呉(LaoWu)の話によると、今日はこの6人の中から5人を選ぶと言うことは、
この第一試合に勝ち残っておくことが一番近道なので
ここでまずこの最終兵器を先に出したのであろう。

久しぶりにこの曲を聞くが、何かアレンジがちと違うような気がする。
見ればワシのアレンジではなく、生バンドが勝手にアレンジを変えている。

お前ら!コードまでかってに変えんなよ!!

音もちょっと外してたみたいだったし大丈夫だろうか・・・
ドキドキしながら審査発表を待つ。

結果は・・・・落選!!!

最終カードを使いながら落ちてしまった!!
まるでウルトラマンが最初にスペシウム光線を使って怪獣は倒れなかった!!
みたいな衝撃である。

楽曲と言うのは不思議なもので、
言うなれば自分が生み出した子供のようなものである。
どんな駄作でも可愛いし、
でも時々、親のひいき目なしにとんでもないいい子が生まれる時もある。
何か自分が書いたのではなく、別の大きな力が書かせたような、
そんな楽曲がワシにも何曲かある。

ランナーやリゾラバのような商業的に大成功した楽曲だけでなく、
人知れず名曲と言われる曲もあれば、
誰にも歌われずにお蔵入りしてしまっている曲もある。

ワシのような自分で歌う人間でない限り、
生み出された子はすぐによそにもらわれていってしまい、
生みの親より育ての親、つまりそこでどのように歌ってもらうかで運命が決まる。

「紅舞鞋」はひいき目なしに名曲であるとワシは思うが、
MengMeng(モンモン)にその運命を預けた以上、
MengMeng(モンモン)ダメならもうそこまでの運命である。

老呉(LaoWu)曰く、
「詞ぃ誰が書いたんだ?コンセプトはいいんだけど言葉選びがあんましよくねぇなぁ・・・」
しかしそれも仕方が無い。
もらわれて行ったところで詞を与えられ、それを歌われて初めて楽曲なのである。

負け組みに落とされた彼女は、またその中で敗者復活戦に臨む。
その間、他の2組の戦いが終わるのを待たねばならない。
ビールを飲みながらひたすら待つ。

そして敗者復活戦!!
と思いきや、次は歌ではなく、人気投票による戦いである。
全国から携帯電話による投票、それには1票につき1元のお金がかかる。
ひとりで100票投票してもよい。100元かかるだけの話である。

人気の歌手だとひとり1000万票集めることもあると言うから、
このビジネスだけでも相当なビジネスである。
1000万元と言うと、日本円にすると1億5千万円なのである。
少なくともこの投票の段階だけで3億円以上は動いている。

恐ろしい番組じゃ・・・

さて、この投票で敗者復活かと思えばそうではなく、
これは勝ち残った3人の中からひとりを「落とす」のである。
日本の試合方式は「受かる」人をだんだん作ってゆくが、
中国ではどうも「どんどん落としてゆく」方式であるらしい。

かくしてこの投票により、
3人の勝ち組と3人の負け組だったのが2人の勝ち組と4人の負け組みに分けられ、
その負け組4人がまた2人組で勝ち抜き線を行うのである。

番組の進行がカメよりも遅いだけでなく、CMもいたる所に入るので、
番組開始から既に1時間以上経過し、
レストランではもう既に門を閉め、従業員のメシの用意が始まっている。

「知り合いが歌い終わったらすぐ帰るからね」
そう言ってビールを更に追加する。

すぐに敗者復活戦が始まるのかと思ったら、更にゲストのコーナーがあり、
3人のゲストがそれぞれ持ち歌を1曲づつフルコーラス歌う。
やっと始まるかと思ったら、その3人のゲストが一緒に更に1曲歌う。

もうやめてくれー!!早く歌ってくれー!!

さすがに番組もすぐには歌わせない。
それぞれの参加歌手のイメージビデオ、ファンへのインタビュー、
そしてまたCM。

最高視聴率を誇るこの番組のCMは最高値段がついていると言う・・・

やっと敗者復活戦が始まった頃には既に番組開始から2時間以上たっていた。
MengMeng(モンオン)が歌う。
今度はミディアムテンポのダンスナンバーである。

「受かると思う?」
一緒にテレビを見ている老呉(LaoWu)に聞いてみる。

「ちょっとアブナイところだなぁ・・・
聞いてみろよ。他の歌手と違って声援が断然少ない。
親衛隊がいないんだな。
それも結構不利じゃないかなぁ・・・」

確かにほかの歌手の応援団は若い健康的な男女が多いが、
MengMeng(モンモン)の応援団はどうもオタクが多いと見受けられる。
メガネをかけたデブのオタクがびっしょり汗をかいて応援している。

吐きそうである。

「この娘、ちょっとココ・リーに似すぎてるなぁ・・・」
老呉(LaoWu)がそうつぶやく。

ココ・リーとは台湾で活躍するアメリカン・チャイニーズの歌手である。
そう、彼女はココ・リーに似ているから
「小ココ・リー」としていろんなイベントでココ・リーの歌を歌って生きてきた。
それで母子ふたりが食ってこれた。

ココ・リーに似てるからここまでこれた。
そしてココ・リーに似てるからここまでしかこれなかった。

今歌っているこの曲もきっとココ・リーの曲なのだろう。
彼女が一番得意で、そして一番歌ってはいけないナンバー。

しかしバラードが歌えないんだから仕方が無い。
最終カードの紅舞鞋はもう歌ってしまっている。
彼女にはもう切るべきカードが残ってないのである。

・・・審査発表・・・
これで勝ち残れば勝ち組である。
後は残った負け組ふたりが戦って負けた方が落選。

「負けるだろうなぁ・・・」
残ったビールを飲み干し、更にビールを追加しようとしてたらいきなり、
「勝者は・・・MengMeng(モンモン)!!」

やったぁー!!!残ったぁ!!!

と言うわけでビール腹をさすりながら家路に着いた。
めでたしめでたし・・・
ChaoNv5Qiang.jpg


数日してまたモンモン・ママから電話があった。
「見てましたよ、テレビ。よかったじゃない。次で決勝戦でしょ」
もうここまで来たら優勝できなくても既に超有名人である。

「違うのよ。また今週戦って初めて決勝戦なのよ。
あの番組はとにかく戦わせるから・・・
(間髪入れず)
ところで!今週の金曜日空いてる?
MengMeng(モンモン)の後ろでドラム叩いて欲しいのよ。
アジアドラムキングがバックで叩いてくれたら絶対票も集まると思うのよ」

かんべんしてくれーーーーー

丁重にお断りして電話を切った。
来週も村のレストランで影ながら応援させて頂きますぅ。

Posted by ファンキー末吉 at:00:18

2006年06月23日

Wing北京コンサートを終えて

葉世榮ことWingは香港のBEYONDと言うバンドのドラマー。
BEYONDの連中とは、彼らが日本で活動を開始すると言う時に知り合い、
ボーカルのコマが日本のテレビ番組の収録中の事故で死亡して香港に帰ってゆくまで、
ほぼ毎日と言っていいほど一緒に酒を飲むと言う仲だった。

コマが日本の病院で息を引き取った時、
病院の待合室でその知らせを受けたWingがショックで気を失い、
俺の腕の中に倒れ込んで、突然ケタケタと笑いながらうわ言でこんなことを呟いた。

「あいつは今、真っ白な綺麗なところにいる。
そこは酒を飲むより、エッチするより、もっともっと気持ちのいいところなんだ・・・は、は、は・・・」

俺はその世界と言うのが、ドラムを叩いている時に時々味わうことがある、
妙にトリップした浮遊感のあるあの世界と同じであると思い、
偶然性が大きく作用するライブの高揚感のあの真っ白な扉の向こうにコマがいるんだと今でも信じている。

BEYONDの他の2人とは今でも会えば楽しく飲む仲間ではあるが、
Wingほど頻繁に連絡を取ったりする仲ではない。
同じドラマー同士と言うのもあるし、性格がアホであると言うのもあるが、
やはり彼との間にはその後もいろんなドラマがあったからと言うのが大きいだろう。
(関連ネタ:https://www.funkycorp.jp/funky/ML/13.html
https://www.funkycorp.jp/funky/ML/68.html
https://www.funkycorp.jp/funky/ML/70.html
https://www.funkycorp.jp/funky/ML/72.html
https://www.funkycorp.jp/funky/ML/73.html
https://www.funkycorp.jp/funky/ML/75.html
https://www.funkycorp.jp/funky/ML/77.html
https://www.funkycorp.jp/funky/ML/86.html
・・・列挙しながら思ったけど、ワシのメルマガ・・・ほんまにWingネタって多いよねぇ・・・)

一番困難な時に培った友情は一生モノと言うが、実際あの時の彼はどん底だった。
マスコミと言うのは血も涙もないもので、人生で一番どん底の人間を漫画にし、
BEYONDの残された3人のうち2人は成功してホクホク、
Wingだけは「ボク何やってもうまくいかないの」と涙顔と言う記事を見て、俺は
「出版社に火ぃつけたろか!」
と激怒したが、当の本人が黙ってそんな記事をスクラップにしてるのを見てやるせなかった。
人間あまりにも悲しいと怒りなんぞおきないのである。

そんな彼もBEYONDの活動再開を機に、北京に自分のマネージメントオフィス設立したり、
大陸発売のソロアルバムも発売、
(その中の1曲はまたワシがタダでアレンジし、北京ファンキーDrumスタジオの記念すべき初レコーディングとなった。しかもタダで・・・)
そしてその発売を機に、
「一気に全中国ツアーを組むぞ!」
と言う大きな試みの皮切りとして今回のこの北京コンサートを自力で開催した。

音楽総監督はWing自身、
バックメンバーには北京から、日本から団長を呼んで、後は香港のミュージシャン。
香港で1週間リハーサルを終えて全員で北京に乗り込んで来た。


香港でのリハーサル風景
WingRh.jpg


会場は北京展覧会劇場と言う2000人の小屋。
しかもそこを2DAYSと言うから彼の知名度からすると無謀とも言える。

知名度と言うなら彼の知名度はさすがに中国人なら知らない人はいないが、
それはやはりBEYONDと言うバンドの知名度であって、
例えて言うとサザンオールスターズのドラマーとか、爆風スランプのドラマーが(あ、俺か・・・)、自分名義のコンサートを渋谷公会堂で2DAYSと言うとやはりちょっと難しいんでは・・・と言うのと似ている。

ましてやそのドラマーがスティックではなくギターを持って、
ドラムを叩くのではなく歌を歌おうと言うんだから、
これが爆風スランプのドラマーだったら客は絶対に来ない!!(断言!!)

XYZのライブとかだと、いつも出番前は
「今日は客どのくらい入ってるかなぁ・・・」
とそれが一番気になることだったりするが、
俺にしてみたらいわゆるバックバンドのお仕事なのに、
開演前には客の入りを気にしてそわそわ・・・これも一種の性であろうか・・・

前日のゲネプロでは音響のスタッフに
「お前、このマイクの立て方でドラムの音がちゃんと拾えると思ってんのか!」
とどやしつけたりしている。
「子供のコーラス隊を出すタイミングが違う!」
と舞台監督に何度もやり直しを要求したりしている。

そう、俺にとってこのコンサートは、既にいちバックバンドのメンバーではない。
かけがえのない友人の将来がこの1本で決まってしまうのだ。
ドラマーにもなるし舞台監督にもなるし、音楽総監督の補佐にもなる。


WingConcert.jpg


初日の入りは半分ぐらい。
気落ちしないように開演前に彼に活を入れる。
始まってみると、ギターとベースの音が出ない。
音響が最悪で始終ハウリングを起こしている。
ゲストの演奏の時に舞台を降りて衣装換えしている彼を元気付ける。
「ロックはハートでやるもんだ!何があっても気落ちするな!俺がついてる!」

Wingのたっての希望でドラムソロをぶっ叩く。
当初は2人でソロの掛け合いをしようと言う企画だったが俺が却下した。
「お前はスターなんだから、俺の後でゆうゆうと登場してゆっくりソロ叩けばいいんだよ!」

彼は全アジアで一番有名なドラマーと言っても過言ではない。
知り合ういろんなドラマーが、
葉世榮がいなければ俺はスティックなんて持ってなかった」
と言うのをいやと言うほど聞いた。
言わばアジアのリンゴ・スターなのである。
ソロの内容なんかどうでもいい。
彼がドラムを叩きさえすればそれでいいのである。
俺はテクニックの限りを尽くして客を暖めておく。
それが俺に出来る最高の演出である。

俺のソロの最後にバスドラを踏みながら舞台中央を指差すと、
そこからWingがドラムソロを叩きながらせり上がって来る。
会場は興奮のるつぼである。

ドラムソロが終わると、次の曲はAMANI。
「AMANI NAKUPENDA NAKUPENDA WE WE(平和,愛,僕達に勇気を)」
この曲はBEYONDが売れてお茶の間のアイドルとして大全盛の時、
アフリカに行って戦争で焼け出された子供たちのために作った歌である。

「戦争の陰でいつも傷付くのは、何の力もない子供達」
と歌うこの曲は、瞬く間に香港のヒットチャートを総なめにし、
アジア中に彼らのメッセージが響き渡った。

BEYONDが偉大だったのは、アイドルバンドとして売れ続けながら、
アフリカの言葉で歌うこんな曲をヒットチャートに乗せることが出来たと言うことであろう。

俺がこの曲を初めて聞いたのは、お恥ずかしながらコマが死んだ後である。
あれだけ毎日一緒に酒を飲みながら、俺は彼らの偉大さを全然知らなかった。
彼が死んでから香港に行き、
Wingと待ち合わせたコーズウェイベイの回転寿司で偶然この曲がかかっていた。
MTVには字幕が流れており、そこでこの歌詞の内容を初めて知った。
サビで「僕は歌い続ける!」と言う歌詞の部分がとてつもなく悲しくて寿司食いながらわんわん泣いた。

コマが歌い続けることが出来なくなったんだから俺が歌い続ける!
と、その後この曲を日本語訳にして夜総会バンドのレパートリーとしたが、
当の歌う本人であるボーカルのaminがこの曲を歌い続けるかと言うとそれはまた無理な話である。
そんな空回りの中バンドは解散し、歌を歌えない俺はこの曲を歌い続けることが出来なくなった。
ところが当の本人、Wingがこの曲を歌い続けている。

アンコール最後の曲は、またBEYONDの大ヒット曲「光輝歳月」。
差別と戦って神に召された黒人のことを歌った歌である。
「虹が美しいのはその色と色との間に区別がないからである」
と歌ったコマはもう神に召された。
しかしWingがそれを歌い続け、そして客がそれを大合唱する。

ボーカリストが亡くなって、そのドラマーがその歌を歌い続ける。
その後ろでドラムを叩くのが俺である。
あの日、新大久保のSOMEDAYのJamセッションを見に来たコマが俺にこう言った。
「素晴らしい!お前のドラムは最高だ!来月も、またその次も俺は毎回見に来るぞ!」
そしてその言葉が俺と交わした最後の言葉となった。

それ以来Jazzのセッションをする度に、どこかで彼がまたあの嬉しそうな顔をして俺を見ているような気がしている。
あの真っ白な世界の扉を開けたら、そこにビール片手に彼がいるような気がしている。

同じバンドのメンバーが歌手となって初の大舞台。
彼はまたいつもの笑顔でそれを見ていたことだろう。

どうだったかい?ふたりのドラムソロはよかったかい?

これを皮切りにWingは全中国ツアーを切るつもりらしい。
いつの日かあの扉が開いて彼と会える日が来るかも知れない。


ファンキー末吉

ネットで流れているライブの模様
http://ent.sina.com.cn/y/v/2006-06-14/17151122734.html音が悪い・・・

Posted by ファンキー末吉 at:17:39

2005年12月17日

貧民街の日本人妻

さて、再婚して初めての嫁ネタである。
だいたい20歳も年上のふたりの子持ちで、
まあお世辞にもロマンスグレーの素敵なオジサマでもなく、
かと言って何を我慢しても財産だけはあるのよと言えるほどの金持ちでもなく、
それでも実直で家庭思いのマイフォームパパならばいざ知らず、
家?いらん!金?いらん!好きな音楽とビールがあればそれでええんじゃい!
と言うような、ある種変人に嫁いで来ようと言うのだからかなり奇特な嫁である。

何の因果で、生活風習もまるで合わない、言葉も全然喋れない、
別にもともと縁もゆかりもない好きでも何でもないこんな国に、
旦那が「死ぬ時はここで死にたい」と言うがために
全てを捨てて嫁いで来なければならないのか・・・

数ヶ月前、この通称ロック村に初めて訪れた時、
(関連ネタ:https://www.funkycorp.jp/funky/ML/109.html
「ここで住みたい」と強く思ってはみたものの
実はその時は数ヵ月後には結婚を控え、
「ワシはともかく嫁はこんなスラム街みたいなところに住めるのか?・・・」
と本気で心配した。

一応北京市朝陽区に属する人ロ2400人の小さな村、「費家村」、
村民のほとんどは地方からやって来た労働者、
その収入たるや想像を絶するほど低い。
逆に言うと1日100円もあれば暮らせるほど物価は安い。

村には警察はなく、自警団が夜回りをして治安を守る。
(と言うより村人曰く「奴らこそヤクザだ」)
電気、水道等インフラは完備されているものの、
中国語で言う「下水(シアシュェイ)」はあっても「汚水(ウーシュェイ)」はなく、
従ってトイレは汲み取りボッチャンの公衆トイレしかない。

その村の外れに貧乏なロックミュージシャン達が住みついて
通称「ロック村」と呼ばれる小さな集落を形成しているわけなのだが、
最初にここを訪れた時は直接このロック村に来てそのまま帰ったので思わなかったが、
2度目にここを訪れた時、村のレストランで昼飯を食っていると
隣のテーブルでは労務者達が昼飯っから安洒を煽って酔っ払っていた。

「末吉さん、ここ・・・マジでヤバいですよ・・・」

同行した元アシスタントの重田が小声でそう言う。
「絶対日本語喋っちゃダメですよ。
日本人なんてことがバレたら何されるかわかったもんじゃないっすよ。
身ぐるみ剥されてあり金巻上げられたって文句言えませんよ」
と真顔でそう言う。

村から帰って元彼女今秘書のKelly嬢に相談する。
(注:https://www.funkycorp.jp/funky/ML/87.htmlとは別人)
「ヤべぇよぉ・・・あそこ・・・」
泣き言を入れたらすぐさま一喝される。
「何言ってんの!!貧乏人は即ち悪人なの?
私の父も昔は貧乏だったけど決して悪人じゃないわ!!」
いきなりの剣幕にたじろぎながらも反論してみる。
「だって昼間っから仕事もせずに酔いつぶれてんだよ・・・ヤべぇよ・・・あれ・・・」
それを聞いた彼女、すかさずピシャっと一言。

