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2011/03/27

卒業式

上の子と真ん中の子の卒業式が同じ日に行われた。

もともとは中学校の卒業式は1週間早かったのだが、
ちょいと事情で参加出来なかった娘のために、
学校側はたったひとりのために卒業式をやってくれた。

感謝感激である。

たったひとりのために先生方が集まってくれて、
校長から卒業証書の授与だとか、
先生方の娘に対するスピーチだとか、
中には泣いておられる先生もいて感謝感激である。

そこでふと発覚したひとつの事実・・・

先生方は皆が皆口を揃えて娘のことを
「マイペース」だとか「我が道をゆく」だとか言っていた。

家でいるとただダラダラふにゃふにゃしているだけかと思ったら、
これは「マイペース」やったんか!!

そう言われて見れば合点がいく。
ワシのような人間の子供をやってゆくためには
「マイペース」でもないとやっていけない。

日本で生まれ育ったが、
小学校に入る前は半年ほど北京で暮らし、
日本語をすっかり忘れて中国語になってしまったことがあった。

前妻との離婚により再び日本に帰って来ることになったが、
その時は完璧な中国語ネイティブである。

弟と一緒に当時武蔵小山にあったドラム部屋
過激派のアジトと間違われたあの部屋)
に連れて帰ったが、
はてさて自炊もしてない外食ばかりのワシが彼らにどうやってメシを食わせてやろう・・・

結局は朝はコーンフレーク、昼はコンビニのおにぎり、夜は外食、
という不健康きわまりない生活で、
そう言えば毎日銭湯に行ってたのだがそこで思い出がある。

番台のおばはんに、
「あんた!!この子はもう小学生に上がってる年でしょ!!
風呂代ごまかすんじゃないわよ!!」
と怒られたことである。

ワシらは中国語で会話をしてるので、
きっと貧乏な中国人が毎日風呂代をごまかしていると思ったのだろう。

「お前は外国人を蔑視しとるのか!!」
と噛み付こうと思ったが、本当によぼよぼのおばはんなのでやめた。

それよりも自分が日本人に見られてないことの方が面白く、
なんか中国語を話す子供達を連れてうろうろしてるのが楽しくてしょうがなかった。

ワシ自身は「家なんぞいらん!!」という放浪生活を送っていたので、
「別に子供達は学校なんか行かずにずーっとワシのツアーについてくればよい」
などと本気で思っていた。

ファッションセンスなんぞない親なので、
子供にはディスカウントショップで買ったジャージを着せて、
サイズがちょっと小さくて頭が入らないとなったら遠慮なく首のところをハサミで切って着させていた。

五星旗(だったと思うが)のツアーに出て、
それを見たYangYangが、
「あんたはもうどうしようもないからいいけど、
この子は女の子よ!!あんたと一緒にこんな感じじゃ可哀想でしょ!!」
と怒ったのを覚えてる。

X.Y.Z.→Aのファンクラブ会にも連れて行ったが、
ワシなんか本気で、
「バンドメンバーとファンがこの子達を一緒に育てればいいじゃろ」
ぐらいに思っていた。

結局「これではいかんじゃろ」ということになって、
高知の母親が引き取ることとなり、
満員の新幹線のデッキ部分に
3人でボロボロのジャージを着て床に座り込んで高知まで送って行った。

いや、ワシは「これでいいのだ」と思っていたのだが、
やっぱこれではいかんかったのだろう・・・

その後再婚し、今の嫁が育ててくれているが、
3人目が出来てその子がきかん坊なことをする度に、
「上のふたりはこんなことはなかったけどなあ・・・」
と言うと嫁に突っ込まれる。

「あんたが知らんだけ!!育てて来た人はじゅうじゅう知っとるわ!!」

まあうちの母は結構厳しい人なので、
「この人に育てられたらそう間違った道には進まんじゃろう」
と安心したりしてたのじゃがそれも、
「何言うてんねん!!
同じ人に育てられたんやったら同じ人間になってもおかしゅうない!!」
と突っ込まれる。

長男の小学校の卒業式、
それぞれが将来の夢を大声で叫ぶコーナーがあったのだが、
何をトチ狂ったかうちの息子、
「僕の将来の夢は音楽家になって世界で活躍することです!!」
とのたまいよった!!

いや、まあ・・・止めはせんが・・・
それはそれでしんどい道ですよねえ、二井原さん・・・

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