2022/08/07
布衣2022年ツアー河北省邯郸
河北省邯郸(HanDan)・・・去年初めて来た街であるが、三国志に出て来る貂蝉という中国四大美女のひとり(但し、西施、王昭君、楊貴妃は実在の人物であるが貂蝉は架空の人物)の出身地と言われている・・・
「Funkyさん、邯郸(HanDan)ですよ!!美女の街ですよ」
とヤオヤオ君は興奮してそう言うが、去年もそんな美女どころか基本女性にもあまり会ったこともなく(>_<)、会えたとしても旅暮らしのワシらに何の縁もあるわけもなし(>_<)
ここのライブハウスはちょっと街の中心地から離れたところにあり、その近所(と言ってもだいぶ遠いが)にはこのホテルしかないのか、結局前回と同じホテルで、近所には何もなく、メシはホテル付随の豪華なレストラン(の割に値段は安いらしい)で毎食(>_<)
何故か店の中に飴細工(笑)
いや、ボーカルのLaoWuって安くて美味しいレストラン見つけて来んのは上手いけど、当たりを引いたらそこしか行かんのよね〜(>_<)
しかもそこで頼んだものが美味しかったら、その後もそれしか頼まん(>_<)
まあ「冒険」が出来ん男なのな、そのおかげで27年もアンダーグラウンドバンドをやっとる(笑)
それでも今では中国いちツアーを廻るバンドとなって、コロナ禍ではそこまではいかないが、1年に100本とかライブをやれるバンドは、中国ひろし広しと言えど布衣ぐらいである。
まあ全世界ではもっと廻っているバンドもあるだろうが、このコロナ禍でもこれだけ廻っているということは、そのドラマーである私は「世界で一番ライブをやっているドラマー」ではあるまいか!(◎_◎;)
まあコロナじゃなかったらこのツアーの合間にも他の仕事入れるのになぁ・・・コロナ禍ではなかなか難しい(>_<)
まずPCR検査!!
中国では基本無料で、有料でも日本円で数百円なのだが、私たちのように毎日違った土地に行く人は毎日PCR検査を受けなければならない。
中国人はスマホのアプリをQRコードにかざして、それで検査受けてそのアプリで結果も見れるのだが、往々にしてそのアプリが外国人に対応していない(>_<)
確率としては無事に外国人に対応しているアプリは半数以下で、しかも省ごとにアプリが変わるので、省を超えた時点でまた最初から情報を入力して、最後に結果ダメだったということになる(涙)
着いた翌日は移動日のため、「みんな午前中にPCR検査行って来なさいよ、キー!!」と、この一連のツアーには参加してないチーフマネージャーから遠隔操作を受ける(笑)
街中には至る所に簡易検査場があるのだが、ホテルから一番近いところはやはり外国人に対応していない(>_<)
そこから病院を探す!!(涙)もうね・・・毎日がこれとの戦いである(>_<)
やっと外国人にも対応している病院を見つけ、検査を受けてミッションだん!!
いつもと同じメシを食って移動日終わり(笑)
翌日会場へ〜
会場は街外れの芸術村みたいなところにあり、至るところに「Rock」と(笑)
確かここは去年来た時にはこけら落としやったんよなぁ・・・
1年経てば設備も充実して・・・ということもなく(>_<)
小屋にクラッシュシンバルはなく、ライドのみ・・・しかもシンバルスタンドにはフェルトもネジもないし(>_<)
とりあえずクラッシュ代わりにライドを置いてセッティングだけ済ませておく・・・
これでも叩けないことはないのだが・・・
見れば小屋の人が誰かから借りようと電話してくれてる・・・
「じゃあクラッシュ2枚とついでにシンバルスタンドもふたつ!!」
と伝えたのだが、本番前になってもシンバルスタンドが4本届いたのみ・・・
「クラッシュシンバル(掉镲:DiaoCha)は?・・・」
小屋の人はちょっと首を傾げながらシンバルスタンドを指さす・・・
「これは镲架(ChaJIa),掉镲(DiaoCha)っつうのはこういうヤツ・・・」
って実物を見せながら説明するのだが、なんで外国人のワシが中国人に中国語教えないかんの?(笑)
というわけで本番前には揃いました〜\(^o^)/
本番開始!!
ドラムソロ!!
打ち上げは〜社食(いつもここでしか食わないのでこう呼ぶ(>_<))は開いてないので近所で焼肉〜!!
いえぃ!!やっと別のもん食えた〜\(^o^)/
と、その食事の席でネットで廻って来たネットライブの告知・・・
邯鄲(かんたん)の夢
とある若者が、邯鄲に行って成功しようと旅をしてた。
途中で食事を取ろうと休憩をしてたのだが、そこの老人に自分の恵まれない境遇をこんこんと話し始めた。
老人はふんふんと聞きながら、「では取り敢えず粟が煮えるまでこの枕で休みなさい」と・・・
若者はうとうとしながら夢を見た。邯鄲に行って成功し、紆余曲折あった自分の波乱万丈の人生を全部見終わって目が覚めた。
老人は若者が何を見たかを全部知っていて、煮立った粟を差し出して「さあ食べなさい」と言った。
若者は「人生なんて粟が煮立つまでの夢に過ぎないんだ」と悟って、邯鄲に行くのはやめて故郷に帰って行ったとさ・・・