2023/03/13
布衣劇場ツアー2023山東省淄博大剧场
若い頃は音楽が「趣味」で、バイトして音楽やって、それ以外何もない毎日だった・・・
それが音楽が「仕事」になっちまったもんで、もう「趣味」というものが何もない(>_<)
まあ強いて言えば「旅行」と「美食」ぐらいだろうか・・・それに命かけてる他の人に比べればささやかな趣味なのだが・・・
というわけで、この「音楽」という「仕事」の中で一番好きなのは、旅をしながら各地の美食を堪能出来るこの「ツアー」という仕事である。
ところが今回は、会場やホテルが毎回とても辺鄙なところにあるので、なかなか美食にありつけない(>_<)
しまいにはマネージャーも食事をブッキングするのに疲れて、
「昼ご飯は各自デリバリーでも探して勝手にやってちょうだい!キー!!」
となったので、私としては美食というものにありつけるチャンスが全くなくなった。
以前はマネージャーが食事をブッキングしてくれてても、日本食だの焼肉だの、自分が食べたいモノを勝手に食べに行ってたりしてたのだが、もうそんな体力もないし、何よりも今回のツアー・・・寒い(涙)
若いスタッフとかはそれでもレンタルバイクとかに乗って探検に行ったりしてるのだが、とあるスタッフが学食で食っている写真をチャットグループにアップして来た!(◎_◎;)
学校で部外者入れんのとちゃうん!!
「いや、このホテルは大学の敷地ん中にあるんです」・・・!(◎_◎;)
というわけで学食とやらに行ってきた!!!
学食なんて半年間だけ行ってた大学時代に行ったっきりじゃのう・・・もう45年前になるか・・・
近頃の学食ってフードコートになっとるんか!(◎_◎;)
布衣のファンは学生に多く、先に行った連中は捕まって写真攻めにあったりしたと言うので遅れて行ったのがまずかった・・・ほとんどの店が閉まっていた(>_<)
数少ない開いてる店で「照り焼きチキンご飯」っつうのを頼んでみたら・・・
さすが「学生のための学食」!!山盛りでこれで10元(200円)っちゃ安い!!
安くて満腹にということなのだろう、照り焼きチキンよりもほとんど焼飯なので、ケンタッキーフライドチキンもどきでチキンも買った!!
これが17元(340円)・・・高く感じる(笑)
それでも布衣から支給される食事代は50元(1000円)なのだから十分すぎるぐらい安い!!
食い切れんかったし(>_<)
周りにスーパーとか何もないのだが、地下にあると言うので行ってみた・・・
携帯ショップみたいのもある!(◎_◎;)
学内で全て解決するためには中国では携帯ショップは必須やわのう・・・
この日は全くと言っていいほど野菜というものを摂取してなかったので、次の日はビュッフェ形式のんを頼んでみた。
通常このテのビュッフェ形式は、肉料理いくら野菜料理いくらみたいな計算方法なのだが、ここは一律「500gで14.8元(300円ほど)」!!
まあ学生さん達、肉とか山盛りにして300円で満腹なら安いわのう・・・
老人はそんなに量食べれんし、野菜ちょびっととご飯でなんと・・・
8.75元って・・・170円?!(◎_◎;)
安いわのう・・・ここで住みたいのう・・・って考えてたら学生時代が懐かしくなって来た。
半年しか通ってなかったけど、あれはあれで楽しかったのう・・・
別に大学に行きたくて行ったのではない。
進路指導の時に「僕は大阪行ってブルースやるんです!!」
と言ってたぐらいだから別に進学になど全く興味などない。
当時付き合ってた彼女が、それでは世間の笑い物になるからどうしても大学には行ってくれと言うから行っただけのことである。
その彼女と別れたから大学もやめた(笑)
別に勉強が嫌いなわけではない。
どちらかと言うと勉学は好きな方であろう。
北京に通い始めた時、義劇学院という学校の寮に宿泊して、学生さん達と一緒に中国語を勉強したのは楽しかった。
高老師という厳しい女性の先生から「一番熱心な生徒」と言って褒められたこともある。
しかし結局授業を受けたのも数回だけのことで、基本的に中国語も、そして音楽もその専門教育を受けてないところにコンプレックスがある。
まあドラムでも何でも、人生はコンプレックスとの戦いだと思っているので、カンボジアで一年暮らした時に、学校行ってクメール語を勉強したのもそのコンプレックスの裏返しである。
カンボジアにいるクメール語を話せる日本人のほとんどは、話は出来るけど文字は読めない人がほとんどだったので文字から勉強した。
3ヶ月の間だったけどいっぱい勉強したなぁ・・・
朝9時から授業が始まるのだけれども、朝5時に起きて予習をして、終わったら夕方まで復習をしなければ授業についていけん(>_<)
まあそんなに勉強が好きだったら、大学やめずにそのまま通ってれば・・・みたいなことを考えたりもした。
小学校の頃の「夢」は、数学の先生かコンピューター技師になることだった。
家が商売をしてて家庭らしいものがなかったので、大人になったらちゃんと定時に帰って家庭を持つような仕事に就きたいと思っていたのだ。
それが今や・・・(笑)
「Funkyさんはもしサラリーマンやってたって、どんな職業やってたってそこそこ成功してますよ」
と言われるが、思えば私が通った大学は神戸商科大学(今の兵庫県立大学)管理科学科、つまりコンピューター学科である。
あのまま大学をやめなければ、小学校の夢のままコンピューター技師になってちゃんと家庭を持ってたかも知れない・・・
大学のキャンパスでこうしてメシを食ってると、ついそんなことを考えてしまう・・・
いや、結局はそれを選択せずに、今はミュージシャンとして生きているのだから、やるべきことを頑張ってやるのみである!!
というわけで本番!!(前置き長っ!笑)
ドラムソロ!!
実はこの日、スネアのネジがなくなってるのを発見したのよねぇ〜
今日の今日ではどうにもならん(>_<)
次の聊城で何とか出来るか!!・・・中国こういうのってむっちゃ大変(涙)