2022/08/21
北京食レポ!!
ハルピンから〜6時間かけてむっちゃ久しぶりの北京へ〜
実はハルビンの次の日は北京公演であったのだが、コロナで(延期ではなく)中止!!
アンダーグラウンドバンドだとは言え大都会では1000人近く集めるので、そんな人が集まるイベントはコロナが落ち着く(ゼロになる)まで大都市ではまかりならん!!というわけなのであろう・・・
北京に帰るのはむっちゃ久しぶりで、年間2万元(円高で40万円)も家賃払いながら、年に数日しか帰らん北京の院子・・・(>_<)
しかし市内からはむっちゃ遠いので、とりあえず北京朝陽駅に着いたらそのままS社長と待ち合わせて日本食〜!!!
S社長は30年前に出会った時には、日本の大学卒業したばかりの一番貧乏な頃で私が毎日奢っていたが、今は完全に立場が逆!!(笑)
中国音楽界の重鎮として大成功して今はどんだけ金持ってんの?というぐらいなので遠慮なくご馳走になる〜!!m(_ _)m
「Funkyさん、何が食べたい?」・・・いや、やっぱ刺身でしょ!!
銀川みたいに海がから遠い、内陸で生魚運ぶのも大変なような街にいて、やっぱ寿司とか刺身とか食うチャンスはほとんどないのよね〜・・・
というわけで、北京のお気に入り!!
日本人が開いたスーパーで、イートインがあって、スーパーで買った魚を寿司にしたり色々加工してくれたりもする。
1、新鮮な魚
2、自分で選べる
3、魚屋スーパーなので品揃えが多い
4、スーパーの値段なので安い
という、S社長にとっては物足りないかも知れないけど、私にとっては北京に行ったら絶対行きたい店のひとつなのよね〜(涙)
もうね、こんだけの魚の種類・・・銀川にはない(>_<)
日本酒も種類豊富なスーパーから買って来てそのまま飲む!!
結局ふたりで2本!!ひとり750ml瓶を一本ずつ空けてますがな〜・・・
ちなみにお値段のほどを聞いてみたら1000元強、円高なのの2万円〜3万円ってとこだろうか・・・S社長の経済レベルからすると安いのかも知れないけど、私からすると滅多に食べられないレベルである。
どうもごちそうさまです!!!m(_ _)m
その後、歩いて行ける居酒屋兆治に行ったんだけど、そこはもう潰れていて、その向かいの、その妹がやっている洋食屋〜!!・・・って実はもうベロンベロンであまり覚えてない(>_<)
居酒屋兆治をやっていた兄の方も呼び出して飲んでたらしいが、どうやら酔っ払って頭ぽんぽんしばきながらベロンベロンだったそうで(>_<)
どうやって帰ったか覚えとらんが、実は大変だったそうで・・・その話は後ほど〜
さて次の日寝起き(笑)
この日は夜にLuanShu一家と食事!!
実はこの一家はもう30年以上の付き合い。
「家族」と言っても過言ではないのだが、酒癖の悪いLuanShuは、私がカンボジアにいる時も、銀川にいる時も「どうして北京に帰って来ない!!」と絡む(>_<)
愛されているのは重々嬉しいのだが、こうして数日だけ北京に帰って来て(ちなみに北京に「行く」と言うとまた劣化の如く怒られる(笑))、他の人とは飲んでて自分とは会わなかったなどと言ったら大事である(笑)
「Funky、何が食いたい?」
と言うので昨日の魚屋を言ったら、
「もっといいところに連れてってやる」
ということで、魚も肉も食べられる高級日本食屋!(◎_◎;)
LuanShuが来るのが遅れていたので先に始めたが、メニューを見たら目ん玉飛び出しそうだったので、とりあえず酒のツマミだけ頼んでビール!!
焼き魚なんて〜・・・(涙)
マグロのカマも、中がちょうど赤いぐらいが残っていて・・・(涙)
程よく酔っ払った頃、遅れてやって来たLuanShu、
「何が飲みたい?」と言うので、まあ肉だったら赤ワインかな、と答えてたら、赤ワインと白ワインと両方持って登場!!
