Pさんの話
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2009年10月07日(水)
Pさんの思い出

誰よりも遅く来て誰よりも早く楽器を片付けて誰よりも長くダベって帰って行ったPさんの話をずーっとしていた。

「いや、な、今日のリハが近づくにつれてな、
あ!河合さんギター家に置いてなくって持って来れんのちゃうかな思て」
と和佐田。
「楽器は事務所の倉庫に置いてて当日になるまでそのこと忘れとるってな、
あるある・・・」
とワシ。

「それでな、慌てて電話したんよ。
ギター忘れたらあかんで言うてな」
と和佐田。
「そりゃ賢明やな」
とワシ。

「そいでな、はっ!と思い立ってまた電話したんよ。
エフェクターもちゃんと家にあるか言うて」
と和佐田。
「うん、それも賢明やな」
とワシ。

「でもそれを横で聞いてた友達がな、
いくら何でも子供やないんやから、と」
と和佐田。
「わかっとらんな、その人」
とワシ。
「ほんまわかっとらんな」
と和佐田。

ワシらは20年近く前の話をしみじみと思い出す。

クリスマスイヴの秋田でのコンサート、
その日はおりしも大雪であった。
朝の羽田発の飛行機が欠航すればあわやコンサートが中止になるところであったが、
何とか飛ぶんではないかとなったその前日、
スタッフの心配は今度はPさんがちゃんと遅刻せずに来るかということである。

前の日から散々スタッフに釘を刺されたPさん、
何せ乗り遅れたら他の便は年末なので満席だし、
陸路では開演時間に間に合わないのでコンサートが中止になると聞いて、
絶対に遅刻は出来ないとばかり寝ずに羽田にやって来た。

スタッフ一堂安堵し、チケットを渡して機内集合。
ワシもいつものように空港内でビールをひっかけて搭乗する。

ところが今度はなかなか飛行機が離陸しない。
乗務員が慌てて走り回っていたが、
今度はうちのスタッフが慌て出した。

Pさんが乗っていない!!!

スタッフが懸命に説得するが、
たった一人の乗客のためにこれ以上離陸を遅らせるわけにはいかない。
飛行機はPさんを置いたまま1時間遅れで離陸した。

さて、ではPさんはどこで何をしていたのか?・・・

絶対に遅刻は出来ない!
その大きな緊張感の中、
寝ずに空港にやって来たPさん。
チケットを受け取った瞬間に、
その安堵感のため、ゲート前のベンチに座ったまま寝てしまった。

携帯電話などない時代である。
空港じゅうに「秋田へご出発の河合康夫様」とアナウンスしても起きない人間を起こす術などない。
本人が自力で起きることを願うしかないのである。

このまま夕方まで熟睡してたら本当にその日のコンサートは中止であったが、
運良くP氏は自力で目覚め、事務所に電話をした。

「僕はこれからどうすればいいのでしょう」と。

事務所はすぐに陸路を調べ、
満席の飛行機のキャンセル待ちよりも彼を上野に走らせた。

走る走る俺ひとり 流れる汗もそのままに
たとえたどり着いても 開演に間に合わないけど

幸いこのツアーのメニューは途中に20分の長い喋りが入る。
我々は客に事情を説明し、
3人でそのMCコーナーからコンサートを始めた。
順調にいけばこのMCコーナーが終わった頃Pさんは着くはずである。

しかしそれは「順調にいけば」と言う前提での話である。
何せ彼は神戸での仕事に寝坊し、
次の新幹線に飛び乗ったが、
中で寝てしまって岡山まで行ってしまい、
慌てて飛び降りて反対側の新幹線に飛び乗ったらそれは新神戸に停まらない新幹線で、
結局新大阪まで行ってしまい、
いつまでたっても現場に来られなかった過去を持つ。

当時はまだ秋田新幹線など開通していない。
盛岡まで東北新幹線で行って、
在来線に乗り継いで秋田まで来ねばならない。
新幹線でまた熟睡でもされたらアウチである。

「僕、今から盛岡まで迎えに行きます!!」
当時のマネージャーだったM氏がそう言う。
先に盛岡に行って、東北新幹線が着いたら座席まで行って寝てたら引きずり降ろして在来線に乗せるのだ、と。

それを聞いてた和佐田、
「何もそこまでせんでも・・・子供じゃないんやから」

それを聞いた途端、
滅多に怒ったことのない温厚で有名なM氏が怒気を荒げてこう言った。

「じゃあこれが大人のすることなんですか!!!」

和佐田よ、今回のイベントが成功するためには、
トリを飾るバンドのギタリストが現場に着いてなければならん。
あわよくばちゃんと予定通り新幹線に乗ったとしても、
予定通り京都で降りてくれるとは限らんぞ!!

このイベント、終わってみるまで何が起こるやらわかったもんじゃない。

http://www.on-ko-chi-shin.com/



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