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2016/05/09

中国ロック30年の歴史コンサート

「5月9日空いてるか?」
最初にワシにそう声をかけたのはLuanShu・・・

遊びの誘いかと思ったらコンサートがあるというところから始まった。

次に声をかけたのが爽子(ShuangZi)

「ドラマーが最近忙しいのでファンキーさん今度から僕のバンドで叩いてくれませんか」
と言われてOKは出したものの、
「5月9日です」
と言うので
「その日はスケジュールが入ってるから・・・」
と断ろうと思ったら同じイベントだったというわけだ。

その後中国ロックの歴史の人「唐朝老五(TangChaoLaoWu)」からも連絡が来る。

ワシのインタビュー記事の中でも出て来る伝説のギタリスト。
彼の登場が中国ロック界においてどれだけインパクトがでかかったが想像される・・・

彼の場合は
「バンド組んでツアーとか廻りたいんだけど」
と人に相談したら
「じゃあドラムはファンキーしかいないよ」
とみんなに言われて連絡して来たと言う(笑)

また「5月9日空いてる?」と言うので
「ひょっとしてこのイベント?」
ということであれよあれよと言う間に3つ叩くことになった。

ちなみにLuanShuは「礼物(LiWu)」という曲を演るということで、ギタリストとして彼も呼ばれている。

結局、中国ロックにゆかりが多い人はいろんなバンドで呼ばれるから出番が多くなるということらしい・・・

ちなみに唐朝老五(TangChaoLaoWu)のバンドは、
「ベースは誰にする?」
と言うので、
「日本人ベーシストだったら紹介するよ」
ということでなし崩しに有希子(よーしーず)に決まり、
リハをすると言うので行ってみたらキーボードは張張(ZhangZhang)だった(笑)

ギタリストは、よく一緒に仕事をしている「姚林(YaoLin)で、
このイベントの音楽監督も務めてるらしい。

彼から「オープニング曲もお願いしますよ〜」ということで結局ワシの出演は4バンド!!
しかし張張(ZhangZhang)はそれにレギュラーの鄭鈞(ZhengJun)の出演もあるので5つ!(◎_◎;)

デブ・・・よく頑張るのう・・・(笑)

まあワシらは基本的に「ミュージシャン」として呼ばれているわけだが、
ワシだけは何故か「特別ゲスト」としてクレジットされてポスターに写真まで載っている!(◎_◎;)

20160509Flyer.jpeg

ワシも「中国ロックに貢献した出演者」とされていることは非常に光栄なことだとありがたい気持ちで一杯である。

まあワシの場合には何のしがらみもないのでいいが、
出演者の交渉はかなり難航したという噂で、
例えば唐朝老五(TangChaoLaoWu)の場合はバンド名を芸名として名乗っているものの、バンド自体はとっくの昔に脱退していて、
当の唐朝(TangChao)とはあまり仲がよろしくないようで、
「あいつが出るんだったら俺は出ない」
みたいなこともあるだろうし、
LuanShu自体も黒豹を脱退してからバンドと日本JVC相手に訴訟騒ぎまで起こしているが、
これに関してはもう雪解けしてるようで、
「俺のギャラが黒豹より安かったら出ないよ」
ぐらいで解決したとかしないとか・・・!(◎_◎;)

まあそんなこんなで(というかスケジュール的なものが大きいのだろうが)出演出来なかったロックレジェンド達がいくつかいるわけで、
イベントとしてはオープニングのプログラムとしてそのレジェンド達の代表曲をメドレーにして、それをまだ売れてないロッカー達に歌わせようということになったようだ。

CHINA ROCK 30 オープニングメドレー

まず1曲目は何勇(HeYong)姑娘漂亮(GuNiangPiaoLiang)

「この曲も中国人なら誰でも知ってる曲なんですか??」
メドレーのDEMO音源を渡されて訝しがる有希子(よーしーず)(笑)

まあ日本のアマチュアバンドのデモテープのようなこの曲もあの時期一世を風靡した。
「お嬢さんお嬢さん、綺麗だね。警察警察、銃持ってるね」
というこの歌は当時の中国においてはむちゃくちゃインパクトがあった曲である。

彼との思い出は、若くして亡くなった唐朝のベーシスト張炬(ZhangJu)の葬式の時・・・

若いミュージシャン同士仲がよかったのだろう、号泣し、酒を飲んで暴れ、他の人とケンカをする彼を「パンクだなぁ・・・」と思ってぼーっと見てた。。。

2曲目は竇唯(DouWei)高級動物(GaoJiDongWu)

この曲は確か彼が九州の音楽イベントのために来日した時に、
ドラマーが来れなくて代わりに叩いた記憶がある。

黒豹のボーカルとして一世を風靡しながら、
脱退してその後はこの路線(現在はもっと難解な音楽)を進んでいるが、
あのまま黒豹に在籍していたら・・・と考える人間はワシだけではないだろう。

中国ロックを大きく変えたのは実はひとりの女性だった・・・
などという話は長くなるのでここでは割愛して私の本を読んで頂こう(笑)

さて次の曲は許魏(XuWei)蓝莲花(LanLianHua)
!!