「あんた達だって昼間っからいつもビール飲んで酔っ払ってるじゃん!!」

そうなのである。奴らからしたら、どう見てもまっとうに働いてもない、
変な格好して昼間っからビール飲んだくれるワシらはどう見てもアブナい人達。
さしずめ「あのロック村には近づくな!!マジでヤべぇぞ!!」などと噂されているのだろうか・・・

かくしてワシはここにスタジオを作り、ここで住むことを決意!!
嫁にも一応相談したが、日本に住んでいたんでは想像だに出来ないそんな環境、
「あなたの住むところが私の住むところよ」
などと口走ってしまったが最後、
中国人でさえ敬遠するこの貧民街に嫁いで来る初めての日本人妻と相成った。

瀬戸は日暮れて夕波小波、あなたの島へお嫁に行く・・・

などとロマンチックなシチュエーションがあるわけもなく、
彼女が北京空港に降り立って、すぐに連れて来られたのがこの村。
しかもその時にはまだ風呂もトイレもなく、
コンクリートむき出しのただ「箱」があるだけの北京式伝統的長屋住居、院子(ユエンズ)。
まさにベッドとソファーだけが置かれたその「箱」に嫁いで来た。

「お風呂は?・・・ト、トイレもないの?・・・」

しかもその日は北京には珍しく大雨。
雷も鳴り、おりしも停電・・・

貧民街、日暮れれば、電気なければ真っ暗闇

ほんと一切の光のない真っ暗闇なのである。
しかも聞こえる音と言えば狂ったように「箱」を叩く雨の音・・・
時は5月、温度差の激しい北京の春である。
毛布に包まり寒さに震えながら、
「私・・・ここで暮らすの?・・・」
嫁、半べそである。

翌日、雨も上がり、また手作業での改修作業が始まる。
カルチャーショックで呆然とする嫁を尻目に、この旦那、
「毎日がキャンプみたいで楽しい」
とウキウキである。

壁も全面ラスタカラーに塗り替えた。
スタジオのドラムブースの天井には卵パックを一面に貼り付ける。
壁は音の反響を調整出来るように四面を全部厚手のカーテンが開閉できるようにする。

これらを全部自分で手作業でやるのだからキャンプと言うよりはサバイバルである。
ロック村の若きミュージシャン達が日替わりで手伝いに来る。

家具は近所に泥棒市のような中古市場があり、
ボロボロだが何でもタダ同然で買える。
洗濯機も買った。
冷蔵庫もビールを多量に冷やすので2台買った。

「ここのどこが不満?
何が欲しい?何がなければ買えばいい」

トイレなければキャンプ用の移動式トイレを買った。
風呂がなければ檜作りの浴槽買った。
「浴槽あったってこう頻繁に断水してたら意味ないじゃん!」
ほな太陽熱温水器買いまひょ。いつでもお湯出るよ。
「スタジオ作ったって停電したらそれで終わりじゃん!」

しまいにはガソリン式の大きな発電機まで購入する始末・・・
これじゃぁ当初の予定通り家買った方が安く上がった?・・・

かくしてもう半年・・・今だに毎日が改修作業である。
安かろう悪かろう・・・中古で買った全ての物は一応に何度も修繕が必要である。

「中古はやっぱあかんのう・・・ここで新品は嫁だけじゃ・・・」
再婚と言う中古のお下がりの旦那が初婚の嫁見て独り言・・・

夏は40度を越す猛暑となり、嫁はさすがに夏バテでぶっ倒れた。
冬はマイナス15度を下回るので各部屋にセントラルヒーティングを入れた。
・・・と言っても石炭を自分で焚いて、その熱で蒸気を各部屋に送ると言う手動式である。
今も石炭をぶっこむために夜中に起き出したついでにこのメルマガを書いている。

「そうだ!院子(ユエンズ)をすっぽり覆ってしまうテントを作れば、
中庭が全部温室となって暖かいのではないか!!」
自分でビニールを買って来てやぐらを組んで屋根をつける。
そして突風で何度も壊され、昨日は4度目の修繕をした。

何度も何度も材料を買いに来るので村の商店でももうお馴染みである。
酒盛りが始まると「羊肉串100本!!」とか頼むので、
道端で羊肉串焼いてるおんちゃんにとっては大のお得意さんである。
嫁も言葉も通じないまま買い物に行くので珍しくて人気者である。

ある日は村のレストランで「何人だ?」と聞かれ、
身振り手振りと筆談で日本人だと答えた途端、
厨房からどこから全ての従業員が入れ替わり立ち替わり出て来て
「お、これが日本人かぁ・・・初めて見た・・・」とばかりの人だかり。

ここに住みついて半年、
訪れる訪問客は一応に
「ヤべぇよ、ここ・・・ファンキー、自分の命だけは気をつけろよ」
と言うが、今だかって身の危険を感じたことは一度もない。

ただ困るのが、タクシーに乗ってここに帰って来る時に、
タクシーの運転手がビビって村の中まで入ろうとしてくれないことである。
こんなスラム街に入りこんだ日にゃぁ
村人に寄ってたかってタクシー強盗されても不思議はないと思うのであろうが、
運転手さん、この村は貧乏人の吹きだまりではあっても犯罪者の吹きだまりではない。
第一、中国で同じ犯罪犯すならもっといい暮らしをしとるじゃろう。
こんなところに住んでまへん!!

と言うわけで、
中国人にすら「あそこやべぇよ・・・」と言われる貧民街に嫁いだ日本人花嫁。
今のところ「私・・・もう帰らせてもらいます」はまだ出ていない。

時間の問題か・・・

 

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:15:10

2005年08月20日

ドラマーがドラムスタジオを作るワケ

日本に帰って来てXYZのニューアルバムをレコーディングしている
ちなみに今日は最終日
橘高が命を削ってギターソロを録れているのを、その骨を拾ってやるべく・・・
・・・その実、隣で酒を飲みながらそれを見届けている

だからやっと時間が出来てメルマガ書ける、メールにRes出来る、HP更新出来る・・・

昔は忙しい日本を脱出して北京に行ってのんびりしてたものだが今ではまるで逆である
ドラム以外の仕事は極力避けようと言いつつ
結局アメリカからWyn Davisを呼びつけて自宅にスタジオなんぞ作ったもんだから
https://www.funkycorp.jp/funky/ML/109.html
結局朝から晩までずーっとレコーディングしている
XYZの曲なんか結局スケジュールないもんで朝8時から2バス踏んでいる

このテの音楽・・・真夜中に汗だくでやってると
「この時間にやる音楽じゃないわのぅ・・・」と毎回思うが、
さすがに朝8時にやる音楽では決してない・・・

昼は韓紅(ハン・ホン)のリハーサル、夜は許魏(シュー・ウェイ)のリハーサル
夜中に帰って来て譜面の整理などをしながらバタンQ(死語)
朝8時には今は既に北京に移住して来た元XYZのPAエンジニア吉田君が
「音を作るのはPAもレコーディングも同じじゃろ」
とばかりドラム録りに駆り出されてやって来る
叩き起こされて顔も洗わず寝ぼけ眼でそのまま全力疾走で2バスを踏む

・・・身体に悪い・・・

この北京ファンキードラムスタジオは人にはレンタルしないし
ドラムのセッティングもマイクのセッティングもWyn Davisがセットしてくれたまま動かさないし、
また、ドラムの傍らにもディスプレイとマウス、キーボード等が設置されていて
ワシ一人ででもパンチイン、パンチアウトをやりながら最後まで録り終えることが出来る
自宅スタジオなんだから時間を気にすることもエンジニアに気をつかうこともなく
納得するまでレコーディングを・・・と当初は思っていたのだが、
何曲か録るうちにそれはミュージシャンにとって非常に危険な状況であることが判明

つまり何度でもやり直せると言うことは即ち「終わらない」と言うことで
吉田君の必要性は
Wynの作ってくれたTotal Access Studioサウンドをキープ、メンテすることだけではなく
「ねえ、今の2バスちょっとヨレてた?」とか言う質問に
胸を張って「いいえ、よれてません!!」と断言してもらうことも大きい

それでも録り終わった後、夜中に聞いたりして
「やっぱもう一回やろうかな・・・」と言って録り直すのも自由なんだから始末が悪い
その度に吉田君も何度も呼び出され
やっとの思いで叩き終えたアルバム全曲のドラムデータを持って来日
そしてそれを聞きながら人の苦しみを横目で酒を飲む

・・・いやぁ・・・すんごい音やなぁ・・・

まるでLAのTotal Access Studioで録ったが如きぶっといドラムサウンド
こんなんが自宅で録れるっつうのはほんまミュージシャンにとって至福の環境やなぁ・・・

もともとドラムの音っつうのはドラマーが自分の耳の位置で聞いて一番いい音に叩いとる
それをひとつひとつの太鼓のあんなにそばのマイクで音拾って録音したところで
到底自分の聞いているドラムサウンドとは似ても似つかない

これはライブでも同じことで
ドラマーは一生自分の出音を生で聞くことが出来ないので
PAエンジニアに全てを托すしかない

つまり録音した音、ライブの音はすでにワシの音ではなくエンジニアの音なのである

しかしこれからのワシは違う!!
Wynの残してくれたこのサウンドこそが「ファンキー末吉のドラムサウンド」である
このためだったら金にいとめはつけん!!

・・・と言いつつワシ・・・ワシ・・・これに一体いくらつぎ込んだんやろ・・・

二井原がロニー・ジェイムス・ディオと対談した時
「Wynと会うたらむっちゃ痩せてるんでびっくりするでぇ」
と言われたと言うので非常に期待してたのだが
30kg痩せたと言っても彼のその巨体を飛行機で運ぶためにはやはり座席が2つ必要で、
オンシーズンのその頃のLA-北京往復運賃は2席で20万円
LAメタルの頂点とも言える彼のギャラ数十万
2バス5タムのフルセットを録るために必要なマイクの数は13本
オーバートップなど大切なマイクの値段は一本40万円
96kHzのハイサンプリングで録音出来るプロトゥールスHDと周辺機器で200数十万円・・・

すっからかんなはずじゃ・・・

実は明日は結婚式・・・
誰のって実は・・・ワシの再婚・・・(お恥ずかしい)・・・

結婚資金はどうすんの?!・・・
式場の費用は?!・・・
遠方から来て頂く親戚縁者の交通費は?!・・・
エンゲージリングは?!・・・

そう言えば前回は買ってすぐ失くした・・・
指輪してはドラム叩けんからつい亡くしちゃうのよん・・・

初婚の嫁よ・・・こんな旦那でええんかい・・・

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:15:24

2004年12月28日

どれだけ愛していたかは失って初めてわかるもの・・・

ドラム物語

パール楽器のドラムのモニターになってもう20年。
すいかドラムを初代として、
去年北京のスタジオ仕事用に作ってくれた最新のドラムセットまで合計7台、
またファンキー末吉モデルのスティックはもちろんのこと、
消耗品であるドラムヘッドまでその都度提供してくれている。

アメリカでレコーディングする時にはアメリカの支社から必要なセットを送り届けてくれ、
「二井原、お前の今度のバンドのメンバーっつうのはちゃんと演奏出来るのか」
と当初あまりに心配してそう言ってたウェイン・デイヴィスはそれを見て、
「電話一本でパールからフルセットを送りつけさせるこのドラマーは何者だ!」
と目を丸くした。

そう、パール楽器は楽器メーカーとして世界では超ブランドの域に入るのである。
しかしその実は千葉に工場を持つ、ごくファミリー的な会社。
ワシがドラマーとしてパールと一生を共にしようと思ったのは
この会社気質によるものも大きい。

その昔、クリスタルキングのドラマーとして仕事をしていた頃、
お膝元のヤマハにモニターの話を持って行ってむげに断られた。
ところがパール楽器の当時の担当者、市川さんは
むしろ当時アマチュアだった爆風スランプのことを、
「あのバンドはいい。君もドラマーとしてうまいし、モニターやるかい」
と言ってくれてワシとパール楽器との付き合いが始まった。

ある時期、ヤマハがモニター戦略に力をいれ、
パールのドラマーが次々とヤマハに乗り換えていた頃、
いろんな先輩ドラマーがワシにこう言った。
「末吉ぃ。パールなんかやめてヤマハ来いや。待遇えぇでぇ」
ヤマハの当時の担当者もある日私にこう言った。
「河合さんもヤマハのギター使ってくれてることだしさぁ。
末吉くんもぼちぼちヤマハ使ってみたら?」
パール楽器と違い、大会社であるヤマハは担当者がよく変わる。
本社から派遣されたその担当者は職務を本当に一生懸命遂行するが、
パール楽器は逆に会社をやめるまでひとりの人が担当する。
「人間対人間」の関係なのである。

ヤマハの人にはこう言って丁重にお断りした。
「違う担当の方だったので恨みを言うつもりはありませんが、
当時一番貧乏だったあの頃、自社のバンドであるクリキンをやっていながらも
ヤマハは私に何をしてくれようともしてくれませんでした。
でもパールはその頃からずーっと私をサポートしてくれてます。
ですから私は死ぬまでパールと一緒に歩んで生きたいと思います」

パールから提供していただいたドラムセットは全部まだ持っている。
XYZ用と五星旗用の2台を除いては全部北京に持って行き、
「ドラムセットを大事に長く使ってくれるのは有難いのですが、
中国でそれほど活躍なさってて、それが全部古い製品ではそれも問題なので」
と言うことで、わざわざ最新モデルを1台作ってくれ台湾の工場から北京に送ってくれた。

そのセットを始め、今では製造中止の銀色のセットや、
最近では初代すいかドラムも整備をして、
それぞれのセットをよく仕事で使う別々のスタジオに常備してある。
レコーディングの仕事が来た時、
そのそれぞれのスタジオにスティックだけを持って行けばよいので楽である。

そんな生活の中で、最近ドラムに対して気づいたことがある。
それぞれのドラムセットには「人格」のようなものがあり、
ドラムセットはそれぞれが間違いなく「生きている」と言うことである。

木と言う生もので出来てるし、もともと楽器と言うのはそんなものなのかも知れない。
例えば、XYZのツアーが長く、そればかり叩いていて北京に戻り、
久しぶりにスタジオのセットを叩くと、
まるで女の子がすねているかのように言うことを聞いてくれない。
理論的に言うとセットによって音色が微妙に違うので、
それに合わせて叩き方が微妙に違い、
それが微妙に反映して違うセットでは微妙に音が鳴らなかったりするのであろうが、
しかし感覚としてはそれが非常に人間的で、
「あんた他の女抱いて来たでしょ」
ってなもんである。

・・・非常に面白い・・・

そんな時はヘッドを張り替えてあげたり、
チューニングに時間をかけたりしてゆっくり対話してやる。
たっぷりと愛情を注いでやるとやっと機嫌を直して鳴ってくれるようになる。
そう言う点ではすねたらすねっ放しの人間の女の子よりは扱いやすい。

だから最近はドラムのレコーディングとなると1時間は早くスタジオに行き、
なるだけそのセットと会話してやるようにしている。
まあワシも人間の女の子相手にこれをやってればモテるのであろうが・・・

そんなある日、またレコーディングの依頼。
ところが行ってみるとスタジオの若い衆が「フロアタムが見当たらない」と言う。
「今時の若いもんは」はどの国でもどの時代でも共通で、
仕方がないのでその日は14インチのタムをフロアに代用して録音したが、
叩きながら
「いざ本当に無くしてしまって見つからなかったらどうしよう」
と思ったらもう気が気でない。

このセットは基本的に既に製造中止の型番なので、
無くしてしまったらもうそれっきりである。
音が変わってしまうのでフロアタムだけ別の型番でと言うわけにもいかず、
早い話フロアが無くなればすなわちドラムセット全部が役に立たなくなってしまう。

パールさんにお願いして再び同じ材質の同じフロアを作ってもらうか・・・
それもえらい手間と出費であるし、また他のタムタムとの長年の歴史を考えると、
同じ型番であろうと絶対にマッチしない。

このドラムセットは胴が厚く、運ぶにも非常に重く、スタッフにも嫌われるし、
胴が厚いとなかなか鳴らないし、
しまいには癇癪を起こしてぶち捨ててやろうと思ったが、
1ヶ月間叩きに叩き込んでやっと言うことを聞くようになり、
そうなると逆に可愛くてたまらなくなり、
今ではワシの一番好きなドラムセットである。

つまり同じ型番で新しいのを作ってもらっても、
10年以上叩きこんだ歴史がないので決して同じ音色にはなれないのである。

「無くなった」と思ったら、急にこのセットとの数々の思い出が思い出されて来た。
音が鳴らなくて、もう捨ててしまおうかと思っていたあの頃・・・
鳴り始めて可愛くてたまらなかったあの頃・・・
新しいドラムセットが来てそっちに夢中になり、倉庫の隅っこに追いやってたあの頃・・・
北京に行く便があったので「先に北京に行け」とばかり里子に出した・・・
北京のあらゆるドラマーがレコーディングやリハーサルで使ったが、
「このドラムはダメだ。全然鳴らねえや」
と誰にも相手にされなかった。
そのまま誰にも鳴らしてもらうことなく、ずーっとほっとかれてた・・・

北京に引っ越して来て久しぶりにあいつにあった。
誇りまみれのボロボロで、セットを組むにも相変わらず重く、
まるで太ってものぐさで言うことを聞かない駄馬である。

しかしヘッドを変えてやって組みなおし、性根を入れて叩いてやると、
「何?こいつのどこが駄馬じゃ?」
突然生き生きとして昔と変わらぬいい音で鳴ってくれた。
「ほら見てみぃ!」
得意げに人に聞かせるワシ。

それからあいつと一緒にいろんな名演、名盤を残して来た。
あいつはワシを乗せてこの戦場を得意げに走り回り、
この北京の音楽界に「ファンキー末吉」の名を残し、そして歴史を残した。

名馬騎手を選ぶと言うが、
実はワシがあいつを選んだのではない、
ワシがたまたまあいつに選ばれただけなのである。

そんな名馬が片足をもがれたように、こんな些細なことでもう走れなくなるのか・・・
それを思うとワシは悲しくって情けなくって、
そんな名演、名盤を引っ張り出して来て酒を飲みながら聞いていった。

とあるオーケストラとの競演・・・
仕上がってみると結局オーケストラとドラムだけのオケである。
・・・何と言うスケール感・・・
たったひとりで何十人ものオーケストラ相手に一歩も引かず、
スティックを振りかざして切り込んでゆく。

ワシはいつの間にこんなことが出来るようになっとったんじゃ・・・

音楽は偶然の積み重ねである。
このセッションでこの音色、このリズム、このグルーブがあるのは、
神様が与えてくれたほんの偶然に過ぎない。
ドラムなんてもともと、
同じチューニング、同じ部屋、同じ人間が叩いたって毎回全然音が違うんだから・・・

