ファンキー末吉楽曲配信サイト

2010/11/03

ポール(梅原達也)

今回のツアーは44マグナムのポールこと梅原達也が、
何と京都と大阪の2本、遊びに来てくれてステージで一緒にセッションした。

彼がパーキーソン病にかかり、
それでも頑張って歌い続けていることは皆の知るところである。
(関連動画)

久しぶりに会った彼は少し元気そうでちょっとだけ安心した。

しかし現代医学を持っても完治は難しいという現代の奇病である。
薬とかでちょっと状態がいいだけで決して治っているわけではない。
このまま病気が進行すれば、歌うどころか動くことすら出来なくなるのだ。

京都では風邪気味だったのでお先に失礼したが、
大阪では最後までゆっくり一緒に飲んだ。

昔話に花が咲く・・・

関西メタルブームのまっただ中、
他のバンドより頭ひとつ抜きん出てそのブームを牽引してたのが44マグナムである。

爆風スランプの「たいやきやいた」という曲の前口上でいつも、
「アクションはおじんだ!!
ラウドネスは天狗だ!!
そして44マグナムはバカだ!!」
と叫んでいたが、
実は私は彼らとは面識がなかった。

何かの映像で彼らを見た時、
「ヤバいぞ、これは・・・こいつら・・・ハンパじゃない・・・」
と思ってマジでビビった。

折しも関西のメタルバンドが東京のライブハウスに乱入し、
東京のバンドと血みどろの喧嘩が起こっていた頃である。
こんなことをステージで言ってたらそのうち標的にされ、
俺はきっと奴らに殺されるんだ・・・と本気でビビった。

「よし!!何とか本人達と仲良くなろう!!」

末吉ならではの処世術である。
パール楽器を通してまずドラムのジョー、
そしてその近所に住んでいたジミーとバン、
最後にボーカルのポールにやっとたどり着いた。

九段会館でのコンサートの時、
「ステージを見に来てくれ」
と言って本人の前で「44マグナムはバカだー!!」を絶叫した。

マグナムが解散してからも時々飲んだりしてたし、
パーキーソン病を煩ってからもポールポジションで一緒にツアーを廻ったりしていたが、
今回ひょんなことからライナセロスの話が出た。

「ほーじん元気かなあ・・・」

バンドをやってるといろいろある。
ほーじんも爆風銃への書簡で言ってるように、
爆風だっていろいろあった。
ある時期ほーじんと私が憎み合わねばならなかったように、
ポールとほーじんもいろいろあったと聞くが、
なーに年をとるということは素晴らしいことである。

いやなことから忘れてゆくのだ・・・

私は迷わずすぐにほーじんに電話をかけた。
携帯も持たずに突然旅に出て連絡が取れなくなるスタッフ泣かせの男が、
この日だけは何故かワンコールで電話に出た。

二人がこうして電話で話すのも十数年ぶりであろう。
電話に割り込んで私はこう言った。

「今月18日の米川君とのセッション、
ポールも病状がよかったら来てもらおうや」

この日は江川ほーじん6DAYSの初日である。
私は次の日からまたツアーに出るが、
ポールの体調さえよければ6日間いつでも来て歌って帰ればいい。

自宅からの送り迎えが必要だが、
なーに、下戸のほーじんが喜んでやってくれるだろう。

電話を切って飲み会もお開きとなり、
ポールとも別れて和佐田とホテルに帰る道すがら、
私はこんな提案をした。

「なあ、週末とかなあ、
みんながヒマな時、店でポールの日やらんか?
もちろん病状が芳しくない時はドタキャンあり!
チャージ無料のおひねり制!!
ポールの送り迎えは俺がやるわ・・・」

それを聞いた和佐田、ちょっとだけ間をおいてこう言った。
「そやなあ・・・ワシらがあの店立ち上げたのはひょっとしてこのためやったんかも知れんなあ・・・」

この病気は現在のところ完治する見込みはない。
こうして今は酒が飲めてても明日はどうかわからない。
今日は歌が歌えてても明日歌えるという保証はないのだ。

麻痺でろれつが回らないポールと
シンバルで耳がやられて難聴の私が
酔っ払って会話してると実は大半が聞き取れてなかったりする。

しかしポールははっきりとこう言った。
「歌いたい」と・・・

よし、手始めには18日のほーじん米川セッションやな。
早起きして迎えに行くか・・・

同じカテゴリの記事