自分がドラムを叩いてる曲が中国ロックのレジェンドに選ばれてるなんて光栄の限りであるが、確かに彼と一緒に作り上げたこのアルバムは中国ロック界に金字塔を打ち立てた。

それまで「中国人民よ立ち上がれ!!」とメッセージを発信していた崔健(CuiJian)に変わって、「僕はこんなに弱いんだ」というメッセージ
(一緒に飲んでる時に「絶望の中で一筋の希望を見た」ってのが君のメッセージだね、と本人にそう言うと「それ以上言わないでくれ、泣いちゃうから」と答えたのが印象的だった)
を歌にして、高度成長についていけない多くの若者に絶大的に支持された。

その辺の話は実は、昔関西大学の教授に頼まれて「中国ロックと中国社会」という論文を書いたことがあるのでそれをUPしておくのでおヒマな方はそちらを読んでみて欲しい。

こちら

さて次の曲こそがその崔健(CuiJian)
http://www.yaogun.com/artist/cuijian/cuijian.htm
の一無所有(YiWuSuoYou)
http://www.iqiyi.com/w_19rta4g2k1.html

ちょうど30年前の今日、1986年5月9日にここ「北京工人体育館」にて第1届百名歌星演唱会という連合国国際平和年を記念したイベントが開かれ、
そこで崔健がこの曲を歌ったことが「中国ロックの始まり」とされる。

日本だと「いやラウドネスが、いやBOWWOWだ!!」とか「やっぱ頭脳警察じゃないかなぁ」とか論議が絶えないところだろうが、全人民が認める「これがこの国で最初に生まれたロックだ」というのがあるということが中国の特殊性であろうか・・・

そしてメドレー最後の曲は中国共産党の曲、「国際歌」前述の唐朝が伝説のファーストアルバムの中に収録して若くしてバイク事故で亡くなった張炬(ZhangJu)が歌った曲である。

彼らが初めて日本に来た時に、
「ライブをやりたい」
と言うので、目黒ライブステーションに頼み込んで日本のバンドのイベントにねじ込んでもらって数曲演奏したことが懐かしい・・・

唐朝老五(TangChaoLaoWu)とのリハの時もその話が出た。

今でもその時に覚えた片言の日本語で話しかけて来て懐かしい思いがした・・・

張炬(ZhangJu)の死は中国ロック界では大きな事件で、そしてその後も大きな影響を与えて来た。

彼の追悼アルバムとして作られた「礼物(LiWu)」は2006年の"第六届百事音楽風雲榜頒奨盛典"にて、2005内地(大陸)最優秀歌曲賞、最優秀ロック歌曲、最優秀ロックアルバム、最優秀歌詞の4部門の賞を獲得するなどして、LuanShuもベストプロデューサー賞を受賞して今の地位を不動のものとした。

ワシ個人としてはこのアルバムのために若いバンドをプロデュースしてくれと頼まれて布衣楽隊(BuYiYueDui)と出会い、ボーカルの老呉(LaoWu)とはそれが縁で今でも一緒に暮らしている。

まさに張炬(ZhangJu)がくれたひとつの「礼物(贈り物)」のような「縁」である。

そんな「若手バンド」だった老呉たちも今では「大御所(まではいかないかな・・・古株)」ぐらいの位置に来て、その後の時代を担う「若手」が「爽子(ShuangZi)」である。

彼は自分の代表曲をメドレーにしたのだが、
そのトリに持って来たのがワシが書いた曲である。

ドラムや人生だけじゃなく、自分の曲がまた中国ロックの歴史に刻まれるのもまた嬉しいもんだね。。。

そんな今日のイベント、北京時間19時(日本時間20時)からネットで生中継されるそうな。
こちら→http://music.le.com/izt/rockchina30/index.html?from=timeline&isappinstalled=0
(見逃した人もきっとこのアドレスでアーカイブが見れると思う)

是非この中国ロック30年の歴史の節目を一緒に体験して頂きたい・・・


蛇足だがやはり書いておこうと思って加筆!!

30年前の今日、この北京工人体育館にて中国ロックの歴史が始まって、
そしてこの日にワシはいろんな思い出のある中国ロックの仲間たちと共にこのステージに立っている・・・

しかしこの友人たちの誰も知らない中国ロックの暗部の物語が私にはある。

同じくこの場所で、爆風スランプが出演したイベントにて、
中止命令を聞かずに届け出を出した4曲全てを演奏した私たちに対して、
銃を持った国家権力はPA席で若い中国人スタッフをめった打にし、
ボロ雑巾のようになった彼の「ロックのシンボル」である長髪を持って引きずって行った。

ドラムとギターアンプのベースアンプの生音だけで演奏を終えて、
胸を張ってステージを降りた私たちを、
銃を持った国家権力は別室に軟禁した。

ひょっとしたらその部屋だったかも知れない楽屋でこの文章を書いている。

若い中国人スタッフがボコボコにされたPA席に今日は国家権力が圧力をかけに来ることはないだろう・・・

しかしそんなことは多かれ少なかれ今日のこのステージに立っている中国ロックの立役者達はみんな経験している。

そうやってこの国で「ロック」をやって来たのだ・・・

平和になった。
この国でもこうして自由にロックが出来る時代が来た。

でもいつかまたこの国が動乱の世の中となって、
この国の若者たちが「ロック」で立ち上がる日が来たとしたら・・・

私は喜んで彼らと共に「ここ」で戦ってゆく覚悟である。

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