こんなワシがこいつと出会って、
この日、この場所でこんなレコーディングセッションをし、
そしてこんな音楽をここに残した・・・
これはひとつの偶然でしかない。

しかしお互い生きてさえいれば、またこんな偶然を生み出せるかも知れない・・・
もうお前は戻って来れないのか・・・
そう思ったらまた涙が出て来た。

愛とは失って初めてわかるものだと人は言う。
「俺はこんなにあいつのことを愛してたのか・・・」
だったらどうしてもっと大事にしてやらなかった!
どうしてもっと愛してやらなかった!
今さら後悔したところで全てが遅い。

新しいドラムが来たからと言ってさっさと乗り換えていったワシ・・・
北京に里子に出されて誰にも相手にしてもらえなかったあいつ・・・
せっかくステージ栄えするようにと銀色にしたのに、
結局誰にも磨いてもらえずに今ではくすんだ灰色である。
ネジひとつ換えてもらえず、ボロボロのまま走れなくなってしまったのか・・・

こんなことだったらもっと大事にしてやればよかった。
もっと愛してやればよかった・・・
また酒を飲んで泣いた。

数日たって若い衆から連絡があった。
「フロアタム、見つかりました」
電話の向こうで心配してくれてた会社の人が大喜びであるが、
ワシはもう「嬉しい」と言うより「あいつに悪い」と言う気持ちでいっぱいである。

「このことに責任を感じている人間、
そしてこのドラムに少しでも愛情を持ってくれてる人間、
全員集合してこいつの大メンテナンスをやるぞ!」

家から全てのドラムの部品を運び込み、
半日かけてドラムのヘッドを全部外し、ネジを全て締めなおし、
痛んでる部品は全部取り替え、考えられるメンテは全てやった。

しかし紛失されていたフロアタムを始め、全体的に機嫌が悪く、鳴ってくれない。
よくよく調べてみると、もうタムの木本体が張り合わせが浮いていたり、
早い話、いろんなところにガタがきているのである。

「お前も年とったんじゃのう・・・ワシと一緒じゃ・・・」

「よし!」とばかり再びスティックを振りかざす。

「名馬よ。たとえお前の肉体が老いてしまおうが、お前はまだまだ走れる。
ワシもまだまだスティックを振り回せる。
共に死ぬところは戦場じゃ。お互い走れなくなったら共に死のう!
我ら生まれし日は違えども、死ぬ日は同じ日同じ場所!」

まるで三国志演義である。
共感したのかウケたのか、
次の日のライブでやつはとてもいい音で鳴ってくれた。

アホなドラマーのドラムはやはりアホである。
共に一生アホな人生を送ってゆきたいもんじゃ

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:15:34

2004年11月11日

零点(ゼロ・ポイント)の新しいギタリストは日本人?!!

前回の来日は長かったぁ・・・

2週間もの間日本を空けるのは久しぶりである。
飲むヒマどころか飯食うヒマも寝るヒマも風呂に入るヒマもない北京での生活の反動で、
ツアー中は飲むは食うわ、数キロ痩せた身体にお釣りが来るほど肉がつく・・・
昔は忙しい日本での生活から逃げるように北京に来てたものだが、
それがすっかり逆転してしまい、
今では日本に帰って初めてゆっくり出来ると言うありさま・・・

ツアー終了後、橘高文彦のソロアルバムに参加するために東京に向かった。
ドラムを叩く仕事なら大歓迎である。
予想通りの体力モノのツーバスを命がけで踏みながら生きてることを実感する。

まあこの体力モノばかりを10曲、2日間で全部録音し終えてしまうのはかなりしんどいが、
北京での生活のように朝から朝までパソコンと格闘しているよりはマシである。
ワシは「ドラマー」なのである。

「末吉さん、北京帰ったらまた忙しいんですか?詞を1曲書いて欲しいんですけど・・・」
詞ぃですかぁ?・・・
一番苦手な分野であるが、橘高の頼みなら仕方がない。
やるのはかまわんが問題はその時間、あるんかなあ・・・

この来日のためにいろんなプロジェクトをぶっちして帰って来たからなあ・・・

まず零点(ゼロポイント)。
(関連ネタ:https://www.funkycorp.jp/funky/ML/78.html、https://www.funkycorp.jp/funky/ML/92.html)
「今回のアルバムは
メンバーがそれぞれ気に入ったアレンジャーに2曲づつやってもらう」
と言うことで2曲だけですむやったのが、ちと頑張りすぎたのか、
「やっぱお前のんが一番ええわ。やっぱお前が9曲全部やってくれ」

ひぇーーー

「2週間も日本に帰るのか?そりゃ帰るまでにあと7曲全部アレンジしてくれなきゃ困る!」

ひぇーーーひぇーー

んなもん2日や3日であと7曲もやれるはずもなく、
結局やっと出来上がった3曲だけを渡して逃げるように帰って来た。
あとは知らん!勝手にやっといてくれ・・・

「北京に5セットあると言うお前のドラムセット全部スタジオに運び込んで
アルバム10曲全部ドラム叩いてくれ!」
と言うギタリストWの新しいユニットのレコーディング。
アレンジも数曲上げ、非常に楽しみにしてたのだが結局スケジュールが合わず、
他のドラマーが叩くと言うことでドラムセットだけ貸してあげて逃げるように帰って来た。
いいアルバムに仕上がることを願う。

「3枚目のレコーディングやってんだけどまたドラム叩いてくんないか」
と言うプロデューサーLの女子十二樂坊のレコーディング。
(関連ネタhttps://www.funkycorp.jp/funky/ML/91.html)
まあこう言う時に限って来日の2週間がデッドラインやったりするんやなぁ・・・
やってあげたいのはやまやまじゃが逃げるように帰って来た。

「いつ時間あんの?この前アレンジやってもらった曲、早くレコーディングしなくちゃ」
と言うS社長んとこの新人のプロジェクトはそのままずーっとほったらかしてるし、
頼まれた陳琳のブラスとストリングスアレンジは、
譜面までは起こしたもののスタジオに入ってレコーディングする時間がない。
すまん・・・ほな逃げるように日本帰るんで誰か使って適当にやっといて・・・

あれ?・・・なんや結局ぶっちして消えてしまった仕事はドラムの仕事が多く、
帰ってもまだやらねばならんのはアレンジとかが多いやないのん・・・

・・・ドラマーとして生きるために北京に移り住んだのになあ・・・

ま、でも零点(ゼロポイント)さえなければ詞ぃ書くぐらいなんとかなるじゃろ。
確か今月半ばにはレコーディングを終え月末には発売と言うとったから、
まあワシが北京に戻った頃にはレコーディングも終了してるはずである。

「いいよ、ワシの詞なんかでよかったら使ってやって下さいな」
橘高の申し出を快諾し、またドラマーじゃないことを背負い込んでしまうことになる。
そしてこれが後に自分の首を大きく絞めることになることを
その時点では夢にも思ってなかったのである・・・

北京空港に着いて、中国用の携帯の電源を入れたとたんに電話がなった。
「おう、ファンキー!やっと帰って来たか」
零点(ゼロポイント)の会社の人間である。
「待ちかねてたんだよ。じゃあ、明後日からスタジオ入るからね」

あのう・・・レコーディングはワシのいないうちにやり終えてしまってたのでは・・・

「やっぱお前がいないと始められないと言うことでずーっと待ってたんだよ
とりあえず明後日までに残りの曲を全部アレンジしてくれ」

ひぇーーーー

ぶっちしてたつもりがポーズ押して停止してただけなのね・・・
マスターが仕上がったら1週間後にCD発売されるこの国では、
発売日なんぞあってないようなもんなのである。

「そいで、ギタリストはやっぱ日本から呼ぶことにしたら
誰かいいの探して明々後日に連れて来てくれ」

ひぇーーーーひぇーーーー

零点(ゼロポイント)は先日ギターとキーボードが脱退し、
現状ではサポートメンバーを使って活動している。
前々から日本のギタリストを呼ぼうとは言われていたが、
どこの酔狂なギタリストがわざわざ北京くんだりまで来ますかいな・・・

まあ前々から言われてたように「半年北京で住め」と言うならまず不可能だが、
レコーディングだったら1週間でいいんだからなんとかなるかも・・・

まず彼ら自身の第一リクエストであるXYZのギタリスト、橘高文彦・・・
・・・んなもんさっき橘高ドラム叩き終わったところなんやから今から佳境やないの・・・
ソロアルバムと北京入りやったらまずソロアルバムが大切でしょう・・・ボツ!

まるっきり面識のない人間でも困るので、近いところから片っ端から連絡をとってみる。
山本恭司・・・シャラ・・・高崎晃・・・
んなもんみんないきなり明々後日から1週間なんて空いてるわけないやないの!!!!
ボツ!

困り果ててた時に、自宅にてJUNXION(ジャンクション)のCDを発見。
去年XYZレコードからデビューしたハードロックバンドである。
「こんなんどうかなあ・・・」
ダメ元でメンバーに聞かせてみる。
「非常にいいじゃない。彼で行こう」
本人のいないところで勝手に話が決まる。

胸を撫で下ろしたワシはギターの櫻田に電話をし、
「お前、どんな大事な用事があろうが全てキャンセルしてすぐ北京に来い。
断ったらお前らのバンド、潰す!」
と言い放ち、電話を切る。
あとはワシの日本の美人秘書がチケット等を手配してくれる。
やはりこのような人間関係をいたるところで構築しておくべきじゃのう・・・

と言うわけでジャンクション櫻田はチケット代が一番安いパキスタン航空に乗せられ、
彼にとって生まれて初めての海外である北京空港に降り立った。
北京のワシのアシスタントがピックアップに行き、スタジオまで連れてくる。

「お、来たね。マーシャル用意しといたからね。
明日から5日間で5曲。録り終えなければ帰さないからね。
一応パスポートと帰りのチケットは預かっとこう」

こうなるともうタコ部屋状態である。
そのままホテルに帰って、渡された譜面とDEMOを聞いてちゃんと弾けるように練習して、
スタジオに来てちゃんと弾けたら次の日のを渡され、
最後までちゃんとやれたら日本に帰れるが、ひとつでもつまづいたら帰れない。
どっかのテレビ番組の罰ゲームのようなものである。

また今回のアルバムは中国の民謡や童謡や古い歌謡曲のカバーアルバムなので、
特に京劇とかの舞台曲とか民俗音楽系は非常に難しい。
外国人に歌舞伎が難解なのと同じように、
これをロックにアレンジすると変拍子がいっぱい出てきてまるでプログレである。
しかもそのうちの2曲は16部音符の超早引きフレーズが
書き譜で最初から最後まで指定フレーズとして書かれている。
しかも中国人なら誰でもそのフレーズを知ってるわけで、
少しでも間違ったり直したりするわけにはいかないのである。

「こんなの弾けませんよぉ・・・」
ナキを入れる櫻田に、
「アホか!民族楽器が原曲ではもっと早いスピードでオールユニゾンやがな。
自分のバンドでもっと早弾きしてるギタリストが弾けんわけはない!」
と渇を入れる。

「運指が全然違うんですよぉ・・・こんなのイングヴェイでも弾けませんよぉ・・・」
とナキを入れながらジャンクション櫻田の眠れぬ生活が始まる。

でも考えて見ぃ!ワシはこの難曲を1週間かけて解析して
ロックにアレンジしてDEMO作って譜面書いて何日徹夜してると思とんねん!
おまけに今回は昼間ギター録りしながら夜は次の曲をアレンジ、
その合間を見ながら他の仕事もこなさなアカンのやでぇ・・・

他の仕事・・・他の仕事・・・
しもたぁ!!!!橘高の詞ぃ書かなアカン!!!

音楽仕事も水商売と同じで、忙しい時に仕事が来て、ヒマな時は閑古鳥である。
まあ、ワシが寝れんのやからお前も寝るな!
ってなもんでジャンクション櫻田は
初めての外国での唯一の知り合いであるワシにかくも冷酷に突き放され、
罰ゲームのようなレコーディングに突入するのであった。

部屋から出ようにも外国なので怖くて出れないし、
英語もわからないのでコミュニケーションも出来なくて、
国際電話をかけれるようになるのに1日、
部屋のポットでお湯を沸かすのに2日、
腹が減ってたまらず、
勇気を振り絞ってホテルの下のSUBWAYでサンドイッチを購入するのに3日、
近所のコンビニでビールを購入できたのは最終日の5日目であった。

ワシはワシで11月4日には北京Jazz-yaでJazzライブも入ってるので、
ギター録りはその日から夜中にやることになり、
ひとりで買い物も出来ないジャンクション櫻田は
朝方ホテルに帰ってから夕方までひたすら腹を減らしてギターを練習していたのであった。

かくしてギター録り5日目。
鬼のようなパンチインを繰り返した問題の超難曲を含め、
予定されていた5曲全部を無事に録り終えた。
ジャンクション櫻田もさすがにヘロヘロであるが、
中国ではプロデューサー自身がパンチイン、パンチアウト
等、プロトゥールスの操作全てを自分でせねばならないのでワシももうヘロヘロである。

ギターや機材を片付け終わり、ビールの栓を開けたジャンクション櫻田が、
そのまま録音データを整理しているワシに一杯ついでくれる。
もう朝方である。いっぺんで酔いが回る・・・

予備日として予定してあった明日、正確には今日はジャンクション櫻田はOFF。
「僕ぅ・・・どうすればいいですかぁ・・・」
捨てられた子犬のような顔でワシを見る櫻田。
ほっといたらこいつ、
ヘタしたら一日飯も食わずにずーっと部屋から出ないんではないかと思いつつも、
ワシは1時から、つまり数時間後には女子十二樂坊のレコーディングである。
プロデューサーLは彼女たちの民俗楽器の部分を先に録り終え、
ワシが帰って来るのをてぐすねを弾いて待っていたと言うわけである。

「何だって?お前これからプロデューサーLの仕事か?」
スタジオのエンジニアがびっくりしてワシに聞く。
そうだよと答えると
「そうかぁ・・・それはお気の毒に・・・」

彼の病的に細かいこだわりぶりは業界では有名な話で、
「明日何曲叩くの?ヘタしたら朝までだよ」
と本気で同情する。

まあ確かに他のアレンジャーよりは数倍時間はかかるが、
まあ今まで何度か仕事をやったが長くても2、3時間で終わっているので、
まあ何曲録るのかわからんが
夜には零点(ゼロポイント)のレコーディングに戻って来れるだろう、
とスタジオを夜にブッキングして家に帰る。

翌日、正確にはその日の数時間後、Lは時間通りにスタジオに来ていた。
世間話をしながらドラムをセッティングする。

ドラムセットと言うのは面白いもので、
まあ楽器と言うものはそんなものなのだろうが、
それ自身が生き物のように人格を持っている。
同じセッティング、同じ環境で叩いても毎回音が違うし、
久しぶりに叩くとしばらく相手にしてなかった恋人のようにすねて音が出なかったりする。
またワシのように7台も持っていると、
例えばXYZのツアーから帰って来てこのドラムを叩いた時、
「あんた、他の女抱いたわね!」
てなもんで音が出てくれなかったりする。
まあ楽器によって鳴らし方が微妙に違うのでフォームが違って来るんでしょうな。

機嫌を直すには女性と同じでひたすらかまってあげるしかない。
恒例のごとく長い間かけてチューニングしてあげると
やっと機嫌を直して言うことを聞いてくれるようになる。

プロデューサーLは世間話をしながら、
いつもの笑顔でワシと恋人達との音での会話を見ている。
「今日は何曲録るの?」
と聞くと、
「一応2曲で、発注しているアレンジが間に合えば3曲」
まあ少なくとも夜中には終わるだろうから12時ぐらいには零点の方に行けるじゃろう。

セッティングが終わって曲を聞かせてもらう。
壮大なクラシックの組曲のような大曲で、
3拍子と4拍子が入れ混じった変拍子の何曲である上に、
ご丁寧に途中には小さなドラムソロが3箇所も用意されている。

「ガイドドラムは?」
と言うと、「今回はない」と言う。
つまりどう言うリズムでどう叩けばいいかと言うことがわからないのである。

彼が簡単な構成譜を書いて、
口頭で彼がイメージしている叩き方を聞いてそれに書き込んでゆく。
打ち込み系の音楽はパンチインでぶつ切りで録音してゆけばよいが、
こう言うクラシック系の曲は強弱が難しく、大きな流れもぶつ切れてしまうので、
「とりあえず全体を把握するために、何度か合わせて叩いてみますか」
と言うことになり、この巨大組曲との格闘が始まったころ電話が鳴る。
OFFを満喫しているはずのジャンクション櫻田である。

「ホテルの人が来て、予約は今日までだって部屋追い出されちゃったんですよぉ」
んなわきゃないやろ!金は明日まで払うてるがな・・・
「そりゃ間違いや言うて交渉せい!」
と言ってもそりゃ無理な話であろう・・・
日本語の喋れるアシスタントを手配してそちらに行かせるよう段取りする。

巨大組曲との格闘は続く・・・
例によって「こう叩いてくれないか」と言う彼の要求を織り込んで何度かやってみる。
「どうも違うなあ・・・」
最後には彼自身がスティックを持って自分で叩く。
それを聞きながら、「じゃあこう言う感じか?」と叩いてみる。
何せ1曲が長いからこの作業だけでも大変である。

電話が鳴る。
「そのホテルに払ったお金の領収書が必要なんですが・・・」
ジャンクション櫻田である。
お金を払った零点に連絡とって段取りする。

巨大組曲との格闘は続く・・・
だいたいどう叩けばいいかが決定し、
ラフに最初から最後まで通して録音し終わった頃にはもう夕方である。
それまでに録ったテイクは5パターンを超え、スティックももう何本も折れている。

女子十二樂坊のレコーディングでスティックが折れるとはのう・・・

それからそれを基にしてちゃんとしたテイクを録音してゆく。
こだわり満載の彼は、「こう言う風に叩いてくれ」まで細かく指定するが、
打ち込めばそのまま音が出る機械と違って、
生ドラムの場合は手順であったり音の強弱の問題もあってそうはいかない。
例えば
「そこはタムとスネアでこう言うフィルを叩いてくれ」
と言うのを、
「その前にこのフレーズをこう叩いているのに、
その次にダブルストロークを入れると音量が下がって全体的には盛り下がるでしょ。
だからここはむしろタムを両手でフラムショットで叩いて、
その合間はスネアではなくバスドラで埋めるべきよ。
そしたらこうなるから音量も上がるしもっと盛り上がるでしょ」
といちいち1回1回録音し直して納得させる。

