2016/06/27
Wyn来たりてご馳走三昧・・・
LAメタルを代表するレコーディングエンジニア「Wyn Davis」。
Dokkenのプロデュースや数々のロックの名盤のレコーディングから、
ワシとは99年にX.Y.Z.→Aのレコーディングをお願いしてもう15年以上の大友人である。
今回はLuanShuのソロアルバムのミックスのために北京にお呼びした。
45kg痩せたと言うが、やはり飛行機の座席はエコノミーだと2席買わねばならず、
今回はどうやらビジネスシートを購入してやって来たと言う・・・
レコーディングの話はまた後でチャンスを見て書くとして、
今回はその北京での歓迎ぶりについて書いてみたいと思う。
そもそもここ中国でもたくさんの外国人エンジニアと合作したプロジェクトは数多いだろうが、ワシが見るにそのほとんどは「失敗」だったのではないかと思う。
これにはいろんな理由があるのだろうけど、
ひとつにはアジア人と西欧人のメンタリティーの違い・・・
多くの場合は結局は「仕事」の関係で終わってしまい、
その後に何も産んでいない・・・
特に中国人の場合
「金さえ出せばこのレベルの仕事をやってもらえるのだな」
で終わってしまっている場合が多いではないか・・・
「上手いドラマー」は数多いが、
そのバンドにとって本当に「いいドラマー」というのはなかなかいないのと同じで、
その作品に「生命」を吹き込む「何か」が欠けていればそれこそ「臥龍点睛」ではないのか・・・
アメリカ人は確かに「ドライ」である。
Wynもギャランティーのみならずホテルのランクや、
市内移動の交通費とか話し合いの時に非常に細かいところまでビジネスライクに言って来るが、
さて「音楽」となると非常に熱意を持ってやってくれる。
失敗した多くの例は
「金さえ出せばいいんだろ」
「金さえ貰えればいいんだ」
の関係で終わっていたのではないのかなと思ったりする。
多くの白人の中にはアジア人を蔑視したりする人も多いと聞くが、
Wynは非常にアジア好きというか、
まあワシが頼めば本当に安いギャラで来てくれる(笑)
まあそうでなければ布衣(BuYi)などアマチュアに毛の生えたようなバンドのレコーディングなどやってくれるわけはない。
そういうところやはり「熱情」を持ってくれていると思う。
そしてバンド達はそれに感謝し、
そして彼のやったそのクオリティーの高い「仕事」に感謝し、
そしてそれが「フレンドシップ」となって今に至るのではないかと思う。
最初の数日はワシも北京にいるのでなるだけ一緒に食事をしてやろうと夜は全て彼のために空けているのだが、
まあ毎日毎日入れ替わり立ち替りいろんなミュージシャンが彼にご馳走を振る舞いにやって来る・・・
まず初日はLuanShu本人・・・
まあこれは彼を呼んだ張本人としては当然であろう・・・
(それが毎日続くのは大変なことだとは思うが・・・笑)
次の日はワシが日本食でもご馳走しようかなと思ったら、
ラップ歌手の爽子(Shuangz)が
「僕がご馳走します!!」
と言って超高級宮廷料理を振る舞った!(◎_◎;)
そう言えば爽子(Shuangz)もワシがプロデュースするはずのデビューアルバムを
いつの間にやらワシを通さずに(笑)Wynにミックスしてもらっている・・・
いや、いいのよ。別にみんな勝手に連絡取って仲良くしてもらえれば・・・(笑)
爽子(Shuangz)曰く、
「彼は僕のアルバムの恩人ですから命がけでご馳走しないと」
刺青だらけのBad Manな彼も、
素顔はシャイな非常にいいヤツなのである・・・
次の日は零点(LiangDian)の番である。
まあ彼らはご馳走せないかんな!!(笑)
ワシがプロデュースしたボーカル脱退前の最後の2枚のアルバムから、
わざわざ北京に呼んで6万人コンサートのライブ録音からいっぱいお世話になった。
(汁なし激辛鍋「麻辣香锅(MaLaXingGuo)」)
この日は「挨拶だけ」ということでまたメンバー全員でモンゴルの(彼らは内モンゴル出身のバンド)羊肉をということだったが、
次の日は布衣(BuYi)の接待でモンゴル料理!!
この日は布衣(BuYi)がご馳走する予定だったが、
それを聞いた爽子(Shuangz)が、
「老呉(LaoWu)が奢るって?ダメダメ!!彼に奢らせちゃ!!僕が奢る!!」
と言って乱入して来た。
「僕は本当に老呉(LaoWu)を尊敬してるんだ。
彼らは貧乏なバンドだから絶対に奢らせちゃダメ!!」
と譲らない・・・
「お前だってアルバム出したばかりの新人だろ?」
と突っ込みたくなるが、
やはり彼は歌手で、自分の収入の中からミュージシャンを雇うのと、
老呉(LaoWu)のように全ての収入をバンド全員で等分に割るのとは全然実入りが違うのかも知れない・・・
これ・・・やっぱ高いぞ・・・(笑)
その後この宴席を中座してワシはそのまま飛行機に乗って日本に帰ったが、
永康(YongKang)のパールドラムの活動の後に半日だけ北京に帰ってまたご一緒した。
この日こそワシが日本食でもご馳走しようと思ってたのだが、
これまた爽子(Shuangz)が「僕が奢ります!!」と言うのでご馳走になった。
それにしてもこの奥さん(だか彼女?)・・・
いつぞや彼の背中一面には「彼女の刺青」を彫っていると聞いたが、
この彼女(だか奥さん?)がその彼女なのかは聞く勇気がなかった・・・(笑)
その後「胡同(HuTong)」(路地裏・・・と言っても今は観光地)に行って、老北京のヨーグルトを飲んで別れを惜しんだ・・・
まだBeiBeiが現れてないが
「お前、スケジュール取って命がけで接待しとけよ!!」
と言ってあるのでワシがもう北京にいなくても誰やかれやが接待してくれるだろう・・・
思えばWynもこんなにたくさんの仕事をして、こんなにたくさんの人に愛されている。
「みんなFunkyが紹介してくれたんだよ」
と本人は言うが、今では勝手にみんなが連絡を取ってアメリカ行って勝手にレコーディングしておる。
これでいいのだ!!
こうやって国を超えて友人達が仲良く中国の新しいロックを作り上げてくれることはとても嬉しいことである・・・
Wyn Davis・・・また北京か日本か・・・WINGが次のアルバムを頼みたいと言ってたから香港で?・・・もしくは何もなくてもひょっとしたらLAでまた会おう!!