ツマミ系はビール!!生魚は白ワイン!!肉は赤ワインという・・・もうね(涙)
実はこの日もどうやって帰ったか覚えていないのだが、それが実は北京ではむっちゃ大変なことだということが翌日発覚する・・・
次の日はS社長とビジネスミーティング。
投資会社の美人社長の会社とやらに行ったのだが、これが「この人どんだけ金あるん?」というぐらいの会社!!
あまりに腰が抜けて写真撮るのを忘れたが、ミーティング後にS社長が「美味しい焼き鳥屋があるから行こう」と言うので舌なめずりしながら行ったらそのビルに入れない!(◎_◎;)
QRコードをスキャンして開いたアプリは外国人に対応してないのだ。
「このアプリは外国人には対応してないから」
と言うと、今まで北京以外の土地はそんなに厳しくなかったが、このビルはダメ!!
それどころか、私はPCR検査を受けたのはハルビンだったのだが、北京では3日ごとにPCR検査を受けてないとどこにも行けない。
実は初日に私がタクシーに乗る時にベロンベロンで、私の携帯を使ってみんなでそのアプリを開こうとしたが開けず、結局タクシーの運転手が乗せてくれた。
LuanShuとの会食のレストランは、比較的緩くてスキャンしてもその内容を確認しなかったので入れたが、通常はこのようにアプリがなければどこにも入れない!(◎_◎;)
結局、昨日入れた居酒屋兆治の妹んとこ行あーでもないこーでもないとアプリを弄ってたら、結局北京には外国人専用のアプリがあって、それでスキャンしなければならないということが判明!!
そしてすぐにPCR検査を受けないと、ヘタしたら駅にも空港にも入れてもらえないので銀川に帰れない(>_<)
次の日はS社長とその投資会社の社長とのビジネスディナー!!
PCR検査も済ませて堂々と店内に〜(笑)
入るといきなり生ハムが〜!(◎_◎;)
これ60ヶ月熟成してるんですと!(◎_◎;)
スタッフが生ハムをスライスしてる間、シャンパンと生牡蠣!!(◎_◎;)
いやね・・・(涙)
ところで、これって何で食べるん?・・・確か外側のもんから使って食べるんやっけ?(>_<)
生ハムが出て来た頃には赤ワイン!!(涙)
ちなみに生ハムでこの青唐辛子を巻いて食べるのが絶品!!
この海老の料理が実は後に凄いことになるのだが・・・
(もう何がどのような順番で出て来たのか全く覚えとらんが)実はその後に出て来たこのスパゲティー!!これが絶品!(◎_◎;)
実はその海老料理の頭や殻や尻尾などを使って出汁を取っていて、S社長は実は頭を全部食ってたのでこのスパゲティーに頭がない、つまりひと皿ひと皿全部味が違うわけですな!(◎_◎;)
魚も美味かった!!!
そしてメインのステーキ!!
これがねぇ・・・もう(涙)
いやね、脂肉大好きな私であるが、歳とってだんだん霜降りとかちょっとキツくなって来てるのよね・・・
かと言って赤身だとあの脳天にズキューンと来る何かが足りない・・・
・・・と思ってたら、これ赤身なのに脳天にズキューンと来る!(◎_◎;)
もうね・・・肉大好きな私であるが、この年になって人生で一番美味い肉を食った〜(涙)
ちなみに肉の熟成室が〜!(◎_◎;)
何本目かの赤ワインを飲んでる頃、S社長の会社の曲世聪がやって来た。
こいつは東北出身の野暮ったい男で、
『Funkyさん、こいつ、曲作ってりゃ幸せだっつうオタクなんですよ。才能あると思うんで契約したんで面倒見てやって下さい」
って言うので見てたら、ほんとに朝から晩までずーっとパソコンで曲作っとる!(◎_◎;)
そんなこんなで今は大成功してるのだろうが、それにしては相変わらず野暮ったいのう(笑)・・・
そんな彼が葉巻などをふかしている!(◎_◎;)
似合わんのう・・・(笑)
「お前、この葉巻っつうのはいったいいくらぐらいするもんなの?数百元?」
彼は2本指を立てるので
「ああ、200元(円安で4000円)ね」
それでも高いなぁ・・・「んで?一回火ぃつけたら1週間ぐらいかけてゆっくり吸うんでしょ?」
彼の答え聞いてもう愕然!(◎_◎;)。。。もうね、ワシって一体何?(>_<)
いや、一本2000元ですよ。30分でなくなります」
!(◎_◎;)・・・・お、お前・・・一体いくら稼いでんの?