日本のスタジオミュージシャンはプロデューサーのイエスマンで仕事をする人が多いが、
こちらではそれぞれがアーティストとして認め合っているので、
必ず「自分はこうするべきだと思う」と言うのをはっきりと言わねばならない。
そりゃそうだ、音楽の構築は全部彼がやっているが、
ドラムを知っていると言うことに置いては彼はワシにはかなわないんだから。

「君の考えではタムはここから出てくるでしょ、
でもタムって出てくるともう消えたら寂しくなっちゃうわけ、
だからここのパターンは君の考えたパターンではなく、
むしろタムを使ったこのパターンに変えた方がいいと思うよ」
更にパターンを変え、また最初から録りなおす。

彼も満足し、基本的なリズムが構築された頃にメシ。
その頃には録ったテイクは10を超え、折れたスティックは10本を超えている。

橘高の体力モノのレコーディングでもここまでは折れんかった・・・

さて最後の難関は小さなドラムソロ。
と言うよりほんの小さなドラムピックアップのフィルイン程度なのだが、
通常でもフィルイン全てを全部パンチインして直す彼のこと、
そのフィルインの連続であるこのセクションでまたスティックを何本も折る。

結局録り終わったのは11時過ぎ。
つまりセッティングから始まって10時間、まあ連続して8時間はドラムを叩き続けている。
スタジオの人はあきれ顔でワシに同情するが、
なに、ワシはドラマーである。ドラムやったら何時間でもまかせんかい!
ワシ待ちである零点(ゼロポイント)や、
最後の北京の夜であるジャンクション櫻田からもがんがん電話かかって来るが、
「よし!次の曲!」
きっと脳内には物凄いアドレナリンが出てるのであろう、物凄くハイである。

あとの2曲はこの曲ほど難しくもなく、
それでもフィルインのひとつひとつを全部直す勢いで、
まあ1曲2、3時間ペースと言うところで3曲全部叩き終えたのは朝の7時。
つまり18時間ずーっとドラム録りをしているのである。

ひぇーーー・・・

でも先週まで「ワシはドラマーじゃぁ」と言うとったんじゃから仕方がない。
ドラマーならドラム叩きながら死ぬつもりじゃないと。

と言いつつもよく考えたら
ワシはそのまま昼の1時には同じスタジオでまた別のドラム録りである。

「6時間後かぁ・・・どうする?」
エンジニアと顔見合わせる。
「俺はもうこのままスタジオで寝る」
エンジニアは帰宅を放棄、そのまま翌日に備えるが、ワシは・・・

「あ、そう言えばジャンクション櫻田は6時にホテル出発で帰国ではないか!!!」

ピックアップは手配して置いたが、
無事にチェックアウトして空港までたどり着けたかどうか・・・

心配する余裕もなくまた気がついたらドラムを叩いている。
このスタジオには自分のドラムセットを置いているので、
「おっ、ファンキーが叩いてんのか?そいじゃあ俺のも1曲頼もうかな」
と言うことも少なくない。
よそのドラム録りのついでにやれば
セッティングの時間も音作りの時間も要らないので便利なのである。

その日は途中ちょっとストリングスのレコーディングも入っていたが、
ドラムセットはそのままにして
その前に窮屈にオーケストラが入ってレコーディングしている。

このスタジオではワシのドラムが一番偉いのである。

ストリングスが終わり次第そのままドラム録り。
結局その日は2本のドラム録りを追え、
次のスタジオに行って零点(ゼロポイント)のデータの整理をしてそのまま日本に帰る。
ドラムももう十分叩いたじゃろ・・・

飛行機に乗ってふと思い出す。
「そう言えばジャンクション櫻田はパキスタン航空やったなあ・・・」
パキスタン航空はリコンファームが必要である。

「そう言えばリコンファームしてなかったなあ・・・無事帰れたかなあ・・・」
まあ帰れんかったら帰れんかったでええかぁ・・・
このアルバムは恐らく数億の中国人が聞くこととなるわけやから、
当然毎日のようにテレビラジオで流れるやろうし、
何万人いるかわからんが中国のギタリストが全てコピーすることになるじゃろ。
言わば日本では知る人だけぞ知るギタリスが
中国では知らない人はいないギターヒーローになるわけやからなあ・・・
そのまま零点(ゼロポイント)のギタリストにでも納まっちゃえば
彼らと同じく大金持ちになれるわけやしなあ・・・

ジャンクション櫻田の運命やいかに!!

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:15:39

2004年06月25日

小さな恋の物語・・・ええ話やなあ・・・涙・・・

小さな恋の思い出

なんか最近よく初めての人からドラム叩いてくれと頼まれる。
今日は3曲まとめてである。
こちらでは1曲叩いたら1週間食えるので3曲と言うと半月以上食える。
よし、頑張るぞ!!

スタジオミュージシャンの中でドラムは一番大変である。
この大きなかさばる機材を自分でスタジオまで運ばねばならないから。

ワシはもうかれこれ20年近くパールのモニターをやっているので、
パールから提供してもらったドラムセットももう全部で7台となり、
2台が日本、あとの5台は全部北京に送ってある。
総重量570kgあった・・・

北京にある5台のドラムセットのうち、
ひとつはS社長のスタジオに置いてあり、もうひとつはLプロデューサーのスタジオ、
そしてJazzセット(小すいか)は今後のJazzライブのためにJazz-yaに置いて、
後はどどんと今の住処に置いてある。
ドラムの山である。(すいかドラムとかいろいろ・・・懐かしい・・・)

いつもS社長のスタジオか、Lプロデューサーのスタジオで録ってくれれば、
ドラムを運ばなくていいので楽なのだが、先方にも都合があるのでそうはうまくはいかない。
アシスタントの重田に連絡して、指定のスタジオに指定の時間にドラムを運ばせる。
ドラムのフルセットをタクシーに積んで運ぶので彼も大変である。

さてワシは指定された時間に指定されたスタジオに行くのだが、
初めてゆくその日のスタジオは珍しく市外の南側にあった。
スタジオは大体北側か、遠くても西側に多いので、南側には滅多に行く機会がない。
ともすれば初めてゆく場所なのだが、
ワシにとってはとある小さな思い出のある場所であった。

数ヶ月前になるであろうか・・・
香港の夜総会好きの友人Wは、突然北京にやって来て「会おう」と言うので、
タクシーに飛び乗って行き先を伝え、そのまま着いたところが
想像にたがわず夜総会、つまりカラオケ(と言う名のキャバレー)であった。

着いた頃には上機嫌でカラオケを熱唱するW。
ワシは挨拶して一緒にちょいと酒が飲めればそれでいいのよ・・・

頼みもしないのに店長がやって来て「女の子を選べ」と言う。
いいの、いいの、ワシは・・・女の子おったってろくなことないから
https://www.funkycorp.jp/funky/ML/68.html
と断るのだが、それでは店長のメンツが立たないのであろう、
仕方がないので女の子がたむろする場所、いわゆるここが「ひな壇」なのであろう、
そこに連れて行かれ、
仕方がないので適当に奥に座っている地味で目立たない女の子を指名した。

「おっ!!」
店長が何やらちとびっくりした仕草をしたので「どうしたの?」と聞くと、
「この娘は今日が初仕事なんですよ」と言う。
テーブルについた彼女も
「始めまして。私は昨日北京にやって来たばかりで今日が初出勤です。
至らぬところもあるでしょうがお許し下さい」
とお辞儀をする。

見れば素朴で、こんな商売にはまるで似合わないような娘である。
「いくつ?」
聞けば20歳だと言う。
どんな家庭の事情でこの仕事を余儀なくされたのであろう・・・

ワシはこの後打ち合わせがあり、
人と会わねばならないので「持ち帰り」などとうてい出来ないが、
飯をまだ食ってないので、連れ出して一緒に飯でも食うと言うのはどうだろう。

やり手ババアのママさんに聞いてみる。
「300元払えばいいわよ」
キャバクラの店外デートのようなもんか・・・

よし!じゃあ300元!
最近金があるのでつい無駄遣いをしてしまう・・・
アホな男である。

「じゃあ着替えて来させますから」
ママさんが彼女を裏に連れてゆき、しばらくして私服に着替えて戻って来た彼女は、
どっから見ても「田舎から出てきたばかりの素朴な女の子」である。

思えばWに初めて香港の夜総会に連れて行かれた時、
なかなか「女の子を選ぶ」と言うことが出来ず、
キレたママさんに「あんた結局どう言う女の子が好みなの!!!」と言われ、
「うーん・・・素朴な女の子・・・」
と答えたら「んなんがこんなとこにおるかい!!」と大笑いされたことがあったが、
思えば彼女こそ希少な「素朴な女の子」そのものではないか・・・

Jazz-yaに連れてゆき、とりあえずカクテルと飯を頼んだ。
「君の初仕事に乾杯!」
男は金持ってるとちとかっこいいことが出来て素敵である。

差しさわりのない程度に聞いてみる。
「なんでこんな仕事始めようと思ったの?」
別に言えることだけ言えばいい。飯を食い終わったらそのまま別れて、
恐らくまた会うことはあるまい。ワシはただの彼女の初めての客なのである。

身の上話を聞いてるうちにちょっと説教癖が出てしまう。
「でもさあ、あんたこの仕事がどう言う仕事かわかってんの?
もしこのまま俺があんたと寝るって言ったら寝なきゃなんないんだよ。
わかってんの?」

彼女の顔が少し曇る。
しばしの沈黙・・・
場が持たなくなって口を開くワシ・・・

「でも、どんな生活にだってそれなりの幸せはある。
問題なのは覚悟を決めて飛び込むかどうかだよ。
覚悟さえ決めればどんな生活にだって絶対それなりの幸せはあるからね」

Jazz-yaのキャンドルの炎のせいか、初めて飲むカクテルのせいか、
彼女の頬が少し赤らんで、目が心なしか潤んでいるように見えた。
都会の華やかなバーの雰囲気のせいか、初めて飲むカクテルの酔いのせいか、
彼女がだんだんと能弁になる。

「嬉しい。今日は私の記念日。今日のことは一生忘れない。私、頑張る!」
彼女と乾杯する。

「俺は友人が夜総会を経営したりしてるんでこの商売のことはだいだい知っている。
この商売の女の子の末路がどう言うのかも知っている。
最後には落ちぶれていなくなってしまうか、
生き残ってあのやり手ババアのママさんとなって別の女の子で稼ぐか・・・
どっちにしてもこの世界に住んだら女の子はすぐに変わってしまう。
お店にいただろ、あの派手な女の子。
あれがこの世界のプロだよ。ああじゃないと稼げない。
あんたもいつかああなってしまうのか、それもいいだろう。
でもあんたの初めての客は素朴な女の子が好きっつう変な客だった。
君の今が好きだった。
その初めての変な客からのささやかな願いを言わせてもらうと、
出来ればあんたにはこのまま変わって欲しくない。
でもそれもきっと無理な話だろう。だからせめて
今の素朴なあんたを好きだった変わった客がいたんだ
と言うことを覚えていてくれればそれでいい」

彼女の初めての客は、彼女に300元を渡してタクシーに乗せ、
自分は次の打ち合わせ場所へと向かって行った。
方向も彼女は南側、自分は北側。まるで反対方向である。
生きている世界もまるで違う。もう会うこともないだろう・・・

しかしまるで接点のないこのふたりを、携帯電話のショートメールがつないだ。

「昨日はありがとう。いい思い出になりました。あなたの仕事が順調であることを願います」
お決まりの営業メッセージである。
お決まりの返事を返してそれで終りのつもりだったが、
アホなワシはどうしても彼女のことが気になって仕方ない。
「どや?客がついたか?生活は順調か?」
いらぬ心配をしてメールを送ってしまう。

メル友をやってるうちにいろんなことがわかって来る。
彼女の収入は指名されて初めて彼女に入ってきて、
誰からも指名されなければボーズ、つまり一日ひな壇に座っててノーギャラである。
世の客はどうせ金を払うなら派手でセクシーな女の子を選ぶので、
彼女のようなキャラクターではなかなか勝ち目がない。
しかも彼女の一張羅のドレスや化粧品なども全て自前で用意せねばならない。
考えてみればキツい商売である。

「いいよ。飯ぐらい奢るよ」
ある日仕事終りに彼女を食事に誘った。
食事だけの300元でも彼女の収入になったらそれはそれでいい客である。
「初めてのいい客」をやり続けるのも大変である。

田舎から出て来て右も左もわからない彼女と待ち合わせ。
仕方がないので彼女の住んでいるところの近くにする。
彼女が転がり込んでいるホステス仲間のマンションの向かいのレストランに、
彼女はあの時と同じ服を着て来ていた。
それが今回ワシがドラムを叩きに来たスタジオの隣であったのだ。

「よ、この前と同じ上着だね。かっこいいじゃん!」
美的センスがゼロのワシが何とか服装を褒めようとすると墓穴を掘る。

「私・・・着の身着のままで来たからこの服しか持ってないの・・・」

食事をしながら彼女のグチを聞いてあげる。
職場のこと、家庭のこと、そして慣れない北京での生活のこと・・・

「じゃあ友達紹介してあげるよ。
俺の周りは有名人だけじゃなく食うや食わずのミュージシャンがいたり、
いろんな奴がいて面白いよ。
別に自分の職業言わなくてもいいし。
集団就職で来て夜レストランで働いてるとでも言っておけばいいじゃん。
君を見てまず水商売だと思う人はいないよ。
その代わりね、自分の商売を卑下しちゃだめだよ。
好きでやってるわけじゃない、これやらなきゃ生きていけないからやってんだから。
仕方ないんだからあんたが悪いんじゃない。
こんな仕事やってるからってあんたはむしろお天道様に胸張って生きていかなきゃ。
どんな生活にだってそれなりの幸せがあるんだから。それを早く見つけようよ」

そして彼女の「最初の客」は、その頃から彼女の「最初の友達」となった。
毎日のように彼女はひな壇からメールを書いて送って来たが、
彼女のグチは日増しにひどくなって来た。
ある時にはまた仕事終りに彼女の家の近所まで行って飯を食ってグチを聞いてあげた。
友達なのでもちろん300元も払わない。

そんなある日、ぷつんと彼女からのメールが途切れた。
仕事が終わってもメールが来ず、心配して電話をしても電源が入ってない。
そして次の日の昼間も連絡が取れず、夜になってひな壇からメールが来た。

「ごめんなさい。仕事終わって電話を同居人に渡したまま朝まで帰らなかったから・・・」

ピンと来た。彼女は初めて客をとったのだ・・・
それはそれで喜ばしいことではないか・・・ちょっと複雑な心境ではあったが・・・
そしてしばらくしてひな壇からメールが来た。

「この街はなんてひどい街なの・・・
私はここに来てからひとつたりともいいことなんてなかった。
世の中ってどうしてこんなに不公平なの。
私だけがどうしてこんなに辛い思いをしながら生きていかなきゃなんないの」

一生懸命慰める。
「どんな生活にだってそれなりの幸せがあるから」
すぐに返事が来た。
「幸せですって?私には遠すぎるわ・・・あまりにも遠すぎて絶対につかめない・・・」

あまりにも可哀想で、彼女にメールを送った。
「じゃあ今日仕事終わったらぱーっと行こうか。家の近所まで迎えに行くよ」
心なしか彼女のメールの表情がぱっと明るくなった。

そして真夜中の1時。彼女が仕事が終わったとメールが来る。
タクシーに飛び乗るワシ・・・
家に着いたとメールが来る。
もうすぐ着くよとメールを送る。

しかし家の近所に着く頃にメールが途絶える。
電話をかけても通じない。

当時はまだ寒かった・・・
門の前で1時間彼女からの連絡を待った。
でも連絡が取れず、ワシはあきらめて家に帰った。

南側からワシの住む東北側はタクシーでも非常に遠い。
道のりの半分を過ぎた頃、彼女からのメールが届いた。

「やっぱり来てくれなかったのね。ずーっと待ってたのに・・・じゃあおやすみなさい」

急いで電話をするワシ。
「やっとつながった!!ずーっと電話してたのにつながらなかったよ。
メールも送ったのに・・・」

聞けば「家に着いたわよ」の返信以来全てのメールが不達であったらしい。
回線が悪いのか、その時だけワシの電話にも電話がつながらなかったらしい。
不思議な話である。

「俺は寒空の下、1時間ずーっと君のこと待ってたんだ・・・」
にわかに信じがたそうな彼女。
「じゃあ今から戻るよ。外で待ってて」
しばらく考えてから彼女は優しくこう言った。

「いいの。今日はもう遅いから寝ましょう。また今度ね」

それからワシは日本に帰ってしばし仕事をし、
忘れかけてた頃、久しぶりに彼女からメールがあった。

「私・・・明日故郷に帰ります・・・」

ワシは急いで彼女と連絡を取って呼び出した。
「今日は門のところまで出て待っててくれ。前回みたいなことがないように。すぐ行く」

彼女はまた同じ服を着て門のところに立っていた。
1ヶ月働いて彼女は自分の服ひとつ、
靴下ひとつも買うことが出来なかったのである。

「明日帰るんだったら俺が北京で一番綺麗なところに連れて行ってやる」
皇帝の保養地だった后海と言う湖のほとりを手をつないで歩いた。
ベンチに座って真夜中の湖を見ながら語り合う。

「この街に幸せはなかったわ」
湖を見つめて悲しそうにつぶやく彼女。
「バカヤロー。幸せなんかなあ。つかむもんじゃ!努力もせんで何の泣き言じゃい!」
ちょっと興奮して奮起を促すワシ・・・
「でもね、世の中は平等じゃないの。幸せな人もいれば絶対幸せになれない人もいるの」

「アホか!世の中が平等なわけないやないかい!お前と俺が平等か?
お前が女である全てを捨てて稼ぐ金を俺はドラム叩いたら1日で稼ぐことが出来るんや。
誰が世の中平等や言うた?んなもん絵空事や。
でもお前よりも不幸な奴も俺はたくさん知ってる。
この国は特にヒドい。そんな話は珍しくないぐらいどこにでも転がってる。
でも低く生まれた奴はみんな不幸か?高く生まれたらみんな幸せか?
低く生まれても幸せな奴もいれば高く生まれても不幸な奴もいる。
上を見ればきりがないし、下を見てもまだまだ下はいる。
この自分の世界だけを見て、その世界の自分だけの幸せを探すんじゃ。
絶対に見つかる。見つからんのは努力してないからじゃ。
神様は人を確かに不平等に生んでるけど、幸せをつかむ権利は平等や。
ただその幸せの種類が人によって違うだけや。
見つけたらそれはその人だけのかけがえのない幸せや。違うか?」

ワシはひとりの娼婦の物語を彼女に話した。
一人っ子政策の二人目の子供である彼女の家庭は、
その罰金のためにただでさえ貧しかったのが、
お兄さんが犯罪を犯して刑務所に入れられ、
その命を守るために毎年多額の賄賂を送らねばならない。
その天文学的なお金を彼女は北京まで来て身体を売って稼ぐ。
しかし働いても働いてもお兄さんは出獄できない。
父親からは毎日催促の電話。
もう生活力もない両親。その生活も全部彼女の稼ぎの肩に乗っかる。
怒鳴り散らす彼女。金、金と毎日電話をかけて来る親・・・
この世の地獄である。

その金のためにありとあらゆることをやって、その娼婦は22歳でもうぼろぼろであった。
それに比べたらこの新米娼婦なんぞいい方である。
このまま故郷に帰って、落ちるところまで落ちずに
それなりの幸せをつかむことは出来ないことではないようにワシなんかは思うが、
しかし所詮は違う世界の人間が傍観して勝手なことを言ってるだけのことである。
まさしく「住んでる世界が違う」のである。

しばし無言で湖を見つめる。
「じゃあ私、帰る・・・いろいろどうもありがと・・・」
彼女が立ち上がる。
つないだ手を離したらもう二度と戻って来ないような気がしたが、
ふたりはその手をそっと離した。

最後にワシはまた彼女に
「どんな生活にでも絶対にそれなりの幸せはある」
と言った。
ちょっと苦笑いを見せて彼女はうなずいた。

タクシーを止めて彼女を乗せる時に、最後にちょっとだけ聞いてみた。
「ねえ・・・あの日・・・もし電話が、メールが通じてたら・・・俺たちひょっとして・・・」

彼女は何も答えず、ちょっと背伸びをしてワシのほっぺにキスをしてタクシーに乗り込んだ。

「ええ話やないの・・・」
3曲のドラム録りは順調に終り、
飯を食いながらミュージシャン仲間に思い出話を語っていた。
一番女遊びが激しいロックミュージシャンEが俺にこう言った。

「でもな、娼婦はしょせんは娼婦よ。お前と彼女は住むところが全然違う。
お前はバカだからわかっとらんかも知れんが、彼女はじゅうじゅうわかっとるよ。
男はなあ・・・金を持つと変わるんだ。女はなあ・・・金がないと変わるんだ」

今ではめったに来ることはない南側の懐かしい街角を後にした。

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:15:47

2002年03月16日

当てぶりのカラオケが針飛び・・・

ホワイトデーだったのかぁ!

北京にいてもキャバクラ嬢からのMailが頻繁に届く。
この営業努力は大したもんである。
「ホワイトデーだよっ!
でもファンキーさんには結局チョコあげられなかったものね(涙)」

ええ話やなあ・・・

確かバレンタインデーにはこんなMailが来ていた。
「チョコレートは何個もらえたんですか?」
「ゼロ個!」
胸を張ってそう返信するワシ。
「嘘だ!私は信じないわ!」
数行空いて
「私のチョコ・・・貰ってくれますか・・・」

胸キュン・・・(死語)・・・

飛行機に飛び乗って、チョコもらって、
代わりに数万円の飲み代を払うこともなく、
ワシは北京で仕事してたね!

胡兵(HuBing)と言う歌やドラマに大活躍の男性スーパーモデルがいて、
そのゲスト歌手に陳琳(ChenLin)が呼ばれたと言うことで、
武道館クラスの体育館コンサートだと言うのに
また当てぶりで太鼓叩きに行ってましたがな。

ワシはねえ、こう見えてもちゃんと仕事をしたい人間なので、
テレビなんかと違って
体育館では誰もドラマーの手先まで見えないとわかってても、
前の日にちゃんと全てのフィル・インを完コピして当てぶりに臨んだもんね。

しかしあの日は凄かったねえ・・・
当てぶり用のカラオケCDをミキサーに渡してるんだけど、
ワシなんかそれに合わせてもう完璧に本物のように叩いてるわけよ。
シンバルとか動くものは思いっきり叩き、
タムとかスネアは音が出ないようにリムを叩き、
まあ客席からはそんなとこまでは見えないけど、
スタッフなんかだけにでもちゃんと誇示したいですがな・・・

数曲完璧な(演奏)が続き、
ある曲での後半部分での出来事・・・
途中の静かな部分でいきなりカラオケCDが針飛びしよった!
慌ててサビを歌いだす陳琳(ChenLin)。
急いでサビのドラムを叩く振りをするワシ。
そしたらまたそのサビの途中でCDが針飛びしよった!
何か変だと思いながらサビを歌い続ける陳琳(ChenLin)。
リズムの頭を瞬時に聞き取って、また完璧に当てぶりするわし。
そしたらまた針飛びしていきなりエンディングに行きよった!
わけがわからずサビを歌い続ける陳琳(ChenLin)。
ドラムのフレーズでこれはエンディングだと瞬時に判断するワシ。
しかしまたどんどん針飛びして行き、
しまいにはプツンと音が切れてしまった。

ララララーラーラー(サビのフレーズ)・・・プツン・・・あーうー・・・謝々!
「謝々かい!」
と心で思いながらもワシはワシで生音のシンバルの音と、
リムを打つカランカランと言う音が会場にこだまする・・・
「しもた!」
振り上げたスティックを振り下ろすに下ろせず、
そのまま頭ポリポリ・・・

いやー、こんなこともあるんですねえ・・・
ええ経験させてもろた・・・


それにしても今回はたくさん仕事をしている。
着いてすぐ元黒豹のメンバーである巒樹(LuanShu)プロデュースの仕事で
「飛行機代出してやるから5曲叩いてくれ」
と言われて、スタジオに缶詰になっていた。
しかしドラムなんぞはそんなに数時間叩くもんでもないし、
とどのつまりはほとんどが待ち時間である。
昼一番で1曲ドラムを叩いたら、
そのまま「パーカッションも録るよ」と言われて待たされ、
ベースとかギターとか入れるのを待って夜中の2時になってやっと、
「よし、聞いてみるか」
うーむ・・・
「明日やろか・・・」
それを早う言え!

ひどい時にはその日は何もやらずに「今日は帰っていいよ」やもんね。
夜になってから言うな!っつう話である。
ま、それでも結局5日間で予定通り全て録り終わり、
日本のサラリーマンの初任給以上はもろたし・・・
かなりの金額やったなあ・・・そのままS社長への借金で右から左やったけど・・・

今日はいきなり黒豹のドラムの趙明義に呼び出され、
「ちょっとこのバンドの演奏聞いてくれ!
いい曲だろ。ただアレンジが今いちなんだな。
お前にプロデュースを任す!すぐアレンジしてくれ。月曜日にレコーディングする」
ちょっとちょっと、あんた・・・
明後日言うたら今晩DEMO作って、
明日打ち合わせして明後日リハやって、次の日やないかい!

バンドものはメンバーの意見が交錯して大変なので、
いくつかの方向性を用意せねばならん。
大変な作業なのじゃ・・・

頭を抱えてたらS社長から電話が来た。
「明後日、空いてるよね。テレビだよ」
ひえーっ!お前らは何で直前になってからしか言わんねん!

煮詰まったのでメルマガを書いている。
(結局発刊は翌日やけどね)

ま、この国では、結局は何とかなるんだよね。
HPの更新でもしよっと・・・

願わくば今度のテレビ収録では針飛びはしないで欲しいのだ・・・


ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:13:50

2002年01月26日

中国政府がワシにバンダナを外させて髪の毛を縛らせるワケ

中国でワシがいつもバンダナを外されて髪を結わえさせられる理由。


昨日は首都体育館で「全球華語音楽大賞受賞イベント」っつうのがあって、
またアホ面下げて当て振り(実際には演奏しないが、振りだけ)しに行って来た。
全地球上での中国語による音楽のNo.1を決めるイベントである。
何と大仰な・・・

主催はChannel[V]と言うアジアNo.1の衛星音楽チャンネル。
全アジアに放送され(何故か日本を除く)、
一説によると5億人が見ていると言う。

「Channel[V]だから今回はバンダナしてもいいんじゃない」
前日、社長が飲みながらそう話す。
初回のテレビは外国人が出ては行けないと言う
中央電視台1(CCTV1)のイベント。
生放送なのでいきなりバンダナで登場!
その時は別に何も咎められなかったが、
次のCCTVのイベントでは、演奏直前に担当者から
「バンダナを外せ!髪も結わえろ!」
と言われた。
S社長の話では
「これは録画だから後でチェックされて咎められる可能性がある」
かららしい。

しかし思い起こして見れば、
この日はロックバンド「黒豹」も一緒に出演してたではないか!
「何で俺だけアカンのや!」

先日は北京電視台の収録だったが、
同じくバンダナを外されて髪の毛を結わえさせられた。
この日はロックバンド「零点」も一緒に出演してたではないか!
「何で俺だけアカンのや!」

酔ったついでにS社長に詰問してみた。
「まあ、バンダナはやっぱロックだからね。
担当者も後で何か言われてボツにされるのもイヤだからね」
まあもっともである。
「わかった。まあ百歩譲ってバンダナはあきらめよう。
でもどうして俺だけがいつも髪の毛を結わえさせられるんじゃ!」
とワシ。
「長髪もやっぱロックだからね」
と平然とS社長。
「ギターとキーボードのあの新人くんかて長髪やないかい!」
とワシ。
「あれはロックと言うより無精っつう感じだから・・・」
「そりゃ認めよう。
けど一緒にバックバンドやったあのギタリストかて長髪やないかい!」
とワシ。
「あれは美形だし、見ようによってはアイドルかな」
とS社長。
「ほな何でワシだけがいつもアカンねん!」

「ファンキーさんは・・・顔が・・・その・・・ロックだから・・・」

怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!
「ワシは顔がナニでいつもナニさせられてたんかい!」
怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!


かくしてイベントの当日。

今日は武蔵小山で買って来た新しい服を着て事務所に行く。
「お、服が新しいねえ」
とS社長。
「いつも寝巻きじゃダメだろうから買ったんだよ」
「投資したね!」
980円ですけど・・・ま、一応・・・
かく言うS社長は、そのぬぼーっとした新人くんのために
自腹でちゃんとした上着を買って与えていた。

それからギタリストの張亜東を迎えに行く。
アジア最大のヒットメーカーも、
こうして当て振りのアホな仕事に駆り出されるんだから情けない。
これを「北京の友達地獄」と言う。

ところが張亜東の家の前で待つこと30分。
電話をかけようがドアをノックしようが出てこない。
今は夕方の6時半。
彼にとってはまだ起きぬけの時間なのである。
「まったくもって芸術家ってやつはこれだから!」
運転している副社長もさすがにイライラを隠せない。
開演時間が近づいた7時過ぎ、
彼が寝ぼけ眼でやっと起きてきた。

車に揺られて会場入り。
本番はとっくに始まっている。
2万人の観客がひしめく会場の中に入ると見たことのある美人が・・・
「朱迅やないの!久しぶり!」
昔NHK中国語会話のパーソナリティーをしてて、
その後トゥナイト2の風俗レポーターもやってた美人中国人タレントである。
ワシの憧れの人であったが、
今では帰国して中央電視台の看板アナウンサーをやっている。
「あら、ファンキー。久しぶり」
「久しぶりやねえ。今日の司会は君?」
「そうよ。ファンキーは?」
「当て振りのバックバンドでんがな」
「あらそう、どうせ申請してないんでしょ」

ガッビーン!
しかしイヤなことを言う女である。
でも憧れの人なので許す!
しかし彼女が司会と言うことは・・・

げげっ!
主催者のChannel[V]の文字の隣にくっきりと「CCTV」
つまり中央電視台の名が・・・

バンダナを握り締めてたたずむワシ・・・

「お前はバンドのメンバーか。時間がない!すぐに来い!」
係員に連れられて会場のど真ん中の出演者席に座らされるワシ。
「おいおい、ワシを座らせてどないすんねん!」
見ればアジア中から集まったスター達に混じって、
顔がナニでナニなワシがちょこんと座ってテレビに抜かれている。
まあ見ればその歌手のマネージャーも
わけのわからんスタッフも座っているからいいか。


思い出したのが「夜のヒットスタジオ」のひな壇。
あれがイヤな仕事やったのよ、実は。
ワシは決して一生懸命仕事をしてないわけではないが、
決して面白くもないあの空間で、
ぼーっとしている顔を必ず抜かれて、
友人に「末吉ぃ、またおもろなさそうに座ってたなあ」と言われる。
まあおもろないんやからしゃーないが、
それにしてもアイドルと言うのは素晴らしい!
いつ、どのタイミングで抜かれても、
自分の一番いい顔をばっちりテレビに映し出すことが出来る。

ついでに言うとお笑いの人も素晴らしい!
一度プロモーションでお昼のバラエティーに出させて頂いた時、
中野や河合がプロモーションしながら、
何か面白いことを言うや否や、
ダチョウ倶楽部の上島がずずんと前に出てきて、
爆笑のボケを一発かまして司会者から頭を張り倒され、
後ろ向いて引っ込む時に
「よし」
とばかり小さくガッツポーズをしてたのをワシは見逃さなかった。

ワシらこんなプロフェッショナル相手に同じ土俵で勝負出来るわけない!

ワシが芸能界を嫌いな大きな理由である。


ステージでは香港からレオン・ライが何やら受賞して感想を述べている。
その他、同じく香港からフェイ・ウォンや台湾から張恵妹(A-MEI)や、
大陸の名だたる有名歌手達も全て出演している。
何せ「地球上の全ての中国語音楽」の大賞なのである。

ふと前列の席を見ると、
またあの零点の連中が座っていた。
ワシを見つけて嬉しそうに話し掛けてくるが、
ふーむ、奴らも昔のワシのような思いをしとんのかなあ・・・
聞けば奴らが髪の毛を切ったのも、もっと広範囲にテレビに出るためだと言うが・・・
そう言えばワシも昔アフロだった頃、
当時のプロデューサーに、
「爆風が売れるためには、まず末吉のナニをナニせねばならん!」
と髪の毛をばっさり切って「Newファンキー末吉」になったっけ・・・

スタッフがまた呼びに来て、
慌しくステージ下の奈落へ・・・
バンドの場合はここからせり上がりで登場するのだ。
ドラムセットが置かれるだけ置かれているのを急いでそれらしくセッティングして、
張亜東を始め、メンバー達が全員ぎゅうぎゅうに乗ったと思ったらイントロが流れ、
そのまませり上がって口パクで演奏が始まる。
思えばおアホな仕事である。

中国は基本的に円形ステージで、
後方にも満パンに客が入っているのだが、
張亜東側から女の子達の黄色い声が聞こえる
「亜東!亜東!キャー」
お前、歌手よりも声援を浴びてどうする!
ま、コムロみたいなもんですからな、こいつは・・・

演奏が終わるとそのままステージがせりに降りて、
そのまま奈落から楽屋に帰る。
それでおしまい。1本いくらの仕事である。

「俺、もう腹減ったし帰るわ」
張亜東がとっとと会場を後にする。
別にひな壇に座って顔を売ることに興味を持つわけではなく、
「芸術家」は「芸術家」として、仕事は以上!である。

「ワシ、顔がナニでナニなんでもう帰りまっさ」
ワシもとっとと会場を後にする。

気がつけばまだバンダナを巻いたままだった。

ま、顔がナニでもバンダナ巻いてたからいいか・・・


ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:12:50

2002年01月22日

中国でテレビに出る時は何故かバンダナを外せと言われる

何故に中国のテレビでバンダナはあかんのや!


昨日はまたいきなりS社長に
「ファンキーさん、テレビの収録あるんだけどドラム叩いてよ」
と言われた。
ここの看板歌手「陳琳」のバックバンドである。

テレビと言うと通常「あてぶり」である。
いわゆるカラオケに合わせて演奏している振りだけで、
歌だけは生で歌っていると言うものだが、
アメリカなんかでは歌まで口パクであったりすると言う。
中国では日本と同じくあてぶりが通常らしく、
どうせ演奏しないのだからと、その辺の連中を適当に集めてた。
ベースの奴なんかはS社長んとこの社員である。

でもS社長は「こいつの顔を売りたい」と言う人間をそんな中に呼んで来たり、
時にはアジアの小室と言うべきプロデューサー張亜東なども駆り出されて
ギターを弾いたりする。
これをワシは「北京の友達地獄」と言う。
今回の場合はワシとあの新人くんである。
あの朝から晩まで音楽やってるだけが生きがいのオタクのシンガーソングライター、
一応マルチミュージシャンなので
キーボードからギターから持ち替えてあてぶりする。
今日も「その服は何だ!」と怒られていた、ぬぼーっとした憎めないやつ。
一応長髪である。

ワシはと言えば最近S社長の策略に乗って
中央電視台の生放送やら何やらに駆り出され、
奇声を上げながらアホ面してコンガを叩きまくる変なジジイとして認知され、
そのおかげで今ではラテンのアレンジを頼まれたりするキャラである。
「ファンキーさん、この前テレビに出てましたねえ」
とよく言われるが、実は全然嬉しくない。
そんな顔を売るなっつう話である。

「今日どんな曲やんの?」
あてぶりだが一応ちゃんとチェックをする。日本人は仕事が細かいのだ。
大体は発売された最新アルバムの中からやると言うので音だけもらって、
「当日やる前に音は聞けるよね」
だけでOKである。
あてぶりじゃなくても一度聞けば叩けるぐらいだから心配はいらない。

スタジオからドラムセットを運び出す。
「ファンキーさん、どれとどれが必要か指示しといてね」
あてぶりなので最小セットでよい。
どうせ手元のアップなど来るわけないし・・・
コンガと違ってドラムは一番後ろに位置するのでそんなもんである。

収録スタジオに着いたらドラムを下ろし、
セッティングしようと思ったら、すぐ「メシ食おう」とS社長。
まあ社長がそう言うならと隣のレストランに飛び込む。
「ビールいく?」
今から収録なのにビールを勧めるS社長。

しばらくしてスタッフが飛んでくる。
「シンバルが1枚しかないけどいいのか?」
慌ててたのでハイハットもシンバルも忘れて来ている。
「ま、あてぶりなんでいいでしょ」
とりあえずビールを飲む。
「カメリハとかはあるよね?」
S社長に一応チェックを入れる。ワシは今日どんな曲をやるのかも知らんのだ。
日本だとサウンド・チェックにカメラリハーサルにゲネプロと呼ばれる通しリハ、
結局最低でも3度は同じ曲をやるので、
これだけやればきっちり覚えてしまう。
まあ3回も曲を聞ければ完璧なのでビールでも飲みながら待つことにする。

しかし待てども待てども呼びに来ない。
これでは収録前に酔いつぶれてしまう。
まだ曲も聞いてないし、
ドラムのパーツも足りないので特殊なセッティングもしたい。
「俺、先に行くよ」
と言うワシをS社長が止める。
「まだ前の収録が終わってないんだからぁ。行ってもしゃーないよ。飲も!」
飲も!じゃねえって感じである。

しばらくしてスタッフが呼びに来る。
行って見ると前の収録は零点(ゼロ・ポイント)と言うロックバンド。
売れない頃に時々一緒に遊んだもんだが、今はブレイクして大金持ちである。

そこのドラマーからハイハット等忘れ物を借りようかなあとも思ったが、
まああてぶりだからいいか、と自分の歯抜けドラムをセッティングする。
タムを左側に多めに被せて、ハイハットがあるべきところを隠すようにする。
まあハンディーカメラが傍まで回り込まない限り自然なセッティングではある。

リハーサルが始まる。
「ファンキー、衣装を出せ。カメラ合わせで吊るしてやるから」
スタッフが言いに来るが、
「ほならワシ、その衣装に着替えてリハやりまっさ」
そそくさといつもの黄色い「寝巻き」と呼ばれた服に着替える。
これしか持ってないのである。
ご丁寧に同じく黄色にコーディネートされたバンダナ付である。

カメリハが始まる・・・ように見えるがイントロが流れるとすぐ次の曲に行く。
「ああ、これはサウンドチェックなのね・・・」
と納得しつつ一応あてぶりなどをやっては見るものの、
じーっとこちらを覗きこむ美人ADが気にかかって仕方がない。
また「外国人は出演禁止」とか言われても困るので、
一生懸命
「実はのおばあさんは中国人で、私は日本で生まれた華僑で・・・」
とか言い訳を考える。
外国人はダメだが華僑はいいと言うのは差別である。
それでもじーっとこっちを見てるので
「どうかしましたか?」
と中国語で声をかけてみたら、
「いや、あなたの服を見てただけよ」
とちょっときつめの(中国美人はだいたいきつめだが)美人は答える。

何事もなかったかのようにサウンドチェックが進むかに見えたが、
おもむろにS社長がやって来て、
「ファンキーさん、そのバンダナ、ダメだって。
ついでに髪の毛も後ろで結わえて下さい」
前回中央電視台の公開録画のイベントに出演した時も、
偉い人からバンダナにクレームを受け、
外して長髪のままいたらそれもクレームを受け、
結局侍のように髪をたばねてコンガを叩いた。
中国のお偉いさんはバンダナが嫌いなのか!!!
しかもワシ以外の奴はみんな同じく長髪やでぇ。
あのオタクの新人くんはよくって、何でワシだけあかんねん!