「お前、1曲書いていくら貰ってんの?1万元?」
ちなみに私だって中国でヒット曲を持ってて、当時は1万元という、設定してもらった値段は中国でかなり高い方の値段だった。
彼は首を横に振る・・・
「じゃあ・・・2万元?」
・・・ちなみに、当時でも超売れっ子の作詞作曲家は2万元だった・・・
彼は親指と人差し指だけを立ててあとは指を握った手を私に見せた。
これは漢数字の「八」を逆さにした文字を表していて、
「は、は、八万元?」
ちなみに円安で160万円、それに彼の場合、アレンジとか制作も請け負うだろうからアレンジ、プロデュースfeeとして同額が入る。
つまり1曲請け負ったら300万円強、しかも彼のことだからまた毎日毎日曲ばっか作っているのだろう!(◎_◎;)
正直言って何か大きなショックを受けている・・・
私だって彼がペーペーの頃には中国で一番売れてたスタジオミュージシャンだった。
ある時はヒットチャート10曲のうち5曲は私が叩いた曲だったし、ドラマーとしての値段もどんどん上がり、中国いちギャラが高かった時代もある。
でもそれはやめた。
どんどんブランド化して、高くて手が出なくなり、収入が増えるより仕事が減る方がイヤだった。
毎日ドラム叩いて生活したいのよ〜・・・
でもそのスタジオミュージシャンの先には彼の生活があった。
後悔はしてないが、「人生って・・・」てな何か変な感情が湧き出て来たのを飲み込んだ。
「邯鄲(かんたん)の夢」という物語がある。
その昔、都である邯鄲に出て一旗あげようという若者が、邯鄲の街の近くまで来て休憩で入った小さな飯屋、そこには不思議な老人がいて、自分の人生がどれだけ恵まれてないかをその老人に話した。
「じゃあ粟が煮えるまでそこで休んでなさい」と老人は若者に枕を与えた。
若者はその枕で横になったらうとうととうたた寝をしてしまい、夢を見た。
夢の中で若者は邯鄲で成功するために頑張って、色んなことがあって、紆余曲折の後成功した。
そして死んでゆく時に目が覚めた。
「目が覚めたかね、ちょうど粟が煮えた頃じゃ、食べなさい」
老人は若者がどんな夢を見たかを知っていた。
若者は「人生なんて粟が煮えるまでに見る夢でしかない」
そう思った若者は、邯鄲に行くのをやめて田舎に帰って行った・・・
そうそう、あのままスタジオミュージシャンとして頑張ってたら彼より稼いでたかも知れない。
でも今選んだ人生は結構毎日ドラムを叩いて楽しく暮らしている。
人を羨めばキリがないし、自分を蔑んでもキリはない。
結局は今選んだ人生を精一杯生きるだけなのだ・・・
そう思ってその夜はまたベロンベロンで懐かしい友と別れた。
さて北京最終日!!
日本人エンジニアのKeizoと奥さんのなるみちゃんが「橋場さんの店に行こう」というので、20時の列車で帰るので18時までならということで16時に集合した。
もうね、もう多くは語らん!!
長い付き合いの日本料理職人、橋場さんが、わざわざ店を早く開けてまでもてなしてくれた料理の数々・・・(涙)
居酒屋兆治の息子、翔くんも含めて全部で4人をKeizoさん夫婦が奢ってくれた〜(涙)
これで全部で1500元(円高で3万円)って安すぎるやろ〜
橋場さん、いっぱいサービスしてくれたんやな、どうもご馳走様でしたm(_ _)m
結局この日は列車に乗り遅れ(>_<)
Keizo夫妻と共に飛行機で銀川へ飛ぶ・・・
銀川来たら死ぬほど奢りますぞ〜!!!