バンダナを外し、髪を結わえて残り数曲のイントロ部分を合わせたらいきなり
「はい本番です!」
本番かいな!カメリハはやらんのでっかいな!ゲネプロは?・・・
ワシ、どんな曲かまだ全然知りまへんがな・・・

楽屋でS社長に「CDウォークマンある?」と聞いて見る。
「ないよ」
お前、楽屋では音聞ける言うたやないかい!

どんな曲をやるやもわからずそのままステージに・・・
「アジア最高のドラムキング、ファンキーです」
陳琳からものものしく紹介されて公開録画用の客に向かって挨拶する。
マヌケである・・・
曲が始まる。
カメラが右手方向から回り込む。
「おいおい、これ、バラードやんか・・・ドラム入ってないやんけ!」
どうせ回り込むなら激しい曲で回り込んで欲しいもんやった・・・
ハイハットがないのを身体で隠しながら、
音には実際は入ってないシンバルなんかを叩いてみたりする・・・
大マヌケである・・・

曲の後半でドラムが入る。
あれ?聞いたことあるなあ・・・
思い出せばこれ、俺がレコーディングで叩いた曲である。
そうなれば話は早い。
曲は忘れていても癖はわかるから、
オカズとか入りのフレーズを聞けばそれだけですっと叩ける。
すまん!俺のフレーズって多彩に見えて実は結構ワンパターンなのよ・・・

2曲目はアップテンポの曲。
これも俺がレコーディングで叩いた曲。
このプレイを聞いて
張亜東に「自分の曲は今後全部こいつに叩かせる」と言わしめた。
しかしどんな曲やら覚えてはいない。
情けない・・・

だいたいスタジオミュージシャンと言う仕事は、
その音楽自体を実はあんまし覚えていない。
プレイも自分の手癖手なりでやっているので
自分の音楽生活としてはさほど印象に残ってない仕事が多い。

その昔、少年隊のレコーディングに呼ばれた。
どんな曲やらまるで覚えてないが、
ある時有線で流れてたドラムフレーズで、
「これ、俺に似てるドラマーやなあ」
と思ったらその曲だった。

街角のオーディオショップのテレコからドラムソロが流れてた。
「いなたいソロやってんなあ。誰が叩いてんねん」
と思ったらキョン2に提供した曲でワシが叩いたソロやった。

そんなことをぼーっと思い出しながら収録は進み、
アップの曲ではハイハットを叩く振りをしながらスティックは空を切る。
これって大リーグボール3号の星飛馬の手首ぐらい負担がかかるのよ・・・
過酷な100本ツアーで傷めた手首は勲章になるが、
あてぶりの仕事にハイハット忘れて傷めた手首はどうしようもない・・・

ステージは進み、今度は陳琳の最新アルバムからではなく、
いきなり過去の彼女のヒット曲が流れ出した。
もちろん知らない曲なのだが、音が流れたらついあてぶりをしてしまい、
バンドのメンバーもこれは打ち合わせになかったのか、
さすがにみんな狼狽は隠せない。
キーボードは鍵盤までアップにはならないのでいいが、
ギターやベースは指板が画面に映り込むので必死である。
ギターの奴など困り果ててドラムを煽ってる振りをしながら後ろを向いている。
後姿で煽っているフリをしながら顔で困っているのである。
「頼むからワシにその困った顔を向けるな!ワシの方が困ってんねん!」

過去のヒット曲、1コーラスが終わり、いきなり次の曲につながる。
「ヒットメドレーやないかい!」
テンポが変わるとドラマーはもうお手上げである。
もうどうしようもないとむちゃくちゃ合わせていたが、
何かその中の曲でも合わせやすい曲と合わせにくい曲とある。
合わせやすい曲をあてぶりしながらふと思い出した。
この曲はワシが6年前にレコーディングで叩いた曲である。

懐かしいなあ・・・

当時はOnAirしてはいけない精神汚染音楽だったロックが、
革命の歌の残骸である中国歌謡を凌駕し、
その巻き返しとも言えるニューミュージック(古い言い方やなあ・・・)
がポップス界を席捲していった。
陳琳もそのひとりである。
そして今では、
日本と同じく宣伝費をかけない音楽はどんないいものであっても売れず、
ロックバンドはテレビに出て金を稼ぎ、
こうして歌謡曲歌手と肩を並べてカメラに媚を売る。

ま、俺なんぞもそんな世界で
スタジオミュージシャンやバックバンドをやってるんだがね。

収録が無事終わり、
ドラムセットなどを片付けていると、
いきなり陳琳のマネージャーからギャラを手渡される。
「そんなあんたぁ・・・ステージで裸銭渡さんでもぉ・・・」
まああてぶりなんで
スタジオ仕事やアレンジ・プロデュース料に比べたら微々たるもんだが、
それでもここ数日は遊んで暮らせる。

ま、いいか・・・飲みに行こっ!

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:00:40

2000年11月18日

さいはての土地T市で出会った中国人ホステス・・・・

T市よいとこ一度はおいで

昔、爆風スランプがデビュー前、毎月毎月
「大きくてすいません号」で関西にツアーに言ってた頃、
初日である渋谷ライブステイション終了後、街道レストランでコーヒーを飲みながら一言。
「ところで明日の米子ってどこにあるの?」
当時移動日なしの8連チャンとか当たり前で、
今回から初めてブッキングされた米子バンピンストリートでのライブは翌日である。
「米子か?島根県かなあ、鳥取県かなあ・・・まあどっちにしても山陰地方や」
知ってるのか知らないのかわからない返答をする俺。
「ふーん、じゃあどれぐらい時間かかるのかなあ・・・」
当時運転担当であったパッパラー河合が聞く。
「調べてみよう・・・」
地図などを引っ張り出して調べてみる。
「末吉ぃ、まずいよぉ。雪道で山越えだし15,6時間はかかるよ」
げっ!
飲みかけのコーヒーをそのままにすぐに出発。
ひたすら運転して着いたのがやっと入り時間であった。
そのまますぐに機材搬入してライブ・・・

まあそんな思い出も笑い話であるが、
今回の五星旗の工程もそれに近いものがあった。
大阪終了後、夜走りして、翌日T市に着くのは午前中だろうと言う。
ひえー・・・
「ロイヤルホースでは飲酒禁止!
もたもたせんですぐ積み込みして出発!
ワシがへばったらメンバーが運転代わってや!」
同行した綾社長が激を飛ばす。

ところで俺のお袋はK県のUSAと言われる宇佐出身である。
(単にローマ字で書くとUSAと言うだけの話)
K県には小さい頃から数限りなく行ったことがあるが、
K県の隣の宇佐の、まあその隣ぐらいがT市かと思ってたら大間違い。
夜走りして朝方K県に着いた時、T市出身のベースの仮谷くんが一言。
「ここから更に、今まで走ったぶんぐらいありますから・・・」
ひえー・・・

仮谷くんが運転を代わって、曲がりくねった一般道をひたすら走る。
それが本当に走れど走れど着かない。
同じ百数十キロでも高速と山道とは違うのである。
「もうすぐかなあ・・・」
誰ともなしに声が出る。
「以前清水アキラがT市に来た時もこの辺でそのセリフが出たそうですから・・・」
ひえー・・・
海沿いの道に出て、朝焼けの中ひたすら走る。
海沿いと言っても曲がりくねっていることに違いはない。
「でも景色はいいし、何かいい田舎って感じやなあ・・・」
ピアノの進藤くんがやたら感激している。
「その田舎を通り抜けて更にもっと田舎に行くんですから・・・」
仮谷くんがそう説明する。

もう着くだろうと言うぐらいになって、景色がおもむろに賑やかになって来た。
「着いた?」
みんなの開放感が口から出るが、
「ここは最寄の一番大きな街、N市です。さらに1時間あります」
ひえー・・・

T市と言えばもう四国の端っこである。
ほう・・・俺たちは四国を半分横断したわけね。
それにしても四国ってこんなに広いのか・・・

列車はK市からN市までしか通っておらず、
そこからは更にバスでゆくことになると言う。
最寄の鉄道駅まで50kmと言う街なのである。
仮谷くんが帰省しようと思っても、
K空港まで飛行機で行って、
バスでK駅まで行って、
それから列車でN駅まで行って、
それからバスに揺られ・・・
とあまりに遠いのでめったに帰省しないと言う。
いわゆる車を持ってないと生きていけない土地である。

「みなさん、言っときますけど、外国だと思っててくださいよ、言葉通じませんから」
と仮谷くん。
なになに、K県弁ならお袋が喋ってるので聞き取れると思ってたら、
街に着いておばはん同士が何喋ってるか全然わからんかった・・・
旅館の大広間で仮眠を取らせてもらって午後2時起床。
メシを食って会場に向かう。

F会館と聞いていたのでコンサートホールかと思ったら
「パチンコF会館」の3Fの結婚式場だった。
まさに地元の人達の手作りコンサートである。

楽屋は新婦の着替え部屋。
・・・さて、ここからが本題である。
その楽屋から隣のビルのとある部屋が見えた時からこの物語は始まる。
(長い前置きやなあ・・・)



「お、凄いやん、あれ絶対ホステスやで・・・」
窓から景色を眺めていた綾社長がそう叫ぶ。
「どれどれ・・・」
男どもが全員窓に張り付く。
そして見えたのがフィリピン人らしき人影。
「フィリピンパブかなんかがあるんですか?」
地元の人に聞いて見る。
「そうなんですよ、最近はチャイニーズパブまで出来ましてねえ。
それが出来たとたんにT市の本屋から中国語の教材が売り切れたんですよ。
もう先に言葉覚えたもんの勝ちですからねえ・・・」
NHK中国語口座、一番視聴率がいい地域はここ、T市かも知れない・・・

さてそのフィリピン人ホステスに手を振ったら笑顔で手を振り返され、
「よーし、今晩はフィリピンパブに繰り出すぞ!」
と血気盛んな俺たちである。
ライブをちゃんとオンタイムで始め(普段は必ず押すのにねえ)、
地元の人が催してくれた打ち上げの席でも、
「フィリピンパブ!フィリピンパブ!」とうるさい。

「じゃあ行きますか・・・」
地元の人が腰を上げる。
聞けばこの狭い街、
総人口が2万人に満たない街にフィリピンパブが2軒あると言い、
ひとつはこの会館の関連の店だが、
俺たちに手を振ったのは違う方なのでそちらに行くのでは義理が通らないらしい。

まあ俺にしてみればフィリピンパブでさえあればどちらでもいい。
間違ってもチャイニーズパブなどに連れて行かれた日にゃあ、
よくてホステスの身の上相談、悪くて酔客の通訳で終わってしまう。
「フィリピン!フィリピン!」
うるさい一行が街を闊歩し・・・と言いつつも、
繁華街など歩いて数分で一周出来るぐらいなのであっと言う間に着いた。

入り口にはご丁寧に顔写真が張られている。
指名も出来るのであろう。
よく見ると、ケバい感じのフィリピン人に混じって・・・
何とチャイナドレスを着た数人のホステス・・・
「あのー、おっしゃってたチャイニーズパブってひょっとして・・・」
「ああ、ここですよ。フィリピンパブに最近チャイニーズを入れたんです」
げっ!

店内に入ると接客しているホステスが一斉にこちらを向く。
中にはライブに来ていたフィリピン人もいる。
後で聞くと、「同伴」と言うことで、
その後ホステスと一緒に店に来るならライブに連れて行ってもいいらしく、
これも水商売のひとつのスタンダードらしい。

「ワシあの娘がええ」
「いや、ワシはあの娘がええ」
などと口々に言うが、そうは思い通りの娘がテーブルにつくわけではない。
一番若くて可愛い娘はすでに別テーブルで接客している。
「イラッシャイ」
それでもまあまあ若くて可愛いフィリピン人ホステスがテーブルにつく。
地元の人が気を使って俺の右隣に座らせてくれる。
やったー!
「イラッシャイマセ」
今度は確かに若くて可愛いが、見るからに中国人。
「俺んとこ来るなよ、絶対に来るなよ・・・」
心の中でそう祈っていたが、地元の人が気を使って俺の左隣に座らせる。
がーん・・・
そしてよせばいいのに俺が中国語を喋れると説明する。
「あら、中国人?違うの?日本人?それにしても中国語うまいわねえ」
まだ日本語をほとんど喋れない彼女の目がランランと輝く。
がーん・・・
それから先はお決まりの身の上相談である。
しまった・・・
と思ったが時すでに遅し。
右隣のフィリピン人ホステスはその右隣の客の接客を始め、
俺はすでに左隣の彼女の接客である。
いや、正確に言うと俺が彼女の接客である。

「見ましたよ、ライブ。
よかったわー。中国語の歌も聞けて・・・
懐かしいわ・・・
え?私?来てまだ2ヶ月目。
日本語なんかまだ全然喋れないし、
この店の上で一緒に暮らしてる中国人ホステス以外の人と中国語話したのは初めて。
嬉しいわ、中国語で話が出来るなんて・・・」
これではT市で中国語の教材が売り切れたわけである。
「先に喋れるようになったもんの勝ち」と言う意味がよくわかる。
そして彼女の話はだんだん熱をおびて来、目が潤んでくる。

「東京から来たんですか?
東京はここなんかに比べたらもっといいですよねえ。
どんなところかなあ、東京って・・・
え?どこも行ったことないわよ。
沈陽から飛行機に乗って、広島で乗り換えて、そしてここ。
私にとって日本ってここしか知らないの。
友達?日本語喋れないし・・・・
第一ここに中国人って私達4人しかいないもの・・・ひとりもいないわよ。
彼女達とうまくやってるかって?・・・うーん・・・まあまあかなあ・・・」
彼女の顔がちょっと曇る。
話題を変えるように彼女は笑顔で話を切り返した。
「それにしても今日は私が日本に来て一番嬉しい日。
仕事しててね、こんなに中国語でお話出来て、最高の日だわ。
ねえ、あなた。
もし私が他のテーブルに呼ばれたら、指名して私をよそに行かさないで。
私、あなたとずーっとこうして話していたい」

げっ!・・・
右隣のフィリピン人ホステスが気になるものの、
俺は以後ずーっと彼女の独占物である。
頃合を見てトイレに立つ。
そしてついでによそのテーブルに座って、しばし地元の人のご機嫌を伺う。
彼女はと見れば、同じく地元の人を接客しているが、
ちらりちらりとこちらを見ている。
日本語喋れなくての接客も辛かろう・・・

「ごめんね、ほら、地元の人が頑張って俺たち呼んでくれたでしょ。
お礼言ってまわらなきゃ・・・」
そして結局は彼女のテーブルに帰って行ってしまう俺である。
そしてその後、俺はずーっと彼女の話し相手、兼、彼女と地元の人との通訳・・・

「閉店でーす」
スキンヘッドのこわもてのマネージャーがお愛想にまわる。
いくらかかるのかは知らない。地元の人の奢りである。
女の子達が入り口でずらーっと並んでお見送り。
帰り際に彼女に声をかけて見た。
「M市かK市だったらライブに来ることあるし、休みだったらまた見においでよ」
彼女の顔がちょっと曇る。
「車も持ってないし、無理だわ・・・」
思えばここは天然の要塞。
日本語を喋れなくてバスを乗り継いでこの土地を出るのは不可能である。
ちょっと彼女に同情しながら店を出る。

「もう一軒行きますか?」
「行く行く!もう一軒のフィリピンパブ行こう!」
突然元気になる俺。
「フィリピンパブはどちらも12時までなんですよ。
系列の店に行きますか・・・」
「行く行く!フィリピンじゃなくても日本人ホステスでも何でもええ!」

連れて行かれたお店は同じく系列のスナック。
しかし、見るからにがらんとしていて、ホステスもひとりしかいない。
「ま、いいでしょう。飲みましょう」
男4人でテーブルに座る。
たったひとりの日本人ホステスは他のテーブルで接客中。
「女の子呼んで来ましょうか」
地元の人がおもむろに立ち上がって外に出て行く。
「どう言うシステムなんですか?」
聞けば、先ほどのお店の女の子を「アフター」として連れてくると言う店らしい。
アフターしたいお客さんは、先ほどの店の店長にその旨を告げると、
ここの店等系列店だと許されるらしい。
他の店に行こうなどと言っても女の子の方から断られるのがオチらしい。

「女の子、全員予約が入っていてダメなんですー」
地元の人が悪そうに帰ってくる。
「まあいいじゃないですか、飲みましょうよ」
男同士の酒のほうが美味かったりする。
「おつまみの出前をしますが・・・」
メニューを持ってくる。
食べ物は全てが出前らしい。
「系列店の居酒屋から出前するんですけどね」
地元の人が耳打ちする。

しばらくすると団体さんが入ってきた。店がいきなり慌しくなる。
一緒に入ってきた女の子は全て先ほどの店のホステスである。
彼女もいた。目が合った。
何か言いたそうにずーっとこちらを見ている。
俺も地元の人と酒を飲みながら時々様子を伺った。
「いやー、うまいこと出来とるんですよ。
向こうの店はチャージが5000円でしょ、
こちらは3000円で安いと思うんですけど、
実際は女の子のぶんまで払わなアカンから6000円なんですよ。
実は1000円高いのに得した気分になるんですね」
地元の人が説明してくれる。
見ればいつの間にかスタッフは全て先ほどの店のスタッフがそのまま働いている。
彼女は酔客の相手をしながら、ずーっとこちらを見ていた。
時々酔客に笑顔を振り撒きながら、そして何かを言いたそうにこちらを見ていた。

「帰りますか・・・」
男4人で飲むだけ飲んで立ち上がった。
彼女の方を見ると、酔客が彼女に覆い被さってキスをしていた。
気づかれないようにそっとその店を後にした。



翌日、車の中で綾社長は上機嫌である。
「いやー、飲んだ飲んだ・・・。
昨日の日本人ホステス、かずみちゃんね。
16歳で出産して現在25歳で2児の母・・・」
よう知っとるなあ・・・
「いやーそれにしても昨夜末吉が話してたあの中国人、
次の店のトイレで会うたんやけど、
俺がニイハオとか中国語で挨拶した途端、
○☆★◎◇△□▲▼◇言うていきなり中国語で返されてもなあ・・・
俺がもっと喋れる思たんかなあ・・・そんなに中国語喋りたいんかい!」

・・・いや、やっぱ喋りたいんやと思うで・・・

二日酔いの俺たちを乗せた機材車は、
また山道を長い間かけてK県まで・・・
途中俺の携帯が鳴った。携帯の番号表示は「公衆電話」。昨日の彼女である。
「昨日はほんとにありがとう。もっともっとお話したかった。
2軒目の店であなたに会った時、心は焦って焦って・・・
でも別のお客さんについてるから仕方ない。また会えますか?
今度こっちに来る時には必ず連絡下さいね。
ライブ頑張ってね。成功すること祈ってます」

「末吉ぃ。モテるやないかい・・・」
綾社長がそう茶化す。
「また連絡下さいね。の連絡先どこか知っとるか。あの店や。これが水商売の世界やで」
もらった角の丸い名刺を車の窓から放り投げた。
彼女の源氏名と店の番号、
そして手書きで彼女の本名と中国の実家の電話番号が書かれた名刺が
風に吹かれて黒潮の海に落ちた。

さいはての土地、T市。ちょっとBluesな素敵な街だった。

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:12:20

2000年09月30日

岡崎猛が動脈瘤によるクモ膜下出血で緊急手術

先日、五星旗のライブで愛知県犬山市に行った。
その時の打ち上げことである。
ギターの岡崎はんが酒飲みながら、
「あれ?変やなあ、右半身が何か痺れて来たなあ・・・」
とつぶやいた。
「またまたー・・・酔っ払ってるんちゃうん!」
と俺たち。
「あれ?目も何かおかしいなあ、物がふたつに見えたりするなあ・・・」
「それ飲み過ぎ!」
そしてホテルに帰る頃には
「何かふらふらするなあ・・・」
「それ完璧に飲み過ぎ!」
と俺たち。

そして東京に戻って来た次の月曜日、
彼は医者に行った。
そしてこの話はそこから始まる。

「入院せなアカンねん」
電話がかかって来た。
病名は動脈瘤。
脳の動脈の壁のある部分に血圧がかかり、
そこがぷくっとふくれて瘤になる。
血管の一部が風船のように膨れてるんだから
当然ながら破れ易い。
破れればクモ膜下出血となって死に至る。
そして彼の動脈瘤は脳の一番奥深い所に出来ていて切開手術は不可能。
しかも1.7センチと言う巨大な動脈瘤である。
医者に「破裂したら死にますよ」そう言われてビビリまくって
とりあえず仕事関係の人に電話を入れたと言うわけだ。

命に関わる病気なのだから仕方がない。
10月9日の沖縄のイベントと、
突然ブッキングされた10月21日のマレーシアには、
トラとして名ギタリスト、団長をブッキングする。

そんな事務処理をしてたある朝、突然胸騒ぎがして早く目覚めた。
カラスがカーカー鳴いている。
縁起でもないなあ・・・
「ちょっと病院行って来るわ」
早朝から出かけて行った。

受け付けで部屋番号を聞いて上がってゆくと、
何のこっちゃないいつものブサイクな寝顔で彼が寝ていた。
まあ寝かせておこう・・・
座って本を読んでいると
「わっ、びっくりしたー」
突然目が覚めてびっくりされてもこちらがびっくりする。
「あんた別に入院しても家でおっても変わらんなあ。
何するでもなく朝からゴロゴロと・・・」
得意の毒舌のひとつも言ってやる。
「ほんまやなあ・・・」
と彼。

「何か欲しいもん、あるか?家まで取りに行ったるで」
「いや、オカンが来とるからかまん」
「オカンが来とるんかいな」
「医者が家族呼べ言うて」
「ひょっとしてオカンってあんたのあの部屋で寝とるんかいな」
「せやで」
「そりゃオカンも災難やなあ」
などやりとりがあった後、
「たいくつでしゃーないからギターとラジカセ取って来てや」
と頼まれる。
ふらふらっと自転車で来てそのまま入院になったんで、
その放置自転車も家まで持って行ってくれと言う。
玄関に行ってみると、自転車には張り紙がしてあって、
「ここに放置しておくとケガ人が出ますのですみやかに移動しなさい」
と書かれている。
ケガ人どころか重病人の自転車なんやけどなあ・・・

家には初めて会うオカンがいた。
「初めまして」
ギターとラジカセとCDを持ってオカンと共に病院に戻る。
CDは「暗いんはいらんでぇ、気が滅入る」と言うが、
どのCDが暗いかようわからんので、
棚にあるJazzのCDのうち自分の聞きたいものを物色した。
そして病室でせっせとパソコンに取り込む。
俺は一体何をしに来たんやろ・・・

「ほな!」
目ぼしいのを取り込んだ後、仕事に出かけた。
まるでCD取り込みに来ただけである。

「岡崎はんが入院してなあ・・・」
仕事先では会う人会う人に笑い話である。
だいたいこのテの病気は40の若さでは珍しいらしい。
「老人病や、老人病。普段家でゴロゴロしてギター弾いて酒飲んで・・・
せやからこんな病気になんねん」

そんなこんなで夕方まで仕事してたら、
後から見舞いに行った事務所社長の綾和也から連絡があった。
「WeiWeiと見舞いに行ってなあ、
元気に待合室まで一緒に行って喋ってたら突然ロレツがまわらんようになって、
アカン、頭が痛いわ、言うてベッドに戻っていったでぇ。大丈夫かなあ・・・」
夕方連絡を回していたジャズクラブSのマスターが見舞いに行って連絡が来た。
「末吉か、シャレんならんでぇ、クモ膜下出血や。破裂したらしいんや」
とんぼ返りで病院に戻った。

京都の家族、親戚に招集がかけられる。
絶対安静の病室には家族は付き添うわけにはいかず、
本当はロビーも人が泊まってはいけないのだが、
オカンが悔いが残らんようにどうしても息子のそばを離れたくないと言うので、
特別にロビーでいる分には認めてくれた。
しかしロビーは夜9時には消灯。
真っ暗なロビーの中で不安でどうしようもない年寄りひとりでおらすわけにはいかんので、
結局俺も夜通し付き合うことにした。
本人よりもとりあえずオカンの方が心配である。
少しでも気を紛らわすように岡崎はんのアホ話をたんとしてるうちに、
京都からご家族ご一行が到着した。
ロビーで泣き出すご親族もいる。
「まあまあ、今は特別にここでいさせてもらってるんで何とぞお静かに・・・」
聞けば途中の新幹線で居ても立ってもいられなくてビールを飲んだらしい。
少々取り乱していた。

酒かあ・・・
家族が来たら俺は必要ないので病院を後にする。
病院内は携帯電話禁止なので、外に出てメッセージを聞くと、
ジャズクラブSのマスターから留守電が入っていた。
「末吉か、これ聞いたらすぐ電話くれ。店でおる」
ただごとではなさそうなので店に直接向かう。

マスターはひとりでライブの後片付けをしていた。
「おう、来たか。飲むか?」
ビールが出てくる。
おかしい。ガメツイので有名なこのオッサンが店のビールをタダで出すわけがない。
「実はなあ、あの病院の医者とか看護婦とかうちの客やねん。
そいで電話して調べたら、明日の手術の担当っつうのがうちの常連やったんや。
たまたまそいつは今日休みでなあ、自宅に電話かけていろいろ聞き出した」

医者曰く、最善を尽くしてはみるが、見込みは少ないと言うことであった。
まず場所が非常にやっかいなところなんで切開手術が出来ないと言う。
それにこんなに大きな動脈瘤が出来てて、
本人がこんなに正常だと言うのがそもそもおかしいらしい。
そしてすでに破裂してしまった。
破裂したら死にますと言われてたんだから、
考えてみたらまだ生きてるだけでももうけもんである。

「何で破裂する前にすぐ手術せんかったんや!
破裂したら死ぬから入院せぇと言いながら病院で破裂するとは何ごとや!」
当然ながらマスターは怒る。
しかし医者としては、
「だいたいあんな大きな動脈瘤を持ちながら
自分で自転車乗って病院まで来たと言うのが不思議なぐらいなんです。
普通だったらそのまま路上で破裂して倒れて死ぬ場合が多い。
行き倒れで死んだ人が、
調べて見たら実は動脈瘤が破裂してたと言うことはよくある話なんです。
だからと言って、病院では例えば検査とかをしますよね。
血管の検査をしている時に突然破裂する可能性もある。
それは患者さん側から見たら検査したから破裂した、なんですよ。
どう言うわけかわからんが本人が何故か正常なんですから、
安静にしてゆっくり調べるより他なかったんですよ」
その実、もう運び込まれた時点で
この場所のこの大きさの動脈瘤だともうお手上げで、
現実的に効果的な処置が見つからなかったと言うのもあったらしい。

とにもかくにも破裂した。
今本人は薬で眠らされている。
目が覚めて興奮したりするとさらに大破裂して死に至る。
「今すぐ手術するわけにはいかんのかなあ・・・」
「何か足らん道具があって至急取り寄せとるから、どうしても明日の夕方になるらしい」
裏事情通のマスターである。
「手術まで眠らせとくわけにはいかんのかなあ・・・」
「そやなあ、明日もういっぺん電話してビシっと言うといたる。
ちゃんとせんかったらジャズクラブS出入り禁止やぞ!」
出入り禁止ぐらいが脅しの材料になるとは思えんがなあ・・・
でもこうなったらとにかく医者を信じるしかないのである。
後は神か?

「俺、もう助からんのちゃうかなと思うねん」
飲みながらぼそっとそうつぶやいてみる。
中学生の頃、姉が亡くなった時の感覚に物凄く似ているのだ。
「確率的にはそやろ、まず助かる確率は低い。医者も手遅れや言うとった」
裏情報通のマスターである。

今は五星旗の2枚目のアルバムが仕上がったばかりである。
ミキシングやマスタリングで今回はいつになく積極的に頑張ってやってた彼である。
「遺作んなるんかぁ、シャレんならんのう・・・」

岡崎はんとの思い出が浮かんでは消え、浮かんでは消えてゆく。
最初に会ったのはジャズクラブSのジャムセッション。
新大久保に住んでると言う立地条件もあって、いつも泊まらせてもらってた。
そうじゃなくても酒飲む時にはいつも呼び出して飲んでた。

当時人は、自分で思ってるほど俺のことをJazzミュージシャンだとは思ってくれず、
たまにお誘いがあっても、爆風スランプの名前で動員数を稼ごうとする輩ばっかりだった。
純粋に腕を買われて○○カルテットとかのドラマーで呼ばれたかったが、
そんな酔狂な輩はいなかった。
そんな中、岡崎はんだけが自分のカルテットに俺を呼んでくれた。
客の入らん小さいライブハウスから、
新宿のカクテルバーの夜中の生演奏までやった。
当時の俺はヘタなJazzメンよりもJazzのライブが多かった。
街角の超マイナーな場所でストレイト・アヘッドなJazzを叩く俺を偶然見かけた
近所に住むJazzミュージシャンなどがびっくりして声をかけたりした。
そうして俺はJazz界でやっとJazzミュージシャンとして認められていった。

ある日のラウンジでの演奏で、
突然ある曲で偶然ブラシを使うコツを習得した。
「どしたんや、オッサン。突然ブラシがうもうなったなあ、別人みたいやで」
演奏後の彼の嬉しそうな顔を思い出す。
思えば彼こそが俺のJazzの師匠であった。
彼から、そして彼と一緒に俺はJazzのいろんなことを学んでいった。

ロックや中国音楽の要素も混ぜて五星旗を結成した時、
やはり俺はギタリストとして彼に声をかけた。
それからは彼に彼の知らないJazzではないいろんなことを教えてあげた。
CDデビューが決まり、評判もよく、
プロデューサーのN氏は
「五星旗が売れたら次は岡崎さんのソロアルバムを作りましょう」
と言っていた。
「それが岡崎はんの幸運期とちゃうん!」
数年前のJazzツアーの時、四国のとある占い士が岡崎はんに
「あなたは数年後に人生最大の幸運期が訪れます」
と言ったのが、仲間内ではずーっと酒の肴になっていたのだ。
でも実際今のなってみれば、彼の人生最大の幸運と言うのは、
飲み友達のアルバム2枚でギターを弾いただけやったんか?・・・

「こんなことやたらさっさとソロアルバム録っといたらよかったなあ・・・」
と俺。
「俺もそう思とったんや、何でやっといたらんかったやろってな」
とジャズクラブSのマスター。

俺が事務所やレコード会社の契約で悩んでいたある時期、
ある人が俺にこうアドバイスことがある。
「そんな大会社がそりゃお前のやりたいそんな音楽をやるわけはない。
でもなあ、その音楽は来年にはない。きっと今しかやれん音楽や」
結局俺は日本ではなく中国でそれを発売し、そして今に至る。
五星旗の前身と言える姿がそこにあった。

そう、音楽っつうのは空気を震わせて、そして消えてなくなるもんである。
レコードと言う「記録」をせん限りはそれでおしまいなのである。
でもヤツが死んでもうたらもうそれを記録出来るチャンスは永遠になくなる。
ヤツとの数々のセッションは、
俺にとったらほんまにかけがいの無いVSOP
(Very Special Onetime Performance)
やったんやと実感した。

「岡崎ぃ、死ぬなよなぁ」
とマスター。
「しゃーないでぇ、人間がどうのこうの出来る問題ちゃうし」
と俺。
「岡崎死んだら追悼Jamセッションブッキングしたる」
「マスター、間違うてもそれで儲けたら許さんでぇ」
「当たり前じゃ!いくらワシでもそこまではせんわい」

ガメツイので有名なマスターと5時まで飲んだ。
すでにべろんべろんだが、やっぱ気になるので病院まで行ってみる。
ところが家族がいるはずの待合室には誰もいない。
「アカン、とうとう死んだんや」
あわてて病室に飛び込んでみると、岡崎はんひとりが薬で寝ていた。
「ご家族の方はみなさんお帰りになりましたよ」
面会時間外に酒臭い息を絶対安静の病室に持ち込むふとどきな輩を
看護婦さんがそう言ってたしなめる。
「すんません」
待合室に帰って来て、俺は結局そこで寝た。

朝になると入院患者でいっぱいの待合室。
目が覚めると、病院の待合室で酔いつぶれてる変な男を、
みんなはけげんそうな目で見て見ぬふりをしていた。
しゃきっとしたふりをしながらご家族の到着を待つ。
「おはようございます」
まるで今来たかのようなふりをしながら挨拶を交わす。
「じゃあ僕は仕事に行きますんで・・・」
病院を出て携帯の留守電をチェックする。
病院内が携帯禁止なのでまことに不便である。

ふと見ると隣にホテルがある。
そそくさとチェックインした。
「今晩からホテルに泊まるから」
嫁と事務所に連絡する。
「そこまでする必要があるんか?」
「やかましい!いつ死ぬかわからんのやでぇ。
もしもの時に病院が俺の携帯に連絡くれるか?
ご家族にそんだけの余裕があるか?
ホテルに詰めて、1時間に一回でも様子を見に行くだけでそれでええんやがな」

新大久保から仕事に通う毎日が始まった。
ホテルは携帯が通じるだけでもかなり便利である。
それに、もしもの時には待合室ではなく、ここを関係者の溜まり場にすることが出来る。
コマが死んだ時のことを思い出す。

XYZのライブステイションでのゲリラライブにリハと本番の間にまた病院に戻って来た。
手術が予定より2時間早く始まっていた。
「道具が早く揃たんやな・・・」
裏事情を推測する。
「一度目が覚めてから手術室に入ったんですか?
それともあのまま寝たまま手術室に?」
話を聞くとそのまま寝たまま手術らしい。
結果的に理想の形である。
安心してライブステイションに引き返す。

本番が終わって山手線に飛び乗ると携帯が鳴った。
ジャズクラブSのマスターである。
「今電車の中やから着いたらかけ直します」
こんな時にもマナーにはウルサイ俺である。
「今ちょっとだけ聞いてくれ」
電話を切らせないマスター。不吉な予感が頭をよぎる。
「4時に手術室に入って、たった今まで4時間。
手術は成功してその担当医が今からジャズクラブSに飲みに来る。
成功や。わかるか。とりあえずすぐ死ぬことはもうない」
興奮してそうまくし立てる。

病院に行くと、ご家族が偉い先生から話を聞いていた。
「動脈瘤は塞ぎましたが、
クモ膜下出血は基本的にいろんな合併症を引き起こすので安心は出来ません。
現在は意識障害や麻痺などがあり、最悪はこのまま植物人間になることも考えられます。
脊髄液に血液が混ざって循環が悪くなると水頭症になって、
脳内の圧力が上がって脳を圧迫して痴呆になる可能性もあります」

そのままジャズクラブSに飛び込む。
今日の出演者は「岡崎ブラザース」。
トランペットの岡崎好朗とサックスの岡崎正典のグループである。
マスター手書きの入り口の看板を見ると、
「本日の出演者」のところに
「岡崎好朗」ではなく、「岡崎猛」と書かれていた。
しかもご丁寧に「岡崎猛 Gt」である。
おいおいオッサン、岡崎猛は今病院じゃろ。
今日の出演者にギタリストがおるんかい!
オッサン、何じゃかんじゃクールに装っててもよっぽどパニックしてたんやなあ・・・

店に入ろうとすると、マスターがそれを制止する。
「店に入ったらミュージシャンの手前チャージを取らんわけにはいかん。
俺は岡崎のことでは出来る限りのことは全部やった。
公私混同はしとないし、最後にケチつけとうないんや。
ライブ終わるまで外で待っといてくれ」
ガメツイと評判のマスター。
でもそれはミュージシャンの千円二千円のチャージバックを守るためだったりもする。
「かまへんで。チャージ払うがな。お祝いにええ演奏聞かせてもらうわ」

店に入ると、1ステージ目の最後の曲をやっていて、
一角だけやたら大盛り上がりのテーブルがある。
いかしたオブリには「イエイー!」、
いいソロが終わると「ウォー!」、
曲が終わると「ワーワー!」、
まるでキチガイである。
「あれがお医者さん?」
「せやで」
見ると、すでにテーブルの上にはバドワイザーの空き缶が所狭しと並べられている。

「初めまして」
M氏と言うその担当医と、そのアシスタントに挨拶をした。
「いやー、Jazzギタリストだと聞きましてね。
出来る限りのことはやりました。
後は本人の体力と頑張りです」
病院で聞いた偉いお医者さんと同じ説明をしてくれる。
「素人質問で悪いんですけど、
切開手術が出来なくてどうやって手術するんですか?」
この際なので素朴な質問をぶつけてみる。
「腰あたりの血管の中からテグスみたいな糸を入れて、
それをレントゲン見ながら患部まで何とか到達させるんです」
「ちょっと待って下さい。腰から頭言うたらえらい距離がありますがな。
なんで首からとか入れんのですか?」
「場合によっては首から入れる時もありますけど、
頭に近ければ近いほど危険だと言うのもありまして、
だいたいの場合は腰からが一番いいとされてます」
「でも動脈言うたらいろいろ枝葉に別れてて、
道を選ぶだけでも大変やのに、患部までの正しい道のりにテグスを導くって大変でしょう」
「いやー、ほんと指先ひとつですよ。
入り口のところでテグスをちょこっと回すんです。
そしたらテグスの先がちょこっと方向転換するんです。
それをレントゲンで見ながら患部まで持って行くんですね」
「そりゃ確かに大変ですわなあ。4時間っつうたら、よく集中力が続きますねえ」
「いやー、根性ですよ。何回もくじけそうになりますけどね」
「でも患部に到達してからどうするんです?」
「このテグスは到達したら先っぽが丸まるんです。
それで動脈瘤の中でくるくるとテグスをコイル状に丸めていくんです」
「丸めたら何のええことがあるんです?」
「例えば川のほとりに水溜りが出来たとするでしょ。
そこに水が流れ込むようになれば水溜りはどんどん大きくなる。
これが動脈瘤です。
ですからその水溜りを小石かなんかで埋めてしまうんです。
そうすると水が流れ込まないので川の流れはそのままと言うわけです」
「でもコイル状になったはええけど、
そのままテグス抜いたらコイルもほどけて抜けてしまうやないですか」
「そのテグスには、電流を流すとあるところで切れてしまうように作られてるんです。
その部分まで丁重にコイル巻きして詰めてやるわけです」
すんごい作業やなあ・・・・

「先生はトランペットを吹かれると言う話ですけど、
そんな器用な指先っつうのはトランペットによって鍛えられたとかありますか?」
まるでインタビュアーのような質問をしてみる。
「トランペットがどうのこうのと言うより、手術はそもそもJazzと同じですよ」
「は?・・・と言いますと・・・」
「Jazzのコード進行と同じように、
手術にも確固たる守らなければならないセオリーがあります。
でもそれだけでは手術は出来ないんです。
患者の反応とか状況を見ながら、それに合った風に変えていかなければならない。
つまり人のプレイに反応するJamセッションと同じなんです」
「そりゃすごい。ほなセンスの悪い人に当たったら最悪ですね」
驚く俺にアシスタントが耳打ちする。
「この先生、こう見えてもこのジャンルでは日本で3本の指に入る名医なんですよ」
ひえー・・・
岡崎はんの大幸運期はこの人とめぐり合うっつうことやったんか・・・

今後のこともいろいろ聞いてみる。
「今まではいつ大破裂するかわからない状態だったんで、
集中治療室で外界からの刺激を一切なくして薬で眠らせたりしてましたが、
もう破裂することはまずないですから、
今度はどんどん刺激を与えてあげなければなりません」
「それって、ほな例えばJazzとか聞かせるのってええことなんですか」
「そうですね。でも実は僕の手術の時にはいつもJazzかけながらオペしてるんですよ」
ほな岡崎はんも4時間Jazz聞きながら手術受けてたんかぁ。
そりゃ本人幸せやなあ・・・

とか何とか言ってるうちに2ステージ目が始まった。
「ワーワー、ギャーギャー、イエイ!」
このふたりはまことにウルサイ。
でも俺もステージで演奏する側として、
こんな客が実は一番嬉しい客であることを知っている。
的確なところで的確に騒いでミュージシャンを盛り上げてくれる。
言わば客席にてミュージシャンとセッションしてるようなもんである。
「そうかぁ。このセッションで岡崎はんは助かったんかぁ・・・」
何だか気が抜けて酔いがまわった。

ステージでのご機嫌な演奏を聞きながら、
「ああ、俺も岡崎はんもこの世界に住んでる人間なんやなあ」
と実感する。
そして偶然にも岡崎はんの命を救ったこの医者も同じ世界で住んでいた。
それをその媒介にここのマスターがいた。
みんな同じ世界に生きているのである。

俺もいろんなトラブルを起こして今の環境で音楽をやっているが、
いつも感じてたのが、「住んでる世界が違う」と言うことだった。
そしていつもこんなJazzクラブやライブハウスに戻って来た。
そして今は何の因果かレコード会社までやっている。
何のためにレコード会社をやっているのか・・・
そりゃXYZのために作ったのではあるが、
でも大きく考えると、リリースしたい物をリリースするためにやっとるんではないか・・・

最初にこの五星旗の前身とも言える音楽を持って行った先はSONYレコード。
俺は契約上SONY以外からリリースすることは出来なかったのだ。
爆風スランプのメンバーのソロプロジェクトと言うことで、
偉い部長がじきじきにJazzクラブまで来てくれて、
そして会議室でミーティングまで開いてくれた。
そして最後に一言。
「これが50万枚売れるんですか?」
この人達とは生きている場所が違うんだ!
そう強く感じた。

「よし、岡崎はんのソロアルバム作るぞ!」

現状、彼が再びギターが弾けるようになるのはまだまだ先だろう。
まずは健常な生活に戻れることからである。
それからリハビリが始まる。
運が悪ければ合併症で死ぬ。
このまま意識障害で社会復帰出来ないかも知れない。
でも運が良ければまた元通りギターが弾ける。
5年後なのか、10年後なのか、
でもひょっとしたら半年後かも知れない。
生きてると言うことは素晴らしい。
またギターを弾ける可能性があると言うことである。
死んでしまえばそれは永遠にゼロである。
岡崎ぃ。生きててよかったなあ・・・

しかし生きてゆくには大変なことも多い。
努力もいるし、金もいる。
岡崎はんの過去のライブ録音の中から名演と呼ばれるのを集めて、
「岡崎えーど(関西弁風に上がり口調で読む)」と題してソロアルバムを作ろう。
プレス代等リスクは全部俺が被ろう。命拾いした岡崎に対するご祝儀じゃ。
ガメツイので有名なマスターにも今度ばかりは無料でマスタリングしてもらおう。
問題は音源である。
本人の家、友人の家のテープ類を漁るが、
もしみなさんの中で、岡崎はんのライブの隠し録りのテープがあったら、
その中で「名演」と言えるものを是非無料で提供して欲しい。
ミュージシャンへの許諾は俺がとる。
もちろんギャランティーは泣いてもらおう。

「これが50万枚売れるんですか?」
いえいえ500枚がええとこでしょう。
でも500枚を越したら利益が出る。
そしたらヤツのリハビリの大きな役に立つやないかい。
これが俺の生きてるところである。

そんなことを考えてるうちに2ステージ目は終了した。
「いかした演奏をありがとう」
メンバーに挨拶に行く。
「先生もどうもありがとう御座いました」
先生にも丁重に礼を言うが、
「いやー、当然のことをやっただけですよ」
と謙遜する。
「でも先生の腕がよかったから彼の命があるんですよ」
「オペがうまくなるよりもトランペットうまくなりたいんですけどね・・・」
いやいや、オペの腕がよくって本当によかったっすよ。

Jazzキチの周りにこのJazzキチあり。
飲んだビールは2人で18缶。
支払いをしようとする先生を制止しながら
今日だけはガメツイので有名なマスターが支払う。
ミュージシャンへのチャージもマスターがちゃんと支払う。
人はとやかく言うけど、俺はこんなマスターが大好きである。
「まさか18本も飲むとは思わんかったなあ・・・」
「ええやん、それで岡崎はんが助かったんやから・・・」

現在岡崎はんは、手術後の経過も順調で、
麻痺しとるはずの手足もばたばた動かすし、
ロレツのまわらん口で
「こんなことやっとる場合とちゃうがな」
と口走ったとか口走らないとか・・・
死にかけて初めてやる気っつうもんを出したなあ、こいつ。

・・・と言うわけで友人のみなさん、ファンのみなさん。
今のところまだ家族以外は面会謝絶ですので見舞いには行けません。
集中治療室から出て病室に移ったらまた連絡しますが、
岡崎はんに関することへの問い合わせも真に勝手ながらかんべんして下さい。
以上の情報が全てです。
また今回のこのメルマガに対する返事は結構です。
次号からまたアホネタに戻ります。

五星旗は当分ギターに千葉”団長”孝を迎えて活動します。
「岡崎えーど(関西弁風に上がり口調で読む)」への音源提供の方は、
住所と連絡先を書いて下記の住所まで送って下さい。
まずそちらの方で厳選してから送って頂くと助かります。
ただでさえ今から莫大な量のテイクを聞いていかねばならないので・・・

153-0064
目黒区下目黒3-24-14目黒コーポラス405
ファンキーコーポレーション

「岡崎えーど(関西弁風に上がり口調で読む)」音源提供係まで。

・・・と言うわけで今回は特別な「ひとり言」でした。
失礼!

ファンキー末吉

 

ps.この原稿を書いた後、岡崎は無事退院し、ちょっと後遺症は残っているものの元気にギター弾いてす。

タバコは自主的にやめたが、酒は相変わらず飲んでます。

医者曰く、別にほどほどにする分には何をやってもええそうな・・・

よかったよかった・・・

Posted by ファンキー末吉 at:16:50

2000年09月06日

疥癬(かいせん)にかかって体中ぶつぶつが・・・

香港行きもあわやキャンセルか?!・・・



NYで二の腕とわき腹にぶつぶつをもらって来た。
みんなは「悪いもん食ったんだろ」と言うが、
そんなそんな、朝からエイジアン・フードしか食ってません!

それに、内的要因で出るぶつぶつは、
お腹だろうが背中だろうがわきの下であろうが、
とにかく柔らかいところを中心に至る所に出て来る。
二の腕を中心と言うのはどうもちゃうんではないか・・・

10年程前、
爆風のテレビ収録スケジュールで、
昼の1本目が終わり、夜中までかかって2本目を撮ってた時、
お腹にぽつんと水泡が出来た。
「ありゃ?」
収録を続けるにつれそれがどんどん増えて来る。
「カメリハいきまーす。はい次本番でーす」
本番になるとカメリハにはなかった顔にもぽつんと出来る。
「おりょ?」
しかし身体はいたって元気。
心配するのはメイクさんぐらいで、みんなは
「末吉、また悪いもん食ったんじゃねーの?」
ぐらいで気にしない。
(みんな俺の食生活をどう思っとるんじゃい!)
「エイズとちゃうか?」
当時エイズと言う言葉が初めて囁かれだして、
何かにつれそんなことを結び付けたくなる。

ぼつぼつが身体じゅうに広がった。
するといきなり体力ががたっと落ち、
突然熱が出て立ってられなくなった。
楽屋でぶっ倒れてうなされながら考える。
「そう言えば雑誌で見たエイズの何たら肉腫っつうのはこんな感じやった。
俺はきっとエイズなんだ、もう死ぬんだ・・・」
人間しんどくなるとどうも悲劇のヒロインになりたがる。

ふーふーいいながら収録を終え、救急病院に運ばれる。
しかし日本の医療制度がこれだけ整っているといいながら、
大病院での患者の扱いはそれはそれはぞんざいである。
寒いロビーで熱にうなされながら待たされること1時間。
病気が病気やったらマジで死ぬでぇ。

やっと順番がまわってきて見てもらったら、
「水疱瘡(みずぼうそう)です。明日9時以降に来診して下さい」
でおしまい。
そして朝から今度は2時間待たされてやっと診察である。
ひどい・・・

その頃にはぶつぶつは全身に広がり、
お腹といい背中といい、
それが寝返りをうつとその水泡が破裂し、シャツがウミで黄色くなる。
あー思い出しても気持ち悪うぅ・・・



そう、内的な要因で出来たぼつぼつは、このようにところかまわずなのである。
でも今回はむしろシャツの外側、と場所をわきまえて出ている。
「虫さされとちゃうの?」
しかしぼつぼつに虫の食ったような後がない。

まあそんなに痒いわけではないのでそのまま帰国し、
「痒くて死んだ奴はおらん!」
とばかり仕事にいそしんでいたら、
今度はそのぶつぶつが腫れて大きくなりだした。
さすがに近所の皮膚科に飛び込んだが、
「これが日本で出来たぶつぶつなら
虫なら虫、かぶれならかぶれと原因を特定してそれに対する治療が出来ますけど、
外国でなったもので、状況もわからないものに対しては的確な対処が出来ません。
とりあえず痒み止めを出しときますから明日もう一度来て下さい」

けだしごもっともである。
痒さにさいなまれながら一生懸命考えるに、
みんなと違った食事をとったわけでもなく、
唯一違ってたのはふとんである。
エンジニアの松宮宅に泊まったのだが、
彼のベッドのマットレスを引き摺り下ろして、
その下のマットレスの上にシーツをかけて寝ていた。
そこに何か俺だけにかぶれる要因があったのではないか。
だって二の腕とわき腹とちょっとだけ太ももと言えば、
Tシャツとパンツの寝乱れ姿で布団に触れるところではないか・・・

ま、かぶれだったらどうせこれ以上広がることはないだろうからいいや、
そのうち腫れもひくでしょう。
と気楽に考えて日本での仕事にいそしむ。
ちょっと日本に帰って来たら、
テレビやラジオのレギュラー録りで大変なのである。
朝8時からFM香川の電話出演をこなし、
10時にはNHKに入り中国語会話の2本撮り。
この日は無理言って早く出させてもらい、
FM-COCOLOの2本録り。
その2本目ぐらいについに症状がピークを迎えた。

あれ、気が付いたらこれ、体じゅうに出来とるぞ。
増えて来とるわ腫れて来とるわ、
腕なんか藤壺みたいにごつごつと1.5倍の大きさに膨れ上がっている。
足や背中にもぼつぼつが出来、
しまいには顔や首筋にも出来だした。

まずい!半日後には機上の人なのに・・・
二の腕がこんなに腫れあがり、
こんなに熱を持ってるんだから、
これが全身に広がった日にゃあ、あの水疱瘡の比ではなくなる。
水泡であれほどふらふらだったんだから、
この象皮病のような腫れ上がり方だとステージは無理じゃろう。

10年前水疱瘡を押してツアーを敢行し、
ライバル・メドレーの中でのバク宙を失敗し、
顔面から墜落しておでこの水泡をつぶしたのを思い出した。

しかし今回の香港ライブは日本からツアーも出てるし、
何より無理してせっかくブッキングしてくれた香港のエージェントの顔をつぶすことになる。
中国人の顔をつぶすぐらいなら自分の顔の水泡潰した方がマシである。
「最悪、俺だけ当日入りにして明日は日本で病院に行く!」
だいたい日本人と言うのは昼間働いてて病院行く時間などはないはずなのに、
仕事終わった夜には病院が開いてないとはなにごとぞ・・・
チケットをキャンセルして次の日の便で行くしかない。

心配して収録スタジオまでかけつけた事務所の社長、綾和也が、
あまりにひどい俺の状況を見て、はたまた俺を救急病院に担ぎ込んだ。
「救急なんてアテにならんで。明日来診して下さいで終わりや」
10年前の苦い思い出を思い出す。

「末吉ぃ、次の日の香港行きはファーストクラスまで全部売り切れや。
ライブをやるためには予定通り明日の朝一番に乗るしかない」
選択肢はふたつ。
ここで救急病院で見てもらって応急処置をしてもらい、
後は香港で病院を探すか、
見てもらわずに香港で病院を探すかである。
四川省の山奥で気管支晴らしてぶっ倒れ、
四川訛りのきつい医者の治療を受けたのを思い出した。

「とりあえず日本語通じるところで一度見てもらおう」
当然のなりゆきである。
待たされること30分。
靴を脱いでみると足も見事に腫れ上がっている。
今やまるでFLYの映画でハエ男に変身しつつある主人公のようである。

当直は女医さん。しかもかなり若い。
「あら、末吉さんって爆風スランプの方ですか?」
「そうですが・・・」
「私コンサートよく行ってました」
そうか・・・あの頃ファンだった女の子がこうして女医さんになっているのか・・・
バンドは長くやるもんである。

元ファンの前でパンツいっちょになり、
ぼつぼつの位置を確認する姿もたいがいのものがあるが、
しかしおかげで女医さんはかなり熱心に治療をしてくれて、
皮膚をいくつも採取しては顕微鏡で検査してくれた。

「深夜だし私ひとりしか決断を下せない状況で断定は出来ませんが、
これは虫が原因である可能性が高いと考えられます。
顕微鏡でも断定は出来ませんが虫と卵の姿と思われるものが見えてます」

その虫を疥癬(かいせん)と言う。
NYはブルックリン、古い友人宅のベッドの、
上のマットと下のベッドの下に巣食ってたのは疥癬虫。
ブルックリン訛りの英語を喋る。
(喋らん喋らん・・・)

腫れ上がった二の腕を長袖で隠し、
なんとか香港に入国した。
迎えに来たエージェントにびっくりされながらホテルにチェック・イン。
身体じゅうに薬を塗りたくって部屋で寝ている。

明日(もう日付的には今日だが)のライブ、大丈夫かなあ・・・

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:07:30